2020年07月21日

日本現代文学の英訳刊行

 第二次大戦後、英語圏では日本文学の翻訳・刊行が盛行を見せる。
 事業の中核を担ったのはクノップフ社 Knopf。
 同社旧蔵資料や、やがて著名な翻訳者となるサイデンステッカー E. Seidenstecker 他との書簡を探ると、舞台裏が見えてくる。
 川端康成のノーベル文学賞受賞も、この翻訳出版企画が当初から目論んだ成果の、帰結のひとつだった。
 片岡真伊の博士論文はここに着目した。

 文学の翻訳研究では、誤訳探しが横行する。
 だが誤訳は純粋に個人翻訳者の責任だったのか。
 翻訳プロジェクトには、責任者ハロルド・シュトラウス Harold Strauss が居り、その背後には、閲読者や助言者などが関与する。
 プログラム第1作は大佛次郎『帰郷』(英訳 Homecoming、1955)。
 その「序文」には、鶴見祐輔の『母』戦前期の英語版序文にチャールズ・ビアードが盛った観察が生かされている。
 これだけでも大発見だが、日本小説の特異性を事前に説明するこの配慮は、かえって読者の反発を招いた。

 第2作目の谷崎潤一郎『蓼食ふ虫』(Some Prefer Nettles、1955)では、原作では読みどころの家族会話が、英訳では話者不明で混迷する。
 登場する犬が「叔父さん」に変身を遂げるという、傑作などんでん返し(稲賀の解釈)は、削除されて蒸発した。
 英訳が反復を厭うがゆえの悪しき副作用である。
 日本語「会話」と(身分性別が希薄な)英語 dialogue とは等価ではなく、翻訳を無事に透過しもしない。

 大岡昇平『野火』(Fires on the Plain、1957)では、複数の時間が交錯する原作の伏線や結構が大胆に整除され、大岡の不興を買った。
 登場する精神科医の専門的言説は、なぜか英米訳では忌避される。
 日本の現代小説にそんな西洋医学的蘊蓄は期待されないらしい。

 なぜ原著は変貌を遂げ、原典とは乖離した英語訳はいかに伝播したのか。谷崎潤一郎『細雪』(The Makioka Sisters、1957)には有名な「蛍狩り」の場面がある。
 川の両岸を交錯する複数の声が現在と過去を自在に行き来して幻想的な叙述だが、これは英文法上に大混乱を惹起し、閲読者は翻訳者を無能呼ばわりした。
 題名が『蒔岡姉妹』へと改称された舞台裏の解明も、本論文のお手柄。
 トーマス・マンの『ブッテンブローク家の人々』などへの類推が読者の関心を引くことが決め手となる。

 川端の『千羽鶴』(Thousand Cranes 1964)の表紙絵では、折鶴か俵屋宗達の意匠かを巡り、訳者、編集者、原作者を巻き込む「解釈の葛藤」が発生する。

 囲碁の勝負を描く川端康成『名人』(The Master of GO、1972)では、翻訳完成直前にノーベル文学賞受賞者が自裁するという椿事が発生し、それが「東洋の賢人」像の完遂に貢献する。
 他方、北米の囲碁愛好者からは翻訳の不備も指弾される。
 名人が「残り時間1分」で百手も指したと訳者が誤解したため、原作の「気合い」に込められた静謐なる緊迫感は、乱闘同然の「暴力」沙汰に化けてしまった。
 後の独訳はこの点を宜しく是正する。

 翻訳は異質なものを跨ぐ越境だが、翻訳こそが拓く可能性も無視できない。
 三島由紀夫の『金閣寺』(The Temple of the Golden Pavilion、1959)では主人公の心理を映す隠喩表現が、直訳すると意味不明に陥る。
 翻訳者と編集者との間に発生した熾烈な駆け引きは読み応え十分。

 大佛次郎『旅路』(The Journey、1960)の登山の場面では、主人公の心象と自然描写とが渾然一体に進展する。
 だがこの「山場」は anticlimax と評され、全面的に切除される。
 日本の新聞連載小説の結構とは異なる位相の climax を北米の novel 要求していた。

 反対に英国作家アンガス・ウィルソン Angus Wilson は『細雪』末尾の描写に吃驚する。
 長編は主人公の下痢の描写で「唐突」に終わる。
 だがそれは、翻訳者が「雪子」の回想を姉の「幸子」の発言と取り違えた(人称と時制の)錯誤に加え、地の文で想起された和歌を italic 表記で改行・独立させた英訳の typography ゆえに生じた「唐突感」だった。
 原作では想定外で不在だった筈の効果が、誤訳のお陰で、読者に思わぬ反響を惹起した事件だった。


図書新聞、2019年11月23日
日本現代文学の英訳刊行――その舞台裏と思わぬ波及効果
稲賀繁美
*総合研究大学院大学・文化科学研究科、国際日本専攻提出の博士論文審査(2019年8月27日)に取材した。きわめて完成度の高い画期的な博士論文であり、書籍としての刊行が待ち望まれる。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3424&syosekino=13117

1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成。
その時、同時に候補となっていたのが、三島由紀夫だったことが分かった。
1月にスウェーデン・アカデミーが当時の選考過程を公開、三島は「今後の成長によって再検討も」とされていたのだ。
しかし、その2年後に、三島は割腹自殺。
さらにその2年後、川端はガス自殺をする。
二人はなぜ死を選んだのか?
宮本亜門さん(演出家)をナビゲーターに大胆に読み解く。

宮本さん: あまりにもノーベル賞、そして2年後の三島自決、また2年後の川端の自殺ということは、やはり何か影響があるのかなと気になるところではありますよね。正直、個人的に言いますと、あの三島由紀夫がノーベル賞ごときで影響するのか。してほしくないという、個人的なですよ、個人的な。文学者としては。

平野啓一郎さん(小説家): 僕は三島の「金閣寺」を読んで文学に目覚めて、本当に三島なくしては自分が小説家になれなかったというくらい非常に大きな影響を受けましたけれども、ノーベル賞を取った作家ということで手に取ると、またちょっと印象は違ったと思いますよね。

中江有里さん (女優・作家): 三島がもし取っていたら、川端のノーベル文学賞もなかったわけですよね。ダブル受賞というのはたぶんありえないと思うんですね、これまでのことを考えると。だから、ちょっとあまり現実的じゃないなというのが私は正直な印象ではあります。どうしても年功序列というか、やはり上の方が取るんじゃないかなと。

半世紀たち明らかに ノーベル賞巡る2人の思い
宮本さんがまず訪れたのは、三島の最期の場所となった自衛隊の駐屯地。ここで三島は、日本刀を手に自衛隊の幹部を監禁した末、切腹したのです。
「刀傷。」

宮本さん: これは三島由紀夫さんがつけた? (三島が)『邪魔するな、出てけ』ともみ合ったそう。ここまでしなければならなかったのか、疑問ばかりが残るな。

「潮騒」や「金閣寺」など、数多くの傑作を残した三島。文壇デビューのきっかけには川端の存在がありました。小説を直接、川端に売り込み、文芸誌への掲載を後押ししてもらったのです。一躍人気作家となった三島。海外の新聞で「世界の文豪」と紹介されるまでになりました。
次第に三島はノーベル賞を強く意識するようになったと、担当した編集者たちはいいます。

14年間、三島を担当した編集者 小島千加子さん
「ノーベル賞だけは三島さんの中でも、格別なものとしてあったと思う。そこらじゅうのいろんな賞と違って。」

三島と親しい編集者 櫻井秀勲さん
「(三島は)自分にはその価値があると。その自負だったと思う。」

その三島を川端は高く評価していました。ノーベル賞受賞の4年前、取材で宮崎に滞在したときのことです。
宮崎で川端を案内した 渡辺綱纜さん
「『(川端)先生、まだ日本人はノーベル文学賞を誰ももらってませんけど、日本人で最初にもらうといったら、どなたでしょうかね』と言ったら、ぱっと、それこそ即座に『それは三島由紀夫くんです。三島由紀夫くんがきっともらいます。三島由紀夫くん以外には、ノーベル文学賞は日本人では考えられません』。」

三島と川端の間には、複雑な感情があったと指摘する専門家もいます。
三島由紀夫文学館 館長 佐藤秀明さん
「写真集ですね。」

川端の受賞の前年、三島が書いた庭園についての評論。そこに、奇妙な一節がありました。
“私は或(あ)る作家の作品を決して読まない。彼は円熟した立派な作品を書きつづけていることがわかりきっているからである。”

三島由紀夫文学館 館長 佐藤秀明さん
「この時代に、こういう円熟した立派な作品を書いている作家といえば、川端康成を思い浮かべるのは、一番自然ではないだろうかと思う。何か冷たい突き放すようなものを感じざるを得ない。」

さらに、2人の間にノーベル賞を巡る生々しいやりとりがあったという、新証言にたどりつきました。三島が手がけた舞台の多くで主演をつとめた、女優の村松英子さんです。家族ぐるみで親交を深める中、三島の母から聞いたという話を今回初めて打ち明けてくれました。

宮本亜門さん
「何かがあったのか、2人の間でというのは?」
女優 村松英子さん
「三島先生は川端さんのお宅に呼ばれて、『君はまだ若いから、私は年だから、今回は譲ってくれないか』とお頼まれになったと聞きました。ご自分が信じていた川端さんから、そういうことを言われたことがショックだったようです。」

川端はそれ以前にも、ノーベル賞についての依頼を三島にしていました。
“例のノーベル賞の問題、ごく簡単で結構ですから、推薦文をお書きいただきませんか。”

そして1968年の受賞。川端は「翻訳者のおかげ」、そして「三島由紀夫君が若すぎるということのおかげです」とコメントしました。その三島は、すぐにお祝いに駆けつけます。

三島由紀夫
「川端さんは一番ですね、力を入れないで力をお使いになるという芸術上のコツをご存じの芸術家ではないかと思って。剣道でも一番強いタイプですね。もう『無構えの構え』ですね。」

武田真一 (キャスター): 平野さん、どういうふうにご覧になりましたか?

平野さん: 僕はちょっと先ほどのVTRの意見とちょっと違っていて、三島は30代後半は、あまり自分の仕事に自信満々ではなかったと思いますね。商業的にも「金閣寺」とかのころに比べると部数がすごく落ちていたし、若い人たちは、大江さんとか一回り下ぐらいの作家でものすごく力のある作家が出てきて、そっちにばって読者が移っていってましたし。
 三島がどういう人生を歩むかというのは、40になるぐらいまでかなり迷っていて、40になってもちょっとしばらく迷ったと思いますけど。だからノーベル賞が欲しかったのは、逆に言うとちょっと自信のなさというか、自分の活動、国内の評価でも必ずしも悪くなかったんですけど、当時の批評とか読むと。でも国際的な賞で自分の活動がバックアップされるといいなという感じはあったんじゃないかという気はします。

宮本さん: でも、三島さんはやっぱり世界一周してから、本当に外国に認められるという、貪欲なほど、ブロードウェイでも舞台をやりたいと言ってずっとアメリカに滞在したりも含めたら、これほど海外に標的というか、そこを目指していた人はないですよね。

中江さん: 川端っていうのは、三島のこともそうですし、ほかの才能ある作家、新人作家の後押しをしていたんですよね。もしかして川端は、やはり三島のことをかわいいと思っていた部分もあるんだと思うんですけど、でもどんどん自分を脅かす存在にもなってくる。それは自分自身の目の確かさというのが分かる結果になっているんですけれども、でも同じ賞を争う立場になったときに、川端の心境は結構複雑だったんじゃないかなと想像しましたね。

平野さん: 大体、日本国内でどっちがとかいう話をしていること自体がおかしいんですよね。だって、日本人に誰かあげようみたいな話で結局リサーチに来て、谷崎か川端か三島みたいなことをいろんな人にインタビューしていて、結局そういう話が耳に入ってきたから、川端も三島に依頼しているんでしょうけど。でも本当のこと言うとおかしな話でしょ。その賞をあげる側と違う人たちが、先輩後輩でどっちが譲るかみたいな話をしているというのは。それはちょっと、当人たちも気の毒なところはある気がしますけどね。

宮本さん: ノーベル賞取ったあとには、川端さんが取ったあとに「三島があと10年待てるかどうか」ぐらいのことをぽろっと言ったというのがあって、三島さんって、自分の人生と作品とを徹底的な計画性で決めていくじゃないですか。本当に彼がどこまで生きようとしていたのかというところと、何かこう、年というのが、一般の普通の人生の一生という考え方、彼はしていないような気がするんですよね。そこでやっぱりこの時期にノーベル賞がというところは、何を彼はどう思ったかというのに興味があるんですけどね。

中江さん: 実際、2人の往復書簡を読んでいると、2人とも自分の作品を送り合っているので、必ずそれに対する感想などを述べ合っているんですよね。どちらかというと三島由紀夫のほうが川端康成に対して、本当に手紙の量もものすごく多いし、内容も長いんですよ。それを見ていると、何ていうか「あがめ奉る川端先生」という感じもするし、あるいはお父さんに甘える息子のようなところもあるし、非常に2人の関係というか、愚痴なんかも言っているんですよね。「こういうのを書いたのにあんまり受けません」みたいな感じで。そういうところを見ると、三島ってすごく気弱な面があって、それを川端康成には見せていたんだなとは思う。

三島の自決 運命は変わっていたか?
川端のノーベル賞が決まった1968年10月。同じ月に、三島は民間防衛組織「楯(たて)の会」を結成します。学生ら100人を集め、自衛隊の体験入隊や武道の訓練を繰り返していました。
三島の自決に関わった「楯の会」。宮本さんが会ったのは、その元幹部・本多清さんです。本多さんは三島の死の直前まで行動を共にしていました。

『楯の会』元会員 本多清さん
「(三島は)もう自分も40歳過ぎたと。文豪として死ぬか、英雄として死ぬか、ちょうどその岐路にきたと。」

宮本亜門さん
「なぜこんなに早い時期に自決を考えたと思われます?」

本多清さん
「50年後、100年後に、思い出す人がいる。そのときのいわゆる、あのときに、ああいうことやった人がいるな。これが民族なんです。」

ノーベル賞を強く意識していた三島。もし受賞していたら、運命は違っていたのか…。

三島と親しい編集者 櫻井秀勲さん
「(三島が)ノーベル賞をもらったとしたら、もらったことに対しての責任を彼は持ったと思う。そのあと(死なずに)小説を書いたと思う。」

女優 村松英子さん
「(賞をとっても)生きてはいないと思います。あのころとっても、あのころの日本に対しての危機感、このままだと本来の日本の美しさがどんどんあせていくという時期であったことは確かだから。」

川端の自殺 三島の死が影響したのか?
三島自決の直後、川端は現場に駆けつけます。三島の死は、川端にとっても大きな衝撃でした。川端の自宅で手伝いをしていた稲穂照子さん。三島の死の直後、川端から普段は頼まれない資料集めを指示されたといいます。

稲穂照子さん
「(川端)先生から、『三島由紀夫さんに関する資料は全部取っておいて』と言われた。『何でもいいよ』と。『雑誌でも何でもいいから取っておいてね』と言われました。」

川端は、三島の死に直面した心情を、こう書いています。
『三島由紀夫』(『新潮』1971年1月号)
“私は三島君の『楯の会』に親身な同情は持たなかったが、三島君の死を思いとどまらせるには楯の会に近づき、そのなかにはいり、市ケ谷の自衛隊へも三島君についてゆくほどでなければならなかったかと思う。”

ノーベル賞受賞後、多忙を極めるようになった川端。連載していた長編小説も、この時期を境に執筆が止まりました。そして、三島の死から2年後。川端も自殺します。川端が死の6日前、みずからの心情をつづった手紙が残されていました。

和洋女子大学 研究員 深澤晴美さん
「こちらですね。
『この春は花も見ず、病とも申せぬ、病の心弱りに』
『心弱り』を非常に意識しております。この死の年、その前あたりから、日を追って川端の言動を見てみますと、先の予定を入れていく一方で、直近の死を自分で感じていると思われるところがございます。」

晩年の川端を6年間診療した、精神科医の栗原雅直さん。多忙の中、川端は不眠に悩まされ、睡眠薬を服用していたといいます。

栗原雅直さん
「目がとろんとして眠たげで、目の動きがのろいとか、これは(睡眠薬の)薬物中毒というか。本当は自分としては創作こそ作家の命と思っているんだけど、創作ができないと。かなりつらかったと思います。」

川端と親交のあった、女優の岸惠子さんです。川端の死は、独自の美意識によるものではないかといいます。

女優 岸惠子さん
「川端さんはあれ(ノーベル賞)をもらったから『書けなくなって自殺した』という、うわさがあったんですって聞きましたけど、そんな方じゃないです。もっと芯が図太い方だった。」

宮本亜門さん
「三島さんが先に亡くなったことで、川端さんが影響されたということは?」

岸惠子さん
「私はないでしょうと思います。(川端)先生の中では、必然的な締めくくりだったと思います。川端先生なら、なさっただろうと思います。変な暗いイメージではなくて、もう終わりにしようと。」

どう読み解く ノーベル賞と三島の自決
武田: 2人の文豪の死、そしてノーベル賞という存在。宮本さん、いろいろな方からお話をお聞きになって、どういうことをお感じになりましたか?

宮本さん: 自分が演劇をやっているせいか、どうしても僕は、三島さんを演劇人というふうに思ってしまっているところがありまして。彼は自分のシナリオを作り、台本を作り、自分の演出をし、自分が主演でやっていくということを徹底的にやり続けているような気がしていて。ただやっぱり現実の問題になると、生活というのはいろいろな時代の流れとか、人間関係で変わってくると。そのときにノーベル賞というのは大きなきっかけになって、究極にそのあと台本を最終段階まで作り直して、ああいう結末に至ったのではないか。それは芸術的な観点から見たらいいのか、それとも人間のひとつの生き方として見たらいいのかというのが交わってきてしまうんですよね。そんな気がしてますけど。

平野さん: ただ現実的には、彼が40歳になってから、1966年ぐらいからかなり政治的な言動を先鋭化させていて、「楯の会」結成前から右翼の学生たちとかなり密に交流を持って、自衛隊の体験入隊とかもしていますから、実際1968年に、仮にノーベル賞を取っていたとして、こういうことになったから、文学一本で絞るから、あとは任せたとは、ちょっと状況的にはもう言えなかったのではないかと僕は思うんですね。
 僕はやっぱり、戦争体験が大きかったと思いますね。三島は「仮面の告白」を読んでもそうですけど、戦争に行かなかったのなら、つまり生き残ったんだったら、それに見合うだけの人生を生きなきゃいけないって、ものすごく強い強迫観念みたいなものがあって、戦後社会に生き残って、特攻隊で死んだ、自分と同年ぐらいの人たちがいる中で、何のために生きているのかということをすごく思い詰めて、大義のない世界をなんとなく生きているということが自分に許せないというのは、彼がずっと繰り返し繰り返し、一種の「サバイバーズ・ギルト」という大きな災害とかのあとに生き残った人たちの心の状態として、よく心理学とかでいわれますけど、そういうものはやっぱりずっと抱えてますよね。

どう読み解く ノーベル賞と川端の自殺
武田: 一方、川端とも親交のあったドナルド・キーンさんは、このように語っています。

日本文学研究者 ドナルド・キーンさん
“『川端の死について』
ノーベル文学賞の受賞者としてレベルに達した作品を書けなかったから、その苦しみに耐えかねて川端先生は死を選ばれたということも考えられます。しかし、川端先生は美に対しては計り知れないほど繊細で、優れた感性をお持ちでした。そんなことに死を選ばれた原因があるのではと思うこともありますが、みな、想像にしか過ぎません。”

中江さん: 川端康成は「葬式の名人」という作品を残しているんですけど、幼いころから自分の身内であるとかあるいは作家になってからも多くの作家を見送っている、見届けているんですよね。
 その中の1人、最後のほうに当たる三島由紀夫を、結局、自分よりもずっと若いのに葬儀委員長もつとめたんですけれども、やっぱりそういうすごく死に近い人生を生きてきて、でも死というのは、実は自分でその瞬間を決められないものですよね、どなたも。私はなんとなく、川端は自分の死の瞬間というのを自分で、ここで決めたのかなと。誰にこの人は見送ってほしかったんだろうというふうに思ったりするんですよね。文豪でありながら、非常にさみしい感じがしてしまう。

武田: 宮本さん、取材をされて、今改めて2人の作品とどういうふうに向き合われますか?

宮本さん: 人間の矛盾みたいなものが露骨に2人とも出ているような気がしていて、そこがやはりこれからも読み続けていきたいなと思うとともに、それぞれの死が、もしかしたらそういう意味では重なっているのかもしれないという気もしながら、謎多き魅力的な作家だなと思いますね。


NHK、2019年2月4日(月)
三島由紀夫×川端康成
ノーベル賞の光と影

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4241/index.html

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2020年07月20日

鴻巣友季子「翻訳とは体を張った読書だ」

PR誌「ちくま」より、2018年6月刊 『翻訳ってなんだろう? あの名作を訳してみる』(鴻巣友季子著、ちくまプリマー新書)の新刊紹介を公開します。
翻訳家・鴻巣友季子さんが、自身の翻訳家としてのキャリアを振り返りつつ、翻訳をしながらより深い読書をする「翻訳読書」の楽しみについて語る、魅力あふれるエッセイです。
ぜひご堪能ください。

 小説を読んでいて、途中で毛糸の色が変わっていたらどう思うだろう?
 あるいは、本棚にジャムや食器が入っていたら?
 建物があり得ないような壊れ方をしていたら?
 ヒロインの話す英語が完璧すぎたら?
 愛する女性の名を口にしない男たちがいたら?
 そこからどんなことが読みとれるだろうか?

『赤毛のアン』『ライ麦畑でつかまえて』『高慢と偏見』『情事の終り』『風と共に去りぬ』……。
 誰もが知る名作十作の、見落としがちだが重要なツボをワークショップ形式で探ろうというのが、本書『翻訳ってなんだろう? あの名作を訳してみる』だ。
 どうやって探るかというと、翻訳という作業を通して。

 翻訳は体を張った読書だ! と、翻訳の仕事を始めて30年経つ最近つくづく感じる。
 実は仕事を始めて十数年は、翻訳者とは作者の代理だと思って気張っていた。
 それが、なにか憑き物が落ちたように変わったのは、ブロンテの『嵐が丘』で、初めて古典新訳を経験してからかもしれない。
 日本で昭和初期から営々と築かれてきた『嵐が丘』の読みの下地、無数の解釈と訳文、いや、世界に目を広げれば、そこにはもう目眩のするような、Wuthering Heightsの“翻訳”の茫洋たる大海が広がっている。
 その大海原に自分は一滴の小さな雫となって入っていくだけだと気づいた。
 要するに、翻訳者も読者のひとりであり、翻訳とはその大部分が「読む」ことだ、と。

 しかし翻訳者の場合、精密に読むだけではすまされない。
 純粋な読者と違うところは、そのことばの当事者となる点だ。

「〇〇文学賞受賞というので手にとったが、ダラダラ書いてあるばかりで疲れた」とか「男がある日目覚めたら虫になっていたなんてあり得ないので、理解できませんでした」なんて、巷のブックレビュウには書かれておりましょう。
 “批評者”というのは、こうして他者の作品を認識し評する(その評が的確かどうかは別として)。
 翻訳者もそこまでは同じだけれど、しかし訳文に、「ダラダラ書いてあって退屈な小説です」とか「人間が虫になるところが変です」とか他人事のように書くわけにはいかない。
 本当にその文章がダラダラしているなら、訳文も身をもってダラダラさせなくてはならないし、本当に理解不能の内容なら、そのわけのわからなさを当事者として言語化する必要がある。

『翻訳ってなんだろう?』は実際の翻訳講座などを下敷きに書かれ、読者のみなさんにも「ことばの当事者」となってもらうべく、一章ごとに違う名作の一部を課題文としてお出ししている。
 ちょっとしたルールを設けることもある。
 第3章の『嵐が丘』では、「キャサリンとヒースクリフの既成イメージからなるべく遠い人称代名詞を選んで訳してください」とお願いした。
 講座では、「おいら」「うち」「わて」「あんさん」など実にさまざまな人称代名詞が登場し、世紀の恋愛悲劇がナニワの夫婦漫才みたいに見えてきたりした。

 また、第5章の『ライ麦畑でつかまえて』では、「ホールデン少年のささいな口癖をいちいち訳出してください」とお願いした。
 そうすることで少年の心のなにが見えてくるだろう?

第4章のE・A・ポー『アッシャー家の崩壊』では、「なるべく原文の語順どおりに訳してください」。
 この作家ならではの「非効率的な文体」にとことんつきあうことで、ポーの文章はなぜあんなに怖いのか、その恐怖の源泉を探っていく。

 わたし自身、翻訳してみて初めて気づくことが実にたくさんあった。
 英語を英語のまま理解して楽しむ原典講読は、ある意味、読書の最高峰だろう。
 その一方、異言語である英語をあえて母語の日本語にくぐらせ、さらに自分のことばとして見知らぬ他者に伝える翻訳を通して得られる深い味わいも、また得難いものだと思う。

 これを学習目的の「訳読」ではなく、「翻訳読書」と名づけてみた。
 訳してわかる名作のヒミツ、翻訳のヒミツ。
 どうぞ、あなたも体験してみてください。


webちくま、2018年7月25日更新
翻訳とは体を張った読書だ!
(鴻巣 友季子)
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1408

1936年の刊行以来、世界中で読み継がれているM・ミッチェル『風と共に去りぬ』(以下GWTW)。
4年前に新訳を発表し新たな命を吹き込んだ鴻巣友季子さんは、翻訳に取り組む前後でこれだけ印象が変わった作品は初めてと言います。
「世紀のロマンス小説」の真の姿とは?
その発見をまとめた選書『謎とき『風と共に去りぬ』―矛盾と葛藤にみちた世界文学―』(新潮選書、2018年12月)について聞きました。

〈言葉の当事者になってわかったこと〉


 執筆のお話を頂いたのは、新訳版GWTWが刊行される2ヶ月前。
 亀山郁夫さんの『謎とき『悪霊』』などがある選書シリーズの一冊ということでした。
 今までのGWTWの研究には歴史的背景や社会的意義を掘り下げるものはたくさんあるので、テクスト分析、つまり「何が描かれているか」ではなく「どう描かれているか」を本書で論じようと思いました。

 これまでも『嵐が丘』『灯台へ』などの新訳を手がけましたが、訳してみてこれほどイメージが変わった作品は初めてです。
 愛読書のひとつとしてそれなりにわかっているつもりでしたが、言葉の当事者となってみて、初めてわかることがたくさんありました。
 第三者視点と、激情型ヒロインのスカーレット視点とが自在に変わる「地の文」の文体の斬新さ、キャラクター造形の深さなど、発見の連続で驚かされました。
 選書の中で引用した著者の手紙の数々も、既訳があるものでも全部自分で訳し直したことで、本作を見直すのに大いに役立ちました。

「任侠の親玉」みたいなメラニー

 翻訳前は気にとめなかった描写が引っかかり、深く考えさせられたこともあります。
 例えば、喪服のスカーレットがレット・バトラーと踊る、有名なバザーのシーン。
 レットがスカーレットの義妹メラニーとほぼ初めて会話をするくだりで、彼女の瞳を覗き込んだレットの表情がにわかに一変する、という描写があります。
 原文では〈the bottom of her eyes〉、つまり瞳の奥の奥まで覗き込んだとあります。
 彼がメラニーの瞳の奥に何を見たのか、なぜ表情を一変させたのか、いろいろ想像し、私なりの仮説を立てました。

 そのメラニーは、スカーレットと正反対の「控えめな聖女」のイメージが映画では強いですが、実は全然違う。
 スカーレットには「自分の意見も言えないばか娘」と言われますが、登場場面から婚約者のアシュリと対等に文学論を交わしています。
 人を操る力に長けた外交家で、邪なことを知らないどころか、街が分断された時、反対勢力には「アトランタではまともに歩けないようきちっとけじめをつける」と、任侠の親玉みたいな台詞まで口にする。
 今ではGWTWの真の主役はメラニーでは、と思っています。

翻訳は「現場の大工さん」

 今回つくづく感じたのは、翻訳は「大工さんみたい」ということ。
 理論で引かれた設計図を見て、現場の大工としては「こんな所に釘打てないよ」「柱少なすぎて危ない」みたいなことがありますよね。
「設計図」に込めた著者の意図を考えて、答えが見つかる場合と見つからない場合がありますが、本作は著者がラストシーンから遡って執筆していることがカギではないかと思いました。
 それを踏まえて考えると、ラストと最初では人物造形が変化しているのでは、と感じるようになりました。

「南部スゲェ本」ではない

 選書を書いた最大の動機は、GWTW原作の面白さをもっと知ってほしかったことです。
 この本は、南部の奴隷制に支えられた白人社会を懐かしむセンチメンタルな「南部スゲェ本」では決してなく、よく言われる「人種差別小説」でもなければ、クー・クラックス・クランを賛美する「右翼小説」でもない、ということです。
 例えば、主要人物のスカーレット、アシュリ、レット、メラニーは、各々の理由で全員戦争に反対している。
 奴隷制度やKKKが登場するけれど、きちんと読めば著者がむしろそれを批判的に描いていることがわかります。

 最近は米国をはじめ、世界中で分断や差別が強まっています。
 GWTWの舞台となった1868年以降の米国再建時代と共通するものもあり、まさに今こそ読んでほしいコンテンポラリーな小説です。

 選書では難しい論ばかりでなく、「萌え文学」「キャラ文学」としてのGWTW分析などもしています。
 かしこまった研究書ではなく、本編と一緒で読み物として楽しんでいただければ嬉しいですね。

次回作は『ロミオとジュリエット』

 2019年、小学生新聞で『ロミオとジュリエット』の翻案を連載します。
 密かに注目しているのは、ロミオと友人の4人のボーイズ。
 彼らの愛憎関係は、BL含みの「萌え」かな、と。
 そこは掘ってみたいですね。
 古典中の古典ですからイメージをどこまで壊していいのか難しいところですが、そんなことも考えています。
 シェイクスピアは初めての挑戦で、名だたる研究者の方々にはまず先に謝っておきます(笑)。

※「STORY BOX」(月刊文芸誌、小学館)2019年1月号掲載


小説丸、2019/01/09
翻訳者は語る・第17回
鴻巣友季子さん
(構成/皆川裕子)
※ 鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ、1963年、東京生まれ)
翻訳家。主な訳書にブロンテ『嵐が丘』、クッツェー『恥辱』、ウルフ『灯台へ』、著書に『全身翻訳家』『翻訳ってなんだろう?』など。
https://www.shosetsu-maru.com/storybox/translator/17

形成に関わる前代未聞の「アンソロジー」

 日本語のネイティヴスピーカーは、「漢字仮名交じり文」をもつ自分たちの言語が相当入り組んだ造りであることは自覚している。
 とはいえ、どんな成立過程を経てこうした造りになったのかには、意外と無関心のように思う。
 池澤夏樹 『日本語のために』(河出書房新社、2016年8月)は、祝詞、漢詩、漢文、仏教典、キリスト教典、琉球語・アイヌ語の文献、五十音図、シェイクスピアの邦訳、大日本帝国憲法、日本国憲法など、日本語の形成に深く関わる、あるいは、その時代の日本語の特徴を顕著に表す文章、文書のサンプルを広範に採集し解説を加えた前代未聞の「アンソロジー」である。
 かつて国語教育を鋭く批判した丸谷才一の『日本語のために』(新潮文庫、1974年刊)を意識したタイトルだろう。
 中立的な見本収集では当然なく、編纂(へんさん)の仕方は高度に批評的だ。

 本書中の文章のほとんどが、翻訳を通して/に伴って作られたものであることは、言うまでもない。
 日本に二度の「大翻訳時代」があるなら、それは奈良・平安と明治・大正時代。
 前者の頃には、中国から漢字、漢文が、後者の頃には、西洋の言語が輸入され、翻訳を通して日本語化したが、その際には、アクロバティックな工夫がいろいろとなされた。
 たとえば、漢字に二種類の読み方をあたえたこと。
 漢字とは文字であり、一つひとつが「単語」でもあるが、「犬」に「ケン」という中国風の読み方のほか、「イヌ」というやまとことばでの読みも付けた。
 この大胆な発案を、本書で池澤夏樹は「dogをイヌと発音すること」と同じぐらい「とんでもない飛躍」だと表現する。
 ここに日本語の二重、三重構造化が始まった。
 日本語にとって中国語は英語ほど離れた言語であるにも拘(かか)わらず、「漢字に訓読を当て、返り点などの規則を整備すると漢文がそのまま日本語として読める」「自動翻訳装置」をこしらえたのだ。

 幕末から明治にかけての日本人は日本語のこうした重層性を楽々と使いこなして、じつに豊かな言語生活を送っていたと、永川玲二(ながかわれいじ)は「意味とひびき」で指摘する(最終章「日本語の性格」)。
 天下国家の問題なら漢文脈、恋愛でもまじめなものなら短歌、粋人の浮気ていどなら都々逸と、さまざまな観念、イメージ、情緒、語法、リズム、主題などが精妙なマナリズムによって整理されていたから、表現に迷うことがなかった。
 一方、役割分担がはっきりしているぶん、論理的で生硬な文章になるか、情緒に流れるかのどちらかで、両者の融和を図りにくくもある(が、その壁を突き崩す姿勢だったのが小林秀雄との指摘もある)。

 音韻と表記が扱われる第7章でも、松岡正剛による「馬渕和夫『五十音図の話』について」という抜群に明晰(めいせき)な一文が引かれ、再び日本語の「ボーカリゼーション」について考察されているのがありがたい。
 その簡潔な解説によれば、仏教公伝の後しばらく経文は漢訳で読まれていたが、空海の入唐以降、4つのことが同時に起きた――
・ 仮名の登場、
・ 漢訳の原語であるサンスクリットやパーリ語の研究、
・ 公用漢字の意味の把握、
・ 和歌と漢詩の比較。

 これらが一挙に進み、日本語は後にも先にもない劇的な過程を経験したことがよくわかるのだ。

 アイヌ語を扱う重要な章にも、繊細な批評性が張り巡らされている。
 たとえば、知里幸惠(ちりゆきえ)訳(自己翻訳)の『アイヌ神謡集』を岩波文庫からは採らず、北道(きたみち)邦彦による注解つきの版(2003年)を採用。
 北道とは、陰の共作者金田一京助によって長らく門外不出となっていた創作記録「知里幸惠ノート」に基づく『ノート版 アイヌ神謡集』(1999年)を編集した人である。
 また、樺太アイヌ山辺安之助の『あいぬ物語』は、本文抜粋4ページに対して、7ページに亘(わた)る金田一の序文が丸ごと引かれる。
 それによって、山辺がアイヌ語より得意な日本語でアイヌの生活をいったん語り、それを編集した日本語文を、再び彼がアイヌ語に自己翻訳/還元訳するという、何がオリジナルで何が翻訳なのかわからない事態に陥った共作の過程も明らかになる。

 本書には現代語訳も多数含まれるが、刺激的な試みが満載だ。
 一例だけ挙げれば、「終戦の詔書」の現代語訳は高橋源一郎が担当し、天皇にあたえられた語彙(ごい)と感情の乖離(かいり)について考える。
 その結果、自身が執筆中の小説で架空の昭和天皇が発表することになる口語の「終戦の詔書」を訳文として挿し入れ、「『翻訳』には、そんな機能、いや役割もあるのではないか」と問いかける。

 一方、第9章「政治の言葉」には、日本語の散文が未発達で、論理的、実用的、公的、抽象的な記述に向かないのは、明治開国時に文体を急拵(ごしら)えしたのが、小説家たちだったからだと説く、丸谷才一の「文章論的憲法論」が。自身も小説家の丸谷がこの論を書いたのが、戦後30年の頃だ。
 戦後70年のいま、日本語と翻訳と小説との関係は、どのように変化しているだろうか?


ALL REVIEWSオール・レビューズ、2020年6月11日
池澤夏樹 『日本語のために』(河出書房新社、2016年8月)
評者:鴻巣 友季子
https://allreviews.jp/review/2247

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2020年07月19日

明治時代の翻訳・翻案

1.概説:明治時代の翻訳・翻案
1.1 明治時代の翻訳とその土壌


 鴻巣友季子の『明治大正 翻訳ワンダーランド』によると、明治時代の翻訳作品には、かなりの「力技」が見られるという。明治の読者を興奮させ感動させたエピソードが、実は原作には存在しない、翻訳者による完全創作エピソードだった、ということも多かった。

 こうした事態が生じたのはいくつか要因がある。ひとつには、明治期の日本が西洋諸国の文化を吸収し始めた、いわば西洋化の初期にあったということ、そして、もうひとつは、英語という言語が明治期の翻訳者にどれほど理解されていたかというと、必ずしも肯定的な答えを返せない、微妙な問題だったという点だ。

 現代人は明治期の英語理解度を常に考慮せねばならない。1853年のペリー来航、そして1854年の日米和親条約締結により、維新前から英語への理解は進んではいたものの、本格的な英和辞典が編纂、出版されたのは、1862年の『英和対訳袖珍辞書』を待たねばならない。

 これ以降、『改正増補英和対訳袖珍辞書』が1866年に出版、さらに版を重ねて1867年、1869年と増刷されていく。この英和辞書は、オランダ語系の辞典を介した、英欄辞典に依拠して編纂されたものだ。オランダ語の影響を受けずに、英英辞典を参考に編纂された英和辞書は、1873(明治6)年の『附音挿図英和字彙』となる。

 森田思軒、黒岩涙香、若松賤子、内田魯庵ら、翻訳・翻案の第一人者が登場したのは、おおむね明治20年代英和辞書が誕生してたった数十年後という、英和創成期であったことは驚異と言えよう。そして、上記の翻訳者らの手によって、数多くの大ヒット小説が生まれ、大衆読者の人気を得た。つまり、当時の読者層において、翻訳小説という装置を用いて欧米列強の社会や文化を学び、それを自らの身体に取り込んでいく、という一連の流れが確立されていったのは明治時代だったということになる。

1.2 明治時代の名(迷)翻訳

 英語圏以外の翻訳作品を含めると、明治時代にはそうそうたる面々が並ぶ。1888(明治21)年には二葉亭四迷によるツルゲーネフの『あひびき』『めぐりあひ』が、1892(明治25)年には内田魯庵によるドストエフスキーの『罪と罰』(未完)、同時期には森鴎外によるアンデルセンの『即興詩人』も翻訳が始まっている。

 また、前後するが、1890(明治23)年には若松賤子によるバーネットの『小公子』の連載が始まり、これが大人気を博して明治25年1月まで続く。明治29年には坪内逍遥によるシェイクスピアの『ハムレット』が世に出る(補足だが、シェイクスピアの翻訳で名高い逍遥が全訳を表舞台に出すのは明治40年代以降となる)。
 さらに、「翻訳王」森田思軒、「翻案王」黒岩涙香らジャーナリズム出身の翻訳者が大活躍したのも、明治20年代である。

「翻訳王」森田思軒の主な仕事は、ヴィクトル・ユゴーの『探偵ユーベル』(明治22年)を筆頭として、ジュール・ヴェルヌの『鉄世界』『十五少年』(十五少年漂流記)、エドガー・アラン・ポオの『間一髪』(陥穽と振り子)など、有名どころ満載だ。「郵便報知新聞」に所属しその編集に携わったジャーナリストであると同時に、翻訳の仕事もこなしていたこの思軒について、前述の鴻巣友季子は次のように述べている。
 思軒の場合は英文書以外はすべて英語からの重訳だったが、漢文の素養をいかした「漢七欧三」と呼ばれる原文に忠実な訳で、日本の翻訳にひとつの大きな流れをつくった。
 当時はまだ翻訳といっても、大胆な翻案や乱暴な抄訳が多く、「乱訳・豪傑訳の時代」と称されていたのだけれど、思軒の周密な、現代の翻訳に近い「直訳」は、文字どおり当時の翻訳の文体に大変革をもたらしたのだ。
(鴻巣友季子,『明治大正 翻訳ワンダーランド』p.19)

 森田思軒の名は現代人にはあまり知られていないが、我々が翻訳作品を楽しみ理解する、という翻訳文化の基礎をつくったのは、ほかならぬ森田思軒だったということになる。知らないうちに、我々もその恩恵に与っている「翻訳王」なのだ。

 一方、「翻案王」と称された黒岩涙香も、『萬朝報』を発行したジャーナリストという素地を持つ。明治25年に名高い『鉄仮面』を翻案して世に出したのち、明治34年には、デュマによる『巌窟王』(『モンテ・クリスト伯』)、明治35年にはユゴーの『噫無情』(『レ・ミゼラブル』)を翻案している。

 デュ・フォルチェネ・ボアゴベによる『鉄仮面』(原題は『サン・マール氏の二羽のツグミ』)は、涙香の翻案によって日本で絶大なる人気を博したといっても過言ではない。ボアゴベの原作は「ルイ14世治下のフランスにいた、鉄仮面をかぶせられた謎の囚人」というモチーフを使った歴史小説で、デュマやユゴーにも同じ題材をあつかった作品がある。だが、涙香の『鉄仮面』では原作からかけ離れたストーリーが展開し、そもそも原作には存在しない場面も多くある。そして、原作に存在しなかった場面、展開こそ、明治の読者を捉えて離さない魅力があった。鴻巣友季子は涙香の『鉄仮面』についてこう述べる。
「翻訳者」にとって、筋立てのこうした改竄は必然のものであり、あのハッピーエンドこそが正史だったのだろうか……。
 現代の翻訳界ではとうてい考えられない(著作権法からいっても許可されない)荒業だが、この手直しのおかげで、『鉄仮面』がこの国で多くの読者をつかみ、その結果、末永く読みつがれるようになった(百年あまりを経て新訳が出るほどに)のもたしかだろう。
(鴻巣,『翻訳ワンダーランド』,p.57)

 読者を楽しませる、エンターテインメントとしての翻案だったことは確かである。また、「当時の新聞は掲載する小説・読み物の人気・不人気で売り上げ部数が激変した」(鴻巣, p.58)ことは現代と大きく事情が異なっている。涙香は『鉄仮面』を自身の発行した『萬朝報』で連載していたが、この連載後、『萬朝報』の売り上げは激増した。

 明治時代に登場した、新聞という新しいメディアを得て、涙香は自由自在に活躍した。当時の新聞は、リアルタイムで自身の信条を(形式は変わるが)訴えることのできる媒体だったと言えよう。「荒業」と称される黒岩涙香の仕事だが、大勢の読者に自分の仕事を読んでもらうことで自分の信じるところを知ってもらう、という目的があった。だからこそ、おもしろくなければ読んでもらえない、という立場をとったのだ。

 いずれにせよ、「翻訳王」の森田思軒と「翻案王」の黒岩涙香の二人が、それぞれジャーナリストであったことは注目に値する。明治における翻訳、翻案とはすなわち、読者という一般大衆と密接に関わる新しいメディア=新聞を活動の舞台として世に出たと言えるからだ。次章では、まず、明治初期に広く読まれた自己啓発本の翻訳と、この新しいメディア=新聞で、そしてもう一つの新しいメディアである雑誌でそれぞれ翻訳、翻案された作品について分析する。

2.1 明治時代の自己啓発本---スマイルズの『西国立志編』(1871年)

 サミュエル・スマイルズによるSelf-Helpは1859年、イギリスで初版が出版されるとたちまち売り切れる人気を博す。著者スマイルズはスコットランドの医者から一転、カリスマ的指導者となった。自己啓発本の元祖である。

 スマイルズのSelf-Helpの特徴は二点あり、まず、自己学習の重要性を強調した点、そして、努力すれば「紳士」にもなれるかもしれない、と思わせた点である。がんばれば報われる、というスマイルズの言説は現代版紙媒体の表紙にも受け継がれ、オックスフォード大学出版、ケンブリッジ大学出版のSelf-Helpの表紙には、いずれも自ら努力することの重要性をあらわす図版が使用されている。

 自己学習の重要性について、British Libraryは以下のように説明している。

[Smiles] proposes knowledge as one of the highest human enjoyments and education as somewhat erratic road along which knowledge is acquired.
(www.bl.uk/collection-items/self-help-by-samuel-smiles)

 つまり、スマイルズによると、知識とは人間にとって最高の楽しみのひとつであるものの、教育は知識を修得する際に迷走を伴うものでもある、ということになろう。そして、もう一点の、努力すれば「紳士」になれるかもしれない、というくだりについては次のように解説する。

One of Smiles’ most striking claims at the time was that even the poor could be gentlemen: ‘Riches and rank have no necessary connexion with genuine gentlemanly qualities’, which he describes as being ‘diligent self-culture, self-discipline and self-control --- and above all […] that honest and upright performance of individual duty which is the glory of manly character’.
(同上)

「貧乏な人間でも「紳士」になることができるが、「紳士」に必要な性質とは勤勉さと自己鍛錬、自己修養、自制心である」と述べていることがわかる。明白な階級制度が存在するイギリスにおいては、たとえ、労働者階級の人間が事業に成功して成り上がり、中産階級以上の資産を所有することができたとしても、内面が伴っていなければ所詮は労働者階級どまりで中産階級の仲間入りは果たせない、というのが通例だ。しかし、スマイルズのSelf-Helpの登場によって、そうした人物でも、努力すれば紳士階級の仲間入りができるかもしれない、と希望が持てるようになった、その意義ははかりしれない。この、努力すれば、夢はかなう、という言説は明治初期の日本においてもひろく受け入れられることとなった。

 1871(明治4)年、中村正直による訳出でSelf-Help (1866[1859])は『西国立志編』として出版され、人気を博した。この『西国立志編』は、1866年に出版された増補版を原典としているが、初版と同様、「自学」「勤勉」「向上心」の必要性を説き、「自助の精神」を提唱する内容で、「天はみずから助くる者を助く」という有名なフレーズもこの『西国立志編』第一編の第一文に由来する。たとえるならば、自己啓発本の元祖と言えよう。

 自立し、人に頼り切らないことが重要、とのメッセージを持つ『西国立志編』だが、財源不足でインフラ整備もままならない明治政府にとっては、大変都合のよい内容だったことだろう。

 松沢裕作が『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』において、「明治政府は、クーデターによって成立した、人びとから信頼されていない政権だったので、高い税金をとることができず、政府の財政を通じて、豊かな人から貧しい人へ富を再分配するような力をもちようがなかった」と述べているように、国民ひとりひとりが努力する必要性を感じざるを得なかったのだ。

 明治時代のバイブルとも言われた、翻訳版の『西国立志編』では、原文とはレイアウトを変えて18、19世紀の偉人たちについてそれぞれ項目を分けて説明しているが、そのなかでも自助の精神が特に顕著な項目は以下の通りとなる。「忍耐力こそ成功の源泉」「勤勉な努力と忍耐が成功を導く」「いかにしてチャンスをつかむか」「意志の力の重要性」「勤勉な仕事ぶり=人格形成に貢献」「自学による立身出世」「「真の君子」たるべし」である。この項目の中から二つ、「忍耐力こそ成功の源泉」と「「真の君子」たるべし」の翻訳を分析したい。

 まず、「忍耐力こそ成功の源泉」である。原文と翻訳を併記する。

All nations have been made what they are by the thinking and the working of many generations of men. Patient and persevering labourers in all ranks and conditions of life, cultivators of the soil and explorers of the mine, inventors and discoverers, manufacturers, mechanics and artisans, poets, philosophers, and politicians, all have contributed towards the grand result, one generation building upon another’s labours, and carrying them forward to still higher stages.
(Self-Help, pp.19-20)

およそ諸邦国、今日の景象に至るものは、みな幾世幾代を経て、諸人あるいは心思を労し、あるいは肢体を苦しめて、成就せしものなり。忍耐恒久の心をもって、職事(仕事)を勉強する人、尊卑貴賤の別なく、(土地を耕墾する人、鉱山を検尋する人、新器新術を発明する人、工匠の人、品物を製造する人、詩人、理学者、政学家)これらの人、古より今に至るまで、しだいに工夫を積めるもの、合奏して盛大の文化を開けるなり。
(『西国立志編』p.63)

 原文では “contributed towards the grand result”, “to still higher stages”とある箇所が、「しだいに工夫を積めるもの、合奏して盛大の文化を開けるなり」と変わってはいるものの、「一人一人の努力が大きな結果につなげがる」というニュアンスは少しだが読み取れよう。

 だが、「「真の君子」たるべし」になると、‘gentleman’の翻訳が難しくなってくる。‘Even the common soldiers proved themselves gentlemen under their trials.’ (Self-Help, p.331)という英文が、中村の訳では、「尋常の兵卒といえども、患難の際に臨んでは、化して温柔の君子となるなり。」(『西国立志編』p.537)と変わってしまう。中産階級以上に所属し、マナーおよび礼節を兼ね備えた男性(ただし貴族ではない)、という意味を持つ‘gentleman’を「紳士」という単語で置き換えることが一般化したのは、少し時代が下ってからのことである。

『広辞苑』によれば、「紳士」という言葉は明治20年〜22年に発表された二葉亭四迷の『浮雲』の一節からとあり、「「搢紳の士」の意」と説明される。中村が訳出した際には、まだこの用例はなかったため、「紳士」ではなく「君子」を使ったと考えるのが妥当だろう。階級制度を内包する‘gentleman’を、「君子」という階級を超えた言葉で言い換えた翻訳者中村正直のセンスには、驚かされる。

 最後に、『西国立志編』が翻訳された意義についてまとめると、新時代「明治」における日本人の「向上心」に合致した、ということがまず、言える。欧米列強に追いつけ追い越せ、の精神に合致したわけだ。そして、すべての人民の自助と努力が国の繁栄に貢献するというメッセージからは、明治政府にとって都合の良い国民の創生が促され、同時に、努力は裏切らないことを知るべしというメッセージからは、当時の国民にとってまさに必要不可欠なパラダイムが提供されたことになる。翻訳『西国立志編』は、国民の自己肯定感の向上を図るための、うってつけの装置だったと言えよう

2.2 欧米文化を理解するための翻訳---バーネット『小公子』(1897年)
 
 イギリス生まれだがアメリカに渡って活躍した女性作家、F. H.バーネットのLittle Lord Fauntleroy (1886)は、雑誌で発表されるや否や、アメリカ、イギリスで人気を博した子ども文学の名作である。主人公セドリックがその言動を通じて、「アメリカ」と「イギリス」の架け橋となり、英米の融和を象徴的に描いたとされるこの作品では、清く、正しく、美しい主人公、セドリックが理想の子どもとして際立った存在感を示している。セドリックの端正な服装も物語の重要なカギとなっており、大きな意味を持つ。

 バーネット版の特徴は、「天使のような子ども」を意図的に提示していることにある。これはロマン主義の子ども観(=無垢なこども、こどもの神性を強調)の影響を受けた一般読者をターゲット層として想定しているための戦略と考えられるが、この「天使のような子ども」が英米の読者の圧倒的な支持を得た。セドリックの服装も流行し、かわいらしい挿絵で描かれた、濃い色のビロードの服に大きなレースの襟のついた“Fauntleroy suit”は、この時期の子ども服の一つの特徴をなしている。

 このLittle Lord Fauntleroyを明治20年に『小公子』と題して雑誌『女学雑誌』上で翻訳し始めたのが、若松賤子である。その滑らかな口語調の翻訳は自然で読みやすく、「翻訳王」森田思軒も「言文一致の極致」として絶賛しているほどだ。若松は、「天使のような美しい子ども」を翻訳においても再現する。以下に原文と邦訳文を併記する。

[Mr Havisham] recognized in an instant that here was one of the finest and handsomest little fellows he had ever seen. His beauty was something unusual. He had a strong, lithe, graceful little body and a manly little face; he held his childish head up, and carried himself with quite a brave little air; he was so like his father that it was really startling; he had his father’s golden hair and his mother’s brown eyes, but there was nothing sorrowful or timid in them. They were innocently fearless eyes; he looked as if he had never feared or doubted anything in his life. ‘He is the best-bred-looking and handsomest little fellow I ever saw,’ was what Mr Havisham thought. what he said aloud was simply, ‘And so this is little Lord Fauntleroy.’
(Little Lord Fauntleroy, pp.24-25)

さて、かくまで非常にハ氏の心を動かしたものは、一種反動的の感情でした、一見して其童児が嘗て見たことのないほど秀逸ものと分かった時、起ったので、殊に容色の美いことは非常の者でした。。其体つきの屈強で撓やかな處、幼顔の雄々しき處、頭をしゃんと擡げて、進退する動作の勇ましき處等の一々亡父に似て居ることは、実に不思議な程でした。髪は黄金色で父にに、眼は母の茶勝な處にそっくりでしたが、其眼付には、悲しそうな處も、臆せ気味な處もなく、只あどけない中に、毅然とした處のあるは、一生涯、なににも怖ぢたことなく、疑ったこともないという気配でした。ハ氏は、心の中に、是は又大した上品で、立派な童児だと思いましたが、口に出しては、極くたんぱくに、『左様ならば、これがフォントルロイ殿で御座るか。』といいました。
(『小公子』p.36)

 若松は、英文で絶賛されているセドリックの様子を、当時としては自然な話し言葉で訳出しており、「言文一致の極み」とされる名調子である。

 だが、翻訳が難しい箇所については、いさぎよく削って訳す、という大胆さも併せ持っていた。

‘Dearest,’ said Cedric (his papa had called her that always, and so the little boy had learned to say it) ‘dearest, is my papa better?’
He felt her arms tremble, and so he turned his curly head, and looked in her face. There was something in it that made him feel that he was going to cry.
(Little Lord Fauntleroy, p.6)

「かあさま、とうさまは、もう、よくなって?」
と、セドリックが云ひましたら、つかまったおっかさんの腕が、顛へましたから、ちゞれ髪の頭を挙げて、おっかさんのお顔を見ると、何だか、泣きたい様な心持がして来ました。
(『小公子』p.6)

 原文の‘Dearest’とは、セドリックが母に対して使う呼称で、「最愛の人」という意味だ。父親が母親をそう呼んでいたことから自分のそのように呼び始めた、と上記の引用文で説明されているのだが、翻訳ではばっさりとカットされている。「細君」「愚妻」などという呼び方が一般的だった明治期において、この‘Dearest’は訳しても読者に意味が通じないと考えてのことだったと推測される。

 英米文化にあこがれを抱かせ、それを理解するツールとして機能していたであろう『小公子』だが、読者の理解を超えてしまう箇所は削除するという、実は偏りのある翻訳になっている点は注目に値する。翻訳『小公子』は、制限つきの文化理解を提示した一例と言えよう。

2.3 社会批判の機能を隠し持つ翻案---ワイルド『悲劇革命婦人』(1911年)

 オスカー・ワイルドのVera, or the Nihilists’は1881年に発表された戯曲である。
 主人公ヴェラがロシア皇帝暗殺を企てるものの、身分を隠して民衆の中に潜んでいた当の皇帝と恋仲になり、自身の皇帝暗殺という任務と皇帝への愛との間で苦悩する、という筋書きだ。

 ワイルドが劇場での戯曲デビューをもくろんだこの戯曲は、実は研究の対象になることが少ない。
 ワイルド戯曲集というタイトルで出版される単行本に収録されることも少なく、ワイルド全集の一部として、ようやく掲載されるほどの低い位置づけだ。

 相当にマイナーなこの作品を、1911(明治44)年に内田魯庵が東京朝日新聞紙上で翻訳翻案、連載した。そして、大評判となったのである。
 講談調にすることで翻案の体裁をとりつつの翻訳で、テンポよく展開するメロドラマ、という印象を与える魯庵の文章からは、原文の無味乾燥な未熟な文体は、まったくと言っていいほどうかがえない。

Plead to Czar! Foolish boy, it is only those who are sentenced to death that ever see our Czar. Besides, what should he care for a voice that pleads for mercy? The cry of a strong nation in its agony has not moved that heart of stone.
(“Vera, or the Nihilists”, p.691)

何ですと、皇帝陛下に哀訴する?貴下も余程なお馬鹿さんだ。皇帝に哀訴したものは皆死刑に處せられて殺されるばかり。第一彼が貴下の哀訴に何で耳を傾けよう。全露西亜国民の呻吟嗚咽にすら平気になってる石のような心持が如何して動かせよう。
(「悲劇革命婦人、p.206」)

 英文と異なり、魯庵の文章は読者の情に訴えかけ、畳みかけてくる勢いが感じられる。

 魯庵がこの“Vera, or the Nihilists”を選んだのには、実は理由があった。少し長くなるが、ワイルド側の事情から説明する。

 1881年にワイルド自身が演出家として上演が決まっていたこの戯曲だが、上演直前に中止の憂き目にあっている。以後、イギリスにおいてこの戯曲が上演された記録はない。上演中止の理由は、当時のイギリス王室からの圧力とする説が有力だ。

 1881年前後の社会情勢を確認しよう。
 1881年3月にロシアのアレクサンドル2世がアナーキストに暗殺されているが、彼の後を継いで皇位についたアレクサンドル3世の妻と、イギリスのアレクサンドラ皇太子妃は姉妹関係にあった。そのため、妃の心情に配慮して中止の圧力をかけた、という説が有力だ。そして、暗殺といえば、同年7月にアメリカ大統領ガーフィールドの暗殺未遂事件が起きている。大統領は2か月間の闘病をへて9月に亡くなるが、ワイルドが“Vera”の上演を試みた12月という時期は、いまだガーフィールド大統領死去の打撃が大きく残っていた時期と言えよう。
  ”Vera”と暗殺は、切っても切れない関係にあるということだ。

 魯庵が狙ったのも、この点だ。
「悲劇革命婦人」の筋書きは"Vera"とほぼ同じである。だが、この作品を発表した時期に、意義がある。1910年、幸徳秋水首謀といわれる、社会主義者による大逆事件ののち、ジャーナリズムおよび文学作品への検閲が極めて厳しくなった。大逆事件による幸徳秋水らの処刑は一方的で、文化人らの間では同情する論調が強かったことが、日記や随筆からうかがえる。

 この状況下で、「皇帝暗殺」をテーマにした「悲劇革命婦人」を堂々と連載した魯庵の意義は明白であり、丸善の木村毅もどきどきしながら新聞連載を読んだ、と回想している。

 文体を講談調に変換することで、近松的なメロドラマの様相であることを強調し、検閲を逃れる、という手法だったとも推測できる。つまり、明治政府に対する異議申し立てを、講談調の翻案、というベールをかけた翻訳物で実行に移した、という解釈が可能になってくるのだ。覚悟を決めた翻案、翻訳の傑作と言ってもよいだろう。

3. まとめ

 翻訳、翻案というメディアは、近代化し始めたばかりの明治期の日本にとっては、欧米列強の社会制度や文化を知るためのツールであったことは容易に理解できる。だが、この翻訳、翻案を巧みに用いて、自らの主義主張・社会批判の機能を併せ持つ、複雑な装置にまで仕上げていったのは、明治時代の文筆家たちの新時代へかける情熱のなせる業だったのではないだろうか。

[参考文献]
Burnett, Frances Hodgson. Little Lord Fauntleroy. 1886, Oxford University Press, 1993
Holland, Merlin. ed. Collins Complete Works of Oscar Wilde. HarperCollins, 2003
Smiles, Samuel. Self-Help. 1866 [1859], Oxford University Press, 2002
川戸道昭、榊原貴教編 『明治翻訳文学全集≪新聞雑誌編≫10 ワイルド集』大空社、1996年
スマイルズ、サミュエル 『西国立志編』 中村正直訳、講談社、2013年(1981)
バアネット 『小公子』 若松賤子訳、岩波書店、2017年(1927、1939)
**************************
鴻巣友季子 『明治大正 翻訳ワンダーランド』新潮社、2005年
高橋修 『明治の翻訳ディスクール---坪内逍遥・森田思軒・若松賤子』ひつじ書房、2015年
松沢裕作 『生きずらい明治社会 不安と競争の時代』岩波ジュニア新書、2018

川村学園女子大学、「知」への扉、リベラルアーツ in KAWAMURA、2019年05月16日
明治日本における翻訳・翻案 ― イギリス文学を中心に
(文学部 国際英語学科 准教授 小泉朝子)
http://liberalarts-kgwu.sblo.jp/archives/201901-1.html

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2020年07月18日

『小公子』若松賤子・訳

 ヤッホーくんのこのブログ、2020年07月17日付け日記「『小婦人』北田秋圃・訳」にでてきた<著名な翻訳家、若松賤子>ってどんな人?

 若松賤子は 1864(元治元)年、福島県若松市で出生、3歳のとき戊辰戦争の憂き目に遭い、隠密として各藩の動勢を探査中の父は行方がしれず、やがて1870(明治3)年、母が病死、実質的に孤児となる。
 そして、ちょうど商用で訪れた横浜の織物商山城屋和助の手代大川甚兵衛に養女に望まれ横浜へ移住、その横浜で来日していた日本初の女性宣教師メアリー・エディ・キダーのもとに預けられた。
 1871(明治4)年、若松はキダーの英語塾「キダー塾」に入学。
 若松が入学した当時、生徒は6名のみ、特に女子の教育は考えられない時代であった。
 キダー塾はキダーの帰国によりいったん閉鎖された後、1875(明治8)年にフェリス・セミナーとして再開、若松は1881(明治14)年17 歳でフェリス・セミナーを卒業後、同校の教師に就任、生理学、健全学、家事経済および和文章英文訳解の科目を担当した。

 若松は教職の傍ら、文学に関心を持つ生徒や同窓生の文学活動を支援する場として「時習会」という文学会を結成、この「時習会」の活動を通じて後に夫となる、『女学雑誌』の主宰者巖本善治と出会い、1886年22 歳のとき巖本の勧めで書いた紀行文「旧き都のつと」(『女学雑誌』23号に発表)を書いたのを機に文筆活動を開始する。
 後に『小公子』の「あとがき」に夫の巌本が「日本語より英語に慣れていた」と書いているほど英語に堪能であった若松は、和書より洋書を多く読み、やがて読んだ中で良書と思うものを翻訳するようになる。
 さらに後には英文記者として英字新聞に定期的に日本紹介の記事を寄稿、外国から受容するだけでなく日本を発信することも行った。
 若松の人生を見れば、戦後の動乱から始まる波瀾に富んだ人生のなかで、確固たる信念を持ち自ら人生を切り開いた生き方は『小公女』のセーラにも重なる。
 名訳と称賛される『小公子』は延べ45回にわたる長期連載となったが、すでに結核を患っていた若松は、布団の上で訳を考えたという。
 その病身をおしての翻訳する姿にも、寝たり起きたりの状態で原稿作成機と化したバーネットが想起される。
 若松の翻訳は見事であり、後世においても優るものはないとまで言われている。
 若松賎子は翻訳する作品をどのように選んだのか。
 1890年4月5日付『女学雑誌』第207号「閨秀小説家問答」(『女学雑誌第207号』)には、若松の文学観が明示されている。
 まず「小説に関する理想、希望、持論云々」として次のように記されている。
 凡そ婦人たるものに教育、矯風の事業の責任ありとせば、一般小説文学の嗜好に投じて正義、高潔などの世に勝利を得る補助となすことは、婦人等の多少為し得る処と確信して居り升、
 それ故聊か教育の事に志ある自身も多少己の学び得たる処と悟り得たる処を理想的に小説に編んで妹とも見る若手の女子たちに幾分の利益を与へ、社会の空気の掃除に聊かの手伝いが出来れば何よりの幸福と考へて居り升した、
 併し万づ未熟の身にとつては、心の中さへを、文に綴る事が容易く御座いませんので、読者のご不満は自身の不満に比べる事も出来ぬ程ならんと、始終思ふて居り升、
 いつそそれ故人の著作したものの中、手頃のを選んで訳したほうが、はるかに心易い様にも考へて居升。

 若松はこのように文学に対する考えを明らかにしたあと「余の平素愛読する小説云々」として自分の洋書体験を述べている。
 まず十五六才の頃、英書の独り読みができるようになって読んだ作品として
・ The Wide Wide World 、さらに
・ Dickens、
・ Edgar Allan Poe 、
・ Alcott 、
・ Scott 、
・ George Eliot、
・ Mrs. Stowe、
・ Hawthorne、
・ Miss Mulock、
・ Victor Hugo、
・ Charlotte Bronte の名をあげている。
 ただし多くは慰みにはなっても繰り返し読むようなものではなく再読したのは
・ Dickens の The Old Curiosity Shop、The David Copperfield、
・ Lytton の Zatonii
の三作のみであり、たとえ大家であっても年少者には「有害無効のもの」が多く、薦められるのは、
・ Stowe
(『アンクル・トムの小屋 Uncle Tom' s Cabin(1851)』で知られる Harriet Elizabeth Beecher Stowe)、
・ Scott
(Sir Walter Scott、Scott は明治期に、歴史小説『ランマームーアの花嫁(1819)』、『アイヴァンホー(1820)』、 叙事詩『湖上の
美人(1810)』などが翻訳されている)、
・ Mulock
(イギリスの女流作家 Craik, Dinah Maria Mulock、代表作 John Halifax, Gentleman (1857)(邦題『紳士ジョン・ハリファクス』は孤児が困難の中で博愛と勤労と克己の理想を貫き「紳士」に成長していく物語である)
ぐらいであるとも言っている。

 そして、若松は『アイヴァンホー』を愛読し、1889年10月『女学雑誌』に連載された小説「すみれ」では、そのヒロイン「すみれ」の美しさを「東洋婦人専有の美色スコット翁作 Ivanhoe 中リベツカの容色もかくと思起さるるむきなり」と表現している。
『アイヴァンホー』は壮大な歴史小説であり、愛する姫のため、そして、自らを律し、誇りを持つ生き方のために、強敵に立ち向かうという、騎士道の物語である。
 若松が子女に薦める三作はいずれも「社会の空気の掃除」に役に立つと考えたものだろう。

 若松は、その翻訳作品においても同じことを求めたものと思われる。
 彼女が翻訳した「セーラ、クルーの話」のほか、同じバーネットの『小公子』およびテニソンの『イノック・アーデン Enoch Arden』、Adelaide Anne Procter の『忘れ形見 The Sailor Boy 』と全てに親子の別れがあることに気づかされる。

 若松賎子は、幼い頃に親と別れ、他人の養女となった。
 代表作『小公子』は、やがて巌本善治と結婚し自分の家庭を得たときに翻訳したものである。
『小公子』の冒頭、母親の視点で語られる自序には愛しいわが子と家庭への感謝の気持ちに溢れている。
 幼いころに家族から切り離された彼女は、ひとり社会で生きねばならなかった。
 戊辰戦争に始まる彼女の人生には、親を亡くした子どもは大勢いた。
『小公女』が世に出た頃には日清戦争により、そうした憂き目に会う向きもあった。
 孤児として育ち、母になった彼女は、自分と同じように、親を失い、ひとりで生きることを強いられた子どもが幸福になることができる社会を望んだことだろう。
 その意味で「セーラ、クルーの話」も「社会の空気の掃除」になるものと考えたものと推察される。


法政大学博士号取得論文 2015-03-24
翻訳の可能性 : 『小公女』からロマンス小説へ
宗意 和代 MOTOI Kazuyo
http://doi.org/10.15002/00011756

「小公子」(明治24.11.5)の広告が出ているが、若松賤子の名を出さないで、「巌本善治妻訳」としてあるのが、異様に感ぜられる。
(『明治東京逸聞史』森銑三著・東洋文庫)

* 巌本善治(いわもとよしはる): 明治・大正期のキリスト教女史教育者。中村正直(敬宇)・津田仙に学ぶ。『女学新誌』(のち女学雑誌)創刊。女子教育の振興・一夫一婦制・廃娼を主張。その門下から大塚楠緒子、羽仁もと子らがでている。
* 森銑三(もりせんぞう): 大正・昭和期の日本文学者・書誌学者。

……巌本嘉志子 女文士……
 旧会津藩重臣島田勝次郎の長女にして雅名若松賤子、元治元年二月岩代若松に生る
 後母を喪ひ東京の人大川甚兵衛に養はれて 次て米国ミラー嬢に頼り明治十年横浜フェリス女学校を卒業 助教諭として声明あり遂に英文学の蘊奥を究め兼ねて和文の才に長す
 其志常に我邦家庭改良に在り
 是を以て文皆清雅穏健実に文壇の一異彩たり
 二十年明治女学校長、*女学雑誌社社長巌本善治に嫁し 二九年二月十日肺患を以て没す年三十三 染井に葬る(湯谷紫苑)

* 女学雑誌: キリスト教を基盤に女性の教養と女権意識を高めようとしたのが評判をよんだ。巌本は24号から「持主兼編集人」として「女学雑誌」を担い、内容は政治社会、海外情報の多方面におよんだ。途中から文芸色を強め、北村透谷・島崎藤村など多くの俊才がここから巣立った。

…… 若松賤子(わかまつしずこ)……
 本名・松川甲子(かし)、父が会津藩主・松平容保の下で公用人物書(隠密)役として仮名を使ったので、幼少時は島田かし子と称した。
 1864(元治1)年、福島県会津若松市阿弥陀町6生まれ。
 1870(明治3)年、生母28歳が病没。
 賤子は、商用で会津を訪れていた横浜の織物商山城屋(野村)の番頭、大川甚平の養女となり、横浜に伴われアメリカ人から英語とキリスト教の教育をうけた。
 8歳でミス・キダー(のちミセス・ミラー)の学校(のちフェリス学院)に入学。
 ミッションスクールで宣教師の教育を受け、典型的なプロテスタントとしての教養を身につけた。

 1882(明治15)年、フェリス和英女学校高等科第1回卒業生として卒業。
 成績抜群であったので、ただちに同校の助教となり長く教鞭をとった。
 英語で寝言をいうほどの語学力であったという。
 1886(明治19)年、母校の教壇に立つ傍ら『女学雑誌』に寄稿、「旧き都のつと」を若松賤の筆名で初めて発表、以後、「木村とう子を弔ふ英詩」「世渡りの歌」(ロングフェロー)等を訳した。
 1887(明治20)年に喀血、以来肺結核は徐々に進行。
 1888(明治21)年夏、賤子は巌本善治がフェリスの試験委員をしていた関係もあって交際がはじまり、恩師ミラー夫人が奨める縁談を断って婚約した。
 当時のいきさつを相馬黒光が『明治期の三女性』(厚生閣、1940)に書いている。
 1889(明治22)年7月、*中島信行・*湘煙夫妻の立ち会いのもとに横浜海岸協会で結婚。
 湘煙とは彼女がフェリスに漢文教師として赴任して以来、親しく交際していた。

*中島信行: 海援隊を統率。維新後は神奈川県令、自由民権運動にかかわり自由党副総理。
*中島湘煙(なかじましょうえん、岸田俊子):宮中女官から転身した自由民権家。

 結婚後、賤子はフェリスを退職、執筆活動に本格的にのりだし、アデレード・アン・ブロクターの英詩に取り組み翻案、自然な口語体による『忘れ形見』を完成させた。
『忘れ形見』全文と原詩“THE SAILOR BOY”は「新日本古典文学大系・明治編『女性作家集』岩波書店」で読める。
 他にも、創作「お向こふの離れ」、翻訳「イノックアーデン物語」(テニスン)を発表。
 1890(明治23)年、長女清子出産。
「小公子」を女学雑誌に翻訳連載し、森田思軒(ジャーナリスト・文学者)らに傑作として賞賛を受け、文名を不朽のものにした。
 挿絵入り『小公子』は、旧仮名遣いとはいえ、やさしい語り口で120年以上も昔の作品とは思えない。
 明治文学全集『女学雑誌・文学界集』若松賤子篇(筑摩書房)で読むと、原作原文をすっかりのみ込んで、日本語に翻訳しているのが判る。
 よほど文学の素養、手腕があったよう。
 賤子の文学は、樋口一葉「この子」や押川春浪「海底軍艦」、その他後の少年文学に影響を与えた。
 1891(明治24)年、長男荘民出産。
 1894(明治27)年、次女民子出産。
 家庭生活の中で、翻案小説のみならず、童話、評論など数多くの仕事が生み出されたが、賤子は幼い3人の子どもたちを残して、その生を終えた。
―――女史は死に臨んで慫慂としてとして、敬愛なる夫君に臨終の想ひを語りました。

「私には人に話すようなものは何もない、ただ一生の恩寵を感謝してただけです」
 それ故自分の死後にどうか伝記などは書かずにおいてもらひたいと。遺言は守られて、葬式は内輪の人のみで静かに営まれ、城北染井の墓地にとこしへの憩ひの場所を与えられました。墓石にはただ「賤子」と彫りつけたばかりであります。
(『明治期の三女性』より)

けやきのブログU、2014年6月 7日 (土)
明治の小説家・翻訳家、若松賤子(福島県)
http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2014/06/post-486f.html

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2020年07月17日

『小婦人』北田秋圃・訳

はじめに

 Little Women は、アメリカ人女性作家 Louisa May Alcott(ルイーザ・メイ・オルコット)の自伝的小説で、1868年に出版された。
 物語の舞台は南北戦争時のニューイングランドである。
 父親が従軍牧師として戦地に赴いている間、家を守る慈善家の母親と健やかに女性へと日々成長するマー チ四姉妹を描いた話である。

 日本でこの作品は『若草物語』という題名でよく知られている。
 この邦題は、1933年にキャサリ ン・ヘップバーン主演の映画が日本で公開された時につけられたもので、それ以前は、『四人姉妹』、『四少女』などという題が使われていた。
 Little Women が日本で初めて翻訳されたのは、1906(明治39)年のことである。
 このときの題は『小婦人』といい、北田秋圃という若い翻訳家によって訳された。
 明治中期から後期にかけてのこの時期、多くの西洋小説の翻訳が出版された。
 西洋化とともに、女子教育、児童教育への関心が増し、母親が子供に読み聞かせるための本が多数出版された(例えば、『クオレ』、『小公女』、『小公子』などもこの時期に訳されている)。
『小婦人』も子女のための健全な書物として紹介されたようである。

 明治30年代は、国家事業として女子教育に力が 入れられた時代であった。
 家父長制社会においては常に後回しにされがちな女子教育は文明の尺度であったからだ。
 1899年には高等女学校令が制定され、これにより女学校の入学資格(12歳以上の女子で、修業期間は4年)や基礎科目などが定められ、進学率も大幅に上がった。
 当時の女学校が掲げていた女子教育に「良妻賢母教育」がある。
 歴史、国語、理科といった科目の他に、体育、家事、裁縫、修身といった科目も必修とされ、女学生たちは、将来主婦として経済的に家計を切り盛りし、母として賢く子供を教育できるよう指導、訓練されたのであった。
『小婦人』もこのような良妻賢母教育の一環として紹介されたのではないかと考えられる。

『小婦人』の前書きには、坪内逍遥饗庭篁村の紹介文が載せられている。逍遥は、この作品を 「 『小公子』以来のよい家庭の読み物」と表してい る。
 篁村も次のように述べている。
 原著者ミス、アルカットは米国第一流の女作家にて今尚ほ其作一般に愛読せらるといふ訳文いささか幼きごころありまた周到を欠けるがごとき稚気を帯びて無邪気なる小婦人一家をうつすによく協ひて却つて別種の興趣を添 へたり、家庭の読物として清く美しくまた婦女子の伴侶として巻中の人物皆好くして愛す べし......

『小婦人』は婦女子(女子供)が家庭で読むのに適切な話としてここで宣言されている。
 文壇の大家の監視のもと、この婦女子のための「よい本」は出版されたのである。

 さて、翻訳を任された北田秋圃とはどのような 人物であろうか?
 残念ながら彼女に関する記録は 残されていない。
 唯一序文で、自分が女性であること、そしてこの翻訳が初めて任されるものであることが言及されている。
 駆け出しの翻訳家か、女学校を出たばかりの文学修行をしていた女性だったのではないかと推測できる。
 訳は誤訳が多く、文学的には傑作とは言い難い。
 しかし、どのような部分が削除され、またどのような表現が違ったものに変えられているかということを見てみると、訳者の心理が見えてくる。
 作品は確実に時代を映し出している。
 以下、『小婦人』から見 えてくる当時の文化を説明するとともに、この作品の主人公ジョーにも注目し、Tomboy Heroine(お転婆ヒロイン)ジョーが如何に文化規範に逆らうことなく、うまく日本向けにアレンジされているかを見てみたい。

Little Womenから「小婦人」へ

 まず、『小婦人』の舞台は日本と設定されている。
 クリスマスパーティーは、元旦の新年会に変えられ、娘たちの年齢も数え年で数えられている(例 えばメグは原文では16歳となっているが、翻訳では数え年の17歳に直されている)。
 地名も日本の 地名に置き換えられ、登場人物の名前も日本名に直されている。
 これは、この作品が特別というわけでなく、翻訳文学がまだ揺籃期にあり、「文学」という概念すらも確立されていなかった明治時代ではよく見られることであった。
 March Family は 進藤一家(Marchは英語で「行進する」という意味)。
 Meg(Margaret)は、菊枝(Margaretは、菊の花を意味する)。
 Jo(Josephine)は、孝代(彼女の名前の意味は後で論じる)。
 Beth は露子。
 そして Amy は、恵美子。
 ちなみに、隣に住む資産家の息子、ローリーは俊夫で、彼の家庭教師である Brook 先生は、小川先生と訳されている。
。。。
『小婦人』が抄訳ということから、削除されている箇所も多い。
 例えば、恋愛に関する部分はすべて省かれている。
 ローリーのジョーへの恋心や、それを示唆する箇所は削除され、また、メグとブルック先生との恋愛も、さらに、彼らが婚約する箇所までも省かれている。

 この時代、女学生の処女性の大切さが論議された時代であり、「女性が『純潔』であることこそが、女子教育上で最重要の規範として掲げられ」ていた。
 高等学校の出現により、女子の学校に通う期間が長くなり、未婚女性が性的に奔放に振舞うことへの警戒から、このような規範が作られたようだ。
 美しい女性になるためのたしなみ、身だしなみが推奨されていた一方で、恋愛は禁止されていた。
 結婚前の若い女子のセクシュアリティーは厳しく監視されていたのである。

ホームの紹介

『小婦人』の焦点は、暖かく魅力的な家庭、「ホー ム」を描くことにあった。
「ホーム」という言葉は当時はまだ新しく、日本の伝統的な「家」とは異なる近代的概念として紹介された。
 日本の封建制度に則った「家」とは、「代々引き継がれてき た家産を守る親族の集団」のことであり、男性は戸主となり、家を維持していく義務があった。

「女性は母として、あるいは嫁として、どれだけ『家』に順応し、働けるかが大切なことだった」

 一方、ホームは私的なプライベート領域として紹介された。
 1889(明治22)年の『女学雑誌』7月号の記事の中に次のような説明がある。
 日本人の家族をみるとそれは役所のようなもので、西洋人のホームをみるとそれはあたかも温泉場にいるようだ

 ホームは癒しの場であり、それは男性が家の長として君臨し、女性はそれに絶対服従という制度に縛られた「家」とは全く違うものだった。
 また「ホーム」は、女の領域としても考えられていた。
 女性は「ホーム」の中心として、家族を精神的に支える、道徳的で情緒的な存在であるべきとされた。
『小婦人』は西洋的なホームの魅力に溢れている。
 家族でクリスマスを祝う場面、テーブルを囲んで食事をする場面、姉妹が密かに劇を練習し家族に披露する場面など、家族の情の強い結びつきが描かれている。

 次の場面は「ホーム」の雰囲気を象徴的に表しているといえる。
 母のいない孤独な少年、俊夫(ローリー)が進藤家の暖かな様子に憧れ、時々窓から様子を覗き見るという場面である。
 大変失礼なんだけれど ..... 窓掛を下ろすのをお忘れなさるもんだから、燈灯(あかり)が つくと皆さんがお母様と一緒に卓子(テーブ ル)を囲んでいるのがまるで絵の様で、お母 様のお顔が花の影から真正面に非常に好く見えるんです、僕は如何しても眺めずに居られ ない、
(北田秋圃訳『小婦人』彩雲閣、1906、79頁)

 ホームにおいて母親が中心的存在であることが分かる。
 そしてホームは明るく暖かで、家族の心の通い合う場所として描写されている。
 ホームにおける教育観も、楽しいエピソードの中にしっかりと織り込まれている。
 例えば、娘たちが家事や仕事に飽き飽きし不満を言うと、母親は、あえて一週間家事を休んでみるようにと提案する。
 すると家の中は荒れ放題になり、露子(ベス)においては鳥のえさもやらずにいたため鳥が死んでしまう。
 姉妹たちは最後には深く反省し、 自ら進んでまた仕事にとりかかる。
 そして家事ほど尊い仕事はないと知る。

 女性を家庭の中心的な存在、神聖な存在とみな す考え方は、Cult of Womanhood と呼ばれる19世紀アメリカの新しい女性観から来ている。
 家庭を女性の領域と定め、そこを女性の力の源とする。
 この考えはのちに、フェミニズムと合流していく画期的なものであった。

 しかし、日本の良妻賢母思想は、女性の自立とはほど遠く、女性には実質的な権限もなかった。
 深谷昌志は、良妻賢母思想はむしろナショ ナリズムと深い関連があったと考える(深谷昌志『良妻賢母主義の教育』黎明書房、1998)。
 日清戦争 が1894年から1895年、そして日露戦争が1904年、1905年と続いたこの時代、家庭は国家の縮図であることが大切であった。
 戦意を高めるためにも 家庭の役割が重要とされていた。
 また、たくましい息子、未来の兵士を育てるためにも母の力と貢献が必要であった(Little Women の時代背景も南北戦争で、日本がおかれていた状況と似ていた)。
 深谷昌志が述べるように、良妻賢母とは「ナショナリズム、そして儒教を土台として西欧の女性像を屈折して吸収した歴史的複合体」(深谷、115頁)だったのである。
 『小婦人』は読者に、 「家の娘」としての自覚、そして「国の娘」としての自覚を植えつけるのに最適なお話だったというわけである。

 物語の最後でホームの概念に関するその決定的な日米の違いが見られる。
 Little Women(Part I)は、 父親が戦地から戻り大団円となる。
 以下、Louisa May Alcott "Little Women"(New York, Signet Classic, 1983)の原文に吉田勝江による現代語訳(『若草物語』角川文庫)を添え、 その後『小婦人』と比べる。
He laughed and looked across at the tall girl who sat opposite, with an unusually mild expression in her brown face. “ In spite of the curly crop, I don't see the ‘ son Jo' whom I left a year ago,' said Mr. March. “I see a young lady who pins her collar straight, laces her boots neatly, and neither whistles, talks slang nor lies on the rug as she used to do”(Little Women、p.205)

父は笑って、浅黒い顔にいつになくおだやかな表情を浮かべて向こう側にすわっている背の高い娘をみやった。
「髪は短くなったようだが、一年前に別れた『息子のジョー』の面影はなくなったね」とマーチ氏は言った。
「カラーはきちんとはめているし、くつのひもは結んであるし、前のように口笛は吹かないし、俗語も使わないし、 敷物の上にねそべったりもしない、りっぱな若い婦人になっています」
(『若草物語』205頁)

 父の生還は娘たちを幸せにし、そして父は娘たちの忍耐、辛抱をほめたたえる。
 ジョーの立派な女性への成長は父親により認められ、物語(第一部)は一先ず終了する。
 ホームは、父が帰り、家族皆そろってこそ完成されるのである。

 一方『小婦人』では、父は娘たちの変化に関して何も述べていない。
 父親はただ、次の一言を述 べるのみである。
 しかし能く強く辛抱したね、今に苦しい勤労もなくなって、楽しい幸福な日が来るだろう。
(『小婦人』343頁)

『小婦人』には、四姉妹の成長というテーマはなく、忍耐、清貧、努力といった概念や、家庭教育が最重要なテーマとされている。
 したがって、娘は「家の娘」のままで終わる。
 Little Women の娘たちは女性へと変化を遂げるが、『小婦人』の少女たちは少女のままである。
 主人公である孝代も結果的に、ジョーとは違うヒロインへと作りかえられる。
。。。
むすび

 明治時代、翻訳は女性に向いている作業だと考えられていた。
 その理由は、「翻訳は言葉を移し変える作業であまり思考を必要としない」と考えられていたからである。
 しかし、「翻訳とは決して単に一つの表現を別の言葉に置き換えるだけのもの」ではない。
 翻訳には女性訳者が「語ることの出来なかった、当時の女性の生き様が克明に刻まれている」。

 北田秋圃はおそらく若い翻訳家であったことであろう。
『小婦人』は、後世に残る名作とはなりえなかった。
 北田も、若松賤子のような著名な翻訳家として後世に名を残すこともなかった。
 しか し、翻訳を詳しく見ていくことにより、北田がどのような女性であったかが見えてくる。
 謙虚に規範に従属しながらも成功への憧れは抱いていた。
 進藤孝代というユニークな少女は、北田秋圃とい う明治の若き翻訳家が訳したからこそ生まれたヒロインなのである。

『小婦人』は、もともと「家庭小説」というジャンルで出版されていた。
 しかし、この小説はむしろ後に登場する「少女小説」というジャンルに当てはまる。
 この翻訳が出版された1906年頃は、少女文化誕生の時期にも見事に重なる。
 1900年代「少女」という概念が急速に広まり、少女のための雑誌もたくさん創刊された。
 Little Women は、いつの時代も人気の小説で、どの少女雑誌も一度は連載しており、近代少女小説のモデルを作ったと言っても過言ではないだろう。
 ジョー(孝)の成功への思いと野心は確実に次の世代の少女たちに受け継がれていった。

比較日本学教育研究センター研究年報 第6号、2010-03-31
明治翻訳小説『小婦人』
お転婆ヒロインの登場

(ドラージ土屋浩美)
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/

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2020年07月16日

森友自殺訴訟は安倍首相の在任中に結審しろ

 いよいよ森友問題自殺訴訟が始まった。
 きのう7月15日に大阪地裁で第一回口頭弁論が行われた。
 自殺に追い込まれた近畿財務局の職員の妻である赤木雅子さんが読み上げる意見陳述は、これ以上ない迫力をもって聞く者の心に迫る。
 国家権力の不正義をたったひとりでここまで法廷で糾弾した陳述を私は知らない。
 その勇気に感銘するとともに、何としてでも安倍首相に責任を取らせなければいけないのだ。
 しかし、このままでは赤木夫人の訴えは裏切られて終わる。
 安倍政権は何があっても「終わったこと」にしようとするからだ。
 それに対して政治が動かないからだ。
 野党が安倍首相を追及しないからだ。
 追求しても今の野党では安倍首相の首を取れないからだ。
 そしてメディアがいくら報道しても、その報道は安倍政権を倒す覚悟はない。
 きょうの朝日の社説は「政権に良心はあるのか」と迫っている。
 それは誰もが思うことだ。
 しかし、そんなことをいまさら天下の朝日が書いてどうする。
 良心のかけらもないからこんなことになってしまったのだ。

 それでは、我々が赤木夫人を応援するにはどうすればいいのか。
 ズバリ、大阪地裁に世論の力で圧力をかけることだ。
 圧力をかけると言っても、再調査を求めたり、ましてや安倍首相の責任を問うような判決を出せと圧力をかけることではない。
 そんな要求をしても意味はない。
 圧力をかけるという意味は、訴訟手続きを急げ、早く判決を出せと求めよということだ。
 きょうの報道を見て驚いた。
 次回の開廷は10月14日だという。
 その時までに国側は具体的な主張を書面で明らかにするという。
 そんな悠長なことを絶対に許してはいけない。
 この訴訟は、大阪地裁でどのような判決が出されようとも、必ず控訴されて、最終的には最高裁まで行く。
 どう考えても安倍首相が首相在任中には結審しない。
 しかし、せめて大阪地裁の判決だけは、安倍首相の在任中に出させなければいけないのだ。

 このままいけば、それすらも難しい。
 それが安倍首相の狙い目なのだ。
 安倍首相はもう一度内閣改造をして、解散・総選挙を行い、そして勝った上で、来年の総裁選任期を待たずして辞めるつもりだ。
 それが、史上最長の総理として花道を飾る唯一の道だ。
 もはや何をやってもうまくいかない安倍首相にとってそれが一番好ましい辞め方なのだ。
 辞めた後はどのような判決が下されようとかまわない。
 それが安倍首相の逃げ切り策なのだ。
 そうさせてはいけない。
 少なくとも大阪地裁に対しては訴訟手続きを急がせ、安倍首相が首相であるうちに判決を出すように世論は圧力をかけるべきだ。
 そしてその理由は十分立つ。
 コロナ危機ですべての訴訟が自粛されている。
 コロナに関係のない官僚たちは、みな暇を持て余しているのだ。
 裁判官も官僚だ。
 いつもより暇なはずだ。
 だから大阪地裁に対しては、この森友自殺訴訟だけに一点集中して訴訟を急げと迫ることが出来る。
 もし安倍首相の在任中に大阪地裁の判決が出れば、どんな判決が下されようと大騒ぎになる。
 安倍首相に有利な判決が下されれば安倍政権と裁判所の癒着が糾弾されることになる。
 安倍首相に不利な判決が下されれば、安倍首相はいよいよ森友訴訟から逃れられなくなる。
 どっちにころんでも安倍首相は残りの任期を森友自殺訴訟にからめ取られることになる。
 もはや首相の仕事に専念することは出来なくなり、あの言葉通り、総理大臣も国会議員も辞めざるを得なくなるのだ。
 それこそが安倍首相に相応しい辞め方だ。
 何のために史上最長の首相になったんだ、ということになる。

 世論はいまこそ大阪地裁に判決を急ぐように圧力をかけるべきなのだ。
 いまこそ、「判決急げ」、そういうハッシュタグをつけたツイートの波を起こせばいいのである。


天木直人のブログ、2020-07-16
森友自殺訴訟は安倍首相の在任中に結審しろと大阪地裁に迫れ
http://kenpo9.com/archives/6839

男の世界の中で、ずっと息苦しかった

「本のことですけど、女性に読んでいただきたいです。夫が亡くなって以来、ずーっと男の世界の中で息苦しかったです」

 これは6月20日、赤木雅子さん(49歳)から私に届いたLINEの言葉。
 森友学園への国有地の巨額値引きに関連する公文書の改ざんを上司に無理強いされ、それを苦に命を絶った財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(享年54歳)の妻だ。

 赤木雅子さんは今年3月、夫、俊夫さんが遺した改ざんの経緯についての「手記」を公表するとともに、国と「改ざんを指示した」と手記で名指しされた佐川宣寿元財務省理財局長を相手に裁判を起こした。
 その裁判が7月15日に始まるのに合わせて、私と初の共著を上梓した。
『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)だ。

 この本の装丁を相談している時に冒頭の発言が出た。
 表紙に俊夫さんの直筆の遺書を載せるという案が『週刊文春』出版部から出ていた。
 それに対し、「手書きの遺書が載ると女性に手に取ってもらいにくくなりませんか?」という懸念だった。
 この懸念は、本の帯に赤木雅子さんの手書きのかわいいイラストを同時に入れるというアイディアで解消されることになる。

 それはともかく、なぜ赤木雅子さんは「女性に読んでいただきたい」と思ったのか?
「男の世界の中で息苦しかった」とは、どういうことを指すのか?

男ってつまらんなあ。男には生まれたくないなあ

 後日、私はこの件で赤木雅子さんに直接話を聞いた。
 すると……。

「夫が亡くなって最初に来たのが、近畿財務局の人たちですよ。全員男性です。彼らがよってたかって、私が夫の遺した手記を公表しないように、マスコミを近づけないようにしました。それはなぜかというと、自分たちの保身、上司に言われているからですよね。
 そして弁護士さんも、前は近畿財務局の人に紹介された方で男性でした。この人も今になってみると、財務省・財務局の意向に沿うようにしていたんじゃないかなあと感じます。
 それにマスコミの人たちもほとんど男の人ですよね。夫が亡くなった時、私がいた実家の周りをマスコミの人たちが取り囲んで、カメラを向けたり話を聞こうとしたりするのが、本当に怖かったんです」

 はい、すみません。
 私も男ですね。
 でも、赤木雅子さんが男社会の論理に苦しめられてうんざりしているという話は、以前からことあるごとに聞いていた。

 例えば4月1日。雅子さんは安倍首相が退陣に追い込まれるかもしれないという週刊誌の記事の写真を送ってきた。
 それに私はこう答えた。

「安倍さんが辞めれば、後任の首相は自民党であっても大喜びで綿密に調査してすべてを公表するでしょう。そうなれば真相がようやくわかります。佐川さんも池田さんも話せるようになり、彼らも楽になります。それがわかっているから安倍さんは最後まで粘るとは思いますが、あとは世論の力です」

 すると雅子さんはこう言った。

「安倍さんやめたらしゃべるんや。そういう仕組みなんですね。男ってつまらんなあ。私は美並(近畿財務)局長や事務次官や役所の人が来られた後、率直に思ったのは『男には生まれたくないなあ』でした。つまんない建前で生きているのがアホらしく思えました」

「嫉妬深い男の社会」で出世する人々の浅ましさ

 他にも、冒頭のLINEの直前の6月17日。
 私は本の末尾を飾る締めの文章を赤木雅子さんに依頼していた。
 LINEで送られてきたその文章には、雅子さんが私に俊夫さんの手記を託した理由として次の一文がある。

「夫のことをいちばん理解してくれそうで大きな組織(嫉妬深い男の社会)に苦慮した『大阪日日新聞』の相澤さんに手記は託そうと決めました」

 嫉妬深い男の社会。
 鋭いその言葉に私は感服した。
 森友の公文書改ざんに関わった佐川さんをはじめとする財務省や近畿財務局の人たちは、誰一人として真相を明らかにしようとしない。
 改ざんのもとになった国有地の巨額値引きにしても、誰も真相を語らない。なかったことにしようとする。

 それはなぜか?
 上を見ているからだ。
 上司らの意向をうかがい、取り入って我が身を守りたい、できれば出世したいと考えているからだ。
 実際に俊夫さんの直属の上司たちは「全員異例の出世」をしていると告発する文書が寄せられ、内容は事実だった。

 赤木俊夫さんが「いちばんの親友」と信じていた同期の男性職員も、雅子さんの意に反して麻生財務大臣の墓参の話をつぶし、その後出世した。
 出世したいばかりに古い友人も裏切る。
 そういうことを指して赤木雅子さんは「嫉妬深い男の社会」と書いたのだ。

産休中の小川彩佳キャスターが自らインタビュアーを買って出た

 裁判を起こした後、多数の報道機関から取材依頼が舞い込んだ。
 私は、雅子さんの「真実が知りたい」という願いを多くの方に知ってもらうためにも、取材はできる限り受けた方がいいと勧めてきた。
 しかし、マスコミに恐怖感がある雅子さんはなかなか踏み切ることができなかった

 そういう中で、ふと雅子さんがもらしたのが「女性に取材してもらいたい」という言葉だった。
 女性なら男社会の犠牲者同士、安心して話ができるのではないかと考えたのだ。

 7月1日、雅子さんとの共著書の校了作業が佳境を迎え、私は文藝春秋本社で作業をしていた。
 そこに、最新号で雅子さんのLINEに関する記事を掲載した週刊文春の女性誌版『週刊文春WOMAN』(季刊誌)の編集長が現れた。

「赤木さんの記事、女性にすごく反響が大きいです。共感を呼んでいますよ」

 この編集長も女性だ。
 私は答えた。

「それはよかったですね。赤木さんはこの本を女性に読んでほしいと言っているんです。取材もできれば女性に受けたいと話しています」

 それを聞いて編集長はすかさず反応した。

「そうなんですか!? じゃあ女性に取材してもらいましょうよ。私、『ニュース23』の小川彩佳キャスターを知っていますから、連絡してみます」

 ここから話は早かった。
 編集長の打診に小川さんから「ぜひ」と返事が届き、私は大阪に戻って赤木雅子さんに話を伝えた。
 小川さん本人がインタビューするというのは雅子さんにも魅力だった。
 こうして7月11日、都内のホテルでインタビュー取材が実現した。

 他社の取材なので内容には触れないが、終わった後に赤木さんは「きれいな人やわ〜。見とれちゃった。話し方もすごく柔らかかったし、気づかってくれたので、いろんなことを話すことができました」とほっとした様子だった。

 取材後、私は小川さんに尋ねた。

「小川さん、産休中ですよね。きょうの勤務はどういう扱いになるんですか?」
「どうなるんでしょうね?」と笑顔で答える小川さん。
 そんな細かいことは、赤木雅子さんに話を聞けるという重大事の前ではどうでもいいという笑顔のように見えた。

自ら表に立つことを決めた、赤木雅子さんの闘いは始まったばかり

 同じ日、たまたま同じTBSの「報道特集」で赤木雅子さんのことを特集で取り上げる予定になっていた。
 そのことを「報道特集」の金平茂紀キャスターから聞いて事前に知っていた赤木雅子さんは「金平さんに黙って小川さんの取材を受けるわけにはいかない」と、自ら金平さんに電話して取材の件を伝えた。

 そこで急きょ、金平さんも同じ場所で小川さんに続いてインタビューすることになった。
 金平さんはさすがベテラン記者の貫禄でするどく切り込んでいく。
 しかし、その前に小川さんとのインタビューで心がほぐれていた雅子さんにとっては苦にならなかったようだ。
「先に小川さんのインタビューを受けておいてよかったわ〜」と話していた。

 金平さんがどういう話を聞き出したのかは、すでに当日の報道特集で紹介された通りだ。
 これが赤木雅子さんのテレビ初登場となった。
 小川さんの取材成果は7月14日の「ニュース23」で放送される。
 金平さんとはまた違う切り口の話が聞けるはずだ。

 この日のインタビューがうまくいったことで、雅子さんには自信がついた。
「報道特集」の放送後、改めて取材依頼のあった関西テレビ、読売テレビ、毎日放送の、在阪民放3社のインタビュー取材を、7月13日一日で立て続けに受けた。
 これは以前の雅子さんでは考えられないことだ。

 いずれの社も7月14日の夕方の関西エリア向け報道番組で放送を予定しているという。
 朝日放送も取材に向け動いている。
 NHKは「クローズアップ現代」がぶ厚く取材を進めており、7月15日に放送予定で、映像素材をニュースでも使うかもしれないと雅子さんに伝えている。

 嫉妬深い男社会の壁を打ち破り、真相解明がかなうのか?
 赤木雅子さんの裁判は7月15日に始まる。
 それに合わせて本の発売も始まる。
 雅子さんの闘いはこれからだ。


[写真-1]
遺影を手にインタビュ−に臨む赤木雅子さんと、それを迎える小川彩佳さんはすでに産休に入っていたが、自らインタビュアーを買って出た。インタビュー前の懇談から和やかな雰囲気で進み、インタビューは約2時間に及んだ。

[写真-2]
私との共著『私は真実が知りたい』の帯のイラストは、赤木雅子さんの直筆

[写真-3]
夫の手記をおさめたパソコンを前にする赤木雅子さん

[写真‐4]
赤木さんをインタビューする小川彩佳キャスター

[写真‐5]
「報道特集」金平茂紀キャスターのインタビューを受ける赤木雅子さん

[写真‐6]
裁判開始と同時発売される、私との共著『私は真実が知りたい』を手に質問する金平茂紀キャスター

ハーバー・ビジネス・オンライン、2020.07.14
「嫉妬深い男の社会は息苦しい」
赤木雅子さんが、産休中の「ニュース23」小川彩佳キャスターの取材を受けたワケ

<文・写真/相澤冬樹>
https://hbol.jp/223680/

【独自 報道特集・“森友文書” 改ざん、自死した元職員の妻が語る】(報道特集7/11放送)
https://www.youtube.com/watch?v=TIBAIXsimEY

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妻が裁判で「首相は夫を切り捨てた」

「裁判官の皆さまにお願いがあります。一番重視しているのは、夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにすることです」

 法廷の意見陳述で元近畿財務局職員赤木俊夫さんの妻雅子さんが訴えると、中尾彰裁判長ら3人の裁判官は雅子さんをじっと見詰め、その言葉に耳を傾けた。

 改ざん事件の真相解明を求め、雅子さんが立ち上げた第三者機関の調査を求めるオンライン署名には35万人を超える署名が集まった。

 しかし安倍晋三首相も麻生太郎財務相も「新事実はない」として「再調査はしない」との国会答弁を繰り返す。

 雅子さんは「首相も麻生大臣も夫のことを切り捨てた。検察の捜査は刑事処分のためで真相解明の調査とは別。国は国民にも夫にも向き合わず、あるものを出さずズルズル先延ばしにして逃げている」と政府の姿勢を批判。
「真面目に働いていた職場で何があったのか。何をさせられたのか」と話すと、法廷におえつが漏れた。

 俊夫さんの自殺後、政府は調査報告書を発表したが、俊夫さんが誰に何を言われ、どう抵抗し改ざんをどれだけさせられたかなどは、一切記されていない。
 雅子さんは「夫がなぜ死を選び悩み苦しんだのか、私の知りたいことは何一つわかりません」とし、財務省や近畿財務局の幹部に「事実をありのまま話してほしい」と訴えた。

 閉廷後、記者会見した雅子さんは「首相は自分の発言が改ざんの発端になっていることから逃げている。自分の発言と改ざんに関係があると認め、真相解明に協力して」と訴えた。
 昭恵首相夫人から今年2020年5月、「いつかお線香あげに伺わせてください」とLINE(ライン)でメッセージが来たとして、首相夫妻と麻生氏に対し「いま妨げとなるものは何もない。(夫の墓参に)来てほしい」と話した。

 菅義偉官房長官はこの日の記者会見で「報告書に事実が書かれ、検察の捜査も行われ結論が出ている」と訴えを一蹴した。

 しかし雅子さんや遺族、そして世論は納得するだろうか。

 改ざんを告発する手記を残し命を絶った俊夫さんを失ってから2年。

「(夫と)一緒に闘っていきたい。きょうスタート(地点)に立てた」

 悩み苦しんできた雅子さんが、真相解明を求めて立ち上がった。

 政府は官僚答弁で逃げ続けるのではなく、俊夫さんと雅子さんの思いに真摯に向き合い、真相解明に向けて一歩を踏み出す覚悟を持つべきだ。


[写真]
森友問題自殺訴訟の第1回口頭弁論を終え、記者会見で赤木俊夫さんの写真を手にする妻の雅子さん=15日午後、大阪市の司法記者クラブで

東京新聞、2020年7月16日 06時00分
望月衣塑子記者の眼
「首相は夫を切り捨てた」
森友自殺訴訟で妻陳述
 
(望月衣塑子)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/42837?rct=national

【news23】“森友改ざん”自殺職員の妻が語る思い
https://www.youtube.com/watch?v=Z0COUc_h0EY

。。。
 メディアやジャーナリストが御用化する中、強大な権力を前にひるまず、真相解明を迫る雅子さんの毅然とした姿勢には頭が下がるが、雅子さんにはおそらく最初から、こうした覚悟があったわけではない。
 覚悟をもたざるをえない状況に追いやられ、やむにやまれず立ち上がったのだ。

 そのことがよくわかったのが、昨日2020年7月14日の『news23』(TBS)で放送されたキャスターの小川彩佳による雅子さんへのインタビューだった。

 小川は7月3日を最後に産休に入って番組を休んでいたが、このインタビューのために、一時的に復帰したのだという。
 その小川の姿勢が伝わったのか、雅子さんはインタビューで、当時の俊夫さんの様子はもちろん、これまであまり語っていなかった自分の心情の動きについても、克明に語っていた。

自死していた俊夫さんをみて「殺されたと思ったから110番に」

 雅子さんはまず、裁判を起こした理由を聞かれ、涙声でこう切り出した。

「私あんまり人生に後悔することがないんだけど、夫のことだけは後悔すごいしているので。夫のことに関して、もう後悔したくないので」

「夫は改ざんしてから人が変わってしまって、鬱になって亡くなる3ヶ月前ぐらいからは、人格も変わって、壊れてしまって、私はずっと隣にいたのに、助けてあげられなかったこととか、私には手段がなかったので、今はできる限りのことをやりたいと思います」

 そして、夫の俊夫さんが公文書の改ざんを強要され、自殺するまでの日々をふりかえり始めた。

 雅子さんは、俊夫さんが改ざんを強いられたときから、俊夫さんの異変に気がついていたという。

「改ざんした日から、コロッと様子が変わって、口数も減って、喋らなくなったので」

 小川が「何があったのか、お話はされたんですか」と問うと、当時、俊夫さんの口から改ざんを示唆する言葉を聞いたことも証言した。

「内閣が吹っ飛ぶようなことをしてしまったんやって言ってたこととか、僕はやってはいけないことをやってしまったんやー、とすごい後悔したような言葉を言うようになりました」

 改ざんから4ヶ月ほど経った2017年7月、俊夫さんはうつ病と診断され、仕事を休職せざるをえなくなる。
 しかし、そのあとも、財務省や佐川局長の姿勢は俊夫さんと雅子さんを追い詰め続けた。

「佐川さんが答弁している姿を、仕事行けなくなってからもずっと(テレビで)見て、もうすごい悔しい思いをしてたんですね。また嘘ついてる、みたいな感じで見てた」

「とにかく、誰に助けを求めていいのかわからなかったので、2人とも孤独で、夫は絶望して、誰か助けて!って、いつも2人で泣きながら生活していました」

 そして2018年3月、俊夫さんは、

雅子よ、これまで本当にありがとう。ごめんなさい、怖いよ。心身ともに滅入りました。最後は下部がシッポを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。怖い。命、大切な命、終止符。

と綴った遺書を残して、自ら命を絶った。

 雅子さんはそのときの心情もこのインタビューで克明に語っている。
 気になって早めに仕事を切り上げ帰ってきたところ、変わり果てた俊夫さんを発見した雅子さんだったが、まず電話をしたのは、警察だったという。

「もう、パッと見て、なくなっているのがわかったので、救急車じゃなくて、殺されたと思ったので110番しちゃったんですけど」

「殺されたと思った」という言葉に反応した小川に、雅子さんは「自殺したことは間違いないけれど、森友のことで苦しめられて、殺されたっていう思いが私の中にはあったので」と説明。
 119番に改めてかけ直して、救急車が到着した後の思いを涙まじりにこう語っていた。

「まだ温かくて、これでやっと楽になれたねーって思って。今からやっと助けに来てくれる。救急車の人がきてくれるから、やったと助けてもらえると思って。もう死んでしまったけど、初めて夫を助けに来たのは救急車の人やと思います」

赤木さんの妻の覚悟「刺せるもんなら刺してみろ、と思って」

 この言葉からも、当時の俊夫さんの苦しみと雅子さんの絶望の深さがひしひしと伝わってくる。

 しかも、夫を失った雅子さんに対して、財務省は真相隠蔽のために圧力までかけていた。
 今回の『news23』のインタビューで、雅子さんは俊夫さんの死後、自らが体験した財務省の官僚とのこんなやりとりもを明かしていた。

「(財務省から)とにかく、これ(手記)を、マスコミの方に出すと大変なことになるから、出すなっていうことと、見せてくれということを言われました」

 しかし、雅子さんはこうした圧力に屈することなく、立ち上がった。
 今年2020年3月には財務省の改ざん指示を告発した夫の手記を公開し、第三者委員会による再調査を求めて約35万筆の署名を集め、今年6月に国に提出した。

 それは、俊夫さんと絶望の日々を共有し、その無念をだれよりも知っていたからだろう。
 そして、雅子さん自身が俊夫さんの手記、安倍政権や財務省の卑劣な動きなどから、夫を追いつめた公文書改ざんが政権ぐるみの組織的な不正であることを確信するようになったからではないか。

 安倍首相や麻生太郎財務相は35万超の署名が集まっても、再調査を拒否している。
 しかし、雅子さんはまったくひるんでいない。

『news23』の取材で、裁判を控え不安はないのかと尋ねられた雅子さんはきっぱりこう答えていた。

「不安とか恐れとかっていうのはもちろんあります。目に見えない大きなものを敵に回してしまったっていうことをすごく感じるし。でも思ったより今は怖くなくって。正しいことを知りたいという気持ちだけなので。まあ、“刺せるもんなら刺してみろ”と思って(笑)。なので普通に生活してます」

 だらしないマスコミはこの言葉を肝に銘じるべきだろう。
 そして、この裁判の模様を最後まで報じ、公文書改ざんの真相をきちんと解明する覚悟をもつべきではないか。


リテラ、2020.07.15 09:04
赤木さんの妻が裁判で「安倍首相は逃げている」と陳述!
直前には真相解明の覚悟を小川彩佳に…
「刺せるもんなら刺してみろ、と」

https://lite-ra.com/2020/07/post-5523.html

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赤木雅子、法廷での意見陳述

 私の夫、赤木俊夫は決裁文書を改ざんしたことを悔やみ、自ら人生の終止符を打ちました。

 2018年3月7日のことです。

 夫は震える手で遺書や手記を残してくれました。

 私は夫の死後2年経過した2020年3月18日、やっと遺書や手記を公表しました。

 そして、同じ日に夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにし、夫と同じように国家公務員が死に追い詰められることがないようにするため、そして、事実を公的な場所で説明したかったという夫の遺志を継ぐため、国と佐川さんを訴えるところまで進みました。

 以下、この訴訟に対する私の思いを陳述させて頂きます。

 夫は、亡くなるおよそ1年前である2017年2月26日(日曜日)私と神戸市内の梅林公園にいた時、近畿財務局の上司である池田靖さんに呼び出され、森友学園への国有地払い下げに関する決裁文書を改ざんしました。

 決裁文書を書き換えることは犯罪です。

 夫は「私の雇い主は日本国民。国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っています」と生前知人に話していた程国家公務員の仕事に誇りを持っていました。

 そのような夫が決裁文書の書き換えという犯罪を強制されたのです。

 夫の残した手記によると、夫は改ざんを指示された際に「抵抗した」とあります。

 また、私は夫の死後、池田さんからも、夫は改ざんに最初から反対していたと聞きました。

 夫が、決裁文書の改ざんによって受けた心の痛みはどれだけのものだったでしょうか。

 国家公務員としての誇りを失ったでしょうし、強い自責の念に襲われたと思います。

 夫は手記や遺書に「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わったものとしての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)」、「現場として相当抵抗し、最終的には次長が修正に応じ、修正前の調書に合わせて自ら、チェックマークを入れて体裁を整えました。事実を知っている者として責任を取ります」と書いています。

 夫は、改ざんしたことを犯罪を犯したのだと受け止め、国民の皆さんに死んでお詫びすることにしたんだと思います。

 夫の残した手記は、日本国民の皆さんに残した謝罪文だと思います。

 国は、夫の自死の真相が知りたいという私の思いを裏切り続けてきました。

 財務省は、夫が亡くなった5日後の2018年3月12日に改ざんしたことを認め、3か月後の6月4日に調査報告書を発表しました。

 しかし、この調査報告書の中には、誰のどのような指示に基づいて夫が改ざんを強制されたのか記されていません。

 夫が自死したことすら記載されていません。

 夫の手記についても、提出を求められていないので当然ですが一切触れていません。

 池田さんは、夫が亡くなってから1年後、自宅で私に「赤木さんはきっちりしているから、文書の修正、改ざんについて、ファイルにして、きちっと整理していたんです」、「パラッと見たら、めっちゃきれいに整理してある。全部書いてある。どこがどうで、何がどういう本省の指示かって。修正前と修正後、何回かやり取りしたような奴がファイリングされていて、パッと見ただけでわかるように整理されている。これを見たら我々がどういう過程で改ざんをやったのかというのが全部わかる」と仰っていました。

 でも、調査報告書には、このファイルについても記載がありません。 

 私は、夫の自死が公務災害となった理由を知るため、人事院に対して情報開示請求をしました。

 しかし、人事院の開示した文書は70ページのほとんどが黒塗りで、夫がなぜ自ら死を選び悩み苦しんだのか、私の知りたいことは何一つわかりません。

 そこで私は、2020年4月13日に、近畿財務局に対して情報開示請求をしました。

 しかし、1か月後の5月13日に開示されたのは、年金の金額や支払日などが書かれたたった10頁の文書でした。

 残りの文書については、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言に伴う処理可能作業量の減少などを理由に、1年後の2021年5月14日までに開示決定をするそうです。

 国はこの裁判でも同じような態度をとるのでしょうか?
 これではこの裁判でも真実には近づけません。

 私は、夫が自死に追い詰められた真相を明らかにするため、第三者委員会による再調査を求める電子署名を始めました。

 電子署名には、35万人を超える方々から賛同の署名を頂きました。 

 電子署名は、2020年6月15日に安倍首相や麻生財務大臣へ提出しました。

 しかし、安倍首相も、麻生財務大臣も、すでに検察の捜査も済んでいるので調査しないと、夫のことを切り捨てました。

 でも、検察の捜査は刑事処分のためのもので、真相解明の調査とは別の物です。

 国は、国民にも夫にも向き合わず、あるものを出さず、ズルズル先延ばしにして逃げています。

 再調査を実施して、正直に全て明らかにしてください。再調査の結果はこの訴訟でも役に立つと思います。
 安倍首相は、2017年2月17日の国会で、安倍首相や安倍昭恵さんが森友学園の国有地払い下げにかかわっていたら総理大臣も国会議員も辞めると発言しました。

 財務省秘書課長は2018年10月、私に対して「この首相の発言によって、野党が理財局に対して資料請求するなど炎上したため、理財局は改ざん前の文書を出せなかった。その意味で、首相の発言と改ざんは関係がないとはいえない」と言いました。

 安倍首相は、自分の発言が改ざんの発端になっていることから逃げているのではないでしょうか。

 安倍首相は、自分の発言と改ざんには関係があることを認め、真相解明に協力して欲しいと思います。

 安倍昭恵さんも森友学園への国有地売却の関係を明らかにしてほしいと思います。

 池田さんも、池田さんの前任者も「裁判になれば、本当のことを話します」と私にはっきりと言いました。

 この裁判では、前任者には、安倍昭恵さんと籠池夫妻のいわゆるスリーショット写真がどのように国有地の取引に影響したのかを、池田さんには、国有地値引きと決裁文書改ざんをめぐり、近畿財務局の中で何が行われたのかを話して頂きたいと思います。

 また、佐川さんをはじめとする理財局の幹部の人達や、美並局長をはじめとする近畿財務局の幹部の人達も、事実をありのままに話して欲しいと思います。

 もしこれらの人たちが裁判に来なかったり、裁判に来ても事実を話さなかったとしたら、国が本当にあったことを国民から隠し、全てなかったことにするために止めたのだと思います。

 安倍首相、麻生大臣、私は真実が知りたいです。

 夫は亡くなった日の朝、私に「ありがとう」と言ってくれました。

 最期の夫の顔は「絶望」に満ち溢れ、泣いているように見えました。

 決して生き残らないように、電気コードは首にきつく二重にくくりつけていました。

 怖がりだった夫が、こんなことをしなければならないなんて。

 真面目に働いていた職場で何があったのか、何をさせられたのか私は知りたいと思います。

 最後に、裁判官の皆様にお願いがあります。

 私は、訴状でも書いていますが、3つの目的のために訴訟を始めました。

 その中でも一番重視しているのは1つ目の、夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにすることです。

 訴訟の手続きは私には難しくて分かりませんが、是非とも夫が自ら命を絶った原因と経緯が明らかになるように訴訟を進めてください。

 夫が作成したファイルを含めてできるだけ沢山の資料を集め、できるだけ沢山の人の尋問を行って事実を明らかにしてください。

 そしてそのうえで、公正な判決を下してください。
 宜しくお願い致します。
以上

NHK、2020年7月15日 16時30分
森友学園めぐる裁判
自殺した職員の妻
法廷での意見陳述 全文

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200715/k10012516951000.html

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2020年07月15日

谷口由美子訳『若草物語1&2』(講談社、2019年12月)

世界中で読まれ続けている「奇跡の小説」

 その本が出版されたのは1868年、なんと日本の明治元年のこと。
 あるアメリカの作家が150年ほど前に書いた物語だ。いまだにアメリカではもちろんのこと、日本では訳本がいくつもあり、新訳も次々に出ているほど人気の作品で、これまでに何作もの有名な映画が制作されている。
 作家志望の元気な若者が主人公。ゆるぎない家族の愛、ちょっとした日々の事件を描いたこの物語は、長い間、大勢の読者が夢中で読み、そのまた子どもや孫たちに薦めてきたものだ。

 その物語の原題は Little Women という。日本で最初に訳されたときには、『小婦人』というそのままのタイトルで彩雲閣という出版社から出版された。1906年(明治39年)のことだ。
『小婦人』では、主人公である四少女はアメリカ人ではなく、日本人として登場している。長女メグ(マーガレット)は菊枝、次女ジョーは男の子っぽいから孝、三女ベスはのちに病気で亡くなるので露子、四女エイミーは恵美子。

 この少女たちがめでたくアメリカ人に戻ったのは、1923年(大正12年)の『四少女』(春秋社)からだ。
 16歳の長女メグは、大きな目と豊かな褐色の髪を持つ、きれいな少女。美しいもの、ぜいたくなものが好きなのだが、家が貧しくなったために手に入れられないことが目下の悩み。次女ジョーは背の高い敏捷な少女で、男だったらよかったのにと思っている、作家志望の15歳。
 三女ベスは、音楽が好きで、心根の優しい「おだやかさん」。四女エイミーは、絵を描くのが得意で、一家の芸術家だと思われている。ちょっぴり自分勝手でおしゃまな、青い目に金髪の美少女だ。

 欠点も長所もたくさんある、どこにでもいそうなこの少女たちの日常が、おもしろおかしく掬い上げられて描かれているこの物語は、そう、日本では『若草物語』として有名な、四姉妹の物語だ。

少女たちの心を虜にした

 この本の邦題が『若草物語』として定着したのは、1934年(昭和9年)に日本公開された映画(ジョー役キャサリン・ヘップバーン)がヒットし、同時期に矢田津世子訳の『若草物語』(少女画報社)が出版されてからだ。

 そして、往年の映画ファンが言っていた。
「あの頃の少女たちは、時の総理大臣の名前は知らなくても、四人姉妹の名前を忘れることはなかった」と。
 その映画とは、1949年(昭和24年)に日本公開された『若草物語』のほうだ。名優ぞろいの名画で、四人姉妹の長女メグはジャネット・リー、次女ジョーはジューン・アリスン、三女エイミーはエリザベス・テイラー、四女ベスはマーガレット・オブライエン。
 若き日のエリザベス・テイラーを売り出したかった映画会社は、姉妹の順序を変えて美しいエイミーを三女にしてしまったが、確かに圧倒的に美しいエイミーの姿は一度観たら忘れられないだろう。

 映画なら、ウィノナ・ライダーがジョー役の『若草物語』(1994年 平成6年公開)がベストだという人もいるかもしれない。
 アカデミー賞にも3賞ノミネートされている。

 そして、今年2020年。
 6月12日から日本でも公開されることが決まった新しい映画が『スト―リー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』だ。
 今回の邦訳タイトルはかなり長めだ。
 しかし、その意味を考えると、作品の持つ魅力が透けて見えてくるような気がする。

 グレタ・ガーウィグ監督がテレビのインタビューで、
「子どもの頃に『若草物語』は大好きだったけれど、大人になって改めて読んでびっくりした。こんなに内容が深く、入り組んでいて、おもしろかったなんて、考えもしなかった」
というようなことを話していた。

 読者が時代を経て成長し、再び読んでさらに感動する。これこそ物語の持つ「古典力」というものだと感じ入った。

 最近わたしが訳した本に『大草原のローラ物語―パイオニア・ガール』(大修館書店)がある。ローラ・インガルス・ワイルダーが『大草原の小さな家』を書く前に書き溜めておいた覚え書きに、詳細な注釈・解説を施した本だが、その解説者のパメラ・スミス・ヒルも『若草物語』の愛読者で、こんなメールをくれた。

「わたしもローラとジョーが大好きです。どちらも19世紀後半を生きた女性の物語だけれど、ちっとも古臭くないし、読んでいて気持ちが晴れ晴れします。すかっとします。なぜでしょうか。どちらも伝統的な家族の話のように見えて、その実、ローラもジョーも、その古い伝統から羽ばたきたい気持ちをしっかり持っていて、それがすばらしく描かれているからです」

半自伝的な物語だった『若草物語』

『若草物語』の著者ルイザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott 1832〜1888) は、ペンシルバニア州生まれのアメリカ人。父ブロンソン・オルコットは有名な超絶主義者 American Transcendentalism で、実験学校などを作るような進歩的な人物だった。
 ブロンソンは、四人の娘たちが小さい頃から、あまり子ども扱いせず、Little Women と呼んでいた。小さい時からりっぱな Woman としての心構えを持ってほしいと考えていたからだ。ただし、金銭的には恵まれず、ルイザも若い頃から、針子や家庭教師、そして物書きとして家計を助けていたという。

 作家としてすでに名を成していた三十代のルイザは、自分たち四姉妹をモデルにして『若草物語』を書き、そして、人気作家となった。
 元気な男の子が大好きだったルイザは男の子の物語を書きたかったのだが、出版社は女の子の物語を書いてほしいといって譲らなかった。そこでさんざん悩んだ結果、自分たち四姉妹のことならよく知っている、と思い直し、四人を主人公にした物語を書いたのだった。

 だから、作家希望で男まさりのジョーは、まるでルイザが乗り移ったかのように、生き生きとし、喜びも悩みもそっくり引き継ぎ、生身の女の子として読者に語りかけてくる。
 ジョーが、通俗新聞の編集長ダッシュウッド氏に原稿を戻されるシーンはこんな風だ。
 もどされた原稿を見て、ジョーは目をうたがった。まるで自分のものとは思われないほどぐちゃぐちゃで、そこらじゅうに下線がひいてある。ジョーは、小さなゆりかごにおさめるために赤んぼうの手足を切れと言われた母親になった気がした。
(『若草物語2』409ページより)

 売れるために書かれた小説について内心恥じつつ、尊敬するベア先生にジョーが言い募る場面は、物を書く人の身に迫るだろう。
 でも、ばかばかしいけれど、害があるわけじゃないでしょう。それに、読者の要求があるんですから、提供してもいいんじゃありませんか。りっぱな作家たちだって、こういう刺激的な小説を書いて正直に暮らしていらっしゃいますよ。」とジョーは必死で反論した。
(『若草物語2』415ページより)

 古今東西多くの女性作家たちが『若草物語』のジョーに自分を投影し、ジョーと一緒に悩んできた。物語はフィクションだが、作家ルイザ自身の経験がそのまま描かれているところがたくさんあり、リアリティがあるからなのだろう。
 とはいえ、作者ルイザが『若草物語』の原稿を出版社に渡したときの反応は、はかばかしくなかった。編集者はつまらない話だと思ったからだ。
 物語にはいわゆるセンセーショナルなところは何もない。ごく普通の少女たちの生活が、シンプルに、真実味をたたえて丁寧に描かれているだけだ。
 ところが、編集者がその原稿を若い姪たちに見せたところ、熱狂的な反応があった。
「わたしにはわけがわからないわ。あんなシンプルな物語を、どうしてこんなにほめてもらえるのかしら?」
 ジョーはとまどうばかりだった。すると、お父さまがいった。
「真実があらわれているからだよ。それがかぎなのだ。おまえはとうとう自分のスタイルを見つけたのだよ。お金や名声のためでなく、ほんとうに心をこめて書きたいものを書いたからだ。それがよかったのだよ。>
(『若草物語2』492ページより)

 ジョーはルイザ、ルイザはジョーなのだ。

物語の舞台、オーチャードハウス

 物語の舞台は、アメリカのマサチューセッツ州コンコード。アメリカ独立戦争の火蓋が切られたところとして有名な、小さな町だ。ここで育ったルイザが住んでいた家はオーチャード・ハウスといい、そこが物語の舞台の家だ。

 このコンコードと同緯度にある北海道の亀田郡七飯町は、1997年11月に姉妹都市提携をし、交流事業を続けている。
 町内にある大沼国定公園には大沼湖という美しい湖があり、薄緑の森、かなたに見える山(北海道駒ヶ岳)など、周辺の景色を合わせて、コンコードの南にあるウォールデン湖を思わせる。

 ウォールデン湖は、かつて作家ヘンリー・デイヴィッド・ソロー H. D. Thoreau がその湖畔に質素な小屋を建て、たったひとりで暮らし、『ウォールデン−森の生活』を著した有名なあの湖だ。
 人間に「自然に還れ」という鮮烈なメッセージを与えた名著である。

 ルイザは、このヘンリー・ソローと親しかっただけでなく、同じ町に住んでいた哲学者ラルフ・ウォルドー・エマソン R. W. Emerson にも可愛がられていて、彼のりっぱな家のふんだんな蔵書は、ルイザにとって知的刺激と憩いの場でもあったという。

子どもたちが大活躍する『若草物語』の3巻と4巻

『若草物語』とひとくちにいっても、実は4冊あることはご存じだろうか

 有名な第1巻は、南北戦争中のクリスマスにはじまり、従軍牧師として参戦していたマーチ一家の父親が帰ってきたクリスマスで結ばれる。
 ちなみにルイザは奴隷制に反対の立場をとっており、マーチ家も奴隷制反対の北軍側の設定になっている。

 第2巻は、長女メグと、お隣ローレンス家のローリー少年の家庭教師ブルック先生との結婚式から始まり、ベスの死、ジョー、エイミーの恋愛模様などが描かれる。
 映画では、いつもここまでが描かれている。

 第3巻は、メグ、ジョー、エイミーの子どもたちが活躍する物語。

 そして、第4巻は、その子どもたちの青春編である。

 つまり、 4巻シリーズの前半2巻は、マーチ四姉妹の少女編と青春編、後半2巻は、その子どもたちの少年・少女編と青春編、というわけだ。(講談社青い鳥文庫から4巻とも出ている)
 中でも私は、第2巻が断然おもしろいと思う。やはり四人姉妹の恋愛模様はドラマチックで、わくわくする。

 作者ルイザが自分自身の姉妹の長所も短所も知り尽くしたうえで、さらに造形豊かに四人を再創造したからであろう、読者は姉妹のだれかに自分をなぞらえ、一緒にその女性の人生を味わうことができる。
 ああ、結婚しない女、それがわたしの運命だわ。ペンを夫にした、そろそろ二十五歳のさびしい女。たくさんの物語を子どものために書いて、二十年後には、すこしばかりの名声は得られるかもしれない。でも年をとったら、そんなものもうれしくないし、だれともわかちあえないんだから、名声なんて必要がなくなる。>
(『若草物語2』496ページより)

 物語の第2巻に、ジョーがひとりの生活を選択しようかどうしようか、さんざん悩む場面があるが、それはとりもなおさずルイザの自分への問いでもあったろう。
 ルイザは物語のジョーを結婚させたが、自身は独身を通した。独りで生きるのがいちばん自分に合っている、と思っていたからだ。はたして、四姉妹のだれがどんな相手を選ぶかは、このお話を読み進める楽しみでもあるので、ぜひ読んでみてほしい。

『若草物語』を読む楽しさは、『若草物語』を読む楽しみのひとつは、19世紀後半の人々の考え方や暮らしぶり、嗜好や関心事などが見事な筆致で描かれ、当時の雰囲気が味わえることだろう。
 ルイザが活発な作家活動をしていた19世紀後半、アメリカ人の大きなあこがれはヨーロッパへ行くことだった。祖先の生まれ育った旧世界を見たいと思ったからだ。
 とはいえ、船で大西洋を越えるには2週間ほどかかる。裕福な人しか行かれないぜいたくな旅だ。
 物語のなかでジョーは自分の意地っぱりが原因となり、ヨーロッパに行ける機会をエイミーにゆずってしまうことになる。
「いつだってエイミーが、おいしいところをとってしまうんだ。不公平だわ!」とジョーは叫ぶ。
「へえ、あんたは、願えばそれがかなうのよ。
 でもわたしの夢は、かないっこない。」
 ジョーがこぼした。
「お姉さまもいきたいの?」
「そりゃいきたいわ。」>
(『若草物語2』376ページより)

 だが、不運なジョーと異なり、ルイザは幸運なことにヨーロッパへ2度も行っている。
 そして、スイスのレマン湖畔にあるリゾート地のヴェヴェイに滞在し、そこでほのかなロマンスを体験する。相手はポーランド人で、物語のローリーのモデルのひとりとなったという青年だ。
 第2巻にはそのレマン湖が登場する。その湖のボートの上でローリーがプロポーズする相手は、さあだれだろうか。

 昨年2019年12月に、拙訳『若草物語1&2』を講談社から出していただいた。
 長年のわたしの夢だったので大変うれしい。
『若草物語』を訳したかった、というだけの意味ではない。
 第1巻と第2巻の合本を出すことができたのがうれしい、ということだ。
 日本では、2冊がまとまった形の本は今までなかったように思う。
 多くの人が映画オリジナルの話だと思っている部分は、2巻に出てくるエピソードだ。
 ぜひ、2巻目まで読んでから、話題の映画をみていただきたい。

 今度の新作映画については、さまざまな記事がネットをにぎわわせている。
「Little WomenにはManの影が薄すぎ」などというものもあったが、ルイザはちゃんとManの話も書いている。
 第3巻のタイトルはLittle Men だ。ルイザはやっと大好きな男の子たちの話を書くことができた。続きの第4巻はJo's Boysという。
 だから、第3と第4の合本も出すことはできないだろうかと、しがない翻訳家は今、新しい夢をふくらませているところである。

[写真-1]
1934年に日本公開された映画「若草物語」

[写真-2]
1949年に公開の映画「若草物語」

[写真-3]
1994年公開の映画「若草物語」

[写真-4]
グレタ・ガーウィグ監督

[写真-5]
ルイザは四姉妹の次女で、物語のジョーと同じくおてんばで、男の子だったらよかったと思っていた。

[写真-6]
ボストンから電車で30分ほどの町、コンコードにあるルイザ・メイ・オルコットが住んでいた家(オーチャードハウス)。皇太子妃時代の美智子様もおとずれたことでも有名なこの小さな家に、映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』の公開が決まってから、たくさんの人がおしよせているという。谷口由美子氏は、現在、このルイザの家からゆかりの品々を借り受け、姉妹都市の七飯町などで、日本初の「若草物語の世界展」を開催すべく、奔走中。

[写真-7]
コンコードと姉妹都市の北海道七飯町。コンコードストリートがある。

[写真-8]
青い鳥文庫版「若草物語」(全4巻)

[写真-9]
右が1巻と2巻が一緒になった原作『LITTLE WOMEN』初版本。偶然にも今回出版した愛蔵版とほぼ同じ大きさの本に。

現代ビジネス、2020.06.12
究極の名画『若草物語』の新作がネットをざわつかせている
愛されるからこそ…

(谷口 由美子、翻訳家)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70724

※ 谷口 由美子(1949年生まれ、主にアメリカの児童文学の翻訳を行っている)

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2020年07月14日

若草物語オルコット家の精神に触れる

 『若草物語』が、再び映画化され話題です。
 今年のアカデミー賞衣装デザイン賞も受賞しました。
 新型コロナウイルスの影響で、残念ながら日本での公開が延期になってしまいましたが、こんな時だからこそ本を読んでみませんか?

◆ 日々の創意工夫、あこがれ
<1>ルイザ・メイ・オルコット著、谷口由美子訳『若草物語I&II』(講談社、2090円)


 個性の違う4姉妹が生き生きと日々の生活を送る、その細やかな描写が大好きです。
 少ないお金をやりくりしてお母さんへのプレゼントを買ったり、焼け焦げたスカートを隠してパーティーへ行ったり。
 お菓子作り、ガーデニング、ピクニック、郵便局ごっこ、屋根裏の秘密クラブでの新聞製作。
 日々を創意工夫して楽しむ姿に、10代のころ、とてもあこがれました。
 姉妹は、それぞれが小説を書いたり、ピアノを弾いたり、絵を描いたりしていて、感受性も豊かです。
 中でも、19世紀という古い時代に、自由に振る舞い、小説家を目指すジョーは凜(りん)として魅力的です。
 この本は、4姉妹のその後を描いた続編と合わせて1冊になっています。
 2部では、ジョーはニューヨーク、エイミーはフランスへ。
 メグは結婚して双子を産み、ベスは……。
 そして、ローリーは?
 大人になった4人は、どんな選択をし、どんな人生を歩むのか。
 未読の人は驚くはず。 

◆ 大人になってからの支え
<2>『グレタ・ガーウィグの世界 ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(DU BOOKS、4180円)


 初の単独監督作『レディ・バード』で、アカデミー賞監督賞にノミネートされたグレタ・ガーウィグ。
 女性監督としては、史上5人目の候補(こんなに少ないとは!)という彼女が作り上げた新しい映画『若草物語』のオフィシャル・メイキングブックです。
 原作者のオルコットへの思い、グレタ自身が書いた脚本について、衣装デザイン、インテリアやセット、出てくるお菓子のレシピも載っていて、時代背景などもよくわかり、小説の副読本としても最適です。
 エマ・ワトソン、ティモシー・シャラメたちの撮影舞台裏も楽しめます。
『若草物語』をはじめ『指輪物語』『チョコレート工場の秘密』など、毎年、たくさんの児童書が次々と映画化されています。
 それは、子ども時代に読んだ本が、クリエーターたちに深く影響を与えているからだと思います。
 もちろん、クリエーターだけでなく、10代に読んだ本は、大人になってからのあなたをきっと支え、ずっと寄りそってくれますよ。

◆わたしがずっと愛する本
<3> W・サローヤン著、岸田今日子・内藤誠訳『ママ・アイ ラブ ユー』(新潮文庫=品切れ)

 3年以上続いたこの連載も今回が最終回です。
 長い間ありがとうございました。
 新しい本/古い本、柔らかい本/歯ごたえのある本など、バランスを考えて選んできたつもりですが、「なるべく絶版になっていない本を」というご依頼だったため、泣く泣く紹介できなかった本もたくさんありました。
 そんな中で、最後に、わたしが10代の時から偏愛する本をご紹介させてください。
 主人公のキラキラヒメ(そう呼ばれている)は、ニューヨーク・ジャイアンツのエースを目指す9歳の女の子。
 パパと別れてブロードウェーのスター女優を夢見るママに連れられて、ある日突然、カリフォルニアからニューヨークへやってきますが……。
 対になっている『パパ・ユーア クレイジー』は、父と息子の物語で、合わせて読むとさらにおもしろいです。
 2冊とも、生きることの楽しさが、じわじわと湧いてくる本です。
=おわり


東京新聞・東京ブックカフェ、2020年3月23日 02時00分
<小林深雪の10代に贈る本>
「若草物語」を読もう

https://www.tokyo-np.co.jp/article/3620

※ 小林深雪(こばやし・みゆき)『スポーツのおはなし 体操 わたしの魔法の羽』(講談社、2020年2月)発売中。

 1949年につくられた映画「若草物語」の中にあのグレタ・トゥンベリさんを見つけたのは、2020年5月21日のことだった。

 NHK BSプレミアムで放送された中で、長女のメグがマーチおばさまに向かって、こう言っていたのだ。

“How dare you.”

「よくもそんなことを」と脳内で自動翻訳した。

 自慢ではないが、英語は苦手だ。
 なのに確かに聞こえたのは、国連気候行動サミットがあったからだ。
 2019年9月、まだ16歳だったトゥンベリさんは地球温暖化対策に取り組まない大人たちをその言葉で叱った。
 17歳のメグは金持ちの伯母から「おまえの求婚相手は、私の財産を狙っている」と言われ、その言葉で猛然と抗議していた。

 状況は全然違う。
 メグの抗議は字幕では「あんまりよ」となっていた。
 だけど重なった。
 主張する女子同士なのだ、メグもトゥンベリさんも。

 原作でも映画でも、メグは主張するタイプとして描かれていないことは承知している。
 むしろ「主張」が持ち前の妹・ジョーをたしなめる役回りだ。
 だけど、いざとなったら主張するのだ、メグだって。
 そして、それが女子というものだ。

 ということを、『若草物語』(ルイザ・メイ・オルコット著)は教えてくれる。
 だから古びない。
 出版されたのは1868年。
 明治維新の年だが、どんな女子がいつ読んでも、「これ、私のこと」と思える。
 ゆえに1917年以来、繰り返し映画化され、最新版が2020年6月12日から上映中だ。

 可能にしているのが、四姉妹という構図。
 上からメグ(始まりでは16歳)、ジョー(15歳)、ベス(13歳)、エイミー(12歳)。
 1章で「あたしは男の人みたいにやりたいのよ! 男に生まれなかったなんて、ほんとに悔しい」と宣言するジョーのモデルは作者だが、他の3人も美人のメグ、内気なベス、気取り屋のエイミーときちんと役割が与えられている。
 ジョーは文学、ベスは音楽、エイミーは美術と得意分野が割り振られていることもあり、それぞれのストーリーがくっきりしている。

 だから読むたびに新鮮で、気づけば「若草物語」フリーク。
 というのは私の話。
 子ども向け本からスタート、1949年制作映画をリバイバルで見たのが小学4年か5年。
 中学からは文庫版に移行、だいぶ飛んでアマゾンの日本上陸時は記念に「原書」を購入、保存した。
 昨年はミュージカル「Little Women〜若草物語〜」で涙するなどなど、とにかく「若草物語」となるとコンプリート魂がうずく。

 2017年には「光文社古典新訳文庫」から麻生九美訳版が登場、もちろん購読。
 先ほど紹介したジョーの台詞はそこから引用した。
 従来の「お父さま、お母さま」を「パパ、ママ」とし、上品さを保ちながらのポップ度アップに成功している。

 1994年版の映画で印象に残っているのは、「フェミニズムの視点を強調した」という評だった。
 それまで私にとって『若草物語』は“ホームドラマ”だったから正直、驚いた。
 全くボーッとした話だが、何せ小学生で出合った時、「ライスプディング」に一番ひかれた人間だ。
 お米に関係ありそうだが、どんなお菓子だろうという謎は、実は今でも解けていない。

 しかし遅ればせながら大人の目で見れば、確かにジョーはただの「ボーイッシュな女の子」ではない。
 自立したい少女なのだ。
 麻生訳から、ジョーの小説が新聞に掲載される場面を紹介する。
 新人による持ち込みだから、原稿料は出ない。
 だがジョーは、姉妹にこう語る。

「もっといいものを書けば、どこでも原稿料を払ってくれるようになるってさ。ああ、うれしい。そのうち自分の生活費を稼げるようになって、あんたたちにも援助してあげられるようになるかもしれないんだから」

 この視点が強調されているのが、公開中の「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」だ。
 監督・脚本のグレタ・ガーウィグはこう語っている。

「私はこの原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりわかっていたの。アーティストとしての女性、そして女性と経済」

 プロデューサーのエイミー・パスカルは、「四姉妹が他の誰かの物語に仕えるために存在するのではないの。自分の物語と他の人の物語のため」と語った。
 彼女の言葉通り、4人の「意思」が原作よりも強調される。
 自分はどういう人間か、どうなりたいのか。
 それぞれが言葉にする。

 中でも従来のイメージを大きく覆す描かれ方をしているのは、エイミーだ。
 ジョーが切望していた欧州旅行を横取りする、甘え上手のちゃっかり屋。
 そんなイメージが強い彼女が、結婚についてこう語る。

「私は女なの。女の稼ぎで家族を養うなんて無理。結婚した途端にお金は夫名義になり、子どもを産んでも彼の子になるだけ。結婚はお金じゃないなんて、のんきに言わないで」

 時系列に物語を追うのでなく、過去と現在、原作なら『若草物語』と『続若草物語』を行き来するように描かれる。
 洗練された手法とテンポよい運びで、彼女たちの悲しみと喜びが鮮やかに浮かぶ。
 米アカデミー賞衣装デザイン賞を獲得したドレスのおしゃれさは、女子心わしづかみものだ。

 従来の映画と全く違うラストも注目だが、最後に紹介したいのは四姉妹の母が働くシーンだ。
 南北戦争下、北軍を支える奉仕活動をする彼女は、黒人女性の同僚に「ずっと国を恥じてきたわ」と語る。
 原作にも描かれないこのシーンに監督の意思を感じ、むやみに感動した私だった。

※ AERA 2020年6月22日号


dot.asahi.、2020.6.20 11:30
いざという時主張する!
「若草物語」最新映画は4姉妹それぞれの“意思“色濃く

(コラムニスト・矢部万紀子)
https://dot.asahi.com/aera/2020061800026.html

 初めて米国で、1年間生活することになった8年前の夏のこと。
 マサチューセッツ州ボストン近郊への引っ越し荷物は最小限にした。

「どうしても持っていきたいけど、いい?」

 その時、小学3年と中学1年だった娘たちの希望で持参したのは小説『若草物語』だ。

 作者ルイザ・メイ・オルコットが、自らの体験を基に執筆した四姉妹の物語は、今から150年以上も前、1868(明治元)年に出版された。
 その後、何度も映画化されたこともあって、いろんな世代で愛され続けている。
 日本では、新型コロナで上映延期になっていた最新作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』が公開されている最中だろう。

 そのオルコット一家が暮らし、不朽の名作が生まれた家『オーチャード・ハウス』は、マサチューセッツのコンコードに博物館として現存している。
 1万5千坪の広大なオーチャード(果樹園)に取り囲まれていることから、教育者だったルイザの父ブロンソンが屋敷名を付けた。
 まるで絵本から抜き出たかのような、当時の風景を彷彿させる豊かな森を背にしたオーチャード・ハウスは、今も世界中のファンを出迎えている。

 ボストン暮らしの時は車で30分程度の隣町に住んでいたこともあり、たびたびオーチャード・ハウスへ足を運んだ。
 そして縁あって、日本人スタッフのミルズ喜久子さんと知り合うことができ、四姉妹が取り組んだクリスマス劇を再現した見学ツアーなど、さまざまな催しに参加させてもらった。

 オーチャード・ハウスの重要な取り組みに、慈善活動がある。
 決して裕福でなくても、困っているだれかのために援助の手を差しのべてきたオルコット家の精神を伝えるためだ。
 娘たちと一緒に、小児病院の子供たちに贈るテディベアづくりを手伝ったことがある。
 ふと、作業部屋の一角に、上皇后美智子さまの写真と花が飾ってあることに気づいた。
 1987(昭和62)年に、当時皇太子妃だった美智子さまがオーチャード・ハウスを見学されたときの一枚だという。

 そしてミルズさんから、「日本人ボランティアのために」という、館長を務めるジャンさんの心遣いだと知らされた。

「若草物語が好きな人はみんな友達です」

 思いやりや愛情に、国籍も人種も関係ない。
 あらためてルイザの本が持つ普遍のテーマに気づかされた。

 新型コロナウイルスのため、オーチャード・ハウスも長期間の閉館を余儀なくされてきた。
 米国は黒人男性暴行死をきっかけに、各地でデモ活動も続いている。
 だが、こんな困難な時だからこそ、「スタッフは伝えられることがある、と開館に向けて、準備を頑張っていますよ」とミルズさんは言う。
 オーチャード・ハウスが発信する米国の良心が、いつの時代も希望の灯りであり続けてほしいと心から願っている。


[写真]
米国マサチューセッツ州コンコードにある『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットの一家が暮らしたオーチャード・ハウス。現在は博物館として、世界中のファンに作品の世界観やオルコット家の精神を伝えている=2019年8月、筆者家族撮影

福井新聞・コラム、2020年6月24日 午前10時00分
[人生は旅]
若草物語オルコット家の精神に触れる
困っている人のために

(渡辺麻由子)
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1110133

※ 渡辺麻由子(わたなべ・まゆこ)
元福井新聞記者。結婚を機に福井を離れ、退職。夫の留学で2012〜2013年米国マサチューセッツ州で生活し、帰国後フリーライター・編集者として活動。夫の転勤で2018年カリフォルニア州、2019年からはメリーランド州で暮らしている。ハイスクール2年生の二女と、カリフォルニア・ロサンゼルスに残り、大学に通う長女がいる。

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映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

 映画、というか映像というか、目の前の「現実」を切り取って二次元の世界に動画として記録するイメージを観るのが好きなヤッホーくん、コロナ禍でもやっと映画館が再開したと聞いたら、居ても立っても居られません。
 大粒の汗の氾濫に見舞われた日曜日のつらい経験もなんのその、行ってまいりました、TOHOシネマズ 日本橋!
 だって<若草物語>なんだもん!
 
『山中静夫氏の尊厳死』(原作:南木佳士、監督:村橋明郎、末期がん患者の主人公:中村梅雀)は観たかったですねぇ〜
(ヤッホーくんのこのブログ、2020年02月04日付け日記、映画「山中静夫氏の尊厳死」(原作:南木佳士)をお読みください)

 映画「帰ってきた寅さん」ではスクリーンで浅丘ルリ子と出会いました。
 映画「真実」(是枝裕和監督)では、同じくカトリーヌ・ドヌーブと出会いました。
 そして<若草物語>ではメリル・ストリーブで出会えるよ、という情報を得ていたんです。

 2020年6月12日(金)より公開される“新『若草物語』”こと『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women)。
 シアーシャ・ローナン Saoirse Ronan をはじめ、エマ・ワトソン Emma Watson 、ティモシー・シャラメ Timothée Chalamet 、フローレンス・ピュー Florence Pugh 、ローラ・ダーン Laura Dern 、メリル・ストリープ Meryl Streep といった、若手俳優から大御所まで一挙集結した話題作だ。

 本年度の第92回アカデミー賞では作品賞をはじめとする6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を見事受賞して注目を集めた。
 このたび貴重な撮影風景の写真とメリル・ストリープのインタビュー映像をBANGER!!! が独占入手!

 本作の主人公であるマーチ家の次女ジョー Jo March を演じるのは、26歳という若さですでにアカデミー賞の常連と呼ばれる天才女優シアーシャ・ローナン。
 シアーシャは本作で2年ぶり3回目のアカデミー賞主演女優賞ノミネートを果たした。
 ジョーのソウルメイトであり彼女に愛を告白するローリー Laurie 役にいま世界中から注目を浴びているティモシー・シャラメ。

 さらに⻑女のメグ Meg March 役はエマ・ワトソン、三女のベス Beth March 役にエリザ・スカンレン Eliza Scanlen 、そして頑固で有名な家族の末っ子エイミー Amy March 役には、本作で初めてのアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたフローレンス・ピュー。
 さらにベテラン勢からマーチ家の母にローラ・ダーン、名女優のメリル・ストリープが四姉妹の伯母役で華を添える。

メリル・ストリープ「監督は楽観的で元気になれるし、勇気が湧く」

 メリル・ストリープが、ガーウィグ監督 Greta Gerwig に対する想いを語ったインタビュー映像が解禁されている。
 ストリープはガーウィグ監督の想いが色込む反映された脚色について 「本作は、彼女のユニークな視点を形にしたものなの。彼女は面白いほど楽観的だわ。元気になれるし、希望が湧く。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、まさに必要な時に届いた世界への贈り物だと思うわ」と大絶賛。
 インタビューでは本年度アカデミー賞助演女優賞受賞のローラ・ダーンについても語っているのでぜひご覧に頂きたい。

 また、ローラ・ダーンが4姉妹を演じた若手女優の魅力を語るインタビューもあわせてご覧いただくと、より本作を楽しめるはずだ。

ガーウィグ監督が作品に込めたメッセージとは

 監督・脚本を務めるのは、『レディバード Lady Bird(2017)』で第90回アカデミー賞監督賞・脚本賞にノミネートされたグレタ・ガーウィグ。
 彼女はかねてより「若草物語」の、深く個人的、情熱的で生き生きとしたアイディアをスクリーンで表現したいと熱望していたという。
 当時から存在する、金銭と芸術、愛と個人の満足、理想と現実、家族への思いやりと自分の気持ち。
 これらの問題は今に通じる問いでもあるが、作中でオルコットが掲げたテーマでもある。

私は全てをかけてぶつかっていったわ。この原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりとわかっていたの。アーティストとしての女性、そして女性と経済。ルイーザ・メイ・オルコットの文章にはその全てが詰まっている。でも、そういった側面は、まだスクリーン上でフォーカスされたことがなかったの。私にとって、この作品は今現在の自分に極めて近く、今まで作ったどの映画よりも自伝に近いと感じるわ。」とガーウィグ監督は語る。

 ガーウィグ監督は主人公ジョー・マーチに強烈な一体感を感じたという。
 今のままでは自分の理想とする女性になれないと葛藤する、自称作家のジョー。
 自由になりたい。
 創造したい。
 許されないことも超え、自分の愛する人のために自分の全てを捧げたいと願う。

ジョーの反抗心、それから性別によって決められた人生を超えたいという望み。それは今の私たちにもとてもエキサイティングだと思う」と、ガーウィグ監督は語った。
 現代社会を生き抜く女性が直面するであろうさまざまな問題を投げかける本作に、共感すること間違いなしだ。

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、2020年6月12日(金)より公開中!!


公式サイト
https://www.storyofmylife.jp/

[動画-1]
メリル・ストリープ、 本年度アカデミー賞助演女優賞受賞 ローラ・ダーンについて語る 【特別インタヴュー】

[動画-2]
予告編

[写真-1]
フローレンス・ピュー・『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』メイキング写真

[写真-2]
シアーシャ・ローナン・同

[写真-3]
エマ・ワトソン・同

[写真-4]
メリル・ストリープ・同

BANGER!!!、2020.06.12
独占入手‼︎
レアな撮影写真&メリル・ストリープのインタビュー映像公開!
話題作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

https://www.banger.jp/news/36118/

 新型コロナウイルスの影響で自粛が余儀なくされた映画館での映画観賞。
 ようやく全国で非常事態宣言が解除され、待機となっていた新作の封切りも再開した。
 ハリウッド作品のなかでもいち早く公開を決めたのが『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(6月12日から全国順次ロードショー)。
 今年のアカデミー賞レースでも注目を集めていた作品だ。
 本作の製作を指揮したプロデューサーのエイミー・パスカル Amy Pascal に、本作の見どころや日本の働く女性たちに伝えたい思いを語ってもらった。
 併せて映画館での感染対策について、TOHOシネマズ担当者の話を紹介する(=略=)。

現代に通じる問題は誰もが共感できる

 原作である「若草物語」の舞台は、南北戦争時代の米マサチューセッツ州ボストン。
 メグ、ジョー、ベス、エイミーのマーチ家四姉妹が、出征している父親を待つ間、堅実な母親のもとでつつましく、そしてたくましく生きていく様子が描かれている。
 これまでに映画やテレビ、舞台など、さまざまな形で脚色されている不朽の名作だ。
 150年以上も世界中で愛され続けているが、いまの時代に改めて映画化した裏側には、ある思いがあったとエイミー・パスカルはいう。

「監督であるグレタ・ガーウィグの才能にほれ込んでいたからというのもありますが、何よりも彼女の解釈はモダンで、いまも多くの人たちが共感できるようなものになると確信したからです。日本ではアニメにもなりましたが、このようなテーマの作品は数少ないので、それをグレタの視点で新しく描くのであれば、ふたたび映画にする価値はあると思いました」

 今回は、作家になるという夢に向かって一途に走り続ける次女ジョーの視点で描かれていることもあり、彼女が口にする仕事に対する考え方や結婚観は、いまの働く女性なら誰もが共感してしまうほど、時を超えて私たちの心に響く。

「グレタがこの小説のなかで特に注目していたのは、女性の経済的な自由について描かれていること。女性が金銭的に余裕のない状況に置かれることはかつてもありましたし、いまでも続いていることですからね。だからこそ、そういったことを映画で描くのは、すごく興味深いと感じたのです。そのほかにも、この作品の側面にあるのは、女性が愛と野心を同時に持つことの難しさとそれに対してどう向き合っていくのかということ。実際、どちらかしか手に入らないことが多いというのも、現代に通じる課題ですよね」

 結婚によって生まれる葛藤やキャリアを追求するからこその苦悩など、困難な時代のなかでそれぞれに異なる思いを抱えるマーチ家の姉妹たち。
 それでも自分らしく生きることを貫こうとする姿は、どんなときでも前に進むことの大切さを教え、たくさんの勇気を与えながら私たちの背中を力強く押してくれる。

女性たちの才能が結集して生まれた傑作

 原作者のルイーザ・メイ・オルコット Louisa May Alcott は、19世紀を代表する女性作家であり、女性クリエーターの先駆けともいえるが、本作には監督、脚本、製作、出演者など、才能のある女性たちが数多く集結。作品からも、女性たちの持つ力や可能性がひしひしと伝わってくる。
 なかでも、エイミーにとっては財力を持つマーチ伯母を演じたハリウッドの大女優メリル・ストリープとの仕事は格別であり、エキサイティングな出来事だったと話す。

「メリルとはこれまで何度も仕事をしているけれど、この作品でも彼女は非常に特別な部分を担ってくれました。実は、今回最初にキャスティングしたのはメリルでしたが、地に足の付いた生き方をしていて、映画のテーマにおのでグサッと切り込むようなこの役を演じたい、と言ったのは本人。それくらいみんなでたくさんの愛情を注いで作り上げたので、私のキャリアにおいても、もっとも喜びを感じる作品のひとつですね」

 メリル・ストリープのみならず、シアーシャ・ローナンやティモシー・シャラメ、さらには本作でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた若手女優フローレンス・ピューといった俳優陣の熱演も見逃せないところ。
 この作品に込められたキャストやスタッフの情熱は、スクリーンを通してでも観客に届く。

仕事も家庭もできる限りのことをするしかない

 並々ならぬ思いを抱えながら、プロデューサーとして長年にわたって第一線を走り続けているエイミー。
 家庭と仕事を両立することは決して容易ではないが、普段から意識していることがあると教えてくれた。

「多くの働く女性たちが感じていることだと思うけれど、家にいれば仕事のこと、仕事をしていれば家のことを考え、その場にいないことへの罪悪感を抱いてしまうもの。でも、それとうまく付き合っていくことを覚えるしかないし、正直言って自分ができる限りのことをやるしかないんですよね。私の場合は素晴らしい夫と息子、あとは犬たちに恵まれているのもありますが、大好きな仕事のなかで自分が愛せるものを見つけられることは大事だと思っています」

 そう話すエイミーは、日本の女性たちにも本作を通じて伝えたいメッセージがあると訴える。

「まずは、少女時代に自分がやりたかったことや忘れたくない気持ちを大人になっても持つこと。そして自分のなかにある少女の部分とつねにつながり、対話を続けていく必要性を感じてもらえたらうれしいです。それから、ここで描かれている思いやりの心や愛情というのは、人間のなかでも一番すてきなことなので、いまを生きる私たちも、そういう部分をもっと持つべきだと思っています。今回は、原作を愛するすべての方が求めているものやロマンスを踏まえつつ、ジョーにとっては意味のあるエンディングになっているので、そのあたりもぜひ注目してください」

 自分自身を見つめ直す機会を経て、新たな日常を始める時期にいるいまだからこそ必見の一本。
「本当に自分らしい生き方とは?」という問いだけでなく、仕事や結婚との向き合い方、家族との絆など、人生におけるさまざまな思いが込み上げてくるのを感じることができるはずだ。


日本経済新聞・WOMAN SMART、2020/6/12
「若草物語」プロデューサー
映画で問う女性の生き方
恋する映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

(取材・文 志村昌美)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO59923940T00C20A6000000/

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蛇滝コース

 蛇滝は邪滝?邪滝は蛇滝?
 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:

☆ 2013年6月7日「お手かざし四国巡礼」
☆ 2016年4月18日「高尾山599m」

 そうでしたか、4年前でしたか、3人で高尾山で「四国八十八ヶ所霊場巡り」をしたことがありました。
 その日は雨模様、雨合羽をつけてのお山歩会で、蛇滝の霊場には天気のいい日にまた行こうとパスしたのでした。
 今回、7月12日日曜日はその蛇滝から高尾山に入山するというコースだったのです。
 ヤッホーくん、今日も残念そうに記憶をたどっておりましたぁ〜

[蛇滝を経由して山腹と裏高尾を結ぶコース]
・ 全長:1.5km
・ 所要時間:上り60分、下り40分

※ 蛇滝コースは2019年台風19号の影響で通行止めでしたが、11/9に通行可能になりました。

 薬王院の水行道場のひとつである「蛇滝水行道場」を経由して、高尾山と裏高尾をむすぶコースです。
(水行道場は高尾山内に2つあり、もうひとつは6号路の「琵琶滝」)

 裏高尾からアクセスするときは、旧甲州街道を走る高尾駅北口〜小仏のバスを利用し、「蛇滝口」バス停で下車します。

 高尾山からは、2号路北側ルートに入口があります。

「十一丁目茶屋」のある霞台園地から2号路北側ルートに入ると、すぐに蛇滝コースに入ることができます。

 蛇滝周辺では、道場ならでは清浄な雰囲気を感じることができます。
 夏には紫色のイワタバコの花がたくさん咲いています。

 このコースはお店などがなく利用する人も少ないので、ゆっくりと歩くことができますが、裏高尾に出るとケーブルカーやリフトなど便利な手段で高尾山口駅行くことはできず、バスか徒歩で高尾駅に出ることになるので注意してください。

 このコースのトイレ:ケーブルカー高尾山駅前トイレ、高尾梅の郷まちの広場(コース途中にはなし)


[地図]

[写真]
上り(蛇滝口→霞台)の写真

高尾山マガジン、2019/12/5
蛇滝コース
https://mttakaomagazine.com/trails/jataki

 高尾山のメジャーなコース以外を歩こうと思いたち、今回は「蛇滝口からの登り」を選んでみました。
 JR高尾駅から、小仏峠行バスに乗り10分程度。蛇滝口にて下車。

 バス停を降りてすぐ、こんな水場が。
 特に夏場では、見るだけでホッとするポイントです。

 圏央道のアーチを過ぎると、すぐ「蛇瀧水行道場」の標識が。

 左に曲がり、ほどなくすると、いよいよ登山道が始まります。
 因みに、このルートは高尾山口、清滝駅が出来るまではメインの登山道だったそうです。
 入口付近の小川のせせらぎを聞きながら歩みを進めると、右手に古びた鳥居が目に入ります。
 千代田稲荷大明神。
 元は江戸城の守護神だったありがたい神様です。
 ただ残念なことに、2013年2月、賽銭箱が空っぽだったことに逆上した者に放火され、殆どが消失してしまいました。
 焼け跡に手を合わせ、無事の復興を祈りつつ先へ進みます。

 引き続き小川沿いの、ゆったりした道を進むと、蛇瀧水行道場の石柱が。

 ほどなく、蛇瀧水行道場に前に到着します。

 心を整え、階段を上ると、三石仏に手を合わせます。
 真ん中が正観音様、左が薬師如来さま、右が馬頭観音様。

 登山ルートに目をやると、ルートの横、岩壁に綺麗な花、イワタバコを見つけました。
 ちょっと面白い表情の可愛い花です。
 ちょうど一緒にいた初老のご夫婦も熱心に写真を撮られていました。

 ご本尊である、青龍大権現に手を合わせ、いよいよ蛇滝の登山ルートを進みます。

 直線距離にすると、それほどの距離ではないらしいのですが、蛇滝ルートは、くねくねとした登り道が続きます。
 曲がり角には、こんな標識があります。

 良く見ると「九折コース」と書いてあります。
 数えながら登りましたが、途中の六折目、七折目あたりで、数えることを忘れてしまいました。
 登りの道は、ともすれば足元に目が行きがちですが、時折、目を上げ振り返ると、こんな風景が。
 一瞬、疲れも忘れます。

 次は九折目だったか等と考えている内に、ケーブルカーの発車音が聞こえてきました。
 このルートのゴールはケーブルカー高尾山駅の少し先になります。
 道も整備されてきて、いよいよ終盤です。
 木の階段を登りきると、分岐点の案内板が。
 ここで、2号路に合流します。

 2号路から、つり橋で有名な4号路を経て頂上へのルートも選択できますが、今回は薬王院への参拝もしたかったので、そのまま蛇滝コースの終点へ向かいます。
 最後の階段(これが一番キツイかも知れません)を登ると、「十一丁目茶屋」さん前の広場に出てゴールとなります。

「蛇滝コースを登ろうと思うのだけれど」と言いますと「結構キツイよ」と言われることもあります。
 確かに楽な道ではありませんが、距離も程よく、勾配もきついながらも、前述の「九折コース」なので、考えようによっては稲荷山コースや、6号路より優しい道かもしれません。
 ただ、足元のコンディションが悪い時(降雨の後や冬季)は注意が必要でしょう。
 ちょっと変わったコースを取りたい時、是非一度、登ってみて下さい。
 因みに今回は蛇滝コースの後、薬王院から頂上へ。そして6号路をたどり琵琶滝へというルートとなり、高尾の「滝巡りコース」となりました。

 この季節、小川や滝、沢を通るコースは比較的、涼しく歩きやすいコースです。
 是非、お試しを。


[写真]

高尾山マガジン、2019/9/21
蛇滝口を行く
https://mttakaomagazine.com/blog/2546

DSC_0679 (2).JPG

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2020年07月13日

いのはなトンネルの悲劇

「人間とは何か」を撮る・・・ですか・・・
 実はヤッホーくん、昨日の2020年7月12日、山歩クラブのお山歩会だったのです、参加者10人!
 JR高尾駅北口から歩きだし蛇滝口バス停までわれわれはバスを使わず、えっちらおっちら歩き!
 ところがヤッホーくんだけはもう出だしから汗が半端な量でなくふきだしておりました。
 大汗をかいてしまい、タオルは水浸し、おまけに息はぜいぜいはあはあ、シンゾウがばくばく。
 ここから登り路に入っていったら仲間に迷惑をかけるばかり、名誉ある撤退を決断するならイマでしょ、
 引き返しを決意したんだとか、そう、山は逃げませんね、体調が回復したらまたチャレンジすれば良し。
 そのバス停で高尾駅に向かうバスを待ってるときに、細い目に飛び込んできたのがこれ:
「いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑」 ☟

 いのはなトンネル.JPG

 当時は「浅川駅」と称されていた「高尾駅」ホームに銃弾痕が残っている。

昭和20年7月8日

 駅舎が米軍艦載機(P51戦闘機)による機銃掃射をうけた爪痕。 そんな戦争の歴史を残す高尾駅を観察してみる。

JR高尾駅

 1901(明治34)年8月1日に浅川駅として開業。

 現在の社寺風デザインの北口駅舎は大社線大社駅を設計した曽田甚蔵が設計、1927(昭和2)年に竣工した2代目。

 大正天皇の大喪列車の始発駅として「新宿御苑に設置された仮設駅舎」を移築したもの。

 大正天皇大葬後、多摩御陵への参拝者は急増。輸送を担うは国鉄と京王電軌(京王電鉄)の2社。
 運転本数の多い京王に人気があり、一方で劣勢の国鉄は利用促進のため「新宿御苑宮廷臨時停車場」の用材を用いて浅川駅(高尾駅)に移築改築をしたのが現在の駅舎という。

※ 高尾駅改修計画ではかつての皇室専用駅であった東浅川駅跡へ駅舎移築の予定となっている。

JR高尾駅 2番線ホーム

 2番線ホームの屋根支柱(31番)に米軍艦載機P51の機銃掃射による銃撃痕が残っている。

 2番線ホームの屋根支柱(33番)にも米軍艦載機P51の機銃掃射による銃撃痕が残っている。
 31番支柱及び33番支柱ともに銃撃痕の部分のみは塗装を施さずにわかりやすい状態となっている。

JR高尾駅 3番線ホーム

 3番線ホームには「国内最古のレール」が、ホーム屋根支柱(24番)として使われている。

 1901(明34)年に操業開始した官営八幡製鐵所にて1902年に製造されたレールであることを示しており、現時点で確認できる国産レールとしては最古のものとされている。
 

近代史跡・戦跡紀行〜慰霊巡拝、2019/9/14更新
JR高尾駅に残る戦跡
https://senseki-kikou.net/?p=1387

 高尾駅から「湯の花トンネル」(いのはなトンネル)列車銃撃の慰霊碑へ。

「湯の花トンネル」列車銃撃事件

 高尾駅から小仏方面に向かうバスに乗り「蛇滝口」バス停で下車。
 線路近くに慰霊碑がありますので参りましょう・・・

 戦時中に銃撃の悲劇があった場所。

湯の花トンネル列車銃撃空襲

 1945(昭和20)年8月5日。
 新宿発長野行419列車が浅川駅(現在の高尾駅)を出発し、湯の花(猪の鼻)トンネルに差し掛かった時、硫黄島から飛来したP51ムスタングの銃撃を受け、52人が死亡、133名が重軽傷を負った。
 列車への銃撃空襲としては日本最大級の被害であった。
 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月5日、この地で米国戦闘機群によるわが国で最大規模の旅客列車銃撃空襲がおきました。
 8月2日の八王子空襲で中央本線が不通になった後、3日ぶりに新宿発長野行き419列車が浅川駅(現高尾駅)を出発し湯の花(猪の鼻)トンネルにさしかかった時、硫黄島から飛来したP51ムスタングの銃撃を受けました。
 この銃撃により警視庁の調べで52名が死亡し(実際は60名以上)、133名が重軽傷を負いました。
(以下略)
2018(平成30)年8月
いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

湯の花トンネル列車銃撃空襲
「戦災死者供養塔」
「慰霊の碑」

慰霊の碑
 終戦間近の昭和20(1945)年8月5日、真夏の太陽が照りつける午後12時20分頃、満員の新宿発長野行き419列車が、いのはなトンネル東側入口に差しかかったとき米軍戦闘機P51二機または三機の銃撃を受け、52名以上の方々が死没し、133名の方々が重軽傷を負いました。
 この空襲は日本最大の列車銃撃といわれています。
 私どもは、この戦争の惨禍を決して忘れることができません。
 ここに、確認された犠牲者のお名前を書きとどめ、ご遺族とともに心からご冥福をお祈り申し上げ、現在の平和の日々をかみしめ、戦争を知らない世代へこのことを語り伝えます。
1992(平成4)年8月5日
いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

碑裏面
 戦災死者供養塔は、1950(昭和25)年8月、当時の上長房(現:裏高尾町、西朝川町)青年団が、亡くなった方々を供養するため、団員協力のもとに建立したものです。
 供養塔には、亡くなった方々を荼毘に付した日影沢の石が用いられました。
 地元に住む人びとは、尊い犠牲者のお名前も人数も知ることなく、供養塔の前に手を合わせご冥福をお祈りしていました。
 1981(昭和56)年から八王子市教育委員会が八王子の空襲の調査を行い その後あらゆる手だてを尽くした結果、この事件の犠牲者は60名以上と推定いたしました。
 そのうち、40名のお名前と遺族が判った1984(昭和59)年、遺族関係者、地元の有志により7月21日に「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が発足いたしました。
 会では、この年の8月5日を「供養の日」に定め、毎年供養の集いを行い現在に至っています。
 供養塔は、はじめ唐沢踏切の北側にありましたが、地主のご好意で南側の土地を無償で提供していただき、1986(昭和61)年7月28日現在地に安置されました。
 かねてから、会では蓄積した浄財で亡くなった方々のお名前を刻んだ慰霊の碑の建立を計画していたところ、1992(平成4)年3月、東京八王子南ロータリークラブからも協力の申し出があり、ここに念願でありました慰霊の碑が完成いたしました。
1992(平成4)年6月10日
いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

 湯の花トンネル列車銃撃空襲……
 列車は湯の花トンネル手前で、進行方向左側の太平洋側から飛来した米軍P-51戦闘機に捕捉され、機関車と1両目は特に激しく攻撃されトンネルに2両目の半分程が入ったところで停止。
 そのためトンネルから出ていた車両が反復して機銃掃射に晒されて犠牲者が増加してしまった……

 煉瓦造の上り線が、空襲時から残っているトンネル。
 (上り線は踏切の位置関係上、走行写真は撮影不可)
 現在の下り線(前述の列車写真は下り線です)は新線。

 湯の花トンネルの脇、甲州街道に面した蛇滝口バス停にある建物。

旧蛇滝茶屋(蛇瀧信仰講中の宿泊休憩所)

 この建物は空襲当時には既にここにあり、遺体安置所になったとも、遺族の集会所になったとも、雨戸を外して犠牲者救助に活用されたとも伝承されている建物。
 高尾から先の複線は1962(昭和37)年以降。
 煉瓦造トンネルの節々に欠けがあるのが空襲時の銃撃痕かもしれない。

 当時、この地で起きた悲劇に想いを寄せつつ、慰霊碑に手を合わせる。
 合掌


近代史跡・戦跡紀行〜慰霊巡拝、2019/9/14更新
いのはなトンネルの悲劇(高尾)
https://senseki-kikou.net/?p=1393

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2020年07月12日

「人間とは何か」を撮る

第28回 多摩探検隊 「61年目の祈り〜青梅に墜落したB29〜」 (2006年8月放送)

 15日は、61回目の終戦記念日。
「多摩探検隊」では毎年8月に、戦争を生きぬいてきた人々の証言という「形なき戦跡」を、微力ながら映像に記録していこうと番組制作に取り組んでいる。
 今回取り上げるのは、昭和20年に青梅市柚木町の山中に墜落したB29をめぐる秘話である。
 武蔵野市にあった中島飛行機を爆撃したB29は日本軍の高射砲攻撃によって被弾。
 11人の搭乗員のうち6人は落下傘で脱出したが、5人は炎上する機体とともに青梅山中に墜落した。
 エンジンは今も青梅市に保存されている。
 今回の番組は、目撃した人々の証言、そして武士道を説いた作家・吉川英治の逸話を掘り起こしながら、墜落現場に慰霊碑を建てた地元の人と生き残りの米兵との交流などをドキュメンタリーとして描いたものである。

<協力>青梅市郷土資料館 吉川英治記念館 保科 国利 多摩ケーブルネットワーク 武蔵野市教育委員会
<語り>中島 聡
<制作補助>森田 智子
<監修>松野 良一
<番組プロデューサー>井上 圭介
<ディレクター>狩野 智彦
<制作・著作>中央大学FLP松野良一ゼミ

https://www.youtube.com/watch?v=EdO9hBLK6Uc

第40回 多摩探検隊 「湯の花トンネル列車銃撃空襲」 (2007年8月放送)

 15日に終戦記念日を迎えるにあたって、8月の『多摩探検隊』は戦争をテーマに、当時を生き抜いた人々の声・証言という「形なき戦跡」にスポットを当て、それらをたどりながら映像に記録していこうと企画しました。
 今回取り上げたのは、昭和20年8月5日に八王子市裏高尾町の湯の花トンネル付近で起きた列車銃撃空襲です。
 新宿発長野行きの中央線下り419列車がトンネルに差しかかったとき、米軍戦闘機P51の銃撃に遭いました。
 さまざまな目的で偶然乗り合わせた空襲の犠牲者は、死傷者約188名(うち60名以上が死亡)で、国内最大の列車銃撃と言われています。
 戦後、空襲の現場付近には犠牲者の名を一人ひとり刻んだ慰霊碑が建てられました。
 生存者や遺族、地元の人々が集い、犠牲者を供養するため、毎年この慰霊碑を囲み慰霊祭を開いています。 
 戦争の記憶を後世に残そうと慰霊を続ける人々の姿を通して、命の尊さについて考えたドキュメンタリーです。

<協力>池上本門寺 東京都立南多摩高校 八王子市郷土資料館
<映像提供>奥住 喜重
<資料提供>狩野 光男 森 桂 瀬沼 秀雄
<制作補>藤井 智子 森田 智子 板倉 拓也 中島 聡 三枝 健介 冨田 佑
<監修>松野 良一
<番組プロデューサー>鈴木 千佳
<ディレクター>舘小路 美保
<制作・著作>中央大学FLP松野良一ゼミ

https://www.youtube.com/watch?v=XdNV3f4iILc

第124回 多摩探検隊 「八王子空襲〜5人の証言〜」(2014年8月放送)

 1945年8月2日、八王子市に東京大空襲とほぼ同量の焼夷弾が投下されました。
 空襲当日、八王子で一体なにが起きたのでしょうか。
 戦後70年を迎えようとしている今、空襲の記憶は風化しつつあります。
 今回の多摩探検隊は、「八王子空襲」の被害を受けた5人の証言を基に、八王子空襲の事実を掘り起こします。

<協力>串田 玲子 小池 國雄 萩原 方子 廣瀬 智子 村野 圭市 齋藤 勉
    八王子市役所 八王子市立みなみ野中学校
<資料提供>アメリカ国立公文書館 八王子郷土資料館 原書房 郷土出版社
<語り>押本 拓己
<制作補>石田 洋也 鼎 由起子 澤田 紫門 三橋 真紀子 富澤真子
<企画>添川 隆太
<監修>松野 良一
<制作プロデューサー>福田 紗友里
<番組プロデューサー>野崎 智也
<ディレクター>大谷 観 小林 弘征
<制作・著作>中央大学FLP松野良一ゼミ

https://www.youtube.com/watch?v=cygdpj2w1yw

番組制作は能力開発プログラム

 大学で、映像制作や番組制作を教えて、何か意味があるのだろうか。
 このテーマは、マスコミ学会をはじめさまざまな研究会やシンポジウムで議論されるほど混沌としている。
 さらに、大学で番組制作を学んでも、就職に直接は結びつかない。
 日本では、欧米のようにジャーナリズムスクールで人材を養成するというよりも、マスコミに入ってからOJTで育成される。
 だから、下手に大学でメディアを学んで来て欲しくないのだ。

 しかし、それでも私は、番組制作を7年間にわたり教え続けて来た。
 その理由は、番組制作実習のプロセスには、普通の大学教育では学ぶことができない素晴らしい能力開発プログラムが内包されていると確信しているからである。

「多摩探検隊」という番組とは

 私の場合、学部のゼミでは卒論作成を指導し、全学部から選抜されるFLPゼミで、番組制作実習を教えている。
 ゼミ生が制作しているのは「多摩探検隊」という10分間の地域密着型番組(月1本)で、2004年5月から多摩地区の5つのケーブルテレビ局で放送されている。
 学生たちは放送法や著作権などの法令を理解し、企画、撮影、構成、編集、納品までのすべてを毎月責任持って行っている。

 この番組のポリシーは「Act Local, Think Global」である。
 多摩地区の話題を取り上げるが、その話題が全国的な広がり、全世界的な意味を持っているのではないかと考え続ける姿勢である。
「特異性」とともに、「普遍性」を探す姿勢でもある。

 これまで収集したデータに心理学的分析を加えることによって、番組制作活動が学生たちの複数の能力を向上させることがわかった。

(1)「メディアリテラシーの向上」
(2)「感性の向上」
(3)「集団作業を円滑に進める能力」
(4)「コミュニケーション能力」
(5)「積極性、精神力に関する能力」
である。
 しかし、統計学的解析や数量化では表現できない、もっと人間的な部分で、学生たちが成長することに気づいた。
 言い換えれば、「人間とは何か」や「生きる意味」に関係する部分だ。

取材現場で、様々な人生を知る

 例えば、こういうことがあった。
 ある男子学生が八王子の老舗の手作りコンニャク屋に取材に行った。
 しかし、「忙しい」の一点張りで取材には応じてくれない。
 そこで、その学生は授業の合間を見て、3ヶ月間もそのコンニャク屋に通い詰めた。
 庭先や店内の掃除を延々とやり続けた。
 そして3ヶ月目に、その主人から「あんたも好きだねー」と苦いコーヒーを勧められて会話が始まった。
 その主人は、大学を出て商社マンになりたかったものの、やむなく家業を継ぐことになったこと、どうせなら自分独自の手作りコンニャクを作りたいと意気込んで生きて来たことなどを語った。

 ある女子学生は多摩にある日本酒の酒蔵を取材した。
 社長は女性だった。
 しかし、番組が放送された後に、その酒蔵が130年の歴史を閉じることになった。
 後日談を追うために彼女は取材に行き、その酒蔵の最後の日を見守ることになった。
 売りに出された酒樽がトラックで運ばれていった。
 ガランとした酒蔵の中で、その女性社長は泣いていた。
 そして、女性社長を追って酒蔵に入った女子学生は、何も無くなった酒蔵を目の当たりにして、現実の厳しさを知って号泣した。
 女性だからこそ、その女性社長の無念さをより理解できたのもかもしれない。
 その後、女性社長から自分の半生を綴った手紙が届いた。
 その手紙は、女子学生にとって、生涯のお守りになったという。

 また「多摩探検隊」は毎年8月に多摩の戦跡を特集し、多摩に残った戦争の傷跡を丹念に追っている。

・ 2005年には八王子市に疎開していた児童が機銃掃射で死亡したランドセル地蔵物語、
・ 2006年には八王子の湯の花トンネルで起きた列車銃撃空襲
・ 2007年には青梅市に墜落したB29爆撃機搭乗員と吉川英治にまつわる逸話、
・ 2008年には立川空襲と山中坂防空壕の悲劇、
・ 2009年には米国公文書館で発見された八王子空襲の映像をモチーフに、撮影したカメラマンと映像の中に描かれた人々の交流をドキュメンタリーにすることに成功した。
 これまで放送された5回分の番組はDVD化され、東京都内の図書館や学校など約300箇所に配布されている。

多くの人と出会い、「生きる意味」を考える

 放送される番組は、学生が体験したものの一部である。
 ある意味、氷山の一角である。
 氷山の下には、彼らが長い時間をかけて交わした取材相手との会話、交流、そして学び取ったことが一杯詰まっている。
 大学の外に出て行う番組制作が、メディアリテラシーだけでなく、学生たちのさまざまな能力を開発することは間違いない。

 何よりも一番大きな成果は、学生たちが現場に出て多くの人と語り、そこで「人間とは何か」、「生きる意味とは何か」について、考えるきっかけになっていることではないかと思う。

読売新聞・中央大学、オピニオン、2009年12月28日
「人間とは何か」を撮る
−大学でなぜ番組制作を教えるのか?
松野 良一/中央大学総合政策学部教授
(専門分野 メディア論、ジャーナリズム論)
https://yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20091228.html
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石井妙子が見た都知事選

 東京都知事選で歴代2番目の得票数で再選された小池百合子氏(67)。
 その数奇な半生を描いた『女帝 小池百合子』が、ノンフィクション作品として異例の20万部を超す売れ行きとなっている。
 3年半をかけて取材した著者の石井妙子さんが浮き彫りにするのは、聞き心地の良い甘美な物語を上書きしてきたポピュリスト政治家の実像だ。
「小池氏は私たちが生み出した平成の写し鏡。蜃気楼(しんきろう)に喝采を送るような危うさをはらんでいることをもっと知るべきだ」と警鐘を鳴らす。

「芦屋令嬢」「カイロ大首席卒業」と称した看板を武器にキャスター、政治家へ。
 政界再編の中で政党を渡り歩き、環境相、防衛相を歴任、いま首都のかじ取りを担う。

「学歴の詐称疑惑が注目されたが、書きたかったのは平成という時代そのもの。平気でうそをつくという自身の問題もさることながら、なぜこうした人物が生まれ、なぜ選ばれ続けるのか。政治のあり方、メディアの責任、ひいては民主主義を問い直したかった」

 100人を超す関係者の証言を集めた。
 徹底した現場取材、丹念な資料の読み込み。
 何より土地に刻まれた情念やエピソードの背景を読む感受性が、作品に深みと凄(すご)みを与えている。

〈その場に立った時、「芦屋令嬢」という言葉が、初めて胸に切なく迫った〉

 甲南女子中・高を経て関西学院大中退。
 経歴をたどり、神戸・阪神間の雰囲気を作品に落とし込んだ。
 線路脇の生家跡はコインパーキングになっていた。
 そこで感じたのは「階層の格差」だ。
 富めるものは富み、貧しいものは貧しい。

「上へ上へという脇目もふらぬ上昇志向は芦屋で育ったことが影響している」

◇ 権力を手に

 平成とともにテレビから政界へ。
 日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党。
 機を見るに敏、風向きを読むのに長(た)けていた。

〈男の為政者に引き立てられて位を極め、さらには男社会を敵に見立てて、階段を上っていった。女性初の総理候補者として、何度も名を取り上げられている。ここまで権力を求め、権力を手にした女は、過去にいない〉

 女性の政治進出は日本は遅れている。
 女性史に力を注ぐ石井さんは小池氏の「快進撃」に際して気持ちは重く塞(ふさ)ぐばかりという。
 実現したい政策や政治哲学は見えず、目立ちたいという目的意識が前に出る。

 かつて小池氏と衆院旧兵庫2区で戦った土井たか子氏(元衆院議長、故人)を挙げて「毅然(きぜん)として人間に核があった。そんな女性政治家がいなくなった」。
 女性議員は増える傾向だが、「男性がスカウトしてきたような人ばかりで男性社会に過剰適応しようとする。首相に好かれようと妍(けん)
を競う。女性だからと選ぶとだまされてしまう」と嘆いた。

◇ 期待裏切る

 紅一点を好み、権力者に近づき、引き上げられたいと願う。
 その一方で自身と競合する女性を敵視し、社会的弱者への関心は薄い。

 2005年、環境相在任中、尼崎市のクボタ石綿禍が発覚。
 国は救済法制定に動く。
 補償に踏み込むのか。
 患者らは古い男性政治家や官僚出身者ではなく「女性でクリーンで善良そうな」小池大臣に好感を抱く。

 尼崎で患者と面会した際、「崖から飛び降りますよ」と期待させる物言いをする。
 可決された法案の内容は補償にほど遠く、官僚が主導した「見舞金の延長」にとどまった。

 2016年、「崖から−」「ジャンヌダルクになる」と叫んで都知事に就任。
 築地から豊洲への市場移転の際も対応は石綿禍と同様だった。
「築地は守る、豊洲を活(い)かす」と築地に市場機能を残すことを期待させる発言をしたが、反故(ほご)に。
 また2017年の衆院選で新党「希望の党」を率いた時、当時の民進党との合流方針を巡り、政策や理念の合わない候補者を選別する「排除の論理」をふりかざした。
 その発言を機に失速し敗北した。

◇ ビニールシート

 石井さんが小池氏を注視し始めたのは前回の都知事選だった。
 自民党都連とのバトルで注目を集め、フィーバーが巻き起こった。
 駅前はシンボルカラーの緑を身につけた人で埋まった。

「人々は彼女を見て空をゆく飛翔(ひしょう)体に例え、すごいエンジンを持つロケットみたいだとほめそやす。私は疑問を持った。この人はただのビニールシート。風に舞って高く上がるが、落ちてきたらエンジンも翼もない。でもビニールだから強い。どんな風にも乗れてしまう」

 スポットライトを浴びるほどに表情が輝く。
 折しも新型コロナウイルスの感染拡大で露出が増えている。

「小池百合子というのは実は存在せず、彼女が作り上げた理想のキャラクターなのだろう。そんな蜃気楼のようなものに大衆は快哉(かいさい)を叫ぶ。メディアであおる手法は維新の吉村洋文大阪府知事や橋下徹・元府知事に通ずる。軽視していると危うい。扇動された後の殺伐とした光景を想像しなければならない」


[写真]
「私たちの写し鏡だと思って批判的に見ていかないといけない」と話す石井妙子さん=神戸新聞社

神戸新聞、2020/7/9 12:30
石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020年5月)
蜃気楼に喝采送る危うさ
100人超の証言集め数奇な半生描く

(加藤正文)

※ 石井妙子(いしい・たえこ、ノンフィクション作家、1969年神奈川県茅ケ崎市生まれ)
白百合女子大大学院修士課程修了。
・ 伝説の銀座マダムの生涯を書いた「おそめ」(新潮文庫、2009年3月)、
・ 謎に包まれた映画女優の実像に迫った「原節子の真実」(新潮ドキュメント賞受賞、新潮文庫、2019年7月)
など。

 都知事選が終わり、予想どおり小池百合子氏が再選を果たした。
 メディアは「圧勝」と報じた。
 だが、「圧勝」というには、あまりにも熱の感じられない選挙ではなかったか。

 4年前の都知事選はお祭りのような騒ぎだった。
 告示日前から連日、テレビは小池氏や他候補者を追いかけて実況中継し、ワイドショーを賑わせていた。

 それなのに今回はいったい、どうしてしまったのか。
 コロナ禍という問題があったにしろ、テレビは候補者による討論会さえ一度も開かず、街頭演説も報道しなかった。

 小池氏はイメージ戦略に長けた政治家であり、つねにメディアをコントロールして選挙を戦い、現在の地位を確立してきた。
 そんな小池氏が今回取った作戦は、「雲隠れ戦術」とでもいうべきものだった。
 4年間の都政を振り返ってみれば、公約はほとんど達成されておらず、討論会に出席すれば他候補から、厳しく追及されたことだろう。
 また、拙著『女帝 小池百合子』で書いた学歴詐称疑惑といった問題も必ず取沙汰されたであろう。
 街頭演説に出なかった理由もヤジを飛ばされるのが怖かったからではないか。

当確後に小池都政を批判しはじめたテレビ

 テレビ局は小池氏が出席しないと言うのであれば、彼女以外の候補者だけを集めて、討論会をすべきであった。
 それが報道機関のあるべき姿であろう。
 だが、その義務を怠り、討論会そのものを開かなかった。

 7月5日の投票日になって選挙特集を組み、当確が打たれた後で、記者たちが小池都政に対する批判や印象を述べているのを見たが、こうしたことは投票日前にしなければ意味がないのではないか。

 よく、「選挙期間中なので候補者を公平に扱わなくてはならない」という意見をメディアの人間が口にすることがある。
 しかし、選挙期間中に候補者の問題点を報じてはならない、という法令などない。
 メディアが自主規制しているだけだ。
 国民の知る権利に応えるためにも、報道機関はむしろ積極的に候補者の情報をプラスであれ、マイナスであれ、責任を持って出すべきであり、それをしてこそ報道機関といえるのではないか。

 小池氏が討論会や街頭演説を拒んだ結果、他候補はテレビで紹介される機会を奪われた。
 その一方、小池氏はコロナ報道で連日、会見を行い、テレビに姿が映された。
 これこそ、公平とは言えない。

「選挙はテレビよ」と豪語していた小池氏

 私は5月29日に拙著『女帝 小池百合子』を出版したが、発売からほぼ2ヶ月で実売部数20万部を超えている。
 この本が多くの読者に迎えられた理由のひとつには、知るべき情報が得られないという都民、国民の不満や不安が挙げられるのではないかと思う。

 拙著はネット上では大きな評判となり、また雑誌、ラジオでもさまざまに取り上げられた。
 選挙後は一部の新聞社でも取り上げられている。
 だが、テレビだけは頑なに、今も一切、報じようとしない。

 なぜ、テレビは取り上げようとしないのか。
 巷間、言われているようにテレビ局は東京都の認可を必要とする機会が多く都庁には逆らいづらい、オリンピックも控えており、都知事に気を遣っているからなのか。
 仮にそうだとするならば、由々しきことである。
 ネットが台頭しているとはいえ、テレビの影響力は依然として圧倒的に強い。
 人びとはテレビで報じられないことは、この世で起こっていないと感じてしまう。
 それを小池氏はよくわかっているのだろう。

 日本新党時代から小池氏は同僚議員に、「選挙はテレビよ」と豪語していたという。
 テレビを味方につければ勝てるという意味である。

告発者の身の安全をどう守るか

 拙著の中で重要な証言をしている早川玲子さん(仮名)という女性がいる。
 小池とカイロで同居していた女性である。
 一部に「匿名であるのはおかしい」という声があるらしい。
 だが、私は逆にこう問いたい。

 真実を勇気をもって命がけで証言しようとする市井の人に対して、そこまでの負担を強いるのか、と。
 あるいは、匿名という条件でなら話をしたい、顔や本名は伏せたい、という証言者に対して、それなら必要ない、と断ってしまうのか、と。

 告発者の身の安全、将来を真剣に考えなくてはいけない。
 日本ではこれまでも勇気をもって真実を告発した人たちが権力者からの逆襲に会い、マスコミからは一瞬だけいいように使われて、大変な思いをする、という例がいくらでもある。
 私は早川さんをそのような目には絶対に遭わせたくないし、どこまでも守りたい。
 早川さんの書いた手紙、早川さんの所有する小池氏との写真まで本書では公開しているのだ。
 後は読者ひとりひとりに判断して頂ければと思う。

 本文(「文藝春秋」8月号)では、私が早川さんと出会うことになった事情を中心に拙著が世に出されるまでの流れを書き、合わせてメディアによって生み出された「小池百合子」という人物を書く中で抱いた所感を述べている。
 ご一読いただければ、有難い。


文春オンライン、2020年7月11日
小池百合子「冷めた圧勝劇」の不可解さ
報道機関としての責任を放棄した“テレビの大罪”
『女帝』著者・石井妙子が見た都知事選

(石井妙子)
https://bunshun.jp/articles/-/38944

 東京都文京区は2020年7月11日、区立保育園で新たに保育士1人と園児18人の感染が明らかになったと発表した。
 すでに保育士と園児計3人の新型コロナウイルス感染が判明しており、この園の感染者の合計は園児20人、保育士2人の22人となった。

 区では引き続き、家族ら濃厚接触者の調査を進め、対象者への大規模な検査を実施する。
 同園は10日に3人の感染が判明した際、20日まで休園することにしていたが、感染拡大を受けて22日までに延長する。


朝日新聞、2020年7月11日 19時46分
東京・文京区の保育園で感染拡大
園児ら計22人が陽性

https://www.asahi.com/articles/ASN7C6H66N7CUTIL01K.html

・・・これでも「夜の街」と言い続けるのだろうか?・・・

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2020年07月11日

宇野重規「危機の中だからこそ 民主主義の強化を」

新型コロナウイルスの感染拡大という危機の中で、政治に強いリーダーシップを求める声は国内外で上がりました。
そんな中、民主主義はどうあるべきなのか。
国内外の政治や民主主義の歴史を研究している政治学者の宇野重規さんに伺いました。
(5月25日)

充実していなかった政治の危機管理システム
―― 新型コロナウイルスの感染拡大の中で、日本の政治や民主主義の現状をどのように分析されますか?

宇野: 日本においては政治の危機管理システムが十分ではなかったということです。
 阪神・淡路大震災以来、多くの自治体に危機管理監が設けられましたし、官邸においても危機管理システムが作られました。
 これにより突発的な災害には対応できていると思いますが、今回のように危機が長期化し、通常の法律のルールを超え、休業補償みたいな社会経済的な話も含めて、ある程度長期的なものを考えるためのスタッフや組織があるかというと、今はすごく短期的なものしかできていない。
 中長期的に物事を判断していくときに、リーダーの意思決定をサポートし、場合によってはリーダーに諌言(かんげん)してでも行動できるようなポストなり仕組みなりを本当は作っておくべきだった、もっと充実させておくべきだっと思います。

政治と科学者に適切な距離を
―― 具体的にはどういうことですか?

宇野: こういう危機のとき、いつもやっている政治のコアメンバー、首相と側近だけで決めるというのは非常にぜい弱です。
 必要とされるのは科学的な専門家の視点です。
 今回、専門家の力をうまく取り込むということに関して、遅かったし非常に躊躇(ちゅうちょ)があったと思います。
 例えば、韓国やヨーロッパなどと比較してみても、科学技術の専門家をある程度集めておいて組織化し、政治的なアドバイスをできるようにする仕組みは充実させてしかるべきでした。
 ただし、反面、専門家の発言の中には科学者が政治決定するようなことまで及んでいたものもありました。
 本当は科学者が政治化するというのは望ましいことではありません。
 政治家と科学者の関係はすごく難しいですが、科学者は専門的な知見の範囲でアドバイスをする、政治家はいろんな状況を判断しながら最終的に決定するのが役割だと思います。
 こうした適切な距離を取った関係作りが今回準備不足でした。
 出遅れたことにより、今のところ科学者たちが前面に出ざるをえない結果となり、私は逆に気の毒だと思います。
 結果的には、科学者に政治的な発言を求めることになり、良きにつけ悪しきにつけ影響や反響をぶつけられる立場に置いてしまったというところがあります。
 政治家と科学者の役割分担に関して、なお工夫の余地があると思います。

政治は危機で肥大化
―― 宇野さんは政治の危機管理システムが充実していなかったことを指摘する一方で、今後、政治がどう変わっていくかについても注意が必要だと指摘します。

宇野: 過去の歴史を振り返れば、危機時に政治システムは肥大化するんです。
 かつてペストがはやったことによって権力は公衆衛生まで担当するようになりました。
 20世紀のスペイン風邪と、国民の生活や経済活動のあり方に積極的に介入しようとするいわゆる行政国家ができた時期が同じだったというのは決して偶然ではありません。
 行政国家の発展の歴史とも言えますが、こういう疫病とかに基づく危機時というのは権力が扱う対象が拡大し、財政が拡大する傾向にあります。
 場合によっては、その後、平時に戻ったにもかかわらず、権力が元に戻らないで肥大化するきっかけにもなると思います。
 逆に国民の側でも、危機のときは政府に依存的な態度が強まる時期でもあり、ややもすると大きな政府へ傾斜する。
 そして、このwithコロナ、afterコロナの難しい点は、当分完全にノーマルへ戻らないかもしれないということです。
 第2波、第3波がやって来る可能性がどうしても否定できないとなると、平時になったら戻りましょうとなかなか言えない。
 例外的な緊急事態と平時との境界線があいまいになり、なし崩しになっていく危険性があると思います。

強力なリーダーを求めるメンタリティー
―― 実際に緊急事態宣言が必要だとする声が国民の方からも上がりましたが、なぜこうなったのだと思いますか?

宇野: 日本においては歴史的な素地として、政治改革に対する失望や選挙や政党を通じての改革に対して不信があります。
 だからこそ、強力なリーダー探しみたいなものが、国民の中にメンタリティーとしてあると思います。
 1993年の細川内閣以来、政治改革というのはありましたが、結局政権交代したからといって、より効率的な政府が得られるわけではないということを国民が身にしみて学習してしまった。
 フラストレーションみたいなものがあって、だからこそ、ある種有能なリーダーに一切を授権して対応してもらった方が楽だし、きっと効率的ではないだろうかという感覚が、この20年ぐらいをかけて国民の間に醸成されてきたと感じています。

深刻な問題は民主主義への失望
―― より深刻だなと思うのは「民主主義ってやっぱりだめなんだ」という意見が聞こえてくることです。

宇野: 民主主義というのは、基本的にノーマルな動きをしているときに機能するように設計されていて、政治権力による人権の侵害を食い止め、あとで取り返しのつかないような決定に対する歯止めになっています。
 しかし、どうしても時間がかかり、なかなか明確なひとつの意思決定にたどりつかないものです。
 緊急事態だけではなくて、やっぱり現代のように物事をスピード感を持って早く決定しなければならない時代において、民主主義というプロセス自体がもう時代遅れだとされることへの危惧です。
 中国の習近平体制は独裁だと批判されていましたが、今回かなり強権的な対応とはいえ、ある意味迅速に危機を克服したと言われていますし、韓国についても、かなり個人のプライバシーにまで対して踏み込んで行動を追跡して隔離を徹底していて、権利を制限する強権的なことをやっているわけです。
 そうしてみると、やや独裁的な手法の方がよかったのではないかと議論になりますが、私は長期的に自分たちの政府を自分たちで支えるという精神を弱めることにつながるので、独裁的手法というのは決してオールマイティーではないと思っています。

事後の厳しいチェックが必要
―― そこで、宇野さんは政治へ一時的に強力な権限を与えるとしても、事後の厳しいチェック体制を設けることが必要だと訴えます。

宇野: 後から考えてみると非常によくない判断をしていた、それは手続き面もそうだし、結果として国民を幸福にしたのか不幸にしたのかという点からも含めて、事後的に厳しくチェックしなければならない。
 したがって、どういうプロセスで誰がどういうふうに決めたのかということは、きちんと記録して残さなければならない。

 つまり緊急時にも民主主義的に対応することです。
 国会の議論では緊急事態宣言の際、事前に野党の合意を取り付けることが非常に強調されましたが、むしろ事後に、この段階でなぜこういう決定を下したのか、誰が責任を取るのかということをきちんと検証することが同じくらい重要だと私は思っています。

事後の検証が弱い日本の政治
―― 今の日本でそういう事後検証は可能なのでしょうか。

宇野: 残念ながら、今の日本の政治が最も弱い部分がそこであろうかと思います。
 私は政治を担う人間が、時として民意とぶつかりながらも物事を決めなければならない瞬間というのはあると思います。
 政治家というのは、いろんなことを考えなければならないわけですから、世論に反する決定を下す場合もあるかと思いますが、やはり政治家の政治家たる誇りは、自分の判断が歴史の検証に耐えうるかどうかということへの自覚です。
 そういう意味で、きちんと記録を残す、資料を残す、データを残す必要があるのです。
 そうした精神を持った政治家は、亡くなった中曽根康弘元総理大臣など、日本でもいたと思うんですが、今の政治家を見ると、現政権に限らずそうした自覚は弱い。
 記録を捨ててしまうし、都合の悪いものは消してしまう。
 西洋の政治家を理想化するわけではないですが、チャーチルにしてもドゴールにしても、歴史家の検証に耐えるため、資料を残しておいたうえで、自己正当化も含めて、俺はちゃんと考えたんだということを一生懸命残そうとした。
 また、政治家が死ぬと、研究者などが、その人のいろんな資料を出してきて検証し、論文やら長い伝記を書くという伝統もあります。
 日本の場合は、そこまでしつこくないというか、次にもうちょっと良い政治家が出てきて世の中を良くしてくれればいいじゃないかということにすぐ目が行って、過去の政治家がやったことをしつこく検証するというのが、国民やメディア、あるいは学者の側も含めて必ずしも強くない。
 そういう意味でいうと、野党についても単に批判するだけではなくて、ちゃんと言質を取り、どこで誰が決定したのか記録をとり、後でちゃんとチェックする仕組みをもつ発想もあっていいはずです。

危機の中だからこそ民主主義の強化を
―― ポスト・コロナの時代に向けて、何が求められると思いますか?

宇野: 新型コロナウイルスの感染拡大は、短期的に見ると民主主義にとって危機に見えますが、むしろ緊急時だからこそ、これを機に民主主義というものを強化していく、バージョンを上げてクオリティを上げていくことができると思います。
 今まで、やや選挙制度ばかりに集中しすぎて、みんな食傷しているかもしれませんが、誰がどこで意思決定したか、ちゃんと説明してもらう。
 それがうまくいったか、うまくいかなかったかを事後的にきちんと検証し、責任を取ってもらう。
 そのプロセスにおいては人びとの多様な声をきいてもらう。
 こうした作業を通じて、みんなの政治とか統治とかに対する意識や要求は高まると思うんですね。
 だから、危機の時においてこそ民主主義の強化をすべきだと考えています。

[写真-1]
衆院予算委の参考人質疑で意見を述べる政府諮問委の尾身茂会長 2020年5月

[写真-2]
武漢を視察する中国の習近平国家主席 2020年3月

NHK、2020年5月25日
私はこう考える
『危機の中だからこそ 民主主義の強化を』
東京大学 宇野重規さん

(社会部記者 中村雄一郎)

※ 宇野 重規(うの・しげき)プロフィール
1967年生まれ。東京大学社会科学研究所教授を務める。専門は政治思想史、政治哲学。主な著書に、
・『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書、2010年4月)、
・『政治哲学的考察――リベラルとソーシャルの間』(岩波書店、2016年5月)、
・『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』(中公新書、2016年6月)
など。

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原武史

 1908(明治41)年に発表された夏目漱石の小説『三四郎』は、小川三四郎が大学に入学するため、九州から鉄道で上京する場面から始まる。
 山陽線や東海道線を乗り継ぎ、名古屋で一泊した翌日の列車の中で、三四郎は「髭(ひげ)の男」に出会う。
 第一高等学校の広田先生である。

「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」と言ってにやにや笑う広田を、三四郎は「どうも日本人じゃない様な気がする」と感じ、「然(しか)しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。

 すると広田はすました顔で、「亡(ほろ)びるね」と言った。
 三四郎は、車内で公然と日本の滅亡を予言する人間に出会い、慄然(りつぜん)とさせられたのだ。

 もちろんこれはフィクションだが、実際に列車に乗り合わせた客たちの会話を耳にして似たような衝撃を受けたのが、1932(昭和7)年5月に起こった五・一五事件に関与することになる思想家の橘孝三郎である。

 事件が起こる前、橘は車内で「純朴その物な村の年寄りの一団」と乗り合わせた。
 具体的な線名は記されていないが、橘は水戸郊外で私塾を営んでいたから、常磐線だった可能性が高い。
 彼らは以下のような話をしていたという(『日本愛国革新本義』建設社、1932年1月)。

―― どうせなついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに。
―― ほんとにさうだ。さうすりあ一景気来るかも知らんからな、所でどうだいこんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ。
―― いやそりやどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆても強いからのう。
―― そりや世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。(中略)
―― うむ、そりやさうだ。だが、どうせまけたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論(もちろん)こつちのものだ、思ふ存分金をひつたくる、まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい、かへつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ。

 昭和初期の車内でこうした会話が公然と交わされたこと自体、驚愕(きょうがく)させられる。
 会話を聞いた橘は、「皇国日本の為(た)め心中、泣きに泣かざるを得なかつた」と記している。
 五・一五事件に関わってゆく心境の一端がうかがえるとはいえないだろうか。

 注目すべきは、日米戦争の可能性を語り、敗戦後の日本まで予言していたのが、広田や橘のような知識人ではなかったことだ。
 実際の歴史は、「純朴その物な村の年寄りの一団」の見方が、必ずしも間違ってはいなかったことを証明している。


[写真]
五・一五事件の民間人被告を裁く刑事裁判で、変電所を襲った被告たちの所属する愛郷塾(塾長・橘孝三郎)を判事や検事らが実地検証した=1933年

朝日新聞、2020年6月20日 3時30分
(歴史のダイヤグラム)
「敗戦後」を予言した庶民
(原武史、1962年生まれ、政治学者)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20200618001264.html

原武史『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(増補新版、新潮選書、2019年5月)

「鉄道」「天皇」「団地」などをキーワードに、次々と話題作を発表してきた著者であるが、その出発点はあくまで政治思想史研究である。
 その意味でいえば、本書はまさしく著者の多岐にわたる関心の集大成とでもよぶべき作品である。
 東京西部、特急レッドアローの走る西武沿線の団地に、なぜ共産党が主導する革新的な政治風土が生まれたのか。
 著者のしかけた壮大な知的パズルを読み解くうちに、読者は戦後政治思想史に対するまったく新しい切り口を手にすることになるだろう。

 戦後思想の転換点といえば、誰もが思いつくのが1968年である。
 新左翼学生によるこの大変動を境に政治の季節は去り、日本社会は保守化と消費社会への道を歩むようになったといわれる。
 しかし、このような定番の説明に著者は異を唱える。
 実際、新左翼による攻撃にもかかわらず、共産党は1972年の総選挙で結党以来最高の議席を獲得する。
 その中心は都市部の選挙区であったが、とくに新中間階級が多く移り住んだ多摩地域での伸張は著しかった。
 なかでも西武沿線の団地自治会は、共産党の大きな拠点となる。なぜか。

 著者は思いがけない発見から、本書の叙述をはじめる。
 かつて自らも住んだ西武沿線の団地を歩くうちに、その風景がやはり同じ沿線の全く別の場所と似ていることに気づいたのである。
 それはハンセン病患者の病院であった。
 戦後、空襲による被害を免れた農村が広がるこの沿線には、病院と団地が次々に建てられた。
 周囲の農村とは切り離された、同質的なコンクリートの建物(スターハウスと呼ばれる建物が象徴する)が並ぶ二つの場所にはどこか共通性があった。

 そこから著者の想像力はさらに飛躍する。
 すなわち、この西武沿線の団地は、ソ連時代に作られた集合団地とそっくりだというのである。

 戦争による荒廃を受けたソ連では、社会主義的な平等の理念に支えられて、多くの人びとに住宅を供給するために団地が建設された。
 やはり戦争によって大きな被害を受けた東京でも、増大する都市人口を引き受けるために大型郊外団地が作られたが、その中心は西武沿線であった。
 両者が似たのはけっして偶然でない。
 しかし、これが意外な政治的帰結を生み出す。
 財産や知識、さらには世代という点で非常に同質性の高い住民は、通勤や子育てなどで共通の問題を抱えていた。
 これらを解決するために、住民はやがて自治会や運動を組織する能力を獲得していく。
 主役は女性たちであったが、その矛先は、沿線を支配する西武へと向けられた。

 ちなみに西武の総帥は、グループ内で「天皇」と呼ばれ、強烈な親米反ソの政治家としても知られる堤康次郎であった。
 そのような堤に率いられる西武が作った団地を舞台に、共産党が勢力を伸ばし、ついには堤がディズニーランドを目指して開発したレジャーランドのすぐ隣りで「アカハタ祭り」が大規模に開催されるに至ったというのは、歴史の皮肉である。

 しかし、ここに著者は大きな問題提起を行う。
 私たちの抱く政治思想は、実は思っている以上に、暮らしている住まいの形態によって規定されているのではないか。
 少なくとも東京の西部郊外に即していえば、住民意識というのは、行政区域よりもむしろ鉄道沿線ごとに形成されているのではないか。
 実際、著者が指摘するように、今日でもなお、西武沿線と東急沿線、さらに中央沿線では、政治意識に違いがあるように思われる。
 その意味で、共産党の支持基盤となった西武沿線(団地中心)の人口が減少・高齢化したのに対し、新自由主義が支持基盤とする東急沿線(一戸建て中心)の人口が増加していることは、この数十年の日本の政治地図の変化を説明するかもしれない。

 それにしても本書を通じて印象的なのは、著者の西武沿線の団地に対す愛憎半ばする態度である。
 前著『滝山コミューン1974』(講談社文庫、2013年11月)と同様、著者はこの地域にかつて存在した独特な雰囲気に対する違和を隠さない。
 とはいえ同時に、著者の叙述からは、この場所を舞台に展開されたかつての住民運動への共感も読みとれる。
 多様な読み方に開かれた本である。


波、2012年10月号
鉄道と団地がうんだ、新しい戦後思想史
(評者:宇野重規 うの・しげき、1967年生まれ、東京大学社会科学研究所教授)
https://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2012/10/201210_15.php

原武史『地形の思想史』(KADOKAWA、2019年12月)

 土地は歴史を記憶する。
 当事者も証言者もすでにいなくとも、そこに足を運ぶことによって、土地そのものが教えてくれることがある――。
 取材のためにさまざまな場所を訪ねた経験から私はそう実感しているが、本書によって、土地は歴史を「記憶する」だけでなく、「生み出す」ものであるという視点を与えてもらった。

 土地が歴史を記憶する、というのは比喩的な言い方だが、土地が歴史を生み出す、というのは比喩ではない。
 そこでなければ起こらなかった出来事、そこでなければ醸成されなかった思想。
 それらを生ぜしめたものとしての「地形」を、現場を歩くことで発見していく過程はたまらなくスリリングだ。

 右のポケットに地形図、左のポケットに年表をしのばせ(注・私の想像です)、探偵よろしく原さんが訪ねる現場は、
岬、
峠、
島、
麓、
湾、
台、
半島
の七つ。
 天皇の家族の物語が秘められた、浜名湖の名もない岬。
 天皇制と革命思想が対峙し、すれ違った奥多摩の峠。
 近代の「穢」と「浄」を背負わされた、瀬戸内海の二つの島。
 多くの宗教が拠点を置き、オウム真理教が世界最終戦争から生き残るための地として選んだ富士山麓。
 歴史の古層を突き破り、記紀神話の世界が顔を出す東京湾岸。
 戦時中に昭和天皇が『古事記』から名づけた陸軍士官学校の所在地・相武台。
 戦前のイデオロギーが冷凍保存されたかのような大隅半島――。

 どれも抜群に面白いが、圧倒されたのが、奥多摩の峠を描いた第二景「『峠』と革命」である。
 ここで原さんは、2013年に皇后(当時)が誕生日に際して発表した文章で「深い感銘を覚えた」として言及した「五日市憲法」を生んだ五日市を訪ねる。
 そして次に、峠を越えて、奥多摩湖に向かう。
 かつてここには小河内村の集落があったが、ダムの建設にともなって湖底に沈んだのだ。

 ここで語られるのが、小河内村にはかつて、日本共産党が反米武装闘争の一環として組織した山村工作隊が、ダム建設を阻止するために派遣されていたという事実である。
 若い党員たちは、村民は極貧の生活を強いられて山林地主を恨んでおり、ほとんどが党の味方と教えられていたが、現実は違った。
 村人たちは工作隊をおそれ、反感を抱き、あるいは敵意を抱いていた。

 メンバーが逮捕されて闘争は挫折し、やがて党は、1955年の第6回全国協議会(六全協)で、「農村から都市を包囲する」山村工作隊を誤りだったとして切り捨てる。

 ダム貯水池の建設に伴って取り壊された寺の、それだけが移築されて現存する楼門を原さんは見に行く。
 そしてその傍らに、山村工作隊の一員で、二度の逮捕後も活動を続け35歳で死去した岩崎貞夫という人物のために「同志」が建てた記念碑があるのを発見するのである。

 句読点の一切ないその碑文を読んで、首の後ろがぞくっとした。
 挫折や裏切りを示す語はひとつもなく、表面だけを読めば美しい追悼の文章なのだが、その美しさの底にある種の「圧」がある。
 それが怖い。
 原さんはこの碑文を「共産党本部に対する怒りが沸々と煮えたぎるような文章」と書いているが、この地に秘められた歴史を知れば、確かにそうとしか読めない。
 注目すべきは短い碑文の中に小河内の風景が書き込まれていることで、そのことにもどきりとさせられた。

 切り捨てられ、いまは誰も顧みることのない歴史が、数行の碑文の中に痕跡を残している。
 現地に行かなければ不可能なこうした発見が、本書にはいくつもある。

 このあたりは、いくつもの峠が立ちはだかる地形で、原さんも、大小の峠を越え、その地形と風景を描写しながら進む。
 急峻な峠はその両側にあるものを分断するが、同時に対峙もさせる。
 皇后がお墨付きを与えた民主主義のお手本「五日市憲法」をもつ五日市と、山村工作隊のアジトがあった小河内は、地図で見るとごく近い位置にあるが、その間には険しい峠が存在するのである。

 この旅の終わり、原さんは、大菩薩峠の山荘の食堂で、あるものを見る。
 そのくだりを読んだとき、ええっ! と声が出そうになった。
 そこに行かなければ決して気づくことのできない歴史の痕跡。
 岩崎貞夫の記念碑が山村工作隊にかかわるものだったのに対し、こちらは皇室にかかわるものである。
 それが何であったか、もちろんここには書かない。
 平成から令和に時代が移ったいまこそ、本書を読んで意外な事実に驚いてほしい。

 地理と歴史が交差し、ここと何処か、いまと過去が結びついては反転する面白さと怖ろしさ。
 歴史に対する決まりきった見方を一新してくれる、画期的な一冊である。


カドブン、2019年12月27日
山奥の顧みられぬ碑文が示した秘史とは!?
7つの地形が魅せる、いまと過去が結びついては反転する面白さと怖ろしさ!
 
(評者:梯 久美子、1961年生まれ、ノンフィクション作家)
https://kadobun.jp/reviews/7mad03vuedk4.html

※ 岩崎貞夫の碑(普門禅寺)

奥多摩湖.jpg

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2020年07月10日

米国の犬と化した日本の経産、外務、防衛、政府たち

新型コロナウイルス感染症の拡大は、歴代政権が進めてきた新自由主義=市場原理主義的政策がもたらした日本社会のひずみと課題を浮き彫りにするものとなっています。
コロナ禍で表面化する新自由主義の問題について東京外国語大学の西谷修名誉教授に聞きました。

 今回の新型コロナウイルス感染拡大をめぐっては、日本の新自由主義的な政策が、予期されたこの危機に全く対応できないということを露(あら)わにしました。

金融市場に没頭

 感染拡大を抑えるためには、経済活動を支えている人と人との繋(つな)がり・接触を遮断しないといけません。
 そうすると、もちろん経済成長は打撃を受けます。
 でも、一番打撃を受けるのは、数値化された経済システムの中に労働力として組み込まれて生活する人たちです。

 感染拡大を防ぐ処置として社会の血流を止める必要があるならば、それでも、しばし人びとが生きていける対策もしなければなりません。
 この時に行政というものの役割が改めて浮かびあがります。
 経済活動を止めた時に、そこに組み込まれている人たちが一緒に締め出されることのないよう救いあげるのが行政の役割です。

 しかし、政府は経済を維持することしか頭にありません。
 まずは株価が落ちないように金融市場に金をつぎ込む。
 緊急経済対策も大部分が企業向けです。
 この社会が、生きた人間によって支えられているということが全く考えられていません。

壊された「雇用」

 医療体制で問題が浮き彫りになっています。
 政府はこの間、「地域医療構想」に沿った医療体制の効率化を推し進めてきました。
 約440の公立・公的病院の再編統合や13万床の病床削減をしようとしています。
 これがまさに新自由主義による社会統治の路線です。

 その結果、病院体制はどうなっているかというと、集中治療室(ICU)は不足し、資材も、医師、看護師の数も足りません。
 現場は大変です。
 常に利潤を最大化する経営発想で最適化されたシステムは、無駄は省けと言われていて、緊急時にはまったく対応できません。
 公的セクターも経営原理という政策がここにきて危機的状況を招いています。

 日本社会はこれまで、無駄を省いた効率的な社会を目指してきました。
 そういう名目で壊されてきたのが「雇用」です。

 近代以降の産業社会では雇用が社会の入り口になっています。
 ここで排除されると、人は社会的な存在意義さえ認められません。

法人優遇改め人間第一に

 日本の場合、かつては歴史的な役割を果たしてきた「雇用の安定性」がありました。
 一方で、その安定性は企業にとっては大変な負担になります。
 そこで、企業の負担を減らすための政策として進められたのが「雇用の自由化」です。
 その結果、非正規労働が増え、経営者は「自由」に解雇して人件費を削れるようになりました。
 人にではなく、法人(企業)にとって都合のよい仕組みです。

連帯意識を解体

 法人は「ジュリディカル・パーソン」といって法的には人間のように扱われますが、息もしない、腹も減らない、血も涙もありません。
 しかし経済の自由化の下では、その架空の人格である法人を機能させるために、生きている人間を絞り切り捨てるようなことが行われてきました。
 これが新自由主義です。

 新自由主義は経済思想というよりも国家統治の思想です。
 イギリスのサッチャー元首相が「社会などというものはない。あるのは家族と国家だけだ」と言ったのが典型的です。
 人びとが結びつき連帯を伴う社会というものが、福祉に対する“依存”を生み出し、経済成長を停滞させているという認識で、富む者の自由と貧者の自己責任を説きました。
 こうした考えの下で、社会を個人に分断し、連携意識とか共同性に支えられている関係をすべて解体して、社会を市場に溶解させました。

 イギリスから始まったその路線が、今ではグローバル世界の原理になっています。
 こうした中で築かれた私的利潤と全体効率を第一とする新自由主義の問題が表面化したのが今回のコロナ禍だと思います。

権力私物化狙う

 もう一つ問題となるのは、緊急事態宣言に便乗して、自民党が憲法を改定し、「緊急事態条項」を創設する意向を示していることです。

 憲法の中に緊急事態条項を組み込むというのは、立憲体制の中で権力の例外状況を合法化するということです。
 これは権力の私物化を合法化したい政治権力の問題です。
 感染拡大に対する緊急事態は実はそれとは違います。
 人びとの健康や命の危機に対して、平常時とは違う対応を緊急かつ効果的に行うためのものです。
 つまり、権力の緊急事態ではなく、社会統治の緊急事態だということです。

 コロナ禍はよく戦争に例えられますが、むしろ災害と考えるべきです。
 戦争なら、国民あるいは国が向き合わねばならない敵がいます。
 戦時が緊急事態だというのは、この敵とたたかうために国家が権力を集中させ国民を統制するためのものです。

 一方で、災害にはたたかうべき敵はいません。
 災害時においてはむしろ、国家が国民をどのようにして守れるか、対策の中身が課題になります。
 国民と社会を保護し救うための緊急事態だということを政府が認識する必要があります。


しんぶん赤旗、2020年5月8日(金)
新型コロナが問う日本と世界
生きた人間社会考えず
東京外国語大学名誉教授 西谷修さん

(中野侃)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-05-08/2020050801_02_1.html

[ワシントン共同]米国務省は2020年7月9日、日本に最新鋭ステルス戦闘機 F35 を計105機売却することを承認したと発表した。
 関連装備を含めた費用は約230億ドル(約2兆4600億円)。
 日本が調達を計画する計147機の中で、最大機数の承認となった。

 トランプ大統領はこれまでに、日本の調達計画を称賛。
 国防総省傘下の国防安全保障協力局は9日の声明で「日本が強固で効率的な防衛能力を維持することは、米国の国益に欠かせない」と指摘した。

 承認したのは空軍仕様のA型63機と、海兵隊仕様で短距離での離陸や垂直着陸が可能なB型42機。
 F35は米ロッキード・マーチンが開発した。


[写真]
ステルス戦闘機 F35A=2018年、青森県の航空自衛隊三沢基地

東京新聞、2020年7月10日 11時24分
米、戦闘機 F35 の日本売却承認
105機で2兆4000億円

(共同通信)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41550

・・・<売却額は2兆4800億円にのぼる見通し。米国が外国政府に対して一度に認めた武器の売却としてはサウジアラビアに対する戦闘機の売却に次ぐ史上2番目。米国務省当局者は「アメリカの経済と雇用を支援するもので、アメリカは歓迎する」> 税金の使い方が完璧に間違っている・・・

・・・兵器の爆買いほど、使いたくない言葉だが、“売国”行為だろう。善意と使命感からコロナに立ち向かっている医療機関が経営の危機に瀕している。命の危険に晒されながら前線で職務を全うしている看護師もいる。国民の命と生活を守るのなら、優先順位は兵器の爆買いではないだろう・・・

・・・要らなすぎる。そのお金を、なぜコロナ禍で困窮する人や事業者、災害で生活が壊れた人に使わないのか。生活を支えるのは行政の義務です(25条)。北朝鮮や中国を異常なまでに敵認定する好戦的な政府は、いいかげんその差別感情を捨てて、目の前の国民の生活を見て下さい・・・

・・・2兆4800億円!!凄まじい金額である。国防はいわば保険だが、それには怒涛のごとく税金投入。実際に起きている新型コロナ対策には及び腰。災害被災者は段ボールで暮している・・・

・・・ちなみにこのニュースの興味深いところは情報発信が日本政府ではなくトランプ側であるところだ。米議会に通知された売却額231億ドル(2兆4800億円)が、実際に日本で支払う時にいくらなのか調べる価値はありそうだ。もちろん「何者か」に税金を中抜きさせないためにである・・・

・・・や全世界の共通の敵はウイルスと自然災害の脅威でしょ!
戦闘機や武器の爆買いではなく、医療のための全自動PCR検査機や人工呼吸器等の購入、赤字の補填です。
救助のためのレスキュー車両、重機車両、避難所用テント購入。
補償も増やさないと、倒産も失業者も激増です!
限りある税金を有効に…・・・

・・・私たちが納めた税金が、教育費でも社会保障費でもなく、アメリカ製の武器の購入、役に立たない布マスク、持続化給付金の「中抜き」に消えていく。もう耐えられない、という気持ち・・・

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安田登「貧しさと恥」

 もう45年ほども前、1975年の話です。高校時代の先輩が東京のアパートで亡くなったという連絡をもらいました。
 餓死です。
 ちょうど上京した年の夏でした。
 当時の大学生は貧乏でした。私を含めて、親からの仕送りを当てにできない学生が多くいました。しかし、まさか餓死することもあり得るなんて、想像もしていませんでした。
 上京して最初に入ったアパートは3畳ひと間。縦長の長方形の部屋で、小さな座机(すわりづくえ)を置き、布団を敷くとそれで部屋はいっぱい。トイレは共同ですし、風呂もない。お風呂屋さんに行くのですが、毎日行くほどのお金はない。今だったら「くさい」と言われそうです。
 こたつもストーブもないので、唯一の暖房器具は「布団」でした。冬になると、いっぱい服を着こんで布団に入る。扇風機すらない夏はもっと悲惨でした。
 食事だって、インスタントラーメンにご飯というラーメン・ライスが基本です。アルバイトのお金が入った日は、インスタントラーメンをカップラーメンに変えるという贅沢をしました。
 友人たちはみな、そういう生活をしていました。
 それでも、餓死をする可能性は考えていなかった。

 しかし、よく考えれてみれば、あり得る話です。病気になってアルバイトができなくなり、食べるものもなくなれば、衰弱して動けなくなる。電話もない時代です。夏休みで、友人がみな帰省していれば、そのまま餓死して一か月後に発見されるということも充分考えられます。
「せめて餓死だけはしないようにしような」と、やはり帰省できない友人と、互いに安否を確認しあう約束をしました。

 大人になった今は、日本では餓死することはない、ということを知っています。生活保護という制度があるからです。
 それなのに、毎年の厚労省の統計の中から、餓死や栄養不足による死が消えることはありません。
 餓死された方の中には、生活保護を申請したのに受けられなかった方もいます。あるいは打ち切られた方もいます。しかし、遠慮して生活保護を申請することすら躊躇(ちゅうちょ)するという方も少なくありません。
 知人の中にも苦しい生活をしていながら、「自分のようなものが国からお金をもらうのは申し訳ない」とか、あるいは「生活保護を受けることは恥ずかしい」という人がいます。ネットなどでは生活保護者のバッシングもあります。
 生活保護を受けることの恥ずかしさ。そして、それ以前に貧乏に対する恥ずかしさがあるのです。
 そして、それは貧困に対する、意識・無意識の差別からきます。

日本人は恥に弱い

 貧困への差別は日本にもありますし、世界中にも存在します。この問題を何とかしなくては、安心して「優雅な貧乏生活」なんて送れません…といっても、本連載は社会派アプローチとは違う方向からお話をしていきます。
 貧困による差別は個人の問題にとどまらず、家族、地域、あるいは国家の問題として現れます。国家が貧しいと、国民の多くが恥ずかしくなったり、卑屈になったりするのです。
 日本人は特に「恥」重視し、そして「恥」に弱い国民です。
「見てはいけない」といわれたのに見てしまうという神話があります。これらは「見るなの禁忌」の類型神話と呼ばれ世界中にあります。ギリシャ神話のオルフェウスの冥界下り、旧約聖書のソドムの話、そして日本のイザナギ命(ノミコト)の冥界下りなどなど。
 この中で日本の神話では、見られてしまった妻イザナミ命(ノミコト)は「よく私に恥をかかせたな(吾に恥見せつ)」といって夫イザナギを追いかけます。
 日本最古の物語に、すでに「恥」が出てきます。

 また、太平洋戦争中に日本を研究したといわれる『菊と刀』においてルース・ベネディクトは、日本人が恥を重視することについて次のように書いています。
日本の生活においては、恥が最高の地位を占めている。恥を深刻に受け止めるあらゆる種族や民族について当てはまるのだが、恥が最高の場を占めているということはとりもなおさず、だれもが自分のおこないに対する世評を注視するということである。
(光文社文庫:角田安正訳)

 自分の行いに対する世間の評判を注視するのが、恥を深刻に受け止める種族や民族だとルース・ベネディクトは書きますが、日本においては世間の評判には「世間様」という人格すら与えられ、時にはそちらに顔を向けることすらできないはずだなどといわれます。

 そんなに世間や恥を重んじる日本人ですから、世界中から貧乏国といわれるようになったら、恥ずかしさで多くの国民は劣等感まみれになり、卑屈(ひくつ)になってしまうでしょう。
 かつて、このような劣等感を日本人は、少なくとも三度は体験しました。
 一度目はおそらく飛鳥時代。次に明治維新直後、そして太平洋戦争後です。

 圧倒的な物質と文明の前にひれ伏した日本人は、まずはそれを受け入れるために卑屈になります。明治時代のそれは、鹿鳴館(ろくめいかん)などを風刺したジョルジュ・ビゴーの絵によく現れますし、戦後のそれは米兵に対するギブ・ミー・チョコレートやアメリカ文明礼讃時代など、記憶に新しいでしょう。

 しかし、やがてその恥らいから脱却するために「日本すごい!」とか「日本ナンバーワン!」なとどいう論調が現れ始めます。いまは、その只中にいますね。

貧困国 中国

 さて、貧困国という蔑視に、とても長い間、耐えた国があります。中国です。
 今や経済大国といわれている中国ですが、ほんの少し前までは貧困国と言われていました。
 昔は中国も貧困国ではありませんでした。その文化的恩恵を、日本をはじめとするアジアの国々は享受してきました。唐の都、長安はまさにグローバル都市。アジアのみならず世界中の人々、文化が集まる、世界有数の交易都市であり、文化都市でした。

 そんな中国に貧困のイメージがついたのは、善政を敷いたことで有名な清王朝の康熙(こうき)帝(在位1661〜1722年)の治世後からだといわれています。康熙帝の善政が人口の爆発的増加を招き、皮肉なことに貧困を招いたのです。
 康熙帝のあと三代に渡って善政が敷かれた中国(清王朝)でしたが、アヘン戦争をきっかけにヨーロッパ列強や日本によっていくつか都市がその支配下に置かれるようになります。欧米列強や日本は、中国の富を吸い上げてさらなる貧困に追い込むだけでなく、公園の入り口に「犬と中国人、入るべからず」と書いて、その入場を禁止するなど、中国の人たちを差別し、苦しめました。
 第二次世界大戦後にようやく列強の支配からは脱しましたが、それでも貧困は続き、康熙帝の治世から数えれば300年近くも貧困国という蔑称に耐え続けてきたのです。

 20年ほど前、知人が某企業の上海支店の支店長として赴任していたときがあり、彼のもとを訪れたことがありました。
 そこは中国でありながら、幹部のほとんどは日本人。
 現地の人たちの多くは、下層の労働者として使われていました。
 中国が世界第二位の経済大国になった今でも、中国の人たちに対する偏見や蔑視は、中高年の日本人にはまだ根強く残っています。
 外国人技能実習制度で受け入れた中国の人たちを見下している人は、今でも少なくありません。

中国版「優雅な貧乏生活」

 10年ほど前に、中国の杭州(こうしゅう)に行きました。
 その頃の中国は、貧乏な国からリッチな国への過渡期にありました。
 日本に爆買いに来るような富裕層と、まだ貧しい暮らしをしている人たちが混在していました(今でもですが)。

 杭州には西湖という景勝地があります。西湖遊覧の船に乗りました。
 お客さんは着飾ったリッチな中国人観光客が中心です。船内アナウンスが見所を告げると、その人たちは大声をあげながら我先にとそちら側に移動するので、船は何度も傾きます。
 その中に、他の人たちから比べると質素な服装の父娘がいました。娘さんは小学校の中学年ほどの年齢。ふたりは船内アナウンスに左右されることなく、船外で静かな声で会話をしています。近づいて聞いてみると、お父さんがたとえば「水光瀲艶」と口ずさむと、娘さんが「晴方好」と答えています。
 杭州といえば政治家であり詩人でもあった蘇軾の作った蘇堤で有名なところ。
 杭州観光に来るならばと、お父さんは娘に蘇軾(そしょく)の詩を教え、そしてここでその詩の暗誦をしていたのです。
 日本人親子で、奈良を訪れ、万葉集の長歌を口ずさみ合う親子がいるだろうか、と思いました。

 彼らは、いまの経済発展にはついていけない人たちでしょう。
 しかし、名所に行っては、その景物を讃える歌を詠み、おそらくは日常の中にも詩を作り書画を配し、日本でいう「もののあはれ」を知る人たちではないでしょうか。
 それがあれば貧乏だってへっちゃらです。
 彼らこそ「優雅な貧乏生活」を実践しています。

貧しくなる日本

 ここで、日本に目を向けてみましょう。
 日本の経済情勢を分析する対日報告書が、国際通貨基金(IMF)によって今年2020年の2月に公表されました。
 それによると、少子高齢化の影響で40年後の日本では、実質国内総生産(GDP)は25%下振れする可能性があるとのことです。

 GDPが25%減というのはどのくらいか。
 いまがちょうど実感しやすい時期です。
 日本経済研究センターが6月16日にまとめた民間エコノミスト35人の経済見通しによると、新型コロナ禍による4月から6月のGDPは前期比年率で23.02%減になると予想されています。

 25%減というのはそれよりも大きい。
 しかも、日本の借金は年々膨らみ続けています。
 住宅ローンが膨らみ続けるのに、年収が4分の1削られるのに等しいのです。

 そのIMFはこの4月に、新型コロナ禍によって世界は劇的に変わり、リーマン・ショック直後を超えて、およそ100年ぶり、世界大恐慌から後では最大の景気後退になるとの見通しを発表しました。

 貧民ゲームと同じく、その影響は負けている国に大きく出ます。
 日本も残念ながら、負けチームの一員です。
 よほどのことがない限り、これからの日本は経済的には衰退の一途をたどります。
 IMFの予測より早く、十年後、いや数年後にはいわゆる貧困国といわれる可能性だってあるのです。

 その波をすでに感じている人も多いでしょう。そして、それは今回の新型コロナ・ウィルスの流行によって加速さています。

 日本が貧困国として世界から差別される日も遠くないかもしれません。

貧困への差別


 最初に書いたように、私たちが若い頃、日本にはまだ戦後の貧困の名残(なごり)がありました。だから、これから貧乏になっても、あのころに戻るだけなので平気かもとも思うのですが、以前と違うのは、一度裕福な状態を体験してしまったので、日本全体の貧困に対する差別感情が以前よりも強くなってしまったことです。
 暖房も冷房もなかった大学時代と違い、いまはエアコンのある部屋に住んでいます。三度の食事だって困らない。

 しかし、これは単に「運」の問題です。
「いや貧困は努力と資質の問題だ」という人がいます。
 そのためか、あらゆる差別の中で最後まで残ってしまうのが「貧困」への差別です。
 この差別の一番の問題は、それを差別であるとすら意識しない人が多いということです。
 たとえば5つ星のホテルに泊まりに行って、その国籍や人種を理由に宿泊を拒否されたら「差別」として問題になります。そのホテルはマスコミやSNSでめちゃくちゃ叩かれるでしょう。
 しかし、ホームレスの人が「お金がないけど、泊めて」といって「ダメ」と断られても、これを差別であると思う人はほとんどいません。いや、変だとすら思わないかもしれない。

 それがこの差別の根深いところです。
 たとえばこれが医療だったら…。
 難病にかかっている。治療法はある。でも、治療費が高い。貧乏という理由だけで、その治療が受けられず、座して死を俟(ま)つ。
 いまはこれも「当然」、あるいは「しかたない」ですまされていますね。
 でも、本当は変でしょ。
 命までもがお金があるかどうかで左右されるのって。
 医療に関しては、「それは問題だ」という人はいます。
 しかし、貧乏な人が5つ星ホテルに泊まれないのは変だとは思わない。
 それは当然、しかたないと思ってしまう。
 これは本質的には同じ問題です。

貧しさを知る

 貧困はよく「努力」の問題にすり替えられます。「あいつは若い頃に努力をしなかったから貧乏なんだ」と。
 日本は貧乏でしたが、私が育った地域はとりわけ貧乏でした。
 保育園のときに、先生から「保育料を払っていないからお母さんに伝えてね」ということをよくいわれました。友人たちもみんなそうだったので、恥ずかしいと思ったこともなければ、むろんトラウマになんてなりません。
 小学校に入学しました。給食はまだなく、お弁当です。貧困でお弁当を持ってくることができない子もいます。先生は、そういう子のためにお弁当を作り、そして家庭からお弁当を持って来た子も一緒に、分け合いながら食べました。
 うちも保育料を払えないくらいには貧乏でしたが、それでも周囲の家よりはましでした。三度のご飯だけでなく、おやつもありました。手作りのおやつです。祖母が余ったお餅を揚げて揚げ餅を作ったり、近所に蓬(よもぎ)を摘(つ)みに行って草餅を作ったりしました。そうすると必ず「近所の家に持って行きなさい」と言われました。
 ご近所からは、釣って来た魚をいただきました。

 お風呂がある家も少なかったので「もらい湯」です。テレビも持っている家は一軒だけだったので、みんなで集まって見ました。子どもたちは、そこで宿題もしました。

 そんなに貧しくても、乞食(こじき)の人に渡すための小銭がお勝手の棚には置いてありました。
 貧しいながら、持ちつ持たれつで生活をしていたのです。これも「優雅な貧乏生活」です。

 私が通っていた中学校の高校進学率は40パーセントを切っていました。漁師町だったので、高校進学といっても、多くの生徒は水産高校や商業高校に行きました。
 その中で私は普通高校に進学しました。
 そこで、はじめて貧乏を自覚しました。そして、それに恥ずかしさを覚えました。

 言葉遣いも違う。食べ物も違う。ライスカレーではなく、カレーライスを食べている。それにカツを乗せるカツカレーなんていうものも知っている。喫茶店にも行く。それも、コーヒーだけでなく、イチゴパフェというおしゃれなものも食べている。
 また、漫画本以外の本を読んでいるのも驚きました。芥川賞を取った小説を読んでいる同級生もいる。人によっては哲学書も読んでいる。レコードも持っているし、いろいろな音楽を知っている。
 うちのめされました。
塾に行っている同級生もいるし、東京の予備校に通っている奴もいる。
 私が育った漁師町には塾もなかったし、予備校に行くなんて考えたこともなかった。テレビでは、塾や家庭教師などが出てくるので、そういうものがあるというのは知っていました。学校でわからなかったことも教えてくれるなんて、「まるで魔法だ!」とあこがれました。

 しかし、自分とは無縁のものと思っていました。海外のセレブのニュースを見ても、自分とは無縁だと思うように。その頃は貧乏であっても、塾に行ってなくても何でもなかった。

 それが高校に入って、はじめて自分が貧乏であったことを意識し、そして恥ずかしさを覚えたのです。

* * *

 ところがラッキーなことに、私が高校時代をすごしたのは1970年代初頭でした。
 雑誌『ガロ』などの漫画や寺山修司などが読まれていて、貧乏であることや、田舎出身であることって実は素晴らしいことだと知ります。
 永島慎二の漫画『フーテン』の中にこんな場面がありました。
 新宿で騒いだフーテンたち。やがて夜が明けます。
 主人公のダンさんこと長暇貧治(むろん永島慎二)は、フーテン仲間のカッコという女の子を誘います。
「おれ これから山手ホテルで一眠りの一眠りなんだ つき合わないか!」
 カッコは軽く…
「うん たまにはダンさんと山手ホテルにしけこむのもおつねッ! いいわ!」

 山の上ホテルならば早熟の同級生から聞いたことがある。文豪ゆかりのホテル。「そんな金銭的な余裕があるんかい」とツッコミを入れながら読んでいると、ふたりは電車に乗る。そして眠る。
 ふたりが行ったのは「山の上ホテル」ではなく「山手ホテル」だった。そして、「山手ホテル」は山手線のことでした。
 肩を寄せ合って眠るふたりの両隣には通勤・通学の人びとが座る。座ることができずに吊皮につかまる人々が増えていく。電車はとうとう満員になって、押し合いへし合いする人びと。社会という高速回転する時間の中で、静止画のように静かに眠るふたり。世間の荒波の中で、浮き輪につかまりのんびり浮遊するふたり。

 見方を変えれば山手線だって「山手ホテル」になる。そうか! こんな手があるんだと思いました。

 そして、のちに古典に親しむようになり、そのような「見立て」、特につらいことをお笑いによって見立てる方法が江戸時代の俳諧(はいかい)師たちによってなされていたこと知りました。このことについてはまた改めて紹介しますね。

あさひてらす 朝日出版社ウェブマガジン、2020.07.06
貧しさと恥
(安田登)
https://webzine.asahipress.com/posts/3788

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言うだけで有権者に分かる何らかの形で責任を取ったことはない

 昨年2019年7月の参院選広島選挙区(改選2)を巡る公選法違反(買収など)の罪で、衆院議員の河井克行被告(57)=自民離党=と、妻で参院議員の河井案里被告(46)=同=が2020年7月8日に起訴された事件は、東京地検特捜部などの捜査で、夫妻が案里被告への支持を固め、さらに自民党現職の地盤を切り崩すため、県議や広島県内の自治体首長や議員らに現金をばらまいた構図が明らかになった。
 また安倍晋三首相と党本部が強引に擁立した案里被告を、党県連は支援せず、夫妻は報酬を払って運動員を確保していたことも分かった。
 案里被告が当選すると、首相はその論功行賞のように、昨年2019年9月の内閣改造で克行被告を基本法整備や法秩序の維持を任務とする法相に登用し、法相経験者の逮捕、起訴という前代未聞の事態を招いた

 首相の責任はとても重い

■ 首相の悪口言った溝手氏への「刺客」か

 起訴状によると、克行被告は案里被告を当選させる目的で、昨年2019年3月下旬から8月上旬までの間、県議や県内自治体の首長・議員、両被告の後援会関係者、選挙スタッフら計100人に案里被告への投票や票の取りまとめなどの選挙運動を依頼し、その報酬として計128回にわたり、総額約2900万円の現金を供与したとされている。
 案里被告は100人のうち5人に対する5回の現金供与計170万円について、克行被告と共謀したとして起訴された。

 また起訴状では、昨年2019年7月4日の参院選公示後、克行被告を選挙区全域に関し、継続して選挙運動に関する事務を総括指揮した「総括主宰者」と認定。
 公選法によると、買収の罪は3年以下の懲役か禁錮または50万円以下の罰金だが、候補者本人や総括主宰者などは4年以下の懲役か禁錮または100万円以下の罰金に加重される。
 重罰となる公示後の現金供与は11回計約295万円。

 事件が起きた参院選広島選挙区について、自民党本部は2018年7月に6選を目指す溝手顕正元国家公安委員長(77)を公認。
 しかし、広島選挙区では、自民党候補が過去2回、50万を超える票を獲得し、2位当選の野党候補にダブルスコア以上の差をつけているなどとして、首相と党本部は2人目の候補擁立を模索。
 県連は強く反対したが、昨年2019年3月13日、県連の頭ごなしに、当時県議だった案里被告の公認を発表した。
 案里被告は出馬会見で「2議席独占が党の責務」と訴え、それが「総理のご判断」「総理の強いお考え」と強調した。

 ただ溝手氏は、第1次安倍政権時の2007年参院選で自民党が大敗した際、続投しようとした首相に「責任がある」と指摘したほか、民主党政権下の2012年には、首相を「過去の人」と言い放った人物。
 地元では、側近として首相補佐官や党総裁外交特別補佐を歴任してきた克行被告の妻である案里被告は、溝手氏を快く思っていない首相が送り込んだ「刺客」に見えたという。

 県連は1998年の参院選で2人を擁立し、大半の県議が推した候補が敗れたトラウマがあり、甘利明党選挙対策委員長(当時)が案里被告の公認を伝えた際、県連会長の宮沢洋一参院議員は「県連として了解というわけにはいかない」と反対の意思を改めて表明した。
 公認発表の3日後、県連は組織的な支援は溝手氏に一本化することを決めた。
 県連幹事長の宇田伸県議は「案里被告から出馬の相談は全くなかった。東京の党本部が勝手に決めるのは極めておかしい」と不快感を示し、県連のある幹部は「案里(被告)には1票もやらない」と息巻いた。

■ 公認間もなく現金供与、期待に応えるプレッシャー?

 河井夫妻は危機感を募らせたのだろうか。
 安倍首相の期待に応えるという強いプレッシャーがあったのかもしれない。
 現金供与は案里被告の公認から間もない昨年2019年3月下旬、県議の児玉浩氏や三原市長の天満祥典氏、安芸高田市議会議長の先川和幸氏、北広島町議会議長の宮本裕之氏らから始まった。
 翌4月に入ると、県議の奥原信也氏、広島市議の谷口修氏、安芸太田町長の小坂真治氏らが続き、現金を渡された県議や自治体首長・議員(元職を含む)は40人を超えた。
 1人当たり10万〜200万円で、総額は約1800万円となっている。

 克行被告は広島市安佐南区、安佐北区、安芸高田市、安芸太田町、北広島町からなる衆院広島3区の選出で、児玉氏は安芸高田市選出の県議から今年2020年4月に安芸高田市長へ転じた。
 6月26日に記者会見し、昨年2019年3月30日に県議の無投票当選が決まり、その直後に30万円、同年5月末の地元行事の際にも30万円の計60万円を克行被告からもらったことを明らかにした。
 丸刈りにして反省の姿勢を示し、続投に意欲を見せたが、市には6月29日夕までに200件以上の抗議が寄せられ、児玉氏は翌30日に辞表を提出、7月3日付で辞職した。

 安芸太田町長の小坂氏は昨年2019年4月下旬ごろ、自宅を訪れた克行被告から封筒を渡され、一度は断ったものの、押し問答の末に受け取り、今年2020年3月28日ごろに中身を確認したところ、20万円が入っていたと、翌4月2日に公表。
 その後、町長を辞職した。
 谷口氏も広島3区の安佐南区選出。
 谷口氏の説明によると、昨年2019年4月の市議選投開票日直前、自宅に来た克行被告が帰り際に50万円の入った封筒を「まあまあ」と言いながら渡した。
「やばい金だと思ったから、手を付けずに保管していた。事情聴取の際、検察に預けた」と話している。

 ともに広島3区内の地方議会議長の先川氏と宮本氏も昨年2019年3月下旬、議長室や自宅で克行被告から20万円を受け取ったことを認め、先川氏は「7期も国会議員を務める相手に『ばかにするな』と言えなかった」と振り返る。
 宮本氏によると、現金授受の際、克行被告は「安倍総理や二階(俊博)幹事長、菅(義偉)官房長官も案里に期待している。広島県に密着した議員になる。案里には、それなりの考えがある」と話していた。
 克行被告はまず自らの選挙区内の県議と自治体首長・議員への現金供与で、案里被告への支持を固めようとしたとみられる。

■ 溝手氏の地元市長も買収、報酬払って選挙運動

 一方、奥原氏は元県議会議長で、呉市選挙区の県議。
 両被告の逮捕・勾留容疑では、昨年2019年4月上旬と5月下旬にそれぞれ50万円、6月下旬には100万円を供与された。
 奥原氏は取材に対し、計200万円を受け取ったことを認め、50万円は使い、残る150万円は自らの政治団体の政治資金収支報告書に寄付として記載したと説明。
 参院選では、溝手氏を支援したと強調した。

 2013年から三原市長を務める天満氏は、克行被告の逮捕・勾留容疑では、昨年2019年3月下旬に三原市内のビルの一室で50万円、同6月上旬には広島市内の鉄板焼き店で100万円を供与された。
 今年2020年6月25日に記者会見し、150万円の受け取りを認め、同30日付で辞職した。
 三原市は溝手氏の出身地で、溝手氏は元三原市長でもある。
 奥原氏や天満氏ら衆院広島3区以外の県議や自治体首長・議員への買収工作は、溝手氏の地盤切り崩しを狙ったものとみられる。

 このほか、昨年2019年4月下旬に克行被告から現金30万円を渡されたことを認めた府中町議の繁政秀子氏は「案里被告の事務所で『安倍さんから』と言われてもらった」と取材に答えた。
 繁政氏は参院選で案里被告の後援会長を務めた。
 今回の事件では、これまでのところ、安芸高田市長、安芸太田町長、三原市長の首長3人に加え、この繁政氏が辞職している。

 現金供与は自治体首長・議員だけでなく、元広島県職員の男性(案里被告陣営の車上運動員違法報酬事件で逮捕、不起訴処分)に対し、昨年2019年4月下旬に50万円を渡したのをはじめ、参院選投開票後の8月上旬にかけて、選挙スタッフや両被告の後援会関係者らにも相次いで現金が供与された。
 5万円、10万円、30万円など人によって金額は異なり、供与場所も選挙スタッフや後援会関係者の自宅や勤務先のほか、ホテルのトイレ、神社、自動車内、路上、口座振り込みとさまざまで、これらは選挙運動の報酬とみられる。

 事情を知る関係者は「克行、案里両被告は個人に人気があるわけではなく、自民党だから衆院議員や県議を続けてこられた。自民党県連が支援を溝手氏に一本化したので、選挙運動を手伝ってくれる人も少なく、報酬を払ってやってもらうしかなかったようだ。無理な選挙だった」と振り返る。

■ 首相秘書が支援、党から1億5千万円

 昨年2019年3月の公認決定後、案里被告の陣営には、山口県下関市の安倍晋三事務所から複数の秘書が駆け付け、選挙運動を支援するとともに、首相秘書の名刺を持って地元の企業や団体、自治体首長・議員を回った。
 秘書の訪問先には、克行被告が現金を供与した人も含まれていた。
 首相は今年2020年1月27日の衆院予算委員会で、秘書の派遣について「(案里被告は)候補者として非常に厳しく、知名度もなく、突然立ったということで、そちら側にうちの秘書を入れた。そうすることがバランスを取ることにつながると考えた」と答弁している。

 党からの選挙資金が溝手氏は1500万円なのに対し、案里被告には1億5千万円と10倍の差があったのも「バランス」だったのだろうか。
 関係者によると、1億5千万円のうち1億2千万円は税金が原資の政党交付金で、昨年2019年4〜6月、案里被告が支部長の党広島県参院選挙区第7支部に3回に分けて計7500万円、克行被告が支部長の党広島県第3選挙区支部に4500万円が入金された。
 残る3千万円は党費収入など党本部の自主財源で、昨年2019年6月に克行氏の政党支部に振り込まれている。
 起訴状によると、克行被告が現金供与を始めたのは昨年2019年3月下旬とされ、少なくとも当初は党の資金は使われていないが、関係者によると、克行被告が起訴された選挙スタッフらへの報酬の中には、党広島県参院選挙区第7支部から振り込まれたものもあった。

 二階幹事長は6月16日の記者会見で、党が提供した1億5千万円について「そのお金がどう使われたか詳細は承知していない」と述べたものの、翌17日に「党内の基準と手続きを踏んで支給した。買収の資金に使うことができないのは当然だ」と説明。
 ところが、23日の会見では「(夫妻が)受け取ったところまでは分かるが、その先どうなったかは細かく追及していないので承知していない」と再び説明を後退させている。

 なお溝手氏の公認発表後から参院選までの「首相動静」(共同通信配信)によると、克行被告は2018年10月3日、15日、11月8日、12月10日、27日、2019年1月15日、2月15日、28日、3月20日、4月17日、5月23日、6月20日の計12回、安倍首相といずれも1対1で面会。
 案里被告の擁立、選挙資金、秘書の派遣などについて話し合ったのかもしれない。

■ 溝手氏を2万5千票上回る、公明票が勝敗左右か

 参院選広島選挙区での自民党本部対県連の対立は先鋭化していく。
 昨年2019年5月、溝手氏の選挙事務所開きで、宮沢氏が「(案里被告の擁立は)党本部による溝手さんいじめ。2人当選は大変高いハードルだ。まずは溝手氏の当選を期することこそ、最も大事なこと」と言えば、翌6月に案里被告の政治資金パーティーで、塩崎恭久元厚生労働相が「いじめられているのは河井さんだ」と言い返した。

 参院選の公示前後、案里被告の陣営には、菅官房長官や二階幹事長らが応援に駆け付けた。
 公明党の山口那津男代表は、溝手氏には盤石の地盤があるとして「どうか新人を押し上げて欲しい」と呼び掛けた。
 一方の溝手氏の陣営には、所属する岸田派領袖の岸田文雄党政調会長(衆院広島1区)をはじめ、克行被告を除く広島県選出の国会議員や県議、県内の自治体首長・被告が勢ぞろいした。
 広島入りした安倍首相は案里被告だけでなく、溝手氏の応援にも立った。

 参院選は昨年2019年7月21日に投開票され、結果(投票率44.6%)は立憲民主党、国民民主党、社民党が推薦する無所属現職の森本真治氏が32万9792票でトップ当選、29万5871票の案里被告が2位当選、溝手氏は27万183票にとどまり、落選した。
 2013年(投票率50.0%)は溝手氏が52万1794票、森本氏は19万4358票だった。

 中国新聞社の電話世論調査(昨年2019年7月14〜16日)では、公明党支持層の5割超が案里被告を支持し、溝手氏支持は2割強と水をあけられていた。
 2017年の衆院選比例代表で、公明党が広島県内で獲得したのは約16万票。
 公明票が案里被告と溝手氏の勝敗を左右した可能性もある。

■ 論功行賞で法相、絶頂期に「文春砲」

 克行被告は昨年2019年9月11日の内閣改造で、法相に就任した。
 自民党内では「参院選の論功行賞」(中堅)と言われた。
 法務省設置法によると、法務省は民事、刑事、司法制度に関する基本法制の維持・整備、法秩序の維持、国の利害に関係する訴訟の適正な処理、出入国管理などを任務とし、検察に関する事項や裁判で確定した刑の執行、恩赦、仮釈放、保護観察、犯罪の予防、国籍・戸籍、登記、外国人の在留、難民の認定などを担当する。
 その長が法相であり、死刑執行の命令も発出するし、検察庁法では、個別事件の取り調べや処分について、検察総長を指揮できるとされ、非常に大きな権限を持つ。

 克行被告は昨年2019年9月23日、広島市内で開いた政治資金パーティーで、時折声をうわずらせながら「社会と秩序を守り抜く」と法相としての抱負を語り、万雷の拍手を浴びた。
 一緒にステージに立った案里被告も、満面に笑みを浮かべていた。
 この日が両被告の絶頂期だったのかもしれない。

 法相就任から1ヶ月半余りが過ぎた昨年2019年10月30日、週刊文春はウェブサイトで、案里被告陣営が車上運動員(ウグイス嬢)に法定上限の2倍に当たる報酬(日当)3万円を支払っていたと報道。
 克行被告は翌31日、法相を辞任した。
 広島地検は今年2020年1月15日、河井夫妻の関係先を家宅捜索し、3月3日には、車上運動員の報酬を巡る公選法違反(買収)の疑いで、案里被告の公設秘書ら3人を逮捕した。
 うち2人が起訴された。
 一連の捜査の中で、現金供与先のリストなどが見つかり、河井夫妻の買収容疑が浮上する。

■ 克行被告、現金供与は「日常的な政治活動」と否認

 買収に当たる現金供与について、最高裁の判例では「供与とは、供与の申し込みだけでは足りず、申し込みを受けたものが、その供与の趣旨を認識してこれを受領することを要する」(1965年12月21日の第2小法廷決定)とされている。
 合同で買収の捜査に当たった東京地検特捜部と広島地検は、捜索で見つけた現金供与先リストや両被告から押収したスマートフォンの衛星利用測位システム(GPS)解析などにより、供与先と金額、供与場所を絞り込み、供与先の県議や自治体首長・議員、選挙スタッフ、後援会関係者らから相次いで事情聴取。
 大半が買収の趣旨を認識していたことを確認し、容疑が固まったとして、通常国会が前日閉会し、国会議員の不逮捕特権がなくなった6月18日、河井夫妻を逮捕した。

 関係者によると、克行被告は調べに対し、現金供与は自らの支持を拡大するための日常的な政治活動の一環だとして、参院選との結び付きを否定。
 供与時期は昨年2019年4月の統一地方選と重なり「当選祝い」や「陣中見舞い」とも説明しているという。
 案里被告も「違法な行為をした覚えはない」と容疑を否定している。

 河井夫妻の主張に対し、特捜部は、
▽ 公認決定直後の昨年2019年3月下旬から現金の供与が始まっている、
▽ 現金供与先が領収書を発行しようとしても、克行被告は拒否した、
▽ 参院選前月の昨年2019年6月には、800万円を超える多額の現金が供与されている、
▽ 統一地方選に無関係の議員にも現金が供与されている、
▽ 河井夫妻から過去に当選祝いなどをもらったことがない議員もいる
―などの事情から、案里被告を当選させる目的の買収だったことは明らかとみているもようだ。

■ 被買収処分見送り、事実上の司法取引か

 公選法違反の買収などで国会議員本人が起訴されたケースとしては、
@ 1979年10月の衆院選旧千葉2区で当選した宇野亨氏(故人)、
A 1996年10月の衆院選比例北関東で当選した中島洋次郎氏(故人)、
B 2003年11月の衆院選愛知4区に立候補、比例東海で復活当選した近藤浩氏、
C 同衆院選埼玉8区で当選した新井正則氏
―などがある。

 4人はいずれも選挙当時、自民党公認。
 4人の買収額と確定判決(A除く)は、
@ 約1億円、懲役4年
A 約2千万円、二審懲役2年で上告中自殺
B 100万円、懲役2年、執行猶予5年
C 500万円、懲役3年、執行猶予5年。
 克行被告の買収額はAを上回る約2900万円で「実刑判決もあり得る」(元検事の弁護士)とみられている。
 ただAは海上自衛隊の救難飛行艇開発を巡る受託収賄罪や政策秘書給与の詐欺罪などにも問われていた。

 公選法は買収された側(被買収)にも罰則を設け、これまで被買収の罪で処罰された人は多い。
 ところが、関係者によると、克行、案里両被告から現金を供与された県議や自治体首長・議員、選挙スタッフ、後援会関係者らは一方的に現金を渡されたり、既に返金したりしていることなどを考慮し、東京地検特捜部と広島地検は刑事処分を見送る方針という。
 被買収の起訴猶予や不起訴処分にもしないのは極めて異例。
 買収の趣旨を認識していたと認める代わりに、被買収を不問に付す、事実上の「司法取引」ではないかという批判の声が上がりそうだ。

 刑事訴訟法で認められた協議・合意制度(日本版司法取引)は、検察官と容疑者・被告、弁護人が協議し、容疑者・被告が捜査や公判に協力するのと引き換えに、自分の事件を不起訴や軽い求刑にしてもらうことで合意するが、贈収賄や詐欺、業務上横領、独禁法違反、金融商品取引法違反など対象が特定の犯罪に限定されている。
 公選法違反は対象犯罪ではなく、協議・合意制度は利用できない。

「法相の任命責任は痛感する」と言うだけ

 参院選広島選挙区への2人擁立を主導し、自らの秘書を支援に行かせ、1億5千万円という多額の資金を送った首相は8日の両被告起訴後、官邸で記者団に「かつて法相に任命した者として責任を痛感する。国民におわび申し上げる。批判を真摯(しんし)に受け止め、緊張感を持って政権運営に当たる」と述べた。

 自らの「責任」言及したのは、今年に入ってからだけで、
@ 2閣僚(河井法相と菅原一秀経済産業相)の辞任
A 森雅子法相の失言
B 森友学園問題の公文書改ざん
C 黒川弘務前東京高検事長の定年延長問題
D 新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の期間延長
E 拉致被害者有本恵子さんの母嘉代子さんと横田めぐみさんの父滋さん死去
―の6回。
 今回が7回目だが、言うだけで有権者に分かる何らかの形で責任を取ったことはない。
 自民党が提供した1億5千万円の一部が買収の原資になったとの見方についても、首相は「自民党は政治資金を厳格なルールで運用しているが、襟を正し、党として国民に説明責任を果たさなければならない」と他人事のようにコメントした。
 しかし、自民党のトップは総裁である首相であり、自らが率先して説明を尽くすべきだろう。


[写真-1]
参院選で河井案里氏(左)の応援演説に駆け付けた安倍首相=2019年7月14日、広島市

[写真-2]
安倍首相と笑顔で写真に納まる河井克行被告(左)=2018年9月、東京都内(克行被告のフェイスブックから)

[写真-3]
記者会見で辞意を表明し、頭を下げる広島県安芸高田市の児玉浩市長=6月30日、安芸高田市役所

[写真-4]
記者会見で辞意を表明する広島県三原市の天満祥典市長=6月25日、三原市役所

[写真-5]
衆院予算委員会で質問に答える安倍晋三首相=1月27日

[写真-6]
記者会見する自民党の二階俊博幹事長=6月16日、東京・永田町の党本部

[写真-7]
街頭演説をした後、聴衆の間を練り歩く菅義偉官房長官(中央)=2019年6月22日、広島市

[写真-8]
参院選広島選挙区で落選が決まり、支援者らにあいさつする溝手顕正元国家公安委員長(中央)=2019年7月21日深夜、広島市

[写真-9]
法相に就任した河井克行被告(右)と参院議員となった妻の案里被告は、広島市のホテルで開かれた政治資金パーティーで見つめ合う。2人の絶頂期だったとみられる=2019年9月23日

[写真-10]
河井克行被告の事務所を家宅捜索し、押収物を運び出す広島地検の係官ら=1月15日、広島市

[写真-11]
河井夫妻の起訴について記者団の質問に答える安倍首相=8日午後、首相官邸

47News、2020/7/9 17:31(JST)updated
河井夫妻買収起訴、首相の責任重く
強引に擁立、現職の地盤切り崩しへ次々現金

(共同通信編集委員=竹田昌弘)
https://this.kiji.is/653580279230645345?c=39546741839462401

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2020年07月09日

不安創出社会をぶっとばせ!

「優雅な貧乏生活」について「心・技・体」の3方面からお話していきますと、前回書きましたが、当分のあいだ「心」、すなわち考え方を中心に書いていきます。
 今回のテーマは「不安創出社会をぶっとばせ!」です。
 最初にサマリー(要約)を書いておきます。
 考え方の話など面倒だという方は、ここだけ読めば、概要はOKです。
 マーケティングの流行によって、それまでの生産者中心主義から「消費者中心主義」に変化した。それとともに消費者の「欲望」をいかに喚起するかということが重要になり、欲望のない人にまで欲望を起こさせる「ニーズの創出」という手法も現れるようになった。
 ニーズを創り出すためには、まず「不安」を煽(あお)る。不安のないところにも不安を創り出すという「不安の創出」が起こった。
 それは、いわゆる商品に留まらず、さまざまな資格ビジネスや学校、病院などにも広がった。
 さらに近年では、「終活」が流行語になったり(2010年)、あるいは老後には二千万円が必要だという試算が出たりして、「老後」の心配をする人が急増した。むろん、それには高齢者人口の増加もある。
 しかし、日本には「生活保護」の制度がある。
「いざとなったら生活保護をもらっちゃおう」と決めれば、気は楽である。年々低くなる年金よりも、生活保護の方が高いこともある。
 人が創り出した「不安」などに縛られていず、そんなものはぶっとばせ!

…というのが、今回のお話です。

「貧しい」ってどういうこと?

 さて、まずは大廻りも大廻り、「貧しい」という語義から見ていくことにしましょう。

 「貧しい」という語は、日本語の文献ではすでに『古事記』に登場しています。
 しかし、日本語の語源はあまりはっきりしないので、漢字の方から見ていくことにしましょう。
「貧」という漢字は、殷(いん)(商)や西周、春秋の時代には使われていません。戦国時代早期の「曾侯乙楚墓」の竹簡にはじめてあらわれます。なぜ戦国時代からなのかという話は、長くなるのでやめておきますね。
「貧」という漢字を見ると、下に「貝」があります。貝というのは当時のお金です。それを「分割」することによって金銭が少なくなることを「貧」といいます。

貧.jpg

『論語』では「貧賤」というふうに貧しさは「賤(いや)しさ」とともに使われることが多いのですが、「賤」の方にも「貝」がついていることでわかるように、やはり金銭の少なさをいう言葉です。

賤.jpg

 物理的な乏(とぼ)しさを意味する「貧」と「賤」が、やがて精神的な乏しさに使われるようになり、さらには地位の低さや態度の「いやしさ」にも使われるようにもなります。
 しかし、あくまでも「貧」も「賤」も金銭の少なさをいう言葉であって、精神も地位も本来は無関係の言葉です。
 まずはこれをおさえておきましょう。

 ちょっと個人的な話を……あ、今回は個人的な話が多いので、「安田の個人の話なんて聞きたくねえよ」という方はどうぞ、そこら辺は飛ばしてお読みください。あるいは冒頭のサマリーだけでもOKです。

 さて、1980年代に友人が会社を作り、そこに「スタッフ」として関わるように求められました。ここでいうスタッフというのはヒエラルキーの縦型組織に属さない、社長直属の横の存在という意味でのスタッフです。会社にも行く必要はない。時々、社長や副社長とカフェで会って話をするだけです。
 ちなみに給料はゼロ。
 ただし、クレジットカードを一枚渡され、それを自由に使ってもいいと言われました。相手は友だちです。変な使い方はしません。
 しかし、マンションの賃貸料、食費、服、本やCD、映画、観劇、すべてカードで支払っていいというのです。食事は、できればひとりでするよりも複数でした方がいい。映画や観劇もそうです。もし、カードが使えない場合は、あとで支払いがなされます。
 さすが80年代ですね。
「物理的」なお金は、ほとんど持っていない。すなわち「貧」であり「賤」です。でも、なんかリッチ。
 あれ?
「貧しい」って何でしょ?
 貧しさによって生じる問題とはなんでしょう。
 そのひとつに「不安」があります。
 いまお話したような生活を与えられても、「これがいつまで続くんだろうか」と不安になる人はいます。
 一時期、「安心して老後を迎えるには二千万円の貯蓄が必要だ」などという話も出ました。
 老後に一文なしになり、住むところも追われ、食べるものもなくなったらどうしよう。そんな不安を感じている人も少なくないでしょう。
「児孫(じそん)のために美田(びでん)を買わず」といいますが、自分で稼(かせ)いだお金は自分の代で使い切るのが賢明なことだと古くから言われています。
 しかし、いまは老後になっても貯金を大切に守り、そのまま亡くなり、感謝をされるどころか、それがもとで残された家族の間に亀裂(きれつ)が生じるということもよくあります。
 それもこれも「不安」が引き起こします。
 が、日本には「生活保護」という制度があります。
 いざとなったら、それに頼れば路頭に迷うことはない。横柄なお役人や自由が制限されるのが心配という人もいます。それはまた別の時に考えます。また、それで「みじめな生活になってしまう」ということをおそれる人もいます。それもまた考えていきますね。
 生活保護を受ける受けないはともかく、それくらいの金額の中でいかに優雅に生きるか、それを考えるのが「優雅な貧乏生活」です。
 その話はおいおいしていくとして、今回はまず「不安」について考えてみましょう。

不安創出社会をぶっ飛ばせ

 いまの日本は、毎日、毎日、あちらこちらで不安が創り出されている「不安創出社会」といえるでしょう。
 いい学校に行って、いい会社に入らなければ将来が心配だ。
 何才までにどんな人と結婚しなければ幸せになれない。
 老後のためには二千万円の貯金が必要……などなど。
 死に臨(のぞ)んですら、財産分与や税金のことをちゃんと考えておかなければいざとなったときに大変だとか、お墓だってどうするか……などなど。
 生まれて死ぬまで、私たちは不安の中で暮らしています。

 しかし、この不安の多くは作られた不安です。
 1980年代に、中小企業診断士の試験を受けるためにマーケティングを学んだことがありました。
 そのときに「ニーズの創出」という言葉を聞いたときには驚きました。
「ニーズ」というのは、ふつうの欲求である「ウォンツ」よりも強い、根源的な欲求をいいます。
 たとえば子どもがおもちゃを欲しいのは「ウォンツ」です。
 それに対して「ニーズ」というのは、赤ちゃんがおっぱいを欲しがるようなものです。これがなければ死んでしまうような欲求、それが「ニーズ」です。
 それを「創出」する。びっくりでしょ。

 セールスマンの研修では、よくこんなたとえ話がされます。
 靴を売るセールスマンが、ある島に行って驚いた。島の人が誰も靴を履(は)いていない。
 ひとりのセールスマンはこう考えます。
「誰も靴を履いていないところで靴を売るなんて不可能だ」
 もうひとりのセールスマンは、こう考えます。
「誰も靴を履いていないんだから、これからたくさん売れる」
 そこで、後者のセールスマンは、まずは靴の必要性を島民に説きます。むろん、話だけではわかってくれません。靴を無料で配り、靴を履いて歩くことが、どんなに快適であるかを体験してもらいます。
 それを続けているうちに、島民の足裏は柔(やわ)らかくなり、もう靴なしでは地面を歩くことができなくなった。
 靴は、島民にとって「必要なもの(ニーズ)」になったのです。

 セールスのセミナーなどでは、このセールスマンは「よいセールスマン」といわれます。
 しかし、本当にそうでしょうか。

 島民たちは、それまでは必要ではなかった靴をこれから買い続けなければならず、同時にそのためのお金を稼ぐという、かつてしたことのなかった行為をしなくてはならなくなりました。
 お金は抽象です、記号です。ぴったりということはない。不足や余剰が生まれる。不足があれば、さらに働き、余剰が生まれれば、それを使って、別のものを購入する。すると、今度はそのものを買うためにお金を稼がなければならなくなり、不足があればまた働く。
 やがて、日々のお金が足りないのではないかと不安になり、もっと働くようになる。
 貯蓄ができれば、それが減ることが不安になり、未来に対しての不安がここで目出度く確立し、私たち、資本主義経済下で生きている人びとの苦しみを彼らも味わうことになるのです。

 私たちは、この島民たちを笑うことはできません。
 ニーズを創出するには、まずは「不安」を創出する、それがマーケティングの手法です。私たちも、この島民同様、日々創出される不安の中で暮らしています。
「英語ができなければ、これからの社会、生きていくことはできないよ」と英会話学校に行かなければならないように急(せ)き立てられる。しかし、英会話学校で学ぶ程度の英語は、5G回線で自動翻訳機が使えれば、機械が代用してくれます。
 高速で走る足を持たなくとも、自転車や自動車によって、速く、遠くに行けるように、その程度のことならば機械にまかせてもまったく問題ない。
 テレビCMでは、特別なトレーニングプログラムによってスリムになった男女の姿が映し出されます。
 そのようになるとモテたり、会社でも出世することができるかのように錯覚する人も多いでしょう。

 確かに人は見た目が大事です。
 しかし、どんなに見た目がよくてもモテたり、出世したりできない人もいます。
 東京大学では大学院入試がオンライン化されます。「Google検索を前提とした試験を作る」とか。家で辞書を引いても、Wikipediaで調べても、あるいは友人・知人に尋ねながら答えてもいい。今まで重視されていた「知識」中心の入試変革の第一弾です。
 これが大学の学部の入試や高校入試まで広がれば、いまある受験産業のかなりがなくなるでしょう。

 今回の新型コロナのおかげで、オンライン化もテクノロジーも長足の進歩をしました。
 東大の稲見昌彦(いなみまさひこ)先生は「ポスト身体社会」がはじまるとおっしゃっています。
 そのような時代の変化のただ中にいながら、それでも私たちの不安は、日々、創出され、ニーズも創出されていくのです。

 不安の多くが、誰かによって創られた虚妄(きょもう)であることに気づけば、不安の多くは消え去ります。
 マーケターによって作られた不安なんて、ぶっとばせ!

 不安というのは「今」と「未来」との間にあいた裂け目であるといった精神科医がいます(※)。
 クレヴァスのような裂け目をのぞくと真っ暗闇。何があるかわからない。それが「不安」の正体です。
 むろん、その不安が現実化することはあるでしょう。
 しかし、現実化した問題の多くも、不安によって引き起こされたものである可能性があります。
 たとえばいい学校に行けずに、いい会社に入れなかった人をAさんとしましょう(ここでは「いい」の定義はしません)。
 逆にいい学校に行って、いい会社に行けた人をBさんとします。

 このふたりの違いはなんでしょうか。一番の違いは、おそらく年収ですね。住むところも違うかもしれません。子どもが行く学校だって違う可能性もある。
 しかし、どちらが幸せか。あるいはどちらが不安が大きいかを比べたらどうでしょう。ひょっとしたら、Bさんの方が不安は大きいかもしれません。

 ある小学校で4年生の子どもが泣いていました。そこの小学校は90パーセント以上の子が中学受験をするという学校です。親は高学歴・高収入の人が多い。教頭先生が「なぜ泣いているの」とその子に尋ねました。その子は次のように言ったそうです。
「自分は小学校受験に失敗して、この小学校に来た。だから中学受験のための勉強を一生懸命している。でも、中学受験も失敗しそうだ。自分の人生はもう終わりだ」
 もう一度、言いますが、彼は小学4年生です。まだ10才です。そんな彼に「自分の人生はもう終わりだ」と思わせ、そしてひとり廊下で泣かせる。それは、高学歴、高収入の親の不安が引き起こしたことかもしれません。

 「不安」だけでなく、おそらくは「幸せ」ですらも、他人によって創り出された虚妄なのです。
 さて、「不安」の話はこのくらいにして、次回は貧乏による「恥ずかしさ」の話から始めたいと思っています。

※ Anxiety is the gap between the now and the then. 『Gestalt therapy verbatim(Frederick S. Perls)』

あさひてらす 朝日出版社ウェブマガジン、2020.06.10
不安創出社会をぶっとばせ!
(安田登)
https://webzine.asahipress.com/posts/3709

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小池百合子「新型コロナ対応に忙しくて、選挙どころではないんです」

耳障りがいいだけの言葉が飛び交っています。
コロナ禍においても、実際の感染者数やどれくらい休業が続くのか、補償はどの程度出るのかと言ったことが知りたいのに、「ロックダウン」や「オーバーシュート」のような聞き慣れない横文字ばかりが目に付きます。
今回の武田砂鉄さんは新刊『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年7月)を上梓した記念に、小池百合子の「わかりやすさ」について論じていただきます。

小池都知事を見習い、自著の宣伝につなげる


 東京都知事選挙で圧勝した小池百合子は、「新型コロナ対応に忙しくて、選挙どころではないんです」という態度で選挙に臨んだ。
『IPPONグランプリ』(https://www.fujitv.co.jp/ippon/)ばりの頻度で緑色のパネルを掲げ、「異例の感染症対応に勤しむ自分」と「従来の選挙活動で必死になっている候補者」を比較させることで、自分でなければならない必然性を高めていった。

 従来の選挙であれば、「変えましょう!」と声を張り上げたライバルに対し、「その必要はありません!」と応じる必要があるが、今回は「変えましょう!」に対して、「ちょっと今、それどころではございません」と逃げた。
 どんな事象でも自分の利益に変換しようと試みる彼女に通底する態度くらい見抜きたいものだが、今回ばかりはその姿勢を見習い、小池百合子を論じることで自分の利益を得る、つまり、発売したばかりの自著『わかりやすさの罪』の宣伝につなげようと思っているのだ。

ただただ、力強く言ってみただけ

 今、「わかりやすい」って、おおよそ褒め言葉として使われている。
 新たに「わかる」ことは確かに喜ばしいこと。
 理解が加わる状態が「わかる」だが、でも、昨今の世の中でもてはやされる「わかりやすい」って、「それさえ知っておけば、あとはもう、追いかける必要のないもの」だったり、「時間をかけずに全体像を教えてくれるもの」だったりする。
 つまり、これ以上、議論を巻き起こさないために、強引に交通整理する行為が「わかる」になっている。
 この1冊を通し、その危うさを論じてみた。

 強引な交通整理を繰り返したのが、新型コロナウイルスが感染拡大する中で、「今はこういう状態です」「これからはこんな感じでお願いします」とスローガンを撒き続けた小池百合子だった。
 一気に並べてみる。

・ 「ロックダウン(の可能性)」(3月23日)、
・ 「オーバーシュート(の懸念)」(3月25日)、
・ 「『密閉』『密集』『密接』の3つの密を避けて」(3月30日)、
・ 「STAY HOME」「STAY IN TOKYO」(4月23日)、
・ 「ウィズコロナ宣言」(5月29日)、
・ 「東京アラート」(6月2日)、
・ 「感染拡大要警戒」「夜の街要注意」(7月2日)
である。

 どれも力強い発声、自信満々な発表だが、それぞれを冷静に振り返ると、これ、ただただ、力強く言ってみただけである。

わざと雑にする

 皆が不安にかられているなか、動じない私を保つ。
 その私を更新し続けるために、次から次へと強い言葉を振りまいていった。
 もっとも批判を受けた「東京アラート」が象徴的なように、言ったところでどうなるわけでもない言葉であっても、「言ってみた私」という状態を維持することはできる。
『わかりやすさの罪』の中でも、「わざと雑にする」と題した章で、小池の言動を取り上げている。

 わざと雑にする、とはどういうことか。

 小池百合子は、関東大震災の発生後に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式について、この数年、追悼文の送付を見送るようになった。
 隣国に対する差別発言を続けてきた石原慎太郎でさえ送っていた追悼文をやめたのだ。
 追悼式を主催する市民団体が、もう一度考え直して欲しいと署名を提出したが、小池は、追悼式と同じ日に開かれる大法要ですべての犠牲者に追悼の意を表している、との考えを崩さなかった。

 東京都のウェブサイト「知事の部屋」(2019年8月9日)の記者会見の文字起こしに、こんなやりとりが残っている。

【記者】 共同通信の清です。毎年9月1日に開かれている関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式なんですけれども、これに追悼文を寄せられるご予定はありますでしょうか。

【知事】 昨年と同様で、その予定はございません。

【記者】 理由をお聞かせ願えますか。

【知事】 それは毎年申し上げてるとおりでございまして、毎年9月と3月に横網町の公園内の慰霊堂で開かれる大法要で、関東大震災、そしてまた、さきの大戦の犠牲となられた全ての方々への哀悼の意を表しております。大きな災害で犠牲になられた方々、そして、それに続いて、さまざまな事情で犠牲になられた方、これらの全ての方々に対しての慰霊という、その気持ちには変わりがないということでございます。

議論をせずに結論を投じる小池

「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって虐殺された人たちを、震災で亡くなった人とひっくるめて追悼するのだという。
 加藤直樹『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ころから、2019年7月)に詳しいが(ヤッホーくん注)、このところ、ネットを中心に、震災後、「虐殺はなかった」「本当に暴動を起こした」との主張が拡散されるようになってしまった。
 小池はなぜ、こんなに雑な判断をするのか。
 わざと雑にしているのである。
 わざと雑にしておくことで、極端な意見がすくすくと育っていく。
 育っていく様子を放置する。

 本書の中でもそれなりにページを割いているが、いわゆる池上彰的な「わかりやすさ」は、ひとまず議論の入り口に立たせるのだが(いつまでこのわかりやすさに頼るのだろうとは思うけれど)、小池百合子の「わかりやすさ」は、その場で議論を停止させる。
 先に並べた、コロナ禍に投じられたスローガンの数々を思い返して欲しいが、議論の活性化ではなく、議論を停止させるための言葉の連呼だった。

 どんな局面でも「わかりやすさ」が問われるようになってきた。
 こうなると、議論が煙たがられるようになる。
 いちいち話し合ってないで結論をちょうだいよ、と欲する。

 小池は、結論を投じるのがうまい。
 決して議論で解決しているわけではない。
「今、こんな感じです」とわかりやすく投じ続ける。
 コロナはスローガンでは退治できない。
 でも、「なんかいろいろとがんばっている気がする」を作ることはできる。
 実態は伴わない。
 この罪深き「わかりやすさ」を放置していいのだろうか。


ワダアキ考〜テレビの中のわだかまり〜、2020年7月8日
小池百合子の「わかりやすさ」の罪
(武田砂鉄)
https://cakes.mu/posts/30735

(ヤッホーくん注)TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち

 本書のサブタイトルに「なかったことにしたい人たち」とある。
 この存在が可視化されたのが、「あいちトリエンナーレ」の企画展『表現の不自由展・その後』の中止、という帰結ではなかったか。

 加害した過去を受け止めて平和を問う機会を、公権力が奪う。

「平和の少女像」などの展示を「自国ヘイト作品」と位置付ける芸能人まで現れた。
 表現の自由、女性の権利、それらを獲得するための長い歴史に、どこまでも無理解を貫く。
 でも彼らは、無理解を維持することで「なかったことにしたい」のだ。

 2017年、小池百合子都知事が朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文送付を取りやめた。
「個別の対応」をせず、全ての震災犠牲者に哀悼の意を表した、という。
 その判断が下される少し前、自民党都議が、追悼碑に刻まれた朝鮮人の虐殺犠牲者数について、「政治的主張」と述べた。
 その都議が論旨の骨格とした一冊が、工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、2009年12月)だった。

 1923年9月に発生した関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって多くの朝鮮人が虐殺されたが、近年、ネットを中心に「虐殺はなかった」などの主張が拡散されるようになった。
 この動きと小池の判断は、不気味に響き合っている。

 当時の新聞からネットの書き込みまで、通説をすべて引っ張り出して検証する執着に圧倒されるが、放置すれば「諸説あってはいけないのですか?」「悪いことをした朝鮮人もいた」などの曖昧な言い分と共に、「なかった」が増幅する。

 前出の工藤による書を入念に読み解き、「認識の誤り」ではなく、意図的に仕向けられた「トリック」だと明かす。
 無知ではなく、詐術によって歴史の土台を崩そうとする声が重なる。
 強引に仕立てられた説に、公権力が興味津々に近づいていく。
「なかったこと」にしてはいけない。
 その地点に何度も立ち返り、虚偽を残らず削り取ってみせた。


評者: 武田砂鉄 / 朝⽇新聞「好書好日」掲載:2019年08月17日
https://book.asahi.com/article/12633321

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小池百合子「日本人の血税をエジプトに」

「アゴラ」での連載の前回(「私は100%エジプト人なの」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61171)で取り上げた「カイロ大学、小池都知事のために都知事選に“点火”」(エジプトのニュースサイト「アルバラド」)などの一連の記事に関し、SNS上ではこんな書き込みがあった。

 “東京都知事! 誰とやりとりしているんですか?”

 “この証言(カイロ大学声明)は怪しい。エジプト政府の声明だから、疑念をもって当然だ”

 “(この記事は)偽りを語っている。それは、神のためではなく、自分自身の満足、そして腐敗した支配者のためだけに”

 さすがは独裁専制下で生きてきたエジプトやアラブ諸国のネットユーザーたちだ。
 小池氏の学歴騒動の深層について、お見通しである。
 小池氏とエジプト政府間の癒着や腐敗、それを覆い隠すエジプト政府のプロパンガンダを見透かしているのだ。

エジプト流プロパガンダの真髄を見せた動画

 そんな小池記事への書き込みが盛り上がった数日後、元記事を掲載したニュースサイト「アルバラド」に妙な動画がアップされた。

「サダム・フセインと東京都知事 ―カイロ大学の卒業生たち」と題するものだ。
 いわずと知れたフセイン元イラク大統領と小池百合子東京都知事のことである。

 これがエジプト流プロパガンダの神髄である。
 いくら疑念や疑問が寄せられても、一切答えず、さらに大きな“誇張“や”法螺“をかぶせていく。
 それを何層にも重ねることで、疑念を持つ者の追求心をそぎ、真相を闇に葬り去る。
 すべてはエジプト国家に有利な言論空間を生み出していくためだ(参考文献:小池氏を子飼いにしたハーテム著『プロパガンダ:理論と実践』未邦訳)。

 プロパガンダの各層を丹念にみていけば一見、脈略がなさそうでも重要なメッセージが込められていることがある。では、この動画に何の意味があるのか。タイトルにある「サダム・フセインと東京都知事」―――2人の共通点は何か。

小池氏とフセイン元大統領の共通点

 2人は奇しくも、カイロ大学での学歴について真偽が取り沙汰されてきたという共通点がある。
 さらに、2人とも要人になった途端、エジプト軍閥がカイロ大学の偉大な卒業生として公式に発表し、賞賛されるようになった人物という稀にみるもう一つの共通点がある。

(ちなみに、フセインはカイロ大学中退説が根強かったが、後年、本人の自伝で法学部2年中退と認めている。その点、小池氏とちがい、正直で潔い。しかし、エジプトは本人が中退と認めていても、自国にとって有利だとみなせば、勝手に卒業公認をする国柄である。小池氏の場合は、フライングして卒業自認(学歴詐称)してしまうが、後に超法規的に公認されるという変則ケース)。

 実は2人にはもう1つの共通点がある。
 カイロ大学の外国人特別待遇枠である。

 カイロ大学では1954年の粛清後、小池氏が留学する70年代まで、特殊な外人留学枠が存在していた。
 1つはアラブ諸国で反政府活動をする若者を亡命させ、ナセルの「アラブの大義」で洗脳し、国に戻ったとき工作員にする枠。
 サダム・フセインもその1人だった。

 もう1つは表向き文化的だが、同様にエジプトの国策に都合のいい将来のエージェント育成のため、非アラブ特定国の若者を優遇する枠。
 ハーテム氏は情報相のトップとして、アジアやヨーロッパ諸国の若者受け入れを推進すると同時に、それらの国々の議員と友好協会を立ち上げていった。

 ハーテムは同協会会長としての功績として、以前とりあげたとおり、2つ功績をあげる。
 1つ目は「数百億円にのぼる巨額の援助を日本政府から引き出したこと」、そして2つ目は「小池百合子を『子飼い』にしたこと」である(アハラーム紙2004年6月21日)。

 エジプト軍閥の子飼いになってから40数年後、ハーテムの後継者として、小池氏は最大の栄誉の瞬間を迎えることになる。

 “シシ大統領は小池百合子元防衛相(1976年カイロ大学文学部アラビア語学科卒)が率いる日本エジプト友好議員連盟会長と面会し、謝意を表した。彼女がエジプトとの関係発展に注意を払い、両国関係を有利に進めている事柄に対してである。”
(2016年3月4日アハラーム紙)

 小池氏は、エジプト軍閥の統領からよくやっていると褒められたのだ。
 何を褒められたのか。

小池氏が300億ODAの発端を示す証拠

 同じ記事のなかで、「エルシシ大統領の日本訪問では、教育プログラムに関連して多くの目標を達成した」とある。

 教育関連で一つはっきりしている2カ国間案件がある。
 三百数十億円にのぼるエジプトへの日本のODA(政府開発援助)による教育支援策「エジプト‐日本教育パートナーシップ(EJEP)」で、シシ大統領から小池氏が謝辞を受けた1ヶ月前に発表されたものだ。

 その1年前、小池とシシ両氏のエジプト大統領府における会談内容をみれば、エジプトへの教育支援ODAへの小池氏の具体的な関与が明らかになる。

 “シシ大統領は小池氏のエジプトへの支援を賞賛」したうえで、「教育分野において日本の経験から利益を得ることについて、エジプトの関心を表明した。”
(「アルマスダル紙」ネット版2015年5月3日)

 “シシの関心に対し、「小池氏はエジプトと日本の関係を強化する努力を惜しまない」(同上)と後押しを表明。”

 “さらに、小池氏は「私がエジプトを大切に思っているのは、公式のレベルだけでなく、個人のレベルのことである」と語っている。”(同)

 つまり、小池氏こそがエジプトに対する300億超の教育支援ODAの発端であり、窓口だという会談内容である。
 加えて、この教育事業は個人レベルの話だとの意味深な発言も含まれる。

 本人発表でも、「小池議員も大統領の認識に賛同し、日本の優れた初等教育の方面からの協力が効果的であり、喜んで協力する準備があるとの発言を行った」(小池百合子衆議院事務局のプレスリリース2015年5月4日)と認めている。

「エジプト‐日本教育パートナーシップ」には2つの事業がある。
 ひとつは、「エジプト・日本学校(小中学校)支援プログラム」(総額186億2,600万円、エジプト大使館文化・教育・科学局発表)で、小池氏が言い出した“初等教育の方面からの協力”そのものである。

100億円を見返りにした“美しい対応”とは?

 もう一つが「エジプト人留学生・研修生」受け入れ事業で、総額101億9200万円(同)である。

 これが、先の小池発言「個人レベルのエジプトへの思い」にもとづく事業のことである。
 先ほど引用したアハラーム紙記事の記者が種明かしする。
 長文記事の最後に「小池の経験とエジプトへの美しい対応」と題するコラムを寄せている。

 “以前、小池氏に取材した際、こう語っていた。故ナセル大統領が外国人学生に対し、奨学金を提供するという重要な政策を採用していたと指摘し、彼女自身もエジプト政府から月額8エジプト・ポンドの助成金を受け取っていた。
 ナセルの行った投資は有益で成功だったでしょ。だって、そうじゃない!
 小池氏は今日、日本政府のエジプトの学生に対する広範囲な奨学金プログラムについて、強力な支援者である。”

 記者は「美しい対応」と題し、いかにも美談のように語るが、まったくちがう。
 小池氏が自分のエジプトからの借りを今回、100億円にして返しましたよという下品な話だ。
 問題は、言うまでもなく日本人の税金を使い、ODAの形でエジプトへ見返りを続けている点である。

 小池氏は、ハーテム博士に対して、エジプトやエジプトの友人のために奉仕するプロジェクトを話題にした。(アハラーム2011年9月3日付)

 連載1回目で引用した発言のとおりだ。
 軍閥から弱みを握られた小池氏のエジプトへの見返りについて、今回、現地メディア(軍閥・情報部の従属下にある政治機関)にもとづき明らかにできたのは氷山の一角である。

 ただ確実に言えるのは、都知事としての公約実現はゼロだが、エジプトへの公約(見返り)は長年、果たしているということである。
 小池氏は彼らに生殺与奪を握られているのだ。

※ 本稿は言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された「エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命B エジプトへの個人的な見返り、日本人の血税300億円超(特別寄稿)」(http://agora-web.jp/archives/2046954.html)を転載したものです。

[写真-1]
エジプトの首都カイロの街並み

[写真-2]
小池氏とエジプト・シシ大統領。この会談で大統領は小池氏に礼を述べるが、その理由とは・・・?!

[写真-3]
小池氏とフセイン元大統領

JBpress、2020.7.4(土)
日本人の血税を忠実にエジプトに差し出す小池氏
エジプトからの個人的な借りを巨額ODAで“返済”

(浅川 芳裕)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61179

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野田数、東京水道(株)社長

私たちの生活に欠かせない「水」。
東京都の水道事業が人口減少や施設の老朽化に直面する中、将来にわたり持続可能な事業を運営するために、2020年4月1日、技術系業務と営業系業務・IT系業務が統合し、日本最大級の水道トータルサービス会社「東京水道株式会社(Tokyo Water)」が誕生した。
水源から蛇口まで、水道業務全般を担うという新会社設立の経緯や水道事業の未来について、野田数社長に話を聞いた。

―― そもそも東京水道株式会社(Tokyo Water)とは何をする会社なのでしょうか?

野田数: 東京都の水源管理から、配水管の設計・工事監督、料金徴収までの水道事業を総合的に担う、“日本最大級の水道トータルサービス会社”です。
 これは、東京都独自の政策なのですが、政策連携団体という位置付けで、都が株式51%以上保有していることなど、外郭団体の中でも都との連携が強い団体を指します。
 いわゆる第3セクターですね。
 当社は東京都が80%の株を保有する安定した企業です。

―― 今話題の「水道の民営化」のための会社ですか?

野田数: 民営化とは全く関係ありません。
 昨年2019年10月の改正水道法の施行により、都民の皆さんは東京都の水道が民営化するのではないかというご心配があるかと思いますが、東京都水道局としては、民営化は検討していません。
 現在は、事業運営や施設整備計画の策定など、コア業務を東京都水道局、準コア業務を政策連携団体が行なって、その他の業務を、街の水道屋さんや工事業者さんが支えています。
 東京都の政策連携団体である当社は、東京都水道局と一体となって、東京の水道事業を支えていく役割を担っていきます。
 具体的には、東京都水道局が行ってきた大規模浄水場の運転管理など、主に現場系の業務の大半を我々が受けるような形になります。
 こうした維持管理を担う第3セクターは全国にありますが、弊社は社員数でいうと2600人、日本最大級の規模です。

―― このタイミングでの設立にはどのような意味合いがありますか?

野田数: そもそも水道法が改正された背景は、各自治体が、単独では水道事業を維持できなくなっていることからなんですね。
 水道施設の老朽化によって、施設更新のタイミングに来ていても、財政状況が厳しく、更新できない。こうした状況から、官民連携で合理化して水道事業を維持するというのが目的です。
 もうひとつは、水道事業に携わる技術者の不足や人材確保の問題があります。
 特に、東京都水道局の管轄エリアは、23区や多摩地域含め、東京全域です。
 1300万人の都民の水を支えるために、新会社で合理化を進めて、東京の水道を安定的に供給していくということが求められます。

―― 野田さんは昨年、東京水道株式会社の前身となる東京水道サービス株式会社の社長になられましたが、どのようなことに努められましたか?

野田数: 大きなミッションは、統合準備と社内のガバナンス強化です。
 統合にあたっては、それぞれの会社で文化が違うので、今後も社内の言語を一体化する必要があります。
 また、採用難への対策です。
 東京都水道局の業務が弊社に移管されるにあたり、業務量の増加に備えて、若手技術者を多く確保しなくてはいけませんでした。
 当初は、理系の学生が減っているという背景もあって、採用数は右肩下がり。非常に厳しい現実に直面していました。
 こうした課題に対して、東京水道サービス(株)では氷河期採用や中途採用の通年採用などを行い、採用数を60%ほど増やすことができました。
 また、社のブランディング強化に取り組みメディア掲載は前年比の10倍以上になりました。
 待遇の改善などで社員のモチベーション維持に取り組んでいます。

―― 新会社設立によって、都民生活はどのように変わりますか?

野田数: お客さまの問い合わせ窓口と、事故対応などを担当する技術部門が一体の会社になることで、お客さまへのサービスは向上すると考えます。
 また、一体となることは、災害対応においても重要です。
 昨年の台風19号では、奥多摩町と日の出町で道路が崩落しまして、断水地域が発生しました。
 その断水エリアへの給水作業を東京都水道局からの要請で支援したのが当社です。
 道路が崩落したエリアの先の地域に水を届けるために、ポリタンクを一世帯に2つずつ運んで、全戸へ配布したり、復旧作業にあたりました。
 大きな災害の時に最前線で応急給水や応急復旧に当たるのが私たちTokyo Waterです。
 災害対応の人数が足りないときには、当社も応援に行けるなど、今後このように一体となって、よりスムーズな災害復興が可能になります。

―― 世界に目を向けますと、東京都の水道は海外からも高い評価を受けているそうですね。

野田数: そうですね。かつて20万人を対象に、東京水と市販のミネラルウォーターの飲み比べをしましたところ、美味しいと答えた人の数がほぼ同じだったんです。
 品質が非常に高い。
 また東京都は、水道水が家庭の蛇口に達する間にどのくらい漏れるかを表す“漏水率”が世界屈指の低さです。
 ロンドン26%、NY8.3%、東京都は3.5%と、世界の主要都市の中でも圧倒的に低いんです。
 東日本大震災でも都で水道管が壊れたことはありませんでした。
 地震大国でこれだけの低い漏水率を維持しているのは、121年の技術の賜物だと考えています。
 こうした背景には、土地の狭い日本でダムを作るときに、“水を大切にしなければいけない”というインセンティブが働いていたこと、またヨーロッパなど水源が豊かなところに比べて、日本は計画的に水道管を更新してきたことがありますね。
 資源が少ない代わりに“無駄を排除しよう”という日本人の几帳面な気質の上に成り立っていると思います。

―― 海外事業についても積極的に関わっていらっしゃいますね。

野田数: そうですね。
 ODAの事業では国内のコンサルタント企業とJVを組んでいます。
 例えば、ミャンマーでは、現地の企業と当社などが、ヤンゴン市の漏水率の改善に取り組んでいます。
 また、マレーシアでは、現地で研修フィールドを作って水道技術を現地に提供するなども行っています。
 途上国では有収率(収入を得られる水の割合)が低く、十分な水道料金を得ることができない国も多いんですね。
 水が漏れていること、また水が盗まれていることなどもよくあるようです。
 水道事業を行う上で、そうした問題を改善するために維持管理の基本を伝えたいという思いがあります。
 このように当社は人を育てる、技術を伝える事業が多いため、SDGsにも貢献していけると考えています。

―― 最後に、都民に一言お願いします。

野田数: 4月から新しい会社Tokyo Waterが発足しました。
 当社の車が都内各地を走り、水道の安定供給のために日夜奮闘しております。
 都民の皆様により安心して生活していただけるように、頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いします。


[写真]
のだ・かずさ 1973年川崎市生まれ、46歳。97年早稲田大学卒業。2016年の東京都知事選挙で、小池百合子選挙対策本部の最高責任者を務める。同年8月、東京都知事特別秘書(政務担当)に就任、「都民ファーストの会」を設立。19年3月に特別秘書を退任、同年5月、東京水道サービス株式会社代表取締役社長に就任。20年4月より、東京水道株式会社代表取締役社長。

Tokyo HeadLine、2020.04.13 Vol.729
[東京水道株式会社 野田数社長]
水源から蛇口まで。日本最大級の水道トータルサービスが4月誕生

(聞き手・一木広治)
https://www.tokyoheadline.com/492802/

 東京都多摩地域の各市は、未統合の武蔵野市、昭島市、羽村市以外は現在は水道担当部門がなく、東京水道サービス鰍ニ鰍oUCが水道の業務を行っています。
 多摩地域では、八ッ場ダムの運用が開始される来年2020年度から、現在は水道水源として利用している地下水を河川水に切り替えることになっています。

 2019年5月に東京水道サービス鰍フ社長に就任した野田数氏(小池百合子・都知事の元・特別秘書、元・都民ファーストの会代表)は、「東京水道グループには、120年の歴史に裏打ちされた世界最高レベルの技術力があるので」、日本版「水メジャー」を目指すとの”大志”を明らかにしたと報道されています。

 今年2019年10月に改正水道法が施行され、水道民営化の道が開かれます。
 野田氏はこの水道民営化の受け皿を狙っているように思います。

 東京水道労働組合が2019年8月28日に発行した「東水労情報」より、関連情報を転載します。
 2019年6月7日、東京水道サービス株式会社は、2019年度の経営方針と目標〜未来に向けた進化のためのアクションプラン〜を発表し、株式会社PUCとの統合を見据えて、統合後に日本最大級の水道トータルサービス会社として、東京、そして国内外の水道事業に対する貢献への期待に応えるとして、国内の事業者の包括受託や広く世界に向けた事業展開をするとしています。
 またプランの発表に伴い、日経や都政新報の取材に対して、野田数社長は「将来的に和製の水メジャーになるための土台を作る」との考えを明らかにしています。

 しかし、会社の現状は職場内でのパワハラの横行とプロパーが育ちにくい昇任制度、企業体質もあって、離職率が極めて高いのが実態です。
 まずは社員や労働組合に対して真摯に向き合い、企業体質を改善させていくことが急務です。
 その上で、安易な民営化、コンセッション方式導入に肩入れするのではなく、労働組合や市民との対話により持続可能な水道事業を考えていく必要があります。

「公共サービスの産業化」は、収益の上がる部分については企業が利益をむさぼる一方、不採算部門が切り捨てられたり、その負担が住民に押し付けられ、あるいはサービスに格差が生まれるなどの問題を引き起こしかねません。
 国鉄分割民営化によるローカル線の切り捨て、JR北海道脱線事故で浮き彫りになった検査データ改ざんなどの安全軽視がそのことを如実に物語っています。
 自然災害が相次ぐ中で、災害時の地方自治体の役割はますます重要になっています。
 いうまでもなく、非常時の対応は日常業務の延長にあり、災害時に何よりも力になるのは日頃の業務で培った技術とノウハウです。
「公共サービスの産業化」は、災害時の迅速・適切な対応を脅かしかねません。

八ッ場あしたの会、2019年9月15日
「水メジャー」目指す
東京水道サービスの野田数社長

https://yamba-net.org/48492/

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2020年07月08日

伊東乾「20人に1人は死ぬ、と考える」

 6月末日、東京都が新型コロナウイルスの対策本部会議を開き、見直しを進めてきた新たなモニタリング項目を取りまとめたとの報道がありました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200630/k10012490111000.html

「感染状況や医療体制を専門家に分析してもらい、都が評価して注意喚起するかどうかを判断」するということで、7月1日から試験的に運用されているらしいのですが・・・。
 先に結論を記します。
「くるくるぱぁ」の仕儀と断じざるを得ません。
 私が言っているのではない。
 米ハーバード大学やニューヨーク大学、英オックスフォード大学など世界の指導的専門研究機関12大学で構成する「グローバルAI倫理コンソーシアム」での議論です。

 このコンソーシアムで、東京都の話題を提供したところ、「意味がない。理解不能」と判断されました。
 なぜでしょうか?
 ダメの三段重ね、意味不明の重箱がおせち料理のように三重に重ねてあるから、一般読者の印象に残りやすいよう「くる」「くる」「ぱぁ」と記述してみました。
 具体的に見てみましょう。

どこの「部族長老会議」か?

 東京都は「新たな感染者数」や「感染経路が分からない人の数」や「その増加比率」「入院患者の数」など「感染状況と医療体制を示す7つの項目」を、前の週や緊急事態宣言が出されていた期間中の最大値と比較しながら「専門家に分析してもらう」という。
 これがまずダメの1段目。
くる」です。

「専門家の分析」の結果をもとにモニタリング会議を開いて「都が」現状を評価、状況が悪化したと判断した場合は、都民に不要不急の外出自粛の協力など注意喚起を行うというのが、ダメの2段目、雛飾りや五月人形でいえば二段飾りとでもいえそうです。

 手順だけの虚飾ですが、「くる」の2つ目

 そして、最終的なダメの致命傷が、「新たなモニタリング項目に、都民に警戒を呼びかける基準となる数値は設けない」というものです。
 これはもう、誰が見てもシラフなら分かる「ぱぁ」の仕儀で「メン」「タン」「ピン」ではないですが、ダメがダメを損ねて終わりつつある「くるくるぱぁ」な状況でしょう。

 少なくとも2020年代のデータ駆動型、知識集約型グローバル社会の中ではあり得ない「部族長老会議」での対応となっている。
 よろしいでしょうか?
 世界各国では、時々刻々のコロナ関連データが正確にオンラインで集計され、人間の談合、適当な腹芸ではなく、地域内での最適化などシステムを駆使する対策が取られ、あるいは急ピッチで準備されています。

 ところが日本のシステムは、ファックス送信データを手打ちするとか、もうお話にもなっていないことが報じられたのを読者もご記憶と思います。
 どれくらい正しいのか分からない、また場合によっては数字に手心を加えられる、システマティックでないデータをもとにまず、専門家に分析評価「してもらう」・・・。
 これは要するに、行政としての責任を取らず、正体不明・責任所在も不明で着脱自在の「専門家会議」の相談、もっと露骨に書くなら「談合」でたたき台を作らせるわけですから、この時点で客観性がほとんどない。

 サイエンスの教育を受けた人なら、データとして信用できないと断じる必要がある「センテンス」が出てくる。
 いわば「部族会議1」ですね。

 この「センテンス」を、さらに別の「部族会議2」、いわば長老会議を誰が主催するのか。
 女酋長か何か分かりませんが、ともかくやはり「人間が相談して」よきに計らう、と言っている。

 さらにその際、判断の基準となる数値は設けないというのは、最初から、責任を人に押しつけた「センテンス」をもとに、好き勝手な匙加減で物事が決められてしまう。

 しかも、手続きだけは仰々しく、だから一度決まったものは容易に変えられないという、大学内にもかつて山ほどあり、急ピッチで解体改革が進められているような「陋習」、ダメ儀式の典型になっている。
 行政側がこのようにしたいのは、よく分かります。
 つまり、余剰の病床数とか、今後の推移によっては何がどうなるか分からない。
 ここは融通の利きやすいよう、あれこれ後々自らの首を絞めかねない指標は避けたい。
 さらに時節は都知事選の真っ最中、選挙人気も目に入れながら、下手に数値などは定めず、「柔軟」に対応していきましょう・・・ということでしょうか。

 しかし、このコロナの状況下での対策、持続化給付金一つとっても「柔軟な対応」に任せた結果がどうなっているかは、天下に周知のとおりです。
「柔軟」ではなく「放埓」と断じねばなりません。
 何が求められているのか?
 根拠に基づく政策、エビデンス・ベースト・ポリシーが2020年代のグローバル・スタンダードにほかならないのです。

「有力者」の声が大きいという、フィリピンかブラジルみたいなガバナンス不在は、本当に、世界に恥じるべき失態と国民一般が理解共有する必要がある。

 日本の痛いところです。

何を信用すればよいか?
グローバルデータの「正気」に聞け!


 つまり、都が出してくるあれこれは根拠がない。数値の裏づけが欠如している。
「情報はあり余るほどあるけれど、私たち素人には、何を信用したらいいのか分かりません、どうしたらいいんですか?」という問いが常にあります。
 そこで「専門家を信用しなさい」というのですが、例えば福島第一原子力発電所の事故以降、どの程度妥当でしたか?
 今のコロナ対策はどうですか?
「人」や「権威ある先生」ではなく、データそのものを直視する、データ駆動科学(Data-Driven Science)の基本姿勢を強調したいと思います。

 2020年7月1日現在、全世界でどの程度コロナの被害は出ているのか?

 最新のデータによれば、全世界の総感染者数=1059万1079人、総死者数=51万4021人です。
 そこで、死者数を感染者数で割り算して恐ろしい名前ですが、致死率=0.04853…となる。

 1000万人が罹患して、50万人死ぬ、致死率約5%の病気であるという、グローバルデータを直視した「正気」の原点をまず押さえておきましょう。

「8割おじさん」といってもまだ若い人ですが、彼が42万人という犠牲者数に言及したことを「済んでみれば何でことはない」「大げさ」などと非難する文字列も目にしました。
 そういうのはサイエンスの1の1を知らない落書きで、全世界ではすでに非常に多くの人が亡くなっている。
 日本や東京都の人口や罹患率を念頭に置けば、7月1日時点で全世界の1000万患者数に対して50万人死亡という現実は、東京都の1400万都民に対して、42万人死亡するかもしれないというデータです。
 この予測は、およそ穏やかなものであったと言わねばなりません。
 何も大げさなことではない。
 今年1年、あるいは向う3年、今回パンデミックでの総死者数の推移をみて、杞憂であったと言えればまだしも、グローバルに見ればいまだ第1波がウナギのぼりの最中に、すでに済んだと勘違いするようなことがまず間違いです。
 7月頭時点での感染者数増大は、第1波の拡大を都市封鎖で押さえ込んでいたのが、規制が緩むと同時に必然として増えている「第1波ど真ん中」以外の何ものでもない。
 同様にマクロなデータを確認すると、興味深い事実が浮かび上がってきます。

「20人に1人は死ぬ」と考える

 幾つかデータを並べてみましょう。すべて2020年7月1日時点の数字です。
米国
 総感染者数=272万7853人、総死者数=13万0122人、致死率=0.0477…
ブラジル
 総感染者数=140万8485人、総死者数=5万9656人、致死率=0.0442…
ロシア
 総感染者数=64万7849人、総死者数=9320人、致死率=0.0143…
インド
 総感染者数=58万5792人、総死者数=1万7410人、致死率=0.0297…
英国
 総感染者数=31万2654人、総死者数=4万3730人、致死率=0.1398…
スペイン
 総感染者数=29万6351人、総死者数=2万8355人、致死率=0.0956…
ペルー
 総感染者数=28万5213人、総死者数=9677人、致死率=0.0339…

 これと、先ほどの全世界の数字、総感染者数=1059万1079人、総死者数=51万4021人、致死率=0.0485…を比較してみると、米国やブラジルが平均程度、ロシアが低いのは本当の数字なのだろうか?
 インドの方が米国より致死率が低く出てしまっているのは、どういう統計によるものだろう?
 欧州の致死率は世界平均の2倍や3倍になっている・・・など 素朴な疑問が浮かび上がってきて当然でしょう。

 ここで必然的に問わねばならないのは、日本の数値になります。

日本
 総感染者数=1万8593人、総死者数=972人、致死率=0.0522…
 約5%の致死率というのは、全世界平均と大体同じ程度と分かります。

さらに東京都を見てみると
東京都
総感染者数=6225人、総死者数=325人、致死率=0.0522…

 計算間違いかと思い検算してみましたが、きれいに数字が合っていました。
 つまり、いま公表されているデータがどの程度信用できるかは別にして、日本で、あるいは東京で、新型コロナウイルスに罹患したら、5%の致死率、は世界平均に照らしても納得のいく数字です。

 記憶しやすいハンディな「黄金律」として整理するなら、この病気に罹ると20人に1人は死ぬと考えておくと、メディアなどで日常的に目にする数字を判断しやすい。

「本日、東京都で確認された感染者数は60人」という報道があれば、「3人亡くなるのだな」と理解するのが安全です。

「本日は50人を割って40人でホッとしている」などとアナウンサーが言ったとしても、「ああ、2人も亡くなるのだな。マスコミというのは原稿を棒読みにするだけで、何も考えておらず無責任だな」などと考えるのが、より慎重かつ賢明と思います。

 7月1日の感染者は日本全国で75人、東京都内だけで67人との報道。これは、
・ 世界標準で考えれば 3.6人
・ 日本の値で考えれば 3.9人
亡くなると報道していると解釈すべき数字です。
 つまり今日だけで、4人が新たに亡くなるのです。

 これをどの程度「大したことない」数字と思うか、それとも警戒すべき犠牲者数と考えるかは、読者一人ひとりにお任せすることにしますが、何にしろ東京都は何の数値基準も設けないと言っている。
 これを責任ある行政の態度と考えることができるか・・・。

 グローバルAI倫理コンソーシアム内の見解は、冒頭に記した通り、こんなものは箸にも棒にもかかりません。

「選挙前」などのミクロな政治状況で左右されるパンデミック対策ほど、愚かな話はなく、そんなものに左右される東京都民は(私もその一人にほかなりませんが)誠に不運、不幸と言うしかありません。

[写真]
東京都の指標を示さない新型コロナウイルス感染症対策には世界中から疑問の声が

日本ビジネスプレス JBpress、2020.7.7(火)
米英大学からバカ呼ばわりされた東京都
「基準を設けない対策」は都知事選への政治利用か

(伊東 乾)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61146

※ 伊東 乾(いとう けん、1965年東京生まれ)

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安田登「優雅な貧乏生活のはじまり」

 2ヶ月ほど続いた外出自粛生活もようやく終わりました。
 この2ヶ月間、近所に出かける以外は家で静かにしていたという人もいたでしょうし、そんなことは言っていられずふつうに通勤していた人もいたでしょう。
 私の職業は能楽師ですが、3月以降の舞台や講演、ワークショップがほぼゼロになりました。7月まではこれが続いているので、なんと4ヶ月間、無職です。
 収入ということ考えるとつらいのですが、これはこれで案外楽しいし、気楽です。
 街を歩いても人にぶつかることはないし、電車に乗ってもすいている。もう、以前のような生活に戻れないかもしれないと、いまはむしろそれが心配です。
 それに第二波、第三波がいつ襲ってくるかわからない。今回はひとり10万円の特別定額給付金や、持続化給付金などと政府もがんばりましたが、第二波、第三波のときには、それもどうなるかわからない。

 実はこんなときのために、10年以上も前から、「優雅な貧乏生活」という生き方を企画し、提案をしています。

 お金を使わず、しかし優雅に生活をしようということをすすめる生き方です。

 今回の新型コロナ騒動で突然、貧乏生活になってしまったので、すぐさま実践です。


 自粛期間中は、からだをあまり動かさなくなったので食事は二食で問題ない。
 朝はトースト一枚とコーヒー、夜だって一汁一菜プラス魚か肉少し。魚や肉はなければなくてもかまわない。まるで禅僧になったような気分です。

 優雅な貧乏生活で、最も大切なのは「優雅さ」です。
 こんな生活が長く続いたら、私のような舞台生活者は収入が完全に断たれるでしょう。
 ひょっとしたら生活保護を受けるようになるかもしれません。
 しかし、そんなときこそ大切なのが「優雅さ」なのです。

 たとえば街のカフェでコーヒーを飲む。安いところでも200円くらいはかかります。しかも、チェーン店のカフェではあまり優雅ではない。
こんな時に、優雅な貧乏仲間を集めての「優雅な貧乏茶会」をします。
『不思議な国のアリス』のお茶会のように、楽しく、でも、ちょっと変わったお茶会です(詳細は後日書きますので、今日はざっくりと)。

 まず、通販サイトでお稽古(けいこ)用の抹茶(まっちゃ)を購入します。100gで500円から1,000円。薄茶でお茶を点(た)てるときは1人前約2gなので、100gで50人分は使えます。1人分、10円から20円です。街中のコーヒーの10分の1から20分の1!
 お抹茶用の茶碗は、最初は100円ショップのものでいいでしょう。旅先で、ふと目に留まった茶碗などを買っておくのもいいですし、骨董市に出かけて探してもいい。なければドンブリでもかまいません。
 茶筅(ちゃせん)や茶杓(ちゃしゃく)も100円ショップで買うことができます。
 お茶を習ったことのある方ならば、それこそ作法に則(のっと)ってお茶を点てます。
 習ったことのない方のためには、あとでその方法を紹介します。
 むろん、我流でも問題はない。プライベートな茶会なので誰はばかることはありません。自分で「●●流」なんて作ってしまうのもいい。
 ただし、弟子を取ろうなんて思わないこと。弟子からの上納金で生きて行こうなんていうのは「優雅な貧乏生活」にはご法度(はっと)です。

 そして、あくまでも「優雅」に、そして丁寧に行う。
 お茶の点て方も、茶会も作法にのっとって行い、あとでみんなで俳句をひねったり、連句をしたりするのもいいでしょう。
 俳句の詠み方なども紹介しますね。

 むろん、自粛期間中はそんなことはできませんでした。
 なので、友人たちとオンライン茶会をしました。
 お茶の点て方を知っている人だけなら、みんなでシャカシャカお抹茶を点てるのもいいのですが、そうでない場合は各自好きなお茶を用意します。
 あ、これもお茶である必要はなく、コーヒーでも、紅茶でも、ジュースでも、コーラでもOKです。
 その他のものも好きでいいのですが、私が主催する場合は以下のものも用意してもらいます。むろん、なければなくてもかまいません。
(1)お茶(ジュースなどでも)
(2)好きなお菓子
(3)好きなアイテム
(4)五音のお題

 お茶会は次のような手順で行います。
 オンラインに入って来た順(私が最初)に、今日用意して「お菓子」について話をします。
 語り過ぎると嫌味になるし、少なすぎるとぶっきらぼう。この塩梅(あんばい)が難しい。
 しかし、そういうことを通して「優雅な貧乏生活」術を学んでいきます。
 参加者は、それに対してコメントをします。
 これも同じ。しゃべりすぎると嫌味だし、少なすぎると「そんなことには興味がない」ということを(そういうつもりがなくても)示すことになります。

 ひと通り終わったらお菓子をいただきます。
 オンラインのお茶会では、食べる音なども気になりますので、食べるときは音はミュートにします。
 でも、食べながら、お菓子についてお話をするのもいいですね。ただし、口の中に入れながらしゃべるのはダメです。

 次にお茶について話をします。
 茶器についても話してもいいでしょう。
 また、ひと通り終わったらミュートにしてお茶を飲みます。
 実際に飲んでみてのコメントもいいですね。

 次に用意したアイテムについて、話をします。
 ここから先は雑談のように自由に。ただし、オンライン飲み会との違いは、あまりしゃべらないこと。無音、無言を大切にします。オンラインで無言は難しいものです。不安になります。
 だから最初に「あまりしゃべらないようにしよう」と決めます。
 そして長居は無用。
 参加人数にもよりますが、1時間を目途に切り上げます。

 外出自粛期間中はこのようなオンラインお茶会を何度かしました。

 さて、これから「優雅な貧乏生活」についてお話をしていこうと思っていますが、「心・技・体」の3方面からお話していきます。
*************
(1)【心】心構え・生き方
(2)【技】具体的な方法・生活
(3)【体】作法・身体技法
*************
(1)の【心】は、貧乏をいかに優雅に楽しむかということについて、おもに江戸時代の俳人たちの心構えを紹介します。

(2)の【技】は、いまお話したお茶をはじめ、お金をかけずに優雅に生きるための具体的な方法を紹介します。
いま考えているのは以下のことです。
・お茶の点て方
・茶会のしかた
・一汁一菜のすすめ
・着物生活のすすめ
・四畳半を小宇宙として生きる
・オンライン版茶会の方法

(3)の【体】は、優雅に元気でいるためのインナーマッスル・エクササイズなどを紹介しようと思っています。

では、お楽しみに〜!

あさひてらす、2020.06.04
優雅な貧乏生活のはじまり
(安田登)
1956年千葉県銚子市生まれ、能楽師。
https://webzine.asahipress.com/posts/3643

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2020年07月07日

来年もまた都知事選があるかもしれない

 東京都知事選挙は小池百合子さん(カイロ大卒)が当選。おめでとうございます!

3年前の「嬉しそうな顔」を忘れられない

 しかしこの圧勝により、来年も都知事選があるかもしれない。
 私は忘れられないのだ。小池氏が3年前に希望の党を結成したときに見せた国政復帰、いや、首相就任への色気を。自分に風が吹いていることを確信した嬉しそうな顔を。
 希望の党はどこかにいったが小池氏はまたしても希望を抱き始めたはず。希望は「野心」と変換してもいい。
 私だけの見立てだと思ったら違うようだ。都知事選翌日の紙面を紹介する。

「小池氏の心は国政へ?」(日刊スポーツ)

《都知事というポストには関心があるが、都政には関心がない小池さんは来年秋以降、国政に戻ることを考えるのでないか。自民党の二階敏博幹事長への接近の仕方を見ると、自民党に受け入れられる形をつくり、後継者のいない二階派を継承することを考えているのではないか。》
(東京都庁の元職員でもある佐々木信夫中央大名誉教授)

 さらに日刊スポーツ名物コラム「政界地獄耳」は、
《政界での興味は、選挙上手で抜群の政局勘を持つ都知事・小池百合子がいつその座を明け渡して国政に逃げ込むか、その時にどの党でどういう形で転じるのかが焦点だ。》

 えー、もうそこまで? 地獄耳が過ぎる。

「“夜の街” 要注意」フリップのインパクト

 圧勝した小池氏の手法は直近でも「見せ方」「インパクト」にこだわっていた。
 東京都で新型コロナウイルスの新たな感染者が124人確認された7月3日、小池都知事は定例会見であらためて「“夜の街” 要注意」というフリップを掲げた。しかしその下には、
(ガイドライン遵守店を除く)

 エーーーー、これだと「夜の街」というインパクトがまず印象に残っちゃう。
 この手法は何かに似てると思ったら東スポの見出しだ。

「ツチノコ発見」と思いきや最後に小さく「か?」。東スポの場合は芸であり愛敬だが、都知事がこんな煽りをしたら、きちんと対策している店までイメージが悪くなる。

 ウイズコロナとは言うがウイズ夜の街とは言わない都知事。「夜の街」は「都議会はブラックボックス」のようにターゲットになった。敵をつくって叩く例の手法ともいえる。

本当に圧勝した現職都知事なの?

 相変わらずの「見せ方」や「インパクト」にこだわる政治。では中身はどうだったのか。都知事選翌日の社説をみるとびっくりするタイトルが並んだ。

「求められる説明と実践」(朝日新聞)
「地に足着けて問題解決を」(毎日新聞)

 これ、本当に圧勝した現職都知事なの?

 説明と実践が求められるとか、地に足着けてとか、つまり何もやっていないようにも見える。この4年間は一体何だったのか。さらに産経新聞の社説には「問われているのは公約の実現である」。ああ。
 スポーツ報知は「公約は難解横文字ばかり」とし、
「グレーター東京構想…?」「ワイズ・スペンディング…?」「フレイル政策…?」
 ???の嵐。
 報知は小池氏の言葉についてよほど疑問に思っていたのだろう。3日前にはこの人に聞いていた。
「ルー大柴『僕から見てもカタカナ多いな』小池百合子語録を斬る」
(スポーツ報知WEB7月2日)

「寝耳にウォーター」のルー大柴さん! これは報知の企画力の勝利。

 朝日は東京版のページで「130超の公約 進み具合の説明必要」とあらためて書いた(7月6日)。
《4年間の任期中、小池氏が記者会見などで厳しい質問を受けた際、はぐらかす姿を度々目にしてきた。》
《2期目に何を達成し、達成できないのか。報道機関として随時検証するとともに、小池氏自身も進み具合や結果を説明していく必要がある。》
 もう一度言うが、これが圧勝した現職都知事への注文なのである。かなり深刻。

「4年間の任期を全うする?」に対して……

 しかし小池氏の頭はもう政策より政局なのだろうか。国政復帰について選挙翌日の各紙はこうふれる。

《自民党では「都議選の結果や東京五輪の成果次第では、小池氏は再び国政復帰に色気を出すのではないか」(閣僚経験者)と警戒する声もある。》
(読売新聞)

 テレビ東京の都知事選速報では池上彰氏に「4年間の任期を全うされると約束されますか?」と問われた際、「自分自身の健康をしっかり守っていきたいと考えております」と小池氏は言った。いつもの論点ずらしだったが、珍しく言葉がたどたどしかったのは生々しかった。

 さらに具体的な声も。

《自民の閣僚経験者は「大阪府の吉村洋文知事や日本維新の会と組まれると厄介だ」と語った。》
(毎日新聞)

 どうやらポイントは来年の都議選にあるよう。
 そのヒントは実は今回おこなわれた「北区」の都議補選にあった。

都民ファーストの会と自民党が激突

「自民と都民ファ 北区で激突」(東京新聞6月25日)

 都知事選では実現しなかった都民ファーストの会と自民党が激突していたのだ。
 その経緯がすごい。
 都民ファは、小池氏が二階俊博自民幹事長と良好な関係を築いていることから、対決を避けて候補擁立を見送るとの観測が流れていた。しかし「積極的ではなかった小池氏を押し切る形で」元知事秘書の擁立を決めた。
 小池氏は「自分の選挙に集中する」と応援に入らない考えを示したという。ルー大柴風に「トゥギャザーしようぜ」ではなかったのである。
 おまけに公明党は《都議会では親小池派として都民ファと歩調を合わせるが、補選は反小池派の自民候補を推薦する。》
 これに対し《裏切られた形の都民ファ幹部は「都民にどう説明するんだ」と恨み節をこぼす。》

 すごい。敵と味方がくっつく「ねじれ状態」。視線が国政にあるからこうなる。
 小池百合子記事を追うと、来年もまた都知事選があるかもしれないとやっぱり思えてきました。


[LIVE]小池都知事会見「感染拡大要警戒」3日は124人
https://www.youtube.com/watch?v=6ZrvEU_gmVQ

[写真]
2017年9月の会見で、合流を目指した旧民進党の一部について「排除いたします」と発言した小池氏

文春オンライン、2020/07/07
小池百合子「4年間の任期を全うする?」
再選直後、珍しく言葉がたどたどしかった瞬間
来年もまた都知事選があるかもしれない

(プチ鹿島)
https://bunshun.jp/articles/-/38855

紙に「毎日」「朝日」「日経」…
会見のたびに職員が座席表づくり


 毎週金曜日午後2時。東京都知事の定例記者会見は原則この時刻に始まる。新型コロナウイルスの感染拡大への対応をめぐって、各都道府県知事の記者会見には大きな注目が集まった。3〜5月には、小池百合子東京都知事の会見が報道番組で生中継されることも多かった。一連のコロナ対応をめぐる“発信力”が評価されたことが、7月5日の知事選での圧勝につながったといわれる。

 そんな小池知事の定例会見ではいつも、知事に向かって右側に都政策企画局報道課の職員が陪席。同局の初宿和夫理事、その右には日替わりで部下の職員が座る。

 会見が始まる前後、部下の職員は記者席を何度も見回し、手元の紙にサインペンで何かを書き込んでいく。ダイヤモンド編集部が6月26日の記者会見でその紙を撮影したところ、「毎日」「朝日」「幹事社 東京新聞」「日経」「日刊スポーツ」などと書かれているのが読み取れた。どの社の記者がどの席に座っているのかが分かる座席表を作成しているのだ。

 座席表はいつも、会見開始後15〜20分ごろ、職員から初宿理事によって、質疑応答の前に都側からの発表事項についてプロンプターに浮かぶ文字を読み上げている小池知事に手渡される。

 小池知事の定例会見は、都庁の記者クラブにファクスで申し込めば、クラブ非加盟の報道機関やフリーランスの記者も参加可能だ。ただ、会見は都庁の記者クラブ主催ではあるものの、質問する記者は小池知事が指名する。

 会見の“常連”であるフリージャーナリストの横田一氏は、2017年の総選挙で小池知事が「希望の党」を率いて惨敗した際、あの「排除します」発言を引き出したことで注目されたが、その後指名される機会は激減した。他の記者が手を挙げていても、会見は小池氏の判断で打ち切られる。

 会見終了時、指名されなかった横田氏が退室する小池氏に向かって質問を浴びせ、初宿理事がこれを遮るように「記者会見は終了しました。不規則発言はおやめください」とマイクで告げるのが会見の“風物詩”となっている。

 横田氏の質問は、小池知事のカイロ大学卒業の真偽や、マスクなどの医療物資が一時、職員に十分に供給されないと指摘された都立墨東病院をめぐる混乱など、小池氏にとって都合の悪い内容が多い。このため小池氏は横田氏を“無視”する態度を取り続けている。

 さすがに横田氏は小池知事に顔も名前も覚えられているようだが、この座席表があれば、小池知事が記者の顔を知らなくとも、批判的なメディアの記者の指名を避け、厳しい質問を回避できる。

大阪・吉村知事は質問尽きるまで続行
「座席表は作成していない」と回答


 小池百合子知事の態度はしばしば、石原慎太郎元知事と比較される。当時を知る全国紙の元都庁担当記者は「石原氏は、批判的な質問をする記者も関係なく指名し、露骨に不機嫌になったりムキになったりして反論することがあったものの、とにかく質問に答えてはいた」と振り返る。石原都政の評価をめぐっては毀誉褒貶(きよほうへん)あるものの、良くも悪くも大物ぶりを発揮していたのである。

 また大阪府の吉村洋文知事は4月1日のツイッターで「(午後)2時過ぎから始まった僕の記者会見、終わったのは4時半。2時間以上。ほぼ全部コロナ。こんなのざら。さらに毎日のぶら下がり取材。記者全員の質問がなくなるまで無制限でやる」と投稿した。

 大阪府企画室政策課報道グループによると、吉村知事の会見も原則週1回、府庁の記者クラブ主催で開かれ、クラブに申し込めば非加盟の記者も参加できる。公務の都合で会見を終えることもあるが、なるべく質問がなくなるまで会見を続ける。また「報道グループが記者の座席表を作成することはない」と回答した。小池知事から避けられ続けている横田氏の質問にも、吉村知事はごく普通に答えている。

 だが小池知事の会見では、批判的な質問が封じられる一方「今日はいつもと違うマスクをされていますが、(マスク不足の問題について)どういったふうにお考えでしょうか」(4月7日、フジテレビ)、「(大阪府の吉村知事の体調を気遣い)『吉村寝ろ』とネットで言われていますが、小池知事は体調管理をしっかりなさっているのか、そのあたりを聞かせてください」(4月17日、日刊スポーツ)といった緊張感の乏しいやり取りがなされることがままあるのが実態だ。

 5月29日の会見では小池知事の方から「私、口紅忘れてる? もうこのところ、全然しないです。関係ないですけど。化粧品も売れないとか聞きましたけど」などと発言。前列に陣取る民放キー局の女性記者らがこれにうん、うんとうなずいて見せる光景があった。

 本編集部は都の情報公開制度を使い、定例記者会見の最中に初宿理事から小池知事に手渡された座席表について開示請求をした。だが都側は、開示・不開示の決定期限である請求から14日目に、決定の延長を通告してきた。理由について都報道課は、「コロナ対応や都知事選への対応で多忙であり、文書の存在について確認ができないため」と説明した。会見のたびに記者の目の前で知事に手渡された1枚の文書の存在が、2週間たっても確認できないというのだ。

 こうした手法で“発信力”を培い、圧勝して再選を果たした小池知事。だが、今後は待ち受けるハードルは高く、また多い。

 まず、来年の東京オリンピック開催の可否が決まるが、中止となれば一気に求心力を失う可能性がある。また来年には都議会の改選を控える。17年の都議選で“促成栽培”された都民ファーストの会の新人都議たちが大量落選すれば、都政での足場を失うことになる。

 今回の知事選で独自候補の擁立を断念し見せ場のなかった自民党東京都連は、反撃の機会を虎視眈々(こしたんたん)とうかがっている。その時、小池氏が頼る自民党の二階俊博幹事長が、今ほどの権力を保持している保証はない。

 そしてコロナの新規感染者は7月2日に2カ月ぶりに100人を超えた。感染拡大が深刻化すれば、都民の支持を大きく失いかねない。

整合性のない発言が多い小池氏
国政復帰は「現在は、考えていない」と留保


 6月12日の夕方に都庁で開かれた小池知事の出馬表明会見。幹事社である東京新聞の記者が小池知事に「コロナ対応で注目され、国政復帰も取りざたされている。4年間の知事の任期を全うする考えはあるか」と質問した。小池知事は「これから都知事選に出ようとしているのに、その質問はどうかと思う。都政にしっかりと取り組んでいく」と不快感を示した。

 だが、東京新聞記者が「国政への転身は考えていないのか」と改めて念を押すと「はい、考えて、現在は、考えておりません」と答えた。

「現在は」――。では現在でなければ、国政転身もありうるということになる。小池知事は、「カイロ大を首席で卒業した」など、発言の整合性に欠けるケースが多い。築地市場跡地の再開発計画を巡っても、説明は二転三転した。

 そう考えれば、「現在は」とわざわざ留保をつけたのは、国政復帰への野心を正直に吐露したとしてむしろ“評価”すべきかもしれない。だが将来、都民や国民が小池知事の国政復帰を歓迎するか否かは、まったく別の問題である。


[写真-1]
報道課職員が作成する座席表。日刊スポーツ、日経、毎日、時事、共同などのメディア名が見える

[写真-2]
小池知事(左)に座席表を手渡す初宿理事。公務員は決して楽な仕事ではない

Diamond Online、2020.7.6 5:40
小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別、批判的な記者は“排除”
(ダイヤモンド編集部 岡田 悟、記者)
https://diamond.jp/articles/-/242248

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「女帝」x 「中二病」

【Live】原始神母2016「Us And Them」(pinkfloyd tribute)
https://www.youtube.com/watch?v=zfJI1W-xVU4

Pink Floyd - "Us And Them"
https://www.youtube.com/watch?v=s_Yayz5o-l0

 「女帝」の一人舞台だった。
 最初から最後まで小池百合子氏の独走状態だった都知事選。
 コロナ禍という特殊な状況下とはいえ、ほとんど「戦い」にはなっていなかった。

「テレビは4年前、大騒ぎして連日連夜、都知事選を報じていました。ところが今回は扱いが小さかった。東京都を誰に任せるかという重要なことなのに、テレビがもっと率先して扱うべき話題だったと思います」

 メディアの都知事選の報じ方についてこう指摘するのは政治ジャーナリストの角谷浩一氏。

 一方、必ず報道するニュースでコロナを扱えば、必然的に小池氏がテレビに出て発言することにもなる。
 露出にもつながり、有利だったのは否めない。

 さらに小池氏は密を避けるため、基本的には街頭に立たない「オンライン選挙」。
 リモート対応の討論会もあった。
 もともと、テレビのニュースキャスターの小池氏にとってみれば、アウェーではなく「ホーム」の戦いとなった。

 これまでに大きな金銭スキャンダルが出なかったことが大きいとの見方もある。
 猪瀬直樹氏や舛添要一氏が都知事のとき、金銭スキャンダルになって辞めたため、小池氏は「カネ」には気をつけているようだ。
 いくつかのスキャンダルはあったものの、大きな事態には発展していない。
 しかも小池氏の給料は就任当初から現在まで半額だ。

「都知事の給料は、本来は約145万円(月額)なのですが、条例により半額の約72万円になっております。諸手当も付きますがそれも半額。小池知事の年収は今年4月1日時点で、約1478万円です」
(都総務局)

 立憲民主党の都連関係者はこんな話をする。

「東京アラートにしても、都知事選の告示が近くなって解除されました。アラート中では他の候補者は身動きが取れず、準備もろくろくできなかったはず」

 小池氏の作戦勝ちだというのだ。

 とはいえ、ふがいない野党に、都民の目がほとんど向いていなかったことも確かだろう。
 結局、統一候補すら立てることができなかった。
 共産党は宇都宮健児氏を支援したはずなのに、世論調査では共産党支持者の2割は小池氏に投票すると答えたという。

 小池氏にとって、都知事選での余裕な要因はいくらでも出てくるが、これからの都政運営は厳しい道のりになりそうだ。
 ひっぱくした財政、築地市場の跡地問題、江東区へのカジノ誘致計画、そして五輪関連……。
 まさに、「デスロード」が待ち受けている。
 特に財政面ではコロナの休業補償に、都の貯金とも言える財政調整基金9300億円のほとんどを使い、残りは800億円くらいとなっている。

 築地市場の問題などで、小池氏を近くで見てきた元都中央卸売市場次長の澤章氏はこう話す。

「お金があれば色々なイベントを計画できるんですが、それもやりにくい。今後4年間は、都知事は緊縮財政のもとで、かなり大ナタを振るうことになる。小池さんにとっては辛いと思いますよ」

 都議の上田令子氏(自由を守る会)は、小池氏の広告費の使い方を調べているという。

「貯金を使い果たしたら、本来は出費を抑えなければいけないものなのに、あの湯水のような広告費の使い方。コロナ対策に総額1兆円超の補正予算を計上し、隠れて不要不急のデジタル事業等への新しいばらまきを潜ませていることも精査されていくと思います」

 都政運営と同時に気になるのは、小池氏自身の今後だ。
 3年前、野党の「希望の党」代表を務めた。
 都知事は踏み台で、狙っているのは国政復帰、そして「総理の椅子」とまで言われていたが、国政に返り咲くという可能性はないのか。
 前出の澤氏はこんな印象を持ったという。

「小池さんは本質的に都政で何かをやりたいということは多分ないです。そういうことよりも、自分というブランドをどこまで高みに持っていけるかということなんじゃないですかね」

 前出の角谷氏が話す。

「都知事だった石原慎太郎氏の4期目とダブリます。石原氏は4期目の途中1年半で『オレは国政に出る』といって急に辞めたんです。副知事だった猪瀬さんに任せれば大丈夫だと言って『太陽の党』を結党し、国政に復帰しました。小池さんも、財政破綻(ルビ/はたん)すれすれの状態の都政を途中で投げ出す可能性はあると、政界ではささやかれています」
(角谷氏)

※ 週刊朝日7月17日号から抜粋


dot.asahi、2020.7.5 20:11
東京都知事選で圧勝の小池百合子氏
「女帝」を待ち受けるのはデスロード

(本誌・上田耕司)
https://dot.asahi.com/wa/2020070400021.html?page=1

 昨年の夏に、Spotify(スポティファイ)という音楽配信サービスに会員登録した。実は、それ以前に、似たような会員制の配信サービスであるApple MusicとAmazon Musicに加入している。サービス内容がカブっていることは、承知している。ただ、いくつかのコンテンツやアーティストについては、サービス運営会社ごとに若干の異同があって、現状では、すべてを聴くためには、3つのサービスを網羅せねばならなかったりするのだ。なので、90%以上のコンテンツに関して、まったく同じ楽曲をカバーしているほぼ同一内容の3つの配信サービスを、重複して利用している。

 無駄といえば無駄ではある。

 でも、不思議ななりゆきではあるのだが、どうやら、私は、こと音楽に対しては、積極的に無駄遣いをしたいみたいなのだ。

 事実、10代の頃から、この分野にはずっと不毛な投資を繰り返してきた。

 アナログで揃えたコレクションを、CDで買い直しただけでは飽き足らず、目新しいリミックスが出たり、ボックスセットが発売されたりする度に、何度でも買い足してきた。そうした献身の果てに、私という人格が形成されている。

 音楽が私を作ったというのは、さすがに言いすぎなのだろうが、無駄遣いが私を作った部分は、少なからずあると思っている。投資は、それが無駄で見返りのない蕩尽であればあるほど、カネを費やした当人を向上させる。私はそう思っている。なぜそう思うかというと、そうでないと計算が合わないからだ。

 CDであれ楽曲ファイルであれストリーミングコンテンツであれ、鳴っている音楽に大きな違いはない。リミックスの方向性や味付けが多少違っていたところで、結果として出てくる音はほぼ同じだ。それに、私のオーディオ環境は、微妙なリミックスの差を再現できるような高級なブツではない。私自身の聴力も、長年のカナル型イヤホンによる酷使のせいなのか、同年配の人々のそれよりは明らかに早期劣化している。

 それでも、音楽への投資はやめられない。

 おそらく、私は、音楽自体を求めているのではない。

 からくりとしては、音楽にカネを使ったという実感が、私に心理的な報酬をもたらす……という回路が形成されているのだと思う。

 まるで実験室の中の、薬物の出るスイッチを押すネズミだ。

 あるいは、資本主義の世界で暮らす人間である私たちは、貨幣を使うことによってしか満足を得られない主体として条件づけられているということなのかもしれない。

 原稿を書く時は、そのSpotifyの「お気に入り」にマークアップした楽曲を、ランダム設定で流すことにしている。

 で、さきほど、意外な曲に心を奪われて、音楽の力にあらためて感じ入っている次第だ。

 それは、"Us and Them"というタイトルの5分ほどの曲で、ピンク・フロイドの"The Dark Side of the Moon(狂気)"という1973年発売のアルバムに収録されているものだ。

 あるタイプの楽曲は、その曲に耽溺していた時代の自分自身の気分や経験を、正確に冷凍保存している。であるからして、うっかりしたタイミングで当該の楽曲を再生したリスナーは、手もなくタイムスリップしてしまう。

 実は、昨晩、Spotifyの「お気に入り」をランダム再生していたところ、それこそ何十年かぶりに"Tubular Bells"というアルバムのB面が突然鳴り出して、おかげで私は、10代の頃の鬱屈と孤独と焦燥がないまぜになったどうにも整理のつかない気分のまま眠りに就いたのだが、朝起きてみて、PCを立ち上げてみたところが、今度は"Us and Them"である。

 まったく油断もスキもあったものではない。

 "Us and Them"は、私が最も偏向した考えに取り憑かれていた時代に、いやというほど繰り返し聴いていた曲で、それゆえ、これが鳴ると、私の脳内は、思うにまかせない世間への憎悪でいっぱいになってしまう。

 直訳すれば「オレたちとあいつら」といったほどの意味のタイトルを持ったこの曲は、しかしながら、内容的には、さして深遠な作品ではない。

 いくつか思わせぶりなフレーズが散りばめられてはいるものの、素直に読めば若干のシニシズムを漂わせた、よくある70年代ロックのひとつに過ぎない。

 ところが、「狂気」を毎晩ヘッドホンで聴いていた当時の私は、この歌の歌詞を思い切り大げさに解釈して、心から賛同しているパラノイアだった。

 もちろん、全面的ないしは全人格的にパラノイアだったというわけでもないのだが、少なくとも音楽を聴いている間はパラノイアだった。結局、ロックミュージックにハマっていた当時の私は、多くの病んだマニアと同じく、パラノイアックな考えを脳内に展開するためのスイッチとして、音楽を利用していたということなのだろう。

 そうでなくても、特定の作品から、作者が創った以上のものを引き出すことのできる人間をマニアと呼ぶのであれば、私は、当時、まぎれもないマニアだった。

 とにかく、どういう道筋からそう考えていたのかは、いまとなってはわからないのだが、当時、私は、この作品の中で歌われている"Them"すなわち「あいつら」こそが、世界を牛耳っている者の正体なのである、という考えを心の中にあたためている穏やかならぬ若者だった。

 「あいつら」は、特定の組織や体制ではない。

 しかし、「あいつら」は、確実に実在する。

 その、誰にとっても決して自分自身ではない永遠の他人である「あいつら」という不定形な人間集団こそが、この世界を自在に動かしている主体であり、また民主主義の「主」とされる「民」でもある……てなことを、私はわりと真剣に考えていたわけなのである。

 「中二病」という言葉は当時はまだ発明されていなかった。

 しかし、こうしてみると、私の17歳の自画像は、見事なまでに典型的な中二病の症状を呈している。なんというのか、私は世界の秘密を解明し得たつもりでいたのだね。哀れなことに。

 その70年代当時のオダジマのものの見方をあてはめて、現在の世界を解釈してみると、たとえば、2日後に投票日がやってくることになっている東京都知事選挙は、あいつら(Them)が、自分たちの思惑を、オレたち(Us)の意思であるかのように見せかけるために仕組んだ巧妙な詐術だ、てなことになる。

 なるほど。
 「オレたち」は、もちろん「あいつら」よりも賢い。
 なのに「オレたち」は、常に、その愚かな「あいつら」に敗北し続けている。

 なぜだろう。
 理由は簡単で、多数決民主主義が機能している場所では、少数派は必ずや多数派に敗北する決まりになっていて、しかも、ほとんどすべての評価軸において、賢明な人間は愚かな人間よりも数が少ないからだ。 

 なるほど。
 中二病の考察によれば、数の多さを競っている限りにおいて、上品な人間や賢い人間や趣味の良い人間は、絶対に下品な人間や愚かな人間や悪趣味な人々に勝てないらしい。
 そして、われわれはまたしても敗北することになっている。
 もう何十年も前に中二病を克服したにもかかわらず、だ。
 中二病は、あるいは、都民の宿痾だったのだろうか。
 それどころか、マッカーサー元帥が喝破した通り、われわれは永遠に12歳だと、そういうお話なのだろうか。

 話題を変える。
 これまで、公の場でのマスクの着用を頑なに拒んできたトランプ大統領が、7月に入るや、にわかにマスクの着用を「全面的に支持する」と言い始めているのだそうだ。

 たしかに、トランプ氏のラリー(支持者集会)をとらえた映像を見ると、会場に結集した支持者たちは、ほぼ全員がマスクをしていない。あの動画は、さぞや各方面から悪評を招いたはずだ。

 トランプ支持者がマスクをしないせいなのかどうかはわからないが、アメリカでは、いち早く対策を打ち出したニューヨークをはじめとするいくつかの州を除くと、新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収束していない。

 それで、トランプ氏は、マスク着用についての態度を改めたのだろうか。

 理由はわからない。
 ともあれ、彼が非を認めるのは極めて珍しい出来事ではある。
 これは裏目に出るかもしれない。

 というのも、トランプ氏の人気は、その頑迷さ(コアな支持層から見れば「強さ」)を含みおいた上のもので、「ブレるトランプ」てなことになったら、その魅力(←もちろん「支持者にとっての」という但し書き付きだが)は、半減してしまうはずだからだ。

 この先のさまざまな政治日程の中で、私が個人的に最も気にかけているのは、11月の大統領選挙で、トランプ氏が再選されるのかどうかだ。

 そのアメリカの大統領選挙の結果が全世界に及ぼすであろう影響力の大きさに比べれば、都知事選も、この秋にやってくるかもしれない総選挙も、たいした意味はないとさえ感じている。

 理由は、日本のリーダーも、都民のリーダーも、結局のところ、アメリカのボスがどう振る舞うのか次第で態度を変える変数に過ぎないと思うからだ。

 安倍首相ご自身にしてからが、アメリカのトップがオバマ大統領だった当時の振る舞い方と、トランプ氏がホワイトハウスに入ってから後の態度を比べてみると、驚くほど(もちろん悪い方に)変わってしまっている。

 もちろん、モリカケ問題の端緒はオバマ時代から潜在していたわけだし、ネポティズムもお友達政治も、すべては政権発足当初から一貫した傾向だ。

 しかし、それらの欠点を堂々と押し通す図々しさが、トランプ時代に入ってからよりあからさまになったことは誰の目にも明らかだと思う。

 《安倍さんが露骨にグレたのは、アメリカのボスがトランプになって以来だと思います。なんか、中学校にあがって悪い友達ができたバカな中学二年生みたいな感じですよ。あたしとしては、本人の更生はもうどうでも良いです。それよりトランプ番長が少年院送りになることを願っています。ぜひ。午前0:33 2020年6月29日》
というこのツイートは、5000件以上の「いいね」を集めている。

 バラけた原稿だと思っている読者がたくさんいるはずだ。
 支離滅裂と思っている人も少なくないだろう。
 中二病という視点から読み直してみると、一応ひとつながりのスジは通っている。そう思ってどうか、ご寛恕いただきたい。
 読者のみなさんの多くは、すでに中二病を卒業した賢明な大人であるはずだ。
 かく言う私も、さすがに還暦を過ぎて、中二病とは縁が切れたと思っている。

 ただ、正直なところを申し上げるに、話題が政治となると、自分の中で中学二年生が動き出す傾向は否定しきれない。
 わがことながらなさけないことだと思っている。
 とはいえ、政治は、そもそも中二病患者が担うべき仕事なのかもしれない。
 ひと回りして、そういう考え方もアリなんではなかろうか。
 いっそ選挙権年齢を14歳に引き下げれば色々なことがはっきりするはずだ。
 ……という結論は、いかにも中二病だな。もうしわけない。


日経ビジネス、2020年7月3日
「中二病」という都民の宿痾
(文・イラスト/小田嶋 隆)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00077/

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安倍政権がコロナ増税の動き!

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が史上初の緊急事態宣言を発令してから2020年7月7日で3ヶ月を迎える。

 この間、コントロールの効かない危機に焦りを募らせた首相官邸は、しばしば感染症専門家の異論を押し切って対策を主導してきた。
 宣言解除下で感染拡大の兆候が再び見え始める中、関係者の間では不信感が増幅しつつある。


◇「これで当確

 「これで当確ですね」

 宣言解除目前の5月22日夕、官邸で開かれた連絡会議。
 この日の東京都の感染者は3人との情報が飛び込んでくると、加藤勝信厚生労働相はこうつぶやいた。
 安倍晋三首相は「まだ隣の票田が空いてないよ」と近隣県の情報を待つようたしなめたが、選挙に絡めて冗談で応じた横顔には経済活動を再開できることへの安堵(あんど)感が漂った。

 国内初の感染者が1月中旬に確認されて以降、首相に突き付けられてきたのは感染拡大防止と経済活動維持という相反する二つの命題だ。
 ウイルス対策を最重視する感染症専門家は都市封鎖にすら言及。
 一方、経済への打撃を回避したい首相周辺は強力な措置に一貫して消極的だった。

 当初、首相が優先したのは感染拡大防止だった。
 周辺に反対論が残る中、4月7日に緊急宣言を発令。
 さらに同16日には対象地域を全国に広げた。
 対象拡大には現金給付の方針を転換するための言い訳づくりの思惑も働いたとはいえ、底流にあったのは制御不能の感染爆発への恐怖心だ。

 しかし、経済的な打撃が浮き彫りになるにつれ、首相も経済重視に傾斜していった。

◇ 曖昧な基準

 官邸と感染症専門家の意見対立が顕著になったのは5月以降。

 同1日の専門家会議の提言からは、「1年以上持続的対策が必要」との文言が官邸の意向を背景に削られた。
 同4日に月末までの宣言延長を決めてからは、宣言解除の数値基準づくりに向け、両者の間で激しい綱引きが繰り広げられた。

 専門家がまず提案したのは、感染を「直近1週間の10万人当たりの感染者0.5人以下」まで抑えることだった。

 欧米に比べると「桁違いに厳しい基準」(政府関係者)とされる。
 だが、西村康稔経済再生担当相が連絡会議でこの意見を紹介すると、今井尚哉首相秘書官は「東京で解除できなくなる」と猛反発した。

 最終的に官邸は「専門家には経済の視点が全くない」(首相周辺)と提案を却下。

「10万人当たりの感染者が1人程度以下の場合は総合的に判断する」と0.5人基準を骨抜きにする文言を入れ込み、いかようにでも判断できるようにした。

 実際、神奈川県などの10万人当たりの感染者が0.5人を上回る中で同25日に宣言を全面解除できたのは、この文言があったからだった。

◇「それが政治

 宣言の全面解除を5月25日と決めたのも官邸だった。

 専門家会議は28日に感染状況を分析して可否を判断する想定で動いていたが、首相は21日に日程の前倒しを記者団に表明し、独断で「今の状況が継続すれば解除も可能」と言い切った。
 ともに感染症専門家への事前の相談はなかった。


 政府関係者は「完全に官邸主導。首相が経済を心配する声に抗し切れなくなった」と解説する。
 官邸の対応に専門家は不満を募らせる。

 感染第2波に備えて仕切り直しを図るため、専門家会議の脇田隆字座長らは6月24日に新たな専門家組織の在り方を提言。
 しかし、西村氏は脇田氏らに連絡しないまま、同じ時間帯に専門家会議の廃止を発表し、かえって不信感を増幅させた。


 専門家の一人は「提言だけが報じられれば政府に批判的に響いただろう。西村氏は提言内容を先取りし、印象を薄めたかったのだろう」と分析した上で、諦めるように語った。

「それでもいい。それが政治だ」

 専門家会議に代わる分科会の初会合は6日に開かれる。


時事ドットコムニュース、2020年07月06日11時23分
コロナ危機、際立つ官邸主導
制御不能に焦り、増幅する不信感―緊急事態3ヶ月

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020070600282&g=pol

「秋の解散総選挙」説にともなって、最近、永田町でよく聞くのが「安倍首相が解散の前に消費税減税を打ち出すのではないか」という解説だ。
 政権維持のための人気取りとはいえ、本当に消費税を減税するならば、コロナで疲弊し切った国民にとっては朗報と言えるだろう。

 しかし、その裏で、安倍首相はまったく逆のことも目論んでいるようだ。
 7月1日、官邸の安倍首相を石原伸晃元幹事長、塩崎恭久元厚労相、根本匠前厚労相の3人が訪ね、40分にわたって会談したのだが、そのテーマが「増税」だったのだ。

 会談後、石原氏が語ったところによれば、3人が「(コロナで)多額の財政支出を行ったが将来世代につけをまわしてはいけない」と、今後、税収を増やす施策などを検討していくよう要望。
 安倍首相と意見を交わしたという。

 国民や企業がこんな窮状に陥っている真っ最中に、「増税」って、いったいこの政治家たちはどういう思考回路をしているのか。
「2ちゃねる」の開設者で、現在はフランス在住の西村博之氏がこの会談を報じたNHKのニュースをRTして、〈新型コロナウイルス禍の先進国で与党が増税の話をしてるの見るのは、日本が初めてです。率直に「頭大丈夫?」とか思っちゃいました。〉とツイートしていたが、そのとおりだろう。

 しかも、問題なのは、この「増税」が石原、塩崎、根本という、政治センスのない苦労知らずの2世、3世議員トリオが一方的に持ちかけただけ、ではなさそうなことだ。

「安倍首相と石原さん、塩崎さん、根本さんの4人は、若手議員の頃に『NAISの会』を立ち上げて以来の深い付き合いです。もし、安倍首相に増税の意思がまったくなかったら、訪問の前に電話するなどして『いま、そんなことを持ち出さないでくれ』と断っていたはず。それをわざわざ会って、40分も会談したというのは、むしろ、内閣にいない3人に増税の観測気球的な役割を演じさせたんじゃないかという気がしますね。実際、政府内ではすでに、コロナ対策の財源として、東日本大震災の復興特別税と同じような、コロナ特別税を導入するという増税プランが議論されています。とくに財務省は『膨大なコロナ対策費がかかるうえ税収が未曾有の規模で落ち込む、このままいくと財政破綻する』としゃかりきになって、増税を政治家に働きかけています」
(全国紙・官邸担当記者)

 この状況でコロナ特別税? 信じがたい話だが、実は最近、政府が特別税導入を検討をしていることを物語るような人事もあった。

 それは、西村康稔コロナ担当相が7月3日、専門家会議を廃止して、かわりに発足させることを発表した「新型コロナウイルス感染症対策分科会」のメンバーだ

 周知のようにこの「分科会」には、これまでの感染対策の専門家だけでなく、経済の専門家を複数入れたことから「自粛の重要性を説く感染専門家を抑えこもうというもの」「感染防止より経済優先の安倍政権の姿勢を表している」と批判が集まっている。
 しかし、その「経済の専門家」の顔ぶれをみると、懸念されるのは「経済活動再開を推進」どころではなかった。

「分科会」に入った経済学者は、大阪大学大学院経済学研究科教授の大竹文雄氏、東京財団政策研究所研究主幹の小林慶一郎氏だが、2人とも、財政規律派、増税論者として知られる。
 しかも、東日本大震災のときに、「復興のための増税」を主張していた。


コロナ分科会の委員が「度重なる天災ごとに中小企業へ支援するのは過保護」と主張

 東日本大震災からまだ2カ月しか経っていない2011年5月、政府の諮問機関などにも参加したことのある経済学者が中心になって「震災復興に向けての3原則」なる共同提言が発表された。
 ところが、そこでは、復興支援よりもコストの問題をクローズアップし、国債に頼るやり方を「ツケの先送り」と批判。
〈震災・津波の被害を国民全体で支援する、というためには、全国の、いろいろな年齢層、いろいろな職業の国民が薄く広い負担(増税)に 応じてもらうことが必要だ。国民全員が少しずつ生活水準を引き下へる覚悟がいる。〉として、「復興連帯税」の導入を主張していた。
 そして、この提言が引き金のひとつになって、実際に復興特別税が導入されることになった。

 今回、分科会のメンバーに選ばれた大竹文雄氏と小林慶一郎氏はともに、この共同提言の強力な賛同者なのだ。

 なかでも小林氏はゴリゴリの増税論者で、当時、この共同提言に〈復興連帯税は復興後に廃止するのではなく、社会保障財源の恒久税にスムーズに移行して継続するべき〉とわざわざ付言し、またコラムで〈災害を受けて国民の結束が高まり、復興支援への合意が得られやすい現在は、政治的には増税の好機である〉とまで書いていた。

 しかも、新自由主義者らしく、弱者の救済や支援よりも市場の活性化を優先する。

 小林氏は今回のコロナ対策でも3月、所属の東京財団政策研究所として8項目の提言を発表しているが、そこでは、中小企業への支援策を否定するような主張を展開していた。

〈「雇用の7割程度、付加価値の5割以上」を占める中小・零細企業への支援は不可欠とされる。しかし、度重なる天災・自然災害ごとに中小企業へ支援するのはややもすれば過度な保護になり、新陳代謝を損ないかねない。〉

 2人は諮問委員会からのメンバーだが、とにかくこんなゴリゴリの増税論者、弱肉強食を肯定する新自由主義者が専門家会議に変わる分科会に入っているのだから、コロナ特別税の導入というのは決して絵空事とは言えないだろう。

 メディアの動きも気になる。

 6月頃から、辛坊治郎や杉村太蔵など、ワイドショーの司会者やコメンテーターがやたらと、財源を国債に頼ることの危険性を指摘する発言を口にし始めているのだ。

「しかも、その言いぶりは、すべて将来世代にツケを回すというもの。財務省がメディア関係者に“ご説明”に回って、増税のための世論作りを始めている可能性もあります」
(全国紙経済部記者)

 ドイツは消費税減税の方針を打ち出したが、日本の国民に待っているのはまったく逆で、コロナ禍による生活苦に追い打ちをかける増税なのかもしれない。


リテラ、2020.07.06 07:52
安倍政権がコロナ増税の動き!
安倍首相は石原伸晃らと増税談義
専門家会議に変わる新組織に震災で復興税導入を主張した経済学者

https://lite-ra.com/2020/07/post-5507.html

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2020年07月06日

都知事選の感想

 下馬評通り小池百合子知事が圧勝した。
 というよりも分裂した野党共闘が惨敗した。

 その結果何が起きるか。
 ずばり日本の政治から左翼勢力が限りなく消滅に向かう。
 そして、それは取りも直さず日本の外交・安全保障政策が無条件に対米従属になっていくということだ。
 それは、憲法9条改憲が現実のものになるということではない。
 憲法9条改憲は、安倍首相の退陣と共に日本の主要政治テーマから消える。
 そのかわり、憲法9条を超える超法規的な日米安保体制が日本の国是となり、憲法9条はあって無きがごとく祭り上げられて終わるのだ。

 吉田茂が、天皇制という国体を守るために日米安保条約を飲まされた時、その責任を一人で背負うといって単独署名に赴き、後世の政治家に日米安保条約の不平等性を正すことを期待すると言い残したのは有名な話だ。
 しかし、吉田茂は無責任な男だ。
 そんな事が出来る政治家が現れる事を本気で信じたというのか。

 それから75年経ち、誰ひとりそれを行おうとした政治家が現れないまま、今や日本中が、もし日中戦わば日本は米国につくしかないといわんばかりだ。
 このままでは日本は危うい。
 これからの日本の政治の最大の課題は、日本の外交・安保政策でなければいけない。
 日米同盟を最優先して米国のアジア支配を許すのか。
 それとも、東アジアの共存共栄を目指して中国や南北朝鮮との関係改善を優先するのか。
 この選択である。

 野党共闘にそれが出来ない事が明らかになった以上、自民党の中からそれを提唱する勢力が出て来なくてはいけない。
 かつての石橋湛山や、田中角栄・大平正芳のような政治家が現れて、小泉・安倍のような政治家の外交・安保政策を変えなければいけない。
 象徴天皇を日米安保条約の上に置き、その象徴天皇の上に憲法9条がそびえ立つ。
 そういう政治を実現する指導者が出て来なくてはいけないのだ。
 そういう政治を実現することこそ、平成天皇のあの「おことば」に対する国民の答えなのである。


天木直人のブログ、2020-07-06
対米従属が一気に進む事になる日本の政治
http://kenpo9.com/archives/6819

 出馬表明の記者会見をした頃の宇都宮は、市民本位の選挙を進めようとしていた(会見は5月27日)。
 記者会見後、田中とジャーナリストの横田一は宇都宮にぶら下がり、野党との選挙協力について尋ねた。
 宇都宮は次のように答えた―
「野党はあっちに行ってろという考え方なんだ」
「私が候補者兼事務局長兼選対本部長みたいかなあ」

 野党共闘信者には信じ難いだろうが、ねつ造ではない。音源がある。
 前回(2016年)の都知事選挙で、宇都宮は民進党(現立憲)の枝野幹事長(当時)と共産党の小池書記局長から引き摺り降ろされた。
 7月11日午後5時30分頃、宇都宮は2人からホテルニューオータニに呼び出され、撤退を迫られたのである。告示3日前のことだった。
 宇都宮は野党の御都合主義に振り回された苦い苦い経験を持つ。
 それだけに今回こそ市民本位の選挙を戦いたい、という信念を強く持っていた。

 ところが選挙戦が始まると様相は違っていた。
 街頭演説が事態を象徴していた。
 まず野党幹部が入れ替わり登壇して長広舌をふるう。
 これで1時間を超す。
 聴衆が疲れたところで、やっと宇都宮が登場する。
 立・社・共の3党合計して、支持率がやっと二ケタに乗る。
 お世辞にも人気があるとは言えない野党各党の幹部が延々演説をぶつのだ。
 これを好んで聞きたいと思う有権者がどれほどいるだろうか。

 「政党のための選挙になっている」

 宇都宮選対の内実に精通した人物はこう指摘する。
 築地女将さん会は、築地市場の移転問題で奔走してくれた宇都宮に絶大な信頼を寄せる。
 ただ選挙になると微妙なズレが出てくる。
 女将さん会のあるメンバーは「宇都宮さんをもちろん尊敬している」としながらも「●●党に利用されたくないから」と言って政党色の強い街宣などとは距離を置く。

 深刻なのが選挙ボラだ。ある男性ボラ(30代)は「宇都宮さんの選挙を手伝いたくてボランティアを始めたのに、日増しに政党が前面に出てくるようになった。嫌気がさす」とこぼす。

 5日にあった投票の結果、立憲、共産、社民などが支援する宇都宮候補は、自公が推す現職の小池に大敗した。
 有権者は冷め、選挙ボラは嫌気がさす・・・こんな選挙を続けている限り、自公政権は安泰だ。


[写真-1]
宇都宮候補はどんなに疲れていても微笑みを絶やさなかった。=6月25日、上野

[写真-2]
消費税増税のお膳立てをし、安倍政権を誕生させた野田元首相も宇都宮候補の応援演説に加わった。この面子を見て有権者は投票したくなるだろうか。=28日、銀座4丁目

[写真-3]
どの口が言うのか? 前回、宇都宮を引き摺り降ろしたA級戦犯たちが、てのひらを返したように宇都宮を褒めちぎる。有権者はうさん臭さを嗅ぎ取る。=6月25日、上野

田中龍作ジャーナル、2020年7月5日 21:18
[都知事選]
宇都宮氏「野党はあっちに行ってろ」
なのに日が経つにつれ前面に出てきた

https://tanakaryusaku.jp/2020/07/00023249

 そしてヤッホーくんがお慕い申し上げているお医者さまは、こんなつぶやきを:

 東京都知事選が終わった。
 大方の予想通りの展開。

 マスコミ、とくにテレビは選挙を「盛り下げる」ことに腐心していた。
 おそらく、それはマスコミの所為ではない。
 電通、ないし経済界からの働きかけがあったためなのだろう。
 NHKは政権からの働きかけがあったのか、またはいつものように政権に忖度したのか。
 小池都知事の続投は、彼らにしてみると、ぜひとも実現しなくてはならないことだった。
 ということは、多くの都民にとっては、本来あってはならないことだったのだ。

 そのマスコミの「盛り下げ」が功を奏し、また新型コロナ流行のためもあってか、投票率が前回から4%強下がり、55%と低かった。
 これはマスコミの責任が重たい。
 とくに、経済界・電通から直接圧力を受けることのない、NHKの選挙報道の杜撰さがネットで指摘されている。
 これではNHKは、受信料を税金のようにして取る資格がない。
 それにしても、現在の危機的状況にあって投票率が低い。

 小池知事の前々回のデビュー戦での公約実現は、ほぼゼロであった。
 何も実現していない。
 コロナ禍を自分のために利用している。
 今後、企業のためのオリンピック開催強行(の試み)、水道等のインフラのコンセッション方式による民営化、カジノ誘致、医療機関の独法化等、都民にとって痛みだけを伴う施策を行う。
 その前に、財政がひっ迫し始めて、新型コロナウイルス感染の第二波に対処するのが難しくなっている。
 目の前の大きな危機が都民に激しい苦痛を与えようと待ち構えている。

 それが見えないのだろうか。
 都民が現実から目を背けている、または現実を見ようとしない。

 年齢別の各候補者への投票率を見ると、10から20歳台で、宇都宮けんじ氏への投票が多かったのが多少なりとも救いだ。
 若い方々の中には、政治が自分の将来を規定することが分かっている方々がいるのだろう。
 宇都宮氏のように本当に真っ当なことを、誠実に語る方への得票が伸びなかったのは、はっきり言って、選挙民の政治的かつ知的な未熟さなのではないかと思う。
 また、若年層を中心に、レーシストの候補やら、選挙民に痛みを強要する維新の候補がかなり得票していた。
 これも、政治的な未熟さと思わざるを得ない。
 このような言い方は、選挙民の方々に失礼かもしれないが、そう遠くない将来に、こうした政治的選択の苦い果実を味わうことになる。

 こうした選挙結果を見ると、以前は、その理不尽さに大きな不安を覚えたものだった。
 が、社会的な活動から身を引き、人生の最終章に差し掛かって、このような現実にも動じることはなくなった。
 歴史の大きな流れに一人では抗することはできない。
 その歴史の流れが人びとを苦しめるようになり初めて人びとは自分達の選択の愚かさに気づくことになる。

 でも、まだ流れに抗することは止めない。
 とりあえずは、NHK等に選挙の報道・討論を事前に十分行うことを求め続ける。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2020/07/06 05:36
都知事選の感想
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-10169.html

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2020年07月05日

松尾匡「アベ政権の縁故資本主義」

 コロナ禍以降、政治家や官僚との「縁故」が悪用されていると思しき事態が相次いだ。
 アベノマスクの生産では実績のない企業と随意契約が結ばれており、持続化給付金事業では実態のよくわからない企業が「再委託」を行って濡れ手に粟の金を稼いでいた。
 今回だけではない。
 安倍政権下ではこれまでも、森友学園、加計学園の問題に象徴されるように、権力者との距離によって事業を有利に進められるか否かが決まっていると思われてもおかしくないような事態が起きてきた。

 こうした縁故が物を言う資本主義を「縁故資本主義(=クローニー・キャピタリズム)」と呼ぶが、しかしこれは不思議な話ではないか。
 安倍政権は後で詳述するように「新自由主義的」な政策をとっていると見られてきた。
 新自由主義では、こうした非効率が打破され、効率的な行政サービスが実現するはずではなかったのか。

 実は、ことはそう単純ではない。

1970年代に起きた「転換」

 筆者は、拙著『ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼、巨人たちは経済政策の混迷を解く鍵をすでに知っていた』(PHP研究所、2014年11月)において、1970年代に、それまでの「国家主導」の体制が行き詰まり、経済システムが転換を必要としたことを、コルナイ(※1)やハイエク(※2)といった、ソ連型経済体制の批判的分析をした論者の議論にそって論じた。

(※1)コルナイ J'anos, Kornai。ハーヴァード大学、およびコルヴィヌス大学名誉教授。1928年、ハンガリー・ブダペスト生まれ。
(※2)ハイエク Friedrich August von Hayek [ˈha͜i ɛk] 、1899 - 1992)。オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、 哲学者。

 必要とされたのは、「当局者の事後的な裁量判断」が蔓延する体制から「リスク・決定・責任が一致」する体制への移行であり、そのためには、なるべく政治が民間人にリスクをかけることのないよう、国家は民間人の予想を確定することに徹するべきだと述べた。
 どういうことか説明しよう。

 コルナイが言うには、ソ連型経済体制の国営企業の経営者は生産手段を買う決定権を持っているのに、その結果について自腹で責任を負わない。
 事業が失敗しても一文無しにならないわけだ。
 だから経営者は過剰に生産手段を買いましていくが、そのリスクは経営者本人ではなく国全体がかぶることになる。

 こうしてソ連型体制では、経済全体で生産手段の生産のために生産資源が多く割かれ、消費財生産のために割かれる資源が圧迫されてしまい、慢性的な消費財不足になって崩壊に向かった。

 また、ハイエクのソ連型体制批判をこの視点から敷衍すると、民間人の現場にある情報は、各自のリスクにかかわるが、大事な情報には容易に言語化・データ化できないものもあって中央当局が把握できない。
 それゆえ中央当局が、民間人のやることをケースごとに胸三寸で裁量的に決定すると、その決定は現場の事情をふまえないものになり、民間人にリスクをかけることになる。
 しかし、決定を下した当局者は結果に責任を持たない。
 そうするとリスクの高いことにどんどん手を出すことになる。

 国のなすべき役割というのは、その時々に恣意的な決定をすることではなく、民間人が事前にはっきりと把握でき、そのことによってリスクが減ることになる「ルール」を制定することである。
 リスクがあって、事態に直面するごとに事後的にどうすべきか考えなければならないようなことには、政府は手を出すべきではなく、リスクを引き受けることができ、それにかかわる情報を把握している民間人に決定を委ねるべきであるとされる。

 以上のような批判は、ソ連型体制には典型的にあてはまったが、西側先進資本主義諸国の公営企業や行政にも多かれ少なかれあてはまるものである。
 こうした「当局者の事後的な裁量判断」が1970年代までの国家主導体制の行き詰まりの原因だったというわけである。

「小さな政府へ」という対策の間違い

 しかし、1980年代以降、実際にとられた政策体制は、新自由主義や、それを若干マイルドにしただけの中道左派・リベラル派の「第三の道」体制であった。

 これらの流れは、上記のような転換を誤認した。
「リスク・決定・責任の一致」を促す政策をすべきだったところを、必要なのは「大きな政府から小さな政府へ」、「官から民へ」、「国家から市場へ」などだととらえて、民営化、民間委託、規制緩和、財政削減、国際的な市場統合などを推進することとなった。

 それはしばしば、コルナイやハイエクが示唆するあるべき転換から見ると、むしろ逆行するもので、かえってコルナイやハイエクが批判の対象としたあり方を再現・強化するものだった。

 上記拙著で取り上げた例のうちのいくつかは次のようなものである。
 新自由主義は金融の規制緩和を行なったが、自由化された金融取引を決定するディーラーは、自分ではリスクをかぶらず顧客がリスクをかぶるので、過剰にリスクの高い決定をすることになる。

 あるいは新自由主義は、役所が民間企業のようになるのが必要な転換と心得、トップダウンの決断を称揚したが、それは現場の情報をふまえずに人びとに事前に読めないリスクを課してしまう。
 ところが、決定者は自腹を切ってその結果の責任をとることがないので、過剰にリスクの高い決定が行われる。

人々が望んでいたことの「本質」

 さて、規制緩和一般をめぐる問題も、このような「転換の誤認」の一環であった。

 そもそもハイエクは国家による経済規制に反対していたわけではない。
 民法や商法のような取引ルールはもちろん必要とされていたわけだし、それだけではなく、労働時間の制限や働く環境の維持向上、公害や環境破壊を防ぐための生産方法の規制も必要とされている。
 個々の民間人が事前にはっきりとわかるルールとしての規制ならば、民間人が経済活動をする際の不確実性を減らすので、それらは肯定されているのである。

 本来なくさなければならないのは、ケースごとに権力者や行政担当者が裁量的に判断し、それを民間人が事前に読めない規制である。
 1990年代に規制緩和が世論として盛り上がった時、人びとが本当に求めていたのは、このような規制の理不尽さから解放されることだったはずである。

官僚が「忖度」で民間人を動かす

 特に日本の場合よくないのが、官僚がはっきりと指示を出さず、「ほのめかし」みたいなもので民間人を動かそうとすることである。
 筆者が大学院を出て最初に勤めた前任校は、商学部経済学科を経済学部に改組するための認可を文部省から受けた。
 このとき、筆者も許認可行政のいやらしさを垣間見ることができた。

 呼び出した学部長予定者である国際経済学界重鎮の木下悦二(※3)教授に40代の官僚が指示書を復唱させるというだけで顰蹙ものだが、やはり実際、官僚は直接指示を出さず「ほのめかし」のようなことを言うだけのことがたびたびあったのである。

(※3)木下悦二、九州大学名誉教授、下関市立大学名誉教授、経済学博士。1920年和歌山県生まれ。

 我々はこれが何を言いたいのかを学科の教授会で懸命に議論し、先方の意向に沿うように新学部を作っていった。

 後年、森友問題で「忖度」という言葉がマスコミを賑わせた時、そうだあれは「忖度」だったと思い出したものである。

 もともと問題の焦点は「リスク・決定・責任」が一致しないことである。
 リスクのある決定の結果、何かあったときの被害は一般民衆がかぶることになるが、決定者である官僚はその被害から免れ、自腹で責任を負うことはない。
 国家賠償がなされることがあっても、それは決定者の負担ではない。
 そうである以上、いくらでもリスクに無頓着な決定がなされるということが、コルナイ=ハイエク的な批判のポイントだった。

 それでも普通の国では、あまりに重大な被害が出たら、マスコミから叩かれたり、降格したり、辞職に追い込まれたりするぐらいの責任のとり方はされるものである。
 それだけでも多少は変な決定がなされないための重しにはなる。
 ところが「忖度」はその程度の責任すらとらないやり方である。
 あくまで形式的には業者の側の自主的判断である。
「忖度」はするほうが勝手にしたのである。
 何かあっても業者の側の責任となり、官僚は一切責任を負わない。

 こうした体質がある以上は、業者の側は官僚の意向を探り、規制で手心を加えてもらえるよう、あの手この手で懐柔を図るのは必定である。
 古典的な贈賄はさすがに禁圧されても、接待、天下りの受け入れなどの癒着がはびこることになる。

 1990年代に官僚批判の世論が巻き起こった時に人びとが問題視していたのは本来このような体質だったはずである。
 そこで規制緩和が広く世論の支持を集めたのである。

 ところがこれが、規制があると競争が発生せず、非効率がはびこって生産性があがらないから、民間企業が自由に営利追求競争してコストを削減させるために規制緩和すべきだという新自由主義の議論に回収されてしまった。
 裁量的な判断を問題視していたはずの官僚批判も、一般公務員へのバッシングにすり替わり、人員削減、賃金抑制、民間委託を進める口実になった。

安部政権の「新自由主義」

 その行き着く先として、「規制緩和」が本来必要とされていたはずの姿からかけ離れ、逆に規制緩和によって本来変えるべき体質を怪物的に強化する結果となったのが、安倍内閣であった。

 当初は新自由主義の流れとは逆の「大きな政府」路線を掲げて政権について、トランプ、ルペン、ジョンソンといった世界の右派ポピュリズムの流れを先導した趣のあった安倍首相だが、その後、財政再建路線が前面に出るようになり、今や一介の新自由主義政権の感がある。
 コロナ対策では緊縮大魔王メルケルにさえ遅れをとり、主要先進国一の緊縮国家になってしまっている。

 その安倍政権でも、旗印に掲げた「アベノミクス三本の矢」の「第三の矢」は、当初からまごうかたなき新自由主義政策であった。

 新自由主義自体が、ハイエクを教祖と掲げながら、実はハイエクの主張と正反対のことをしばしばしてきたことは今述べたとおりであるが、そこにもともとハイエク思想とは水と油のような右派ポピュリズムが混ざるのだから、正反対さにも拍車がかかり、ハイエクの批判があてはまるやり方を、輪をかけて膨らませることになった。

「国家戦略特区」でエコひいき

 その典型例とも言えることが、「第三の矢」の目玉のひとつ、「国家戦略特区」をめぐる問題だった。
 もともとは「規制改革特区」という名前だったが、安倍政権は、名称を変更し、恣意的な規制から個人を自由にするという当初の含意を形の上でもすっかりなくした。
 そして中身もそのとおり、権力者がリスクのある事業をトップダウンで決めるのがいいことだという新自由主義の勘違いそのままに、特定の地域で規制をなくすことを、首相が主導して判断するものにした。

 つまりそれまでは、いくら官僚の胸三寸とは言っても、官僚組織でいくぶんかは担当者個人の恣意の効かない縛りがあったものを、官僚の判断から首相(とその周辺)の判断に変えることで、ますます事後的な裁量が幅を利かすものになってしまったのである。
 そうすると、以前は業者が官僚に手心をもとめて接近したように、今度はさまざまな利害関係者が首相個人に接近して、「おトモダチ」になってエコひいきさせるようになることは必然なのである。

 そして、決定の結果に自腹で責任がとれないことは、決定者が首相になっても同じである。
 仮に大きな損失が生まれ、国家賠償まで至ったとしても、本人の負担ではない。
 官僚と違って何か悪い影響が起こった頃には任期が終わっているかもしれないから、官僚よりもっと責任がとれない。
 絶対多数の与党のトップなら実質的に国会の追及も機能しない。
 その上、やはり「忖度」である。
 責任がかかってこないなら、リスクに頓着しないエコひいきな決定はやりたい放題になる。

 加計学園問題は、このような体質の中で、当然生じた事案だったと言える。

「特区」のように地域を限って政策の実験をすること自体は必ずしも全否定されるべきものではないが、現状のような権力者の裁量的判断がよくないのはさておき、そのリスクを一番引き受けるであろう一般住民が、決定に全く参与しないことは問題である。
 憲法では、特定の地域だけに適用される法律を決めるときは住民投票をしろと定めている。

 にもかかわらず、形式的に法律よりも下位の法令なら住民投票不要という理屈は、法律しろうとの筆者には全く理解不能である。
 リスクを引き受ける住民が決定に参与してこそ、リスク・決定・責任の一致がもたらされる。

 私見では、このような安倍首相の精神の文字通りの「象徴」となったのが、天皇の退位を皇室典範の改正ではなく、特例法で認めた措置である。
 この法律は、第一条に、天皇(現上皇)個人が、一生懸命がんばってくれて国民も共感しているし、高齢で公務を続けられなくなることを案じる気持ちはわかるので、特別に退位を認めてあげるという旨のことをわざわざ書いている。

 つまり、誰にでもあてはまる普遍的ルールとしての法改正ではなく、人を見てその人ごとに、ケースに応じて事後的に判断する加計学園問題の精神なのである。

クローニー・キャピタリズムはこうして生まれた

 ところで、新自由主義は公務員の削減を続けてきた。
 あまり削減しすぎて、アベノマスクすら長いことまともに配れなかった。
 そして公務員が減らされた分、行政サービスの民間委託が進んでいるが、この選定にも、政府・行政側の事後的な判断がまかり通ることになる。
 こうして、冒頭に述べたような事態が引き起こされるのである。

 繰り返しになるが、今、持続化給付金や事業継承補助金などの事業を、実体の怪しげな団体が高額で受託し、電通やパソナなどおなじみの大企業に丸投げして中抜きをしていた。
 安倍政権下では、これまでも同じ顔ぶれで同様のことを続けてきたらしい。
 コロナ後の「GoToキャンペーン」事業でもやろうとして叩かれてとりあえず頓挫しているが。

 これも、70年代までの国家主導体制の行き詰まりの本質を認識せず、民間営利企業の支配者本位への転換と(意図的に?)誤認したことの究極の帰結である。

現代ビジネス、2020.07.05
安倍政権下でなぜ日本は「縁故資本主義」になったのか、その本質的理由
アベノマスク、持続化給付金問題の構造

(松尾 匡、立命館大学経済学部教授)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73769

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香山リカ「トリップ・アット・ホーム」

Trip At Home
https://www.youtube.com/watch?v=FZFZHPTVm1E
https://www.youtube.com/watch?v=VElW8XrBz84

 緊急事態宣言が解除となり、オンラインで行われていた中国語のレッスンも再び対面授業となった。
 スポーツジムも再開され、ラテン音楽のリズムに合わせて踊るズンバのクラスにもまたときどき行っている。

 しかし、以前とはずいぶん様子が違う。
 中国語クラスでは講師も私もマスクをはずさず、前半しばらくは日本語と中国語を混ぜながら、日本そして中国での感染状況について語り合ってしまう。
 ズンバでもマスクは必須、「心拍数を上げすぎないように」ということで心なしか動きも抑えぎみになるので、以前のような解放感は感じられない。

 そして、医療機関では、増加傾向の感染者数に緊張感が再び高まっている。
 初春のような重症者こそ少ないものの、「〇〇区でクラスターが出た」といった情報が伝わってきて、一度は対コロナ体制をすっかり解除する予定だったのが、再び備えをする状態となっている。
「またいつ緊急事態宣言が出るの?」と懸念しつつ、誰もが及び腰になりながらひとときの“いつもの日常”を味わっている。
 そんな感じだ。

 私の場合、東京で感染者が多発している新宿に近い医療機関で仕事をしているばかりではなく、実家のある小樽市でもクラスターが発生してしまい、よけいに気が重い。
 いまから20年以上の前になるが、私は小樽市の公立病院で精神科医をしていたこともあり、市内の大きな病院ではいまも顔見知りの医師たちが働いている。
「小樽『昼カラ』で14人の感染確認」といったニュースを目にするたび、「どこの病院に入院しているのか。あの院長のところか」「ICU部長のあの先生はたいへんだろう」などとそれぞれの医師の顔が目に浮かび、なんとなく落ち着かなくなる。

 以前にも書いたが、私は今年以降、自分の人生にはこれまでなかったような大胆なプランを実行する計画を立てていた。

 大学が定年退職を迎えたら国内のへき地で“かかりつけ医”として働くことを目指し、基本的な医療を身につけること。

 そして、それまでの間は大学の長期休暇などを利用して、できるだけ多く海外の医療ボランティアに参加すること。


 そのふたつだ。

「基本的な医療」については週に一度ずつだが、大学病院のプライマリケア科で研修をさせてもらっており、本当に少しずつであるが知識やスキルを身につけつつある(しかし、そこも今年に入ってからコロナ対応外来となり、すっかり様相が変わったことはすでに書いた)。

「海外の医療ボランティア」についてはとりあえず3月にミャンマー、11月にパレスチナに行く算段は取りつけ、ボランティア活動はしないが9月には中国やイスラエルの医療機関にも行く予定となっていた。
 しかし、それらはすべて実行不可能となった。
 来年には行けるかどうかもわからない。

「2、3年は海外医療ボランティアを思う存分やって、一段落したところでへき地に腰を落ち着ける」という“人生計画”は、すっかり水泡に帰したのだ。
 いまとなっては、「海外に行けなくても、予定通り数年後にへき地医療には携わるつもり?」ときかれて、「もちろん」と答える自信もなくなっている。
 自分の中でなんとなく、「海外そしてへき地」はひと続きだったのだ。

 弟にその話をしたら、「そもそもおまえにそんな計画的なことができるはずはないだろう? コロナがあろうがなかろうが、途中で頓挫したんだよ。“コロナのせいでできなかった”と思えるだけよかったな」とハナで笑われた。
 ひどい。
 でも、私のことをいちばんよく知っていると思われる弟にそう言われると、「たしかにそうかも」という気がしてくる。

 私の場合、海外医療ボランティアはあくまでボランティアであり、行けなくなったからといって誰が困るわけでもない。
 仕事がなくなるわけでもない。

 ただ、大学の学部生や大学院生、あるいは教員の中には、予定していた留学や在外研究ができなくなって、先方に迷惑がかかってしまったり、自分の研究の予定が大きく変わってしまったりしている人もいる。
 海外から来る予定だった人たちも同じだ。

 このコロナウイルス感染症が日本で拡大し始めた2月末頃、電車で動画形式の広告を見ながら不思議な気持ちになった。
 たしか商社の広告だったと思うが、「世界に飛び出せ」「グローバルな環境で活躍」といったフレーズとともに、日本のビジネスマンが欧米人らしきビジネスマンと語り合っている映像が流れた。
 この手の広告ではこれまでもよくあったパターンだが、当時、ヨーロッパ諸国は感染の爆発で国境封鎖状態にあり、日本からの渡航も制限されていた。
「いま必要なのは、世界に飛び出すことではなくて、国内に閉じこもることなのに」と数週間前までと社会の価値観がガラリと変わってしまっていることに驚きながら、一定の間隔で繰り返されるその広告を別の惑星のお話のように眺めていた。

 それから4カ月ほどがたつが、事態はそれほど変わっていない。
 日本政府は先ごろ、タイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4ヶ国についてビジネスマンを中心に受け入れる方針を発表し、それ以外にも約40カ国と入国規制緩和に向けた協議を続けているという。
 またEUは、7月1日から日本を含む14カ国を対象に渡航制限を解除することで合意した。

 ただ日本は海外からの入国者に対して一定期間の隔離措置を求める方針で、EUのそれぞれの国がどのような条件を設けるかはまだ不透明だ。
 いずれにしても、「グローバルに活躍するビジネスマン」が、「今週はドバイに出張で、来週はニューヨーク行ってその足でカナダにも行かなくちゃならないんだ」と世界を飛び回る、といった光景は当分、見られないだろう。

 留学やビジネストリップがすぐには無理でも、せめて旅行には行きたい。
 そう考えて、「そうか、旅行もダメなのか」とハッと気づく。
 私自身、つい「秋にはパレスチナの医療キャンプに行こうと講演の予定も入れずにおいたけど、その期間があいたなら久しぶりにアメリカに行こうかな」などと考えてしまい、「いや、パレスチナにもアメリカにも行けないんだ」と思い直す、ということを繰り返している。
 ふだんそれほど旅行をする方ではなかったが、いざ「どこにも旅行に行けない」となると妙にあせりや息苦しさを感じることがよくわかった。

 ここでふと思い出してしまうのは、突拍子もないと思われるかもしれないが、2002年12月の記者会見での皇太子妃時代の雅子さまの言葉である。
 1年前に待望のお子さまである愛子さまが誕生し、雅子さまは皇太子さま(当時)とオーストラリア、ニュージーランド訪問に出かけることになった。
 それに先立つ記者会見で、雅子さまはこんなことを語ったのだ。

「最近の2年間は私の妊娠そして出産、子育てということで過ぎておりますけれども、正直を申しまして、私にとりまして、結婚以前の生活では、私が育ってくる過程、そしてまた、結婚前の生活の上でも外国に参りますことが頻繁にございまして、そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから、6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身、その状況に適応することに、なかなか大きな努力がいったということがございます」

 周知のように雅子さまは外交官の父親のもとに生まれ、幼児期をソ連(当時)やアメリカですごした。
 さらに高校、大学時代も再びアメリカで送り、外交官になってからはイギリスに留学している。
 それ以外にも、私的な旅行で外国を訪ねる機会は多かった。

 ところが、皇室に嫁いでからはその機会もめっきり減り、94年、95年の中東訪問以来、99年の王族結婚式参列のためだけの短期間のベルギー訪問を除いては、時間をかけて海外に滞在することがかなわなかったのだ。
 その最大の理由は公にはされていなかったもののの「お世継ぎをもうけることが優先」であっただろうが、そもそも皇室のメンバー、とくに天皇や皇太子やその配偶者には自分の希望や都合で海外に出かける、という自由はほぼ認められていない。
 秋篠宮さまはニワトリの研究のために何度もタイに出かけていた時期があるが、おそらく皇太子とは立場が違うということで例外的に認められていたのだろう。

 当時、雅子さまのこの発言を、多くのメディアは驚きをもって報じた。
 さらに、当時の宮内庁長官までが定例会見で、わざわざ「あれだけ外国訪問をなさりたかったのかと正直驚いた」と語った。
「民間人だった時のように海外旅行に行けないのはあたりまえなのに」と批判的なことを言う人も少なくなかった。

 私自身、海外旅行にはそう頻繁に出かけるタイプではないので、「外交官の家庭に生まれて本人も外交官」という背景を理解しつつも、「こんな発言をするとバッシングされるかもしれないのに、なぜ口になさってしまったのだろう」と心から共感することはむずかしかった。

 しかし、それから20年近い日がたち、いまやっとあのときの雅子さまの言葉の意味がわかった気がする。
 雅子さまは「ああ、またパリのブティックに行きたい! ローマでおいしいものが食べたい!」と具体的に思っていたわけではなく、「もしどこかの国に行きたいと思っても、いまの自分は絶対に行くことができないのだ」という状況にたまらない閉塞感と息苦しさを感じて、ついそれを言葉にしたのであろう。

 そしていま、多くの人たちが同じ思いをしているのではないか。
 繰り返しになるが、旅行がそれほど好きなわけではなかった私さえ、そうなのだ。
「旅行が趣味」とか「海外の研究所と行き来して勉強をしていた」というリアルなトラベラーにとっては、この「どこにも行けない」という状況の苦しさは、いくら「Zoomがあれば世界中のどの人ともリアルタイムでコミュニケーションできるから、勉強や研究、ビジネスにはさほど支障がないはず」と言われても、すぐに解消できるものではないだろう。

 インドの人気旅行スボットのひとつであるケララ州の観光局は、「#TripAtHome」というキャンペーンを始め、世界の旅行好きが直面している憂いや息苦しさを抒情的に表現し、そっとなぐさめようとするような動画をSNSやCNNのCMなどで公開した。

 動画の最後にはこんなメッセージが流れる。

「今は旅の火を燃やし続けよう。 また旅ができるそのときまでは、トリップ・アット・ホーム」

 旅が大好きという人も、そうでもなかったけどいまは息苦しさを感じるという人も、ぜひ見てみてください。

幻冬舎 Plus、2020.07.03 更新
感染拡大に緊張を高めながら、もう叶わないかもしれない「人生の計画」を思う
(香山リカ)
https://www.gentosha.jp/article/15973/

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日本、日本人の世界での存在感

「こんな日本人は、タイから出て行ってほしい」
 世界有数の親日国のタイで、こう訴える女性たちの署名運動が大きくなり、今やタイ人女性や日本人女性などを中心に約2万5千人もの署名が集まっています。

 この署名運動、発起人のタイ在住のジャーナリストの女性に話を聞きました。

 近年タイで数多くの日本人によるタイの人や文化などを蔑視する行為の数々が大反響となっていることで、心を痛めて署名運動を始めたと言います。
 その最大のきっかけとなったのは、本サイトでも配信した以下のニュース。

[TABLO 参考記事]
中年日本人がタイ人女性を侮辱する低俗動画を配信して大問題に! 日本のイメージを悪化させる恥晒しを許すまじ!
https://tablo.jp/archives/24633?ifsk=26416

 タイ・バンコクに在住している日本人と見られる中年の男二人が、北部の街・チェンマイなどで女性へのナンパを行い、どれだけわいせつなことを出来るかを競い合うという低俗な動画をYouTubeにアップし配信していた事件です。

 この動画を見たタイ人女性の友人から、メールで送られてきた言葉が「こんな人間はタイから出ていって欲しい」でした。
 これを聞いて、女性は「これではいけない」と実感して、この署名運動を友人たちと始め、この声を日本大使館に届けたいとしています。

 もともと、タイでは「日本メディア」を自称する「ワイズ」が、タイ人女性を騙して写真と実名を晒してヘイトをし、嘲笑う記事を長年にわたり掲載していた以下の問題も起きていました。

[TABLO 参考記事]
写真と実名を晒しヘイト 心を患った人も 在タイ『週刊ワイズ』が親日国で犯した日本の恥さらし行為
https://tablo.jp/archives/15747?ifsk=26416

 他にも同様の問題が現在も多く起きているタイでは、女性たちがついに声を上げはじめ、このような署名運動になっているのです。
 この署名運動、インターネット上の「Change.org」というサイトで行われており、オンラインで署名が出来るようになっています。

日本人の男からタイ人女性へ「脅迫」も!
しかし署名活動は拡大していく


 タイ現地では、タイ人女性はもちろん、日本人女性からも多くの共感の声が寄せられ、署名運動が盛んになっていました。
 活動で署名したある日本人女性は、次のように語っています。

「タイにいると、あまりにも日本人の買春やセクハラ発言が酷いから、ずっと何とかしたいとは思っていました。でも、自分では何もできなかったんです。それが、最近はさらに酷くなってタイ世論でも大きな問題になる中で、女性が署名運動という形で声を上げられるというのを聞いて、署名しました。少しでも変わってくれたら嬉しいです」

 署名活動には妨害もありました。
 中心的に活動している1人のタイ人女性が、日本人の男と見られる人物から匿名の脅迫メールを3度連続で送られる事件が起きたのです。

 彼女は実名で顔も出して活動をしていましたが、それにつけこんで日本人の男と見られる人物から、女性の自宅や家族に害が及ぶと脅迫され、活動をやめろという要求をされたのです。
 女性は身の危険を感じ、表立った活動は控えるようになりました。
 それでも残ったメンバーで署名活動を続け、今はタイに住む男性からも賛同者が集まるようになり、署名が約2万5千人分も集まったのです。

署名を日本大使館へ
大使館も受理、対応の方針


 署名が集まったことを受けて今月、日本人社会に啓発をお願いするため、女性たちは集まった署名をバンコクの在タイ日本国大使館へ届けに行く予定です。
 在タイ日本国大使館関係者によると、日本大使館でも調整をしており、既に受理し対応の方針で調整が進んでいるということです。
 タイで集まった約2万5千人もの、「タイ人女性にきちんとした敬意を持ってほしい」という日本人への署名。
 タイは世界有数の親日国で、日本が大好きというタイの人も大勢いる国です。
 筆者はこれまで、タイが親日国となってくれた理由の一つともなった経緯を、タイのニュースを配信するWEBサイト『PJA NEWS』で紹介してきました。
 過去、タイと日本の良好な関係を築くために尽力してくれた日本人がいたから、親日国となってくれたのです。
 そのタイで、現在、日本人や日本企業はこれまで、日本のイメージを良くするために十分な取り組みが出来ていたでしょうか?
 日本メディアや日本人が、前述の動画を配信したり、日本語フリーペーパーを発行していたのを、止めもせずに見て見ぬふりをしてきた結果が、この問題につながったのではないでしょうか。
 ましてや、署名活動をする女性に脅迫するのが日本人だとすれば、その卑怯さも本当に許せないものです。

 今、このような実態が、女性たちの活動で変わろうとしています。
 これを受けて、取り組みに賛同してくれる日本政府の日本大使館、そして協力してくれている日本企業も一部に現れてきてくれているといいます。
 筆者としては、このような問題を伝えながら、タイの日本人社会を変えるための活動を応援していきます。


Rakuten Infoseek News、2020年7月4日 11時30分
日本人によるヘイトやセクハラ発言
タイ人女性など約2万5千人が署名、日本大使館へ

TABLO
(取材・文◎福留憲治、PJA NEWS)
https://news.infoseek.co.jp/article/knuckles_26416/

戦後最悪ともいわれる、新型コロナウイルス感染拡大による景気後退。
不透明な社会情勢が続くなか、実はコロナ以前から日本は「貧しく、住みにくい国」になっていました。
その衝撃の現実をデータで示した『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』(加谷珪一氏著、幻冬舎新書)が発売後、5刷目の重版となり、反響を呼んでいます。
現在ネットでも反響を呼んでいる、日本人の「給料安すぎ問題」も、まさに日本の貧しさの一側面です。
この30年間で日本がどう世界から取り残され、コロナで私達の生活はどう変わり、どう対処すればよいのか。
内容を少しご紹介いたします。

89年に世界1位だった国際競争力は30位に


 スイスのIMDという組織が毎年発表している世界競争力ランキングという指標があります。これは経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率性、インフラ整備など多方面から各国の競争力について比較したもので、各国の競争力を端的に示す指標としてよく使われています。

 この調査は1989年から継続して行われていますが、日本は調査がスタートした当初はランキング1位でした。ところが、1990年代後半から順位を落とし始め、2003年には27位まで低下。一時、再度、上昇するかに見えましたが、その後はさらに悪化し、最新の2019年では何と30位にまで低下しています。

 2019年に1位となったのはシンガポール、2位は香港、3位は米国、4位はスイスとなっており、日本は中国(14位)やドイツ(17位)に大きく引き離されているだけでなく、タイ(25位)や韓国(28位)よりもランクが下です。
 こうしたランキングに対しては、常に「恣意的ではないか」「基準によって評価は変わるので意味がない」といった批判の声が寄せられます。確かにランキングというのは、基準によって結果が変わるので、その順位を絶対視するのは危険ですが、重要なのは、順位の絶対値ではなく、過去、どのように推移してきたのかという部分です。
 こうしたランキングは基本的に毎年、同じ基準で評価するわけですから、日本のランキングが年々下がり、1位から30位まで低下してしまったということは、同じ条件で比べた時の水準が確実に低下していることを意味しています。
 さらに注目すべきなのは、主要国の中で、一方的に順位が下がっているのは日本だけであるという点です。米国は調査が始まって以来、ずっとトップクラスを維持していますし、ドイツも多少の変動はありますが、たいていの年で5位から15位以内をキープしています。
 当然ですが、中国は経済成長が著しいですから、年々順位を上げています。日本だけが一方的に負け続けているという状況ですか
ら、やはりここには大きな問題が存在していると考えるべきでしょう。

 日本が暮らしやすい国であるというイメージも過去のものとなりつつあります。

 日本人は日本のことを世界でもっとも安全で環境がよく、暮らしやすい国であるという認識を持っていますが、近年は必ずしもそうとは言い切れなくなっています。グローバルに事業を展開する金融大手HSBCホールディングスが発表した「各国の駐在員が住みたい国ランキング」では、日本は調査対象33カ国中32位というショッキングな結果となりました。ちなみに、ランキングの1位はスイス、2位はシンガポール、3位はカナダ、4位はスペイン、5位はニュージーランド、6位はオーストラリアで、逆に日本より評価が低かった最下位の国はブラジルでした。

外国人は日本に駐在したくない

 上位に並んでいる国を見ると、2つの特徴が浮かび上がってきます。
 スイス、シンガポールがその典型ですが、極めて賃金が高く、完璧なビジネス環境が整備されていることが順位に大きく貢献しています。個別項目の評価結果を見ると、スイスは、圧倒的に賃金のポイントが高くなっています。一方で、幸福感や満足感といった項目のポイントは低めでした。シンガポールも似たような結果で、賃金では圧倒的な高得点ですが、ワークライフバランスのポイントは高くありません。

 一方、カナダ、スペイン、ニュージーランドといった国は、ガツガツ仕事をしない国というのが一般的イメージですが、実際、このランキングでも、ワークライフバランスの点数が高く、これが総合順位を押し上げた格好です。もっとも、カナダ、スペイン、ニュージーランドなど、ワークライフバランスが高い国は、それだけで点数を稼いでいるわけではありません。これらの国の賃金は、最上位でこそありませんが、決して低くはありません。いくら残業時間が少なくても、生活が苦しい状況では、満足度は上がらないという現実を考えると、賃金が高いことは極めて重要なポイントであることがお分かりいただけると思います。

 これに加えてランキングが高い国は、教育環境が充実しているという共通項があります。
 どんな国の人にとっても子どもは大切であり、いくら高賃金で、ワークライフバランスがよくても、教育環境が悪ければ総合評価は上がりません。
 こうした状況を踏まえて、日本の個別評価を見てみると、厳しい現実が浮かび上がってきます。日本のランキングが著しく低いのは、何かが大きく足を引っ張っているのではなく、すべての項目において評価が低いことが原因です。具体的に言うと、賃金については最下位、ワークライフバランスについても最下位、子どもの教育環境についても最下位です。

「賃金」「労働時間」「子育て」全てが低水準

 この結果を見る限り、国が違っても、ビジネスパーソンが求めるものにそれほど大きな違いはないことが分かります。
 今の日本社会でもっとも重要な課題となっているのは、賃金、労働時間、子育ての3つであることは誰もが認める事実だと思います。
 日本はすべての項目で評価が低く、全体のランキングも下がっています。これは評価基準の恣意性が云々という話ではなく、日本の国際的なポジションが低下し、暮らしにくい国になっている現実を如実に示した結果といってよいでしょう。

 さらに言えば、この結果は日本の将来を暗示している面もあります。
 実は、日本よりランクが上位の国の中に、ベトナム(10位)、フィリピン(24位)、インドネシア(31位)といった国々が入っているのです。これらは、日本が外国人労働者の受け入れにあたって、人材供給源として想定しているところです。安倍政権は2018年、深刻な人手不足に対応するため、外国人労働者の本格的な受け入れを行うと表明し、日本は事実上の移民政策に舵を切りました。
 日本企業が求めているのは安価に雇える外国人労働者であり、具体的にはベトナム、フィリピン、インドネシアといった国からの来日が想定されています。
 日本は、人材供給源として想定している国よりも魅力のない場所となっており、このままでは、外国人労働者すら来てくれなくなるかもしれません。
 下手をすると、日本は外国人労働者を受け入れるのではなく、外国に出稼ぎに行くことすら求められる可能性も出てきているのです。

幻冬舎 plus、2020.06.29 更新
貧乏国ニッポン
「駐在員が住みたい国ランキング」33カ国中、日本32位の衝撃

(加谷珪一)
https://www.gentosha.jp/article/15778/

 国際機関のトップを含む重要ポストに日本人が就任する機会が近年少なくなり、政府は日本の存在感低下に危機感を強めている。
 中長期的な対策として、国家安全保障局(NSS)に4月に新設した経済班が主導的役割を担い、国際的に活躍できる人材育成を戦略的に進めるための体制を強化する。

 国際機関トップを務めた日本人としては、
・ 松浦晃一郎・国連教育科学文化機関(ユネスコ)事務局長(1999〜2009年)、
・ 在任中に死去した天野之弥・国際原子力機関(IAEA)事務局長(2009〜2019年)が知られる。
 近年では関水康司・国際海事機関(IMO)事務局長(2012〜2016年)の例もある。

 また、国連難民高等弁務官の故緒方貞子氏や、国連事務総長特別代表としてカンボジア和平に尽力した明石康氏の活躍は記憶に新しい。

 だが、現在では15ある国連専門機関で日本人トップはゼロ。
 外務省によると、国連関係機関では軍縮担当上級代表を担う中満泉・国連事務次長が最高位で、世界保健機関(WHO)の山本尚子事務局長補らがこれに続くとされる。

 これに対し、日本を抜き世界第2の経済大国となって久しい中国は、国連食糧農業機関(FAO)など4つの国連専門機関のトップを占める。
 中国がアフリカなどの発展途上国に対して資金力に物を言わせた援助外交を展開、選挙での多数派工作が奏功したためとみられている。

 また、8月末に退任する世界貿易機関(WTO)事務局長の後任を決める選挙には、韓国も候補者を擁立した。
 今後は一層、主要ポストをめぐる争いが激しくなると見られる。

 日本人が目立たなくなった背景の一つとして、外務省関係者は「最近の国際機関トップは各国の閣僚経験者が多い」と語り、候補者の経歴の差を指摘する。
 この点、職業外交官出身が多い日本の候補者が、他国に見劣りするのは否めない。

 政府はトップに限らず、国際機関の職員を増やして裾野を広げようと、人材育成に地道に取り組む方針だ。
 NSSを中心として、語学力や国際経験、専門的知見を有する人材育成に取り組む。
 また、内閣人事局とも連携して、各省庁に散らばる将来のトップ候補者を一元的に管理し、候補者擁立に当たってポストや時期を戦略的に選択する体制づくりを進める。


時事ドットコムニュース、2020年06月28日07時11分
日本、国際機関で存在感低下
国家安保局主導で人材育成

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020062700315&g=pol

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2020年07月04日

社会を決める決定のテーブルに自分も座ろう・・・ノルウエイから

 5月に『北欧の幸せな社会のつくり方 10代からの政治と選挙』(あぶみあさき著/かもがわ出版)を発売した。デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーの4か国を数年間に渡り現地で取材し、150枚以上のカラー写真付きでまとめたものだ。
「北欧」を理想化することが好きではない私でさえも、何年も現地で取材して、今言えることがある。
 政治を楽しく、わくわくするものにすることは可能。
 若い人がもっと気楽に政治に参加する社会にすることは可能。
 そうすれば、投票率も勝手に上がる。
 著書でも紹介しているが、北欧では選挙期間中に政党が飲食物や文房具を市民に無料配布することができる。日本では規制があるから同じことはできないだろう。でも、なにかを無料配布しなくても選挙活動は楽しめるし、ほかの手段で政治をわくわくするものにはできる。
 デンマークでは、他の北欧の国のように無料配布や選挙小屋がずらりと並ぶカルチャーがそれほど浸透していない。でも投票率は高い。
「どうして?」と現地の市民に聞くと、「普段から政治の話はしているから、この時期にあえて政策の質問をする必要がない」という答えが返ってきたこともある。これは大事なヒントだ。
 日本で政治をわくわくするものにして、若い人の政治参加をあげるためには、「私が今まで取材してきた北欧現地の人たちなら、どうするかな?」という視点で、もんもんと考えてみた。

若者の投票率を選挙の時だけのネタにしない

 日本では若者の投票率アップが話題になるのは、選挙の時だけ。それ以外では話題になることがほとんどない。北欧のように日常的に政治を「おしゃべり」するくらいの気軽さに落とし込んで、普段からもっとみんなで政治の話をすれば、自然と投票率のアップにつながる。

食卓で親が政治のおしゃべりをする

 私は取材中にいつも、子どもの頃の家庭事情を聞くのだが、「親が夕食のテーブルで政治の話をよくしていた」エピソードは高い確率で出てくる。子どもに何か教えようという態度でしているのではなく、親が政治の話を日常的にしている姿をただ見ているだけで子どもの政治的関心が高まる効果はある。

グレタさんやフィンランド首相を、個人ではなく社会レベルで考える

 なにかが起きていることに個人レベルではなく、社会レベルで考える癖をつけるのも北欧ならではだろう。スウェーデンのグレタさんが日本で話題になり始めた時、日本のメディアからとんちんかんな質問がきて、私は当惑した。
「少女がなぜあんなにパワーをもてるのか、背景に怪しい組織がいて、大人たちに利用されているのではないか。利用されていると誰がグレタさんに教えてあげるのか」とか。
 日本では一人の政治家が権力を握って暴走することがよくあるのか(?)、何かが起きている時に個人レベルで考える事が多いようだ。こう考えてみたらどうだろう。

グレタさんを社会構造のレベル考える

グレタさんの個性をアスペルガー障害につなげるのではなく、欧米で気候危機を心配する若者の代表という捉え方(民主主義)や、スウェーデンの「若者を大事にする土壌」、女性の声が既得権益のある人々(男性など)に埋もれないように押し上げる社会などについて考えてみる

フィンランド首相を社会構造レベルで考える

彼女の経歴ばかりを並べるのではなく、フィンランドとはどういう社会かを考える。年齢や性別に限らずに、才能とやる気のある人にチャンスを与える風潮、国会に女性議員を増やす努力をしてきた歴史の積み重ねなど。

これは、別記事「女性リーダーがコロナを抑え込む」というニュースの違和感」に詳しく書いた。
https://globe.asahi.com/article/13421245

誰かが何かをしたときに、社会構造レベルで考える

事件が起きても犯人ひとりの異常性に着目するのではなく、そういう人を生んだ社会の問題を考える。

 この目線を癖にしていると、北欧で若者の活躍が目覚ましい背景も意外なことではなくなるし、議論や話し合いをする際に役立つテクニックにもなる。

「パーソナルに捉えない」テクニックを身に着ける

 著書の感想で、「パーソナル(個人的)に捉えない」テクニックを紹介した項目が気になった人は予想以上に多いようだった。簡単に説明すると、議論しているテーマと個人を切り分けるというもの。目の前の人と意見は違っても「あなたを否定している」わけでもないし、個人攻撃でもない。「あの人とは考えが違うから、もうあまり会いたくない、嫌だ、嫌いだ」になるのはもったいない。議論が終わったら「ありがとう」と握手して、自分とは違う考えを共有してくれた人に感謝して、その後は一緒にごはんを食べれる関係のほうがいいでしょう、という考え方。

 このテクニックが社会全体に身についていないと、そもそも政治の話はしにくい、ケンカもしやすいし、怒りやすくなるし、外国人との恋愛やビジネス交渉にもヒビが入るだろうし、若者だけではなく大人も政治の話を面倒だと思うだろう。

 例えば、私が何度でも言いたいのは「おじさんばかりの光景を北欧では民主的とはいわない」こと。これを聞いて「フェミニストが」とかちんとくる人もいるだろう(私にとってこれは誉め言葉だが)。でも、私はあなたという個人を知らない。「おじさん」と呼ばれそうなあなたや男性議員ひとりひとりを否定しているわけでもない。
 私がしているのは社会システムの話だ。
 今、話しているケース・出来事・現象と、個人を切り分けるテクニックをふと忘れていると、自分の存在が否定されていると自己肯定感が低くなったり、イライラしやすくなったりする。自分も相手も心が疲労してしまう。リーダーが批判をなんでもパーソナルに捉える人だったら、企業でも政治の現場でもなにかを改善するのは難しいだろう。

 北欧ではパーソナルに捉えないテクニックを小さい頃から日常生活で学んでいて、一度聞いただけで「なるほど」と体得できるものではない。北欧現地の人も私も「あ、パーソナルに捉えちゃった」と今でも気づく日々だ。心に留めておくだけで、議論もしやすくなるし、メンタルヘルス悪化も防げるし、別の国の人とのコミュニケーションもよりよくなる。このテクニックをもうちょっと社会に浸透させることができれば、日本の若者も政治の話をしやすくなるだろう。

民主主義という言葉を口癖にする

 テーマに限らず、北欧の人々を取材していると誰もがどこかで「だって、それが民主主義だから」と口にする。民主主義を物差しにする習慣があると、社会はより良い方向へと向かう。
「今、目の前で起きていることは民主的か?」を問う癖をつける。
「SNSで誹謗中傷やきつい言葉を書き込む人がいることで、発言をしたがらない人が出てくる。それは民主的か?」
「トークショーの舞台に座っている人が特定の年齢、社会層、性別の人ばかり。目の前の光景は民主的か?」
「たくさんの抗議の声がSNSで上がり、著名が集まっても動かない政治家。組合の声や署名を政治家がスルーするのは民主的か?」など。
 民主的かどうかで考えたら、今の日本の社会のなにがおかしいか、気づきやすくなる。若者が政治に関わろうとしないとしたら、社会のどこかが民主的に機能していないと無意識に感じているからかも?

毎日のニュースを学校の授業で取り上げる

 昨日のニュース番組や新聞記事を話し合う時間を教育現場で設ける。正しい一つの答えにたどり着くことは目的ではない。うーんうーんと、脳に刺激を与えて、考える行為そのものが大事。いろいろな考えがあることを知り、話し合う・自分で考えるスキルを磨く。たまには政治家が説明に来たっていい。その時は、複数の政党の代表を招く(1政党だけだと違いがわからないし、民主的ではない)。資料にするニュース素材は、メディアリテラシーを磨くためにも、複数の新聞記事を比較する。

 日本の学校でそんなことはできない?
 なぜできないのだろう?
 学校でそういう話を普段からせずに、選挙の時だけ若者に「投票に行け」だなんて、おかしな話だ。

国際ニュースを自分事に落とし込む

「アメリカの大統領が女性を軽視する発言をすると、私たちの暮らしにどのような影響を及ぼすだろう?」
「なぜグレタさんは注目を浴びているのか、日本で同じ規模の動きはあるか」

 教室で話し合う。他国で起きていることは自分の国や自分にどのような影響を与えるかを考える。その時に国外のニュースに触れていれば英語で聞くことも増えるので、語学力アップも同時に期待できる。

各政党の学校政策に注目する、議論や決定のテーブルに若者も座っている

 北欧で若者が政治に積極的な背景には、若者が当事者として学校政策づくりに関わっていることも挙げられる。
 給食費、貧困家庭の支援、デジタル格差を減らすための対策、奨学金、学生寮の建設、いじめ問題、SNSやネットハラスメント問題、メンタルヘルス対策など、子どもや若者に影響が及ぶ議論や政策づくりには、当事者である子どもたちも意見を述べ、決定のテーブルに一緒に座っている。
 選挙の時には学校政策を政治家が若者に向かって説明、各政党の青年部は検討した学校政策を母党に伝える役割を持つ。
 そして、若者の声を拾い、各政党の学校政策をわかりやすくニュースにするのはメディアの責任だ。

「●●県といえば若者の投票率ナンバーワンだよね」を目標にする

 なんだか無理そうな目標にどうやって取り組むか?
 北欧らしい手順でいくなら、まずは「●●県といえば若者の投票率が高いよね」と認知されるまでに投票率をあげることを、県全体の目標にする。よくあるのは、議会で目標として掲げる→メディア、学校、議会、各政党、個人などがそれぞれ動き始める。「そんなこと無理だよ」という人がいたっていい。それでも心のスイッチが入る人は出てくる。
 ちなみに北欧が環境や気候危機対策取り組むときも、この手順を踏むのが当たり前。政府や自治体の議会、政党が目標をまずは掲げちゃう。「世界初の、全国初、全国ナンバーワンの●●になるぞ!」。
 この傾向を私は最初は冷めた目で見ていたが、そのやり方に効果があることをこれまで何度も見せつけられた。

一例:Yahoo!ニュース個人「CO2を数値化するオスロ気候予算が、街や企業のやる気を加速?」
https://news.yahoo.co.jp/byline/abumiasaki/20191003-00145135/

性教育、ジェンダー平等学、差別や偏見、子どもの権利とはなにかを学ぶ

 ジェンダー平等、言葉を変えて女性学、男性学、フェミニズム学でもいい。若者が政治に参加しやすい社会を目指すなら、ひとりひとりの大学での専攻科目・職業などの社会の属性に限らず、だれもが平等や偏見について学んだほうがいい。偏見や差別を一切しない人なんて、いないと私は思っている。

 ノルウェーでは教育を通じてこれらを学ぶ機会が組み込まれている。どの科目を選考していてもどこかで教えられるし、自分で考える機会を与えられる。北欧レベルで学ぶ習慣があれば、今の日本社会で起きているおかしなことにもっと気づけるし、自分の無知にはっと気づいて考えを改めることもできる。子どもの権利とは何かも学び直したほうがいいかもしれない。そもそも私たちは、日本でそのことを学校で学んだだろうか?

小さい成功体験をもっと積める社会にする

 若者が政治参加に乗り気にならないとしたら、自分が動くことで社会を変えられるという実感がないからかもしれない。自分一人では何かを変えることはできない、社会で起きている「もやもや」や政治には直面しないほうが楽、それが自分を守るための手段。日本にはそう考えている人が多いのではないだろうか。

 北欧の現地で社会を変えたという成功体験がある人を大量に目にしてきたので、私の価値観はかなり変わった。このような社会であれば、自己肯定感も市民のウェルビーイングもあがるだろう。北欧が幸福度調査でトップになる評価項目のひとつには、「自分のことは自分で決める」ことがある。

 でも、空気は変えていくことができる。新型コロナの渦の中でも、声をあげて、変わったこともあっただろう。少しずつ変えていけばいい。黙っていたら何も変わらない。メディア関係者には、もっともっと若者の声を拾ってほしい。マイクを若者に向けてその声を聞こうとする姿勢を大人が見せるだけでも、若者の意識はだいぶ変わる。若者により影響力を与えるのか奪うのか、報道機関には選ぶことができる。

力がある人が弱い立場の人にする抑圧テクニックを学ぶ

 ノルウェーでは議論の際に強い立場にいる人が弱い人にする言動を抑圧テクニックと呼び、その傾向と対策を認識しようという習慣がある。何か言われても、「あ、この人は抑圧テクニックを使っているな」と気づくことができれば、心を打ち砕かれなくてすむ。ノルウェーでは権力者が抑圧テクニックを弱者に使うと、メディアが指摘して批判することもある。政治の議論をする時、大人は若者に抑圧テクニックを使うことがあるので、各政党の青年部や青年団体の勉強会では「抑圧テクニックをされたら、こう切り返せ!」という研修が行われることもよくある。
 詳しくはYahoo!ニュース個人「女性は自信をもって議論を 技を磨き、抑圧テクニックを知ろう」
https://news.yahoo.co.jp/byline/abumiasaki/20190308-00117398/

SNSで言葉の暴力が放置されている現状を考える
 
 社会変化を起こすのにネットは必要不可欠な時代。でも、言葉の暴力が放置されたままでは、若い人や弱い立場にいる人が議論の場からどんどん遠ざかってしまう。ネット時代にうまれた言葉の暴力によるデメリットに、例えばノルウェーの報道機関や政治家の反応は早かった。時には政治家や記者が言葉の暴力をする人に電話をかけることもある、コメントを消すこともあるし、記者らがコメント欄で直接読者に説教をすることもあるし、コメント欄を廃止する場合もある。言論や表現の自由といって放置する傾向のある日本よりも厳しい姿勢だ。

初投票の日は親も一緒に選挙会場に行く

 スウェーデンなどの各国では投票会場に「家族で行くのが恒例」というパターンがよくある。まだ選挙権がない未成年も付いて行き、いつか自分もする投票の仕方を学び、現場の空気を感じる。初めて投票する年に、親がその重要性を語ったり、可能なら一緒に投票会場にいくことが、もっと普通になったらどうだろう。

「社会への影響の与え方」を学ぶ

「どうしたら社会が政治を変えるプロセスに携われるか」を学ぶ機会をもっと増やしたらどうだろうか。ノルウェー語で「どうやって 影響」と検索するだけで、国会、青年団体、労働組合、政党など、たくさんの機関が力の行使の仕方を教えてくれる。

 では、ここで私が今読んでいるノルウェー語の本『政治と民主主義』(Politikk og demokrati. En innføring i stats- og kommunalkunnskap)から一例:
「政治に非直接的な影響力を持ちたいなら、政党の党員になる、組合や団体に属することで政府予算案の決定に影響を与える、デモ参加、メディアを使う、政治家にメール・電話する、投票する」

 ノルウェー国会の公式HP 「どうやったら私は影響力を行使できるの?」には、「投票する。政治家にメール・電話・SNSで連絡をする、デモ参加、政党に所属する、どこかの団体メンバーになる、新聞・テレビ・ラジオ・デジタルメディアというメディアは民主主義の一部なのでニュースに取り上げてもらう」とある。国会がデモをうながしているのはノルウェーらしいかもしれない。
https://www.stortinget.no/en/In-English

 考えると他にも出てくるが、まずはここで筆をおく。
 このような目線で転換してみると、北欧モデルというものには利用価値がある。ちょっとしたインスピレーションをもらって、日本式にアレンジしてみるのはどうだろうか。

 都知事選がいよいよ迫っている。
 ノルウェー在住の私には選挙権はないが、投票できるチャンスがある人をうらやましく思う。
 都知事選が終わった後も、また別の選挙がいずれくる。
 無関心でいるのではなく、政治に関わって、社会を決める決定のテーブルに自分も座ろうではないか。

 北欧はそうして、いつのまにか幸福度が世界的にとても高い国になった。
 私が北欧を12年間取材してきて言えること。

政治を楽しむことは可能で、幸せな社会は、自分たちでつくることができる

[写真-1]
スウェーデンの国政選挙で、各政党をまわって政策の質問をする若者たち

[写真-2]
ノルウェー労働党の青年部の集まり。どこの国でも青年部と母党の政策は異なっており、若者が望む政策を大人に届けるのが彼らの役目

[写真-3]
デンマーク国政選挙の期間中、駅周辺で政党の公約パンフレットを植物の種と一緒に配布する若い党員

[写真-4]
大人と政治家に気候危機対策を訴えるノルウェーの子どもたち

[写真-5]
フィンランドでのEU議会選挙前に、投票に行くことを呼び掛けるキャンペーンを高校生たちが授業で考えて実行

[写真-6]
フィンランド国政選挙で盛り上がる首都ヘルシンキ。市民はボランティアで応援したい政党にかけつけ、投票をよびかける

[写真-7]
スウェーデンの国政選挙で投票会場に一緒に来たお父さんと息子

[写真-8]
デンマーク国政選挙の際に、保育士の数を増やしてと市民も子どもも抗議デモ

朝日新聞・Globe、2020.07.03
[ノルウエイ通信]
北欧を参考にして若者の投票率をあげるには?
都知事選を前に考えてみた

Photo&Text: 鐙麻樹(Asaki Abumi)
https://globe.asahi.com/article/13470976

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国民の貴重な財産を株価対策のためにリスクにさらしていいのか

 公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は2020年7月3日、2020年1〜3月期の運用損益が四半期として過去最大となる17兆7072億円の赤字になったと発表した。
 赤字は5四半期ぶりで、新型コロナウイルスの流行に伴う株安が大きく響いた。
 この結果、2019年度の運用損益は8兆2831億円の赤字に陥った。

 1〜3月期の保有資産別の運用損益は、外国株が10兆2231億円の赤字。国内株も7兆4185億円の赤字を余儀なくされた。
 また、国内債も損失を計上する一方、外国債は黒字を確保した。

 2019年度の損失額はリーマン・ショックが直撃した2008年度(9兆3481億円)に次ぐ大きさで、収益率はマイナス5.2%。
 ただ、市場運用を始めた2001年度からの累積収益は57兆5377億円と高い水準を維持している。


時事ドットコムニュース、2020年07月03日21時16分
公的年金運用、17.7兆円の赤字
新型コロナで過去最大―1〜3月期

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020070300837&g=eco

・・・年金を株価維持に使ったアベのせいだ。これから2000万円の貯蓄不足ではすまないだろう・・・

・・・「公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は3日、2020年1〜3月期の運用損益が四半期として過去最大の17兆7072億円の赤字になったと発表した。国民が老後を生きるために必要な年金基金をギャンブル政策で減らし続ける安倍政権に批判の声が再燃しそうだ」とのこと・・・

・・・国民から預かった税金は自分たちで山分けしてしまう。国民から預かった年金基金はギャンブルに使って僅か3カ月で18兆円近くも溶かしてしまう。一次産業を守るための関税はトランプの言いなりに引き下げて市場を米国に売り渡してしまう。安倍晋三ほどの国賊をあたしは他に知らない・・・

 将来にわたって安定した給付が保証される……。
 この原則に疑念を持たれれば、公的年金への国民の信頼は揺らぐ、そのことを忘れてはならない。

 公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の1〜3月期の運用が17兆円前後の赤字になるとみられるとの試算を先月、民間エコノミストが発表した。

 四半期ベースでは過去最大の赤字幅とみられる。
 2019年度全体でも8兆円前後の赤字が見込まれているという。

 原因は新型コロナウイルスの感染拡大による株安だ。
 各国の株式市場が大きく値を下げたことが響いた。

 年金給付に充てるのは主に現役の加入者が支払う保険料だ。
 積立金の運用が赤字になっても支給額に直ちに影響するわけではない。
 政府は静観の構えだ。

 だが、不安を覚える国民は少なくあるまい。

 積立金は保険料のうち支払いに充てられなかった余剰分で、将来保険料を納付する現役世代が減ったときに備えて活用される。
 これが減少すれば、年金の安定性が損なわれかねない。

 GPIFが運用するのは昨年末時点で約169兆円だ。
 1四半期の赤字が17兆円前後となれば、全体の1割がわずか3カ月で吹き飛んだ計算になる。

 大きな要因としてGPIFが2014年10月、積立金の投資配分を変更したことが挙げられる。

 それまで投資配分を示す資産構成割合(基本ポートフォリオ)は安定的な国債が中心で、国内株式、外国株式はともに12%だった。
 しかし、それぞれ25%に引き上げ、株式への投資比率は全体の50%に膨らんだ。

 背景には、株式市場へ資金を流入させて株価を上げ、アベノミクスの成功を後押しさせたいとの政権の思惑が指摘された。

 ただし、日銀による金融緩和政策で国債の利回りが極めて低い状況を踏まえれば、投資配分の見直しには整合性があるとの意見もある。

 実際、その後の株式相場は上昇基調をたどり、運用はおおむね順調に推移していた。

 とはいえ、価格変動率が高い株式投資では、大きな利益を見込める半面、大きな損失を被るリスクを常にはらむ。
 今回、それが露呈した形だ。

 今年の世界経済の先行きについて、国際通貨基金(IMF)は「大恐慌以来で最悪の景気後退になる可能性が非常に高い」と危機感を示した。

 世界全体の実質成長率がマイナス3.0%に落ち込むと予測しており、株式市場はなお波乱含みの展開が予想される。

 世界的な株安を背景に、野党は基本ポートフォリオを見直し、株式の比率を20%以下とするGPIFの関連法改正案を国会に提出した。

 GPIFが運用するのは国民の老後資金を支える公的年金の積立金である。
 感染拡大で経済が失速する中で、現状のままの運用が妥当なのかどうか。
 政府は国民の疑問に向き合い、説明を尽くさねばならない。


新潟日報・社説、2020/05/18 08:31
年金運用赤字
露呈したリスクの大きさ

https://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20200518544017.html

 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、厚生年金と国民年金の積立金を、国内と外国それぞれの債券・株式の4部門に分けて運用しています。
 GPIFの公表資料によれば、昨年2019年12月末時点で約170兆円の資産のうち、国内株式で42兆円強、外国株式で47兆円弱が運用されていました。(表=略=)

 1〜3月期は新型コロナウイルスの影響で国内・外国とも株価が大幅に下落しました。
 GPIFが資金運用の目標(ベンチマーク)としている株価指数は、この3ヶ月間に国内株式では17.4%程度、外国株式では20%以上も低下しています。
 これらのデータからGPIFの1〜3月期の収益率を推計し、これをもとに収益額を計算したところ、表のように、国内株式で7兆円以上、外国株式で10兆円以上の赤字となったとみられます。
 国内債券も0.1兆円程度の赤字、外国債券は0.3兆円程度の黒字で、合計では17.5兆円程度の赤字となったとみられます。

 GPIFの発表によれば、2019年度は12月までの9ヶ月間で9.4兆円の収益がありましたが、これはすべて吹き飛び、年度通算でも8兆円を超える赤字になる見通しです。

 GPIFは2014年10月に資産構成割合(ポートフォリオ)を変更し、それまでは12%だった国内株式と外国株式の比率を25%に拡大しました。
 内外あわせて資産の50%が株式に投じられるようになったのです。
 年金積立金は将来の年金給付の財源であり、安全確実な運用が必要です。

 積立金の半分をリスクの高い株式で運用するというGPIFの手法は世界的に見ても異常です。
 ちなみにアメリカの公的年金の積立金は全額国債で運用されており、株式には1ドルも投入されていません。


 GPIFが株式運用比率を高めた背景には、安倍首相が株価対策を最優先してきたことがあります。
 安倍首相は就任から間もなく米英の証券取引所を訪問し、「年金資金を株式市場に投入することを検討している」と演説して、海外投資家への日本株式のセールスに奔走しました。
 GPIFの資産構成割合変更はこうした首相の意を受けたものでした。


 株式の比率を高めた結果、株価下落がGPIFの収益に与える影響は格段に大きくなりました。
 今回の国内株価の下落率はリーマン・ショックが発生した2008年7〜9月期とほぼ同じでしたが、四半期の損失額は17兆円超で、2008年7〜9月(4.2兆円)の4倍にもなっています。

 国民の貴重な財産を株価対策のためにリスクにさらしていいのか、改めて問われています。


しんぶん赤旗、2020年4月4日(土)
GPIF損失
株式比重高めリスク拡大

(垣内亮 日本共産党政策委員会)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-04-04/2020040404_07_1.html

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東京都の主権者は小池百合子氏に投票するべきでない

 6月15日付メルマガ第2657号記事「小池ファースト都政に東京アラート」(https://foomii.com/00050)に以下のように記述した。
「東京アラート」が6月11日で解除され、6月19日からは営業自粛要請もほぼ解除される。
 緊急事態宣言の解除に伴い、人びとの行動抑制が緩和されている。
 最近になって観測されている新規感染者数の増加は、その結果であると考えられる。
 それにもかかわらず、東京都は「東京アラート」解除、営業自粛要請解除を推進している。
 小池百合子氏のパフォーマンスに市民が振り回されている。
 感染は人と人との接触によって生じる。
 接触を削減すれば感染も減少することが想定される。
 ゴールデンウイークにかけて人びとの行動抑制が一気に強化された。
 その結果として新規感染者数が大幅に減少したと考えられる。
 しかし、ゴールデンウイークが明けると、人びとの通勤も復活した。
 このタイミングで段階的に緊急事態宣言が解除されていった。
 当然のことながら、感染が再拡大するリスクが上昇する。
 そしていま、新規感染者数の増加傾向がはっきりと表れ始めている。
 このなかで「東京アラーム」を解除して営業自粛要請を全面的に解除するというのは支離滅裂だ。

 7月3日の東京都の感染者数が124人になった。
 2日連続で100人を超えた。

 小池都知事は「夜の街」、「夜の街」と連呼するが、ウイルスは「夜の街」にだけ生息しているのではない。
 街は夜になれば夜の街になり、昼になれば昼の街になる。
 特定の業種だけが諸悪の根源であるとする表現は明らかな「差別」だ。
 飛沫感染を警戒しなければならないなら、居酒屋もカラオケも要警戒になる。
「接客を伴う飲食業」だけを「夜の街」と称して、これが諸悪の根源だと決めつける姿勢は、単なる自分の責任回避のためだけのもの。

 本ブログで何度も掲載しているが、アップル社が公表している「ヒトの移動指数」と確認感染者数との間には強い連動関係が観察される。
 人の移動指数を3週間ずらすと新規感染者数のグラフ推移と重なる。

 安倍内閣は3月20日に向けて誤ったメッセージを発した。
「瀬戸際の2週間」から事態が改善に向かっているとの間違ったメッセージを発した。
 学校再開も宣言した。
 その結果、3月20日の3連休に人出が急増した。
 これが4月の感染者数急増をもたらした。
 しかし、安倍首相と小池都知事の思惑は外れ、3月24日に東京五輪延期が正式決定された。

 これと同時に国民の行動抑制が始動した。
 ゴールデンウイークが終わるまで、徹底した行動抑制が取られた。
 この結果、新規感染者数が減少した。
 アップル社データで移動指数が最低値を記録したのが5月5日。
 しかし、ここから、安倍内閣は行動抑制緩和に急激にシフトした。
 5月14日から25日にかけて緊急事態宣言を順次解除した。
 東京都の小池都知事は緊急事態宣言が解除された5月25日以降、安倍内閣の方針に異を唱えて6月2日には「東京アラート」を発したが、6月11日に廃棄した。
 制度そのものを廃棄した。
 6月19日にはすべての営業自粛要請を解除した。

 行動抑制が新規感染者数減少をもたらした。
 行動抑制を全面的に解除することを奨励するなら感染者数は再増加に転じる。
 当たり前のことだ。
 行動抑制緩和について慎重に対処するべきことを、広く市民にアピールするべきだったことは言うまでもない。
 ただひたすら、自分の選挙に得か損か、小池都知事も安倍首相も、これだけを基準に行動している。
 東京都の感染再拡大の責任は小池都知事と安倍首相にある。

 都民の命と健康をまるで考えず、ひたすら自分の利益だけを追求する者は都知事にふさわしくない。
 東京都の主権者は小池百合子氏に投票するべきでない。
 東京都の主権者の見識が問われている。


植草一秀の『知られざる真実』2020年7月3日(金)
選挙ファースト自粛全面解除が感染急増元凶
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-2351ec.html

・・・西村経済再生相とコイケは「高い緊張感をもって警戒すべき状況」と傍観するだけ。緊急事態宣言も休業自粛も効果なしで打つ手なし。アベもコイケも経済との両立を優先して「軽症は気にしなくていい」と言い出す。インチキ専門家は全員検査を妨害するだけ・・・

・・・東京都の新規感染は124人になった。宣言解除後最多というが、休業要請全面解除が6月19日、今日はちょうど2週間目だ。わかっていたことだろう。ステイホームだけで何もしなかったコイケの検査制限、世界最低水準の検査制限を、メディアは批判しないでたれ流すだけ。ただの提灯か?・・・

・・・アベはどこに行った?この緊急事態にバカボン極まれり。官邸から公邸に戻って提灯ヘイトの月刊「HANADA」取材に1時間、新型コロナウィルス対策会議は17分だけ。あーまたしも提灯マスコミとネトウヨだけが群がる緊張感ゼロのバカボン・・・

・・・また飛び出した「夜の街」発言。夜の街から家族、職場、隣県へ コロナ再拡大「赤信号」。東京から全国流行の恐れ 。3日に124人が感染するなど都内で再び拡大する新型コロナの感染が、夜の繁華街から市中や周辺に波及する兆しを見せている。隣県でも東京由来とみられる感染相次ぎ、警戒強める・・・

・・・僕は「夜の街」という言葉がとても気になっています。いわゆる健康で理想的な「普通の家族」と対立するような存在として、「夜の街」という言葉が使われてはいないでしょうか。何か差別的なニュアンスを感じますよね・・・

 東京都内で4日、新たに報告された新型コロナウイルスの感染者が131人となったことが関係者への取材で分かった。
 これで3日連続の100人台となり、5月25日の緊急事態宣言の解除後の最多を更新した。
 

東京新聞、2020年7月4日 15時25分
東京都内で新たに131人の感染確認
3日連続の3桁

https://www.tokyo-np.co.jp/article/39907

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同じように騙されてしまっては、社会がより破壊されてしまう

竹中平蔵氏「東京都は巨額資産を市場に売れ」

 竹中平蔵パソナグループ会長がTwitterを更新した。
 都知事選が終盤を迎えているが、重要政策が議論されていない。東京都の巨額の資産を市場で売却することだ。イギリスでは、サッチャーによって国有企業が資産市場に売りに出された。結果的にそれが、資産市場を活性化させ、シティが世界一の金融センターになった。東京都には、売れる資産が山ほどある。

 今度は東京都知事選挙で重要政策が議論されていないと問題提起されている。
 重要政策というから何だろうと思って確認してみたら、東京都の巨額の資産を市場で売却することだそうだ。

 コロナウイルス感染拡大が収束していない状況下において、経済危機に苦しむ市民も多数に及んでいる。

 重要政策といえば、保健医療体制の拡充や経済危機対応としての福祉政策、雇用の維持や再分配政策などが出てくるかと期待していたが、相変わらずである。
 市民生活の困難は重要ではないのだろう。

民営化で利益を上げる人は誰だろうか

 ここまで徹底して市場関係者、資産保有者、資本家にとっての重要政策を顕示し、一般市民にとってほとんど意味がないことを「重要政策だ」と打ち出せる感覚に毎回驚かされている。
 竹中平蔵氏が指摘するとおり、日本でも英国のサッチャー政権と同様に、中曽根政権では鉄道、電話通信などを国有から民営化に移行した。
その後も国有、公営は非効率だという論調、潮流にのり、民営化を加速していった。
 典型的なものは、小泉・竹中改革とも呼ばれる郵政民営化である。郵便局の資産、郵便貯金を市場、株式市場、外資に売り渡した。
 当時は、政権与党である自民党内の議論、反論も軽視したまま、力で押し切り、全国各地にある巨大で巨額の郵便事業を市場化する。
 鉄道、電話通信、郵便、公営住宅、公団住宅など市民生活になくてはならないサービスを効率化という名目で、市場に売り渡し続けてきた現代である。
 今もさらに水道局など水道事業を民営化する動きがある。
 社会福祉領域も公営は忌み嫌われ、非効率だと言われ続けてきたため、株式会社などが福祉事業へ参入を続けている。
 売り渡された福祉事業によって、参入してきた民間保育所、有料老人ホームなどのサービスの質はどうだろうか。

 福祉現場にいる者として、私は民営化に否定的である。

 各領域が民営化することによって、その資本、株式を保有する人々は大きな利益をあげられたことであろう。
 生活必需品であり、なくてはならないサービスだからこそ、一部の人々の「儲けの道具」に利用せず、公営化していた先人の知恵は失われてしまった。
 それらを利益を上げる道具に変質させてしまったのは、民営化、市場化である。
 福祉サービス同様、他事業も民営化によって、人々の暮らしの向上、サービスの向上があったとはいえない。
 竹中氏が取り上げるサッチャー政権以降、民営化した事業は現在、サービスの劣化により、再国有化、再公営化が議論されている。
 英国さえも市民生活の視点から、見直しの議論なのである。
 竹中氏は、この時代背景のなかで、自分たちの利益をあくまで追求しようとする姿勢は頼もしい。
 しかし、そろそろどのような意図があるのか、一般市民である私たちは注視するべきだろう。

 正直にいえば、市場の力、経済力、効率化、という言葉に私たちは何度も騙されてきたのではないだろうか。

 また同じように騙されてしまっては、社会がより破壊されてしまうはずだ。

 何よりも非正規雇用を増やし続け、雇用が破壊されて、人びとの暮らしがどうなっているか確認しながら、パソナグループ会長である竹中氏の「重要政策」を吟味いただきたい。


Yahoo! Japan News、2020/7/2(木) 17:40
竹中平蔵パソナ会長「都知事選。重要政策が議論されていない」
東京の資産売却は重要政策か?

(藤田孝典)
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200702-00186223/

安倍首相「生活保護バッシングは自民党ではない」

 6月15日の参議院決算委員会での田村智子参議院議員(日本共産党)の質問に対する安倍首相の答弁に衝撃を受けた。

20200615参議院決算委員会(国会中継)
https://www.youtube.com/watch?v=bs9A5Z_vICw

 正確性を期すため、上記の6:00:00以降の田村智子参議院議員の質疑に対する安倍首相の応答を動画でもご確認いただきたい。

田村智子参議院議員
「生活保護はあなたの(受けるべき)権利です。この場でそう呼びかけてもらえませんか。」

安倍首相
「先ほど田村委員は一部の政党が生活保護に対して、攻撃的な言質を弄しているという主旨のお話をされましたが、それは勿論、自民党ではないということは確認しておきたいと思いますが…」

田村智子参議院議員
「民主党政権の時、ワーキングプアが増えて、それを生活保護で救おうと増やした時に、それを攻撃したのは自民党なんですよ。」
と、こんなやりとりが行われた。

 なお、安倍首相は生活保護について、さまざまな事情がある方もいらっしゃるので、権利ですからためらわずに積極的に活用いただきたいとも答弁している。
 この部分はその通りで、過去の自民党関係者の発言とは大きく違うところで、評価できる。

 以下に挙げる現職閣僚も含めた自民党関係者は猛省をしていただきたい。

生活保護バッシングが民主党から自民党への政権交代に利用された過去

 実は2012年の民主党政権時、野党であった自民党は田村議員が言う通り、苛烈に生活保護バッシングを展開した過去がある。
 生活保護を受ける人は働けるのに働かない人、ズルをしてもらって卑怯な人、家族が支えられるのに家族が扶養義務を負わない冷たい人、などという印象を強く植え付ける役割を負ってきた。
 最初はあるお笑い芸人が母親を扶養できる能力があるにもかかわらず、生活保護を受けさせていた特異な事例を取り上げた。
 これがあたかも不正や違法であるように、マスメディアと一緒になりながら、連日非難し続けた。
 生活保護制度は親族の扶養を優先するが、さまざまな事情や関係性を考慮し、扶養能力があろうとも扶養を強制していない。
 扶養するか否かは扶養者の能力ではなく、あくまで相互の意思によるものを考慮して運用を行なっている。
 つまり、不正でも違法でもない適正運用の事例を取り上げ、生活保護や受給世帯に対するイメージを毀損させることを意図的におこなってきた。
 また、当時は民主党政権下であり、自民党は何が何でも政権奪取をしたい意欲を掲げ、まさに禁じ手として「弱者攻撃」に手を染め、支持者を集め始めたのである。

 2012年はリーマンショックの傷跡が残り、東日本大震災に苦しむ人も多く、貧困や格差も厳しい状況であった。
 特に、生活保護バッシングは小泉・竹中改革で派遣社員や非正規雇用が増加するなか「頑張って働いても報われない」と嘆くワーキングプア層にネガティブな感情と差別感情、分断を想起させて、巧みに支持基盤に取り込んで行った。
 要するに、生活保護受給者を「仮想敵」として設定し、別の社会的弱者を団結させて、支持基盤に取り込むという醜悪な政治手法だった。
 もちろん、給与引き上げや生活改善をしろ、という政治要求も収まるため、生活保護バッシングは政治家に大きな免責理由さえ与えてきた。
 政治家にとって、生活保護バッシングは、国民生活向上に何も責任をとらずに、支持層も増やせる非常に使い勝手がいい方法だった。
 当時のマスメディアも共犯関係にあり、そもそも雑に比較すること自体に意味はないのだが、生活保護基準と単純比較して、いかに年金が少ないか、給料が少ないか、を伝える記事や番組が多く配信された。

 政治が悪いことは隠され、関係がない生活保護基準が高すぎる点に焦点が当てられていく。

 これらの支持をうけて、その後の国政選挙では、生活保護基準10%引き下げを自民党の公約に掲げて、政権奪取にも成功する。
 努力をすることが不公平であり、生活保護のせいで、私たちは不幸になっているという印象を強く意識させるキャンペーンは見事に効いてしまった。
 これらの政治手法は「悪き禁じ手」であるが、国内同様、海外でも主に極右政党が差別を利用して、人びとのネガティブな思いを巧みに利用する醜悪な政治活動を行なっている。

 日本でも典型的な差別扇動による政治利用の場面に立ち会ってしまった。

 例えば、片山さつき参議院議員は2012年当時に「生活保護は生きるか死ぬかという状況の人がもらうべきもの」というテレビ発言もし、「正直者にやる気をなくさせる!?福祉依存のインモラル」という書籍も出版した。
 この書籍では、民主党政権において、働ける年齢層への生活保護支給が急増してきたことを挙げ、政府や自治体に頼る意識自体を戒めている。
 極端に言えば、生活保護を簡単に受けるべきではないし、福祉依存はモラル崩壊を招くという主旨だ。

 現在のコロナショックにおける経済危機も、リーマンショックと似たような状況である。

 生活保護受給世帯は増加している。当時も今も経済危機の発生源は金融市場かウイルスかは別にしても、似たような傾向がある。
 私は社会福祉の専門職として、生活保護を受けることによって、命や暮らしが助かり、地域経済にも大きな還流効果があるので、「生きるか死ぬか」以前に、早く生活保護を受けるべきだと一貫して主張している。  

誰でも生活保護は申請できる
どんどん生活保護を申請しよう
生活保護申請が増えることを大歓迎する理由


 だからこそ、2012年当時、片山さつき参議院議員やその周辺は、民主党政権に限らず、私たちのような生活保護受給世帯を支援する団体、生活保護増加を容認する専門家を政治的に利用するため、攻撃対象、激しいバッシング対象とした。

 私たちなど、生活困窮者支援団体に対する非難や攻撃、「貧困ビジネス」「不当要求をする集団」「福祉NPOは怪しい」という誹謗中傷も激しさは続いており、新しく支援活動に取り組もうという学生や仲間たちの意欲を大きく削ぐ結果となっている。
 いかに生活困窮者が増えようとも、日本の生活困窮者支援団体は増えないように、その効果は絶大であるといえよう。
 差別はいつの時代もその社会を破壊してきたが、すでに日本でもそれは起きている、という認識が大事だ。

 片山さつき参議院議員だけではない。
 自民党所属の世耕弘成経済産業大臣も当時は「生活保護受給者にフルスペックの人権を認めるのはいかがなものか」という完全に一発アウトの差別発言もおこなっている。当時の記事を参照いただきたい。
 当然ながら、生活保護受給者が受け取る保護費は権利として支給されるものであり、よほど異常な消費行動がない限り、その使途を制限することは禁じられている。福祉事務所による指導・指示は最小限に留めなければならない、ということが生活保護法の主旨である。
 生活保護受給者を一括りにして行動を制限するようなことはあってはならないものだ。
 生活保護費増加の問題の根源は、給付水準が高すぎるため、本来自立できる人が保護に頼るというモラルハザードが生じていることだ。
 その結果、国民の間にも不公平感が広がっている。
 勤労者所得は直近の10年間で約15%減少しているが、生活保護費は0.7%しか見直されていない。自民党はこうした所得の減少や国民年金とのバランスを考慮し、給付の10%削減を提案している。
 現金給付から現物給付への転換も必要だ。
 生活用品や住宅を現物で支給すれば、貧困ビジネスを抑制できるほか、受給者の自立へのインセンティブにもつながるだろう。
 生活保護法改正案で前面に出したいのは、自立支援策だ。
 具体的には、保護期間に自立後の基金を作る「凍結貯蓄」の仕組みなどを導入することで、働いたほうが得だという明確な方向を打ち出したい。

権利の制限は仕方ない

 現物給付や親族の扶養義務の強化で、本来必要な人に届きにくくなるという声もある。
 しかし本当に生活に困窮していれば、受けにくくなることはないのではないか。
 見直しに反対する人の根底にある考え方は、フルスペックの人権をすべて認めてほしいというものだ。
 つまり生活保護を受給していても、パチンコをやったり、お酒を頻繁に飲みに行くことは個人の自由だという。
 しかしわれわれは、税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える。
 この根底にある考え方の違いが大きい。
出典:生活保護の給付水準下げ自立意欲高める、権利の制限は仕方ない--
参議院議員・世耕弘成
2012年7月12日 東洋経済オンライン

 そして、片山氏、世耕氏だけではない。
 当時、石原伸晃自民党幹事長はテレビ朝日の報道番組に出演し「ナマポ…ゲットしちゃったー、簡単よ、どこどこに行けば簡単にもらえるわよ、こういうものを是正することはできると思う」という発言をしている。
 もう論評に値しないトンデモ発言だが、生活保護は簡単にもらえることが悪いことだという印象を強く植え付けるひどい発言だ。
 生活保護制度は言うまでもなく、厳しい資産調査があり、簡単に受けられるようなものではなく、多くの課題を有している。
 さらに、自民党幹事長が生活保護をネットスラングであり、差別用語である「ナマポ」などと呼び、公然と生活保護受給に対する差別感情を煽ってきた。
 これは明確に言い逃れができないが、当時の自民党幹事長の肩書きによる差別発言である。

 安倍首相による「生活保護バッシングをしたのは民党ではないと思います」という発言はウソであることが明白であり、自民党幹部による生活保護への攻撃だ。

 インターネットが普及していない時代は、ある程度のウソも許容されたかもしれない。
 しかし、今の時代は少し調べれば、ウソか否かを判断できる時代だ。

 安倍首相はもうウソを繰り返すのではなく、事実を認め、差別をこれ以上広げないよう、現職閣僚も含め、過去に差別発言をした者たちへの対策を取るべきである。
 差別をしても出世ができるのであれば、今後も同じ過ちは繰り返されてしまうことを意味するのだから。
 差別によって、生活保護を受けたくない、生活保護は恥ずかしい、と思ってしまったら、助けられる人も助けられなくなる。
 そしてコロナ禍で苦しむ人々が増えないためにも「必要な方はすぐに生活保護を受けてください」と継続的に強いメッセージを発し、生活保護制度も受けやすくなるように、断続的に改正を続けるべきだろう。


Yahoo! Japan News、2020/6/15(月) 18:37
安倍首相「生活保護バッシングをしたのは自民党ではないと思います」
いえいえ完全に自民党です

(藤田孝典)
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200615-00183505/

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2020年07月03日

東京が、日本が、いい方向に進むことはない!

なつぞら最終回156話
https://www.youtube.com/watch?v=NiiZSH6QY2g

「なつぞら」放送終了に感慨 ロケ地ファン絶えず
https://www.youtube.com/watch?v=cnXu6S9NoZ0

スピッツ / 優しいあの子
https://www.youtube.com/watch?v=RkIOd78C82I

 国会議員秘書歴20年以上の神澤志万です。

 新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が解除になり、美術館や映画館も再開されましたね。
 神澤も、東京駅構内の東京ステーションギャラリーで6月28日まで開催されていた『神田日勝 大地への筆触』展へ行ってきました。

 日勝は東京から家族とともに「拓北農兵隊」として北海道の河東郡・鹿追町に移住し、農業に従事しながら絵を描き続けた孤高の画家です。
 2019年のNHK連続テレビ小説『なつぞら』に登場する山田天陽のモチーフとなった画家といったら、ピンとくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 ドラマのなかの多くのエピソードが日勝の人生と重なっていると、注目されていました。

 ギャラリーは時間予約制で、「密」にならないように配慮されていました。神澤のなかでは、絶筆で未完の『馬』という作品のイメージが強く、「日勝といえば馬の絵」と思っていたのですが、ほかにもいろいろなテーマの作品があって楽しめました。

 日勝の心の内が伝わってくるような筆遣いのインパクトと、構図のダイナミックさに圧倒されました。やはり、芸術に触れると心も五感も刺激されて、活力が湧き出るような気がします。

小川議員が「総理大臣になれない理由」とは

 もうひとつ、注目されている映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』も観ました。
 小川淳也衆議院議員(立憲民主党・無所属フォーラム)を追ったドキュメンタリーです。
「世界の大島」といわれた大島渚監督の次男の大島新さんが監督を務めたことでも話題で、気になっていました。

 小川議員といえば、2019年に厚生労働省の統計不正を追及して「統計王子」とネット上で話題になりました。
 東大卒で元官僚という経歴なのですが、なんか地味ですよね。
 普通に感じのいい方ですよ。

 小沢一郎議員の秘書だった石川知裕議員が2010年に逮捕されたときには、政府の一員である総務大臣政務官の立場で「石川知裕代議士の逮捕を考える会」に出席して問題になったこともあります。
 このときも、きちんと「(自分と同期の)石川さんの身の上を心配している」と明言して、「男前だねー」と話題になりました。

 先に鑑賞した知人たちによると、「絶対に2回は泣く」「感動して、終わった後にしばらく立てなかった」「観た人はみな、小川淳也のファンになる」などと前評判がとてもよかったのと、ドキュメンタリーなので「知り合いもたくさん映っているんだろうなー」という冷やかしの気持ちもあって、行ってきました。

 映画館も、建物とシアターの入り口での手指の消毒、座席数は通常の半分、上映中もマスク着用という厳戒体制でした。
 作品には、議員会館でお見かけしたことのある秘書さんたちが出演されていて、小川議員の地元の香川県高松市だけでなく、国会や議員会館にもカメラが入っています。

 撮影は2003年から続けられていたそうで、ところどころ時代背景も説明されていて、自分の秘書人生と重ねてしまいました。
「あの頃の神澤は、あの議員の秘書として選挙をしてたんだなぁ」とか、「そうそう、こういうひどい発言する有権者っているよねー」とか思いながら観ていました。

 小川議員の人柄や議員人生の苦悩などが伝わり、本当に感動して涙が出る作品でした。
 映画を観た秘書仲間は「うちのボス、小川議員と親交があるんだけど、小川議員と比べると演説の内容が薄っぺらくて、政治家としての使命感の差を思い知らされるわ」と嘆いていました。

 何度もお伝えしていますが、心から尊敬できるボスのもとで仕事ができることは秘書冥利に尽きます。
 そういう意味では、小川議員の秘書さんたちをとてもうらやましく思ったのでしょう。

 当選5期で自分の政策グループさえない小川議員のことを「人望がない」と言う人もいますが、小川議員にないのは「親分気質」でしょうね。
 永田町では、後輩たちと飲食を共にして一緒にお酒を飲んだり、タイミングよく「餅代」を配ったりできる人が「人望がある議員」と言われますが、そういうタイプではないのでしょう。

 作品ではマイホームも公開されていましたが、2DKのアパートで驚きました。
 その質素な住まいで現在大学生の2人のお嬢さんを育て上げており、本当の意味で「庶民派議員」なのだと思いました。

 ただ、永田町では庶民派議員は出世できないのです。
 まじめなだけでは、これからの選挙はなかなか勝てないと思います。
 今後、小川議員はどのような選挙をするのか、注目していこうと思いました。

「小池知事が圧勝で再選」だけは避けるべき

 この映画を観て、あらためて「都知事選で現職の小池百合子知事を圧勝させてはいけない」と強く思いましたね。
 作品にも出てきますが、2017年10月の総選挙で、希望の党党首だった小池氏の「排除発言」が波紋を呼んだことは、みなさんもご記憶だと思います。
 あの発言が野党を大混乱させ、多くの有能な候補者が落選しました。

 そして、今も野党内には禍根が残り、立憲民主党と国民民主党の合流話は進んでいません。
 これでは、長期すぎる安倍政権に対抗できる強い野党は生まれません。

 6月19日からは東京都知事選挙(7月5日投開票)の期日前投票が始まっていますが、各社の出口調査結果では、どれも「現職支持」が60%以上と圧勝の見込みが報じられています。

 でも、圧勝させて小池知事を調子に乗らせてはいけないと、危機感を持っています。
 小池知事によって、東京が、日本が、いい方向に進むことはないと思っています。


 ちなみに、神澤も読んでみましたが、石井妙子さんの『女帝 小池百合子』(文藝春秋)がベストセラーになっていますね。
 著者の覚悟が伝わってきます。
 多くの人が読んで「反小池」になってほしいですが、都知事選には間に合わないでしょうね。

 本書を読んだ知人や、永田町時代の「小池先生」を知る人たちは、みんな「こんな人を、また都知事にしてはいけない」と声を揃えています。
 神澤も、かつての小池氏が「女性差別と戦っているように見せて、ほかの女性を潰す姿」を見ていたので、恐ろしいです。

 元キャスターの優しい語り口でビジョンを聞かされると、バラ色の未来が待っているような気になってしまいますが、だまされてはいけません
 そもそも、前回の選挙公約だった満員電車など「7つのゼロ」の大半は未達成ですよね。
「ペットの殺処分ゼロ」は達成できているようですが、それは現場の獣医さんや行政の担当者、ボランティアの方々ががんばったおかげでしょう。

 東京の感染者が再び増えてきたため、6月30日には新たなモニタリング項目を公表しましたが、数値的な基準は示されませんでした。
 これから専門家による分析が行われるとのことですが、数値が明示されていないのに、どうやって専門家が状況を判断するのでしょうか。
 耳障りがいいものの具体策がなく、責任逃れの最たる例だと思います。

 このままでは「小池知事再選」の流れは止められないと思いますが、有権者のみなさんはぜひ投票に行って、自分が選んだ候補者の名前をしっかり書いてきてください。


Business Journal、2020.07.01 18:20
都知事選「小池百合子が圧勝で再選」だけはダメな理由…
“自分以外の女性を潰す”恐ろしい姿
(文=神澤志万/国会議員秘書)
https://biz-journal.jp/2020/07/post_165837.html

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=lWgKPumHORQ
https://www.youtube.com/watch?v=w0tDYZEyjC4

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』 小川淳也議員×堀潤さん 野党のダメなとこ?自民党の凄いとこ。「持続可能な福祉国家を目指す」ためには?
https://www.youtube.com/watch?v=RkIOd78C82I

『なぜ君は総理大臣になれないのか』衆議議員 小川淳也氏を描いた大島新監督のドキュメンタリー映画を観に行きましょう‼️
https://www.youtube.com/watch?v=0q0nmBGv1mo


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絹田幸恵さんと西崎雅夫さんとの出会い

 関東大震災時の虐殺事件を書く4回目(最後)。
 朝鮮人虐殺事件を書くけど、それは「あったか、なかったか」を書くためではない。
 そんなことは明白すぎて書く意味がない。
 歴史学的観点からは、問題は「デマはなぜ生まれ、どのように広がっていったか」に絞られるだろう。

 関東大震災は1923(大正12)年9月1日に発生した。
 もちろんそれを予知していた人はいない。
 プレートテクトニクス理論が確立した現在でも、東日本大震災の発生は不意打ちだった。
 熊本の地震も同じ。
 関東大震災では皇族も犠牲になった。
 当主ではないが、閑院宮の4女や東久邇宮の次男が亡くなった。
 いずれも小田原や藤沢などに避暑に来ていて、別荘が崩落したのである。
 震災は権力側にも不意打ちだった。
 朝鮮人が予知できたわけがない。
 事前に判ってない限り、井戸に入れる毒を用意できない。

 常識で考えれば、劣悪な環境に置かれた朝鮮人労働者の方が、震災で家屋が崩壊して生き延びるだけで大変だったと想像できる。
 日本の植民地だった朝鮮だが、日本と自由に往来できたわけではない。
 だが、困窮した人びとは日本へ流入した。
(南部の人は日本へ、北部の人は中国の間島=現在の延辺朝鮮族自治州へ)
 朝鮮人は荒川放水路の工事などさまざまな下層労働をして、バラバラに居住していた。
 集団で「暴動」を起こせるわけがないし、故郷を食い詰めて日本に来たのだから、独立運動家でもない。
 だから、虐殺事件があちこちで起こったわけである。

 東京東部を見てみると、本所区(墨田区南部)と深川区(江東区西部)一帯はほとんど焼けた。
 東部から逃げるとなると、千葉か茨城に向かうことになる。
 どう行っても、川がある。
 都心から順に、隅田川(大川)、荒川(放水路)、中川、新中川、江戸川となる。
 今、都心から千葉、茨城に車で行く時、高速を使わず下を行くと、京葉道路か水戸街道になる。
 環状道路の明治通りが、京葉道路と交差するのが亀戸、水戸街道と交差するのが東向島である。
(明治通りは震災当時はないが、交通の基本は変わらない)

 避難する朝鮮人を大量に「捕獲」したのが亀戸署と寺島署だったのは、そういう交通事情による。
(現在、亀戸署は城東署、寺島署は向島署)
 荒川放水路の掘削現場や下町の零細工場地帯のスラムにいた朝鮮人が、千葉、茨城方面に向かう時に必ず通る橋に軍が展開した。
 だから四ツ木橋や小松川橋際で虐殺が起きたのである。
 四ツ木橋(墨田区と葛飾区の間)で、軍による大量の虐殺があったという証言を地元の老人の聞き取りで明らかにしたのは、絹田幸恵(2008年2月逝去)だった。
 僕の母校である足立区立伊興小の先生で、地元の教材を求めて荒川放水路建設の話を聞いて回っていた。
(その聞き取りは『荒川放水路物語』(新草出版、新版、1992年3月)という名著に結実した)


[写真]
墨田区八広にある追悼碑

 絹田先生は聞き取りで聞いた虐殺の話を放っておけなくなり、堤防内を発掘し遺骨を掘り出そうと考えた。
 1982年、当時立教大学教授の山田昭次氏に代表を依頼し、試掘を実施した。
 遺骨の発掘はならなかったが、そのグループが多くの聞き取りを行った。
『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』(1992)にまとまっているが、9月1日当日の夜から、群集による朝鮮人虐殺が始まったという証言がある。
 また警察も朝鮮人を捕らえて虐殺した。
 荒川土手や寺島署にたくさんの朝鮮人がいたところへ戒厳軍が到着し、旧四ツ木橋に機関銃をすえて、大量の虐殺を開始したという証言が得られた。
 この軍隊は近衛師団習志野騎兵連隊の機関銃部隊である。

 その後、政府は朝鮮人、中国人をまとめて、習志野俘虜収容所へ送ることに転換した。
 かつてロシア人、ドイツ人の捕虜を収容した施設で、この時は空いていたから、そこに「保護」の名目で押し込んだ。
 軍はスパイを入れ、朝鮮独立運動家らしき者を探り、怪しいと思われた者を虐殺した。
 付近の「村の自警団」に下げ渡し、村で「処理」させたケースもある。
 この事実は20年前に千葉のグループが発掘し衝撃を与えた。
 そこまでしたのである。

「朝鮮人暴動」のデマがなぜ生じたのだろうか?
 はっきり言えるのは、2日に流言を広めたのは、明らかに警察と軍隊だった。
 警察が触れ回ったから信じた、という震災後の証言が無数にある。
 軍が率先して虐殺したので、民衆も信じたのである。
 しかし、その段階で広めているのは、警察や軍の中間管理職、下っ端である。
 上から命じられたのか、自分もデマを信じ込んだのか、根っから朝鮮人を差別していたのか、そのあたりが判らない。
 9月1日当日に、上層部から意図的に流された陰謀か、それとも民衆の差別意識が生んだ自然発生的デマなのか。

「富士山が噴火した」というデマがあったことも判っている。
 富士山噴火を権力側が意図的に流すとは思えない。
 自然発生的デマはあったのである。
 自警団の虐殺を見ると、民衆の差別意識は否定できず、民衆からの自然発生もあり得る。
 一方、軍の展開地域に沿ってデマが拡大している側面も指摘されている。
「デマ」そのものが権力側の陰謀という説も否定できない。

 この問題は最終的には「戒厳令がなぜ出されたか」になる。
 戒厳令は、そもそも戦時に軍が行政を行うことである。
 緊急勅令で「行政戒厳」を布告したことは3回ある。
 最初が1905年の日比谷焼き討ち事件、最後が1936年の二・二六事件。
 戦時ではないが、準戦時的大事件である。
 しかし、震災は災害であり戒厳令を出す理由にならない。
 倒壊家屋や火災の救援なら戒厳令はいらない。
 実際、軍は震災後すぐに宮城や各宮家の安否確認に駆け回っている。


[写真]
横網町公園の追悼碑

 ところで、関東大震災当日の総理大臣を知っているだろうか?
 ほとんど知らないのではないか。
 震災当日は首相がいなかったのである。
 1921年に「平民宰相」原敬が暗殺され、高橋是清が後を継ぐが、短命。
 1922年、海軍大将加藤友三郎が首相になるが、1923年8月25日に病死して、内田康哉外相が臨時首相となっていた。
 2日午前に戒厳令を出したのは内田臨時内閣である。
 実は8月28日に後継として海軍の山本権兵衛が指名されていた。
 組閣が遅れていたが、2日午後に山本内閣が成立した。
 なぜ、後継内閣成立を待たなかったか。

 そもそも戒厳令の発動要件を満たさないので、形式は議会閉会中の緊急勅令となるが、枢密院議員が安否不明で、枢密院が開かれていない。
 つまり違法な戒厳令なのである。
 加藤前内閣の水野錬太郎内相、赤池濃警視総監は、朝鮮総督府に勤務して三一独立運動弾圧に関わった。
 それが朝鮮人暴動の「妄想的警戒心」を生んだという説もある。
 後任内相は、大物後藤新平だった。
 震災前に山本内閣が成立していたら、後藤新平内相はどうしていたろう?
 災害救援も国内の治安維持も地方との連絡もすべて内務省の所管である。
 後藤内相は、軍の口出しを嫌って戒厳令はなかったかもしれない。

 戒厳令により動員された軍は、死体や倒壊家屋の片付けに来たのではない。
 戒厳出動だから、敵をやっつけるつもりで来た。
 それはいろいろ証言があり(例えば戦後に中国との平和を訴えた反戦軍人遠藤三郎の日記)、朝鮮人暴動を信じ込んでいるのである。
 軍が兵士に対して、「これはデマだけど」と説明するわけがない。
 兵は上官の命令に従って、虐殺に努めたのである。
 軍、警察が殺人をしているのだから、民衆が国家公認の「天下晴れての殺人」と思い込んだのも無理はない。
 政府は後にいくつかの事件で自警団を裁判にかけたが、おざなりのものだった。
 軍、警察の関わりを裁かない以上、当然だ。

「民衆の差別意識からデマがおこり自警団による虐殺があった」という理解では不十分なのである。
 軍や警察が組織的に関わらなければ、これほどの規模の虐殺事件にはならない。
 世界の類似事件との比較も大切だ。
 第一次世界大戦時のオスマン帝国におけるアルメニア人虐殺は、時代も内容も似ている。
 帝政ロシアのポグロム(ユダヤ人虐殺)や、インドネシアの「9.30事件」後の虐殺(記録映画「アクト・オブ・キリング」で追及された)、ルワンダ、ブルンジの虐殺、ボスニアの虐殺なども考えないといけない。
 それと同時に、今も当時の事件を調査せず、国家責任を認めない日本政府も問わないといけないだろう。

「軍隊」というものは恐ろしいものだ。


尾形修一の紫陽花(あじさい)通信、2017年09月02日 23時05分32秒
朝鮮人虐殺−関東大震災時の虐殺事件C
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/c9673a360f7eb5c6dc235cb7d3a69ddd

 9月1日で関東大震災からちょうど90年を迎える。
 3.11以来、首都を再び大地震が襲う可能性が取り沙汰されているが、関東大震災で起きた朝鮮人虐殺事件のような悲劇が繰り返されることを憂いている人もいる。
 事件の真相究明と犠牲者の追悼を30年以上続ける西崎雅夫さん(53)=東京・墨田区=だ。

▼ 90年後も続く差別

 西崎さんがそう感じるのは、東京・新大久保をはじめとするコリアンタウンで排外デモが繰り返されているからだ。
 デモの参加者は「朝鮮人を殺せ!」などといったヘイトスピーチ(憎悪表現)を連呼している。

「もし、大震災が起こって情報が混乱したら、在日外国人が再び攻撃の的にされかねません。震災時に起こったデマや虐殺事件の背景にあったのが、朝鮮人への差別意識や植民地支配を通じて収奪をしていたことへの罪悪感でした。現在の排外デモを見ていると、不安は膨らむばかりです」

▼ 妊婦も犠牲に 

 西崎さんが虐殺事件を知ったのは、荒川放水路の歴史を調べていた元小学校教師の故・絹田幸恵さんと学生時代に出会ったことがきっかけ。絹田さんからはこんな話を聞かされた。

「(関東大震災の発生直後に)朝鮮人が暴動を起こすというデマが広がり、たくさんの朝鮮人が虐殺された。東京・墨田区の荒川に架かる旧四ツ木橋周辺では、荒川放水路の工事や近くの工場で働いていた多くの朝鮮人が犠牲になり、河川敷に埋められている」

 西崎さんは強い衝撃を受けた。
 荒川河川敷は幼いころから慣れ親しんでいた場所だったからだ。
 居ても立ってもいられなくなり、絹田さんの呼び掛けに応じ、1982年から真相究明と追悼活動を始めた。

 活動を進める中で、在日韓国・朝鮮人の生存者や日本人の目撃者から聞いた話は耳を覆いたくなるものばかりだった。

「軍隊が朝鮮人を土手に並べて、機関銃で撃ち殺した」
「自警団が朝鮮人を日本刀で切ったり、竹やりで突き刺したりして殺した。中には妊婦もいた」――。

 虐殺事件の犠牲者は6000人という説もあるが、西崎さんの研究によれば、それは一部の学者が推定しているだけであり、本当の人数は見当さえ付かないという。

▼ 追悼碑を建立

「こうした悲劇を二度と繰り返してはいけない。風化させずに後世まで伝えていこう」

 そう決心した西崎さんは4年前、旧四ツ木橋から程近い墨田区八広に有志とともに土地を購入し、約700万円の寄付金を集めて追悼碑を建立した。
 碑ができたことで初めて虐殺事件を知ったという若者や、祖父が語った虐殺の体験談を教えてくれる人などが、次々と西崎さんの元を訪れている。

▼ 悲劇伝えなくては

 西崎さんが今年2013年6月、活動の一環として韓国を訪れた際、そこで虐殺事件の根深さを再認識させられる出来事があった。
 60代の韓国人男性からもたらされた「祖父を探してほしい」という依頼だった。
 男性の祖父は当時、東京に留学していたが、関東大震災の際に行方不明になってしまった。
 虐殺された可能性が高いという。
 祖母は「何とかしておじいさんの骨を探し出して、自分の骨と一緒に埋葬してほしい」と遺言して亡くなったが、男性は祖母の思いを今もかなえられないでいる。

「加害者である日本人は虐殺の事実を忘れ去ってしまったが、被害を受けた韓国・朝鮮人の遺族たちの悲しみはいまだに続いていることを実感させられました。両民族の真の友好をつくり出していくためにも、これからも活動を続け、多くの人に虐殺の悲劇を伝えていきたい」

 西崎さんそう語った後、追悼碑をじっと見つめていた。

※ 連合通信


京都府職労、2013年8月30日
〈レイシズムを追う〉/忘れがたい虐殺事件
関東大震災の悲劇
「再び」を憂う市民たち

http://www.k-fusyoku.jp/merumaga/13melmaga/topix/rksizumu.htm

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関東大震災での朝鮮人虐殺

 残暑の日差しが強く照りつけた2019年9月7日の昼下がり。
 東京都墨田区八広、木根川橋下の荒川河川敷で「関東大震災96周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式」が開かれた。

 1923年9月1日に起きた大震災と迫り来る炎禍の中、日本による植民地支配下で職を求め、あるいは留学で日本に来ていた朝鮮人を襲ったのは、根拠のない流言飛語に端を発した虐殺だった。

「井戸に毒を入れた」
「放火し、日本人を攻めてくる」

 全てが事実無根だった流言を信じて、住民組織の自警団や軍隊、警察が無辜(むこ)の民に対し、竹やりや鉄棒、機関銃を向けた。
 政府は正式な記録を残さず、殺害された人数は数千人と曖昧だ。

 荒川河川敷での追悼式は事件から59年の歳月を経た1982年9月から始まった。
 きっかけは1人の小学校教員、絹田幸恵さん(故人)が1975年に授業用に始めた地域の歴史調査だった。

 人工河川である荒川放水路の開削工事の歴史を地域住民から聞き取り、授業の教材づくりを始めた絹田さんはお年寄りから、「旧四ツ木橋下の河川敷に朝鮮人を縛って座らせ、軍隊が土手上から機関銃で射殺、遺体を埋めていた」などの目撃証言に触れた。

「『埋もれていく歴史を掘りおこし、良心の光をあてる』と絹田さんは決めた」

 追悼式典を主催する一般社団法人「ほうせんか」理事、西崎雅夫さん(60)は話す。
 1982年9月に証言に沿ったこの場所で遺骨発掘作業と追悼式を実施。
 以来毎年9月上旬の土曜日午後に追悼式が開かれる。
 今年の参列者380人の9割は日本人だ。

 その一人、横浜市の会社役員、真鍋吉久さん(70)は2012年から参列。
「罪のない朝鮮人を虐殺した歴史を、なかったことにしてはならない。加害の歴史を繰り返さないため、日本に住む人々は事実を共有すべきだ」と話す。

 追悼式であいさつした東京都江東区の在日韓国人2世、徐鍾煥さん(79)も「多くの犠牲を無駄にしないため私たちができることは事実を検証し続けること」とし、「過去をうやむやにし、未来の人たちに伝えないと、同じ悲劇が起きる可能性が大きい」と訴えた。

 96年前の惨劇は圧倒的な情報過疎下で起きた。
 そしていま。
 スマートフォンの普及で目に入る情報は過多ともいえる。
 過多ゆえに事実がゆがんで拡散する事態も起きている。

 追悼式会場から土手をはさんだ私有地には、2009年に建立された「悼」と刻まれた追悼碑が立つ。

「事件を原点に多文化、多民族が共生できる社会にしたい」

 西崎さんはこう話す。

 教訓とする過去を認識しなければ未来は志向できない。
 日本に暮らす全ての人間が個人として尊重される。
 人種、信条などで差別されない共生社会を志向したい。


日本経済新聞、2019/10/6 2:00
関東大震災での朝鮮人虐殺
慰霊から共生社会構築

(小林隆)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50493960S9A001C1CR8000/

9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典のための公園占用許可につき不当な誓約書の提出を条件とすることの撤回を求める会長声明
2020年06月22日
東京弁護士会 会長 冨田 秀実

 東京都は、今般、本年度の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」開催のため、同追悼式典の実行委員会が、東京都立横網町公園の占用許可を申請したのに対して、誓約書の提出を占用許可の条件とし、誓約書の提出がなければ、占用を許可しないと言明した。

 誓約書の内容は、「公園管理上支障となる行為は行わない」、「遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」などというものである。

 同追悼式典は、同公園において毎年9月1日に開催されてきた式典である。
 関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒をいれた」等のデマが流布したことなどにより、自警団や軍隊、警察による殺傷事件が起きた。
 政府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(2008年3月、内閣府中央防災会議)」は朝鮮人らの虐殺犠牲者数を、震災死者数(約10万人)の「1〜数%」に当たると指摘している。
 こうした悲劇を踏まえ、同公園に1973年、朝鮮人犠牲者追悼碑が建立され、40年以上追悼式典が行われてきた。
 同追悼式典は、犠牲者を追悼するためのものであり、管理上の支障や混乱なく開催されてきた。
 これまで、占用許可について、上記の内容の誓約書の提出を求められたことはなかった。

 しかるに、2017年以降、朝鮮人虐殺の事実を否定する団体が、同追悼式典と同時間帯に、同追悼式典と近接した場所で、「慰霊祭」を開くようになった。
「慰霊祭」において、この団体は、同追悼式典を「歴史捏造」とする看板をかかげ、追悼式典の参加者を挑発するように「不逞朝鮮人」などのことばも用いて、朝鮮人に対するヘイトスピーチを行い、あからさまに同追悼式典を挑発し、同追悼式典の静謐さは破られた。

 言うまでもなく、集会の自由(日本国憲法第21条第1項)は、民主政の過程を支える憲法上優越的な人権として尊重されるべきものである。
 これを受けて公共施設の利用について、地方自治法第244条第2項は、「普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」としているところ、判例上も、特段の事情がない限り、妨害者の存在を理由として、被妨害者の不利益を帰結するような取扱いはなされるべきではないものと解されているところである(最判平成8年3月15日・民集第50巻第3号549頁)。

 その上、上記誓約書の「公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」などの文言は、不許可を容認させる点で制限が強度であるだけでなく、指示の内容が具体的に示されていないため、萎縮効果をもたらすおそれがあるばかりか、前に述べた経緯を看過して、上記誓約書の提出を条件とすることは、ヘイトスピーチを用いた妨害行為を容認、助長する効果をももたらしかねない。
 それは、集会の自由の不当な制限であるだけでなく、人種差別撤廃条約、ヘイトスピーチ解消法、「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」等、人種差別、ヘイトスピーチの撤廃、解消を企図する法令の趣旨にも合致しない。

 当会は、東京都に対し、上記追悼式典のための占用許可にあたって、従来どおり、上記内容の誓約書の提出を条件としないことを強く求める。


https://www.toben.or.jp/message/seimei/post-584.html

 東京都知事選(7月5日投票)をめぐる論戦で、日本の過去の植民地支配への反省や人種差別反対に対する小池百合子都知事の露骨な逆行ぶりに批判が集まっています。
 問題となっているのは、毎年9月1日に東京都墨田区の横網町公園で行われている、関東大震災(1923年)で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典をめぐる小池知事の対応です。

 チューズ・ライフ・プロジェクト主催の6月27日のインターネット番組「都知事選候補者討論会」で、司会の津田大介氏は、小池氏が同式典への追悼文を2016年は送付したのに2017年以降は取りやめたのはなぜかと追及。
 小池氏は「(2016年と2017年以降で)気持ちに変わりはない」、「震災や戦争犠牲者全体への『大法要』で哀悼の意を表している」との回答を繰り返し、まともに答えませんでした。

 さらに津田氏が「虐殺と自然災害の犠牲者を一緒くたにして問題ないという認識か」と質問すると、小池氏は「『大法要』での慰霊に併せてもらっている」と述べ、問題ないとの認識を示しました。

 しかし朝鮮人虐殺は、震災直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが流され、旧日本軍や警察、自警団などが起こした集団殺害です。
 民族差別に基づく虐殺だという事実を認め、戒めを後世に残すという共通認識のもと、戦後に超党派で都議が参加して同公園に「朝鮮人犠牲者追悼碑」を建立(1973年)し、歴代都知事が追悼文を寄せてきました。

 小池氏の発言は、虐殺の事実をあいまいにして、歴史的事実に向き合おうとしないものです。

※ 2020年6月30日付「しんぶん赤旗」より


日本共産党東京都委員会、2020年6月30日
植民地支配と人種差別への態度
小池都知事へ集まる批判

https://www.jcp-tokyo.net/2020/0630/134256/

・・・関東大震災の時に朝鮮人に対する虐殺があったのは紛れもない事実だ。二度と繰り返さないためにも忘れてはならない事実だ。その事実を「さまざまな見方がある」「歴史家がひもとくものだ」などと言って認めようとしない姿勢の人を都知事にしてはならないと思う・・・

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2020年07月02日

小池氏の選挙ファーストがもたらした感染再拡大

◆ 仲間を戦地に送り出す気持ち/「頑張れ」の横断幕に涙

 永寿総合病院は看護師1人と医師2人の手記を公表した。
 現場で苦闘する様子と、支援への感謝の言葉がつづられている。

 看護師は「正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいた」と述懐。
「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕を見た時は「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と、感謝の思いで涙を拭いたという。

 感染した内科医は携帯電話で妻に「死ぬかもしれない、子どもたちをよろしく頼む」と伝えた。
 人工呼吸器が外れ、意識が回復した時は「生きていることが不思議でした」。
 患者や仲間らが「私の復帰を待ってくれている」とリハビリを続け、勤務を再開した。

 湯浅院長は「感染の恐怖と闘いながら、防護服での業務は多大なストレスを伴ったと思う。それでも病棟に向かっていく姿に、掛ける言葉が見つからなかった」と声を詰まらせた。

 湯浅院長によれば、看護師らへの差別も相次ぎ、家族が出勤や通学を拒まれたり、アパートを退去させられたりした事例もあった。
 職員へのメンタルヘルス調査では、「この仕事に就いたことを後悔している」と答えたのは6%にとどまった。
「医療者としての強い気持ちを感じることができた」と話した。 

[看護師手記全文]

 亡くなられた患者さんのお荷物から、これまでの生活や大切になさっていたもの、ご家族の思いなどが感じ取られ、私たち職員だけが見送る中での旅立ちになってしまったことを、ご本人はもちろん、ご家族の皆さまにもおわびしながら手を合わせる日々でした。
 感染の拡大が判明した当初は、患者さんが次々と発熱するだけでなく、日に日にスタッフにも発熱者が増え、PCR検査の結果が病院に届く20時ごろから、患者さんのベッド移動やスタッフの勤務調整に追われていました。
 なかなか正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいました。防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになりました。
 家族がいる私も、自分に何かあったときにどうするかを家族に伝えました。
 幼い子供を、遠くから眺めるだけで、抱きしめることができなかったスタッフ、食事を作るために一旦(いったん)は帰宅しても、できるだけ接触しないようにして、ホテルに寝泊まりするひとり親のスタッフもいました。家族に反対されて退職を希望するスタッフも出てきましたので、さまざまな事情を抱えながら、永寿が好きで働き続けてくれるこの人たちを何とかして守らなければ、今の業務を続けていくことはできないと強く感じました。
 4月4日、「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕が目に入り、「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と思えました。
 涙を拭きながら非常口を開けたのを覚えています。
 支えてくださった地元の皆さまには、本当に感謝しかありません。


東京新聞、2020年7月2日 06時00分
「泣きながら防護服を…」戦場と化した病院
集団感染、職員にも

(藤川大樹)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/39211

「世界中で現在、第2波が広がっているわけです。日本はまだ、この程度で済んでいますが、今後、気持ちが緩むことでさらに広がって大変なことになると思います」

 そう語るのは、日本感染症学会の舘田一博理事長だ。
 東京では6月26日に54人、27日にも57人と増え続け緊急事態宣言解除後、最多の感染者が発生。
 24日の会見では、小池都知事が従来の“夜の街”での感染に加え「職場内クラスターがここのところ問題になっている」と警戒感を示した。

「26日は、東京をあわせ全国で新たに105人の感染者が出ました。1日の感染者が100人を超えるのは5月9日以来48日ぶり。予断を許さない状況です」
(全国紙記者)

 そんなさなか、西村経済再生大臣は24日、コロナ対策の専門家会議を「廃止する」と発表。
 野党は「政府がコロナのマネジメントをできていなかったことが明確だ」と批判し、与党からも「事前説明がない」などと疑問が呈された。

「こうした報道に国民が不安を抱く現状にもかかわらず、政府は観光需要を喚起する『Go Toキャンペーン』を早ければ8月から開始すると発表。来年の東京五輪を是が非でも開催したいという政府の思惑が明らかに感じられます」
(医療ジャーナリスト)

 国立病院機構三重病院の谷口清州臨床研究部長は言う。
「感染症の専門家として言わせてもらうと、東京でどれだけ感染者が出たといっても、疑いのある症例から、何人検査して何人が陽性なのか、分母がないと実態がわかりません。今は検査のキャパシティも十分あると思いますし、診断キットも使えるので早期探知を進めないといけないと思います。そうしないと、また緊急事態宣言を出すことになり、いろいろな企業や店が倒れてしまいます。このまま今と同じことを続けていてはダメだと思います」

 前出の舘田理事長も言う。
「前回の緊急事態宣言のときに8割減と言っていたのは『人流×濃厚接触を8割減にする』こと。人流とは人の動きで、濃厚接触とは、マスクなしで1m以内で15分以上会話すること。そういう環境が感染を広げるわけです。移動そのものが悪いわけではないし、リスクを理解して注意がきちんとできていればいいんです。メリハリをつけた安全対策をとれるよう生活を変えなければいけないと思います」

 目下、感染増加が飛びぬけている東京に焦点を絞ると、感染拡大防止策の“タイミングの悪さ”を挙げるのは、西武学園医学技術専門学校・東京校の中原英臣校長だ。
「結論から言うと、数字を見てわかるように、東京のコロナ対策は失敗しているわけですよ。東京、そして都民にとって不幸なことが2つあって、1つ目はこの年に五輪があったこと。五輪をやることを優先したあまり、対策が遅れた。2つ目は、この時期に東京都知事選挙があること。緊急事態宣言でみんなマスクして収まりかけたと思ったら、今度は選挙だということで、小池都知事は東京アラートを引っ込めて、自粛を全解除してしまった。とにかく、選挙が終わったら、もう一度しっかりコロナ対策をやってほしいですね。それをやらないと、すぐ首都圏全体に影響が出る可能性があります」

 そして、政府の対応の遅さに憤るのは、NPO法人・医療ガバナンス研究所の上昌広理事長だ。
「検査数だけでなく、ウイルスのタイプの確認も含めて、日本は対応が遅いんです。検査を推し進めていかないと。今後は日本でも強毒性に変異しているウイルスが蔓延してしまう危険性があります」

 首都の感染拡大を機に、強毒化した新型コロナウイルスが、日本中に蔓延するリスクさえあるというのだ――。
 これ以上、状況を悪化させないために政府はどんな対策をとるべきなのか。

現在、PCRセンターにも勤務する感染症専門医で、のぞみクリニックの筋野恵介院長はこう語る。

「私がいるPCRセンターは1日2時間だけ開いていて、20人ぐらい検査に来ています。来るのは無症状の人が多く、そういう人は無自覚に出歩いているという印象です。結果が出るまで待機すべきなのに、実際には『これから出かける』なんて人も多い。店・会社を営業するため、陽性者が出ても詳細を伏せ営業を続けることがある。本来は、強制的に、一斉に全員を検査すべきだったと思います。実は今、PCR検査にかなり余裕があるので、希望すれば誰でも検査できます」

 少し前までは、検査してもらえずに、病院をたらい回しにされたといった悲鳴が起きていたが、今は病院で「微熱があるからPCR検査をしてほしい」などと言えば、すぐに検査してもらえるという。

「1回どこかで感染者が出たら、その周辺を国が強制的にしっかり検査できるようにして、感染が拡大しないようにする。今ぐらいの感染者数なら可能ですし、すべきです。これが経済を止めない中でできる、いちばんいい対策だと思います」

 さらに全国各所での水際対策も、もっと徹底すべきだと指摘する。

「出入国制限に関してはタイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4カ国を6月中に緩和する方向で調整を始めましたね。これも怖いです。北京や香港は緩和後に感染が急拡大しました。8月には観光もOKとなると、無症状の人たちから感染が全国に拡大していく可能性も。夏休みはやはり不安です。各自治体が権限を持って対策できるようにすべきです。観光地の入口で水際対策をしてほしい。たとえば、関西国際空港を利用するなら、1週間以内のPCR検査陰性の証明書が必要など、対策をすれば全国への感染拡大は防げるのではないでしょうか」

 生活していくには日々、働かざるをえない。
 飲食店、観光業、サービス業もみんな必死だ。
 緊急事態宣言が再び出されることになれば、経済は深刻な状況に陥る。
 われわれの自衛に責任転嫁することなく、政府の早急な感染対策が求められる――。

※「女性自身」2020年7月14日号 掲載


女性自身、2020/07/02 11:00
止まらぬ感染者増に専門家が苦言「東京のコロナ対策は失敗」
https://jisin.jp/domestic/1873273/

 東京都の感染者数が7月2日、107名と発表され3桁の大台を記録した。
 これは、感染が再拡大している現実に目を背け、積極的な対策を取らずに事態を放置してきた小池知事と安倍政権がもたらした人災に他ならない。

 前回2020年06月27日の投稿で、私は政治家による恣意的な解釈が不能となる客観的かつ厳密な指標の導入を提案したが、小池氏が30日に示した7項目のモニタリング指標は、休業再要請などの目安となる数値基準さえ設けられないという客観性とは真逆な代物であった。
https://blogos.com/article/467692/

 まさに、都合が悪くなると話をごまかして逃げるという小池氏の人間性が示された対応だったが、このような人物に東京都民ならず首都圏3800万人の人生が左右されるという状況は恐ろしいものである。

 小池氏は「都民の皆さんにあるべき方向性について示したい」と述べたようだが、示してほしいのは方向性ではなく具体的で効力がある対策だ。
 感染者という客観的な数値が出ているのに、都と国はあれこれ理由をつけて規制(自粛)を含む抜本的な感染抑制策を取らなかった。

 これが短期間で感染が急増した最大の理由だ。
 感染者という単純な指標を軽視すべきでない。
 小池氏は選挙ファーストのために自粛解除を進めた自分の失敗を認めたくないのだろうが、都民と首都圏3800万人の生命を危機にさらさないでほしい。

 都が具体的な経済規制を行わなければ200人越えはあっという間だろう。
 そして、都道府県(というより実態的には地方間だが)をまたいでの移動が自由(自粛が解除)された今、東京から地方へ感染が広がるのも時間の問題だ。

 東京都およびと東京通勤圏内の各県は、至急、感染の温床となっているキャバクラ・ホストクラブの営業自粛を求めるべきだ。
 同時に、都は早急に緩和の段階をステップ3からいったんステップ2に戻すべきだが、現状でステップ2において自粛対象となっている業種で感染が確認されていないものについてはとりあえず自粛要請を保留するのが適切だろう。

 休業を要請する業種の店舗に対しては、新たな経済支援も早急に検討すべきだろう。
 さらに、国と都道府県は、業種別ガイドラインにおける感染防止対策が適切に取られていない店舗や事業所に対して休業要請を行えるよう早急に体制を整えるべきだ。

 最後に、安倍政権は解散などバカなことを考えずに臨時国会を開いて、公共施設・公共交通機関におけるマスクの着用を当面の間義務化する法律を提出すべきだ。


BLOGOS、2020年07月02日 16:20
小池氏の選挙ファーストがもたらした感染再拡大
(鈴木しんじ)
https://blogos.com/article/468808/

posted by fom_club at 20:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする