2019年08月27日

無言館

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記を再読、再々読をお願いします:

2016年04月23日「私たち、忘れないでいようね」
2018年11月09日「吉永小百合『無言館』で親友希林さんとの思い出に涙」
2018年11月10日「戦没画学生、伊沢洋の『家族』」
2018年11月10日「映画『二十歳の無言館』」
2018年11月10日「窪島誠一郎」
2019年03月24日「五色桜」
2019年07月28日「映画『愛と死の記録』」

 ヤッホーくんたち山歩クラブが今年度散歩会夏合宿で「信濃路」を選んだ理由、その(2)です。
 それは、「上田」駅から上田電鉄別所線で「塩田町」駅下車、徒歩30分かけて目指す「無言館」。

 湖北省の山稜に、1発の銃声が響いた。
 狙撃の弾は、最後尾を歩いていた若い見習士官の側頭部をうちぬいた。
 久保克彦、24歳。
 美校工芸科図案部卒業。
 1944(昭和19)年7月18日、彼が大陸に転属となってわずか3ヶ月、3度目の交戦のときだった。

 太平洋戦争が始まった1941年12月、修業年限を3ヶ月短縮した卒業式が行われた。
 翌1942年9月には、さらに6ヶ月を短縮した卒業式が行なわれる。
 久保は、その時の卒業生の1人だった。
 卒業と同時に即召集、彼らには10日後の入営が待っていた。
 いま教室にならんでいる学生さんたちと同じ顔の若者たちが、戦争へとかり出されていったのだ。
 いまの就職難とも、あまりに意味が違う。
 他国まで行って、なぜ他国の人を殺すのか。
 なぜ人は殺しあうのか。
 そしてなぜ自分は死ななければならないのか……。
 敵機が火をふいて落ちていく彼の卒業制作には、背後に人力飛行機やヨット、鶴、昆虫、輸送船、スクリューなどが、ごちゃまぜにシュールに描かれている。
 おろかな文明、人間。
 進歩の果ての破滅。
 彼が描いたのは、ささやかな抵抗か、それとも諦観か。

 卒業式の夜、同級生10余人は、別れの会を開いた。
 各人最後の一言で、久保は「俺は一兵として死ぬ」と言う。
 しかし、入営直前の姉への手紙は違った。
 会うたびに小さくなる母が、お前の仕事を見たかったと言う。
 でもそれは酷だと、美術への断ちきれぬ思いをつづる。
 そして大陸出発直前の手紙では、ふと見た姉の日記の「生き抜いて、7度生まれて絵を描いて呉れ」という一言に、「枯れていた筈の涙」があふれ出たと告白する。
 物静かな性格の彼は、戦地では口数少なく、ときどき手帳に風景をスケッチしていた。
 上官を「殿」づけでよぶ軍隊のなかで、年配の補充兵は、彼を「見習士官さん」と慕ったという。
(久保の甥、木村 亨が編纂し出版した『久保克彦遺作画集』2002年)
 美校卒業生の戦没者は、わかっただけで167名という。

 長野県上田市に、戦没画学生の遺品を集めた美術館、「無言館」がある。
 作品は、幼なく未熟なものもある。
 それがなおさら、彼らの若くして断たれた思いを強くする。
 来館者は年配の人が多かった。
 画学生の兄弟姉妹に近い世代の人たちだろう。
 すすり泣きの聞こえる美術館を、私も初めて見た。
 でも世代をこえて、彼らの青春は、見る人の心といまを、鋭く問いえぐる。

 戦時中の美校は、それでも自由を伝えていた。
 不条理にどなり、なぐりつける軍事教練の教官に、学生はときおりキレた。
 教官をなぐり返し、刀を抜いた教官に追い回されたり、逆に刀を奪いとって追い回したり。
 軽い処分ですんだのが不思議なくらいの逸話が残る。
 また友の出征を見送る上野駅で、裸踊りをして憲兵に追いかけられ、上野駅への美校生の立ち入りが禁止されたり。
 乱暴だが、どういう顔をして友を送ったらいいのかわからなかった、彼らの不器用なナイーブさが伝わる。
  "非国民" スレスレの無軌道ぶり。
 でもそれが、自由や平和を望み、戦争や人を殺すのはイヤだという、不器用な意志表示なら、むしろそうあってほしいとても貴重なものに思える。
 国民である前に人間であり、そのための美術であるなら、この戦時期とその人びとを、忘れてはならないだろう。


タイムカプセルに乗った芸大
東京美術学校1944
戦争

佐藤道信(さとう・どうしん、1956年生まれ)(美術学部芸術学科教授)
https://www.geidai.ac.jp/geidai-tuusin/timecapsule/b5.html

 昨日、降りしきる雨の中、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪れました。
 バス停からダラダラ坂を5分ぐらい上がると、生い茂った若葉を透かして、その施設が見えてきます。
「無言館」は信州塩田平を見下ろす小高い丘の上に、ひっそりと佇んでいました。

 コンクリート打ちっぱなしの飾り気のない建物は、初めて訪れた人を戸惑わせます。
 どこが入口だか、よく分からないからです。
 正面の壁が四角く切り抜かれて、その上に「戦没画学生慰霊美術館無言館」と刻まれていますが、ドアは見当たりません。
 通常の美術館に見られる入館料の支払い窓口などもありません。
 しばらくの逡巡の後、切り取られた壁の中を覗くと、その左右に何の変哲もない木製のドアを発見します。
 それが入口で、そのドアを押し開けて中へ入ると、そこがいきなり展示室。
 入館料は出口で支払うことになっているのでした。

 このような入口の造りは、ヨーロッパの教会とよく似ていて、展示室が十字架の形をしているところもまさに同じです。
 内部の壁には、暗めの照明のもと戦没画学生の絵が掛けられ、中央のスペースには、彼らの遺品や手紙がぴっしりと並べられた陳列ケースが据えられています。
 絵には画家の生没年など簡単な履歴が書かれたプレートが添えられていて、その最後は、ごく一部の例外を除き、「戦死」あるいは「戦病死」のいずれかの言葉で締めくくられています。
 戦没画学生の絵を展示する施設なのですから当然ですが、どうしても絵を見る視点に影響を与えます。
 本来、絵の評価はその画家が戦没学生か否かとは無関係なはずなのですが……。

 先日、戦没画学生の消息とその作品を尋ねて、全国を旅した野見山暁治さんにインタビューした際、彼は「いい絵を展示する美術館がほとんどだが、無言館はそうではない」という趣旨の発言をされました。
https://readyfor.jp/projects/geidai130-senbotsu/announcements/55318

 今回、私は実際にこの展示室で多くの絵と対面して、野見山さんの発言に改めて納得したのでした。

 館長の窪島誠一郎さんは、「無言館は偏った一つの主義や主張のもとに建設された美術館ではなく、右も左もふくめたあらゆる価値観のなかにある」(窪島誠一郎『「無言館」の十三年、眠れる「絵の骨」のこと』)と述べておられます。
 絵はそこにあるだけで、見る人にいろいろなことを問いかけてきます。
 そしてそこから何を感じ取るかは人それぞれです。

 翻って音楽の場合はどうでしょうか。
 音楽は譜面として残されますが、それをいくら眺めていても、音楽の専門家であればともかく、そこから音楽が響いてくることはありません。
 戦没音楽学生の曲は演奏されなければ、作者の思いを知ることはできないのです。


[写真-1]
無言館の外観

[写真-2]
無言館の事業部長・正村欣生さんと

日本初・実績No.1のクラウドファンディングサイト「Readyfor」2017年05月28日
「無言館」訪問〜そこにあることの意味
(大石泰、東京藝術大学演奏藝術センター教授)
https://readyfor.jp/projects/geidai130-senbotsu/announcements/56833

 東京芸術大学(東京都台東区)は2017年7月30日、先の大戦で命を落とした学生が残した楽曲を演奏するコンサートを、同大奏楽堂で開く。
 同大創立130周年の節目に企画した。
「戦没学生のメッセージ〜戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」と題し、戦時下の芸術活動を考えるシンポジウムも行われる。
                   
◇ ◇ ◇

 東京音楽学校と東京美術学校は東京芸大の前身。
 長野県上田市に戦没画学生の作品を集めた「無言館」が設立されるなど、東京美術学校の学生については調査が進んでいるのに対し、東京音楽学校の学生については調査が遅れていた。
 そもそも男子学生が少なかったうえ、音楽は譜面があるだけで、見える形で作品が残らないためだ。
 同大は学内に残る記録を基に調査を進め、遺族から楽譜の提供を受けてコンサート開催にこぎ着けた。

 取り上げる戦没学生は4人。
 歌曲「犬と雲」などが演奏される葛原守さんは1940(昭和15)年4月、東京音楽学校予科に入学。
 繰り上げ卒業し、1945(昭和20)年4月、台湾で戦病死した。

 鬼頭恭一さんは1943(昭和18)年11月、本科作曲部を仮卒業し、学徒出陣。
 霞ケ浦航空隊(茨城県阿見町)で訓練中の事故により殉職した。
「アレグレット」、歌曲「雨」などが演奏される。

「ピアノソナタ第1番」などを残した草川宏さんは本科作曲部を繰り上げ卒業し研究科に進学。
 1945(昭和20)年6月、フィリピン・ルソン島バギオで戦死した。
 日記も朗読される。
 オペラ「白狐」より「こるはの独唱」などが演奏される村野弘二さんは1942(昭和17)年、予科に入学、本科作曲部を仮卒業し、学徒出陣。
 1945(昭和20)年8月、フィリピン・ルソン島ブンヒヤンで自決した。

 同大演奏芸術センターの大石泰教授は、
「志半ばで戦地に赴き、命を落とした音楽学生らの作品を、実際の音として蘇(よみがえ)らせようというコンサートです。彼らが残した作品は未熟かもしれませんが、その一つ一つが遺言ともいえるもので、強いメッセージを訴えかけてきます」と強調。
 東京音楽学校の戦没学生は十数人いるといい、
「母校の学生を戦地に送った大学として、消息を調査することは当然の責務」と語る。

 戦時中の東京音楽学校と東京美術学校を知り、戦争体験を持つ作曲家、大中恩(めぐみ)と洋画家、野見山暁治のトークも行われる。
 野見山は同大教授を務め、信濃デッサン館(長野県上田市)の館主、窪島誠一郎さんとともに全国の戦没画学生の作品を集めて「無言館」の設立につなげた。

 今回の企画は、インターネットで不特定多数の人から資金を調達するクラウドファンディングでの実現を目指した。
 2017年6月30日までに300万円を目標にしていたが、早々に達成、最終的に489万円集まった。
「思いの外早く達成できました。しかし、これが最終ゴールではありません」と大石教授。
 今後も継続的な資料調査や演奏用楽譜の制作などアーカイブの充実を図るという。


産経新聞、2017.7.14 09:40
東京芸大130周年企画
奏楽堂で30日演奏
戦没学生の「遺譜」蘇る調べ

(モーストリー・クラシック編集長 江原和雄)
https://www.sankei.com/life/news/170714/lif1707140006-n1.html

 信州・上田の無言館(戦没画学生慰霊美術館)を若い友人たちと訪れることは、ぼくがかねてより温めていた計画だったが、手を挙げてくれた6人の若者たち(5人の大学生に、高校生が1人)と、やっとその旅が実現した。

無言館.jpg

 無言館近くの槐多庵敷地に「俳句弾圧不忘の碑」を建てたフランス人マブソン・ローランさんと会うという、心躍る新たな目的が今年に入り加わったが、マブソンさんとともに碑の建立に関わった俳人・金子兜太さんが、碑の除幕式を目前にして亡くなるという悲しい出来事があったり、夭折した天才画家たちの作品を集めて、無言館とは分かちがたく結びつく存在だった、愛おしい信濃デッサン館が、急遽この3月15日で閉じられることになったという衝撃的な話を、電話口で窪島誠一郎さんから聞かされたりということが続き、複雑な思いが交錯するなかでの旅となった。

 2018年3月7日、上田駅からローカル線に乗る改札前で、長野から来たマブソンさんと合流し、その電車の中でも、また塩田町の駅を降り無言館へと向かう30分ほどの田舎道を歩く間にも、マブソンさんはさっき会ったばかりとはまるで思えない人なつこさで、立て板に水のように流暢な日本語で話し続ける。
 若者たちも、互いに初対面の人が多かったのに、マブソンさんのペースにみるみる巻き込まれ、早春の道に笑い声があふれる。

 小高い山の上の無言館に着き、なかに一歩入ると、静まり返りひんやりと冷たい空気に満たされた空間に、70年以上前の学生たちが、恋人や家族や故郷の風景を描いた絵が、静かに並んでいる。
 さっきまでのはじけるような笑い声は止み、みなそれぞれに、絵を描いた若者たちのことに思いを巡らせながら、思い思いの時間を過ごす。

 ぼくがこの画学生たちと向き合ったあの東京藝大での集会からも、もうすぐ2年になる。
《画学生たちからの伝言》という集会のタイトルに、どうしても「憲法9条70年」というサブタイトルをつけないわけにはいかなかった。
 政府が再び戦争に向かい、なし崩し的にさまざまな法律を改変し出している昨今の情勢を考えると、「いま耳をすます」というタイトルも必要だった。

「憲法9条70年《画学生たちからの伝言》いま耳をすます」

 70年前の戦争で失われた若い命と、その一人一人に確かにあったかけがえのない人生や夢や希望を思い描きながら、あの時、無言館の絵と向き合い、学芸員にお願いしてガラスケースの遺品や日記を取り出してもらっては、集会に使うスライド用に撮影させてもらった。
 藝大に残る記録から、スライド用に一人一人入力した数百人の名前と専攻名、没年と死亡した場所。
 延々と続いた作業の記憶が、改めてよみがえる。
 この若者たちの命と引きかえに作られた憲法9条を、いま骨抜きにしようとする政府の企みを、絶対に許すわけにはいかない。

 無言館を見終えて明るい外に出ると、山道をこちらに登ってくるマブソンさんが遠くに見えた。
 ぼくたちは再び合流して、信濃デッサン館のカフェで遅い昼食をとり、ほんとうにこれがもう見納めになるのかという信じられない思いで、デッサン館の作品たちとのしばしの別れを惜しんだ。

 その後「俳句弾圧不忘の碑」と、その隣りの「檻の俳句館」を、マブソンさん自身に案内してもらった。
 季語にも五七五の定型にすらもこだわらない自由俳句という自由な表現を追求し、戦争への批判精神を込め作った句が咎められ、多くの俳人らが治安維持法違反のかどで逮捕され、過酷な拷問を受けた。
 その少なからぬ部分が、京大俳句などの雑誌に集う大学生たちだったというマブソンさんの話に、ぼくの中で、無言館の画学生たちと、弾圧された若い俳人たちが、一本の線となりつながる。
 日本の「レジスタンス俳句」に愛情を注ぎ、研究に打ち込んできたマブソンさんによる、ほとばしるような熱のこもった語り口に、全身を耳にして聞き入る若者たち。
 98歳で金子兜太さんが亡くなった今、この不忘の碑の前に、次の時代を生きる若者たちが立ち、マブソンさんの話に耳を傾けているという、この情景に、ぼくは深く胸を揺り動かされていた。ほんとうに素晴らしい時間だった。

 槐多庵では受付の番をしていた窪島誠一郎さんとも会った。
 たまたま憲法特集での取材に来ていた信濃毎日新聞の記者から、若者たちがインタビューを受けた。
 窪島さんとともに全国に散らばる戦没学生の遺族を一軒一軒探して歩き、遺作を集めたというあの野見山暁治先生の特別展示も見ることができた。
 閉館時間を過ぎた槐多庵を追い出されるようにして、ぼくたちは窪島さんやマブソンさんと別れ、タクシーを待つ短い間、「檻の俳句館」入り口に置かれた平和の投句箱に、若者たち全員が平和への思いを俳句にしたためて投じ、この日の長いプログラムを終えた。

 その夜、別所温泉の宿で夕食の膳を囲んでいた時、「投句箱に投函した句を、順番に教えっこしようよ」とぼくが冗談めかして提案したら、驚いたことにほんとうに全員が、誰一人悪びれることなく、自分の句を一句ずつ披露して、その句に込めた思いまでも語って聞かせてくれた。

「こんなにいい話、録音してちゃんと記録しておきたいから、もう一度聞かせてよ」とこれまた冗談めかして言ったら、今度は逆回りにほんとうに全員がもう一度話し直してくれた。
 無言館の絵を詠んだ句。
 それを現代の自分たちが描く絵に重ねて眺めた句。
 アウシュヴィッツへの旅から帰ったばかりの学生は、その時の気持ちを詠んだ句を披露した。
 それぞれの句に対する感想や意見が自由に飛び交い、笑い声がはじけた。
 司会も式次第もなく、参加者全員が、誰に求められるわけでもなく、銘々の心に思ったことを伸びやかに語り合う、こんな素敵な平和集会は初めてだった。
 ぼく一人だけがうんうんうなっているうちにタクシーが来てしまい、紹介できる句が一つもなかったので、「川嶋さん、ずるいずるい」とみんなにはやし立てられた。

 翌朝、別所温泉で土地の人が守り通した山本宣治の碑をみんなで見に行った。
 戦前、人びとの自由な言論表現活動を弾圧した治安維持法に、最高刑死刑を導入する法改正がはかられようとした時、当時の帝国議会でただひとり反対演説を準備して、右翼に刺殺された山本宣治。

「山宣独り孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には多くの大衆が支持しているから」という京都宇治に残る碑が有名だが、別所温泉の碑には、山宣の生物学者としての一面を物語る彼の座右の銘がラテン語で刻まれている。

「人生は短く、科学は永い」

 山宣の死を境とするように、その後、治安維持法は猛威を振るい、日本は戦争の坂道を転げ落ちていく。

「無言館」「俳句弾圧不忘の碑」とあわせ、どうしてもこの碑はみんなに見て欲しかった。


自由と平和を求める東京藝術大学有志の会
有志のブログ、不定期更新、 ブログつれづれ
学生たちと行く無言館・俳句弾圧不忘の碑への旅(2018.3.7.−3.8.)
(2018年3月9日、H.K.)
https://www.peace-geidai.com/ブログ/

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信濃路の別所温泉

 2019年8月25日の日曜日、お天気は暑いが、まずまず。
 今日は山歩クラブ街歩き合宿で、信濃路を歩こう、と。
 信州最古の温泉、別所温泉と信州の鎌倉、上田ですね!
 参加者は街歩きリーダーの江戸ちゃん含めた、7人の侍。
 集合場所はフクロウ交番の異名をもつ池袋東口交番前!

豊島区役所屋上庭園入り口で休憩中、区長室のふくろう ☟

区役所ふくろう.JPG

グリーン大通りで休んでいるふくろう ☟
ふくろうグリーン大通り.JPG

ふくろうの顔をした池袋東口交番「ふくろう交番」 ☟
ふくろう交番.JPG

 さて、山歩クラブのお山歩会、どうして信濃路を選んだのか、その理由(1)。
 なんといっても寅さんの映画「男はつらいよ、寅次郎純情詩集」(第18作、1976(昭和51)年12月公開)。
 43年前の「別所温泉」駅前風景をご覧ください!

 長野県上田市の別所温泉で、馴染みの坂東鶴八郎一座に大盤振る舞いをして、警察ホテルのご厄介となった寅さん。
 あきれ顔のさくらの迎えに、猛反省をしてまともな人間になろうと決意したのも束の間、帰宅してすぐに、美しい柳生綾(京マチ子)に逢ってからは、おなじみのパターンとなる。
 不幸な半生を送って来た綾は、不治の病で余命幾ばくもない。
 そんな綾を寅さんは懸命に励ます。
 周囲の心配をよそに、さくらだけは寅さんの味方をするが・・・
 旅芝居「不如帰」の名台詞「人間は何故死ぬのでしょう?」に感じ入り、パトロンを気取る寅さんの前半の描写。
 満男の産休教師・柳生雅子(檀ふみ)の母・綾と寅さんが心を通わす日々の美しさ。
 人間にとって、生る希望とは何か?
 寅さんとさくらの兄妹愛が、ヒロインのはかない人生に明るい灯をともす。
 日本映画を代表する名女優・京マチ子が、薄幸のマドンナ綾を好演。
 ラスト、柴又駅でのさくらと寅さんの会話が深い印象を残す。

マドンナ:京マチ子(1924 - 2019)
ゲスト:檀ふみ(1954年生まれ)、浦辺粂子(うらべ くめこ、1902 - 1989)
ロケ地:長野県 上田、長野県 別所温泉 ☟、新潟県 六日町


別所温泉.jpg

松竹「寅さん」公式サイト
https://www.cinemaclassics.jp/tora-san/movie/18/

 産休補助教員の若い雅子先生が満男の家庭訪問にとらやへきた。
 それをメチャクチャにしてしまった寅さんだったが、信濃路の別所温泉で昔世話した旅役者を旅館で宴会に招き感謝された。
 しかし、持ち合わせがなく警察の厄介になり、さくらに引き取りにきてもらった。
 そして柴又へ戻り、雅子先生のことでさくらにお説教を受けていると、雅子先生とその母で未亡人の綾が現れた。
 その日から病気がちな綾の由緒あるお屋敷へ通う寅さんだったが、綾の命はあと何ヶ月もなかった。(C)1976 松竹株式会社


男はつらいよ 寅次郎純情詩集
https://www.youtube.com/watch?v=Uk1dCpjtaqI

 昨日2019年8月26日月曜日の「別所温泉」駅!

駅前.JPG

別所温泉駅.JPG

かつて走っていた電車.JPG

 『男はつらいよ』は、車寅次郎の「失恋四十八連発」を描いている。
 だが寅の恋をたどると、愛の形が少しずつ変わっていくのがわかる。
 一番多いのは、「愛しあいながらの別離」ないしは「あいまいな別れ」であろう。

 第18作『寅次郎純情詩集』(主なロケ地=長野県)は、ヒロインの綾(京マチ子)が病死する異色の設定だ。
 娘(檀ふみ)が「たとえひと月でも寅さんという人が傍に いてくれたことで、お母さまはどんなに幸せだったか」と遺志を告げる。
 寅は寅で綾と「花屋さん」を開きたいと夢見ていたのである。
 笑いながらの胸キュン編である。


産経新聞、2019.7.11 08:36
[寅さん50年 男はつらいよを読む]
(4)心を察してすれちがう恋

(吉村英夫)
https://www.sankei.com/west/news/190711/wst1907110017-n1.html

 寅さんのマドンナをつとめたのが京マチ子さんです。
 今年2019年の5月に亡くなっておられました。
 ご冥福をお祈りいたします、合掌。

◆ 評伝
 彫りの深いエキゾチックな顔立ち、踊りで鍛えた脚線美を買われて映画界に入った京マチ子さんは、谷崎潤一郎原作「痴人の愛」(1949年)でその持ち味を遺憾なく発揮。
 自由奔放な言動とエロチシズムで男性を翻弄(ほんろう)するヒロインを演じ、一躍名を高めた。 

 いきおい、美貌と豊満な体を強調する役が続く。
「肉体派女優」のレッテルに抵抗を感じ、将来に不安を覚え始めた京さんに、大きなチャンスが巡ってくる。
 ベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた黒沢明監督「羅生門」(1950年)への出演だった。

 役作りのため自らの判断でマユをそり落として撮影に臨み、夫の目の前で山賊に犯される武士の妻をしなやかに演じて、監督を驚嘆させた。
 京さんは「女優は化けることが仕事。扮装(ふんそう)して外見が決まると、芝居もピタッとくることを学んだ」と述懐していた。

 その後も「雨月物語」(溝口健二監督)がベネチア国際映画祭銀獅子賞、「地獄門」(衣笠貞之助監督)がカンヌ国際映画祭グランプリと出演作の受賞が相次ぐ。
 長谷川一夫さんと共演した「地獄門」では全米映画批評委員会の特別賞も受けた。
 映画の本場、米ハリウッドからも声がかかり、「八月十五夜の茶屋」ではマーロン・ブランドらと共演している。
 当時は画期的な出来事だった。
 京さんは肉体派女優から国際派女優へと鮮やかな変身を遂げた。

 テレビドラマ「必殺仕舞人」で、すごみのある女殺し屋を好演。
 晩年は舞台で円熟の演技をみせ、年輪を刻んだ大女優の風格も全身に漂わせた。
 しかし、素顔は天真らんまん、ざっくばらんな語り口、おかしなことがあると体をよじって豪快に笑い転げる「典型的な浪速女」だった。

 小学校卒業後、大阪松竹少女歌劇団に入って以来、芸能界一筋に駆け抜けた京さんは、自身を「無欲で、のんき、消極的」と評した。
 しかし、仕事となると一転、「ひたすらひたむきになれる」とも明かしている。

「不器用だから人一倍の努力が必要。ほかの女優さんにライバル意識なんてあらしまへん。できることを私なりにベストを尽くしてやるだけ」

 大女優の気取りをみじんも感じさせない言葉だった。
 2000年以降は表舞台に立つ機会も減り、2006年の「女たちの忠臣蔵」が最後の舞台出演となった。

◆ 最も尊敬する女優さん
<俳優仲代達矢さんの話>
 京マチ子さんは最も尊敬する女優さんの一人でした。私は役者になる前からファンで、京さんが出演した映画「最後に笑う男」での美しい動きに魅了されました。私も俳優となって映画「他人の顔」や「金環蝕(きんかんしょく)」などで共演させていただきました。日本の女優にはなかなかいない雰囲気の風貌と、自然な演技が魅力でしたね。昨年、電話で「めしを食いましょう」と話していたのですが、実現できないままで…。素晴らしい女優が世を去り、本当に残念です。

◆ 晩年まで変わらぬ気品
<映画監督・山田洋次さんの話>
 「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(1976年公開、第18作)に、寅さん憧れの貴婦人として登場していただいた時の息を呑(の)むような美しさをまざまざと思い出す。その奇跡のような美しさと気品は晩年まで少しも変わらなかった。最近完成したばかりの第50作に再び登場していただいているので、必ず京さんに見ていただくつもりだったが、それが叶(かな)わなくなってしまった。悲しくてたまらない。


東京新聞・朝刊、2019年5月15日
京マチ子さん死去
美と風格 世界魅了
素顔は気さくな努力家

(安田信博)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019051502000144.html

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2019年08月24日

えっ、またっ、安倍政権の不正

 上野宏史厚生労働政務官(48)が、外国人労働者の在留資格を巡り、法務省に“口利き”し、その見返りに金銭を求めていたことが「週刊文春」の入手した音声記録から分かった。

 東京都新宿区に本社を構える人材派遣会社「ネオキャリア」(以下ネオ社)は、全国の飲食店やドラッグストアなどに外国人を派遣している。
 彼らの在留資格を取るため、各地方の法務省外局「出入国在留管理局」に大量の交付申請を行っていた。

 上野事務所にはネオ社から在留資格申請中の外国人187人分のリストが送付されており、それに基づいて法務省に問い合わせを行っていたことも判明した。

 この申請を巡り、今年6月、上野政務官は政策秘書A氏に対し、次のような発言をしていた。

「(在留資格認定証明書の交付を)早くしたっていう実績をウチが作ってあげて、その分ウチは(もらう金額を)交渉して、これを党費にあてようと思って。(交付申請が)100人だから、(1件2万円で)200万円」

 音声記録の中には他にも上野氏が「うちがネオキャリアからお金もらう案件でやってんだから」「僕がもらうはずのお金」などと口にする様子や、A秘書が「これあっせん利得になっちゃいますよ、代議士」とたしなめる場面も含まれている。

 元東京地検検事の落合洋司弁護士が指摘する。

「国会議員や秘書が、国が締結する契約などに関し、請託を受けて、権限に基づく影響力を行使して公務員に職務上の行為をさせるようあっせんし、報酬を得ることはあっせん利得処罰法違反となります」 

 上野氏を直撃すると、こう答えた。

――外国人の在留資格を巡る法務省への口利きで、1件2万円の報酬を取ろうとしていましたか?
「まったく、そんな話もしていないし、もちろん(お金も)もらっていない」

 上野氏は参院当選1回を経て、現在衆院2期目。総裁派閥の細田派に所属する中堅議員で、安倍政権が掲げる外国人労働者受け入れ拡大を巡っても、厚生労働政務官として「技能実習の職種のあり方に関する検討チーム」のトップに就くなど、上野氏は主要な役割を果たしている。

 8月21日(水)発売の「週刊文春」では、上野氏とA秘書のやり取りやリストの詳細、口利きに至る経緯、パワハラや暴言、自民党費を巡るさらなる問題についても詳しく報じている。また、「週刊文春デジタル」では、上野氏の“口利き&暴言音声”を公開中だ。


[写真-1]
上野宏史厚生労働政務官

[写真-2]
ネオ社が申請中の外国人の一覧表

週刊文春、2019年8月29日号
上野宏史厚労政務官の「口利き&金銭要求」音声
https://bunshun.jp/articles/-/13471

 安倍政権のゴリ押しで今年4月からはじまった外国人労働者受け入れ拡大。その外国人労働者受け入れをめぐって、さっそく安倍自民党の政治家による“口利き疑惑”が発覚した。

 なんと、自民党の上野宏史・厚生労働政務官が、人材派遣会社が在留資格を申請している外国人について法務省に問い合わせするなどし、その見返りに金銭を求めていたと21日発売の「週刊文春」(文藝春秋)がスクープしたのだ。

 上野厚労政務官は経産省出身で、義父は小泉純一郎政権で官房副長官を務めた上野公成氏。しかも、結婚披露宴の仲人を務めたのは安倍首相(当時は幹事長代理)だという。

 そして、覚えめでたく昨年10月の第4次安倍改造内閣では政務三役である厚労政務官に任命された上野氏だが、そんななかで今回伝えられた“口利き疑惑”は、かなり衝撃的なものだった。というのも、上野厚労政務官本人が“口利き”についてや、それで得られる金額を秘書に対して具体的に語っている“音声データ”が存在するからだ。

「僕がネオキャリアの西沢(亮一)さんという社長と交渉することになっている」

「(在留資格認定証明書の交付を)早くしたっていう実績をウチが作ってあげて、その分ウチは(もらう金額を)交渉して、これを党費にあてようと思って。(交付申請が)百人だから、(一件二万円で)二百万円で、家族党員千人分にあてる」

 ここで上野厚労政務官が口にしているネオキャリアというのは、2000年に創業した人材派遣会社で、飲食店や薬舗などに外国人を派遣しているという。記事によれば、外国人労働者の在留資格を取得するため出入国在留管理局に交付申請をおこなっているが、迅速かつより多くの交付を受けるべく、仲介者を通じて、上野厚労政務官が“口利き”することになったという。

 実際、ネオキャリアが上野事務所に送った在留資格申請中の一覧表も「週刊文春」は入手。これは今年2〜6月に申請されたものだといい、合計人数は187人にものぼる。しかも、秘書が〈一覧表を法務省国会連絡室に送って報告を待ち、認定の可否を一つずつ聞き取る〉という作業までおこなっていたことが記事には書かれている。

 上野厚労政務官は現在、厚労省の「技能実習生の職種のあり方に関する検討チーム」のトップである主査を務めており、出入国在留管理庁とも緊密な連携を図る立場にある。その立場を利用して口利きをおこない、その結果、もしネオキャリアから見返りを得ていたとなれば、上野厚労政務官はあっせん利得処罰法違反にあたるのは明々白々だ。現に、公開されている音声データでも、上野厚労政務官は「だってこれ、うちがネオキャリアからお金もらう案件になっているんだから」「党費にあてるんで僕がやってるんだから。遊びでやってんじゃないんだよ」と述べ、これに対して秘書は「これあっせん利得になっちゃいますよ、代議士」と苦言を呈している。

 いや、見返りを得ていなかったとしても、この上野厚労政務官の悪質さは言うまでもない。そもそも、堂々と「社長と交渉することになっている」「お金もらう案件になっているんだから」などと違法性のある行為を政治家本人が実行しようとしている発言自体が衝撃であり、本人は「党費にあてるから遊びじゃない」などと言い放っているが、それも選挙区を持たない上野氏が今後の選挙でも自民党から公認を得られるためにアピールする工作でしかなく、結局は私利私欲のためだ。

 だいたい、外国人労働者の受け入れ拡大は安倍首相の肝いりで強引に押し通されたものだ。それをさっそく安倍政権の政務官が食い物にしていたというのだから、腐りきっているとしか言いようがないだろう。

文春が証拠音声を出しているのに菅官房長官はコメント拒否、テレビは1秒も報じず

 しかし、それ以上に驚いたのは、メディアの反応だ。とくにテレビはこの問題をまったく報じていないのだ。

 実際、「週刊文春」の報道を受けてこの問題を取り上げた大手メディアは、時事通信のみ。さらに、昨日午前の定例会見で菅義偉官房長官が「報道は承知しているが、個別の記事の内容にひとつひとつコメントは控える」と言い、調査をおこなう方向さえ示さず回答を拒否するという無責任ぶりを見せたのだが、それでも後追いするメディアはいまのところ見られない。

 なかでも異常なのが、ワイドショーだ。今回、「週刊文春」は音声データも公開し、口利きについて語っている部分のみならず、秘書に当たり散らす「パワハラ」の模様も伝えている。いかにもワイドショーが好みそうなものなのに、しかしそれは取り上げず、何を伝えていたかといえば、あいも変わらずあおり運転に日韓問題。きょうの『とくダネ!』(フジテレビ)にいたっては、大音量の迷惑走行に、福岡・中洲で“立ちション”が相次いでいるという話題を取り上げていた。

 政務官と秘書の「お金もらう案件になっているんだから」「あっせん利得になっちゃいますよ」という衝撃的な会話データがあるというのに、それはやらずに一般人の犯罪を糾弾し、“政府公認”の反韓報道に血道を上げ、一般人の迷惑行為の暇ネタで間を埋める──。こうやって、隣国から一般人までたんに憎悪感情を煽るだけのニュースに終始する一方で、政権の要職にある政治家の不正疑惑は国民に知られることもなくフェイドアウトしてゆけば、ほくそ笑むのは一体誰か。おのずとよくわかるというものだろう。


リテラ、2019.08.23 09:24
あおり運転に大騒ぎしても安倍政権の不正は報じないのか!
厚労政務官が外国人在留申請で口利き「100人で200万円」
音声もあるのに

https://lite-ra.com/2019/08/post-4919_2.html

posted by fom_club at 17:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ私は佐野SAストライキを始めたのか

 お盆真っ只中の2019年8月14日、例年多くの観光客で賑わう東北道・佐野サービスエリア(上り線)は閑散としていた。
 理由は従業員が起こした前代未聞のストライキ。
 その後、運営会社「ケイセイ・フーズ」はストライキについて自社の見解を記した「事情のご説明」を報道各社に送付。
 社長の岸敏夫氏(61)が会見するなど、大きな話題となった。

 佐野サービスエリアは佐野ラーメンが名物で、年間利用者数は約170万人。
 しかしストライキは長期戦の様相を呈し、いまだに本格的な再開には至っていない。
 16日朝からフードコートと売店に限り、関連会社の従業員や日雇いスタッフを集めて営業を再開したが、佐野ラーメンが提供されるまで食券購入から50分を要したケースもあったという。

「営業再開後に佐野ラーメンを食べましたが、以前よりもスープが薄味になったと感じました。10人程のスタッフが厨房にいましたが、何をしてよいのかわからず、立っているだけの人もいた。夕方にも関わらず、フードコートは閑散としていましたよ」
(立ち寄った客)

ストライキの中心人物“解雇部長”への信頼は厚い

 ストライキの端緒となったのは加藤正樹元総務部長(45)の不当解雇だ。
 加藤氏がケイセイ・フーズに入社したのは昨年2018年5月
 元々は大手総合商社で働いていたが、東日本大震災をきっかけに故郷である宮城に戻り復興活動に従事していた。
 そんな折、ケイセイ・フーズで働く知人から誘われ、同社に入社したのだ。

「加藤さんは入社して間もないが、従業員の信頼は厚い」と語るのは加藤氏と共闘する同社支配人A氏だ。
「加藤さんは着任早々、様々な取り組みをしてきました。例えば北関東限定販売の、葵の家紋がデザインされたコカ・コーラの“徳川ボトル”。以前は冷蔵庫で冷やして売っていたのですが、加藤さんがお土産にちょうどいいからと、大きな売り場を作って、箱単位でも売り出したんです。それが当たり、地域限定ボトルの売り上げで佐野サービスエリアが全国1位を獲った。メーカーさんも驚いていました」
(A氏)

 加藤氏はほかにもメディアを活用するなど、サービスエリアのイメージアップに貢献した。
 しかし一方でケイセイ・フーズの親会社である片柳建設の経営は悪化の一途を辿っていた。

「2019年6月20日に、片柳建設のメインバンクが新規融資凍結処分を下したのです。しばらくはバレなかったのですが、7月20日に行われた労使交渉で、経営陣が融資凍結と返済滞納を認めたことから、その場にいた従業員20名超が知ることとなりました。払うアテもないのに納品を頼むことは心苦しく、従業員の動揺はすぐに取引先に伝わりました」
(加藤氏)

会社側のウソを明らかにする音声データ

 ストライキを受けてケイセイ・フーズが報道各社に送付した文書「事情のご説明」には、「新規融資凍結処分」を受けたとの事実はないと記載されている。
 しかし労使交渉を録音した音声データには、このようなやりとりが記録されている。

《支払いなんですが、本当に言いづらいんですけど、ああいう情報が出ている状況で……》(加藤氏)
《どういう情報が出てるんだ! なんだ情報っていうのは》(岸社長)
《〇〇銀行から融資が止まっていると》(加藤氏)
《〇〇新規融資が止まっているという話ですよね》(監査役Y氏)
《はい》(加藤氏)
《それは事実なので、ただ今、それを正常化するように努力している。私のほうにも〇〇銀行から依頼ありましたので》(監査役Y氏)
《ですよね。私は非常に近しい人(取引業者)に現金で払ってあげられないと、それなら早く手配してもらった上で……》(加藤氏)
《それは(エアコンの)設置が終わってからでいいですか》(岸社長)
 
 そして2019年7月、ついに佐野サービスエリアが異常事態に陥る。

「売店のバックヤードから商品がどんどんなくなっていったのです。8月初旬には、バックヤードからほとんどの商品が消えてしまっていました。しかもそんな危機的な状況下で、岸社長の子飼いだった当時の総支配人T氏による経費の個人的支出が露見したのです。T氏は会社の経費で700万円以上する高級車や、100万円相当の家電製品などに不適切な支出をしていたことが発覚しました。特に車は社長が『オレの側近が安い車に乗っていると恥ずかしい。高級車ならいいな』と言い出したから買い換えたというのです。従業員たちの不安が怒りに変わりました」
(加藤氏)

従業員の給料が支払われない最悪の事態へ

「商品が搬入されないとなると、売り上げがたたない。このままでは従業員の給料が支払われないような事態にまで発展してしまう恐れがありました。そこで岸社長に対し、新たな事業計画を練って銀行から新規融資を取り付けてほしいと直談判したのです」
(同前)

 加藤氏は“覚書”を作成。
 従前、ケイセイ・フーズの取引業者への商品代金支払いは翌々月だったが、この緊急事態に、加藤氏は商品の代金を前倒しで支払うことと、従業員へ3カ月後までの給与の支払いを確約することを記し、岸社長にサインを迫ったのだ。

「8月5日には社長も渋々サインをし、安心した業者から商品が再び納入され始めました。従業員もこれで今まで通りお客様に商品を販売できそうだと、胸を撫で下ろしました」
(同前)

 しかし、8月9日、岸社長から「資金繰りが苦しいので、取引先に覚書の条件を緩めてもらってこい」と申し入れがあったのだ。

「会社の事情はわかります。しかし取引業者の皆さんにも従業員にも家族がいるんです。来月の収入がないかもしれないという不安のなかで働かせるわけにはいかない。8月13日、社長に『お盆中は繁忙期なので、交渉は無理です』と訴えました。すると社長は『(破るのは)お盆明けの20日でいいな』と、撤回について譲りませんでした」
(同前)

社長が言い放った「解雇、解雇、解雇」

 2人のやりとりはヒートアップしてゆき、口論になっていった。

「どう話しても埒が明かない。この件で奔走して体調を崩していたこともあり、『今日は帰らせてください』と事務所を出ました。帰り際、取引先の人がいたので日常会話をしていたら、社長がやってきて『解雇、解雇、解雇』と連発したのです。さらに社長は『オマエ、何話してるんだ! 加藤の言ってる事は全部嘘です』とその場で喚き出しました」
(同前)

 加藤氏はその日のうちに荷物をまとめるよう指示され、会社を後にした。
 加藤氏の解雇から3時間後には後任の総務部長が送り込まれていたという。

「深夜0時前、仕事が終わった従業員から連絡が届き始めました。SNSでグループを作り話し合いを始めたのですが、そこで従業員は『加藤さんについていきたいけど、娘や生活もあって、本当にすみません……』と言ってくれた。それは当然の意見です。私も労基署に相談し、1人で闘うつもりでした。しかし、そのなかである従業員が『会社に残っても安定なんてないですよね? それなら加藤さんについていきます』と声を挙げたのです」
(同前)

加藤氏を慕う従業員たちによる一斉蜂起

 その一声は、他の従業員たちの心に波紋を広げていった。

「この会社に先はない。そう考えた人たちが、次々に私についていくと言い出したのです。実際のところ、私は暑い日にジュースを差し入れしたくらいで、ろくに話したこともない方が大半なんです。だからここまでついてきてくれるなんて……」
(同前)

 予想だにしていなかった従業員たちの言葉に、加藤氏は心を動かされた。

「その時、時計の針はすでに午前2時を回っていました。そこで、まずはここに集まっている人たちだけで、明日から体調不良を理由に出社しないことにしようという話になりました。しかし、売店のバックヤードにはもう翌日午前中分の商品しか残っていなかったんです。実は8月4日から5日にかけて商品がほとんどなくなってしまったことがあるんです。お客様で大混雑するなか、レジに突っ立ってクレームを受け続け、本当に辛かった。今回も同様の事態に陥ってしまう。それなら店を閉めてしまおう、ということになったのです」
(同前)

 加藤氏はすぐに動いた。
 サービスエリアに戻り、入り口前にロープを張って、ストライキをする旨を書いた紙を貼り出したのだ。
 時間は深夜4時頃。夜空は白みかけていた。

「ネットで調べてみたら、ストライキには事前通告が必要と書いてました。それにお盆はサービスエリアにとって一番の稼ぎ時。観光客の方とのやりとりを楽しみにしていた従業員もいました。お客様には大変ご迷惑をお掛けしてしまって心苦しいのですが、やむを得なかった。今回生じた損害賠償は私一人でかぶるつもりです」
(同前)

ストライキには従業員の9割に当たる約50人が参加

 例年、お盆の期間は売店で1日800万円、フードコートで200万円、レストランで150万円の売り上げがあるという。
 加藤氏は自身の Facebook でもストライキの経緯を説明。
 労働組合は取引業者への商品代金支払いと従業員への給与支払いの確約に加え、加藤氏の不当解雇を正式に取り消すことを経営陣に要求した。
 かくして佐野サービスエリアのストライキ騒動はお盆のUターンラッシュの最中、たちまち全国ニュースとなったのだ。

「ストライキには従業員の9割に当たる約50人が参加してくれました。初日は『店を閉めて大丈夫か』と不安そうな方が大半でした。お客様にご迷惑をかけているだろうと、心配でたまらずサービスエリアに向かった方もいます。私も当初は3時間程度で収束すると思っていた。しかしいまだ労使交渉は難航しています。社長はストライキ後に従業員へ個別電話をかけて切り崩し工作をしていましたが、1人として説得することができずにいます」
(同前)

 8月15日、会見で社長は、
「仕入れ業者との注文の食い違いがあり、社員の不当解雇というのがありまして、それでストライキになりました。すでに昨日の段階で、解雇は撤回しておりまして、一刻も早く再開できるようにしたいと思っています」とコメントしている。

 一部フードコートの営業を再開した16日の会見では、「(一部従業員が)毎日のように私のことを『悪い人』だと言っておりますが、『悪い人』のためにこれだけの人たちが集まって協力してくれているのは、本当に涙の出る思いでございます。今後は『いい人』だなと、言われるような人間になりたいです」と述べている。

業者に頭を下げるものじゃないよ

 加藤氏が語る。

「8月15日の会見後、突然コミュニケーションもなく『解雇撤回』のメールが届きました。それは私にではなく世間を意識して言ったものだろうなと思いました。それに撤回と言われただけで会社に来いとは言われていない。ですので今も不当解雇されているという認識です。
 社長は声を荒げることはありませんが、常々従業員や取引業者の方々を下に見ていた。私が業者の方に『おはようございます』と頭を下げると、社長は『加藤さん、業者に頭を下げるものじゃないよ。我々が頭を下げるのは(東北道を管理・運営する)NEXCO東日本と(その子会社で店舗を貸与する)ネクセリア東日本だけ。業者は業者。上下関係だから』と言い放ったこともあります」

 結果的に従業員のストライキは14日から断行されたまま。現在も加藤氏の下には、従業員らが毎日集まってきている。
 8月19日、加藤氏と、共闘する支配人I氏らが経営陣との団体交渉へ赴く際には、従業員みんなでその後姿を見送ったという。
 I氏が語る。

「交渉が終わった後でも、暑い中みんなが屋外で待ってくれていました。その際の話し合いで、経営陣である岸社長と監査役のY氏が退陣する意向もあると示しました。しかし、退任する条件として、加藤さんの退陣も要求してきたのです。私たちはそれを認めるわけにはいきません。

加藤氏に認められて従業員たちの心に誇りが芽生えた

 佐野サービスエリアは加藤さんが来るまで、小さくて地味なサービスエリアでした。でも加藤さんが来てから変わったんです。職場の雰囲気が明るくなった。ストライキに参加している従業員のなかには勤続30年の方もいますが、どれだけ働いていても私たち従業員が経営陣から認められることなんてなかった。でも加藤さんは私たちのことを『佐野サービスエリアのプロフェッショナル』として尊重して扱ってくれたんです」

 加藤氏の着任で、佐野サービスエリアの従業員たちの心に誇りが育っていた。
 それが、現在のストライキの原動力になっているのだ。

「今まで忙しくて、みんなで話すことがなかなか出来なかったので、この機会を活かして、毎日接客や売り場のオペレーションなどについてみんなで勉強し直しています。たくさんの人にご迷惑をおかけしたんです。自分たちが戻る日には、今よりもっと“プロフェッショナル”になっていなければいけません」
(同前)

最後まで守りたいものは守らないといけない

 加藤氏は最後にストライキへの覚悟についてこう語った。

「これは勢いでやってることではないんです。最後まで守りたいものは守らないといけない。従業員はみんな、一日でも早く現場に戻りたいと思っている。できることなら私も彼らと少しの間でも長く一緒に働きたい。今月の給与が従業員に支払われなかったときのため、労働組合に1500万円を供託しています。私にとってはすごい金額ですが、みんなで分けたらたいした取り分にならない。それでもみんな頑張ってくれているんです。
 私は宮城県出身なのですが、東日本大震災のとき、故郷では亡くなったりケガをしたりした友人がたくさんいました。『今やらなくていつやるんだ』と自分を奮い立たせ、会社を辞めて復興に身を投じました。私が独身だからできることですが、貯金の8割を使った。今回もあの時と同じくらい大事な節目だと思っています。こんなことができるのは、本当に、一生に一度くらいですよ」

 加藤氏の証言について、ケイセイ・フーズに事実確認を求めたところ、代表取締役社長の岸敏夫氏が書面でこう回答した。

「今回の一連の事態についての報道には、前提となる事実を誤認していると思われるものが数多く見受けられ、弊社としても、できますれば、ご質問の件について、詳しくご回答申し上げたいところではあります。しかし、弊社は、現在は、きたるべき労働組合との団体交渉に向けての準備に精力を集中すべき時点であると考えており、ご質問にお答えするだけの余力がございません。したがいまして、誠に恐縮ですが、現時点において、ご質問についてご回答差し上げることはご容赦いただきたく、悪しからずご容赦ください」

 ストライキ終結の目処は、いまだ立っていない。
【佐野SAストライキへの流れ】
2018年5月 加藤総務部長がケイセイ・フーズに入社
2019年6月 親会社である片柳建設が新規融資凍結処分をくだされたと情報が流れる
   7月 取引業者に信用がなくなり、倉庫の商品が減り始める
 7年上旬 当時の総支配人が会社の経費で高級車と家電を購入したことが発覚
 7月20日 労使交渉で銀行からの新規融資凍結処分を社長が認める
 8月初旬 倉庫の商品がほぼ空になる
 8月5日  加藤氏が商品の再納入のため覚書を作成し、社長がサイン
 8月9日  社長が覚書を破ると発言
 8月13日 口論となり社長が加藤氏に解雇を通告
 8月14日 売店、フードコート、レストランがストライキ
 8月15日 社長会見
 8月16日 売店、フードコートの一部営業再開
 8月18日 ケイセイ・フーズがストライキに関する見解を文書「事情のご説明」で発表
 8月19日 加藤氏・支配人I氏ら労組と経営陣が団体交渉し決裂

週刊文春、2019年8月24日
《いまだ断行中》
「なぜ私は佐野SAストライキを始めたのか」渦中の“解雇部長”が真相を告発

(編集部)
https://bunshun.jp/articles/-/13559

お盆休みの佐野サービスエリアの「スト」報道に違和感

 お盆休みの繁忙期である8月14日から、運営会社従業員の「ストライキ」が発生したことで一躍テレビでも取り上げられていた「佐野サービスエリア」上り線のフードコートと売店。

 テレビ報道では当初から「有名なラーメンを食べられなくて残念」といった声や「なんでこんな時期にストを」という、ストライキすることをネガティブなものとして伝えるような報じ方が多かった。

 しかし、その不信感は、16日に営業再開を報じたニュースでピークに達することになる。

 テレビ朝日が、「佐野SA再開 新たなスタッフ集め名物ラーメンも復活」 と、「ストライキ中に別の従業員を雇用して営業を再開」というニュースを、まるで朗報かのように報じたのだ。

 その結果、この「ストライキ中に別の従業員を雇用して営業を再開」について、SNSでは「スト破りだ」との声が続出したのである。

「スト破り」とはなにか? その法的な問題点

 この「スト破り」について、労働法に詳しい弁護士の松ア基憲氏はこう語る。

「スト破りは、正式な法律用語ではありませんが、伝統的に用いられている用語で、おおむね『ストライキに参加している労働者以外の労働者がストの欠員をカバーするために就労すること(就労させること)によってストの実効性を減殺すること』、『そのような代替労働者』、場合によっては『ストから離脱して就労をすること』などを指しています。英語ではscabと言われます。
 日本の労働組合は企業別組合が多いので、組合がストライキをしても使用者が労働市場から代替労働者を確保しやすいと言われたりしています。
 そして、代替労働者として派遣労働者の派遣を新たに受けることや、ハローワークを使って代替労働者を雇うことは法律で禁止されています(職業安定法20条、労働者派遣法24条)が、スト中に新しい人員を雇って営業を再開すること自体は違法ではないんです。
 最高裁も、「ストライキ中であつても業務の遂行自体を停止しなければならないものではなく、操業阻止を目的とする労働者側の争議手段に対しては操業を継続するために必要とする対抗措置をとることができる 」と述べています(最高裁昭和53年11月15日 決定)。ただし、使用者(企業)が、スト実行中の組合員に対して「ストを離脱したら昇進させてやる」など言うことは、組合の団結権を不当に侵害する不当労働行為として違法評価を受けます」

 違法性がないとなると、こうしたスト破りに対抗する手段は労働者側にはないのだろうか?

「労働者側とすれば、伝統的には『ピケッティング』という半実力行使策を講じてきました。事業場の出入り口付近で隊列を組んで代替労働者の入場を阻止したり、取引業者の入場を阻止する方法です。
 最高裁は、このような実力行使のピケッティングの適法性・違法性について、『法秩序全体の見地』(刑事事件)から評価したり、『説得活動の範囲』内(民事事件)で適法としたりしています。なので、実力行使で入場阻止することは原則として違法です。
 一方、説得活動の範囲ならば適法なので、スト参加労働者が集まってストの規模が大きいことや企業の不当行為を周辺で知らせることはできます。
 それ以外の対抗手段としては、職場占拠(操業を妨害しない範囲で適法とする判決が多い)、ボイコット(不買運動)、怠業などが考えられます。
 ボイコットは、今回のラーメン店では効果的ではないでしょう。
 怠業は、働きながらも業務のスピードを遅くすること(スローダウン)などで、代替労働者を阻止できるという意味で効果を発揮することがあります。一応働きながらも、ラーメンを作る時間をおそーくしたり、ゆっくり歩いたりして営業を内部から部分的に妨害する戦略です。これは、代替労働者を阻止できると言う意味で非常に高い効果を発揮することがあります。もっとも、接客業従事者の良心に反するかもしれませんが……」

 もっとも、違法性がないとしても、「新しい人員を雇って営業を再開する」ことは、企業側にダメージがないわけではないという。

「ニュース記事からの情報も不明確なところが多いのでわからないとこともありますが、スト欠員カバーに当たった代替労働者がほかの店から来たのであれば、当該ほかの店が人不足になっているはずです。なので、ストが長引けば、企業全体へのダメージは膨らみます。
 スト欠員カバーの代替労働者が、新たに雇った労働者ならば、スト終了後に以前の労働者が職場に戻ると人が余ります。そうすると、誰かが退職することになり、労働問題になります」

 一方、「佐野SAの”ストライキ”は正式な手順を踏んでいない」などの批判も見られたが、そのへんはどうなのだろうか?

この「ストライキ」は正式な手順を踏んでいない!?

 この「ストライキ」だが、実は労働争議として正式な手続きを踏んだ「ストライキ」ではないなどという批判も出ている。本当にそうなのだろうか?

 大まかな流れとしては、東北自動車道上り線佐野SAの運営会社である「ケイセイフーズ」が資金難にまつわるトラブルに対応していた総務部長の加藤正樹氏が解雇されたことに複数の従業員が異を唱え、40〜50人のスタッフが部長の不当解雇撤回を求めて出勤を取りやめたのだという。ただ、このときの名目が「おなかが痛いので休む」という理由だったというのだ。
(参照:東スポWeb)

 また、SNSでは「組合がなかった」などの言説も散見した。

 「正式な手順」によるストライキとはいかなるものなのか? 前出の松ア弁護士はこう語る。

「基本的には、ストというものは、行き詰まった団体交渉を打開するための手段として労働組合が行う場合にのみ正当性を有します。そうでない場合は、威力業務妨害になる可能性もあります。そのため、原則としては、労働問題が起きた場合、組合が団体交渉をして、『譲歩しなければストするぞ』と予告してから、それでも会社が折れない場合にはじめてスト開始するのが正しい手順です。ただ、交渉の内容によっては予告なく、または、早いタイミングでのストもあり得ます。ニュース記事だけでは正確な評価はできませんが、今回は解雇の撤回を要求していたようです。これは緊急性がありそうですので、状況次第では予告なしのストが適法になる場合があると思います。会社が財務危機に直面している状況で部長が解雇されたという事実をある種の異常事態であったと考えれば、なおさら緊急性があったといえるかもしれません」

 また、仮に組合がなかったとしても、「従業員(仲間)の「解雇」という最も労働者として重要な問題を発端に40人以上の労働者が一致して取った行動なので、憲法上の労働組合と認められる可能性はある」(松ア弁護士)という。(※2019年8月22日追記)

 果たして、組合はあったのか? 事前通告はあったのか?これらの点について、ことの発端となった「解雇」の対象者である加藤正樹氏に話を聞いてみた。

「労組は今年1月に結成書を作成し、7月に第一回大会を行いました。もっとも、本を読みながら委員長が作った手作りの組合ですが。団体交渉自体は、元総支配人のパワハラについての抗議やエアコン設置などが要求です。
 今回の”ストライキ”に関しては、東スポの報道の内容で間違っておりません。
 ことがここに至るまでに、現社長についてのさまざまな問題があり、その途中に突発的に私が解雇されたため、従業員の大半は経緯を知っていたので、解雇が引き金となって”ストライキ”となったわけです。ただ、当初は、私の解雇撤回の要求はすぐのまれると思っていたようで、みんな2〜3時間で終わるものだと思っていましたので、みんなすぐに現場に行ける準備もしていたそうです。翌日も翌々日も、みんなで集まって準備していました」

 どうやら、今回の「ストライキ」自体は、解雇撤回という緊急性のある事態に、従業員が話し合いのなかで一致して取った行動であり、事前通告こそなかったものの、労働法的にも「ストライキ」と言って良いものだと言えるようだ。(※2019年8月22日追記)

労働者側の代表者は公開質問状をネットにアップ

 解雇された加藤正樹氏はFacebookに公開質問状をアップしている。(注:その後、19日14:33付けで、”経営陣側から、公開質問状について回答したいので16時から会いたいという連絡がきました。しっかり質問に対しての回答を頂けることを期待します。”と投稿されている)
”【拡散希望】

<公開質問状>
佐野サービスエリア
株式会社ケイセイ・フーズ
代表取締役社長 岸敏夫様
代表取締役 岸京子様
監査役 横堀先生

まともに話ができるチャネルがないため、このようなかたちで、質問させて頂きます。

佐野SAの経営は危機的状況です。

メインバンク群馬銀行による新規融資凍結処分がかなりの痛手であると、私や取引先の皆様も考えています。

ケイセイフーズは銀行から片柳建設グループとみなされています。

メインバンクから、片柳建設グループ全体に対し、新規融資凍結処分が下されてそろそろ3ヵ月。

借金の返済の滞納も3ヵ月目。

この問題が解消しないかぎり、我々従業員だけが戻っても、問題は解決しない可能性がきわめて高いのです。

岸敏夫社長は、常々、自らのことを有能な経営者であるとおっしゃいます。経営危機の説明会のときですら、根拠を示さず「大丈夫です」と繰り返しました(取引先の多くが説明会翌日に、商品をすべて撤去したことを覚えていますか?)

あなたはこの現状を「大丈夫」と言いますが、「有能な経営者」なら、その根拠を教えて頂きたい。

逆に「事実無根」というなら、メインバンクの群馬銀行に、「ここ3ヵ月ぐらいの間、融資が凍結されていた事実はありません」というメッセージをもらってください。ウソ情報で大金を貸し付けている取引先がつぶれることは、群銀にとっても避けたいことでしょうから、事実無根なら、協力は貰えるはず。ぜひもらってください。

そして、佐野サービスエリア再生のための事業計画を立て、必要な新規融資を獲得してください。

経営者とは、そういう仕事です。

今まで、部下や業者に命令すれば、簡単に企画書や事業計画書ができあがるものだと思っていませんでしたか?

「俺は社長だ。命令するのが仕事だ。部下や業者がなんとかするものだ」

会社が危機的状況の中で、そんな考えは通用しません。

たとえ・・・・

たとえ、この大問題をクリアしたとしても・・・残念ながら、再開するためにクリアすべきハードル、特に信用を回復するためのハードルがいくつかあります。

だた、少なくともここをクリアしてもらえないと、今月中の経営破綻も視野に入ってくるので、従業員も取引先の皆様も、この点のクリアは必須と考えています。

岸敏夫社長。
あらためてお願いします。
危機である今こそ、あなたの経営者の資質をみせてください。

この大問題の解決案をじっくり検討し、メドを立ててから交渉に挑んでくださることを期待します。

あなたがたは夫婦でほぼ全株を握る筆頭株主です。
騒動が収束したら、私をクビにしても恨みません(もうそういう次元の話ではないので)。

私は私で従業員たちと一緒に、佐野SA再生のための事業計画を策定をはじめたいと思います。

その提案を、まずは世間の皆様にみてもらいたい(もちろんケイセイ経営陣にもみてもらいたい)。
できれば、佐野市長、石井国交大臣はじめ政治家の皆様、国交省、NEXCO東日本、ネクセリア東日本の皆様にもみてもらいたいです。

この公開質問状への回答、よろしくお願い申し上げます。

加藤正樹”

 ただ、これもなぜ組合名義の声明でなかったのかは疑問が残るところだが、この点について加藤氏は「損害賠償等が発生した場合、私以外に行ってほしくない」ことや、「管理職なので、私が労組に入ると労組法上の労組ではなくなる恐れがあるため、私自身は組合員ではないから」といった理由を上げていた。

労働者側の声も「スト破り」の可能性も報じぬメディア

 このように、佐野SA運営会社「ケイセイフーズ」の今回の”ストライキ”は、一筋縄ではいかない様相を呈している。しかし、一旦その当事者間の争いを離れてみると、明確な問題点があるように思う。

 それは、多くのテレビメディアが、なぜこのような事態になっているのか、現場の労使間の主張をキチンと取り上げて明確にすることをないがしろにして、利用客が迷惑だ、困った、残念だと言っている声ばかり紹介した点である。

 メディアであれば、営業再開を喜ぶ利用客の声を報じたとしても、その一方で、従業員がこのような行為に踏み切るに至った経緯を報じる必要があるし、この営業再開についても、違法行為ではないとしても、「スト破り」と呼ばれる行為である可能性が高い点などについても、同じくらい時間を割いて報じるべきではないだろうか。
 一方的に利用客が不便を訴える様子を映しているだけでは、「ストライキは労働者の権利」であることすら忘れ去られてしまう。


 折しも、NHKの朝ドラ『なつぞら』でも、主人公たちが会社と交渉を行う様でも頑なに「組合ではない」ことを強調するかのようなシナリオに、SNSでは疑問の声があがっていた。

 メディアがこうして組合活動をタブー視したり、世間からネガティブな視線を受けるようなものであるように報じる風潮は、結果として労働者の環境を悪くしていくことに繋がってはいないだろうか?


ハーバービジネスオンライン、2019.08.22
東北道上り線佐野SA「スト」を報じるメディアに抱いた違和感
HBO編集部
https://hbol.jp/199789/3

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買春する帝国、国家売春

 ヤッホーくんのこのブログ、2015年05月05日付け日記「ポールラッシュのもうひとつの顔」をぜひお読みください。
 これはもう4年も前の日記になります。
 今日もこんな過去を胸に刻んで、ゴルフ漬けの長い夏休みの後、今度はフランスに外遊した首相ご夫妻ばかりでなく、
 われわれは大日本帝国の臣民か赤子でなく、武士道精神をもった日本人として、国際社会を歩いていきたいものです。

 74年前の夏、敗戦で多くの日本人が茫然自失しているなか、東久邇内閣(1945(昭和20)年8月17日から1945(昭和20)年10月9日まで、皇族が首相となった史上唯一の内閣)が手をつけたのは、占領軍将兵に女を提供する慰安所をつくることだった。

 敗戦からわずか3日後の1945年8月18日、内務省警保局長が現在の知事にあたる全国の府県長官宛てに「外国軍駐屯地における慰安施設について」を打電。
 速やかに性的慰安施設、飲食施設、娯楽場を設けるよう指令した。

 国務大臣の近衛文麿は警視総監を呼んで、「国体護持」のため慰安所設置の陣頭指揮をとるよう要請している。
 国体とは天皇を中心とした国家体制のこと。
 それと売春施設はどう関わるのか。
 事態の推移がそれを明らかにする。

 これを受けて警視庁は東京料理飲食業組合の組合長らを呼び出し、資金は政府が援助するから、至急、各種慰安施設をつくるよう命じた。

 都下の接客業7団体を擁する同組合は、23日には特殊慰安施設協会(のち「RAA協会」と改称=Rはレクリエーション・Aはアミューズメント・最後のAはアソシエーション)を立ち上げ、28日に皇居前広場で宣誓式を行っている。
 ついこないだ、天皇の終戦詔勅を聞いて集まった人びとが地べたに伏して嗚咽(おえつ)した場所である。

 協会は「新日本再建の発足と、全日本女性の純血を護るための礎石事業たることを自覚し、滅私奉公の決意を固めた」と胸を張っている。(『RAA協会沿革誌』)

 「全日本女性の純血を護る」とはどういうことか。

 昨日まで「鬼畜米英」と呼んだ軍隊がやってくる。
 そうなると日本民族の純血が汚れる。
 国民が騒ぐ。
 国体の護持が危うくなる。
「性の防波堤」として女性たちを差し出そうというのである。

 28日は占領軍の先遣隊が上陸した日で、協会は女性をかき集めて大森海岸に第1号慰安施設「小町園」をオープンしたが、慰安婦の数が足りない。

 そこで事務所を構える銀座7丁目の「幸楽」前に看板を出した。

「新日本女性に告ぐ 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢18歳以上25歳迄。宿舎、被服、食糧全部当方支給」

 新聞にも「急告 特別女子従業員募集 衣食住及高給支給 前借ニモ応ズ 地方ヨリノ応募者ニハ旅費ヲ支給ス」という広告を載せた。

 戦災で親や家を失い途方にくれている女性たちにとって、住む場所だけでなく、食べる物も着る物も支給してくれるとはありがたい。
 まさか売春が仕事とは思わず、第一次募集だけで千人以上も集まったという。

 神奈川県では警察部保安課が挙げて取り組み、横浜や横須賀など県下23ヶ所に慰安施設を設けた。
 その一つはマッカーサーが来日直後に執務室として使ったホテルニューグランドの目と鼻の先にある互楽荘。
 400室もあるモダンなアパートメントだった。

 小町園にも互楽荘にも占領軍将兵が長蛇の列を作った。
 それでも米兵による多数の強姦・強盗があったことが記録されている。

 ところが、慰安所に並ぶ兵士たちの写真が米国のメディアで報じられたことから、米国の留守家族や女性団体からの抗議が司令部に殺到。
 性病もはびこったため、GHQは1946年1月、各地の慰安所を「オフ・リミット」にした。
「国体護持の女」は放りだされ、許可を受けた集娼(しゅうしょう)地域に流れるか、「パンパン」「闇の女」と呼ばれる街娼(がいしょう)になっていった。

 歴史上、戦争で負けた国はたくさんあるが、政府と警察が主導して占領軍相手の売春施設をつくった国は聞いたためしがない。

 日本は明治以来、公娼(こうしょう)制度を設け、軍隊の行く先々に慰安婦を伴って当然とした国である。
 男性それぞれが自分の所有物とみなしている妻・娘・良家の子女たちに害が及ばないように、一部の女性たちの性を犠牲にしたことになる。

 日本の女性団体も黙っていたわけではない。
 明治時代から廃娼運動をしてきた日本基督教婦人矯風会が内務省にRAAの廃止を求めた。

 だが、それは慰安婦の存在が「国家の恥辱」だからという理由であって、彼女たちの人権問題とはとらえていない。

 女性たちは分断されていたのだ。

 正史はこの国家売春の過去を顧みない。
 敗戦後の混乱期のこととして忘れ去り、消し去っているかに見える。

 だが、今もセクハラなどの性暴力がまかり通っているのは、こうした過去に真摯に向き合わってこなかったからではないか。
 自分の生と性をどのように生き、他者のそれをどのように尊重するか。重い教訓が含まれているはずだが。


[写真]
1945(昭和20)年8月30日、厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥(中央)。先遣隊のアイケルバーガー米第8軍司令官(右端)らが出迎え

47 News、8/23 16:49 (JST)
忘れ去られた「国家売春」の過去
(女性史研究者・江刺昭子)
https://this.kiji.is/537464166415926369?c=39546741839462401

自由奪う事実上の奴隷制を解明

 慰安婦のことを知らない若い人が増えている。
 中学の歴史教科書から慰安婦の記述がほぼ消えたためだ。
 歴史修正主義的な言説があふれる今、年長者の認識も怪しい。
 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の件も歴史認識の問題と当然関係しよう。

 本書はそんな心許(こころもと)ない状態のこの国で、私たちが知っておくべき日本の性買売の実態を、最新の研究成果もふまえて広く深く解き明かした労作である。
 対象は幕末から売春防止法の施行(1958(昭和33)年)まで。
 議論するならこのくらいは押さえておこうよ、という最低限のラインである。

 国際社会へのデビューに際し、1872(明治5)年、明治政府は人身取引を禁止する芸娼妓(しょうぎ)解放令を出す。
 だがそれは近代の公娼(こうしょう)制のはじまりにすぎなかった。

 注目すべきは軍と遊廓(ゆうかく)の強い結びつきである。
「軍隊に遊廓はつきもの」が当時の通念。
 遊廓の発展は、全国各地に陸海軍の部隊が置かれたことと切り離せず、日清、日露戦争以降はそれが大陸にも拡大する。

 もうひとつ注目すべきは「娼妓制度は事実上の奴隷制」という認識が早い時期から広がっていたことだろう。
 娼妓は前借金で縛られて「外出の自由」も「居住の自由」も「遊客を選択ないし拒否する自由」もなく「廃業の自由」もないに等しかった。
 これを問題視する人は多く、1929(昭和4)年には「公娼制度廃止に関する法律案」が衆院に上程されている。

 しかし日本政府は奴隷制禁止条約さえ批准せず、性買売における事実上の奴隷制も廃止しなかった。

 そして満州事変以降、〈日本軍や日本政府は、軍慰安婦制度という新しい性買売のシステムを自らつくり、運営して〉、国内外の女性を戦地に動員する
のである。

 買春(かいしゅん)を必要と考えた政府・軍・政治家・業者らがつくり上げた「買春する帝国」。
 背景には男性の買春を容認する強い意識があるのではないか。
 歴史の闇は想像以上に深いのである。


朝日新聞・書評、2019年8月24日05時00分
吉見義明『買春する帝国 日本軍「慰安婦」問題の基底』(岩波書店、2019年6月)
(よしみ・よしあき、1946年生まれ。中央大名誉教授。専門は日本近現代史。著書に『従軍慰安婦』など)
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14150459.html

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2019年08月23日

GSOMIA

 ヤッホー君のこのブログ、昨年2018年11月16日付け日記「徴用工」をぜひお読みください。

 安倍晋三首相は2019年8月23日、軍事情報包括保護協定(GSOMIA、ジーソミア)の破棄決定について、首相官邸で記者団に、
「北東アジアの安全保障環境に照らし、日米韓の協力に影響を与えてはならないとの観点から対応してきた。米国としっかりと連携をしながら、地域の平和と安定を確保する、日本の安全を守るために対応していきたい」と話した。

 首相は、仏ビアリッツで24〜26日に開かれる主要7ヶ国首脳会議(G7サミット)に出席するため、羽田空港に向かう前に取材に応じた。
 日韓関係悪化の端緒となった元徴用工問題を念頭に、
「日韓請求権協定に違反するなど、国と国との信頼関係を損なう対応が残念ながら続いている。約束をまずは守ってもらいたい。この基本的な方針は今後も変わらない」とも語った。

 岩屋毅防衛相は23日、
「地域の安全保障環境を完全に見誤った対応で、失望を禁じ得ず、極めて遺憾だ」と記者団に語り、河野太郎外相やポンペオ米国務長官らと同様の表現で韓国を批判。
「地域の安全保障を考えた場合、日韓、日米韓の連携は引き続き重要だ。韓国側に再考と賢明な対応を強く求めていきたい」とも語った。

 世耕弘成経済産業相も23日、経済産業省内で記者団に、
「日本の輸出管理上の措置、国内の行政手続きと、次元の違う問題を関連づけた。全く受け入れられない表明だ」と発言。
 日本政府は28日、輸出手続きを簡略化できる輸出優遇国(ホワイト国)から韓国を除外する政令を施行する。
 韓国政府は、こうした一連の対韓輸出規制強化措置の撤回を求めているが、世耕氏は、
「なんら今までと変わりない。閣議決定もされているので、粛々と実行していく」と話した。

 政権幹部の一人は、米国が韓国政府の決定を強く批判したことを指摘し、
「騒ぎ立てず、淡々と冷静に対応する。韓国の世論が変わってくれば政権の対応も変わってくる。それまで無視する」と話した。


[写真]
記者の質問に答える安倍晋三首相=2019年8月23日午前11時4分、首相官邸

朝日新聞、2019年8月23日12時13分
GSOMIA破棄
首相「約束をまず守ってもらいたい」

https://digital.asahi.com/articles/ASM8R337ZM8RULFA002.html

これは今回の日韓対立の大本が徴用工問題にあることを吐露している(安全保障貿易管理うんぬんはこじつけ)上に、日韓請求権協定は元徴用工個人からの賠償請求権まで否定していなかったことを無視しているという点で問題だらけの発言。
朝日もその問題を指摘すべき

21:16 - 2019年8月22日

 韓国政府が8月22日、日本と締結している軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄すると発表した。
 日本政府は韓国政府がGSOMIAを破棄しないと高を括っていたようだ。
 韓国政府発表後の狼狽ぶりにその事実が表れている。

「鏡の法則」という言葉があるが、韓国政府の対応は日本政府の対応を反映するものである。
 融和・友好・信頼・尊重で進めば、融和・友好・信頼・尊重が返ってくる。
 敵意・攻撃・不信で進めば、同じ対応が返ってくる。

 徴用工の問題では1965年の日韓請求権協定を根拠に、日本に対する請求権は消滅しているというのが日本の主張だ。
 しかし、日本の最高裁判所の判断は、日本と中国との間の賠償関係等について外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる」としたものである(最高裁判所2007 年4 月27 日判決)。

 これに対して、韓国大法院は、元徴用工の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象に含まれていないとして、その権利に関しては、韓国政府の外交保護権も被害者個人の賠償請求権もいずれも消滅していないとした(2018年10月30日)。

「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」
http://justice.skr.jp/statement.html
は、韓国大法院判決について「被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である」として、次のように指摘している。

 本件のような重大な人権侵害に起因する被害者個人の損害賠償請求権について、国家間の合意により被害者の同意なく一方的に消滅させることはできないという考え方を示した例は国際的に他にもある(例えば、イタリアのチビテッラ村におけるナチス・ドイツの住民虐殺事件に関するイタリア最高裁判所(破棄院)など)。
 このように、重大な人権侵害に起因する個人の損害賠償請求権を国家が一方的に消滅させることはできないという考え方は、国際的には特異なものではなく、個人の人権侵害に対する効果的な救済を図ろうとしている国際人権法の進展に沿うものといえるのであり(世界人権宣言8条参照)、「国際法に照らしてあり得ない判断」であるということもできない。

 声明は日本の最高裁判決に関して、
 この解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は法的障害にならない。
 安倍首相は、個人賠償請求権について日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」と述べたが、それが被害者個人の賠償請求権も完全に消滅したという意味であれば、日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた説明であり誤っている。
 他方、日本の最高裁判所が示した内容と同じであるならば、被害者個人の賠償請求権は実体的には消滅しておらず、その扱いは解決されていないのであるから、全ての請求権が消滅したかのように「完全かつ最終的に解決」とのみ説明するのは、ミスリーディング(誤導的)である。
そもそも日本政府は、従来から日韓請求権協定により放棄されたのは外交保護権であり、個人の賠償請求権は消滅していないとの見解を表明しているが、安倍首相の上記答弁は,日本政府自らの見解とも整合するのか疑問であると言わざるを得ない

と指摘している。

 中国人強制連行事件である花岡事件、西松事件、三菱マテリアル事件などにおいては、訴訟を契機に、日本企業が事実と責任を認めて謝罪し、その証しとして企業が資金を拠出して基金を設立し、被害者全体の救済を図ることで問題を解決した。
 そこでは、被害者個人への金員の支払いのみならず、受難の碑ないしは慰霊碑を建立し、毎年中国人被害者等を招いて慰霊祭等を催すなどの取り組みが行なわれてきた。
「弁護士声明」は、
 日本政府は、新日鉄住金をはじめとする企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑制するのではなく、むしろ自らの責任をも自覚したうえで、真の解決に向けた取り組みを支援すべきである

と提言している。
 建設的な主張である。
 日本に日本の主張があるのと同様に、韓国には韓国の主張がある。
 双方が歩み寄りを示さなければ問題を解決することは困難だろう。

 2020年に東京オリパラを控えているが、このオリパラの招致活動のなかで、安倍首相は2013年9月7日にアルゼンチンのブレノスアイレスで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会でこう述べた。

「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています」

「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の、0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされています」

 このことに関して、東京電力は8月8日、福島第一原発で事故を起こした建屋などから発生する汚染水をためるタンクが、2022年夏ごろに満杯になる見通しを明らかにした。

 これについて原子力規制委員会の更田豊志委員長は8月21日の記者会見で、処理水を希釈して海に放出することを東電などに求めた。

 安倍首相の五輪招致IOC総会での発言と直結する問題である。

 韓国外交省はこの点について8月19日、在韓日本大使館の西永知史公使を呼び、「事実関係の確認と今後の処理計画などについて、日本政府の公式回答を求める」との口述書を手渡した。

 客観的に見ると日本が窮地に追い込まれつつあるように見える。


植草一秀の『知られざる真実』2019年8月23日 (金)
窮地に追い込まれる安倍韓国敵視外交
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-b5a188.html

 韓国の軍事情報協定(GSOMIA)破棄の決定に日本と米国が「極めて遺憾」と反応。
 それもそのはず、一番GSOMIAを必要としているのは米国で、米国に追随する日本も自動的にGSOMIAが必要になる。

 もう一度、GSOMIAについて確認しておくと、2006年(第1次安倍内閣が成立した年)の「ロードマップ」に続いて2007年に日米が「2プラス2」で合意、日米GSOMIAを締結した。
 一連の合意は日米軍事同盟の下で米軍・自衛隊の一体化と、自衛隊の集団的自衛権の行使を確認するもので、2015年の「戦争法」、そして2016年の日韓GSOMIAへと続く。
 この動きの延長には今年の参議院選挙で安倍が叫んだ「憲法改正」がある。

 GSOMIAは軍事情報包括保護協定で、これ自体では、締結国との情報共有についての協定ではなく、あくまでも二国間で共有する情報の保護に関する協定。
 したがって、GSOMIAがなくても日韓間で情報共有や交換はできるし、実際にGSOMIA以前は特に問題なくやってきた。
 日本にとって、韓国とのGSOMIAは「米国に言われたから」締結するもので、それ以上でも以下でもないが、韓国にとってはそうではない。

 GSOMIAは軍事協定の一種だ。
 そして韓国には日本との軍事協定を結ぶことに対する強い抵抗があった。
 李明博政権時代の2009年に北朝鮮の長距離宇宙ロケット発射と二度目の核実験を背景に日韓間でGSOMIAの議論が始まり、2012年に李明博政権は締結を決定した。
 しかし、これに対して韓国内から「日本との軍事協定反対」という強い反対の世論が沸き上がり、協定への署名は取り消された。

 その後も北朝鮮によるミサイル・核の動きは続き、米国は本土防衛のためのミサイル防衛システムを極東に配置する作業が進められ、2006年には韓国は強い反対にもかかわらずTHAAD配置を受け入れ、日韓GSOMIAを締結するに至る。

 ミサイル防衛については、韓国は執拗な米国からの圧力にもかかわらず、韓国型ミサイル防衛システムにこだわり、韓米のミサイル防衛一体化を拒否し続けてきたが、結局、THAAD配置を受け入れたことで韓国は米国のミサイル防衛網に組み込まれることになる。
 そして早くから日米の一体化を進めてきた日本としても、米国のミサイル防衛網を補強するために韓国の参加を強く望んできた。
 そのような流れの中で日韓GSOMIAは締結された。

 日本のマスコミはGSOMIAについて、ミサイルの発射や軌道、落下点などの情報を共有するために必要だと言っているが、GSOMIAを過小評価しているのか、あるいは何かを隠しているのか。

 最近、日本ではF-35の「爆買い」や、護衛艦の空母化、そしてイージスアショアといったニュースが話題になった。
 これらはすべて日米韓による軍事情報網の存在を前提とする軍事システムの一部だ。
 自衛隊のF-15後継機としてF-35が選ばれたのは、F-35が「空飛ぶ端末」だからであり、それを機動的に運用するためには空母が必要であり、それらを動かすための情報を提供する極東のレーダー網で弱い部分を補強するのがイージスアショアだ。
 F-35がスマホなら空母は基地局、レーダーはサーバーだ。

 このシステムを十分に稼働させるためには、地理的に一番北朝鮮に近い韓国のレーダー基地は不可欠で、そのレーダーのデータを日本の自衛隊や、沖縄・グアムなどの米軍のレーダーと一体化することで、極東地域のリアルタイムの情報ネットワークが完成する。
 しかし、この情報ネットワークは最高度の機密が要求される。
 もちろんレーダーなどのデータは暗号化されるが、この暗号化されたデジタルデータを共有するシステムを利用することがまさに、GSOMIAという法的根拠を要求する核心的な理由だ。

 GSOMIAの破棄は、極東に張り巡らされたこの情報網の一角がブラックアウトすることを意味する。
 日本と韓国のどちらがダメージが大きいかは明らか。
 韓国にとってGSOMIAが保護する情報は、自国の防衛にはそれほど大きな意味はない。
 GSOMIAは米国と日本のためのシステムを保護するものだから。

 もちろん、GSOMIA破棄で一番困るのは米国なのであって、当然、韓国としては米国との関係を考えると少々窮屈な立場に立たされることになるが、「韓国をここまで追いやったのは日本だ」ということは米国も十分に承知している。
 しかも、米国としては「じゃ、韓国はいらない」とは言えない立場だ。
 どうしても韓国は必要だ。
 しかも韓国は日本のように米国の属国ではないので、どやしつければ縮み上がるような国ではないのだが、どうやら日本は韓国も自分たちと同じように、米国のご機嫌を損ねることはしないと思っていたらしい。

 そういうわけで、今回のGSOMIA破棄は、安倍政権が推し進めてきた米軍と一体化した「日本軍」という夢にとっての障害になるばかりでなく、まあ、十中八九、米国からは「韓国がヘソを曲げちゃったじゃないか。変なことするな」とどやしつけられているだろう。

 日本のマスコミは「GSOMIA破棄で損をするのは韓国」なんて呑気な記事を送り出している。やれやれ。


レイバーネット、2019-08-23 14:40:11
韓国の軍事情報協定(GSOMIA)破棄をどうみるか?〜その背景に迫る
安田幸弘(レイバーネット国際部)
http://www.labornetjp.org/news/2019/0823yasuda

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GSOMIA破棄

 韓国が日本との軍事協定を破棄した。
 このことが、安倍政権にとってどれだけ腹だたしいことであったかは、きのう夜のNHKのニュースウォッチ9を見ればわかる。
 「安倍首相いのち」の政治記者である岩田明子が、「一線を超えた」と切り捨てていた。

 まさか。ここまでやらないだろうと高をくくっていたのだ。
 文在寅大統領の出方を読めなかったこと自体が安倍外交の敗北である。
 これまでの日韓関係の悪化ぶりを正しく見て来た者にとっては、十分にあり得ることだった。
 佐藤優などは先週の週刊誌(アサヒ芸能)ではっきりと書いていた。
 もはや軍事協定は意味をなさなくなったと。
 つまり両国の首脳の間でこれだけ信頼関係が損なわれてしまったのだから、軍事協定などあってもなくても変わらないというわけだ。

 それにしても安倍外交はひどい。
 安倍外交はあらゆる意味でひどかったが、何が一番ひどいかといえば、歴史認識が間違っているところだ。
 今度の日韓関係の悪化のそもそもの原因は徴用工問題である。
 そして徴用工問題の対立は、日本が韓国を植民地化したことについての安倍首相の反省がまるでないところだ。
 昭和天皇ですら反省していたことが分かったばかりであるというのにである。

 歴史認識の問題は外交・安保問題よりはるかに重要なのだ。
 いや、外交・安保問題の間違いが歴史認識問題を生じさせたのだ。
 安倍首相が文在寅大統領に勝てるはずがない。
 米国ですら歴史認識問題については口出しできない。

 軍事協定廃棄に対して安倍首相に残された唯一の対抗策は、もはや国交断絶しかない。
 そんなことを安倍首相ができるはずがない。
 日韓関係を不可逆的に悪化させてしまった安倍首相は今度こそ内閣総辞職ものだ。
 首相が変わらない限り日韓関係が元にもどることはない。


天木直人のブログ、2019-08-23
外交・安保よりも歴史認識のほうがはるかに重要だということだ
http://kenpo9.com/archives/6238

 河野外務大臣は2019年8月22日夜、記者団に対し、韓国政府が、日本と韓国の軍事情報包括保護協定=「GSOMIA」(ジーソミア)を破棄することを決めたことについて、「現下の地域の安全保障環境を完全に見誤った対応と言わざるをえない。韓国側の主張は全く受け入れられるものではない」と述べ、韓国の駐日大使を外務省に呼び抗議しました。

 韓国政府が、日本と韓国の軍事情報包括保護協定=「GSOMIA」を破棄することを決めたことについて、河野外務大臣は22日夜10時すぎ、外務省で記者団に対し「韓国政府が協定の終了を決定したことは現下の地域の安全保障環境を完全に見誤った対応と言わざるをえない。韓国政府が、安全保障の文脈において、韓国政府の今回の決定と、日本の輸出管理の運用見直しを関連づけているが、この2つは全く異なる次元の問題であり、韓国側の主張は全く受け入れられるものではない。こうした決定をしていることに断固として抗議をしたい」と述べました。

 そのうえで「日韓関係は現在、今回の決定を含め、韓国側からの極めて否定的かつ非合理的な動きが相次ぎ、非常に厳しい状況が続いているが、日本政府としては、さまざまな問題についてのわが国の一貫した立場に基づき、引き続き韓国側に賢明な対応を強く求めていく」と述べました。

 また、河野外務大臣は、22日夜の段階では、韓国側から日本政府に対して、破棄の通告は行われていないことを明らかにしました。

 これに先立って河野外務大臣は、韓国のナム・グァンピョ駐日大使を外務省に呼び抗議しました。


NHK News Web、2019年8月22日 22時59分
GSOMIA破棄 河野外相「見誤った対応」韓国大使呼び抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190822/k10012045011000.html

まるで、妻にさんざん暴力を振るっておきながら、妻から離婚を切り出されたら逆ギレするDV夫のようだね、日本政府は。
なにが「見誤った対応」だよ?韓国に対してナメた態度をとり続けてきた結果だろうよ。

6:46 - 2019年8月22日

韓国政府の軍事情報包括保護協定の延長拒否について、河野外相が「対韓輸出規制を破棄」とは「全く次元の異なる問題を混同している」として抗議したという。
元徴用工問題と対韓輸出規制こそ「全く次元の異なる問題を混同」だろ。

13:30 - 2019年8月22日

韓国のメディアの持っているカメラを覗き込み「それは何?キャノン?それはニコン?キャノン2人だね」と韓国の不買運動を馬鹿にするような発言をする河野太郎。
韓国の不買運動で観光客激減して各地で苦しんでいるのに幼稚極まりない。こんなのが外務大臣??

16:38 - 2019年8月21日

日韓外交が危機的な事態になっているときに首相がゴルフ三昧の夏休みで、記者の質問にもノーコメントで、何の展望も語らないということに日本国民がぜんぜん驚かない・・・ということに僕は驚きますけれど。
17:24 - 2019年8月22日

 米国の政治学者サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、世界の文明圏を8つに分けて考察した。

 興味深いのは日本を東アジア文明と区別して独自の文明に設定したという事実である。他のすべての文明が複数の国家を含んでいるのに反して、日本は文明の単位と国家の単位が一致する唯一の文明であるとハンチントンは言う。「文化と文明の観点から見る時、日本は孤立した国だ」。ハンチントンの診断には一定の真実が含まれている。日本は中国と韓国から儒教・仏教の影響を受けたが、同時に神道という固有の宗教体系の下で明治維新以前まで文化的に孤立した世界の中に留まった。明治維新後も事情は根本的には変わらなかった。一方で西欧の近代文明を受け入れ、他方では神道を国家宗教に昇格させてその頂点に「天皇」を置くことで、過去の遺産をむしろ強化した。この天皇崇拝宗教を全面に掲げ、日本は東アジアを侵略し太平洋戦争を起こした。

 ハンチントンが診断した日本の文化的特性は、21世紀に入り再び強化されている。

 平和憲法を持って世界に向けて腕を広げた日本が、集団的妄想に捕らわれたように自分の中に入り込み退行する姿が明らかになっている。こうした逆行の先頭に安倍晋三首相がいる。安倍の本心は、今年の8・15敗戦記念式で改めて明らかになった。安倍は2012年の第二次執権以後、7年間一度も侵略と戦争の加害者としての責任を認めず、日本国民の「犠牲」だけを称えた。反省とお詫びの言葉は一言も言わなかった。A級戦犯を祀る靖国神社に過去と違うことなく供物を捧げた安倍の後に従う極右政治家50人が、靖国を訪れて過去の栄光に向けて参拝した。自分の行為が生んだ過誤を認め、そこに責任を負うことが成熟の証とするならば、日本政治こそ成熟の入り口から果てしなく滑落する未成年状態にとどまっている。

 安倍は2006年に『美しい国へ』という本を発行し、政治的ビジョンを明らかにしたことがある。
 執権以後、平和憲法を変えて日本を戦争する国にしようとあらゆる努力を尽くすのを見れば、安倍が思う「美しい」という観念の中には、日露戦争直後や満州事変直後のように大陸侵略と世界制覇に向けて旭日昇天したその時代の日本が入っているようである。しかし、安倍が「美しい国」に向けて進むほど、日本は「美しい国」から遠ざかる。戦争することができる「正常な国家」に向かって進むほど、正常性から離脱して孤立に陥る。これが安倍暴走の逆説である。安倍は自分が美しい国を作ろうと奮闘していると思っているかもしれないが、安倍が自己流の「美しさ」を得ようと闘争すれば闘争するほど、日本は美しさとはほど遠い所に追いやられている。正直であることもできず、自己省察もなく民主的でもない国が、人類普遍の共通感覚が認める「美しい国」になることはできない。

 安倍の日本は、インド太平洋戦略を前面に掲げ、米国と手を取り合い、インドを引き入れて、中国を包囲しようとする。
 しかし、このような軍事的野心を抱くからといって、安倍の日本が国際社会で尊敬される国に昇ることはできない。過去の過ちを生んだ精神構造を解体して再編しない限り、幻想の中でインド太平洋を疾走しても、現実では矮小化の道を脱することができない。安倍の暴走の終りには、ハンチントンの診断が暗示するように「ひきこもり国家」日本、「孤独な人の国家」日本があるだけだ。安倍の退行を阻止しなければ、日本は真の正常な国家になることはできず、世界普遍の道徳的一員になることもできない。

 安倍の暴走は韓国には経済的脅威だが、日本国民にははるかに根本的な脅威である。日本国民が目覚めなければ、日本は安倍の妄想とともに永遠の未成年の孤立状態に閉じ込められるしかない。韓国国民の安倍反対闘争が持つ超国家的意義がここにある。一斉不買運動を軸とした韓国の反安倍闘争が日本国民の覚醒を促し、韓日の市民社会の共闘に上昇すれば、この闘争は東アジアに新しい平和秩序を創出する原点になれるだろう。


The Hankyoreh・コラム、2019-08-22 10:59
「引きこもり国家」へと進む日本
コ・ミョンソプ論説委員
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/34163.html

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池袋は「ふくろう」の街

 え〜と、昨日8月22日ヤッホーくんが家を飛び出したとき、手にもっていたのは、谷川彰英『地名に隠された「東京津波」』(講談社+α新書、2012年1月)でなくってぇ〜、谷川彰英『「六本木」には木が6本あったのか』(朝日選書、2018年3月)で、「江東区ハザードマップ」でなくってぇ〜、「豊島区案内図」!
 向かった先も六本木でなくってぇ〜、池袋!
 池もないのに、どうして、池袋?
 この謎解きにでかけたのでした。

 最初にヤッホーくんの細い目にとびこんできたのが、さだまさしという名前!
 え〜!ムシにさされたのか、とってもムシムシしてた昨日のお昼近くのこと。
 ヤッホーくん、歌碑の前の地べたになんとま、へたり込んでしまいましたあ!

としま未来へ 2013年1月14日豊島区成人式 東京芸術劇場
https://www.youtube.com/watch?v=83AVPd-90-M


いつもささやく 声がする
夢は必ず 叶うから
そめいよしのとつつじの花と
風と光が出会う街
この町に暮らすよろこび
愛としあわせ育てながら
東京 ふるさと 豊島 未来へと花咲け
東京 ふるさと 豊島 あたたかい明日[あした]



いつもぬくもり 忘れない
過去と未来の交差点
鬼子母神[きしもじん]からとげ抜き地蔵
こころふれあい出会う街
この町に生きるよろこび
知恵と勇気を信じながら
東京 ふるさと 豊島 未来へと花咲け
東京 ふるさと 豊島 たくましい笑顔



いつも口ずさむ 歌がある
辛[つら]いときこそ空を見る
窓の向こうにサンシャイン
人と願いが出会う街
この町に咲いたよろこび
生命[いのち]と誇り輝くように
東京 ふるさと 豊島 未来へと花咲け
東京 ふるさと 豊島 あふれくる希望
東京 ふるさと 豊島 未来へと花咲け
東京 ふるさと 豊島 あふれくる希望


区民の歌

 区制施行70周年を記念して、「区民の歌」を制作しました。
 全国32都道府県から258件(うち区内98件)の応募があり、年齢も12歳から85歳と多岐に渡っています。
 最終審査並びに作曲を歌手のさだまさしさんにお願いし、完成いたしました。
(注釈)区民の歌「としま 未来へ」の歌詞に関する著作権は、豊島区に帰属しています。


豊島区公式サイト
https://www.city.toshima.lg.jp/012/kuse/gaiyo/profile/003716.html

 次いでヤッホーくんの細い目にとびこんできたのが、なんと「ふくろう」!
 東口交番はなんとまあ、「ふくろう交番」って呼ばれているんだってぇ!
 豊島区役所の新庁舎、どうやって行くのかなっておまわりさんに聞く前。
 ヤッホーくん、交番前のふくろう様の像でへたり込んでしまいましたあ!

 近年、フクロウカフェが各地にオープンし、その愛らしさや飼育が比較的しやすいことから、ペットとして人気が出てきた“フクロウ”。
 しかし、今のフクロウブームよりもはるか昔から彼らと仲良くしてきた街が「池袋」だ。

 豊島区の公式サイトによれば、豊島区の形はフクロウが羽根を広げているように見えるとか、かつてはさまざまなフクロウが生息する土地だったとか、何かとフクロウと関係の深い地域らしい。
 池袋のふくろと、フクロウをかけたダジャレじゃなかったのか……。

 そんな池袋には、かの有名な「いけふくろう像」以外にも、フクロウ像やフクロウモチーフが街にあふれている。
 そこで、3月某日、池袋に住まうフクロウを探索してきた。

 やはりトップバッターは、JR池袋駅東口にいる「いけふくろう像」。
 待ち合わせ場所としても有名だが、駅構内が広すぎていけふくろうまでたどりつけない人も少なくない。

 さらに、池袋の駅構内には、知る人ぞ知る“隠れフクロウ”も点在しているのをご存じだろうか?

 フクロウだらけの池袋駅を抜けて、東口エリアのフクロウ探索へ。
 地上に出てすぐに発見できるのが「池袋東口交番」だ。
 またの名を“フクロウ交番”。

 続いては、アニメイト池袋本店の近くにある、中池袋公園の入口にたたずむフクロウ。
 足元には分厚い本が置かれ、森の賢者の異名をほしいままにしている……ような気がする。

 そして、2014年にリニューアルして話題となったのが2羽目のフクロウ交番こと東池袋交番。
 国道435号線横に位置し、なんともひょうきんな表情で池袋の交通安全を見守っている。

 続いて、南池袋エリアのフクロウ探し。
 住宅街を歩いていると、ひょっこりあらわれるのが区民ひろば南池袋の門を守る守護神・みっくん像。
 視点が定まってないのが気になる。

 そして、区民ひろばのすぐ近くにある豊島区立南池袋小学校内には「豊島ふくろう・みみずく資料館」があるのだが、残念ながら3月末まで閉館中。
 なにゆえ小学校の中に作られたかは不明だ。

 続いては、池袋西口エリア。
 池袋の西口公園の広場には、さまざまなオブジェが並ぶなか、神々しく翼を広げたフクロウ様を発見。

 公園を抜けた先、池袋西口のグルメ通りのアーケードにもフクロウが。

 グルメ通りを抜けると、立教大学のキャンパスが見える。
 学生たちに混ざって歩いていくと5号館の角に4羽のフクロウが現れる。

 そして、首をかしげた愛らしいフクロウがいるのは、祥雲寺の門前。
 この由緒正しき祥雲寺には、漫画家・石ノ森章太郎先生が眠っているという。

 最後に訪れたのは、(おそらく)池袋内の公園でもっとも多くのフクロウ像を拝める、元池袋史跡公園。
 とまり木には、かつて池袋に生息していたというコノハズクやシロフクロウなど、8種類のフクロウが並ぶ。

 壁に飾られているのは美術家や書家が描いたフクロウ作品。

 公園の奥には「シマブクロウ」が凛々しくたたずむ。

 だがしかし、残念ながらここに集まってくるのはフクロウではなくハト。

 お寺から公園、アーケードにいたるまでどこもかしこもフクロウだらけなフクロウランド・池袋。
 しかし、ここで紹介したフクロウたちはごく一部だ。
 豊島区の公式サイトでは、池袋から雑司が谷まで網羅した、フクロウ像リストが掲載されているので、興味のある人は覗いてみてほしい。
 これからの時期、花見がてら池袋のフクロウ探しの旅に出てみるのも一興かもしれない。


ITmedia、2015年03月27日 11時00分
右も左もフクロウだらけ! 池袋にあるフクロウの像を巡ってみた
池袋って、フクロウ多すぎじゃない?

大貫未来(清談社、ねとらぼ)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1503/27/news063.html

 歩行者に聞いて、聞いてなんとかたどりついた豊島区役所新庁舎!
 その屋上庭園まで足をのばしたら、なんとなんまた「ふくろう」!
 旧庁舎の区長室前から、新庁舎の10階屋上庭園入り口に引っ越し!
 ヤッホー君、また「ふくろう」っておふくろを思い出して、卒倒!

区役所10階 豊島の森入口

 「梟の樹を創る会」によるふくろう像(第1号)があります。(2002年2月9日設置)

 3匹のフクロウは自由・愛・勇気を象徴しています。


豊島区役所公式サイト
https://www.city.toshima.lg.jp/132/bunka/kanko/006337/017494.html

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2019年08月22日

谷川彰英『地名に隠された「東京津波」』

谷川彰英著『地名に隠された「東京津波」』(講談社+α新書、2012年1月)

 本書は、「筑波大学定年退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生」(奥付)を歩まれている筑波大学名誉教授谷川彰英氏が執筆された「学問の壁を超えた自由な発想」による地名論である。
 周知のように、洪水・山崩れ・山津波・鉄砲水、津波、地震など災害が多発する日本列島には、災害の歴史を物語り、災害の危険性を予知する地名が多い。
 谷川氏と私の「ふるさと」である長野県では、県歌「信濃の国」(ヤッホー君注)のなかで「聳ゆる山はいや高く、流るる川はいや遠し」と歌われているように、北・南・中央アルプスに源流をもつ山川が犀川・千曲川・木曽川・天竜川などの大河に流れこみ、洪水・山崩れ・山津波・鉄砲水などの自然災害が頻発する。
 このため長野県には、こうした自然災害の記憶を刻み込んだと思われる「蛇崩れ」「蛇抜け」「蛇退」「蛇谷」という地名が多い。
 これは文字通り、川沼・山谷の主である“蛇の祟り”によって、洪水・山崩れ・山津波・鉄砲水が起こると考えられたことによる。
 本書は、こうした地名に込められた警鐘に真摯に耳を傾けることの重要性を平易に説いた本である。

 谷川氏は、すでに数多くの地名論を執筆されており、東京地名論に関しても、 『東京・江戸 地名の由来を歩く』(ベスト新書、2003年)、『東京「駅名」の謎』(祥伝社黄金文庫、2011年)がある。
 本書とこれらの東京地名論の違いは、執筆された動機と想い、そして問題意識にある。
「まえがき」によると本書は、「もともと東京の地名に関する本を、といった程度から始まった企画だったが、途中で3.11を体験し、なんとかしてこの体験を活かした本をつくりたいという切実な思いに切り替えて書き下ろした」もので あるという。

「石ノ森萬画館」実現のため石巻に数年間通い続け、石巻を「第二のふるさと」と思う谷川氏にとって、東日本大震災は、テレビ映像を通じてその惨事を悼むような他人事ではなく、まさに自分自身の問題であった。
 東日本大震災 から8ヶ月後、本書を脱稿した後に石巻や地名の取材で以前訪れた女川に足を運 んだ谷川氏は、「想像以上の光景」に「ただただ唇をかみしめるだけ」で、「このような悲劇を東京で起こしてはならないと思って本書を書いた。そのことを改めて痛感した」と「あとがき」に記している。

 本書は、東日本大震災を体験し、「この東京はとてつもなく危険な都市であることに気づいた」谷川氏が、「今の東京に10メートルの巨大津波がやってきたら」という前提で執筆したものという。

 これまで東京都は、地震災害による危険地帯を、地震によって建物がどれだけ倒壊するかという「建物倒壊危険度」と、地震によってどれだけ火災が引き起こされるかという「火災危険度」の二つの尺度で認定し、危険地帯を最も危険な地帯である5から安全地帯である1までの5段階で評価し、都内の区市町村ごとに公表してきた。
 この一覧表を見た谷川氏は、「江東区から墨田区・江戸川区・葛飾区の広範囲に広がるいわゆる海抜ゼロメートル地帯の多くが危険地帯に入っていないこと」に愕然とし、「建物倒壊危険度」と「火災危険度」という二つの尺度でのみ危険地帯を認定する方法に違和感をもったという。

 関東大震災の翌々年にあたる1925(大正14)年に刊行された「東京市高低図」を 偶然目にした谷川氏は、「今の東京人には土地の高い・低いという感覚が消えてしまっているように見えてならない」ことを痛感し、今の東京人が失っている「東京の土地の高低感」を体感することが「高き」から「低き」に流れる津波の単純 な原理を理解することに繋がり,「建物倒壊危険度」と「火災危険度」という二つの尺度から抜け落ちた「津波危険度」の対応策ともなると考えたという。

 以上のような動機と想い、問題意識のもとに執筆された本書は、以下の七章から構成される:

第1章 東京湾を巨大津波が襲ったら─
第2章 土地の高低感を忘れた東京人
第3章 東京の低地地名からのメッセージ
第4章 東京都心部の危険地名からのメッセージ
第5章 東京の谷底地名からのメッセージ
第6章 安全な町はどこだ?
第7章 東京は生き残れるか

「東京湾を巨大津波が襲ったら」「危険地名」「谷底地名」「安全な町はどこだ」 「東京は生き残れるか」など、刺激的な章のタイトルが並んでいる。
 また本書の帯にも「大津波が襲う時、水没するのは東京のどこだ」「東京水没危険地名」と書かれている。
 本書を店頭で手にされた方々は、こうした章のタイトルや帯の文章に興味を抱き、自身の居住地域に関する「低地地名」「危険地名」「谷底地名」や居住地域が 「安全な町」であるかどうかを確認するため、本書を購入されたことと思われる。
 このことは、このたびの図書紹介にあたり本機関誌編集委員会から拝領したものが2012年4月4日発行の「第6刷」本であったことからもうかがえる。

 谷川氏のシミュレーションによると、「海抜10メートルまで浸水したら?」「下町から都心部一帯はもとより、谷根千寄りは千駄木あたりまで、神田川沿いでは早稲田、高田馬場あたりまで、さらに外堀沿いでは市ヶ谷あたり、古川沿いでは恵比寿近くまで、目黒川沿いでは中目黒あたりまで海に沈んでしまうことになる」(第1章29頁)とのこと。

 また「最大で10メートルの津波が東京を襲った場合」、

@ 東京湾に入った津波は千葉県の富津市・君津市の平野部を襲い、千葉市から浦安市に至る埋立地にぶつかる
A 東京湾方面の津波は、荒川から江戸川方面と、お台場海浜公園を越えて隅田川という二つの方面に流れ込み、築地・新橋・銀座・日本橋方面は浸水し、浅草・本所・深川・亀戸は水没する可能性が高い
B 上野は不忍池あたり、神田川沿いは後楽園あたり、古川沿いでは麻生十番近く、日本橋沿いでは品川から五反田あたりまでがかなり危険であるとのことである
(第1章30〜32頁)。

 こうしたシミュレーションのもと、「土地の高低感を忘れた東京人」(第2章) に対し、江東区−砂町・亀戸・大島・深川、墨田区−押上・曳舟・向島、江戸川 区−宇喜田・一之江・小松川、葛飾区−柴又・亀有などの「低地地名」(第3章)、浅草・吉原・日本堤、築地・佃島・入船、日比谷・有楽町、新橋・汐留、赤坂・ 溜池、小石川後楽園・飯田橋・市ヶ谷などを事例に「川や水にちなんだ」「危険地名」(第4章)、神田川・小石川・江戸川をはじめとする河川に沿った「谷底地名」(第5章)からのメッセージが、「東京市高低図」とともに、それぞれ具体的に語 られる。

 また、津波や浸水の危険や不安と「無関係で安全とされる地域」として、春日通り・中山道・甲州街道・青山通り沿いの地名や、高台につくられた池袋・六本木などが紹介される。

 そして「自分の住んでいる町が安全か否か」に関しては、「坂道」に着目し「坂の下が海抜何メートルかを確認すること」が強調される。
 すなわち「坂の下が海抜10メートル以上あればまったく問題はない。しかし5メートルくらいだと浸水する可能性がある。2〜3メートルだったら覚悟する必要がある」(第6章169頁)。

 終章に当たる第7章は、津波対策として「ビルとの連携」や「スーパー堤防」などが指摘されたのち、
津波から逃れるためには、あなた自身が立っているその土地が標高何メートルあるのかを常に意識することである。地震がいつ起こるかを予知することではなく、いつ来ても構わないようにまず足元を見つめることがあなた自身の命を救うことになる」(183頁)という文章で結ばれる。

 以上が本書の概要である。
 柳田国男は、名著『地名の研究』(1936年、2015年2月に講談社学術文庫入り)のなかで、
「自然に発生した地名は始めから社会の暗黙の議決を経ている。従ってよほど適切に他と区別し得るだけの、特徴が捉えられているはずである」と述べ、地名研究の重要性を説いた。
 本書は、東京の地名が物語る巨大津波の危険性を丹念に分析する作業を通じて、柳田が重視した地名研究を実践したものである。
 それだけに、本書の行間から、地名にあつい“まなざし”を注ぐ柳田と重なる谷川氏の姿がうかがえた。
 今後、谷川氏は地名研究の第一人者であった故谷川健一氏のお仕事を引き継いでいかれるとのこと。
 ますますのご活躍を祈念する次第である。


「筑波教育学研究」、2014-03-08
図書紹介
谷川彰英『地名に隠された「東京津波」』

伊藤純郎(筑波大学人文社会系)
出処:93-96頁
http://doi.org/10.15068/00155362

(ヤッホー君注)「長野県歌『信濃の国』」
https://www.youtube.com/watch?v=f-ActEySmiY

「信濃の国」は、1899(明治32)年に長野県師範学校教諭の浅井洌(きよし)が作詞、翌1900(明治33)年に同校教諭の北村季晴(すえはる)が作曲しました。
「信濃の国」はもともと信濃教育会(注)が作った唱歌です。
 当時は教育の場にも日清戦争の影響が及んでおり、これを心配した同会が戦争とは離れたテーマを教材とすることを目的に長野師範学校の教諭に作成を依頼したもので、「地理歴史唱歌」6作品の中の1つでした。
 1900(明治33)年10月に行われた師範学校の運動会で女子部生徒の遊戯(今でいえばダンス)に使われたのが、「信濃の国」が初めて披露された場であるといわれています。
 その後「信濃の国」は、師範学校の卒業生が県内の学校で生徒に教えたことにより各地に広がり、歳月を経て、親から子へ、子から孫へという形で歌い継がれてきました。

 1966(昭和41)年に県章やシンボルを決定した際、「信濃の国」を県民意識の高揚のために県歌に制定してはどうかという気運が盛り上がり、1968(昭和43)年5月20日に「信濃の国」が県歌として制定されました。
 こうして「長野県民のほとんどが歌える」と言われる県歌が誕生したのです。

(注)信濃教育会
 現在の公益社団法人信濃教育会。長野県の教育向上を図る目的で設立された、県下の小・中・高・特別支援等学校及び大学の教職員等教員による団体。研修や教育・学術図書の研究などを実施。


長野県公式サイト
https://www.pref.nagano.lg.jp/koho/kensei/gaiyo/shoukai/kenka.html

(一)
信濃の国は十州(じっしゅう)に
境(さかい)連(つら)ぬる国にして
聳(そび)ゆる山はいや高く
流(なが)るる川はいや遠し
松本 伊那(いな) 佐久(さく) 善光寺
四つの平(たいら)は肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ物さわに
万足(よろずた)らわぬ事(こと)ぞなき


(二)
四方(よも)に聳(そび)ゆる山々は
御嶽(おんたけ) 乗鞍(のりくら) 駒ヶ岳
浅間(あさま)は殊(こと)に活火山
いずれも国の鎮(しず)めなり
流れ淀(よど)まずゆく水は
北に犀川(さいがわ) 千曲川(ちくまがわ)
南に木曽川(きそがわ) 天竜川(てんりゅうがわ)
これまた国の固(かた)めなり

(三)
木曽の谷には真木(まき)茂り
諏訪の湖(うみ)には魚(うお)多し
民(たみ)のかせぎも豊にて
五穀(ごこく)の実らぬ里やある
しかのみならず桑採(と)りて
蚕飼(こが)いの業(わざ)の打ちひらけ
細きよすがも軽(かろ)からぬ
国の命を繋(つな)ぐなり

(四)
尋(たず)ねまほしき園原(そのはら)や
旅のやどりの寝覚(ねざめ)の床(とこ)
木曽の桟(かけはし)かけし世も
心してゆけ久米路橋(くめじばし)
くる人多き筑摩(つかま)の湯
月の名にたつ姥捨山(おばすてやま)
しるき名所と風雅士(みやびお)が
詩歌(しいか)に詠(よみ)てぞ伝えたる

(五)
旭将軍義仲(あさひしょうぐんよしなか)も
仁科五郎信盛(にしなのごろうのぶもり)も
春台太宰(しゅんだいだざい)先生も
象山佐久間(ぞうざんさくま)先生も
皆此国の人にして
文武(ぶんぶ)の誉(ほま)れたぐいなく
山と聳(そび)えて世に仰(あお)ぎ
川と流れて名は尽(つき)ず

(六)
吾妻(あずま)はやとし日本武(やまとたけ)
嘆(なげ)き給(たま)いし碓氷山(うすいやま)
穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六
夢にもこゆる汽車の道
みち一筋(ひとすじ)に学びなば
昔の人にや劣(おと)るべき
古来(こらい)山河の秀でたる
国は偉人のある習(なら)い


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4野党1会派と市民連合による政策協定

 2019年5月29日(水)、野党4党1会派と市民連合による政策協定調印式が行なわれました。

 政党からは、立憲民主党・枝野幸男代表、国民民主党・玉木雄一郎代表、日本共産党・志位和夫委員長、社会民主党・福島瑞穂副党首、社会保障を立て直す国民会議・野田佳彦代表が参加しました。

 はじめに、市民連合の山口二郎法政大学教授より、挨拶がありました。

「この度は32の1人区のほぼ全てで候補者の一本化が叶ったということで野党の関係者のみなさまに心からお礼を申し上げる共に市民連合が提起した政策についても真剣に受け止めていただき基本的な合意をいただいたということで心からお礼を申し上げます。しかし、候補者の一本化や共通政策をまとめるということは参議院選挙のスタートラインにすぎません。ここから野党と市民が力を合わせて、この選挙戦を闘って、改憲勢力2/3打破はもちろんですが参議院における野党の奪権を目指してともに闘ってまいりたいと思います」

 続いて、山口教授より「立憲野党4党1会派の政策に対する市民連合の要望書」が渡され、署名が行なわれました。
 なお、社会民主党は、療養中の富山にて又市征治党首より署名が行われました。

 以下の画像は、署名が行われた政策合意書になります。

1 安倍政権が進めようとしている憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと。

2 安保法制、共謀罪法など安倍政権が成立させた立憲主義に反する諸法律を廃止するこ と。

3 膨張する防衛予算、防衛装備について憲法9条の理念に照らして精査し、国民生活の安全という観点から他の政策の財源に振り向けること。

4 沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行なうこと。さらに、普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進めること。日米地位協定を改定し、沖縄県民の人権を守ること。また、国の補助金を使った沖縄県下の自治体に対する操作、分断を止めること。

5 東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止向けた対話を再開すること。

6 福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意などのないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーを中心とした新しいエネルギー政策の確立と 地域社会再生により、原発ゼロ実現を目指すこと。

7 毎月勤労統計調査の虚偽など、行政における情報の操作、捏造の全体像を究明するとともに、高度プロフェッショナル制度など虚偽のデータに基づいて作られた法律を廃止す ること。

8 2019年10月に予定されている消費税率引き上げを中止し、所得、資産、法人の各分野における総合的な税制の公平化を図ること。

9 この国のすべての子ども、若者が、健やかに育ち、学び、働くことを可能とするための保育、教育、雇用に関する予算を飛躍的に拡充すること。

10 地域間の大きな格差を是正しつつ最低賃金「1500 円」を目指し、8時間働けば暮らせる働くルールを実現し、生活を底上げする経済、社会保障政策を確立し、貧困・格差を解消すること。また、これから家族を形成しようとする若い人びとが安心して生活できるように公営住宅を拡充すること。

11 LGBTsに対する差別解消施策、女性に対する雇用差別や賃金格差を撤廃し、選択的夫婦別姓や議員間男女同数化(パリテ)を実現すること。

12 森友学園・加計学園及び南スーダン日報隠蔽の疑惑を徹底究明し、透明性が高く公平な行政を確立すること。幹部公務員の人事に対する内閣の関与の仕方を点検し、内閣人事局の在り方を再検討すること。

13 国民の知る権利を確保するという観点から、報道の自由を徹底するため、放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行なう新たな放送法制を構築すること。


[画像]

市民連合公式サイト、May-30-2019
5/29(水)4野党1会派と市民連合による政策協定調印式のご報告
https://shiminrengo.com/archives/2474

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2019年08月21日

ゆでガエル状態

 ヤッホーくんのこのブログ、2019年02月09日付け日記「森永卓郎さん『とてつもない大転落』」をお読みください。
 森永卓郎さんのご指摘を再確認してみませんか。
 今日2019年8月21日、ヤッホーくんがお慕いもうしあげているお医者さまが、なんと取り上げてくれておりました。
 そしてこんなコメントを。これもご指摘をかみしめてみましょう:
 過去30年間が転落の時代であったことを語る森永卓郎氏。

 規制緩和の名のもとに、わが国の資産が外資に売り払われ続けた。
 その一方、「働き方」の自由化という派遣化・非正規が進められ、その上、富裕層のさらなる富裕化が進んだ、という分析だ。

 昨日2019年8月20日、水道事業の民営化に関するパブコメ募集が終了した。
 水道民営化に関しては国会審議は8時間のみだった。
 10月1日には、水道民営化法が施行されることになる。

 これ以外にも、社会的共通資本が続々とグローバル資本に売り渡されるスキームが進行しつつある。

 わが国が世界のなかで占めるGDPの割合は、18%から6%にまで減少している。
 要するに、国として困窮化が進み、外資や一部富裕層が国の富を独占する事態になっている。

 何故このような事態になったのか、森永氏は、特権的な富裕層が彼らだけの社会を作り、世の中の目に触れないでいるとしているが、それだけだろうか。

 55年体制の行き詰まりを見た国民は、一度政権を民主党に託した。
 だが、政官業がリベラルな政権を強烈に否定し、また民主党内部で権力争いが露呈し、国民の政治離れを誘った。
 以降、政治に無関心な国民を良いことに、自公政権が独裁のように振る舞ってきた。
 独裁は、政権与党政治家をヒエラルキーの上部に置く戦前の全体主義体制を目指す。
 新たな「国体」のなかで、政権与党それに組するごく一部の国民が絶対権力に与れるような体制をがむしゃらに追求している。

 彼ら政権与党が絶対多数によって実現しようとしているのは、もう一方では、新自由主義経済体制だ。
 グローバル資本にわが国の財と社会的共通資本を手渡し、その見返りを得ようとしているのだ。

 全体主義化と新自由主義化という相いれない政治社会の動きが、この政権与党の下で同時に進められようとしている。
 新自由主義経済もあくまで全体主義・縁故資本主義の枠内でのことであり、国民の窮乏化はどんどん進行することになるのだろう。

 国民はまるで茹でガエル状態(ヤッホーくんの補足)である。
 いつこの事態に気づくのか、そしてどの政治勢力が、この事態から脱却することを目指すのか、ということだ。
 PNR(Point of no return、帰還不能地点)を過ぎてしまっているのではないか・・・。

ヤッホーくんの補足:「茹でガエル」
「ゆでガエル世代」──。

 日経ビジネスは、今の50代をこう命名する。50代の読者にとっては、不愉快な話だろう。しかし、現状を冷静に分析すれば、そう指摘せざるを得ない。

 カエルは熱湯に放り込むと驚いて飛び出すが、常温の水に入れ徐々に熱すると水温変化に気が付かず、ゆで上がって死んでしまう。この寓話はまさに、今の50代、とりわけ多くの男性の会社人生にそっくりだ。

ゆでガエル世代.jpg

 彼らの会社人生はバブル経済到来とともに幕を開けた。数年後に30歳前後でバブルが崩壊。その後もITバブル崩壊やリーマンショックなど幾度となく危機が訪れた。ところが、「このまま安泰に会社員生活を終えられる」と、厳しい現実から目を背けてきた。そして50代になった今、過酷な現実を突きつけられ、ぼうぜん自失となっている。

 平日、サラリーマンでにぎわうJR新橋駅。夜この町を歩くと、ビール片手に愚痴を言い合う、ゆでガエルたちの姿がそこかしこにある。

■ 役職定年で平社員に舞い戻り

 ガード下の串焼き屋「羅生門」。電機メーカーに勤める立川直哉さん(仮名、57歳)と同期の森新二さん(仮名、56歳)は、ビールを片手に深いため息をつく。昨年、2人はそろってラインから外された。役職定年は明文化されていないが、55歳を過ぎた同年代の社員は次々とバックオフィスへと飛ばされる。

 花形の営業から外された立川さんの給与は3割減少。東京都世田谷区に購入した一戸建ては、繰り上げ返済で今年、完済予定だったが、かなわなかった。家では妻から、「いつ給料は元に戻るの」と嫌みを言われる。

 最近は日本経済新聞を読むのも憂鬱だ。部長職以上の人事異動記事に、知り合いの名前を見かける機会が増えてきたからだ。そのたびに、嫉妬と羨望が入り交じった感情が込み上げてくる。

 心が休まるのは、自分と同じ境遇の同期と傷をなめ合いながら瓶ビールを飲む時だけ。酔いが回ると、必ずどちらからともなく、口に出る言葉がある。

「こんなはずじゃなかったのに」

 今、多くの50代男性が、そんな思いにさいなまれている。原因の一つが、55歳前後の管理職から強制的にポストを剥奪する「役職定年制度」だ。バブル崩壊後の1990年代から大手企業の間で広がり始め、中央労働委員会が2009年に大企業218社を対象に調査したところ、約半数が既に役職定年制度を導入していたという。

 そして、長引く経済の低迷を背景に、その潮流はさらに広がっている。冒頭の男性のように、社内規定で明文化されていなくても、55歳前後でラインから外される事例も尽きない。

「団塊世代は幸せなまま定年を迎えたが、私たちは突然、ゴール手前ではしごを外された。まるで、いきなり隕石に襲われた恐竜だよ」。中堅食品卸に勤め、今春、役職定年の対象となった加藤隆さん(仮名、54歳)はこうぼやく。

 さらに役職定年よりも厳しい人事制度の導入が進む。仕事の役割の大きさに応じて報酬を決める「職務等級制度(ジョブグレード制度)」だ。それは、多くの日本企業が採用してきた、社員の能力に応じて処遇を決める「職能型」の人事制度からの抜本的な転換だ。職能型は年齢に応じた経験値を評価する傾向があるため、年功序列の要素が強い。成果主義を標榜する会社でも、運用面で年功要素を排除しきれないのは、そのためだ。

 だが、ポストにひもづけされた職務内容に応じて処遇が決まる職務等級制度では、年齢要素は一切考慮されない。極端に言えば、その仕事ができるか否か、だけだ。世界的にはこちらの方が標準。社内外から必要な人材を臨機応変に配属・採用するには、好都合だ。

 2014年に職務型の制度を徹底した日立製作所の迫田雷蔵・人事勤労本部長は、「2000年代前半から人材を時価評価する成果主義を取り入れてきたが、今回、完全にグローバル基準に振り切った」と話す。ソニーやパナソニックも昨年、同様の制度を本格導入した。

「50代は、激変した人事制度の負の側面を受けた最初の世代」。人材コンサルティング会社、セルム(東京都渋谷区)の加島禎二社長はこう指摘する。ゆでガエル世代に対する厳しい人事施策は、より数が多い40代後半のバブル世代が50代になる時のための予行演習という意味合いもある。団塊世代とバブル世代に挟まれ、「身動きが取れず、諦めている人が多い」(加島社長)。

■ 失われた20年、挑戦の場失う

 今の50代は、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した1956年以降に生まれている。右肩上がりで成長していける夢を、生まれながらにして刷り込まれた世代だ。

 団塊世代による学生紛争が終わった後、「楽しさを追求して大学を一大合コン場にした」(博報堂新しい大人文化研究所の阪本節郎・統括プロデューサー)。就職後は、情報誌「ポパイ」などを片手にバブル期の消費をけん引した。

 だがバブルは崩壊し、山一証券などが破綻。2000年代前後からは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の象徴だった電機各社が業績不振に陥いる。「失われた20年」で経済が成長の歩みを止めたことで、今の50代には挑戦する場を与えられ成長する機会が少なかった。

 それが、50代経営者の存在感の薄さにもつながるのかもしれない。日経ビジネスが2014年夏に経営者に実施した調査「社長が選ぶ ベスト社長」では、トップ30(31人)のうち、ゆでガエル世代(1957〜66年生まれ)のトップは、5人だけ。ソフトバンクの孫正義社長(58歳)など創業者、もしくは創業家出身者を除けば、サントリーホールディングス(HD)の新浪剛史社長(57歳)など2人しかいない。ランキング上位に居並ぶ日本電産の永守重信・会長兼社長(71歳、1位)やファーストリテイリングの柳井正・会長兼社長(67歳、6位)などの団塊以上の著名経営者と比べれば、明らかに目立たない。

 人材コンサルティング会社コーン・フェリー・ヘイグループの高野研一社長は、「今の50代は団塊世代と同様に出世できると最後まで夢見て、その結果、会社に飼いならされてしまった」と分析する。ならば、50代はどうすればよいのか。

■ 孫正義、50代最後の賭け

 59歳を迎える年に、半導体設計大手、英アーム・ホールディングスの買収という大きな一手を打ったソフトバンクグループの孫正義社長のような経営者ももちろんいる。IoT時代に「最もメリットを得る」(孫氏)というアームを買収したのは、次の時代を見越して非連続の成長を実現するためだ。

 ソフトバンクグループでは16年6月下旬、孫社長の後継者候補だったニケシュ・アローラ氏が退任している。後継タイミングを計っていた孫社長が、一転して経営の第一線に立ち続けたい思いが強まったことが、大きな理由だという。孫氏は日経ビジネスのインタビューで、「僕が子供のころの50代というとおじいちゃんという感じだったけど、今の50代は本当に元気。自分がその年齢になってみても、まだ欲は枯れていない」と話す。

 だが孫氏のような50代経営者は日本では例外と言ってもいいだろう。これほど強い事業欲を持ち、強い存在感を放つトップがどれだけいるだろうか。

 今の日本の産業界を見渡すと、50代よりも、その上の団塊世代などの経営者の活躍の方が目立つ。50代が社長に就いていても、実質的な経営の権限は、会長や相談役などとして会社に残った、団塊より上の世代が握っているという企業もある。対照的に50代は、下の世代から疎ましく思われるようなパワーさえも不足しているのかもしれない。

 中国で育ち、日本で起業して成功を収めたソフトブレーン創業者の宋文洲氏(53歳)は、「日本の50代は会社に固執している人が多すぎる」と指摘する。その上で、「何もせず、ただ会社に居続けることこそ、組織にとっては裏切りになるということに気付くべきだ。もっと自己中心的に考えれば世界は変わる」と話す。

 日本の50代は、バブル崩壊後の激変にさらされるなど厳しい状況に置かれてきた。上にはパワフルな団塊世代が鎮座する。このような状況を「時代が悪かった」と嘆くのはたやすい。だが、裏を返せば団塊世代と渡り合うことができ、デジタル世代も理解できるのは50代しかいない。バブル崩壊後の厳しい環境を知るからこそ、過去の成功にとらわれない成長を追い求めることも可能なはずだ。人口減が進む日本の将来は厳しい。50代がゆでガエルになってしまっては、日本の将来は見通せない。ぐつぐつと煮えたぎり始めた鍋の中から、今こそ、飛び出す時だ。


[写真]
梅雨明けの7月下旬、多くのサラリーマンでにぎわう新橋の飲み屋街。50代と見られるサラリーマンも多く、その顔には疲れの色がにじむ

日経、2016/8/9 6:30
どうした50代 このままでは「ゆでガエル」だ
(日経ビジネス 大竹剛、上木貴博、河野祥平、齊藤美保、上海支局 小平和良)
[日経ビジネス 2016年8月8・15日合併号の記事を再構成]
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO05655590U6A800C1000000/

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トランプ政権が引き起こした米国とイランの対立

急浮上した「有志連合」
政府は対応に苦慮するが


 2019年7月9日、米統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード海兵大将は記者団に対し、ペルシャ湾の出入り口であるホルムズ海峡などの航海の安全確保のため「有志連合」結成を目指し関係諸国と調整中であることを表明した。11日には米国務次官補デビッド・スティルウェル空軍准将(予備役)が来日、外務省、防衛省などとイランや北朝鮮情勢につき意見交換を行った。

 これに先立つ6月24日、トランプ米大統領はツイッターで「ホルムズ海峡を主たる原油輸入路としている日本、中国などが自国の船を自ら守るべきだ」と述べた。ダンフォード統参議長の「有志連合」結成論や、スティルウェル国務次官補の訪日は、トランプ大統領の意向を受けたものだと考えられる。日本政府は対応に苦慮しているが、「イラン包囲網」に参加する「大義」はあるのか。

米・イラン対立はトランプ政権が引き起こした

 現在起きているイラン核合意をめぐる米国とイランの対立は、ひとえにトランプ政権が引き起こしたものだ。米・露・英・仏・中・独の6ヵ国とEUはイランの穏健派政府との2年以上の交渉の結果、2015年7月「イラン核合意」に達した。この合意では、イランは少なくとも15年間は、原子炉の燃料用の3.67%以上の濃縮ウランやプルトニウムを製造せず、濃縮用の遠心分離機の大幅な削減をし、その見返りにイランに対する経済制裁は解除することを定めている。

 国連安全保障理事会もそれを支持する決議をし、IAEA(国際原子力機関)は2016年1月、イランが合意を完全に履行したことを確認した。これで経済制裁は解除に向かい、話し合いによる解決の成功例となった。

 ところがトランプ大統領は2018年5月、一方的にイラン核合意離脱を宣言、経済制裁をすべて再発動した。米国はイランと取引をする外国金融機関等の企業にも制裁を再導入するとしている。それまでの対話の努力をすべてひっくり返す米国の離脱にはイランはもちろん、他の合意署名国も怒り、英、仏、独が遺憾の意を共同で表明したのは当然だ。

 このためイランは7月7日、核合意で上限とされたウラン濃縮3.67%を超えた4.5%濃縮を行うことを宣言したが、核兵器用の濃縮ウランはウラン235の比率が90%以上であり、4.5%は核兵器開発には程遠い。経済制裁が解除されないことへのイランの不満を示すジェスチャーにすぎない。

 米国はこれを「核合意違反」と非難するが、自国は核合意離脱を宣言。経済制裁を再開し、合意をほごにしたのだから、まるで契約を破棄して商品の代価は支払わず、「納入しないのは契約違反」と騒ぐようなものだ。

「日本タンカー襲撃」でも米国の主張は不自然

 6月13日にホルムズ海峡の出口であるオマーン湾で日本の国革産業が運航するタンカー「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍、1万9000総トン)と、ノルウェー企業が運航していたタンカー「フロント・アルタイル」(マーシャル諸島船籍、6万3000総トン)が爆発物による攻撃を受けたこの事件につき、米国は「イランに責任がある」と主張、中東地域を担当する米中央軍は「攻撃は吸着水雷(Limpet Mine)によるものだ」との声明を出した。また「イランの革命防衛隊が不発だった水雷を日本のタンカーから回収し、証拠隠滅している状況を米軍が撮影した」とする“証拠写真”を公表した。だがこの主張には極めて不自然、矛盾した点がある。

 吸着水雷は強力な磁石を付けた小型爆弾で、アクアラングを背負ったダイバーがボートや小型潜水艇で港に潜入、停泊中の敵艦船の水線(海面の線)下に取り付け、時限信管で爆発させる。

 第2次世界大戦中の1943年9月、英軍特殊部隊の14人がカヌー3隻でシンガポールの港に潜入、吸着水雷で日本の貨物船7隻を沈没、または破損させた。1945年7月には英軍の超小型潜水艇でシンガポールに潜入したダイバーが重巡洋艦「高雄」の船底に吸着水雷を付け、大亀裂を生じさせた。人が抱えて泳げるような小型水雷でも、水中では爆発の圧力が周囲の水に抑えられ、船に向かって集中するから相当な威力を発揮する。

 だが「コクカ・カレイジャス」の破孔は1回目の午前6時45分頃の爆発によるもので、右舷船尾の水線より少し上だった。その約3時間後に起きた2回目の爆発は、右舷中央部の水線よりはるかに高い位置に小さな穴を生じさせた。

 泳いで船に接近するダイバーは、目標の船の水線下には比較的容易に吸着水雷を付けられるが、泳ぎながら水線より上に爆弾を持ち上げて付けるのはシンクロナイズドスイミングより難しいし、水線下に穴をあけないと効果は乏しい。

 まして2回目の攻撃の破孔は、水面から手が届かないような高い舷側に生じている。何のために、どうやって水雷を高い場所に取り付けたか、極めて不自然な話だ。もしヘリコプターか無人機が搭載する小型のミサイルを誤射すれば、このような被害が生じる可能性がある。

つじつま合わない「証拠写真」
「反イラク感情」抱かせる狙い?


「コクカ・カレイジャス」の航海速力は14.3ノット(時速26キロ)、航行中にダイバーが泳いで水雷を取り付けるのはまず不可能だ。サウジアラビアのジュベイル港に停泊中か、あるいは10日に出港したのちカタールのムサイード港に寄港した際に付けられた、ということになる。

 複数の水雷を付けるならほぼ同時に爆発するようにするはずで、3時間もの差があるのもおかしい。「コクカ・カレイジャス」の乗組員は「砲弾のような物が飛来した」と報告している。1回目の爆発は突然だから思い違いが起きる可能性もあるが、それによる右舷後部の火災を消し、緊張しているはずだから、もし右舷にもう1個異様な物体が付いていれば気付くだろう。「砲弾のような物が飛来した」との乗組員の証言は無視できない。

 イランの巡視艇が「コクカ・カレイジャス」に接舷し、革命防衛隊員が不発の水雷を回収している」とする米軍の“証拠写真”はつじつまが合わない。不発があったか否か、は事件後はじめて分かる。事件発生後にはタグボートが駆けつけてアラブ首長国連邦のカルバ港へ曳航し、米駆逐艦「ベインブリッジ」も来て同船の乗組員を一時収容、船内の安全確認を行ったのち乗組員は元の船に戻った。多くの人々の関心が攻撃を受けた船に集中する中、イラン革命防衛隊員が船に乗り込んで証拠隠滅をはかる、と言うのは変だ。まるで火災現場に消防車やパトカーが集まる中、放火犯が現れて証拠品を回収するような話だ。この写真は13日の夜に撮影されたようで、もしイランの巡視艇が来たのなら、米国あるいは他の反イラン勢力の犯行の証拠を探そうとしていたとも考えられる。

 米国は「吸着水雷」の磁石の破片を同船から回収し「イラン軍のパレードに出ていた物と酷似している」とも発表した。だが弾道ミサイルや戦車などが行進して威容を誇示するパレードに、特殊部隊が密かに使う小型水雷のようにまったく見栄えのしない物を出すとは考えにくい。

 ポンペオ米国務長官は6月13日の記者会見で「イラン政府は日本のタンカーを攻撃、乗組員の生命を危険にさらした。安倍首相がイラン訪問中に事件を起こして日本を侮辱した」と述べた。だが「コクカ・カレイジャス」はパナマ船籍でパナマ国旗を掲げ、船尾にも船籍港の「パナマ」が書かれている。

 船の所有者は法的にはパナマ企業で、それが日本企業の子会社であることは攻撃する側には簡単には分からない。ポンペオ国務長官は、米国の対イラン強硬策への国際社会の批判が強い中、なんとか日本人に反イラン感情を抱かせ、イラン包囲網に参加させようとしている様子だ。

 米国は「イランがホルムズ海峡の封鎖を目指している」と言うが、それをすればイランは自国の原油輸出を妨げ自分の首を絞める結果となる。一方、米国はシェール・オイルの産出で石油輸出国になったから、ホルムズ海峡の閉鎖で原油価格が上昇すれば、米国を利することになるのは明らかだ。イランが軽々とそのような愚行をするとは考えにくい。

米国の虫のいい構想
「自衛隊の派遣」否定は当然


 ロイター通信によれば、ダンフォード大将が想定している「有志連合」では米軍は指揮統制や警戒監視、情報収集を行い、各国の商船はその国の艦艇が護衛するという。米海軍は護衛の艦艇を出さず、指揮だけするなら、安上がりにイラン包囲ができる虫の良い構想だ

 だが南シナ海の人工島問題で米海軍は中国海軍と張り合っているし、米中は「貿易戦争」のさなかだ。また中国はイラン核合意からの米国の離脱、制裁再開を批判しているから中国軍艦が米軍の指揮下に入ることはまずない。

 イランは19世紀から北のロシア、南のインドを支配するイギリスの圧迫を受けたため、、日露戦争での日本の勝利を喜び、伝統的に親日だ。第2次世界大戦では中立を宣言したが、英軍とソ連軍は南北から侵攻し、イランは両国に占領された。皇帝は捕えられ島流しされて死亡した。

 日本は米国が1980年に革命後のイランと国交を断絶しても、イランとの友好関係を保ち、国交を続けてきた。イラン核合意についてもそれを支持する立場だ。

「コクカ・カレイジャス」の乗組員の報告を聞いている日本政府は、米国が「イランの犯行」と叫んでも同調せず、「誰が攻撃したのか分からない」(石井国土交通相)「予断をもって発言することは控えたい」(菅官房長官)など慎重で、中立的姿勢を示した。岩屋防衛相も6月14日「我が国の存立を脅かす恐れはない」と述べ、自衛隊の派遣を否定した。岩屋氏は7月16日にも「現時点では有志連合に参加する考えはない」と述べている。

 米国が「日本の船は日本が守れ」と海上自衛隊派遣を要求しても、日本の船会社が海外に子会社を作り、外国船籍にしている「便宜置籍」の外航船は2411隻。日本船籍の外航船はわずか219隻だから、日本船籍の船だけを守ってもあまり意味がない。政府は便宜置籍船も合わせて「日本関係船舶」と称しているが、法的にはパナマやリベリアなど、他国の主権下にある船を海上自衛隊が護衛し、必要があれば武力行使をすることが自衛権の範囲と言えるか否かは疑問だ。

 日本の船会社はパナマ等の海外子会社の株主にすぎない。外国企業への出資者の権益を守ることが自衛権行使に当たるのならば、諸外国に進出している日系企業の工場等を戦乱や暴動などの際に守るために自衛隊を派遣したり、逆に日本にある中国企業の工場を中国軍が守ることも自衛権の行使ということになりかねない。

米国を「核合意復帰」に誘導するのが良策

 仮に日本に食糧や石油などを運ぶ船が続々と撃沈され、日本国民の生存が脅かされるような事態になれば、海上自衛隊がどの国の船であろうが、日本に不可欠な物資を運ぶ商船を護衛し、通商路を確保するのは自衛の範囲だろう。だが今回の状況は岩屋防衛相も言う通り国家の存立に関わるような切迫した事態ではない。米国のオバマ政権が賛成して成立したイラン核合意に、米国が復帰さえすれば円満に解決する話だ。

 自衛隊法82条(海上警備行動)は「海上の人命、財産の保護、治安維持のため自衛隊に海上で必要な行動をとることを命ずることができる」と定めている。だが武器使用は警察官職務執行法に準じて、正当防衛等の場合以外には人に危害を加えてはならない。

 ソマリア沖での海賊退治に海上自衛隊を参加させた際、2009年に制定された海賊対処法(略称)は防護の対象を日本関係船舶に限らず、海賊行為の制止に武器使用も認めている。

 だが海賊は「私的目的」で行動するものと定義され、軍艦、公船に対して適用されない。イラン革命防衛隊は正規軍とは別組織だが、同国政府に属するから海賊ではない。

 もし日本が米国の要請に従い、ホルムズ海峡等に護衛艦、哨戒機、給油艦などを派遣するなら、新たな立法が必要だが、トランプ政権がイラン核合意から一方的に離脱し、イランと取引する他の諸国の企業にも制裁を加えるとし、空母や爆撃機を派遣して威嚇するのに協力するための新法を制定するならば「横車協力法」と言わざるを得ない。今回は「有志連合」に加わる国は少ないだろう。自衛隊を米軍の指揮下に入れて、日本にとって「百害あって一利なし」の行動を取らせるよりは、他の諸国と連携して米国をイラン核合意への事実上の復帰に誘導するよう努める方が良策であるのは明らかだ。


ダイアモンド、2019.7.18 05:20
有志連合によるイラン包囲網への参加は「百害あって一利なし」
(軍事ジャーナリスト 田岡俊次)
https://diamond.jp/articles/-/208948

 エネルギー供給の大動脈ホルムズ海峡などで民間船舶を守る米主導の有志連合構想に対し、関係国などで慎重な対応が目立っている。米国とイランの激しい対立構図に巻き込まれる懸念があるためだ。英国は欧州主導の態勢構築を目指すが、欧州連合(EU)離脱後の対米関係も見据えた対応を迫られそうだ。 

■ 包囲網
 ホルムズ海峡はイラン、オマーン間の海域でペルシャ湾とオマーン湾を結ぶ。世界の原油の2割が通過し、このうち8割が日中韓やインドなどアジア向けだ。米政府は7月25日に60カ国以上を招き、有志連合に関して二度目の説明会を開催。ポンペオ国務長官は日韓や英仏独を名指しして参加を迫った。

 海峡周辺では6月に日本のタンカーなどが何者かに攻撃され、米軍無人偵察機がイランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」に撃墜された。そんな緊迫から提案された有志連合は参加国の艦船による民間船舶護衛が中心で、「対イランの軍事連合ではなく、海賊の監視能力向上が目標」(米国防総省高官)とされる。だが、実際はイラン包囲網構築の狙いが色濃い。

■ 軍事衝突懸念

 ペルシャ湾では2004年から、米中央軍傘下の第五艦隊(司令部・バーレーン)を中心に、英国や湾岸諸国の海軍による「合同任務部隊(CTF)152」が警戒に当たる。有志連合はこれを拡大した形とみられ、「ペルシャ湾を守るのはイランと周辺国の責任」(ロウハニ大統領)と訴えるイランが「敵対行為」と見なす可能性がある。

 そのため、6月中旬から艦船二隻を派遣して自国タンカーを護衛するインドは、有志連合に参加しない方針。中国に次いで二番目に大きいイラン産原油の輸出先であり、政治的関係も深いイランとの対決姿勢を避ける考えだ。

 スペイン紙パイス(電子版)によると、スペイン海軍のフリゲート艦は、共同訓練の目的で同行していた原子力空母エイブラハム・リンカーン中心の米軍空母打撃群から離脱した。リンカーンが5月から中東地域に派遣されたため、偶発的な軍事衝突を懸念したとみられる。

■ 英は板挟み

 一方、英国は米国と「特別な関係」を築くが、ホルムズ海峡を巡っては、22日、欧州主導の船舶保護態勢の構築を目指す方針を表明した。イラン核合意の崩壊を防ぐため、米主導の有志連合とは一線を画して、同じく合意に残る仏独などと協調する姿勢だ。

 新外相のラーブ氏は英BBCラジオで29日、この方針の継続に言及。ただ、「欧州主導の行動も米国の支持は大切だ」とも述べ、米主導の有志連合との“補完関係”を強調した。

 ロイター通信によると、英国の欧州主導の船舶保護構想に対し、フランスやデンマーク、イタリアなどが賛意を示している。

 ただ、エジプトの軍事評論家ザカリヤ・フセイン氏は「現場では米軍と協働しながら運用せざるを得ない」と、有効性の確保には米軍が不可欠と強調する。

 一方、英プリマス大のクリスチャン・エメリー講師(国際関係)は英国に関して、EU離脱が絡んだ難しい立場を指摘。「英政府は、欧州主導の船舶保護は米国のイランに対する圧力政策の一部にはならないと言った。一方で、英国のジョンソン新首相がEU離脱後に楽観的なのは米国との緊密な関係があるからで、英政府は米国との衝突はためらうだろう」と解説した。


東京新聞・朝刊、2019年7月31日
有志連合に各国慎重
米イラン対立
巻き込まれたくない

(カイロ・奥田哲平、ロンドン・藤沢有哉)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201907/CK2019073102000143.html

 米国とイランとの間で緊張が高まるなか、ドイツ政府は重要な決定を行った。
 ドイツ外務省のハイコ・マース大臣は、7月31日にワルシャワで「わが国は、米国が計画中のホルムズ海峡の警戒作戦には加わらない」と述べたのだ。

イラン危機は外交交渉で解決を

 米国政府は、数週間前からドイツなど同盟国に対し、ホルムズ海峡に軍艦を派遣して、この海域を航行するタンカーを守る作戦に参加するよう要請していた。米軍が「センチネル作戦」と呼ぶこの作戦では、海峡を通過するタンカーに軍艦が随伴し、敵の攻撃から守る。イランの革命防衛隊がタンカーを拿捕したり、船体に機雷を仕掛けたりしようとした場合には、米軍が発砲し両国間で戦闘が始まる可能性がある。

 マース氏はトランプ政権の要請を拒絶する理由について、「わが国は、イランへの圧力を最大限に高めるという米国政府の戦略には反対だ。あくまで外交的な手段を使うべきだ。米国主導の警戒作戦への参加は、外交手段を優先するわが国の方針と相容れない。これはフランスなど同盟国との協議の結果、決めたことだ」と説明した。

 つまりマース外相は、ホルムズ海峡で軍艦を航行させてタンカーをイランの攻撃から守るというトランプ政権の方針に、真っ向から「ノー」と言ったのである。

 マース氏は、「米国がホルムズ海峡に軍艦を派遣することは、中東の緊張をさらに高める恐れがある。軍事的なエスカレートは回避するべきだ。イラン危機を解決する唯一の道は外交交渉。軍事手段を使ってはならない」と述べ、トランプ政権の姿勢を間接的に批判した。マース氏は社会民主党(SPD)に属し、リベラルな思想を持つハト派の政治家だ。2003年にSPDと緑の党の左派連立政権を率いたゲアハルト・シュレーダー首相は、米国のイラク侵攻作戦への参加を拒否した。SPDは、それから16年後に再び、米国主導の軍事作戦への協力を拒否したことになる。

 やはりSPDに属するオーラフ・ショルツ副首相(財務大臣)も「私は米国主導の作戦には懐疑的だ。今最も重要なことは緊張の緩和である。夢遊病者のように軍事衝突の道に迷い込むことだけは絶対に避けなくてはならない」と述べ、トランプ政権の方針に反対した。

EU主導の作戦を提唱

 ただしドイツ政府は、米国主導ではない欧州連合(EU)独自の作戦を検討している。マース外相が考えているのは、米国のように軍艦にタンカーを護衛させるのではなく、ホルムズ海峡の状況に関するデータを逐一タンカーなど民間の艦船に伝達することにより、抑止力を高めようとするものだ。ただし万一タンカーがイランなどに攻撃されても、EUの艦艇は武力で反撃しない。メルケル政権は現在この作戦について、フランスなど同盟国と協議している。

 ドイツ産業連盟(BDI)のシュテファン・マイヤー理事も「ホルムズ海峡は貿易立国ドイツにとって重要な交通路だ。攻撃的ではなく、欧州諸国が主導権を握る作戦を実施するべきだ」と述べ、マース外相の路線を支持する態度を打ち出している。BDIは、米国主導の作戦をメルケル政権が拒否したのは正しいという見解を持っている。

ホルムズ海峡で相次ぐ攻撃・拿捕

 トランプ政権が昨年5月にイランとの核合意から撤退して以来、欧米とイランとの間の緊張は急激に高まっている。この核合意は、包括的共同作業計画(JCPOA)と呼ばれ、米国のオバマ政権、英、仏、独、中、露の6カ国が2015年7月にイラン政府との間で結んだもの。イランに対する経済制裁の緩和と引き換えに、同国の核開発にブレーキをかけることが目的だった。だがトランプ政権は、イスラエル政府の意向を受けて「最悪のディールだ」とこの合意から撤退しただけではなく、イランへの経済制裁を再び強化した。

 それ以来、ホルムズ海峡付近では緊張が高まる一方だ。今年6月13日には日本船籍のタンカーを含む2隻が爆発物による攻撃を受けて損傷した。

 トランプ政権は「イランの革命防衛隊が船体に機雷を付着させた」と主張。イラン側はこれを否定している。

 6月20日には米軍の無人偵察機が、ホルムズ海峡上空でイランに撃墜された。米国政府は同月21日以降に報復としてイランを攻撃しようとしたが、トランプ大統領は攻撃開始10分前に「民間人に多数の犠牲者が出る」として攻撃命令を撤回した。7月4日には英国がジブラルタル付近でイランのタンカーを拿捕。これに対しイランは同月19日以降、ホルムズ海峡を航行していた英国籍のタンカーなど3隻を報復措置として拿捕している。英国政府は、米国主導のセンチネル作戦に参加する方針を明らかにした。

 ホルムズ海峡は戦略的に世界で最も重要な交通路の1つだ。幅は狭いところで約35キロメートルで、毎日約1700万バレル分の原油が輸送される。そのうちの約76%が日本、中国、韓国などアジア諸国向けだ。世界で消費される天然ガスの約30%、原油の約25%がこの海峡を通過している。万一この海峡が封鎖された場合、世界経済は深刻な打撃を受ける。欧米としては現在の状況を放置するわけにはいかないだろう。軍事的緊張を高めずに、ホルムズ海峡の安全を確保するというドイツ政府の戦略は成功するだろうか。ドイツの支援拒否にトランプ政権がどう反応するかも、注目される。


ドイツニュースダイジェスト1104号、2019年8月16日発行
独断時評
イラン危機への対応に苦慮するドイツ

熊谷徹
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/10288-1104/

Deutsche Welle、31.07.2019
Germany will not join US naval mission in Strait of Hormuz

Foreign Minister Heiko Maas said Germany will not be taking part in a US-led mission to secure oil tanker ships sailing near Iran. The US ambassador in Berlin slammed the decision, saying Germany has responsibilities.


[video-1]
Maas: Germany will not join US-led Gulf protection mission

[video-2]
Iran seizes British tanker Stena Impero

[video-3]
Anger in Iran over worsening economic situation
https://www.dw.com/en/germany-will-not-join-us-naval-mission-in-strait-of-hormuz/a-49835380

【テヘラン】イランのザリフ外相が8月下旬にも訪日する方向で最終調整していることが2019年8月18日、外交筋の話で分かった。安倍晋三首相や河野太郎外相との会談が調整されており、米国とイランの対立で不安定化している原油輸送の大動脈ホルムズ海峡の情勢などを協議する見通し。イラン側は、海峡の船舶保護を理由とした米主導の有志連合構想に反対する考えを伝達する可能性がある。

 イランは同海峡やペルシャ湾の安全はイランや近隣国の責任で確保すると主張し、域外国の関与は必要ないとの立場を明確にしている。ザリフ氏は5月にも訪日した。


東京新聞、2019年8月19日 06時00分
イラン外相、月内にも再訪日へ
米主導の有志連合に反対

(共同)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019081801001556.html

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小熊英二『日本社会のしくみ』

社会学者・小熊英二氏が今年7月に出した新著『日本社会のしくみ』は、日本の雇用のあり方を分析することで、「日本のしくみ」を解明している。
なかでもとりわけ興味深いのが、日本社会の根幹にある「正社員」という存在。
日本の正社員は一般に考えられているよりはるかに「特殊な身分」だ。
なぜ正社員という身分は生まれたのか。そしてこれからその「身分」はどうなっていくのか。
小熊氏が語る。

日本ではなぜ「専門性」が重視されないのか

―『日本社会のしくみ』では、日本の雇用慣行の分析が中心に据えられています。なぜ雇用慣行について書こうと思ったのですか?

小熊: 日本社会の全体像を解き明かすことを目指す過程で、日本の雇用慣行、特に「大企業正社員の雇用慣行」が、教育や福祉なども含めた社会全体のありようを規定していることに気がついたからです。
 雇用慣行は社会のベースになっていますが、欧米では労働者の賃金を決める基準は職種ごとの専門性で、それは資格や学位で証明されます。
 ヨーロッパ各国では、中世のギルドを母体としてさまざまな職種別組合が発達しました。
 たとえばドイツでは、馬具職人なら馬具職人だけの組合があり、その組合が馬具職人のための教育訓練コースを設け、その組合の親方が技能資格を授けることで初めて職人として働けることになっていました。
 イギリスの会計士や薬剤師なども同様でした。
 こうした慣行がもとになり、近代化とともに、学校で近代的な職業訓練を経て資格や学位が授けられるようになりました。
 そして労働者は職種別の組合や専門職団体に組織され、賃金交渉も業種別・職種別で行いました。
 アメリカは、欧州ほど職種別組合が強くありませんでしたが、やはり労働組合や専門職団体の活動などを通じて、似たような慣行ができました。
 こうした社会では、業務遂行に必要な職業訓練や職業経験、資格や専門学位などを有する人ほど高い賃金で、資格や学位を持たない人は安い賃金で雇われます。
 その代わりに、人種や性別、年令などでは賃金を差別しない「同一労働同一賃金」が原則になりました。
 こういう慣行だと、専門的な能力をもつ人材は、自分の技能を生かせる仕事を求めて、別の企業へと移動していくことが一般的です。
 そのため、同じ内容の仕事であれば、企業規模による賃金差はつきにくい。

 ところが日本の大企業正社員の場合は、企業に採用されるにあたって、専門的な訓練を受けているかどうかはほとんど重視されません。
 企業は学位ではなく学歴、つまり「どのレベルの大学入試を突破したか」を、その人の潜在能力の指標と見て採用する。
 入社後も、その人の専門性や職業経験とは関係なく、年齢と社歴に応じて賃金が上がっていきます。
 同じ仕事をしていても、所属する企業の規模が違えば賃金に著しい差が生じることもあります。

正社員が日本企業の「強み」になった時代
― では、特殊な身分としての「日本の正社員」は、どのようにして生まれたのでしょうか?

小熊: 日本型の雇用慣行の原型は明治期の官庁にあります。
 明治初期の高級官吏の待遇はよかった。
 日雇い人夫の日銭が平均0.22円、月に27日働いても5.9円にしかならなかった時代に、最下級の官吏でも月給12円。
 省庁の次官クラスになると「日雇いの6年分の年収を1ヶ月で稼ぐ」と言われ、勤務時間もごく短かった。
 勤続年数を重ねそうした特権的な生活が終身で保障されていたのです。
 彼らがこうした厚遇を受けていたのは、高い身分の国家官吏ほど、威信の高い生活を終身保障されるべきだと考えられていたからです。
 彼らが経済的な利潤を生んでいたからではなかった。
 そしてこの「官庁のモデル」が、官営企業を媒介として、民間大企業の職員の待遇にも踏襲されていきました。
 ドイツなどでも官吏の身分は高かったのですが、ドイツでは先ほど述べた職種別の働き方が発達していたため、官庁の組織モデルはそれほど民間に広がりませんでした。
 しかしそうした伝統のない日本では、大学を出て官庁か大企業に所属し、その組織の中で勤続年数を重ねていけば賃金が上がるというシステムが広がったわけです。

― こうしたしくみは戦前からあったのでしょうか?

小熊: 一般にまで広がったのは戦後ですね。
 長期の身分保障や右肩上がりの年功賃金は、戦前は官吏のほかは、大企業の上級職員に限られたものでした。
 戦前の工場労働者は、定期昇給もないし簡単に解雇され、職員とは門もトイレも別の差別待遇だった。
 長期雇用や年功賃金が一般の労働者にまで広がったのは、戦時中の総動員体制を経たあと、戦後の労働運動が「社員の平等」を第一に要求したからです。
 そこで初めて、上級職員と一般労働者の差別がなくなり、いわば「社員の平等」が達成された。
 そしてこのことが、1970年代には、日本製造業の「強み」にも繋がりました。
 工員レベルにまで長期雇用と年功賃金が保障されたために、従業員の勤労意欲が高くなり、長期勤続で技能蓄積もあがった。
 日本の製造業の強さは、工場労働者の社内訓練や技能蓄積のレベルが高かったことに支えられていた。

 欧米の仕組みでは、資格や学位がないと、勤続年数が長くても管理職になれません。
 工場労働者の一部は熟練工や技能工になっていくけれど、大半の人は技能蓄積があまり進まなかった。
 また学位も職業経験年数もない若者は最初から雇ってもらえないので、若年失業率が高くなる。
 1970〜80年代にかけて、欧米各国はそうした悪循環に陥りました。

 ところが同時期の日本の企業は、何の訓練も受けていない素人同然の若者を新卒一括採用し、長期雇用して、社内教育で彼らに技能を蓄積させていた。
 この社内訓練と長期雇用の組み合わせで、日本の製造業は高品質の製品を産み出せていると言われていたのです。

 ただこれは、あくまで結果としてそうなっただけです。
 政府や財界が、そういうメリットを意図して、長期雇用や新卒一括採用をしていたわけではなかった。
 欧米のような職種別の訓練制度がなかった日本では、企業が社内訓練する以外に方法がなかったし、近代的組織のモデルが官庁しかなかったので、こういう慣行が定着したということです。

 またこうした「終身雇用」や「年功賃金」のメリットを享受していたのは、じつは少数派でした。
 私の試算では、おそらく全有業者の3分の1を超えたことはない。
 日本の有業者の大半がこの恩恵に浴していたかのようなイメージがありますが、実際はそんなことはなく、大企業正社員だけだった。

中小企業と大企業、どう違ったか
― 同じことは中小企業にはできなかったのですか?

小熊: 中小企業が大企業と別の組織モデルを持っていたわけではないのですが、結果的には、長期雇用と年功賃金は大企業にしか実現できなかったと思います。
 日本の大企業が、一般社員にまで長期雇用を保障できるシステムを維持できたのは、大企業が社内にたくさんの部門を抱えていたからです。
 一つのビジネスモデルは、たいてい10〜15年程度しかもちません。
 ある会社が何十年と存続しようとするなら、時代の変化に呼応して業種を変えていかざるを得ないことが多くなる。
 繊維産業が傾いたあと、紡績会社だったのが化粧品会社になった企業もある。
 またスマホが普及してカメラが売れなくなってからは、医療機器メーカーに転身したカメラメーカーもあります。
 日本の大企業だと、一つの部門が沈滞してくると、その部門を縮小し、そこにいた社員を配置転換で異動させる。
 日本では社員の専門性を重視しないので、そうした対応ができるわけです。

 これが他国の企業だと、職種ごとに人を雇っているので、配置転換ができない。
 だから一つの部門がダメになったら、その部門の従業員を解雇する。
 だから失業が問題になりやすい。
 あるいは、政府が公的に職業訓練を提供して、転職するように促すしかないわけです。

 しかし日本でも、中小企業の場合は、社内にそんなに多くの部門を抱えていない。
 だから従業員の配置転換先が限られます。
 ある業種でダメになったら、会社を潰すか、人員を整理するしかないことが多くなる。
 あるいは、一部の中核社員以外は非正規に切り替えるという対応したパターンもあったでしょう。
 だから中小企業の場合、長期雇用や年功賃金を全従業員に適用するのはむずかしい。
 逆に言うと、日本の大企業が長期雇用をできたのは、配置転換ができたからです。
 この配置転換ができるゆえに、日本は失業問題が少なく、日本企業は業種にこだわらず、さまざまな分野に進出していける非常にフレキシブルな組織だと1980年代には言われていました。

グローバル化が「正社員」を追い詰めた
― 逆に「大企業型」の短所とは?

小熊: 別の意味で柔軟性がない。
 職種別の労働市場がないから、労働者は企業間の移動が容易に行えません。
 頻繁な配置転換があるので、専門性も育ちにくい。
 経営側から見れば、長期雇用による賃金コストが高いという問題もあるでしょう。
 また長期の社内育成でしか人材を調達できないシステムなので、外部から専門学位や経験のある有能な人材をとりこむこともむずかしい。
 また日本型雇用は、高度成長期に製造業中心でやっていくには適していましたが、その強みは90年代以降のグローバル化と情報化によって失われました。
 精密な設計図を、労賃の安い他国の工場にメールで送るだけで、国内工場と同じように製造できるようになった。
 もう国内での製造にこだわる必要はない。
 そうなると、日本製造業の最大の強みだった、一般工員の長期雇用による技能蓄積が意味を持たなくなった。
 グローバル化と情報化で国際分業が簡単になると、欧米の慣行のほうが有利になりました。
 図式的にいえば、米国内にある本社では、比較的僅かな人数しか雇わない。
 そのひと握りの人たちは、博士号や修士号を持つ技術者やデザイナーやマネジャーで、各国の製造拠点に指示を出すことで巨大事業を動かす。
 中国の人件費が高騰したらカンボジアの新たな製造拠点にサプライチェーンを作り、あるビジネスモデルが時代遅れになったら別のモデルを作って別の国の会社と提携するわけです。
 こうなると、日本大企業の「国内組織の中で人員を動かす」タイプのフレキシビリティは、欧米型のフレキシビリティに太刀打ちできなくなりました。
 日本の慣行では、昨日までカメラの商品開発を担当していた人を、医療機器を開発する部門に配置転換することはできる。
 もちろん、担当者は努力するでしょう。
 しかしこのやり方は、カメラ開発者の契約を打ち切って、医療機器開発の博士号取得者を連れてくる欧米式のやり方には、効率性の面で敵わないかもしれない。

 また日本では、専門的能力や学位を要求してこなかった。
 このことも、海外と国際競争していく上ではすでに不利に働いています。
 たとえば金融の分野では、複雑な金融商品を扱うために、金融や統計の知識が必須になりました。
 アメリカなどの投資銀行では、大学院で学位を取得した人しかディーリング部門に配置しなくなっています。
 一方で日本の企業だと、図式的にいえば、社内で他の仕事をしていた人を配置転換して、仕事のあいまに金融や統計の勉強をさせることになる。

正社員という身分の維持はもう難しい
― では日本に「特殊な身分」としての正社員は、今後存続するのは難しいのでしょうか?

小熊: このままでは厳しいでしょう。
 1990年代から「もう持続しない」と言われながら、よく20年以上も持たせてきたと思います。
 なぜ20年以上も持ってきたかというと、このシステムの年功序列で上にあがった人びとが、変えたくなかったからでしょう。
 非正規雇用を増やして賃金コストを削ることはやっても、基本は変わらなかった。

 じつは統計的には、非正規雇用は増えているけれど、正社員は1980年代から減っていない。
 私の試算では、年功賃金を享受している層は1980年代から全有業者の3割弱で、この数字もほとんど変わっていません。
 では増えた非正規労働者はどこからきたかというと、自営業が一貫して減っている。
 かつての日本社会は、農林水産業や商店などの自営業が多かった。
 彼らは、所得はそれほど高くなかったけれど、親から受けついだ持ち家があったり、地域社会の相互扶助を得たりして、それなりに安定した暮らしができていた。

 1970年代に「一億総中流」と言われた時期でも、年功賃金を享受していたような大企業正社員は、おそらく全有業者の3割程度だった。
「一億総中流」の実態は、みんなが大企業正社員だったということではない。
 大企業正社員以外の人びとも、自営業者として地域社会で安定して暮らしていたというのが、「一億総中流」のように見えたということだった。

 ところが1980年代の日本では、自営業者が急速に減って、非正規雇用者が増えている。
 構造的に見れば「正社員が減った」のではなく、かつてならば「大企業型」に入れない・入らない人たちの受け皿だった自営業が存続困難になり、非正規雇用者に切り替わっている。
 このままだと、仮に上の3割の大企業正社員の安定を維持できたとしても、下の7割が持たない。
 上の3割の安定性も、いつまで持つかはわかりません。
 大手製造業や銀行のここ数年の惨状を見れば、おそらく今後は、上の3割を2割や1割に絞る方向に必然的になっていくのではないでしょうか。
 しかしそうなったら、大卒でも就職できない人が大量発生することになりますから、社会が不安定になるでしょう。

これからどうする? 考えられる3つの選択肢
― ではどうすべきでしょうか?

小熊: 私は、単純に日本の雇用慣行を欧米型に改めればいいとも思っていません。
 欧米型だと、格差が別のかたちで拡大する。
 どういう仕組みにしても、一長一短ある。
 だから私は、本書でも「こうすればいい」といった無責任な政策提言はしませんでした。
 代わりに読者に向けては、最後に提言に換えて、3つの選択肢を示すことにしました。
 その選択肢とは、2017年に労働運動の関係者の間で話題を呼んだあるエピソード ――スーパーの非正規雇用者として勤続10年になる、あるシングルマザーが「昨日入ってきた高校生の女の子と私の時給、何でほとんど同じなのか?」と相談してきたという事例―― に対し、読者自身が以下の3つの回答のうち何が最も正しいと思えるかを問うものです。

 回答@は、「労働者の生活を支えるものである以上、年齢や過程背景を考慮するべきだ。だから、女子高生と同じ賃金なのはおかしい。このシングルマザーのような人すべてが正社員になれる社会、年齢と家族数にみあった賃金を得られる社会にしていくべきだ」。

 回答Aは、「年齢や性別、人種や国籍で差別せず、同一労働同一賃金なのが原則だ。だから、このシングルマザーは女子高生と同じ賃金なのが正しい。むしろ、彼女が資格や学位をとって、とり高賃金の職務にキャリアアップできる社会にしていくことを考えるべきだ」。

」 そして最後の回答B、「この問題は労使関係ではなく、児童手当など社会保障政策で解決するべきだ。賃金については、同じ仕事なら女子高生とほぼ同じなのはやむを得ない。だが最低賃金の切り上げや、学位・資格・職業訓練などの取得機会などは公的に保障される社会になるべきだ」。

 戦後の日本の多数派が求めたのは@の方向でした。
 Aはアメリカ、Bは北欧や西欧に近いですが、Aだと格差が開き、Bだと税や保険料の負担増が増えます。

 3つのうちどれか一つが正解、ということはありません。
 あなた自身がこの3つのモデルのうちどれを求めるのか真剣に考えてほしい。
 読者に望むのは、その一点に尽きます。

現代ビジネス、2019.08.20
消滅間近…正社員という「特殊な身分」は、なぜ日本に生まれたか
日本社会のしくみの根幹にある存在

小熊英二
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66618

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2019年08月20日

竹信三恵子『正社員消滅』

 労働組合の「組織率」の低下が止まらない。
 厚生労働省の調査によると、2013年6月末の時点で、雇用者のうち労働組合に入っている人の割合を表す「組織率」は、前年の調査より0.2%減って、17.7%だった。
 これは調査を始めた1947年以降、最も低い数字を記録したことになるという。
 組合員の数も4年連続で減少し、2012年におこなわれた調査より約1万7000人少ない約987万5000人だった。

 一方で、女性の組合員数は2012年より1.5%増えて、約303万4000人となった。
 また、パートタイム労働者の組合員数も約91万4000人と前年よりも9.2%増えている。
 さらに、組合員のうちパートタイム労働者が占める割合は9.3%と、統計をとり始めた1990年以降で最も高い数字になっているということだ。

 女性やパートタイマーの労働組合員が増えている一方で、労働組合全体の「組織率」が落ちた理由はなぜだろうか。
 使用者側代理人として数多くの団体交渉に携わる原英彰弁護士に聞いた。

● 労組の組織率は「正社員」が下支えしていた

「労働組合全体の組織率が低下した一つの要因は、正社員の数が減り、非正規労働者の数が増えたことにあります」

 原弁護士はこのように指摘する。
 なぜ正社員が減ると、労働組合員の数も減るのだろうか?

「戦後、日本の労働組合の中心は、大企業の『企業別労働組合』でした。そうした企業別労働組合に所属していたのは、そのほとんどが正社員でした。
 こうした企業の多くに、労働組合員であることを雇用条件とする『ユニオンショップ協定』が存在していたため、彼らは入社と同時に組合員にもなっていることが多かったのです。
 つまり、労働組合の組織率を下支えしていたのは正社員で、この数が減少すれば、労働組合の組織率も下がるという仕組みです」

 全体の組織率が下がっている主因は、この点のようだ。
 一方、女性やパートタイマーの組合員加入率は増えているようだが……。

● 「企業外の労働組合」が非正規労働者の受け皿となっている

「同じ労働組合といっても、『企業別の労働組合』と、『企業外の労働組合』は分けて考える必要があります。企業外の労働組合は、『一人でも入れる』労働組合を組織し企業の枠、正社員、非正規労働者の枠にとらわれず組合員を受け入れています。
 増加する非正規労働者の受け皿となっているのは、このような合同労組などの形態の『企業外の労働組合』なのです。
 非正規労働者の労働組合への加入が増加しているのは、この形態の労働組合に加入する人が増えたことを意味しています。また、パートタイマーは、女性の割合が高く、パートタイマーの女性が企業外の労働組合に加入することも多くなっています」

 こうした企業外の労働組合員は増加しているが、いまのところ企業別の労働組合員が減る分を上回るほどではなく、差し引きではマイナスということのようだ。

 ところで、「企業別の労働組合」と「企業外の労働組合」では、活動内容にも違いがあるのだろうか?

「合同労組など企業外の労働組合は、個々人の組合員の雇用問題(解雇、パワハラ・セクハラなど)に関する要求をすることが多く、実質的には、個別労使紛争における代理人的な役割を担っていることが多くなっています」

 原弁護士はこのように指摘していた。

 雇用の形が大きく変わりつつある現在、労働組合に求められているニーズも少しずつ変化してきているということかもしれない。
 働く側と雇う側の関係は、今後どのように変化していくことになるのだろうか……。


弁護士ドットコムニュース、2014年01月23日 13時14分
労働組合の「組織率」はなぜ過去最低に落ちたのか?
https://www.bengo4.com/c_5/c_1234/n_1130/

 雇用者に占める労働組合員の割合(組織率)は、今年2018年6月末時点で17.0%だった。
 前年を0.1ポイント下回り、7年連続で過去最低を更新した。
 厚生労働省が2018年12月19日、発表した。
 雇用情勢の改善が続く中で組合員数は約8万8千人増えて約1007万人になったが、これを上回って雇用者数が伸びたため組織率は下がった。
 調査は、厚労省が都道府県を通じて把握した全労働組合を対象に実施。
 組合数は前年より137減の2万4328組合だった。
 組合員数を業種別にみると、パートで働く女性が多い「卸売業・小売業」で5万5千人増、「宿泊業・飲食サービス業」3万人増となった。
 パートの組合員数は129万6千人で、前年より8万9千人増えた。
 女性の組合員数も9万人増の335万7千人となった。


朝日新聞、2018年12月19日18時04分
労組組織率17% 過去最低を更新 厚生労働省
(松浦祐子)
https://www.asahi.com/articles/ASLDM3SLDLDMULFA00S.html

「沈まぬ巨艦」とも呼ばれた大手電機メーカー、東芝の巨額損失で19万人とも言われるグループ社員の雇用が揺らいでいる。
 また、日本を代表する広告会社、電通で新入社員が長時間労働の末に自死するなど、正社員の過労死・過労自殺が後を絶たない。

 就活生の憧れの的だった「安心、安全な働き方としての正社員」の消滅がいま、着々と進んでいる。

 その背景として、グローバル化やAI(人工知能)による雇用喪失が挙げられることが多い。
 だが、その真の原因は、これらを理由に積み重ねられてきた働き手の権利剥奪政策ではないのか。
 政府が進める「働き方改革」もまた、その総仕上げともなりかねない危険をはらんでいる。


予兆としての東芝過労うつ病訴訟

 2014年に最高裁で会社側敗訴となった「東芝過労うつ病労災解雇裁判」は、今回の東芝危機の予兆とも言えるものだ――。
 この訴訟は、工場でプロジェクト・リーダーとなった正社員女性が、過労死ラインである月80時間を超える残業の結果、2001年にうつ病となって休職に追い込まれたことから始まる。
 過重な目標設定としていま批判を浴びている「チャレンジ」事業が始まった頃で、女性が関わったプロジェクトは事業部で初の指定だった。
 女性は人員を増やさないと期限に間に合わないと訴えたが、上司は耳を貸さなかった。同僚2人が自殺し、うち一人はのちに過労自殺として労災認定。
 会社は女性の労災認定に協力せず、企業労組、地元の労基署、産業医からも、協力を得られなかった。
 2004年に解雇された彼女は、解雇撤回と労災の認定をめぐって訴訟を起こす。

 人員不足という社員の訴えに耳を貸さず、関係者が労災認定に非協力的、というリスクマネジメントの不十分さ、行き過ぎた精神主義など今回の危機を招いた東芝の性格が、すでにこの時点で現れている。

 ここで見えてくるのは、メンバーとして優遇され、定年まで安心して働けると言われてきた正社員像ではなく、会社の労務管理の失敗のツケを押し付けられ、使い捨てられた正社員の姿だ。

「正社員」の変質

 筆者は、今年3月に出版した拙著『正社員消滅』(朝日新書)で、正社員はいま、二つの消滅に直面していると指摘した。

 ひとつは、非正社員が4割にも達する中で起こった、非正社員だけの労働現場の出現、つまり、「量としての正社員消滅」。

 そしてもうひとつは、東芝の「過労うつ病労災解雇裁判」にみられるような労働権が確保され安心して働き続けられる正社員制度の崩壊、つまり「質としての正社員の消滅」だ。

 こうした正社員の変質が指摘されたのは、若者自身の手で労働問題に取り組むNPO法人「POSSE」が2007年と2008年に街頭で約500人に行った聞き取り調査からだ。
 この調査から、正社員の特徴と考えられてきた定期昇給もボーナスもなく、ときには、健康保険や雇用保険にさえ入っていない「正社員」が相当数いることが判明した。
 POSSEはこれを、従来型の「中心的正社員」に対し「周辺的正社員」と呼んだ。

 このような正社員の分解は、その後の第二次安倍政権下で、さらに意図的な政策へと変化し始める。
 アベノミクスの推進へ向けて設けられた日本経済再生本部の下部組織、産業競争力会議や、規制改革会議が打ち出した「限定正社員(ジョブ型正社員)」などの「多様な正社員」路線がそれだ。

 たとえば、転勤がない「地域限定正社員」は、地域内での仕事がなくなったら解雇できるとした。
 また、残業がない「勤務時間限定正社員」や、業務内容がある程度決まっている「職務限定正社員」については、会社の拘束が少ない分だけ賃下げするなど、従来の正社員より労働条件が引き下げられた。
 地域限定なら解雇できるという部分は、後の有識者懇談会で疑問符がつき、いったんは押し返されている。
 だが、介護などで残業ができなければ「勤務時間限定正社員」として賃下げする企業も相次いで登場するなど、家庭との両立を前提としない正社員像が、一段と制度化されつつある。

正社員の都合のいい「定義」
 
 実は、正社員は1980年代半ばまで、転勤や残業を引き受けなくても、業務内容が限定されていても、賃下げの対象になるとは限らなかった。 社員のほとんどが正社員だったので、その中にいろいろいる、といった程度のことだったのだ。
 ところが、1985年の男女雇用機会均等法制定を機に、従来の女性の低賃金を合理化するため、「転勤ができない社員は一般職」として低賃金コースが設けられ、これをきっかけに、「普通の正社員=転勤や残業がある高拘束社員」という定義が横行し始めた。
 こうして、1980年代以降、日本では、「正社員」を、長時間労働や転勤といった企業の高拘束を引き受け、言われた仕事はなんでもこなす「ジェネラリスト」、つまり、「無限定社員」と定義する動きが強まり、そうした働き手だけに安定した無期雇用と生活できる賃金が保障されるようになった。
 だが、このような無限定な働き方を受け入れなければ不安定・低賃金な非正規雇用を余儀なくされるとなれば、女性の活躍や子育ては難しくなり、過労死も続発する。
 そうした批判に、高拘束を引き受けなくても安定雇用と生活賃金は確保できる「ワークライフバランス」のある働き方をつくろうと、目指されたのが本来の「限定正社員」だった。
 アベノミクス下ではそれが、解雇しやすく賃金も安い「周辺的正社員」へと転用されることになる。

正社員追い出しビジネス

「解雇しやすい社員づくり」への動きは、このほかにも相次いでいる。第二次安倍政権下では国家戦略特区が導入されたが、ここでも特区内で解雇規制を緩和する案が提案された。
 これが世論の批判で不調に終わると、雇用を守った企業に支給される雇用調整助成金を減らし、他の企業への移動を促す労働移動支援助成金を増やすという転換が始まる。

 2013年3月の第4回産業競争力会議において、メンバーである大手人材ビジネス「パソナグループ」会長の竹中平蔵・慶應義塾大学教授(当時)は、「雇用調整助成金を大幅に縮小して、労働移動に助成金を出すことは大変重要。是非大規模にやって欲しい」とし、当時、1000対5だった雇用調整助成金と労働移動支援助成金の比率を「一気に逆転するようなイメージでやっていただけると信じている」と発言した。

 翌2014年には、545億円対301億円と二つの助成金の額は肩を並べ、2015年には193億円対349億円と逆転した。
 転職支援を手掛ける人材ビジネス業界への利益誘導ではないかとの批判が上がった。
 その見方を裏付けるように、翌2016年2月22日、朝日新聞は、大手人材会社が王子ホールディングスの子会社に、政府の助成金をもとにした「戦力入れ替え」を指南し、「転職支援」を請け負っていたことを明らかにしている。
 これに先立つ2014年には、都内で開かれた労働問題の集会で、人材ビジネスの誘いに乗って大手電機メーカーの退職勧奨を受け入れた社員が、転職先が決まらず、元の会社に低待遇の派遣社員としてあっせんされたという例も報告された。

 正社員の追い出しビジネスが、政府の補助金で促進される事態が起きた、ということだ

 働き手の生存権を守るため、合理的な理由の証明が必要とされてきた解雇は、大きく変わりつつある。
 たとえば、会社からの通告一つで入館カードを無効にされ、正社員が否応なく締め出される「ロックアウト」解雇や、達成が難しい目標を掲げた「業務改善プログラム」を受けさせられ、それが達成できないことを理由に首を切る解雇の簡易化が、大手外資系企業を中心に相次いでいるのだ。

同一賃金同一労働だとこうなる

 社員を解雇しやすくして流動化を促す政策は、確かに北欧などでも進められている。
 だが、問題は、その土壌と目的の違いだ。
 代表例としてしばしば取り上げられるデンマークは、グローバル化による産業構造の変動に対応するため、解雇規制を大幅に緩和し、社員を抱えきれなくなった業界から、よい労働条件で雇える業界へと移動を促す政策を取っていることで知られる。
 しかし、デンマークの労働市場は無期雇用の社員がほとんどで、しかも同一労働同一賃金の仕組みが確立している。
 このため、労働移動しても、その先は安定雇用だ。
 仕事が同じなら同じ賃金が原則なので、転職による賃金の値崩れも少ない。
 加えて、組織率7割の強い労組がパワハラ解雇などの不当な解雇を監視している。
 また、ジョブセンター(日本のハローワークに相当)とも提携して解雇の日が来る前に転職先を探すことを目的に多額の職業訓練予算が計上されている。働き手を食べさせ続けるための移動、という目標がそこにはある。

 一方、日本は、非正規比率が4割に達し、同一労働同一賃金も確立していないため、「労働移動」すれば労働条件は下がりやすい。

 その中での解雇規制緩和政策は、会社の責任を軽くして人件費削減を容易にしたり、転職支援ビジネスで人材業界を潤したりする効用はあっても、働き手にとっては貧困化への道となりかねない。
 こうした人件費削減政策の中で企業の内部留保は積み上げられ、財務省の法人企業統計によると、2015年度は377兆8689億円と前年度から約23兆円増加し、4年連続で過去最高を更新した(下図は2016年11月6日付毎日新聞)。

 社内に積みあがった利益を使って、いま大手企業は、相次いで大型買収に走っている。
 非正規化と「質としての正社員消滅」の中で実質賃金は容易に上がらず、冷え込んだ国内消費市場から利益の上がる海外市場へ、という理屈だ。
 ところが、こうした大型買収が、最近では東芝によるウェスチングハウスや日本郵政によるトール・ホールディングスの事例のように、審査能力の不備などから巨額損失をもたらし、そのツケが社員に及んでさらなる正社員消滅を生んだ。

 正社員消滅→内部留保の積み上がりと国内消費市場の冷え込み→海外企業の大型買収→巨額損失→正社員消滅、という悪循環に、私たちはさらされつつある。

「働き方改革」で給料は上がるのか

 そうした状況を是正するために今回の政府の「働き方改革」が登場した、と考える人も少なくない。だが、それも危うい。

「働き方改革」の柱は、正規と非正規の同一労働同一賃金、残業時間の罰則付き上限規制が柱だ。
 ILO(国際労働機関)が推奨する国際基準では、職務が同一なら同一賃金とされ、スキル、責任、負担度、労働環境で分析し点数化して比較する客観的な評価方法を提示している。
 だが、この3月に発表された実行計画では「同一労働同一賃金」について、業績・成果が同一なら基本給は同一、とされるなど、会社がどう判断したかで左右される主観的な評価方法が提案されている。
 これによって、非正規だけでなく、正社員の賃金差も「何をしたか」ではなく「会社の期待に応えたか」で左右される度合いが強まることになった。
 そのため、会社の社員への支配はかえって極大化され、賃上げはさらに難しくなりそうだ。

 残業規制に関しては、現在、健康確保の目安とされている週15時間、月45時間、年360時間を大きく超える年最大720時間の残業や、繁忙期には1ヵ月で100時間未満、2〜6ヵ月の平均で80時間以内という、過労死と認定される基準の時間まで働いてもいいことが労基法に書き込まれる結果となった。
 これでは従来の週40時間、1日8時間という労基法の規制は大幅に相対化されることになりかねない。

 しかも、週単位や1日単位の残業規制は、今回、素通り状態だ。

 子育てや家庭生活には、1日の労働時間規制がカギになるが、これでは正社員の「無限定労働」性は、むしろ強化され、一連の「質としての正社員消滅」作戦の総仕上げにもなりかねない。
 加えて、一定の社員を労基法の労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」や裁量労働制の拡大も国会に提案されている。

正社員は労働権の「最後の砦」

 ネット上などでは、「しょせん高拘束の奴隷労働である正社員の消滅は、むしろいいこと」といった言説が見受けられる。
 だが、正社員は無期雇用や生活できる賃金、労使交渉権など、国際基準の労働権を一応は保障された労働権の最後の砦だ。
 正社員消滅の次に来るのは、「労働権のある働き方」モデルそのものの喪失と、それによる非正規の労働条件のさらなる劣悪化だろう。

 いま必要なのは、正社員の消滅に喝采を送ることではない。
 正社員がかろうじて保持している労働権を、非正規として押し出されてしまった働き手たちにも回復させ、それを通じて、正社員も奴隷労働から解放する運動だ。

 そのためには、労組などの働き手のネットワークを再構築し、「働き方改革」の名の下に今起きていることについて働く人たちが情報を共有し、質としての正社員消滅に備えること、そうして共有した知識をもとに、会社や政府と交渉していく力を働き手が回復することが必要である。


現代ビジネス、2017.05.15
「正社員」が危ない!高拘束、賃下げ、使い捨て…安心はどこへ?
ザマアミロと言っている場合ではない

竹信 三恵子
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51623

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天皇と沖縄

 ヤッホーくんのこのブログ、2015年05月03日付け日記「おおいそ野外アート展」が参考になります!

【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。

 専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の「天皇メッセージと同じ路線だ」と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について「反省していたかは疑問だ」と述べた。

 田島元長官の遺族から史料提供を受けたNHKが19日、遺族の意向を踏まえ一部を公開した。

 それによると、対日講和条約発効により琉球諸島が日本から切り離され米統治となった一方、日本が独立した翌年の53年11月24日の拝謁で昭和天皇は沖縄への具体的言及はないものの基地問題について発言した。

 昭和天皇は「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事にしなければ国として存立して行く以上やりやうない話」だとした。戦力の不保持などをうたった日本国憲法を巡っては「憲法の美しい文句ニ捕ハれて何もせずに全体が駄目ニなれば一部も駄目ニなつて了(しま)ふ」との見方も示していた。

 同年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」と述べた。旧ソ連など共産主義への警戒感を強め、米軍基地反対運動に批判的な見解を示していた。

 51年1月24日には「(沖縄不返還のマッカーサー方針について)そうすると徳川時代以下となる事だ。これは誠に困つた事でたとへ実質は違つても、主権のある事だけ認めてくれると大変いゝが同一人種民族が二国(にこく)ニなるといふ事はどうかと思ふのだが此点ニ関し演説で何といふか」とも述べていた。

 田島氏は48年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、49年から53年まで宮内庁長官を務めた。在任中、昭和天皇との会話の内容や様子を手帳やノート計18冊に書き留めていた。


琉球新報、2019年8月20日 07:30
一部の犠牲やむ得ぬ
昭和天皇、米軍基地で言及
53年宮内庁長官「拝謁記」

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-974423.html

 昭和天皇と沖縄・・・

 昭和天皇没後25年を経て、その実像に迫る宮内庁『昭和天皇実録』(全19巻、出版社:東京書籍)が、編纂にあたった宮内庁により昨年2014年9月に記者公表された。
 今年2015年3月から書店販売となり、2019年までに順次全巻が並ぶ。
 誰もが『実録』を手にできるようになる。
 しかし、読み物風な記述ではなく、日付ごとに天皇の個々の活動が列記される。
 また、長寿かつ長期にわたる在位期間だったため、全巻読み通すには忍耐を要す。

 膨大な『実録』から何が明らかになったのかを知るには、昭和天皇に関心を持つ専門家による本が役立つ。
 その中で、分析と検証に最も優れているのが本書、豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本―<憲法・安保体制>にいたる道』(岩波書店、2015年7月)だ。

 著者のライフワークと呼べる昭和天皇の戦後史の蓄積の中に、この『実録』の記述を移し替えて、戦後政治をダイナミズムに描く。
 そこに、冷徹なリアリストとしての天皇の姿が鮮やかに浮かび上がる。
 現人神(あらひとがみ)から象徴となる新憲法の逸脱を冒しても高度な政治行為に走る姿は、憲法と日米安保からなる戦後体制の擁護者であった。

 なぜなら、本書によれば、天皇制の維持こそが、敗戦後の昭和天皇の究極目標であったからだ。
 つまり、退位や勝者の裁きという危機を回避し、象徴とはいえ天皇制存続を保障する憲法を支持し続けてきた。
 9条を持つ憲法への姿勢は、現在の明仁天皇にも引き継がれている、と。
 そして、本来なら天皇を守るべき帝国陸海軍が解体された結果、占領以降、天皇とその日本を米軍に守ってもらうべく日米安保を積極的に推進した、だからこそ、戦争犯罪人を合祀(ごうし)する靖国神社に参拝しない天皇の論理は一貫している、と指摘する。

 戦後における天皇の政治活動を追究した本書は、天皇のいる日本を守るために、天皇自身が沖縄作戦の積極的展開を求め、沖縄陥落直後に「終戦」工作を命じたことを明らかにする。
 戦後は、米軍による日本防衛と天皇制擁護のために天皇は、米国による沖縄統治を提案したのだった。
 だからこそ、昭和天皇は生涯、沖縄への配慮を忘れなかったのである。

 沖縄を「捨て石」として利用する姿勢は、安倍政権に明快に現れている。
 新基地埋め立てをめぐって、県知事を訴える政府の訴状は、沖縄の意思よりも日米合意が優先すると記している。

※ 豊下楢彦(とよした・ならひこ)
 1945年、兵庫県生まれ。京都大法学部卒。元関西学院大教授。専門は国際政治論・外交史。著書に「安保条約の成立」「『尖閣問題』とは何か」など多数。


琉球新報・書評、2015年12月27日 09:12
『昭和天皇の戦後日本―<憲法・安保体制>にいたる道』
冷徹なリアリストの姿

[評者]我部政明(琉球大学教授)
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-195316.html

 平成天皇と沖縄・・・

 天皇の言葉を聞く機会がどんどん少なくなってきている。これまで毎年、元日に「新年の感想」を文書で発表してきた天皇だが、今年2016年から負担軽減のためという理由で、「新年の感想」がとりやめになった。
 2016年12月23日に公開された誕生日会見もそうだった。本サイトが22日にスクープしたように、宮内庁記者会からの質問がひとつにしぼられてしまい、天皇は結局、「生前退位」に関して踏み込んだ発言を一切することができなかった。
 これらは本当に天皇の本意なのだろうか。例の「お気持ち」表明の後、安倍官邸は内閣危機管理監の西村泰彦氏を宮内庁次長に送り込んだが、こうした新体制を使って天皇の言葉を奪おうとしているとしか思えない。

「国会では圧倒的多数をしめ、マスコミは完全屈服と、怖いものなしな状況の安倍官邸がいま一番、気にしているのが天皇の動向なんです。官邸は天皇が自分たちの改憲・戦前回帰路線に批判的なことを重々わかっている。もし、天皇が本音を少しでも口にしたら、自分たちのもくろみが一気に崩壊しかねない。そこで、生前退位問題が浮上したのをいいことに、天皇が生の声を発する機会を少しずつ減らそうとしているんでしょう」
(宮内庁担当記者)

 実は、最近も、天皇が安倍政権と真逆の考えをもっていることを明らかにする報道があった。昨年2015年12月24日付の毎日新聞朝刊。「考・皇室」という連載シリーズ記事のなかに、2013年4月28日に政府主催でおこなわれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」をめぐる、天皇の“注目すべき発言”が記されていたのだ。
 4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、本土がアメリカの占領から独立した日だ。第二次安倍政権は3年前の2013年、この日を「主権回復の日」として政府主催で初めて式典を開き、天皇と皇后を出席させた(挨拶はなし)。式典の開催は、自民党が野党時代から公約にかかげるなど、安倍首相の強いこだわりがあったが、天皇・皇后は事前段階から周辺に拒絶感を吐露していたといわれている。
 そして式典当日、菅義偉官房長官が閉式の辞を述べ、天皇・皇后が退席しようとしたとき、あの“事件”が起きる。突然、会場の出席者らが両手を挙げて「天皇陛下万歳!」と叫んだのだ。安倍首相らも壇上でこれに続き、高らかに「天皇陛下万歳」を三唱。天皇と皇后は、足を止め、会場をちらりと見やり、わずかに会釈してから会場を去った。表情は固まったままだった。


 だが、このとき天皇は、安倍政権に「政治利用」されたことの他に、もうひとつ“大きな怒り”を覚えていたようだ。前述の毎日新聞24日付記事には、まさにそれを証明する、こんな記述がある。
〈陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていた〉
 これは、サンフランシスコ講和条約で本土から切り捨てられた沖縄を無視してはならない、という天皇の気持ちに他なるまい。安倍首相は1952年4月28日を機に日本の主権が回復されたというが、沖縄は1972年5月15日の本土復帰まで米軍の統治下に置かれ続けた。ゆえに沖縄では講和条約発行日は「屈辱の日」と呼ばれており、当時の仲井眞弘多沖縄県知事も「主権回復の日」式典を欠席していた。
 つまり、毎日新聞によれば、その式典にたいして、天皇は沖縄が取り残されたという事実を持ち出し、政府側に反論していたというのだ。記事では続けて、宮内庁幹部の証言としてこう記されている。
〈宮内庁の元幹部は「歴史的な事実を述べただけだが、陛下が政府の説明に指摘を加えることは非常に珍しい」と説明する。憲法で天皇は政治的権能を持たないと規定され、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認に基づく」とされる。式典出席などの公的行為も内閣が責任を負う。元幹部は「政府の助言には象徴天皇として従わざるを得ない。国民統合の象徴として沖縄のことを常に案じている陛下にとって、苦渋の思いだった」と打ち明ける。
 陛下は皇太子時代に訪れた沖縄で火炎瓶を投げられた。関係者は「陛下は皇太子時代から沖縄問題を系統的に勉強している」と話す。陛下としては政治的な行為とならないぎりぎりの範囲で指摘したとみられる〉
 日本国憲法を遵守するがゆえに、政権によるみずからの「政治利用」を食い止められなかった今上天皇。だが、それでも安倍首相が無視する沖縄への思いだけは抑えることができなかった。そういうことなのだろう。
 実際、今上天皇の沖縄への思いは並々ならぬものがある。毎日の記事も触れているが、皇太子時代の1975年7月、美智子妃とともに沖縄を初めて訪問。当時、3年前に本土復帰したばかりの沖縄では、天皇に対する反感が強くあった。朝日新聞12月18日付によれば、訪問前、琉球文化研究などの第一人者である外間守善氏から「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と心配された今上天皇は、「何が起きても受けます」と述べたという。

 はたして、今上天皇がひめゆりの塔で献花したそのとき、潜伏していた過激派の男から火炎瓶を投げつけられた(ひめゆりの塔事件)。しかし、その後も、天皇は何度も沖縄を訪れ、そして、いくどとなく公の場でその心中を口にしてきた。
 たとえば2012年の誕生日会見では、その年の訪問について記者から質問され、このように語っている。

「多くの沖縄の人々に迎えられたことも心に残ることでした。沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは,日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」

 また、2003年の誕生日会見では、翌年1月に予定されていた沖縄訪問について、こう言及していた。

「今度の沖縄県の訪問は、国立劇場おきなわの開場記念公演を観ることと、それからまだ行ったことのない宮古島と石垣島を訪問するということが目的です。しかし、沖縄県と言いますと、私どものまず念頭にあるのは沖縄島そして伊江島で地上戦が行われ非常に多くの、特に県民が、犠牲になったということです。この度もそういうことでまず国立沖縄戦没者墓苑に参拝することにしています。この沖縄は、本当に飛行機で島に向かっていくと美しい珊瑚礁に巡らされ、いろいろな緑の美しい海がそれを囲んでいます。しかし、ここで58年前に非常に多くの血が流されたということを常に考えずにはいられません」

 そして天皇は、サンフランシスコ講和条約に触れながらこう続けた。

「沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間、沖縄の人々は日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました」

 こうした天皇の言葉を踏まえれば、今回毎日が報じた、「主権回復の日」式典への出席を求める安倍政権の事前説明に対し「当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘した、という話に疑いはない。
 また、昨年は「生前退位」をめぐる話題に注目が集まったが、この生前退位問題にしても、天皇はただ自らの高齢化だけを理由にしたのではなく、例のビデオメッセージを「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と結んだことからもわかるように、今上天皇はこうした“象徴天皇の在り方”を、皇太子に継承したいと考えている。
 そのなかに“沖縄と沖縄の人々を忘れてはならない”という気持ちがあることも、やはり間違いないだろう。再び03年の誕生日会見から引用する。

「沖縄は離島であり、島民の生活にも、殊に現在の経済状況は厳しいものがあると聞いていますが、これから先、復帰を願ったことが、沖縄の人々にとって良かったと思えるような県になっていくよう、日本人全体が心を尽くすことを、切に願っています」

 しかし、周知のように、安倍首相は天皇のこうした沖縄への思いなど一顧だにすることなく、「主権回復の日」式典を強行し、天皇、皇后を無理やり出席させた。
 そして、安倍政権による“沖縄いじめ”は年々熾烈さを増し、それに抗する言葉を発する機会を天皇からどんどん奪っている。
「保守」を自認する安倍晋三だが、やっていることはもはや「逆賊」としか言いようがない。
 天皇はこのまま沈黙をしいられ続けるのだろうか。


リテラ、2017.01.01 09:01
天皇が「主権回復の日」に「沖縄の主権は回復されてない」と異議を唱えていた!
安倍政権に奪われる天皇の発言機会

https://lite-ra.com/2017/01/post-2820.html

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阿古智子

日本は本当に平和で自由なのか

 香港の情勢を脇目に見ながら、私は日本の行く末を憂えている。
 日本は表面上、平和で自由に見えるが、実態はどうなのか。
 例えば、愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」において、公立美術館などで撤去された作品を、その経緯とともに展示していた「表現の不自由展覧・その後」が中止に追い込まれた件についてさまざまな意見が出されているが、まずもって、展示の内容に反対するのにテロ予告や脅迫と取れるような抗議の電話やメールが殺到しているという事実に、私は日本人として大変恥ずかしい思いがした。

 異議があるなら、暴力的な言葉をこそこそと投げかけるのではなく、正々堂々と理性的に、自らの考えを表現すればよいことだ。
 本展示には、韓国の彫刻作家が製作した「平和の少女像」(慰安婦像)や昭和天皇の写真が燃えているように見える写真の作品もあった。
 作品が制作された経緯や作品を観る人に与える不快さを問題視している人がいるようだが、「心地よさ」や「不快さ」の感じ方は人によって異なる。

 明確に多くの人間の心身に害を与えることが証明できるのであれば、法的に表現を規制すればよい。
 名誉毀損やヘイトスピーチによる具体的な被害があるのなら、裁判を行うこともできる。

「平和の少女像」が話題になること自体、社会に悪影響を与えると考えている人もいるようだが、十分な議論が行われた上でそのような結論に至ったのか。

 昨今の日本においては、特定の範囲にいる人たちが「不適切」と感じるものを見せようとしない、広めようとしないように、圧力がかけられることが少なくないように感じられる。

 さまざまな情報や考え方を知ることができ、その中から自らの欲しているものを見出し、異なる価値観を持つ人たちとの調整をはかっていくことこそが、民主主義の基本である。

 それにもかかわらず、教育の現場では「政治的中立」が求められ、選挙権は18歳に引き下げられたが、主権者教育が積極的に行われているようには見えない。

 筆者はこれまで、東京や沖縄の教育の現場で話を聞いてきたが、「偏った内容の教育をしていると言われるのが怖くて、論争になっているテーマを教えることは避けようとしてしまう」といった話を多数の教員から聞いた。
 このような状況で、若者の政治への関心が高まり、投票率が上がるはずがない。
 7月の参議院選挙では、18歳、19歳の投票率(速報値)は31.3%と、全年代平均の投票率48.8%(確定値)より17.47ポイントも低かった。

フェア(公正)かニュートラル(中立)か

 大学院以降、米国で教育を受け、欧米メディアで働いている中国大陸出身の友人は、米国から香港情勢を踏まえて米中関係などを報じている。
 彼女は、自分のソーシャルメディアのページに、このように書いていた。
 “Wish I were covering HK on the ground. But sometimes taking a step back shows a greater picture. (中略)My fellow journalists, keep calm and carry on. Check facts. Pay attention to details. To observe, research, question and inform. Be fair but not neutral.”
 日本語訳「私も香港の現場で報じられたらよかったのにと思う。でも、一歩引いた方が、より広い視野を得られることもある。ジャーナリストの友人たちへ、冷静に、報道を続けてください。事実をチェックし、細部に注目してください。観察し、研究し、問いを投げかけ、人々に知らせるために。中立ではなく、公正であってください」

「ニュートラル(中立)ではなく、フェア(公正)である」ということがいかに重要であるか。
 私も彼女の観点に深く共感する。

 人間は誰一人として立ち位置が同じであることはない。
 皆それぞれ異なる位置にいて感じ、考えた結果得られた見方を表現するのだから、人間が完全に中立で居られるはずなどない。
 そうではなく、フェア(公正)であるかどうかを常に確認することが重要ではないか。

 具体的にいうと、特定の政府機関や企業などと癒着するなどし、権力の監視を怠ってはいないか、力を不当に利用して自らの主張を行なってはいないか、弱者の視点に立つ努力が続けられているか、といったことを確認するのである。

 人類の歴史や社会について学ぶ場においても、自分の関心や好みに応じてモノを見ようとするだけではなく、異なる立ち位置にいる人たちが、どのような主張を展開しているのか、それはどうしてなのかを多方面から捉えることによって、自分の立ち位置をより明確にすることができる。

 筆者は昨年2018年10月、この現代ビジネスのサイトで、「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感:行き過ぎた政治タブー化の副作用」という文章を書いた(ヤッホーくん注)。

 大学の現場や小学生の息子の通う学校での教育を通して、教育現場における行き過ぎた政治のタブー化が青少年の思考力を低下させていることを痛感してのことだ。
 筆者は現代中国を研究しているが、言論空間を厳しく制限している中国は、表向き国の統制が行き渡っているように見えるが、実際はそうでもない。
 中国では貧富の差が非常に大きく、社会保障制度も日本のようには整っていないことから、人びとの間では、「自分のことは自ら守らなければならない」というメンタリティーが浸透しており、法律や規制の隙間を縫うようにして、活動の自由を確保しようとする人も少なくない。
 中国の一部地域で民間の活力がイノベーションを成功させているのは、そういった背景もあると考えられる。

 中国政府は盛んに「愛国」を呼びかけているが、それは、国を裏切るような思想や行動が広がることに警戒感を示してのことでもあろう。

 長年中国を見ていると、権力のあり方を疑うことも、権力に抗おうともしない日本人は、あまりにも従順すぎるように見えてくる。

 鋭い視野を持って多角的な分析ができない国民が大半であるなら、貿易、情報、軍事などの分野で日々厳しい闘いが繰り広げられている国際舞台において、日本は自らの存在を示すことなどできないのではないか。

 日本が今ある姿は、日本人が主体的に選び取ったものなのか。
 特定の権力を持つ人たちが中心となって作り上げた構造の中で、ただ動かされているだけでいいのか。
 日本の政治・経済のシステムや慣習は、日本を良くするために、日本国民を幸せにするために機能しているのか。
 日本が国際的に大きな貢献をするために、どのような改革が必要なのか。

 国民一人ひとりが深く思考し、熟議を行える国づくりを行わなければ、日本の競争力はますます低下するだろう。
「中国は独裁国家だから」と対岸の火事のように隣国を見ている場合ではない。
 日本の民主主義が成熟し、大多数の国民が積極的に議論に参加した上で「表面的に平和であればそれでいいではないか」という結論に達しているのであれば、誰も何も言えないのだが……。
 でも、「知らぬが仏」でいいのか。

 香港の情勢は決して楽観できるものではない。
 しかし、香港の人たちは、自由に思考し、主体的に選び取ることが、人間らしく生きることに繋がるということを日本人に教えてくれているような気がしてならない。


現代ビジネス、2019-08-20
香港人が本気で「自由」を渇望する一方、日本人を待ち受ける暗い未来
中立思考が日本の言論をダメにする

阿古 智子(東京大学大学院准教授)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66630

(ヤッホーくん注)「日本のエリート学生が『中国の論理』に染まっていたことへの危機感:行き過ぎた政治タブー化の副作用」

 日本の一部の商業メディアは、中国や韓国の負の側面ばかりを取り上げ、見下すような視点から、面白おかしく書き立てる。
 目も当てられないようなヘイトスピーチも横行している。
 良識を保ち、他者を理解しようとする学生たちの姿勢もあるのだろう。
 しかし、学生たちもレベルの低い商業メディア同様、「日本は」「中国は」と国単位で物を見すぎてしまうから、このような議論に終始してしまうのではないか。

 自らの体験を通しての発見や、具体的な事例研究に基づく分析を丁寧に行えば、拙速に、短絡的な結論を出すことはなくなるはずだ。
 さらに、今回日本の学生に関して強く感じたのは、戦後、日本が懸命に築いてきた民主主義や言論の自由の価値を、あまり理解していないということだ。

 今の日本が平和すぎるから、当たり前のようにある権利や自由に、ありがたみを感じないのだろうか。

「政治的中立性」の問題

 日本を代表するエリート学生がこんな調子では、日本は外交や国際舞台で活発に主張を展開できず、存在感が薄れていくのではないか。

 討論会に参加していた学生の中には、中央省庁に進路が決まっている者もいた。
 正直、教員として、大学教育のあり方を問い直さなければならないと危機感を感じた。

 筆者には公立小学校に通っている息子が1人いるのだが、そこでの教育のあり方にも疑問を覚えることがある。
 この学校の周辺一帯は、治安維持法制定以後、多くの思想犯が収監された旧中野刑務所(豊多摩監獄、1915年開所)だった。
 小学校は現在の場所から歩いて数分のところに新校舎を建設する予定で、そこには、刑務所のレンガ造の正門(通称「平和の門」)が残っている。

 天才建築家、後藤慶二設計による作品として現存する唯一のもので、建築家が中心の市民団体が保存・活用を訴えている。
 門と言っても、大きな2階建ての家ぐらいの広さがあり、耐震補強すれば、平和学習や地域活動の拠点として活用できるというのが、市民団体の考えだ。
 しかし新校舎の建設予定地に門が残っており、近いうちにとり壊すか、保存・活用するかを決めなければならないにもかかわらず、小学校は何の姿勢も示してこなかった。
 また、小学生には難しい内容であり、さらに学習指導要領の範囲外であるとして、刑務所に関わる地域の歴史を一切教えてこなかった。
「小学生には教えられない」という学校側の説明に対して、子どもを馬鹿にしているような気がしてならなかった。

 筆者はこの夏、スウェーデンの教育現場を視察したが、スウェーデンの小学生向けのテキストは、独裁制国家では政府がメディアを規制・監視しているが、民主制国家では人びとが自分の意見を自由に発信できると説明し、生徒がソーシャルメディアなどを利用して世論を形成するコツまで記している。
 以前訪れたドイツでも、子どもたちが身近な問題を通して、当事者意識をもって政治を学ぶことができるよう、工夫していた。

 これらの国々では、子どもを「小さな大人」として、「一人の人間」として尊重している。
 日本の教育基本法第8条第1項は、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」と規定しているが、第2項には、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対する政治教育その他政治的活動をしてはならない」とある。

 現場の教員たちは常に、「政治的中立性」を考えなければならず、論争になっている問題には触れたがらない。

 しかし、現実の社会には問題が山積している。
 考える力、行動する力のある人間が育たないなら、これからの日本を誰が支え、盛り上げていくというのか。
 世界を見渡せば、刑務所や戦争に関する歴史的建造物を、学びの材料として活用している事例は数多い。
 厳しい言論統制を敷いていた時代から、平和な現在の日本に至ったプロセスを学ぶのに、「平和の門」は格好の教材ではないか。

 戦後日本が築いてきた民主主義国家の基礎を、崩すことなく、確実に次世代に伝え、国際社会において日本が民主国家としての役割を果たすためにも、教育現場における行き過ぎた政治のタブー化はやめるべきではないだろうか。


現代ビジネス、2018.10.13
日本のエリート学生が「中国の論理」に染まっていたことへの危機感
行き過ぎた政治タブー化の副作用

阿古 智子(東京大学大学院准教授)
著書に『貧者を喰らう国、中国格差社会からの警告』(新潮選書、2014年9月)など。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57941

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2019年08月19日

田島道治「拝謁記」

 その後もNHKだけが昭和天皇の告白に関するニュースを流し続けている。
 きのう2019年8月17日(土)の夜9時からは、NHKスペシャルで、ドラマ仕立ての特集番組まで作って、放映した。

NHKスペシャル▽昭和天皇は何を語ったのか〜初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記”
(予告動画付き)
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190817_2

 その一方で、大手新聞や民放テレビは、このNHKのスクープについて一切の報道がない。
 第一級の歴史的新史料であるというのにである。

 この異常な状況をどう考えればいいのか。
 もし、これからも、この昭和天皇の告白について、どのメディアも一切取り上げられないとすれば、明らかな封印だ。

 その一方で、きのう9時のNHKスペシャルを見て、一つの疑問が頭をもたげて来た。
 NHKのスクープ報道は、昭和天皇の戦争責任を免責するための意図的な報道ではないのかと。
 つまり、そこに述べられている告白は、まことに人間臭いものだ。
 自らの戦争責任について、玉音放送の後も、新憲法が出来た後も、そしてサンフランシスコ講和条約が締結される時でさえ、痛感し、悩み、そして退位まで考えた。
 しかし、宮内庁長官や吉田茂首相の意見に従って、戦後の日本の再出発のために自らの意志を押し殺し、象徴天皇として、日本と日本国民の為に、役割を果たした。
 このことこそ、NHKは国民に訴えようとしたのではないか。
 そう思えば合点が行く。
 この昭和天皇の告白報道により、象徴天皇制は日本に定着し、歴史認識問題は封印され、日本に民主革命は未来永劫、起きないことになる。
 天皇制に反対する共産党はますます日本の政治から疎外されて行くことになる。
 一石二鳥どころか三鳥、四鳥だ。

 この番組に一番衝撃を受けられたのは上皇に違いない。
 戦後最悪の日韓関係とともに、これは安倍首相の究極の上皇いじめではないか。
 改憲反対の上皇に対する意趣返しではないのか。
 とんでもない傲岸不遜な安倍首相だ。

 そういう意見が、この国の有力者から出て来ないようでは日本もおしまいだ。


天木直人のブログ、2019-08-18
昭和天皇の告白を報じ続けるNHKの真意を疑う
http://kenpo9.com/archives/6232

 その後も毎日のようにNHKは昭和天皇の告白を報道し続けている。
 その内容も、ますます過激になりつつある。

 昨晩のニュースでは昭和天皇が軍隊は必要だと告白していた。

 今朝のニュースでは東条英機と自分はどちらも事務的であるといってあたかも相性がいいなどと告白していた。
 芦田均は理論で動くが吉田茂は勘の人だと語っていた。
 驚くべき告白だ。
 間違いなく第一級の歴史的資料だ。

 この告白は、初代宮内庁長官が残した昭和天皇とのやりとりである「拝謁記」に収められていたという。
 驚くのはそのやりとりがなされたタイミングだ。
 昭和天皇は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効の際の独立記念式典で「おことば」を述べられた。
 その「おことば」の決定稿の草稿を練る過程で発せられた言葉を、宮内庁長官が克明に記録していたのだ。
 新憲法はとっくに発効していたのだ。
 この驚くべき告白録が67年ぶりにわかったというのだ。
 それを保管していたのは宮内庁か家族のどちらかだ。
 どちらが公表に踏み切ったのか。
 なぜこのタイミングで公表に踏み切ったのか。
 公表にあたって安倍政権はどう関与していたのか、していなかったのか。
 疑問は次々と発生する。

 そしてNHKはこれからもどんどんとその内容を報じて行くとニュースの中で繰り返している。
 それにもかかわらず、NHK以外のメディアは一切報じない。
 ネタ探しのメディアはどんな下らないニュースでも大騒ぎして報じるのに、この昭和天皇の告白については一切報じようとしない。
 私が知っているくらいだから、政治評論家や有識者は皆知っているはずなのに、誰も語らない。書かない。

 そう思っていたら、きょう8月19日の毎日新聞「風知草」で山田孝男特別編集委員(1952年生まれ)が書いていた。
「終戦記念日前後の報道をすべてチェックしたわけではないが、17日放映のNHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったか 初公開・秘録『拝謁記』」には感ずるところがあった・・・」と。
 感ずるとはなんだ。
 仰天したはずだ。
 どう感じたのか。
 そのことこそ山田孝男は書くべきだ。
 いずれにしても、山田孝男は知っていたということだ。
 ということは皆が知っているということだ。
 山田孝男がいろいろな感想を持ったのだ。
 ということは皆がそれぞれ感想を抱いたということだ。

 もはやメディアは書かざるを得ない。
 池上彰や佐藤優といった評論を売り物にしている連中は、真っ先に語らなければいけない。
 そしてNHKは、日替わりのように歴史学者や専門家を変えて、勝手な感想を語らせることをやめて、一刻も早くその全文を国民に公開すべきだ。
 その評価は国民が下さなければいけない。
 夏休み明けの政治の最大の問題は、この昭和天皇の「拝謁記」の国民的評価だ。
 国会で真っ先に議論さるべき大問題である。


天木直人のブログ、2019-08-19
NHKは「拝謁記」をいますぐ国民に公開すべきだ
http://kenpo9.com/archives/6233

 終戦後に初代宮内庁長官を務めた田島道治(1885 - 1968)が在任中の昭和天皇とのやり取りを詳細に記した文書を残していたことが明らかになった。
 昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようと考えていたほか、独立前後に再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となった後も政治的な意見を首相に伝えようとしていた。
 宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」に含まれていない内容も多く、昭和史を考える貴重な資料となりそうだ。

 田島元長官の遺族から文書を提供されたNHKが2019年8月19日、一部を毎日新聞などメディアに公開した。

 文書は「拝謁記」と題された手帳やノート。
 1948年から宮内庁や前身の宮内府のトップを務めた田島元長官が、就任の翌年から5年近くにわたって昭和天皇とやり取りした内容を記録していた。

 文書によると、昭和天皇は、独立回復時に国民にメッセージを出すことを望んだ。
 草案作りが本格化した1952年1月11日に
「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島元長官に述べ、同年1952年2月20日には、
「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と語ったとしている。
「下剋上」とは、戦時中の軍に統制が利かなかったことを表現したとみられる。

「反省」の文字が宮内庁内部の検討で削除されても、戦争を悔恨する一節を入れようとしたが、吉田茂首相(当時、1878 - 1967)から反対され、最終的には受け入れた。

 式典の草稿が変更されたことは、田島元長官の伝記を出版したフランス文学者の加藤恭子氏が文芸春秋2003年7月号で発表していたが、昭和天皇の具体的な文言は知られていなかった。

 昭和天皇の「肉声」が記された「拝謁記」には、昭和天皇が米国とソ連(当時)が対立した冷戦下の安全保障環境に危機感を募らせる内容もあった。
 サンフランシスコ平和条約の調印から5ヶ月後の1952年2月11日に、
「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様ニ思ふ」と再軍備と憲法改正の必要性に言及していた。
 旧軍の復活には反対し、独立回復後の同年1952年5月8日には、
「再軍備によつて旧軍閥式の再擡頭(たいとう)は絶対にいやだが去り(原文ママ)とて(ソ連の)侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と述べたという。

 昭和天皇はこうした考えを吉田首相に伝えようとしたが、田島元長官が「それは禁句であります」といさめたという。
 天皇が政治に関われないという新憲法の理念を理解していないような発言から、象徴天皇のあり方を模索していた経緯がうかがえる。

 文書では、1948年11月の東京裁判の判決の際にGHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー司令官に天皇にとどまる意向を伝えた後も退位の可能性に言及していたことも明らかになった。

◇ 本音、肉声が生々しく超一級の資料

古川隆久・日本大教授(日本近現代史)の話

 長期間にわたり昭和天皇の本音、肉声が生々しく書かれた超一級の資料。
 象徴天皇制を始めるにあたり、天皇がどうやってそれを作っていくかを模索していたことが手に取るように分かる。
 また、この時期に改憲や再軍備を求めていたことは知られていなかった。


Yahoo! Japan News、2019/8/19(月) 13:03
昭和天皇、戦争への「反省」表明望む
初代宮内庁長官「拝謁記」

毎日新聞、和田武士
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190819-00000020-mai-pol

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脱原発と脱石炭を進めるドイツ

 脱原発と脱石炭を進めるドイツのアルトマイヤー経済・エネルギー相(60)=写真、独政府提供=が本紙、東京新聞に寄稿した。
 日本が初めて議長を務め、2019年6月15〜16日に長野県軽井沢町で開かれる20ヶ国・地域(G20)エネルギー・環境相会合は「世界のエネルギー転換を加速する契機になる」と期待。
 日独が共同で再生可能エネルギーの技術開発をすれば、地球温暖化対策の「世界的なけん引役としてのメリットを長期にわたって享受できる」と強調し、日本に連携を呼び掛けた。 
 寄稿文のタイトルは「エネルギーシフト(転換)の世界的推進のために」。

 ドイツは国内の原発を2022年までに全廃する方針。
 アルトマイヤー氏は石炭火力発電も「利用を近い将来やめる」と宣言した。
 一方で、既に発電量の40%(日本は17%)に達している再エネについて「今や最も重要な電源となっている」と指摘し、「この比率を一層高める」と強調した。
 エネルギー転換と国際競争力維持の両立をはかり、経済成長を目指す方針も明確にした。

 日本には「日本とドイツが一貫してこの(エネルギー転換の)道を進んでいくことが重要」と呼び掛け。
 その上で「知見を共有し、二国間協力プロジェクトを実施することで互いの強みを相互に生かしていくことが可能になる」とラブコールを送った。
 具体例として、日本は再エネ普及の拡大の経験をドイツと共有し、ドイツは日本から水素やエネルギー貯蔵などの知見を学ぶことを挙げた。

 アルトマイヤー氏は再エネの拡大には「電力網の拡充の推進」が急務とも強調。
 ドイツでは風力発電所の大部分が北部に集中する一方、電力の需要は工業地帯の南部で多く、両地域を結ぶ送電網の整備が「焦眉の急」であると指摘した。
 さらに今後は電気自動車の拡大などで送電網不足が生じる可能性があるとし、「2021年までに数百キロに及ぶ新規送電網建設に着手する」との方針も示した。

 天候によって発電量が増減する再エネが拡大すれば電力供給量の変動も大きくなる。
 このため変動を調整する蓄電池やスマートグリッド(次世代送電網)の重要性が「一層高まっていく」と予想した。

<解説>
◆ 原発依存の日本へ重い問い

 日本でのG20を前にドイツが日本国民に「ともに再生可能エネルギーのけん引役に」との強いメッセージを送った。
 技術力をテコに、自動車などモノづくりで生きてきた日本とドイツ。
 だが再エネでは日本は大きく後れをとる。
 責任あるエネルギー政策へと、かじを切る決断ができるのかが問われている。

 ドイツは発電量に占める原発の割合を2018年現在の13.3%から2022年末までにゼロにする。
 石炭火力も政府の諮問委員会が2038年末までに全廃すべきだと答申。
 脱石炭に向け、炭鉱閉鎖など痛みを伴う政策にも取り組む。
 一方、再エネは40.4%(昨年2018年)まで伸び、政府は2030年までに65%に引き上げる方針だ。
 経済・エネルギー相が強調したように、ドイツはエネルギー転換を経済成長と両立させており、風力発電の技術は今や有望産業だ。

[図表]日独比較 ☟

日独比較.jpg

 これに対し日本政府は「温暖化対策には原発が不可欠」とし、石炭も使い続ける。
 米国などで開発中の小型原発の活用も視野に入れ、原発や石炭の復活を図る米トランプ政権と歩調を合わせる。
 だが原発は数万年もの保管が必要な「核のごみ」を排出し、将来世代にツケを残す。
 持続可能なエネルギーとはいい難い。

 それでも原発に依存し、使い続けるのか−。
 ドイツの呼びかけは国としてのあり方までも含めた重い「問い」を日本に突きつけている。 

◆ ペーター・アルトマイヤー経済・エネルギー相

 1958年6月、ドイツ南西部のエンスドルフ町生まれ。1976年にドイツキリスト教民主同盟に入党。国際法の研究員、EU官僚などを経て政界入り。メルケル政権で環境相、首相府長官を歴任し2018年3月から現職。

◆ G20

 世界経済やテロ対策などを議論する国際会議で、20ヶ国・地域で構成する。当初、経済だけを議論する枠組みだったが、2008年の米国での首脳会合を機に議題が拡大した。日米やロシア、中国など19ヶ国と欧州連合(EU)が参加。2019年は日本が初めて議長国を務める。大阪市での首脳会合に合わせ、農業、エネルギー、貿易など8つの関係閣僚会合も開催される。


東京新聞・朝刊、2019年5月30日
[原発のない国へ]
再エネ加速、日独けん引を 独経済・エネ相が寄稿

(伊藤弘喜)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201905/CK2019053002000170.html

[「エネルギーシフトの世界的推進のために」寄稿全文]

 エネルギーシフトは、私たちの時代に突きつけられている大きな課題です。安全で環境に優しく、経済的に豊かな未来を築くためには、まさにドイツが現在取り組んでいるエネルギー供給の根本的な転換が欠かせません。ドイツは近い将来、化石燃料や核燃料の利用をやめ、その分を再生可能エネルギーの利用拡大と一層のエネルギー効率向上で補っていきます。 

■ 国際競争力との両立

 ドイツは着実に前進を遂げてきました。再エネは社会から支持され、総電力供給量の約40%を太陽、風力、水力、バイオマス発電が担うようになり、今や最も重要な電源となっています。今後この比率を一層高め、電力、熱、交通、農業の各部門において、エネルギーの高効率化、インフラや設備の最新化、イノベーションやサービスの創出を進めます。またこうした取り組みでは、エネルギーの安定供給や産業拠点としてのドイツの国際競争力維持との両立をあらゆる面で図らなければなりません。

 再エネ比率の増加は、電力供給における変動の増大をもたらすため、多様な方法で電力需給のバランスを保つ必要性を生じさせています。具体的には、再エネや従来型電源の調整力の拡大に加え、電力網の拡充、デマンドレスポンス(需要側の調整)の拡大、また揚水発電やパワー・ツー・ヒート(電力から熱への転換)、蓄電池といったエネルギー貯蔵技術を駆使することです。再エネを電力分野だけでなく、交通や熱の分野でも活用する重要性もさらに高まっていくでしょう。 

■ 送配電網の増強策 

 再エネの拡大においてドイツが直面する大きな課題のひとつが、電力網拡充の推進です。風力発電のかなりの部分は北部や東部にありますが、電力需要は南部や西部にあります。送電容量は既に限界に達しており、南部の産業地域にある原発や石炭火力発電所が今後稼働を停止していくことを考えると、この課題がいかに焦眉の急を要するかは容易に想像がつくでしょう。

 電力の安定供給を確保し続けるためにも、隣国との国際連系線を含めた電力網の拡充と大容量化が必要です。分散型電源や電気自動車の利用拡大によって、地域レベルでも電力網の容量不足が生じる可能性があります。従って、地域間の送電網と併せて各地域内の配電網も増強することが非常に重要なのです。

 独経済・エネルギー省は「電力網行動計画」を策定し、2021年までに数百キロに及ぶ新規送電網の整備を承認し、建設を後押しします。今年2019年4月には「改正系統整備迅速化法」が可決され、電力網の建設や整備などの手続きが簡素化、迅速化されました。大規模なインフラ整備を成功に導くために大切なのは広範囲な市民参画。電力網整備への社会的な支持を広めるため、経済・エネルギー省は市民対話プログラムを支援し、住民や関心ある市民との対話に取り組んでいます。 

■ 脱石炭の構造改革 

 もうひとつの大きな課題は石炭火力発電の廃止です。社会の各層を代表する委員で構成される「成長・構造改革・雇用委員会」(通称「石炭委員会」)は今年2019年2月に最終報告書を政府に提出しました。これにより、脱石炭に向けた幅広い社会的なコンセンサス(合意)が示されました。報告書は遅くとも2038年までに石炭火力から撤退し、それに向けて石炭火力発電所を段階的に止め、温室効果ガスの排出がより少ない電源に置き換えていくことを提言しています。

 ここでも再エネの一層の推進が求められるので、大容量の電力網の整備が必要です。脱石炭は、炭鉱地域にとって厳しい構造改革を迫られることに他なりません。今ある強みを生かしながら将来につながる産業を新たに興していかなければならず、国は炭鉱地域の改革を支援し、数百億ユーロ規模の財政措置を20年にわたり講じていきます。

 こうした構造改革が地域住民の幸せに資する形で実現できると確信しています。脱石炭の構造改革は気候変動対策とともに推進できるのです。エネルギーシステムの転換と豊かさや雇用の確保は両立可能であることを、ドイツは先進工業国として示していけると確信しています。そのことが他国においても持続可能なエネルギーシフトにかじを切り、必要な変革を実施する機運を高めることにつながっていくでしょう。 

■ 日本への期待 

 2017年のドイツ・ハンブルクのG20で採択された「成長のための気候変動とエネルギー行動計画」では、パリ協定の実施と世界的なエネルギーシフトの推進に向けた措置について合意が実現しました。エネルギーシフトとそれに伴う構造改革において、各国が緊密に協力し、そこから生まれるイノベーション、持続可能な成長や雇用の機会を生かし、ともに課題に取り組んでいくという点が重要です。日本が議長国を担う今年のG20も、世界的なエネルギーシフトを加速する大きな契機となります。

 日独が協調し、一貫してこの道を進んでいくことが重要です。両国は、持続可能な成長とイノベーションを進めるとともに、エネルギー政策や温暖化対策の目標達成を目指す世界的な取り組みのけん引役を担えるのです。特にエネルギーシフトに欠かせない革新的な技術や解決法を共同開発することで、世界のけん引役としてのメリットを長期にわたって享受できるようになります。

 こうした点に関し、日独両国は政府間対話、学術交流、企業間協力・交流や今年2019年2月に発効した日EU経済連携協定(EPA)等、さまざまなレベルで数多くの対話を進めています。例えばドイツ側は、変動性再エネの普及拡大やそのシステム統合に関し培ってきた経験を共有し、日本から水素やエネルギー貯蔵、スマートグリッドについて学ぶといった具合に、継続的に知見を共有することで、互いの強みを生かしていくことが可能となるでしょう。


https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201905/CK2019053002000154.html

 メルケル首相、日本での講演のあとの質疑応答を聴いてみてください。
 彼女のプラグマティズム、「メルケル的なもの」を少しでも感じ取ってください。
 メルケル首相と安倍首相のちがいもぜひ肌で感じ取ってみてくださいね。

― 本日はすてきな講演をありがとうございました。メルケル首相は大学時代、物理を学んでいらしたということですが、日本では理系、特に物理方面に進む女性は少なく男性がほとんどです。メルケル首相は東京電力福島第一原発(事故の)直後、原発全廃の決定を下しましたが、原発に携わるのもおのずと男性が多かったのではないかと思います。また、日本では女性の政治家が少なく、女性の職業としての政治家は大変だという印象を持っています。以上を踏まえた上で、今までの政治家人生で大変だったこと、とりわけ原発廃止を決定した際のことを聞かせて下さい。

「ドイツでも、いまだに女性、あるいは若い女性が数学やエンジニアリング、自然科学、理工系の勉強をするのは少ないというのが現状です。私たちは、もう何年もこの分野における女性の数を増やそうと努めています。それは、学校か、もっと小さいころから、技術に対する楽しさを教えなければならないのではないかと思います。大学も、教授陣の顔ぶれを見ると、やはり男性が多く、両国間ですごく大きな違いがあるとは思えません」

「私たちがなさねばならないのは、自然科学系でも家庭と仕事の両立ができるようにすることです。この分野では研究の進み方が速いので、家庭に長くとどまることが難しい。キャリアが途絶えぬよう、いつも最新の研究に接していなければならないという状況になりやすい。この点については、ドイツではここ数年、かなりの改善が見られるようになりました。それでも、まだ構造的な問題が残っており、教授のようなレベルではまだまだ女性が足りないと思います」

「次に政治と女性の問題です。例えば、脱原発の決定という場合には、男性か女性かという違いは関係ないと思います。私は長年、核の平和利用には賛成してきました。これに反対する男性はたくさんいました。そうした男性たちは今日では、私の決定が遅すぎたと言っています」

私の考えを変えたのは、やはり福島の原発事故でした。この事故が、日本という高度な技術水準を持つ国で起きたからです。そんな国でも、リスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示しました。このため、本当に予測不能なリスクというものがあり、私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かりました。だからこそ、私は当時政権にいた多くの男性の同僚とともに脱原発の決定をくだしたのです。ドイツの最後の原発は2022年に停止し、核の平和的利用の時代が終わって、私たちは別のエネルギー制度を築き上げるのだという決定です

「ですから、男性だから、女性だからという決定ではありません。あくまでも政治的な決断であり、私という一人の人間が、長らく核の平和利用をうたっていた人間が決定したことなのです」

「政治の世界での女性ということで、私も含めてもう少し全体的に見れば、私はたくさんの方に支えられてきました。一方で、最初は私への疑念もいろいろとありました。最初の選挙が一番大変でしたが、一回踏み出して女性でもうまくいくと分かると、それがだんだんと当たり前のことになるのですね。やはり前例をつくることが大事でしょう。前例ができれば、それがいつか当然のことになります」


在日ドイツ大使館公式サイト
メルケル首相 来日講演会
2015年3月9日(月)、朝日新聞社の浜離宮朝日ホールにて、メルケル首相の来日記念講演会が行われました。
出典:朝日新聞デジタル
https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/20150309-asahi-rede/909436
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脱原子力を選択したドイツの現状と課題

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、今年3月に日本を訪れる直前にネット上に発表したインタビューの中で、「ドイツは再生可能エネルギー拡大の道を歩んでいる。日本にもそうなってほしい」と述べた。

ドイツは、2011年に発生した、東京電力・福島第一原子力発電所の炉心溶融事故をきっかけに、エネルギー政策を根本的に変えた。世界中で、ドイツほど福島事故の教訓を真剣に自国にあてはめ、政策を大幅に転換させた国は1つもない。

原子力回帰はあり得ない

私は1990年からドイツを拠点にして、エネルギー問題を取材・執筆活動のテーマの1つとしてきたが、福島事故直後にこの国が見せた劇的な展開には驚かされた。もともと原子力擁護派だったアンゲラ・メルケル首相が、福島事故の映像を見て原子力批判派に「転向」し、東日本大震災からわずか4ヵ月後には、原子力発電所を2022年末までに全廃することを法制化したのである。

「日本と同じように天然資源が少ない物づくり大国ドイツは、本当に原子力発電をやめても大丈夫なのか」。「ドイツが方針を変更して、原発を再稼動することはあり得ないのか」。私は、多くの日本人からこうした質問を受ける。

私は2014年11月末に、ミュンヘン工科大学でドイツ技術アカデミー(ACATECH)などが開いたエネルギー転換に関する国際シンポジウムに参加した。この際にドイツ鉱業・化学・エネルギー産業労働組合(IG BCE)のラルフ・バーテルス氏に「今後どのような事態が起きれば、ドイツは原発全廃政策を取り下げるだろうか」という挑発的な質問をしてみた。IG BCEは、電力の大口消費者の利益を代表してエネルギー・コストの抑制を求めるとともに、エネルギー業界の雇用を守ることを任務としている。

この産業別組合でエネルギー転換についての政策提言を担当するバーテルス氏は、「原発回帰はあり得ない」と断言した。「議会制民主主義に基づくこの国で、過半数を超える市民が原発全廃を支持しているのだから、そうした世論に逆行する政党は敗北するだけだ」と指摘した。

確かに現在のドイツでは、原子力発電の復活を要求する政党や報道機関は、1つもない。「再生可能エネルギーの拡大のために電力料金が高騰しているから、2022年以降も原子力発電所を使い続けるべきだ」という意見も聞いたことはない。日本とは異なり、ドイツはエネルギー政策のぶれを見せていない。原子力の発電比率ゼロ、再生可能エネルギーの発電比率80%の社会へ向けて、まっすぐに突き進んでいる。現時点では、政界、経済界、報道機関を含めて、脱原子力についての国民的な合意ができあがっているのだ。

7基の原子炉を即時停止

2011年3月11日以降、ドイツの新聞とテレビは日本で起きた地震と津波、そして原発事故のニュースで埋め尽くされた。福島事故に関するドイツのメディアの報道は、当初から日本よりもはるかに悲観的だった。翌日の3月12日には公共放送局が「最悪の場合、炉心溶融が起き、チェルノブイリ並みの事故になる」という原子力発電の専門家のコメントを流していた。

1986年のチェルノブイリ事故で放出された放射性物質は、ドイツ南部を中心に土壌や農産物、野生動物を汚染した。この時の恐怖感は、市民の心に深く刻み込まれている。このため、ドイツは福島から1万キロメートルも離れているにもかかわらず、メディアの報道によって市民の間に不安感が高まった。ヨウ素剤や線量計を買い求める市民が続出した。

メルケル政権は、迅速に行動した。事故発生から4日後、連邦政府は3ヶ月にわたる「原子力モラトリアム」を発令。当時ドイツには17基の原子炉があったが、政府は全ての原子炉の安全点検を命じた。地方分権が進んでいるドイツでは、個々の原子炉の運転の許認可権を、州政府の原子力規制官庁が持っている。原子力発電所がある州の政府は、連邦政府の意を受けて、1980年以前に運転を開始した7基の原子炉を即時停止させた。これらの原子炉と、2007年以来変圧器火災のため止まっていた1基の原子炉は、モラトリアム終了後も再稼働することなく廃炉処分となった。メルケル政権は前年に電力業界の要請を受け入れて、原子炉の稼動年数を平均12年間延長することを決めていたが、この措置も凍結した。

メルケルの告白

メルケルは、「原子力発電所を安全に運転させることができるかどうかについて、首相として責任が持てない」と語り、脱原子力へ向けて大きく舵を切った。彼女は、日本から送られてきた福島事故の映像を見て、「自分の原子力についての考え方が楽観的すぎたことを悟った」と告白した。

メルケルの考え方は、2011年6月9日に連邦議会で行った演説にはっきり表われている。
(前略)福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。
 この事故は私個人にとっても、強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために、海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は“日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない”ということを理解しました。
 新しい知見を得たら、必要な対応を行なうために新しい評価を行なわなくてはなりません。
 私は、次のようなリスク評価を新たに行ないました。原子力の残余のリスク(筆者注・一定の被害想定に基づいて、様々な安全措置、防護措置を講じても、完全になくすことができないリスク)は、人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ、受け入れることができます。
 しかしその残余リスクが実際に原子炉事故につながった場合、被害は空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及び、他の全てのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります。
 私は福島事故の前には、原子力の残余のリスクを受け入れていました。高い安全水準を持ったハイテク国家では、残余のリスクが現実の事故につながることはないと確信していたからです。しかし、今やその事故が現実に起こってしまいました。
 確かに、日本で起きたような大地震や巨大津波は、ドイツでは絶対に起こらないでしょう。しかしそのことは、問題の核心ではありません。
 福島事故が我々に突きつけている最も重要な問題は、リスクの想定と、事故の確率分析をどの程度信頼できるのかという点です。
 なぜならば、これらの分析は、我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で、価格が高すぎず、環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです。
 私があえて強調したいことがあります。
 私は去年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で、原子炉の稼動年数を延長させました。しかし私は今日、この連邦議会の議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです。
(後略)

 この演説は、物理学者・政治家メルケルにとって一種の「敗北宣言」だった。彼女は「以前の自分の考えは誤っていた」と、居並ぶ国会議員、そして国民の前ではっきり認めたのだ。ドイツ社会では、意見を大きく変えることは、好ましい評価を受けない。それまでの考えが浅かったことを、暴露することになるからだ。したがって、一国の首相がこれほど率直に「自分の考えが誤っていた」と公言するのは、珍しい。通常は、様々な理由を挙げて、なぜ自分が別の考えを持っていたのかを正当化しようとするものだ。だが彼女は一時科学者として働いた人間らしく、弁解することはせず、己れの知覚能力、想定能力に限界があったことを正直に告白したのである。

緑の党なしに脱原子力はあり得なかった

 だが、メルケルが脱原子力に踏み切ったもう1つの理由は、この国の政治力学だった。
 当時メルケルは保守政党キリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)、自由民主党(FDP)からなる保守中道連立政権を率いていた。これらの党はいずれも原子力擁護派だった。社会主義時代の東ドイツで、メルケルは物理学の研究者として働いていた。このため放射線についての基礎知識も持っており、ドイツ統一後にCDUの政治家になってからも、原子力発電については好意的だった。福島事故の前年には原子力発電のロビー団体の会合で演説し、「再生可能エネルギーが普及するまでのつなぎとして、原子力は重要だ」と語っていた。
 一方、当時の連邦議会で野党だった社会民主党(SPD)と緑の党は、原子力に批判的だった。
 さて福島事故の発生後にメルケルが懸念したのは、この事故の影響で野党への支持率が増えることだった。実際、3月26日にはベルリンやミュンヘンで25万人の市民が反原発デモに参加し、原子力発電に反対する気運が高まっていた。
 首相の懸念は、現実のものになった。
 3月27日、つまり福島事故の約2週間後にドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルグ州で行われた州議会選挙で、原発擁護派だったCDUの首相が敗退し、環境保護政党・緑の党が圧勝したのである。同党は、SPDと連立して政権を樹立。CDUが58年間にわたって首相の座を独占してきた同州で、初めて緑の党の首相が誕生した。これは日本で言えば、保守王国・新潟県で、共産党の知事に誕生するような、革命的な事態である。世界有数の自動車メーカーや化学メーカーの本社があるバーデン・ヴュルテンベルグ州は、ドイツの物づくりの中心地の1つで、電力需要の約50%を原子力でまかなってきた。
 CDUが惨敗した理由は、2つある。
 1つはシュトゥットガルト駅の改修工事についての市民の反対運動に、州政府が高圧的な態度で臨んだこと。
 もう1つは、福島事故が引き金となった反原子力運動の高まりだった。
 ある有権者は、ラジオ局とのインタビューで「私はCDUに30年間投票してきたが、福島の事故を見て、自分がだまされていたことに気づいた。今回初めて緑の党を選んだ」と語った。

 この選挙結果を見て、メルケルは「原子力に固執していたら、緑の党とSPDに大量の票を奪われる」と懸念した。これ以降、メルケルが率いるCDUだけでなく、CSU、FDPも脱原子力へ向けて舵を切った。全ての保守政党が、緑の党と同じ政策を取るようになったのだ。メルケル政権は、2022年末までに全ての原発を停止させることを決定。連邦議会と連邦参議院は2011年7月8日までに、脱原子力法案を圧倒的多数で可決した。ドイツは福島事故が発生してから4ヶ月足らずで、原子力時代にピリオドを打つことを決めたのだ。

 西ドイツは、日本と異なり、1970年代から原子力発電について国を二分する論争を行ってきた。
 その中で決定的な役割を果たしたのが、緑の党だ。
 同党は、1980年の結党以来、脱原子力を求めてきた唯一の政党である(SPDは、チェルノブイリ事故が起きるまでは、原子力発電を擁護していた)。
 脱原子力政策そのものも、メルケルが生んだものではなく、緑の党の落とし子だ。

 同党は、1998年にSPDのゲアハルト・シュレーダー首相が率いる左派連立政権に参加し、環境相を担当した。
 そして2000年に、電力会社との間で原子炉の最長稼働年数を32年に限る「脱原子力合意」を成立させ、2002年に法律を施行させた。
 同時に、再生可能エネルギーを拡大させるための法律も施行させた。
 シュレーダー政権の脱原子力法は、全ての原発を停止させる時期を明記していなかったものの、ドイツの歴史で初めて原発全廃を法制化したことの意義は大きい。

 したがって私は、緑の党がこの国で一時期政権に加わるほどの政治勢力になったことが、ドイツが脱原子力を実現する上で、極めて重要だったと考えている。もしもドイツの緑の党が、隣国フランスにおけるような泡沫政党だったら、今でも脱原子力政策は実現していないだろう。

倫理委員会の提言を尊重したメルケル

 もう1つ興味深い点は、メルケルが脱原子力を決定する際に、原子力発電の専門家だけではなく、原子力のプロではない知識人たちにも提言を行わせたことだ。
 メルケルは福島事故が起きると、まず原子炉安全委員会(RSK)に、国内の全原発について、いわゆる「ストレス・テスト」を実施させた。これは、原発が洪水や全交流電源停止、テロ攻撃などに耐えられるかどうかを検証するものだ。RSKは、原子力発電の専門家らが構成する技術者集団である。この委員会は、ストレス・テストの結果「ドイツの原発には、停電と洪水について、福島第一原発よりも高い安全措置が講じられている」と述べ、「原発を直ちに止めなくてはならないという、技術的な理由はない」という結論に達した。

 同時にメルケル首相は、哲学者、社会学者、教会関係者ら17人の知識人からなる「倫理委員会」を設置し、文明論的な立場から長期的なエネルギー政策についての提言を作成させた。委員には『危険社会』などの著書で知られる社会学者ウルリヒ・ベックや、カトリック教会、プロテスタント教会の幹部ら原子力発電に批判的な人々が多く加わっていた。公聴会では大手電力会社の社長などエネルギー業界の専門家も発言の場を与えられたが、提言書を執筆した委員には、原子力技術のプロや電力業界関係者は一人も加わっていない。委員会の構成には、福島事故後、メルケルが原発についての技術者のリスク分析に不信感を抱いていたことが表われている。

 倫理委員会は、RSKとは対照的に、原子力に対して否定的な態度を打ち出す。
「福島事故は、原発の安全性について、専門家の判断に対する国民の信頼を揺るがした。このため市民は、“制御不可能な大事故の可能性とどう取り組むか”という問題への解答を、もはや専門家に任せることは出来ない」と述べ、原子力技術者に対する不信感を露にした。

 そして「原子炉事故が最悪の場合にどのような結果を生むかは、まだわかっていないし、全体像をつかむことは不可能だ。原子炉事故の影響を、空間的、時間的、社会的に限定することはできない」と指摘。潜在的な被害の大きさのゆえに、伝統的なリスク分析の手法を、原子炉事故に使用することはできないと警告している。

 メルケルを初めとして、多くのドイツ人は日本について「あらゆる事態について準備を整えたハイテクノロジー大国」という先入観を抱いていた。彼らは「チェルノブイリ事故は、社会主義国だから起きた。西側先進国では、あのような事故は起こり得ない」というドイツの原子力業界の主張を信用していた。だが福島事故は、その原子力神話を打ち砕き、「日本のようなハイテク大国ですら、過酷事故が起こり得る」という現実を突きつけた。そして倫理委員会は、原子炉事故の被害を除去するのに多額の費用がかかることを考えれば、同じ費用を太陽光や風力エネルギーの拡大にあてる方が賢明だと指摘した。

 倫理委員会は、2カ月の討議の結果2021年までに原発を廃止し、よりリスクの少ないエネルギー源で代替することを政府に提言した。メルケル政権は、この提言をほぼ完全に受け入れて、法案を作成した。

 倫理委員会の設置は、福島事故以降のドイツ政府のエネルギー政策の決定過程の中で、最も興味深い一章である。メルケルは、原子力事故が起きた場合には、多くの市民が影響を受けるので、原子力を使い続けるべきか否かについての判断を、技術者だけに任せてはならないと考えたのだ。そして原子力のプロよりも、市民の意見を尊重した。これは、ドイツ人の民主主義に関する考え方が日本とは異なることを浮き彫りにしている。

再生可能エネルギー拡大のコスト増大

 脱原子力は、ドイツのエネルギー転換政策の柱の1つにすぎない。再生可能エネルギー拡大と省エネルギーも極めて重要である。2014年の再生可能エネルギー(水力を含む)の発電比率は、25.8%。原子力(15.9%)に大きく水を開けた。2013年までは、褐炭による火力発電の比率が最大だったが、2014年には初めて再生可能エネルギーの比率が、褐炭を追い抜いて最大となった。
 メルケル政権は、再生可能エネルギー促進法(EEG)の中で、再生可能エネルギーの比率を2025年までに40%〜45%、2035年までに55%〜60%まで引き上げることを目標として明記している。2050年までには、80%に引き上げる。

 だが、原子力を代替するための再生可能エネルギーの拡大と同時に、電力料金が上昇していることも事実だ。ドイツ水道・エネルギー連邦連合会(BDEW)によると、年間消費電力が3500キロワット時の標準世帯の1カ月の平均電力料金は、1998年から2013年までに約68%上昇した。
 電力料金の中に再生可能エネルギー拡大のための賦課金、電力税などの税金が占める比率は、1998年には24.5%だったが、自然エネルギー拡大政策のために年々増え続け、2010年には50.2%に達した。つまりドイツの電気代の半分が、国のエネルギー政策・環境政策に基づく税金や賦課金なのだ。
 ドイツで一世帯あたりが毎年負担するEEG賦課金の額は、2014年の時点で266ユーロ・3万7240円。過去4年間で、351%増加した。

 私は、1990年以来、ドイツの電力消費者である。2014年には、約3000キロワット時の電力を使い、約847ユーロ(11万8580円)の電気代を払った。この国の電力市場はEUの指令に基づき、1998年以来完全に自由化されている。しかし再生可能エネルギー賦課金の増加などのために、自由化による電力料金の値下げ効果は相殺されてしまい、全く感じられない。
 ドイツでは、送電事業者は需要の有無にかかわらず、再生可能エネルギーによる電力を買い取って送電網に送り込むことを義務づけられている。買い取りのための資金は、消費者が毎月の電力料金に上乗せされた賦課金として負担する。2014年に消費者が払った賦課金(EEG助成金)の総額は、236億ユーロ(3兆3040億円・1ユーロ=140円換算)に達する。14年間で26倍の増加である。

メルケル政権、再生可能エネルギー促進法を改革

 特に2010年以降は、新設される太陽光発電装置の数が増えたために、電力1キロワット時あたりのEEG助成金の額が急増した。2011年には72%、2013年には47%も増えている。このため、2012年の夏以降、消費者団体や産業界がメルケル政権に対して「助成金の伸び率に歯止めをかけるべきだ」と要望した。電気代の値上がりは、特に低所得者層にとって大きな負担となる。ヴェストファーレン高等専門学校のハインツ・ボントルプ教授は、可処分所得の中に電力料金の占める比率が5%以上である世帯を、「電力のために貧困に拍車がかかっている世帯」と定義している。教授によると、「電力貧困世帯」に属する市民の数は、過去15年間に170万人増えて、500万人になった。

 特に皺寄せを受けているのが、失業しているか、就業していても給料が低すぎるために国の援助金を受けて生活している約350万人の市民だ。2012年に電気代の滞納のために一時的に電気を止められた世帯の数は、32万2000世帯にのぼる。

 またドイツの大口需要家向けの電力価格は、EUの28カ国の中で、5番目に高い。フランスの約2倍である。このためドイツの産業界、特に電力を大量に消費する化学業界、製鉄業界、非鉄金属業界は「これ以上電力コストが高くなると、製造施設をドイツから外国へ移す企業が増えるので、雇用に悪影響が及ぶ」と主張。2012年秋以降、再生可能エネルギー助成金の伸びに歯止めをかけるよう、メルケル政権に強く要求した。

 このため、メルケル政権は2013年春に再生可能エネルギー促進法の改革作業に着手。2014年4月に改革法案を発表し、議会を通過させた。この改革によって、政府は再生可能エネルギーの1キロワット時あたりの法定買取価格を、平均17セントから12セントに削減。また太陽光発電の新規設置容量を毎年2.5ギガワットに抑えるなど、上限を設定した。助成を太陽光と風力に集中させ、過剰な助成を減らす。

 さらに、これまで以上に市場メカニズムを取り入れる工夫もなされた。たとえば再生可能エネルギーによる電力の内、法定価格による買取制度ではなく、電力市場で直接販売する部分を徐々に拡大する。2016年以降は、メガソーラーの助成金を法律ではなく、競争入札によって決定する。

 ドイツのEEG助成金は、日本と異なり、法定買取価格と市場価格の差を補填する。したがって、再生可能エネルギーの普及によって市場価格が下がれば下がるほど、EEG助成金が増えるという構造上の矛盾点がある。したがって今後の市場価格の動向によっては、今後もEEG助成金が政府の思惑どおりに減るとは限らない。それでも、メルケル政権は今回の改革によって、少なくとも助成金の伸び率にブレーキをかけることをめざしている。

 興味深いのは、2012年から2014年にかけて行われた、再生可能エネルギー助成金の抑制をめぐる議論の中で、政党や経済学者、消費者団体、産業界から「エネルギー・コストを引き下げるために、原子力発電所を再稼動させるべきだ」という意見は全く出なかったことだ。最も先鋭的なEEG批判派の主張ですら、「法定固定価格による買い取りを廃止し、市場メカニズムに任せるべきだ」というものだった。つまり、自然エネルギーを拡大するためのコストをいかに減らすかという議論の中で、「原子力回帰」は選択肢の中には入っていないのだ。これも、ドイツが「ポスト原子力時代」にあることを浮き彫りにする事実だ。

送電線拡充の大幅な遅れ

 もちろん、脱原子力と再生可能エネルギー拡大には、コスト増大以外にも、いくつかの問題点が残っている。まず送電線の建設が遅れていることだ。ドイツでは、陸上風力発電装置が北部に多い。また現在バルト海や北海では、洋上風力発電基地の建設が進んでいる。しかし電力の大消費地は、南部のバイエルン州やバーデン・ヴュルテンベルグ州なので、北部で作られた電力を南部へ送るための、高圧送電線(電力アウトバーン)を建設しなくてはならない。このため2013年6月に連邦参議院は、2022年までに全長2800キロメートルの送電線を新設するための法案を可決した。ところが、送電線が通る地域の住民たちが、景観の破壊や不動産価格の下落を理由に、反対運動を起こしている。さらにバイエルン州政府も住民の抗議に同調し、今年2月に「ドイツ北部からバイエルン州へ電力を送るための高圧送電線2ルートの内、1ルートは不要だ」という見解を発表し、メルケル政権に対し計画の見直しを迫った。連邦政府は、住民の理解を得るために送電線の一部を地中に埋設することを検討しているが、建設コストは大幅に増える見通しだ。

 住民やバイエルン州の反対によって、送電線の建設は大幅に遅れている。たとえば、2009年に建設が決まったある送電線では、1877キロメートルの内、2014年9月の時点で完成しているのは、わずか438キロメートル。全体の23%にすぎない。2016年末の時点でも、完成するのは建設計画の約40%にとどまると予想されている。
 バイエルン州やバーデン・ヴュルテンベルグ州は、福島事故が起きるまで電力需要のほぼ半分を原子力でまかなっていた。風力発電装置の建設は、北部に比べると進んでいない。さらにこれらの地域では、今後大きな出力を持つ原子力発電所が次々に停止していく。このため電力業界では、「ドイツの南北を結ぶ高圧送電網の建設が遅れた場合、電力需要が高まる冬期に、電力不足が起こる危険がある」と懸念する声もある。

原子力による電力輸入の矛盾

 私は日本でドイツのエネルギー転換について講演をするたびに、聴衆から「ドイツは脱原子力を決めたと言いながら、フランスやチェコから原子力による電力を輸入している。矛盾ではないか」という質問を受ける。

 ドイツは、原子力モラトリアムによって一度に7基の原発を止めた2011年も含めて、外国への電力輸出量が外国からの輸入量を上回る「純輸出国」である。近年では、再生可能エネルギーによる電力の輸出量が増えていることから、輸出量と輸入量の差、つまり純輸出量は増える一方だ。2012年には、22.8テラワット時の出超だったが、2013年には45%増えて33.1テラワット時の出超となった。

 しかし国別に見てみると、ドイツがフランスやチェコから輸入する電力は、これらの国に輸出する電力を上回っており、「入超」となっている。

 欧州では、国境を越えた電力取引は日常茶飯事だ。EUは、域内に単一の電力市場を創設することをめざしており、今後は電力の輸出入がさらに活発になる。
 こうした中でドイツがフランスに対して「あなたの国の電力の75%は原子力で作られているので、輸入したくない」と電力の輸入を拒否することは難しい。また電力を、「原子力から作られた電力」と「風力によって作られた電力」に分けることは、物理的に不可能である。さらに、エネルギー政策は各国の安全保障にもかかわる問題なので、ドイツ政府がフランス政府に「原子力の発電比率を下げて欲しい」と要求することもできない。

 したがって、ドイツがフランスやチェコから原子力による電力を輸入していることは事実だが、ドイツがそうした電力を国内に入れないようにすることは、事実上不可能だ。そこでドイツは、自ら決定できる自国のエネルギー・ミックスから原子力を排除することを決めたのだ。「隗より始めよ」というわけである。
 いずれにせよ、これはドイツのエネルギー転換の中の「不都合な真実」の1つであり、同国のメディアも大きく取り上げていない。

脱原子力をめぐる訴訟多発

 脱原子力をめぐって、納税者への負担を増やす可能性を秘めているのが、電力会社の訴訟である。福島事故の直後に原子炉を停止させられた大手電力会社4社(エーオン、RWE、バッテンフォール、ENBW)は、連邦政府や州政府を相手取り、8件の損害賠償訴訟、違憲訴訟、行政訴訟を起こしている。この内、「政府の一方的な原子炉停止命令によって、憲法が保障する財産権を侵害された上、経済損害を受けた」として、4社が求めている損害賠償額は、少なくとも53億ユーロ(7420億円)に達する見通しだ。
 福島事故直後の原子炉停止のために、エーオンとENBWでは2011年度の決算が赤字となったほか、残りの2社の業績も大幅に悪化した。

 これらの訴訟の内、RWEがヘッセン州政府を相手取り、「州政府が電力会社の意見を聴取しないまま、ビブリス原子炉を3ヶ月にわたり停止させたのは、行政手続法に違反する」と訴えていた行政訴訟では、電力会社が勝訴した。このため法曹関係者の間では、「福島事故は、ドイツの原発を即時停止させる理由としては薄弱だった。電力会社が違憲訴訟や損害賠償訴訟でも勝つ可能性がある」という見方が浮上している。連邦政府や州政府が多額の賠償金を支払うことになった場合、結局は納税者が脱原子力のコストを負担することになる。連邦憲法裁判所での違憲訴訟の審理は、今年秋にも始まる予定だ。

最大手エネルギー企業が原子力事業を分離

 最近日本の保守系メディアの間では、「ドイツの脱原子力政策や再生可能エネルギー拡大は、コスト高騰のため、失敗に終わった」という記事が見られる。
 確かにドイツの再生可能エネルギー拡大政策では、2012年になるまでコストに関する議論が真剣に行われてこなかった。
 その理由の1つは、再生可能エネルギー拡大が経済的な理由ではなく、2000年にシュレーダー政権に参加していた緑の党の、エコロジー重視のエネルギー政策に基づいて実施されたからだ。
 つまり、再生可能エネルギー拡大は、緑の党の政治的イデオロギーの産物である。
 当時私は、連邦環境省で再生可能エネルギー拡大を担当していた緑の党に属する課長をインタビューしたことがある。彼は「我々の目的は、エネルギーの消費を減らすために、エネルギーのコストをあえて高くすることだ」と語った。つまり、緑の党にとっては再生可能エネルギーの拡大が、国民経済へのコストを増やすことは、織り込み済みだったのである。このことは、日本ではあまり理解されていない。
 また、ドイツの経済学者からは「ドイツのように日照時間が短い国で、太陽光発電を助成するのはナンセンスだ」という意見が強かった。確かに、EEG助成金のおよそ半分は太陽光発電に投入されているのだが、太陽光の発電比率は、2014年の時点で5.8%にすぎない。これは、非効率だと言わざるを得ない。

 それでも、私がドイツでエネルギー転換を定点観測している私に言わせれば、「ドイツの再生可能エネルギー拡大は、コスト高騰のため、失敗に終わった」という主張は、完全な誤りだ。
 そのことを示す1つの例を挙げよう。
 2014年11月30日夜。ドイツ人たちは最初の待降節(アドベント)を迎え、静かにクリスマス・シーズンの到来を祝っていた。そこへ、青天の霹靂のようなニュースが飛び込んできた。
 デュッセルドルフに本社を持つドイツ最大のエネルギー企業E・ON(エーオン)が、原子力発電と褐炭、石炭などによる火力発電事業を切り離して、別会社に担当させると発表したのだ。本社は、再生可能エネルギーなど新しいビジネスモデルに特化する。このニュースは、ドイツのエネルギー業界だけでなく、ヨーロッパの経済界全体に衝撃を与えた。

 人びとを驚かせたのは、今回発表された機構改革が極めて大規模で、エーオンという巨大企業を根本から塗り替えることだ。
 同社は、基本的に2つに分割される。
 エーオンの社員数は現在6万人。その内4万人は本社に残って、再生可能エネルギー、新時代の送電網ビジネスである通称「スマート・グリッド」、そして分散型の発電に関する顧客サービスを担当する。

 残りの2万人は、新会社に移って原子力発電と褐炭、石炭、天然ガスによる火力発電、水力発電事業を担当する。新会社の株式の大半は、現在のエーオンの株主が所有するが、一部は株式市場で販売する。大企業が不採算部門を切り離す時などに使う「スピン・オフ」という手法だ。つまりエーオン本社は、伝統的な発電事業から事実上「撤退」し、21世紀の新しいビジネスへ向けて新たな航海に出るわけだ。

 なぜエーオンは、これほど大胆なリストラに踏み切るのだろうか。その理由は、福島事故以降の原子力事業の業績悪化と、再生可能エネルギーによる電力の急増だ。太陽光発電装置の駆け込み設置が2010年以来急増したことなどにより、電力の卸売市場に大量のエコ電力が流入し、供給過剰状態が出現。電力の卸売価格が大幅に下がった。たとえば経済社会の恒常的な電力需要をカバーするベースロードと呼ばれる電力の先物取引価格は、2008年から2013年までに50%、需要が最も高くなる時のピークロードと呼ばれる電力の先物価格は、65%も下落した。

新エネ普及で業績悪化

 この価格下落のため、褐炭、石炭、天然ガスによる火力発電所の収益性が悪化。特に減価償却が終わっていない天然ガス発電所では、運転コストすらカバーできないところが現れた。発電すればするほど、損失が膨らむのだ。2013年のエーオンのドイツ国内での発電比率の中では、石炭、褐炭、天然ガスなどの化石燃料が59.5%、原子力が29.2%である。再生可能エネルギーはわずか11.4%と全国平均に比べて大幅に低い。つまりエーオンの発電比率の9割近くが、採算性の悪化しつつある部門なのだ。
 エーオンの2014年1月〜9月の当期利益は、前年の同じ時期に比べて25%も減った。第4・四半期には、発電所の資産価値の低下によって、45億ユーロ(6300億円)の特別損失を計上する見込みで、通年では再び赤字決算となる可能性がある。

 ヨハネス・タイセン社長は、2014年12月2日の記者会見で「現在の企業構造では、急激に変化する市場に対応できない。これまで通りのやり方を続けていくわけにはいかない」と断言した。同時に「再生可能エネルギーの内、風力や太陽光はまだ初期段階にあるが、火力発電などの伝統的な発電事業に比べて、今後急速に伸びると確信している」と述べ、同社の未来は新エネルギーにあるという見方を明らかにした。SPDで環境問題に詳しいミヒャエル・ミュラー議員は、「エーオン分割は、エネルギー転換の勝利を意味する」と宣言した。

 日本でいえば東京電力に相当するトップ企業が、原子力・火力発電から事実上「撤退」し、風力や太陽光発電を基幹事業にするという決定は、「ドイツで再生可能エネルギー拡大が失敗した」という日本での一部の報道に対する反証である。
 ドイツ人たちは、「物づくりと貿易に依存する経済大国も、自然エネルギーを中心とした電力供給体制への転換が可能だ」というテーゼを世界中に対して立証しようとしているのだ。

エネ消費と経済成長のデカップリング

 さらにドイツは、エネルギーの消費量を増やさずに経済成長を達成することをめざしている。同国のエネルギー消費量とGDPの間の相関関係は、年々弱まりつつある。
 電力会社などが作っているエネルギー収支作業グループ(AGEB)が2014年9月に発表した報告書によると、1990年から2013年までにドイツの国内総生産(実質GDP)は、37.8%増えた。しかし2013年のドイツの一次エネルギー(石炭、風力など他のエネルギーに変換されるエネルギー)の消費量は、1990年に比べて7.4%減った。GDP1000ユーロあたりの一次エネルギー消費量は、同期間に32.5%減ったほか、国民1人あたりの一次エネルギー消費量も、8.3%減った。エネルギー効率の改善はドイツ政府が最も重視する目標であり、今後もエネルギー消費と経済成長率の乖離傾向が続くものと思われる。
 ドイツのエネルギー転換については、今後も経済性や安定供給をめぐって激しい議論が行われ、様々な紆余曲折があることは間違いない。しかしこの国がめざす「原子力と化石燃料への依存から脱する」という究極の目標には、ぶれがないように思われる。

ポリタス、2015年6月22日
脱原子力を選択したドイツの現状と課題
熊谷徹 (在独ジャーナリスト)
https://politas.jp/features/6/article/389

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脱原発国家ドイツに学ぶ

 東日本大震災、これに続いた福島第一原発の過酷事故を教訓に、ドイツはただちに稼働中の原発のうち7基を停止し、2022年末までに17基すべての原発を廃止することを決めた。
 一方、日本は昨年暮れの政権交代以来、「国益」をキーワードに原発再稼働の動きが強まっているように見える。
 ドイツ・ミュンヘンに住んで23年になるジャーナリスト熊谷徹さんに、日本同様「ものつくり大国」であるドイツが脱原発を決断した背景について語ってもらい、福島特別支局・井上能行編集委員と原発、再生可能エネルギーについて意見交換した。
◇  ◇  ◇    
 このフォーラムは「日本のエネルギーの未来図」をテーマに、2013年5月16日に東京都港区のドイツ文化会館で開催した。

[基調講演]ジャーナリスト・熊谷徹さん

 ドイツは福島第一原発事故からわずか4ヶ月で、原発廃止を決定しました。
 このスピードに皆さんも驚いたのではないでしょうか。
 メルケル首相は福島事故を知ると、二つの委員会から意見を聞きました。
 一つは原子炉安全委員会。
 原子力の専門家に原子炉のストレステストを命じました。
 もうひとつは、安全なエネルギー供給に関する倫理委員会。
 この委員会には哲学者、教会関係者らが名を連ね、原子力の専門家は入っていませんでした。

 安全委の鑑定書を読んでみましたが、
「ドイツの原発は停電、洪水などについて福島第一原発より高い措置が講じられている」と結論付けて、
「原子炉を直ちに廃止するべきだ」とは一行も書かれていませんでした。
 倫理委の提言書は、事故がハイテク大国日本で起きたことへの衝撃とともに、
「原子力のリスク評価は、技術者、専門家だけに任せるべきでない」とした上で、社会的、文明論的な見地からも判断が必要だと、訴えていました。メルケル首相は、この意見を尊重したのです。
 物理学者でもあり、原子力を安全に使うことは可能と考えていたメルケル首相でしたが、福島事故の後、考え方を変えて原子力批判派になりました。
 その理由の一つは物理学者としての判断であり、もうひとつは政治家としてのサバイバル本能だったのではないでしょうか。
 福島事故の半年前、ドイツの公共放送が行ったアンケートで回答者の半数以上が原子力はやめるべきだとしていましたが、事故直後の調査では、それが71%に増えました。
 それに福島事故後の2011年3月末、それまで保守色の強かった南西部のバーデン・ビュルテンベルク州議会選挙で、連邦議会では野党の緑の党が大躍進しました。

 福島事故に関するニュースは、ドイツでは日本よりもセンセーショナルに扱われていました。
 メルケル首相は、
「原子力支持を続けていたら緑の党、社会民主党の支持率がさらに上がってしまう」と瞬間的に理解したわけです。

「私は日本ほど技術水準の高い国でも、原子力の高いリスクをコントロールできないと理解した」

 原子力批判派に「転向」した彼女が2011年6月、連邦議会で行った演説が深く印象に残っています。
 私が日本で講演を行うたびによく受ける質問があります。
「ドイツは自国では原子力をやめるというが、原発で作られた電力をフランスから輸入している。矛盾ではないか」と。
 欧州では各国で、需要と供給の原則にのっとり電力をやりとり(輸出入)しています。
 したがってドイツはフランスからの電力に原子力が使われていることを理由に「輸入したくありません」ということはできないし、物理的に原子力と再生可能エネルギーで作られた電力を分けることは不可能です。
 さらに、国家安全保障との絡みもあり、原子力の比率を下げろとフランスに言うのも内政干渉にあたり難しいわけで、ドイツは自国の原発からまず始めたわけです。

 7基の原発を止めたため、一時的にドイツの電力輸入量が増えましたが、通年では輸出量が輸入量を超え、2012年の輸出超過量は前年の4倍に増えました。
 ドイツでは原子力をめぐる論争は1970年代に始まり、脱原子力などを求める市民らが集まり1980年に緑の党が結成されました。
 ドイツではこれまで少なくとも10ヶ所の原発、高速増殖炉などの核関連施設が建設中止、計画放棄されました。
 1986年のチェルノブイリ事故では、連邦政府の情報開示が遅いと批判が高まりました。
 原子力事故について、政府への根強い不信感があるのも確かなようです。
 エネルギー革命の柱は
(1)脱原子力
(2)温室効果ガス、特に二酸化炭素の大幅な削減
(3)再生可能エネルギーの拡大
(4)省エネ
の4つです。

 今、ドイツでは、再生可能エネルギーの助成制度を見直せという声が強まっています。
 消費者が毎月支払う電力料金に上乗せされる再エネ助成金がここ数年間、大幅に増えているからです。
 エネルギー革命を達成するため必要とされる送電網の建設も住民の反対で、大幅に遅れています。
 また再生可能エネルギーをバックアップする化石燃料の発電所が、電力の卸売価格が安くなったために、稼働率と収益性が悪化しているという現実もあります。
 ドイツでのエネルギー革命ですが、2050年までに80%を再生可能エネルギーにする目標は、遅れる可能性もあると思います。
 しかし脱原子力、再生可能エネルギーの拡大という方針は変更されないと思います。
 脱原子力は、国民的な合意です。
 これを見直そうとする党は、選挙で負ける可能性があるのです。
 ドイツの政治家は経済団体よりも国民の意見を重視する傾向があります
 ドイツは先進工業国としてエネルギーの消費を減らしても経済成長が可能であることを世界中に示そうとしているのです。

 本日はありがとうございました。

[写真-1]
ドイツの脱原発に向けた施策を紹介するジャーナリストの熊谷徹さん=東京都港区赤坂で

[写真-2]
太陽光パネルを使ったドイツの大規模太陽光発電所=ドイツ東部で

[写真-3]
脱原発を進めるドイツの事例を紹介する熊谷さん

[図]

[対談]熊谷さん × 福島特別支局・井上編集委員

井上: ドイツには日本の電源三法のような地元への補助金政策がないが、どうして原発が設置できたのですか。

熊谷: 雇用が生まれ、営業税の税収が地方自治体に入るととらえられているからです。
 ただ10を超す核関連施設が反対運動などのため建設されませんでした。
 カルカーに高速増殖炉を造ろうとしたが、激しい反対で建設できず、この跡地は今は遊園地。
 ドイツの原子力文明が終わったことの象徴だと思います。

井上: ドイツで秋に総選挙があります。野党は脱原発を訴え、与党はこの間まで原発推進だった。選挙はどうなりますか。

熊谷: 与野党ともに単独で過半数を取れない可能性が強い。
 エネルギー政策におけるメルケル政権の目標は2050年までに再生可能エネルギーの比率を80%に増やすこと。
 今春に緑の党が発表したマニフェストでは、2030年までに100%に、社会民主党も2050年までに100%にすることを目標にしています。

井上: 再生可能エネルギーはあんなに金がかかるのかと批判も出ている。ドイツでも電気料金が上がっている。再生可能エネルギーに価格競争力はあるのでしょうか。

熊谷: 日本の太陽光による電力の買い取り価格は高いといわれますが、ドイツでも初期には今よりも高い水準でした。
 しかし価格は漸減しています。
 料金だけを見ると、ドイツで再生可能エネルギーだけを売る販売会社の電気料金は、それ以外の電力に比べ大幅に高いとはいえない。
 特に水力を多く使っている会社は価格競争力がある。

井上: 再生可能エネルギーが始まったばかりの日本は、高くても仕方がないくらいの気持ちでいいと。

熊谷: 緑の党の哲学は、エネルギーのコストをわざと高くすることで消費量を減らす考え。これが日本ではあまり理解されていません。
 ドイツは経済的な理由から再生可能エネルギーを増やそうとしているという見方がありますが、そうではなく、政治的イデオロギーから拡大させているのです。

井上: 日本では使用済み核燃料の最終処分場が決まらないまま何十年も過ぎています。ドイツはどうですか。

熊谷: 市民の半数以上が反原子力である理由の一つが、高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていないことです。
 1970年代にニーダーザクセン州のゴアレーベンが候補地として発表され、その後凍結されました。
 メルケル政権は2015年までに候補地の要件を決め、2032年ごろまでに候補地を決定するつもりです。
 ただ、候補地が決まれば反対運動が強まることが予想されます。

井上: 技術者の倫理という問題があります。メルケル首相の倫理委は衝撃的です。日本で原発を止めるとなると科学者、技術者の判断で倫理は出てこない。なぜドイツは倫理を選んだのですか。

熊谷: 福島事故より前から倫理委はありましたが、テーマは遺伝子操作、生命科学、医学の問題が中心でした。
 政府内には、原子力、脱原子力を倫理委で議論することに反対意見もありましたが、「原子力の問題は国民の健康と安全にかかわる問題」というメルケル首相の意見が通りました。

井上: 福島特別支局に着任し、飯舘村の菅野典雄村長と話をしていて、これは福島以外の日本人へのメッセージだと思ったことがありました。「東日本大震災から何を学ぶべきか忘れているのではないか。経済第一、成長第一の発想からの転換が必要だとあの時思ったのではなかったのか」(菅野村長)と。ドイツから見て(今の日本は)どうですか。

熊谷: 日本人は勤勉な民族です。
 しかし経済的効率性を追求するあまり、もっと大事な自分の人生や健康といったものを無視してまで頑張ってしまいます。
 私はその姿を「木を見て森を見ない」国民性だと思います。
 一方ドイツ人は、自分や家族の健康と安全を第一に考える。
 エネルギー問題に関しても、経済的利益や効率性だけではなく、自分の健康と安全にどんなリスクがあるかを優先して考える。
 そんなふうに感じています。

◆ 参加者との質疑応答

Q= 脱原発は冷戦終結(東西統一)と関係がありますか?

A= 関係ありません。
 緑の党と社会民主党の左派連立政権(シュレーダー政権)が1998年に生まれたことが、最大の原因です。
 緑の党は2000年に電力会社との間で初の「脱原子力合意」を達成し、再生可能エネルギーの本格的助成を始めました。

Q= 原発を停止することで電気料金が上がり企業の国際競争力が落ちるということが現実にあるのでしょうか?

A= ドイツの電力販売会社は今年2013年1月に約10%電気料金を引き上げましたが、この原因は再生可能エネルギーに対する助成金が大幅に増えたことです。
 原子炉7基の停止が直接の原因ではありません。

Q= 日本では発送電分離が取り沙汰されているが、ドイツでは?

A= 大手電力会社4社のうち、3社が送電部門を完全に売却して「所有権分離」を行いました。
 それでも英国や北欧に比べて発送電分離が遅れました。
 欧州委員会は発送電の分離を促進するよう、ドイツに対し強く勧告しています。

東京新聞、2013年6月13日
[東京新聞フォーラム]
日本のエネルギーの未来図 脱原発国家ドイツに学ぶ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/forum/list/CK2013061302000278.html

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安倍総理がダメにした日本の悲惨な未来

「安倍首相はアジアで最も危険な人物」

 米国の有力ヘッジファンド「キニコス・アソシエーツ」設立者で米大物投資家ジェームズ・チャノス氏の衝撃的な発言が5月中旬、世界のマーケットを駆け巡った。超大物投資家、ジョージ・ソロス氏も4月に「日本はとても危険」と断じたばかり。オバマ大統領の来日を機に蜜月を演出したい首相の思惑は外れ、日本売りが加速している。

 ブルームバーグ・ニュースのワシントン支局の山広恒夫氏がこう解説する。

「チャノス氏は世界平和を願って発言しているわけではなく、狙いは日本株崩しでしょう。ここ数年、空売りを仕掛けていた中国株がなかなか沈まないので、日本に触手を伸ばしてきた可能性があります。安倍首相は経済を立て直す前に憲法改正など宿願だった政策に軸足を移しつつある。東アジアが不安定になるのを望まないオバマ大統領は、柔軟な外交ができない日本にいら立ちを感じている。そうした隙を狙われたということでしょう」

 米紙大手、ニューヨーク・タイムズも「解釈改憲は民主主義を傷つける行為。憲法は権力をチェックするものであることを安倍首相は知るべき」(5月8日付)と痛烈に批判していた。

 米国がこうした日本批判をメディアを通して世界中に発信することによって、日本株売りの空気が醸成され、株価が下がれば、空売りを仕掛けたチャノス氏らハゲタカ・ファンドが儲かるという仕組みだ。

 オチオチしていられないデータもある。今年に入り、外国人投資家が続々と日本売りを進めているのである。

 アベノミクスが好調だった昨年、外国人投資家は日本株を約15兆円も買い越した。ところが今年に入ると状況は一転。1月に過去最大級の約1兆1700億円も売り越すと、2、3月も売りが先行。4月には、いったん買い越し額が上回ったが、5月は再び売りが先行している。楽天証券経済研究所の山崎元(はじめ)・客員研究員がこう語る。

「昨年、アベノミクスの効果で日本株は57%も上昇しており、外国人投資家も買い疲れている。日本企業の今春の決算はどこも好調だったのに、それほど株が買われていないのも気になる。アベノミクスを支えてきた金融緩和政策もそろそろ『弾切れ』となりつつあり、外国人投資家も『どこまでお付き合いするか』を見定めようとしているのではないか」

 こうした動きを象徴したのが、今年に入り、「大量の日本株を売っている」とも噂される超大物投資家ジョージ・ソロス氏の言動だ。4月、米CNBCのインタビューに応じたソロス氏は、
「日本がしていることはとても危険だ」
「円が下落を始めたら日本人はそれが止まらないと気づき、海外に資金を退避させようとし、下落は雪崩のようになるかもしれない」などと発言。日本経済の先行きに対して悲観的な発言を繰り返したのだ。


週刊朝日、2014.5.28 07:00
「安倍はアジアで最も危険な人物」
ソロス氏に続き、米国大物投資家が“日本売り”

週刊朝日 2014年6月6日号より抜粋
(本誌・小泉耕平)
https://dot.asahi.com/wa/2014052700095.html

 このコラム記事が配信されるのが4月1日午前7時。同日昼前には、新しい元号がわかる。発表当日はエープリル・フールの日だ。1日は新元号にまつわる様々なフェイクニュースがネット上に氾濫するかもしれない。

 新元号「安晋(あんしん)」。という冗談は既に使い古されたのかもしれないが、どんな気の利いた話が出てくるか楽しみだ(こんなことを言うと、「不敬罪!」と言われそうだが)。

 そして、これから1カ月は、「平成」を振り返る特集がテレビを占拠するだろう。

 失われた30年とも言われる平成だが、「平成は良かった」という人が7割いるという(共同通信の世論調査)。過去の時代に比べて、戦争がなかったという意味では、確かに良い時代だった。天皇、皇后両陛下の思いが通じたのかもしれないとも思う。

 一方、昨年11月に発表された大和ネクスト銀行によるインターネット調査では、平成の時代が「良かった」が39.8%、「良くなかった」19.9%、「どちらともいえない」が40.3%だったという。やはり、人それぞれという感じだ。

 では、私自身、平成をどう総括するのかと問われたら、「昭和の遺産を食い潰した時代」と答えたい。遺産を使っても、次の時代に花開く新しい芽を育てたのであれば、「食い潰した」とは言わない。しかし、遺産を使った結果、残されたのは1100兆円の借金と崩壊寸前の社会保障制度だけ。次代を担う新たな産業や企業、そして世界に伍して競争できる若者は、ついに育たなかった。だから、「食い潰した」と言うのだ。

 折しも、4月1日には、出入国管理法や労働基準法の改正法が施行される。実はこの二つの法律が日本の「失われた30年」を象徴するものであることに気づいている人はどれくらいいるだろうか。

 いずれの法律も、少子高齢化による人手不足がその背景にある。

 80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本企業は、平成に入って90年代以降、急速に国際競争で優位性を失った。主として、低賃金を武器にしたアジア諸国の追い上げによるものである。本来は、ここで、日本の大企業は、賃金を含め高い労働条件でも競争できるビジネスモデルへの転換を図らなければならなかったのだが、そうはしなかった。

 同様の課題に日本より少し早く直面した欧州では、イギリス病、ドイツ病、オランダ病などという言葉が象徴するとおり、非常に長期の停滞を経験したが、労働条件を向上させつつ何とかその困難を克服しようと努力した。これに対して、日本は労働コスト引き下げで競争力を維持するという、より安易な方向に逃げ続けたのである。

 その一環として実施されたのが、一連の企業の労働コスト削減を支援する政策だ(詳細は、2018年11月19日の本コラム「安倍政権の外国人単純労働者の受け入れ拡大は経団連のための低賃金政策だ」を参照)。

 労働者派遣拡大などによる正規雇用から非正規雇用への大々的転換政策、留学生30万人計画による就労目的の外国人留学生導入政策、技能実習制度という名の外国人単純労働者受け入れ政策、そして、究極の国際競争のための賃金カットになる円安政策。

 これらは、低賃金により企業の競争力を維持する政策として機能した。目指す方向が労働コスト切り下げだから、労働者を守るはずの労働基準法もザル法のまま温存した。残業時間規制は名ばかりで事実上の青天井野放し、サービス残業という賃金不払いは当たり前、有給休暇も思うように取れない。最低賃金も先進国の7割程度で途上国にも負け始めている。とても先進国とは言えない労働環境が、2019年もまだ続いているのだ。

 その結果、日本の労働生産性は、G7諸国の中で最下位、先進国の中でも下位グループのままだ。低い賃金・労働条件とは、低生産性と同義である。労働条件の向上を可能にするためには、もっと儲けるか、企業の利益を削って労働者への分配を増やすかだが、後者は永遠に続けることはできない。つまり、企業は労働条件を上げるためにもっと利益を出す経営が求められる。そして、もっと利益を出すということは生産性を上げるということと同じだ。だから、働き方改革と同時に、生産性革命と叫ばれるのは、当然のことで、それはまた経営革命という意味でもある。

 人手不足は平成の初めには誰でも予見できた。私が課長補佐をやっていた90年代初めに、20年後に深刻な人手不足になると予測して、労働時間を短縮することなどを提言したことがある。共産党の当時の不破哲三委員長に国会で褒められて冷や汗をかいたものだ。課長補佐でもわかるくらい自明のことだったのだが、それから30年間、日本は必要な改革を怠った。

 本来は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこの頃に、厳しい道、すなわち、労働条件を引き上げながら儲かるビジネスへの転換を目指す道を選択していたら、平成が終わる今頃までには、様々なイノベーションと改革のための投資によって、少子化を乗り越える経済構造に到達し、新たな産業、企業の発展の道筋が見えていたかもしれない。今とは全く異なる絵になっていたのではないか。

 しかし、日本は、それを怠り、昭和の遺産を食い潰しながら、楽な方へ楽な方へと舵を切っていったのだ。もちろん、その舵取り役は、政治においては自民党、経済においては経団連と経産省である。

 平成の終わりになって、追い詰められた日本は、過去の過ちにようやく気付き始めた。「始めた」と言ったのは、まだ完全ではないからだ。働き方改革の名の下に19年以降残業規制が厳しくなる。同一労働同一賃金は来年から実施だ。これらの政策によって、企業の労働コストは上がる。それでも儲かるビジネスに転換できなければ生き残ることはできない。

 遅きに失した感はあるが、今からでも厳しい道を選び直して、何とか茨の道を乗り越えようではないかというのが、日本のリーダーが国民に呼びかけるべき言葉なのだ。しかしながら、そんなことは不可能なことのような気がする。なぜなら、一国の企業全体が、新たなビジネスモデルへの転換を遂げるには、20年はかかるというのが欧州諸国の経験だ。さらに厳しく言えば、その間にかなりの企業は淘汰されてしまうかもしれない。しかし、今の日本には、20年などという猶予期間はないと誰しもわかっている。既に30年を無為に失っている間に、財政は借金漬け、社会保障制度の基盤は崩壊寸前になってしまった。つまり、欧州諸国がかけた時間よりももっとはるかに短い時間でこの大転換を成し遂げろということになる。

 経営革命と聞くと、経団連企業がやることだと思っている人も多いようだが、実際には、中小企業がその最前線に追い立てられる。働き方改革や最低賃金のさらなる引き上げは中小企業にこそ最も深刻な負担を課す。

 今回の非常に微温的な働き方改革でさえ、中小企業には猶予期間(例えば、残業規制は来年4月から適用)を与えざるを得なかったが、もし、来年以降、厳格に残業規制などを適用すれば、多くの中小企業にとって、「地獄の苦しみ」になってくるのは必至だ。人手不足は、合理化投資をできない企業ほど痛めつける。合理化投資をする知恵も余力もなければ、質の低い労働者を毎年上昇する賃金で雇うしかない。自分たちの手取りを減らし、自らの労働時間だけは大幅に増やして、文字通り身を粉にして働いても、残念ながら先は見えない。

 一方、中小企業は、自民党や公明党の大事な支持基盤である。あまり厳しい改革を強いれば、選挙に負けるという恐怖感が先に立つので、やるべきことをそのまま実行することは不可能だ。そこで、どうしても甘い政策に戻りたくなる。出入国管理法を改正し、これまで同様低賃金労働を温存する政策を強化したのは、その表れだし、労働基準法の厳格運用は行われないだろう。

 言葉を換えれば、低生産性温存の政策を引き続き採用し続けるしかないのだ。

 こう見てくると、日本にはもう先がないのではないかという暗澹たる気分になってくる。やるべきことはわかっているのだが、それを今の日本人に実行できますかと聞かれたら、どうしてもNOという答えしか浮かばない。

 私は今、イソップの「アリとキリギリス」という寓話を思い出している。夏の暑いさなか、冬に備えて汗を流しながら食べ物を巣に運ぶアリを見て、周りに食べる草はたくさんあるのにと嘲笑しながら歌に興じるキリギリス。冬になって食べる草が無くなった時、アリの巣を訪ねて食べ物をくれと頼むと、アリに断られる。この話の終わり方には様々なバリエーションがあるが、キリギリスが、冬の寒さと飢えで死んでしまうところに追い詰められるのは共通だ。

 この寓話を用いれば、「昭和はアリの時代」「平成はキリギリスの時代」だと言える。そして、平成の終わりは、晩秋だ。キリギリスの日本を待つのは寒い冬。新元号の時代は、これまでにない厳しい時代になるだろう。

「新しい時代が始まる前から、なんて暗い話ばかりしてるんだ」と言われるかもしれないが、こうした心配は私だけがしている訳ではない。

 最近来日して大きな注目を浴びた投資の神様、ジム・ロジャーズ氏の言葉を紹介したい。彼は、米名門のイエール大と英オックスフォード大で歴史学を学んだあと、これまた今は投資の神様と呼ばれているジョージ・ソロス氏と設立したファンドで、10年で投資収益4200%という実績を挙げた。リーマン・ショックやトランプ大統領当選などの予言が的中したことでも有名だ。

 同氏の訪日で、最も多くの報道に引用されたのは、「私がもし10歳の日本人なら、ただちに日本を去るだろう」という言葉だ。彼は今日の日本を高く評価しながらも、将来については極めて断定的に悲観論を述べる。「その日本が50年後か100年後には消えてしまうのは心から残念でならない」というほどだ。そして、「当然だ。これだけ借金があり、しかも子どもを作らないのだから。私はこれだけ日本を愛しているが、日本に住もうとは思わない。借金と少子化、この二つがシンプルな理由だ」と解説する(PHP新書『お金の流れで読む日本と世界の未来』)。

 実は、彼のこの言葉には、もう少し長いバージョンがある。それは、「もし私が10歳の日本人ならば、自分自身にAK−47(自動小銃)を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶだろう」(2017年11月の米投資情報ラジオ番組「スタンスベリー・インベスター・アワー」での発言。前掲書より)というものだ。「2050年には日本は犯罪大国になる」からだという。

 もちろん、アベノミクス信奉者は、安倍総理が日本を救ってくれると思っているかもしれないが、そのアベノミクスについても、彼は、こう断罪する。

アベノミクスが成功することはない。安倍政権の政策は日本も日本の子どもたちの将来も滅茶苦茶にするものだ。いつかきっと『安倍が日本をダメにした』と振り返る日が来るだろう。

 1カ月後の5月1日に迎える新元号の時代がいつ終わるのかわからないが、平成と同様30年程度だとすると、2050年頃になる。投資の神様ジム・ロジャーズ氏が言う「日本が犯罪大国になる時」だ。その前に破たんという最悪のシナリオも否定はできない。

 井の中の蛙という言葉がぴったりの日本だからこそ、世界を俯瞰する投資の神様の言葉は謙虚に受け止めるべきではないだろうか。

 世界に目を向ければ、平成は、「日本が世界一流から二流へと転落し、アジア一流の地位も揺らぎ始めた時代」だった。新たな時代では、すぐに「アジア二流」への道が待っている。

 新元号を発表するのは菅義偉官房長官だが、それとは別に安倍総理の会見も開かれる。将来、安倍総理と新元号が対になって人々の記憶に残るようにしたいという安倍総理の希望があるのだろう。しかし、ジム・ロジャーズ氏が言う通り、「安倍が日本をダメにした」と振り返る日が来るのではないかと思えてならない。

 そうならないようにする道筋が見えないからだ。

 日本に「神風」が吹くことはあるのか。望みはそれだけのような気がする。


AERA dot.、2019.4.1 07:00
古賀茂明「安倍総理がダメにした日本の悲惨な未来をジム・ロジャーズが警告」
https://dot.asahi.com/dot/2019033100016.html

【ニューヨーク=関根沙羅】米著名投資家ジョージ・ソロス氏など19人の米大富豪は2019年6月24日、2020年の米大統領選候補者宛ての公開書簡を公表し、超富裕層税を支持するよう要請した。
「米国は道徳、倫理、経済的に我々の資産へ課税する責任がある」とし、自ら大富豪への増税を訴えた。
 書簡の賛同者には、フェイスブックの共同創業者クリス・ヒューズ氏ウォルト・ディズニーの共同創業者の孫娘のアビゲイル・ディズニー氏などが含まれる。
 書簡は「新たな税収は、中低所得層ではなく金銭的に最も恵まれた層から徴収されるべきだ」とし、保有資産で上位0.1%の超富裕層の資産に対する課税を要請した。
 書簡は、米国では保有資産で上位0.1%の層が下位90%と同等の富を所有していると指摘し、超富裕層税の導入で経済成長の促進、気候変動対策や公共衛生の改善、公平な機会創出につながると主張している。
 書簡は特定の政党や候補者を支持するものではないとしているが、具体的な政策例として民主党の大統領候補を目指すエリザベス・ウォーレン上院議員が提案する政策に言及した。
 ウォーレン氏は5000万ドル(約53億6500万円)以上の資産に対して毎年2%の税を課す政策を掲げる。
 民主党の大統領候補を目指すバーニー・サンダース上院議員やベト・オルーク前下院議員なども同様の政策を支持しており、超富裕層税は20年の大統領選の焦点の一つとなっている。


[写真]
米著名投資家ジョージ・ソロス氏など19人の米億万長者らは24日、超富裕層税を支持する公開書簡を公表した

日本経済新聞、2019/6/25 7:23
ソロス氏ら米大富豪「超富裕層に課税を」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46527130V20C19A6000000/

 世界的な投資家であるジム・ロジャーズ氏が、韓国KBS1の番組「今夜キム・ジェドン」(15日放送回)で「韓日経済の未来」をテーマに司会者と対談、日本の安倍晋三首相に向けて、
「辞任して下さい。辞任する考えがないのであれば、これ以上狂った行為をやめて下さい」
と直言した。

 ロジャーズ氏は、
「(日本は)韓国と良好な関係を結ばなければならない。韓国は世界的に大きな経済市場の一つだ」
と指摘して安倍首相に忠告した。
 彼は日韓貿易紛争について、
「現在の葛藤の理由は、日本は凋落して韓国が上がっているため」と分析、
安倍氏はどうすべきかを知らない。(韓国を)妨げることしか安倍氏にできることがないから試みているのだろう」と評した。

 また、安倍氏の経済政策については、
彼は日本に酷いことをして日本を台無している」と評価、
彼は毎日のように莫大な借金をしている。信じられないほどのお金を刷って、株式を買い、債券を買い入れしている。まさに血迷った行為」だと述べた。
 彼は、
「安倍氏はどんどん悪い方法で対処するだろう。韓国を攻撃してはこの問題の助けにならないだろう」との展望を示した。
 彼はまた、韓国経済の打開に向けて、
「軍事境界線を開放すると、新しい国境が生まれ大きな機会になる」とし、
「新しい供給先を見つけること」などの案を提示、
「しばらくの間は苦痛が伴うが、他の供給先ができれば韓国は自立することができるだろう」と述べた。


高麗ジャーナル、2019.08.18
ジム・ロジャーズ氏、日本の対韓国経済報復に苦言
http://www.koryojournal.news/?p=3434

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2019年08月18日

そろそろ日本の首相を取り換える時期

 福岡3区(福岡市早良区・西区・城南区の一部、糸島市)選出の衆議院議員に山内康一(1973年生まれ、立憲民主党)が次のようなことを書いていますのでご紹介:

 安倍政権の6年半をブログでふり返る参院選企画の第9弾です。

 2017年9月12日付ブログ「日独の科学政策:首相のちがい」です。
https://www.kou1.info/blog/education/post-1685

 日本とドイツはいずれも長期政権ですが、科学政策(高等教育政策)では大ちがいです。
 成功したドイツと失敗し続ける日本。
 大学教員の皆さんと話をすると、安倍政権の高等教育(大学教育)政策への不満は非常に大きいです。
 目先の短期的な成果だけを見る日本の科学政策(高等教育政策)の失敗は明らかです。
 大学の自治や学問の自由を損ない、日本の衰退を招きます。
 安倍政権の政策のほとんどに共通する性格は
「短期志向」
「経済的価値偏重」
「問題先送り」です。
 このままでは日本の科学と大学教育はあやういです。
ーーー
日独の科学政策:首相のちがい

 西川伸一(1948年生まれ)さんという方が書いた「ドイツ科学の卓越性の秘密、Nature 最新号の記事を読んで」という2017年9月10日(日)付け記事がとても興味深かったので、ご紹介します。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20170910-00075571/

 ざっと要約すると;
1)安倍首相の科学政策についての考えは間違い。日本の科学の未来は暗い。
2)メルケル首相のもとでドイツの科学技術政策は大成功。国際的評価も急上昇。
3)日独のちがいは、「すぐに役立つ職業教育を重視する日本」に対し、「すぐに役立たない理論的学術研究を重視するドイツ」のちがいに起因する。

 安倍首相はOECD閣僚理事会でこんな恥ずかしいことを言ったそうです。
 日本では、みんな横並び、単線型の教育ばかりを行ってきました。小学校6年、中学校3年、高校3年の後、理系学生の半分以上が、工学部の研究室に入る。こればかりを繰り返してきたのです。そうしたモノカルチャー型の高等教育では、斬新な発想は生まれません。
 だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新しい枠組みを、高等教育に取り組みたいと考えています。

 この記事の執筆者の西川氏は、安倍首相の発言に対し、次のように述べます。
 まともな科学者なら、これを読んだらこの国の科学はおしまいだと思うだろう。
 もちろん原稿は、優秀な内閣府の官僚が書いたのだと思う。
 知識をひけらかす才気紛々とした原稿だ。
 しかし、「Rather than deepening academic research that is highly theoretical(極めて理論的な学術研究を深めるのではなく)」といったフレーズを平気で使える官僚が日本の高等教育政策を担っているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。
 この単線型の教育制度のもとで高度経済成長を達成し、技術大国になり、ノーベル賞受賞者も多数輩出しました。
 私はそんなに否定すべきモデルだとは思いません。
 もちろん現状のままでよいとは思いませんが、安倍政権が示す「改革案」はより状況を悪化させます。

 安倍政権は、国立大学の人文科学系学部や教員養成学部を削減しようとしたり、人文系リベラルアーツを敵視したりしているのは前から知っていました。
 しかし、科学政策に関しても、トンチンカンな政策を採用しているのは知りませんでした。
 戦前の軍部や安倍政権は、理工系にやさしいと思っていましたが、私の勘違いでした。

 ちなみにドイツの科学技術への投資は日本より少ないそうですが、それでも論文の引用レベルを示す指標などではアメリカと肩を並べるレベルだそうです。
 英タイムズ社の大学ランキング200位以内には、日本の大学は2校しか入っていないのに対して、ドイツの大学は22校がランクインしているそうです。
 ドイツの2005年の200位以内の大学は9校だったので、この10年で大学ランキングの順位を急速に上げていることがわかります。
 ドイツの科学政策や高等教育政策が成功しているのは、メルケル首相のおかげという評価だそうです。
 メルケル首相は物理学の博士号を持つ研究者でもあります。
 そういう点ではメルケル首相が科学政策に強いのは当然です。

 首相自身が博士号を持っていなくても別に構いませんが、その代わり高等教育政策や科学政策に詳しいアドバイザーやスタッフの助言に従う必要があります。
 しかし、どうも安倍首相のまわりには経済産業省の官僚や経済界の人物が多く、学術研究を軽視する一方で、すぐに役立つ技術教育を重視する傾向があるようです。
 ひょっとすると安倍首相の周辺で教育関係者といえるのは、加計学園の理事長くらいしかいないのかもしれません。
 安倍政権の「教育再生」はかなりあやしげです。
 安倍政権の「教育再生」とは、戦前復帰型のイデオロギー教育と教養軽視の職業教育偏重の「教育改悪」に他なりません。
 知識経済・知識社会といわれる時代に安倍首相のような反知性主義者をトップに選んだ日本は不幸です。

 池上彰さんは、教養やリベラルアーツの重要性を指摘して次のように言います。
 大学で役に立つことを学んでも、その知識はすぐに陳腐化します。「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」との言葉もあります。常に学び続けていなければなりません。と同時に、「すぐには役に立たないこと」を学んでおけば、「ずっと役に立つ」のではないないかとも思うのです。これが、「リベラルアーツ」という考え方です。教養と言い換えてもいいでしょう。

 技術教育のように「すぐに役立つこと」も大切ですが、少なくとも大学教育においては「すぐには役に立たないこと」も大切です。
「すぐには役に立たない」リベラルアーツや教養という要素は、大学教育では欠かせません。
 また、「すぐには役に立たない」科学の基礎研究も、長い目でみれば割に合うものだと思います。

 メルケル首相と安倍首相のちがいは、まともに勉強してきた人かどうかのちがいだと思います。
 あるいは、親やお祖父さんの七光りで首相になった人と、自らの実力だけで首相に上りつめた人のちがいかもしれません。
 いずれにしてもメルケル首相とは比べようもないことは明白です。
 そろそろ日本の首相を取り換える時期だと思います。
 科学と大学教育を守るためにも。


山内康一ブログ 『 蟷螂の斧 』2019年07月13日
安倍政権6年半をふり返る(9):日独の科学政策[首相のちがい]
https://www.kou1.info/blog/education/post-3200

 日独の違い、ここで再度、宇野重規先生に登壇願います:

 ドイツのメルケル首相はどうなってしまったのか。
 あるいは、そうお思いの方も少なくないのではないか。

 つい先日の報道も、メルケル内閣の前途に大きく暗雲を投げかけるものであった。
 かねてよりメルケル首相の移民受け入れ政策に不満をもっていたゼーホーファー内相が、辞任を示唆したのである。
 ゼーホーファー内相は、与党キリスト教民主同盟(CDU)が連立を組むキリスト教社会同盟(CSU)の党首でもある。
 すわ連立内閣の崩壊かという報道は、ドイツのみならず、世界を震撼させたと言えるだろう。

 背景にあるのは、言うまでもなく反移民を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の台頭である。
 バイエルン州を地盤とするCSUは、今秋にも予定される地方選挙を前にAfDの攻勢にさらされている。
 もともと保守的なCSUの党首である内相は、もしメルケル首相がEUとの間で有効な移民政策をまとめられないなら、ドイツ国境で難民申請者を追い返すと口にしたのである。

 結局、メルケル首相はゼーホーファー内相の辞任を思いとどまらせ、内閣崩壊の危機を回避することに成功した。
 とはいえ、その代償として、ドイツの国境管理強化を約束し、内相に「譲歩」する形となった。
 今後、もう一つの連立与党である社会民主党(SPD)との対応を含め、メルケル政権の前には依然として不透明さが残っている。
 あるいは、この稿が公開されるまでの間に、さらなる波乱が起きる可能性も否定できない。

 このような一連の騒ぎを見て、日本の読者のなかにはメルケル首相の「変節」を感じる人もいるだろう。
 これまで人道的な視点から寛大な移民政策を進めてきたと言われるメルケル首相である。
 さすがの彼女も足元からの不満の爆発に対し、ついに大きくその理想を後退させることになったのか。
 そう受け止める人がいてもおかしくない。

 しかしながら、はたしてそのような理解は正しいのだろうか。
 そして、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ大統領に対して、あたかも「世界の良識」を代表しているかに見えたメルケル首相も、政界から消え去る日が近づいているのだろうか。

* * *

 ちなみにドイツに来てから、同僚や学生とおしゃべりをするとき、意図的にメルケル首相の評価を訊くようにしている。
 もちろん、大学、それもリベラル系の大学の周辺である。
 けっしてドイツの一般的なサンプルとは言えないだろうが、概して批判的なコメントが多かった(社会民主党〔SPD〕の低迷を嘆く声も多かった)。
 メルケル首相は、理念の政治家というよりはあくまで現実的で、「プラグマティック」な政治家である。
 状況次第では、コロリとそれまでの政策を転換してしまうことも珍しくない。
 そのニュアンスは、柔軟性に富むというよりは、変わり身が早いという批判に聞こえた。

 メルケル首相といえば、旧東独の出身であることで知られている。
 プロテスタントの牧師の家庭に生まれた彼女は、今でもどこか生真面目で質素、堅実という印象がある。
 1989年のベルリンの壁の崩壊まで物理学の研究者として暮らしてきたこともあり、政界に入ったのは他の政治家と比べてもきわめて遅い。
 もし東独の社会主義体制が続いていたならば、今も科学アカデミーでコツコツと研究をしていてもおかしくない。
 服装や髪型にも関心がなく、政界で彼女を引き立てたコール元首相もさすがにあきれ、「メルケルさんに、もう少しマシな格好をさせなさい」と部下に命じて、一緒に服を買いに行かせたというエピソードがよく知られている。

 ベルリンの壁崩壊後、「民主的出発(DA)」という小政党に参加し、この党がのちにキリスト教民主同盟にCDUに合流したことから彼女の運命は変わっていく。
 すでに触れたように、東西ドイツ統一で歴史に名を残したコール首相の目にとまった彼女は(コールは旧東独出身の女性政治家を意図的に起用しようとした)、その後、あれよあれよという間に政界を駆け上っていく。
 やがてCDU幹事長、さらに党首となった彼女は、連邦議員に初当選してからわずか15年で、女性として、また旧東独出身者として初のドイツ連邦首相になったのである。

 なぜそのようなことが可能になったのであろうか。
 正直なところ、あまりカリスマ性のある政治家ではない。
 演説がとくに巧みというわけではないし、人目を引きつける際立った言動をするわけでもない。
 あくまで地味で堅実、本人もパフォーマンスは好きでないようだ。
 ものごとの本質を理解する能力が高く、政策についても熱心に勉強すると言われているが、それだけで海千山千の政界を泳ぎ切れるとは思えない。
 しばしば指摘されるのが、メルケルが政治において機を見るに敏で、実力のありかを鋭く嗅ぎ分ける能力を持っているということだ。
 言い換えるといわゆる「マキャヴェリスト」であり、ときに冷淡とも言える決断もあえて辞さないのが彼女の本質だという。

 たしかに政界において引き立ててくれたコール首相が汚職疑惑にまみれたときも、メルケルは敢然と彼を政界引退へと追い込んでいる。
 旧東独出身ということもあり、つねに人との距離を慎重に図っている印象のある彼女は、利用できる人物は利用し、できなくなれば距離を取り、さらには切るという点で揺らぎがない。
 だが、それだけであろうか。
 それだけでメルケルは今日の地位を獲得したのだろうか。
 今ひとつ納得できないまま、それでも彼女への関心を持ちながらここまで来た。

* * *

 ここのところ、日本で出たメルケルについての本を何冊か目を通す機会があった。
 いずれも練達のジャーナリストによる本であり内容は堅実であったが、しばしばタイトルには「女帝」といった言葉が使われ、大国ドイツによる脅威をことさらに煽るものが目立った。
 このあたりも、日本人にとってのメルケルの不透明感の一因がありそうである。
 しかしながら、これらの本が共通して着目しているのが、メルケルが危機を通じてむしろ政治的に成長している点である。
 その最たるものがユーロ危機であろう。

 財政破綻に瀕したギリシアに対して強く財政規律を求めた結果、メルケルは大国の傲慢と非情を激しく批判された。
 その一方、なぜ自分たちが他国の尻拭いをしなければならないのかというドイツ人の不満に悩まされたのもメルケルである。
結果としてはユーロの破綻を回避すると同時に、ドイツ国内の支持をむしろ定着させたメルケルの手腕は注目に値するだろう。

 原子力政策も同様であり、原発推進を掲げるドイツ国内の財界と、原子力に対して恐怖感を持つ国民感情の間に立って、メルケルは自らの政策の根本的な転換を辞さなかった。
 この転換の歴史的評価にはまだ時間がかかるが、少なくともメルケルがこれらの危機を通じて、次第に安定感のある政治家として認められていったことは間違いない。
 しばしば選挙での苦戦ぶりを伝えられるメルケルであるが、結果としてみれば、実に4回の総選挙で続けて第一党の座を死守したことの意味は大きい。

 やや古くなるが、ドイツのジャーナリストであるラルフ・ボルマンの著作が興味深い(邦訳題名は『強い国家の作り方――欧州に君臨する女帝 メルケルの世界戦略』、村瀬民子訳、ビジネス社、2014年)。
 ボルマンはメルケルを「外国人のような首相」と呼ぶ。
 旧東独出身のメルケルは、その弱さを含めドイツ人の思いをよく観察している。
 自分には事実と思えることも、ドイツ人には飲み込みやすいところから時間をかけて受け入れさせていく。
 結果として度重なる連立の組み替えにもかかわらず、メルケルは次第に国民に愛される首相になっていった。

「メルケルの持つプロテスタント的な実務性と諦念は、ドイツ人の心奥深くに訴えかける」
「ドイツ人にとってメルケルは、とりわけユーロ危機以降、唯一の思慮深く理性的な人間であり、ここでは自他ともに心が調和するようである」
「ヨーロッパの最重要国であるドイツが、危機の中でも落ち着いて行動し、ヨーロッパ連合という偉大な理想を秘めつつ決してあきらめない、細やかなステップを踏む政治であり、これがメルケルのヨーロッパ政策の成果である」

* * *

 これらの評価が正しいのか、まだわからない。
 が、ある意味で、メルケルは真の意味で「プラグマティズム」(ヤッホーくん注)の政治家なのではないか、というのが筆者の現在の見解である。

 プラグマティズムとは、この言葉がアメリカで生まれて来た経緯からもわかるように、けっして単なる実用主義や実際主義ではない。
 結果が良ければすべて良いというような安易な思想とはほど遠く、むしろ人間が弱く誤りやすいこと、未来を容易には予想できないことを重視する思想である。

 人は理念や理想を持ちながら、それが現実社会でいかなる帰結をもたらすかわからない以上、つねに謙虚でなければならない。
 自分が間違えている可能性を前提に、実験を繰り返しつつ、少しずつ進んでいくしか道はないのである。
 ある意味で「見通しの悪い時代」にあって、それでも前に進むことをあきらめない思想がプラグマティズムである(拙著『民主主義のつくり方』、筑摩選書、2013年を参照)。

 おそらくメルケルはユーロ政策にせよ、移民政策にせよ、原子力政策にせよ、迷いつつ議論を前に進めて行こうとしている。
 インテリには受けが悪いものの、全般的には明らかにリベラルな志向を持っている。
 ただし、その進め方はいかにもプラグマティズム的であり、前進と後退を繰り返しながら、少しずつ前へとにじり寄ろうとする。
 そんなメルケル政権が今後ももつかわからない。
 とはいえ、そのようなメルケルが現在のヨーロッパを支える一つの柱であることは間違いない。
 不安定な世界をかろうじて支える「メルケル的なもの」の行方を見守っていきたい。


有斐閣・書斎の窓、2018.09月号(No.659)
ベルリンで考える政治思想・政治哲学の「いま」A
メルケル首相を考える
宇野重規
http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1809/04.html

(ヤッホーくん注)プラグマティズム
岩波講座『政治哲学3近代の変容』宇野重規「プラグマティズム」(pp177−199)(岩波書店、2014年5月)参照

 メルケル首相、日本での講演のあとの質疑応答を聴いてみてください。
 彼女のプラグマティズム、「メルケル的なもの」を少しでも感じ取ってください。
 メルケル首相と安倍首相のちがいもぜひ肌で感じ取ってみてくださいね。

Q― 表現の自由にメルケル首相は関心を持っていると思います。言論の自由が政府にとってどのような脅威になり得るでしょうか。

A−: それはあらゆる政府にとってという質問でしょうか?
 私は言論の自由は政府にとっての脅威ではないと思います。

 民主主義の社会で生きていれば、言論の自由というのはそこに当然加わっているものであり、そこでは自分の意見を述べることができます。
 法律と憲法が与えている枠組みのなかで、自由に表現することができるということです。
 ドイツでは基本法の中で言論の自由が保障されておりますが、その(行使の)際には、人間の尊厳を尊重しなければいけません。
 それは大切なことです。
 ですが、言論の自由は政権にとって、政府にとっては脅威ではありません

 34〜35年間、私は言論の自由のない国(東ドイツ)で育ちました

 それは多くの側面において大変難しい、厳しいことでした。
 その国で暮らす人びとは常に不安におびえ、もしかすると逮捕されるのではないか、何か不利益を被るのではないか、家族全体に何か影響があるのではないかと心配しなければならなかったのです。

 そしてそれは国全体にとっても悪いことでした。
 人びとが自由に意見を述べられないところから革新的なことは生まれないし、社会的な議論というものも生まれません。
 社会全体が先に進むことができなくなるのです。
 最終的には競争力がなくなり、人びとの生活の安定を保障することができなくなります。

 もし市民が何を考えているのかわからなかったら、それは政府にとって何もいいことはありません。

 ですから、言論の自由は政府にとって何の脅威でもないし、問題でもありせん。
 私はさまざまな意見に耳を傾けなければならないと思います。
 それはとても大切なことです。
 多くのケースにおいて、異なる意見から、たくさんのことを学ぶことができます。


在日ドイツ大使館公式サイト
メルケル首相 来日講演会
2015年3月9日(月)、朝日新聞社の浜離宮朝日ホールにて、メルケル首相の来日記念講演会が行われました。
出典:朝日新聞デジタル
https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/20150309-asahi-rede/909436


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la canicule or dog days

 そう、台風10号が北海道の西で温帯低気圧に変わったあとでも東京では体温くらいの熱さだったって、
 でもこの熱さ、日本だけではなかったんですね、先月はヨーロッパにも熱波がおしよせてきてました、
 なんでも原発を停めるほどの熱さだったっていうから、すごすぎぃ〜
 フランス語で”la canicule”って言いますが、英語に訳しますと実はね、
 ” the hot period between early July and early September ; a period of inactivity ”

[パリ]フランス、ドイツなど西欧を中心に記録的な熱波が押し寄せている。既に各地で最高気温を更新しており、2019年7月25日もパリで、40度を超え過去最高を更新した。
 フランスでは熱波の影響で原子炉2基を止めた。
 ベルギーでは一部公務員が業務を停止する。
 夏休みシーズンに入る各地では、観光や農業への影響が懸念されている。

 仏南西部ボルドーでは23日にセ氏41.2度まで上がり、03年に記録した40.7度を超えた。
 猛暑を受け仏電力公社(EDF)は22日、南仏ゴルフェシュの原子炉2基を30日まで停止すると発表。仏国内の別の3基の出力も下げた。
 原発近くにある川に使用されて温まった原子炉の冷却水を放流するとさらなる水温上昇を招き、生態系に悪影響が出る恐れがあるためだ。
 原発の一時停止や出力低下で減る発電量は仏全体の供給の3%。
 今のところ電力需要には対応できているが、熱波が続けば、さらに十数基の一時停止も検討する。
 電力卸売価格の上昇につながる可能性もある。

 ベルギーの首都ブリュッセルでは26日まで清掃など主に外で作業する公務員が業務を取りやめる。
 ベルギー西部では山火事を防ぐため、森林近くでの喫煙やたき火を禁止した。
 英国南東部でも線路が高温でゆがむ可能性があるため、運行会社が速度を落として列車を走らせることを決めている。
 市民に鉄道の利用を減らすよう求めるキャンペーンも始めた。

 欧州の熱波は6月下旬に続き今年2回目だ。
 アフリカからイベリア半島を経由して欧州上空に進入した高気圧が西欧を中心にとどまり、7月23日ごろから気温が上がっている。
 25日が暑さのピークと予想され、パリのほかドイツ、ルクセンブルク、ベルギーの主要都市で記録を更新しそうだ。

 地球温暖化に伴って今回のような異常気象が増えるとの見方が多い。
 世界気象機関は今月2日の報告書で「欧州の熱波は人間の活動が原因である可能性が高い」との専門家の意見を紹介。
 米海洋大気局によると、今年6月は地球全体でみると過去最高の暑さだった。

 欧州経済への悪影響も懸念される。
 欧州全体で約7万人の死者を出した03年の熱波では、フランスの成長率が年0.1〜0.2%押し下げられたとされる。
 各国政府は日中なるべく外に出ないよう呼びかけているため、観光施設への来場者数は減少しそうだ。
 小麦、メロンなどの農作物の生育にも悪影響が出るのは必至だ。
 暑さで死亡する家畜も増える可能性が高い。

 フランス政府は気温が上昇する午後1〜6時の動物の輸送を禁止した。
 欧州連合(EU)に対しては、農家への補助金として約10億ユーロ(1200億円)を割り当てるよう求めた。


[図]欧州は記録的熱波に見舞われた ☟

欧州は記録的熱波.jpg

日本経済新聞・朝刊、2019/7/26
欧州熱波 経済に影 フランス、原子炉2基停止/ベルギー、屋外の作業中止
(白石透冴)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO47777820V20C19A7FF1000/

 熱い、暑い、熱波、”a period of inactivity”・・・
 外出を控えてください、室内ではエアコンを使ってください!こまめに水分を補給してください!といっつも「なんか (N) 変な (H) 空気 (K)」が流れてくる今日この頃です。
 しかし、これも「温暖」で「理想的な気候」としたのがこの国の支配層!
「アンダーコントロール」だけではなかったんですね、うそとごまかしは!
 
2020年東京大会の理想的な日程

 東京での2020年オリンピック競技大会は7月24日(金曜日)の開会式に続いて、7月25日(土曜日)から8月9日(日曜日)までの16日間で開催し、閉会式は8月9日(日曜日)に予定する。

 また、パラリンピック 競技大会は8月25日(火曜日)から9月6日(日曜日)までの開催を予定する。

 この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。

 また夏季休暇に該当するため、公共交通機関や道路が混雑せず、ボランティアや子供たちなど多くの人びとが参加しやすい

 さらに、この時期は日本全国で伝統的な祭が多く開催される時期であることから、祝祭 ムードが漂っている。
 また、重要な点として、この開催期間は他の大規模な国際競技大会とのスケジュールと重複しておらず、東京においても大会開催に影響を及ぼすような大規模イベントの開催を予定してい ない。


https://tokyo2020.org/jp/games/plan/data/candidate-section-2-JP.pdf

 すでに「女性自身」はいまからもう6年前の2013年9月、こんなことを指摘しているのですけど、
 あのぉ、責任者大塚さんって「改善」をしてきたのかな、こんなん、「無責任」で良いよんって
 だって「想定外」と頭をさげて謝れば、あとはたんまり退職金もらってまあ500マンくらい返すか、
 そして第二の人生に栄転できるし、って下層階級と違うんや・・・

 2013年8月30日付の英国タイムス紙が、2020年東京五輪でトライアスロンの会場となるお台場海浜公園の海水は、安全基準の数百倍を超える大腸菌の数値である、と報じた。

 これに対して怒りをあらわにするのは、日本トライアスロン連合専務理事の大塚眞一郎さんだ。

「あのような記事が出たことは、非常に心外です。過去18年間、毎年お台場海浜公園で大会を行っていますが、競技参加者が体調などの問題を起こしたことは一度もない。国際トライアスロン連合の水質基準値というのがあり、大会前独自に水質調査を行って安全を確認してから開催しています」
(大塚さん)

 現在、東京都には、離島以外に海水浴場は一つもない。
 理由は“水質がよくない”から。
 国か定める水浴場水質判定基準によると、100ミリリットル中、糞便系大腸菌群数が1,000個以下でなければ海水浴場としては『不適』となる。

 本年度、東京都が行った水質調査で、お台場海浜公園における糞便系大腸菌群数は、8月5日5万1,200個。8月26日2,850個。いずれも、国の水質判定基準を超えていた。
 つまり海水浴場としては『不適』な場所なのである。

 このような海で泳いだ場合、健康面でどんな問題が起きるのか。消化器外科の白山才人医師に聞いた。

「糞便系大腸菌群はほとんど無毒です。ただし菌の量によっては、下痢を起こす可能性はあります。問題なのは、多く検出されているということであれば、ほかの大腸菌も含まれている可能性がある。無毒とはいえ、国の水質基準を超えた数値ならば、水質がいいとは言えません。下痢、嘔吐はしないが、ウンチまみれの海で泳ぎたいかといえば、泳ぎたくない。精神衛生上よくないということです」

 測定する時期や場所、天候によって、水質は大きく変わる。
 東京都スポーツ振興局招致推進部はこう言う。

「雨が降った後に糞便系大腸菌群数が高くなることは把握しております。だからといって、お台場海浜公園がトライアスロンの会場として不適であるということではありません。変更するという議論も出ていません。東京都としても下水処理対策など、改善して進めております」


女性自身、2013/09/30 07:00
東京五輪
トライアスロンの会場は“大腸菌の海”?

https://jisin.jp/sport/1621609/

 2020年東京五輪・パラリンピックのテスト大会を兼ねたパラトライアスロンのワールドカップ(W杯)は2019年8月17日、会場のお台場海浜公園の水質が悪化したためスイムが中止され、ラン、バイクによるデュアスロンに変更して実施された。
 国際トライアスロン連合(ITU)のマーカス・スポーツディレクターは「組織委員会、東京都と協力し、リスクを下げる環境づくりに努めたい」と述べ、対策を強化する方針を示した。
 16日午後1時の水質検査で大腸菌の値がITUが定める上限の2倍を超え、17日午前3時の時点でスイムの中止を決めた。
 今後、原因究明を進める。


共同通信、2019/8/17 16:40 (JST)
お台場の水質悪化、スイム中止
パラトライアスロンW杯

https://this.kiji.is/535226761681880161

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2019年08月17日

日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる

 韓国に対して輸出管理上の優遇措置を受けられる「ホワイト国」除外を政府が閣議決定した4日後の2019年8月6日、安倍首相は広島での記者会見でさらなる関係悪化を招きかねない問題発言をした。

「(徴用工問題について)日韓請求権協定に違反する行為を一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」
と指摘した上で、
「日韓請求権協定をはじめ、国と国との関係の根本にかかわる約束をきちんと守ってほしい」
「最大の問題は国家間の約束を守るかどうかという信頼の問題だ」
と強調したのだ。

 経産省などは表向き、「ホワイト国」除外が、徴用工問題に対する報復的措置ではないと説明しているのに、当の安倍首相自ら報復を示唆したわけで、韓国側の反発は必至。
 さらなる日韓関係悪化が懸念される発言といえる。
 そんな対韓強硬路線の安倍外交を「小学生高学年並」「国益毀損」などと一刀両断、成熟した国として紳士的な対応を求めているのが、山本太郎・れいわ新選組代表だ。参院選の勢いをそのままに、日韓関係でも安倍外交のおかしさをズバリ批判する山本氏は、いまや野党陣営のリーダー的な論客として、枝野幸男・立憲民主党代表らと同等以上の存在感を示しているようにみえる。

 閣議決定前日の8月1日の新宿街宣(記者会見)では、山本氏は聴衆からの日韓関係の質問に答える中で、安倍外交を「小学生高学年並」「ナショナリズムを煽るもの」などとズバリ指摘した。
『日韓関係が悪化して喜ぶのは誰だ』ということです。アジア諸国に対してあまりいい感情を持っていない人たちがいるのは知っています。いろいろな思いがあるのがあるのは分かります。けれども『国の場所は動かせない』ということです。同じ町内に自分の苦手とする人がいて『我慢がならない』と引っ越しをすることは可能だけれども、国の位置は動かせないのでしょう。だとしたら、うまくやっていくしかないのです。『舐められてたまるか!』『ぶっ潰してやれ!』というような小学校高学年くらいの考え方は止めましょうということなのです。誰も得をしない。
『これはうまくつき合った方が絶対に得なのだ』ということが言えるものをこれからご覧に入れます。(モニターの画面にデータを提示) 日本から韓国への輸出総額は6兆円(2.8兆円の貿易黒字)ですよ。この6兆円がなくなってもいいと思うなら、好きなことを言ってください。でも私は、そのような感情よりも6兆円という利益を大事にしたい

 山本氏は具体的なデータを提示して、対韓国輸出規制の弊害を説明し、韓国と「うまいことやる」の必要性を強調。こう続けた。
 皆さん、どうですか。ナショナリズムを煽りながら『あの国がどうだ、こうだ』とどんどん煽りながら、自分たちがやっている政治のマズさにベールをかける。内政の行き詰まりをナショナリズムを使って隠そうとする政治。まさに、今じゃないですか。うまくやるしかないじゃないですか。その利益(輸出額)が6兆円もあるんですよ。不当な扱いだというなら、国際社会を通じて訴え続けるしかない。
 これだけ大きな取り引きがお互いにされているということは、切っても切れない。 『(日韓関係を)うまいことやれや』ということなのです。うまいことやるつもりがないのなら、政治などやる必要がない

 さらに山本氏は、演説をこんな印象的なメッセージで締めくくった。
(日韓関係を考える上で大切な)一番は何かというと、国益のためなのです。そのためには不用意な発言で2国間の間に、亀裂が入ることはしてはいけない。たとえ相手方が(不用意な発言を)したとしても、日本側はあくまでも紳士的に対処するというのが国際社会のルールです。日本は成熟した国なのでしょう。成熟した国ならば、そのような対応が必要だと思います

山本太郎「安倍首相は国内の行き詰まりをナショナリズムで覆い隠そうとしている」

 ホワイト国除外の閣議決定前日に韓国への紳士的対応を求めた山本氏は、閣議決定から5日後の7日、渋谷での街頭記者会見でも同様の主張を表明した。日韓関係に関する私の質問に次のように答えたのだ。
 この直近での政権側の振る舞いを思い出したら、たとえば、『ホワイト国から除外しました』ということがあったと思います。私が疑問に思うのは何かというと、『それをすることによって得られるものは何なのですか』ということです。獲得目標があって施策を打つわけです。その獲得目標は何ですか

 新宿街宣で安倍外交を批判した立場は、韓国に批判的な報道が多いなかでも、全く揺らぐことはなかった。それどころか、山本氏はさらに、安倍政権の日韓対立を利用しようという“政治的思惑”にまで踏み込んだ。
 はっきり言ってホワイト国除外をすることによって、日韓の間柄における輸出入に大きな障害が出来たことは間違いない。『それによって得られるものは何なのか』と言ったら私はマイナスの部分しか見えない。それによって得られる獲得目標を決めていないまま、感情的な決定が下されている。もしくは、国内の行き詰まりの部分をナショナリズムで覆い隠そうとしている部分があるのではないか。そうでないというならば、『ホワイト国除外をした末に日韓関係をどういう形にしたいのか。そこで得られる利益をどう最大化できるのか』という説明がセットではないと、これは理屈が全く通らない。少し前に戻って北朝鮮との関係、アメリカが『(北朝鮮を)ぶっ潰す』的なことを言っている時に後ろから日本側もやいのやいのと言っていました。それによって得られたものはあったのですか。『圧力をかける』と言い続けて、結果、得られたものは何だったかと言うと、『蚊帳の外』だったということです

あくまでプラグマティックに対韓国輸出規制のマイナスを訴えた山本太郎

 そして、山本氏はプラグマティックな立場から、対韓国輸出規制がいかに愚策であるか、ということを強調した。
 世界的な外交のルールとして、あくまでも紳士的な対応を続けるということが大原則だと思います。けれども、当然、こちら側から言えば、『向こう側だって』という話は当然出てくると思います。けれども、こちら側が紳士的に対応を続けることによって、どちらが正しいのかを世界に判断していただく。世界的な機関に判断をしていただくチャンスはあると思うので、あくまでも国益を守るために、そのような行動、決定をし続けないといけないというのが私の考え方です。(安倍首相の広島での)記者会見をおそらくつまびらかに見た状況になったとしても、考え方は変わらないと思います。
 6兆円に及ぶ日本からの輸出という部分に関して歯止めがかかったり、他にも訪日観光客数で見たとしても韓国からのお客様は全体の2割。これは非常に大きい。デフレが20年以上続いてきた国で消費が弱っているなか、その消費の一部を支えてくれているのは(訪日)観光客であるのは間違いありません。その中の2割に影響を及ぼすようなことを、最終獲得目標も決まっていない、考えていないなかで、そのような振る舞いをすることは国益を毀損するものであろうというふうに思います

「舐められてたまるか」的な小学生高学年並の対韓強硬外交に邁進する安倍政権(首相)に対して、山本氏は韓国への紳士的対応を続けることこそ日本の国益にプラスと訴えた。

「勇ましく戦えば結末はハッピーエンド」という戦争漫画の読みすぎではないかと疑いたくなる安倍首相と、ナショナリズムを煽ることを戒める山本氏

――どちらが日本の舵取り役に値する言動をしているのかは、明らかなのではないか。
 参院選でのれいわ新選組の躍進、そして日韓問題での主張と安倍首相への鋭い批判を目の当たりにすると、少なくとも貧困や格差に苦しむ国民の間では、安倍政権打倒の機運と山本太郎首相待望論がどんどん高まっていくだろうと思えてくる。
 安倍首相に真っ向から闘いを挑み続ける山本氏から目が離せない。


[写真]
参院選では法律の縛りでマイク一本で訴えた山本太郎代表だが、参院選後の初の新宿街宣(1日)ではモニターに各種データを映し出しながら聴衆との質疑応答をした。その中で日韓関係に関する質問も出た。

リテラ、2019.08.10 08:44
山本太郎が安倍首相の“対韓国強硬姿勢”を「小学生高学年並み」と批判した理由!
国益上のマイナスを具体的に訴え

(横田 一)
https://lite-ra.com/2019/08/post-4893.html

韓国はなぜ対日関係を悪化させるようなことをするのか?

 8月15日は日本では終戦忌念日として認識されているが、韓国では光復節、つまり独立記念日である。韓国のアイドルグループBTSのメンバーが身に着けていた光復節記念のTシャツに原爆のイメージがプリントされていたことが日本で物議を醸したのは記憶に新しい。
 韓国の人々にとって、日本による植民地支配というのは「歴史」ではなく、今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題でもある。
 いつかまた同じ屈辱を味わう羽目にならないように、過去を記憶し続け、警戒し続け、少しでも問題があると考えれば早めにその芽を潰しておく、それが韓国の人々の大日本帝国による植民地支配への基本的な態度である。
 日本では韓国の人々のそうした態度や社会的雰囲気は、民族主義を押し出した国ぐるみの反日教育によってなされていると考えがちだが、そもそもこうした歴史観は政府主導で生み出されたものではない。
 日本で「反日」と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉、民主主義運動、民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める声として強まったものである。
 彼らは、独裁政権が「親日派」「親日行為」の問題を明らかにせず、日本に対する十分な責任追及をすることなく、国民に真実を隠した状態で植民地問題を「金で解決」したことそのものを、問題視してきた。
 民主化以降、韓国ではNGO・NPOによる草の根市民運動が盛んになり、市民社会の発展が目覚ましい。市民社会の発展は、人権、個人の権利、女性の権利などに対する意識の高まりをもたらした。
 こうした市民運動の広がりは、韓国社会における植民地支配の再認識にも寄与した。
 一般市民に隠匿されていた歴史の真実を求めるとともに、植民地支配当時は強く認識されることの無かった事象を、ポストコロニアルな視点から再発見し「過去清算」する意識が韓国社会に根付いていった。
 そして、人権の回復、履行を求めて、国内外の政府、企業、団体を相手取った裁判が頻繁に起こるようになった。
 民主化の流れを汲んで「過去清算」を希求する新たな歴史認識の台頭は、植民地支配について「日本が悪かった」といった単純な理解から脱却し、なぜ植民地支配が起こったのか、植民地支配とはどのようなものだったのかを、政治・経済・社会・文化など様々な側面から分析し、過去を断ち切り、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きでもあった。
 端的に言って、韓国の人々にとって、民主化前と後では国家自体が全く異なる存在なのである。
 それは多くの日本人が、大日本帝国と戦後の日本を全く異なる存在として認識している感覚とも似ている。あるいは、徳川幕府下の日本と明治以降の日本くらい違うと言ってもいいかもしれない。
 このことを理解していれば、なぜ現在の韓国政府が日韓基本条約締結以降、日韓政府の間の共通認識となってきた請求権協定に対して、それを覆すような態度を取るようになったのかも理解しやすい。
 喩えるなら、日米修好通商条約が現在のアメリカと日本の間では全く無効であるのと似たようなものである。
 国民によって選ばれ、国民を代表する政府が取り交わした条約でないものが、現在の民主国家としての韓国の人々にとって受け入れられないのも、感情としては当然といえるだろう。
 さらに、民主化によって新たな権利意識を持ち、植民地支配についてもより構造的な問題を扱うようになった韓国社会が、軍事独裁化に国民の多くに真実を隠す形で締結された条約に違和感を持つのも自然ななりゆきである。
 そして、民主主義国家である以上、社会・市民の変化が司法・行政・立法府に反映されるのも当然である。
 民主化運動を経て、民主主義に基づいた市民社会への歩みを進めたことで、歴史問題に対して歴史修正主義的態度を改めてこなかった日本に具体的な変化を求めるようになった結果、日本側から見れば「対日関係を悪化させる態度」を取るようになったのである。

韓国はなぜ今になって強気に出ているのか?

 一方、韓国の民主化は1980年代になされたもので、韓国政府の態度の変化によって2000年代後半から日韓関係が大きく変化するまでに20年もの時間が空いている。
 それまでも歴史問題で軋轢のあった日韓両国だが、それが両国関係に深刻な影響を与えるようになったのは2000年代に入ってからである。
 具体的には、韓国政府が個人請求権は消滅していないとの認識を示すようになったのが、2005年の廬武鉉政権下であった。
韓国の態度の変化には、前述した韓国社会の民主化のほかに、
1)日本の重要性の低下、
2)日本の政府要人の度重なる歴史修正主義的発言・態度、という二つの側面が影響している。
 民主化以降の20年の間に、韓国の国際競争力の上昇と日本の国際競争力の低下、そして韓国にとっての日本の相対的重要性が低下した。
 植民地化の朝鮮が日本経済と強く結びつき、解放後もその影響が強く残っていていたのは当然のことだが、朝鮮戦争の停戦、日本との国交回復を経て、60年代から70年代の韓国にとって、日本は貿易対象国としても、また国家の発展モデルとしても重要な存在であった。
 だが、韓国にとっての日本の重要性は時を経て徐々に下がっていく。
 1960年の貿易対象国の中では、日本は輸出の約6割を占めていたが、1975年には25%、1985年には15%、そして2005年には8%にまで下がっている。
 また、輸入においても日本は1960年には21%、その後70年代は30%を維持するも、80年代から90年代までに20%台に下がり、2005年には19%を切っている。
(出典:吉岡英美(日韓経済関係の新展開ー2000年代の構造変化を中心に(韓国語)))
 また、韓国に対する外国人投資の推移においても、70年をピークに日本人(日本法人)による投資は徐々に下がり続けている。
(同上)

 2000年代以降は貿易相手国として中国の台頭が目覚ましく、日本の存在感はますます霞んでいった。
  日本の経済的重要性が低下しても、日本の政治家は一貫して歴史修正主義的な発言を繰り返してきた。
侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱し、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の土台を揺るがすするような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たない。
 いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと、被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話である。
 教科書問題、靖国参拝問題など、日本の政治家によって繰り返される歴史修正的な発言や態度について、当時の廬武鉉大統領は強い批判を行った。
 また、従軍慰安婦問題や徴用工問題などの植民地支配における問題については、人権派弁護士、草の根市民運動のバックグラウンドを持つがゆえに、人権問題としての側面からのアプローチに大きく舵を切った。
 現在の文在寅大統領も民主化運動、人権運動をバックグラウンドとする運動家であり、廬武鉉元大統領の側近であった。廬武鉉元大統領と同様に、人権派弁護士、民主化運動家として従軍慰安婦問題や徴用工問題を取り扱おうとしていることは明白である。
 しかも、歴史問題で日本との軋轢を避けるために司法に不当な介入をしたとされる朴槿恵元大統領、さらにその前の李明博元大統領と、いずれも不正によって逮捕された保守・右派の大統領の次を担うリベラル・左派大統領として、市民の期待も大きい。
 人権派弁護士、市民運動家というバックグランドを持ち、それを前面に押し出してリベラル・左派大統領として選ばれた以上、人権問題としての従軍慰安婦問題や徴用工問題において「正しい発言」「正しい態度」を取らないわけにはいかない。
 しかも、三権分立の制度下において、司法の決定を行政が覆すことは不可能である。
 司法が個人請求権を認めた以上、政府はその決定に従うほかない。

日本の政府要人が繰り返す歴史修正主義的発言の裏にあるのは植民地主義的差別心

 戦後、日本の政府要人は歴史修正主義的発言や態度を繰り返してきた。
 韓国はそのたびに反発してきたが、2000年代以降韓国が日本に対して強気な態度を取る後押しとなっているのは明らかに、韓国にとっての日本の重要性が低下したこと、韓国自体が日本の競争相手として台頭してきたこと(もはや一人当たりGDPは3000ドル程度の僅差に迫っている)、またソフトパワーにおいては日本をしのぐ世界的な存在感を示し始めていることなどが挙げられる。
 日本政府はこの問題については静観しつつ、政府要人が歴史修正主義的発言や態度を行って韓国をこれ以上刺激しないように注意深く静観し続けるのが正解だったのではないだろうか。
 だが、繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識がある。
「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、対等な相手として、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたのである。
 その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。
 時代は移り、世界の中での韓国の地位が上がる一方で日本の地位が下がり、両国は対等に向き合うべき相手となった。
 たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。
 韓国側に何も問題が無いとは言わないが、国民をスカッとさせるのが外交政策としてまかり通るなら、それは民族主義に踊らされたポピュリズムにすぎない。


Yahoo! Japan News、2019/8/17(土) 7:49
日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる
古谷有希子(ジョージメイソン大学大学院社会学研究科博士課程)
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyayukiko/20190817-00138706/

posted by fom_club at 19:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇野重規

 現在、筆者はドイツのベルリンに滞在している。この連載では、「欧州の首都」と呼ばれることもあるこの地にあって、現代の政治思想・政治哲学の「いま」を、心象スケッチ風に考えていきたい。

* * *

 この街を歩いていて(といっても、筆者がふらついているのは、大学や書店、雑誌スタンドなどの周辺ばかりであるが)、マルクスの肖像画を目にすることが多い。考えてみれば、今年2018年はマルクスの生誕200年にあたる。誕生日である5月5日を中心に、さまざまなマルクス関連企画があっても不思議ではない。
 ベルリン観光の中心ウンター・デン・リンデンの通りから一本入ったフリードリヒ通りには、大型書店のドゥスマンがある。といっても、店を入ってすぐに目につくのは、CDやDVDの売り場ばかり。哲学のコーナーまで行くには、だいぶ上の階に上がらなければならない。カント、ヘーゲルを生んだこの国にあっても、もはや哲学はそれほど厚遇されていないらしいと苦笑しつつ、それでも最上階までたどり着くと、そこにはマルクス関連の書籍が、『資本論』を筆頭に多く並んでいた。
 ドゥスマンのような大型書店だけではない。筆者の住むアパートのすぐ近くにある書店でも、ちょっとしたマルクスコーナーがあった。彼の彫像や、何冊かの本が並ぶ中、『経済学批判』のタイトルが目についた。ある種の企画ものなのであろう。とはいえ、何となく今の気分を示しているのではなかろうか。「Industry 4.0」が掲げられ、欧州はおろか、世界の資本主義を駆動する最後のエンジンとも思えるドイツである。それでも、あるいはそうであるがゆえにむしろ、資本主義や経済のあり方について、いま一度考え直してみたいという漠然とした雰囲気があるのかもしれない。
 雑誌コーナーを見ても、マルクス特集が目立つ。「今こそ、マルクスを読むべき」というような見出しが多い。このような雑誌に手を出すのは、もともとマルクスに関心のある人ばかりなのだろうか。あるいは、今日なお、社会や経済の現状に批判的な読書人にとって、マルクスは何らかのイメージを喚起する存在なのか。
 筆者が講義を行なっている大学の廊下にもマルクスをめぐる国際会議のポスターが貼ってある。タイトルは「MARX IS MUSS」。「マルクスはやはり必読だ」という意味か(ドイツ語と英語がまじっている)。数日間にわたり、多くのセッションが組まれている。プログラムを見ると「経済学批判」、「国家と革命」、「党と階級」などいかにもな企画と並んで、レイシズムや女性の自由、「資本主義の健全性」などのワークショップがある。後日聞いたら、筆者の研究室の隣のドイツ人研究者も、これとは別のマルクスに関する国際会議に参加すると言っていた。
 笑っていいのか、笑えないのかちょっと微妙な話題もある。報道によれば、マルクスの生誕地トリーア市では、中国から寄贈された5メートルを超えるマルクスの巨大像の落成式があったという。この像を受け入れることについては市民の基本的な理解が得られたものの、中国における人権侵害を問題視する人、旧東ドイツの社会主義体制を批判する人など、少なからぬ反発の声も上がったという。無邪気な「わが町の有名人」の顕彰では済まない話だろう。そのあたりの微妙さを含めての、マルクス「生誕200周年」ブームであることは間違いない。

* * *

 このようなブームは一過性のものにとどまるかもしれない。それでも、マルクスがまだ「現役」の思想家として扱われているのが印象的である。はたして日本ではどうなのだろうか。
 気になる数字がある。英国の市場リサーチ企業であるIpsos MORIのBen Page氏のツイートで紹介されていたのだが、「社会主義の理念は、社会の進歩にとって大きな価値を持つか」というアンケート結果の国際比較があるようだ。2018年の3月から4月にかけて行われたもので、16歳から64歳までの2万人ほどのオンライン調査の結果であるという。
 全世界の平均では約50%がこの問いに対し、「社会主義の理念には価値がある」と答えている。もっとも高い中国の84%はともかく、インドの72%、マレーシアの68%、トルコの62%などが目につく。南アフリカ共和国の57%、ロシアの55%なども興味深い。その後に続くのがヨーロッパ諸国である。スペインの54%、スウェーデンの51%をはじめ、英国は49%で、ドイツは45%であった。この統計の精度がどれほど高いのかはわからないが、一つの指標にはなりうると思った。
 問題なのは、28ヶ国のうち、21%の日本が最下位であるということだ。これは韓国の48%と比較してかなり低いし、アメリカの39%と比べてもなお目立つ数字である。なぜ日本ではかくも社会主義に対する評価が低いのだろうか。
 Ben Page氏のツイートに対しても、「なぜ日本が最下位なのだろうか」、「共産党がまだ存在感があるのに」、「(このような問いに対して明確な答えを示さない)日本の文化的特性ではないか」、「韓国より低いとは」といった反応が寄せられていて興味深い。もしこの調査がそれなりに信頼できるものであるとすれば、たしかに十分に検討してみる意義がある結果であると言えるだろう。
 筆者にとくに有力な仮説があるわけではない。ただ、ヨーロッパ諸国では、フランスがかなり低めの数字である31%を示しているように、政治や知識人の世界において、比較的近年まで社会主義の影響が続いた国において、むしろ社会主義への反発が強いのかもしれない。日本とフランスは、社会主義の政治的・知的影響力が相対的に残り続けた国として、しばしば指摘される。社会主義の記憶が古い国ほど、社会主義への反発よりはむしろ、現状に対するオルタナティブとして社会主義を見る傾向がある可能性は十分にあるだろう。
 実際、2016年の米国大統領選では、「民主的社会主義」を掲げるサンダース候補の躍進が話題になったが、彼を支持した多くの若者にとって、社会主義とはソ連をはじめとする社会主義体制よりはむしろ、社会経済的な平等や再配分政策の支持を意味したという。選挙戦の後、「今のアメリカの若者にとって、ソ連のイメージは遠い昔のものだから」と語っていたアメリカの政治学者のことを思い出す。彼によれば、日本においてむしろ「社会主義といえば社会主義体制」を連想する傾向が強いのではないか、ということであった。

* * *

 この稿で筆者は、何も「マルクスこそ最重要の思想家だ」とか、「今こそ社会主義理念の復興を」と主張したいわけではない。しかしながら、マルクスの知的遺産が、社会主義体制への負のイメージとともに、日本であまりにも忘却されているとすれば、それはやはり残念なことであると思う。
 少なくともヨーロッパにあっては、マルクスはなお、資本主義の現在を考えるにあたって、また市場経済と社会経済的な平等を考える上で、一つの座標軸を示す「現役」の思想家であり続けている。それとの違いを思うとき、日本において何がその代わりの思考の座標軸となっているか、はたしてそのような座標軸が存在するのかどうか、どうしても考え込んでしまうのである。
 ドイツの大学院生や学部生を教えていて、時代が変わったと思うことがある。筆者はいま、ドイツにあってもリベラルな気風が強く、学生運動がなお盛んなことで知られる大学に滞在しているのだが、やはり一般的にはノンポリの学生が多い印象がある。強い政治的なイデオロギーを持たず、政治について語ることに必ずしも積極的でない学生が目立つのは、日本の大学とさほど変わらない。
 それでも議論をしてみると、「市場経済を否定することはできないが、民主主義や市民社会の力によって、これをある程度制御することは重要だし、また可能である」という意見が相対的には多数を占めているように感じられた。もちろん、どのように市場経済を制御するのか、具体的な見通しがあるわけではない。とはいえ、市場経済は万能ではないし、何らかのコントロールが必要だというのが、おおよそのコンセンサスであった。この文章の冒頭で示したある種のマルクス・ブームも、このようなコンセンサスがあってこそのものではないかと思われる。
 翻って日本はどうであろうか。戦前からマルクス主義の影響が長く続いた日本においても、いまやその記憶は風前の灯となりつつある。数年前、アメリカのとある有力大学の日本研究の大学院で、野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』を講読する若い人たちを見たことがある。エスニシティも性別も多様な学生たちが、それなりにこの古い理論書を読みこなしていたのが印象的であった。日本におけるマルクス主義的な知の枠組みは、日本よりはむしろ海外で維持されているのかもしれない。そう真剣に思えた一瞬であった。
 繰り返すが、マルクスについて、多様な意見があることは否定しない。が、その上でなお、マルクスの知的遺産を批判的に継承することで、市場社会の現状に対し、いささかなりとも理論的な視座を得たいという願望は、やはり重要なのではないか。そのようなことを考える、マルクス生誕200年目の5月5日であった。


有斐閣・書斎の窓「2018年7月号ベルリンで考える政治思想・政治哲学の「いま」
第1回 マルクス生誕200周年を考える

東京大学社会科学研究所教授 宇野重規(Uno Shigeki、1967年生まれ)
http://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1807/03.html

身近な生活実感から出発して

 先日、『未来をはじめる−「人と一緒にいること」の政治学』(東京大学大学出版会、2018年9月)という本を刊行した。東京都内にある私立の女子中学・高校で行った政治学の講義をもとに、政治についてじっくりと考えようとする一冊である。
 キーワードは「人と一緒にいること」。ごく身近な生活実感から出発して、国際関係や財政・社会保障問題までを射程に入れて考えることを目指している。
 女子校で政治学の講義を行うことには、それなりの「ねらい」があったつもりだ。
 政治学の入門講義というと、かつてであれば、およそ「権力」とは何か、「国家」とは何かという話からスタートしたものである。昨今の講義では、「本人−代理人理論」や「合理的選択論」など、政治学に固有な「考え方」をていねいに解説するものも多い。それぞれに特色があり、身近な具体例をあげるなどして、政治に親しみを感じられるように工夫されている。
 とは言っても、なかなか政治を身近に感じることは容易ではないだろう。政治とは多様な人々が集まって意思決定をすることだ、といくら解説したところで、「集合的意思決定」などという言葉を使った瞬間、多くの人は「難しそう」、「自分とは縁のない話だ」と思ってしまう。
違いがあるから面白い、しかし……
 今回の講義ではもう少し手前のところから話をはじめたい。それがそもそもの企画の出発点であった。
 「政治」だからといって、何もそんな難しい議論をしなくてもいい。人が何人か集まれば、当然その「違い」が目につくはずだ。その「違い」が面白いし、楽しいのだけれど、ちょっとつらく感じることもある。世の中には自分と趣味や価値観の違う人もいるけれど、互いにどう距離を取り、ともに過ごしていくべきか。きっと多くの人が日常の中で嫌というほど、実感している話のはずだ。同世代の仲間と、教室という狭い空間で日々過ごしている中高生ならなおさらだろう。
 そんな話を振ったら、女子校の中高生たちは即座に、「ちょっと、心が疲れる…的な」(本書、259ページ)と表現してくれた。
 そうそう、そういう感じ。クラスで何かを決めるときもそうだよね。そのあたりから政治を考えてみたいと話したところ、いいノリで反応してくれた。知識主導型でない政治学の講義をしたいというこちらの思いを、彼女たちのノリの良さと表現力が大いに手助けしてくれたと思う。

念頭にあった高橋まつりさんの事件

 しかしながら、女子校で政治学の話をしたのは、それだけが理由ではない。
 この本の元になる講義を行ったのは2017年の5月から9月にかけてである。女子校で講義をするにあたって、念頭にあったのはやはり、高橋まつりさんの事件だ。
 過労による自殺と労災認定がくだされた痛ましい事件であるが、高橋さんが死の直前にTwitterにつづった「生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってからが人生。」や、「がんばれると思ったのに予想外に早くつぶれてしまって自己嫌悪だな」といった書き込みに衝撃を覚えた人は少なくないだろう。今日なお、その言葉は私たちの胸に突き刺さる。
 この事件をどのように理解すべきか――。その答えは、いまだに出ていない。事件の直後から、職場環境や上司の対応を批判する声が上がる一方、「その程度の残業は珍しくない」「労働時間だけが問題なのではない」という意見も見られた。
 だが、いずれにせよ、問題を高橋さん個人の問題にしたり、あるいは個別の企業だけの問題にしたりしてはいけない、それだけは間違いないだろう。
 そう、これは政治の問題なのだ。
 人がいかに生き、働くかは、どれだけ個人の問題に見えても、そこには必ず社会全体の仕組みや制度の問題が関わっている。だとしたら、そのような仕組みや制度を変えることもまた可能なはずだ。それこそ政治の働きなのだと、女子高生たちに語りかけてみた。
女子中高生たちは十分に考えている
 もちろん、まだ企業などで働いたことのほとんどない彼女たちである。なかなか実感のこもった議論は難しいとは思っていたが、なかなかどうして、彼女たちなりに正直な感想を述べてくれた。結論は出なかったけれど、やはりこういう問題を早くから議論しておくことは意味があると、あらためて感じた。
 税と社会保障に関して、サービスと負担のバランスはどのようにとるべきか。「機会の平等」と言うけれど、「恵まれない人」の境遇のいかなる部分を、どの程度まで社会は補償すべきか。これらは、いずれも容易に答えの出ない問題であるが、彼女たちは真剣に考えてくれた。
「努力が報われないのはおかしい」という声があれば、「そもそもスタートが違っているのはフェアでない」といった意見も出た。いずれも、現在受験のプレッシャーに晒(さら)されている彼女たちなりの正直な意見だろう。
 そう、彼女たちはすでに十分に考えているのだ。「まだ中高生だから」と決めつけるのは、大人の勝手な思い込みにすぎない。実際の彼女たちは、現実の社会を彼女たちなりに観察し、自分たちなりの実感に基づいて生きていこうとしている。それをいわゆる「政治」にうまく結びつけていけないなら、それは「政治」の側に問題があるのだ。

東京医科大学の入試における「差別」

 講義の後の話になってしまうが、今年になって東京医科大学の入試における「差別」が問題になった。入試の採点が意図的に操作され、女子受験者の合格数が抑制されていたとの報道は、現在受験のプレッシャーに晒されている彼女たちにしてみれば、そもそもの土台をひっくり返すような話であろう。
 しかも、その後の議論は、さらに深刻であった。いわく、大学の医学部には付属病院があり、そこで働く医師の確保のためには、ある程度入試段階での操作があったとしても仕方がない、そんな説明がもっともらしくメディアで流通した。要するに、病院は「一生フルタイムで働かせることのできる男子が欲しい」と言っているようなものである。
 結局、男性を含めた働き方の改革をしない限り、女性差別もまた続くのであろう。問題の根深さは明らかになったが、それでは働き方をいかに変え、社会をどのように変えていくか。改革に向けての議論は曖昧(あいまい)なままだ。このような状況を放置している限り、いくら政治を語ってみても、虚しいばかりであろう。政治をこのままにしていいのかという本書の思いは、この事件によって不幸な形で裏書きされたことになる。
 もちろん、世の中に根深い問題がたくさんあるということは世の常識だ。中高生といえども、そのことを十分に意識している。問題はそこからだ。

社会に必要な「当たり前」の感覚

 世間のさまざまな問題は、一時的に騒がれることがあっても、いつかは忘れ去られてしまうものなのか。「根深い問題」は「根深い問題」のまま放置されるのか。このような諦念(ていねん)が世の中で支配的な限り、「文句を言っても始まらない」「ともかく、なんとか自分だけでも地雷を踏まないように」というのが、人々の基本的な態度になってしまう。
 そうではなく、最終的な解決にただちに到達するかはわからないけれども、問題は問題として直視し、どこに原因があるのかをみんなで議論する。どのような解決策が考えられて、それに誰が賛成して、反対するかを、誰の目にも見えるところ検討する。なかなか一足飛びに解決とはならないが、少しでも状況をよくするためににじり寄っていく。それこそが政治の基本のはずだ。
 こうした当たり前が当たり前でないとしたら、何かがおかしい。今の日本社会に必要なのは、このような当たり前の感覚である。

実験としての民主主義

 興味深いことに、講義を通じて、筆者は受講者である女子中高生からこのような「当たり前の感覚」を再確認したように思う。
 聞いてみると、彼女たちは、政治や社会の問題について、自分たちなりに話しているようだ。そのうえで、議論が加熱し過ぎたときには、意図的にテンションを下げる術を彼女たちは心得ている。「違い」が先鋭化したときは、とりあえずそれぞれの代表者を選び、議論することで解決を目指す知恵も持っている。彼女たちは自然に「政治」を理解しているのだ。
 講義ではさらに「実験としての民主主義」の話もした。
 世の中を変えるのに、国民全体を巻き込む必要は必ずしもない。自分の身の回りで、できることから実験をしてみる。実験がうまく行けば、誰かがそれを見て、自分たちでもそれをやってみるだろう。気づいてみたら、社会が変わっているということもありうるのではないか。
 筆者のこのような話を、女子中高生たちは自然に受け止めてくれたように感じた。

誰もが「始める」ことのできる社会

 講義の締めくくりとして、女性の政治哲学者であるハンナ・アーレントの言葉を引用した。「人間が生まれてきたのは始めるためである」という言葉である。
 彼女たちは、間違いなく何かを「始める」ことだろう。それは必ずしも目立つものではないかもしれない。しかし、そんな一人ひとりによる「始まり」が、やがては確実に社会を変えていく。そんなビジョンを筆者は実感している。
 もちろん、「始める」のは彼女たちだけではない。何歳であれ、いかなる性であれ、誰もが「始める」権利を持っている。誰もが自分の生のなかで何事かを「始める」ことのできる社会――。これこそが民主主義の社会である。民主主義をめぐるこのような思いを、いまの日本社会において筆者が口にできるのは、彼女たちのおかげである。


[写真-1]
選挙に関するアンケートを「ビッグフェス」で公表する高校生たち=愛知県(本文とは関係ありません)

[写真-2]
高橋まつりさん

[写真-3]
東京医科大学の入試不正をめぐる会見を終え、頭を下げる東京医科大の行岡哲男常務理事(左)と宮沢啓介副学長(学長職務代理)=2018年8月7日、東京都新宿区

[写真-4]
民主主義を考えるトークイベント で話す若者たち=都内

朝日新聞・論座、2018年10月06日
女子中学・高校で政治学の講義をしてみた
東京大学社会科学研究所教授 宇野重規(Uno Shigeki)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018100200007.html

中野晃一『野党が政権に就くとき 地方分権と民主主義』(人文書院、2019年6月)
※ 中野晃一(なかの・こういち、1970年生まれ)上智大教授(比較政治学)。原著は英語。著書に『私物化される国家』など。

 歴史を振り返ってみて、地方分権という課題はしばしば語られるが、実現した例はそれほど多くない。
 とくに中央集権的な国家において、権力を持つ中央政府が、自らの権限を縮小する分権化に易々(やすやす)と賛成する事態は想像しにくい。
 政権政党にとっても、分権化は自らに抵抗する勢力を地方に生み出すことにつながる危険性がある。

 にもかかわらず、例外的に地方分権改革が進んだ例がある。
 1980年代におけるフランスと1990年代半ば以降の日本である。
 中央集権的な国家として語られることの多かった両国で、なぜ分権化が進んだのだろうか。
 その鍵は政権交代にあり、長らく野党にあった政党が(この場合、いずれの国も社会党である)政権に就いたことが大きなきっかけとなったと主張するのが本書である。

 地方分権化はある意味で「野党的」な政策である。
 権力の座にある与党にとっては、必ずしも旨味(うまみ)のある政策ではなく、むしろ配分する資源のない野党こそが注目する政策課題である。
 長く権力から退けられた野党が、中央政府の権限を抑制し、市民の政治参加を拡大することを訴え、その上で政権に就いたときにはじめて実現すると言える。
 本書はその政治過程を日仏両国の比較から詳述する。

 思えば日本の場合も、1995年に地方分権推進法を制定した村山富市内閣において、官房長官の五十嵐広三は元旭川市長であり、大蔵大臣の武村正義は元滋賀県知事であった。
 革新自治体の取り組みが政権交代を機に政治課題化し、多くの自治体首長経験者が権力中枢にいたことで、はじめて動き出したのが地方分権改革だったのかもしれない。

 今日、野党の存在意義や、政権交代の必要性が、あらためて問われている。
 権力から遠ざかっているからこそ、地域社会の多様な声により真摯に耳を傾けることが必要と説くなど、現代にも示唆するところの大きい一冊であろう。


朝日新聞・好書好日、2019.08.17
「野党が政権に就くとき」
権力から遠い今こそすべきこと
1980年代のフランスと1990年代の日本における地方分権改革の政治過程を取り上げ、野党、政党間競争、そして政権交代という政党政治の力学が、自由民主主義の深まりに寄与する……

[評者]: 宇野重規
https://book.asahi.com/article/12633313

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「これは経費で落ちません!」(NHK総合)

 さて、今週は第4話!
 コーヒーサーバーの導入を巡って、女の壮絶なバトルが繰り広げられます。
 総務部女子・由香利を演じてくれたのは、平岩紙さん(1979年生まれ)。

 そして、皆、白が似合う……

 第4話のサブタイトルは「女の明日とコーヒー戦争」です。
 それぞれに生きる「女の明日」に希望が持てるようなお話になっていればいいなあと思ってます!
 伊藤麻実子さん(1980年生まれ)演じる窓花とは犬猿の仲です。

 この「コーヒー戦争」に主演、多部未華子(1989年生まれ)が演じる森若沙名子が巻き込まれていきます。
 由香利と沙名子はちょっと似ているところがあり、冷静沈着な経理部の森若さんの裏にあった、ちょっとした迷いをこの第4話で見せれたらいいなあ、と思ってます!

 1969年生まれの青木祐子氏の原作のお話を元にしてますが、ドラマではちょっと違った展開が待ち受けています!

 沙名子を迷わすセミナー講師・三並を演じて下さった須藤理彩さん(1976年生まれ)!
 美しい!
 ちなみに撮影中はひたすらコーヒー沸かしていたので第4話はセット中にいい匂いが漂っていました。
 どうぞお楽しみに!


NHKドラマ・スタッフブログ、2019年08月15日19:00
ドラマ10「これは経費で落ちません!」
その6 第4話、明日です!

https://www.nhk.or.jp/drama-blog/6520/405282.html

公式サイト:
https://www.nhk.or.jp/drama/drama10/keihi/

 多部未華子が主演を務めるオフィスドラマ『これは経費で落ちません!』(NHK総合)。
 青木祐子氏の同名小説シリーズが原作で、領収書や請求書を通じて見えてくる思わぬ人間模様がコミカルに描かれている。

 第4話は「女の明日とコーヒー戦争の巻」。
 総務部で勃発したコーヒーを巡る争い。
 コーヒーを従業員みんなに入れて回ることをコミュニケーション上必要不可欠とする横山窓花(伊藤麻実子)に対し、給湯室にコーヒーサーバーを導入しようという平松由香利(平岩紙)。
 たかがコーヒーと言うなかれ、横山さん曰く「女の会社員人生を懸けた主導権争いだ」と息巻く。

 このドラマの秀逸なところは、毎回問題に上るのが経費の使用用途が適切か否かという点だけでなく、それを引き起こしている背景や要因をも議題としてきちんと指摘しているところにある。

 それは第2話では雇用形態の違いによる会社での居場所の違い・肩身の狭さであったり、第1話のクライアントの接待と私的な付き合いの線引きであったり。
 今回は女性事務職に求められる役割の変遷について示唆されていた。
 お茶汲みをはじめ、かつては女性事務社員の仕事だと信じて疑われてこなかった業務を筆頭に、過渡期にある彼女らの役割について、実際の日系企業に残存していそうな旧態依然とした社内の雰囲気とともによく描かれていた。

 由香利が森若さん(多部未華子)を誘って参加する「女性の生き方セミナー」、別名「意識高い系セミナー」。
 由香利が稟議書を出していたコーヒーサーバーのリース先社長でもある講師の三並愛美(須藤理沙)は、女性の将来に対する漠然とした不安を巧みに突いた話術で、聴衆を魅了していく。
 将来の予期できない不測事態として、親の介護、終身雇用制度の崩壊など耳が痛いことを列挙していく。
 これには母親が健康診断で再検査になり珍しく弱り気味だった森若さんも他人事には思えず、無視できない様子で、少し感化されている様子。
 この辺りにもうまく世相が反映されている。

 しかし三並より会員費を提示され、すかさず「内訳を教えていただけますか」と斬り込めるあたりはやはり森若さん!
 あっぱれ、流石の一言である。

 それでも「輝かしい未来への種を蒔く投資」だという言葉にどこか引っかかっていた森若さんは、山田太陽(重岡大毅)にふと意見を求めてみる。

 太陽は「未来は自分が決めるもので、“今”が一番」だと即答する。
 そんな迷いも屈託もない彼を眼差す森若さんの表情は眩しそうで、そしてどこか安心しているようだったのが印象的だ。
 彼らの心の距離が少し、だけれども確実に近くなっているのが見てとれた。

 第4話は、いつも正論でソツがなく、他人とも一定距離間を保ったまま自身のペースを崩さず淡々と物事を処理する森若さんの、人間臭さ、弱さが垣間見えた放送回となった。

 一気に現実に引き戻された由香利に対して、森若さんは「私もセミナーを聞いた時は将来が不安になりました。でもそれって誰もが持っているものではないでしょうか?」と共感し寄り添った上で、「冴えなくても、褒められなくても、一寸先は闇かもしれなくても、一寸先は光という可能性もありますし。そんな今の積み重ねも悪くないかなと思えます」と何の気負いもなく話す。
 誰に流される訳でも、誰の機嫌をとるでもない森若さんが言う言葉だからこそ、嫌味なくすんなりと静かに受け手の心を打つのである。

 ここで少し、“おや?
 これまでの彼女らしくないのでは?”と聞き捨てならなかったのは、「一寸先は光の可能性もありますし」というワード。
 あの森若さんが不確定要素のあることを希望的観測を込めて、しかも自然に発言していることだ。
 この彼女の変化にはやはり知らず知らずのうちに太陽が影響を与えているのは言うまでもないことだろう。
 次週第5話の予告編ではなんと涙を流す森若さんの姿が映されていた。
 2人の関係も急展開を迎えそうだ。


Real Sound、2019.08.17
『これは経費で落ちません!』
重岡大毅との出会いで変化が?
多部未華子が垣間見せた“弱さ”

(楳田佳香)
https://realsound.jp/movie/2019/08/post-403551.html

 いいね、NHK!
 このドラマを昨夜、ついつい見入っていたヤッホーくん。
 これも見て欲しいなって:

NHKスペシャル 2019年8月11日「太平洋戦争・激闘ガダルカナル・悲劇の指揮官」
https://www.youtube.com/watch?v=tEkGvKZZg2o

NHKスペシャル 2019年8月15日「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」
https://www.youtube.com/watch?v=PPxtIqCAltk

NHKニュース 2019年8月16日 20時40分
「空母化」護衛艦で運用する戦闘機はF35Bに 防衛省
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190816/k10012038551000.html

 NHKはこの『 事実上「空母化」』の事態が憲法に違反しないかについてなぜ報道しないのか。
 イギリスのBBCなら自らの見解を報道するはずだ。
 せめて我々野党議員の国会での政府への質疑を報道するべきだ。
 安倍総理らが答弁拒否を連発し逃げまわっている事実をなぜ国民に報道しないのだ。
小西ひろゆき (参議院議員)5:51 - 2019年8月16日


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2019年08月16日

小熊英二『<民主>と<愛国>、戦後日本のナショナリズムと公共性』

 戦後の歴史を考えるとき、いつも不思議に思うことがあった。

 戦中「鬼畜米英」と憎悪した米軍を敗戦後手のひら返すように受け入れた日本人の頭の中はどうなっていたのか、昭和天皇の戦争責任を当時の日本人はどう考えていたのか、などなどだ。

 学校は戦後の歴史を教えない。

 これまで戦後史を扱った本もGHQ内部の権力闘争や戦後立て続いた怪事件(下山事件や帝銀事件など)を扱うものはあっても、上記のような素朴な疑問に正面から答えてくれるものがなかった。

 小熊英二『<民主>と<愛国>、戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社、2002年11月)はこのような疑問を持つ戦後生まれに目から鱗が落ちるような多くの発見をさせてくれる本だ。
 注やあとがきを含めると960ページという単行本とは思えない大著である。
 読み通すのはホネだったが、買い求めてから一、二週間、傍線引き々、食い入るように読み続けた。

「本書の主題は『戦後』におけるナショナリズムや『公』に関する言説を検証し、その変遷過程を明らかにすることである」(序章、冒頭頁)

 筆者はこのために膨大な文献を駆使して、戦争と敗戦を体験した日本人が共有した「心情」を再現しようとしている。
 時空を遡って読者に当時の心情を追体験させようと試みていると言ってもよい。
 これが本書の最大の魅力だ。

 筆者がそうしたのは、同時代の共通体験が共通の「心情」を生み、それが「言説」の変動の原動力となると考えるからだ。
 共通体験を重視する筆者は、1955年までの敗戦後10年間を「第一の戦後」、それ以降を「第二の戦後」と呼んで「戦後」を2つに分かつ。

第一の戦後」は貧困と不安定な社会秩序の時代であり、他方それ故に「現実は変えられる」という熱気を帯びた時代だった。
 それに対して、「第二の戦後」は豊かな時代の始まりであり、秩序が安定に向かうと同時に改革の熱気も冷めていった時代だった。

 戦前、戦中、そして2つの戦後を、どういう年齢、いかなる境遇で迎えたか?
 共通体験が時代の心情を生んでいく様が描き出される。
 特に今日「戦後知識人」と総称される人びとがいかなる心情から何を発言したのか、が臨場感を以て再現される。
 このために厖大な関連文献を読み込み、追体験と整理分析を試みてきた筆者の努力は特筆に値する。

 読み進むうちに、本書執筆の大きな原動力は、「戦後知識人」が担った「戦後民主主義」に対する今日の批判に異議を申し立てることだと分かってくる。
 批判される戦後知識人とは丸山真男や大塚久雄らであり、批判される「戦後民主主義」とは「『国家』や『愛国心』を否定して『個人』から出発する」世界市民(コスモポリタン)思想であり、西洋かぶれの『左翼進歩主義』だ・・・という風に今日理解されている思想のことだ。

 そんなことはないと筆者は主張する。
 知識人にとっても敗戦は屈辱、痛恨事だった。
 あまりの惨禍に言葉を失う衝撃を受け、国が滅んでしまうと危機感を募らせた。
 同時に、「我々日本人はほんとうに底力を出し切らぬまま戦争に負けた」という悔恨の「心情」が知識人にとどまらず、当時の多くの日本人に共有されていたことを筆者は強調する。

 今日、「戦時中の日本社会、国民」については、「多くの国民は困難の中、よく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」(扶桑社「新しい歴史教科書」)といった認識が生まれている。
 そうだったのだろうか。
 筆者が当時の文献を引用しながら示す状況はずいぶん異なる。
 それは「総力戦」、「滅私奉公」を建前としながら、実は私利私欲(「公」に名を借りた私的利益の追求)、セクショナリズム、責任回避、いじめ(「上位から下位への抑圧委譲」)など、日本の醜い部分が横行する情けない姿だ。
 私もそういう記憶の方に聞き覚えがある。
 父母がときおり思い出したように口にする「戦時中」がそうだった。

 当時、そういう光景を眼にしながら長いものに巻かれた己の卑屈さ、意気地のなさも人の心に悔恨の深い瘢痕を残した。
 戦後知識人達は、そういう想いのうえに、敗戦の根本原因を近代的な個人、自我確立の欠如に求めた。
「戦前の教育は個々人の責任意識に根ざした愛国心を育てたのではなく、『忠実だが卑屈な従僕』を大量生産したにすぎなかった」(丸山)。
「近代総力戦に於いて優位を獲得するには、国民の一人ひとりをして戦争に責任を感ぜしめざる可からず。国民をして其の当面する戦争を以て軍部及び政府の戦争なりと思はしめる如きことあらば、近代戦は先ず此の点のみにて敗北する外なし」(芦田均)。
(注:芦田のこの文章を「国民をしてその当面する政治課題を以て、自民党と官僚の政治なりと思はしめる如きことあらば」と読み替えてみると、60年経っても何も変わっていないのではないかと慄然とする)。

「第一の戦後」の時期、「<個の確立>は<公>への参加意識と一体」だった。
 筆者は「『戦後民主主義』は戦前の「総力戦」(国民が「底力」を出す戦争)の思想の延長線上に新しいモラルとナショナリズムの模索として」始まり、敗戦直後には<民主(デモクラシー)>と<愛国(ナショナリズム)>が両立していたと説く。
 それが本書の題名の由来である。

 戦後知識人がそういう愛国心を感じていたと聞くと意外だが、我々が当時その立場にいたら同じように感じたであろう。
 本書が描く「第一の戦後」は、同じ日本人として違和感なく追体験できる。
 必ずしも誰もが冒頭疑ったように「米軍を敗戦後手のひら返すように受け入れた」訳ではなかったのだ。

 筆者は続けて、憲法擁護と非武装中立は戦後日本のナショナリズムの表現形態だった という。
 憲法制定当初、素朴なナショナリズムは右翼、左翼を問わず「押しつけ憲法」に対する反感を生んだが、日本に非武装を強要した第9条を戦後日本の新しいアイデンティティにしよう、それが「戦死者の死を無意味に終わらせない」所以でもあるという気運も生まれた。
 すると、今度は朝鮮戦争勃発を期に、「左向け右!」の如く再軍備要求が来た。

 これに対する「反対運動は純然たる平和志向だけから発生してきたのではなかった・・・根底にあったのはアメリカに寄って戦後日本のナショナル・アイデンティティが捻じ曲げられることへの抵抗感と、アメリカに従属して復活を図ろうとする旧勢力への反発だった。」
 本書中のある章の題名は「忠誠と反逆」だ。
 私流に敷衍すれば、帰属する国家への忠誠(ナショナリズム)と抑圧的な権力装置としての国家への反逆、になる。
「ナショナリズムを否定した」わけではないことを筆者は強調する。

 そこには「戦中の記憶や後悔」も与っていた。
「我々戦後派は、前に屈辱があるわけで、戦後逆コースが来たときに、今度こそ行為によって実証してやろう」と考えた(鶴見俊輔)。

 私はナショナリズムや公について語ることが何となく憚られる時代に育ってきた。
 そういう価値体系を「戦後民主主義」と呼ぶのだと思ってきたが、そういう自分にとって、以上のような描写は驚くことばかりだ。
 私とほぼ同世代の筆者もあとがきの中で、「研究を始めてみると、『戦後』や『戦後民主主義』というものは、従来自分が漠然と抱いていたイメージとはおよそ異なるもの」だったと述べている。

 しかし、そうであればあるほど、「では、戦後知識人や戦後民主主義について今日通用する理解は、いったいどうやって生まれてきたのだ!?」という疑問が膨らむ。

 筆者は(戦争責任や歴史を巡る昨今の)「議論の内容への賛否以前に、それらの議論が前提としている『戦後』認識が間違っているケースが多い」と主張し、「『戦後』とは現代の人びとが最も知らない時代の一つ」だという。
 誤った認識が拡がっていったことにも、ある時代(この場合は「第二の戦後」)をどういう年齢、いかなる境遇で迎えたか?
 共通体験が時代の共通心情を生むという事情が深く関わっている。

 本書はその事情を明らかにするために、丸山ら戦後知識人より10歳ほど若く、60年代に彼らを批判した吉本隆明(戦中派)、吉本より更に10歳若い江藤淳、大江健三郎、小田実ら(戦後派)を取り上げ、彼らの世代史および個人史を詳細に検証している。
 丸山らが軍国主義一色に染まる以前の教育を受けて成人し、敗戦時には30歳前後に達していたのに対して、吉本は戦争の時代に皇国教育を受けて育ったため、敗戦で「価値観の崩壊」を経験した世代だ。
 江藤らは更に敗戦時10歳(「ギブミー・チョコレート」を経験した世代)だった。

 吉本らの世代は年長の戦後知識人世代を攻撃した。
「最大の武器となったのは、戦争に批判的であったにもかかわらず沈黙していた年長者たちの戦争責任を追及し、彼らを卑怯であると攻撃することだった」
 それは「年少の世代ほど、自分は戦争の被害者だという意識を持っていた」からだ。

 江藤らの世代は、「昨日まで『鬼畜米英』や天皇崇拝を説いていた教師が、突然にアメリカと民主主義を賛美する」事態に遭遇した。
 こうした現象は生徒たちの不信を買い、『戦後民主主義』の欺瞞という印象を植え付ける」ことになった。

 戦争体験は世代、階層によって相当異なるだけでなく、個々人の境遇、生い立ちによっても異なる。
「兵役や空襲を経験しなかった吉本や江藤は、(戦死者への憧憬など)ロマンティックな戦争観を抱きながら、『戦後民主主義』を『欺瞞』として攻撃した」
 極限状況を潜りぬけた戦争体験者は「強烈な被害者意識と不可分のかたちで、自分だけが生き残って平和な生活をしている」という「一種の加害意識」、「罪責感」に苛まれたが、「戦争を知らない世代はこうした心情を理解できなかった」。

 戦後知識人が戦後世代に受け入れられなかったことについては、「戦争体験を持たない世代に共有されうる言葉を創れなかった」戦後知識人も責めを負っている。
 筆者は当時の膨大な文献に分け入って、彼らが戦争体験を語る言葉を採集したが、一般的に言えば権威への服従や転向といった「負い目」を負う戦後知識人の世代は「自己の戦争体験については多くを語らなかった」。

 さらに、秩序が安定に向かい、豊かになった「第二の戦後」の時期、戦後思想が沈滞した。
「第一の戦後」は混乱と貧困の中で「社会は変えられる」と思わせたが、結果は、改憲を阻止できる1/3の議席を野党が得る「1955年体制」の成立により「左右の政治勢力が理念をぶつけ合うことは棚上げにして」経済成長に邁進する時代がやってきた。

 60年安保闘争は久々に国民の政治意識を高揚させた。
「元A級戦犯であり、強行採決といった既成事実を積み上げる岸(信介総理)の政治手法が戦争に突入した時代の記憶を呼び起こす」ものだったからだ。
 しかし、岸は退陣させたが安保条約は自然成立、闘争は敗北に終わり、運動は急速に退潮に向かった。

 これ以降、生活保守主義、「政治的無関心と結びついた私生活優先」が力を得た。
「護憲、平和、民主主義」は思想的ダイナミズムを失い、「保守勢力の攻勢から戦後改革の成果を『守る』防御的なスローガン」と化していった。

 同時に、戦争の記憶の風化が進む。
 多くの人々は戦争体験の傷を直視することよりも、高度成長の中でそれを隠蔽することを選び、年長者の中には戦争を感傷的に美化する者が増えた。
 生々しい戦争を体験しなかったが、敗戦後、一家没落でアイデンティティに傷を負った江藤淳は、米国留学中に「愛国心を罪悪感なく謳歌する」米国の若者を見て「明治国家」を想起し、そこにアイデンティティ回復のよすがを求めた(「自分探し」としての保守ナショナリズム)。
 丸山ら戦後知識人も「明治」の「武士道精神」を称賛したが、それは戦前、戦中を批判するためだったのに対して、江藤は戦後の日本を批判するために明治を見出した。

 こうして「ナショナリズム」の持つ意味合いが第一の戦後とは大きく変化していく中、大江健三郎氏のような「進歩派」は「ナショナリズムという言葉は使用したくない」と言い始める。

 その後に「全共闘世代」が台頭する。
 ベビーブームと高度成長の帰結として、大学が「マスプロ教育」の場になり、学生の位置づけも、それまでのエリートから「マスの一員」に過ぎなくなった時代だった。
 ベビーブーマーのエネルギーは、劣悪な「スシ詰め」教育環境の中で旧態依然とした大学当局の権威への反抗に向けられた。

 大学には「平和と民主主義」を奉ずる戦後知識人の教官たちがいた。
「平和と民主主義は戦前世代にとってはようやくにしてありついた恩恵だったのだろうが、戦後世代にとっては懐疑すべき、さらには打破すべき空語と映った」(西部邁)。
 特に丸山らは「責任意識」を重視するエリートだったせいで、「全共闘世代」に激しく攻撃された。

 年長世代を糾弾する点では先行世代と共通する「全共闘世代」だったが、「高度成長期に育った若者達にとって日本は既に管理社会化した先進帝国主義国家」になっていた点が違いだった。
「国家」や「民族」を「彼らを抑圧する所与の体制」と感じた「全共闘世代」は、(意味内容も変質しつつあった)ナショナリズムを批判し、戦争における日本の「加害」を強調した。

 このように「ナショナリズム」、「市民」、「民族」、「国民」、「国家」、「近代」といった言葉の使用法や意味が世代の交代とともに変遷する中、敗戦直後には両立していた<民主(デモクラシー)>と<愛国(ナショナリズム)>が再び分裂していった

 言葉の意味の変遷の過程で、戦後知識人を批判した後続世代が「戦後思想」の著作を読んでいない、読み込みが足りないことを筆者は何度も強調している。
 批判は佐伯啓思氏、加藤典洋氏など現役の思想家にも及ぶ。

 たとえば、戦後民主主義を「国家を否定するもの」として見る彼らの「戦後」観は「第二の戦後」期に作られたものだが、彼らがその「戦後」を批判するときに使う言葉は「公民」であったり「戦死者への追悼」であったりする。
 筆者は、実はそれが「第一の戦後」の言葉であることを彼らが知らないため、その「言葉を語ることが『戦後初めて』のように感じられる」のだろう、それは「幻想の戦後と一人相撲をとっている」のに等しいという。
「同じ言葉を各人が異なる意味で使っている状態では、まともな対話や討論が成立するわけがない・・・」
 自分は徹底的に読み込み、時代の心情を掴み、当時の空気を吸ったぞという筆者の秘やかな自負が感じられる。

 言説、それを産み出した時代の心情、心情を表現する言葉の使用法、意味合いについて、筆者が丹念に検証を続けたのは、冷戦終結によって始まった「第三の戦後」期のいまを生きる我々もまた、「時代の心情を表現する新しい言葉を探し求め、探しあぐねている」と見るからだ。
「本書のめざすところは、こうした『戦後思想』の姿をよみがえらせ、その継承すべき点を評価するとともに、その限界と拘束を越えることである・・・」
 読了してみると、筆者が序章で宣言したことの意味が伝わってくる。

■ 以下、読後の感想を3点述べたい。

第一に、「戦後日本はアイデンティティに『ねじれ』を生じている」(加藤典洋)ことは漠然と感じてきたが、今回本書を読んで、それは敗戦による一回性のねじれというより、疲労骨折にも似た挫折の連続だったという印象を持った。
 つまり、毀損したモラル、アイデンティティを新しく打ち立てようとしては、何度も挫折してきたのが戦後日本だったのではないかということだ。

 まず、冒頭記したもうひとつの疑問、昭和天皇の戦争責任についてだ。
 本書は当時、陛下の周囲を含め、多くの人が退位によって御責任を明らかにすべきと考えていたことを教えてくれる
(ちなみに最近、昭和天皇がご自身の責任をどう考えておられかを示唆する「国民への謝罪詔勅草稿」を「文藝春秋」誌が報道した(本年2003年7月号)。「静カニ之(戦渦)ヲ念フ時、憂心灼クガ如シ、朕ノ不徳ナル、深ク天下ニ恥ズ」・・・いたたまれぬ痛恨の想いが伝わってくるお言葉だ。そこにも同じ日本人として違和感なく追体験できる歴史がある)。

 御退位が幻に終わった原因はGHQが認めなかったことだったが、この責任がうやむやにされたことが戦後モラルとアイデンティティを再建しようとした努力の第一の挫折ではなかったか。

「祖国再建の精神的な礎は、国民の象徴たる天皇の御挙措進退の一に懸かって居る」(南原繁東大総長)、「若し、如斯(御退位)せざれば、皇室だけが遂に責任をおとりにならぬこととなり、何か割り切れぬ気持ちを残し、永久の禍根となるにあらざるや」(木戸幸一)、「陛下の御責任を不問に付しては世に道義は廃れる」(三好達治)といった当時の言葉は、いまの日本の政治や社会の現状に照らし、我々の心に突き刺さるものがある。

 次に、憲法押しつけと、それから数年も経たずにやってきた、いわゆる逆コース(再軍備等)だ。
「押しつけ」へのナショナリスティックな不満を殺して、新しいアイデンティティとモラルの拠り所を新憲法に求めようとした試みも、憲法は改正しないのに再軍備するという新たな欺瞞を生んで終わった。
 さらにその後60年安保が来て、モラルやアイデンティティをめぐる国民の関心が再び高まったが、これも安保条約自然成立という形で挫折して終わった。

 それら全ては敗戦後の日本という国が厳しい国際社会と世界史の潮流に翻弄される過程であった。
 毎回試みられたことは、最近の「諸君」誌(2003年8月号「癒しの戦後民主主義」)で本書を激しく攻撃した西尾幹二氏がいうとおり、「世界の政治現実を無視」し、「政治に空想を持ち込む」試みだったといえるかも知れない(振り返ってみて、「それぞれの時点で政府がとった決断は間違っていなかった」と見るのがいまの日本の大勢であるし、私もそう思う)。

 しかし、非現実的だったとしても、国民が拠って立てるモラルやアイデンティティを再建しようとする想いは理解も共感もできる。
 その試みが毎回挫折したことは、日本国民にそういう価値に対する冷笑的態度、ニヒリズムという深刻な後遺症を遺した気がしてならない。

第二に、理想を求めては挫折を繰り返し、欺瞞を重ねる過程で、戦後思想が風化しただけではなく、思想そのものが空洞化したのではないかと思う。
 本書で紹介された「戦後思想」には多くの汲むべきものを感じ取れるが、それを批判した言説は時代を追って無価値に堕していく印象があるからだ。

 戦後民主主義を批判して「大衆の生活実感」を賛美した吉本隆明の言説を、筆者は「公の解体」と評した。
 しかし、議論としては面白くても、およそ「公」なるものを全否定するような立場が、まともに後世の参考になるような価値なり寿命を持つとは思えない。

「全共闘世代」になるともっとひどい。
 若さのエネルギーの爆発は感じられるが、それが後世にどういう価値を遺しただろうか。
 筆者は「大学解体」と「自己否定」を標榜した全共闘学生に対して、小田実の言葉を借りて「あとからやってくる人たちに向かっては、こうした『帝国主義大学』に来るな、入る必要はないと言い、自分は『帝国主義企業』に入っていく――というようなことは倫理的にタイハイ(頽廃)していた」という痛烈な批判を発している。
 中には思想家もいたかもしれないから「十把一絡げ」に切って捨ててはいけないかもしれないが、時代としてみた全共闘は「騒擾」以外に何を遺したのだろうか、という想いを禁じ得ない。

 戦後思想を批判する側だけの問題ではない。
 戦後思想を継承した(はずの)勢力の側でも、思想の空洞化が起きたと思う。
 たとえば、天皇制、日の丸、君が代批判だ。

 戦後思想における天皇制批判は、天皇制という制度が「個」の確立を妨げ、責任意識を欠いた「無責任の体系」を生んで敗戦という痛恨事を招いたという認識に立って天皇制を批判したが、戦争の記憶の風化とともに、そうした考察や提言、つまり思想の要素が抜け落ち、天皇や国家に連なるイメージ全てを拒絶する条件反射だけが残った憾みはないだろうか。

 戦争における(日本の)加害事実を発掘する運動についても同様の事情を感じる。
 戦争の中で極限状況を潜り抜けた結果、「自分だけが生き残った」という罪責感を持ち、「加害」に敏感になるのは、魂の叫びとして共感できる。
 また、日本の加害事実を発掘する行為も日本のあり方に対する「公論」の提起としてなら、耳を傾けなければならないと思う。
 しかし、「被害国への御注進」や「被害者の煽動」といった側面が露わになってくると、それは「公」とは関わりのない、その人の「私的な生業」ではないのかという疑念が膨らんでくる。
 私はいわゆる「自虐史観批判」の立場が加害の事実まで否定するのは困ったことだと思っているが(南京虐殺が30万人の虐殺だったか否かは別にして)、他方、自虐史観批判が世論の中で力を得てきた背景には、「見たくない、聞きたくないことを見せられる、聞かされること」に対する不快の表明というエゴの問題にとどまらず、運動を行っている人たちの動機や志操に直感的な疑念が沸くようになってきたからではないかという気持ちも持っている。

第三に、本書が「ポスト団塊世代」の手によって、今という時代に生まれたことは偶然ではないと思う。
 敗戦から60年近い歳月、世代にして2世代を経て、ようやく「敗戦」という事実に先入観なく向き合い、冷静に検証できる世代が現れたと思いたい。
「同世代」と称すると、私よりも5歳若い筆者(1962年生まれ)は異論があるかもしれないが、読み進めながら、これは我ら「ポスト団塊世代」にして初めて、世に送り出しえた本だと感じた。

 また、本書は筆者のいう「第三の戦後」(冷戦の終結後)だからこそ生まれた。
 いま、日本は「失われた十年」を経て、戦後日本とは何だったのだろうか?日本は何かを大きく間違えてきたのではないか?を問い直している。
 本書がテーマとした「ナショナリズム」や「公」は問い直しの最大の争点になっているといってよい。
「第二の戦後」以降、「左・進歩派」はこれらの概念・現象を否定的に捉え、アレルギーを示してきた。
 昨今は、まさにそういう「戦後民主主義」が今日の日本の蹉跌を生んだとする「右」からの批判が盛んだ。

 人の政治的立場を図式的に分類することには慎重であるべきだろうが、筆者の主張は俗に言えば前者の「左」に近い。
 後者の「戦後民主主義」批判の通俗さを痛烈に批判する一方、ナショナルなものにアレルギーを示した「左」の主張には同情的という印象を受ける。
 前述のとおり、本書で批判された「右」側の西尾幹二氏などは、筆者に「左」の匂いを嗅ぎ取ってか、最近本書を激しく攻撃する論考を発表した(前掲)。

 しかし、「左」かもしれない筆者が「ナショナリズム」や「公」に関心を持ったことに、私は注目したい。
 50歳以上の「左」の人たちは、そんなことはしなかった。
 筆者は本書の末尾で「もちろん筆者は『ナショナリズム』と呼ばれる現象のマイナス面を承知しているから、『ナショナリズム』という言葉の復権を唱える意志はない」と断っている。
 そういう断りの仕方が、「やはり左の人かな」と思わせるが、筆者は「間合いの取り方」に慎重になりながらも、「ナショナリズム」や「公」に共感や連帯のよすがとなるものを探そうとしているように思える。
「マイナス面がある」にしても、それは全否定すべきものではない、「第三の戦後」のいま、従来の政治的対立の止揚のうえに、『ナショナリズム』や『公共』を再定義することが必要ではないか?といった想いを行間に感ずるのだ。

 筆者は本書で多用した「心情」概念について、「既存の言語体系によっては表現困難な残余の部分」という定義を与えている。
 恐らくそこには、既存の「左」の言語体系によっては表現困難なものを感じている筆者自身がいる。
 それぞれの問題に対する立場は筆者と全て同じくする訳ではないが、既存の言説への飽きたらなさ、違和感の感じ方に共感を覚え、自分と同じ世代からこの労作が生まれたことを誇りに思う。

 筆者はナショナリズム概念の「旧弊」を避けるために、ナショナリズムとは「自己の喜びが他者の喜びでもあり、他者の苦痛が自己の苦痛であり、自己と他者を区分する既存の境界が意味を失うような現象」の一種ではないか、という仮説を提出している。

 一言で言えば、ナショナリズムは「連帯感」のよりどころになるものの「一つ」だということだろう。
 同時に、そういう連帯感は国家の内側にも(同じ県民の誇り)、外側にも(同じアジア人、地球の住人)拡がりうる同心円構造を持つから、権力に悪用されやすいナショナリズム(ネーションに対応する連帯感)を相対化することができる、といった慮りから出た着想かな、というのが私の憶測である。

 そういう同心円構造のイメージは悪くない。
 私は専門領域がら、アジアとの連帯に関心が強い(本書はアジアとの関係についても、いくつかの啓示を与えてくれた)。

 これからの時代、アジア、特に東アジアは日本経済が生計を立てていく上でも不可欠の重要性を持つようになっていく。
 平たく言えば、日本にとって、アジアは欠かせないお客さんであり、パートナーである時代になるということだ。
 そういう相手方と「共感」し合う関係を作れるか否か、連帯の良し悪しは日本の盛衰にも影響する重大事だ。
 だから、後世日本人に安定した、共同繁栄を約束するようなアジアとの良好な関係を遺してやることが我々現役世代の責任だと思っている。


 しかし、同時に私は、ネーションと結びつくナショナリズムは他の連帯感と同列に論じられない格別の意味を持つと思う。
 言い古されたことだが、インターナショナルになろうとすればするほど、自分の起源であるナショナルなものへのこだわりは大事になると思うからだ。
 アジアの他の国の人と付き合っていると、それを痛切に感じる。

 日本のナショナルなアイデンティティとアジアとの連帯は、歴史問題を舞台として衝突する難しさを孕んでいる。
 しかし、他の国と付き合っていくにも、我々日本人が無国籍なコスモポリタンでいたのでは、「あなたは誰?」と薄気味悪く感じられてしまうだろう。
 ナショナリティを異にすることは前提とした上で、連帯や共感、共通利害のよすがを探し求めることが必要だと思うのだ。

 筆者が求める方向と同じかどうか分からないが、私も「第三の戦後」期を生きる日本人として、いまという時代の心情を表現し、後世日本人への責務も果たせる新しい言葉を探さなければならないと悟った。

 久々に「読書」する意味を実感した一冊だ。

経済産業研究所 RIETI 公式サイト
夏休み特別企画:フェローが薦めるこの1冊'03
〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
津上 俊哉(2002.7- 2004.3 経済産業研究所上席研究員)
https://www.rieti.go.jp/jp/special/2003_summer/tsugami.html

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森友関与の財務省幹部が駐英公使

 外務省は2019年8月16日、学校法人「森友学園」を巡る決裁文書改ざんで中核的な役割を担った財務省官房参事官の中村稔氏を駐英公使に充てる同日付の人事を発表した。
 大阪地検特捜部が9日に中村氏らを再び不起訴とし、捜査が終結したことを受け、関係した職員を海外に赴任させても支障はないと判断したとみられる。
 中村氏は森友問題が表面化した2017年当時、財務省理財局総務課長を務め、理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官の下で、佐川氏の意向を近畿財務局に伝えていたほか、実際に改ざんを部下たちと行った。
 財務省は18年6月、中村氏が改ざんの中核的な役割を担ったと認定していた。


共同、2019/8/16 00:00 (JST)
森友関与の財務省幹部が駐英公使
再不起訴で発令か

https://this.kiji.is/534748734778180705

 本日2019年8月16日の毎日新聞朝刊。

 4面の小さな記事であるが「森友官僚が駐英大使」との見出し。

 内容は、外務省が16日、学校法人「森友学園」を巡る決裁文書改ざんで中核的な役割を担った財務省官房参事官の中村稔氏を駐英公使に充てる同日付の人事を発表したというもの。
 毎日新聞は、大阪地検特捜部が9日に中村氏らを再び不起訴とし、捜査が終結したことを受け、関係職員を海外に赴任させても支障はないと判断したとみられる、と報じている。

 ああまたしても栄転か、という気分である。

 中村氏は、佐川宣寿理財局長の意向を受けて、近畿財務局に森友関係文書の改ざんを命じ自らも改ざんに加わった文書改ざんの中心人物である。

 国民の前に真実を隠すという、とんでもない役割をした人物であるが、佐川氏同様、一時的に処分を受けるも、国税庁長官に就任した通り、この中村氏も結局は栄転なのである。

 森友官僚については、森友事件のカギを握る(財務省に連絡して満額回答を引き出した安倍昭恵夫人のお付き秘書)谷査恵子氏、ローマにある在イタリア日本大使館の1等書記官に就任したように、国民を裏切っても安倍夫妻に忖度して仕えたものは栄転し、森友学園籠池元理事長のように逆らったものは約6か月も拘束される。

 こんなひどい政権を許していいのだろうか。


大阪の弁護士大川一夫のブログ、2019年08月16日
またも森友官僚栄転!
https://okawakazuo.exblog.jp/

[twitter-1]
 中村稔 氏の指示で近財職員は改ざんを強いられ自殺した。不起訴受け駐英公使に「ご栄転」。官邸がこんな人事を続ければ官僚の忖度と隠蔽、不正は続く。
望月衣塑子、18:00 - 2019年8月15日

[twitter-2]
 中村氏は安倍明恵氏が記載された決裁文書を決裁した人物で、彼が菅官房長官に森友事案について説明をした直後に改竄が開始。官邸と改竄との関係を知る重要人物。谷さえ子氏同様海外へ。腐ってる
たつみコータロー、0:33 - 2019年8月16日

 参議院選が終わりましたが、いろいろな意味でひどいものです。

 自民党は10議席減、比例票を240万票も減らしていますが、にもかかわらずまるで勝利したかのようにふるまっています。
 安倍首相は「国民の負託に力強く応える」などと述べていますが、茶番としか言いようがありません。

 そして、選挙が終わったとたん、「森友問題」で刑事告発された佐川元長官などが再度不起訴となり、大阪地検は捜査終了と報じられました。

 ひどい話です。

 本集会では、近畿財務局職員を自死にまで追い込んで公文書改ざん・廃棄が行われた「森友問題」の幕引きを許さず、アベ政権の責任を追及し続ける決意を新たにします。

 「ちょっと違和感」でおなじみの、ユーモアを交えて安倍政権を斬る、松尾貴史さんにも参加要請しています。

 下記の通りですので、どうぞ皆さん奮ってご参加ください。

幕引きなんかさせてたまるか!!「森友問題」
日 時:8月31日(土)19:00〜(開場18:30)
会 場:アクア文化ホール(豊中市立文化芸術センター 中ホール)
    〒561-0802 大阪府豊中市曽根東町3-7-2
    阪急「曽根」駅より徒歩5分
内 容:
・新聞記者から見たアベ政治と「森友問題」
  報告:高橋純子さん(朝日新聞論説・編集委員)
  討論:木村真さん(森友学園問題を考える会・豊中市議)
     松尾貴史さん(タレント・コラムニスト)参加予定
・改めて問う!!「森友問題」
  宮本たけしさん(前衆議院議員)
  大川一夫さん(弁護士)
参加費:500円(障がい者・学生300円、介助者無料)
※ 手話通訳あり
主 催:森友学園問題を考える会
連絡先:TEL/FAX 06-6844-2280


大阪の弁護士大川一夫のブログ、2019年08月14日
幕引きさせない!森友集会
https://okawakazuo.exblog.jp/

 財務省の文書改ざん問題で、安倍政権は佐川元理財局長の責任で終わりにしようとしている。

 しかし、森友国有地激安売却において、「改ざん」して削除されたのは、安倍昭恵夫人の関わりや「本件の特殊性」と表現された内容である。

 誰がどう見ても、本件の激安は「特殊」であり、そのようにしたのは安倍昭恵夫人が関わっていたからであり、そして削除する改ざんをしたのは、安倍首相夫妻を守るためであろう。
 これ以外の理由があるなら、安倍首相は「丁寧に」説明してほしい。

 では何故、安倍昭恵夫人は、森友学園籠池理事長の小学校の名誉校長を引き受け、森友学園の意を汲んで「特殊」な扱いを求めたのか。
 それは、籠池理事長が作ろうとするその教育の中身は、まさしく安倍首相の進める教育勅語中心の愛国心教育と同じであったからである。

 皆さんは覚えておられるであろう。
 ネット上流された、森友学園が経営する塚本幼稚園で、幼気な園児たちが教育勅語を暗唱する姿を。

 多くの国民は不気味に思ったその光景を安倍昭恵夫人は涙した。
 安倍首相は「妻からよい教育と聞いていた」その教育がこれなのである。

 森友事件の本質は、安倍首相が進める教育勅語を中心の愛国心教育の小学校に、法律をねじ曲げてあり得ない便宜を図ったという事件である。

 私はマスコミの方から、森友事件の本質は何ですか、と聞かれることがある。
 私はいつもこのように答えているのだが、なかなかこういうコメントは掲載してもらえない。


大阪の弁護士大川一夫のブログ、2018年03月04日
森友事件の本質!
https://okawakazuo.exblog.jp/27136001/

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終戦の日

 終戦の日の2019年8月15日、北海道根室市で開かれた戦没者追悼式で、戦没者遺族代表が、今年5月の国後島へのビザなし交流に参加し、北方四島を戦争で取り戻すことの是非に触れた丸山穂高衆院議員(大阪19区)の発言について、厳しく批判した。
 特定の政治家の発言を批判するのは極めて異例だ。

 批判をしたのは、同市戦没者遺族会会長の菅原秀敏さん(79)。
 式の最後の謝辞で、
戦争体験がなく、その悲惨さを知らない35歳の国会議員の発言には、一家の支柱を戦争で突然失い、きびしい生活を余儀なくされた戦没者遺族の一人として大きな驚きと怒りを禁じ得ません
と述べた。

 菅原さんの父親は1944年7月にフィリピンに向けて輸送船で航海中、米潜水艦の攻撃を受けて戦死した。
「4人の子どもが残され、母親と悲しむいとまもなく、窮状が過酷を極めた日々を生きた」
という。
 根室市の職員として消防長などを務めつつ、遺族会の活動を続け、1970年と1989年には同市での全国遺族会青年部による北方領土研修会の開催も手がけた。

 謝辞は、
「終戦から74年の歳月が流れたが、後世の市民には、もう我々のような戦没者の家庭をつくらないよう、改めて不戦の誓いをすることが必要だ」
との言葉で締めくくられた。

 丸山議員は5月10日、北方四島ビザなし渡航の今年度第1陣となる国後島訪問団の顧問として、根室港から出発。
 国後島滞在中の11日に、酒に酔った状態で、
「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」
などと元島民に問いかけた。
 さらに、禁じられた外出を試みたりした。

 折しも根室市ではこの日朝、丸山議員らが参加した5月以来初めて、4人の衆参両院議員が参加したビザなし訪問団(団長・大野久芳富山県黒部市長、64人)が国後、色丹両島に向け、根室港を出港した。


[写真]
戦没者追悼式で丸山穂高衆院議員の戦争発言を批判する菅原秀敏さん=15日、北海道根室市総合文化会館

朝日新聞、2019年8月15日18時43分
丸山議員に「怒り禁じ得ない」
戦没者追悼式で遺族代表

(大野正美)
https://digital.asahi.com/articles/ASM8H5VYBM8HIIPE01G.html

 新たな対立の時代に世界は入りつつある。
 国益を声高に追求する自国中心主義が米国や中国、ロシア、欧州などに広がる。
 歴史が逆流するかのように、ポピュリズムやナショナリズムが世界を蚕食しているように見える。

 悲惨な戦争を経て歴史がようやく手にした国際協調主義を思い起こすべきだ。
 一つの時代を想起したい。
 第1次世界大戦が終結し、第2次世界大戦が始まるまでのおよそ20年間。英国の歴史家E・H・カーが「危機の20年」と呼んだ「戦間期」だ。

 史上初の総力戦となった悲惨な大戦を経て、欧米を中心に平和を求める切実な声が強まった。
 誕生したのが初の国際機構である国際連盟。
 さらには、紛争の解決を平和的手段によるとした不戦条約もこの時代に成立した。

「力による支配」から「法による支配」を目指し、国際秩序の維持に関する各国の基本的な考え方が大きく転換した。
 国家間の紛争解決は戦争に訴えるのではなく、国際会議や裁判によって国際協調を追及し、世界平和を実現しようとする試みだ。

 歴史のかなたにかすんでいるが、この時期のある日本人の貢献を忘れてはならないだろう。
 国際連盟の常設司法裁判所の所長を務めた安達峰一郎だ。
 山形県出身の安達は外交官を経て、国際連盟の理事会や総会で活躍、アジア人で初の裁判所長となった。

 欧州の少数民族や国境画定の調停などに傾注し、その公平な態度と熱意は各国から絶大な信頼を得たという。
 所長就任から間もなく、満州事変や日本の連盟脱退通告などで心労がたたり、オランダで没した。
 国際平和のために奔走した生涯だったという。

 その安達が賛意を惜しまなかったのが不戦条約だ。
 国際協力の一つの頂点とされる同条約は、締約国による紛争解決のための戦争を非とし、国策としての戦争の放棄を定めた。
 その精神は現在の日本国憲法に引き継がれている。

 条約に対する評価は現在でも「世界的な政治協定として画期的だった」というのが一般的であり、原締約国に続く追加加入を含めて80ヶ国近い賛同を得た。
 罰則がなく戦争防止の手段としては不完全だったが、条約の趣旨は後世に大きな影響を与えている。

 現在の世界を見れば、米国が「アメリカファースト」を叫び、中国は「核心利益」を主張して領土的野心を隠さない。
 欧州は移民への反発から国益重視にかじを切った。
 ロシアは力による現状変更の態度をあらわにしている。

 各国に国益があるように国際社会には公益とも言える全体としての利益がある。
 そして、どの国にとっても平和と安全、それによる繁栄以上の国益は存在しない。
 人権の擁護や法の支配など普遍的な価値が定着している日本は、歴史を踏まえ、進んでそのことを語らなければならない。


河北新報・社説、2019年08月15日木曜日
終戦記念日
国際協調の歴史を顧みたい

https://www.kahoku.co.jp/editorial/20190815_01.html

 戦後と呼ばれる時代に74年の歳月が刻まれた。
 この間、日本は昭和、平成を経て、令和の今日に至るまで、平和国家の道を歩み、世界に確たる地歩を築いてきた。

 同じ時の流れの中で、戦争を体験した人たちは次第に減少し、いまは戦後生まれが人口の8割を超える。
 戦争体験の風化が危ぶまれるゆえんである。

 きょうは終戦の日。
 戦火の犠牲になった人びとを悼むとともに、平和の誓いを新たにし、これを未来へつないでいく意義と責任をあらためて認識したい。

語り継ぐのが使命

 熊本の戦跡と遺構をたどるバスツアーで先日、菊池市泗水町に旧陸軍菊池(花房)飛行場の跡を訪ねた。
 現在は住宅などが立ち並ぶ跡地を歩くと、戦時からの姿をとどめる給水塔や燃料庫、格納庫跡などが点在する。

 かつて格納庫を支えていた高さ3メートル余の頑丈なコンクリート製の基礎部分には、米軍機の空襲で受けた機銃掃射の痕がいくつも残っている。
 弾痕は中指の第二関節あたりまでがすっと入るほど深い。
 それだけの破壊力があったということだ。
 硬いコンクリートをも穿[うが]つ機銃弾が無数に降ってくる−−。
 そんな光景を想像し、思わず身震いがした。

 菊池飛行場は同町富の原地区の台地に1940年に開かれた。
 県内最大の規模を誇り、実戦部隊とともに、飛行機の操縦や通信の訓練施設が置かれた。
 しかし、1945年5月13、14日に大規模な爆撃を受け、36人の少年飛行兵ら多くの命が奪われる悲劇の現場となった。

 市民有志でつくる「花房飛行場の戦争遺産を未来につたえる会」が遺構の保存活動や資料収集を進めている。
 5年前には町内の孔子公園の一角に資料館「菊池飛行場ミュージアム」を開設した。
 資料の整理や展示をはじめ、運営はすべてメンバーが手弁当で担う。

 会長の倉沢泰さんは宮崎の高射砲隊で終戦を迎え、同飛行場跡に開拓団として入植した。
 98歳の今も、自らの戦時戦後体験や菊池飛行場の歴史の語り部役を務める。
「戦争のむなしさ、愚かさを知ることで平和の大切さが分かる。そのために語り伝えることが私たちの使命」
との思いは強い。

安寧を脅かす動き

 戦火による犠牲とともに、戦争へ突き進んだ歴史の教訓もしっかりと胸に刻んでおきたい。

 戦後の日本が平和主義を国家の機軸としてきた根幹に憲法があることは言うまでもない。
 平和主義とともに国民主権、基本的人権の尊重をうたい、民主主義を根づかせた。
 なかでも一貫した専守防衛の立場は、今日の平和を考える上で重要な要素である。

 その意味で、憲法改正に対する安倍晋三首相の前のめりの姿勢は気掛かりだ。
 9条への自衛隊明記や緊急事態条項の新設などを主張し、先月の参院選後には、改憲推進の考えを強調した。

 しかし、共同通信の世論調査では、憲法改正を優先課題としたのは6.9%にとどまり、安倍政権下での改憲反対が56%に上った。

 国民が強く求めているわけでもない改憲をなぜ急ぐのか、何をどう変えようとするのか。
 論議に関心を持ち、疑問があれば声を上げていくことが大切だ。


 世界に目を転じると、紛争は後を絶たない。
 共存と安寧を妨げるような大国の動きも目立つ。
 行き過ぎた自国第一主義の中での貿易摩擦や条約廃棄、他国や他民族への蔑視、迫害……。
 膨らむ争いの芽を速やかに摘み取らなければならない。
 そこには塗炭の苦しみを知る日本だからこそ発揮できる英知と役割があるのではなかろうか

ここも戦場だった

 戦時下の熊本に話を戻したい。
 菊池飛行場が空襲によって壊滅した1ヶ月半後の7月1日夜、熊本市内を中心に大規模な焼夷[しょうい]弾攻撃に見舞われた。
 さらに8月10日の早朝から、再び猛烈な爆撃を受けた。
 この2回の熊本大空襲による死者617人、傷者1317人、被災家屋は約1万2千戸に上る。
 2回目の大空襲から5日後、玉音放送があり、戦争は終わった。

 くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークの代表で、バスツアーを企画した高谷和生さん(64)は言う。

「熊本も戦争末期に戦場となる痛恨の歴史があった。平和に思いを致してもらうためにも、史実をもっと広く伝えなければ」

 過去の歴史から目をそらさず、戦争の記憶と教訓を次代へ受け継ぐ−−。
 それは、戦争遺跡の保存を含め戦争を学ぶ基盤を整えることであり、平和を脅かす動きをきちんとただしていくことであろう。

 悲惨な戦争を踏まえて導き出された平和な「戦後」がこの先もずっと続くよう、今を生きる世代の責務を果たしたい。


熊本日日新聞・社説、8月15日 09:33
終戦の日
平和を未来へつなぐ責任

https://kumanichi.com/column/syasetsu/1152477/

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2019年08月15日

反軍、非戦。日本国民の将来を苦しめるな!

― 吉田さんはご著書『日本軍兵士』の中で衝撃的な数字を紹介しています。
 支那駐屯歩兵第一連隊の部隊史を見てみよう 。(中略)日中戦争以降の全戦没者は、「戦没者名簿」によれば、2625人である。このうち(中略)1944年以降の戦没者は、敗戦後の死者も含めて戦死者=533人、戦病死者=1475人、合計2008人である。(後略)(支那駐屯歩兵第一連隊史)
(出所:『日本軍兵士』)

 この部隊の戦没者のうち約76%が終戦前の約1年間に集中しています。しかも、その73%が「戦病死者」。つまり「戦闘」ではなく、戦地における日々の生活の中で亡くなった。敗戦色が濃厚になるにつれ、兵士たちは戦闘どころではなく、生きることに必死だった様子がうかがわれます。
 戦病死の中には、「餓死」が大きなウエイトを占めていました。
 日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数はすでに述べたように約230万人だが、餓死に関する藤原彰の先駆的研究は、このうち栄養失調による餓死者と、栄養失調に伴う体力の消耗の結果、マラリアなどに感染して病死した広義の餓死者の合計は、140万人(全体の61%)に達すると推定している*。(『餓死した英霊たち』)
*:諸説あり
(出所:『日本軍兵士』)

 飢餓が激しくなると、食糧を求めて、日本軍兵士が日本軍兵士を襲う事態まで発生しました。
 飢餓がさらに深刻になると、食糧強奪のための殺害、あるいは、人肉食のための殺害まで横行するようになった。(中略)元陸軍軍医中尉の山田淳一は、日本軍の第1の敵は米軍、第2の敵はフィリピン人のゲリラ部隊、そして第3の敵は「われわれが『ジャパンゲリラ』と呼んだ日本兵の一群だった」として、その第3の敵について次のように説明している。

 彼等は戦局がますます不利となり、食料がいよいよ窮乏を告げるに及んで、戦意を喪失して厭戦的となり守地を離脱していったのである。しかも、自らは食料収集の体力を未だ残しながらも、労せずして友軍他部隊の食料の窃盗、横領、強奪を敢えてし、遂には殺人強盗、甚だしきに至っては屍肉さえも食らうに至った不逞、非人道的な一部の日本兵だった。(前掲、『比島派遣一軍医の奮戦記』)
(出所:『日本軍兵士』)

負傷兵は自殺を強要される

 この後の質問の前提にある日本軍兵士の悲惨な事態を読者の皆さんと共有するため、もう少し、引用を続けます。
 兵士たちは飢餓に苦しむだけでなく、自殺を強要されたり、命令によって殺害されたりすることもありました。以下に説明する行為は「処置」 と呼ばれました。
(前略)戦闘に敗れ戦線が急速に崩壊したときなどに、捕虜になるのを防止するため、自力で後退することのできない多数の傷病兵を軍医や衛生兵などが殺害する、あるいは彼らに自殺を促すことが常態化していったのである。
 その最初の事例は、ガダルカナル島の戦いだろう。(中略)撤収作戦を実施して撤収は成功する。しかし、このとき、動くことのできない傷病兵の殺害が行われた。(中略)

 (中略)視察するため、ブーゲンビル島エレベンタ泊地に到着していた参謀次長が、東京あて発信した報告電の一節に、次のような箇所がある。
  当初より「ガ」島上陸総兵力の約30%は収容可能見込にして特別のものを除きては、ほとんど全部撤収しある状況なり
(中略)
  単独歩行不可能者は各隊とも最後まで現陣地に残置し、射撃可能者は射撃を以て敵を拒止し、敵至近距離に進撃せば自決する如く各人昇コウ錠[強い毒性を持つ殺菌剤]2錠宛を分配す
  これが撤収にあたっての患者処置の鉄則だったのである。
(『ガダルカナル作戦の考察(1)』)

 つまり、すでに、7割の兵士が戦死・戦病死(その多くは餓死)し、3割の兵士が生存しているが、そのうち身動きのできない傷病兵は昇コウ錠で自殺させた上で、単独歩行の可能な者だけを撤退させる方針である。
(出所:『日本軍兵士』)

第1次大戦時に修正できなかった精神主義
 食糧が不足し餓死と背中合わせ。戦闘で負傷すれば、自殺を強要される。こうした“踏んだり蹴ったり”の環境では、戦闘どころではありません。戦争はもちろんしないに越したことはありません。しかし、仮にしなければならないとするなら、兵士をヒトとして遇し、十分な食糧と休息を与えるべきだったのではないでしょうか。
 なぜ、アジア・太平洋戦争では、そんな態勢が作れなかったのでしょう。日清・日露というそれ以前の戦争では、兵士をヒトとして遇していたのでしょうか。

吉田裕(よしだ・ゆたか、一橋大学大学院特任教授): アジア・太平洋戦争の時ほど極端ではありませんが、日本軍に独特の精神主義が存在していました。
 典型は、歩兵による白兵突撃です。
 銃の先に銃剣を付け突撃し攻撃路を開く、というやり方。
 その背景には、「精神力で敵を圧倒する」という精神主義がありました。
 日露戦争後、こうした考え方が軍内に広まっていきます。
 例えば、陸軍は歩兵操典などの典範令(教則本)を大改正して、ドイツ製の翻訳から、独自のものに改めました。
 内容的には、日本古来の伝統、精神を重視するものにした。
 例えば夜襲を重視しています。

ー 日露戦争当時の軍は、日露戦争は白兵突撃によって勝ったと認識していたのですか。司馬遼太郎さんが同戦争を描いた小説『坂の上の雲』の影響かもしれませんが、「二〇三高地の戦いにおける白兵戦は愚かな作戦だった」という印象を持っていました。乃木希典・第三軍司令官は、効果が小さいにもかかわらず、犠牲の多い、白兵突撃を繰り返した、と。

吉田: 事実はともかく、「白兵戦によって勝った」「日本精神によって勝った」という“神話”を作ってしまったのです。
 本来なら、その後に起きた第1次世界大戦を研究する中で、こうした精神主義を修正すべきでした。
 しかし、それができなかった。
 例えば、歩兵による白兵突撃主義を取ったのは、日本軍だけではありません。
 欧州諸国の軍も同様でした。
 派手な軍服を着て、横一列に並んで突撃していったのです。
 しかし、第1次世界大戦を戦う中で挫折した。
 機関銃と戦車の登場が契機でした。
 日本軍は、第1次世界大戦中の欧州の状況を詳しく研究しました。
 しかし、研究するのと参加するのとでは話が違います。
 欧州戦に参加しなかった日本軍は、第1次世界大戦をリアリティーをもって感じることができなかったのでしょう。

部下による反抗恐れ私的制裁を容認

― 兵士たちは餓死や処置を覚悟しなければならないだけでなく、私的制裁にも苦しめられました。
 私的制裁を苦にして、逃亡、奔敵(敵側に逃亡すること)、自殺に至る兵士が多数いました。
 初年兵教育係りの助手を命じられたある陸軍上等兵による、初年兵への執拗な私的制裁によって、彼の班に属する初年兵28人のほとんどが「全治数日間を要する顔面打撲傷」を負った。
 このため、私的制裁を恐れた初年兵の一人が、自傷による離隊を決意して自分自身に向けて小銃を発砲したところ、弾丸がそれて他の初年兵に命中し、その初年兵が死亡する事件が起こった。(『陸軍軍法会議判例類集1』)
(出所:『日本軍兵士』)

 なんとも悲惨な話です。なぜ、私的制裁を取り締まることができなかったのでしょう。

吉田: 当時は、徹底的にいじめ、痛めつけることで、強い兵士をつくることができると考えられていました。
 この考えから抜け出すことができなかったのです。
 加えて、私的制裁が古参兵にとってガス抜きの役割を果たしていたことが挙げられます。
 兵士たちは劣悪な待遇の下に置かれています。
 この鬱屈とした激情が上官に向かって爆発すると、軍としては困る。
 実際、上官に逆らう対上官犯 は戦争が進むにつれて増えていきました。
 これを、単に規制するだけでは、火に油を注ぐことになりかねません。
 そこで、「下」に向けて発散するのを容認する傾向がありました。
 鬱屈とした激情を、「下」だけでなく「外」に向かって発散するのを容認する面もありました。
 そうした教育の戦場における総仕上げが、「刺突」訓練だった。初年兵や戦場経験を持たない補充兵などに、中国人の農民や捕虜を小銃に装着した銃剣で突き殺させる訓練である。
 藤田茂は、1938年末から39年にかけて、騎兵第二八連隊長として、連隊の将校全員に、「兵を戦場に慣れしむるためには殺人が早い方法である。すなわち度胸試しである。これには俘虜(捕虜のこと)を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるから、なるべく早くこの機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」、「これには銃殺より刺殺が効果的である」と訓示したと回想している。(『侵略の証言』)
(出所:『日本軍兵士』)

軍刑法に私的制裁の禁止条項なし
ー 軍法会議は機能していなかったのですか。

吉田: 陸軍や海軍の刑法には、私的制裁を禁止する条項がありませんでした。
 陸軍刑法に「陵虐の罪」の規定があります。
 しかし、これは、兵士を裸にして木にくくりつけるなど非常に極端な行為を対象にするもので、日常的に起こる私的制裁を対象にするものではありませんでした。
 取り締まるとすれば、一般の刑法の「暴行及び傷害の罪等」を適用する。

― 確かに、初年兵28人に「全治数日間を要する顔面打撲傷」を与えた陸軍上等兵は刑法の傷害罪で懲役6カ月の有罪判決を受けています。この事件は初年兵の一人が自傷を試みたことによって発覚しました。
 かつて見た、「ア・フュー・グッドメン」という映画を思い出しました。トム・クルーズ氏が主演で、軍に勤める法務官。海軍の基地で、ジャック・ニコルソン氏演じる司令官が「コードR」(規律を乱す者への暴力的制裁)を命じて、若い兵士を死に至らしめる。法務官が法廷で大ばくちを打って、司令官を有罪に持ち込む、というストーリーです。この「コードR」に相当するものが、当時の日本の軍刑法には存在しなかったのですね。

吉田: 軍法会議に関する研究は実は進んでいないのです。
 法務省が資料を保管し、公開してこなかったのが一因です。
 今は、国立公文書館に移管されたようですが。
 二・二六事件をめぐる軍法会議の資料が閲覧できるようになったのは敗戦後50年もたってからのことです。
 これから新たな研究が出てくるかもしれません。

ー アジア・太平洋戦争中の日本軍が、その兵士をヒトとして扱っていなかった点について、伺いました。今回は、日本軍が総力戦*態勢を整えていなかった点についてお聞きします。
(*)軍隊だけでなく、国の総力を挙げて実施する戦争。軍需物資を生産する産業力やそれを支える財政力、兵士の動員を支えるコミュニティーの力などが問われる
 食糧の調達が十分でなく、多くの餓死者が出ました。そこから容易に想像がつくように、他の軍需工業品についても、供給力が伴っていませんでした。産業に、総力戦を支える力がなかった。例として、吉田さんは軍靴に注目されています。
 雨のために凍死するものが続出した。軍靴の底が泥と水のために糸が切れてすっぽり抜けてしまい、はきかえた予備の新しい地下足袋もたちまち泥にすわれて底が抜けてしまった。そのために、はだしで歩いていた兵隊がやられてしまったのである。雨水が体中にしみわたり、山上の尾根伝いに、深夜はだしで行軍していたら、精神的肉体的疲労も加わって、訓練期間の短くて、こき使われることの最も激しい老補充兵が、倒れてしまうのも当然のことであろう。(『遥かなり大陸の戦野』)
(中略)
 頑丈な軍靴を作るためには、縫糸は亜麻糸でなければならなかった。亜麻の繊維から作られる亜麻糸は細くて強靭であり、特に、陸海軍の軍靴のように有事の動員に備えて長く貯蔵しておく必要があるものは、「絶対にこの糸で縫うことが必要である」とされていた(『製麻』)。
 しかし、亜麻は日本国内では冷涼な気候の北海道でしか栽培することができない。そのため、日中戦争が始まると軍の需要に生産が追い付かなくなった。北朝鮮や満州での栽培も試みられたが十分な成果をあげることができず、結局、品質の劣る亜麻の繊維まで使わざるをえなくなった。
(中略)
 以上のように、こうした基礎的な産業面でも、日本はかなり早い段階から総力戦上の要請に応えられなくなっていたのである。

 なぜ、このような準備不足のまま、アジア・太平洋戦争に突入したのでしょう。日中戦争については、意図せず戦線が拡大していった面があります。満州事変は、関東軍が勝手に始めたもの。時の若槻礼次郎内閣が意思決定して開始したわけではありません。日中戦争の火蓋を切った盧溝橋事件にしても偶発的に始まった。しかし、対米戦はそうとは言えません。真珠湾攻撃によって、こちらから仕掛けたわけですから。

吉田: おっしゃるとおりですね。
 対中戦争は国家意思に基づいて始めたものではありません。
 盧溝橋事件も、偶発的に始まったことが最近の研究で明らかになっています。
 他方、対米戦は4度の御前会議を経たのち、閣議決定して開戦しました。

統一した意思決定ができない明治憲法

ー 盧溝橋事件(1937年)によって日中戦争が始まる前の1935年に、陸軍で軍務局長を務めていた永田鉄山が刺殺されました。総力戦をにらみ、それに耐える国家体制を作るべく様々な構想を練っていた戦略家です。彼が生き続けていたら、その後の展開は違ったものになっていたでしょうか。

吉田: そういう考えは、あり得ます。
 彼は非常に優秀な軍事官僚で、重要人物です。
 しかし、彼一人で状況を変えることができたかは判断がつかないところです。
 私は、より大きなシステム上の問題があると考えています。

ー システム上の問題とは?

吉田: 明治憲法です。
 これが定める統治構造は分散的で、総力戦を戦うのに必要な統一的な意思決定をするのに不向きでした。
 さまざまな決定が折衷案もしくは両論併記になってしまうのです。
 例えば、陸軍は対ソ戦をにらみ北進を主張する。
 海軍は石油をはじめとする東南アジアの資源を求めて南進を主張する。
 すると、結論は「南北併進」になってしまうのです。
 1941年7月に開かれた御前会議はこのような決定をくだしました。
 さらに言えば、南北併進に基づく決定をしながら、政府は米国との外交交渉を継続するのです。
 戦争の準備をすれば日米関係は悪化します。
 外交交渉は進まない。
 つまり、その場しのぎの決定しかできず、それが悪循環を引き起こしたのです。
 陸海軍の間に統一戦略はない。
 政府と軍も進む方向が異なる。
 三つどもえの状態に陥っていました。

― 明治憲法のどこに問題があったのですか。

吉田: いわゆる統帥権*の独立ですね。
(*)作戦・用兵に関する命令。陸軍の統帥部として参謀本部が、海軍の統帥部として軍令部があった。それぞれのトップは参謀総長と軍令部長

 総力戦を戦うのであれば、本来なら、国務(政府)と統帥(軍)が統一した戦略をもって臨む必要があります。
 しかし、これはなかなか実現しませんでした。
「国家機関の分立制」「政治権力の多元性」といわれる仕組みを採用していたからです。
「統帥権の独立」を盾に、軍は政府の外に立つ。
 軍の中でも陸軍省と海軍省が分立している。軍令*については陸軍の参謀本部と海軍の軍令部が分立している。

(*)大日本帝国憲法体制下にあった法形式の一つで、内閣や議会を通さず、天皇が陸軍と海軍を統帥するため制定するもの

 政府においても、各国務大臣は担当分野についてそれぞれが天皇を輔弼(ほひつ、補佐)する仕組み。
 各国務大臣の権限が強く、首相の権限は弱かったわけです。

― 明治憲法は、なぜ「国家機関の分立制」を採ったのですか。

吉田: 同憲法の起草者たちが政党勢力を恐れたからです。
 政党が議会と内閣を制覇し、天皇大権が空洞化して、天皇の地位が空位化することを恐れた。
 総力戦を戦うならば、明治憲法を改正しこれを改める必要があったと思います。

高橋是清が主張した参謀本部の廃止

ー 総力戦をにらんで、憲法を改正しようという具体的な動きがあったのですか。

吉田: 首相や蔵相を務めた高橋是清が1920年に参謀本部廃止論を唱えています。
 この軍事上の機関が内閣のコントロールから独立して、軍事、外交、経済の面で影響力を及ぼしている、とみなしていました。
 陸軍大臣や海軍大臣の統制に服していた参謀総長や軍令部長が、だんだんそれを逸脱するようになってきたのです。
 首相に在任中だった原敬も、「何分にも参謀本部は山県(有朋)の後援にて今に時勢を悟らず。元来先帝(明治天皇)の御時代とは全く異りたる今日なれば、統率権云々を振廻すは前途のため危険なり。(中略)参謀本部辺りの軍人はこの点を解せず、ややもすれば皇室を担ぎ出して政界に臨まんとす。誤れるの甚だしきものなり(下略)」(『原敬日記』)として参謀本部に批判的でした。
 ただし、憲法改正までは言っていません。
 明治憲法は欽定憲法(天皇が国民に下賜した憲法)なので、「欠陥がある」とは言い出しにくいのです。
 もちろん、明治憲法も改憲の手続きを定めてはいたのですが。
 参謀本部や軍令部は明治憲法が規定する機関ではありません。
 これらは、そもそも統帥権をつかさどる機関として設置されたのではありません。
 最初は、政治(政府)の影響力が軍に及ぶのを遮断する役割でした。
 明治の初期は、政治家であり軍人である西郷隆盛のような人が力を持っていました。
 そうすると、軍が政争に巻き込まれる可能性が生じます。
 それを避けようとしたのです。
 統帥権の独立と言うけれど、明治憲法のどこにもそのような規定はありません。
 内閣が担う輔弼の役割の範囲外と書かれてはいないのです。
 そうではあるけれども、既成事実の積み上げによって、政治や社会が容認するところとなった。
 戦前の日本にはシビリアンコントロールが根付かなかったですし。
 内閣には常に陸海軍大臣という軍人の大臣がいたので、純粋なシビリアンの内閣は存在しませんでした。
 そして、ある段階から、軍が自分の要求を通すための口実として統帥権を利用するようになったのです。
 ロンドン海軍軍縮条約(1930年に締結)あたりからですね。
 それに、政党も乗じるようになりました。

― 当時、政友会の衆院議員だった鳩山一郎が、同条約の調印は統帥権の干犯だとして、時の浜口雄幸内閣を糾弾しました。

吉田: そうですね。

― 高橋是清と原敬はどちらも政友会を率いて首相を務めました。政友会は親軍的なイメージがありますが、そうではないのですね。

吉田: ええ、少なくとも1920年代は親軍的ではありませんでした。

日中、日米、日ソの3正面で戦う

― ここまでご説明いただいたような事情で、戦前・戦中の日本はずっと統一した意思決定ができなかった。

吉田: はい。
 そのため、1941年ごろには、3正面作戦を戦おうとしていました。
 なし崩し的に始まった日中戦争が泥沼化し、1941年12月には対米戦争が始まる時期です。
 1941年6月に独ソ戦が始まると、陸軍はこれを好機ととらえ、対ソ戦を改めて検討し始めました。
 ドイツと共にソ連を東西から挟み撃ちにしようと考えたわけです。
 関東軍が満州で特種演習(関特演)を行ったのはこの文脈においてです。
 この時、兵力はもちろん、大量の物資を満州に集積しました。
「建軍以来の大動員」を言われる大きな動きでした。
 つまり、日露戦争よりも大規模な部隊を配備したわけです。
 しかし、予想に反してソ連が踏ん張り、極東に配備していた戦力を欧州戦線に移動しなかったので、対ソ戦は実現しませんでした。
 動員した兵力と物資は無駄になり、その後、ソ連とのにらみ合いに終始することになったわけです。

ー ゾルゲ事件はこのころの話ですか。駐日ドイツ大使館員をカバーに利用していたソ連のスパイ、ゾルゲが、「日本が対ソ戦を始めることはない」との情報を得て、ソ連に通報。スターリンはこの情報を元に、対独戦に集中した、といわれています。

吉田: この頃の話ですね。
 ただし、スターリンはゾルゲがもたらした情報をさして重視しなかったといわれています。

― 台中、対米、対ソ戦を同時に戦う。後知恵ではありますが、無謀に聞こえますね。

吉田: その通りですね。
 しかも、1942年の春ごろ、陸軍は再び対ソ戦を考えるのです。
 マレーシアを落とし、フィリピンを占領して、初期作戦を予定通り終えたことから、南方は持久戦に持ち込み、対ソ戦を始めようと考えた。
 満州に配置された関東軍の規模がピークを迎えるのはこの頃です。
 同じ時期に海軍は、ミッドウェーやソロモン諸島に戦線を拡大します。
 米国の戦意をそぐのが目的でした。
 いずれも失敗に終わりますが。
 初期作戦が終了した後も、陸海軍で統一した戦略がなかったわけです。
 陸海軍が統一した軍事戦略をようやく作ることができたのは1945年初頭のこと。
 本土決戦を前にしてのことでした。

日露戦争時の「勝利の方程式」から抜け出せなかった

― 陸軍がなぜそれほど対ソ戦にこだわったのか、また海軍はなぜマリアナ諸島やソロモン諸島のような遠くにまで戦線を拡大したのか、素人には理解できないところです。

吉田: 日露戦争の時から続くロシア、ソ連の脅威が陸軍の頭から離れなかったのでしょう。
 加えて、満州事変のあと満州国を建国し、ソ連と国境を直接接するようになったことが大きい。
 しかも、ソ連の部隊増強ペースはかなり速かったのです。

ー 満州というソ連との緩衝地帯を自ら無くしておいて、その脅威におびえるとのいうのは、皮肉な話です。

吉田: その通りですね。
 海軍も日露戦争の成功体験から逃れることができませんでした。
 海軍の基本的な考えは、日本海海戦*のような艦隊決戦で決着をつけること。
 そのため、太平洋を西進する米艦隊の戦力を、「漸減邀撃(ぜんげんようげき)」してそいでいく。
 具体的には、第1陣は潜水艦部隊、第2陣は一式陸上攻撃機を使った空爆、第3陣は魚雷を積んだ軽巡洋艦です。
 この一式陸上攻撃機の基地がマリアナ諸島のサイパンなどに置かれていました。

(*)東郷平八郎司令官が率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を破った海戦

 そして、艦隊の規模が同等になったところで、西太平洋で艦隊決戦を挑む。
 そのために巨大な戦艦「大和」や「武蔵」を建造したわけです。
 しかし、艦隊決戦は対米戦争の最後まで行われることはありませんでした。
 マリアナ沖海戦は、空母を中心とする機動部隊同士の戦いになりました。
 ミッドウェー海戦も機動部隊が前衛を構成し、大和は後ろに控えているだけでした。
 燃料の石油を食いつぶしただけです。
 むしろ、空母を戦艦が守るかたちで布陣すべきでした。
 ソロモン諸島の基地は、米国とオーストラリアを結ぶシーレーンを遮断する役割を担っていました。
 前編で、陸軍は「白兵戦によって勝った」という“神話”ができたお話をしました。
 陸軍も海軍も、日露戦争の総括が甘かったのです。

[写真-1]
沖縄戦。米爆撃機の攻撃を受ける日本の駆逐艦

[写真-2]
フィリピンで戦う日本軍

日経ビジネス、2019年8月15日
飢餓、自殺強要、私的制裁−
戦闘どころではなかった旧日本軍

米中ソ3国と同時に戦う!
また裂き状態だった旧日本軍の意思決定

森 永輔(日経ビジネス副編集長)
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700039/
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700040/

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光復節記念式の文大統領演説全文

【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2019年8月15日、「今からでも日本が対話と協力の道に乗り出すなら、われわれは喜んで手を取る」とし、「公正に貿易し協力する東アジアを共に作り上げていく」と述べた。
光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)74周年を迎え、中部の忠清南道・天安の独立記念館で開催された記念式典で演説した。
文大統領は「日本が隣国に不幸を与えた過去を省察し、東アジアの平和と繁栄を共に導いていくことをわれわれは願う」と強調した。
2020年夏の東京五輪に触れ、「世界の人々が(2018年に韓国で開催された冬季五輪の)平昌で『平和の朝鮮半島』を目にしたように、東京五輪で友好と協力の希望を持てることを願う」と期待した。
次は演説文の全文(非公式日本語翻訳)。

(8.15) 第74周年光復節慶祝辞

 尊敬する国民の皆様、
 独立有功者とそのご遺族の皆様、
 海外同胞の皆様、

 3.1独立運動と臨時政府樹立100周年となる今年、光復74周年記念式が特別に独立記念館で行われることを大変意義深いものであると考えております。

 今日の大韓民国はいかなる苦難にも屈することなく、あきらめなかった独立先烈の強い精神が作り出したものです。

「三角山が起きあがり、肩を踊らせて舞い、漢江の水が逆巻きたぎり立つその日」を渇望しながらすべてを捧げた先烈の熱い精神は、今この瞬間にも国民の胸に息づいています。

 私は本日、独立先烈と有功者、そのご遺族の方々に深く敬意を表すると共に、光復のその日にあふれる気持ちで築き上げようとした国、そして本日、われわれがその意志を継承して作っていこうとする国を国民の皆様と一緒に描いてみようと思います。

 われわれが夢見る国は「共に豊かになる国」、誰もが公正な機会に恵まれ失敗しても立ち直ることのできる国です。

 われわれが夢見る国は、莞島(ワンド)に暮らす島村の少女が(南の)蔚山で水素産業を学び、(北の)南浦で起業してモンゴルやシベリアにエコカーを輸出する国です。

 (北の)会寧で育った少年が釜山の海洋学校を卒業し、アセアンとインド洋、南米のチリまでをつなぐコンテナ船の航海士になる国です。

 農業を専攻した青年がアムール川辺で南北とロシアの農民たちと大規模な大豆栽培を行い、その青年の弟は(南の)瑞山で兄の大豆を餌にして牛を育てる国です。

 豆満江を渡り大陸へと、太平洋を越えてアセアンとインドへと、われわれの暮らしと想像力が広がる国です。

 われわれの経済活動エリアが韓半島南部を超え、隣国と協力しながら共に繁栄していく国です。

「溶鉱炉に火をつけよ、新しい国の心臓に鉄線を引いて鉄筋を伸ばし鉄板も延ばそう。セメントと鉄と希望の上に誰も揺るがすことのできない新しい国を築いていこう」

 解放直後、ある詩人は光復を迎えた新しい国の夢についてこう詠いました。

「誰も揺るがすことのできない新しい国」。

 それは外国の侵略や支配から解放された新興独立国として持つべき当然の夢でした。

 そして74年が経った今、われわれは世界トップ6の製造大国、世界トップ6の輸出大国の立派な経済力を持つようになりました。
 国民所得3万ドル時代を切り開き、金九先生が願望していた文化国家という夢も実現しつつあります。

 しかし「誰も揺るがすことのできない国」はまだ実現できていません。
 それはわれわれがまだ十分強くないためであり、われわれがまだ分断状態にあるためです。

 私は本日、改めていかなる危機にも毅然として対処してきた国民を思いながら、われわれが作りたい国、「誰も揺るがすことのできない国」を誓います。

 尊敬する国民の皆様、われわれは自由貿易秩序に基づいて半導体、IT、バイオなどわれわれの得意な産業に集中することができました。
 国際分業体制の下でどの国も自国の強みを活かして成功を夢見ることができました。

 近代化に立ち遅れていた東アジアは分業と協業により再び経済発展を成し遂げました。
 世界はそれを「東アジアの奇跡」と呼びました。

 侵略と紛争の時期がなかったわけではありませんが、東アジアにはそれよりはるかに長い交流と貿易の歴史があります。
 青銅器文化から現代文明にいたるまで東アジアは互いに伝播し、共有し合いました。
 人類歴史の中でもっとも長い交流と協力が行われ、共に文明の発展を果たしました。

 光復はわれわれだけに嬉しいものではありませんでした。
 清日戦争と露日戦争、満州事変と中日戦争、太平洋戦争にいたるまで、60年以上にわたる長い戦争が終わった日であり、東アジア独立の日でもありました。
 日本国民も軍国主義の抑圧から抜け出し侵略戦争から解放されました。

 われわれは過去に留まることなく日本と安保・経済協力を続けてきました。
 日本と共に日帝強制占領期における被害者の苦しみを実質的に癒すために取り組み、歴史を鏡とし固く手を結ぼうとする立場を堅持してきました。

 過去を省察するのは過去にこだわることではなく、過去から立ち直り未来へと進むことです。
 日本が隣国を不幸にした過去を省察する中で、東アジアの平和と繁栄を共にけん引していくことをわれわれは望んでいます。

 協力してこそ共に発展し、その発展が持続できるものです。
 世界は高度の分業体制により共同繁栄を実現してきました。
 日本経済も自由貿易の秩序の下で分業を行い、発展してきました。

 国際分業体制の下で、どの国であろうと自国が優位にある部門を武器化すれば平和な自由貿易秩序は壊れてしまいます。
 先に成長を達成した国がその後を追って成長している国のハシゴを蹴り飛ばしてはいけません。

 今からでも日本が対話と協力の道へと出るのであれば、われわれは快くその手を握るはずです。
 公正に貿易して協力する東アジアを一緒に作っていきます。

 昨年の平昌冬季五輪に続き来年には東京夏季五輪、2022年には北京冬季五輪が開催されます。
 五輪史上初の東アジアでのリレー開催です。
 東アジアが友好と協力の土台をしっかりと固め共同繁栄の道へと進む絶好のチャンスです。

 世界の人々が平昌で「平和の韓半島」を目撃したように、東京五輪で友好と協力の希望を持てるようになることを願います。

 われわれは東アジアの未来世代が協力による繁栄を経験できるように、われわれに与えられた責任を果たします。

 尊敬する国民の皆様、今日のわれわれは過去のわれわれではありません。
 今日の大韓民国は数多くの挑戦と試練を乗り越え、さらに強くなり、成熟した大韓民国です。

 私は本日「誰も揺るがすことのできない国」、われわれが作りたい「新しい韓半島」を目指して三つの目標を提案します。

 第一に、責任ある経済大国として自由貿易の秩序を守り、東アジアの平等な協力を引き出したいと思います。

 わが国民が奇跡のように成し遂げた経済発展の成果と底力は分け合うことはできても、奪われるわけにはいきません。
 経済での主権がしっかりしているとき、われわれは自らの運命の主人となり、ぐらつかなくなります。

 統合された国民の力は危機を機会へと変え、挑戦はわれわれをさらに強く、大きくしました。

 われわれは中東の熱砂も、太平洋の波も恐れることなく経済を成長させました。
 軽工業、重化学工業、情報通信産業を次々と育成し、世界的なIT大国となりました。
 今や5Gなど世界の技術標準をリードする国となりました。

 今までわれわれは先進国を追いかけてきましたが、今は率先して挑戦し、先導する経済へと生まれ変わりつつあります。
 日本の不当な輸出規制に立ち向かい、われわれは責任ある経済大国への道を地道に歩んで参ります。

 わが国の経済構造を包容と共生の生態系へと変化させます。
 大中小企業と労使の共生協力により素材・部品・装備産業の競争力強化に力を入れます。
 科学者と技術者の挑戦を応援し、失敗を尊重することにより誰も揺るがすことのできない経済を作ります。

 われわれに不備があるところを省察しながらも自らを卑下せず共に激励し合うとき、われわれは目標を成し遂げることができると信じています。

 われわれは経済力にふさわしい責任を持ってより大きく協力し、より広く開放することで隣国と共に成長していきます。

 第二に、大陸と海洋を問わず平和と繁栄を先導する橋梁国家になろうとしています。

 地政学的に四国もの大国に囲まれた国は世界にわれわれしかありません。
 われわれがみすぼらしく、力がないときは、韓半島は大陸でも海洋でも辺境になり、ときには諸大国が角逐する場となりました。
 それがわれわれが経験した過去の歴史でした。

 しかし、われわれが力をもつと大陸と海洋をつなぐ国、北東アジアの平和と繁栄の秩序を先導する国になれます。
 われわれは地政学的位置をわれわれの強みに変えていかなければなりません。
 これ以上、他に振り回されず主導していくというしっかりとした目標をもつべきです。

 かつて臨時政府の趙素繡先生は人と人、民族と民族、国と国の間の均等を唱えました。
 それが平和と繁栄に向けたわれわれの基本精神です。

 わが国民が日本の経済報復に対して成熟した対応を示しているのもまた、わが国の経済を護り抜こうとする強い意志を持ちながらも、両国国民同士では友好が損なわれないことを願う高い水準の国民意識があるからです。

 わが政府が推進する「人間中心の共生繁栄に向けた平和共同体」は、われわれからスタートして韓半島全体と東アジア、さらには世界の平和と繁栄にまで拡大していこうとするものです。

 新北方政策は大陸に向かって走っていくわれわれの抱負です。
 中国やロシアだけでなく、中央アジアと欧州にまで協力の土台を拡大し、北東アジア鉄道共同体により多国間協力、多国間安保の礎を築きます。

 新南方政策は海洋に向かって走っていくわれわれの抱負です。
 アセアンおよびインドとの関係を主要周辺国レベルまで格上げし、共同繁栄の協力関係へと発展させていきます。

 今年11月には韓-アセアン特別首脳会議と韓-メコン首脳会議が釜山で開かれます。
 それらはアセアンおよびメコン諸国との画期的な関係発展を図る道しるべになるはずです。

 南北の間で途絶えた鉄路と道路をつなぐことは、東アジアの平和と繁栄を先導する橋梁国家へと進む第一歩です。
 韓半島の地と空、海に人や物流が行き来する血脈(道)をつなぎ、南北が大陸と海洋を自由に出入りすることができれば、韓半島はユーラシアと太平洋、アセアン、インド洋をつなぐ繁栄の土台になるはずです。

 アジア共同体はある一国が主導する共同体でなく、平等な国同士の多様な協力が花開く共同体になることでしょう。

 第三に、平和により繁栄を実現する平和経済を構築し、統一によって独立を完成していきたいと思います。

 分断体制を乗り越え、民族のエネルギーを未来繁栄の動力にしていかなければなりません。

 平和経済は、韓半島の完全なる非核化を土台に、北韓が核ではなく経済と繁栄を選ぶよう対話と協力を続けていくことから始まります。

 南北と米国は、この1年8ヶ月間、対話の局面を続けました。
 最近北韓による数回の懸念すべき行動にもかかわらず対話ムードが揺らいでいないことこそ、政府が進めてきた韓半島平和プロセスの大きな成果であります。
 一度の北韓の挑発により韓半島が揺さぶられたこれまでの状況とは大きく様変わりしています。
 依然として対立を煽る勢力が国内外に少なからず存在しますが、わが国民の平和への切実な願望に支えられ、ここまで辿り着くことができました。

 今年6月末の板門店会談以降、第3回北米首脳会談に向けた北米間の実務者交渉が模索されています。
 おそらくこれは、韓半島の非核化と平和構築に向けた全過程における最も重大な山場になると思います。
 南・北・米の三国が、北米の実務者交渉の早期開催に力を集中しなければならない時期です。

 不満なところがあるとしても、対話ムードを壊したり、壁を立てて対話を妨げたりするのは決して望ましくありません。
 不満があるならば、それも対話の場で問題を提起し、議論すべきであります。
 国民の皆様にも、対話の最後の山を乗り切ることができるよう、ご声援のほど、よろしくお願いいたします。

 この危機を乗り越えれば韓半島の非核化がより一層近付き、南北関係も大きく前進するはずです。
 経済協力が加速し、平和経済が始まれば、いずれ自ずと統一は目の前の現実になると思います。

 IMF(国際通貨基金)は、韓国が第4次産業革命をリードし、2024年頃には一人当たり国民所得が4万ドルを突破するとの見通しを示しています。

 そこに南北の能力を合わせれば、それぞれの体制を維持しながらも8千万人規模の単一市場を生み出すことができます。
 韓半島が統一を果たすことになれば、世界第6位圏の経済大国になるとの見通しを示しています。
 2050年頃には国民所得7万~8万ドル時代を達成できるという国内外の研究結果も出ています。

 平和と統一がもたらす経済利益が非常に大きくなるということは明らかです。
 南北の企業にも新しい市場とチャンスが広がります。
 南北はいずれも膨大な国防費はもちろん、「コリアディスカウント」という無形の分断費用を削減することができます。
 今われわれが経験している低成長、少子高齢化の解決策も見出せるはずです。

 しかし、何よりも光復のあの日のように、わが民族の心に芽生える希望と情熱が大事です。
 希望と情熱より大きな経済の成長エンジンはありません。

 釜山からスタートして蔚山と浦項、東海と江陵、束草、元山と羅津・先鋒へと続く環東海経済は、ウラジオストクを経由する大陸経済、北極航路と日本をつなぐ海洋経済へ伸びていくはずです。

 麗水と木浦からスタートして群山、仁川を経て海州と南浦、新義州へと続く環黄海経済は、全羅南道のブルーエコノミーやセマングムの再生可能エネルギー新産業、そして開城工業団地と南浦、新義州へと続く先端産業団地の育成により、中国・アセアン・インドに向けた雄大な経済戦略を完成することになります。

 北韓も経済建設総路線へと国家政策を切り替え、市場経済の導入が行われています。
 国際社会も北韓が核を放棄すれば、経済成長を支援すると約束しています。

 北韓を一方的に助けようとするわけではありません。
 互いの体制の安全を保障しながら、南北両方の利益を図り、両方の繁栄を目指そうということです。
 世界経済の発展に、南北が一緒に貢献したいということです。

 平和経済を通じてわが国経済の新成長エンジンを作っていきます。
 われわれの力をこれ以上、分断に消耗するわけにはいきません。
 平和経済にわれわれがもつ全てを注ぎ込んで、「新しい韓半島」の扉を切り開いていきます。

 南北が手を携えて韓半島の運命を主導しようとする意志があれば実現できることです。
 分断を乗り越えるときに、ようやくわれわれの光復は完成し、誰も揺るがすことのできない国になるはずです。

「北韓はミサイルを打ち上げるのに平和経済を語るのか」と反論する人たちがいます。
 しかし、われわれはあちらより強力な防衛力を保有しています。

 われわれは状況を注視しながら、韓半島の緊張が高まらないように管理に万全を期していますが、それも究極の目標は対立ではなく、対話にあります。

 米国が動揺せず北韓と対話を続け、日本も対話を進めているという現実を直視していただきたいと思います。
 理念にとらわれて自ら孤立しないでいただきたいと思います。

 われわれの団結した力が絶対に必要です。
 国民の皆様も志を同じくして、同行してください。

 尊敬する国民の皆様、
 独立有功者とご遺族の皆様、
 海外同胞の皆様、

 私は本日、光復節を迎え任期内に非核化と平和体制を確固たるものにすると誓います。

 その土台の上で平和経済に着手し、統一に向けて歩んでいきます。

 北韓と共に「平和の春」に蒔いた種が「繁栄の木」に育つように、対話と協力を発展させていきます。

 2032年にはソウルー平壌共同五輪を成功開催し、2045年の光復100周年には平和と統一で一つになった国(One Korea)として世界にしっかり位置づけられるよう、その土台を強固に築いていくと約束します。

 臨時政府が「大韓民国」という国号とともに「民主共和国」を宣布してから100年が経ちました。

 われわれは100年間省察し、成熟しました。
 もはやどのような危機も乗り越えられる自信を持てるようになり、平和と繁栄の韓半島を実現するための国民の能力が高まりました。
 われわれは「誰も揺るがすことのできない国」をつくることができます。

 南岡・李昇薫先生のお言葉をかみ締めます。

「私は種が地の下から重い土を持ち上げて芽立つ時、自分の力でない他の力を借りて上がってくるのを見たことがない」

 われわれの力で分断を乗り越え、平和と統一へ進む道こそ、責任ある経済大国への近道となります。
 われわれが日本を追い越す道であり、日本を東アジア協力の秩序へと導く道です。

 韓半島と東アジア、世界の平和と繁栄をけん引する「新しい韓半島」がわれわれを待っています。

 われわれはできます。

 ありがとうございました。

聯合ニュース、2019年8月15日 11時45分
光復節記念式の文大統領演説全文
https://news.livedoor.com/article/detail/16930933/

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全国戦没者追悼式

 全国戦没者追悼式で、安倍晋三首相は「歴史の教訓を深く胸に刻み」との文言が入った式辞を読み上げたが、アジア諸国への加害責任に触れなかった。
 言及しないのは第2次政権発足後の2013年の追悼式から7年連続。


共同、2019/8/15 12:05
安倍首相、今年も加害責任に触れず
https://this.kiji.is/534567791338751073

 自民党の小泉進次郎厚生労働部会長(衆院議員)は終戦の日の2019年8月15日午前8時ごろ、東京・九段北の靖国神社に参拝した。
 参拝後、記者団の呼びかけに応じず、神社を後にした。

 一方、安倍晋三首相は終戦記念日の15日午前、東京・九段北の靖国神社に自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。
 参拝は今年も見送り、稲田朋美・党総裁特別補佐が代理で納めた。
 終戦記念日の参拝見送りと玉串料奉納は、第2次内閣発足後の2013年以降、7年連続となる


毎日新聞、2019年8月15日 11時48分
小泉進次郎氏が靖国参拝
(竹内望)
https://mainichi.jp/articles/20190815/k00/00m/010/034000c

 終戦から74年を迎えた15日、元号が令和となって初となる政府主催の「全国戦没者追悼式」が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、約5000人の戦没者遺族が犠牲になった約310万人を悼み、平和への誓いを新たにした。
 今回初めて参列された天皇陛下はお言葉で、先の大戦について「深い反省」と述べるなど、上皇さまが2015年から4年連続で使った表現をほぼ引き継がれた。

 陛下は皇后さまと参列し、「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」と述べた。

 安倍晋三首相が改憲に意欲を示し、日韓関係の悪化に歯止めがかからぬ中で迎えた慰霊の日。式典には衆参両院議長ら各界の代表も参列し、全員が正午の時報に合わせ、一分間の黙とうをささげた。

 首相は式辞で、広島や長崎への原爆投下、東京などへの空襲、沖縄の地上戦などを挙げながら「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは昭和、平成、令和の時代も決して変わることはありません」と述べたが、歴代首相が盛り込んできたアジアへの「加害と反省」には7年連続で触れなかった。

 遺族代表の森本浩吉(こうきち)さん(77)=横浜市=は追悼の辞で「戦没者を追悼し平和を祈念する日だと全ての国民が胸に刻み、ご英霊に感謝し、しのんでいただく日々となることを望んでいます」と述べた。
 参列者の最高齢は、夫を沖縄戦で亡くした東京都八王子市の内田ハルさん(97)、最年少は4歳。
 台風10号の影響で、宮崎県遺族団(同行含めて約60人)が参列を断念した。

 追悼の対象は、戦死した軍人・軍属約230万人と、空襲や広島・長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約80万人の計約310万人。

 宮内庁によると、上皇ご夫妻は皇居・吹上仙洞御所で、式典の様子をテレビで見守り、黙とうした。


[写真-1]
天皇、皇后両陛下が参列し、開かれた全国戦没者追悼式=15日午前11時53分、東京都千代田区の日本武道館で

[写真-2]
全国戦没者追悼式でお言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま=15日午後0時2分、東京都千代田区の日本武道館で

東京新聞・夕刊、2019年8月15日
不戦、令和に誓う
天皇陛下お言葉「深い反省」

(井上靖史)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019081502000276.html

 天皇陛下は全国戦没者追悼式のお言葉で、令和の時代も非戦と平和への祈りを続ける決意を込め、上皇さまが天皇在位中に語ってきた「深い反省」などの表現をほぼ踏襲して使われた。

 1960年生まれの陛下は戦争を体験していない世代だが、即位前から戦争や平和に対する思いを語ってきた。
 2015年2月の誕生日会見では「悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と、記憶継承の重要性を強調した。

 今年2019年2月の誕生日会見では、各界で若い世代が活躍していることに触れ、「戦後長く続いてきた平和な日本の社会において、この国の未来を担う若い人たちが、夢を大切にしながら自分の能力を発揮できる環境が整ってきたことの証しであると思います」などと、平和の恩恵に言及している。

 陛下は上皇さまが「日本人が忘れてはならない四つの日」とした沖縄戦終結の日(6月23日)、8月6日の広島、8月9日の長崎原爆の日、終戦の日には皇后さま、長女愛子さまと共に欠かさず黙とうし、犠牲者を悼んできた。
 広島、長崎、沖縄にも足を運び、当時の苦難に心を寄せている。


東京新聞・夕刊、2019年8月15日
戦後生まれ、平和の祈りを継承
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019081502000275.html

令和最初の「終戦の日」 政府が全国戦没者追悼式(2019年8月15日)
https://www.youtube.com/watch?v=GUGSGFwTDV8

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モリカケ二大疑惑

「森友学園」への国有地売却や財務省の文書改ざんをめぐる大阪地検の捜査は再び「不起訴」で幕引きになった。
 市民の検察審査会が「言語道断」と指弾した問題だ。
 国会での追及は続けるべきだ。

 市民11人でつくる大阪第一検察審査会が佐川宣寿(のぶひさ)元財務省理財局長ら10人を「不起訴不当」と議決したのは今年2019年3月だ。
 それを受けての大阪地検の再捜査だったが、結論はやはり「不起訴」だ。

「起訴するに足りる証拠を収集できなかった」と説明したが、納得はできない。
 検察もまた政権に忖度(そんたく)か、政治判断かと、国民の間で疑念が広がろう。

 国有地を学園に8億円余り値引きして売却した理由も経緯も不明なままの捜査の幕引きだからだ。
 値引きの根拠となった国有地のごみ撤去費の積算額が不適正と認定できるかが焦点だった。

 どんな再捜査が行われたのかも国民に不明なままでは、その捜査自体が公正であったかも疑われてしまう。

 とくに国有地で開校予定だった小学校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が一時、就任していた。
 財務省近畿財務局などで作成された文書では14件の改ざんが行われ、昭恵夫人の名前や「特例的な内容」などの文言が削除された。
 交渉記録の廃棄まで行われた。

 極めて悪質な事案だったといえる。
 検審は「文書を改ざんする行為は一般市民感覚からすると、いかなる理由があっても許されない」と厳しく批判した。
 当然の不信であり、怒りの言葉だった。

 財務省でさえ調査報告書で認め、佐川氏ら20人を処分している。
 いわば証拠がそろった状態なのに、これを不問に付す検察とは何なのか。

「特捜検察は解体すべきだ」などと刑事告発した弁護士らは口にしている。
 不起訴ありきの国策捜査なら、検察は自ら国民の信頼を失墜させている。

 市民の代表である検審が求めたのは、起訴して公開の法廷で白黒つけることでもあった。
 その意思さえ踏みにじったに等しいではないか。

 行政の公平性がゆがめられたのか、国会でウソの答弁がまかり通ったのか、忖度が行政をむしばんでいるのか…疑念は民主主義社会の根幹をも揺るがしている。

 真相解明が果たされぬままでは、国民の「知る権利」も毀損(きそん)される。
 幕引きは許されない。
 国会が頬かぶりしたら、行政ばかりか政治への信頼も失われてしまう。


東京新聞・社説、2019年8月14日
「森友」捜査終結
幕引きも忖度なのか

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019081402000154.html

[東京新聞参考記事]

(1)売却額非公表「怪しい」 パンフには首相夫人 市議、執念の追及(2018年6月14日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180614.html

(2)首相夫人の威光浮かぶ 「神風が吹いた」土地交渉 劣勢を逆転(2018年6月15日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180615.html

(3)ニワトリとタマゴ同時に 開設認可 財務局のお墨付き決め手(2018年6月16日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180616.html

(4)「1194分の1」の特例適用 決裁文書に「昭恵氏」 理財局幹部「覚えてない」(2018年6月17日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180617.html

(5)官僚、必死の隠ぺい工作 財務省はごみ過大積算に危機感?(2018年6月18日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180618.html

(6)首相を称賛、一転恨み節 籠池被告「国民黙らせ私も切り捨て」(2018年6月19日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180619.html

(7)政権の政治責任棚上げ 自殺職員、最期まで苦悩(2018年6月20日付朝刊)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2018/haishinnone/list/180620.html

<城南信金顧問・吉原毅さん×元文科次官・前川喜平さん、親友対談 しなやかな反骨>
(1)2019年7月30日 朝刊
前川さん「三位一体改革に反対 クビ飛んでもいい」吉原さん「官僚なのにこんなブログ書いていいの」 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019073002000118.html

(2)2019年7月31日 朝刊
吉原さん「多様性が組織生かす」前川さん「いろんな意見大切」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019073102000144.html

(3)2019年8月1日 朝刊
吉原さん「辞めてしまうのは負け」前川さん「ヨットは逆風でも進む」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000124.html

(4)2019年8月2日 朝刊
前川さん「ラグビーで粘り学ぶ」吉原さん「迷ったとき、傍観はだめ」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080202000128.html

 余裕をこいている場合じゃない。
 夏休みを満喫中の安倍首相。
 2019年8月12日に昭恵夫人と一緒に地元・山口県入り。
 祖父の岸信介元首相の墓参りに続き、13日は、父の晋太郎元外相の墓参りをした。
 墓前で、7月の参院選の結果について「国民の負託に力強く応えていかなければならないという思いを新たにした」と意気込んだが、自身の“アキレス腱”であるモリカケ疑惑は、いまだにくすぶり続けている。

◇  ◇  ◇

 加計問題を巡っては、岡山理科大の獣医学部(愛媛・今治市)新設に伴う192億円の建築費水増し疑惑の他、新設そのものが“首相案件”との疑惑まで飛び出したが、今もウヤムヤのまま。
 そもそも、学園側がブチ上げた“世界に冠たる獣医学部”かさえ、怪しい状況だ。

 学園が“世界に冠たる”と主張した根拠は、鳥インフルエンザや結核菌などの病原体を扱うバイオセーフティーレベル3(BSL3)に対応した施設を導入すると決めたからだが、その目玉施設に関して新たな疑惑が浮上している。

 問題は、今年2019年3月に公表された岡山理科大の「安全対策マニュアル」。
 BSL施設の安全基準について「病原体等安全管理規定」(国立感染症研究所)を紹介しながら、<レベル3、レベル4は、岡山理科大学では不可能な実験である>と明記しているのだ。
 今治市で加計問題を追及してきた福田剛元愛媛県議がこう言う。

「学園は“世界に冠たる”と大見えを切っておきながら、高レベルの病原体を扱えないことが明らかになりました。BSL施設で人獣共通感染症に関する最先端研究ができると強調していましたが、認可を得るためのアリバイづくりだったのでしょう。学園側は住民との裁判で、実験施設がテロに遭うかもしれないとの理由から、設計図の開示を拒否しています。BSL3施設がちゃんと導入されているのか疑問を抱かざるを得ませんね」

 加計学園は、先端ライフサイエンス研究の推進や地域での感染症対策などの条件を満たすことで、特区を利用した獣医学部の新設を認められた経緯がある。

 BSL1、BSL2程度の実験は他の獣医学部でも十分可能だ。
 要するに、自らイカサマを認めたようなもので、まさに墓穴。
 実にバカらしい、お笑い草だ。

森友捜査終了もそうは問屋が卸さない

 一方、森友問題の方も波乱ぶくみだ。

 大阪地検特捜部は9日、公文書改ざんを巡り告発された佐川宣寿元国税庁長官(顔写真)や財務省職員らについて、改めて不起訴と判断。
 捜査終了に安倍首相も佐川元長官もホッとしているだろうが、そうは問屋が卸さない。

 佐川元長官は昨年2018年3月の証人喚問で、公文書改ざんの経緯について「刑事訴追の恐れがある」として一切の答弁を拒否。
 不正の内容について口を閉ざしたまま雲隠れしたが、捜査終了となった今なら「刑事訴追が……」の言い訳は通用しない。
 森友問題を追及している東大名誉教授の醍醐聰氏がこう言う。

「被疑者の立場ではなくなったので、証人喚問されたら証言拒否はできません。与党側は『検察でシロと判断されたから国会に呼ぶ必要はない』と拒否すると考えられますが、参考人招致でもいいから説明を求める機会をつくれるはずです。まだ森友問題は終わっていませんからね」

 安倍首相は総理である限り、2大疑惑から逃れることはできない。


[写真-1]
いまだにくすぶる加計学園獣医学部。「世界に冠たる」とは名ばかりのBSL施設の安全基準か(岡山理科大学安全対策マニュアル=下)

[写真-2]
もう証言拒否はできない(佐川宣寿元国税庁長官)

日刊ゲンダイ、2019/08/14 16:14
加計問題に“笑撃”の新事実
BSL施設は高レベル病原体扱えず

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/260254

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2019年08月14日

「表現行為の排除」に関わる「不寛容」という息苦しさ

二つの「排除」

 暑い夏が到来した。
 昼間は暑い日差しに苦しめられ、夜も寝苦しい日々が続いている。
 しかし、暑さという物理的な苦しさだけではない、もう一つの苦しさが現在の日本社会を覆っているのではないか。
 それは「不寛容」という息苦しさである。
 筆者にそのような懸念を抱かせる二つの事例がある。
 いずれも「表現行為の排除」に関わる。

 一つは、この夏の参議院議員選挙において、札幌で自民党候補者を応援すべく安倍晋三首相が街頭演説を行った際に、「安倍辞めろ」、「増税反対」などと叫んだ市民が北海道警警備部により「排除」された事例である。

 もう一つは、国際的な芸術祭である「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」展において、展示物である従軍慰安婦像(「平和の少女像」)が、「日本国民の心を踏みにじる」ものであり、展示を中止すべきであるとの名古屋市長の抗議や、テロ予告や脅迫を含む市民の抗議を受けて、主催者が展覧会自体の中止に追い込まれた事例である。

 このことの意味を、表現の自由や民主主義の観点から考えてみたい。

二つのケースの違い

 最初に、二つの事例は、表現行為が「排除」されたという点では共通でも、排除の主体や排除の意味が少しばかり異なっていると考えられる。
 前者の事例の方が「排除」の主体や意味は分かりやすい。
 なぜわかりやすいのか。

 憲法は表現の自由を保障している。
 政治家が街頭に立って演説をするのも表現の自由の行使だが、その演説に対してヤジで応答するのもまた市民の側に保障された表現の自由の行使そのものであり、これに対して公権力である警察がそれを正当な理由なく禁止するのは排除そのものであるからだ。
 公権力による「表現行為の規制」を禁じることが、憲法が表現の自由を保障している趣旨であり、その観点からすれば、「ヤジ排除」の事例の意味は分かりやすい。

 これに対して、後者の事例の場合、「排除」の主体や意味はもう少し複雑である。
 まず「排除」の意味であるが、ここでは展示が中止に追い込まれたことを意味する。
 しかし、この場合、芸術家が自分の作品を自分が所有する場、あるいは、自分の身銭を切って借りたギャラリーで展示しようとする場合に、それを妨害されたわけではない。
 自分で身銭を切って行った展示が妨害されれば、「表現の自由侵害」ということを主張しやすい。

 ところが、今回の場合、展示の場は「あいちトリエンナーレ2019」という場であり、展示物の作者は公的助成を得て自己の作品の展示を認められているにすぎない。
 この場合、芸術家も含めて、誰も自分の表現行為に「助成すべき」だとは主張できても、自分の表現行為について「助成を受ける権利がある」とまでは言えない。

 そのことの道理は奨学金の場合を考えてみれば明らかである。
 奨学金を「求める」ことは正当でも、自分に「奨学金を与えられるべき権利がある」と主張できる人はいない。
 展示物の作者は、助成という「援助」を求める立場にあるに過ぎない。

 また、後者の事例における「排除」に公権力が関わっていることは紛れもない事実だが、公権力が「排除」の主体であったと言えるかどうかは明らかではない。

 ここで今回の「排除」に公権力が関わっていると考えるのは、河村たかし名古屋市長が、今回の展示物に対して「日本国民の心を踏みにじる行為」だとして、展示の中止を求める抗議文を実行委員会に提出していたことによる。
 河村市長の行為は公権力の行為として誤っている。

 しかし、伝えられるところによれば、展示が中止に追い込まれた主たる理由は、事務局に対して市民からの大量の抗議が寄せられ、その中には「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」とのファックスも含まれており、それを受けた実行委員会が展覧会への来場者の安全を確保できないとの懸念を抱いたことであった。
 そうだとすれば、ここでの「排除」の主体は、公権力というよりは、大量の抗議をなした市民という「社会的権力」であると考えるべきである。

 本稿は、このように二つの「排除」について、その主体や意味をめぐる違いがあることを前提にしながらも、二つとも現在の日本社会における「不寛容」の広がり懸念させるものとしてとらえるべきものだと考える。

「市民のヤジ」はなぜ必要なのか

 最初の街頭演説に対するヤジを理由とする「排除」の事例から考えてみよう。
 警察による「排除」を当然だとする考えもありうるだろう。
 そうした考えは、さしあたり、相互に関連する二つの考え方に基いている可能性がある。

 第一は、表現の自由は大切でも、ヤジは表現行為としてさしたる価値はないという議論である。
 ヤジは下品だし、そうでなくても相手の言論を妨害するだけの意味しかなく、そのようなヤジにまで表現の自由の手厚い保障を及ぼす意味はないのではないか、という議論である。

 第二は、ヤジは政治家の演説を妨害することで、政治家の言い分をきちんと聞くことを不可能にする、という議論である。
 選挙とは人びとが政治に直接参加できる決定的に重要な場面であり、人びとは街頭演説を通じて政治家のさまざまな言い分を聞き、そのうえで理性的に判断して自己の貴重な一票を投ずることが望ましいが、ヤジはそれを困難にする、ということだ。

 自分は理性的だと考える人ほど、ヤジを嫌うだろう。
 何かモノを言うにしても、モノには言い方がある。
 相手を理性的に説得しようとすればするほど、そうした人はヤジという方法を避けるだろう。

 ヤジという形をとらずに、同じことを穏やかな表現を用いて主張することは可能であり、その方が相手を不要に刺激せず、理性的な議論が可能になる。
 政治の場とは公共の利害に関わる事項を扱う場であり、理性的な議論が重んじられるべきであるとの考えもこれを支持する。

 しかし、そもそも民主主義の下での公共討論は、ヤジを排除するものだろうか。
 またヤジを排除した公共討論にどれだけの意味があるだろうか。
 モノには言い方があることは事実である。
 しかし、だからこそ場合によってはヤジを含めた荒っぽい、粗野なモノの言い方が認められるべき場合があるのではないか。

 たとえば、相手の行為に対して怒っている場合、穏やかな抗議では、相手に対して自分がどの程度怒っているのかは伝わらない。
 その場合には、怒鳴るなどの方法を用いることは自然である。
 個人同士の私的なやり取りにおいてもそうしたことが認められるのであれば、公共的な利害が問題になる政治の場ではなおさらのことである。

 ヤジなどの荒っぽい、その意味で過激な表現方法を認めなければ、反対する市民の怒りの度合いは、政治家にも私たちにも伝わらない。
 政治的な表現行為に過度に行儀の良さを求めるのは民主主義にとって自殺行為である。

 政治家の街頭演説も、それは政治家が一方的に演説し、市民はただ行儀よくそれに静かに耳を傾ける場だと位置づけられるべきではない。
 そもそも、民主主義の下で政治家は批判されることが当たり前であり、市民が政治家と直接コミュニケーションできる機会は少なく、街頭演説は貴重な機会である。

 そうした場における市民を「行儀のよい」「聞き手」として位置づけるべきではない。
 市民にもまた、貴重な直接のコミュニケーションの機会として「話し手」になる機会が保障されるべきであり、よほどのことがない限り、政治批判としてヤジを含めたある程度荒っぽい表現方法が認められるべきである。

「表現」は必ず誰かを刺激する

 では、一般的にヤジは許されるとして、公共討論において市民にはどの程度の行儀の良さが求められると考えられるべきだろうか。
 この問題を、「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」における展示が「排除」された事例を素材に考えることができる。
 伝えられるところによれば、主催者が展示の中止を余儀なくされた直接の理由は、テロ予告や脅迫の電話やメールなどがあり、これ以上抗議がエスカレートすると来場者の安全の確保が困難になるというものであった。

 展示物の中に慰安婦を想起させる少女像があり、そもそもの慰安婦問題をめぐる政治的対立、さらには最近の日韓関係のありようを考えれば、展示に対して多くの抗議が寄せられたことは容易に理解できる。

 しかしながら、市民からの展示への抗議には、違法なものもあれば合法なものもある。
 まずその点が区別されるべきである。

 抗議の中には、テロ予告や脅迫などもあったとされる。
 実際に、「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」というファックスも送り付けられている。
 テロ行為の予告や、脅迫に該当するような抗議は、たとえ表現行為であっても、憲法が保障する表現の自由の保障を受けるものではない。
 こうした形の抗議はそもそも合法なものではない。
 警察が捜査しファックスの送付者を威力業務妨害の容疑で逮捕したことは当たり前である。

 こうした抗議を受けた場合に、展示物の主催者がまず考えるべきことは、警察への警備の要請である。
 警察の警備によっても来場者の安全が確保できないと判断される場合に、はじめて展示の中止は正当化される。
 今回の展示の主催者が警察の警備を要請したのかどうかは分からない。
 なぜ、そこまですべきなのか。
 それは、そもそも表現行為が人を刺激するものであり、それが政治的表現行為であればなおさらそうであることによる。

 多元的な価値や考え方の存在を想定する社会で、政治的な表現行為がなされる場合、それに敵対する人びとがいないと想定することはおよそ非現実的である。
 敵対する人びとは、そうした表現行為をさせないための手段として、テロ行為を予告するなどの脅迫をなすこともありうる。

 しかしこれを認めてしまえば、特定の言論に反対する者に対して、相手の言論を物理的に封殺する「拒否権」まで認めてしまうことになる。
 人は、相手の言論に反対することはできても、相手の言論の物理的に排除する「拒否権」まで持つものではない。

「表現するな」という抗議の卑怯さ

 威力業務妨害や脅迫などに該当しない限り、展示に対する抗議は法的には許されている。

 しかし、「表現の不自由展」での「抗議」の意味をもっとよく考えておく必要がある。
 この「抗議」は大ごとである。
 善意に評価すると、今回の場合、自分がなした「抗議」の意味をよく理解しないまま、(「展示を中止せよ」とクレームの電話を入れるなど)「抗議」をした人がいるかもしれない。

 しかし、ここでの「抗議」の意味は、脅迫や威力業務妨害といった犯罪に該当しない場合でも、本質的には展示すること自体への抗議であり、言い換えれば、自分が望まない表現行為をなそうとする相手に対して、そのような表現をするなという内容のものである。

 自分自身は、憲法が保障する表現の自由を行使しながらも、相手には同じ表現の自由の行使を認めない、抗議をなした人々の行為はそのように理解されても文句は言えないはずである。
 そんな一方的で、えらそうで、卑怯なことがはたして認められるだろうか。


日本国憲法と「寛容」のパラドクス

 実は、日本国憲法は人が「不寛容」でありうることを認めている。
 思想の自由や表現の自由を保障する日本国憲法は、思想の自由や表現の自由を手厚く保障するだけでなく、思想の自由や表現の自由を否定する者にも、思想の自由や表現の自由を認めている。
「不寛容」である者に対してまで「寛容」でいられるかというパラドクスに、憲法は肯定で答える。
 本稿が先の抗議を合法とするのもそのうえでの話である。

 しかし、合法ではあっても、「不寛容」が蔓延する社会は、おそろしく息苦しい社会であり、決して自由で民主的な社会ではないはずだ。

 たしかに「寛容」でいることは難しい。
「寛容」でいるとは、自己が強く否定する行為を他者が行う場合に、それを許容することを意味するからである。
 不寛容な方が自然であり、寛容は不自然を要求する。
「寛容」は自制を求めるのである。

 慰安婦を想起させる少女像の展示に不愉快さ、あるいは怒りを強く感じる人がいるのもおかしくない。
 しかし、そうではないと考える人もいるし、そもそも今回の展示を契機に問題を考えようとする人もいるはずである。

 そうした多元的な価値が存在する社会だからこそ表現の自由は決定的に重要なのである。
 自分は表現の自由を享受しながら、他者には表現の自由を認めない、そんなことがまかり通れば自由や民主主義は失われる。


「寛容」の意味を理解するのに、かつてある思想家が言ったとされる有名な言葉がある。
 それは、「私はあなたの発言する内容には反対だが、あなたがそれを発言する権利は、命を賭してでも守る」という言葉である。
 相手の言論が気に入らないのであれば、その内容を批判すべきであって、相手から言論の機会を奪うことはあってはならない。

 展示への市民の抗議の多くは、たとえ合法でも「不寛容」を示すものに他ならない。
 ましてや河村市長がなしたような公権力による展示への抗議は、市民の「不寛容」に公権力による正当性を付与するものであり、看過すべきではない。

 今の日本社会はどれだけ多元性を認めた「寛容」な社会なのか、今回の二つの事例が私たちに問いかけているのは、そのことではないだろうか。
 これは、今、左右のイデオロギーを超えて、私たち一人ひとりに投げかかられている問いであると思われる。


[写真-1]
議論を呼んだ「平和の少女像」

[写真-2]
参院選では、安倍首相の演説へ頻繁にヤジが飛んだ

現代ビジネス、2019.08.14
「表現の不自由展」中止と「ヤジ排除」不寛容な日本社会の深刻な状況
私たちは「多元性」を認められるのか

阪口 正二郎(一橋大学教授、憲法学者)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66519

 日本軍が1940年代にベトナムを侵略し、「慰安所」を運営したことを示すフランス軍の公式資料が初めて確認された。

 国史編纂委員会(趙b委員長)は2019年8月12日、フランス国立海外文書館(ANOM)で日本軍がハイフォン、バクニン、ハノイなどベトナム北部の都市に慰安所を設置したとする事実を示すフランス軍の文書を確認したことを明らかにした。
 ベトナム地域の日本軍慰安所はこれまで口述などで部分的に伝えられていた。

 今回確認されたフランス軍の1940年10月7〜10日の報告書には、ベトナム北部の港町ハイフォンに進駐した日本の陸軍と海軍が、それぞれ慰安所を「ビエン湖畔」に設置するという内容が含まれていた。
 報告書は、将校、下士官、兵士に区分された3種類の慰安所を設置するものとし、設立資金はポールペル通りのある両替所で調達すると具体的に記されていた。
 これとは別に1941年2月、身元不明の女性25人がハイフォン港に到着したと記録した日本軍関連のフランス軍報告書も確認された。

 当時ベトナムはフランスの植民統治を受け、第2次世界大戦中、ナチス占領下のフランスのヴィシー政権が立てたフランス領インドシナ政府は、ドイツの同盟である日本と協力した。
 日本軍は1940年9月、北部ベトナムに進駐し、1941年には南部ベトナムまで占領した。
 日本軍のベトナム占領ルートは、ハイフォン港からバクニン、ハノイまで続いた。

 慰安所が表記された地図2点も確認された。
 その一つのバクニンの日本軍基地の配置図には、慰安所が日本軍基地の境界線にあり、日本軍の統制と管理下にあったことを示す。
 ハノイ市内の日本軍配置図にも慰安所が日本軍の主要施設と共に市内に設置されていた。

 今回確認された文書は、慰安所設置の実質的な主体が日本軍であったことを改めて裏づける。
 国史編纂委は、「日本軍は真珠湾攻撃で太平洋戦争を起こす1年3ヶ月前にベトナムを占領し、すぐに慰安所を設置した」とし、「日本軍が戦争当時、侵略した場所ごとに慰安所を設置して運営したことが改めて確認された」と明らかにした。
 国史編纂委の趙b(チョ・グァン)委員長は、「日本が慰安婦と強制動員の責任および反省を回避している現実で、価値ある資料」と話した。

 国史編纂委は2016年から日本軍「慰安婦」と戦争犯罪資料を収集、編纂している。
 今回の調査には、パリ第7大学のマリ・オランジュ教授と在仏史学者のイ・ジャンギュ氏が参加した。


[写真]ベトナムの日本軍「慰安所」

ベトナムの日本軍慰安所.jpg

東亜日報、August. 13, 2019 10:32
ベトナムの日本軍「慰安所」、フランス軍の文書で初めて確認
http://www.donga.com/jp/article/all/20190813/1816398/1/ベトナムの日本軍「慰安所」、フランス軍の文書で初めて確認

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安倍首相の尻尾振り害交、ケツ舐め害交

 日本が第二次世界大戦当時の歴史的蛮行を贖罪していないことがアジアの発展を阻害するだけでなく世界経済の脅威になっているとの指摘が提起された。

 米ジョージ・ワシントン大学の歴史・国際問題専門家であるグレッグ・ブレジンスキー教授は2019年8月11日、ワシントンポストに寄稿した「日本が過去の罪に対し贖罪しないことがどのように世界経済を脅かすのか」という文でこのように主張した。

 ブレジンスキー教授は「第二次世界大戦当時、日本は歴史上最もおぞましい蛮行を犯した」と指摘した上で、「1990年代以降日本政府が数回過去史に対し謝罪する声明を発表したが、(戦犯の位牌がある)靖国神社を参拝するなどその真正性に疑問を持たせた」と説明した。
 続けて「日本は自分たちの蛮行を反省して被害者を慰める歴史博物館や記念館を建てて折らず、若い学生たちにも自国の残酷だった歴史を教えることもない」として数回にわたり歴史的な誤りを心から反省してきたドイツと違う姿だと批判した。

 彼は「特に安倍晋三首相は前任者より歴史問題にさらに強硬な立場を取り、『これ以上の謝罪はない』という立場を明確にしている」とした。
 20世紀初めに日本が第二次大戦当時に犯した極悪非道な行為が単純に『自国の利益』を追求することだったと学んだ安倍世代の若い日本人も過去の行動を謝る必要はないと考えていると指摘したブレジンスキー教授は、「こうしたすべての傾向は国粋主義的記憶を強化し現在の貿易紛争を悪化させる」と指摘した。

 米国とアジアの関係を研究してきたブレジンスキー教授は韓日がこうした歴史紛争を体験することになった理由には米国の役割もあったとみた。
 彼は寄稿文で「1945年に米国が日本と韓国を占領した時、日本と戦争犠牲者の和解は優先順位が高くなかった。米国は共産主義阻止に焦点を合わせ、韓日の歴史的紛争を速やかに解決するよう圧迫した」と説明した。
 この過程で韓国は1965年に米国の圧迫の中で日本と関係を正常化し、韓日請求権協定が締結されたと説明した。
 彼は当時の韓日請求権協定をはじめとする日本との関係正常化は韓国社会で大衆的支持を得ることができなかったが、独裁政治を展開し2桁の経済成長を成し遂げた朴正熙(パク・チョンヒ)軍事政権下で強圧的に議会を通過させることが可能だったと評価した。
 また、2015年に朴正熙元大統領の娘である朴槿恵(パク・クネ)政権で日本と慰安婦問題に対する合意を結び、非難世論が沸き立ったと考えた。

 ブレジンスキー教授はまた、歴史に基盤を置いた反日感情を利用する韓国の政治家らを批判したりもした。
 彼は「(韓日間の対立は)単純にお金や補償に対する問題ではない。韓国の指導者はすでに彼らが低い支持率で苦痛を受けるたびに日本は攻撃するのにとても便利な標的という事実を知っている」と分析した。
 続けて「韓国はほぼすべての大統領が1桁台の低い支持率で任期を終える国だが、こうした状況で歴史的憤怒を維持するのは政治的に非常に有用な武器にできる」と説明し、こうした政治的指導者を「オポチュニスティック(ご都合主義的)」と批判した。

 彼は「今回の貿易戦争がアジアと世界経済に混乱をもたらす前に終えられても、日本が過去史に対し近隣諸国としっかりとした和解と合意ができないならばアジアはまた別の経済的・軍事的危機に直面することになるだろう。歴史を認めない日本は発展と繁栄を制限し、世界がそれによる結果で苦痛を受けることになりかねない」と警告した。


中央日報日本語版、2019年08月12日11時10分
「過去の贖罪しない日本、世界経済に脅威」
米国際関係専門家が指摘

https://japanese.joins.com/article/484/256484.html

 8月12日のメルマガ第556号で書いたばかりだ。
 日本はいつまで米軍の練習場に甘んじているつもりかと。

 そう書いたら、まるでそれに呼応するかのように、きょう8月14日の東京新聞が一面トップでスクープ報道してくれた。
 米軍横田基地に配備されているオスプレイが、住宅地の上空を、機体後部のデッキを開け、機関銃の銃口を下に向けて飛行していることが地元の市民によって確認されたと。
 私がその東京新聞の記事に注目したのは専門家が述べている次の言葉だ。

「銃口を出して基地から飛び立つのは、特殊部隊の通常訓練だ。敵地上空の飛行を想定している」

 東京の上空が、米軍の訓練場になっているのだ。

 問題は日本政府の対応である。
 横田基地の広報担部は東京新聞の取材にこう答えたという。

「横田基地から飛行を行うすべての航空機は、日米政府の合意に従って運用されている」と。

 何のことはない。
 日米合同委員会の密約で日本政府が訓練飛行を認めているわけだ。
 この東京新聞のスクープ記事には、オチがある。

 このオスプレイの機関銃訓練については、すでに今年2019年5月20日の参院決算委員会で野党議員が追及していたというのだ。
 そしてその時、岩屋防衛大臣は次のように答えたという。

「オスプレイの飛行運用の詳細について把握していない」とした上で、「米国側に安全面への最大限の配慮を求めて行きたい」と。

 とんでもないウソ答弁だ。
 百歩譲って、もし岩屋防衛大臣が、本当にオスプレイの機関銃訓練を知らなかったとしたら、もっと大問題だ。
 もはや日米安保体制の下で、日本は主権国家の体をなしていないということが、ここまではっきりしたということである。

 こんな政府が世界中を探してもどこにもないだろう。
 こんなこと許している国民は世界中どこにもない。


天木直人のブログ、2019-08-14
米軍の飛行訓練場になり下がっている日本って何だ
http://kenpo9.com/archives/6226

 安倍首相のケツ舐め外交、ここに極まれり──。
 トランプ大統領が安倍首相に対しアメリカの農産品を巨額購入することを直接迫り、日本政府もそれに応じるべく数百億円規模で購入する案が浮上していると、本日2019年8月14日、共同通信が伝えたからだ。

 ご存じのとおり、アメリカ政府は中国製品への第4弾となる制裁関税の発動を発表し、対して中国の国有企業はアメリカ産農産品の輸入を一時停止したが、こうした貿易摩擦による対中輸出が減少するなかで、トランプは日本政府にその穴埋めをさせようと農産品の巨額購入を迫っていたというわけだ。

 しかも、共同の記事によると〈これまでの会談でトランプ氏は大豆や小麦など具体的な品目を挙げた〉という。
 ここで思い出したいのは、ゴルフに異例の特別扱いをした相撲観戦など海外メディアにも嗤われた過剰接待を繰り広げた5月末のトランプ大統領来日後の発言だ。

 トランプ大統領は来日時にも「8月に良い発表ができると思う」と語り、Twitterにも〈日本との貿易交渉で非常に大きな進展があった。農業と牛肉でとくに大きなね。日本の7月の選挙が終われば大きな数字が出てくる、待ってるよ!〉(訳は編集部による)と投稿したが、帰国後の6月にも「日本は先日、『米国の農家から大量の農産物を買う』と言った」と宣言。
 つまり、あの過剰接待時に安倍首相は大豆や小麦などのアメリカ産農産物を巨額購入することをすでに約束していた可能性があるのだ。

 異常なおもてなしの引き換えが農産品の巨額購入……。その上、この農産品の巨額購入は、トランプ大統領が日本政府に要求してきた農産物の関税引き下げとはまったく別の話。共同も〈日米貿易交渉の枠組みとは別に購入を迫っている〉と報じているが、関税引き下げをちらつかせるトランプ大統領の顔色を伺い、別に持ちかけられた農産品の巨額購入の要求をまんまとのんだということだろう。

 ようするに、対中貿易戦争の穴埋め策として数百億円規模の農産品購入をおこなっても、それが関税引き下げ要求を食い止めるという確約は何もない。いや、いまアメリカの農業界は深刻な不況の心配を抱えており、さらにアメリカ抜きの環太平洋経済連携協定(TPP)の発効によって日本の農産物関税引き下げへの圧力がこれまで以上に高まっている。来年に大統領選を控えたトランプ大統領が、ここで安倍首相を相手に妥協することなど、考えられない。

 実際、いかにトランプ大統領が安倍首相を下に見てバカにしているか、それを象徴する出来事が起こったばかりだ。

トランプがパーティで安倍首相の特攻隊賛美をからかう発言

 米ニューヨーク・ポスト紙によると、トランプ大統領は9日におこなわれた政治資金パーティで、日米貿易交渉をめぐる安倍首相との会話を「日本語訛りの英語」を真似しながら紹介したという。

 このとき、トランプ大統領は韓国の文在寅大統領についても安倍首相と同様に「韓国訛りの英語」を俎上に載せてからかったというが、英語を母語としない者の英語発音を揶揄するとは、国のトップとして信じがたい差別丸出しの言動だ。

 しかも、トランプ大統領は安倍首相に「特攻隊員は(出撃前に)酒に酔っぱらってたり薬物をキメたりしていたのか」と尋ねたところ、安倍首相は「いいえ、彼らはただ国を愛していた」と返答したことも紹介。
 国の命令に従って命を落とした人びとを「国を愛していた」と説明する安倍首相の特攻の美談化には閉口するが、このやりとりを振り返ってトランプ大統領は、「愛国心のためだけに、片道の燃料だけを積んだ飛行機で、鋼鉄の艦船に突撃したって想像してみてよ!」と述べたという。

 特攻隊の行動を常識では考えられないとトランプが受け止めることに不思議はないが、しかし、この発言といい、なまり英語の物真似といい、トランプが安倍首相を嘲笑の対象として扱っていることはあきらか。
 安倍首相はしきりにトランプ大統領と蜜月関係にあることをアピールし、参院選の自民党政見放送では「深い関係にあるからこそ、何でも率直に言い合える仲なんです」と豪語したが、実際はたんに“なんでも言うことを聞く下僕”くらいにしか見られていないのだ。

 そして、この情けない尻尾振り外交の結果、またも言いなりになって中国の穴埋め要因として数百億円も費やし、日本の農家を犠牲にしようとしている。
 一体、安倍首相はどこまで国益を売り渡しつづけるのか──
「反日」と呼ぶべきは、じつのところこの男のことではないのだろうか。


リテラ、2019.08.13 10:59
安倍首相はやっぱりトランプの下僕だった!
日米首脳会談で巨額の農産品購入の約束、特攻隊賛美を嘲笑されたことも判明

https://lite-ra.com/2019/08/post-4899.html

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化粧品会社のDHCはなぜ極右ヘイト番組をつくるのか

【ソウル聯合ニュース】日本の化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)の韓国法人「DHCコリア」は2019年8月13日、「DHCテレビ出演者のすべての発言に対して同意しないが、関連問題で物議をかもしたことについて深く謝罪する」とする謝罪文を出した。

 また「韓国と韓国人を卑下する放送を中止するよう要請を続ける」とし、「皆さんのすべての批判を甘受し、もう一度国民・顧客・関連会社に心より謝罪する」と表明した。 

 DHC子会社「DHCテレビ」が制作するネット番組「真相深入り! 虎ノ門ニュース」の出演者による嫌韓発言が韓国に伝わり、DHC製品の不買運動が始まった。

 同番組の出演者は、旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」を侮辱する発言をしたほか、ハングルは日本人が広めたなどハングルに対する誤った発言をした。

 12日の放送分では「独島を韓国が1951年から無断占有した」とする自民党の青山繁晴国会議員の発言が、13日には「韓国人はすることが子供のようだ」とするジャーナリストの櫻井よしこ氏の発言を流した。

 このような内容が伝わり、韓国ではDHC製品の不買運動が始まった。
 これを受けオリーブヤングを始めとする韓国のドラッグストア各社がDHC製品の販売を中止した。
 DHCは2002年に韓国に進出し、クレンジングオイルなどで人気を呼んだ。

 これと関連し、韓国でDHCのモデルを務める女優のチョン・ユミさんの所属事務所は12日、DHCに対し、肖像権使用撤回とモデル活動の中止を要請したことを明らかにした。
 事務所は「DHC本社の妄言に深刻な遺憾を表明する」との立場を発表した。
 また「今回のDHC本社側の発言に重大な深刻性を感じ、チョン・ユミの肖像権使用撤回とモデル活動中止を要請した。チョン・ユミのSNS内のDHCに関連する掲示物も削除した状態」と説明した。
 その上で、DHCとの再契約もしないと強調した。


[写真]
DHC子会社「DHCテレビ」が制作するネット番組の出演者による嫌韓発言が韓国に伝わり、DHC製品の不買運動が始まった

聯合ニュース、2019.08.13 18:59
DHC子会社制作のネット番組が嫌韓発言
韓国法人が謝罪

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190813004300882

 沖縄・高江のヘリパッド建設工事反対運動をめぐって、新年早々、地上波でヘイトデマが放送されたことが大きな問題となっている。2017年1月2日にTOKYO MXで放送された『ニュース女子』だ。

 同番組では、「マスコミが報道しない真実」と題し、軍事ジャーナリストの井上和彦(1963年生まれ)が高江取材を決行、という前振りでVTRがスタート。しかしその内容は酷いものだった。

 まず、取材VTRは冒頭から、井上がどの場所にいるのかの説明もないまま「いきなりデモ発見」と伝え、井上は「この辺の運動家の人たちが襲撃をしにくると言っているんです」などと言いながら近づくのだが、スタッフの「これ近づいたら危ない」という音を入れて画面は暗転。

「このままだと危険と判断 ロケ中止」とデカデカとテロップを表示した。そして井上は取材交渉も行わず、「(反対派は)敵意を剥き出しにしてきて、かなり緊迫」と述べるのだ。

 これだけでも恣意的な編集と言わざるを得ないが、そもそもこの取材地は高江ではなく名護署前。取材時には名護署に高江での反対運動中に不当逮捕された山城博治氏らが拘留されており、その早期釈放を求める人々が集まっていたと思われるが、そうしたことを番組は一切伝えないのである。

 このように出だしから到底報道とは思えない状態なのだが、驚くのはこの後。井上は二見杉田トンネルの前で「このトンネルをくぐると高江」「このトンネルの手前で足止めをくってる」と言い出し、ナレーションは「反対派の暴力行為により地元の住民でさえ高江に近寄れない状況」と説明。結局、井上は高江には行けなかった、というのだ。ちなみに、すでにネット上では数多くの指摘を受けているが、二見杉田トンネルから高江のヘリパッド建設工事現場までは約40キロも離れているのだが……。

 その上、スタジオでのトークでは嘘のオンパレードだ。井上は言うに事欠いて、“暴力的な高江の反対運動の実態”をメディアは「美しき反対運動」としか取り上げないとし、「(高江に入れないのは)ほかのメディアもそうです」と断言。「(沖縄県民の)大多数の人はね(基地に)反対とは聞かないです」だの、「(警察が取り締まらないのは)トップがやっぱり翁長さんだって話を地元の人はされる」だのと誰でもわかるデマを並べ立てた。

 言うまでもなく、高江の現状が報道されないのは、在京の大手新聞社やテレビ局の沖縄への無関心、基地問題の当事者意識の欠如にくわえて、政権の顔色を伺っていることが最大の原因だ。
 しかも、オスプレイ墜落後に毎日新聞が高江で取材をし、記事にしていることからもわかるように、メディアが高江に入れないなどということは事実に反している。
 だいたい、翁長知事が当選したことだけでなく昨年の参院選や県議会選で基地反対を掲げた議員が圧勝してきた結果を見れば、沖縄の大多数が基地に反対していることは明白。
 さらに、大前提として県知事には警察指揮権はない。

 一方、番組は取り上げないが、実際は安倍政権が全国から500人もの警備隊員を動員し、「土人が!」などという差別的な言葉が飛び出すほどの高圧的な態度で、反対する人々を暴力で排除している。それこそが「高江の実態」ではないか。
 井上はじめ番組サイドは「高江は取材に入れない」と言うが、高江に行けば「反対派の過激な実態」など現実にはないため「取材したくなかった」というのが本音なのではないか。

 嘘の情報を垂れ流し、取材もせず一方的に「高江の反対はとにかく危険」と煽る……。
 とにかく何から何まで反対派を貶めるための内容なのだが、しかし、最大の問題は“反対派は金銭目的”というデマを流したことだろう。

 番組では、「往復の飛行機代相当、5万円を支援します」と書かれているチラシが東京で配られていたこと、さらに普天間基地の周辺で「2万円」と書かれた茶封筒(誰から誰に宛てたものかなどの具体的記載もないもの)が発見されたことを紹介し、「これが事実なら反対派デモの人たちは何らかの組織に雇われているのか」とナレーションを付けた。そして、「反対運動を煽動する黒幕の正体は?」とテロップを出した上で、スタジオトークでは反ヘイトスピーチ団体である「のりこえねっと」によるチラシだとし、「(5万円の財源が)これ本当にわからないんですよ」と、あたかも反対派は金で雇われているに過ぎず、その背後には組織があるかのように伝えたのだ。さらに醜悪なことに、「のりこえねっと」の共同代表である辛淑玉氏の名前を挙げた後に、「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」などと話を進めたのである。

 調べればすぐにわかる話だが、「のりこえねっと」では高江の現状を伝えるための「市民特派員」を募集、そこで交通費の5万円を支給するとし、同時に「のりこえねっと特派員救援基金」としてFacebookでもYouTubeチャンネルでも寄付を呼びかけていた。メディアがきちんと報道しないがために、自分たちがSNSを通じて高江の現実を伝えるしかない──そうした市民の草の根ネットワークの活動を、『ニュース女子』という番組はまるで“運動員を金で雇う組織”であるかのように伝え、あろうことか、辛氏が在日三世であることをもとにヘイト発言を行ったのだ。

 すでに「のりこえねっと」も同番組に対して抗議声明を公表しているが、この番組内容は不十分な取材に基づく虚偽報道であり、しかも、同番組は昨年2016年10月17日放送分でも井上が「のりこえねっと」の5万円支給を取り上げ、「(反対派は)中国人や朝鮮人をどんどん連れてきている」と煽り、百田尚樹が「とにかく反日活動なんですけど」などと説明を行っている。こうした内容は同番組で繰り返されており、これらが放送法に反するものであることはあきらかで、かなり悪質な問題だ。また、TOKYO-MXTVは東京都が第3位の大株主であり、このような放送に対する東京都の責任は重いと言わざるを得ない。

 だが、もうひとつ忘れてはいけないのは、この『ニュース女子』という番組はCS放送局「DHCシアター」が制作・放送を行っているものだということだ。つまり、TOKYO-MXTVの番組枠をDHCシアターが買い上げ、地上波でも放送しているのである。

 DHCシアターとは、その名の通り、化粧品やサプリメントの販売などで知られるDHCが株主でありDHCグループのひとつ。

 代表取締役社長は、1990年に「浜田マキ子」として国会議員の夫・浜田卓二郎とともに選挙に出馬したことで一躍有名になり、その後はテレビコメンテーターなどで活躍した濱田麻記子だ。

 このDHCシアターの前身は、舞台を専門に放送していたCSチャンネル「シアター・テレビジョン」なのだが、2008年に濱田氏が10月に社長に就任すると、翌09年より番組内容ががらりと様変わりし極右論客が次々に登場するように。14年にDHC会長の吉田嘉明が代表取締役会長となり、15年よりDHCシアターと改称し、『ニュース女子』や『虎ノ門ニュース 8時入り!』(現・『真相深入り! 虎ノ門ニュース』)などの番組を放送スタートするようになった。

 両番組とも、前述した井上和彦や百田尚樹のほか、圧力団体「放送法遵守を求める視聴者の会」の小川榮太郎、上念司、ケント・ギルバートなどが出演者するなど、顔ぶれを見るとCS版『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)といった赴きだが、それもそのはずで、番組の制作は『委員会』と同じ「ボーイズ」が手がけている。そう、本サイトでは再三にわたって取り上げてきた百田尚樹『殉愛』騒動の“黒幕”のひとりとされるA氏が代表を務める会社である。

 つまり、もともと保守思想の持ち主である濱田がその人脈で極右番組放送局として進めてきたところにDHCという大資本が入り、さらにはネトウヨ製造番組と呼ばれる『委員会』のノウハウが流入され、現在のDHCシアターがある、というわけだ。
()

 しかも、その裏には、安倍首相の影もちらついている。
 濱田はもともと安倍首相の母・洋子氏と親しく、その縁か2010〜11年には下野時代の安倍晋三と現・神奈川県知事の黒岩祐治とのトーク番組『晋ちゃん&黒ちゃんのシンクロナイストーク』なる番組もつくっていた。

「濱田氏は05年にDHCから『キレイはマネから おしゃれは勇気』という美容本を出版しており、吉田会長ともつながりがあった。DHCシアターはそういう関係から始まったものでしょう」
(政界関係者)

 ご存じの通り、吉田会長といえば、2014年にみんなの党・渡辺喜美氏に8億円もの供与を「週刊新潮」(新潮社)で暴露、大問題へと発展したことが記憶に新しいが、このとき、「渡辺氏を通じて安倍晋三首相にも接近しようとしていた」(「FACTA」14年5月号)とも報じられている。
 
 いずれにしても、政界への影響力行使に色気を出す吉田会長にとって、DHCシアターの安倍政権をアシストする露骨な極右的姿勢は、当然の流れだったのかもしれない。

 しかし、8億円供与問題でもわかるように、吉田会長のやり方にはこれまでさまざまな批判が起こってきた。

 そもそもDHCは、大学で使用される外国語テキストを翻訳して販売するという「大学翻訳センター」として出発(DHCとはこの頭文字を取ったもの)。当然ながら版元より著作権法違反で訴えられ、この事業は頓挫するが、その後、化粧品やサプリメント販売が見事に当たり、いまでは売上が1000億円を超える大企業へと成長した。

 しかしその一方で、数々のスキャンダルや不祥事も起こってきた。
 1992年には六本木に元社長秘書をママに据えた会員制クラブを開店したことが「週刊新潮」で取り上げられたが、2001年にはさらに「週刊文春」(文藝春秋)が「仰天内部告発 化粧品会社DHC社長『女子社員満喫生活』」と題した記事を掲載。記事によれば〈気に入った女子社員と豪遊し、豪華な自宅には高給で女子社員からお手伝いさんを雇ったが身長、体重を書かせた〉というが、この報道に対し吉田氏は前代未聞の10億円という超高額損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。結果として「文春」が敗訴したが、この高額訴訟と判決には「メディアが萎縮する」「言論の自由を脅かす」として批判が巻き起こった。

 この吉田会長の強気な姿勢は、DHC商品をめぐるトラブルでも垣間見える。
 06年に清涼飲料水「アロエベラ」からWHOが定める基準値以上の発がん性物質ベンゼンが検出され、厚労省が自主回収を求めたり、09年には根拠のない表示を行っていたことが問題視され公正取引委員会より排除命令を受けるなど、さまざまな騒ぎを起こしてきたが、もっとも象徴的なのが、ダイエット食品「メリロート」の問題だ。

 03年に「メリロート」は肝機能障害を起こす危険があるとして厚労省がHP上でDHCの社名を伏せたかたちで注意を呼びかけたのだが、DHCは消費者からの問い合わせに対して「HPの商品が当社のものであるかどうかは調査中」などと不誠実な対応をとっていたことを厚労省がキャッチ。その後、厚労省はDHCの社名公表にいたったが、DHCは同商品を「過剰摂取に注意」と但し書きを付けただけで、引き続き新聞に広告を打ったという(「実業界」05年1月号)。

 そのほかにも、吉田氏が自社株を買い戻したときの金額を国税局が低すぎるとし約6億円の追徴課税を行った際には、処分取り消しの訴訟を起こしただけでなく、国税庁職員の調査によって精神的な苦痛を受けたとして国を相手に約1億4000万円の損害賠償訴訟を起こすなど、「けんかっ早いフィクサー」「ワンマン経営者」などと呼ばれてきた吉田会長。
 それでもDHCがいまだ好調なのは、マスコミに広告を大量出稿していることで、前述したようなさまざまな問題を新聞やテレビが大きく報じてこなかった影響もある。

 そしていま、その巨大な資本をテレビメディアにも投入し、あからさまな権力の片棒担ぎとヘイトを増幅させる番組を地上波でも展開しはじめているのである。
(DHCシアターは、2017年4月にDHCテレビと企業名称を変更し、浜田麻記子はその年10月にDHCテレビの代表取締役社長を退任し、林原LSI株式会社の取締役に就任)

 SNS上では今回の『ニュース女子』問題を皮切りに「DHC不買」運動が起こっているが、それも当然の話だろう。


リテラ、2017.01.09 10:33
ヘイトデマ垂れ流しで大問題のMX『ニュース女子』も…
化粧品会社のDHCはなぜ極右ヘイト番組をつくるのか
https://lite-ra.com/2017/01/post-2838.html

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河村市長と菅官房長官の言動に断固抗議し撤回を求める

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で企画展「表現の不自由展・その後」が大量の抗議電話や脅迫を受け中止された。
この事態を「テロ事件」と意義づけ、意に反する展示について政治的立場から介入することに憲法上の問題点を指摘する憲法学者の木村草太氏が沖縄タイムスに寄稿した。

■ 今回の展示中止は「テロ事件」

 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が、放火予告と抗議電話の殺到で中止に追い込まれた。
 まず、大前提として、「今回の展示中止はテロ事件だ」との認識が重要だ。

 一般論として、主催者が、外部からの意見に説得された結果として、自律的に展示を見直すことは当然あり得る。
 個人には、公共施設での催しを自由に批判する権利がある。
 また、公共施設の運営者には、批判が理にかなったものであると判断したなら、それを受け入れ、催しを中止したり、内容を修正したりする権限がある。
 例えば、公立大学の施設を利用する講演会で、講演者が「差別や名誉毀損(きそん)発言をしない」と約束しなかった場合、「差別や名誉毀損を防ぐべきだ」との批判を受け、主催者が講演会開催を取り消すこともあろう。

 しかし、今回は、単なる展示内容に対する批判にとどまらず、ファクスでの放火予告があった。
 あいちトリエンナーレは、国内最大規模の国際芸術祭で、美術館だけでなく地元商店街等も会場となるなど、万全の警備体制を敷くことは難しい。
 このため、主催者は中止の判断に追い込まれた。
 これは「表現の自由」の侵害というより、「脅迫されない権利」の侵害だ。

 では、電話での抗議についてはどうか。
 今回、多数の抗議電話により、事務局や愛知県の業務はパンク状態にあったという。
 通常、一人ひとりが電話で意見を伝えること自体は、脅迫などを伴わない限り、禁止されるべきものではない。
 しかし、今回、抗議電話をした人たちは、抗議メッセージを伝えることを超え、不特定多数の力によって、展示会を中止させようとする意図があったのではないか。

■ 抗議を拒否できる正当な理由とは

 法律家たちは、個人による意見表明の自由を確保しつつ、展示主催者や行政機関の業務遂行を妨げないようにするにはどうするべきかについて、新たな理論を提示せねばならない。
 例えば、抗議を受け付ける方法を手紙やメールに限定したり、匿名での抗議を拒否したりしても正当と言えるのはどのような場合なのかを、理論的に整理する必要があろう。

 今回の事件は、公共機関の関わるイベントが、脅迫と抗議電話の殺到に対して、極めて脆弱(ぜいじゃく)であることを示した。
 これを放置すれば、今後、スポーツイベントや博覧会なども、容易に中止に追い込まれる危険がある。
 今後、東京五輪や大阪万博が控えている東京都知事や大阪府知事は、愛知県知事と連帯して、脅迫者への抗議意思をはっきりと示し、再発防止に取り組むべきだろう。

■ 公職者の芸術表現への介入の問題点

 さて、「今回の展示中止がテロ事件だ」との大前提を確認したところで、表現の自由に対する行政機関の介入問題について検討しよう。

 今回、河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官が、展示内容への疑義を表明しつつ、展示や補助金支出に介入する姿勢を示した。
 もちろん、河村市長や菅官房長官も、個人の立場であれば、展示物を自由に論評する権利を持っている。

 しかし、個人の表現の自由は、行政機関としての立場を離れた場所で、個人としての発言であることを明示して行わねばならない。
 公職としての立場を利用して、特定の芸術表現について介入するのは、憲法上の問題がある。

 まず、芸術展の展示の適切さは、芸術の専門家により自律的に判断されるべきものだ。
 市長や官房長官は行政のプロであって、芸術判断の専門家ではない。
 市長や官房長官が、表現内容の適切さを理由に介入するのは、越権行為だろう。
 他方、大村秀章愛知県知事は、展示物の内容について、一切のコメントを避けている。
 芸術専門職の自律を尊重する態度として、妥当だろう。

 なぜ、行政機関が、芸術表現に示された内容を理由に介入することが許されないのか。
 それは、表現の自由の侵害や、思想・信条による差別に当たるからだ。


 もちろん、憲法21条が保障する表現の自由といえども、絶対無制約な権利ではなく、公共の福祉による制約を受ける。

 そして、どのような表現を公共の福祉によって制約すべきかを示したのが、刑法や民事上の不法行為だ。
 わいせつ物陳列や名誉毀損など、犯罪や不法行為となる表現は、芸術表現としての一線を越えたものとされ、刑罰や賠償金の支払いを命じることが許される。
 逆に言うと、犯罪や不法行為に当たらないにもかかわらず、公的機関が表現活動を規制すれば、表現の自由の侵害として違憲だ。

■ 発表の場を奪う、思想・信条の差別

 また、直接に表現を規制しなくとも、特定の表現内容について、合理的根拠もなく公共施設での展示機会を奪ったり、補助金支出を撤回したりすれば、憲法14条が禁止する思想・信条による差別となる。
 なぜなら、そうした行為は、「ここで表現された思想・信条は、公的空間での発表に不適切だ」とのメッセージを人びとに与えるからだ。

 河村市長や菅官房長官は、今回の展示の関係者に刑罰を科したり、損害賠償を請求したりすることを示唆しているわけではないから、表現活動を規制したとはいいがたい。
 しかし、犯罪や不法行為となる表現でないにもかかわらず、発表の機会を奪ったり、補助金の撤回を示唆したりすることは、憲法14条が禁止する公権力による思想・信条に対する差別となっている可能性が高い。

 今回の事件で、最も重要なのは、脅迫者をきちんと特定し、刑事罰を科し、損害賠償を請求して責任をとらせることだ。
 また、河村市長や菅官房長官などの行政機関や、国会議員らが、脅迫者と芸術表現を守る側、どちら側に立っていたかを見極めるのも重要だ。


 河村市長らが、「展示内容については、芸術監督の判断を尊重する。脅迫や妨害は絶対に許されない」というメッセージを出していたら、事態は変わっていたかもしれない。

 公権力の担い手は、自らの言動が脅迫を助長しないよう最大限配慮する必要がある。 
   

沖縄タイムス、2019年8月13日 19:24
[特別寄稿]
「脅迫されない権利」の侵害だ
木村草太氏(首都大学東京教授、憲法学者)がみた表現の不自由展
行政による芸術表現への介入、憲法上も問題

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/457930

「あいちトリエンナーレ2019」における河村市長・菅官房長官の「表現の自由」侵害行為に抗議する憲法研究者声明

2019年8月11日
憲法研究者有志一同

 2019年8月1日、愛知県で国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由・その後」が開催されましたが、8月3日に中止に追い込まれました。
 中止に追い込まれた理由として、大村知事は愛知県に寄せられた、テロ予告や脅迫を挙げました。

 テロ予告や脅迫はそれ自体犯罪であり、そのような暴力的な方法で表現活動をやめさせようとすることは強く非難されるべきものです。

 さらに、今回とりわけ問題なのは、この展示会中止にむけての政治家の圧力です。


 8月2日に現地を視察した河村名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじるもの」などと発言して企画展の中止を求めました。
 8月2日、菅官房長官もあいちトリエンナーレが文化庁の助成事業であることに言及したうえで、「補助金交付の決定にあたっては事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していく」などと発言しました。

 わたしたちは、河村市長と菅官房長官の言動は民主主義国家における「表現の自由」の重要性について全く理解を欠いたものであると考えます。

 企画展の展示内容は、例えば、名誉毀損として処罰されるべきものでも、特定の人種や民族の人びとをそうした属性を有するというだけで誹謗・中傷するものでもありません。

 今回の展示中止の要請は、きちんとした理由のあるものでなく、単に、権力者が自分の気に入らない言論を自分が気に入らないという理由だけで禁止し、抑制しようとするものです。

 しかし、自由な民主主義社会においては、こうしたことはあってはならないことです。

 このようなことが許されれば誰も権力者を批判することができなくなり、その結果、わたしたちは権力者を批判する表現を受け取ることが不可能になるでしょう。

 これはとても息苦しい社会です。

 憲法21条で保障された表現の自由は、さまざまな考えの人の存在を前提としている民主主義社会にとって不可欠なものです。

 自分が気に入らないという以外に特別な理由なく展示の撤回を求めた河村市長と菅官房長官の言動は、憲法21条に反するものであり、強く批判されるべきだと考えます。
 わたしたちは、河村市長と菅官房長官の言動に対して、断固抗議し、撤回を求めます。


上脇博之、ある憲法研究者の情報発信の場、2019年08月12日10:57
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51926442.html

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止になった企画展「表現の不自由展・その後」を巡り、経緯をただした企画展実行委員会の公開質問状に対し、芸術祭の実行委員会会長の大村秀章知事は8月12日までに回答した。
 中止の決定について、テロの予告や脅迫とも受け取れる内容の電話が殺到したための「緊急避難的措置」などとした。

 抗議電話を想定し、県庁などでは録音機能付きの電話の設置や職員8人の増員など「通常の国際芸術祭で必要な対応以上の対策を講じた」と説明。
 ただ「想像を上回る数の抗議電話によって対応できない状況を招く結果となってしまった」と釈明した。


東京新聞、2019年8月12日 17時22分
中止は「緊急避難的措置」と回答
愛知県知事、不自由展実行委に

(共同)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019081201001467.html

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2019年08月13日

原発に明日ない

 参院選では、原発推進の政治か、原発ゼロへ向かう政治にするのかが争点の一つです。
 東京電力福島第1原発事故は2011年3月11日の発生から8年4ヶ月―。
 いまなお8万5千人(「日経」3月17日付)が避難生活を続けているのに、安倍晋三政権や東電は“事故は終わったもの”として被害者支援や賠償を次々と打ち切っています。
 一方、安倍政権が目玉にしてきた原発輸出政策は完全に破綻しています。
 原発に固執する姿勢はあまりに無責任です。

 参院選で原発ノーの声を示し、再生可能エネルギーの大胆な拡大へと転換する機会にしましょう。

原発依存社会への逆行

 自民党は参院選政策のエネルギーの項目の中で「原発の再稼働を進めます」と明記しました。
 さらに「原子力に対する社会的信頼の獲得に向け全力を注ぎ…」と強調しています。
 どの世論調査をみても再稼働反対、原発ゼロの声は過半数です。
 多くの国民が原発に不安を抱いているなかで、エネルギー政策で原発・原子力にこだわる自民党の公約は世論に逆行するものです。

 自民党の公約は「2030年エネルギーミックスの確実な実現」をうたいます。
 これは、昨年2018年7月に安倍内閣が閣議決定した「エネルギー基本計画」の推進を意味します。
 同計画では、原発を「重要なベースロード(基幹)電源」と位置づけ、2030年度の電源構成で「20〜22%」を原発でまかなうとしています。
 現在は原発9基が再稼働し、発電量に占める割合は約3%です。
 これを何倍にも引き上げようというのがエネ計画です。
 廃炉が決まっているもの以外の既存原発の再稼働だけでなく、建設中の原発まで、30基以上を動かす規模です。

 こんな“原発依存社会”に逆戻りさせる自民党に、政治を任せるわけにはいきません。

 安倍首相や自民党は、再稼働させる原発は“世界でもっとも厳しい規制基準に適合したもの”と主張します。

 しかし、「新基準」自体、福島原発事故の原因究明もないまま、再稼働ありきで決められたものです。
 事故の際の住民の避難計画も自治体任せで、実効性はありません。


 規制委が、テロ対策を5年先送りして再稼働を認めた原発は、電力会社が費用負担などを理由にテロ対策を講じてこなかったため、来年から順次、運転停止に追い込まれようとしています。
 再稼働を最優先でおし進めた矛盾はいよいよ明白です。

 安倍政権の原発輸出が行き詰まったのも、安全対策費などコストがふくらみ、ビジネスとして成り立たなくなったためです。
 世界で急速に普及が進み、コストが大きく低減している太陽光や風力発電などの再生可能エネルギーの拡大が必要です。
 再エネ普及・脱炭素にかじをきって、温暖化対策で積極的な役割を果たすべきです。

市民と野党が力合わせ

 日本共産党など野党4党が共同で国会に提出した「原発ゼロ基本法案」を審議し、成立させることが不可欠です。
 5野党・会派が合意した参院選の「共通政策」では「再稼働を認めず」「原発ゼロを目指す」ことを掲げています。

 市民と野党の共闘の勝利、日本共産党躍進で、原発ゼロ、再エネへの大転換をはかりましょう。


しんぶん赤旗・主張、2019年7月12日(金)
参院選とエネ政策
原発ゼロ・再エネ拡大の政治を

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-07-12/2019071201_05_1.html

 皆さんお願いします、再度ヤッホーくんのこのブログ、2017年03月14日付け日記「贈る言葉」をお読みくださいますよう。
 アベシンゾウの国会論戦ムシ、野党ムシ、異論ムシ、つまりおれだけ、いまだけ、カネだけ三岳信仰ぶりが読み取れます。

 福島第一原発事故から8年。

 大事故を受けて、一時は「稼働中の原発はゼロ」という状態にもなったが、新しい安全基準(「新規制基準」)が定められ、現在、国内で7基の原発が稼働中だ(玄海原発4号機、川内原発1・2号機、大飯原発4号機、高浜原発3・4号機、伊方原発3号機)。

 2013年に定められた「新規制基準」について、電気事業連合会はこう説明している。
 東京電力(株)福島第一原子力発電所の事故では地震の後に襲来した津波の影響により、非常用ディーゼル発電機・配電盤・バッテリーなど重要な設備が被害を受け、非常用を含めたすべての電源が使用できなくなり、原子炉を冷却する機能を喪失しました。
 この結果、炉心溶融とそれに続く水素爆発による原子炉建屋の破損などにつながり、環境への重大な放射性物質の放出に至りました。
 こうした事故の検証を通じて得られた教訓が、新規制基準に反映されています。


元東電社員が突き止めた本当の事故原因

 要するに、「津波で電源を喪失し、冷却機能を失ってメルトダウンが起こり、重大事故が発生した」ということだ。

 この点に関して、津波の規模が「予見可能だったか、想定外だったか」という議論がなされてきた。
 しかし双方とも「津波が事故原因」という点では一致し、多くの国民もそう理解している。

 ところが、「津波が原因」ではなかったのだ。

 福島第一原発は、津波の襲来前に、地震動で壊れたのであって、事故原因は「津波」ではなく「地震」だった――
 “執念”とも言える莫大な労力を費やして、そのことを明らかにしたのは、元東電「炉心専門家」の木村俊雄氏(55)だ。

 木村氏は、東電学園高校を卒業後、1983年に東電に入社、最初の配属先が福島第一原発だった。
 新潟原子力建設所、柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発へ。
 2000年に退社するまで、燃料管理班として原子炉の設計・管理業務を担当してきた“炉心屋”である。

 東電社内でも数少ない炉心のエキスパートだった木村氏は、東電に未公開だった「炉心流量(炉心内の水の流れ)」に関するデータの開示を求め、膨大な関連データや資料を読み込み、事故原因は「津波」ではなく「地震」だったことを突き止めた。

津波が来る前から、福島第一原発は危機的状況に陥っていた
 事故を受けて、『国会事故調』『政府事故調』『民間事故調』『東電事故調』と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも『事故原因の究明』として不十分なものでした。
 メルトダウンのような事故を検証するには、『炉心の状態』を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。
 ただ、それもそのはず。
 そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったからです。
 そこで私は東電にデータの開示を求めました。
 これを分析して、驚きました。
 実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かったのです

 7基もの原発が稼働中の現在、このことは重大な意味をもつ。
「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全に再稼働できる」ことになるが、そうではないのだ。

 木村俊雄氏が事故原因を徹底究明した「福島第一原発は津波の前に壊れた」の全文は、「文藝春秋」9月号に掲載されている。


文春オンライン、2019/8/13 6:00 am
「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」
元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発
事故検証結果は「津波が原因」。しかし、それは間違っていた……

「文藝春秋」編集部
https://bunshun.jp/articles/-/13348?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink

 高知龍馬空港から車で約3時間。
 高知県土佐清水市の足摺岬近くの山道を分け入ると、その古民家はある。

 ここで妻子とともに自給自足の暮らしをするのが、木村俊雄さん(48)だ。
 昨年の東日本大震災の後、福島県大熊町から移り住んだ。

「高知に来て、自由を感じました。福島にいるときに感じていた重いものが取れたような。僕がこうやってメディアで原発や東電について話しても、高知では、周囲の人は誰も何も言わない。東電のお膝元では自由じゃなかった。住民も依存体質が染みついていて、自分たちで何かしようとか、何か考えようという雰囲気がまるでなかった。『原発に明日はないよ』なんて僕が言ったら、頭がおかしい人だって思われていましたから」

 木村さんは、2000年に退職するまで約17年間、東京電力の社員だった。
 後半の約12年間は、まさに福島第一原発の炉心が仕事場だった。

「炉心には400〜800体の燃料集合体があって、定期検査では4分の1を交換します。残りは配置を換えることで、いかに効率よく発電できるかが決まる。それを考えるのが仕事でした。発電単価が下がれば会社に貢献できるし、仕事は面白かった。でも、ずっと腑に落ちなかった。毎日炉心と向き合っているから、はっきりとわかるんです。処分の仕方も決まっていない高レベル放射性廃棄物がどんどん作られていくことが」

 原子炉内でどんな物質がどれだけ生成されているかを計算し、科学技術庁や国際原子力機関(IAEA)に報告する仕事を担当したこともあった。

「例えば、プルトニウムなどの核物質が130トンできた時、報告書はグラムで記載するから7個ものゼロがつきます。自然界には存在しない、得体の知れない物質をそれほど大量に生成していいのか。仕事に対する違和感はずっと消えませんでした」


※ AERA 2012年10月15日号

AERA dot.、2012.10.8 07:00
東電社員「原発に明日ない」発言で頭おかしいと思われた
https://dot.asahi.com/aera/2012100700003.html?page=1

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首相、父・晋太郎氏の墓前で誓う

 熱い夏までも私物化して、己の欲望を満たそうとするのは、いかがなものでしょうか。
 離岸流より危ない岸なんかじゃなくって、すくなくとも安倍寛は言うんじゃないかな。
 この罰当たり者めが!って……あっ、その墓にはいっしょに葬られていないの?そう?
 だってぇ「日本国」をきっぱり棄て去って、また「大日本帝国」に戻したいんでしょ。

 安倍晋三首相は2019年8月13日午前、昭恵夫人とともに山口県長門市で父・晋太郎元外相の墓参りをした。
 憲法改正について記者団に「自民党立党以来の最大の課題だ。国会で憲法の議論をいよいよ本格的に進めていくべきときを迎えていることを報告した」と述べた。

 7月の参院選に触れ「令和の時代を迎え、その幕開けの国政選挙で勝利を収めることができたことを報告した」とも語った。
「国民の負託に力強く応えていかなければならないという思いを新たにした」と強調した。

 首相は12日には同県田布施町で、実弟の岸信夫氏とともに祖父・岸信介元首相の墓も3年ぶりに訪れ、墓前に手を合わせた。
 岸元首相は自主憲法の制定を訴えた。

壊憲を誓う.jpg
☝ 父・晋太郎元外相の墓前に手を合わせる安倍首相(13日、山口県長門市)

日本経済新聞、2019/8/13 10:00
首相「憲法改正、議論進めるとき」
父・晋太郎氏の墓前で

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48491230T10C19A8PP8000/

 靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが2019年8月13日、分かった。

共同通信社、2019/08/13 17:12
宮内庁が靖国神社の天皇陛下参拝要請断る
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/宮内庁が靖国神社の天皇陛下参拝要請断る/ar-AAFJRWM?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp

 ことしも暑い夏がめぐってきた。
 74年前の夏、想像の中のオキナワ・ヒロシマ・ナガサキはあまりにも悲惨だ。

 国内でも戦地でも、人の命は軽かった。
 戦争は人を人でないものとして扱い、人を人でないものに追い込んだ。

 いったい誰がこのような事態を招来したのか。
 過去に対する追及を先鋭化させたい気持ちに駆られるが、ここでは現在形の疑問に向き合いたい。

 戦後日本はどこを原点として、いまどんな座標にいるのか。
 それは肯定できるのか。

 妥協や揺り戻しはあったにせよ、出発点の一つは1946年11月に公布された現行憲法であろう。
 日本国憲法の戦争に対する考え方は、いま争点になっている9条よりも、前文によくあらわれている。 

 前文は最初に国民主権を宣言する。次の段落がいわゆる恒久平和主義だ。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した

 平和主義は各国の人びとへの信頼に基礎を置く。
 誰も戦争なんかしたくない。
 世界の人びとも平和を愛し、公正と信義を大切にしたいと思っている。
 それを信じようと。

 文中に「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とある。
 崇高な理想とはなにか。
 あとに続く文章が、それを明らかにする。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

 専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠になくすこと。
 全世界の人びとが一人残らず、恐怖と欠乏から解き放たれ、平和のうちに生きること。
 それが崇高な理想だ。

 その理想が国家間の原理としてでなく「人間相互の関係」として語られていることに、注目したい。
 公的な関係だけでなく、職場や学校や家庭を含めたあらゆるレベルで、それは求められる。
 ハラスメントや虐待、体罰、いじめといった侵害行為はもちろん、夫が妻を、親が子を管理したり支配したりすることも、憲法の掲げる理想に反するのだ。

 憲法前文の次の段落は、国際関係の原則をこう宣言する。

いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない

この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である

 戦後の日本が目指したのは、人と人、国と国が平等に、信頼に基づいて構築される社会だった。
 力によって保たれる平和や均衡は、恐怖や専制・圧迫を伴う。
 それはまた戦争への道に続いている。
 そのことを当時の日本人は、悲痛な経験とともに学んでいた。

 いま韓国との間で起きていることは、こうした憲法の理想や国際関係の基本に反していると思う。

 安倍晋三首相は原爆忌の2019年8月6日、広島市で記者会見し、韓国との関係について、
「(元徴用工問題で)日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国際条約を破っている。約束を、まずはきちんと守ってほしい」と要求したという。

 徴用工問題は、1965年の日韓請求権協定によって解決済みというのが、日本政府の立場だ。
 そこで韓国政府も同じ考え方に立って、元徴用工の人たちの個人としての請求権を否定するよう求めている。
 ここに政府と市民の関係についての、日本政府の考え方がよく示されている。

 それを確認するために、米軍・普天間飛行場の辺野古移転にかかわる日本政府の考え方と行動を参照したい。

 辺野古移転を基本的に規定しているのは、米国からの用地・施設の提供要請に対して日本側に拒否権のない日米地位協定である。
 そのうえ、辺野古移転は既に米国に約束してしまっている。
 だから沖縄県民や、県民に共感する沖縄以外の人がどんなに反対しても、やり遂げなければならない。
 全国から警察力を動員し、座り込みをする人たちを強制排除してでも。

 このようなやり方を正当とする今の日本政府にとって、国家間の約束を優先しない韓国政府はおかしいということになる

 中国や朝鮮半島の人びとを連れてきて、非人間的で劣悪な、ほとんど生存ぎりぎりの条件で働かせたケースもあったことへの、真摯な反省や謝罪を示すことなく、国家間の約束の履行だけを要求する。

 しかし、このような考え方と行動は、あらゆる関係において専制や圧迫があってはならないとする憲法の思想に違背するだろう。

 憲法が掲げる理想を「現実を見ない空論」などと批判するのは自由だ。
 だが、厳然としてそのような憲法があり、99条が閣僚や議員を含むすべての公務員に憲法遵守義務を課している以上、政権がそれを公然と否定する行動を選ぶことは許されないはずだ。

 日韓関係や沖縄の基地問題だけではない。
 軍事費を止めどなく膨張させ、5兆円を突破していることも、力による安全保障を否定する憲法理念を逸脱している。

 この夏、戦争に関わる一連の行事を、季節の儀礼としてやり過ごさず、戦後の原点を踏まえて、現在を直視する機会にしたい。


47 News、2019/8/13 12:01 (JST)
憲法が掲げる「理想」とは
違背し続ける政権

佐々木央(47ニュース編集部・共同通信編集委員)
https://this.kiji.is/533843006107567201?c=39546741839462401

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神様が白馬に乗って降臨

 標高1356メートルの駒ケ岳山頂にある「箱根神社元宮」を箱根 駒ヶ岳ロープウェーで訪れるカップルが近年多くなっている。

 駒ケ岳は40万年前に活動を開始した箱根火山の一つ。
 2万年ほど前にカルデラの中央部が噴火し、神山(1438メートル)、駒ケ岳、二子山(上二子山=1091メートル、下二子山=1065メートル)ができあがり中央火口丘が誕生した。

 駒ケ岳の北に神山があり、ここで古代祭事が行われ山岳信仰の中心となった。
 その起源は、今から2400年前までさかのぼる。
 聖占仙人(しょうぜんしょうにん)が、神山の山神を祈る場所として駒ケ岳山頂に神仙宮を開いた。

 奈良時代に、高僧の万巻(まんがん)上人が入峰し、霊夢を受けて箱根三所権現として奉斎。
 天平宝字元年(757年)に芦ノ湖畔に社殿を造営し、「箱根神社里宮」としたのが現在の箱根神社。
 駒ケ岳山頂の神仙宮を「箱根神社元宮」として位置付けた。

 芦ノ湖畔の箱根神社里宮を訪れる人は常に多く、にぎわいを見せている。
 駒ケ岳山頂の箱根神社元宮も、「御神火祭・例祭」(10月24日)や、毎月1日と24日の「月次祭」には多くの人が訪れるが、普段の日に若いカップルが目立つようになったのはここ4〜5年。
 箱根神社の元宮であることから、湖畔の「箱根神社里宮」と、駒ケ岳山頂の「箱根神社元宮」の両方を参拝する人も多くなってきた。

 横浜から来たカップルは「良い方に出会えるように祈って、しばらくして彼に巡り会った。婚約できるように願ったら、2人で一緒に歩むようになれた。里宮と元宮のおかげ。今日はお礼と結婚の報告に来た」と話す。

 東京から来た30代のカップルは「1回目はデートで来た。2回目に来たときに山頂で婚約。今日は3回目で、披露宴をするホテルの打ち合わせの帰り」と笑顔を見せる。

 箱根神社元宮には史跡「馬降石(ばこうせき)」があり、白馬に乗って神様が降臨した岩と伝えられている。
「ご利益がありそうなので、ここでも手を合わせた」(前出の20代カップル)と言う。


[写真]
神様が降臨した史跡「馬降石(ばこうせき)」

馬降石.jpg

小田原箱根経済新聞、2019.07.08
箱根駒ヶ岳山「箱根神社元宮」、ご利益期待しカップル増加中
https://odawara-hakone.keizai.biz/headline/3180/

 黒い巨大な馬が一頭、まなかいをよぎって消えた。
 うらうらと陽の照りわたる休日の昼下がりに。
 馬の幻影は毎度のことだから、べつにおどろかず、こだわらない。
 蒸れた藁と泥んこと馬の汗の、消えのこるにおいが、何十年も鼻孔にはある。

◇ ◇ ◇

 都心にでたら、人もビルも半透明の柔らかな暈でもかかったように円やかに清潔にみえた。
 都市という怪獣に身がまえる気組み(わたしの癖)が徐々に失せる。
 カフェでは若い男女がノルウェージャンフォレストキャットというネコの食欲の減退について談じている。

「生肉をあげてみたらどうかしらね……」

 ナマニクの発音にどきりとする。
 隣のテーブルでは女性たち三人が全員、うつむいてスマートフォンをいじっている。
 ワインレッドやオーロラピンクの爪をつけた細い指たちが液晶画面をツルツルとすべる。

 静かだ。
 いま、砲声はない。
 銃声もない。
 血のにおいも悲鳴も硝煙のたなびきもありはしない。
 だれもテロやその犠牲者の話なんかしてやしない。
 移民や難民やかれらとのつきあいかたなんぞ話題にのぼってはいない。
 だいいち、どこからも口論や諍いの声が聞こえない。

 やがて気づく。
 女といい男といい、客らの面差しの似たようなきれいさ、ある種の規格どおりの端正さに。
 声音と口ぶりの、まるでおなじ音譜を謡うような共通の調子に感心し、少し戦く。
 が、顔や声とはかつて、もっと各人各様の凹凸と輪郭があり、それぞれに尖ったり、凪いだり、時化たり、決壊したりするものではなかったのか。

◇ ◇ ◇

 自動ドアがひらく。
 視線をむける。
 爆発的な光の束が斜めに侵襲してきたので、すぐに目を瞑る。
 直前、光を背負った影をみた気がする。
 一刹那、血まみれの子どもを抱いた母親が飛びこんできたのではないかと錯視し、ただちにうち消す。

 ふといぶかる。
 その昔、ひとはなぜ老け顔をしていたのか。
 まだ十代、二十代なのにすっかり老成したかのごとくにふるまい、「存在の証」についてしかつめらしく弁じたりしたのか。
 なぜそうできたか。
 逆に、いまはなにゆえこんなにも若者が幼くみえるのか。
 人という実在はきょうび、なぜ、かほどに希薄なのか。
 携帯電話で動画を見ている人がつぶやく。

「これ、なつい(ヽヽヽ)よね」

 なつかしいということらしい。
 音のかろみと乾きに、急に気疎くなり、身内に深々と古錆びのような疲れが湧く。

 喉もとが痒い。
 胸もとから、なにかがせりあがってきたり、すーっと引っこんだりしている。
 風景と声と息。
 脚の太い老いた黒馬がまたも目に浮かぶ。
 肥え桶かなにかの重い荷をひく馬が、疲労か病気のせいだろう、凍りかけた泥道でよろけている。
 ほれっ、ほれっ、ほうほう……
 目つきの鋭い馬方がかん高い声で叱咤し、容赦なく鞭をやる。
 ほれっ、ほれっ、ほうほう……
 黒馬は赤い血の筋を走らせた目をむきだし、黄色い歯の奥から真っ白の泡を吹いている。
 馬はやがてつんのめり、二、三度地を掻くように蹴ってからたち崩れ、どうと泥のなかに倒れる。
 その振動で大地が揺れ、空気がびりりとひきつった。

◇ ◇ ◇

 馬の横顔はいまや眼下にあった。
 鰓がまるで汀線のように長大で、その曲線は優雅に、いや、おごそかにさえみえた。
 馬は歯ぐきをむきだし、苦悶のためか、口とおとがいが左右に大きくずれている。
 しけった藁と、馬糞、いがらっぽい汗のにおい、剣呑なかけ声……
 それらの混合がそのとき、世界中のすべてをつつんだ。
 幼児のわたしはそう思ったものだ。
 そして、轡をこれでもかこれでもかとひっぱる馬方の横顔、筋ばった首……。
 かれは、まだ若かっただろうに、ずいぶんと老けてみえた。
 全力で世界と戦っていた。
 ほれっ、ほれっ、ほうほう……

 その風景のなかにつつまれる、わたし自身をふくむ、すべての存在物(の実在性)をわたしはまったく疑わなかった。
 風景には風景をソフトにみせる皮膜やフィルターがなかった。
 意識するまでもなく、そこに「存在の不確かさ」なんかなかったのだ。
 在るものは、ありていに在った。

 人だかりができていた。
 だれもがみすぼらしい服を着ていた。
 だれも撮影するものはなく、だれもスマートフォンなどもってはいなかった。

 いらだつ馬方はときどき、いとけない目をした。
 かれは泥だらけのゴム長の足で思いきり馬の首を蹴った。
 ドスッと鈍い音がした。
 バカ、起て! バカ、起て!
 半ばべそをかきながら、なんども蹴った。
 馬は聖者のような目をみひらいたままビクともうごかなかった。
 たぶん、その場のだれも、ひどいことをするとは思わなかったろう。
 やめなさいと忠告する見物人もいなかった。
 わたしはうちたおれた馬と若い馬方のいる景色の、善し悪しではなく、聖性さえはらむ生と死の気配に打たれた。

 老馬は葡萄色の舌を垂らし、あえぎながら口からもわもわと青白い霧を吐いた。
 馬方の顔は哲人のようにも嗜虐者のようにもみえた。
 潮の香りがうすくただよっていた。
 その風景に立ち会えたわたしはじつに幸運であった。
 乱暴な仕儀にも強烈な愛に似た感情の点滅があると感じることができたのだから。
 倒れた老馬を基底にしたシーンはなによりも、疑いようもない原質そのものであった。
 遠くに漁船の汽笛が聞こえた。

 それらの声と音とにおいは、おそらく、死にゆく馬のなかの夜と港からただよってきたのだ。


日本経済新聞・朝刊、2019/4/21付
馬のなかの夜と港
辺見庸
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO43947710Z10C19A4BC8000/

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箱根駒ヶ岳1356m

 おやおや、昨日の2019年8月12日、ヤッホーくんより以下のメールが一斉発信されていたようですよ:

 皆さん、こんにちは。

 今から34年前の1985年の今日ってどこでなにをしていましたか?
 ヤッホーくんは田舎に帰省していて、夕暮れ、宮城県との県境の奥羽山脈の面白山1264mに向かって開け放たれていた縁側から風と共に入るヒグラシの声を聴きながら、テレビで群馬県御巣鷹の尾根に日航ジャンボ機が墜落した生々しい映像にびっくりしていたことを思い出します。

 じゃあ、昨日は?
 そう、「山の日」でしたね。
 山歩クラブでは8人衆が、箱根駒ヶ岳の頂上1356mに建つ天空の社殿、箱根元宮に夏詣り。
 坂本九ちゃんはじめ犠牲者の霊に手をあわせてきました。
 気温20度だって、とても気持ちよく、富士山はちょうど雲の間に隠れお化粧直しの最中でしたが、日本海(ママ)や琵琶湖(ママ)の絶景にため息をついてきました。
 麓の温泉では待ってましたとばかりに湯上りは冷たいビール。
 喉をうるおしては、山はいいね!と感動の叫び声をあげておりました。
 以上、山歩クラブ月例お山歩会のご報告といたします。

 まだまだ厳しい暑さがつづきますが、皆さん、お体ご自愛の上おすごしください。
 ごきげんよう、ヤッホー!


集合写真 ☟
箱根駒ヶ岳.JPG

箱根元宮 ☟
箱根元宮.JPG

日本海 ☟
相模湾.JPG

琵琶湖 ☟
芦ノ湖.JPG

箱根夏の花(シモツケ) ☟
夏の花.JPG

posted by fom_club at 10:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする