2019年11月16日

令和の不平等条約

 私が日米貿易協定について書くのはこれで最後にしたい。
 あまりにもむなしいからだ。
 あまりにも書き甲斐がないからだ。

 きょうの各紙が小さく報じた。
 衆院外務委員会は15日、日米貿易協定の承認案を、自民、公明などの賛成多数で可決したと。
 19日に衆院本会議で可決され、議論が深まらないまま協定が発効する公算が大きくなったと。
 何もかも予想通りだ。
 それにしても、ここまで対米従属的な条約を、ここまで無抵抗に承認した野党は、まともに外交をする気があるのだろうか。

 「大事な資料が出て来ない中で、これ以上審議を続けるのは無理だ」
 これは野党共同会派の岡田克也氏が、ほかの野党委員ととともに退席した時の言葉だと言う。

 安倍政権が密約を明かさないのはわかりきったことだ。
 密約は、日米安保条約だけで十分だと言って、野党をあげて、安倍内閣に総辞職を迫ってもらいたかった。

 そう言えば、ここまで日韓関係を悪化させた安倍政権の歴史認識の誤りについても、米国と一緒になって中国の脅威を煽りながら習近平国家主席の国賓来日に固執する安倍首相の支離滅裂ぶりについても、そして何よりも金正恩委員長との無条件首脳会談の頓挫について、野党は今度の国会で何一つ追及せず、かつそれに代わる外交を提示できないままだ。

 まるで一緒になって対米従属に走り、韓国、中国、北朝鮮を敵視している。

 その一方で「桜を見る会」の追及は、あまりにも熱心だ。
 それで、安倍政権を解散・総選挙に追い込めるのならいい。
 しかし、その気配はまるでない。
 「桜を見る会」の熱心な追及は、無策を隠すためのパフォーマンスではないのか。
 そう思えてならない。


天木直人のブログ、2019-11-16
日米貿易協定をあっさり通した野党の無策と非力
http://kenpo9.com/archives/6365

 2019年11月15日金曜日の午後7時より、衆議院第2議員会館多目的会議室で「いま消費税を問う!」緊急院内集会を開催した。
 専門家・国会議員・市民による緊急院内集会である。

 ちょうどこの日、衆議院外務委員会が日米FTA協定の委員会採決を行い、協定批准案を可決した。
 1858年の日米修好通商条約以来の不平等条約の採決を野党が何の抵抗もせずに容認したことは主権者に対する重大な背任行為である。
 もとより、TPPは日本が国家主権を含めて国益を失うものばかりのいびつな経済協定であった。
 それでも、米国に対する自動車および自動車部品の25年後、30年後の撤廃が日米合意のなかに盛り込まれた。
 このこと自体、協定の不平等性を象徴するものであったが、日米FTAでは、この合意さえ消滅した。


 問題はもちろんこれにとどまらない。
 日本の主権者のいのちとくらしが深刻に脅かされることになる。
 この日米FTA協定の採決を容認することは許されない。

 また、週末で多くの国会議員が地元に帰らねばならず、国会議員の出席が難しくなったことをお詫び申し上げたい。
 それでも、「不公平な税制をただす会」より、湖東京至氏、荒川俊之氏が講師として出席下さり、多数の現職、元職の国会議員、れいわ新選組の衆院選候補者、議員秘書、そして主権者が会場を埋め尽くすほどに多数参集くださった。
 各政党からは、
・ 国民民主党の篠原孝衆議院議員、
・ 小宮山泰子衆議院議員、
・ 日本共産党の笠井あきら衆議院議員、
・ 碧水会の嘉田由紀子参議院議員、
・ 福島伸享前衆議院議員、参議院議員立候補者の渡辺てる子氏が出席して講演を下さり、れいわ新選組代表の山本太郎代表からはメッセージをいただいた。
 心より厚くお礼申し上げたい。

https://www.youtube.com/watch?v=EohqxoSxhNU

「桜を見る会」で安倍首相の進退問題に直結することになるのは、前夜祭の5000円会費と実費との間に差額が生じていたのかどうかである。
 2014年に小渕優子経産相が辞任に追い込まれた。
 その核心になったのが後援会の観劇ツアーの費用の一部を小渕優子議員の事務所が負担したのではないかとの疑惑だった。
 安倍晋三氏が前夜祭を開催したホテルのパーティー費用は最低でも一人1万1000円とされており、多額の費用を安倍晋三事務所が供与した疑いが濃厚である。
 国会での集中審議と捜査当局による適正な捜査が求められる。

 野党はこの問題を盾に、日米FTA協定の国会審議を止めるべきだった。
 安易な対応は野党に対する主権者の不信感を増幅させる。


 緊急集会では税理士で元大学教授の湖東京至氏より、マレーシアの消費税廃止事例と消費税の根本的な欠陥について説明があった。

 また、同じく「不公平な税制をただす会」の荒川俊之事務局長(税理士)から消費税を廃止するための財源調達について、法人税課税の適正化を中心に提言をいただいた。

 れいわ新選組の山本太郎代表は、全国ツアーで東北地方を訪問したため、集会に出席できなかった。
 メッセージでの参加になったが、次の衆院選に向けて「消費税廃止へ」の方向で「政策連合」を構築することを提唱された。
 れいわ新選組は「消費税廃止」を公約に掲げているが、選挙戦術上、野党陣営がまずは「消費税率5%への引き下げ」で足並みを揃えられるなら、この線で共闘することができるとしている。

 日本共産党の笠井あきら氏は消費税減税、消費税廃止について積極的な見解を示された。

 10月31日にはれいわ新選組の山本太郎代表と馬淵澄夫衆議院議員(無所属)が共同代表となり、「消費税減税研究会」が創設された。
 馬淵澄夫議員は出席予定であったが、怪我をされたため、秘書が出席された。
 この研究会には立憲民主党、国民民主党の国会議員も多数参加した。
 社会民主党も消費税減税に賛成の意思を表明している。
 立憲民主党、国民民主党は党として正式な決定は行っていないものの、少なくとも消費税率の10%への引き上げには反対の立場を明確にしている。
 財務省と政府は「消費税増税は財政再建と社会保障制度維持のために必要不可欠」と説明し、多くの主権者がこの説明によって洗脳されてしまっているが、この説明は正しくない。

 拙著『25%の人が政治を私物化する国』(詩想社新書、2019年7月)に明記したように、消費税が導入された1989年度以降の税収推移が消費税の正体を鮮明に示している。
 消費税による税収は法人税減税と所得税減税によって消えた。
 消費税収は財政再建のためにも社会保障制度維持のためにも使われていないのである。
 もっとも深刻な日本の経済問題は格差拡大、新しい貧困問題である。
 消費税はこの問題を拡大させてきた主因のひとつである。
 同時に、消費税増税によって中小零細企業が破綻に追い込まれている。
 消費者が負担するとされた消費税の負担が中小零細企業に転嫁されているからだ。
「悪魔の税制」と呼ぶのが適正である。
 次の総選挙に向けて「消費税廃止運動」を国民運動として広げる必要がある。


植草一秀「知られざる真実」2019年11月16日(土)
熱気沸騰「いま消費税を問う!」緊急院内集会
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-9c4161.html

 安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で、自民党所属の国会議員らに出席者の推薦枠があったことが問題になっている。
 野党は名簿の公開を求めているが、菅義偉官房長官は14日、記者会見で「名簿については、会の終了をもって、遅滞なく廃棄している」と説明。
 資料はすでに“隠ぺい済み”ということだ。

 隠ぺいが疑われているのは、「桜を見る会」だけではない。

 政府・与党が今国会の最大の焦点と位置づけている日米貿易協定でも、隠ぺい疑惑が指摘されている。
 にもかかわらず、協定の承認案は15日に衆院外務委員会で可決され、19日に衆院本会議で採択される予定だ。
 なぜ、政府は隠ぺい工作に手を染めなければならなかったのか。
 その背景には、専門家から「交渉で負けた」と批判される協定の内容にあった。

* * *

「日米貿易協定は『令和の不平等条約』です」

 こう話すのは、TPP(環太平洋経済連携協定)などの通商交渉で国際交渉官として参加した経験のある明治大の作山巧教授だ。
 日米貿易協定は、2017年にTPPを離脱した米国のトランプ大統領が安倍政権に求め、今年9月に最終合意に達した。
 交渉期間は、わずか半年。
 異例のスピード決着だった。

 安倍首相は「両国に利益をもたらすウィンウィンの合意」と強調したものの、その内容は過去の貿易協定と比べて似て非なるものだ。
 公式には、日本政府は関税撤廃率について「米国約92%、日本約84%」と発表している。
 ところが、日本の対米輸出額の約3割を占める自動車と自動車部品については関税撤廃の合意がなされていない。
 作山教授は言う。
 通商交渉は『ギブ・アンド・テイク』が基本で、日本が農産品でTPP並みに譲れば、米国から自動車などで譲歩を引き出さなければなりません。
 それが、今回は米国の譲歩はほとんどありません。
 TPPと日米貿易協定を関税撤廃率で比べると、日本は95%から84%に小幅の低下なのに、米国は100%から自動車などを除くと57%まで下がりました。
 とてもウィンウィンの協定とは言えず、ここまで完敗した交渉を国会で承認するなど、信じられないことです」


 安倍首相は「自動車および同部品は単なる交渉の継続ではなく、さらなる交渉による関税撤廃を明記した」と説明するが、そんなことは協定の関係文書のどこにも書かれていない。
 そのため、官僚たちは“ウソ”と“隠ぺい工作”に奔走せざるをえなくなっている。

■ 書き換えられた外務省文書

 外務省が公表した日米貿易協定の概要を説明した資料では、9月26日には<米国譲許表に「更なる交渉による関税撤廃」と明記>と安倍首相の説明に近い書き方をしていた。

 それが、10月18日には<米国附属書に「関税の撤廃に関して更に交渉」と明記>と変化。
 わずかな違いに思えるかもしれないが、関税引き下げのスケジュールを示す譲許表に「関税撤廃」と書かれていないことの意味は大きい。
 将来的な自動車関連の関税撤廃が約束されていないことを示すからだ。
 7日の衆院連合審査会で共産党の田村貴昭衆院議員からそのことを指摘されると、内閣官房の渋谷和久政策調整統括官は、ニつの文書について「時系列に伴う修正」と、改変を認めた。
 前出の作山教授は言う。
 関税撤廃で合意しているのなら、政府は自動車関連のどの品目で将来的な関税撤廃に合意しているかをリストにして示せばいい。
 しかし、本当は合意がないのでそれはできないでしょう。
 世界貿易機関(WTO)は自由貿易協定(FTA)について9割超の関税撤廃が必要としていて、米国の自動車関連の関税撤廃がなければそれを満たしません。
 日米というニつの大国が国際ルールを無視することの意味は大きい。
 これまで安倍首相は韓国に対して元徴用工問題で『国際的な約束を守ってほしい』と批判してきましたが、協定が発効してしまえば今後はそれも言えません。
 国際的な自由貿易のルールを、トランプ大統領と一緒に破壊することになるからです


 安倍政権の国際ルール違反を表に出さないようにするため、国会での説明は意図的に改変された情報ばかりになってしまった。
 その一つが、協定の経済効果を示した試算だ。

 政府の試算では、協定の経済効果は実質国内総生産(GDP)を約0.8%押し上げるという。
 しかし、これは米国が自動車関連の関税をすべて撤廃したことを前提にしている。
 東京大学大学院の鈴木宣弘教授(農業経済学)が、協定の内容通り、自動車の関税撤廃がないことを前提に政府と同じ手法で試算すると、GDPの増加率は0.09%にしかならなかった。
 鈴木教授は言う。
 日本政府の試算がおかしいことは、米国の貿易情報誌からも『撤廃を仮定してGDPの増加効果を計算した』と指摘されています。
 せめて、自動車関連の関税が撤廃されていない場合の試算と2本立てで発表すべきですが、それすらしていません

■ GDPがマイナスになる可能性も

 これだけではない。
 協定の発効でもっとも影響を受ける農林水産物について、政府は生産額が600億〜1100億円減少すると試算している。
 ところが、国内対策で農業の競争力が高まるとして、生産量への影響は「ゼロ」だという。
 ちなみに、自動車関連の関税撤廃が実現したとして試算しても、GDPは0.16%しか増えなかった。
 試算には『価格が下がっても、生産コストが下がる』『コストが下がれば、賃金が上がる』などの前提をつけて、意図的にGDPの増加率を引き上げています。
 試算の前提を変えることは、ドーピング剤を打つようなもの。
 そんなことをすれば、結果の数字はいくらでも増やせます」
(鈴木教授)

 そのほかにも、試算には「日本の農産品は品質が高いので、米国産と入れ替わらない」「農業で職を失った人は、瞬時に別の業種に転職できる」といった前提がある。
 いずれも試算のための机上の空論で、非現実的だ。
 そのこともふまえて鈴木教授が試算をすると、GDPはマイナス0.07%となった。
 政府はそれでも、今回の協定で牛肉や豚肉の関税が下がっても、コメの開放がなかったことが「成果」だったと主張している。
 だが、この説明もあやしい。
 来年に大統領選を控えるトランプ氏にとって、コメの生産地であるカリフォルニア州は民主党の票田なので、もともと興味がないのです。
 しかも、コメ以外の農産品では譲っているのに、自動車関連の成果は何一つなかった。
 こんな協定は前代未聞です
(鈴木教授)

 前出の作山教授は、交渉の過程で日本が持っていたカードをアメリカ側に提示した形跡がないことも、元国際交渉官として疑問に感じているという。
 トランプ大統領が自動車の関税を上げると脅してきたら、日本は『では、牛肉の関税を現行の38.5%から上限の50%まで上げます』と反論すればよかった。
 これは国際ルールの違反ではありません。
 実際、EUはトランプ大統領の脅しに対して、対抗措置として米国のどの品目の関税をどこまで上げるのかのリストを準備しています。
 日本は、韓国に対しては輸出優遇国(ホワイトリスト)からの除外という対抗措置を取りましたが、米国にはそのそぶりすら見せていません。
 本気で米国と交渉していたとは思えません

 では、米国は今回の協定に満足しているかというと、そんなことはない。
 コメについてはTPPの水準に達しておらず、米国内で批判が出ている。
 協定は、来年5月以降に再交渉されるため、今後、コメなども議題にのぼる可能性がある。
 今回は始まりにすぎないのだ。
 それでも協定の承認案は、大きな混乱もなく15日に衆院外務委員会で可決した。
 TPPは70時間以上の時間をかけて議論したが、日米貿易協定の審議時間は10時間にも満たなかった。
 安倍政権の思惑通りの展開に、野党の農林議員も嘆くばかりだ。
 こんなにひどい協定なのに、野党議員が体を張って審議を止めるどころか、プラカードを持ち込んでメディアにアピールするようなこともしない。
 だから、すべてが与党のスケジュール通り。
 闘う気すらなくて、情けない。
 野党の幹部は、国民の生活よりも大臣のクビを取ること(辞任)しか考えてないんだよ

 戦後史で例をみない「不平等条約」が、安倍首相とトランプ大統領の間で実現しようとしている。
 だが、そのことを政治家も国民も多くの人が知らない。最大の危機は、そこにある。


dot,asahi、2019.11.15 14:45
桜を見る会だけじゃない!
日米貿易協定では外務省が文書を改変
元国際交渉官「内容は令和の不平等条約」

(AERA dot.編集部/西岡千史)
https://dot.asahi.com/dot/2019111500038.html

posted by fom_club at 11:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「大嘗祭」と憲法の関係

 東京都千代田区のJR東京駅・丸の内駅前広場で2019年11月14日夜、大嘗祭(だいじょうさい)に反対する集会があった。
 主催者の男性はマイクを持ち、
「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い、巨大な神殿が建てられた」と訴えた。
 参加者は「インチキ大嘗祭」などと書かれたプラカードを掲げ「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールの声を上げた。
 武蔵野市から来たという女性(37)は、
「天皇制に反対する人は潜在的にいるのに、声を上げにくい息苦しい状況が生まれている」と語った。


[写真]
「大嘗祭反対」の声を上げる参加者=東京都千代田区

朝日新聞、2019年11月14日19時43分
大嘗祭「一晩のため税金27億円」東京駅前で反対集会
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191114004070.html

 天皇陛下の即位に伴う宮中祭祀「大嘗祭」が11月14日夜から15日早朝にかけて、皇居内に設営された大嘗宮で執り行われる。
 大嘗祭は即位に伴う儀式ではあるが、宗教的要素があり、「国事行為」とされていない。
 しかし、皇室の公的活動とされ、費用は公費である「宮廷費」から支出される。
 大嘗祭をめぐっては、2018年に秋篠宮さまが「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑念を呈されたことが話題になった。
「奉祝」ムードの中ではあるが、大嘗祭と政教分離、公費の支出をめぐる議論を、いま一度振り返っておきたい。

そもそも大嘗祭とは?

 宮中では毎年11月に「新嘗祭(にいなめさい)」という儀式がある。
 その年に収穫された米などを、天皇が皇室の祖先とされる天照大神など神々に供え、自身もこれらを食し、五穀豊穣や国家安寧を祈る儀式だ。
「古事記」や「日本書紀」にも記述があることから、その起源は奈良時代以前にまでさかのぼる。
 7世紀後半の天武天皇(位673〜686年)、持統天皇(位690〜697年)の頃から、新天皇の即位後初めての「新嘗祭」は「大嘗祭」として区別され、天皇一代につき一度のみ実施される皇位継承の儀式となったという。
 また、戦乱が相次いだことから、室町後期〜江戸時代にかけて大嘗祭がなかった時期が200年ほどあった。
 明治に入って制定された旧皇室典範11条では「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と定められた。
 天皇の践祚、即位などに関する規定「登極令」にもその細目が記され、皇位継承の儀式の一つとして明記された。

戦後、皇室典範から消えた「大嘗祭」

 戦後、天皇の地位と皇室典範は大きく変わった。
 明治憲法下で「神聖ニシテ侵スヘカラス」「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する存在だった天皇は、現在の日本国憲法に規定される国民主権のもとでの「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となった。
 新たな皇室典範では「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」(24条)とのみ記され、大嘗祭に関する記述は削除された。
 登極令も廃止された。
 なぜ、戦後の皇室典範で大嘗祭に関する記述がなくなったのか。
 終戦間もない1946年12月、憲法問題を担当した金森徳次郎国務大臣は、国会でこう述べている。
 大嘗祭等のことを細かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点を多分に含んでおりまするが故に、皇室典範の中に姿を現わすことは、或は不適当であろうと考えておるのであります。
(金森徳次郎国務大臣―1946年12月5日、衆議院本会議皇室典範案第一読会)

 ポイントとなるのは「信仰に関する点を多分に含んでおります」という言葉だ。
 天皇を神格化した戦前の反省から、憲法20条では政教分離が定められた。
 また、憲法89条では宗教団体への公金支出も禁じられている。
 神道の形式で、宗教的な性格を持つ大嘗祭は、これら新憲法の原則に反するものと考えられたからだ。

平成の大嘗祭、法的な位置づけで議論

 1990年、戦後初めての代替わりとなった平成の即位の礼では、大嘗祭の法的な位置づけをめぐって議論になった。
 法的な位置づけ、つまりは一連の即位の礼の一つとして「国事行為」とするのか、憲法との関係や宗教的な要素が強いことを勘案し「皇室の私的行事」と位置づけるのか。
 位置づけによって、その費用を公費である「宮廷費」から賄うのか、皇室の私費である「内廷費」で賄うのかも決まる。

 護憲派の旧社会党のほか、憲法学者やキリスト教系の団体なども憲法違反ではないかと提起した。

 一方で、保守派は即位の「奉祝」ムードに乗じ、大嘗祭を国家儀式として、伝統に即した形で執り行う空気の醸成に努めた。
 保守系最大の団体「日本会議」の前身「日本を守る国民会議」の立ち上げメンバーだった作曲家・黛敏郎(1929 - 1997)氏は、「大嘗祭の伝統を守る国民委員会」の発起人の一人だった。
 黛氏は、国民委員会の設立総会で「一連の皇位継承儀礼が(新憲法による)積弊を改める唯一、永遠に訪れることのないチャンスだ」「一大運動を盛り上げよう」(朝日新聞1989年12月20日)と述べている。
 国民委員会の設立メンバーには、経団連会長や日本商工会議所会頭、ソニー名誉会長だった井深大(1908 - 1997)氏などの財界トップをはじめ、神社本庁総長など宗教界の大物が名を連ねた。
 このときは芸能界からは「東京五輪音頭」などで知られた大御所の歌手、三波春夫(1923 - 2001)も参加していた。
 保守派と政財界が連携して、新天皇の即位を「奉祝」するという動きは、令和の時代にも重なる。

 異例の「エンドレス万歳」で話題になった、2019年11月10日の「国民祭典」。
 主催は「天皇陛下御即位奉祝委員会」と超党派の議員連盟だったが、奉祝委員会は「経団連」「日本商工会議所」「日本会議」の3団体を中心とする組織だった。

「国事行為」ではないが「公的性格」

 登極令の廃止後、初めて迎えた平成の大嘗祭。
 当時の海部俊樹内閣は、これを法的にどう位置づけたのか。
 まず、大嘗祭については宗教性を否定できないとして国事行為とはしなかった。
 宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。
(1989年12月21日 閣議口頭了解「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)

 一方で、「皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然」として、その「公的性格」を強調した。
 大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。
 その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。
(1989年12月21日 閣議口頭了解「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)

 大嘗祭の宗教的な性格は認めつつも、その費用は公費から出す。
 当時の海部内閣は、政教分離上の問題については触れず「公的性格」という言葉を用いて説明した。
 つまり、皇室の公的な活動費のための公費「宮廷費」から支出するために、「皇室の公的行事」であると位置づけたことになる。

平成で敷かれたレールの上での「奉祝」ムード

 当時の海部内閣の政府見解は、戦後日本が直面した「伝統」と「新憲法」の矛盾、そのバランスをとろうとして編み出された苦肉の策と言えるものだった。
 そして、平成から令和への改元。
 大嘗祭が政教分離に抵触するのではないかという問題提起は、皇室の中から持ち上がった。

 2018年11月、53歳の誕生日を前に記者会見した秋篠宮さまは、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います」とする一方で、以下のように述べられた。

大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります

宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だった

宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています

宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています

 皇室行事の宮中祭祀と憲法との関係を、どう考えるか。
 皇位継承順位1位の「皇嗣」の秋篠宮さまによる、皇室側からの異例の問いかけだった。
 ただ、安倍晋三内閣は「平成の踏襲」を早々と方針として決めた。
 今回の大嘗祭の費用は27億1900万円。平成のときは、22億5000万円だった。

「令和」の奉祝ムードは、「平成」で敷かれたレールの上に成り立ったものだった。


[写真-1]
報道陣に公開された大嘗宮=13日、皇居・東御苑

[写真-2]
平成の大嘗祭。純白の祭服で悠紀殿に向かわれる天皇陛下(現上皇さま)

[写真-3]
旧皇室典範

[写真-4]
即位の礼を許さない11.12全国集会

[写真-5]
黛敏郎氏

[写真-6]
天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」で、万歳をする集まった人たち=9日、東京都千代田区皇居外苑

[写真-7]
海部内閣の閣僚たち。前列中央が海部俊樹首相

BuzzFeed Japan、2019/11/14 18:46
「大嘗祭」と憲法の関係は? 秋篠宮さまの問題提起をふりかえる
大嘗祭をめぐっては、2018年に秋篠宮さまが「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑念を呈されたことが話題になった。
大嘗祭と政教分離をめぐる議論を、いま一度振り返っておきたい。

(吉川 慧 Kei Yoshikawa、BuzzFeed News Reporter, Japan)
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/sokui-daijyousai

「一世一度の極めて重要な皇位継承儀式」(宮内庁)とされる大嘗祭。
 天皇が新穀を神々に供えて祈る宗教色が強い儀式で、過去には政教分離の観点から訴訟も起こされてきた。
 政府は今回、憲法論争再燃を避けるため平成時の儀式踏襲を早々に決定。
 秋篠宮さまからも皇族として異例の疑義が呈されたが、「前例踏襲」で押し切った。
 結論ありきの姿勢に、専門家から批判も出ている。

◇ 簡素化も費用増

 大嘗祭は天皇の即位後一度だけ行われ、その都度「大嘗宮」を建設して終了後に取り壊すのが習わしとなっている。
 政府は平成時と同様に、宗教色の濃さから「即位礼正殿の儀」など即位に絡む一連の国事行為とは切り離し、皇室行事と位置付ける一方、費用は国費から支出した。
 宮内庁は、経費削減などのため大嘗宮の規模を2割縮小した上で主要建物の屋根材をかやぶきから板ぶきに変更し、一部にプレハブも採用した。
 しかし、建材費や工事の人件費が高騰したこともあり、祝宴「大饗の儀」も含めた予算は結局約24億4300万円と、前回より2億円増えた。

◇「私費で行うべきだ

「大嘗祭はある意味宗教色が強い」
「(天皇家の私費の)内廷会計で行うべきだ」
 秋篠宮さまが長年の持論として昨年2018年11月の誕生日会見で明かした意見は、関係者に波紋を広げた。
 大嘗祭に国費の「宮廷費」を支出することは、既に政府の決定事項となっていたためだ。

 秋篠宮さまは「身の丈に合った儀式」とするのが本来の大嘗祭の姿だとも主張。
 以前からこうした考えを宮内庁長官らに伝えてきたが、「話を聞く耳を持たなかったことは非常に残念だった」と苦言も述べた。

 昨年2018年1月に発足した政府の式典準備委員会は、早くも翌2月に「大嘗祭の位置付けや費用は前例を踏襲する」と確認。
 挙行まで1年半以上の時間があったものの、公開された議事概要に十分な議論が行われた形跡はなく、秋篠宮さま発言後も再検討はされなかった。

◇「時間の余裕あった

 憲法と天皇制の関係に詳しい九州大の横田耕一名誉教授(憲法学)は、
「政府は平成の代替わりの際、大嘗祭が宗教色の強い儀式だと認める一方で、皇室の伝統であることを理由に公費を支出すると決めた。しかし、宗教儀式なのであれば政教分離の原則に従い、内廷費から費用を出すべきだ」と語る。

 秋篠宮さまの発言については、
「正当な内容だ。伝統的な大嘗祭はもっと素朴な儀式で、現在のように多額の金を掛けるものではなかった」と指摘。
「政府は今回、前例を踏襲すると早々に決め、即位関連の儀式が抱える憲法上の疑問点に答えなかった。退位による代替わりで時間の余裕があったのだから、儀式の在り方を憲法に照らして精査すべきだった」と批判した。


[写真]
政府の式典準備委員会の初会合で、あいさつする菅義偉官房長官(右から2人目)。左端は宮内庁の山本信一郎長官=2018年1月、首相官邸 

時事ドットコムニュース・深層探訪、2019/11/16(土) 8:31
政府、結論ありきの大嘗祭
憲法論争避け前例踏襲

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019111400914

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2019年11月15日

共産・大門氏「世界の流れは庶民増税でなく減税」

 財政の立て直しにまず持ち出される消費増税は、所得が低い人の負担も増やし、格差を温存してしまう。
 税の持つ「所得再分配」の機能を生かす道は、なかったのか。

 2019年10月16日、参院予算委員会。
 共産党の大門実紀史議員は、
「消費税の最大の問題点は、お金持ちより所得の少ない人の方が(実質的に)負担が重いという『逆進性』だ。税金は苦しい人から取るのではなく、余裕がある人から取るのが当たり前ではないか」と切り込んだ。

 再分配に後ろ向きな政権の姿勢を象徴するとして、野党の矛先が向かう税がある。
 株式の配当や売却益にかかる「金融所得課税」だ。
 税率は世界的にも最低水準の20%。
「金持ち優遇」といわれるゆえんだ。

 所得が増えると最大45%まで税率が上がる累進制をとる所得税に対し、金融所得は他の給与所得などとは切り離して単独でかかる。
 株の売却益が1万円でも1億円でも税率は一律に20%。
 このため、所得1億円を境に富裕層ほど申告納税者の税負担率が下がるという「逆転現象」が起きている。

 麻生太郎財務相もその原因が金融所得にあると認める。

「高所得者ほど、所得に占める株式等の譲渡益の割合というものが高い。一番大きな理由はそれだと思う」

 金融所得課税を強化したいと考えるのは、なにも野党だけではない。
 税財政をつかさどる当の財務省もだ。

 財務省の星野次彦主税局長(当時)は昨秋、首相官邸で、金融所得課税を段階的に25%に引き上げる案を菅義偉官房長官に示した。
 提案は、1年余で3度目だった。

 だが、菅氏は一蹴した。

「株価への影響が出たらどうするんだ」

 とどめを刺すように、こう加えた。

「この件は、もう持ってくるな」

 星野氏が4度目の提案に行くことはなかった。

 菅氏が引き上げを認めないのは、アベノミクスの成果を示す株高こそが、政権運営の生命線と考えているからだ。
 金融所得課税の強化で株価が落ちれば、政権に致命的な打撃になる。
 菅氏は周囲に語る。

「株価が下がれば税収も減るのに、財務省は目先のことばかり。おれが官房長官の間は、金融所得課税の引き上げは絶対に認めない」

 それでも、昨冬決まった与党税制改正大綱は、金融所得課税について、将来の引き上げの議論へ含みも残す文言となってはいた。
 しかし、今年2019年9月に自民党の税制調査会長に就任した甘利明・元経済再生担当相は、
「(今年の)税調で結論が出るということではない」と早々に明言した。

 安倍晋三首相の盟友である甘利氏は「経済成長なくして財政再建なし」との立場。
 企業の不利につながる増税には冷たい。
 その姿勢は、いびつな「逆転現象」による格差を放置し、国民が税の公平性へ不信を強める危険とも背中合わせだ。


[図]
所得が1億円を超すと税負担率が下がる「逆転」が起きる

朝日新聞・けいざい+、2019年11月15日05時00分
「10%」後の税財政:下
「株持ち優遇」再分配案を一蹴

(岡村夏樹)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14257079.html?pn=2

 富裕層ほど負担率が下がる金融所得課税、共産党の大門議員が指摘し、麻生大臣も認め、財務省も前向き。
 なのに課税強化が進まないのは、政権維持のため。政治的に経済格差が作り出されている。

日本共産党・大門実紀史議員は2019年10月16日の参院予算委員会で、安倍政権が強行した消費税10%増税の問題点をさまざまな角度から追及し、「緊急に消費税5%減税の実施を」と求めました。

大門: 消費税増税が、中小事業者にとって何か一つでもいいことはあるのか。

安倍晋三首相: 買い物が喚起されるような施策を打った。

 大門氏は、消費税増税に伴うキャッシュレス・ポイント還元に登録する店舗が少ない実態などを紹介。
「そもそも消費税増税は中小事業者にとって、身銭を切る分が増えることになる。そのうえ複数税率だの、キャッシュレスだの、インボイスだの余計な負担が加わる」と指摘し、
「今回の消費税増税は、中小事業者にとって、何か一つでもいいことがあるのか」とただしました。
 安倍首相は、中小企業に広がる困惑をかえりみず、「施策を打った」としか答えられませんでした。

大門: 消費税の最大の問題は逆進性だ。

麻生太郎財務相: 消費税はあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から社会保障財源にすべきだ。

大門: 税金は生活の苦しい人からとるのではなく、余裕のある人、もうかっている人からとるのが、政治の役割だ。

 大門氏は、株や証券などの金融資産を1億円以上もつ富裕層の世帯が保有する資産が2000年の171兆円から2018年には299兆円に膨らむ一方、年収200万円以下の「働く貧困層」が13年連続で1000万人を超えている実態(グラフ)を告発。
「税金は貧しい人より、もうかっている人からとるのが当たり前だ」と求めました。

大門: 消費税は財界の求めてきた直間比率の見直しを忠実に実行してきたものだ。

財務相: 当時8対2だった直間比率は67対33までになった。

 大門氏は消費税導入後31年を振り返り、消費税が社会保障や財政再建のために使われず、大企業・富裕層減税の穴埋めに使われてきた実態を告発しました。
 その上で、消費税が財界の要求である「直間比率の是正」に応えて導入・増税されてきた事実を浮き彫りにしました。
 安倍首相はこれには答えず、
「消費税は全世代型社会保障制度への転換を進めていく上で重要な財源」と強弁しました。

大門: 消費税増税は経済の自滅行為だ。減税こそ求められる。

首相: 消費は持ち直している。(増税には)十二分な対策を打った。

大門: 持ち直しといって5年たつ。何も持ち直していない。

「世界の流れは庶民増税ではなく、減税だ」―。
 大門氏は、世界経済が悪化するもとで、ドイツやフランス、アメリカなどの各国が庶民減税で消費を底上げしようとしていることを紹介。
「今や世界の流れは、むしろ庶民減税だ。日本だけ消費税増税して大丈夫か」と迫ると、安倍首相は消費者マインドが弱くなっていることは認めながらも「(景気は)持ち直している」と強弁し、増税を正当化しました。

 大門氏は、富裕層優遇である証券優遇税制や大企業優遇である研究開発減税の実態を告発。
「これらを見直せば、消費税増税は必要ないし、減税にも道を開く」と力を込めました。

 麻生財務相は証券優遇税制の見直しについて、「これから先、検討しなければいけないところだ」と認めました。


[図」
働く貧困層と富裕層

[写真]
質問する大門実紀史議員(右端)=16日、参院予算委

しんぶん赤旗・論戦ハイライト、2019年10月18日(金)
参院予算委 大門議員が求める
世界の流れは庶民増税でなく減税

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-10-18/2019101802_03_0.html

大門実紀史・共産党参院議員

(刑法で)賭博が禁じられてきた理由の一つは、勤労の美風を損ない、経済活動を阻害することにあります。
 立法事実は江戸時代末期にさかのぼります。
 資料によれば、江戸後期から末期にかけて、世相は乱れ、町の辻々で昼間からばくちが行われ、博徒がはびこっていた。
 明治維新になって、「新しい日本の建設、経済発展のためには、まず賭博撲滅、風俗矯正だ」ということになり、明治天皇のもとで定められた刑法において厳しく賭博を禁止することになったのです。
 こういう最初の立法時の趣旨を知った上で、自民党の皆さんは「カジノが経済の目玉」などとのんきなことを言っているのでしょうか。
 明治天皇も雲の上で怒っています。
「共産党、頑張れ」と言っているのではないでしょうか。
(カジノ解禁法案を可決した2016年12月14日の参院本会議の反対討論で)


朝日新聞、2016年12月14日22時53分
「カジノ法、明治天皇も怒っている」
共産・大門氏

https://www.asahi.com/articles/ASJDG771CJDGUTFK02C.html

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衆院外務委員会

 日米貿易協定の承認案は2019年11月15日、衆院外務委員会で採決される。
 政府・与党が成立を急ぐ中、審議は11時間で終わり、環太平洋連携協定(TPP)を大きく下回る。
 農産品の影響試算の根拠や、牛肉のセーフガード(緊急輸入制限措置=SG)の実効性などを巡る政府と野党の議論は平行線のまま。
「熟議」につながらないまま衆院の審議は終わる。

審議時間 延期・空回し TPP下回る

 10月24日の衆院本会議で審議入りしたが、外務委で予定されていた審議は2度延期された。
 公職選挙法違反疑惑を巡り、辞任した閣僚2人が説明責任を果たさないことに野党が反発し、国会審議が空転したためだ。

 本格的な質疑は11月6日に始まったが、8日の質疑では要求資料の提出に応じない政府・与党に主要野党が反発して退席。
 与党側は、質問者不在のまま時間を進める「空回し」で審議時間を消化するなど対立が深まった。
 13日には正常化したが、政府と野党のやりとりはかみ合わないまま。
 結局、与野党の合意で採決日程が決まり、衆院での実質的な審議は終わった。

 衆院での審議時間は11時間。
「空回し」の時間を除けば10時間にも満たない。
 TPPは2016年に特別委員会を設けて70時間以上、米国抜きのTPP11は2018年に20時間以上審議したのと比べると、議論の不足は否めない。

 政府・与党は、日米協定を今国会の最重要案件に位置付ける。
 その分、野党の視線も厳しく、国会運営の駆け引き材料になった面があるが、野党内には「審議時間をより多く確保する方法がなかったか」(農林幹部)との声も漏れる。

試算・SG 議論は平行線なお残る懸念

 審議の中で、野党が特に批判を強めたのが影響試算だ。
 政府は農産品について「生産額は減少するが、国内対策によって生産量や農家所得は維持される」との説明を変えていないが、国内対策は指針となるTPP等関連政策大綱の改定さえ完了していない。

 野党からは「予算を出してから言え」と、政府説明の根拠の乏しさに批判が相次いだ。

 より現実的な試算を求める声も出た。
 日米協定の試算は、既に発効済みのTPPや欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)を前提としていないことを野党は問題視。
 既存の通商協定を踏まえた具体的な試算を示すよう要求したが、政府・与党側は一貫して拒否している。

 牛肉SGは、発動した場合の再協議規定を巡る攻防が激化した。
 発動すれば「発動水準をより一層高いものに調整する」協議に入り、期限も決まっている。
 引き上げを前提とした規定だとして、野党はSGの効果を疑問視する。

 一方、SGの再協議についての政府答弁は「結果は予断していない」(茂木敏充外相)にとどまり、SGの先行きの不透明さは解消されないままだ。
 生産量や農家所得を維持する国内対策の具体像や、SGの実効性をどう確保するかなど、農業経営に直結する論点の議論は深まらなかった。


[図]日米貿易協定を巡る論点

日本農業新聞、2019年11月15日
日米協定「熟議」遠く
きょう衆院委採決

https://www.agrinews.co.jp/p49239.html

 全世代型社会保障検討会議で、政府側が、政府の方針と異なる経団連会長の発言部分を削除していた問題。以前のポストで記した。
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-8700.html

「桜を見る会」疑惑といい、この諮問会議議事録問題といい、政府・行政側が自らに不利なことを認め始めている。
 何か潮流が変わってきているように見える。
 隠蔽・改ざん・虚偽から、良い方向に向かっていると言えるが、この背後に何があるのだろうか。

「良い方向に向かった」といっても、まだ方向転換の萌芽のようなものであるし、何か背後に隠されているだけなのかもしれない。

 与党内部での権力争いが表面化し始めたのか、それとも現政府が何か・・・もしかすると、日米FTAの中身・・・を隠そうとする偽装工作なのか。注目してゆく必要がある。

 自動車関税で脅され、わが国に不利な条件を飲まされた日米FTAは、同じ恫喝によって、サービス部門・医療社会保障部門にまで米国のグローバル資本が食い込んで来ようとするのは間違いない。
 米国と本気で対峙する気概と方策があるのかどうかが試される。
 これまでの安倍政権のやり方では、日米FTAは米韓FTAの二の舞になる。

 与党内部での権力闘争はどうでも良いので、大いにやって自滅してもらいたいと切実に思う。
 もし権力闘争が激化したとすると、安倍首相としては、衆議院解散が切り札だろう。
 野党陣営には、必ず野党共闘の候補を擁立する努力をすぐに始めてもらいたい。


以下、引用〜〜〜
議事録不記載、中西氏発言認める
政府が説明一転「録音も存在」

2019/11/12 18:19 (JST)
c一般社団法人共同通信社

 政府の全世代型社会保障検討会議で政府方針と異なる意見を述べた中西宏明経団連会長の発言の一部が議事録に記載されなかった問題で、政府の担当者は12日、中西氏の発言は実際にあったとの見解を初めて示した。これまでの説明から一転し、録音や速記録が存在していたことも認めた。政府はこれまで議事録の作成手続きは適切だとして、事実関係については明確にしてこなかった。

 立憲民主党が開いた会合で、検討会議を担う事務局の担当者が「(発言は実際にあったと)そのように考えている」と述べた。従来は「ない」と説明していた会議の録音や速記録も、存在していたことが新たに分かったとした。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2019/11/15 05:53
「隠蔽、改ざん、虚偽」を少し改めた?その背後にあるものは何か?
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-8726.html

 2019年4月21日の「桜を見る会」で安倍首相は次のように挨拶している。

「皆さんと共に政権を奪還してから7回目の「桜を見る会」になりました」

「桜を見る会」は政府行事である。
 政府が血税を投入して実施している行事である。

 2017年7月1日の夕刻、安倍首相は東京都議選街頭演説最終日に、「安倍辞めろ!」との怒号を発する有権者に対して、
「こんな人たちに、皆さん、私たちは負けるわけにはいかない!」
と絶叫した。
「こんな人たち」も有権者である。
 有権者の声に真摯に耳を傾けない安倍首相の姿勢が批判された。
 それでも、2017年の発言は自民党党首としての発言だ。
 特定の政治的立場から発言しても、自民党を代表する立場からのものだとすれば説明がつけられないわけでもないものだった。

 しかし、本年2019年4月21日の発言は立場がまったく違う。
「桜を見る会」は政府行事であり、挨拶は内閣総理大臣としてのものだ。
「皆さんと共に政権を奪還」と発言しているが、そうなると、この会に招かれた人びとは、すべてが、安倍首相と政治的立場を同じくする人びとということになる。

 安倍首相は講演会関係者850人を17台の観光バスで動員したと見られている。
 政府行事を完全に私的な行事にしていることが鮮明に浮かび上がる。
 政府行事の私物化が許されるわけがない。
 安倍首相の責任が問われなければならない。

 同時に、最大の問題になっているのが前夜祭の問題だ。
 安倍首相の個人事務所が前夜祭を取り仕切り、5000円の会費を徴収したが、前夜祭の実費が5000円を大幅に上回る疑いが浮上している。
 このホテルではパーティープランの場合、1人1万1000円が最低料金で値引き販売を行なうことはないとしている。
 有名寿司店も料理を提供しており、1人5000円の会費は実費をはるかに下回るものであると考えられる。
 実費が会費を上回っていれば、公職選挙法に抵触する飲食饗応ということになる。
 また、会費を集めてパーティーを開いておきながら、政治資金収支報告書に記載がなければ不記載の違反になる。

 振り返っていただきたい。
 2009年3月3日に、小沢一郎衆議院議員の公設第一秘書の大久保隆規氏が突然逮捕された。
 小沢氏の資金管理団体は、西松建設関連の二つの政治団体である新政治問題研究会と未来産業研究会からの寄附を事実通りに記載して収支報告書を提出した。
 この行為が虚偽記載だとして突然、大久保氏が逮捕されたのだ。
 この事案は完全な冤罪事案だったが、安倍首相の資金管理団体の違法行為疑惑に対して、捜査当局は厳正な対応を示す必要がある。
 主権者が監視を強めなければならない。

 この重大問題が前面に出ているが、その影で重大条約の批准が強行されようとしている。
 自民、立憲民主、国民民主の国会対策委員長が11月13日に国会内で会談し、日米FTA批准案を11月15日の衆議院外交委員会で採決し、19日に衆院本会議で採決することで合意したと報じられている。
 日米FTAでは日本から米国への自動車および自動車部品の関税撤廃が確約されていないにもかかわらず、茂木外相が確約されているとの国会答弁を示してきた。
 重大な問題が明らかにされないままで、採決を強行することは完全な売国行為である。

 野党は「桜を見る会」問題に関する予算委での集中審議を求め、これが受け入れられないならすべての国会審議を拒否する戦術を採用するべきである。
 ところが、集中審議の要求を貫かずに、日米FTAの衆院本会議採決で合意してしまったら、強く攻勢に出るカードを失う。
 野党陣営が解散総選挙を恐れているようにしか見えない。

 日米FTAをこのまま通すことはまさに売国の行為である。
 この重大な衆院外交委と日程が重なるが、
「いま消費税を問う! −専門家・国会議員・市民による緊急院内集会−」
を11月15日午後5時〜7時半に衆議院第二議員会館多目的会議室で開催する。
 参加費無料、主催:政策連合(=オールジャパン平和と共生)。
https://bit.ly/34PLHUz
https://bit.ly/2O0YM6Q

 ぜひ衆議院第二議員会館多目的会議室に参集賜りたい。


植草一秀の『知られざる真実』2019年11月14日(木)
2012年に政権を奪還した皆さんのための桜を見る会
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-e5af52.html

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2019年11月14日

Abe’s top priority for the current session of parliament is the passage of the Japan-U.S. trade pact

Japanese Prime Minister Shinzo Abe has canceled an annual cherry blossom viewing party after facing opposition criticism that invitations were given as political favors, seeking to sweep away obstacles ahead of a looming vote in parliament on a U.S. trade deal.

The publicly funded event with a nearly 70-year history won’t be held next spring, Abe’s government said Wednesday. Opposition lawmakers over the past few days have slammed Abe for increasing the budget and the number of guests, and for inviting large numbers of his political supporters.

“We need to step back and deal with the various criticisms that have been made,” top government spokesman Yoshihide Suga told reporters. The party may be reinstated in subsequent years, once changes have been made, he said.

Abe’s top priority for the current session of parliament is the passage of the Japan-U.S. trade pact, which President Donald Trump’s administration wants to put into force Jan. 1. Local media reports said a vote in the powerful lower house could come as early as next week.

The event attracted about 18,000 people this year and pictures on the website of the prime minister’s office show a smiling Abe under the flowers emblematic of the country posing with celebrities, some of them dressed in colorful kimono. The decision to cancel the viewing party was flashed as major breaking news on Japanese television networks.

The abrupt decision came after a string of scandals in Abe’s cabinet, which resulted in the resignation of two ministers in quick succession.
Twin Japan Cabinet Resignations Cloud Prospects for Early Vote

Opposition parties use such problems to delay the government’s legislative agenda, and had already begun holding meetings on the cherry blossom viewing party.


Yahoo! Finance, Published: November 13, 2019
Japan’s Abe Axes Cherry Blossom Bash in Bid for U.S. Trade Pact
Isabel Reynolds
Bloomberg
https://finance.yahoo.com/news/japan-abe-axes-cherry-blossom-090800788.html

幸福の科学大設置、認可を諮問 文科相、21年度開学予定・・・
国民の関心が桜を見る会に向いている間に、萩生田文科大臣のこの諮問は何か。
大学認可以前に大学入試の記述式テストを廃止する方が優先度が高いのに、だ。
前回の幸福の科学大学の設置認可申請の際、萩生田文科大臣は教団関係者と接触しどうすれば設置認可を受けられるか直接アドバイスするなど、教団の大学設置に肩入れしてきました。
審査するのは大学設置審だとはいえ、最終的な判断は萩生田文科大臣。
中立性が極めて疑われる大臣に任せられない。


自民、立憲民主、国民民主3党の国対委員長は13日、国会内で会談し、日米貿易協定承認案を19日の衆院本会議で採決する日程で合意した。与党の賛成多数で可決、参院に送付される・・・
「桜を見る会」で騒いでいる裏で3党合意!?
なぜ立憲と国民民主はFTA審議に同意したのか。

なぜ日米自由貿易協定を採決するのか?自民党はともかく、立憲民主党や国民民主党までも国を売りたいのか?
絶対反対!!

日米FTAが発効されたらこうなる!!!!
・ 国民皆保険が撤廃される
・ 年金や生活保護が撤廃される
・ 消費税廃止できなくなる
・ 水道再公営化できなくなる
・ 警察、消防が民営化
・ 軽自動車が撤廃される
・ JAが解体される
・ GM食品しか食べれなくなる、GM表示がなくなる

公選法違反の犯罪者である総理大臣の下で、「行政を遅滞なく進めること」なんて絶対してはならないことだ。
ましてや日本の将来を決める外国との協定だ。欠格者の下での審議など論外。即刻止めろ。


 安倍晋三政権が、日本の農畜産物やデジタル貿易の市場をアメリカに開放する日米貿易協定とデジタル貿易協定の二つの承認案の国会審議を本格化させようとしています。
 今週中にも衆院を通過させる動きも見せています。
 しかし、安倍政権は承認案の審議に必要な資料さえ国会に出しておらず、審議の前提は整っていません。
 拙速な審議で日本の農畜産業などの死活にかかわる協定の承認など許されません。

必要な資料は提出されず

 二つの協定承認案は2019年10月24日の衆院本会議で審議入りしました。
 その直後の菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の「政治とカネ」をめぐる疑惑による辞任が影響し、委員会での実質的な審議入りは与党が描いていた日程より遅れました。
 先週末開かれた承認案を審議する衆院外務委員会は、野党側が審議の前提となる資料の提出を求めていたのに、その資料を提出しないまま、与党などだけで審議するという異常な事態となりました。
 承認案の審議がほとんどなされていないにもかかわらず、安倍政権と与党は今週中にも衆院を通過させ、参院に送ろうとしているのは重大です。

 日米貿易協定とデジタル貿易協定は、昨年2018年9月の日米首脳会談での合意に基づき、今年2019年4月の交渉開始からわずか半年足らずで署名したものです。
 この間、首相とトランプ氏の首脳会談や、茂木敏充経済再生担当相(現外相)とライトハイザー米通商代表との協議が繰り返されてきました。
 その詳しい中身は明らかになっていません。

 もともとこの交渉は、トランプ氏が大統領に就任した後、環太平洋連携協定(TPP)から離脱したため、国内で日本への農畜産物などの輸出で不利になったとの不満が出て、日本へアメリカに有利な協定を押し付けるために始まったものです。
 そこで何が話し合われ、日本が何を約束したかの議事録などの提出は不可欠です。

 協定の実施による日本経済や日本国内の農畜産業への影響も、「暫定値」や「暫定試算」が公表されただけで、専門家が検証した正式な試算は年末になるというものです。
 その不十分な試算でも日本の牛・豚肉や乳製品などの生産額は大幅に減少するとなっており、国内農畜産業への打撃は隠せません。

 しかも協定の実施で日本の国内総生産(GDP)が約0.8%押し上げられるという試算は、日本がアメリカに輸出する自動車や同部品の関税が撤廃されることを前提にした架空の計算です。
 今回の協定には自動車などの関税撤廃は盛り込まれておらず、英文しか公表されていない付属書には「さらに交渉」としか書かれていません。
 ごまかしの試算で承認を強行しようとするのは国会軽視の極みです。

次の段階の交渉の危険

 安倍政権が二つの協定の承認を急ぐのは、1年後に迫ったアメリカ大統領選をにらんだ、トランプ大統領の意向に沿ったものです。
 今回の協定の発効後には、次の段階の交渉が待ち受けています。
 茂木外相は国会答弁で、次の段階の交渉分野は「特定されていない」と述べ、より広範になることを否定しませんでした。
 文字通りアメリカに有利な自由貿易協定(FTA)につながる危険は明白です。
 交渉拡大を許さないためにも、二つの協定の承認阻止が重要です。


しんぶん赤旗・主張、2019年11月12日(火)
日米貿易協定審議
承認ありきのやり方許されぬ

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-12/2019111201_05_1.html

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日本語訳は出さない日米貿易協定

日米貿易協定の国会審議が2019年10月24日の衆議院本会議から始まった。
政府はバランスのとれた交渉結果だと強調するが、農産品分野以前の問題として、そもそもこの協定の問題点を指摘する声は多い。
今回はWTO違反の協定だといち早く指摘している鈴木宣弘東大教授と、農業を捨て石にした交渉結果だと批判する作山巧明治大学教授に聞いた。

◆ トランプの都合に譲歩 国際ルール無視の協定


― 今回の日米貿易協定はそもそもWTO違反だと指摘されていますが、現在の貿易ルールの基本からお聞かせください。

鈴木宣弘東大教授: 現在のWTO(世界貿易機関)と、その前身のGATT(関税貿易一般協定)は、第二次大戦前に各国がつまみ食い的に特定国の関税を引き上げるなどして排除するといった行動が戦争まで招いてしまったという反省から、戦後、とにかく貿易ルールは差別をしてはならないというルールを作ったわけです。
 つまり、二国間、あるいは複数国間のFTA(自由貿易協定)は基本的に禁止しました。
 二国間、複数国間で差別的な協定を結ぶことは戦前のような経済のブロック化の状況になりかねないからです。
 ただ、例外として地理的に近い複数国が一国になるぐらいのかたちになるよう、すべて関税撤廃するといった協定であれば例外的に認めようということにしました。
 それがGATT24条で規定され、FTA域内では「実質上すべての貿易について」関税などを撤廃しなければならないとされており、具体的にそれは概ね貿易量の9割とされています。
 実際、今までのFTAを調べた研究では85%を下回るものはないことが示されています。
 今回、政府は米国側の関税撤廃率は92%と国民に説明していますが、これは自動車も含めた割合です。
 しかし、自動車と自動車部品の関税撤廃は約束されていません。
 したがって自動車関連の貿易額41%を差し引くと51%にしかなりません。
 過去のFTAで85%を下回った協定はほぼないのですから、これは前代未聞の国際法違反の協定だということです。
 日本はもともとWTOを重視して無差別原則を崩してはいけないという立場をいちばん強調していました。
 その日本が今回はアメリカと一緒になって犯罪者になったようなものです。


― しかし、政府が公表した資料では「関税の撤廃に関してさらに交渉」と協定に明記した、と説明しています。

鈴木: さらに交渉、ということは関税の撤廃は約束されていないということではないですか。
 実際、米国側の約束内容の英文も、関税の撤廃をするかどうかは今後の交渉次第という意味にしか取れません。
(Customs duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties)
 こんなあからさま虚偽を言うのは信じられません。
 これが通用するとなると、他国もこれでいいのかということになり、品目を限ったつまみ食い協定がそこら中でできて、貿易ルールが錯綜して戦前のような混乱状態に戻ってしまう可能性もあります。
 とくに日米という巨大経済圏が国際ルール違反をやってしまえば、他の国も何でもありだということになり、貿易ルールの原則ががたがたになりかねません。
 そうなると日本がいちばん被害を受ける。
 日本は貿易が正常に動いていることによって利益を得てきた国ですから。


― この問題は国会審議でどう議論すべきでしょうか。

鈴木: 国会にこの英文をそのまま出して、この意味が、なぜ完全撤廃を約束したということになるのか、と政府を追及すべきです。
 今のところ日本語訳は出さない方針のようですが、これまでの貿易協定で正文かどうかは別にしても日本語訳がないことなどほとんどないはずです。
 逆に今回非常に分かりやすいのは、日本語に訳したときに困るから訳さない、というのが本当の理由ではないでしょうか。


― 農産物についてコメが「除外」されたとして政府は成果を強調しています。この「除外」とは韓国と米国のFTAで韓国のコメが除外されたのと同じように考えていいのでしょうか。

鈴木: コメを除外したといいますが、協定には再協議規定が入っています。
 しかも奇妙なことに日本側の付属文書のほうに「米国は将来の交渉において、農産品に関する特恵的な待遇を追求する」との項目が入っています。
 これは強い米国の意志として、これで終わっているわけではないということを示しているもので、今回の「除外」は除外とはいえません。
 とりあえず入っていない、というだけの話です。
 今回、コメを除外した理由は、トランプ大統領が関心がないだけの話です。
 簡単にいえばトランプ大統領の都合で、大統領選対策として牛肉など今もらいたいものはもらい、自動車に象徴されるようにやれないものはやれない、という話です。
 別の言い方をすれば、コメは民主党に絶対負けるカリフォルニア州への「いじめ」で除外扱いとなったわけです。
 しかし、当然、米国のコメ団体は反発しています。
 再協議規定も入っていますから、当然何らかのかたちで再協議されることは前提とされているということであり、韓米FTAでコメが除外されたのと意味が違います。
 乳製品も米国枠の設定は先送りされましたが、酪農団体も反発しています。
 今回の協定はまさに国際貿易のルール無視でトランプ大統領の選挙対策に日本が協力するかたちで必要な部分だけを入れ込んだ協定であり、それに日本が乗らざるを得なかったということでしょう。
 TPPで約束した米国の自動車関税の撤廃は反故にされ、一方、米国にとって必要な牛肉、豚肉をはじめとした日本の農産物はTPP以上に差し出されることになったということです。
 つまり、基本的な貿易ルールを無視したつまみ食い的な協定であり、それに基づいてコメは除外されたから成果があったなどと言っても、そんなことは今の時点で判断できないということです。
 とりあえずトランプ大統領の関心はここまでで、彼自身はこれ以降はどうでもいいかもしれませんが、米国全体とすればこれで済むわけではないでしょう。
 米通商代表部やほかの農業団体もこれで済むと考えているわけではなく、米国としては必ず次の交渉を求めてきます。
 米国がTPPでコメの7万t枠や乳製品で獲得した米国枠について絶対にもういらないというわけがありません。
 コメはもともとTPP交渉では7万tでは少なく、15万tにしろと主張していたぐらいですから、それが今回の交渉で終わったなどという話になるわけがないと考えておかなければなりません。


― 協定文でさらに明らかになった問題点は?

鈴木: 牛肉についてはセーフガードが発動されたら、ただちに枠を増やして、次の年からは発動されないように協議していくことを交換公文で約束していることも判明しました。
 これではセーフガードではない。
 要するに9%まで関税削減されるまでの間に関税が引き上げられることがないように数量を調整していくということです。
 ゼロ関税ではないですから完全自由化とはいえませんが、実質は輸入枠を広げていくということです。
 それから政府は自動車の25%の追加関税について協定の誠実な履行中はそれを課さないことを日米共同声明で明記し、首脳間でも確認したと強調しています。
 しかし、協定本文(第4条)に、協定のいかなる規定も国家安全保障上の措置をとることを妨げないと明記されています。
 自動車への追加関税は国家安全保障が理由ですから、この条文はその根拠となり得るものです。
 ですから、今回の交渉で追加関税を阻止できたと政府が説明するのも問題です。


◆ 農業「捨て石」の交渉 コメ含め再協議を警戒

― TPPから日米協定まで一連の日本政府の交渉をどうみますか。

作山巧: 安倍政権は米国追随で、独自の戦略はないことが露呈したと思います。
 安倍政権は、選挙公約では農業団体を騙した上で、その後、政権をとったらTPPに参加し、一見、主導権を発揮した印象になりました。
 合意内容も結構うまくやったという評価もあったと思います。
「例外なき関税撤廃」と言われましたが、それなりに例外は確保しました。
 ただし、「重要5品目は除外」との国会決議は守られていないので、そこはおかしいとの指摘は当然です。
 しかし、それ以上におかしくなったのは、米国がTPPから抜けてTPP11になってからです。
 TPP交渉に参加する際に、安倍総理は「米国と経済圏を作る」と宣言しました。
 したがって、米国が抜けたTPP11の価値はないので、そこでやめるのが筋だったと思います。
 しかし、「米国をTPPに引き戻す」という新しい屁理屈を口実に、米国も含めて合意した農業の譲歩はそのままにして、TPP11を発効させたのが間違いの始まりです。
 そこが今になって、たとえばセーフガード発動基準がTPP11分に加えて今回の日米合意で米国分も加わるという問題になっているわけです。
 日本政府は、「米国抜きでTPP11を発効させれば、米国は不利になるからTPPに戻ってくる」と説明していましたが、実際は米国の怒りを買って、TPP復帰どころか、自動車の追加関税で脅かされて、一方的に譲歩した。
 それが今回の結果です。
 TPP交渉参加を決めたとき、そのメリットとして米国の自動車関税の撤廃や、アジア太平洋のルールづくりが強調されました。
 しかし、今、その両方ともありません。
 日米貿易協定では米国の自動車関税の撤廃はできていませんし、物品だけの交渉ですからルールづくりもありませんでした。
 TPP11でルールを作っているといっても、それはアジア太平洋のルールにはなりません。
 結局、WTO協定に違反して米国に自動車関税の維持を認め、農業をTPP並みに譲っただけです。

― しかし、政府は昨年の日米共同声明どおりTPPの範囲内で収まったとの評価です。

作山: 交渉というのはギブ・アンド・テイクのバランスですから、日本が農産品でTPP並みに譲るのであれば、自動車などで確保するものがなければいけません。
 それで初めてTPP並みになります。
 政府もTPP協定について、「自動車関税の撤廃やルールづくりで確保したから、農業でここまで譲った」という趣旨の説明を何回もしています。
 したがって、昨年2018年の日米共同声明がそもそもおかしいということになります。
 自動車関税の撤廃やルールづくりなどで確保するものが何も分からないにも拘わらず、「農産品でTPP並みに譲ります」と言ってしまった。
 あれ自体が間違いです。
 日本が確保するものがないのに農業だけ譲ると宣言した今回の日米交渉自体、最初から日本の負けで、「農業は捨て石にされた」ということを理解する必要があります。


― 協定文や付属書が公表されて、さらに明らかになった問題点は?

作山: 農産品については少なくとも4点ほどTPPを超えていると思います。

 1つ目は、追加交渉が明記されていること。
 付属書に「米国は将来の交渉において農産品に関する特恵的な待遇を追求する」と規定されています。
 また、これとは別に共同声明には、「協定が発効して4ヶ月後に関税などで追加交渉する」と書かれています。
 日本政府は、これは自動車を想定していると言っていますが、付属書の規定と合わせると、農産品も協定が発効して4ヶ月後に追加交渉が始まる恐れがあります。
 なぜなら付属書の規定には「将来の交渉において...」とありますが、将来とはいつでもいいということだからです。
 こうした規定がなぜTPP超えかといえば、TPPでは「発効から7年経ってから初めて見直す」という規定になっているからです。
 7年経たないと相手国は見直しを提起できない。
 したがって、ここは大変な譲歩です。
 米国は共同声明と付属書のこの規定をセットとして、日本に農産品の追加協議を要求するでしょう。
 それを禁じる規定はどこにもありません。
 茂木外相は、「自動車の交渉が先延ばしされたから日本はそれを提起する」といいますが、米国からすれば、自動車関税を撤廃するという一方的な交渉を受けられるわけがない。
「自動車を議論するなら日本の農産品もさらに議論を」ということになりますし、それを断る条文はありません。
 非常に危険な規定です。

 2つ目は、セーフガード(SG)の発動基準数量について、発動したらただちに再協議すると規定されていることです。
 これもTPPでは発効後7年目以降の見直しになっていました。
 すなわち7年間は、輸入基準数量を超えれば自動的にSGが発動されることになっているわけです。
 そもそもSGとは自動的に発動されるものであって、発動されるとその基準がただちに見直されてしまうなどという協定は見たことがありません。
 これも大変な譲歩であり、SGの概念を否定するものです。

 3つ目は、協定が2019年度に発効した場合は、チーズやリンゴ、オレンジなど多くの品目で、関税撤廃などの年限をTPP合意から1年短縮するとしていることです。

 4つ目は、協定が2019年度中に発効しなくても発効したことにするという規定もあることです。
 これはすでに発効しているTPP11に米国が劣後しないよう、「日本の手続きが遅れたら責任を取れ」という趣旨です。
 農産品以外の問題点としては、米国の自動車関税が撤廃されていないことです。
 この点でずるいのは、9月26日の最終合意時に政府は「更なる交渉による関税撤廃」と発表したので、みな関税を撤廃すると思いましたが、10月18日の署名時の資料では「関税の撤廃に関してさらに交渉」と変わっていることです。
 これでは撤廃するとは読めません。

 さらにずるいのは、これは米国側の約束なので和訳はありません。政府の魂胆は、協定が英語(※)しかないのだから、和訳を歪曲して「撤廃していないものを撤廃したように書く」というものでしょう。これらを国会で追及してもらいたいです。


― 政府としてとるべき対応についてはどうお考えですか。

作山: 今回の交渉結果は日本の「完敗」であり、米国に対する日本側の交渉力はまったく期待できないということだと思います。
 そこでできるとすれば、TPP11交渉時にやるべきだったセーフガードの発動基準数量の削減です。
「TPPへの米国復帰が見込めないときには発動基準数量を見直す」といっているわけですから、その約束を実行してTPP超えを回避してもらう。
 そこで、豪州やNZ、カナダが納得するのかという指摘がありますが、TPP11のなかでは日本の立場は強いし、豪州などはTPP11を維持したいと思っているはずです。
 そうだとすれば、冒頭に指摘したように、日本にとって米国復帰の見込みがないTPP11には価値がないわけですから、日本の脱退も示唆してSGの見直しを強気で交渉すべきでしょう。

※ 米国の付属書にある自動車関税についての英文は以下。

Customs duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties


農業協同組合新聞、2019.10.25
[緊急特集:日米貿易協定]
許すな! 嘘とごまかし 国会審議の焦点はここだ!
 
https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/2019/10/191025-39469.php

 日米貿易協定が10月24日から国会審議に入った。
 最大の焦点は、私が当初から指摘してきたように米国の自動車・自動車部品関税となっている。
 しかし大事なことは、「事実に基づく政策論議」だ。
 これが今の日本に欠けている。
 国内でしか通用しない、都合のいい解釈論とは仕分けすべきだ。
 重視すべきこの協定の自動車関税に関する「事実」とは、以下の2点である。

 (1)日米両国で署名された文書にどう書かれているか

 (2)相手国である米国側がどう対外説明しているか

 (1)については、すでに指摘したように
(関連記事:日米貿易協定から「自由貿易」が消えた!)、
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00133/00021/
「自動車・自動車部品関税の撤廃に関して更に交渉する」としか書かれていない
(日米貿易協定の原文、119ページを参照)。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf
 これを「さらなる交渉による関税撤廃」と意訳して発表したり、「将来における関税撤廃を約束した」と解釈したりしている。
 これは、明らかに事実から逸脱している。

 (2)については、米通商代表部(USTR)のライトハイザー代表が9月25日の記者会見で「自動車・自動車部品はこの協定に含まれていない」と2度も明確に説明している。
 そしてこれはホワイトハウスが公表している。
 日本のメディアはなぜかこれに触れていない。
 もしもこのライトハイザー発言が日本政府の見解と相違があるならば重大な問題である。
 即座に米国政府に反論していなければならないが、今のところ反論した形跡はない。
 こうした「事実」を直視すると、自動車・自動車部品関税の撤廃を米国が約束したような「強弁の解釈」は国内向けと言わざるを得ない。
 大事なことはこうした言い逃れに終始するのではなく、「事実」を前提に、それでもこの協定を結ぶべきだという堂々とした政策論での説明だ。

来年の第2段の交渉に向け建設的な議論を

 私は「日米交渉では現実論として譲歩自体は仕方ないが、今回の協定は越えてはならない一線を越えている。もう少し時間をかけてでも、一線を越えない範囲にとどめる努力をすべきではなかったか」と考えている。
 しかし、そうではないとの政策判断も当然あり得るだろう。

 日米貿易協定を結ぶにあたって議論すべきポイントは、多岐にわたる。
 例えば、「トランプ大統領による制裁関税の発動は単なる脅しか。その可能性、緊急性はどうか」「それを回避するためにはどうしたらいいか」「欧州連合(EU)との連携は可能か」「今後の交渉に委ねると言っても、その可能性はあるのか」「日本の農産物という交渉のレバレッジを失って、今後の交渉で米国を追い込めるのか」「世界貿易機関(WTO)ルールの“抜け穴”を作ることの弊害は何か」「今後他国との交渉にどう影響するか」といった論点がある。

 政策論は多面的に議論すべきだ。
 そして、これらの論点について、判断の違いがあったとしても、日本政府には「すでに署名してしまったからには、来年の第2弾の交渉では日本は米国に対して自動車・自動車部品関税の撤廃時期を明確にさせることを最優先にする」という、今後の交渉方針を明確に打ち出すことを期待したい。

 もちろん米国がそれに応じる保証はない。
 むしろ物品貿易の交渉は終わったとして、サービス分野の市場開放に焦点を移すと考えておいた方がいい。
 しかも来年に入ると大統領選の真っただ中で、米国は日本との交渉どころではなくなる。
 よほど日本側が自動車の撤廃時期を明示する交渉にこだわらない限り、実現は期待薄だ。
 こうした点も希望的観測ではなくクールに見て政策論争をすべきだ。

 さらに米国の制裁関税についても、これを発動しないとのトランプ大統領の口約束があったとしても、手のひら返しを繰り返すトランプ大統領相手だと心もとないのも事実だ。
 万が一、口約束を破って発動することがあれば、今回日本が譲歩した農産物の関税引き下げは撤回するとの方針を明確に打ち出すことも有効だろう。

 言った言わないよりも、こうした政策論を期待したい。

メキシコ、EUなどから厳しい声

 なぜ、こうしたことを言うのか。
 それはこの協定が海外からは厳しい目で見られているからだ。
 こうした協定に他国がWTO提訴をしてくるわけではないが、どういう目で見ているかが、今後の日本の立ち位置に大きく影響してくる。

 環太平洋経済連携協定(TPP)参加国のうち、オーストラリアやカナダなど農産物の対日輸出で米国と競合する国々は、TPPで得た自国の有利な状況を失うことから日本政府に問い合わせをしてくるのは当然だ。

 それだけではない。
 非公式に外からの見方が伝わってくる。

 例えば、メキシコのグアハルド前経済大臣も今回の協定がWTOルール上疑義がないか、日本の関係者に内々に問題意識をぶつけてきている。

 さらにかつてWTOドーハラウンドでルール交渉を担当していたEU関係者からは厳しい声も聞こえてきた。
 それはかつて、ドーハラウンドで日本政府が表明していた見解とのギャップだ。
 そこには、WTOルールが形骸化するのを防ぐために、規律を明確化する目的があった。
 その一つが今回焦点になっている自由貿易協定(FTA)に関する規定だ。
 FTAの関税撤廃は「妥当な期間内に」行うルールになっているが、その「妥当な期間内」の解釈があいまいなので明確化すべきだという議論である。
 WTOの解釈では「例外的な場合を除いて10年を超えるべきではない。超える場合はその必要性の十分な説明をしなければならない」とされており、日本政府はこの規律を強く主張していた。
 EUも途上国のみその例外が認められるとの厳しい立場だった。

 その日本が、日米貿易協定では期限を明示しない関税撤廃でもよいとして規律を形骸化するのは言行不一致ではないか、との厳しい受け止め方をされている。
 10年を超える場合も時期を明示することは当然の前提になっている。
 時期の長短の議論はあっても時期を明示しないものはあり得ないとの認識だ。

「中間協定」という「強弁の解釈論」まで飛び出す混乱

 そうした海外の厳しい目をよそに、国内の議論はますます混乱している。

 「強弁の解釈」の一つとして、「今回の合意は『中間協定』として認めてよい」と、ある学者のコメントが最近メディアに掲載されていた。
 これは一般人にはわかりづらいので、これまであえて言及を避けていたが、この記事によって誤解が広がることを懸念する。
 率直に言ってこの解釈には明らかに無理がある。

 多少専門的になるが、WTOルールにおいてはFTAに関する「中間協定」への言及がある。
 そこで「今回の合意を中間協定として位置づけて、WTOルール違反との批判を逃れよう」との意見が政府の一部にあり、一時検討されたのは事実だ。

 しかしその中間協定については「妥当な期間内にFTAの要件を整えるための『計画及び日程』を含まなければならない」という規定がある。
 現在の日米貿易協定にはそれがないため、この解釈は無理だと判断された。
 こうした事情があるので、日本政府は中間協定としては位置づけることをしていないのだ。

 それにもかかわらず、こうした問題のある解釈を一部のメディアが報道している。
 知らない一般人は真に受けてしまう。

 いずれにしてもこうした法解釈論が本質ではない。
 もっと大きな政策論が必要だ。

脱「町人国家」の堂々たる政策論を

 国会を乗り切るために事実をゆがめるような解釈論に汲々(きゅうきゅう)とするのはいただけない。
 今、日本に必要なのは、事実をきちっと国民の前に提示して、政策の選択の是非を問う堂々とした政治ではないだろうか。
 それが政治の責任だ。
 官僚もそうした糊塗(こと)するための姑息(こそく)な知恵ばかり絞るようになっては、この国の将来にとって深刻だ。


 当初FTAという言葉を避けるためにTAG(物品貿易協定)という用語をどこからともなく引っ張り出して批判を避けようとしてみたり、日米の合意文書の英語を素直に訳さず意訳して取り繕ったり、関税の撤廃時期を明示しなくても許されるとの都合のいい解釈をしてみたり……。
 正直、何とも切なくなる。


 日本は米国に安全保障を依存していることから、米国との貿易交渉で譲歩せざるを得ない宿命にある。
 とりわけトランプ大統領は予測不能で、ある意味日本は非常事態にある。
 日本が譲歩してトランプ大統領をなだめすかすこともやむを得ないだろう。
 理想論だけではダメで、現実主義であるべきであるのは当然だ。

 ただ、そうした譲歩も無原則であってはならない。
 越えてはならない一線はどこなのかを常に意識しながらの譲歩であるべきだろう。
 その一線はどこなのか。
 それを問うための政策論が、今こそ日本に必要だ。

 かつて日米貿易摩擦が華やかなりし頃、「町人国家論」が唱えられた。
 武士の無理難題を飲み込まざるを得ない町人に日本を見立てての論だ。

 問題は今の日本がかつての「町人国家」と同じかどうかだ。
 米中がパワーゲームを繰り広げて、国際秩序を崩壊の危機にさらしている今日、日本は単なる「町人国家」でいいのだろうか。
 日本の国際的な立ち位置も大きく変化している。

 日本は利害の調整が難しいTPPを米国抜きでまとめ上げた。
 中国の構造問題への対処で犬猿の仲の米欧の橋渡しをしながら、日米欧連携を引っ張っている。
 データ流通のルール作りを「大阪トラック」と称して主導している。
 こうしたグローバルなルール作りを着々と主導しているのが、かつてはなかった今日の日本の姿だ。

 そして何よりも大事なのは、中途半端な国内市場しかない日本は、米中のような巨大な国内市場を背景にしたパワーゲームはできない。
 日本の命綱はルールしかない。

 そうした日本が自らルールを空洞化、形骸化させる先例になったら、今後の他国との通商交渉にどのような影響を与えるかも直視すべきだろう。
 事実を糊塗せず国民に提示して、トランプ大統領対策としてどこまで譲歩を甘受すべきか。そのプラス・マイナスについて正面から政策論争をしてもらいたいものだ。


日経ビジネス、2019年10月29日
ルールを逸脱した「日米貿易協定」に海外からの厳しい目
国会審議は「強弁の解釈」より「事実に基づく政策論」を

(細川昌彦、中部大学特任教授、元・経済産業省貿易管理部長)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00133/00022/

 「桜を見る会」の権力私物化が大騒ぎとなってる裏で、とんでもない取引が行われた。

 きょう11月14日木曜日の政治欄に一段の小さな記事を見つけた。
 そこにはこう書かれている。
 自民党の森山裕、立憲民主党の安住淳両国対委員長は13日水曜日、国会内で会談し、日米貿易協定案について、15日金曜日に衆院外務委員会で採決した後、19日火曜日の衆院本会議で採決することで合意した・・・
 与党は週内衆院通過を目指し、衆院外務委での採決を13日に行うように求めたが、野党は応じなかった。与党は国会が混乱する事を懸念して譲歩した・・・

 これは何を意味するのか。
 ズバリ、日米貿易協定案が11月19日に成立するということ与野党が手を握ったということだ。
 いくら参院で議論を続けても、そして抵抗しても、衆院で通過すれば、衆院議決優先で日米貿易協定は事実上成立する。
 あとは消化試合だ。
 当初の予定より、わずかばかりずれ込んだ。
 しかし、承認されればいいのだ。

 このところ安倍首相の譲歩が目立っているが、すべては日米貿易協定案を今国会で成立させるためだ。

 おそらく国民投票法案の今国会の採決すら譲歩するだろう。

 二閣僚の更迭、英語民間試験の停止、そして今度の桜の会の来年見送りなど、野党は安倍政権を責めてたて、譲歩させたことを戦果のように世論に訴えるつもりかもしれないが、令和の日米安保闘争ともいうべき日米貿易協定阻止については徹底抗戦はしない。


 私は、ここに今の政治の与野党対決の欺瞞があると見ている。

 おりから、調査研究機関「言論NPO」が世論調査を発表した。
 それによると、日本が直面する課題の解決をいまの政党や政治家に「期待できない」と考えている人が7割を超え、政治不信が高まっている事が浮き彫りになったらしい。
 世論はバカではないのだ。
 既存の政党、政治家たちは、自分たちの選挙や政権争奪や政局に明け暮れる事なく、本気で国民の為の政策を実現して見せなければいけない。
 即ち、その特権、優遇に見合った仕事をしなければいけないのだ。
 政局で飯を食っている政治記者や政治評論家たちは、その事を報じ、語らなければいけないのである。


天木直人のブログ、2019-11-14
日米貿易協定案の19日成立で手を握った野党国対

http://kenpo9.com/archives/6362

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2019年11月13日

「どうせやるなら派」and/or「参加型権力」

◆ 小笠原博毅、山本敦久著『やっぱりいらない東京オリンピック』(岩波書店、2019年2月)

 2020年東京オリンピックについては、招致活動の段階から反対意見が少なくありません。
 開催が決まった後も返上を主張する声があちこちから聞こえてきます。

 本書は岩波ブックレットの一冊で、五輪が日本社会に及ぼしている/及ぼすであろう影響についてしっかり考える基本的な材料を提供するものです。
 共著者としてクレジットされている小笠原博毅は文化研究、山本敦久はスポーツ社会学を専門とする研究者。

 もっとも今さら東京五輪の開催を揺るがすようなスタンスには当然ながら反論が予想されます。
 一度決まった以上は「後戻りできない」のだから、「新しい発想で」、「別の楽しみ方を」探るべきではないか──という一見前向きな意見がその代表です。
 それこそが大人の態度だと考える人も多いでしょう。
 本書ではそういう人を「どうせやるなら派」と命名し、やはり批判の対象にしています。
 そのような態度は「2020年東京大会を開催することの矛盾や問題を覆い隠す」。
 このような、オリンピックを開催するためには不都合な真実は見て見ぬふりをし、「どうせやるなら」と「参加」するあり方が拡散し多様化することによって、オリンピックとは誰が準備し、誰が主体で、誰が責任をもって開催するのかという、あらかじめ明らかにされていてしかるべき答えがますます曖昧なものになっていく。
(p15)

 本書で五輪批判の論点となるのは、以下の四点です。

・ 復興五輪を掲げることの欺瞞と経済効果への疑義。
・ 参加と感動をうたうことによる権力の作動。
・ 暴力とコンプライアンスの関係をめぐるオリンピックの支配。
・ 言論の自主統制と社会のコントロール。

 経済効果については当初から疑義を呈する声は多い。
 アメリカの政治学者ジュールズ・ボイコフは五輪費用をめぐる際限のない経費膨張を「祝賀資本主義」と呼んで批判的に論じています。
 コストに見合うだけの経済効果が得られるかはまったく保証の限りではありません。
 投資回収がうまくいかなかった時、債務を引き受けるのは公金を初期投資した公共セクターです。
 民間企業への不利益は最小限に留められます。

 東京五輪では多数の無償ボランティアが募集されています。
 参加を呼びかける声は外見上は強制的ではありません。
 そこでは、経済的見返りではなく「やりがい」や精神的報酬などが強調されます。

 成就する保証もない「夢」や「希望」に人びとが賛同していくからくり。
 社会学者の阿部潔は、その矛盾を埋めるのが「感動」だと指摘します。
 現実の不満を未来へと先延ばしにして、将来の感動を約束し、夢や希望といった喜びの感情を投企させる仕組み。
──本書ではそれを「参加型権力」と呼び、批判します。
 市民を無償労働に駆り立てながら、一方で莫大な利益を目論む民間企業が存在することに違和感を感じる国民は多いでしょう。

 スポーツの祭典としての五輪が現実にどのような影響をスポーツに与えてきたかを正面から問う議論もなされています。
 前回の東京五輪がもたらした五輪至上主義を批判するくだりにはとりわけ説得力を感じました。
 1950年代の後半、まさに東京オリンピックの開催が決定する時期になると、自由や自治や個性に向けられていたスポーツは方向を変えはじめる。
 戦前の軍国主義を反省せずに、再び競技性の重視や競技力向上へと舵が切られていくのだ。
(p42)

 その過程で、競技力向上の末端の舞台となった学校の部活動に、戦前に競技をしていたOBたちが指導者として参入してきたといいます。
 戦前の軍国主義的なスポーツ観が戦後に入り込む土壌が出来上がったのです。
 勝利至上主義や競争原理という文脈においては、暴力は「熱血指導」などのフレーズとともにむしろ美談として語られ、根性主義を美化してきました。

 2020年東京五輪では、「勝利至上主義」「上意下達の集団主義」などの古臭いスポーツ観は一掃すると関係者によって言明されていますが、それがそもそも過去の五輪によってもたらされた風潮だということはすっかり忘却されています。
 あるいは忘れたふりをしています。

 五輪はスポーツにおける暴力を制御したり意味づけたりする力をもってきました。
「昨今のコンプライアンス支配は、オリンピックによるスポーツの支配の一形態でもある」のです。

 五輪をめぐる言論の自主統制に関する論考は著者自身の体験談も盛り込まれているのが興味深いところです。
 通信社配信の記事で五輪に批判的な談話をしたところ一部の紙面では割愛された事例を引き、「オリンピックそのものの是非を問う言論は存在感を薄めざるをえない状況」が作られていることを指摘しています。

 またネット上では盛んに論じられていることですが、四大全国紙が東京大会のオフィシャル・パートナーになっているのはやはり大きな問題だと思われます。
 本書でも「さまざまな問題点や疑問点を問題提起し、論じることが期待されているはずの言論メディアにとって、その機能と役割を自ら制限する足かせとなっているのではないか」と疑義を呈しているのは多くの読者の気持ちを代弁するものでしょう。

 何はともあれ、本書の意義は、当初の理念から逸脱して肥大化してしまったオリンピックについて再考するための資料というにとどまらないものだと思います。
 やや大きく構えて言うならば、動き出したら止まらない日本の政治に一石を投じる意味でも、また同調圧力の強い日本社会の風通しをよくするうえでも、本書のようなブックレットが世に出ることは歓迎すべきことではないでしょうか。


note.mu、2019/02/14 20:20
〈参加型権力〉に抗するために〜『やっぱりいらない東京オリンピック』
(吉本 俊二)
https://note.mu/rose_yoshimoto/n/nd34d02160d4b

武田砂鉄さんがTBSラジオ『ACTION』の中で開幕まであと1年となった東京オリンピック2020についてトーク。
https://www.tbsradio.jp/400647
現在までにしてきされている問題点や懸念点をまとめて紹介していました。

幸坂理加: ここからはパーソナリティーが見たこと、聞いたこと、考えたことなど日常のアクションについてお話しするコラムコーナーです。砂鉄さん、今日のアクションは?

武田砂鉄: 相次いで問題点が明らかになる東京オリンピック、本当に大丈夫? というテーマです。
 まあ、大丈夫じゃないんですよ。
 今週、いろいろ新聞、ニュースを見てると相次いで東京オリンピック関連の問題点が浮き彫りになってきたなっていう感じがするんですよね。
 この番組が始まってすぐくらいにこのコラムコーナーでも言ったと思うんですけど、そのオリンピックについて「どうせやるなら派」っていうことを言ったと思うんですけども。
 この「どうせやるなら派」っていうのは神戸大の小笠原博毅さんっていう先生が作った言葉で。
「東京オリンピックに反対だったんだけど、まあもう近くなっていたし、どうせやるならしょうがないか」っていうことで。
 最初は批判的だったんだけれども、まあせっかくの機会だから……っていう風に考えを改めてしまう。
 で、それをやってると、やっぱりいろんな問題点をいかに忘却させるかということを画策してる人たちの思惑通りになってしまうんじゃないか?っていうことを小笠原さんはおっしゃっていて。
 やっぱり本当に今回、そのオリンピック。大きな新聞各社がオフィシャルスポンサーになってることもあって、結構メディアの追求は弱いっていう風に言われているんだけども、でも楽しみにしてる人も問題点であるんだったらそこはきっちりと追求をするべきかなという風には思っていまして。
 先週の日曜日に、まずオープンウォータースイミングっていう競技のテスト大会がお台場で行われて。
 これ、男女ともに周回コースを10キロ泳ぐらしいんだけれども。
 テスト大会では5キロを泳いだという。


オープンウォータースイミング・水温&水質問題

 それでその水質への懸念というものが相次いで。
 まず午前10時予定だったところを繰り上げて7時にスタートしたという。
 それは、暑いか。
「健康的に泳げる水温の上限」というのは31度ということに国際水泳連盟ではなってるらしいんだけれども。
 その日の午前5時の時点で29.9度だったという。
 で、これが不思議なというか露骨だなと思うんだけれども。そのテスト競技中の水温は非公開になっている。
 だから、そのテスト中にはもうその健康的に泳げる水温の上限の温度を超えていたんじゃないのか?っていう気がしていて。
 国際水泳連盟は「場合によっては、水温次第で午前5時から6時半に競技開始時間を変更する可能性もある」って言っているんだけども。
 午前5時にどうやって人が見に行くんだよ?っていう感じがするんですけどね。
 そして何よりもその水質が問題視されていて。
 ある男子選手は「トイレのような臭いがします。正直、臭いです。ただブレない気持ちが必要です。細菌検査で細菌がいないとなれば、信じてやるしかない」っていう風に言ってるんですけど……気持ち、ブレますよね。これね。


幸坂理加: ブレますよね!

武田砂鉄: トイレのような臭いがしていたらね。
 これ、これコースが東京湾の入り江にあってですね、それをふさぐように……その大腸菌類なんかを入れないように400メートルに渡ってポリエステル製の膜を張ったらしいんだけど。
 まあ、実際の五輪の時には三重に張るらしいんですけども。
 それで「だから大丈夫だ」って言ってるんですけど。
 組織委員会の担当者は「大腸菌が流れ込む原因となる大雨とか台風が本番で来ないことを祈るのみ」って言っていて、もう祈りに入っちゃってるんですよね。


幸坂理加: 最近の天気だと、絶対にNGですよね。

武田砂鉄: 昨日・今日の天候が本番だったとしたら、これはもう張った膜は越えてきますからね。
 あとね、競歩選手でね、9月の世界陸上に出場するような本当にトップ選手で。20kmの世界記録保持者である鈴木雄介さんという方が「さすがに東京オリンピックのコースは暑すぎるんで変えてくれませんか?」っていう。
 実際に7月31日、早朝にそのオリンピックのコースを歩いたら、全く日陰がない。
「脱水症状になってもおかしくない」っていう感想を持ったらしいんですよね。
 で、本当は最初は青山通りとか、そのあたりは歩く予定だったんだけども、皇居前を周回するっていうコースになったみたいで。
 本当に日陰がないところをずっと歩くことになったという。
 で、いろいろとこれまで陸連の強化委員長なんかをやってきた順天堂大の澤木啓祐さんという方が日刊ゲンダイの記事でコメントを出してるんですけども。
「鈴木はよく声をあげた」と。
 なかなか選手で声をあげることっていうのは難しいですから。
「この時期にこういう環境でやってると死に至る可能性もある。死人が出るということは決して大げさなことじゃないですよ」っていうことを言ってるんですね。
 それで「たとえもしゴールをしても、後遺症が残るかもしれない。
 脳に悪影響をおよぼしたりする可能性も出ている」っていうことらしいんですよね。


幸坂理加: 臨海部とかは特に日陰とかがなくて危険だっていう話もありますよね。

武田砂鉄: で、幸坂さんといえば馬好きで知られていますけども……。

幸坂理加: そうですよ。馬術も「人馬ともに危ない気温だ」っていうのがありましたよね?

武田砂鉄:「馬も危ない」っていうのはすごいですよね。
 馬術のテストをやったら、最初の1分で明らかに馬の反応は違った。
 早くしないと馬も人も危ない暑さだっていう。これはすごいよね。
 でも、「気象状況がそうなんだから仕方ないじゃないじゃないか」って思うかもしれないけど、東京オリンピックの招致委員会は最初に立候補する時に何を言っていたのか?
 当時の資料を引っ張り出すと、「2020年の東京大会は理想的な日程です。なぜならばこの時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」っていうプレゼンをして。それで招致をしてるわけですよね。
 いま、「最高の状態でパフォーマンスを発揮できる」っていう感じで歩いてる人、いないと思うんですけどね。
 とんでもない気温ですけども。


「理想的な東京の気候」(立候補資料より)

幸坂理加: そうですね……。

武田砂鉄: あるいは、その東京都。
 こういう風に気温が大変だっていう風に言われてるんでね、それオリンピックのマラソンコースとか、そういったところをですね、遮熱性舗装っていうのをしていて。
 路面に何か白いものを施して太陽光を反射させることで表面温度の上昇を抑えるという実験をしたんだけれども。
 そうしたら地面は温度はたしか低くなったけれども、高さ50センチとかとか1メートル50センチ、2メートルのところで温度を測ると、むしろ気温が上がったという。
 つまりそのマラソンをしている人たちの体感温度としては上がるんじゃないか?っていうようなことも出てきている。
 こんなことばっかりなんだよね。
 で、僕は東京オリンピックについていろいろと調べることもあるんで。
 そのボランティアの人たちがどういう風に運営されているのかっていうのをチェックすると先月、第4回ボランティア検討委員会っていうのが開かれて。そのレポートが上がってるんですけども。
 そこにはですね、「マラソンなど早朝に行われる競技については、ボランティアの会場入りが始発の交通機関でも間に合わないため、終電での会場入りを想定」っていう。
 この時点でもう……困るじゃないですか。


幸坂理加: 困る……。

武田砂鉄:「終電で来い」って言われてもな……っていう。
 で、終電で来てどんな風に泊まらせてくれるのか? ベッドが確保されてるのか?っていうと、どうやらそうでもないらしくて。
 そこの文章の続きにはですね、「終電での会場入りを想定する。その場合は待機時間が見込まれるため、ボランティア同士の交流機会や士気を高めるような取り組みを検討していくこととなりました」っていう。
 どうやら、寝かせないつもりらしいということがわかってきて。これはすごい話ですよね?


ボランティアは終電で来て、寝かせない?

幸坂理加: ねえ。だって寝不足で強い日差しに当たったら、熱中症になってしまいますよね?

武田砂鉄:「熱中症にならないために」っていう風に検索をしたら、まず「睡眠不足はやめろ」っていう風に出てくるし。
「疲れやすい体で外に出ないこと」っていう風に出てくると思うんですよね。
 で、僕はそれをTwitterでツイートしたらある人が、「戦国時代みたいですね」って言っていて。
 ほら、戦国時代って敵の方に攻める時に夜にサササササッて忍び寄って、日が明けたら「うおおーっ!」って雄叫びをあげるみたいなのが戦国時代のやり方でしたけども。そのやり方にほぼ近づいてるなっていう。


幸坂理加: そうですね。

武田砂鉄: で、その暑さ対策について、「ボランティアの人たちは基本的には自己管理でお願いします」ということも普通に言ってるんですよね。
 それでね、ボランティアの方たちっていま、たくさん集まったでしょう?
 集まったというそれはいいことだと思うんですけど、「こういうことになりますよ」っていうのを……。
 たとえば、「終電で来てもらうことになりますよ。その際に宿は用意できないかもしれませんよ。ほとんどお金も払いませんよ。ご飯もそんなに大したものをお出してきませんよ」って。
 それで「ボランティア募集ですけど、その条件でどうですか?」って言うんだってたらいいんですけど、いまはすでにボランティアを集めた後に「あ、実はすいません。終電で来られます?」っていう話をしているわけですよね。


幸坂理加: 順番が違いますよね。

武田砂鉄: 順番が違う。しかも年配の方とかも多いから。
 やっぱり自分たちぐらいの歳でも、徹夜明けでなんかアクティブなことをするとものすごく疲れるじゃないですか。
 しかも、そうやってオリンピックの本番ってなれば、自分の体調よりもその相手側のなにかケアしなきゃいけない場所で仕事するっていうことが中心になっちゃうから、たぶん自分の体調管理とかが二の次になっちゃうと思うんですよね。
 その状況も見越してるはずなのに、後からこういう風に「いや、実はこうなんですよ」っていう風に言ってるっていうのがね、なんだか納得いかないんですよね。どうしたいのかなあ?
 あと、もうひとつ気になったのはね、そのJOCが先週かな? 理事会を開いて。1989年に発足して以来、ずっと報道陣に公開してきた理事会をですね、完全非公開にするという。
 それで新しく山下泰裕さんが会長になったんですけど、彼がどんな風に言ってるのかというと、「表に出せない情報も共有して、本音で話し合ってスポーツ界の発展に役割を果たす」っていう風に言ったんですけどね。
「本音で話すから、もう中には入れませんので」っていう。


JOCの理事会、報道陣へ非公開に

 その東京の運動記者クラブはずっと7月下旬からJOCからそういう方針を伝えられていたけれども、「いや、それは時代の動きに逆行してますよ。JOCっていうのは高い公共性を持ってなきゃいけないんだから、それを公開しないのは国民の理解を得られませんよ」っていう風に抗議文を出してたんだけれども、それもなくなってしまったと。
 それで、みなさんも覚えてると思いますけど、6月末でJOCの竹田恒和さんという方が任期満了で退任をして。
 今年頭にね、ずっと会見は7分で打ち切ったりとかっていうことで、かなり評判の悪い状態を見せつけましたけれども。
 で、その招致活動をめぐる疑惑でずっとそのフランス司法当局が動いてるぞっていうことで退任に追い込まれたんですけども。
 山下さんはその時にも「疑惑についての再調査を行ってくれるんですか?」っていう問いかけに対して、「現時点ではそれは頭にありません。潔白を信じています」って言うわけですよね。
 まあ、なんかそれも先輩の潔白を信じてるだけなんだけど。
 でも、そしたらもう山下さんがそんなに上下関係で何も言えないんだったら、もしかしたらそれは外からメディアが追求しようという動きも出てくるかもしれないんだけども、「理事会は非公開にします。非公開で俺たちは本音で話し合うんです」っていう……なんだかね。
 この山下会長が就任する時には「いま、信頼が落ちてるから、信頼回復へのインテグリティーの充実を……」って。インテグリティー(integrity)っていうのは「高潔性」という意味ですけれども。
「……インテグリティー(高潔性)を充実させて真剣に取り組んできたい」っていう風に抱負を語ってたんだけれども、なんか全く違う方向に行っちゃってますよね?
 だからこういう、最初の方に述べたいろんな暑さ対策の問題とか、ボランティアの問題とか、いろいろとこの1年でどうなってるのかなっていう風に心配な中で、いざこのJOCの内部は「あ、ちょっともう外にお見せできませんので……」っていう風にチェンジしていくというのは、これは本当にヤバいことが起きるんじゃないかなと思って心配しかないですけどね。


幸坂理加: ねえ。いい盛り上がり方をしてないですよね。東京オリンピック。

武田砂鉄: そうなんですよ。だから僕がこういうことを言ってると「いや、選手はオリンピックを目指してるんだから。そんなにいろいろと言うんじゃないよ」っていう風に言われることもあるんですけど、やっぱり選手のことを考えた時に、選手が万全の態勢で臨めるように外から言っていくってことはすごく重要なことだと思うので。
 そういった、最初に言った「どうせやるなら」派にならないということが、すごく重要になってくるんだなっていう風に思いましたね。


幸坂理加: 森喜朗さん、1年前は「日本のイノベーションを世界に発信するチャンスだ」っていう風に言ってましたけど、ちょっと逆になってるかな?っていう感じがしますよね。

日本のイノベーションを世界に発信するチャンス

武田砂鉄: イノベーションっていうか、いまはもう「がんばれ!」ということでしかなくなってますからね。
「暑いけどがんばれ!」だからね。うん。


幸坂理加: 以上、武田砂鉄さんのコラムコーナーでした。

miyearnZZ Labo、2019.08.16
武田砂鉄
東京オリンピック開催1年前の問題点と懸念点を語る

https://miyearnzzlabo.com/archives/59113

posted by fom_club at 12:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森達也 × 武田砂鉄

映画監督の森達也氏が、これまでに公開してきたドキュメンタリー作品を題材に、日本のタブーについて鋭く切り込んだ『FAKEな平成史』(角川書店、2017年9月)。
本書の発売を記念して2017年10月19日、青山ブックセンターで行われた武田砂鉄さん(近著に『コンプレックス文化論』文藝春秋、2017年7月)とのトークイベントをここに公開する。

あの「炎上事件」の真相


武田: 今回は、森さんの新著『FAKEな平成史』の刊行記念対談ということで、まずは最近、しきりに問題視されるフェイクニュースをはじめとした、ネット上での「フェイク」について聞いていきたいと思います。
 なぜならば、たびたび炎上を経験されてきた森さんが、先日、なかなか大規模のフェイク≠ネ炎上を経験されたと。
 安倍晋三首相が記事に対してFacebookで「いいね!」したこともある、彼の熱烈な支持層に愛されるまとめサイト「保守速報」で、森さんのインタビューを元にした記事が燃え盛ったという。
 読んでみましたが、いくつも不可解な点がありますね。


森: いきなりその話から入るのか(苦笑)……
 えーと、これまでも炎上らしきものは何回もありましたが、今回は規模が大きかったですね。
「保守速報」に記事が上がってしばらくは、金正恩、トランプ、安倍晋三などに関する記事をぶっちぎって、森達也についての記事がアクセス数トップ。
 リツイートは、最後に確認した時点で4000を越えたのかな。


武田: 4000RTということは、記事を拡散するツイート自体はおそらくウン十万人が目にしていることになりますね。

森: そんなに? 参ったな。

武田: ことの次第を簡単に説明すると、昨年2016年の参院選の際に、森さんが雑誌「週刊プレイボーイ」のインタビューに答えた。
 この記事が「週刊プレイボーイ」のウェブ版に、雑誌発売とほぼ同じタイミングで掲載された。
 で、この記事掲載から一年経った今になって「保守速報」がこれを取り上げました。
 しかも、タイトルを変えて。
「週刊プレイボーイ」のウェブに掲載された時のタイトルは「映画監督・森達也が新有権者へメッセージ『棄権していい。へたに投票しないでくれ』」だったのに、「保守速報」が付けたタイトルは「映画監督森達也 自民党に投票するバカは迷惑だから、投票にいかないでほしい」でした。
 元々のタイトルもインタビュー内容を的確に拾い上げたタイトルとは言い難かったけれど「保守速報」のタイトルでは、森達也が今回の選挙で自民党に投じようとしている人達を丸ごと侮辱したように伝わる。
 すると、森さんへのバッシングがコメント欄やツイッターに積もっていき……。


森: たぶんほとんどは僕よりも年下だと思うのだけど、なぜか「こいつ」とか「このバカ」と呼ばれます。
「こいつは選民思想だ」とか「このバカ、大学をクビにしろ」とか。
 最初は放っておこうと思ったのだけど、家族に危害を加えることを示唆したリプライも来たりしたので、自分のサイトで、そんな意図では話していない。
 元の記事を見れば分かるはずだ、と否定するメッセージを公開しました。
 まあでも、脊髄反射でリツイートしている人は読まないだろうな。
「保守速報」は、一応は公開された記事をソースにしているけれど、タイトルという看板を付け替え、刺激的な文言で、ネトウヨを煽ってアクセス数を稼いでいる。
 記事を読めばタイトルとはだいぶ違う内容だとわかるんだけども、もとの記事を読む人はほとんどいないんでしょうね。
 あらためて、ネットのリテラシーというものがいかに脆弱かということを、身をもって知りました。


武田: 実際に掲載されたインタビューを読むと、「バカ」だとか「迷惑」だなんて一言も言っていない。
 そもそも元記事に当たれば、インタビューは一年前のものだとすぐわかる。
 でも、彼らは元記事を当たるという、ワンクリック、ツークリックをしてくれない。
 文句を言う時に、その対象が何を言っているかを通読するのは当然のことだと思いますが、これまで前提とされていた最低限のリテラシーを持ち合わせていない。


森: それにしても、僕にリプライを飛ばしてきた人たちは、どんな人たちなんだろう。
 多くの人がアイコンに日の丸を付けていたけど。
 一回きちんと、対面で、たとえば公開イベントなどで話してみたいね。


武田: 昨年2016年4月出版された『ネット炎上の研究』(田中辰雄、山口真一著、勁草書房)を読むと、炎上って世の大半が騒いでいるように見えるけれど、炎上参加経験者はネット利用者の0.5%だったという。
 限られた人たちが、常に新しいターゲットを探して燃え上がらせている。
 森さんのインタビューは、たまたまそこら辺に転がっていた焚き木にすぎません。
 森さんは件のインタビューで、若者の投票をテーマにこんな話をしています。
 森さんが学生20人ほどに支持政党を聞くと、その9割ぐらいが自民党支持だった。
 しかし、憲法改正について聞くと、半分以上の学生が「憲法はこのままでいい」と答えました。
 そこがちぐはぐしているレベルなら投票に行かなくてもいい、これが森さんの意見でした。


森: 投票するならせめて、どの党が改憲でどの党が護憲なのかくらいは把握してから投票してくださいというのが本旨です。

武田: (対談が行われた投票日3日前の)現時点での衆議院選挙に向けた世論調査(朝日新聞)を見てみますと、比例で自民党に投票するとした人は34%。
 年齢別で見ると、18〜29歳では41%が自民と答え、60代は27%。
 立憲民主党に投票するとした人は、60代が20%だったのに対して、18〜29歳では6%です。
 若い世代の「このままでいいよ傾向」は興味深いテーマです。


皮肉や批評はどこに消えた?

森: 若い世代の興味の半径がどんどん短くなっている。
 だから政治も、彼ら彼女らの半径からはみ出してしまって、関心が持てない。
 もちろん、いまの若者が自民党を支持するのを否定しているわけではありません。
 確かに就職状況は数年前に比べれば良くなっている。
 その意味で、自民党支持は理解できる。
 まあ、就職状況の変化も政策ではなく、現役世代の人口減少と年配層の大量退職による影響の方が大きいのだけど……。
 でも、「最近の若者は」という爺さんに自分がなるのは面白くないけど、今の若者は素直で真面目だからこそ、一歩枠の外から出て物事を見る、ということをしない。
 社会に組み込まれたら枠の外に出ることは難しくなる。
 今体験しないならば、その視点を獲得できないまま人生を過ごすことになる。
 それはもったいないと思う。
 話しながら思い出したけれど、この春に台湾国際桃園映画祭に呼ばれました。
 ドキュメンタリー映画の審査員を依頼されて、候補作は10本くらい。
 審査員は、僕の他には台湾のフィルムメーカーや評論家たちです。
 特に印象に残った作品のタイトルは『進擊之路』と『機器人夢遊症』。
 前者は、若手弁護士たちと国家権力との闘いを描いている。
 そして後者は、台湾の最先端IT企業の非人道的な雇用状況を激しく告発している。
 この二作は共通して、権力と対峙する市民を描きながら、大学生たちが重要な被写体となっている。
『進擊之路』では、弁護士たちが支援する「ひまわり運動」(2014年3月、台湾の学生と市民が国会を占拠したことに端を発する社会運動)の大学生たちが数多く登場します。
 あらためて映像で見るとすごい。
 だって現役の大学生たちが国会をバリケード封鎖して武装した機動隊と対峙するのだから。
 結局は学生たちのこの運動がきっかけのひとつとなって、中国に急接近していた国民党政府は支持率を大きく低下させる。
『機器人夢遊症』も、最先端IT企業の組合運動を応援するためデモ活動に参加する大学生や市民たちが被写体です。
 グランプリはこのどちらかだと思ったのだけど、他の審査員たちの評価は低い。
「森さんがそこまで言うなら、3位か4位にしておきましょう」とは言われたけれど、それでは納得できない。
 そのとき、日本でも映画『生命』が公開されて何度も来日している呉乙峰監督から、「おまえは日本人だから驚いたのかもしれないが、俺たちは大学生たちのデモや政治活動は、テレビニュースなどでさんざん観ている。台湾では当たり前のことなんだ」と言われました。


武田: 森さんがこの時点で衝撃を受けている事自体がおかしい、と。

森: ああ、そういうことかと合点がいきました。
 でもね、香港では大学生が主体となった雨傘運動があったし、韓国では市民と大学生たちが主体となってパククネ大統領の罷免を街で激しく訴えた。
 アラブの春だって主体は若い世代です。
 なぜ日本の若者はこれほど保守化してしまったのか。
 時おり市民集会などに呼ばれるけれど、参加者の平均年齢は絶対に60歳をはるかに超えている。
 愚痴るつもりはないけれど、その理由やメカニズムは考えないと。……結局は愚痴っているかな(笑)。


武田: 批評家の大澤聡さんが『1990年代論』(河出書房新社、2017年8月)という本を編著で出されて、つい先日、大澤さんと「90年代とはどんな時代だったのか」をテーマに対談したのですが、話していくうちに「皮肉、アイロニーが保たれていた時代だった」との話になりました。
 『進め!電波少年』などのバラエティ番組はどこまでも徹底的にひねくれてみる執着に面白さがあったし、自分が学生時代に耽読していた古谷実の漫画『行け!稲中卓球部』はシニカルな笑いの応酬です。
 そして、自分がこういったライターの仕事をする上で影響を受けたのがナンシー関さんで、彼女が週刊誌コラムで活躍していたのが90年代です。
 芸能界を中心に、テレビの中から感知したわだかまりに突っ込んでひっくり返すコラムを書き続けていた。
 暴力的にではなく、テクニカルに揚げ足を取ることに、世の中も、そしてメディアも寛容でした。
 けれど現在は、あらゆる媒体から真っ先に皮肉や批評が削ぎ落とされていく。
「揚げ足をとる」ってある種批判するための前提だとすら思うけれど、その前提を刈るように「揚げ足をとるな!」が積み重なり、それを止めてしまう。


森: そうですね。

国民がメディアを抑えつけようとする奇妙

武田: 森さんも繰り返し書かれていますが、バラエティ番組では、笑う時に顔の前で拍手しながら、時に立ち上がりながら笑う。
「ここは笑う場面だよ」と全員で同調するのが面白い笑い、だからみんなもここで笑ってくれ、という伝達になっている。
 先日、あるお笑い芸人とラジオで共演したのですが、そういう同調性が笑いのパターンを狭めているのではないか、笑いのポイントを強制しているのではないか、といった話を投げると、納得しつつも苦笑いされていた。
 特定の人物や事象を皮肉るという観点が、いたずらに暴力的なことと処理され、同調して安堵する笑いが増えていますよね。
 その同調性こそがイジメっぽい笑いを作り上げるわけですが。


森: 政治も一緒ですよね。

武田: そうですね。
 たとえば麻生太郎が失言しました、と報じられれば、信奉者は必ず「揚げ足をとってどうするんだ」「彼の真意を聞かなければいけない」と切り返してくる。
 いや、そうじゃない。
 言葉に責任を持つべき立場の人が発言したのであれば、それを批判するのは当たり前の行為だ、と思うわけだけど、皮肉や批判をぶつけた時に、エラい人になんてこというんだ、などとクソ真面目に潰してくる、ということがとても多い。
「全文を読め」という回避もあるけれど、全文読んでも変わらないことが多い。


森: 芸能でも政治でも、アイロニーやパロディが有効にならなくなった。

武田: 求められていないんですね。

森: 結果として失言や舌禍が多くなる。
 たとえば、安倍首相が解散の際に記者会見で「民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはなりません。むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応について国民の皆さんに問いたいと思います」と言いました。
 これ、意味わかる?
 後段と前段の趣旨がまったく逆です。
 だって今回の選挙は、まさしく北朝鮮の脅威が自民党の追い風になったわけですよ。
 投票前に記者クラブで党首討論やりましたよね。
 そこで安倍首相が朝日の坪井ゆづる論説委員の質問に対して、「朝日新聞は八田(国家戦略特区ワーキンググループ座長)さんの報道もしておられない」と返し、質問した坪井記者が「しています」と反論すると、「ほとんどしておられない。しているというのはちょっとですよ。アリバイ作りにしかしておられない。加戸(前愛媛県知事)さんについては、証言された次の日には全くしておられない」と発言しました。
 この少し前、国会で加計問題についての審議をしていたとき、加戸前知事の話が、朝日新聞にはまったく載っていないとネットで盛り上がっていた。
 ソースは産経新聞です。
 おそらく、安倍首相もこういうネット上の意見を参考にしていたんじゃないかな。
 朝日の紙面を見れば明らかです。
 どちらも何度も記事として掲載されています。


武田: たしか10回くらいは載せていたんですよね。

森: 八田さんの記事は12回です。
 産経新聞の阿比留瑠比論説委員は党首討論の翌日、「朝日がいかに『(首相官邸サイドに)行政がゆがめられた』との前川喜平・前文部科学事務次官の言葉を偏重し、一方で前川氏に反論した加戸氏らの証言は軽視してきたかはもはや周知の事実」と首相発言を擁護する趣旨の記事を掲載しました。
 でも産経は八田さんの発言についての記事は4回だけしか掲載していない。
 朝日の三分の一。
 何なんだろこれ。
 産経はもはや新聞とは言えないんじゃないか。


武田: 愕然とします。

森: この党首討論では、終わってから日本記者クラブに、朝日と毎日の記者に対しての抗議の電話が殺到したらしい。
 内容は「首相に対して失礼だ」「あんな質問を許していいのか」だったそうです。
 電話をかけてくるのは年配の世代でしょうね。
 若い世代はネットに書いているんだろうけど、メディアが最高権力者に質問することが失礼であるとの感覚が前面に出てきている。
 独裁国家なら無理やりにメディアを押さえつけるけれど、この国では国民がメディアを押さえつけようとする。
 こうして独裁的な体制が民主主義的手続きで完成する。
 不思議です。
 でもナチスドイツもそうでした。


武田: 森達也が気に食わないから、アイツに文句を言いたい……だからまとめ記事を作って炎上させる。
 自分で、ではなく、みんなで一緒になって文句を言いたい。
 繰り返しますが、そのソースが1年前で、誰もそのことを指摘しないというのが異様です。
 しかし、何十万人も見ているのだったら、自著のAmazonリンクを貼るなどすれば販促活動になるかもしれませんよ(笑)。
 1年前の記事だとすら気付かない人達のいくらかが、うっかり買ってくれるかもしれない。


森:『FAKEな平成史』のAmazonの評価欄に「保守速報」の記事をそのままコピペされています。
 評価は星一つ。
 あれは営業妨害だなあ。


とても残念な出来事

武田: そうか、今日はその本の中身の話をするんでしたね(笑)。
 本書は、今まで作ってきた森さんのドキュメンタリー作品を、第三者の目線を入れながら、振り返るという一冊ですね。


森: 平成が始まる少し前、テレビの仕事を始めました。
 最初はもちろんADだから、ただ番組制作のために駆け回っていましたが、まずは昭和天皇崩御があって、ベルリンの壁が崩壊して、天安門事件が起きて……これ全部、平成元年です。
 昭和天皇崩御による「自粛」から平成が始まり、そして、阪神大震災、地下鉄サリン事件……それらの事件を、自分が作った映像作品についての記憶を縦軸にしながら、平成という時代を振り返っても面白いかなと思ったんです。
 自分で書くのは面倒だから(笑)、いろんな人へインタビューをして構成しました。


武田: 最初の章では、「放送禁止歌」をテーマに、ピーター・バラカンさんと対話されている。
 そこで触れられている「P!nk」という女性のシンガーソングライターが発表した「ディア・ミスター・プレジデント」という曲の存在を初めて知りました。
「親愛なる大統領、ちょっと一緒に歩きませんか ごく普通の人間として」と始まる曲は、アメリカによるイラク侵攻後に発表された楽曲です。
 僕はピンク・フロイドが好きなんですが、今、そのメンバーであるロジャー・ウォーターズがソロツアーをしていて、彼はライブ会場に大きな豚の風船を飛ばし、その豚にドナルド・トランプの顔をプリントして揶揄している。
 ライブの最後に撒かれる紙吹雪には、その一枚一枚に「抵抗せよ」と書いてある。
 政治色が強い、というか、ほぼ全て政治色です。
 こういうことができる大御所ミュージシャンが欧米には平然といます。
 日本の音楽界にはごく一部を覗けばメジャーなフィールドにいませんね。


森: まったくいないわけではないけれど、表には出てこない。
 求められないから、淘汰されて少なくなるのもあるでしょう。
 少なくともメジャーの世界にはいない。
 でも、海外ではニール・ヤングだったり、ブルース・スプリングスティーンだったり、ビッグネームが公然と政権を批判する。
 日本で言えば、サザンであったり、ユーミンであったり、中島みゆきであったり、その人たちが、反体制的な歌をテレビで普通に歌うようなものであって。
 日本でそれをやったらどうなるのか。


武田: 2014年の年末、桑田佳祐がライブで、その年に受賞した紫綬褒章をポケットからひょいと取り出してぞんざいに扱ったり、紅白歌合戦の中継でちょび髭を付けて登場したことが問題になりました。
 所属事務所前で抗議デモが行われた事も影響したのか、本人が謝罪文を出しました。
 謝罪文の中には「つけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません」という文言がありました。
 その一年前に発表された楽曲「ピースとハイライト」のPVでは、安倍首相や朴槿恵大統領のお面をかぶった人を登場させ、その映像をこの日のライブでスクリーンに流していた。
 明確なメッセージです。
 でも謝罪文ではそのような「他意は全くございません」と言う。
 なぜこのような文言を出したのか、とても残念な出来事でした。


森: 首相に批判的な質問をすれば失礼だと抗議が来る。
 でも欧米の記者クラブでは、メディアが政治権力と対峙することは当たり前。
 同じ構造かな。
 ロックは体制批判して当たり前。
 でもこの国では、音楽に政治を持ち込むなとの意見が正論になってしまう。
 音楽だけじゃない。
『FAKEな平成史』でピーター・バラカンさんが言っているけれど、アメリカでは権力を茶化すトーク番組がたくさんある。
 若い世代はそうした番組をゲラゲラ笑いながら見て、同時に政治や社会に興味を持つ。
「ザ・ニュースペーパー」とか松元ヒロさんのコントのような芸が、もっと普通にテレビで観ることができる社会のほうが、ずっと健全だと思います。


世論調査はなぜ増えているのか

武田: そういえば、少し前に「週刊金曜日」で「松本人志と共謀罪」という特集が組まれました。
 松本人志は今「ワイドナショー」という番組のMCを務めていて、政権寄りの発言を繰り返しています。
 安保法制に反対する高校生たちのデモの様子に「(反対している人は)単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない」と言い、共謀罪について「僕はもう、正直言うと、いいんじゃないかなと思っている」と賛成の姿勢を示し、「(共謀罪によって)冤罪も多少はそういうことがあるのかもしれないですけど……」と冤罪の発生を半ば容認した。
 多少の冤罪があってもいい、には愕然としました。
 それらの言動に突っ込んだ特集です。


森: ありましたね。

武田: その中で、元・吉本興業幹部で竹中功さんという、35年前に芸人養成学校に応募してきたダウンタウンを初めて面接し、以降、長年付き合ってきた方がインタビューに答えています。
「ワイドナショー」に安倍晋三が出演した時に、松本人志が首相を起立して出迎え、そして見送ったことに、「僕はショックでした」と語っています。
 2025年大阪万博の誘致アドバイザーをダウンタウンが務め、松井一郎大阪府知事や、二階俊博自民党幹事長と並んで発足式に臨んでいます。
 為政者であろうが誰であろうが、どんな相手であっても茶化しつつ笑いに変えてきた人たちが、むしろ従順の見本になっている。
 竹中さんは「松本のような、緻密なことをずっと考えてきた男」と称した上で、その現在について、懸念を表明されていた。


森: この国では皆が自由だし、政権寄りの芸人がいてもいいと思う。
 もちろん、政権を批判する芸人がいてもいい。
 しかし今は、批判すると視聴者からの抗議で仕事がなくなってしまう。
 松尾貴史さんくらいじゃないかな、明確な言葉遣いで批判しているのは。
 その松尾さんも、竹中さんと同じように言っているけれど、「僕たち芸人は本来、権力を茶化したり批判したりするものだ」と。
 それがどんな権力であろうと、自民党であろうと民主党であろうと、共産党だって、権力を批判しなければいけない。
 なんでそれができなくなってしまったのか。


武田: テレビやエンタメ業界のトップの人達がこういう振る舞いだと、これからその世界で活躍したいと入ってくる人たちは、あらかじめその「空気」を察知し、その作法を得てから登場するわけです。
 自分が芸能界で生き長らえるためにはどうするべきか、これはしていけないことだと把握する。
 私、従順ですので、と宣言して入ってくる。


森: また森が同じことを言っている、と思われるかもしれないけど、やはり「集団化」が起きている。
 全体で一緒に同じ動きをしたいという気持ちが強くなっている。
 その動きに乗り遅れたら排除される、ネットで叩かれてしまう。
 要するに、つねに回りを気にしながら、同じ動きをしなければいけない。
 がんじがらめになって、ゆとりがどんどんなくなっていく。
 たとえば、それは世論調査の数にも現れています。
 安倍政権の支持率、選挙でも政党の支持率がさかんに報道されました。
 でも、思い出してください。
 十数年前には、世論調査をこんなにやっていなかったですよ。


武田: たしかに選挙前になれば、毎週のように知らされている気がします。

森: いま、とても世論調査の回数が多い。
 なぜ多いかと言えば、読者や視聴者が求めるから。
 回りの動きをみんなが気にしている。
 たとえば自分が立憲民主党を支持しているけど、まわりはどうなのか。
 昔であれば、まわりは関係なく、自分の考えで投票していた。
 しかし、いまは回りが気になって仕方がない、そんな動きが加速しているからこそ、世論調査がこれだけ行われている。
「マジョリティはこうなのか」――それを知って、安心する。


武田: 神戸大学の小笠原博毅さんが編者となり、『反東京オリンピック宣言』という興味深い本を作っています。
 誘致の際の買収疑惑すら放置されている現状ですが、この本のなかで、東京五輪をなんだかんだで「成功」という言葉でまとめさせるのは、「困難を乗り越えて頑張れ」派でも「手放し礼賛」派でもなく「どうせやるなら派」という人たちだ、と書いている
 つまり、「オリンピックってやる必要ないよね」「しかも何か怪しい事ばっかりやってんじゃん」と最初は思っていたけど、所属するコミュニティの中などで「オリンピック、やっぱりやったほうがいいよ」と何となく方向が定まってきた時に、「うんうん、どうせやるならしょうがない」と勝手に譲歩してしまう。
「もう間近だし」「せっかくやるんだから」「いつまでも文句言ってないでさ」と、諸問題が一掃されていく。
 この一掃って、五輪に限らず全ての問題に言えることだと思います。


森: なるほど、「どうせやるなら派」…これも自発的な隷従ですね。
 人間は「馴致能力」が高い動物です。
 馴致とはつまり慣れる、適応するということ。
 アマゾンのジャングルでも砂漠地帯でも極北でも、その環境に自分を合わせて暮らしていく。
 人類は馴致能力が強いから、これほど繁栄できたんです。
 それは言い換えれば、今の状況に自分をカスタマイズしてしまうこと。
 最初は世の中に違和感があっても、それではやっていけないから、自分を合わせていく。
 こうしていつのまにか前提が作られる。
 それが積み重なったのが、今の日本なのかもしれない。
 自分が何を考えているか、ではなく、社会が作り上げたようにみえるものに依存している。
 平成が終わろうとするなかで、メディアをはじめ、社会はもう大きく良い方向には変わっていかない。
 平成という一つの時代を振り返った今、そう感じています。
 僕が見たところ、どうあがいても、この状況が加速するだけ。
 ドラスティックな変化は、もう起きないんじゃないのかな。
 あんまり、楽しい話じゃないですけど。


現代ビジネス、2017.11.08
『FAKEな平成史』
いまこそ、平成ニッポンのタブーを語ろう
森達也×武田砂鉄

(構成/伊藤達也)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53391

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2019年11月12日

斎藤 美奈子「呪われた東京五輪」

 リオデジャネイロ五輪も終わり、「次はいよいよ2020年の東京だ」みたいな空気がただよっている。
 2016年8月21日のリオ五輪の閉会式にはマリオに扮装した安倍首相まで登場し、心底うんざりだったが、これに喜んでいる人もいるわけで。

 しかし、東京五輪の界隈はすでにトラブル続きである。
 一度は決まった新国立競技場のコンペのやり直し。
 やはり一度は決まったエンブレムの盗用疑惑による選び直し。
 招致にともなうJOCの不正支払疑惑。
 3000億円だったはずの予算は6倍の1兆8000億円にまで膨んでいるわ、猪瀬直樹、舛添要一と、東京都知事は二人続けて任期半ばで辞任するわ。
 五輪組織委員会の会長だという森喜朗元首相が我が物顔にふるまっているのも不可解だ。

 まるで呪われたオリンピック! 
 2020年まであと4年。
 このぶんだとまだ何かあるかもね。
 トラブルが続くっていうことは、運営の方法に何か根本的な問題があるにちがいないからだ。

 2013年9月、東京が五輪開催地に決まったとき、絶望的な気持ちになった私。
 その気分はいまも変わらない。
 福島第一原発の事故による避難民がまだ9万人もいるいまの日本に、オリンピックなんかやってる暇があるか?
 しかし、あれから3年たって、東京五輪反対論はめったに見かけなくなった。

 はたして東京五輪を開催する意義はあるのだろうか。
 今年になってたてつづけに出版されている関連書籍を読んでみた。

オリンピックは儲らない

 巻頭言で〈オリンピックの開催による経済的効果はそれほど期待できないことが分かるだろう〉と述べるのは、アンドリュー・ジンバリスト『オリンピック経済幻想論』である。
 開催地は何十億ドルもの資金を費やし、巨額の借金を作り、さまざまな社会的混乱や環境破壊を引き起こし、他の目的で使った方が生産的かもしれない土地を奪っていく。
 IOCは魅力的な言葉で彼らの目標を語り、人権や、持続可能性や、雇用創出や、健康的なライフスタイルや経済発展を説く。
 しかし残念ながら、現実はそのような甘い言葉通りにはいかないことをこれまでの大会が示している。

 なにやら不吉な言葉だが、過去の五輪を検証したこの本を読むと、いま東京で起きていること、起きつつあることは、過去の五輪開催地でもなべて共通していたことがわかる。

 たとえば予算超過問題。
 予算超過はどの開催都市でも起きていることで(1960年以降、予算内で収まった開催都市はひとつもない)。
 2004年のアテネは10倍、2012年のロンドンは4〜5倍、2014年のソチは4〜6倍の費用がかかった。
 なぜそんなことが繰り返されるのか。
 本書は五つの理由をあげる。

@ 政府のゴーサインを取り付けるために、最低限の安価なプランで見積もり、承認後にあれこれ付け加える「戦略」が常態化している。
A 開催を目指す都市は、最初は国内の他都市と、その後は世界の他都市と競い合うため、質を張り合っているうちに当初の予算内では収まらなくなる。
B プラン作成から実大会までの間に物価が上昇する可能性がある。特に狭い地域に建設物が集中すると、資材や人件費のコストが高くなる。
C 政治的障害、環境問題、不充分な計画、ずさんな段取り、悪天候、労働争議などで建設スケジュールの遅れは避けられず、入札のルールが甘くなったり、割増料金が必要になったりする。
D 建設費の高騰にともない、不動産価格も大会に向けて上昇する。地元の物価が上がることもある。

 なんだなんだ、予算超過は、最初からわかっていたのだ!

 五輪開催にともなう直接的な財政コストは、
@ 運営予算(17日間の大会運営費など)、
A 建設予算(恒常的なスポーツ施設の建設費など)、
B インフラ整備予算(道路の整備費など)
の3つのカテゴリーに分かれるが、五輪のコストはもちろんこれだけではない。

 見落としがちなのは、大会に向けて配置される政治家、技術者、労働者などの人的コストだ。
 五輪がなければ〈彼らの技術や時間は、より生産的な別の活動にあてることができたかもしれないのだ〉といわれれば、その通り。
 五輪でできた借金を返すため、医療、教育などの公共サービスが削られた都市もある。

 いや、五輪には絶大な広告効果があり、都市のブランドイメージが上がって観光客が増えるのだ、という説にも本書は異を唱える。
2012年にロンドンを訪れたスポーツファンは、劇場にも、コンサートホールにも、大英博物館にも、バッキンガム宮殿にも、ハイド・パークにも行かなかった。

 逆に混雑や厳しいセキュリティと高い物価を嫌ってロンドンを避けたツーリストもいたはずで、2012年7月、8月の観光客数は、前年の同期と比べて6.1%減少したというのだから何をかいわんや。

 オリンピックが儲かるという幻想は、どうやら1984年のロサンゼルス大会からはじまったらしい。

 1968年のメキシコシティ大会は政治的抗議の舞台となり、1972年のミュンヘン大会は武装ゲリラによるテロ事件が起き、1976年のモントリオール大会は多額の負債を抱えた。
 こうして五輪の立候補地が激減する中、1984年の開催地に決定したのがロサンゼルスだった。
 この大会から、IOCはプロ選手の参加を認め、五輪の商業化は加速していく。
 商業化路線を進めたのはサマランチ会長だった。

 しかし、もともとのオリンピックは商業主義とは無縁だったのだ。
 小川勝『東京オリンピック』は、だからこそ東京五輪は、オリンピック憲章の精神に立ち戻るべきだと主張する。
 五輪は都市の再生のためにやるわけではない。経済成長のためでもない。招致活動において繰り返された文言を用いて表現するなら「今、ニッポンにはこの夢の力が必要」だからでもない。あるいは、国民に観客の立場での「感動と記憶を残す」ためでもない。
 五輪の開催目的とは、オリンピズムへの奉仕である


 実際、この本を読むと、五輪に対して私たちがいかに誤った認識を持っていたかを思い知らされる。
 五輪は国家間の競争ではなく、個人参加が基本だと五輪憲章には明記されていること。
 五輪が国別対抗戦的になったのは1908年の第4回ロンドン大会からで、ブランデージら、70年代までのIOC会長は五輪がナショナリズム高揚の場となることを懸念していたこと。
 したがって今日、国ごとのメダルの数を比較したり、まして日本のように〈政府が自国のメダル獲得数の目標を掲げる〉など言語道断であること。

 東京五輪に向けた日本政府の指針を批判しつつ、小川は〈東京五輪を、政治家や官僚や大企業が利権の内部調整に終始するだけの巨大イベントにしてはならない〉と訴える。

 それはそれで理解できる。
 しかし、東京五輪の開催そのものに反対する、という立場があってもいいはずなのだ。

フクシマを隠蔽し、フクシマを利用する

 東京五輪そのものに反対する。『反東京オリンピック宣言』はそのような視点から編集された論考集である。

 東京五輪を前にした日本の現状について、塚原東吾は二つの特徴があるという(「災害資本主義の只中での忘却への圧力」)。

 第一に〈オリンピックが3.11を強制的に忘却させる機能を持たされていること〉。
 首相の「アンダー・コントロール」発言に反して、危機は悪化している。

〈それを隠蔽することが、オリンピックに課せられた最大の使命であるかのようである〉

 第二に〈オリンピックが、3.11を契機にした「エマージェンシー・ポリティクス(非常事態政治)」のなかでの、典型的な「災害資本主義」の発動であること〉。
 災害資本主義とは「惨事利用型資本主義」ともいう。
 災害を経済活動に利用する。

〈東京オリンピックは、非常事態を利用し、資本主義的な収奪システムを再編し、格差の構造を強化するための、格好の事業である〉

 フクシマを隠蔽しつつ、フクシマを利用する。
 それは3年前の東京五輪招致のプログラムをみて私も感じたことだった。

 この本の「あとがき」で、編者の小笠原博毅が述べていることが示唆的だ。
 結果的に、東京五輪を「成功」に導くのは、手放しの礼賛派ではなく「どうせやるなら」派だろうというのだ。

 この人たちは〈初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコストを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできないと結論づけて、むしろそれまでかかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する〉。

〈オリンピックを「機会」ととらえ、統治側の計画を逆手にとって、本当に市民のためになると考えられる、都市の再開発も含めた「オルタナティヴ」を求めようというのである〉。

 たくさんいそうでしょ、こういう人。

 私がここから想起するのは、端的に「戦争」である。
 戦争には反対だったけど、どうせやるなら勝たなくちゃ。
 そのためには……とアイディアを出す人が一番役に立つのよ、戦争には。

 五輪をめぐる状況は、すでに言論統制を生んでもいる。
 くだんの「あとがき」で、2013年の夏、全国紙に五輪開催反対論を書いたところ、定期的に仕事をしていた媒体から原稿依頼が一切来なくなった、という裏話を小笠原は明かしている。
 当時はまさか四大全国紙(朝日、読売、毎日、日経)すべてが五輪の協賛企業になるとは思っていなかった、と。
 そうなのだ。
 いまやこの国のメジャーなメディアはみんな東京五輪の応援団。
 やり方を批判しても、やるなとはいわない。
 これを大政翼賛といわずして。

この記事で紹介された本

『オリンピック経済幻想論――2020年東京五輪で日本が失うもの』
アンドリュー・ジンバリスト/田端優訳、ブックマン社、2016年、1600円+税

〈オリンピックの開催は経済発展を後押しするという毎年繰り返される主張には、実証的な裏付けはほとんどない〉
(カバーより)

 著者はアメリカのスポーツ経済学者。バルセロナ、ソチ、ロンドンなど、過去の五輪に遡り、開催都市にもたらされたメリットとデメリットを検証。招致活動、施設建設、インフラ整備などにかかる莫大なコストの回収は短期的にも長期的にも難しいと結論する。

『東京オリンピック――「問題」の核心は何か』
小川勝、集英社新書、2016年、700円+税

〈政府が示す「基本方針」は、日本選手に金メダルのノルマを課し、不透明な経済効果を強調し、日本の国力を世界に誇示することに固執する、あまりに身勝手な内容〉
(カバーより)

 著者はスポーツライター。五輪は開催国のための大会ではない、国同士の争いではない、経済効果を求めてはいけないなど、オリンピック憲章を紐解きつつ、自国の利益のみを追求する東京五輪の方針を批判。望ましい五輪の姿を模索する。


『反東京オリンピック宣言』
小笠原博毅+山本敦久編、航思社、2016年、2200円+税

〈東京で開催されることになっている夏季オリンピック/パラリンピックの開催権を返上し、開催を中止しよう〉

 東京五輪に反対する立場で書かれた16本の論考集。科学論、大会後の「遺産(レガシー)」、生活環境への影響、排除されたアスリートなど、多角的な視点から五輪を考察。単なるスポーツイベントという枠を越え、五輪がときに住民の生活を破壊し、ときに国民を総動員する装置であることが暴かれる。


webちくま、2016年10月13日更新
世の中ラボ[第78回]
4年後の東京五輪に反対する、これだけの理由

(斎藤 美奈子)
http://www.webchikuma.jp/articles/-/333

 延期が決まった英語民間試験だけでなく、国語と数学の記述式問題にも批判が殺到している大学入学共通テスト。
 小学校からのエスカレーターで大学受験の経験がない安倍首相には、どこがマズイか分からないのかもしれないが、デタラメ試験制度をめぐる混乱の背景には、安倍首相の出身派閥・清和会の文教利権がある

 民間試験の導入は、2013年に安倍首相が設置した私的諮問機関「教育再生実行会議」で浮上。
 当時の下村博文文科相が旗振り役となって、大学入試改革を主導してきた。

 注目すべきは、下村氏の後任の馳浩から松野博一氏、林芳正氏、柴山昌彦氏、そして現在の萩生田光一文科相に至るまで、林の他は全員が清和会の所属議員ということだ。

「林さんが文科相に就いた2017年は、加計疑惑で文科省が大揺れだった時期。地元の下関で親の代からライバル関係にある安倍総理が、嫌がらせで難しいポストに就けたともっぱらでした。教育行政は門外漢の林さん自身、『なんで俺が文科?』と不思議がっていたほどです」
(自民党関係者)

■ 教育行政を歪めてシノギに

 そういうイレギュラーな人事を除けば、第2次安倍政権で文科相が清和会の指定ポストになり、教育再生実行会議の方針を踏襲して、受験生を食い物にする民間試験の導入に邁進してきたわけだ。

「長らく非主流派だった清和会は、運輸や建設のようなガチガチの利権に食い込めず、他派閥があまり興味を示さない文教分野に流れていったという事情がある。清和会の典型的な文教族が森喜朗元首相です。もともと文教族というのは、教科書選定で影響力を発揮するなど、当初は利権よりイデオロギーを重視していたはずです。彼らにとって不都合な負の歴史を修正し、道徳教育や日の丸などで国民に右翼的な思想を植え付けるには、公教育を押さえるのが手っ取り早いからです。古今東西、教育と報道を掌握するのは独裁者の常套手段でもあります」
(政治評論家・本澤二郎氏)

 カネにならないといわれていた文教分野を掌握し、教育をビジネス化して利権に育てたのが清和会ということだ。
 2020年東京五輪という大きな利権も手にした。
 英語民間試験の拙速な導入も、この流れの中にある。


 森友学園、加計学園、入試制度など、安倍政権で学校関係の不祥事が相次いでいるのは偶然ではない。
 本来は利権と無縁であるはずの教育が、安倍政権で歪められ、シノギにされているのだ。
 この根本問題を取り除かない限り、マトモな文科行政は望めそうにない。


[写真]
萩生田文科相も「清和会」所属

日刊ゲンダイ、2019/11/12 06:00
モリカケの次は英語民間試験
文教利権貪る「清和会」の罪

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264522/

 外務省は2019年11月8日、旭日(きょくじつ)旗を韓国語で説明した文書をホームページ(HP)で公開した。
 これまでは日本語と英語のみだった。
 仏語とスペイン語版も同時に公開。
 韓国国内で旭日旗を問題視する動きがあり、自民党議員らから韓国語での説明を求める声があがっていた。

 旭日旗は太陽をかたどった意匠で、「日本国内で長い間広く使用されている」「大漁旗や出産、節句の祝いなど、日常生活の様々な場面で使われている」などと意義や歴史を説明した。
 外務省HP内にある「旭日旗」のページに掲載。
 菅義偉官房長官が2013年9月の記者会見で述べた「政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」との発言も各国語で紹介している。
 韓国国会は2019年9月、旭日旗を「第2次世界大戦当時の日本の帝国、軍国主義の象徴」と位置づけ、来年2020年の東京五輪・パラリンピックの競技会場への持ち込み禁止を求める決議を賛成多数で可決した。


[写真]
韓国語で旭日(きょくじつ)旗について説明している外務省HP

朝日新聞、2019年11月11日14時46分
外務省、韓国語で旭日旗説明
HPに「日常生活で使用」
https://www.asahi.com/articles/ASMC8644GMC8UTFK01C.html

ユニフォームの正式発表がありましたが、迷彩柄が変更されるまで、本活動は続行いたします

 2020年のオリンピックにおけるサッカー日本代表のユニフォームが、迷彩柄であると発表されました。
 私たちはこのことに疑問を感じ、日本サッカー協会に再考をお願いしたいと考えます。

 オリンピックはもともと、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことが目的です。
 そして、迷彩服は、もともと戦争における戦闘服です。
 人を殺し合う「戦争」と、ルールを守ってお互いを尊重しあう「スポーツ」は、同じ「戦い」ではあっても、目的が違います。
 また、迷彩服は、今も世界中で、人を殺し合う戦争で用いられています。

 今回の決定で、選手が迷彩服を着れば、サポーターも買って着るでしょう。
 大人だけではなく、子どもも戦闘服である迷彩服を着て、迷彩服で埋まる観客席が世界中で放送される様子を想像してみてください。

 かつて、日本では沢山の人が戦争で死に、今も戦争のトラウマを抱える人が少なくありません。
 その人たちは、競技の様子を見て、戦争を思い浮かべてしまうでしょう。
 そして、海外では迷彩服を着た人たちが、罪もない人びとの命を日々奪い続けている現実が、今もあります。
 日本では戦争は遠い外国の話でも、海外では今も迷彩服は戦争をイメージさせる「戦争における戦闘服」です。
 選手ばかりではなく、迷彩服を着た数十万人の日本人のサポーター達が、日の丸を振りながら大声援に沸くスタジアムに、日本にやってくる人たちはどう思うでしょうか。
 そんな光景は、スポーツを純粋に楽しみたい観客には失望を、アスリートたちには迷いと戸惑いを、そして世界には疑念を生んでしまうのではないでしょうか。

 一方で、戦争とオリンピックとの関係については、「オリンピック停戦」という1993年の国連決議があります。
「オリンピックの前後7日間は、いかなる戦争・紛争も停止する」という国際的ルールであり、この期間中は、停戦の他、観客も無事に帰国できるように各国がはたらきかけています。
「オリンピック停戦」は、国連史上どの決議よりも多くの加盟国に支持されたものであり、国連総会において2年ごとに話し合われるほどの重要な議題です。
 つまり、オリンピックには、戦争とは相反する思想で生まれ、世界がなるべく暴力による物事の解決ではなく、スポーツを通じたコミュニケーションの機会をもってお互いを理解しあい、平和を恒久的なものにするという目的があるのです。

 私たちは、アスリート達が命を削るような厳しい練習の日々を耐え抜き、技も人格も磨き上げることを、よく知っています。
 アスリートは平和の使徒です。
 オリンピックはスポーツを愛し、平和を願う人びとの「平和の祭典」です。
  この祭典を全世界の皆さんとぜひ共有したいと思います。

 私たちは、オリンピックの主催国である日本の代表チームが戦闘服柄を着用することに抵抗を覚えます。
 平和の祭典を、戦争に由来しないユニフォームで開催するように訴えましょう。

 日本サッカー協会は、迷彩柄のユニフォームの採用を再考してください。
 皆様のご賛同をよろしくお願いいたします。


サッカー日本代表、迷彩柄ユニフォームの再考をお願いします。WE LOVE SAMRAI BLUE.
宮脇 文恵さんが 日本サッカー協会、日本オリンピック委員会、アディダスに宛てて立ち上げたキャンペーンに1,048人の賛同者が集まっています。

https://www.change.org/p/要求継続-日本サッカー協会-サッカー日本代表-迷彩柄ユニフォームの再考をお願いします-we-love-samrai-blue

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プラごみ削減

 まずは隗(かい)より始めよう――。
 立憲民主党は今月2019年11月から、ペットボトルに入った飲料の購入をやめた。
 環境政策を推進する立場から、プラスチックごみ削減に率先して取り組む姿勢を示すねらい。
 所属議員らには党の会議などへのペットボトルの持ち込みを控えるよう呼びかけ、缶や瓶の飲み物に順次変更する。

 全廃方針は、来年2020年7月から始まる小売店でのプラスチック製レジ袋の有料化を受けたもの。
 立憲は一部の特殊な袋は対象外とする政府方針を批判。
 全ての袋を有料化するよう環境省に申し入れ、自党の立場を示そうと全廃を決めた。

 枝野幸男代表は2019年11月7日の記者会見で、
「個人を含め全てをいきなり(廃止するの)は難しいが、党の行う会議においてはペットボトルを使わない。国の制度を待つことなく、一人ひとりの行動の大切さを実践していきたい」と説明。
 プラスチックゴミの削減に一役買おうと、枝野氏自身も新たに水筒を購入したという。

 在庫として残っているペットボトル飲料は、党職員らが会議以外で飲み干す予定だ。


[写真]
共産党の志位和夫委員長(左)が立憲民主党を訪れた会談でも、机には缶や瓶の飲み物が並んだ=10月24日午後3時13分、国会

朝日新聞、2019年11月12日13時04分
「ペットボトル買いません」
立憲、プラごみ削減で実践

(井上昇)
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191112000897.html

 20世紀型の大量生産、大量消費という経済モデルは、同時に大量の廃棄物を生み出しました。
 そうした経済社会からの脱却を目指して、日本では2000年に循環型社会形成推進基本法が制定されました。
 最近では欧州連合(EU)が2015年に、循環経済パッケージを発表し、サーキュラーエコノミー(循環経済)の実現に向けた大規模な取り組みを開始しています。

 サーキュラーエコノミーと、これまで日本が進めてきた循環型社会はどこが異なるのでしょう。
 簡単にいえばサーキュラーエコノミーが完全な資源循環を目指す一方で、日本型の循環型社会はそこまでは求めていません。
 廃棄物の焼却で生じる熱の利用に対する考え方に、その違いが端的に表れています。

 話題になることが多いプラスチックごみについては、日本では毎年約900万トンが回収され、リサイクル率は85%程度とされています。
 しかしその内訳を見ると、サーマルリサイクルが約60%を占めています。

 サーマルリサイクルは和製英語で正しくは熱回収といいます。
 熱回収は物質あるいはそのエネルギーを100%、また何度も再利用するものではないため、リサイクルとは定義されません。
 一方でプラスチック製品に再生するマテリアルリサイクルは約20%にすぎず、その処理もアジア各国に依存しています。
 石油に近い形に戻すケミカルリサイクルも数%です。
 国内で純粋にリサイクルされているのは10%程度と、日本のリサイクル率は世界的に見て高いとはいえません。

 焼却で発生する二酸化炭素(CO2)については、炭素回収・貯留技術(CCS)を活用すればよいという考えもありますが、過度な依存へのリスクも指摘されています。
 日本の多くの地方自治体はこうした高価な技術を導入できる財政的な余裕もないでしょう。

 廃棄物処理の実態を国際的に比較するのは難しいことですが、日本は突出して焼却処理が多いのが特徴です。
 他方、広大な国土を持つ国は埋め立て処分に頼るなど、各国それぞれに課題はありますが、完全な資源循環を目指した新しい競争はもう始まっています。


日本経済新聞、2019/11/12 2:00
サーキュラーエコノミーを考える
日本型リサイクルに「循環」の壁

(大阪商業大学准教授 原田禎夫)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52024300R11C19A1SHE000/

The global battle about who will deal with the world’s trash is raging on. This week, Malaysia sent back 3,000 tons of plastic waste in 60 shipping containers to several countries because the waste counts as contaminated under a new law in the country. On Friday, Filipino President Duterte returned 1,500 tons of household waste to Canada after years of legal battle.

Slowly but surely, the global waste trade that kept a low profile for years is entering the public eye. Plastic waste, which is still imported by some countries for use by recycling companies, has been making headlines recently after China decided to prohibit its import amid environmental concerns. While the recycling of foreign plastic waste can be lucrative, lack of regulations and oversight have caused a myriad of problems in receiving countries. After China backed out, Malaysia became one of the biggest plastic waste importers (and is trying to change that).

This turning of the tide is felt in Japan, the United States and Germany, which were the biggest exporters of plastic scrap and waste in 2018. According to data retrieved from the UN Comtrade platform, Japan shipped almost 926,000 tons abroad in the previous year. If the waste was anything like that shipped back from Malaysia this week, that would equal 18,500 shipping containers. The U.S. clocked in more than 811,000 tons, or 16,200 containers, while Germany was responsible for 701,000 tons, or 14,000 containers.

Experts expect the streams of plastic waste exported from industrialized nations to continue shifting to countries where regulation are not (yet) in place.


[graph]
The Biggest Expoters Of Plastic Waste In The World

graph.jpg

Statista, May 31, 2019
Plastic Waste
The Biggest Exporters of Plastic Waste in the World

By Katharina Buchholz, data journalist
https://www.statista.com/chart/18229/biggest-exporters-of-plastic-waste-and-scrap/

posted by fom_club at 15:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネトウヨのアイドル、竹田恒泰

『中学歴史 平成30年度文部科学省検定不合格教科書』(以下、不合格教科書)なる本がいま、Amazonでベストセラーになっているのをご存知だろうか。
 タイトルの通り、昨年度の文部科学省教科書検定に申請して「不合格」となった「教科書」がベースになっているというのだが、実は、この本をつくったのは、あの“ネトウヨのアイドル”こと竹田恒泰。
 版元である令和書籍は最近設立された教科書会社で、その社長もやっぱり竹田サンだ。

 昨年度の教科書検定に関しては、朝日新聞デジタルが今年の3月26日付で、申請があった小学校の教科書164点がすべて合格したと伝えるとともに、1点だけ申請のあった中学校教科書が、教科用図書検定調査審議会から「重大な欠陥がある」と不合格判定をする旨の事前通知を受け、申請を取り下げたことを記事にしていた。

 文科省は実質的に「不合格」となった教科書の出版社名など、具体的な情報を公開してこなかったが、それこそ、竹田サンが「国史教科書」と題し、中学校の社会教科(歴史分野)で申請したシロモノ。
 そして、この“出来損ないの教科書”を一般向けに売り出したのが、いまAmazonで売れている『不合格教科書』の正体なのだ。

 もう、出版にいたる経緯からしてキナ臭いが、読んでみると、実際に戦前の「国史」教育を意識したトンデモ本だった。
 たとえば、一般的な日本史の教科書では、旧石器時代から古墳時代までを「原始・古代」として土器等の発掘物や古代中国の史書などをもとに概説する。
 ところが、『不合格教科書』が第一章にもってくるのは「神代・原始」。
 つまり、天地開闢の日本神話(ファンタジー)からスタートするのである。

 これだけでもクラクラしてくるが、さらに読んでいくとグッタリするのが、とても教科書とは思えない誤字脱字や初歩的ミス、誤謬の多さだ。

 たとえば、『不合格教科書』では、1882年に渡欧した伊藤博文について、
〈ドイツのワイマール憲法などを参考に憲法について学びました〉と書かれているのだが、これはウソ。
 伊藤らによる大日本帝国憲法制定に影響を与えたのはプロイセン憲法だ。
 というか、ワイマール憲法は当時まだ生まれてすらいない(だいたい、直後に〈ワイマール憲法とは、第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国が崩壊したあとに制定されたドイツ憲法のことです〉と自ら解説している時点で誤り気がつきそうなものだが……)。
 こんな初歩的な間違いを犯すって、普通に考えてヤバくないか。

 他にも、昭和天皇について、
〈〔前略〕病に伏してしまわれ、そのまま御恢復になることなく、昭和64年1月9日に崩御あそばされました〉
とあるが、事実ではない。
 昭和天皇の崩御は1989年1月7日の早朝だ。仮に単なる誤植だとしても、民族派や天皇絶対主義者が見たら烈火の如く怒りそうな間違いではないか。

 まあ、こうした誰が見てもわかる間違いについては、さすがの竹田サンもマズいと思ったのか、自身のブログで「正誤表」を公開しているのだが、それ以外にも問題は山積。
 とりわけ明治以降の記述は、大日本帝国の国体思想を擁護し、侵略の事実を矮小化するような誘導が各所になされている。
 いくつか紹介しよう。

 たとえば、日本が不平等条約である日韓修好条規締結に利用した江華島事件(1875年)。
『不合格教科書』は、
〈ついに日本の艦艇が朝鮮の砲台から砲撃を受ける江華島事件が起き、日本は強い態度で開国と謝罪を求めた結果、明治9年(1876)に日朝修好条規を締結しました〉と書いている。
 これだけ読むと、何か「無抵抗な日本側が朝鮮側から攻撃を受け、自然に軍事衝突となった」かような印象を受けるだろうが、歴史学的には、事件前から武力的威嚇を行っていた日本軍軍艦による挑発が衝突の原因というのが通説である。

先の戦争を「勝ってもおかしくない戦争」と主張する“お花畑脳”

 教育勅語(1890年発布)に対する評価も過剰だ。
『不合格教科書』ではわざわざ1ページ半のコラムを設け、いわゆる「12の徳目」について、
〈そうです、このような生き方は、先人たちの教えだったのです。先人たちが良き伝統を残してきたから今の日本があると言えるのです〉などと賞賛。
 加えて、
〈しかし、教育勅語はこのような美徳を実践するように国民に命令する箇所はありません。それどころか、天皇自ら実践すると宣言しています〉などと解説する。
 典型的な教育勅語の礼賛だ。

 戦前の教育勅語を現代に復活させようと目論む極右勢力は、きまって「教育勅語は『親孝行せよ』『夫婦は仲良くしろ』などと当たり前の良いことが書いてある」と主張する。
 だが、教育勅語を読めばわかるが、そうした「徳目」はすべて〈天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉すなわち「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」にかかっている。
 12番目の〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉(ひとたび皇国に危機が迫ったならば、忠誠心を発揮してその身命を捧げよ)というのもそうで、つまり“おまえたちは天皇を中心とした神国日本の臣民であり、その身と心を天皇に捧げよ”というのが、教育勅語の本質である。

 もっとも、上に挙げたのはほんの一部で、他にも「どんな脳ミソで書いたのか?」と聞きたくなるような記述は枚挙にいとまがない。
 なかでもヒドいのは “先の戦争は日本が勝てた戦争だった”と大々的に主張していることだろう。
「対米戦争に勝算はあったのか」というコラムのなかで、このように書いている。

〈日本とアメリカは国力を比較すると、圧倒的にアメリカの方が大国です。
 しかし、日米の海軍力を比較すると日本もそれなりの力を持っていたことが分かります。〉

〈無論、国力が異なるので長期戦になったら不利ですが、短期か中期であれば、互角どころか、有利に戦える可能性があったのです。
 戦後になって「勝てるはずがない戦争」といわれることがありますが、兵力差などから分析すると、短期戦あるいは中期戦なら「勝ってもおかしくない戦争」、もしくは「勝たないまでも負けなかった戦争」であると言えます。〉

 いったい何を言っているのだろう。
「うまくやればアメリカに勝てていたはず」とか「もし日独伊が連合国に勝利をおさめたら戦後日本はこうなっていたはず」というような物語をしばしば「架空戦記」と呼ぶが、それは言うまでもなく歴史学ではない。
 ファンタジーである。
 義務教育の教科書に載せられるものではない。

 だいたい、「勝ってもおかしくない戦争」だったらなんだと言うのか。
 戦争は、あまりにも多くの人々の生命と生活、自由と人生を犠牲にする。
 日本人だけではない。
 植民地支配した国々もそうだ。
 日本の「皇軍」は民間人を含む大量の人々を殺し、奪い取った。
 そこから、戦後日本は「もう戦争はしたくない」という人びとの切実な思いとともに歩んできた。

竹田版歴史教科書の執筆者は竹田恒泰本人と竹田研究会の学生

 はっきり言うが、「勝ってもおかしくなかった」などとして戦争の正当化を図ろうとするのは、まさしく、わたしたちが生きる現在までの“日本の歴史”を否定することだ。
 “お花畑”もたいがいにしてほしい。

 もっとも、この『不合格教科書』における「対米戦争に勝算はあったのか」については、文科省からその全体について根拠資料の提出を求められたという(その他39点についても根拠資料を出すよう求められている)。
 同書の巻末には、文科省からの「検定申請図書に係る検定審査不合格の理由の事前通知」が掲載されており、そこに不合格の理由が書かれているので、一部を紹介しておく。

〈学習する上で必要と思われる諸資料が極端に少なく、資料に基づき考察することが非常に困難である。〉

〈特定の時代や題材に偏った構成となっており、全体として調和がとれていない。〉

〈学習した内容を活用してその時代を大観し表現する活動に関する記述が見られないなど、我が国の歴史の大きな流れを各時代の特色を踏まえて理解させるには不十分である。〉

 文科省はこのような指摘をしたようだが、いや、一般論以前の問題だ。
 竹田恒泰が送り出そうとしている「国史教科書」は、初歩的な誤りが多く見当たるのはもちろん、日本の歴史を神話に求めたり、侵略戦争の矮小化ないし正当化を図るなど、義務教育であつかう教材としてあり得ないほど低レベル。不合格は当然だろう。

 というか、こんなレベルで本当に竹田サンは文科省の検定に通るとでも思ったのだろうか。
 実際、執筆者の項目を見てみると、竹田サンが「主筆」で、その他の4人の執筆者はみな「竹田研究会学生部」の学生。
 歴史学の専門家は一人もいない。
 マジでなめてんのか?と聞きたくもなっている。

 ここまでくると、商魂たくましい竹田サンのこと、このトンデモ教科書の申請計画自体、はなから『不合格教科書』として売り出すための単なる“箔付け”“ネタづくり”なのでは……。
 そのあまりにヒドい出来を目の当たりにすると、そんな気すらしてくるのである。

 しかし、『不合格教科書』の前書きでは、同書の売り上げを費用にして、今後も「国史教科書」の制作を続けて検定合格を目指すとしているが、さて、どうだろう。
 “極右仲間”優遇で知られる安倍政権が続いていれば、こんなトンデモ教科書でもそのうち合格しそうなところが、恐ろしい。


[写真]
トンデモ・ベストセラー!

リテラ、2019.06.22 10:45
竹田恒泰『中学歴史 検定不合格教科書』の間違いが酷い!
大日本帝国憲法はワイマール憲法を参考…ワイマールは30年後なのに

https://lite-ra.com/2019/06/post-4788.html

 11月13日、富山県朝日町の教育委員会主催で町内の中・高校生たちに竹田恒泰氏を呼んで講演会をする(生徒たちは強制参加)ってほんとですか。
 幼児の教育勅語の暗唱を絶賛し、Youtube もガイドライン違反で永久凍結させられたごじんですが、教育委員会はなぜ極右に講演させる?
11月5日

 教育勅語さえ実践すれば、それでいい。
 教育勅語さえ実践すれば、それで幸せになれる。
 そんなことを力説する竹田恒泰を講演会に読んで中高生に聞かせるなんて、富山県朝日町の教育委員会はどういう意図でしょうか。
 竹田氏を選んだ経緯と理由を説明しないといけません。
11月5日

 電話確認された方からメッセ。
 人選決定したのは教育委員会と学校関係者。
 町内の中高生徒全員に参加強制 約500名。
 なぜ日本の教育現場は民主主義と市民権ではなく戦前の「教育勅語」に回帰しようとするの !!!
 今回も、極右講演会を生徒に強制決定のプロセス検証が必要。
11月6日

 文科省は以前、前川喜平・前文部科学事務次官という元上司の名古屋市立八王子中学校の講演は不適切といっていたが、竹田恒泰氏のような教育勅語を信奉する違憲論者の中学校での講演は何も問題がないということか、この違いを文科省に聞いてみたい。
11月7日

 富山県朝日町の教育委員会主催 竹田恒泰 さん講演会について、中高生の強制参加はなくなりました。
 しかし税金で公的機関が教育勅語推進の講演会を主催することは変わりません。
 問題はこれから。
 なぜ竹田さんを選んだのか、そのプロセスに不適切な介入がなかったか検証すべきです。
11月8日

 講演会取りやめのお知らせ
 11月13日(水曜日)に予定しておりました、竹田恒泰氏の特別講演会は、事情により取りやめとさせていただきます。


富山県朝日町教育委員会公式サイト、2019年11月11日
https://www.town.asahi.toyama.jp/soshiki/kyoiku/1573441173939.html

 富山県朝日町教育委員会は2019年11月11日、町内で13日に開催予定だった作家の竹田恒泰氏の講演を中止すると発表した。
 開催を妨害するとの予告連絡があり、会場の安全確保に支障があると判断したという。
 予定では、町立朝日中学と県立泊高校の生徒らの活動発表の後に、「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」とのテーマで竹田氏が講演することになっていた。
 町によると、先週から竹田氏の講演に対する意見が電話やメールで多い日には数十件届いた。
 10日には妨害を予告する連絡があった。
 活動発表は会場を変更して行うという。


朝日新聞、2019年11月11日20時21分
作家の竹田恒泰氏の講演、妨害予告で中止
富山・朝日町

https://www.asahi.com/articles/ASMCC6GFBMCCPUZB00S.html?iref=pc_ss_date

 ところで貴方が「ガソリン」という脅迫内容を知り得たのは「地元の誰」ですか??
 15時台の時点では教育委員会の担当者すらも「ガソリンによる脅迫」など全く把握されていなかったんです。
 中止の理由もガソリンは関係していないとのことでしたよ。
 どこから知り得たのかとても興味深いです。
11月11日

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繰り返される「教育勅語」再評価

繰り返される「教育勅語」再評価

「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)復活論は亡霊のように何度でもよみがえる。
 1948年6月に衆参両院でその排除および失効確認が決議されたにもかかわらず、政治家や教育関係者でその再評価を唱えるものがあとを絶たない。

 最近では、大阪の私立幼稚園で、園児が「教育勅語」を暗唱させられているとして話題になった。
 今年2017年4月に開校予定の系列小学校では、「教育勅語」が「教育の要」におかれるのだという。
 しかも、同校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が就任するというのだから驚かされる。
 こうした「教育勅語」の再評価は、今後も繰り返されるだろう。

 それにしても、なぜ「教育勅語」復活論はいつまでたっても消えないのだろうか。
 それは、この文書の内容や歴史がかならずしも広く知られていないことが関係している。

「教育勅語」について、あるものは、いつの時代にも適用できる普遍的な内容として金科玉条のごとく尊び、またあるものは、狂信的な神国思想の権化として蛇蝎のごとく嫌悪する。

 だが、「教育勅語」に対する評価としては両方とも一面的で適切とはいいがたい。

「教育勅語」の内容や歴史をただしく知れば、議論もおのずと収束するはずである。
 そこで、以下では「教育勅語」のたどった道を事実ベースで振り返ってみたい(なお引用にあたって、読みやすさを考慮し、カタカナをひらがなに直し、漢字を開いたところがある)。

弱小国家らしい慎ましい内容

「教育勅語」は1890年10月30日に発布された。
 日清戦争が勃発する約4年前のことである。
 これが「教育勅語」の内容を考えるときのひとつのヒントになる。

 当時の日本は、不平等条約を押し付けられ、いつ植民地にされてもおかしくない、極東の弱小国家のひとつにすぎなかった。
 それゆえ、「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

 たとえば、「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。
 これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。

 むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。
 たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。
 だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

 当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

 そのため、日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。
 大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめたのである。

 その動きはのちに触れるとして、以上を踏まえたうえで、まずは「教育勅語」発布の経緯をみておきたい。

「教育勅語」成立の経緯

 1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。

 ときの首相山県有朋(内務大臣兼任)も国防上の理由などからその求めに同意し、明治天皇より「徳育に関する箴言」編纂の命令を取り付け、腹心の芳川顕正内務次官を文部大臣に据えてその任にあたらせた。
 山県は「軍人勅諭」(「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」、1882年)の民間バージョンを考えていたようだ。

 同年5月、「徳育に関する箴言」の起草は中村正直に依頼された。
 ところが、『西国立志編』の翻案者・中村は啓蒙思想家であり、自由民権運動に親和的な草案を提出してきた。
 そこで、代わりに法制局長官の井上毅に白羽の矢が立った。
 井上は、「大日本帝国憲法」の起草にも関わった法制官僚である。

 能吏の誉れ高い井上は、その評判に反せず、山県の求め以上に完全な文書をめざした。
 井上は、山県に対する書簡で「箴言」ではなく「勅語」の名称を使い、その内容は「王言の体」でなければならないと説いた。

 つまり、君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではないと主張したのである。

 また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

 井上は、明治天皇の侍講で儒教主義者の元田永孚と協議しながら、「教育勅語」を短期間で完成させた。
 その本文はわずか315文字に刈り込まれた。
 それが以下である。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
  明治二十三年十月三十日
 御名 御璽

注釈書は戦前だけで300種類以上

 では、「教育勅語」はどのような内容だったのか。
 実はこれがむずかしい。
 というのも、井上毅が「王言の体」をめざした結果、言葉づかいが曖昧になり、さまざまな解釈を受け入れるものになったからだ。
「教育勅語」の注釈書は、戦前だけで300種類以上も刊行された。

 そのなかでも、帝国大学文科大学教授の井上哲次郎が執筆した『勅語衍義』(1891年)は、ときにもっとも権威があるとされる。
 文部省が公認し、井上毅を含む文教関係者の回覧を受け、天覧にも供されたからである。

 ただ、井上毅が不満を述べ修正を求めた(にもかかわらず修正されなかった)箇所もあり、そのまま採用することはできない。
 それに、井上哲次郎はのちに不敬事件を起こして、帝国日本のイデオローグとしての地位を失った。

 また、「教育勅語」には英訳を含むさまざまな官定翻訳が存在するが、これも正確なものではない。
 なぜならその官製訳は、ヨーロッパ向けでは、日本の先進性をアピールするために意訳されることがあったからである(官定翻訳については、平田諭治『教育勅語国際関係史の研究』を参照されたい)。

 さらに、文部省は1939年から翌年にかけてひそかに学者を集めて「教育勅語」の全文通釈を作成したが、一般に公開されたものではなく、またアジア太平洋戦争(1937〜1945年)下特有の超国家主義的な解釈も行われたため、やはりこれもそのまま鵜呑みにできない。

 このように、「教育勅語」の内容理解は困難をきわめる。
 現在、「現代語訳」として流通しているものにも身勝手な解釈が含まれ、信頼に足るものが少ない。

 とはいえ、具体的な徳目が以下の箇所である点はおおよその同意が取れている。
父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 先述の全文通釈(1940年完成)の該当箇所を以下に引いておく。
 正しい解釈と断言できないが、部分的には参考になる。
父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて気随気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。

 最後の「一旦緩急アレハ(万一危急の大事が起つたならば)」以下はともかくとして、それ以前の徳目の多くはかなり現実的なものだ。

 もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。
 その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。

解釈、追加、修正、補完…

 ただ、前述したように、こうした控えめな内容は、日本が帝国主義列強として成長するにつれ問題視されるにいたった。

「教育勅語」には、国際交流や産業振興に関してかならずしも十分な言及がない。
「一等国」の国民としてこれらは欠かせない徳目だ。
 そこで、1898年第三次伊藤博文内閣の文部大臣に就任した西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

 今日に残されたその草案には、「大国寛容の気象」を発揮して、「藹然社交の徳義を進め、欣然各自の業務を励み」、また女子教育を盛んにするべきなどとある。
 悪くない内容だったが、結局、西園寺の病気と辞職で頓挫してしまった。

 また1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された。

「教育勅語」は植民地を獲得する前に書かれたので、異民族の教育方針にはなりにくい。
 そこで「今上陛下が有個所を修正せられて、新付の民族に賜はる様にすればよくはないか」というのである。
 この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

 しかし、こうした「教育勅語」の改訂・修正案などは、さまざまな理由でうまくいかなかった。

 そのひとつに「不敬」問題があった。
「教育勅語」はその発布以後、小学校の祝祭日の儀式などで校長によって「捧読」され、神聖不可侵な存在となっていった。
 そのため、年々その改訂・修正などがむずかしくなったのである。

 結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。
 1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

 1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。
 これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ。

 このように「教育勅語」の歴史は、解釈、追加、修正、補完などで覆われていた。
「教育勅語」はつねに動揺していたのである。
 これが偽らざるこの文書の姿であった。

復活論はナンセンス

 敗戦後、GHQ内で新しい「教育勅語」を発布させる動きもあったが、ここでは割愛する。
 いずれにせよ、主権在民を原則とする「日本国憲法」のもとで「教育勅語」が廃止された。
 当然というべきである。

「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。
 その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

 ましてかつてなく社会が複雑化し、価値観が多様化した現在、部分的に評価できるところがあるからといって、「教育勅語」全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンスである。

「教育勅語」の内容と歴史を知れば知るほど、そう結論づけざるをえない。

 復活論者は、「『教育勅語』再評価=戦後民主主義批判=反左翼=保守」と早合点し、その内容や歴史の精査を怠り、その復活を唱えることを自己目的化してはいないか。

「教育勅語」の歴史に学ぶことがあるとすれば、それは、ある時代の教育方針を金科玉条のように墨守することではなく、むしろそれを柔軟に見直し、現実に対応していくことであろう。

「教育勅語」を個々人で愛好するのはよい。
 だが、公的に復活するべきかといえば、その答えは明確に否である。

※ 本稿で扱ったテーマは、近刊『文部省の研究 、「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書、2017年4月)でも掘り下げている。「文部省の真の姿」に迫った1冊、どうかご高覧ください(*)。


現代ビジネス、2017.01.23
「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ
ナンセンスな主張が繰り返される理由

(辻田 真佐憲)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50764

(*)辻田真佐憲『文部省の研究』

文部省は(略)つねにほかの組織に介入され続けた。

 天下り問題や獣医学部の新設をめぐる加計学園問題で、にわかに注目の的になった文部科学省。

 辻田真佐憲『文部省の研究』は、そんな文部科学省(前身は文部省)の創設以来の歩みを追った本である。
 副題は「『理想の日本人像』を求めた百五十年」。
 これを読むと、そのときどきの国家の方針や為政者の思惑によって、文部省がどれだけ翻弄され、右往左往してきたかがわかり、情けないやら涙ぐましいやら。

 文部省が正式に発足したのは1871年。
 当初から日本の教育方針は「欧米式の啓蒙主義」と「復古的な儒教主義」の間でゆれていた。
 そこで1890年には「教育勅語」が発布されるが(教育勅語は意外にも近代的な側面を備えていた)、10年おきに勃発する戦争に対応して、この後「理想の日本人像」は激しく変化する。
 日清戦争後にはリベラルな「第二の教育勅語」が構想されたりもしたが、徐々にそれは国家主義的な傾向を強め、1930年代なかば以降は「天皇に無条件で奉仕する臣民」に収斂されていく。

 そして「教育基本法」とともにスタートした戦後。
「理想の日本人像」も大転換した。
 すなわち「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」。
 が、これはこれで普遍的すぎて反動を招く結果となり、さらに高度経済成長期になると企業戦士の養成が課題として浮上、「期待される人間像」が打ち出される。
 今度は「責任をもって黙々と働く日本人」。

 右へ左へと付和雷同する文部省。
 加えて宿敵・日教組との攻防。
 経済界や保守団体の手前勝手な要求と、官邸や他の省庁の介入。

 こうしてみるとたしかに〈文部省は主体的な組織とはいいがたく、つねにほかの組織に介入され続けた〉。
 その伝統を今も引きずってるんだ。
 もちろん、それは教育が重要だからなんだけど、ナショナリズムとグローバリズムの狭間で「理想の日本人像」はゆれ動いてきた。
 その上〈教育をめぐる議論は、イデオロギーが跋扈し、空理空論に陥りやすい〉。
 右派も左派も教育にはうるさいからね。


※ 週刊朝日  2017年8月4日号

dot.asahi ・書評《今週の名言奇言 (週刊朝日)》、2017.7.26 10:51
『文部省の研究』辻田真佐憲著
斎藤美奈子
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2017072500070.html

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2019年11月11日

ブレイディみかこ「みんなで怒らないと」「人がつくった鋳型にはまるな」

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:
★ 2016年12月10日「ブレイディみかこ」
★ 2018年02月21日「私の『貧乏物語』」
★ 2018年02月23日「あの男たちへの批判」
★ 2018年03月20日「スティーヴン・ホーキング博士の最後の闘い」
★ 2019年01月03日「ブレイディみかこ」
★ 2019年02月21日「藤原辰史 京大准教授」
★ 2019年07月20日「日本がこれ以上分断しないため」
★ 2019年08月09日「桃井かおり主演『夏少女』」

パンクな文体で腐った政治を撃つ豪速球投手。
と思えば、ユーモアと繊細さをマジックのごとくブレンドさせた変化球の人。
英国在住のライター、ブレイディみかこさんが放つ言葉の力に勇気づけられた女性たちは多いでしょう。
話題の最新作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)では、英国の公立中学に通う一人息子の葛藤と成長を描きながら、多様性の時代に生きる“ややこしさ”と“奥深さ”を余すことなく伝えてくれます。
一時帰国を機に、女性たちへのメッセージも込めて、たっぷり語ってもらいました。

英国・ブライトン発、「元底辺中学校」の現場から


― 一気に読みました。英国社会の荒廃を無料託児所などの光景から浮き彫りにしたルポや、政府の緊縮財政の愚を指弾する時評とは、ずいぶん雰囲気が違う気がします。

ブレイディみかこ(以下、みかこ): そうかもしれません。
 英国で周囲にいる人々や出会った人びとを観察して書くのでなく、いままさに私自身の現場である子育ての日々を、初めて書いたノンフィクションなんです。

 ロンドンの南、ブライトンという海辺の町で息子が通う公立中は、貧しい白人の子どもが多く、少し前まで学力的に最底辺校と呼ばれていたところです。
 それが音楽とか演劇とか、生徒がやりたいことをのびのびやらせるユニークな改革を重ね、生徒たちの素行も改善され、学力も上がってきた。
 とはいえ、トラブルは日常茶飯事。
 移民問題や貧困問題が背景にあります。
 そこで起きる出来事をちりばめながら、思春期の息子と私たち夫婦のホームドラマの要素も入っているので、マイルドな印象もあるのでしょう。

 単著は10冊目になるらしいのですが、今回は、より多くの読者に届くオープンな本にしたいと思いました。
 自分の主張は控えめにし、状況を皆さんに伝え、考えていただく。
 果たして面白いのかな、という気持ちもありましたけど。


― すごく面白いです。この手法だからこそ、今ひとつわかりにくかった英国社会の最前線の一端を、リアルに知ることができた気がします。

みかこ: 本当に、ぐっちゃぐちゃですからね。
 人種・民族にジェンダーといった軸と、階級という軸とが複雑に交差して。
 移民でもお金をためて一定レベルの生活をしている人もいれば、貧しく取り残された白人も多い。
 いろんなレイヤー(層)があって、互いに意識し、時に差別しあう。
「多様性はややこしい、衝突が絶えないし、ない方が楽だ」って書きましたけどね。
 いま英国は、3度目の大きな変化の波にあるといわれています。
「揺りかごから墓場まで」で有名な福祉政策を打った労働党政権の「1945年のピープルの革命」が最初。
 そして次が80年代、福祉切り捨てや民営化などの新自由主義的路線に転じたサッチャー政権。
 90年代には「第三の道」を提唱したブレアの労働党政権が期待されましたが、失望に終わり、2010年から保守党が進めてきた緊縮財政によって、貧困層にしわ寄せが強まり、社会の分断が進みます。
 EU離脱をめぐり紛糾するいまは、3度目の波のさなかなんですね。

 というわけで、ひどく大変な状況ではあるんですが、子どもたちはたくましい。
 日々、ぶつかりあい、迷い、考えながら、思いがけない方法で、突破していっている。
 乗り越えるというより「いなしていく」という言葉がぴったりかな。
 たとえば、ぼろぼろの制服を着ている友達に、代わりの服をあげたいと思う。
 でも返ってそれは、相手を傷つけることにならないか。
 いざ口にしたら、案の定、不審の目を向けられた。
 とっさに息子は「君は僕の友達だから」と言ったんですね。


― 絶妙の一言ですよね。

みかこ: そのやりとりを目にしたとき、私が思い出したのは、例えばジョージ王子が通っている私立校をはじめとし、「ベストフレンド」という言葉は使っちゃいけない、という方針の学校が出て来た、というニュースでした。
 さすがにPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的な正しさ)の行き過ぎだと、たたかれていたようですが、ほら、いいんだよ、助けたくなるかけがえのない友達がいていいんだよと、息子が示してくれた気がしました。

 そういえば数ヶ月前、マイクロソフトのワードファイルで、AIがPC(ポリティカル・コレクトネス)的に正しくなるよう私たちの文章を書き換えることが可能になるというニュースが話題になりました。
 PCを否定するつもりはありません。
 それは多様な社会で生きるために必要なものです。
 でも、あらかじめ問題になりそうな言葉が、「なぜいけないのか」を考える暇もなく排除されてしまったら、その言葉を吐かれた人の痛みといった現実的なことを考えてみる機会も、奪われかねない。
 深く理解することと、傷つけあって学ぶこと。
 2つが結びついている場合もあると思う。
(*1)

― ご本の中で、多様性は楽じゃないと伝えたブレイディさんに、息子さんが「楽じゃないものがどうしていいの?」と尋ね、「楽ばっかりしてると、無知になるから」と答える場面が印象的でした。

みかこ: さっきの話に通じることです。
 今の時代、インターネットで何でも手に入れられると思いがちですね。
 でもそれで知識を得たことにはならないでしょう?
 私、よく「地べた」という言葉を使うんです。
「机上」に対する「地べた」。
 地べたで実際に人とぶつかる中から、本当の理解が生まれる。
 インテリジェンスというより、「叡智」みたいなもの。
 それが今の世の中、欠けていないでしょうか。
 頭で考えすぎて、空中戦になりがちな今の風潮をみていると、子どもたちの世界の方がよっぽど人間として大人で、まともに思えることも多い。
 もちろん、物事を論理的に考えていく知的な作業の大切さも承知しています。
 あるとき、息子が「エンパシー」という言葉の意味を、学校のシティズンシップの試験で問われて、「誰かの靴を履いてみること」と回答したというんですね。
 これは英語の定型表現なのですが、シンパシー(同情する)と違い、エンパシーは自分と違う理念や信念をもつ人のことを想像してみる、主体的な力のことです(the ability to understand other people's feelings and problems・・・Longman"Dictionary of contemporary English")。
 息子は、EU離脱などで分断が進む今の社会で、その力が大切になると教わったらしいです。


― ご本の魅力の一つは、そうした息子さんの聡明さですね。さまざまなバックグラウンドをもつ友人たち、先生、お母さんお父さん、道ですれ違う人たちまで、いろんな言葉や態度から、さまざまなことを感じ取り、考え、次に生かしている。

みかこ: いえいえ、まったく聡明じゃないところもありますけどね。
 でも、もう13歳ですから、スポンジみたいな吸収力には驚かされます。
 えっ、そんなこと覚えていたんだと、はっとさせられることは多いです。
 私も、一緒に学んでいく日々です。


ライター・保育士、ブレイディみかこができるまで

― 福岡のお生まれですね。どんな子どもでしたか。

みかこ: 気が強かったですね(笑)。
 とっくみあいのケンカもしましたよ。
 勉強は全然しなかったけど、試験の要領だけはよかった。
 家は土建屋なんですが、貧乏でしたね。
 周りもそんな感じだったから、中学まではあまり気にならなかった。
 ところが地元の進学高に入学して、家のことは一切言えなくなりました。
 お金がなくてパン1つしか買えなくても「ダイエット」なんてウソついて。
 裕福な家庭の子どもたちには、貧乏のイメージがわかないわけですよ。
 彼らの幸せな世界を、こんな暗い話題で壊しちゃいけない、と感じていた。


― それは、自分を保つため?

みかこ: そうだったと思いますね。
 恥ずかしかった。
 なんでこんなに貧乏なんだろう、なんでこんなところに生まれちゃったんだろうって。
 親がバカだからだと思っていましたよね、ずっと。
 上の学校に行きたいとか、お金があれば、ああいうこともできた、って気持ちは当然ありましたけど、自分でなんとかしなきゃいけない。
 で、バスの定期券を買うために、スーパーのレジ打ちのバイトをやっていたんですが、あるとき学校にばれちゃったんですね。
 そうしたら担任から叱られた。
 理由を正直に説明したら「いまどきそんな家庭があるわけない」って。
 そこから、本気でグレましたね。
 授業をさぼり、バンドばっかりの生活になった。
 英国との出会いはそのころからです。
 学校で家のことを話せない自分がいて、でも帰宅してブリティッシュ・ロックを聴いたら、労働者階級である自分を誇りに思う人たちがいると知る。
 会ってみたい、彼らの国に行ってみたいと、あこがれました。


― いつから渡英したのですか。

みかこ: 高校卒業後の80年代半ばです。
 行ってみたら、やっぱりすごく気が楽でした。
 労働者階級の誇りも肌で感じましたけど、何ていうかなあ……あまりちっちゃなことにこだわらない。
 自分は自分で、好きにしていられる。
 それが日本と決定的に違った。
 で、ビザが切れると帰国して、お金をためてまた出かける、というフーテン暮らしを続けました。
 男性を追いかけていったこともありましたね、はい(笑)。
 バブル世代だから、楽天的だったのかもしれません。
 いまはこんなフラフラしていても、何とかなる、という根拠なき確信を抱いて生きられる時代だった。
 その後、アイルランド系の英国人の夫と知りあい、結婚して1996年からブライトンに住み始めました。
 この間、日系企業のアシスタントをしたり、翻訳の仕事をしたり。新聞社で働いたこともありますが、特派員が発信する英国だけが日本に情報として入るとしたら、かなり偏ってしまうなと正直思っていた。
 駐在員の記者の方々はいつも多忙で、地元のコミュニティに根差して生活しているとは言い難い。
 そうすると、英国の人びとの感覚と報道がずれて行くのは当然です。
 だからと言って、自分が書こうとか、そんなことは夢にも思ってませんでしたが。
 ライターの仕事は、ほんの小遣い稼ぎに始めたことです。
 それが変わってきたのは音楽雑誌「エレキング」に書くようになってからですね。
 好きな音楽について書き始めると、政治も社会も、いろいろと自分の言いたいことがわいてきた感じで。
 そうこうするうち、2006年に出産し、翌年に保育士見習いを始めるわけです。


― そもそも、また何で保育士に?

みかこ: 自分の子を産むまでは、子どもなんてケダモノというくらい、好きじゃなかったんですよ。
 それが、世の中に子どもほど面白いものはない、と大転換が起きた。
 無料託児所の門をたたいたら、ここの創設者が地元では伝説の幼児教育者だった。
 息子は彼女に見てもらったのですが、親なら見逃すような成長のあとも、詳細に記録してくれるプロ。
 平等も自由も大切だ、両方あってしかるべきだという理念の持ち主でした。
 私の師匠、と呼べる人ですね。
 でも当時の保守党の緊縮政策のツケで、託児所はつぶれてしまいます。
 そこから保育士の仕事をPR誌に書いてほしいとみすず書房から声がかかり、別途、ヤフーニュースでも執筆依頼があって、その記事を集めた本が岩波書店から出た。
 人文書の世界にデビューみたいな感じですかね。
 それから今日に至る……ほとんど成り行き、ですよね。


― でも、もともとはライター志望だったのですか。

みかこ: いやいや、そんなことないですよ。
 ただ、本を読むこと、文章を書くことは、好きだったのかな。
 十代のころは、けっこう小説を読んでいて、特に好きだったのは坂口安吾とオスカー・ワイルド。
 流行りの作家なんかも、わりと読みましたね。
 あと、不良だった高校のとき、白紙で出した答案用紙の裏に、バンドの詞や、大杉栄についてのミニ論文とか、ヒマだから書いてたんです。
 そうしたら、私の文章を読んだ現代国語の先生が「君は物を書きなさい」と言ってくれて。
 どの先生からもたらい回しにされていた私の面倒をみる、と言ってくれ、2年生、3年生と担任になってくれた。
 何度も何度も自宅に足を運んでくれて、「大学に進んでたくさん本を読んで、たくさん文章を書きなさい」と。
 まあ、うっとうしくて勉強もやりたくなかったから、大学には進まなかったんですけど……。
 回り回って、こうして物書きになった。
 不思議ですよね。


― いろいろな出会いが、いまのブレイディさんをつくってきたのですね。ご本にも、息子さんの友達2人に絶妙なケンカ両成敗が下された話にからめて、小学校の恩師のことが思い出されていました。

みかこ: 周囲の反対を押し切って、差別を受けていたコミュニティの人と結婚した方です。
 きっとご自分の経験があったからこそでしょう、彼女は、どの差別がよりいけない、という前に、「人を傷つけることはどんなことでもよくない」と子どもたちに言い聞かせていました。
 もう40年ほど前で、半分覚えていたかどうか、くらいの話だったのに、息子の話を聞いてフラッシュバックのように蘇ってきた。
 子育ての面白さは、そんなところにもありますね。


日本社会へ、日本の女性たちへ

― 平成のほぼ30年、離れていた日本は、いまブレイディさんの目にどう映りますか。

みかこ: 一言でいうと、窮屈になった。
 帰国するたび、そう感じますね。
 さまざまな現場で若い人たちを取材したことがあるのですが(「THIS IS JAPAN」、太田出版)、仕事でも人間関係でも、生きづらさを自分のせいにする。
 自己責任論というやつですね。
 どうにかなるという楽天的なところも感じられない。
 私も若いころ、めちゃくちゃ貧乏だったけど、もう少し楽天的でした。
 今の、この時代を覆う空気なんでしょうね、きっと。

 それから気になるのは、女性問題。
 英国にいると、特に去年くらいから、女子学生を不利にする医学部入試とか、相撲の土俵に女性が上がれないとか、女性が虐げられた国・日本、というニュースばかり目に入ります。
 海外メディアにとっては、いかにも日本っぽいという話題で、飛びついている面もあるでしょうけど、悲しいのは、「いや、それはウソです」と言えないことですね。


― 確かに。反論できない。

みかこ: いまの日本で何がいちばんダメかといえば、経済と女性問題です。
 この問題をどうにかしていくには、フェミニズムのありかたを考え直すべきじゃないかと思う。
 男性社会で差別はいろいろあったし、つらい目にあったけど乗り越えた。
 私=グレイト、だからあなたも頑張れ――こんな新自由主義的な発想では、逆に個人が生きづらくなると思う。
 もっとソーシャルなフェミニズムを作りだしていかなければいけないのでは。
 世界的に広がった「Me Too」の運動だって、そういう方向でしょう?
 フェミニズムといって語弊があるなら、シスターフッド(女性同士の連帯)と言い換えてもいい。
 つらいことをなくしていこうよ、という社会制度を変えていく方向への転換は、一人じゃ絶対無理ですから。
 最近、韓国の女性作家の「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ著、斎藤真理子翻訳、筑摩書房、2018年12月)っていう本が売れているじゃないですか。
 知りあいに聞いたら、あれを読んだ韓国の女性はみんな怒った。
 でも日本の女性は泣いたと。
 これが示唆するものは大きいと思う。
 泣いて終わってたら、しょうがない。
 涙が乾いたら明日からがんばろうじゃ何も変わらない。
 やっぱり、みんなで怒らないと、誰もビビらないですよ。


― でも以前、フェミニズムって「おっかない」と感じていたと書いていましたよね。

みかこ: ええ、そう思ってました!
 私なんか、きっと怒られるって。
 だから最近まで直接的には書かなかったんです。
 やっぱり、フェミニズムが学問になってしまって、第一波がこう、第二波がこうと(笑)。
 そんなことを知らない学のないおまえが言うな、と言われそうだから発言しちゃいけないのかな、と思ってた。
 でも、これからの女性の運動は、フェミニズムのフェの字も知らないような人が「私もつらい」「おかしいと思う」と声をあげる、あげてもいいんだ、と思えるものにしないと実際には何も変えられないと思う。
 女だからといって、何でこんな目にあわなきゃいけないの?と誰もが言い出せる勇気をもらえるものにしないと。

 フェミニズムも左派も、よく分裂しますよね。
 左派は思想や理念で分裂するのが宿命だとよく言われますけど、でも女性であるということは思想や理念じゃないですよね。
 事実であり、現実です。
 なのに無駄に分かれて行ったら、それだけ声が細く小さくなって行く。
 そもそも女性って数的にはマイノリティでも何でもないですよ。
 世の中の半分、しっかり生きているんですから。
 これが何で、いまだにマイノリティということになってるのかが問題であって。
 もちろん個人であることも大事ですよ。
 だれかと同じになれ、って上から言われたら、私はぜったいイヤだし、まず、なれないし。
 個人でありながら、そのうえで、ゆるやかに連帯する。
 個人的なものとソーシャルなものはいつも対立する概念でもないですよね。
 私が私として生きられるようにするために連帯して闘うこともある。
 要するに、このバランスが大切なんですよね。


― 萎縮し、閉塞する一方の、日本社会へのメッセージは、ありますか。

みかこ: 不確実な時代って、みんな正しい答えをほしがります。
 迷ったり、間違ったり、道を踏み外したりすることを恐れる。
 そういう機運が、ますます閉塞を強める。
 だから、そういう時代こそ「迷ってやる」くらいの気持ちが必要じゃないかな。
 自ら迷いながら、探していく。
 ネットに答えなんか載ってない。
 だから、ここだけが世界だと思わないこと。
 迷っているあいだに、まったく違う世界が見つかるかもしれない。
 今ある世界が、すべてじゃない。
 どんどん違う世界に出ていけばいいと思いますよ。
 最近、100年前に生きた日英の3人の女性、アナキストや運動家のことを本に書いたのですが(『女たちのテロル』、岩波書店、2019年5月)、いまの時代にアナキズムが必要だとすれば、「鋳型にはまるな」っていうことなんだと思う。
 人がつくった鋳型にはまるな。
 今ある鋳型を信じるな。
 これだけ世界が大きく変わっている時代です。
 これまでの鋳型を信じてやっていても、しくじる可能性が高いですし(笑)


― 今後のお仕事は。

みかこ: 私は自分が論客とは思っていません。
 なりたいとも思っていない。
 現場を大切にしたいのもあるし、何が書かれているかよりも、「どう書くか」のほうが気になるということは、書き始めた頃からずっと言ってきた。
 物書き、ですよね。
 明確にそうありたい、と思っています。
 ただ、小説とかノンフィクションとか評論とかエッセイとかルポとか、ジャンル分けが細かすぎると思うことがよくあります。
 形式にこだわりすぎというか別に、ぎちぎちに分けなくてもいいんじゃないかと。
 ジャンルをクロスオーバーしていると、邪道というか、イロモノ扱いもされますけど、窮屈なところにはまり込むより面白いと思います。

 先日、詩人の伊藤比呂美(*2)さんと会ったんですが、彼女は詩だけでなく、エッセイや小説も書かれていますけど、「私の書くものすべてが詩だ」と仰ってます。
 僭越ながら、その感覚はわかる気がする。
 と言っても私は詩人じゃないので、「私」がジャンルということにしておきますか。なあんて。


※ ブレイディみかこ、保育士、ライター、コラムニスト
1965年福岡市生まれ、高校卒業後、渡英を重ね、96年からブライトン在住。本文中で紹介した著書のほか、「花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION」(ちくま文庫)、「アナキズム・イン・ザ・UK」(Pヴァイン)、「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)、「子どもたちの階級闘争」(みすず書房、新潮ドキュメント賞)、「労働者階級の反乱」(光文社新書)などがある。

朝日新聞・好書好日、2019.09.26
ブレイディみかこさん『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』インタビュー
多様性は楽じゃないけど「楽ばっかりしていると無知になる」

(文:藤生京子、写真:家老芳美)
https://book.asahi.com/article/12738111

(*1)PC(ポリティカル・コレクトネス)
 どうも、ドイツに外国人として暮らす wasabi です。
 突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現、およびその概念を指す。
(Wikipedia)

 要するにポリティカル・コレクトネス(略称:PC)とは「差別的な表現をなくそう」とする概念のことなんです。日本語にすると「政治的正しさ」みたいな訳になってしまいますが、これは例えば「自民党が正しくあるためにはこうあるべき」とかそういう正しさのみを指すものではないです。
 日本でも移民や在日外国人に対する憎悪や軽蔑の念を込めて発言する「ヘイトスピーチ」が問題になっています。
https://ironna.jp/theme/43
 この記事内で投票形式で議論されている通り、ヘイトスピーチはPC的観点から規制されるべきなのか、はたまた「表現の自由」として保障されるべきなのかという視点で問題が議論されています。
 日本では法規制が採決見送りになってしまったそうですが、アメリカ、カナダ、他欧州各国ではヘイトスピーチは法律によって厳しく罰せられる対象となっています。ドイツもヘイトスピーチにはかなり厳しい処罰が適用されます。
ドイツは、ヘイトスピーチを世界で最も厳しく取り締まる国の一つだ。ヘイトスピーチは、刑法第130条の「民族扇動罪(Volksverhetzung)」に該当し、裁判所は最低3ヶ月、最高5ヶ月の禁固刑を科すことができる。
(ハフィントンポスト:熊谷徹氏)

というわけで、他民族が共存するドイツやその他欧米では「ヘイトスピーチが表現の自由か?」と議論することはもはや論外な訳ですが、もっと広義のポリティカル・コレクトネスという概念については戸惑いを覚える人もいるそうです。
 ポリティカル・コレクトネスとヘイトスピーチの違いは、後者が攻撃的な発言のみを指すのに対して、ポリティカル・コレクトネスを持ち出すと、「何気に発言してしまった差別的なこと」まで含まれます。
 良い例として、またまたアメリカのコメディ・アニメ、サウス・パークがこれについて面白いエピソードを作ってくれました。
 シーズン19のエピソード「Stunning and Brave」のテーマは、自身の出演したリアリティ番組をきっかけに性同一性障害だったことを告白し、女性に性転換をしたことが話題となった、元アメフト選手ケイトリン・ジェンナー。アメリカでは彼女のことを“Stunning and Brave”(魅力的で、勇敢だ)と評価するのがポリティカル・コレクトネス(PC)の観点から一般的だそうです。というのも彼女のことを悪く言うのは「ダサイ」ことで、許されるべきではないという空気感があるそう。
 しかしエピソード内で、主人公の一人であるカイルが、「個人的に彼をそんなにすごいと思わない」と悪気がなくて言ってしまった途端、PCを押し付ける校長やその他PCフラタニティ(サークルみたいな団体)に責められまくり、PCがやっかいなものになっていく・・・という展開で話は進んで行きます。
 さすが時事ネタや議論を呼ぶテーマを扱うサウス・パーク。PCは大事だけど、固執しすぎるがあまり、社会が窮屈になっていないか?という風刺をしたエピソードでした。

 と、そこで気になったのは日本語の「平等」という概念。これは欧米からやってきたポリティカル・コレクトネスの概念と相容れるものなのでしょうか?そんなことを考えていると面白いYoutubeのビデオに出会いました。これは、日本語の「差別」と「平等」の概念の根底を検証した話です。
https://www.youtube.com/watch?v=dNipmf7az3w
 お時間のある人は是非ビデオの最初から最後まで見て欲しいところですが、簡単にまとめると日本語の「平等」と「差別」は仏教語から翻訳された翻訳語なんだそうです。

 今でこそ日本では「男女平等、差別反対」などという使われ方をする、「差別」という言葉。
 これはもともと「しゃべつ」と発音されていて、男女差別等の差別に限らず「ものを区別する」という意味だったそうです。
 例えば、目の前に机がそこにあればそれを「机」という名前で区別して、自分と机の違いを認識しますよね。
 仏教語ではこれも「差別」ということになります。

 でも、「平等」というのは言って見れば「一切の差別を捨てる」、様子するに全ての区別をなくすということなんだそうです。
 男と女の違い、日本人とドイツ人の違い、どころの話ではなくて究極には、ゴキブリも、机も、私も、ゲイもレズも、欧米人もアジア人も世の中にあるものみ〜〜〜んな一緒、という哲学が「平等」という言葉の裏には隠れていたんです。
 これってスゴイことですよね。完全に「無」の境地です。

 アメリカ発のポリティカル・コレクトネスは人間には適用されていますが、まだゴキブリや机にまでは適用されていません。「机って呼ぶな、机も人間と同じなんだ!」と叫ぶ人がいたらコイツは大丈夫か?と思われるのがオチです。
 もちろん、動物愛護などの意識は欧米では高まっていますが、机同様、動物と人間の違いを区別(差別)するからこそ「愛護しなければ」という意識が生まれるのは否定できません。

 これって、人種にも当てはまると思うのです。私はもちろん人種差別は大反対ですし、自分がされたらとても悲しいですが、同時に「人種差別反対」と言いながら「日本人とドイツ人は一緒だ」と言われたら素直に納得できないですし、その違いを楽しんでいる節もあります。
 違いを認める、と言えば響きは良いのかもしれませんが、仏教から派生した平等の概念で言えば、「違いを認識する、ことすらも捨て去る」わけですから、その境地は完全に無です。
 もはやポリティカル・コレクトネスという概念さえ「平等」の前には存在しません。

 それでも、やっぱりポリティカル・コレクトネスという概念は現代において非常に重要な役割を持っていると私は思っています。
 なぜなら世の中は仏教の「平等」が実現するような「何にも軸を置いていない状態」に耐えられないからです。
 多くの人にとって、最強のカオス状態である「無」は非常に恐ろしいものです。
 秩序を保たなければいけない世の中において、そしてルールが存在している世の中においてはPCのような概念をもって、徐々に無(平等)に近づいて行くことが大切なんじゃないかと思います。
 そんなこんなで「平等」の境地、考えると頭がグルグルしてきますがいつか辿り着いてみたいです。

(2015年10月16日「WSBI」より転載)


ハフポスト、2015年12月15日 02時38分 JST
ポリティカル・コレクトネスとは?「平等」の本当の意味が面白い
突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?

(藤沢祐子 wasabi、ブロガー、ライター、翻訳家)
https://www.huffingtonpost.jp/yuko-fujisawa/political-correctness_b_8802070.html

(*2)伊藤比呂美
ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください:
★ 2017年11月03日「詩人・伊藤比呂美」
★ 2017年11月03日「伊藤比呂美のくまもと」
★ 2017年11月03日「伊藤比呂美の介護」
★ 2017年11月04日「伊藤比呂美の人生相談」
★ 2017年11月11日「石垣りん」

posted by fom_club at 11:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ステマって何?

 京都市が吉本興業所属の漫才コンビ「ミキ」にツイッターで施策を発信してもらうため、同社と100万円を支払う契約を結んでいたが、同市がこのほかにも同社所属のタレントのツイートに50万円を払う契約をしていたことがわかった。

 京都市によると、市が定めた3月の「伝統産業の日」をPRするため、昨年2018年1月に計216万円の業務委託契約を締結。
 同社のタレントが「きもので乾杯」というイベントに出席するなどとする内容で、20万人以上のフォロワー(登録者)を持つタレントによるツイートに50万円を支払うことも含まれていた。

 昨年2018年2〜3月、当時20万人以上のフォロワーがいた「ミキ」の亜生さんが「京都出身ということで、僕たちが京都市の伝統産業の日のPRをさせてもらうことになりました!」と投稿したほか、木村祐一さんが「『きもので乾杯』@北野天満宮」と投稿するなど、計5組がツイート。
 一連のツイートには「#伝統産業の日」といったハッシュタグはついていたが、市が広告主であることは明示されていなかった。

 市の施策に関するツイートを巡っては広告でありながらそれを隠す「ステルスマーケティング(ステマ)」との指摘もあるが、市の広報担当者は、
「ステマという認識はない。より多くの方に市政情報を知っていただくために実施したが、指摘を受け、今後はより分かりやすく効果的な広報を心がけていく」としている。

 ネット広告に詳しい板倉陽一郎弁護士(第二東京弁護士会)は、
「金銭の提供を受けながら明示していないため、ステマと指摘される恐れはある。PRであることを明記するだけでなく、誰のPRであるかも明らかにすべきだ」と指摘した。

 藤代裕之法政大准教授(ソーシャルメディア論)は、
「PRであると書いてあれば関係性が明らかになるため、ステマとはいえないのではないか」との見解を示した上で、ステマに明確な定義がないことが混乱を招いているとし、
「ステマを撲滅するためにも、金銭の提供がある場合、どう表記すべきか、実効性のあるルールづくりを急ぐべきだ」と語った。


[写真]
木村祐一さんのツイート

朝日新聞、2019年10月29日21時40分
ステマ?ツイート、木村祐一さんらも判明
吉本興業契約

(大貫聡子)
https://digital.asahi.com/articles/ASMBY636MMBYPTIL030.html

 京都市と吉本興業の契約に基づき同社所属の漫才コンビ「ミキ」が市の施策を投稿したツイッターについて、吉本興業が市関連のハッシュタグが明記されているとして、口コミを装ってPRする「ステルスマーケティング(ステマ)」に該当しないとする見解をまとめたことが2019年10月30日、関係者への取材で分かった。

 市と吉本興業は昨年2018年9月、総額420万円で京都国際映画祭などの宣伝事業を契約。
 ミキら所属芸人で「京都市盛り上げ隊」を結成しイベントや広報紙に登場し、ミキの2人が計100万円で施策をツイートした。


東京新聞、2019年10月30日 21時48分
吉本興業「ステマに該当せず」
京都市の施策PR投稿

(共同)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019103001002361.html

 2019年も残すところ2ヵ月を切ったが、今年何かと世間を騒がせているのが、吉本興業ホールディングスだ。
 
 お笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之ら複数の芸人による「闇営業」騒動に加えて、「チュートリアル」の徳井義実が約1億2000万円の申告漏れで活動自粛に追い込まれるなど、所属芸人による不祥事が相次いだ。

「どちらの騒動も、当該芸人のみならず、吉本サイドの対応にも世間から疑問の声が上がりました。『テープ撮ってへんやろな?』や『在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫』、『お前ら全員クビにするぞ』といった岡本(昭男)社長の“恫喝発言”しかり。最近の徳井さんの騒動でも、吉本サイドは当初、活動自粛の可能性は『全然ない』としていましたからね。反省よりも、ドル箱タレントを何とかして守ろうというビジネス優先の意思が見えみえで、世間の反感を買うことになりました」
(スポーツ紙デスク)
 
 そんな中、ここに来て注目を集めているのが、人気上昇中の兄弟コンビ「ミキ」による“ステマツイート疑惑騒動”だ。

「ミキ」が昨年2018年の10月に京都国際映画祭やふるさと納税、市営地下鉄の宣伝のため、広告であることを明示しない形でSNSのツイッターでツイート。
 その対価として、吉本興業が京都市から100万円を受け取ったことが、「ステルスマーケティング(=ステマ)」ではないかと指摘されている。

 他の芸能事務所のマネジャーは語る。

「『ミキ』にしてみれば、事務所の指示でツイートした可能性もあり、そうであれば人気に水を差された格好で可哀そうな部分もあります。吉本さんは『#京都市盛り上げ隊』といったハッシュタグを投稿につけていたことから、『プロモーション業務であるということは世間一般にご理解いただける』とステマには当たらないという見解を表明しています。でも、IT関連の識者も指摘しているように、著名人によるSNSを利用したステマに関しては風当たりも強く、脇が甘すぎると言わざるを得ません」
 
 そのうえで、
「それでなくても、吉本さんは最近不祥事続きで世間の風当たりも強い。加えて、過去に“ペニーオークション詐欺騒動”の際に『ピース』の綾部(祐二)さんが関わっていたことで、世間の批判を浴びていますしね」と業界内からも厳しい意見も多い。

 そして最近、こうした声に動揺した吉本サイドの“ある動き”が業界と話題となっている。
 民放テレビ局の番組スタッフは明かす。

「『ミキ』のステマ疑惑に関しては、一部のテレビ局の情報番組がニュースとして扱ったのですが、これに吉本サイドが激怒。吉本興業の幹部が自らアポなしである局に乗り込み、局上層部に『事実を確認せずに報じている』と抗議したそうです。そのことは局内外で話題になっています」
 
 逆風続きでピリピリしがちなのも分からないではないが、一連の騒動を見るにつけて、まずは他者への攻撃よりも、自浄作用を優先した方がいいのでは!?

※ 週刊朝日オンライン限定記事


[写真]
伝統産業の日をPRする問題の「ミキ」昴生さんのツイート

dot.asahi、2019.11.4 15:13
「ミキ」ステマ騒動で吉本幹部がテレビ局に抗議も?!
(立花茂)
https://dot.asahi.com/wa/2019110400007.html

 京都市が吉本興業所属の市出身の漫才コンビ「ミキ」による施策PRのツイッターに100万円を支払う契約を結んでいた問題で、口コミを装った広告「ステルスマーケティング(ステマ)」ではないかとの議論がわき起こった。
 京都市や吉本興業側は「ステマではない」との立場だが、識者からは広報の手法を疑問視する声が相次いだ。
 ツイッターなどSNSで影響力のある人物「インフルエンサー」を活用する宣伝が広がる中、識者は業界団体が作ったガイドラインの活用や、発信する側の倫理向上を呼び掛けている。

 問題となったミキのツイートは2018年10月、「京都最高ー♪みんなで京都を盛り上げましょう!!」などの内容で投稿された。
 市の説明では、タレントの発信力を生かした取り組みとして吉本側から提案があったという。
 文面は事前に市の担当者が確認していた。

 ツイートに「#京都市盛り上げ隊」「#京都市ふるさと納税」などのハッシュタグ(検索目印)はあったが、市が広告主とする記載はなかった。
 このためネットなどでは「ステマでは」との意見が相次ぎ、京都市には苦情の電話が相次いだ。

 口コミマーケティングに詳しいブロガーの徳力基彦さん(46)は、
「最大の問題は金銭が発生しているのにそれを開示しないことで、ミキの郷土愛と感じた情報の受け手が『だまされた』と思ってしまうこと」と指摘。
「明らかな宣伝なので市が広告主だと明記すべき。『違法ではないから良い』という考えは法的には間違いではないかもしれないが不適切」と話す。


 市市長公室の担当者は京都新聞社の取材に「市の発信だと分かってもらえると思っていたが、市民から『分からない』というご批判を多くいただいた。課題としてしっかりと受け止め、今後の広報に生かしていきたい」と話す。

 吉本は10月30日に見解を発表した。
「京都市との連携を示すタグ表示と活動の周知により、今回のツイートが市のためのプロモーション業務であるということは世間一般にご理解いただけるものと考えている」とし、ステマには当たらないと主張する。

 ステマは、やらせ業者の投稿でグルメ口コミサイトの順位が操作されたケースや、オークションサイトを巡ってタレントが謝礼を受け取って虚偽の内容でサイトを宣伝する記事をブログに掲載していたことで注目された。
 発覚すれば世間の批判が集まり「炎上」のリスクはあるものの、広告業界の関係者によると、依然としてステマが疑われるSNSの投稿は後を絶たないという。
 徳力さんは「内部告発でも無い限り、証明はできない」と根深さを語る。

 米国では「欺まん的行為」としてステマは法で規制されているが、日本では法整備はされていない。
 明確な基準はなく、グレーゾーンの領域が広いのが現状だ。


 業界内では健全化に向けた動きがある。

 大手広告代理店などが2009年に民間団体「WOMマーケティング協議会」を立ち上げ、「正しく情報を知る権利」の保護を目的にステマ対策のガイドラインを策定。
 ネットで公開して啓発活動を行っている。
 ポイントは、金銭や物品、サービスなどが広告主から情報発信者に提供された場合、その関係性を明示することを義務としたことだ。
 具体的にはハッシュタグに「PR」「プロモーション」などを付けることを求めている。
 だが、あくまで民間団体のガイドラインのため、会員以外は守る義務はない。

 同協議会の細川一成理事は、
ステマは消費者をだますだけではなく、企業や自治体のブランドを傷つけてインフルエンサーも信用を失う。ガイドラインを参考にして、より明確な関係性の表記をしてほしい」と訴えている。

※ 京都市の吉本興業タレントSNS発信問題

 京都市は吉本興業と2018年度、「京都国際映画祭」などのPRで、所属する有名タレントのSNS発信1回につき50万円を支払う業務委託契約を締結。これに基づき、市出身の漫才コンビ「ミキ」の2人がツイッターで市政に関わる内容をそれぞれ2回つぶやいた。市は2017年度にも、市の定める「伝統産業の日」に関連し、ミキら複数のタレントのSNS発信に対し、一括で50万円を吉本興業へ支払う契約を結んでいた。


[写真-1]
京都新聞社が京都市への情報公開請求で入手した吉本興業との委託契約書。所属タレントがSNSで発信する内容が盛り込まれている

[写真-2]
「ミキ」が発信していたツイートの一部。「#京都市盛り上げ隊」などの記述がある

京都新聞、2019年11月9日 10:30
ステマ?後絶たず、日本は法規制なし
漫才コンビツイート問題、問われる発信側倫理

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/65725

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2019年11月10日

「安倍晋三記念小学校」

「桜を見る会」が首相後援会の恒例行事に
https://www.youtube.com/watch?v=FqG_eybQ_ZE

 党派を超えて、数年に一度の素晴らしい質疑だったと思います。
 少し長いかもしれませんが、やり取りに引き込まれて、あっという間に感じます。
 多くの方にご覧いただきたいとお願いします。

「桜を見る会」安倍政権の私物化やめよ
https://www.youtube.com/watch?v=d_jNl_PisMo

 菅義偉・官房長官の記者会見をめぐる望月衣塑子・東京新聞記者の質問内容について、長谷川栄一内閣広報官ら首相官邸側が、東京新聞側に申し入れたのは合計9件だった。

 このうち、官邸が「事実誤認・事実に反する」などとしたのが5件あった。残りは、質問ではなく「意見」「要請」「個人的見解」との指摘で、それぞれ1件。そして、報道発表前の情報に質問のなかで触れたとして抗議したのが1件――という内訳だ。

 今回は「事実誤認だ」とする2018年3月2日の申し入れを取り上げたい。

「朝日新聞が誤りを認め、記事の内容を正した記事は書かれていない」――。

 東京新聞が2019年2月20日朝刊に掲載した特集記事「検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ」によると、同紙がそう記された文書を首相官邸から受け取ったのは、2018年3月2日だったという。

 前日(1日)午後の菅長官の記者会見。望月記者は、「森友学園」問題に関する朝日報道を批判する安倍晋三首相の国会答弁について質問をぶつけていた。
 首相の国会での答弁についてお聞きします。
 去年(2017年)11月に財務省の情報開示によって籠池前理事長がつくる学校が安倍記念小学校でなく、開成小学校であることがわかりました。
 これについて報道していた朝日新聞が修正記事を出しております。
 しかしながら、この報道が出ているにもかかわらず、1月、2月と計5回ですね、予算委員会の場で「間違いだ」とか、「裏取りがない」などと再三、安倍首相が発言されました。
 首相が国会の場で修正記事が出ているにもかかわらず、このように名指ししてですね、一社の批判を続けるのはかなり異例だと思うのですが、政府としてこの安倍首相の国会答弁に問題がないというお考えでしょうか

 これに対して、菅長官は「政府として答える話じゃないですけれども」としたうえで、「総理の言われた通りだと思います」と首相答弁の内容を支持しながら、朝日批判を繰り返す安倍首相の答弁姿勢の是非については、言及しなかった。

 望月記者は「(菅長官が)言われたとおりですけれども修正しているにもかかわらず、再三にわたって批判を続けることの問題をもう一度、政府に考えて頂きたいと思います」と注文を付けたのだった。

 望月記者の質問の背景にある出来事をさかのぼってみていきたい。

「虚偽答弁」を決して認めなかった財務省

「森友学園」問題は2017年10月の衆院選で自民党が圧勝し、同年11月には、会計検査院が大阪府豊中市の国有地売却をめぐって値引きの根拠となったごみ推計量について「十分な根拠が確認できない」とする検査結果をまとめたことで政治的には幕引きムードだった。

 しかし、年が明けると、2018年の通常国会(1月22日召集)での再燃を予感させる報道が開会直前に出た。

 毎日新聞が1月20日朝刊で財務省近畿財務局が森友学園との交渉について役所内部で検討した詳細な文書が存在することをスクープした。毎日からの「学園との面談・交渉に関する文書」として情報公開法に基づく請求に対して近畿財務局が開示したもので、近畿財務局が2016年年3月〜5月に作成した「照会票」と「相談記録」だ。

 そこには、森友学園側が小学校建設のために借りていた国有地から廃棄物が出たことで、安値での買い取りを近畿財務局に持ちかけていたことなどが記されていたのである。

 毎日が開示を受けたこれらの文書は会計検査院にさえ提出が遅れ、2017年11月23日の国会への検査報告の前日だったという。この後、財務省は五月雨式に関係する文書を開示していくのである。

 公文書だけでなく売却額を巡って森友学園側と近畿財務局職員が交わした会話の音声データの存在も明らかになっている。池田靖近畿財務局統括国有財産管理官(当時)が「1億3000万円」と言及し、森友学園側は「ゼロに近い形で払い下げを」と求めていた。2018年の国会で共産党は独自に入手したという別の音声データを元に「森友学園側は『1億5000万円かかる分、航空局からもらって、それより低い金額で買いたい』と発言している」などと追及した。

 財務省はそれまで交渉経緯を記載した文書はすでに廃棄し、価格交渉もしていないと答弁しており、文書や音声データの内容が事実だとすれば、財務省は虚偽の国会答弁をしていたことになる。佐川宣寿・財務省理財局長(当時)は、売却交渉の経緯を示す文書については「廃棄した」とし、金額のやりとりについても「(価格について)こちらから提示したことも、先方からいくらで買いたいといった希望があったこともない」と国会で答弁を繰り返していたからである。

 一連の文書について、麻生太郎財務相は「法的な論点について近畿財務局内で検討を行った法律相談の文書でありまして、いわゆる森友学園との交渉記録ではありません。(佐川氏の)虚偽答弁との指摘は当たらない」とし、太田充理財局長(同)は「買受け希望の金額を承るということはない」という答弁を繰り返し、虚偽答弁とは決して認めなかった。

 そもそもなぜ、財務省は自ら窮地に追い込まれかねないような文書の開示に踏み切ったのだろうか。

 森友学園の取材にかかわったある全国紙の記者が筆者にしてくれた解説がもっとも説得力があるように思えた。当時、財務省は市民からの告発を受けた大阪地検の捜査対象で、たくさんの資料を提出していた。財務省が隠しておきたかった文書が手を離れてしまった以上、裁判にでもなれば、いずれ公になることも予測される。

「財務省にとって佐川氏の国会答弁との整合性が取れそうなダメージの少ないものだけを開示したのだと思う」

 国会での追及は織り込み済みだというわけで、安倍首相の朝日批判もその戦略の一つだというのである。

 この点は最後に考えてみたい。話を元に戻す。

安倍首相の度重なる朝日新聞批判

「『安倍晋三記念小学校』との名で申請したと朝日新聞は報じ、民進党も、それを前提に国会で質問した。実際には『開成小学校』だった。裏付けを取らず、事実ではない報道をした」

 安倍首相は国会での野党の追及に正面から応えず、代わって持ち出したのが朝日新聞批判だったが、それは、望月記者が質問した2018年3月1日までに▽1月29日衆院予算委員会▽1月31日参院予算委員会▽2月1日参院予算委員会▽2月5日衆院予算委員会▽2月13日衆院予算委員会――の5回にも上った。例えば、次のようにだ。
 私は自分の名前を冠した学校をつくるというつもりはございませんので、はっきりとお断りをしていました。
 そこで、これ朝日新聞の報道でございますが、籠池さんは安倍晋三記念小学校という名前で申請をしたと、こう言ったわけでありまして、事実かのごとくこれ報道されてありました。
 この国会においても民進党の方がそれを事実と前提に私に質問をし、だから忖度されたんだろうということであったわけでありますが、実際は開成小学校という名前でございました。
 ご本人(籠池氏)は当然、原本のコピーは当然持っておられるはずでありますから、(朝日新聞は)それに当たるべきであった。
 また、当然、だから恐らくご本人はそうではないことを知っていてそうおっしゃったんだろうと。朝日新聞の方も裏を取らずに事実かのごとくに報道したということは間違いないんだろうということでございます。
(1月31日)

 安倍晋三記念小学校という、これは全く違ったわけであります。
 しかし、これを訂正もしていないわけでありますから、まさに国民の間にそういう安倍晋三記念小学校だったということが浸透している。
 しかし、実際は開成小学校だった。
 そして、(朝日新聞は後述する)検証記事を書いた。
 検証記事を書いたにもかかわらず、これは籠池さんが言ったから、それはそのまま書いたということしか書いていない。
 自分たちが記者として最低限果たすべき裏づけをとらなかったということについては全く言及がないということについては、これで私はあきれたわけであります
(2月13日)

 安倍首相の批判の矢面に立たされた朝日新聞は、2月6日朝刊で「朝日新聞の報道経緯は」という検証記事を掲載し、批判に答えている。2017年5月9日朝刊での報道当時、財務省は森友学園が近畿財務局に提出した設置趣意書を非公開扱いし、説明も拒んだため、籠池氏に独自に確認して、「証言した」という形で報じたという経緯を明かした。

 望月記者の指摘に対して、菅長官がもう一度考えた結果が、東京新聞への抗議の申し入れというのだから穏やかではない。

 安倍首相と朝日新聞の間でいったい何が起こったのだろうか。

「安倍晋三記念小学校」の爆弾質問

 そもそも「森友学園」問題は、朝日新聞が2017年2月9日朝刊で報じた「金額非公表 近隣の一割か 大阪の国有地 学校法人に売却」(東京本社版では第二社会面で三段見出しの地味な扱いだった)との記事をきっかけに浮上した。

 その焦点の一つは、安倍首相の妻・昭恵氏が2017年4月の開校を目指した「瑞穂の國記念小学院」の名誉校長に就任していたり、寄付金集めのための「払込取扱票」の通信欄に「安倍晋三記念小学校」と印刷してあったりすることが発覚するなど、安倍首相側との距離を縮めようとする森友学園の要望に沿う形で8億2000万円(評価額は9億5600万円)もの値引きをした大阪府豊中市の国有地売却をめぐる安倍首相側の関与だった。

「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」

 安倍首相は2017年2月17日の衆院予算委員会でそう豪語したのだから自ら政治問題に引き上げたようなものだった。

 安倍首相側の関与を示す傍証の一つとして疑われたのが、森友学園が近畿財務局に提出した設置趣旨書に記載された学校名だった。ところが財務省は当初、この校名や本文の部分を黒塗りにして、非公開扱いとし、国会議員の開示請求に対しても明かさなかった。

 この疑惑を国会で取り上げたのが、民進党の福島伸享氏(2017年10月の衆院選で落選)で、2017年5月8日の衆院予算委員会で追及したのだった。
 平成25年(2013年)9月2日に森友学園から近畿財務局に出された取得等要望書。
 財務省に出してもらったんですけれども真っ黒、黒塗り。
 籠池さんはもう、民事再生までやって、学校設置の認可も取り消されて、失うものは何もないんですよ。
(森友学園側は)学校設置の認可が取り消されたわけですから、秘密に当たらないですから開示していいですよという承認ももらって、財務省にもそのことを伝えております。
 設置趣意書の黒塗りのところ、一体これはどう書いてあったんでしょうか

 ところが、佐川宣寿・財務省理財局長の答弁はゼロ回答だった。次の3点を理由にあげた。
@ 学校法人として存続していることを踏まえれば、当該情報は不開示情報に該当すると考えられる
A 民事再生手続が開始されている。法令上、業務の遂行並びに財産の管理及び処分をする権利は管財人に専属している
B 仮に開示する場合でも、改めて財務省から先方に確認の上、対応していく必要がある

 福島氏は、この日、国会で傍聴している籠池泰典・元理事長の開示の同意書も得るなど周到な準備をした上で臨んだ質問だった。佐川局長の答弁には納得するはずもない。

 福島氏は「何で設立趣意書の趣意の部分が開示できないんですか。何で設立趣意書のタイトルすら開示できないんですか。ちゃんちゃらおかしいと思いますよ」と前置きしたうえでたたみかけた。
 なぜそれを聞くかというと、これは何と書いてあったかというと、籠池前理事長の記憶では、安倍晋三記念小学院の設置趣意書だったからなんですよ。
 それを出したくないから黒塗りにしたんじゃないですか。
 そもそも、最初の設立趣意書がその名前だったからこそ、さまざまな忖度がなされ、特例措置が講じられることになったんじゃないですか。

 一種の爆弾質問である。

 これに対して、佐川理財局長は「タイトルを含めて一体としてこの学校の経営方針ということでございますので、不開示情報としている」と答弁している。当時、森友学園は約28億円の負債を抱え経営は行き詰まっていた。大阪地裁は17年4月28日に民事再生手続きの開始を決定し、森友学園は確かに管財人の管理下にあった。

 しかし、佐川氏による答弁は、かえって福島氏の疑念を深めさせた。福島氏は「まさに安倍晋三という名前がこの特例を得るためのノウハウになっているから示せないということを言っているだけじゃないですか。何でそこまで忖度するんですか」と憤りをみせていた。

 設置趣意書の表題に「安倍晋三記念小学校」との記載があるのが事実なら、大きなニュースである。

東京新聞に申し入れた首相官邸の方こそ事実誤認

 朝日新聞は、翌5月9日付朝刊一面で、籠池・元理事長に前夜(8日)に直接インタビューし、その内容を一面(安倍昭恵氏の両脇に籠池夫妻が並んだ写真を掲載)と第二社会面で伝えた。
−−近畿財務局に設立趣意書を提出する際にはどういう表記をしたのか
「安倍晋三記念小学校と表記をしていましたね」
(第二社会面の「籠池氏との主なやりとり」から抜粋)

 ただ、朝日記者も原本や写しの入手はできなかったようだ。記事は証言を元にしたもので、一面、第二社会面のいずれにも、見出しにはなっていなかった。籠池氏が当時、所持していた書類の中に設立趣意書の原本や写しはなかったらしい。

 財務省が半年も経った2017年11月22日になって立憲民主党、24日には神戸市の大学教授らに対し黒塗りされていない趣意書の全文を開示したことで、正しくは「開成小学校」だったことが分かった。

 籠池氏が朝日新聞記者にした証言は、真実ではなかった。朝日は2017年11月25日朝刊三面で「森友の設置趣意書を開示 小学校名は『開成小学校』 財務省」と修正する記事を掲載し、「校名などが当初、黒塗りになっていたため、朝日新聞は籠池氏への取材に基づいて、籠池氏が『安倍晋三記念小学校』の校名を記した趣意書を財務省近畿財務局に出したと明らかにした、と5月9日付朝刊で報じた」と書いた。

 望月記者が記者会見で「朝日新聞が修正記事を出しております」とした記事はこれを指す。

 安倍首相は、森友学園問題の追及を受けるたびに朝日の「誤報」を国会であげつらってはいるが、先に記した「払込取扱票」には「安倍晋三記念小学校」と印刷されていただけでなく、2018年5月に財務省が公表した土地の売却に関する資料の中からは、森友学園側が2014年3月4日、小学校の認可申請先だった大阪府に対して校名を「安倍晋三記念小学校」と説明していたことを示す記載が見つかっている。

 共同通信は2017年3月1日に「府私学課によると、2013年ごろ、森友学園の籠池泰典理事長から『豊中市の国有地を取得して小学校を建てたい。安倍晋三記念小学校という校名を考えている』と認可申請の方法について問い合わせがあった」との記事を配信していた。

 また、朝日の初報(2017年2月)後に野党が行ったヒアリングに対して、大阪府は森友学園側の構想に苦慮したことを明かしていたという。

 こうした別の証拠からも籠池氏自身が「安倍晋三記念小学校」という校名に強いこだわりを抱いていたことははっきりしているし、財務省も認識していたことは、財務省の保有する一連の資料からも明らかだった。言ってみれば、設立趣意書には記載されていなかった――ということにすぎない。

 森友学園は2017年4月28日に民事再生手続きが決定し、業務の遂行や財産の管理、処分をする権利は管財人に専属することになった。安倍首相は「原本のコピーに当たるべきだった」と朝日記者に取材のわざわざ”アドバイス”をしているが、そもそもは非公開とした政府の決定が問題なのではないか。

 繰り返しになるが、朝日が2017年11月25日に修正する記事を掲載し、2018年2月6日には取材経緯も明かしたのである。東京新聞に申し入れた首相官邸の方こそ事実認識に誤りがあることは、もはやだれの目にも明らかだろう。

 東京新聞は2018年3月6日、首相官邸に対して、「朝日新聞の17年5月の記事は学園前理事長の証言として名称を『安倍晋三記念小学校』としていたが、17年11月の記事で『開成小学校』と修正している」とする回答を出したという。

 首相官邸が東京新聞に申し入れた2018年3月2日は、奇しくも朝日新聞が朝刊で「森友文書 書き換えの疑い 財務省、問題発覚後か 交渉経緯など複数箇所」とする記事を一面トップで報道した日だった。政権を揺るがす大スクープのさなかで、安倍首相の威勢の良い朝日批判はどこかに行ってしまった。

 このため、官邸は、安倍首相に教えてあげる機会を逸してしまったのだろうか。1年4カ月たった後も安倍首相は同じ批判を繰り返していた。

 2019年7月3日、日本記者クラブ(東京・内幸町)であった参院選(4日公示・21日投開票)を前にした、与野党の7党首による討論会。安倍首相(自民党総裁)は朝日記者からの「森友学園問題、加計学園問題はもう終わったと認識しているか」との質問に「朝日新聞は『安倍晋三(記念)小学校』があったという記事を書いたが、訂正していない。自分たちが間違えたことは全く関係ないという姿勢はおかしい」などと述べていた。

朝日新聞「記事取り消し」の後遺症

 なぜ安倍首相はこれほどまでに朝日の報道にこだわり続けるのだろうか。そこには安倍首相らのある成功体験の影響があるのではないだろうか。

 それは2014年8月に朝日新聞が行った「慰安婦」をめぐる報道の一部記事の取り消しである。

 朝日新聞は同年8月5日朝刊で、韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたとする吉田清治氏(故人)の証言(吉田証言)を紹介した記事を取り消した。この取り消しのもたらした影響は極めて大きかった。

 愛知県で開かれた「あいちトリエンナーレ2019」(8月1日〜10月14日)の企画展の一つ、「表現の不自由展・その後」。「慰安婦」を象徴した「平和の少女像」の展示に異を唱えた河村たかし氏は筆者の取材に対して「朝日新聞が記事を取り消したようにそもそも間違えとった可能性があるわけ。私も国会議員時代にワシントン・ポストに40人ぐらい名前連ねて、強制連行の証拠はないんだと(いう記事を載せた)」と口にした。

 このように、吉田証言を朝日が取り消したというたった1点で、あたかも「慰安婦」に対する戦後補償の問題がそもそも存在しないかのような言説を信じる人がネットを通じて広がったことだ。

 米ワシントン・ポスト紙に載った意見広告の内容については、吉見義明氏の「日本軍『慰安婦』制度とは何か」(岩波ブックレット)など研究者らから有力な反論がなされているので詳細はそちらに譲るが、安倍首相をはじめとするこうした歴史観に共鳴する人にとっては、朝日を狙い撃ちにした「慰安婦」報道攻撃は、大きな戦果を上げた成功体験だったに違いない。

 2017年10月の衆院選(10日公示・22日投開票)のさなかに「約束の日 安倍晋三試論」の著者・小川栄太郎氏による「徹底検証 『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」という安倍首相を援護射撃するような本も出版された。

「安倍首相による朝日バッシングは、『吉田証言』をめぐる朝日の『慰安婦』報道批判と似ている。安倍首相は、籠池氏の証言を報じた朝日の報道が誤りだったことを強調し続けることで、森友学園問題そのものが実は存在しないのだという構図を演出し、国会を乗り切ろうとしたのではないか」

 ある朝日関係者はそう明かしていた。

「名指しで一社の批判を続けるのはかなり異例だと思う」

 望月記者の質問からは、さまざまな安倍政権の思惑が浮かび上がってくるのである。

※「望月衣塑子の質問(6)」につづく


[写真-1]
「安倍首相の記者会見の回数は民主党政権時代に比べて激減している。番記者でさえ1問か2問。私が安倍首相に聞けることはまずない」。望月衣塑子記者は講演会でそう語っていた=東京都文京区で2019年9月22日

[写真-2]
佐川宣寿・元財務省理財局長

[写真-3]
野党の質問に答弁する安倍晋三首相=2018年1月31日

[写真-4]
「安倍晋三記念小学校と表記をしていましたね」。籠池泰典氏のインタビューを掲載する朝日新聞の2017年5月9日朝刊の記事(右)と、校名は「開成小学校」だったと報じた同年11月25日朝刊の記事(左)

[写真-5]
「いま、なぜ私が良くも悪くも浮いてしまっているのか。森ワールドを通して社会、政治状況があぶり出たのではないか」。望月衣塑子記者(中央)は「i-新聞記者ドキュメント-」(2019年11月15日公開)試写会でそう語った。森達也監督(左)とエグゼクティブ・プロデューサーの河村光庸氏(右)=東京都千代田区で2019年10月23日

朝日新聞・論座、2019年11月10日
望月衣塑子の質問(5)
安倍首相の朝日バッシング
「名指しで一社の批判を続けるのはかなり異例だ」が投げかける諸問題

臺宏士(フリーランス・ライター)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019110600004.html

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国立天文台、軍事研究検討

 これまで「非軍事」に限るとしてきた日本の宇宙開発を、軍事利用にも拡大する― そんな動きが、自民党と財界を中心に加速しています。
 宇宙科学の研究者から、平和の流れへの逆行を心配する声とともに、「日本の宇宙開発にたいする国際的な信頼が失われる」「自由な研究活動ができなくなる」との指摘があがっています。

◇ 次期国会に「基本法案」

 宇宙の軍事利用に道を開く「宇宙基本法案」(仮称)の骨子を夏までにまとめた自民党は2006年10月、「宇宙開発促進特命委員会」(委員長・額賀福志郎前防衛庁長官)を立ち上げて本格的な検討作業に入りました。
 11月には公明党と共同のプロジェクトチームを設置。
 年明けの次期通常国会にも、議員立法で法案提出を狙う模様です。

 日本の宇宙開発を平和利用に限定することは、1969年の国会決議において全会一致で確認されています。
 政府としてこれまで「平和利用」とは「非軍事」と国会答弁してきました。

 今回の動きは、平和利用の解釈を変更して「非軍事」の制約を取り払い、「非侵略」であれば軍事利用も可能とする狙いです。
 軍事目的をもつ情報収集衛星の高性能化、弾道ミサイル発射探知のための早期警戒衛星の導入など、自衛隊による独自の軍事衛星の開発に道を開くことになります。

◇ 「機密の壁」に懸念の声

 宇宙科学分野への影響が懸念されています。

「学問は、公開の原則があってはじめて研究者が育成される」と、軍事利用による機密性との矛盾を指摘するのは、国立天文台で電波天文学の研究をする石附(いしづき)澄夫さんです。
「日本の宇宙科学は、軍事から切り離され、科学者・技術者集団の自発的な意思に支えられて、大きな成果をあげてきた」といいます。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の関係者は「軍事分野では、どうしても秘密主義がでてくる。実際、情報収集衛星に誰がかかわっているのかは、JAXA内部でも一部の人間以外は知らされていない」といいます。
「安全性にかかわる技術交流が妨げられたり、論文発表が自由にできなくなる。そうなれば、科学者にとっても社会全体にとっても、大きな損失だ」と指摘します。

 また、軍事予算が増える分、平和利用の宇宙科学予算が減らされる可能性も大きいといいます。

 石附さんは「日本の平和主義は世界に誇るモデルとして堅持すべきだ。今回の動きに、科学者としてほおかむりできない」と話しています。

科学の発展 平和でこそ

◇ 吉井英勝衆院議員にきく

― 今回の動きの背景をどうみていますか。

 宇宙を軍事に活用したい自民党の防衛族議員と、多額の開発費には国費を使い、衛星やロケットの打ち上げの受注量を増やしたい航空宇宙産業界の思惑が一致したものです。
 防衛族は、専用の衛星通信システムや対衛星攻撃機、戦場気象衛星なども視野に入れて検討しているようです。
 また今回の動きは、防衛省昇格や憲法九条改悪などの一連の動きの一コマです。日米の軍事協力を強めたい米国の要求も背景にあります。
 一方業界は、緊縮財政で宇宙開発予算が減ってきたことに危機感を抱いています。「非軍事」の枠内では売り上げが伸びないとして、日本経団連などが何度も要望を出してきました。

― 軍事機密の拡大を心配する声があがっています。

 現在でも、情報収集衛星については「機密」を理由に情報が非公開にされています。国会議員の私でさえ、関連施設への立ち入りを拒否されました。衛星の製造を受注した三菱電機は受注したことさえ認めていません。
 これまでに防衛庁の装備品水増し請求事件や官製談合事件が繰り返されてきましたが、軍事機密の壁に隠れてますます不正がはびこる可能性があります。

― この動きを阻止するために何が必要ですか。

 宇宙分野に限らず、戦後の日本の科学技術は、憲法九条にもとづいて平和目的に限定し、原子力基本法に定めた「自主・民主・公開」の三原則を守って進めてきました。軍事機密の制約を受けないで、民生用機器として開発・普及が進み、コストダウンに成功して、それが新たな科学技術の発展につながりました。

 国民の多数は、平和を求めています。科学技術を平和利用に限るべきだという考え方は多くの日本の科学者に支持されています。こうした願いと連携して、宇宙の軍事利用への危険な道をくい止めるために、国会でも力を尽くします。

※ 宇宙基本法案 自民党が「戦略的な宇宙開発の推進をめざす」として5月末までに基本方針をまとめました。法案の「骨子」では、宇宙開発の基本理念として、「安全保障への寄与」と「産業の振興への寄与」を掲げています。


しんぶん赤旗、2006年12月28日(木)
宇宙の軍事利用 急加速
「非軍事」取り払い 自公・財界狙う

(中村秀生)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-12-28/2006122803_01_0.html

「東京大学の軍事研究禁止の原則を再確認しよう!」昼休み集会に参加された皆様に心より敬意を表します。

 いつの時代においても最先端の学術研究の成果が軍事転用という負の側面を持ちうることは残念なことではありますが、軍事応用を主たる目的とする軍事研究は、公開性・自主性に支えられ人類全体の幸福に資することを基とする学術研究とは対極にあると考えるべきです。

 私たちが勤務する国立天文台では、1988年7 月の発足に際して「国立天文台の発足に当たっての声明」を出し、「私たちの決意」のなかで「国立天文台は、いっさいの軍事研究に協力してはなりません。私たちは、あらゆる軍との協力・共同研究を行わず、武器の開発を直接の目標としたプロジェクトへは参加しません」と明確に述べています。

 天文学の分野では、1980 年代に米国が推進した宇宙空間での SDI(戦略防衛構想)に日本の天文学研究者が巻き込まれそうになる危機がありました。

 このため電波天文学の研究者が中心となって「SDI に反対する天文学研究者の会」が結成され、この会と天文台職員組合が共同でシンポジウムを開催するなどして、反対運動を関連の研究者に呼びかけました。

 すると、彗星などを探索しているアマチュアの天文研究者も独自の反対署名を開始し、反対運動は全国に広がりました。

 こうして、日本から SDI に協力する研究者を出すことはありませんでした。

 1993年の SDI 計画中止を受けてこの反対運動自体は終結しましたが、1993年4月に野辺山宇宙電波観測所が観測装置共同利用における軍事研究排除の方針を明らかにして研究成果の公開を条件として求めるなど、現在も国立天文台は軍事研究と一線を画しています。

 戦後70年を迎えるにあたり、東京大学職員組合が東京大学の軍事研究禁止の原則の再確認を呼びかけたのは時宜を得た取り組みだといえます。

 軍事研究は「戦争ができる国」への第一歩です。

 公開性・自主性に支えられ人類全体の幸福に資する学術の発展のため、そして平和を貫くため、共に頑張りましょう。


2015年5月20日
国立天文台職員組合 執行委員長 阪本成一
http://tousyoku.org/wp/wp-content/uploads/2015/05/3679ab7b53c29df3bb92eaa6e531128f.pdf

 軍事技術に応用可能な基礎研究を助成する防衛省の制度が使えるよう、国立天文台(東京都三鷹市、常田佐久台長)が方針転換を検討していることがわかった。
 天文台内では3年前、この制度に応募しないと決めていた。
 所属する研究者からは「突然で十分な説明がない」と反発もある。
 すばる望遠鏡など先端施設をもち、日本の天文学の中核を担う国立天文台が方針を転換すれば、学術界への影響は大きい。

 この制度は「安全保障技術研究推進制度」。
 防衛装備品や兵器開発につながる研究を進めるため、防衛省が2015年度から始めた。
 昨年度の公募テーマの一つに、物体を観測する技術を挙げ、その研究例として国立天文台のすばる望遠鏡を名指しで挙げている。

 これに対し、同天文台内では「政府の介入が大きい」など問題点を指摘する声が相次ぎ、2016年に教授会議で「安全保障技術研究推進制度もしくはそれに類する制度に応募しない」と決めた。

 ところが天文台執行部は今年2019年7月の教授会議で、方針の改定案を提出した。
 案は、2016年の取り決めから、同制度もしくは類する制度に応募しないとの部分を削除し、研究成果を自由に公開できるなどの条件を満たせば応募できるとする内容。
「軍事利用を直接目的とする研究は行わない」などの部分は残した。

 会議資料によれば、執行部側は、防衛省の制度には成果を自由に発表できるなど、国の他の研究助成と同等の自由度があると訴えた。
 賛否両論で会議はまとまらなかった。

 これを受け天文台の職員組合などからは、慎重な議論を求める申し入れや、改定案の撤回を求める意見書などが執行部に出された。
 結論は出ていない。

 同制度に関しては2017年、国内の科学者でつくる日本学術会議も、戦争に協力した過去の反省から「軍事研究は行わない」とした過去の声明を踏襲すると発表している。
 京都大や名古屋大なども軍事研究を禁止する方針を定めてきた。
 日本天文学会も今年2019年3月に「安全や平和を脅かすことにつながる研究はしない」との声明を出したばかり。

 改定案を出した理由について常田台長は、予算が厳しいとした上で「経費削減には限界がある。研究費を増やすため外部資金を多様にしないと次世代につながる研究ができない。(防衛省の)制度は一つのオプションとして議論したい」と説明した。

※ 国立天文台
 日本の天文学の中枢を担う研究機関。1988年、東京大学東京天文台、緯度観測所、名古屋大学空電研究所の一部が合併して発足。2004年から大学共同利用機関法人になった。米ハワイ島にある世界最大級の口径8.2メートルの「すばる望遠鏡」や、南米チリでの国際計画「アルマ望遠鏡」の建設や運用などに携わる。本年度の予算は約156億円、職員数は540人(4月1日現在)。


[写真]
米ハワイ島にあるすばる望遠鏡

東京新聞・朝刊、2019年9月10日
「防衛省助成に応募しない」一転
国立天文台、軍事研究容認も

(三輪喜人)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019091002000144.html

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2019年11月09日

千葉明鐘岬の崖崩れ

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください。

★ 2014年11月01日「ふしぎな岬の物語」
★ 2015年01月20日「音楽と珈琲の店 岬」
★ 2015年01月22日「脚本家 青島武」 

Kaori Muraji - The theme of Cape Nostalgia / ふしぎな岬の物語のテーマ曲
https://www.youtube.com/watch?v=IMui_SbXkKI

『ふしぎな岬の物語』映画オリジナル予告編
https://www.youtube.com/watch?v=o_vy9nXn4qc

 モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞した、吉永小百合さん主演の『ふしぎな岬の物語』は鋸南町に実在するカフェを舞台に、房総半島の美しい景観が登場し、多数の地元住民がエキストラ出演するなど、千葉の魅力が詰まった作品だ。
 吉報に地元や関係者には祝福と期待が広がった。

 映画の舞台「岬カフェ」のモデルは、海の向こうに富士山を望む鋸南町元名の明鐘岬(みょうがねみさき)の突端にある、1978年創業の老舗喫茶店「岬」(玉木節子さん経営)。

 映画では、カフェ店主の柏木悦子(吉永小百合)、おいの柏木浩司(阿部寛)、常連客の娘の竜崎みどり(竹内結子)、不動産屋で悦子や浩司を見守ってきたタニさん(笑福亭鶴瓶)らの人間模様が描かれ、「昔懐かしい、温かいほわほわした雰囲気」(成島監督)の作品という。

 同町ほか、館山ファミリーパーク、いすみ鉄道上総中野駅、勝浦漁港など房総半島の美しい景観がロケ地となった。
 3月には沿岸捕鯨基地でもある南房総市・和田漁港で、鯨の祭りシーンが撮影され、エキストラの地元の小学生、住民らが法被姿で俳優陣と“共演”を果たした。

 吉永さん演じる女店主のモデルとなった玉木さんは2014年9月2日、「知人からの祝福の電話が鳴りっぱなし」とうれしい悲鳴を上げた。

 もともと、両親が営んでいた食堂があった場所。
 3年前の1月には火事で全焼したが、常連客の家具職人の協力でその年の12月には再開。
 鋸山の湧き水でいれるコーヒーと音楽、海の眺望が自慢で、「眺めや音楽で日頃の嫌なことを洗い流していってほしいと思っている」。

 受賞には「一滴の無駄もない素晴らしい出来だったから納得。成島監督や吉永さんに『ありがとう』と伝えたい」と感謝した。

 原作「虹の岬の喫茶店」(幻冬舎文庫)の作者、森沢明夫さん(44)は船橋市出身・在住で、高倉健さん主演の映画「あなたへ」の小説版などを手がける注目の作家。
「岬カフェ」には「日本中の海岸線を旅し、エッセーを書いていた時に出会い、富士山も望むことができ、最高のコーヒーを味わったことが忘れられず、ここを風景に作品を作ってみようと思った」という。
 吉報はメールで知り「県内の美しい風景や、温かい人間模様が詰まった作品。それが海外でも評価され、県民としてとても喜ばしい」と話した。

 映画に出演し、江戸時代から鋸南町に伝わる鯨唄を披露した鯨唄愛好会の舟宝(ふなとみ)康行会長(66)は「受賞は素晴らしいこと。鯨唄や鋸南町を多くの人に知ってもらうきっかけになればうれしい。映画のため半年間練習を続けてきたメンバーと映画を見に行きたい」と話した。

 また白石治和・鋸南町長(67)は「町を舞台に撮影された映画が世界的な賞を受賞されたことは町にとっても名誉なこと。『岬』はロマンあふれる場所であり、多くの方が訪れて、都会と町を、人と人を結びつけてくれることを期待する」とコメントした。

 3月に撮影現場を激励に訪れ、45年ぶりに吉永さんと再会し感謝の花束を手渡した森田健作知事は2日、「本県にゆかりが深い映画が国際的な映画祭で受賞したことは大変うれしく思う。映画を通じ、千葉県の魅力が多くの方に伝わることを願っている」とお祝いのコメントを寄せた。


[写真-1]
エキストラとして出演した地元住民と写真に納まる吉永さん(中央)ら=今年2014年3月、南房総市和田町

[写真-2]
「海の眺めが一番のごちそう」と話す玉木さん=2014年9月2日午後、鋸南町の喫茶店「岬」

千葉日報、2014年9月3日 05:00
『ふしぎな岬の物語』
快挙に沸くモデルの地
モントリオール映画祭特別GP

https://www.chibanippo.co.jp/news/local/212057

 千葉県富津市と安房郡鋸南町との境にある「明鐘岬(みょうがねみさき)」は鋸山が東京湾に落ち込む位置にある小さな岬で、その岬の上には2014年封切の吉永小百合主演東映映画『ふしぎな岬の物語』の舞台になった小じんまりとした「音楽と珈琲の店・岬」がある。
 この店はそれ以来多くのファンや関係者が訪れる「名店」になっている。
 南房総に撮影にでかけた時に駐車場が空いていれば何度か立ち寄ったことがある。

 今回は駐車場に入ってすぐに「がけ崩れのため危険」の立て札を見てびっくりし、店のほうに近寄ると店の前のそそり立つ岬の断崖が大きく崩れ落ちて建物に迫っていた。
 以前はベランダ前を車も通れるほどのゆとりがあったがそれどころではなかった。
 あとほんの数メートル崖が崩れていたら・・・。
 幸いこの日は営業中で店に入って事情を聞いてみると、去る2017年10月23日の台風21号直撃の大波でがけ崩れが発生したということだった。

 いつものようにおいしい珈琲とケーキをいただいた後、がけ崩れの様子を見るために回り道をして海辺に下りてみた。
 見上げると写真のようなおそろしい眺めで、建物の上には鋸山の崖が迫り、道路を挟んで立っている店は崩れた崖上ぎりぎりの位置に見える。
 このままではいつどうなるかわからないきびしい状態だということが一目でわかる。
 車両も入りにくい海辺のがけ崩れの修復工事は早急にできるのだろうか。
 一日も早く工事が始まるのを期待するしかない。


[写真-1]
2017.11.19 撮影

[写真-2]
2015.6.20 撮影

たびびとの写真帖 --小さな旅の思い出写真集--、2017年11月24日
「ふしぎな岬」の台風被害
https://blog.goo.ne.jp/knbk_photo/e/00175c6b3b5d6b6da991b07e91706476

 台風15号で停電や断水に見舞われた千葉県南部の鋸南町(きょなんまち)では通信網に大きな障害が生じ、県の被害把握が大幅に遅れた。
 被害をいち早く伝えたのは、町にゆかりのある人たちのツイッターで、同町議(共産)の笹生(さそう)あすかさん(38)=同町吉浜=もその一人だ。
 被害現場の画像も交えて支援を呼び掛け、町の危機的状況を内外に発信した。
 町の復興は遅れており、「正確な情報発信を心掛けたい」と、言葉に力を込める。 
 #鋸南町 大変なことに。木は倒れ、屋根は飛び、壁ははがれ、崩れているお家もたくさんあります。…(中略)…ふるさとの変わりように涙止まらず。車もアウト。でも、負けられない

 台風15号が通過した9日。
 午後6時少し前に笹生さんがツイートした内容だ。
 自宅の二階窓ガラスが割れ、室内に暴風雨が吹き込んだ。
 家族にけがはなかったが、自宅で寝たきりの父の介護、母や妹との今後の生活を考えると不安が募った。
 何より、テレビも加入電話もつながらないことに恐怖が募った。

 携帯電話の電波は、辛うじて通じていた。
 変わり果てた町の姿を「一刻も早く外に伝えたい」。
 ダイレクトメッセージを交換し合う那覇市在住の知人から「ツイッターで情報発信したらどうか。それがあなたの使命」と励まされ、町の現状を発信することにした。

 つぶれた家屋、がれきであふれた漁港、吹き飛ばされたビニールハウス…。
 こうした光景を、時には涙ながらに、写真や動画で撮影。
 それらを添付してツイートすると「情報拡散に協力します」「電気が届いていない中、発信してくれてありがとう」と応援ツイートが寄せられた。

 中には「親と連絡が取れない」と相談を受けることも。
 今年2019年3月に始めたツイッターのフォロワー数は、台風直撃前は300だったが、今は1500を超えた。
 鋸南町は公式ツイッターがなく、笹生さんのツイートが、多くの人の情報源にもなっている。

 大規模停電が発生した9日から一週間を経過したが、町の復興は遅々として進んでいない。
 18日は断続的に雨が降った。
 多くの民家がブルーシートで屋根を覆っているが、雨漏りの懸念は尽きない。
 災害ごみが町内の仮置き場に次々と運び込まれ、爪痕の大きさをうかがわせる。
 笹生さんは一日も早い復興を願い、情報発信を続ける。


[写真]
雨の中、仮置き場に運び込まれた災害ごみ。町の復興は遅々として進まない=18日午前、千葉県鋸南町保田の保健福祉総合センター駐車場で

東京新聞・朝刊、2019年9月19日
千葉南部の惨状ツイート
鋸南町議、台風直後から

(山田雄一郎)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019091902000166.html

吉永小百合さん主演映画の舞台 千葉明鐘岬
台風で崖崩れ放置2年 復旧求め署名2836人分
老舗コーヒー店主ら国に要望

 俳優の吉永小百合さん企画・主演の映画『ふしぎな岬の物語』の舞台となった店の前の崖が崩れ、放置されている問題で、店主らが2019年11月6日、国土交通省に署名を提出しました。
 日本共産党の畑野君枝衆院議員、さいとう和子衆院南関東比例候補、みわ由美千葉県議、日本共産党の志位和夫委員長秘書が同席しました。

 2017年10月の台風21号による高波で、鋸南町と富津市の境にある明鐘(みょうがね)岬の崖が崩れました。
 岬に立つ「音楽と聊琲の店岬」は、敷地とテラス席の一部が利用できないまま営業を続けています。
 今も崩れた崖の復旧がされていません。

 署名は、開店以来40年にわたり愛されてきた店と周辺地域などの安全確保を求める、吉永さんをはじめ常連客など全国から2836人分が集まりました。
 店主の玉木節子さんらは「県はこれまでパトロールのみで、危険な状況は変わっていない。個人で直せる規模ではない。せめてこれ以上の崖崩れを防ぐための対策を急いでほしい」と求めました。

 畑野氏は「2年間進展がない。早く決断を」と迫りました。
 国交省担当者は「県と調整を続けている。協議を進め県への補助など検討する」と答えました。


日本共産党みわ由美事務所、2019年11月8日
千葉明鐘岬の崖崩れ
国土交通省に早期対策を求める署名提出

http://miwa-3838.jp/html/menu1/2019/20191108135405.html

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深まるばかりのこの国の病理

「責任を痛感」参院でも繰り返し

「壊れたテープレコーダーのように、同じことを繰り返す」――。
 2019年11月8日の参院予算委員会の集中審議で、立憲民主党の福山哲郎幹事長が安倍晋三首相の答弁スタイルをこう表現した。
 福山氏が閣僚の連続辞任をめぐり角度を変えながら追及しても、首相は「お決まり答弁」の連発で押し通すためだ。

「責任を痛感している」

 菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の連続辞任をめぐり、首相は福山氏から責任を重ねて問われ、最初の8分間で4度、「定番」のフレーズを使った。
 責任の取り方は「行政を前に進めていくことで果たす」の繰り返し。
 2日前の衆院予算委で連発した答弁と同じ内容だ。
 福山氏は「これまでの説明ではない総理の答弁を」と前置きして質問に入ったが、首相は答弁ペーパーを棒読みするばかり。
 福山氏が「行政が遅滞なく進むようにするのは当たり前。なぜ(連続辞任の)事態になっているのか」と問うても、同様だった。
 委員会室は野党議員の「説明になっていないよ!」とのヤジが飛び交ったが、首相は自らの答弁のペースを貫いた。

首相本人への質問に「萩生田氏から反論させたい」

 首相が委員会の進行をコントロールしようとし、批判を浴びる場面もあった。
 野党側は、民間試験をめぐる「身の丈」発言で批判された萩生田光一文部科学相の資質を問う姿勢を強めている。
 福山氏が萩生田氏をめぐる加計学園問題の文書や過去の発言をとり上げつつ、「なぜ萩生田氏を文科相にしたのか」と首相に問うた時のことだ。
 首相は「萩生田氏から反論すべきことは反論させたい。その上で私が答弁する」。
 野党議員たちは「なんで質問内容を総理が勝手に決めるんだ!」と猛反発し、委員会室は騒然となった。
 議事運営の「行司役」の金子原二郎委員長(自民党)は一時あっけにとられた様子だったが、気を取り直して首相に答弁を促した。
 首相は「萩生田氏は自民党で文教行政に関わっていた。任にふさわしい」と答えた。
 福山氏は40分間の持ち時間の大半を閣僚の辞任や資質の問題に当てたが、首相から新たな見解を引き出すことはできなかった。
 質問後、記者団に悔しさをにじませながら、首相の姿勢を批判した。

「反省の色はない、説明する気もない、誠実さのかけらもない」


[写真]
参院予算委で、立憲民主党の福山哲郎幹事長の質問に答弁する安倍晋三首相=2019年11月8日午後1時24分

朝日新聞、2019年11月8日18時13分
「壊れたレコーダー」
同じ答弁繰り返す首相に野党批判

https://digital.asahi.com/articles/ASMC85FCTMC8UTFK00G.html

 自民党の吉川貴盛・前農林水産相は2019年11月8日、同党の水産部会などの合同会議で、7日告示された高知県知事選をめぐり、水産庁職員に応援を求める趣旨の発言をした。
 複数の出席者が明らかにした。
 政治的行為を禁じる国家公務員法に反する行為を促しかねない発言だ。

 出席者によると、吉川氏は「水産庁の皆さん、分からないように応援してください」などと発言したという。
 吉川氏は、自民党支援団体と関係を築く組織運動本部の本部長代理を務めている。
 会議は自民党議員のほか、団体関係者、水産庁幹部らが出席していた。
 吉川氏の事務所は朝日新聞の取材に「水産庁の役人に言ったのではなく、団体に対しての発言だった」とし、官僚向けの発言はしていないと説明している。


朝日新聞、2019年11月9日05時00分
「知事選、分からぬよう応援を」
自民・吉川氏、水産庁職員らを前に

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14250150.html

 安倍晋三首相が2019年11月8日の参院予算委員会で、質問する立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながらやじを飛ばしたとして、杉尾氏が抗議する一幕があった。
 首相は6日の衆院予算委でも野党議員にやじを飛ばし、棚橋泰文衆院予算委員長が不規則発言を慎むよう要請した。
 短期間で同じ行動を繰り返しており、批判を招きそうだ。
 杉尾氏によると、放送局に電波停止を命じる可能性に言及した2016年の高市早苗総務相発言について質問した際、首相が自席から杉尾氏を指さして「共産党」とやじ
 金子原二郎参院予算委員長が「不規則発言は厳に慎んでほしい」と注意した。


共同通信、2019/11/8 19:10 (JST)
安倍首相、再びやじ飛ばす
野党議員に指さして

https://this.kiji.is/565478813042459745

 衆院予算委員会は2019年11月6日、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して集中審議を行った。
 2020年度の大学入学共通テストへの導入が延期された英語民間検定試験に関し、実施団体の一つベネッセの関連法人に旧文部省、文部科学省から2人が再就職していたことが明らかになった。
 野党は、英語民間試験導入の背景に官民癒着があるのではないかと追及した。 
 関連法人は、ベネッセと共同で英語検定試験を実施している一般財団法人・進学基準研究機構。
 この法人はベネッセ東京本部と所在地が同じ。
 文科省の伯井美徳高等教育局長は予算委で、旧文部省の事務次官経験者が同法人に再就職し、10月1日まで理事長を務めていたことを明らかにした。
 国立大学の事務局長を務めた文科省退職者も同日まで参与を務めていたと述べた。
 立憲民主党の大串博志氏は「(民間試験導入が)民間に利益が及ぶ形で考えられているのではないか。疑念を呼ぶこと自体が大きな問題だ」と批判した。
 萩生田光一文科相は共通テストの国語と数学の記述式問題については、予定通り導入する考えを示した。
 立民の川内博史氏が採点者に学生アルバイトも想定されるのかをただしたのに対し、萩生田氏は「さまざまな属性の方が含まれる」と否定しなかった。


東京新聞・朝刊、2019年11月7日 朝刊
衆院予算委
英語試験法人に天下り
旧文部省次官ら2人
 
(木谷孝洋)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201911/CK2019110702000159.html

 もうほんとに自民ってこんなのばっかり
 異常さに拍車がかかっている

 安倍総理、完全に知性崩壊。
 国会の審議中に「共産党!」と罵声を浴びせて恫喝。

・ 杉尾議員は立憲民主党
・ 事実と違っていてもお構い無し
・ 他党の名前を悪口として認識
・ 話を聞くつもりゼロ
・ 議論するつもりゼロ

 この総理大臣、どう見ても日本をナメてますよね?
https://twitter.com/i/status/1192712741900800002

 韓国旅行中のたった4日のうちに起きた日本政府/安倍政権絡みの異様な出来事:

1.現職総理大臣が国会で公文書を引用して自分の不正疑惑を追及する野党議員に「その文書はお前が作ったんじゃないのか」という主旨の野次
2.この現職総理大臣の発言について記者会見で問われた官房長官が「知らない」と言い逃れ
3.政府が昨年9月に開いた公的会議の議事録から、政府の方針に合わない参加者の発言を削除していた事実が発覚
4.自分の発言の根拠について問われた官房長官が「いつ、どこでそんなこと言った?」と言い逃れ
5.最近辞任した前法務大臣のスピード違反を広島県警(警察)が不問にしていた事実が発覚
6.総理大臣と名乗る安倍晋三風の男が妙な演説をするだけの映像作品等が展示されたウィーン芸術展に、日本の外務省が「日墺の相互理解に寄与しない」等の名目で公認取り消し
7.安倍首相「桜を見る会」の税金を使った不正が国会で明らかに!「地元の自治会やPTA役員を招待」と白状 萩生田・稲田・世耕も…

 参院集中審。内閣府の「桜を見る会」は安倍と萩生田らが自身の選挙活動のために税金を私物化しているのではないか、数々の証拠を付き付けながら追求中。山口から貸切バスが17台だとよ。

 この国の病理は深まるばかり。東京の大手新聞テレビは、いつになったら本来の仕事をするのか。

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2019年11月08日

小川亮作

ルバイヤート(四行詩)の由来

 弊社のワインの商標名(ブランドネーム)は“ルバイヤート”です。
 1957(昭和32)年のある日、三代目社長、大村忠雄の知人で内務省の関川氏が、詩の先生の日夏耿之介氏を連れてワイナリーに遊びにみえました。
 そこで丹精こめて造ったワインをお出ししたところ、「これは美味しい」と大変喜んでいただきました。
 後日、商標名の命名を関川氏を通じて日夏氏に依頼したところ、快く引き受けていただき、次のお手紙を送っていただきました。
啓上
御清健賀上ます
 関川君よりの来信にて貴社愈愈(いよいよ)発展 葡萄酒を大かゝ(り)に売出されるにつき 老生に命名を依頼して来られたる由、依て左ノ如く愚考申上げます。
 二種と仮に定め、第一はインテリ向き
 これを
 RUBAIYAT ルバイヤット
と命名、ペルシャ11世紀天文学者詩人 Omar Khayyám オアマ・カイヤムの詩集の名にて、
原名はルボウイヨウトと発音するが、ルバイヤットの方が語呂もよく通りがよく、ブドーの原産地の人にて非常に葡萄酒の好きな詩人で ブドー酒と美女とを歌つた詩が多く 卋(世)界的大詩人の一人で、日本のインテリは皆その名を知る故、ルバイヤットと名附けて発売したら、必ず「やったな」と思ふでせう。
 第二は一般大衆(向)きで
 ENCHANTÉ アンシャンテ これはフランス語で、気持ちのよい、ウットリする、等の意ですから、フランス好みの大衆には可(よ)いでせうか。
 右二種選びましたが、尚黄色系統の新発売品には シャリオ・ドオル CHARIOT D’OR(金の馬車といふ意)といふ名も乙でありませう。
 気に入らなかつた(ら)お棄て下さい。どれも。
 右
草々
日夏老生

 このようないきさつで弊社の商標名(ブランドネーム)は“ルバイヤート”となりました。
 日夏氏よりいただたお手紙は、ワイナリー見学コースのギャラリーに展示しております。
 ワイナリーにお越しの際には、ぜひご覧ください。
―133―
酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果(しるし)だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ眞の人生だ!

オマル・ハイヤーム著、小川亮作訳


オマル・ハイヤームについて

 11世紀ペルシアの数学者・天文学者・詩人。1040年頃生まれ、1123年没。
 ペルシアのホラサン川の都城ネイシャプールの近くで生まれる。
 自然科学に関する業績では、三次方程式の解法に関する研究、天文学に関する業績では、後のグレゴリイ暦にもまさるほどのジャラリイ暦の作成が特に有名である。
 19世紀に彼の詩集『ルバイヤート』がイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルドによって翻訳されて以来、詩人として世界中にその名が知れわたるようになる。
 酒をたたえ、現世の快楽を詠んだ無神論的なその作品は19世紀末のヨーロッパで流行することとなる。
「ルバイヤート」はペルシア語で「四行詩」を意味する(複数形。単数形は「ルバーイイ」)。
 本来は一般名詞だが、欧州や日本では「ルバイヤート」はハイヤームの詩集を指す固有名詞となっている。

ペルシャ語詩集『ルバイヤート』翻訳 小川亮作

英文学を志した亮作

 小川亮作は、父全一、母ヒサの8人兄弟の長男として1910(明治43)年11月20日に、海老江で生まれました。
 亮作の父は、黒埼の小学校に教員として勤務したこともあります。
 また、1927(昭和2)年ころ、海老江で球根栽培が行われるようになった礎を作った一人でもありました。

 亮作は岩船郡金屋村立金屋尋常小学校を卒業後、旧制新潟縣立(県立)村上中学校(現村上高校)へ進みました。
 学業成績は優秀で、抜群でした。
 特に、文章を書くことを好むとともに、英語と得意とし、英文学を志したこともあったといいます。

ロシア語、ペルシャ語を勉強

 亮作は、1929(昭和4)年に当時満州国のハルビン市にあった日露協会学校(後の満州国立大学ハルビン学院)に奨学生として進学し、ロシア語を本格的に勉強しました。
 1932(昭和7)年、さらに力を付けるため、外務省の外交官試験を受け、合格しています。
 その後、ペルシャ(現イラン)のテヘランで3か年の外交官生活を送りました。
 この時、電気や水道もない生活の中で、ペルシャ語を一生懸命に勉強しました。
 1935(昭和10)年に帰国し、外務省に勤務した後、1937(昭和12)年には外交官としてアフガニスタンに大使館付書記官という役職で赴いています。
 1941(昭和16)年に帰国し、外務省アジア局に勤務します。
 そして、千葉県松戸市に居を構えました。

詩集『ルバイヤート』との出会い

 亮作は、テヘランにいたころペルシャ語の詩集『ルバイヤート』に出会い、詩の美しい調べと内容の奥深さに感動します。
『ルバイヤート』は、11世紀にオマル・ハイヤームというペルシャの詩人によって歌われたもので、四行詩のことを言います。
 人生の挫折や苦しみ、希望やあこがれを四行の文で表現しています。
 19世紀になると、英語訳によって広く世界中に愛読されるようになりました。
 ルバイヤートの詩に込められた人生への深い思いが多くの人びとの心に響いたものと思われます。
 明治時代には、日本にもルバイヤートの詩の一部が紹介されています。

 亮作は、ルバイヤートの詩のすばらしさを多くの日本人に伝えたいと、ルバイヤートの翻訳を強く願いました。
 良作の翻訳は、太平洋戦争後から本格的に行われたそうです。
善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命、
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。

ペルシャ語の詩を小川亮作が訳したもの(岩波文庫より)

岩波文庫より出版、版を重ねる

 亮作は、原典ペルシャ語の詩集に載っている詩をすべて日本語に翻訳しました。
 ペルシャ語で書かれた美しい調子をできるだけ生かし、日本語で表現しようと努力しています。
 また、当時の詩は古文調の言い回しが中心でしたが、古文調ではなく、分かりやすい現代語訳として翻訳されています。

 小川訳『ルバイヤート』は、1949(昭和24)年に岩波書店から岩波文庫の一冊として出版され、現在でも版を重ねています。
 本の最後の方に、著者オマル・ハイヤームの生涯や功績、詩の内容の解説が載っていますが、これも亮作が書いたものです。
 詳しく、しかも分かりやすく説明されているという評価を受けています。

 1949(昭和24)年夏、亮作は神奈川県鎌倉市に居を移し、研究活動に専念しますが、1951(昭和26)年12月27日に急性肺炎で亡くなりました。
 享年41歳でした。

 亮作は、ルバイヤートのすばらしさを多くの日本人に伝えてきた、そして今でも伝え続けている功労者でもあるといえると思います。

丸藤葡萄酒工業(株)公式サイト
http://www.rubaiyat.jp/

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オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』

The coming year is the 200th anniversary of the birth of Edward FitzGerald; so, as the year turns, what better celebration than some stanzas from his free translation of that great meditation on life's transience, The Rubáiyát of Omar Khayyám?

FitzGerald was a friend of Thackeray and Tennyson, but initially had few writerly ambitions of his own. Scruffy, eccentric, a bit of recluse and very rich, he was drawn to younger men, and it was from one of these, Edward Cowell, he began learning Persian in 1853. Cowell also passed on his discovery in the Bodleian Library, Oxford, of verses written by Khayyám, a Persian polymath whose life spanned the 11th and 12th centuries.

FitzGerald was enthralled and declared that the poems had "the ring of true metal".

The Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics quotes the tradition that the Persian quatrain-form, the ruba'i, originated in the gleeful shouts of a child, overheard and imitated by a passing poet. "Succinctness, spontaneity and wit" are its essence, the encyclopaedist writes, coolly noting FitzGerald's "venial infidelity to his Persian model". FitzGerald got the rhyme-scheme right but missed the rhythmic subtlety of the original prosodic pattern; some of the quatrains are paraphrased, some mashed together, others invented. Furthermore, Khayyám's 750-plus quatrains certainly did not constitute one long poem.

The 101-verse semi-narrative FitzGerald finally assembled is the product of a ruthless editorial job – but how much poorer English poetry would be without it. His endeavour might more generously be termed "transcreation". Khayyám, an agnostic famed during his lifetime as a mathematician and astronomer rather than a poet, and his mediator, a nineteenth-century English sceptic who believed that "science unrolls a greater epic than the Iliad", may not meet in a true linguistic union, but there seems to be a "marriage of true minds" nevertheless (and, yes, you'll note a passing trace of Shakespeare in FitzGerald's diction).

The speaker that emerges with such authority and panache, despite the stiffish western dress of iambic pentameter, has a voice unlike any other in Victorian poetry, and a philosophical sensibility which, while it has been compared to that of Epicurus and Lucretius, is new and distinct. A whole culture must have suddenly seemed within the imaginative reach of the poem's first audience.

Though initially published as an anonymous pamphlet, once the Rubáiyát was discovered by Rossetti, Swinburne and others, it swiftly became famous. It is said that its effect on Victorian England was no less considerable than that of Darwin's On the Origin of Species, published in the same year, 1859.

Everyone will have their favourite stanzas. My selection – from the fifth and final edition of the poem – begins with one of the most majestic and is followed by a less familiar episode, the Potter and his pots, a sustained narrative that literalises the creation myth and exudes a strong sense of Fitz-Omar's humour and his almost magic-realist imagination. The Rubáiyát's two concluding stanzas round it off. I hope you'll be enticed to read, or re-read, the whole poem and savour its homely yet memorable rhetoric, its vivid images, gloriously yearning sighs, twinkling jokes and keen-edged rational arguments. Meanwhile, let's raise a glass to a new year in which the spirit of translation – the spirit, in fact, of the luminous conversation between Edward FitzGerald and Omar Khayyám – presides over public affairs, especially those in the Middle East.
"Ah, make the most of what we yet may spend,
Before we too into the Dust descend;
Dust into Dust, and under Dust, to lie,
Sans wine, sans Song, sans Singer and – sans End!"

71
The Moving Finger writes; and, having writ,
Moves on: nor all your Piety nor Wit
Shall lure it back to cancel half a Line,
Nor all your Tears wash out a Word of it.
******
82
As under cover of departing Day
Slunk hunger-stricken Ramazán away
Once more within the Potter's house alone
I stood, surrounded by the Shapes of Clay.
******
83
Shapes of all Sorts and Sizes, great and small,
That stood along the floor and by the wall;
And some loquacious Vessels were; and some
Listen'd perhaps, but never talk'd at all.
******
84
Said one among them – "Surely not in vain
My substance of the common Earth was ta'en
And to this Figure molded, to be broke,
Or trampled back to shapeless Earth again."
******
85
Then said a Second –"Ne'er a peevish Boy
Would break the Bowl from which he drank in joy;
And He that with his hand the Vessel made
Will surely not in after Wrath destroy."
******
86
After a momentary silence spake
Some Vessel of a more ungainly Make;
"They sneer at me for leaning all awry:
What! did the hand then of the Potter shake?"
******
87
Whereat some one of the loquacious Lot –
I think a Súfi pipkin – waxing hot –
"All this of Pot and Potter – Tell me then,
Who is the Potter, pray, and who the Pot?"
******
88
"Why," said another, "Some there are who tell
Of one who threatens he will toss to Hell
The luckless Pots he marr'd in making – Pish!
He's a Good Fellow, and 'twill all be well."
******
89
"Well," murmured one, "Let whoso make or buy,
My Clay with long Oblivion is gone dry:
But fill me with the old familiar Juice,
Methinks I might recover by and by."
*******
100
Yon rising Moon that looks for us again -
How oft hereafter will she wax and wane;
How oft hereafter rising look for us
Through this same Garden – and for one in vain!
******
101
And when like her, oh Sáki, you shall pass
Among the Guests Star-scatter'd on the Grass,
And in your joyous errand reach the spot
Where I made One – turn down an empty Glass!

Tamám [It is ended].
* Notes: Ramazán – Ramadan.
* Sáki – a maid or manservant who pours wine.

[picture]
An early-20th-century illustration of The Rubáiyát of Omar Khayyám

The Guardian, Published: Mon 29 Dec 2008 12.59 GMT
Poem of the week: The Rubáiyát of Omar Khayyám
If only we could all learn the spirit of Edward FitzGerald's wonderfully unfaithful translation

By Carol Rumens
https://www.theguardian.com/books/booksblog/2008/dec/29/poem-week-edward-fitzgerald

 ワイン通なら「ルバイヤート」と聞けばピンとくるかもしれない。
 1890年に創業した歴史のあるワイナリー、丸藤葡萄酒工業(山梨県甲州市勝沼町藤井780 Tel 0553-44-0043)のワインブランドだ。

 伊勢志摩サミットで提供されるなど話題も豊富なワインだが、売れない時代も長かった。
 約60年前、ワイナリーを訪れた詩人、日夏耿之介(1890 - 1971)にブランドの命名を依頼したところ、1年かけて提案したのがペルシャの4行詩を意味するルバイヤートだった。
 代表的な作家、オマル・ハイヤームの作品にはワインの詩が多い。

 ワインのほか、醸造所も楽しめる。
 毎年4月に開くワイナリーコンサート「蔵コン」もその一つ(*1)。
 大村春夫社長は「東京駅で開いた駅コンをヒントにした」と話す。

 おいしいワインの存在を知ってもらおうと1988年に開始。
 初回はシャンソン歌手、水織ゆみさん(*2)の歌声とワインの香りに観客は酔いしれた。
 その後も尾崎紀世彦(*3)さんら幅広いジャンルからゲストを招き、2018年で30回目を迎える(11年は中止)。

 蔵コンは2部構成。
 第1部は参加者が前庭と畑で新酒を飲みながら交流するパーティーだ。
 第2部のコンサートは決して広くない地下貯蔵庫で、ゲストにかぶりつきで歌や演奏を堪能できる。
 15回連続で蔵コンに来ている東京都東久留米市の木藤亮さんは「ライブハウスとひと味違う臨場感は格別」と魅力を語る。
 
 コンサートは2019年から趣向を変え、古民家を改築した事務所棟で開く。
「お客さんがもっと気軽に参加できるよう」(大村社長)に、開催を年2回に増やす予定だ。

 イベントがない日は見学ツアーでワインの製造法や歴史を学ぶのも楽しい。
 ユニークなのはかつて白ワインを貯蔵していたタンクをぶち抜いて作った通路。
 壁いっぱいに広がるキラキラと光る小さな粒は、ワインに含まれる酒石酸がカリウムと結合した「酒石」と呼ばれる結晶だ。
 まるでロマンチックな星空のよう。
 と思いきや、通路はテレビドラマで事件現場になったこともあるとか。

 通路のドアにはワインづくりを表現したステンドグラスをはめ込んでいる。
 制作は三鷹の森ジブリ美術館(東京都三鷹市)を飾るステンドグラスも手掛けた山梨県北杜市の八田高聡さん、ゆり子さん夫妻。
 大村社長と意気投合し、代金の代わりにワインを受け取ったとの逸話も残る。


[写真]
蔵コンはワインの香りが漂う貯蔵庫で開催(2017年4月、山梨県甲州市)

日本経済新聞、2018/1/26 10:00
ワイン蔵で堪能
新酒と一流音楽

(甲府支局長 三浦秀行)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26122930V20C18A1KNTP00/

(*1)「蔵コン」
ルバイヤート ワイナリー コンサート
丸藤葡萄酒工業(株)公式サイト
http://www.rubaiyat.jp/kuracon/

(*2)水織ゆみ「愛の賛歌」
https://www.youtube.com/watch?v=s-ZdIy-xrhU

(*3)尾崎紀世彦(1943 - 2012) I LOVE YOU
https://www.youtube.com/watch?v=wXHRPOkJhVM

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相手の文化を尊重する外交

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をお読みください: 

★ 2019年06月18日「ホルムズ湾タンカー攻撃」
★ 2019年06月15日「トランプのパシリ」

 外交でなく勝手に阿呆がそう思っている世界一の覇者の使いっ走りで、地球儀外交とか要はカネのばらまきでしかないこの国のトップの害交(*)、それを見物して「やってる感」に酔ってるだけの民衆、しかしヤッホーくん、出会いました、岡田さん!
 オマル・ハイヤーム『ルバーイヤート』(平凡社ライブラリー、2009年9月)の編訳は、岡田恵美子(1932年生まれ)さん!
 今日はもう立冬、凛とした彼女のお話に耳を傾けてみましょう:

トランプ米大統領が昨年2018年5月にイラン核合意から離脱して以降、両国間の緊張が続いている。
今年2019年6月には安倍首相がイランを訪問、最高指導者ハメネイ師とも会談したものの仲介者としての役割は心もとなかった。
孤立化するイランとどう向き合うべきか。
日本にできることは――。
半世紀以上にわたってイランとの交流を続けているペルシャ文学研究の第一人者、岡田恵美子さんは「イランは言葉と文化を大事にする国。外交の土台は文化です」と助言する。

◇ ◇ ◇

― イランに関する最近の報道を見て感じることは?

岡田恵美子: イランは若い人がとても政治的なんです。
 男性でも女性でも政治への関心が非常に高い。
 これは国にとって一番の力になっています。
 米国はイランを怖がっているのでしょう。
 若い人が政治的で力がある。
 もちろん地下資源も持っている。


― 日本の若者とは違いますね。

岡田: 1年ほど前、日本在住のイラン人留学生の前で講演した時のこと。
 東京・上野の文化会館でしたが、そこにあった世界地図のペルシャ湾の場所に「アラビア海」と書いてあったの。
 そうしたら学生たちが怒ってね。
 私が「ペルシャ湾と書いた紙を上から張っておけば」と言うと、「そういう問題じゃない」と。
 その場で署名を集めて、外務省まで持って行った。
 イランの若い人は、社会の出来事や政治・国際関係に非常に敏感。
 積極的に発言します。


― 米国がイランを怖がっているというのは?

岡田: 米国はしきりにイランを挑発しているわけです。
 そうすればイランは困って音を上げるだろうというのが米国の狙い。
 ところがイランはブレない。
 イランには天然ガスなどの地下資源がある。
 石油も持っている。世界第4位の産油国です。
 中東の真ん中に位置し、砂漠の国とはいえ米や野菜などの農産物も十分取れる。
 先日お会いした駐イラン大使は、
「世界との交流を断たれると不安になる国民がいるので、少し物価は上がっているけれど、国そのものは、自給自足できるし、資源もあるので当分困らない」
 と言っていました。
 米国がイランを怖がるということは、イランが米国と同等の力を持っているということ。
 だからイランはますます自信を深めている。
 羨ましくもあり立派です。


― むしろ米国の方が追い込まれていると。

岡田: だから日本に仲介を頼んだりしたのでしょう。
 核合意の離脱は米国側から言い出したことで、イランは「米国が先に謝るのが当然だ」と考えている。
 それでブレないのです。
 そこが長所でも短所でもあるのだけど。
 日本だったら、「そうは言っても相手は米国だから」って話になるじゃないですか。
 いまイランは米国の出方を見ている。
 米国がイライラしてどうしようもなくなって、引いていくのを待っていると思います。


安倍首相もルバイヤートの話から始めたらよかった

― ブレないのは国民性というか、精神面の強さもあるのでしょうか?

岡田: やはり歴史が古い。
 2500年です。
 そこに文化の土壌がある。
 非常に立派な古典文学が豊富で、その中の言葉が教育の基礎になっている。
 親が子供に古典詩を暗記させるんですよ。
「知は力なり」(イランの大詩人フェルドゥスィー Ferdowsi 934-1025)など、古典詩には必ず教訓が入っています。
 そういう教育を家庭で行う。
 日本じゃ古事記や万葉集を家庭で子供に暗記させるなんてないでしょう。
 せいぜい百人一首くらいで。


― 古典詩の言葉がイラン人の精神的支柱になっているんですね。

岡田: イランは文化の国なんです。
 安倍さんもイラン訪問の際の首脳会談で、有名な文学者の話でも出せればよかった。
 例えば四行詩で有名な『ルバイヤート』(Rubā`iyāt)は、11世紀ペルシア(イラン)の詩人ウマル・ハイヤーム Omar Khayyám‎ 1048- 1131)の四行詩集とかね。
 向こうの人は政治家でも、まず文学や詩の話などから会話を始める。
 いきなり会って、「米国と喧嘩するのはやめなさい」とか「石油ください」では、表面的には応対してくれても、本気で相手にはされませんよ。
 以前、2000年の訪日時にお会いしたハタミ大統領は「山路来て 何やらゆかし すみれ草」という松尾芭蕉の俳句を暗記して来られました。


― 俳句ですか。すごいですね。

岡田: 大使がうちに来られる時も、必ず文化の話をされます。
 先日も「令和という元号は万葉集から取ったんですね」という会話から始まりました。
 なるほど、こうやって外交を進めてきたんだな、と感心しました。
 イランは東西文化の十字路にありますからね。
 安倍さんが一言、「ルバイヤートは日本でも読まれています」くらい言えば、もう話はパッと違ってくる。
 相手の国が最も誇りにしている文化のことに触れて会話を始めたら、まるで違うと思うのね。

 その点で日本の政治家は貧しいと思います。


― 日本とイランは文化的なつながりが深いのですけどね。

岡田: 正倉院の時代からですよ。
 琵琶など正倉院の宝物は7割が古代ペルシャから送られたものだったというじゃないですか。
 イランというと日本人は「革命」と思ってしまいますが、国名をイランに改めたのは最近のこと(1979年のイラン・イスラーム革命)で、ペルシャと同じ国です。
 そう考えれば文化の国だということが分かっていただけるでしょう。

 日本とイランの関係は「石油」だけじゃないんです。
 もっとも日本人は、自分の国の文化に対する関心も低いですからね。


― 文化に対する関心のなさが、日本外交にも影響している。

岡田: そういうことです。
「かつてペルシャと日本は文化によって結ばれていた」と安倍さんが言ったら、それはイラン人は喜び、日本を信頼しますよ。

 外交の土台は文化。
 文化を除いて外交をやろうと思っても無理です。
 石油の取引の話ばかりでは、外交ではなく商売になってしまう。
 文化でつながっていかない限り、深い外交はできないと思います。


 その点、欧州は強い。
 英仏はペルシャの古典研究を200年前からやっていて超一流です。
 日本は経済はしっかりしているけれど、文化への理解は非常に浅い。

 でもね、文化の土台がないと国って滅びますよ。
 必ず外交でも失敗する。
 文化は誇り。
 精神を作り上げているものです。


 だから文化への理解を、まずは政治家から始めてもらいたい。


― 確かに、安倍首相の行動は、ただ石油が欲しいだけに見えかねない。仲介役もトランプ大統領に促されるままですし。

岡田: 日本は米国の核の傘に守られているから、仕方ない面もあります。
 でも、日本とイランは正倉院の時代から文化でつながっている。
 米国にイランとの関係を断つように言われても、「イランとの交流は政治とは別だ」とハッキリ言って欲しかった。
 日本ももう少し毅然として欲しいですね。


■ 外交上手は会話上手

― 相手の文化を尊重する外交。それはイラン以外の国にも共通する。悪化の一途の日韓関係でも同様に思います。

岡田: 民間レベルで若い人たちが「韓国祭り」のようなイベントを行っています。
 こういうものは大いに続けて欲しい。
 だけど政治は……。うまく行きませんね。
 文化的なつながりの強さがもっとアピールされれば、何か解決策が出てくるかもしれません。
 結局、日本が外交下手なのよね。


― どうして下手なのだと思います?

岡田: 日本人は、以心伝心で伝わると思ってしまうところがある。そしてスピーチが下手。
 会話術をもっと磨かないと、自分の心の内にあるものを相手に伝えることができません。


― そこはイラン人に学びたいです。

岡田: ダブダブの服を着ている人に「妊婦さんみたい」と言ってしまうのが日本人。
 「楽そうな服ね」と言えば相手は傷つかない。
 来日したイラン人が驚くのは家庭でお父さんと子供の会話が少ないことです。
 イランではお父さんが一番の会話の先生。
 子供がお父さんと関わることで、言葉遣いや会話術を学んでいく。
 小さい頃から訓練されるから、イラン人はおしゃべり上手なのです。

※ 岡田恵美子(おかだ・えみこ、1932年東京都生まれ)
 東京学芸大卒後、中学の国語教師を経て、1963年テヘラン大学に留学。イラン国王宛てに留学を希望する手紙を書いたところ、国王から許可を受け、国費留学となった。1967年同大文学部博士課程修了。文学博士。1982年に東京外国語大学ペルシア語学科助教授。国立大において女性初の助教授だった。同大教授、中央大学総合政策学部教授を経て、現在、日本イラン文化交流協会会長。近著に「言葉の国イランと私: 世界一お喋り上手な人たち」(平凡社2019年3月)。


日刊ゲンダイ、2019/11/05 06:00
ペルシャ文学者が見たイラン訪問
「外交には文化が必要」

(聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264098/

(*)バカ者だらけの政権が税金を使い放題

「国民目線」からはほど遠い決断だ。
 2019年10月の消費増税は「税と社会保障の一体改革」の名の下に、税収を社会保障の安定財源に充てる名目にしていたが、直近で安倍首相が決めたのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国への「出資倍増」だった。
 庶民に痛みを強いる消費増税実施直後のタイミングでの“海外バラマキ”に批判の声が続出するのは時間の問題だ。

◇ ◇ ◇

 ASEAN首脳会議でタイを訪れていた安倍首相は日本時間の2019年11月4日夜、外務省所管の国際協力機構(JICA)への出資を今後倍増させ、ASEAN諸国のインフラ開発などを支援していく方針を表明。
 この発言に対し、SNSなどでは、
〈また、外国にばら撒きかよ〉
〈諸外国に出す金があるなら、(消費税を)増税するなよ〉
〈途上国の外国人よりも、氷河期の日本人を支援すべき〉
といった批判の声が相次いだ。

 そりゃあそうだろう。
 第2次政権が発足した2012年以降、安倍政権は海外諸国にドヤ顔でカネをばらまき続けているからだ。

 昨年2018年1月26日の参院本会議の代表質問で、社民党の福島瑞穂議員は、
〈総理が表明した(海外への支援)額を機械的に加算した場合、円借款や一部重複部分を含め54兆3621億円になるという回答が(外務省から)あった〉と指摘。

〈社会保障を削って、なぜこの大盤振る舞いなのですか〉
と追及すると、安倍首相は、
〈54兆3621億円は、民間資金と重複計算により額が膨大に膨らんでおり、極めて誤解を招く数字〉
とムキになって反論。
〈(本来の総額は)2兆8500億円〉とか言っていたが、その詳細な内訳はいまだに分からずじまいだ。

■ パナマのモノレールやバングラデシュの鉄道に数千億円

 このやりとり以降も、安倍政権は平然と“海外バラマキ”を継続。

 2018年4月、過激派組織「イスラム国」との戦闘終結後のイラク復興支援名目で、同国の上水道整備などのために約350億円の円借款供与を決定したほか、
 同年2018年10月には、インドの高速鉄道計画などに3000億円強
 さらに今年2019年4月にはパナマ首都圏のモノレール建設事業を巡り、約2810億円の円借款を決めた。
 そして同年2019年5月末は、バングラデシュの鉄道や商業港建設に関連し、1300億円規模の円借款を約束するなど、
ざっと取り上げた大型案件だけでも、バラマキ金額は約7500億円にも上る。

 総額でいえば、ざっと55兆円を突破している計算だ。

 さらに言えば、昨年2018年末に閣議決定した2019〜2023年度「中期防衛力整備計画」に基づくステルス戦闘機の“爆買い”だって、トランプ大統領の要求に屈した安倍首相の米国への巨額な“バラマキ”に等しい。
 1機116億円とされる戦闘機を147機購入する計画で、維持費を含めると日本の支出額は約6兆2000億円。

 つまり、バラマキ総額は実に60兆円を超えているのだ。

「海外支援に資金を支出することは重要なことかもしれません。しかし、政府はこれまで多額の出資をし、どれだけの成果を上げてきたのかが全く見えない。安倍首相は、大枚をはたいて各国首脳を味方につけたかのような気分に浸っているだけではないか。給料が上がらない中、消費増税に苦しむ国民が多いのに、海外へのバラマキに税を費やしている場合ではないはずです」
(経済ジャーナリスト・荻原博子氏)

 消費増税した途端に海外にカネをばらまき始めるというのは、もはや、宰相としても政治家としても、マトモな頭じゃない。
 これじゃあ、いくら増税してもキリがないだろう。
「カップ麺が1個400円」などと国会答弁で平気で言ってのけるバカ者だらけの政権にこれ以上、税金を使わせたら国が滅ぶ。


https://www.youtube.com/watch?v=XzSsUx7Sx6A

日刊ゲンダイ、2019/11/06 17:58
増税した途端…
安倍政権“海外バラマキ”累計「60兆円」突破

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264293/


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2019年11月07日

森達也『i』

 第32回東京国際映画祭(Tokyo International Film Festival、TIFF、10月28日(月)〜11月5日(火))の日本映画スプラッシュ部門(Japanese Cinema Splash)出品作「i- 新聞記者ドキュメント -」。
 同作のワールドプレミア上映が本日11月1日に東京・TOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われ、監督の森達也(1956年生まれ)とプロデューサーの河村光庸(1949年生まれ)が出席した。

「i- 新聞記者ドキュメント -」は、東京新聞社会部の記者・望月衣塑子(1975年生まれ)の活動を追うドキュメンタリー。

 報道の問題点、ジャーナリズムの地盤沈下、社会が抱える同調圧力や忖度の正体に迫る。

 森はまず、
「こっちは正義でこっちは悪とか、右翼左翼とか、分けるのが好きじゃないんです。映画は勧善懲悪ものが多いけど、現実では簡単に分けられるものじゃない。互いに攻撃し合っているのは居心地が悪いです」と日本の現状に触れる。
 河村は、
「誰かにムカッとしてる映画ではないです。官邸やマスコミだけが悪いと言いたいわけでもなくて、自分たちにも問題はあるんじゃないかってこと」と作品の趣旨を伝え、
「同調圧力や忖度のような、実態のないもので世の中が動いているのが怖い。それが蔓延すると世の中はどうなっていくんでしょうか」と問いかけた。

 タイトルの「i」について聞かれた森は、
「意味わかりましたか? ラブです……まあそれは冗談ですけど」と言い、会場を和ませる。
「最初は『衣塑子が来た』のようなタイトルも考えたんですけど、なんだか気恥ずかしいし、これまでの作品と同じようにアルファベットにしようと。衣塑子の『i』というところから始まり、アイアムやアイデンティティの『i』になっていった気がします」と振り返った。

 また映画でアニメーションを使った意図を問われると、森は、
「ドキュメンタリーだけを撮ってるわけではなくて、いつでもドラマも撮りたいと思っています。音楽やナレーションのない、ダイレクトシネマをやってきたので今回は違うものにしようかなって。アニメーションは周りから反対されましたけど、入れたかったので入れました」と説明する。

 また河村は、「i- 新聞記者ドキュメント -」を若者に観てもらいたいと語る。
「『ボヘミアン・ラプソディ (Bohemian Rhapsody)』(2018)(*) は中年の音楽ファンが支持し、それが若者にもつながっていった。この映画も最初は中高年の方が観ると思いますけど、森さんは若い人にも人気があるからつながっていけばいいなと。本来は独立系の映画館で上映する作品ですが、新宿ピカデリーや丸の内ピカデリーでもやります」とアピールした。

 そして森が、
「東京国際映画祭とは死ぬまで縁がないと思っていました。最初に河村さんから上映について聞かされたときは『何戯言を言っているんだ』と。無理だと思っていたので、この映画を上映してくれたことに感謝します」と映画祭に感謝を示し、イベントを終えた。

※「i- 新聞記者ドキュメント -」は11月15日より東京・新宿ピカデリーほか全国で順次公開。


[動画]
『iー新聞記者ドキュメントー』予告篇

[写真]
左から森達也、河村光庸

映画ナタリー、2019年11月1日 13:48
「i - 新聞記者ドキュメント -」TIFFで上映、森達也「死ぬまで縁がないと思っていた」
https://natalie.mu/eiga/news/353748

(*)ボヘミアン・ラプソディ
Queen – Bohemian Rhapsody (Official Video Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

Bohemian Rhapsody、Official Trailer、20th Century FOX
https://www.youtube.com/watch?v=mP0VHJYFOAU

 オウム真理教を題材にした『A』やその続編『A2』、ゴーストライター騒動の渦中にあった佐村河内守を題材にした『FAKE』などで知られる森達也監督の新作『i−新聞記者ドキュメント−』(11月15日公開)のパネルディスカッションが6日、明治大学駿河台キャンパスで開催。
 森監督と、本作に出演する東京新聞社会部記者の望月衣塑子(もちづき・いそこ)が登壇した。

『i−新聞記者ドキュメント−』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=g4FBg_dvuNw

 本作は、今年6月に公開された映画『新聞記者』の原案となった著書を執筆したことでも知られる望月衣塑子記者の姿を通し、日本の報道の問題点、ジャーナリズムの地盤沈下、日本社会が抱える同調圧力や忖度の正体に迫るドキュメンタリー。
 会場には明治大学の学生たちが多く集まり、Q&Aの際には学生から望月記者や森監督に対し、現代の日本メディアが抱える問題点に対しさまざまな質問が飛んだ。

 ある学生が望月に、
「SNSを通じて政治について発信することで、バッシングされるのではないかと恐怖がある。(政治的発信をしてバッシングされることへの)恐怖の乗り越え方は?」と質問すると、望月は、
「わたしが会見などに乗り込んでいくようになったのは今の政権や官邸に対して怒りが先走っていたから。その後、どんなバッシングが来るかは想像していなかった」と自身の体験を振り返りながら回答。

 望月記者は世に名前が出るようになってから、とりわけネットで叩かれるようになったといい、
「『トンでも質問だ。あいつは外国のスパイだ』って言われたりしたんです。(そういうことになると)政治批判などはできないなと萎縮する人もいると思うんですけど、ネット空間のバッシングはわたしの感覚では恐れるにたらずと思っています」と自身の考えを述べる。

 そんな望月に対し、実生活で危険な目にあうのではと心配する声もあったというが、
「わたし自身は活動して来て、ネット上で批判している人から襲われたなんて経験はまずゼロ」ときっぱり。
 それでも、
「一回だけ、大学で講演をした時に若者がバババって入って来て、こっちに来るかなってことがあったけど、叫んで去っていくだけだった」といった出来事も。
 そういった体験を踏まえ、
「ネットの空間だけのことに囚われないで。何かアクションをしたいと思った時は、勇気を出していろんなことを発信していってほしい」と呼びかけた。

 また、望月は自身が出演する『i−新聞記者ドキュメント−』の話題に及ぶと、
「まさかこんなところまで使われないよなってところまで撮られていてすごく恥ずかしかったけど、わたしの良い面も悪い面もきちんと撮ってもらっていてありがたかった」とコメント。

 とりわけラストに感じ入るものがあったようで、
「最後の10分は森さんが過去の作品も含め、一貫して伝えたいことが強く感じられた。その人自身の持っているもの、個の大切さというのをラストの森さんのコメントと共にわたし自身も再認識させられた」と話していた。

※『i−新聞記者ドキュメント−』は11月15日より新宿ピカデリーほか全国公開


[写真-1]
達也監督の新作『i−新聞記者ドキュメント−』パネルディスカッションに登壇した望月記者

[写真-2]
森達也監督

[写真-3]
パネルディスカッションの様子

シネマトウデー、2019年11月6日 23時02分
望月衣塑子記者に「恐怖を乗り越えるには?」
学生から質問相次ぐ

(取材・文:名鹿祥史)
https://www.cinematoday.jp/news/N0112180

 東京新聞・望月衣塑子記者の取材活動を追った『i- 新聞記者ドキュメント(監督:森達也)』。
 試写会が6日、東京・駿河台の明治大学であった。

 『i』が題材にしているのは「辺野古移設問題」「伊藤詩織・準強姦事件」「森友問題」「加計問題」。

 いずれも官邸による権力犯罪である。
『i』はマスコミが追っていない所まで踏み込み、問題を告発する。

「どうして答えられないんですかっ!」

 望月が猛然と沖縄防衛局幹部に詰め寄る場面がある。
 物凄い剣幕で迫り、防衛局幹部が車に逃げ込むまで追い駆けて行く。
 田中も同じ現場にいたが、彼女の怒りがヒシと伝わってきた。

 辺野古新基地の埋め立てには、赤土が大量に使われている。
 誰が見ても沖縄県「赤土流出等防止条例」違反だ。

 埋め立て自体が県知事の許可なく行われる違法行為であるのに、さらに条例破りまで重ねる。

 違法な埋め立ては、法治国家であることを自ら放棄する官邸の強引な姿勢を象徴する。

 にもかかわらず、沖縄2紙をのぞくとマスコミの追及は手ぬるい。

「伊藤詩織・準強姦事件」になるとマスコミの追及はさらに ゆるく なる。
 望月は追及の手を緩めない。
 アベ友の元TBS記者を実名で「呼び捨て」にして事件の真相に迫る。

 圧巻は官房長官記者会見だ。
 記者クラブに加えて番記者制度まであるため、官房長官を厳しく追及する記者は皆無に等しい。

 望月は質問妨害にもめげることなく、官房長官の嫌がる質問を続ける。
 国民が最も知りたがっている事だからだ。

 たまりかねた官房長官側は望月の質問を「事実誤認」だとして、沈黙させようとしてくる。
 官房長官側が事実誤認であることは、国会で野党議員が示した「赤土の写真」で明らかになった。

 外国人記者との会話は日本マスコミが世界水準でないことを物語る。

「外国人記者は官邸会見に出てもオブザーバー参加しかできない」「政府を批判した記事を書くと反日と言われる」・・・
 まるで望月が受けている仕打ちと同じだ。

「等身大の自分が写っている」と望月は『i』を評価する。

 彼女は世論を動かせるだけの優秀な記者だ。
 だが冷静に考えてみると記者として当たり前の仕事をしているに過ぎない。

 ところが、それを追ったドキュメンタリー映画が感動を与えるのだ。
『i』は 日本のジャーナリズムが、本来の役目を果たしていないことを、雄弁に語る。


[写真-1]
試写会後の質疑応答。「官邸に乗り込んだ時は恐怖よりも怒りが先に走った」。=5日、明治大学

[写真-2]
「広報に聞いて下さい」。沖縄防衛局幹部は得意の逃げ口上でかわそうとしたが、望月衣塑子は追及の手を緩めなかった。=1月、那覇市 野党合同ヒアリング会場

[写真-3]
激しく追いすがる望月。この場面は映画にも登場する。=1月、那覇市 野党合同ヒアリング後

田中龍作ジャーナル、2019年11月7日 00:02
『i - 新聞記者ドキュメント』が示す日本マスコミの異常
http://tanakaryusaku.jp/2019/11/00021200

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2019年11月06日

小林修『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』

幕末、明治、戦国、宗教、この国のかたち。
歴史が交差する瞬間をカメラマンはどう表現したか。
司馬遼太郎さんの小説やエッセーなどの世界を文章と写真で表現する連載を担当するカメラマンが、その苦労などを明かす。

* * *

 司馬遼太郎さんが「週刊朝日」に1971(昭和46)年から25年間連載した「街道をゆく」。
 紀行文や文明論でもあり、小説的な要素もある。

 自作を“絵画的”に司馬さんは語っている。

<……初めのうちは旅行印象記といいますか、淡い日本画みたいなものだったんですが、次第に油絵になってゆき、アブストラクトやシュールじみてきたわけで、書き続けるうち、その土地ならその土地で、自分が感じている大テーマを書こうと……>
(『司馬遼太郎全集』月報50)

 中盤以降は「南蛮のみち」「愛蘭土(アイルランド)紀行」「北のまほろば」「台湾紀行」といった大作が多くなる。

 文庫本43冊は司馬さんのライフワークだろう。
 司馬さんはかつて言っていた。

「人間のアプローチの仕方にはいろいろあって、絵画的に入る人、音感的に入る人、触感で入る人、味覚で入る人もいる。僕の場合は視覚的に入るタイプだろうね」

 取材でスケッチし、メモ代わりに写真もよく撮っていた。

 こうした司馬さんの「街道の視点」に視覚的に“挑戦”したのが、小林修写真集『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』(朝日新聞出版、2019年10月)だ。

 司馬さんの没後10年から週刊朝日で連載が始まった「司馬遼太郎シリーズ」はいまも続いている。
 小説やエッセー、「街道」の世界を文章と写真で表現する連載(現在は「司馬遼太郎と昭和」)で、編集担当は筆者と朝日新聞出版写真部の小林修。
 小林は13年にわたり写真を撮り続けてきた。

 小林の朝日新聞入社が1990(平成2)年で、司馬さんが亡くなったのは1996年。
 まだ駆け出しの時期で、「街道」チームに参加したことはない。
 つまり、小林は司馬さん本人に会ったことはない。
 もともと小説もあまり読んではいなかった。

「高校生のとき、友だちから『竜馬がゆく』を薦められました。『これを読めばお前の人生が変わるから』とずいぶんいわれましたが、なぜか読みませんでした(笑)。どちらかというと、カズオ・イシグロ、村上春樹、沢木耕太郎の世界のほうに近い感じがありました」
(小林)

 ただ、旅が好きだった。

「子どものころは、安野光雅さんの『旅の絵本』が好きで、いつも枕元に置いて寝てました。大学時代にバックパッカーで中国を旅行したり、司馬さんの作品では『街道』だけは読んでいました。いま思えば読んでいて良かったです」
(同)

 しかし、司馬さんの世界を撮影するのはなかなか難しい。

 幕末や戦国時代の風景はまず残ってはいない。史跡や石碑ばかり撮っても仕方ない。

 織田信長が活躍した「桶狭間合戦場」は住宅街だし、千葉周作が道場を開いた「神田お玉ケ池」には無機質なビルが並ぶ。

「街道」にしても約50年前に始まった連載であり、司馬さんの見た風景はなくなっていることが多い。
 途方にくれたとき、小林が思い出す司馬さんの言葉がある。

たとえ廃墟になっていて一塊の土くれしかなくても、その場所にしかない天があり、風のにおいがあるかぎり、かつて構築されたすばらしい文化を見ることができるし、その文化にくるまって(略)動きつづける景色を見ることができる
(1983年「私にとっての旅」)

 小林は言う。

「しばらくその場にぼーっとして、司馬さんの言葉を思い出す。そのうちそれがヒントになり、見えてくる風景がある。言葉にシンクロできる瞬間が、ときどきあります」

 写真集では、約100点の写真が収録され、その半分近くの写真の傍には司馬さんの言葉が並んでいる。
 言葉に触発され、時空を超えた風景がそこにある。

※ AERA 2019年11月4日号


[写真]
黒崎教会(長崎市上黒崎町)/遠藤周作『沈黙』の舞台、外海地区の黒崎教会。日曜の早朝、カトリックの信者が集まっていた。ここは潜伏キリシタンの歴史が残る。キリスト教と日本の風土について、司馬さんは「島原・天草の諸道」で考察している(撮影/写真部・小林修)

dot.asahi.com、2019.11.4 08:00
司馬遼太郎が見た景色がなくなっていても「見えてくる風景がある」
その瞬間とは?

(週刊朝日編集部・村井重俊)
https://dot.asahi.com/aera/2019110100014.html

 FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)では、2019年11月1日(金)から20日(水)まで、作家・司馬遼太郎の世界を撮り続けている小林 修 氏の写真展を開催いたします。

 小林 修 氏は「週刊朝日」の人気連載「司馬遼太郎シリーズ」の写真を13年にわたり担当し、作家・司馬遼太郎の作品世界を写真で表現しつづけているカメラマンです。
 小林氏は生前の司馬氏に会うことはありませんでしたが、司馬氏の連載『街道をゆく』の最後の担当であった村井重俊氏とともに司馬作品ゆかりの地を取材し、その原風景を写真で表現してきました。

『街道をゆく』は1971年から、司馬氏が亡くなる1996年まで、25年にわたり「週刊朝日」に連載された司馬氏のライフワークともいえる、紀行文学の名著です。
 日本人はどこから来たのか、日本はどのような歴史を辿ってきたのか、その文化の源流はどこにあるのか。
 司馬氏の歴史と風土を訪ね歩く旅は、国内は北海道から沖縄、さらに海を越えて、アイルランドやオランダ、モンゴルなどにまでおよびました。
 同作の中で、司馬氏の思索は時空を自在に行き交い、時代を鋭く見抜き、また『国盗り物語』や『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『坂の上の雲』など小説作品の世界とも有機的なつながりを見せます。
 司馬文学のエッセンスが凝縮されている『街道をゆく』は、小林氏の撮影でも大きな手掛かりとなっているといいます。

 本展は、小林氏が長年にわたり撮り重ねてきた膨大な写真群の中から『街道をゆく』をテーマに厳選した約90点を展示いたします。
『街道をゆく』文庫版の表紙や、「週刊 司馬遼太郎」シリーズで多くの人に親しまれてきた作品の数々を「宗教」や「言葉」など、さまざまな切り口で再構成し、新たに制作した銀塩プリントで展観いたします。
 感覚を研ぎ澄ませ、現代の風景の中に司馬作品の世界が立ち上がる瞬間を、明快に、そして繊細にとらえた写真群は、時代を超え、司馬文学の世界をいきいきと今日によみがえらせるものです。
 小林氏の視点が、司馬氏の視点に重なる瞬間、その精神までをも浮かび上がらせる写真たちが、司馬作品の世界にもう一つの扉を開くことでしょう。

 今なお不動の人気を誇る作家・司馬遼太郎の世界、そして、写真が生み出す『街道をゆく』の新たな魅力を、どうぞご堪能ください。

※ 司馬遼太郎の「遼」は、正式には「二点しんにょう」です。

※ 2019年11月9日(土)、10日(日)に写真展併催イベントとして、小林 修 氏と村井重俊氏(週刊朝日編集委員、元『街道をゆく』担当)が「司馬遼太郎シリーズ」の撮影秘話や取材エピソードを語るトークショーを開催いたします。


[写真]
モンゴル・ゴビ砂漠

FUJIFILM SQUARE 企画写真展
小林 修 写真展 司馬遼太郎『街道をゆく』の視点 歩いた風土、見抜いた時代
http://fujifilmsquare.jp/detail/1911010123.html

企画展名:FUJIFILM SQUARE 企画写真展
     「小林 修 写真展 司馬遼太郎『街道をゆく』の視点 歩いた風土、見抜いた時代」
開催期間:2019年11月1日(金)–20日(水)
     10:00–19:00(入場は閉館10分前まで) 会期中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)
   〒 107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号(東京ミッドタウン・ウエスト)
   TEL 03-6271-3350 
   URL http://fujifilmsquare.jp/
主催:富士フイルム株式会社
特別協力:公益財団法人 司馬遼太郎記念財団
協力:株式会社朝日新聞出版、週刊朝日編集部
監修:村井重俊(週刊朝日編集委員)
後援:港区教育委員会

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司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』

 司馬遼太郎(1923 - 1996)さんは、歴史と人間について、とくに日本の歴史と人間について非常に深く掘り下げた作家であるとともに、同時代の日本人の歴史観に最も影響を与えた作家であっただろうと思います。
 作家生活の後半、司馬さんは多くのエッセイや史論を発表するようになったことで、小説家というよりも歴史家と思われるようになりました。
 本人が好むと好まざるとにかかわらず、「司馬史観」という言葉が使われるようになり、私たちは彼を「歴史家」としてとらえるようになっています。
 しかし、そのキャリア全体を見れば、やはりその本質は小説を書くことにあったといって間違いないでしょう。

 司馬さんが遺した膨大な数の作品群のなかで、とくに代表作といわれているのが、
・ 『竜馬がゆく』
・ 『翔ぶが如く』
・ 『坂の上の雲』
の三大長編です。
 これは、明治以来の近代日本国家がどのようにできたのかということを、「準備段階」「実行段階」、そして「絶頂」に至る過程に沿って描いたものだと言っていい。
 坂本龍馬、大久保利通と西郷隆盛、秋山真之をはじめとする日露戦争の群像が躍動し、アジアで唯一の列強へと駆け上がってゆく──その日本の自画像を描いた物語です。
 これらの作品を読む日本人は、幕末から近代にかけての歴史を、非常に痛快な、明るい歴史ととらえました。

 一方で司馬さんは、日本についてのある種の悩みや影を抱えた人物でもありました。
 それは彼の戦争体験によるものです。
 幕末から明治にかけての日本は、軍事力を基盤とした権力体を築き、植民地化の危機を脱しただけでなく、自らが植民地を獲得する側に立ちました。
 しかし、それが司馬さん自身の青春を非常に暗いもの、辛いものにする時代へ、つまり昭和の戦争の時代へとつながっていきます。
 司馬さんは自らが生きた昭和の時代については、ついに小説作品を遺すことはありませんでした。

 この番組とテキストでは、司馬遼太郎さんの作品から、戦国、幕末、明治、そして司馬さんが異常な時代─―「鬼胎(もしくは異胎)」と呼んだ昭和前期(広義では、日露戦争後の一九〇五年から四五年の終戦までの四十年)、さらには戦後の日本および日本人を見つめ直していきます。
 晩年の司馬さんは『21世紀に生きる君たちへ』(世界文化社、2001年2月)という文章を残し、自身は新しい世紀を見ることはないだろうと予言して、そのとおりに1996年に亡くなられました。
 21世紀を生きる私たちは、20世紀に至るまでの日本と日本人を見つめ続けた司馬さんのメッセージを、今こそ読み取らなければいけない時期にきていると思います。

 文学を語るとき、議論は文学作品そのもののなかで完結すべきで、それが外に与える影響まで考えなくていいという意見もあると思います。
 しかし、司馬さんの文学というのは──これは漫画家の手塚治虫さんにも通じることかもしれませんが──、読み手の人生をよりよくし、また読んだ人間がつくる社会もよりよくしたい、という、つよい思いがこめられた作品です。

 司馬さんにとって、日本国家の失敗というのは、やはり「昭和前期」でした。
 昭和を題材にした小説はついに描くことはできませんでしたが、もし司馬さんが昭和史の小説を書いたとしたら、何を言いたかったかは、むしろその時代を影絵のように塗り残していることでよく見えてきます。
 司馬さんが描けなかった、影絵のように塗り残してしまった部分には、二十一世紀を生きる私たちが考えなければいけない問題がたくさん含まれています。

 司馬さんは、日本国家が誤りに陥っていくときのパターンを何度も繰り返し示そうとしました。
 たとえば、集団のなかに一つの空気のような流れができると、いかに合理的な個人の理性があっても押し流されていってしまう体質

 あるいは、日本型の組織は役割分担を任せると強みを発揮する一方で、誰も守備範囲が決まっていない、想定外と言われるような事態に対してはレーダー機能が弱いこと。

 また情報を内部に貯め込み、組織外で共有する、未来に向けて動いていく姿勢をなかなかとれないといった、日本人の弱みの部分をその作品中に描き出しています。

 こうした、その国の人々が持っている「たたずまい」、簡単に言えば「国民性」といったものは、100年や200年単位でそう簡単に変わるものではありません。
 であるならば、20世紀までの日本人を書いた司馬遼太郎さんを、21世紀を生きる私たちが見つめて、自分の鏡として未来に備えていくことはとても大切ですし、司馬さんもそれを願って作品を書いていったはずなのです。
 もちろん、自身が歴史好きということはあったでしょう。
 また、文学として自己完結したいと思ったかもしれません。

 でも、いちばんの根元にあったのは、後世をよくしたい、それに少しでも力を添えたい──という、戦争にも行った世代ならではの使命感と志だったと思います。

 だからこそ、亡くなって二十年が経過した今なお司馬さんは国民作家として愛され続けているのです。
 そのことを十二分に踏まえながら、これから作品を読んでいきたいと思います。

※ 司馬遼太郎の「遼」の字は、本来、「しんにょうの点がふたつ」です。

 
2016年3月9日放送、「幕末」に学ぶリーダーの条件〜「花神」を中心に〜
司馬さんからのメッセージ
『司馬遼太郎スペシャル』 ゲスト講師 磯田道史(歴史家・静岡文化芸術大学教授)
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/52_shiba/guestcolumn.html

 私は歴史小説を書いてきた。

 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

 歴史とはなんでしょう、と聞かれる時、
「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」
と、答えることにしている。

 私には、幸い、この世にすばらしい友人がいる。

 歴史の中にもいる。そこには、この世で求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

 だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは──もし君たちさえそう望むなら──おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。

 私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
 
 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。

 君たちは、ちがう。

 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。

「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう」

 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ、残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。

 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

 人間は──くり返すようだが──自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。

──人間こそ、いちばんえらい存在だ──という、思いあがった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。

 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

 この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

 さて、君たち自身のことである。

 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
──自分にきびしく、相手にはやさしく、という自己を。

 そして、すなおでかしこい自己を。

 21世紀においては、特にそのことが重要である。

 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は助け合って生きているのである


 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。

 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。

 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。

 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

 他人の痛みを感じることと言ってもいい。

 やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たような言葉である。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。


 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

 この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。

 鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。

 もう一度くり返そう。
 さきに私は自己を確立せよ、と言った。
 自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
 いたわりという言葉も使った。
 それらを訓練せよ、とも言った。
 それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
 そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。


 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえというものである。
 
 君たち。
 君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。

 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。


生きる言葉:名言・格言・思想・心理、2006年12月19日 (火) at 08時22分
二十一世紀を生きる君たちへ
司馬遼太郎
http://gakusix.cocolog-nifty.com/ikirukotoba/2006/12/post_910b.html

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2019年11月05日

斎藤幸平『未来への大分岐』

暮らしを脅かす気候変動、経済格差。
若者を中心に、こうした現状を変えようという世界的なうねりは、「資本主義」という経済システムへの異議申し立てだ……。
米国やドイツで学んだ32歳の経済思想家、斎藤幸平さんは、こう読み解く。
新しい経済のありようを見いだす鍵は、カール・マルクスの「資本論」だとも。
どういうことですか。

―「生態系が崩壊しようとしている」「行動を怠る大人は悪だ」と訴えた16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの国連でのスピーチが世界で共感を呼んでいます。

斎藤幸平: 日本では、「環境破壊を憂える少女の勇気ある表明」という文脈で報道されがちですが、そこに込められた強い政治的主張は注目されていません。
「大人は無限の経済成長というおとぎ話を繰り返すな」「今のシステムでは解決できないならシステム自体を変えるべきだ」という彼女の発言は、資本主義システムが深刻な異常気象を引き起こしており、経済成長が必須の資本主義のもとでは気候変動問題に対処できないというメッセージなのです。


― そこに注目が集まらないのは、極端な主張だからでは?

斎藤: 極端ではありません。
 国連の昨年2018年の報告書でさえ、経済成長だけを求めるモデルは持続可能性がない、として脱成長モデルを検討するようになっています。
 気候変動が国際的な課題になったのは1988年ですが、その後30年間、政治家たちは空約束ばかりで時間を浪費してしまいました。


― とはいえ、2016年には産業革命前からの世界の平均気温の上昇を2度未満に抑える目標を掲げたパリ協定も発効しました。

斎藤: パリ協定は、あくまで資本主義のもとで市場メカニズムを利用し、イノベーションや経済成長を阻害しない程度の炭素税で解決しようとする対策です。
 30年前ならその枠組みでも対応できたでしょう。
 でも、もう遅すぎます。


― 問題が放置され続けてきたのはなぜでしょうか。

斎藤: タイミングが悪かった面もあります。
 冷戦体制が崩壊し、グローバリズムという名のもとで市場原理主義的な資本主義が地球を覆っていきました。
 ところが、気候変動対策は市場の規制や生産の計画化を求めるため、無視された。
 科学技術への過信もこの間に広がりました。
 インターネットなど情報技術が発展し、政治や社会の仕組みを変えずに技術や市場メカニズムで解決できるという信仰で崖っぷちまで来てしまった。
 見落とされてきたのは、気候変動は正義の問題であるという点です。


― 正義、ですか。

斎藤: 世界の所得上位10%が温室効果ガスの半分を排出している一方で、下から数えての35億人はわずか10%です。
 ですが、結果的に異常気象の影響を大きく受けるのは、発展途上国の貧困層や、今の子どもたちの世代です。
 日本でも気候変動をめぐる不平等の構図=不正義、は見られます。
 大型台風の被害は、インフラが整っていない地方で影響が格段に深刻化しています。


■ ■ ■

― つまり先進国の豊かな人たちは、もっとつつましく生きるべきだという話ですか。

斎藤:「足るを知れ」といった精神論ではありません。
 行き過ぎた資本主義を人間と環境を破壊しない形に変えよう、という議論なのです。
 上の世代が戸惑うほどグレタさんが絶大な支持を受けた背景には、今のシステムではだめだという危機感が直感的なものも含めて若者たちに広がっていることがあります。
 この30年間で結局、誰が「豊か」になりましたか。
 日本でもかつて構造改革という言葉が流行しました。
 改革、競争、経済成長……。
 これらを追い求めた結果、非正規雇用が増え、低賃金や長時間労働が蔓延(まんえん)しています。
 成長すれば社会全体が潤い、誰もが豊かさを享受できる、という論理がでたらめだったことは、日本社会の現実が物語っています。


― とはいえ、日本は経済成長すらあまりしていません。それでももっと再分配、ですか。

斎藤: 問題は富が「足りない」ことではないのです。
 十分に生み出されているのに、一部の人が独占していることです。
 世界全体の富を独占する一部のお金持ちには、もっと課税して分配すればいい。
 再分配を強化したうえで、景気を良くすれば、経済が活力を取り戻す、という議論では足りません。
 資本主義そのものが問題である、ということなのです。
 かつてマルクスが警告していたことです。


― どういうことですか。

斎藤: 米国の哲学者マイケル・ハートがマルクスを参照しながら、根源的な私たちの共有財産という意味で『コモン』という概念を提唱しています。
 水やエネルギーがそうですが、利益を生み出す元手としての地球=環境も本来はコモンです。
 しかし、資本主義下では一部の人がこれを囲い込み、管理し、他の人には使わせないようにして解体していきます。
 多くの人々は「商品」として購入しない限り、手に入れられなくなる。
 資本主義は「希少性」を人工的に作り出し、人びとをたえざる労働と消費に駆り立てるシステムです。
 家のローン、子育て、老後の生活費……。
 常に足りない、だからもっと働こうとする。
 本来、技術発展でこれだけ生産力が上がったのだから、労働時間を減らしてもよいはずなのに、です。


― 資本主義の矛盾を指摘したマルクスは、地球環境問題を考えていたのですか。

斎藤: そうです。
 マルクスの資本論の本質は、人間と自然環境の強い結びつきにあることが、最近の研究でわかってきました。
 マルクスは、人間の生活の本質は「自然とのたえざる物質代謝」にあると考えていた。
 人間が労働を通じて自然に働きかけ、受け取り、廃棄する循環プロセスです。
 ところが資本主義ではこの人間と自然の関わり合いが徹底的にゆがめられ、両者の破壊が起こります。
 これは資本主義である以上、不可避だというのがマルクスの主張です。


■ ■ ■ 

― ただ旧ソ連などの社会主義国でも、資本主義国と同じように環境破壊が進んでいました。

斎藤: 旧ソ連は今説明した意味でのマルクスの思想の本質の体現ではありません。
 政策で「上から」経済を成長させようとした。
 成長第一主義という意味では資本主義と同じです。
 本来は、資本主義の問題の解決に欠かせない人間と自然の両者を包括する「ポスト資本主義」の構想が必要で、今、その変化の萌芽(ほうが)が見えてきました。


― 具体的には?

斎藤: グリーン・ニューディールです。
 公共事業で各産業分野での再生可能エネルギーへの転換を後押しし、新しい雇用を生み出そうとします。
 生活に欠かせないものは気候変動対策の観点から「公有化」していく。
 たとえば、自家用車を減らすため、公共交通機関を無償化するといった政策などを掲げています。
 しかもこのような政策が国境を越えて訴えられ、支持されるようになってきた。
 欧米の左派は、もはやグリーンでなければ、左派ではない。
 マルクスが今生きていたら、このようなポスト資本主義の構想こそ社会主義と呼ぶでしょう。


― グリーン・ニューディール政策は2008年のリーマン・ショック後に、米国のオバマ大統領も政策に掲げていましたが。

斎藤: 当時は雇用政策や景気対策が主で、成長を目的とした『グリーン』です。
 今、形になってきているのは、経済成長を一義的な目標にしない社会を作るための手段としての「グリーン」です。
 成長や再分配重視の「反緊縮」は日本でも最近語られますが、主張が人間の側だけに偏り、環境の問題は無視されている。
 失敗した20世紀型の議論に見えます。


■ ■ ■

― 欧米の左派のような、社会のありようを根底から変えようという議論は、日本ではまだ広がりを欠くように思います。

斎藤: 日本には、「政治主義」とでも言える強固な考え方が根付いているためではないでしょうか。
 選挙を通じてしか、社会は変えられない、と。
 ただ、社会運動によって政治や経済を変えることもまた民主主義なのです。
 最近ドイツでは、労働組合が短期的な利益を度外視してグレタさんを支持する、といった動きも出てきました。
 下からの突き上げで社会を変える土壌が育っていくことは、人びとがコモンを資本の支配から取り戻す一歩になる。
 実際に1年前に、気候変動への対応を求めるグレタさんの声がここまで広がるなんて誰も思っていなかったのですから。


― ところで、そもそも斎藤さんは、なぜマルクスに関心を持ったのですか。

斎藤: 大学に入学した2005年は改革ブームの時代でした。
 格差や貧困は自己責任の問題として語られ、かくいう私も漠然と他の人に対し「もっと頑張ればいいのに」と思っていた。
 そんなとき読んだのが、マルクスでした。
 社会の問題は、身の回りの人間関係や自分の意識の問題としてではなく、もっと構造的に考えなければならない。
 そう教えてくれたのです。

 
※ 斎藤幸平(さいとう こうへい)
1987年生まれ。マルクスとエコロジーの関連を分析した研究で昨年国際賞を受賞。編著書に『未来への大分岐』(集英社新書)など。

[写真]
「海外で講演すると疎外や搾取などマルクスの言葉が現実感を持ち始めていると感じます」=大阪市内

朝日新聞・(インタビュー)、2019年10月30日05時00分
再びマルクスに学ぶ
大阪市立大学准教授・斎藤幸平さん

(聞き手・高久潤)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20191030000159.html

「99%の私たち」が新発想を

 行き詰まる資本主義、深刻さを増す環境破壊、後退する民主主義…。
 今、さまざまな危機に直面する私たちは解決への行動を先送りしていないか。

 この対談集の編者、斎藤幸平大阪市立大准教授は32歳。
 昨年、日本人初、史上最年少でマルクス研究界最高峰の賞「ドイッチャー記念賞」(英国)に輝いた。
 その若き経済思想家がドイツの哲学者マルクス・ガブリエルら海外の知識人と対話を重ね、危機の時代の突破口を探ったのが『未来への大分岐』。

 欧米の政治では右派ポピュリズムの台頭が目立つが、斎藤さんは左派の新たな動きに注目する。
 米大統領予備選で若者中心に支持を広げた民主党のサンダースや英労働党のコービン党首の躍進の秘密は、彼らを支える社会運動にあると説く。

「サンダースのような新しいタイプの政治家は、1%の特権富裕層と99%の庶民との分断、ジェンダー、人種差別、環境問題まで、多様な社会運動から問題の本質と解決策のヒントを吸収しています」

 では、国政選挙で連敗する日本のリベラル・左派はどうか。

「日本版サンダース探しをしているようですが、本家は政治家個人のカリスマ性に頼って生まれた勢力ではない。社会問題の現場や運動にこそ苦しみや変革への欲求があり、政治を変えるアイデアも生まれます。社会運動の主導権が重要なんです」

 社会運動の当事者を候補に立て、参院選で躍進した「れいわ新選組」。
 山本太郎代表とは7年前、ドイツ滞在時に反原発運動の人びとに会ったり放射性廃棄物処分場を回ったりした。

「太郎さんは現場に足を運び、日本の社会運動を耕そうという姿勢があります。ただ彼のカリスマ頼みではだめ。社会運動を人びとがどう育てていくかが鍵です」

 気候変動の問題は資本主義での大量生産・大量消費のあり方も問われる。

「資本主義的な論理と決別しないと止められない。環境を人類全体の財産として民主的に管理する発想と実践が世界中で始まっている。人類の未来がかかる『大分岐の時代』だからこそ、99%の私たちからの新しい発想が大切なのです」


北海道新聞・<訪問>、09/01 05:00
「未来への大分岐」を編んだ
斎藤幸平(さいとう・こうへい)さん

編集委員 伴野昭人
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/340484

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山歩クラブのお散歩会でICUへ

 今日11月4日月曜日は文化の日(平和憲法の誕生日)の振替休日。
 山歩クラブのお山歩会!

 西武多摩川線の新小金井駅から4人で街歩きをはじめましたがこの線に「多磨」駅が(*)。
 北多摩郡多磨村と南多摩郡多摩村の違いで、摩と磨があったんだって、とか相も変わらず分かったような分からないような、うんちくを披露するなかで、小さな秋の野川公園をわいわいがやがやしながらすすんでいきます。
 そして、人見街道からICU(国際基督教大学)裏門へ。
 その途中、図らずも、近藤勇の墓所(龍源寺)に遭遇、びっくりしました。

 近藤勇は、下総(千葉県)・流山で新政府軍に出頭し捕らえられ、板橋宿に連行されます。1868(慶応4)年4月25日、宿場はずれの一里塚で斬首。首は京都に送られ、三条河原でさらされたのです。4年前に新選組が勇名を馳せた池田屋のすぐ近くだったそうです。山歩クラブでは板橋宿に近藤勇を偲ぶ街歩きをしております。

 ICUにある泰山荘の高風居では、苔を踏まないようと注意があったのにヤッホーくん、こけてしまって踏んづけてしまってガイドの学生さんに謝ったら、松浦武四郎から「馬角斎」と高飛車に叱られてしょげかえっておりました。
 それでも負けないヤッホーくん、なにくそとばかりに学食で二人前の定食を食べ気分一新、音楽会に出たら学生さんが気遣ってくれたのか、48年前のフォークソング「あの素晴らしい愛をもう一度」を披露してくれました、

 そう、今日はICU祭だったのです!


野川公園.JPG

近藤勇の墓.JPG

湯浅八郎記念館.JPG

(*)多摩、多磨

 前回は、多摩川沿いの「多摩川駅」(東京都大田区)から「二子玉川駅」(世田谷区)を散策しました。

 このほか、多摩川沿いには「たまがわ」「たま」の付く駅が、まだまだあります。
 小田急線「和泉多摩川駅」(東京都狛江市)、京王相模原線「京王多摩川駅」(調布市)、JR南武線「南多摩駅」(稲城市)、西武多摩川線「多磨駅」(府中市)。

 いずれも漢字は「多摩」。
 と思いきや、西武多摩川線「多磨駅」は「摩」でなくて「磨」です。近くにある桜並木が美しい「多磨霊園」も「磨」を使っています。
 なぜ「磨」なのでしょうか。桜が咲く4月に訪ねてみました。

 多磨霊園のある府中市は東京都の「多摩地域」にあります。「多摩地域」は、東京都の23区と島々(伊豆諸島・小笠原諸島)を除いた26市3町1村を指します。川名と地名のどちらが先か、両方の説がありますが、多摩川が先で、流域に多摩という地名がついたという説が有力なようです。
 明治から昭和にかけて、この地域に「北多摩」「南多摩」「西多摩」の三つの郡があったため、「三多摩(さんたま)」地区と呼ばれました。郡内で町村が次々合併して市になったため、現在は西多摩郡(3町1村)だけになっています。
 さて、霊園の最寄り駅である西武多摩川線の「多磨駅」です。
 早速、駅構内で「多磨」や「玉川」、「多摩川」を発見しました。
 多磨霊園に向かう道沿いには、石材店や、手桶(ておけ)などを置いた墓参休憩所が並んでいます。 
 多磨霊園は1923(大正12)年に造られた都立の墓地です。広さは128ヘクタールで、八つある都立霊園で最大。日本最初の「公園墓地」で、管理事務所は「墓参のためだけでなく、桜や紅葉を見て憩えるのが公園墓地。お墓がある場所は敷地の半分以下で、残りは緑地や桜並木にしています」。
 霊園内の大通りを歩くと、あたたかな風に桜の花びらがキラキラ光りながら散っていました。

 著名人の墓もたくさんあります。
 とりあえず、あいうえお順でならべると、有島武郎、内村鑑三、江戸川乱歩、大平正芳、岡本太郎、菊池寛、岸田劉生、北原白秋、ディック・ミネ、東郷平八郎、朝永振一郎、中島敦、中山晋平、新渡戸稲造、長谷川町子、三島由紀夫、向田邦子、山本五十六、与謝野晶子、吉川英治……。

 大通り沿いにまず見つけたのは、山本五十六と東郷平八郎の墓。堂々としたよく似た造りで隣り合っています。五十六の墓石の背面には「昭和十八年四月戦死」と刻まれていました。

 小道を入っていくと、子どもが頰杖をついて笑っているような、あの特徴的な作品が! 今年生誕100年の岡本太郎の墓です。

 新渡戸稲造は、米国で知り合った妻と一緒に眠り、英語で2人の名前が刻まれていました。墓誌を見ると、妻「MARY」の日本名は「萬里子」です。2人の間に生まれ、わずか8日で亡くなった息子「遠益 THOMAS」の名前もありました。

 与謝野晶子、鉄幹(本名・寛)は仲良く同じ形で並んでいます。
 どちらも、墓石の前の平らな部分に歌が刻まれています。堺市の与謝野晶子文芸館によると、いずれも晶子の作品とのこと。鉄幹の墓の歌は、
「なには津に咲く木の花の道なれどむぐら茂りき君が行くまで」。
「むぐら」は植物名で荒廃の象徴とされ、「なには津に咲く木の花」は、和歌を習う人がまず教わる古典的な歌「難波津に咲くやこの花冬籠(ごも)り今は春べと咲くやこの花」(古今和歌集仮名序)を思い出させることから、短歌の革新を遂げた鉄幹をたたえる歌と解釈できるそうです。現代語訳すれば、
「和歌は古い形式に縛られ荒廃していた。君が歌の道を行くまでは」でしょうか。
 また、「なには津に咲く木の花の道」を晶子自身が大阪・堺市で少女時代に始めたばかりの歌の道ととらえると、
「あなたに出会うまでは私は本当の歌の道に目覚めていなかった」と読むこともできるそうです。
 晶子の方は「今日もまたすぎし昔となりたらば並びて寝ねん西のむさし野」。
「西のむさし野」は武蔵野の西部にある多磨霊園のことでしょうから、これは永遠に添い遂げたいという愛の歌に読めます。

北原白秋の墓は半球形です。白秋が作った短歌誌「多磨」は「磨」。多磨霊園に墓があることと関係があるのでしょうか。調べると、与謝野鉄幹の墓と関係があると書いてある本を見つけました。鉄幹と晶子の長男、光氏の著書「晶子と寛の思い出」です。

 白秋は鉄幹が主宰する詩歌誌「明星」に参加し、葬儀では門人を代表して弔辞を読みました。
 光氏は、白秋が(晩年歌壇から白眼視された)鉄幹を悼んで「弔い合戦」をするために短歌誌を作り、鉄幹の墓がある多磨墓地が「磨」なので誌名に「磨」を使った、と回想しています。
 白秋自身は「多磨」の創刊号で、多磨は「我が住む武州の多磨」にゆかりがあると書き、鉄幹には直接触れていません。
 ただ、「多磨」の創刊は1935(昭和10)年6月。鉄幹が亡くなったのは直前の3月。誌名には、光氏の言うように鉄幹への弔いの意味も込めたのかも知れません。

 さて、多磨霊園入り口の脇には「府中警察署 多磨駐在所」があります。

 この辺りの地名は霊園と同じ「多磨町」です。
 明治から昭和まで、この地に「多磨村」があり、それを継承しているのです。
「角川日本地名大辞典」によると、
「村名ははじめ多摩村とする予定であったが、南多摩郡にいち早く多摩村が誕生してしまったため多磨村とつづることにした」。
 南多摩郡の「多摩村」(現・多摩市)は多摩川の南岸で、北多摩郡の「多磨村」(現・府中市)は、その対岸にありました。
 両村とも全国に市制町村制が敷かれた1889(明治22)年にできました。
 この年には「調布村」という村が現在の大田区(田園調布の辺り)と青梅市に、「調布町」が現在の調布市に誕生しています。
 多摩村と多磨村はあまりにも距離が近いために、漢字を変えたのかもしれません。

 霊園を出て25分ほど歩き、京王線多磨霊園駅に着きました。駅の漢字は霊園と同じです。

 多磨村の「磨」は同じ漢字を避けるためだったようですが、古くは「多摩川」自体を「多磨川」と書いた時期もありました。
「多磨川」だけではありません。明治初期ごろまで、現在の「多摩川」以外にいろんな表記がありました。「多摩川」や地名(郡名)としての「多摩」の漢字表記で、見つけたものの一部を挙げてみます。

 さまざまな表記があったのに、いまは川名は多摩川、地名(郡名)は「多摩」に統一されています。いつ、一つになったのでしょうか。

 ちょっと〈川名〉の表を見てください。
 多摩川の表記を集めたのに「たまがわ」というより「たばがわ」と読める漢字が含まれています。
 日蓮聖人の伝記絵巻「日蓮聖人註画讃(ちゅうがさん)」に出てくる「田波河」、小田原城主の後北条氏が家臣ごとに領地と役高(課税の基準となる生産高)を記録した「小田原衆所領役帳」の「多波川」です。

 これは多摩川が昔、「たまがわ」とも「たばがわ」とも呼ばれていたことを示しているそうです。
 多摩川の上流河川は現在も丹波川(たばがわ)です。そのため一説には、上流の「たばがわ」が下流に行くに従って「たまがわ」に変わったのが多摩川の語源ではないかとも言われています。

 〈地名(郡名)〉はどうでしょうか。
〈川名〉の表にある「玉川」に対応するような「玉郡」がありません。
「玉川」は江戸時代の文書や絵図に頻繁に見られます。しかし公的な文書で「玉郡」は見あたりません。幕府が作った地誌「新編武蔵風土記稿」は、川の表記は玉川と多磨川を併用する一方で、「地名(郡名)」は「多磨郡」しか使っていないのです。
 これは、奈良時代のある詔(みことのり)のためではないかと言われています。
 645年の大化の改新後、本格的な中央集権の律令制度が敷かれました。関東地方も6世紀ごろまでに大和政権の支配下に入っていたとされ、703年には武蔵国にも「国司」に任じられた朝廷の役人が配置されました。
 713年、朝廷は「地名は2文字の好字(良い意味の文字)で記せ」というお触れを出しました。なぜこんなお触れを出したのかは分かりませんが、これが「玉」を郡名に使わなかった理由かもしれません。

 国の法令の施行細則を集めた「延喜式(えんぎしき)」(平安中期編纂〈へんさん〉)は武蔵国にある21郡を列挙し、「久良(くらき)、都筑(つづき)、多麻(たま)、橘樹(たちばな)、荏原(えばら)、豊島(としま)、足立(あだち)、新座(にいくら)、入間(いるま)、高麗(こま)、比企(ひき)、横見(よこみ)、埼玉(さいたま)、大里(おおさと)、男衾(おぶすま)、幡羅(はら)、榛沢(はんざわ)、那珂(なか)、児玉(こだま)、賀美(かみ)、秩父(ちちぶ)」とあります。どれも2文字。この中の「多麻」が後の多摩郡です。多麻郡は武蔵国内で最大で、「国府」も置かれました。現在の府中市の辺りとされ、市名の由来と言われます。

 ちなみに、武蔵国にあたる地域にはもともと「无邪志(むざし)」「胸刺(むなさし)」「知知夫(ちちぶ)」の三つの国がありました(无邪志と胸刺は同じ国とする説もあります)。「武蔵」「秩父」と表記されるようになったのも、朝廷の「お触れ」のためではないかといわれています。

 多摩川と多摩郡の表記がどうやって統一されたのか、という話に戻りましょう。調べた結果をいうと、はっきりと「統一した」という記録は見つかりませんでした。

 明治時代の歴史地理学者、吉田東伍が編纂した「大日本地名辞書」は「多摩郡」の項で「多摩は古来、多麻や多磨と書いたが、天保国絵図(てんぽうくにえず)で多摩に定め、今もこれを使う」という説を紹介しています。天保国絵図は、江戸幕府が国ごとに作製した絵地図で、郡・村名と石高が記されています。その中に「多摩郡」と書かれています。
 しかし、「天保国絵図」だけで、それまで公式の文書でも多用されていた「多磨」が「多摩」に統一されたと考えるのは無理と思われます。また、この絵図は、郡名が「多摩郡」ですが、川名は「玉川」です。「大日本地名辞書」は、郡名に「多摩郡」、川名に「多摩川」を主に採用していますが、よく見るとところどころ「多磨郡」や「玉川」が交じっています。

 現在の表記は、どうやって決まるのでしょうか。
 全国の地図を作る国土地理院の広報広聴室は「地理院は名称を決めていない。地名は基本的に自治体から提出された表記を使い、国道や河川の名称は法律の表記を使っている」。川名は、河川法に基づいているそうです。
 多摩川を管理する国土交通省京浜河川事務所の調査課に尋ねました。「現在、国交省が作る文書は『多摩川』で統一している」そうです。河川法に「一級河川」(国土保全や国民経済に特に重要な水系の河川)に指定する時は名称を公示すると定められ、多摩川も1966(昭和41)年に一級河川に指定された時に「多摩川」と公示されました。

 それ以前にも、旧河川法だった1917(大正6)年の「官報」に、「多摩川」を「公共の利害に重大の関係のある河川と認定し、河川法を適用する」という内容が告示されています。法律に基づく河川名の告示は、漢字統一のきっかけの一つかもしれません。ただ、なぜこのとき「多摩川」を採用したのか、という理由は分かりませんでした。

 地名はどうでしょう。
 川崎市にある日本地名研究所職員の鈴木茂子さんに聞くと、「地名の漢字がいつ統一されたかを言うのは難しい。おそらく、地図の広まりや、学校教育による普及によって、だんだんと統一されていったのではないか」との回答でした。
 「多摩川」「多摩郡」の表記は、どこかの時点で一律に統一されたというより、地図や行政文書、教科書などで使われていく中で、一つになったのかもしれません。

 さて、次回が最終回。多摩川が「玉川」と書かれた理由を和歌の世界からご紹介します。


朝日新聞・ことばマガジン、2011/05/13
「多摩」か「玉」か 多摩川から多磨霊園へ
(柳沢敦子)
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2011041000003.html

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2019年11月04日

11月3日、平和憲法公布

 出雲市万田町の山あいにある峴(みね)神社に、「憲法発布記念」と刻まれ、73年前の11月3日の日付が記された石碑が立つ。
 建てたのは第2次世界大戦で出征間近にして終戦を迎えた男性。
 平和憲法の思いを永遠に残そうとしたという。

 石段を上った高台にある峴神社は、「出雲国風土記」にも記される由緒ある神社だが、常駐する宮司はおらず、境内に人気はない。
 本殿の隣にある約1.5メートルの石碑には「憲法発布記念」の文字があり、裏には「昭和二十一年十一月三日」と憲法が公布された日が刻まれている。

 建立したのは、近くに住む河瀬軍蔵さん(91)だ。
 河瀬さんは、男5人女4人のきょうだいの農家の五男として生まれた。
 1945年8月、17歳だった河瀬さんは敵軍飛行機の監視のために近くの山の頂上のとりでにいた時に終戦を迎えた。
 学徒出陣で9月に出征することが決まっていた。

 戦争では、地区内の多くの若者が徴兵され、帰らなかった。
 河瀬さんの5歳上の兄や、同級生も8人のうち6人が亡くなっていた。
「ものすごく頭のいいやつも、米俵をたくさん担いだ力持ちも、彼らの命がお粗末になった。なぜ私だけ生き残ったのかと悔しい思いだった」と振り返る。

 戦後、石工になった河瀬さん。
 憲法が公布された1946年11月3日の翌日の朝刊で、新しい憲法の中身を知った。
 目についたのは第9条。
 戦争の悲惨さが身に染みていただけに「平和について明記されると知って、それをお祝いしたくなった」という。

 地元青年団の一人として、峴神社の管理をしていたこともあり、石碑を作り、憲法の理念を長く伝えていこうと思いついた。

「運良く生き残った者として、何かを伝えたかった」

 青年団の仲間に声をかけるとみんなが賛成した。
 青年団で山から形のよい石を探し、河瀬さんが自ら一晩かけて彫った。
 憲法公布から数日経っていたが、公布日を刻んだ。
 神社の石段は、青年団が協力して担いで運んだ。

 それから73年。
 石碑はコケがむし、ツタも絡んでいる。
「石碑は有名どころか住民も存在を知らないですよ」と笑う。
 ただ、憲法改正の議論も始まり、石碑を思い出すようになったという。

「今の人は戦争を知らんけえ、恐ろしさが分からん。我々が平和を喜んだ時の思いを少しだけでも感じ取ってほしい」

 日本国憲法が刻まれた全国の石碑を調査している島根大名誉教授(考古学)の渡辺貞幸さん(74)は「戦後すぐに作られた憲法の石碑は珍しく、憲法公布当時の状況が推察できる貴重な史料」という。
「戦後まもない時代の若者たちの平和への熱い思いがあったことがうかがえる。地域の史料として何らかの形で顕彰してもよい」と話している。

 渡辺さんによると、「憲法9条」の条文が書かれた石碑は判明しているだけで全国に18ヶ所あるという。
 最も多いのは沖縄で、長野、茨城、岡山、広島などにもあるが、県内では見つかっていない。


[写真]
峴神社の境内にある「憲法発布記念」と刻まれた石碑。裏には「昭和二十一年十一月三日」とある=2019年10月28日

朝日新聞・島根)、2019年11月4日03時00分
出雲の神社に憲法の碑
平和への願い込め73年

(市野塊)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20191101004572.html

 今年はドイツのワイマール憲法誕生100年に当たります。
 民主的な憲法でしたが、ナチスに蹂躙(じゅうりん)されました。
 そんな人類史も忘れてはなりません。

 1919年は大正8年です。
 日本ではカイゼル髭(ひげ)が流行していました。
 政治家も軍人も…。
 カイゼルとはドイツ皇帝。
 確かに威厳ありげに見えます。
 髭の形が自転車のハンドルに似ているから「ハンドルバームスタッシュ」の異名もありますが…。

 その髭の主・ウィルヘルム二世は前年に起きたドイツ革命により特別列車でオランダに亡命していました。
 何両もの貨車には膨大な財産が満載でした。

◆ 完璧な基本権だった

 ドイツは帝政から共和制へと変わりました。
 新しい議会がワイマールという東部の都市で開かれ、「ワイマール憲法」が制定されました。
 生存権の条文があります。
「経済生活の秩序は、すべての人に人たるに値する生存の保障をめざす、正義の諸原則に適合するものでなければならない」と。

 労働者の団結権なども保障されます。
 男女の普通選挙による議会政治も…。
「ワイマル共和国」(中公新書)で元東京大学長の歴史学者林健太郎氏は「基本権はさすがにすぐれた憲法学者の作だけあって、最も完璧なもの」と記しました。
 基本的人権の保障が近代憲法の第一段階で、第二段階の社会権を装備した先進的憲法でした。

 でも、この共和国は難題に直面します。
 第一次大戦後のベルサイユ条約で領土の一部を失ったうえ、多額の賠償金を負っていました。
 空前のハイパーインフレが襲いました。
 物価水準は大戦前に比べ2万5千倍を超え、マルク紙幣は額面でなくて、重さで量られるありさまです。
 さらなる災難は世界大恐慌でした。
 6、7百万人ともいわれる失業者が巷(ちまた)にあふれました。

◆ 独は「戦う民主主義」で

 ここでチョビ髭の男が登場します。
 そう、ヒトラーです。
「ベルサイユ条約の束縛からドイツを解放する」と訴えて…。
 1930年の選挙で右翼・ナチ党の得票率は18.3%だったのに、1932年には37.3%と倍増します。
 その翌年に高齢の大統領がヒトラーを首相に任命しています。
「強いドイツを取り戻す」ためでした。

 直後に国会議事堂が放火される事件が起きます。
 政権を握ったヒトラーはこれを機に、言論の自由や集会・結社の自由など憲法に定めたはずの基本権を停止する大統領令を発布します。
 いわゆる国家緊急事態宣言です。

 皮肉にも正式名は「人民と国家防衛のための緊急令」です。
 憲法にあった緊急事態条項を巧みに利用したのです。
 決して選挙で過半数を得たわけではないのに、憲法停止という強権を手にしました。
 有名な全権委任法をつくったのも同じ年。
 違憲の法律も可能になるもので、ワイマール憲法は完全に息の根が止まりました。

 チョビ髭の男から独裁者たる「総統」へ。
 その権力掌握がいかに早業だったかがわかります。
 林氏はこう書いています。

「ドイツ国民は(中略)官僚の支配に馴(な)れており、みずからが国家を形づくるという意識と慣行に欠けていた」と。

「敗戦(第一次大戦)によって突然、民主主義と政党政治という新しい実践を課せられたとき、彼らはそれをいかに駆使するかに迷った」とも。

 民主主義を重荷に感じると「上からの強力な支配に救いを求める人びとが増えた」という指摘は今日にも通じるものがあります。

 この反省から第二次大戦後、当時の西ドイツは「戦う民主主義」の道を歩みます。
 憲法秩序に反する団体の禁止などを基本法に書き込んだのです。
「自由の敵には自由を与えない」精神です。
 現在も同じです。

 日本国憲法は「戦う民主主義」の考えを採りませんが、近代憲法の第三段階である「平和的生存権」を採用しています。
 公布から73年たち自由と民主主義は根付いたかに思われます。
 でも、錯覚なのかもしれません。

 貧富の格差とともに貧困層が増大し、若者が夢を持てない。
 老後の生活も不安だ−そんな閉塞(へいそく)感の時代には、強力な指導者の待望論に結びつきかねない怖さが潜みます。
 政治家も付け込みます。

◆ 民衆の不満は「愛国」で

 敵をつくり、自らの民族の優位性を唱えます。
 危機感をあおり、愛国を呼び掛けます。
 民衆の不満を束ねるには古来、敵をつくる方が便利で簡単なのでしょう。

 現在、改憲テーマとして俎上(そじょう)にあるのは、戦争放棄の九条ばかりでなく、緊急事態条項の新設も含まれています。
 独裁者はチョビ髭の男とは限りません。
 ワイマールの悪夢を繰り返さぬ賢明さと冷静さが必要です。


東京新聞・社説、2019年11月3日
憲法公布の日に
ワイマールの悪夢から

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019110302000138.html

 きょう2019年11月3日の読売新聞の一段の小さな記事に私は注目した。
 その記事にはこう書かれている。
 自民党の石破茂・元幹事長は2日、東京都内で開かれた市民団体主催の憲法集会で、次のように述べたと。
「(憲法改正に反対する)一番左の人と是非話したい。どんな人でも断らない」と。
 これを読んだとき、私は思わず喝采を叫んだ。
 ついに新党憲法9条にチャンスがやってきたと。

 いうまでもなく石破茂氏は憲法9条改憲論者だ。
 しかも安倍首相のように、自衛隊明記だけの「おためし」改憲ではなく、それを批判して、憲法9条を改憲するなら、自衛隊を軍隊にして日本を自主防衛できる国にすべきだと主張する国防族の一人だ。

 2日の都内の講演会でも次のように語ったという。
「以前の自民党では(戦力不保持を定めた)憲法9条2項の改正は当たり前で、反対はほとんどなかった」と指摘した上で、現在の9条1、2項を維持したまま自衛隊の根拠規定を追加する安倍首相の改憲案について、「理解できない」と反対する考えを示した、というのだ。

 新党憲法9条にとってこれ以上ない論争相手だ。

 新党憲法9条は、憲法9条に関しては、石破氏の望む「既存のどの左翼政党よりも左翼的」であり、その一方において、石破氏の示す自主防衛については、既存のどの右翼政党よりも右翼的だ。愛国的だ。

 石破氏にとって不足はないはずだ。
 既存の左翼政党は共産党と相場は決まっている。
 しかし、いまさら石破氏が共産党の政治家と議論しても、目新しい議論は何も出て来いない。
 石破氏と共産党議員の憲法9条についての議論など、世論は見向きもしない。
 石破茂氏は、新党憲法9条代表の私と議論してはじめて意味ある議論ができるのだ。
 既存のメディアは絶対に新党憲法9条代表と石破氏の論争など、取り上げようとしないだろう。
 しかし、いまはインターネットが既存メディアを追い越す時代だ。
 誰でも動画を配信できる時代だ。
 その動画が、既存のメディアのどの動画より世論の関心を集める時代だ。
 誰か石破茂氏と新党憲法9条代表である私との公開討論を実現して、その動画を日本中に、いや世界中に、公開してくれないものだろうか。
 石破氏は「どんな人でも話し合う事を断らない」と言っている。
 私はれっきとした元外交官だ。
 元駐レバノン日本特命全権大使だ。
 新党憲法9条の代表として国政選挙にも挑戦してきた。
 石破茂氏にとって相手に不足はないはずだ。

 安倍首相の憲法9条改憲阻止については二人とも反対だ。
 しかもその反対理由が真逆だ。
 これほど面白く、意義のある討論は他には期待できない。
 真っ先に企画し、配信したものが勝ちだ。
 いよいよ新党憲法9条にチャンスが巡って来た。
 そういう思いで、私はきょう11月3日の読売新聞の一段の見出しの記事を読んだのである。


天木直人のブログ、2019-11-03
憲法9条改憲の是非について石破茂氏に公開討論を挑みたい
http://kenpo9.com/archives/6338

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2019年11月03日

11月3日「文化の日」はだれの誕生日?

「憲法の誕生日」はいつ?

 「憲法の誕生日といえば、何月何日?」

 大学の憲法の授業の初回で、そのように問いかけることがある。
 スライドで、バースデーケーキの絵を出す。
「5月3日」と答える学生がちらほら。
 そこでにんまり笑って、答える。
「5月3日は、憲法が歩きだした日。施行された日なんです」
 スライドは、赤ん坊がよちよち歩きをしている絵に変わる。
「では、憲法の誕生日は?」
 ここで授業では、DVDに収められた1946年11月3日、第90回帝国議会における天皇の「日本国憲法公布」の映像を出す。
 このとき昭和天皇が読み上げた言葉がある。

「朕は、国民とともに、自由と平和とを愛する文化国家を建設するように努めたいと思う」

 主権者の地位を降りて「人間」となった天皇が、日本国および日本国民の「象徴」として憲法に定められた「国事行為」を行なった、最初の場面である。

 ここでもう一歩、踏み込んで尋ねてみる。

「11月3日は、憲法の誕生日と同時に、もう一人、誰かの誕生日です。誰だと思います?」
 これに答えられた学生は、これまでいない。
 答は明治天皇である。

文化の日は戦前、明治天皇の誕生日を祝う「明治節」だった

 今、「文化の日」という名前で親しまれている祝日は、戦前は「明治節」と呼ばれ、明治天皇の誕生日を祝うものだった。
 これが昭和23年に「文化の日」と改称されたことで、「明治」の名は姿を消した。
 その経緯をざっと見てみると、次のようになる。

 明治維新後の日本の祝祭日は、皇室や神道を踏まえて定められたものだった。
 代表的なものは以下の4つである。

・ 四方節: 1月1日(現在の元旦)
・ 紀元節: 2月11日(初代天皇である神武天皇の即位日、現在の「建国記念日」)
・ 明治節: 11月3日(明治天皇の誕生日、現在の「文化の日」)
・ 天長節:その時代における天皇の誕生日

 戦後、日本を占領統治していた連合国軍総司令部(GHQ)は、日本に対してこれらの改廃を勧告した。

 1946年11月3日に日本国憲法が公布され、翌年の1947年5月3日に施行された。
 この施行日が国民の祝日として「憲法記念日」と定められた。

 その後1948年の7月20日に公布・施行された祝日法(国民の祝日に関する法律)によって、11月3日が正式に「文化の日」と定められ、その意義は「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とされたのである。

「文化の日」から「明治の日」へ?

 この祝日の名称を変えようという動きが、昨年の暮れから起きている。

 自民党有志議員による「明治の日を実現するための議員連盟」が、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称する祝日法改正案の原案をまとめたことが報じられた(産経新聞2018年12月13日)。

 また今年10月末には、この法案に賛同する市民団体がこの議員連盟宛に、百万人超の賛同署名を手渡した(福井新聞2019年10月30日、東京新聞2019年10月31日)。

 たしかに1948年当時、祝日の名称の変更は、形式的にはGHQの強い働きかけを受けたものだ。
 この点をとらえて、日本が主権を失っている間に改称を迫られたこと、明治時代の人々が国民として団結したことの意味合いが見失われたと嘆く論もある(産経新聞2018年11月3日、同年12月13日)。
 これは「押し付け憲法論」と同じ路線にある認識といえるだろう。

 それをいうならば、この時期、勧告よりももっと露骨な強制があった。

 治安維持法を廃止させ、特高警察を解散させ、戦前に拘束されたまま戦後も拘束中となっていた政治犯を即時釈放させる「自由の指令」がGHQによって発令されたのだ。
 これは形式的には「押し付け」以外の何ものでもない。

 しかし私たちは、外国からの押し付けだったという手続きの側面だけを見て、この指令をリセットし、このとき強制的に廃止されたものを復活させたいと思うだろうか。

 日本が民主的な自浄能力を完全に失っていたこの時期、これをやらねば前へ進めない、という事柄がいくつもあったことは否めない。

名称変更の意味――変更にこめられた決断

 戦後、日本社会は比較的秩序を守り、混乱は少なかったとされているが、何が守るべき価値か、という内面の規範については、想像がつかないほどの混乱があったに違いない。
 その中で、つい昨日まで「現人神」として国民を統合していた天皇が、形式的行為とはいえ、「自由、平和、文化国家」という言葉で「ともに、努めたい」とする方角を示したことの意味は大きい。
 より内実のところをみれば、この「文化」という名称は当時の日本人の切実な願いを背負ったものでもある。
 現在では、第90回帝国議会のもとで開催された委員会の記録などが国立国会図書館を通じて公開されている(日本国憲法の誕生 - 国立国会図書館)。
 ここでの議員たちの発言は、憲法草案をめぐるGHQとの交渉の段階で幣原喜重郎首相が示していた戦争放棄の内容を肯定的に受けて、それを「もっと積極的に」「高らかに世界に宣言」しようとの熱意から発せられている。

 軍事国家を脱却して平和国家へ、全体主義国家を脱却して民主的国家へ、という決断が共有されていたのである。

 憲法は「妥協の束」ともいわれる。
 これはアメリカ合衆国憲法についてよくいわれる言葉だが、日本国憲法についても当てはまる。
 多くの考えが錯綜する中で、国をまずは平定することを優先事項として、各種の譲歩や妥協が行われることは避けられない。

 その中で、明確な表現を避けながら過去との決別を埋め込んだといえる言葉が、日本国憲法の中にはいくつもある。
 英語でいう「not-but構文」が、憲法の随所に仕組まれているのである。
 その最たるものが第1条である。
 この条文を隠されたnot-but 構文で読むと、こうなる。

・ 天皇は(主権者ではなく)象徴になった。
・ 主権者は(天皇ではなく)国民になった。
・ 天皇の地位の正統性の根拠は(もはや血統や国教ではなく)主権者たる国民の総意に基づくものとなった。

 同じように、「文化の日」にも、日本を「(軍事国家ではなく)文化国家にしていこう」という not-but 構文、この日を「(宗教に基づく天皇ゆかりの祝日ではなく)国民が文化に親しむ祝日にしよう」という not-but 構文が込められている。

名称の再変更が発揮する意味

 この祝日の名称を「明治の日」とする法案の原案では、この名称の意義を「近代化を果たした明治以降を顧み、自由と平和を愛し、文化をすすめ、未来を切り拓(ひら)く」と記している(産経新聞2018年12月13日)。

 しかし、発案者が明治時代の国民群像を念頭に置いていると理解したとしても、「明治」という言葉を復活させることは、客観的な文脈から明治憲法、明治天皇を想起させずにはおかない。

「自由と平和を愛し、文化をすすめ」るという意義は変わらないとするならば、わざわざ名称変更をする必要はない。

 変更する、ということは、変更前の何かを否定して、「それではなくこれ」(not-but)ということを意味せずにはおかない。
 法律(憲法を含む)の改正と同じである。

 そうすると、その社会的な含意は、おのずと決まってきてしまう。
 1946年11月3日に、当時の日本国民の象徴によって国事行為として語られた、「自由と平和とを愛する文化国家」という理念の重みが、葬られてしまうことになるのである。

 これとともに、そこにこめられたnot-butの決断も忘れられていくことになるだろう。

 日本国憲法のもとでの天皇は「象徴」であって政治的決定はおこなわず、その行為と行事は内閣の助言と承認に基づく。
 そういうものとして発声された、この「文化国家」という言葉に法的意味はない。
 したがって、国民の意思によって祝日法を改正し、この言葉をリセットするということになれば、それを止めるべき(憲)法的なルールはとくにない。
 しかし、だからこそ、「それでいいのだろうか」と国民自身が問う機会にしてはどうだろうか。

ノスタルジーの政治、シンボルの政治

 明治時代へのノスタルジーは、多くの人の心にあるに違いない。
 筆者も、明治時代を描いたドラマで好きなものはたくさんある。

 しかし、そのノスタルジーをもって、ある時期に行われた重大な決断を表す言葉をリセットしてしまってよいのかどうか。

 それぞれの国や社会に、時代を超えて大切にしたい文化芸術や、それを生み出した社会に対するノスタルジーがある。
 同時に、「二度と繰り返してはならない」がゆえに「美化してはならない」歴史がある。

 ヨーロッパなら、貴族文化が生み出した芸術は、身分制秩序を捨て去った今も文化遺産として大切にされているが、身分制による差別は繰り返さない、という決断が共有されている。

 アメリカであれば、奴隷制があった時代の歌や文学は今でも大切にされるが、奴隷制と人種差別のあった社会や価値観に舞い戻ってはならないという決断が共有されている。


 日本の社会は、文化的ノスタルジーと、歴史に対する決断との区別を十分に共有しているだろうか。

 「文化の日」はその経緯から、日本社会にとって大変にシンボリック(象徴的)な意味を持つ祝日といえる。

 シンボルによって国民の価値観や文化観をある方向へ向かわせることは、混乱状態の平定や人権啓発などの場面ではプラスの意味を持つが、国民の精神的自由を統制してしまうというマイナス面もある。
 シンボルを操作することで国民の価値観や文化観を誘導し、「結論先取り」の政治へと向かわせることは、民主国家の正当な関心事とはいいがたい。

 さらに統治者の関心がそうした《シンボルの政治》に傾きすぎると、実の政治が空洞化する危険が増す。

 この十日間、シンボルの政治が華やかに行われていた傍らで、被災から立ち直れずにいる人々への《実なる政治》が十分に行われただろうか。

 日本国憲法は25条で「健康で文化的な最小限度の生活を営む権利」を定め、国に《実なる政治》を求めている。
 真の「文化国家」とは何かを知るひとつの手がかりが、この条文にある。

問われている「文化」への理解

 「文化の日」には、美術館や映画館を訪れて文化芸術に親しむ人も多いだろう。

 文化芸術に親しむには、多様性の尊重、異質な他者との共存といった姿勢が必要になる。
 好き嫌いは自由だが、嫌いな作品だからといって排除したり廃棄したりしてはならないのである。
 その姿勢を共有できてはじめて、驚きや気づき、感動を得ることができる。


 他者との出会いや変化を嫌って自文化中心主義に陥った文化は、避けられない流れとして、衰退していく。
 他者との出会いによって耕され、ときには変化することを受け入れる文化が、長く存続するのである(「文化」cultureの語源は「耕す」cultivate)。

 そして、力による制圧ではなく、理解や共感、共存の倫理によって成り立つ《共存の空間》を、「文化」や「芸術」は必要としているし、出現させよう、切り開こうとしている。
 そうした文化の懐(ふところ)が、今、見失われようとしていないか。

 今、各地の芸術祭や、公民館での映画上映、地方自治体の美術展で、萎縮が起きている。
 暴力的な抗議や嫌がらせが起きる可能性があり「安全性」の面から問題がある、として、特定の社会問題を考えさせるような美術作品や映画が展示・上映できなくなってきている。


 このような流れが続く中で迎える「文化の日」を、私たちは、世界に誇れるだろうか。

 簡単に萎縮するのではなく、脅しに毅然と立ち向かい「表現の自由」を守ることが、「文化国家」という言葉にふさわしい姿勢ではないだろうか。

 「文化の日」という言葉は、それ自体が日本の足どりを示すモニュメントとなっている。
 この言葉をほかのものに変えるとしたら、その前に一度は、73年前に共有された「文化」という言葉のインパクトに思いを馳せてみてはどうだろう。

 そこにこめられた決断と希望がどのようなものだったのかを想像することで、自分自身を耕す日にしたいと思う。


[写真-1]
新憲法公布記念式典で、昭和天皇から勅語を授かる吉田茂首相=1946年11月3日、帝国議会・貴族院本会議場(国会内・参院本会議場)

[写真-2]
軍服姿の明治天皇を撮影した「明治天皇肖像」

[写真-3]
新憲法公布記念祝賀都民大会で、万歳三唱に帽子を振って応える昭和天皇と香淳皇后1946年11月3日、皇居前広場

[写真-4]
憲法改正を求める集会で、安倍晋三首相のビデオメッセージが流された=2017年5月3日、東京都千代田区平河町

朝日新聞・論座、2019年11月02日
11月3日「文化の日」はだれの誕生日?
「文化の日」を「明治の日」に変更する自民党有志の改正案が意味するもの

志田陽子、武蔵野美術大学造形学部教授(憲法、芸術関連法)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019110100002.html

志田陽子公式サイト
https://yokoshida.net/

意思決定の仕組みが……

 「憲法」は、《人間のために働く国家》のあり方を確定したルールです。
 これを守る統治が「立憲主義」です。
 今、もっとも深刻な問題は、統治者が守るべきルールを守らない、とりわけ《権力を分散させて独裁を防ぐ》という立憲主義の土台を踏み外していることです。
 議会も、裁判所も、政権(行政府)の追認機関としてしか働けないという状態は、長い間続いていました。
 政府が安保関連法案を国会に提出したとき、集団的自衛権行使容認の根拠とされた「砂川事件」最高裁判決は、まさにこの流れを決定づけた判決でした。
 今ではここに「司法の独立」に反する政治的干渉があったことが知られています。
 私たちはこれを当たり前のことと思ってはいけないのです。

 2014年7月からの安全保障をめぐる国政の動きには、こうした問題が凝縮されていました。
 たとえば、軍事衝突の口火切り(平時から有事への切り替え)が起きる初動のところ(グレーゾーン)での対処が、閣議決定のみで決められ実行される仕組みになっています。
 そのような方式にするということ自体も、法案審議以前に閣議決定で決められていました。
 ここに法律の手綱をかけようとした野党の主張・法案はすべて否決されました。

 そして、このことを「憲法問題」として考える足場そのものが、憲法改正によって外されていく流れにあることが、さらに深刻な問題です。
 現在公開されている自民党改憲草案の緊急事態条項は、事態宣言が行われると、内閣が法律と同じ効力をもつ政令を制定できることとなっています。
 議会(国民の目)を通さない意思決定が憲法の名において通るということは、日米安保体制が議会とは別の意思決定ルートによって動き出すという今の状況を「憲法上OK」とする仕組みが作られるということです。

 決定の仕組みが憲法に反する、国民主権の原理に反する、という問題は、日本では長く続いてきた問題でした。
 上の問題については、1952年から日米の間に「指揮権密約」があったことが明らかになってきました。
 これは、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約です。
 集団的自衛権の行使は、武力行使も後方支援も含めて、この土台の上に乗っているわけです。
 そうだとすると、この土台をリセットしない限り、日本が「戦争できる国」になったらその手伝いを「断れない」、ということです。
「できる国」になっておいて、自らの判断で「しない」という自制をすればいい、という理想論は今の時点では成り立たない、ということです。

考えるべきことを真に考えているか?

 万が一、本当に国民の生命や生活が現実的危機にさらされる事態が起きたとき、軍事的に反撃すれば首尾よく自己防衛できると思うほうが楽観的すぎるでしょう。
 本当に命が危ないときには、逃げるしかない。
 ところが、今の国民保護法制の下では、公共機関や民間施設の各種協力はさまざまに定められていますが、国民が一斉に避難できる筋道は、現実的には確保されていません。
 また、仮に避難できたとして、日本国民が難民として海外に逃げる場面をリアルに想像してみたとき、他国の戦争被害者を受け入れない国が、何事かあったときに他国に助けてもらえるでしょうか?
 このように、軍事以外で、多くの課題と道があります。
 国民の生命と生活を第一に考えるなら、それを真剣に考えなければならないはずです。

 自衛権の行使は、本来ならば違憲であるものを、どうしても必要な場合に限ってやむを得ず使うというものですから、その必要性と不可避性(他に有効な手段がないこと)が論証できない場合には憲法違反です。
 他の手段を真摯に検討することなく、武力行使や、武力行使と一体化することが明らかな軍事的後方支援活動を許容する法律群を制定したことは、やはり憲法違反でしょう。

 また、政府が2014年7月時点で示した「武力行使の新3要件」にあった「必要最小限度」という歯止めも、2015年9月に議決された事態対処法では、「合理的と判断」されれば武力行使ができる、という条件に変わっています。
 これは、限定どころか、広範な許可になってしまう言葉です。
 2014年時点で示された限定を信頼して「これならなんとか合憲」と思った国民は、騙されてしまったことになります。
 
 去年の国会では、後方支援の活動内容に「弾薬」の提供が含まれることが議論になりましたが、その弾薬を搭載すべき武器のほうは、2014年4月、国会を通さず、閣議決定だけで先に解禁されました。
 今はこれを根拠に「装備庁」が設立され、さらに産・官・学による軍事研究が解禁される流れが始まろうとしています。
 このように、国民にとって看過できない決定的な事柄が、法案提出前に国会を通さずに決められています。
 
 もう少し過去を見ると、沖縄返還に先立つ1971年、国会では、各種密約に関する質問とともに沖縄米軍基地の核兵器に関する質問が行われていましたが、その答えがないまま審議が打ち切られ、強行採決が行われました。
 これについても今では、キューバ危機前後とベトナム戦争時、沖縄に大量の核兵器が配備されていたことが明らかになっています。

それぞれの方法で声をあげよう

 私たち国民は、安全保障問題について情報と関心を持つことを封じられてきた、といえます。
 これがずっと積み重なってきたのが、今の日本です。
 民主主義の担い手である私たちがこうしたことに無関心でいては、この成り行きを止めることができません。
 人間の「良心」に反することが起きている、と思ったら、参政権の行使、表現の自由、請願、「裁判を受ける権利」の行使や「訴訟の会」への支援など、声をあげる道はいくつもあります。
 一人の主権者として「これは変えないと」と思ったら、自分の立場で参加できるルートで、声をあげよう――そう考えて、今回の安保法制違憲訴訟に参加しました。

※「安保法制違憲訴訟の会」の最新情報は、http://anpoiken.jp/


マガジン9、2016年6月29日
脱線国家を、道に戻そう
志田陽子(安保法制違憲訴訟原告)
http://www.magazine9.jp/article/anpo-iken/28903/

 ナチス・ドイツは戦前、国家の意向に合わない芸術家の作品を集めて退廃芸術展を開き、「独国民にふさわしくない作品だ」として、さらしものにした。
 1950年代にレッドパージ(赤狩り)があった米国では、政府にとって好ましくない価値観を持つ人の名が議会で取り上げられた。対象となったのは報道メディアや映画人だった。

 卒業式で国歌斉唱しないと述べた大学の学長が、文部科学相から「恥ずかしい」と批判される。
 政府にとって困ったことを言う報道番組は与党議員に批判される。
 やりかたはソフトかもしれないが、独や米国であったことと本質は同じだ。

 国民が真に望む事柄であれば、現憲法との同一性を破壊しない限度内で憲法を変えることは、憲法自身が認めている。
 しかし、その前提として、自由な言論が保障され、ひとりひとりが自律的な判断をできる環境にあることが必要だ。
 言論の自由がない状態で投票が誘導されれば、それは民主主義とはいえない。

 公権力は圧倒的に強い。
 しかし、批判が高まれば選挙を通じて政権はひっくり返る。
 これは民主主義の当然のプロセス。
 時の政権が政権交代を恐れて批判を封じるのは、自分たちが選ばれていることの正統性を否定することになる。

 安全保障関連法の成立の仕方を「クーデターだ」と言う憲法学者もいる。

 立憲的・民主的なプロセスを外した「ルール破壊」が起きたと。
 今の言論環境のまま改憲に進むなら、その延長線になってしまう。
 ましてや改憲議論が本格化すると、言論環境はもっと厳しくなるだろう。
 だからこそ、いま言わなければならない。


※ 志田陽子(しだ・ようこ、1961年生まれ)
 武蔵野美術大教授(法学)。表現の自由や著作権法を中心に、法の問題を研究。


東京新聞、2016年4月19日
言わねばならないこと(71)
民主主義のルール破壊
憲法学者・志田陽子さん

https://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2016041902000196.html

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クミコ / 妻が願った最期の「七日間」

 クミコ Newシングル「妻が願った最期の「七日間」」、2019/6/5発売!
 君がいなくなって 言葉が残った
 純愛だった
 新聞の投稿欄に掲載後、ネット上で約19万人がシェアした大反響の詩「七日間」と、愛をつむぎ続けた夫婦の感動物語を綴った書籍、宮本英司『妻が願った最期の「七日間」』(サンマーク出版、2018年7月)から誕生した純愛のうた

「妻が願った最期の「七日間」」
 作詞/覚和歌子
 作曲/KEN for 2SOUL MUSIC, INC.、Philip Woo、JUNE
 編曲/KEN for 2SOUL MUSIC

 2018年3月、朝日新聞の投稿欄にある一編の詩が掲載されました。
 投稿したのは宮本英司さん。1月に52年間寄り添い続けた妻をがんで亡くしたばかりでした。
 詞のタイトルは「七日間」。
 もし、神様が七日間の元気な時間をくれたなら、やってみたいこと……
 そこに書かれていたのは、手作りの料理や裁縫、お片づけ、ドライブ、家族の誕生会、女子会、そして夫との静かな時間など、日常のごく当たり前のことばかりでした。
 この新聞投稿は多くの人に感動を与え、ネット上で約20万人がシェアし、大きな反響を呼びました。

 その後、夫婦の純愛の物語は書籍化され、様々なメディアでも取り上げられロングセラーを続けています。

 宮本さんは、妻の最期の想いを歌としても残せないかと願い、その思いを手紙に書き、クミコへ送ります。
 クミコは宮本氏自らの連絡に驚きと戸惑いを隠せませんでしたが、その愛情の深さに感銘を受け楽曲制作を決意します。

 こうして誕生した曲が、「妻が願った最期の「七日間」」です。


クミコ / 妻が願った最期の「七日間」
https://www.youtube.com/watch?v=DkUDDaq8bkQ

https://www.puerta-ds.com/kumiko/tsuma-nana/

 新聞の投書から生まれた歌が感動の輪を広げている。

「先日、妻を病気で亡くしたのですが、この歌のように、最後まで妻を守ってあげたかったと後悔しています」
(東京都・65歳男性)

「人生100年時代といいますが、同年代の妻に、最後に何をしてあげられるか、考えさせられました」
(埼玉県・73歳男性)

 リスナーからはそうした声が続々と寄せられているという。

 きっかけになったのは、神奈川県在住の宮本英司さん(72歳)の他界した妻・容子さん(享年70)が、入院中の枕元に残した一節の詩。
 これが新聞の投書に載り多くの人々の目にとまった。
 糸井重里、横山だいすけを始め、著名人も「感動した!」「泣いた!!」とSNSに投稿、反響は大きかった。
 詩は書籍化され、夫婦愛を伝えるノンフィクションとしてベストセラーに。そして歌へとつながった。タイトルは『妻が願った最期の「七日間」』──。

 実はこの歌、英司さんがシャンソン歌手・クミコに、こんな手紙を送ったことで生まれたという。
 容子は小腸がんという珍しい病気で、がんが見つかったときにはステージ4の末期がんになっており、余命2年と宣告されました。その後、懸命の治療を続けましたが、やはり病魔には勝てず(中略)。
 あの日、容子と話をしているときに私の夕食が届いたのですが、私が食べられない容子を気遣って食べないでいると「気にしないで先に食べて」といってくれました。「ありがとう、じゃ食べるよ」と言って食べ始めると容子はうとうとしてそのまま眠ってしましました。その頃は痛みもひどくなっていて眠れないことも多くなっていましたので、私はゆっくりねむれてよかったなぁと容子の寝顔をみていました。
 そしてそれが最後でした。容子はそのまま目を覚ますことなく明け方にこの世を去ったのです。
 クミコさんの歌のように「今日という日が最後だとわかっていたら」もっともっと話したいことや伝えたいことがいっぱいあったのにと、CDを聞くたびにあの日のことが思い出され、辛くてたまりませんでした

 クミコは、アメリカの詩人、ノーマ・コーネット・マリックが亡き息子に捧げた詩「最後だとわかっていたなら」を1年前、歌にした。
 これは2001年に起こった9.11米同時多発テロの際、消防士の息子を失った母がSNSで拡散して話題になったもの。

〈最後だとわかっていたら、一言だけでもいい、「あなたを愛している」と伝えただろう〉

 この歌を聴いた宮本さんは、息子を失った母の姿に自分を重ね合わせ、クミコに手紙を送ったのだった。

 ここで、容子さんがまとめていた「神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください」と綴られた詩の“最期の7日間”を紹介しよう。

1日目: 台所に立って料理をいっぱい作りたい。あなたが好きな餃子や肉味噌、カレーもシチューも冷凍しておくわ

2日目: 趣味の手作り。作りかけの手織りのマフラー、そしてミシンも踏んでバッグやポーチを心残りがないほどいっぱい作る

3日目: 身の回りのお片付け

4日目: 愛犬を連れてあなたとドライブに行こう。箱根がいいかな、思い出の公園手つなぎ歩く

5日目: 子供や孫の一年分の誕生会。ケーキもちゃんと11個買って、プレゼントも用意しておくわ

6日目: 友達集まって憧れの女子会をしましょ。お酒も少し飲み、カラオケで十八番を歌うの

 そして7日目は、お気に入りのCDをかけて、「あなたと二人きり、静かに部屋で過ごしましょ」と──。

 容子さんが生前、成し遂げることができなかった7つの思いを、クミコは切々と歌い上げた。

 この楽曲をプロデュースしたのは、山口百恵や郷ひろみ、南沙織らをスターにした音楽プロデューサーの酒井政利氏。
 かつて吉永小百合・浜田光夫主演で映画化されたことでも知られる、軟骨肉腫で21歳の生涯を閉じた大島みち子(ミコ)と大学生・河野實(マコ)の実話『愛と死をみつめて』を、青山和子に歌わせ、ヒットさせた経験を持つ(*)。

「世の中がアナログからデジタルに変わり、デジタル化が進めば進むほど、人間同士の愛情が欠けていってしまうように感じていました。人の思い合う気持ちは、人間にとってすべてのエネルギーです。通じあえればそれはさらに強くなる。生きるうえで最も大事なことを、この歌に託しました」
(酒井氏)

 この歌が世に出たことで、「死ぬまでにやっておきたいこと」を募集したラジオ番組では、パーソナリティの生島ヒロシが生放送で、号泣しながら詩を読み上げた。

 容子さんの夫の宮本英司さんが振り返る。

「容子の遺品を片付けた後、心にぽっかりと穴が空いた寂しさがあって、1か月、2か月、そして1年、2年経つうちに、みんな容子の思い出を忘れられちゃうのかな、という寂しさがあって…。容子の言葉をみんなに見ていただければ、容子の記憶が残るのかなと、いう思いでの投稿でした。
 私自身、まだ容子が亡くなったことをしっかり受け止められていない。容子には“みなさんの心に思いを届けたよ”と報告しました。歌になり、容子の思いを全国のみなさんに聞いていただき、感謝しています」

※ クミコ/1954年生まれ。シャンソニエの老舗「銀巴里」でプロ活動スタート、2010年『INORI〜祈り〜』で、NHK紅白歌合戦に初出場、2017年『デラシネ』が日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞。10月26日に「ビルボードライブ東京」で公演を行う。メディアやコンサートなど各方面で活動中。http://www.puerta-ds.com/kumiko/


[写真]
クミコ『妻が願った最期の「七日間」』(日本コロムビア) 作詞は映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」の覚和歌子。作曲はAI「Story」やLittle Glee Monster「はじまりのうた」などを手掛けた

NEWSポストセブン、2019.08.25 07:00  
百恵Pが歌にした「新聞投書の夫婦愛」 広がる感動の輪
https://www.news-postseven.com/archives/20190825_1438266.html

(*)青山和子/愛と死をみつめて
https://www.youtube.com/watch?v=KlYJ3xXDnZY

 45年間連れ添った最愛の妻が、夫に残した『七日間』という詩が話題となっている。
「神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ」に始まり、七日間でやってみたいことを綴った詩だ。

 神奈川県川崎市の宮本英司さん(72才)は、妻・容子さん(2018年1月、小腸がんで逝去。享年70)を失った。
 2年半に及ぶ闘病中、夫婦は病室で交換日記を始めていた。
 そして、「彼女が残したものを形にできないか」と思った英司さんは新聞に投稿。
 2018年3月9日付の朝日新聞に『七日間』が掲載されると、それは大きな反響を呼び、共感の輪が広がった。

 容子さんは闘病生活の中で何を考え、どんなことを伝えようとしたのか。そのメモから探ってみたい。

2015年の3月頃から具合が悪く、下痢と嘔吐を繰り返し、4か月で7回もお医者さんにかかるほど。しかし、内科の先生の見立てはいつも大腸炎だった。大学病院にやっと紹介状を書いてもらったのが6月30日。翌日、早速受診したところ、1回目の診断はやはり大腸炎。「この程度では入院させられない」と言われ、納得できないまま帰ったこともあった。

 体の不調はなお続き、近所のほかの内科医から重大な病気の恐れがあるからと再度大学病院への紹介状を書いてもらったのが、8月18日。
 大学病院での診断の結果が小腸に腫瘍があり、腸閉塞を起こしていた。
 わずか1か月半前には入院を断られたのに──そんな中で手術の2日前に医師から腫瘍の生検の結果は良性だと告げられた。

 まさか、術後にあんな宣告をされるとは。悪性の腫瘍がみつかり、すでに進行具合はステージ4とのこと。余命は2年くらい


9月27、28日、「八ヶ岳わんわんパラダイス」へ小春を連れて一泊旅行へ。(*注:小春=飼い犬)元気に行けて、よかった…夜、英司が、抗がん剤治療で少しでも望みがあるなら、やってほしいと言う。

 私はずっと、直前までやりたくない思いの方が強いが、英司への最後の愛情だと考えて、やると答えた。でも、頑張るとは言えなかった──何を頑張ったらいいのだろう。英司へ。強く生きてほしい。私がいなくなっても、私と生きた年月は、英司の中に残っているのだから、強く生きてほしいです。仲間を作って、楽しく生きてほしいです》

《いよいよ今日から抗がん剤治療。英司のために、生きよう!と思って頑張ろう


冷たいものをさわらない時は、しびれた感がなく、ホッとしていたけれど、ペットボトルをさわると両手ともしびれる…副作用第一弾だ。確実に抗がん剤は私の体の中に入って、正常な細胞も壊しているのだ──

昨晩シャンプーしたら、ごっそり毛が抜けた。先生は私の使っている抗がん剤は抜けないと言っていたけど、そんなことはないんだ―毛がなくなることを考えたら涙が止まらなくなった。英司が一生懸命なぐさめてくれた。つらい思いさせてごめんね。ウィッグをつけて、出かけられるように、気持ちを切り替えるからね。このつらい日々、もう逃げ出せないもんね。英司、私を支えてください

私の前には、もう死ぬことしかないのかなあ。体力がなくなってきて、ベッドで横になった時、このまま死んでしまうのではないかと、体がスカスカになったような気持ちになる。 まだ英司を置いていけない。というより、今や英司がいなくては、私は生きる張り合いが持てない。今回は抗がん剤の吐き気は強く抑えられているが、手のこわばり、震えなど別の副作用もある

自分のガンに向き合うことがつらいので、このノートへの書きこみもしなくなってしまった。でも、いつ、再発・転移して、動いたり考えたりできなくなるかもしれないから、伝えたいことは書いておかなくてはならないのだろう。
以前にも書いたけれど、葬儀は家族葬でお願いします。英司のことだけが心配。しっかり生きてね。私は、本当に優しく看てもらっているから、私がいなくなったら、好きなように生きてくださいね。みんなも英司をフォローして、幸せに生きられるように、力をかしてください


抗がん剤治療8回目。髪の毛も少なくなってきたし、しびれも強いし、気分の悪い日もあるけれど、もっと生きていたいから頑張るよ

今日は抗がん剤8回目の点滴をして、5日目。しびれ、耳鳴り、体の中が自分のものではない不快感…副作用はたくさんあるけれど、耐えられない副作用ではない。治療することで、少しでも延命ができるなら、もっと生きたい。もっとあなたと楽しい日々を過ごしたい。子どもたちとも、一緒にいたい。そんな気持ちになっています。頑張って、生きたいよ

東日本大震災から5年。5年前の今日、あなたは平塚まで仕事に行っていました。大震災が起きたのだと知って、夜中に1人でいることがこわくなり、朝までなんとか過ごしました。

 命は、紙一重。命が今あるということは、「運」としか考えようがないですね


高峰高原への旅も無事に行けました。7月下旬には、体調が悪く、無理かなぁと不安だったのですが、あなたとまた旅ができて、本当によかったです。あなたには、心から、ありがとうと伝えたいです。一緒にいられて、幸せです。たとえ身体がなくなっても、私は、あなたと一緒に、ずっといますから、ずっと忘れないで、いろいろなところに連れて行ってくださいね。
小春のことも心配だけれど、あなたがいれば、小春は生きていけるから、よろしくお願いしますね


とうとう…恐れていた日がきてしまいました。もっともっと元気であなたと一緒に楽しみたかったのに、やはり、がんは私の身体の中で大きくなっていたのですね。もしあなたがいない時間に私が死んでも、決して後悔しないでくださいね。あなたとかかわってきたそれまでの時間が大事なのだから。突然何があっても、私は、あなたに感謝し、ずっと愛して、幸せですからね

無事に70才を迎えることができました。家族がいたから、ここまでこられたのだと感謝でいっぱいです。もしかしたら、もっと生きられるかも…なんて思うと、何かあった時の衝撃が大きい…と思うと、こわくて口にできません

──2018年1月19日の午前2時。

 病院のベッドで、容子さんの息が少しずつ細く、短くなっていった。
 心電図モニターはつけなかった。
 容子さんの希望もあって、延命治療はしなかった。
 英司さんは容子さんの手を握り、何度も名前を呼びかけた。

 病室に2人の息子も駆けつけ、家族が一室に揃った。
 容子さんはまるで眠っているようだった。
 容子さんの体が静かに動かなくなってからも2時間ほど、みんなで過ごした。
 午前5時、担当医から「ご臨終です」と告げられた。部屋が少しずつ明るくなってきた。

写真提供/宮本英司さん

※ 女性セブン、2019年11月7・14日号

[写真‐1]
宮本英司さんと45年間連れ添った妻・容子さん。夫婦でいろいろな場所を訪れた

[写真‐2]
愛犬の小春ちゃんも今年2019年3月、12年の命を全うして旅立った

[写真‐3]
長野県小諸市の高峰高原には何度もドライブした

女性セブン、2019.11.03 07:00
がんの妻が病床で綴った夫へのメモ「私はあなたに感謝し…」
https://www.news-postseven.com/archives/20191103_1474980.html  

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星瑠璃子

 こんにちは。SAM(Small Art Museum)のライター、遠藤です。
 まだ残暑厳しかった9月某日、私はSAMメンバーの久保と、東京メトロ副都心線に乗って、練馬方面へ。
 元編集者であり文筆家の、星 瑠璃子さんに会いに行きました。
 少し遅くなってしまいましたが、その模様をご報告したいと思います。

「小さな美術館への旅」著者、星 瑠璃子さんにお会いして。

 数日前、弊社社長に手渡された一冊の本。
 それが『小さな美術館への旅』(二玄社、2001年3月)でした。
「Small Art Museum」と名乗って活動している私たちSAMにとって「小さな美術館」には興味を持たずにはいられません。
 そして、そこへ「旅」するなどと言われては、好奇心は高まるばかりです。

 昨年2009年より活動を始めて以来、「Small」、そこに新しい価値を見つけていきたいと、いつも考えてきた私たち。
 既に同じところを研究し尽くしている先達のお考えを聞きたいとは常に思っていたこと。
 その第一弾となったのがこの本の著者、星さんです。
 私たちの勝手なお願いを快くお受けいただき、「少しですが私の持っている美術品もご覧ください」、とご自宅へお招きくださいました。
 待ち合わせ場所に、ピカピカの新車で颯爽と現れた星さん。
 お約束時の電話での声で想像していたとおり、上品で凛とした空気を纏っていらっしゃいます。
 ご自宅にてゴディバの濃厚なチョコレートアイスクリームを御馳走になりながら、お話は始まりました。

『小さな美術館への旅』は、誰もが知る芸術家の記念館から、ひっそりと人知れず存在するギャラリーまで大小さまざまなアートスペースを、星さんが全国津々浦々自らの足で巡り感想をつづっているという内容。
 掲載されているその数は74。
 所在地や電話番号、休館日まで記載されている、日本の美術館ガイドとも言えるものです。

遠藤: なぜ、全国の美術館を巡ろうと思われたのですか。

星: とくに大きな理由というのはないんですよ。
 私の母は洋画家のひとり娘として生まれたんですが、画家に嫁ぎ、自らも絵描きとなった。
 そんな母と日本中の美術館をひとつひとつ訪ね歩いてみようと、ふと思いついて始まったことなんです。
 旅をしながら見てきた、そういう些細なことなんですよ。

遠藤: そうなんですね。70館以上も巡るのに、どれくらいかかったのですか。

星: さぁ、どれくらいだったかしら。合せて6年ほどかしらね。

遠藤: ふとしたことから6年も続けるというのはなかなか出来ることではないですね。

星: まぁ、スケッチ旅行も兼ねて楽しんでやっていたことですのでね。

遠藤: 情報はどのようにして集めたのですか?

星: 1枚につき一館、という風に情報をカードにしてまとめて整理して、そこへさらに情報を集めて・・・、というように始めました。
 最初は情報の山に埋もれながらのスタートでした。
 そのカードはもう何枚だったか忘れたけれど、相当な枚数になりましたよ。

遠藤: それらの感想を本にして世に出そうと思われた理由は?

星: 私も編集者という仕事してきましたから、知っている情報は発信していきたいと思ってしまうのかしらね。
 はじめはインターネット新聞(*)に連載していたのですが、それを読まれた編集者が本にしたいと言ってくださって出版することになったんです。
 全国の小さな美術館の情報がたくさん載っているこういうものなんて、この本を出した当初はなかったから、皆さんから嬉しい反応をいただけましたね。
 いまでもこの本で美術館を調べて訪ねる、ということをしてくだっている人も多いんですって。

遠藤: 確かに。遠い地域の美術館も載っていますが、ふらっと行けそうな近所の美術館の情報もありますし、自分の街にも実は美術館があったことを知ったら行きたくなりますよね。私たちの事務所は渋谷の南平台なのですが、歩いて行ける距離(松涛)に、目が不自由な人のための美術館「ギャラリーTOM」があるとこの本で知りました。日本ではじめての「手で見る美術館」だと読んで、ますます興味がわいて・・・。この発見も「小さな」ものだけれど、とても豊かなことですよね。
 この美術館についての記述はこうです:

『ミロのヴィーナスにはじめて触った。
(中略)目をつぶって、ひんやりと冷たい大理石の肌を両掌でゆっくりとなで下ろしていく。ロダンの「考える人」も同じようにたどってみた。ああ、こんな作品だったのか。触れてみて、はじめて「見た」と思った。
(中略)触れるとは見ること。見るとは考えること、愛すること、生きることだ』

こういった星さん独自の捉え方は、単なるガイドにはない、興味を駆り立てられる大きな要素です。

遠藤: 星さん、「小さな美術館」を楽しむコツってありますか?

星: どうかしら、とりたててコツなんてないんじゃないかしら。
 人それぞれ好きなように鑑賞すればいいのよね。

遠藤: 星さん自身はどのような楽しみ方をしているのですか?

星: 作品の背景を知ると、作品そのものにも、より興味がわくわね。
 その作家の生き方や死に方、どの作家にもその人にしかない感動的な人生があって、それを知るだけでも作品を見るポイントが変わってくる。
「一体どうやってこの線、描いたの」って思う。

遠藤: 確かに、ひとつ作品を描くのにもドラマがあるでしょうね。それを想像すると楽しいですよね。

星: ええ。
 そうやって懸命に生きた芸術家の火を絶やさないように、美術館が存在しているんじゃないかしら。

遠藤: よく、「芸術って分からない」って言ってしまう人たちもいますが、そんな人たちがもっと気軽にアートを楽しめるように、星さんからメッセージなどありますか?

星: 理屈で理解しようとするのじゃなく、ただ「好き」でいいと思うのね。
「好き」なら「分かった」っていうことなのよ。
 私はそう思うわ。
「分かる」ことより「感じる」こと。
 まずはそこからスタートすることをおすすめするわ。


遠藤: なるほど、確かに芸術ってもっとパーソナルな感覚で感じるものですよね。正しい答えがあるものではないし、自分の「好き」が基準でいいんですよね。ところで、この本には規模の大きな美術館も載っていますが、どうして「小さな」とタイトルにつけたのですか?

星: そう、おっしゃる通りなの(笑)。
 小さくないのも載っているわよね。
 その「小さな」は「美術館」にもかかっているし、「旅」にもかかっているというわけなのよ。
「小さな」って、なぜだか人を惹きつける。
 小さな感覚を楽しむって素敵なことよね。
2010年9月1日 星氏の自宅にて


SAMより

 まさに、何気ない些細な感覚に耳を澄ますことは、私たちSAMのコンセプトである、生活の中でアートを感じる感覚と通ずるのではないでしょうか。
「小さな」を愛でるということは、特別ではない毎日を豊かに生きること。
 それを、慎ましやかに小さな芸術品に囲まれて暮らす星さんの姿を見て感じさせられました。
『小さな美術館への旅』(二弦社)、皆さんもぜひ読んでみてください。
 そして皆さんそれぞれの「小さな」を暮らしの中に感じてみてください。
(遠藤)


 星さんのお祖父様は洋画家高木誠一郎・背水(1877-1943)、お父様もまた画家でした。
 小さい頃はお父様の大きなアトリエよりも、お祖父様の小さなアトリエに隠れてよく遊んだという星さんは幼い頃から美術品が当たり前にある場所で過ごされてきました。
 星さんのご自宅にも絵画や陶芸作品などが、静かに飾られ、飾っていない絵は棚に幾重にもなって大切にしまわれています。
 お住まいそのものが「小さな美術館」のようでした。

 星さんをモデルに深沢紅子(1903 - 1993)画伯が描いた「大きなベレー」。

大きなベレー.jpg
 
 お祖父様の作品はほとんど美術館に所蔵されてしまい、お手元には印刷したものしかないそうですが、大切に保管され、季節や気分によっては壁に掛け替えて飾っているそうです。

※ 星 瑠璃子(東京生まれ)
1958年、日本女子大学文学部国文学科卒業後、河出書房新社に入社。のちに学習研究社に転じ、女性文芸誌「フェミナ」の創刊編集長。1993年独立し、ワークショップR&Rを主宰して執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人ー日本女子大物語』(舵社、1996年)など。

SAM Lab.、2010年10月 9日
けして特別ではない、日常に「小さな」を探すことの豊かさ。
http://www.jlds.co.jp/sam/2010/10/post-22.html

(*)銀座一丁目新聞

編集方針: 卓見、異見を吐き、面白く、耳よりの話を伝え、実用的なトークなどを発信、ホームページを通じて、平和と民主主義社会の発展に微力をつくすものとする。
http://ginnews.whoselab.com/ 

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2019年11月02日

福山雅治「幸福の硬貨」

 映画「マチネの終わりに」は大人の男女のラブストーリーだ。
 福山雅治は、40代を迎え苦悩する天才クラシックギタリストを演じる。
 芸術家として、恋に落ちる男性として、どんな思いで演じたのか。

*  *  *

 福山雅治が演じる天才クラシックギタリスト蒔野聡史は、年齢を重ね、自分の音楽性を見失い始めていた。
 そんな時、パリ在住のジャーナリスト小峰洋子(石田ゆり子)と出会う。
 東京、パリ、ニューヨークを股にかけ、美男美女が大人の恋を繰り広げる。
 等身大ばやりの日本映画にあって、珍しいほどクラシカルなラブストーリーだ。

 恋の重要なスパイスとして、福山は、天才演奏家としての蒔野の苦悩を深く濃く表現する。
 スパイスではなく、こちらがメインテーマかもしれない。

福山雅治(以下、福山): 今回この映画の出演を機に、初めてクラシックギターに接して、改めてさまざまな発見がありました。
 普段アコースティックギターやエレキギターを弾いているから弾けて当たり前だろうと思われがちですが、クラシックギターの世界は再現芸術。
 今まで僕がやってきた作曲や即興とはそもそものアプローチが根本的に違う。
「これはまずいことになった……」と思いましたね。
 譜面を完璧に再現することはできて当たり前で、そこから自分がどう解釈するのか?が問われる。
 一見、静かな演奏の中にも超絶技巧が満載で、1小節ごとにすさまじいことが起こっている。
 クラシックの完成された緻密な旋律に接すると、普段僕がやっているポップスの自由さが怖くなります。
 ポップスのライブは、多少間違えても瞬間芸術的解釈で、照明を浴び、花火を打ち上げるような……ある意味、対極にあるんだなと。

 クラシックギタリストの福田進一から手ほどきを受け、映画の主題曲「幸福の硬貨」を自ら演奏するまでになった。

福山: 時間もかかるし、まだしっかり取り組めてはいませんが、一生の課題ともいえる、向き合えるジャンルでした。
 両方を行き来して、僕の音楽につなげていければいいなと考えています。

 物語では、若い頃は自らの才能を疑わなかった蒔野が、デビュー20年を経て、若手の台頭や才能の枯渇に直面し、ギターが弾けなくなる。
 クラシックギター界の新星として登場するティボー・ガルシアは、本物の若手クラシックギタリストだ。

福山: ぬきんでた才能を持つ人はたたずまいに説得力がありましたね。
 役柄を超えたところで、何だか僕自身が若い天才に冷たくされているっていう寂しい感じを受けました(笑)。
 蒔野に共感する部分は多々あります。
 音楽でも芝居でも、常に若い才能は当然出てくるし、とんでもなく脅威です。
 文化の進化においては、その時代が認め、求められた者が常に正解なわけです。
 だから、もちろん邪魔はしないけれど、もう呪うしかない(笑)。
 そういえば若い頃は、上の世代の偉大な人たちに「失敗しろ」と呪いを掛けていましたね。
 結局、変わってない(笑)。
 いつか才能が枯渇するかも、という恐怖は僕も常にあります。
 でも、蒔野は真面目だなとも思うんです。
 才能が涸れたと感じた時、彼はそれをわかっていながら、だましだまし演奏活動を続けることが許せない。
 普通は、「まあ、しょーがない」と諦めつつ、それなりに続けていけば、細々とはやっていけるだろうし、その向こうにまた何かが見えてくるかもしれないと考えるんじゃないでしょうか。
 でも、それをよしとしなかった。彼は不器用なんですよね。

 蒔野の師匠である祖父江(古谷一行)も物語に深く関わってくる。
 祖父江はある時、蒔野の才能が自分より上だと気づく。

福山: 蒔野の師匠の祖父江先生は、他人の才能を素直に認めることのできる柔らかさを持っていました。
 若い蒔野がトガっていられたのも、師匠の柔らかさに包み込まれていたからですよね。
 自分の表現のひらめきは消えることがない、あふれる衝動を自在に表現できると思っていた蒔野が、ある日、師匠と同じように自分の限界を知ることになり、新しい世代の新しい表現に押し出される。
 蒔野はプライドが高いから先生に相談はしないでしょうが、先生なら、今と別の生き方があることをさりげなく示してくれるでしょうね。

※AERA 2019年10月21日号より抜粋


[写真]
ミュージシャン・俳優 福山雅治

AERA dot.、2019.10.22 11:30
福山雅治
天才クラシックギタリスト役に見出した表現者の苦悩

(朝日新聞編集委員・石飛徳樹)
https://dot.asahi.com/aera/2019101800028.html

福山雅治、石田ゆり子に「僕も死ぬよ…」 映画「マチネの終わりに」特報映像
https://www.youtube.com/watch?v=xE7EXm_xlXM

 映画「マチネの終わりに」が公開を控えている。
 東京、パリ、ニューヨークを舞台に、クラシカルなラブストーリーが繰り広げられる。
 主演を務めた福山雅治さんが、撮影中のエピソードや役への思いを語った。

*  *  *

 メガホンを取った西谷弘監督は、「ガリレオ」シリーズなど福山とは付き合いが長い。パリのレストランで、蒔野が洋子に思いを打ち明ける場面がある。

福山雅治(以下、福山): 告白としては、そんな言い方をしない方がうまくいくんじゃないか、と僕自身は思いました(笑)。
「蒔野、ウブいな」と。
 彼はすぐ女性にちょっかいを出すけど、意外にウブ。そこが魅力だと感じました。
 原作を読んだときから、素敵なシーンだけど、非常に難しいシーンだとも思っていました。
 いろんな表情で何テイクか撮り、監督があの表情を選んだのだと思います。
 西谷監督の「こうだ!」という判断、そして今の強い感性でディレクションされたのかと。
 映画監督のみならず、表現者は基本的に、いかんとも制御しがたい居心地の悪さを持っているのではないでしょうか。
 誰もが持っているんだろうけど、それが極端に強い人間が「表現」という仕事に就くんだと思うんです。
 居心地の悪さから自分を救済しようともがく。
 そこで発せられる何かが、観客や聴衆を救済するという構造になっているのでは。
 しかもその“いかんともしがたさ”は年々色濃くなっていく。
 僕もそうなんです。
 年を取ると、もう少し枯れて、いろんなことが楽になるんだと思っていました。
 しかし実際は逆だった。
 どんどん生きづらくなってゆく。
 より深い表現を求めるようになっています。

 芸術の才能とは何だろうか。

福山: 芸術家からアウトプットされるものが答えなのではなく、芸術家の存在そのものがすでに芸術なんじゃないでしょうか。
 才能が両親が与えたギフトなのか、神様が与えたギフトなのかはわかりません。
 例えば、ティボー・ガルシアがサッカーの道に進んでいたら、天才と呼ばれただろうか?
 大谷翔平選手が音楽をやっていても世界に羽ばたけたのか?
 誰もが何かしらのギフトをもらって生まれてくるとしたら、あとは出会い方が運命を決めてゆくんだと思います。

 福山自身、授かったギフトを最大限生かし続けているように見える。

福山: 僕ですか?
 成分としては9割以上ラッキーで作られてます。
 残りの1割弱が元イケメン。
 あとは若干の呪いの能力かな?(笑)

※AERA 2019年10月21日号より抜粋


[写真]
映画「マチネの終わりに」は平野啓一郎の同名小説が原作。音楽家とジャーナリストの男女の6年間が描かれる。11月1日から全国公開 

AERA dot.、2019.10.22 11:30
ガリレオシリーズのタッグ再び!
福山雅治が魅せる「恋にはウブな天才肌」

(朝日新聞編集委員・石飛徳樹)
https://dot.asahi.com/aera/2019101800029.html

 福山雅治と石田ゆり子が出演する映画「マチネの終わりに」のオリジナルサウンドトラックが、映画公開に先駆け10月30日に日本コロムビアから発売される。

 映画「マチネの終わりに」は、芥川賞作家・平野啓一郎氏による同名小説を、「容疑者Xの献身」「昼顔」の西谷弘監督による映画化。

 天才クラシックギタリストの蒔野聡史(福山)とジャーナリストの小峰洋子(石田)のラブストーリーで、クラシックギターを題材にした本作にはクラシックギターの名曲が数多く登場する。

 演奏は、福田進一が手がけた。
 今回のオリジナルサウンドトラックは、福田の演奏による劇中に登場する印象的なギター作品を収録。
 さらに、クラシックギターに初挑戦した福山自身が演奏する「幸福の硬貨」も収録される。

 映画「マチネの終わりに」の共演者には伊勢谷友介、桜井ユキ、木南晴夏、風吹ジュン、板谷由夏、古谷一行ら実力派俳優が集結。
 11月1日から全国で公開される。

■ 映画「マチネの終わりに」オリジナル・サウンドトラック
2019年10月30日発売


時事ドットコムニュース、2019/09/11-09:40
映画「マチネの終わりに」映画を彩るギターの調べが詰まったサントラ発売決定!!福山雅治が初挑戦したクラシックギター曲も収録
(日本コロムビア株式会社)
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000518.000019470&g=prt

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映画『マチネの終わりに』

映画『マチネの終わりに』予告[11月1日(金)公開]
https://www.youtube.com/watch?v=HCE2owGeIdw

福山雅治・板谷由夏:映画『マチネの終わりに』完成披露試写会
https://www.youtube.com/watch?v=3h4wwbsnPLg

 世界的なクラシックギタリストとジャーナリストの恋愛を描いた映画「マチネの終わりに」が、11月1日(金)より全国公開されます。

 東京・パリ・ニューヨークなどさまざまな街を舞台に、6年間にわたって惹かれ合う40代のふたりの恋愛を描いた本作は、福山雅治と石田ゆり子によるダブル主演ということもあり大きな注目を集めています。
 映画の原作は、小説家の平野啓一郎による同名の恋愛小説。
 平野啓一郎は1999年に第120回芥川賞を史上最年少(当時)の23歳で受賞し、三島由紀夫の再来とも呼ばれた、多種多様なテーマと格調高く美しい文章を特徴とする作家です。
 今回はそんな平野啓一郎作品の3つの魅力を、映画化作品『マチネの終わりに』や芥川賞受賞作『日蝕』などを中心にご紹介します。

[魅力1] 幻想譚、恋愛小説、ミステリ……ジャンルに囚われない幅広い作風

 平野啓一郎作品の第一の魅力は、なんと言ってもその作風の幅広さです。
 デビュー作である『日蝕』を読んだあとに『ある男』や『マチネの終わりに』を読むと、まるで違う小説家の作品のように感じられる方もいるかもしれません。

 平野啓一郎はこれまでに、15世紀フランスを舞台にカトリック神学をテーマとした長編『日蝕』、中国古典のような趣の幻想譚『一月
(いちげつ)物語』、宇宙船を舞台としたSF『ドーン』、40代の恋愛を描いた『マチネの終わりに』──といった多種多様な作品を執筆してきました。

 作品ごとに文体やジャンルが大きく異なることから、文芸評論家の三浦雅士は平野を“謎の作家”と呼び、このように評しています。
 困惑は、2002年に『葬送』が、2008年に『決壊』が刊行されるに及んで、あろうことか、さらに深まった。ともに上下二冊本、前者は2500枚、後者は1500枚の大長編小説である。一方が十九世紀フランスのショパンとドラクロワに取材した模範的な芸術家小説ならば、他方は21世紀日本のネット社会を背景にしたサスペンス十分な犯罪小説である。(中略)まったく訳が分からない。

 悪魔にからかわれているのではないか。そう疑わないほうが不自然である。主題と方法のこれほどの拡散と、しかもこれほどの充実は、異常という言葉で形容するほかない。
──『日蝕・一月物語』解説より

 書評家が“悪魔にからかわれている”と評するほどの作風の多様さ。
 平野啓一郎は、谷崎潤一郎や泉鏡花を思わせるような耽美的な文体から現代SF作家のような簡潔な文体までを使い分ける、まさにカメレオンのような作家と言ってよいでしょう。

[魅力2] 単なる「恋愛小説」「SF小説」では終わらせない、重層的なテーマ

 文体やジャンルの幅広さに加え、ひとつの作品内で扱われるテーマが非常に多様かつ重層的なのも平野啓一郎作品の大きな特徴です。
 映画化される『マチネの終わりに』を例に挙げると、本作は一見、天才的なクラシックギタリストと世界的なジャーナリストという華々しい経歴のふたりを主役とする大人の恋愛物語のようです。
 しかし読み進めていくと、ギタリストである蒔野は世間からの絶対的な評価と自身の評価の乖離に悩み、スランプに陥りかけていることがわかります。

 また、内戦が続くなかイラクで取材をおこなうジャーナリストの洋子も、カウンセラーからPTSDの兆候があると告げられ、取材を延長すべきかで悩んでいます。
「わたしは、まだあなたがバグダッドにいること自体、どうかしてると思ってますよ。あなたが、『過労死』の国の人間だからですか? 心も体もボロボロになって、この先何年も仕事ができなくなっていいんですか?」


 蒔野と洋子を取り囲む問題は、スランプやPTSD、民族紛争、世界的な名声を得ている父親との親子関係、大人の嫉妬──と実に現代的かつ多層的です。
 平野啓一郎自身はこの『マチネの終わりに』という作品に込めた思いを、このように語っています。
 恋愛というのは、古今東西、人を惹きつけて止まないテーマですが、情報環境も、貞操観念も、ますますその障害たり得なくなりつつある今日では、恋愛小説自体は難しくなってしまったという印象を抱いていました。しかし、状況は、その可能性の故に、むしろ恋する人びとを思いもかけない隘路へと追いやっているようにも見えます。

 私が試みたかったのは、自由意志を巡る新しい物語であり、古典的な運命劇の21世紀的な更新です。それこそが、ジャンルを問わず、目下の世界の最も重大な関心事なのですから。
──note「寄稿:『マチネの終わりに』連載を終え 自由意志巡る物語に挑戦」より

『マチネの終わりに』は瀟洒でロマンティックな恋愛小説としても楽しめますが、その中に隠されている多種多様なテーマに目を向けると、より深みのある味わい方をすることができます。
 そして、それこそが平野啓一郎作品の読みどころであり、大きな魅力にもなっています。

[魅力3]“分人主義”という考え方の提唱

 平野啓一郎は、2009年に発表した長編小説『ドーン』の中で“分人主義”という概念を提唱しています。
『ドーン』は第19回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞するなど高い評価を受け、平野はこの作品以降も、“分人主義”にまつわる小説や新書を手がけてきました。

 平野はこの“分人”という概念を、
一人の人間の中には、複数の分人が存在している。両親との分人、恋人との分人、親友との分人、職場での分人、……あなたという人間は、これらの分人の集合体である。
──『私とは何か――「個人」から「分人」へ』より

と説明しています。

 つまり分人主義とは、人を「個人」よりも小さな「分人」という単位で捉え、確固とした“本当の自分”があるわけではなく、他者に向けている複数の顔をすべて“自分”だと肯定するという考え方。

 この考え方は、分人主義の拡大を説いた『ドーン』に始まり、愛していたはずの夫が死後に“まったくの別人”であったと気づく妻の物語『ある男』など、平野啓一郎のさまざまな作品の中に見られます。

 “本当の自分”など存在しないという分人主義の考え方は、職場や家庭、友人関係などさまざまなコミュニティでの顔を持つ現代の人びとにとって、人間関係を考える上での大きなヒントとなるものでしょう。
 他者との対話に悩み、コミュニケーションのとり方について考え込んでしまったとき、
 分人という単位で考えるなら、あなたが語りかけることが出来るのは、相手の「あなた向けの分人」だけである。
──『私とは何か――「個人」から「分人」へ』より

という彼の言葉を思い出すと、少し心が楽になる方も多いのではないでしょうか。
 この“分人”という概念の提唱も、平野啓一郎作品を語る上でのキーとしては欠かすことができません。

おわりに

『日蝕』や『一月物語』など、平野啓一郎作品には華麗かつ難解な筆致で書かれた小説も少なくなく、初めて読む方にとってはとっつきにくさを感じる作品もあるかもしれません。

しかし、その独特な美文は読めば読むほど面白さを感じられる魅力を持っていますし、もし初期の作品が合わなくても、『マチネの終わりに』や『ある男』などは一流の恋愛小説・エンタメ小説としても十分楽しめるものです。

映画『マチネの終わりに』が待ち遠しいのはもちろん、テーマとジャンルを変幻自在に操り続ける彼が今後どんな作品で読者を惑わせ、楽しませてくれるか、これからも目が離せません。


PDMagazine
[「マチネの終わりに」映画化]
小説家・平野啓一郎作品の3つの魅力

https://pdmagazine.jp/works/matinee/

映画『マチネの終わりに』公式サイト
https://matinee-movie.jp/

 小説家平野啓一郎さん(44)の朝刊連載小説「本心」が2019年9月6日から始まる。
 仮想空間をつくる技術が進歩した近未来の社会を舞台に、人間の心について考える物語だ。
 連載を前に平野さんに聞いた。

 小説の主人公は「リアル・アバター」という職業を持つ青年。
 特殊な装置を付けて依頼者の「分身」として外出し、疑似体験を引き受ける。
 母子家庭で育った主人公は、愛する母親を亡くした後、仮想空間内に再現した母親のバーチャル・フィギュアと会話を重ねていく。

AI、仮想現実、安楽死…

「テクノロジーが非常に速いテンポで進歩し、AI(人工知能)やバーチャルリアリティー(仮想現実)が日常生活に深く関わってくることが予想されます。その中で人間の心や死生観にどんな変化が生まれるのかを、文学的に追究したい。それは『人間とは何か』という問いに直結します」

「安楽死」もテーマの一つになる。

「オランダ、スイスなどで安楽死の合法化・制度化が進んでいて、日本でも早晩、議論になってくると思います。『いつまでも長生きすべきではない』という社会の無意識的な強制があった時、僕たちは人生の終わりに対して自由意思に基づく自己決定権を持てるのか。決断をしたときの『本心』はどこにあったのか。それは小説のテーマと重なり合います」

「生産性」などを尺度に、人間の命に対する危険な考え方が広がりつつある中で、「人間は生きているだけで非常に尊い存在だと力強く肯定する思想を、いかに持ちうるか考えたい」という。

 人間は分けられない「個人」ではなく、対人関係ごとの「分人」として生きているという「分人主義」を、現代人の新しい可能性を切り開く人間観として、作品を通じて唱えてきた。
 本作でも仮想空間での「分人」という要素を含め、その思想をさらに深めていく。

 京都大在学中の1999年、中世キリスト教世界を描いたデビュー作「日蝕(にっしょく)」で芥川賞を受賞。
 その後もさまざま手法・文体を駆使した作品を発表してきた。

「今回は主人公の内面を語っていくため、長編としては『日蝕』以来の一人称小説になります。それも楽しみです」

 ベストセラーとなった恋愛小説『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞)は、福山雅治さんと石田ゆり子さん共演の映画が11月に公開される。

「読者に毎日読んでもらうために、シンプルで力強い軌跡を描く物語にして、掘り下げると深いテーマがある積層的なデザインを意識します。殺伐としたニュースも多いですが、連載小説を読んで心を休めてもらえればと思います」


西日本新聞、2019/9/11 17:40
平野啓一郎さんに聞く
近未来の人間 心や死生観に変化はあるか
6日から小説「本心」

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/539908/

 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。
 今回は作家の平野啓一郎さんだ。

― 幼少の頃、お父さんを亡くされたそうですね。

「私が1歳の時、36歳で急逝しました。心臓の病気でした。休日の昼、自宅でいびきをかいて寝ていたら、そのまま心臓が止まったそうです。父のことは何も覚えていません。父のゴルフのスイング姿を撮った8ミリフィルムが残っていて、それが動いている父の唯一の映像。手軽に写真が撮れるスマートフォンなどない時代だったので、写真もあまりありませんでした」

「母や親戚によって語られる父の思い出が、私にとっての父親像です。具体的ではなく、抽象的なものなのですが。愛知県蒲郡市で父は実家が営む機織り会社に勤めていたこと、母とは大学時代に知り合ったこと、夫婦共働きだったので、生まれたばかりの私をお風呂に入れたりおしめを替えたりしたこと、などです。育児は夫婦分担が当然だったようです」

― 若くしてお父さんが亡くなったことの影響はありましたか。

「人間には二つの種類があると思います。父のように突然死ぬことがある人と、そうでない人です。私のような体験をした人は結構周りにいて、みな同じようなことを語ってくれるのですが、私は『父の享年を超えられないのでは』といつも考えていました。だから私自身、36歳が近づいた頃は不安でした。自分が親より年上になることを、うまく想像できなかったのです」

― 2011年、36歳になりました。

「自分が父の享年になる時には、今の時代を生き、そして死ぬということを正面から取り上げた小説を書こうと決めていました。12年に発表した『空白を満たしなさい』という作品がそれです。1歳で36歳の父を亡くした男性の物語です。死者が次々によみがえる社会を描き、死を様々な側面から語る内容です。作家として書かなければいけないと思いました」

「図らずも東日本大震災の年であり、初めての子どもに恵まれた年でもありました。父の年齢を超え、父と同様に親という生き方が加わりました。現在、2人の子がいて長女は5歳、長男は3歳。妻も働いているので育児は手が空いている方がこなします」

― お父さんより年上になって5年が過ぎました。

「心の奥底には父のように心臓が突然止まってしまうかもしれないという気持ちがあります。だから、創作活動などやりたいことをやりきるように毎日充実した生活を送るようにしています」

「今でも父への思いは尽きません。私は赤ん坊の時、父の周りをハイハイしていたと思っていたのですが、立っていたということを最近知りました。わずか1年あまりの父と子の触れ合いはどのようなものだったのか、もっと知りたいですね」

※ 日本経済新聞・夕刊、2017年3月14日付


日本経済新聞・それでも親子、2017/3/15
作家・平野啓一郎さん
1歳で父が突然死、創作に影響

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO13969700R10C17A3NZBP00/

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腐臭ただよう11月2日の朝

 ヤッホーくんのお慕い申し上げているお医者さま、こんなつぶやきを:

 安倍首相のマスコミ支配、ここまで来ているのか。
 安倍首相本人が、新聞記者に電話して、何故報じたのか、何故報じなかったのかと問いただしている、とのこと。

こちらは国会。
https://twitter.com/i/status/1189783729457074176

 報道の自由の凄まじい抑圧。
 それを首相本人がしている。
 犯罪的な行為。


 おお、やだやだ、腐臭ただよう、秋日和の今日、11月2日土曜日の朝。

 英語民間テスト導入延期。
 そもそも決定プロセスが不透明(議事録もなし)
「重要な決定がよく分からないうちに決まった。利害関係者が集まって会議をしても結論は見えている。中立的な立場で教育的な観点から議論すべきだ」


 また「議事録なし」。そんなもの、実施してはならない・・・
 そして、この日本国を大日本帝国に戻そうとしている一味の企みは・・・

 日本国憲法が73年前の11月3日に公布されたことを記念した祝日「文化の日」を「明治の日」に変えようとする動きが、自民党内で本格化し始めた。
 文化の日になる前は、明治天皇の誕生日に当たる祝日だったためだ。
 戦中・戦前に戻るかのような改称には、有識者からも疑問の声が出ている。

 保守系市民団体「明治の日推進協議会」(会長・塚本三郎元民社党委員長)は10月30日、国会内で集会を開き、自民党議員でつくる「明治の日を実現するための議員連盟」(古屋圭司会長)に、改称に賛同する百万人超の署名を手渡した。
 古屋氏は、改称のための国民の祝日法改正案について「超党派をつくって国会提出を目指し頑張っていきたい」とあいさつした。

 11月3日は戦後まもなくまで「明治節」という祝日だった。
 日本国憲法が1946年11月3日に公布されたことを踏まえ、1948年7月に議員立法で成立した祝日法で文化の日に衣替えした。

 当時の国会審議では、明治節を祝日として残すべきだと意見も根強かった。
 一方で「明治維新よりもっと大きな革新をやらなければならないので、憲法記念日に」との発言も出ていた。

 結局、憲法記念日は施行日の5月3日とし、公布日は「戦争放棄を宣言した重大な日」と意義づけて「文化の日」となった。
 作家でもある参院文化委員会の山本有三委員長は「日本国民にとって忘れ難く、国際的にも文化的意義を持つ重要な日。そこで文化の日と名付けた」と説明している。

 当時の祝日制定の背景について、古関彰一和光学園理事長(憲政史)は「明治憲法下の祭日は紀元節(2月11日)や新嘗祭(11月23日)など天皇と関係があった。連合国軍総司令部(GHQ)が見直しを求めたが、国民の意識は戦前のままだった」と指摘。
 改称には「憲法が定める国民主権の意味を考えるべきだ。今の時代に『明治の日』などつくれば、世界の笑いものになるのではないか」と懸念を示した。


東京新聞・朝刊、2019年10月31日
「文化の日」を「明治の日」に!?
自民内で法改正の動き

(大杉はるか)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201910/CK2019103102000128.html

 きょうは文化の日。
 現行憲法が71年前に公布された日でもある。

 戦前の11月3日は「明治節」と呼ばれる祝日だった。
 明治天皇の誕生日に由来する。

 戦後に名称が変わったのは、新憲法制定時の首相、吉田茂がこの日を公布日に選んだためだ。
 公布から半年後の5月3日が自動的に憲法の施行日になり、両日はともに憲法を母体とする祝日になった。

 ところが、数年前から11月3日を「明治の日」に改称させるための政治活動が目立ち始めた。
 2011年に結成された明治の日推進協議会には、右派団体「日本会議」系の人びとが数多く名を連ねている。

 見過ごせないのは、安倍晋三首相と思想・信条が近い政治家が積極的に運動を後押ししていることだ。

 稲田朋美元防衛相は先週末に開かれた関連のシンポジウムに対し「私も明治の日創設の法律化に向け、同志の皆様と手を携えて全力を尽くします」とのメッセージを寄せた。

 古屋圭司衆院議運委員長(自民)も主要な応援メンバーだ。
 昨年は代表して明治の日実現を求める60万筆余りの署名簿を受け取っている。

 なぜ彼らはこれほどまで明治の日の制定にこだわるのか。

 推進協議会は、祝日法が文化の日の意義として示している「自由・平和・文化」について「特定の一日とあえて結びつける必要があるのか」と疑問を投げかけている。

 ただ、それ以上に活動を支えるのは現行憲法に対する拒絶感だ。
 すなわち憲法は占領軍による「押しつけ」だから、憲法と密接な文化の日も葬り去りたいのではないか。

 憲法改正による戦後レジームからの脱却を訴えてきた安倍首相らの考え方と根っこは同じであろう。
 明治時代への漠としたノスタルジーや戦前回帰の感覚がそこに連なる。

 衆院選で勝利した首相の最終目標が改憲であることは間違いない。
 しかも、来年は明治維新から150年の節目であるため、首相は「明治の精神」に学ぶ機運と改憲を絡めて盛り上げようとする可能性がある。

 時代の変化に憲法を適合させることは大事だ。
 しかし、明治の日制定運動につきまとう復古主義的な発想から出発する限り、まともな憲法議論にはなり得ないだろう。


毎日新聞・社説、2017年11月3日
文化の日の改称運動
復古主義と重なる危うさ

https://mainichi.jp/articles/20171103/ddm/005/070/041000c

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2019年11月01日

「子ども」の政治発言

スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16)の国連での演説が、世界的に話題となった。
ただ日本ではそれほど盛り上がらず、冷ややかな視線も。
なぜ子どもの政治発言に否定的なのか。


■ 水差す行為、日本は否定的 宮崎紗矢香さん(大学生)

 私は今年2019年2月、SDGs(持続可能な開発目標)の先進的な取り組みを知るためにスウェーデンを訪問しました。
 冷凍庫に「孫のためにすぐ扉を閉めよう」という貼り紙が貼られ、環境ラベル付き商品が大半を占めるスーパーや、生物由来の資源の利用を進める空港など、あらゆる場で環境への負荷を減らす取り組みが進んでいました。

 そこで、帰国後の就職活動では環境への姿勢を各企業に尋ねました。
 包装容器製造会社の面接では、廃プラスチックの輸出規制が強化される中で、業界の事業モデルも変革を迫られていることを伝えました。
 しかし「思うようにはいかないでしょう」と後ろ向きな反応で返され、問題意識を持つことすら否定される現実に憤りを覚えました。

 そんな時、新聞記事でグレタさんのことを知りました。
「あなたたちは子どもたちの目の前で彼らの未来を奪っている」という言葉が、就活で感じた憤りと重なり、疑問にふたをせず愚直に突き進む勇気をもらったのです。

 大学でも行動を起こそうと、ゴミ分別の不十分さや傘袋の無駄遣いなどを伝えながら「学生が変われば大学も変わるのでは」と訴えました。
 けれど、やはり反応は薄く「何も思わない」というコメントさえありました。

 一体、どこに行けばこの問題意識を共有できるのか。
 孤独を覚えながら、大学外のイベントに参加する中で、グレタさんの行動に賛同する学生ストライキ活動にたどりついたのです。

 日本ではグレタさんの国連での演説だけでなく、9月20日のマーチにも、ヤジを飛ばされるなど否定的な意見が飛び交いました。
 多くの人がその通りだと思っている政治的・社会的なことに、デモやストライキで水を差すことは、日本では受け入れられにくいのかもしれません。

 日本では、私が経験した就活のように、属する集団の中で空気を読み、決められたやり方を踏襲することがよしとされる傾向が強いように思います。
 思考停止への慣れが、物事を真剣に考える機会を阻んでいるのかもしれません。

 私たちのムーブメントは、大人や一定の権力者を糾弾する場面があり、そこに目がいく人たちにとって肯定的に受け取れない面が確かにあります。
 けれど、私たちは危機に気づいてほしいと思っています。
 対立軸に固執せず、おのおのの主張の背景に何があり、なぜそのような考えを持つに至ったのか。
 そうしたプロセスに重きを置くことが必要ではないでしょうか。

 だから私は、一人の若者としてなぜこの活動にたどり着き、行動するようになったのか。
 そのストーリーを語ることに、その先に進む手がかりを見いだしています。

(聞き手・後藤太輔)
* * *
宮崎紗矢香(みやざき さやか、1997年生まれ)
 立教大学4年生。気候変動対策を訴える Fridays For Future Tokyoオーガナイザー。

■ 高い発信力、変革起こせる 小玉重夫さん(東京大学教授)

 20世紀は成熟した年長者が社会をリードすることが当然とされた時代でした。
 しかし21世紀は、「社会で変革を起こすことに年齢は関係ない」という流れが当たり前になるのではないかと思います。
 日本もその変化の波から逃げることはできないでしょう。

 たしかに政治という分野に限れば、日本ではまだ、若者の発信力は弱いかもしれません。
 ですが、より広く社会一般への発信力という点ではどうでしょう。
 すでにスポーツや音楽、囲碁、将棋などといった分野において10代の躍進はめざましく、その発信力は私たちが10代だった頃よりはるかに高いと言えます。
 政治の分野で同じ現象が起きるのも、時間の問題と思います。

 実際、各地の高校から地元の町おこしや過疎地の地域再生、被災地の災害復興などの問題に、高校生が積極的にかかわっている事例が多数報告されています。

 私も今年2019年2月、秋田県の高校生に模擬授業をしました。
 そのとき扱ったテーマは、夏の参院選でも争点となった陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の県内配置の問題でした。
 まず私が県内選出国会議員たちの意見を紹介し、国会議員を学校に招いて公開討論会の司会をするなら、議論をどう進めるかと尋ねました。
 すると、予想以上に建設的な意見が集まりました。
 いまの10代は右派・左派、保守・リベラルといった区分に染まっておらず、考え方は柔軟なのだと改めて実感しました。

 ここで重要なのは、若い世代に初めから賛否を決めさせるのでなく、論争的な課題についてディスカッションすることです。
 論争となる課題は、答えが簡単に出るわけではありません。
 異なる意見や理念が対立しているからこそ、タブー視することなく議論する意味があります。

 日本では、政治と教育の関係がタブー視され、若者を政治から遠ざけようとした時代が続きました。
 文部省(当時)は1969年、学生運動を封じ込めるため、「国家・社会としては未成年者が政治的活動を行うことを期待していない」とする通達を全国の高校に出しました。

 しかし46年後の2015年にはこの通知を廃止し、高校生が「国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待」されると方針転換しました。
 選挙権が18歳に引き下げられたことに伴う措置ですが、この通知を高校生の政治参加を後押しして生かしていくことが必要です。

 危惧されるのは、一部の大人が自分たちの主張や結論に合わせ、若い世代を誘導しようとする懸念もあることです。
 大人も10代に伴走する形でいっしょに考えることが重要だと思います。
 正しい答えが目の前にあるわけではないのですから。

(聞き手・稲垣直人)
* * *
小玉重夫(こだま しげお、1960年生まれ)
 専攻は教育学で政治と教育の関係について詳しい。著書に「教育政治学を拓(ひら)く」など。

■ 柔軟な発想、生かす努力を 倉阪秀史さん(千葉大学教授)

 グレタさんの「科学者の声を聴いて」という発言は、地球温暖化について勉強して自分で考えた人ならば、何の不思議もないものです。
 それを「誰かに入れ知恵されている」などと批判する大人の姿は醜悪でした。
 温暖化について自ら勉強もせず、「表情が険しかった」など、表層的な情報で判断する大人がいかに多いことか。
 残念です。

 16歳といえば、昔であれば元服も終えるような年齢で、十分に判断能力があります。
 しかも自分の将来に関する自由度が高く、会社など何ものにも属していない「特別な世代」です。
 大人以上に柔軟な発想が期待できます。

 こうした手応えを、各地で開いてきた「未来ワークショップ」で感じています。
 自らが2040年や2045年の未来市長になった想定で政策を考え、現在の市長に提言するというもので、中高生らを対象に4年前から始めました。

 市長への要望を「自由に考えろ」と言っても、自分の身の回りの利便性に関する提言ばかり出てくることになります。
 しかし「このまま何もしないと、この市や町はこうなる」という予測をもとに議論してもらうと違います。

 私たちは人口や産業構造、保育・教育・医療・介護のニーズ、エネルギー、財政などの予測を自治体ごとに示す「未来カルテ」を無料公開しています。
 カルテに触れると時間的にも空間的にも視野が広がり、分野をまたいだ公共的な提言が出てくるのです。

 千葉県市原市では、竹が多く水もきれいという特長を生かし、「流しそうめん大会」を中学生が提案しました。
 これを受けた市は翌年に開催し、約200人が集まりました。
 ロケット打ち上げ場がある鹿児島県種子島の西之表市では「県立種子島高校に宇宙関係のコースを作っては」という提案が生まれました。

 ワークショップを始めたのは、環境など持続可能性に関わる問題は、将来のことを自分事として考える人が増えないと解決しないからです。
 7世代先を想像して現在の政策を考えようという「フューチャーデザイン」と同じ発想ですが、より直接的に若い世代を育てる狙いがあります。

 終了後のアンケートによると、地域に貢献したい、もっと知りたいという人が増え、意見交換や議論への自信がついたという声もあがります。

 今、懸念しているのは、若い人が「自分が何かしても意味がないだろう」とあきらめてしまうことです。
 参加しても徒労になると逆効果なので、提言を受ける側の首長や行政には「その声で少しでも動いたということを見せてください」と言っています。

 こうした刺激を通じて、グレタさんのように自ら考え、発言し、動く公共的市民が育っていけばと願っています。

(聞き手・大牟田透)
* * *
倉阪秀史(くらさか ひでふみ、1964年生まれ)
 環境庁(現環境省)などを経て、1998年から千葉大学。著書に「環境政策論」など。

朝日新聞・耕論、2019年11月1日05時00分
「子ども」の政治発言
宮崎紗矢香さん、小玉重夫さん、倉阪秀史さん

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14239659.html

「未来ワークショップ」
http://opossum.jpn.org/work-shop/
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2019年10月31日

綾野剛

 綾野剛、あやの ごう、1982年のお生まれですかぁ〜
 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください。

★ 2013年10月17日「そこのみにて光輝く」
★ 2014年11月14日「映画『そこのみにて光輝く』」

 2014年春に全国ロードショーとなった映画「そこのみにて光輝く」。
 函館出身の作家・佐藤泰志の原作で、函館の一瞬の夏を舞台にした愛の物語です。
 第88回キネマ旬報ベスト・テンで、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞の4部門を受賞、2015年2月より全国順次特集上映が行われています。

 撮影は2013年6〜7月に函館近辺で行われました。
 スクリーンでは主演の綾野剛さん、池脇千鶴さん、菅田将暉さんらが、函館の風景の中でみずみずしく輝いています。

 海や山や坂、人が行き交う繁華街、店、神社、アパート、海辺の小屋、市電、花火......函館らしい空気感に満ちたこの映画。
 いわゆる観光スポットとはひと味違う、さりげない函館の魅力に出合えるロケ地をご案内します。

◆ 本町交差点付近の繁華街

 居酒屋やスナックが建ち並ぶ繁華街を、主人公・達夫(綾野剛)が彷徨うシーンがたびたび登場。
 呉美保(オミポ)監督(1977年生まれ)は、「夜の街を達夫が酔っぱらって歩くシーンは、綾野さんが立つことで、わびしい感じが華やかに生き返った」と語ります。

[写真]は、本町エリア(市電五稜郭公園前電停付近)、スターパレス(函館市本町1)前の通り。
 光と影の交錯する夜の街は、ハッとするような美しさを見せています。

 このほか、大門(市電松風町電停〜函館駅の一帯)や、十字街(市電十字街電停付近)といった、かつてにぎわっていた繁華街も、独特の色彩を添えています。

◆ 函館山を望む2つの海

 函館は三方を海に囲まれた街。
 劇中でも、海辺の風景が繰り返し、印象的に現れます。

[写真]は、千夏(池脇千鶴)一家の住む古い小さな小屋の建つ海岸。
 訪ねてくる達夫と千夏のさまざまなシーンが、ここを舞台に展開します。
 撮影が行われたのは、対岸に函館山を望むお隣・北斗市の海と砂浜(北斗市東浜2-36付近)。

 また、函館市内の啄木小公園(函館市日乃出町25)付近の大森浜も登場。
 海岸線の先に函館山が望める場所として、市民にも人気がある場所です。

[写真(左)]達夫と千夏が一緒に泳いだのも、北斗市の海
[写真(中)]石川啄木の座像がある啄木小公園
[写真(右)]ほかに、外国人墓地近くの穴澗(あなま)海岸も、千夏が海を眺める美しいシーンの背景に

◆ 夏祭りの会場になった神社

 街の夏祭りが行われるという設定で撮影が行われたのは、函館山付近屈指の長い坂である幸坂の突き当たりにある山上大神宮。
 千夏の弟・拓児(菅田将暉)のピュアすぎるほどまっすぐな思いが印象的なシーンになります。

 電車通りから長く急な坂を上がること10分以上、鳥居の間から函館港が見おろせる「まるで映画のセットのような」ロケーションは、スクリーンでも楽しめます。

 撮影当日は、2日間でのべ300人近い市民がエキストラとして参加。祭りのにぎやかさを担っています。

◆ 3人で乾杯する食堂

 映画のなかでは、食事のシーンが何度か出てきます。
 なかでも印象的なのは、3人が初めて前向きな気持ちになって、乾杯をする食堂のシーンです。

 綾野剛さんがいちばん好きなのは、このご飯を食べている場面だそう。
「3人がみんな笑っている貴重なシーンだから」

 撮影は、函館駅近くの大門エリアにある津軽屋食堂にて。戦後まもなく開業した懐かしい雰囲気の食堂で、おふくろの味が食べられると、いつもにぎわっている店です。

◆ 完成披露上映会にて

 2014年4月12日の函館先行ロードショー、4月19日の全国ロードショーにさきがけて、3月20日に、函館で完成披露上映会が開かれ、呉監督と綾野剛さんが再び函館を訪れました。

 記者会見と舞台挨拶での綾野剛さんの言葉:

「この映画の出演を決めたのは、(主人公の)達夫という人を生きてみたいと思ったから。また、函館という街に魅力を感じていたから」
「自分はこの映画に心身共に捧げた。この作品を愛していた。まっすぐな『函館男児』を演じたつもり」
「函館でいいなと思った場所は自由市場。しょっちゅうふらりと行って、地元の人みたいに海鮮丼を食べていた」
「函館の人は、外から来るものに対して開かれている。自然に受け入れてくれる。人と街が密接に共存している『なまっぽい街』」

 呉監督の言葉:

「この映画では、『愛』を描きたいと思っていた」
「(観光スポットなど)有名な坂を撮ったわけでもない。でも、皆さんには(街を)再発見してもらえるかな」

[写真]
プロデューサーの菅原和博さん(シネマアイリス代表)、綾野さん、呉さんの登場を、客席の皆さんが万雷の拍手で迎えた
劇中画像提供/2014年佐藤泰志「そこのみにて光輝く」製作委員会


函館市公式観光情報、2014/3/19取材、3/20公開 2015/2/26更新
「ロケ地」
あなたのテーマでディープな函館 
https://www.hakobura.jp/deep/2014/03/post-251.html

 明日は金曜日、そして11月ですよ、もう。
 綾野剛との再会の前に、もうひとつの映画!
 11月1月から始まる映画「閉鎖病棟」に入る前に、イマ上映中の「楽園」を観てきましょうか。

https://rakuen-movie.jp/

抱きしめれば止められることもある

『悪人』『怒り』の吉田修一(1968年生まれ)による短編集「犯罪小説集」に収められた2編を、『64−ロクヨン−』シリーズの瀬々敬久監督(1960年生まれ)が脚本も手掛けて映画化した『楽園』。
田園風景の中にあるY字路で少女失踪事件が起き、12年後に再び同様の事件が起きたことから動き出す人間模様が描かれる、犯罪を巡る喪失と再生のドラマ。
事件の容疑者である孤独な青年、豪士(たけし)を演じた綾野剛と原作者の吉田修一が、作品への思いを語った。


吉田修一の小説には本当のことが書かれている

Q: 最初に映画『楽園』の企画を聞いた印象は?

綾野剛(以下、綾野): 来た!と思いました。
 吉田さんの作品には無条件で出演すると決めているんです。
 主役と言われ、そっちの方はピンときませんでしたが、ぜひやりたいと伝えました。
 修一さんにも、僕で大丈夫ですか?と連絡しました。
 これは綾野君じゃないかも、と言われたら降りようというスタンスだったのですが、やっていただけたらうれしいですという、光栄なお言葉をいただきました。

吉田修一(以下、吉田): 瀬々監督の作品は観させていただいていて大好きでした。
 しかも綾野君が主演と聞いてホッとした……ってヘンだな。
 でも綾野君が演じることで豪士という役がどうなるのか見てみたいというのが最初でした。

Q: 吉田さんの小説の魅力をどこに感じますか?

綾野: 本当だからです。
 本物かニセモノか、そこには別に興味はない。
 僕たち役者はどこまでも虚構の生きものなので、「本当」に憧れがあるんです。
 活字で書かれた小説というのはフィクションであるはずなのに、そこには僕にとっての本当が描かれている。
 だから僕はその本当を生きたい。
 そんな、願望を超えた何かがあるんです。

役者にとってロケ地は“共犯者”

Q: 原作を読むとY字路などの光景が映像で浮かびます。ロケ地の印象は?

吉田: 長野県の撮影現場に行ったのですが、ちょうど火祭りのシーンでした。
 映像化していただくときは、僕のイメージした風景そのままじゃなくていいんです。
 瀬々さんやスタッフの方にこういう風に見えたんだという驚きがあり、それが楽しみでもあります。

Q: 豪士役の綾野さんの印象は?

吉田: 最近わりと親しくさせてもらっているので、綾野君がこの役を演じることになったときはまず、大丈夫かな? と。
 きっと自分を追い込んでいくだろうから、ちょっと親心のような感情が出てきました。

綾野: 僕の精神状態を気遣ってくれたんですね?

吉田: でも画面に出てきた瞬間、そうしたことはすべて忘れて物語に入り込んで豪士を観ていました。
 だからこうやって実際にお会いしても、豪士に会っている感じなんです。
 それで、「あのときはどう思っていたの?」と聞いてみたくなったりします。
 答え合わせをしたくなるというか。

Q: 豪士へのアプローチは?

綾野: つくったのは肉体的なものだけで、心は撮影現場で生まれてくるだろうと思って臨みました。
 漫画原作なら、見た目を徹底的につくりこんで、漫画を好きな方に喜んでもらえるようにするとか、出来ることはある。
 でも原作が小説だとそうはいかない。
 100人が読んだら、脳裏に浮かぶ景色は100通りある。
 すさまじい情報量の中で役をつくる必要があり、それを覆していこうと思っています。
 そして、原作を知る人が思っていたよりスゴかったと感じるのではなく、わかる! と共感していただく方が豊かだと思っています。

Q: ロケ地は役づくりの面でもプラスになりましたか?

綾野: あのY字路を遠くから見た瞬間、入っていけなかったです。
 覚悟が決まらなければ、あそこには行けない。
 ロケーションには役者にとって共犯者のような力があります。
 そこへ行くと感情がヘドロのように湧いたり、ぽんと花が咲くように生まれたりする。
 僕は役としての感情を頭で考えて、それを具現化出来るほど器用じゃありません。
 怖がらず受け皿を広げ、その場で生まれたものをちゃんと捉えようとする。
 どれほど厳選して“食材”を用意しても、どんな料理が出てくるかは予想出来ないです。

『楽園』というタイトルは瀬々監督の発案

Q: 原作を読みこんで演じたのですか?

綾野: 撮影の中盤くらいになってから読みました。
 台本と環境と自分の芝居とで心を追い込み過ぎて壊れそうになったとき、助けてくれるのは修一さんの主観の入った小説だと思って、お守り代わりの安定剤として持っていました。
 それである日、もう自分は壊れることはないと確信出来たので読みました。

Q: 映画化に際し、原作者としてリクエストしたことは?

吉田: これまではわりと原作に忠実なものが多かったのですが、今回は極端に言えば半分くらいはオリジナル。
 最初に脚本を読ませていただいたときは、いままでの感覚とは違いましたし、そこに多少の不安もありました。
 なので、いろいろと質問したりして。
 最終的には、僕が好きな瀬々さんの映画として完成されたものになったという気がします。

Q:「犯罪小説集」から2本の短編が脚色されたわけですが、『楽園』というタイトルをどう思いましたか?

吉田: タイトル会議に呼んでいただいたのですが、そのときに監督が「『楽園』でいきたいんですよね」と、わりと早い段階でおっしゃったんです。
 監督がこの映画で何を描きたいのかがよくわかりました。
『悪人』は人の話、『怒り』は感情の話でしたが、今回『楽園』と聞いて、場所の話なんだなと。
 自分なりにすとんと落ちてきた感じでした。

Q: 豪士を演じて、このタイトルをどう思いましたか?

吉田: ああ、それ聞きたいな。

綾野: このタイトルでなかったら気づけなかったことがありました。
 自分にとっての楽園とは?という問いを常に片隅に置きながら豪士を生きていました。
 僕はお仕事をいただくとき、スケジュールがあればやりたいというスタンスです。
 もし同時にお話が来たときは、タイトルにピンときたものを選びます。
 タイトルは作品の顔で、全然ピンとこないものを背負える自信がないので。

登場人物全員に愛が芽生えた

Q: 出来上がった映画を観た感想は?

吉田: ざっくり言うと、圧倒された!の一言です。
 始まった瞬間に入り込み、原作者であることもすぐ吹き飛び、それが最後まで続きました。
 プロットの段階から好きだったラストシーンも、脚本を遥かに超えていました。
 素晴らしい映画になったと思いました。
 小説を書いているときには、自分がなぜそれを書いているのかわからない、でも書かざるを得ないということがよくあるんです。
 あのラストシーンを観て、「あぁ、だから書いたんだ」と答えをもらったような感覚がありました。

綾野: 僕は登場人物全員に対して愛しさが芽生えました。
 世の中には抱きしめてあげなきゃいけない人がたくさんいると改めて感じました。
 気づかないだけで自分の周りにも、抱きしめてあげれば止められることもたくさんあるんじゃないか?というメッセージをこの映画を通して伝えたいです。

吉田: 僕自身、小説を書いているときはそこまで思いが至っていなかった。
 でもこうして映画にしてもらって、今日そういう話を綾野君から聞いて。
 自分はひょっとしたら、そこを目指して小説を書いたのかもしれないと気づきました。
 これは、そのメッセージを確実に伝える映画です。
 たった一人でもいい、観終わってそういう思いになってくれたらいいと思いました。

※ 二人は「メル友」だけあって、写真撮影中もごくナチュラルに会話を交わす。
 インタビューが始まると、質問の直後から感覚的な言葉が尽きせぬ芝居への情熱を伴ってほとばしる綾野剛と、原作者だからこその本質を突く発言と、逆に原作者らしからぬ距離感で映画を見据える吉田修一。
 そのやり取りは絶妙なバランスを保ちながら、それぞれに深化していった。
 それは主演俳優と原作者の間にこのような関係性が成立することもあるのかと思わせる興味深いものだった。
(C)2019「楽園」製作委員会
 映画『楽園』は10月18日より全国公開


シネマトウデー、2019年8月13日
単独インタビュー
『楽園』綾野剛&吉田修一 
(取材・文:浅見祥子)
2019年8月13日
https://www.cinematoday.jp/interview/A0006813

映画の原作は、吉田修一さんの短編集『犯罪小説集』(角川文庫)の中の2作(「青田Y字路」と「万屋善次郎」)。
ある町のY字路で起きた少女失踪事件と、限界集落で孤独に生きる男の狂気が絡み合い「罪とはなぜ生まれるのか?」を考えさせられるストーリーです。
本作で、失踪事件の容疑者として追われる豪士(たけし)を演じた綾野剛さんと、失踪した女の子の幼なじみ・紡(つむぎ)を演じた杉咲花さんに、共演した印象や、演じた役への思いなどをうかがいました。
(あらすじ)
 幼いころ、異国から母と共に移り住んだ青年・豪士(綾野剛)は、片言の日本語しか話せず孤立していた。
 ある夏の日、青田に囲まれたY字路で少女失踪事件が発生するが、事件は解決されず、被害者と事件直前まで一緒にいた紡(杉咲花)は心に深い傷を負う。
 それから12年後、同じY字路で再び少女が行方不明になり、住民たちは豪士が犯人だと疑う。
 追い詰められた豪士は街へと逃れ、ある行動に出る。
 さらに1年後、Y字路に続く限界集落で愛犬と暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、村おこし事業を巡る話のこじれから村八分にされ、追い込まれてある事件を起こす。

― 本作で共演されたお互いの印象を教えて下さい。

綾野剛(以下、綾野): 僕が今でも覚えているのは、日本アカデミー賞(2017年)の授賞式で杉咲さんにご挨拶をした時に「いつか何かやりたいね。一緒にやるならどんなのがいいかな?」って聞いたら「誘拐される話がいいです」って言ったんです。
 その時から、自分と人を活かす能力が非常に高い方だと思っていましたし、尊敬という思いもありました。
 今回の現場に入ってからも、繊細に、時に大胆に紡という人物をちゃんと見つめている姿がとても魅力的でした。

杉咲花(以下、杉咲):  私も綾野さんの出演された作品は観ていましたし、ずっと憧れていた方なので、自分ではまだ共演させていただくのは早いかも、と思うタイミングで、この作品をご一緒させていただくことが出来てうれしかったです。
 でも、今回綾野さんが演じたのは追いつめられる役どころだったので、お話とかあまりできないだろうなと思っていたのですが、クランクインの日に「一緒に話そうよ」と声をかけてくださったことが私には意外でした。
 ものすごく役に入り込む方なのかなと勝手に思っていたので、そのイメージとは違って「なんでこんな難しい役なのに普通にしていられるのだろう?」と思っていました(笑)。

綾野: 全然役に入り込まないで、杉咲さんが出ていたドラマの感想ばっかり話していたね(笑)。

杉咲: 私自身、今までは役の感情をずっと保っている方が楽かなと思っていたのですが、今回の「楽園」の現場で初めて「カメラが回っていないときは普通でいよう」と思い、撮影に臨みました。
 でも、役に入ったり離れたりを繰り返すことはやっぱりしんどいことだったので、そんな綾野さんを見て、改めてすごいなと勉強になりました。

― 綾野さんは、撮影が始まった中盤あたりから原作を読み始めて、現場にはお守り代わりに持っていかれたと伺いましたが、その理由を教えてください。

綾野: 僕は基本的に原作がある作品に出演する時は読まないです。
 台本って大まかな設計図として書かれているけど、小説は事細かに書いてあって、そっちに引っ張られることがあるんです。
「小説ではこういう感情なんで」というものを持ち込んでしまうと、人物がどうしてもキャラクターになってしまう。
 もちろん、漫画原作はルックスや髪型、服装がちゃんと描かれているので、そのキャラクターに心情を乗せていきながら人物化していくことはとても大事なことだと思うんですけど、本作の場合、豪士を生きていて「これは正しいのか?」という自分自身の正義を貫こうとした時に、その感情が果たして合っているか、合っていないかの「取説」として持っておけばいい、だからお守りにして持っておこうと思ったんです。

― 杉咲さんが演じた紡は、原作よりも大幅に手を加え、物語をつなぐキーパーソンになっていますね。

杉咲: 私は台本を頂いてから原作も読んでみたのですが「青田Y字路」を途中くらいまで読んだら台本とは紡の印象が違ったので、これ以上読むのをやめておこうと思いました。
 台本から受けるものを大事にしたかったんです。

― 本作では、集団心理の狂気や限界集落での村八分など、胸をえぐられるような問題が描かれていましたが、ストーリーが進むにつれて、お二人の精神状態もかなりキツかったのでは?
 役作りにあたっては、どう気持ちを作っていったのですか?

杉咲: 私が演じた紡という役は、理解できそうですごく遠いところにあるという感じで、役作りというのも正直、分からなかったです。
 台本を読んでも分からない抽象的なセリフやシーンも多かったので、最初はすごく考えたのですが、考えれば考えるほど分からなくなってしまって。
 そんな時、ふと紡のセリフに「分からなくたっていい」と言っていたことを思い出したんです。
 今までは、自分が演じる役を分からないまま現場に行ってはいけないと思っていたのですが、本作では、現場に行って感じたものを一番大事にしたいと思って、初めて分からないまま行ってみたんです。
 ラストで紡が看板を投げるシーンは、台本を読んだ時「出来るのかな?」と不安だったのですが、現場に行ってみたら自分でも想像のつかない気持ちになったので、その感情のままに演じました。
 そんなことは初めてだったので、不思議な体験でした。

綾野: 僕は最終共演者である「現場」がどういった存在をしているのかを、なるべくまっさらな状態で入ってみたいという気持ちと、その土地が持っている匂いが醸し出すものが、この作品では重要だと思ったので、実際に現場に立ち、そこで豪士として芽生えた感情が全てだと思いました。
 映画というのは、原作と僕が作るわけではなく、今回で言うと、杉咲さんと僕が作らなければいけない物語だと思ったので、なるべく書かれているものに自分がコントロールされないためにも、杉咲花という人と、時に鏡のように照らし合わせて、ちゃんと向き合えるように演じました。

― 杉咲さんは、長い間、罪の意識に苛まれるという役どころでしたが、普段から撮影が終わってホッとした時に写真集を見ているそうですね。

杉咲: いろいろな景色やキレイなものをもっと見てみたいと思っているので、移動中や家では写真集を見ることが多いです。
 特に、写真家の奥山由之さんや、花代(はなよ)さんの作品が好きです。
 奥山さんはファッションや景色、色々な美しいものを撮っていらっしゃって、花代さんには、点子(てんこ)さんという娘さんがいて、子供の頃からずっと撮りためている成長の記録みたいな写真集があります。
 20歳くらいの時に撮ったヌードもあって、そういうのも美しいなと思います。
 あとは詩集も好きです。
 写真でも言葉でも、キラキラしたものを見ると元気が出ます。

綾野: 僕は最終共演者である「現場」がどういった存在をしているのかを、なるべくまっさらな状態で入ってみたいという気持ちと、その土地が持っている匂いが醸し出すものが、この作品では重要だと思ったので、実際に現場に立ち、そこで豪士として芽生えた感情が全てだと思いました。
 映画というのは、原作と僕が作るわけではなく、今回で言うと、杉咲さんと僕が作らなければいけない物語だと思ったので、なるべく書かれているものに自分がコントロールされないためにも、杉咲花という人と、時に鏡のように照らし合わせて、ちゃんと向き合えるように演じました。

― 杉咲さんは、長い間、罪の意識に苛まれるという役どころでしたが、普段から撮影が終わってホッとした時に写真集を見ているそうですね。

杉咲: いろいろな景色やキレイなものをもっと見てみたいと思っているので、移動中や家では写真集を見ることが多いです。
 特に、写真家の奥山由之さんや、花代(はなよ)さんの作品が好きです。奥山さんはファッションや景色、色々な美しいものを撮っていらっしゃって、花代さんには、点子(てんこ)さんという娘さんがいて、子供の頃からずっと撮りためている成長の記録みたいな写真集があります。
 20歳くらいの時に撮ったヌードもあって、そういうのも美しいなと思います。
 あとは詩集も好きです。
 写真でも言葉でも、キラキラしたものを見ると元気が出ます。

― 綾野さんは豪士を生ききった今、どんな作品を読みたいですか?

綾野: 吉田修一作品を一周してみるのも面白いかなと思います。
 基本的に吉田さんの作品には「僕」という一人称があまり書かれていないけど、主人公は皆、決して満帆ではなく、何か足りていない、欠如している部分が一貫してあるんです。
 先日、そのことをご本人に伝えたら「それは意識していなかった」とおっしゃっていたんですが、物語が変わっているだけで、吉田さんの中で一本通っていることなんだろうなと思ったんです。
 そうすると、物語を通して原作者の脳内が垣間見える瞬間があるんですよ。
「この人はどういう人生を生きてきたんだろう」という、吉田さんの歴史が見えてくるんじゃないかなと思っています。


好書好日、2019.10.17
映画「楽園」で共演した綾野剛さん&杉咲花さん
最終共演者である「現場」で生まれた感情を大切に

(根津香菜子)
https://book.asahi.com/article/12786330

posted by fom_club at 19:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帚木蓬生『閉鎖病棟』

 医師で作家の帚木蓬生(1947年生まれ)が患者たちの人間ドラマを描き、1995年山本周五郎賞を受賞した『閉鎖病棟』(新潮社、1994年4月、1997年新潮文庫)が映画化される。
https://www.heisabyoto.com/
 映画「愛を乞う人」で知られるベテランの平山秀幸監督が原作にほれ込み、初めて自ら脚本を執筆して監督を務めた。
 笑福亭鶴瓶が「ディア・ドクター」以来、10年ぶりに主演する。
 撮影を終え、11月に公開予定だ。

 舞台はさまざまな背景を持つ患者たちがいる精神科病棟。
 鶴瓶演じる秀丸は、死刑執行が失敗して現在は病棟に入院中の男。
 入院患者のサラリーマン(綾野剛)や通院患者の高校生(小松菜奈)らと心通わせ、前向きに生きようとしていたが、ある事件が起きる。

 平山監督は原作で描かれた秀丸の自己犠牲の精神に圧倒されたという。
「生きているのか死んでいるのか分からないような秀丸は果たして再生できるのか。ファンタジーのように見えるかもしれないが、だからこそ本物の感情を取り入れ、秀丸の応援歌のような映画にしたい」と語る。
 俳優たちには「患者さんをまねるのではなく、(人間性を)演じてほしい」と注文した。
 初めて脚本を手がけたことについては「脚本家はせりふを書き、演出(監督)はせりふを切ろうとする。今まで脚本家にいかに非情なことを言い続けていたかが分かった」と苦笑した。


日本経済新聞、2019/6/20 10:35
平山監督、鶴瓶主演で「閉鎖病棟」を映画化
(関原のり子)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46086970U9A610C1BC8000/

帚木蓬生のベストセラー小説を映画化した「閉鎖病棟─それぞれの朝─」が公開される。
企画の立ち上がりから11年越しでの実現。
メインキャストの3人が語った。
AERA 2019年10月28日号に掲載された記事を紹介する。

*  *  *
 精神科医で作家の帚木蓬生のベストセラー小説『閉鎖病棟』が、「愛を乞うひと」「エヴェレスト 神々の山嶺」の平山秀幸監督(69)により映画化された。
 長野県の精神科病院を舞台に、過去を背負った入院患者たちの人間模様を描く。
 本作が「ディア・ドクター」以来10年ぶりの主演作となる笑福亭鶴瓶(67)が、元死刑囚の梶木秀丸を演じる。

笑福亭鶴瓶(以下、鶴瓶): 僕もいろいろなドラマや映画に出させてもらいましたが、初めてですね。
 完成した映画を観ても、自分じゃないような感じ。
 監督がどうしても痩せてほしいと言うので体重を7キロ落として現場に入りました。
 毎朝真っ裸で体重計に乗って。

綾野剛(以下、綾野): 僕も体重計には真っ裸で乗りますよ(笑)。

 綾野剛(37)が演じるのは、幻聴に苦しむ元サラリーマン、塚本中弥(チュウさん)だ。

綾野: 病棟で起きていることやそこで感じられることを繊細にキャッチして、それをチュウさんを通して放出しているという感覚でした。
 わかった気でやる方が怖いので、嘘をつかないということだけを大事にしました。

 義父からの暴力が原因で入院する女子高生の島崎由紀を演じるのは小松菜奈(23)。
 入院以前と以後、さらにその後で雰囲気が変わる難しい役だ。

小松菜奈(以下、小松): 今まではどちらかというとキラキラとした役が多かったので、こういうひとりの人間の人生を描くのはとてもパワーがいることでした。
 由紀の壮絶な人生を重く受け止めつつも、それでも前を向ける強さや魂が見えた。
 それを守りたい、由紀という強い心を持った女の子を出せたらいいなと思って闘っていました。

 撮影は精神科の専門医療施設・小諸高原病院(長野県)で行われた。
 国立の精神科病棟で精神科病棟を舞台とした映画を撮影するのは、ドキュメンタリーを除いて本作が初めての試みとなる。

鶴瓶:「ディア・ドクター」の時も主演という意識はあまりなかったんです。
 役がどうというより、今回も映画「閉鎖病棟」の潤滑油になれたらな、と。
 平山組全体の雰囲気を引っ張っていけたらと思って病院の売店の人たちと仲良なったりもしました。

綾野: 僕はロケ中は小諸高原病院で一番重度と言われている病棟に毎日行って、子どもたちと交流を深めました。

鶴瓶: むちゃ仲良なったね。
 ほんまの病院でやっていたから、どうしても重なってしまう。
 でもそうならないようにしました。

 脇を固めるキャスト陣も、医師の高橋和也、看護師長の小林聡美、入院患者を演じる木野花、渋川清彦など芸達者ぞろいだ。
 個性的な俳優たちのアンサンブルで、画面には緊張感と調和が独特の空気感を生み出している。

鶴瓶: 完成した映画を観て、みんなすごいなと。
 芝居を見ていて、客観的にいい映画だな、優しい映画やなと思いましたね。
 車いすでのアクションシーンでは、相手役の渋川さんがうまいこと動いてくれました。

綾野: 症状が出たりするところでは、監督に「映画にスイッチを入れてほしい」と言われたので、「思いきりやります」と言って、チュウさんが持っているものやこれまで感じたことをそのまま放出しました。

鶴瓶: ほぼすべてワンテイクやったね。

綾野: 監督に初めて会った時、「僕の現場ではアドリブは困る。テストでやったことを本番でもやってもらわないとスタッフも困るから」と言われたんですよ。
 その時に監督が何かに恐怖している感じを僕は感じて。
 監督は長い時間この作品と向き合ってきて、いざ撮るとなったときの恐怖心や孤独をとても感じて、そこが信頼できました。
 でも実際撮影が始まると、「じゃあ回すよ」って。
 あ、テストやらないんだと思って(笑)。
 現場で起こったことを撮っていく、僕たちのドキュメントを撮っていくという感じでした。

小松: 最初は監督が思っている由紀と私が思っている由紀にずれがあるなと感じていたのですが、日々現場に臨むうちに徐々に同じになっていきました。
 でもそれを裏切りたい気持ちもあって。
 自分が思い描く由紀を表現したいと、日々葛藤していました。
 大声で叫ぶシーンがあるんですが、そのシーンは考えずに自然とすべてが出たという感じでした。
 それまで言葉にしていなかった部分や秘めている部分を出し、子どものように泣いていいんだなと思いました。

 病院を出た後の3人がどうなっていくのか。
 余韻の残るラストシーンだ。

鶴瓶: どんな状況でも前に進んでいくという気持ちが出ていますね。
 最後、Kの主題歌(「光るソラ蒼く」)で救われましたね。
 優しさがすごくある、いい歌やなと思いました。

小松: 私はもっと重い感じの作品になっていると思ったんですが、人びとが寄り添っていて、ひとりひとりの生命力が画面から伝わってきて。
 それぞれが背景に抱えているものは大きいけれど、その中でも葛藤しながら生きているというのがちゃんと出ていて、すごく考えさせられましたし、勇気をもらいました。

綾野: まさにみんな「それぞれの朝」を迎えているんだろうなと思います。
 目を覚ましてまた朝を迎えるという当たり前のことが、当たり前じゃない人たちがたくさんいる。
 彼らにとっては一日一日がすごく緊張することなので、朝が来て安心する人や、絶望する人もいる。
 それでも作品の中で全員がそれぞれ立ち上がるので、希望がありますね。

鶴瓶: みんなどん底まで落ちて、そこからちょっとずつあがっている。
 観た人に希望を持ってほしいというのはあります。
 立ち上がることで希望を持つということでしょうね。

※ AERA 2019年10月28日号


[写真-1]
綾野剛(あやの・ごう、右): 1982年、岐阜県生まれ。出演作に「そこのみにて光輝く」(2014)、「新宿スワン」(2015、2017)など。「楽園」が公開中/
笑福亭鶴瓶(しょうふくてい・つるべ、中央): 1951年、大阪府生まれ。出演作に「ディア・ドクター」(2009)、「おとうと」(2010)、「ふしぎな岬の物語」(2014)など/
小松菜奈(こまつ・なな、左)/ 1996年、東京都生まれ。出演作に「渇き。」(2014)、「恋は雨上がりのように」(2018)、「さよならくちびる」(2019)など


[写真-2]
「閉鎖病棟――それぞれの朝――」(平山秀幸監督・脚本)は11月1日から全国公開される

aera dot、2019.10.28 17:00
「まるでドキュメント」
「ほぼワンテイク」
笑福亭鶴瓶、綾野剛らが語る精神科病棟での撮影秘話

(編集部・小柳暁子)
https://dot.asahi.com/aera/2019102400066.html

 笑福亭鶴瓶が7kgの減量を経て『ディア・ドクター』以来10年ぶりの主演をつとめ、綾野剛、小松菜奈と共演する映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』。
 この度、韓国出身のアーティスト・Kが“日本語の師匠”である鶴瓶さんのために本作の主題歌を書き下ろし、その主題歌入り予告編と本ポスタービジュアルが解禁となった。

主題歌「光るソラ蒼く」が登場人物を優しく包み込む予告編

 今回解禁となった予告編の冒頭は、法廷シーン。
 そこでみせる秀丸(笑福亭鶴瓶)の表情は観る側に哀しさと虚しさを与えるもの。
 さらに秀丸と心を通わせるチュウさん(綾野剛)や父親からDVを受け入院した由紀(小松菜奈)ら、閉鎖病棟で暮らす人びとを映し出されていく。

 病棟での日々の描写、そこから繰り広げられる数々の出来事。
 主題歌「光るソラ蒼く」を歌うKの“天使の歌声”は患者たちの“葛藤”や“決意”を優しく包み込むが、最後のシーンでは…。

Kにとって、鶴瓶さんは日本語教師

 2004年に来日したKさんは、独学で日本語を猛勉強。
 お笑いのTV番組を見て、日本語を勉強したという。
 その中でも、特に鶴瓶さんの番組を好んでよく見ていたそうで、鶴瓶さんが話す落ち着いたトーンで、はっきりとした関西弁と笑いを伴う会話は、Kさんにとって最適な日本語の教材となっていたとか。

 その後、TVの収録で偶然、鶴瓶に会ったKさんは、普通に日本語で挨拶をした後、雑談を繰り広げ意気投合。
 この出会いをきっかけに交友が始まり、2017年には鶴瓶さんのレギュラーラジオ番組「ヤングタウン日曜日」にゲスト出演し、生歌を2曲披露したことも。
 Kさんは鶴瓶さんの人柄に感激し、いつか、鶴瓶さんが出演する作品で歌を歌いたいと思っていた矢先に、本作の主題歌に抜擢され、2年越しで夢が叶ったことになった。

9年ぶりに映画主題歌を担当!

 韓国・ソウル出身のJ-POPシンガーソングライターであるKさんは、その並外れた歌唱能力を活かし、2005年3月、TBSドラマ「H2」の主題歌「over...」でデビュー。
 同年のフジテレビドラマ「1リットルの涙」の主題歌に起用された「Only Human」は初登場から7週連続10位チャートインを記録、日本中に彼の名が広がるきっかけとなった。

「『Only Human』を聞いて以来、その優しく、透き通った歌声に注目していました。彼が歌い上げるバラードは包容力を感じさせ、さまざまな事情を抱えた登場人物が繰り広げるヒューマンドラマのエンドロールを彩るのにふさわしいと思い、オファーしました」と、製作にあたった東映の企画調整部長・村松秀信は起用理由をコメント。

 Kさんが映画主題歌を手掛けるのは、9年ぶり、3度目となるが、今回の主題歌制作にあたり、初めて撮影現場に何度も訪問。
 長野県小諸市にある小諸高原病院でロケが行われた際は、作品の雰囲気を肌で感じ取ることに加えて、実際に入棟している患者たちの生の声を聞き、曲作りのヒントを模索したという。

 また、長野県上田市でロケ撮影されたラストシーンを見学した際は、鶴瓶さん演じる秀丸が希望を見出す重要なシーンということもあり、雪がちらつく1月の寒空の中、4時間以上も真剣な眼差しで鶴瓶の熱演を見守っていたとか。

 曲を書き上げた後も、映画製作サイドと詳細なやり取りを重ね、曲をブラッシュアップ、平山秀幸監督の“素朴に力強く”という要望通りに、「光るソラ蒼く」を完成させた。

「『ええ曲作れよ!』と暖かく背中を押してもらいました」とK

「人は必ず自分じゃない誰かの支えがあって生きてることを強く信じて欲しいという思いで作りました。だからこそなるべくシンプルで素直に歌う事に気をつけました」とKさん。
 現場で対面した鶴瓶さんに、「秀丸さんの役を演じる瞬間だけは僕が今まで知っていた鶴瓶さんとは全く別人に見えました。役のために体重を落としてその人に成り切る職人魂に胸が震えたことを覚えてます」と強烈な印象を抱いたといい、「『この映画はほんまにええ作品やからええ曲作れよ!』と暖かく背中を押してもらいました」と明かす。

 また、鶴瓶さんは撮影現場を訪れたKさんに、「こんなに素晴らしい曲を作ってくれて嬉しかったです。この映画は本当に人にやさしい映画でその『やさしい』がこの曲に全て入っています。Kに感謝します」とコメントを寄せている。

※『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』は11月1日(金)より全国にて公開。


[動画]
11月1日(金)公開『閉鎖病棟―それぞれの朝―』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=To-5NwmBGRY

シネマカフェ、2019.7.23 Tue 13:30
笑福亭鶴瓶「感謝します」『閉鎖病棟』Kが歌う主題歌入り予告編解禁
笑福亭鶴瓶が主演をつとめ、綾野剛、小松菜奈と共演する映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』からアーティスト・Kによる主題歌入り予告編と本ポスタービジュアルが解禁。

https://www.cinemacafe.net/article/2019/07/23/62670.html

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2019年10月30日

「主戦場」上映中止

 ねえ、ねえ、ヤッホーくん、いったい何があったの?
 ヤッホーくんのこのブログ、2019年04月29日付け日記「4月28日は山歩クラブのお散歩会」をご覧ください。
 え〜と、ほかにも、ね、ヤッホーくんのこのブログ、「主戦場」って言葉で検索してみてくださいなだって。

 川崎市麻生区で2019年10月27日から始まる「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」の上映が一度は予定されていながら中止となったことが25日、分かった。
 映画の一部出演者が上映禁止などを求めて訴訟を起こしていることを受け、共催者の川崎市が主催者のNPO法人に懸念を伝えていた。

 映画祭はNPO法人「KAWASAKIアーツ」が主催し、事務局を運営。
 上映作品はボランティアを含むスタッフ約70人の投票で選んでいる。
 市や市教育委員会などが共催しており、開催費用約1300万円のうち約600万円を市が負担する。

「主戦場」の配給会社「東風」(東京都新宿区)によると、6月に映画祭事務局から上映の打診があり、ミキ・デザキ監督をゲストとして呼びたいとの意向も伝えられた。
 8月5日午前には映画祭事務局から上映の申込書が提出された。

 しかし同日午後、事務局から「『訴訟になっている作品を上映することで、市や映画祭も出演者から訴えられる可能性がある。市が関わってやることは難しいのではないか』と川崎市に伝えられた」と連絡があったという。
 東風には9月9日付で上映申し込みを取り消す正式な文書が届いた。

 映画「主戦場」を巡っては、出演者の一部が「『学術研究のため』と説明されたのに、商業映画として公開され、著作権や肖像権を侵害された」として、デザキ監督と東風を相手に上映禁止などを求め、6月に提訴している。

 市市民文化振興室によると、7月下旬に事務局から提訴の件を知らされ、市内部で検討の上で、「裁判になっているものを上映するのはどうか」と伝えたという。
 同室は「中止を求めたのではない。共催者として懸念を伝えただけ」としている。

 映画祭の中山周治代表は「市からの連絡は圧力と受け止めておらず、忖度(そんたく)もしていない。主催者の判断で決めた。スタッフもボランティアが多く、電話や現場対応でのリスクが想定された。来場者に迷惑をかけられない」と中止の理由を述べた。その上で「表現の自由を萎縮させてはいけないとの思いはあるが、映画祭存続のための苦渋の決断だった」と話した。

 デザキ監督は東風を通じ、「表現の自由が日本で死につつあることを非常に心配している。こうした攻撃と戦わなければ、政府の意向に沿った作品しか上映できなくなる」とコメントした。
◆ ドキュメンタリー映画「主戦場」
 日系米国人のミキ・デザキ監督が製作。
 慰安婦問題の歴史研究者や元慰安婦の親族のほか、元慰安婦の証言を虚偽だと主張する政治家や評論家へのインタビューを通じて慰安婦問題の本質に迫った。
 インタビューに応じた「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長や米国弁護士のケント・ギルバート氏ら5人は、「学術研究のため」という当初の説明と異なり商業映画として一般公開されたとして、著作権や肖像権の侵害を主張。
「映画で『歴史修正主義者』などのレッテルを貼られ、名誉を毀損された」とも訴え、上映禁止と損害賠償を求めて6月に東京地裁に提訴した。

「提訴で萎縮まずい」
「映画祭の役割放棄」
専門家から批判の声


 歴史認識が絡んだ表現活動が、またもや中止に追い込まれた。

「あらゆる作品の上映が裁判を起こすことでつぶされる」

 訴訟沙汰になったことを懸念して上映に及び腰になった市や主催者の姿勢に、専門家からは批判の声が相次いだ。

「判決や仮処分決定も出ておらず、訴えが起こされた時点で萎縮し、表現の場をなくしてしまうのは非常にまずい。提訴した側の言いなりになってしまっている」

 明戸隆浩東大大学院特任助教(社会学)は行政や主催者の対応をそう問題視する。

 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」と似た構図だと述べた上で、「歴史認識が絡んだ表現活動が取りやめられることに慣れてしまっている社会が怖い」と危機感を示した。

 過去に同映画祭のプログラムに関わったこともある日本映画大学の安岡卓治教授は、
「一度上映すべきと決めた判断が作品の良しあしではない理由で覆った。あり得ないことで、映画祭の役割の放棄だ」と憤る。主催者に「懸念」を伝えた市には「市民の自立的な判断を尊重する姿勢が必要だった」
と苦言を呈する。

 2008年の同映画祭では右翼の妨害で上映中止が相次いだ作品「靖国」を上映している。
 それから11年、「公金を口実にした権力の介入と自己規制のバイアスは強まっている」と受け止める。

 失われた上映と鑑賞の機会を回復させるため、安岡氏は11月4日に主戦場を上映する公開授業を同大で企画。
 デザキ監督が登壇するシンポジウムも予定しており、「表現の自由をどう守るべきかを市民とともに考える場にしたい」と話した。


神奈川新聞、2019年10月25日 21:53
慰安婦映画「主戦場」、上映中止
共催の川崎市が「懸念」

https://www.kanaloco.jp/article/entry-204413.html

 第25回KAWASAKIしんゆり映画祭2019が慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー「主戦場」の上映を見送った件を受け、若松プロダクションが同映画祭で上映予定だった製作・配給作品「止められるか、俺たちを」「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の出品取り止めを発表。
「止められるか、俺たちを」の監督である白石和彌、脚本を手がけた井上淳一が本日10月29日に東京・シナリオ会館で記者会見を開いた。

 NPO法人のKAWASAKIアーツが主催し、事務局を運営するしんゆり映画祭は、ボランティアを含む市民スタッフが企画・運営の中心を担う市民映像祭。
 共催には予算1300万円のうちおよそ600万円を負担する川崎市のほか、川崎市アートセンター(川崎市文化財団グループ)、川崎市教育委員会、日本映画大学、一般財団法人の川崎新都心街づくり財団、昭和音楽大学が名を連ねており、2019年で25回目の開催を迎えた。
「主戦場」を含む本年度の上映プログラムの選定は、発案者によるプレゼンテーションと映画祭スタッフ約70人全員による投票という手続きで選ばれている。

「主戦場」は日系アメリカ人の映像作家ミキ・デザキが監督を務めた作品だ。
 慰安婦問題における論争の中でさまざまな疑問を抱いた監督自身が、日本、韓国、アメリカで渦中の人物たちを訪ね回り、イデオロギー的に対立する主張の数々を検証、分析していくドキュメンタリーとなっている。
 4月20日より全国で順次公開されているが、5月30日時点で「映画『主戦場』に抗議する出演者グループ」が「その製作過程や内容に著しく法的、倫理的な問題がある」とし、上映中止を求める抗議声明を発表。
 6月19日には、出演者である藤岡信勝、ケント・ギルバート、トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子の5人が上映差し止めと計1300万円の損害賠償を求め、デザキと配給会社の東風を東京地裁に提訴している。
 訴状によると、藤岡らはデザキから大学院の卒業制作を目的としてインタビューを依頼され撮影に応じたが、商業映画として一般公開されたと主張。
 内容も中立的でなく、撮影時の合意に違反するとしている。

 映画祭における「主戦場」の上映見送りは、朝日新聞が10月24日夜に「慰安婦問題扱った映画、川崎市共催の映画祭で上映中止に」と報じたことで明らかになった。
 東風によれば、映画祭の事務局から6月時点で上映の打診があり、その後、8月5日午前に上映会申込書が提出されたという。
 しかし同日午後には、川崎市市民文化局の職員が「『主戦場』を上映することで映画祭や川崎市が、映画の出演者の一部から訴えられるのではないか。そのような作品を川崎市が関わる映画祭で上映するのは難しいのではないか」と懸念を抱いていることを事務局から伝えられ、東風と映画祭で話し合いの場も設けられたが、9月9日付で正式に申し込みを取り消す文書が届いた。
 東風は、この事態を容認できず映画祭と共催団体に対し「映画『主戦場』上映中止撤回へのご協力のお願い」と題した文書を9月14日付で提出。
 だが事態は変わらず、「主戦場」は9月19日の上映プログラム解禁時点でラインナップに含まれなかった。

「主戦場」を巡る一連の報道を受け、映画祭は「『主戦場』上映見送りについて」と題した声明を10月27日に発表。
 映画祭内部でも賛否両論があったこと、「表現の自由の萎縮」を加速させたことに触れつつ、経緯を「作品をとりまく提訴の状況も踏まえて、一旦は上映の申し込みを進めていくことを判断しましたが、共催者の一員である川崎市からの懸念を受けました。上映時に起こりうる事態を想定し、私たちができうる対策を何度も検討した結果、今回は上映を見送らざるを得ないと判断をさせていただきました」と説明している。
 ほぼすべての運営を学生や主婦、会社員などからなる市民ボランティアで行っていることから、主に「映画館での妨害・いやがらせなど迷惑行為への対応を市民ボランティアで行う事には限界があること」「市民ボランティア自体の安全の確保や、迷惑行為などへの対策費が準備されていないこと」「お客さま等との連絡がとれなくなること」といった運営面での課題を理由に「自信をもって安全に上映を行うことができない」と判断を下した。

 翌28日に東風は、この声明に対する見解を公開。
 8月の話し合いの場では、川崎市が示した「懸念」が「明示的ではない言い回しで」「メールや文書などの証拠が残らないかたちで」「しかし、かなりの強さをもって」いたことから、映画祭も対応に苦慮していた事実を明らかにし、「運営面での課題」を理由に上映を見送ったという発表は「問題の本質をすり替えること」と指摘した。
 また「現に『主戦場』は全国50館以上の様々な劇場で上映されていますが、これまで大きな混乱は一切ありません」と映画を取り巻く状況を説明し、映画祭と共催団体に対し「当初の計画通り上映されるように、それぞれの責任において行動することを願ってやみません」と求めている。

 同日に若松プロは白石と井上との連名により、「主戦場」へのしんゆり映画祭と川崎市の対応に抗議する形で「止められるか、俺たちを」「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の計4回の上映取り止めを発表。
 彼らは市の「懸念」から上映見送りに至った流れを「公権力による『検閲』『介入』」とし、映画祭の判断も「過剰な忖度により、『表現の自由』を殺す行為に他なりません」と捉えている。
 そして今回の騒動を国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」の一時中止と文化庁が決定した補助金不交付、文化庁所管の独立行政法人 日本芸術文化振興会が助成金支援を決めていた映画「宮本から君へ」への交付内定を出演者のピエール瀧が麻薬取締法違反で有罪判決を受けたことで取り消した問題と「延長線上にあることは疑いようがありません」と位置付けた。

 彼らは声明の中で「このようなことが続けば、表現する側の自主規制やそれを審査や発表したりする側の事前検閲により、表現の自由がさらに奪われていくことになる」と現状を危惧。
「観客から映画鑑賞の機会を奪う」ことへの苦慮もあったが、「今ここで抗議の声を上げ、何らかの行動に移さなければ、上映の機会さえ奪われる映画がさらに増え、観客から鑑賞の機会をさらに奪うことになりはしないでしょうか」「同じ映画の作り手として声を上げなければ、我々もまた『表現の自由』を殺す行為に加担したことになってしまうのです」と上映取り止めに至る経緯を報告している。

 会見で白石は「映画制作者として、上映する機会をなくすのは本当につらい」と現在の心境を述べつつ、「あいちトリエンナーレ2019」の事例に触れる。
「国や関係する自治体からの“懸念”により、表現の場が失われている流れが大きくある中で、今回の『主戦場』の問題を知りました。この流れに異議申し立てをして問題提起の1つとして上映取り止めもあるのではないか。表現の萎縮の連鎖を表現者として止めなければいけない」と思い至り、井上、若松プロのスタッフと話し合いを重ねたことを明かす。
 映画祭側からは、最初の報道の前に「主戦場」上映見送りに関するニュースが出ることを伝えられていたという。

「川崎市が“懸念”を示した」という報道を目にしたときの率直な思いを、白石は「映画に関わる人間としてすごく悔しかった」とコメント。
「日本における製作委員会のシステムになぞらえると、予算のおよそ半分を出しているところの言葉は非常に重みがある。それは映画祭も萎縮してしまうよな……と感じました」と述べる。
 井上も「懸念を示すハードルが随分下がってしまった。これは一気に加速する。今回は『主戦場』の上映が決まっていたから問題が表面化しましたが、今後は企画段階で『この作品はまずい』『ちょっと政治的な作品を避ける』となってしまう。映画祭だけでなく、文化庁に助成金を申請する映画もそうなっていく」と今後への不安を口にした。

 井上は、川崎市が最初に示した「懸念」の日付が8月5日であることを指摘。
「表現の不自由展・その後」の中止が8月3日で、その報道が盛り上がっていた時期であることから「市が慰安婦に関する映画に懸念を示したのではないか」と推測する。
 映画祭が理由に挙げた「運営面での課題」に関しても、「あいちトリエンナーレ2019」との類似を示し「一番遠いところにあるリスクを持ってきて中止にするお客さんファーストの考え。忖度や自粛、自主規制という名の無自覚な表現の自由の放棄が一番の問題。せめて自覚的である我々がこうして声を上げ、何かほかの人たちにも伝播していけば」と声明および会見の意図を語った。

 もともと上記の2本は、プログラム「役者・井浦新の軌跡」の中で上映予定だった。
 白石は、井浦新本人とも声明をリリースする直前まで密に連絡を取り合っており、今回の決断は井浦の理解を得ていることを説明。
 また井浦自身も公式Twitterで出演作「赤い雪 Red Snow」「ワンダフルライフ」が映画祭で上映されることに触れながら、「多様な映画が集まるべき映画祭だからこそ抗議や行動もそれぞれの形があって良いと思っています」「一部の人たちの忖度によって起きたこの結果に正直身を引き裂かれる思いです。だからこそ自分は参加することで問いたいと思います」とコメントを発表している。

 白石は監督という映画人としての立場から、しんゆり映画祭への思いを「25回も川崎という街で映画祭を続けている。映画を愛してるに決まってるし、映画祭を運営している方たちも映画人なんです。映画人は映画を守るべき。だからこそプライドを持ってほしいし、それが見えないから僕たちは怒っている」と告白。
 映画祭という場の重要性を説きながら、「僕たちはどんなに貧しい予算でも、映画を愛して上映してくれるならどこまでも行く。どんな圧力を受けたにせよ、そこで映画のために闘ってくれる姿勢が1mmでも見えたとしたら、僕たちはどんなことがあっても闘うし、背中を押します。だからこそ映画を守ってほしい。映画を守るなら、僕らは映画祭を守るし、映画館を守る。一緒に闘います。その気持ちがあれば『主戦場』も上映できたと思います」と続けた。

 会見の終盤には、東風の代表を務める木下繁貴も席上へ。
 現在も映画祭に上映を求めていることに関して「中止されたままだと、表現の自由の問題はもちろん、作品にとっても非常に悪い前例になってしまう。こういう問題が起こったとき、ちゃんと言葉にして伝えていかないと本当に自由がなくなる。私たちとしてもきちんと闘っていきたい」とコメントした。
 井上も「今後も第2、第3のしんゆり映画祭問題が起こるかもしれない。僕たちはこうして声を上げてボールを投げた。何か忸怩たる思い、もしくは怒りを抱えている人はいるはず」と述べる。
 最後に白石は、例え「主戦場」が同じ主題を扱いながら真逆の主張をしていたとしても行動を起こしたことを付言し「これは誰しも対岸の火事として見ていられる問題ではない。もはやみんなで考えてしゃべっているだけでは手遅れになる。SNSでツイートするだけでは、声を上げたことにならない。何か動き出すときがきていると思います」と語り、会見を締めくくった。

「表現の自由への萎縮」を加速させてしまう事態を招いたことを重く受け止めたしんゆり映画祭は、明日10月30日に入場無料のオープンマイクイベント「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」の開催を緊急決定。
「主戦場」は映画祭での上映見送りに伴い、11月4日に神奈川・日本映画大学 新百合ヶ丘キャンパスで「日本映画大学ドキュメンタリーコース公開講座 作品研究『主戦場』 シンポジウム『表現をめぐって──芸術と社会』」と題した上映付きイベントが行われる。
 こちらはすでに定員に達し、申込み受付は終了しているためご注意を。
 さらに若松プロも「止められるか、俺たちを」「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の無料上映とティーチインを、それぞれ11月1日と4日に神奈川・麻生文化センターの大会議室で実施する。

※ 第25回KAWASAKIしんゆり映画祭2019は、神奈川・川崎市アートセンターで11月4日まで開催中。


[写真-1]
白石和彌

[写真-2]
「主戦場」ポスタービジュアル

[写真-3]
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」

[写真-4]
若松プロダクションによる記者会見の様子。左から白石和彌、井上淳一。

[写真-5]
井上淳一

[写真-6]
若松プロダクションによる記者会見の様子。左から白石和彌、木下繁貴、井上淳一。

映画ナタリー、2019年10月29日 21:19
白石和彌が「主戦場」上映中止に映画人として抗議、緊急会見レポ
https://natalie.mu/eiga/news/353298

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しんゆり映画祭

 是枝裕和監督の最新作「真実」は、フランス・パリを舞台に繰り広げられる母と娘の物語だ。
 ジュリエット・ビノシュは娘リュミールを演じた。

* * *

 カンヌで最高賞を受賞した「万引き家族」に続く作品で、初の海外撮影。
 学生時代のミューズだったジュリエット・ビノシュに大御所カトリーヌ・ドヌーヴまで迎えれば、重圧を感じそうなものだ。
 が、映画「真実」は美しくもユーモラスで軽やかなホームドラマに仕上がった。

「肩の力を抜いて、短調の曲が続いたから長調で」

 そんな意識だったと是枝監督は言う。

 プロジェクトはビノシュさんから声をかけて始まった。

ジュリエット・ビノシュ(以下、ビノシュ): 是枝さんの感受性と優れた観察眼に興味がありました。
 白か黒かではなく、その間のさまざまな色合いが描かれている。
 そこがすばらしいと思います。
 この映画の(女優の母と娘という)テーマはカトリーヌに会ったのがきっかけですか。


是枝裕和(以下、是枝): いえ、フランスのプロデューサーの自宅でお手製のご飯をご馳走になったのがきっかけかな。
 その時、キャリアの晩年を迎えた老女優という、以前、舞台用戯曲として書きかけていたモチーフを、老女優と女優になりそこねた娘の話に書き換えて、ビノシュさんを娘役にしようと思いついたんです。
 カトリーヌさんとは会えていない。
 何度かすっぽかされました。
 緊張して待っていたら「今シャワー浴びてるから」とか「今日は行けそうにない」とか(笑)。


ビノシュ: あはは、わかります。
「真実」は最初、監督からコメディーだと言われたんです。
 でも私は、もっと緊張感のある話だと思った。
 私の演じたリュミールは、ストーリーに重さを運んでくる、やや悲劇的な存在です。
 嘘ばかりつく母親を持っているんですから。
 二人の母娘関係は、私自身の母との対立とも重なります。
 嘘をつかれ、裏切られても、最終的には愛や優しさで相手の欠点を許そうとする。
 目の前で親が老いていくと、いままで見えていなかった脆さや弱さにも気づく。
 そうすると真実を追求しようとか承認欲求とかを超えて、親を思いやる気持ちが出てくるんですね。


 是枝監督に言われて、印象的だった言葉があるという。

ビノシュ:「照明の当たっている人の脇で、影にいる人に興味がある」
 私の役は影の存在ですよね。
 撮影で面白かったのは、本を読むシーンで監督に藪の後ろ側に押し込められて、「その隠れてる感じがいい!」って。
 フランス人監督なら女優をこんなふうに撮らないですよ(笑)。


是枝: あのカット、すごく好きです(笑)。
 この映画を見て、みんな、ドヌーヴ演じる母親が(人をあやつる)魔法使いだと思ってるんだけど、実は魔法を使っているのは影の側であるリュミールや執事のリュックなんですよね。
 最初の打ち合わせのとき、母親のカトリーヌさんを皿の上に載せて、一緒に調理してください、とお願いしました。


 言語の違いは壁にならなかったのだろうか。

ビノシュ: 監督と俳優のコミュニケーションに言葉は不可欠ではありません。
 監督はテイクの度に俳優の心を開かせようとする。
 撮影現場でだけ起きるマジックですが、何テイクも撮っていくと、俳優の心が開かれ、何かが現れてくる。
 脚本に書かれていることがそのまま映像になるわけではないんですね。
 ただ、たとえばレストランで通訳さんが遅れてくると、二人ともまったく会話できなくて焦って──。


是枝: もっと親密になれたかもしれないのに(笑)。
 僕は日本でも俳優に手紙を書きますが、今回は少し多めでした。
 脚本のここで悩んでいるとか、この役に少し弱点を作りたい、みたいなことを手紙にしました。
 ビノシュさんも娘婿役のイーサン・ホークも演出の目を持った役者だから、いいアドバイスをくれるし、一緒に考えてくれた。
 カトリーヌさんは現場に来てから台本を開くタイプなので、手紙は書きませんでしたが。


ビノシュ: 映画撮影の間、私たちはテイクの度に魂を探索していると思うんです。
 ただ粛々と監督に従うのではなくて、監督と一緒に探検するのが映画。
 人生と同じですよね。


「フランス映画っぽい」「日本映画だ」など、見る人によって感想はさまざまだ。

是枝: 自分の色を残さなければとも思わなかったし、フランス映画にしなければとも思わなかった。
 あの場所と目の前にいる役者たちを魅力的に撮ろう、生き生きとみずみずしく撮ろうとそれだけを考えていました。


ビノシュ: 私は、これは是枝さんの映画だと思いますね。
 まさに是枝式だなと。


是枝:(海外に出なければというような)使命感はまったくないです。
 今回はビノシュさんに誘われたのがきっかけで、以前フランソワ・オゾン監督にも「君はフランスで撮るとうまくいくよ」とおだてられたので木に登った。
 求められない限り、やっぱり映画は撮れないので。


ビノシュ: フランスでもう一度撮ろうと思いますか?

是枝: もう二度と外国では撮らない、とはまったく思ってないですね。
 言語の壁はそれほど問題ではないというか、いろいろなお膳立てが必要ですが、それさえクリアできれば越えられるかなという気はしています。


 映画ではドヌーヴ演じる老女優が、「スクリーンでの戦いに負けた女優が政治やチャリティーに手を出すのよ」と憎まれ口を叩く。
 だが、二人とも政治や社会への発言は積極的に見える。


ビノシュ: 私の女優人生が下り坂だと言いたいのかな?
(笑)いえいえ、女優はパブリックパーソン(公的な存在)ですから、支援すべきところは支援しないと。
 黄色いベスト運動は暴力も出てきたので全面的に支持すべきとは思わないけれど、毎日一生懸命働いているのに生活に苦労している人たちを支援するのは大事なことだと思って、支持表明しました。
 フランス人としてきちんと考えないと。


是枝: 日本ではごく一部ですが、監督や役者が政治的な発言をしたり、デモに参加したりするのを否定的にとらえる人がいます。
 企業がコマーシャルに使わなくなるぞと脅しがかかったり、映画監督なら映画だけ撮っていろと批判されたりするんです。


ビノシュ: でも、これは政治というよりも、ヒューマニティー、つまり人間の問題ですよね。
 老若男女問わず、すべての人が社会と関わっている。
 見ないふりするのではなくて、不正や問題を認識し、次世代につなげていく必要があります。
 たとえば環境問題なら、気候変動の速度に意識改革が追いついてない。
 権力者が法制度を変えないなら一般の人たちが意見を言って変えていかないと。
 最近、環境問題でデモを始めた若い世代に希望を感じています。


是枝: まったく賛成です。
 映画を作る行為も含めて、日々生きていること自体が政治的なことだと思うんです。
 パブリックパーソンという考え方は、あまり日本では定着してないんです。
 いま日本で大事なのは、権力に利用されないこと。
 明らかに取り込もうとしてくるから、ノーと言い続けることだと思います。
 おっしゃるとおり、政治の話ではなく、人間の話なんですよね。


[写真]
是枝裕和(これえだ・ひろかず、左):1962年、東京都出身。映画監督。「誰も知らない」「そして父になる」「万引き家族」がカンヌ国際映画祭で受賞/
Juliette Bonoche:1964年、仏パリ出身。俳優。代表作に「ポンヌフの恋人」「イングリッシュ・ペイシェント」「トスカーナの贋作」など


アエラネット、2019.10.19 17:00
是枝裕和監督、ジュリエット・ビノシュにあの大女優を「お皿の上に載せて調理してください」
(ライター・鈴木あずき)
https://dot.asahi.com/aera/2019101700026.html

 是枝裕和監督の舞台あいさつと報道陣に語った概要は以下の通り。

 映画祭は何を上映するかが全て。
 いい作品を発見し、皆さんに届け、皆さんが新しい作品や作家を発見し、作り手と観客がつながっていく場所だ。
(25回目を迎えたしんゆり映画祭は)長い時間をかけ地域の皆さんの協力の下に、そうしたことを継続させ、定着させてきた。

 それは楽しんでいれば持続するものではなく、主催する側、参加する側、皆さんの努力が続けられて初めて持続できるもので、今回の事態は映画祭を主催する人としてあってはならない、あるまじき判断だ。
 これは作り手への敬意を欠いているし、皆さんから作品と出合うチャンスを奪う行為だ。

 川崎市は共催者で、共催する側が懸念を表明している。
(主戦場の上映中止は)懸念の表明がきっかけと聞いているが、共催している側が懸念を表明している場合じゃない。
 懸念を払拭(ふっしょく)する立場だ。

 その共催者の懸念を真に受けて主催者側が作品を取り下げるというのは、もう映画祭の死を意味する。
 なのでこれを繰り返せば、この映画祭に少なくとも志のある作り手は参加しなくなる。
 危機的な状況を自ら招いてしまったということを映画祭側は猛省してほしい。

 これは皆さんに伝えることではないかもしれないが、皆さんは映画を見るという行為を通して映画祭に参加をしているので危機感を共有してもらい、この先、この映画祭が存続していくためにどういう声を上げなければいけないかを一緒に考えてほしい。

 5年前、韓国の釜山映画祭でセウォル号の沈没を巡って制作された「ダイビング・ベル セウォル号の真実」というドキュメンタリー映画の上映を巡り、釜山市から圧力がかかった。
 上映を取り下げないなら助成金をカットすると脅しがかかった。
 だが、映画祭は突っぱねた。
 上映により予算がカットされ危機を迎えたが、事態を知った僕を含めて日本やアジア中の映画人が主催者への支持を表明するメッセージを送り、映画祭を支えた。
 映画祭の価値はそうやって高めていくものだ。
 今回「しんゆり映画祭」が取った判断は釜山映画祭とは真逆のものだ。
 なぜ釜山映画祭を教訓にできなかったのか、残念でならない。
 いまからでも遅くないので、どういう善後策が取れるのか主催者側は代表に任せるのではなくて、皆で考えてほしい。

「しんゆり映画祭」での作品上映を取りやめた若松プロダクションと白石和彌監督たちの判断は明快だし、映画祭に対するメッセージとしてはまったく同意だ。
 ただ自分は日本アカデミー賞も東京国際映画祭も参加して文句を言ってきた。
 上映があるならその場へ行って違うと言うのがこれまでのスタンスなので、ここへ来た。

 川崎市は共催者。
 懸念があるなら払拭する立場だ。
 ただ上映をすればよかった。
 作品はきちんと映画祭側が選考したわけだから、そのプロセスに行政が口を出す権利はない。

 主催者が行政の意向をくんで作品を選考していくようになったら映画祭は映画祭として独立しえない。
 そんな映画祭は尊敬されない。
 あらゆる作品が上映されるべきだ。
 作品選びは映画祭側が主体性を持ってやり、尊重されるべきだ。
 面白いつまらないは見た人が批判すればいい。
 つまらなければ映画祭から人が去り、淘汰(とうた)されていくだけだ。

 市がやるべきだったのは抗議が心配ならケアをすること。
 まだいまからでも間に合う。
 やれることはある。
 きちんと過ちを認め、上映し直す。
 それが一番だと思う。
 そうでなければ支援しようがない。

 映画祭は別にお花畑じゃない。
 作品を上映することに伴ういろいろなリスクは主催者だけでなく、映画祭を作っている人たち皆で背負っていくものだ。
 何も起きていないのに、行政の懸念だけで作品が取り下げになるなんて言語道断だ。

 共催者は懸念を表明する立場じゃない。
 映画祭を主催、共催するという意味を取り違えている。
 広告主じゃないのだから。


[写真]
主催者と市の対応を批判する是枝監督(右)=川崎市麻生区の市アートセンター

神奈川新聞、2019年10月29日 22:42
[しんゆり映画祭]
是枝監督「取り下げは映画祭の死」

https://www.kanaloco.jp/article/entry-205256.html

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英語力とは無縁の入試利権化

2020年度からの大学入試改革で英語が「4技能化」され、民間試験が導入される。
特に「スピーキングテスト」が注目されるが、高校や大学の現場では不安や懸念の声が多い。
この早急な改革の根底には、長年にわたる日本人の「英語ぺらぺら」幻想と、それにつけこむ英語産業の思惑がある。

民間業者への利益誘導か


 2020年から日本の大学入試が変わる。
 特に注目を集めているのは英語だ。
 これまでのセンター試験を廃止し、実用英語技能検定(英検)、GTEC、TOEFL、TOEICなど7種類の民間試験を導入するという。
 受験生は高校3年時の4〜12月にいずれかの試験を最大2回受験できる。
 入試改革推進派によれば、従来のセンター試験が「読む・聞く」に「偏って」いたのに対し、こうした業者試験は「読む・書く・聞く・話す」を測る4技能型だから、入試に採用すると英語力向上に効果があるとのこと。
 中でも特に「スピーキングテスト」の導入により「使える英語力」が飛躍的に身に付くという。

 しかし、少し考えればこの “宣伝” がおかしいことは分かる。
 取り立てて新しい学習法が導入されるわけでもないのに、どうしてテストを変えるだけで学力が上がるのだろう。
「4技能型試験」といっても目新しいのはスピーキングの実技が入るくらい。
 しかも業者ごとにテスト形式はパターン化されている。
 手っ取り早く点数を上げようと、生徒や教員は試験対策にばかり関心が向き、英語の勉強は二の次になる。
 実際、街角には「あなたは大丈夫? 試験対策は当塾で!」といった看板が登場している。
 これでは「使える英語」どころか真の意味での学力が低下する可能性大だ。
 しかも試験業者は、試験対策まで請け負って問題集を販売する。
 受験者を増やそうと、業者による点数の安売り競争(ダンピング)が始まっているともいわれる。
 これで公正な入試と言えるのだろうか。
 問題は山積みだ。

 このあたり、詳しくは拙著『史上最悪の英語政策』(ひつじ書房)を参考にしていただきたいが、はっきり言って「4技能」看板は業者試験導入のための「つじつま」合わせにすぎない。
 そもそも「4」という概念は便宜上の区分けで、英語を使うときに脳が4つに分けられるわけではないし、「スピーキングテスト」だけで「話せるようになる」というのも幻想だ。
 テスト向けとなれば生徒は硬くなって余計話せない。
 採点方法の信頼性も低い。
 本当に望ましいのは、時代遅れの分断型のスキル訓練より、生徒の興味や自主的な判断を芯に据えた統合型の学習なのである。

 一部では、この政策が推進された背景には当時の下村博文文科大臣(2012〜15年)と試験業者、塾業者、英会話学校との癒着があると報道された。
 現に、外部試験を運営する利害関係者が何人も、外部試験導入を検討する協議会のメンバーに名を連ねていた。

 利権誘導が目的とも思える弊害だらけのこの政策はすぐに中止すべきだ。

 ただ、こうした英語政策の迷走の背景には、私たち自身の英語を巡る根深い誤解もある。
 この点を反省しなければ、たとえ政策に修正を加えてもまた同じことが起きる。
 英語力の増進など望めないし、国際競争力などつくわけがない。
 本稿では、そんな誤解の芯にある日本人の「スピーキング幻想」について考察する。

今も続く敗戦後の「英語バブル」

 日本では、大学が創設された明治時代初頭には、全ての授業は外国語で行われていた。
 教員が外国人で、文献も外国語、翻訳もなかったからである。
 そうせざるを得なかったのだ。
 皮肉を込めて言うなら、この当時、日本はもっとも「グローバル」だった。

 しかし、そんな状況もやがて変わる。
 学問のための文献が日本語に翻訳され、日本語を話す教員が育つと、日本語で学問ができるようになった。
 外国語の概念を日本語に移入するのに、知識人たちは多大の労力を費やした。
 と同時にこの翻訳と変換の作業を通して、私たちは西洋文化を相対化する複眼的な思考をも身に付けた。

 しかし、こと英語学習となると、こうした自前文化の熟成はもろ刃の剣でもあった。
 というのも、翻訳書が出回り知識の習得が日本語で行えるようになると、英語を勉強するモチベーションが下がったからだ。
 しかも、大正から昭和にかけて教育を受ける層は拡大し、動機もなしに英語を勉強する人も増えた。
 すでに大正期には「なんで英語をやるの?」(当時の英語科存廃論)を問う声が出ていた。

 その後、太平洋戦争中には英語が敵性語として禁止されるが、戦後は逆に米国文化が日本を席巻した。
 ただこの時期、確かに英語を学ぶモチベーションは上がったが、必ずしも「必要」とした人が激増したとは言えない。
 英語熱はぼんやりした「憧れ」に支えられたもので、一種の「バブル」だった。
 そしてこのバブルが形を変え、今日も続いている。

「カッコイイ」消費財として流通

 現代世界は急速に「グローバル化」したという。
 そのグローバル化はしばしば「英語化」と同義ともされる。
 しかし、日本の日常生活で、英語を使わなければならない場面はまだ多くない。
 日本人が「英語ができない」としたら、これが最大の原因だろう。

 かつて英語によって統治され、今でも公用語が英語の国々、シンガポールやインドなどの国民が英語を使えるのは、社会の中で地位を得るために英語力を身に付ける必要があったからだ。
 日本ではその必然性がないので真剣になれない。
 そもそも週5時間程度英語の授業を受けるだけでは十分ではない。
 公の制度が一つの言語で動いている国では、異なる言語を使い分ける習慣も育ちにくい。
 英語の知識があっても、スイッチが切り替わらないと知識は生かせない。

 これが日本の英語の現実である。
 小手先の改変ではとても変えられない。
 ところが面白いことに、この国では英語が「カッコイイ」ものとなっている。
 なぜなら、英語は「よく分からないけど、何となく欲しい」消費財として流通したからだ。
「英語できるといいかも」と思う気持ちは、ブランド品の広告を見て初めて「欲しい」と思う気持ちと似ている。


 英語は数多くの消費財を手に入れた日本人がまだ手に入れていないものなので、希少価値がある。
「欲しい」を支えるのは軽やかな消費欲なのだ。
 だから肥大した英語産業はあの手この手でイメージ戦略を打ち、消費財をいかに買わせるかに腐心する。
 揚げ句には、政治家と手を結んで入試政策にも介入する。

話すことより大事なのは「聞き取る」能力

 そもそもなぜ学校で英語の勉強をするのか、私たちは改めて考えるべきだ。
 その上で、もし本当に「英語の習得」を目指すのなら、「英語ができる」とはどういうことかを問い直す必要がある。
 英語が好きという言う人も、得意分野はそれぞれ異なる。
 読むのが好きな人もいれば、作文が得意な人もいる。
 “単語博士”もいれば「発音大好き」という人もいる。

 にもかかわらず、「英語ができる」と聞くと、私たちは英語を読んだり書いたりすることより、「ぺらぺら話す」というイメージを思い浮かべる。
 さわやかな日差しの下、芝生に座り、ちょっと薄着でにこやかにアメリカ英語で談笑する人たち―まさに「美しい英会話」の光景である。

 私たち消費者はこうした“絵”に乗せられやすい。
 仕事や研究でどうしても英語を使う必要があるなら、当然、1人で単語を覚え、聞き取りや音読練習の地道な努力をしなければならない。
 スピーキングの練習だけをしても効果がない。
 一番のネックは聞き取りだろう。
 相手の言っていることを聞き、それに反応してこその会話である。
 ところが日本語と英語では音のシステムが異なるので、「聞き取れる」ためには相当な訓練が必要だ。
 海外に留学しても、みんなここで苦労する。
 だからこそ一番時間をかけねばならない。

 だが、ブランド品としての英語が映えるのは、一足飛びに「美しい英会話」としてなのである。
 実はこれはバブル期の1980年代前後に流行したイメージだ。
 今、そのイメージが50代のバブル世代に再利用され、いつの間にか「スピーキングテストこそ大事だ」という流れになった。

これからも日本人は「英語ができない」
 
 今回の早急な入試改革の推進派の中には、英語を社内公用語とした楽天の三木谷浩史社長もいる。
 三木谷氏をはじめ「学校英語は仕事では使えない」と批判する経営者がいるが、そもそも学校英語ではまず土台となり幹となる単語を学ぶのだから、当然、限界がある。
 あらゆる状況に即した単語を高校までに学べるわけがない。
 だから自分の必要に応じ、学んだ幹の上に継ぎ足す形で自ら単語数を増やす努力をする。
「これからは即戦力のある実用英語だ」などという口車に乗せられて、形だけ「実用英語」風に仕立てた試験を受けても、肝心の基礎となる単語を身に付けなければ役に立たない。
 学校の授業以外の時間でたくさんの英語を聞き、読まなければだめなのだ。

 他にも「話せる」ために必要なのは、状況の把握、他者に対する想像力、それからもちろん話す中身だ。
 ところが2020年に向けた今回の入試改革は、表層的に英語を話す練習さえすれば「話せるようになる」との誤ったメッセージを発してきた。

 実に無責任だ。

 むしろ「スピーキング」などという独立した技能はないと考えるべきなのだ。

 英語教育に関わる重大な政策が、一部の人の思惑で推し進められたのは問題だが、それを許した私たちにも責任がある。
 こんなことでは、この先も日本人は「英語ができない」ままだろう。
(2018年5月21日記)


[写真]
英語のリスニング機器が配られる大学入試センター試験の会場
(2018年1月13日、東京都文京区の東京大学)


ニッポンドットコム、2018.05.31
日本人と英語
「スピーキング幻想」が生んだ大学入試 “改悪”

(阿部公彦)
東京大学文学部教授。1966年生まれ。英米文学研究と文学一般の評論を行う。東京大学文学部卒、同修士を経て、1997年ケンブリッジ大学でPhD取得。2001年より現職。2013年 『文学を〈凝視〉する』(岩波書店)でサントリー学芸賞受賞。他の著書に『史上最悪の英語政策』(ひつじ書房、2017年)、『小説的思考のススメ』(東京大学出版、2012年)、『英詩のわかり方』(研究者、2007年)、翻訳にマラマッド『魔法の樽 他十二編』(岩波文庫、2013年)など。
https://www.nippon.com/ja/currents/d00413/

 現在の高校2年生が受験する2020年度の大学入試では、これまでのセンター試験にかわって「共通テスト」が実施され、英語では民間試験も導入されます。
 東京大学教授の阿部公彦さんに聞きました。


しんぶん赤旗・日曜版、2019年10月27日号(29面)
■ 英語力とは無縁の入試利権化
ビジネスありきの民間試験導入
中止以外正常化の道ない

(東京大学教授 阿部公彦)
https://www.jcp.or.jp/akahata/web_weekly/2019/10/27-week/

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2019年10月29日

入試の民営化

 準備の遅れは目に余ると言わざるを得ない。
 2020年度に始まる大学入学共通テストで導入するという英語民間検定試験のことである。
 原因は制度設計の甘さにあることを文部科学省は深く自覚すべきだ。

 全国の大学が実際にどれほど英語民間試験を利用するのか、文科省が集計結果(11日時点)を発表した。

 四年制大学の約7割(539校)が少なくとも一つの学部・学科で利用する予定で、短大を含めると約6割(630校)という。
 導入まで半年を切って、受験生が大学ごとの状況をおおよそ把握できるようになった。

 大学入試改革の目玉の一つだが、迷走ばかりが目立つ。
 7月には民間試験の一つ「TOEIC」の実施団体が「責任を持って対応を進めることが困難」として参加を辞退し、対象試験は6団体7種類に減った。
 9月から日本英語検定協会の「英検」の予約申し込みは始まったが、実施計画の詳細がまだ決まっていない試験もある。

 そもそも、目的が異なる各種民間試験の成績を一律に評価できるのか。
 大量の試験結果を全ての実施団体が厳格、公正に採点ができるのか。
 不正や事故に十分に対応できるのか。
 受験会場が少ない試験もあり、都市部と交通の便が悪い地方との受験機会の格差が生じかねない。
 特に中山間地や離島も少なくない九州では見過ごせない問題だ。

 いずれも民間試験導入の検討開始時点から指摘されてきた「公平と公正」に関わる重い課題だが、今に至るも解消されたとは言い難い。
 全国高等学校長協会は9月、現状を「先の見通せない混乱状況」と見なし、民間試験導入の延期と制度見直しを文科相に要望した。
 受験生の視点に立てば当然だろう。

 四年制大学の約7割が民間試験を使うとはいえ、その利用法はさまざまだ。
 共同通信によると、国立大の過半数は民間試験の成績が中学卒業レベルやそれ以下でも出願を認める方針という。
 つまり「形だけ」の利用である。
 背景には、課題を抱える民間試験導入に前のめりの文科省への不信感がうかがえる。

 日本の英語教育は長年、「読む・書く」能力の育成を重視してきた。
「話す・聞く」も加えて4技能をバランス良く育むという方針に異論はない。
 ただ「民営化」してまで共通テストで4技能を問うことに、反対の声がなくなったわけではない。

 文科省は高校や大学の現場の声を重く受け止めるべきだ。
 試験本番の詳細を早急に詰め、速やかに情報公開し、導入延期も選択肢に入れる必要がある。
 
 受験生を入試改革の「実験台」にするようなことは許されない。


西日本新聞・社説、2019/10/28 10:45
大学入試の英語
「民間」導入は準備不足だ

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554602/

2020年度から、センター試験に替えてはじまる大学入学共通テスト。
そこでは英語の試験を8種類の民間業者の試験で代用しようという動きがある。
業者ありきで推し進められる入試の民営化に反旗を翻している東京大学教授阿部公彦さんに、いま英語教育の現場で何が起こっているのか、お話を伺いました。

英語の四技能化は、誰のため?

中島京子: 阿部さんは、ご専門の英文学はもちろん、日本近代文学に関しても魅力的なご本をたくさん出されていて、楽しく拝読しているのですが、今回の『史上最悪の英語政策 ウソだらけの「4技能」看板』(ひつじ書房、2017年12月)は、大学の先生として、政府の英語政策に怒り爆発という感じです。

阿部公彦: これでもずいぶんソフトに書いたつもりなのですが……(笑)。

中島: 英語学習には「読み、書き、話し、聞く」四つの技能が必要です、と言われると、たしかにそうでしょうと思うんです。でもその先がおかしい。四技能が必要だから、大学入試の英語は英検やTOEIC、TOEFLなどの民間業者の試験に任せる。論理がひとっ飛びしていて、まったく理由がわからない。

阿部: 謎です。東大は入試の出願資格にこの民間試験の成績を提出必須としない、という方針を発表していますが、今回の英語政策の方針を決めたのが「英語教育の在り方に関する有識者会議」。この会議にしても、メンバーの選び方がひどく恣意的で反対意見を言いそうな人はほとんど入れていないし、民間試験の導入を検討する協議会なんて、民間の英語試験業者がずらりと名を連ねているんです。民間試験を導入するかどうかを話し合う会議に、利害関係者がいること自体おかしいでしょう。

中島: 本当ですよね。ゴールは学生の四技能習得ではなく、民間業者を大学入試に参入させることなのかと思えてきます。

阿部: もとをたどれば、1989年3月に文部省(当時/現・文部科学省)の英語の学習指導要領が、コミュニケーションを重視するという方向に変わったんです。

中島: そんな昔に! コミュニケーションというのは、具体的には会話を優先するという意味ですよね。

阿部: そうです。それから30年近くその方針で教育してきたけれど、やっぱりうまくいかない。それはコミュニケーション重視の英語教育がだめだったということです。誰が考えても、明白です。

中島: それなのに、今回の改革も「コミュニケーション重視」だと。自民党の遠藤利明議員は「中高6年間も英語をやってきたのに、パーティーでワイワイ英語がしゃべれない。そんな英語教育を直しましょう」という持論を改革の根拠にしています。パーティーでワイワイなんて、日本語でもしないでしょうとツッコミを入れたくなりましたが(笑)。

阿部: 遠藤さんは数年前に大学入試の英語をTOEFLで代用しようという提言を出した教育再生実行本部長でした。

中島: 民間試験導入という政策が、いかに無知と思い込みに基づいているかということですね。

阿部: 30年やってもダメだった事実にまったく目を向けずに、今回なぜかさらにその方向に舵を切ろうとしているわけです。読み書きやヒアリングならまだしも、スピーキングのテストをどうやって一律に実施するのか。大学入試の場合、毎年50万人くらいの学生が受験するわけでしょう。

中島: ひとりひとりちゃんと採点しようとすると、ものすごい数の試験官が必要になりそう。

阿部: 日本語でも、友だちとの井戸端会議みたいなおしゃべりなら日常的にしていると思いますが、知らない人の前できちっと手順を踏んで論理的に物事を話すのは結構難しい。そのための特別な訓練が必要です。

中島: 採点する側にも、相当なスキルが求められそうです。

阿部: 仮にスピーキングの試験を導入するとしても、まず日本語でやって、発展段階として英語でやる。それが筋だと思うんです。日本語ですら経験のないことを、いきなり英語でやろうとしている。それで英語力が上がるというのだから、もうちゃんちゃらおかしいとしか言いようがありません。

中島: 受験生をおかしな英語政策の被害者にしないでほしい。だいいち、遠藤さんが目指す「パーティーでワイワイ」のようなインフォーマルな会話は、じつは難易度が高いと、阿部さんは書かれていましたね。

阿部: そもそも西洋には歴史的に公の場で口頭でいろんなことを決めてきた伝統があるんです。ギリシャやローマの時代に、レトリックをふんだんに使ったパフォーマンスを人前で行う技術が発達した。その技術が後世に伝授されてきました。2000年以上の歴史の延長上に、今のパーティーワイワイがあるんだと思います。

中島: それは面白い考察ですね。

阿部: 西洋では、印刷技術が発達した17〜18世紀頃には、まず宗教関係の本がたくさん出版されました。次いで出されたのがマナーの本なんです。マナーの中でも一番重要視されたのは人前でどう話すか。あまり病気の話をするなとか、自分の奥さんや召し使いの話ばかりするなとか。プライベートなことをしゃべるべきではないというルールが書いてある。西洋社会では、その頃にコミュニケーションのマナーの一環としてプライベートとパブリックを区別するようになったのだと思います。

中島: なるほど、欧米の政治家は演説がうまいはずです。それにひきかえ日本の政治家は……。

阿部: 海外の首脳の演説は、そのまま書き起こしてもある程度ちゃんとした文章になっています。日本の政治家の演説は、そうはいきません。

中島: 書き起こすまでもなく、グダグダな話し方をする人が多いですから(笑)。

阿部: 現在の英語は、ギリシャ・ローマ時代以来の話し言葉レトリックの伝統の上に築かれています。話し言葉が先で、書き言葉のほうが後に来た。たとえば、話し言葉だと口から発した瞬間からどんどん音が消えていくでしょう。だから、わかりやすく列挙したり、繰り返しが多くなるんです。英語の場合、書き言葉にも繰り返しが多い。対して、日本語は必ずしも話し言葉のレトリックをベースにした書き言葉ではありません。漢文をもとに発展してきたのが日本語の書き言葉だったので、ポイントは雄弁さよりも簡潔さにある。明治の言文一致運動のときに問題になったのも、漢文調からどう離脱して、書き言葉をしゃべり言葉に近づけるかということでしたから。日本人は文章を読むときとしゃべるときは別のモードなんです。だから英語風に繰り返しや列挙を使って拡大していくようなタイプの文章は、饒舌体と言われたりしてちょっと軽く見られる。

中島: しゃべり言葉と書き言葉が違うという感覚自体が、英語にはない。とても日本語的なものなんですね。それはすごく面白い。そんなところにある文化の違いを知ることにも、意味があると思います。

ピンポン英会話なんて、誰もできない

阿部: 今回の「四技能」に対する疑問に戻すと、日本人は書き言葉と話し言葉を分けて考えるけれど、英語は言文がかなり一体となっている。だから読むことを通してしゃべるリズムも身につけられるし、もちろん逆もある。ネイティブスピーカーの人に「いま日本では訳読文法派と英会話派が対立して、血で血を洗う戦いになっている」と話すと「えっ? その二つ何が違うの」って、驚かれます(笑)。

中島: 英会話派からは、訳読や文法は悪者扱いですが(笑)、文法をわかってないと、ちゃんとしたスピーキングはできないんじゃないでしょうか。

阿部: 英語ではもともと一体化しているものを、なぜまるで違う領域の知的活動であるかのように言うのか。まったくナンセンスです。たしかに60年ぐらい前には、英会話なんて必要ないという偏った風潮がありました。極端なコミュニケーション軽視です。これも日本的な「言」と「文」の不一致のあらわれだったのでしょう。特に大学の英文科などでは、英語をペラペラしゃべりたいという人は、何となくさげすまれていた。

中島: “ペラペラ”という音に、どこか馬鹿にしたニュアンスが含まれていますよね。

阿部: 当時は英文の本がちゃんと読めなければ、知的ではないという時代。そうした英語教育の方法に対する反発が非常に強くなった結果、この30〜40年はコミュニケーション重視に逆振れしたのでしょう。たしかに当時の読解偏重は度が過ぎていた。誤っていたと私も思います。が、今度は反対に偏りすぎている。

中島: そうですね。どうしてそんなに対立しなければいけないのかよくわからない。ネットに、ある英語の先生の意見が載っていたのですが、とにかく英語をいったん和訳することほど害のあるものはない。英語で考えなきゃいけない。英語で話しかけられたら、ピンポン玉を打ち返すようにパーンと答えられなきゃいけない。そういう練習をしなきゃいけないと。

阿部: 面白いですね。日本語ですら、ピンポン玉みたいにやりとりするのはむつかしい。そうだ、コミュニケーション英語が目指しているものを「ピンポン英語」と名付けたらどうでしょう(笑)。日本人には、英語圏の人は、しゃべるのがすごく速い、というスピード幻想があるんです。だから、グローバル化されたいまの世を生き抜くビジネスパーソンは、このスピードに遅れてはいけない。そんなロジックでスピードを売りにしたピンポン英語教育が依然として流行しています。それも私は、間違っていると思うんです。

中島: えっ、違うんですか? 私も少しだけアメリカで暮らした経験がありますが、最初はみんな早口で何を言っているかわからず苦労しました。

阿部: 英語圏に行くと、とにかくリスニングができない。それは、話すスピードに付いていけないというより、もっと別のことだと思うんです。だって英語圏の人が日本人より言語処理能力が異様に速いということはありえない。だからスピードが原因だと日本人が感じているのは、単に聞き方のこつだと思うんです。

中島: ご本にも、日本語は高低のアクセント、英語は強弱のアクセントでできている。リズムが違うから習得がむつかしいんだと書いてありましたね。

阿部: 英語圏に住むと、半年ぐらいたった頃に突然英語がわかるようになると、よく言うでしょう。それは英会話のスピードに対する処理能力が上がったわけではなく、英語的な会話の音のリズムに体がようやく慣れたということなんです。

中島: そんなふうに言語の特徴から教えてもらうと、英語に対するハードルが低くなる気がします。

阿部: 読めないとか書けないというのは、しょせん机上のもの。辞書を引いたり、人に教えてもらうこともできる。でも周囲の人の会話を聞き取ることができないと、自分の存在そのものの足元が崩れるような根源的な不安に襲われると思います。

中島: 自分がそこにいる世界が把握できなくなるわけですから、英語に対するコンプレックスがさらに強くなりますね。 

阿部: でも、それは自分の英語力とイコールじゃなくて、リスニングの問題なんです。私の考えとしては、語学はまずはリスニングから。一言もしゃべれなくても周りの人が言っていることがわかるようになれば、一体感があるし、パーティーに参加しても、ワイワイした気分になれます(笑)。

実用英語は、AIに代替される

中島: 語学なんていうのは、その国で育てば、誰だってしゃべれるようになると言う人もいるじゃないですか。でも、その国で育つということは、なんにもしゃべれないまま、お母さんやお父さんがしゃべっていることをずっと聞いている。

阿部: それも、全人生をかけて。

中島: すごく長い時間聞き続けて、やっと「パパ」とか「ママ」とかの単語を発するわけでしょう。

阿部: まったく言葉に関する認識が浅薄だなと思います。わたしは「英語教育の在り方に関する有識者会議」にも、作家や哲学者、言語学者などを入れるべきだと思うんです。残念ながら入っているのはほとんど業者ですが……。でもこれは文科省だけではなく、日本の公共事業の典型的なやり口なんです。割と最初から出来レースみたいになっている。役人たちもみんなそれに慣れっこになっているから、なあなあで済ましちゃう。

中島: でも、今回は教育の問題です。対象は未来を担う子ども、若者なんだから、次元が違います。

阿部: しかも共通テストだけではなく二次試験まで民間試験にする方向に持っていこうとしているんです。そうすると大学入試は完全に民営化される。つまり教育を一種の利権争奪の場にしようという政策です。業者さんだってそんなことは望んでいないのに、政治のほうがそれをけしかけている。利権を生み出すことで、お金が政治家に戻ってくるようなシステムをつくろうとしているわけです。

中島: それによって英語ができるようになればまだいいけれど、正反対の方向に向かっているのは、日本にとってもう悲劇でしかない。国際競争力も落ちるし、国力が失われていく感じがすごくしますね。

阿部: もうひとつ根っこにある大きな問題は、「言葉なんてものは、とにかくやりとりができりゃいいんだ」という読み書きに対する軽視。つまり「知」に対する侮蔑です。今回の入試改革の隠された目的は、一種の階級化を引き起こそうとすることではないかという気がするんです。一般国民は英語の非常にベーシックなスキルだけ身に付ければいい。知的な英語力は要りません。あなたたちは読み書きをする必要がないんですというメッセージを明らかに出している。それは英語に関してだけではなく、恐らく国語にも及びつつある。英語のことは完全にその一部で、その向こうにある巨大なトレンドは見逃せないと思います。

中島: 最近、やはり「教育改革」の一環で、高校の国語の教科書から近現代の文学が外されると聞きました。大騒ぎしてみんなで止めないと大変なことになってしまう。まさかとは思いますが、国は“バカ”な国民をつくりたいっていうことなのでしょうか。

阿部: 思考力や判断力は邪魔でしかない。言うことを聞く従順な国民をつくりたいんです。TOEICは企業の人がよく使いたがる英語のテストですが、アメリカ版TOEICのサイトには「使える労働者を揃えるための道具」だという内容が堂々と書いてある。TOEICは、もともと従業員英語。企業に使われる人のための英語なんです。それをいくら強化しても自分で主体的に判断する英語はとても身に付かない。

中島: とすると、日本政府にとって、もう大学はアカデミズムの世界ではないと。

阿部: 本当に危機的だと思います。極論ですが、このままだと大学は社畜生産工場になってしまいます

中島: この間、フランスに帰る姉を見送るために成田空港に行ったら、コンビニの店員さんが自動翻訳機を使っていたんです。中国の人に対して「このカードを使うにはあなたではなく、あなたの娘さんのパスポートが必要です」と話しかけると、機械が瞬時に訳して、相手も納得していました。

阿部: すごいですね。

中島: 今後こういう現場では自動翻訳機がどんどん使われていくことになるでしょう。AIが発達して翻訳の精度もどんどん上がっていく。これこそ究極の実用英語。いま政府が目指している英語の到達点ですよね。

阿部: 少なくともコミュニケーション英語を推進しようとしている人たちは、そういうレベルの実用英語を目指していますね。

中島: テクノロジーによって代替可能な英語なら、そこに学習という努力は必要なくなりますね

阿部: まさにそこが問題なんです。いまの日本ではあきらかに「知」の権威が失墜しています。言葉でも、自然の摂理でも、何かを無性に知りたくなるのは、たとえば神のことを知りたいと思うのと同じ気持ちだと思うんです。どんな時代になってもそういう神聖な気持ちは消えないし、それが心の豊かさであり、人間文化を支えるものだと思うんです。だから、どんなに大衆化して「知」の権威が失墜したとしても、襟を正す瞬間は訪れると思うし、それがないと倫理やモラルも成り立たない気がします。

中島: いまの日本は、だいじなものを見失っていると感じます。人は、実利だけではまったく説明のつかない、いろんなもやもやをいっぱい抱えて生きている。言葉が豊かであれば、そのもやもやの正体を言語化することもできるし、誰かに伝えることもできる。それが「知」に対する欲求にもつながっていく。言葉の豊かさを失うというのはすごく危険な状況なんだと、気づいてほしい。利益誘導型の政策によって犠牲になるのは、これからの日本を支えていく子どもたちなのですから。

月刊本の窓、連載対談 中島京子の「扉をあけたら」
第26回
受験生を利権の被害者にしてはいけない
ゲスト:阿部公彦(東京大学教授)

https://pdmagazine.jp/trend/tobirawoaketara-026/

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2019年10月28日

八千草薫、ご逝去

 ヤッホーくんのこのブログ、今朝の日記「山田太一原作・脚本『岸辺のアルバム』」をお読みください。

1974(昭和49)年9月 中日ニュース No.1077 1「防災」
https://www.youtube.com/watch?v=9rfbsEDWWkk

ウィルユーダンス Will You Dance?〜ジャニス・イアン Janis Ian
https://www.youtube.com/watch?v=tfep0Ep3FpE

八千草薫が語る、エイジレスな理由_Vogue Japan
https://www.youtube.com/watch?v=bHnURdygumc

https://www.youtube.com/watch?v=BfA9TXUWCoY

https://www.youtube.com/watch?v=DNh9NLN_x0c

 映画、ドラマ、舞台など多くの作品に出演し、日本を代表する名女優八千草薫=本名・谷口瞳=さんが亡くなったことが2019年10月28日、分かった。
 88歳。
 宝塚歌劇団時代から70年以上、上品で可憐なイメージは終生変わらず、多くの人を魅了した。
 今年2019年2月には肝臓がんを公表し、その時に2017年にすい臓がんが見つかったことも公表していた。

 八千草さんは今年2019年2月に肝臓がんを公表し、テレビ朝日系の連続ドラマ「やすらぎの刻〜道」のヒロイン役を降板。
 その際に事務所HPで「お詫びとお知らせ」とした文書を発表。
 一昨年の2017年、年末にすい臓がんが見つかり、2018年1月に手術。
 術後は順調だったものの、2019年になって肝臓がんが発覚し、「主治医と相談しまして、この寒い季節と撮影期間の長い作品もありますので、今回暫くお休みをさせて頂き、治療に専念することと致しました」と説明していた。

 降板となったことに関係者へ「ご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでしたがご快諾を頂戴致しました。特に収録をまじかに控えておりましたドラマの関係者の皆さまには大変申し訳なく思っております」と謝罪。
 ファンへは「体調を整えまして、より一層楽しんでいただける作品に参加出来るように帰って参ります。どうかお許し下さいませ」と復帰を誓っていた。


Yahoo Japan News, 10/28(月) 16:13配信
八千草さん「体調整え帰って参ります…」
2月に肝臓がん公表で復帰意欲にじませていた

(デイリー)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191028-00000103-dal-ent

 映画やテレビでかれんでひたむきな日本女性の役などを演じ、幅広い世代に親しまれた女優の八千草薫さんが、今月10月24日、東京都内の病院で膵臓がんのため亡くなりました。
 88歳でした。

 八千草さんは大阪府の出身で、宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団に入り、1951(昭和26)年に本格的に映画デビューしました。

 映画「宮本武蔵」や「蝶々夫人」、舞台の「二十四の瞳」などでかれんでひたむきな日本女性の役を演じて人気を集め、一時代を築きました。

 1977(昭和52)年には、民放のドラマ「岸辺のアルバム」で秘密を抱える主婦を演じて役の幅を広げたほか、1979(昭和54)年から翌年にかけてNHKで放送されたドラマ「阿修羅のごとく」では四人姉妹の次女役を演じて、歯にきぬ着せぬ姉妹のやり取りなどが話題になりました。

 また、NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」では、豊臣秀吉の正室、ねねの役を演じました。

 その後も温和な母親や上品なおばあちゃんの役など多くの映画やドラマに出演し、1997(平成9)年には紫綬褒章、2003(平成15)年には旭日小綬章を受章しています。

 80歳をすぎても民放のドラマ「やすらぎの郷」に出演するなど活躍を続けてきましたが、去年2018年1月にすい臓がんの手術を受けたあと、ことし2019年に入って肝臓がんが見つかり、治療に専念していました。

 関係者によりますと、八千草さんは今月24日、東京都内の病院で膵臓がんのため亡くなったということです。
 88歳でした。

八千草さん 闘病への思い語る

 八千草薫さんはことし2019年6月、出版したフォトエッセーに、がんで闘病中の思いや仕事に対する決意などをつづっていました。

 このフォトエッセーは、八千草さんがことし2019年出版した「まあまあふうふう。」(主婦と生活社)です。

 この中ではおととし2017年1月にすい臓がんと診断され手術を受けたことや、ことし2019年1月にがんが肝臓に転移していることが分かって、民放のテレビドラマを降板したことなどについて触れています。

 八千草さんは、役者の中には「舞台で死ぬのが本望だ」という人がいるものの、自身は「誰かに迷惑をかけるようになったら女優はやめよう」と心に決めていたとつづっています。

 そのうえで、闘病を続け体調に自信が持てるようになれば、「ちょっとだけ背伸びをして」、できる範囲で俳優業に復帰していきたいとしていました。

 また、夫で映画監督の谷口千吉さんが日頃口にしていたという「馬馬虎虎(まあまあふうふう)」という中国のことばを取り上げ、本来は「いいかげんな」などの意味ですが、八千草さんは、考えすぎずに力を抜いてやっていこうというニュアンスでよく使っていると紹介していました。

 そして、エッセーの最後には「その日その日、一日一日、瞬間瞬間を大事に過ごしたいな、と思うんです」と記し、自分が納得するまで「今」から逃げないという強い思いを語って締めくくっていました。

役所広司さん「身も心も美しい人」

 八千草薫さんが亡くなったことについて、映画で共演するなど親交があった俳優の役所広司さん(1956年生まれ)は、「八千草さんは、身も心も本当に美しい人でした。私が監督を務めた作品にも出演してもらいました。次の映画にも出てもらおうと思い、脚本を渡していました。本当に残念です」と話していました。


NHK News Web、2019年10月28日 16時17分
女優の八千草薫さん死去 88歳
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191028/k10012153431000.html

 映画監督の谷口千吉(46)と女優の八千草薫(26)の結婚式が1957年7月21日午後4時から、東京會舘で東和映画・川喜多長政(1903 - 1981)社長、かしこ(1908 - 1993)夫妻媒酌のもとに行われた。

 かれんな日本女性の代表として日伊合作映画「蝶々夫人」ではるばるイタリアにおもむいて撮影を行った国際女優は、そのとき世話になったという川喜多夫妻に付き添われ、東京会館内結婚式場にのぞんだ。

 清楚なウエディングドレス姿の八千草は緊張を隠しきれない様子で、終始うつむき加減でういういしい表情。
 3度目の結婚となる谷口監督は、満面の笑顔を浮かべ、花嫁をかばうように連れ添った。
 神式の婚儀を終えた2人はカメラのフラッシュを浴びながら、記者団の質問に言葉少なに答えた。

 八千草は「子供は好きですからたくさんほしい」となごやかな笑顔。
 水木洋子(1910 - 2003、結婚生活は1938〜1939)、若山セツコ(1929 - 1985、結婚生活は1949〜1956)と10年ごとに伴侶が代わってきた谷口監督は、「最初奥さんにしてあげたいことは何か」という問いに、「今度は終わりをまっとうしたい」と泰然と語り、いかにも2度の離婚の経験者らしい言い方であった。

 午後6時半からの披露宴に招かれたのは池辺良(1918 - 2010)、小林桂樹(1923 - 2010)、鶴田浩二(1924 - 1987)、越路吹雪(1924 - 1980)、作家・石原慎太郎(1932年生まれ)ら。
 新郎新婦の前途を祝福した。

※ 1957年7月22日の本紙より


[写真]
映画監督の谷口千吉(1912 - 2007)氏と挙式した八千草薫(1931 - 2019)=1957年7月21日、東京会館

デイリー、2019.04.01
八千草薫
20歳年上の映画監督と結婚
お相手は3度目

https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/01/0012232825.shtml

posted by fom_club at 18:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする