2019年11月13日

「どうせやるなら派」and/or「参加型権力」

◆ 小笠原博毅、山本敦久著『やっぱりいらない東京オリンピック』(岩波書店、2019年2月)

 2020年東京オリンピックについては、招致活動の段階から反対意見が少なくありません。
 開催が決まった後も返上を主張する声があちこちから聞こえてきます。

 本書は岩波ブックレットの一冊で、五輪が日本社会に及ぼしている/及ぼすであろう影響についてしっかり考える基本的な材料を提供するものです。
 共著者としてクレジットされている小笠原博毅は文化研究、山本敦久はスポーツ社会学を専門とする研究者。

 もっとも今さら東京五輪の開催を揺るがすようなスタンスには当然ながら反論が予想されます。
 一度決まった以上は「後戻りできない」のだから、「新しい発想で」、「別の楽しみ方を」探るべきではないか──という一見前向きな意見がその代表です。
 それこそが大人の態度だと考える人も多いでしょう。
 本書ではそういう人を「どうせやるなら派」と命名し、やはり批判の対象にしています。
 そのような態度は「2020年東京大会を開催することの矛盾や問題を覆い隠す」。
 このような、オリンピックを開催するためには不都合な真実は見て見ぬふりをし、「どうせやるなら」と「参加」するあり方が拡散し多様化することによって、オリンピックとは誰が準備し、誰が主体で、誰が責任をもって開催するのかという、あらかじめ明らかにされていてしかるべき答えがますます曖昧なものになっていく。
(p15)

 本書で五輪批判の論点となるのは、以下の四点です。

・ 復興五輪を掲げることの欺瞞と経済効果への疑義。
・ 参加と感動をうたうことによる権力の作動。
・ 暴力とコンプライアンスの関係をめぐるオリンピックの支配。
・ 言論の自主統制と社会のコントロール。

 経済効果については当初から疑義を呈する声は多い。
 アメリカの政治学者ジュールズ・ボイコフは五輪費用をめぐる際限のない経費膨張を「祝賀資本主義」と呼んで批判的に論じています。
 コストに見合うだけの経済効果が得られるかはまったく保証の限りではありません。
 投資回収がうまくいかなかった時、債務を引き受けるのは公金を初期投資した公共セクターです。
 民間企業への不利益は最小限に留められます。

 東京五輪では多数の無償ボランティアが募集されています。
 参加を呼びかける声は外見上は強制的ではありません。
 そこでは、経済的見返りではなく「やりがい」や精神的報酬などが強調されます。

 成就する保証もない「夢」や「希望」に人びとが賛同していくからくり。
 社会学者の阿部潔は、その矛盾を埋めるのが「感動」だと指摘します。
 現実の不満を未来へと先延ばしにして、将来の感動を約束し、夢や希望といった喜びの感情を投企させる仕組み。
──本書ではそれを「参加型権力」と呼び、批判します。
 市民を無償労働に駆り立てながら、一方で莫大な利益を目論む民間企業が存在することに違和感を感じる国民は多いでしょう。

 スポーツの祭典としての五輪が現実にどのような影響をスポーツに与えてきたかを正面から問う議論もなされています。
 前回の東京五輪がもたらした五輪至上主義を批判するくだりにはとりわけ説得力を感じました。
 1950年代の後半、まさに東京オリンピックの開催が決定する時期になると、自由や自治や個性に向けられていたスポーツは方向を変えはじめる。
 戦前の軍国主義を反省せずに、再び競技性の重視や競技力向上へと舵が切られていくのだ。
(p42)

 その過程で、競技力向上の末端の舞台となった学校の部活動に、戦前に競技をしていたOBたちが指導者として参入してきたといいます。
 戦前の軍国主義的なスポーツ観が戦後に入り込む土壌が出来上がったのです。
 勝利至上主義や競争原理という文脈においては、暴力は「熱血指導」などのフレーズとともにむしろ美談として語られ、根性主義を美化してきました。

 2020年東京五輪では、「勝利至上主義」「上意下達の集団主義」などの古臭いスポーツ観は一掃すると関係者によって言明されていますが、それがそもそも過去の五輪によってもたらされた風潮だということはすっかり忘却されています。
 あるいは忘れたふりをしています。

 五輪はスポーツにおける暴力を制御したり意味づけたりする力をもってきました。
「昨今のコンプライアンス支配は、オリンピックによるスポーツの支配の一形態でもある」のです。

 五輪をめぐる言論の自主統制に関する論考は著者自身の体験談も盛り込まれているのが興味深いところです。
 通信社配信の記事で五輪に批判的な談話をしたところ一部の紙面では割愛された事例を引き、「オリンピックそのものの是非を問う言論は存在感を薄めざるをえない状況」が作られていることを指摘しています。

 またネット上では盛んに論じられていることですが、四大全国紙が東京大会のオフィシャル・パートナーになっているのはやはり大きな問題だと思われます。
 本書でも「さまざまな問題点や疑問点を問題提起し、論じることが期待されているはずの言論メディアにとって、その機能と役割を自ら制限する足かせとなっているのではないか」と疑義を呈しているのは多くの読者の気持ちを代弁するものでしょう。

 何はともあれ、本書の意義は、当初の理念から逸脱して肥大化してしまったオリンピックについて再考するための資料というにとどまらないものだと思います。
 やや大きく構えて言うならば、動き出したら止まらない日本の政治に一石を投じる意味でも、また同調圧力の強い日本社会の風通しをよくするうえでも、本書のようなブックレットが世に出ることは歓迎すべきことではないでしょうか。


note.mu、2019/02/14 20:20
〈参加型権力〉に抗するために〜『やっぱりいらない東京オリンピック』
(吉本 俊二)
https://note.mu/rose_yoshimoto/n/nd34d02160d4b

武田砂鉄さんがTBSラジオ『ACTION』の中で開幕まであと1年となった東京オリンピック2020についてトーク。
https://www.tbsradio.jp/400647
現在までにしてきされている問題点や懸念点をまとめて紹介していました。

幸坂理加: ここからはパーソナリティーが見たこと、聞いたこと、考えたことなど日常のアクションについてお話しするコラムコーナーです。砂鉄さん、今日のアクションは?

武田砂鉄: 相次いで問題点が明らかになる東京オリンピック、本当に大丈夫? というテーマです。
 まあ、大丈夫じゃないんですよ。
 今週、いろいろ新聞、ニュースを見てると相次いで東京オリンピック関連の問題点が浮き彫りになってきたなっていう感じがするんですよね。
 この番組が始まってすぐくらいにこのコラムコーナーでも言ったと思うんですけど、そのオリンピックについて「どうせやるなら派」っていうことを言ったと思うんですけども。
 この「どうせやるなら派」っていうのは神戸大の小笠原博毅さんっていう先生が作った言葉で。
「東京オリンピックに反対だったんだけど、まあもう近くなっていたし、どうせやるならしょうがないか」っていうことで。
 最初は批判的だったんだけれども、まあせっかくの機会だから……っていう風に考えを改めてしまう。
 で、それをやってると、やっぱりいろんな問題点をいかに忘却させるかということを画策してる人たちの思惑通りになってしまうんじゃないか?っていうことを小笠原さんはおっしゃっていて。
 やっぱり本当に今回、そのオリンピック。大きな新聞各社がオフィシャルスポンサーになってることもあって、結構メディアの追求は弱いっていう風に言われているんだけども、でも楽しみにしてる人も問題点であるんだったらそこはきっちりと追求をするべきかなという風には思っていまして。
 先週の日曜日に、まずオープンウォータースイミングっていう競技のテスト大会がお台場で行われて。
 これ、男女ともに周回コースを10キロ泳ぐらしいんだけれども。
 テスト大会では5キロを泳いだという。


オープンウォータースイミング・水温&水質問題

 それでその水質への懸念というものが相次いで。
 まず午前10時予定だったところを繰り上げて7時にスタートしたという。
 それは、暑いか。
「健康的に泳げる水温の上限」というのは31度ということに国際水泳連盟ではなってるらしいんだけれども。
 その日の午前5時の時点で29.9度だったという。
 で、これが不思議なというか露骨だなと思うんだけれども。そのテスト競技中の水温は非公開になっている。
 だから、そのテスト中にはもうその健康的に泳げる水温の上限の温度を超えていたんじゃないのか?っていう気がしていて。
 国際水泳連盟は「場合によっては、水温次第で午前5時から6時半に競技開始時間を変更する可能性もある」って言っているんだけども。
 午前5時にどうやって人が見に行くんだよ?っていう感じがするんですけどね。
 そして何よりもその水質が問題視されていて。
 ある男子選手は「トイレのような臭いがします。正直、臭いです。ただブレない気持ちが必要です。細菌検査で細菌がいないとなれば、信じてやるしかない」っていう風に言ってるんですけど……気持ち、ブレますよね。これね。


幸坂理加: ブレますよね!

武田砂鉄: トイレのような臭いがしていたらね。
 これ、これコースが東京湾の入り江にあってですね、それをふさぐように……その大腸菌類なんかを入れないように400メートルに渡ってポリエステル製の膜を張ったらしいんだけど。
 まあ、実際の五輪の時には三重に張るらしいんですけども。
 それで「だから大丈夫だ」って言ってるんですけど。
 組織委員会の担当者は「大腸菌が流れ込む原因となる大雨とか台風が本番で来ないことを祈るのみ」って言っていて、もう祈りに入っちゃってるんですよね。


幸坂理加: 最近の天気だと、絶対にNGですよね。

武田砂鉄: 昨日・今日の天候が本番だったとしたら、これはもう張った膜は越えてきますからね。
 あとね、競歩選手でね、9月の世界陸上に出場するような本当にトップ選手で。20kmの世界記録保持者である鈴木雄介さんという方が「さすがに東京オリンピックのコースは暑すぎるんで変えてくれませんか?」っていう。
 実際に7月31日、早朝にそのオリンピックのコースを歩いたら、全く日陰がない。
「脱水症状になってもおかしくない」っていう感想を持ったらしいんですよね。
 で、本当は最初は青山通りとか、そのあたりは歩く予定だったんだけども、皇居前を周回するっていうコースになったみたいで。
 本当に日陰がないところをずっと歩くことになったという。
 で、いろいろとこれまで陸連の強化委員長なんかをやってきた順天堂大の澤木啓祐さんという方が日刊ゲンダイの記事でコメントを出してるんですけども。
「鈴木はよく声をあげた」と。
 なかなか選手で声をあげることっていうのは難しいですから。
「この時期にこういう環境でやってると死に至る可能性もある。死人が出るということは決して大げさなことじゃないですよ」っていうことを言ってるんですね。
 それで「たとえもしゴールをしても、後遺症が残るかもしれない。
 脳に悪影響をおよぼしたりする可能性も出ている」っていうことらしいんですよね。


幸坂理加: 臨海部とかは特に日陰とかがなくて危険だっていう話もありますよね。

武田砂鉄: で、幸坂さんといえば馬好きで知られていますけども……。

幸坂理加: そうですよ。馬術も「人馬ともに危ない気温だ」っていうのがありましたよね?

武田砂鉄:「馬も危ない」っていうのはすごいですよね。
 馬術のテストをやったら、最初の1分で明らかに馬の反応は違った。
 早くしないと馬も人も危ない暑さだっていう。これはすごいよね。
 でも、「気象状況がそうなんだから仕方ないじゃないじゃないか」って思うかもしれないけど、東京オリンピックの招致委員会は最初に立候補する時に何を言っていたのか?
 当時の資料を引っ張り出すと、「2020年の東京大会は理想的な日程です。なぜならばこの時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」っていうプレゼンをして。それで招致をしてるわけですよね。
 いま、「最高の状態でパフォーマンスを発揮できる」っていう感じで歩いてる人、いないと思うんですけどね。
 とんでもない気温ですけども。


「理想的な東京の気候」(立候補資料より)

幸坂理加: そうですね……。

武田砂鉄: あるいは、その東京都。
 こういう風に気温が大変だっていう風に言われてるんでね、それオリンピックのマラソンコースとか、そういったところをですね、遮熱性舗装っていうのをしていて。
 路面に何か白いものを施して太陽光を反射させることで表面温度の上昇を抑えるという実験をしたんだけれども。
 そうしたら地面は温度はたしか低くなったけれども、高さ50センチとかとか1メートル50センチ、2メートルのところで温度を測ると、むしろ気温が上がったという。
 つまりそのマラソンをしている人たちの体感温度としては上がるんじゃないか?っていうようなことも出てきている。
 こんなことばっかりなんだよね。
 で、僕は東京オリンピックについていろいろと調べることもあるんで。
 そのボランティアの人たちがどういう風に運営されているのかっていうのをチェックすると先月、第4回ボランティア検討委員会っていうのが開かれて。そのレポートが上がってるんですけども。
 そこにはですね、「マラソンなど早朝に行われる競技については、ボランティアの会場入りが始発の交通機関でも間に合わないため、終電での会場入りを想定」っていう。
 この時点でもう……困るじゃないですか。


幸坂理加: 困る……。

武田砂鉄:「終電で来い」って言われてもな……っていう。
 で、終電で来てどんな風に泊まらせてくれるのか? ベッドが確保されてるのか?っていうと、どうやらそうでもないらしくて。
 そこの文章の続きにはですね、「終電での会場入りを想定する。その場合は待機時間が見込まれるため、ボランティア同士の交流機会や士気を高めるような取り組みを検討していくこととなりました」っていう。
 どうやら、寝かせないつもりらしいということがわかってきて。これはすごい話ですよね?


ボランティアは終電で来て、寝かせない?

幸坂理加: ねえ。だって寝不足で強い日差しに当たったら、熱中症になってしまいますよね?

武田砂鉄:「熱中症にならないために」っていう風に検索をしたら、まず「睡眠不足はやめろ」っていう風に出てくるし。
「疲れやすい体で外に出ないこと」っていう風に出てくると思うんですよね。
 で、僕はそれをTwitterでツイートしたらある人が、「戦国時代みたいですね」って言っていて。
 ほら、戦国時代って敵の方に攻める時に夜にサササササッて忍び寄って、日が明けたら「うおおーっ!」って雄叫びをあげるみたいなのが戦国時代のやり方でしたけども。そのやり方にほぼ近づいてるなっていう。


幸坂理加: そうですね。

武田砂鉄: で、その暑さ対策について、「ボランティアの人たちは基本的には自己管理でお願いします」ということも普通に言ってるんですよね。
 それでね、ボランティアの方たちっていま、たくさん集まったでしょう?
 集まったというそれはいいことだと思うんですけど、「こういうことになりますよ」っていうのを……。
 たとえば、「終電で来てもらうことになりますよ。その際に宿は用意できないかもしれませんよ。ほとんどお金も払いませんよ。ご飯もそんなに大したものをお出してきませんよ」って。
 それで「ボランティア募集ですけど、その条件でどうですか?」って言うんだってたらいいんですけど、いまはすでにボランティアを集めた後に「あ、実はすいません。終電で来られます?」っていう話をしているわけですよね。


幸坂理加: 順番が違いますよね。

武田砂鉄: 順番が違う。しかも年配の方とかも多いから。
 やっぱり自分たちぐらいの歳でも、徹夜明けでなんかアクティブなことをするとものすごく疲れるじゃないですか。
 しかも、そうやってオリンピックの本番ってなれば、自分の体調よりもその相手側のなにかケアしなきゃいけない場所で仕事するっていうことが中心になっちゃうから、たぶん自分の体調管理とかが二の次になっちゃうと思うんですよね。
 その状況も見越してるはずなのに、後からこういう風に「いや、実はこうなんですよ」っていう風に言ってるっていうのがね、なんだか納得いかないんですよね。どうしたいのかなあ?
 あと、もうひとつ気になったのはね、そのJOCが先週かな? 理事会を開いて。1989年に発足して以来、ずっと報道陣に公開してきた理事会をですね、完全非公開にするという。
 それで新しく山下泰裕さんが会長になったんですけど、彼がどんな風に言ってるのかというと、「表に出せない情報も共有して、本音で話し合ってスポーツ界の発展に役割を果たす」っていう風に言ったんですけどね。
「本音で話すから、もう中には入れませんので」っていう。


JOCの理事会、報道陣へ非公開に

 その東京の運動記者クラブはずっと7月下旬からJOCからそういう方針を伝えられていたけれども、「いや、それは時代の動きに逆行してますよ。JOCっていうのは高い公共性を持ってなきゃいけないんだから、それを公開しないのは国民の理解を得られませんよ」っていう風に抗議文を出してたんだけれども、それもなくなってしまったと。
 それで、みなさんも覚えてると思いますけど、6月末でJOCの竹田恒和さんという方が任期満了で退任をして。
 今年頭にね、ずっと会見は7分で打ち切ったりとかっていうことで、かなり評判の悪い状態を見せつけましたけれども。
 で、その招致活動をめぐる疑惑でずっとそのフランス司法当局が動いてるぞっていうことで退任に追い込まれたんですけども。
 山下さんはその時にも「疑惑についての再調査を行ってくれるんですか?」っていう問いかけに対して、「現時点ではそれは頭にありません。潔白を信じています」って言うわけですよね。
 まあ、なんかそれも先輩の潔白を信じてるだけなんだけど。
 でも、そしたらもう山下さんがそんなに上下関係で何も言えないんだったら、もしかしたらそれは外からメディアが追求しようという動きも出てくるかもしれないんだけども、「理事会は非公開にします。非公開で俺たちは本音で話し合うんです」っていう……なんだかね。
 この山下会長が就任する時には「いま、信頼が落ちてるから、信頼回復へのインテグリティーの充実を……」って。インテグリティー(integrity)っていうのは「高潔性」という意味ですけれども。
「……インテグリティー(高潔性)を充実させて真剣に取り組んできたい」っていう風に抱負を語ってたんだけれども、なんか全く違う方向に行っちゃってますよね?
 だからこういう、最初の方に述べたいろんな暑さ対策の問題とか、ボランティアの問題とか、いろいろとこの1年でどうなってるのかなっていう風に心配な中で、いざこのJOCの内部は「あ、ちょっともう外にお見せできませんので……」っていう風にチェンジしていくというのは、これは本当にヤバいことが起きるんじゃないかなと思って心配しかないですけどね。


幸坂理加: ねえ。いい盛り上がり方をしてないですよね。東京オリンピック。

武田砂鉄: そうなんですよ。だから僕がこういうことを言ってると「いや、選手はオリンピックを目指してるんだから。そんなにいろいろと言うんじゃないよ」っていう風に言われることもあるんですけど、やっぱり選手のことを考えた時に、選手が万全の態勢で臨めるように外から言っていくってことはすごく重要なことだと思うので。
 そういった、最初に言った「どうせやるなら」派にならないということが、すごく重要になってくるんだなっていう風に思いましたね。


幸坂理加: 森喜朗さん、1年前は「日本のイノベーションを世界に発信するチャンスだ」っていう風に言ってましたけど、ちょっと逆になってるかな?っていう感じがしますよね。

日本のイノベーションを世界に発信するチャンス

武田砂鉄: イノベーションっていうか、いまはもう「がんばれ!」ということでしかなくなってますからね。
「暑いけどがんばれ!」だからね。うん。


幸坂理加: 以上、武田砂鉄さんのコラムコーナーでした。

miyearnZZ Labo、2019.08.16
武田砂鉄
東京オリンピック開催1年前の問題点と懸念点を語る

https://miyearnzzlabo.com/archives/59113

posted by fom_club at 12:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森達也 × 武田砂鉄

映画監督の森達也氏が、これまでに公開してきたドキュメンタリー作品を題材に、日本のタブーについて鋭く切り込んだ『FAKEな平成史』(角川書店、2017年9月)。
本書の発売を記念して2017年10月19日、青山ブックセンターで行われた武田砂鉄さん(近著に『コンプレックス文化論』文藝春秋、2017年7月)とのトークイベントをここに公開する。

あの「炎上事件」の真相


武田: 今回は、森さんの新著『FAKEな平成史』の刊行記念対談ということで、まずは最近、しきりに問題視されるフェイクニュースをはじめとした、ネット上での「フェイク」について聞いていきたいと思います。
 なぜならば、たびたび炎上を経験されてきた森さんが、先日、なかなか大規模のフェイク≠ネ炎上を経験されたと。
 安倍晋三首相が記事に対してFacebookで「いいね!」したこともある、彼の熱烈な支持層に愛されるまとめサイト「保守速報」で、森さんのインタビューを元にした記事が燃え盛ったという。
 読んでみましたが、いくつも不可解な点がありますね。


森: いきなりその話から入るのか(苦笑)……
 えーと、これまでも炎上らしきものは何回もありましたが、今回は規模が大きかったですね。
「保守速報」に記事が上がってしばらくは、金正恩、トランプ、安倍晋三などに関する記事をぶっちぎって、森達也についての記事がアクセス数トップ。
 リツイートは、最後に確認した時点で4000を越えたのかな。


武田: 4000RTということは、記事を拡散するツイート自体はおそらくウン十万人が目にしていることになりますね。

森: そんなに? 参ったな。

武田: ことの次第を簡単に説明すると、昨年2016年の参院選の際に、森さんが雑誌「週刊プレイボーイ」のインタビューに答えた。
 この記事が「週刊プレイボーイ」のウェブ版に、雑誌発売とほぼ同じタイミングで掲載された。
 で、この記事掲載から一年経った今になって「保守速報」がこれを取り上げました。
 しかも、タイトルを変えて。
「週刊プレイボーイ」のウェブに掲載された時のタイトルは「映画監督・森達也が新有権者へメッセージ『棄権していい。へたに投票しないでくれ』」だったのに、「保守速報」が付けたタイトルは「映画監督森達也 自民党に投票するバカは迷惑だから、投票にいかないでほしい」でした。
 元々のタイトルもインタビュー内容を的確に拾い上げたタイトルとは言い難かったけれど「保守速報」のタイトルでは、森達也が今回の選挙で自民党に投じようとしている人達を丸ごと侮辱したように伝わる。
 すると、森さんへのバッシングがコメント欄やツイッターに積もっていき……。


森: たぶんほとんどは僕よりも年下だと思うのだけど、なぜか「こいつ」とか「このバカ」と呼ばれます。
「こいつは選民思想だ」とか「このバカ、大学をクビにしろ」とか。
 最初は放っておこうと思ったのだけど、家族に危害を加えることを示唆したリプライも来たりしたので、自分のサイトで、そんな意図では話していない。
 元の記事を見れば分かるはずだ、と否定するメッセージを公開しました。
 まあでも、脊髄反射でリツイートしている人は読まないだろうな。
「保守速報」は、一応は公開された記事をソースにしているけれど、タイトルという看板を付け替え、刺激的な文言で、ネトウヨを煽ってアクセス数を稼いでいる。
 記事を読めばタイトルとはだいぶ違う内容だとわかるんだけども、もとの記事を読む人はほとんどいないんでしょうね。
 あらためて、ネットのリテラシーというものがいかに脆弱かということを、身をもって知りました。


武田: 実際に掲載されたインタビューを読むと、「バカ」だとか「迷惑」だなんて一言も言っていない。
 そもそも元記事に当たれば、インタビューは一年前のものだとすぐわかる。
 でも、彼らは元記事を当たるという、ワンクリック、ツークリックをしてくれない。
 文句を言う時に、その対象が何を言っているかを通読するのは当然のことだと思いますが、これまで前提とされていた最低限のリテラシーを持ち合わせていない。


森: それにしても、僕にリプライを飛ばしてきた人たちは、どんな人たちなんだろう。
 多くの人がアイコンに日の丸を付けていたけど。
 一回きちんと、対面で、たとえば公開イベントなどで話してみたいね。


武田: 昨年2016年4月出版された『ネット炎上の研究』(田中辰雄、山口真一著、勁草書房)を読むと、炎上って世の大半が騒いでいるように見えるけれど、炎上参加経験者はネット利用者の0.5%だったという。
 限られた人たちが、常に新しいターゲットを探して燃え上がらせている。
 森さんのインタビューは、たまたまそこら辺に転がっていた焚き木にすぎません。
 森さんは件のインタビューで、若者の投票をテーマにこんな話をしています。
 森さんが学生20人ほどに支持政党を聞くと、その9割ぐらいが自民党支持だった。
 しかし、憲法改正について聞くと、半分以上の学生が「憲法はこのままでいい」と答えました。
 そこがちぐはぐしているレベルなら投票に行かなくてもいい、これが森さんの意見でした。


森: 投票するならせめて、どの党が改憲でどの党が護憲なのかくらいは把握してから投票してくださいというのが本旨です。

武田: (対談が行われた投票日3日前の)現時点での衆議院選挙に向けた世論調査(朝日新聞)を見てみますと、比例で自民党に投票するとした人は34%。
 年齢別で見ると、18〜29歳では41%が自民と答え、60代は27%。
 立憲民主党に投票するとした人は、60代が20%だったのに対して、18〜29歳では6%です。
 若い世代の「このままでいいよ傾向」は興味深いテーマです。


皮肉や批評はどこに消えた?

森: 若い世代の興味の半径がどんどん短くなっている。
 だから政治も、彼ら彼女らの半径からはみ出してしまって、関心が持てない。
 もちろん、いまの若者が自民党を支持するのを否定しているわけではありません。
 確かに就職状況は数年前に比べれば良くなっている。
 その意味で、自民党支持は理解できる。
 まあ、就職状況の変化も政策ではなく、現役世代の人口減少と年配層の大量退職による影響の方が大きいのだけど……。
 でも、「最近の若者は」という爺さんに自分がなるのは面白くないけど、今の若者は素直で真面目だからこそ、一歩枠の外から出て物事を見る、ということをしない。
 社会に組み込まれたら枠の外に出ることは難しくなる。
 今体験しないならば、その視点を獲得できないまま人生を過ごすことになる。
 それはもったいないと思う。
 話しながら思い出したけれど、この春に台湾国際桃園映画祭に呼ばれました。
 ドキュメンタリー映画の審査員を依頼されて、候補作は10本くらい。
 審査員は、僕の他には台湾のフィルムメーカーや評論家たちです。
 特に印象に残った作品のタイトルは『進擊之路』と『機器人夢遊症』。
 前者は、若手弁護士たちと国家権力との闘いを描いている。
 そして後者は、台湾の最先端IT企業の非人道的な雇用状況を激しく告発している。
 この二作は共通して、権力と対峙する市民を描きながら、大学生たちが重要な被写体となっている。
『進擊之路』では、弁護士たちが支援する「ひまわり運動」(2014年3月、台湾の学生と市民が国会を占拠したことに端を発する社会運動)の大学生たちが数多く登場します。
 あらためて映像で見るとすごい。
 だって現役の大学生たちが国会をバリケード封鎖して武装した機動隊と対峙するのだから。
 結局は学生たちのこの運動がきっかけのひとつとなって、中国に急接近していた国民党政府は支持率を大きく低下させる。
『機器人夢遊症』も、最先端IT企業の組合運動を応援するためデモ活動に参加する大学生や市民たちが被写体です。
 グランプリはこのどちらかだと思ったのだけど、他の審査員たちの評価は低い。
「森さんがそこまで言うなら、3位か4位にしておきましょう」とは言われたけれど、それでは納得できない。
 そのとき、日本でも映画『生命』が公開されて何度も来日している呉乙峰監督から、「おまえは日本人だから驚いたのかもしれないが、俺たちは大学生たちのデモや政治活動は、テレビニュースなどでさんざん観ている。台湾では当たり前のことなんだ」と言われました。


武田: 森さんがこの時点で衝撃を受けている事自体がおかしい、と。

森: ああ、そういうことかと合点がいきました。
 でもね、香港では大学生が主体となった雨傘運動があったし、韓国では市民と大学生たちが主体となってパククネ大統領の罷免を街で激しく訴えた。
 アラブの春だって主体は若い世代です。
 なぜ日本の若者はこれほど保守化してしまったのか。
 時おり市民集会などに呼ばれるけれど、参加者の平均年齢は絶対に60歳をはるかに超えている。
 愚痴るつもりはないけれど、その理由やメカニズムは考えないと。……結局は愚痴っているかな(笑)。


武田: 批評家の大澤聡さんが『1990年代論』(河出書房新社、2017年8月)という本を編著で出されて、つい先日、大澤さんと「90年代とはどんな時代だったのか」をテーマに対談したのですが、話していくうちに「皮肉、アイロニーが保たれていた時代だった」との話になりました。
 『進め!電波少年』などのバラエティ番組はどこまでも徹底的にひねくれてみる執着に面白さがあったし、自分が学生時代に耽読していた古谷実の漫画『行け!稲中卓球部』はシニカルな笑いの応酬です。
 そして、自分がこういったライターの仕事をする上で影響を受けたのがナンシー関さんで、彼女が週刊誌コラムで活躍していたのが90年代です。
 芸能界を中心に、テレビの中から感知したわだかまりに突っ込んでひっくり返すコラムを書き続けていた。
 暴力的にではなく、テクニカルに揚げ足を取ることに、世の中も、そしてメディアも寛容でした。
 けれど現在は、あらゆる媒体から真っ先に皮肉や批評が削ぎ落とされていく。
「揚げ足をとる」ってある種批判するための前提だとすら思うけれど、その前提を刈るように「揚げ足をとるな!」が積み重なり、それを止めてしまう。


森: そうですね。

国民がメディアを抑えつけようとする奇妙

武田: 森さんも繰り返し書かれていますが、バラエティ番組では、笑う時に顔の前で拍手しながら、時に立ち上がりながら笑う。
「ここは笑う場面だよ」と全員で同調するのが面白い笑い、だからみんなもここで笑ってくれ、という伝達になっている。
 先日、あるお笑い芸人とラジオで共演したのですが、そういう同調性が笑いのパターンを狭めているのではないか、笑いのポイントを強制しているのではないか、といった話を投げると、納得しつつも苦笑いされていた。
 特定の人物や事象を皮肉るという観点が、いたずらに暴力的なことと処理され、同調して安堵する笑いが増えていますよね。
 その同調性こそがイジメっぽい笑いを作り上げるわけですが。


森: 政治も一緒ですよね。

武田: そうですね。
 たとえば麻生太郎が失言しました、と報じられれば、信奉者は必ず「揚げ足をとってどうするんだ」「彼の真意を聞かなければいけない」と切り返してくる。
 いや、そうじゃない。
 言葉に責任を持つべき立場の人が発言したのであれば、それを批判するのは当たり前の行為だ、と思うわけだけど、皮肉や批判をぶつけた時に、エラい人になんてこというんだ、などとクソ真面目に潰してくる、ということがとても多い。
「全文を読め」という回避もあるけれど、全文読んでも変わらないことが多い。


森: 芸能でも政治でも、アイロニーやパロディが有効にならなくなった。

武田: 求められていないんですね。

森: 結果として失言や舌禍が多くなる。
 たとえば、安倍首相が解散の際に記者会見で「民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはなりません。むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応について国民の皆さんに問いたいと思います」と言いました。
 これ、意味わかる?
 後段と前段の趣旨がまったく逆です。
 だって今回の選挙は、まさしく北朝鮮の脅威が自民党の追い風になったわけですよ。
 投票前に記者クラブで党首討論やりましたよね。
 そこで安倍首相が朝日の坪井ゆづる論説委員の質問に対して、「朝日新聞は八田(国家戦略特区ワーキンググループ座長)さんの報道もしておられない」と返し、質問した坪井記者が「しています」と反論すると、「ほとんどしておられない。しているというのはちょっとですよ。アリバイ作りにしかしておられない。加戸(前愛媛県知事)さんについては、証言された次の日には全くしておられない」と発言しました。
 この少し前、国会で加計問題についての審議をしていたとき、加戸前知事の話が、朝日新聞にはまったく載っていないとネットで盛り上がっていた。
 ソースは産経新聞です。
 おそらく、安倍首相もこういうネット上の意見を参考にしていたんじゃないかな。
 朝日の紙面を見れば明らかです。
 どちらも何度も記事として掲載されています。


武田: たしか10回くらいは載せていたんですよね。

森: 八田さんの記事は12回です。
 産経新聞の阿比留瑠比論説委員は党首討論の翌日、「朝日がいかに『(首相官邸サイドに)行政がゆがめられた』との前川喜平・前文部科学事務次官の言葉を偏重し、一方で前川氏に反論した加戸氏らの証言は軽視してきたかはもはや周知の事実」と首相発言を擁護する趣旨の記事を掲載しました。
 でも産経は八田さんの発言についての記事は4回だけしか掲載していない。
 朝日の三分の一。
 何なんだろこれ。
 産経はもはや新聞とは言えないんじゃないか。


武田: 愕然とします。

森: この党首討論では、終わってから日本記者クラブに、朝日と毎日の記者に対しての抗議の電話が殺到したらしい。
 内容は「首相に対して失礼だ」「あんな質問を許していいのか」だったそうです。
 電話をかけてくるのは年配の世代でしょうね。
 若い世代はネットに書いているんだろうけど、メディアが最高権力者に質問することが失礼であるとの感覚が前面に出てきている。
 独裁国家なら無理やりにメディアを押さえつけるけれど、この国では国民がメディアを押さえつけようとする。
 こうして独裁的な体制が民主主義的手続きで完成する。
 不思議です。
 でもナチスドイツもそうでした。


武田: 森達也が気に食わないから、アイツに文句を言いたい……だからまとめ記事を作って炎上させる。
 自分で、ではなく、みんなで一緒になって文句を言いたい。
 繰り返しますが、そのソースが1年前で、誰もそのことを指摘しないというのが異様です。
 しかし、何十万人も見ているのだったら、自著のAmazonリンクを貼るなどすれば販促活動になるかもしれませんよ(笑)。
 1年前の記事だとすら気付かない人達のいくらかが、うっかり買ってくれるかもしれない。


森:『FAKEな平成史』のAmazonの評価欄に「保守速報」の記事をそのままコピペされています。
 評価は星一つ。
 あれは営業妨害だなあ。


とても残念な出来事

武田: そうか、今日はその本の中身の話をするんでしたね(笑)。
 本書は、今まで作ってきた森さんのドキュメンタリー作品を、第三者の目線を入れながら、振り返るという一冊ですね。


森: 平成が始まる少し前、テレビの仕事を始めました。
 最初はもちろんADだから、ただ番組制作のために駆け回っていましたが、まずは昭和天皇崩御があって、ベルリンの壁が崩壊して、天安門事件が起きて……これ全部、平成元年です。
 昭和天皇崩御による「自粛」から平成が始まり、そして、阪神大震災、地下鉄サリン事件……それらの事件を、自分が作った映像作品についての記憶を縦軸にしながら、平成という時代を振り返っても面白いかなと思ったんです。
 自分で書くのは面倒だから(笑)、いろんな人へインタビューをして構成しました。


武田: 最初の章では、「放送禁止歌」をテーマに、ピーター・バラカンさんと対話されている。
 そこで触れられている「P!nk」という女性のシンガーソングライターが発表した「ディア・ミスター・プレジデント」という曲の存在を初めて知りました。
「親愛なる大統領、ちょっと一緒に歩きませんか ごく普通の人間として」と始まる曲は、アメリカによるイラク侵攻後に発表された楽曲です。
 僕はピンク・フロイドが好きなんですが、今、そのメンバーであるロジャー・ウォーターズがソロツアーをしていて、彼はライブ会場に大きな豚の風船を飛ばし、その豚にドナルド・トランプの顔をプリントして揶揄している。
 ライブの最後に撒かれる紙吹雪には、その一枚一枚に「抵抗せよ」と書いてある。
 政治色が強い、というか、ほぼ全て政治色です。
 こういうことができる大御所ミュージシャンが欧米には平然といます。
 日本の音楽界にはごく一部を覗けばメジャーなフィールドにいませんね。


森: まったくいないわけではないけれど、表には出てこない。
 求められないから、淘汰されて少なくなるのもあるでしょう。
 少なくともメジャーの世界にはいない。
 でも、海外ではニール・ヤングだったり、ブルース・スプリングスティーンだったり、ビッグネームが公然と政権を批判する。
 日本で言えば、サザンであったり、ユーミンであったり、中島みゆきであったり、その人たちが、反体制的な歌をテレビで普通に歌うようなものであって。
 日本でそれをやったらどうなるのか。


武田: 2014年の年末、桑田佳祐がライブで、その年に受賞した紫綬褒章をポケットからひょいと取り出してぞんざいに扱ったり、紅白歌合戦の中継でちょび髭を付けて登場したことが問題になりました。
 所属事務所前で抗議デモが行われた事も影響したのか、本人が謝罪文を出しました。
 謝罪文の中には「つけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません」という文言がありました。
 その一年前に発表された楽曲「ピースとハイライト」のPVでは、安倍首相や朴槿恵大統領のお面をかぶった人を登場させ、その映像をこの日のライブでスクリーンに流していた。
 明確なメッセージです。
 でも謝罪文ではそのような「他意は全くございません」と言う。
 なぜこのような文言を出したのか、とても残念な出来事でした。


森: 首相に批判的な質問をすれば失礼だと抗議が来る。
 でも欧米の記者クラブでは、メディアが政治権力と対峙することは当たり前。
 同じ構造かな。
 ロックは体制批判して当たり前。
 でもこの国では、音楽に政治を持ち込むなとの意見が正論になってしまう。
 音楽だけじゃない。
『FAKEな平成史』でピーター・バラカンさんが言っているけれど、アメリカでは権力を茶化すトーク番組がたくさんある。
 若い世代はそうした番組をゲラゲラ笑いながら見て、同時に政治や社会に興味を持つ。
「ザ・ニュースペーパー」とか松元ヒロさんのコントのような芸が、もっと普通にテレビで観ることができる社会のほうが、ずっと健全だと思います。


世論調査はなぜ増えているのか

武田: そういえば、少し前に「週刊金曜日」で「松本人志と共謀罪」という特集が組まれました。
 松本人志は今「ワイドナショー」という番組のMCを務めていて、政権寄りの発言を繰り返しています。
 安保法制に反対する高校生たちのデモの様子に「(反対している人は)単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない」と言い、共謀罪について「僕はもう、正直言うと、いいんじゃないかなと思っている」と賛成の姿勢を示し、「(共謀罪によって)冤罪も多少はそういうことがあるのかもしれないですけど……」と冤罪の発生を半ば容認した。
 多少の冤罪があってもいい、には愕然としました。
 それらの言動に突っ込んだ特集です。


森: ありましたね。

武田: その中で、元・吉本興業幹部で竹中功さんという、35年前に芸人養成学校に応募してきたダウンタウンを初めて面接し、以降、長年付き合ってきた方がインタビューに答えています。
「ワイドナショー」に安倍晋三が出演した時に、松本人志が首相を起立して出迎え、そして見送ったことに、「僕はショックでした」と語っています。
 2025年大阪万博の誘致アドバイザーをダウンタウンが務め、松井一郎大阪府知事や、二階俊博自民党幹事長と並んで発足式に臨んでいます。
 為政者であろうが誰であろうが、どんな相手であっても茶化しつつ笑いに変えてきた人たちが、むしろ従順の見本になっている。
 竹中さんは「松本のような、緻密なことをずっと考えてきた男」と称した上で、その現在について、懸念を表明されていた。


森: この国では皆が自由だし、政権寄りの芸人がいてもいいと思う。
 もちろん、政権を批判する芸人がいてもいい。
 しかし今は、批判すると視聴者からの抗議で仕事がなくなってしまう。
 松尾貴史さんくらいじゃないかな、明確な言葉遣いで批判しているのは。
 その松尾さんも、竹中さんと同じように言っているけれど、「僕たち芸人は本来、権力を茶化したり批判したりするものだ」と。
 それがどんな権力であろうと、自民党であろうと民主党であろうと、共産党だって、権力を批判しなければいけない。
 なんでそれができなくなってしまったのか。


武田: テレビやエンタメ業界のトップの人達がこういう振る舞いだと、これからその世界で活躍したいと入ってくる人たちは、あらかじめその「空気」を察知し、その作法を得てから登場するわけです。
 自分が芸能界で生き長らえるためにはどうするべきか、これはしていけないことだと把握する。
 私、従順ですので、と宣言して入ってくる。


森: また森が同じことを言っている、と思われるかもしれないけど、やはり「集団化」が起きている。
 全体で一緒に同じ動きをしたいという気持ちが強くなっている。
 その動きに乗り遅れたら排除される、ネットで叩かれてしまう。
 要するに、つねに回りを気にしながら、同じ動きをしなければいけない。
 がんじがらめになって、ゆとりがどんどんなくなっていく。
 たとえば、それは世論調査の数にも現れています。
 安倍政権の支持率、選挙でも政党の支持率がさかんに報道されました。
 でも、思い出してください。
 十数年前には、世論調査をこんなにやっていなかったですよ。


武田: たしかに選挙前になれば、毎週のように知らされている気がします。

森: いま、とても世論調査の回数が多い。
 なぜ多いかと言えば、読者や視聴者が求めるから。
 回りの動きをみんなが気にしている。
 たとえば自分が立憲民主党を支持しているけど、まわりはどうなのか。
 昔であれば、まわりは関係なく、自分の考えで投票していた。
 しかし、いまは回りが気になって仕方がない、そんな動きが加速しているからこそ、世論調査がこれだけ行われている。
「マジョリティはこうなのか」――それを知って、安心する。


武田: 神戸大学の小笠原博毅さんが編者となり、『反東京オリンピック宣言』という興味深い本を作っています。
 誘致の際の買収疑惑すら放置されている現状ですが、この本のなかで、東京五輪をなんだかんだで「成功」という言葉でまとめさせるのは、「困難を乗り越えて頑張れ」派でも「手放し礼賛」派でもなく「どうせやるなら派」という人たちだ、と書いている
 つまり、「オリンピックってやる必要ないよね」「しかも何か怪しい事ばっかりやってんじゃん」と最初は思っていたけど、所属するコミュニティの中などで「オリンピック、やっぱりやったほうがいいよ」と何となく方向が定まってきた時に、「うんうん、どうせやるならしょうがない」と勝手に譲歩してしまう。
「もう間近だし」「せっかくやるんだから」「いつまでも文句言ってないでさ」と、諸問題が一掃されていく。
 この一掃って、五輪に限らず全ての問題に言えることだと思います。


森: なるほど、「どうせやるなら派」…これも自発的な隷従ですね。
 人間は「馴致能力」が高い動物です。
 馴致とはつまり慣れる、適応するということ。
 アマゾンのジャングルでも砂漠地帯でも極北でも、その環境に自分を合わせて暮らしていく。
 人類は馴致能力が強いから、これほど繁栄できたんです。
 それは言い換えれば、今の状況に自分をカスタマイズしてしまうこと。
 最初は世の中に違和感があっても、それではやっていけないから、自分を合わせていく。
 こうしていつのまにか前提が作られる。
 それが積み重なったのが、今の日本なのかもしれない。
 自分が何を考えているか、ではなく、社会が作り上げたようにみえるものに依存している。
 平成が終わろうとするなかで、メディアをはじめ、社会はもう大きく良い方向には変わっていかない。
 平成という一つの時代を振り返った今、そう感じています。
 僕が見たところ、どうあがいても、この状況が加速するだけ。
 ドラスティックな変化は、もう起きないんじゃないのかな。
 あんまり、楽しい話じゃないですけど。


現代ビジネス、2017.11.08
『FAKEな平成史』
いまこそ、平成ニッポンのタブーを語ろう
森達也×武田砂鉄

(構成/伊藤達也)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53391

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2019年11月12日

斎藤 美奈子「呪われた東京五輪」

 リオデジャネイロ五輪も終わり、「次はいよいよ2020年の東京だ」みたいな空気がただよっている。
 2016年8月21日のリオ五輪の閉会式にはマリオに扮装した安倍首相まで登場し、心底うんざりだったが、これに喜んでいる人もいるわけで。

 しかし、東京五輪の界隈はすでにトラブル続きである。
 一度は決まった新国立競技場のコンペのやり直し。
 やはり一度は決まったエンブレムの盗用疑惑による選び直し。
 招致にともなうJOCの不正支払疑惑。
 3000億円だったはずの予算は6倍の1兆8000億円にまで膨んでいるわ、猪瀬直樹、舛添要一と、東京都知事は二人続けて任期半ばで辞任するわ。
 五輪組織委員会の会長だという森喜朗元首相が我が物顔にふるまっているのも不可解だ。

 まるで呪われたオリンピック! 
 2020年まであと4年。
 このぶんだとまだ何かあるかもね。
 トラブルが続くっていうことは、運営の方法に何か根本的な問題があるにちがいないからだ。

 2013年9月、東京が五輪開催地に決まったとき、絶望的な気持ちになった私。
 その気分はいまも変わらない。
 福島第一原発の事故による避難民がまだ9万人もいるいまの日本に、オリンピックなんかやってる暇があるか?
 しかし、あれから3年たって、東京五輪反対論はめったに見かけなくなった。

 はたして東京五輪を開催する意義はあるのだろうか。
 今年になってたてつづけに出版されている関連書籍を読んでみた。

オリンピックは儲らない

 巻頭言で〈オリンピックの開催による経済的効果はそれほど期待できないことが分かるだろう〉と述べるのは、アンドリュー・ジンバリスト『オリンピック経済幻想論』である。
 開催地は何十億ドルもの資金を費やし、巨額の借金を作り、さまざまな社会的混乱や環境破壊を引き起こし、他の目的で使った方が生産的かもしれない土地を奪っていく。
 IOCは魅力的な言葉で彼らの目標を語り、人権や、持続可能性や、雇用創出や、健康的なライフスタイルや経済発展を説く。
 しかし残念ながら、現実はそのような甘い言葉通りにはいかないことをこれまでの大会が示している。

 なにやら不吉な言葉だが、過去の五輪を検証したこの本を読むと、いま東京で起きていること、起きつつあることは、過去の五輪開催地でもなべて共通していたことがわかる。

 たとえば予算超過問題。
 予算超過はどの開催都市でも起きていることで(1960年以降、予算内で収まった開催都市はひとつもない)。
 2004年のアテネは10倍、2012年のロンドンは4〜5倍、2014年のソチは4〜6倍の費用がかかった。
 なぜそんなことが繰り返されるのか。
 本書は五つの理由をあげる。

@ 政府のゴーサインを取り付けるために、最低限の安価なプランで見積もり、承認後にあれこれ付け加える「戦略」が常態化している。
A 開催を目指す都市は、最初は国内の他都市と、その後は世界の他都市と競い合うため、質を張り合っているうちに当初の予算内では収まらなくなる。
B プラン作成から実大会までの間に物価が上昇する可能性がある。特に狭い地域に建設物が集中すると、資材や人件費のコストが高くなる。
C 政治的障害、環境問題、不充分な計画、ずさんな段取り、悪天候、労働争議などで建設スケジュールの遅れは避けられず、入札のルールが甘くなったり、割増料金が必要になったりする。
D 建設費の高騰にともない、不動産価格も大会に向けて上昇する。地元の物価が上がることもある。

 なんだなんだ、予算超過は、最初からわかっていたのだ!

 五輪開催にともなう直接的な財政コストは、
@ 運営予算(17日間の大会運営費など)、
A 建設予算(恒常的なスポーツ施設の建設費など)、
B インフラ整備予算(道路の整備費など)
の3つのカテゴリーに分かれるが、五輪のコストはもちろんこれだけではない。

 見落としがちなのは、大会に向けて配置される政治家、技術者、労働者などの人的コストだ。
 五輪がなければ〈彼らの技術や時間は、より生産的な別の活動にあてることができたかもしれないのだ〉といわれれば、その通り。
 五輪でできた借金を返すため、医療、教育などの公共サービスが削られた都市もある。

 いや、五輪には絶大な広告効果があり、都市のブランドイメージが上がって観光客が増えるのだ、という説にも本書は異を唱える。
2012年にロンドンを訪れたスポーツファンは、劇場にも、コンサートホールにも、大英博物館にも、バッキンガム宮殿にも、ハイド・パークにも行かなかった。

 逆に混雑や厳しいセキュリティと高い物価を嫌ってロンドンを避けたツーリストもいたはずで、2012年7月、8月の観光客数は、前年の同期と比べて6.1%減少したというのだから何をかいわんや。

 オリンピックが儲かるという幻想は、どうやら1984年のロサンゼルス大会からはじまったらしい。

 1968年のメキシコシティ大会は政治的抗議の舞台となり、1972年のミュンヘン大会は武装ゲリラによるテロ事件が起き、1976年のモントリオール大会は多額の負債を抱えた。
 こうして五輪の立候補地が激減する中、1984年の開催地に決定したのがロサンゼルスだった。
 この大会から、IOCはプロ選手の参加を認め、五輪の商業化は加速していく。
 商業化路線を進めたのはサマランチ会長だった。

 しかし、もともとのオリンピックは商業主義とは無縁だったのだ。
 小川勝『東京オリンピック』は、だからこそ東京五輪は、オリンピック憲章の精神に立ち戻るべきだと主張する。
 五輪は都市の再生のためにやるわけではない。経済成長のためでもない。招致活動において繰り返された文言を用いて表現するなら「今、ニッポンにはこの夢の力が必要」だからでもない。あるいは、国民に観客の立場での「感動と記憶を残す」ためでもない。
 五輪の開催目的とは、オリンピズムへの奉仕である


 実際、この本を読むと、五輪に対して私たちがいかに誤った認識を持っていたかを思い知らされる。
 五輪は国家間の競争ではなく、個人参加が基本だと五輪憲章には明記されていること。
 五輪が国別対抗戦的になったのは1908年の第4回ロンドン大会からで、ブランデージら、70年代までのIOC会長は五輪がナショナリズム高揚の場となることを懸念していたこと。
 したがって今日、国ごとのメダルの数を比較したり、まして日本のように〈政府が自国のメダル獲得数の目標を掲げる〉など言語道断であること。

 東京五輪に向けた日本政府の指針を批判しつつ、小川は〈東京五輪を、政治家や官僚や大企業が利権の内部調整に終始するだけの巨大イベントにしてはならない〉と訴える。

 それはそれで理解できる。
 しかし、東京五輪の開催そのものに反対する、という立場があってもいいはずなのだ。

フクシマを隠蔽し、フクシマを利用する

 東京五輪そのものに反対する。『反東京オリンピック宣言』はそのような視点から編集された論考集である。

 東京五輪を前にした日本の現状について、塚原東吾は二つの特徴があるという(「災害資本主義の只中での忘却への圧力」)。

 第一に〈オリンピックが3.11を強制的に忘却させる機能を持たされていること〉。
 首相の「アンダー・コントロール」発言に反して、危機は悪化している。

〈それを隠蔽することが、オリンピックに課せられた最大の使命であるかのようである〉

 第二に〈オリンピックが、3.11を契機にした「エマージェンシー・ポリティクス(非常事態政治)」のなかでの、典型的な「災害資本主義」の発動であること〉。
 災害資本主義とは「惨事利用型資本主義」ともいう。
 災害を経済活動に利用する。

〈東京オリンピックは、非常事態を利用し、資本主義的な収奪システムを再編し、格差の構造を強化するための、格好の事業である〉

 フクシマを隠蔽しつつ、フクシマを利用する。
 それは3年前の東京五輪招致のプログラムをみて私も感じたことだった。

 この本の「あとがき」で、編者の小笠原博毅が述べていることが示唆的だ。
 結果的に、東京五輪を「成功」に導くのは、手放しの礼賛派ではなく「どうせやるなら」派だろうというのだ。

 この人たちは〈初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコストを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできないと結論づけて、むしろそれまでかかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する〉。

〈オリンピックを「機会」ととらえ、統治側の計画を逆手にとって、本当に市民のためになると考えられる、都市の再開発も含めた「オルタナティヴ」を求めようというのである〉。

 たくさんいそうでしょ、こういう人。

 私がここから想起するのは、端的に「戦争」である。
 戦争には反対だったけど、どうせやるなら勝たなくちゃ。
 そのためには……とアイディアを出す人が一番役に立つのよ、戦争には。

 五輪をめぐる状況は、すでに言論統制を生んでもいる。
 くだんの「あとがき」で、2013年の夏、全国紙に五輪開催反対論を書いたところ、定期的に仕事をしていた媒体から原稿依頼が一切来なくなった、という裏話を小笠原は明かしている。
 当時はまさか四大全国紙(朝日、読売、毎日、日経)すべてが五輪の協賛企業になるとは思っていなかった、と。
 そうなのだ。
 いまやこの国のメジャーなメディアはみんな東京五輪の応援団。
 やり方を批判しても、やるなとはいわない。
 これを大政翼賛といわずして。

この記事で紹介された本

『オリンピック経済幻想論――2020年東京五輪で日本が失うもの』
アンドリュー・ジンバリスト/田端優訳、ブックマン社、2016年、1600円+税

〈オリンピックの開催は経済発展を後押しするという毎年繰り返される主張には、実証的な裏付けはほとんどない〉
(カバーより)

 著者はアメリカのスポーツ経済学者。バルセロナ、ソチ、ロンドンなど、過去の五輪に遡り、開催都市にもたらされたメリットとデメリットを検証。招致活動、施設建設、インフラ整備などにかかる莫大なコストの回収は短期的にも長期的にも難しいと結論する。

『東京オリンピック――「問題」の核心は何か』
小川勝、集英社新書、2016年、700円+税

〈政府が示す「基本方針」は、日本選手に金メダルのノルマを課し、不透明な経済効果を強調し、日本の国力を世界に誇示することに固執する、あまりに身勝手な内容〉
(カバーより)

 著者はスポーツライター。五輪は開催国のための大会ではない、国同士の争いではない、経済効果を求めてはいけないなど、オリンピック憲章を紐解きつつ、自国の利益のみを追求する東京五輪の方針を批判。望ましい五輪の姿を模索する。


『反東京オリンピック宣言』
小笠原博毅+山本敦久編、航思社、2016年、2200円+税

〈東京で開催されることになっている夏季オリンピック/パラリンピックの開催権を返上し、開催を中止しよう〉

 東京五輪に反対する立場で書かれた16本の論考集。科学論、大会後の「遺産(レガシー)」、生活環境への影響、排除されたアスリートなど、多角的な視点から五輪を考察。単なるスポーツイベントという枠を越え、五輪がときに住民の生活を破壊し、ときに国民を総動員する装置であることが暴かれる。


webちくま、2016年10月13日更新
世の中ラボ[第78回]
4年後の東京五輪に反対する、これだけの理由

(斎藤 美奈子)
http://www.webchikuma.jp/articles/-/333

 延期が決まった英語民間試験だけでなく、国語と数学の記述式問題にも批判が殺到している大学入学共通テスト。
 小学校からのエスカレーターで大学受験の経験がない安倍首相には、どこがマズイか分からないのかもしれないが、デタラメ試験制度をめぐる混乱の背景には、安倍首相の出身派閥・清和会の文教利権がある

 民間試験の導入は、2013年に安倍首相が設置した私的諮問機関「教育再生実行会議」で浮上。
 当時の下村博文文科相が旗振り役となって、大学入試改革を主導してきた。

 注目すべきは、下村氏の後任の馳浩から松野博一氏、林芳正氏、柴山昌彦氏、そして現在の萩生田光一文科相に至るまで、林の他は全員が清和会の所属議員ということだ。

「林さんが文科相に就いた2017年は、加計疑惑で文科省が大揺れだった時期。地元の下関で親の代からライバル関係にある安倍総理が、嫌がらせで難しいポストに就けたともっぱらでした。教育行政は門外漢の林さん自身、『なんで俺が文科?』と不思議がっていたほどです」
(自民党関係者)

■ 教育行政を歪めてシノギに

 そういうイレギュラーな人事を除けば、第2次安倍政権で文科相が清和会の指定ポストになり、教育再生実行会議の方針を踏襲して、受験生を食い物にする民間試験の導入に邁進してきたわけだ。

「長らく非主流派だった清和会は、運輸や建設のようなガチガチの利権に食い込めず、他派閥があまり興味を示さない文教分野に流れていったという事情がある。清和会の典型的な文教族が森喜朗元首相です。もともと文教族というのは、教科書選定で影響力を発揮するなど、当初は利権よりイデオロギーを重視していたはずです。彼らにとって不都合な負の歴史を修正し、道徳教育や日の丸などで国民に右翼的な思想を植え付けるには、公教育を押さえるのが手っ取り早いからです。古今東西、教育と報道を掌握するのは独裁者の常套手段でもあります」
(政治評論家・本澤二郎氏)

 カネにならないといわれていた文教分野を掌握し、教育をビジネス化して利権に育てたのが清和会ということだ。
 2020年東京五輪という大きな利権も手にした。
 英語民間試験の拙速な導入も、この流れの中にある。


 森友学園、加計学園、入試制度など、安倍政権で学校関係の不祥事が相次いでいるのは偶然ではない。
 本来は利権と無縁であるはずの教育が、安倍政権で歪められ、シノギにされているのだ。
 この根本問題を取り除かない限り、マトモな文科行政は望めそうにない。


[写真]
萩生田文科相も「清和会」所属

日刊ゲンダイ、2019/11/12 06:00
モリカケの次は英語民間試験
文教利権貪る「清和会」の罪

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264522/

 外務省は2019年11月8日、旭日(きょくじつ)旗を韓国語で説明した文書をホームページ(HP)で公開した。
 これまでは日本語と英語のみだった。
 仏語とスペイン語版も同時に公開。
 韓国国内で旭日旗を問題視する動きがあり、自民党議員らから韓国語での説明を求める声があがっていた。

 旭日旗は太陽をかたどった意匠で、「日本国内で長い間広く使用されている」「大漁旗や出産、節句の祝いなど、日常生活の様々な場面で使われている」などと意義や歴史を説明した。
 外務省HP内にある「旭日旗」のページに掲載。
 菅義偉官房長官が2013年9月の記者会見で述べた「政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」との発言も各国語で紹介している。
 韓国国会は2019年9月、旭日旗を「第2次世界大戦当時の日本の帝国、軍国主義の象徴」と位置づけ、来年2020年の東京五輪・パラリンピックの競技会場への持ち込み禁止を求める決議を賛成多数で可決した。


[写真]
韓国語で旭日(きょくじつ)旗について説明している外務省HP

朝日新聞、2019年11月11日14時46分
外務省、韓国語で旭日旗説明
HPに「日常生活で使用」
https://www.asahi.com/articles/ASMC8644GMC8UTFK01C.html

ユニフォームの正式発表がありましたが、迷彩柄が変更されるまで、本活動は続行いたします

 2020年のオリンピックにおけるサッカー日本代表のユニフォームが、迷彩柄であると発表されました。
 私たちはこのことに疑問を感じ、日本サッカー協会に再考をお願いしたいと考えます。

 オリンピックはもともと、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことが目的です。
 そして、迷彩服は、もともと戦争における戦闘服です。
 人を殺し合う「戦争」と、ルールを守ってお互いを尊重しあう「スポーツ」は、同じ「戦い」ではあっても、目的が違います。
 また、迷彩服は、今も世界中で、人を殺し合う戦争で用いられています。

 今回の決定で、選手が迷彩服を着れば、サポーターも買って着るでしょう。
 大人だけではなく、子どもも戦闘服である迷彩服を着て、迷彩服で埋まる観客席が世界中で放送される様子を想像してみてください。

 かつて、日本では沢山の人が戦争で死に、今も戦争のトラウマを抱える人が少なくありません。
 その人たちは、競技の様子を見て、戦争を思い浮かべてしまうでしょう。
 そして、海外では迷彩服を着た人たちが、罪もない人びとの命を日々奪い続けている現実が、今もあります。
 日本では戦争は遠い外国の話でも、海外では今も迷彩服は戦争をイメージさせる「戦争における戦闘服」です。
 選手ばかりではなく、迷彩服を着た数十万人の日本人のサポーター達が、日の丸を振りながら大声援に沸くスタジアムに、日本にやってくる人たちはどう思うでしょうか。
 そんな光景は、スポーツを純粋に楽しみたい観客には失望を、アスリートたちには迷いと戸惑いを、そして世界には疑念を生んでしまうのではないでしょうか。

 一方で、戦争とオリンピックとの関係については、「オリンピック停戦」という1993年の国連決議があります。
「オリンピックの前後7日間は、いかなる戦争・紛争も停止する」という国際的ルールであり、この期間中は、停戦の他、観客も無事に帰国できるように各国がはたらきかけています。
「オリンピック停戦」は、国連史上どの決議よりも多くの加盟国に支持されたものであり、国連総会において2年ごとに話し合われるほどの重要な議題です。
 つまり、オリンピックには、戦争とは相反する思想で生まれ、世界がなるべく暴力による物事の解決ではなく、スポーツを通じたコミュニケーションの機会をもってお互いを理解しあい、平和を恒久的なものにするという目的があるのです。

 私たちは、アスリート達が命を削るような厳しい練習の日々を耐え抜き、技も人格も磨き上げることを、よく知っています。
 アスリートは平和の使徒です。
 オリンピックはスポーツを愛し、平和を願う人びとの「平和の祭典」です。
  この祭典を全世界の皆さんとぜひ共有したいと思います。

 私たちは、オリンピックの主催国である日本の代表チームが戦闘服柄を着用することに抵抗を覚えます。
 平和の祭典を、戦争に由来しないユニフォームで開催するように訴えましょう。

 日本サッカー協会は、迷彩柄のユニフォームの採用を再考してください。
 皆様のご賛同をよろしくお願いいたします。


サッカー日本代表、迷彩柄ユニフォームの再考をお願いします。WE LOVE SAMRAI BLUE.
宮脇 文恵さんが 日本サッカー協会、日本オリンピック委員会、アディダスに宛てて立ち上げたキャンペーンに1,048人の賛同者が集まっています。

https://www.change.org/p/要求継続-日本サッカー協会-サッカー日本代表-迷彩柄ユニフォームの再考をお願いします-we-love-samrai-blue

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プラごみ削減

 まずは隗(かい)より始めよう――。
 立憲民主党は今月2019年11月から、ペットボトルに入った飲料の購入をやめた。
 環境政策を推進する立場から、プラスチックごみ削減に率先して取り組む姿勢を示すねらい。
 所属議員らには党の会議などへのペットボトルの持ち込みを控えるよう呼びかけ、缶や瓶の飲み物に順次変更する。

 全廃方針は、来年2020年7月から始まる小売店でのプラスチック製レジ袋の有料化を受けたもの。
 立憲は一部の特殊な袋は対象外とする政府方針を批判。
 全ての袋を有料化するよう環境省に申し入れ、自党の立場を示そうと全廃を決めた。

 枝野幸男代表は2019年11月7日の記者会見で、
「個人を含め全てをいきなり(廃止するの)は難しいが、党の行う会議においてはペットボトルを使わない。国の制度を待つことなく、一人ひとりの行動の大切さを実践していきたい」と説明。
 プラスチックゴミの削減に一役買おうと、枝野氏自身も新たに水筒を購入したという。

 在庫として残っているペットボトル飲料は、党職員らが会議以外で飲み干す予定だ。


[写真]
共産党の志位和夫委員長(左)が立憲民主党を訪れた会談でも、机には缶や瓶の飲み物が並んだ=10月24日午後3時13分、国会

朝日新聞、2019年11月12日13時04分
「ペットボトル買いません」
立憲、プラごみ削減で実践

(井上昇)
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191112000897.html

 20世紀型の大量生産、大量消費という経済モデルは、同時に大量の廃棄物を生み出しました。
 そうした経済社会からの脱却を目指して、日本では2000年に循環型社会形成推進基本法が制定されました。
 最近では欧州連合(EU)が2015年に、循環経済パッケージを発表し、サーキュラーエコノミー(循環経済)の実現に向けた大規模な取り組みを開始しています。

 サーキュラーエコノミーと、これまで日本が進めてきた循環型社会はどこが異なるのでしょう。
 簡単にいえばサーキュラーエコノミーが完全な資源循環を目指す一方で、日本型の循環型社会はそこまでは求めていません。
 廃棄物の焼却で生じる熱の利用に対する考え方に、その違いが端的に表れています。

 話題になることが多いプラスチックごみについては、日本では毎年約900万トンが回収され、リサイクル率は85%程度とされています。
 しかしその内訳を見ると、サーマルリサイクルが約60%を占めています。

 サーマルリサイクルは和製英語で正しくは熱回収といいます。
 熱回収は物質あるいはそのエネルギーを100%、また何度も再利用するものではないため、リサイクルとは定義されません。
 一方でプラスチック製品に再生するマテリアルリサイクルは約20%にすぎず、その処理もアジア各国に依存しています。
 石油に近い形に戻すケミカルリサイクルも数%です。
 国内で純粋にリサイクルされているのは10%程度と、日本のリサイクル率は世界的に見て高いとはいえません。

 焼却で発生する二酸化炭素(CO2)については、炭素回収・貯留技術(CCS)を活用すればよいという考えもありますが、過度な依存へのリスクも指摘されています。
 日本の多くの地方自治体はこうした高価な技術を導入できる財政的な余裕もないでしょう。

 廃棄物処理の実態を国際的に比較するのは難しいことですが、日本は突出して焼却処理が多いのが特徴です。
 他方、広大な国土を持つ国は埋め立て処分に頼るなど、各国それぞれに課題はありますが、完全な資源循環を目指した新しい競争はもう始まっています。


日本経済新聞、2019/11/12 2:00
サーキュラーエコノミーを考える
日本型リサイクルに「循環」の壁

(大阪商業大学准教授 原田禎夫)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52024300R11C19A1SHE000/

The global battle about who will deal with the world’s trash is raging on. This week, Malaysia sent back 3,000 tons of plastic waste in 60 shipping containers to several countries because the waste counts as contaminated under a new law in the country. On Friday, Filipino President Duterte returned 1,500 tons of household waste to Canada after years of legal battle.

Slowly but surely, the global waste trade that kept a low profile for years is entering the public eye. Plastic waste, which is still imported by some countries for use by recycling companies, has been making headlines recently after China decided to prohibit its import amid environmental concerns. While the recycling of foreign plastic waste can be lucrative, lack of regulations and oversight have caused a myriad of problems in receiving countries. After China backed out, Malaysia became one of the biggest plastic waste importers (and is trying to change that).

This turning of the tide is felt in Japan, the United States and Germany, which were the biggest exporters of plastic scrap and waste in 2018. According to data retrieved from the UN Comtrade platform, Japan shipped almost 926,000 tons abroad in the previous year. If the waste was anything like that shipped back from Malaysia this week, that would equal 18,500 shipping containers. The U.S. clocked in more than 811,000 tons, or 16,200 containers, while Germany was responsible for 701,000 tons, or 14,000 containers.

Experts expect the streams of plastic waste exported from industrialized nations to continue shifting to countries where regulation are not (yet) in place.


[graph]
The Biggest Expoters Of Plastic Waste In The World

graph.jpg

Statista, May 31, 2019
Plastic Waste
The Biggest Exporters of Plastic Waste in the World

By Katharina Buchholz, data journalist
https://www.statista.com/chart/18229/biggest-exporters-of-plastic-waste-and-scrap/

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ネトウヨのアイドル、竹田恒泰

『中学歴史 平成30年度文部科学省検定不合格教科書』(以下、不合格教科書)なる本がいま、Amazonでベストセラーになっているのをご存知だろうか。
 タイトルの通り、昨年度の文部科学省教科書検定に申請して「不合格」となった「教科書」がベースになっているというのだが、実は、この本をつくったのは、あの“ネトウヨのアイドル”こと竹田恒泰。
 版元である令和書籍は最近設立された教科書会社で、その社長もやっぱり竹田サンだ。

 昨年度の教科書検定に関しては、朝日新聞デジタルが今年の3月26日付で、申請があった小学校の教科書164点がすべて合格したと伝えるとともに、1点だけ申請のあった中学校教科書が、教科用図書検定調査審議会から「重大な欠陥がある」と不合格判定をする旨の事前通知を受け、申請を取り下げたことを記事にしていた。

 文科省は実質的に「不合格」となった教科書の出版社名など、具体的な情報を公開してこなかったが、それこそ、竹田サンが「国史教科書」と題し、中学校の社会教科(歴史分野)で申請したシロモノ。
 そして、この“出来損ないの教科書”を一般向けに売り出したのが、いまAmazonで売れている『不合格教科書』の正体なのだ。

 もう、出版にいたる経緯からしてキナ臭いが、読んでみると、実際に戦前の「国史」教育を意識したトンデモ本だった。
 たとえば、一般的な日本史の教科書では、旧石器時代から古墳時代までを「原始・古代」として土器等の発掘物や古代中国の史書などをもとに概説する。
 ところが、『不合格教科書』が第一章にもってくるのは「神代・原始」。
 つまり、天地開闢の日本神話(ファンタジー)からスタートするのである。

 これだけでもクラクラしてくるが、さらに読んでいくとグッタリするのが、とても教科書とは思えない誤字脱字や初歩的ミス、誤謬の多さだ。

 たとえば、『不合格教科書』では、1882年に渡欧した伊藤博文について、
〈ドイツのワイマール憲法などを参考に憲法について学びました〉と書かれているのだが、これはウソ。
 伊藤らによる大日本帝国憲法制定に影響を与えたのはプロイセン憲法だ。
 というか、ワイマール憲法は当時まだ生まれてすらいない(だいたい、直後に〈ワイマール憲法とは、第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国が崩壊したあとに制定されたドイツ憲法のことです〉と自ら解説している時点で誤り気がつきそうなものだが……)。
 こんな初歩的な間違いを犯すって、普通に考えてヤバくないか。

 他にも、昭和天皇について、
〈〔前略〕病に伏してしまわれ、そのまま御恢復になることなく、昭和64年1月9日に崩御あそばされました〉
とあるが、事実ではない。
 昭和天皇の崩御は1989年1月7日の早朝だ。仮に単なる誤植だとしても、民族派や天皇絶対主義者が見たら烈火の如く怒りそうな間違いではないか。

 まあ、こうした誰が見てもわかる間違いについては、さすがの竹田サンもマズいと思ったのか、自身のブログで「正誤表」を公開しているのだが、それ以外にも問題は山積。
 とりわけ明治以降の記述は、大日本帝国の国体思想を擁護し、侵略の事実を矮小化するような誘導が各所になされている。
 いくつか紹介しよう。

 たとえば、日本が不平等条約である日韓修好条規締結に利用した江華島事件(1875年)。
『不合格教科書』は、
〈ついに日本の艦艇が朝鮮の砲台から砲撃を受ける江華島事件が起き、日本は強い態度で開国と謝罪を求めた結果、明治9年(1876)に日朝修好条規を締結しました〉と書いている。
 これだけ読むと、何か「無抵抗な日本側が朝鮮側から攻撃を受け、自然に軍事衝突となった」かような印象を受けるだろうが、歴史学的には、事件前から武力的威嚇を行っていた日本軍軍艦による挑発が衝突の原因というのが通説である。

先の戦争を「勝ってもおかしくない戦争」と主張する“お花畑脳”

 教育勅語(1890年発布)に対する評価も過剰だ。
『不合格教科書』ではわざわざ1ページ半のコラムを設け、いわゆる「12の徳目」について、
〈そうです、このような生き方は、先人たちの教えだったのです。先人たちが良き伝統を残してきたから今の日本があると言えるのです〉などと賞賛。
 加えて、
〈しかし、教育勅語はこのような美徳を実践するように国民に命令する箇所はありません。それどころか、天皇自ら実践すると宣言しています〉などと解説する。
 典型的な教育勅語の礼賛だ。

 戦前の教育勅語を現代に復活させようと目論む極右勢力は、きまって「教育勅語は『親孝行せよ』『夫婦は仲良くしろ』などと当たり前の良いことが書いてある」と主張する。
 だが、教育勅語を読めばわかるが、そうした「徳目」はすべて〈天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉すなわち「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」にかかっている。
 12番目の〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉(ひとたび皇国に危機が迫ったならば、忠誠心を発揮してその身命を捧げよ)というのもそうで、つまり“おまえたちは天皇を中心とした神国日本の臣民であり、その身と心を天皇に捧げよ”というのが、教育勅語の本質である。

 もっとも、上に挙げたのはほんの一部で、他にも「どんな脳ミソで書いたのか?」と聞きたくなるような記述は枚挙にいとまがない。
 なかでもヒドいのは “先の戦争は日本が勝てた戦争だった”と大々的に主張していることだろう。
「対米戦争に勝算はあったのか」というコラムのなかで、このように書いている。

〈日本とアメリカは国力を比較すると、圧倒的にアメリカの方が大国です。
 しかし、日米の海軍力を比較すると日本もそれなりの力を持っていたことが分かります。〉

〈無論、国力が異なるので長期戦になったら不利ですが、短期か中期であれば、互角どころか、有利に戦える可能性があったのです。
 戦後になって「勝てるはずがない戦争」といわれることがありますが、兵力差などから分析すると、短期戦あるいは中期戦なら「勝ってもおかしくない戦争」、もしくは「勝たないまでも負けなかった戦争」であると言えます。〉

 いったい何を言っているのだろう。
「うまくやればアメリカに勝てていたはず」とか「もし日独伊が連合国に勝利をおさめたら戦後日本はこうなっていたはず」というような物語をしばしば「架空戦記」と呼ぶが、それは言うまでもなく歴史学ではない。
 ファンタジーである。
 義務教育の教科書に載せられるものではない。

 だいたい、「勝ってもおかしくない戦争」だったらなんだと言うのか。
 戦争は、あまりにも多くの人々の生命と生活、自由と人生を犠牲にする。
 日本人だけではない。
 植民地支配した国々もそうだ。
 日本の「皇軍」は民間人を含む大量の人々を殺し、奪い取った。
 そこから、戦後日本は「もう戦争はしたくない」という人びとの切実な思いとともに歩んできた。

竹田版歴史教科書の執筆者は竹田恒泰本人と竹田研究会の学生

 はっきり言うが、「勝ってもおかしくなかった」などとして戦争の正当化を図ろうとするのは、まさしく、わたしたちが生きる現在までの“日本の歴史”を否定することだ。
 “お花畑”もたいがいにしてほしい。

 もっとも、この『不合格教科書』における「対米戦争に勝算はあったのか」については、文科省からその全体について根拠資料の提出を求められたという(その他39点についても根拠資料を出すよう求められている)。
 同書の巻末には、文科省からの「検定申請図書に係る検定審査不合格の理由の事前通知」が掲載されており、そこに不合格の理由が書かれているので、一部を紹介しておく。

〈学習する上で必要と思われる諸資料が極端に少なく、資料に基づき考察することが非常に困難である。〉

〈特定の時代や題材に偏った構成となっており、全体として調和がとれていない。〉

〈学習した内容を活用してその時代を大観し表現する活動に関する記述が見られないなど、我が国の歴史の大きな流れを各時代の特色を踏まえて理解させるには不十分である。〉

 文科省はこのような指摘をしたようだが、いや、一般論以前の問題だ。
 竹田恒泰が送り出そうとしている「国史教科書」は、初歩的な誤りが多く見当たるのはもちろん、日本の歴史を神話に求めたり、侵略戦争の矮小化ないし正当化を図るなど、義務教育であつかう教材としてあり得ないほど低レベル。不合格は当然だろう。

 というか、こんなレベルで本当に竹田サンは文科省の検定に通るとでも思ったのだろうか。
 実際、執筆者の項目を見てみると、竹田サンが「主筆」で、その他の4人の執筆者はみな「竹田研究会学生部」の学生。
 歴史学の専門家は一人もいない。
 マジでなめてんのか?と聞きたくもなっている。

 ここまでくると、商魂たくましい竹田サンのこと、このトンデモ教科書の申請計画自体、はなから『不合格教科書』として売り出すための単なる“箔付け”“ネタづくり”なのでは……。
 そのあまりにヒドい出来を目の当たりにすると、そんな気すらしてくるのである。

 しかし、『不合格教科書』の前書きでは、同書の売り上げを費用にして、今後も「国史教科書」の制作を続けて検定合格を目指すとしているが、さて、どうだろう。
 “極右仲間”優遇で知られる安倍政権が続いていれば、こんなトンデモ教科書でもそのうち合格しそうなところが、恐ろしい。


[写真]
トンデモ・ベストセラー!

リテラ、2019.06.22 10:45
竹田恒泰『中学歴史 検定不合格教科書』の間違いが酷い!
大日本帝国憲法はワイマール憲法を参考…ワイマールは30年後なのに

https://lite-ra.com/2019/06/post-4788.html

 11月13日、富山県朝日町の教育委員会主催で町内の中・高校生たちに竹田恒泰氏を呼んで講演会をする(生徒たちは強制参加)ってほんとですか。
 幼児の教育勅語の暗唱を絶賛し、Youtube もガイドライン違反で永久凍結させられたごじんですが、教育委員会はなぜ極右に講演させる?
11月5日

 教育勅語さえ実践すれば、それでいい。
 教育勅語さえ実践すれば、それで幸せになれる。
 そんなことを力説する竹田恒泰を講演会に読んで中高生に聞かせるなんて、富山県朝日町の教育委員会はどういう意図でしょうか。
 竹田氏を選んだ経緯と理由を説明しないといけません。
11月5日

 電話確認された方からメッセ。
 人選決定したのは教育委員会と学校関係者。
 町内の中高生徒全員に参加強制 約500名。
 なぜ日本の教育現場は民主主義と市民権ではなく戦前の「教育勅語」に回帰しようとするの !!!
 今回も、極右講演会を生徒に強制決定のプロセス検証が必要。
11月6日

 文科省は以前、前川喜平・前文部科学事務次官という元上司の名古屋市立八王子中学校の講演は不適切といっていたが、竹田恒泰氏のような教育勅語を信奉する違憲論者の中学校での講演は何も問題がないということか、この違いを文科省に聞いてみたい。
11月7日

 富山県朝日町の教育委員会主催 竹田恒泰 さん講演会について、中高生の強制参加はなくなりました。
 しかし税金で公的機関が教育勅語推進の講演会を主催することは変わりません。
 問題はこれから。
 なぜ竹田さんを選んだのか、そのプロセスに不適切な介入がなかったか検証すべきです。
11月8日

 講演会取りやめのお知らせ
 11月13日(水曜日)に予定しておりました、竹田恒泰氏の特別講演会は、事情により取りやめとさせていただきます。


富山県朝日町教育委員会公式サイト、2019年11月11日
https://www.town.asahi.toyama.jp/soshiki/kyoiku/1573441173939.html

 富山県朝日町教育委員会は2019年11月11日、町内で13日に開催予定だった作家の竹田恒泰氏の講演を中止すると発表した。
 開催を妨害するとの予告連絡があり、会場の安全確保に支障があると判断したという。
 予定では、町立朝日中学と県立泊高校の生徒らの活動発表の後に、「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」とのテーマで竹田氏が講演することになっていた。
 町によると、先週から竹田氏の講演に対する意見が電話やメールで多い日には数十件届いた。
 10日には妨害を予告する連絡があった。
 活動発表は会場を変更して行うという。


朝日新聞、2019年11月11日20時21分
作家の竹田恒泰氏の講演、妨害予告で中止
富山・朝日町

https://www.asahi.com/articles/ASMCC6GFBMCCPUZB00S.html?iref=pc_ss_date

 ところで貴方が「ガソリン」という脅迫内容を知り得たのは「地元の誰」ですか??
 15時台の時点では教育委員会の担当者すらも「ガソリンによる脅迫」など全く把握されていなかったんです。
 中止の理由もガソリンは関係していないとのことでしたよ。
 どこから知り得たのかとても興味深いです。
11月11日

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繰り返される「教育勅語」再評価

繰り返される「教育勅語」再評価

「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)復活論は亡霊のように何度でもよみがえる。
 1948年6月に衆参両院でその排除および失効確認が決議されたにもかかわらず、政治家や教育関係者でその再評価を唱えるものがあとを絶たない。

 最近では、大阪の私立幼稚園で、園児が「教育勅語」を暗唱させられているとして話題になった。
 今年2017年4月に開校予定の系列小学校では、「教育勅語」が「教育の要」におかれるのだという。
 しかも、同校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が就任するというのだから驚かされる。
 こうした「教育勅語」の再評価は、今後も繰り返されるだろう。

 それにしても、なぜ「教育勅語」復活論はいつまでたっても消えないのだろうか。
 それは、この文書の内容や歴史がかならずしも広く知られていないことが関係している。

「教育勅語」について、あるものは、いつの時代にも適用できる普遍的な内容として金科玉条のごとく尊び、またあるものは、狂信的な神国思想の権化として蛇蝎のごとく嫌悪する。

 だが、「教育勅語」に対する評価としては両方とも一面的で適切とはいいがたい。

「教育勅語」の内容や歴史をただしく知れば、議論もおのずと収束するはずである。
 そこで、以下では「教育勅語」のたどった道を事実ベースで振り返ってみたい(なお引用にあたって、読みやすさを考慮し、カタカナをひらがなに直し、漢字を開いたところがある)。

弱小国家らしい慎ましい内容

「教育勅語」は1890年10月30日に発布された。
 日清戦争が勃発する約4年前のことである。
 これが「教育勅語」の内容を考えるときのひとつのヒントになる。

 当時の日本は、不平等条約を押し付けられ、いつ植民地にされてもおかしくない、極東の弱小国家のひとつにすぎなかった。
 それゆえ、「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

 たとえば、「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。
 これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。

 むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。
 たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。
 だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

 当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

 そのため、日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。
 大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめたのである。

 その動きはのちに触れるとして、以上を踏まえたうえで、まずは「教育勅語」発布の経緯をみておきたい。

「教育勅語」成立の経緯

 1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。

 ときの首相山県有朋(内務大臣兼任)も国防上の理由などからその求めに同意し、明治天皇より「徳育に関する箴言」編纂の命令を取り付け、腹心の芳川顕正内務次官を文部大臣に据えてその任にあたらせた。
 山県は「軍人勅諭」(「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」、1882年)の民間バージョンを考えていたようだ。

 同年5月、「徳育に関する箴言」の起草は中村正直に依頼された。
 ところが、『西国立志編』の翻案者・中村は啓蒙思想家であり、自由民権運動に親和的な草案を提出してきた。
 そこで、代わりに法制局長官の井上毅に白羽の矢が立った。
 井上は、「大日本帝国憲法」の起草にも関わった法制官僚である。

 能吏の誉れ高い井上は、その評判に反せず、山県の求め以上に完全な文書をめざした。
 井上は、山県に対する書簡で「箴言」ではなく「勅語」の名称を使い、その内容は「王言の体」でなければならないと説いた。

 つまり、君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではないと主張したのである。

 また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

 井上は、明治天皇の侍講で儒教主義者の元田永孚と協議しながら、「教育勅語」を短期間で完成させた。
 その本文はわずか315文字に刈り込まれた。
 それが以下である。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
  明治二十三年十月三十日
 御名 御璽

注釈書は戦前だけで300種類以上

 では、「教育勅語」はどのような内容だったのか。
 実はこれがむずかしい。
 というのも、井上毅が「王言の体」をめざした結果、言葉づかいが曖昧になり、さまざまな解釈を受け入れるものになったからだ。
「教育勅語」の注釈書は、戦前だけで300種類以上も刊行された。

 そのなかでも、帝国大学文科大学教授の井上哲次郎が執筆した『勅語衍義』(1891年)は、ときにもっとも権威があるとされる。
 文部省が公認し、井上毅を含む文教関係者の回覧を受け、天覧にも供されたからである。

 ただ、井上毅が不満を述べ修正を求めた(にもかかわらず修正されなかった)箇所もあり、そのまま採用することはできない。
 それに、井上哲次郎はのちに不敬事件を起こして、帝国日本のイデオローグとしての地位を失った。

 また、「教育勅語」には英訳を含むさまざまな官定翻訳が存在するが、これも正確なものではない。
 なぜならその官製訳は、ヨーロッパ向けでは、日本の先進性をアピールするために意訳されることがあったからである(官定翻訳については、平田諭治『教育勅語国際関係史の研究』を参照されたい)。

 さらに、文部省は1939年から翌年にかけてひそかに学者を集めて「教育勅語」の全文通釈を作成したが、一般に公開されたものではなく、またアジア太平洋戦争(1937〜1945年)下特有の超国家主義的な解釈も行われたため、やはりこれもそのまま鵜呑みにできない。

 このように、「教育勅語」の内容理解は困難をきわめる。
 現在、「現代語訳」として流通しているものにも身勝手な解釈が含まれ、信頼に足るものが少ない。

 とはいえ、具体的な徳目が以下の箇所である点はおおよその同意が取れている。
父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 先述の全文通釈(1940年完成)の該当箇所を以下に引いておく。
 正しい解釈と断言できないが、部分的には参考になる。
父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて気随気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。

 最後の「一旦緩急アレハ(万一危急の大事が起つたならば)」以下はともかくとして、それ以前の徳目の多くはかなり現実的なものだ。

 もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。
 その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。

解釈、追加、修正、補完…

 ただ、前述したように、こうした控えめな内容は、日本が帝国主義列強として成長するにつれ問題視されるにいたった。

「教育勅語」には、国際交流や産業振興に関してかならずしも十分な言及がない。
「一等国」の国民としてこれらは欠かせない徳目だ。
 そこで、1898年第三次伊藤博文内閣の文部大臣に就任した西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

 今日に残されたその草案には、「大国寛容の気象」を発揮して、「藹然社交の徳義を進め、欣然各自の業務を励み」、また女子教育を盛んにするべきなどとある。
 悪くない内容だったが、結局、西園寺の病気と辞職で頓挫してしまった。

 また1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された。

「教育勅語」は植民地を獲得する前に書かれたので、異民族の教育方針にはなりにくい。
 そこで「今上陛下が有個所を修正せられて、新付の民族に賜はる様にすればよくはないか」というのである。
 この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

 しかし、こうした「教育勅語」の改訂・修正案などは、さまざまな理由でうまくいかなかった。

 そのひとつに「不敬」問題があった。
「教育勅語」はその発布以後、小学校の祝祭日の儀式などで校長によって「捧読」され、神聖不可侵な存在となっていった。
 そのため、年々その改訂・修正などがむずかしくなったのである。

 結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。
 1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

 1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。
 これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ。

 このように「教育勅語」の歴史は、解釈、追加、修正、補完などで覆われていた。
「教育勅語」はつねに動揺していたのである。
 これが偽らざるこの文書の姿であった。

復活論はナンセンス

 敗戦後、GHQ内で新しい「教育勅語」を発布させる動きもあったが、ここでは割愛する。
 いずれにせよ、主権在民を原則とする「日本国憲法」のもとで「教育勅語」が廃止された。
 当然というべきである。

「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。
 その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

 ましてかつてなく社会が複雑化し、価値観が多様化した現在、部分的に評価できるところがあるからといって、「教育勅語」全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンスである。

「教育勅語」の内容と歴史を知れば知るほど、そう結論づけざるをえない。

 復活論者は、「『教育勅語』再評価=戦後民主主義批判=反左翼=保守」と早合点し、その内容や歴史の精査を怠り、その復活を唱えることを自己目的化してはいないか。

「教育勅語」の歴史に学ぶことがあるとすれば、それは、ある時代の教育方針を金科玉条のように墨守することではなく、むしろそれを柔軟に見直し、現実に対応していくことであろう。

「教育勅語」を個々人で愛好するのはよい。
 だが、公的に復活するべきかといえば、その答えは明確に否である。

※ 本稿で扱ったテーマは、近刊『文部省の研究 、「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書、2017年4月)でも掘り下げている。「文部省の真の姿」に迫った1冊、どうかご高覧ください(*)。


現代ビジネス、2017.01.23
「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ
ナンセンスな主張が繰り返される理由

(辻田 真佐憲)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50764

(*)辻田真佐憲『文部省の研究』

文部省は(略)つねにほかの組織に介入され続けた。

 天下り問題や獣医学部の新設をめぐる加計学園問題で、にわかに注目の的になった文部科学省。

 辻田真佐憲『文部省の研究』は、そんな文部科学省(前身は文部省)の創設以来の歩みを追った本である。
 副題は「『理想の日本人像』を求めた百五十年」。
 これを読むと、そのときどきの国家の方針や為政者の思惑によって、文部省がどれだけ翻弄され、右往左往してきたかがわかり、情けないやら涙ぐましいやら。

 文部省が正式に発足したのは1871年。
 当初から日本の教育方針は「欧米式の啓蒙主義」と「復古的な儒教主義」の間でゆれていた。
 そこで1890年には「教育勅語」が発布されるが(教育勅語は意外にも近代的な側面を備えていた)、10年おきに勃発する戦争に対応して、この後「理想の日本人像」は激しく変化する。
 日清戦争後にはリベラルな「第二の教育勅語」が構想されたりもしたが、徐々にそれは国家主義的な傾向を強め、1930年代なかば以降は「天皇に無条件で奉仕する臣民」に収斂されていく。

 そして「教育基本法」とともにスタートした戦後。
「理想の日本人像」も大転換した。
 すなわち「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」。
 が、これはこれで普遍的すぎて反動を招く結果となり、さらに高度経済成長期になると企業戦士の養成が課題として浮上、「期待される人間像」が打ち出される。
 今度は「責任をもって黙々と働く日本人」。

 右へ左へと付和雷同する文部省。
 加えて宿敵・日教組との攻防。
 経済界や保守団体の手前勝手な要求と、官邸や他の省庁の介入。

 こうしてみるとたしかに〈文部省は主体的な組織とはいいがたく、つねにほかの組織に介入され続けた〉。
 その伝統を今も引きずってるんだ。
 もちろん、それは教育が重要だからなんだけど、ナショナリズムとグローバリズムの狭間で「理想の日本人像」はゆれ動いてきた。
 その上〈教育をめぐる議論は、イデオロギーが跋扈し、空理空論に陥りやすい〉。
 右派も左派も教育にはうるさいからね。


※ 週刊朝日  2017年8月4日号

dot.asahi ・書評《今週の名言奇言 (週刊朝日)》、2017.7.26 10:51
『文部省の研究』辻田真佐憲著
斎藤美奈子
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2017072500070.html

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2019年11月11日

ブレイディみかこ「みんなで怒らないと」「人がつくった鋳型にはまるな」

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:
★ 2016年12月10日「ブレイディみかこ」
★ 2018年02月21日「私の『貧乏物語』」
★ 2018年02月23日「あの男たちへの批判」
★ 2018年03月20日「スティーヴン・ホーキング博士の最後の闘い」
★ 2019年01月03日「ブレイディみかこ」
★ 2019年02月21日「藤原辰史 京大准教授」
★ 2019年07月20日「日本がこれ以上分断しないため」
★ 2019年08月09日「桃井かおり主演『夏少女』」

パンクな文体で腐った政治を撃つ豪速球投手。
と思えば、ユーモアと繊細さをマジックのごとくブレンドさせた変化球の人。
英国在住のライター、ブレイディみかこさんが放つ言葉の力に勇気づけられた女性たちは多いでしょう。
話題の最新作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)では、英国の公立中学に通う一人息子の葛藤と成長を描きながら、多様性の時代に生きる“ややこしさ”と“奥深さ”を余すことなく伝えてくれます。
一時帰国を機に、女性たちへのメッセージも込めて、たっぷり語ってもらいました。

英国・ブライトン発、「元底辺中学校」の現場から


― 一気に読みました。英国社会の荒廃を無料託児所などの光景から浮き彫りにしたルポや、政府の緊縮財政の愚を指弾する時評とは、ずいぶん雰囲気が違う気がします。

ブレイディみかこ(以下、みかこ): そうかもしれません。
 英国で周囲にいる人々や出会った人びとを観察して書くのでなく、いままさに私自身の現場である子育ての日々を、初めて書いたノンフィクションなんです。

 ロンドンの南、ブライトンという海辺の町で息子が通う公立中は、貧しい白人の子どもが多く、少し前まで学力的に最底辺校と呼ばれていたところです。
 それが音楽とか演劇とか、生徒がやりたいことをのびのびやらせるユニークな改革を重ね、生徒たちの素行も改善され、学力も上がってきた。
 とはいえ、トラブルは日常茶飯事。
 移民問題や貧困問題が背景にあります。
 そこで起きる出来事をちりばめながら、思春期の息子と私たち夫婦のホームドラマの要素も入っているので、マイルドな印象もあるのでしょう。

 単著は10冊目になるらしいのですが、今回は、より多くの読者に届くオープンな本にしたいと思いました。
 自分の主張は控えめにし、状況を皆さんに伝え、考えていただく。
 果たして面白いのかな、という気持ちもありましたけど。


― すごく面白いです。この手法だからこそ、今ひとつわかりにくかった英国社会の最前線の一端を、リアルに知ることができた気がします。

みかこ: 本当に、ぐっちゃぐちゃですからね。
 人種・民族にジェンダーといった軸と、階級という軸とが複雑に交差して。
 移民でもお金をためて一定レベルの生活をしている人もいれば、貧しく取り残された白人も多い。
 いろんなレイヤー(層)があって、互いに意識し、時に差別しあう。
「多様性はややこしい、衝突が絶えないし、ない方が楽だ」って書きましたけどね。
 いま英国は、3度目の大きな変化の波にあるといわれています。
「揺りかごから墓場まで」で有名な福祉政策を打った労働党政権の「1945年のピープルの革命」が最初。
 そして次が80年代、福祉切り捨てや民営化などの新自由主義的路線に転じたサッチャー政権。
 90年代には「第三の道」を提唱したブレアの労働党政権が期待されましたが、失望に終わり、2010年から保守党が進めてきた緊縮財政によって、貧困層にしわ寄せが強まり、社会の分断が進みます。
 EU離脱をめぐり紛糾するいまは、3度目の波のさなかなんですね。

 というわけで、ひどく大変な状況ではあるんですが、子どもたちはたくましい。
 日々、ぶつかりあい、迷い、考えながら、思いがけない方法で、突破していっている。
 乗り越えるというより「いなしていく」という言葉がぴったりかな。
 たとえば、ぼろぼろの制服を着ている友達に、代わりの服をあげたいと思う。
 でも返ってそれは、相手を傷つけることにならないか。
 いざ口にしたら、案の定、不審の目を向けられた。
 とっさに息子は「君は僕の友達だから」と言ったんですね。


― 絶妙の一言ですよね。

みかこ: そのやりとりを目にしたとき、私が思い出したのは、例えばジョージ王子が通っている私立校をはじめとし、「ベストフレンド」という言葉は使っちゃいけない、という方針の学校が出て来た、というニュースでした。
 さすがにPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的な正しさ)の行き過ぎだと、たたかれていたようですが、ほら、いいんだよ、助けたくなるかけがえのない友達がいていいんだよと、息子が示してくれた気がしました。

 そういえば数ヶ月前、マイクロソフトのワードファイルで、AIがPC(ポリティカル・コレクトネス)的に正しくなるよう私たちの文章を書き換えることが可能になるというニュースが話題になりました。
 PCを否定するつもりはありません。
 それは多様な社会で生きるために必要なものです。
 でも、あらかじめ問題になりそうな言葉が、「なぜいけないのか」を考える暇もなく排除されてしまったら、その言葉を吐かれた人の痛みといった現実的なことを考えてみる機会も、奪われかねない。
 深く理解することと、傷つけあって学ぶこと。
 2つが結びついている場合もあると思う。
(*1)

― ご本の中で、多様性は楽じゃないと伝えたブレイディさんに、息子さんが「楽じゃないものがどうしていいの?」と尋ね、「楽ばっかりしてると、無知になるから」と答える場面が印象的でした。

みかこ: さっきの話に通じることです。
 今の時代、インターネットで何でも手に入れられると思いがちですね。
 でもそれで知識を得たことにはならないでしょう?
 私、よく「地べた」という言葉を使うんです。
「机上」に対する「地べた」。
 地べたで実際に人とぶつかる中から、本当の理解が生まれる。
 インテリジェンスというより、「叡智」みたいなもの。
 それが今の世の中、欠けていないでしょうか。
 頭で考えすぎて、空中戦になりがちな今の風潮をみていると、子どもたちの世界の方がよっぽど人間として大人で、まともに思えることも多い。
 もちろん、物事を論理的に考えていく知的な作業の大切さも承知しています。
 あるとき、息子が「エンパシー」という言葉の意味を、学校のシティズンシップの試験で問われて、「誰かの靴を履いてみること」と回答したというんですね。
 これは英語の定型表現なのですが、シンパシー(同情する)と違い、エンパシーは自分と違う理念や信念をもつ人のことを想像してみる、主体的な力のことです(the ability to understand other people's feelings and problems・・・Longman"Dictionary of contemporary English")。
 息子は、EU離脱などで分断が進む今の社会で、その力が大切になると教わったらしいです。


― ご本の魅力の一つは、そうした息子さんの聡明さですね。さまざまなバックグラウンドをもつ友人たち、先生、お母さんお父さん、道ですれ違う人たちまで、いろんな言葉や態度から、さまざまなことを感じ取り、考え、次に生かしている。

みかこ: いえいえ、まったく聡明じゃないところもありますけどね。
 でも、もう13歳ですから、スポンジみたいな吸収力には驚かされます。
 えっ、そんなこと覚えていたんだと、はっとさせられることは多いです。
 私も、一緒に学んでいく日々です。


ライター・保育士、ブレイディみかこができるまで

― 福岡のお生まれですね。どんな子どもでしたか。

みかこ: 気が強かったですね(笑)。
 とっくみあいのケンカもしましたよ。
 勉強は全然しなかったけど、試験の要領だけはよかった。
 家は土建屋なんですが、貧乏でしたね。
 周りもそんな感じだったから、中学まではあまり気にならなかった。
 ところが地元の進学高に入学して、家のことは一切言えなくなりました。
 お金がなくてパン1つしか買えなくても「ダイエット」なんてウソついて。
 裕福な家庭の子どもたちには、貧乏のイメージがわかないわけですよ。
 彼らの幸せな世界を、こんな暗い話題で壊しちゃいけない、と感じていた。


― それは、自分を保つため?

みかこ: そうだったと思いますね。
 恥ずかしかった。
 なんでこんなに貧乏なんだろう、なんでこんなところに生まれちゃったんだろうって。
 親がバカだからだと思っていましたよね、ずっと。
 上の学校に行きたいとか、お金があれば、ああいうこともできた、って気持ちは当然ありましたけど、自分でなんとかしなきゃいけない。
 で、バスの定期券を買うために、スーパーのレジ打ちのバイトをやっていたんですが、あるとき学校にばれちゃったんですね。
 そうしたら担任から叱られた。
 理由を正直に説明したら「いまどきそんな家庭があるわけない」って。
 そこから、本気でグレましたね。
 授業をさぼり、バンドばっかりの生活になった。
 英国との出会いはそのころからです。
 学校で家のことを話せない自分がいて、でも帰宅してブリティッシュ・ロックを聴いたら、労働者階級である自分を誇りに思う人たちがいると知る。
 会ってみたい、彼らの国に行ってみたいと、あこがれました。


― いつから渡英したのですか。

みかこ: 高校卒業後の80年代半ばです。
 行ってみたら、やっぱりすごく気が楽でした。
 労働者階級の誇りも肌で感じましたけど、何ていうかなあ……あまりちっちゃなことにこだわらない。
 自分は自分で、好きにしていられる。
 それが日本と決定的に違った。
 で、ビザが切れると帰国して、お金をためてまた出かける、というフーテン暮らしを続けました。
 男性を追いかけていったこともありましたね、はい(笑)。
 バブル世代だから、楽天的だったのかもしれません。
 いまはこんなフラフラしていても、何とかなる、という根拠なき確信を抱いて生きられる時代だった。
 その後、アイルランド系の英国人の夫と知りあい、結婚して1996年からブライトンに住み始めました。
 この間、日系企業のアシスタントをしたり、翻訳の仕事をしたり。新聞社で働いたこともありますが、特派員が発信する英国だけが日本に情報として入るとしたら、かなり偏ってしまうなと正直思っていた。
 駐在員の記者の方々はいつも多忙で、地元のコミュニティに根差して生活しているとは言い難い。
 そうすると、英国の人びとの感覚と報道がずれて行くのは当然です。
 だからと言って、自分が書こうとか、そんなことは夢にも思ってませんでしたが。
 ライターの仕事は、ほんの小遣い稼ぎに始めたことです。
 それが変わってきたのは音楽雑誌「エレキング」に書くようになってからですね。
 好きな音楽について書き始めると、政治も社会も、いろいろと自分の言いたいことがわいてきた感じで。
 そうこうするうち、2006年に出産し、翌年に保育士見習いを始めるわけです。


― そもそも、また何で保育士に?

みかこ: 自分の子を産むまでは、子どもなんてケダモノというくらい、好きじゃなかったんですよ。
 それが、世の中に子どもほど面白いものはない、と大転換が起きた。
 無料託児所の門をたたいたら、ここの創設者が地元では伝説の幼児教育者だった。
 息子は彼女に見てもらったのですが、親なら見逃すような成長のあとも、詳細に記録してくれるプロ。
 平等も自由も大切だ、両方あってしかるべきだという理念の持ち主でした。
 私の師匠、と呼べる人ですね。
 でも当時の保守党の緊縮政策のツケで、託児所はつぶれてしまいます。
 そこから保育士の仕事をPR誌に書いてほしいとみすず書房から声がかかり、別途、ヤフーニュースでも執筆依頼があって、その記事を集めた本が岩波書店から出た。
 人文書の世界にデビューみたいな感じですかね。
 それから今日に至る……ほとんど成り行き、ですよね。


― でも、もともとはライター志望だったのですか。

みかこ: いやいや、そんなことないですよ。
 ただ、本を読むこと、文章を書くことは、好きだったのかな。
 十代のころは、けっこう小説を読んでいて、特に好きだったのは坂口安吾とオスカー・ワイルド。
 流行りの作家なんかも、わりと読みましたね。
 あと、不良だった高校のとき、白紙で出した答案用紙の裏に、バンドの詞や、大杉栄についてのミニ論文とか、ヒマだから書いてたんです。
 そうしたら、私の文章を読んだ現代国語の先生が「君は物を書きなさい」と言ってくれて。
 どの先生からもたらい回しにされていた私の面倒をみる、と言ってくれ、2年生、3年生と担任になってくれた。
 何度も何度も自宅に足を運んでくれて、「大学に進んでたくさん本を読んで、たくさん文章を書きなさい」と。
 まあ、うっとうしくて勉強もやりたくなかったから、大学には進まなかったんですけど……。
 回り回って、こうして物書きになった。
 不思議ですよね。


― いろいろな出会いが、いまのブレイディさんをつくってきたのですね。ご本にも、息子さんの友達2人に絶妙なケンカ両成敗が下された話にからめて、小学校の恩師のことが思い出されていました。

みかこ: 周囲の反対を押し切って、差別を受けていたコミュニティの人と結婚した方です。
 きっとご自分の経験があったからこそでしょう、彼女は、どの差別がよりいけない、という前に、「人を傷つけることはどんなことでもよくない」と子どもたちに言い聞かせていました。
 もう40年ほど前で、半分覚えていたかどうか、くらいの話だったのに、息子の話を聞いてフラッシュバックのように蘇ってきた。
 子育ての面白さは、そんなところにもありますね。


日本社会へ、日本の女性たちへ

― 平成のほぼ30年、離れていた日本は、いまブレイディさんの目にどう映りますか。

みかこ: 一言でいうと、窮屈になった。
 帰国するたび、そう感じますね。
 さまざまな現場で若い人たちを取材したことがあるのですが(「THIS IS JAPAN」、太田出版)、仕事でも人間関係でも、生きづらさを自分のせいにする。
 自己責任論というやつですね。
 どうにかなるという楽天的なところも感じられない。
 私も若いころ、めちゃくちゃ貧乏だったけど、もう少し楽天的でした。
 今の、この時代を覆う空気なんでしょうね、きっと。

 それから気になるのは、女性問題。
 英国にいると、特に去年くらいから、女子学生を不利にする医学部入試とか、相撲の土俵に女性が上がれないとか、女性が虐げられた国・日本、というニュースばかり目に入ります。
 海外メディアにとっては、いかにも日本っぽいという話題で、飛びついている面もあるでしょうけど、悲しいのは、「いや、それはウソです」と言えないことですね。


― 確かに。反論できない。

みかこ: いまの日本で何がいちばんダメかといえば、経済と女性問題です。
 この問題をどうにかしていくには、フェミニズムのありかたを考え直すべきじゃないかと思う。
 男性社会で差別はいろいろあったし、つらい目にあったけど乗り越えた。
 私=グレイト、だからあなたも頑張れ――こんな新自由主義的な発想では、逆に個人が生きづらくなると思う。
 もっとソーシャルなフェミニズムを作りだしていかなければいけないのでは。
 世界的に広がった「Me Too」の運動だって、そういう方向でしょう?
 フェミニズムといって語弊があるなら、シスターフッド(女性同士の連帯)と言い換えてもいい。
 つらいことをなくしていこうよ、という社会制度を変えていく方向への転換は、一人じゃ絶対無理ですから。
 最近、韓国の女性作家の「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ著、斎藤真理子翻訳、筑摩書房、2018年12月)っていう本が売れているじゃないですか。
 知りあいに聞いたら、あれを読んだ韓国の女性はみんな怒った。
 でも日本の女性は泣いたと。
 これが示唆するものは大きいと思う。
 泣いて終わってたら、しょうがない。
 涙が乾いたら明日からがんばろうじゃ何も変わらない。
 やっぱり、みんなで怒らないと、誰もビビらないですよ。


― でも以前、フェミニズムって「おっかない」と感じていたと書いていましたよね。

みかこ: ええ、そう思ってました!
 私なんか、きっと怒られるって。
 だから最近まで直接的には書かなかったんです。
 やっぱり、フェミニズムが学問になってしまって、第一波がこう、第二波がこうと(笑)。
 そんなことを知らない学のないおまえが言うな、と言われそうだから発言しちゃいけないのかな、と思ってた。
 でも、これからの女性の運動は、フェミニズムのフェの字も知らないような人が「私もつらい」「おかしいと思う」と声をあげる、あげてもいいんだ、と思えるものにしないと実際には何も変えられないと思う。
 女だからといって、何でこんな目にあわなきゃいけないの?と誰もが言い出せる勇気をもらえるものにしないと。

 フェミニズムも左派も、よく分裂しますよね。
 左派は思想や理念で分裂するのが宿命だとよく言われますけど、でも女性であるということは思想や理念じゃないですよね。
 事実であり、現実です。
 なのに無駄に分かれて行ったら、それだけ声が細く小さくなって行く。
 そもそも女性って数的にはマイノリティでも何でもないですよ。
 世の中の半分、しっかり生きているんですから。
 これが何で、いまだにマイノリティということになってるのかが問題であって。
 もちろん個人であることも大事ですよ。
 だれかと同じになれ、って上から言われたら、私はぜったいイヤだし、まず、なれないし。
 個人でありながら、そのうえで、ゆるやかに連帯する。
 個人的なものとソーシャルなものはいつも対立する概念でもないですよね。
 私が私として生きられるようにするために連帯して闘うこともある。
 要するに、このバランスが大切なんですよね。


― 萎縮し、閉塞する一方の、日本社会へのメッセージは、ありますか。

みかこ: 不確実な時代って、みんな正しい答えをほしがります。
 迷ったり、間違ったり、道を踏み外したりすることを恐れる。
 そういう機運が、ますます閉塞を強める。
 だから、そういう時代こそ「迷ってやる」くらいの気持ちが必要じゃないかな。
 自ら迷いながら、探していく。
 ネットに答えなんか載ってない。
 だから、ここだけが世界だと思わないこと。
 迷っているあいだに、まったく違う世界が見つかるかもしれない。
 今ある世界が、すべてじゃない。
 どんどん違う世界に出ていけばいいと思いますよ。
 最近、100年前に生きた日英の3人の女性、アナキストや運動家のことを本に書いたのですが(『女たちのテロル』、岩波書店、2019年5月)、いまの時代にアナキズムが必要だとすれば、「鋳型にはまるな」っていうことなんだと思う。
 人がつくった鋳型にはまるな。
 今ある鋳型を信じるな。
 これだけ世界が大きく変わっている時代です。
 これまでの鋳型を信じてやっていても、しくじる可能性が高いですし(笑)


― 今後のお仕事は。

みかこ: 私は自分が論客とは思っていません。
 なりたいとも思っていない。
 現場を大切にしたいのもあるし、何が書かれているかよりも、「どう書くか」のほうが気になるということは、書き始めた頃からずっと言ってきた。
 物書き、ですよね。
 明確にそうありたい、と思っています。
 ただ、小説とかノンフィクションとか評論とかエッセイとかルポとか、ジャンル分けが細かすぎると思うことがよくあります。
 形式にこだわりすぎというか別に、ぎちぎちに分けなくてもいいんじゃないかと。
 ジャンルをクロスオーバーしていると、邪道というか、イロモノ扱いもされますけど、窮屈なところにはまり込むより面白いと思います。

 先日、詩人の伊藤比呂美(*2)さんと会ったんですが、彼女は詩だけでなく、エッセイや小説も書かれていますけど、「私の書くものすべてが詩だ」と仰ってます。
 僭越ながら、その感覚はわかる気がする。
 と言っても私は詩人じゃないので、「私」がジャンルということにしておきますか。なあんて。


※ ブレイディみかこ、保育士、ライター、コラムニスト
1965年福岡市生まれ、高校卒業後、渡英を重ね、96年からブライトン在住。本文中で紹介した著書のほか、「花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION」(ちくま文庫)、「アナキズム・イン・ザ・UK」(Pヴァイン)、「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)、「子どもたちの階級闘争」(みすず書房、新潮ドキュメント賞)、「労働者階級の反乱」(光文社新書)などがある。

朝日新聞・好書好日、2019.09.26
ブレイディみかこさん『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』インタビュー
多様性は楽じゃないけど「楽ばっかりしていると無知になる」

(文:藤生京子、写真:家老芳美)
https://book.asahi.com/article/12738111

(*1)PC(ポリティカル・コレクトネス)
 どうも、ドイツに外国人として暮らす wasabi です。
 突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現、およびその概念を指す。
(Wikipedia)

 要するにポリティカル・コレクトネス(略称:PC)とは「差別的な表現をなくそう」とする概念のことなんです。日本語にすると「政治的正しさ」みたいな訳になってしまいますが、これは例えば「自民党が正しくあるためにはこうあるべき」とかそういう正しさのみを指すものではないです。
 日本でも移民や在日外国人に対する憎悪や軽蔑の念を込めて発言する「ヘイトスピーチ」が問題になっています。
https://ironna.jp/theme/43
 この記事内で投票形式で議論されている通り、ヘイトスピーチはPC的観点から規制されるべきなのか、はたまた「表現の自由」として保障されるべきなのかという視点で問題が議論されています。
 日本では法規制が採決見送りになってしまったそうですが、アメリカ、カナダ、他欧州各国ではヘイトスピーチは法律によって厳しく罰せられる対象となっています。ドイツもヘイトスピーチにはかなり厳しい処罰が適用されます。
ドイツは、ヘイトスピーチを世界で最も厳しく取り締まる国の一つだ。ヘイトスピーチは、刑法第130条の「民族扇動罪(Volksverhetzung)」に該当し、裁判所は最低3ヶ月、最高5ヶ月の禁固刑を科すことができる。
(ハフィントンポスト:熊谷徹氏)

というわけで、他民族が共存するドイツやその他欧米では「ヘイトスピーチが表現の自由か?」と議論することはもはや論外な訳ですが、もっと広義のポリティカル・コレクトネスという概念については戸惑いを覚える人もいるそうです。
 ポリティカル・コレクトネスとヘイトスピーチの違いは、後者が攻撃的な発言のみを指すのに対して、ポリティカル・コレクトネスを持ち出すと、「何気に発言してしまった差別的なこと」まで含まれます。
 良い例として、またまたアメリカのコメディ・アニメ、サウス・パークがこれについて面白いエピソードを作ってくれました。
 シーズン19のエピソード「Stunning and Brave」のテーマは、自身の出演したリアリティ番組をきっかけに性同一性障害だったことを告白し、女性に性転換をしたことが話題となった、元アメフト選手ケイトリン・ジェンナー。アメリカでは彼女のことを“Stunning and Brave”(魅力的で、勇敢だ)と評価するのがポリティカル・コレクトネス(PC)の観点から一般的だそうです。というのも彼女のことを悪く言うのは「ダサイ」ことで、許されるべきではないという空気感があるそう。
 しかしエピソード内で、主人公の一人であるカイルが、「個人的に彼をそんなにすごいと思わない」と悪気がなくて言ってしまった途端、PCを押し付ける校長やその他PCフラタニティ(サークルみたいな団体)に責められまくり、PCがやっかいなものになっていく・・・という展開で話は進んで行きます。
 さすが時事ネタや議論を呼ぶテーマを扱うサウス・パーク。PCは大事だけど、固執しすぎるがあまり、社会が窮屈になっていないか?という風刺をしたエピソードでした。

 と、そこで気になったのは日本語の「平等」という概念。これは欧米からやってきたポリティカル・コレクトネスの概念と相容れるものなのでしょうか?そんなことを考えていると面白いYoutubeのビデオに出会いました。これは、日本語の「差別」と「平等」の概念の根底を検証した話です。
https://www.youtube.com/watch?v=dNipmf7az3w
 お時間のある人は是非ビデオの最初から最後まで見て欲しいところですが、簡単にまとめると日本語の「平等」と「差別」は仏教語から翻訳された翻訳語なんだそうです。

 今でこそ日本では「男女平等、差別反対」などという使われ方をする、「差別」という言葉。
 これはもともと「しゃべつ」と発音されていて、男女差別等の差別に限らず「ものを区別する」という意味だったそうです。
 例えば、目の前に机がそこにあればそれを「机」という名前で区別して、自分と机の違いを認識しますよね。
 仏教語ではこれも「差別」ということになります。

 でも、「平等」というのは言って見れば「一切の差別を捨てる」、様子するに全ての区別をなくすということなんだそうです。
 男と女の違い、日本人とドイツ人の違い、どころの話ではなくて究極には、ゴキブリも、机も、私も、ゲイもレズも、欧米人もアジア人も世の中にあるものみ〜〜〜んな一緒、という哲学が「平等」という言葉の裏には隠れていたんです。
 これってスゴイことですよね。完全に「無」の境地です。

 アメリカ発のポリティカル・コレクトネスは人間には適用されていますが、まだゴキブリや机にまでは適用されていません。「机って呼ぶな、机も人間と同じなんだ!」と叫ぶ人がいたらコイツは大丈夫か?と思われるのがオチです。
 もちろん、動物愛護などの意識は欧米では高まっていますが、机同様、動物と人間の違いを区別(差別)するからこそ「愛護しなければ」という意識が生まれるのは否定できません。

 これって、人種にも当てはまると思うのです。私はもちろん人種差別は大反対ですし、自分がされたらとても悲しいですが、同時に「人種差別反対」と言いながら「日本人とドイツ人は一緒だ」と言われたら素直に納得できないですし、その違いを楽しんでいる節もあります。
 違いを認める、と言えば響きは良いのかもしれませんが、仏教から派生した平等の概念で言えば、「違いを認識する、ことすらも捨て去る」わけですから、その境地は完全に無です。
 もはやポリティカル・コレクトネスという概念さえ「平等」の前には存在しません。

 それでも、やっぱりポリティカル・コレクトネスという概念は現代において非常に重要な役割を持っていると私は思っています。
 なぜなら世の中は仏教の「平等」が実現するような「何にも軸を置いていない状態」に耐えられないからです。
 多くの人にとって、最強のカオス状態である「無」は非常に恐ろしいものです。
 秩序を保たなければいけない世の中において、そしてルールが存在している世の中においてはPCのような概念をもって、徐々に無(平等)に近づいて行くことが大切なんじゃないかと思います。
 そんなこんなで「平等」の境地、考えると頭がグルグルしてきますがいつか辿り着いてみたいです。

(2015年10月16日「WSBI」より転載)


ハフポスト、2015年12月15日 02時38分 JST
ポリティカル・コレクトネスとは?「平等」の本当の意味が面白い
突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?

(藤沢祐子 wasabi、ブロガー、ライター、翻訳家)
https://www.huffingtonpost.jp/yuko-fujisawa/political-correctness_b_8802070.html

(*2)伊藤比呂美
ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください:
★ 2017年11月03日「詩人・伊藤比呂美」
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ステマって何?

 京都市が吉本興業所属の漫才コンビ「ミキ」にツイッターで施策を発信してもらうため、同社と100万円を支払う契約を結んでいたが、同市がこのほかにも同社所属のタレントのツイートに50万円を払う契約をしていたことがわかった。

 京都市によると、市が定めた3月の「伝統産業の日」をPRするため、昨年2018年1月に計216万円の業務委託契約を締結。
 同社のタレントが「きもので乾杯」というイベントに出席するなどとする内容で、20万人以上のフォロワー(登録者)を持つタレントによるツイートに50万円を支払うことも含まれていた。

 昨年2018年2〜3月、当時20万人以上のフォロワーがいた「ミキ」の亜生さんが「京都出身ということで、僕たちが京都市の伝統産業の日のPRをさせてもらうことになりました!」と投稿したほか、木村祐一さんが「『きもので乾杯』@北野天満宮」と投稿するなど、計5組がツイート。
 一連のツイートには「#伝統産業の日」といったハッシュタグはついていたが、市が広告主であることは明示されていなかった。

 市の施策に関するツイートを巡っては広告でありながらそれを隠す「ステルスマーケティング(ステマ)」との指摘もあるが、市の広報担当者は、
「ステマという認識はない。より多くの方に市政情報を知っていただくために実施したが、指摘を受け、今後はより分かりやすく効果的な広報を心がけていく」としている。

 ネット広告に詳しい板倉陽一郎弁護士(第二東京弁護士会)は、
「金銭の提供を受けながら明示していないため、ステマと指摘される恐れはある。PRであることを明記するだけでなく、誰のPRであるかも明らかにすべきだ」と指摘した。

 藤代裕之法政大准教授(ソーシャルメディア論)は、
「PRであると書いてあれば関係性が明らかになるため、ステマとはいえないのではないか」との見解を示した上で、ステマに明確な定義がないことが混乱を招いているとし、
「ステマを撲滅するためにも、金銭の提供がある場合、どう表記すべきか、実効性のあるルールづくりを急ぐべきだ」と語った。


[写真]
木村祐一さんのツイート

朝日新聞、2019年10月29日21時40分
ステマ?ツイート、木村祐一さんらも判明
吉本興業契約

(大貫聡子)
https://digital.asahi.com/articles/ASMBY636MMBYPTIL030.html

 京都市と吉本興業の契約に基づき同社所属の漫才コンビ「ミキ」が市の施策を投稿したツイッターについて、吉本興業が市関連のハッシュタグが明記されているとして、口コミを装ってPRする「ステルスマーケティング(ステマ)」に該当しないとする見解をまとめたことが2019年10月30日、関係者への取材で分かった。

 市と吉本興業は昨年2018年9月、総額420万円で京都国際映画祭などの宣伝事業を契約。
 ミキら所属芸人で「京都市盛り上げ隊」を結成しイベントや広報紙に登場し、ミキの2人が計100万円で施策をツイートした。


東京新聞、2019年10月30日 21時48分
吉本興業「ステマに該当せず」
京都市の施策PR投稿

(共同)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019103001002361.html

 2019年も残すところ2ヵ月を切ったが、今年何かと世間を騒がせているのが、吉本興業ホールディングスだ。
 
 お笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之ら複数の芸人による「闇営業」騒動に加えて、「チュートリアル」の徳井義実が約1億2000万円の申告漏れで活動自粛に追い込まれるなど、所属芸人による不祥事が相次いだ。

「どちらの騒動も、当該芸人のみならず、吉本サイドの対応にも世間から疑問の声が上がりました。『テープ撮ってへんやろな?』や『在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫』、『お前ら全員クビにするぞ』といった岡本(昭男)社長の“恫喝発言”しかり。最近の徳井さんの騒動でも、吉本サイドは当初、活動自粛の可能性は『全然ない』としていましたからね。反省よりも、ドル箱タレントを何とかして守ろうというビジネス優先の意思が見えみえで、世間の反感を買うことになりました」
(スポーツ紙デスク)
 
 そんな中、ここに来て注目を集めているのが、人気上昇中の兄弟コンビ「ミキ」による“ステマツイート疑惑騒動”だ。

「ミキ」が昨年2018年の10月に京都国際映画祭やふるさと納税、市営地下鉄の宣伝のため、広告であることを明示しない形でSNSのツイッターでツイート。
 その対価として、吉本興業が京都市から100万円を受け取ったことが、「ステルスマーケティング(=ステマ)」ではないかと指摘されている。

 他の芸能事務所のマネジャーは語る。

「『ミキ』にしてみれば、事務所の指示でツイートした可能性もあり、そうであれば人気に水を差された格好で可哀そうな部分もあります。吉本さんは『#京都市盛り上げ隊』といったハッシュタグを投稿につけていたことから、『プロモーション業務であるということは世間一般にご理解いただける』とステマには当たらないという見解を表明しています。でも、IT関連の識者も指摘しているように、著名人によるSNSを利用したステマに関しては風当たりも強く、脇が甘すぎると言わざるを得ません」
 
 そのうえで、
「それでなくても、吉本さんは最近不祥事続きで世間の風当たりも強い。加えて、過去に“ペニーオークション詐欺騒動”の際に『ピース』の綾部(祐二)さんが関わっていたことで、世間の批判を浴びていますしね」と業界内からも厳しい意見も多い。

 そして最近、こうした声に動揺した吉本サイドの“ある動き”が業界と話題となっている。
 民放テレビ局の番組スタッフは明かす。

「『ミキ』のステマ疑惑に関しては、一部のテレビ局の情報番組がニュースとして扱ったのですが、これに吉本サイドが激怒。吉本興業の幹部が自らアポなしである局に乗り込み、局上層部に『事実を確認せずに報じている』と抗議したそうです。そのことは局内外で話題になっています」
 
 逆風続きでピリピリしがちなのも分からないではないが、一連の騒動を見るにつけて、まずは他者への攻撃よりも、自浄作用を優先した方がいいのでは!?

※ 週刊朝日オンライン限定記事


[写真]
伝統産業の日をPRする問題の「ミキ」昴生さんのツイート

dot.asahi、2019.11.4 15:13
「ミキ」ステマ騒動で吉本幹部がテレビ局に抗議も?!
(立花茂)
https://dot.asahi.com/wa/2019110400007.html

 京都市が吉本興業所属の市出身の漫才コンビ「ミキ」による施策PRのツイッターに100万円を支払う契約を結んでいた問題で、口コミを装った広告「ステルスマーケティング(ステマ)」ではないかとの議論がわき起こった。
 京都市や吉本興業側は「ステマではない」との立場だが、識者からは広報の手法を疑問視する声が相次いだ。
 ツイッターなどSNSで影響力のある人物「インフルエンサー」を活用する宣伝が広がる中、識者は業界団体が作ったガイドラインの活用や、発信する側の倫理向上を呼び掛けている。

 問題となったミキのツイートは2018年10月、「京都最高ー♪みんなで京都を盛り上げましょう!!」などの内容で投稿された。
 市の説明では、タレントの発信力を生かした取り組みとして吉本側から提案があったという。
 文面は事前に市の担当者が確認していた。

 ツイートに「#京都市盛り上げ隊」「#京都市ふるさと納税」などのハッシュタグ(検索目印)はあったが、市が広告主とする記載はなかった。
 このためネットなどでは「ステマでは」との意見が相次ぎ、京都市には苦情の電話が相次いだ。

 口コミマーケティングに詳しいブロガーの徳力基彦さん(46)は、
「最大の問題は金銭が発生しているのにそれを開示しないことで、ミキの郷土愛と感じた情報の受け手が『だまされた』と思ってしまうこと」と指摘。
「明らかな宣伝なので市が広告主だと明記すべき。『違法ではないから良い』という考えは法的には間違いではないかもしれないが不適切」と話す。


 市市長公室の担当者は京都新聞社の取材に「市の発信だと分かってもらえると思っていたが、市民から『分からない』というご批判を多くいただいた。課題としてしっかりと受け止め、今後の広報に生かしていきたい」と話す。

 吉本は10月30日に見解を発表した。
「京都市との連携を示すタグ表示と活動の周知により、今回のツイートが市のためのプロモーション業務であるということは世間一般にご理解いただけるものと考えている」とし、ステマには当たらないと主張する。

 ステマは、やらせ業者の投稿でグルメ口コミサイトの順位が操作されたケースや、オークションサイトを巡ってタレントが謝礼を受け取って虚偽の内容でサイトを宣伝する記事をブログに掲載していたことで注目された。
 発覚すれば世間の批判が集まり「炎上」のリスクはあるものの、広告業界の関係者によると、依然としてステマが疑われるSNSの投稿は後を絶たないという。
 徳力さんは「内部告発でも無い限り、証明はできない」と根深さを語る。

 米国では「欺まん的行為」としてステマは法で規制されているが、日本では法整備はされていない。
 明確な基準はなく、グレーゾーンの領域が広いのが現状だ。


 業界内では健全化に向けた動きがある。

 大手広告代理店などが2009年に民間団体「WOMマーケティング協議会」を立ち上げ、「正しく情報を知る権利」の保護を目的にステマ対策のガイドラインを策定。
 ネットで公開して啓発活動を行っている。
 ポイントは、金銭や物品、サービスなどが広告主から情報発信者に提供された場合、その関係性を明示することを義務としたことだ。
 具体的にはハッシュタグに「PR」「プロモーション」などを付けることを求めている。
 だが、あくまで民間団体のガイドラインのため、会員以外は守る義務はない。

 同協議会の細川一成理事は、
ステマは消費者をだますだけではなく、企業や自治体のブランドを傷つけてインフルエンサーも信用を失う。ガイドラインを参考にして、より明確な関係性の表記をしてほしい」と訴えている。

※ 京都市の吉本興業タレントSNS発信問題

 京都市は吉本興業と2018年度、「京都国際映画祭」などのPRで、所属する有名タレントのSNS発信1回につき50万円を支払う業務委託契約を締結。これに基づき、市出身の漫才コンビ「ミキ」の2人がツイッターで市政に関わる内容をそれぞれ2回つぶやいた。市は2017年度にも、市の定める「伝統産業の日」に関連し、ミキら複数のタレントのSNS発信に対し、一括で50万円を吉本興業へ支払う契約を結んでいた。


[写真-1]
京都新聞社が京都市への情報公開請求で入手した吉本興業との委託契約書。所属タレントがSNSで発信する内容が盛り込まれている

[写真-2]
「ミキ」が発信していたツイートの一部。「#京都市盛り上げ隊」などの記述がある

京都新聞、2019年11月9日 10:30
ステマ?後絶たず、日本は法規制なし
漫才コンビツイート問題、問われる発信側倫理

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/65725

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2019年11月10日

「安倍晋三記念小学校」

「桜を見る会」が首相後援会の恒例行事に
https://www.youtube.com/watch?v=FqG_eybQ_ZE

 党派を超えて、数年に一度の素晴らしい質疑だったと思います。
 少し長いかもしれませんが、やり取りに引き込まれて、あっという間に感じます。
 多くの方にご覧いただきたいとお願いします。

「桜を見る会」安倍政権の私物化やめよ
https://www.youtube.com/watch?v=d_jNl_PisMo

 菅義偉・官房長官の記者会見をめぐる望月衣塑子・東京新聞記者の質問内容について、長谷川栄一内閣広報官ら首相官邸側が、東京新聞側に申し入れたのは合計9件だった。

 このうち、官邸が「事実誤認・事実に反する」などとしたのが5件あった。残りは、質問ではなく「意見」「要請」「個人的見解」との指摘で、それぞれ1件。そして、報道発表前の情報に質問のなかで触れたとして抗議したのが1件――という内訳だ。

 今回は「事実誤認だ」とする2018年3月2日の申し入れを取り上げたい。

「朝日新聞が誤りを認め、記事の内容を正した記事は書かれていない」――。

 東京新聞が2019年2月20日朝刊に掲載した特集記事「検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ」によると、同紙がそう記された文書を首相官邸から受け取ったのは、2018年3月2日だったという。

 前日(1日)午後の菅長官の記者会見。望月記者は、「森友学園」問題に関する朝日報道を批判する安倍晋三首相の国会答弁について質問をぶつけていた。
 首相の国会での答弁についてお聞きします。
 去年(2017年)11月に財務省の情報開示によって籠池前理事長がつくる学校が安倍記念小学校でなく、開成小学校であることがわかりました。
 これについて報道していた朝日新聞が修正記事を出しております。
 しかしながら、この報道が出ているにもかかわらず、1月、2月と計5回ですね、予算委員会の場で「間違いだ」とか、「裏取りがない」などと再三、安倍首相が発言されました。
 首相が国会の場で修正記事が出ているにもかかわらず、このように名指ししてですね、一社の批判を続けるのはかなり異例だと思うのですが、政府としてこの安倍首相の国会答弁に問題がないというお考えでしょうか

 これに対して、菅長官は「政府として答える話じゃないですけれども」としたうえで、「総理の言われた通りだと思います」と首相答弁の内容を支持しながら、朝日批判を繰り返す安倍首相の答弁姿勢の是非については、言及しなかった。

 望月記者は「(菅長官が)言われたとおりですけれども修正しているにもかかわらず、再三にわたって批判を続けることの問題をもう一度、政府に考えて頂きたいと思います」と注文を付けたのだった。

 望月記者の質問の背景にある出来事をさかのぼってみていきたい。

「虚偽答弁」を決して認めなかった財務省

「森友学園」問題は2017年10月の衆院選で自民党が圧勝し、同年11月には、会計検査院が大阪府豊中市の国有地売却をめぐって値引きの根拠となったごみ推計量について「十分な根拠が確認できない」とする検査結果をまとめたことで政治的には幕引きムードだった。

 しかし、年が明けると、2018年の通常国会(1月22日召集)での再燃を予感させる報道が開会直前に出た。

 毎日新聞が1月20日朝刊で財務省近畿財務局が森友学園との交渉について役所内部で検討した詳細な文書が存在することをスクープした。毎日からの「学園との面談・交渉に関する文書」として情報公開法に基づく請求に対して近畿財務局が開示したもので、近畿財務局が2016年年3月〜5月に作成した「照会票」と「相談記録」だ。

 そこには、森友学園側が小学校建設のために借りていた国有地から廃棄物が出たことで、安値での買い取りを近畿財務局に持ちかけていたことなどが記されていたのである。

 毎日が開示を受けたこれらの文書は会計検査院にさえ提出が遅れ、2017年11月23日の国会への検査報告の前日だったという。この後、財務省は五月雨式に関係する文書を開示していくのである。

 公文書だけでなく売却額を巡って森友学園側と近畿財務局職員が交わした会話の音声データの存在も明らかになっている。池田靖近畿財務局統括国有財産管理官(当時)が「1億3000万円」と言及し、森友学園側は「ゼロに近い形で払い下げを」と求めていた。2018年の国会で共産党は独自に入手したという別の音声データを元に「森友学園側は『1億5000万円かかる分、航空局からもらって、それより低い金額で買いたい』と発言している」などと追及した。

 財務省はそれまで交渉経緯を記載した文書はすでに廃棄し、価格交渉もしていないと答弁しており、文書や音声データの内容が事実だとすれば、財務省は虚偽の国会答弁をしていたことになる。佐川宣寿・財務省理財局長(当時)は、売却交渉の経緯を示す文書については「廃棄した」とし、金額のやりとりについても「(価格について)こちらから提示したことも、先方からいくらで買いたいといった希望があったこともない」と国会で答弁を繰り返していたからである。

 一連の文書について、麻生太郎財務相は「法的な論点について近畿財務局内で検討を行った法律相談の文書でありまして、いわゆる森友学園との交渉記録ではありません。(佐川氏の)虚偽答弁との指摘は当たらない」とし、太田充理財局長(同)は「買受け希望の金額を承るということはない」という答弁を繰り返し、虚偽答弁とは決して認めなかった。

 そもそもなぜ、財務省は自ら窮地に追い込まれかねないような文書の開示に踏み切ったのだろうか。

 森友学園の取材にかかわったある全国紙の記者が筆者にしてくれた解説がもっとも説得力があるように思えた。当時、財務省は市民からの告発を受けた大阪地検の捜査対象で、たくさんの資料を提出していた。財務省が隠しておきたかった文書が手を離れてしまった以上、裁判にでもなれば、いずれ公になることも予測される。

「財務省にとって佐川氏の国会答弁との整合性が取れそうなダメージの少ないものだけを開示したのだと思う」

 国会での追及は織り込み済みだというわけで、安倍首相の朝日批判もその戦略の一つだというのである。

 この点は最後に考えてみたい。話を元に戻す。

安倍首相の度重なる朝日新聞批判

「『安倍晋三記念小学校』との名で申請したと朝日新聞は報じ、民進党も、それを前提に国会で質問した。実際には『開成小学校』だった。裏付けを取らず、事実ではない報道をした」

 安倍首相は国会での野党の追及に正面から応えず、代わって持ち出したのが朝日新聞批判だったが、それは、望月記者が質問した2018年3月1日までに▽1月29日衆院予算委員会▽1月31日参院予算委員会▽2月1日参院予算委員会▽2月5日衆院予算委員会▽2月13日衆院予算委員会――の5回にも上った。例えば、次のようにだ。
 私は自分の名前を冠した学校をつくるというつもりはございませんので、はっきりとお断りをしていました。
 そこで、これ朝日新聞の報道でございますが、籠池さんは安倍晋三記念小学校という名前で申請をしたと、こう言ったわけでありまして、事実かのごとくこれ報道されてありました。
 この国会においても民進党の方がそれを事実と前提に私に質問をし、だから忖度されたんだろうということであったわけでありますが、実際は開成小学校という名前でございました。
 ご本人(籠池氏)は当然、原本のコピーは当然持っておられるはずでありますから、(朝日新聞は)それに当たるべきであった。
 また、当然、だから恐らくご本人はそうではないことを知っていてそうおっしゃったんだろうと。朝日新聞の方も裏を取らずに事実かのごとくに報道したということは間違いないんだろうということでございます。
(1月31日)

 安倍晋三記念小学校という、これは全く違ったわけであります。
 しかし、これを訂正もしていないわけでありますから、まさに国民の間にそういう安倍晋三記念小学校だったということが浸透している。
 しかし、実際は開成小学校だった。
 そして、(朝日新聞は後述する)検証記事を書いた。
 検証記事を書いたにもかかわらず、これは籠池さんが言ったから、それはそのまま書いたということしか書いていない。
 自分たちが記者として最低限果たすべき裏づけをとらなかったということについては全く言及がないということについては、これで私はあきれたわけであります
(2月13日)

 安倍首相の批判の矢面に立たされた朝日新聞は、2月6日朝刊で「朝日新聞の報道経緯は」という検証記事を掲載し、批判に答えている。2017年5月9日朝刊での報道当時、財務省は森友学園が近畿財務局に提出した設置趣意書を非公開扱いし、説明も拒んだため、籠池氏に独自に確認して、「証言した」という形で報じたという経緯を明かした。

 望月記者の指摘に対して、菅長官がもう一度考えた結果が、東京新聞への抗議の申し入れというのだから穏やかではない。

 安倍首相と朝日新聞の間でいったい何が起こったのだろうか。

「安倍晋三記念小学校」の爆弾質問

 そもそも「森友学園」問題は、朝日新聞が2017年2月9日朝刊で報じた「金額非公表 近隣の一割か 大阪の国有地 学校法人に売却」(東京本社版では第二社会面で三段見出しの地味な扱いだった)との記事をきっかけに浮上した。

 その焦点の一つは、安倍首相の妻・昭恵氏が2017年4月の開校を目指した「瑞穂の國記念小学院」の名誉校長に就任していたり、寄付金集めのための「払込取扱票」の通信欄に「安倍晋三記念小学校」と印刷してあったりすることが発覚するなど、安倍首相側との距離を縮めようとする森友学園の要望に沿う形で8億2000万円(評価額は9億5600万円)もの値引きをした大阪府豊中市の国有地売却をめぐる安倍首相側の関与だった。

「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」

 安倍首相は2017年2月17日の衆院予算委員会でそう豪語したのだから自ら政治問題に引き上げたようなものだった。

 安倍首相側の関与を示す傍証の一つとして疑われたのが、森友学園が近畿財務局に提出した設置趣旨書に記載された学校名だった。ところが財務省は当初、この校名や本文の部分を黒塗りにして、非公開扱いとし、国会議員の開示請求に対しても明かさなかった。

 この疑惑を国会で取り上げたのが、民進党の福島伸享氏(2017年10月の衆院選で落選)で、2017年5月8日の衆院予算委員会で追及したのだった。
 平成25年(2013年)9月2日に森友学園から近畿財務局に出された取得等要望書。
 財務省に出してもらったんですけれども真っ黒、黒塗り。
 籠池さんはもう、民事再生までやって、学校設置の認可も取り消されて、失うものは何もないんですよ。
(森友学園側は)学校設置の認可が取り消されたわけですから、秘密に当たらないですから開示していいですよという承認ももらって、財務省にもそのことを伝えております。
 設置趣意書の黒塗りのところ、一体これはどう書いてあったんでしょうか

 ところが、佐川宣寿・財務省理財局長の答弁はゼロ回答だった。次の3点を理由にあげた。
@ 学校法人として存続していることを踏まえれば、当該情報は不開示情報に該当すると考えられる
A 民事再生手続が開始されている。法令上、業務の遂行並びに財産の管理及び処分をする権利は管財人に専属している
B 仮に開示する場合でも、改めて財務省から先方に確認の上、対応していく必要がある

 福島氏は、この日、国会で傍聴している籠池泰典・元理事長の開示の同意書も得るなど周到な準備をした上で臨んだ質問だった。佐川局長の答弁には納得するはずもない。

 福島氏は「何で設立趣意書の趣意の部分が開示できないんですか。何で設立趣意書のタイトルすら開示できないんですか。ちゃんちゃらおかしいと思いますよ」と前置きしたうえでたたみかけた。
 なぜそれを聞くかというと、これは何と書いてあったかというと、籠池前理事長の記憶では、安倍晋三記念小学院の設置趣意書だったからなんですよ。
 それを出したくないから黒塗りにしたんじゃないですか。
 そもそも、最初の設立趣意書がその名前だったからこそ、さまざまな忖度がなされ、特例措置が講じられることになったんじゃないですか。

 一種の爆弾質問である。

 これに対して、佐川理財局長は「タイトルを含めて一体としてこの学校の経営方針ということでございますので、不開示情報としている」と答弁している。当時、森友学園は約28億円の負債を抱え経営は行き詰まっていた。大阪地裁は17年4月28日に民事再生手続きの開始を決定し、森友学園は確かに管財人の管理下にあった。

 しかし、佐川氏による答弁は、かえって福島氏の疑念を深めさせた。福島氏は「まさに安倍晋三という名前がこの特例を得るためのノウハウになっているから示せないということを言っているだけじゃないですか。何でそこまで忖度するんですか」と憤りをみせていた。

 設置趣意書の表題に「安倍晋三記念小学校」との記載があるのが事実なら、大きなニュースである。

東京新聞に申し入れた首相官邸の方こそ事実誤認

 朝日新聞は、翌5月9日付朝刊一面で、籠池・元理事長に前夜(8日)に直接インタビューし、その内容を一面(安倍昭恵氏の両脇に籠池夫妻が並んだ写真を掲載)と第二社会面で伝えた。
−−近畿財務局に設立趣意書を提出する際にはどういう表記をしたのか
「安倍晋三記念小学校と表記をしていましたね」
(第二社会面の「籠池氏との主なやりとり」から抜粋)

 ただ、朝日記者も原本や写しの入手はできなかったようだ。記事は証言を元にしたもので、一面、第二社会面のいずれにも、見出しにはなっていなかった。籠池氏が当時、所持していた書類の中に設立趣意書の原本や写しはなかったらしい。

 財務省が半年も経った2017年11月22日になって立憲民主党、24日には神戸市の大学教授らに対し黒塗りされていない趣意書の全文を開示したことで、正しくは「開成小学校」だったことが分かった。

 籠池氏が朝日新聞記者にした証言は、真実ではなかった。朝日は2017年11月25日朝刊三面で「森友の設置趣意書を開示 小学校名は『開成小学校』 財務省」と修正する記事を掲載し、「校名などが当初、黒塗りになっていたため、朝日新聞は籠池氏への取材に基づいて、籠池氏が『安倍晋三記念小学校』の校名を記した趣意書を財務省近畿財務局に出したと明らかにした、と5月9日付朝刊で報じた」と書いた。

 望月記者が記者会見で「朝日新聞が修正記事を出しております」とした記事はこれを指す。

 安倍首相は、森友学園問題の追及を受けるたびに朝日の「誤報」を国会であげつらってはいるが、先に記した「払込取扱票」には「安倍晋三記念小学校」と印刷されていただけでなく、2018年5月に財務省が公表した土地の売却に関する資料の中からは、森友学園側が2014年3月4日、小学校の認可申請先だった大阪府に対して校名を「安倍晋三記念小学校」と説明していたことを示す記載が見つかっている。

 共同通信は2017年3月1日に「府私学課によると、2013年ごろ、森友学園の籠池泰典理事長から『豊中市の国有地を取得して小学校を建てたい。安倍晋三記念小学校という校名を考えている』と認可申請の方法について問い合わせがあった」との記事を配信していた。

 また、朝日の初報(2017年2月)後に野党が行ったヒアリングに対して、大阪府は森友学園側の構想に苦慮したことを明かしていたという。

 こうした別の証拠からも籠池氏自身が「安倍晋三記念小学校」という校名に強いこだわりを抱いていたことははっきりしているし、財務省も認識していたことは、財務省の保有する一連の資料からも明らかだった。言ってみれば、設立趣意書には記載されていなかった――ということにすぎない。

 森友学園は2017年4月28日に民事再生手続きが決定し、業務の遂行や財産の管理、処分をする権利は管財人に専属することになった。安倍首相は「原本のコピーに当たるべきだった」と朝日記者に取材のわざわざ”アドバイス”をしているが、そもそもは非公開とした政府の決定が問題なのではないか。

 繰り返しになるが、朝日が2017年11月25日に修正する記事を掲載し、2018年2月6日には取材経緯も明かしたのである。東京新聞に申し入れた首相官邸の方こそ事実認識に誤りがあることは、もはやだれの目にも明らかだろう。

 東京新聞は2018年3月6日、首相官邸に対して、「朝日新聞の17年5月の記事は学園前理事長の証言として名称を『安倍晋三記念小学校』としていたが、17年11月の記事で『開成小学校』と修正している」とする回答を出したという。

 首相官邸が東京新聞に申し入れた2018年3月2日は、奇しくも朝日新聞が朝刊で「森友文書 書き換えの疑い 財務省、問題発覚後か 交渉経緯など複数箇所」とする記事を一面トップで報道した日だった。政権を揺るがす大スクープのさなかで、安倍首相の威勢の良い朝日批判はどこかに行ってしまった。

 このため、官邸は、安倍首相に教えてあげる機会を逸してしまったのだろうか。1年4カ月たった後も安倍首相は同じ批判を繰り返していた。

 2019年7月3日、日本記者クラブ(東京・内幸町)であった参院選(4日公示・21日投開票)を前にした、与野党の7党首による討論会。安倍首相(自民党総裁)は朝日記者からの「森友学園問題、加計学園問題はもう終わったと認識しているか」との質問に「朝日新聞は『安倍晋三(記念)小学校』があったという記事を書いたが、訂正していない。自分たちが間違えたことは全く関係ないという姿勢はおかしい」などと述べていた。

朝日新聞「記事取り消し」の後遺症

 なぜ安倍首相はこれほどまでに朝日の報道にこだわり続けるのだろうか。そこには安倍首相らのある成功体験の影響があるのではないだろうか。

 それは2014年8月に朝日新聞が行った「慰安婦」をめぐる報道の一部記事の取り消しである。

 朝日新聞は同年8月5日朝刊で、韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたとする吉田清治氏(故人)の証言(吉田証言)を紹介した記事を取り消した。この取り消しのもたらした影響は極めて大きかった。

 愛知県で開かれた「あいちトリエンナーレ2019」(8月1日〜10月14日)の企画展の一つ、「表現の不自由展・その後」。「慰安婦」を象徴した「平和の少女像」の展示に異を唱えた河村たかし氏は筆者の取材に対して「朝日新聞が記事を取り消したようにそもそも間違えとった可能性があるわけ。私も国会議員時代にワシントン・ポストに40人ぐらい名前連ねて、強制連行の証拠はないんだと(いう記事を載せた)」と口にした。

 このように、吉田証言を朝日が取り消したというたった1点で、あたかも「慰安婦」に対する戦後補償の問題がそもそも存在しないかのような言説を信じる人がネットを通じて広がったことだ。

 米ワシントン・ポスト紙に載った意見広告の内容については、吉見義明氏の「日本軍『慰安婦』制度とは何か」(岩波ブックレット)など研究者らから有力な反論がなされているので詳細はそちらに譲るが、安倍首相をはじめとするこうした歴史観に共鳴する人にとっては、朝日を狙い撃ちにした「慰安婦」報道攻撃は、大きな戦果を上げた成功体験だったに違いない。

 2017年10月の衆院選(10日公示・22日投開票)のさなかに「約束の日 安倍晋三試論」の著者・小川栄太郎氏による「徹底検証 『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」という安倍首相を援護射撃するような本も出版された。

「安倍首相による朝日バッシングは、『吉田証言』をめぐる朝日の『慰安婦』報道批判と似ている。安倍首相は、籠池氏の証言を報じた朝日の報道が誤りだったことを強調し続けることで、森友学園問題そのものが実は存在しないのだという構図を演出し、国会を乗り切ろうとしたのではないか」

 ある朝日関係者はそう明かしていた。

「名指しで一社の批判を続けるのはかなり異例だと思う」

 望月記者の質問からは、さまざまな安倍政権の思惑が浮かび上がってくるのである。

※「望月衣塑子の質問(6)」につづく


[写真-1]
「安倍首相の記者会見の回数は民主党政権時代に比べて激減している。番記者でさえ1問か2問。私が安倍首相に聞けることはまずない」。望月衣塑子記者は講演会でそう語っていた=東京都文京区で2019年9月22日

[写真-2]
佐川宣寿・元財務省理財局長

[写真-3]
野党の質問に答弁する安倍晋三首相=2018年1月31日

[写真-4]
「安倍晋三記念小学校と表記をしていましたね」。籠池泰典氏のインタビューを掲載する朝日新聞の2017年5月9日朝刊の記事(右)と、校名は「開成小学校」だったと報じた同年11月25日朝刊の記事(左)

[写真-5]
「いま、なぜ私が良くも悪くも浮いてしまっているのか。森ワールドを通して社会、政治状況があぶり出たのではないか」。望月衣塑子記者(中央)は「i-新聞記者ドキュメント-」(2019年11月15日公開)試写会でそう語った。森達也監督(左)とエグゼクティブ・プロデューサーの河村光庸氏(右)=東京都千代田区で2019年10月23日

朝日新聞・論座、2019年11月10日
望月衣塑子の質問(5)
安倍首相の朝日バッシング
「名指しで一社の批判を続けるのはかなり異例だ」が投げかける諸問題

臺宏士(フリーランス・ライター)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019110600004.html

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国立天文台、軍事研究検討

 これまで「非軍事」に限るとしてきた日本の宇宙開発を、軍事利用にも拡大する― そんな動きが、自民党と財界を中心に加速しています。
 宇宙科学の研究者から、平和の流れへの逆行を心配する声とともに、「日本の宇宙開発にたいする国際的な信頼が失われる」「自由な研究活動ができなくなる」との指摘があがっています。

◇ 次期国会に「基本法案」

 宇宙の軍事利用に道を開く「宇宙基本法案」(仮称)の骨子を夏までにまとめた自民党は2006年10月、「宇宙開発促進特命委員会」(委員長・額賀福志郎前防衛庁長官)を立ち上げて本格的な検討作業に入りました。
 11月には公明党と共同のプロジェクトチームを設置。
 年明けの次期通常国会にも、議員立法で法案提出を狙う模様です。

 日本の宇宙開発を平和利用に限定することは、1969年の国会決議において全会一致で確認されています。
 政府としてこれまで「平和利用」とは「非軍事」と国会答弁してきました。

 今回の動きは、平和利用の解釈を変更して「非軍事」の制約を取り払い、「非侵略」であれば軍事利用も可能とする狙いです。
 軍事目的をもつ情報収集衛星の高性能化、弾道ミサイル発射探知のための早期警戒衛星の導入など、自衛隊による独自の軍事衛星の開発に道を開くことになります。

◇ 「機密の壁」に懸念の声

 宇宙科学分野への影響が懸念されています。

「学問は、公開の原則があってはじめて研究者が育成される」と、軍事利用による機密性との矛盾を指摘するのは、国立天文台で電波天文学の研究をする石附(いしづき)澄夫さんです。
「日本の宇宙科学は、軍事から切り離され、科学者・技術者集団の自発的な意思に支えられて、大きな成果をあげてきた」といいます。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の関係者は「軍事分野では、どうしても秘密主義がでてくる。実際、情報収集衛星に誰がかかわっているのかは、JAXA内部でも一部の人間以外は知らされていない」といいます。
「安全性にかかわる技術交流が妨げられたり、論文発表が自由にできなくなる。そうなれば、科学者にとっても社会全体にとっても、大きな損失だ」と指摘します。

 また、軍事予算が増える分、平和利用の宇宙科学予算が減らされる可能性も大きいといいます。

 石附さんは「日本の平和主義は世界に誇るモデルとして堅持すべきだ。今回の動きに、科学者としてほおかむりできない」と話しています。

科学の発展 平和でこそ

◇ 吉井英勝衆院議員にきく

― 今回の動きの背景をどうみていますか。

 宇宙を軍事に活用したい自民党の防衛族議員と、多額の開発費には国費を使い、衛星やロケットの打ち上げの受注量を増やしたい航空宇宙産業界の思惑が一致したものです。
 防衛族は、専用の衛星通信システムや対衛星攻撃機、戦場気象衛星なども視野に入れて検討しているようです。
 また今回の動きは、防衛省昇格や憲法九条改悪などの一連の動きの一コマです。日米の軍事協力を強めたい米国の要求も背景にあります。
 一方業界は、緊縮財政で宇宙開発予算が減ってきたことに危機感を抱いています。「非軍事」の枠内では売り上げが伸びないとして、日本経団連などが何度も要望を出してきました。

― 軍事機密の拡大を心配する声があがっています。

 現在でも、情報収集衛星については「機密」を理由に情報が非公開にされています。国会議員の私でさえ、関連施設への立ち入りを拒否されました。衛星の製造を受注した三菱電機は受注したことさえ認めていません。
 これまでに防衛庁の装備品水増し請求事件や官製談合事件が繰り返されてきましたが、軍事機密の壁に隠れてますます不正がはびこる可能性があります。

― この動きを阻止するために何が必要ですか。

 宇宙分野に限らず、戦後の日本の科学技術は、憲法九条にもとづいて平和目的に限定し、原子力基本法に定めた「自主・民主・公開」の三原則を守って進めてきました。軍事機密の制約を受けないで、民生用機器として開発・普及が進み、コストダウンに成功して、それが新たな科学技術の発展につながりました。

 国民の多数は、平和を求めています。科学技術を平和利用に限るべきだという考え方は多くの日本の科学者に支持されています。こうした願いと連携して、宇宙の軍事利用への危険な道をくい止めるために、国会でも力を尽くします。

※ 宇宙基本法案 自民党が「戦略的な宇宙開発の推進をめざす」として5月末までに基本方針をまとめました。法案の「骨子」では、宇宙開発の基本理念として、「安全保障への寄与」と「産業の振興への寄与」を掲げています。


しんぶん赤旗、2006年12月28日(木)
宇宙の軍事利用 急加速
「非軍事」取り払い 自公・財界狙う

(中村秀生)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-12-28/2006122803_01_0.html

「東京大学の軍事研究禁止の原則を再確認しよう!」昼休み集会に参加された皆様に心より敬意を表します。

 いつの時代においても最先端の学術研究の成果が軍事転用という負の側面を持ちうることは残念なことではありますが、軍事応用を主たる目的とする軍事研究は、公開性・自主性に支えられ人類全体の幸福に資することを基とする学術研究とは対極にあると考えるべきです。

 私たちが勤務する国立天文台では、1988年7 月の発足に際して「国立天文台の発足に当たっての声明」を出し、「私たちの決意」のなかで「国立天文台は、いっさいの軍事研究に協力してはなりません。私たちは、あらゆる軍との協力・共同研究を行わず、武器の開発を直接の目標としたプロジェクトへは参加しません」と明確に述べています。

 天文学の分野では、1980 年代に米国が推進した宇宙空間での SDI(戦略防衛構想)に日本の天文学研究者が巻き込まれそうになる危機がありました。

 このため電波天文学の研究者が中心となって「SDI に反対する天文学研究者の会」が結成され、この会と天文台職員組合が共同でシンポジウムを開催するなどして、反対運動を関連の研究者に呼びかけました。

 すると、彗星などを探索しているアマチュアの天文研究者も独自の反対署名を開始し、反対運動は全国に広がりました。

 こうして、日本から SDI に協力する研究者を出すことはありませんでした。

 1993年の SDI 計画中止を受けてこの反対運動自体は終結しましたが、1993年4月に野辺山宇宙電波観測所が観測装置共同利用における軍事研究排除の方針を明らかにして研究成果の公開を条件として求めるなど、現在も国立天文台は軍事研究と一線を画しています。

 戦後70年を迎えるにあたり、東京大学職員組合が東京大学の軍事研究禁止の原則の再確認を呼びかけたのは時宜を得た取り組みだといえます。

 軍事研究は「戦争ができる国」への第一歩です。

 公開性・自主性に支えられ人類全体の幸福に資する学術の発展のため、そして平和を貫くため、共に頑張りましょう。


2015年5月20日
国立天文台職員組合 執行委員長 阪本成一
http://tousyoku.org/wp/wp-content/uploads/2015/05/3679ab7b53c29df3bb92eaa6e531128f.pdf

 軍事技術に応用可能な基礎研究を助成する防衛省の制度が使えるよう、国立天文台(東京都三鷹市、常田佐久台長)が方針転換を検討していることがわかった。
 天文台内では3年前、この制度に応募しないと決めていた。
 所属する研究者からは「突然で十分な説明がない」と反発もある。
 すばる望遠鏡など先端施設をもち、日本の天文学の中核を担う国立天文台が方針を転換すれば、学術界への影響は大きい。

 この制度は「安全保障技術研究推進制度」。
 防衛装備品や兵器開発につながる研究を進めるため、防衛省が2015年度から始めた。
 昨年度の公募テーマの一つに、物体を観測する技術を挙げ、その研究例として国立天文台のすばる望遠鏡を名指しで挙げている。

 これに対し、同天文台内では「政府の介入が大きい」など問題点を指摘する声が相次ぎ、2016年に教授会議で「安全保障技術研究推進制度もしくはそれに類する制度に応募しない」と決めた。

 ところが天文台執行部は今年2019年7月の教授会議で、方針の改定案を提出した。
 案は、2016年の取り決めから、同制度もしくは類する制度に応募しないとの部分を削除し、研究成果を自由に公開できるなどの条件を満たせば応募できるとする内容。
「軍事利用を直接目的とする研究は行わない」などの部分は残した。

 会議資料によれば、執行部側は、防衛省の制度には成果を自由に発表できるなど、国の他の研究助成と同等の自由度があると訴えた。
 賛否両論で会議はまとまらなかった。

 これを受け天文台の職員組合などからは、慎重な議論を求める申し入れや、改定案の撤回を求める意見書などが執行部に出された。
 結論は出ていない。

 同制度に関しては2017年、国内の科学者でつくる日本学術会議も、戦争に協力した過去の反省から「軍事研究は行わない」とした過去の声明を踏襲すると発表している。
 京都大や名古屋大なども軍事研究を禁止する方針を定めてきた。
 日本天文学会も今年2019年3月に「安全や平和を脅かすことにつながる研究はしない」との声明を出したばかり。

 改定案を出した理由について常田台長は、予算が厳しいとした上で「経費削減には限界がある。研究費を増やすため外部資金を多様にしないと次世代につながる研究ができない。(防衛省の)制度は一つのオプションとして議論したい」と説明した。

※ 国立天文台
 日本の天文学の中枢を担う研究機関。1988年、東京大学東京天文台、緯度観測所、名古屋大学空電研究所の一部が合併して発足。2004年から大学共同利用機関法人になった。米ハワイ島にある世界最大級の口径8.2メートルの「すばる望遠鏡」や、南米チリでの国際計画「アルマ望遠鏡」の建設や運用などに携わる。本年度の予算は約156億円、職員数は540人(4月1日現在)。


[写真]
米ハワイ島にあるすばる望遠鏡

東京新聞・朝刊、2019年9月10日
「防衛省助成に応募しない」一転
国立天文台、軍事研究容認も

(三輪喜人)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019091002000144.html

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2019年11月09日

千葉明鐘岬の崖崩れ

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください。

★ 2014年11月01日「ふしぎな岬の物語」
★ 2015年01月20日「音楽と珈琲の店 岬」
★ 2015年01月22日「脚本家 青島武」 

Kaori Muraji - The theme of Cape Nostalgia / ふしぎな岬の物語のテーマ曲
https://www.youtube.com/watch?v=IMui_SbXkKI

『ふしぎな岬の物語』映画オリジナル予告編
https://www.youtube.com/watch?v=o_vy9nXn4qc

 モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞した、吉永小百合さん主演の『ふしぎな岬の物語』は鋸南町に実在するカフェを舞台に、房総半島の美しい景観が登場し、多数の地元住民がエキストラ出演するなど、千葉の魅力が詰まった作品だ。
 吉報に地元や関係者には祝福と期待が広がった。

 映画の舞台「岬カフェ」のモデルは、海の向こうに富士山を望む鋸南町元名の明鐘岬(みょうがねみさき)の突端にある、1978年創業の老舗喫茶店「岬」(玉木節子さん経営)。

 映画では、カフェ店主の柏木悦子(吉永小百合)、おいの柏木浩司(阿部寛)、常連客の娘の竜崎みどり(竹内結子)、不動産屋で悦子や浩司を見守ってきたタニさん(笑福亭鶴瓶)らの人間模様が描かれ、「昔懐かしい、温かいほわほわした雰囲気」(成島監督)の作品という。

 同町ほか、館山ファミリーパーク、いすみ鉄道上総中野駅、勝浦漁港など房総半島の美しい景観がロケ地となった。
 3月には沿岸捕鯨基地でもある南房総市・和田漁港で、鯨の祭りシーンが撮影され、エキストラの地元の小学生、住民らが法被姿で俳優陣と“共演”を果たした。

 吉永さん演じる女店主のモデルとなった玉木さんは2014年9月2日、「知人からの祝福の電話が鳴りっぱなし」とうれしい悲鳴を上げた。

 もともと、両親が営んでいた食堂があった場所。
 3年前の1月には火事で全焼したが、常連客の家具職人の協力でその年の12月には再開。
 鋸山の湧き水でいれるコーヒーと音楽、海の眺望が自慢で、「眺めや音楽で日頃の嫌なことを洗い流していってほしいと思っている」。

 受賞には「一滴の無駄もない素晴らしい出来だったから納得。成島監督や吉永さんに『ありがとう』と伝えたい」と感謝した。

 原作「虹の岬の喫茶店」(幻冬舎文庫)の作者、森沢明夫さん(44)は船橋市出身・在住で、高倉健さん主演の映画「あなたへ」の小説版などを手がける注目の作家。
「岬カフェ」には「日本中の海岸線を旅し、エッセーを書いていた時に出会い、富士山も望むことができ、最高のコーヒーを味わったことが忘れられず、ここを風景に作品を作ってみようと思った」という。
 吉報はメールで知り「県内の美しい風景や、温かい人間模様が詰まった作品。それが海外でも評価され、県民としてとても喜ばしい」と話した。

 映画に出演し、江戸時代から鋸南町に伝わる鯨唄を披露した鯨唄愛好会の舟宝(ふなとみ)康行会長(66)は「受賞は素晴らしいこと。鯨唄や鋸南町を多くの人に知ってもらうきっかけになればうれしい。映画のため半年間練習を続けてきたメンバーと映画を見に行きたい」と話した。

 また白石治和・鋸南町長(67)は「町を舞台に撮影された映画が世界的な賞を受賞されたことは町にとっても名誉なこと。『岬』はロマンあふれる場所であり、多くの方が訪れて、都会と町を、人と人を結びつけてくれることを期待する」とコメントした。

 3月に撮影現場を激励に訪れ、45年ぶりに吉永さんと再会し感謝の花束を手渡した森田健作知事は2日、「本県にゆかりが深い映画が国際的な映画祭で受賞したことは大変うれしく思う。映画を通じ、千葉県の魅力が多くの方に伝わることを願っている」とお祝いのコメントを寄せた。


[写真-1]
エキストラとして出演した地元住民と写真に納まる吉永さん(中央)ら=今年2014年3月、南房総市和田町

[写真-2]
「海の眺めが一番のごちそう」と話す玉木さん=2014年9月2日午後、鋸南町の喫茶店「岬」

千葉日報、2014年9月3日 05:00
『ふしぎな岬の物語』
快挙に沸くモデルの地
モントリオール映画祭特別GP

https://www.chibanippo.co.jp/news/local/212057

 千葉県富津市と安房郡鋸南町との境にある「明鐘岬(みょうがねみさき)」は鋸山が東京湾に落ち込む位置にある小さな岬で、その岬の上には2014年封切の吉永小百合主演東映映画『ふしぎな岬の物語』の舞台になった小じんまりとした「音楽と珈琲の店・岬」がある。
 この店はそれ以来多くのファンや関係者が訪れる「名店」になっている。
 南房総に撮影にでかけた時に駐車場が空いていれば何度か立ち寄ったことがある。

 今回は駐車場に入ってすぐに「がけ崩れのため危険」の立て札を見てびっくりし、店のほうに近寄ると店の前のそそり立つ岬の断崖が大きく崩れ落ちて建物に迫っていた。
 以前はベランダ前を車も通れるほどのゆとりがあったがそれどころではなかった。
 あとほんの数メートル崖が崩れていたら・・・。
 幸いこの日は営業中で店に入って事情を聞いてみると、去る2017年10月23日の台風21号直撃の大波でがけ崩れが発生したということだった。

 いつものようにおいしい珈琲とケーキをいただいた後、がけ崩れの様子を見るために回り道をして海辺に下りてみた。
 見上げると写真のようなおそろしい眺めで、建物の上には鋸山の崖が迫り、道路を挟んで立っている店は崩れた崖上ぎりぎりの位置に見える。
 このままではいつどうなるかわからないきびしい状態だということが一目でわかる。
 車両も入りにくい海辺のがけ崩れの修復工事は早急にできるのだろうか。
 一日も早く工事が始まるのを期待するしかない。


[写真-1]
2017.11.19 撮影

[写真-2]
2015.6.20 撮影

たびびとの写真帖 --小さな旅の思い出写真集--、2017年11月24日
「ふしぎな岬」の台風被害
https://blog.goo.ne.jp/knbk_photo/e/00175c6b3b5d6b6da991b07e91706476

 台風15号で停電や断水に見舞われた千葉県南部の鋸南町(きょなんまち)では通信網に大きな障害が生じ、県の被害把握が大幅に遅れた。
 被害をいち早く伝えたのは、町にゆかりのある人たちのツイッターで、同町議(共産)の笹生(さそう)あすかさん(38)=同町吉浜=もその一人だ。
 被害現場の画像も交えて支援を呼び掛け、町の危機的状況を内外に発信した。
 町の復興は遅れており、「正確な情報発信を心掛けたい」と、言葉に力を込める。 
 #鋸南町 大変なことに。木は倒れ、屋根は飛び、壁ははがれ、崩れているお家もたくさんあります。…(中略)…ふるさとの変わりように涙止まらず。車もアウト。でも、負けられない

 台風15号が通過した9日。
 午後6時少し前に笹生さんがツイートした内容だ。
 自宅の二階窓ガラスが割れ、室内に暴風雨が吹き込んだ。
 家族にけがはなかったが、自宅で寝たきりの父の介護、母や妹との今後の生活を考えると不安が募った。
 何より、テレビも加入電話もつながらないことに恐怖が募った。

 携帯電話の電波は、辛うじて通じていた。
 変わり果てた町の姿を「一刻も早く外に伝えたい」。
 ダイレクトメッセージを交換し合う那覇市在住の知人から「ツイッターで情報発信したらどうか。それがあなたの使命」と励まされ、町の現状を発信することにした。

 つぶれた家屋、がれきであふれた漁港、吹き飛ばされたビニールハウス…。
 こうした光景を、時には涙ながらに、写真や動画で撮影。
 それらを添付してツイートすると「情報拡散に協力します」「電気が届いていない中、発信してくれてありがとう」と応援ツイートが寄せられた。

 中には「親と連絡が取れない」と相談を受けることも。
 今年2019年3月に始めたツイッターのフォロワー数は、台風直撃前は300だったが、今は1500を超えた。
 鋸南町は公式ツイッターがなく、笹生さんのツイートが、多くの人の情報源にもなっている。

 大規模停電が発生した9日から一週間を経過したが、町の復興は遅々として進んでいない。
 18日は断続的に雨が降った。
 多くの民家がブルーシートで屋根を覆っているが、雨漏りの懸念は尽きない。
 災害ごみが町内の仮置き場に次々と運び込まれ、爪痕の大きさをうかがわせる。
 笹生さんは一日も早い復興を願い、情報発信を続ける。


[写真]
雨の中、仮置き場に運び込まれた災害ごみ。町の復興は遅々として進まない=18日午前、千葉県鋸南町保田の保健福祉総合センター駐車場で

東京新聞・朝刊、2019年9月19日
千葉南部の惨状ツイート
鋸南町議、台風直後から

(山田雄一郎)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019091902000166.html

吉永小百合さん主演映画の舞台 千葉明鐘岬
台風で崖崩れ放置2年 復旧求め署名2836人分
老舗コーヒー店主ら国に要望

 俳優の吉永小百合さん企画・主演の映画『ふしぎな岬の物語』の舞台となった店の前の崖が崩れ、放置されている問題で、店主らが2019年11月6日、国土交通省に署名を提出しました。
 日本共産党の畑野君枝衆院議員、さいとう和子衆院南関東比例候補、みわ由美千葉県議、日本共産党の志位和夫委員長秘書が同席しました。

 2017年10月の台風21号による高波で、鋸南町と富津市の境にある明鐘(みょうがね)岬の崖が崩れました。
 岬に立つ「音楽と聊琲の店岬」は、敷地とテラス席の一部が利用できないまま営業を続けています。
 今も崩れた崖の復旧がされていません。

 署名は、開店以来40年にわたり愛されてきた店と周辺地域などの安全確保を求める、吉永さんをはじめ常連客など全国から2836人分が集まりました。
 店主の玉木節子さんらは「県はこれまでパトロールのみで、危険な状況は変わっていない。個人で直せる規模ではない。せめてこれ以上の崖崩れを防ぐための対策を急いでほしい」と求めました。

 畑野氏は「2年間進展がない。早く決断を」と迫りました。
 国交省担当者は「県と調整を続けている。協議を進め県への補助など検討する」と答えました。


日本共産党みわ由美事務所、2019年11月8日
千葉明鐘岬の崖崩れ
国土交通省に早期対策を求める署名提出

http://miwa-3838.jp/html/menu1/2019/20191108135405.html

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2019年11月08日

小川亮作

ルバイヤート(四行詩)の由来

 弊社のワインの商標名(ブランドネーム)は“ルバイヤート”です。
 1957(昭和32)年のある日、三代目社長、大村忠雄の知人で内務省の関川氏が、詩の先生の日夏耿之介氏を連れてワイナリーに遊びにみえました。
 そこで丹精こめて造ったワインをお出ししたところ、「これは美味しい」と大変喜んでいただきました。
 後日、商標名の命名を関川氏を通じて日夏氏に依頼したところ、快く引き受けていただき、次のお手紙を送っていただきました。
啓上
御清健賀上ます
 関川君よりの来信にて貴社愈愈(いよいよ)発展 葡萄酒を大かゝ(り)に売出されるにつき 老生に命名を依頼して来られたる由、依て左ノ如く愚考申上げます。
 二種と仮に定め、第一はインテリ向き
 これを
 RUBAIYAT ルバイヤット
と命名、ペルシャ11世紀天文学者詩人 Omar Khayyám オアマ・カイヤムの詩集の名にて、
原名はルボウイヨウトと発音するが、ルバイヤットの方が語呂もよく通りがよく、ブドーの原産地の人にて非常に葡萄酒の好きな詩人で ブドー酒と美女とを歌つた詩が多く 卋(世)界的大詩人の一人で、日本のインテリは皆その名を知る故、ルバイヤットと名附けて発売したら、必ず「やったな」と思ふでせう。
 第二は一般大衆(向)きで
 ENCHANTÉ アンシャンテ これはフランス語で、気持ちのよい、ウットリする、等の意ですから、フランス好みの大衆には可(よ)いでせうか。
 右二種選びましたが、尚黄色系統の新発売品には シャリオ・ドオル CHARIOT D’OR(金の馬車といふ意)といふ名も乙でありませう。
 気に入らなかつた(ら)お棄て下さい。どれも。
 右
草々
日夏老生

 このようないきさつで弊社の商標名(ブランドネーム)は“ルバイヤート”となりました。
 日夏氏よりいただたお手紙は、ワイナリー見学コースのギャラリーに展示しております。
 ワイナリーにお越しの際には、ぜひご覧ください。
―133―
酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果(しるし)だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ眞の人生だ!

オマル・ハイヤーム著、小川亮作訳


オマル・ハイヤームについて

 11世紀ペルシアの数学者・天文学者・詩人。1040年頃生まれ、1123年没。
 ペルシアのホラサン川の都城ネイシャプールの近くで生まれる。
 自然科学に関する業績では、三次方程式の解法に関する研究、天文学に関する業績では、後のグレゴリイ暦にもまさるほどのジャラリイ暦の作成が特に有名である。
 19世紀に彼の詩集『ルバイヤート』がイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルドによって翻訳されて以来、詩人として世界中にその名が知れわたるようになる。
 酒をたたえ、現世の快楽を詠んだ無神論的なその作品は19世紀末のヨーロッパで流行することとなる。
「ルバイヤート」はペルシア語で「四行詩」を意味する(複数形。単数形は「ルバーイイ」)。
 本来は一般名詞だが、欧州や日本では「ルバイヤート」はハイヤームの詩集を指す固有名詞となっている。

ペルシャ語詩集『ルバイヤート』翻訳 小川亮作

英文学を志した亮作

 小川亮作は、父全一、母ヒサの8人兄弟の長男として1910(明治43)年11月20日に、海老江で生まれました。
 亮作の父は、黒埼の小学校に教員として勤務したこともあります。
 また、1927(昭和2)年ころ、海老江で球根栽培が行われるようになった礎を作った一人でもありました。

 亮作は岩船郡金屋村立金屋尋常小学校を卒業後、旧制新潟縣立(県立)村上中学校(現村上高校)へ進みました。
 学業成績は優秀で、抜群でした。
 特に、文章を書くことを好むとともに、英語と得意とし、英文学を志したこともあったといいます。

ロシア語、ペルシャ語を勉強

 亮作は、1929(昭和4)年に当時満州国のハルビン市にあった日露協会学校(後の満州国立大学ハルビン学院)に奨学生として進学し、ロシア語を本格的に勉強しました。
 1932(昭和7)年、さらに力を付けるため、外務省の外交官試験を受け、合格しています。
 その後、ペルシャ(現イラン)のテヘランで3か年の外交官生活を送りました。
 この時、電気や水道もない生活の中で、ペルシャ語を一生懸命に勉強しました。
 1935(昭和10)年に帰国し、外務省に勤務した後、1937(昭和12)年には外交官としてアフガニスタンに大使館付書記官という役職で赴いています。
 1941(昭和16)年に帰国し、外務省アジア局に勤務します。
 そして、千葉県松戸市に居を構えました。

詩集『ルバイヤート』との出会い

 亮作は、テヘランにいたころペルシャ語の詩集『ルバイヤート』に出会い、詩の美しい調べと内容の奥深さに感動します。
『ルバイヤート』は、11世紀にオマル・ハイヤームというペルシャの詩人によって歌われたもので、四行詩のことを言います。
 人生の挫折や苦しみ、希望やあこがれを四行の文で表現しています。
 19世紀になると、英語訳によって広く世界中に愛読されるようになりました。
 ルバイヤートの詩に込められた人生への深い思いが多くの人びとの心に響いたものと思われます。
 明治時代には、日本にもルバイヤートの詩の一部が紹介されています。

 亮作は、ルバイヤートの詩のすばらしさを多くの日本人に伝えたいと、ルバイヤートの翻訳を強く願いました。
 良作の翻訳は、太平洋戦争後から本格的に行われたそうです。
善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命、
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。

ペルシャ語の詩を小川亮作が訳したもの(岩波文庫より)

岩波文庫より出版、版を重ねる

 亮作は、原典ペルシャ語の詩集に載っている詩をすべて日本語に翻訳しました。
 ペルシャ語で書かれた美しい調子をできるだけ生かし、日本語で表現しようと努力しています。
 また、当時の詩は古文調の言い回しが中心でしたが、古文調ではなく、分かりやすい現代語訳として翻訳されています。

 小川訳『ルバイヤート』は、1949(昭和24)年に岩波書店から岩波文庫の一冊として出版され、現在でも版を重ねています。
 本の最後の方に、著者オマル・ハイヤームの生涯や功績、詩の内容の解説が載っていますが、これも亮作が書いたものです。
 詳しく、しかも分かりやすく説明されているという評価を受けています。

 1949(昭和24)年夏、亮作は神奈川県鎌倉市に居を移し、研究活動に専念しますが、1951(昭和26)年12月27日に急性肺炎で亡くなりました。
 享年41歳でした。

 亮作は、ルバイヤートのすばらしさを多くの日本人に伝えてきた、そして今でも伝え続けている功労者でもあるといえると思います。

丸藤葡萄酒工業(株)公式サイト
http://www.rubaiyat.jp/

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オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』

The coming year is the 200th anniversary of the birth of Edward FitzGerald; so, as the year turns, what better celebration than some stanzas from his free translation of that great meditation on life's transience, The Rubáiyát of Omar Khayyám?

FitzGerald was a friend of Thackeray and Tennyson, but initially had few writerly ambitions of his own. Scruffy, eccentric, a bit of recluse and very rich, he was drawn to younger men, and it was from one of these, Edward Cowell, he began learning Persian in 1853. Cowell also passed on his discovery in the Bodleian Library, Oxford, of verses written by Khayyám, a Persian polymath whose life spanned the 11th and 12th centuries.

FitzGerald was enthralled and declared that the poems had "the ring of true metal".

The Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics quotes the tradition that the Persian quatrain-form, the ruba'i, originated in the gleeful shouts of a child, overheard and imitated by a passing poet. "Succinctness, spontaneity and wit" are its essence, the encyclopaedist writes, coolly noting FitzGerald's "venial infidelity to his Persian model". FitzGerald got the rhyme-scheme right but missed the rhythmic subtlety of the original prosodic pattern; some of the quatrains are paraphrased, some mashed together, others invented. Furthermore, Khayyám's 750-plus quatrains certainly did not constitute one long poem.

The 101-verse semi-narrative FitzGerald finally assembled is the product of a ruthless editorial job – but how much poorer English poetry would be without it. His endeavour might more generously be termed "transcreation". Khayyám, an agnostic famed during his lifetime as a mathematician and astronomer rather than a poet, and his mediator, a nineteenth-century English sceptic who believed that "science unrolls a greater epic than the Iliad", may not meet in a true linguistic union, but there seems to be a "marriage of true minds" nevertheless (and, yes, you'll note a passing trace of Shakespeare in FitzGerald's diction).

The speaker that emerges with such authority and panache, despite the stiffish western dress of iambic pentameter, has a voice unlike any other in Victorian poetry, and a philosophical sensibility which, while it has been compared to that of Epicurus and Lucretius, is new and distinct. A whole culture must have suddenly seemed within the imaginative reach of the poem's first audience.

Though initially published as an anonymous pamphlet, once the Rubáiyát was discovered by Rossetti, Swinburne and others, it swiftly became famous. It is said that its effect on Victorian England was no less considerable than that of Darwin's On the Origin of Species, published in the same year, 1859.

Everyone will have their favourite stanzas. My selection – from the fifth and final edition of the poem – begins with one of the most majestic and is followed by a less familiar episode, the Potter and his pots, a sustained narrative that literalises the creation myth and exudes a strong sense of Fitz-Omar's humour and his almost magic-realist imagination. The Rubáiyát's two concluding stanzas round it off. I hope you'll be enticed to read, or re-read, the whole poem and savour its homely yet memorable rhetoric, its vivid images, gloriously yearning sighs, twinkling jokes and keen-edged rational arguments. Meanwhile, let's raise a glass to a new year in which the spirit of translation – the spirit, in fact, of the luminous conversation between Edward FitzGerald and Omar Khayyám – presides over public affairs, especially those in the Middle East.
"Ah, make the most of what we yet may spend,
Before we too into the Dust descend;
Dust into Dust, and under Dust, to lie,
Sans wine, sans Song, sans Singer and – sans End!"

71
The Moving Finger writes; and, having writ,
Moves on: nor all your Piety nor Wit
Shall lure it back to cancel half a Line,
Nor all your Tears wash out a Word of it.
******
82
As under cover of departing Day
Slunk hunger-stricken Ramazán away
Once more within the Potter's house alone
I stood, surrounded by the Shapes of Clay.
******
83
Shapes of all Sorts and Sizes, great and small,
That stood along the floor and by the wall;
And some loquacious Vessels were; and some
Listen'd perhaps, but never talk'd at all.
******
84
Said one among them – "Surely not in vain
My substance of the common Earth was ta'en
And to this Figure molded, to be broke,
Or trampled back to shapeless Earth again."
******
85
Then said a Second –"Ne'er a peevish Boy
Would break the Bowl from which he drank in joy;
And He that with his hand the Vessel made
Will surely not in after Wrath destroy."
******
86
After a momentary silence spake
Some Vessel of a more ungainly Make;
"They sneer at me for leaning all awry:
What! did the hand then of the Potter shake?"
******
87
Whereat some one of the loquacious Lot –
I think a Súfi pipkin – waxing hot –
"All this of Pot and Potter – Tell me then,
Who is the Potter, pray, and who the Pot?"
******
88
"Why," said another, "Some there are who tell
Of one who threatens he will toss to Hell
The luckless Pots he marr'd in making – Pish!
He's a Good Fellow, and 'twill all be well."
******
89
"Well," murmured one, "Let whoso make or buy,
My Clay with long Oblivion is gone dry:
But fill me with the old familiar Juice,
Methinks I might recover by and by."
*******
100
Yon rising Moon that looks for us again -
How oft hereafter will she wax and wane;
How oft hereafter rising look for us
Through this same Garden – and for one in vain!
******
101
And when like her, oh Sáki, you shall pass
Among the Guests Star-scatter'd on the Grass,
And in your joyous errand reach the spot
Where I made One – turn down an empty Glass!

Tamám [It is ended].
* Notes: Ramazán – Ramadan.
* Sáki – a maid or manservant who pours wine.

[picture]
An early-20th-century illustration of The Rubáiyát of Omar Khayyám

The Guardian, Published: Mon 29 Dec 2008 12.59 GMT
Poem of the week: The Rubáiyát of Omar Khayyám
If only we could all learn the spirit of Edward FitzGerald's wonderfully unfaithful translation

By Carol Rumens
https://www.theguardian.com/books/booksblog/2008/dec/29/poem-week-edward-fitzgerald

 ワイン通なら「ルバイヤート」と聞けばピンとくるかもしれない。
 1890年に創業した歴史のあるワイナリー、丸藤葡萄酒工業(山梨県甲州市勝沼町藤井780 Tel 0553-44-0043)のワインブランドだ。

 伊勢志摩サミットで提供されるなど話題も豊富なワインだが、売れない時代も長かった。
 約60年前、ワイナリーを訪れた詩人、日夏耿之介(1890 - 1971)にブランドの命名を依頼したところ、1年かけて提案したのがペルシャの4行詩を意味するルバイヤートだった。
 代表的な作家、オマル・ハイヤームの作品にはワインの詩が多い。

 ワインのほか、醸造所も楽しめる。
 毎年4月に開くワイナリーコンサート「蔵コン」もその一つ(*1)。
 大村春夫社長は「東京駅で開いた駅コンをヒントにした」と話す。

 おいしいワインの存在を知ってもらおうと1988年に開始。
 初回はシャンソン歌手、水織ゆみさん(*2)の歌声とワインの香りに観客は酔いしれた。
 その後も尾崎紀世彦(*3)さんら幅広いジャンルからゲストを招き、2018年で30回目を迎える(11年は中止)。

 蔵コンは2部構成。
 第1部は参加者が前庭と畑で新酒を飲みながら交流するパーティーだ。
 第2部のコンサートは決して広くない地下貯蔵庫で、ゲストにかぶりつきで歌や演奏を堪能できる。
 15回連続で蔵コンに来ている東京都東久留米市の木藤亮さんは「ライブハウスとひと味違う臨場感は格別」と魅力を語る。
 
 コンサートは2019年から趣向を変え、古民家を改築した事務所棟で開く。
「お客さんがもっと気軽に参加できるよう」(大村社長)に、開催を年2回に増やす予定だ。

 イベントがない日は見学ツアーでワインの製造法や歴史を学ぶのも楽しい。
 ユニークなのはかつて白ワインを貯蔵していたタンクをぶち抜いて作った通路。
 壁いっぱいに広がるキラキラと光る小さな粒は、ワインに含まれる酒石酸がカリウムと結合した「酒石」と呼ばれる結晶だ。
 まるでロマンチックな星空のよう。
 と思いきや、通路はテレビドラマで事件現場になったこともあるとか。

 通路のドアにはワインづくりを表現したステンドグラスをはめ込んでいる。
 制作は三鷹の森ジブリ美術館(東京都三鷹市)を飾るステンドグラスも手掛けた山梨県北杜市の八田高聡さん、ゆり子さん夫妻。
 大村社長と意気投合し、代金の代わりにワインを受け取ったとの逸話も残る。


[写真]
蔵コンはワインの香りが漂う貯蔵庫で開催(2017年4月、山梨県甲州市)

日本経済新聞、2018/1/26 10:00
ワイン蔵で堪能
新酒と一流音楽

(甲府支局長 三浦秀行)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26122930V20C18A1KNTP00/

(*1)「蔵コン」
ルバイヤート ワイナリー コンサート
丸藤葡萄酒工業(株)公式サイト
http://www.rubaiyat.jp/kuracon/

(*2)水織ゆみ「愛の賛歌」
https://www.youtube.com/watch?v=s-ZdIy-xrhU

(*3)尾崎紀世彦(1943 - 2012) I LOVE YOU
https://www.youtube.com/watch?v=wXHRPOkJhVM

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相手の文化を尊重する外交

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をお読みください: 

★ 2019年06月18日「ホルムズ湾タンカー攻撃」
★ 2019年06月15日「トランプのパシリ」

 外交でなく勝手に阿呆がそう思っている世界一の覇者の使いっ走りで、地球儀外交とか要はカネのばらまきでしかないこの国のトップの害交(*)、それを見物して「やってる感」に酔ってるだけの民衆、しかしヤッホーくん、出会いました、岡田さん!
 オマル・ハイヤーム『ルバーイヤート』(平凡社ライブラリー、2009年9月)の編訳は、岡田恵美子(1932年生まれ)さん!
 今日はもう立冬、凛とした彼女のお話に耳を傾けてみましょう:

トランプ米大統領が昨年2018年5月にイラン核合意から離脱して以降、両国間の緊張が続いている。
今年2019年6月には安倍首相がイランを訪問、最高指導者ハメネイ師とも会談したものの仲介者としての役割は心もとなかった。
孤立化するイランとどう向き合うべきか。
日本にできることは――。
半世紀以上にわたってイランとの交流を続けているペルシャ文学研究の第一人者、岡田恵美子さんは「イランは言葉と文化を大事にする国。外交の土台は文化です」と助言する。

◇ ◇ ◇

― イランに関する最近の報道を見て感じることは?

岡田恵美子: イランは若い人がとても政治的なんです。
 男性でも女性でも政治への関心が非常に高い。
 これは国にとって一番の力になっています。
 米国はイランを怖がっているのでしょう。
 若い人が政治的で力がある。
 もちろん地下資源も持っている。


― 日本の若者とは違いますね。

岡田: 1年ほど前、日本在住のイラン人留学生の前で講演した時のこと。
 東京・上野の文化会館でしたが、そこにあった世界地図のペルシャ湾の場所に「アラビア海」と書いてあったの。
 そうしたら学生たちが怒ってね。
 私が「ペルシャ湾と書いた紙を上から張っておけば」と言うと、「そういう問題じゃない」と。
 その場で署名を集めて、外務省まで持って行った。
 イランの若い人は、社会の出来事や政治・国際関係に非常に敏感。
 積極的に発言します。


― 米国がイランを怖がっているというのは?

岡田: 米国はしきりにイランを挑発しているわけです。
 そうすればイランは困って音を上げるだろうというのが米国の狙い。
 ところがイランはブレない。
 イランには天然ガスなどの地下資源がある。
 石油も持っている。世界第4位の産油国です。
 中東の真ん中に位置し、砂漠の国とはいえ米や野菜などの農産物も十分取れる。
 先日お会いした駐イラン大使は、
「世界との交流を断たれると不安になる国民がいるので、少し物価は上がっているけれど、国そのものは、自給自足できるし、資源もあるので当分困らない」
 と言っていました。
 米国がイランを怖がるということは、イランが米国と同等の力を持っているということ。
 だからイランはますます自信を深めている。
 羨ましくもあり立派です。


― むしろ米国の方が追い込まれていると。

岡田: だから日本に仲介を頼んだりしたのでしょう。
 核合意の離脱は米国側から言い出したことで、イランは「米国が先に謝るのが当然だ」と考えている。
 それでブレないのです。
 そこが長所でも短所でもあるのだけど。
 日本だったら、「そうは言っても相手は米国だから」って話になるじゃないですか。
 いまイランは米国の出方を見ている。
 米国がイライラしてどうしようもなくなって、引いていくのを待っていると思います。


安倍首相もルバイヤートの話から始めたらよかった

― ブレないのは国民性というか、精神面の強さもあるのでしょうか?

岡田: やはり歴史が古い。
 2500年です。
 そこに文化の土壌がある。
 非常に立派な古典文学が豊富で、その中の言葉が教育の基礎になっている。
 親が子供に古典詩を暗記させるんですよ。
「知は力なり」(イランの大詩人フェルドゥスィー Ferdowsi 934-1025)など、古典詩には必ず教訓が入っています。
 そういう教育を家庭で行う。
 日本じゃ古事記や万葉集を家庭で子供に暗記させるなんてないでしょう。
 せいぜい百人一首くらいで。


― 古典詩の言葉がイラン人の精神的支柱になっているんですね。

岡田: イランは文化の国なんです。
 安倍さんもイラン訪問の際の首脳会談で、有名な文学者の話でも出せればよかった。
 例えば四行詩で有名な『ルバイヤート』(Rubā`iyāt)は、11世紀ペルシア(イラン)の詩人ウマル・ハイヤーム Omar Khayyám‎ 1048- 1131)の四行詩集とかね。
 向こうの人は政治家でも、まず文学や詩の話などから会話を始める。
 いきなり会って、「米国と喧嘩するのはやめなさい」とか「石油ください」では、表面的には応対してくれても、本気で相手にはされませんよ。
 以前、2000年の訪日時にお会いしたハタミ大統領は「山路来て 何やらゆかし すみれ草」という松尾芭蕉の俳句を暗記して来られました。


― 俳句ですか。すごいですね。

岡田: 大使がうちに来られる時も、必ず文化の話をされます。
 先日も「令和という元号は万葉集から取ったんですね」という会話から始まりました。
 なるほど、こうやって外交を進めてきたんだな、と感心しました。
 イランは東西文化の十字路にありますからね。
 安倍さんが一言、「ルバイヤートは日本でも読まれています」くらい言えば、もう話はパッと違ってくる。
 相手の国が最も誇りにしている文化のことに触れて会話を始めたら、まるで違うと思うのね。

 その点で日本の政治家は貧しいと思います。


― 日本とイランは文化的なつながりが深いのですけどね。

岡田: 正倉院の時代からですよ。
 琵琶など正倉院の宝物は7割が古代ペルシャから送られたものだったというじゃないですか。
 イランというと日本人は「革命」と思ってしまいますが、国名をイランに改めたのは最近のこと(1979年のイラン・イスラーム革命)で、ペルシャと同じ国です。
 そう考えれば文化の国だということが分かっていただけるでしょう。

 日本とイランの関係は「石油」だけじゃないんです。
 もっとも日本人は、自分の国の文化に対する関心も低いですからね。


― 文化に対する関心のなさが、日本外交にも影響している。

岡田: そういうことです。
「かつてペルシャと日本は文化によって結ばれていた」と安倍さんが言ったら、それはイラン人は喜び、日本を信頼しますよ。

 外交の土台は文化。
 文化を除いて外交をやろうと思っても無理です。
 石油の取引の話ばかりでは、外交ではなく商売になってしまう。
 文化でつながっていかない限り、深い外交はできないと思います。


 その点、欧州は強い。
 英仏はペルシャの古典研究を200年前からやっていて超一流です。
 日本は経済はしっかりしているけれど、文化への理解は非常に浅い。

 でもね、文化の土台がないと国って滅びますよ。
 必ず外交でも失敗する。
 文化は誇り。
 精神を作り上げているものです。


 だから文化への理解を、まずは政治家から始めてもらいたい。


― 確かに、安倍首相の行動は、ただ石油が欲しいだけに見えかねない。仲介役もトランプ大統領に促されるままですし。

岡田: 日本は米国の核の傘に守られているから、仕方ない面もあります。
 でも、日本とイランは正倉院の時代から文化でつながっている。
 米国にイランとの関係を断つように言われても、「イランとの交流は政治とは別だ」とハッキリ言って欲しかった。
 日本ももう少し毅然として欲しいですね。


■ 外交上手は会話上手

― 相手の文化を尊重する外交。それはイラン以外の国にも共通する。悪化の一途の日韓関係でも同様に思います。

岡田: 民間レベルで若い人たちが「韓国祭り」のようなイベントを行っています。
 こういうものは大いに続けて欲しい。
 だけど政治は……。うまく行きませんね。
 文化的なつながりの強さがもっとアピールされれば、何か解決策が出てくるかもしれません。
 結局、日本が外交下手なのよね。


― どうして下手なのだと思います?

岡田: 日本人は、以心伝心で伝わると思ってしまうところがある。そしてスピーチが下手。
 会話術をもっと磨かないと、自分の心の内にあるものを相手に伝えることができません。


― そこはイラン人に学びたいです。

岡田: ダブダブの服を着ている人に「妊婦さんみたい」と言ってしまうのが日本人。
 「楽そうな服ね」と言えば相手は傷つかない。
 来日したイラン人が驚くのは家庭でお父さんと子供の会話が少ないことです。
 イランではお父さんが一番の会話の先生。
 子供がお父さんと関わることで、言葉遣いや会話術を学んでいく。
 小さい頃から訓練されるから、イラン人はおしゃべり上手なのです。

※ 岡田恵美子(おかだ・えみこ、1932年東京都生まれ)
 東京学芸大卒後、中学の国語教師を経て、1963年テヘラン大学に留学。イラン国王宛てに留学を希望する手紙を書いたところ、国王から許可を受け、国費留学となった。1967年同大文学部博士課程修了。文学博士。1982年に東京外国語大学ペルシア語学科助教授。国立大において女性初の助教授だった。同大教授、中央大学総合政策学部教授を経て、現在、日本イラン文化交流協会会長。近著に「言葉の国イランと私: 世界一お喋り上手な人たち」(平凡社2019年3月)。


日刊ゲンダイ、2019/11/05 06:00
ペルシャ文学者が見たイラン訪問
「外交には文化が必要」

(聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264098/

(*)バカ者だらけの政権が税金を使い放題

「国民目線」からはほど遠い決断だ。
 2019年10月の消費増税は「税と社会保障の一体改革」の名の下に、税収を社会保障の安定財源に充てる名目にしていたが、直近で安倍首相が決めたのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国への「出資倍増」だった。
 庶民に痛みを強いる消費増税実施直後のタイミングでの“海外バラマキ”に批判の声が続出するのは時間の問題だ。

◇ ◇ ◇

 ASEAN首脳会議でタイを訪れていた安倍首相は日本時間の2019年11月4日夜、外務省所管の国際協力機構(JICA)への出資を今後倍増させ、ASEAN諸国のインフラ開発などを支援していく方針を表明。
 この発言に対し、SNSなどでは、
〈また、外国にばら撒きかよ〉
〈諸外国に出す金があるなら、(消費税を)増税するなよ〉
〈途上国の外国人よりも、氷河期の日本人を支援すべき〉
といった批判の声が相次いだ。

 そりゃあそうだろう。
 第2次政権が発足した2012年以降、安倍政権は海外諸国にドヤ顔でカネをばらまき続けているからだ。

 昨年2018年1月26日の参院本会議の代表質問で、社民党の福島瑞穂議員は、
〈総理が表明した(海外への支援)額を機械的に加算した場合、円借款や一部重複部分を含め54兆3621億円になるという回答が(外務省から)あった〉と指摘。

〈社会保障を削って、なぜこの大盤振る舞いなのですか〉
と追及すると、安倍首相は、
〈54兆3621億円は、民間資金と重複計算により額が膨大に膨らんでおり、極めて誤解を招く数字〉
とムキになって反論。
〈(本来の総額は)2兆8500億円〉とか言っていたが、その詳細な内訳はいまだに分からずじまいだ。

■ パナマのモノレールやバングラデシュの鉄道に数千億円

 このやりとり以降も、安倍政権は平然と“海外バラマキ”を継続。

 2018年4月、過激派組織「イスラム国」との戦闘終結後のイラク復興支援名目で、同国の上水道整備などのために約350億円の円借款供与を決定したほか、
 同年2018年10月には、インドの高速鉄道計画などに3000億円強
 さらに今年2019年4月にはパナマ首都圏のモノレール建設事業を巡り、約2810億円の円借款を決めた。
 そして同年2019年5月末は、バングラデシュの鉄道や商業港建設に関連し、1300億円規模の円借款を約束するなど、
ざっと取り上げた大型案件だけでも、バラマキ金額は約7500億円にも上る。

 総額でいえば、ざっと55兆円を突破している計算だ。

 さらに言えば、昨年2018年末に閣議決定した2019〜2023年度「中期防衛力整備計画」に基づくステルス戦闘機の“爆買い”だって、トランプ大統領の要求に屈した安倍首相の米国への巨額な“バラマキ”に等しい。
 1機116億円とされる戦闘機を147機購入する計画で、維持費を含めると日本の支出額は約6兆2000億円。

 つまり、バラマキ総額は実に60兆円を超えているのだ。

「海外支援に資金を支出することは重要なことかもしれません。しかし、政府はこれまで多額の出資をし、どれだけの成果を上げてきたのかが全く見えない。安倍首相は、大枚をはたいて各国首脳を味方につけたかのような気分に浸っているだけではないか。給料が上がらない中、消費増税に苦しむ国民が多いのに、海外へのバラマキに税を費やしている場合ではないはずです」
(経済ジャーナリスト・荻原博子氏)

 消費増税した途端に海外にカネをばらまき始めるというのは、もはや、宰相としても政治家としても、マトモな頭じゃない。
 これじゃあ、いくら増税してもキリがないだろう。
「カップ麺が1個400円」などと国会答弁で平気で言ってのけるバカ者だらけの政権にこれ以上、税金を使わせたら国が滅ぶ。


https://www.youtube.com/watch?v=XzSsUx7Sx6A

日刊ゲンダイ、2019/11/06 17:58
増税した途端…
安倍政権“海外バラマキ”累計「60兆円」突破

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264293/


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2019年11月07日

森達也『i』

 第32回東京国際映画祭(Tokyo International Film Festival、TIFF、10月28日(月)〜11月5日(火))の日本映画スプラッシュ部門(Japanese Cinema Splash)出品作「i- 新聞記者ドキュメント -」。
 同作のワールドプレミア上映が本日11月1日に東京・TOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われ、監督の森達也(1956年生まれ)とプロデューサーの河村光庸(1949年生まれ)が出席した。

「i- 新聞記者ドキュメント -」は、東京新聞社会部の記者・望月衣塑子(1975年生まれ)の活動を追うドキュメンタリー。

 報道の問題点、ジャーナリズムの地盤沈下、社会が抱える同調圧力や忖度の正体に迫る。

 森はまず、
「こっちは正義でこっちは悪とか、右翼左翼とか、分けるのが好きじゃないんです。映画は勧善懲悪ものが多いけど、現実では簡単に分けられるものじゃない。互いに攻撃し合っているのは居心地が悪いです」と日本の現状に触れる。
 河村は、
「誰かにムカッとしてる映画ではないです。官邸やマスコミだけが悪いと言いたいわけでもなくて、自分たちにも問題はあるんじゃないかってこと」と作品の趣旨を伝え、
「同調圧力や忖度のような、実態のないもので世の中が動いているのが怖い。それが蔓延すると世の中はどうなっていくんでしょうか」と問いかけた。

 タイトルの「i」について聞かれた森は、
「意味わかりましたか? ラブです……まあそれは冗談ですけど」と言い、会場を和ませる。
「最初は『衣塑子が来た』のようなタイトルも考えたんですけど、なんだか気恥ずかしいし、これまでの作品と同じようにアルファベットにしようと。衣塑子の『i』というところから始まり、アイアムやアイデンティティの『i』になっていった気がします」と振り返った。

 また映画でアニメーションを使った意図を問われると、森は、
「ドキュメンタリーだけを撮ってるわけではなくて、いつでもドラマも撮りたいと思っています。音楽やナレーションのない、ダイレクトシネマをやってきたので今回は違うものにしようかなって。アニメーションは周りから反対されましたけど、入れたかったので入れました」と説明する。

 また河村は、「i- 新聞記者ドキュメント -」を若者に観てもらいたいと語る。
「『ボヘミアン・ラプソディ (Bohemian Rhapsody)』(2018)(*) は中年の音楽ファンが支持し、それが若者にもつながっていった。この映画も最初は中高年の方が観ると思いますけど、森さんは若い人にも人気があるからつながっていけばいいなと。本来は独立系の映画館で上映する作品ですが、新宿ピカデリーや丸の内ピカデリーでもやります」とアピールした。

 そして森が、
「東京国際映画祭とは死ぬまで縁がないと思っていました。最初に河村さんから上映について聞かされたときは『何戯言を言っているんだ』と。無理だと思っていたので、この映画を上映してくれたことに感謝します」と映画祭に感謝を示し、イベントを終えた。

※「i- 新聞記者ドキュメント -」は11月15日より東京・新宿ピカデリーほか全国で順次公開。


[動画]
『iー新聞記者ドキュメントー』予告篇

[写真]
左から森達也、河村光庸

映画ナタリー、2019年11月1日 13:48
「i - 新聞記者ドキュメント -」TIFFで上映、森達也「死ぬまで縁がないと思っていた」
https://natalie.mu/eiga/news/353748

(*)ボヘミアン・ラプソディ
Queen – Bohemian Rhapsody (Official Video Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ

Bohemian Rhapsody、Official Trailer、20th Century FOX
https://www.youtube.com/watch?v=mP0VHJYFOAU

 オウム真理教を題材にした『A』やその続編『A2』、ゴーストライター騒動の渦中にあった佐村河内守を題材にした『FAKE』などで知られる森達也監督の新作『i−新聞記者ドキュメント−』(11月15日公開)のパネルディスカッションが6日、明治大学駿河台キャンパスで開催。
 森監督と、本作に出演する東京新聞社会部記者の望月衣塑子(もちづき・いそこ)が登壇した。

『i−新聞記者ドキュメント−』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=g4FBg_dvuNw

 本作は、今年6月に公開された映画『新聞記者』の原案となった著書を執筆したことでも知られる望月衣塑子記者の姿を通し、日本の報道の問題点、ジャーナリズムの地盤沈下、日本社会が抱える同調圧力や忖度の正体に迫るドキュメンタリー。
 会場には明治大学の学生たちが多く集まり、Q&Aの際には学生から望月記者や森監督に対し、現代の日本メディアが抱える問題点に対しさまざまな質問が飛んだ。

 ある学生が望月に、
「SNSを通じて政治について発信することで、バッシングされるのではないかと恐怖がある。(政治的発信をしてバッシングされることへの)恐怖の乗り越え方は?」と質問すると、望月は、
「わたしが会見などに乗り込んでいくようになったのは今の政権や官邸に対して怒りが先走っていたから。その後、どんなバッシングが来るかは想像していなかった」と自身の体験を振り返りながら回答。

 望月記者は世に名前が出るようになってから、とりわけネットで叩かれるようになったといい、
「『トンでも質問だ。あいつは外国のスパイだ』って言われたりしたんです。(そういうことになると)政治批判などはできないなと萎縮する人もいると思うんですけど、ネット空間のバッシングはわたしの感覚では恐れるにたらずと思っています」と自身の考えを述べる。

 そんな望月に対し、実生活で危険な目にあうのではと心配する声もあったというが、
「わたし自身は活動して来て、ネット上で批判している人から襲われたなんて経験はまずゼロ」ときっぱり。
 それでも、
「一回だけ、大学で講演をした時に若者がバババって入って来て、こっちに来るかなってことがあったけど、叫んで去っていくだけだった」といった出来事も。
 そういった体験を踏まえ、
「ネットの空間だけのことに囚われないで。何かアクションをしたいと思った時は、勇気を出していろんなことを発信していってほしい」と呼びかけた。

 また、望月は自身が出演する『i−新聞記者ドキュメント−』の話題に及ぶと、
「まさかこんなところまで使われないよなってところまで撮られていてすごく恥ずかしかったけど、わたしの良い面も悪い面もきちんと撮ってもらっていてありがたかった」とコメント。

 とりわけラストに感じ入るものがあったようで、
「最後の10分は森さんが過去の作品も含め、一貫して伝えたいことが強く感じられた。その人自身の持っているもの、個の大切さというのをラストの森さんのコメントと共にわたし自身も再認識させられた」と話していた。

※『i−新聞記者ドキュメント−』は11月15日より新宿ピカデリーほか全国公開


[写真-1]
達也監督の新作『i−新聞記者ドキュメント−』パネルディスカッションに登壇した望月記者

[写真-2]
森達也監督

[写真-3]
パネルディスカッションの様子

シネマトウデー、2019年11月6日 23時02分
望月衣塑子記者に「恐怖を乗り越えるには?」
学生から質問相次ぐ

(取材・文:名鹿祥史)
https://www.cinematoday.jp/news/N0112180

 東京新聞・望月衣塑子記者の取材活動を追った『i- 新聞記者ドキュメント(監督:森達也)』。
 試写会が6日、東京・駿河台の明治大学であった。

 『i』が題材にしているのは「辺野古移設問題」「伊藤詩織・準強姦事件」「森友問題」「加計問題」。

 いずれも官邸による権力犯罪である。
『i』はマスコミが追っていない所まで踏み込み、問題を告発する。

「どうして答えられないんですかっ!」

 望月が猛然と沖縄防衛局幹部に詰め寄る場面がある。
 物凄い剣幕で迫り、防衛局幹部が車に逃げ込むまで追い駆けて行く。
 田中も同じ現場にいたが、彼女の怒りがヒシと伝わってきた。

 辺野古新基地の埋め立てには、赤土が大量に使われている。
 誰が見ても沖縄県「赤土流出等防止条例」違反だ。

 埋め立て自体が県知事の許可なく行われる違法行為であるのに、さらに条例破りまで重ねる。

 違法な埋め立ては、法治国家であることを自ら放棄する官邸の強引な姿勢を象徴する。

 にもかかわらず、沖縄2紙をのぞくとマスコミの追及は手ぬるい。

「伊藤詩織・準強姦事件」になるとマスコミの追及はさらに ゆるく なる。
 望月は追及の手を緩めない。
 アベ友の元TBS記者を実名で「呼び捨て」にして事件の真相に迫る。

 圧巻は官房長官記者会見だ。
 記者クラブに加えて番記者制度まであるため、官房長官を厳しく追及する記者は皆無に等しい。

 望月は質問妨害にもめげることなく、官房長官の嫌がる質問を続ける。
 国民が最も知りたがっている事だからだ。

 たまりかねた官房長官側は望月の質問を「事実誤認」だとして、沈黙させようとしてくる。
 官房長官側が事実誤認であることは、国会で野党議員が示した「赤土の写真」で明らかになった。

 外国人記者との会話は日本マスコミが世界水準でないことを物語る。

「外国人記者は官邸会見に出てもオブザーバー参加しかできない」「政府を批判した記事を書くと反日と言われる」・・・
 まるで望月が受けている仕打ちと同じだ。

「等身大の自分が写っている」と望月は『i』を評価する。

 彼女は世論を動かせるだけの優秀な記者だ。
 だが冷静に考えてみると記者として当たり前の仕事をしているに過ぎない。

 ところが、それを追ったドキュメンタリー映画が感動を与えるのだ。
『i』は 日本のジャーナリズムが、本来の役目を果たしていないことを、雄弁に語る。


[写真-1]
試写会後の質疑応答。「官邸に乗り込んだ時は恐怖よりも怒りが先に走った」。=5日、明治大学

[写真-2]
「広報に聞いて下さい」。沖縄防衛局幹部は得意の逃げ口上でかわそうとしたが、望月衣塑子は追及の手を緩めなかった。=1月、那覇市 野党合同ヒアリング会場

[写真-3]
激しく追いすがる望月。この場面は映画にも登場する。=1月、那覇市 野党合同ヒアリング後

田中龍作ジャーナル、2019年11月7日 00:02
『i - 新聞記者ドキュメント』が示す日本マスコミの異常
http://tanakaryusaku.jp/2019/11/00021200

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2019年11月06日

小林修『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』

幕末、明治、戦国、宗教、この国のかたち。
歴史が交差する瞬間をカメラマンはどう表現したか。
司馬遼太郎さんの小説やエッセーなどの世界を文章と写真で表現する連載を担当するカメラマンが、その苦労などを明かす。

* * *

 司馬遼太郎さんが「週刊朝日」に1971(昭和46)年から25年間連載した「街道をゆく」。
 紀行文や文明論でもあり、小説的な要素もある。

 自作を“絵画的”に司馬さんは語っている。

<……初めのうちは旅行印象記といいますか、淡い日本画みたいなものだったんですが、次第に油絵になってゆき、アブストラクトやシュールじみてきたわけで、書き続けるうち、その土地ならその土地で、自分が感じている大テーマを書こうと……>
(『司馬遼太郎全集』月報50)

 中盤以降は「南蛮のみち」「愛蘭土(アイルランド)紀行」「北のまほろば」「台湾紀行」といった大作が多くなる。

 文庫本43冊は司馬さんのライフワークだろう。
 司馬さんはかつて言っていた。

「人間のアプローチの仕方にはいろいろあって、絵画的に入る人、音感的に入る人、触感で入る人、味覚で入る人もいる。僕の場合は視覚的に入るタイプだろうね」

 取材でスケッチし、メモ代わりに写真もよく撮っていた。

 こうした司馬さんの「街道の視点」に視覚的に“挑戦”したのが、小林修写真集『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』(朝日新聞出版、2019年10月)だ。

 司馬さんの没後10年から週刊朝日で連載が始まった「司馬遼太郎シリーズ」はいまも続いている。
 小説やエッセー、「街道」の世界を文章と写真で表現する連載(現在は「司馬遼太郎と昭和」)で、編集担当は筆者と朝日新聞出版写真部の小林修。
 小林は13年にわたり写真を撮り続けてきた。

 小林の朝日新聞入社が1990(平成2)年で、司馬さんが亡くなったのは1996年。
 まだ駆け出しの時期で、「街道」チームに参加したことはない。
 つまり、小林は司馬さん本人に会ったことはない。
 もともと小説もあまり読んではいなかった。

「高校生のとき、友だちから『竜馬がゆく』を薦められました。『これを読めばお前の人生が変わるから』とずいぶんいわれましたが、なぜか読みませんでした(笑)。どちらかというと、カズオ・イシグロ、村上春樹、沢木耕太郎の世界のほうに近い感じがありました」
(小林)

 ただ、旅が好きだった。

「子どものころは、安野光雅さんの『旅の絵本』が好きで、いつも枕元に置いて寝てました。大学時代にバックパッカーで中国を旅行したり、司馬さんの作品では『街道』だけは読んでいました。いま思えば読んでいて良かったです」
(同)

 しかし、司馬さんの世界を撮影するのはなかなか難しい。

 幕末や戦国時代の風景はまず残ってはいない。史跡や石碑ばかり撮っても仕方ない。

 織田信長が活躍した「桶狭間合戦場」は住宅街だし、千葉周作が道場を開いた「神田お玉ケ池」には無機質なビルが並ぶ。

「街道」にしても約50年前に始まった連載であり、司馬さんの見た風景はなくなっていることが多い。
 途方にくれたとき、小林が思い出す司馬さんの言葉がある。

たとえ廃墟になっていて一塊の土くれしかなくても、その場所にしかない天があり、風のにおいがあるかぎり、かつて構築されたすばらしい文化を見ることができるし、その文化にくるまって(略)動きつづける景色を見ることができる
(1983年「私にとっての旅」)

 小林は言う。

「しばらくその場にぼーっとして、司馬さんの言葉を思い出す。そのうちそれがヒントになり、見えてくる風景がある。言葉にシンクロできる瞬間が、ときどきあります」

 写真集では、約100点の写真が収録され、その半分近くの写真の傍には司馬さんの言葉が並んでいる。
 言葉に触発され、時空を超えた風景がそこにある。

※ AERA 2019年11月4日号


[写真]
黒崎教会(長崎市上黒崎町)/遠藤周作『沈黙』の舞台、外海地区の黒崎教会。日曜の早朝、カトリックの信者が集まっていた。ここは潜伏キリシタンの歴史が残る。キリスト教と日本の風土について、司馬さんは「島原・天草の諸道」で考察している(撮影/写真部・小林修)

dot.asahi.com、2019.11.4 08:00
司馬遼太郎が見た景色がなくなっていても「見えてくる風景がある」
その瞬間とは?

(週刊朝日編集部・村井重俊)
https://dot.asahi.com/aera/2019110100014.html

 FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)では、2019年11月1日(金)から20日(水)まで、作家・司馬遼太郎の世界を撮り続けている小林 修 氏の写真展を開催いたします。

 小林 修 氏は「週刊朝日」の人気連載「司馬遼太郎シリーズ」の写真を13年にわたり担当し、作家・司馬遼太郎の作品世界を写真で表現しつづけているカメラマンです。
 小林氏は生前の司馬氏に会うことはありませんでしたが、司馬氏の連載『街道をゆく』の最後の担当であった村井重俊氏とともに司馬作品ゆかりの地を取材し、その原風景を写真で表現してきました。

『街道をゆく』は1971年から、司馬氏が亡くなる1996年まで、25年にわたり「週刊朝日」に連載された司馬氏のライフワークともいえる、紀行文学の名著です。
 日本人はどこから来たのか、日本はどのような歴史を辿ってきたのか、その文化の源流はどこにあるのか。
 司馬氏の歴史と風土を訪ね歩く旅は、国内は北海道から沖縄、さらに海を越えて、アイルランドやオランダ、モンゴルなどにまでおよびました。
 同作の中で、司馬氏の思索は時空を自在に行き交い、時代を鋭く見抜き、また『国盗り物語』や『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『坂の上の雲』など小説作品の世界とも有機的なつながりを見せます。
 司馬文学のエッセンスが凝縮されている『街道をゆく』は、小林氏の撮影でも大きな手掛かりとなっているといいます。

 本展は、小林氏が長年にわたり撮り重ねてきた膨大な写真群の中から『街道をゆく』をテーマに厳選した約90点を展示いたします。
『街道をゆく』文庫版の表紙や、「週刊 司馬遼太郎」シリーズで多くの人に親しまれてきた作品の数々を「宗教」や「言葉」など、さまざまな切り口で再構成し、新たに制作した銀塩プリントで展観いたします。
 感覚を研ぎ澄ませ、現代の風景の中に司馬作品の世界が立ち上がる瞬間を、明快に、そして繊細にとらえた写真群は、時代を超え、司馬文学の世界をいきいきと今日によみがえらせるものです。
 小林氏の視点が、司馬氏の視点に重なる瞬間、その精神までをも浮かび上がらせる写真たちが、司馬作品の世界にもう一つの扉を開くことでしょう。

 今なお不動の人気を誇る作家・司馬遼太郎の世界、そして、写真が生み出す『街道をゆく』の新たな魅力を、どうぞご堪能ください。

※ 司馬遼太郎の「遼」は、正式には「二点しんにょう」です。

※ 2019年11月9日(土)、10日(日)に写真展併催イベントとして、小林 修 氏と村井重俊氏(週刊朝日編集委員、元『街道をゆく』担当)が「司馬遼太郎シリーズ」の撮影秘話や取材エピソードを語るトークショーを開催いたします。


[写真]
モンゴル・ゴビ砂漠

FUJIFILM SQUARE 企画写真展
小林 修 写真展 司馬遼太郎『街道をゆく』の視点 歩いた風土、見抜いた時代
http://fujifilmsquare.jp/detail/1911010123.html

企画展名:FUJIFILM SQUARE 企画写真展
     「小林 修 写真展 司馬遼太郎『街道をゆく』の視点 歩いた風土、見抜いた時代」
開催期間:2019年11月1日(金)–20日(水)
     10:00–19:00(入場は閉館10分前まで) 会期中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)
   〒 107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号(東京ミッドタウン・ウエスト)
   TEL 03-6271-3350 
   URL http://fujifilmsquare.jp/
主催:富士フイルム株式会社
特別協力:公益財団法人 司馬遼太郎記念財団
協力:株式会社朝日新聞出版、週刊朝日編集部
監修:村井重俊(週刊朝日編集委員)
後援:港区教育委員会

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司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』

 司馬遼太郎(1923 - 1996)さんは、歴史と人間について、とくに日本の歴史と人間について非常に深く掘り下げた作家であるとともに、同時代の日本人の歴史観に最も影響を与えた作家であっただろうと思います。
 作家生活の後半、司馬さんは多くのエッセイや史論を発表するようになったことで、小説家というよりも歴史家と思われるようになりました。
 本人が好むと好まざるとにかかわらず、「司馬史観」という言葉が使われるようになり、私たちは彼を「歴史家」としてとらえるようになっています。
 しかし、そのキャリア全体を見れば、やはりその本質は小説を書くことにあったといって間違いないでしょう。

 司馬さんが遺した膨大な数の作品群のなかで、とくに代表作といわれているのが、
・ 『竜馬がゆく』
・ 『翔ぶが如く』
・ 『坂の上の雲』
の三大長編です。
 これは、明治以来の近代日本国家がどのようにできたのかということを、「準備段階」「実行段階」、そして「絶頂」に至る過程に沿って描いたものだと言っていい。
 坂本龍馬、大久保利通と西郷隆盛、秋山真之をはじめとする日露戦争の群像が躍動し、アジアで唯一の列強へと駆け上がってゆく──その日本の自画像を描いた物語です。
 これらの作品を読む日本人は、幕末から近代にかけての歴史を、非常に痛快な、明るい歴史ととらえました。

 一方で司馬さんは、日本についてのある種の悩みや影を抱えた人物でもありました。
 それは彼の戦争体験によるものです。
 幕末から明治にかけての日本は、軍事力を基盤とした権力体を築き、植民地化の危機を脱しただけでなく、自らが植民地を獲得する側に立ちました。
 しかし、それが司馬さん自身の青春を非常に暗いもの、辛いものにする時代へ、つまり昭和の戦争の時代へとつながっていきます。
 司馬さんは自らが生きた昭和の時代については、ついに小説作品を遺すことはありませんでした。

 この番組とテキストでは、司馬遼太郎さんの作品から、戦国、幕末、明治、そして司馬さんが異常な時代─―「鬼胎(もしくは異胎)」と呼んだ昭和前期(広義では、日露戦争後の一九〇五年から四五年の終戦までの四十年)、さらには戦後の日本および日本人を見つめ直していきます。
 晩年の司馬さんは『21世紀に生きる君たちへ』(世界文化社、2001年2月)という文章を残し、自身は新しい世紀を見ることはないだろうと予言して、そのとおりに1996年に亡くなられました。
 21世紀を生きる私たちは、20世紀に至るまでの日本と日本人を見つめ続けた司馬さんのメッセージを、今こそ読み取らなければいけない時期にきていると思います。

 文学を語るとき、議論は文学作品そのもののなかで完結すべきで、それが外に与える影響まで考えなくていいという意見もあると思います。
 しかし、司馬さんの文学というのは──これは漫画家の手塚治虫さんにも通じることかもしれませんが──、読み手の人生をよりよくし、また読んだ人間がつくる社会もよりよくしたい、という、つよい思いがこめられた作品です。

 司馬さんにとって、日本国家の失敗というのは、やはり「昭和前期」でした。
 昭和を題材にした小説はついに描くことはできませんでしたが、もし司馬さんが昭和史の小説を書いたとしたら、何を言いたかったかは、むしろその時代を影絵のように塗り残していることでよく見えてきます。
 司馬さんが描けなかった、影絵のように塗り残してしまった部分には、二十一世紀を生きる私たちが考えなければいけない問題がたくさん含まれています。

 司馬さんは、日本国家が誤りに陥っていくときのパターンを何度も繰り返し示そうとしました。
 たとえば、集団のなかに一つの空気のような流れができると、いかに合理的な個人の理性があっても押し流されていってしまう体質

 あるいは、日本型の組織は役割分担を任せると強みを発揮する一方で、誰も守備範囲が決まっていない、想定外と言われるような事態に対してはレーダー機能が弱いこと。

 また情報を内部に貯め込み、組織外で共有する、未来に向けて動いていく姿勢をなかなかとれないといった、日本人の弱みの部分をその作品中に描き出しています。

 こうした、その国の人々が持っている「たたずまい」、簡単に言えば「国民性」といったものは、100年や200年単位でそう簡単に変わるものではありません。
 であるならば、20世紀までの日本人を書いた司馬遼太郎さんを、21世紀を生きる私たちが見つめて、自分の鏡として未来に備えていくことはとても大切ですし、司馬さんもそれを願って作品を書いていったはずなのです。
 もちろん、自身が歴史好きということはあったでしょう。
 また、文学として自己完結したいと思ったかもしれません。

 でも、いちばんの根元にあったのは、後世をよくしたい、それに少しでも力を添えたい──という、戦争にも行った世代ならではの使命感と志だったと思います。

 だからこそ、亡くなって二十年が経過した今なお司馬さんは国民作家として愛され続けているのです。
 そのことを十二分に踏まえながら、これから作品を読んでいきたいと思います。

※ 司馬遼太郎の「遼」の字は、本来、「しんにょうの点がふたつ」です。

 
2016年3月9日放送、「幕末」に学ぶリーダーの条件〜「花神」を中心に〜
司馬さんからのメッセージ
『司馬遼太郎スペシャル』 ゲスト講師 磯田道史(歴史家・静岡文化芸術大学教授)
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/52_shiba/guestcolumn.html

 私は歴史小説を書いてきた。

 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

 歴史とはなんでしょう、と聞かれる時、
「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」
と、答えることにしている。

 私には、幸い、この世にすばらしい友人がいる。

 歴史の中にもいる。そこには、この世で求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

 だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは──もし君たちさえそう望むなら──おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。

 私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
 
 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。

 君たちは、ちがう。

 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。

「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう」

 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ、残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。

 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

 人間は──くり返すようだが──自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。

──人間こそ、いちばんえらい存在だ──という、思いあがった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。

 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

 この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

 さて、君たち自身のことである。

 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
──自分にきびしく、相手にはやさしく、という自己を。

 そして、すなおでかしこい自己を。

 21世紀においては、特にそのことが重要である。

 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は助け合って生きているのである


 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。

 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。

 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。

 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

 他人の痛みを感じることと言ってもいい。

 やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たような言葉である。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。


 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

 この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。

 鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。

 もう一度くり返そう。
 さきに私は自己を確立せよ、と言った。
 自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
 いたわりという言葉も使った。
 それらを訓練せよ、とも言った。
 それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
 そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。


 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえというものである。
 
 君たち。
 君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。

 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。


生きる言葉:名言・格言・思想・心理、2006年12月19日 (火) at 08時22分
二十一世紀を生きる君たちへ
司馬遼太郎
http://gakusix.cocolog-nifty.com/ikirukotoba/2006/12/post_910b.html

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2019年11月05日

斎藤幸平『未来への大分岐』

暮らしを脅かす気候変動、経済格差。
若者を中心に、こうした現状を変えようという世界的なうねりは、「資本主義」という経済システムへの異議申し立てだ……。
米国やドイツで学んだ32歳の経済思想家、斎藤幸平さんは、こう読み解く。
新しい経済のありようを見いだす鍵は、カール・マルクスの「資本論」だとも。
どういうことですか。

―「生態系が崩壊しようとしている」「行動を怠る大人は悪だ」と訴えた16歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの国連でのスピーチが世界で共感を呼んでいます。

斎藤幸平: 日本では、「環境破壊を憂える少女の勇気ある表明」という文脈で報道されがちですが、そこに込められた強い政治的主張は注目されていません。
「大人は無限の経済成長というおとぎ話を繰り返すな」「今のシステムでは解決できないならシステム自体を変えるべきだ」という彼女の発言は、資本主義システムが深刻な異常気象を引き起こしており、経済成長が必須の資本主義のもとでは気候変動問題に対処できないというメッセージなのです。


― そこに注目が集まらないのは、極端な主張だからでは?

斎藤: 極端ではありません。
 国連の昨年2018年の報告書でさえ、経済成長だけを求めるモデルは持続可能性がない、として脱成長モデルを検討するようになっています。
 気候変動が国際的な課題になったのは1988年ですが、その後30年間、政治家たちは空約束ばかりで時間を浪費してしまいました。


― とはいえ、2016年には産業革命前からの世界の平均気温の上昇を2度未満に抑える目標を掲げたパリ協定も発効しました。

斎藤: パリ協定は、あくまで資本主義のもとで市場メカニズムを利用し、イノベーションや経済成長を阻害しない程度の炭素税で解決しようとする対策です。
 30年前ならその枠組みでも対応できたでしょう。
 でも、もう遅すぎます。


― 問題が放置され続けてきたのはなぜでしょうか。

斎藤: タイミングが悪かった面もあります。
 冷戦体制が崩壊し、グローバリズムという名のもとで市場原理主義的な資本主義が地球を覆っていきました。
 ところが、気候変動対策は市場の規制や生産の計画化を求めるため、無視された。
 科学技術への過信もこの間に広がりました。
 インターネットなど情報技術が発展し、政治や社会の仕組みを変えずに技術や市場メカニズムで解決できるという信仰で崖っぷちまで来てしまった。
 見落とされてきたのは、気候変動は正義の問題であるという点です。


― 正義、ですか。

斎藤: 世界の所得上位10%が温室効果ガスの半分を排出している一方で、下から数えての35億人はわずか10%です。
 ですが、結果的に異常気象の影響を大きく受けるのは、発展途上国の貧困層や、今の子どもたちの世代です。
 日本でも気候変動をめぐる不平等の構図=不正義、は見られます。
 大型台風の被害は、インフラが整っていない地方で影響が格段に深刻化しています。


■ ■ ■

― つまり先進国の豊かな人たちは、もっとつつましく生きるべきだという話ですか。

斎藤:「足るを知れ」といった精神論ではありません。
 行き過ぎた資本主義を人間と環境を破壊しない形に変えよう、という議論なのです。
 上の世代が戸惑うほどグレタさんが絶大な支持を受けた背景には、今のシステムではだめだという危機感が直感的なものも含めて若者たちに広がっていることがあります。
 この30年間で結局、誰が「豊か」になりましたか。
 日本でもかつて構造改革という言葉が流行しました。
 改革、競争、経済成長……。
 これらを追い求めた結果、非正規雇用が増え、低賃金や長時間労働が蔓延(まんえん)しています。
 成長すれば社会全体が潤い、誰もが豊かさを享受できる、という論理がでたらめだったことは、日本社会の現実が物語っています。


― とはいえ、日本は経済成長すらあまりしていません。それでももっと再分配、ですか。

斎藤: 問題は富が「足りない」ことではないのです。
 十分に生み出されているのに、一部の人が独占していることです。
 世界全体の富を独占する一部のお金持ちには、もっと課税して分配すればいい。
 再分配を強化したうえで、景気を良くすれば、経済が活力を取り戻す、という議論では足りません。
 資本主義そのものが問題である、ということなのです。
 かつてマルクスが警告していたことです。


― どういうことですか。

斎藤: 米国の哲学者マイケル・ハートがマルクスを参照しながら、根源的な私たちの共有財産という意味で『コモン』という概念を提唱しています。
 水やエネルギーがそうですが、利益を生み出す元手としての地球=環境も本来はコモンです。
 しかし、資本主義下では一部の人がこれを囲い込み、管理し、他の人には使わせないようにして解体していきます。
 多くの人々は「商品」として購入しない限り、手に入れられなくなる。
 資本主義は「希少性」を人工的に作り出し、人びとをたえざる労働と消費に駆り立てるシステムです。
 家のローン、子育て、老後の生活費……。
 常に足りない、だからもっと働こうとする。
 本来、技術発展でこれだけ生産力が上がったのだから、労働時間を減らしてもよいはずなのに、です。


― 資本主義の矛盾を指摘したマルクスは、地球環境問題を考えていたのですか。

斎藤: そうです。
 マルクスの資本論の本質は、人間と自然環境の強い結びつきにあることが、最近の研究でわかってきました。
 マルクスは、人間の生活の本質は「自然とのたえざる物質代謝」にあると考えていた。
 人間が労働を通じて自然に働きかけ、受け取り、廃棄する循環プロセスです。
 ところが資本主義ではこの人間と自然の関わり合いが徹底的にゆがめられ、両者の破壊が起こります。
 これは資本主義である以上、不可避だというのがマルクスの主張です。


■ ■ ■ 

― ただ旧ソ連などの社会主義国でも、資本主義国と同じように環境破壊が進んでいました。

斎藤: 旧ソ連は今説明した意味でのマルクスの思想の本質の体現ではありません。
 政策で「上から」経済を成長させようとした。
 成長第一主義という意味では資本主義と同じです。
 本来は、資本主義の問題の解決に欠かせない人間と自然の両者を包括する「ポスト資本主義」の構想が必要で、今、その変化の萌芽(ほうが)が見えてきました。


― 具体的には?

斎藤: グリーン・ニューディールです。
 公共事業で各産業分野での再生可能エネルギーへの転換を後押しし、新しい雇用を生み出そうとします。
 生活に欠かせないものは気候変動対策の観点から「公有化」していく。
 たとえば、自家用車を減らすため、公共交通機関を無償化するといった政策などを掲げています。
 しかもこのような政策が国境を越えて訴えられ、支持されるようになってきた。
 欧米の左派は、もはやグリーンでなければ、左派ではない。
 マルクスが今生きていたら、このようなポスト資本主義の構想こそ社会主義と呼ぶでしょう。


― グリーン・ニューディール政策は2008年のリーマン・ショック後に、米国のオバマ大統領も政策に掲げていましたが。

斎藤: 当時は雇用政策や景気対策が主で、成長を目的とした『グリーン』です。
 今、形になってきているのは、経済成長を一義的な目標にしない社会を作るための手段としての「グリーン」です。
 成長や再分配重視の「反緊縮」は日本でも最近語られますが、主張が人間の側だけに偏り、環境の問題は無視されている。
 失敗した20世紀型の議論に見えます。


■ ■ ■

― 欧米の左派のような、社会のありようを根底から変えようという議論は、日本ではまだ広がりを欠くように思います。

斎藤: 日本には、「政治主義」とでも言える強固な考え方が根付いているためではないでしょうか。
 選挙を通じてしか、社会は変えられない、と。
 ただ、社会運動によって政治や経済を変えることもまた民主主義なのです。
 最近ドイツでは、労働組合が短期的な利益を度外視してグレタさんを支持する、といった動きも出てきました。
 下からの突き上げで社会を変える土壌が育っていくことは、人びとがコモンを資本の支配から取り戻す一歩になる。
 実際に1年前に、気候変動への対応を求めるグレタさんの声がここまで広がるなんて誰も思っていなかったのですから。


― ところで、そもそも斎藤さんは、なぜマルクスに関心を持ったのですか。

斎藤: 大学に入学した2005年は改革ブームの時代でした。
 格差や貧困は自己責任の問題として語られ、かくいう私も漠然と他の人に対し「もっと頑張ればいいのに」と思っていた。
 そんなとき読んだのが、マルクスでした。
 社会の問題は、身の回りの人間関係や自分の意識の問題としてではなく、もっと構造的に考えなければならない。
 そう教えてくれたのです。

 
※ 斎藤幸平(さいとう こうへい)
1987年生まれ。マルクスとエコロジーの関連を分析した研究で昨年国際賞を受賞。編著書に『未来への大分岐』(集英社新書)など。

[写真]
「海外で講演すると疎外や搾取などマルクスの言葉が現実感を持ち始めていると感じます」=大阪市内

朝日新聞・(インタビュー)、2019年10月30日05時00分
再びマルクスに学ぶ
大阪市立大学准教授・斎藤幸平さん

(聞き手・高久潤)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20191030000159.html

「99%の私たち」が新発想を

 行き詰まる資本主義、深刻さを増す環境破壊、後退する民主主義…。
 今、さまざまな危機に直面する私たちは解決への行動を先送りしていないか。

 この対談集の編者、斎藤幸平大阪市立大准教授は32歳。
 昨年、日本人初、史上最年少でマルクス研究界最高峰の賞「ドイッチャー記念賞」(英国)に輝いた。
 その若き経済思想家がドイツの哲学者マルクス・ガブリエルら海外の知識人と対話を重ね、危機の時代の突破口を探ったのが『未来への大分岐』。

 欧米の政治では右派ポピュリズムの台頭が目立つが、斎藤さんは左派の新たな動きに注目する。
 米大統領予備選で若者中心に支持を広げた民主党のサンダースや英労働党のコービン党首の躍進の秘密は、彼らを支える社会運動にあると説く。

「サンダースのような新しいタイプの政治家は、1%の特権富裕層と99%の庶民との分断、ジェンダー、人種差別、環境問題まで、多様な社会運動から問題の本質と解決策のヒントを吸収しています」

 では、国政選挙で連敗する日本のリベラル・左派はどうか。

「日本版サンダース探しをしているようですが、本家は政治家個人のカリスマ性に頼って生まれた勢力ではない。社会問題の現場や運動にこそ苦しみや変革への欲求があり、政治を変えるアイデアも生まれます。社会運動の主導権が重要なんです」

 社会運動の当事者を候補に立て、参院選で躍進した「れいわ新選組」。
 山本太郎代表とは7年前、ドイツ滞在時に反原発運動の人びとに会ったり放射性廃棄物処分場を回ったりした。

「太郎さんは現場に足を運び、日本の社会運動を耕そうという姿勢があります。ただ彼のカリスマ頼みではだめ。社会運動を人びとがどう育てていくかが鍵です」

 気候変動の問題は資本主義での大量生産・大量消費のあり方も問われる。

「資本主義的な論理と決別しないと止められない。環境を人類全体の財産として民主的に管理する発想と実践が世界中で始まっている。人類の未来がかかる『大分岐の時代』だからこそ、99%の私たちからの新しい発想が大切なのです」


北海道新聞・<訪問>、09/01 05:00
「未来への大分岐」を編んだ
斎藤幸平(さいとう・こうへい)さん

編集委員 伴野昭人
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/340484

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山歩クラブのお散歩会でICUへ

 今日11月4日月曜日は文化の日(平和憲法の誕生日)の振替休日。
 山歩クラブのお山歩会!

 西武多摩川線の新小金井駅から4人で街歩きをはじめましたがこの線に「多磨」駅が(*)。
 北多摩郡多磨村と南多摩郡多摩村の違いで、摩と磨があったんだって、とか相も変わらず分かったような分からないような、うんちくを披露するなかで、小さな秋の野川公園をわいわいがやがやしながらすすんでいきます。
 そして、人見街道からICU(国際基督教大学)裏門へ。
 その途中、図らずも、近藤勇の墓所(龍源寺)に遭遇、びっくりしました。

 近藤勇は、下総(千葉県)・流山で新政府軍に出頭し捕らえられ、板橋宿に連行されます。1868(慶応4)年4月25日、宿場はずれの一里塚で斬首。首は京都に送られ、三条河原でさらされたのです。4年前に新選組が勇名を馳せた池田屋のすぐ近くだったそうです。山歩クラブでは板橋宿に近藤勇を偲ぶ街歩きをしております。

 ICUにある泰山荘の高風居では、苔を踏まないようと注意があったのにヤッホーくん、こけてしまって踏んづけてしまってガイドの学生さんに謝ったら、松浦武四郎から「馬角斎」と高飛車に叱られてしょげかえっておりました。
 それでも負けないヤッホーくん、なにくそとばかりに学食で二人前の定食を食べ気分一新、音楽会に出たら学生さんが気遣ってくれたのか、48年前のフォークソング「あの素晴らしい愛をもう一度」を披露してくれました、

 そう、今日はICU祭だったのです!


野川公園.JPG

近藤勇の墓.JPG

湯浅八郎記念館.JPG

(*)多摩、多磨

 前回は、多摩川沿いの「多摩川駅」(東京都大田区)から「二子玉川駅」(世田谷区)を散策しました。

 このほか、多摩川沿いには「たまがわ」「たま」の付く駅が、まだまだあります。
 小田急線「和泉多摩川駅」(東京都狛江市)、京王相模原線「京王多摩川駅」(調布市)、JR南武線「南多摩駅」(稲城市)、西武多摩川線「多磨駅」(府中市)。

 いずれも漢字は「多摩」。
 と思いきや、西武多摩川線「多磨駅」は「摩」でなくて「磨」です。近くにある桜並木が美しい「多磨霊園」も「磨」を使っています。
 なぜ「磨」なのでしょうか。桜が咲く4月に訪ねてみました。

 多磨霊園のある府中市は東京都の「多摩地域」にあります。「多摩地域」は、東京都の23区と島々(伊豆諸島・小笠原諸島)を除いた26市3町1村を指します。川名と地名のどちらが先か、両方の説がありますが、多摩川が先で、流域に多摩という地名がついたという説が有力なようです。
 明治から昭和にかけて、この地域に「北多摩」「南多摩」「西多摩」の三つの郡があったため、「三多摩(さんたま)」地区と呼ばれました。郡内で町村が次々合併して市になったため、現在は西多摩郡(3町1村)だけになっています。
 さて、霊園の最寄り駅である西武多摩川線の「多磨駅」です。
 早速、駅構内で「多磨」や「玉川」、「多摩川」を発見しました。
 多磨霊園に向かう道沿いには、石材店や、手桶(ておけ)などを置いた墓参休憩所が並んでいます。 
 多磨霊園は1923(大正12)年に造られた都立の墓地です。広さは128ヘクタールで、八つある都立霊園で最大。日本最初の「公園墓地」で、管理事務所は「墓参のためだけでなく、桜や紅葉を見て憩えるのが公園墓地。お墓がある場所は敷地の半分以下で、残りは緑地や桜並木にしています」。
 霊園内の大通りを歩くと、あたたかな風に桜の花びらがキラキラ光りながら散っていました。

 著名人の墓もたくさんあります。
 とりあえず、あいうえお順でならべると、有島武郎、内村鑑三、江戸川乱歩、大平正芳、岡本太郎、菊池寛、岸田劉生、北原白秋、ディック・ミネ、東郷平八郎、朝永振一郎、中島敦、中山晋平、新渡戸稲造、長谷川町子、三島由紀夫、向田邦子、山本五十六、与謝野晶子、吉川英治……。

 大通り沿いにまず見つけたのは、山本五十六と東郷平八郎の墓。堂々としたよく似た造りで隣り合っています。五十六の墓石の背面には「昭和十八年四月戦死」と刻まれていました。

 小道を入っていくと、子どもが頰杖をついて笑っているような、あの特徴的な作品が! 今年生誕100年の岡本太郎の墓です。

 新渡戸稲造は、米国で知り合った妻と一緒に眠り、英語で2人の名前が刻まれていました。墓誌を見ると、妻「MARY」の日本名は「萬里子」です。2人の間に生まれ、わずか8日で亡くなった息子「遠益 THOMAS」の名前もありました。

 与謝野晶子、鉄幹(本名・寛)は仲良く同じ形で並んでいます。
 どちらも、墓石の前の平らな部分に歌が刻まれています。堺市の与謝野晶子文芸館によると、いずれも晶子の作品とのこと。鉄幹の墓の歌は、
「なには津に咲く木の花の道なれどむぐら茂りき君が行くまで」。
「むぐら」は植物名で荒廃の象徴とされ、「なには津に咲く木の花」は、和歌を習う人がまず教わる古典的な歌「難波津に咲くやこの花冬籠(ごも)り今は春べと咲くやこの花」(古今和歌集仮名序)を思い出させることから、短歌の革新を遂げた鉄幹をたたえる歌と解釈できるそうです。現代語訳すれば、
「和歌は古い形式に縛られ荒廃していた。君が歌の道を行くまでは」でしょうか。
 また、「なには津に咲く木の花の道」を晶子自身が大阪・堺市で少女時代に始めたばかりの歌の道ととらえると、
「あなたに出会うまでは私は本当の歌の道に目覚めていなかった」と読むこともできるそうです。
 晶子の方は「今日もまたすぎし昔となりたらば並びて寝ねん西のむさし野」。
「西のむさし野」は武蔵野の西部にある多磨霊園のことでしょうから、これは永遠に添い遂げたいという愛の歌に読めます。

北原白秋の墓は半球形です。白秋が作った短歌誌「多磨」は「磨」。多磨霊園に墓があることと関係があるのでしょうか。調べると、与謝野鉄幹の墓と関係があると書いてある本を見つけました。鉄幹と晶子の長男、光氏の著書「晶子と寛の思い出」です。

 白秋は鉄幹が主宰する詩歌誌「明星」に参加し、葬儀では門人を代表して弔辞を読みました。
 光氏は、白秋が(晩年歌壇から白眼視された)鉄幹を悼んで「弔い合戦」をするために短歌誌を作り、鉄幹の墓がある多磨墓地が「磨」なので誌名に「磨」を使った、と回想しています。
 白秋自身は「多磨」の創刊号で、多磨は「我が住む武州の多磨」にゆかりがあると書き、鉄幹には直接触れていません。
 ただ、「多磨」の創刊は1935(昭和10)年6月。鉄幹が亡くなったのは直前の3月。誌名には、光氏の言うように鉄幹への弔いの意味も込めたのかも知れません。

 さて、多磨霊園入り口の脇には「府中警察署 多磨駐在所」があります。

 この辺りの地名は霊園と同じ「多磨町」です。
 明治から昭和まで、この地に「多磨村」があり、それを継承しているのです。
「角川日本地名大辞典」によると、
「村名ははじめ多摩村とする予定であったが、南多摩郡にいち早く多摩村が誕生してしまったため多磨村とつづることにした」。
 南多摩郡の「多摩村」(現・多摩市)は多摩川の南岸で、北多摩郡の「多磨村」(現・府中市)は、その対岸にありました。
 両村とも全国に市制町村制が敷かれた1889(明治22)年にできました。
 この年には「調布村」という村が現在の大田区(田園調布の辺り)と青梅市に、「調布町」が現在の調布市に誕生しています。
 多摩村と多磨村はあまりにも距離が近いために、漢字を変えたのかもしれません。

 霊園を出て25分ほど歩き、京王線多磨霊園駅に着きました。駅の漢字は霊園と同じです。

 多磨村の「磨」は同じ漢字を避けるためだったようですが、古くは「多摩川」自体を「多磨川」と書いた時期もありました。
「多磨川」だけではありません。明治初期ごろまで、現在の「多摩川」以外にいろんな表記がありました。「多摩川」や地名(郡名)としての「多摩」の漢字表記で、見つけたものの一部を挙げてみます。

 さまざまな表記があったのに、いまは川名は多摩川、地名(郡名)は「多摩」に統一されています。いつ、一つになったのでしょうか。

 ちょっと〈川名〉の表を見てください。
 多摩川の表記を集めたのに「たまがわ」というより「たばがわ」と読める漢字が含まれています。
 日蓮聖人の伝記絵巻「日蓮聖人註画讃(ちゅうがさん)」に出てくる「田波河」、小田原城主の後北条氏が家臣ごとに領地と役高(課税の基準となる生産高)を記録した「小田原衆所領役帳」の「多波川」です。

 これは多摩川が昔、「たまがわ」とも「たばがわ」とも呼ばれていたことを示しているそうです。
 多摩川の上流河川は現在も丹波川(たばがわ)です。そのため一説には、上流の「たばがわ」が下流に行くに従って「たまがわ」に変わったのが多摩川の語源ではないかとも言われています。

 〈地名(郡名)〉はどうでしょうか。
〈川名〉の表にある「玉川」に対応するような「玉郡」がありません。
「玉川」は江戸時代の文書や絵図に頻繁に見られます。しかし公的な文書で「玉郡」は見あたりません。幕府が作った地誌「新編武蔵風土記稿」は、川の表記は玉川と多磨川を併用する一方で、「地名(郡名)」は「多磨郡」しか使っていないのです。
 これは、奈良時代のある詔(みことのり)のためではないかと言われています。
 645年の大化の改新後、本格的な中央集権の律令制度が敷かれました。関東地方も6世紀ごろまでに大和政権の支配下に入っていたとされ、703年には武蔵国にも「国司」に任じられた朝廷の役人が配置されました。
 713年、朝廷は「地名は2文字の好字(良い意味の文字)で記せ」というお触れを出しました。なぜこんなお触れを出したのかは分かりませんが、これが「玉」を郡名に使わなかった理由かもしれません。

 国の法令の施行細則を集めた「延喜式(えんぎしき)」(平安中期編纂〈へんさん〉)は武蔵国にある21郡を列挙し、「久良(くらき)、都筑(つづき)、多麻(たま)、橘樹(たちばな)、荏原(えばら)、豊島(としま)、足立(あだち)、新座(にいくら)、入間(いるま)、高麗(こま)、比企(ひき)、横見(よこみ)、埼玉(さいたま)、大里(おおさと)、男衾(おぶすま)、幡羅(はら)、榛沢(はんざわ)、那珂(なか)、児玉(こだま)、賀美(かみ)、秩父(ちちぶ)」とあります。どれも2文字。この中の「多麻」が後の多摩郡です。多麻郡は武蔵国内で最大で、「国府」も置かれました。現在の府中市の辺りとされ、市名の由来と言われます。

 ちなみに、武蔵国にあたる地域にはもともと「无邪志(むざし)」「胸刺(むなさし)」「知知夫(ちちぶ)」の三つの国がありました(无邪志と胸刺は同じ国とする説もあります)。「武蔵」「秩父」と表記されるようになったのも、朝廷の「お触れ」のためではないかといわれています。

 多摩川と多摩郡の表記がどうやって統一されたのか、という話に戻りましょう。調べた結果をいうと、はっきりと「統一した」という記録は見つかりませんでした。

 明治時代の歴史地理学者、吉田東伍が編纂した「大日本地名辞書」は「多摩郡」の項で「多摩は古来、多麻や多磨と書いたが、天保国絵図(てんぽうくにえず)で多摩に定め、今もこれを使う」という説を紹介しています。天保国絵図は、江戸幕府が国ごとに作製した絵地図で、郡・村名と石高が記されています。その中に「多摩郡」と書かれています。
 しかし、「天保国絵図」だけで、それまで公式の文書でも多用されていた「多磨」が「多摩」に統一されたと考えるのは無理と思われます。また、この絵図は、郡名が「多摩郡」ですが、川名は「玉川」です。「大日本地名辞書」は、郡名に「多摩郡」、川名に「多摩川」を主に採用していますが、よく見るとところどころ「多磨郡」や「玉川」が交じっています。

 現在の表記は、どうやって決まるのでしょうか。
 全国の地図を作る国土地理院の広報広聴室は「地理院は名称を決めていない。地名は基本的に自治体から提出された表記を使い、国道や河川の名称は法律の表記を使っている」。川名は、河川法に基づいているそうです。
 多摩川を管理する国土交通省京浜河川事務所の調査課に尋ねました。「現在、国交省が作る文書は『多摩川』で統一している」そうです。河川法に「一級河川」(国土保全や国民経済に特に重要な水系の河川)に指定する時は名称を公示すると定められ、多摩川も1966(昭和41)年に一級河川に指定された時に「多摩川」と公示されました。

 それ以前にも、旧河川法だった1917(大正6)年の「官報」に、「多摩川」を「公共の利害に重大の関係のある河川と認定し、河川法を適用する」という内容が告示されています。法律に基づく河川名の告示は、漢字統一のきっかけの一つかもしれません。ただ、なぜこのとき「多摩川」を採用したのか、という理由は分かりませんでした。

 地名はどうでしょう。
 川崎市にある日本地名研究所職員の鈴木茂子さんに聞くと、「地名の漢字がいつ統一されたかを言うのは難しい。おそらく、地図の広まりや、学校教育による普及によって、だんだんと統一されていったのではないか」との回答でした。
 「多摩川」「多摩郡」の表記は、どこかの時点で一律に統一されたというより、地図や行政文書、教科書などで使われていく中で、一つになったのかもしれません。

 さて、次回が最終回。多摩川が「玉川」と書かれた理由を和歌の世界からご紹介します。


朝日新聞・ことばマガジン、2011/05/13
「多摩」か「玉」か 多摩川から多磨霊園へ
(柳沢敦子)
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2011041000003.html

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2019年11月04日

11月3日、平和憲法公布

 出雲市万田町の山あいにある峴(みね)神社に、「憲法発布記念」と刻まれ、73年前の11月3日の日付が記された石碑が立つ。
 建てたのは第2次世界大戦で出征間近にして終戦を迎えた男性。
 平和憲法の思いを永遠に残そうとしたという。

 石段を上った高台にある峴神社は、「出雲国風土記」にも記される由緒ある神社だが、常駐する宮司はおらず、境内に人気はない。
 本殿の隣にある約1.5メートルの石碑には「憲法発布記念」の文字があり、裏には「昭和二十一年十一月三日」と憲法が公布された日が刻まれている。

 建立したのは、近くに住む河瀬軍蔵さん(91)だ。
 河瀬さんは、男5人女4人のきょうだいの農家の五男として生まれた。
 1945年8月、17歳だった河瀬さんは敵軍飛行機の監視のために近くの山の頂上のとりでにいた時に終戦を迎えた。
 学徒出陣で9月に出征することが決まっていた。

 戦争では、地区内の多くの若者が徴兵され、帰らなかった。
 河瀬さんの5歳上の兄や、同級生も8人のうち6人が亡くなっていた。
「ものすごく頭のいいやつも、米俵をたくさん担いだ力持ちも、彼らの命がお粗末になった。なぜ私だけ生き残ったのかと悔しい思いだった」と振り返る。

 戦後、石工になった河瀬さん。
 憲法が公布された1946年11月3日の翌日の朝刊で、新しい憲法の中身を知った。
 目についたのは第9条。
 戦争の悲惨さが身に染みていただけに「平和について明記されると知って、それをお祝いしたくなった」という。

 地元青年団の一人として、峴神社の管理をしていたこともあり、石碑を作り、憲法の理念を長く伝えていこうと思いついた。

「運良く生き残った者として、何かを伝えたかった」

 青年団の仲間に声をかけるとみんなが賛成した。
 青年団で山から形のよい石を探し、河瀬さんが自ら一晩かけて彫った。
 憲法公布から数日経っていたが、公布日を刻んだ。
 神社の石段は、青年団が協力して担いで運んだ。

 それから73年。
 石碑はコケがむし、ツタも絡んでいる。
「石碑は有名どころか住民も存在を知らないですよ」と笑う。
 ただ、憲法改正の議論も始まり、石碑を思い出すようになったという。

「今の人は戦争を知らんけえ、恐ろしさが分からん。我々が平和を喜んだ時の思いを少しだけでも感じ取ってほしい」

 日本国憲法が刻まれた全国の石碑を調査している島根大名誉教授(考古学)の渡辺貞幸さん(74)は「戦後すぐに作られた憲法の石碑は珍しく、憲法公布当時の状況が推察できる貴重な史料」という。
「戦後まもない時代の若者たちの平和への熱い思いがあったことがうかがえる。地域の史料として何らかの形で顕彰してもよい」と話している。

 渡辺さんによると、「憲法9条」の条文が書かれた石碑は判明しているだけで全国に18ヶ所あるという。
 最も多いのは沖縄で、長野、茨城、岡山、広島などにもあるが、県内では見つかっていない。


[写真]
峴神社の境内にある「憲法発布記念」と刻まれた石碑。裏には「昭和二十一年十一月三日」とある=2019年10月28日

朝日新聞・島根)、2019年11月4日03時00分
出雲の神社に憲法の碑
平和への願い込め73年

(市野塊)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20191101004572.html

 今年はドイツのワイマール憲法誕生100年に当たります。
 民主的な憲法でしたが、ナチスに蹂躙(じゅうりん)されました。
 そんな人類史も忘れてはなりません。

 1919年は大正8年です。
 日本ではカイゼル髭(ひげ)が流行していました。
 政治家も軍人も…。
 カイゼルとはドイツ皇帝。
 確かに威厳ありげに見えます。
 髭の形が自転車のハンドルに似ているから「ハンドルバームスタッシュ」の異名もありますが…。

 その髭の主・ウィルヘルム二世は前年に起きたドイツ革命により特別列車でオランダに亡命していました。
 何両もの貨車には膨大な財産が満載でした。

◆ 完璧な基本権だった

 ドイツは帝政から共和制へと変わりました。
 新しい議会がワイマールという東部の都市で開かれ、「ワイマール憲法」が制定されました。
 生存権の条文があります。
「経済生活の秩序は、すべての人に人たるに値する生存の保障をめざす、正義の諸原則に適合するものでなければならない」と。

 労働者の団結権なども保障されます。
 男女の普通選挙による議会政治も…。
「ワイマル共和国」(中公新書)で元東京大学長の歴史学者林健太郎氏は「基本権はさすがにすぐれた憲法学者の作だけあって、最も完璧なもの」と記しました。
 基本的人権の保障が近代憲法の第一段階で、第二段階の社会権を装備した先進的憲法でした。

 でも、この共和国は難題に直面します。
 第一次大戦後のベルサイユ条約で領土の一部を失ったうえ、多額の賠償金を負っていました。
 空前のハイパーインフレが襲いました。
 物価水準は大戦前に比べ2万5千倍を超え、マルク紙幣は額面でなくて、重さで量られるありさまです。
 さらなる災難は世界大恐慌でした。
 6、7百万人ともいわれる失業者が巷(ちまた)にあふれました。

◆ 独は「戦う民主主義」で

 ここでチョビ髭の男が登場します。
 そう、ヒトラーです。
「ベルサイユ条約の束縛からドイツを解放する」と訴えて…。
 1930年の選挙で右翼・ナチ党の得票率は18.3%だったのに、1932年には37.3%と倍増します。
 その翌年に高齢の大統領がヒトラーを首相に任命しています。
「強いドイツを取り戻す」ためでした。

 直後に国会議事堂が放火される事件が起きます。
 政権を握ったヒトラーはこれを機に、言論の自由や集会・結社の自由など憲法に定めたはずの基本権を停止する大統領令を発布します。
 いわゆる国家緊急事態宣言です。

 皮肉にも正式名は「人民と国家防衛のための緊急令」です。
 憲法にあった緊急事態条項を巧みに利用したのです。
 決して選挙で過半数を得たわけではないのに、憲法停止という強権を手にしました。
 有名な全権委任法をつくったのも同じ年。
 違憲の法律も可能になるもので、ワイマール憲法は完全に息の根が止まりました。

 チョビ髭の男から独裁者たる「総統」へ。
 その権力掌握がいかに早業だったかがわかります。
 林氏はこう書いています。

「ドイツ国民は(中略)官僚の支配に馴(な)れており、みずからが国家を形づくるという意識と慣行に欠けていた」と。

「敗戦(第一次大戦)によって突然、民主主義と政党政治という新しい実践を課せられたとき、彼らはそれをいかに駆使するかに迷った」とも。

 民主主義を重荷に感じると「上からの強力な支配に救いを求める人びとが増えた」という指摘は今日にも通じるものがあります。

 この反省から第二次大戦後、当時の西ドイツは「戦う民主主義」の道を歩みます。
 憲法秩序に反する団体の禁止などを基本法に書き込んだのです。
「自由の敵には自由を与えない」精神です。
 現在も同じです。

 日本国憲法は「戦う民主主義」の考えを採りませんが、近代憲法の第三段階である「平和的生存権」を採用しています。
 公布から73年たち自由と民主主義は根付いたかに思われます。
 でも、錯覚なのかもしれません。

 貧富の格差とともに貧困層が増大し、若者が夢を持てない。
 老後の生活も不安だ−そんな閉塞(へいそく)感の時代には、強力な指導者の待望論に結びつきかねない怖さが潜みます。
 政治家も付け込みます。

◆ 民衆の不満は「愛国」で

 敵をつくり、自らの民族の優位性を唱えます。
 危機感をあおり、愛国を呼び掛けます。
 民衆の不満を束ねるには古来、敵をつくる方が便利で簡単なのでしょう。

 現在、改憲テーマとして俎上(そじょう)にあるのは、戦争放棄の九条ばかりでなく、緊急事態条項の新設も含まれています。
 独裁者はチョビ髭の男とは限りません。
 ワイマールの悪夢を繰り返さぬ賢明さと冷静さが必要です。


東京新聞・社説、2019年11月3日
憲法公布の日に
ワイマールの悪夢から

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019110302000138.html

 きょう2019年11月3日の読売新聞の一段の小さな記事に私は注目した。
 その記事にはこう書かれている。
 自民党の石破茂・元幹事長は2日、東京都内で開かれた市民団体主催の憲法集会で、次のように述べたと。
「(憲法改正に反対する)一番左の人と是非話したい。どんな人でも断らない」と。
 これを読んだとき、私は思わず喝采を叫んだ。
 ついに新党憲法9条にチャンスがやってきたと。

 いうまでもなく石破茂氏は憲法9条改憲論者だ。
 しかも安倍首相のように、自衛隊明記だけの「おためし」改憲ではなく、それを批判して、憲法9条を改憲するなら、自衛隊を軍隊にして日本を自主防衛できる国にすべきだと主張する国防族の一人だ。

 2日の都内の講演会でも次のように語ったという。
「以前の自民党では(戦力不保持を定めた)憲法9条2項の改正は当たり前で、反対はほとんどなかった」と指摘した上で、現在の9条1、2項を維持したまま自衛隊の根拠規定を追加する安倍首相の改憲案について、「理解できない」と反対する考えを示した、というのだ。

 新党憲法9条にとってこれ以上ない論争相手だ。

 新党憲法9条は、憲法9条に関しては、石破氏の望む「既存のどの左翼政党よりも左翼的」であり、その一方において、石破氏の示す自主防衛については、既存のどの右翼政党よりも右翼的だ。愛国的だ。

 石破氏にとって不足はないはずだ。
 既存の左翼政党は共産党と相場は決まっている。
 しかし、いまさら石破氏が共産党の政治家と議論しても、目新しい議論は何も出て来いない。
 石破氏と共産党議員の憲法9条についての議論など、世論は見向きもしない。
 石破茂氏は、新党憲法9条代表の私と議論してはじめて意味ある議論ができるのだ。
 既存のメディアは絶対に新党憲法9条代表と石破氏の論争など、取り上げようとしないだろう。
 しかし、いまはインターネットが既存メディアを追い越す時代だ。
 誰でも動画を配信できる時代だ。
 その動画が、既存のメディアのどの動画より世論の関心を集める時代だ。
 誰か石破茂氏と新党憲法9条代表である私との公開討論を実現して、その動画を日本中に、いや世界中に、公開してくれないものだろうか。
 石破氏は「どんな人でも話し合う事を断らない」と言っている。
 私はれっきとした元外交官だ。
 元駐レバノン日本特命全権大使だ。
 新党憲法9条の代表として国政選挙にも挑戦してきた。
 石破茂氏にとって相手に不足はないはずだ。

 安倍首相の憲法9条改憲阻止については二人とも反対だ。
 しかもその反対理由が真逆だ。
 これほど面白く、意義のある討論は他には期待できない。
 真っ先に企画し、配信したものが勝ちだ。
 いよいよ新党憲法9条にチャンスが巡って来た。
 そういう思いで、私はきょう11月3日の読売新聞の一段の見出しの記事を読んだのである。


天木直人のブログ、2019-11-03
憲法9条改憲の是非について石破茂氏に公開討論を挑みたい
http://kenpo9.com/archives/6338

posted by fom_club at 06:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする