2020年07月15日

谷口由美子訳『若草物語1&2』(講談社、2019年12月)

世界中で読まれ続けている「奇跡の小説」

 その本が出版されたのは1868年、なんと日本の明治元年のこと。
 あるアメリカの作家が150年ほど前に書いた物語だ。いまだにアメリカではもちろんのこと、日本では訳本がいくつもあり、新訳も次々に出ているほど人気の作品で、これまでに何作もの有名な映画が制作されている。
 作家志望の元気な若者が主人公。ゆるぎない家族の愛、ちょっとした日々の事件を描いたこの物語は、長い間、大勢の読者が夢中で読み、そのまた子どもや孫たちに薦めてきたものだ。

 その物語の原題は Little Women という。日本で最初に訳されたときには、『小婦人』というそのままのタイトルで彩雲閣という出版社から出版された。1906年(明治39年)のことだ。
『小婦人』では、主人公である四少女はアメリカ人ではなく、日本人として登場している。長女メグ(マーガレット)は菊枝、次女ジョーは男の子っぽいから孝、三女ベスはのちに病気で亡くなるので露子、四女エイミーは恵美子。

 この少女たちがめでたくアメリカ人に戻ったのは、1923年(大正12年)の『四少女』(春秋社)からだ。
 16歳の長女メグは、大きな目と豊かな褐色の髪を持つ、きれいな少女。美しいもの、ぜいたくなものが好きなのだが、家が貧しくなったために手に入れられないことが目下の悩み。次女ジョーは背の高い敏捷な少女で、男だったらよかったのにと思っている、作家志望の15歳。
 三女ベスは、音楽が好きで、心根の優しい「おだやかさん」。四女エイミーは、絵を描くのが得意で、一家の芸術家だと思われている。ちょっぴり自分勝手でおしゃまな、青い目に金髪の美少女だ。

 欠点も長所もたくさんある、どこにでもいそうなこの少女たちの日常が、おもしろおかしく掬い上げられて描かれているこの物語は、そう、日本では『若草物語』として有名な、四姉妹の物語だ。

少女たちの心を虜にした

 この本の邦題が『若草物語』として定着したのは、1934年(昭和9年)に日本公開された映画(ジョー役キャサリン・ヘップバーン)がヒットし、同時期に矢田津世子訳の『若草物語』(少女画報社)が出版されてからだ。

 そして、往年の映画ファンが言っていた。
「あの頃の少女たちは、時の総理大臣の名前は知らなくても、四人姉妹の名前を忘れることはなかった」と。
 その映画とは、1949年(昭和24年)に日本公開された『若草物語』のほうだ。名優ぞろいの名画で、四人姉妹の長女メグはジャネット・リー、次女ジョーはジューン・アリスン、三女エイミーはエリザベス・テイラー、四女ベスはマーガレット・オブライエン。
 若き日のエリザベス・テイラーを売り出したかった映画会社は、姉妹の順序を変えて美しいエイミーを三女にしてしまったが、確かに圧倒的に美しいエイミーの姿は一度観たら忘れられないだろう。

 映画なら、ウィノナ・ライダーがジョー役の『若草物語』(1994年 平成6年公開)がベストだという人もいるかもしれない。
 アカデミー賞にも3賞ノミネートされている。

 そして、今年2020年。
 6月12日から日本でも公開されることが決まった新しい映画が『スト―リー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』だ。
 今回の邦訳タイトルはかなり長めだ。
 しかし、その意味を考えると、作品の持つ魅力が透けて見えてくるような気がする。

 グレタ・ガーウィグ監督がテレビのインタビューで、
「子どもの頃に『若草物語』は大好きだったけれど、大人になって改めて読んでびっくりした。こんなに内容が深く、入り組んでいて、おもしろかったなんて、考えもしなかった」
というようなことを話していた。

 読者が時代を経て成長し、再び読んでさらに感動する。これこそ物語の持つ「古典力」というものだと感じ入った。

 最近わたしが訳した本に『大草原のローラ物語―パイオニア・ガール』(大修館書店)がある。ローラ・インガルス・ワイルダーが『大草原の小さな家』を書く前に書き溜めておいた覚え書きに、詳細な注釈・解説を施した本だが、その解説者のパメラ・スミス・ヒルも『若草物語』の愛読者で、こんなメールをくれた。

「わたしもローラとジョーが大好きです。どちらも19世紀後半を生きた女性の物語だけれど、ちっとも古臭くないし、読んでいて気持ちが晴れ晴れします。すかっとします。なぜでしょうか。どちらも伝統的な家族の話のように見えて、その実、ローラもジョーも、その古い伝統から羽ばたきたい気持ちをしっかり持っていて、それがすばらしく描かれているからです」

半自伝的な物語だった『若草物語』

『若草物語』の著者ルイザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott 1832〜1888) は、ペンシルバニア州生まれのアメリカ人。父ブロンソン・オルコットは有名な超絶主義者 American Transcendentalism で、実験学校などを作るような進歩的な人物だった。
 ブロンソンは、四人の娘たちが小さい頃から、あまり子ども扱いせず、Little Women と呼んでいた。小さい時からりっぱな Woman としての心構えを持ってほしいと考えていたからだ。ただし、金銭的には恵まれず、ルイザも若い頃から、針子や家庭教師、そして物書きとして家計を助けていたという。

 作家としてすでに名を成していた三十代のルイザは、自分たち四姉妹をモデルにして『若草物語』を書き、そして、人気作家となった。
 元気な男の子が大好きだったルイザは男の子の物語を書きたかったのだが、出版社は女の子の物語を書いてほしいといって譲らなかった。そこでさんざん悩んだ結果、自分たち四姉妹のことならよく知っている、と思い直し、四人を主人公にした物語を書いたのだった。

 だから、作家希望で男まさりのジョーは、まるでルイザが乗り移ったかのように、生き生きとし、喜びも悩みもそっくり引き継ぎ、生身の女の子として読者に語りかけてくる。
 ジョーが、通俗新聞の編集長ダッシュウッド氏に原稿を戻されるシーンはこんな風だ。
 もどされた原稿を見て、ジョーは目をうたがった。まるで自分のものとは思われないほどぐちゃぐちゃで、そこらじゅうに下線がひいてある。ジョーは、小さなゆりかごにおさめるために赤んぼうの手足を切れと言われた母親になった気がした。
(『若草物語2』409ページより)

 売れるために書かれた小説について内心恥じつつ、尊敬するベア先生にジョーが言い募る場面は、物を書く人の身に迫るだろう。
 でも、ばかばかしいけれど、害があるわけじゃないでしょう。それに、読者の要求があるんですから、提供してもいいんじゃありませんか。りっぱな作家たちだって、こういう刺激的な小説を書いて正直に暮らしていらっしゃいますよ。」とジョーは必死で反論した。
(『若草物語2』415ページより)

 古今東西多くの女性作家たちが『若草物語』のジョーに自分を投影し、ジョーと一緒に悩んできた。物語はフィクションだが、作家ルイザ自身の経験がそのまま描かれているところがたくさんあり、リアリティがあるからなのだろう。
 とはいえ、作者ルイザが『若草物語』の原稿を出版社に渡したときの反応は、はかばかしくなかった。編集者はつまらない話だと思ったからだ。
 物語にはいわゆるセンセーショナルなところは何もない。ごく普通の少女たちの生活が、シンプルに、真実味をたたえて丁寧に描かれているだけだ。
 ところが、編集者がその原稿を若い姪たちに見せたところ、熱狂的な反応があった。
「わたしにはわけがわからないわ。あんなシンプルな物語を、どうしてこんなにほめてもらえるのかしら?」
 ジョーはとまどうばかりだった。すると、お父さまがいった。
「真実があらわれているからだよ。それがかぎなのだ。おまえはとうとう自分のスタイルを見つけたのだよ。お金や名声のためでなく、ほんとうに心をこめて書きたいものを書いたからだ。それがよかったのだよ。>
(『若草物語2』492ページより)

 ジョーはルイザ、ルイザはジョーなのだ。

物語の舞台、オーチャードハウス

 物語の舞台は、アメリカのマサチューセッツ州コンコード。アメリカ独立戦争の火蓋が切られたところとして有名な、小さな町だ。ここで育ったルイザが住んでいた家はオーチャード・ハウスといい、そこが物語の舞台の家だ。

 このコンコードと同緯度にある北海道の亀田郡七飯町は、1997年11月に姉妹都市提携をし、交流事業を続けている。
 町内にある大沼国定公園には大沼湖という美しい湖があり、薄緑の森、かなたに見える山(北海道駒ヶ岳)など、周辺の景色を合わせて、コンコードの南にあるウォールデン湖を思わせる。

 ウォールデン湖は、かつて作家ヘンリー・デイヴィッド・ソロー H. D. Thoreau がその湖畔に質素な小屋を建て、たったひとりで暮らし、『ウォールデン−森の生活』を著した有名なあの湖だ。
 人間に「自然に還れ」という鮮烈なメッセージを与えた名著である。

 ルイザは、このヘンリー・ソローと親しかっただけでなく、同じ町に住んでいた哲学者ラルフ・ウォルドー・エマソン R. W. Emerson にも可愛がられていて、彼のりっぱな家のふんだんな蔵書は、ルイザにとって知的刺激と憩いの場でもあったという。

子どもたちが大活躍する『若草物語』の3巻と4巻

『若草物語』とひとくちにいっても、実は4冊あることはご存じだろうか

 有名な第1巻は、南北戦争中のクリスマスにはじまり、従軍牧師として参戦していたマーチ一家の父親が帰ってきたクリスマスで結ばれる。
 ちなみにルイザは奴隷制に反対の立場をとっており、マーチ家も奴隷制反対の北軍側の設定になっている。

 第2巻は、長女メグと、お隣ローレンス家のローリー少年の家庭教師ブルック先生との結婚式から始まり、ベスの死、ジョー、エイミーの恋愛模様などが描かれる。
 映画では、いつもここまでが描かれている。

 第3巻は、メグ、ジョー、エイミーの子どもたちが活躍する物語。

 そして、第4巻は、その子どもたちの青春編である。

 つまり、 4巻シリーズの前半2巻は、マーチ四姉妹の少女編と青春編、後半2巻は、その子どもたちの少年・少女編と青春編、というわけだ。(講談社青い鳥文庫から4巻とも出ている)
 中でも私は、第2巻が断然おもしろいと思う。やはり四人姉妹の恋愛模様はドラマチックで、わくわくする。

 作者ルイザが自分自身の姉妹の長所も短所も知り尽くしたうえで、さらに造形豊かに四人を再創造したからであろう、読者は姉妹のだれかに自分をなぞらえ、一緒にその女性の人生を味わうことができる。
 ああ、結婚しない女、それがわたしの運命だわ。ペンを夫にした、そろそろ二十五歳のさびしい女。たくさんの物語を子どものために書いて、二十年後には、すこしばかりの名声は得られるかもしれない。でも年をとったら、そんなものもうれしくないし、だれともわかちあえないんだから、名声なんて必要がなくなる。>
(『若草物語2』496ページより)

 物語の第2巻に、ジョーがひとりの生活を選択しようかどうしようか、さんざん悩む場面があるが、それはとりもなおさずルイザの自分への問いでもあったろう。
 ルイザは物語のジョーを結婚させたが、自身は独身を通した。独りで生きるのがいちばん自分に合っている、と思っていたからだ。はたして、四姉妹のだれがどんな相手を選ぶかは、このお話を読み進める楽しみでもあるので、ぜひ読んでみてほしい。

『若草物語』を読む楽しさは、『若草物語』を読む楽しみのひとつは、19世紀後半の人々の考え方や暮らしぶり、嗜好や関心事などが見事な筆致で描かれ、当時の雰囲気が味わえることだろう。
 ルイザが活発な作家活動をしていた19世紀後半、アメリカ人の大きなあこがれはヨーロッパへ行くことだった。祖先の生まれ育った旧世界を見たいと思ったからだ。
 とはいえ、船で大西洋を越えるには2週間ほどかかる。裕福な人しか行かれないぜいたくな旅だ。
 物語のなかでジョーは自分の意地っぱりが原因となり、ヨーロッパに行ける機会をエイミーにゆずってしまうことになる。
「いつだってエイミーが、おいしいところをとってしまうんだ。不公平だわ!」とジョーは叫ぶ。
「へえ、あんたは、願えばそれがかなうのよ。
 でもわたしの夢は、かないっこない。」
 ジョーがこぼした。
「お姉さまもいきたいの?」
「そりゃいきたいわ。」>
(『若草物語2』376ページより)

 だが、不運なジョーと異なり、ルイザは幸運なことにヨーロッパへ2度も行っている。
 そして、スイスのレマン湖畔にあるリゾート地のヴェヴェイに滞在し、そこでほのかなロマンスを体験する。相手はポーランド人で、物語のローリーのモデルのひとりとなったという青年だ。
 第2巻にはそのレマン湖が登場する。その湖のボートの上でローリーがプロポーズする相手は、さあだれだろうか。

 昨年2019年12月に、拙訳『若草物語1&2』を講談社から出していただいた。
 長年のわたしの夢だったので大変うれしい。
『若草物語』を訳したかった、というだけの意味ではない。
 第1巻と第2巻の合本を出すことができたのがうれしい、ということだ。
 日本では、2冊がまとまった形の本は今までなかったように思う。
 多くの人が映画オリジナルの話だと思っている部分は、2巻に出てくるエピソードだ。
 ぜひ、2巻目まで読んでから、話題の映画をみていただきたい。

 今度の新作映画については、さまざまな記事がネットをにぎわわせている。
「Little WomenにはManの影が薄すぎ」などというものもあったが、ルイザはちゃんとManの話も書いている。
 第3巻のタイトルはLittle Men だ。ルイザはやっと大好きな男の子たちの話を書くことができた。続きの第4巻はJo's Boysという。
 だから、第3と第4の合本も出すことはできないだろうかと、しがない翻訳家は今、新しい夢をふくらませているところである。

[写真-1]
1934年に日本公開された映画「若草物語」

[写真-2]
1949年に公開の映画「若草物語」

[写真-3]
1994年公開の映画「若草物語」

[写真-4]
グレタ・ガーウィグ監督

[写真-5]
ルイザは四姉妹の次女で、物語のジョーと同じくおてんばで、男の子だったらよかったと思っていた。

[写真-6]
ボストンから電車で30分ほどの町、コンコードにあるルイザ・メイ・オルコットが住んでいた家(オーチャードハウス)。皇太子妃時代の美智子様もおとずれたことでも有名なこの小さな家に、映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』の公開が決まってから、たくさんの人がおしよせているという。谷口由美子氏は、現在、このルイザの家からゆかりの品々を借り受け、姉妹都市の七飯町などで、日本初の「若草物語の世界展」を開催すべく、奔走中。

[写真-7]
コンコードと姉妹都市の北海道七飯町。コンコードストリートがある。

[写真-8]
青い鳥文庫版「若草物語」(全4巻)

[写真-9]
右が1巻と2巻が一緒になった原作『LITTLE WOMEN』初版本。偶然にも今回出版した愛蔵版とほぼ同じ大きさの本に。

現代ビジネス、2020.06.12
究極の名画『若草物語』の新作がネットをざわつかせている
愛されるからこそ…

(谷口 由美子、翻訳家)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70724

※ 谷口 由美子(1949年生まれ、主にアメリカの児童文学の翻訳を行っている)

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2020年07月14日

若草物語オルコット家の精神に触れる

 『若草物語』が、再び映画化され話題です。
 今年のアカデミー賞衣装デザイン賞も受賞しました。
 新型コロナウイルスの影響で、残念ながら日本での公開が延期になってしまいましたが、こんな時だからこそ本を読んでみませんか?

◆ 日々の創意工夫、あこがれ
<1>ルイザ・メイ・オルコット著、谷口由美子訳『若草物語I&II』(講談社、2090円)


 個性の違う4姉妹が生き生きと日々の生活を送る、その細やかな描写が大好きです。
 少ないお金をやりくりしてお母さんへのプレゼントを買ったり、焼け焦げたスカートを隠してパーティーへ行ったり。
 お菓子作り、ガーデニング、ピクニック、郵便局ごっこ、屋根裏の秘密クラブでの新聞製作。
 日々を創意工夫して楽しむ姿に、10代のころ、とてもあこがれました。
 姉妹は、それぞれが小説を書いたり、ピアノを弾いたり、絵を描いたりしていて、感受性も豊かです。
 中でも、19世紀という古い時代に、自由に振る舞い、小説家を目指すジョーは凜(りん)として魅力的です。
 この本は、4姉妹のその後を描いた続編と合わせて1冊になっています。
 2部では、ジョーはニューヨーク、エイミーはフランスへ。
 メグは結婚して双子を産み、ベスは……。
 そして、ローリーは?
 大人になった4人は、どんな選択をし、どんな人生を歩むのか。
 未読の人は驚くはず。 

◆ 大人になってからの支え
<2>『グレタ・ガーウィグの世界 ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(DU BOOKS、4180円)


 初の単独監督作『レディ・バード』で、アカデミー賞監督賞にノミネートされたグレタ・ガーウィグ。
 女性監督としては、史上5人目の候補(こんなに少ないとは!)という彼女が作り上げた新しい映画『若草物語』のオフィシャル・メイキングブックです。
 原作者のオルコットへの思い、グレタ自身が書いた脚本について、衣装デザイン、インテリアやセット、出てくるお菓子のレシピも載っていて、時代背景などもよくわかり、小説の副読本としても最適です。
 エマ・ワトソン、ティモシー・シャラメたちの撮影舞台裏も楽しめます。
『若草物語』をはじめ『指輪物語』『チョコレート工場の秘密』など、毎年、たくさんの児童書が次々と映画化されています。
 それは、子ども時代に読んだ本が、クリエーターたちに深く影響を与えているからだと思います。
 もちろん、クリエーターだけでなく、10代に読んだ本は、大人になってからのあなたをきっと支え、ずっと寄りそってくれますよ。

◆わたしがずっと愛する本
<3> W・サローヤン著、岸田今日子・内藤誠訳『ママ・アイ ラブ ユー』(新潮文庫=品切れ)

 3年以上続いたこの連載も今回が最終回です。
 長い間ありがとうございました。
 新しい本/古い本、柔らかい本/歯ごたえのある本など、バランスを考えて選んできたつもりですが、「なるべく絶版になっていない本を」というご依頼だったため、泣く泣く紹介できなかった本もたくさんありました。
 そんな中で、最後に、わたしが10代の時から偏愛する本をご紹介させてください。
 主人公のキラキラヒメ(そう呼ばれている)は、ニューヨーク・ジャイアンツのエースを目指す9歳の女の子。
 パパと別れてブロードウェーのスター女優を夢見るママに連れられて、ある日突然、カリフォルニアからニューヨークへやってきますが……。
 対になっている『パパ・ユーア クレイジー』は、父と息子の物語で、合わせて読むとさらにおもしろいです。
 2冊とも、生きることの楽しさが、じわじわと湧いてくる本です。
=おわり


東京新聞・東京ブックカフェ、2020年3月23日 02時00分
<小林深雪の10代に贈る本>
「若草物語」を読もう

https://www.tokyo-np.co.jp/article/3620

※ 小林深雪(こばやし・みゆき)『スポーツのおはなし 体操 わたしの魔法の羽』(講談社、2020年2月)発売中。

 1949年につくられた映画「若草物語」の中にあのグレタ・トゥンベリさんを見つけたのは、2020年5月21日のことだった。

 NHK BSプレミアムで放送された中で、長女のメグがマーチおばさまに向かって、こう言っていたのだ。

“How dare you.”

「よくもそんなことを」と脳内で自動翻訳した。

 自慢ではないが、英語は苦手だ。
 なのに確かに聞こえたのは、国連気候行動サミットがあったからだ。
 2019年9月、まだ16歳だったトゥンベリさんは地球温暖化対策に取り組まない大人たちをその言葉で叱った。
 17歳のメグは金持ちの伯母から「おまえの求婚相手は、私の財産を狙っている」と言われ、その言葉で猛然と抗議していた。

 状況は全然違う。
 メグの抗議は字幕では「あんまりよ」となっていた。
 だけど重なった。
 主張する女子同士なのだ、メグもトゥンベリさんも。

 原作でも映画でも、メグは主張するタイプとして描かれていないことは承知している。
 むしろ「主張」が持ち前の妹・ジョーをたしなめる役回りだ。
 だけど、いざとなったら主張するのだ、メグだって。
 そして、それが女子というものだ。

 ということを、『若草物語』(ルイザ・メイ・オルコット著)は教えてくれる。
 だから古びない。
 出版されたのは1868年。
 明治維新の年だが、どんな女子がいつ読んでも、「これ、私のこと」と思える。
 ゆえに1917年以来、繰り返し映画化され、最新版が2020年6月12日から上映中だ。

 可能にしているのが、四姉妹という構図。
 上からメグ(始まりでは16歳)、ジョー(15歳)、ベス(13歳)、エイミー(12歳)。
 1章で「あたしは男の人みたいにやりたいのよ! 男に生まれなかったなんて、ほんとに悔しい」と宣言するジョーのモデルは作者だが、他の3人も美人のメグ、内気なベス、気取り屋のエイミーときちんと役割が与えられている。
 ジョーは文学、ベスは音楽、エイミーは美術と得意分野が割り振られていることもあり、それぞれのストーリーがくっきりしている。

 だから読むたびに新鮮で、気づけば「若草物語」フリーク。
 というのは私の話。
 子ども向け本からスタート、1949年制作映画をリバイバルで見たのが小学4年か5年。
 中学からは文庫版に移行、だいぶ飛んでアマゾンの日本上陸時は記念に「原書」を購入、保存した。
 昨年はミュージカル「Little Women〜若草物語〜」で涙するなどなど、とにかく「若草物語」となるとコンプリート魂がうずく。

 2017年には「光文社古典新訳文庫」から麻生九美訳版が登場、もちろん購読。
 先ほど紹介したジョーの台詞はそこから引用した。
 従来の「お父さま、お母さま」を「パパ、ママ」とし、上品さを保ちながらのポップ度アップに成功している。

 1994年版の映画で印象に残っているのは、「フェミニズムの視点を強調した」という評だった。
 それまで私にとって『若草物語』は“ホームドラマ”だったから正直、驚いた。
 全くボーッとした話だが、何せ小学生で出合った時、「ライスプディング」に一番ひかれた人間だ。
 お米に関係ありそうだが、どんなお菓子だろうという謎は、実は今でも解けていない。

 しかし遅ればせながら大人の目で見れば、確かにジョーはただの「ボーイッシュな女の子」ではない。
 自立したい少女なのだ。
 麻生訳から、ジョーの小説が新聞に掲載される場面を紹介する。
 新人による持ち込みだから、原稿料は出ない。
 だがジョーは、姉妹にこう語る。

「もっといいものを書けば、どこでも原稿料を払ってくれるようになるってさ。ああ、うれしい。そのうち自分の生活費を稼げるようになって、あんたたちにも援助してあげられるようになるかもしれないんだから」

 この視点が強調されているのが、公開中の「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」だ。
 監督・脚本のグレタ・ガーウィグはこう語っている。

「私はこの原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりわかっていたの。アーティストとしての女性、そして女性と経済」

 プロデューサーのエイミー・パスカルは、「四姉妹が他の誰かの物語に仕えるために存在するのではないの。自分の物語と他の人の物語のため」と語った。
 彼女の言葉通り、4人の「意思」が原作よりも強調される。
 自分はどういう人間か、どうなりたいのか。
 それぞれが言葉にする。

 中でも従来のイメージを大きく覆す描かれ方をしているのは、エイミーだ。
 ジョーが切望していた欧州旅行を横取りする、甘え上手のちゃっかり屋。
 そんなイメージが強い彼女が、結婚についてこう語る。

「私は女なの。女の稼ぎで家族を養うなんて無理。結婚した途端にお金は夫名義になり、子どもを産んでも彼の子になるだけ。結婚はお金じゃないなんて、のんきに言わないで」

 時系列に物語を追うのでなく、過去と現在、原作なら『若草物語』と『続若草物語』を行き来するように描かれる。
 洗練された手法とテンポよい運びで、彼女たちの悲しみと喜びが鮮やかに浮かぶ。
 米アカデミー賞衣装デザイン賞を獲得したドレスのおしゃれさは、女子心わしづかみものだ。

 従来の映画と全く違うラストも注目だが、最後に紹介したいのは四姉妹の母が働くシーンだ。
 南北戦争下、北軍を支える奉仕活動をする彼女は、黒人女性の同僚に「ずっと国を恥じてきたわ」と語る。
 原作にも描かれないこのシーンに監督の意思を感じ、むやみに感動した私だった。

※ AERA 2020年6月22日号


dot.asahi.、2020.6.20 11:30
いざという時主張する!
「若草物語」最新映画は4姉妹それぞれの“意思“色濃く

(コラムニスト・矢部万紀子)
https://dot.asahi.com/aera/2020061800026.html

 初めて米国で、1年間生活することになった8年前の夏のこと。
 マサチューセッツ州ボストン近郊への引っ越し荷物は最小限にした。

「どうしても持っていきたいけど、いい?」

 その時、小学3年と中学1年だった娘たちの希望で持参したのは小説『若草物語』だ。

 作者ルイザ・メイ・オルコットが、自らの体験を基に執筆した四姉妹の物語は、今から150年以上も前、1868(明治元)年に出版された。
 その後、何度も映画化されたこともあって、いろんな世代で愛され続けている。
 日本では、新型コロナで上映延期になっていた最新作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』が公開されている最中だろう。

 そのオルコット一家が暮らし、不朽の名作が生まれた家『オーチャード・ハウス』は、マサチューセッツのコンコードに博物館として現存している。
 1万5千坪の広大なオーチャード(果樹園)に取り囲まれていることから、教育者だったルイザの父ブロンソンが屋敷名を付けた。
 まるで絵本から抜き出たかのような、当時の風景を彷彿させる豊かな森を背にしたオーチャード・ハウスは、今も世界中のファンを出迎えている。

 ボストン暮らしの時は車で30分程度の隣町に住んでいたこともあり、たびたびオーチャード・ハウスへ足を運んだ。
 そして縁あって、日本人スタッフのミルズ喜久子さんと知り合うことができ、四姉妹が取り組んだクリスマス劇を再現した見学ツアーなど、さまざまな催しに参加させてもらった。

 オーチャード・ハウスの重要な取り組みに、慈善活動がある。
 決して裕福でなくても、困っているだれかのために援助の手を差しのべてきたオルコット家の精神を伝えるためだ。
 娘たちと一緒に、小児病院の子供たちに贈るテディベアづくりを手伝ったことがある。
 ふと、作業部屋の一角に、上皇后美智子さまの写真と花が飾ってあることに気づいた。
 1987(昭和62)年に、当時皇太子妃だった美智子さまがオーチャード・ハウスを見学されたときの一枚だという。

 そしてミルズさんから、「日本人ボランティアのために」という、館長を務めるジャンさんの心遣いだと知らされた。

「若草物語が好きな人はみんな友達です」

 思いやりや愛情に、国籍も人種も関係ない。
 あらためてルイザの本が持つ普遍のテーマに気づかされた。

 新型コロナウイルスのため、オーチャード・ハウスも長期間の閉館を余儀なくされてきた。
 米国は黒人男性暴行死をきっかけに、各地でデモ活動も続いている。
 だが、こんな困難な時だからこそ、「スタッフは伝えられることがある、と開館に向けて、準備を頑張っていますよ」とミルズさんは言う。
 オーチャード・ハウスが発信する米国の良心が、いつの時代も希望の灯りであり続けてほしいと心から願っている。


[写真]
米国マサチューセッツ州コンコードにある『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットの一家が暮らしたオーチャード・ハウス。現在は博物館として、世界中のファンに作品の世界観やオルコット家の精神を伝えている=2019年8月、筆者家族撮影

福井新聞・コラム、2020年6月24日 午前10時00分
[人生は旅]
若草物語オルコット家の精神に触れる
困っている人のために

(渡辺麻由子)
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1110133

※ 渡辺麻由子(わたなべ・まゆこ)
元福井新聞記者。結婚を機に福井を離れ、退職。夫の留学で2012〜2013年米国マサチューセッツ州で生活し、帰国後フリーライター・編集者として活動。夫の転勤で2018年カリフォルニア州、2019年からはメリーランド州で暮らしている。ハイスクール2年生の二女と、カリフォルニア・ロサンゼルスに残り、大学に通う長女がいる。

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映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

 映画、というか映像というか、目の前の「現実」を切り取って二次元の世界に動画として記録するイメージを観るのが好きなヤッホーくん、コロナ禍でもやっと映画館が再開したと聞いたら、居ても立っても居られません。
 大粒の汗の氾濫に見舞われた日曜日のつらい経験もなんのその、行ってまいりました、TOHOシネマズ 日本橋!
 だって<若草物語>なんだもん!
 
『山中静夫氏の尊厳死』(原作:南木佳士、監督:村橋明郎、末期がん患者の主人公:中村梅雀)は観たかったですねぇ〜
(ヤッホーくんのこのブログ、2020年02月04日付け日記、映画「山中静夫氏の尊厳死」(原作:南木佳士)をお読みください)

 映画「帰ってきた寅さん」ではスクリーンで浅丘ルリ子と出会いました。
 映画「真実」(是枝裕和監督)では、同じくカトリーヌ・ドヌーブと出会いました。
 そして<若草物語>ではメリル・ストリーブで出会えるよ、という情報を得ていたんです。

 2020年6月12日(金)より公開される“新『若草物語』”こと『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women)。
 シアーシャ・ローナン Saoirse Ronan をはじめ、エマ・ワトソン Emma Watson 、ティモシー・シャラメ Timothée Chalamet 、フローレンス・ピュー Florence Pugh 、ローラ・ダーン Laura Dern 、メリル・ストリープ Meryl Streep といった、若手俳優から大御所まで一挙集結した話題作だ。

 本年度の第92回アカデミー賞では作品賞をはじめとする6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を見事受賞して注目を集めた。
 このたび貴重な撮影風景の写真とメリル・ストリープのインタビュー映像をBANGER!!! が独占入手!

 本作の主人公であるマーチ家の次女ジョー Jo March を演じるのは、26歳という若さですでにアカデミー賞の常連と呼ばれる天才女優シアーシャ・ローナン。
 シアーシャは本作で2年ぶり3回目のアカデミー賞主演女優賞ノミネートを果たした。
 ジョーのソウルメイトであり彼女に愛を告白するローリー Laurie 役にいま世界中から注目を浴びているティモシー・シャラメ。

 さらに⻑女のメグ Meg March 役はエマ・ワトソン、三女のベス Beth March 役にエリザ・スカンレン Eliza Scanlen 、そして頑固で有名な家族の末っ子エイミー Amy March 役には、本作で初めてのアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたフローレンス・ピュー。
 さらにベテラン勢からマーチ家の母にローラ・ダーン、名女優のメリル・ストリープが四姉妹の伯母役で華を添える。

メリル・ストリープ「監督は楽観的で元気になれるし、勇気が湧く」

 メリル・ストリープが、ガーウィグ監督 Greta Gerwig に対する想いを語ったインタビュー映像が解禁されている。
 ストリープはガーウィグ監督の想いが色込む反映された脚色について 「本作は、彼女のユニークな視点を形にしたものなの。彼女は面白いほど楽観的だわ。元気になれるし、希望が湧く。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、まさに必要な時に届いた世界への贈り物だと思うわ」と大絶賛。
 インタビューでは本年度アカデミー賞助演女優賞受賞のローラ・ダーンについても語っているのでぜひご覧に頂きたい。

 また、ローラ・ダーンが4姉妹を演じた若手女優の魅力を語るインタビューもあわせてご覧いただくと、より本作を楽しめるはずだ。

ガーウィグ監督が作品に込めたメッセージとは

 監督・脚本を務めるのは、『レディバード Lady Bird(2017)』で第90回アカデミー賞監督賞・脚本賞にノミネートされたグレタ・ガーウィグ。
 彼女はかねてより「若草物語」の、深く個人的、情熱的で生き生きとしたアイディアをスクリーンで表現したいと熱望していたという。
 当時から存在する、金銭と芸術、愛と個人の満足、理想と現実、家族への思いやりと自分の気持ち。
 これらの問題は今に通じる問いでもあるが、作中でオルコットが掲げたテーマでもある。

私は全てをかけてぶつかっていったわ。この原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりとわかっていたの。アーティストとしての女性、そして女性と経済。ルイーザ・メイ・オルコットの文章にはその全てが詰まっている。でも、そういった側面は、まだスクリーン上でフォーカスされたことがなかったの。私にとって、この作品は今現在の自分に極めて近く、今まで作ったどの映画よりも自伝に近いと感じるわ。」とガーウィグ監督は語る。

 ガーウィグ監督は主人公ジョー・マーチに強烈な一体感を感じたという。
 今のままでは自分の理想とする女性になれないと葛藤する、自称作家のジョー。
 自由になりたい。
 創造したい。
 許されないことも超え、自分の愛する人のために自分の全てを捧げたいと願う。

ジョーの反抗心、それから性別によって決められた人生を超えたいという望み。それは今の私たちにもとてもエキサイティングだと思う」と、ガーウィグ監督は語った。
 現代社会を生き抜く女性が直面するであろうさまざまな問題を投げかける本作に、共感すること間違いなしだ。

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、2020年6月12日(金)より公開中!!


公式サイト
https://www.storyofmylife.jp/

[動画-1]
メリル・ストリープ、 本年度アカデミー賞助演女優賞受賞 ローラ・ダーンについて語る 【特別インタヴュー】

[動画-2]
予告編

[写真-1]
フローレンス・ピュー・『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』メイキング写真

[写真-2]
シアーシャ・ローナン・同

[写真-3]
エマ・ワトソン・同

[写真-4]
メリル・ストリープ・同

BANGER!!!、2020.06.12
独占入手‼︎
レアな撮影写真&メリル・ストリープのインタビュー映像公開!
話題作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

https://www.banger.jp/news/36118/

 新型コロナウイルスの影響で自粛が余儀なくされた映画館での映画観賞。
 ようやく全国で非常事態宣言が解除され、待機となっていた新作の封切りも再開した。
 ハリウッド作品のなかでもいち早く公開を決めたのが『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(6月12日から全国順次ロードショー)。
 今年のアカデミー賞レースでも注目を集めていた作品だ。
 本作の製作を指揮したプロデューサーのエイミー・パスカル Amy Pascal に、本作の見どころや日本の働く女性たちに伝えたい思いを語ってもらった。
 併せて映画館での感染対策について、TOHOシネマズ担当者の話を紹介する(=略=)。

現代に通じる問題は誰もが共感できる

 原作である「若草物語」の舞台は、南北戦争時代の米マサチューセッツ州ボストン。
 メグ、ジョー、ベス、エイミーのマーチ家四姉妹が、出征している父親を待つ間、堅実な母親のもとでつつましく、そしてたくましく生きていく様子が描かれている。
 これまでに映画やテレビ、舞台など、さまざまな形で脚色されている不朽の名作だ。
 150年以上も世界中で愛され続けているが、いまの時代に改めて映画化した裏側には、ある思いがあったとエイミー・パスカルはいう。

「監督であるグレタ・ガーウィグの才能にほれ込んでいたからというのもありますが、何よりも彼女の解釈はモダンで、いまも多くの人たちが共感できるようなものになると確信したからです。日本ではアニメにもなりましたが、このようなテーマの作品は数少ないので、それをグレタの視点で新しく描くのであれば、ふたたび映画にする価値はあると思いました」

 今回は、作家になるという夢に向かって一途に走り続ける次女ジョーの視点で描かれていることもあり、彼女が口にする仕事に対する考え方や結婚観は、いまの働く女性なら誰もが共感してしまうほど、時を超えて私たちの心に響く。

「グレタがこの小説のなかで特に注目していたのは、女性の経済的な自由について描かれていること。女性が金銭的に余裕のない状況に置かれることはかつてもありましたし、いまでも続いていることですからね。だからこそ、そういったことを映画で描くのは、すごく興味深いと感じたのです。そのほかにも、この作品の側面にあるのは、女性が愛と野心を同時に持つことの難しさとそれに対してどう向き合っていくのかということ。実際、どちらかしか手に入らないことが多いというのも、現代に通じる課題ですよね」

 結婚によって生まれる葛藤やキャリアを追求するからこその苦悩など、困難な時代のなかでそれぞれに異なる思いを抱えるマーチ家の姉妹たち。
 それでも自分らしく生きることを貫こうとする姿は、どんなときでも前に進むことの大切さを教え、たくさんの勇気を与えながら私たちの背中を力強く押してくれる。

女性たちの才能が結集して生まれた傑作

 原作者のルイーザ・メイ・オルコット Louisa May Alcott は、19世紀を代表する女性作家であり、女性クリエーターの先駆けともいえるが、本作には監督、脚本、製作、出演者など、才能のある女性たちが数多く集結。作品からも、女性たちの持つ力や可能性がひしひしと伝わってくる。
 なかでも、エイミーにとっては財力を持つマーチ伯母を演じたハリウッドの大女優メリル・ストリープとの仕事は格別であり、エキサイティングな出来事だったと話す。

「メリルとはこれまで何度も仕事をしているけれど、この作品でも彼女は非常に特別な部分を担ってくれました。実は、今回最初にキャスティングしたのはメリルでしたが、地に足の付いた生き方をしていて、映画のテーマにおのでグサッと切り込むようなこの役を演じたい、と言ったのは本人。それくらいみんなでたくさんの愛情を注いで作り上げたので、私のキャリアにおいても、もっとも喜びを感じる作品のひとつですね」

 メリル・ストリープのみならず、シアーシャ・ローナンやティモシー・シャラメ、さらには本作でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた若手女優フローレンス・ピューといった俳優陣の熱演も見逃せないところ。
 この作品に込められたキャストやスタッフの情熱は、スクリーンを通してでも観客に届く。

仕事も家庭もできる限りのことをするしかない

 並々ならぬ思いを抱えながら、プロデューサーとして長年にわたって第一線を走り続けているエイミー。
 家庭と仕事を両立することは決して容易ではないが、普段から意識していることがあると教えてくれた。

「多くの働く女性たちが感じていることだと思うけれど、家にいれば仕事のこと、仕事をしていれば家のことを考え、その場にいないことへの罪悪感を抱いてしまうもの。でも、それとうまく付き合っていくことを覚えるしかないし、正直言って自分ができる限りのことをやるしかないんですよね。私の場合は素晴らしい夫と息子、あとは犬たちに恵まれているのもありますが、大好きな仕事のなかで自分が愛せるものを見つけられることは大事だと思っています」

 そう話すエイミーは、日本の女性たちにも本作を通じて伝えたいメッセージがあると訴える。

「まずは、少女時代に自分がやりたかったことや忘れたくない気持ちを大人になっても持つこと。そして自分のなかにある少女の部分とつねにつながり、対話を続けていく必要性を感じてもらえたらうれしいです。それから、ここで描かれている思いやりの心や愛情というのは、人間のなかでも一番すてきなことなので、いまを生きる私たちも、そういう部分をもっと持つべきだと思っています。今回は、原作を愛するすべての方が求めているものやロマンスを踏まえつつ、ジョーにとっては意味のあるエンディングになっているので、そのあたりもぜひ注目してください」

 自分自身を見つめ直す機会を経て、新たな日常を始める時期にいるいまだからこそ必見の一本。
「本当に自分らしい生き方とは?」という問いだけでなく、仕事や結婚との向き合い方、家族との絆など、人生におけるさまざまな思いが込み上げてくるのを感じることができるはずだ。


日本経済新聞・WOMAN SMART、2020/6/12
「若草物語」プロデューサー
映画で問う女性の生き方
恋する映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

(取材・文 志村昌美)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO59923940T00C20A6000000/

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蛇滝コース

 蛇滝は邪滝?邪滝は蛇滝?
 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:

☆ 2013年6月7日「お手かざし四国巡礼」
☆ 2016年4月18日「高尾山599m」

 そうでしたか、4年前でしたか、3人で高尾山で「四国八十八ヶ所霊場巡り」をしたことがありました。
 その日は雨模様、雨合羽をつけてのお山歩会で、蛇滝の霊場には天気のいい日にまた行こうとパスしたのでした。
 今回、7月12日日曜日はその蛇滝から高尾山に入山するというコースだったのです。
 ヤッホーくん、今日も残念そうに記憶をたどっておりましたぁ〜

[蛇滝を経由して山腹と裏高尾を結ぶコース]
・ 全長:1.5km
・ 所要時間:上り60分、下り40分

※ 蛇滝コースは2019年台風19号の影響で通行止めでしたが、11/9に通行可能になりました。

 薬王院の水行道場のひとつである「蛇滝水行道場」を経由して、高尾山と裏高尾をむすぶコースです。
(水行道場は高尾山内に2つあり、もうひとつは6号路の「琵琶滝」)

 裏高尾からアクセスするときは、旧甲州街道を走る高尾駅北口〜小仏のバスを利用し、「蛇滝口」バス停で下車します。

 高尾山からは、2号路北側ルートに入口があります。

「十一丁目茶屋」のある霞台園地から2号路北側ルートに入ると、すぐに蛇滝コースに入ることができます。

 蛇滝周辺では、道場ならでは清浄な雰囲気を感じることができます。
 夏には紫色のイワタバコの花がたくさん咲いています。

 このコースはお店などがなく利用する人も少ないので、ゆっくりと歩くことができますが、裏高尾に出るとケーブルカーやリフトなど便利な手段で高尾山口駅行くことはできず、バスか徒歩で高尾駅に出ることになるので注意してください。

 このコースのトイレ:ケーブルカー高尾山駅前トイレ、高尾梅の郷まちの広場(コース途中にはなし)


[地図]

[写真]
上り(蛇滝口→霞台)の写真

高尾山マガジン、2019/12/5
蛇滝コース
https://mttakaomagazine.com/trails/jataki

 高尾山のメジャーなコース以外を歩こうと思いたち、今回は「蛇滝口からの登り」を選んでみました。
 JR高尾駅から、小仏峠行バスに乗り10分程度。蛇滝口にて下車。

 バス停を降りてすぐ、こんな水場が。
 特に夏場では、見るだけでホッとするポイントです。

 圏央道のアーチを過ぎると、すぐ「蛇瀧水行道場」の標識が。

 左に曲がり、ほどなくすると、いよいよ登山道が始まります。
 因みに、このルートは高尾山口、清滝駅が出来るまではメインの登山道だったそうです。
 入口付近の小川のせせらぎを聞きながら歩みを進めると、右手に古びた鳥居が目に入ります。
 千代田稲荷大明神。
 元は江戸城の守護神だったありがたい神様です。
 ただ残念なことに、2013年2月、賽銭箱が空っぽだったことに逆上した者に放火され、殆どが消失してしまいました。
 焼け跡に手を合わせ、無事の復興を祈りつつ先へ進みます。

 引き続き小川沿いの、ゆったりした道を進むと、蛇瀧水行道場の石柱が。

 ほどなく、蛇瀧水行道場に前に到着します。

 心を整え、階段を上ると、三石仏に手を合わせます。
 真ん中が正観音様、左が薬師如来さま、右が馬頭観音様。

 登山ルートに目をやると、ルートの横、岩壁に綺麗な花、イワタバコを見つけました。
 ちょっと面白い表情の可愛い花です。
 ちょうど一緒にいた初老のご夫婦も熱心に写真を撮られていました。

 ご本尊である、青龍大権現に手を合わせ、いよいよ蛇滝の登山ルートを進みます。

 直線距離にすると、それほどの距離ではないらしいのですが、蛇滝ルートは、くねくねとした登り道が続きます。
 曲がり角には、こんな標識があります。

 良く見ると「九折コース」と書いてあります。
 数えながら登りましたが、途中の六折目、七折目あたりで、数えることを忘れてしまいました。
 登りの道は、ともすれば足元に目が行きがちですが、時折、目を上げ振り返ると、こんな風景が。
 一瞬、疲れも忘れます。

 次は九折目だったか等と考えている内に、ケーブルカーの発車音が聞こえてきました。
 このルートのゴールはケーブルカー高尾山駅の少し先になります。
 道も整備されてきて、いよいよ終盤です。
 木の階段を登りきると、分岐点の案内板が。
 ここで、2号路に合流します。

 2号路から、つり橋で有名な4号路を経て頂上へのルートも選択できますが、今回は薬王院への参拝もしたかったので、そのまま蛇滝コースの終点へ向かいます。
 最後の階段(これが一番キツイかも知れません)を登ると、「十一丁目茶屋」さん前の広場に出てゴールとなります。

「蛇滝コースを登ろうと思うのだけれど」と言いますと「結構キツイよ」と言われることもあります。
 確かに楽な道ではありませんが、距離も程よく、勾配もきついながらも、前述の「九折コース」なので、考えようによっては稲荷山コースや、6号路より優しい道かもしれません。
 ただ、足元のコンディションが悪い時(降雨の後や冬季)は注意が必要でしょう。
 ちょっと変わったコースを取りたい時、是非一度、登ってみて下さい。
 因みに今回は蛇滝コースの後、薬王院から頂上へ。そして6号路をたどり琵琶滝へというルートとなり、高尾の「滝巡りコース」となりました。

 この季節、小川や滝、沢を通るコースは比較的、涼しく歩きやすいコースです。
 是非、お試しを。


[写真]

高尾山マガジン、2019/9/21
蛇滝口を行く
https://mttakaomagazine.com/blog/2546

DSC_0679 (2).JPG

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2020年07月13日

いのはなトンネルの悲劇

「人間とは何か」を撮る・・・ですか・・・
 実はヤッホーくん、昨日の2020年7月12日、山歩クラブのお山歩会だったのです、参加者10人!
 JR高尾駅北口から歩きだし蛇滝口バス停までわれわれはバスを使わず、えっちらおっちら歩き!
 ところがヤッホーくんだけはもう出だしから汗が半端な量でなくふきだしておりました。
 大汗をかいてしまい、タオルは水浸し、おまけに息はぜいぜいはあはあ、シンゾウがばくばく。
 ここから登り路に入っていったら仲間に迷惑をかけるばかり、名誉ある撤退を決断するならイマでしょ、
 引き返しを決意したんだとか、そう、山は逃げませんね、体調が回復したらまたチャレンジすれば良し。
 そのバス停で高尾駅に向かうバスを待ってるときに、細い目に飛び込んできたのがこれ:
「いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑」 ☟

 いのはなトンネル.JPG

 当時は「浅川駅」と称されていた「高尾駅」ホームに銃弾痕が残っている。

昭和20年7月8日

 駅舎が米軍艦載機(P51戦闘機)による機銃掃射をうけた爪痕。 そんな戦争の歴史を残す高尾駅を観察してみる。

JR高尾駅

 1901(明治34)年8月1日に浅川駅として開業。

 現在の社寺風デザインの北口駅舎は大社線大社駅を設計した曽田甚蔵が設計、1927(昭和2)年に竣工した2代目。

 大正天皇の大喪列車の始発駅として「新宿御苑に設置された仮設駅舎」を移築したもの。

 大正天皇大葬後、多摩御陵への参拝者は急増。輸送を担うは国鉄と京王電軌(京王電鉄)の2社。
 運転本数の多い京王に人気があり、一方で劣勢の国鉄は利用促進のため「新宿御苑宮廷臨時停車場」の用材を用いて浅川駅(高尾駅)に移築改築をしたのが現在の駅舎という。

※ 高尾駅改修計画ではかつての皇室専用駅であった東浅川駅跡へ駅舎移築の予定となっている。

JR高尾駅 2番線ホーム

 2番線ホームの屋根支柱(31番)に米軍艦載機P51の機銃掃射による銃撃痕が残っている。

 2番線ホームの屋根支柱(33番)にも米軍艦載機P51の機銃掃射による銃撃痕が残っている。
 31番支柱及び33番支柱ともに銃撃痕の部分のみは塗装を施さずにわかりやすい状態となっている。

JR高尾駅 3番線ホーム

 3番線ホームには「国内最古のレール」が、ホーム屋根支柱(24番)として使われている。

 1901(明34)年に操業開始した官営八幡製鐵所にて1902年に製造されたレールであることを示しており、現時点で確認できる国産レールとしては最古のものとされている。
 

近代史跡・戦跡紀行〜慰霊巡拝、2019/9/14更新
JR高尾駅に残る戦跡
https://senseki-kikou.net/?p=1387

 高尾駅から「湯の花トンネル」(いのはなトンネル)列車銃撃の慰霊碑へ。

「湯の花トンネル」列車銃撃事件

 高尾駅から小仏方面に向かうバスに乗り「蛇滝口」バス停で下車。
 線路近くに慰霊碑がありますので参りましょう・・・

 戦時中に銃撃の悲劇があった場所。

湯の花トンネル列車銃撃空襲

 1945(昭和20)年8月5日。
 新宿発長野行419列車が浅川駅(現在の高尾駅)を出発し、湯の花(猪の鼻)トンネルに差し掛かった時、硫黄島から飛来したP51ムスタングの銃撃を受け、52人が死亡、133名が重軽傷を負った。
 列車への銃撃空襲としては日本最大級の被害であった。
 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月5日、この地で米国戦闘機群によるわが国で最大規模の旅客列車銃撃空襲がおきました。
 8月2日の八王子空襲で中央本線が不通になった後、3日ぶりに新宿発長野行き419列車が浅川駅(現高尾駅)を出発し湯の花(猪の鼻)トンネルにさしかかった時、硫黄島から飛来したP51ムスタングの銃撃を受けました。
 この銃撃により警視庁の調べで52名が死亡し(実際は60名以上)、133名が重軽傷を負いました。
(以下略)
2018(平成30)年8月
いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

湯の花トンネル列車銃撃空襲
「戦災死者供養塔」
「慰霊の碑」

慰霊の碑
 終戦間近の昭和20(1945)年8月5日、真夏の太陽が照りつける午後12時20分頃、満員の新宿発長野行き419列車が、いのはなトンネル東側入口に差しかかったとき米軍戦闘機P51二機または三機の銃撃を受け、52名以上の方々が死没し、133名の方々が重軽傷を負いました。
 この空襲は日本最大の列車銃撃といわれています。
 私どもは、この戦争の惨禍を決して忘れることができません。
 ここに、確認された犠牲者のお名前を書きとどめ、ご遺族とともに心からご冥福をお祈り申し上げ、現在の平和の日々をかみしめ、戦争を知らない世代へこのことを語り伝えます。
1992(平成4)年8月5日
いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

碑裏面
 戦災死者供養塔は、1950(昭和25)年8月、当時の上長房(現:裏高尾町、西朝川町)青年団が、亡くなった方々を供養するため、団員協力のもとに建立したものです。
 供養塔には、亡くなった方々を荼毘に付した日影沢の石が用いられました。
 地元に住む人びとは、尊い犠牲者のお名前も人数も知ることなく、供養塔の前に手を合わせご冥福をお祈りしていました。
 1981(昭和56)年から八王子市教育委員会が八王子の空襲の調査を行い その後あらゆる手だてを尽くした結果、この事件の犠牲者は60名以上と推定いたしました。
 そのうち、40名のお名前と遺族が判った1984(昭和59)年、遺族関係者、地元の有志により7月21日に「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が発足いたしました。
 会では、この年の8月5日を「供養の日」に定め、毎年供養の集いを行い現在に至っています。
 供養塔は、はじめ唐沢踏切の北側にありましたが、地主のご好意で南側の土地を無償で提供していただき、1986(昭和61)年7月28日現在地に安置されました。
 かねてから、会では蓄積した浄財で亡くなった方々のお名前を刻んだ慰霊の碑の建立を計画していたところ、1992(平成4)年3月、東京八王子南ロータリークラブからも協力の申し出があり、ここに念願でありました慰霊の碑が完成いたしました。
1992(平成4)年6月10日
いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

 湯の花トンネル列車銃撃空襲……
 列車は湯の花トンネル手前で、進行方向左側の太平洋側から飛来した米軍P-51戦闘機に捕捉され、機関車と1両目は特に激しく攻撃されトンネルに2両目の半分程が入ったところで停止。
 そのためトンネルから出ていた車両が反復して機銃掃射に晒されて犠牲者が増加してしまった……

 煉瓦造の上り線が、空襲時から残っているトンネル。
 (上り線は踏切の位置関係上、走行写真は撮影不可)
 現在の下り線(前述の列車写真は下り線です)は新線。

 湯の花トンネルの脇、甲州街道に面した蛇滝口バス停にある建物。

旧蛇滝茶屋(蛇瀧信仰講中の宿泊休憩所)

 この建物は空襲当時には既にここにあり、遺体安置所になったとも、遺族の集会所になったとも、雨戸を外して犠牲者救助に活用されたとも伝承されている建物。
 高尾から先の複線は1962(昭和37)年以降。
 煉瓦造トンネルの節々に欠けがあるのが空襲時の銃撃痕かもしれない。

 当時、この地で起きた悲劇に想いを寄せつつ、慰霊碑に手を合わせる。
 合掌


近代史跡・戦跡紀行〜慰霊巡拝、2019/9/14更新
いのはなトンネルの悲劇(高尾)
https://senseki-kikou.net/?p=1393

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2020年07月12日

石井妙子が見た都知事選

 東京都知事選で歴代2番目の得票数で再選された小池百合子氏(67)。
 その数奇な半生を描いた『女帝 小池百合子』が、ノンフィクション作品として異例の20万部を超す売れ行きとなっている。
 3年半をかけて取材した著者の石井妙子さんが浮き彫りにするのは、聞き心地の良い甘美な物語を上書きしてきたポピュリスト政治家の実像だ。
「小池氏は私たちが生み出した平成の写し鏡。蜃気楼(しんきろう)に喝采を送るような危うさをはらんでいることをもっと知るべきだ」と警鐘を鳴らす。

「芦屋令嬢」「カイロ大首席卒業」と称した看板を武器にキャスター、政治家へ。
 政界再編の中で政党を渡り歩き、環境相、防衛相を歴任、いま首都のかじ取りを担う。

「学歴の詐称疑惑が注目されたが、書きたかったのは平成という時代そのもの。平気でうそをつくという自身の問題もさることながら、なぜこうした人物が生まれ、なぜ選ばれ続けるのか。政治のあり方、メディアの責任、ひいては民主主義を問い直したかった」

 100人を超す関係者の証言を集めた。
 徹底した現場取材、丹念な資料の読み込み。
 何より土地に刻まれた情念やエピソードの背景を読む感受性が、作品に深みと凄(すご)みを与えている。

〈その場に立った時、「芦屋令嬢」という言葉が、初めて胸に切なく迫った〉

 甲南女子中・高を経て関西学院大中退。
 経歴をたどり、神戸・阪神間の雰囲気を作品に落とし込んだ。
 線路脇の生家跡はコインパーキングになっていた。
 そこで感じたのは「階層の格差」だ。
 富めるものは富み、貧しいものは貧しい。

「上へ上へという脇目もふらぬ上昇志向は芦屋で育ったことが影響している」

◇ 権力を手に

 平成とともにテレビから政界へ。
 日本新党、新進党、自由党、保守党、自民党。
 機を見るに敏、風向きを読むのに長(た)けていた。

〈男の為政者に引き立てられて位を極め、さらには男社会を敵に見立てて、階段を上っていった。女性初の総理候補者として、何度も名を取り上げられている。ここまで権力を求め、権力を手にした女は、過去にいない〉

 女性の政治進出は日本は遅れている。
 女性史に力を注ぐ石井さんは小池氏の「快進撃」に際して気持ちは重く塞(ふさ)ぐばかりという。
 実現したい政策や政治哲学は見えず、目立ちたいという目的意識が前に出る。

 かつて小池氏と衆院旧兵庫2区で戦った土井たか子氏(元衆院議長、故人)を挙げて「毅然(きぜん)として人間に核があった。そんな女性政治家がいなくなった」。
 女性議員は増える傾向だが、「男性がスカウトしてきたような人ばかりで男性社会に過剰適応しようとする。首相に好かれようと妍(けん)
を競う。女性だからと選ぶとだまされてしまう」と嘆いた。

◇ 期待裏切る

 紅一点を好み、権力者に近づき、引き上げられたいと願う。
 その一方で自身と競合する女性を敵視し、社会的弱者への関心は薄い。

 2005年、環境相在任中、尼崎市のクボタ石綿禍が発覚。
 国は救済法制定に動く。
 補償に踏み込むのか。
 患者らは古い男性政治家や官僚出身者ではなく「女性でクリーンで善良そうな」小池大臣に好感を抱く。

 尼崎で患者と面会した際、「崖から飛び降りますよ」と期待させる物言いをする。
 可決された法案の内容は補償にほど遠く、官僚が主導した「見舞金の延長」にとどまった。

 2016年、「崖から−」「ジャンヌダルクになる」と叫んで都知事に就任。
 築地から豊洲への市場移転の際も対応は石綿禍と同様だった。
「築地は守る、豊洲を活(い)かす」と築地に市場機能を残すことを期待させる発言をしたが、反故(ほご)に。
 また2017年の衆院選で新党「希望の党」を率いた時、当時の民進党との合流方針を巡り、政策や理念の合わない候補者を選別する「排除の論理」をふりかざした。
 その発言を機に失速し敗北した。

◇ ビニールシート

 石井さんが小池氏を注視し始めたのは前回の都知事選だった。
 自民党都連とのバトルで注目を集め、フィーバーが巻き起こった。
 駅前はシンボルカラーの緑を身につけた人で埋まった。

「人々は彼女を見て空をゆく飛翔(ひしょう)体に例え、すごいエンジンを持つロケットみたいだとほめそやす。私は疑問を持った。この人はただのビニールシート。風に舞って高く上がるが、落ちてきたらエンジンも翼もない。でもビニールだから強い。どんな風にも乗れてしまう」

 スポットライトを浴びるほどに表情が輝く。
 折しも新型コロナウイルスの感染拡大で露出が増えている。

「小池百合子というのは実は存在せず、彼女が作り上げた理想のキャラクターなのだろう。そんな蜃気楼のようなものに大衆は快哉(かいさい)を叫ぶ。メディアであおる手法は維新の吉村洋文大阪府知事や橋下徹・元府知事に通ずる。軽視していると危うい。扇動された後の殺伐とした光景を想像しなければならない」


[写真]
「私たちの写し鏡だと思って批判的に見ていかないといけない」と話す石井妙子さん=神戸新聞社

神戸新聞、2020/7/9 12:30
石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020年5月)
蜃気楼に喝采送る危うさ
100人超の証言集め数奇な半生描く

(加藤正文)

※ 石井妙子(いしい・たえこ、ノンフィクション作家、1969年神奈川県茅ケ崎市生まれ)
白百合女子大大学院修士課程修了。
・ 伝説の銀座マダムの生涯を書いた「おそめ」(新潮文庫、2009年3月)、
・ 謎に包まれた映画女優の実像に迫った「原節子の真実」(新潮ドキュメント賞受賞、新潮文庫、2019年7月)
など。

 都知事選が終わり、予想どおり小池百合子氏が再選を果たした。
 メディアは「圧勝」と報じた。
 だが、「圧勝」というには、あまりにも熱の感じられない選挙ではなかったか。

 4年前の都知事選はお祭りのような騒ぎだった。
 告示日前から連日、テレビは小池氏や他候補者を追いかけて実況中継し、ワイドショーを賑わせていた。

 それなのに今回はいったい、どうしてしまったのか。
 コロナ禍という問題があったにしろ、テレビは候補者による討論会さえ一度も開かず、街頭演説も報道しなかった。

 小池氏はイメージ戦略に長けた政治家であり、つねにメディアをコントロールして選挙を戦い、現在の地位を確立してきた。
 そんな小池氏が今回取った作戦は、「雲隠れ戦術」とでもいうべきものだった。
 4年間の都政を振り返ってみれば、公約はほとんど達成されておらず、討論会に出席すれば他候補から、厳しく追及されたことだろう。
 また、拙著『女帝 小池百合子』で書いた学歴詐称疑惑といった問題も必ず取沙汰されたであろう。
 街頭演説に出なかった理由もヤジを飛ばされるのが怖かったからではないか。

当確後に小池都政を批判しはじめたテレビ

 テレビ局は小池氏が出席しないと言うのであれば、彼女以外の候補者だけを集めて、討論会をすべきであった。
 それが報道機関のあるべき姿であろう。
 だが、その義務を怠り、討論会そのものを開かなかった。

 7月5日の投票日になって選挙特集を組み、当確が打たれた後で、記者たちが小池都政に対する批判や印象を述べているのを見たが、こうしたことは投票日前にしなければ意味がないのではないか。

 よく、「選挙期間中なので候補者を公平に扱わなくてはならない」という意見をメディアの人間が口にすることがある。
 しかし、選挙期間中に候補者の問題点を報じてはならない、という法令などない。
 メディアが自主規制しているだけだ。
 国民の知る権利に応えるためにも、報道機関はむしろ積極的に候補者の情報をプラスであれ、マイナスであれ、責任を持って出すべきであり、それをしてこそ報道機関といえるのではないか。

 小池氏が討論会や街頭演説を拒んだ結果、他候補はテレビで紹介される機会を奪われた。
 その一方、小池氏はコロナ報道で連日、会見を行い、テレビに姿が映された。
 これこそ、公平とは言えない。

「選挙はテレビよ」と豪語していた小池氏

 私は5月29日に拙著『女帝 小池百合子』を出版したが、発売からほぼ2ヶ月で実売部数20万部を超えている。
 この本が多くの読者に迎えられた理由のひとつには、知るべき情報が得られないという都民、国民の不満や不安が挙げられるのではないかと思う。

 拙著はネット上では大きな評判となり、また雑誌、ラジオでもさまざまに取り上げられた。
 選挙後は一部の新聞社でも取り上げられている。
 だが、テレビだけは頑なに、今も一切、報じようとしない。

 なぜ、テレビは取り上げようとしないのか。
 巷間、言われているようにテレビ局は東京都の認可を必要とする機会が多く都庁には逆らいづらい、オリンピックも控えており、都知事に気を遣っているからなのか。
 仮にそうだとするならば、由々しきことである。
 ネットが台頭しているとはいえ、テレビの影響力は依然として圧倒的に強い。
 人びとはテレビで報じられないことは、この世で起こっていないと感じてしまう。
 それを小池氏はよくわかっているのだろう。

 日本新党時代から小池氏は同僚議員に、「選挙はテレビよ」と豪語していたという。
 テレビを味方につければ勝てるという意味である。

告発者の身の安全をどう守るか

 拙著の中で重要な証言をしている早川玲子さん(仮名)という女性がいる。
 小池とカイロで同居していた女性である。
 一部に「匿名であるのはおかしい」という声があるらしい。
 だが、私は逆にこう問いたい。

 真実を勇気をもって命がけで証言しようとする市井の人に対して、そこまでの負担を強いるのか、と。
 あるいは、匿名という条件でなら話をしたい、顔や本名は伏せたい、という証言者に対して、それなら必要ない、と断ってしまうのか、と。

 告発者の身の安全、将来を真剣に考えなくてはいけない。
 日本ではこれまでも勇気をもって真実を告発した人たちが権力者からの逆襲に会い、マスコミからは一瞬だけいいように使われて、大変な思いをする、という例がいくらでもある。
 私は早川さんをそのような目には絶対に遭わせたくないし、どこまでも守りたい。
 早川さんの書いた手紙、早川さんの所有する小池氏との写真まで本書では公開しているのだ。
 後は読者ひとりひとりに判断して頂ければと思う。

 本文(「文藝春秋」8月号)では、私が早川さんと出会うことになった事情を中心に拙著が世に出されるまでの流れを書き、合わせてメディアによって生み出された「小池百合子」という人物を書く中で抱いた所感を述べている。
 ご一読いただければ、有難い。


文春オンライン、2020年7月11日
小池百合子「冷めた圧勝劇」の不可解さ
報道機関としての責任を放棄した“テレビの大罪”
『女帝』著者・石井妙子が見た都知事選

(石井妙子)
https://bunshun.jp/articles/-/38944

 東京都文京区は2020年7月11日、区立保育園で新たに保育士1人と園児18人の感染が明らかになったと発表した。
 すでに保育士と園児計3人の新型コロナウイルス感染が判明しており、この園の感染者の合計は園児20人、保育士2人の22人となった。

 区では引き続き、家族ら濃厚接触者の調査を進め、対象者への大規模な検査を実施する。
 同園は10日に3人の感染が判明した際、20日まで休園することにしていたが、感染拡大を受けて22日までに延長する。


朝日新聞、2020年7月11日 19時46分
東京・文京区の保育園で感染拡大
園児ら計22人が陽性

https://www.asahi.com/articles/ASN7C6H66N7CUTIL01K.html

・・・これでも「夜の街」と言い続けるのだろうか?・・・

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2020年07月11日

宇野重規「危機の中だからこそ 民主主義の強化を」

新型コロナウイルスの感染拡大という危機の中で、政治に強いリーダーシップを求める声は国内外で上がりました。
そんな中、民主主義はどうあるべきなのか。
国内外の政治や民主主義の歴史を研究している政治学者の宇野重規さんに伺いました。
(5月25日)

充実していなかった政治の危機管理システム
―― 新型コロナウイルスの感染拡大の中で、日本の政治や民主主義の現状をどのように分析されますか?

宇野: 日本においては政治の危機管理システムが十分ではなかったということです。
 阪神・淡路大震災以来、多くの自治体に危機管理監が設けられましたし、官邸においても危機管理システムが作られました。
 これにより突発的な災害には対応できていると思いますが、今回のように危機が長期化し、通常の法律のルールを超え、休業補償みたいな社会経済的な話も含めて、ある程度長期的なものを考えるためのスタッフや組織があるかというと、今はすごく短期的なものしかできていない。
 中長期的に物事を判断していくときに、リーダーの意思決定をサポートし、場合によってはリーダーに諌言(かんげん)してでも行動できるようなポストなり仕組みなりを本当は作っておくべきだった、もっと充実させておくべきだっと思います。

政治と科学者に適切な距離を
―― 具体的にはどういうことですか?

宇野: こういう危機のとき、いつもやっている政治のコアメンバー、首相と側近だけで決めるというのは非常にぜい弱です。
 必要とされるのは科学的な専門家の視点です。
 今回、専門家の力をうまく取り込むということに関して、遅かったし非常に躊躇(ちゅうちょ)があったと思います。
 例えば、韓国やヨーロッパなどと比較してみても、科学技術の専門家をある程度集めておいて組織化し、政治的なアドバイスをできるようにする仕組みは充実させてしかるべきでした。
 ただし、反面、専門家の発言の中には科学者が政治決定するようなことまで及んでいたものもありました。
 本当は科学者が政治化するというのは望ましいことではありません。
 政治家と科学者の関係はすごく難しいですが、科学者は専門的な知見の範囲でアドバイスをする、政治家はいろんな状況を判断しながら最終的に決定するのが役割だと思います。
 こうした適切な距離を取った関係作りが今回準備不足でした。
 出遅れたことにより、今のところ科学者たちが前面に出ざるをえない結果となり、私は逆に気の毒だと思います。
 結果的には、科学者に政治的な発言を求めることになり、良きにつけ悪しきにつけ影響や反響をぶつけられる立場に置いてしまったというところがあります。
 政治家と科学者の役割分担に関して、なお工夫の余地があると思います。

政治は危機で肥大化
―― 宇野さんは政治の危機管理システムが充実していなかったことを指摘する一方で、今後、政治がどう変わっていくかについても注意が必要だと指摘します。

宇野: 過去の歴史を振り返れば、危機時に政治システムは肥大化するんです。
 かつてペストがはやったことによって権力は公衆衛生まで担当するようになりました。
 20世紀のスペイン風邪と、国民の生活や経済活動のあり方に積極的に介入しようとするいわゆる行政国家ができた時期が同じだったというのは決して偶然ではありません。
 行政国家の発展の歴史とも言えますが、こういう疫病とかに基づく危機時というのは権力が扱う対象が拡大し、財政が拡大する傾向にあります。
 場合によっては、その後、平時に戻ったにもかかわらず、権力が元に戻らないで肥大化するきっかけにもなると思います。
 逆に国民の側でも、危機のときは政府に依存的な態度が強まる時期でもあり、ややもすると大きな政府へ傾斜する。
 そして、このwithコロナ、afterコロナの難しい点は、当分完全にノーマルへ戻らないかもしれないということです。
 第2波、第3波がやって来る可能性がどうしても否定できないとなると、平時になったら戻りましょうとなかなか言えない。
 例外的な緊急事態と平時との境界線があいまいになり、なし崩しになっていく危険性があると思います。

強力なリーダーを求めるメンタリティー
―― 実際に緊急事態宣言が必要だとする声が国民の方からも上がりましたが、なぜこうなったのだと思いますか?

宇野: 日本においては歴史的な素地として、政治改革に対する失望や選挙や政党を通じての改革に対して不信があります。
 だからこそ、強力なリーダー探しみたいなものが、国民の中にメンタリティーとしてあると思います。
 1993年の細川内閣以来、政治改革というのはありましたが、結局政権交代したからといって、より効率的な政府が得られるわけではないということを国民が身にしみて学習してしまった。
 フラストレーションみたいなものがあって、だからこそ、ある種有能なリーダーに一切を授権して対応してもらった方が楽だし、きっと効率的ではないだろうかという感覚が、この20年ぐらいをかけて国民の間に醸成されてきたと感じています。

深刻な問題は民主主義への失望
―― より深刻だなと思うのは「民主主義ってやっぱりだめなんだ」という意見が聞こえてくることです。

宇野: 民主主義というのは、基本的にノーマルな動きをしているときに機能するように設計されていて、政治権力による人権の侵害を食い止め、あとで取り返しのつかないような決定に対する歯止めになっています。
 しかし、どうしても時間がかかり、なかなか明確なひとつの意思決定にたどりつかないものです。
 緊急事態だけではなくて、やっぱり現代のように物事をスピード感を持って早く決定しなければならない時代において、民主主義というプロセス自体がもう時代遅れだとされることへの危惧です。
 中国の習近平体制は独裁だと批判されていましたが、今回かなり強権的な対応とはいえ、ある意味迅速に危機を克服したと言われていますし、韓国についても、かなり個人のプライバシーにまで対して踏み込んで行動を追跡して隔離を徹底していて、権利を制限する強権的なことをやっているわけです。
 そうしてみると、やや独裁的な手法の方がよかったのではないかと議論になりますが、私は長期的に自分たちの政府を自分たちで支えるという精神を弱めることにつながるので、独裁的手法というのは決してオールマイティーではないと思っています。

事後の厳しいチェックが必要
―― そこで、宇野さんは政治へ一時的に強力な権限を与えるとしても、事後の厳しいチェック体制を設けることが必要だと訴えます。

宇野: 後から考えてみると非常によくない判断をしていた、それは手続き面もそうだし、結果として国民を幸福にしたのか不幸にしたのかという点からも含めて、事後的に厳しくチェックしなければならない。
 したがって、どういうプロセスで誰がどういうふうに決めたのかということは、きちんと記録して残さなければならない。

 つまり緊急時にも民主主義的に対応することです。
 国会の議論では緊急事態宣言の際、事前に野党の合意を取り付けることが非常に強調されましたが、むしろ事後に、この段階でなぜこういう決定を下したのか、誰が責任を取るのかということをきちんと検証することが同じくらい重要だと私は思っています。

事後の検証が弱い日本の政治
―― 今の日本でそういう事後検証は可能なのでしょうか。

宇野: 残念ながら、今の日本の政治が最も弱い部分がそこであろうかと思います。
 私は政治を担う人間が、時として民意とぶつかりながらも物事を決めなければならない瞬間というのはあると思います。
 政治家というのは、いろんなことを考えなければならないわけですから、世論に反する決定を下す場合もあるかと思いますが、やはり政治家の政治家たる誇りは、自分の判断が歴史の検証に耐えうるかどうかということへの自覚です。
 そういう意味で、きちんと記録を残す、資料を残す、データを残す必要があるのです。
 そうした精神を持った政治家は、亡くなった中曽根康弘元総理大臣など、日本でもいたと思うんですが、今の政治家を見ると、現政権に限らずそうした自覚は弱い。
 記録を捨ててしまうし、都合の悪いものは消してしまう。
 西洋の政治家を理想化するわけではないですが、チャーチルにしてもドゴールにしても、歴史家の検証に耐えるため、資料を残しておいたうえで、自己正当化も含めて、俺はちゃんと考えたんだということを一生懸命残そうとした。
 また、政治家が死ぬと、研究者などが、その人のいろんな資料を出してきて検証し、論文やら長い伝記を書くという伝統もあります。
 日本の場合は、そこまでしつこくないというか、次にもうちょっと良い政治家が出てきて世の中を良くしてくれればいいじゃないかということにすぐ目が行って、過去の政治家がやったことをしつこく検証するというのが、国民やメディア、あるいは学者の側も含めて必ずしも強くない。
 そういう意味でいうと、野党についても単に批判するだけではなくて、ちゃんと言質を取り、どこで誰が決定したのか記録をとり、後でちゃんとチェックする仕組みをもつ発想もあっていいはずです。

危機の中だからこそ民主主義の強化を
―― ポスト・コロナの時代に向けて、何が求められると思いますか?

宇野: 新型コロナウイルスの感染拡大は、短期的に見ると民主主義にとって危機に見えますが、むしろ緊急時だからこそ、これを機に民主主義というものを強化していく、バージョンを上げてクオリティを上げていくことができると思います。
 今まで、やや選挙制度ばかりに集中しすぎて、みんな食傷しているかもしれませんが、誰がどこで意思決定したか、ちゃんと説明してもらう。
 それがうまくいったか、うまくいかなかったかを事後的にきちんと検証し、責任を取ってもらう。
 そのプロセスにおいては人びとの多様な声をきいてもらう。
 こうした作業を通じて、みんなの政治とか統治とかに対する意識や要求は高まると思うんですね。
 だから、危機の時においてこそ民主主義の強化をすべきだと考えています。

[写真-1]
衆院予算委の参考人質疑で意見を述べる政府諮問委の尾身茂会長 2020年5月

[写真-2]
武漢を視察する中国の習近平国家主席 2020年3月

NHK、2020年5月25日
私はこう考える
『危機の中だからこそ 民主主義の強化を』
東京大学 宇野重規さん

(社会部記者 中村雄一郎)

※ 宇野 重規(うの・しげき)プロフィール
1967年生まれ。東京大学社会科学研究所教授を務める。専門は政治思想史、政治哲学。主な著書に、
・『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書、2010年4月)、
・『政治哲学的考察――リベラルとソーシャルの間』(岩波書店、2016年5月)、
・『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』(中公新書、2016年6月)
など。

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原武史

 1908(明治41)年に発表された夏目漱石の小説『三四郎』は、小川三四郎が大学に入学するため、九州から鉄道で上京する場面から始まる。
 山陽線や東海道線を乗り継ぎ、名古屋で一泊した翌日の列車の中で、三四郎は「髭(ひげ)の男」に出会う。
 第一高等学校の広田先生である。

「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」と言ってにやにや笑う広田を、三四郎は「どうも日本人じゃない様な気がする」と感じ、「然(しか)しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。

 すると広田はすました顔で、「亡(ほろ)びるね」と言った。
 三四郎は、車内で公然と日本の滅亡を予言する人間に出会い、慄然(りつぜん)とさせられたのだ。

 もちろんこれはフィクションだが、実際に列車に乗り合わせた客たちの会話を耳にして似たような衝撃を受けたのが、1932(昭和7)年5月に起こった五・一五事件に関与することになる思想家の橘孝三郎である。

 事件が起こる前、橘は車内で「純朴その物な村の年寄りの一団」と乗り合わせた。
 具体的な線名は記されていないが、橘は水戸郊外で私塾を営んでいたから、常磐線だった可能性が高い。
 彼らは以下のような話をしていたという(『日本愛国革新本義』建設社、1932年1月)。

―― どうせなついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに。
―― ほんとにさうだ。さうすりあ一景気来るかも知らんからな、所でどうだいこんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ。
―― いやそりやどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆても強いからのう。
―― そりや世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。(中略)
―― うむ、そりやさうだ。だが、どうせまけたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論(もちろん)こつちのものだ、思ふ存分金をひつたくる、まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい、かへつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ。

 昭和初期の車内でこうした会話が公然と交わされたこと自体、驚愕(きょうがく)させられる。
 会話を聞いた橘は、「皇国日本の為(た)め心中、泣きに泣かざるを得なかつた」と記している。
 五・一五事件に関わってゆく心境の一端がうかがえるとはいえないだろうか。

 注目すべきは、日米戦争の可能性を語り、敗戦後の日本まで予言していたのが、広田や橘のような知識人ではなかったことだ。
 実際の歴史は、「純朴その物な村の年寄りの一団」の見方が、必ずしも間違ってはいなかったことを証明している。


[写真]
五・一五事件の民間人被告を裁く刑事裁判で、変電所を襲った被告たちの所属する愛郷塾(塾長・橘孝三郎)を判事や検事らが実地検証した=1933年

朝日新聞、2020年6月20日 3時30分
(歴史のダイヤグラム)
「敗戦後」を予言した庶民
(原武史、1962年生まれ、政治学者)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20200618001264.html

原武史『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(増補新版、新潮選書、2019年5月)

「鉄道」「天皇」「団地」などをキーワードに、次々と話題作を発表してきた著者であるが、その出発点はあくまで政治思想史研究である。
 その意味でいえば、本書はまさしく著者の多岐にわたる関心の集大成とでもよぶべき作品である。
 東京西部、特急レッドアローの走る西武沿線の団地に、なぜ共産党が主導する革新的な政治風土が生まれたのか。
 著者のしかけた壮大な知的パズルを読み解くうちに、読者は戦後政治思想史に対するまったく新しい切り口を手にすることになるだろう。

 戦後思想の転換点といえば、誰もが思いつくのが1968年である。
 新左翼学生によるこの大変動を境に政治の季節は去り、日本社会は保守化と消費社会への道を歩むようになったといわれる。
 しかし、このような定番の説明に著者は異を唱える。
 実際、新左翼による攻撃にもかかわらず、共産党は1972年の総選挙で結党以来最高の議席を獲得する。
 その中心は都市部の選挙区であったが、とくに新中間階級が多く移り住んだ多摩地域での伸張は著しかった。
 なかでも西武沿線の団地自治会は、共産党の大きな拠点となる。なぜか。

 著者は思いがけない発見から、本書の叙述をはじめる。
 かつて自らも住んだ西武沿線の団地を歩くうちに、その風景がやはり同じ沿線の全く別の場所と似ていることに気づいたのである。
 それはハンセン病患者の病院であった。
 戦後、空襲による被害を免れた農村が広がるこの沿線には、病院と団地が次々に建てられた。
 周囲の農村とは切り離された、同質的なコンクリートの建物(スターハウスと呼ばれる建物が象徴する)が並ぶ二つの場所にはどこか共通性があった。

 そこから著者の想像力はさらに飛躍する。
 すなわち、この西武沿線の団地は、ソ連時代に作られた集合団地とそっくりだというのである。

 戦争による荒廃を受けたソ連では、社会主義的な平等の理念に支えられて、多くの人びとに住宅を供給するために団地が建設された。
 やはり戦争によって大きな被害を受けた東京でも、増大する都市人口を引き受けるために大型郊外団地が作られたが、その中心は西武沿線であった。
 両者が似たのはけっして偶然でない。
 しかし、これが意外な政治的帰結を生み出す。
 財産や知識、さらには世代という点で非常に同質性の高い住民は、通勤や子育てなどで共通の問題を抱えていた。
 これらを解決するために、住民はやがて自治会や運動を組織する能力を獲得していく。
 主役は女性たちであったが、その矛先は、沿線を支配する西武へと向けられた。

 ちなみに西武の総帥は、グループ内で「天皇」と呼ばれ、強烈な親米反ソの政治家としても知られる堤康次郎であった。
 そのような堤に率いられる西武が作った団地を舞台に、共産党が勢力を伸ばし、ついには堤がディズニーランドを目指して開発したレジャーランドのすぐ隣りで「アカハタ祭り」が大規模に開催されるに至ったというのは、歴史の皮肉である。

 しかし、ここに著者は大きな問題提起を行う。
 私たちの抱く政治思想は、実は思っている以上に、暮らしている住まいの形態によって規定されているのではないか。
 少なくとも東京の西部郊外に即していえば、住民意識というのは、行政区域よりもむしろ鉄道沿線ごとに形成されているのではないか。
 実際、著者が指摘するように、今日でもなお、西武沿線と東急沿線、さらに中央沿線では、政治意識に違いがあるように思われる。
 その意味で、共産党の支持基盤となった西武沿線(団地中心)の人口が減少・高齢化したのに対し、新自由主義が支持基盤とする東急沿線(一戸建て中心)の人口が増加していることは、この数十年の日本の政治地図の変化を説明するかもしれない。

 それにしても本書を通じて印象的なのは、著者の西武沿線の団地に対す愛憎半ばする態度である。
 前著『滝山コミューン1974』(講談社文庫、2013年11月)と同様、著者はこの地域にかつて存在した独特な雰囲気に対する違和を隠さない。
 とはいえ同時に、著者の叙述からは、この場所を舞台に展開されたかつての住民運動への共感も読みとれる。
 多様な読み方に開かれた本である。


波、2012年10月号
鉄道と団地がうんだ、新しい戦後思想史
(評者:宇野重規 うの・しげき、1967年生まれ、東京大学社会科学研究所教授)
https://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2012/10/201210_15.php

原武史『地形の思想史』(KADOKAWA、2019年12月)

 土地は歴史を記憶する。
 当事者も証言者もすでにいなくとも、そこに足を運ぶことによって、土地そのものが教えてくれることがある――。
 取材のためにさまざまな場所を訪ねた経験から私はそう実感しているが、本書によって、土地は歴史を「記憶する」だけでなく、「生み出す」ものであるという視点を与えてもらった。

 土地が歴史を記憶する、というのは比喩的な言い方だが、土地が歴史を生み出す、というのは比喩ではない。
 そこでなければ起こらなかった出来事、そこでなければ醸成されなかった思想。
 それらを生ぜしめたものとしての「地形」を、現場を歩くことで発見していく過程はたまらなくスリリングだ。

 右のポケットに地形図、左のポケットに年表をしのばせ(注・私の想像です)、探偵よろしく原さんが訪ねる現場は、
岬、
峠、
島、
麓、
湾、
台、
半島
の七つ。
 天皇の家族の物語が秘められた、浜名湖の名もない岬。
 天皇制と革命思想が対峙し、すれ違った奥多摩の峠。
 近代の「穢」と「浄」を背負わされた、瀬戸内海の二つの島。
 多くの宗教が拠点を置き、オウム真理教が世界最終戦争から生き残るための地として選んだ富士山麓。
 歴史の古層を突き破り、記紀神話の世界が顔を出す東京湾岸。
 戦時中に昭和天皇が『古事記』から名づけた陸軍士官学校の所在地・相武台。
 戦前のイデオロギーが冷凍保存されたかのような大隅半島――。

 どれも抜群に面白いが、圧倒されたのが、奥多摩の峠を描いた第二景「『峠』と革命」である。
 ここで原さんは、2013年に皇后(当時)が誕生日に際して発表した文章で「深い感銘を覚えた」として言及した「五日市憲法」を生んだ五日市を訪ねる。
 そして次に、峠を越えて、奥多摩湖に向かう。
 かつてここには小河内村の集落があったが、ダムの建設にともなって湖底に沈んだのだ。

 ここで語られるのが、小河内村にはかつて、日本共産党が反米武装闘争の一環として組織した山村工作隊が、ダム建設を阻止するために派遣されていたという事実である。
 若い党員たちは、村民は極貧の生活を強いられて山林地主を恨んでおり、ほとんどが党の味方と教えられていたが、現実は違った。
 村人たちは工作隊をおそれ、反感を抱き、あるいは敵意を抱いていた。

 メンバーが逮捕されて闘争は挫折し、やがて党は、1955年の第6回全国協議会(六全協)で、「農村から都市を包囲する」山村工作隊を誤りだったとして切り捨てる。

 ダム貯水池の建設に伴って取り壊された寺の、それだけが移築されて現存する楼門を原さんは見に行く。
 そしてその傍らに、山村工作隊の一員で、二度の逮捕後も活動を続け35歳で死去した岩崎貞夫という人物のために「同志」が建てた記念碑があるのを発見するのである。

 句読点の一切ないその碑文を読んで、首の後ろがぞくっとした。
 挫折や裏切りを示す語はひとつもなく、表面だけを読めば美しい追悼の文章なのだが、その美しさの底にある種の「圧」がある。
 それが怖い。
 原さんはこの碑文を「共産党本部に対する怒りが沸々と煮えたぎるような文章」と書いているが、この地に秘められた歴史を知れば、確かにそうとしか読めない。
 注目すべきは短い碑文の中に小河内の風景が書き込まれていることで、そのことにもどきりとさせられた。

 切り捨てられ、いまは誰も顧みることのない歴史が、数行の碑文の中に痕跡を残している。
 現地に行かなければ不可能なこうした発見が、本書にはいくつもある。

 このあたりは、いくつもの峠が立ちはだかる地形で、原さんも、大小の峠を越え、その地形と風景を描写しながら進む。
 急峻な峠はその両側にあるものを分断するが、同時に対峙もさせる。
 皇后がお墨付きを与えた民主主義のお手本「五日市憲法」をもつ五日市と、山村工作隊のアジトがあった小河内は、地図で見るとごく近い位置にあるが、その間には険しい峠が存在するのである。

 この旅の終わり、原さんは、大菩薩峠の山荘の食堂で、あるものを見る。
 そのくだりを読んだとき、ええっ! と声が出そうになった。
 そこに行かなければ決して気づくことのできない歴史の痕跡。
 岩崎貞夫の記念碑が山村工作隊にかかわるものだったのに対し、こちらは皇室にかかわるものである。
 それが何であったか、もちろんここには書かない。
 平成から令和に時代が移ったいまこそ、本書を読んで意外な事実に驚いてほしい。

 地理と歴史が交差し、ここと何処か、いまと過去が結びついては反転する面白さと怖ろしさ。
 歴史に対する決まりきった見方を一新してくれる、画期的な一冊である。


カドブン、2019年12月27日
山奥の顧みられぬ碑文が示した秘史とは!?
7つの地形が魅せる、いまと過去が結びついては反転する面白さと怖ろしさ!
 
(評者:梯 久美子、1961年生まれ、ノンフィクション作家)
https://kadobun.jp/reviews/7mad03vuedk4.html

※ 岩崎貞夫の碑(普門禅寺)

奥多摩湖.jpg

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2020年07月10日

米国の犬と化した日本の経産、外務、防衛、政府たち

新型コロナウイルス感染症の拡大は、歴代政権が進めてきた新自由主義=市場原理主義的政策がもたらした日本社会のひずみと課題を浮き彫りにするものとなっています。
コロナ禍で表面化する新自由主義の問題について東京外国語大学の西谷修名誉教授に聞きました。

 今回の新型コロナウイルス感染拡大をめぐっては、日本の新自由主義的な政策が、予期されたこの危機に全く対応できないということを露(あら)わにしました。

金融市場に没頭

 感染拡大を抑えるためには、経済活動を支えている人と人との繋(つな)がり・接触を遮断しないといけません。
 そうすると、もちろん経済成長は打撃を受けます。
 でも、一番打撃を受けるのは、数値化された経済システムの中に労働力として組み込まれて生活する人たちです。

 感染拡大を防ぐ処置として社会の血流を止める必要があるならば、それでも、しばし人びとが生きていける対策もしなければなりません。
 この時に行政というものの役割が改めて浮かびあがります。
 経済活動を止めた時に、そこに組み込まれている人たちが一緒に締め出されることのないよう救いあげるのが行政の役割です。

 しかし、政府は経済を維持することしか頭にありません。
 まずは株価が落ちないように金融市場に金をつぎ込む。
 緊急経済対策も大部分が企業向けです。
 この社会が、生きた人間によって支えられているということが全く考えられていません。

壊された「雇用」

 医療体制で問題が浮き彫りになっています。
 政府はこの間、「地域医療構想」に沿った医療体制の効率化を推し進めてきました。
 約440の公立・公的病院の再編統合や13万床の病床削減をしようとしています。
 これがまさに新自由主義による社会統治の路線です。

 その結果、病院体制はどうなっているかというと、集中治療室(ICU)は不足し、資材も、医師、看護師の数も足りません。
 現場は大変です。
 常に利潤を最大化する経営発想で最適化されたシステムは、無駄は省けと言われていて、緊急時にはまったく対応できません。
 公的セクターも経営原理という政策がここにきて危機的状況を招いています。

 日本社会はこれまで、無駄を省いた効率的な社会を目指してきました。
 そういう名目で壊されてきたのが「雇用」です。

 近代以降の産業社会では雇用が社会の入り口になっています。
 ここで排除されると、人は社会的な存在意義さえ認められません。

法人優遇改め人間第一に

 日本の場合、かつては歴史的な役割を果たしてきた「雇用の安定性」がありました。
 一方で、その安定性は企業にとっては大変な負担になります。
 そこで、企業の負担を減らすための政策として進められたのが「雇用の自由化」です。
 その結果、非正規労働が増え、経営者は「自由」に解雇して人件費を削れるようになりました。
 人にではなく、法人(企業)にとって都合のよい仕組みです。

連帯意識を解体

 法人は「ジュリディカル・パーソン」といって法的には人間のように扱われますが、息もしない、腹も減らない、血も涙もありません。
 しかし経済の自由化の下では、その架空の人格である法人を機能させるために、生きている人間を絞り切り捨てるようなことが行われてきました。
 これが新自由主義です。

 新自由主義は経済思想というよりも国家統治の思想です。
 イギリスのサッチャー元首相が「社会などというものはない。あるのは家族と国家だけだ」と言ったのが典型的です。
 人びとが結びつき連帯を伴う社会というものが、福祉に対する“依存”を生み出し、経済成長を停滞させているという認識で、富む者の自由と貧者の自己責任を説きました。
 こうした考えの下で、社会を個人に分断し、連携意識とか共同性に支えられている関係をすべて解体して、社会を市場に溶解させました。

 イギリスから始まったその路線が、今ではグローバル世界の原理になっています。
 こうした中で築かれた私的利潤と全体効率を第一とする新自由主義の問題が表面化したのが今回のコロナ禍だと思います。

権力私物化狙う

 もう一つ問題となるのは、緊急事態宣言に便乗して、自民党が憲法を改定し、「緊急事態条項」を創設する意向を示していることです。

 憲法の中に緊急事態条項を組み込むというのは、立憲体制の中で権力の例外状況を合法化するということです。
 これは権力の私物化を合法化したい政治権力の問題です。
 感染拡大に対する緊急事態は実はそれとは違います。
 人びとの健康や命の危機に対して、平常時とは違う対応を緊急かつ効果的に行うためのものです。
 つまり、権力の緊急事態ではなく、社会統治の緊急事態だということです。

 コロナ禍はよく戦争に例えられますが、むしろ災害と考えるべきです。
 戦争なら、国民あるいは国が向き合わねばならない敵がいます。
 戦時が緊急事態だというのは、この敵とたたかうために国家が権力を集中させ国民を統制するためのものです。

 一方で、災害にはたたかうべき敵はいません。
 災害時においてはむしろ、国家が国民をどのようにして守れるか、対策の中身が課題になります。
 国民と社会を保護し救うための緊急事態だということを政府が認識する必要があります。


しんぶん赤旗、2020年5月8日(金)
新型コロナが問う日本と世界
生きた人間社会考えず
東京外国語大学名誉教授 西谷修さん

(中野侃)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-05-08/2020050801_02_1.html

[ワシントン共同]米国務省は2020年7月9日、日本に最新鋭ステルス戦闘機 F35 を計105機売却することを承認したと発表した。
 関連装備を含めた費用は約230億ドル(約2兆4600億円)。
 日本が調達を計画する計147機の中で、最大機数の承認となった。

 トランプ大統領はこれまでに、日本の調達計画を称賛。
 国防総省傘下の国防安全保障協力局は9日の声明で「日本が強固で効率的な防衛能力を維持することは、米国の国益に欠かせない」と指摘した。

 承認したのは空軍仕様のA型63機と、海兵隊仕様で短距離での離陸や垂直着陸が可能なB型42機。
 F35は米ロッキード・マーチンが開発した。


[写真]
ステルス戦闘機 F35A=2018年、青森県の航空自衛隊三沢基地

東京新聞、2020年7月10日 11時24分
米、戦闘機 F35 の日本売却承認
105機で2兆4000億円

(共同通信)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/41550

・・・<売却額は2兆4800億円にのぼる見通し。米国が外国政府に対して一度に認めた武器の売却としてはサウジアラビアに対する戦闘機の売却に次ぐ史上2番目。米国務省当局者は「アメリカの経済と雇用を支援するもので、アメリカは歓迎する」> 税金の使い方が完璧に間違っている・・・

・・・兵器の爆買いほど、使いたくない言葉だが、“売国”行為だろう。善意と使命感からコロナに立ち向かっている医療機関が経営の危機に瀕している。命の危険に晒されながら前線で職務を全うしている看護師もいる。国民の命と生活を守るのなら、優先順位は兵器の爆買いではないだろう・・・

・・・要らなすぎる。そのお金を、なぜコロナ禍で困窮する人や事業者、災害で生活が壊れた人に使わないのか。生活を支えるのは行政の義務です(25条)。北朝鮮や中国を異常なまでに敵認定する好戦的な政府は、いいかげんその差別感情を捨てて、目の前の国民の生活を見て下さい・・・

・・・2兆4800億円!!凄まじい金額である。国防はいわば保険だが、それには怒涛のごとく税金投入。実際に起きている新型コロナ対策には及び腰。災害被災者は段ボールで暮している・・・

・・・ちなみにこのニュースの興味深いところは情報発信が日本政府ではなくトランプ側であるところだ。米議会に通知された売却額231億ドル(2兆4800億円)が、実際に日本で支払う時にいくらなのか調べる価値はありそうだ。もちろん「何者か」に税金を中抜きさせないためにである・・・

・・・や全世界の共通の敵はウイルスと自然災害の脅威でしょ!
戦闘機や武器の爆買いではなく、医療のための全自動PCR検査機や人工呼吸器等の購入、赤字の補填です。
救助のためのレスキュー車両、重機車両、避難所用テント購入。
補償も増やさないと、倒産も失業者も激増です!
限りある税金を有効に…・・・

・・・私たちが納めた税金が、教育費でも社会保障費でもなく、アメリカ製の武器の購入、役に立たない布マスク、持続化給付金の「中抜き」に消えていく。もう耐えられない、という気持ち・・・

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安田登「貧しさと恥」

 もう45年ほども前、1975年の話です。高校時代の先輩が東京のアパートで亡くなったという連絡をもらいました。
 餓死です。
 ちょうど上京した年の夏でした。
 当時の大学生は貧乏でした。私を含めて、親からの仕送りを当てにできない学生が多くいました。しかし、まさか餓死することもあり得るなんて、想像もしていませんでした。
 上京して最初に入ったアパートは3畳ひと間。縦長の長方形の部屋で、小さな座机(すわりづくえ)を置き、布団を敷くとそれで部屋はいっぱい。トイレは共同ですし、風呂もない。お風呂屋さんに行くのですが、毎日行くほどのお金はない。今だったら「くさい」と言われそうです。
 こたつもストーブもないので、唯一の暖房器具は「布団」でした。冬になると、いっぱい服を着こんで布団に入る。扇風機すらない夏はもっと悲惨でした。
 食事だって、インスタントラーメンにご飯というラーメン・ライスが基本です。アルバイトのお金が入った日は、インスタントラーメンをカップラーメンに変えるという贅沢をしました。
 友人たちはみな、そういう生活をしていました。
 それでも、餓死をする可能性は考えていなかった。

 しかし、よく考えれてみれば、あり得る話です。病気になってアルバイトができなくなり、食べるものもなくなれば、衰弱して動けなくなる。電話もない時代です。夏休みで、友人がみな帰省していれば、そのまま餓死して一か月後に発見されるということも充分考えられます。
「せめて餓死だけはしないようにしような」と、やはり帰省できない友人と、互いに安否を確認しあう約束をしました。

 大人になった今は、日本では餓死することはない、ということを知っています。生活保護という制度があるからです。
 それなのに、毎年の厚労省の統計の中から、餓死や栄養不足による死が消えることはありません。
 餓死された方の中には、生活保護を申請したのに受けられなかった方もいます。あるいは打ち切られた方もいます。しかし、遠慮して生活保護を申請することすら躊躇(ちゅうちょ)するという方も少なくありません。
 知人の中にも苦しい生活をしていながら、「自分のようなものが国からお金をもらうのは申し訳ない」とか、あるいは「生活保護を受けることは恥ずかしい」という人がいます。ネットなどでは生活保護者のバッシングもあります。
 生活保護を受けることの恥ずかしさ。そして、それ以前に貧乏に対する恥ずかしさがあるのです。
 そして、それは貧困に対する、意識・無意識の差別からきます。

日本人は恥に弱い

 貧困への差別は日本にもありますし、世界中にも存在します。この問題を何とかしなくては、安心して「優雅な貧乏生活」なんて送れません…といっても、本連載は社会派アプローチとは違う方向からお話をしていきます。
 貧困による差別は個人の問題にとどまらず、家族、地域、あるいは国家の問題として現れます。国家が貧しいと、国民の多くが恥ずかしくなったり、卑屈になったりするのです。
 日本人は特に「恥」重視し、そして「恥」に弱い国民です。
「見てはいけない」といわれたのに見てしまうという神話があります。これらは「見るなの禁忌」の類型神話と呼ばれ世界中にあります。ギリシャ神話のオルフェウスの冥界下り、旧約聖書のソドムの話、そして日本のイザナギ命(ノミコト)の冥界下りなどなど。
 この中で日本の神話では、見られてしまった妻イザナミ命(ノミコト)は「よく私に恥をかかせたな(吾に恥見せつ)」といって夫イザナギを追いかけます。
 日本最古の物語に、すでに「恥」が出てきます。

 また、太平洋戦争中に日本を研究したといわれる『菊と刀』においてルース・ベネディクトは、日本人が恥を重視することについて次のように書いています。
日本の生活においては、恥が最高の地位を占めている。恥を深刻に受け止めるあらゆる種族や民族について当てはまるのだが、恥が最高の場を占めているということはとりもなおさず、だれもが自分のおこないに対する世評を注視するということである。
(光文社文庫:角田安正訳)

 自分の行いに対する世間の評判を注視するのが、恥を深刻に受け止める種族や民族だとルース・ベネディクトは書きますが、日本においては世間の評判には「世間様」という人格すら与えられ、時にはそちらに顔を向けることすらできないはずだなどといわれます。

 そんなに世間や恥を重んじる日本人ですから、世界中から貧乏国といわれるようになったら、恥ずかしさで多くの国民は劣等感まみれになり、卑屈(ひくつ)になってしまうでしょう。
 かつて、このような劣等感を日本人は、少なくとも三度は体験しました。
 一度目はおそらく飛鳥時代。次に明治維新直後、そして太平洋戦争後です。

 圧倒的な物質と文明の前にひれ伏した日本人は、まずはそれを受け入れるために卑屈になります。明治時代のそれは、鹿鳴館(ろくめいかん)などを風刺したジョルジュ・ビゴーの絵によく現れますし、戦後のそれは米兵に対するギブ・ミー・チョコレートやアメリカ文明礼讃時代など、記憶に新しいでしょう。

 しかし、やがてその恥らいから脱却するために「日本すごい!」とか「日本ナンバーワン!」なとどいう論調が現れ始めます。いまは、その只中にいますね。

貧困国 中国

 さて、貧困国という蔑視に、とても長い間、耐えた国があります。中国です。
 今や経済大国といわれている中国ですが、ほんの少し前までは貧困国と言われていました。
 昔は中国も貧困国ではありませんでした。その文化的恩恵を、日本をはじめとするアジアの国々は享受してきました。唐の都、長安はまさにグローバル都市。アジアのみならず世界中の人々、文化が集まる、世界有数の交易都市であり、文化都市でした。

 そんな中国に貧困のイメージがついたのは、善政を敷いたことで有名な清王朝の康熙(こうき)帝(在位1661〜1722年)の治世後からだといわれています。康熙帝の善政が人口の爆発的増加を招き、皮肉なことに貧困を招いたのです。
 康熙帝のあと三代に渡って善政が敷かれた中国(清王朝)でしたが、アヘン戦争をきっかけにヨーロッパ列強や日本によっていくつか都市がその支配下に置かれるようになります。欧米列強や日本は、中国の富を吸い上げてさらなる貧困に追い込むだけでなく、公園の入り口に「犬と中国人、入るべからず」と書いて、その入場を禁止するなど、中国の人たちを差別し、苦しめました。
 第二次世界大戦後にようやく列強の支配からは脱しましたが、それでも貧困は続き、康熙帝の治世から数えれば300年近くも貧困国という蔑称に耐え続けてきたのです。

 20年ほど前、知人が某企業の上海支店の支店長として赴任していたときがあり、彼のもとを訪れたことがありました。
 そこは中国でありながら、幹部のほとんどは日本人。
 現地の人たちの多くは、下層の労働者として使われていました。
 中国が世界第二位の経済大国になった今でも、中国の人たちに対する偏見や蔑視は、中高年の日本人にはまだ根強く残っています。
 外国人技能実習制度で受け入れた中国の人たちを見下している人は、今でも少なくありません。

中国版「優雅な貧乏生活」

 10年ほど前に、中国の杭州(こうしゅう)に行きました。
 その頃の中国は、貧乏な国からリッチな国への過渡期にありました。
 日本に爆買いに来るような富裕層と、まだ貧しい暮らしをしている人たちが混在していました(今でもですが)。

 杭州には西湖という景勝地があります。西湖遊覧の船に乗りました。
 お客さんは着飾ったリッチな中国人観光客が中心です。船内アナウンスが見所を告げると、その人たちは大声をあげながら我先にとそちら側に移動するので、船は何度も傾きます。
 その中に、他の人たちから比べると質素な服装の父娘がいました。娘さんは小学校の中学年ほどの年齢。ふたりは船内アナウンスに左右されることなく、船外で静かな声で会話をしています。近づいて聞いてみると、お父さんがたとえば「水光瀲艶」と口ずさむと、娘さんが「晴方好」と答えています。
 杭州といえば政治家であり詩人でもあった蘇軾の作った蘇堤で有名なところ。
 杭州観光に来るならばと、お父さんは娘に蘇軾(そしょく)の詩を教え、そしてここでその詩の暗誦をしていたのです。
 日本人親子で、奈良を訪れ、万葉集の長歌を口ずさみ合う親子がいるだろうか、と思いました。

 彼らは、いまの経済発展にはついていけない人たちでしょう。
 しかし、名所に行っては、その景物を讃える歌を詠み、おそらくは日常の中にも詩を作り書画を配し、日本でいう「もののあはれ」を知る人たちではないでしょうか。
 それがあれば貧乏だってへっちゃらです。
 彼らこそ「優雅な貧乏生活」を実践しています。

貧しくなる日本

 ここで、日本に目を向けてみましょう。
 日本の経済情勢を分析する対日報告書が、国際通貨基金(IMF)によって今年2020年の2月に公表されました。
 それによると、少子高齢化の影響で40年後の日本では、実質国内総生産(GDP)は25%下振れする可能性があるとのことです。

 GDPが25%減というのはどのくらいか。
 いまがちょうど実感しやすい時期です。
 日本経済研究センターが6月16日にまとめた民間エコノミスト35人の経済見通しによると、新型コロナ禍による4月から6月のGDPは前期比年率で23.02%減になると予想されています。

 25%減というのはそれよりも大きい。
 しかも、日本の借金は年々膨らみ続けています。
 住宅ローンが膨らみ続けるのに、年収が4分の1削られるのに等しいのです。

 そのIMFはこの4月に、新型コロナ禍によって世界は劇的に変わり、リーマン・ショック直後を超えて、およそ100年ぶり、世界大恐慌から後では最大の景気後退になるとの見通しを発表しました。

 貧民ゲームと同じく、その影響は負けている国に大きく出ます。
 日本も残念ながら、負けチームの一員です。
 よほどのことがない限り、これからの日本は経済的には衰退の一途をたどります。
 IMFの予測より早く、十年後、いや数年後にはいわゆる貧困国といわれる可能性だってあるのです。

 その波をすでに感じている人も多いでしょう。そして、それは今回の新型コロナ・ウィルスの流行によって加速さています。

 日本が貧困国として世界から差別される日も遠くないかもしれません。

貧困への差別


 最初に書いたように、私たちが若い頃、日本にはまだ戦後の貧困の名残(なごり)がありました。だから、これから貧乏になっても、あのころに戻るだけなので平気かもとも思うのですが、以前と違うのは、一度裕福な状態を体験してしまったので、日本全体の貧困に対する差別感情が以前よりも強くなってしまったことです。
 暖房も冷房もなかった大学時代と違い、いまはエアコンのある部屋に住んでいます。三度の食事だって困らない。

 しかし、これは単に「運」の問題です。
「いや貧困は努力と資質の問題だ」という人がいます。
 そのためか、あらゆる差別の中で最後まで残ってしまうのが「貧困」への差別です。
 この差別の一番の問題は、それを差別であるとすら意識しない人が多いということです。
 たとえば5つ星のホテルに泊まりに行って、その国籍や人種を理由に宿泊を拒否されたら「差別」として問題になります。そのホテルはマスコミやSNSでめちゃくちゃ叩かれるでしょう。
 しかし、ホームレスの人が「お金がないけど、泊めて」といって「ダメ」と断られても、これを差別であると思う人はほとんどいません。いや、変だとすら思わないかもしれない。

 それがこの差別の根深いところです。
 たとえばこれが医療だったら…。
 難病にかかっている。治療法はある。でも、治療費が高い。貧乏という理由だけで、その治療が受けられず、座して死を俟(ま)つ。
 いまはこれも「当然」、あるいは「しかたない」ですまされていますね。
 でも、本当は変でしょ。
 命までもがお金があるかどうかで左右されるのって。
 医療に関しては、「それは問題だ」という人はいます。
 しかし、貧乏な人が5つ星ホテルに泊まれないのは変だとは思わない。
 それは当然、しかたないと思ってしまう。
 これは本質的には同じ問題です。

貧しさを知る

 貧困はよく「努力」の問題にすり替えられます。「あいつは若い頃に努力をしなかったから貧乏なんだ」と。
 日本は貧乏でしたが、私が育った地域はとりわけ貧乏でした。
 保育園のときに、先生から「保育料を払っていないからお母さんに伝えてね」ということをよくいわれました。友人たちもみんなそうだったので、恥ずかしいと思ったこともなければ、むろんトラウマになんてなりません。
 小学校に入学しました。給食はまだなく、お弁当です。貧困でお弁当を持ってくることができない子もいます。先生は、そういう子のためにお弁当を作り、そして家庭からお弁当を持って来た子も一緒に、分け合いながら食べました。
 うちも保育料を払えないくらいには貧乏でしたが、それでも周囲の家よりはましでした。三度のご飯だけでなく、おやつもありました。手作りのおやつです。祖母が余ったお餅を揚げて揚げ餅を作ったり、近所に蓬(よもぎ)を摘(つ)みに行って草餅を作ったりしました。そうすると必ず「近所の家に持って行きなさい」と言われました。
 ご近所からは、釣って来た魚をいただきました。

 お風呂がある家も少なかったので「もらい湯」です。テレビも持っている家は一軒だけだったので、みんなで集まって見ました。子どもたちは、そこで宿題もしました。

 そんなに貧しくても、乞食(こじき)の人に渡すための小銭がお勝手の棚には置いてありました。
 貧しいながら、持ちつ持たれつで生活をしていたのです。これも「優雅な貧乏生活」です。

 私が通っていた中学校の高校進学率は40パーセントを切っていました。漁師町だったので、高校進学といっても、多くの生徒は水産高校や商業高校に行きました。
 その中で私は普通高校に進学しました。
 そこで、はじめて貧乏を自覚しました。そして、それに恥ずかしさを覚えました。

 言葉遣いも違う。食べ物も違う。ライスカレーではなく、カレーライスを食べている。それにカツを乗せるカツカレーなんていうものも知っている。喫茶店にも行く。それも、コーヒーだけでなく、イチゴパフェというおしゃれなものも食べている。
 また、漫画本以外の本を読んでいるのも驚きました。芥川賞を取った小説を読んでいる同級生もいる。人によっては哲学書も読んでいる。レコードも持っているし、いろいろな音楽を知っている。
 うちのめされました。
塾に行っている同級生もいるし、東京の予備校に通っている奴もいる。
 私が育った漁師町には塾もなかったし、予備校に行くなんて考えたこともなかった。テレビでは、塾や家庭教師などが出てくるので、そういうものがあるというのは知っていました。学校でわからなかったことも教えてくれるなんて、「まるで魔法だ!」とあこがれました。

 しかし、自分とは無縁のものと思っていました。海外のセレブのニュースを見ても、自分とは無縁だと思うように。その頃は貧乏であっても、塾に行ってなくても何でもなかった。

 それが高校に入って、はじめて自分が貧乏であったことを意識し、そして恥ずかしさを覚えたのです。

* * *

 ところがラッキーなことに、私が高校時代をすごしたのは1970年代初頭でした。
 雑誌『ガロ』などの漫画や寺山修司などが読まれていて、貧乏であることや、田舎出身であることって実は素晴らしいことだと知ります。
 永島慎二の漫画『フーテン』の中にこんな場面がありました。
 新宿で騒いだフーテンたち。やがて夜が明けます。
 主人公のダンさんこと長暇貧治(むろん永島慎二)は、フーテン仲間のカッコという女の子を誘います。
「おれ これから山手ホテルで一眠りの一眠りなんだ つき合わないか!」
 カッコは軽く…
「うん たまにはダンさんと山手ホテルにしけこむのもおつねッ! いいわ!」

 山の上ホテルならば早熟の同級生から聞いたことがある。文豪ゆかりのホテル。「そんな金銭的な余裕があるんかい」とツッコミを入れながら読んでいると、ふたりは電車に乗る。そして眠る。
 ふたりが行ったのは「山の上ホテル」ではなく「山手ホテル」だった。そして、「山手ホテル」は山手線のことでした。
 肩を寄せ合って眠るふたりの両隣には通勤・通学の人びとが座る。座ることができずに吊皮につかまる人々が増えていく。電車はとうとう満員になって、押し合いへし合いする人びと。社会という高速回転する時間の中で、静止画のように静かに眠るふたり。世間の荒波の中で、浮き輪につかまりのんびり浮遊するふたり。

 見方を変えれば山手線だって「山手ホテル」になる。そうか! こんな手があるんだと思いました。

 そして、のちに古典に親しむようになり、そのような「見立て」、特につらいことをお笑いによって見立てる方法が江戸時代の俳諧(はいかい)師たちによってなされていたこと知りました。このことについてはまた改めて紹介しますね。

あさひてらす 朝日出版社ウェブマガジン、2020.07.06
貧しさと恥
(安田登)
https://webzine.asahipress.com/posts/3788

posted by fom_club at 09:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言うだけで有権者に分かる何らかの形で責任を取ったことはない

 昨年2019年7月の参院選広島選挙区(改選2)を巡る公選法違反(買収など)の罪で、衆院議員の河井克行被告(57)=自民離党=と、妻で参院議員の河井案里被告(46)=同=が2020年7月8日に起訴された事件は、東京地検特捜部などの捜査で、夫妻が案里被告への支持を固め、さらに自民党現職の地盤を切り崩すため、県議や広島県内の自治体首長や議員らに現金をばらまいた構図が明らかになった。
 また安倍晋三首相と党本部が強引に擁立した案里被告を、党県連は支援せず、夫妻は報酬を払って運動員を確保していたことも分かった。
 案里被告が当選すると、首相はその論功行賞のように、昨年2019年9月の内閣改造で克行被告を基本法整備や法秩序の維持を任務とする法相に登用し、法相経験者の逮捕、起訴という前代未聞の事態を招いた

 首相の責任はとても重い

■ 首相の悪口言った溝手氏への「刺客」か

 起訴状によると、克行被告は案里被告を当選させる目的で、昨年2019年3月下旬から8月上旬までの間、県議や県内自治体の首長・議員、両被告の後援会関係者、選挙スタッフら計100人に案里被告への投票や票の取りまとめなどの選挙運動を依頼し、その報酬として計128回にわたり、総額約2900万円の現金を供与したとされている。
 案里被告は100人のうち5人に対する5回の現金供与計170万円について、克行被告と共謀したとして起訴された。

 また起訴状では、昨年2019年7月4日の参院選公示後、克行被告を選挙区全域に関し、継続して選挙運動に関する事務を総括指揮した「総括主宰者」と認定。
 公選法によると、買収の罪は3年以下の懲役か禁錮または50万円以下の罰金だが、候補者本人や総括主宰者などは4年以下の懲役か禁錮または100万円以下の罰金に加重される。
 重罰となる公示後の現金供与は11回計約295万円。

 事件が起きた参院選広島選挙区について、自民党本部は2018年7月に6選を目指す溝手顕正元国家公安委員長(77)を公認。
 しかし、広島選挙区では、自民党候補が過去2回、50万を超える票を獲得し、2位当選の野党候補にダブルスコア以上の差をつけているなどとして、首相と党本部は2人目の候補擁立を模索。
 県連は強く反対したが、昨年2019年3月13日、県連の頭ごなしに、当時県議だった案里被告の公認を発表した。
 案里被告は出馬会見で「2議席独占が党の責務」と訴え、それが「総理のご判断」「総理の強いお考え」と強調した。

 ただ溝手氏は、第1次安倍政権時の2007年参院選で自民党が大敗した際、続投しようとした首相に「責任がある」と指摘したほか、民主党政権下の2012年には、首相を「過去の人」と言い放った人物。
 地元では、側近として首相補佐官や党総裁外交特別補佐を歴任してきた克行被告の妻である案里被告は、溝手氏を快く思っていない首相が送り込んだ「刺客」に見えたという。

 県連は1998年の参院選で2人を擁立し、大半の県議が推した候補が敗れたトラウマがあり、甘利明党選挙対策委員長(当時)が案里被告の公認を伝えた際、県連会長の宮沢洋一参院議員は「県連として了解というわけにはいかない」と反対の意思を改めて表明した。
 公認発表の3日後、県連は組織的な支援は溝手氏に一本化することを決めた。
 県連幹事長の宇田伸県議は「案里被告から出馬の相談は全くなかった。東京の党本部が勝手に決めるのは極めておかしい」と不快感を示し、県連のある幹部は「案里(被告)には1票もやらない」と息巻いた。

■ 公認間もなく現金供与、期待に応えるプレッシャー?

 河井夫妻は危機感を募らせたのだろうか。
 安倍首相の期待に応えるという強いプレッシャーがあったのかもしれない。
 現金供与は案里被告の公認から間もない昨年2019年3月下旬、県議の児玉浩氏や三原市長の天満祥典氏、安芸高田市議会議長の先川和幸氏、北広島町議会議長の宮本裕之氏らから始まった。
 翌4月に入ると、県議の奥原信也氏、広島市議の谷口修氏、安芸太田町長の小坂真治氏らが続き、現金を渡された県議や自治体首長・議員(元職を含む)は40人を超えた。
 1人当たり10万〜200万円で、総額は約1800万円となっている。

 克行被告は広島市安佐南区、安佐北区、安芸高田市、安芸太田町、北広島町からなる衆院広島3区の選出で、児玉氏は安芸高田市選出の県議から今年2020年4月に安芸高田市長へ転じた。
 6月26日に記者会見し、昨年2019年3月30日に県議の無投票当選が決まり、その直後に30万円、同年5月末の地元行事の際にも30万円の計60万円を克行被告からもらったことを明らかにした。
 丸刈りにして反省の姿勢を示し、続投に意欲を見せたが、市には6月29日夕までに200件以上の抗議が寄せられ、児玉氏は翌30日に辞表を提出、7月3日付で辞職した。

 安芸太田町長の小坂氏は昨年2019年4月下旬ごろ、自宅を訪れた克行被告から封筒を渡され、一度は断ったものの、押し問答の末に受け取り、今年2020年3月28日ごろに中身を確認したところ、20万円が入っていたと、翌4月2日に公表。
 その後、町長を辞職した。
 谷口氏も広島3区の安佐南区選出。
 谷口氏の説明によると、昨年2019年4月の市議選投開票日直前、自宅に来た克行被告が帰り際に50万円の入った封筒を「まあまあ」と言いながら渡した。
「やばい金だと思ったから、手を付けずに保管していた。事情聴取の際、検察に預けた」と話している。

 ともに広島3区内の地方議会議長の先川氏と宮本氏も昨年2019年3月下旬、議長室や自宅で克行被告から20万円を受け取ったことを認め、先川氏は「7期も国会議員を務める相手に『ばかにするな』と言えなかった」と振り返る。
 宮本氏によると、現金授受の際、克行被告は「安倍総理や二階(俊博)幹事長、菅(義偉)官房長官も案里に期待している。広島県に密着した議員になる。案里には、それなりの考えがある」と話していた。
 克行被告はまず自らの選挙区内の県議と自治体首長・議員への現金供与で、案里被告への支持を固めようとしたとみられる。

■ 溝手氏の地元市長も買収、報酬払って選挙運動

 一方、奥原氏は元県議会議長で、呉市選挙区の県議。
 両被告の逮捕・勾留容疑では、昨年2019年4月上旬と5月下旬にそれぞれ50万円、6月下旬には100万円を供与された。
 奥原氏は取材に対し、計200万円を受け取ったことを認め、50万円は使い、残る150万円は自らの政治団体の政治資金収支報告書に寄付として記載したと説明。
 参院選では、溝手氏を支援したと強調した。

 2013年から三原市長を務める天満氏は、克行被告の逮捕・勾留容疑では、昨年2019年3月下旬に三原市内のビルの一室で50万円、同6月上旬には広島市内の鉄板焼き店で100万円を供与された。
 今年2020年6月25日に記者会見し、150万円の受け取りを認め、同30日付で辞職した。
 三原市は溝手氏の出身地で、溝手氏は元三原市長でもある。
 奥原氏や天満氏ら衆院広島3区以外の県議や自治体首長・議員への買収工作は、溝手氏の地盤切り崩しを狙ったものとみられる。

 このほか、昨年2019年4月下旬に克行被告から現金30万円を渡されたことを認めた府中町議の繁政秀子氏は「案里被告の事務所で『安倍さんから』と言われてもらった」と取材に答えた。
 繁政氏は参院選で案里被告の後援会長を務めた。
 今回の事件では、これまでのところ、安芸高田市長、安芸太田町長、三原市長の首長3人に加え、この繁政氏が辞職している。

 現金供与は自治体首長・議員だけでなく、元広島県職員の男性(案里被告陣営の車上運動員違法報酬事件で逮捕、不起訴処分)に対し、昨年2019年4月下旬に50万円を渡したのをはじめ、参院選投開票後の8月上旬にかけて、選挙スタッフや両被告の後援会関係者らにも相次いで現金が供与された。
 5万円、10万円、30万円など人によって金額は異なり、供与場所も選挙スタッフや後援会関係者の自宅や勤務先のほか、ホテルのトイレ、神社、自動車内、路上、口座振り込みとさまざまで、これらは選挙運動の報酬とみられる。

 事情を知る関係者は「克行、案里両被告は個人に人気があるわけではなく、自民党だから衆院議員や県議を続けてこられた。自民党県連が支援を溝手氏に一本化したので、選挙運動を手伝ってくれる人も少なく、報酬を払ってやってもらうしかなかったようだ。無理な選挙だった」と振り返る。

■ 首相秘書が支援、党から1億5千万円

 昨年2019年3月の公認決定後、案里被告の陣営には、山口県下関市の安倍晋三事務所から複数の秘書が駆け付け、選挙運動を支援するとともに、首相秘書の名刺を持って地元の企業や団体、自治体首長・議員を回った。
 秘書の訪問先には、克行被告が現金を供与した人も含まれていた。
 首相は今年2020年1月27日の衆院予算委員会で、秘書の派遣について「(案里被告は)候補者として非常に厳しく、知名度もなく、突然立ったということで、そちら側にうちの秘書を入れた。そうすることがバランスを取ることにつながると考えた」と答弁している。

 党からの選挙資金が溝手氏は1500万円なのに対し、案里被告には1億5千万円と10倍の差があったのも「バランス」だったのだろうか。
 関係者によると、1億5千万円のうち1億2千万円は税金が原資の政党交付金で、昨年2019年4〜6月、案里被告が支部長の党広島県参院選挙区第7支部に3回に分けて計7500万円、克行被告が支部長の党広島県第3選挙区支部に4500万円が入金された。
 残る3千万円は党費収入など党本部の自主財源で、昨年2019年6月に克行氏の政党支部に振り込まれている。
 起訴状によると、克行被告が現金供与を始めたのは昨年2019年3月下旬とされ、少なくとも当初は党の資金は使われていないが、関係者によると、克行被告が起訴された選挙スタッフらへの報酬の中には、党広島県参院選挙区第7支部から振り込まれたものもあった。

 二階幹事長は6月16日の記者会見で、党が提供した1億5千万円について「そのお金がどう使われたか詳細は承知していない」と述べたものの、翌17日に「党内の基準と手続きを踏んで支給した。買収の資金に使うことができないのは当然だ」と説明。
 ところが、23日の会見では「(夫妻が)受け取ったところまでは分かるが、その先どうなったかは細かく追及していないので承知していない」と再び説明を後退させている。

 なお溝手氏の公認発表後から参院選までの「首相動静」(共同通信配信)によると、克行被告は2018年10月3日、15日、11月8日、12月10日、27日、2019年1月15日、2月15日、28日、3月20日、4月17日、5月23日、6月20日の計12回、安倍首相といずれも1対1で面会。
 案里被告の擁立、選挙資金、秘書の派遣などについて話し合ったのかもしれない。

■ 溝手氏を2万5千票上回る、公明票が勝敗左右か

 参院選広島選挙区での自民党本部対県連の対立は先鋭化していく。
 昨年2019年5月、溝手氏の選挙事務所開きで、宮沢氏が「(案里被告の擁立は)党本部による溝手さんいじめ。2人当選は大変高いハードルだ。まずは溝手氏の当選を期することこそ、最も大事なこと」と言えば、翌6月に案里被告の政治資金パーティーで、塩崎恭久元厚生労働相が「いじめられているのは河井さんだ」と言い返した。

 参院選の公示前後、案里被告の陣営には、菅官房長官や二階幹事長らが応援に駆け付けた。
 公明党の山口那津男代表は、溝手氏には盤石の地盤があるとして「どうか新人を押し上げて欲しい」と呼び掛けた。
 一方の溝手氏の陣営には、所属する岸田派領袖の岸田文雄党政調会長(衆院広島1区)をはじめ、克行被告を除く広島県選出の国会議員や県議、県内の自治体首長・被告が勢ぞろいした。
 広島入りした安倍首相は案里被告だけでなく、溝手氏の応援にも立った。

 参院選は昨年2019年7月21日に投開票され、結果(投票率44.6%)は立憲民主党、国民民主党、社民党が推薦する無所属現職の森本真治氏が32万9792票でトップ当選、29万5871票の案里被告が2位当選、溝手氏は27万183票にとどまり、落選した。
 2013年(投票率50.0%)は溝手氏が52万1794票、森本氏は19万4358票だった。

 中国新聞社の電話世論調査(昨年2019年7月14〜16日)では、公明党支持層の5割超が案里被告を支持し、溝手氏支持は2割強と水をあけられていた。
 2017年の衆院選比例代表で、公明党が広島県内で獲得したのは約16万票。
 公明票が案里被告と溝手氏の勝敗を左右した可能性もある。

■ 論功行賞で法相、絶頂期に「文春砲」

 克行被告は昨年2019年9月11日の内閣改造で、法相に就任した。
 自民党内では「参院選の論功行賞」(中堅)と言われた。
 法務省設置法によると、法務省は民事、刑事、司法制度に関する基本法制の維持・整備、法秩序の維持、国の利害に関係する訴訟の適正な処理、出入国管理などを任務とし、検察に関する事項や裁判で確定した刑の執行、恩赦、仮釈放、保護観察、犯罪の予防、国籍・戸籍、登記、外国人の在留、難民の認定などを担当する。
 その長が法相であり、死刑執行の命令も発出するし、検察庁法では、個別事件の取り調べや処分について、検察総長を指揮できるとされ、非常に大きな権限を持つ。

 克行被告は昨年2019年9月23日、広島市内で開いた政治資金パーティーで、時折声をうわずらせながら「社会と秩序を守り抜く」と法相としての抱負を語り、万雷の拍手を浴びた。
 一緒にステージに立った案里被告も、満面に笑みを浮かべていた。
 この日が両被告の絶頂期だったのかもしれない。

 法相就任から1ヶ月半余りが過ぎた昨年2019年10月30日、週刊文春はウェブサイトで、案里被告陣営が車上運動員(ウグイス嬢)に法定上限の2倍に当たる報酬(日当)3万円を支払っていたと報道。
 克行被告は翌31日、法相を辞任した。
 広島地検は今年2020年1月15日、河井夫妻の関係先を家宅捜索し、3月3日には、車上運動員の報酬を巡る公選法違反(買収)の疑いで、案里被告の公設秘書ら3人を逮捕した。
 うち2人が起訴された。
 一連の捜査の中で、現金供与先のリストなどが見つかり、河井夫妻の買収容疑が浮上する。

■ 克行被告、現金供与は「日常的な政治活動」と否認

 買収に当たる現金供与について、最高裁の判例では「供与とは、供与の申し込みだけでは足りず、申し込みを受けたものが、その供与の趣旨を認識してこれを受領することを要する」(1965年12月21日の第2小法廷決定)とされている。
 合同で買収の捜査に当たった東京地検特捜部と広島地検は、捜索で見つけた現金供与先リストや両被告から押収したスマートフォンの衛星利用測位システム(GPS)解析などにより、供与先と金額、供与場所を絞り込み、供与先の県議や自治体首長・議員、選挙スタッフ、後援会関係者らから相次いで事情聴取。
 大半が買収の趣旨を認識していたことを確認し、容疑が固まったとして、通常国会が前日閉会し、国会議員の不逮捕特権がなくなった6月18日、河井夫妻を逮捕した。

 関係者によると、克行被告は調べに対し、現金供与は自らの支持を拡大するための日常的な政治活動の一環だとして、参院選との結び付きを否定。
 供与時期は昨年2019年4月の統一地方選と重なり「当選祝い」や「陣中見舞い」とも説明しているという。
 案里被告も「違法な行為をした覚えはない」と容疑を否定している。

 河井夫妻の主張に対し、特捜部は、
▽ 公認決定直後の昨年2019年3月下旬から現金の供与が始まっている、
▽ 現金供与先が領収書を発行しようとしても、克行被告は拒否した、
▽ 参院選前月の昨年2019年6月には、800万円を超える多額の現金が供与されている、
▽ 統一地方選に無関係の議員にも現金が供与されている、
▽ 河井夫妻から過去に当選祝いなどをもらったことがない議員もいる
―などの事情から、案里被告を当選させる目的の買収だったことは明らかとみているもようだ。

■ 被買収処分見送り、事実上の司法取引か

 公選法違反の買収などで国会議員本人が起訴されたケースとしては、
@ 1979年10月の衆院選旧千葉2区で当選した宇野亨氏(故人)、
A 1996年10月の衆院選比例北関東で当選した中島洋次郎氏(故人)、
B 2003年11月の衆院選愛知4区に立候補、比例東海で復活当選した近藤浩氏、
C 同衆院選埼玉8区で当選した新井正則氏
―などがある。

 4人はいずれも選挙当時、自民党公認。
 4人の買収額と確定判決(A除く)は、
@ 約1億円、懲役4年
A 約2千万円、二審懲役2年で上告中自殺
B 100万円、懲役2年、執行猶予5年
C 500万円、懲役3年、執行猶予5年。
 克行被告の買収額はAを上回る約2900万円で「実刑判決もあり得る」(元検事の弁護士)とみられている。
 ただAは海上自衛隊の救難飛行艇開発を巡る受託収賄罪や政策秘書給与の詐欺罪などにも問われていた。

 公選法は買収された側(被買収)にも罰則を設け、これまで被買収の罪で処罰された人は多い。
 ところが、関係者によると、克行、案里両被告から現金を供与された県議や自治体首長・議員、選挙スタッフ、後援会関係者らは一方的に現金を渡されたり、既に返金したりしていることなどを考慮し、東京地検特捜部と広島地検は刑事処分を見送る方針という。
 被買収の起訴猶予や不起訴処分にもしないのは極めて異例。
 買収の趣旨を認識していたと認める代わりに、被買収を不問に付す、事実上の「司法取引」ではないかという批判の声が上がりそうだ。

 刑事訴訟法で認められた協議・合意制度(日本版司法取引)は、検察官と容疑者・被告、弁護人が協議し、容疑者・被告が捜査や公判に協力するのと引き換えに、自分の事件を不起訴や軽い求刑にしてもらうことで合意するが、贈収賄や詐欺、業務上横領、独禁法違反、金融商品取引法違反など対象が特定の犯罪に限定されている。
 公選法違反は対象犯罪ではなく、協議・合意制度は利用できない。

「法相の任命責任は痛感する」と言うだけ

 参院選広島選挙区への2人擁立を主導し、自らの秘書を支援に行かせ、1億5千万円という多額の資金を送った首相は8日の両被告起訴後、官邸で記者団に「かつて法相に任命した者として責任を痛感する。国民におわび申し上げる。批判を真摯(しんし)に受け止め、緊張感を持って政権運営に当たる」と述べた。

 自らの「責任」言及したのは、今年に入ってからだけで、
@ 2閣僚(河井法相と菅原一秀経済産業相)の辞任
A 森雅子法相の失言
B 森友学園問題の公文書改ざん
C 黒川弘務前東京高検事長の定年延長問題
D 新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の期間延長
E 拉致被害者有本恵子さんの母嘉代子さんと横田めぐみさんの父滋さん死去
―の6回。
 今回が7回目だが、言うだけで有権者に分かる何らかの形で責任を取ったことはない。
 自民党が提供した1億5千万円の一部が買収の原資になったとの見方についても、首相は「自民党は政治資金を厳格なルールで運用しているが、襟を正し、党として国民に説明責任を果たさなければならない」と他人事のようにコメントした。
 しかし、自民党のトップは総裁である首相であり、自らが率先して説明を尽くすべきだろう。


[写真-1]
参院選で河井案里氏(左)の応援演説に駆け付けた安倍首相=2019年7月14日、広島市

[写真-2]
安倍首相と笑顔で写真に納まる河井克行被告(左)=2018年9月、東京都内(克行被告のフェイスブックから)

[写真-3]
記者会見で辞意を表明し、頭を下げる広島県安芸高田市の児玉浩市長=6月30日、安芸高田市役所

[写真-4]
記者会見で辞意を表明する広島県三原市の天満祥典市長=6月25日、三原市役所

[写真-5]
衆院予算委員会で質問に答える安倍晋三首相=1月27日

[写真-6]
記者会見する自民党の二階俊博幹事長=6月16日、東京・永田町の党本部

[写真-7]
街頭演説をした後、聴衆の間を練り歩く菅義偉官房長官(中央)=2019年6月22日、広島市

[写真-8]
参院選広島選挙区で落選が決まり、支援者らにあいさつする溝手顕正元国家公安委員長(中央)=2019年7月21日深夜、広島市

[写真-9]
法相に就任した河井克行被告(右)と参院議員となった妻の案里被告は、広島市のホテルで開かれた政治資金パーティーで見つめ合う。2人の絶頂期だったとみられる=2019年9月23日

[写真-10]
河井克行被告の事務所を家宅捜索し、押収物を運び出す広島地検の係官ら=1月15日、広島市

[写真-11]
河井夫妻の起訴について記者団の質問に答える安倍首相=8日午後、首相官邸

47News、2020/7/9 17:31(JST)updated
河井夫妻買収起訴、首相の責任重く
強引に擁立、現職の地盤切り崩しへ次々現金

(共同通信編集委員=竹田昌弘)
https://this.kiji.is/653580279230645345?c=39546741839462401

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2020年07月09日

不安創出社会をぶっとばせ!

「優雅な貧乏生活」について「心・技・体」の3方面からお話していきますと、前回書きましたが、当分のあいだ「心」、すなわち考え方を中心に書いていきます。
 今回のテーマは「不安創出社会をぶっとばせ!」です。
 最初にサマリー(要約)を書いておきます。
 考え方の話など面倒だという方は、ここだけ読めば、概要はOKです。
 マーケティングの流行によって、それまでの生産者中心主義から「消費者中心主義」に変化した。それとともに消費者の「欲望」をいかに喚起するかということが重要になり、欲望のない人にまで欲望を起こさせる「ニーズの創出」という手法も現れるようになった。
 ニーズを創り出すためには、まず「不安」を煽(あお)る。不安のないところにも不安を創り出すという「不安の創出」が起こった。
 それは、いわゆる商品に留まらず、さまざまな資格ビジネスや学校、病院などにも広がった。
 さらに近年では、「終活」が流行語になったり(2010年)、あるいは老後には二千万円が必要だという試算が出たりして、「老後」の心配をする人が急増した。むろん、それには高齢者人口の増加もある。
 しかし、日本には「生活保護」の制度がある。
「いざとなったら生活保護をもらっちゃおう」と決めれば、気は楽である。年々低くなる年金よりも、生活保護の方が高いこともある。
 人が創り出した「不安」などに縛られていず、そんなものはぶっとばせ!

…というのが、今回のお話です。

「貧しい」ってどういうこと?

 さて、まずは大廻りも大廻り、「貧しい」という語義から見ていくことにしましょう。

 「貧しい」という語は、日本語の文献ではすでに『古事記』に登場しています。
 しかし、日本語の語源はあまりはっきりしないので、漢字の方から見ていくことにしましょう。
「貧」という漢字は、殷(いん)(商)や西周、春秋の時代には使われていません。戦国時代早期の「曾侯乙楚墓」の竹簡にはじめてあらわれます。なぜ戦国時代からなのかという話は、長くなるのでやめておきますね。
「貧」という漢字を見ると、下に「貝」があります。貝というのは当時のお金です。それを「分割」することによって金銭が少なくなることを「貧」といいます。

貧.jpg

『論語』では「貧賤」というふうに貧しさは「賤(いや)しさ」とともに使われることが多いのですが、「賤」の方にも「貝」がついていることでわかるように、やはり金銭の少なさをいう言葉です。

賤.jpg

 物理的な乏(とぼ)しさを意味する「貧」と「賤」が、やがて精神的な乏しさに使われるようになり、さらには地位の低さや態度の「いやしさ」にも使われるようにもなります。
 しかし、あくまでも「貧」も「賤」も金銭の少なさをいう言葉であって、精神も地位も本来は無関係の言葉です。
 まずはこれをおさえておきましょう。

 ちょっと個人的な話を……あ、今回は個人的な話が多いので、「安田の個人の話なんて聞きたくねえよ」という方はどうぞ、そこら辺は飛ばしてお読みください。あるいは冒頭のサマリーだけでもOKです。

 さて、1980年代に友人が会社を作り、そこに「スタッフ」として関わるように求められました。ここでいうスタッフというのはヒエラルキーの縦型組織に属さない、社長直属の横の存在という意味でのスタッフです。会社にも行く必要はない。時々、社長や副社長とカフェで会って話をするだけです。
 ちなみに給料はゼロ。
 ただし、クレジットカードを一枚渡され、それを自由に使ってもいいと言われました。相手は友だちです。変な使い方はしません。
 しかし、マンションの賃貸料、食費、服、本やCD、映画、観劇、すべてカードで支払っていいというのです。食事は、できればひとりでするよりも複数でした方がいい。映画や観劇もそうです。もし、カードが使えない場合は、あとで支払いがなされます。
 さすが80年代ですね。
「物理的」なお金は、ほとんど持っていない。すなわち「貧」であり「賤」です。でも、なんかリッチ。
 あれ?
「貧しい」って何でしょ?
 貧しさによって生じる問題とはなんでしょう。
 そのひとつに「不安」があります。
 いまお話したような生活を与えられても、「これがいつまで続くんだろうか」と不安になる人はいます。
 一時期、「安心して老後を迎えるには二千万円の貯蓄が必要だ」などという話も出ました。
 老後に一文なしになり、住むところも追われ、食べるものもなくなったらどうしよう。そんな不安を感じている人も少なくないでしょう。
「児孫(じそん)のために美田(びでん)を買わず」といいますが、自分で稼(かせ)いだお金は自分の代で使い切るのが賢明なことだと古くから言われています。
 しかし、いまは老後になっても貯金を大切に守り、そのまま亡くなり、感謝をされるどころか、それがもとで残された家族の間に亀裂(きれつ)が生じるということもよくあります。
 それもこれも「不安」が引き起こします。
 が、日本には「生活保護」という制度があります。
 いざとなったら、それに頼れば路頭に迷うことはない。横柄なお役人や自由が制限されるのが心配という人もいます。それはまた別の時に考えます。また、それで「みじめな生活になってしまう」ということをおそれる人もいます。それもまた考えていきますね。
 生活保護を受ける受けないはともかく、それくらいの金額の中でいかに優雅に生きるか、それを考えるのが「優雅な貧乏生活」です。
 その話はおいおいしていくとして、今回はまず「不安」について考えてみましょう。

不安創出社会をぶっ飛ばせ

 いまの日本は、毎日、毎日、あちらこちらで不安が創り出されている「不安創出社会」といえるでしょう。
 いい学校に行って、いい会社に入らなければ将来が心配だ。
 何才までにどんな人と結婚しなければ幸せになれない。
 老後のためには二千万円の貯金が必要……などなど。
 死に臨(のぞ)んですら、財産分与や税金のことをちゃんと考えておかなければいざとなったときに大変だとか、お墓だってどうするか……などなど。
 生まれて死ぬまで、私たちは不安の中で暮らしています。

 しかし、この不安の多くは作られた不安です。
 1980年代に、中小企業診断士の試験を受けるためにマーケティングを学んだことがありました。
 そのときに「ニーズの創出」という言葉を聞いたときには驚きました。
「ニーズ」というのは、ふつうの欲求である「ウォンツ」よりも強い、根源的な欲求をいいます。
 たとえば子どもがおもちゃを欲しいのは「ウォンツ」です。
 それに対して「ニーズ」というのは、赤ちゃんがおっぱいを欲しがるようなものです。これがなければ死んでしまうような欲求、それが「ニーズ」です。
 それを「創出」する。びっくりでしょ。

 セールスマンの研修では、よくこんなたとえ話がされます。
 靴を売るセールスマンが、ある島に行って驚いた。島の人が誰も靴を履(は)いていない。
 ひとりのセールスマンはこう考えます。
「誰も靴を履いていないところで靴を売るなんて不可能だ」
 もうひとりのセールスマンは、こう考えます。
「誰も靴を履いていないんだから、これからたくさん売れる」
 そこで、後者のセールスマンは、まずは靴の必要性を島民に説きます。むろん、話だけではわかってくれません。靴を無料で配り、靴を履いて歩くことが、どんなに快適であるかを体験してもらいます。
 それを続けているうちに、島民の足裏は柔(やわ)らかくなり、もう靴なしでは地面を歩くことができなくなった。
 靴は、島民にとって「必要なもの(ニーズ)」になったのです。

 セールスのセミナーなどでは、このセールスマンは「よいセールスマン」といわれます。
 しかし、本当にそうでしょうか。

 島民たちは、それまでは必要ではなかった靴をこれから買い続けなければならず、同時にそのためのお金を稼ぐという、かつてしたことのなかった行為をしなくてはならなくなりました。
 お金は抽象です、記号です。ぴったりということはない。不足や余剰が生まれる。不足があれば、さらに働き、余剰が生まれれば、それを使って、別のものを購入する。すると、今度はそのものを買うためにお金を稼がなければならなくなり、不足があればまた働く。
 やがて、日々のお金が足りないのではないかと不安になり、もっと働くようになる。
 貯蓄ができれば、それが減ることが不安になり、未来に対しての不安がここで目出度く確立し、私たち、資本主義経済下で生きている人びとの苦しみを彼らも味わうことになるのです。

 私たちは、この島民たちを笑うことはできません。
 ニーズを創出するには、まずは「不安」を創出する、それがマーケティングの手法です。私たちも、この島民同様、日々創出される不安の中で暮らしています。
「英語ができなければ、これからの社会、生きていくことはできないよ」と英会話学校に行かなければならないように急(せ)き立てられる。しかし、英会話学校で学ぶ程度の英語は、5G回線で自動翻訳機が使えれば、機械が代用してくれます。
 高速で走る足を持たなくとも、自転車や自動車によって、速く、遠くに行けるように、その程度のことならば機械にまかせてもまったく問題ない。
 テレビCMでは、特別なトレーニングプログラムによってスリムになった男女の姿が映し出されます。
 そのようになるとモテたり、会社でも出世することができるかのように錯覚する人も多いでしょう。

 確かに人は見た目が大事です。
 しかし、どんなに見た目がよくてもモテたり、出世したりできない人もいます。
 東京大学では大学院入試がオンライン化されます。「Google検索を前提とした試験を作る」とか。家で辞書を引いても、Wikipediaで調べても、あるいは友人・知人に尋ねながら答えてもいい。今まで重視されていた「知識」中心の入試変革の第一弾です。
 これが大学の学部の入試や高校入試まで広がれば、いまある受験産業のかなりがなくなるでしょう。

 今回の新型コロナのおかげで、オンライン化もテクノロジーも長足の進歩をしました。
 東大の稲見昌彦(いなみまさひこ)先生は「ポスト身体社会」がはじまるとおっしゃっています。
 そのような時代の変化のただ中にいながら、それでも私たちの不安は、日々、創出され、ニーズも創出されていくのです。

 不安の多くが、誰かによって創られた虚妄(きょもう)であることに気づけば、不安の多くは消え去ります。
 マーケターによって作られた不安なんて、ぶっとばせ!

 不安というのは「今」と「未来」との間にあいた裂け目であるといった精神科医がいます(※)。
 クレヴァスのような裂け目をのぞくと真っ暗闇。何があるかわからない。それが「不安」の正体です。
 むろん、その不安が現実化することはあるでしょう。
 しかし、現実化した問題の多くも、不安によって引き起こされたものである可能性があります。
 たとえばいい学校に行けずに、いい会社に入れなかった人をAさんとしましょう(ここでは「いい」の定義はしません)。
 逆にいい学校に行って、いい会社に行けた人をBさんとします。

 このふたりの違いはなんでしょうか。一番の違いは、おそらく年収ですね。住むところも違うかもしれません。子どもが行く学校だって違う可能性もある。
 しかし、どちらが幸せか。あるいはどちらが不安が大きいかを比べたらどうでしょう。ひょっとしたら、Bさんの方が不安は大きいかもしれません。

 ある小学校で4年生の子どもが泣いていました。そこの小学校は90パーセント以上の子が中学受験をするという学校です。親は高学歴・高収入の人が多い。教頭先生が「なぜ泣いているの」とその子に尋ねました。その子は次のように言ったそうです。
「自分は小学校受験に失敗して、この小学校に来た。だから中学受験のための勉強を一生懸命している。でも、中学受験も失敗しそうだ。自分の人生はもう終わりだ」
 もう一度、言いますが、彼は小学4年生です。まだ10才です。そんな彼に「自分の人生はもう終わりだ」と思わせ、そしてひとり廊下で泣かせる。それは、高学歴、高収入の親の不安が引き起こしたことかもしれません。

 「不安」だけでなく、おそらくは「幸せ」ですらも、他人によって創り出された虚妄なのです。
 さて、「不安」の話はこのくらいにして、次回は貧乏による「恥ずかしさ」の話から始めたいと思っています。

※ Anxiety is the gap between the now and the then. 『Gestalt therapy verbatim(Frederick S. Perls)』

あさひてらす 朝日出版社ウェブマガジン、2020.06.10
不安創出社会をぶっとばせ!
(安田登)
https://webzine.asahipress.com/posts/3709

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小池百合子「新型コロナ対応に忙しくて、選挙どころではないんです」

耳障りがいいだけの言葉が飛び交っています。
コロナ禍においても、実際の感染者数やどれくらい休業が続くのか、補償はどの程度出るのかと言ったことが知りたいのに、「ロックダウン」や「オーバーシュート」のような聞き慣れない横文字ばかりが目に付きます。
今回の武田砂鉄さんは新刊『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年7月)を上梓した記念に、小池百合子の「わかりやすさ」について論じていただきます。

小池都知事を見習い、自著の宣伝につなげる


 東京都知事選挙で圧勝した小池百合子は、「新型コロナ対応に忙しくて、選挙どころではないんです」という態度で選挙に臨んだ。
『IPPONグランプリ』(https://www.fujitv.co.jp/ippon/)ばりの頻度で緑色のパネルを掲げ、「異例の感染症対応に勤しむ自分」と「従来の選挙活動で必死になっている候補者」を比較させることで、自分でなければならない必然性を高めていった。

 従来の選挙であれば、「変えましょう!」と声を張り上げたライバルに対し、「その必要はありません!」と応じる必要があるが、今回は「変えましょう!」に対して、「ちょっと今、それどころではございません」と逃げた。
 どんな事象でも自分の利益に変換しようと試みる彼女に通底する態度くらい見抜きたいものだが、今回ばかりはその姿勢を見習い、小池百合子を論じることで自分の利益を得る、つまり、発売したばかりの自著『わかりやすさの罪』の宣伝につなげようと思っているのだ。

ただただ、力強く言ってみただけ

 今、「わかりやすい」って、おおよそ褒め言葉として使われている。
 新たに「わかる」ことは確かに喜ばしいこと。
 理解が加わる状態が「わかる」だが、でも、昨今の世の中でもてはやされる「わかりやすい」って、「それさえ知っておけば、あとはもう、追いかける必要のないもの」だったり、「時間をかけずに全体像を教えてくれるもの」だったりする。
 つまり、これ以上、議論を巻き起こさないために、強引に交通整理する行為が「わかる」になっている。
 この1冊を通し、その危うさを論じてみた。

 強引な交通整理を繰り返したのが、新型コロナウイルスが感染拡大する中で、「今はこういう状態です」「これからはこんな感じでお願いします」とスローガンを撒き続けた小池百合子だった。
 一気に並べてみる。

・ 「ロックダウン(の可能性)」(3月23日)、
・ 「オーバーシュート(の懸念)」(3月25日)、
・ 「『密閉』『密集』『密接』の3つの密を避けて」(3月30日)、
・ 「STAY HOME」「STAY IN TOKYO」(4月23日)、
・ 「ウィズコロナ宣言」(5月29日)、
・ 「東京アラート」(6月2日)、
・ 「感染拡大要警戒」「夜の街要注意」(7月2日)
である。

 どれも力強い発声、自信満々な発表だが、それぞれを冷静に振り返ると、これ、ただただ、力強く言ってみただけである。

わざと雑にする

 皆が不安にかられているなか、動じない私を保つ。
 その私を更新し続けるために、次から次へと強い言葉を振りまいていった。
 もっとも批判を受けた「東京アラート」が象徴的なように、言ったところでどうなるわけでもない言葉であっても、「言ってみた私」という状態を維持することはできる。
『わかりやすさの罪』の中でも、「わざと雑にする」と題した章で、小池の言動を取り上げている。

 わざと雑にする、とはどういうことか。

 小池百合子は、関東大震災の発生後に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式について、この数年、追悼文の送付を見送るようになった。
 隣国に対する差別発言を続けてきた石原慎太郎でさえ送っていた追悼文をやめたのだ。
 追悼式を主催する市民団体が、もう一度考え直して欲しいと署名を提出したが、小池は、追悼式と同じ日に開かれる大法要ですべての犠牲者に追悼の意を表している、との考えを崩さなかった。

 東京都のウェブサイト「知事の部屋」(2019年8月9日)の記者会見の文字起こしに、こんなやりとりが残っている。

【記者】 共同通信の清です。毎年9月1日に開かれている関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式なんですけれども、これに追悼文を寄せられるご予定はありますでしょうか。

【知事】 昨年と同様で、その予定はございません。

【記者】 理由をお聞かせ願えますか。

【知事】 それは毎年申し上げてるとおりでございまして、毎年9月と3月に横網町の公園内の慰霊堂で開かれる大法要で、関東大震災、そしてまた、さきの大戦の犠牲となられた全ての方々への哀悼の意を表しております。大きな災害で犠牲になられた方々、そして、それに続いて、さまざまな事情で犠牲になられた方、これらの全ての方々に対しての慰霊という、その気持ちには変わりがないということでございます。

議論をせずに結論を投じる小池

「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって虐殺された人たちを、震災で亡くなった人とひっくるめて追悼するのだという。
 加藤直樹『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ころから、2019年7月)に詳しいが(ヤッホーくん注)、このところ、ネットを中心に、震災後、「虐殺はなかった」「本当に暴動を起こした」との主張が拡散されるようになってしまった。
 小池はなぜ、こんなに雑な判断をするのか。
 わざと雑にしているのである。
 わざと雑にしておくことで、極端な意見がすくすくと育っていく。
 育っていく様子を放置する。

 本書の中でもそれなりにページを割いているが、いわゆる池上彰的な「わかりやすさ」は、ひとまず議論の入り口に立たせるのだが(いつまでこのわかりやすさに頼るのだろうとは思うけれど)、小池百合子の「わかりやすさ」は、その場で議論を停止させる。
 先に並べた、コロナ禍に投じられたスローガンの数々を思い返して欲しいが、議論の活性化ではなく、議論を停止させるための言葉の連呼だった。

 どんな局面でも「わかりやすさ」が問われるようになってきた。
 こうなると、議論が煙たがられるようになる。
 いちいち話し合ってないで結論をちょうだいよ、と欲する。

 小池は、結論を投じるのがうまい。
 決して議論で解決しているわけではない。
「今、こんな感じです」とわかりやすく投じ続ける。
 コロナはスローガンでは退治できない。
 でも、「なんかいろいろとがんばっている気がする」を作ることはできる。
 実態は伴わない。
 この罪深き「わかりやすさ」を放置していいのだろうか。


ワダアキ考〜テレビの中のわだかまり〜、2020年7月8日
小池百合子の「わかりやすさ」の罪
(武田砂鉄)
https://cakes.mu/posts/30735

(ヤッホーくん注)TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち

 本書のサブタイトルに「なかったことにしたい人たち」とある。
 この存在が可視化されたのが、「あいちトリエンナーレ」の企画展『表現の不自由展・その後』の中止、という帰結ではなかったか。

 加害した過去を受け止めて平和を問う機会を、公権力が奪う。

「平和の少女像」などの展示を「自国ヘイト作品」と位置付ける芸能人まで現れた。
 表現の自由、女性の権利、それらを獲得するための長い歴史に、どこまでも無理解を貫く。
 でも彼らは、無理解を維持することで「なかったことにしたい」のだ。

 2017年、小池百合子都知事が朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文送付を取りやめた。
「個別の対応」をせず、全ての震災犠牲者に哀悼の意を表した、という。
 その判断が下される少し前、自民党都議が、追悼碑に刻まれた朝鮮人の虐殺犠牲者数について、「政治的主張」と述べた。
 その都議が論旨の骨格とした一冊が、工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、2009年12月)だった。

 1923年9月に発生した関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって多くの朝鮮人が虐殺されたが、近年、ネットを中心に「虐殺はなかった」などの主張が拡散されるようになった。
 この動きと小池の判断は、不気味に響き合っている。

 当時の新聞からネットの書き込みまで、通説をすべて引っ張り出して検証する執着に圧倒されるが、放置すれば「諸説あってはいけないのですか?」「悪いことをした朝鮮人もいた」などの曖昧な言い分と共に、「なかった」が増幅する。

 前出の工藤による書を入念に読み解き、「認識の誤り」ではなく、意図的に仕向けられた「トリック」だと明かす。
 無知ではなく、詐術によって歴史の土台を崩そうとする声が重なる。
 強引に仕立てられた説に、公権力が興味津々に近づいていく。
「なかったこと」にしてはいけない。
 その地点に何度も立ち返り、虚偽を残らず削り取ってみせた。


評者: 武田砂鉄 / 朝⽇新聞「好書好日」掲載:2019年08月17日
https://book.asahi.com/article/12633321

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小池百合子「日本人の血税をエジプトに」

「アゴラ」での連載の前回(「私は100%エジプト人なの」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61171)で取り上げた「カイロ大学、小池都知事のために都知事選に“点火”」(エジプトのニュースサイト「アルバラド」)などの一連の記事に関し、SNS上ではこんな書き込みがあった。

 “東京都知事! 誰とやりとりしているんですか?”

 “この証言(カイロ大学声明)は怪しい。エジプト政府の声明だから、疑念をもって当然だ”

 “(この記事は)偽りを語っている。それは、神のためではなく、自分自身の満足、そして腐敗した支配者のためだけに”

 さすがは独裁専制下で生きてきたエジプトやアラブ諸国のネットユーザーたちだ。
 小池氏の学歴騒動の深層について、お見通しである。
 小池氏とエジプト政府間の癒着や腐敗、それを覆い隠すエジプト政府のプロパンガンダを見透かしているのだ。

エジプト流プロパガンダの真髄を見せた動画

 そんな小池記事への書き込みが盛り上がった数日後、元記事を掲載したニュースサイト「アルバラド」に妙な動画がアップされた。

「サダム・フセインと東京都知事 ―カイロ大学の卒業生たち」と題するものだ。
 いわずと知れたフセイン元イラク大統領と小池百合子東京都知事のことである。

 これがエジプト流プロパガンダの神髄である。
 いくら疑念や疑問が寄せられても、一切答えず、さらに大きな“誇張“や”法螺“をかぶせていく。
 それを何層にも重ねることで、疑念を持つ者の追求心をそぎ、真相を闇に葬り去る。
 すべてはエジプト国家に有利な言論空間を生み出していくためだ(参考文献:小池氏を子飼いにしたハーテム著『プロパガンダ:理論と実践』未邦訳)。

 プロパガンダの各層を丹念にみていけば一見、脈略がなさそうでも重要なメッセージが込められていることがある。では、この動画に何の意味があるのか。タイトルにある「サダム・フセインと東京都知事」―――2人の共通点は何か。

小池氏とフセイン元大統領の共通点

 2人は奇しくも、カイロ大学での学歴について真偽が取り沙汰されてきたという共通点がある。
 さらに、2人とも要人になった途端、エジプト軍閥がカイロ大学の偉大な卒業生として公式に発表し、賞賛されるようになった人物という稀にみるもう一つの共通点がある。

(ちなみに、フセインはカイロ大学中退説が根強かったが、後年、本人の自伝で法学部2年中退と認めている。その点、小池氏とちがい、正直で潔い。しかし、エジプトは本人が中退と認めていても、自国にとって有利だとみなせば、勝手に卒業公認をする国柄である。小池氏の場合は、フライングして卒業自認(学歴詐称)してしまうが、後に超法規的に公認されるという変則ケース)。

 実は2人にはもう1つの共通点がある。
 カイロ大学の外国人特別待遇枠である。

 カイロ大学では1954年の粛清後、小池氏が留学する70年代まで、特殊な外人留学枠が存在していた。
 1つはアラブ諸国で反政府活動をする若者を亡命させ、ナセルの「アラブの大義」で洗脳し、国に戻ったとき工作員にする枠。
 サダム・フセインもその1人だった。

 もう1つは表向き文化的だが、同様にエジプトの国策に都合のいい将来のエージェント育成のため、非アラブ特定国の若者を優遇する枠。
 ハーテム氏は情報相のトップとして、アジアやヨーロッパ諸国の若者受け入れを推進すると同時に、それらの国々の議員と友好協会を立ち上げていった。

 ハーテムは同協会会長としての功績として、以前とりあげたとおり、2つ功績をあげる。
 1つ目は「数百億円にのぼる巨額の援助を日本政府から引き出したこと」、そして2つ目は「小池百合子を『子飼い』にしたこと」である(アハラーム紙2004年6月21日)。

 エジプト軍閥の子飼いになってから40数年後、ハーテムの後継者として、小池氏は最大の栄誉の瞬間を迎えることになる。

 “シシ大統領は小池百合子元防衛相(1976年カイロ大学文学部アラビア語学科卒)が率いる日本エジプト友好議員連盟会長と面会し、謝意を表した。彼女がエジプトとの関係発展に注意を払い、両国関係を有利に進めている事柄に対してである。”
(2016年3月4日アハラーム紙)

 小池氏は、エジプト軍閥の統領からよくやっていると褒められたのだ。
 何を褒められたのか。

小池氏が300億ODAの発端を示す証拠

 同じ記事のなかで、「エルシシ大統領の日本訪問では、教育プログラムに関連して多くの目標を達成した」とある。

 教育関連で一つはっきりしている2カ国間案件がある。
 三百数十億円にのぼるエジプトへの日本のODA(政府開発援助)による教育支援策「エジプト‐日本教育パートナーシップ(EJEP)」で、シシ大統領から小池氏が謝辞を受けた1ヶ月前に発表されたものだ。

 その1年前、小池とシシ両氏のエジプト大統領府における会談内容をみれば、エジプトへの教育支援ODAへの小池氏の具体的な関与が明らかになる。

 “シシ大統領は小池氏のエジプトへの支援を賞賛」したうえで、「教育分野において日本の経験から利益を得ることについて、エジプトの関心を表明した。”
(「アルマスダル紙」ネット版2015年5月3日)

 “シシの関心に対し、「小池氏はエジプトと日本の関係を強化する努力を惜しまない」(同上)と後押しを表明。”

 “さらに、小池氏は「私がエジプトを大切に思っているのは、公式のレベルだけでなく、個人のレベルのことである」と語っている。”(同)

 つまり、小池氏こそがエジプトに対する300億超の教育支援ODAの発端であり、窓口だという会談内容である。
 加えて、この教育事業は個人レベルの話だとの意味深な発言も含まれる。

 本人発表でも、「小池議員も大統領の認識に賛同し、日本の優れた初等教育の方面からの協力が効果的であり、喜んで協力する準備があるとの発言を行った」(小池百合子衆議院事務局のプレスリリース2015年5月4日)と認めている。

「エジプト‐日本教育パートナーシップ」には2つの事業がある。
 ひとつは、「エジプト・日本学校(小中学校)支援プログラム」(総額186億2,600万円、エジプト大使館文化・教育・科学局発表)で、小池氏が言い出した“初等教育の方面からの協力”そのものである。

100億円を見返りにした“美しい対応”とは?

 もう一つが「エジプト人留学生・研修生」受け入れ事業で、総額101億9200万円(同)である。

 これが、先の小池発言「個人レベルのエジプトへの思い」にもとづく事業のことである。
 先ほど引用したアハラーム紙記事の記者が種明かしする。
 長文記事の最後に「小池の経験とエジプトへの美しい対応」と題するコラムを寄せている。

 “以前、小池氏に取材した際、こう語っていた。故ナセル大統領が外国人学生に対し、奨学金を提供するという重要な政策を採用していたと指摘し、彼女自身もエジプト政府から月額8エジプト・ポンドの助成金を受け取っていた。
 ナセルの行った投資は有益で成功だったでしょ。だって、そうじゃない!
 小池氏は今日、日本政府のエジプトの学生に対する広範囲な奨学金プログラムについて、強力な支援者である。”

 記者は「美しい対応」と題し、いかにも美談のように語るが、まったくちがう。
 小池氏が自分のエジプトからの借りを今回、100億円にして返しましたよという下品な話だ。
 問題は、言うまでもなく日本人の税金を使い、ODAの形でエジプトへ見返りを続けている点である。

 小池氏は、ハーテム博士に対して、エジプトやエジプトの友人のために奉仕するプロジェクトを話題にした。(アハラーム2011年9月3日付)

 連載1回目で引用した発言のとおりだ。
 軍閥から弱みを握られた小池氏のエジプトへの見返りについて、今回、現地メディア(軍閥・情報部の従属下にある政治機関)にもとづき明らかにできたのは氷山の一角である。

 ただ確実に言えるのは、都知事としての公約実現はゼロだが、エジプトへの公約(見返り)は長年、果たしているということである。
 小池氏は彼らに生殺与奪を握られているのだ。

※ 本稿は言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された「エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命B エジプトへの個人的な見返り、日本人の血税300億円超(特別寄稿)」(http://agora-web.jp/archives/2046954.html)を転載したものです。

[写真-1]
エジプトの首都カイロの街並み

[写真-2]
小池氏とエジプト・シシ大統領。この会談で大統領は小池氏に礼を述べるが、その理由とは・・・?!

[写真-3]
小池氏とフセイン元大統領

JBpress、2020.7.4(土)
日本人の血税を忠実にエジプトに差し出す小池氏
エジプトからの個人的な借りを巨額ODAで“返済”

(浅川 芳裕)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61179

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野田数、東京水道(株)社長

私たちの生活に欠かせない「水」。
東京都の水道事業が人口減少や施設の老朽化に直面する中、将来にわたり持続可能な事業を運営するために、2020年4月1日、技術系業務と営業系業務・IT系業務が統合し、日本最大級の水道トータルサービス会社「東京水道株式会社(Tokyo Water)」が誕生した。
水源から蛇口まで、水道業務全般を担うという新会社設立の経緯や水道事業の未来について、野田数社長に話を聞いた。

―― そもそも東京水道株式会社(Tokyo Water)とは何をする会社なのでしょうか?

野田数: 東京都の水源管理から、配水管の設計・工事監督、料金徴収までの水道事業を総合的に担う、“日本最大級の水道トータルサービス会社”です。
 これは、東京都独自の政策なのですが、政策連携団体という位置付けで、都が株式51%以上保有していることなど、外郭団体の中でも都との連携が強い団体を指します。
 いわゆる第3セクターですね。
 当社は東京都が80%の株を保有する安定した企業です。

―― 今話題の「水道の民営化」のための会社ですか?

野田数: 民営化とは全く関係ありません。
 昨年2019年10月の改正水道法の施行により、都民の皆さんは東京都の水道が民営化するのではないかというご心配があるかと思いますが、東京都水道局としては、民営化は検討していません。
 現在は、事業運営や施設整備計画の策定など、コア業務を東京都水道局、準コア業務を政策連携団体が行なって、その他の業務を、街の水道屋さんや工事業者さんが支えています。
 東京都の政策連携団体である当社は、東京都水道局と一体となって、東京の水道事業を支えていく役割を担っていきます。
 具体的には、東京都水道局が行ってきた大規模浄水場の運転管理など、主に現場系の業務の大半を我々が受けるような形になります。
 こうした維持管理を担う第3セクターは全国にありますが、弊社は社員数でいうと2600人、日本最大級の規模です。

―― このタイミングでの設立にはどのような意味合いがありますか?

野田数: そもそも水道法が改正された背景は、各自治体が、単独では水道事業を維持できなくなっていることからなんですね。
 水道施設の老朽化によって、施設更新のタイミングに来ていても、財政状況が厳しく、更新できない。こうした状況から、官民連携で合理化して水道事業を維持するというのが目的です。
 もうひとつは、水道事業に携わる技術者の不足や人材確保の問題があります。
 特に、東京都水道局の管轄エリアは、23区や多摩地域含め、東京全域です。
 1300万人の都民の水を支えるために、新会社で合理化を進めて、東京の水道を安定的に供給していくということが求められます。

―― 野田さんは昨年、東京水道株式会社の前身となる東京水道サービス株式会社の社長になられましたが、どのようなことに努められましたか?

野田数: 大きなミッションは、統合準備と社内のガバナンス強化です。
 統合にあたっては、それぞれの会社で文化が違うので、今後も社内の言語を一体化する必要があります。
 また、採用難への対策です。
 東京都水道局の業務が弊社に移管されるにあたり、業務量の増加に備えて、若手技術者を多く確保しなくてはいけませんでした。
 当初は、理系の学生が減っているという背景もあって、採用数は右肩下がり。非常に厳しい現実に直面していました。
 こうした課題に対して、東京水道サービス(株)では氷河期採用や中途採用の通年採用などを行い、採用数を60%ほど増やすことができました。
 また、社のブランディング強化に取り組みメディア掲載は前年比の10倍以上になりました。
 待遇の改善などで社員のモチベーション維持に取り組んでいます。

―― 新会社設立によって、都民生活はどのように変わりますか?

野田数: お客さまの問い合わせ窓口と、事故対応などを担当する技術部門が一体の会社になることで、お客さまへのサービスは向上すると考えます。
 また、一体となることは、災害対応においても重要です。
 昨年の台風19号では、奥多摩町と日の出町で道路が崩落しまして、断水地域が発生しました。
 その断水エリアへの給水作業を東京都水道局からの要請で支援したのが当社です。
 道路が崩落したエリアの先の地域に水を届けるために、ポリタンクを一世帯に2つずつ運んで、全戸へ配布したり、復旧作業にあたりました。
 大きな災害の時に最前線で応急給水や応急復旧に当たるのが私たちTokyo Waterです。
 災害対応の人数が足りないときには、当社も応援に行けるなど、今後このように一体となって、よりスムーズな災害復興が可能になります。

―― 世界に目を向けますと、東京都の水道は海外からも高い評価を受けているそうですね。

野田数: そうですね。かつて20万人を対象に、東京水と市販のミネラルウォーターの飲み比べをしましたところ、美味しいと答えた人の数がほぼ同じだったんです。
 品質が非常に高い。
 また東京都は、水道水が家庭の蛇口に達する間にどのくらい漏れるかを表す“漏水率”が世界屈指の低さです。
 ロンドン26%、NY8.3%、東京都は3.5%と、世界の主要都市の中でも圧倒的に低いんです。
 東日本大震災でも都で水道管が壊れたことはありませんでした。
 地震大国でこれだけの低い漏水率を維持しているのは、121年の技術の賜物だと考えています。
 こうした背景には、土地の狭い日本でダムを作るときに、“水を大切にしなければいけない”というインセンティブが働いていたこと、またヨーロッパなど水源が豊かなところに比べて、日本は計画的に水道管を更新してきたことがありますね。
 資源が少ない代わりに“無駄を排除しよう”という日本人の几帳面な気質の上に成り立っていると思います。

―― 海外事業についても積極的に関わっていらっしゃいますね。

野田数: そうですね。
 ODAの事業では国内のコンサルタント企業とJVを組んでいます。
 例えば、ミャンマーでは、現地の企業と当社などが、ヤンゴン市の漏水率の改善に取り組んでいます。
 また、マレーシアでは、現地で研修フィールドを作って水道技術を現地に提供するなども行っています。
 途上国では有収率(収入を得られる水の割合)が低く、十分な水道料金を得ることができない国も多いんですね。
 水が漏れていること、また水が盗まれていることなどもよくあるようです。
 水道事業を行う上で、そうした問題を改善するために維持管理の基本を伝えたいという思いがあります。
 このように当社は人を育てる、技術を伝える事業が多いため、SDGsにも貢献していけると考えています。

―― 最後に、都民に一言お願いします。

野田数: 4月から新しい会社Tokyo Waterが発足しました。
 当社の車が都内各地を走り、水道の安定供給のために日夜奮闘しております。
 都民の皆様により安心して生活していただけるように、頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いします。


[写真]
のだ・かずさ 1973年川崎市生まれ、46歳。97年早稲田大学卒業。2016年の東京都知事選挙で、小池百合子選挙対策本部の最高責任者を務める。同年8月、東京都知事特別秘書(政務担当)に就任、「都民ファーストの会」を設立。19年3月に特別秘書を退任、同年5月、東京水道サービス株式会社代表取締役社長に就任。20年4月より、東京水道株式会社代表取締役社長。

Tokyo HeadLine、2020.04.13 Vol.729
[東京水道株式会社 野田数社長]
水源から蛇口まで。日本最大級の水道トータルサービスが4月誕生

(聞き手・一木広治)
https://www.tokyoheadline.com/492802/

 東京都多摩地域の各市は、未統合の武蔵野市、昭島市、羽村市以外は現在は水道担当部門がなく、東京水道サービス鰍ニ鰍oUCが水道の業務を行っています。
 多摩地域では、八ッ場ダムの運用が開始される来年2020年度から、現在は水道水源として利用している地下水を河川水に切り替えることになっています。

 2019年5月に東京水道サービス鰍フ社長に就任した野田数氏(小池百合子・都知事の元・特別秘書、元・都民ファーストの会代表)は、「東京水道グループには、120年の歴史に裏打ちされた世界最高レベルの技術力があるので」、日本版「水メジャー」を目指すとの”大志”を明らかにしたと報道されています。

 今年2019年10月に改正水道法が施行され、水道民営化の道が開かれます。
 野田氏はこの水道民営化の受け皿を狙っているように思います。

 東京水道労働組合が2019年8月28日に発行した「東水労情報」より、関連情報を転載します。
 2019年6月7日、東京水道サービス株式会社は、2019年度の経営方針と目標〜未来に向けた進化のためのアクションプラン〜を発表し、株式会社PUCとの統合を見据えて、統合後に日本最大級の水道トータルサービス会社として、東京、そして国内外の水道事業に対する貢献への期待に応えるとして、国内の事業者の包括受託や広く世界に向けた事業展開をするとしています。
 またプランの発表に伴い、日経や都政新報の取材に対して、野田数社長は「将来的に和製の水メジャーになるための土台を作る」との考えを明らかにしています。

 しかし、会社の現状は職場内でのパワハラの横行とプロパーが育ちにくい昇任制度、企業体質もあって、離職率が極めて高いのが実態です。
 まずは社員や労働組合に対して真摯に向き合い、企業体質を改善させていくことが急務です。
 その上で、安易な民営化、コンセッション方式導入に肩入れするのではなく、労働組合や市民との対話により持続可能な水道事業を考えていく必要があります。

「公共サービスの産業化」は、収益の上がる部分については企業が利益をむさぼる一方、不採算部門が切り捨てられたり、その負担が住民に押し付けられ、あるいはサービスに格差が生まれるなどの問題を引き起こしかねません。
 国鉄分割民営化によるローカル線の切り捨て、JR北海道脱線事故で浮き彫りになった検査データ改ざんなどの安全軽視がそのことを如実に物語っています。
 自然災害が相次ぐ中で、災害時の地方自治体の役割はますます重要になっています。
 いうまでもなく、非常時の対応は日常業務の延長にあり、災害時に何よりも力になるのは日頃の業務で培った技術とノウハウです。
「公共サービスの産業化」は、災害時の迅速・適切な対応を脅かしかねません。

八ッ場あしたの会、2019年9月15日
「水メジャー」目指す
東京水道サービスの野田数社長

https://yamba-net.org/48492/

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2020年07月08日

伊東乾「20人に1人は死ぬ、と考える」

 6月末日、東京都が新型コロナウイルスの対策本部会議を開き、見直しを進めてきた新たなモニタリング項目を取りまとめたとの報道がありました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200630/k10012490111000.html

「感染状況や医療体制を専門家に分析してもらい、都が評価して注意喚起するかどうかを判断」するということで、7月1日から試験的に運用されているらしいのですが・・・。
 先に結論を記します。
「くるくるぱぁ」の仕儀と断じざるを得ません。
 私が言っているのではない。
 米ハーバード大学やニューヨーク大学、英オックスフォード大学など世界の指導的専門研究機関12大学で構成する「グローバルAI倫理コンソーシアム」での議論です。

 このコンソーシアムで、東京都の話題を提供したところ、「意味がない。理解不能」と判断されました。
 なぜでしょうか?
 ダメの三段重ね、意味不明の重箱がおせち料理のように三重に重ねてあるから、一般読者の印象に残りやすいよう「くる」「くる」「ぱぁ」と記述してみました。
 具体的に見てみましょう。

どこの「部族長老会議」か?

 東京都は「新たな感染者数」や「感染経路が分からない人の数」や「その増加比率」「入院患者の数」など「感染状況と医療体制を示す7つの項目」を、前の週や緊急事態宣言が出されていた期間中の最大値と比較しながら「専門家に分析してもらう」という。
 これがまずダメの1段目。
くる」です。

「専門家の分析」の結果をもとにモニタリング会議を開いて「都が」現状を評価、状況が悪化したと判断した場合は、都民に不要不急の外出自粛の協力など注意喚起を行うというのが、ダメの2段目、雛飾りや五月人形でいえば二段飾りとでもいえそうです。

 手順だけの虚飾ですが、「くる」の2つ目

 そして、最終的なダメの致命傷が、「新たなモニタリング項目に、都民に警戒を呼びかける基準となる数値は設けない」というものです。
 これはもう、誰が見てもシラフなら分かる「ぱぁ」の仕儀で「メン」「タン」「ピン」ではないですが、ダメがダメを損ねて終わりつつある「くるくるぱぁ」な状況でしょう。

 少なくとも2020年代のデータ駆動型、知識集約型グローバル社会の中ではあり得ない「部族長老会議」での対応となっている。
 よろしいでしょうか?
 世界各国では、時々刻々のコロナ関連データが正確にオンラインで集計され、人間の談合、適当な腹芸ではなく、地域内での最適化などシステムを駆使する対策が取られ、あるいは急ピッチで準備されています。

 ところが日本のシステムは、ファックス送信データを手打ちするとか、もうお話にもなっていないことが報じられたのを読者もご記憶と思います。
 どれくらい正しいのか分からない、また場合によっては数字に手心を加えられる、システマティックでないデータをもとにまず、専門家に分析評価「してもらう」・・・。
 これは要するに、行政としての責任を取らず、正体不明・責任所在も不明で着脱自在の「専門家会議」の相談、もっと露骨に書くなら「談合」でたたき台を作らせるわけですから、この時点で客観性がほとんどない。

 サイエンスの教育を受けた人なら、データとして信用できないと断じる必要がある「センテンス」が出てくる。
 いわば「部族会議1」ですね。

 この「センテンス」を、さらに別の「部族会議2」、いわば長老会議を誰が主催するのか。
 女酋長か何か分かりませんが、ともかくやはり「人間が相談して」よきに計らう、と言っている。

 さらにその際、判断の基準となる数値は設けないというのは、最初から、責任を人に押しつけた「センテンス」をもとに、好き勝手な匙加減で物事が決められてしまう。

 しかも、手続きだけは仰々しく、だから一度決まったものは容易に変えられないという、大学内にもかつて山ほどあり、急ピッチで解体改革が進められているような「陋習」、ダメ儀式の典型になっている。
 行政側がこのようにしたいのは、よく分かります。
 つまり、余剰の病床数とか、今後の推移によっては何がどうなるか分からない。
 ここは融通の利きやすいよう、あれこれ後々自らの首を絞めかねない指標は避けたい。
 さらに時節は都知事選の真っ最中、選挙人気も目に入れながら、下手に数値などは定めず、「柔軟」に対応していきましょう・・・ということでしょうか。

 しかし、このコロナの状況下での対策、持続化給付金一つとっても「柔軟な対応」に任せた結果がどうなっているかは、天下に周知のとおりです。
「柔軟」ではなく「放埓」と断じねばなりません。
 何が求められているのか?
 根拠に基づく政策、エビデンス・ベースト・ポリシーが2020年代のグローバル・スタンダードにほかならないのです。

「有力者」の声が大きいという、フィリピンかブラジルみたいなガバナンス不在は、本当に、世界に恥じるべき失態と国民一般が理解共有する必要がある。

 日本の痛いところです。

何を信用すればよいか?
グローバルデータの「正気」に聞け!


 つまり、都が出してくるあれこれは根拠がない。数値の裏づけが欠如している。
「情報はあり余るほどあるけれど、私たち素人には、何を信用したらいいのか分かりません、どうしたらいいんですか?」という問いが常にあります。
 そこで「専門家を信用しなさい」というのですが、例えば福島第一原子力発電所の事故以降、どの程度妥当でしたか?
 今のコロナ対策はどうですか?
「人」や「権威ある先生」ではなく、データそのものを直視する、データ駆動科学(Data-Driven Science)の基本姿勢を強調したいと思います。

 2020年7月1日現在、全世界でどの程度コロナの被害は出ているのか?

 最新のデータによれば、全世界の総感染者数=1059万1079人、総死者数=51万4021人です。
 そこで、死者数を感染者数で割り算して恐ろしい名前ですが、致死率=0.04853…となる。

 1000万人が罹患して、50万人死ぬ、致死率約5%の病気であるという、グローバルデータを直視した「正気」の原点をまず押さえておきましょう。

「8割おじさん」といってもまだ若い人ですが、彼が42万人という犠牲者数に言及したことを「済んでみれば何でことはない」「大げさ」などと非難する文字列も目にしました。
 そういうのはサイエンスの1の1を知らない落書きで、全世界ではすでに非常に多くの人が亡くなっている。
 日本や東京都の人口や罹患率を念頭に置けば、7月1日時点で全世界の1000万患者数に対して50万人死亡という現実は、東京都の1400万都民に対して、42万人死亡するかもしれないというデータです。
 この予測は、およそ穏やかなものであったと言わねばなりません。
 何も大げさなことではない。
 今年1年、あるいは向う3年、今回パンデミックでの総死者数の推移をみて、杞憂であったと言えればまだしも、グローバルに見ればいまだ第1波がウナギのぼりの最中に、すでに済んだと勘違いするようなことがまず間違いです。
 7月頭時点での感染者数増大は、第1波の拡大を都市封鎖で押さえ込んでいたのが、規制が緩むと同時に必然として増えている「第1波ど真ん中」以外の何ものでもない。
 同様にマクロなデータを確認すると、興味深い事実が浮かび上がってきます。

「20人に1人は死ぬ」と考える

 幾つかデータを並べてみましょう。すべて2020年7月1日時点の数字です。
米国
 総感染者数=272万7853人、総死者数=13万0122人、致死率=0.0477…
ブラジル
 総感染者数=140万8485人、総死者数=5万9656人、致死率=0.0442…
ロシア
 総感染者数=64万7849人、総死者数=9320人、致死率=0.0143…
インド
 総感染者数=58万5792人、総死者数=1万7410人、致死率=0.0297…
英国
 総感染者数=31万2654人、総死者数=4万3730人、致死率=0.1398…
スペイン
 総感染者数=29万6351人、総死者数=2万8355人、致死率=0.0956…
ペルー
 総感染者数=28万5213人、総死者数=9677人、致死率=0.0339…

 これと、先ほどの全世界の数字、総感染者数=1059万1079人、総死者数=51万4021人、致死率=0.0485…を比較してみると、米国やブラジルが平均程度、ロシアが低いのは本当の数字なのだろうか?
 インドの方が米国より致死率が低く出てしまっているのは、どういう統計によるものだろう?
 欧州の致死率は世界平均の2倍や3倍になっている・・・など 素朴な疑問が浮かび上がってきて当然でしょう。

 ここで必然的に問わねばならないのは、日本の数値になります。

日本
 総感染者数=1万8593人、総死者数=972人、致死率=0.0522…
 約5%の致死率というのは、全世界平均と大体同じ程度と分かります。

さらに東京都を見てみると
東京都
総感染者数=6225人、総死者数=325人、致死率=0.0522…

 計算間違いかと思い検算してみましたが、きれいに数字が合っていました。
 つまり、いま公表されているデータがどの程度信用できるかは別にして、日本で、あるいは東京で、新型コロナウイルスに罹患したら、5%の致死率、は世界平均に照らしても納得のいく数字です。

 記憶しやすいハンディな「黄金律」として整理するなら、この病気に罹ると20人に1人は死ぬと考えておくと、メディアなどで日常的に目にする数字を判断しやすい。

「本日、東京都で確認された感染者数は60人」という報道があれば、「3人亡くなるのだな」と理解するのが安全です。

「本日は50人を割って40人でホッとしている」などとアナウンサーが言ったとしても、「ああ、2人も亡くなるのだな。マスコミというのは原稿を棒読みにするだけで、何も考えておらず無責任だな」などと考えるのが、より慎重かつ賢明と思います。

 7月1日の感染者は日本全国で75人、東京都内だけで67人との報道。これは、
・ 世界標準で考えれば 3.6人
・ 日本の値で考えれば 3.9人
亡くなると報道していると解釈すべき数字です。
 つまり今日だけで、4人が新たに亡くなるのです。

 これをどの程度「大したことない」数字と思うか、それとも警戒すべき犠牲者数と考えるかは、読者一人ひとりにお任せすることにしますが、何にしろ東京都は何の数値基準も設けないと言っている。
 これを責任ある行政の態度と考えることができるか・・・。

 グローバルAI倫理コンソーシアム内の見解は、冒頭に記した通り、こんなものは箸にも棒にもかかりません。

「選挙前」などのミクロな政治状況で左右されるパンデミック対策ほど、愚かな話はなく、そんなものに左右される東京都民は(私もその一人にほかなりませんが)誠に不運、不幸と言うしかありません。

[写真]
東京都の指標を示さない新型コロナウイルス感染症対策には世界中から疑問の声が

日本ビジネスプレス JBpress、2020.7.7(火)
米英大学からバカ呼ばわりされた東京都
「基準を設けない対策」は都知事選への政治利用か

(伊東 乾)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61146

※ 伊東 乾(いとう けん、1965年東京生まれ)

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安田登「優雅な貧乏生活のはじまり」

 2ヶ月ほど続いた外出自粛生活もようやく終わりました。
 この2ヶ月間、近所に出かける以外は家で静かにしていたという人もいたでしょうし、そんなことは言っていられずふつうに通勤していた人もいたでしょう。
 私の職業は能楽師ですが、3月以降の舞台や講演、ワークショップがほぼゼロになりました。7月まではこれが続いているので、なんと4ヶ月間、無職です。
 収入ということ考えるとつらいのですが、これはこれで案外楽しいし、気楽です。
 街を歩いても人にぶつかることはないし、電車に乗ってもすいている。もう、以前のような生活に戻れないかもしれないと、いまはむしろそれが心配です。
 それに第二波、第三波がいつ襲ってくるかわからない。今回はひとり10万円の特別定額給付金や、持続化給付金などと政府もがんばりましたが、第二波、第三波のときには、それもどうなるかわからない。

 実はこんなときのために、10年以上も前から、「優雅な貧乏生活」という生き方を企画し、提案をしています。

 お金を使わず、しかし優雅に生活をしようということをすすめる生き方です。

 今回の新型コロナ騒動で突然、貧乏生活になってしまったので、すぐさま実践です。


 自粛期間中は、からだをあまり動かさなくなったので食事は二食で問題ない。
 朝はトースト一枚とコーヒー、夜だって一汁一菜プラス魚か肉少し。魚や肉はなければなくてもかまわない。まるで禅僧になったような気分です。

 優雅な貧乏生活で、最も大切なのは「優雅さ」です。
 こんな生活が長く続いたら、私のような舞台生活者は収入が完全に断たれるでしょう。
 ひょっとしたら生活保護を受けるようになるかもしれません。
 しかし、そんなときこそ大切なのが「優雅さ」なのです。

 たとえば街のカフェでコーヒーを飲む。安いところでも200円くらいはかかります。しかも、チェーン店のカフェではあまり優雅ではない。
こんな時に、優雅な貧乏仲間を集めての「優雅な貧乏茶会」をします。
『不思議な国のアリス』のお茶会のように、楽しく、でも、ちょっと変わったお茶会です(詳細は後日書きますので、今日はざっくりと)。

 まず、通販サイトでお稽古(けいこ)用の抹茶(まっちゃ)を購入します。100gで500円から1,000円。薄茶でお茶を点(た)てるときは1人前約2gなので、100gで50人分は使えます。1人分、10円から20円です。街中のコーヒーの10分の1から20分の1!
 お抹茶用の茶碗は、最初は100円ショップのものでいいでしょう。旅先で、ふと目に留まった茶碗などを買っておくのもいいですし、骨董市に出かけて探してもいい。なければドンブリでもかまいません。
 茶筅(ちゃせん)や茶杓(ちゃしゃく)も100円ショップで買うことができます。
 お茶を習ったことのある方ならば、それこそ作法に則(のっと)ってお茶を点てます。
 習ったことのない方のためには、あとでその方法を紹介します。
 むろん、我流でも問題はない。プライベートな茶会なので誰はばかることはありません。自分で「●●流」なんて作ってしまうのもいい。
 ただし、弟子を取ろうなんて思わないこと。弟子からの上納金で生きて行こうなんていうのは「優雅な貧乏生活」にはご法度(はっと)です。

 そして、あくまでも「優雅」に、そして丁寧に行う。
 お茶の点て方も、茶会も作法にのっとって行い、あとでみんなで俳句をひねったり、連句をしたりするのもいいでしょう。
 俳句の詠み方なども紹介しますね。

 むろん、自粛期間中はそんなことはできませんでした。
 なので、友人たちとオンライン茶会をしました。
 お茶の点て方を知っている人だけなら、みんなでシャカシャカお抹茶を点てるのもいいのですが、そうでない場合は各自好きなお茶を用意します。
 あ、これもお茶である必要はなく、コーヒーでも、紅茶でも、ジュースでも、コーラでもOKです。
 その他のものも好きでいいのですが、私が主催する場合は以下のものも用意してもらいます。むろん、なければなくてもかまいません。
(1)お茶(ジュースなどでも)
(2)好きなお菓子
(3)好きなアイテム
(4)五音のお題

 お茶会は次のような手順で行います。
 オンラインに入って来た順(私が最初)に、今日用意して「お菓子」について話をします。
 語り過ぎると嫌味になるし、少なすぎるとぶっきらぼう。この塩梅(あんばい)が難しい。
 しかし、そういうことを通して「優雅な貧乏生活」術を学んでいきます。
 参加者は、それに対してコメントをします。
 これも同じ。しゃべりすぎると嫌味だし、少なすぎると「そんなことには興味がない」ということを(そういうつもりがなくても)示すことになります。

 ひと通り終わったらお菓子をいただきます。
 オンラインのお茶会では、食べる音なども気になりますので、食べるときは音はミュートにします。
 でも、食べながら、お菓子についてお話をするのもいいですね。ただし、口の中に入れながらしゃべるのはダメです。

 次にお茶について話をします。
 茶器についても話してもいいでしょう。
 また、ひと通り終わったらミュートにしてお茶を飲みます。
 実際に飲んでみてのコメントもいいですね。

 次に用意したアイテムについて、話をします。
 ここから先は雑談のように自由に。ただし、オンライン飲み会との違いは、あまりしゃべらないこと。無音、無言を大切にします。オンラインで無言は難しいものです。不安になります。
 だから最初に「あまりしゃべらないようにしよう」と決めます。
 そして長居は無用。
 参加人数にもよりますが、1時間を目途に切り上げます。

 外出自粛期間中はこのようなオンラインお茶会を何度かしました。

 さて、これから「優雅な貧乏生活」についてお話をしていこうと思っていますが、「心・技・体」の3方面からお話していきます。
*************
(1)【心】心構え・生き方
(2)【技】具体的な方法・生活
(3)【体】作法・身体技法
*************
(1)の【心】は、貧乏をいかに優雅に楽しむかということについて、おもに江戸時代の俳人たちの心構えを紹介します。

(2)の【技】は、いまお話したお茶をはじめ、お金をかけずに優雅に生きるための具体的な方法を紹介します。
いま考えているのは以下のことです。
・お茶の点て方
・茶会のしかた
・一汁一菜のすすめ
・着物生活のすすめ
・四畳半を小宇宙として生きる
・オンライン版茶会の方法

(3)の【体】は、優雅に元気でいるためのインナーマッスル・エクササイズなどを紹介しようと思っています。

では、お楽しみに〜!

あさひてらす、2020.06.04
優雅な貧乏生活のはじまり
(安田登)
1956年千葉県銚子市生まれ、能楽師。
https://webzine.asahipress.com/posts/3643

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2020年07月07日

来年もまた都知事選があるかもしれない

 東京都知事選挙は小池百合子さん(カイロ大卒)が当選。おめでとうございます!

3年前の「嬉しそうな顔」を忘れられない

 しかしこの圧勝により、来年も都知事選があるかもしれない。
 私は忘れられないのだ。小池氏が3年前に希望の党を結成したときに見せた国政復帰、いや、首相就任への色気を。自分に風が吹いていることを確信した嬉しそうな顔を。
 希望の党はどこかにいったが小池氏はまたしても希望を抱き始めたはず。希望は「野心」と変換してもいい。
 私だけの見立てだと思ったら違うようだ。都知事選翌日の紙面を紹介する。

「小池氏の心は国政へ?」(日刊スポーツ)

《都知事というポストには関心があるが、都政には関心がない小池さんは来年秋以降、国政に戻ることを考えるのでないか。自民党の二階敏博幹事長への接近の仕方を見ると、自民党に受け入れられる形をつくり、後継者のいない二階派を継承することを考えているのではないか。》
(東京都庁の元職員でもある佐々木信夫中央大名誉教授)

 さらに日刊スポーツ名物コラム「政界地獄耳」は、
《政界での興味は、選挙上手で抜群の政局勘を持つ都知事・小池百合子がいつその座を明け渡して国政に逃げ込むか、その時にどの党でどういう形で転じるのかが焦点だ。》

 えー、もうそこまで? 地獄耳が過ぎる。

「“夜の街” 要注意」フリップのインパクト

 圧勝した小池氏の手法は直近でも「見せ方」「インパクト」にこだわっていた。
 東京都で新型コロナウイルスの新たな感染者が124人確認された7月3日、小池都知事は定例会見であらためて「“夜の街” 要注意」というフリップを掲げた。しかしその下には、
(ガイドライン遵守店を除く)

 エーーーー、これだと「夜の街」というインパクトがまず印象に残っちゃう。
 この手法は何かに似てると思ったら東スポの見出しだ。

「ツチノコ発見」と思いきや最後に小さく「か?」。東スポの場合は芸であり愛敬だが、都知事がこんな煽りをしたら、きちんと対策している店までイメージが悪くなる。

 ウイズコロナとは言うがウイズ夜の街とは言わない都知事。「夜の街」は「都議会はブラックボックス」のようにターゲットになった。敵をつくって叩く例の手法ともいえる。

本当に圧勝した現職都知事なの?

 相変わらずの「見せ方」や「インパクト」にこだわる政治。では中身はどうだったのか。都知事選翌日の社説をみるとびっくりするタイトルが並んだ。

「求められる説明と実践」(朝日新聞)
「地に足着けて問題解決を」(毎日新聞)

 これ、本当に圧勝した現職都知事なの?

 説明と実践が求められるとか、地に足着けてとか、つまり何もやっていないようにも見える。この4年間は一体何だったのか。さらに産経新聞の社説には「問われているのは公約の実現である」。ああ。
 スポーツ報知は「公約は難解横文字ばかり」とし、
「グレーター東京構想…?」「ワイズ・スペンディング…?」「フレイル政策…?」
 ???の嵐。
 報知は小池氏の言葉についてよほど疑問に思っていたのだろう。3日前にはこの人に聞いていた。
「ルー大柴『僕から見てもカタカナ多いな』小池百合子語録を斬る」
(スポーツ報知WEB7月2日)

「寝耳にウォーター」のルー大柴さん! これは報知の企画力の勝利。

 朝日は東京版のページで「130超の公約 進み具合の説明必要」とあらためて書いた(7月6日)。
《4年間の任期中、小池氏が記者会見などで厳しい質問を受けた際、はぐらかす姿を度々目にしてきた。》
《2期目に何を達成し、達成できないのか。報道機関として随時検証するとともに、小池氏自身も進み具合や結果を説明していく必要がある。》
 もう一度言うが、これが圧勝した現職都知事への注文なのである。かなり深刻。

「4年間の任期を全うする?」に対して……

 しかし小池氏の頭はもう政策より政局なのだろうか。国政復帰について選挙翌日の各紙はこうふれる。

《自民党では「都議選の結果や東京五輪の成果次第では、小池氏は再び国政復帰に色気を出すのではないか」(閣僚経験者)と警戒する声もある。》
(読売新聞)

 テレビ東京の都知事選速報では池上彰氏に「4年間の任期を全うされると約束されますか?」と問われた際、「自分自身の健康をしっかり守っていきたいと考えております」と小池氏は言った。いつもの論点ずらしだったが、珍しく言葉がたどたどしかったのは生々しかった。

 さらに具体的な声も。

《自民の閣僚経験者は「大阪府の吉村洋文知事や日本維新の会と組まれると厄介だ」と語った。》
(毎日新聞)

 どうやらポイントは来年の都議選にあるよう。
 そのヒントは実は今回おこなわれた「北区」の都議補選にあった。

都民ファーストの会と自民党が激突

「自民と都民ファ 北区で激突」(東京新聞6月25日)

 都知事選では実現しなかった都民ファーストの会と自民党が激突していたのだ。
 その経緯がすごい。
 都民ファは、小池氏が二階俊博自民幹事長と良好な関係を築いていることから、対決を避けて候補擁立を見送るとの観測が流れていた。しかし「積極的ではなかった小池氏を押し切る形で」元知事秘書の擁立を決めた。
 小池氏は「自分の選挙に集中する」と応援に入らない考えを示したという。ルー大柴風に「トゥギャザーしようぜ」ではなかったのである。
 おまけに公明党は《都議会では親小池派として都民ファと歩調を合わせるが、補選は反小池派の自民候補を推薦する。》
 これに対し《裏切られた形の都民ファ幹部は「都民にどう説明するんだ」と恨み節をこぼす。》

 すごい。敵と味方がくっつく「ねじれ状態」。視線が国政にあるからこうなる。
 小池百合子記事を追うと、来年もまた都知事選があるかもしれないとやっぱり思えてきました。


[LIVE]小池都知事会見「感染拡大要警戒」3日は124人
https://www.youtube.com/watch?v=6ZrvEU_gmVQ

[写真]
2017年9月の会見で、合流を目指した旧民進党の一部について「排除いたします」と発言した小池氏

文春オンライン、2020/07/07
小池百合子「4年間の任期を全うする?」
再選直後、珍しく言葉がたどたどしかった瞬間
来年もまた都知事選があるかもしれない

(プチ鹿島)
https://bunshun.jp/articles/-/38855

紙に「毎日」「朝日」「日経」…
会見のたびに職員が座席表づくり


 毎週金曜日午後2時。東京都知事の定例記者会見は原則この時刻に始まる。新型コロナウイルスの感染拡大への対応をめぐって、各都道府県知事の記者会見には大きな注目が集まった。3〜5月には、小池百合子東京都知事の会見が報道番組で生中継されることも多かった。一連のコロナ対応をめぐる“発信力”が評価されたことが、7月5日の知事選での圧勝につながったといわれる。

 そんな小池知事の定例会見ではいつも、知事に向かって右側に都政策企画局報道課の職員が陪席。同局の初宿和夫理事、その右には日替わりで部下の職員が座る。

 会見が始まる前後、部下の職員は記者席を何度も見回し、手元の紙にサインペンで何かを書き込んでいく。ダイヤモンド編集部が6月26日の記者会見でその紙を撮影したところ、「毎日」「朝日」「幹事社 東京新聞」「日経」「日刊スポーツ」などと書かれているのが読み取れた。どの社の記者がどの席に座っているのかが分かる座席表を作成しているのだ。

 座席表はいつも、会見開始後15〜20分ごろ、職員から初宿理事によって、質疑応答の前に都側からの発表事項についてプロンプターに浮かぶ文字を読み上げている小池知事に手渡される。

 小池知事の定例会見は、都庁の記者クラブにファクスで申し込めば、クラブ非加盟の報道機関やフリーランスの記者も参加可能だ。ただ、会見は都庁の記者クラブ主催ではあるものの、質問する記者は小池知事が指名する。

 会見の“常連”であるフリージャーナリストの横田一氏は、2017年の総選挙で小池知事が「希望の党」を率いて惨敗した際、あの「排除します」発言を引き出したことで注目されたが、その後指名される機会は激減した。他の記者が手を挙げていても、会見は小池氏の判断で打ち切られる。

 会見終了時、指名されなかった横田氏が退室する小池氏に向かって質問を浴びせ、初宿理事がこれを遮るように「記者会見は終了しました。不規則発言はおやめください」とマイクで告げるのが会見の“風物詩”となっている。

 横田氏の質問は、小池知事のカイロ大学卒業の真偽や、マスクなどの医療物資が一時、職員に十分に供給されないと指摘された都立墨東病院をめぐる混乱など、小池氏にとって都合の悪い内容が多い。このため小池氏は横田氏を“無視”する態度を取り続けている。

 さすがに横田氏は小池知事に顔も名前も覚えられているようだが、この座席表があれば、小池知事が記者の顔を知らなくとも、批判的なメディアの記者の指名を避け、厳しい質問を回避できる。

大阪・吉村知事は質問尽きるまで続行
「座席表は作成していない」と回答


 小池百合子知事の態度はしばしば、石原慎太郎元知事と比較される。当時を知る全国紙の元都庁担当記者は「石原氏は、批判的な質問をする記者も関係なく指名し、露骨に不機嫌になったりムキになったりして反論することがあったものの、とにかく質問に答えてはいた」と振り返る。石原都政の評価をめぐっては毀誉褒貶(きよほうへん)あるものの、良くも悪くも大物ぶりを発揮していたのである。

 また大阪府の吉村洋文知事は4月1日のツイッターで「(午後)2時過ぎから始まった僕の記者会見、終わったのは4時半。2時間以上。ほぼ全部コロナ。こんなのざら。さらに毎日のぶら下がり取材。記者全員の質問がなくなるまで無制限でやる」と投稿した。

 大阪府企画室政策課報道グループによると、吉村知事の会見も原則週1回、府庁の記者クラブ主催で開かれ、クラブに申し込めば非加盟の記者も参加できる。公務の都合で会見を終えることもあるが、なるべく質問がなくなるまで会見を続ける。また「報道グループが記者の座席表を作成することはない」と回答した。小池知事から避けられ続けている横田氏の質問にも、吉村知事はごく普通に答えている。

 だが小池知事の会見では、批判的な質問が封じられる一方「今日はいつもと違うマスクをされていますが、(マスク不足の問題について)どういったふうにお考えでしょうか」(4月7日、フジテレビ)、「(大阪府の吉村知事の体調を気遣い)『吉村寝ろ』とネットで言われていますが、小池知事は体調管理をしっかりなさっているのか、そのあたりを聞かせてください」(4月17日、日刊スポーツ)といった緊張感の乏しいやり取りがなされることがままあるのが実態だ。

 5月29日の会見では小池知事の方から「私、口紅忘れてる? もうこのところ、全然しないです。関係ないですけど。化粧品も売れないとか聞きましたけど」などと発言。前列に陣取る民放キー局の女性記者らがこれにうん、うんとうなずいて見せる光景があった。

 本編集部は都の情報公開制度を使い、定例記者会見の最中に初宿理事から小池知事に手渡された座席表について開示請求をした。だが都側は、開示・不開示の決定期限である請求から14日目に、決定の延長を通告してきた。理由について都報道課は、「コロナ対応や都知事選への対応で多忙であり、文書の存在について確認ができないため」と説明した。会見のたびに記者の目の前で知事に手渡された1枚の文書の存在が、2週間たっても確認できないというのだ。

 こうした手法で“発信力”を培い、圧勝して再選を果たした小池知事。だが、今後は待ち受けるハードルは高く、また多い。

 まず、来年の東京オリンピック開催の可否が決まるが、中止となれば一気に求心力を失う可能性がある。また来年には都議会の改選を控える。17年の都議選で“促成栽培”された都民ファーストの会の新人都議たちが大量落選すれば、都政での足場を失うことになる。

 今回の知事選で独自候補の擁立を断念し見せ場のなかった自民党東京都連は、反撃の機会を虎視眈々(こしたんたん)とうかがっている。その時、小池氏が頼る自民党の二階俊博幹事長が、今ほどの権力を保持している保証はない。

 そしてコロナの新規感染者は7月2日に2カ月ぶりに100人を超えた。感染拡大が深刻化すれば、都民の支持を大きく失いかねない。

整合性のない発言が多い小池氏
国政復帰は「現在は、考えていない」と留保


 6月12日の夕方に都庁で開かれた小池知事の出馬表明会見。幹事社である東京新聞の記者が小池知事に「コロナ対応で注目され、国政復帰も取りざたされている。4年間の知事の任期を全うする考えはあるか」と質問した。小池知事は「これから都知事選に出ようとしているのに、その質問はどうかと思う。都政にしっかりと取り組んでいく」と不快感を示した。

 だが、東京新聞記者が「国政への転身は考えていないのか」と改めて念を押すと「はい、考えて、現在は、考えておりません」と答えた。

「現在は」――。では現在でなければ、国政転身もありうるということになる。小池知事は、「カイロ大を首席で卒業した」など、発言の整合性に欠けるケースが多い。築地市場跡地の再開発計画を巡っても、説明は二転三転した。

 そう考えれば、「現在は」とわざわざ留保をつけたのは、国政復帰への野心を正直に吐露したとしてむしろ“評価”すべきかもしれない。だが将来、都民や国民が小池知事の国政復帰を歓迎するか否かは、まったく別の問題である。


[写真-1]
報道課職員が作成する座席表。日刊スポーツ、日経、毎日、時事、共同などのメディア名が見える

[写真-2]
小池知事(左)に座席表を手渡す初宿理事。公務員は決して楽な仕事ではない

Diamond Online、2020.7.6 5:40
小池都知事が圧勝の裏で露骨にメディア選別、批判的な記者は“排除”
(ダイヤモンド編集部 岡田 悟、記者)
https://diamond.jp/articles/-/242248

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「女帝」x 「中二病」

【Live】原始神母2016「Us And Them」(pinkfloyd tribute)
https://www.youtube.com/watch?v=zfJI1W-xVU4

Pink Floyd - "Us And Them"
https://www.youtube.com/watch?v=s_Yayz5o-l0

 「女帝」の一人舞台だった。
 最初から最後まで小池百合子氏の独走状態だった都知事選。
 コロナ禍という特殊な状況下とはいえ、ほとんど「戦い」にはなっていなかった。

「テレビは4年前、大騒ぎして連日連夜、都知事選を報じていました。ところが今回は扱いが小さかった。東京都を誰に任せるかという重要なことなのに、テレビがもっと率先して扱うべき話題だったと思います」

 メディアの都知事選の報じ方についてこう指摘するのは政治ジャーナリストの角谷浩一氏。

 一方、必ず報道するニュースでコロナを扱えば、必然的に小池氏がテレビに出て発言することにもなる。
 露出にもつながり、有利だったのは否めない。

 さらに小池氏は密を避けるため、基本的には街頭に立たない「オンライン選挙」。
 リモート対応の討論会もあった。
 もともと、テレビのニュースキャスターの小池氏にとってみれば、アウェーではなく「ホーム」の戦いとなった。

 これまでに大きな金銭スキャンダルが出なかったことが大きいとの見方もある。
 猪瀬直樹氏や舛添要一氏が都知事のとき、金銭スキャンダルになって辞めたため、小池氏は「カネ」には気をつけているようだ。
 いくつかのスキャンダルはあったものの、大きな事態には発展していない。
 しかも小池氏の給料は就任当初から現在まで半額だ。

「都知事の給料は、本来は約145万円(月額)なのですが、条例により半額の約72万円になっております。諸手当も付きますがそれも半額。小池知事の年収は今年4月1日時点で、約1478万円です」
(都総務局)

 立憲民主党の都連関係者はこんな話をする。

「東京アラートにしても、都知事選の告示が近くなって解除されました。アラート中では他の候補者は身動きが取れず、準備もろくろくできなかったはず」

 小池氏の作戦勝ちだというのだ。

 とはいえ、ふがいない野党に、都民の目がほとんど向いていなかったことも確かだろう。
 結局、統一候補すら立てることができなかった。
 共産党は宇都宮健児氏を支援したはずなのに、世論調査では共産党支持者の2割は小池氏に投票すると答えたという。

 小池氏にとって、都知事選での余裕な要因はいくらでも出てくるが、これからの都政運営は厳しい道のりになりそうだ。
 ひっぱくした財政、築地市場の跡地問題、江東区へのカジノ誘致計画、そして五輪関連……。
 まさに、「デスロード」が待ち受けている。
 特に財政面ではコロナの休業補償に、都の貯金とも言える財政調整基金9300億円のほとんどを使い、残りは800億円くらいとなっている。

 築地市場の問題などで、小池氏を近くで見てきた元都中央卸売市場次長の澤章氏はこう話す。

「お金があれば色々なイベントを計画できるんですが、それもやりにくい。今後4年間は、都知事は緊縮財政のもとで、かなり大ナタを振るうことになる。小池さんにとっては辛いと思いますよ」

 都議の上田令子氏(自由を守る会)は、小池氏の広告費の使い方を調べているという。

「貯金を使い果たしたら、本来は出費を抑えなければいけないものなのに、あの湯水のような広告費の使い方。コロナ対策に総額1兆円超の補正予算を計上し、隠れて不要不急のデジタル事業等への新しいばらまきを潜ませていることも精査されていくと思います」

 都政運営と同時に気になるのは、小池氏自身の今後だ。
 3年前、野党の「希望の党」代表を務めた。
 都知事は踏み台で、狙っているのは国政復帰、そして「総理の椅子」とまで言われていたが、国政に返り咲くという可能性はないのか。
 前出の澤氏はこんな印象を持ったという。

「小池さんは本質的に都政で何かをやりたいということは多分ないです。そういうことよりも、自分というブランドをどこまで高みに持っていけるかということなんじゃないですかね」

 前出の角谷氏が話す。

「都知事だった石原慎太郎氏の4期目とダブリます。石原氏は4期目の途中1年半で『オレは国政に出る』といって急に辞めたんです。副知事だった猪瀬さんに任せれば大丈夫だと言って『太陽の党』を結党し、国政に復帰しました。小池さんも、財政破綻(ルビ/はたん)すれすれの状態の都政を途中で投げ出す可能性はあると、政界ではささやかれています」
(角谷氏)

※ 週刊朝日7月17日号から抜粋


dot.asahi、2020.7.5 20:11
東京都知事選で圧勝の小池百合子氏
「女帝」を待ち受けるのはデスロード

(本誌・上田耕司)
https://dot.asahi.com/wa/2020070400021.html?page=1

 昨年の夏に、Spotify(スポティファイ)という音楽配信サービスに会員登録した。実は、それ以前に、似たような会員制の配信サービスであるApple MusicとAmazon Musicに加入している。サービス内容がカブっていることは、承知している。ただ、いくつかのコンテンツやアーティストについては、サービス運営会社ごとに若干の異同があって、現状では、すべてを聴くためには、3つのサービスを網羅せねばならなかったりするのだ。なので、90%以上のコンテンツに関して、まったく同じ楽曲をカバーしているほぼ同一内容の3つの配信サービスを、重複して利用している。

 無駄といえば無駄ではある。

 でも、不思議ななりゆきではあるのだが、どうやら、私は、こと音楽に対しては、積極的に無駄遣いをしたいみたいなのだ。

 事実、10代の頃から、この分野にはずっと不毛な投資を繰り返してきた。

 アナログで揃えたコレクションを、CDで買い直しただけでは飽き足らず、目新しいリミックスが出たり、ボックスセットが発売されたりする度に、何度でも買い足してきた。そうした献身の果てに、私という人格が形成されている。

 音楽が私を作ったというのは、さすがに言いすぎなのだろうが、無駄遣いが私を作った部分は、少なからずあると思っている。投資は、それが無駄で見返りのない蕩尽であればあるほど、カネを費やした当人を向上させる。私はそう思っている。なぜそう思うかというと、そうでないと計算が合わないからだ。

 CDであれ楽曲ファイルであれストリーミングコンテンツであれ、鳴っている音楽に大きな違いはない。リミックスの方向性や味付けが多少違っていたところで、結果として出てくる音はほぼ同じだ。それに、私のオーディオ環境は、微妙なリミックスの差を再現できるような高級なブツではない。私自身の聴力も、長年のカナル型イヤホンによる酷使のせいなのか、同年配の人々のそれよりは明らかに早期劣化している。

 それでも、音楽への投資はやめられない。

 おそらく、私は、音楽自体を求めているのではない。

 からくりとしては、音楽にカネを使ったという実感が、私に心理的な報酬をもたらす……という回路が形成されているのだと思う。

 まるで実験室の中の、薬物の出るスイッチを押すネズミだ。

 あるいは、資本主義の世界で暮らす人間である私たちは、貨幣を使うことによってしか満足を得られない主体として条件づけられているということなのかもしれない。

 原稿を書く時は、そのSpotifyの「お気に入り」にマークアップした楽曲を、ランダム設定で流すことにしている。

 で、さきほど、意外な曲に心を奪われて、音楽の力にあらためて感じ入っている次第だ。

 それは、"Us and Them"というタイトルの5分ほどの曲で、ピンク・フロイドの"The Dark Side of the Moon(狂気)"という1973年発売のアルバムに収録されているものだ。

 あるタイプの楽曲は、その曲に耽溺していた時代の自分自身の気分や経験を、正確に冷凍保存している。であるからして、うっかりしたタイミングで当該の楽曲を再生したリスナーは、手もなくタイムスリップしてしまう。

 実は、昨晩、Spotifyの「お気に入り」をランダム再生していたところ、それこそ何十年かぶりに"Tubular Bells"というアルバムのB面が突然鳴り出して、おかげで私は、10代の頃の鬱屈と孤独と焦燥がないまぜになったどうにも整理のつかない気分のまま眠りに就いたのだが、朝起きてみて、PCを立ち上げてみたところが、今度は"Us and Them"である。

 まったく油断もスキもあったものではない。

 "Us and Them"は、私が最も偏向した考えに取り憑かれていた時代に、いやというほど繰り返し聴いていた曲で、それゆえ、これが鳴ると、私の脳内は、思うにまかせない世間への憎悪でいっぱいになってしまう。

 直訳すれば「オレたちとあいつら」といったほどの意味のタイトルを持ったこの曲は、しかしながら、内容的には、さして深遠な作品ではない。

 いくつか思わせぶりなフレーズが散りばめられてはいるものの、素直に読めば若干のシニシズムを漂わせた、よくある70年代ロックのひとつに過ぎない。

 ところが、「狂気」を毎晩ヘッドホンで聴いていた当時の私は、この歌の歌詞を思い切り大げさに解釈して、心から賛同しているパラノイアだった。

 もちろん、全面的ないしは全人格的にパラノイアだったというわけでもないのだが、少なくとも音楽を聴いている間はパラノイアだった。結局、ロックミュージックにハマっていた当時の私は、多くの病んだマニアと同じく、パラノイアックな考えを脳内に展開するためのスイッチとして、音楽を利用していたということなのだろう。

 そうでなくても、特定の作品から、作者が創った以上のものを引き出すことのできる人間をマニアと呼ぶのであれば、私は、当時、まぎれもないマニアだった。

 とにかく、どういう道筋からそう考えていたのかは、いまとなってはわからないのだが、当時、私は、この作品の中で歌われている"Them"すなわち「あいつら」こそが、世界を牛耳っている者の正体なのである、という考えを心の中にあたためている穏やかならぬ若者だった。

 「あいつら」は、特定の組織や体制ではない。

 しかし、「あいつら」は、確実に実在する。

 その、誰にとっても決して自分自身ではない永遠の他人である「あいつら」という不定形な人間集団こそが、この世界を自在に動かしている主体であり、また民主主義の「主」とされる「民」でもある……てなことを、私はわりと真剣に考えていたわけなのである。

 「中二病」という言葉は当時はまだ発明されていなかった。

 しかし、こうしてみると、私の17歳の自画像は、見事なまでに典型的な中二病の症状を呈している。なんというのか、私は世界の秘密を解明し得たつもりでいたのだね。哀れなことに。

 その70年代当時のオダジマのものの見方をあてはめて、現在の世界を解釈してみると、たとえば、2日後に投票日がやってくることになっている東京都知事選挙は、あいつら(Them)が、自分たちの思惑を、オレたち(Us)の意思であるかのように見せかけるために仕組んだ巧妙な詐術だ、てなことになる。

 なるほど。
 「オレたち」は、もちろん「あいつら」よりも賢い。
 なのに「オレたち」は、常に、その愚かな「あいつら」に敗北し続けている。

 なぜだろう。
 理由は簡単で、多数決民主主義が機能している場所では、少数派は必ずや多数派に敗北する決まりになっていて、しかも、ほとんどすべての評価軸において、賢明な人間は愚かな人間よりも数が少ないからだ。 

 なるほど。
 中二病の考察によれば、数の多さを競っている限りにおいて、上品な人間や賢い人間や趣味の良い人間は、絶対に下品な人間や愚かな人間や悪趣味な人々に勝てないらしい。
 そして、われわれはまたしても敗北することになっている。
 もう何十年も前に中二病を克服したにもかかわらず、だ。
 中二病は、あるいは、都民の宿痾だったのだろうか。
 それどころか、マッカーサー元帥が喝破した通り、われわれは永遠に12歳だと、そういうお話なのだろうか。

 話題を変える。
 これまで、公の場でのマスクの着用を頑なに拒んできたトランプ大統領が、7月に入るや、にわかにマスクの着用を「全面的に支持する」と言い始めているのだそうだ。

 たしかに、トランプ氏のラリー(支持者集会)をとらえた映像を見ると、会場に結集した支持者たちは、ほぼ全員がマスクをしていない。あの動画は、さぞや各方面から悪評を招いたはずだ。

 トランプ支持者がマスクをしないせいなのかどうかはわからないが、アメリカでは、いち早く対策を打ち出したニューヨークをはじめとするいくつかの州を除くと、新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収束していない。

 それで、トランプ氏は、マスク着用についての態度を改めたのだろうか。

 理由はわからない。
 ともあれ、彼が非を認めるのは極めて珍しい出来事ではある。
 これは裏目に出るかもしれない。

 というのも、トランプ氏の人気は、その頑迷さ(コアな支持層から見れば「強さ」)を含みおいた上のもので、「ブレるトランプ」てなことになったら、その魅力(←もちろん「支持者にとっての」という但し書き付きだが)は、半減してしまうはずだからだ。

 この先のさまざまな政治日程の中で、私が個人的に最も気にかけているのは、11月の大統領選挙で、トランプ氏が再選されるのかどうかだ。

 そのアメリカの大統領選挙の結果が全世界に及ぼすであろう影響力の大きさに比べれば、都知事選も、この秋にやってくるかもしれない総選挙も、たいした意味はないとさえ感じている。

 理由は、日本のリーダーも、都民のリーダーも、結局のところ、アメリカのボスがどう振る舞うのか次第で態度を変える変数に過ぎないと思うからだ。

 安倍首相ご自身にしてからが、アメリカのトップがオバマ大統領だった当時の振る舞い方と、トランプ氏がホワイトハウスに入ってから後の態度を比べてみると、驚くほど(もちろん悪い方に)変わってしまっている。

 もちろん、モリカケ問題の端緒はオバマ時代から潜在していたわけだし、ネポティズムもお友達政治も、すべては政権発足当初から一貫した傾向だ。

 しかし、それらの欠点を堂々と押し通す図々しさが、トランプ時代に入ってからよりあからさまになったことは誰の目にも明らかだと思う。

 《安倍さんが露骨にグレたのは、アメリカのボスがトランプになって以来だと思います。なんか、中学校にあがって悪い友達ができたバカな中学二年生みたいな感じですよ。あたしとしては、本人の更生はもうどうでも良いです。それよりトランプ番長が少年院送りになることを願っています。ぜひ。午前0:33 2020年6月29日》
というこのツイートは、5000件以上の「いいね」を集めている。

 バラけた原稿だと思っている読者がたくさんいるはずだ。
 支離滅裂と思っている人も少なくないだろう。
 中二病という視点から読み直してみると、一応ひとつながりのスジは通っている。そう思ってどうか、ご寛恕いただきたい。
 読者のみなさんの多くは、すでに中二病を卒業した賢明な大人であるはずだ。
 かく言う私も、さすがに還暦を過ぎて、中二病とは縁が切れたと思っている。

 ただ、正直なところを申し上げるに、話題が政治となると、自分の中で中学二年生が動き出す傾向は否定しきれない。
 わがことながらなさけないことだと思っている。
 とはいえ、政治は、そもそも中二病患者が担うべき仕事なのかもしれない。
 ひと回りして、そういう考え方もアリなんではなかろうか。
 いっそ選挙権年齢を14歳に引き下げれば色々なことがはっきりするはずだ。
 ……という結論は、いかにも中二病だな。もうしわけない。


日経ビジネス、2020年7月3日
「中二病」という都民の宿痾
(文・イラスト/小田嶋 隆)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00077/

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安倍政権がコロナ増税の動き!

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が史上初の緊急事態宣言を発令してから2020年7月7日で3ヶ月を迎える。

 この間、コントロールの効かない危機に焦りを募らせた首相官邸は、しばしば感染症専門家の異論を押し切って対策を主導してきた。
 宣言解除下で感染拡大の兆候が再び見え始める中、関係者の間では不信感が増幅しつつある。


◇「これで当確

 「これで当確ですね」

 宣言解除目前の5月22日夕、官邸で開かれた連絡会議。
 この日の東京都の感染者は3人との情報が飛び込んでくると、加藤勝信厚生労働相はこうつぶやいた。
 安倍晋三首相は「まだ隣の票田が空いてないよ」と近隣県の情報を待つようたしなめたが、選挙に絡めて冗談で応じた横顔には経済活動を再開できることへの安堵(あんど)感が漂った。

 国内初の感染者が1月中旬に確認されて以降、首相に突き付けられてきたのは感染拡大防止と経済活動維持という相反する二つの命題だ。
 ウイルス対策を最重視する感染症専門家は都市封鎖にすら言及。
 一方、経済への打撃を回避したい首相周辺は強力な措置に一貫して消極的だった。

 当初、首相が優先したのは感染拡大防止だった。
 周辺に反対論が残る中、4月7日に緊急宣言を発令。
 さらに同16日には対象地域を全国に広げた。
 対象拡大には現金給付の方針を転換するための言い訳づくりの思惑も働いたとはいえ、底流にあったのは制御不能の感染爆発への恐怖心だ。

 しかし、経済的な打撃が浮き彫りになるにつれ、首相も経済重視に傾斜していった。

◇ 曖昧な基準

 官邸と感染症専門家の意見対立が顕著になったのは5月以降。

 同1日の専門家会議の提言からは、「1年以上持続的対策が必要」との文言が官邸の意向を背景に削られた。
 同4日に月末までの宣言延長を決めてからは、宣言解除の数値基準づくりに向け、両者の間で激しい綱引きが繰り広げられた。

 専門家がまず提案したのは、感染を「直近1週間の10万人当たりの感染者0.5人以下」まで抑えることだった。

 欧米に比べると「桁違いに厳しい基準」(政府関係者)とされる。
 だが、西村康稔経済再生担当相が連絡会議でこの意見を紹介すると、今井尚哉首相秘書官は「東京で解除できなくなる」と猛反発した。

 最終的に官邸は「専門家には経済の視点が全くない」(首相周辺)と提案を却下。

「10万人当たりの感染者が1人程度以下の場合は総合的に判断する」と0.5人基準を骨抜きにする文言を入れ込み、いかようにでも判断できるようにした。

 実際、神奈川県などの10万人当たりの感染者が0.5人を上回る中で同25日に宣言を全面解除できたのは、この文言があったからだった。

◇「それが政治

 宣言の全面解除を5月25日と決めたのも官邸だった。

 専門家会議は28日に感染状況を分析して可否を判断する想定で動いていたが、首相は21日に日程の前倒しを記者団に表明し、独断で「今の状況が継続すれば解除も可能」と言い切った。
 ともに感染症専門家への事前の相談はなかった。


 政府関係者は「完全に官邸主導。首相が経済を心配する声に抗し切れなくなった」と解説する。
 官邸の対応に専門家は不満を募らせる。

 感染第2波に備えて仕切り直しを図るため、専門家会議の脇田隆字座長らは6月24日に新たな専門家組織の在り方を提言。
 しかし、西村氏は脇田氏らに連絡しないまま、同じ時間帯に専門家会議の廃止を発表し、かえって不信感を増幅させた。


 専門家の一人は「提言だけが報じられれば政府に批判的に響いただろう。西村氏は提言内容を先取りし、印象を薄めたかったのだろう」と分析した上で、諦めるように語った。

「それでもいい。それが政治だ」

 専門家会議に代わる分科会の初会合は6日に開かれる。


時事ドットコムニュース、2020年07月06日11時23分
コロナ危機、際立つ官邸主導
制御不能に焦り、増幅する不信感―緊急事態3ヶ月

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020070600282&g=pol

「秋の解散総選挙」説にともなって、最近、永田町でよく聞くのが「安倍首相が解散の前に消費税減税を打ち出すのではないか」という解説だ。
 政権維持のための人気取りとはいえ、本当に消費税を減税するならば、コロナで疲弊し切った国民にとっては朗報と言えるだろう。

 しかし、その裏で、安倍首相はまったく逆のことも目論んでいるようだ。
 7月1日、官邸の安倍首相を石原伸晃元幹事長、塩崎恭久元厚労相、根本匠前厚労相の3人が訪ね、40分にわたって会談したのだが、そのテーマが「増税」だったのだ。

 会談後、石原氏が語ったところによれば、3人が「(コロナで)多額の財政支出を行ったが将来世代につけをまわしてはいけない」と、今後、税収を増やす施策などを検討していくよう要望。
 安倍首相と意見を交わしたという。

 国民や企業がこんな窮状に陥っている真っ最中に、「増税」って、いったいこの政治家たちはどういう思考回路をしているのか。
「2ちゃねる」の開設者で、現在はフランス在住の西村博之氏がこの会談を報じたNHKのニュースをRTして、〈新型コロナウイルス禍の先進国で与党が増税の話をしてるの見るのは、日本が初めてです。率直に「頭大丈夫?」とか思っちゃいました。〉とツイートしていたが、そのとおりだろう。

 しかも、問題なのは、この「増税」が石原、塩崎、根本という、政治センスのない苦労知らずの2世、3世議員トリオが一方的に持ちかけただけ、ではなさそうなことだ。

「安倍首相と石原さん、塩崎さん、根本さんの4人は、若手議員の頃に『NAISの会』を立ち上げて以来の深い付き合いです。もし、安倍首相に増税の意思がまったくなかったら、訪問の前に電話するなどして『いま、そんなことを持ち出さないでくれ』と断っていたはず。それをわざわざ会って、40分も会談したというのは、むしろ、内閣にいない3人に増税の観測気球的な役割を演じさせたんじゃないかという気がしますね。実際、政府内ではすでに、コロナ対策の財源として、東日本大震災の復興特別税と同じような、コロナ特別税を導入するという増税プランが議論されています。とくに財務省は『膨大なコロナ対策費がかかるうえ税収が未曾有の規模で落ち込む、このままいくと財政破綻する』としゃかりきになって、増税を政治家に働きかけています」
(全国紙・官邸担当記者)

 この状況でコロナ特別税? 信じがたい話だが、実は最近、政府が特別税導入を検討をしていることを物語るような人事もあった。

 それは、西村康稔コロナ担当相が7月3日、専門家会議を廃止して、かわりに発足させることを発表した「新型コロナウイルス感染症対策分科会」のメンバーだ

 周知のようにこの「分科会」には、これまでの感染対策の専門家だけでなく、経済の専門家を複数入れたことから「自粛の重要性を説く感染専門家を抑えこもうというもの」「感染防止より経済優先の安倍政権の姿勢を表している」と批判が集まっている。
 しかし、その「経済の専門家」の顔ぶれをみると、懸念されるのは「経済活動再開を推進」どころではなかった。

「分科会」に入った経済学者は、大阪大学大学院経済学研究科教授の大竹文雄氏、東京財団政策研究所研究主幹の小林慶一郎氏だが、2人とも、財政規律派、増税論者として知られる。
 しかも、東日本大震災のときに、「復興のための増税」を主張していた。


コロナ分科会の委員が「度重なる天災ごとに中小企業へ支援するのは過保護」と主張

 東日本大震災からまだ2カ月しか経っていない2011年5月、政府の諮問機関などにも参加したことのある経済学者が中心になって「震災復興に向けての3原則」なる共同提言が発表された。
 ところが、そこでは、復興支援よりもコストの問題をクローズアップし、国債に頼るやり方を「ツケの先送り」と批判。
〈震災・津波の被害を国民全体で支援する、というためには、全国の、いろいろな年齢層、いろいろな職業の国民が薄く広い負担(増税)に 応じてもらうことが必要だ。国民全員が少しずつ生活水準を引き下へる覚悟がいる。〉として、「復興連帯税」の導入を主張していた。
 そして、この提言が引き金のひとつになって、実際に復興特別税が導入されることになった。

 今回、分科会のメンバーに選ばれた大竹文雄氏と小林慶一郎氏はともに、この共同提言の強力な賛同者なのだ。

 なかでも小林氏はゴリゴリの増税論者で、当時、この共同提言に〈復興連帯税は復興後に廃止するのではなく、社会保障財源の恒久税にスムーズに移行して継続するべき〉とわざわざ付言し、またコラムで〈災害を受けて国民の結束が高まり、復興支援への合意が得られやすい現在は、政治的には増税の好機である〉とまで書いていた。

 しかも、新自由主義者らしく、弱者の救済や支援よりも市場の活性化を優先する。

 小林氏は今回のコロナ対策でも3月、所属の東京財団政策研究所として8項目の提言を発表しているが、そこでは、中小企業への支援策を否定するような主張を展開していた。

〈「雇用の7割程度、付加価値の5割以上」を占める中小・零細企業への支援は不可欠とされる。しかし、度重なる天災・自然災害ごとに中小企業へ支援するのはややもすれば過度な保護になり、新陳代謝を損ないかねない。〉

 2人は諮問委員会からのメンバーだが、とにかくこんなゴリゴリの増税論者、弱肉強食を肯定する新自由主義者が専門家会議に変わる分科会に入っているのだから、コロナ特別税の導入というのは決して絵空事とは言えないだろう。

 メディアの動きも気になる。

 6月頃から、辛坊治郎や杉村太蔵など、ワイドショーの司会者やコメンテーターがやたらと、財源を国債に頼ることの危険性を指摘する発言を口にし始めているのだ。

「しかも、その言いぶりは、すべて将来世代にツケを回すというもの。財務省がメディア関係者に“ご説明”に回って、増税のための世論作りを始めている可能性もあります」
(全国紙経済部記者)

 ドイツは消費税減税の方針を打ち出したが、日本の国民に待っているのはまったく逆で、コロナ禍による生活苦に追い打ちをかける増税なのかもしれない。


リテラ、2020.07.06 07:52
安倍政権がコロナ増税の動き!
安倍首相は石原伸晃らと増税談義
専門家会議に変わる新組織に震災で復興税導入を主張した経済学者

https://lite-ra.com/2020/07/post-5507.html

posted by fom_club at 07:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする