2020年01月29日

子規没後の次の百年作り

 野球好きだった俳人の正岡子規(まさおかしき)はベースボール用語を日本語に訳した。
 打者、走者、四球……。
 これらは今も使われている。
 自身の雅号も幼名の「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」と名付けた。

 東京の上野公園に「正岡子規記念球場」という野球場がある。
 1890(明治23)年、子規はここで野球の試合をした。
 野球が日本に紹介されてまだ歴史の浅い頃である。
 時代は移り、令和になって最初となる高校野球甲子園大会が2019年8月6日に始まる。

 同じ甲子園でも、こちらは俳句甲子園だ(ヤッホーくん注1)。
 子規の故郷、松山市で2019年7月17日から開かれる。
 地方大会を経た全国の高校生たちが5人1組で俳句の出来栄えや鑑賞する力を競う。
 今年で22回を数える。
 真剣勝負が繰り広げられるのは高校野球と同じだ。

 このところ俳句がブームだ。
 芸能人らが俳句を作って昇格を目指すテレビの人気バラエティー番組「プレバト」の影響が大きいようだ。
 先生役の夏井いつきさん(ヤッホーくん注2)も松山市在住の俳人である。
 俳句甲子園の創設にも関わったという。

 若い人が俳句に親しむのを子規もきっと喜んでいるだろう。
 上野公園に近い住宅街には、子規と家族が暮らした「子規庵」が残る。
 仲間と語り合い、庭を眺めながら俳句を詠んだ畳の部屋に座れば同じ空気を吸っている感覚になれる。
 子規庵には今も多くの若者が訪れる。

 令和の時代も、それぞれの甲子園で高校生が躍動する。
 そこにある青春のまぶしさが、見る者を引きつける。

夏草や ベースボールの人遠し

(子規)


毎日新聞・東京朝刊、2019年7月26日
[余録]
野球好きだった俳人の正岡子規は… 
https://mainichi.jp/articles/20190726/ddm/001/070/176000c

(ヤッホーくん注1)第22回俳句甲子園全国大会

「今までになく柔らかい」

 多くの審査員が高く評価した。
 2019年8月18日の第22回俳句甲子園全国大会で初優勝した弘前(青森)のディべート。
 相手の句を受け止めて分析する力と、主張を譲らない心の強さを持ち、好勝負を演出した。

 決勝戦の相手、名古屋B(愛知)の句「白靴のかろやか新曲をかけて」。
 弘前は「非常にきれいで軽やかな景。白靴の弾むような感じが伝わる」と受け止めた上で、句を突き詰める。
 白靴と新曲は言葉が近いのではないか。
「かろやか」と「かけて」はなぜ平仮名なのか―。

 名古屋Bも6年連続6回目の出場で優勝経験もあるだけに、負けてはいない。

「漢字、ひらがな、漢字、ひらがなで表記しリズミカルな歩みを表現した」

 いい質問で句の魅力が引き出され好勝負となった。
 過去には、相手句の欠点の指摘し合いになりがちともいわれた俳句甲子園。
 弘前のディベートに審査員の評価は高く、俳人夏井いつきさんは「しなやかなのに、したたかなのが魅力」と絶賛。
 名古屋Bに対しても「即座に相手の句を分析して素晴らしい」とたたえ、濃密な議論を喜んだ。
 弘前の部長武田鮎奈さん(18)は、自分たちの句も各チームに素晴らしい鑑賞をしてもらったと喜び、
「仲間と『楽しい、楽しい』と言いながら過ごせた大会。1勝が目標だっただけに恵まれている」と笑顔だった。

 名古屋Bのリーダー、2年の斎藤壮人さん(17)は、
「悔いはない。決勝という場で戦えたこと、たくさんの人に句を見てもらえたことがうれしくて、すがすがしい」と胸を張った。


[写真]
俳句甲子園決勝戦で、3ポイント連取で初優勝し喜びに沸く弘前チーム(青森)=18日午後、松山市湊町7丁目

愛媛新聞、2019年8月19日(月)
分析と心の強さ 高評価
初V弘前(青森)のディベート 句の魅力を引き出す

https://www.ehime-np.co.jp/article/news201908190065

(ヤッホーくん注2)夏井いつき

「いつき組」は「広場」である

 例えば「結社」は「家」だ。
 そこには「主宰」という「家長」がいて、「文学的主義主張」という名の「家訓」があったりする。厳格かつ保守的な「家」もあれば、自由奔放な「家」もあって、「俳句修行」という名の「躾」をきちんとする家もあれば、「自由な表現」という名の「放任」をモットーとする家もある。そこに集うのは「誌友」「同人」という名の家族契約を結んだ人たち。「家長」である「主宰」を尊敬し、師と仰ぐ人たちだ。

 それに対して『いつき組』は「広場」だ。
 広場だからいろんな人が出入りする。
「結社」という名の「家」に自分の居場所を持っている人が「広場」での交流も楽しいもんだとやってくることもあれば、「家」というものの存在すら知らないまま『いつき組』という広場で俳句を楽しみ始めた人もいる。
 ふらりと現れ、ふらりといなくなり、久しぶりに「広場」に顔を見せたかと思ったら「この度、こんな『家』に所属することになりました」なんて、自分の作品の載ってる本を見せてくれる人もいる。
「別の町へ引っ越すことになったんですが、私の俳句に合った『家』を紹介してもらえませんか」なんていう人もいるから、あそこの町にはこんな「家長」がいるよ、あなたにはあの「家長」がいいかもね、とアドバイスすることだってある。

 私は、いわばその「広場」をアジトとしてる住人。
 気が付けば「組長」と呼ばれていたから、ちょっと態度がデカかったのかもしれない。
「広場」には、そもそも「家」のような序列もなければ、積み上げていくべき地位もない。
 野ざらしだから、俳句の世界で生きていくとすれば、なかなかにキビシイ状況下に置かれているともいえる。
 が、面白い作品を見せてくれる人には、広場中の歓声と拍手が集まる。
 無条件で賞賛される。
 それが快感なものだから、皆、この野ざらしの「広場」で、己の力を磨きあったりする。
 それもまた楽し、というヤツだ。

「広場」であろうが、「家」であろうが、表現者である以上、その評価は17音の作品が全てだ。
 たった17音、そこが潔くていい。
 それ以外の余計なモノが、作品評価を捻じ曲げたり、過大評価される原因になったりってのは……どうも性に合わない。
「広場」に住んでいようが、「家」を持っていようが、作品の評価には一切関係はない。
 佳い作品を作る、それが全てだ。

「夏井いつきの100年俳句日記」2009年10月6日記事より抜粋

「広げる」ことと「高める」こと

 正岡子規がなくなって百年経ちました。
 私は子規没後の次の百年作りをしたい。
 日本には平安時代から和歌っていうのがあって、俳句は和歌の五七五七七の雅な世界から俗のエネルギーを抽出して、その俗のエネルギーを核にして生まれた文学なんです。
 俳句っていうのは俗のエネルギーがふつふつと湧いてくる、猥雑さも全部呑み込めるような文学だと思うのです。
 私はたまたま俳句の歴史のなかで、この時代に、たまたま生まれ合わせたわけですよね。
 この時代の私に出来ることはいったい何なのかって考えたときに、もう一度俳句をたくさんのひとたちの前に開いてみせたい。
 私にだって俳句を楽しめる、俳句のある人生がどんなに素敵な人生なのか、前向きに明るく好奇心いっぱいに生きられる。
 どんな辛いことがあっても、それを俳句にしたら生きて行ける。

 もちろん裾野を広げる中で天才が出てきてくれたらうれしいよ。
 次の百年をになう新しい俳人が出てきてくれたらそれはうれしいけど、一人の天才を見つけるためにやってるんじゃないんです。
 たくさんの人たちに俳句のある人生を味わって貰いたい。

「夏井いつきの100年俳句日記」2012年1月1日記事より抜粋/「夏井いつきの一句一遊」2004年放送分よりの聞き書き


いつき組長あいさつ
https://www.natsui-company.com/leader/

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2020年01月28日

井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』

『頭痛肩こり樋口一葉』(以下『頭痛』と略す)は、井上ひさし(1934–2010)が自分の作品を上演するために作った「こまつ座」の旗揚げ公演に備えて1984(昭和59)年、作者50歳の年に執筆した戯曲である。

 初演の演出は木村光一、音楽は宇野誠一郎が担当し、それ以来何度 も再演を繰り返している人気作である。
 こまつ座だけでも8回再演しているほかに、他の劇団でも取り上げているので(劇団新派や松竹など)、上演回数はかなり多い。
 音楽劇としての魅 力と、女性だけ6人の登場人物たちの人生模様の切実さが観客の興味を引いているようだ。
 それゆえ井上ひさしの代表作といってよい評価がされている。

 1934(昭和9)年に左翼の活動家である父修吉、看護師見習いの母マスの次男として生まれた井上ひさしは、丸谷才一の弔辞の表現を借りるなら、「プロレタリア作家」である。
 昭和初年のプロレタリア作家が「知識人が大衆を指導する」ようにではなく、「シェイクスピアがしたやうに、あるいはブレヒトと同じやうに、知識人は知識人なりに楽しめ、大衆は大衆なりにおもしろがることができる芝居を書いた」(注1)という丸谷の評価は、この劇作家の本質を捉えたものである。

(注1)丸谷才一『あいさつは一仕事』朝日文庫、2013年、p. 48–49。
 この分類は1930年代の日本文学を芸術派、私小説、プロレタリア文学の3つに分類した平野謙にならったもので、丸谷は、芸術派には村上春樹、私小説派には大江健三郎を分類している。

 井上がその初期からこの二人の演劇の巨人たちの影響のもとに戯曲の執筆をしたことは、1972(昭和47)年に第17回岸田國士戯曲賞を受賞した『道元の冒険』をはじめ、翌年の『藪原検校』や『天保十二年のシェイクスピア』などから見てとることができ、そこでは シェイクスピアとブレヒトの作劇術を巧みに採り入れている。

『頭痛』の執筆はそうした初期から中期へと移る時期に当たっている。
 戯曲全集である「井上ひさし全芝居」全7巻でも、第3巻(新潮社、1984年7月)の最後に載せられており、初期の試行的時期のあと、井上演劇の円熟期の到来を告げる位置づけができる。
 初期の代表作である『雨』や『藪原検校』 などの戯曲にこめられたドラマトゥルギーはすでにこの劇作家の演劇的仕かけの巧みさを証明しており、『頭痛』にもその流れがつづいている。

 そしてその後の『化粧』、『父と暮せば』、『きらめく星座』、『シャンハイムーン』、『黙阿弥オペラ』、『太鼓たたいて笛ふいて』などの人気作には井上演劇の到達地点が如実に示されている。

井上ひさしと樋口一葉

 井上ひさしは『頭痛』の中で樋口一葉(劇中では夏子)をどのような人物として描こうと考 えたのであろうか。

 一葉は五千円札の顔として知られ、国語の教科書に載っていたりするので、日本人で知らない人はいないくらい有名な作家である。

 作家として作品を残した時期は短く、19歳のときに小説家になろうと決心し、22歳から24歳までの2年に満たない間に傑作を続けざまに発表して一躍有名作家になった。

 島崎藤村、上田敏、幸田露伴、森鷗外などに評価され、天才と呼ばれるに至った。
 夭折しているだけに、「もっと長生きしてさらなる傑作を書いてほしかった、まさに薄倖の 女性だ、可哀そうだ」と、とかく考えてしまう。

 しかしこの戯曲を書いた井上ひさしはそうは 捉えていない。

〈一葉ほど幸福な人は珍しい、天分と努力によって小説家としての絶頂をきわめた、代表作を書きあげてすぐに死ぬのが作家としての理想の死である、小説家としての最大の不幸は代表作を書きあげたあと二十年、三十年と生きつづけなければならないことだ、太宰も三島も川端もその宿命を回避しようとして自分の生涯に自分で幕を下ろしたのだ、仮に一葉 が百歳まで生きても『大つもごり』、『たけくらべ』、『にごりえ』、『十三夜』を超える小説を書けなかった、文語文の頂点を極めたが言文一致体の口語文では『にごりえ』のような緊密なリズムを出せなかった、だから死ぬべきときに死ぬことのできた幸福な作家なのだ〉と(注2)。

(注2)井上ひさし・こまつ座編著『樋口一葉に聞く』(文春文庫、2003年、p. 32–35参照)

 作家らしいシニカルな視点で井上ひさしは樋口一葉の作家人生をこう捉えたのである。
 なるほどそうかもしれないし、そもそも過ぎ去った過去を「もし」と仮定しても意味はない。
 だから井上は一葉を「可哀そうだ、薄倖だ」と悲劇のヒロインにしようとしてはいない。

 中島歌子の塾「萩の舎」での小間使い同然の扱いも、半井桃水に恋い焦がれながら、戸主であるがゆえに嫁に行くことができず添い遂げることができなかったことも、可哀そうだという視点で描いていない。
 むしろそうした経験を小説を創作する元手にすることができたと肯定的に考えている。

 そのように考えると『頭痛』があっけらかんとカラッと描かれているわけが分かる。
 樋口家を盆礼に訪れる鐄や八重など、それぞれの登場人物が苦労をして逆境に陥るのも笑いのネタとして扱われ、その笑いが劇にテンポを与え、観客に登場人物に同化するのではなく、彼女たちの生き方の意味を考えるように仕向けるのである(注3)。

(注3)『頭痛』執筆当時の井上ひさしの妻西舘好子によると、最初の題名は『なんだ坂、あんな坂』というものだったと言う。
 それが明治の女を象徴するものとして「頭痛肩こり」に変わった経緯も明かされている。
 遅筆で原稿が上演に間に合わないことの多かった井上ひさしだが、この『頭痛』の場合は舞台稽古にぎりぎり間に合ったようだ。
 チケットも発売開始2時間で売り切れとなり上演も成功した。
 ……西舘好子『表裏井上ひさし協奏曲』(2011年、牧野出版、p. 281–285参照)

 樋口一葉は1872(明治5)年旧暦3月25日(新暦5月2日)に東京府第二大区一小区内幸町の官舎に父樋口則義、母多喜の第5子(次女)として生まれた。
 父の則義は甲斐の国、現在の山梨県に農民の長男として生まれたが、1857(安政4)年に多喜を伴い、駆落ち同然に江戸に 出た。
 伝手を頼って武士階級に接近し、維新直前の慶応3年に御家人の株を買って八丁堀同心となった。
 苦労をして農民から武士へと身分をあげたが、翌年幕府の滅亡によってその努力の成果を失った。
 それでも維新後は東京府の役人になり、警視庁などに勤務した。
 母の多喜は長女ふじを出産後に、劇中に出てくるように旗本稲葉大膳の娘鐄の乳母として奉公した。
 一葉が15歳のときに長兄泉太郎が、17歳のとき父則義が病没した。
 長兄は秀才で期待の星だったが、若くして死んでしまい、父親の則義はその後は希望を失い、気力をなくしてしまって病に斃れたのであった。

『頭痛』で描かれるのは父の死の翌年1890(明治23)年、一葉が18歳になる年からである。
 生活が苦しく、次兄の虎之助が母との折り合いの悪さから家を出てしまった時期である。
 一葉は14歳で歌の塾「萩の舎」に入門していたが、父や長兄が死んでしまい、次兄はあてにならず、長女は結婚して家を出ており、彼女が相続戸主としての役割を求められる立場になった。
 家制度の中で戸主として家に残らねばならないため、他家に嫁ぐこともできず、婿を取るしかない立場となったことは一葉の人生航路を大きく決定した。

 父の死後、家計が困窮を極めていたので一葉は歌の塾「萩の舎」に内弟子として入り、住み込みで師匠の雑用をした。
 しかし和歌では生活できないことを知り、小説で身を立てようとする。

 妹邦子の同級生の中に、兄に小説家半井桃水を持つ女性がおり、その伝手で桃水に小説を師事することになる。
 一葉は半井桃水に出会ってすぐ一目惚れしてしまうが、彼女は戸主であったため、婿取りしかできず、結婚は不可能だった。
 ただ、二人は冬の雪の日に結ばれたのではないかという説がある。
 しかし桃水は別の女性に子供を産ませたという噂もあり、遂には絶交となった。

 桃水と出会う前に一葉は、父の生前に17歳で一度婚約している。
 相手は渋谷三郎という、のちに早稲田大学の法学部長や県知事にまで出世した男だが、一葉の父の死後樋口家の借金の多さに驚いて一方的に婚約を破棄してきたのであった。
 のちに一葉が20歳のときに復縁を求めてきたことがあったが、これには一葉の方が応じなかった。

 もう一人22歳の一葉に近づいた男がいて、それが久佐賀義孝である。
 久佐賀は占い師で一葉が小説だけでは生活ができないので借金の申し出をした。
 すると、単なる付き合いだけでなく、深い関係も求めた。
 ついには「妾になってほしい」と要求したというが一葉はこれを拒絶している。

 三人の男性との交際はいずれも一葉にとっては不本意な結末となったが、それが彼女の創作にはむしろ深みを与えたと考えることもできる。

 さらには当時の男性中心の社会への眼差しをより鋭いものとしたであろうことも十分に想像できることである。
 久佐賀とのことがあった1894(明治27)年の12月に一葉は突然小説で傑作を生み出しはじめる。
 まずは代表作の一つ『大つごもり』である。
 それからの14ヶ月は「奇跡の14カ月」 と言われ、翌年1895年1月からは『たけくらべ』を「文学界」に連載しはじめ(1896年まで)、9月には『にごりえ』、12月には『十三夜』をともに「文学倶楽部」に発表した。
 こうして小説家としての評価が高まり、一葉は「明治の紫式部、清少納言」と褒めそやされるようになる。
 森鷗外、幸田露伴、佐藤緑雨らが雑誌で絶賛し、川上眉山、平田禿木や上田敏らが一葉の家を訪ねてきた。

 しかし1896(明治29)年の11月23日に一葉は24歳で結核のため死亡した(注4)。

(注4)前掲書『樋口一葉に聞く』p. 76–149参照

京都産業大学論集、人文科学系列、2016-03
女性6人のドラマ
井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』

(時田浩)
AHSUSK_HS_49_267.pdf

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カジノ法、明治天皇も怒っている!

 ねえ、ねえ、安倍総理大臣が日本の各地に導入したがっている「カジノ」!
 でもね、これって安倍総理大臣が戻そうとしている明治時代にもあったの?

大門実紀史・共産党参院議員
(刑法で)賭博が禁じられてきた理由の一つは、勤労の美風を損ない、経済活動を阻害することにあります。
 立法事実は江戸時代末期にさかのぼります。
 資料によれば、江戸後期から末期にかけて、世相は乱れ、町の辻々で昼間からばくちが行われ、博徒がはびこっていた。明治維新になって、「新しい日本の建設、経済発展のためには、まず賭博撲滅、風俗矯正だ」ということになり、明治天皇のもとで定められた刑法において厳しく賭博を禁止することになったのです。

 こういう最初の立法時の趣旨を知った上で、自民党の皆さんは「カジノが経済の目玉」などとのんきなことを言っているのでしょうか。
 明治天皇も雲の上で怒っています。
「共産党、頑張れ」と言っているのではないでしょうか。
(カジノ解禁法案を可決した2016年12月14日の参院本会議の反対討論で)


朝日新聞、2016年12月14日 22時53分
共産・大門氏
「カジノ法、明治天皇も怒っている」

https://www.asahi.com/articles/ASJDG771CJDGUTFK02C.html

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記の再読、周囲の皆さんへの拡散をお願いします:
☆ 2015年02月04日「福徳神社(芽吹神社)」
☆ 2016年11月05日「きのうTPP強行採決」
☆ 2016年11月30日「自公維、年金カット法案強行」
☆ 2016年12月01日「カジノ献上で売国まっしぐら」
☆ 2016年12月01日「日本を売り渡す」
☆ 2016年12月09日「2016年12月8日」
☆ 2018年07月10日「カジノ法案は、安倍首相からトランプ大統領への“貢ぎ物”」
☆ 2018年07月11日「豪雨災害対策の不手際」
☆ 2018年07月16日「早稲田大学、水島朝穂の”直言”」
☆ 2018年07月21日「山本太郎が安倍政権の被災地無視に吠えた!」
☆ 2018年11月20日「外国人技能実習生の失踪データの誤り」
☆ 2019年02月14日「政治とニッポンの行方」
☆ 2019年11月15日「共産・大門氏”世界の流れは庶民増税でなく減税”」
☆ 2019年12月27日「放置国家なのか、法治国家なのか、秋元司逮捕から見えてくるもの」

 今日は、再度、復習:

 刑法が禁じる賭博場であるカジノを解禁するカジノ実施法の成立が参院本会議で強行されました。
 西日本豪雨被害が拡大するなか「カジノよりも災害対応を」と求める国民の声を無視し、反対の世論を踏みにじり、問題だらけの法案を強引に押し通した安倍晋三内閣と自民党、公明党、日本維新の会の暴挙に強く抗議します。

史上初の民間賭博解禁

 カジノ合法化は、2014年5月にシンガポールのカジノ施設を視察し「日本の成長戦略の目玉になる」とのべた安倍首相の異様な執念で進んできた話です。
 国際会議場や展示場、ホテルやエンターテインメント施設を併設した統合型リゾート(IR)を建設することで、国際観光振興、地域経済振興、雇用や税収の増を図るというのが「表看板」です。
 しかし、IRの「収益エンジン」となる中核施設はカジノです。
 いくらIR法と言い換えようとカジノ解禁法であることは隠せません。

 カジノは、これまで日本では絶対に認められることがなかった民間賭博です。
 民間の事業者が、私的な利潤追求のために、賭博を開帳する自由を与えたのです。
 これによってアメリカなど海外のカジノ資本が日本に乗り込む道を開いたというのがことの本質です。

 首相が視察したシンガポールのカジノ施設を運営する米カジノ大手ラスベガス・サンズのシェルドン・アデルソン会長は「シンガポール進出はウオームアップだった」とのべ、日本のカジノへの1兆円規模の投資を公言します。
 1800兆円とされる個人金融資産をもつ日本にカジノをつくれば、初期投資はすぐに取り返し、ぼろもうけできるのは確実というのが海外カジノ資本のもくろみです。

 今回の実施法に先立つ「カジノ解禁推進法」(2016年12月成立)の提案者議員5人全員が、米カジノ企業のコンサルタントからパーティー券購入の形で資金提供を受けていた事実が浮上しました。
 海外カジノ企業は長い時間をかけ、人も金も惜しまずに、日本のカジノ解禁への地ならしを進めてきたのが実態です。
 その意に従った「最も悪質な売国法」を絶対に許すわけにはいきません。

 深刻な懸念があるギャンブル依存症の拡大について、安倍首相は「(賭博の)機会は増えるが、今までなかった依存症対策を行うので、全体数は減っていくと期待している」と答えました。
 無責任な態度です。
「世界最高水準のカジノ規制」(首相)をいいながら、中心となる日本人客の入場「制限」は1週間に実質6日間の滞在を可能にしており、入り浸ることができる穴だらけのものです。

 ギャンブル依存症拡大の“ガソリン”ともいわれるカジノ事業者による賭博資金貸し付けなど、客を深くのめり込ませ、カジノ事業者のもうけを最大化する「悪徳の仕掛け」が満載の制度設計です。

不幸の上の繁栄あり得ぬ

 市民団体「全国カジノ賭博場設置反対連絡協議会」が2018年7月20日、国会前で開いた集会では、
「人の不幸を前提の経済政策はあり得ない」
「全国どこにもカジノをつくらせぬたたかいを広げる」
という決意が口ぐちに語られました。

 カジノ開設への今後の具体的な動きに対し、「賭博国家」を許さないたたかいを、さらに巻き起こすことが重要となっています。


しんぶん赤旗・主張、2018年7月21日(土)
カジノ法成立強行
日本のどこにも賭博場いらぬ

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-21/2018072102_04_1.html

 カジノを中核とする統合型リゾート(IR)事業への中国企業の参入をめぐり、昨年末に秋元司衆院議員・元内閣府副大臣(IR担当)が収賄容疑で逮捕され政界に激震が走る中、年が明け、疑惑が一気に拡大しています。
 自民党や日本維新の会の5人の衆院議員に100万円前後の金が中国企業から渡ったと、贈賄容疑で逮捕されている中国企業関係者が供述していることが判明(2020年1月4日)。
 供述では、秋元氏が300万円を受け取ったとされる2017年9月末ごろ、自民党の岩屋毅前防衛相や日本維新の会の下地幹郎衆院議員らにも、100万円前後の金を渡したとされています。

 疑惑がどこまで広がるのか予断できませんが、2020年1月20日に召集が予定される通常国会で、徹底した疑惑解明が課題となります。

 またカジノ事業候補地が決まる前から、こうした重大な汚職疑惑が広がる根本にある、カジノ解禁・民営化をめぐる安倍政権の責任、政策の根本的見直しが問われます。

そもそも違法

 カジノは賭博場のことであり、賭博は本来、違法です。
 賭博が違法とされるのは、これを放置すれば人がまじめに働く意欲を失い依存症に陥るなど、ひいては社会全体が崩壊しかねないこと、けんかや殺人の原因にもなり治安の悪化や暴力団の資金源になるからです。

 競馬、競輪、オートレース、競艇、宝くじなどは賭博の一種ですが、それぞれ特別法によって公営賭博として「合法」とされてきました。
 ところがカジノ解禁は民営を前提としており「公設、公営、公益」のもとで「合法」とされてきたこれまでの法体系で説明できません。
 自民党や維新は、こうした疑問に答えないまま2016年12月にきわめて短い質疑時間でカジノ解禁法を強行しました。
「国策」として違法な事業を進める恐るべき決定でした。

 また、ギャンブル依存症の拡大、違法な資金洗浄(マネーロンダリング)、治安対策など、前提として解決されるべき諸問題についてまともな議論も対策もないままの強行でした。
 公明党は「自主投票」という形で協力しましたが、投票では山口那津男代表も「反対」せざるをえなかったのです。

癒着の可能性

 質疑の当時から、数兆円ともいわれるカジノの巨額利権をめぐり、業界と政治家、政府の癒着の可能性も指摘されていました。

 今回、まさに衆院内閣委員会委員長としてカジノ解禁法を強行し、その後IR担当の内閣府副大臣だった秋元氏やカジノ議連幹事長を務めてきた岩屋氏、一貫してカジノ推進で自民党に協力した維新の下地氏らに、疑惑が直撃しているのはまさに必然性のある状況といわれても仕方ありません。

 人の不幸や悲劇を食いものにするカジノを「成長戦略の目玉」などと位置づけ、深刻な国民的疑問を不問にして暴走した安倍政権の責任は極めて重大です。

カジノ=賭博場解禁の経緯(所属、名称などはいずれも当時)
2001年12月 自民党議員36人が「公営カジノを考える会」(会長=野田聖子衆院議員)を結成
2002年6月 同会を「カジノと国際観光産業を考える会」と改称
(同年2002年12月に「国際観光産業としてのカジノを考える議員連盟」に再改称)
2004年6月15日 同議連が「ゲーミング(カジノ)法・基本構想(案)」を発表
2006年2月15日 自民党政調内に設置された「カジノ・エンターテイメント検討小委員会」(委員長=岩屋毅衆院議員)が初会合
同2006年6月16日 同小委が「我が国におけるカジノ・エンターテイメント導入に向けての基本方針」策定
2010年4月14日 国会議員による超党派議連「国際観光産業振興議員連盟」(カジノ議連)が発足
2011年8月 同超党派議連がカジノを中心とした複合観光施設(IR)の国内整備のための議員立法「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」(通称:IR推進法案=カジノ法案)を発表
2012年2月 自民党政調の内閣部会と国土交通部会の合同部会がIRをテーマに議論を開始
2013年9月 日本財団、三井不動産、鹿島建設、フジ・メディア・ホールディングスが政府の産業競争力会議国家戦略特区ワーキンググループに対し、東京臨海副都心に国際観光拠点を整備する「エンターテイメント・リゾート戦略特区」の設置を提案
同2013年12月6日 臨時国会で自民、維新、生活の党が衆院にIR推進法案を共同提出。継続審議に
2014年4月28日 日本共産党の大門実紀史議員が参院決算委員会で、刑法が禁じる賭博場・カジノの合法化は、最悪のギャンブル依存症大国・日本で依存症をさらに増やすと厳しく批判
2015年4月28日 自民、維新、次世代の党が衆院に共同でIR推進法案(カジノ法案)を再提出
同2015年10月 自民党の秋元司衆院議員が同党国土交通部会長に就任
2016年9月 秋元議員が衆院内閣委員長に就任
同2016年12月1日 日本共産党の志位和夫委員長が記者会見で、カジノ法案はギャンブル依存症が深刻な日本社会に重大な影響を与え、経済効果も期待できないと断固反対を改めて表明
同12月2日 衆院内閣委でカジノ法案の採決を強行し可決
同12月6日 衆院本会議で同案が自公維の賛成多数で可決
同12月14日 共産、民進、自由、社民の野党4党が書記局長・幹事長会談を開き、安倍内閣不信任案提出とともに、カジノ法案の会期内成立を結束して阻止し廃案を目指すことで一致
同日 参院本会議で同法案の修正案が自民、維新などの賛成多数で可決
同12月15日 衆院本会議で同法が自公維の賛成多数で可決・成立
同12月26日 同法施行。政府がギャンブル依存症対策を検討する関係閣僚会議を開催
2017年3月24日 政府の「特定複合観光施設区域整備推進本部」(本部長=安倍首相)が発足。内閣官房にIR推進室設置
同2017年8月3日 第3次安倍晋三再々改造内閣が発足。同7日には秋元議員が国交副大臣に就任(内閣府のIR担当副大臣を兼務)
2018年4月27日 IR(カジノ)実施法案を閣議決定
同2018年6月19日 衆院本会議で同実施法案が自公維などの賛成多数で可決
同2018年7月20日 参院本会議で同実施法が自公維などの賛成多数で可決・成立
2019年12月25日 東京地検特捜部が秋元議員(同日自民を離党)を中国企業「500.com」社からの収賄の容疑で逮捕。その後、自民4人、維新1人の国会議員が同特捜部の事情聴取を受けていたことが判明


しんぶん赤旗、2020年1月6日(月)
広がるカジノ汚職
推進した政権の責任重大

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-01-06/2020010601_04_1.html

Q カジノ汚職が大問題になっていますが、日本のカジノ解禁は誰が、いつ決めたのですか(東京・女性)
A ・・・
 カジノは刑法が禁じる賭博にあたります(刑法185条、186条)・・・


(新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々、2020年01月28日 06時49分03秒
今日の赤旗記事
カジノ解禁、誰がいつ決めたの?
安倍政権、国策として推進

https://blog.goo.ne.jp/uo4/e/0670e7bb248d093a30ca47042add4009

 憲法を守るべき立場のこの国の首相が、憲法改正の言い出しっぺであるねじれ現象をおこしているわけですから、法治国家でなく、もはや刑法まで無視する放置国家に成り下がっているのかも知れません。
「ここまで私物化がすすんでいるというのに、有権者、納税者、主権者の皆さま、なんか一言発していきましょうね」ってヤッホーくん、黙っているとどうなるか、明治からの歴史が証明していますよって。
 ヤッホーくんが身体をぶるぶる震えあがさせているのは、あのね、1月20日の「大寒」のせいでも、最近ニュースでとめどなく流れてくる新型コロナウイルスによる肺炎の広がりのせいでもなさそうですよ!

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2020年01月27日

山歩クラブ「下谷七福神めぐり」

 こんにちは、お元気のことと思います。
 昨日2020年1月26日日曜日は山歩クラブのお散歩会。
 お天気がいまひとつで、4人も欠席!しかし11名で七福神めぐりをして験を担いでまいりました。お疲れ様でした。

 この七福神めぐりにはもうひとつ隠されたテーマがございました。
「敬天愛人」の像のもとにつどいあつまったわれわれ、それは正岡子規から樋口一葉まで日清戦争までの明治を偲ぶ、小さくて大きな旅でもあったのです。

 ヤッホーくん、出だしは風邪が抜けず往生していたそうで調子に乗れず、しかし台東区立「一葉記念館」(台東区竜泉3-18-4 Tel 3873-0004)まできましたらヤッホー漫談がさく裂!
 持参した資料を配布し、その解説がはじまりました。
 そして……
☆「たけくらべ」が一括掲載された1896年って明治で言うと何年?
☆ 一葉何歳?(何歳まで生きたか)、
☆ 子規は何歳?(何歳まで生きたか)、
☆ 子規の家賃はいくら?
☆ 一葉の生活費はいくら?……

 もう立て続けに質問が発せられ止まることを知りません。

 そこへヤッホーくんの田舎の同級生、やすゆきくんも出席、参加していたんですが井上ひさしのお芝居、「頭痛肩こり樋口一葉」を観たことがあるというので、さらに話は二回りも三回りももりあがります。
 このやすゆきくん、終点の上野で一休みし、打ち上げたときには、「秋田大黒舞」と「最上川舟歌」をお披露目、いやあ、2020年はなんか良いことがありそうですよ、皆さん!


・ ヤッホーくんのこのブログ、2016年12月03日付け日記「一葉没後120年」をどうぞお読みください。

・「秋田大黒舞
https://www.youtube.com/watch?v=fqWTbwuQYyk
 あっ、失礼。
https://www.youtube.com/watch?v=ikGWEkAMtO4

・「最上川舟歌」 
https://www.youtube.com/watch?v=PaIiTh0vSvI
あっ、失礼
https://www.youtube.com/watch?v=_FPUeAZ4sWA

・ 井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」

 何度見ても心打たれる芝居なんて、そうそうあるものではない。
「新作」が使い捨てにされる演劇界の現状にあっては、なおさら。
 井上ひさしの「頭痛肩こり樋口一葉」が貴重であるゆえんだ。
 井上演劇を上演するこまつ座の好舞台(東宝と共同製作)から、その魅力の秘密を探ってみよう。

歌の魅力

 ぼんぼん盆の16日に 地獄の地獄の蓋があく 地獄の釜の蓋があく……

 闇の中から童歌(わらべうた)のような「盆の練り歩き歌」が近づいてくるという幕開きだ。
 かわいらしい童歌は残酷な内容をもつことが多いが、まさにそんな歌。
 井上ひさしとテレビ「ひょっこりひょうたん島」以来の名コンビだった宇野誠一郎の音楽が鮮やかに響く。
 日本語の韻律を生かす井上ひさしの音楽劇の中でも会心の導入部なのである。

 明治の女流作家、樋口一葉(1872〜1896)の幸薄い人生をたどる舞台は、年々の盆の情景を描きだす。
「たけくらべ」「にごりえ」など珠玉の作品を残した一葉は極貧の家を文才で支えたが、肺結核となって24歳で夭折(ようせつ)した。
 母、姉夏子(一葉)、妹邦子の女の暮らしがいかに酷薄なものだったか。
 借金まみれの苦しみが仏壇の目立つ質素なわび住まいに映りでる。
 死者を迎える盆の習俗、幽霊の出る夏芝居の伝統を踏まえているあたりも心憎い。
 男の身勝手な横暴さ、苦界に沈む女のうめき。
 樋口家につどって思いのたけを吐露する女たちの心情を受け、ゆるゆると流れる音楽が悲劇調でないのもいい。
 オッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」の有名な「舟歌」のような、優しくたゆたう旋律。
 わたしたちのこころは あなのあいたいれもの わたしたちのこころは あなだらけのいれもの……。
 苦しみを溶かし、祈りに転じる音楽といえるだろう。

幽霊の面白さ

 自分で自分の戒名をつける一葉には幽霊が見える。
 井上ひさしの作劇で幽霊はおなじみ。
 代表例は原爆で死んだ父親が幽霊になって娘のもとに現れる「父と暮せば」だろうが、この舞台の花蛍というユーモラスな幽霊も「父と暮せば」の父と並ぶ傑作キャラクターといえる。
 誰をうらんでいるのかわからないまま成仏できずにいる花蛍は一葉の探索で、女郎だった自分の前世を知る。
 大工の恋人が身請けの金を落とし、拾ったお婆さんにネコババされた。
 恋人は身投げし、世をはかなんだ女郎も命を絶ったという。
 花蛍はお婆さんのもとへ恨みをはらしにいくが、そこにも悲しい事情があり……。
 次々に恨みをたどるが、因果の源にたどりつけない。
 女を苦しめる非合理はついに皇室にまで及び、際限がない。

「これはもう世の中を丸ごと恨め、というのと同じ。いくらなんだって世の中全体に取り憑(つ)くなんてことはできやしない。だから諦めたのよ」

 おひとよしの花蛍は幽霊である自分を最後に否定する。
 こんな奇抜な幽霊を創造したのは、井上ひさししかいないのではないか。

 1984年、こまつ座の旗揚げ公演における初演から花蛍を一貫して演じたのは、文学座の新橋耐子だった。
 大仰な声色、蝶(ちょう)のようにひらひら動くおかしさが抜群。
 ほかに大橋芳枝、池畑慎之介も演じたことがあるが、おどろおどろしい新橋耐子の壁は超えられなかった。
 ところが今回、前回から演じる若村麻由美が大奮闘、客席をわかしているのに驚いた。
 コメディエンヌの才が開花、バタリと倒れる呼吸がおかしい。
 おかしみに加え、透明な悲しみを帯びる花蛍だ。終盤の憔悴(しょうすい)ぶりにまだ伸びしろがあり、今後が楽しみだ。

 死者によって生者は生かされている。
 井上ひさしの演劇は年を経るにしたがい、そういう思想を強めた。
 理屈っぽい話になるけれど、そこには日本の演劇の源にある能の構造が実は隠されていただろう。

 能の舞台はおおおむね、こういう展開をとる。
 旅の僧の前に死者の化身が現れ、その本体を現す。
 前世の悲運を物語り、ひとしきり舞ったあと供養されて闇の国にかえる。
 専門用語では夢幻能ともいう。

 能だけでなく茶の湯も連歌も座の芸能であり、主人も客人も思いをひとつにして一座を建立する。
 自作を上演するための劇団名に座をつけ、公演プログラムを「The座」と名づけた井上ひさしは、一座建立が演劇なのだと考えていたふしがある。

 演出家として舞台を生き生きと弾ませてきたのは木村光一だったが、前回公演から継承した栗山民也は井上ひさしの思いを深くくみとり、新たな世界を完成させたといえそうだ。
 能舞台のように、これ以上ないほどそぎ落とされた空間で死者のまなざしを強調する。
 柱だけがあり、上部は虚空となる(松井るみ美術)。
 孤独な心を照らす月だけが見え、白い幽霊を宇宙の中に浮かび上がらせる行き方だ。
 能の演劇性を演出の起点におく栗山が編み出した空間であろう。

 生き残った邦子のシルエットを薄明の中の影として見せる幕切れは、観客を酔わせるだけで終わらない。
 その影は邦子であり、あなたであり、私たちなのだと問いかけてくるようだ。
 蜷川幸雄なきあと現代演劇の中核をになう演出家だけに、こうした手法をいっそう輝かせてほしい。
 あえて言えば、生活感の面白さ、音楽の躍動感をどう加えていくか。
 荘重な交響曲に軽快な楽章が欠かせないように。

女優劇の楽しさ

 出演者6人、そのすべてが女優という劇である。
 主役の一葉は香野百合子、日下由美、原田美枝子、宮崎淑子、未来貴子、有森也実、波乃久里子、田畑智子、小泉今日子がこれまで演じ、今回は永作博美。

 中では香野の慈愛に満ちた聖母のような一葉が忘れられないが、永作のきっぱりとした一葉には明日を見すえるポジティブな勢いがある。

「でもわたし小説でその因縁の糸の網に戦さを仕掛けてやったような気がする」

 死に向かうやつれよりも、未来につながる生気が吹き出すようなセリフだった。
 明治の話を一気に現代につなげる得がたい感覚をこの女優はもっている。

 他の5人は前回公演と同じで、栗山版の輪郭を肉づけする。
 さすがと思わせるのが母役の三田和代で「家」のしきたりに固執する頑迷さにも、夫を喪った女のかなしみをまとわせる。
 この役では名脇役だった大塚道子が忘れがたいが、三田和代の演技には現代的な激情が走る。
 そこが余人にないところ。

 出入りする薄幸の女、八重は男に捨てられ、身を売るところまで落ち込む。
 過去、風間舞子のすさみがすごかった。
 今度の熊谷真実は懸命に生きる必死さに痛覚がある。
 妹、邦子の深谷美歩は死んだ姉を思っての「石になっているかしら」のセリフがいい。
 澄んだ声にりんとした力がみなぎっている。
 愛華みれは「わたしたちのこころは……」の歌いだしに決定力が出てきた。

 こうしてみると、女優を育て大きくする演劇だということが改めてわかるのだ。


日本経済新聞、2016/8/16
「頭痛肩こり樋口一葉」
名作女優劇、あせない魅力

(編集委員 内田洋一)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO05986020S6A810C1000000/

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2020年01月25日

首相答弁の問題は、中身よりもその幼児性にある

 公選法違反容疑で強制捜査が入った自民党・河井案里議員と夫である河井克行・前法相に持ち上がった、「安倍マネー1億5000万円」問題。
 昨年の参院選で広島選挙区から新人候補として自民党から出馬した案里議員の選挙に、なんと自民党本部が1億5000万円も投入していたという疑惑だ。

 昨日おこなわれた参院代表質問では、立憲民主党・福山哲郎議員がこの問題を取り上げ、「考えられない金額。自民党総裁として事実かどうか答えてください」と迫り、「安倍総理の秘書が少なくとも4人、広島の選挙に手伝いに入っていたという報道もあるが、これも事実か」と問いただしたのだが、安倍首相はこの質問をスルーして答弁しなかった。

 なぜ質問に答えられないのか、答えは明白だ。

 そもそも、これほどの巨額を動かせるのは、自民党でも安倍首相か菅義偉官房長官、二階俊博幹事長しかいない。

 そして、本サイトで繰り返し言及しているように、この問題の選挙は安倍首相のことを下野時代に「過去の人」呼ばわりした自民党の重鎮・溝手顕正氏を蹴落とすために、2人区の広島選挙区に安倍官邸が主導して案里氏を擁立。
 福山議員が言及したように、安倍首相は自ら案里氏の応援に駆けつけるだけではなく、地元・山口の安倍事務所の筆頭秘書をはじめ少なくとも4人の秘書を案里氏の選対に送り込んでいたといわれている。

 つまり、選挙を私怨を晴らすために使い、その資金として1億5000万円という異常な巨額を投じていたのだ。
 実際、溝手陣営が党本部から受けた選挙資金は1500万円だといい、じつに10倍もの差となっている。
 溝手氏の支援者もテレビ朝日の取材に対して「ひどすぎる」「『新人だから倍』くらいなら許容範囲かもしれないけど『10倍』はおかしい」と憤りをあらわにしていた。

 あまりにも露骨な安倍首相の肩入れぶり──。
 一方、安倍首相による復讐劇の“刺客”となって当選した案里議員は、昨日、「いただきましたが、違法ではありません」と大見得を切った。

 だが、案里議員がそう抗弁する他方で、この金の流れをめぐっては、公選法247条違反(選挙費用の法定額違反)にあたるのではないかという声もあがっている。

 選挙では各陣営が使う選挙費用については公選法で上限が定められ、上限額は選挙の種類によって異なる固定額と選挙人名簿に登録された有権者数などによって算出される。
 これは選挙の公平性を担保するためのものだ。
 法定額を超えて支出すると、出納責任者が3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金になり、連座制の適用によって候補者も当選無効となる。

 そして、昨日23日おこなわれた野党合同ヒアリングに出席した総務省の自治行政局選挙部の担当者は、参院広島選挙区の場合、選挙費用の法定上限は「4700万円くらい」と述べた。
 つまり、自民党本部が投入した1億5000万円の約3分の1だ。

 案里議員は「違法性はない」と言うが、1億5000万円を選挙資金として投入されながら、支出をその3分の1におさめたとは考えにくい。実際、この問題をスクープした23日発売の「週刊文春」(文藝春秋)では、〈異常な「金満選挙」は選挙中から注目を集めていた〉と報じ、1回1500〜2000万円ほどかかるビラのポスティングを公示前から何回もおこなっていたことを自民党の広島県議が証言し、「菅義偉官房長官が演説に来たときは駅から数百メートルにわたって看板が立てられるなど、とにかく物量がケタちがい」とも述べていた。

河井選対に送り込まれた安倍首相の秘書4人も違法選挙を黙認か

 案里氏の選挙ではすでに車上運動員、いわゆるウグイス嬢に対して法定上限額である日当1万5000円を超える3万円を支払っていたと報道され、このほかにも〈陣営の一員として選挙運動をした男性会社員に対し、約86万円を支払った〉という疑惑も浮上(共同通信2019年12月29日付)。
 また、案里氏の選対を取り仕切っていたといわれている夫の克行氏が関与するかたちで、複数の選挙運動員に違法な報酬を支払っていたという疑惑を「週刊文春」も伝えている。
 1億5000万円という巨額資金は、ほかにも違法行為に注ぎ込まれていなかったのか、さらなる追及も必要だろう。

 このような違法性が濃厚な「金満選挙」が、「安倍マネー」である1億5000万円が原資になっていたとしたら、これが大問題であることは言うまでもない。
 そして、安倍首相の責任は極めて重大だ。
 前述したように、安倍首相は秘書を最低でも4人も送り込んでおり、違法な選挙実態を知りながら見て見ぬふりをしていた可能性すらある。

 繰り返すが、この問題選挙は安倍首相の私利私欲のための復讐選挙だったのだ。
 そこで金に物を言わせて運動員を買収し、不当な選挙をおこなわれていたという疑惑にくわえ、その金の出処が安倍自民党だったのである。
 これはある意味、昨年の参院選や一昨年の総裁選のために「桜を見る会」を使い、税金で地元関係者や地方議員を接待してきたやり方と通底するものだ。
 金さえあればどうにでもなる──これが安倍首相のやり口ということなのだろう。

リテラ、2020.01.24 10:49
河井案里議員の「安倍マネー1億5千万円」はやっぱり違法!
安倍首相に嫌われた対立候補にはわずか10分の1の金額で「ひどすぎる」と激怒

https://lite-ra.com/2020/01/post-5222.html

 通常国会がようやく始まり、衆参両院で2020年1月23日まで2日間にわたって代表質問が行われた。
 積み上がる疑惑から逃げ回り、51日ぶりに国会答弁に立った安倍首相の発言の空疎なことと言ったらなかった。
 老眼鏡をかけて手元のペーパーに始終目を落とし、官僚作文を棒読み。
 安倍が疑惑のド真ん中にいる首相主催の「桜を見る会」をめぐる公金私物化問題、成長戦略の柱に掲げるIR(カジノを含む統合型リゾート施設)を舞台にしたカジノ汚職、2閣僚辞任に関する説明責任。
 野党の厳しい追及にマトモに答えようとしなかった。

 桜疑惑の招待者名簿の再調査については「調査で廃棄を確認。改めて調査を指示することは考えていない」とし、ホテルニューオータニで破格の会費5000円で催された前夜祭の明細書開示は「ホテルは公開を前提としての資料提供に応じかねるとのこと」。
 招待者名簿が公文書管理法で義務付けられた管理簿にも、政府ガイドラインで定められた廃棄簿にも未記載だった問題を受け、内閣府の歴代人事課長6人を厳重注意処分にして幕を引こうとしている。
 それでいて、いまだに民主党政権を当てこすりだ。
 2011〜2017年分の管理簿未記載は「両年(2,011年と2012年)の措置を前例として漫然と引き継いだ」と釈明し、民主党政権の対応が未記載の発端だったというのだ。
 官僚のせい、ホテルのせい、野党のせい。
 透けて見えるのは異常なほどの自己愛、敵への攻撃性、自己中心の論理。
 そこからは軽さ、品のなさ、薄っぺらさが滲み出ている。

■ ムキになり「指摘はまーったくあたりません!」

 IR担当の内閣府副大臣だった衆院議員の秋元司容疑者の逮捕については、「捜査に影響する可能性があり、詳細なコメントを控える」。
 昨年2019年7月の参院選をめぐる公選法違反疑惑で広島地検の捜査対象となっている河井克行前法相と妻の案里参院議員の件は、「捜査に関する事柄については答えを控える」といった具合だ。

 耳タコ答弁を崩したのは、23日の衆院本会議での共産党の志位委員長による質問だった。
 自衛隊の中東派遣をめぐり、「安倍政権の対応は米国の『お先棒担ぎ』そのものだ」と批判。
 すると、安倍は「米国のお先棒を担いでいるとの指摘はまーったくあたりません!」とムキになって反論した。
 齢65、一国を背負って立つトップの子供じみた言動にはア然とするほかない。
 野党を揶揄し、責任を押し付け、この期に及んでもオレ様気取り。
 もはや首相答弁の問題は、中身よりもその幼児性にあるのではないか。


■ 言動は「子供の言い合い論理」と専門家

 臨床心理士の矢幡洋氏が言う。

「安倍首相の言動は子供の言い合い論理に近いものを感じます。悪さを注意された子供が〈オマエだってやってるじゃないか!〉と筋違いの反論をすることがある。指摘された事実に焦点を当てず、論点をズラしてごまかそうとするのです。こうした傾向は自己愛性パーソナリティー障害の特徴と合致します」

 医学事典によると、自己愛性パーソナリティー障害には、誇大性、称賛への欲求、共感欠如の持続的パターンが認められるという。
 具体的な診断基準はこうだ。
▼ 自分の重要性および才能についての誇大な、根拠のない感覚
▼ 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または無欠の恋という空想にとらわれている
▼ 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人びととのみ付き合うべきであると信じている
▼ 無条件に称賛されたいという欲求
▼ 特権意識
▼ 目標を達成するために他者を利用する
▼ 共感の欠如
▼ 他者への嫉妬および他者が自分を嫉妬していると信じている
▼ 傲慢、横柄――。

 驚くほど、安倍の人格と一致する。

「自己評価が非常に高く、自分をおとしめるような事実を受け入れようとしないのが特徴です。不都合な事実を突きつけられると、自分以外の外部のせいにして責任転嫁することが多い。自分のプライドを守ることが主目的で、言い合いに負けたくない心理が先に立つ。ですから、事実に基づく議論は成立しません。自己愛型の人は政治家として危うい。折れるべきところで折れないので、周りにイエスマンしか残らなくなります」
(矢幡洋氏=前出)

 ちなみに、人口の0・5%が自己愛性パーソナリティー障害を有していると推定されていて、女性よりも男性に多いという。

■ 支持率が下がればガクッといく

 安倍の任期は7年を超え、昨年2019年11月20日に通算在職日数で戦前の桂太郎を抜き、憲政史上最長となった。
 自民党総裁任期は2021年9月まで。
 東京五輪後の8月24日まで政権を維持すれば、連続在職記録でも大叔父の佐藤栄作を抜いて単独1位に躍り出る。
 その任期の長さを考えれば愕然とする人品骨柄(じんぴんこつがら)だ。

 安倍に関する著書もある政治評論家の野上忠興氏はこう言う。

「養育係の久保ウメさんは幼少期の安倍首相について、〈自己主張、自我が人一倍強い〉〈わがまま勝手で、こうと言ったらテコでも動かず、すねやすい〉と言っていました。夏休み最終日に〈宿題は終えたの?〉と聞くと、〈うん、やった〉と答えるのに、実際は全く手つかず。ウメさんが徹夜をして左手で仕上げたそうです。祖父は岸信介元首相。両親は外相を務めた安倍晋太郎氏と、岸の長女の洋子さん。政治家の家庭に生まれたため、多感な時期に両親が不在なことが多く、その寂しさからオレはオレなりにやっているんだと開き直るようになったようです。攻めに強く守りに弱い政治スタイルは、謝ることが嫌だから。自分がかわいすぎて、指弾されることに我慢ならない。再登板以降、言行不一致のその場しのぎがあまりにも目立ちます」

 こういう首相だからこそ、周囲をオトモダチで固め、批判を決して許さず、ライバルを徹底的に潰し、ここまでやってきたのだろう。

 大学入試改革をめぐる「身の丈」発言で大炎上した萩生田文科相も、経産相時代に安倍の意を受けて韓国叩きに鼻息が荒かった世耕参院幹事長もオトモダチ。
 その結果、日韓関係は戦後最悪に陥り、2019年の貿易統計(速報)で対韓輸出額は12.9%減の5兆441億円に縮小。
 全体の貿易収支は1兆6438億円の赤字で、2年連続の赤字となった。

 公選法違反疑惑の河井克行もアベ応援団のひとりだ。
 2012年の自民党総裁選で克行が鳩山邦夫氏(故人)を説得し、鳩山主宰の「きさらぎ会」を安倍支持でまとめた。
 案里が初出馬した選挙戦では、党本部が案里陣営に1億5000万円を支給する超VIP待遇。
 その2ヶ月後に克行は初入閣した。

 一方、官邸主導で擁立した案里の滑り込み当選のあおりを受け、落選の憂き目に遭ったのが溝手顕正前参院議員だ。
 第1次安倍内閣で防災担当相を務めながら、野党時代に安倍を「過去の人」と評し、首相再登板を公然と批判。
 恨み骨髄の安倍は溝手の参院議長就任の芽を摘み取り、国会からも追い出した。
 ここにきてポスト安倍に再浮上するライバルの石破茂元幹事長に対する冷遇もあからさまだ。
 年末に収録されたBS番組で「ポスト安倍」の候補として岸田文雄政調会長、茂木外相、菅官房長官、加藤厚労相に言及。
「ぜひ競い合いながら、自民党にはたくさんの人物がいると国民に思っていただけたら」とか言っていたが、世論の支持が最もアツい石破は論外だといわば公言したわけである。

「世論調査では桜疑惑の政府説明に7割が納得せず、IR整備に6割が反対しているのに、内閣支持率がガタ落ちすることはない。〈他に適当な人がいない〉という消極的選択と野党の体たらくの結果ですが、果たして本当にそうなのか。安倍首相は〈政治は結果だ〉と言いますが、これまでどんな結果を出したのでしょうか。内閣の最重要課題に掲げる北朝鮮による拉致問題は解決の見通しが立たず、北方領土返還はむしろ遠のいている。戦後最長の景気拡大を喧伝していますが、経済指標は景気後退を示唆しています。安倍首相が唯一のよりどころとする支持率が下がればガクッといく」
(野上忠興氏=前出)

 消極的支持を積極的不支持に変える潮目にきている。


日刊ゲンダイ、2020/01/24 17:02
また野党を揶揄の首相答弁
任期の長さとは反比例の幼児性

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/268071

 選択的夫婦別姓導入を訴えた野党の衆院代表質問に、自民党の杉田水脈議員が「だったら結婚しなくていい」とヤジを飛ばした問題が炎上している。
 立憲民主、国民民主、共産の野党3党の有志議員は2020年1月24日、大島理森衆院議長に発言者の特定を求める申し入れ書を衆院に提出。
「選択的夫婦別姓の制度がないために苦しむ人の心を傷つけ、憲法が保障する結婚の自由を否定する暴言だ」とし、謝罪と撤回を促すよう要求した。

「一昨年の〈LGBTは“生産性”がない〉との主張で猛バッシングにさらされて以降、杉田さんはイメージ回復に躍起だった。所属する首相派閥・細田派の先輩議員の稲田朋美さんとネット番組の企画で新宿2丁目を訪れ、当事者に涙ながらに〈本当にごめんなさいね〉と謝罪したり、稲田さんが共同代表を務める女性議連にも参加して未婚ひとり親支援にも熱心だった」
(与党関係者)

 猫かぶりしたところで、多様性を否定して差別を肯定する極右思想は隠し切れないのだろう。
 当の本人はどうしているかといえば、トンズラだ。
 杉田氏のツイッターによると、きのうは航空自衛隊防府南基地(山口県防府市)で行われた第14期一般空曹候補生過程卒業式に出席。
 日の丸をバックに祝辞を伝え、卒業生との祝賀会食にも参加したそうで、こうツイートしている。

〈最後は、皆様の今後の活躍と自衛隊の憲法明記を祈念し万歳三唱。参列者全員で拍手でお見送りしました〉

 衆院本会議に出席し、党本部などに姿を見せていたおとといは、スマホを耳にピタリと押し当てて報道陣の問いかけをガン無視。
 “エア電話”と揶揄される始末だ。
 問題のヤジとは無関係ならスパッと否定すればいい。
 そうでないのなら、国民の代表たる国会議員だ。
 国民が知りたがっている発言の真意を説明する責任がある。
 報道対応するつもりはあるのか。

「特に今のところ、予定はないです。党からの連絡? 本人でないとわからないと思います。本人は地元の山口に戻っています。戻り? 月曜か火曜か……」
(杉田水脈事務所)

 野党時代の杉田氏は兵庫6区を地盤としていたが、安倍首相の推しで2017年衆院選に比例代表(中国ブロック)で立ったことで山口県連入り。
 首相のお膝元でヌクヌクとは見上げたものだ。
 いっそのこと居ついたらどうか。


日刊ゲンダイ、2020/01/25 14:50
杉田水脈議員「夫婦別姓ヤジ」で安倍首相お膝元に雲隠れ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/268123

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100兆円超えした2020年度の一般会計予算案

総額102兆6,580億円で過去最大となる、2020年度の一般会計予算案。
政府は「経済再生と財政再建を両立した予算案」と言うが、100兆円超えまで膨張した巨大な規模にとどまらず、さまざまな問題がある。
1月20日に始まった通常国会は、この予算案をめぐって論戦が繰り広げられる。
主な議論の場である「予算委員会」で、野党共同会派の質疑の調整を担うのが、元財務省官僚の大串博志衆議院議員だ。
官僚、政権与党、内閣が関わって作られる予算案は、政権の意思が色濃く反映される、「政権そのもの」だ。
大串議員に予算案を読み解いてもらい、現政権の姿勢、問題点を聞いた。

予算は、政権そのもの

―― 自己紹介をお願いします。

大串博志衆議院議員: 佐賀県出身で高校まで地元で生活し、今でも週末は100%、佐賀にいます。
 大学卒業後に入省した大蔵省(現財務省)では、今回の話題である予算の編成の他に、国際金融の仕事をしました。
 2005年に国会議員になり、今は衆議院予算委員会の理事として、野党共同会派の委員の誰に、どういう質疑をしてもらうか、とコーディネートをしています。

−− 国の家計簿である予算は、どういうスケジュールで作られるのですか?

大串: 国も企業と同じように、4月から翌年3月までの予算を組んで、政策や事業を実施します。
 この予算をつくる作業は、各省庁で夏前から始まります。
 来年度の予算をどういうふうに要望しようか、と官僚たちが考え出す。
 その要望を8月末に財務省へ、予算要求書として提出します。
 その要求をもとに、9月には財務省と各省庁のあいだで議論が始まります。
 各省庁は予算が欲しい、一方の財務省はいやいや財源が足りないよ、といったやり取りをするわけですね。
 その後官僚は政権与党にのみ、根回しをします。
 今は自民党と公明党ですね。
 この根回しが終わったものを内閣が閣議決定し、12月末に「政府予算案」として公表します。
 政府予算案は翌年1月から始まる通常国会に提出されます。
 そこで今度は国会議員が、予算の配分は適切か、審議します。
 だいたい2月いっぱいまで衆議院の予算委員会、3月いっぱいまで参議院の予算委員会、この2ヶ月間の審議を経て3月末、つまり年度末に来年度の予算が完成します。

−− 官僚、政権与党、内閣の意思が予算に反映されていくんですね。

大串: 予算というのは、内閣がこの国をどういう方向にもっていくか、という全体像を表します。
 だからある意味、政権そのもの。
 もし仮に国会で予算案が否決されたりしたら、単に予算が出ないだけではなくて、内閣自体が否定された、というくらいのインパクトがあるんです。

102兆円の財源は、どこからやって来る?
−− 次に2020年度予算案についてうかがいます。総額は102兆6,580億円で過去最大、2年連続100兆円を超えました。こんなに大きな財源を、政府はどう作っていくのでしょうか?

大串: まず、非常に楽観的に税収の見込みを作っているんです。
 名目GDPで2.1%、実質GDPで1.4%の成長率見通しを前提に、税収を計画している。
 よく報道でも出ていますが、民間のエコノミストから見通しが甘いという指摘が多いです。
 今、世界経済は不安定です。
 米中貿易摩擦が解決するかも分からないし、中東情勢が悪化すると原油価格が上がるかもしれない。
 日本でも消費増税以降、非常に厳しい経済指標が出てきています。
 その中で来年度、これだけ高い経済成長率を見込んで良いのか、非常に疑問です。

−− 歳入には税収以外の財源もありますね。そちらはどうですか?

大串:「税外収入」と呼ばれる財源は、毎年あります。
 国が持っている株式を売りました、とかですね。
 ただ、来年度予算案で作る予定の特例が問題なんです。
 前年の予算が余ったら、翌年に繰り入れることは、企業でもありますよね。
 でも、国の予算の繰り入れについては法律でルールがあります。
 剰余金の半分までは翌年の予算に使って良いです、でも残りの半分は借金の返済に使いなさいね、と財政法で決まっています。
 ところが来年度予算案では、わざわざ新しく法律を作ってまで、去年余ったお金を全部使っちゃおうという特例を作る予定なんです。

−− そんなに特別なことなのですか?

大串: 同じように特例を作ったのは、東日本大震災時でした。
 震災後、どうしても予算が足りなくて急遽必要だったためです。
 でも普通はそういった大災害後くらいしか、特例は作りませんよ。
 そんな異例の措置によってやっと、102兆円を越える予算の財源を作っている。
 非常に綱渡りで、膨張した予算なんですね。

国債発行額を小さく見せる、「粉飾まがいの予算案」?−−政府は「経済再生と財政再建を両立した」と言うけれど…
−− 政府は国債、つまり借金の発行額を今年度(2019年度)より1,000億円少なく抑えたから「経済再生と財政再建を両立した予算案だ」と発信しています。

大串: 先ほど話した税外収入を、例年より大きく繰り入れたから、国債発行額を少なくできたってだけの話です。
 わたしに言わせれば「粉飾まがいの予算案」を作っている。
 喧伝していることは立派だけれど、実は見せかけだけ、これが第二次安倍政権のよくやる手だなと。
 それと、本予算だけ見ればたしかに国債発行額は今年度に比べて減りましたけど、補正予算では赤字国債を約2兆3,000億円発行していますからね。

−− 補正予算とは何ですか?

大串: 前年度に計画的に作り、4月の年度当初から動かすのが本予算。
 一方で、年度当初には予測できなかった出来事に対して緊急に追加する予算を、補正予算と言います。
 たとえば年度途中で災害が起きた。急にリーマンショックのようなことがあって経済が大きく冷え込み、国が予算を出して景気を下支えしなきゃならない。
 こういった、どうしようもない理由がなければ、補正予算は出してはいけないのが原則です。

−− その補正予算で、国債(=国の借金)を発行することはいけないことなのですか?

大串: 2019年度補正予算でなぜ国債を発行したかと言うと、来年度と同じように、税収の見通しが楽観的だったんですよ。
 去年の予算審議でも「見通しが甘いのでは」と議論はしていました。
 それが案の定的中して、年度末が近づいて「やっぱり予定していた税収があがらない」と分かり、借金を出すことになってしまった。
 国債には2通りあって、1つが「赤字国債」、まさに赤字の穴埋めのための国債です。
 もう一つは「建設国債」。
 橋や道路といった公共インフラを作るときに発行できる。
 なぜ区別するかと言うと、公共インフラは資産として長期間、世の中に利益が残るという側面もあります。
 一方で、単なる赤字の穴埋めのための赤字国債は、厳に慎まなければいけないですよね。
 2019年度補正予算で約2兆3,000億円発行するのは、この赤字国債です。
 しかも本予算だけ見れば、国債発行額は前年度より少ないけれど、補正予算も含めれば、前年度より多いんです。
 でも年末の予算案公表時には本予算が中心だから、その事実が見えにくい。
 先ほど申し上げたように、「見せかけ」をしているんです。

補正予算編成のルールはないがしろに。過去最大の防衛費がまかりとおる
−− 2019年度補正予算案を見ると、緊急的な歳出ではない項目がたくさん混ざっていますね。

大串: 防衛装備品、つまり兵器を補正予算で大量に購入するのが、安倍政権の特徴です。
 例えば2019年度補正予算案では、約4,000億円が計上されました。
 艦船、戦車といった装備品を買うには、もちろん長期計画があります。
「あ、これが明日足りない」なんてことはない。
 それなのに、防衛装備品調達の予算が、安倍政権になってから毎年かなりの額、補正予算に盛り込まれているんです。
 何でもかんでも補正予算に繰り込んで、ゆるく国会を通してしまおうという下心が見える。
 原則の乱れを感じます。

通常国会、予算審議の追及ポイントは?
−− 防衛費は本予算でも約5兆円を計上し、6年連続で過去最大額を更新しましたね。

大串: 第二次安倍政権になって、防衛費が顕著に伸びています。
 本予算でさえ毎年過去最高を更新している中で、補正予算でも計上しているんだから、相当伸びている。
 米国から高額な装備品を買っているためです。
 本当に必要なものなのか、国会でしっかり追及する必要があります。


−− 予算審議で、他に審議のポイントとなる点はありますか?

大串: 政府が昨年10月から始めた、「幼保無償化」の制度には約3,410億円が充てていますが、問題があります。
「無償化」する以前も、所得の低い方に対しては保育所や幼稚園の料金は軽減してきました。
 今回はそれを一律に無料にしたわけですから、今まで軽減されていなかった、比較的所得の高い人のところに約3,410億円もの財源が使われているわけです。
 一方で、2017年度末までだった解消目標が3年先送りになるなど、待機児童問題はいまだに解決していません。
 その待機児童のご家庭は、無償化の恩恵を受けられない。
 子ども子育て関係に予算を使うのであれば、待機児童を完全にゼロにするために、不足している保育士の待遇を抜本的に上げるべきです。

−− その幼保無償化の財源には、消費増税分があてられました。一方で増税による景気の落ち込みを防ぐために、軽減税率をはじめとした経済対策に1兆円の予算が使われていますね。

大串: 軽減税率制度は、不適切だと考えています。
 食料品は生活必需品だから8%のままというのは、一見良い制度のように見えますし、政府も消費税は逆進性が強いから是正するための制度だと言っています。
 でも所得が高い人ほど価格の高い食料品を買いますよね。
 1兆円の財源の半分は、年収600万円以上の人たちのところに消えてしまうと言われています。
 1兆円もの予算があったら、所得の低い方々にフォーカスした施策を打ち出すべき
です。

「一強多弱」を超えて
−− 予算案から見える安倍政権の問題点は何ですか?

大串: 国の借金は若い世代に負担を残すものですよね。
 今の政権についている人たちは痛みを負わないけれど、きちんと向き合わないといけない問題です。
 それなのに、剰余金の繰り入れなどあらゆる手段を使って、本予算上の国債発行額を少なく見せる。
 防衛費をどんどん膨らませる一方で、所得が低い人たちに向けた政策は打ち出さない。
 見栄えだけを良くして、麻酔のようにあらゆる問題を覆い隠す、問題を先送りにする。
 そういう安倍政権の姿勢が、表れている予算案だと思います。


−− 予算審議をはじめチェック機能を果たす上で、与党の「一強」、野党の「多弱」と言われる政情は、影響していましたか?

大串: これまで野党が多弱と言われて、バラバラでしたから、なかなか予算委員会でも効率的、効果的な論戦をするのが難しい時期が続きました。
 幸い、去年の10月から野党共同会派「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」を組みました。
 衆院予算委員約50人の内訳で見ると、やはり共同会派は数の上では小さいですが、それでもバラバラの時よりは随分、迫力と追い込む力を持てたと思います。
 私は予算委員会の理事として、各委員の得意分野を考慮して、誰にどういう質問をしてもらうかコーディネートするのですが、共同会派を組んだことで人材の幅が広がり、ずいぶん効果的に質疑ができるようになりました。
 今後は安倍政権の問題点を、より浮き彫りに出来るんじゃないかと思います。


立憲民主党公式サイト、2日前
財務省出身議員が予算から読み解く、現政権の問題
−−大串博志・衆議院議員

https://cdp-japan.jp/interview/54

 社会部記者たちが税の流れを追い、無駄遣いや政財界の利権を追及している調査報道キャンペーン「税を追う」のうち、防衛費の闇に切り込んだ部分の書籍化である。

「税を追う」では、沖縄県辺野古における新しい米軍基地建設のための工事、東京五輪予算、医療費など幅広いテーマを取り上げ、納税者の目線で批判的に検証してきた。
 キャンペーンはいまも続いているが、2019年の日本ジャーナリスト会議 (JCJ) 賞を受賞した。
 書籍化にあたり追加取材し改稿した。

 第2次安倍政権の発足以来、日本の防衛費は右肩上がりで5兆円を超えた。
 なかでも際立つのが首相官邸主導による巨額な米国製兵器の購入だ。
 この本では、自動車に関する関税引き上げの脅しで兵器購入を迫るトランプ米大統領の戦略、軍事上の必要性よりもトランプ氏のご機嫌取りのため官邸主導で兵器を爆買いすることで現場では何が起きているか、に肉薄する。

 高い買い物をしながら支払いを先送りする「後年度負担」という事実上の “兵器ローン” は積もり積もって5兆3000億円、メーカーではなく、米政府が購入の交渉相手となる「対外有償軍事援助」(FMS) では相手の言うなりの価格で文字通り「買わされ」ている。

 次々と高額兵器を買わされる一方で防衛省の台所は火の車。
 取引先の国内メーカーや商社に代金の支払い延期要請をしたこともあるという。

 兵器には市場価格というものがなく、いまや聖域化している防衛費の使い手にはコスト意識がない。
 だから米軍が銃1丁あたり46万円 (ドルから換算) で調達している機関銃に327万円も払ったりするという、驚きを通り越して怒りがわき上がる例も紹介されている。

 粘り強い、緻密な取材、調査で掘り当てた事実の数々は「戦争のできる国」を目指して安倍首相が打っている布石とも言えよう。
「日本のいま」を考えさせる本だ。
 ジャーナリストの手になるだけに文章が平易なのもいい。


News for the people in Japan、2020年1月24日
オススメ図書
東京新聞社会部『兵器を買わされる日本』(文春新書)
[評者]飯室勝彦(1941年生まれ)
http://www.news-pj.net/book/87656
 
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2020年01月24日

傀儡政権の系譜

 今から60年前の1月19日、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が日米地位協定とともに締結された。
 日本側で文書に署名したのは岸信介(総理大臣)、藤山愛一郎(外務大臣)、石井光次郎(法務大臣)、足立正(日本商工会議所会頭)、朝海浩一郎(駐米特命全権大使)だ。

 1951年9月にサンフランシスコのプレシディオ(第6兵団が基地として使っていた)で署名された日米安保条約を失効させて、新たな条約として批准されたもの。
 1951年のものを旧安保条約、1960年のものを新安保条約とも呼ぶ。
 旧安保条約が署名されたその日、同じサンフランシスコのオペラハウスで「対日平和条約」が結ばれている。

 日本に限らず、アメリカが結ぶ軍事同盟の大きな理由はふたつある。
 相手国を侵略の拠点にすること、そして相手国を支配し続けることだ。

 イギリスやハリー・トルーマン以降のアメリカはソ連/ロシアを侵略する動きを見せているが、これは本ブログで繰り返し書いてきた長期戦略に基づいている。
 その最終目標は世界支配だ。

 これは制海権を握っていたイギリスが考えた戦略で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して物流をコントロール、内陸国を締め上げていくというもの。

 これをまとめ、1904年に公表したのが地政学の父とも呼ばれている地理学者のハルフォード・マッキンダー(Halford John Mackinder、1861 - 1947、ハートランド Heartland 理論を提唱)。
 ジョージ・ケナン(George Frost Kennan、1904 - 2005)の「封じ込め政策(Containment Policy)」やズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Kazimierz Brzezinski、1928 - 2017)の「グランド・チェスボード Grand Chessboard」もこの戦略に基づいているが、その後、この戦略が放棄された兆候は見られない。

 それに対抗してロシアはシベリア横断鉄道を建設した。
 ロシアが建設しているパイプライン、中国が推進している一帯一路もそうした対抗策だと言えるだろう。

 NATOの場合、加盟国には秘密工作部隊が設置されている。
 中でも有名な組織がイタリアのグラディオ Operation Gladio。
 1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を続けた。
 狙いは左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することにあり、「緊張戦略」とも呼ばれている。

 そうした秘密工作部隊は各国の情報機関が管理、その上にはアメリカやイギリスの情報機関が存在している。
 手先として右翼団体が利用された。

 イタリアでグラディオの存在が浮上したのは1972年のこと。
 イタリア北東部の森にあった兵器庫を子供が発見し、カラビニエッリと呼ばれる準軍事警察が捜査を開始するものの、途中で止まってしまう。

 再開されたのは1984年。
 事件は右翼団体ONがイタリアの情報機関SIDと共同で実施していたことが判明する。
 SIDは1977年に国内を担当するSISDEと国外を担当するSISMIに分割され、情報の分析を担当するCESISが創設されていた。

 ジュリオ・アンドレオッチ首相(Giulio Andreotti、1919 - 2013)は1990年7月、SISMIの公文書保管庫の捜査を許可せざるをえなくなり、同年10月に首相は「いわゆる『パラレルSID』グラディオ事件 'Parallel SID‘ – The Gladio Case」というタイトルの報告書を公表した。
 グラディの存在と活動を公式に認めたのである。

 グラディオの創設に関わっていたフランチェスコ・コッシガ(Francesco Cossiga、1928 - 2010)は大統領を辞任するが、2007年に興味深いことを話している。
 2001年9月11日に引き起こされた世界貿易センターと国防総省本部庁舎への攻撃はCIAとモサドがアラブ諸国を非難するために計画、実行したことを欧米の民主勢力は知っていると書いたのである。
(“Osama-Berlusconi? ≪Trappola giornalistica≫,” Corriere, 30 novembre 2007)

 アメリカと軍事同盟を結んでいる日本にも秘密工作部隊が存在しているのかどうかは不明だが、あっても驚かない。

 1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツが降伏たが、その直後にウィンストン・チャーチル英首相はソ連への奇襲攻撃を目論んでいる。
 そして作成されたのがアンシンカブル作戦(Operation Unthinkable)。
 これは参謀本部の反対で実現せず、アメリカでの原爆実験の成功で核攻撃へ彼の気持ちは移っていく。

 アメリカでも好戦派がソ連に対する核攻撃計画を作成しはじめるが、そうした流れの中、1950年代に沖縄の軍事基地化が進んだ。
 沖縄を先制核攻撃の出撃拠点にしようとしたわけである。

 沖縄で基地化が推進されていた1955年から57年にかけて時期に琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァー(Lyman Louis Lemnitzer、1899 - 1988)はアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦(Operation Sunrise)」を実行した軍人で、1960年に統合参謀本部議長となった。

 1954年にソ連を攻撃するための作戦を作成したSAC(戦略空軍総司令部)を指揮していたカーティス・ルメイもダレスやレムニッツァーの仲間で、1961年に大統領となったジョン・F・ケネディと対立する。

 ダレスたち好戦派は1957年初頭にソ連を核攻撃する目的で「ドロップショット作戦(Operation Dropshot)」を作成。​
 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(James K. Galbraith、1952年生まれ)によると​、攻撃は1963年後半に実行されることになっていた。

 しかし、その前にはケネディ大統領という大きな障害があった。
 この障害が排除されたのは1963年11月22日。
 テキサス州ダラスで大統領は暗殺されたのである。

 NATOにしろ日米安保条約にしろ、その目的は侵略と支配であり、防衛の要素があるとしても、侵略と支配を前提にしての話だ。


櫻井ジャーナル、2020.01.20 18:21:33
日米安保の目的は日本を支配し、ユーラシア大陸に対する軍事的拠点にすること
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202001190000/

 日米安保条約改定調印から60年が経過し、安倍内閣は2020年1月19日、外務省飯倉公館で記念行事を開いた。
 60年前の1月19日、岸信介首相は国内の猛反対を無視して米国ワシントンで改定日米安保条約に調印した。
 当時の米国大統領がアイゼンハワー。
 19日の行事には開かれた式典に、安倍内閣はアイゼンハワー元大統領の孫娘まで招いた。
 1957年に岸信介首相は訪米し、アイゼンハワー大統領とゴルフをした。
 安倍首相は自分がトランプ大統領と4回ゴルフをしたことを自慢するかのように話した。

 私たちは日本の現実を冷静に見つめる必要がある。
 主権者の多数が暴政だと判断する安倍政治が長期政権になっているのは、日本の支配者米国がこの内閣を支配し、利用しているからだ。
 日本は第二次大戦で敗北した。
 それ以来、日本は米国に支配され続けてきた。
 米国に隷従する政権は長期政権となり、米国にものを言う政権は短命に終らされてきた。
 この厳然たる事実を冷静に見つめなければならない。

 1957年に岸信介氏が首相の地位に上り詰めた背景に米国の介入があった。
 岸信介氏は1945年9月15日にA級戦犯容疑で逮捕、収監された。
 その岸氏は、満州時代の盟友・東条英機が絞首刑で処刑された翌日の1948年12月24日に不起訴処分で釈放された。

 そして、わずか9年も経たずして岸氏は日本の首相に就任し、日米安保条約改定を強行した。
 東条英機氏は絞首刑に処せられたが、岸信介氏はGHQによって助命され、首相の地位に上り詰めた。
 その背後に、米国と岸氏との間の取引があったと見られる。
 米国のエージェントとして活動することと引き換えに助命され、さらに、首相の地位にまで押し上げられたと考えられる。

 1956年12月に鳩山一郎首相が日ソ国交回復を花道に辞任した際、米国は岸信介氏の首相就任を望んだ。
 春名幹男氏(1946年生まれ)は著書『秘密のファイル CIAの対日工作』(新潮文庫)に英国外交秘密文書に記された事実を明らかにしている。

 英国外交文書に、当時の米国国務省北東アジア部長のハワード・パーソンズ氏の言葉を引用した以下の記述がある。

「アメリカは、岸が石橋にブレーキをかけることができるだろう、と期待している。いずれ、最後には岸が首相になれるだろうし、『ラッキーなら石橋は長続きしない』とパーソンズは言った。」

 この「予言」通り、1956年12月23日に発足した石橋湛山内閣はわずか2ヶ月後の1957年2月23日に総辞職し、岸信介氏に政権を禅譲した。
 石橋首相は軽い脳梗塞で2ヶ月の療養が必要と診断されたことを受けて首相を辞任した。
 石橋湛山氏は昭和初期に『東洋経済新報』で、暴漢に狙撃され「帝国議会」への出席ができなくなった当時の濱口雄幸首相に対して退陣を勧告する社説を書いたことがあった。
 この言説との整合性を重んじて首相の地位を辞した。

 石橋首相の体調異変の背景に米国の画策があったのではないかと疑われる。
 石橋湛山氏は米国に対しても堂々とものを言う稀有の政治家であった。
 米国はこのような日本の首相を潰す。
 他方で、米国の命令に服従する日本の為政者を徹底支援する。

 米国が岸信介氏に求めたことは日米安保条約の片務性の解消だった。
 改定安保条約第5条に米国の義務が定められたが、日本は米軍のための軍事出動ができない。
 この点を踏まえて改定安保条約では、「第6条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」が定められた。
 日本の基地を米軍が自由に利用できる権利が付与された。
 米国には1948年のバンデンバーグ決議が存在する。
 地域的・集団的防衛協定における「相互主義」を定めたものだ。
 日本が米国のために軍事出動を行わないなら、米国は日本のために軍事出動を行わないというものだ。
 この状況下で、米国は日本の再軍備を強要し、集団的自衛権の行使を容認するように圧力をかけ続けてきた。

 その命令に従ったのが岸信介氏の孫である安倍晋三氏である。


植草一秀「知られざる真実」2020年1月22日(水)
岸信介内閣から安倍晋三内閣至る傀儡政権の系譜
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-548505.html

 トランプ大統領の弾劾裁判の審理が、いよいよきょう2020年1月22日の日本時間午前3時から米国上院で始まった。
 米CNNがその実況中継を延々と続けている。
 それを見た私は思った。
 これは米国の民主主義が試される歴史的な裁判だと。
 与野党が正面から対決している。
 この弾劾裁判の行方は11月の米国大統領選の帰趨を左右する事は間違いない。
 そして、私は思った。
 この裁判はトランプ側が勝つのではないかと。
 ここまで与野党の言い分が真正面から対立している以上、トランプ大統領の言い分が強く見えて来るからだ。
 トランプ大統領は弾劾されずに終わるのではないか。
 そうすれば、トランプ大統領が再選される可能性は一気に高まる。
 そして、再選後のトランプ大統領は、ますます「トランプ大統領らしく」なる。
 「トランプ大統領らしくなる」とはどういうことか。

 それについて、興味深い論説を見つけた。
 きょう1月22日の日経新聞が17日付の英ファイナンシャル・タイムズ紙を引用し、ワシントン・コメンテーターのエドワード・ルース氏の次の言葉を紹介していた。
 すなわち、トランプ大統領は強権をふるう指導者を好み、うらやむというのだ。
 それは、習近平主席やプーチン大統領といった強権的な指導者に対する惜しみない賛辞を見れば明らかだと言う。
 なるほど、いまでこそ少しトーンが違って来たが、トランプ大統領は金正恩委員長が嫌いではない。

 つまり再選後はこれら強権的な指導者と仲良くして民主主義を後回しにすることになるかもしれないのだ。
 そこで私が思ったのは安倍首相のことだ。
 トランプ大統領が再選されれば、安倍首相が賛辞を贈る前に、トランプ大統領が命令するだろう。
 シンゾー、もう少し私とつき合えと。
 その時こそ、安倍続投が決まる時だ。
 なにしろ、米国大統領に命じられて、それに反対できる政党はなく、政治家はいない。
 私は安倍首相はその時を待っているに違いないと思っている。
 トランプ大統領の再選を願っているに違いないと思っている。
 ひょっとして、密かにトランプ大統領に勝ってくださいと伝えているかも知れないのだ。

 見てるがいい。
 安倍首相は11月の大統領選まで、自分の進退については一切を語らないだろう。
 そのことで日本の政局は振り回されるだろう。

 何としてでもトランプ大統領の再選を阻みたい。
 その為には、きょうから始まる弾劾裁判で米国民主党の追及にしたいしたい。
 しかし、どうみても米国民主党は迫力不足だ。
 なんとかならないものか。


天木直人のブログ、2020-01-22
米国大統領選が決める事になる安倍政権のこれから
http://kenpo9.com/archives/6468

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三宅島でエコツーリズム

 伊豆諸島・三宅島(東京都三宅村)で、噴火活動による全島避難の解除から10年が過ぎた。
 避難前の住民のうち、戻ったのは約7割にすぎず、観光客も落ち込んだまま。
 帰島後に始まったランニング大会は今年幕を下ろすが、住民らはなんとか島を盛り上げようと活動を続ける。

 島中央部の雄山は2000年に噴火。
 全島避難は2005年2月1日の解除まで4年5ヶ月に及んだ。
 避難前の住民は約3800人だったが、現在は約2700人で、4割が65歳以上だ。

 火山ガスの濃度は下がり続けており、一般住民向けには2013年11月を最後に注意報は出ていない。
 ただ、雄山の火口付近を中心に立ち入り禁止が続き、一部地区ではぜんそく患者や19歳未満の住民は住むことができないところも残る。

 噴火前の1999年、ダイビングや釣りなど、島への観光客は約7万9千人に上ったが、2013年は約3万3千人にとどまっている。

 自らの手で復興を果たそうと、島の女性有志は2011年から毎年、ランニング大会「三宅島レディース・ラン」を開催してきた。
 今年2015年も3月、島内外の約250人が10、5、3キロの3つのコースを走る予定だ。

 レディース・ランは帰島10年を一区切りとし、今回で終了。
 復興事業が一段落して関係企業から協賛金が集まらなくなっているほか、10キロ以下のランニング大会では島外からランナーを呼び込みにくくなっていることなどが理由という。

 実行委員会の平野奈都さん(29)は「最後の大会になるが、島を元気にするために次につなげたい」。
 今後、村や地元の観光協会と協力し、島を1周するなど距離を延ばしたマラソン大会を検討する考えだ。


日本経済新聞、2015/2/2付
復興ラン、今年で最後
三宅島避難解除から10年

〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG02H0N_S5A200C1000000/

 東京都と三宅村は2020年4月から、三宅島の活火山、雄山(おやま)周辺の自然を楽しむエコツーリズムを始める。
 雄山は2000年に噴火してから周辺が立ち入り禁止となっていた。
 現在は火山活動が沈静化したことから、都と村は観光地としてPRに力を入れている。
 火山を観光資源として生かし、専門のガイドを養成して誘客を目指す。

 雄山での「東京都版エコツーリズム」は4〜11月に、自然保護への配慮から立ち入り制限区域を設けた上で、1日当たり最大40人で実施する。
 必ずガイドが同行し、参加者は約2時間、雄山の周辺を散策する。
 有料での実施を予定している。

 都は2019年度中にガイドの養成講座と認定を実施する。
 これまでに貴重な自然が残る小笠原諸島の南島など3ヶ所でエコツーリズムを実施している。
 自然保護を目的として、いずれもガイドの同行を義務付けている。

 雄山は直近では1983年と2000年に噴火した。
 島民が島外に避難するなどして、現在では村の人口は約2400人まで減少している。

 気象庁によると、現在の噴火警戒レベルは5段階で最も低い「1」となっている。
 村は自然を生かし、マリーンスポーツやトレッキングなどの誘客に力を入れており、今回の雄山でのエコツーリズムの実施もその一環になる。
 小池百合子知事は「荒々しい火山と再生の進む緑の風景の対比を楽しめるのではないか。ぜひ多くの方々に訪れてほしい」と呼びかけている。


[写真]
三宅島の雄山をガイドとともに散策する(東京都三宅村)

日本経済新聞、
東京都、三宅島でエコツーリズム
火山周辺を観光

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46258850Y9A610C1L83000/?n_cid=SPTMG002

 求む!消防職員――。
 伊豆諸島の三宅島(東京都三宅村)で、救急や消火活動を担う消防職員の不足が深刻だ。
 欠員が常態化し、現在は定員の8割。
 採用活動も苦戦が続く。
 台風が相次ぐ昨今、村は危機感を募らせている。

 村消防本部が管轄するのは直径8キロ、外周38・5キロの三宅島で、2400人余りが住民登録する。
 昨年1年間の出動は計164件。
 救急が154件と大半を占め、火災2件、救助1件などだった。
 三宅島空港で緊急事態に備え、すべての航空機の発着を警戒・監視する業務もある。

 職員は現在、17人の定員に対し、村外出身の10人を含む14人。
 各班4〜5人の計3班でシフトを組み、3日に1度の24時間勤務などにあたる。
 近年、定員に達しない状況が断続的に続いているが、これまで業務に支障が出たことはないという。
 各地で甚大な被害をもたらした昨年9月の台風15号や翌10月の19号の際には、住宅を一軒一軒回って個別に避難を促すなど職員総出で対応し、一人の負傷者も出さずに乗り切った。

 ただ、職員の負担は確実に増しているという。
「今後人員が減るようなことになれば、勤務シフトが組めなくなり、救急搬送や消火活動が適切にできなくなる恐れもある」と消防本部トップの三宅規之・消防長は話す。
 昨年12月から職員採用の募集をしているが、今のところ応募はゼロだという。

 都島嶼(とうしょ)町村会によると、都内の離島9町村でほかに消防本部があるのは大島、八丈の両町。
 両町とも欠員はあるものの、それぞれ25人中3人、28人中2人と三宅村より割合が低いうえ、八丈町では昨年11月、26人から採用への申し込みがあったという。

 三宅村は今月22日まで募集を続けている。1990年4月2日以降生まれなどの条件がある。問い合わせは同町村会(03・3432・4961)へ。


[写真]
三宅島空港で航空機の発着を見守る三宅村消防本部の職員=東京都島嶼(とうしょ)町村会提供

朝日新聞、2020年1月18日 10時30分
求む!消防職員
台風相次ぐ三宅島、欠員に危機感募らす

(滝口信之)
https://www.asahi.com/articles/ASN1K0QH7N1JUTIL032.html

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2020年01月23日

映画「ロック 〜わんこの島〜」

ロック〜わんこの島〜
https://www.youtube.com/watch?v=Qcbc5z5rcR8

 今月2011年7月15日に三宅島を訪れ、地元の椎取神社で大ヒット祈願の参拝を行なった、映画『ロック〜わんこの島』の佐藤隆太、麻生久美子が、物語の舞台でもあるロケ地・三宅島への想いを語った。
 
 佐藤、麻生のほか、倍賞美津子、子役の土師野隆之介が参拝した椎取神社は、2000年に起きた三宅島の雄山大噴火により、鳥居と拝殿が埋没した神社。
 鳥居の頭部分だけがなんとか顔を出している状態となってしまっている旧神社の隣に、現在は、新しい鳥居と拝殿が建設され、キャストたちはそこで、2000年の噴火で離れ離れになりながらも強く生きていく、三宅島の家族と飼い犬ロックの強い絆を感動的に描いた本作の大ヒットを祈願した。

 大噴火から11年が過ぎた今でも、椎取神社を始め、噴火の爪痕が今だに残っている三宅島。
 本作の冒頭に起こる群発地震が発生した2000年の夏、雄山の噴火により噴煙は上空15,000メートルに達し、火山弾と呼ばれる溶岩の塊が落下。
 子どもたちの島外避難が実施され、島の子どもたちは大人たちと離れ、東京の全寮制の学校へと移り、その後、三宅島に暮らす3,895人全員が避難した。
 避難生活を送っていた住民たちに全島避難の解除が出たのは、それから4年5か月後……。
 島を愛する三宅島の人々にとっては、余りにも長い日々だった。

 だが、10年前に起きた東京都・三宅島の悲劇を、今いったいどれくらいの人が覚えているだろう。
 テレビの中で流れていたニュースを覚えている人はいても、三宅島の人びとがたどった、復興までの長い4年を知る人は少ないのではないだろうか。
 この映画は、少年と愛犬との絆を描いただけでなく、「自分たちのふるさとに、いつか戻る」と願い続けた家族の物語でもある。

 今年6月、佐藤は、本作を持って宮城県・石巻市を訪れた。
「3月に起きたばかりの震災と重なってしまうシーンもある。」と、緊張していた佐藤に、上映後、観客からかけられた言葉は、「三宅の人たちのように、わたしたちも頑張っていきたい」という言葉。
 それが、なによりもうれしかったと、佐藤は振り返る。

「三宅島の人びとの頑張りを伝えたい」、その一心で、麻生と二人、懸命に、明るく生きる三宅島の夫婦を演じきった。
「噴火のときの話を、島の方に聞いたとき“なんとかなる!”って信じていたことを聞いたんです。落ち込むことなく、明るく前向きに生きる、たくましさに、感動しました。この映画が、今の日本の力になればうれしいです」と語った佐藤と麻生。

 二人は、炎天下の中、真新しい椎取神社の拝殿に向かって静かに手を合わせていた。


[写真]
三宅島のひとびとの努力が伝わりますように!

シネマトゥデイ、2011年7月22日 6時06分
佐藤隆太が映画『ロック〜わんこの島〜』に込めた想い…
東京都・三宅島の復興を伝えたい

https://www.cinematoday.jp/news/N0033966

 2011年7月23日から公開される映画『ロック〜わんこの島〜』(中江功監督)、本作の裏側には、三宅島の島民とともに大噴火を乗り越え、逆境に負けず、自由にたくましく暮らした実在の犬・ロックと島民との感動秘話があった。

 めざましテレビの人気コーナー「きょうのわんこ」あてに、三宅島で民宿を営む沖山勝彦さんから手紙が届いたのは2007年のこと。
「きょうのわんこ」チームが約3年にわたり追い続けたロックほど、ドラマチックな運命を生き抜いた犬はなかなかいないだろう。
 2000年、三宅島を襲った雄山の大噴火。
 混乱のさなか、一時は主人である沖山さんと離れ離れになりながらも、ロックは島の誰かによって保護され、大切な家族と再開を果たした。
 それから約5年後の2005年、ロックは避難解除されたその日に、三宅島でともに暮らしていたおばあちゃんとともに島へと戻った。
 島に降り立ったそのとき、ロックは、うれしそうに自宅に向かって一直線に駆け出していったという。
 首輪もつけず、三宅島のなかを自由に駆け回っていたロックは、帰島してから5年間、沖山さんと共に民宿のお客様を出迎え、三宅島の夕日を毎日眺め続けた。
 島のひとたちと一緒に噴火を経験し、火山灰の中を歩き、復興への道のりを歩んだロックは、三宅島の復興のシンボルとして、島中のひとに愛された。
 島の誰もが、ロックをみると、うれしそうに頭をなでた。

 だが、いつもうれしそうにご主人の車に飛び乗っていたロックは、ある日、車に飛び乗ることができなくなったという。
 喉に腫瘍ができていた。
 うれしそうに駆け回っていたロックの脚力は次第に弱まり、歩くスピードも落ちていった。

「ロックの話が映画になるよ!」

 そんな声を聞きながら、クランクインの3か月前、ロックは眠るように2014年、11ヶ月の生涯を閉じた。
「ロックはただ、長い長い散歩に行っているだけ」、亡くなってからもずっと、三宅島の人々の心に住み続けていたロックが、スクリーンのなかで蘇った。

 1週間前、ロックの犬小屋を訪ねた主演の佐藤隆太、麻生久美子らは、「会いたかったよ! ロック、本当にありがとう」と話しかけ、ロックの好物だった唐揚げやビーフジャーキーを犬小屋にそなえた。


「写真」
ロックの犬小屋に手を合わせる倍賞美津子と見守る佐藤たち

シネマトゥデイ、2011年7月23日 11時30分
三宅島のわんこ・ロックは映画クランクイン前に死去
映画『ロック〜わんこの島〜』に隠された秘話

(編集部:森田真帆)
https://www.cinematoday.jp/news/N0034029

 2011年8月12日、品川プリンスシネマ「シアターZERO」にて上映された映画『ロック 〜わんこの島〜』を天皇皇后両陛下が鑑賞された。

 同作は、情報番組「めざましテレビ」の人気コーナー「きょうのわんこ」で話題を呼んだ実話を基に、2000年8月の三宅島大噴火により離れ離れになった犬と飼い主一家のきずなをつづる感動作。
 1人の少年と1匹の犬の友情を通し、家族のあり方や現代社会に失われつつある心と心のつながりを、三宅島の雄大な大自然を舞台に描き出す。
「ROOKIES」シリーズの佐藤隆太、『カンゾー先生』の麻生久美子、ベテラン倍賞美津子らの実力派キャストが名を連ねている。

 午後5時46分に劇場にご到着された天皇皇后両陛下はお出迎えの中江功監督、佐藤隆太、麻生久美子、土師野隆之介、ゴールデン・レトリーバーのロックらに対し、お声をかけられた。
 天皇皇后両陛下は、場内の試写会出席者から大きな歓声と拍手で迎えられ、隣席の中江、佐藤、麻生、土師野らと映画を鑑賞された。

 上映終了後には、中江監督、佐藤、麻生、平野祐康三宅村長が、両陛下とご歓談。
 佐藤隆太は陛下に「とても良い映画を観せてもらいました、ありがとうございましたとおっしゃっていただき、とにかくうれしかったです」と興奮さめやらぬ様子。

 また、麻生久美子は「光栄でした。お会いしたときに包み込まれるような温かさを感じました。本当に緊張していたのですが、両陛下が映画を観ながらお話をされていて、そのことでうれしい気持ちになって、そこからは落ち着いて映画が観られました。皇后さまが『アチョー! はとてもよかったですね』とおっしゃってくれました」と語った。

 平野三宅村長は「島内の経済状況について、漁業や農業はどうなっていますか、ということお聞きいただきました。また、火山ガスのことを心配されていて、濃度は減ってきておりますとお答えしました」と両陛下が三宅島をお気にかけていらっしゃることが伝わってきた。

 三宅島噴火の後、天皇皇后両陛下は、都内の避難先をたびたび訪問され、避難生活を送る島民を激励されている。
 また、全島避難指示が解除された約1年後には火山ガスの放出が続いているなかガスマスク携行の上、三宅島を訪問され島民の皆さんにねぎらいの言葉をかけられていたという。


[写真]
天皇皇后両陛下(右側)とゴールデン・レトリーバーのロック、土師野隆之介、麻生久美子、佐藤隆太、中江功監督、平野祐康三宅村長

シネマトゥデイ、2011年8月13日 1時18分
天皇皇后両陛下、三宅島の家族描く映画『ロック 〜わんこの島〜』を佐藤隆太、麻生久美子らとご鑑賞
(編集部・下村麻美)
https://www.cinematoday.jp/news/N0034565

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三宅島

 いまの江東区は白河に住んでいた浅沼稲次郎(1929年から刺殺される1960年まで)、じゃ、お生まれは、というと三宅島!

 わが生まれ故郷三宅島は大島、八丈島などとともに近世の流罪人の島として有名である。
 わたくしは先祖をたずねられると『大方流罪人の子孫だろう』と答えているが、事実、三宅島の歴史をみると遠くは675(天武天皇4、皇紀1336)年、三位麻積王(ヲミノオホキミ)の子を伊豆七島に流すと古書にある。
 島には有名流罪人の史跡が多い。
 三宅島という名の由来も717(養老3、皇紀1379)年に、多治見三宅麿がこの島に流されてから三宅島と名づけられたといわれている。
 わたくしが子供のころ、三宅島の伊ヶ谷にはこれらの流罪人を入れた牢屋がまだ残っていた。
 三宅島の流罪人名士をあげると竹内式部、山県大弐の勤王学者、絵師英一蝶、「絵島生島」の生島新五郎、侠客小金井小次郎など多士多彩だ。
 しかしこれらの流罪名士の中の英雄はなんといっても源為朝であろう。
 わたくしの友人で郷土史研究家の浅沼悦太郎君が『キミが国会で力闘しているのは為朝の血を引いているからだ』といっていたが、現代の為朝にみられてちょっとくすぐったかった。
 島の文化は流罪人から非常な影響を受けたことは事実で、父浅沼半次郎(村長)も、流人の漢学の素養のある人から日本外史、十八史略などを教えられたそうだ。
 私は母とともに13歳までこの三宅島で暮した。

 三宅島時代で最も印象に残っているのは、小学校の5、6年ごろと思うが、断崖にかけてある樋(とい)を渡って母にしかられた思い出だ。
 三宅島は火山島で水に不便だ。
 清水を部落までひく樋がよく谷間にかかっている。
 私の渡った樋は高さ数十丈、長さ十丈ぐらいの谷間にかけられたもので、学校友だちと泳ぎに行った帰りに、『あの樋を渡れるかい』とけしかけられて渡った。
 一緒にいた従兄の井口知一君が最初に渡ったものだから、私も負けん気になって渡り、ご愛敬にも途中でしゃがんで樋の中にあった小石を拾って谷間に投げ込んでみせた。
 なんとも乱暴なことをしたもので、今でも故郷に帰るとこれが昔話にされる。
 私は知れると母にしかられるので黙っていたが、母はどこかで聞いたとみえ畑仕事から帰ると目から火の出るほどしかられた。
 母として丹精して育てたわが子の無謀が許せなかったのだろうが、私は恐れをなして外に逃げ、後で家に帰っても俵の中にかくれていた。

 小学校6年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで府立三中(今の両国高校)に入学した。
 このとき砂町小学校から7人、三中を受け、私一人しか合格しなかったのをおぼえている。

 府立三中は本所江東橋にあって、いわゆる下町の子弟が多く、そのため庶民精神が横溢していて、名校長八田三喜先生の存在と相まって進歩的な空気が強かった。
 この学校の先輩には北沢新次郎、河合栄治郎の両教授のような進歩的学者、作家では芥川龍之介、久保田万太郎の両氏、あるいは現京都府知事の蜷川虎三氏などがいる。

 三中に入学した年の秋、学芸会があり、雄弁大会が催された。
 私はおだてられて出たが、三宅島から上京したばかりの田舎者であるから、すっかり上がってしまった。
 会場は化学実験の階段教室であるから聴衆が高い所に居ならんでいる。
 原稿を持って出たが、これを読むだけの気持の余裕がなく、無我夢中、やたらにカン高い声でしゃべってしまったが、わが生涯最初の演説はさんざんの失敗であった。
 これで演説はむずかしいものとキモに銘じた。

 その後、三年のころだったか、八田校長が当時チョッキというアダ名で有名な蔵原惟郭代議士(現共産党中央指導部にいる蔵原惟人氏の父君)を連れてきて講演させたことがあった。
 内容はおぼえていないが、この講演には当時、非常な感銘を受けた。
 また学校の学芸会の際、河合栄治郎氏がしばしば白線入りの一高帽で来たり、帝大入学後は角帽姿で後輩を指導したことは忘れられず、私が政治に生きたいと考えるようになったさまざまの刺激の一つとなったものである。


私の履歴書
浅沼稲次郎
一、生まれ故郷は三宅島

https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/浅沼稲次郎#一、生まれ故郷は三宅島

三宅島について

 東京から南へ約180kmの位置にある三宅島は、東京の山手線の内側とほぼ同じ大きさの島です。
 年間平均気温は17.7℃、30℃を超える日や0℃以下になる日は少なく、1年を通して温暖な気候の住みやすい島です。

 三宅島は富士火山帯に含まれる活火山であり、近年では2000年の雄山山頂噴火、それ以前では1983年阿古地区の噴火、1962年坪田地区の噴火と約20年周期で噴火を繰り返しており、島内のいたる所で観ることの出来る雄大な火山島景観は、まるで天然の火山博物館のようです。

 豊かな自然に囲まれた三宅島では、釣り・ダイビング・海水浴等のマリンスポーツをはじめ、トレッキング・サイクリング・バードウォッチング・ボルダリング等、陸上のアクティビティを楽しむお客様も近年増えております。

 地球の息吹を全身で感じることの出来る三宅島にぜひお越しください。


三宅島観光協会
https://www.miyakejima.gr.jp/about/

観る
故浅沼稲次郎の生家
神着地区


 三宅島出身の政治家で、日本社会党書記長、委員長を歴任。
 大きな体と大きな声で精力的に遊説する姿から、「演説百姓」、「人間機関車」などの異名をとった。

 1960年、安保闘争を前面にたって戦い、岸信介内閣を総辞職に追い込むが、総選挙の前哨戦として行われた、日比谷公会堂での自民・社会・民社3党首立会演説会で、演説中に腹部を刺され、波乱の生涯を終えた。


[写真-1]生家

[写真-2]銅像

三宅島観光協会
https://www.miyakejima.gr.jp/see/asanumainejirou_seika/

 2000年の大噴火の記憶も新しい三宅島も、島民帰島から10年過ぎました。

 東京から 近い伊豆七島のひとつですが、初めて行って来ました。
 竹芝22:30発
 すぐ寝るには勿体ない美しい夜景です。

 レインボーブリッジに見送られ
 お台場の観覧車に見送られ
 東京湾のキリンたちに見送られ・・

 一昨年就航した「橘丸」の2等船室です。個別番号の指定席になってます。
 私は仕切りカーテンが欲しくて、特2等の2段ベッド室。
 デッキでは、12時ころまで若者たちが宴会模様でした・・

 少しうたたねしてたら三宅島着、最高に眠い時間帯
 三池港 上陸 4時50分

三宅島: 伊豆七島のほぼ真ん中、東京から南へ約180kmの距離にある。
 総面積55ku、周囲36kmのほぼ円形で、山手線の内側 と同じくらい。
 中心部には火口の深さ約500mの雄山(標高775.1m)がある島です。
 気候は周囲を流れる黒潮(南西からの暖流)の影響により温暖多雨な海洋性気候で、年間の平均気温は17.7℃です。
 三宅村の人口は約2700人。


とりこのつぶろぐ、2016年04月27日16:19
思いつくままに
三宅島へ
http://blog.livedoor.jp/aoitorikotori/archives/1857286.html

 三宅島の総鎮守でもある富賀神社。
 境内にガザニアの花畑が広がってる・・ 
 4〜5人の女性たちが掃除をしてたので挨拶を交わした。
「ガザニアの花畑とは珍しいですね」と言うと、
「ガザニアは火山灰、火山ガスにも強いので、皆で植えたんですよ」と・・

 神社の背後は深い森だったそうです。

 雨模様の朝、ガザニアは陽が差さないと花が開かないので残念ですが・・

 周囲の枯れ木が復活してる様子が分ります。

 島の周遊道路の花はガザニアです。
 飛行場周辺は、ヤシの街路樹とガザニア。
 ガザニアは太陽が好きな花・・雨模様で惜しいなあ

おまけ: 小高い場所に浅沼稲次郎さん(社会党委員長)の生家があった。
 1960年に日比谷公会堂で暗殺された。大きな声と体格で知られる人。
 中には入れませんが、窓から室内をパチリ。
 銅像と、その隣は芝生広場になってました。


シャリンバイにカラスアゲハ 今季初見
とりこのつぶろぐ、2016年05月01日18:00
思いつくままに
三宅島を歩く/ 島の花ガザニア
http://blog.livedoor.jp/aoitorikotori/archives/1857731.html

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2020年01月22日

浅沼稲次郎さんの遺志を受け継ぐ

 浅沼稲次郎さんの遺志を受け継ぐために、女たちが語る「平和といのちの集い」が先日(2009年10月9日)、東京・千代田区の総評会館(法人名は「公益財団法人総評会館」なれど、会館名称はいま「連合会館」)で開かれ、参加者は200人を超えた。
「平和といのちの集い」の席上、配布された浅沼演説(演説されなかった予定稿も含む要旨)を以下に紹介する。

▽ 浅沼演説 ― 米軍基地の返還こそが独立国家の条件

 諸君、政治とは、国家社会の曲がったものを真っ直ぐにし、不正なものを正しくし、不自然なものを自然の姿に戻すのが、その要諦である。
 しかし現在のわが国には、曲がったもの、不正なもの、不自然なものが沢山ある。
 第一は池田内閣が所得倍増(注2)を唱える足元から物価はどしどし上がっている。
 月給は2倍になっても、物価が3倍になったら、実際の生活程度は下がる。
 最近は社会保障と減税は、最初の掛け声に比べて小さくなる一方である。
 他方、大資本家を儲けさせる公共投資ばかりが脹らんでいる。

 第二は日米安全保障条約(注3)の問題である。
 アメリカ軍は占領中を含めて、今年1960年まで15年間日本に駐留しているが、今回の安保条約改正によってさらに10年駐屯しようとしている。
 外国軍隊が25年の長きにわたって駐留することは日本の国はじまって以来の不自然な出来事である。
 インドのネール首相は言っている。

「われわれは外国の基地を好まない。外国基地が国内にあることは、その心臓部に外国勢力が入り込んでいることを示すもので、常にそれは戦争のにおいをただよわせる」と。

 私どももこれと同じ感じに打たれるのである。(拍手)

 日本は戦争が終わってから偉大なる変革を遂げた。

 まず主権在民の大原則である。

 つぎに言論・集会・結社の自由、労働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が憲法で保障されている。

 さらに憲法9条で戦争放棄、陸海空軍一切の戦力の不保持、国の交戦権の否認を決めている。
 これによって日本は再軍備はできない、他国に対し、軍事基地の提供、軍事同盟は結ばないことになったはずである。
 ところが日米安保条約によって日本がアメリカに軍事基地を提供し、その基地には日本の裁判権が及ばない。(拍手)
 これは完全なる日本の姿ではない。
 沢山の外国基地(水面利用も含めれば全部で350ヶ所)があるところに日本がアメリカに軍事的に従属している姿が現れているといっても断じて過言ではない。(拍手)

 だから日本が完全独立国家になるにはアメリカ軍隊には帰って貰う、基地を返して貰う、その上、積極的中立政策を実施することが日本外交の基本でなければならない。

 安保条約の改正によって日本がアメリカに対し、防衛力拡大強化の義務(注4)を負うことによって増税という圧迫を受け、言論・集会・結社の自由も束縛されるという結果を招いている。
 さらに防衛力増大によって憲法改正、再軍備、徴兵制が来はしないかを心配する。

 われわれはこの際、アメリカとの軍事関係を切るべきだと思う。
 そうして日本、アメリカ、ソ連、中国の4ヶ国が中心になって、新しい安全保障体制をつくることが日本外交の基本でなければならない。(拍手)
 この新しい安全保障体制は、お互いの独立と領土を尊重すること、内政干渉をしないこと、侵略をしないこと、互恵平等の原則に立つこと ― を基本としなければならない。

 第三の問題は、日本と中国の関係である。(略)

 第四は、議会政治のあり方である。
 重大なことは、新安保条約のような重大案件が選挙で国民の信を問わないで、ひとたび選挙で多数をとったら、公約しないことを多数の力で押しつけることに大きな課題がある。(拍手、場内騒然)

ここで演説はいったん中断し、司会者から「会場が騒々しい。静粛にお話をうかがいたい」旨の発言があり、浅沼さんが演説を再開した。「選挙の際は国民に評判の悪いものは全部捨てて、選挙で多数を占めると・・・」と述べたとき、暴漢が壇上に駆け上がり、浅沼委員長を刺した。再び場内騒然

 つぎの(注)は私(安原和雄、1935年生まれ)が付記した。

(注2)新安保条約を強行採決によって成立させた岸内閣は総辞職し、池田内閣が発足(1960年7月)、国民所得倍増計画を決定(同年12月)した。10年間で所得を倍増させるプランで、俗に「月給倍増プラン」とも呼ばれた。

(注3)日米安全保障条約とは、旧安保条約に代わる新安保条約のことで、1960年6月発効した。10条(条約の終了)「10年間効力を存続した後、いずれの締約国も条約終了の意思を相手国に通告することができ、その1年後に条約は終了する」などの規定が新たに盛り込まれた。つまり1970年6月以降はいつでも条約を一方的に破棄できる規定である。

(注4)「防衛力拡大強化の義務」とは、新安保条約3条(自衛力の維持発展)の「締約国は武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させる」という規定を指している。この規定を受けて日本は軍事力増強への道を突き進み、現在、世界有数の軍事強国となっている。このため日本国憲法9条(非武装)の理念は空洞化している。

▽ 幻に終わった浅沼演説内容 ― 金権政治を正すとき

 以下は浅沼さんが倒れたため、聴衆に向かって語り、訴えることができず、幻に終わった演説(予定稿要旨)である。

 新安保条約にしても、調印前に衆議院を解散し、主権者の国民に聞くべきであった。
 しかしやらなかった。
 1960年5月19日、20日に国会内に警官が導入され、安保条約改定案が自民党の衆議院単独審議、単独強行採決がなされた。
 あの強行採決がそのまま確定しては、憲法の大原則、議会主義を無視することになるから、解散して主権者の意志を聞けと2000万人に達する請願となった。
 しかし参議院で単独審議、自然成立となり、批准書交換となった。
 かくて日本の議会政治は、5月19、20日をもって死滅したといっても過言ではない。

 最後に日本の政治は金権政治であることを申し上げたい。
 この不正を正さなければならない。
 現在わが国の政治は選挙で莫大なカネをかけ、当選すれば、それを回収するために利権をあさり、カネを沢山集めた者が自民党総裁、総理大臣になる仕組みである。
 その結果、カネ次第という風潮が社会にみなぎり、希望も理想もなく、その日暮らしの生活態度が横行している。
 戦前に比べて犯罪件数は十数倍にのぼる。
 これに対し政府は道徳教育とか教育基本法改正とか言っているが、必要なことは、政治の根本が曲がっているのを直してゆかねばならない。

 政府みずから憲法を無視して再軍備を進めているのに、国民に対しては法律を守れといって、税金だけはどしどし取り立ててゆく。
 これでは国民は黙ってはいられない。

 政治の基本はまず政府みずから憲法を守って、清潔な政治を行うこと、そして青少年に希望のある生活を、働きたい者には職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障する政策を実行しなければならない。
 日本社会党が政権を取ったら、こういう政策を実行することをお約束する。
 社会党を中心に良識ある政治家を糾合した、護憲、民主、中立の政権にして初めて実行しうると思う。

▽ 浅沼さんの「遺言」=マニフェストは生かされるか

 私(安原)事になるが、実は大学生だった頃(1957=昭和32年)、創刊間もないある総合月刊誌が浅沼さん(当時、社会党書記長)を囲む座談会を企画し、大学生3人の出席者のうちの1人として参加した。
 テーマはたしか「社会党が政権の座についたら」で、学生の立場から率直にもの申してほしいというのが雑誌編集者の狙いであったように記憶している。
 そういう縁で浅沼さんとは直に接した体験があるだけに「浅沼さん、刺殺される」のニュースには暗澹(あんたん)たる想いであった。
 浅沼さんの「遺言」ともいうべき最後の演説を今読んでみて、感慨もひとしおというほかない。
 この「遺言」は今日どこまで生かされるのか、そこに大きな関心を抱かないわけにはゆかない。

 浅沼演説は当時の現状認識についてつぎの諸点を挙げている。
 半世紀も前の演説だが、今日の状況をほぼそのまま言い当てているといっても見当違いではあるまい。
 ついこの間まで自民・公明政権が推進してきた政策と大差ない。

* 社会保障は小さくなる一方であり、他方、大資本家を儲けさせる公共投資ばかりが脹(ふく)らんでいること

* 日本の政治は金権政治であること。このためカネ次第という風潮が社会にみなぎっていること

* 政府みずから憲法を無視して再軍備を進めていること

* 政府は税金だけはどしどし取り立ててゆくこと

* 希望も理想もなく、その日暮らしの生活態度が横行し、犯罪も増えていること

 以上のような当時の自民党政治の現状認識に立って浅沼委員長は、「日本社会党が政権を取ったら」として、つぎのことを約束した。
 これは遺言となったが、今風にいえば、浅沼さんのマニフェスト(政権公約)でもあった。

* 政治の基本として政府みずから憲法を守って、清潔な政治を行うこと

* 青少年に希望のある生活を、働きたい者には職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障する政策を実行すること

▽ 基地撤去論を今どう受け止めるか(1) ― 穏健派の気迫

 浅沼演説の主眼は日米安保への批判に置かれている。
 具体的には日米安保条約の破棄、在日米軍基地の撤去、さらに日本、アメリカ、ソ連(当時)、中国の4ヶ国を中心とする新しい多角的安全保障体制の創設 ― である。

 特につぎの指摘に着目したい。

「アメリカ軍は占領中を含めて、今年1960年まで15年間日本に駐留しているが、今回の安保条約改正によってさらに10年駐屯しようとしている。外国軍隊が25年の長きにわたって駐留することは日本国はじまって以来の不自然な出来事」と。

 文中の「安保条約改正によって(米軍が)さらに10年駐屯しようとしている」の含意はつぎのように理解したい。

 新安保条約10条は「この条約は10年間効力を存続した後は、条約を終了させる意思を相手国に通告することができる」と定めている。
 これによって1970年までの10年間は米軍駐留は我慢するとしても、それ以降はお引き取りを願おうと考えていたのではないか。
 ところが現実には10年どころか今日まで半世紀も続いている。
 この現実を浅沼さんが知ることになったら、あの世で「日本人の独立国家としての気概はどこへ消え失せたのか」と慨嘆するに違いない。

 当時、浅沼さんは決して急進派であったわけではない。
 社会党内では左派ではなく、右派に属していた。
 気迫は人一倍であっても、思想的には穏健派であった。
 その人物にしてすでに日米安保破棄・米軍基地撤去論者だったのだ。


安原和雄の仏教経済塾、2009/10/23(金) 22:01:48
「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)

刺殺された浅沼稲さん最後の演説
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-entry-253.html

 国会議事堂から100メートルあまり北に歩くと、警視庁の永田町庁舎があります。
 ここにはかつて野党第1党の社会党本部がありました。

 1964年に国有地を借りて地上7階、地下1階のビルを建設。
 最盛期には200人を超える国会議員でにぎわいました。
 党本部の近くの坂にちなんで「三宅坂」が社会党の代名詞になりました。
 戦前には陸軍省があった場所です。

 党本部は外壁が剥がれるなど老朽化が進み、2011年の東日本大震災を機に耐震強度不足が判明。
 社会党から名前を変えた社民党は建て替え資金が無かったため、2013年に取り壊しました。

 最初の引っ越し先は永田町の首相官邸の裏にある民間賃貸ビルの一角でした。
 広さは「三宅坂」の10分の1ほど。
 当時、国会議員はすでに6人に減っていましたが「永田町に党本部を構えるのがステータス」(幹部)と賃料の高いこの場所を選びました。

 党本部の移転はさらに続きます。
 2016年の参院選で吉田忠智党首が落選し、国会議員は衆参で4人に減りました。
 資金が一層足りなくなり、2017年には永田町を離れ、国会から車で15分の隅田川沿いの賃貸ビルに移りました。
 賃料は安くなりましたが、広さは永田町のときの半分と狭くなりました。
 (中央区湊3‐18‐17 マルキ榎本ビル5階 Tel 03‐3553‐3731 FAX 03‐5540‐9087)

 党職員とともに引っ越しを繰り返し、今の社民党をじっと見つめ続けている胸像があります。
 浅沼稲次郎氏。
 1960年の演説会で右翼の少年に刺殺された社会党の委員長です。
 全国を飛び回り、だみ声の演説で人気を博した一方、約30年にわたって都内の下町のアパートに住み続けた清貧の人でした。
 党本部が小さくなっても、党の存続がかかった夏の参院選の行方を祈っているようにみえます。


[写真-1]
旧社会党本部の跡地。現在は警視庁の庁舎がある

[写真-2]
社民党が2013年に入居した永田町の賃貸ビル

[写真-3]
現在の社民党本部はこのビルの5階と6階に入居している

[写真-4]
現在の社民党本部の5階エレベーターホールに浅沼稲次郎氏の胸像が立つ

日本経済新聞、2019年2月21日 6:30
(写真でみる永田町)
移りゆく党本部 変わらぬ胸像

(山崎純)
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO41504400Q9A220C1PE8000

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2020年01月21日

将基面貴巳「日本国民のための愛国の教科書」

 昨年刊行された将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房、2019年7月)という本がある。
 タイトルを読むと一見いわゆる“愛国本”のようだが、実際の中身は「いま日本でいわれる愛国心とは、本当に愛国心なのか?」という前提から問い直し、日本社会に浸透しきった「歪んだ愛国」の常識を覆すものになっている。
 本来の「愛国心」とはなんなのか?
 著者の政治思想史研究者・将基面貴巳(しょうぎめん・たかし)氏に聞いた。

* * *

―― 本の中で、日本語の「愛国」には意味のすり替えが発生していると解説されています。ものすごく簡単にまとめさせていただくと、生まれ育った土地や風土を無条件に愛する姿勢(=ナショナリズム)ではなく、自分が市民権を持つ共同体において、自由や平等といった基本的な政治的価値を実現する政治制度を維持していこうと努力する態度(=パトリオティズム)が本来の愛国心なのだ、というお話でした。しかし、近年はやっている「日本スゴイ」系番組などもそうですが、今の日本では、政治的価値や制度の話ではなく、もっぱら日本の風土や文化を自分たちで過剰に持ち上げる風潮のほうが強いと思います。そうした流れができてきた理由は、どこにあると思われますか?

将基面: 僕は、現代日本人の自信のなさの裏返しだと思っています。
 ナショナル・アイデンティティに過度に寄りかかって、自国民であることを誇りに思う――その誇りがそこまで肥大しているというのは、逆にいえば自分のアイデンティティの基盤が揺らいでいるからだと思います。
 僕も含め、いま40代後半より上の世代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言っていたような浮ついた1980年代の雰囲気をよく覚えています。
 当時の日本人にとって「経済大国」としての日本が自分たちのナショナル・アイデンティティの基礎となっていたわけです。
 その頃と比べると、今の日本は「失われた20年」どころか「30年」になろうとしていて、なんとも情けない状態になっている。
 にもかかわらず、いや、だからこそ、当時抱いた誇りに近い思いをどうしても抱きたい。
 つまり、「経済大国日本」というアイデンティティが揺らいだ結果として、どうしても誇りを肯定しないといけないという心理的傾向が増大しているのだと思います。
 ただ、日本人がうぬぼれやすいのは、今に始まった話ではないんですよ。
 1890年代に日本にやってきた宣教師が「日本人はとにかく日本を買いかぶりすぎだ」という話を残しています。
 1人だけではなく、複数の宣教師たちがそのようなことを言っている。
 今と比べてどの程度のものなのかはわかりませんが、外国人の目から見ると、どうも昔から日本人はうぬぼれやすい傾向が強いようです

―― そこからずっと抜け出せていないんですね。ネットで可視化されているせいか、近年はよりそういう考え方の持ち主が増えているように感じてしまうんですが、この流れは日本特有なのでしょうか?

将基面 デイヴィッド・グッドハート David Goodhart というイギリスのジャーナリストが、イギリスを舞台に「なぜ特定の人たちがナショナリズムに強くコミットするのか」を分析した書籍(『The Road to Somewhere、The Populist Revolt and the Future of Politics』C. Hurst & Co. Publishers、17 Mar 2017)があります。
 そこで語られているのは、イギリス社会が極端に二分化されているという話なんですね。
 一方では教育水準も平均年収も高い、イギリス国内に限らずEUでもどこでも生活できるコスモポリタンな人たちがいて、他方では教育水準も年収も相対的に低く、社会的・経済的な地位がどんどん落ちていっている人たちがいる。
 後者の人たちは自分の経済的・社会的アイデンティティが切り崩されている中にあって、自分の尊厳を保つためにナショナルなアイデンティティに頼らざるを得ない。
 なぜなら、金持ちであろうと貧乏人であろうと「イギリス国民である」という点においては平等である、との感覚が自分の尊厳を担保するからだ、と分析されています。
 ラストベルト(アメリカ中西部の斜陽産業が集中する地域)の人たちがトランプ支持に回っている現在のアメリカでも、同じことが起きているといえると思います。
 日本は必ずしもそうではないかもしれませんが、多くの人びとの経済的・社会的アイデンティティが揺らいでいることは確かだと思います。
 特に「経済大国日本」の幻影を追い求める人たちは、すでに経済的に日本よりも成長した中国・韓国を見て、「自分たちのナショナル・アイデンティティを強化しないといけない」という心理になった結果、こんにちのような状況がある――と説明することはできるのではないかと思っています。

日本人はなぜ逃げ出さないのか?

―― 日本でも、外国語ができたり、海外に気軽に出られる経済力があったりする人は、いわゆるネトウヨにはならない印象があります。私の周囲では「今の日本が本当に嫌だ、海外に逃げようかな」と話している人は少なくないのですが、実はそう考える人は日本全体で見れば少数派なのかな……とも思うんです。

将基面: 確かに言語の障壁は存在しますが、たとえば第二次世界大戦中には東ヨーロッパからアメリカへ、英語はあまりできない人たちがたくさん逃げてきたわけです。
 だから、最初から言葉ができなければいけないということはないんですよ。
 行ったら行ったでどうにかなる。
『日本国民のための愛国の教科書』の中では、経済学者アルバート・ハーシュマン Albert Otto Hirschman(1915 - 2012)が提唱した忠誠心の理論から「離脱」(exit)と「発言」(voice)という2つのキーワードを使って、このあたりのことを説明しています。
 つまり、国がうまくいっていない場合、「離脱」して望ましい別の国に移住するか、とどまって政権批判の「発言」をして国を改善しようとするか、2つの選択肢が考えられます。
 そこで政権批判の「発言」をする人たちが国に忠誠心を持つ人たち、つまり愛国者たちだ、というのです。

 世界的に見ると、日本人には「離脱」するケースが非常に少ない。
 日本人なら日本に住み続けるのが当たり前だと思っている人がとても多いのですが、それは世界的な視点からすれば決して当たり前じゃないんだというのは、『日本国民のための愛国の教科書』に込めたメッセージのひとつではあります。

―― ただ、正直いまの日本では、逃げもしないし発言もしない、自国の欠陥を認めてこれをなん とかしようという姿勢もない人が多いんじゃないかという絶望感があります。

将基面: 自分の国がどのように運営されているかについて、「何かがおかしい」という問題意識をまったく持たないのであれば、その時点で一市民として公共的な問題にまるでコミットしていないといえます。
 結局のところ、自分の利益、自分が心地よく思えることにしか関心がない、ということです。
 政治思想史に「暴政(tyranny)」という概念があるのですが、ただ単純に暴君ネロや独裁者ヒトラーのような暴虐非道な政治を意味するのではありません。
 政治思想史における「暴政」とは、政治的指導者たちが、共通善(自由や平等と、そうした価値の実現を保証する政治制度)の実現を放棄して、自分たちの私益だけを追求する政治のことです。
 一言でいえば、共通善を破壊する政治です。
 そのような暴政にあって、市民一人ひとりが暴君を批判せず、自分の自己利益にしか関心がないということになれば、市民社会は当然立ち行かなくなる。
 なぜなら、一般市民たち自身が共通善の実現に向けて努力しないのですから、市民たちもまた小「暴君」に成り果てているということです。

 アダム・スミス由来の近代経済学が理論的に前提としている人間(ホモ・エコノミクス)とは、そういう自己利益だけを追求する利己的なものだとしばしば言われています。
 しかし、近代経済学の始祖たちが生きた社会とは、共通善を実現しようと努力する市民が運営する近代市民社会なのであって、公共的な問題にはまるで関心がない人たちの社会を前提としていない。
 そういう意味では、各人が自分の利益や快適さにしか関心を持たない、今の日本社会の状況というのは、極めて深刻に腐っていると思います。
 にもかかわらず、そこから逃げ出そうとする人があまりにも少ない。
 僕はニュージーランド在住なのですが、外から見ていてそれが不思議で仕方ありません。

―― むしろ、もっとさっさと逃げるべきだと?

将基面: 僕が住んでいるダニーデンの地元紙を読んでいると、2ヶ月に一度くらい、新たにニュージーランドの市民権を得た人たちの名前と出身国が掲載されるんです。
 最近は、ブレグジットで揺れるイギリスからの移民が続々と増えている。
 その人たちはもちろん、イギリスに対して極めて深刻な危機意識を持っているわけです。
 一方でニュージーランドは今の世界でまれな中道左派の政権があって、政治や社会を語る場においてナショナリズムがあまり重要な役割を果たしていない。
 そういう意味でオープンな社会なので、新たに入ってくる人を拒絶する傾向が少ないんですね。
 だから居心地が良く、もともと住んでいる人たちも新たに入ってくる人たちも社会に貢献し、政治に参加しよう、つまり、共通善の実現にコミットしようという意識が出てくるんだと思います。

―― 日本人が国外に出ていく考えがあまりないということは、たとえば移民や外国人労働者など、新たに日本に入ってくる人に対して寛容でないことと裏返しの関係なのでしょうか?

将基面: それはあるでしょうね。
 ナショナル・アイデンティティが強ければ強いほど、均質であれば均質であるほど、寛容度はどんどん下がります。
「寛容」という概念も難しいものです。
「なんでもあり」は「寛容」ではない。
「寛容」とは「どこまでだったら受け入れるか」という話なのです。
 共和主義的な観点からの寛容でいえば、移住してきた社会で政治的・社会的な価値にコミットする、つまりルールを守って公共的な社会・生活に参加する限りにおいては、移民たちを受け入れる。
 必ずしもその人たちが日本語をよくしゃべれなかったり、文化的に日本的慣習に従った生活をしていなくてもよしとする、となります。
 これとは反対に、ナショナリズム的な立場から見たとき、寛容に受け入れる限度とは、外国からの移民であっても日本の文化をきちんと理解して、日本語を十分に話すことができ、ほかの日本人が生活するのとまったく同じようにしないといけないということになる。
「寛容」の質も程度もまったく違いますが、僕は共和主義的な寛容のあり方のほうが、ひとつの市民社会を運営していく上では望ましいと思っています。

”揺り戻し”を期待するより仕方ない

―― しかし、この状況下で海外に逃げようと考えられる人たちが実際に出ていってしまったら、日本社会はもっとダメになっていくのではないでしょうか?

将基面: そうですね。
 能力や意欲がある日本人が大挙して外に出ていってしまったら、国の衰退にいよいよ拍車がかかるでしょう。
 しかし、日本という国がいよいよ衰退して立ち行かなくなったときに、そうした国外で活躍する日本人たちが再結集し、協力し合って日本を立て直す、ということはあってもおかしくないと思います。
 明治維新の際に、薩摩と長州という、それこそ日本列島でいうと端っこにいた人たちが古い体制を倒したのと同じように、外に出ている人たちが新しい国造りをする。
 その意味では、いま若い人たちができるだけ外に出て自分を鍛え、市民社会の中で生きるということを深く理解した上で将来の国難に備えるという方策はあってもいいんじゃないかと思います。
 あまり政府が聞きたい話ではないでしょうが(笑)。

―― 長期的に見ると、確かにそうですね。でもやっぱり、目前の社会に絶望しながら生きるのはつらいので、短期的にどうにかならないのかなと思ってしまうんですが……。

将基面: 僕はあんまり焦っても仕方ないと思います。
 保守派は、これまで30年以上かけてこうした状況をつくってきた。
 リベラル派は、目先の「日本スゴイ」的な浅薄な愛国心が支配する状況を打ち破ることばかりにかかずらうべきではないと思うんです。
 政治闘争に勝つ勝たないの話ではなく、50年100年というタイムスパンでこの国をどうすべきなのか、という視点が必要なんじゃないでしょうか。
 自由を守るという立場からあくまで理性的な議論にこだわれば、民衆扇動のレトリックを使うことに長けている保守派に政治的闘争では敗れることになるでしょう。
 でもその結果、行き着くところまで行き着いたら、また揺り戻しがかかると思う。
 そこまで見据えた上で、自分たちがやっていることは捨て石なんだというような覚悟が、リベラル派にはある意味で求められていると考えています。

―― いずれ来る揺り戻しのために、今は準備しておくべきだ、と。

将基面: それを期待しないと、やっていられないじゃないですか(笑)。
 国土が焦土と成り果てた1945年8月15日の後でも、30年たったら一応の繁栄を築くことはできたわけです。
 だから揺り戻しを期待するより仕方ないですよ。

● 将基面貴巳(しょうぎめん・たかし)
1967年神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。シェフィールド大学大学院歴史学博士課程修了(Ph.D.) 。研究領域は政治思想史。現在はオタゴ大学(University of Otago、ニュージーランド南島ダニーデンに所在する国立総合大学)人文学部歴史学教授。英国王立歴史学会フェロー。『ヨーロッパ政治思想の誕生』(名古屋大学出版会)で第35回サントリー学芸賞受賞。著作に『言論抑圧 矢内原事件の構図』(中公新書)、『政治診断学への招待』(講談社選書メチエ)、『反「暴君」の思想史』(平凡社新書)。最新刊は『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房)、『愛国の構造』(岩波書店)。

● 斎藤岬(さいとう・みさき)
1986年、神奈川県生まれ。編集者、ライター。

日刊サイゾー、2020/01/20 20:00
『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳インタビュー
「国外脱出もしない」「政治的な発言もしない」日本人の歪んだ愛国心に、未来はあるのか?

https://www.cyzo.com/2020/01/post_228947_entry.html

「週刊読書人」2020年1月10日号 3322号
対談=将基面貴巳×宇野重規
<真の愛国―何のために生きるのか>
『愛国の構造』『日本国民のための愛国の教科書』をめぐって

http://www.dokushojin.co.jp/?pid=147872014

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2020年01月20日

清砂通りアパートと浅沼稲次郎

沼は演説百姓よ
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺

 そのようにほめたたえられた浅沼稲次郎は、暗殺されるまで、江東区に住んでおったのです(ヤッホーくん注)。

 浅沼稲次郎の一面を知る文章です。

 自治会町内会情報誌「まち・むら」127号(2014年9月発行・季刊誌)掲載の論文、「都市の共同居住」(大内田鶴子・江戸川大学社会学部教授)を読んでいると、「町会長浅沼稲次郎」の項がありました。

 掲載の文書から転記。
 1929(昭和4)年頃から、清砂通りアパートの白河4丁目側10号館1階に、衆議院議員(後の日本社会党書記長・委員長)の浅沼稲次郎が、部屋を借りて住んでいた。
 保証人は賀川豊彦であったそうだ。
 1933(昭和8)年に東京市議に当選し、1936(昭和11)年に衆議院議員になった。
 1941(昭和16)年ごろ無産者政党、社会大衆党を解党した後には「白河町内会」の自治会長になっている。
 浅沼は戦後1960(昭和35)年、社会党委員長になった後も、日比谷公会堂で右翼少年の凶刃に倒れるまで、この地に住み続けた。

 なお、選挙区は文京区であり、「御殿の鳩山、アパートの浅沼」と言われたそうである(沢木耕太郎、1978年)。
 清砂通りアパート住民は、敗戦直前の、1945年5月に生活用品不足に対応するため、浅沼の勧めにより、生活協同組合を結成している。

<省略>

 浅沼稲次郎は、東京市政調査会が事務局となって、1947(昭和22)年2月12日に発足した町会問題対策協議会の委員になっている。
 GHQは占領統治政策として、町内会・自治会を廃止しましたが、それに先立ち東京とは、廃止される町内会に代わる新しい組織の性格や事業、その具現化の方法などを討議していた。
 東京都は1938(昭和13)年から町会整備を継続しており、この時重要な役割をはたした都庁の地方事務官を再び会議に参加させて、町内会廃止後の近隣組織の在り方について検討し始めた。
 浅沼はその会議に町会代表委員として加わっており、「新生活共同体の結成」という構想案を、町内会に代わる新たなモデルとして提言を試みたメンバーの一人である。
 その構想内容は、生活協同組合との関係を示唆するものとなっている。
 なお、この提言は活かされずに葬られた。

格差のない平和な社会をめざして(*)、2014年11月23日
(*)社民党の理念は「平和・自由・民主主義・平等・共生・連帯」、「社民党の活動を知って下さい」を目的に作成してます。
「清砂通りアパートと浅沼稲次郎」を読む
https://blog.goo.ne.jp/kumagaya-sdp/e/6e34f7176e9be975b62052c177fc5595

(ヤッホーくん注)
〇1「沼は演説百姓よ…」

 これは大正末年の日労党結党当時、友人の田所輝明君が、なりふり構わず全国をブチ歩く私の姿をうたったものだ。
 以来演説百姓は私の異名となり、今では演説書記長で通っている。
 私は演説百姓の異名をムシロ歓迎した。
 無産階級解放のため、黙々と働く社会主義者を、勤勉そのもののごとく大地に取組む農民の姿にナゾらえたもので、私はかくあらねばならぬと念じた。

 まことに演説こそは大衆運動30余年間の私の唯一の闘争武器であった。
 私は数年前『わが言論闘争録』という演説集を本にして出したが、その自序の中で「演説の数と地方遊説の多いことは現代政治家中第一」とあえて広言した。
 私は全国をブチ歩き、ラジオにもよく出るので私のガラガラ声が大衆の周知のものとなった。
 ラジオや寄席の声帯模写にもしばしば私の声の声色が登場して苦笑している。
 徳川夢声氏と対談したとき『あれは沼さんの声だと誰でも分るようになれば大したものだ』とほめられたことがある。

 しかし私の声ははじめからこんなガラガラ声ではなかった。
 学生時代から江戸川の土手や三宅島の海岸で怒濤を相手にし、あるいは寒中、深夜、野原に出て寒げいこを行い、また謡曲がよいというので観世流を習ったりして声を練った結果、現在の声となった。
 これらの鍛練は大きな声と持続性の研究であり、おかげで私は水も飲まずに2、3時間の演説をやるのはいまでも平気だ。
 演説の思い出は多いが、その中でアジ演説で印象に残ったものを、自慢話めくが二、三披露してみよう。

<略>

日本経済新聞・私の履歴書
六、鍛え上げたガラガラ声
https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/浅沼稲次郎

〇2 「清砂通りアパート」

 1929(昭和4)年、日本大衆党の公認をうけ東京市深川区から市会議員に立候補した関係で、深川のアパートに住むようになり、それ以来、江東地区の労働運動に関係するようになった。

 関東木材産業労働組合、東京地方自由労働者組合、東京製糖労働組合の組合長をやり、日本労働総同盟に参加して、深川木場の労働者のために多くの争議を指導した。

 たしか1935(昭和10)年ごろと思うが、ある深川の製材工場が釘で厳重にロック・アウトをしたことがあった。
 われわれはこれをぶちこわして強引に工場へ入ったところ、会社側も負けじとお雇い人夫を動員、トビ口やコン棒を振上げ襲いかかってきた。
 あわや血の雨の降る大乱闘になろうという時、救いの神ともいうべき警官が現われ、平野警察署長青木重臣君(のちの平沼内閣書記官長、愛媛県知事)の命令で、労使ともに検束されてしまった。
 留置場はまさに呉越同舟、敵も味方も一しょくたにされていたが、そのおかげで留置場内で話がまとまり、争議が解決したのだからケッ作だ。
 青木署長もなかなか思い切ったことをしたものである。

 演説をやれば「注意、中止、検束」、デモでは先頭にいて「検束」という具合で、この当時の社会運動家の中ではわたくしが検束の回数では筆頭だったようだ。


日本経済新聞・私の履歴書
五、検束回数のレコードホルダー
https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/浅沼稲次郎

〇3 「日本社会党」

 私は終戦の勅語を深川の焼け残ったアパートの一室で聞いたが、このときの気持を終生忘れることができない。
 2、3日前飛んできたB29のまいたビラを読んで、薄々は感づいていたものの、まるで全身が空洞になったような虚脱感に襲われた。
 私はこれまで何度か死線をさまよった。
 早大反軍研事件後の右翼のリンチ、東京大震災のときの社会主義者狩りと市ヶ谷監獄、秋田の阿仁銅山争議など――。
 しかしこれらのものは社会主義者としての当然の受難とも思えたのである。
 しかし戦争はもっと残酷なものだった。
 戦闘員たると否とにかかわらずすべてを滅亡させる。
 私の住んでいた深川の清砂アパートは1945(昭和20)年3月10日の空襲で全焼し、私はからくも生き残ったが、一時は死んだとのウワサがとんで、友人の川俣代議士が安否をたずねに来たことがある。
 無謀な戦争をやり、われわれ社会主義者の正当な声を弾圧した結果は、かかるみじめな敗戦となった。
 私は戦争の死線をこえて、つくづく生きてよかったと思い、これからはいわば余禄の命だと心に決めた。

 そしてこの余禄の命を今後の日本のために投げださねばならぬと感じた。

 やがて敗戦の現実の中に、各政党の再建が進められ、保守陣営の進歩党、自由党の結党と呼応して、われわれ無産陣営でも新党を結成することになった。
 1945(昭和20)年9月5日、戦後初の国会が開かれたのを機会に、当時の代議士を中心として戦前の社会主義運動者、河上丈太郎、松本治一郎、河野密、西尾末広、水谷長三郎氏が集まり第一回の準備会を開いた。
 そこで戦前の一切の行きがかりを捨て、大同団結する方針が決まり、全国の生き残った同志に招待状を出すことになった。
 当時私は衆議院議員を一回休み、都会議員をしていたが、河上丈太郎氏から『君は戦前の無産党時代ずっと組織部長をしていたから全国の同志を知っているだろう。新党発起人の選考をやってくれ』と頼まれ、焼け残った書類を探しだして名簿を作成した。
 その名簿によって当時の社会主義運動家の長老、安部磯雄、賀川豊彦、高野岩三郎の三氏の名で招待状を出し、同年1945(昭和20)年9月22日、新橋蔵前工業会館で結党準備会を開いた。

 ついで11月2日、全国3000の同志を集め、東京の日比谷公会堂で結党大会を開いた。
 私はこのとき司会者をつとめたが、会場を見渡すといずれも軍服、軍靴のみすぼらしい格好ながら同じ理想と目的のため、これほど多くの人びとが全国からはせ参じてくれたかと思うとうれしくてたまらなかった。
 同大会は松岡駒吉氏が大会議長をつとめ、水谷長三郎氏が経過報告をやり、党名を「日本社会党」と決め、委員長欠員のまま初代書記長に片山哲氏を選んだ。

<略>

日本経済新聞・私の履歴書
八、社会党誕生す
https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/浅沼稲次郎


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2020年01月19日

社会党浅沼委員長刺殺事件は60年前!

 60年、60年、60年前は1960(昭和35)年。
 安保闘争ともうひとつ、ヤッホーくんにはあったって、それは浅沼稲次郎!

 巨体と大きな声で全国を精力的に遊説し、「人間機関車」「演説百姓」の愛称で親しまれた浅沼稲次郎。
 社会党書記長、委員長を歴任した。
 早稲田大学では雄弁会と相撲部・ボート部に所属。
「文藝春秋」1953(昭和28)年8月・夏の増刊号では、慶應義塾大学の藤山愛一郎(日商会頭)らとともに、「母校のチャンピオン」というグラビア頁に登場している。
 社会党が左右両派に分裂していた時代であった。

 1898(明治31)年、東京・三宅島に生まれた浅沼は、1960(昭和35)年、社会党委員長に就任する。
 そして、総選挙を目前に控えた同年1960年10月12日、自民・社会・民社三党党首公開立会演説会が東京・日比谷公会堂で開かれた――。

〈ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストと、激しく交錯する〉
(沢木耕太郎「テロルの決算」文春文庫)

 短刀を携えた右翼の少年、山口二矢が、演壇に立つ浅沼に向かって駆け上がる。

〈浅沼の動きは緩慢だった。ほんのわずかすら体をかわすこともせず、少し顔を向け、訝しげな表情を浮かべたまま、左脇腹でその短刀を受けてしまった。短刀は浅沼の厚い脂肪を突き破り、背骨前の大動脈まで達した〉
(同前)

 浅沼はまもなく絶命した。
 8日後に行われた社会党葬は、冷たい雨の降るなか、2600人の参列者を得て、盛大に行われた。
 会場は、事件と同じ日比谷公会堂であった。


[写真]浅沼稲次郎 ☟

浅沼稲次郎.jpg

文藝春秋 Books、2013.10.21
刺殺された日比谷公会堂で葬儀が行われた浅沼稲次郎
https://books.bunshun.jp/articles/-/2446

[動画]
NHKみのがしなつかし
社会党浅沼委員長刺殺事件
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030037_00000

 1960年10月12日、日比谷公会堂では日米安全保障条約をめぐって、各政党党首による演説会がおこなわれることになっていました。
 社会党書記長の浅沼稲次郎は最初の登壇者でした。
 会場にいた毎日新聞のカメラマン長尾靖(ながお やすし、1930 - 2009)は、人ごみを縫って前へ進み、場所を確保します。
 スピード・グラフィックに12枚撮りのフィルムパックを装填し、全体写真、クローズアップ、政党関係者など11枚を撮りおえ、フィルムは残り1枚となりました。

 浅沼の演説中には右翼からの野次が飛び、演壇にあがってビラをばらまく者もあらわれました。
 演説はいったん中断されたのち、再開されました。
 そのとき、舞台の袖から学生服を着た若者が現れ、浅沼に向かって走ってきたのです。
 学生は体当たりして手にした短刀を浅沼の腹部に突き入れました。

 数人のカメラマンが最初の一撃を撮りましたが、演壇に隠れてよく見えませんでした。
 2人がよろめいて後ろに下がり、演壇から離れました。
 学生は浅沼の体から短刀を引き抜き、今度は心臓に突き入れて、再び抜きました。
 演壇に邪魔されずこれを撮影できたのは、長尾だけでした。

 浅沼は救急搬送中に死亡しました。
 襲撃者の山口二矢(やまぐちおとや)は逮捕されたのち、拘留中の11月2日に自殺したのです。

 この写真は毎日新聞と独占契約をしていたUPI通信によって全世界に配信され、1961年に日本人ではじめてピュリツァー賞を受賞しました。

 ちなみにこの事件については、沢木耕太郎が『テロルの決算』で詳細に追及し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。


[写真]舞台上での暗殺 ☟

舞台上での挨拶.jpg

National Geographic、2012/01/18
ピュリツァー賞と日本人
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120118/296593/

 日本人として初めてピュリッツァー賞を受賞した元毎日新聞のカメラマン、長尾靖さんが亡くなった(2009年4月29日・享年78歳)。
 静岡県南伊豆町のアパートで一人暮らしの長尾さんが約束の個展に来ないのでその身を案じた友人の安否確認で5月2日、自宅で倒れているのが発見されたという。
 何とも痛ましい。

 1960(昭和35)年10月12日毎日新聞夕刊一面に掲載された、社会党の浅沼稲次郎委員長の刺殺された写真は衝撃的であった。
 長尾カメラマンが撮った写真である。
 犯人は17歳の右翼の少年(1960(昭和35)年11月2日東京少年鑑別所で自殺)であった。
 この日、日比谷公会堂で公明選挙連盟主催の自民、社会、民社3党首による立会演説が開かれた。
 会場には大勢の右翼が詰めかけ演壇からビラをまいたり、激しいヤジを飛ばしたりしていた。

 浅沼委員長が登壇したのは民社党、西尾末広委員長の後であった。
 突然、少年が演壇の右側から壇上に駆け上がってきた。
 手に茶色の棒のようなものを持ち、猛烈な勢いで委員長にぶつかった。
 実は短刀で委員長は深く刺され、はずみで半回転した。
 少年は演壇の後を通り抜け、右側の長尾の目の前にきて短刀を構えもう一度刺した。
 少年が二度目に刺そうとした瞬間を長尾カメラマンがとらえた。
 長尾ははじめ10フィートでピントを合わせていたのを15フィートにピントを合わせ直してシャターをきった。
「原稿用紙が飛び散り、浅沼委員長の顔からメガネがずり落ち、少年を捕まえようと手が伸びる光景はテロの恐怖を生々しく物語っている」と「毎日の3世紀」(下巻)はいう。

 この写真はUPI通信を通じて世界中の新聞に送られ大きく報道された。
 米国の雑誌「ライフ」や「タイム」、フランスの週刊写真雑誌「パリ・マッチ」も掲載した。
 1961(昭和36)年5月1日に外国人としては初めての1961年度のピュリッツァー賞に輝いた。

 ここに意外なエピソードを書く。
 実は長尾カメラマンは野球が嫌いであった。
 それが世紀の特ダネ写真を生むきっかけとなった。
 この日、プロ野球日本シリーズ第2戦・大洋ホエールズと大毎オリオンズの試合が川崎球場で行われていた。
 第1戦は1―0で大洋がものにした。
 第2戦もいきづまる投手戦であった。
 多くの記者、カメラマンが社の車の中でその実況放送を聞いていた。

 野球嫌いの長尾カメラマンは愚直に現場で頑張っていた。
 そこに惨劇が起きた。
 誰も予想しない出来事であった。
 だから事件は怖いのである。

 さらに付け加えれば長尾カメラマンのスピグラには12枚目のフイルムが1枚残っているだけであった。
 カメラマンの「最後の1枚は必ず残しておけ」という原則を忠実に守ったおかげでもあった。
 心から長尾カメラマンのご冥福を祈る。

 
銀座一丁目新聞、2009(平成21)年5月10日号
カメラマン長尾靖さんを偲ぶ
(柳 路夫)
http://ginnews.whoselab.com/090510/tsuido.htm

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安保60周年

 ヤッホーくんのこのブログ、2019年07月14日付けの日記、ふたつを是非ともお読みください:
☆ 不誠実な外交・内政との決別を!
☆ この日本に新しい芽吹きを!

 日米地位協定の改定を主張する沖縄県の玉城デニー県政は、米軍が駐留する欧州各国で、米軍の地位協定や基地の管理権などを調査した報告書をまとめた。
 2017年からドイツ、イタリア、イギリス、ベルギーの4ヶ国を調査した。
 日本は米国と安全保障条約、地位協定を結んでいるが、4ヶ国は北大西洋条約機構(NATO)とNATO軍地位協定を締結。
 各国とも補足協定などで米軍に国内法を適用して活動をコントロールしており、米軍の運用に国内法が適用されない日本との差が明確になった。

<ドイツ> 補足協定で国内法適用

 1959年、国内に駐留する外国軍隊の地位や基地使用に関する「ボン補足協定」を締結した。
 ただ、独側にとって領域や国民の権利の保護などの点で不利な点が多かった。
 1980年代に環境や建築、航空などの国内法を外国軍に適用すべきだとする世論が高まった。
 1988年には外国軍の航空機事故が相次いだ。
 1990年の東西統一を経て、国民世論を背景にNATO軍を派遣する各国に協定の改定を申し入れた。
 この結果、1993年に米軍への国内法適用を強化する大幅な改定を実現した。
 州や地方自治体が基地内に立ち入る権利を明記し、緊急時は事前通告なしの立ち入りも認めさせた。
 米軍の訓練も独側の許可、承認、同意が必要となっている。

<イタリア> 米軍事故受け権限持つ

 1954年に米国との基地使用に関する協定を締結。
 1998年に米軍機がロープウエーを切断する事故が起き、20人の死者が出たことで反米感情が高まった。
 米伊は米軍の飛行訓練に関する委員会を立ち上げ、米軍機の飛行を大幅に軽減する報告書がまとめられた。
 現在、米軍の活動はすべて国内法を適用させている。
 米軍は訓練などの活動を伊軍司令官へ事前通告し伊側と調整した上で承認を受ける。
 事故発生時の対応も、伊軍司令官が米軍基地内のすべての区域、施設に立ち入る権限を持っている。
 県が現地調査で面談したランベルト・ディーニ元首相は「米国の言うことを聞いている『お友達』は日本だけ」と指摘。
 地位協定の問題は政治家が動く必要があるとした。


<イギリス> 駐留軍法を根拠に活動

 1952年に成立した駐留軍法を根拠に、米軍が活動している。
 英軍の活動を定めた国内法は、米軍にも同様に適用されることを規定。
 英議会でも、国防相は「在英の米軍は米国と英国の両方の法律に従う」と答弁している。
 英空軍が、米軍など外国軍の飛行禁止や制限を判断。
 在英米軍は、夜間早朝などの訓練を禁止する在欧米空軍の指令書に従っている。
 指令書は平日の午後11時〜翌午前6時を静音時間帯とし、飛行場の運用を禁止。
 爆撃機やステルス航空機の配備を予定する際には英国防省の承認を得るなど、詳細な規定を設ける。
 米軍基地には英空軍の司令官が常駐。
 周辺自治体に演習や夜間の飛行訓練を説明するなど、米軍と地域の信頼関係の維持に努めている。

<ベルギー> 憲法で外国軍に厳しく

 憲法で外国軍隊に関する規定を「いかなる外国の軍隊も法律に基づかなければ、軍務に迎え入れられ、領土を占有または通過することはできない」と定めている。
 1962年には、外国軍が駐留する根拠を国内法として定めた。
 さらに航空法で、軍用機を含めた外国籍機の飛行はベルギー側の許可が必要であると明記。
 必要な場合はベルギー国王が領空の飛行禁止措置を執ることができると規定した。
 1990年、自国軍に高度80メートルまでの飛行を認める一方で、外国軍は低空飛行を禁止。
 ベルギー以外の軍隊は土曜日や日曜日、祝日の飛行を禁止するなど厳しい措置を執っている。

 
[表]
米軍との地位協定や国内法適用など5カ国比較表

沖縄タイムズ、2019年5月7日 05:56
「お友達は日本だけ」?
米軍の地位協定、日本と欧州ではこんなに違う

(政経部・銘苅一哲)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/416418 

 日米両政府が1960年に日米地位協定に調印する交渉過程で、米軍の特権的な地位を見直す57項目の要求を日本の外務省が文書にまとめ、米側に提示していたことが2020年1月18日までに分かった。
 秘密指定が解除された外交文書に含まれており、当時は極秘扱いされていた。
 日本側は実質的な主権回復を目指して在日米軍基地の運用への関与や、基地返還時に米側が原状回復する義務などを求めたが、米側が大部分を拒否。
 受け入れられた項目は少なく、不平等性が指摘される現在の地位協定につながった。

 地位協定は調印から、19日で60年を迎える
 文書は57項目のうち、
・ 米軍施設・区域の管理権を定める3条を巡り「両政府の合意により定める条件で使用する権利と改めるべし」と要望。
 施設・区域外の管理権を「米軍の権利としない」などと具体的に言及し、基地の運用に日本政府が関与できるよう地位協定への明記を求めた。
・ 4条関連では米軍施設や区域を返還する際の原状回復と補償の義務を米軍が負うこと、
・ 5条関連では民間の港や空港の使用には入港料、着陸料を課すこと、
などを求めていた。

 前身の日米行政協定が、占領時代と変わらないほど米軍優位の内容だったことから、国内で高まっていた抜本的な改定を求める声を反映しているといえる。
 ただ、これらの要求は、いずれも実現しなかった。

 日本側が文書作成に踏み切った理由は、行政協定の改定交渉で、米側の担当者だったマッカーサー在日米大使が日本側の考えを全て示すよう求めたため。外務省が1959年1月から2月初旬にかけて各省庁から聞き取り「行政協定改定問題点」として整理した。
 同年1959年3月に藤山愛一郎外相がマッカーサー氏に手交。
 外務省の資料では、米側は「極めて消極的かつ強硬な反応」を示した。

 日本政府が「主権回復」に取り組んだ一端がうかがえる一方、米軍の既得権益を維持したい米側が難色を示し、結果的に不平等な状態が残った。
 その後60年間、地位協定改定は実現していない。

 地位協定の問題を調査、分析してきたジャーナリストの吉田敏浩さん(62)は、
各省庁から、米軍優位の不平等な関係を改めるべし、との声が挙がっていた史実は重要だ。この歴史に学び、現政府は真の主権回復に向けた問題意識と気概を奮い起こしてほしい」と話した。


沖縄タイムズ、2020年1月19日 05:00
日本、米軍の特権見直しを要望
米側はほとんど拒否
60年前の地位協定締結時

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/523784

 きょう2020年1月19日が、岸信介首相が新日米安保条約を署名した日から60年たつ記念日だという。
 だから日米安保特集の記事も、きょうが本番、花盛りだ。
 それを読むと、もはやこの国は日米安保のくびきから永久に抜け出せないと思わざるを得ない。
 なぜかといえば、米国の圧力が行きつく先まで来たというのに、それを拒否する論調も政治も皆無だからだ。

 米国の要求が行きつく先まで来たという意味はこうだ。
 いまや米国は名指しでイラン、北朝鮮、中国と戦おうとしている。
 その戦争に協力するため共に戦え、そのための予算をもっと支払えと言ってきている。
 ここまで露骨に米国が戦争国家の正体をむき出しにしたことはかつてなかった。
 ここまで巨額な予算を米国が当然のように要求して来たことはなかった。
 行きつく先まで来たのだ。
 そして、そんな不当であからさまな要求をこの国の論調も政治も拒否できないという意味はこうだ。

 きょうの各紙に見られる各紙の論調は、
・ いまこそ日米同盟を強化、深化すべきだ、いう軍事強化か、
・ 対米従属をやめて公平で持続的な健全な日米同盟を目指すべきだというないものねだりの理想論(空論)を唱えるものか、
・ 安倍対米従属バカヤローと安倍叩きをするもの、
これしかない。

 理不尽な米国の要求は断固拒否し、それでも米国が圧力をかけ続けるなら日米安保条約に従って破棄通告すべきだとする論調は皆無だ

 おりからきょうの各紙は日本共産党が党大会を開き、そこで16年ぶりに党綱領を改定したことが報じられている。
 そこで打ち出されたものは、日米安保反対を棚上げする一方で中国を徹底批判する日本共産党の姿だ。
 野党連合によって政権政党を目指す日本共産党の姿だ。
 日本共産党がこんなことを党大会で打ち出して宣伝するようでは日本の政治もおしまいだ
 もはや、このままでは、この国の政治は日米安保体制を拒否することは出来ない。
 しかし、このまま、不満や矛盾を抱えたまま、仕方がないと日米安保体制をズルズル続けて行けば、間違いなく日本はもっと行き詰る。
 苦しくなる。

 やっぱり、憲法9条を日本のよりどころとして、
米国から自立し、
いかなる軍事覇権も容認せず、
アジアと共存共栄する本来の日本に立ち戻るしか日本の生きる道はない

ということがわかる時がかならず来る。
 いや、来なければいけない。
 そうである以上、一日も早く、その道を歩む事を始めるべきだ。
 そう、堂々と国会で主張して譲らない政党、政治家が出て来なくてはいけないのである。
 新党憲法9条だ。
 それを教えてくれた、きょう1月19日の各紙の紙面である。


天木直人のブログ、2020-01-19
安保60周年の紙面に見る「米国から自立できない日本」
http://kenpo9.com/archives/6463

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市川由紀乃「懐かしいマッチの炎」

 ラジオでも聞くかなとオンにすると耳に入るのはラジオ深夜便。
 それに流れるいい歌があったので、いっつも誰が歌ってるなんという曲なんだろうな、と思いつつ、思うだけでそのメロデーのおかげで、また深い眠りに入ることができていましたので、分からずじまいだったのですが、ヤッホーくん、分かりましたよって報告してくれました:

懐かしいマッチの炎 / 市川由紀乃

作詞:阿久悠
作曲:幸耕平

ああ 懐かしいあの時代
一本のマッチの炎の中に…

月が雲間に隠れて
二人は影になる
あなたはマッチを擦り
炎でわたしの顔を見る
わたしはフッと吹き消して
月が出るのを待ってという
あなたが火をつける
わたしがフッと消す
何度も何度もくり返し
心を近づけている

ああ 懐かしいあの時代
一本のマッチの炎の中に…

青くゆらめく炎に
あなたの顔がある
涙が光っている
見るなと怒って顔隠す
わたしの軽いいたずらを
恐い顔してとがめている
わたしが火をつける
あなたがフッと消す
いつもといつもと反対ね
心を迷わせている

ああ 懐かしいあの時代
一本のマッチの炎の中に…

一本のマッチの炎の中に…

市川由紀乃さんの新譜『懐かしいマッチの炎』について、キングレコードのチーフディレクター湊尚子さんにお話を伺いました。

―― まずは新曲のPRをお願いいたします

湊尚子さん(ヤッホーくん注): 作詩は阿久悠さんの未発表詩で、タイトル通り懐かしく温かい気持ちになれる心に響く1曲になっています。
「NHKラジオ深夜便」の“深夜便のうた”に決まりまして2019年12月〜2020年1月まで毎晩「NHKラジオ深夜便」の中でオンエアされています。
 “深夜便のうた”に決まったきっかけは、番組制作スタッフの方が一昨年にリリースした『年の瀬あじさい心中』(作詩:阿久悠)を聴いてくださって、その曲に感銘を受けられたそうで、阿久悠さんのなんともいえない懐かしい昭和を語れる歌手だという印象を持ってくださったことがご縁となりました。

―― “深夜便のうた”に選ばれた際、市川さんは何かおっしゃっていましたか?

湊: 昔からご家族と一緒にこの「NHKラジオ深夜便」を聴いていたそうで、その思い出の番組のテーマ曲に自分の曲が決まったということで本当に感動していましたね。

―― 作詩が阿久悠さんということについて何かおっしゃっていましたか?

湊: 実際にお目にかかったことはないそうですが、歌手になる前の幼い頃から阿久悠さんの作品を聴いて、慣れ親しんでいたこともあり、そんな阿久先生が遺された未発表詩にメロディーがついて自分のオリジナル曲になったことはとても感慨深いと話していましたね。

―― 演歌のイメージが強かった市川さんですが、今回はがらりと変わって歌謡曲テイストですね

湊: みなさま“演歌の市川由紀乃”という印象があったかと思うのですが、「NHKラジオ深夜便」のテーマ曲ということで、今まで挑戦したことのなかったことに挑戦したいという気持ちになっていました。
 阿久先生の詩ということもあり、歌謡曲の中でも、たとえば洋楽を聴いていたリスナーの方にも耳馴染みのよいメロディーをつけてもらって、歌唱方法もコブシをきかせない、近くにいる人に語りかけるように優しく歌うなど、トライしたことの無かった方法でチャレンジしていました。

―― レコーディング現場の様子を教えてください

湊: 新しいことにチャレンジすることについて、苦労するより楽しんでいましたね。
 終始笑顔で、とてもリラックスして歌っていたかと思います。

―― ミュージックビデオのコンセプトについて教えてください

湊: 本人が着物を着て歌っている中に男女の物語のシーンをインサートすることで、この楽曲を聴いた方が自分の懐かしい思い出を歌と一緒に思いだして追体験できるような作りにしました。

―― 実際にミュージックビデオをご覧になっていかがでしたか?

湊: 物語の語り手になることを歌だけでなく映像を通して表現できる歌い手にまた一歩ステップアップしたような印象を受けました。

―― 普段の市川さんについて教えてください

湊: とっても面白い方です。
 細かいモノマネが絶妙でいつも場を和ませてくれるムードメーカーですね(笑)。

―― 趣味が”妄想”とあるのですがこれはどういったことですか?

湊: 歌の世界の主人公を妄想して、その主人公になりきるというのが妄想を始めたきっかけだったと思います。
 それがだんだんと忙しい日常生活の中でやりたいことや会いたい人のことをイメージすることにはまっていったのかなと思います(笑)。

―― カラオケで歌う時のコツを教えてください

湊: いつもコブシを回して歌っている方にとっては違ったチャンネルで歌う必があります。
 まずは肩の力を抜いて、さりげない表情で歌えるかが大事だと思います。
 自分の近くにいる大切な人に語りかけるように歌うと良いのではないでしょうか。
 一本のマッチの炎のやわらかい明かりで顔を照らしあって語り合う二人のシーンを描いた歌なのでその情景を妄想して頂ければと思います。


[動画]
市川由紀乃/懐かしいマッチの炎 - フルバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=pPCbYgnRz9M

うたびと、2019年12月26日
新譜!にっぽんのうた〜ノーカット編〜
市川由紀乃「懐かしいマッチの炎」

https://www.utabito.jp/insidestory/3920/

 ヤッホーくんだけではなかったようで、いい歌はいい歌ですよね。
 この歌、レコード大賞で「最優秀歌唱賞」を受賞しておりました:

第61回「輝く!日本レコード大賞」で2019年度の最優秀歌唱賞を受賞した市川由紀乃。
デビュー26年を経て、大きな勲章を手にした彼女がリリースした新曲は、作詞家の故・阿久悠さんが遺した未発表作品。
「大好き」だと話す阿久悠さんの詞の世界について、最優秀歌唱賞を獲得して、これからどんな歌手になっていきたいか、「うたびと」としての決意について聞いた。

―― 新曲『懐かしいマッチの炎』は、「歌謡曲」というイメージがぴったりのスローな曲ですが、お聴きになった時の第一印象は、いかがでしたか。

市川由紀乃: この曲を聴いて、阿久先生の詞を読んだとき、まっさきに浮かんだのが“昭和”という言葉でした。
 私も昭和生まれですので、『ああ、あの頃、いい時代だったなあ』って、いろいろ思い出しました。
 この曲は昭和の香りがするところにとても魅力を感じています。

―― ちなみに昭和という時代からどんなことを連想しますか。

市川: 私はやっぱり歌です。
 今は演歌、Jポップ、歌謡曲のようにアーティストはジャンルごとにそれぞれの領域で活動することが多いですが、昭和の頃は、例えば『ザ・ベストテン』のような、ひとつの音楽番組にいろんなジャンルのアーティストが一堂に集っていたというイメージがあります。
 “流行歌”というくくりの中で、音楽はジャンルに関係なくファンの皆さまの耳にとどいていた時代だったと思います。

――『懐かしいマッチの炎』以外でも市川さんは、阿久さんの作品を集めたカバーアルバム(『唄女<うたいびと>V昭和歌謡コレクション&阿久悠作品集』)をお出しになっています。阿久さんの詞にはどんな印象をお持ちですか。

市川: 阿久先生の歌詞はどの歌も映画のワンシーンを観ているようで、ストーリーが鮮明に浮かんでくるところが好きです。
 曲を聴くと“あの頃”にタイムスリップしたような感覚になれるんです。
『唄女V』ではピンク・レディーさんや山本リンダさんの曲まで歌わせていただいていてレコーディングは本当に楽しかったです。
『懐かしいマッチの炎』も“マッチ”という言葉を通していろんな情景が浮かんできて、やっぱり大好きな阿久先生の世界だなと思いました。
 昭和の時代を生きてきた方は、あの頃はあんなこと、こんなことがあったなぁって思い出しながら、昭和を知らない世代の方は、昭和の雰囲気を感じていただければうれしいです。

―― ところで、今年度のレコード大賞最優秀歌唱賞をお取りになって、改めて今の心境はいかがですか。

市川: 子供の頃からレコード大賞を見てきているので、この賞の重みは分かっているつもりです。
 まさか、自分がいただけるとは思っていませんでしたが、歌い手としては大変、光栄な賞だと思いますので、歌唱賞という名に恥じないよう努力していきたいと思います。

―― 大きな賞をお取りになったわけですが、最後に、これからの目標を教えてください。

市川: 小さい頃から歌手になりたくて、その夢は実現しましたが、まだここがゴールではないし、“うたびと”としての旅はこれからも続きます。
 今年2019年は、各地で災害が発生して、つらい思いをされた方が多かったと思いますが、そういう時こそ歌の力が試される時。
 この曲を聴いて元気が出た、前向きになれたと思っていただけるような歌をうたいたい。
 市川由紀乃の歌を聴くと力が湧く――そう思っていただける存在になりたいと思います。


うたびと、2019.12.25
市川由紀乃独占インタビュー
「昭和の香りがする阿久悠先生の詞の世界に魅力を感じています」

https://www.utabito.jp/interview/3825/

(ヤッホーくん注)湊尚子さん
「いってらっしゃい」
 昨年の2016年末、NHK紅白歌合戦にデビュー23年目で初出場した演歌歌手市川由紀乃(1976年生まれ)さんの背中を押して舞台に送り出した。

「独特の緊張感の中、気丈に歌い切った。夢をかなえた姿はとても美しかった」
 2010年から担当ディレクターとして寄り添い、悲願達成の瞬間を舞台袖から見守った。
 
 小学3年で徳島少年少女合唱団に入り、海外公演にも参加。
 東京芸大声楽科ではプロを志す仲間と切磋琢磨(せっさたくま)したが、レコード会社のディレクターという裏方を選んだ。
 CD制作を手掛け、コンセプト作りから作詞家、作曲家の選定、若手なら歌い方や礼儀まで指導する。
「経験やセンスが物を言う。一番大切なのは歌手との信頼関係」と語る。
 
 キングレコードでの5年目に突然上司から演歌・歌謡曲担当への転向を促された。
 クラシック音楽しか手掛けたことがなかったため不安が募る中、今年2017年4月に83歳で亡くなったペギー葉山さんの担当になった。
 大ベテランは最初から「あなたはどう思う」と意見を聞き、尊重してくれた。
 
「南国土佐を後にして」を最初に提案されたとき「ジャズ歌手に歌謡曲は歌えない」と断ったが、ディレクターの懇願に思いを改め挑んだところ、曲は大ヒットを収めたという裏話を聞いた。
「ペギーさんは『求められるものに応えようと歌った歌が今では財産になっている』と。その言葉に勇気をもらった」と振り返る。
 デビュー65周年記念リサイタルを9月に控え、準備を進めていた最中の訃報だった。

私にとっての『芸能界の母』から学んだことをしっかりと受け継いでいきたい
 
 一昨年の2015年秋、小松島市出身の俳優大杉漣さんが神山町で開いたコンサートを聴きに帰省した。
「自分や古里のことを熱唱している姿に感激した」と語り「将来、徳島出身のアーティストやスタッフで曲が作れたらすてき」と目を輝かせた。


[写真]湊尚子さん

徳島新聞、2017/6/20
湊尚子さん(キングレコードチーフディレクター)
https://www.topics.or.jp/articles/-/4932

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2020年01月18日

「検察動け」市民が抗議

「意外にも」と言うべきか、「不運にも」と言うべきなのか、安倍晋三首相の通算在任日数が2019年11月20日、憲政史上最長を記録する。

 大臣たちの不祥事などで、第1次政権を投げ出した「あの時」とは、想像もできない「安倍政権の長寿」である。

 それなりに「人気」もある。
 しかし「バカの一つ覚え」のように主張する「デフレからの脱却」は早々と頓挫。
 経済は長〜い停滞。
 所得格差が広がっている。

 貧乏国なのに、後進国にカネをばらまき、トランプ大統領の命令で「兵器爆買い」までしているのに、当のアメリカにも、ロシアにも、中国にも(「世界中から」と言ってよいほど)バカにされ、外交は「合格点」にほど遠い。

 その上、次々に起こる災害に何ら打つ手≠ェない。

 なのに長持ち≠キる。なぜだろう?

「長寿の秘密」を探すのはいとも簡単である。

 次々に不祥事が続く内閣だが、この8年間、国会議員は逮捕・起訴されていない。
 どれも立件されれば「政権の命運」が尽きるような大事件なのに、なぜか、検察は真っ黒けの悪党≠無罪放免にしている。

 つまり、検察を味方にしたから安倍内閣は生き延びているのだ。


×  ×  ×

 逮捕されるべき国会議員はいた。
 例えば「甘利明・元経済再生担当相」である。
 甘利氏と元秘書2人は2013〜2014年、千葉県の道路工事の用地をめぐり、工事を担う都市再生機構(UR)との間で補償交渉をしていた千葉県の建設業者から現金計600万円を受け取っていた。

 当方から見れば「ワイロ」である。
 正確には「あっせん利得処罰法違反」である。
 業者は「600万円は口利きの報酬だった」と正直に証言したが、東京地検は甘利氏の「政治資金としてきちんと処理するように指示した」という言い訳を認め、甘利氏と元秘書2人を不起訴処分(容疑不十分)にした。

 法務省の幹部が「口利きなんて常時、永田町界隈(かいわい)でやっていること」と、政権側に立って「捜査」に口をはさんだ!と雑誌などで批判されたが......その「不起訴」で安倍政権は助かった。

 下村博文・元文部科学相の政治団体「博友会」が学校法人「加計(かけ)学園」の秘書室長から政治資金パーティーの費用として200万円を受け取ったことを隠していた。
 これも捜査対象になったが、東京地検特捜部は不起訴処分とした。

「検察の正義」はどこへ行ってしまったのか?

×  ×  ×

「検察の正義」は風化した。
「検察の独立」を守っていた人びとが......文字通り「身体(からだ)を張って」守っていた検事たちが、突然「時の内閣の意向」を忖度(そんたく)する普通のお役人≠ノなってしまった。

 多分、原因は「人事」だろう。

「政治主導」という名目で、安倍政権は、霞が関の官僚群を「人事」で支配した。
 各省庁の局長級以上の幹部候補を官邸がリストアップ。
 各省庁の人事にことごとく介入。
 首相(官邸)が最終決定する。

 法務省も例外ではなかった。

 検察首脳人事は政治的中立の不文律から、政権の影響を排除した独自の序列で決める。
 例えば、国民の安心・安全を担う検察の顔「検事総長」選びは現職の検事総長が総長OBらの意見を聞きながら次の検事総長候補を最終決定する。
 ところが、安倍政権は違っていた。
 2016年7月、当時の法務事務次官が、後任の事務次官の人事原案の承認を官邸に求めたところ、官邸はそれを拒否。
 原案では、地方の検事長に転出させることになっていた「安倍寄りの人物」を事務次官にした(事務次官は検事長を経て検事総長、というケースが多い)。

 安倍政権は「独立性」が求められるはずの「検察人事」を手に入れた。
 検察は、この日から「安倍政権の言いなり」なった。

×  ×  ×

 安倍政権は検察人事を握ることで長期政権を手に入れ、結果として「悪が栄える世の中」を作った。
 その最たるものが「森友学園への国有地不当廉売」事件である。

 いまさら、説明することもないだろう。
 大阪地検特捜部は国有地の大幅値引き売却に対する背任や決裁文書を改ざんした虚偽有印公文書作成など全ての容疑について、財務省幹部ら38人全員を不起訴処分とした。

 改ざんを命令された職員は悩み続け、自殺したというのに......命令した財務省理財局長(当時)・佐川宣寿(のぶひさ)氏は嫌疑不十分!

「巨悪」に立ち向かうハズの検察が自ら「巨悪」になってしまったのだ。


サンデー毎日、2019年12月 1日号
牧太郎の青い空白い雲
安倍首相"史上最長"を可能にした「検察の不正義」

http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2019/12/01/post-2358.html

 検察がフツーに仕事をしていたら、日本はまだ法治国家でいられた。

 違法の限りを尽くした安倍政権。
「桜を見る会」疑惑は、明白で大胆で大規模な公職選挙法違反だ。
 それもアベ首相本人の犯罪なのである。

 だが検察は動く気配がない。
 小物は摘発するが、巨悪は眠らせたままだ。

「桜を見る会 疑惑にメスを!」

 不正義を許してはならないと思う市民たちが、今夕(2020年1月16日)、検察庁前で抗議の声をあげた。
(主催:憲法9条を壊すな!実行委員会 街頭宣伝チーム)

 参加者たちは代わる代わるマイクを握り、検察の尻を叩いた。

 埼玉県加須市から足を運んだ年金生活者(80代・男性)は「韓国の検察と比べると日本は最低だ」と声を張り上げた。

 都内在住の団体職員(40代・女性)は「あなたたちが従うのは法です。プライドを取り戻して下さい」と訴えるように言った。

 有名DJのRさん(男性・60代)はズバリ責めた―
「法の番人が民衆の敵。権力のケツ舐め。ちゃんと仕事をしろ。女房、子どもは泣いてるぞ」。

 都内の主婦(50代)は静かな口調のなかにも厳しさを込めた―
「アベさんは罪人です。検察官の皆さん。あなたたちの仕事は犯罪にメスを入れることではないのですか?」

 夜の帳もすっかり降りた霞ヶ関に「アベを捕まえろ」の叫び声が幾度もあがった。

 検察官たちには声が聞こえているはずだ。
 矜持があれば、動くだろうに。


[写真-1]
プラカードを持つ男性は「検察は無能」と斬って捨てた。=16日夜、検察庁前

[写真-2]
しんしんと冷え込む中、市民たちは検察の尻を叩き続けた。=16日夜、霞ヶ関

田中龍作ジャーナル、2020年1月16日 21:41
「検察動け」市民が抗議
アベの犯罪にメスを

https://tanakaryusaku.jp/2020/01/00022074

 一昨日2020年1月14日、学者グループ13名が、代理人弁護士51名を立てて、安倍晋三を東京地検特捜部に告発した。
 告発罪名は背任罪(刑法247条)。
 私も告発代理人の一人として,地検に赴き告発状を提出した。

 告発状全文は、下記URLを開いてご覧いただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=14139

 昨日1月15日、国会で桜疑惑追及の中心メンバーの一人、宮本徹議員から私の事務所に電話での問合せがあって、澤藤大河弁護士が応接した。

 問合せの趣旨は、告発罪名が公職選挙法違反や政治資金規正法違反ではなく、なぜ背任だったのか、ということ。
 さらには、「法律家グループは、公職選挙法違反や政治資金規正法違反では告発は困難と考えているのか」と疑念あってのことのようだ。

 なるほど、これまでメディアで発信された見解からは、そのような誤解もありえようか。
 改めて、なぜ今桜疑惑で背任告発か。
 飽くまで現時点での私見だが、整理をしておきたい。

1 ことの本質は、安倍晋三の国民に対する裏切りにある。
 この国民からの信頼を裏切る行為を法的に表現すれば、背任にほかならない。
 桜疑惑を犯罪として捉えようとすれば、内閣総理大臣が国民から付託された任務に違背する行為として、背任罪が最も適切なのだ。

 森友事件・加計学園事件に続く桜疑惑である。
 なぜ、国民がこれほどに怒っているのか。
 それは、内閣総理大臣たる者の国政私物化である。
 国政私物化とは、国民が信頼してこの人物に権力を預け、国民全体の利益のために適切に行使してくれるものと信頼して権限を与えたにも拘わらず、その人物が国民からの信頼を裏切って私益のために権限を悪用したということである。
 この国民から付託された信頼を裏切る行為を本質とする犯罪が、背任罪である。
 背任罪告発は、ことの本質を捉え、国民の怒りの根源を問う告発であると考えられる。

2 にもかかわらず、これまで安倍晋三の背任を意識した議論が少ない。
 この告発によって、まずは大きく世論にインパクトを与え、世論を動かしたい。
 単に、「安倍晋三は怪しからん」というだけの漠然とした世論を、「安倍晋三は国民の信頼を裏切った」「これは背任罪に当たる」「背任罪で処罰すべきだ」という具体的な要求の形をもった世論とすることで、政権忖度で及び腰の検察にも本腰を入れさせることが可能となる。

 検察審査会の議決の勝負になったときには、この世論のありかたが決定的にものをいうことになる。

3 国民の怒りは、国政私物化の安倍晋三に向いている。
 安倍本人を直撃する告発が本筋であろう。
 公職選挙法違反・政治資金規正法違反・公用文書毀棄等々の告発の場合、主犯はそれぞれの事務の担当者とならざるを得ない。
 報告書の作成者、会計事務責任者、当該文書の作成者等々。
 そこから、安倍晋三本人の罪責にまで行き着くのが一苦労であり、さらに調査を重ねなければならない。
 しかし、背任罪なら、安倍晋三の責任が明らかというべきなのだ。
 何しろ、「桜を見る会」の主催者であり、内閣府の長として予算執行の責任者でもある。
 そして、何の功績もなく大量に招待させたり、あるいは招待もなく会に参加させた安倍晋三後援会の主宰者でもあるのだ。
 両者の立場を兼ねていればこそ、国民に対する信頼を裏切って行政を私物化し、国費を私的な利益に流用することができたのだ。

4 しかも、安倍晋三に対する背任告発は、報道された事実だけで完結している。
 基本的に告発状に記載したもの以上の未解明の事実が必要というわけではない。このことは、野党の責任追及に支障となることがないことを意味している。

 国会で、安倍晋三やその取り巻きに、「告発されていますから、そのことのお答えは差し控えさせていただきます」という答弁拒否の口実を与えることはありえない。

5 背任罪は、身分犯であり、目的犯であり、財産犯でもある。
 信任関係違背だけでは犯罪成立とはならない。
 身分と目的を充足していることには、ほぼ問題がない。
 財産犯であるから、被告発人安倍が国に幾らの損害を与えているかが問題となる。
 これを予算超過額とした。合計 1億5200万円である。

 厳密には、招待すべからざる参加者に対する飲食費の特定が必要なのかも知れない。
 しかし、それは告発者に不可能を強いることになる。
 参加者名簿を破棄しておいて、資料の不存在を奇貨とする言い逃れは許されない。
 このことに関して、昨年2019年5月13日の衆議院決算行政監視委員会議事録に、次のような、宮本徹議員の質問と、政府参考人(内閣府大臣官房長)の回答がある。
○ 宮本委員: 予算を積んでいる額は、今のお話では、2013年1718万円、2014年以降ことしまで1766万円。支出を聞いたら、3000万円、それから3800万、4600万、4700万、5200万と。ことしはもっとふえていると思います。
 予算よりも支出が多いじゃないですか。これはどこからお金が出てきているんですか。

○ 井野靖久政府参考人(内閣府大臣官房長): お答えいたします。
 桜を見る会につきましては、準備、設営に最低限必要となる経費を前提に予算を計上しているところでございます。
 他方、実際の開催に当たりましては、その時々の情勢を踏まえまして必要な支出を行っておりまして、例えば、金属探知機の設置等のテロ対策強化でありますとか、参加者数に応じた飲食物提供業務経費などがございまして、結果的に予算額を上回る経費がかかっております。
 このように、支出額が予算額を上回った分につきましては、内閣府本府の一般共通経費を活用することにより経費を確保しているところでございます。

○ 宮本委員: 情勢によってとかいって招待客をどんどんどんどんふやして、予算にもないようなお金をどこかから流用して使っているという話じゃないですか。とんでもない話じゃないですか。しかも、招待客の基準が全く不透明なんですよね。
 安倍政権を応援している「虎ノ門ニュース」というネット番組があるそうです。レギュラー出演している方がブログに書いておりますが、いつも招待をもらっていたが、ことしは例年と異なり、ネット番組「虎ノ門ニュース」の出演者全員でというお招きだったので、虎ノ門ファミリーの皆さんとともに参加しましたと書いてあります。
 こうやって政権に近い人をどんどんどんどん呼んで参加人数が膨らんで、予算にもないような支出がどんどんどんどんふえているという話じゃないですか。
 こういう支出のふやし方というのは、官房長官、国民の理解は決して得られないんじゃないですか。

○ 菅国務大臣: 桜を見る会については、準備、設営に最低限必要と考えられる経費を前提に予算を計上しているところであり、来年度以降についても、これまでの計算上の考え方、実際の支出状況などを踏まえつつ対応していくことになるだろうというふうに思います。
 また、この桜を見る会は、1952(昭和27)年以来、内閣総理大臣が各界において功績、功労のあった方々を招き、日ごろの御苦労を慰労するとともに、親しく懇談される内閣の公的行事として開催をしているものであり、必要な経費については予算から先ほど言われましたように支出しているということであります。

○ 宮本委員: 功労、功績といいますけれども、「虎ノ門ニュース」の皆さんがどういう功績があったのかわからないですけれども、安倍内閣になってから、それまで一万人前後であったのが1万8200人にふえているわけですよ、参加者が。
 功労を上げた人が急にふえた、政府の基準からいって、そういうことですか。

○ 海江田委員長: 答弁は。(宮本委員「官房長官です」と呼ぶ)菅官房長官、指名していますから。もう時間がありません。時間が過ぎておりますので、手短に。

○ 菅国務大臣: いずれにしても、各府省からの意見を踏まえて、幅広く招待をさせていただいているということであります。

○ 海江田委員長: もう時間が過ぎていますから、手短に。

○ 宮本委員: こういうやり方は、国民の納得は絶対に得られないですよ。

 つまり、最低限必要となる見込みの経費を前提に予算を計上し、支出額が予算額を上回った分については、「一般共通経費」で補填しているという。
 問題は明らかだ。
 予算で最低限必要なことはできるのだ。
「桜を見る会開催要領」に従って、招待者1万人枠を遵守していれば、「一般共通経費」の「活用」は不要なのだ。
 最初から「一般共通経費」の「活用」を前提として予算を組むことなどありえないのだから。
 国会が承認した予算を漫然と超過することは許されない。
 どのような事情で、何に、幾らかかったかの特定と、根拠となる証票がなければ、「一般共通経費」からの支出が許されるはずはない。

 被告発人安倍晋三が遵守しなけばならないのは、「桜を見る会開催要領」と予算である。
 日本とは、内閣総理大臣自らが法を守る姿勢をもたない情けない国なのだ。
 まずはこの人物の背任罪の責任を徹底して追及しよう。


澤藤統一郎の憲法日記、2020年1月16日
なぜ、今、安倍晋三告発罪名が背任なのか。
http://article9.jp/wordpress/?m=202001
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「大学入試利権」のお友達大集合

 ヤッホーくんのこのブログ、2019年01月22日付け日記「安西祐一郎●元慶應義塾大学塾長」をお読みください。
 今日2020年01月18日土曜日は、大学入試センター試験の初日。
 でも、ね、私企業が企業利益のため「教育」にまで手を突っ込んでいた、いる、とは、この国の伝統とか、良識とか、倫理とかはいったい、どこへ飛んで行っちまったんでしょうか・・・

 18日は昼前にかけて、山梨県を中心に、東京都や神奈川県、静岡県でも雪が降る見通しだ(*)。
 気象庁によると、東京都心の積雪の可能性は低くなったという。
 交通機関が乱れる恐れがあり、同庁は最新情報に留意するよう呼びかけている。

 同庁の18日午前6時現在の予想では、19日午前6時までの24時間に予想される降雪量は、
▽ 山梨県2〜10センチ
▽ 静岡県2〜5センチ
▽ 神奈川県1〜10センチ
▽ 東京都の多摩西部2センチ、となっている。
 いずれの地域も山沿いを中心に雪が多くなるという。

 一方、東京都心について同庁は「予想より気温が下がらず、降水量も少なく、積雪はない見通し」としている。
 ただ、冷え込み、18日の最高気温は5度の予想だ。
 また、18日は気圧の谷の影響で、北陸や中国地方の山沿いなどでも雪が降る地域がある。
 19日は全国的には晴れや曇りとなるが、北陸は引き続き雪が降る所があるという。


[写真]
朝から雨がぱらつく銀座4丁目の交差点=2020年1月18日午前7時3分、東京都中央区

朝日新聞、2020年1月18日 6時35分
都心は積雪ない見通し
センター初日、関東で雪の見通し

https://www.asahi.com/articles/ASN1L23GDN1LUTIL002.html

(*)一方、九州では、大陸の空気、南下しにくく

 九州は暖冬の影響で今季、まだ「初雪」が観測されていない。
 九州北部では平年より約1ヶ月遅れ、佐賀や熊本は最も遅い観測日「1月25日」まで観測されない可能性が濃厚だ。
「2月6日」が最も遅い福岡では1909年以来、111年ぶりに記録を塗り替える可能性も出てきた。

 初雪は、秋から翌年春までの期間で、管区気象台や地方気象台で雪(みぞれを含む)を観測した日を指す。
 九州では今季、福岡と佐賀の県境にある脊振山などで初冠雪は観測したが、平地にある気象台では確認されていない。

 初雪が最も遅く観測されたのは、
▽ 佐賀、熊本1月25日(ともに1954年)
▽ 長崎1月27日(1972年)
▽ 大分2月9日(同)。
 平年値は12月15〜23日で、福岡で初雪が越年したのは2001年以来だった。

 初雪がまだ降っていないのはなぜか。
 福岡管区気象台によると、日本の東にある勢力が強い高気圧が押し上げる暖かい空気と、大陸から南下する冷たい空気が拮抗(きっこう)する境目が平年より北側に位置し、九州などに寒気が南下しにくい状態になっている。

 月末までは、平年より気温が高い状態となり、暖冬が続きそうだという。


[図解]日本付近の大気の流れ

西日本新聞、2020/1/18 6:02、
九州、なぜ初雪降らないの?
111年ぶり記録更新か

(吉田真紀)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/576643/

 大学入試改革の一環として文部科学省が2017年、高校生の部活動や留学経験などを評価できる記録サイトを新たに導入したが、高校生がベネッセコーポレーション(岡山市)のIDを取得しないと利用できない状況が続いていることが分かった。
 記録サイトは全国100以上の大学が活用しており、2020年度入試では同志社や立命館、九州共立大など約20校が合否判定に用いる予定。
「特定企業への利益誘導にならないよう早期の是正が必要だ」との指摘が出ている。

 この記録サイトは「ジャパン e−ポートフォリオ(JeP)」。
 文科省が「主体性」を評価できる手段として採用した。
 高校生が生徒会活動やボランティア活動、取得した資格や検定などについて書き込み、大学側はその記録を入試の際に確認し、選抜に活用できる。

 ところが、高校生が記録サイトにアクセスするには、まず学校単位や個人でベネッセのID(無料)を取得しなければならない。
 このIDは、ベネッセの主力商品である進研模試や教材と共通のものだ。

 ベネッセ広報部は「IDを当社の営業活動に活用することはない」と説明する。
 だが、東京都内の高校教諭は「多くの生徒は、1年生から記録サイトに登録した方が受験に有利と判断するだろう。ベネッセのIDだけ取得して、進研模試は受けないということは考えにくい」と、同社に有利に働いていると話す。
 教育関連大手企業の関係者によると、記録サイトの導入以降、実際に他社の模試から進研模試に切り替える学校も出てきているという。

■ ■ ■ 

 記録サイトは文科省が2016〜2018年、入試改革の中で関西学院大学など8校に委託して構築させた。
 ベネッセのIDを選んだ理由について、関西学院大は「既にシステムとして確立しており、個人情報保護と、別人が受験生になりすますことを防ぐ点などでメリットが多かったため」としている。

 文科省は当初、委託が終了した2019年度から独自のIDに切り替える予定だったが、「新しいIDシステムの研究開発が遅れており、現時点でいつ移行できるかは分からない」(大学振興課大学入試室)という。

 記録サイトを活用する大学数は年々増えており、公的な役割が高まっている。
 東京学芸大ICTセンターの森本康彦教授(教育工学)は「学生の主体性と幅広い成長を促すことが出発点である以上、『JeP』だけでなく複数の記録サイトを立ち上げ、生徒や高校、大学がそれぞれに合ったサイトを選択できるような仕組みにするのが健全な在り方ではないか」と提案している。


[写真]
記録サイト「ジャパン e−ポートフォリオ」の画面。ベネッセのIDがないとアクセスできない

西日本新聞、2020/1/16 6:00
入試で評価の記録サイト、利用には一企業ID
「利益誘導」疑う声も

(下村ゆかり)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/576025/

「300人は入る披露宴会場は満席で、安倍晋三首相夫妻二階俊博・幹事長菅義偉・官房長官萩生田光一・文科相のほか、財界からもセガサミーHDの里見治会長など豪勢な顔ぶれでした」

 こう語るのは去る2019年9月8日、都内のホテルで行なわれた下村博文・選挙対策委員長の公設第一秘書を務める次男の結婚披露宴の出席者だ。
 その席次表を入手すると、興味深い人物の名前がある。

 1人は教育大手ベネッセコーポレーション学校カンパニー長の山崎昌樹氏、もう1人は元中央教育審議会会長の安西祐一郎氏(元慶應義塾大学塾長)
 2人とも、急転直下で延期された大学入試の英語民間試験導入のキーマンだ。

 制度導入を最も後押ししてきたのは2012〜2015年に文科相だった下村氏だ。
 実際に始まれば「高校生にはベネッセが提供するGTECが最有力の選択肢」(塾関係者)と見られており、山崎氏にとって下村氏は巨大な商機を与えてくれる恩人だ。

 一方の安西氏は2014年12月に中央教育審議会の会長として、制度導入のレールを敷く答申を取りまとめた。

 下村・安西両氏はぴったり歩調を揃えてきた。
 下村氏が昨年2018年4月、民間試験導入に慎重な東大の姿勢を問題視して「文科省はよく東大に指導して」と発言している音源をNHKが先月19日にスクープしたが、安西氏も昨年2018年9月のインタビュー記事で「東大の見識を疑う」と“口撃”している。

 しかも、安西氏は中教審答申を出す1ヶ月前の2014年11月、ベネッセ社内に本拠を置く「一般財団法人進学基準研究機構」の評議員に就任していた(今年2019年3月に退任)。
 GTECの関連組織で、理事に山崎氏もいる。

 入試改革の旗振り役となりベネッセ側にポストを得た安西氏、ベネッセ幹部の山崎氏、そして政界で推進した下村氏が一堂に会した披露宴だったのだ。
 その不可解な親密さがこの席次表にはくっきりと見てとれる。
 民間英語試験に一貫して反対してきた東大教授(英文学)の阿部公彦氏はいう。

現場からの不安の声が強まっているのに導入が強行されようとしていたのは、下村氏と深く関係を結んでいた企業ありきだったからではないか、という疑念を抱かざるを得ません

 披露宴について下村事務所は「文科行政へ影響を与えることは全くない」としたが、ベネッセは「プライベートな場に関する回答は控える」と私的な“お友達”と認めた。これで公正な判断はできるのか。

※ 週刊ポスト2019年12月13日号


[写真]
入試は公正公平が大原則だが……

News ポストセブン、2019.12.05 07:00
下村博文氏の息子の結婚式に「大学入試利権」のお友達大集合
(取材・文/広野真嗣、ノンフィクション作家)
https://www.news-postseven.com/archives/20191205_1499535.html

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2020年01月17日

阪神・淡路大震災から25年

阪神淡路大震災25年
激震の記録1995
取材映像アーカイブ

(朝日放送)
https://www.asahi.co.jp/hanshin_awaji-1995/

 戦後最大の災害であり、未曽有の都市直下型地震、阪神・淡路大震災から丸10年。
 被災地の街なみはすっかりきれいになり、兵庫県は、「復興は着実に進んできた」といいます。
 しかし被災地の実態は、震災で余儀なくされた借金の返済の困難さや止まらない孤独死にみられるように、多くの被災者がいまも立ち直れず、震災による重荷を引きずったままです。
 依然としてさら地も多く残っています。
 被災者に個人補償がおこなわれなかったこととともに、国・自治体がすすめてきた復興政策がもたらした結果にほかなりません。
 10年間の復興政策と、被災者本位の復興めざす流れを検証します。

復興事業費、6割は大開発

 この10年間に投じられた国・自治体の復興事業費16兆3000億円のうち6割、約10兆円もの巨費が、「多核・ネットワーク型都市圏の形成」という大型開発事業群に注ぎこまれていたことが、昨年末の兵庫県の発表で明らかになりました。
 これは、神戸空港建設、新都市づくり、高速道路網建設、巨大再開発事業などからなり、関空二期工事への出資金まで入っています。
 ゼネコン型の大型開発を中心にすえたことが、国・自治体の復興政策の最大の特徴です。
 震災直後に設置され、復興の方針を決める国の復興委員会は、「復興は単にもとの姿にもどることではありません」(同委員会報告)とし、兵庫県は「単に震災前の状態に回復するだけではなく、21世紀の成熟社会を開く『創造的復興』」をスローガンに。
 こうした論法で、震災を絶好のチャンスとして大型開発を推進しました。

 神戸市の当時の助役は震災直後のテレビ番組で、神戸空港など開発計画をもりこんだ震災前の市のマスタープラン(総合基本計画)にふれ、「このマスタープランを実行するのが震災復興。タイトルを書き換えて、今日からでも明日からでも実行する」と発言。
「幸か不幸かこういうことになりましたので」と、震災を歓迎するかのような発言までしました。
 大企業優遇も明りょうです。
 県や神戸市がすすめた「東部新都心」づくりの事業では、神戸製鋼所や川崎製鉄のぼう大な遊休地を住宅や商業用地として高く買い上げ、神鋼は300億円弱、川鉄は218億円もの売却益を得ました。

地域コミュニティー壊す

 地域のコミュニティーを壊し、被災者を元の街に戻さないという方針が貫かれたことも復興政策の特徴です。
 貝原俊民前知事は、2002年10月のインタビューで、この点を明確にのべています。

「住民の言うように、前のとおりにつくっていって、それで事足りるのかと言われたら、これはまた問題なんですね」
「だから、長田なんか、人口が戻らないというような声が切実にあるわけですけれども、それでは、本当に元の状態に戻していいのかということです。……高齢者の集団を長田につくって、一体どうするのか」
(『阪神・淡路大震災復興誌第七巻』所収)

 仮設住宅は、神戸市分の約8割(戸数比)が郊外や埋め立て地など被災市街地外につくられ、災害復興公営住宅は全県分の44%(同)が被災市街地外に建てられました。
 コミュニティーを破壊して被災者を不便な遠方に追いやり、孤独死の温床となりました。

 震災前と同じ場所に住み続けている人は、神戸市内で51%(『2003(平成15)年度 復興の総括・検証』)、西宮市内、芦屋市内ともに37%(『街の復興カルテ2003年度版』)にすぎません。
 日本共産党神戸市議団の十周年調査でも、震災前と同じ行政区の復興公営住宅に住んでいる被災者は約4割にとどまっています。

「棄民政策」―― 自力再建押しつけ

「棄民政策」――阪神・淡路で生まれた用語です。
 国や県、神戸市などは徹底して「棄民」の立場でした。

 震災当時の村山内閣は、「私有財産制のもとでは認められない。生活再建は自助努力で」と個人補償を拒否し、自力再建を押しつけたのはその典型です。
 そのため、被災者はいまも苦闘を強いられています。
 仮設住宅と復興公営住宅で孤独死が通算560人にのぼります。
 孤立した病気や高齢の被災者が集められ、孤独死が多発する危険性が明白なのに、行政はまともな対策を怠ってきました。

 県は、「復興10年総括検証・提言報告」で、生活援助員の配置など「見守り」体制を「先導的な取り組み」などと自画自賛していますが、抜本的充実こそ求められています。
 行政の非人間的な対応も問題になってきました。
 神戸市内の仮設住宅で1997年8月、真夏にもかかわらず料金滞納で市に水道を止められた女性(53)が、衰弱死する事件が起きました。
 今月2005年1月13日には、西宮市の復興県営住宅で、男性(63)の白骨化した遺体が昨年2004年11月に見つかっていたことが判明しましたが、亡くなってから1年8ヶ月たっていました。
 報道では、男性は家賃を滞納していて支払いを督促され、「自主退去したいが転居先が見つからない」と話していたといいます。

※ 国連が被災者支援を勧告
 被災者が置かれた厳しい状態には、2002年に国連が日本政府に被災者支援の強化を勧告したほどです。
 国連社会権規約委員会は、同年2002年8月発表の見解のなかで、多くの被災高齢者が孤立しケアもないことや、住宅再建の資金調達の困難さなどに懸念を表し、
(1) 兵庫県に高齢者や障害者へのサービスを拡充させる
(2) 住宅ローン返済を援助する措置を迅速にとる
―ことを日本政府に勧告しました。

※ 被災者は訴える
〇 ケミカルシューズ加工業 甲斐美智子さん(64)=神戸市須磨区=
人生の“谷底”
 
 靴一筋40年、夫婦でがんばってきました。
 震災で家も工場も失い、3600万円の融資で店舗つき住宅を再建しました。
 ところが年々売り上げが落ち、いま震災前の半分。
 月30万円返していたのを去年から10万円の利子だけに変更しました。
 元金が2000万円も残っています。
 来年から二人とも国民年金が入るので、それで元金を返していくつもりです。
 この十年、服なんて一枚も買っていません。
 ことしのお正月はかまぼこ一つ買えなかった。
 いま人生の“谷底”です。

〇 神戸市北区鹿の子台の復興県営住宅自治会長 永楽正夫さん(56)
家賃払えない

 私は長田区で被災し、7年前、神戸市の最北で交通の便も悪い、この住宅にきました。
 長田の公営住宅は当たらず、ここしかなかったんです。
 入居者の半数は高齢者です。
 近所づきあいはほとんどなく、部屋に閉じこもりがちの方が多い。
 お金がないから外にでられないという面もあります。
 コミュニティーはなかなかできません。
 入居後10年で家賃補助が打ち切られようとしていますが、そうなったら国民年金だけの方などは払えません。
 行政は10年という歳月で区切るのではなく、被災者の実態をみて配慮してほしい。

〇 二重ローンに苦しむ山本直之さん(46)=神戸市東灘区、会社員=
復興ずっと先

 3500万円で買ったマンションが、引っ越して9日目で震災に遭い全壊。
 建て替えで新たに1800万円負担しました。
 住宅ローンは前の分と新規分で合計4400万円です。
 毎月10万円の返済と年93万円のボーナス払いをしています。
 これが70歳まで続く。
 もう考えたくないですね。
 なくなった家のローンを払い続けるのは、本当につらい。
 せめて息子には借金を継がせたくない。
 周りの人に「もう震災は終わったんやね」と思われるのが悔しい。
 借金を返し終えるまで、震災は終わりません。
 私にとって復興はずっと先のことです。

※ 大震災データ
 1995年1月17日午前5時46分発生
 震源池・淡路島北部
 規模・マグニチュード7.3、最大震度7
 死者6433人、行方不明3人、負傷者4万3792人
 家屋全壊(焼)19万4589世帯、半壊(焼)27万4364世帯、一部損壊26万3702棟


しんぶん赤旗、2005年1月16日(日)
阪神・淡路大震災10年
たたかいが政治動かす
ほんとうの復興を求めて
借金、孤独死…いまなお

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-16/04_01.html

 阪神・淡路大震災の発生からきょう2020年1月17日で25年を迎えた。
 街から目に見える傷痕が消えて久しい。
 大多数の被災者は安心できる暮らしを取り戻した。
 一方で、隠れていた制度の壁が年月とともに姿を現し、乗り越えたはずの人を再び「被災者」へと引き戻す。
 これが四半世紀を経た被災地の現実だ。
 苦しむ人がいる限り、震災は終わらない。
 最後の一人まで救うためにどんな仕組みが必要か。
 復興とは何か。
 私たちは問い続け、またここから歩み始めようと思う。

◇ ◇ ◇ 

 あらわになった壁の典型が「借り上げ復興住宅」の退去問題だろう。
 兵庫県と県内5市が被災者向けに民間の賃貸住宅などを借り上げ、公営住宅として提供した。
 震災翌年の1996年、公営住宅法の改正で導入された仕組みで、自治体が直接建設するより住宅を早く確保でき、費用も安く済む利点があった。
 ところが、多くの住宅で20年間の借り上げ期間が過ぎると、神戸市と西宮市で要件を満たさない入居者を市が提訴するケースが相次いだ。
 裁判では退去を命じる判決が続く。
 突然家を失い、移り住んだ復興住宅でようやく得た、安心できる住まい。
 退去命令が、高齢となった被災者の健康や暮らしの先行きに与えるダメージは計り知れない。

 市側は「公平性」を強調する。
 一般市民や自力で住宅再建した被災者らと比べて不公平だという。

個別の再建支援を

 だが同じ制度でも宝塚、伊丹市は全員が住み続けられるようにした。
 兵庫県と尼崎市は一定の要件はあるが、健康状態などに応じ柔軟に継続入居を認めている。
 自治体間のばらつきこそ被災者には不公平に映る。
 画一的な線引きで退去を迫るか、一人一人の状況に配慮して工夫するか。
 法制度を誰のために、どう使うかが生活再建の質を左右する。
 行政は改めて被災者に向き合うべきだ。

 東日本大震災以降、被災者の個別状況に応じた生活再建計画に沿って支援する「災害ケースマネジメント」の導入が進む。
 2005年のハリケーン被害で、米連邦緊急事態管理局(FEMA)が始めたとされる。
 仙台市が仮設住宅入居者の生活再建支援策として実践し、熊本地震、西日本豪雨などの被災地でも採用された。
 多くの原発避難者が暮らす山形県も、昨年から「避難者ケースマネジメント」を導入した。

 鳥取県は2016年の地震を機に取り組み、2018年度に全国初の条例化に踏み切った。
 個別訪問による実態調査をもとに世帯ごとの生活復興プランを作成し、専門家による支援チームを派遣する。
 費用捻出が難しい世帯に建築士を派遣し、支援金の範囲でできる修繕方法を助言する。
 借金を抱えた世帯は弁護士が相談にあたる。
 健康不安を抱える高齢世帯には保健師が同行する−。
 多様な団体が被災者の個別事情を共有し、支援策を探っていく。
 定着すれば、被災者の生活再建を促すとともに平時の地域の課題解決力につながっていくだろう。

新たな災害法制へ

 阪神・淡路大震災は、新たな災害法制を生んだ。
 被災者らの粘り強い運動で1998年に成立した「被災者生活再建支援法」だ。
 住宅を含む生活再建を公的資金で支える、初めての仕組みだった。

 被災者支援を巡る法制度は他に、災害対策基本法、仮設住宅の提供を定める災害救助法、遺族や重度障害者に現金を給付する災害弔慰金等法などで構成される。
 それぞれが災害のたびに継ぎはぎされ、新たな線引きからこぼれ落ちる被災者を生み続けている。

 昨年、これらを一本化し、切れ目のない支援を実現する「被災者総合支援法案」を関西学院大学災害復興制度研究所が発表した。
 被災者自身が支援内容の決定に参画する運営協議会や不服を申し立てられるオンブズマンの設置、災害関連死の防止義務などを盛り込んだ。
 検討メンバーで、災害ケースマネジメントを提唱する日弁連災害復興支援委員長の津久井進弁護士=兵庫県弁護士会=は「最後の一人まで救うために必要な仕組みを形にした。残された課題に光を当てるきっかけにもなる」と指摘する。
 借り上げ復興住宅だけでなく、震災当初のアスベスト(石綿)飛散による健康被害、震災障害者の実態把握などの課題は、今なお積み残されたままだ。

 一人ひとりが尊重される「人間の復興」を見届けるのは、被災地で生きる私たちの責任でもある。


神戸新聞、2020/01/17
「復興とは」
問い続ける「最後の一人まで」

https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202001/0013039440.shtml

posted by fom_club at 15:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

“安倍首相の私兵”のような公安をはじめとする警察組織・・・

「朝の7時くらいでした。マンションの玄関からノックする音が聞こえて。早朝だし、あれ? なんだろうと思ったんですが、寝ぼけてボーッとしながらドアを開けたら、黒服や作業服っぽい男たちが立っていた。見たことのある顔が何人かいて。ヘイトデモのカウンターの場所で見覚えのある、警察の人でした」

 男性は、公安に突然逮捕された日のことをそう振り返る。
 この男性を、Mさんとしよう。
 今月2020年1月9日、警視庁公安部は、Mさんをいわゆる「車庫飛ばし」という“微罪”で逮捕。
 そして一部マスコミが、公安発表をそのまま垂れ流すかたちで逮捕を実名報道した。

〈右派系市民団体のデモへの抗議を繰り返す「レイシストをしばき隊」、現在の「対レイシスト行動集団」のメンバーの男が、所有するワゴン車の登録地を偽って申請したとして警視庁に逮捕されました〉
(TBS)

〈公安部によると、●●容疑者は、差別や憎悪をあおる「ヘイトスピーチ」などに抗議する団体の中心人物。車は活動資材の運搬に使用していた〉
(産経ニュース/注:記事は実名だがリテラ編集部で匿名にした)

 警察は勾留の延長を求めたが、裁判所は証拠隠滅や逃亡の可能性がないとして却下。
 Mさんは11日に保釈された。
 本サイトで報じたように、公安がMさんを“微罪逮捕”した狙いは、差別主義者に対するカウンター行動と、12日に新宿で行われた大規模な反安倍政権デモ「Occupy Shinjuku 0112」への“弾圧”とみられている。
https://lite-ra.com/2020/01/post-5205.html

 本サイトがMさんに取材を申し込むと、Mさんはカウンター行動やデモへの関わり方から、今回の逮捕、保釈にいたるまでの状況を克明に語ってくれた。
 Mさんの証言から明らかになったのは、「レイシストをしばき隊」やその後継団体「対レイシスト行動集団(C.R.A.C)」を狙い撃ちにし、団体や個人のプライバシー情報をかき集めるという公安の卑劣な手口だった。

「玄関で僕の名前を訊かれて、いきなり『車のことで令状があります』と。紙をパッと見せられ、何の令状かわかりませんでしたが、車庫飛ばしで捜査すると言われました。うすうす公安だと感づいていたので、『それって国土交通省とかじゃないんですか? そういうこと担当するんですか?』と聞いたんです。そしたら『これは電磁的公正証書原本不実記録・同供用の容疑で、ウチでも扱える』と、そこからもう有無を言わせない感じで。そうか、僕は逮捕されるのだな、と」
(Mさん)

 マンションに10人ほどの公安警察が入ってきた。
 携帯電話、もう使っていないスマートフォン、ノートパソコン、鍵束、免許証や保険証の類、キャッシュカードやクレジットカードなど、さらには仕事関係でもらった名刺の束まで押収された。
 公安は銀行の預金通帳も要求したという。

「『決まったことに従ってください』という感じで。人の繋がりやお金の流れを探ってるんだと僕にもわかりました」とMさんは語る。

 1時間半後、Mさんは警察のバンに乗せられ、車内で手錠をかけられた。
 管轄の署に着くと、した着まで脱がされて身体検査を受け、指紋採取や写真撮影が行われた。

「羞恥心というよりも、警察署に連れて行かれて、そこでいろいろ事態を飲み込んでいった感じですかね、従うしかないんだなと。3、4時間ほど刑事から取り調べを受けました。それが終わると、すぐに『これから本庁に移動します』と告げられて。ここで寝泊りするものだと思っていたので、ちょっと驚きました。それで、また車に乗せられて、エンジンがかかったとき、横に座っていた刑事が『報道きてますね』と言った。警察署の表のゲートのところは板で壁みたいになっていて、普通の人の背丈だと車内が見えないようになってるんですけど、その板の上から強いライトが光ってるのがわかった。それがTBSだったんでしょう。内心、警察がマスコミを呼んだんじゃないのかとは思いました。一応、顔は伏せておきましたが、車が壁の横から出るときに撮られたのだといまでは思います」
(Mさん)

公安は、カウンターを政治的な組織と思い込み、組織の構造や金の流れを尋問してきた

 TBSはこの映像を〈「対レイシスト行動集団」メンバー、“車庫飛ばし”で逮捕〉と題して放送した。
 移送される瞬間の映像を撮影できたのは、警察側からリークがあったからだとみて間違いない。
「警視庁がしばき隊・C.R.A.Cの中心メンバーを逮捕した」と大々的にアピールしたかったわけだ。

 ところが、実はこれ、その意味においては完全に“誤認逮捕”だった。
 Mさんによると、ヘイトへのカウンター行動には2013年から参加していたものの、「レイシストをしばき隊」や「C.R.A.C」のメンバーにはならなかった。
 SNSでの呼びかけ見て、個人としてカウンターへ行き、沿道からプラカードを掲げたり反差別の声をあげていた一人にすぎず、公安が得意げに喧伝している「しばき隊の中心人物」でもなんでもなかったのだ。

「しばき隊やC.R.A.Cを結成した野間(易通)さんとは昔からの個人的な友人ではあったんですが、しばき隊に入ろうとは思わなかった。一度、メンバーには誘われたけどお断りしたんですね。何か手伝えることがあれば野間さんが個人的に言ってください、と。カウンターには一人で行って一人で帰る感じ。僕はANTIFA(アンチファシズム運動)や東京給水クルー(安保法制反対デモでのプロテスターへの給水支援活動)を軸足にしてきたので、『メンバー』と言われるならそっちだと思います。だから報道で『しばき隊の中心メンバー逮捕』みたいになっているのを知ったときは、ちょっと苦笑いというか。ああ、公安はそう見せたいんだなと」
(Mさん)

 いかに公安が無能集団かがよくわかるというものだが、この“誤認逮捕”が「レイシストをしばき隊」や「C.R.A.C」をターゲットにしたものであることは、Mさんが警視庁で受けた取り調べ内容からもはっきりする。
 警察は「車庫飛ばし」の容疑とは無関係のことを根掘り葉掘り聞いてきたのだ。

「警察側に元からある程度の台本があって、文書を読みあげながら僕に『そうですよね』と同意をとろうとするんですが、その冒頭に『私は右派系団体に抗議する運動に参加しており、車両はその運動のために所有使用〜』みたいなことが書いてありました。いや、それは違うだろうと否定しましたけど、ようは、最初から決めつけられていたんです。さらに調書の読み上げと確認が終わると、警察は『カウンターとは組織なのか』と尋問してきました。『誰が主催しているのか』『何人くらいいるのか』『事務所はあるのか』『カウンターの上部構造にはどの政党がついているのか』と立て続けに聞いてくる。SNSを見て個人で参加したと言っても、まったく理解できないような顔をするんです」
(Mさん)

 このとき、自身の逮捕が公安マターの弾圧であることを確信したという。
 警察の取り調べからはツイッターのアカウントが細かく監視されていることもうかがえた。

「いずれにしても、車庫飛ばしの容疑とはまったく関係のない尋問ですよね。よくわかりました。公安は、カウンターを政治的な『組織』だと思い込んでいて、彼らの本命は、そのありもしない『組織』の構造や人脈、金の流れを探ることだったのだと」
(Mさん)

逮捕は「1・12安倍政権批判デモ」でサウンドカーの運転手として届け出ていたからか

 こうした公安のやり口は、完全に違法な別件逮捕のそれだ。
 しかし、なぜ「レイシストをしばき隊」や「C.R.A.C」のメンバーではないMさんを、その「中心人物」とみなして“微罪逮捕”するという、悪質かつ杜撰なことを公安はしたのか。

 Mさんは「車庫飛ばし」の疑いをかけられたワゴン車を仕事や日常生活で使っていた。
 安保法制デモでの給水支援等でもこのワゴン車を使用していたという。
 昨年2019年7月20日には、東京・JR秋葉原駅前で演説する安倍首相に対し、多くの市民から「安倍やめろ!」と声があがった。
 この日もMさんはワゴン車で抗議用の資材を運搬している。
 周囲には多くの公安が待ち構え、抗議する市民を撮影するなど監視体制を敷いていた。
 Mさんも「自分が警察から観察されているのは気づいていました」と証言するように、こうしたデモや抗議運動のなかで公安がワゴン車をマークし、「車庫飛ばし」という「別件」での“微罪逮捕”で狙い撃ちしたのではないか。

 そしてもうひとつ。
 前述のとおり、今月1月12日には新宿で“安倍政権批判”の大規模市民デモが行われたが、実は、Mさんはこのデモに参加する予定だった。
 事実、今月6日にはサウンドカーのドライバーとして東京都公安委員会に申請している。
 警視庁公安部も当然、Mさんがドライバーという役割でデモに参加することを知る立場にあったはずだ。
 Mさんの逮捕がデモの3日前だったというタイミングを踏まえれば、公安が安倍政権批判デモに“運転手不在”というダメージを与えるとともに、参加者を動揺・萎縮させる狙いもあったと考えるのが自然だろう。

「車の車種とかナンバーとかの情報は役所に登録されていても、その車がデモの現場にいたというような情報は公安でないと知り得ません。やっぱり、人の思想信条は心の内側の話ですけど、車みたいなモノは外から把握しやすいからこそ、僕のワゴンもマークされ、弾圧に利用されたのだと思っています。実相としては、SNSをベースにした個人的な参加だったり、単なる昔からの友だちだったりという繋がりでも、公安は無理やり『組織』みたいなものに仕立て上げる。僕に警察署で尋問したように、公安はモノがあるということはお金があり、政党なんかが背景にいると考える。そこから『組織』みたいなものを勝手に組み立てて、国の機関の管理下に置き、自由に政権批判やデモをさせないようにしたいのでしょう。それは強く感じました」
(Mさん)

 本サイトにそう語るMさん。
 押収されたパソコンはいまだ手元に戻ってこないという。
 違法な別件逮捕としか言いようのない取り調べが行われたことからしても、今回の警視庁公安部による“微罪逮捕”がいかに無茶苦茶なものであったかが明らかになっただろう。

 Mさんに起きたことは、決して他人事ではない。
 何度でも言うが、公安をはじめとする警察組織はいま、どんどん“安倍首相の私兵”のような性格を強めている。
 政権への抗議デモに参加したり、SNSで政権批判の声をあげただけで、当局から取り締まりの候補にされてしまうのだ。

 しかし、だからといって萎縮してしまえば、それこそ安倍政権の思う壺だ。
 ひとりひとりが声を大にして、おかしいものはおかしいと言う。
 そして、当局の虚偽宣伝に乗っかってフェイクを垂れ流したマスコミを強く批判し、目を覚めさせる必要がある。
 でなければ、同じような警察権の悪用が何度でも繰り返されてしまうからだ。

 これ以上、安倍首相に権力を私物化させてはならない。

[写真]
昨年2019年7月20日、秋葉原で応援演説をする安倍首相

リテラ、2020.01.15 07:59
警視庁公安部が「しばき隊」と誤認・微罪逮捕した男性が明かす取り調べの中身!
「どの政党がついているのかと尋問され…」

https://lite-ra.com/2020/01/post-5207.html

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