https://www.yomiuri.co.jp/stream/article/01122/
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
わずかに2⾏の詩だ。
そらんじている⼈もあるだろう。
雪ふりつむ、雪ふりつむ...... と繰り返せば、まぶたにほの⽩く、屋根の連なりが浮かぶ。
幼い⼦らは眠りに落ち、すうすう⼩さな寝息が聞こえてくる。
ただ、解釈は案外難しい。
太郎、次郎は兄弟なのか。
であるなら、なぜ別々の屋根の下にいるのか。
ふたりの居場所について、「恐らくは舞鶴と⼤阪ぐらいは離れているであろう」とみた⼈もいる。
現代美術では指折りの画商で、2008年に亡くなった佐⾕和彦(さたに かずひこ、1928京都府舞鶴市生まれ - 2008)さんである。
確かに作者の三好達治は、つかの間だが、舞鶴にいた。
まだ⼩学校に上がらない頃、⼤阪の⽣家から舞鶴の家具商へ、養⼦に⾏くことになったのだ。
詩⼈の回想によれば、ある夏の⼣暮れ、「来客の S―さん」を迎えた⽗は⾷卓にビール瓶を並べ、⼤⼈の話をしていた。
次の間で姉妹や弟と遊んでいた⻑男の三好は不意に呼ばれ、「お前は、この⼩⽗(おじ)さんのお家(うち)へ⾏くかい?」と聞かれた。
どういう意味なのか、しばし⾝を硬くした少年は、きっぱり「⾏く」と答えた。
S―さんが以前に⽴ち寄った際に、カジカの籠を携えていて、かれんな姿が気に⼊っていたからだ。
舞鶴へ向かう汽⾞の中でも、カジカはおうちにいる?と尋ねてみた。
だが、舞鶴の家のどこにも⼩さな⽣き物は⾒あたらなかった。
結局は縁組に⾄らず、三好は兵庫の祖⺟に引き取られた。
S―さんは別の家から養⼦を迎えた。
その⼈の⻑男がほかでもない、先の佐⾕さんである。
著書『画廊のしごと』(美術出版社、1988年)に収録の⼀⽂によると、佐⾕家では利発な三好をかわいがった。
三好も旧制⾼校時代にはよく舞鶴に遊びにきた。
それでも幼い頃には、眠れない冬の⼀夜もあっただろう。
その体験が「⼼の底に沈澱(ちんでん)し、発酵し、詩の源泉と化した」と佐⾕さんは記す。
舞鶴説に賛同する⼈は少なくない。
舞鶴の地にも、遠く親兄弟が暮らす⼤阪にも雪はふりつむ。
ただ、あまねく⼩さき者の上に、と⾔うべきかもしれない。
寂しさも悲しみも包み込む雪、そして眠りは彼らにとって、限りない慰謝なのだから。
読売新聞・名⾔巡礼、2015 年2⽉1⽇(⽇曜⽇)
幼き⽇の別離 詩の源泉
(⽂・前⽥恭⼆)
教科書にも取り上げられた三好達治の詩「雪」。
雪国の民家か。
太郎と次郎は兄弟か。
わずか2行が想像力をかき立ててくれる。
ぐっすり眠っているようだ。
雪は静かにしんしんと降っているのだろう。
「黙って降る雪 よげ(余計)積もる」は青森に伝わることわざ。
「屋外の この静けさや ものものし 起きいでて見れば はたして大雪」(岡山巌)の歌も知られる
※ 岡山巌(おかやま いわお、1894-1969)は広島市出身の歌人。医師。
積もった雪には吸音効果があるそうだ。
大雪なら戸外の活動が制限され、生活音も減少する。
交通が止まればなおさらだろう。
「しんしん」というオノマトペ(擬音語・擬態語)が表す降雪時の静けさは例えではなく理由があるわけだ。
「二十四節気」が「小寒」から「大寒」に移り、大雪の警戒情報が出た。
国土交通省と気象庁がきょう2026年1月21日から日本海側を中心に大雪が5日以上続くと発表し、冬用タイヤの装着や不要不急の外出自粛などを呼びかけた。
近ごろよく耳にするようになった「日本海寒帯気団収束帯(JPCZ)」が停滞し集中豪雪をもたらす恐れもある。
過去に高速道路などの長時間の通行止めにつながってきた現象だ。
もっとも雪対策が不十分な大型車の立ち往生がきっかけになることが多いという。
そんな理由で道路沿いに静寂が広がっても、しんしんではあるまい。
雪国の人びとは重々承知だろうが、他地域からのドライバーはくれぐれもご注意を。
<限りなく 降る雪何を もたらすや/西東三鬼>
※ 西東三鬼(さいとう さんき、1900-1962)は、岡山県出身の俳人。歯科医。
[写真‐1]
ライトアップで幻想的に浮かび上がる白川郷の合掌家屋=岐阜県白川村で2026年1月12日午後6時1分
[写真‐2]
降雪の中、新名神高速道路で立ち往生する大型車両=三重県菰野町で2023年1月25日午後1時48分
毎日新聞、2026/1/21
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
https://mainichi.jp/articles/20260121/ddm/001/070/099000c
雪の季節に思い出す詩がある。
三好達治の「雪」だ。
子どものころ、身近にあった詩のアンソロジーの冒頭に載っていた。
紙の本の広い余白はそのままで雪の世界へ通じていた。
太郎と次郎は、子どもだろう。
兄弟かどうかは、わからない。
「眠らせ」というのだから、夜だろう。
それくらいの想像は子どもの一読者にも可能だった。
二行の詩の中に冬の夜の平穏な眠りがあった。
雪は自然が見せてくれる手品だ。
「雪ふりつむ。」でこの詩が閉じられるとき、何を感じるかは人それぞれだろう。
大きく二つに分けてみよう。
一つは、読後に広がる情感に身をゆだねる感じ方。
もう一つは、雪が降り積もって、それでどうなったの、と続きを気にする感じ方。
前者はいわゆる余韻を味わう受容の仕方で、後者は物語的な展開を求める感じ方、つまり散文的な受け取り方といえる。
詩や短歌や俳句などを楽しめるかどうかの鍵は、このあたりにあるかもしれない。
いつ誰がどこでどうした、という情報がなかったり、極端に少なかったりしても、詩は成り立つ。
受け手において膨らませる余地が多分にあるのだ。
詩には、そのようにして心の動きを育てるところがある。
近代以降の社会や状況の複雑さを放置して自然や花鳥風月的な事物ばかりを詠(うた)っていてよいのかという疑問や抵抗感が、戦争への反省とともに、戦後の詩を導いたことは確かだ。
は言え、自然が詩歌の対象や要素から外れていくことはないだろう。
そもそも、人間が自然の一部だからだ。
環境をめぐる視点がさらに重要性を増している現在、自然への視線と、社会や人事をめぐる観点との間には、新たな重なり方の探求があってよいだろう。
そのヒントはこれまでの詩の蓄積にもあるはずだ。
「雪」にはうっすらと緊張感も宿っている。
太郎と次郎の眠り。
降り積もる雪。
動かしがたいこの静けさは何かの前兆のようでもある。
張りつめた美しさの中、かすかに戦慄(せんりつ)すらも感じさせる。
AIがいかに進展しても、人間は自然とともに歩む。
朝日新聞、2025年2月5日 16時30分
<うたをつないで 大岡信とことばの力>
「雪ふりつむ。」、人は自然と歩む
(蜂飼耳)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16143423.html
※ 蜂飼耳(はちかい・みみ、1974年生まれ)
詩人、作家、立教大学教授。詩集「食うものは食われる夜」「隠す葉」「顔をあらう水」、文集「空席日誌」「おいしそうな草」など。
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