2020年09月20日

チェンバレンと武士道

 新渡戸稲造の武士道論、井上哲次郎の武士道論、これらは、対抗関係を形成しつつも、ともに「武士道」というひとつの「用語」によって表 象され得る思考であった。
 すな わちそれは、宇田川尚哉が「日本の『伝統文化』をめぐる因襲的語り」(※1)と批判するような、「日本」の「国民」といった連続したストーリーがこれらの議論の背景に共有されているということにほか な らな い。
 だが、すでに明治末年に、こういった諸言説に対して、最も根源的な批判を加えた議論が出現していた。
 それこそ、B.H.チェンバレン Basil Hail Chamberlain による武士道論である。

 新渡戸稲造が「私は武士道といふものについて、30年ばかり前、少し書いて見たことがある。その頃、武士道といふ言葉は、あまり世の中で使はなかった。(中略)英吉利の日本研究者チェンバーレンを始め、その他日本の事物に詳しい人々は、自分はかつて日本に長くゐたが、武士 道といふ言葉は聞いたことがない、昔の日本にもそんなことはないといってゐる」と回想する(※2)ように「お雇い外国人」であり、日本研究者と しても名高いチェンバレンは、武士道論を含む日本の国粋主義を『新宗教の発明 The Invention of a New Religion』と論じ、以下のように述べて いる。
 武士道は、30年前までは知られていなかったのだ。
 武士道という言葉は、1900年以前は、日本のものにせよ外国のものにせよ、いかなる辞書にも出ていない。
 もちろん世界いずれの時代におけると同じように、日本にも騎士道的人物は存在した。
 しかし武士道が制度として、すなわち法典として存在したことはない。(※3)

 このチェンバレンの断言に対しては、同時代にも、後世にも、あらゆる方面からの批判が存在する(※4)。
 井上哲次郎に代表される国民道徳論と連結した武士道論者たちはもちろんであるが、歴史学者橋本実も、そういった井上的議論を「唯心論的 武士道論」として退けつつ(※5)、なおチェンバレンの主張の中心部分にはあえて言及せずに、「名称の点だけに限定」して「武士道と云ふ語は明治33年以前には内外の辞書には見えないとあるが、これは大いなる誤りである」(※6)と述べているのである。
 この橋本の主張は、1900(明治33)年以前の史料における「武士道」の用例を引証することによってなされたものであり、この点につ いて チェンバレンを擁護する事は不可能である。
 だが、橋本は同書の冒頭において、「武士道の名称」について考察を試み、その名称が近世以後の成立である事を明らかにした上で、それ以 前の時代において「武士道なる内容を有つ名称が存していたか否かを究めるに(中略)それらしいものを含んでいるものとしては、唯僅かに今昔物語、宇治拾遺物語、及び水鏡を挙げ得るに過ぎない」(※7)と述べ 、「それらしいもの」つまりは「武士道らしいもの」に対する用語の揺れを以下のようにまとめている。
 武士道なる内容を有つ名称は、時代別に的確に表現し得ないが(中略)中世に於いては、弓箭の道なる名称が盛んに行われ、これに次で武道、兵の道、及び弓馬の道などの名称が用いられた」
(※8)

 ここで橋本によって選び出された「武道」「兵の道」…… は、橋本によってすでに想定された武士道の定義に沿って、資料から引用されたものであろう。
 この演繹的な操作それ自体は問題ではない。
 しかし、彼は次節 「武士道の意義」においてそれらの用例から武士道の意義を帰納するという操作を行う事で、武士道に定義を与えようとす る。
 しかしてその結論は「武士道」とは「武士の武士たるべき道を意味するもの」という同義反復的な定義に落ち着く事となる。
 これは演繹と帰納のトー トロジカルな反復に過 ぎない。
 帰納するためには史料が集められていなければならない。
 だが、その史料収集自体に一定の基準が必要であ る。
 そしてその収集基準が結論を先取りしてしまっているというトー トロ ジーを、橋本の議論は構成してしまっているのである。
 「武士道」という「用語」が使 われていない時代を「武士道」で語ろうとする困難がここにある。
 そこに断絶を認めねば、われわれは「 用語」ではなく「内容」に連続性を見出すしかない。
 逆に「武士道」自体の「内容」も歴史的に一定していない場合は、さまざまな断絶した「内容」を連続的に語るには「用語」を一貫させるしかないのである。
 橋本も武士道の日本史における一貫性・連続性を前提してしまっているということ、それであるがゆえに、橋本の議論にはこのようなトー トロジーが構成される事とな るのである(※9)。
 つまり必ずしも橋本のチェンバレン批判は有効には機能していない。

 むしろ、ここでわれわれは、チェンバレンのいう「もちろん世界いずれの時代におけると同じように、日本にも騎士道的人物は存在した。しかし武士道が制度として、すなわち法典として存在したことはない」という部分に戻るべきなのである。
 チェンバレンは、決して近代以前における武士道的なる人物や、彼らの行動、そういった言説自体の存在を否定しているわけではない。
 チェンバレンは、そういった人物、行動、言説が、ある一定の「制度、すなわち法典」(原文では an institution or a code of rules)として成立したのは最近のことに属する、と述べているのである(※10)。

 institution もしくは code の成立、それをチェンバ レンはこうもい う。

20世紀の忠君愛国という日本の宗教は、まったく新たなものである。なぜならば、この宗教に於いては、古来の思想はふるいにかけられて選り分けられ、変更され、新たに調合されて、新しき効用に向けられ、重力の中心を新たにしたからである」(※11)

 ここで、チェンバレンは古来の思想との断絶を主張しているわけではない 。
 むしろここで述べ られているのは、ホブズボウムと同様の、過去の参照と、それらの取捨選択、さらに新しい institution/code への配置換え、重点の変更、にほかならないのだ。
 こういった視点からすれば、このチェンバレンの議論は、前論文で採用したホブズボウムの立場に非常に近いことが見て取れよう。

 明治の同時代に、いや同時代だからこそ、しかも外国人であったからこそ可能であっただろうこのような視点は、われわれが今なお採用し得るひとつの論理的立場として重要なのである。

 ここでわれわれは、チェンバレンに倣って「思想自体」とそれを指し示す「用語」を峻別して考えねばならないだろう。
 前論文におい て、筆者は明治期に武士道が創出された、とホブズボウムに倣って結論し、さらにその創出の背景を論じたが、そこにおいては「創出」面に重点を置くあまり、連続性について注意を払わなかった。
 しかし、まったく何もないところから「伝統」が創出されるわけはない。
 ホブズボウムも言うとおり、そこには参照すべき過去があり、「思想自体」は継承され、連続する。
 ゆえに、 明治期に起こった事態を正確に言い直すならば、明治期日本において、われわれは「武士道」とい う(古くからはあるが耳慣れな いという意味での)新しい用語で新しく切り取られた一群の古い「思想自体」を見出すのである。
 そこで起こったのはまさにチェンバレンの言う、新しい分節であり、「思想自体」の組み換えなのである。
 古い思考が「ふるいにかけられて選り分けられ、変更され、新たに調合されて、新しき効用に向けられ、重力の中心を新たに」され、「武士 道」という用語を冠せられて、そこに創造されたのである。

 このように考えると、われわれはここで、「武士道論」研究の二つの道筋を見出す事となろう。
 ひとつは「思想自体」に焦点を当て、その継承を系譜学的に探ってゆく方向(当然のことながら、それをあらわす言葉は変容してゆく)、
 もうひとつは「武士道」という用語に焦点を当て、その内容の変容を探ってゆく方向、
この二つであ る。
 だが事態は、この二分法で事足りるほど容易ではないのだ。
。。。

(※1)田川尚哉「武士道論の成立、西洋と東洋のあいだ」『江戸の思想7』(ぺりかん社、1997)p.29
(※2)1933年。新渡戸稲造全集 第6 巻(教文館、1969)p.329
(※3)B.H.チェンバレン著、高梨健吉訳『日本事物誌1』(平凡社、1969)p.92
(※4)これらについては楠家重敏『ネズミはまだ生きている、チェンバレンの伝記』(雄松堂、1986)の第11章が詳しい。
(※5)橋本実「精神史研究の方法論、武士道の本質論を中心として」『日本精神研究方法論』 所収( 日本文化研究会編、東洋書院、1935)を参照のこと。井上哲次郎 や深作安文への批判はチェンバレンと通じるものである。
(※6) 橋本実『日本武士道史』(地人書館、1940)p.7
(※7)前掲『日本武士道史』p.9
(※8)前掲『日本武士道史』p.10
(※9)もちろん、このトートロジーは橋本の問題として片付けられる種類のものではない。後述するように、筆者自身の作業においても同様 の問題は付きまとう。
(※10)code of rules を高梨のように「法典」と訳してしまって良いかど うかには疑問が残る。原文はそういったものはなかった、という文脈 であるので、誤訳と言い切ることはできないが、そこにそういった制度や code が明治に出来上がった、ということが含意されているとするな ら、これはもう少し緩やかな「行動規範、掟」程度の訳でも良いかもしれない。ちなみに、新渡戸の Bushido is the code of moral principles.("Bushido: The Sou1 0f Japan "Fifth Ed. Shokwabo, Tokyo, 1904, P.4)は矢内原忠雄によって「道徳的原理の掟」と訳されている。
(※11)前掲『日本事物誌1』p.87。
 なお引用後半部の原文は "pre-existing ideas have been sifted, altered, freshly compounded, turned to new uses, and have found a new center of gravity."(B.H.Chamberlain "Things Japanese Complete Edition" 1985, Meicho FukyuuKai, Tokyo, p.81)
 なお、最後の部分の日本語訳は「古い思想が新しい重心を発見した」つまりは「古い思想が新しいところに重点が置かれるようになった」というぐらいの意味であろう。

大手前大学人文科学部論集、2001
明治期日本における武士道論の研究 : 方法論的議論
第一章 「武士道」論分析の視点、チェンバレンの武士道論から
(鈴木 康史)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005434342

posted by fom_club at 13:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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