2020年09月19日

チェンバレンと神道

 日露戦争のさなかの1904)(明治37)年、 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲、1850−1904)はその絶筆となった『神国日本、解明への一試論』 でこう書いている。
 日本の真の力は、 この国の一般庶民の百姓とか漁夫とか、 職人とか労働者とか…(中 略)…の、 精神力のなかに存するのである。
 この国民のあの自覚しない英雄主義の行為は、 すべてこういう人たちのなかに存するのである。
 そしてすべてのあの天晴れな勇気、生命を何とも思わないという意味ではなく、 死者の位を上げてくれる天皇のご命令には一命を捧げようという念願を表す勇気なのである。 …(中略)… 異口同音にいっている希望は、 「招魂社」 に長く名をとどめたいということだけである。
 ――この「社」は、「あの死者の霊を迎える社」で、そこには天皇と祖国のために死んだ人すべての魂が集まるものと信じられているところなのである。
 この古来の信仰が、 この戦時におけるほどに強烈に燃え上がった時はない。
 それでロシア軍は、 連発のライフル銃やホワイトヘッドの魚雷よりもこの信仰の方をよけいに恐れなけれ ばならないだろう。
 祖国愛としての 「神道」 は、 フェア・プレイを許されるとあれば、全極東の運命だけではなく、 将来の文化にも影響を及ぼすことになろう。
……ラフカディオ・ハーン(柏倉俊三訳)『神国日本、解明への一試論』(東洋文庫 292、平凡社、1976)pp.394-395

「招魂社」 すなわち靖国神社と 「祖国愛としての神道」 をこのように評価したハーンは、 その一方で日本の前途の暗闇の中に 「悪夢」 も見ていた。
 この国のあの賞讃すべき陸軍も勇武すぐれた海軍も、 政府の力でもとても抑制のきかないような事情に激発され、 あるいは勇気付 けられて、 貪婪諸国の侵略的連合軍を相手に無謀絶望の戦争をはじめ、 自らを最後の犠牲にしてしまう悲運を見るのではなかろうか
……同上、p.387

。。。
 ラフカディオ・ ハーンの『神国日本』 の認識と鋭く対立したのが B.H.チェンバレン (1850−1935) である(※1)。

 1873(明治6)年から日本に滞在し、東京帝国大学教授を務めたチェンバレンは、 明治期日本の日本学者として周知の存在であるが、1912(大正元)年にロンドンで出した "The Invention of a New Religion" (『新宗教の発明』) と題する論文(※2)で、 忠君愛国の思想である国家神道を日本政府の官僚が新しく造ったものとして次のように批判した(※3)。
 天皇崇拝および日本崇拝は、 その日本の新しき宗教であって、 もちろん自発的に発生した現象ではない。
… (中略) …
 20世紀の忠君愛国という日本の宗教は、まったく新たなものである。
 なぜならば、 この宗教においては、 古来の思想はふるいにかけて選り分けられ、 変更され、 新たに調合されて、新しき効用に向けられ、 重力の中心を新たにしたからである。
… (中略) …
 これは官僚階級が自己の利益のために役立てようとするものであり、 付随的には国民一般の利益をはかるためのものである。
……バジル・ホール・チェンバレン (高梨健吉訳)『日本事物誌1』(東洋文庫 131、平凡社、1969)p.87

 神道は皇室と関係が深いから、 ひとり尊崇されるべきである。
… (中略) …
 表面上は信教の自由を掲げている制度のもとにおいて、 ある神道の祭礼には官僚の出席が求められ、 諸学校では、 毎年数度、 天皇の写真の前に拝礼するという式典が制定された。
 この間、 日本の政治は栄え、 日本軍人は大勝利を博した。
  かくして、 尊王主義と復活した神道崇拝に大いなる威名が加わった。
……同上 pp.88-89

(※1)遠田勝 「『神国日本』考、チェンバレンとの対立をめぐって」 『比較文学研究』47号、1985.4、pp.24-53
 遠田はこの論考の中で、 ハーンとチェンバレンの日本観、 宗教観、 特に神道に関する見解が 「正面衝突」していることを詳細に検討している。また、 両者の日本理解をめぐるより広い考察としては、 平川祐弘『破られた友情、ハーンとチェンバレンの日本理解』(新潮社、1987)がある。

(※2)楠家重敏 『ネズミはまだ生きている、チェンバレンの伝記』(雄松堂出版、1986)
 楠家重敏氏はこの浩瀚な著書の中で、 チェンバレン『新宗教の発明』について詳しい論証を行なっている。 この論文は、1927(昭和2)年の 『日本事物誌』第5版再刷本付録として転載され、 さらに同書第6版で 「武士道、新宗教の発明」 と改題の上、 本文に組み入れられた。日本語への全訳は戦後になってからで、 高梨健吉訳による 『日本事物誌1』(東洋文庫 131、平凡社、1969)に収録されている。

(※3)遠田、前掲注(※1)p.41

 チェンバレンの『新宗教の発明』は、 楠家重敏氏によればヨーロッパの知識人の日本観に大きな影響を与えた。
 例えば、 1922 (大正11)年にはバートランド・ラッセルが『中国の問題』の中で引用している。
 そして、 この『新宗教の発明』は、『日本事物誌』に収録されることによって、 第二次大戦前後における連合国の対日政策形成の材料となっていった(楠家、前掲注(※2)p.596)。

 また、 阿部美哉氏は 「占領軍の国家神道理解の骨格を形成し たのは、 チェンバレンの1912年における日本批判であったといえる」 と指摘している。


(※4)安倍美哉 「翻って平成時代の宗教の課題を問う」 田丸徳善編 『現代天皇と神道』(徳間書店、1990)p.51.

。。。

 1911(明治44)年3月、横浜海岸いぎりす波止場からチェンバレンは船上の人となった。
 見送った弟子のひとり、 佐々木信綱はこう書いている。
 鶴のようにやせて背の高い、 日本のかぞえ年62としてはふけて見える先生は、 遠く雲の上にうかぶ富士の雪を仰ぎ、 近く波の上に舞うをながめつつ、 いつものおだやかな調子の日本語で、『うつくしい国です。 このうつくしい国にも、 永久にお別です』と、 しづかに独言のように云うて、すぐ側にいた自分に、めづらしく手をさしのべられました。
……佐々木信綱 「人としてのチェンバレン先生」 『国語と国文学』12巻4号、pp.559-560
  楠家重敏 『ネズミはまだ 生きている、チェンバレンの伝記』(雄松堂出版、1986)pp.546-547 より再引用

 1873(明治6)年に来朝してから前後39年に及ぶチェンバレンの日本滞在に終止符を打たせるきっか けになったひとつは、1910(明治43)年の日本による韓国併合であった。

 韓国併合を知ったチェンバレンは若い弟子のひとりにこう書き送っている。
朝鮮の人びとは、日本人のことを聖水を憎む悪魔として憎悪していたのです。
 つぎは満洲の番でしょう。
 また、 中国人は日本をいみ嫌っており、危険な敵ですが、その彼らがさらに激昂してくるでしょう。
 かたや、 こうした外国への冒険に金と人とが動員されるので、国内改革は延期されるか、放棄されてしまうのです。
 そして、 現政体の前半期に行われた知性的かつ社会的目標の追求にかわって、 国民的精神なるものが俗悪な政治的野望と軍事的侵略へと水路を変えているのです
……楠家、同上、p.540

 スイスに永住の地を定めたチェンバレンがこの年に書いたのが、 先に触れた 『新宗教の発明』 である。


国立国会図書館、レファレンス、2006(平成18)年7月号
靖国神社とはなにか
資料研究の視座からの序論

春山明哲(はるやま めいてつ、文教科学技術調査室)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999824_po_066603.pdf

 天皇崇敬や「国体」思想の評価という問題だろう。
 この天皇に関わる思想や実践のシステムを宗教として捉えなくては、大正・昭和前期の日本の宗教を理解することは困難である。
 これが私の立場だ。
 そこで、まずは大正期の天皇崇敬について見ていきたい。
 そこで時間を遡って、明治から大正への転換の年、1912年に目を止めてみたい。

 明治時代の38年間、日本に滞在した日本研究者、バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850〜1935年)は、明治から大正への転換の年、1912年に「ある新しい宗教の発明」(The Invention of a NewReligion)という論文を公刊した。
 ここで新宗教とよばれているものは、神道の資源を引き継ぎながら新たに作り上げられた天皇崇敬のシステムを指している。

 1983年にエリック・ホブズボウムとテレンス・レンジャーが刊行した『創られた伝統』(紀伊国屋書店、1992年)は、近代の国民国家の儀礼を取り上げて「伝統の発明」(invention of tradition)の語を広めたが、チェンバレンの「ある新しい宗教の発明」はそれを先取りするような捉え方だ。

 チェンバレンは新たに形成されてきた「ミカド崇拝」や「日本崇拝」があたかも古代に由来するものであるかのように装っていることに注目している。
 この捉え方の先駆性を指摘するタカシ・フジタニは、『天皇のページェント――近代日本の歴史民族誌から』(日本放送出版協会、1994年)にチェンバレンの論の一節を抜き書きしている(4ページ)。
 いかなる製品もその材料を、また、いかなる現在もその過去を、それぞれ前提としてもっている。
 しかし忠誠・愛国という20世紀の日本の宗教はまったく新しい。
 というのも、その宗教のなかで以前から存在する考えがふるいにかけられたり、変形されたり、新規に組み合わされたり、違った用途に使用されたり、新しい重心を見出したりしたからである。
 新しいばかりか、未完成でもある。
 それはまだ政府の指導者たちの手によって、彼らの、さらには国民全体の利益となるべく、意識的もしくは半意識的に作り上げられる過程にある。

 フジタニは明治時代の後期にこの「新しい宗教」が形を整えていく過程について、興味深い考察を行った。
。。。
※『春秋』2016年10月号


web春秋、はるとあき、2016.09.25
大正・昭和前期の宗教と社会
第1回 明治天皇崩御と国家神道の新たな展開
(島薗進)
https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/782

posted by fom_club at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。