2020年09月17日

チェンバレンとメーソン

図1 杉浦藤四郎
『日本学の先駆者 アーネスト・サトウとB.H. チェンバレン』
(愛知教育大学附属図書館、1994 年)より

杉浦藤四郎.jpg

「近代日本学のパイオニアーチェンバレンとアーネスト・サトウ」展準備のため、愛知教育大学附属図書館所蔵「チェンバレン・杉浦文庫」を調査する機会を得た。

 同文庫は、バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain、1850〜1935)の学僕となった岡崎市出身の杉浦藤四郎(1883 〜1968、図1☝)がチェンバレンから贈与された蔵書、書簡、身辺雑具、そして杉浦自身の蔵書から構成されている。

 杉浦は、1905年、勤めていた横浜ユナイテッド・クラブ(幕末から戦後にかけて現横浜市中区海岸通りにあった欧米外国人男性たちの会員制社交クラブ)でチェンバレンと出会い、彼に同行して、アメリカやアジア諸国、ヨーロッパを訪れ、またその援助を受けてイギリス留学も果たした。

 同文庫の書簡全918点の多くは二人の出会いからチェンバレン没年の前年、1934年にかけてチェンバレンが杉浦に宛てた書簡であるが、チェンバレンの親族や友人たちからチェンバレンに宛てた書簡も含まれる。
 短期間ではとても充分な分析はできない資料群であるが、今回の展示で取り上げた友人たちとの交流のようすや横浜に関するいくつかの興味ある書簡を次に紹介したい。

戸田欣子を心配する

 1910年6月に最後の来日を果たしたチェンバレンは翌1911年3月、日本を離れ、終の棲家となるスイスのジュネーヴに落ち着いた。
 同年1911年8月1日付で親友W・B・メーソン(William Benjamin Mason、1853〜1923)から次のような書簡が届いた。
 明日、横浜へ戻り、雑用に専心するために2、3日居る予定です。
[中略]
 今回はひどい強風が吹き荒れたことをお知らせしなければなりません。
 東京と横浜周辺を中心に吹き荒れ、多数の死者と被害が出ました。
 台町[戸田家のこと]も被害があり、そのおもなものは庭木の倒木でした。
 横浜の山手町104番地C[メーソン自宅]も庭木や塀、門等に被害が出ました。
[中略]
 台町について、もうあなたが心配する必要はないと思います。
 そこに住むご婦人[戸田欣子]は、見たところ健康で幸せそうです。
 彼女が養育している少年たちは彼女のすべての関心を獲得しているし、また借家人も彼女に面倒をかけるようなことはありませんから。

 メーソンはイギリス人電信技師で、1875年に工部省電信寮の「お雇い外国人」として来日し、第一高等学校でも英語を教えた。
 チェンバレンとは一緒に『日本旅行案内』を執筆した仲であり、家族ぐるみで付き合った
 図2☟ はメーソンの次男、ジェームス(James Day Mason)の結婚式の記念写真である。
 両親のメーソンと鹿子(花婿ジェームスの向かって左隣)、兄のW・B・メーソン・ジュニア(父メーソンの左後方の髭の人物)が写っている。
 メーソンはスイスのチェンバレンと手紙のやり取りをつづけ、日本の友人たちの消息を知らせたり、時にはチェンバレンの使いもしたりしていたようだ。
 1889年頃から1899年頃にかけて戸田欣子家に住んだチェンバレンは、おそらく欣子のその後を案ずる書簡をメーソンに送ったのだろう。

 メーソンは退職後、東京から横浜に一家で移り住んだが、1923年9月、横浜ユナイテッド・クラブで関東大震災に遭い、圧死した。
 山手の横浜外国人墓地に家族とともに眠る。

図2 ジェームスの結婚式の記念写真、1917(大正6)年11月25日
当館所蔵「W・B・メーソン関係資料」より

メーソン.jpg

第1次世界大戦下の横浜

 メーソン夫人の鹿子(シカ、シカコ、1857〜1945)は旧名を金田トメといい、1887年、メーソンの長崎勤務時代に結婚した(ご子孫から寄贈された「W・B・メーソン関係資料」の「外国人へ結婚願」(写し)より。『日本学の先駆者 アーネスト・サトウとB・H・チェンバレン』13頁には、1877年結婚とある)。
 
 鹿子は、メーソンが病気の時など、代わってチェンバレンに近況を知らせる書簡を日本語で書き送っている。
 その中の1915年2月23日付書簡を紹介しよう。
 このたびの大戦争にて何地の国も困る人多く、実に実に気の毒せん万の事と存じます。
 日本も何の商業もさっぱり不景気になり、まれに貿易輸出などかいむに付、事に横浜は取分け淋しくなり、山手などはあき家も沢山でき、外国人は皆追々に本国へかい(え)る人多く、あき家ができてかりる人はなく、それで物価高くなるばかりで、末にはどんなになる事かと案じて居ります。

 1914年、ヨーロッパで第1次世界大戦が勃発すると日本も連合国側に加わってドイツに宣戦布告し、ドイツ東洋艦隊の拠点、中国の青島に派兵した。
 横浜の外国人社会では本国からの動員令を受け帰国する人も出て横浜を離れる人びとが相次ぎ、開戦前年に約3,800人を数えた横浜居住欧米外国人数は、1916年には約2,100人に激減した。
 そのようすが横浜の外国人社会に暮らす日本人女性、鹿子の目線で描かれている。

関東大震災のニュースを聞いて

 1923年9月1日におきた震災のニュースは遠く、スイスのチェンバレンの元にも届いた。
 それは9月4日のことであったようだ。
 この日、チェンバレンは杉浦宛てに友人たちの安否を気遣う次のような短い急信(図3☟ )を、杉浦の実家、岡崎の住所に送った。
 日本から受け取ったニュースはあまりに恐ろしすぎるものです。
 もし君が生きているのならば、君の家族やメーソン家、その他の人びとの安否の詳細を知らせてほしい。
 今日はこれ以上、書いても意味がないように思います。
 敬具 チェンバレン 1923年9月4日、スイス、ジュネーヴ、オテル・リシュモンにて


図3 1923年9月4日付、チェンバレンの急信
愛知教育大学附属図書館所蔵「チェンバレン・杉浦文庫書簡」より

チェンバレンの急信.jpg

9月22日のチェンバレン書簡

 9月22日朝、杉浦から電報が届いた。
「メーソンを除いて全員無事 All safe except Mason」というたった4語(英文)であったが、チェンバレンには待ちに待った報せであった(電文は、チェンバレンの杉浦宛て書簡、1923年11月20日付より)。
 すぐに杉浦に次のように返信した。
 ありがたい!
 今朝届いた君からの電報は居ても立っても居られなかった私の不安を君に代わって終わらせてくれました。
 大災害から丸3週間、君からの連絡を待ちつづけた私はすべての希望を失っていたところでした。
 もちろん君が住む中野は東京でも比較的被害が大きくなかった地域だということがわかりましたが、日中君は家に居ず、東京のビジネス街に居たのではないかと心配になったのです。
[中略]
 ああ、すべてが終わってしまいました。
 私は心静かに事の詳細が分かるのを待ちます。
 何かできることがあれば知らせてください。
 お金が必要ですか。
 必要ならば、金額を知らせてください。
 送ります。
[中略]
 メーソンの死を私がどんなに悲しんでいるか、君なら分かってくれると思います。
 自分の心を半分もぎ取られたようです。
 メーソンを、また数ヶ月前には弟のヘンリー[同年2023年3月に死去した3歳違いのすぐ下の弟]を喪い、ある意味で私は天涯孤独の身になってしまいました。
 少なくとも同世代では独りぼっちです。
 メーソン夫人に横浜のスチュワート氏を介して連絡を取ってみます。
 その境遇に対して何かできることがあるか、知りたいのです。
 彼女は凜としていて前向きな女性ですから、実に思慮深く振る舞っているに相違ありません。
 横浜は復興しないだろう、という噂が流れています。
 横浜を永久の存在として羨望のまなざしで見ていた私にとり、それは驚き以外の何ものでもありません。
 まだ東京港は港の機能を果たしていますか。
 まったくと言っていいほど、充分な水深がありませんからね。
[追伸]
[生前の]メーソンからの便りがまだ毎週定期的に届ていて、もう一通来るはずです[これらの書簡は残っていない]。
 墓からのこの声に奇妙な、またとてもつらい気持ちを覚えます。
 メーソンがどのように亡くなったのか、私たちは一体それを正確に知ることができるのでしょうか。

 メーソンとその家族との交流がどれほど親しいものであったかがよくわかる書簡である。
 メーソン没後、メーソンの次男ジェームスがチェンバレンと書簡をやり取りするようになった。
 1930年の戸田欣子の訃報をすぐに寄こしてくれたのもジェームスであった。

 横浜が復興しない、という噂がスイスのチェンバレンの元に流れてきた、という話も興味深い。
 震災により横浜港が壊滅的な打撃を受けたことで本格的な東京築港が始まるのであるが、それ以前の東京港(芝浦の日ノ出埠頭のことか)への言及も、チェンバレンの幅広い関心と知識、そして長年住んでいたことからくるのであろう東京への愛着を垣間見ることができる

 このようにチェンバレン書簡は、日本学者チェンバレンの研究だけでなく、他の面からのアプローチに対しても豊富な材料を提供してくれる資料群と言えよう。

「開港のひろば」第127号、2015(平成27)年1月28日発行
展示余話
愛知教育大学附属図書館所蔵
「チェンバレン・杉浦文庫書簡」から

(中武香奈美、横浜開港資料館調査研究員)
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/127/03.html

posted by fom_club at 16:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。