2020年07月28日

白井聡『武器としての「資本論」』

 政治学者、白井聡さん(42)の新刊『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)が好評だ。
 言わずと知れたカール・マルクスの大著『資本論』の入門書であり、新自由主義の時代を生き抜くための指南書でもある。
「私たちは資本制を利用して生きているのではなく、いわばのみ込まれている。そして今、窒息しているんじゃないですか、と問いたい」と白井さんは語る。

 資本論のすごさとは何か。
 白井さんは冒頭でその射程の長さを挙げる。

「我々が生きている現実社会を、とても身近なレベルから最も抽象的なレベルまで首尾一貫して説明できる体系としてある」

 刊行から150年を過ぎた今なおその刃(やいば)は鋭い。
 なぜ上司が嫌な態度をとるのか。
 なぜ自己啓発本を何冊読んでも救われないのか。

「日常生活で直面する疑問も、資本論というフィルターを通すと見事に説明できる。そういう事例をこの本で積み重ねました」
 
◇  ◇  ◇

 マルクス研究がさかんな日本には「資本論の入門書が山ほどあり、水準は高い」という。
 けれども「やっぱり難しい。標準的な読者が、資本論に書かれている本質をきちんと理解できるのか、疑問に感じていた」。
 ならばと自ら筆を執った。
 本書では、その本質を分かりやすく伝える工夫として「入門書としては異例の体裁をとった」という。
「資本論の体系的な記述順序をあえて崩し、今生きている私たちが一番強く実感できる概念からの説明を試みたのです」。
 中でも特に重要なキー概念が「包摂」だ。

 白井さんはここで、マルクスによる包摂の概念を「拡張して展開した」と語る。
 どういうことか。

 マルクスは主に工場などの生産過程における包摂を論じた。
 決められた時間、ベルトコンベヤーで単純作業に従事する労働者は自律性を失って機械の一部となり、資本にのみ込まれる、というわけだ。
 本書ではその包摂が工場から社会全体へと広がり、<人間の魂、全存在の包摂へと向かっている>と論じる。
 競争原理を浸透させ、ひたすら利益を追求する新自由主義の時代に「資本は労働者に豊かさを分配することをやめた。では、どうすれば人びとを資本に従わせられるか? 人間の魂や感性を侵略することで、人間を資本に奉仕する道具としてしか見ない新自由主義の価値観を内面化させた」と指摘する。

裏テーマは「新自由主義の打倒」

「新自由主義の打倒」を裏テーマとする本書では「魂の包摂」を実感できる具体例が豊富に示される。
 たとえばスキルアップを求める世の風潮。
 白井さんに言わせれば、「スキルアップで高まるのは労働力の価値」であり「私はスキルがないから価値が低い」と感じるのは、すでに魂が資本主義に包摂された状態だという。
 あるいは教育の商品化。
 教育=商品を享受する学生は消費者であるお客様と化し、「学ぼう」という姿勢は「面白い話をしろ」という受動的な態度に堕していく。
 さらには映画「男はつらいよ」の「寅さん」に共感できない若い世代、アルマーニの制服で話題になった銀座・泰明小学校など幅広い事例に切り込む。

「剰余価値」「本源的蓄積」といった資本論の中核的な概念も丁寧に読み解く。
「商品」のパートでは、貨幣がもたらす自由を解説。
 人びとの縁でつながる農村共同体に対し、「カネでしかつながらない都市の人間関係は極めてドライ。その関係において人間は匿名の存在になり、だからこそ後腐れがなく、自由になる」。
 ところがお金のやり取りを電子データに置き換えるキャッシュレス化はその匿名性を消し、消費者を丸裸にする。
「誰がいつどこで何を買ったのか」という情報はビッグデータとして政府や企業に利用され、「お金の使い方を監視することで人間の信用を格付けするシステムがすでに現れつつある」。

◇  ◇  ◇

 人間はこのまま主体性を失い、魂まで資本に飼い慣らされた現状を受け入れるのか。
 いや違う、と本書は叫ぶ。
 この絶望に立ち向かうには<人間の基礎価値を信じること>が重要なのだと。
 基礎価値とは意思よりも基礎的な感性であり、「ある種の自己肯定、自己享受。この現実はおかしいと思っても、それを受け入れざるを得ないことはたくさんあり、だんだんマヒしてくる。でもそこで『嫌なことは嫌なんだ』と言い続ける根性が必要。包摂された魂をもう一度取り戻すには、そこから始めるしかないのです」。

 本書の刊行は4月で、緊急事態宣言が全国に発令されるなど新型コロナウイルス感染拡大のさなかだった。
 コロナ禍の根本の背景には「乱開発がある」と白井さん。

「結局、乱開発のせいで森深くに眠っていた、人間と共存できないウイルスが出てきた。乱開発には南北の従属支配の構造がある。コロナ危機は資本主義の失敗の結果であり、さらにその失敗をひどい失敗にする」。黒人の死亡率が圧倒的に高い米国の状況は、不平等のさらなる拡大を浮き彫りにした。加えて「この危機を克服する答えがほとんどの国で経済活動の再開ですから、破滅的ですよね」

◇  ◇  ◇

 私たちは誰もが豊かに生きる権利を持つ。
 自分にとって本当に価値あるものは何か。
 それは誰かに押しつけられてはいないか。
 資本論を入り口に、主体的な「私」の再建をうたう本書こそ、行き詰まった資本主義社会のその先を考える強力な「武器」になる。

※ 白井聡(しらい・さとし)
1977年、東京都生まれ。思想史家、政治学者。京都精華大教員。著書に『永続敗戦論』(第35回石橋湛山賞など受賞)『未完のレーニン』『国体論 菊と星条旗』など。


[写真‐1]
『武器としての「資本論」』を執筆し、インタビューに応じる白井聡さん=大阪市北区で2020年7月11日

[写真‐2]
『武器としての「資本論」』を執筆した政治学者の白井聡さん=大阪市北区で2020年7月11日

毎日新聞、2020年7月28日 10時00分
「包摂された魂」取り戻すために
白井聡さん新刊『武器としての「資本論」』

(清水有香)
https://mainichi.jp/articles/20200727/k00/00m/040/128000c

「入門書」ではなく『資本論』を読みたくなる本

 マルクスについては、自分なりにいささかの勉強をしてきたつもりです。
 しかしマルクスに関するまとまった論文なり本なりを書いたことはまだありません。
 そこでこのあたりで1つ、私なりの『資本論』の読み方、「自分がマルクスから何を学んできたか」についてまとめてみたいという気持ちがあって、『武器としての「資本論」』にまとめることになりました。

 世の中に『資本論』入門という体裁をとった本、あるいはマルクス入門という体裁の本は、大変な数に上るでしょう。
 アマゾンの検索で、「資本論入門」「マルクス入門」といった語を入れて調べたら、おそらくうんざりするぐらいの、とてもではないが読み切れない数の本が挙げられてくるだろうと思います。

にもかかわらず、なぜやるのか。

 私は以前から大学で「マルクス入門」的な講座を持ったり、あるいは学生に「資本主義社会とはどういうものなのか」を説明するために、マルクスの見方を紹介するといったことをやってきました。
 その際の不満として、適当な教科書がないということがあります。

「『資本論』はこういうふうに書かれていて、こういう議論がされています」と懇切丁寧に、順番どおりに説明をしていく誠実な入門書ということであれば、もちろんいろいろあります。
 日本のマルクス研究は膨大な蓄積がありますから、それらは学術的水準が高いものが多いです。
 海外の優れた解説書の翻訳も多数あります。

 ただ「これを読んで、『資本論』を読む気がするかな?」という疑問があるのです。
 学生や社会人がそういった入門書を読んで、「ふうん。よし、では1つ頑張って『資本論』を読んでやろう」という気持ちになるかというと、残念ながらそういう方向へ誘導してくれそうな本があまり見当たらないように感じられるのです。

 そこに私がやるべきことがあるのではないか、と思い至ったのです。
『武器としての「資本論」』で私が「ここが『資本論』のキモです」という話をして、それをきっかけに読者の皆さんにぜひ『資本論』を読んでいただきたい。
 もうすでに読んだよという方は、ぜひ再読していただきたいと思っています。
 そのためにはどういった方法があるか、いろいろ考えてみたのがこの本なのです。

現実の見え方がガラッと変わる

 今や大学においても、「講義でマルクスをやります」と言うには、何かしら言い訳が必要な世の中になっています。

 1つは時代の問題があります。
 マルクスが生きたのは19世紀です。
 生まれたのが1818年で、少し前にマルクス生誕200周年があったわけです。

 そうなると、「今の世の中は19世紀当時と大きく変わっているではないか。いくらマルクスが天才的に頭がよかったといっても、200年も前の人が見聞きして書いたことと現在の状況には、だいぶギャップができているだろう」と思われるわけです。

 それはそのとおりなのです。
 当時と比べて世の中が変わっていることはたくさんあります。
 にもかかわらず、なぜマルクスがいまだに重要だと言われているのかといえば、それはマルクスの創造した概念の射程が非常に広いからです。
 何かしらの本質をつかんでいるからこそ、今日なお読まれるだけの価値があるのです。

『武器としての「資本論」』では、マルクスにおいて特徴的ないくつかの概念を深掘りしました。
 マルクスが19世紀のイギリスという現実を見てそこから得た概念、それは現在にも十分通用するものです。

 なぜか。
 マルクスの概念には大きな拡張性があるからです。
 本質をつかんでいるからこそ、拡張性がある。
 マルクスが現代に至るまでの資本主義社会の変化のすべてを想定・予言していた、などと考える必要はありません。

 けれども、彼はキモとなる部分をつかんでいた。
 だからマルクスの目を通して見る、言い換えればマルクスが創造した概念を通じて見ると、今起こっている現象の本質が『資本論』の中に鮮やかに描かれていることがわかるし、逆に『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラッと変わってきます。

 それをするのは単に、「そうしてみると頭の体操になって楽しいから」ではありません。
 何のためにそんなことをするのかといえば、「生き延びるために」です。

 すでにだいぶ前から、日本に限らず世界の労働者の置かれた状況は厳しさを増す一方となっています。
 格差の拡大も指摘されてきましたし、心の病も多発しています。

 私自身、「ロスジェネ」「氷河期世代」と言われる世代です。
 先日、私の中学・高校の同級生で、多くの同窓生と交流のある男と話したのですが、「あいつ、どうした?」と同窓生の様子を聞くと、驚くほどうつ病になっている者が多いのです。
「あいつも一時大変な状態だったけど、最近はどうやらこうやら、立ち直ってきたらしい」と、そんな話が実に多いのです。

「このまま行けば日本人は滅びるのではないか」というレベルまで、働く人の心の健康状態がおかしくなってきている。
 あるいは今の急速な少子化現象も、その病状の1つに数えられるのかもしれません。

 ここまで世の中がおかしくなってしまっているのに、いったいどうやったら立て直せるのか、見えない状態になっています。

「資本主義リアリズム」を乗り越えて

 アメリカの文芸評論家で、『資本論』の優れた読み手でもあるフレドリック・ジェイムソン Fredric Jameson(1934年生まれ)に、「資本主義の終わりを想像するよりも、世界の終わりを想像することのほうが容易だ」という有名な言葉があります。 

 環境破壊、経済危機、あるいは戦争など、原因はいろいろ考えられますが、「100年後に人類は存続しているのか」と考えると、相当不安が強い。ひょっとするともうダメかもしれない。少なくとも「間違いなく存続している」とは到底言えない状況です。

「では、その原因は」と考えると、間違いなく資本主義なのです。
 なぜなら、現在の世界を覆っている社会システムは資本制であって、この資本制をどうにかしなければ現代社会の矛盾は乗り越えられない。

 イギリスの批評家、マーク・フィッシャー Mark Fisher (1968 ‐ 2017)は「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済制度であり、それに対する代替物を想像することすら不可能だという意識が蔓延した状態」を「資本主義リアリズム」と呼びました。

 どうやって資本制を乗り越えるのか。
 資本主義の終わりとはいったいどういうものなのか。
 私たちには想像すらできないというのです。
 そして想像できないうちに、人類のほうが終わりを迎えそうになっています。

 ですから、「こんな世の中をどうやって生き延びていったらいいのか」という知恵を『資本論』の中に探ってゆく。
 マルクスをきちんと読めば、そのヒントが得られるのだということを改めて世の中に訴えていきたい。
 そう思っています。


東洋経済オンライン、2020/05/27 8:10
「資本論」が「生き延びるための武器」になる事実
19世紀イギリスにマルクスが見た不変の原理

白井 聡 : 政治学者、京都精華大学教員
https://toyokeizai.net/articles/-/341356

 併せて、ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をぜひお読みください:
★ 2020年04月10日「白井 聡」
★ 2020年05月24日「なぜ日本の政治はこれほど「劣化」したのか?」

posted by fom_club at 15:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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