2020年07月26日

「夜の街」と名指しされた歌舞伎町

映画『新宿タイガー』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=Q4IJib3sQ10

新宿の近代史を目撃せよ!ドキュメンタリー映画『新宿タイガー』初日舞台挨拶
https://www.youtube.com/watch?v=OHYbN1aXVk8

 タイガーマスクのお面にまっピンクのアフロヘア、極彩色の服、多数のぬいぐるみや造花……。
 新宿を歩いていると、そんなカオスな出で立ちの人物を見かけることがある。
 新宿で虎のお面を被り続けて45年、通称「新宿タイガー」だ。

 その正体は、原田吉郎さん(71)。
 職業は新聞配達員。
 朝日新聞新宿東ステーション(ASA大久保)に勤め、今なお朝・夕の新聞配達を毎日行っている。
 担当エリアは新宿三丁目界隈だ。

夜はタイガーのいでたちでゴールデン街へ

 新宿タイガーには、大の映画好きという顔もある。
 仕事が休みの日や、夕刊がない日曜を中心に映画館へ通い、1日に3〜4本はしごすることも珍しくない。
 劇場で座る席は「映画におもいっきり没入できるから」という理由で最前列の中央と決めている。

 夜は毎晩のように新宿ゴールデン街へ飲みに出る。
 仕事休みが火曜なので、月曜夜は朝方まで飲むことも少なくないという。
 新聞配達も、映画鑑賞も、ゴールデン街も、電車も、外出はすべてタイガーの装いで行う。

 そんなタイガーの勇姿を比較的見かけやすいのは、朝刊を配る早朝、夕刊を配る15〜17時くらいの新宿三丁目付近と、夜のゴールデン街だ。
 今では「新宿タイガーを見るといいことがある」「一緒に写真を撮ると幸せになれる」といった都市伝説もあるほどで、ついにこの3月、彼を追ったドキュメンタリー映画も公開される。

 それにしても、このスタイルを45年間続けるというのは、並大抵のエネルギーではない。
 デコラティブな衣装の総重量は10キロほどもあり、取材当日も部屋のドアを通ったり、着席したり、階段を上ったりするだけでも相当に難儀そうだった。
 これを半世紀近くも続けるというのは、言葉は悪いが狂気すら感じさせる。

 そもそも、なぜ新宿タイガーになろうと思ったのだろうか。

 タイガーの出身は長野県松本市波田地区。
 実家は養蚕農家だった。
 生年は1948年で、現在71歳。
 タイガーは幼少時代をこう振り返る。

「田んぼの中にある藁葺き屋根の一軒家で幼少を過ごしました。当時はお祭りのときに夜空の下でいろんな映画を無料で観せてくれました。それはそれは楽しみでしたね。だから祭りから祭りへと観に行っていました。あと当時はテレビが始まったばかりでまだ白黒でしたが、月光仮面や白馬童子、まぼろし探偵、快傑ハリマオ、豹(ジャガー)の眼なんかがヒーローでしたね」

タイガーマスクのお面を30枚すべて買った

 中学卒業後、地元の梓川高校に進学。
 3年生のときに競歩大会で優勝するほどの健脚の持ち主だった。
 そして卒業後に上京。
 練馬区の江古田駅界隈で読売新聞の新聞奨学生として配達をしながら、大東文化大学に通った。
 ところが大学は2年で中退。
 そのまま新聞販売所に就職した後、現在も所属する新宿の朝日新聞の販売所に移籍。
 担当は新宿三丁目地区。
 その後、タイガー誕生となる契機が訪れる。

「歌舞伎町にある稲荷鬼王神社のお祭りで、いろいろなお面が50枚ズラーッと並んでいたんです。その中にあったタイガーマスクのお面を見て『これだ!』と直感で感じました。あるだけすべての30枚を買い、それを今もストックしています。だからずっとタイガーをやれているんです。もともと変身願望はありましたが、新宿三丁目という昔ながらのロマンと大繁華街がみごとに調和したすばらしい舞台とお面という2つが組み合わさらなければ、新宿タイガーは生まれませんでした。当時は新宿三丁目からコマ劇場まで、自転車で飛行機乗り(足を後ろに投げ出して体と地面が水平になる乗り方)で、ノンストップで行くこともありました」

 以降、新宿に“怪人”がいると、多くのテレビ、雑誌で取り上げられるようになる。
 ドラマや映画に出演することもあった。
 ただ、人から罵声を浴びせられたり、酔っぱらいにからまれたり、殴られる・蹴られるといった暴力を受けることもあった。
 勤め先や朝日新聞本社からも、はじめは「その格好で配達はどうなのか」と、いい顔はされなかったが、愚直に続けることで次第に容認されていったという。

 とはいえ、やはり気になるのは原田さんがタイガーとなるまでに、いったい何があったのかだ。
 しかしそのことに話を向けると「直感に理由なんてないんです」といった返答となり、すぐに別の話に移ってしまう。
 前述のドキュメンタリー映画の中で、タイガーの親友で俳優の久保新二氏がこう話す場面がある。

「タイガーの実家は大きな家で財産持ちなんだ。(中略)でも『俺は新宿で好きなことをやって生きていくから、何かあっても帰れないよ。家のことは任せるよ』と言って新宿に来ているんだよ」

 実家の家族については、タイガー本人もこう語っている。

「つい最近、父と母が亡くなって、弁護士を通じていくつもの銀行口座に残された財産をどうするか聞かれましたが、弟(すでに他界)の嫁にあげてしまいました。お金には一切固執しない。だから自由なんです」

人生はシネマと美女、酒と夢とロマン

 タイガーは常々、新宿タイガーでい続けることについて「世の中にラブ&ピースを届けるため」「人生はシネマと美女、酒と夢とロマン」と語っているが、特に美女の部分が大きな原動力の1つとなっているようだ。

 タイガーは映画好きとこの風貌が相まって、俳優や映画監督の知り合いが多いが、ドキュメンタリー映画では女優・宮下今日子をはじめ美女とゴールデン街で飲み明かすシーンがいくつもある。
 取材時もタイガーは自身のスマホを取り出し、最近飲んだという数多くの美女たちの写真を見せてくれた。

「こうやってシネマと美女がちゃーんと実写となって目の前に現れる。こういう夢があるからこそ『人生は虎で始まり、虎で終わる』なんですよ。でもどんなに好きな人が目の前に現れても、夢とロマンでいいんです。それ以上望んじゃダメ。そんなの望んだこともありません」

 ドキュメンタリー映画中にはこんな印象的な場面もあった。
 タイガーが、最も好きな映画で過去に15回も劇場で観たという『ローマの休日』を映画館の最前列で観ているシーンだ。
 マスクを外したタイガーは、あんぐりと口を開け、にっこり笑いながらスクリーンに魅入られている。
 年齢は違えど、名作『ニュー・シネマ・パラダイス』に登場するあの子どもと同じような、汚れのまったくない顔がそこにあった。

「なぜタイガーかというと、虎はジャングルの王だからです。何があっても負けないし、ブレない。権力や名誉には一切興味がない。俺は人間と動物が共存した存在だけど、自然を破壊する人間より、野生でいる動物の味方だね」

 タイガーに変身することは、不純な精神と決別し、ありのままのピュアな姿で生きるという決意表明なのかもしれない。
 それは見る人によってはアートであり、生涯をかけたパフォーマンスだ。
 機会があればぜひ一度実物を見て、その生々しい姿を体感してもらいたい。
 見れば本当にいいことがありそうだ。


[写真-1]
新宿三丁目を中心に新聞配達を続けている「新宿タイガー」。一見怖そうだが、実際は気さくで喋り出したら止まらない。仮面の下の素顔もよく見せている。持ち物や装飾品は季節によって変えている。現れるときはラジカセからテーマソングが流れる

[写真-2]
『新宿タイガー』は3月22日からテアトル新宿にてレイトショー公開ほか是国で順次公開予定

[写真-3]
「新宿が大好き」という新宿タイガーは、近年訪日外国人からも人気。これからも新聞配達を続けるつもりだ

[写真-4]
大の映画好きで映画の話になると、本当に止まらない。好きな女優はオードリ・ヘプバーン、マリリン・モンロー、そしてエリザベス・テイラー、イングリッド・バーグマンと美女揃い

東洋経済 Online、2019/03/20 5:40
新宿を「虎のお面」で新聞配達する71歳の正体
新宿タイガーが45年間も変身し続ける理由

(田嶋 章博、ライター・編集者)
https://toyokeizai.net/articles/-/271774

アジア最大級の歓楽街、新宿・歌舞伎町。
東京オリンピック・パラリンピックを前に再開発が進むこの街に、NHKのディレクターが潜入しました。
「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」は、歌舞伎町のほど近くで45年、新宿で一番古い麻雀店を営むディレクターの母親の姿を中心に、この街で出会った人々の人生や、変化の波にさらされる様子を約2年にわたって記録したセルフドキュメンタリーです。
柚木映絵ディレクターに番組を企画した理由や、歌舞伎町で撮影をして何を感じたのかを聞きました。

「歌舞伎町には絶対に入るな」

── この番組を企画した経緯と自身のお母様を取材した理由を教えてください。

柚木: 私は新宿の近くで生まれ育ちました。母は新宿で45年間麻雀店を営んでいるので、私にとっての新宿・歌舞伎町は“母が生きてきた場所”です(※)。同時に幼いころから「歌舞伎町には絶対入るな」と母からキツく言われ、遠ざけられてきたところでもありました。ただ、NHKのディレクターとして働きはじめたころから、実は母の店って題材としておもしろいんじゃないかなと思うところはありました。
 母は、新宿・歌舞伎町が再開発で変わりつつあることを嘆き、平成が終わる2019年4月末で店を閉めると言い出したのです。それで、“これはいまこそ歌舞伎町に入るべきでは?”と思ったんです。

── どれぐらいの期間、撮影をされたのでしょうか?

柚木: 2017年冬からスタートし、今年の7月上旬までです。スマートフォンを使って自宅でも撮影していました。だからテレビに映せないような格好をしていたり……(笑)。でも、娘の私だから聞けること、撮れたものもあったと思います。

── 番組にはお母様とともに、柚木ディレクター自身も登場しますね。カメラの前に立つことに抵抗はありませんでしたか?

柚木: ふつうはあると思うんですけど、ディレクターという職業柄、私は人をメディアにさらす立場じゃないですか。だからもし、自分が出る必要があるならば出たほうがいいとずっと感じていました。テレビを見ていて「これはいったい誰の目線で語っているのかな?」と疑問を抱くことも多々あったので、未熟でもいいし、間違ってもいいから、ディレクター自身の目線や言葉のほうが伝わるものがあると考えたからです。これはいわゆるセルフドキュメンタリーと呼ばれる手法ですが、実は海外では、若手はまずセルフドキュメンタリーから作り始めるそうです。

 “いま”を生きている人びと
── 実際に歌舞伎町に足を踏み入れ、感じたことは?

柚木: 母が歌舞伎町を語るとき、「毒の持つ美しさ」という言葉がよく出てきます。悲喜こもごも合わせ、良いも悪いもごった煮ゆえの美しさ。確かに、狭くて古くて汚い部分もたくさん見ました。でもなぜか、それがなくなるかもしれない思うと、何とも言えない気分になりましたね。その言語化できないモヤモヤは一体なんなのか。比較的貧困層が暮らす地域が、再開発によって高級化し、しばしばもともといた人々を追いやってしまう現象をジェントリフィケーション(Gentrification)というそうです。番組では、その言葉を入り口にしつつ、母との会話や出会った人々との出会い、変わりゆく街の姿を通じて、そこを探っていきます。

── 撮影前に想像していた歌舞伎町と、実際の印象に違いはありましたか?

柚木: これまでは「飲んだくれ」や「ヤクザ」がたくさんいるんだろうなと思っていました。ところが、いまはエンターテインメントシティでわりとクリーン! 子ども連れや外国人観光客もたくさんいますし、意外と怖いものが見えてこなかった。こちらがお金や愛欲など、何らかの強い「欲」を持っていない限りは、きっと何も起こらないのでは? という感想を持ちました。
 それから、“人付き合いの街”ということもあわせて痛感しましたね。メールや電話ではなく、生身の人とのやりとりが大切な街です。取材も直接行って話をすれば通る場合が多かったり、母が長年知っているからこそお話してくださる方も多かったり、そこにいることが大事なのだなと。歌舞伎町って意外と狭いので、みんなお互いに顔を知っている。だから一人でも違う人間がいると、すぐわかるんですよね。

── 撮影中のエピソードを教えてください。

柚木: 2年近く撮影をしていたので、本当にたくさんの方々と出会いました。歌舞伎町でカメラをまわしていると、だいたい誰かが「何の番組?」なんて話しかけてくれます。「NHKのドキュメンタリーです」と返すと「そうなんだ、このカメラって種類は?」、「飲みに行こうよ」とか(笑)。ある日、放送日を聞かれてお伝えしたら、冗談を交えながら「1か月以上先だと“シャバ”にいるか、わかんねーわ」と言われたこともありました。良くも悪くも刹那的でいまを生きているのだなと思いましたね。いましか考えられないぐらい、切羽詰まっているとも言えるのかもしれません。

── 特に印象に残った人は?

柚木:「歌舞伎町俳句一家・屍派」という、夜な夜な歌舞伎町で俳句を詠み歩く集団のリーダー・北大路翼さんは強烈でした。北大路さんはプロの俳人で、彼がその場にいるとやかましくて、デタラメな空気が自然とできあがってくる。もちろん良い意味で、です。お話をしているとなんでも受け入れてくれるような、器の大きさを感じました。

“はぐれ者たち”の最後の牙城・歌舞伎町
── この番組の取材を通して、お母様との関係に変化はありましたか?

柚木: 母とは過去のことを含め、いろいろなことを話しました。今までは「お母さん、新宿で生き抜いてきてすごい!絶対にかなわない…」という風に思っていたんですよ。それがコンプレックスでもあった。だけど話していくうちに、自分との違いがよく見えてきました。尊敬は変わらないけれど、母には母の人生があって、私にも私なりの人生があると思えるようになりました。

「新宿の地下には主(ぬし)が住んでいて、人々の足音を食べて生きている」って、母はいまでも言うんですね。取材を通じてそれもなんだかわかりました。時空も超えたような摩訶不思議(まかふしぎ)な空間なんですよ、本当に。撮影を終えて街を出たとき、「あれ、私はどこに行ってたんだっけ?」と浦島太郎の気分になることもありました(笑)。

── 最後に視聴者へメッセージをお願いします!
柚木:「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」いうタイトルには、“はぐれ者たち”の最後の牙城であろう新宿・歌舞伎町は、東京で昔ながらの何かが残っている最後の場所…という思いを込めました。
 放送時間が99分と長い番組なので、それぞれのスタイルで楽しんでいただければと思います。私の母と年齢が近い方は、親の目線で子育てについて考えるかもしれませんし、「あぁこの逡巡(しゅんじゅん)わかるなぁ」と感じられるかもしれません。逆に私と同年代の30代前半の方や、それより若い世代の方々は、もしかすると私と同じく、自分への物足りなさやむなしさ、何かが欠けているかも…というモヤモヤを抱えているかもしれません。そういう方が少しでもスッキリしたり、ちょっとでも前向きになれたりしたら幸いです。この番組を通じて、“何か”を得てもらえたらうれしいです。


[写真-1]
柚木ディレクターと、母・佳江さん

[写真-2]
北大路さん(中央)と屍派のみなさん

NHK、2019.07.22
変わりゆく歌舞伎町を記録したセルフドキュメンタリー
2019年7月28日(日)[BS1]第一部 後9:00〜9:50、第二部 後10:00〜10:49
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=19538

(※)NHK総合、2020年7月25日(土)午後6:05〜午後6:35(30分)
新宿で一番古い麻雀店を45年にわたり経営している番組ディレクターの母。新型コロナの感染拡大で店は開店休業状態に。もう閉店するしか道はないのか、何十年も共に働いた従業員はどうなるのか…… ある夜母は家族を前にして決断を語った!何とか生き延びようと奔走する経営者の4ヶ月に娘であるディレクターが密着。思わず弱音をこぼし涙する母、毅然(きぜん)とした態度で決断を告げる母…… 日記形式で記録したセルフドキュメンタリー。

posted by fom_club at 06:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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