2020年07月11日

原武史

 1908(明治41)年に発表された夏目漱石の小説『三四郎』は、小川三四郎が大学に入学するため、九州から鉄道で上京する場面から始まる。
 山陽線や東海道線を乗り継ぎ、名古屋で一泊した翌日の列車の中で、三四郎は「髭(ひげ)の男」に出会う。
 第一高等学校の広田先生である。

「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」と言ってにやにや笑う広田を、三四郎は「どうも日本人じゃない様な気がする」と感じ、「然(しか)しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。

 すると広田はすました顔で、「亡(ほろ)びるね」と言った。
 三四郎は、車内で公然と日本の滅亡を予言する人間に出会い、慄然(りつぜん)とさせられたのだ。

 もちろんこれはフィクションだが、実際に列車に乗り合わせた客たちの会話を耳にして似たような衝撃を受けたのが、1932(昭和7)年5月に起こった五・一五事件に関与することになる思想家の橘孝三郎である。

 事件が起こる前、橘は車内で「純朴その物な村の年寄りの一団」と乗り合わせた。
 具体的な線名は記されていないが、橘は水戸郊外で私塾を営んでいたから、常磐線だった可能性が高い。
 彼らは以下のような話をしていたという(『日本愛国革新本義』建設社、1932年1月)。

―― どうせなついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに。
―― ほんとにさうだ。さうすりあ一景気来るかも知らんからな、所でどうだいこんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ。
―― いやそりやどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆても強いからのう。
―― そりや世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。(中略)
―― うむ、そりやさうだ。だが、どうせまけたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論(もちろん)こつちのものだ、思ふ存分金をひつたくる、まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい、かへつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ。

 昭和初期の車内でこうした会話が公然と交わされたこと自体、驚愕(きょうがく)させられる。
 会話を聞いた橘は、「皇国日本の為(た)め心中、泣きに泣かざるを得なかつた」と記している。
 五・一五事件に関わってゆく心境の一端がうかがえるとはいえないだろうか。

 注目すべきは、日米戦争の可能性を語り、敗戦後の日本まで予言していたのが、広田や橘のような知識人ではなかったことだ。
 実際の歴史は、「純朴その物な村の年寄りの一団」の見方が、必ずしも間違ってはいなかったことを証明している。


[写真]
五・一五事件の民間人被告を裁く刑事裁判で、変電所を襲った被告たちの所属する愛郷塾(塾長・橘孝三郎)を判事や検事らが実地検証した=1933年

朝日新聞、2020年6月20日 3時30分
(歴史のダイヤグラム)
「敗戦後」を予言した庶民
(原武史、1962年生まれ、政治学者)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20200618001264.html

原武史『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(増補新版、新潮選書、2019年5月)

「鉄道」「天皇」「団地」などをキーワードに、次々と話題作を発表してきた著者であるが、その出発点はあくまで政治思想史研究である。
 その意味でいえば、本書はまさしく著者の多岐にわたる関心の集大成とでもよぶべき作品である。
 東京西部、特急レッドアローの走る西武沿線の団地に、なぜ共産党が主導する革新的な政治風土が生まれたのか。
 著者のしかけた壮大な知的パズルを読み解くうちに、読者は戦後政治思想史に対するまったく新しい切り口を手にすることになるだろう。

 戦後思想の転換点といえば、誰もが思いつくのが1968年である。
 新左翼学生によるこの大変動を境に政治の季節は去り、日本社会は保守化と消費社会への道を歩むようになったといわれる。
 しかし、このような定番の説明に著者は異を唱える。
 実際、新左翼による攻撃にもかかわらず、共産党は1972年の総選挙で結党以来最高の議席を獲得する。
 その中心は都市部の選挙区であったが、とくに新中間階級が多く移り住んだ多摩地域での伸張は著しかった。
 なかでも西武沿線の団地自治会は、共産党の大きな拠点となる。なぜか。

 著者は思いがけない発見から、本書の叙述をはじめる。
 かつて自らも住んだ西武沿線の団地を歩くうちに、その風景がやはり同じ沿線の全く別の場所と似ていることに気づいたのである。
 それはハンセン病患者の病院であった。
 戦後、空襲による被害を免れた農村が広がるこの沿線には、病院と団地が次々に建てられた。
 周囲の農村とは切り離された、同質的なコンクリートの建物(スターハウスと呼ばれる建物が象徴する)が並ぶ二つの場所にはどこか共通性があった。

 そこから著者の想像力はさらに飛躍する。
 すなわち、この西武沿線の団地は、ソ連時代に作られた集合団地とそっくりだというのである。

 戦争による荒廃を受けたソ連では、社会主義的な平等の理念に支えられて、多くの人びとに住宅を供給するために団地が建設された。
 やはり戦争によって大きな被害を受けた東京でも、増大する都市人口を引き受けるために大型郊外団地が作られたが、その中心は西武沿線であった。
 両者が似たのはけっして偶然でない。
 しかし、これが意外な政治的帰結を生み出す。
 財産や知識、さらには世代という点で非常に同質性の高い住民は、通勤や子育てなどで共通の問題を抱えていた。
 これらを解決するために、住民はやがて自治会や運動を組織する能力を獲得していく。
 主役は女性たちであったが、その矛先は、沿線を支配する西武へと向けられた。

 ちなみに西武の総帥は、グループ内で「天皇」と呼ばれ、強烈な親米反ソの政治家としても知られる堤康次郎であった。
 そのような堤に率いられる西武が作った団地を舞台に、共産党が勢力を伸ばし、ついには堤がディズニーランドを目指して開発したレジャーランドのすぐ隣りで「アカハタ祭り」が大規模に開催されるに至ったというのは、歴史の皮肉である。

 しかし、ここに著者は大きな問題提起を行う。
 私たちの抱く政治思想は、実は思っている以上に、暮らしている住まいの形態によって規定されているのではないか。
 少なくとも東京の西部郊外に即していえば、住民意識というのは、行政区域よりもむしろ鉄道沿線ごとに形成されているのではないか。
 実際、著者が指摘するように、今日でもなお、西武沿線と東急沿線、さらに中央沿線では、政治意識に違いがあるように思われる。
 その意味で、共産党の支持基盤となった西武沿線(団地中心)の人口が減少・高齢化したのに対し、新自由主義が支持基盤とする東急沿線(一戸建て中心)の人口が増加していることは、この数十年の日本の政治地図の変化を説明するかもしれない。

 それにしても本書を通じて印象的なのは、著者の西武沿線の団地に対す愛憎半ばする態度である。
 前著『滝山コミューン1974』(講談社文庫、2013年11月)と同様、著者はこの地域にかつて存在した独特な雰囲気に対する違和を隠さない。
 とはいえ同時に、著者の叙述からは、この場所を舞台に展開されたかつての住民運動への共感も読みとれる。
 多様な読み方に開かれた本である。


波、2012年10月号
鉄道と団地がうんだ、新しい戦後思想史
(評者:宇野重規 うの・しげき、1967年生まれ、東京大学社会科学研究所教授)
https://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2012/10/201210_15.php

原武史『地形の思想史』(KADOKAWA、2019年12月)

 土地は歴史を記憶する。
 当事者も証言者もすでにいなくとも、そこに足を運ぶことによって、土地そのものが教えてくれることがある――。
 取材のためにさまざまな場所を訪ねた経験から私はそう実感しているが、本書によって、土地は歴史を「記憶する」だけでなく、「生み出す」ものであるという視点を与えてもらった。

 土地が歴史を記憶する、というのは比喩的な言い方だが、土地が歴史を生み出す、というのは比喩ではない。
 そこでなければ起こらなかった出来事、そこでなければ醸成されなかった思想。
 それらを生ぜしめたものとしての「地形」を、現場を歩くことで発見していく過程はたまらなくスリリングだ。

 右のポケットに地形図、左のポケットに年表をしのばせ(注・私の想像です)、探偵よろしく原さんが訪ねる現場は、
岬、
峠、
島、
麓、
湾、
台、
半島
の七つ。
 天皇の家族の物語が秘められた、浜名湖の名もない岬。
 天皇制と革命思想が対峙し、すれ違った奥多摩の峠。
 近代の「穢」と「浄」を背負わされた、瀬戸内海の二つの島。
 多くの宗教が拠点を置き、オウム真理教が世界最終戦争から生き残るための地として選んだ富士山麓。
 歴史の古層を突き破り、記紀神話の世界が顔を出す東京湾岸。
 戦時中に昭和天皇が『古事記』から名づけた陸軍士官学校の所在地・相武台。
 戦前のイデオロギーが冷凍保存されたかのような大隅半島――。

 どれも抜群に面白いが、圧倒されたのが、奥多摩の峠を描いた第二景「『峠』と革命」である。
 ここで原さんは、2013年に皇后(当時)が誕生日に際して発表した文章で「深い感銘を覚えた」として言及した「五日市憲法」を生んだ五日市を訪ねる。
 そして次に、峠を越えて、奥多摩湖に向かう。
 かつてここには小河内村の集落があったが、ダムの建設にともなって湖底に沈んだのだ。

 ここで語られるのが、小河内村にはかつて、日本共産党が反米武装闘争の一環として組織した山村工作隊が、ダム建設を阻止するために派遣されていたという事実である。
 若い党員たちは、村民は極貧の生活を強いられて山林地主を恨んでおり、ほとんどが党の味方と教えられていたが、現実は違った。
 村人たちは工作隊をおそれ、反感を抱き、あるいは敵意を抱いていた。

 メンバーが逮捕されて闘争は挫折し、やがて党は、1955年の第6回全国協議会(六全協)で、「農村から都市を包囲する」山村工作隊を誤りだったとして切り捨てる。

 ダム貯水池の建設に伴って取り壊された寺の、それだけが移築されて現存する楼門を原さんは見に行く。
 そしてその傍らに、山村工作隊の一員で、二度の逮捕後も活動を続け35歳で死去した岩崎貞夫という人物のために「同志」が建てた記念碑があるのを発見するのである。

 句読点の一切ないその碑文を読んで、首の後ろがぞくっとした。
 挫折や裏切りを示す語はひとつもなく、表面だけを読めば美しい追悼の文章なのだが、その美しさの底にある種の「圧」がある。
 それが怖い。
 原さんはこの碑文を「共産党本部に対する怒りが沸々と煮えたぎるような文章」と書いているが、この地に秘められた歴史を知れば、確かにそうとしか読めない。
 注目すべきは短い碑文の中に小河内の風景が書き込まれていることで、そのことにもどきりとさせられた。

 切り捨てられ、いまは誰も顧みることのない歴史が、数行の碑文の中に痕跡を残している。
 現地に行かなければ不可能なこうした発見が、本書にはいくつもある。

 このあたりは、いくつもの峠が立ちはだかる地形で、原さんも、大小の峠を越え、その地形と風景を描写しながら進む。
 急峻な峠はその両側にあるものを分断するが、同時に対峙もさせる。
 皇后がお墨付きを与えた民主主義のお手本「五日市憲法」をもつ五日市と、山村工作隊のアジトがあった小河内は、地図で見るとごく近い位置にあるが、その間には険しい峠が存在するのである。

 この旅の終わり、原さんは、大菩薩峠の山荘の食堂で、あるものを見る。
 そのくだりを読んだとき、ええっ! と声が出そうになった。
 そこに行かなければ決して気づくことのできない歴史の痕跡。
 岩崎貞夫の記念碑が山村工作隊にかかわるものだったのに対し、こちらは皇室にかかわるものである。
 それが何であったか、もちろんここには書かない。
 平成から令和に時代が移ったいまこそ、本書を読んで意外な事実に驚いてほしい。

 地理と歴史が交差し、ここと何処か、いまと過去が結びついては反転する面白さと怖ろしさ。
 歴史に対する決まりきった見方を一新してくれる、画期的な一冊である。


カドブン、2019年12月27日
山奥の顧みられぬ碑文が示した秘史とは!?
7つの地形が魅せる、いまと過去が結びついては反転する面白さと怖ろしさ!
 
(評者:梯 久美子、1961年生まれ、ノンフィクション作家)
https://kadobun.jp/reviews/7mad03vuedk4.html

※ 岩崎貞夫の碑(普門禅寺)

奥多摩湖.jpg

posted by fom_club at 08:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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