2020年07月10日

安田登「貧しさと恥」

 もう45年ほども前、1975年の話です。高校時代の先輩が東京のアパートで亡くなったという連絡をもらいました。
 餓死です。
 ちょうど上京した年の夏でした。
 当時の大学生は貧乏でした。私を含めて、親からの仕送りを当てにできない学生が多くいました。しかし、まさか餓死することもあり得るなんて、想像もしていませんでした。
 上京して最初に入ったアパートは3畳ひと間。縦長の長方形の部屋で、小さな座机(すわりづくえ)を置き、布団を敷くとそれで部屋はいっぱい。トイレは共同ですし、風呂もない。お風呂屋さんに行くのですが、毎日行くほどのお金はない。今だったら「くさい」と言われそうです。
 こたつもストーブもないので、唯一の暖房器具は「布団」でした。冬になると、いっぱい服を着こんで布団に入る。扇風機すらない夏はもっと悲惨でした。
 食事だって、インスタントラーメンにご飯というラーメン・ライスが基本です。アルバイトのお金が入った日は、インスタントラーメンをカップラーメンに変えるという贅沢をしました。
 友人たちはみな、そういう生活をしていました。
 それでも、餓死をする可能性は考えていなかった。

 しかし、よく考えれてみれば、あり得る話です。病気になってアルバイトができなくなり、食べるものもなくなれば、衰弱して動けなくなる。電話もない時代です。夏休みで、友人がみな帰省していれば、そのまま餓死して一か月後に発見されるということも充分考えられます。
「せめて餓死だけはしないようにしような」と、やはり帰省できない友人と、互いに安否を確認しあう約束をしました。

 大人になった今は、日本では餓死することはない、ということを知っています。生活保護という制度があるからです。
 それなのに、毎年の厚労省の統計の中から、餓死や栄養不足による死が消えることはありません。
 餓死された方の中には、生活保護を申請したのに受けられなかった方もいます。あるいは打ち切られた方もいます。しかし、遠慮して生活保護を申請することすら躊躇(ちゅうちょ)するという方も少なくありません。
 知人の中にも苦しい生活をしていながら、「自分のようなものが国からお金をもらうのは申し訳ない」とか、あるいは「生活保護を受けることは恥ずかしい」という人がいます。ネットなどでは生活保護者のバッシングもあります。
 生活保護を受けることの恥ずかしさ。そして、それ以前に貧乏に対する恥ずかしさがあるのです。
 そして、それは貧困に対する、意識・無意識の差別からきます。

日本人は恥に弱い

 貧困への差別は日本にもありますし、世界中にも存在します。この問題を何とかしなくては、安心して「優雅な貧乏生活」なんて送れません…といっても、本連載は社会派アプローチとは違う方向からお話をしていきます。
 貧困による差別は個人の問題にとどまらず、家族、地域、あるいは国家の問題として現れます。国家が貧しいと、国民の多くが恥ずかしくなったり、卑屈になったりするのです。
 日本人は特に「恥」重視し、そして「恥」に弱い国民です。
「見てはいけない」といわれたのに見てしまうという神話があります。これらは「見るなの禁忌」の類型神話と呼ばれ世界中にあります。ギリシャ神話のオルフェウスの冥界下り、旧約聖書のソドムの話、そして日本のイザナギ命(ノミコト)の冥界下りなどなど。
 この中で日本の神話では、見られてしまった妻イザナミ命(ノミコト)は「よく私に恥をかかせたな(吾に恥見せつ)」といって夫イザナギを追いかけます。
 日本最古の物語に、すでに「恥」が出てきます。

 また、太平洋戦争中に日本を研究したといわれる『菊と刀』においてルース・ベネディクトは、日本人が恥を重視することについて次のように書いています。
日本の生活においては、恥が最高の地位を占めている。恥を深刻に受け止めるあらゆる種族や民族について当てはまるのだが、恥が最高の場を占めているということはとりもなおさず、だれもが自分のおこないに対する世評を注視するということである。
(光文社文庫:角田安正訳)

 自分の行いに対する世間の評判を注視するのが、恥を深刻に受け止める種族や民族だとルース・ベネディクトは書きますが、日本においては世間の評判には「世間様」という人格すら与えられ、時にはそちらに顔を向けることすらできないはずだなどといわれます。

 そんなに世間や恥を重んじる日本人ですから、世界中から貧乏国といわれるようになったら、恥ずかしさで多くの国民は劣等感まみれになり、卑屈(ひくつ)になってしまうでしょう。
 かつて、このような劣等感を日本人は、少なくとも三度は体験しました。
 一度目はおそらく飛鳥時代。次に明治維新直後、そして太平洋戦争後です。

 圧倒的な物質と文明の前にひれ伏した日本人は、まずはそれを受け入れるために卑屈になります。明治時代のそれは、鹿鳴館(ろくめいかん)などを風刺したジョルジュ・ビゴーの絵によく現れますし、戦後のそれは米兵に対するギブ・ミー・チョコレートやアメリカ文明礼讃時代など、記憶に新しいでしょう。

 しかし、やがてその恥らいから脱却するために「日本すごい!」とか「日本ナンバーワン!」なとどいう論調が現れ始めます。いまは、その只中にいますね。

貧困国 中国

 さて、貧困国という蔑視に、とても長い間、耐えた国があります。中国です。
 今や経済大国といわれている中国ですが、ほんの少し前までは貧困国と言われていました。
 昔は中国も貧困国ではありませんでした。その文化的恩恵を、日本をはじめとするアジアの国々は享受してきました。唐の都、長安はまさにグローバル都市。アジアのみならず世界中の人々、文化が集まる、世界有数の交易都市であり、文化都市でした。

 そんな中国に貧困のイメージがついたのは、善政を敷いたことで有名な清王朝の康熙(こうき)帝(在位1661〜1722年)の治世後からだといわれています。康熙帝の善政が人口の爆発的増加を招き、皮肉なことに貧困を招いたのです。
 康熙帝のあと三代に渡って善政が敷かれた中国(清王朝)でしたが、アヘン戦争をきっかけにヨーロッパ列強や日本によっていくつか都市がその支配下に置かれるようになります。欧米列強や日本は、中国の富を吸い上げてさらなる貧困に追い込むだけでなく、公園の入り口に「犬と中国人、入るべからず」と書いて、その入場を禁止するなど、中国の人たちを差別し、苦しめました。
 第二次世界大戦後にようやく列強の支配からは脱しましたが、それでも貧困は続き、康熙帝の治世から数えれば300年近くも貧困国という蔑称に耐え続けてきたのです。

 20年ほど前、知人が某企業の上海支店の支店長として赴任していたときがあり、彼のもとを訪れたことがありました。
 そこは中国でありながら、幹部のほとんどは日本人。
 現地の人たちの多くは、下層の労働者として使われていました。
 中国が世界第二位の経済大国になった今でも、中国の人たちに対する偏見や蔑視は、中高年の日本人にはまだ根強く残っています。
 外国人技能実習制度で受け入れた中国の人たちを見下している人は、今でも少なくありません。

中国版「優雅な貧乏生活」

 10年ほど前に、中国の杭州(こうしゅう)に行きました。
 その頃の中国は、貧乏な国からリッチな国への過渡期にありました。
 日本に爆買いに来るような富裕層と、まだ貧しい暮らしをしている人たちが混在していました(今でもですが)。

 杭州には西湖という景勝地があります。西湖遊覧の船に乗りました。
 お客さんは着飾ったリッチな中国人観光客が中心です。船内アナウンスが見所を告げると、その人たちは大声をあげながら我先にとそちら側に移動するので、船は何度も傾きます。
 その中に、他の人たちから比べると質素な服装の父娘がいました。娘さんは小学校の中学年ほどの年齢。ふたりは船内アナウンスに左右されることなく、船外で静かな声で会話をしています。近づいて聞いてみると、お父さんがたとえば「水光瀲艶」と口ずさむと、娘さんが「晴方好」と答えています。
 杭州といえば政治家であり詩人でもあった蘇軾の作った蘇堤で有名なところ。
 杭州観光に来るならばと、お父さんは娘に蘇軾(そしょく)の詩を教え、そしてここでその詩の暗誦をしていたのです。
 日本人親子で、奈良を訪れ、万葉集の長歌を口ずさみ合う親子がいるだろうか、と思いました。

 彼らは、いまの経済発展にはついていけない人たちでしょう。
 しかし、名所に行っては、その景物を讃える歌を詠み、おそらくは日常の中にも詩を作り書画を配し、日本でいう「もののあはれ」を知る人たちではないでしょうか。
 それがあれば貧乏だってへっちゃらです。
 彼らこそ「優雅な貧乏生活」を実践しています。

貧しくなる日本

 ここで、日本に目を向けてみましょう。
 日本の経済情勢を分析する対日報告書が、国際通貨基金(IMF)によって今年2020年の2月に公表されました。
 それによると、少子高齢化の影響で40年後の日本では、実質国内総生産(GDP)は25%下振れする可能性があるとのことです。

 GDPが25%減というのはどのくらいか。
 いまがちょうど実感しやすい時期です。
 日本経済研究センターが6月16日にまとめた民間エコノミスト35人の経済見通しによると、新型コロナ禍による4月から6月のGDPは前期比年率で23.02%減になると予想されています。

 25%減というのはそれよりも大きい。
 しかも、日本の借金は年々膨らみ続けています。
 住宅ローンが膨らみ続けるのに、年収が4分の1削られるのに等しいのです。

 そのIMFはこの4月に、新型コロナ禍によって世界は劇的に変わり、リーマン・ショック直後を超えて、およそ100年ぶり、世界大恐慌から後では最大の景気後退になるとの見通しを発表しました。

 貧民ゲームと同じく、その影響は負けている国に大きく出ます。
 日本も残念ながら、負けチームの一員です。
 よほどのことがない限り、これからの日本は経済的には衰退の一途をたどります。
 IMFの予測より早く、十年後、いや数年後にはいわゆる貧困国といわれる可能性だってあるのです。

 その波をすでに感じている人も多いでしょう。そして、それは今回の新型コロナ・ウィルスの流行によって加速さています。

 日本が貧困国として世界から差別される日も遠くないかもしれません。

貧困への差別


 最初に書いたように、私たちが若い頃、日本にはまだ戦後の貧困の名残(なごり)がありました。だから、これから貧乏になっても、あのころに戻るだけなので平気かもとも思うのですが、以前と違うのは、一度裕福な状態を体験してしまったので、日本全体の貧困に対する差別感情が以前よりも強くなってしまったことです。
 暖房も冷房もなかった大学時代と違い、いまはエアコンのある部屋に住んでいます。三度の食事だって困らない。

 しかし、これは単に「運」の問題です。
「いや貧困は努力と資質の問題だ」という人がいます。
 そのためか、あらゆる差別の中で最後まで残ってしまうのが「貧困」への差別です。
 この差別の一番の問題は、それを差別であるとすら意識しない人が多いということです。
 たとえば5つ星のホテルに泊まりに行って、その国籍や人種を理由に宿泊を拒否されたら「差別」として問題になります。そのホテルはマスコミやSNSでめちゃくちゃ叩かれるでしょう。
 しかし、ホームレスの人が「お金がないけど、泊めて」といって「ダメ」と断られても、これを差別であると思う人はほとんどいません。いや、変だとすら思わないかもしれない。

 それがこの差別の根深いところです。
 たとえばこれが医療だったら…。
 難病にかかっている。治療法はある。でも、治療費が高い。貧乏という理由だけで、その治療が受けられず、座して死を俟(ま)つ。
 いまはこれも「当然」、あるいは「しかたない」ですまされていますね。
 でも、本当は変でしょ。
 命までもがお金があるかどうかで左右されるのって。
 医療に関しては、「それは問題だ」という人はいます。
 しかし、貧乏な人が5つ星ホテルに泊まれないのは変だとは思わない。
 それは当然、しかたないと思ってしまう。
 これは本質的には同じ問題です。

貧しさを知る

 貧困はよく「努力」の問題にすり替えられます。「あいつは若い頃に努力をしなかったから貧乏なんだ」と。
 日本は貧乏でしたが、私が育った地域はとりわけ貧乏でした。
 保育園のときに、先生から「保育料を払っていないからお母さんに伝えてね」ということをよくいわれました。友人たちもみんなそうだったので、恥ずかしいと思ったこともなければ、むろんトラウマになんてなりません。
 小学校に入学しました。給食はまだなく、お弁当です。貧困でお弁当を持ってくることができない子もいます。先生は、そういう子のためにお弁当を作り、そして家庭からお弁当を持って来た子も一緒に、分け合いながら食べました。
 うちも保育料を払えないくらいには貧乏でしたが、それでも周囲の家よりはましでした。三度のご飯だけでなく、おやつもありました。手作りのおやつです。祖母が余ったお餅を揚げて揚げ餅を作ったり、近所に蓬(よもぎ)を摘(つ)みに行って草餅を作ったりしました。そうすると必ず「近所の家に持って行きなさい」と言われました。
 ご近所からは、釣って来た魚をいただきました。

 お風呂がある家も少なかったので「もらい湯」です。テレビも持っている家は一軒だけだったので、みんなで集まって見ました。子どもたちは、そこで宿題もしました。

 そんなに貧しくても、乞食(こじき)の人に渡すための小銭がお勝手の棚には置いてありました。
 貧しいながら、持ちつ持たれつで生活をしていたのです。これも「優雅な貧乏生活」です。

 私が通っていた中学校の高校進学率は40パーセントを切っていました。漁師町だったので、高校進学といっても、多くの生徒は水産高校や商業高校に行きました。
 その中で私は普通高校に進学しました。
 そこで、はじめて貧乏を自覚しました。そして、それに恥ずかしさを覚えました。

 言葉遣いも違う。食べ物も違う。ライスカレーではなく、カレーライスを食べている。それにカツを乗せるカツカレーなんていうものも知っている。喫茶店にも行く。それも、コーヒーだけでなく、イチゴパフェというおしゃれなものも食べている。
 また、漫画本以外の本を読んでいるのも驚きました。芥川賞を取った小説を読んでいる同級生もいる。人によっては哲学書も読んでいる。レコードも持っているし、いろいろな音楽を知っている。
 うちのめされました。
塾に行っている同級生もいるし、東京の予備校に通っている奴もいる。
 私が育った漁師町には塾もなかったし、予備校に行くなんて考えたこともなかった。テレビでは、塾や家庭教師などが出てくるので、そういうものがあるというのは知っていました。学校でわからなかったことも教えてくれるなんて、「まるで魔法だ!」とあこがれました。

 しかし、自分とは無縁のものと思っていました。海外のセレブのニュースを見ても、自分とは無縁だと思うように。その頃は貧乏であっても、塾に行ってなくても何でもなかった。

 それが高校に入って、はじめて自分が貧乏であったことを意識し、そして恥ずかしさを覚えたのです。

* * *

 ところがラッキーなことに、私が高校時代をすごしたのは1970年代初頭でした。
 雑誌『ガロ』などの漫画や寺山修司などが読まれていて、貧乏であることや、田舎出身であることって実は素晴らしいことだと知ります。
 永島慎二の漫画『フーテン』の中にこんな場面がありました。
 新宿で騒いだフーテンたち。やがて夜が明けます。
 主人公のダンさんこと長暇貧治(むろん永島慎二)は、フーテン仲間のカッコという女の子を誘います。
「おれ これから山手ホテルで一眠りの一眠りなんだ つき合わないか!」
 カッコは軽く…
「うん たまにはダンさんと山手ホテルにしけこむのもおつねッ! いいわ!」

 山の上ホテルならば早熟の同級生から聞いたことがある。文豪ゆかりのホテル。「そんな金銭的な余裕があるんかい」とツッコミを入れながら読んでいると、ふたりは電車に乗る。そして眠る。
 ふたりが行ったのは「山の上ホテル」ではなく「山手ホテル」だった。そして、「山手ホテル」は山手線のことでした。
 肩を寄せ合って眠るふたりの両隣には通勤・通学の人びとが座る。座ることができずに吊皮につかまる人々が増えていく。電車はとうとう満員になって、押し合いへし合いする人びと。社会という高速回転する時間の中で、静止画のように静かに眠るふたり。世間の荒波の中で、浮き輪につかまりのんびり浮遊するふたり。

 見方を変えれば山手線だって「山手ホテル」になる。そうか! こんな手があるんだと思いました。

 そして、のちに古典に親しむようになり、そのような「見立て」、特につらいことをお笑いによって見立てる方法が江戸時代の俳諧(はいかい)師たちによってなされていたこと知りました。このことについてはまた改めて紹介しますね。

あさひてらす 朝日出版社ウェブマガジン、2020.07.06
貧しさと恥
(安田登)
https://webzine.asahipress.com/posts/3788

posted by fom_club at 09:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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