2020年07月09日

小池百合子「新型コロナ対応に忙しくて、選挙どころではないんです」

耳障りがいいだけの言葉が飛び交っています。
コロナ禍においても、実際の感染者数やどれくらい休業が続くのか、補償はどの程度出るのかと言ったことが知りたいのに、「ロックダウン」や「オーバーシュート」のような聞き慣れない横文字ばかりが目に付きます。
今回の武田砂鉄さんは新刊『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年7月)を上梓した記念に、小池百合子の「わかりやすさ」について論じていただきます。

小池都知事を見習い、自著の宣伝につなげる


 東京都知事選挙で圧勝した小池百合子は、「新型コロナ対応に忙しくて、選挙どころではないんです」という態度で選挙に臨んだ。
『IPPONグランプリ』(https://www.fujitv.co.jp/ippon/)ばりの頻度で緑色のパネルを掲げ、「異例の感染症対応に勤しむ自分」と「従来の選挙活動で必死になっている候補者」を比較させることで、自分でなければならない必然性を高めていった。

 従来の選挙であれば、「変えましょう!」と声を張り上げたライバルに対し、「その必要はありません!」と応じる必要があるが、今回は「変えましょう!」に対して、「ちょっと今、それどころではございません」と逃げた。
 どんな事象でも自分の利益に変換しようと試みる彼女に通底する態度くらい見抜きたいものだが、今回ばかりはその姿勢を見習い、小池百合子を論じることで自分の利益を得る、つまり、発売したばかりの自著『わかりやすさの罪』の宣伝につなげようと思っているのだ。

ただただ、力強く言ってみただけ

 今、「わかりやすい」って、おおよそ褒め言葉として使われている。
 新たに「わかる」ことは確かに喜ばしいこと。
 理解が加わる状態が「わかる」だが、でも、昨今の世の中でもてはやされる「わかりやすい」って、「それさえ知っておけば、あとはもう、追いかける必要のないもの」だったり、「時間をかけずに全体像を教えてくれるもの」だったりする。
 つまり、これ以上、議論を巻き起こさないために、強引に交通整理する行為が「わかる」になっている。
 この1冊を通し、その危うさを論じてみた。

 強引な交通整理を繰り返したのが、新型コロナウイルスが感染拡大する中で、「今はこういう状態です」「これからはこんな感じでお願いします」とスローガンを撒き続けた小池百合子だった。
 一気に並べてみる。

・ 「ロックダウン(の可能性)」(3月23日)、
・ 「オーバーシュート(の懸念)」(3月25日)、
・ 「『密閉』『密集』『密接』の3つの密を避けて」(3月30日)、
・ 「STAY HOME」「STAY IN TOKYO」(4月23日)、
・ 「ウィズコロナ宣言」(5月29日)、
・ 「東京アラート」(6月2日)、
・ 「感染拡大要警戒」「夜の街要注意」(7月2日)
である。

 どれも力強い発声、自信満々な発表だが、それぞれを冷静に振り返ると、これ、ただただ、力強く言ってみただけである。

わざと雑にする

 皆が不安にかられているなか、動じない私を保つ。
 その私を更新し続けるために、次から次へと強い言葉を振りまいていった。
 もっとも批判を受けた「東京アラート」が象徴的なように、言ったところでどうなるわけでもない言葉であっても、「言ってみた私」という状態を維持することはできる。
『わかりやすさの罪』の中でも、「わざと雑にする」と題した章で、小池の言動を取り上げている。

 わざと雑にする、とはどういうことか。

 小池百合子は、関東大震災の発生後に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式について、この数年、追悼文の送付を見送るようになった。
 隣国に対する差別発言を続けてきた石原慎太郎でさえ送っていた追悼文をやめたのだ。
 追悼式を主催する市民団体が、もう一度考え直して欲しいと署名を提出したが、小池は、追悼式と同じ日に開かれる大法要ですべての犠牲者に追悼の意を表している、との考えを崩さなかった。

 東京都のウェブサイト「知事の部屋」(2019年8月9日)の記者会見の文字起こしに、こんなやりとりが残っている。

【記者】 共同通信の清です。毎年9月1日に開かれている関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式なんですけれども、これに追悼文を寄せられるご予定はありますでしょうか。

【知事】 昨年と同様で、その予定はございません。

【記者】 理由をお聞かせ願えますか。

【知事】 それは毎年申し上げてるとおりでございまして、毎年9月と3月に横網町の公園内の慰霊堂で開かれる大法要で、関東大震災、そしてまた、さきの大戦の犠牲となられた全ての方々への哀悼の意を表しております。大きな災害で犠牲になられた方々、そして、それに続いて、さまざまな事情で犠牲になられた方、これらの全ての方々に対しての慰霊という、その気持ちには変わりがないということでございます。

議論をせずに結論を投じる小池

「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって虐殺された人たちを、震災で亡くなった人とひっくるめて追悼するのだという。
 加藤直樹『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ころから、2019年7月)に詳しいが(ヤッホーくん注)、このところ、ネットを中心に、震災後、「虐殺はなかった」「本当に暴動を起こした」との主張が拡散されるようになってしまった。
 小池はなぜ、こんなに雑な判断をするのか。
 わざと雑にしているのである。
 わざと雑にしておくことで、極端な意見がすくすくと育っていく。
 育っていく様子を放置する。

 本書の中でもそれなりにページを割いているが、いわゆる池上彰的な「わかりやすさ」は、ひとまず議論の入り口に立たせるのだが(いつまでこのわかりやすさに頼るのだろうとは思うけれど)、小池百合子の「わかりやすさ」は、その場で議論を停止させる。
 先に並べた、コロナ禍に投じられたスローガンの数々を思い返して欲しいが、議論の活性化ではなく、議論を停止させるための言葉の連呼だった。

 どんな局面でも「わかりやすさ」が問われるようになってきた。
 こうなると、議論が煙たがられるようになる。
 いちいち話し合ってないで結論をちょうだいよ、と欲する。

 小池は、結論を投じるのがうまい。
 決して議論で解決しているわけではない。
「今、こんな感じです」とわかりやすく投じ続ける。
 コロナはスローガンでは退治できない。
 でも、「なんかいろいろとがんばっている気がする」を作ることはできる。
 実態は伴わない。
 この罪深き「わかりやすさ」を放置していいのだろうか。


ワダアキ考〜テレビの中のわだかまり〜、2020年7月8日
小池百合子の「わかりやすさ」の罪
(武田砂鉄)
https://cakes.mu/posts/30735

(ヤッホーくん注)TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち

 本書のサブタイトルに「なかったことにしたい人たち」とある。
 この存在が可視化されたのが、「あいちトリエンナーレ」の企画展『表現の不自由展・その後』の中止、という帰結ではなかったか。

 加害した過去を受け止めて平和を問う機会を、公権力が奪う。

「平和の少女像」などの展示を「自国ヘイト作品」と位置付ける芸能人まで現れた。
 表現の自由、女性の権利、それらを獲得するための長い歴史に、どこまでも無理解を貫く。
 でも彼らは、無理解を維持することで「なかったことにしたい」のだ。

 2017年、小池百合子都知事が朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文送付を取りやめた。
「個別の対応」をせず、全ての震災犠牲者に哀悼の意を表した、という。
 その判断が下される少し前、自民党都議が、追悼碑に刻まれた朝鮮人の虐殺犠牲者数について、「政治的主張」と述べた。
 その都議が論旨の骨格とした一冊が、工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版、2009年12月)だった。

 1923年9月に発生した関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって多くの朝鮮人が虐殺されたが、近年、ネットを中心に「虐殺はなかった」などの主張が拡散されるようになった。
 この動きと小池の判断は、不気味に響き合っている。

 当時の新聞からネットの書き込みまで、通説をすべて引っ張り出して検証する執着に圧倒されるが、放置すれば「諸説あってはいけないのですか?」「悪いことをした朝鮮人もいた」などの曖昧な言い分と共に、「なかった」が増幅する。

 前出の工藤による書を入念に読み解き、「認識の誤り」ではなく、意図的に仕向けられた「トリック」だと明かす。
 無知ではなく、詐術によって歴史の土台を崩そうとする声が重なる。
 強引に仕立てられた説に、公権力が興味津々に近づいていく。
「なかったこと」にしてはいけない。
 その地点に何度も立ち返り、虚偽を残らず削り取ってみせた。


評者: 武田砂鉄 / 朝⽇新聞「好書好日」掲載:2019年08月17日
https://book.asahi.com/article/12633321

posted by fom_club at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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