2020年05月28日

武田久吉「君、そのショットは良くない」

 この武田久吉と尾瀬で出会って影響を受けたのが中沢新一(1950年山梨県生まれ。明治大・野生の科学研究所所長)!

―― お父さんは在野の研究者だったそうですね。

中沢: 紺屋もしていた生糸農家の出身です。
 旧制中学の時、宮沢賢治の影響を受けた教師から『学問は働きながらやるものだ』とふき込まれ、家族の反対を押し切って、本当に中学を中退し技術者として働きだしました。
 登山好きの父が尾瀬でミズバショウを撮っていると、『君、そのショットは良くない』と声をかけた人がいました。
 高山植物学の権威、武田久吉博士です。
 父は武田先生と懇意になって活動を共にするうちに、民俗学の方法を学んで石仏を研究し始めます。

―― 子供の目に映るお父さんはどんなふうでしたか。

中沢: 熱心な共産党員だった父は、私を自転車の後ろに乗せて地域の会合によく連れ出しました。
『これが中沢君の息子かぁ』とひとまず驚かれると、すぐ議論が始まります。
 私には何を話しているのかさっぱりでしたが、大人たちの本気の姿に圧倒されました。
 父は戦後に民俗学を離れ、市会議員を務めるなど政治に没頭しましたが、党内闘争で除名され2、3年意気消沈していました。
 そんな父を見るのは私もつらかった。
 父が石仏の研究を再開したのはそれからです。

―― 研究を手伝うこともあったのですか。

中沢: 高校生になっていた私は毎週のように父と自転車や電車で県内の石仏を巡り、石仏の地図を作りました。
 助手役でしたが、楽しかったですね。
 私が大学生の頃、父は民衆が権力への抵抗のために投げる石、いわゆる『つぶて』を研究していて、私も大学図書館で外国の資料を探しました。
 互いに刺激し合う研究仲間のような関係でした。

―― お父さんから影響は受けましたか。

中沢: 高校生の時、日本の大学に行きたくないと父に漏らしたことがあります。
 父は『大学で基礎的な勉強はしておけ』と言い、ソ連(当時)の大学の入学書類まで取り寄せてくれました。
 学問のレールを自ら絶ち、その苦労を知っていたから心配してくれたのでしょう。

―― 東大に進み、宗教学を学びます。

中沢: 父が地べたをはって調べる様子を見ていたから、民俗学は大学で学ぶものではなく、アマチュアの学問でいいと思いました。
 それで宗教学を選んだのです。
 父は約40年前にがんで亡くなりましたが、その時のことが不思議なんです。
 チベット仏教の研究でネパールの山中にいた私はある日、郵便ボックスを開ける夢をみました。
 胸騒ぎがして首都のカトマンズまではるばる下り郵便を確認したら、父危篤の電報が来ていた。
 急きょ帰国し、亡くなる前日に会うことができました。
 病床の父が最後に私にかけた言葉は『どこかに就職できたらいいね』でした。


日本経済新聞・夕刊、2020/3/17
それでも親子
学問の道絶った父「大学は行け」
宗教学者 中沢新一さん

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO56652850R10C20A3KNTP00/

 幕末から明治維新にかけて、英国の対日外交を担い、徳川慶喜から、後に明治政府を担うほとんどの人物と交友を持ち、その時代、多大な影響力を持ったアーネスト・サトウの膨大で貴重な日記があるのだが、その日記に、当時の江戸の人びとの気質を災害の後の対応に描いた一節がある。

―― 江戸は地震をはじめ、自然による災害が多いのだが、なによりも頻繁に大火が起きては、木造建築だから、あっという間に町を焼き尽くして、焼け野原にしてしまう。驚くのは、あっという間に蘇生してしまうエネルギーである。町の風景は、焼失して、一面、焼け野原のようになって、大きな被害を受けるのだが、大火がおさまった翌日になると、朝早くから生き残った人々は、一斉に大火の後始末に走り出し、普請を始める。そこには落胆といった空気が感じられない。あっという間に、町々を再建させてしまう。悲嘆して、茫然とすることもなく、すごい活気で、翌朝から活動する。その素早い対応ぶりは、世界のどこにもない気質である。瞬時に、復興へのエネルギーが湧いて活動に取り掛かれる人々は、世界にも例がない。それにしても、これだけのエネルギーがあるのなら、大火が起こらないような対策を真面目にすべきである

―― 大筋、そんな意味の文章だった記憶がある。災害が起こるたびに、サトウの描いた当時の江戸の人びとの「災害にもめげない。なによりも復旧に向かう」という江戸末期の人びとの行動というか、まずは「めげない」エネルギーのことを思い出す。悲観している暇があったら、なにより、復旧活動に移るという精神である。一方、繰り返される大火に対する抜本的な対策を講じないことに、呆れてもいる。

 2018年、この夏、改めて、「災害国日本」という実感をする。
 記録的な高温、集中豪雨、夏の終わりは、強烈な台風、そして北海道を襲った地震、この夏は、天災に振り回され続けた日本である。
 災害との付き合いにおいて長い歴史を持つ日本では、河川の氾濫や地震対策等々、インフラ整備は世界的にもきわめて高いレベルにあることは間違いがないのだが、それでも、従来の閾値(しきいち)を超えるような集中豪雨等の自然現象に襲われると、周到なはずのインフラが壊れ、大きな被害を引き起こすことになる。
 想定を超えるといった場合、予測不能な想定もできないほどの天災かと言えば、数百年に一度、あるいは、従来、経験のなかったような事態が生じるということである。
 最近の地球規模の温暖化は、まさに「経験がない」という自然の脅威が増幅し、その結果、想定範囲を超える被害をもたらすことになる。
 江戸の人びとのように、まずはなにより、手っ取り早く、被害の片づけをし、安普請でもなんでも、取りあえず、住める環境づくりに、性懲りもなく、踏み出すのがいいのか、悲嘆にくれながら、抜本的対策の議論に進むのか、時代が変われば、当然のこと、人びとの反応も違う。
 明治以降、営々として積み上げ続けているインフラ整備も、増大する自然の脅威に対抗しきるのは、大変なことである。

 一方、大きな被害をもたらした状況を見ると、案外と、単純な対策が抜けていて、その綻びが被害を大きなものにしてしまうことが間々ある。
 東日本大震災で言えば、福島の原子力発電所の電力が多系統となっていなかったことに驚いたりした。
 もちろん、電力系統がいくつかに分散されていれば、原子力発電所の冷却が可能であったかどうかについては、専門家の調査で知るしかないのだが、素人の眼から見れば、「まさか」といった配慮漏れがあったのではないかと思ったりする。
 今回の北海道の「平成30年胆振東部地震」によって、295万戸に及ぶ広域が停電に陥った事態について、改めて驚いたのは、ひとつの発電所が、過半の電力供給を担っていて、その発電所が稼働できなくなることで、全域の停電につながったということらしい。
 緊急時における、本州からの十分な電力供給体制ができていなかったのも、考えてみれば、「何故?」と思うのだが。
 人間の為すこと、どこかしら、小さな穴があって、全てを完璧に予知し、あらかじめ対策を講じておくべきだというのも、無理なことに違いないのだが、心配なのは、既成概念にとらわれて、単純で肝心なことが抜けたりして、それが被害を広げてしまうことである。
 毎年、地盤の沈下が続くことが、計画段階から想定されている関西空港の閉鎖は、また違った問題で、災害を引き起こすほどの自然現象の脅威に対応するのは、大きな難題であり続けることは間違いない。

 この7月、豪雨によって、100人を超す死者を出した広島の土砂災害は、また、別な課題を浮かび上がらせている。
 記録的な集中豪雨が原因には違いないのだが、被害を出した地域を見ると、ほとんどが、昭和40年代に住宅地として造成・開発された地域である。
 山間部が大きな面積を占める広島の場合、広島市の中心部に近い山間の地域が次々と開発されたのだが、想定を超える降雨があった場合、土砂災害が起こる可能性については、予見されるはずだったと思うのだが、今更の話である。
 周知のように、日本の河川は、川底が浅く、山間部に豪雨があった場合、山間部の川は、川というより、滝に化すことは、よく知られている。
 また、山間の土地も土砂災害についても同じである。
 住宅地の造成・開発についても似たような現象が生じることは、すぐに想定されることである。
 例のない集中豪雨が、今後ますます頻繁に起こり、その集中豪雨の雨量も、経験値のないものとなることが予想されるだけに、その予防対策は難しいにしろ、該当する地域に対しては、災害警報、被害警報などを充実させる方策によって、人命等の被害を最小にする対策を、いち早く実施すべきで、ネット社会がここまで発展している状況を考えると、従来とは比較にならないほど迅速に周知させることで、避難の方法も進化することは疑いない。
 いうまでもなく、インターネットのそもそもの歴史は、大陸間弾道ミサイルの攻撃によって、ある地域の通信が不能となった場合でも、無数の迂回路を確保することによって、通信断を避けようとする試みから研究が始まったともいえる通信システムなのである。
 年齢や地域によってデジタルに対するリテラシーの差があるといっても、緊急避難対策として、大きな障害となることはないはずである。
 適切な施策さえ決めれば、その対応は、すぐにも実現できることはたくさんあるはずだと思うのだが。

 ただし、インターネットを利用するための基盤が、電力供給にあることは、改めて、言うまでもない。
 広域にわたる停電は、北海道のインターネットのトラフィックを一気に下げたのである。
 日本は、世界で最も停電がない国である。
 電力こそ、もっとも重要なインフラ基盤であるというのは、ITの世界でも同じである。
 IT産業の発展が、今後とも電力需要をけん引することは言うまでもない。


日本経済新聞、2018/9/11 6:30
災害の歴史を乗り越えてきた日本だが
(鈴木幸一 IIJ会長)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35156760Q8A910C1000000/

posted by fom_club at 21:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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