2020年05月23日

渡辺えりが主宰するオフィス3○○の舞台『私の恋人』

「占いで、今年は決断の年と言われたの。10年間は安泰だって」

 2019年4月上旬、都心の高級ホテルのロビーで独特の低い声が響いた。
 同じ劇団に所属する俳優で夫の土屋良太(51)と4月1日に離婚を発表したばかりの、渡辺えり(64)だ。

 2人が結婚したのは1996年。
 渡辺が旗揚げした劇団内でご法度だった恋愛で、彼女からプロポーズ。
 当時、13歳の年の差婚が話題になった。

「結婚後も2人の収入格差は埋まらず、願っていた子どもを授かることもありませんでしたが、それでも2人は一緒にいることを選びました」
(芸能関係者)

 円満だった2人の、突然すぎる熟年離婚。
 夫婦の間に何が起こっていたのだろうか。

「2013年に、えりさんと27歳年下俳優の不倫が報じられたんです。お相手の吉田侑生さん(37)は、夫の土屋さんと同じ劇団員で、えりさんの運転手や荷物持ちをしていました。この報道を受けて、土屋さんは自分より若い俳優と親密になったことにかなりショックを受けたそうです。報道後、土屋さんは自宅近くにマンションを借り、別居生活が始まりました。それからも土屋さんが別宅マンションにいる時間が増え、この4〜5年はずっと上手くいっていなかったようです」
(劇団関係者)

 本誌が都内のホテルで渡辺を目撃した日、打ち合わせをしていた男女2人はどうやらリフォーム業者だったようだ。
 デザインパターンを見ながら、壁紙や床のタイル、木材などについての説明を熱心に聞いていた。

 彼女は目を輝かせながら理想の内装についてこう話す。

「この、黄色いキッチンがお気に入りなの。この前買った黄色のカーテンを試しにつけてみたら、落ち着いて寝られたわ。あと、玄関の大理石のところには絵を飾りたいわねぇ」

 23年連れ添った夫との離婚を機に、心機一転、自宅の大改装を決めたのだろう。

「えりさんはこれまでも、なにかの転機のたびに引っ越したり、リフォームをしたりしてきました。占いや風水などにもこだわっているようで、黄色のキッチンも、運気アップの意味があるのでしょう」
(渡辺の知人)

 前出の知人によると、もうひとつ、彼女が大改装を決めた理由があるという。

「えりさんは、両親が2人とも認知症を発症していて、施設に入っていることを雑誌のインタビューなどで明かしています。お母さんが認知症を発症したのは70代で『自分もいつ認知症になるか分からない』と、不安に思っているみたいなんです。そうした事情もあり、えりさんは還暦を迎えたころから、生前整理など“終活”を意識するようになりました。とくに離婚となると、頼れるのは最終的に頼れるのは自分ひとり。今回のリフォームも、“老後ひとりでも快適に生きていけるように”と考えているのではないでしょうか」

 夫婦問題カウンセラーの高草木陽光さんは、熟年離婚後のリフォームについてこう解説する。

「離婚後に自宅をリフォームする女性の多くが50代以降です。目的は人それぞれですが、手すりをつけてバリアフリーにするなど、老後を考えてリフォームする人も増えています」

 前出の劇団関係者はこう明かす。

「えりさんに今後のことを聞いたら、『(劇団は)あと2〜3年かな』と寂しそうに言っていました。さまざまな舞台で主演を張り、バラエティ番組にも引っ張りだこのえりさんですが、それもこれも劇団の赤字を返上するため。でも、さすがに毎月の舞台出演は体力的にかなり厳しくなってきているそうです。今後は徐々に仕事をセーブしていき、ゆっくりと余生を過ごしたいと思っているのでしょう」

 離婚で始めた“おひとりさま終活”。
 冒頭で話していた占いのとおり“黄色いキッチン”が幸福を運んでくれるはず――。


女性自身、2019/04/16 00:00
渡辺えり 離婚後すぐ自宅改装…熟年女性に増えるひとり終活
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1728883/

「今、64歳なのですが、今年から初めて本気で終活を考え始めました。きっかけは、やはり両親です。父が93歳、母が89歳で体は健康なのですが、2人とも認知症を患っています。症状は父が軽く、母が重いため、今、地元・山形で別々の老人ホームに入っています。山形新幹線で片道3時間で往復できるようになりましたから、毎月、日帰りでも時間をつくって帰るようにしています」

 そう話す渡辺えり(64)。
 昨年創立40周年を迎えたオフィス3○○(さんじゅうまる)を主宰、日本劇作家協会会長も務める彼女は『ぴったんこカンカン』(TBS系)などテレビ出演に加え、現在も大阪松竹座の『三婆』に出演するなど精力的に活動。
 私生活では4月に23年間連れ添った俳優・土屋良太(52)と離婚したばかりだ。

 後悔はたくさんあるが、ひとつだけ、両親にやっておいてよかったなと思うことがあると渡辺は言う。

「15年前、母親から急に『どうも認知症になりそうだ』と電話があったんです。今までこうしてくれとか何も言ったことがなかった母親が、初めて。『元気なうちに、旅行に連れてってくれ』と。行きたいところを聞いたら、伊勢神宮と出雲大社と、日光東照宮と広島の原爆資料館の4つ。それで必死に10日間休みをつくったんです。そのときはまだ両親も元気で、移動の際も私のトランクを持って走ってくれて、すべて時間どおり、間に合ったんです。母親と一緒に露天風呂に入って背中を流し合ってね。本当によかった。当時の写真は母もいまだに喜んで見ています」

 今夏、渡辺が主宰するオフィス3○○の舞台『私の恋人』はその旅行体験が生かされているという。

両親と広島の原爆資料館に行ったときのことです。私も初めてでした。私は劇作家ですから、人間のしでかした所業は人に伝えなくちゃいけない。これは見なくちゃと思って、目を見開いて全部見て出たんですけど、途中で両親を見失ったんですよ。おかしいなと思って外に出たら、噴水の前のベンチに2人でうなだれているんです。とてもじゃないけど見てられなかった、と2人で泣いているんです。戦争経験者ですから、心が傷つきすぎて5分で出てきたんです

 渡辺はドイツのミュンヘンでナチスがユダヤ人を隔離するため造ったダッハウ収容所にも足を運んだそう。

「今度の舞台『私の恋人』もダッハウがモチーフなんです。ガス室の隣に焼却炉が3つ並んでいて、ここで亡くなったという部屋もすべて見て色も覚えてます。囚人に植えさせた木も見ました。戦争は名もない人たちを犠牲にする。それが今もなお繰り返されてる。何とか止められないか。それが『私の恋人』のテーマですから、私が直接見てきたものをぜひ舞台で再現させたいと思います」

 時間もお金も演劇にひたすらつぎ込んできたという渡辺。
 貯金はほとんどないという。

「私は芸能人だからお金持っていると思われがちなのですが、演劇人は違うんです。亡くなった杉村春子(1906- 1997)さんもそうでしたけど、ほかで稼いだお金で劇団を存続させてきたんです。老後の貯金なんかしてこなかったんです。だからまず、貯金から始めようと。節約して少しずつ始めます。そうしないと、周りに迷惑をかけてしまうでしょう? 老人ホームを契約しなきゃいけないのかなと思っています」


女性自身、2019/06/08 16:00
劇作家・渡辺えり「認知症親と行った旅行が舞台執筆の糧に」
https://jisin.jp/entertainment/interview/1744525/

一人十役!小日向文世×のん×渡辺えり 音楽劇『私の恋人』ゲネプロダイジェスト
https://www.youtube.com/watch?v=IgMIsFlqyVU

オフィス3◯◯「私の恋人」の追加公演が決定。9月4日19:00から東京・本多劇場で行われることが発表された。
https://www.youtube.com/watch?v=1ax3xc5YMuM

のん 初舞台「私の恋人」ビデオメッセージ!
https://www.youtube.com/watch?v=Ji3W4F6GOhA

「今年から初めて本気で」終活を始めた渡辺えり(64)。
 地元・山形で暮らす認知症の両親の影響だという。
 今後の人生設計を語る――。
。。。
「心機一転、引っ越しをしたばかりなんです。広いところから狭いところに移ったので、荷物が入り切らなくて。本や資料だけでも手元に置いておくものと大学に寄付するもの、田舎に送るものと、選別できていない段ボールがまだ50箱もあって。新居では開くところもないありさまなんです。元劇団員たちが土日に来てくれますが、この分では1年以上かかりそうです」

「私は太ってるからため込むタイプなんです(笑)」と語る渡辺。

「今回の引っ越しで、ずいぶんスリムになりました。服とかいらないものは手伝いに来てくれた人にあげました。姪っ子にもずいぶん送りました。だけど、やっぱり舞台衣装などはまた使うと思うから、それは山形に送ろうと思ってます。実は60歳を過ぎたら地元で演劇塾を開こうと以前から思っていて、故郷に稽古場にできる古家を買ってあったんです。父の入居しているホームはそこから歩いて30分ぐらいのところにあります。まだ実際に始めていないのは、60歳になっても自分がまだまだ元気だったから。今は仕事があるから東京に住んでいますが、70歳過ぎたら山形に移り住もうと。月謝2,000円で10人ぐらい、子どもたちに芝居を教えようかなと思って……」

 いったん劇団を解散したとき、早稲田大学の演劇博物館に衣装や小道具は全部寄付したという。

「今回もあげるところは決まっているのですが、全部送ったら地元の演劇塾はどうなるんだと思って。だから一部は山形に持ってきます。主宰するオフィス3○○公演も、来年までは東京・本多劇場でやりますが、再来年からは小劇場に戻って、自主制作でコツコツやろうと思っています」

 数年後に向け、今はさまざまなものの整理と今後のお金の算段を考えていて心身ともにフル回転で、慌ただしい日々を送っている。

「でも、私は恵まれているんです。田舎で少女のころから思い描いていた夢は、みんなかなっています。大ファンのジュリー(沢田研二)とは舞台『フィガロの結婚』で共演しました。劇作家の唐十郎さんとも舞台『少女仮面』でご一緒できました。美輪明宏さんとも、縁があって改名するきっかけまでいただきました」

 唯一かなっていないのが『世界平和』。
 今夏、渡辺が主宰するオフィス3○○の舞台『私の恋人』は、渡辺自身も足を運び、ガス室や焼却炉などを見てきた、ドイツのミュンヘンにナチスがユダヤ人を隔離するため造ったダッハウ収容所がモチーフだ。

「簡単ではないことはもちろんわかっていますけどね。私は5歳のとき山形市内に引っ越して小学校に入った途端、いじめに遭っています。あまりのショックに2年間もひきこもり状態になりました。夢と現実のギャップを知り、不平等な世界や矛盾を知り、だからこそ、演劇の夢を追うようになりました。世間にはすごく貧しくていじめられてる人と、金持ちがいることが許せませんでした」

演劇を志し、18歳で上京したとき、是が非でもこの“格差”をなくしたいと思ったそう。

「両親は私が山形大学に進学し、音楽教師になってほしかったそうです。母は合格発表を一緒に上野まで見に来てくれたのですが、帰りの列車の中で『娘を手放さなければならないのはバチが当たったからだ』と号泣したことを後で打ち明けられました。私が演劇をやめられないのは、まだ『世界平和』の夢を達成できていないから。これからもやり続けて、ジワジワ効く漢方薬のように、若い人たちにも“平和”への思いを感じてほしいと強く願っています」


女性自身、2019/06/09 06:00
両親介護で月1帰省も渡辺えりが描く夢「世界平和叶えたい」
https://jisin.jp/entertainment/interview/1744537/

posted by fom_club at 08:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。