2020年05月22日

若松英輔「ことば」「コトバ」

いまも読み終わらない本

 16歳まで、僕は2冊しか本を読んだことがなかったんです。
 学校の課題図書だった、坂本龍馬と同じシリーズの田中正造の伝記です。
 そんなほとんど本にふれない生活が一変したのは、高校に入学してひとり暮らしを始めてからでした。
 父親は、中学を卒業したら家を出るように、という方針でした。でも、ひとり暮らしの下宿にはテレビがない。その時間を埋めるように読書を始めたのです。
 当時、よく手にしていたのが岩波文庫で、その一冊に内村鑑三の『後世への最大遺物』がありました。

 内村鑑三は思想家であり、キリスト教者でもあります。
 1894(明治27)年にキリスト教青年会夏期学校で行われた講演内容をまとめたこの本は、人にとって真の生き方とは何か、私たちは後世に何を遺せるのかという人生の根本問題について語ったもので、それを大変に面白く読んだ。
 内容すべてを理解したわけではありません。でも、実在する何かにふれたという感触だけは強く残ったのです。
 しかし、この本が、本当に意味を持ち始めたのはそれからおよそ25年後のことでした。40代前半で近しい人を喪うという出来事があり、再読したのです。
 その時、この本を読んだつもりでいたけれど、じつは読めていなかったことに気づいた。
 読書の意味とは「読めた」経験も悪くはないけれど、最大の発見は「読めていなかった」のを知ることです。そこで初めて、真の意味で本を「読み始め」ることができる。
「読めた」と思っているあいだは、「読めていない」。その本の内容をただ感じているに過ぎないのかもしれない。それを体得することができたのが、この一冊でした。
 薄い本なのですが、いつ読んでも新しい。いまだに読み終わらない本でもあります。

読書の喜びとはなにか

 読書の大きな喜びは、自分の変化や成長とともに、そこに書かれている言葉やテクストも変化し、育っていくことです。
 当たり前のことなのですが、こうした経験を得るためには、再読しなければなりません。私たちは言葉というものにふれながら、その奥にある意味にも同時にふれているわけで、その真の意味を感じるには、時間がかかる。
 本当に読書がうまくいった時は、言葉を媒介として、著書と最上の対話ができます。
 読むというのは、文字を単に情報として読むことではありません。同様のことはデカルト(1596 - 1650)も『方法序説』で書いています。
 また江戸期の儒学者であり、思想家だった伊藤仁斎(1627 - 1705)も孔子(紀元前552年または紀元前551年 - 紀元前479年)の『論語』を読むと、そこに孔子が現れて手を叩き、足踊っているように感じると綴っています。ここに比喩などありません。まざまざと孔子の存在を感じるというのです。
 仁斎に言わせれば、もしそれが喩えめいた話に聞こえるなら、読み方が足りないと思わねばならない、ということになる。

「たくさん」ではなく「確かに」読む

「読書百遍」という言葉もあるように、書物はそもそも何度も読み返すということを前提にした営みです。
「読書百遍」のあとには次の言葉が続きます。「意、おのずから通ず」。
「読書百遍、意、おのずから通ず」、百回、繰り返して読むことができれば、そこに記されていることが自ずとわかる、というのです。
 しかし、ここでも「わかる」は知的理解ではありません。いわば、全身全霊で何かを感じ始める、というのです。「読書百遍義自ずから見る」という同質の意味のことわざもあります。
 それにもかかわらず、現代の私たちは、多くの場合、1回読んだだけで終えてしまっているかもしれない。
 たとえば話題となっている本を買ったらさっと1週間で読み終えて、あとは本棚にしまうか、人にあげる。あるいは売る人もいるかもしれない。
 現代人は、なるべく多くの本を読むことに価値を求め、エネルギーを使ってきました。当然、本とつき合う時間が、とても短くなる。
 しかし本当は一冊の本を、「確かに読む」ことが肝要なのです。
 また、本は、何を読むかも大事ですが、いつ読むかが、大変に大事になってくる。
 たとえばドストエフスキー(1821 - 1881)を読む。再読することを心に留めておくなら、たとえ充分に理解できなくても、一度、読んでおくとよいということになる。
 人生はいつ終わりが来るかわかりませんから、「思い立ったが吉日」で、すぐ始めるのがよいと思います。
「わかり始める」には時間が必要です。先にも述べましたが、私の場合、『後世への最大遺物』の真の意味がわかるまでに四半世紀かかっています。
 たとえば、ある本を25歳で初読する。四半世紀後となれば50歳です。
 良書には早く出合っておいたほうがいいということになる。
 人間は自分が生きたいようには生きられない。
 人生というものは、私たちの希望をしばしば裏切る。
 明日、絶対に生きているという保証はありません。しかし、それは残念なことではなく、それが生きるという営みなのです。
 今読んでいる本が、果たして人生最期の一冊になってもいいかと、そう自問しながら、読書をするのもあながち空想とばかりもいえないのです。


宗教と文学と哲学は、ひとつの営み

 内村鑑三は、「近代日本を代表するキリスト思想家」あるいは、「教会や儀式を否定する無教会主義者」とよく語られます。
 これらも誤りではありませんが、こうした言葉が部分的に映るほど大きな人物でもあります。何よりも内村は、近代日本の精神のゆくえを根源から問い直した人物でした。
 明治になり、洋服や暮らし方が、いわゆる西洋化していきます。
 いまも私たちの多くは西洋式の住まいに暮らし、洋服を着ている。西洋化はじつに深く私たちの生活を変えました。このことによって私たちが受けた恩恵も少なくありません。
 しかし、その一方で、洋服を換えるように、私たちの美意識や自然観、あるいは人間を超えたものに対する感覚を変えることはできません。
 近代日本は、外的文化と内なる精神、さらには仏教哲学者の鈴木大拙がいう「日本的霊性」とが、本当の意味で融和し、融合し、内面、外面の両方で創造的であることを求められました。
 未知なる文化を受け容れ、内なる「古く」、変わらないものを発展的に継承するためにも、新しい土壌を開拓しなくてはならなかった。
 こうした変革の時代において、真剣に生きようとする者が大きな悩みと迷いを背負うのは当然のことです。
 多くの青年たちが内村のもとに集う。
 そこには、矢内原忠雄(1893 - 1961)や南原繁(1889 - 1974)のようなのちの東大の総長になる人物や志賀直哉(1883 - 1971)や有島武郎(1878 - 1923)、正宗白鳥(1879 - 1962)といった、のちに文学者になる人びともいました。
 本来、宗教と文学と哲学というのはひとつの営みです。
 ひとつの営みのなかに3つの側面が内包されるはずなのに、現代では宗教者と文学者と哲学者が、それぞれ別々に存在しています。宗教者は宗教のことのみ、哲学者は哲学のことのみしか語らない。 
 しかし本来、宗教や文学や哲学のあいだに私たちの苦しみがある。
 こうした私たちの悩みに、現代の宗教や文学や哲学は、十分な答えを与えてはいない。
 このような状況で、宗教や文学、あるいは哲学から、人が離れていくのは当然といえます。

言葉が残り、作者が消えるということ

 容易に言葉にはできないような大きな出来事が襲った時、大いなる者は人を選んで、永遠なる世界の理を語らせようとする。旧約聖書の預言者、日本でいえば巫者などもかつてはそういう存在でした。
 内村鑑三、それに『苦海浄土 わが水俣病』などで水俣病患者の存在を世に知らしめた石牟礼道子(1927 - 2018)もそうした血脈を継いだ人物でした。
 石牟礼道子は内村を愛読していました。
 海とともに生き、もっとも海を愛した人たちが、海により命を奪われることになった。
 石牟礼は言葉にならない数えきれない呻きを聞き、それを書きとめます。彼女が言葉を用いて他者を表現したのではなく、彼女は、語らない者たちの内なる言葉の通路となった。

 精神科医の神谷美恵子も同じような存在です。
 神谷の名著に、『生きがいについて』があります。現在では当たり前に使われているこの「生きがい」という言葉は、じつは神谷がよみがえらせたものだといってよいと思います。
 神谷は岡山県にあるハンセン病療養施設・長島愛生園に暮らす人びとと交わり、西洋から入ってきた従来の精神医学的研究という方法論を放棄しました。
 研究だけでは魂を救うことはできない。魂を救うのは、本当の意味での言葉なのだと、彼女は知った。
 かつて、ハンセン病を生きた人びと――戦後、ハンセン病は完治する病になりました。――のなかには、自らの魂を救うために、自ら言葉を紡いでいる人もいた。そうした人たちとの出会いにより、神谷は「生きがい」とは何かを思考し続けました。
 今、「生きがい」という言葉は、私たちの生活のなかで日常的に使われています。
 言葉の通路になるとは、このように言葉が残り、それを語った者の姿が隠れていく、ということです。

言葉は、魂を繋ぐことができる

『万葉集』や『古今和歌集』などにある、詠み人知らずの和歌や民謡、祈りの言葉は、すべて誰が書いたのか分かりません。
 作者は存在するのですが、その人はそこに自分の名前を付すことを拒むのです。
 どの宗教にも根幹をなす祈りがありますが、いわゆる作者は記されていない。浄土教の「南無阿弥陀仏」という名号もそうです。
 しかし、こうした無私の、無名の言葉こそが深く、強く人を支えている。

 私たち人間は、言葉そのものともいえる存在です。
 だから、言葉を軽んじると大変なことになる。ひとつの言葉が見えなくなったがゆえに、大変に大きな苦労を背負うこともある。
 反対に、言葉をたったひとつ見出すことができたなら、人は生まれ変わることも、立ち上がることもできる。
 世の中には、探しているものが言葉だとわからなくて、お金のような目に見え、手にふれるものばかりを探している人もいます。何を探すかは慎重でなくてはならない。
 お金はとても大切なものです。しかし、それは一番大事なものではない。
 一番大切なものを探すときに私たちを助けてくれるものではある。
 お金でなくてはできないこともありますが、お金にはできないことがある。お金では利害関係を結ぶことはできても、魂を繋ぐことができない。
 ここで「お金」と書いたのは、「量的」なものです。そしてこれまで述べてきた「言葉」は「質的」なものの象徴です。
 量的なものには代わりがある。しかし、質的なものはつねに、世にただ一つのものです。
 ですから、人は自分の人生に裏打ちされた、世にただ一つの、意味と共にある人生の一語を探さなくてはならない。
 見た目には、世に流布しているものと変わらなくても、意味においてはまったく独自の、自分の人生そのものである、小さな言葉と出会わなくてはならないように思うのです。
 言葉は、魂を繋ぐことができる。
 東日本大震災では亡くなった家族や友人に宛てて、人びとは手紙を書きました。それは必然といえます。言葉は、死者と私たちを繋ぐものだからです。
 和歌はそもそも挽歌、つまりは死者を悼むものから始まりました。
 そう思えば、東日本大震災で人びとが死者に向かって手紙を書いたことも、じつに自然なことだと理解できるのではないでしょうか。

「読む」こと、「書く」こと

「読む」「書く」というのは、人にとって根源的な営みです。
 本当の意味で「書く」ことに出会ったのは、大学生の頃でした。
 上京してまもなくの頃です。井上洋治(1927 - 2014)神父が、毎週日曜日に自宅で行うミサに参加するのが、そのきっかけです。
 そこには、カトリックだけでなくプロテスタントや仏教者、洗礼を受けていない人も集まり、遠藤周作(1923 - 1996)や安岡章太郎(1920 - 2013)の姿もしばしばありました。井上神父と遠藤周作は20代でフランス留学した時からの親友でした。
 遠藤周作以外にも福田恆存(1912 - 1994)、河上徹太郎(1902 - 1980)、田村隆一(1923 - 1998)、高橋たか子(1932 - 2013)といった作家たちも時折、彼のもとを訪れていました。
 作家が普通に存在している、そうした環境の影響もあって、大学にはほとんど行かず、作家の講演会にばかり足を運ぶようになっていました。
 大江健三郎(1935年生まれ)、開高健(1930 - 1989)、井上光晴(1926 - 1992)、佐多稲子(1904 - 1998)などさまざまな作家の話を聞いた。
 それにより文学は、生きた人間から生まれるということを実感として知ったのです。
 中村光夫(1911 - 1988)の葬儀で大岡昇平(1909 - 1988)の姿を見たのも印象深い記憶になっています。

書物は実在する人間が書いている

 若者は作家の姿を見るために、からだを動かしたほうがいいように思います。
 言葉なんて交わさなくてもいい。
 肝要なのは、書物は実在する人間が書いているというのを、身をもって知っておくことです。

 その大学時代、小林秀雄(1902 - 1983)を好んで読んでいました。
 ある時、「これをあげる」と井上神父から小林秀雄の著作『常識について』を差し出された。「持っています」と言うと、「いや、この本は持っていないだろう」というのです。
 本を開くと、そこには小林秀雄の署名がありました。
「河上徹太郎の葬式の時にもらったんだ。でも、これは君が持っていたほうがいいだろう」と、預けてくれた。
 井上神父はもう亡くなられてしまったので、本はそのまま頂いた形になっていますが、当時は――今もそうですが――由来のある小林秀雄の署名は信じられないほどの宝物に感じられました。
 その井上神父から、「小林秀雄が好きなら、井筒俊彦を読むといい」と薦められました。
 哲学者としてすでに高名だった井筒俊彦(1914 - 1993)の名すら知らなくて、そのまま紀伊國屋書店新宿店へ行き、『意識と本質』と『イスラーム哲学の原像』を買って読みました。
 その時は、まったく内容はわかりませんでしたが、やがて井筒は、かけがえのない存在となり、彼に関する本を何冊も書くことになります。
 編者として『読むと書く』という井筒俊彦のエッセイ集、そして彼の『全集』も出版しました。
 代表作『意識と本質』で井筒は、中東やインド、中国や日本、さらにはヨーロッパなど生まれた国は別々ながら、同時代に「東洋的」視座をもって生きた詩人や哲学者、宗教者たちを描き出しました。
 そして万物の根源的エネルギーである「コトバ」をめぐって論じたのです。
「存在はコトバである」と井筒俊彦は書いています。
 万物は、言語を超えた意味のうごめき、すなわち、井筒のいう「コトバ」によって成り立っている、というのです。

SNSでつぶやいても、自分を知ることはできない

 井筒俊彦は晩年、何を読み、何を書くかということではなく、「読む」あるいは「書く」という営為そのものへの思索を高めていきます。
「読む」「書く」というのは根源的な営みなので、呼吸のように、吸って吐いて、吸って吐いてというのを繰り返すものです。
 しかし現代の人びとは、吐く=書くことをしなくなり、過呼吸のようになっているのではないでしょうか。
 確かに、「読む」よりも「書く」ほうが力が必要なので、うまくいかないことも多い。それで人びとは書くことを止めてしまったのでしょう。
 今、書く=吐くの代替は、人に話すことか、ブログやツイッターといったSNSがその現場になっています。
 SNSも悪くはありませんが、真に書くという行為は、それにより初めて自分が何者かを知ること、つまりは自分の内心と出合うことです。
 自分を知るということが、本当は一番大事なのです。
 私たちは、SNSを見て誰が何をしているかなど他人のことは知っているけれど、じつは、自分のことを一番よく知らないのではないでしょうか。

書くことは、自分を知ること

 ドストエフスキーは生活のためにも物を書きましたが、真の動機は書かざるを得ない、そうしなければ自分を保つことができなかったからです。
 それは、私たちも同じです。
 遺言を書くのもそのひとつの行為といえます。もしあなたが80歳まで確実に生きるなら、それは79歳のときに書けばいいと思うかもしれない。
 しかし、人は今日、書く文章が最後にもなりうる。それが現実です。
 だからこそ、書くことは、なるべく早く、今日からでも始めるほうがいい。
 東日本大震災が私たちに教えてくれた、もっとも大きな教訓は、死は予期しないときに訪れるという、厳粛なる事実です。
 近代は、動かない確かなものを築き上げようとしてきました。
 しかし、それは幻想です。
「揺れる」のは地面ばかりではありません。私たちの内面はいつも「揺れている」。
 自分のことばかりではなく、一番大事な人が病になったり、その人を喪ったり、親が要介護になることもある。そういった人生の揺れは、しばし、私たちの人生を飲み込んでしまう。
 でも、このようにつねに動いていること、「動的」であるということが、生きていることの証しにほかならない。
「読む」はもちろん、「書く」行為は、人生の揺れに備えるためのものでもあります。
「書く」ことは揺れ動いている自分をまざまざと知ることであり、そして同時に揺れ動いている他者をまざまざと感じる営みでもあります。
 揺れのなかで生き抜くためにも人は、もう少し、「読む」ことと「書く」ことに時間を費やしてよいように思います。

 5年ほどまえから「読むと書く」という講座を行っています。
 民藝の提唱者である柳宗悦(1889 - 1961)は、博物館に収容されている芸術家の壺は確かに美しいけれど、無名の人が造った、私たちの日常に寄り添う器には、それとは別個の美しさがあるといい、それを「民藝」と呼んだ。
 言葉も同じです。
 芥川賞や直木賞作家だけでなく、言葉は誰もが持っていて、その言葉と日々暮らしていく。
「言葉の民藝」というべきものの存在を世に知らしめたい。
 柳宗悦が器の世界で行ったことを、言葉でやりたいと、切に思っています。


小学館、小説丸・インタビュー、2018/06/04
「私の本」
若松英輔さん

(取材・構成/鳥海美奈子)
https://www.shosetsu-maru.com/hontowatashi/1-1

posted by fom_club at 17:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。