2020年05月21日

井上ひさし「平和を守りながら、平和を実現していく」

「憲法」を熱く語ろう

山田健太(自由人権協会 JCLU 事務局長):
 日本国憲法が歩んできた60年の歴史、ちょうどそれは人権協会60年の歴史でもあるわけですが、この60年がどういう時代だったかを、まずお話しいただければと思います。


井上ひさし(1934 - 2010):
 憲法前文の前半「日本国民は」という主語のあとに、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」とあるのを読んだとき大変ショックでした。

 それまでは日本の国と自分というのは一体だと思い込んでいたわけです。
 ところが、戦争を起こす主体は政府であって、戦争というのは政府の行為である。
 その政府の行為を止めるのは主権を持つ国民以外だれもいない。


 小さいころに憲法ができて、憲法とともに育って大きくなって、もう三途の川をどう渡るかと思案するようなトシになって、一言で言いますと、政府というのと国民は全く違うんだ、と。
 戦争を起こすのは必ず政府と行政府の官僚であり、そのツケを税金と命で払わされるのが国民であって、これをはっきり分けて、戦争をしたがる時の政府とその官僚たち、行政府の官僚たちと実は対立しているんだ、ということが、最近になって実によくわかってきたんですね。
 この60年間はそれをはっきり自覚する60年間だったと思います。


山田: 井上さんはよく本の中でも「空気」が戦争に向かっていったんだという言い方をされています。

井上: あれほどの気が狂った戦争をするためには、国民も気が狂ってないとだめなんですよね。
 国民が冷めていて、あんな戦争できるわけがありませんから。
 だから、そういう言葉にのらないように、いつも憲法に戻る、憲法は研ぎ石で、自分の感覚が鈍ったり言葉が鈍ったりするときにもう一度ここに戻る。
「自分の運命は自分以外決められちゃ困る。オレの運命はオレが決めるんだ」っていうのが基本的人権でしょう。
 ひとの意見でなんで自分を全部託してしまうのか。
 これが不思議だし、これは人権問題ですね、逆に(笑)。


山田: しかしいま、その憲法を変えるための手続法が通りました。

井上: 国民投票法は非常に憲法が変わりやすくつくられた法律だと、素人目から見てもそういうふうに見えます。
 まず、期間が非常に短い。
 僕の考えでは少なくとも1年ぐらいは主権者の国民が、憲法をこれから変えるのか変えないのかを考えたり議論したりする時間が必要だし、できたらその間に、争点はたった一つで、憲法を変えるか、変えないか、ということを議論し、総選挙をやってほしい。
 日本の憲法は自衛装置が非常に充実していまして、つまり硬性憲法といいまして、なかなか改正できないようになっているんです。
 国会の3分の2、そして国民投票で有権者の半数以上というのはかなり高いハードルですが、それが国民投票法で柔らかい軟性憲法、変わりやすい憲法にしてしまったんですね。


山田: 新聞とかテレビで憲法改正、改正って言ってると、言葉というのは使ってるうちにそれに束縛される。「改正」と言ってると、たぶんいいほうに変わるんだろうなんていうイメージになるので、どう言えばいいんだろうと記者の方からも聞かれました。

井上: 我々文筆業の仕事はその一点に尽きますよね。
 つまり、成長とか発展とか国際化とか民営化とか、ポンと出された言葉に全て、新しいいいこと、素晴らしいことというふうに考えながら受け止めるわけですよね。
 これが非常に危険だと。僕は昔から机の前の壁に「ツルツル言葉をやめよう」と自分に言い聞かせるために貼ってあるんです。
「ツルツル言葉」というのは、意味が確定してないのに、あるいは使われすぎてほとんど意味が磨滅しているのにその言葉を使ってしまうということ、これはどんな言葉もそうだと思います。
 例えば「民営化」「小さな政府」、全部そうですね。内容はわからないんです。
 私たち、わかろうとしないし、何かよさそうだなあというふうに、すぐ考えてそのとおり動いてしまう。


山田: 9条のいう戦争放棄あるいは平和というものを、どういうふうにきちんと相手の人にも理解してもらえるか、あるいは伝えていけばいいのでしょうか。

井上: 憲法に書いてありますよ、これからどう生きていくか、ってこと。
 つまり、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてある国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」というのは、もうこれで平和を求めている。
 それから、心の狭さとか圧迫とか専制、それから奴隷のように服従する、そういうことから抜け出そうとしている国際社会で名誉ある位置を占めようと思っている。
 永久平和というのはアメリカから教わったわけでも何でもない。
 西洋ではサン・ピエールという人とか、それから引き継いだルソーとかカントとか、いろんな人たちが永久平和、それで世界政府みたいなことをずっと考えてきました。
 日本も、幕末の横井小楠という越前藩の政治顧問、この人は万国政府というのを考えていますし、植木枝盛とか中江兆民とか、みんなゆくゆくは国家主権というのをもっと上のところへ共同で、国家が国際連合のように連合して、その連合したところへみんなで国家の主権を預けると。
 武力を放棄し戦争も放棄するということは、アメリカから押しつけられたわけでも何でもなくて、日本にもしっかりありましたし、西洋にももちろんありました。
 その流れを受け継いでいる
だけです。

 日本国憲法っていうのはべつに日本人が発明したわけでもなくて、日本人も人類の一員ですから、人類が圧政や奴隷制とかいろんなことに苦しんで苦しんで闘って、人間として必要なものを少しずつ獲得してきたその歴史の塊が憲法です。
 奇跡的に、たまたま日本に人類の英知、それまでの血と汗と涙、それから命を固めたいろんな価値がここに集まっちゃったわけです。
 だから、この憲法は、たとえ日本人に冷たくされて、「あれは床の間に上げとけ」とか黙視されたりしたとしても、孝行息子のように静かに、南極条約を決め、ラテンアメリカ条約とかも決め、地球の半分以上を非核兵器地帯にしたんです。
 日本国憲法がこれまでやったことを数えたら、南極条約、宇宙条約、海底非核化条約、ラロトンガ条約とあり、それで中米と南米20何ヶ国、南太平洋、アフリカ大陸、東南アジア、南極、海底、それから大気圏を抜けた宇宙空間すべて非核兵器地帯になっているんです。
 僕はいつも地球儀に赤で非核兵器地帯になったところを塗っていくわけです。
 そうすると、地球の6割近くがもう核兵器の使えない地帯になっているんですよ。
 それらの条約を詳しく読んでいくと、必ず前文にあたるところで日本国憲法の前文のどこかがちゃんと引用されてるんですね。
 くどくなりますけれども、この憲法には人類が、人間が苦しんで獲得したさまざまな知恵とか権利とか、そういうことが一気に流れ込んじゃったものですね。


山田: では、これから僕らはどうしていけば……。

井上: ナチスドイツが、つまりヒトラーが国内からユダヤ人がいなくなればドイツは素晴らしい国になるという演説をする、独裁者というのは、必ず国内に敵をつくるんですよ。
 つまり国民を同じ方向へ持っていくためには必ず、国内に一つ悪者をつくるわけです。
 それから、国外にも悪者をつくるんです。

 僕はどうもタバコがそうじゃないかと思うんですよね(笑)。
 この10年間の統計でタバコを吸う人はちょうど半分に減ったんです。
 けれども、一斉に灰皿が消えていくって、これは恐ろしいですよ。
 ある日突然、喫茶店からレストランから建物から一切消えていく。
 これね、タバコだったらまだいいんですよ。
 ひとに迷惑をかけないように吸えば、自分の運命は自分で決めているわけですからね。
 ほかの何かだったら大変ですよね。
 つまり、タバコのいい悪いよりも、一斉にやめていくというのが怖いんです。
 国の雰囲気がキューッと変わってしまうというのはすごく怖いんですよ。
 それは、僕が体験した8月15日、夏休みが始まる前に国民学校の校長先生が黒板に「撃ちてし止まむ」とか書いて、夏休みの間に戦争が終わっちゃう。
 で、新学期になったら「これからは民主主義だ」みたいなことを書くわけでしょう(笑)。

 一気に変わっちゃうんですよ、世界が。
 これが僕は怖いんです。

 昨日の生活が今日も続いて明日も続きながら、少しはいろんなことがましになっているというのが僕は平和だと思っているんです。
 そのために、私たちは常にこれまでどうも否定形で「するべからず」「守れ」、つまり武器を持たないとか、戦争をしないとか、常に否定形でいろんな運動を進めてきたような気がするんです。
 でもこれからは、肯定的に「する」ほうへ、半歩でも前へ進まないとだめだな、本当にわずかに進むために前へ出ていくしかない。
 非常に抽象的ですけれども、それ以外もうないだろうと。

 つまり、憲法を守るということをやりながら、実は憲法を実現していく。

 たとえば、ジュネーブ条約の第59条、無防備地区。
 紛争当事者が、戦争をしている者同士が、無防備地区を攻撃することは手段のいかんを問わずこれを禁止する。
 無防備地区になる条件は、
・ 都市なら都市に全ての戦闘員がいない、
・ 移動可能な兵器は全部外に出ている。
・ 固定された軍事施設というのはあっても使われないようにする、
・ 市民が戦う意思がない。

 この4つの条件を満たすと無防備地区になれるわけです。
 ここを攻撃すると国際法上の犯罪になるわけです。
 例えば藤沢市、それから鎌倉市が横須賀を無防備地区で取り囲んだらどうなるかということを、憲法の9条を守るということと同時にやっていかないといけない。
 もう受け身一方、「守る」「するな」というのは疲れたわけです。
 憲法を守るというよりも、憲法をもって前へ進む、まともな前進をしたいという気が起きて、私たちは今住んでるところでそれをやっているわけで、議会と首長、市長、町長、村長をウンと言わせなきゃいけませんから、ふだんの選挙から大事になってくるわけです。
 そういうことを、これは国際条約ですから、世界あちこちで準備が始まっています。
 オレたちはもう戦わない、という意思が尊重される時代が実は始まっているんです。
 守ったりなんかするんじゃなくて、こっちからやっていこうという時期がもうきている。
 ですから、日頃の生き方の中に、公平さや平和というものを含んだ生き方をして、毎日大変だけど、前へとにかく行こうというふうに切り換えたいと、私はそう思っています。


※ 2007年11月22日
社団法人自由人権協会(Japan Civil Liberties Union、JCLU、1947年創立)
http://jclu.org/
創立60周年記念トークショー
聞き手:山田健太さん(JCLU事務局長、現・専修大学ジャーナリズム学科教授(言論法)・JCLU理事)

JCLU Newsletter(年4回発行、「人権新聞」を2005年7月改題)
通巻第365号2008年2月号に掲載

井上ひさし公式サイト
https://www.inouehisashi.jp/analects6.html

posted by fom_club at 08:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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