2020年01月23日

三宅島

 いまの江東区は白河に住んでいた浅沼稲次郎(1929年から刺殺される1960年まで)、じゃ、お生まれは、というと三宅島!

 わが生まれ故郷三宅島は大島、八丈島などとともに近世の流罪人の島として有名である。
 わたくしは先祖をたずねられると『大方流罪人の子孫だろう』と答えているが、事実、三宅島の歴史をみると遠くは675(天武天皇4、皇紀1336)年、三位麻積王(ヲミノオホキミ)の子を伊豆七島に流すと古書にある。
 島には有名流罪人の史跡が多い。
 三宅島という名の由来も717(養老3、皇紀1379)年に、多治見三宅麿がこの島に流されてから三宅島と名づけられたといわれている。
 わたくしが子供のころ、三宅島の伊ヶ谷にはこれらの流罪人を入れた牢屋がまだ残っていた。
 三宅島の流罪人名士をあげると竹内式部、山県大弐の勤王学者、絵師英一蝶、「絵島生島」の生島新五郎、侠客小金井小次郎など多士多彩だ。
 しかしこれらの流罪名士の中の英雄はなんといっても源為朝であろう。
 わたくしの友人で郷土史研究家の浅沼悦太郎君が『キミが国会で力闘しているのは為朝の血を引いているからだ』といっていたが、現代の為朝にみられてちょっとくすぐったかった。
 島の文化は流罪人から非常な影響を受けたことは事実で、父浅沼半次郎(村長)も、流人の漢学の素養のある人から日本外史、十八史略などを教えられたそうだ。
 私は母とともに13歳までこの三宅島で暮した。

 三宅島時代で最も印象に残っているのは、小学校の5、6年ごろと思うが、断崖にかけてある樋(とい)を渡って母にしかられた思い出だ。
 三宅島は火山島で水に不便だ。
 清水を部落までひく樋がよく谷間にかかっている。
 私の渡った樋は高さ数十丈、長さ十丈ぐらいの谷間にかけられたもので、学校友だちと泳ぎに行った帰りに、『あの樋を渡れるかい』とけしかけられて渡った。
 一緒にいた従兄の井口知一君が最初に渡ったものだから、私も負けん気になって渡り、ご愛敬にも途中でしゃがんで樋の中にあった小石を拾って谷間に投げ込んでみせた。
 なんとも乱暴なことをしたもので、今でも故郷に帰るとこれが昔話にされる。
 私は知れると母にしかられるので黙っていたが、母はどこかで聞いたとみえ畑仕事から帰ると目から火の出るほどしかられた。
 母として丹精して育てたわが子の無謀が許せなかったのだろうが、私は恐れをなして外に逃げ、後で家に帰っても俵の中にかくれていた。

 小学校6年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで府立三中(今の両国高校)に入学した。
 このとき砂町小学校から7人、三中を受け、私一人しか合格しなかったのをおぼえている。

 府立三中は本所江東橋にあって、いわゆる下町の子弟が多く、そのため庶民精神が横溢していて、名校長八田三喜先生の存在と相まって進歩的な空気が強かった。
 この学校の先輩には北沢新次郎、河合栄治郎の両教授のような進歩的学者、作家では芥川龍之介、久保田万太郎の両氏、あるいは現京都府知事の蜷川虎三氏などがいる。

 三中に入学した年の秋、学芸会があり、雄弁大会が催された。
 私はおだてられて出たが、三宅島から上京したばかりの田舎者であるから、すっかり上がってしまった。
 会場は化学実験の階段教室であるから聴衆が高い所に居ならんでいる。
 原稿を持って出たが、これを読むだけの気持の余裕がなく、無我夢中、やたらにカン高い声でしゃべってしまったが、わが生涯最初の演説はさんざんの失敗であった。
 これで演説はむずかしいものとキモに銘じた。

 その後、三年のころだったか、八田校長が当時チョッキというアダ名で有名な蔵原惟郭代議士(現共産党中央指導部にいる蔵原惟人氏の父君)を連れてきて講演させたことがあった。
 内容はおぼえていないが、この講演には当時、非常な感銘を受けた。
 また学校の学芸会の際、河合栄治郎氏がしばしば白線入りの一高帽で来たり、帝大入学後は角帽姿で後輩を指導したことは忘れられず、私が政治に生きたいと考えるようになったさまざまの刺激の一つとなったものである。


私の履歴書
浅沼稲次郎
一、生まれ故郷は三宅島

https://ja.wikisource.org/wiki/私の履歴書/浅沼稲次郎#一、生まれ故郷は三宅島

三宅島について

 東京から南へ約180kmの位置にある三宅島は、東京の山手線の内側とほぼ同じ大きさの島です。
 年間平均気温は17.7℃、30℃を超える日や0℃以下になる日は少なく、1年を通して温暖な気候の住みやすい島です。

 三宅島は富士火山帯に含まれる活火山であり、近年では2000年の雄山山頂噴火、それ以前では1983年阿古地区の噴火、1962年坪田地区の噴火と約20年周期で噴火を繰り返しており、島内のいたる所で観ることの出来る雄大な火山島景観は、まるで天然の火山博物館のようです。

 豊かな自然に囲まれた三宅島では、釣り・ダイビング・海水浴等のマリンスポーツをはじめ、トレッキング・サイクリング・バードウォッチング・ボルダリング等、陸上のアクティビティを楽しむお客様も近年増えております。

 地球の息吹を全身で感じることの出来る三宅島にぜひお越しください。


三宅島観光協会
https://www.miyakejima.gr.jp/about/

観る
故浅沼稲次郎の生家
神着地区


 三宅島出身の政治家で、日本社会党書記長、委員長を歴任。
 大きな体と大きな声で精力的に遊説する姿から、「演説百姓」、「人間機関車」などの異名をとった。

 1960年、安保闘争を前面にたって戦い、岸信介内閣を総辞職に追い込むが、総選挙の前哨戦として行われた、日比谷公会堂での自民・社会・民社3党首立会演説会で、演説中に腹部を刺され、波乱の生涯を終えた。


[写真-1]生家

[写真-2]銅像

三宅島観光協会
https://www.miyakejima.gr.jp/see/asanumainejirou_seika/

 2000年の大噴火の記憶も新しい三宅島も、島民帰島から10年過ぎました。

 東京から 近い伊豆七島のひとつですが、初めて行って来ました。
 竹芝22:30発
 すぐ寝るには勿体ない美しい夜景です。

 レインボーブリッジに見送られ
 お台場の観覧車に見送られ
 東京湾のキリンたちに見送られ・・

 一昨年就航した「橘丸」の2等船室です。個別番号の指定席になってます。
 私は仕切りカーテンが欲しくて、特2等の2段ベッド室。
 デッキでは、12時ころまで若者たちが宴会模様でした・・

 少しうたたねしてたら三宅島着、最高に眠い時間帯
 三池港 上陸 4時50分

三宅島: 伊豆七島のほぼ真ん中、東京から南へ約180kmの距離にある。
 総面積55ku、周囲36kmのほぼ円形で、山手線の内側 と同じくらい。
 中心部には火口の深さ約500mの雄山(標高775.1m)がある島です。
 気候は周囲を流れる黒潮(南西からの暖流)の影響により温暖多雨な海洋性気候で、年間の平均気温は17.7℃です。
 三宅村の人口は約2700人。


とりこのつぶろぐ、2016年04月27日16:19
思いつくままに
三宅島へ
http://blog.livedoor.jp/aoitorikotori/archives/1857286.html

 三宅島の総鎮守でもある富賀神社。
 境内にガザニアの花畑が広がってる・・ 
 4〜5人の女性たちが掃除をしてたので挨拶を交わした。
「ガザニアの花畑とは珍しいですね」と言うと、
「ガザニアは火山灰、火山ガスにも強いので、皆で植えたんですよ」と・・

 神社の背後は深い森だったそうです。

 雨模様の朝、ガザニアは陽が差さないと花が開かないので残念ですが・・

 周囲の枯れ木が復活してる様子が分ります。

 島の周遊道路の花はガザニアです。
 飛行場周辺は、ヤシの街路樹とガザニア。
 ガザニアは太陽が好きな花・・雨模様で惜しいなあ

おまけ: 小高い場所に浅沼稲次郎さん(社会党委員長)の生家があった。
 1960年に日比谷公会堂で暗殺された。大きな声と体格で知られる人。
 中には入れませんが、窓から室内をパチリ。
 銅像と、その隣は芝生広場になってました。


シャリンバイにカラスアゲハ 今季初見
とりこのつぶろぐ、2016年05月01日18:00
思いつくままに
三宅島を歩く/ 島の花ガザニア
http://blog.livedoor.jp/aoitorikotori/archives/1857731.html

posted by fom_club at 11:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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