2020年01月22日

浅沼稲次郎さんの遺志を受け継ぐ

 浅沼稲次郎さんの遺志を受け継ぐために、女たちが語る「平和といのちの集い」が先日(2009年10月9日)、東京・千代田区の総評会館(法人名は「公益財団法人総評会館」なれど、会館名称はいま「連合会館」)で開かれ、参加者は200人を超えた。
「平和といのちの集い」の席上、配布された浅沼演説(演説されなかった予定稿も含む要旨)を以下に紹介する。

▽ 浅沼演説 ― 米軍基地の返還こそが独立国家の条件

 諸君、政治とは、国家社会の曲がったものを真っ直ぐにし、不正なものを正しくし、不自然なものを自然の姿に戻すのが、その要諦である。
 しかし現在のわが国には、曲がったもの、不正なもの、不自然なものが沢山ある。
 第一は池田内閣が所得倍増(注2)を唱える足元から物価はどしどし上がっている。
 月給は2倍になっても、物価が3倍になったら、実際の生活程度は下がる。
 最近は社会保障と減税は、最初の掛け声に比べて小さくなる一方である。
 他方、大資本家を儲けさせる公共投資ばかりが脹らんでいる。

 第二は日米安全保障条約(注3)の問題である。
 アメリカ軍は占領中を含めて、今年1960年まで15年間日本に駐留しているが、今回の安保条約改正によってさらに10年駐屯しようとしている。
 外国軍隊が25年の長きにわたって駐留することは日本の国はじまって以来の不自然な出来事である。
 インドのネール首相は言っている。

「われわれは外国の基地を好まない。外国基地が国内にあることは、その心臓部に外国勢力が入り込んでいることを示すもので、常にそれは戦争のにおいをただよわせる」と。

 私どももこれと同じ感じに打たれるのである。(拍手)

 日本は戦争が終わってから偉大なる変革を遂げた。

 まず主権在民の大原則である。

 つぎに言論・集会・結社の自由、労働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が憲法で保障されている。

 さらに憲法9条で戦争放棄、陸海空軍一切の戦力の不保持、国の交戦権の否認を決めている。
 これによって日本は再軍備はできない、他国に対し、軍事基地の提供、軍事同盟は結ばないことになったはずである。
 ところが日米安保条約によって日本がアメリカに軍事基地を提供し、その基地には日本の裁判権が及ばない。(拍手)
 これは完全なる日本の姿ではない。
 沢山の外国基地(水面利用も含めれば全部で350ヶ所)があるところに日本がアメリカに軍事的に従属している姿が現れているといっても断じて過言ではない。(拍手)

 だから日本が完全独立国家になるにはアメリカ軍隊には帰って貰う、基地を返して貰う、その上、積極的中立政策を実施することが日本外交の基本でなければならない。

 安保条約の改正によって日本がアメリカに対し、防衛力拡大強化の義務(注4)を負うことによって増税という圧迫を受け、言論・集会・結社の自由も束縛されるという結果を招いている。
 さらに防衛力増大によって憲法改正、再軍備、徴兵制が来はしないかを心配する。

 われわれはこの際、アメリカとの軍事関係を切るべきだと思う。
 そうして日本、アメリカ、ソ連、中国の4ヶ国が中心になって、新しい安全保障体制をつくることが日本外交の基本でなければならない。(拍手)
 この新しい安全保障体制は、お互いの独立と領土を尊重すること、内政干渉をしないこと、侵略をしないこと、互恵平等の原則に立つこと ― を基本としなければならない。

 第三の問題は、日本と中国の関係である。(略)

 第四は、議会政治のあり方である。
 重大なことは、新安保条約のような重大案件が選挙で国民の信を問わないで、ひとたび選挙で多数をとったら、公約しないことを多数の力で押しつけることに大きな課題がある。(拍手、場内騒然)

ここで演説はいったん中断し、司会者から「会場が騒々しい。静粛にお話をうかがいたい」旨の発言があり、浅沼さんが演説を再開した。「選挙の際は国民に評判の悪いものは全部捨てて、選挙で多数を占めると・・・」と述べたとき、暴漢が壇上に駆け上がり、浅沼委員長を刺した。再び場内騒然

 つぎの(注)は私(安原和雄、1935年生まれ)が付記した。

(注2)新安保条約を強行採決によって成立させた岸内閣は総辞職し、池田内閣が発足(1960年7月)、国民所得倍増計画を決定(同年12月)した。10年間で所得を倍増させるプランで、俗に「月給倍増プラン」とも呼ばれた。

(注3)日米安全保障条約とは、旧安保条約に代わる新安保条約のことで、1960年6月発効した。10条(条約の終了)「10年間効力を存続した後、いずれの締約国も条約終了の意思を相手国に通告することができ、その1年後に条約は終了する」などの規定が新たに盛り込まれた。つまり1970年6月以降はいつでも条約を一方的に破棄できる規定である。

(注4)「防衛力拡大強化の義務」とは、新安保条約3条(自衛力の維持発展)の「締約国は武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させる」という規定を指している。この規定を受けて日本は軍事力増強への道を突き進み、現在、世界有数の軍事強国となっている。このため日本国憲法9条(非武装)の理念は空洞化している。

▽ 幻に終わった浅沼演説内容 ― 金権政治を正すとき

 以下は浅沼さんが倒れたため、聴衆に向かって語り、訴えることができず、幻に終わった演説(予定稿要旨)である。

 新安保条約にしても、調印前に衆議院を解散し、主権者の国民に聞くべきであった。
 しかしやらなかった。
 1960年5月19日、20日に国会内に警官が導入され、安保条約改定案が自民党の衆議院単独審議、単独強行採決がなされた。
 あの強行採決がそのまま確定しては、憲法の大原則、議会主義を無視することになるから、解散して主権者の意志を聞けと2000万人に達する請願となった。
 しかし参議院で単独審議、自然成立となり、批准書交換となった。
 かくて日本の議会政治は、5月19、20日をもって死滅したといっても過言ではない。

 最後に日本の政治は金権政治であることを申し上げたい。
 この不正を正さなければならない。
 現在わが国の政治は選挙で莫大なカネをかけ、当選すれば、それを回収するために利権をあさり、カネを沢山集めた者が自民党総裁、総理大臣になる仕組みである。
 その結果、カネ次第という風潮が社会にみなぎり、希望も理想もなく、その日暮らしの生活態度が横行している。
 戦前に比べて犯罪件数は十数倍にのぼる。
 これに対し政府は道徳教育とか教育基本法改正とか言っているが、必要なことは、政治の根本が曲がっているのを直してゆかねばならない。

 政府みずから憲法を無視して再軍備を進めているのに、国民に対しては法律を守れといって、税金だけはどしどし取り立ててゆく。
 これでは国民は黙ってはいられない。

 政治の基本はまず政府みずから憲法を守って、清潔な政治を行うこと、そして青少年に希望のある生活を、働きたい者には職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障する政策を実行しなければならない。
 日本社会党が政権を取ったら、こういう政策を実行することをお約束する。
 社会党を中心に良識ある政治家を糾合した、護憲、民主、中立の政権にして初めて実行しうると思う。

▽ 浅沼さんの「遺言」=マニフェストは生かされるか

 私(安原)事になるが、実は大学生だった頃(1957=昭和32年)、創刊間もないある総合月刊誌が浅沼さん(当時、社会党書記長)を囲む座談会を企画し、大学生3人の出席者のうちの1人として参加した。
 テーマはたしか「社会党が政権の座についたら」で、学生の立場から率直にもの申してほしいというのが雑誌編集者の狙いであったように記憶している。
 そういう縁で浅沼さんとは直に接した体験があるだけに「浅沼さん、刺殺される」のニュースには暗澹(あんたん)たる想いであった。
 浅沼さんの「遺言」ともいうべき最後の演説を今読んでみて、感慨もひとしおというほかない。
 この「遺言」は今日どこまで生かされるのか、そこに大きな関心を抱かないわけにはゆかない。

 浅沼演説は当時の現状認識についてつぎの諸点を挙げている。
 半世紀も前の演説だが、今日の状況をほぼそのまま言い当てているといっても見当違いではあるまい。
 ついこの間まで自民・公明政権が推進してきた政策と大差ない。

* 社会保障は小さくなる一方であり、他方、大資本家を儲けさせる公共投資ばかりが脹(ふく)らんでいること

* 日本の政治は金権政治であること。このためカネ次第という風潮が社会にみなぎっていること

* 政府みずから憲法を無視して再軍備を進めていること

* 政府は税金だけはどしどし取り立ててゆくこと

* 希望も理想もなく、その日暮らしの生活態度が横行し、犯罪も増えていること

 以上のような当時の自民党政治の現状認識に立って浅沼委員長は、「日本社会党が政権を取ったら」として、つぎのことを約束した。
 これは遺言となったが、今風にいえば、浅沼さんのマニフェスト(政権公約)でもあった。

* 政治の基本として政府みずから憲法を守って、清潔な政治を行うこと

* 青少年に希望のある生活を、働きたい者には職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障する政策を実行すること

▽ 基地撤去論を今どう受け止めるか(1) ― 穏健派の気迫

 浅沼演説の主眼は日米安保への批判に置かれている。
 具体的には日米安保条約の破棄、在日米軍基地の撤去、さらに日本、アメリカ、ソ連(当時)、中国の4ヶ国を中心とする新しい多角的安全保障体制の創設 ― である。

 特につぎの指摘に着目したい。

「アメリカ軍は占領中を含めて、今年1960年まで15年間日本に駐留しているが、今回の安保条約改正によってさらに10年駐屯しようとしている。外国軍隊が25年の長きにわたって駐留することは日本国はじまって以来の不自然な出来事」と。

 文中の「安保条約改正によって(米軍が)さらに10年駐屯しようとしている」の含意はつぎのように理解したい。

 新安保条約10条は「この条約は10年間効力を存続した後は、条約を終了させる意思を相手国に通告することができる」と定めている。
 これによって1970年までの10年間は米軍駐留は我慢するとしても、それ以降はお引き取りを願おうと考えていたのではないか。
 ところが現実には10年どころか今日まで半世紀も続いている。
 この現実を浅沼さんが知ることになったら、あの世で「日本人の独立国家としての気概はどこへ消え失せたのか」と慨嘆するに違いない。

 当時、浅沼さんは決して急進派であったわけではない。
 社会党内では左派ではなく、右派に属していた。
 気迫は人一倍であっても、思想的には穏健派であった。
 その人物にしてすでに日米安保破棄・米軍基地撤去論者だったのだ。


安原和雄の仏教経済塾、2009/10/23(金) 22:01:48
「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)

刺殺された浅沼稲さん最後の演説
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/blog-entry-253.html

 国会議事堂から100メートルあまり北に歩くと、警視庁の永田町庁舎があります。
 ここにはかつて野党第1党の社会党本部がありました。

 1964年に国有地を借りて地上7階、地下1階のビルを建設。
 最盛期には200人を超える国会議員でにぎわいました。
 党本部の近くの坂にちなんで「三宅坂」が社会党の代名詞になりました。
 戦前には陸軍省があった場所です。

 党本部は外壁が剥がれるなど老朽化が進み、2011年の東日本大震災を機に耐震強度不足が判明。
 社会党から名前を変えた社民党は建て替え資金が無かったため、2013年に取り壊しました。

 最初の引っ越し先は永田町の首相官邸の裏にある民間賃貸ビルの一角でした。
 広さは「三宅坂」の10分の1ほど。
 当時、国会議員はすでに6人に減っていましたが「永田町に党本部を構えるのがステータス」(幹部)と賃料の高いこの場所を選びました。

 党本部の移転はさらに続きます。
 2016年の参院選で吉田忠智党首が落選し、国会議員は衆参で4人に減りました。
 資金が一層足りなくなり、2017年には永田町を離れ、国会から車で15分の隅田川沿いの賃貸ビルに移りました。
 賃料は安くなりましたが、広さは永田町のときの半分と狭くなりました。
 (中央区湊3‐18‐17 マルキ榎本ビル5階 Tel 03‐3553‐3731 FAX 03‐5540‐9087)

 党職員とともに引っ越しを繰り返し、今の社民党をじっと見つめ続けている胸像があります。
 浅沼稲次郎氏。
 1960年の演説会で右翼の少年に刺殺された社会党の委員長です。
 全国を飛び回り、だみ声の演説で人気を博した一方、約30年にわたって都内の下町のアパートに住み続けた清貧の人でした。
 党本部が小さくなっても、党の存続がかかった夏の参院選の行方を祈っているようにみえます。


[写真-1]
旧社会党本部の跡地。現在は警視庁の庁舎がある

[写真-2]
社民党が2013年に入居した永田町の賃貸ビル

[写真-3]
現在の社民党本部はこのビルの5階と6階に入居している

[写真-4]
現在の社民党本部の5階エレベーターホールに浅沼稲次郎氏の胸像が立つ

日本経済新聞、2019年2月21日 6:30
(写真でみる永田町)
移りゆく党本部 変わらぬ胸像

(山崎純)
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO41504400Q9A220C1PE8000

posted by fom_club at 11:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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