2020年01月17日

阪神・淡路大震災から25年

阪神淡路大震災25年
激震の記録1995
取材映像アーカイブ

(朝日放送)
https://www.asahi.co.jp/hanshin_awaji-1995/

 戦後最大の災害であり、未曽有の都市直下型地震、阪神・淡路大震災から丸10年。
 被災地の街なみはすっかりきれいになり、兵庫県は、「復興は着実に進んできた」といいます。
 しかし被災地の実態は、震災で余儀なくされた借金の返済の困難さや止まらない孤独死にみられるように、多くの被災者がいまも立ち直れず、震災による重荷を引きずったままです。
 依然としてさら地も多く残っています。
 被災者に個人補償がおこなわれなかったこととともに、国・自治体がすすめてきた復興政策がもたらした結果にほかなりません。
 10年間の復興政策と、被災者本位の復興めざす流れを検証します。

復興事業費、6割は大開発

 この10年間に投じられた国・自治体の復興事業費16兆3000億円のうち6割、約10兆円もの巨費が、「多核・ネットワーク型都市圏の形成」という大型開発事業群に注ぎこまれていたことが、昨年末の兵庫県の発表で明らかになりました。
 これは、神戸空港建設、新都市づくり、高速道路網建設、巨大再開発事業などからなり、関空二期工事への出資金まで入っています。
 ゼネコン型の大型開発を中心にすえたことが、国・自治体の復興政策の最大の特徴です。
 震災直後に設置され、復興の方針を決める国の復興委員会は、「復興は単にもとの姿にもどることではありません」(同委員会報告)とし、兵庫県は「単に震災前の状態に回復するだけではなく、21世紀の成熟社会を開く『創造的復興』」をスローガンに。
 こうした論法で、震災を絶好のチャンスとして大型開発を推進しました。

 神戸市の当時の助役は震災直後のテレビ番組で、神戸空港など開発計画をもりこんだ震災前の市のマスタープラン(総合基本計画)にふれ、「このマスタープランを実行するのが震災復興。タイトルを書き換えて、今日からでも明日からでも実行する」と発言。
「幸か不幸かこういうことになりましたので」と、震災を歓迎するかのような発言までしました。
 大企業優遇も明りょうです。
 県や神戸市がすすめた「東部新都心」づくりの事業では、神戸製鋼所や川崎製鉄のぼう大な遊休地を住宅や商業用地として高く買い上げ、神鋼は300億円弱、川鉄は218億円もの売却益を得ました。

地域コミュニティー壊す

 地域のコミュニティーを壊し、被災者を元の街に戻さないという方針が貫かれたことも復興政策の特徴です。
 貝原俊民前知事は、2002年10月のインタビューで、この点を明確にのべています。

「住民の言うように、前のとおりにつくっていって、それで事足りるのかと言われたら、これはまた問題なんですね」
「だから、長田なんか、人口が戻らないというような声が切実にあるわけですけれども、それでは、本当に元の状態に戻していいのかということです。……高齢者の集団を長田につくって、一体どうするのか」
(『阪神・淡路大震災復興誌第七巻』所収)

 仮設住宅は、神戸市分の約8割(戸数比)が郊外や埋め立て地など被災市街地外につくられ、災害復興公営住宅は全県分の44%(同)が被災市街地外に建てられました。
 コミュニティーを破壊して被災者を不便な遠方に追いやり、孤独死の温床となりました。

 震災前と同じ場所に住み続けている人は、神戸市内で51%(『2003(平成15)年度 復興の総括・検証』)、西宮市内、芦屋市内ともに37%(『街の復興カルテ2003年度版』)にすぎません。
 日本共産党神戸市議団の十周年調査でも、震災前と同じ行政区の復興公営住宅に住んでいる被災者は約4割にとどまっています。

「棄民政策」―― 自力再建押しつけ

「棄民政策」――阪神・淡路で生まれた用語です。
 国や県、神戸市などは徹底して「棄民」の立場でした。

 震災当時の村山内閣は、「私有財産制のもとでは認められない。生活再建は自助努力で」と個人補償を拒否し、自力再建を押しつけたのはその典型です。
 そのため、被災者はいまも苦闘を強いられています。
 仮設住宅と復興公営住宅で孤独死が通算560人にのぼります。
 孤立した病気や高齢の被災者が集められ、孤独死が多発する危険性が明白なのに、行政はまともな対策を怠ってきました。

 県は、「復興10年総括検証・提言報告」で、生活援助員の配置など「見守り」体制を「先導的な取り組み」などと自画自賛していますが、抜本的充実こそ求められています。
 行政の非人間的な対応も問題になってきました。
 神戸市内の仮設住宅で1997年8月、真夏にもかかわらず料金滞納で市に水道を止められた女性(53)が、衰弱死する事件が起きました。
 今月2005年1月13日には、西宮市の復興県営住宅で、男性(63)の白骨化した遺体が昨年2004年11月に見つかっていたことが判明しましたが、亡くなってから1年8ヶ月たっていました。
 報道では、男性は家賃を滞納していて支払いを督促され、「自主退去したいが転居先が見つからない」と話していたといいます。

※ 国連が被災者支援を勧告
 被災者が置かれた厳しい状態には、2002年に国連が日本政府に被災者支援の強化を勧告したほどです。
 国連社会権規約委員会は、同年2002年8月発表の見解のなかで、多くの被災高齢者が孤立しケアもないことや、住宅再建の資金調達の困難さなどに懸念を表し、
(1) 兵庫県に高齢者や障害者へのサービスを拡充させる
(2) 住宅ローン返済を援助する措置を迅速にとる
―ことを日本政府に勧告しました。

※ 被災者は訴える
〇 ケミカルシューズ加工業 甲斐美智子さん(64)=神戸市須磨区=
人生の“谷底”
 
 靴一筋40年、夫婦でがんばってきました。
 震災で家も工場も失い、3600万円の融資で店舗つき住宅を再建しました。
 ところが年々売り上げが落ち、いま震災前の半分。
 月30万円返していたのを去年から10万円の利子だけに変更しました。
 元金が2000万円も残っています。
 来年から二人とも国民年金が入るので、それで元金を返していくつもりです。
 この十年、服なんて一枚も買っていません。
 ことしのお正月はかまぼこ一つ買えなかった。
 いま人生の“谷底”です。

〇 神戸市北区鹿の子台の復興県営住宅自治会長 永楽正夫さん(56)
家賃払えない

 私は長田区で被災し、7年前、神戸市の最北で交通の便も悪い、この住宅にきました。
 長田の公営住宅は当たらず、ここしかなかったんです。
 入居者の半数は高齢者です。
 近所づきあいはほとんどなく、部屋に閉じこもりがちの方が多い。
 お金がないから外にでられないという面もあります。
 コミュニティーはなかなかできません。
 入居後10年で家賃補助が打ち切られようとしていますが、そうなったら国民年金だけの方などは払えません。
 行政は10年という歳月で区切るのではなく、被災者の実態をみて配慮してほしい。

〇 二重ローンに苦しむ山本直之さん(46)=神戸市東灘区、会社員=
復興ずっと先

 3500万円で買ったマンションが、引っ越して9日目で震災に遭い全壊。
 建て替えで新たに1800万円負担しました。
 住宅ローンは前の分と新規分で合計4400万円です。
 毎月10万円の返済と年93万円のボーナス払いをしています。
 これが70歳まで続く。
 もう考えたくないですね。
 なくなった家のローンを払い続けるのは、本当につらい。
 せめて息子には借金を継がせたくない。
 周りの人に「もう震災は終わったんやね」と思われるのが悔しい。
 借金を返し終えるまで、震災は終わりません。
 私にとって復興はずっと先のことです。

※ 大震災データ
 1995年1月17日午前5時46分発生
 震源池・淡路島北部
 規模・マグニチュード7.3、最大震度7
 死者6433人、行方不明3人、負傷者4万3792人
 家屋全壊(焼)19万4589世帯、半壊(焼)27万4364世帯、一部損壊26万3702棟


しんぶん赤旗、2005年1月16日(日)
阪神・淡路大震災10年
たたかいが政治動かす
ほんとうの復興を求めて
借金、孤独死…いまなお

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-01-16/04_01.html

 阪神・淡路大震災の発生からきょう2020年1月17日で25年を迎えた。
 街から目に見える傷痕が消えて久しい。
 大多数の被災者は安心できる暮らしを取り戻した。
 一方で、隠れていた制度の壁が年月とともに姿を現し、乗り越えたはずの人を再び「被災者」へと引き戻す。
 これが四半世紀を経た被災地の現実だ。
 苦しむ人がいる限り、震災は終わらない。
 最後の一人まで救うためにどんな仕組みが必要か。
 復興とは何か。
 私たちは問い続け、またここから歩み始めようと思う。

◇ ◇ ◇ 

 あらわになった壁の典型が「借り上げ復興住宅」の退去問題だろう。
 兵庫県と県内5市が被災者向けに民間の賃貸住宅などを借り上げ、公営住宅として提供した。
 震災翌年の1996年、公営住宅法の改正で導入された仕組みで、自治体が直接建設するより住宅を早く確保でき、費用も安く済む利点があった。
 ところが、多くの住宅で20年間の借り上げ期間が過ぎると、神戸市と西宮市で要件を満たさない入居者を市が提訴するケースが相次いだ。
 裁判では退去を命じる判決が続く。
 突然家を失い、移り住んだ復興住宅でようやく得た、安心できる住まい。
 退去命令が、高齢となった被災者の健康や暮らしの先行きに与えるダメージは計り知れない。

 市側は「公平性」を強調する。
 一般市民や自力で住宅再建した被災者らと比べて不公平だという。

個別の再建支援を

 だが同じ制度でも宝塚、伊丹市は全員が住み続けられるようにした。
 兵庫県と尼崎市は一定の要件はあるが、健康状態などに応じ柔軟に継続入居を認めている。
 自治体間のばらつきこそ被災者には不公平に映る。
 画一的な線引きで退去を迫るか、一人一人の状況に配慮して工夫するか。
 法制度を誰のために、どう使うかが生活再建の質を左右する。
 行政は改めて被災者に向き合うべきだ。

 東日本大震災以降、被災者の個別状況に応じた生活再建計画に沿って支援する「災害ケースマネジメント」の導入が進む。
 2005年のハリケーン被害で、米連邦緊急事態管理局(FEMA)が始めたとされる。
 仙台市が仮設住宅入居者の生活再建支援策として実践し、熊本地震、西日本豪雨などの被災地でも採用された。
 多くの原発避難者が暮らす山形県も、昨年から「避難者ケースマネジメント」を導入した。

 鳥取県は2016年の地震を機に取り組み、2018年度に全国初の条例化に踏み切った。
 個別訪問による実態調査をもとに世帯ごとの生活復興プランを作成し、専門家による支援チームを派遣する。
 費用捻出が難しい世帯に建築士を派遣し、支援金の範囲でできる修繕方法を助言する。
 借金を抱えた世帯は弁護士が相談にあたる。
 健康不安を抱える高齢世帯には保健師が同行する−。
 多様な団体が被災者の個別事情を共有し、支援策を探っていく。
 定着すれば、被災者の生活再建を促すとともに平時の地域の課題解決力につながっていくだろう。

新たな災害法制へ

 阪神・淡路大震災は、新たな災害法制を生んだ。
 被災者らの粘り強い運動で1998年に成立した「被災者生活再建支援法」だ。
 住宅を含む生活再建を公的資金で支える、初めての仕組みだった。

 被災者支援を巡る法制度は他に、災害対策基本法、仮設住宅の提供を定める災害救助法、遺族や重度障害者に現金を給付する災害弔慰金等法などで構成される。
 それぞれが災害のたびに継ぎはぎされ、新たな線引きからこぼれ落ちる被災者を生み続けている。

 昨年、これらを一本化し、切れ目のない支援を実現する「被災者総合支援法案」を関西学院大学災害復興制度研究所が発表した。
 被災者自身が支援内容の決定に参画する運営協議会や不服を申し立てられるオンブズマンの設置、災害関連死の防止義務などを盛り込んだ。
 検討メンバーで、災害ケースマネジメントを提唱する日弁連災害復興支援委員長の津久井進弁護士=兵庫県弁護士会=は「最後の一人まで救うために必要な仕組みを形にした。残された課題に光を当てるきっかけにもなる」と指摘する。
 借り上げ復興住宅だけでなく、震災当初のアスベスト(石綿)飛散による健康被害、震災障害者の実態把握などの課題は、今なお積み残されたままだ。

 一人ひとりが尊重される「人間の復興」を見届けるのは、被災地で生きる私たちの責任でもある。


神戸新聞、2020/01/17
「復興とは」
問い続ける「最後の一人まで」

https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/202001/0013039440.shtml

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