2019年11月21日

木内みどりさんに聞いた

木内みどりが、2019年11月18日、急性心臓死により永眠いたしました。生前の本人の希望通り通常の通夜・告別式は行わず、家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします。これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます。
https://twitter.com/kiuchi_midori

「私にも責任がある」
そう気がついて動き出した


編集部: 木内さんは、脱原発について積極的に発言をしたり、地方選で脱原発を公約に掲げる候補者の応援をしたり、さまざまな活動をされていますね。日本の芸能界では、自身の社会的スタンスや政治的スタンスを明らかにしない人が多い中で、女優である木内さんは、ご自分の考えをはっきりとおっしゃっている。そもそも、そうした発言や行動のきっかけは何だったのか、お聞かせください。

木内: きっかけは3.11です。福島第一原発事故後、何が起きているのか、原発がどうなっているのかもまったくわからなくて外出もできず、悶々としていた時期があったんですね。そのときに「たね蒔きジャーナル」(MBSラジオ)の小出裕章さんのお話を聴くようになって、そこだけおいしい酸素があるみたいに感じて、毎日聴いていたんです。iPhone にも落として、何度も何度も繰り返し聴くうちに事の次第がだんだんわかってきて、それと同時にテレビのニュースも新聞もあまり信じられなくなり、ウェブでの情報を拾うようになっていったんですね。
 そうして半年くらい経った頃でしょうか。小出さんが、原発政策は「国を挙げてやってきたことだから、騙されてもしようがないけれど、騙されたあなたにも責任がある」と。「騙されたことを認識しないと、また騙される、また事故が起きる」ということをおっしゃっていて、その言葉にハッとして「私にも責任があるんだ」というふうに自覚したんです。
 というのは、私の夫の水野誠一は、2001年の静岡県知事選に出ているんですね。私はそのときは政治のことなんか何もわからないし、最初は「絶対嫌だ!」と大反対したんですけれど。どうして彼が県知事選に出たかったかというと、彼の父親の水野成夫は、静岡県の浜岡町(現在は御前崎市の一部)の出身で、フジテレビを設立したり、産経新聞の社長をつとめたりしたのですが、1960年代に浜岡原発の誘致をするときに協力した人なんです。ところがチェルノブイリの原発事故が起きたことで、息子である水野は「浜岡だって危ないんじゃないか」と危機感を持って勉強をし出したんですね。
 県知事選出馬の話が持ち上がったのは、水野は当時、参議院議員だったので、政治がわかっていて、マーケティングがわかっていて、人柄としてもクリーンだということで、地元の学生と主婦が頼みにきたわけです。だからバックも何もなかったんですが、水野は、浜岡原発を止める「いいチャンスだ」と、せっかくチャンスがあってお願いされているのに、「僕は逃げるわけにはいかない」と言ったんですよ。それはやっぱり「人としてかっこいいな」と思ったので、私もひと夏、選挙のためにものすごく頑張ったんです。

編集部: 県知事選のときは、水野さんは浜岡原発の危険性を正面切って訴えたのですか?

木内: はい。静岡空港建設反対と浜岡原発停止を言ったんですが、浜岡の話をすると、場がシラーっとなって、人がすーっと引くのがわかるんですよ。私もそのときは原発のことをまったく理解していなかったから、側で聞いていて「また難しい話をし出した」みたいな。「ねえ、浜岡の話題はやめない?」なんて言っていたくらい、わかっていなかったんですよね。
 結局、選挙は現職にダブルスコアで負けて、そのとき身に沁みたのは、有権者のみなさんの県政への無関心ぶり。私は原発の話はしなかったけれど、福祉政策とかいっぱい訴えたんです。でも、全然手ごたえがなくて、この無関心ぶりはすごいなって。
 あと、選挙の結果が出た後で、地元の財界の人たちから「もっとうまくやれば勝たせてやったのに」みたいな話も聞いたりして、私は政治の素人ですから、そういう選挙のあり方に「なんて嫌な仕組みなんだろう」と絶望したんです。それで政治とか選挙とか、どんどん嫌いになってしまって。

編集部: それから10年後の2011年3月11日に、福島第一原発事故が起きた。

木内: 事故が起きてから「ああ、本当に起きちゃったんだ…」と。そこに小出さんの「あなたにも責任がある」という言葉が心に響いて、静岡県知事選のときに、もう少し原発の問題を理解して動いていたら、ちょっとは違っていたかもしれないという思いが、一気にわき上がってきたんですね。「私にも責任がある」って気づいてしまったんだから、「できることは全部やるぞ」と決意したのが、今やっているいろいろな活動のはじまりです。

国内外の脱原発運動に参加して

編集部: 現在は脱原発集会の司会ほか、多彩な活動をされていますね。

木内: ツイッターで発信したり、脱原発集会に参加したりしているうちに「司会をしてください」とか「官邸前抗議でスピーチをしてください」とか、そういう機会がだんだん増えていきました。
 その流れで、この2014年4月にロンドンの日本大使館前での脱原発集会で、英語でスピーチというのを大胆にもやってしまったんですけれど(笑)。その脱原発集会では、キャサリン・ハムネットという著名なデザイナーもスピーチをして。30年くらい前、彼女が来日したときに私は雑誌で対談をしているんです。そのとき彼女がプレゼントしてくれたTシャツには「WORLDWIDE NUCLEAR BAN NOW」というメッセージが大きなロゴで書いてあって、かっこいいTシャツなんですけれど、当時はそのメッセージが全然わからず、わかろうともせず着ていたんですよ。
 それで3.11後に、「あっ」と思ってTシャツを見てみたら、「全世界のすべての核を今すぐ禁止せよ」という意味だったことに気がついたんです。そこでまた、彼女がこれをくれた30年前に、今やっているように全身全霊で反対運動をしていたら、原発をめぐる状況はどうなっていただろうという思いが、ますます自分の中で強くなっていったんです。

編集部: ロンドンの脱原発集会では「私の人生は、福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべてやろうと決心した」とスピーチをしていますね。

木内: だからね、3.11以前の私から見たら、もうとんでもないことをしているわけで、そういう流れになってしまっている自分に、いちばん驚いているのは自分だし、怯えているのも自分なんです。でも勇気を出してやればやれないことではない。それに、私はどこの組織にも所属していないし、自分の考えを自由に言えばいいんだから、ひとつずつやっていくと、それなりに達成感はあるんですよ。ロンドンの脱原発集会では、キャサリンがものすごく喜んでくれて「一生友だちでいよう」って言ってくれたり。
 あとはアメリカに「NUCLEAR HOTSEAT」という大きなウェブサイトがあって、これはスリーマイル島の原発事故後に立ち上がったサイトなんですね。そこが3.11の3年目に、ポッドキャストで福島特集を世界に発信するというプロジェクトを組んだんです。それで小出さんや山本太郎さんや水野の他、私も「インタビューに答えてください」と言われて、「私ごときが」とためらったのですが、自分の気持ちを喋ればいいんだと思ってお話ししました。

編集部: 木内さんの、脱原発を訴える活動は、日本国内だけでなく、世界にも広がっているんですね。

木内: でも、いろいろやらせてもらって思うのは、デモや集会のやり方ももっと考えなきゃいけない。私もデモに行ったり、座り込みに行ったり、署名したり、お金を寄付したり、お金を集めたり、やって、やって、やって、やって…。だけど、やっているうちに「なーんにも変わらないじゃない、デモを何万回やってもおんなじじゃないのーーーっ!!!」というもどかしさが大きくなっていったんですね。
「さようなら原発1000万人アクション」という集会でも、私は何回か司会をしていますが、例えばデモをするときでも、せっかくノーベル賞作家の大江健三郎さんが先頭を歩いてらっしゃるのだから、「KENZABURO OE」とプラカードを出したり、動画に英語のテロップを入れたりすれば、世界の人が見てくれるじゃないですか。デモや集会のやり方や発信の方法を変えていくことは、本当にこれからの課題だと思います。

原発や政治について、
「言えない」社会の空気


編集部: 一方で、脱原発に向けて、行動する人びとは多数派とはいえません。それは社会の中に、政治的な話をするのはタブーだというような空気が漫然とあるからではないでしょうか。原発の話題を出すと「引かれるんじゃないか」と思ってしまったり、若い人たちからも「友だちと政治の話はしにくい」という声を聞きます。

木内: たぶん、1人ひとりが自分の足で立っていないんだと思うんです。誰かが褒めてくれたり、誰かが認めてくれたり、何かの会に所属したり、支え合っていないと倒れてしまう人が多いというか。だから、原発再稼働はおかしいと思っても動けなかったり、「こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか」と気にしてなんにも言えなくなってしまうんじゃないですか。
 もともと私は1人で行動するのが好きなんですね。小学生の頃からヘソ曲がりで、学校の集団行動も大嫌いだった(笑)。3.11以降「できることは全部やる」と決めてからも、グループ活動は苦手なので、動くのはいつも1人。だから考えも誰とも似ていないと思うんですよ。知識の足りないこの自分の頭で判断しているので。その代わり、本当に知りたいことを知ってきたから、私はこの考えで最後までいこうと思っています。

編集部: 本来はそうやって組織や会に属さない、それぞれ自立した個人がつながっていくのが理想ですね。どんな運動でも人と人の結びつきが生まれますから。木内さんは、原発問題に関わるようになって、交友範囲もずいぶん変わったのではないですか?

木内: 3.11前と後では、友人はかなり入れ替わっちゃいました。「なんだかすごい頑張っているのね…」みたいな、冷やかな言い方をする友だちは「もう会ってくれなくてけっこうです」って(笑)。私のほうで、そういう人たちは色あせてしまったんですね。あれだけの事故が起きて、原発の危なさが見えたのに、全然興味を持たないでいられることが、私にはわからない。

編集部: 芸能界に限らず、私たち一般社会においても、なかなか、政治や原発の話題は出しにくいわけで…。でも、何かきっかけをつくって、話しかけていくことは大事ですね。

木内: そう、先日も友人のお誕生日会で久しぶりに会った知人がいるんです。彼女は、政治に関してしっかりとした自分の考えを持っているので、せっかくの会なのに、2人で「いや、そうじゃない!」「私はそうは思わない!」なんて、ちょっと言い合いになったんですね。でも、おたがいの意見は違うけれど、彼女は「こういう場で政治の話をするのは初めて」と言うんです。「本当はこうあるべきよね。日本の女の人はやらなさ過ぎ。そこは問題だから大いにやりましょう」と言っていました。だから、私もひるまずに、原発のことを聞いてくれそうな人がいたら、どこでもどんどん喋ろうと思うんですよ。

脱原発候補者の選挙応援に駆けつけて

編集部: 前回は、脱原発運動に関わるきっかけと、活動の内容などを伺いました。そこから2月の都知事選をはじめ、地方選で脱原発を公約とする候補者の応援もされるようになったんですね?

木内: 選挙に関しては、私はどこの党とも関係がないし、どの組織にも属していないので、はっきりしているのは、とにかく原発を止めたい。それだけなんです。原発を止められそうな人がいたら、その候補者を全力で応援する。だから都知事選のときは、脱原発を訴えて出馬した宇都宮(健児)さんの応援をすることは、早い時期に決めたんです。

編集部: 選挙期間中はあちこちの集会の司会をしたり、それこそ全力で協力されていましたね。

木内: 先にお話ししたように、脱原発集会のやり方を変えなくちゃいけないと思っていたので、選対(選挙対策本部)でも私なりに「こうしたらどうか」といろいろな考えを伝えました。
 例えば2013年の参議院選で三宅洋平さんが出てきて「選挙フェス」をやったときには、「こういう選挙のやり方があるんだ!」と目からウロコでしたよね。だから選対では、これまでの選挙の闘い方にこだわらず、「(応援演説では)政治家の話は心に響かないからやめましょう」ということも言ったんですよ。官邸前で脱原発を訴えている人たちでも、政治を自分の言葉で語れるようになった人たちがいるんだから「そういう人たちに喋ってもらいましょうよ」とかね。

編集部: 都知事選の選挙運動の途中で、沖縄の名護市長選の応援にも行かれていますね。

木内: 名護市長選が1月にあって、現職の稲嶺進さんはずっと辺野古への米軍基地建設に反対されていて、熱い思いを持った方ですよね。私は、宇都宮さんから稲嶺さんへの応援の檄文を届けに行ったんです。
 名護のみなさんは、意識が高かったですよ。石破茂さんが「(基地容認派が勝てば)500億の振興基金を出す」って言ったでしょ。でも、普通のおじいちゃん、おばあちゃんでも、沖縄戦の記憶が生々しくあるからかもしれませんが、札束でひっぱたかれても動じない。びっくりしたのは、車を運転していたら、ガソリンスタンドのスタッフの若い男の子が「名護のことは名護が決める」と書いたプラカードを掲げているんです。「かっこいい!」と思いましたね。

編集部: 都知事選の後は、4月の衆議院鹿児島2区の補欠選挙にも駆け付けていますね。

木内: 都知事選では自分なりにやれることはやったし、しばらく選挙とか政治からは離れていようと思っていたんです。そうしたら、ロンドンの脱原発集会でスピーチをしてむこうの空港にいたときに「川内原発の再稼働を阻止するチャンスだ」という電話がかかってきたんですよ。「私、ちょっと、行けないですよ!」と言いながらも「ああ、私は結局行くんだろうな」って。もうね、自分でわかるんですよね(笑)。

編集部: 木内さんが応援した有川美子さんは、山本太郎さんの「新党ひとりひとり」が擁立した候補者ですね。福祉政策と、川内原発の再稼働阻止、消費税増税反対を訴えていました。

木内: 山本太郎さんが、誰かいないかと見つけた介護福祉士の人です。この有川さんという人がすごくいい人で、東京からも太郎さんの選挙を支援した人たちがいっぱい行ったんですけれど…。1位当選した自民党の陣営は、とにかくお金を使った選挙をやっていました。2位の民主党の候補者は、30人くらい民主党の議員の秘書さんたちが応援に来ていたんですが、数人ずつに分かれて「選挙に行こう」と書いた紙を持って歩いているだけ。民主党、あれじゃ勝てるわけがない。「何やってるの?」と呆れました。
 私たちは、お金はないけれど情熱はあったと思うんですが…。

編集部: 鹿児島2区の有権者の反応はどうでしたか?

木内: この補欠選がいかに大事な選挙か、一生懸命訴えたんですけれど、届かなかったですね。「今度の選挙は全国が注目しています」と言っても、投票日も知らない方も多くて。川内原発がどれだけ危ないか伝えても、「でもねえ、原発のおかげで暮らしているしね」と言う人もいました。

編集部: 地方選こそ、生活に密着した身近な選挙なので、もっと多くの人に関心を持ってほしいですね。来年は統一地方選挙がありますし。

木内: 鹿児島2区では有川さんは5858票しかとれなくて、自民党の候補者が6万票で、民主党の候補者が4万票。だけど、有川さんのツイキャスを見たり、ツイッター、フェイスブックで追いかけて、寄付もしてくれて、応援もしてくれた人たちがいっぱいいるんです。
 だから、希望は感じています。5858票は種火なんですよ。「この種火は絶対に消えない」という感触はあるんですね。自民党の組織票に比べたら少ないかもしれないけれど、熱があるから。「この熱はいつか伝わっていくよ、フワーッと伝わったら、あるときボッと火がつくよ」と私は思うんです。それは夢見ています。
 三宅洋平さんなんかも、あちこちの地方の市長選や町長選で、熱心に支援活動をやっています。地方選では、これまで選挙に出ようなんて思わなかった人が出始めているでしょう? そういう選挙戦では、ネットの分野で活動している若い人たちも動き出しているので、小さいところから3年後、5年後、10年後を目指して、着々と地固めはできていると思うんですね。

一人ひとりが
「熱」を持って動けば変えられる


編集部: 木内さんはこの3年間、脱原発運動に尽力してこられて、そのつながりで政治や選挙にも関わるようになりました。最近の重要な問題としては、安倍政権は解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を進めようとしていますが、そのへんはどう思われますか?

木内: 私はずっと脱原発ばっかり訴えてきたので、集団的自衛権のことは実感としてわからないんですけれど。ただ、去年の夏、報道写真家の福島菊次郎さんのドキュメンタリー映画の上映と写真展と講演が横浜であって、私もイベントに参加したんですね。そのとき菊次郎さんが、「このままじゃ戦争が始まる。今は戦前なんだ」というようなことをおっしゃっていて、あれから1年近く経って、状況は1歩、2歩、3歩、4歩、5歩くらい進んでいるのだろうから、「本当にそうなんだろうな…」とは感じます。
 イベントでは、菊次郎さんに「あなたは女優さんなんだから、あなたが読んでください」と言われて、『あたらしい憲法のはなし』という冊子をその場でいきなり渡されて朗読したんです。『あたらしい憲法のはなし』というのは、「戦争放棄」のことがわかりやすく書いてあって、素晴らしいですね。あれ、日本国憲法が公布された年に配られた中学生用の教科書らしいですね(ヤッホーくん注)。

編集部: 1947年の5月3日に憲法が施行された後、当時の文部省がつくって配布したものですね。憲法に書かれている内容を、中学生向けに分かりやすく解説してある。

木内: 横浜のイベントの後、府中でも菊次郎さんのイベントがあって、また「読んでください」とリクエストされて読んだんです。そのときはちゃんと読み込んでいって、この素晴らしい冊子を配ろうと考えたのは誰なのか知りたくなったんですね。それで「もともとの発案者を探すプロジェクトをつくろうよ」と私は言っているんですけれど。

編集部: 木内さんが感じているはがゆさのようなものを、私たちも感じています。原発再稼働を目論み、集団的自衛権の行使容認に突き進もうとしている現政権の暴走を止められないでいます。原発も憲法も、大事な局面にあるのに、世の中の大多数は、無関心だったりと。

木内: 私はね、社会と自分は同じ大きさだと思っているんですよ。だって、私が死んじゃったら自分にとっての社会もなくなってしまう。だから、大きな社会があって、その中にちっぽけな自分がいるんじゃなくて、この社会イコール自分だというふうに考えているんですね。だとしたら、こんな社会で生きるのは嫌だ、原発のない社会にしたい、戦争をしない国にしたいと思ったら、自分が動いて変えていくしかないじゃないですか。
 そのとき大切なのは、「熱」じゃないかと思うんです。脱原発の運動やいくつかの選挙戦を経験してわかったのは、どれだけ熱を持っているかで、伝わり方は全然違ってくるということ。偉い政治家が言うことよりも、普通のお母さんの言葉にふっと胸を打たれたりしますよね。権威とか、肩書とか、権力とか、武器とか、そんなもので世の中を動かすことはできない。心に伝わるあたたかいものでなければ、原発も戦争もなかなか止められないと思うんですね。
 1人ひとりが熱を持って行動すれば、きっと社会は変わります。


マガジン9「木内みどりさんに聞いた

(その1)2014年6月11日up
「脱原発」のため、私がやれることは何でもやる
http://www.magazine9.jp/article/konohito/13066/

(その2)2014年6月18日up
「熱」を持って動いていこう
http://www.magazine9.jp/article/konohito/13074/

(ヤッホーくん注)
 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください:

★ 2014年07月08日「あたらしい憲法のはなし」
★ 2018年10月31日「歌には力がある、歌を通して出来ることがいろいろある」

posted by fom_club at 16:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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