2019年11月21日

祝賀資本主義 Celebration Capitalism

「桜を見る会」の問題が連日、テレビや新聞を賑(にぎ)わしている。
 ホテルオータニでの「前夜祭」において、安倍首相の地元後援会の関係者約800人が、5000円という異例の低価格で飲食をしていた点については、公職選挙法違反や政治資金規正法違反の疑いがあると指摘されている。
 SNS上では、「森友、加計問題に続く疑惑であり、3アウト、チェンジだ」という声も多数出ているが、安倍政権は今回も居座る公算が大きい。
 11月13日には突如、来年の「桜を見る会」の中止が発表され、15日には安倍首相自身が官邸で、20分以上の時間をかけて記者団に経緯の説明をするなど、政権は問題の幕引きに躍起になっている。
 
「桜を見る会」が象徴する「宴の政治」

 ここでは、「桜を見る会」そのものの問題点よりも、この会が象徴する政治のあり方について考えていきたい。

 テレビで繰り返し流された「桜を見る会」の光景こそが、安倍政権、そして今の日本の主流の政治のあり方を象徴している、と私は考えているからだ。

 それは「宴(うたげ)の政治」とでも言える政治のあり方だ。

「桜を見る会」のような祝宴は、主催者に招待された限られた人しか参加できないという性格があるが、現代の祝宴はテレビやネットを通して映像を流すことで、参加していない人にも華やかな雰囲気を伝え、その場に参列しているかのような錯覚を与えることができる。

 そして、宴の中心にいるのは主催者である権力者だ。
 この間、参列者が立ち並ぶ中、安倍首相ひとりが壇上に立って、両手を大きく広げている写真がSNSで拡散していたが、この構図こそが「宴の政治」を象徴している。

 華やかな場。
 立ち並ぶ各界の著名人と政権の支持者。
 そして、その中心にいる権力者。
 こうした映像が垂れ流されることで、「彼」が政治だけでなく、社会や文化の中心にいるかのようなイメージが刷り込まれる。

祝宴の政治的効果を最大限に活用

 お祝いムードの中、「彼」がおこなう政治の中身について議論することは「空気を読まない」行為とされ、批判の声はかき消されていく。

 どの政権も多かれ少なかれ、こうした祝宴の性格を利用するものだが、安倍首相をはじめとする近年の保守政治家は、祝宴の政治的効果を最大限活用しようとする傾向が強いと言える。
「桜を見る会」の参加者が年々増え、肥大化した一因は、そこにあるだろう。

 こうした政治のあり方を私は「宴の政治」と名づけたい。

「宴の政治」とは、地に足をつけ、格差や貧困、災害、少子高齢化など山積する社会課題に取り組むよりも、意図的に人びとの耳目を集める祝宴を作り出し、その効果を自らの権力維持のために最大限に活用することを優先する政治である。

 現代の日本では、こうした「宴の政治」が横行している。

 スポーツイベントのように主催者が政府や政治家でない場合も、政治家が便乗する形で「宴の政治」が繰り広げられる。

 今年の秋には、ラグビーのワールドカップという祝宴があった。

 9月20日、安倍首相は自身の公式Twitterアカウントで動画を投稿。
 そこでは、日本チームのラガーシャツを着込み、「トライ! ニッポン!」と言いながらラグビーボールでトライのまね事をする首相の姿があった。

 10月20日、安倍首相はラグビーの日本チームがベスト8に進出したことに触れ、「日本代表の皆さん、たくさんの感動をありがとう。夢のような一ヶ月間でした」とTwitterに書き込んだ。

 だが、その1週間前には台風19号が東日本各地で甚大な被害をもたらし、死者・行方不明者は90人を超えていた。
 10月20日時点では約4000人が避難所での生活を送っていた。

 また、9月に関東地方に襲来した台風15号の影響による千葉県の大規模停電が完全に復旧したのも10月に入ってからであった。

 SNS上では、「夢のような一ヶ月間」という表現があまりにお気楽で、被災者に対して無神経なのではないかという批判が散見されたが、「初のベスト8進出」というお祭りムードの中で批判は大きく広がらなかった。

新元号発表でつくり出された「梅」の祝宴

 今年の4月には「桜」だけでなく、「梅」の祝宴も作り出された。
 初めて和語を使った新元号「令和」の発表である。

「令和」の引用元となったのは、「万葉集」の序文に記された「梅花の宴」を詠った32首の序文である。
「梅花の宴」が開かれたとされる太宰府市の坂本八幡宮は、一躍、有名スポットとなり、観光客が押し寄せた。

 新元号の発表のあった4月1日、安倍晋三首相は記者会見を開き、首相談話を発表。
 その中で、「令和」の意味について「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました」と説明した。

 さすがに明言はしなかったものの、「一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせる」という表現は、政権のスローガンである「一億総活躍社会」との類似性を強調するものであった。
 新元号の選定には官邸の意向が強く働いたとの報道もあり、新元号と政権スローガンの類似性は偶然ではなかった可能性が高い。

 この時期、改元による祝賀ムードの影響で安倍政権の支持率は10%近くアップした。
「梅」の祝宴の政治的効果は絶大であったと言えよう。

 この時は「令和」の発表役を担った菅義偉官房長官も「令和おじさん」として自らを売り込もうとしたが、野党側にも新元号を政党名(「れいわ新選組」)や選挙のキャッチコピー(立憲民主党の「令和デモクラシー」)に使うなど、「梅」の祝宴に政治的にあやかろうという動きが散見された。

 11月10日の新天皇の即位パレードの前夜に開催された「国民祭典」では、会場アナウンスによって「万歳三唱」が15回も繰り返されるなど、天皇代替わりに伴うお祝いムードをナショナリズムの強化に利用しようという動きは、現在も続いている。

問題山積の東京五輪

 来年予定されている最も大きな祝宴は、東京オリンピック・パラリンピックである。

 東京五輪は当初、「復興五輪」と呼ばれていた。
 安倍首相は五輪の誘致演説において福島第一原発の状況は「アンダーコントロール」であると述べたが、今年10月には台風19号の影響で、除染廃棄物の入ったフレコンバッグ90袋が流出。
 福島第一原発から出た汚染水の海洋流出も検討される等、放射能汚染をコントロールできない状況が続いている。

 最近では、五輪誘致に使われた海外コンサルタント費約9億円の支出を裏付ける会計書類が不明になっているという問題も報道された。
 高額の海外コンサル費が贈賄に使われたのではないかという疑惑については、フランス検察当局による捜査も継続している。

 また、この連載でも指摘してきたように、東京では五輪に伴う都市再開発により都心部で路上生活者が排除される動きも加速している。
 新国立競技場の建設の影響で取り壊しになった都営霞ヶ丘アパートでは、高齢の入居者が移転を余儀なくされた。

 オリンピックのマラソンと競歩は札幌開催になったものの、他の競技は真夏の東京で開催され、アスリートやボランティアが熱中症になるリスクは依然として高い。

 このように東京五輪についてはさまざまな問題点が指摘されているが、来年になれば、報道は歓迎ムード一色になり、「空気を読まない」批判者は無視されたり、バッシングされたりするのであろう。

 マラソンと競歩がIOCの意向により札幌開催になったのは誤算であったであろうが、安倍首相、小池都知事はそれぞれの思惑で、この祝宴の晴れ舞台を最大限、政治的に活用するであろう。

 五輪という世界規模の祝宴は、政治家だけでなく、大企業にとっても巨額の利益を上げる草刈り場となっているという指摘もある。

五輪を「祝賀資本主義」と批判

 米国のサッカー五輪代表選手という経歴を持ちながら、現在は世界各地のオリンピック反対運動をつないでいるジュールズ・ボイコフ(Jules Boykoff、1970年生まれ)パシフィック大学教授(『オリンピック秘史〜120年の覇権と利権』翻訳・中島由華、早川書房、2018年1月)は、「祝賀資本主義 Celebration Capitalism」という言葉を用いて五輪を批判している。

 同氏は、五輪が開催される各都市において、お祭りムードの中、正常なルールのもとでの政治が機能しない例外状態が発現することを指摘。
 この間に企業の営利活動のリスクを公的機関や開催都市の納税者が負担する構造ができ上がり、環境への負荷やセキュリティー強化によるプライバシー侵害、貧困層の排除といった問題が起こることを指摘している。

 東京五輪の開催費用は当初の予定の数倍に膨れ上がっており、3兆円を超えると言われている。
 最終的にその負担を税という形で背負うのは都民や国民である。
 その一方で、「宴の政治」や「祝賀資本主義」により、政治的・経済的利益を享受する人たちがいるのを忘れてはならない。

 東京五輪開催まで、あと1年を切り、五輪後の景気失速も懸念される中、その次の祝宴も続々と計画されている。
 2025年に予定されている大阪・関西万博は、その代表格だ。

 大阪での万博決定には、維新の会と安倍官邸の意向が強く働いたと言われている。

 大阪府と大阪市は万博開幕前の2024年度内にカジノを含む統合型リゾート(IR)の開業をめざしている。

 カジノについては、ギャンブル依存症患者が増えること、マネーロンダリングに悪用されること等が懸念されており、候補地となっている各都市で市民による反対運動が盛り上がっている。
 大阪では万博という祝宴と結びつけることで、批判をかわそうという意図が見え隠れする。

 このように近年の政治は、祝宴を次から次に作り出して批判を抑え、祝宴と祝宴の間の空白を短くすることで権力を維持するということが目的化しているように見える。

 その観点で振り返ってみると、第二次安倍政権の表看板であったアベノミクスも、国をあげての祝宴であったと言うことができるだろう。

祝宴に目を奪われない有権者が増えることが必要だ

 私は2012年12月に発足した安倍政権が最初に行った仕事の一つが生活保護基準の引き下げであったことを批判してきた。

 生活保護費の大半は、生活保護利用者が暮らす地域での消費に回るお金である。
 国内消費を活性化したいのであれば、生活保護基準はむしろ上げないといけないはずだが、経済学の理論を無視してまで引き下げにこだわったのは、アベノミクスという祝宴に誰を入れないのか、ということを政治的に明確にしたかったからであろう。

 野党やマスメディアの奮闘にもかかわらず、「桜を見る会」のスキャンダルは決定的な証拠が出てこない限り、沈静化してしまうのであろう。

 しかし、一部の人のみが優遇される「宴の政治」というマジックのからくりを人びとが理解するようになれば、この後に次々控える祝宴の政治的効果も薄らいでいくだろう。

 野党側にも、改元や五輪といった祝宴にあやかるパフォーマンスではなく、祝宴の影で進行している諸問題に向き合う姿勢を求めたい。

「宴の政治」に別れを告げて、地に足のついた政治を取り戻すには、祝宴に目を奪われない有権者が増えることが不可欠である。

 そのことに一縷の望みをかけていたい。

朝日新聞・論座、2019年11月21日
「宴の政治」に別れを告げる時
桜、梅、五輪、万博が隠すものは?

(稲葉剛・立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019111900001.html

posted by fom_club at 15:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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