2019年10月11日

作家の人生総体がとりもなおさず唯一の傑作である

現代文学の衰弱がとなえられている。
それにはさまざまな原因が考えられるが、作家における精神の衰弱もその一つであろう。
一方では〈無頼派〉である太宰治、坂口安吾の小説がロングセラーを続けており、関係書の出版も後を絶たない。
〈無頼派〉は現代文学の喪失した本質的な何かを持っているのだろうか。
川嶋至氏に、そういった情況に照明を当ててもらった。

現代小説への不信の念


『群像』(1973年4月号)が「現代小説の読みかた」という特集を行った。
 あらためて「読みかた」を考えなおさねばならぬほど、現代小説は悲惨な袋小路に追いこまれているのである。
 月々大量に生産される小説という名の活字の羅列が、その生産者に反比例するかのように、かつてもっていたはずの実質を喪失していく光景は、多少とも現代小説にまともにつきあおうとした読者なら、誰もが目撃しているところであろう。

 文学運動どころか、ちょっとした文学論争さえもいっこうに起こる気配のない、一見平和な無風状態のなかで、苛酷なジャーナリズムの要請に応じて、小羊のごとき小説家は黙々と原稿用紙を埋めている。
 彼らは書きたいという欲求など、とうの間に失っているのだ。
 読者の方も、さして期待はしていない。
 毎朝新聞を開くように、読書習慣として、毎月文芸誌のページをめくるだけである。
 そして猛々しい小説家は、いっこうに作品を発表しようとしない。
 文芸時評家が月ごとにもらす現代小説への嘆き声は、けっして単なる職業的な挨拶としてだけ葬り去ることはできないのである。

 こうした現代小説の実状が、捉えどころのない現代という時代の反映であるといったような議論はさておき、この現代小説への不信の念は、読者の眼をかつて明確なかたちをもって存在したはずの過去の小説に向けさせるという、ひとつの現象となって現れている。
 現代小説に深くかかわろうとする激しい情熱から出発した多くの批評家たちが、自己の思想と感情を盛る対象を、現代に発見できず、次第に夏目漱石や森鴎外をはじめとする、濃密な実在感をもって屹立する近代作家たちの上に求めていったのも、そのためであろう。
 批評家もつまるところ、読者のひとりである。
 混迷のなかから予見への指針を求めて、かつて確かな手ざわりで実感できた小説の世界のありようをもう一度確かめようとするのは、ことの成否は別として、賢明なやり方である。

 この方向に添って、この4、5年にわかに注目を集めているものに、無頼派の作者たちがある。
 相次ぐ無頼派作家の個人全集刊行、それにおびただしい数の評論・評伝・研究書のたぐいや諸誌紙における無頼派特集は、彼らに対する最近の関心の高まりを示している。
 無頼派の復権は可能かといった議論も、すでに耳新しいものとは感じられなくなった。

不遇に恵まれない情況

「作家は無頼、浮浪の徒であるべきだ。栄誉や地位は障害である。あまりの不遇は、その芸術家の意志が弱く忍苦に脆いと、才能までしぼむこともないではないが、逆に声誉もまた才能の凝滞衰亡のもとになりやすい」
(「夕日野」)
 これは、ノーベル賞受賞後の川端康成の感想であるが、内面的には無頼の徒であろうとした川端が、賞ひとつによって国民的英雄に祭り上げられた悲喜劇は、記憶に新しいところである。
 川端ほど極端ではないにしろ、現代の小説家は多かれ少なかれ声誉にむしばまれ、不遇に恵まれない情況に置かれていて、精神的にも無頼の徒にはなり難い。
 現今無頼の生涯を終えた作家に関心が集まるのも、故なしとしないのである。

 広義の無頼性は、元来文学の底流に存するものであり、なにも近代小説にかぎったことではない。
 無頼派の系譜探索の触手は、時代を遡行して、広範囲に延びているが、周知のように狭義の無頼派は、敗戦後2、3年の間、華やかな脚光をあびた太宰治、坂口安吾、織田作之助ら破滅型作家を指し、あるいは伊藤整、石川淳らの韜晦型作家を含めることもある。

 いま破滅型作家に焦点をしぼってみれば、彼らはまさしく現象的にはジャーナリズムの波をまともにかぶった先駆者であり、それ故に破滅したという栄誉まで担っている。
 現代ジャーナリズムの要請の厳しさは、新人にいたるまで無頼派の時代の比ではないと想像されるが、涸渇にあえぐものはいても自己を破滅に追いこむものはいない。
 それだけ賢明になったのは喜ぶべきことであるが、かつて身を滅ぼしていった作家たちを、ジャーナリズムに踊らされたピエロと嘲笑することはできないであろう。
 創作に生涯を賭けた壮絶な精神の絶対性は、知的相対性に遊ぶ野次馬を沈黙させるだけの力をもっている。
 小説のために生活を危機に追いこむ私小説家のいわゆる実生活演技説も、坂口や織田については当てはまらないであろう。

 無頼派が世に容れられたのは、日本じゅうがいっさいの価値観を根底からくつがえされ、呆然自失していた時期であった。
 昨日の輝かしい英雄は、今日裁きの底に立たされている。
 既成の価値観に依存した思考が有効性を失い、ことばのまったく無力化した情況こそが、彼らの息づく格好の舞台だったのである。
 彼らの力強い現実容認のことばは、よりどころを失い虚脱放心状態に陥っていたひとびとの心に、すなおにとけこんでいった。
 彼らは十年を超える不遇の歳月、というよりそれまでの人生のすべてとひきかえに、この確信を手中にしていたのであった。
 太宰が自己の存在の苦しさを語り、坂口が人間の絶対の孤独のさまを写し、織田が人生流転の哀感をくり返し綴ったのは、みずから体験的につかみとった人間の本質の形象化にほかならなかったといえる。
 裏返せば、彼らには自己の生涯を文学の実験の材料に供して悔やむところない、強靭な精神の裏づけがあったのである。

俗の俗に徹した生き方

 現代もまたことばがむやみと氾濫し、無力化している時代である。

 日常のことばさえもが異様に拡散して、にわかには信じられがたいのだ。
 近代的合理主義のもたらした相対的思考の泥沼に足をとられて、われわれは虚無の闇路をさ迷うばかりである。
 こうした情況のなかで、無頼派の作家たちから得るものがあるとすれば、それはなにか。
 単独の作品が訴えかけてくるものではない。
 彼らの文学から人生の進路を変えるほどの感化を受けたものもいるが、その影響力は、おそらく断片も含めたいっさいの作品の総和が示す彼らのたどった人生そのものの魅力、あるいは人生の総体が浮かび上がらせる主張のようなものに発しているのではないだろうか。

 吉行淳之介氏は、『群像』の特集「現代小説の読みかた」において、最近、
「戦争を知らない書き手が生まれてきている。その場合でも、自分を小説家に追いやるに足るだけの苛烈な情況というものは存在するはずだ。そういうものを持たない小説は、つまらない。私は情況といったが、それは外部からの圧力とは無関係に、自己の内部の情況でもいいわけで、デーモンという言葉はこういう場合に使ってもよいとおもう」
(「甲羅に似せて」)
という、感想をもたらしている。
 最大公約数的な市民生活に順応できるものが、ことさら小説家になる必要はないというのは、吉行氏年来の持説でもある。
 氏はけっして私小説家ではないし、また私的情況を書けと主張しているわけでもない。
 苛烈な情況のもたらす精神の緊迫感こそが、創造の原動力たりうることを経験で知った上での、この発言なのであろう。
 創造へとひとを駆りたてる悪魔が、健全な市民的平衡感覚との同居をいさぎよしとしないことだけは確かである。

 例証のゆとりはないが、無頼派の作家たちの作品は多かれ少なかれ一種生理的な浄化作用の産物といったおもむきがある。
 だからこそ作家と作品が密着していたともいえよう。
 論理的であるべき評論でさえもが、その明快な論調にもかかわらず、多くの飛躍、矛盾をはらんでいるのだ。
 たとえば「如是我聞」、「堕落論」、「可能性の文学」のいずれをとりあげてみても、そこには論理的一貫性のかわりに、私情に由来する悲憤慷慨があり、観念の相剋による自家撞着がある。
 だが前後の行き違いにもかかわらず、彼らが真実自己だけをよりどころに、肉声を放っていることだけは実感できる。
 彼らが本音を吐いていることだけは疑いようもないのである。

 無頼派の文学への傾情を語るのなら、それにふさわしい作品を示さなければならないのかもしれない。
 いくつかの例外を除けば、確かに彼らの作品は二流の域にとどまっているといわざるをえない。
 彼らに傑作意識がまったくなかったとは思わないが、芸術至上主義者でなかったことだけは確かなのだ。
 奔放不羈の無頼の精神は、自作の芸術的価値すらも、よりどころとして認めることを拒んだのである。
 強烈な精神主義にもとずく俗の俗に徹した生き方は、芸術的彫琢の道さえ捨て去ったのである。

 最近の芸術的完成度に敏感な小説は、風化されやすい主張というものを潔癖に排除することによって、逆に失われるものの大きさに気づいていない。
 作品の総和が示す作家の人生総体がとりもなおさず唯一の傑作であるといった捨身の姿勢に、閉塞した現状を打ち破るひとつの活路が見出せるのではないだろうか。
 なによりもそこに、私は無頼派作家たちの現代に生きる意味を認めたいのである。

※ 『週刊読書人』1973(昭和48)年4月30日号 1面掲載


[写真-1]
1973(昭和48)年4月30日号、1面より

[写真-2]
破滅型無頼派作家(左から)太宰 治・坂口 安吾・織田 作之助

[写真-3]
韜晦型無頼派作家(左から)石川 淳・伊藤 整

週刊読書人・読書人アーカイブス 、2019年10月6日
閉塞情況を打ち破る活路――無頼派作家の現代に生きる意味
(川嶋 至、かわしま・いたる氏=文芸評論家、1935 - 2001)
https://dokushojin.com/article.html

(ヤッホーくん補注-1)
 1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成。
 その時、同時に候補となっていたのが、三島由紀夫だったことが分かった。
 2019年1月にスウェーデン・アカデミーが当時の選考過程を公開、三島は「今後の成長によって再検討も」とされていたのだ。
 しかし、その2年後の1970年に、三島は割腹自殺。
 さらにその2年後の1972年、川端はガス自殺をする。
 二人はなぜ死を選んだのか?

 
NHK・クローズアップ現代、2019年2月4日(月)放送
三島由紀夫×川端康成
ノーベル賞の光と影

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4241/index.html

(ヤッホーくん補注-2)先崎彰容『違和感の正体』(新潮新書、2016年5月)
 筆者(先崎彰容)が生まれたのは1975年、ちょうどベトナム戦争が終結した年です。
 小説家の三島由紀夫が、自衛隊は軍隊になることを決断せよ!と叫んで割腹したのが5年前の1970年。
 その年1970年は、大阪万博が開催され、つい最近まで史上来場者数世界一位を誇っていたのです。
 つまり戦後の日本人は高度経済成長の波に乗り、1970年代いっぱいを万博に押しかけ、明るい未来を想像して過ごし、三島由紀夫の警告などはどこ吹く風、1980年代にはバブル経済さえ経験することになったのです。

「はじめに、ものさし不在の時代に」4頁

(ヤッホーくん補注-3)村上春樹&多和田葉子
…… 村上氏は、早大第一文学部を卒業して、1979(昭54)に「風の歌を聴け」でデビューしたが、専業作家になるまではジャズ関係の仕事をしていた。
 1974(昭49)年に東京・国分寺でジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店。
 1976年には同店を千駄ケ谷に移転し、営業するなどした経験を持つ。
 そのことを踏まえ、
「僕は昔、ジャズの店をやっていて、とてもこんなすごいメンバー、集まらなかったです。一晩でもやっていて欲しいくらい…そういうわけには、いかないしね」と感激した。
 村上氏はMCの中で、ジャズ喫茶を経営していた当時の客から「無愛想だ」と言われたと明かした。
「まさか作家になるなんて思わないじゃない。最後の2年くらいは兼業だったんですけど…店をやってた頃は一生懸命、愛想良くやろうと思ったの。でも当時のお客さんに『無愛想だね』と言われて、あの時の努力は何だったんだ、と」
……

日刊スポーツ、2019年6月26日23時2分
村上春樹氏「一晩でもやって」人生初公開収録ライブ
(村上幸将)
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201906260001142.html

1960年、東京生まれ。国立市立第五小学校、国立市立第一中学校、都立立川高校を経て、1982年、早稻田大学第一文学部ロシア文学科卒業。同年、ドイツに渡り1982年から2006年までハンブルグ在住。2006年よりベルリン在住。
多和田さん:
 国立市で暮らしていることに子供の頃は誇りを持っていました。
 他の町に行くと、駅前にパチンコ屋とか飲み屋があって、子供ながらに何となく暗く湿った雰囲気が嫌だなと感じたのですが、国立駅前はすっきりしていて、そこからまっすぐ伸びた大学通りになんだか「筋を通す」みたいな潔さを感じていました。
 大学通りを南下していくと歩道橋が一つありますが、これが作られた時に反対運動が起こって、
「歩道橋を作るのはいいことみたいに聞こえるけれど、実は横断歩道などを作って車が止まるのではなくて邪魔な歩行者を橋の上にあげてしまうという考え方そのものが車中心でよくない。そういう考え方ができるのは国立市だけだ」
と小学校の先生が言っていたので、子供ながらに国立市というのはやはり他の市より進んでいるんだ、と思い、その「国立的思考」を別の町に越してからも守っていこう、などと決心したものです。
 私にとっては自分の住んでいた富士見台第二団地が国立市の中心で、中央郵便局と中央図書館と国立市役所に囲まれているのだからそう思い込んでも無理ありませんが、とにかく第一、第三団地の子のところに遊びに行く時は、ちょっとだけ外国に行く感じがして、一橋大学構内や谷保天満宮に遊びに行く時はかなり異質な世界に遊びに行く覚悟が必要で、胸が高鳴りました。
 今の私の生活の中心はドイツですが、フランスに仕事で行く時が第一団地に行く感じで、スペインに行く時は第三団地だな、と思って出かけます。
 アメリカに行く時は一橋大学構内へ行く感じ、中国に行く時が谷保天満宮に行く感じでしょうか。
 幼年時代の国立市が地理感覚の元になっているので、大人になって世界を激しく移動していても不安にならないんですね。


国立歩記・サミー、投稿日: 2019年3月10日
祝・全米図書賞 翻訳文学部門受賞
多和田葉子さんメッセージ全文

http://kunitachiaruki.jp/?author=25

posted by fom_club at 09:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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