2019年10月01日

橋川文三

 なんという不器用な思想家だろう−−
 これが20歳のころ、私が最初に作品を読んだときの橋川文三への印象である。

 橋川文三、と聞いてもピンと来ない人も多いかもしれない。
 彼は政治思想史家・丸山真男の、いわば「鬼子」である。
 晩年の三島由紀夫とのあいだに論戦をくり広げ、三島も一目置いた思想家、それが橋川文三だった。
 三島は天皇についての自分の考えが論破されたとき、橋川を天才であると認めた。

 どうして彼が不器用に見えたのか。
 それは彼が、生涯をかけて戦争体験を考えたからだ。
 戦後、多くの人たちは次の時代、新しい時代へと突き進んでいった。
 だが橋川は違った。
 彼は戦中の体験に「躓(つまず)く」。
 そして困惑を一生背負ったまま、千鳥足で戦後を生きていった。
 作品を読みながらこのことに気づいた私は、彼を直感的に「不器用な思想家」だ、こう考えたわけである。

 橋川が、自身の心のなかを覗(のぞ)き込む。
 あのとき何が自分をとらえ、離さなかったのかを問いただす。
 すると「ロマン主義」こそ、戦争体験そのものだと橋川は思った。

 ではロマン主義とは何か。
 私たちは普通、世界を理解する共通の「ものさし」をもっている。
 たとえば最近なら冷戦=米ソ対立の時代だったとか、一億総中流の時代なのだと言うことで、私たちは現実を理解する。
 こうした世界観=ものさしを前提に、他人と話を進めていくことがしばしばある。

 戦前、ものさしの役割を果たした思想の一つに、マルクス主義があった。
 マルクスを読む、すると世界全体のうねりが、はっきりと理解できた気になる。
 今の時代がどんな時代で、次にどうなるか、分かったような気がする。

 だがもし、全てのものさしが嘘だったらどうか。

 この世の中は「混沌(こんとん)」であり、何一つ確実なものはない。
 全ては疑わしく、心のよりどころなど何もない。
 こういう意識に、橋川は襲われた。
 なぜなら戦争中は、誰も明日がどうなるかなど分かりっこないからだ。
 死の匂いが日常を覆っている。
 死は些細(ささい)な偶然で私の人生を奪い、静かに隣人の顔に白い布をかける。
 これほどの不安定と混沌があるだろうか−−

「かんたんにいい切ってしまえば、すべて存在するものの存在がその確定的な意味を喪失し、人間における信条体系の一義性が消失した状態がそこにはあった」(「日本浪曼(ろうまん)派と太宰治」)。

「一義性」という言葉に注目すべきだ。
 これこそ、ものさしと同じ意味だからだ。
 人は食べ物だけでは生きていけない、自分がなぜ、何を根拠に生きているのかを問わずにはいられない−−橋川はこういう問題に直面した。
 それを「ロマン主義」と名づけた。
 当時、保田與重郎(よじゅうろう)や亀井勝一郎らがロマン主義の代表選手であり、その主張に橋川は酔った。
 決定的な影響を受けた。

 彼らの日本の古典文学への熱烈な愛情。
 ロマン主義とは、日本主義者であればあるほど言葉への繊細さを失う、そんな時代状況への批判だった。

 日本を大事に思う、
 ならばなぜ日本人の心の襞(ひだ)深くまで降りていかないのか。
 古典時代の文学に耳を傾けないのか。
 古典の詩歌こそ、心の混沌を鎮めてくれる唯一の処方箋のはずなのに。


 この主張に、橋川は打ちのめされた。

 こうした強烈な戦争体験を橋川はもち、戦争の意味を探りつづけた。
 戦後、石原慎太郎や大江健三郎らの過激な主張が登場したときも、三島由紀夫の天皇論の限界を指摘するときも、橋川の脳裏にはつねに、自身のロマン主義体験があったのだ。

 さらにふり返れば、高山樗牛(ちょぎゅう)や石川啄木など「明治時代」の青年たちの心理にまでつながる。

 この事実に橋川は気づく。
 だとすれば、「あの戦争」を問うことは、明治から戦後にまで連なる日本の精神史を、つまりは日本の近代化総体を問うことになるではないか。

 橋川文三。
 このいぶし銀の思想家の言葉は、今こそ紐(ひも)解かれるべきだろう。

[知るための3冊]

『日本浪曼派批判序説』(講談社文芸文庫)
 橋川の名を後世に残した著作。戦中日本人の精神ドラマの典型例=ロマン主義の研究の金字塔で、これなくして「あの戦争」は語れない。

『ナショナリズム』(紀伊国屋書店)
 昨今「ナショナリズム」をめぐる研究書は山ほどあるが、近代日本精神史から「国家」について考えた書物としては今でも決定版である。日本政治思想史という学問の一つの頂点をなす。

『昭和維新試論』(講談社学術文庫)
 高山樗牛、石川啄木らを取りあげた作品。近代化のゆがみを是正せんとする青年たちの葛藤、革命運動がどのように生まれたか−橋川の問いはここにある。

[プロフィル・橋川文三(はしかわ・ぶんそう)]
 1922(大正11)年、長崎県生まれ。旧制第一高等学校を経て1945(昭和20)年に東京帝大法学部卒業。丸山真男のゼミで学ぶ。明治大教授として近代日本政治思想史を教え、戦時中に自らの世代の心をとらえた日本ナショナリズム思想の意味を問い直す著作を次々に発表。代表作に『日本浪曼派批判序説』『歴史と体験』など。1983(昭和58)年、死去。

[プロフィル・先崎彰容(せんざき・あきなか)] 
 1975(昭和50)年、東京都生まれ。東大文学部卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』など。


産経新聞、2014.7.17 12:01
【「戦後日本」を診る 思想家の言葉】
橋川文三 「あの戦争」を問い続ける意味
(先崎彰容)
https://www.sankei.com/life/news/140717/lif1407170036-n1.html

 いやあぁ〜、ヤッホーくんの朝シャン後の朝キン、世田谷区豪徳寺。
 ところが東京メトロ千代田線の小田急線直通電車「向ヶ丘遊園」駅に乗ったのはラッキーだったのですが、「代々木上原」駅で発生した線路内立入の影響とかで、電車が大渋滞を起こし動かないのです。
 そしたら、悪いことは重なるものです。今度は小田急線!
 朝の9時半過ぎ、登戸駅で起きた人身事故で、千代田線の「向ヶ丘遊園」駅行きは「代々木上原」駅止まり!
 消費税が増税になったせいで飛び込んでしまったのかな・・・
 
 ヤッホーくん、「豪徳寺」駅でおりたあと、古書店「靖文堂」へ(世田谷区豪徳寺 1-18-9 Tel 3426-2139)。
 店主からは11時開店なので電気をつけるのは11時だよって言われたのですが、ヤッホーくんの耳には店内から呼ぶ声が確かに聞こえてきたのです。

 橋川文三『西郷隆盛紀行』(朝日新聞社、1981年11月)!!

 何度か書いているが、私は西郷隆盛という人物の魅力がよく分からない。
 ほうっておけばよさそうなものだが、時々、思わぬ人が西郷を礼賛しているので、どうしても気になる。
 たとえば、内村鑑三は「明治の維新は西郷の維新であった」と言い切り、「聖人哲人」「クロムウェル的の偉大」「日本人のうちにて、もっとも幅広きもっとも進歩的なる人」と口をきわめて褒めている。
 内村鑑三というのも、ちょっとアヤシイところのある人で(←ホメている)この記述を含む『代表的日本人』を、読みたい読みたいと思って探している。

 中江兆民も西郷に高い評価をおく。
 著者いわく、兆民は、名誉や社会的地位に目もくれず、貧乏を恐れない。
 そのかわり、正義と信じるものには絶対に従う、そのあたりが西郷と似た性格なのではないか。
 それから、福沢諭吉。これは意外な気がした。
 西南戦争直後に西郷弁護論を書いているが、反響を考慮して晩年まで発表を控えたという。
 福沢は、単純な進歩主義者タイプとはいえない、という分析が興味深い。
 北一輝は、非常に複雑な表現で西郷を評価している。
 西郷軍の反動性を指摘し、倒されたのは必然としながら、西郷の死によって維新の精神が失われたことを惜しむ。
 それから鶴岡育ちの大川周明。
 庄内藩は戊辰戦争で寛大な処遇を受けたことから、西郷への敬愛の念が強いのだそうだ。

 さらに意外なことに、中国文学者の竹内好が登場する。
 竹内は西郷論は書いていないが、関心をもっていたに違いない、と著者は推測する。
 そして、竹内好の研究対象だった魯迅も西郷に関心があったらしい。
 まあ近代中国の「志士」たちが明治維新に学んでいたことはたくさん傍証があるし。

 それから、これは仮定であるが、もし西郷が遣韓大使として朝鮮に渡り、大院君(高宗の父)に会っていたら、意気投合していたのではないか(安宇植氏談)という見解も興味深く読んだ。
 私は閔妃事件の関係で、どちらかというと悪役イメージで見ていたが、勝海舟も大院君に会って、面白い人物だと評しているという。
 時代や国境を越えた西郷隆盛シンパが、芋づる式に現れるので、たいへん面白かった。

 その一方、西郷は政治的実務能力を全く欠いていたとか、封建的な地方主義を脱却していなかったとか、近代的合理性の立場からの批判がある。
 木戸孝允とか大隈重信の弁。
 また、敗戦後は、西郷の「征韓論」が軍国主義や右翼のシンボルのように扱われた。
 しかし著者は、西郷の「征韓論」は前近代の大陸膨張論であり、その後の帝国主義的な膨張論(アジア侵略)とは区別すべき点があるのではないかと考える。
 歯切れは悪いけど、言いたいことは分かる。

 そして、それゆえ、著者は西郷隆盛論を書こうと思って、いろいろ調べていく。
 ゆかりの地を訪ねたり、対談をしたり、講演をしたり、その構想ノートが本書なのだ。

 いちばん面白かったのは、「西郷隆盛と南の島々」と題された島尾敏雄氏との対談。
 作家の島尾敏雄さんって、奄美大島で図書館長(分館長)をされていたのか。
 知らなかった。
 西郷が「島暮らし」で得たものをめぐって、倭(ヤマト)の辺境である南島と東北の親近性に話が及ぶ。
 島尾さんの「薩摩は南島とものすごく似ています」とか、北九州はヤマトの中心であって辺境ではない、などの指摘が、いちいち刺激的だった。
 西郷は、ヤマトの政治に絶望して、何か違うもの(日本を超えたもの?)を求めていたのではないか、というのが著者のたどりついた推論である。

 「征韓論」について、日本が朝鮮とぶつかり、清国と戦うことになれば、日本の士族層は滅び、その後の日本に新しい体制ができるかもしれない。
 そこらへんまでは西郷さんも考えていたのではないか、と著者は1976年の講演で述べている。
 これは、著者が意識していたかどうか分からないけど、中江兆民『三酔人経綸問答』に登場する豪傑君の主張そのものであると思って、はっとした。
 なお、ネタバレだけど、最終的に著者の西郷隆盛論は完成せずに終わっている。

 鹿児島、それから奄美大島も行ってみたくなってきたなあ。
 あと、この「文春学藝ライブラリー」、文藝春秋社のHP(本の話WEB)に「名著、良書の復刊」を目指します、とうたっているが、選択眼が非常によい。
 息切れしないよう、今後とも期待!
 

見もの・読みもの日記(興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介)、2015-01-28 23:42:03
南島から来た人間/『西郷隆盛紀行』橋川文三
『西郷隆盛紀行』(文春学藝ライブラリー、文藝春秋、2014年10月、注)
https://blog.goo.ne.jp/jchz/e/d627258c7257bd700443140219dda88f

(注)文春学藝ライブラリー

 近代日本の精神史を探求しつづけ、優れた作品を残した政治思想家による西郷隆盛論です。
 西郷が日本人を惹きつけてやまないのはなぜなのか?
 明治維新の「最大の立役者」にして、明治政府に背いた「逆賊」というパラドクスをどう考えればよいのか?
 本書は、近代日本の矛盾を一身に体現した西郷隆盛という謎に迫ります。


https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130311

posted by fom_club at 18:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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