2015年05月28日

元ちとせ

「美しい日本」へ、「懐かしい昭和」へ、ついつい舞い戻ってきてしまいます。
 今日は奄美群島と寅さん。
 まず、元ちとせ(1979年1月5日鹿児島県奄美大島出身)。

「星めぐりの歌」(作詞作曲:宮沢賢治)がありました:
https://www.youtube.com/watch?v=Pmbnl5RI7gk

 この歌ってヤッホー君のこのブログ、2015年01月22日付け日記「脚本家・青島武」で紹介してますよね(歌:田中裕子)。でも、元ちとせの歌声もなかなかのもの。

 もう一曲、『語り継ぐこと』(2005年11月発売)
https://www.youtube.com/watch?v=USf16TiLj4k
 
 そして、『死んだ女の子』(2006年5月発売アルバム『ハナダイロ』ボーナストラック)
https://www.youtube.com/watch?v=sXCQitcgvNc

 今年も69回目の広島のあの夏を忘れてはいけない日が来ました。
 色んなコトを教えてもらった出来事に、触れて下さい。
 どうか、少しでもきっかけになれますように。
  『死んだ女の子』平和への祈りをこめて。
 この歌をとどけたいと思います。

(2014年8月6日(水)元ちとせのブログ、ハナダイロの日々「忘れないで下さい」)
http://hajimechitose.weblogs.jp/

 元ちとせの歌、なんと寅さんの最後の映画で流れているそうです:

 今回、私がおすすめする場所は「カケロマ島」!!
 自慢の島です。古い生活がいまだに残っていて、この場所に渡ると遠い遠い記憶にふれているような気持ちになります。
 島唄を始めた時、カケロマ島でのいろんなお祭りに呼んでもらい"奄美の事、島唄の意味"など教えていただきました。
 諸鈍長浜のとても美しい夕景。デイゴ並木で有名な諸鈍は、映画『寅さん』の最後の作品「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(1995年12月)の舞台にもなりました。
 当時、高校生だった私も島唄で参加しています。山田洋次監督から急遽お誘いいただいて収録したことなど懐かしく思い出されます。
 海や海岸はどこも素晴らしいのですが、徳浜の星の砂…小さい頃、瓶に集めて願い事をしたものです。
 カケロマ島は本当にパワースポットです。

(JAL旅プラスなび、奄美大島観光のススメ、元ちとせさんのおススメ!加計呂麻島」)
http://www.jal.co.jp/tabi/special/pickup/amami_kanko/hajime4.html

 映画では:

 古仁屋港(奄美大島)からリリーと満男が「でいご丸」で加計呂麻に渡るとき、流れる島歌が元ちとせの唄う「朝花節」《涙》。
 加計呂麻の家並み、でいごの花咲く島の並木路、小ぶりの実がたわわに実る島バナナ、ガジュマルの心地よい木陰、風に揺れる真紅のハイビスカス、アダンの尖った葉と赤い実、ハートの形状をした島の入江、白い砂浜に白い貝殻、コバルトブルーの碧い海、色とりどりの熱帯魚、真っ赤に染まる加計呂麻の夕日。
 その全ての映像が奄美の美しい自然を余すことなく表現する。
 憂いのあるジャミセンの音色と島唄にしみじみ聞き入る島人達《涙》。
 黒糖焼酎の甘い香りが我々にも香って来そうな情景。
 それに加わるリリーと満男。
 島のゆっくりとした時間の中で宵闇が静かに深まっていく…

 山田洋次監督は満州で育ったため、今では奄美を故郷のように感じている。
 寅さんの供養も兼ね毎年欠かさず加計呂麻に訪れている。
 最後は寅さんとリリーが南の島で静かに暮らすことを考えて、奄美の加計呂麻島を思い立ち、実際現地を見て確信した。
 加計呂麻の名前の響き、島のたたずまい、デイゴの並木路。
 その全てがイメージに合致した。

 ロケの歓迎会で高校2年生の元ちとせさんの歌声に感激し、映画に使用した。
 世界自然遺産の登録(注)で奄美の自然が保たれることが何より嬉しい。
 日々の暮らしの中で、地域の人と人とのつながりや情愛、そうした島の文化も形こそ見えないが、世界遺産と言ってもいい。
 この貴重な自然や文化を如何に残していくかが今後の課題だ。

(2014-01-03「そよ風と花のメロディー、好きな花(特に熱帯花木)の話題と、音楽と旅の話を気ままにお伝えし、またいろいろな方に感想とアドバイスを戴けたらうれしいなと思います」奄美復帰60年E)
http://windandmelody.blog37.fc2.com/blog-category-6.html


(注)日本の敗戦とサンフランシスコ平和条約で、奄美群島はアメリカの信託統治下にあったことをご存知ですか?日本に施政権が返還されたのは、1953(昭和28)年12月25日、アメリカからのクリスマスプレゼントだったって。

 今年2013年で日本復帰から60周年の節目を迎える奄美群島。
 60年が経過した今,奄美群島広域事務組合では、かつて、郡島民が一丸となった日本復-帰運動の「DNA」(情熱と強い団結力)を再び一つにし、未来に向かって更なる成長を-促進するため「奄美群島成長戦略ビジョン」を策定しました。
 番組では「奄美の過去」として日本復帰までの振り返りを、そして「奄美の未来」と-して、奄美群島の更なる成長のために描いた「奄美群島成長戦略ビジョン」の説明と、自-立的発展に向けて活躍する企業・団体の紹介と世界自然遺産登録を見据えた取り組みなど-について紹介します。

(2013年12月21日放送「奄美群島日本復帰60周年〜復帰の歴史と更なる成長のために〜」)
https://www.youtube.com/watch?v=v-iDajl4-48

 そしてユネスコ世界自然遺産ですが…

 政府は早ければ2017年夏に開かれる国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国際会議で、奄美・琉球の世界自然遺産登録を目指している。そのため、今年2015年9月までに推薦書の暫定版をまとめ、ユネスコに提出したい考えだ。世界自然遺産リストの仲間入りを果たせば、国内では、白神山地▽屋久島▽知床▽小笠原諸島−−に続き5カ所目となり、その貴重な生態系に国内外の注目が高まることは確実。ただし、道のりは平たんとは言いがたい。
 奄美・琉球の世界遺産登録に向けた政府の検討が始まったのは2003年のことだ。環境省と林野庁が設置した有識者会議「世界自然遺産候補地に関する検討会」が、知床や小笠原諸島と並ぶ三つの候補地の一つに選定した。「独特の地史を有し、多様で固有性の高い亜熱帯生態系や珊瑚(さんご)礁生態系がある」「優れた景観や絶滅危惧種の生息地となっている」点が評価された。
 ところが、その後、登録の前提となるユネスコの暫定リストへ奄美・琉球を掲載することを政府が決めるまでに約10年もかかった。重要地域の保全に向けた法整備や地元合意のめどが立たなかったことが大きな理由だ。
 政府は2013年1月にようやく暫定リスト掲載の申請文書をユネスコに提出した。だが、地権者らの同意が得られず、島名を明記しないまま、「南北約850キロに点在する島や周辺海域」との範囲で申請した。
 これに対し、ユネスコ側は「広すぎる」と注文を付けた。政府は奄美大島、徳之島、西表島、沖縄本島北部の4島に絞り込んで、ユネスコ側に再回答したが、現時点で暫定リストには掲載されていない。
 今後、登録までの手続きとして、奄美・琉球の固有の価値を証明する推薦書をユネスコに提出し、ユネスコの諮問機関である国際自然保護連合(IUCN)の現地調査を受ける必要がある。
 政府は並行して、登録要件である国立公園10+件指定を急ぐ方針だ…
(2015年5月4日付け毎日新聞「みどりの日:2017年世界遺産登録目指す奄美・琉球、道のり険しく」)
http://mainichi.jp/feature/news/20150501mog00m040036000c.html

 沖縄が返還されるのは、奄美から遅れるこ約20年後の1972(昭和47年)5月15日のことです。参考までに次の動画もご覧ください:
 沖縄道ものがたり 復帰40周年ビデオ:
https://www.youtube.com/watch?v=vaccVLPBxmY



posted by fom_club at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック