2015年05月22日

太宰治とイタコ

 今日5月22日も昭和歌謡で。
 まずは1960年のヒット作『潮来花嫁さん』を花村菊江(1938-2011)で、どうぞ:
https://www.youtube.com/watch?v=l4ZAYXRcEB4

 違います、違います、今日も太宰治。
「太宰治とイタコ」を指摘したのは、井上ひさし(1934-2010)(注):

井上 太宰は落語をじつによく読んでいた。若い頃、太宰と親しかった檀一雄(1912-1976)がそう証言しています。とくに『円朝全集』(春陽堂、全12巻、1926〜1928)はボロボロになるまで読んでいた。そのせいか、太宰は、それまでにないようなオチのついた小説を数多く書いています。一方ではポー(1809-1849)も愛読している。そこで生前から太宰のことを「オチつき作家」と呼ぶ人が多かった。坂口安吾(1906-1955)などは「太宰の作品は、落語として後世にのこるだろう」といっているくらいです。昔噺や伝説や義太夫のほかに、太宰は落語まで取り込んでいたんですね。そういう「庶民の語り口」で「私」を語ったところが太宰の発見だった。太宰の語りには、津軽のイタコの影響もあるのではないでしょうか。下北半島の恐山のイタコが有名ですが、太宰が生まれた当時は金木の賽の河原がその中心だったわけですね。

長部日出雄(1934年青森県弘前市生まれ) そうです。金木の賽の河原には、イタコがたくさん集まってきていました。太宰は、高等小学校の作文に「賽の河原のイタコは金木の誇りである」と書いています。実際、子供のころに見聞きしていたはずです。ですから、そのイタコの語る口寄せの「旋律」と「韻律」を帯びた言葉も太宰の中に入っていたはずです…

…第14章太宰治「メタフィクション」の劇場人、井上ひさし・小森陽一編著『座談会昭和文学史3』(集英社、2003年11月)所収、373頁

野原一夫 あ、30ですか。30の中年男が19歳の女の子に見事になりかわってああいう文章を書く。一体これはどういうことだろう。
長部 たぶん、その女生徒になっちゃうんだと思うんですよ。
井上 ならないと書けませんね。つまり、イタコになってしまう。
野原 なるほど。そこが、すごく快感なんだな。

…同書、394-395頁。当時19歳であった愛読者有明淑子は1938年4月30日から8月8日までの日記を太宰に郵送したが、太宰は朝、目を覚ましてから夜、眠りに落ちるまでのたった一日の独白体の小説に作り直した「女生徒」(1939年4月『文学界』掲載)について。

 イタコって凧でも蛸でもござんせん。

 イタコは生まれながらか幼くして盲目・半盲目になってしまった女の子が、生活の糧のために師匠のイタコへ弟子入りし、苦しい修行を経て、能力を身につけて独立する。
 現在、むつ下北地方にはイタコは見当たらない。恐山にいるイタコは他の地域(津軽、八戸地方など)からやってくる。
 イタコは「口寄せ」により、死者の世界にいる先祖や肉親・友人・知人と、現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する「仏降ろし」が全てと思われがちである。しかし、これは恐山の祭典へ参加して死者の霊を呼んでいる姿が印象的であったためと考えられる。実は「口寄せ」には外に「神降ろし」と言われる神の言葉や意志を語るもの、いわゆる占い、予言的なものがある。物事の吉兆、善し悪し、安全祈願、病気回復といった悩みを解決してもくれる。恐山以外にも、地元においてこれらのさまざまな手助けや相談に応じ「神様」と言われていることも少なくない。

(青森県むつ市、イタコ情報)
http://www.mutsucci.or.jp/kanko/itako-04.htm

 恐山の祭典で太宰治の「仏降ろし」をしてもらおうと出かけた作家、海猫沢めろん(1975年大阪府生まれ)のルポルタージュがあります:
 2012年7月14日「イタコに太宰治を降ろしてもらってみた」
http://uminekozawa.com/2012/07/dazai/

 また、現役のイタコ、松田広子(1972年生まれ)は『最後のイタコ』(扶桑社、2013年7月)を書かれています。
 2013.07.31女子SPA!「死後の世界はある?最後のイタコ(41歳)に聞く」:
http://joshi-spa.jp/26070

 2013.8.19ダ・ヴィンチニュース「最年少のイタコが告白する知られざるイタコの世界」:
http://ddnavi.com/news/158146/

 潮来のイタコでなく、金木のイタコは、中央大学渡部芳紀(1940年東京生まれ)研究室・太宰治資料館を訪れてみましょう:

 芦野公園を見たら、時間あれば、芦野湖の裏(東)の川倉賽の河原も訪れたい。芦野公園駅の南から国道を東に入り、金木の記念館前から来た道の交差点を左(北)に曲がって1キロも行くと、川倉地蔵がある。祭礼の日は、イタコの口寄せもある霊地である。子供の来世での幸せを祈って奉納された人形たちがお堂を埋め尽くしている。鉄輪を付けた御所車も見事に並んでいる。
(2001.10.24〜「金木を歩く」)
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/dazai/dazaikanagi.htm

 最後に、1960年のデヴュー作ですが昭和の名曲となった『潮来笠』を橋幸夫(1943年荒川区生まれ)で、どうぞ:
https://www.youtube.com/watch?v=Im9BVo-riCo

 違います、違います!
「川倉賽の河原地蔵」は青森県五所川原市にあります:
http://www.city.goshogawara.lg.jp/21_kyoiku/syakyo/bunkazai/kanagi/sainogawara.html


(注)井上ひさしには、本『太宰治に聞く』(ネスコ、1998年、2002年には文春文庫)、芝居に『人間合格』(初演は1989年12月、こまつ座)。いずれも再版、再演が望まれます。井上ひさしは、引用した『座談会昭和文学史』で次のような発言をしています:

いま、民主主義だ、民主主義だと浮かれている連中は、民主主義にすり寄っているだけじゃないか。「甘ったれるんじゃねえ」というわけです。「民主主義」を本気で信じていた人は、牢獄や留置場、あるいは戦場で死んでいる。「いま生き残って、民主主義万歳を堂々と言える奴が何人いるんだ」と怒っている。志賀直哉(1883-1971)にも「あまえたちの持っている道徳は、すべておまえたち自身の、或いはおまえたちの家族の保全、以外に一歩も出ない」と怒っている。太宰は倫理家でもある。というより完全にキリストですね。神殿で店をひろげていた商人を叱りつけるときのキリストによく似ています。とにかく清潔な倫理を持っている。
(同書、416-417頁)

posted by fom_club at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック