2015年05月05日

ポールラッシュのもうひとつの顔

 5月5日火曜日「こどもの日」。
 幼少のみぎり、母の実家が贈ってくれた大きな鯉のぼりをたてるべくからだを動かしている祖父や父のまわりをまとわりついていたヤッホー君の姿が目に浮かんできます。
 鯉のぼりと言えば、山歩クラブで訪れた「竜神峡」が思い出されます。
 ヤッホー君のこのブログ、2年前、2013年5月13日付け日記「竜神峡鯉のぼりまつり」をご覧ください。

 でもどうしても、4月26日(日)山歩クラブ「大磯タウンウオーキング」に引きづり込まれてしまいます。
 すごい「磁場」を持った土地の精霊でした。
 あの澤田美喜記念館で懇切ていねいに案内と説明をしてくださったのが西田恵子さん、「エリザベス・サンダース・ホームへの道」…

 この仕事をはじめて5ヶ月目、イギリスの大使館から呼び出しがありました。
 40年の日本生活をつづけたエリザベス・サンダース嬢が80歳の高齢で、その生涯を聖母院でとじたのが、終戦の年の終わりでした。
 彼女はその40年の貯金のすべてを遺産として、英国教会の日本の事業に贈ると遺言していたのですが、それがこのホームに贈られたのです。
 彼女は40年働いて、170ドルがすべてでした。
 これはこのホームに贈られた最初の寄付でした。
 私も同じ聖公会の会員ですので、その名を、そのままホームにつけることにしました。
 すなわち「エリザベス・サンダース・ホーム」と。

…澤田美喜、前掲書、146-147頁

 ところがヤッホー君、びっくりしたのは、西田さんのお話。
 実は、エリザベス・サンダースさんとホームを引き合わせてくれたのが、清里のポール・ラッシュさん(1897-1979)ですよって。美喜さんは直接、エリザベス・サンダースさんとお会いしたことはなかったそうですけど、と。

 エリザベス・サンダースさんという英国人の名前をいただいています。
 この人は三井財閥一家の三井高精がロンドン駐在中に子息高國の養育係として採用され、一家が任期を終えて日本に帰るとき、請われて来日し、以後戦時中の困難な時期も含め33年間にわたり三井家に仕え、昭和21年に東京で亡くなりました。
 遺産として遺された170ドルの使途を託された友人のブッシュ氏は、澤田美喜と親交のあったポール・ラッシュ氏(山梨県清里に高冷地農業・畜産業を導入し、清泉寮を開設した人)に相談し、折から混血孤児のための乳児院設立に奔走していた澤田美喜に開設資金として寄付されたのです。
 澤田美喜はサンダースさんとは直接会ったことはありませんが、最初の寄付者のお名前をいただいて施設の名前としました。
 ホームの子どもたちは毎年5月に横浜山手の外人墓地にあるサンダースさんのお墓参りをしています。

(エリザベス・サンダース・ホームの名前の由来)
http://www.elizabeth-sh.jp/esh.html

 だって、山歩クラブ、毎年のように清里高原におでかけしていました。
 ヤッホー君のこのブログ、次の日付けの日記をお読みください:

☆ 2011年1月5日「高根町清里」
☆ 2012年10月18日「八ヶ岳興民館」
☆ 2014年12月22日「W.S.クラーク」

 澤田美喜さんが大きく前へ一歩踏み出したのが、1946年6月末の日米混血児第一号誕生のニュースでしたよね(ヤッホー君のこのブログ、2015年05月02日付け日記「Abe, liar!」参照)。
 このころってね:

 1945(昭和20)年8月21日、近衛文麿国務大臣の発案により閣議決定された「国家売春」という信じられないようなものからスタートしています(注1)。
 こうして占領軍上陸直前の8月26日に「特殊慰安施設協会」(Recretion and Amusement Associstion, RAA)が設立されました…
 銀座にこんな看板が立ちます。

 新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。
 女事務員募集、年齢18歳以上25歳まで。
 宿舎、被服、食糧全部当方支給。

 RAAから30年後、ジャーナリスト大島幸夫が近衛の指示を受け、RAAを実行した元警視総監・坂信弥にインタビューしています(『原色の戦後史』講談社文庫、1986年):

「いまさら、そんなことなんで聞くんかねえ。
 次元が低い問題だよ(中略)
 近衛は支那事変で日本兵が支那の女たちにやったことに覚えがあるから、ヤマトナデシコを救おうという気持ちで、坂ならやってくれると、総理官邸に私を呼んで頼んだんだ(中略)
 あれ(RAA)は国の運命を左右する問題でなしに、アワツブみたいな問題に過ぎん。
 応募した女性をイケニエのように言う人がいるが、そんなのは火事場の野次馬議論であって、観念論だよ。
 他にどんな方法があったか、というんだ。
 あれはあれで、日本女性の貞操の危機を救ったんだよ」

 大島はこう書いています(注2)。

国策を語って、その国策に引きずり回された人間たちのことに語り及ばない・
 国策の効果を一人よがりにたたえて、人間の痛みに思い至らない
」と。

…百瀬孝監修、昭和研究グループ著『戦後の日本を知っていますか、占領軍の日本支配と教化』(はまの出版、2007年7月)4.占領下の国民生活・国家売春だった「性の防波堤」、178-183頁


(注1)ほかに小林大治郎・村瀬明 『新版 みんなは知らない国家売春命令』(雄山閣、2008年復刊)

終戦から13日後、政府の指導で誕生した占領軍のための性の防波堤R・A・A、その設立から1956年の売春防止法成立まで、知られざる戦後風俗史をレポートした名著を読みやすい新版として復刊。
(雄山閣公式サイト)
http://www.yuzankaku.co.jp/products/detail.php?product_id=7287

(注2)法政大学社会学部メディア社会学科 津田研究室

英国留学中にブライトンの日本食料品店(古本とかも売っている)で偶然見つけた一冊。たいして期待せずに読み始めたのですが、これが面白かった。終戦直後の混乱のなかで人々がどのように生きたのかを、さまざまな角度から、さまざまなエピソードを通して描き出しています。皇居に突入して、天皇家の台所事情をチェックしようとした世田谷区民、住宅難から小学校の校舎を占拠した引揚者、政府の言葉に踊らされて北海道に移住した農民…、など人びとが必死に生きるさまが浮き彫りにされていきます。今日の満ち足りた日本社会にあっては、ついつい忘れがちになるのですが、食べ物をめぐって人びとが死に物狂いだった時代が日本にもつい50年ほど前にあったのだ、ということを改めて痛感させる一冊です。今でも手に入るのかどうかはわかりませんが、機会があれば是非一読を薦めたい本です。(2000年11月記)
http://www.asahi-net.or.jp/~xy8s-td/japan-history.htm#oshima



posted by fom_club at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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