2015年05月04日

365日のシンプルライフ

 2015年5月4日(月)「みどりの日」。
 ヤッホー君、びっくりしたのは堤清二ってもう亡くなっていたってこと(1927-2013)。
 こんな記事を見つけました:

 エコノミストは、消費社会を揺るがす新しい底流を見落としている。
 消費税が上がったので消費が減り、国内総生産(GDP)が落ちた。
 消費減退が一時的なものか、長引くか、議論が続くが、「人間、カネがあればモノを買う」という前提を疑う者は少ない。
 だが、それは、発展途上の時代の固定観念にすぎない。
 成熟経済の下では、人々はカネがあるからモノを買うとは限らない。
 モノの過剰は幸福どころか、苦痛をもたらす−−という理解が広がっている…
 経済の好循環を実現するカギは「賃金アップと消費の力強さ」だと安倍晋三首相が言っている(『文芸春秋』2014円9月号「アベノミクス第二章起動宣言」)。
 当節、これは特異な見方でないどころか、内外の専門家の主流の意見だ。
 しかし首相の確信と映画の評判のギャップをどう見るか。
 昨年2013年、86歳で他界した堤清二(元セゾングループ代表、作家・辻井喬)は、かねて消費社会の根源的な質の変化を予言した。
 新しい波はまず芸術家が感じ取り、経済人に理解されるまでには時間がかかる−−と見た(『消費社会批判』岩波書店、1996年)。
 映像作家が時代の先端を読み、実務家の対応が遅れているのである。
 ルーッカイネンはこうも言っている。
「モノはエネルギーを消耗する」
「原発か再生可能エネルギーかと論争する前に、いまのエネルギーの使い方や目的に焦点を合わせるべきでは」(本紙東京版2014年8月1日付け朝刊)。
 消費は美徳、エネルギー需要は右肩上がりという思い込みから、改めなければならない

(2014年08月18日付け毎日新聞東京朝刊「風知草:これ以上、何を買う?=山田孝男」)
http://mainichi.jp/shimen/news/20140818ddm002070072000c.html

 映像作家ルーッカイネンの映画ってこれ。

 究極の断捨離!『365日のシンプルライフ』予告編:
https://www.youtube.com/watch?v=NSJP9PfiuSE
http://mystuffmovie.com/

 経済人として世の潮流に対していろいろ発言してきた堤清二:

 政官財界の内側にいて批判精神を失わないユニークな経営者として知られていた堤清二氏が亡くなった。
 若手経営者の頃から望ましい国家の姿として「市民の国家」論を唱え、それに耳を貸さない現状のままでは「産業界は没落の一途」を辿るほかないとも指摘した。
 政官財界は果たして「没落」を回避できるのかという問題意識は、今後も常に新鮮な問いかけとなるだろう。
 日本の著しい右傾化に熱心な安倍自民党政権に向かって、堤氏としては根底から批判するほかなかったに違いない。
 しかし寿命という自己管理しにくい制約のため、それを果たす機会を与えられなかった。
 堤氏にとっては無念であったと言うべきだろう。

(2014年1月17日ちきゅう座、ジャーナリスト、元毎日新聞記者・安原和雄「堤清二の《市民の国家》論とは、政官財界は「没落」を回避できるのか」)
http://chikyuza.net/archives/41967

 そう、昨日のヤッホー君の日記は「吉田茂」についてでありましたが、イマからもう10年も前に、堤清二はこんなことまで(2005年8月12日号『週刊金曜日』)!:

佐高信 戦後すぐの政治家というのは吉田茂。この人は経済ということをある程度考えていた人ですね。

辻井喬 彼の言っていたことを白洲次郎が書いているんだけど、吉田茂という人は「世界史の中で戦争で負けて外交で勝った国がいくつもある。だから日本は戦争で負けたけれども外交で取り戻さなきゃいけない。その一番大事なことは軍隊を持たないことだ」と言っていたと記録している。軍隊を持ったら、勝った国にアゴで使われる。いくらやったって、勝った国はそれで満足だということはないんだから、日本はみじめになる。なんとかして軍隊を持たないことにしたい。経済も弱いしと。そうしたらGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から憲法の素案が提示された。吉田さんは「これだ」と思った。向こうが言ってきたんだから文句あるわけないということで乗った。それをいまの政治家はまったく忘れてしまった。吉田さんは民主主義者じゃなかった点で大きな欠陥はあったが、その外交性などについてはいまの人たちより、よっぽど先を見通していた、いまになって憲法改正をして軍隊を持てなどと言うけれど、何のプラスになるんだと思います。

佐高 吉田という人は、野党がうるさいから出来ませんと野党の存在を利用して「ただ乗り」と言われてもやっていった。すさまじいことですよ。

辻井 いま改憲論者は「押し付け憲法だ」って言うでしょう。でもいま変えるというのも、また押し付けなんですよね。押し付け憲法をやめるのに、言われて変えるっていうのはどういうことなんですかね。

斉藤貴男 今は積極的に服従する憲法をつくろうと言ってる。変えろと言われても変えないのが独立国でしょうに。

辻井 軍隊を持ったらば、アメリカは、日本は軍隊があるんだからイラクへ行けとなる。国家的に組織された傭兵になっちゃう。絶対それは認められないですよね

…佐高信『ブラック国家ニッポンを撃つ、佐高信の緊急対論50線・天の巻』(七ツ森書館、2014年5月)140-141頁

 そうなんです、昨日の2015年5月3日「憲法記念日」にふさわしく、イマのきな臭い動きに警鐘を鳴らしておきたいヤッホー君、吉田茂も究極の断捨離を目指していたんだったな、と:

 海外で外国と共同で武力行使をするという意味での「集団的自衛権」が認められないという政府の憲法解釈の背景には、警察予備隊⇒保安隊・警備隊⇒自衛隊と拡大してきた事実上の軍隊が憲法9条違反の存在でないと国内むけに正当化するためであると同時に、実はアメリカ向けの側面も有していた。
 上述の指摘のように、アメリカの戦争に巻き込まれることを危惧した、1950年代の日本の権力者は、海外派兵という意味での集団的自衛権に道を開くことには抵抗してきた。
 アメリカの戦争に巻き込まれないために海外派兵に抵抗する姿勢は吉田茂などにも見られる(注24)…

注24) たとえば朝鮮戦争当時、ダレスは吉田茂に対して32万5千人の日本再軍備案を提示した。それに対して吉田茂は「新憲法9条の制約」「経済復興の優先」「日本国民の反戦感情」「日本の侵略を被ったアジア諸国の警戒」を挙げて拒否した(西原正・土山實男共編 前掲注3)。
 その理由については、日本再軍備をすすめた、アメリカの軍事顧問団幕僚長であったコワルスキー氏が日本のトップクラスの人物から聞いた発言を紹介しよう(フランク・コワルスキー著,勝山金次郎訳『日本再軍備 米軍事顧問団幕僚長の記録』(中公文庫、1999 年)283頁):

「ダレスさんの言う通りに、30万の兵力に増強したら、アメリカ政府は、その一部を朝鮮に派兵するように言ってくるでしょう。だから吉田さんは11万以上の兵力に拡張することには応じなかったのです」
「吉田さんは、日本軍が中国で泥沼にはまって進退きわまったあの頃のことを思い出すと、身ぶるいがすると言っています。日本国民も同じです。もし日本が地上軍を30 万人に増やすと、国民は、外国から日本を守るだけでそんな大軍は要らぬと非難するでしょうし、国連はアメリカにつつかれて、10万くらいを朝鮮に派兵して、国連に協力するように日本に要請してくるでしょう」

前掲注3) 安保条約5条の「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という文言だが、アメリカ側からすれば、日本が攻撃された際、アメリカが日本との共同武力行使に踏み切らなくても良いという解釈を導く可能性に道を開いたものであることに留意する必要がある。
 そのことはNATO条約との対比で明確になる。
 NATO条約5条では「締約国は,ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第51条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する」とされ、締約国に対する武力攻撃が生じた際、各締約国には条約上、「自動参戦義務」が課されている。
 それに対し、米比相互防衛条約米韓相互防衛協力などでは「憲法上の手続に従つて」とされている。
 日本が攻撃されてアメリカの大統領が軍事活動をしようとしても、アメリカ憲法上、議会が承認しなければ軍事活動を起こすことができない。
 このように、NATO条約にはない「憲法上の手続に従つて」という文言を入れることで「米国が自動的にアジアの戦争に巻き込まれないようにするための措置を取っている」(西原正・土山實男共編『日米同盟Q&A』(亜紀書房、1998年)13頁)。

「講和後における米軍の日本駐留を切望しながらも、アメリカ側が日本防衛義務を負うことに否定的だった」のは、「直截にいえば、ヨーロッパを主戦場とする第3次世界大戦が勃発した場合、日本防衛義務は米軍にとって足枷となる」(吉次公介『日米同盟はいかに作られたか、「安保体制」の転換点1951―1964』(講談選書、2011年)20頁)ことをアメリカが嫌ったためである。

(名古屋学院大学経済学部・飯島滋明「日米ガイドライン再改定と日本国憲法」2015年3月31日発行、名古屋学院大学論集社会科学篇第51巻第4号所収)pp. 119―142

論文要旨:
 現行日米安保条約(1960年)では、海外で共同でアメリカと戦うという意味での「集団的自衛権」は認められていない。
 一方、現在改定作業が進められている「日米ガイドライン」では、海外での日米の共同武力行使が目指されている。
「ガイドライン」再改定により日米安保条約の内容を実質的に変更する行為は、条約改正に際して国会承認を要件とする憲法73条3号、議会制民主主義からは問題がある。
「ガイドライン」再改定などの手段で集団的自衛権を認めようとする安倍政権の政治は、憲法の平和主義との関係でも問題があるし、近隣諸国との関係でも問題がある。

http://www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol5104_07.pdf


posted by fom_club at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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