2013年04月27日

大都映画

大都映画巣鴨撮影所跡(豊島区西巣鴨4-9-1)
 旧朝日中学校跡地には、映画の撮影所がありました。
 1919(大正8)年の当時の言葉で言うと、天然色活動写真撮影所。
 その後、国際活映→河合映画→大都映画と変遷。
 その頃、近衛十四郎、阿部九州男らのスターが誕生し、大都は数々の娯楽映画を量産。
 1942(昭和17)年の「宮本武蔵決戦般若坂」が最後の作品となり、大映に吸収されました

(2008(平成20)年9月24日更新 豊島区公式サイト「レトロに浸る。街道筋をゆくコース」)
http://www.city.toshima.lg.jp/kanko/sanpo/006175.html

 どうして70年前の1942年、昭和17年が最後だったのか、と申しますと、こんな背景がありました。
 戦争で映画が作れない、作れるのは「国家が必要とする映画」だけという事態があったのですよ:

『1941年8月16日、政府情報局第5部部長川面隆三は、映画統制に呼応して設立された官民による業界団体「大日本映画協会」の常務理事城戸四郎、植村泰二、大橋武雄を招致して「われわれとしてはまことに遺憾だけれども、民間に廻す生フィルムは最早1フィートもなくなった。戦争はいまや文字通り緊迫状態に入り、国産で生産される生フィルムは軍需用で精一杯である。従って、国家が必要とする映画を作ってほしい場合のみ、軍需用のフィルムを特に民間に廻すことは出来るが、民間で、自由に使用するための生フィルムは今後期待出来ない。これが日本の現在当面している臨戦体制である」(城戸四郎(1956)191頁)との政府の意向を非公式に伝えた。
  ※ 城戸四郎(1956) 『日本映画伝』文藝春秋新社

 永田雅一が委員長に就任した背景には、委員会に参加していた大都映画常務安部辰五郎の強い推薦があった。安部によれば、委員会で知り合った「永田さんの映画に対する情熱、見識に魅せられて」自ら「松竹に城戸四郎さんをたずね、『委員会も連日開いているがこのままだと小田原評定にもなりかねない。ここは一つ委員長なり議長なりを決めて議事の進行なり、評議をとりまとめるようにしたらどうだろうか。議長とか委員長には若いが弁舌もあり押しもある永田さんが良いと思うがどうですか』と単刀直入に永田さんを薦めたら城戸さんは『永田君ではどうもネエ…』と余り乗り気ではない風であったので『永田君ではどうもネエ…と頭を捻られる気持ちは解らないでもないが、情報局の連中は若い役人だし、彼らに対等に対抗できるのにはこちらもやっぱり若い弁舌のたつ、押しの強い理論家の持ち駒でなければ太刀打ちできないでしょう。見渡したところこちら側にはそういう立役者は若いが永田さん以外にはいない。それに永田さんはずっと京都にいて東京には今まで顔を出していない。情報局には新顔です。情報局に縁故がなかったことも中立的立場で物がいえるわけで適任だと思うが…』」と述べ、結局「私の永田さん推薦に最初は渋っていた城戸さんも、ようやく腰を上げて承諾してくれて、10人委員会の議長に永田さんが決定した」という(中野節朗(1979)113〜114頁)。
  ※ 中野節朗(1979) 『カツドウ屋風雲録安部辰五郎』連合通信社

 最終的には松竹が興亜映画を、東宝が東京発声、南旺、大宝、宝塚映画を吸収合併し、第3社は日活、新興、大都が合併することによってこの業界再編成は決着することになる…』

(井上雅雄「大映研究序説〜映画臨戦体制と大映の創設〜」立教経済学研究第64巻第3号2011年所収)
http://www.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/no64/p051_085_3_64_3_inouemasao.pdf

 ほかにも、渡邉武男『巣鴨撮影所物語』西田書店、2009年1月)もお薦め。お買い求め下さいね。以下は書評:

『かつて巣鴨に「映画撮影所」があったことを知る人はもう少ないだろう。
 その名は「大都映画」。
 各映画会社が完全にトーキー化した時代に、低予算のサイレント映画ばかり量産していた映画会社である。
 本書は、「大都映画」の誕生前史から消滅するまでを克明に掘り起こした日本映画史上稀にみる奇書である。
 著者の執念には敬意を表したい(三浦大四郎/元・文芸坐社長)』

http://www.nishida-shoten.co.jp/view.php?num=203

 どんな映画だったのかちょっとだけ。それは1939年10月公開『地平線(ハルマ王/外蒙兵タラハン)』:

明るい面白い大都映画 大都映画株式会社
 大都映画秋季超巨作現代劇部男女優総出演スペクタクル篇 愈々封切
 陸の生命線たる滿蒙国境!!
 明日の戰場として風雲を孕む大平原に炎暑と黄塵、決死的危險を冒して遂に完成せる一億國民必見の一大記録劇映畫
 躍進大都が敢へて世に問ふ日本最初の代表的大陸映画!!
 蒙古現地ロケ二ヶ月、
 本映畫に出場の羊・5000頭 ラクダ・1000頭 牛、馬・数千頭 蒙古軍騎馬・1000頭 蒙古人エキストラ延人員・15000人
 ロケ行程・2500キロ
 御後援  現地○○部隊指導 蒙古軍騎兵團 蒙・彊聯合委員會 風俗考證チハル盟長

 原作・大宅壮一
http://www.geocities.jp/konoejsr/eiga-poster.html#tiheisen

 この映画はですね、徳島新聞社主催で、2010年8月12〜14日、市内徳島ホールで上映されたようです。
 と言いますのも、主人公の考古学者は徳島市出身で人類学の先駆者・鳥居龍蔵(1870−1953)をモデルにした72分の白黒映画です。
 70年も前の貴重なフィルムが、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されていることを、県内の映画愛好家らが確認したから、だそうです。
 なお、徳島市には「徳島県立鳥居龍蔵記念博物館」もあります(徳島市八万町向寺山 文化の森総合公園内 Tel 088-668-2544)

posted by fom_club at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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