2013年04月12日

新教育指針

 サッチャー元首相の死去のニュースもそうなんですが、1946(昭和21)年11月3日に公布され、翌1947(昭和22)年5月3日に施行された日本国憲法について述べた皇居前広場での記念式典での吉田茂元首相の言葉がヤッホー君、どうしても、アタマに響いています。

私たちが国家、生活の末端まで新憲法の精神をしみとおらせ、徹底するならば、必ず我が国は日ならずして自由と平和を愛する幸福な国家として復興し、世界人類の進歩に大いに貢献すると信じて疑わない

 そしてヤッホー君たち山歩クラブで、下町の同じ地域にあったのに一度も訪れたことがなかった『東京大空襲 戦災資料センター』に初めて訪問し、ドイツのドレスデンからこの春、来日して講演してくださったノイツナーさん(53)が締めに残していった言葉も、アタマに響いています。

最初の爆弾で戦争がはじまるのではありません。
 最後の爆弾で戦争が終わるわけでもありません。
 戦争が起きない社会、
 公平な社会、
 人間が人間らしく生きられる社会
を世代間の交流、交換、対話を通じて実現していきたいのです

(ドイツ語からの通訳、萩原イルカさん)

 1946(昭和21)年11月3日に交付された日本国憲法、その半年前の5月15日、文部省(当時)は『新教育指針』を発表しています:
 
今日軍人や政治家や財界人や思想家などのうちで、戦争責任者として、マッカーサー司令部から指名せられ、もしくは日本国民から非難せられてゐる人々は、かうしたあやまちをおかした人々である。

 しかし指導者たちがあやまちをおかしたのは、日本の国家の制度や社会の組織にいろいろの欠点があり、さらに日本人の物の考え方そのものに多くの弱点があるからである。
 国民全体かこの点を深く反省する必要がある、とくに教育者としてはこれをはつきりと知つておかなくてはならない。
 われわれは次にこれらの欠点、弱点をあげてみよう。

(一)日本はまだ十分に新しくなりきれず、旧いものがのこつてゐる。
(二)日本国民は人間性・人格・個性を十分に尊重しない。
(三)日本国民はひはん的精神にとぼしく権威にもう従しやすい。
(四)日本国民は合理的精神にとぼしく科学的水準が低い。
(五)日本国民はひとりよがりで、おほらかな態度が少い


 吉田茂元首相が述べたように、
 新憲法の精神をしみとおらせなければ、
 新憲法を徹底することをさせなければ、
 我が国は自由と平和を愛する幸福な国家として復興できないし、
 世界人類の進歩に大いに貢献することにもならない…
 そうなんだってヤッホー君は、今朝もぼんやりと考えています。
 だって、締め方が緩かったとか、同党っていう新しい党でもできたのでしょうか、司法が選挙制度に異論を唱えることに反発したとか(学校時代に三権分立って習った覚えがありますねぇ〜、三っつの相互の抑制と均衡=チェック・アンド・バランス=によって、権力の集中と乱用を防ぐ、とかねぇ、だから同党の議員さんって、もう学力まで低下した政治家たちで立法府を占め、家業か稼業になっている証しですよねぇ〜)、ほんとうにこの国に住む人びとのこころがメルトダウンしたかのような報道に接してのことです:

汚染水は接合部から、3号貯水槽上の縦横2〜3メートルの範囲に漏れた。
 ストロンチウムなどが含まれ、東電は放射能量を63億8000万ベクレルと推定している。
 移送ポンプを起動した際、作業員や原子力規制庁の保安検査官らが立ち会っており、3分程度で漏れが見つかった…。
 東電が移送を中止し、配管接合部を分解して原因を調べたところ、締め付けが緩かった可能性がある

(2013/04/11-23:35更新「時事通信」)

最高裁が違憲状態とした「1票の格差」が拡大した昨年12月の衆院選は違憲だとして、新潟市の男性が新潟1区の選挙無効を求めた訴訟で、東京高裁(設楽隆一裁判長)は4月11日、「違憲」の判決を言い渡した
(2013年4月11日 18時45分更新「東京新聞」)

衆院の憲法審査会は4月11日、第6章「司法」を議論した。
 この中で、自民党議員が、先の衆院選での「一票の格差」をめぐり、全国の高裁で相次いだ違憲・無効判決に対し、相次いで異論を唱えた。
…最高裁は2011年3月に衆院の選挙制度が違憲状態と判断。
 国会はその状態を2年近く放置したまま昨年末の衆院選を行った。
 そのことが今年に入ってからの一連の高裁判決につながっているが、そのことに対する反省の弁は、同党議員からは、ほとんど出なかった

(2013年4月12日「東新聞」朝刊)

 こうした文脈から、次の二つの文章もまた噛み砕いて飲み込み、牛さんの反芻のようにしっかり肝に銘じておかなきゃ、と決意を新たにした4月12日金曜日、朝のことでした。
 だってぇ〜、また「戦前」になりそうなんだもん:

『「新教育指針」が、真に新教育指針であるためには、いかなる意味に於ても、明治以降の日本教育へのきびしい批判から出発する以外に道はない。
 そして、それは当然、教育勅語につきあたらざるを得ない。
 忠孝道徳の如きは人間が自我確立の途上に於て、まっさきに対決すべき観念ではないか。
 この対決を避けるところに、新しい市民社会の倫理の生れる余地はない。
 「新教育指針」は、これらの点に一言半句もふれようとはせぬ。
 それどころか、文部大臣は、教育勅語の擁護をさえ唱えている』

(臼井吉見『≪展望≫或る編集者の戦後』創世記、1977年、49頁、初出は1946年9月)

 つまり、その後の教育は逆コース、つまり先の5つの「欠点、弱点」をそのまんまより強める方向にきているのではないのでしょうか、なるほどとヤッホー君は膝をたたいたわけです。
 「日本国民」が新しくなってはこまるわけで、旧いものがのこつてゐたほうがなにかと好都合だ、と。
 次はヤッホー君が現役のころ、ガンダン、ガンダンとか言われていたような記憶があります、丸山真男です。

たとえば日本で地域にしろ職場にしろ、伝統的な雰囲気が支配的なところ、そういうところほど、そういう精神風土と異った意見や行動を出すと、御承知にようによくアカといわれます。
 アカというイメージは、必ずしもコンミュニズムとかいう、そういうむずかしいイデオロギーの問題であるよりも、むしろ反抗的で同調性を欠いているとかいうことを実質的に意味する場合が少なくないのであります…
 ともかく、こうして私たちはさまざまのイメージの渦中で、見えないところの匿名の力でによって日々忠誠を審査され、思想を調査されているというのが、好むと好まざるにかかわらず、現代の状況なのであります


(丸山真男『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、1964年、449頁)
 これはガンダムが、1960年5月3日憲法記念講演会での講演をもとに、憲法問題研究会編『憲法を生かすもの』(岩波新書、1961年刊)が初出。

posted by fom_club at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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