2013年04月05日

豊田直巳

 ふるさとや家族との縁や絆、つながりを鉈で断ち切るひどい話…
 ヤッホー君は、午後、ふと思い立ってイーチャリにしました。

福島の現実を、人びとの表情から知ってほしい。
 東京電力福島第一原発事故の被災者支援を続ける荒川区の市民団体がそう考え、写真家の豊田直巳さん(56)の写真展を企画、本日4月5日から荒川区で開く。
 子どもたちの姿をとらえた作品も多く、たくましさ、原発事故の厳しさが伝わる。
 豊田さんはパレスチナやイラクで子どもたちの姿などをとらえた写真集を発表。
 東日本大震災直後から福島で撮影を続けた。
 今回の写真展には警戒区域指定前の双葉町や浪江町の様子、避難先の学校や家庭での子どもたちの表情などをとらえた約70点を展示する。
 主催団体「脱原発荒川千人アクション」は区内の市民団体や労組で構成。
 脱原発イベント開催のほか、放射性物質検査で安全確認された福島の有機野菜を区内で販売している。
 「『福島』が人びとの意識から後退していると感じる。現地の表情から現実を知ってほしい」と同団体の白石孝さん(62)は言う。
 ムーブ町屋(千代田線、京成線町屋駅)4階ギャラリーで、4月8日月曜日まで。
 入場無料。午前10時〜午後9時(初日は正午から、最終日は午後5時まで)。
 4月6日午後2〜4時に豊田さんの講演あり…
 なお同団体は5月12日日曜日に「脱原発荒川集会〜デモ」を区内で開催する

(2013年4月5日付け東京新聞、榎本哲也記者「原発事故 福島の現実 荒川で豊田さんの写真展」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20130405/CK2013040502000107.html

 「ムーブ町屋」(荒川区荒川7-50-9 センターまちや3・4階、Tel 03-3819-7761)とは、荒川区の文化・生涯学習・コミュニティー 施設のひとつであり、音楽、演劇、展覧会、会議などの文化活動や交流の場として、さまざまな機能を備えています。
http://www.city.arakawa.tokyo.jp/shisetsu/bunkacommu/mubumachiya.html

 さて、どう行くか?地図を広げて見当をつけます。
 「三つ目通り」を北上、「言問橋」を渡って、「言問通り」を走り、「JR鶯谷駅」のところで「尾竹橋通り」を北上、「JR三河島駅」を通り過ごしてさらに走って、「宮地」交差点から「京成本線町屋駅」にでれば良い、とアタマに叩き込んで、いそいそと家を飛び出したのが午後3時過ぎでした。
 イーチャリ!

 さて、フォトジャーナリスト豊田直巳とは、1956年静岡県生まれ。3.11以降の著作は:
  『フクシマ元年 原発震災全記録』(毎日新聞社)
  『福島 原発震災のまち』(岩波書店)
  『TSUNAMI 3.11―東日本大震災記録写真集 豊田直巳編』(第三書館)
  『JVJA写真集3.11メルトダウン』(凱風社)
  『終わらないイラク戦争』(嘉指信雄・森瀧春子・豊田直巳編、勉誠出版、2013年3月)

https://twitter.com/NaomiTOYODA
http://toyoda-photo.info/arakawa/

 豊田直巳を紹介する事例です。
 これは2年前の話しですが、先月末の投稿です:

『3.11の翌日には福島に向かい、福島原発爆発のニュースを聞いたものの、ためらうことなくジャーナリスト仲間とともに原発に向かった。
 爆発したのだから原発に近づけなかったとしても、危険のため道路を封鎖する立入禁止の看板1枚の写真でも、撮れればいいという気持ちだったという。
 ところがである。
 原発が爆発しているにもかかわらず、立入禁止の看板など1つもなく、放射能汚染の危険を知らせる表示などもなく、あっけなく原発10キロ圏内まで入れてしまった。
 ジャーナリスト仲間たちもガイガーカウンターを持参していた。
 豊田氏もイラクで劣化ウラン弾の取材をしているゆえ、ガイガーカウンターを持っていた。
 原発から直線距離約4キロの双葉厚生病院でのこと。
 100マイクロシーベルトまで測れる広河隆一氏の計測器の針が振り切れた。
 豊田氏が1000マイクロシーベルトまで測れる計測器を出したところ、なんとこの計測器の針まで振り切れたという…』

(2013年03月31日付けつぶやきかさこ「フクシマがイラクになった〜フォトジャーナリスト豊田直巳氏が福島映画製作〜」
http://kasakoblog.exblog.jp/20032248

 この「かさこ」さんは、1975年生まれで現在横浜在住。しかし映画「ウォーターボーイズ」のモデルとなった埼玉県立川越高校出身だそうです。

 ところで写真展、ヤッホー君が涙ながらに選んだベスト・ファイブ:

☆ 2011年4月1日「津波に運ばれた瓦礫の山の中から遺体の足がのぞいていた」(浪江町)
☆ 2011年4月18日「緊急に避難した酪農家の牛舎にはたくさんの牛が死んでいた」(南相馬市)
☆ 2011年4月18日「畜舎から解放され集団化した豚が野豚と化し威圧してきた(南相馬市)
☆ 2011年6月13日「自殺した酪農家菅野さんの堆肥舎に置かれた最後の言葉」(相馬市)
  …原発さえなければと思います。
  …残された酪農家は原発に負けないでがんばってください。
  …2011 6 10 PM 1:30
☆ 2011年9月25日「目に見えない放射性物質が大量に積もってしまった村にも秋がきていた」(飯館村)


 ムーブ町屋の会場で受付けをご担当なさっていらっしゃった元教師のおばさまに、貴重なお話しを伺いました:

『今日は午後からなのにもう30人!こんなに関心が高いのに、再稼動に動いているいまの空気は許せない、北欧から見えた外人さんからワタシ、フクシマの事故の処理も、これまでの原発のゴミ処分も何も決められないなかで、再稼動する日本人って、フクシマもそうだけれども、日本人のこころがメルトダウンしているのではないのでしょうか、って言われましたよ』

posted by fom_club at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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