2011年08月25日

蓼科山アゲイン

 8月21日日曜日、22日月曜日、24日水曜日とこの日記にも穴が開いてしまいました。
 その訳は、と申しますと、7月24日日曜日に訪れた蓼科山、同月同日付きこのブログの日記、「蓼科山」でも綴りましたが、その蓼科山に再度、8月24日水曜日チャレンジしてきたからでございます。いま、気がつきましたがちょうど1ヶ月後の再訪となります。
 北海道からわざわざ電車、バス、フェリーを大枚はたいて乗り継ぎ、乗り継ぎ上京、しかし期待していた木曽駒から空木岳への縦走はあえなく撤退雨、ホンシュウの山々も北海道に負けず劣らず大変な自然相手の山行だわい、とは分かっていても、ザンネン無念怨念とばかり、ここはヤッホー君、男気を出して、北海道の仲間に「極上の絶景」をご提供申しあげたい、とばかりに、木曽駒山行の打ち上げ祭の折り、本日8月25日木曜日に、なんて語っていた蓼科山を、昨日8月24日水曜日に実行した、とまあ、そんな背景、バックグラウンドがあって、日記の更新もままならなかったと、こういう次第で。

 昨日は下町を4時半にでて女神湖経由で登山口へ、そして8時50分には登頂開始、という行程で、天気は上々、晴れ晴れ! 山頂からは方位盤を見ながら冨士、浅間、北岳、御嶽、妙高まで、隣の八つはもちろんのこと、槍、穂高まで、すべて見晴るかすことが出来ました。

 前回お会いしたのが豊島区立目白小学校、この度は、茨城県常陸太田市の「佐竹山と秘湯の会」ご一行様といっしょになりましたのでご紹介。

 高校教師を退職した方々のお集まりですが、会の歴史は30年来になるのだそうです。全体での山行企画は年一回、山と秘湯と地酒をたしなまれる、という会です。
 話題豊富な皆さまばかりで、山歩きのあいだも話しは尽きることはありませんでした。そのなかからひとつふたつご紹介。

 まずは歴史、と言っても地球の歴史。千畳敷カールが2万年前、オンカロが10万年前とかお話ししましたが、常陸太田市に日本最古の地層が見つかったって話し。5億何千万年の話なんですけど、人間は存在していません、念のため:

日立市郷土博物館特別専門員の田切美智雄・茨城大名誉教授(65)=地質学=たちは、茨城県多賀山地西側の玉簾(たまだれ、日立市)の地層は5億700万年前、南側の長谷町(常陸太田市)の地層は5億1000万年前のものだと分析した。多賀山地の6ヶ所で測定した結果から、約60平方キロにわたって約5億年前の地層が広がっていると推論した。
 5億年前のカンブリア紀は、現代の生物と比べて非常に奇妙な姿の生物が多数現れ、動物の多様性が一気に増大した時代だ

(日本最古の地層、専門家がナビ 日立市郷土博物館、2010年12月17日付け朝日新聞地方版)
http://mytown.asahi.com/areanews/ibaraki/TKY201012160444.html

現在知られている最古の脊椎動物であり、子孫も現存しているこの化石の生物(1999年に発表された魚に似た小さな2種の無顎類の化石発見は、最大級の驚きを持って迎えられた。発掘場所は中国の澄江にある5億3000万年前の化石層)は、私たち脊椎動物の祖先が以前の定説より約5000万年早く出現していたことを示している。
 カンブリア紀末には生物の大量絶滅が何度も起きており、殻に覆われた腕足動物の多くをはじめ、さまざまな生物が絶滅した。この時期には三葉虫も大きく数を減らしている

http://www.nationalgeographic.co.jp/science/prehistoric-world/cambrian.html

 そう、「カンブリア宮殿」というテレビ番組でなく、ズバリ、地球の歴史であるカンブリア紀のお話しなんですう。

 こんなトウデンフクシマゲンパツジコが、この国に落とされた原爆の何百倍もの放射能を自分たちで撒き散らしておいて、まだ運転をし続けるという基調、なんですって。石原都知事も、石波元防衛大臣も原爆製造能力を維持し、周辺諸国に顕示することがこの国の安全と防衛のためになる、従ってゲンパツを運転するのは良いことなんだ、という暴言を言い募りましたが、この国の知識人、ジャーナリストで一体、どれほど批判した選民がおられたのでしょうか。難民化する地域住民より、為政者、権力者の私腹を満腹にする方が優先順位が高く、これが有権者の暗黙の合意だそうでして、いつからこんな国に成り下がってしまったのでしょうか。

 ところでご一行さま、今宵の秘湯はどこですか?と訊ねたら、渋温泉だそうでして。
http://www.shibuonsen.net/

 思わず付いていきそうになったヤッホー君でした。ほかに推薦する日本の温泉は、と訪ねたら:
藤七温泉(八幡平)http://www.toshichi.com/
法師温泉(谷川岳)http://www.houshi-onsen.jp/

 なぜ佐竹って名前が先につくのですかって、またしても訊ねまくるヤッホー君でしたが:

佐竹寺は,鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。807(大同2)年の開山,あるいは,985(寛和元)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。創建当初は,鶴ヶ池の北に位置する観音山にあったが,1543(天文12)年に兵火によって焼失,1546(同15)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの,佐竹氏の秋田移封にともない,その寺運はしだいに衰えていきました…
 あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された、常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです

http://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/index.php?code=225

 その移封の際、常陸太田からたくさんの美女を連れて秋田に行きましたので、今日の秋田美人のルーツは実は、常陸太田にあったのですう、というオチまでついた貴重なお話しをいただきました。
 ますますの会の隆盛をご祈念申しあげつつ、北海道の仲間ともども、われわれ山歩クラブももっと愉快な仲間が増えますように、と山頂の蓼科神社に手を併せ、下山したのでございます。

 なお北海道の仲間ですが、帰りの中央道では、山梨県でのでっかい冨士山、大雨のなかでの速度規制、相模湖ICでの乗用車8台によるジコ渋滞等々、蓼科山山行後もさまざまな未知のハプニングとも遭遇し、なかなかのはじめて経験することばかりでびっくりなされた、とのことでございます。

posted by fom_club at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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