2011年08月20日

海が海らしく、空が空らしく戻る日を祈って

 そういえば、中央大橋の中央で隅田川を見下ろしている「自由の女神」ならぬ「メッセンジャー」、これを山歩クラブでは屋台船を浮かべ川面から見上げたことがあったのです。
 あれは今年、中止になった東京湾大華火大会の夜、いつのころだったかしら、と記録をめくったのか記憶を辿ったのか、ヤッホー君ついに動かぬ証拠を見つけました。
 いまからもう、5年も前のこと、2006年夏のことでした。

 山歩クラブ念願の「高天原温泉ツアー」(2080m、露天風呂では日本一高く、2日かけないと入浴できない日本一最奥の秘湯、入湯税無し)の前夜祭だったのです。以下の記述は、ムカシの山歩クラブの公式ウエブサイトから:

前夜祭は8月13日日曜に雷雨で順延になった東京湾大華火大会。
 その後、前泊組6名(大林、前田、岩下、本間、本多、平塚)は羽田から翌朝14日朝一番の全日空ANA881便で富士山を上から観ながら富山へ。
 越中おわら風の盆唄、八尾まで散歩に出かけ、帰りは越中富山の薬、反魂丹を買いこみ(絶不調のヤッホー君にとって道中これほど効く名薬はありませんでした)、有峰口から亀谷温泉・白樺ハイツに泊り込んで作戦会議。
 残り2名(大槻、下田)とは、太郎兵衛平への途上、三角点1871mで合流しました。
 背後には立山から剣岳が青空に聳えていました。
 足元はニッコウキスゲからチングルマに、クルマゆり、お花畑でした。
 このように全行程、台風の影響もなく、停電も雷もなく、落伍者も故障者もなく、逆に人助け(伊藤新道を独力で開通させた伊藤正二ジュニアのつめる雲の平山荘では腹痛をおこし午前3時にキャンプ地から駆け込んできた救護者を救け、感謝されました)、まるで山歩クラブが祝福されているかのように晴天に恵まれ、無事に8月19日土曜日昼、白樺ハイツに下り立ち、旅の無事を祝いました


 なんと感想文まで:
会長さんの「大丈夫だよ」の一声で、参加を申込んでからは、夢がどんどんふくらみ、とうとう自分の体力・技量も考えずに、分不相応な夢のようなところまで行ってしまいました。
 皆さまのお陰で無事に下山でき、感謝しております。
 お天気に恵まれて、すばらしい眺望や、高山植物、雲上の乾杯等々、生涯忘れられない、良い思い出ができました。
 最終日には、付けていた膝のサポータをはずしてまで付け替えてくださった本多さま、山の女神のようでした。
 また、海抜0mの東京湾華火大会のおつまみを2000m以上の山まで、愚痴も言わずに運び上げてくださった歩荷役の大チャン、ありがとうございました


 明日からのアルプス縦走も成功裡に完歩できますように。
 
 ところでこのブログ、嬉しかったのは「コメント」です。はじめてヤッホー君も知りましたが、8月17日のブログ「日記」、「生き延びる知恵と力」に「コメント」をつけることができたんですよ。お気づきの方はいらっしゃいましたでしょうか? ぜひお読み下さい。

 それ以来、コメンテーターとは交信が続いておりますので、これもご紹介:

こんにちは。お忙しいなか、ブログにご丁寧なコメントをお寄せいただき、大変恐縮しております。
 トウデンフクシマゲンパツジコ後は、アクセス数が500件以上に達し驚いたことがありましたが、いまでも毎日220人ほどコンスタントに訪れてくれており(同じ人が別の記事も読んでくださる記事毎のページヴューアーとなりますと、その倍の数字です!)、こうなると励みと言いますか、へんなことは言えない、と思っております。今後とも読んでコメントをお寄せくださいますようよろしくお願いします。
 山歩きを通していつまでもこころもからだも健やかに、山歩クラブ


…なんてま、外交辞令が続きます:

丁寧にメールをいただきありがとうございます。『被爆を生きて』はいろいろなかたに読んでいただき、感想をいただいています。今後もご健筆をお祈りいたします。山歩きを楽しみながら、健やかにお過ごしください

…ま、こういうやり取りの大きらいなヤッホー君、挑発行為にでます:

いま、ブログ「言葉が心の杖」の更新を終えました。
 3.11は「ただち派」のようにレトリックを操るデマゴーグ含め、どういう言葉を後世に残すんだろうな、残せるにたる言葉が生れているのだろうか、と気になっております。
 そのなかで石巻出身の辺見庸という作家がヤッホー君の気になる物書きのひとりです。ときに、古語を操りすぎ、感情に流れすぎるところがありますが、それだけ横溢する想いの「持ち主」と拝見しております。
 彼が、2004年3月14日に新潟の病院に脳出血で倒れ入退院を繰り返し、2年1ヶ月後の毎日ホールでの講演会までの間の情勢をどう表現すべきか考え、考え抜いて、コイズミのことを語って、いまこの国はあぶない、あやうい、駄目になる、と言わんとしているのです。
 ヤッホー君にも分かることがあります。どこの事業所に行っても首から生産流通履歴情報(トレーサビリティー)か、ドッグの鑑識票か、米軍兵士が死んだときすぐに誰か分かるようなドッグタグか、いずれにせよあんなもん、ぶらぶらと首からぶらさげて働くサラリーマン、ひな壇でカメラ目線を気にしているお笑いタレント、どのチャンネルあけても馬鹿お笑いの番組、どのチャンネルひねっても大本営発表の垂れ流し、だだ漏ればかり、大連立で前原待望論の政治情勢…。
 先生、辺見庸のごとくだんだんとヤッホー君の口調も言い募ってきますが、一体、いつになったら安心して山に遊べるのでしょうか、山小屋のランプの明かりで読書したいと思う今日、この頃です


 辺見庸の毎日ホールでの講演は、山歩クラブ高天原温泉ツアーの年でした! そうしたら先生から早速、変事がありました。先生、嬉しかったです! ありがとうございます:

辺見さんは、ぼくの住む逗子に以前お住まいで、「赤い橋の下のぬるい水」の舞台は逗子です。また娘さんは、ぼくが3年前まで勤めていた女子美のご出身です。
 また、井上ひさしさんとともに林京子全集を編纂された黒古一夫さんの娘さんも女子美で、ぼくのゼミにいました。
 その女子美を創立した横井玉子(横井小楠の養子の嫁)は築地居留地の出身、今勤務しているフェリス女学院は横浜の居留地にヘボンが開いた診療所を間借りして、女性伝道師、キダーが開いたものです。
 辺見さん、林さん、といった方々のお考え、言葉は、本当に心に沁みて考えさせられますね。
 海が海らしく、空が空らしく戻る日を祈りたいと思います。
 いろいろお話したいことがありますが、明後日からしばらくヨーロッパで学会があるため、留守にいたします。
 いつかお目にかかって直接お話ができる日があることを期待いたします


 追伸まで:

さきほど書き忘れましたが、横井玉子が生まれ、少女時代を過ごしたのが築地居留地。
 彼女は維新後熊本に移り、横井小楠の家に嫁ぎましたが、事情があって再び築地の学校(後の女子学院)の先生になりました。
 そして1900年に独立して女子美を創立します。
 女子美とフェリスの間にも人のご縁があるのですが、それはまた次の機会にでも


 とりあえず先生はヨーロッパですが、ヤッホー君たち7人の侍は中央アルプスです。
 行ってらっしゃい、気をつけてね。最後に『朝キン』初日の中央大橋の写真を載せておきますので、留守中、お楽しみあれですって;
メッセンジャー像.jpg

posted by fom_club at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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