2011年08月15日

徳船稲荷

 8月15日月曜日朝7時半、からだの健康のために銀座まで通勤に歩いています、という同じマンションに住む管理組合の理事さんとばったり大川端で。
 そういえば今日は月曜日、今日から通常業務、という会社もあります。
 そういえば佃島の天安(中央区佃1-3-14 Tel 03-3531-3457)では、若旦那が7時前だというのにもうお店の前で打ち水。
佃煮発祥の地佃島で、創業(天保8年)当時からの製法を守り、また、創業当時から現在まで、170年受け継がれてきた「たれ」を味付けの基本としています
(当店のこだわり)
http://tenyasu.jp/

 ヤッホー君は、夏休み!
 初日の土曜日朝に、ここ佃島の住吉神社で二礼二拍のお参りをしてきましたので、今日は礼をするだけ。
 手をあわせていましたのは、隅田川右岸、仙台高尾を祀った高尾稲荷の先の下流、亀島川の南高橋近くにある徳船稲荷神社。

 まだ大江戸線も半蔵門線も通わぬムカシ、山歩きを始める前のムカシのこと、週末になると朝はきまって、右岸から勝どき橋を越えて左岸に入り、月島、晴海、春海橋を越えて日本ユニシス、そこから越中島に入り、都立三商、東京商船大学(現在、国立大学法人東京海洋大学海洋工学部越中島キャンパス)で越中島公園に入る、というコースでジョギングをしていました。

 今夏、久しぶりに復活したのはしかし、ジョギングでなくウオーキング。
 永代橋西の橋脚下に水たまりがあって、頭をかがめて橋下脇のコンクリート堤の上を歩かねばなりませんが、ムカシは水溜りなく、山の氷河の後退ばかりでなく、北極海の氷も溶けている、というし、海面上昇のせいだな、と地球温暖化が実感できるところです。

 また、隅田川に魚が戻ってきた、と言われたくらいでしたから、ムカシの人(といってもほんの10年、20年前)は、もっと隅田川を大切に、綺麗に、大事に扱っていたんじゃないのかな。
 いま、絵葉書以上のことが見えてきます。

 おなかをだして手足をばたばたさせているセミ
 満潮時に陸にあがったけど河にもどれなかった川魚
 この川魚にも、からからに渇いた川虫にも手をださないすずめや水鳥
 びっこの鳩
 大川にごみ袋をふたつも放り投げるお年寄り
 やりっぱなしの子ども花火
 片づけもしないビール、じゃない、安もんの第三のビールの空き菅
 持ち帰りもしない弁当がプラスチックの袋の上
 バナナはいま房でなく一個ずつ売られているのがありますが、その皮だけ入ったプラスチックの袋
 ぷかぷか川面に浮かぶペットボトル
 テラス下に置き去りにされた紅いベビーカー

…こうした自分勝手で無様な生き方しかできない人間どもにバチがあたりますように、そして生きとし生きるもののいのちが費えたあとの成仏、この二つをお稲荷様に、しかも徳川の紋所にお願いしてきたわけです。「頭が高い、控えおろう!この葵の紋どころが目に入らぬか」と悪人どもを成敗しようと…

「徳船稲荷神社縁起」:
徳川期、この地、新川は、越前松平家の下屋敷が三方掘割に囲まれ、雄大に構えていた(旧町名・越前掘はこれに由来する)。
 その中に小さな稲荷が祀られたいたと言う。御神体は徳川家の遊船の舳を期って彫られたものと伝えられる。
 明暦三年、世にいう振袖火事(1657年3月2日から3月4日にかけて)はこの地にも及んだが、御神体はあわや類焼の寸前難を免れ、1922(大正11)年に至るまで土地の恵比須稲荷に安置された。
 関東大震災(1923年、大正12年)で再度救出され、1931(昭和6、満州事変勃発)年、隅田川畔(現・中央大橋北詰辺り)に社を復活し、守護神として鎮座したが、戦災で全焼。
 1954(昭和29、その前年1ドル200円)年、同処に再現のあと、1991(平成3、ソビエト連邦解体)年、中央大橋架橋工事のため、この地に遷座となる。
 例祭は十一月十五日である

posted by fom_club at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック