2011年08月06日

広島原爆の日

『カッシーちゃん、こんばんは。おつかれさまでした、文書2通落掌。今日は大いそがし。山よりも大変でした。「サマースペシアルイベント」と銘うった迷プラン!さすがに午前10時の渋谷中堅ハチ公前に忠犬見当たらず、夜5時半千駄ヶ谷津田ホールを掘れども何にも見つからず、でも所定の行動をしなければ、あとで誰か仲間が行っていて待ちぼうけ食わされて、そんな無責任な、なんて言われぬよう、まあ、次回の下見、舌見ということで一日、忙しく過ごした月例山行前日のヤッホー君でした。
 明日はよろしくお願いします。そう、そう、明日は子どもから冨士山なんて何を考えているか、冨士山のことを考えるより年のことを考えろと言われ、老いては子に従えなので今回は断念、キャンセルさせていただきますって電話。明日の冨士山はカニの縦這えでなく、カニの横這えっちゅうのに、やんなっちゅね、まったく、まあ明日もまた楽しく、わいわいがやがややりましょう』
 
 そうなんです、8月6日土曜日、朝10時。
 ブログの8月3日水曜日付け日記でも言いましたが、22年前のドキュメンタリー映画『あしたが消える』を観てまいりました。客席はほぼ満席、すご〜い!世代も若い人から年配の人までこりゃあ、すごい!
http://www.genpatsu22.com/
 2011年7月28日19時27分更新朝日新聞ウエブ版にもコメントがあります。下↓;
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201107250286.html
 
 必見です。
 映画に出演していた主婦、葛西真紀子さん。映画では仙台市に近い海沿いの町で、ご主人はガソリンスタンドに勤めながら大好きなバイクショップも小さいながらもおやりになってるって、22年後の3.11は大丈夫だったのでしょうか?ご無事をお祈り申しあげております;
 と言いますのも、宮城県気仙沼市の市民会館情報共有サイトに1件のコメントがあったのを見つけたからでした
『朝倉幹晴より:2011年5月9日2:41PM 葛西真紀子様は『あしたが消える』に出演された葛西様でしょうか?もしそうならば、村田三郎医師が安否を気遣っておられました。私は村田医師の知り合いのもので朝倉といいます(もし同姓同名で別の方でしたら申し訳ありません。無視してください)』
http://shakuji.net/kesennuma/?p=1663

 今日は映画会が初日でしたから、プロデューサーの平形則安さん(55)、いまはピクチャーズネットワーク(株)代表取締役も客席に見えていてごあいさつ。この方、22年前も新藤兼人監督とお仕事をしていたらしいのです。平形さんは、NHKテレビETV特集で、2010年第48回ギャラクシー奨励賞を受賞していました。
http://www.picturesnetwork.co.jp/index.html 

『映画監督新藤兼人は、死ぬ前にどうしても完成させたい映画がある。「一枚のハガキ」の撮影はこの春始まった。自ら「遺言状」と語る海軍二等兵時代の忘れえぬ記憶である。番組は、新藤さんが再底辺から体験した戦争の真実を描くものである。
 昭和19年3月、丙種合格だった32歳の新藤さんに赤紙が来た。「一億挙げて戦闘配置へ」のスローガンが叫ばれ、100人のオジサン部隊が、広島県呉の海兵団に集められた。奈良の天理教本部を掃除し、海軍予科練兵を世話することが任務だった。掃除が終わると上官がくじを引いて60名が選ばれ、フィリピンの陸戦隊となった。兵舎で新藤さんの上に寝ていた同期兵は、フィリピンへ行く命令を受けて感極まり、妻の手紙を見せた。その文面が若きシナリオライターだった新藤さんの胸をえぐった。遺作は、このハガキを軸に作られている。

「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」

 二度のくじ引きで生死が分かれ、94人が戦死した。新藤さんは生き残った。家族ある老兵が集められ、くじ引きで生死が決められる戦争とは何か。新藤さんが自分の目で見て、その後長く考えてきたことを映画にすることが、生き残った者の責任だと思った。戦争を体験した言論人が次々と世を去るなか、戦争の記憶を未来へ伝える重みはますます大きい。

 「戦争というのは,戦場で戦うんですが、本当は後に控えた家をつぶすわけでしょう。一人の兵隊が死ぬとその家がめちゃくちゃになってしまう。戦争は、家族も家も全部つぶしてしまう力を持っているんです」 戦闘の場面がない映画だが、新藤さんは日本中で兵隊を送りだした農家が、もう一つの戦場だったと主張している。

 「将校や下士官と違って、最低の所から、命がけで見てきた。僕はつまり戦争の裏側を見たという気がしているんです。私は生き残った。だからこの映画を作るんです」 映画は順調に撮影が終わり、現在ポスプロが進んでいる。遺作「一枚のハガキ」は、来年夏に公開される予定だ。新藤兼人は99歳、49本目の作品となる』

(2010年9月19日日曜日午後10:00〜午後11:30(90分)
…www.nhk.or.jp/etv21c/update/2010/0919.html

 必見です。
http://www.ichimai-no-hagaki.jp/trailer.html

 映画があった『ユーロスペース』にはお年寄りのこんな方も。
 今朝のNHKラジオの土曜朝いちばんの番組に『はだしのゲン』作者、中沢啓治さんが出演していらっしゃいました。もう目が見えないので漫画はもう描けませんが、口がまだあります、これを一生懸命使って、皆さんに核兵器は使っちゃ駄目、戦争はやっちゃ駄目、原発も駄目っていのちある限り訴えていくっておっしゃっていて、その映画があるってこちらに来たんですけど:
http://a-shibuya.jp/archives/641

 必見です。
http://cine.co.jp/gen/

 そう、今日8月6日土曜日は広島原爆の日なのです。
『66回目の広島原爆の日を、東京電力福島第1原発事故に直面する福島県の被爆者は特別な思いで迎えた。19歳の時に広島で被爆した福島県原爆被害者協議会会長の山田舜さん(85)は語る。「人生で2度も放射線に脅かされるとは。これまで8月6日に原発のことを頭に浮かべたことはなかったが、今年は違う。なぜ原爆が落とされたのか、そしてなぜ原発ができたのかを改めて考えざるをえない」

 山田さんはこの日、福島市の自宅のテレビで平和記念式典の様子を見ながら、核兵器廃絶の思いを込めて鎮魂の祈りをささげた。

 1945年夏の朝。旧制高校2年生だった山田さんは熱を出して広島市の自宅で寝ていた。突然、閃光と爆風が襲った。しばらく縁の下に隠れた後、屋根に上って言葉を失った。見渡す限りの炎、炎、炎…。道路に放置された遺体の山が脳裏に焼き付いている。

 経済学者になり福島大学長などを歴任、81年からは県原爆被害者協議会の会長を務めるが、今回の原発事故は想像をはるかに超えるものだった。「原発は平和利用のためのもので原爆とは別だと思っていた。まさか放射性物質が飛び散る事態が起きるはずはないだろうと」

 事故は5カ月近くたった今も収束していない』

(2011年8月6日11時09分更新ウエブ版毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110806k0000e040039000c.html

posted by fom_club at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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