2011年07月31日

雲と草原

 手塚宗求の「コロボックルヒュッテ」を初めとして「霧が峰」には、多くの詩人、文学者、芸術家、登山家たちを惹きつけたマグマが渦巻いていたのでしょうね。
 それは、山小屋の主にも、そういう言葉を編む者たち、山並みを憧れる者たちを惹きつける磁場をもっていないと、出会い、邂逅、交誼、交流の糸を紡ぐことなんてできなかったでしょうね。
 白昼夢のような人生が、ほんの一瞬、輝く喜びなんて、滅多に訪れるもんじゃありません。
 だからこそ、そのこころとこころが響きあう時、こころとこころの共鳴を求め、また求められる自分でなきゃならないと更に真剣に、遠く広く、更に高く深く、精進を重ね、そしてそのふるえるような共振が、せめて100年続きますように、と手をあわせ、祈るのではないでしょうか。
 「ひと」というものは。不思議な存在です。
 
 手塚宗求も生涯にたった一度しか尾崎喜八とは会っていないのです。
 が、お互いに認め合っていて、周りの人たちにも、ふたりの友情はとっくに知れ渡っていた周知のことだったんですって。これにもビックリしてしまいます。

 1963年のことです。
昭和38年5月22日の夜、私は谷川岳から下山したままの山支度で、山口耀久さんに連れられて上野毛の尾崎さん宅に伺った。
 岡部牧夫君も一緒だった。
 私は尾崎さんとは初対面だったが、もう何回もお会いしているような親近感を抱くことができた。
 尾崎さんに対しては、私はすでにその多くの著作に接して馴染みが深かったためだろう。
 それに何といっても全ての作品から受ける感銘と熱い共感の故に違いなかった。
 
 一方、尾崎さんにしても、串田孫一や山口さんなどから私の身辺についての情報をしばしば得られていて、山小屋のことなどを気軽に訊ねられた。
 更に「アルプ」にも私も時々文章を乗せていたので、尾崎さんの印象にとどまるものもあったためだろう。
 2時間近くも書斎にお邪魔したわけだが、私の山日記のその日の欄には、ドボルザークのチェロ協奏曲を聴かせていただいたことも書いてある。
 尾崎さんは私達を上野毛の駅まで送って下さった…

 尾崎さんの奥様と栄子さんが私の小屋に立ち寄られたのは1988(昭和63)年だった。
 その時私の書棚に並んでいた『尾崎喜八詩文集』の9巻と10巻が欠けているのに気づかれたのだ。
 帰って間もなくして、その2冊、「挽き木の実」と「冬の雅歌」が送られてきた

(手塚宗求「雲と草原」、『山をめぐる人と書物』所収)

 ぜひ読者諸氏、この良書を本屋さんで注文してお買い求めのうえ、その本を手に、コロボックル・ヒュッテに泊まりにいってみませんか。
 そして、山小屋の書棚から尾崎喜八の本を借り、それを手に、山並みを見ながら美味しいコーヒーをいただいてきてくださいな。その前に、コーヒーの芳しい匂いにもひたらなければ…

 手塚さんから直にいただいた名刺には、カタカナで「コロボックル・ヒュッテ」とありますが、公式サイトはひらがなになっていました。
 あ、そう、そう、あの犬はもういないそうです。ブログによりますと、黄色いニッコウキスゲの咲く側のお墓に眠っています。
 どうして犬の一生ってこんなに短いのかしら…
 ヤッホー君は山形のドンキー、あの上目遣いに、何度も見てくる真っ黒だった犬のことを想って涙していました。2011年7月最後の日の夕べでした。
http://homepage2.nifty.com/koro-1956/

posted by fom_club at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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