2011年07月30日

コロボックルヒュッテ

 7月30日土曜日の早朝、書棚を見渡し何気なく手に取ったのが、手塚宗求(1931年長野県松本市出身)『山をめぐる人と書物』(2000年、恒文社)。
 本の裏表紙には著者のサインとはんこが。そして名刺までなかに挟んでありました。へぇ〜。

 蓼科山・天狗の露地から見えた美ヶ原と霧が峰、ということは霧が峰からも、もちろん蓼科山が見えます。
 霧が峰・車山肩から仰げる白く丸い玉がのった建物が、気象庁の車山レーダー観測所です(車山の頂上、1925m)。その下の辺りに「車山湿原」がひろがり、車山の左後方に、三角形の山、諏訪富士とも呼ばれる蓼科山が見え、その手前に見えるこんもり茂る木立の中に、手塚宗求さんの経営する(といってもご自身は息子さんに代を譲っています)山小屋、「コロボックル・ヒュッテ(Tel 0266-58-0573)があるのです。
 
 山歩クラブもこの一帯、大好きな山域でした。コロボックル・ヒュッテを拠点によく歩きました。山歩きを終えて、小屋のテラスに陣取って、いまごろでしたら真っ黄色なキスゲの草原を眺めながら、草原を渡ってくる風に火照ったからだを晒しているのでした。

 こんな文章がいまは閉じたムカシの山歩クラブのウエブサイトからでてきました(今のサイトはいつも工事中で、更新されておらず申し訳ございません雷)。もう、5年も前のことになりますか…:

『2006年8月6日日曜日。
 ≪妙な言い方だが、山には、「登る山」と「遊ぶ山」がある。
 前者は、息を切らし汗を流し、ようやくその頂上に辿り着いて快哉を叫ぶという風であり、後者は歌でもうたいながら気ままに歩く。もちろん山だから登りはあるが、ただ一つの目標に固執しない。気持のいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりもする。当然それは豊かな地の起伏と広濶な展望を持った高原状の山であらねばならない。
 霧が峰はその代表的なものの一つである』
(深田久弥「日本百名山」)≫

 歩いた仲間の海山千里さんの感想です:
『いつもいつも楽しい山行をありがとうございます。今、お盆の夏休みを頂いております。台風の余波で、雨が降ったりと今ひとつはっきりしない天気ですね。そんな訳で外にも出かけず過ごしております。バスの中で、また、先日のメールで紹介していただいた田中澄江さんの<山はいのちをのばす>、確か5、6年前に買って読んだなと思い出し探しましたところ出てきました(文庫本ですが)。
 友人に誘われ時々ハイキングに行き始めたころ、山に関する書籍を何か読んでみようと思い、東向島駅前の小さな書店で買ったものでした。山歩きを愛する人のバイブル的本ということですので、もう一度読んでみようと思っております。
 さて、霧が峰。
 二十数年前のちょうど同じ時期に小学校と幼稚園に通う幼子を連れ家族で訪ねた懐かしい場所でした。我が家に戻ってから、夏休みの宿題の絵日記の一頁として三人の子供たちが書きました。あまりにもへたくそなので、私が色塗りを手伝いました。そんな子供たちも社会人となっております。長女はまだ家におりますが、長男は親元をはなれております。
 実は、次女(当時27才)をちょうど2年前の8月5日に交通事故で失いました。娘の写真を胸ポケットに入れ一緒に歩きました。いろいろな思いを巡らせながら、晴天の霧ヶ峰を歩かせていただきました。

 「絵日記に 子らが絵(ぇ)がいた 紅い花 お花畑の きっとどこかに」
 「齢かさね 再び訪ねた 霧ヶ峰 夏の思い出 また新たなり」
 「二十年前 五人で歩いた 霧ヶ峰 今日再び 君と二人で」
 
 五七五は文字を並べただけです。一笑に付し破棄してください。今後ともよろしくお願いいたします。失礼しました』

 6月の例会で歩いた「美ヶ原」。王が頭、王が鼻からは南、北、中央アルプスの山並みがのぞめたし、直近に歩いた「蓼科山」では、立科林間学校に参加した豊島区立目白小学校6年生の大ぜいの子どもたちに元気を分けてもらったし、次回また、もう何度目になるんだろう、何度訪れても満足する「霧が峰」、さあ、またプランニングしないといけないようで…

posted by fom_club at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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