2019年12月07日

映画「閉鎖病棟」撮影場所ロケ地

 落語家としての長年の功績が認められ、大衆芸能部門で2018年度芸術選奨の文部科学大臣賞を受賞した笑福亭鶴瓶(1951年生まれ)。
 役者としても絶好調。
 作家・帚木蓬生(1947年生まれ)原作(新潮社、1994年、1997年新潮文庫)の『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(平山秀幸監督、2019年11月公開)で主演を務めます。
 しかも精神科病院を舞台にした本作を、実際の国立の精神科病棟を使用して撮影するというじゃないですか。
 調べたらそこは、元陸軍の結核治療研究機関だったという歴史が!
 この機会を逃してはなるまいと、長野県小諸市に向かいました。


[写真-1]
入院患者として出会い、親交を深めていく(写真左から)秀丸(笑福亭鶴瓶)、チュウさん(綾野剛)、由紀(小松菜奈)

真田幸村、浅間山……いざ「ろくもん」に乗って小諸へ!


 2019年1月中旬。
 東京から北陸新幹線で軽井沢駅まで行き、そこから「しなの鉄道」に乗り換えて小諸へ。
 ここはせっかくなので、長野県上田を舞台にした細田守監督『サマーウォーズ』(2009)の息吹を感じられる、戦国武将・真田幸村の甲冑の色や家紋がデザインされた観光列車 「ろくもん」で参りましょう。


[写真-2]
小諸へは、しなの鉄道が誇る観光列車「ろくもん」でGO

 沿線には冬の澄んだ沿線には冬の澄んだ空気でくっきりとした姿を表している浅間山が見えます。
 その名を聞くと思い出すのは、1972年に起きたあさま山荘事件。
『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)や『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』(2008)など映画にもなりました。


[写真-3]
「ろくもん」からの浅間山

「ろくもん」車内を探検していたら、あっという間に小諸駅。
 駅舎と駅前のロータリーは整備され、小諸を舞台にしたオリジナルテレビアニメーションの 「あの夏で待ってる」(2012)のキャラクター看板がお出迎えしてくれました。


[写真-4]
小諸はアニメ「あの夏で待ってる」の舞台。8ミリカメラで自主映画を撮る高校生たちの青春物語

撮影現場に張り詰める緊張感

『閉鎖病棟―それぞれの朝―』のロケ地である 「小諸高原病院」は、小諸駅から国道131号線峰の茶屋小諸線を浅間山方面に車で進むこと約15分の山腹にあります(黒斑山の登山口である車坂峠に行く道の途中から右に曲がった先にあります)。
 人里離れ、豊かな自然に囲まれた病院は、ここがかつて結核治療研究機関であった名残りを感じさせます。


[写真-5]
正式名称は「独立行政法人国立病院機構 小諸高原病院」もともとは陸軍の結核治療研究機関だった

 独立行政法人国立病院機構へと移行したのは2004年で、現在は精神科の専門医療施設です。
 日本国内で国立の精神科病棟が、ドキュメンタリー映画を除いて精神科病棟を描いた映画の撮影に使用されるのは初めての試みとか。
 ただし利用している患者さんたちに配慮し、大声を出すのは厳禁です。
 しかしこの張り詰めた緊張感が、気合の入った撮影現場に来ているんだと実感し、取材する側も身が引き締まります。


[写真-6]
病棟を借りて撮影を行う平山秀幸監督(左)と綾野剛

「賞があってもいいと思う」鶴瓶師匠もロケ地を絶賛


 なぜなら『閉鎖病棟―それぞれの朝―』は、キラキラ映画や“泣ける”をウリにする作品が多い昨今の日本映画界において、なかなかの勝負作。
 主人公は、笑福亭鶴瓶演じる死刑執行に失敗して生きながらえてしまった死刑囚の秀丸(笑福亭鶴瓶)。
 彼を中心にさまざまな過去やトラウマを背負って生きる精神科病棟の患者たちは、俗世界から離れて生きることで心の平穏を取り戻そうとします。
 しかし院内で起きた殺人事件によって、運命は大きく変わり……。
 同病院での撮影は2週間にわたって行われ、病室も使用しています。


[写真-7]
外来診療棟の玄関前で撮影を行うスタッフたち。左端は綾野剛

「僕は、映画は本職ではないんですけど、(トーク番組の)『A-Studio』のMCをやっているからゲストが出演するいろいろな映画を観るでしょう。そうするとロケ場所をどう抑えるかで映画の流れが決まってくるように思うんです。普通、こんな病院貸してもらえないですよ。この(病院を使えるように交渉し)苦労をしはった人に、賞があってもいいと思う」

 そう語ったのは鶴瓶師匠です。
 師匠が主演した映画『ディア・ドクター』(2009)のリアリティは、まさにロケ地となった茨城県常陸太田市の景観あってこそ。
 師匠の言葉には、重みがあります。


[写真-8]
小諸高原病院の案内図。一直線の廊下があり、圧巻!

 ちなみに同病院は近々改修が予定されているということで、本作は1943年に建設された当時の姿を捉えた貴重な映像記録となりそうです。

goo映画、2019/04/26 12:00
国立の精神科病棟が初のロケ地に
『閉鎖病棟―それぞれの朝―』の現場を行く

(中山治美)
https://movie.goo.ne.jp/archives/3106

※ 『ディア・ドクター』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=P4GqLmw5VXc

 個人的には、私がいつも行く「やき鳥屋」でカウンター越しに女将さん(60代前半)に、今度「閉鎖病棟」の舞台挨拶見に行くとチラッと話をしたら、「うわ〜〜、私、その映画見たかったのぉぉぉ!いつ? もうやってるの? いつから?」と、いつもはあんまりまともに注文でさえ聞いてくれないのに、その日はやや興奮ぎみに、がぶりつきの好対応。

 また当日、チケット売り場のあたりをウロウロしていると、いつもお世話になっている近所の叔母さん(60代後半)に偶然会って本人曰く「今日、本当は南木さん(地元出身の作家:南木圭士さん)の映画を見に来たんだけど、まだしばらくやっているようだし、・・・いいの、いいの(シルバー割引の対象にならないけど)閉鎖病棟の方、見ることにしちゃったの!」とちょっとはしゃいだ様子。

 2つの偶然が重なり、この映画の人気度を身をもって実感しながらの入館となります。

 そして、私も厳かに鑑賞させて頂きました。

・・・ネタバレになってもいけないので、内容についての言及は避けさせて頂きますが、

 うーーーん、最近忘れていた感情が蘇ると言いますか、なんだか「心がとても痛い」です。
 小説が書かれた時代を再現しているせいで「ちょっと昔の日本」みたいな感じもあるんですが、そういった雰囲気とか寂しさが後押ししているところもあるんですが、とても心が揺さぶられます(どうにかしたいけど、どうにもできない感じってこんな感じなんだろうなあ)。
 つまりは王道中の王道「映画らしい映画」という感想です。

 もうちょっと詳しく解説すると、
・「心が揺さぶられる」=どの出演者の方もとても演技がうまいので、問題なくストーリーに集中できました。
・「もの悲しい」=我が故郷周辺の景色を(映画用に)寂しくも、ただしっかりと美しく撮って頂いておりました。
・「心が痛い」=映画独特の簡単に言葉にできない感情が沸き上がります。

 どの出演者さんもよかったのですが、私的には、看護師長役の小林聡美さんの演技にがっつりハマりました〜。
 舞台挨拶で平山監督があえて「患者さんに優しくしないで」とお願いしたとおっしゃっていたのですが、その演出通りに、院内での存在感、患者さんとの距離の取り方、感情を抑えたセリフ回し、そして綾野剛さん演じるチュウさんと別れるときの決めセリフ、震えるくらい良かったです。

 1つ、たった1つだけちょっと気になったのは、用意されていたセットの机や出演者の方が着ていた洋服がほぼピカピカだったこと、、、ですかね(ただ綾野剛さんとか小松菜奈さんに薄汚れた服は着せられないですよね)。

 ちょっとほっとするエンディングを迎え、上演終了後ほどなくして今回のメインイベント、平山秀幸(1950年生まれ)監督の舞台挨拶がありました。

 撮影にあたっての裏話など色々お話頂いたのですが、何よりも心に残ったの以下のお言葉とそのお人柄。

「今回の映画の中で公園でのシーンがあったと思うのですが、あのシーンのために私たちも、ずっと千曲川添いをロケハンしたんですよね。いい場所がないかと色々見て回ったんです。で、今回の台風、そしてその災害、本当にびっくりしました。放送で小諸とか佐久というキーワードが出てくるとドキッとするというか、自分のことのようにとても気になりました。以来、現在もとても心痛めております」
と大変この地元のことを気遣って頂いておりました。

 また出演者さん、原作者さん、どんな方とのエピソードでも必ず最後に、
「・・・で(出演者さんなどと)、一緒に美味しいお酒を飲みました〜」とお酒の話で嬉しそうに笑って話しを締めるのも、
「あれ?普通のおじさん?」的な(偉い監督さんなのに)ちょっと不思議な感じ。

 そのお人柄を反映してか予想通り、舞台挨拶後のサイン会には長蛇の列ができておりました。

 鶴瓶さんのファンの方、綾野剛さんのファンの方、小松菜奈さんのファンの方、もちろん必見ですが、ただ私たちの地元を心から気にかけて頂いている平山監督さんには、
「小諸でやってよかったな」
「この映画をやってよかったな」とちょっとでも喜んで頂きたく、(私どもでできることは本当に少ないですけど)私の友人、やき鳥屋カウンターの紳士淑女、親しくさせて頂いている方々には自信を持って推薦させて頂こうと考えております。

 また、たまたまこの記事を読んで頂いたユーザーの方もぜひ宜しくお願いします。
「軽井沢ナビ」編集部がおススメの(小諸がロケ地の)「閉鎖病棟 それぞれの朝」ぜひ一度ご覧頂ければと思います。


軽井沢ナビ、2019.11.05
話題の映画『閉鎖病棟』監督舞台挨拶に行ってきました。
(佐久アムシネマ、長野県佐久市長土呂125-1 Tel 0267-66-1650)
(軽井沢ナビ編集部)
https://www.slow-style.com/report/165/

上田市の海野町商店街

 ちなみに海野町商店街にある「富士アイス」さんでは、じまん焼きが超人気らしいですよ。
 1個80円であんことカスタード味があります。
住所:長野県上田市中央2丁目10−14
http://unnomachi.naganoblog.jp/e1300145.html

上田市の上田女子短期大学

 こちらの上田女子短期大学(JR上田駅より上田電鉄別所線「大学前駅」下車 徒歩6分)も、映画「閉鎖病棟」の撮影場所ロケ地に選ばれていますが、映画内ではどのシーンで登場するのでしょうか。
住所:長野県上田市下之郷乙620
http://www.uedawjc.ac.jp/

上田市の上田城跡公園児童遊園

 予告編にて、石垣の近くにあるベンチ付近で4人(梶木秀丸、チュウさん、由紀、昭八)が仲良くこちらを見ているシーンが撮影された場所になります。
 公園では紅梅が咲き、動物コーナーもありクジャクやインコ、うさぎがいるそうです。
 ちなみに上田城は、大河ドラマ「真田丸」にも登場していましたね。
 上田駅から徒歩15分くらいの場所に位置していますので、上田氏を訪れた際には足を運んでみてはいかがでしょうか?
住所:長野県上田市二の丸4−6
http://www.city.ueda.nagano.jp/koen/tanoshimu/koen/uedajoseki/park.html

おまけ:平塚市の平塚海岸展望休憩所

 平塚海岸からは富士山を見ることもでき、サーファーやビーチバレー、ビーチサッカーを楽しむ方が訪れています。
 映画内では、石田サナエ役を演じる木野 花さん(1948年生まれ)が、普段あまり聞くことができない歌声を披露されているみたいです。
 いったいどんなシーンで登場されるのか、実際に映画を見て確かめてみましょう。
住所:(高浜台)神奈川県平塚市高浜台33、(袖ケ浜)神奈川県平塚市袖ケ浜20


平塚海岸.jpg
☝ 平塚海岸

kossy-no-movie-log、2019年10月29日
映画「閉鎖病棟」撮影場所ロケ地は?病院や橋、商店街はココ!綾野剛主演!
https://kossynolog.com/movie-heisabyoto-locations-hospital-bridge-shoppingstreet/

posted by fom_club at 18:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鶴瓶が死刑執行が失敗し今は精神科病棟にいる主人公!

 地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件で死刑が確定、麻原彰晃元死刑囚ら教団幹部7人の死刑が執行されて1週間が経過した。
 麻原はじめ、元死刑囚らの執行時の様子が次第に明らかになってきた。

「死刑執行の2、3週間前から『刑場の清掃がはじまった』という話が聞こえてきました。死刑がある前には、必ず念入りに数回、清掃があるのです。そして『テストもやっている』という声も入りました。テストというのは、死刑執行の装置、踏み台などが正常に作動して落ちるのかなど、確認作業をすることです。拘置所の職員の間では、正直、自分たちが担当になるかならないか、緊張感がありましたね。今回はオウム真理教の死刑囚であることは、容易に想定できましたから」
(大阪拘置所関係者)

 死刑執行された2018年7月6日、麻原元死刑囚は、毎朝7時の起床に合わせて、東京拘置所の独居房で目を覚ましたという。
 その後、朝食をすべて食べて食器を戻してほどなく、刑務官から
「出房」
という声がかかった。

 日常、運動も拒否し、独居房から出ることがない麻原元死刑囚。
 刑務官の声にも、ほとんど反応しなかった。
 だが、この日は複数の刑務官が麻原元死刑囚の独居房に入り、
「連行」
と声をかけ、連れ出した。

 通常、収容者が使用しない通路を通って、麻原元死刑囚は刑場へと向かったという。
 そこには「万が一」に備えて、複数の刑務官が通路に立ち、警戒していたそうだ。
 その時、麻原元死刑囚はさしたる反応がなかったという。

 刑場の前にある「教誨室」で椅子に座るように促された、麻原元死刑囚。
「今日、お別れの日がきました。教誨、どうしますか」
 教誨とは、死刑執行前に、僧侶や牧師から講話を受けること。
 そう聞かれたが、無反応で何も語らない麻原元死刑囚。
 設置されている、仏壇に手を合わせることもなかったという。
 何度も、同じことを聞かれたが、何も答えなかったという。
 遺書を書くかと聞かれたが、それにも
「……」
と返事はなかった。

「麻原元死刑囚は、普段は一日中、独居房の壁にもたれかかり、うつろな顔でボーっとしているだけ。しかし、3度の食事は食べます。この日、教誨室で死刑執行を知った時は、本当か?という感じで、キョトンとして信じられないという表情だったそうです」
(法務省関係者)

 そして、遺体や遺品の引き取りについて尋ねられたが、そこでも答えはなし。
 そこで、刑務官が妻や長女ら、家族を具体的にあげて聞いた。
「四女」
 そう麻原元死刑囚は、話したという。

 ハッキリ聞こえなかったので、再度、刑務官が
「四女でいいのか?」
「四女なんだな?」
と何度か確認すると、うなずいたという。

 そして、刑務官が両脇を抱えるようにして、麻原元死刑囚を刑場の前にある「前室」に連れて行く。
 線香がたかれ、そのにおいが充満した「前室」で拘置所の所長が麻原元死刑囚に指揮書を読み上げて、死刑執行を告げた。

「麻原元死刑囚は、暴れたり、声を発することはなかった。だが、前室で目隠しをされ、両足を固定されたときには死刑が現実のものとわかったのか、顔がやや紅潮してみえたそうです」
(前出・法務省関係者)

 そして、麻原元死刑囚は刑場へと消えたという。

 この日、東京拘置所では麻原元死刑囚だけではなく、遠藤誠一元死刑囚と土谷正実元死刑囚も執行された。

「通常、死刑執行は1日に2人まで。3人というのは異例です。麻原元死刑囚の執行の間に次の準備に取り掛かかり、とても慌ただしい状態でした。土谷元死刑囚は、執行前から精神的に安定しない日々で、執行を告げられてかなり驚いていたそうです」
(前出・法務省関係者)

 大阪拘置所では、井上嘉浩元死刑囚と新実智光元死刑囚の死刑が執行された。

「井上元死刑囚は死刑執行が近いと思っていたのか、独居房でもせかせかした感じでいろいろノートに書いていましたね。新実元死刑囚は大阪拘置所に移送された後、毎日、獄中結婚した妻が面会に来てくれるのを心待ちにしていた。面会室では新婚のカップルのようにみえたという。だが、新実元死刑囚は精神的には、落ち着かない日々で、ソワソワしていて、『どうなるのだろう』とこぼすこともあった。東京拘置所では、独居房で瞑想したそうだが、大阪拘置所ではそんな余裕もなかったようだ」
(大阪拘置所関係者)

 井上元死刑囚は、死刑執行の直前、最後の言葉として、自分の両親に
「心配しないでと伝えてください」
「ありがとうございました」
と述べた。
「こんなことになるとは思っていなかった」
 その言葉の意味が、オウム真理教に入信し、麻原元死刑囚と行動をともにしたことのなのか、それとも最近になって再審請求をしたので、まだ死刑執行はないと思い込んでいたのか、詳細はわからない。
 そして、2人の刑務官にはさまれるようにして、自ら刑場に歩を進めたという。

 その遺体は、両親に引き取られて、故郷で荼毘に付されたという。

 死刑執行には、検察庁の幹部が立ち会う。
 一般的には、高等検察庁の部長クラスが選ばれるという。

「死刑当日、執行に立ち会った幹部は検察庁に戻るなり、足元に塩をまかれてお清め。すぐ自宅に帰ったそうです。さすがに、そのまま仕事はできませんよね」
(ある検察庁の幹部)

 残る6人のオウム死刑囚の執行は年内とされている。

※ 週刊朝日オンライン限定記事


dot.asahi、2018.7.15 13:04
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間
「その後、仕事できず」と検察幹部

https://dot.asahi.com/wa/2018071500004.html

 2017年7月13日午前、2人の死刑囚の死刑執行を発表した。

 住田紘一死刑囚(34)は2011年、元同僚の女性(当時27)を殺害し、現金などを奪った強盗殺人の罪などに問われ、2013年に死刑が確定。
 西川正勝死刑囚(61)は1991年から1992年にかけスナックの女性経営者ら4人を殺害した罪などに問われ、2005年に死刑が確定していた。
 執行後の会見で金田法務大臣は「今回の2件につきましては、誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命を奪うなどした、きわめて残忍な事案だ」と説明した。

 関係者によると、西川死刑囚は再審請求をしており、その中での執行は異例だという。
 金田大臣は一般論だと断った上で「再審請求を行っているから執行しないという考えは採っていない。死刑というものは人の命を絶つ、生命を絶つ極めて重大な刑罰であり、その執行に際しては慎重な態度で臨む必要があるものと考えている」とコメントした。

 死刑執行の日、拘置所では何が起こっているのか。
 閉ざされた刑場では、どのような時が流れるのか。
 AbemaTV『AbemaPrime』では一度だけ死刑執行に関わった元刑務官にインタビューを行った。

■ 遺族の仇をとってやらにゃいかんという使命感に燃えました

 インタビューに応じたのは、33年間にわたり刑務官を務め、大阪拘置所勤務時代に死刑執行に関わった藤田公彦氏(70)。
 今回死刑を執行した刑務官にかけたい言葉は何かと尋ねると「辛いけれども職務として自信をもって臨んで、また、今後に尾を引かないよう頑張って欲しい」と話す。

「刑務官」とは、刑務所や拘置所の受刑者たちを更生させるために指導や監督などを行う国家公務員だ。
 藤田氏が死刑執行に携わったのは「まだ末端の若い看守」だったときのことだという。

「夜勤明けのときのことでした。通常は朝の8時に集合して解散なのですが、その日は『今から呼ぶ者5名は、待機所で待機』という命令が出ました。居残りの場合は、『今から誰と誰は裁判所に行け』などと言われるのですがが、"待機"というのは一体何だろうと。まさか、という気持ちでおりました。待機室で『どうも執行ではないか』と噂をしておりましたら、30分後くらいに管理部長室に一人ずつ呼ばれ『(死刑執行ボタンを押す)執行係を命ずる』と言われました。みんな下を向いて、沈黙していましたよ」

 死刑執行が近づくと刑場の清掃が行われるため、刑務官たちの間に"近いうちにあるのではないか"という噂も流れていたという。
 しかし当時、自分にその役目が回ってくるとは思っていなかったという。

「当時は、勤務成績の悪い者がペナルティとして執行係をやるのが相場だったんです。私は真面目だったので(笑)、自分がやることはないだろうと変な自惚れがありました。ところがその前の執行担当者のなかに、ボタンを押さなかった職員がいたそうです。同じ形のボタンが5つあり、5人の係が一斉にそのボタンを押すことで、誰のボタンが絞首台につながっているのか分からない仕組みにしてあるのですが、踏み板が落ちなかったので発覚したのです。ただ、途中で執行を止めることはありません。刑場には故障などに備えた非常用のハンドルがあり、万が一の場合はそれを動かすと踏み板が外れるようになっています。そういうことがあって、しっかりした真面目な者を選べということになったと聞きました」

 刑務官を拝命して間もない頃で、死刑囚に接触したこともなかったという藤田氏。
 執行の意味を考えるため、自ら犯行記録に目を通したという。

「その死刑囚はすでに70歳を超えていました。なぜ年老いた人を執行しなければいけないのか、そのまま老衰で死なせてやってもいいのではないかという思いもありましたので、自分を納得させるために記録を読みました。仮出所した際、お寺の住職さんが身元引受人になり、自宅に下宿させ仕事まで見つけてくれたそうです。その恩を仇で返すように、奥さんと娘さんを強姦・殺したのです。これは許せん、被害者遺族に代わって敵を討ってやらにゃいかんという使命感に燃えました。そういう正義感から躊躇なく押すと決意したことを覚えています。だから一切躊躇することはなかったです」

■ 死刑囚は『お世話になりました!』と泣いていました

 藤田氏によると、当時の大阪拘置所での執行までの流れはこのようになる。

「まず屈強な職員が選抜され、監督者と合せた5名くらいで死刑囚が生活している独居房に迎えに行きます。ドアを開けて『おい、出てこい』だけです。『なんですか?』『いいから、出てこい』と連れ出します。執行するとは言いません。いつも独居房を出るときは右側の中央廊下に行くんですが、死刑執行のときは左折して西側廊下に向かいます。そして執行を言い渡す所長が待つ2回の調べ室に向かいます。そこで所長が『お別れの時が来ました。今から死刑を執行します』という主旨のことを言い渡し、『連行!』という命令で刑場へと向かいます。刑場は建物の一番端にあり、廊下には万が一に備えて5メートルおきに職員が立ちっています」

 藤田氏が執行した死刑囚はもう高齢だったので、素直に連行に応じたという。
 しかし刑場の直前、で藤田氏は死刑囚の涙を見た。

「(刑場に向かう廊下では)1分1秒でも生きながらえたいという人間的本能で、世話になった職員、顔見知りの職員を見つけると走り寄っていって『先生お世話になりました』とひとりひとりに挨拶していくわけです。ところが職員はどう答えていいのかわからないんです。『元気にやれよ』とは言えません。『しっかりやれよ』とも言えません。泣きながら手を取られると、職員も辛いんです。返す言葉がないんです。だから『前へ進め!』と促して進んでいきます。私が執行した時も、『○○部長さん、お世話になりました!』と泣いていました。私は刑場の前で待機していましたが、いたたまれず、ボタンを押すのが自分だと知られるのも嫌で、逃げるようにして部屋に入ったと記憶しています」

 刑場の中は、ごく普通の会議室のような雰囲気だったという。
 一番奥には祭壇があり、教誨師と"最後のおつとめ"を行う。
 祭壇は仏教、キリスト教と、本人の信仰に合わせて切り替えられるようになっている。
 しかし、刑場の方を向いてロープが見えると動揺してしまうため、執行直前まで蛇腹のカーテンのようなもので死刑囚からは見えないようにされていたという。

「蛇腹を開けて、1メートル四方の踏み板まで連行し、後ろ手にして手錠をかけ、足も手錠かひもで縛り、目隠しをして、ロープを首に掛けます。それで準備は完了します。そして指揮官が『最後に言い残すことはないか』と確認します。死刑囚によって違いますが、『課長、オレはびびってませんで!目隠しなんかいりませんわ』という者もいれば、震えて声にならない者もいます」

 死刑囚の話が終わったあとに合図があり、死刑執行ボタンはそこで押されるのだという。

「話が終わった瞬間に、指揮官から『押せ』という命令が出て、5人が待機している部屋に赤いランプが点灯します。一斉にボタンを押すと、刑場の中に『プシューッ』というエアブレーキのような音が広がり、死刑囚の乗った床が『ドン』と外れるわけです。死刑囚は地下に落ちていって、自分の体重で首が締まります。ボタンを押すのは死刑囚が最後の言葉を話し終わったのを確認してからです。これが大事なんです。話している途中に執行してしまうと、舌を噛んで流血し、非常に残虐になってしまうからです」

 刑場の下で、落ちてきた死刑囚の体を受け止める役の刑務官もいるという。

「落ちてきたまま放置してしまうと、死刑囚の体がバウンドして左右に振れてしまい、その様子が残虐だからです。大変難しい役目です。私が執行した際は、先輩が受け止め役を命じられました。先輩は管理部長に対して『今後は勘弁してください。今まで10回くらいやりました。もう孫ができる歳になりますから』と、盛んに断っておられたのが印象に残っています」

 死刑が執行された後、ボタンを押した5人の刑務官たちは、下に降りて遺体の回収にも携わった。

「医師が脈を測っていますが、だいたい12分は吊るしたままです。体重が重い方が早く亡くなります。死亡が確認されると、5人で遺体を抱えて、上にいる職員にロープを緩めてもらい、棺桶に入れます。役所が準備した花をちぎって棺に入れ、蓋をし、簡易な遺体安置所まで移動させて、私たちの役目は終わりです。遺体は火葬場に運ぶ霊柩車の到着を待ちます」

「死の尊厳」に対する敬意を抱いた

 任務から解放された刑務官たちは、会食をした。

「当時のお金で3000円の手当が出ました。ただ、みんなほとんど会話せず、黙々と食べていましたね。官舎に帰って女房に『おい、塩もってこい』と言い、体に塩を振りかけて家に上がったのを記憶しています。女房は『あんた何かあったん?』と聞きましたけどね、私は何も答えませんでした。それ以後、このことに関しては一言も喋ったことはありませんし、質問も受けたこともありません。それはどういう理由かというと、いわゆる"死の尊厳"に対する敬意だと思います。軽々に喋ったりできない、"無言の教え"があったと記憶しています。他の刑務官たちともそういうことは一切話しませんでしたし、『あの時大変だったな』というような思い出話も一切出ませんでした」

 藤田氏によると、かつては執行を前日に言い渡していた時代もあるという。

「執行を前日に言い渡し、親族にお別れをしていた時代もありました。追い詰められて自ら命を絶つ恐れもありますので、翌朝まで独居房の前で刑務官が監視していました。でも、死刑囚と将棋を指しながら、刑務官は何も会話ができない。『お前、元気にやれよ』と言うんですか?『そろそろ寝ろよ』と言うんですか?あと余命が何時間で、寝てしまったら生きてる実感がないじゃないですか。死刑囚は眠れないですよね。職員も声のかけようがない、たまらない状況なんですよ。そういうことで即日執行に変わっていきました」

 刑務官の職務とはいえ、誰にも共有すること無く背負っていかなければならない厳しい体験。
 苦しみや孤独に苛まれたことはないのだろうか。

「壮絶な場面を見たので、苦しいというよりも、後から気がついたのはやはり死の尊厳への敬意です。その人の性格にもよると思いますが。私には苦しみということは無かったと思います。もちろん、トラウマになる刑務官もいると思います。それは否定しません。もう何十年も経ちましたが、私もその場面を全て鮮明に覚えていますし、嫌だったなというのは確かに残っています」

■ 死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません

 想像を超える体験を経て、藤田氏は死刑の是非についてどう考えているのだろうか。

「死刑囚というのは、生きるか死ぬかの恐怖で極限の精神状況におかれていますから、廊下を歩く刑務官の足音の違いにもビクビクしています。死の恐怖から逃れるために宗教に救いを求めて、ある意味での悟りを得て、素直に執行に従う人もいますが、中には脱獄を試みたり、自殺したりする人もいる。それほど神経を研ぎ澄ませる中で、改心するゆとりはないわけです。反省など机上の空論、理想論です。死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません。死刑になるだけの残虐な犯罪をやる人というのは、通常の精神や性格ではありません。教科書のような反省、悔悟というものを求める方が酷で非現実的なことだと私は思います」

 その上で藤田氏は、こんなエピソードも明かした。 

「死刑廃止論者の弁護士さんが唆して、精神病を装って執行を免れようとしていた人もいました。いよいよ執行の日、心配して見ておりましたら、本人は『執行か、そうかわかった』と、素直に応じたんですね。こんなこと言ったら申し訳ないですが、朝から晩まで精神病を装っていたあの姿は何だったんだろうかと、可哀想に思いました。彼は何も抵抗せず、堂々と逝きましたよ」

 藤田氏の生々しい体験談に、日経ビジネスの柳瀬博一氏は「先進国では日本とアメリカ以外、死刑を執行しなくなっている。どういう理由があるにせよ、戦争以外で国家が人を殺めることに対する否定的な見方が社会通念になってい」と指摘した上で、「藤田さんのお話しを伺って、自分の死以外に罪を贖うことが許されないという、死刑制度の持っている酷薄さを感じた」とコメントした。


AbemaTV、2017.07.14 22:00
「何十年も経ちましたが、全て鮮明に覚えています」
元刑務官が語った死刑執行の瞬間

https://times.abema.tv/posts/2660403

 笑福亭鶴瓶が主演し、綾野剛、小松菜奈共演で映画化される『閉鎖病棟―それぞれの朝―』のメイキング映像と新キャストが解禁となった。

 原作は、精神科医をつとめながら珠玉の人間ドラマを生み出してきた帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)の山本周五郎賞受賞作「閉鎖病棟」(新潮文庫刊)。
 1995年に発売され、丸善お茶の水店に掲げられた「感動のあまりむせび泣きました…」というPOPが起爆剤となり、累計85万部を超すベストセラーとなったこの作品が、『愛を乞うひと』『エヴェレスト 神々の山嶺』の平山秀幸監督・脚本で映画化される。

 鶴瓶が演じるのは、死刑囚でありながら、刑の執行が失敗し今は精神科病棟にいる梶木秀丸役。
『ディア・ドクター』以来、10年ぶりの主演作となる本作では、炭水化物をとらない食事制限や腹部にサランラップを巻くといった方法で、約10日間で7キロもの減量を成功させ、難しい役どころに挑戦。
 その秀丸と心を通わせる患者チュウさん役を綾野剛、父親からDVを受け精神科病院に入院する女子高生・由紀役を小松菜奈が演じる。

 解禁となったメイキング映像には、7キロ減量し、いつもと雰囲気が違う鶴瓶が「わしは、世間に出たらアカン人間や。ここは不思議なとこでな、段々、患者という生き物になってきよる」と話すシーンから幕開け。
 続いて「精神科病棟を舞台に、心通い合う仲間たちが見せる、本当の愛とやさしさの物語」というナレーションが流れ、登場人物や撮影風景が映し出されていく。

「事情を抱えていない人間なんていないからね」という綾野。
 その姿とかぶさるかのように、この病院での日常風景が流れていく。
 だが、次の瞬間「その矢先、院内で起こったひとつの事件」というナレーションが読み上げられ、次いで「コラァ!」と怒鳴る鶴瓶の姿が映し出される。
 いったい何が起こったのか?


[動画]
鶴瓶7キロ減量!精神病棟舞台に綾野剛、小松菜奈と共演/映画『閉鎖病棟−それぞれの朝−』メイキング
https://www.youtube.com/watch?v=tQ9yp83vsCc

Movie Collection、2019年 6月 18日
鶴瓶が死刑執行が失敗し今は精神科病棟にいる主人公!
『閉鎖病棟』メイキング映像解禁

https://www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=14304

posted by fom_club at 08:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする