2019年11月30日

「国労が崩壊すれば、総評も崩壊する」「土人女を集め慰安所開設」

 2019年11月29日に101歳で死去した中曽根康弘元首相が取り組んだ政策の一つが国鉄の分割民営化だった。
 1987年にJRが誕生した際、国鉄労働組合(国労)の組合員らはJR各社から不採用とされ、1990年に国鉄清算事業団も解雇された。
 当事者は、中曽根氏の死去に何を思うのか。

「国労所属による採用差別があった」として、約20年にわたり職場復帰を訴え続けた神宮義秋・元国労闘争団全国連絡会議議長(71)は29日正午、母の介護を終え、福岡の自宅に戻る車中、ラジオで中曽根氏の死去を知った。

あの人にはやられっぱなしだったけれど、生前の憲法改悪だけはさせんかった

 神宮さんにとって、国鉄改革は「国の形」を変える壮大な仕掛けの原点だったと映る。雑誌に載った中曽根氏の発言が忘れられない。

国労が崩壊すれば、総評(日本労働組合総評議会)も崩壊するということを明確に意識してやった

総評、社会党をつぶして改憲へという大戦略を描いていたことが分かる。そのために、最強の戦闘力を誇った国労を狙い撃ちした
と神宮さんは考える。

 国の形の一つとして、労使関係も変わった。
 労使協調が社会の主流になった。
 その端緒も国鉄改革だったように思う。

国策に徹底的に反対した国労への視線は、労働界でも『やりすぎ』と冷ややかだった。その後の郵政改革、省庁再編などで官公労はおしなべて沈黙。国労つぶしの見せしめ効果は絶大だった
と振り返った。


[写真]
東京のJR東日本本社前で行われた清算事業団職員に対する解雇に抗議する国労の抗議デモ。国労組合員ら約JR2000人が出て、すわり込みの抗議行動を行った=1990年、東京都千代田区

朝日新聞、2019年11月29日16時38分
中曽根氏の国鉄改革、「国労つぶしと改憲」
当事者はいま

(藤生明)
https://digital.asahi.com/articles/ASMCY535FMCYULZU00B.html

 中曽根康弘元首相が、101歳で死去した。
 メディアでは、国鉄民営化や日米安保体制強化などを功績として振り返っているが、負の側面も非常に大きい政治家ある。

 たとえば、現在の日本社会にもつながる右傾化・歴史修正主義の台頭や新自由主義路線の端緒となり、日本の戦後民主主義政治を歪めた張本人だ。
 こうした功罪の罪の部分も検証されるべきだが、なかでも本人が一度は告白しながら途中からダンマリを貫いたこの問題はきっちり検証するべきだろう。

 そう、日本軍の従軍慰安婦問題だ。

 中曽根元首相が戦時中、海軍主計士官(将校)の地位にあったことは有名だが、その当時、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたことを、戦後に自分の“手記”の中で自ら書いているのだ。

 しかも、これは中曽根元首相の思い違いでも妄想でもない。
 防衛省にも中曽根元首相の“慰安所づくり”証言を裏付ける戦時資料が存在している。

 本サイトでは、2014年夏、朝日新聞の慰安婦記事バッシングが盛り上がり勢いづいた右派の、慰安婦の存在や日本軍の関与までなかったことにしようという歴史修正主義の動きに抵抗するため、この中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料について詳しく報じた。
(ちなみに、フジ産経グループの総帥だった鹿内信隆にも中曽根元首相と同様に、慰安所づくりへの関与発言があり、やはり本サイトが記事にしている
https://lite-ra.com/2014/09/post-440.html)。

 中曽根元首相の証言は、従軍慰安婦に日本軍が組織的に関与していたことを物語る重大な証言だったが、手記出版から30年ほど経ってからこの記述がクローズアップされると、中曽根元首相は一転否定、その後ダンマリを通してきた。

 中曽根元首相には、従軍慰安婦問題とりわけ日本軍の関与について、自らの口で明らかにする歴史的責任があったはずだが、それはかなわなくなってしまった。

 中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料から、従軍慰安婦の存在と日本軍関与が事実であることを報じた記事を再録する。
「慰安婦は存在しなかった」というデマが大手を振って罷り通るいま、あらためてご一読いただきたい。
(編集部)

************

● 中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。
「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。
 また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。
 それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。
 それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

中曽根が手記で「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と自慢

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。
 中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。
 そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設

 まず、“手記”の話からいこう。
 中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。
 同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「23歳で3000人の総指揮官」。
 当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
3000人からの大部隊だ。
 やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。
 そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。
 かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。
 卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。
 そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。
 その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。
 2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

防衛省に、中曽根「慰安所づくり」証言を裏付ける客観的証拠が!

 このとき、中曽根元首相は、
「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」
「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」
「具体的なことは知らない」
と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。
 そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。
 だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。
 第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。
 同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。
 すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。
 そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。
 バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約2ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

インドネシアで民家だった場所を、日本軍が接収し慰安所に作り変え!

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。
 バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。
「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。
 さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。
「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
という記載。
 それを裏付ける地図。
 中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。
 そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。
 さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。
 一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。


[写真]
左・中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)/
右・中曽根元首相が慰安所を設置させたことを示す資料


リテラ、2019.11.29 07:39
中曽根康弘死去であらためて振り返る従軍慰安婦
中曽根の「慰安所つくった」証言と「土人女を集め慰安所開設」防衛省文書

(エンジョウトオル)
https://lite-ra.com/2019/11/post-5119.html

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国鉄改革に政治生命をかけた中曽根康弘

 国鉄が解体し、7社のJRが発足して30年。
 株式上場を機に、脱テツドウにシフトする会社があれば、お先真っ暗な未来にアタマを抱える会社あり。現在のリストラなど働く人たちの労働環境悪化は、国鉄解体に原点があるとの指摘も。
「電車の進化」などさまざまな切り口で30年を検証していく。
 AERA4月10日号では「国鉄とJR」を大特集。

 国鉄解体前夜、何があったのか。
 国鉄OBたちの証言をもとに、鉄道員の人生を翻弄したその実態に迫る。

* * *

 国鉄という組織ほど、政治に翻弄(ほんろう)された公営企業はなかった。

 戦前は鉄道省に属し、終戦直前に新設の運輸省鉄道総局に移管された国鉄。
 1949年6月に公共企業体としてスタートし、高度経済成長で輸送力を飛躍的に伸ばした。
 だが、自動車と航空機の時代の到来で、1964年には赤字に転落。
 借金漬けの構造から抜け出せぬまま、問題を先送りするだけの再建計画が繰り返し作られた。
 組織内の危機感は薄かった。

 国鉄当局は1970年、生産性向上運動、いわゆる「マル生運動」を導入する。
 労使が協調し経営を立て直すものだったが、当局側が現場管理職を通じ、組合脱退を強要していた事実が明るみに出る。
 翌1971年10月、磯崎叡総裁(当時)が不当労働行為を認めて陳謝すると、現場の力関係は組合側に大きく傾いた。

 国鉄時代、東京南鉄道管理局人事課に勤めていた丸山祐樹さん(70)=交通道徳協会理事=は、連日のように各労働組合と団体交渉をしていたと振り返る。

「徹夜交渉はしょっちゅう。やるかやられるかの世界でした」

● 闘う労組は国労だけ

 当時国鉄には、主要組合として国鉄労働組合(国労、組合員約24万人)、国鉄動力車労働組合(動労、約4万3千人)、鉄道労働組合(鉄労、約4万3千人)の三つがあった。
 このうち国労と動労は総評(社会党)系で分割民営化に反対、鉄労は同盟(民社党)系で労使協調路線。
 しかし1986年1月、「鬼の動労」の異名をとった動労が突然、雇用確保と組織温存のため民営化賛成へと方針を転換。
 動労は「牙が抜けた」と評され、「闘う組合」は、国労だけとなった。
 反対姿勢を貫く国労によって、職場の規律は崩壊した。
 首都圏の貨物職場で働いていた国鉄OB(60代)は言う。

「70年代半ばごろにはトラック輸送に押され貨物の仕事が減ってきました。半面、勤務時間内の作業手待ち時間が増えてきたので、国労の職員たちが何を始めたかというと、チンチロリンとかマージャン。お金はもちろん賭けていた」

 国鉄で在来線の運転士をしていたJR職員(50代)も、勤務時間中に飲酒をしていた運転士を目撃している。
 たがが外れ、現場に悪慣行がはびこっていた。
 この点について、現在も約1万人の組合員を抱える国労はこうコメントを寄せた。

「中には『好ましからざる行為』を行っていた職員もいたことは事実です。しかし、一部国鉄職員の行為があたかも国鉄職員全体の行為であるかのように恣意的にゆがめられ、悪意に満ちた喧伝や報道が行われたことが異常でした」
(国労本部書記長の唐澤武臣さん)

● クビ切りは組合で選ぶ

 そこに国鉄の不祥事が追い打ちをかけた。
 ヤミ手当の受給に、機関士の酒気帯び運転……。
 マスコミは国鉄の批判キャンペーンを展開。
 分割民営化に世論もなびいた。
 一方、国鉄では毎年1兆円の赤字が出て、出血が止まらない。
 こうして国鉄はついに解体されることになった。

 誰を国鉄に残し、誰に転職を促すか──。
 国鉄内で「選別」が始まり、水面下で「リスト」作りが行われた。

 民営化前、関西で列車乗務の仕事をしていた男性は、「50歳以上は会社を辞めてほしい」と圧力をかけられた、と振り返る。
 彼は辞め、残った同僚もすぐにJRを去った。
 最近、その理由を教えてくれたという。

「乗務が終わって職場に戻ったら、上司になった後輩から『ぼちぼち辞めたらどうや』と毎日言われる。みじめやった、と振り返っていました」

 国鉄の内部事情に詳しい国鉄OB(60代)はこう証言した。

「社員を選別する際、その一つにどの労働組合に所属しているかが重要な要素だった」

 このOBによれば、管理部門の人事担当には「K、D、T」という隠語があったという。Kは国労、Dは動労、Tは鉄労の意。
 隠語は元々、駅長や助役など現場責任者や管理者が使っていた。
 組合への直接介入は、不当労働行為に当たるからだ。
 声に出して言えない時は、指で“影絵のキツネ”を作った。逆にすると「K」に見えた。

「分割民営化の1年くらい前から『〇〇はKだ』『△△はDだ』という言葉が人事担当者間で露骨に飛び交ってた。なぜ労働組合で選別するかって? それが一番分かりやすいからですよ」

 また別の国鉄OB(70代)はこう言った。

「優秀な社員と組合運動ばかりしている人だったら、どっちを残しますか」

● 総評つぶしが狙い

 国鉄改革は、何のための「改革」だったのか。

 首相として国鉄改革に政治生命をかけた中曽根康弘氏は、国鉄解体の狙いをかつて本誌でこう語った。

「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」
(1996年12月30日号)


 ルポライターで、1986年に『国鉄処分』の著書を出した鎌田慧さん(78)は、国鉄解体の本質は
(1)民活(民間活力)
(2)国労つぶし
──この2点にあったと指摘する。

「『民活』という名で公共性をなくし、大企業が国鉄財産を乗っ取ることを考えた。そのためには、国労という最強の抵抗勢力であった労働組合が邪魔だった。そこで楔を打ち込み、壊滅を図ったのです」

 国鉄当局は1986年7月、全国に「人材活用センター」を設置。
 余剰人員と見なされた1万5千人の職員を送り込むと、草刈りやペンキ塗りなど本業とは関係のない仕事をさせた。
 センターは「首切りセンター」とも呼ばれ、将来への不安を抱いた職員が何人も自殺した。
 JRが発足すると、7628人を「清算事業団」に回し、3年後、最後までJR復帰を訴えた1047人のクビを切った。
 うち、国労組合員は966人を占めた。

 北海道名寄市の佐久間誠さん(62)は、JRに不採用となりクビを切られた一人だ。

「自分を全否定された気がしました」

 地元の高校を出て19歳で国鉄に入社、名寄保線区に配属となった。
 当時、鉄道の街と言われた名寄駅には140人近い職員がいた。
 全員が国労。
 佐久間さんも自然の成り行きで国労に入り、仕事を真面目にこなし、ごく普通の組合運動をしてきた。
 それが、理由も明らかにされず、1986年7月に「人材活用センター」に入れられ、結局、採用拒否にあった。

● 労働者の人権を軽視

 どうしても不採用に納得がいかず、1990年4月、同じくクビになった職場の仲間36人で名寄闘争団を組織した。
 慣れない建設現場で日雇いアルバイトなどをしながら生計を立てた。
 闘争団は各自の稼ぎや寄せられたカンパをプールし、再分配する仕組みを作った。
 月収は10万円程度。
 4歳と2歳の2人の子どもがいて生活は大変だったが、郵便局で働く妻が応援してくれた。

「こいつら赤旗を立てると言われ、アルバイト先を探すのも大変でした。この先どう生きていこうか、精神的に追い込まれていきました」

 それでも歯を食いしばって最後まで頑張れたのは、いわれなき差別に対する闘いでもあったからだ。
 JR不採用問題は2011年7月、国労が闘争終結を決定し、24年間に及んだ闘争に終止符を打った。
 2015年に名寄市議に初当選し、街の活性化と生活インフラの充実を訴える佐久間さんは、こう振り返った。

「失ったものは歳月だよね。労働者として一番の働き盛りに闘争の人生を歩んできたから」

 先の鎌田さんは言う。

「国鉄解体は、いまのリストラの原点。国鉄解体後、組合の力は弱くなり、働く者の生活や人権が顧みられなくなった。その結果、労働者のクビ切りが簡単に行われるようになった」

 鉄道員の人生をもてあそび、多くの犠牲から生まれたJR。
 今後どのような軌跡を描くのか。


※ AERA 2017年4月10日号

dot.asahi、2017.4.5 16:00
国鉄の解体はリストラの原点だ
(編集部・野村昌二)
https://dot.asahi.com/aera/2017040400051.html

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2019年11月29日

吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実

はじめに:「白人労働者」への注目

吉田徹: ゲスト『新たなマイノリティの誕生』は、アメリカのオハイオ州とイギリスのイーストロンドンの白人男性労働者層のエスノグラフィであり、彼らの政治意識を調査した本です。帯に書かれたコピーにもあるように、彼らこそがトランプ大統領とブレグジットを現実のものとしたわけですが、著者は、こうした事象が生じる前から長期にわたって現地での調査を行ってきました。
 なぜ、こうした層が一見すると極端な主張に惹かれ、投票に至ったのか――。本書は、マスメディアの報道からはなかなか見えず、アメリカで「ホワイト・トラッシュ」、イギリスでは「チャヴ」などと蔑まれてきた人たちの生の声を拾い、そこから浮かび上がった意識を計量的に把握した労作でもあります。
 白人男性労働者層が、なぜ剥奪感を抱くに至ったのか、なぜレイシズム的な意識を持つようになったのか、既存の政治制度がそれにどのような影響を与えているのか、政治的なラディカリズムがどのように生まれていったのか。本では実際には様々な論点が網羅されていますが、まずは訳者各々が注目する点をあげていきたいと思います。

西山隆行: 私は、この「新たなマイノリティ(The New Minority)」というタイトルが面白いと思ったんです。というのも、アメリカのマイノリティ研究といえば黒人、ネイティブ・アメリカン、移民などを中心に語るのが主で、「白人=マジョリティ」というのが当然の前提とされてきたからです。「サイレント・マジョリティ」と言われることはあっても、彼らを「マイノリティ」と呼ぶ視点はありませんでした。
 実態としても、2040年代のいずれかの時点で白人が人口の点でマイノリティになるというのはわかっているわけですし、新生児の数ではすでに白人の方が少なくなっています(2010年の人口統計調査)。なのに、オバマ政権が誕生した時に黒人や民族文化的マイノリティといった人たちに注目が集まったようには、白人の話が出てくることはなかった。
 そういう中で、白人と黒人との間で一種の非対称性、不平等といったことが見出されるわけです。たとえばオバマが「アメリカン・ドリーム」を語り「アメリカは偉大な国だ」と言えば、それは素晴らしいことだと高く評価されるのに、白人の政治家がそういうことを言えば「あいつはレイシストだ」と批判される。こうした中で、白人の人たちはさぞ居心地が悪かろうと思っていました。

石神圭子: たしかに、「マイノリティとしての白人」というのは新鮮でした。一昔前に「白人性=whiteness」をめぐる議論がありましたが、それらは白人の「特権性」やバリエーションを扱っていても、この本に出てくるようないわば「剥奪感」や「不平等感」を抱く白人という視角はない。本書でのヤングスタウンの白人の意識をみていくと、その根底にあるのはむしろ、アメリカとは最も縁遠いはずの非常に露骨な「差別」です。
 彼らにとって「エリート」や「金持ち」は自分たちのリアリティとはあまりにかけ離れすぎている。超エリートで子供にジャンクフードなんか食べさせないオバマやオバマ夫人なんかは、嫌悪の対象でしかないんですね。

河村真実: 白人を「マイノリティ」として扱うことは、多文化主義の理論においても新鮮だと思います。これまで多文化主義の主な理論的関心は、先住民や移民など民族文化的マイノリティの権利にありました。民族文化的マイノリティに特権を与えることによって、白人というマジョリティと民族文化的マイノリティの間の不平等をどのように是正するかということが、最大の争点だったんです。
 こうした議論では、主流派社会の中で民族文化的マイノリティはつねに脆弱であり、そうした文化的な脆弱性が経済的格差と深く関わっていると考えられています。だから、白人は裕福で、民族文化的マイノリティは貧困だという前提が成り立っていました。つまり、これまでは文化的分断線と経済的分断線が重なっていたんです。
 しかし、本書にもある通り、実際には文化的分断線と経済的分断線は必ずしも重なっているわけではなくて、つねに白人が優位に立っているという前提は崩れ始めています。その点に着目する本書は、これまでの前提を覆しうるという意味でも斬新だと思います。

白人労働者たちを突き動かす「剥奪感」

西山: 本書では、ポピュリズムを読み解く鍵として「剥奪感」に注目しています。膨大なインタビューやアンケート調査によって、人々の「剥奪感」の様々なバリエーションを示しているわけですが、本書のこうした道具立ては、巷にはびこる単純な見方を戒めてくれるところがある。
 たとえば、本書の原著が出た2016年のアメリカ大統領選挙の際、「トランプ現象」と「サンダース旋風」が両方とも「ポピュリズム」だということで、「サンダースの支持者の人たちは(同じ民主党の大統領候補である)ヒラリー・クリントンではなく、トランプに投票するはずだ」といったことが日本の報道でも言われていました。でも、実際はそんな単純な話ではなかった。
 なぜこういう「誤解」が起こるかといえば――いずれも本書で論じられていることですが――剥奪感、福祉に対する考え方、黒人に対する思い、といったことについて、じつは有権者の中にも様々なバリエーションがあるからで、そのことをおそらく見落としていたから。本書は、そのバリエーションに注目しているというわけです。

石神: 一口に「剥奪感」と言っても、なかなか一筋縄ではいかないと思わされました。「獲得」があるからこそ「剥奪」があるわけですが、「獲得」する黒人や民族文化的マイノリティとその陰で「剥奪」感を抱いてきた白人という、二つの並行した線がある。本書が言っているのは、たんなる剥奪感ではなくて、いわば相対的な剥奪感ですよね。

吉田: 剥奪感というのは、いつの時代も相対的なものです。だから、単純に頭数や人口比だけではなくて、人々の意識に着目をしないといけない。日本で言えば、在特会の活動なんかもさることながら、社会保険料を納めていない中国人が社会保険制度を使って治療を受けるといったことが、数としては本当に微々たるものであるにもかかわらず、週刊誌で批判的に取り上げられたりします。こうした相対的な剥奪感をインタビューとサーヴェイデータで明らかにしているのが本書『新たなマイノリティの誕生』が持っている強みで、そのアプローチ自体がすごく勉強になります。
 いま先進国を取り巻くいろいろな難題を、たんに「不平等」や「格差」で片付けてしまうのは正しくない。じつはみんなが、何となく相対的な剥奪感を抱いている。本でも言及されていますが、ゲストの前著で扱われた白人労働者たちの「敵」として描かれている移民もやはり剥奪感を抱いている。いまや「誰もがマイノリティである」という、社会の内面意識にまで踏み込んで議論しているところに、本書の面白さがあります。

誰もが「マイノリティ」である

吉田: 踏み込んで言うと、「マジョリティ中のマジョリティ」だった白人男性の、しかも雇用が安定していた製造業の労働者層すらも「マイノリティ」になっている。本書が問うのは、誰もマジョリティであり得なくなってしまった「マジョリティなき社会」の展望と言ってもよいかもしれません。

西山: 一昔前に流行った「エレファント・カーブ」(世界各国の家計所得の変化を示した曲線)によれば、途上国のミドルクラス(中間層)や先進国の富裕層の所得はすごく上がっている一方で、先進国の労働者階級あるいはミドルクラス(中間層)のそれは、横ばいなんです。じつは落ちているわけではなくて横ばいなわけですが、他が上がっているがゆえに、「自分たちは落ちている」と思い込んでしまっているというわけです。
 彼らは、こうしたことを社会の変化とかグローバル化のせいだとした上で、「自分たちを守ってほしい」「昔は良かった」というような思いを抱く。それで、アメリカで言うとこれまでリベラルな民主党に投票してきた彼ら労働者階級が、「Make America Great Again(アメリカを再び偉大な国にしよう)」という懐古的なメッセージを出すトランプなんかに惹かれる。国境の壁なんかも、自分たちを守ってくれるものと思ってしまうわけです。そういう心情が、本書第4章のヤングスタウンでのインタビューでは象徴的に表れています。

吉田: 剥奪感の話とも関係しますが、「マジョリティ」というのは、量的のみならず質的な定義にも関わってきます。何らかの「文化的な規範」、あるいは「社会の価値観」を占有しているのが、マジョリティとされることもある。本書には勤労や勤勉といった、労働文化や教育の価値観の話も出てきます。
 白人労働者というマジョリティの労働文化は、「頑張れば報われる」というものでした。そうした社会が約束されていたはずなのに、その前提がグローバル化の中で、あるいは製造業の衰退の中で崩れていっていく。こうして白人労働者の文化的ヘゲモニーが揺らいでいるために、さらに危機意識や剥奪感が強まる。これは、本書のようなエスノグラフィ的手法ならではの気づきです。

西山: そういう主観的な問題は重要で、アメリカでは「真面目に働けば成功を収められる」、つまりアメリカン・ドリーム的なことがよく言われるわけです。能力主義によってアメリカ社会は機能し、なおかつ発展していくんだ、そこで頑張れば豊かになれるし、仮に自分が豊かになれなくても子どもは豊かになれるんだ、という幻想があったわけです。しかしじつはやはり幻想にすぎなくて、昔から実態としてそうであったわけでもないんですよね。
 ジェニファー・ホックシールドが明らかにしたところによると、じつは白人は最近、アメリカン・ドリームというものをあまり信じておらず、白人よりもむしろ黒人の方がアメリカン・ドリームを信じている。民族文化的マイノリティが上昇への期待を持っている一方、白人はそういう意識を持っていないというわけです。こうしたポイントをかなり具体的に記しているところが、本書の面白いところだと思います。

ポピュリズムを動かすのは経済か、文化か

吉田: 日本の報道でも「誰が」トランプを支持し、「誰が」ブレグジットに投票したのかについて、盛んに言及されるようになりました。アメリカでも当初は、トランプに投票したのは貧しい人たち、つまり社会の「下流」の人たちだったという論評が出されました。つまり、経済的な問題からトランプは勝利したのだと。
 ところが、よくよく調査をしてみたら必ずしもそうではなくて、ヒラリー・クリントンに投票する富裕層もいれば、トランプに投票する富裕層もいた。そして一番コアな層というのはじつは「中の下」くらいの人たちだ、ということがわかってきました。そうすると、今度は経済的な理由ではなくて、文化的な理由、すなわち、レイシズムやナショナリズムに駆られた層からの支持がトランプ勝利の要因だったとされるようになった。
 トランプやEU離脱への投票は、はたして経済的な動機だったのか、文化的な動機だったのかという議論が学界では続いていますが、ややミスリードな問題設定であるように思います。まず、文化というと、移民への差別・排斥意識やゼノフォビアとして解釈されますが、本書に出てくる白人労働者は、自分たちがレイシストだとは絶対に認めない。かつての黒人差別とかカリブ海出身移民への差別とは違って、肌の色に基づくレイシズムではありません。
 むしろ本書が示唆するのは、それまでの戦後の工業化社会が労働を通じて作り上げてきた文化的な規範を共有しない人たちが来ることに対する、ある種の恐怖感です。エーリッヒ・フロムの、16世紀の中産階級の特徴として、貴族層に加えて教会の権威という、経済と文化の両方に敵対的だったとの指摘とも通じ合います。
 だから経済か文化で分けること自体がナンセンスで、両者が強固に結びついていたことが戦後の本質でもあった。それが瓦解すれば、剥奪感が生まれるのは当然です。本の中ですごく印象的だった言い方を借りれば、白人労働者というのは「移民に職を奪われる」と言えばレイシスト呼ばわりされて、「競争が激しい」と言えば怠け者と言われる。行き場がないわけです。

西山: 行き場のなさ、やるせなさは、ヤングスタウンやイーストロンドンのような地方政治で顕現します。不満の原因となっている雇用や経済的不平等の問題は、主として国家単位で対応すべき問題です。そして、経済政策を担当している中央政府、とくに議会に対する不満はあって、アメリカの場合連邦議会に対する支持率は2016年の段階でたったの15%です。
 でも、連邦議会選挙をすると、再選を目指している議員の9割以上が再選してしまって、議会の構成は変わらない。そこで彼らはトランプのような連邦政界のアウトサイダーに期待して投票した、ということだと思います。もっとも、実際の問題への対応は地方政府が行わなければならないのですが、地方政府にはそのようなことをする人的資源も財源もありません。

石神: 地方政府には人の移動を制限する権限はないのですから、本来ならばオハイオ州で人生が挫折しても他の州で人生をやり直すという選択肢は個人がもっているはずです。移動の自由と人生の再出発というのは、アメリカン・ドリームの重要な要素です。
 しかし、現実的にはそうした選択ができるのは市場に対応したスキルと学歴を持ち、一定程度の競争力がある人たちに限られている。そういう人たちは、もうすでにヤングスタウンから脱出しています。要するに、衰退する製造業にしがみつくしかない白人労働者層には、実質的にやり直しの機会が開かれていない。彼らには、移動や再出発に必要な最低限のカネやコネすらないのですから。

河村: そういう行き場のない白人労働者たちは、自分たちが労働によって作り上げてきた社会では自分たちに自律的な決定権があるはずなのに、その自分たちの社会が移民によって壊されているように感じているのかもしれません。そうした白人労働者たちの感情が、移民の入国に制限をかけるべきだという議論に表れているように思われます。
 ただ、白人たちの不満の原因は移民の存在そのものではなくて、移民流入による雇用不足や移民のマナーに関するものであるわけです。なので、彼らとどのように共存するのかということについて議論する余地は、なお残されているように思います。

労働組合はいま

西山: 労働者階級の白人とポピュリズムの関係を理解する上では、労働組合の位置づけについて考える必要があります。イギリスの場合は階級社会が前提になっていることもあって、労働組合もまだ一定の存在感を示していると言えますが、アメリカの場合、労働組合の評判はじつはかなり悪いですよね。かつては2004年のジョン・エドワーズのように民主党の副大統領候補に労働組合の代弁者が選ばれることがあったわけですけれども、今はそんなことはあり得ないわけです。
 私の印象では、アメリカだと労働組合というのは既得権益者であり、白人のための組織なんだというイメージがある。人種差別が残っていた時代に現在の労働組合の基礎が作られたためで、だから黒人なんかとは切り離されているのです。
 先ほどブレグジットやトランプを支持したのは「下」ではなくて「中の下」くらいの人たちだと吉田さんはおっしゃいましたよね。アメリカの場合は、経済社会的地位が「下」の人たちというのは黒人であったり、伝統的な民族文化的マイノリティであったりする。そして、それよりは「上」の、かつて労働組合で活動していたような人たちというのが、ある種のキーなんだと思います。

石神: アメリカだと労働組合というのはもう、ほとんど機能していません。民主党の支持基盤とはもはや言えないと思いますね。そういう意味では今や求心力も組織力もありません。

西山: ヤングスタウンの白人労働者階級の人たちは、労働組合からも見捨てられたといった意識を持っているのでしょうか。最近、アメリカの労働組合が移民を取り込もうとしはじめましたよね。

石神: そっち(移民の取り込み)に行っているというのが今の労働組合の実像ですよね。つまり不法移民の保護とか、場合によっては彼らも組合に入れてしまおう、という。ヒスパニックも全然入れていい、というようなラディカルな流れの方が、今は求心力があるかもしれません。最賃運動――最低賃金を15ドルに上げる運動――が州レベルで実現してきているわけですが、それを引っ張っているのがつまり、従来の労働組合つまり白人労働者を基盤としたものではなくて、移民ベースのそれだということです。

吉田: 裏から見ると、この本はリベラル層と労働組合に包摂されていた労働者層との離別のプロセスを描くものです。ポスト冷戦時代になって、社民政党がグローバル化と多文化主義に舵を切って、経済的リベラリズムと社会的ダイバーシティの方向へと価値観をシフトさせます。本書の中でも描かれていましたが、そういった流れの中で、アメリカの民主党やイギリスの労働党が手を焼き、戦略に乗ってくれない労働者層が取り残されていった。
 それでも、労働者層は歴史的な社民の支持者層であった、方向転換しても彼らは付いてきてくれるだろうというふうにナメていた。しかし、白人労働者層の剥奪感が高まっていったために墓穴を掘ってしまったというストーリーでもあります。社民政党がリベラルになりすぎたために、伝統的な支持基盤だった白人労働者層に、そっぽを向かれるようになってしまった。
 競合政党(共和党や保守党)に政権を獲られるくらいだったら労働党ないし民主党に投票する、最悪でも棄権するという投票行動だったのが、そこに楔を打ち込むポピュリスト勢力――トランプやUKIP(英独立党)――が参入するようになると、この白人労働者層は大きな波乱要因になる。だから、いわゆる極右ポピュリスト政党の伸びしろがあるのは、どこの国でも労働者層なんですね。保守政党も左派政党も、誰もそれをグリップしていなかったためです。そして、そのニッチ市場を開拓していったのがトランプでありUKIPでした。

白人労働者層の貧困と福祉、コミュニティ

石神: 本書で描かれている白人たちというのは、おそらく貧困層に近いところにいますよね。貧困への対応に関しては様々な財団や基金がありますが、クリーヴランドでソーシャルワーカーをやっていた友人に聞くと、彼らの多くはリベラルなので、黒人あるいは民族文化的マイノリティに対する資金提供に理解はあるけれども、白人労働者層をターゲットにした助成というのは、これまであまり見受けられなかったそうです。
 そういうものは自分たちには来ない、という思いが、おそらくヤングスタウンみたいなところにはかなり激しいんじゃないでしょうか。こうしたことも剥奪感につながっている可能性がありますよね。またその友人曰く、彼らは肉体労働に伴う疼痛や精神的な苦痛を抑えるためにオピオイドを常用していて、今まではどちらかというと都市の課題であったドラッグの課題が郊外で蔓延し、中毒で亡くなる方が増えるという異常な状況だそうです。

西山: 貧困と福祉ということで言うと、本書で面白かったのは、アメリカの白人労働者層の人たちは福祉を嫌う、というくだりです。これは、黒人の人たちが福祉を(乱用的に)享受している――いわゆるウェルフェア・クイーンのような形で――ことへの非難という形で現れている、と書かれています。実態としては黒人が福祉を乱用しているわけではないのですが、白人労働者層が福祉システムをどのように位置づけているのかというのは、興味深い問題ですよね。
 それから先ほど石神さんがおっしゃった、貧困問題に関わる様々な財団・基金は民族文化的マイノリティへの資金は出すけれども白人にはなかなか出さないという話は、そういう中間団体のレベルでもそういった白人に対する思い込み、ステロタイプみたいなものがあることを示しているのでしょうか。

石神: それは、多文化主義の問題とかなり密接につながっていますよね。

河村: 多文化主義においては、基本的に白人というマジョリティが民族文化的マイノリティを抑圧してきたということを前提に議論が進んでいる部分があると思います。たとえば、黒人奴隷問題や植民地問題などの歴史的不正義は、その最たるものです。白人にはこうした歴史の中で行ってきた正義に反する行為に対する責任があるという考え方が、白人が補償政策の対象から外されてきた一因と考えることもできます。このように考えると、民主党やNPOが白人を補償政策の対象として取り込んでこなかったことも、自然なことのように思われます。

西山: このあたりは面白いですよね。アメリカの中間団体って、教会をベースにやっている共和党系のNPOとか、篤志家の富裕層がバックについているような昔ながらの慈善団体、リベラル派と結びついているようなNPOなんかもあったり、本当に色々ありますよね。富裕層は二大政党の両方と結びついているし、レッドネックと言われる農家の人たちや福音派の人たちは、共和党と結びついている。
 これに対して、本書で出てきている白人労働者階級の人たちというのは、こういう密接な結びつきがなくなっているという、ある意味残酷な状態に置かれてしまっている。それは国のレベルでも政党のレベルでもそうだし、またNPOのような中間団体のレベルにおいてもそのように言える、ということなのかもしれません。

吉田: イギリスだと、本では住民の自治会とかソーシャルクラブがその役割を果たしているとされている。ただ、それを通じて民主的な活動をしている熱心な住民はいても、数的には減少している上に、一部の人たちが一生懸命やっているために、裾野が広がらないし、下の世代もついてこない。横の広がりも――移民系が多くなっているので――ない。だから、頑張っている人は「こんなに頑張っているのに」「誰も見向きもしてくれない」というような剥奪感をむしろ、ますます高めることになる。ジレンマですよね。

西山: そうすると、社会資本というものをいかにして築いていくかというのが、一つの重要な視点になるのかもしれません。そういう点からすると、コミュニティの問題というのはやはり重要な意味を持つのかなと思います。この点、黒人を中心としたコミュニティの再生運動を熱心にやろうとする動きがあるというのはよく聞くのですが、白人たちの間でもそういう試みはあるのでしょうか。

石神: 正直に言って、組織しようとしている側が白人で、組織される側が民族文化的マイノリティであるというように、階級性という側面はまだあるんじゃないかと思います。ただ、最賃(最低賃金)運動なんかは白人も黒人も一緒にやっている――もっとも、これはサーヴィス業従事者を中心とした運動ですが――。これに関しては白人労働者もそこそこ入っているし、教会も労働組合も加わっていますね。最賃運動に関しては結構、多様なアソシエーションが一緒になってやっている。

西山: なるほど。そうすると最賃運動なんかが上手くいくのは、「最低賃金をある程度高く設定しなければいけない」というようなコンセンサスがある場合、ということになりますね。逆にいえば、たとえば「賃金がすごく低くてもいいから職をよこせ」というような声がある場合には、上手くいかないというわけですね。これは移民や不法移民の問題とも関わってきます。
 だとすると、どういうコミュニティであれば、白人たちも巻き込む形で社会的な一体感、ソーシャルキャピタルのようなものを築き上げられる可能性が出てくるのか、という問いにつながりますね。

石神: 現場の人たちは、白人労働者層のような人たちを受け入れる、あるいは見つけようとはしていますが、彼らが民族文化的マイノリティの人たちと一緒に上手くやれるのか、という問題はありますよね。

吉田: 職場もダメ、組合もあてにならない、コミュニティはスカスカになっている。そうするとどうしても、非公式的なネットワーク――本書でもマフィアの話が出てきますけれども――が頭を覗かせる。でも、そうしたダークな社会資本が個人を救済するわけでは決してなくて、むしろ搾取されてしまうわけです。ジレンマは相変わらず解消されない。
 だから、アイデンティティ政治ではなく、最低賃金のように、経済的な再分配で新たなコアリション(政治的連合)を作ろうという戦略になる。ただ、古くはデュボイスが指摘しているように、あるいはこの本で指摘されているように、それまで中心的な地位にあった人々が周辺的な人間と共闘できるかといえば、そこには経済や文化といった異なる分断線が走っていて、簡単ではない。
 それこそヨーロッパ各国の社民政党が一所懸命探っているところですが、全体のシステムにダメージを与えないコアリションが可能なのかという観点から政策を考える必要性が求められています。

ダイバーシティと移民の時代に

吉田: このことは日本も例外ではありません。リベラルと労働者層の離別というのはもう日本でもかなり進んでいて、組合の調査を見ても、若年層になるほど自民党支持の方が高くなっている。組織率も長期的には低下傾向にある。日本の社民的立場にある立憲民主党・国民民主党・社会民主党は、労組に依存していても勝てないし、依存しなければ勝てないという二律背反に陥っています。

西山: 自民党というのは右から左までいますからね。自民党の中にもリベラルな人はいるし、かつての民主党もじつは右から左までいて、純粋なリベラルとは言えなかった。だから日本の場合、リベラルと労働者層の離別というのをどう考えるかはなかなか難しい。

吉田: ただ、たとえば立憲民主党は、経済のグローバル化については曖昧ですが、社会のダイバーシティを強調する方向に舵を切っています。夫婦別姓などについても、自民との一番の差異になっているといってもいい。簡単に訴求力を得ることができるからです。労組が空洞化していくことが避けられないのであれば、文化的にリベラル化していくというのは、日本でも同じかもしれません。
 だから、アメリカの民主党とイギリスの労働党、それからヨーロッパ大陸の社民政党がいま反省しているところを、日本の立憲民主党なんかが二周遅れで追っている、と言えなくもない。ただ、欧米と日本の社会的状況も、社会構造も大きく違うので、どういう経路を辿るかはあまり定かではありませんけれども。

西山: ダイバーシティをどう考えるかというのもじつは結構難しい話で、イギリスの場合は移民が問題になっていますけれども、アメリカの場合、じつは移民はさほど問題になっていなくて、問題は不法移民なんですよね。そういう点では日本とかなり違う。
 それともう一つ、アメリカの場合は移民も不法移民もほとんど社会サービスを受けられないわけですね。伝染病なんかが流行った時なんかの予防接種は受けられますけれども、そもそも憲法に生存権みたいな規定がないので、なにせアメリカ国民であっても年金さえ十年以上働かないともらえない。公的扶助なんかも、移民の段階では絶対もらえないわけですよね。つまりアメリカは「受け入れるけれども、あとは自分たちで頑張りなさいよ」というシステムになっているからこそ、それなりに移民を受け入れられるところがあるわけです。
 でも、日本だとそうはいかないですよね。にもかかわらず、「もし移民を受け入れた場合に、彼らに対してどういうサービスを提供するのか」という議論は、日本の場合かなり抜け落ちています。入管政策に関して、入り口と出口しか議論しない。真ん中の議論がすっぽり抜けてしまっているんです。
 イギリスの場合も日本と同じく、アメリカのように「あとは自分たちで頑張りなさいよ」とはいかないところがある。だからこそ、本書でも強調されるように、イギリスの白人労働者層の人たちというのは、出生とそれに基づくエンタイトルメント(受給権)が重要なんだという議論になる。国によって事情が異なるわけです。では、日本の場合はどのように制度設計するのか。

吉田: そこは誰も考えていない。結局、エンタイトルメントの根拠をどこに求めるのか、という話に行き着きます。そうした観点からは、生活保護バッシングと移民排斥というのは根っこは全く同じです。「僕らには資格があるが、彼らにはない。なぜなら僕らはその資格を得るための努力をしてきた、彼らはそれをしていない。なのに、なぜその権利を持っているのか」――。その感覚が「剥奪感」につながり、結果としてナショナルなもの――受給権を保障する主体であり、かつ参入障壁が高いもの――が台頭することになるわけです。
 だから、誰かに何らかの権利を新たに付与する場合、あるいはそれを新たに得られるような人が出てきた場合は、「それであなたが損をするわけではない」というメッセージがセットになっていなければならない。移民に雇用を奪われるといった声に対しても、それをレイシズムとして論難するのではなく、「彼らは納税者になるし、彼らによって新しいサービスや産業も生まれる」という指摘を含む議論をしないと、結局は文化闘争に終わってしまうでしょう。

ポピュリズムのゆくえ:アメリカ、イギリスと日本

石神: ところで、この記事を読んだ人は、2020年のアメリカ大統領選挙も「またトランプが勝つの?」という印象を受けるかもしれませんね。

西山: おそらく、いま民主党は良くない方向に行っています。民族文化的マイノリティや性的マイノリティを取り込む方向にばかり行ってしまって、白人労働者層の人たちを取り込むことに成功していない。ただその一方で、トランプ支持というものもだんだんと綻びてきているところはあると思います。トランプが白人労働者層の人たちに対して何をしたのかというと、結局のところ何もしていないんですね。
 トランプがやった(と言っている)ことが何か自分たちの生活にプラスになっていたかどうかについて、それが幻想だったということに今後みんなが気づいていく可能性は、あるかもしれない。そこのところを民主党がどのようにして指摘していくか。実際全然プラスになっていないということを言っている人たちはいるし、そういうデータもたくさんあるわけです。
 でも、メディアが分極化してしまっているせいで、保守的な人たちはそういうことを言っているメディア、たとえばCNNやMSNBCは観ない。観るのは「トランプ万歳」のFOXだけ。それが今でもトランプ支持が強固であることの背景にあるわけですが、民主党やリベラル派の今後の働きかけいかんでは、本書で取り上げられているような人たちが、トランプもじつは仲間じゃなかったということに気付く可能性はあるだろうと思います。
 それにおそらく、長期的に見ると、共和党も民族文化的マイノリティの支持獲得の方向にいずれ舵を切ると思うんですよね。2016年の選挙の時にもじつは、あれだけトランプが差別的な発言をしていたにもかかわらず、中南米系の人たちの30パーセントくらいがトランプに投票しているわけです。これが共和党にとっては微妙な問題で、次の選挙ぐらいまではトランプ路線で行くと思いますが、そのさらに4年後となると、このメカニズムも働かなくなるかもしれません。

吉田: トランプがやっているのは「あおり運転政治」です。期待値をずっとせり上げ続けている限り何とか持つから、つねにあおっていないといけない。その破綻のタイミングがどこで来るかにもよるのではないでしょうか。

西山: 民主党にとっては、トランプの支持がなくなるのに期待するというのは一か八かの賭けです。それよりも、2016年の選挙にサンダース支持者がヒラリー・クリントンに投票しなかったというようなことを繰り返してはいけないという話ですね。今回の候補者選びは、中道寄りのバイデン氏と、左側の人々との戦いが軸になっていますが、予備選挙が終わった段階でうまく団結できるかどうかですね。
 あと、今回の民主党候補者同士の討論会なんかを見ていると、「左派が頑張ればアメリカは良くなってトランプをやっつけられるんだ」というような、何か幻想めいたものにすがっているところがある。左派の人たちは労働者が重要だと言うけれども、それはどうも高みからものを言っているという印象が拭えないんですよね。

吉田: それも世界共通の現象ですね。本にも出てきますが、リベラルがいつの間にかエリートの集団になってしまった。イギリスの労働党も同じ話で、左傾化が止まらずジェレミー・コービンが党首になった。でも、それで政権が獲れるかと言ったら、必ずしもそうではない。
 では、残る中道を保守党が抑えているかといえば、そういう状況でもない。保革の既成政党が有権者に対するグリップを失っていて、それゆえにわかりやすい票田に依存し、だからこそ広範な政治的コアリションを作れなくなるという悪循環に陥ってしまっている。
 たとえば5月のイギリスの欧州議会選では、ブレグジット党に次いで自由民主党が得票率2位になりました。2010年に保守党と連立を組んで埋没し、もう次はないと言われていた小政党が、とりわけ若年層の、環境意識の高い、高学歴の人たちの票を集めることになりました。ただイギリスの自民党が国政選挙で躍進できるかといえば、そういう構造にもなっていない。それゆえに政治空白の余地がどんどん広がっていくということになる。
 先ほどの労働組合の話でもそうでしたが、もはや安定的な顧客に基づいて政治をするというのは無理になってきている。強固な支持構造と組織を作り上げてきたヨーロッパ大陸ですらタガが緩んでいる。そうすると、ある種の長期的な党派性に基づいて安定性とか実効性のある政治をやっていくというのは、ますます難しい。そうした環境下で最先端を行っているのがトランプであり、西欧のポピュリスト政党ということになるでしょう。

西山: それは日本でも同じですよね。強いて言えば農協くらいでしょうか。そうすると、その場その場での「あおり運転」的なことをやるか、あるいはその場しのぎ的ではない形でできる政治といったら、何か怪しげな方向に行くしかないわけですよね。

吉田: イギリスではEU離脱強硬派のボリス・ジョンソンが就いて、コービンもしばらく労働党党首の座にいるでしょうから、イギリスでもやはり左右の分極化という方向は止まらないでしょう。

西山: 左右の分極化について言えば、アメリカでもイギリスでも顕著であるにもかかわらず、日本の場合はそうなっていないというのが不思議ですよね。社会のレベルでは左右の分極化というのは結構進んでいるのでしょうか。

吉田: 有権者意識に関する調査では、日本の有権者の中道志向は90年代から変わっていません。ただ、東京大学=朝日新聞の調査では、むしろ政治家の方が両極化していっています。これは、無党派層が多数を占める中で、瞬間風速的に得票率の最大化を求める選挙制度の影響が大きいように思います。

「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か

石神: 本書で強調されているのは、「新たなマイノリティ」の人々の、民主制において政治的に代表されていないという意識です。だとすると、政治的な代表性を回復しようというような話にならないのでしょうか。「怒りの感情をどちらが獲るのか」みたいな話だけではなくて、白人労働者層の人たちをまとめるとか、この人たちの代表を出すとかといったような話になってもいいのではないでしょうか。

西山: 白人労働者層をまとめるやり方として、怒りを掻き立てるという手法に行ってしまうのが問題ですよね。そうではない手法を確立しないといけない。だからポピュリズムというのは必ずしも右派・左派である必要はないというか、中道に訴えかけるという形でのポピュリズムがあるのかもしれないですよね。
 じつはトランプは、一貫して右派的な発言をしているわけではないんですよね。むしろ予備選では「オバマケアは意外と良かったけれども、自分ならもっと上手くできる」みたいなことを言っていたわけですよね。それである種の支持も得たわけです。勝ってしまった後はそんなことは言わなくなりましたが。それがどれだけ有権者に効いていたのかというのは面白いポイントですよね。
 代表性と言っても、組織された人を動員するのは簡単です。でも、そうではないバラバラなものをどうやって盛り上げていくか、そのための工夫をどのようにして行うか。政治家の技量が問われています。

河村: これだけ多様化が進む中で、もはや白人、黒人、移民といった民族・人種別のニーズに訴えかけることに限界があるように思います。民族文化的な括りではなく、先ほど話題に上った最賃運動のように、利益を共有している集団をターゲットにするような手法であれば、代表性も少しはうまく機能するのではないでしょうか。
 かつては、既存の社会制度が白人のためのものだという前提のもとで、議会における民族文化的マイノリティの議席数の確保などを通して、文化的衝突の解決を図ろうとしていたわけですが、いまやこうした民族ごとの代表性には限界があるのかもしれません。

吉田: もしかしたら、誰もがマイノリティである社会、マジョリティなき社会で代表性民主主義が機能することは、もはやあり得ないのかもしれません。その回路以外で、いかに代表性を獲得していくかを考えないとならないでしょう。

西山: 民主主義というのは、様々な人々の利益や立場を取り入れて、皆を幸せにするシステムだと、一般的にイメージされています。でも、あらゆる社会はじつは多元的なわけですよね。民主政治といえども、最終的には一つの決定に導くわけですから、じつは多くの人々の利益や立場を結果的に切り捨てている。
 だとすれば、「切り捨てている」のではなくて「まとめている」んだ、というように有権者に説得する、思わせるというのが政治家の技術であり、これは社会のあり方というか成熟の問題であったりするんだと思うんですよ。経済成長が進んでパイが大きくなっていて多くの人々に利益や権利を与えていくことが可能な時代ならば、こういうことがある程度容易でした。

吉田: つまり、代表制民主主義は、ペイオフが何らかの形でできないと機能しない?

西山: はい。でも今はそういう状態じゃないわけですよね。低成長かマイナス成長、つまり成長するとは限らず落ちていくかもしれない状況だと、どういう方法があり得るのか。他の国と争うということ以外のやり方があり得るのか。グローバル化に抗する以外に何かあり得るのか。おそらく、新たな構想が求められるんでしょうね。

吉田: ディズニー映画やマーヴェル作品を観ていても、何らかの代表性を表現するのがますます難しくなっているように思います。昔の作品であれば、主人公の王子様がいて、お姫様を助けたり幸せにしたりすることが定番だったのが、たとえば『アナと雪の女王』ではお姫様が主人公になった。それでも飽き足らず、今では白人、黒人、アジア人、ヒスパニック、善人と等価な悪人まで全部が揃わないと、誰も観てくれない。ただ、それで「みんなが平等」という以外のナラティヴ(物語)が本当に出来上がるのかどうか。
 つまり、みんなが自分の見たいものをそこに見出すだけで、全体的に代表されるものが何かというのは、すごく難しくなっている。そういう時代に、代表制民主主義なんて機能するわけがない。

西山: そうですよね。たとえば『スパイダーマン』なんかでも、白人ばかりが主役を演じていてそれが問題だというようなことが言われましたが、そういう声を受けて『スパイダー・バース』という作品を作ったわけですよね。じつは黒人や女性のスパイダーマンもいた、というものなんですが、ああいうふうになってくると、もう勧善懲悪と愛の話になるしかないわけですよね(笑)。

吉田: 政治では、有権者は自分を投影させる何かを求めるわけですが、その「何か」がもう存在しない。あるいは、先ほどのペイオフの話のように、他のものに代表してもらうことで得られる利益も、もう無い。そうしたら残るのは、政治不信しかないということになる。
 この政治不信とは、具体的には――本書の調査にも出てきますが――、政治は自分たちのことを顧みてくれていない、という感覚です。最近の調査だと、主な先進国では6割程度の人が「政治家に顧みられていない」と感じています。だから、やはり政治に頼らない形で、様々なリソースを保全・調達できるような、半径数キロぐらいのコミュニティを手厚くしていくというのが大事になってきています。

西山: 難しいですね。それよりは戦争でもして略奪したほうが簡単だ、という話になりかねない気がしますね……。

吉田: アメリカはそれができるかもしれませんが、日本はできない。コミュニティを手厚くしていくのが難しいとして、もう一つの処方箋は、教育や職業訓練など、人に投資していって社会的モビリティをどんどん高めていくくらいしかありません。
 それでみんなが幸せになれるかどうかはわからないけれど、少なくとも剥奪感が最小限で済む、あるいは持ったとして、それをこじらせないような構造を作っていく。そのためにはやっぱり個人に能力をつけ、何度もトライ・アンド・エラーができるような社会システムが必要でしょう。
 そのためにはやはり国が、手厚く教育・職業訓練の制度作りをしていかないといけない。そうでなければ「新たなマイノリティ」は、ずっと再生産されていくことになるでしょうね。

(2019年6月26日、北海道大学にて収録)

シノドス、2019.10.23 Wed
「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か
吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実
https://synodos.jp/international/22986/

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なぜ、これまで当たり前だった福祉の水準を切り下げることを人びとが受け入れるのか

 米国のトランプ政権や英国のEU離脱を支持する白人労働者層の声を丹念に分析することで、彼らをそれまでの中流階級から少数派の立場に追いやられた「新たなマイノリティ」と位置づけたジャスティン・ゲストの『新たなマイノリティの誕生』〈1〉。
 その訳者4人が米英以外の事例にも触れながら状況を考察した座談会〈2〉は、いま世界中で起きている「分断」を理解するヒントに満ちている。

 訳者の一人で政治学者の吉田徹は、分断の背景にあるのは「不平等」や「格差」よりも、誰もが相対的な「剥奪(はくだつ)感」を抱くようになったことで「マイノリティ化」したことにあると指摘する。
 キーワードは「剥奪感」だ。

* * *

 深刻なのは、その剥奪感を悪用して、民主主義の制度や価値観を塗り替えようとする国家が現れてきていることだ。
 ハンガリーの中央ヨーロッパ大学(CEU)ジェンダー研究科で教鞭(きょうべん)を執るアンドレア・ペトは、今年2019年6月に日本で行われた緊急シンポジウムで、ハンガリーで起きている学問の自由やジェンダー研究に対する政府からの攻撃を報告した〈3〉。
 ハンガリーは冷戦後自由主義経済に移行し、都市エリートと熟練労働者や農村部の住人の間で社会格差が顕在化した。
 このことが政府への不満を高め、剥奪感を抱える層が、権威主義的な現オルバーン政権を支持する構図になっている。

 この事象を新自由主義下における財政緊縮策の観点で読み解いたのが足立眞理子だ〈4〉。
 足立は財政緊縮策の真の狙いは「人間が生きて活動し、より根源的に民主的で多様な生存・生活のあり方を希望し、それらを自らの力によって再生産していく力能・ケイパビリティを(中略)削(そ)ぎ落とすこと」にあると見る。
 誰もが剥奪されていると感じる社会では、これまで当たり前のように人間が享受してきた福祉の水準を切り下げることを人びとが受け入れ、内面化する現象が起きる。
 足立によれば「人びとが一度獲得し、自由な意思決定の基礎としたものを縮減させ切り下げるためには、恣意(しい)的な選別とその恣意性を覆い隠す差別的なイデオロギーが必要となる」という。
 そこで利用されるのが「税金の有効活用」という論理だ。
 新自由主義的な財政緊縮策は一見「合理的」に見え、剥奪感を抱える人びとに受け入れられやすい。
 女性の社会進出のせいで、難民や移民流入のせいで、障害者保護が手厚いせいで自分たちはいつまで経っても報われない。
「保護されるべきマイノリティ」になれないのなら、すべてを同等に緊縮すればいい――本来国家がなすべきマイノリティへの社会包摂を“なさない”ことが、「新たなマイノリティ」となった元多数派にとっては「社会包摂」に感じられる。
 そんな転倒が起きていると解釈できる。
 結果、日本を含む多くの先進諸国ではジェンダー研究への攻撃や、教育における伝統の強調、国策に反対する者を「国家の敵」とみなし、オンライン・ハラスメントの対象になるよう仕向ける論法が跋扈(ばっこ)するようになった。
「新たなマイノリティ」がナショナリズムと結託するのは必然だ。

* * *

 国家の変容は若いエリートの意識にも影響を与える。
 新鋭のAI研究者として注目を集める東京大学の大澤昇平特任准教授が、自身のツイッターに差別的な投稿を行い、波紋を呼んだ件はその典型だろう〈5〉。
「資本主義の文脈において、パフォーマンスの低い労働者は差別されて然(しか)るべきです」という大澤の投稿は、いかにも新自由主義的だ。
 明戸隆浩はこの発言を「AIの研究者が自身の研究に基づいた専門的知見であるかのような形で統計的差別の肯定を行うことは、一見した信ぴょう性が高い分、そうでない立場からの発言に比べてより悪質」と指弾した〈6〉。
 いくら「統計的」で「合理的」な差別であっても「差別」は「差別」であり、それを肯定することはできないはずだが「新たなマイノリティ」たちは、その「合理的差別」こそ格差是正の機会として肯定的に捉える。
 このねじれが大澤発言の悪びれなさの理由ではないか。

 大澤は9月に発売した『AI救国論』で福島県の「中流のやや貧困層より」の家庭で育った生い立ちに触れ、そのことが「お金を無駄にする活動は、大体時間も無駄になる。そのため、小学校時代から図書館にこもってひたすら勉強していた。(中略)苦手なことで時間を無駄にしないよう徹底的に取捨選択」する価値観を作ったと述懐している〈7〉。
 苦労人が社会的な弱者に連帯の感情を持てず「合理的」に切り捨てる側に回ってしまったことの意味を我々は考えなければならない。

 この厄介な時代に処方箋(せん)はあるのか。

 河村真実は人種や移民といった括(くく)りではなく、最低賃金運動のように経済的利益を共有する集団をターゲットにする手法が必要であると主張する〈2〉。
 世界屈指の経済学者ダロン・アセモグルも同様のことを述べている〈8〉。
 アセモグルは社会をより良く変えていくための鍵として経済成長を掲げ、「持続可能な形で経済を成長させ、その果実を皆で分け合おう」と訴えた方が、現実的でより広い支持を得られるだろうと提案した。

 世界中で起きているマイノリティ同士の分断は、文化や階層の衝突という側面より、過度な新自由主義の進展がもたらした「経済問題」が主因であると仮定すれば、経済学でこの問題を解決する道筋も見えてくるはずだ。
 経済学と社会学を横断し、「剥奪感」を最小限に抑え込む具体的政策がいま求められている。

* * *

〈1〉ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』(弘文堂、2019年6月刊)

〈2〉吉田徹、西山隆行、石神圭子、河村真実「『みんながマイノリティ』の時代に民主主義は可能か」(SYNDOS、10月23日、https://synodos.jp/international/22986

〈3〉アンドレア・ペト「学問の自由とジェンダー研究」(『世界』12月号)

〈4〉足立眞理子「排除と過剰包摂のポリティクス」(同)

〈5〉「東大の特任准教授『中国人採用せぬ』 ツイッターに」(朝日新聞東京本社版11月25日付夕刊、https://www.asahi.com/articles/DA3S14270515.html

〈6〉明戸隆浩「東大情報学環大澤昇平氏の差別発言について」(11月24日、
https://researchmap.jp/jo34y74lc-1820559/#_1820559

〈7〉大澤昇平『AI救国論』(新潮新書、2019年9月刊)

〈8〉ダロン・アセモグル「若き環境活動家たちへ 経済成長は敵でなく味方だ」(週刊東洋経済11月23日号)

◇ ◇

※ 津田大介(つだ・だいすけ、1973年生まれ)
早稲田大学教授。著書に『情報戦争を生き抜く』『情報の呼吸法』『動員の革命』など。

朝日新聞・論壇時評、2019年11月28日05時00分
新マイノリティ
みんなが抱える「剥奪感」

(ジャーナリスト・津田大介)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14273906.html

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2019年11月28日

ローマ教皇「平和の巡礼者として」

[動画]
ローマ教皇が長崎を訪問

[写真-1]
チャーター機で来日したローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月23日午後5時44分、羽田空港

[写真-2]
雨の中、車で移動するフランシスコ教皇を歓迎する人たち=2019年11月24日午前9時36分、長崎県大村市

[写真-3]
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が訪問する爆心地公園に設置された「焼き場に立つ少年」の写真パネル=2019年11月24日午前8時17分、長崎市の爆心地公園

[写真-4]
「核兵器に関するメッセージ」を述べるローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午前10時28分、長崎市の爆心地公園

[写真-5]
日本二十六聖人記念碑の前で話すローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午前10時58分、長崎市の西坂公園

[写真-6]
ミサの会場に専用車の「パパモービレ」に乗って入るローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午後1時26分、長崎市の県営野球場

[写真-7]
ミサの会場で、専用車の「パパモービレ」から手を振るローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月24日午後1時26分、長崎市の県営野球場

[写真-8]
トヨタ MIRAI をベースにして作られた教皇専用車「パパモービレ」

[写真-9]
ファミリーマートJR長崎駅店では、急きょ仕入れたポンチョが段ボールに入れられたまま売られていた=2019年11月24日午後3時23分、長崎市大黒町

[写真-10]
西坂公園もカッパを着た人であふれていた=2019年11月24日午前9時45分、長崎市西坂町

[写真-11]
日没時間を過ぎた平和記念公園。午後6時40分から始まる「平和のための集い」を前に、参加者が続々と入場してきた=2019年11月24日午後5時10分、平和記念公園

[写真-12]
平和記念公園に到着したフランシスコ教皇=2019年11月24日午後6時48分、広島市中区の平和記念公園

[写真-13]
平和宣言をするフランシスコ教皇=2019年11月24日午後7時16分、広島市中区の平和記念公園

[写真-14]
平和のための集いを終え、被爆者の所にあいさつに行くフランシスコ教皇=2019年11月24日午後7時30分、広島市中区の平和記念公園

[写真-15]
フランシスコ教皇を出迎える天皇陛下=2019年11月25日午前11時2分、皇居・宮殿

[写真-16]
フランシスコ教皇を一目見たいと東京ドーム周辺に来たフィリピン人信者たち

[写真-17]
ミサの会場の東京ドームを専用車で回るフランシスコ教皇=2019年11月25日午後3時42分、東京都文京区

朝日新聞、2019年11月25日20時04分
[詳報]ローマ教皇「平和の巡礼者として」
被爆地訪問

https://www.asahi.com/articles/ASMCR7346MCRUEHF008.html

 日本を訪れているローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、東京ドームで5万人が集まる大規模なミサを執り行いました。

 フランシスコ教皇は25日午後3時半すぎ、ミサを執り行うため会場の東京ドームに到着しました。

 ミサには、カトリック教会の信者をはじめ、カトリックの学校に通う小学生などおよそ5万人が参加し、会場はほぼ満席の状態となりました。

 フランシスコ教皇が特別仕様のオープンカーに乗って会場に入ってくると、参加者はバチカンや日本の国旗を振って歓迎し、大きな歓声をあげていました。
 フランシスコ教皇は20分ほどかけて会場をまわり、参加者の中にいた幼い子どもにキスをしたり、笑顔で手をふってこたえたりしていました。

 ミサにはいわゆる「袴田事件」で死刑が確定し、無実を訴えている袴田巌さんも招かれました。
 袴田さんは拘置所に収容されていた際に洗礼を受け、カトリック信者になりました。

 ミサが始まるとフランシスコ教皇は参加者が聖歌を歌う中、中央に設けられた祭壇にあがり、静かに祈りをささげました。

 そして、「日本は経済的には高度に発展していますが、社会で孤立している人が少なくないことに気付きました。これを乗り越えるためには異なる宗教を信じる人も含め、すべての人と協力と対話を重ねることが大切です」と述べ、他者の理解に努めることの大切さを訴えました。


NHK、2019年11月25日 16時45分
ローマ教皇 東京ドームで大規模ミサ
5万人が参加

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191125/k10012190481000.html

ローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇によるミサが2019年11月25日、東京都文京区の東京ドームで行われ、5万人(主催者発表)が参列した。
被爆地の長崎と広島では主に核廃絶を訴えてきた教皇だが、東京では日本の格差や貧困問題を念頭に、若者が「過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている」などと訴えた。

日の丸やバチカン国旗で出迎える

教皇の訪日は1981年2月の故ヨハネ・パウロ2世以来、約38年ぶり2回目。
 1981年の大規模ミサは、後楽園球場で行われ、約3万6000人が参列。
 その後球場は建て替えられ、1988年に東京ドームがオープンした。

教皇は2019年11月23日に来日。
 24日は長崎と広島、25日に東京都内で行事に参加した。
 教皇が「パパモービレ」と呼ばれるオープンカーに乗って東京ドームのグラウンドに登場すると、参列者からは大きな歓声が起き、日の丸やバチカンの国旗を振って教皇を出迎えた。

教皇はミサの説教で、ドームのミサに先立って参加した東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)での「青年との集い」での出来事に言及。「日本は経済的には高度に発展した社会」だとする一方で、日本社会の現状について
 社会的に孤立している人が決して少なくなく、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じている。
 家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見いだし、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追求する過剰な競争意識によって、ますます傷ついている。
 多くの人が、当惑し不安を感じている。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている

と指摘した上で、「明日のことまで思い悩むな」(マタイによる福音書)という聖書の一節を引用しながら、
 より広い意味のある展望に心を開き、そこに自分にとってもっとも大切なことを見付け、主と同じ方向に目を向けるための余地を作るようにという励ましなのだ

などと訴えた。

 訪日前にも「過度な競争、消費をずっと続けること」指摘していた

教皇は2017年12月にローマと東京・上智大学をビデオ会議で結んで行われた高校生との対話イベントで、日本人の国民性について

理想を持った国民、非常に深い能力を持った国民。これは宗教的にもだ。そして非常に勤勉な国民だ。それから、非常に多く苦しんだ国民
とする一方で、日本が抱える問題として
過度な競争、消費をずっと続けること
を挙げ、これが続けば
自分が持っている力を失わせることになり、大きな問題になる
と指摘していた。

教皇は貧困問題に高い関心を持つことで知られており、訪日直前の11月17日には、バチカンに約1500人の貧困者やホームレスを招いたばかりだ。

教皇は11月26日に上智大学で講演し、日本を離れる予定だ。


[写真]
東京ドームで行われたミサで説教するフランシスコ教皇。日本の「過剰競争」について訴えた

J-CASTニュース、2019/11/25 19:34
日本の若者は「過剰競争で傷ついている」
ローマ教皇が5万人ミサで訴える

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)
https://www.j-cast.com/2019/11/25373560.html

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2019年11月27日

Pope Francis in Tokyo Dome

[LIVE]教皇ミサ(オリジナル音声版)POPE IN JAPAN 2019/Holy Mass、Tokyo Dome
https://www.youtube.com/watch?v=j_fLDeW2p98

https://www.youtube.com/watch?v=nLHL7SpZgl0

ローマ教皇.jpg
☝ Pope Francis kisses a child during a Holy Mass at the Tokyo Dome

APOSTOLIC JOURNEY OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS
TO THAILAND AND JAPAN
(19-26 NOVEMBER 2019)
HOLY MASS
HOMILY OF HIS HOLINESS
Tokyo Dome
Monday, 25 November 2019


The Gospel we have heard is part of Jesus’ first great sermon. We know it as the Sermon on the Mount, and it describes for us the beauty of the path we are called to take. In the Bible, the mountain is the place where God reveals himself and makes himself known. “Come up to me”, God says to Moses (cf. Ex 24:1). A mountain whose summit is not reached by willpower or social climbing, but only by attentive, patient and sensitive listening to the Master at every crossroads of life’s journey. The summit presents us with an ever new perspective on all around us, centered on the compassion of the Father. In Jesus, we encounter the summit of what it means to be human; he shows us the way that leads to a fulfillment exceeding all our hopes and expectations. In him, we encounter a new life, where we come to know the freedom of knowing that we are God’s beloved children.

Yet all of us know that along the way, the freedom of being God’s children can be repressed and weakened if we are enclosed in a vicious circle of anxiety and competition. Or if we focus all our attention and energy on the frenetic pursuit of productivity and consumerism as the sole criterion for measuring and validating our choices, or defining who we are or what we are worth. This way of measuring things slowly makes us grow impervious or insensible to the really important things, making us instead pant after things that are superfluous or ephemeral. How greatly does the eagerness to believe that everything can be produced, acquired or controlled oppress and shackle the soul!

Here in Japan, in a society with a highly developed economy, the young people I met this morning spoke to me about the many people who are socially isolated. They remain on the margins, unable to grasp the meaning of life and their own existence. Increasingly, the home, school and community, which are meant to be places where we support and help one another, are being eroded by excessive competition in the pursuit of profit and efficiency. Many people feel confused and anxious; they are overwhelmed by so many demands and worries that take away their peace and stability.

The Lord’s words act as a refreshing balm, when he tells us not to be troubled but to trust. Three times he insists: “Do not be anxious about your life… about tomorrow” (cf. Mt 6:25.31.34). This is not an encouragement to ignore what happens around us or to be irresponsible about our daily duties and responsibilities. Instead, it is an invitation to set our priorities against a broader horizon of meaning and thus find the freedom to see things his way: “Seek first the kingdom of God and his righteousness, and all these things shall be yours as well” (Mt 6:33).

The Lord is not telling us that basic necessities like food and clothing are unimportant. Rather, he invites us to re-evaluate our daily decisions and not to become trapped or isolated in the pursuit of success at any cost, including the cost of our very lives. Worldly attitudes that look only to one’s own profit or gain in this world, and a selfishness that pursues only individual happiness, in reality leave us profoundly unhappy and enslaved, and hinder the authentic development of a truly harmonious and humane society.

The opposite of an isolated, enclosed and even asphyxiated “I” can only be a “we” that is shared, celebrated and communicated (cf. General Audience, 13 February 2019). The Lord’s call reminds us that “we need to acknowledge jubilantly that our life is essentially a gift, and recognize that our freedom is a grace. This is not easy today, in a world that thinks it can keep something for itself, the fruits of its own creativity or freedom” (Gaudete et Exsultate, 55). In today’s first reading, the Bible tells us how our world, teeming with life and beauty, is above all a precious gift of the Creator: “God saw everything that he had made, and indeed, it was very good” (Gen 1:31). God offers us this beauty and goodness so that we can share it and offer it to others, not as masters or owners, but as sharers in God’s same creative dream. “Genuine care for our own lives and our relationships with nature is inseparable from fraternity, justice and faithfulness to others” (Laudato Si’, 70).

Given this reality, we are invited as a Christian community to protect all life and testify with wisdom and courage to a way of living marked by gratitude and compassion, generosity and simple listening. One capable of embracing and accepting life as it is, “with all its fragility, its simplicity, and often enough too, with its conflicts and annoyances” (Address at the Vigil of World Youth Day, Panama, 26 January 2019). We are called to be a community that can learn and teach the importance of accepting “things that are not perfect, pure or ‘distilled’, yet no less worthy of love. Is a disabled or frail person not worthy of love? Someone who happens to be a foreigner, someone who made a mistake, someone ill or in prison: is that person not worthy of love? We know what Jesus did: he embraced the leper, the blind man, the paralytic, the Pharisee and the sinner. He embraced the thief on the cross and even embraced and forgave those who crucified him” (ibid.).

The proclamation of the Gospel of Life urgently requires that we as a community become a field hospital, ready to heal wounds and to offer always a path of reconciliation and forgiveness. For the Christian, the only possible measure by which we can judge each person and situation is that of the Father’s compassion for all his children.

United to the Lord, in constant cooperation and dialogue with men and women of good will, including those of other religious convictions, we can become the prophetic leaven of a society that increasingly protects and cares for all life.

http://www.vatican.va/content/francesco/en/homilies/2019/documents/papa-francesco_20191125_messa-tokyo-omelia.html


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2019年11月26日

子供に見せたくないなあ、首相

作家の室井佑月氏は、「即位の礼」などに関する安倍首相の振る舞いについて意見する

* * *

「即位の礼」に伴い安倍首相が、“テレビジャック”をした。
 ワイドショーではこの期間、どの番組をつけても安倍首相が映っていた。

 安倍首相夫妻が主催する晩餐(ばんさん)会、首相と各国元首ら62人とのマラソン会談。
 テレビでは途中から、主役が完全に入れ替わった。

 安倍首相のことも有り難がれって? 馬鹿らしい。
 通訳も入れて10分から30分の会談になんの意味があるというのだ?
 ようするに、天皇の威を借りた(天皇の名を出して税金も使った)、安倍首相のパフォーマンスを見せられたわけだ。

 開催が11月10日に延期されたパレードには、安倍首相らまで参加するという。
 平成のパレードから、自民党本部前を通るというルートに変えて。

 だいたいパレードが延期されたのは、台風被害に遭った人を考慮してだ。
 そういうことを考えれば、ラグビーや皇室行事に絡めたお祭り騒ぎ、この人はなんなんだろうかと思う。

 というか自分たちのことを右翼、もしくは保守だといっている人たちは、天皇の威を借りてしゃしゃり出てくる安倍首相に「不敬だ」と怒らないのか?
 天皇陛下万歳といいながら、皇居の敷居を思いっきり踏んでいるあの人に。

 というか、皇室を政治に利用することは許されないことである。
 それがいつの間にか許されているかのようになっているのが恐ろしい。
 安倍首相は堂々と皇室を利用している。

 皇室の儀式を国事行為とすることが、憲法の政教分離原則違反である、などと固いことをいうつもりはない。
 ほかの宗教と皇室は、国民の捉え方もちょっと違っている。

 災害が起こった場所の避難所を陛下が訪れれば、感動の涙を流す人がいる。

 海外の要人のおもてなしは下品な政治家夫婦にやらせるより、よほど安心して見ていられる。

 しかし国民の信頼が皇室にあればこそ、時の政権が皇室を自分たちのもののように扱うことは、絶対にあってはならないことなのだ。

 先の戦争は、天皇陛下を中心とする国家神道が利用された。
 天皇は神とされ、神である天皇に国民は従うべきだ、という同調圧力がすごかった。
 そうやって国民を支配した。

 安倍首相はまたその時代に戻したいのか?
 災害が頻繁に起こるこの国、貧しくなっていくこの国。
 為政者として、「国のために我慢しろ」とだけ国民にいっていればいいなら簡単だ。
 そこで国民が文句でもいおうものなら、国に仇(あだ)なす人間、反乱分子として扱えばいい。
「非国民」という罵(ののし)り言葉を使って。

 天皇陛下や上皇さまは、その時代への逆戻りを望んでおられないと思うがね。
 お言葉の数々に、「天皇陛下万歳!」といって自分たちを利用し、改憲を進めようとする人間たちへの反発が込められている。

 いっとくが、皇室を政治に利用することへの批判は皇室批判ではない。
 皇室を利用するものはそういう話にすり替えるが。


※ 週刊朝日  2019年11月15日号

AERA dot.、2019.11.7 07:00
首相の皇室利用
(室井佑月)
https://dot.asahi.com/wa/2019110600005.html

作家の室井佑月氏は、安倍首相の「責任は私にある」発言の意味を問う。

* * *

・ ハードディスクにドリルで穴を開けてその場をしのいだ政治資金規正法違反事件での小渕優子元経済産業相、
・ うちわの配布で問題になった松島みどり元法相、
・ 補助金交付団体からの政治献金問題の西川公也元農林水産相、
・ 業者への口利き疑惑を睡眠障害を理由に逃げた甘利明元経済再生相、
・ 大震災が東北で良かった発言の今村雅弘元復興相、
・ PKO日報隠蔽(いんぺい)問題の稲田朋美元防衛相、
・ 復興より議員が大事とのたまった桜田義孝元五輪相……。

 で、ここに加わった新メンバーは、
・ 香典公職選挙法違反疑惑の菅原一秀前経産相、
・ それと妻の公職選挙法違反疑惑の河井克行前法相。

 もちろん、疑惑の類でいえばもっとたくさんの政治家が引っかかる。
 このメンバーは安倍首相が、「任命責任は私にある」といって大臣を辞めた人たち。

 首相は「責任は私にある」って言葉、たぶん違う意味で覚えてるよね。
「私からもおわび申し上げる」くらいに思ってんじゃね?
 でもって、この言葉の後、これからもこの国のため邁進(まいしん)していく、みたいな言葉で収めるんだよ。

 はぁ?
 違うんじゃね?
 手柄を上げ、褒められた後、そういうならわかるけど。
 誰か〜、彼に「責任」というところに付箋(ふせん)貼った辞書を渡してやって〜。

 出るわ出るわの大臣の不祥事。
 でも大臣を辞め、首相が「責任は私に……」と一言いえば、疑惑は帳消しになってしまう

 そりゃあ、国民を舐(な)めてかかるのも仕方ないだろう。
 みんなそれで「ふざけるな!」と怒らないんだもの。

 11月1日付の産経新聞のデジタル版に「英語試験延期 自民・世耕参院幹事長『思いやりにあふれた決断』」という記事が載っていた。

 自民党の世耕弘成参院幹事長が、萩生田光一文部科学相が大学入学共通テストに導入される英語の民間検定試験の来年度からの実施を見送ると発表したことについて、「受験生の立場に立った思いやりにあふれた決断だと思っており、高く評価したい」と述べたとか。

 この仲間内だけでやってる感じ。
 みんなは気持ち悪くないのだろうか?
 仲間内だけでやってる感じではなく、もうほんとうに仲間内だけでやっている。
 受験生の立場に立った?
 そう考えているなら、民間検定試験なんて案は出てこない。

 この制度は共通テストの採点に、民間試験の2回分が採用される。
 裕福な家の子は何度も受けられ、地方の離島などに住んでいる子は不利になる。
 萩生田大臣がテレビに出て、そのことを指摘されると「身の丈に合わせて勝負してもらえば」と正直にいってしまった。
 人には生まれによってランクがある、て文科相がいったんだ。
 そういう考え方は、お仲間主義のなせる業だろう。

 そうそう、文科省の会議には民間業者が入ってたってね(非公開)。
 彼らもお仲間?
 お仲間どうし、一般の我々を犠牲にして、美味(おい)しい思いしようとひそひそ話したのかしら?


※ 週刊朝日  2019年11月22日号

AERA dot.、2019.11.14 07:00
お仲間ルール
(室井佑月)
https://dot.asahi.com/wa/2019111300009.html

作家の室井佑月氏は、ヤジを飛ばす安倍首相にあきれ、英語民間試験の延期について言及する。

* * *

 11月7日付の毎日新聞電子版に「やまぬ安倍首相のヤジ 今年だけで不規則発言20回超『民主主義の危機』」という記事があった。

「子供に見せたくないなあ、と思ってしまった。(中略)国会のテレビ中継である」

 という言葉からはじまっている。
 でもって記事を読み進めてわかったのだが、首相が国会でヤジを飛ばすのは、今年だけでも26回なのだそうだ。

 こんな恥ずかしい首相、いまだかつていた?
 もう十分に歴史に名が残るわ。
 なので、辞めてもらって結構だ。
 この国の子供の教育をがたがたにしてしまう前に。
 子供の教育によろしくない人が、教育改革をしようとしているってどうよ?

 最近では、2020年度から開始される大学入学共通テストの英語民間試験の導入が延期になった。
 萩生田光一文部科学相の教育格差を容認する発言が叩(たた)かれて。

 ほんとうは中止にすべきだろう。
 受験生の居住地域や家庭の経済状況によって格差が生まれてしまうテストなんて。
 けど、延期じゃ。

 だって、ベネッセの関連団体に、文科省の役人や教育再生実行会議の有識者メンバーが「天下って」いたり、ベネッセの人間が政治家のパーティーにせっせと参加したり(それだけじゃないだろうが)、お友達同士でお金の流れをもう決めているから。

 子供はこの国の宝だ。
 なのに、教育を金儲(もう)けの材料として考える人間がいる。
 ほんとうの悪だと思う。

 だいたい安倍首相が教育再生実行会議を立ち上げ、真っ先にやったことは、道徳の教科化だった。
 国を愛する心を教え、点数をつけたいといっていた。
 子供の心の中に手を突っ込んで、それが正しいか決めつけ、一斉におなじ方向に向けたがった。


 そんな考えの人たちが今回、大学入試の共通テストを変えて、子供に「思考力・判断力・表現力」を身につけさせたいって矛盾してないか?

「思考力・判断力・表現力」というものは、強制されて身につくものじゃないだろう。
 むしろ、親の生活が安定し、子供が勉強をしたいならどこまでもできるという、普段の生活の余裕から生まれるものな気がする。

 親に金銭的な余裕と心の余裕があれば、子はいろいろな体験をさせてもらえる。
 親が生活の中で本を読んだりする余裕があるなら、家には本があり、子供も読むようになる。

 英語に関していえば、子供を留学させる体力がなくなっている親が増えてきていることが問題だろう。

 教師の労働環境の劣悪さも改善できない。
 大学の研究費もそれで儲かるかどうかで判断する。
 国が教育にお金かけてくれないから、教える側も子供の親もカツカツで、余裕がない。
 それがいちばんの問題じゃ。

 格差が広がり、朝も夜も働いてぎりぎりの生活をしている人がいる。
 子にとって、親はもっとも身近な大人のモデル。
 生きるのに精いっぱいで、人は「思考力・判断力・表現力」を持てるのか?


※ 週刊朝日  2019年11月29日号

AERA dot.、2019.11.21 07:00
教育に悪い大人
(室井佑月)
https://dot.asahi.com/wa/2019112000010.html

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アベを倒したい!

● テレビも映画『新聞記者』プロモーション拒否の裏にある噂が

室井佑月: 初めまして! 早速だけど映画『新聞記者』観たよ! 森友・加計問題や、伊藤詩織さんの事件とか、安倍さんが政権を握ってからの数々の悪事がてんこ盛りになっていた。内閣情報調査室の内幕も描かれていて。すごい面白かった。

東京新聞・望月衣塑子: ありがとうございます。公開から1カ月ほどですが、配給会社によると動員33万人で、興行通信社の週末観客動員ランキングも3週連続トップ10入りしたそうです。

室井: 知り合いの映画関係者も言ってた。政権を批判した社会派作品がここまで健闘するのは異例だって。でも、テレビとかあんまり取り上げてくれなかったんでしょ。プロモーションを拒否されたってリテラでも書いてあった。公開直後には公式サイトがサーバー攻撃にあったり。やっぱり、真っ向から安倍政権批判をして、官邸から睨まれている望月さんの原作だから、テレビとか完全に腰が引けたんだろうね。

望月: 今回の映画宣伝はテレビではすごく難しかったと宣伝部の人も言ってました。それに加えて、参院選前に私が選挙に出るという噂が出回って。

室井: あっ、やっぱり。私も聞いた。望月さんが選挙に出馬するんじゃないかって話。そんな噂を聞いたから最初に絶対確認しておこうと思ってたんだ。そういう話、あったの?

望月: あるわけないじゃないですか。でも、宣伝部は、テレビ局から「望月さんが選挙に出るかもしれないから、取り上げるのはちょっと……」と難色を示されたと聞きました。

室井: 映画の宣伝で露出してないなって不思議に思ってたけど、そんな事情があったのか。でも、それって宣伝を断る口実でしょ。安倍政権を批判する作品だから忖度マスコミ、特にテレビは取り上げたくなかったんだね。ただ、出馬に関しては望月さんは知名度も高くて、菅さん(菅義偉官房長官)と闘う女っていうイメージだから、野党系から結構声がかかっても不思議じゃないとは思う。もし声がかかっても、いまの立場を変えずに記者としてガンガン記事を書いて、声をあげ続けて欲しい。私も誘われたことあるけど「私、不倫するのとかなんとも思ってないんで無理です」って言って断った。逆に「出馬なんてことより先生のガールフレンドのひとりにしてください」って(笑)。

望月: ……(爆笑)。

安倍首相と会食を繰り返すマスコミ幹部の異常、菅官房長官とも

室井: でもさ、ちょっと有名になるとすぐに出馬の噂が出るのは心外だよね。私も仕事として表現者として、物を書くことを一生懸命やっているし、案外評価もされている。なのに、なぜ「議員になったらいいじゃん」とか言われなきゃいけないんだろうって。

望月: 同感です。いまの立場から発信し、発言する。それが私たちの仕事ですからね。発信といえば室井さん、最近ツイッターをやり始めたんですよね。リアルタイムで安倍政権の批判もしていて、ツイート回数も多くてがんばっているなと思いながら見ています。でも私もそうですが、かなりネガティブな反応も多いでしょう?

室井: すっごく多いです。最初はやり方から何から全然わからなくて「くだらないことを送ってこないで」っていちいち返事していたら、みんなに「ブロックとかミュートとかすればいいだけだ」って言われて。初心者なのでそんなことも知らなかった。それで炎上騒ぎもあって。あっ、望月さんは炎上の先輩だ!

望月: (笑)。私も一時期はあまりにひどいものはブロックしていたんですけど、そうするとまた炎上している感じになるから、いまはもう放置しています。

室井: でも、ツイッターにしても映画にしても、政治的なことがアウト、タブーになるなんて本当に恐ろしい世の中だよ。本当に怖い。そんななか、望月さん、そして東京新聞はうんとがんばってるよ。

望月: ありがとうございます。中日新聞が母体だから、社長と会長が名古屋市にいるというのにも助けられているかもしれません。安倍さんはあまり地方紙とは会食をしていないですからね。全国紙や大手マスコミは、軒並み安倍さんとの会食を繰り返していますが、こうしたトップ同士の関係は現場に必ず影響していると思います。東京新聞では、たしか長谷川幸洋さんがいた頃の2013年5月、彼が間に入って中日新聞の当時の社長が一度安倍首相と会食しているんです。でも、それ以降はしていないと思う。もし会食するような関係が続いていたら、現場としては、やりづらくなりますね。

室井: そうだよね。首相とマスコミのトップがベタベタの付き合いなんて先進国では考えられないし、報道機関、ジャーナリストとしてのプライドがないんじゃないかと思っちゃう。トップがそうなら現場も萎縮する。もうマスコミはすっかり安倍さんにやられて、忖度、自粛のオンパレードだもの。

望月: 今年6月に国連人権理事会でデービッド・ケイ特別報告者から日本の報道の自主性に対し危惧する報告書がまた出ました。そのなかには「日本政府当局者が彼らに批判的な質問をする記者に圧力を加えている」という文言もあって。

室井: それって望月さんのことだよね。デービットさんは2017年5月にも安倍政権による報道圧力とメディアの萎縮について是正を勧告していたけど、その後もメディア圧力は是正されないどころか、どんどんひどくなっているからね。

望月: 政権幹部とマスコミ幹部との会食がこれほど繰り返されるという状況は異常です。それだけでなく「桜を見る会」には芸能人をどんどん呼んで、メディア幹部だけでなく情報番組司会者、コメンテーターなど影響力のある人たちにも手を伸ばしはじめています。安倍政権になってからメディアの取り込みが露骨になっています。ただ、こうした会食への批判が大きくなったことも影響してか、一部テレビ局のトップが安倍首相との会食は断っていると聞きました。でも、その代わり菅官房長官と会食をしているそうです(苦笑)。何を話しているのかと言えば、民放連(日本民間放送連盟)の人事の話とか。菅氏は他のメディア幹部と会ったときも、官僚の人事話をしていたと聞きます。“官僚や政治家、メディア含め、俺があらゆる人間の人事を握っている”ということを内外に示すことが、自分の権力の源泉になるという意識があるのでしょう。

室井: 菅さんなら新聞の動静に出ないものね。

ギャラクシー賞を受賞した『報ステ』元CPを報道から追放したテレビ朝日

室井: 望月さんの菅さんとのやりとり見ていてもそうだし、望月さんの著書『新聞記者』(角川新書)を読んでも、映画を観てもそうだけど、望月さんって新聞記者であることへのプロ意識がすごく高いんだなと思いました。男の人って、“記者”としてではなく、会社の“役職”がつくことにこだわりがちだけど、望月さんはそうじゃない。私はジャーナリストでも新聞記者でもないから、そんなプロの記事を読んで「私はこの記事を読んでこう思った」ということを、賛否両論になってもいいから広げる。それが役目なのかなと思ってます。

望月: 室井さん、新聞から雑誌から書籍まで、ものすごい量を読んでますものね。テレビでの発言や週刊誌コラムなどを拝読していますが、相当読み込んでやってるなって。

室井: 私、オタクだから(笑)。

望月: 熱量のすごさを感じます。特にテレビは権力批判もできなくなり、危ないと思っているけど、室井さんやジャーナリストの青木理さんが発言しているのを見ると、「でもまだ希望があるな」と思います。ただ、最近でもすごくひどい人事がテレビ朝日であった。それがジャーナリズムの要として『報道ステーション』のチーフ・プロデューサーなどをやっていた松原文枝前経済部長が、報道局から総合ビジネス局のイベント事業戦略担当部長に異動したことです。彼女は現役の記者のなかでも、ずっとブレずに仕事を続けて。それで安倍政権になってから嫌がらせが続いても「それでもやらなきゃいけない」と発信し続けてきた。昨年4月の財務省・福田淳一事務次官(当時)のテレビ朝日社員へのセクハラ問題のとき、告発した社員の上司でもありました。それを逆手に取られ、「飛ばされるのではないか」という空気がありましたが、当時は伊藤詩織さんの#MeTooの流れがあって、この問題を『報ステ』でも小川彩佳アナ(当時)が取り上げ、反響を呼んでいました。女性記者たちが集まってできた団体「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)でも、「声をあげた人たちを守ろう」と掲げていたんです。そうしたまっとうな方だったからこそ、相当前から政権に目をつけられていた。しかもいま、テレ朝は早河洋会長の体制下で、安倍首相や菅さんの応援団を自認する、幻冬舎社長の見城徹さんが放送番組審議会の委員長に入っている。(松原さんが)番組を外れる可能性は高いんじゃないかと危惧していたのですが、現実になってしまって。

室井: 彼女は古賀茂明さんが『報ステ』を降板させられたときも、最後までかばった人でもあるよね。

望月: そうです。予兆もありました。2016年6月、『報ステ』で松原さんが経済部長時代に手がけた特集「独ワイマール憲法の“教訓”」がギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞した。「ドイツの民主的なワイマール憲法下でなぜ独裁者ヒットラーが生まれたか」という日本の憲法改正の動きとの比較で深く考察されたものでした。そんな栄誉ある賞なのに、政権に批判的に取れる内容なのでテレ朝内では喜ぶどころか“なかったこと”のようだったと聞きます。しかも「贈賞式に出るな」「コメントするな」って松原さんに対して圧力もあったらしくて。異動との関連ははっきりしませんが、松原さんは、憲法改正の国民投票でのテレビのCM規制についての民放連の動きも問題視していました。これまで民放連は「CM規制をかけることも含めた議論をすべきだ」としていたのに、民放連会長や専務理事が日テレに変わった途端、「表現の自由がある」として、「CM規制をかけない」と一変させた。松原さんはそれに対し、過去の国会の議事録などを調べ上げて分析、民放連の会見でも追及していたと聞きます。誰も聞かないから聞きに行かなければという意識だったそうです。政治部デスクにことわって聞きに行っていたそうですが、これをテレ朝の幹部が、問題視していたと聞きました。

権力の肩を持ち、望月記者の足を引っ張る記者クラブに、室井が激怒

室井: 憲法改正をしたい安倍さんへの忖度と金儲けってやつか。テレ朝は小川アナを追い出したり、逆にネトウヨアナの小松靖を『ワイド!スクランブル』に起用したり。テレビも安倍さんへの忖度と、広告収入や視聴率が下がっていくなかで、どんどん変な方向へ行っている気がする。そんななかで、望月さんにして松原さんにしても、権力と対峙してる。官邸に立ち向かっている。誇りを持って仕事してるんだなってわかる。でも、いろいろ大変なんでしょ。菅さんにガンガン質問してる姿は私たちからしたら拍手喝采だけど、記者クラブで足を引っ張られてるって聞いてる。質問する望月さんの悪口言う記者までいるっていうじゃない。昨年も、辺野古の赤土について質問したら菅さんが逆上して、望月さんの質問を制限しようとしたんでしょ。しかも、そんなひどいことに対して、一部の記者が「望月さんが質問をすればするほどクラブの知る権利が阻害される」なんていうコメントを共同通信にしてさ。その上、菅さんの主張はフェイクだったじゃない。

望月: そうなんです。日本新聞労働組合連合(新聞労連)や日本ジャーナリスト会議から抗議声明も出て、東京新聞でも社説や特集記事を掲載し、官邸前でのデモなどもあったのですが、でも記者クラブに関しては室井さんの言う通りかもしれません。実際、ある大手紙記者が「なんだよあいつ、いつまで来させるんだよ」と私についてあからさまに批判していたとも聞きました。それと最近、新聞労連の新聞研究部が、ここ2年以内で官邸にいた記者を対象に官邸会見について匿名アンケートをとり、幹事業務を担う19社、33人が回答を寄せたようですが、そのなかに私の批判もあった(笑)。「パフォーマンス」「自己アピールだ」だとか「質問が長い」とか。同時に、なかには「内部で官邸と繫がっている社がある限り、記者クラブとして身動きが取れない。苦しい」というような生々しい声もありました。彼らはわかっているけど、ジレンマに陥っている。

室井: どこかの独裁国家のメディアとほとんど変わんないね。現場の人から実態を聞くと、どんどん怖くなってくる。

● 望月衣塑子が菅官房長官の会見に出て、質問を続けている理由

室井: 望月さんの話を聞いてると、つくづく恐ろしくなるけど、でもそんな状況なのに記者クラブの人って、質問をしないでパソコンに向かってひたすらカタカタやっているんでしょ。質問しないのって記者としての誇り、能力がないじゃない。記者は質問して、納得できるまで食い下がるのが仕事でしょ。質問しないで菅さんの話を垂れ流すだけだったら子どもにでもできる。しかも同業なわけじゃん? 誇りがあるなら味方しろ! 記者クラブって本来、国民の知る権利を代弁する制度だし、もし同業他社でも権力から知る権利を奪われそうになったら、タッグ組んで「妨害はやめろ」「きちんと質問に答えろ」ってやるのが役目なんじゃないの? でも、日本はそうじゃない。逆にバッシングをするって本当におかしい。しかも、権力の批判や監視をするのが新聞やジャーナリズムの役割なんだから、権力者とお友だちになってどうする! 緊張関係が必要なのに、そうじゃない。いまの記者クラブはスクープがあったとき、1社に抜かれるのが怖いからというだけのために存在してるのかと思っちゃう。それに菅さんって、記者やテレビコメンテーター、芸能人なんかと、けっこう頻繁にご飯食べてるらしいし、人たらしなんでしょ。そんな菅さんに記者はひれ伏している。安倍政権がこんな長く続いているのも、逆に言えばそのキーパーソンは菅さんってことじゃないかと思うんです。

望月: そうですね。政権存続のため、裏で彼がメディアや官僚、政治家、企業の人たちと何をやっているのかを見ることは大切なことだと思います。一連の公文書改ざん問題や森友加計問題の発言のひとつひとつを見ていると、その背後に必ず菅さんの存在がある。今回の私に対する質問妨害もそう。最初は、内閣府の長谷川榮一氏(総理補佐官兼内閣広報官)から抗議文が来たけど、もちろん菅さんなんですよね。しかも、妨害行為が国会で問題視されて、周囲から「さすがにやめたほうがいい」と言っても、菅さんは「俺はあいつが嫌いなんだ!」って全然聞く耳を持たなかったと聞いています。そういう意味で、良くも悪くも裸の王様というか、自分の思ったことは何がなんでもやる。そうした菅さんら官邸の姿勢が公文書改ざんの問題の根底にある。その危うさを感じるからこそ、会見に出て質問しているのですが。

室井: さすが“影の総理大臣”と言われるだけある。でも、裏を返せば、そんな権力の中枢に望月さんは恐れられているってことでしょ。

望月: まあ、目障りなんでしょう(笑)。それまで菅さんは突っ込んだ質問をさせない土壌をつくり、記者もそれなりに従っているふうを装ってきた。そこに私が来て。

菅官房長官がオフ懇の前に行う“儀式”を聞いて室井が「ひゃぁー怖っ」

望月: 菅さんの会見では事前通告が現在、慣例化しているとも聞きます。匿名のアンケートにも「事前通告せずに質問したら官邸側から怒られた」とありました。菅さん側から「事前に質問は全部投げてほしい」と言われると、現在のパワーバランスのなかでは、記者もそれに従わざるを得ないのでしょう。先進国や外国人特派員協会のなかではあり得ない状況です。さらに会見が終わると、裏で番記者とオフレコ懇をやります。

室井: 公の会見では記者は質問しない、菅さんは言いたいことだけ言う。なのにその裏でオフ懇をするってどういう了見なの。望月さんが菅会見に出るようになってから、オフ懇を拒否するようなこともあったんでしょ? やっても望月さんの悪口を吹き込むって聞いたことある。他の記者に望月さんを批判して、“おまえらどうにかしろ!”って。なんて姑息なんだ。自分たちに都合の悪い質問をする望月さんを排除するって。でも、それが安倍政権の本質でもあると思う。

望月: 政府見解が必要なところは、それなりに毎回、記者は聞いています。でも、官邸がクラブに貼り出した私についての抗議文について質問した記者にある官邸の記者が、こう言ったそうです。「これは、国民の知る権利を守るのか、それとも我々記者クラブの知る権利を守るのか、この闘いだ。バランスもっと考えてね」って。

室井: それって菅さんからの“伝言警告”ってことでしょ。番記者はジャーナリストじゃなくて伝書鳩だったのか!

望月: オフ懇に関しては、新聞労連の新聞研究部がここ2年以内で官邸にいた記者を対象におこなった匿名アンケートでこんな指摘もありました。菅さんへのオフ懇や夜回りに来る記者が携帯電話やICレコーダーを事前に回収袋に入れると。これはオフ懇の内容が週刊誌で報じられたことがあって、菅さんが激怒したため、その予防策として、つまり記者が菅さんに忠誠を誓う“儀式”として行われていたということのようです。その後、雑誌やネットでこの事が公にされてから、その儀式は止めたようですが。

室井: ひゃぁー怖っ。菅さんも怖いけど、それに忠誠を誓う記者も恐ろしい。

望月: 会見では質問以外にもいろいろなことがわかるんです。たとえば私の質問中、菅さんがある記者によく目配せしてるんです。その記者は野党時代から菅番をやっていて、安心できるから彼に毎度、相槌を求めているのでしょう。菅さんの会見での精神安定剤なんだなと。彼がいないと気持ちが安心できないのか、目が泳いでいるように見えます。そんな一面も垣間見れる。テレビ朝日の松原(文枝・前経済部長)さんに関しても(編集部註:詳しくは前編参照)『報ステ』で安倍政権批判をしていた時代、菅さんは「あいつ(松原さん)と食事できないかな」って周りに聞いていたらしい。でも、彼女の性格を知っている周りから、「食事しても変わらないですよ」と言われて止めたとか。そうやってまめな会食を重ね、常に現場の記者やメディア幹部を取り込んで来たのでしょう。親しくなり、自分を好いてくれれば、今後の報道も含めて、将来、心強いですからね。

望月衣塑子や室井佑月に向けられる批判の裏に「女のくせに」という差別

室井: でも、話を聞いていて思ったのが、菅さんや同業の記者が望月さんを批判するのは、女性だからという面もあるんじゃない? やっぱ男社会だし、出る杭は打たれる国だから、女性で目立つと嫉妬やバッシングが起きやすいと思う。Twitterで、私や望月さんを攻撃している人がいっぱいいて、ちょっと興味があるから調べたら、他にもすごく女の人を狙って罵詈雑言を繰り返している人だったりする。「ババアが」とかね。仕事をしていると、「女が意見を言うな」って感じの悪口もすごく多いし、そういうのってすごく感じる。女性差別もあるんじゃないかって主張すると、今度は「おまえ、自分が女だと思ってたのか」なんてことまで言われたことも。望月さんを叩いている人たちって、「女のくせに」って意識があるのは否めなくない?

望月: そうですね。それは私だけではなく政治家にも当てはまるかもしれません。稲田朋美さん、辻元清美さん、そして蓮舫さんなんかもそうだけど、与野党や政治的信念に関係なく、女性の政治家へのバッシングは男性の政治家のそれとは明らかに違う。セクシュアリティへの言及、ツッコミをしますよね。マスコミでもやはり男尊女卑の風潮も感じます。女性記者は、政治家の会見に出ている記者がそもそも少ないし、あまり積極的に質問しているように見えない。とくに#MeToo、#WeToo運動があったとき、女性記者がもっともっと政府や麻生太郎財務大臣に突っ込んで聞いてもいいと思いました。がんばって聞いている女性記者もいましたが、全体としておとなしく見えました。アメリカだったら、麻生大臣は総攻撃にあうし、「はめられたんじゃないのか」と同じ発言をしていたら辞任に追い込まれていたのではとも思います。

室井: たとえば片山さつきさんを批判するとき、主張について意見を言うのは当然だけど、そこに「ブサイクが」とか「変な髪型しやがって」とかって言うのはおかしいよね。でも悲しいかな、権力を持っている男にひれ伏し出世しようとする女性がいることも確かなんだけどね。「恥知らず!」なんて恐ろしい言葉で安倍さんを擁護する三原じゅん子さんとか、大臣就任の挨拶で「私はみなさんの妹」ですと自己紹介しちゃう丸川珠代さんとかもいる。難しいね。女性は団結しないといけないと思うんだけど。

三原じゅん子、NHK岩田明子はなぜ安倍首相に心酔するのか

室井: 三原さんはすっかり安倍さんに洗脳されているけど、昔からずるい人じゃないのよ。タレントのときから。だってハッピハッピー(元アニマル梯団のコアラ)と離婚したとき、番組で一緒になって。わたしが「こんな男いいじゃん、いらないじゃん」って言ったら、すぐに泣いちゃって。だからいますごく信じているのが安倍さんってことなんじゃないかな。純粋だから。でもそれが一番怖いと思っちゃう。信じ込んじゃうことが。

望月: 三原さんは、かつては石破茂議員支持だったと聞きますが、彼女も菅さんとの会食後、安倍さんに寝返ったとか。「菅氏に副大臣とか政務官のポストをぶら下げられたのではないか」と聞きました。NHKの岩田明子記者は、安倍さんに心底心酔しているとも聞きます。そうでもないと、あそこまであからさまに安倍さんを持ち上げられないかなとは思いますが。

室井: 安倍さんがイランを訪問したときも、安倍さんの成果を盛んに強調していたけど、なんだかクラクラしたけど、最近は逆の意味で岩田解説が楽しみになって(笑)。でも岩田さんって、安倍さんと近しい関係ということでNHK内ですごい力を持っちゃって。こういうやり方見てると、やはり女性同士ってだけで団結って難しいのかなって思っちゃう。

室井佑月が望月衣塑子の民主主義を守る覚悟に感動、共闘を宣言!

室井: もっと女同士が味方すればいいのに、なかなかそうはならない。新聞社とかテレビ局って大企業でもあるけど、男女差別はあるし、女性はそれを絶対、感じてたりするのに。そんななかで望月さんが問題意識を持ち続けられるのはなぜ? 原動力ってどんなこと?

望月: たとえば社会部の私が菅さんの会見に出ても、政治部から文句を言われることはないです。彼らには、菅さんの秘書官や他社の記者からはいろいろ言われて、迷惑をかけているはずなのに、本当に有り難いなと思っています。それに、会社にFAXや電話の投書で応援メッセージが来るんです。いまの政権はおかしいと思っている人たち、安倍さんのやり方に怒ったり疑問に思っている人がたくさんいる。そういう声を知れば、記者として疑問に思ったことを会見に出て質問するしかない。国民の知る権利に応えなくちゃならないと思うんです。そして社としてもバックアップしてくれる土壌がある。アベノミクスも公文書改ざんも、沖縄の問題も、いまの日本はおかしなことばかりです。そんななか、私たちメディアが声をあげ、報道ができなくなったら、情報がシャットアウトされて伝わらなくなる。そうなったときに何が起こるのか。民主主義は明らかに後退していく。そんな危機感があります。そして、東京新聞の読者の方々もその問題意識を共有してくれている。だから続けられるのかな。

室井: でも、本当は望月さんの言っていることって、そういう記者の当然の問題意識を安倍政権によって崩壊させられた。その罪は重いと思う。

望月: 官邸クラブにいる記者はじめ、他のさまざまな現場にいる記者でも苦しんでいる人は多いと思います。そのなかでもそれぞれが、皆できる範囲のなかでがんばっている。権力に向かってものを言おうと、立ち上がろうとしてる人たちもいる。そんな同じ思いでやっている人がいて、読者が支えてくれる。それが原動力かな。

室井: 立派だと思う。これからも応援する。すぐにバッシングされる同士、女性同士、今後も仲良く闘おうね!

リテラ、2019.08.08 11:31
室井佑月と東京新聞・望月衣塑子、闘う2人の女が語った安倍政権の圧力、ネトウヨの攻撃、忖度メディア
https://lite-ra.com/2019/08/post-4889.html

リテラ、2019.08.09 11:42
室井佑月も恐怖 望月衣塑子記者が語った菅官房長官の裏の顔! 圧力を批判されても「俺はあいつが嫌いなんだ」
https://lite-ra.com/2019/08/post-4890.html

posted by fom_club at 07:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

ローマ教皇のスピーチ

教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園

2019年11月24日

愛する兄弟姉妹の皆さん。

 この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

 人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

 ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人びとの全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

 核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

 今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

 カトリック教会としては、人びとと国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行なっています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

 核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

 こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

 心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

 ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

 主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
 憎しみがあるところに愛を、
 いさかいがあるところにゆるしを、
 疑いのあるところに信仰を、
 絶望があるところに希望を、
 闇に光を、
 悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

 皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。


教皇のスピーチ
広島の平和公園にて

2019年11月24日

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

 あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

 ここで、大ぜいの人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

 この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

 わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人びとを思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るためです。とくに若者たち、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人びとはいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

 わたしはへりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人びとの声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人びとの声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行なわれる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

 確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。2年前に私が言ったように、核兵器の所有も倫理に反します。これについて、わたしたちは神の裁きを受けることになります。次の世代の人びとが、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、諸国間の行動を何一つしなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪の演説という役に立たない行為をいくらかするだけで自らを正当化しながら、どうして平和について話せるでしょうか。

 平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を他者に押し付けることはいっさい正当化できません。その逆に、差の存在を認めることは、強い責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

 実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈し、対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

 思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても、国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

 だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

 神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11−12)。

 主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

 私は、君とともに平和を唱えます。


NHK、2019年11月24日 21時57分
ローマ教皇 長崎 広島でのスピーチ(全文)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html

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2019年11月24日

みどりさん、「またね。」は淋しすぎるよ

 ほんの一ヶ月前、10月23日のこと。
 ぼくは、午後2時から燐光群の舞台『なにもおきない』(坂手洋二・作)を、梅ケ丘の小さな小屋で観た。その後、6時半から映画『i−新聞記者ドキュメント−』(森達也監督)の特別試写会に行く予定だった。
 飯田橋の試写会場は初めてだった。芝居が終わってすぐに向かったら、ずいぶん早く会場に到着してしまった。さすがにまだ人影がない。小腹がすいていたので、サンドイッチでも食べようかと、近所をブラブラしていたら、「あら、こんにちは」と声がした。木内みどりさんだった。
 「なんだか時間を読み違えて、こんなに早く着いちゃったあ、ふふ」と笑っていた。「じゃあ、その辺でお茶でもしますか」とぼく。
 近所にスターバックスがあったので、ふたりでサンドイッチとコーヒー。ぼくにはあまりに合わないメニューだけれど、木内さんが選んだのだ。ぼくがおごってあげた(笑)。
 「うわあ、嬉しい。やったあ!」と、木内さんは天真爛漫。
 1時間ばかり、ふたりでいろんな話をした。これからの仕事の予定、公開中の出演映画の話、最近力を入れている「小さなラジオ」の楽しさ。
 「その髪型、なんだか落合恵子さんに似てきてません?」
 「うんうん、これがいちばん楽なのよね。落合2号でいいわ」
 「やまんばルック。落合さんも、手間がかからず気持ちいい、とおっしゃっていましたけどね」
 「落合さんって偉いわよねえ。あれだけ一生懸命市民活動に力を入れ、一方でクレヨンハウスの経営も立派にやってらっしゃる。マネできないわ」
 「いやいや、木内さんだって、演技も市民活動も両立させてらっしゃるじゃないですか」……。
 そして、市民運動の面倒くささへの、ちょっとの不満まで。
 話は尽きなかったが、時間はすぐに経ってしまう。試写会が始まる時刻になって、席を立った。
 みどりさんとの、それが最後の会話となった。
 ぼくが木内みどりさんと知り合ったのはいつだったのだろう?
 記憶を探っても、このとき、という明確な時期は浮かんでこない。なんとなく、いつの間にか……というのがほんとうのところだ。
 もちろん、芸能活動での接点はない。だから、木内さんが反原発や憲法擁護などの活動に力を入れ始めてからのことであるのは間違いない。たびたび、デモや集会の現場で顔を合わせるようになったからだろう。
 多分、鎌田慧さんか佐高信さんあたりの紹介ではなかっただろうか。それとも、落合さんだったろうか。ともかく、出会うたびに挨拶を交わすようになったのだった。
 あるときぼくは、木内さんに「実は、ぼくは『マガジン9』っていうウェブマガジンに協力しているんです。そこでインタビューを受けてくれませんか」とお願いした。木内さんは「えっ、ほんと? 私なんかでいいの?」と、たいそう喜んでくれた。
 それが、2014年6月11日の「マガ9」に載った。「『脱原発』のため、私がやれることは何でもやる」とのタイトルで、淡々と、でもとても真剣に「脱原発」についての想いを語ってくれたのだった。
 その際、「お話はとても素晴らしかったです。その想いを、今度は文章で書いてもらえませんか」と、厚かましくもお願いしてみた。お忙しいのだから、とてもムリだろうとは思っていたが、ダメモトで頼んでみたのだ。
 「うわっ、嬉しい。文章をかくのって苦手だけれど、いいのかしら、私なんかで?」と、快諾してくださったのだ。
 それで「マガ9」に、『木内みどりの「発熱中!」』というコラムが始まった。その第1回は、2014年9月3日掲載の『9月1日はわたしにとって特別な日。』である。
 ほんとうに、芸能界という色(そんなものがあるとしたら)には、まったく染まっていない方だった。
 実はぼくは、数十年前の話だが、月刊「明星」という、これぞ芸能界!というような雑誌の編集者をしていた。だから、当時の芸能界の雰囲気というものを、かなり知っている。ある意味で、常識の通じない(常識外れの)ことが罷り通る世界であることも知悉していた。
 テレビと芸能事務所がすべてを支配する世界。その中で、政治的意見をはっきり言うことなど(ときの権力者にすり寄る意見は別として)、自分の芸能人としての生命を縮めてしまうことでしかない。多分、それは当時より強まりこそすれ、弱くなっているとは到底思えない。
 そんな中で、政府の重点的な施策である「原発推進」に真っ向から抵抗して反原発集会で司会をこなし、自ら立ち上げた「小さなラジオ」でも、小出裕章さんを呼んで、反原発の旗を掲げ続ける。ぼくは、そんなみどりさんが大好きだった。
 我が「マガジン9」の事務局長だった塚田ひさこが、ある日突然「豊島区議選に立候補する」と宣言して、マガ9編集部をパニックに陥れたときも、みどりさんは塚田応援の先頭に立ち、数日間、塚田と一緒に選挙区内を練り歩いてくれたのだ(*)。
 そんなみどりさんだから、「マガ9」も、みんながみどりさんファンだったのだ。それが……。
 ぼくがみどりさんの急逝を知ったのは、ツイッター上でだった。何気なく開いたツイッター上に「水野木内みどり」といういつもの名前で、思いもかけぬ文章が載っていたのだ。

〈木内みどりが、2019年11月18日、急性心臓死により永眠いたしました。生前の本人の希望通り通常の通夜・告別式は行わず、家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします。これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます。〉

 最初は悪い冗談かと思った。だって、あんなにもお元気だったみどりさんが、それも「ヒロシマの反戦・反核を訴える表現者の企画展」の準備のための広島滞在中に亡くなったというのだ。
 そのツイートを見たとき、ぼくは思わず「ウソだっ」と声をあげていた。それほど、信じられなかった。
 でも、事実だった。
 「水野木内みどり」のツイートには、薄青いゆったりした服を着て、楽しそうに両手を伸ばした写真が添付されていた。
 そして「またね。」と。

 みどりさん、「またね。」はないよ。
 淋しすぎるじゃないか……。


マガジン9、2019年11月22日
臨時便:
みどりさん、「またね。」は淋しすぎるよ……
(鈴木耕)
https://maga9.jp/191122-1/

(*)塚田ひさこ(豊島区区議会議員、豊島・生活者ネットワーク)

 誰もが目と耳を疑った、突然の木内みどりさんとのお別れ。私もしばらく事態がのみこめずにいましたが、それでも20日の夜、お連れ合いの水野誠一さんがFBに投稿されていたのを読んで、ああ、本当に木内さんは一人で旅立たれてしまったのだと、今はただ喪失感の中にあります。
 木内みどりさんとは、マガジン9のボスこと、マガ9代表の鈴木力からの紹介で、マガ9のインタビュー「この人に会いたい」に登場してくれたことがきっかけで出会いました。
 私の世代としては、「木内みどり」といえばテレビドラマでもおなじみの演技派大女優として、また「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のレギュラーとして、まさに「芸能界のどまん中にいる方」でした。3.11をきっかけに、脱原発に関する発言を公で始められてはいましたが……。
 そんな木内さんが、インタビューのためにマガジン9の事務所に来てくださることに。どうやっていらっしゃるのか、マネージャーさんもいるのかな、と思っていたら、お一人でふらりと、いらっしゃいました。えっ、大女優なのにと思っていたら、「私はいつも一人で行動しているのよ」と。
 最初はそーっと様子を伺っている感じでしたが、事務所の雰囲気をとても気に入ってくださったようで、新宿御苑が見下ろせるベランダに出ては写真を撮ったり、そこで急にツイキャス TwitCasting を始めたり。デザイナーやスタッフともフランクに会話をかわし、長い時間滞在してくださったのを、よく覚えています。
 それからマガジン9に「木内みどりの『発熱中!』」という連載コラムを持っていただくことになり、担当編集者としてやりとりをさせてもらっていました。ウェブは、わりとフレキシブルに対応ができるメディアですが、それでも「マガ9」は週に一度の更新と決めているので、木内さんからしたら、少し窮屈だったかもしれないな、と今、反省をしています。
 その後、木内さんの社会問題への関心は、脱原発や戦争のことだけでなく、「安倍政権ノー」や、れいわ新選組をはじめとする新しい政治スタイルなどへも広がっていきました。ご自身のFBやtwitter、また「木内みどりの小さなラジオ」という 「声のメディア」も作られて、積極的に発信をなさっていました。「小さなラジオ」は、入り口を今も、マガジン9のトップページに置いています。
 でも、何といっても私にとって、木内みどりさんの底力、まさにプロフェッショナルとはこういうことだという有り様や人に対しての優しさ、時に見せる女優としての気迫などを間近に見ることができたのは、この2019年4月に私が豊島区議会選挙に出馬をした際に応援にかけつけてくれたときのことでした。
 マガジン9の編集・事務局長をやっていた私が、なぜ政治の世界へ、という経緯は、こちら http://tsukada.seikatsusha.me/philosophy/ になりますが、立候補を決めたご報告をメールで伝えると、「勇気ある決断でうれしい」と。そして、私でできることは何でもしますとの言葉を添えて、返事をいただきました。
 木内さんの「私でできることは何でもします」は本当に嘘偽りのない言葉だということは、それまでのお付き合いの中でわかっていましたが、ここまでやってくださるとは、と驚くと同時に背筋の伸びることばかりでした。
 選挙戦の中では、池袋駅西口広場でマイクを握り、巣鴨の地蔵通りでも、のぼり旗のもと一緒に練り歩いてくれました。選挙カーにも乗り込み、最終日にはマイク納めギリギリの時間まで、私のことを「よろしく」と、通りを行く人たちに呼びかけていました。

「私は、女優の木内みどりです。なぜこの私が、塚田ひさこさんを応援しているかと言えば、彼女にはしがらみがないからです。まったくしがらみのない人を政治の世界におくりたい。彼女は自分の仕事や人生をいったん横において、大変な世界に飛び込む決意をした。みなさん、どうか自分の頭で政治や選挙のことを、考えてくださいね。そして投票に行ってくださいね。落選させるわけにはいかないんですよ」

 ひとときも時間を無駄にしないで、誰かのもとへ走っていっては、一人ひとりの目を見て真剣に語りかけていく。
 なぜ、こんなにも彼女は人のために、がんばる人なのか。
 選挙戦最終日の20時にマイク納めをして、選挙事務所にもどり一息ついてから、私は木内さんと駅まで二人だけで一緒に歩いて帰りました。私はその時、「やりきった」というより、もろもろの状況から「何もできなかった。結果も悪いものだろう」という不安が強くなっていて、誰に対してというわけではなく、たぶん自分に対して腹を立てていました。彼女はそんな私の様子を見て、さまざまな現場を見て歩いてきた人生の先輩として、アドバイスをしてくれました。

「どんなひどい状況におかれても、その状態を俯瞰して楽しむことよ」

 結果として、思いのほか上位当選を果たし、この春から区議会議員としての活動を始めました。
 豊島区の有権者から貴重な1票を託されいただいた機会ですから、精一杯、全力でやっています。しかし、またしても右を見ても左を見ても、茨の道は続いています。生活や仕事といった個人的なことだけでなく、今の日本社会のこの体たらくはどうなのか。世界規模でみても、絶望したくなることばかり。でも…。

「おもねるな、自分らしくやれ、負けるな、でも楽しんで!」

 愚痴っていたら、そんな木内さんの言葉が飛んできそうです。
 たくさんの木内さんからもらった言葉を今、噛み締めながら、ああ、木内さんに会ってまた相談したい。
 なのに、いない、ということに気がつき、大きな悲しみがまた襲ってくるのです。


マガジン9、2019年11月22日
木内みどりさんのこと
(塚田ひさこ)
https://maga9.jp/191122-2/

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2019年11月23日

島田雅彦「空想居酒屋」

 消費増税を受け、個人商店のみならず、チェーンのレストラン、居酒屋の閉店が加速していると聞く。
 給料が上がったのは公務員だけで、最低賃金も上がらないし、負のスパイラルから抜け出せそうな気配が全く感じられない昨今、食事や飲酒のスタイルも徐々に貧乏くさくなっている気がしてならない。
 それをある程度見越した上で、空想居酒屋の構想を練っているのだが、実際にそれが路上に出現する可能性が一気に高まったかもしれない。

 少し前まではチェーンの居酒屋や串カツ店、ファミレス、王将、日高屋、幸楽苑といった大衆中華料理店で飲むのが、長期デフレ時代の「身の丈に合った」飲み方だった。
 だが、ランチに千円払うのが痛い、ほろ酔いに二千円は出せないといった層が拡大するにつれ、チェーン飲食店の経営も厳しくなった。
 コアな客層を繋ぎ止めるためには値上げはできないし、消費増税や原料コストの高騰にも対応しなければならない。
 その結果として、賃金も上げられず、雇用を削減し、サービスが低下するという負のスパイラルに陥る。

 個人経営の居酒屋、レストラン経営の厳しさはいわずもがなである。
 何とか常連客の愛顧に応えているところは、自宅と店舗を兼ねる職住一体型ゆえテナント料がかからないか、家族経営で人件費を削減できるか、趣味と奉仕の心意気を持っているかだろう。
 まさにギリギリの攻防戦を展開しているのである。

 業界利権を貪り、下々を搾取し、富を独占する富裕層は資産の利回りだけでも優雅に暮らせる身分なので、高級寿司店や星付きの割烹、レストランで日常的に飲食している。
 こちらは震災や戦争や食糧難が起きようと何処吹く風で、「貧乏人はこんなものを食べているのか」と時々、驚くだけだろう。

 中間層は年に一度か二度、高級店に行き、普段はビブグルマン Bib Gourmand でコスパ cost performance 重視のビストロや大衆割烹か、ファミレスに行く。

 そして、貧困層は給料日にファミレスに行き、普段はコンビニで済ます。
 だが、イートイン Eat-in は軽減税率の対象外なので、貧乏人は外食するなといわれているも同然という状態だ。
 貧困は子どもにも波及し、食事を満足に取れない子どものための食堂が各地にできているが、まだ数は少ない。
 本来は、一機141億円もするポンコツ戦闘機 F35B を数機キャンセルするだけで、各地に子ども食堂を作るだけでなく、台風や地震や原発事故の被災者をケアする避難所の待遇改善もできるはずだが、政府はやる気がないので、その穴埋めをボランティアがやっているのが現状である。

 そこで私は考えた。
 空想居酒屋が現実に出現することになれば、子ども食堂を併設することもできるし、避難所のそばに臨時で作れば、被災は避難者にも食事を提供できるだろう、と。
 そのためにより具体的なマニュアルを作る必要がある。
 この秋の台風被害の際も政府の対応の遅れが問題となったが、体育館に雑魚寝という避難所のスタイルは全く改善されない。
 そのことを国会で問題視した森ゆう子議員が比較の例としてあげたのはイタリアの避難所の待遇だった。
 そこでは仮設のテントが設営され、プライバシーが確保され、ベッド、エアコン完備、食事も徐々に改善され、最後はシェフが登場し、ワイン付きのフルコースが振る舞われた、と紹介された。
 調べると、ポピュリストの代名詞ともいえるイタリアのベルルスコーニ Silvio Berlusconi がラクイラ L'Aquila 地震(2009年4月6日)の際に公費で手厚く保護することを被災者に公約したようである。
 数々のスキャンダルにまみれ、国民の軽蔑の的だったが、こうした対策を人気取りの一環として講じていた。

 空想居酒屋実現のハードルは極めて低い。
 カセットコンロとテフロン加工のフライパンがあれば、そこはもう居酒屋、というのが売り文句なので、誰でも、いつでも、何処でも始められる。
 料金を取れば、商売だが、無料にすれば、炊き出しになる。
 都内各所では曜日ごと、時間ごとにホームレス支援の団体や教会が定期的に炊き出しを行っていて、それを巡回していれば、かろうじて食べつなぎぐことができそうだ。
 例えば、月曜日の9時半に麹町の聖イグナチオ教会に行けば、礼拝の後、カレーとコーヒーが、11時半に隅田川の桜橋に行くと、うどんが、水曜日6時に新宿の虹インマヌエル教会ではハヤシライス、毎朝5時半に渋谷宮下公園の階段下に行けば、おにぎり2個の配給が受けられる。
 ほかにもカレーや味噌汁のぶっかけ、弁当、サンドイッチなどが食べられる場所もある。
 炊き出しに依存した場合、炭水化物中心の食生活になる。

 おにぎりやパンに偏るといわれる被災地の配給だが、暖かい食べ物が供されるとありがたみが倍増するはずだ。
 自衛隊の炊き出しではカレーがよく知られているが、大鍋でカレーや味噌汁を煮るのが炊き出しの基本パターンとなる。
 前回、鍋物の饗宴を提案したが、それこそカセットコンロの上に大鍋をセットし、何種類かのスープを注ぎ、野菜や肉、魚貝をセルフで煮て食べれば、何処でも巡業中の相撲部屋の食事状態になるだろう。
 鍋物は野菜も豊富に摂取でき、理想的な栄養のバランスの食事になる。
 大鍋に油を注ぎ、鶏の唐揚げや野菜の天ぷらを次々と揚げれば、大人数の食事も対応できる。
 また、大きなバーベキュー・コンロに薪や炭の火を熾しておけば、魚や肉、野菜を勝手に焼いて、食べることもできる。
 実際、客が炭火を借りてセルフでやきとりを焼く居酒屋もあるし、青森のストーブ列車では乗客がだるまストーブの上であたりめを焼いている。

 カレーといえば、在日本のインド大使館は阪神淡路大震災の時以来、大きな災害に見舞われると、カレーの炊き出しを行う。
 大使館員の中に伝統のカレー作りに長けた人も少なくないのだろう。
 私もコルカタ Kolkata(インドの西ベンガル州の州都)で屋台のカレーを食べたことがあるが、文字通り、いつでも何処でも作れるものであることを確認した。
 被災地では地面で廃材などを燃やし、土器を火にくべ、油を入れ、材料の鶏肉やタマネギやニンニク、香辛料、調味料を入れ、焦げ付かないように長い木杓子でひたすらかき混ぜる。
 油で煮る感覚である。
 屋台ではそうして作ったカレーをやはり素焼きのポットに入れてテイクアウトする。
 おにぎりとパンの食事に飽き飽きしていた被災者はこの本格インドカレーの炊き出しに行列を作った。

『聖者たちの食卓』(2011、日本では2014年公開)という映画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=NAsa5gzQROM
 インドはパンジャビ地方のシーク教徒の総本山「黄金寺院」では、そこを訪れる巡礼者や旅行者たちのために毎日十万食の無料の食事を施す。
 調理や片付けをするのは、全てボランティアで、完全なる分業制が敷かれている。
 ニンニクやタマネギを刻む係、チャパティを練る係、整形する係、焼く係、大鍋で素材を煮る係、配膳係、食器洗い係などが黙々と働く中、大講堂に続々と巡礼の老若男女たちが入ってきて、行儀よくその食事を平らげてゆく。
 映画は一切の解説もなく、ただ淡々とその圧巻の食事風景を映し出す。
 ただ、それだけの映画なのだが、妙に心を打つのはなぜだろう。
 自分もいつかその食事にあやかりたいと、思わず「黄金寺院」への行き方を調べてしまった。

 日本が最も飢餓に晒されていた時代といえば、それは終戦後の2年間であろう。
 配給制は戦時中から始まったが、戦後の食糧難は深刻で、配給食糧だけでは足りず、闇で配給切符を手に入れるか、闇市で仕入れるほかなかった。
 トンボの佃煮やゲンゴロウの天ぷら、たんぽぽのおひたし、トカゲの塩焼などを口にする人もいたらしい。
 公園の花壇には麦やキャベツが植えられ、日比谷公園は日比谷農園に変わり、川の土手や線路脇にはトウモロコシが植えられ、競馬場も広大な芋畑に変わり、庭には油を取るためのヒマワリが植えられていた。
 闇市では米軍御用達の売店や外国人専用食堂から出る栄養価の高い生ゴミの争奪戦が行われていた。
 バケツに集められた残飯から煙草の吸い殻やマッチ棒、鼻をかんだ紙なども混じっていたが、食べ残したステーキの肉片やハム、歯型のついたチーズ、鶏の皮や豚の背脂やあばら骨、魚の頭、ジャガイモの皮、リンゴの芯などが入っている。
 料理人がそれらを大鍋にぶち込み、じっくりと煮込むと、食欲をそそるシチューに再生された。
 闇市ではこうした再生シチューが定番のすいとんややきめしなどよりも人気があったらしい。

 そんな食糧難を乗り越えた私の両親の世代はすき焼や豚カツが食卓に並んでいるのを見ては、感慨深そうに「こういうものが普通に食べられるようになったんだねえ」と呟いていた。
 敗戦から25年経過し、70年代に入ると、「飽食の時代」というフレーズが登場した。
 それから30年くらいは「飽食の時代」が続いたが、世紀が変わると、にわかに粗食への回帰が謳われるようになった。

 戦時下、終戦直後の「飢餓の時代」が再び巡ってくるとは思いたくないが、政治が戦前回帰を志向しているということは、悪夢再来の危険がないとはいえない。
 その時、都内各地の炊き出しが行われているようなところには闇市の屋台が出現しているのだろうか?
 空想居酒屋が現実化し、普及すれば、自ずとそのような光景を目の当たりにすることになる。

[写真-1]
ちょい飲み・せんべろの危機との声もよく聞く
※ せんべろ、とは「1000円でべろべろに酔える」の意。

[写真-2]
ボランティアによる豚汁の炊き出しがありがたい

[写真-3]
「黄金寺院」では差別なく誰にでも食事が供される

NHK出版、Webマガジン、2019.11.15
空想居酒屋の「炊き出し」
(島田雅彦)
https://www.nhk-book.co.jp/pr/magazine/rensai/shimada_kuusou/08.html

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伊東乾「民主主義を知らない<桜を見る会>擁護者」

「桜を見る会」で自民党議員から招待された人の中には、安倍晋三との記念写真を使って相手を信用させ、詐欺を働いてカネを騙し取った反社会組織の構成員もいるらしい。
これが事実なら、もはや安倍晋三は「公選法違反」とかじゃなくて「公金を使って反社会組織に協力している共犯者」になる。

・・・きっこ、2019年11月21日

「桜を見る会」は大炎上となりました。
 現在の内閣が本件を契機に終焉を告げる可能性が高いと思います。

 政局は政局として、私がとりわけ心配しているのは、誰の目にも明らかこの重大な不正を「大したことではない」などと言い切る人がいることです。

 それ自体は民主主義も何も分かっていないくだらない話ですが、そんな意見に左右されてしまう若い人がネット上に散見されることが心配です。

「選挙で世話になった人をお礼の気持ちで招待して何が悪い。いい話じゃないか」、
「野党はそんなくだらないことではなく、国家の一大事に対処してほしい。政策のある議論を」
といった寝言にもならない書き込みを目にします。

 そこで、廊下での雑談ですが、大学の講義やゼミに出てくる東京大学教養学部の1、2年生から30代の社会人大学院生まで、東大生20人ほどに聞いてみました。

「どうして有権者を買収してはいけないの?」

 これに対して、東大生数十人の母集団でも、相当心もとない答しか返ってきませんでした。
 まあ、理系が多かったことが一因かもしれません。

 ただ、法学部生は現在教えていないのでいませんでしたが、法学部に進むはずの文科T類生であっても、かなり頼りない返事でした。

 東大生は一般常識においてはまだまともな理解が多い母集団であるのは間違いなく、だとすれば、社会全般の若者はどうかと相当心配になりました。

 皆さんは、どうお答えになりますか?

「どうして選挙の候補者は、有権者を買収してはいけないのですか?」

 国会でこうしたやり取りがあっても、有権者であるはずのティーンや20代、30代がぱっぱらぱ〜では、民意もへったくれもなくなってしまいます。

お金で票を買うと
予算と法律が滅茶苦茶になる。


 世も末の典型と映ったのが、下関市長のオフィシャルな記者会見での発言です。
 広く報道されており、読者もご存じと思います。

 安倍晋三事務所で運転手なども務めた人物だそうですが、長崎大学水産学部の出身とのこと。
 フィッシュについては勉強しても、ファッショについては学ばなかったようです。

 下関市長の発言を報道(https://access.iciclize.net/aHR0cHM6Ly9tYWluaWNoaS5qcC9hcnRpY2xlcy8yMDE5MTExOC9rMDAvMDBtLzAxMC8zMzAwMDBj)からサンプリングしてみましょう。

下関市長: 議論の軸が当日の桜を見る会から前夜祭(夕食会)に移ったりしているが、領収書などお金のやりとりは適正にやっていると本人や事務所が主張している以上、公職選挙法(違反)には当たらない。

 なるほど、適正だと主張すれば、経済産業大臣も法務大臣も辞職しなくてよかったらしい。
 警察が不要になり、平和な世の中になりそうです。

下関市長: 税金でっていう言い方するんだったら、最初に開催した昔の首相からおかしな話なんじゃないですか。

 実際、吉田茂がサンフランシスコ講和条約成立直後の昭和27年に開催した折には、在外公館員などをメインに招待して「観桜会」を再開しており、高度成長から平成ロスジェネまでの60年でゆっくり変質し始めたものが、2010年代になって急速に腐敗、崩壊したのが今回の出来事と言えるでしょう。

下関市長の変形: 立小便でっていう言い方するんだったら、最初に立小便した昔のおっさんからおかしな話なんじゃないですか?

 結果的に無罪放免になるのは、コストが見合わないからであって、人の玄関先で立小便すれば警察に逮捕される仕儀であるのは間違いありません。

(毎日新聞記者)――人選についてはどうか?
下関市長: そこらへんになるとあまり言わない方がいいね。


 終わっています。

下関市長: 私が行ってみて思うことは、やっぱり70、80歳のおじいちゃん・おばあちゃんたちがネクタイぴしっとしめて、着物着て、人生一番の大勝負で新宿御苑に向かうんですよ。
 あの時、あの喜んで行っている姿を見ると地方を元気にしてくれている会だなと思っていました。
 我々、地方の人間が新宿御苑に足を踏み入れることなんてなかなかできないんですよ。ものすごく名誉なことを受けている方が増えていくのは悪いことなんですかね。


「桜を見る会」への招待は、叙勲にも匹敵する「栄典」相当の名誉で、きちんと評価がなされ、平等に選ばれるのなら、まことに結構なことです。

 問題は、内閣総理大臣やその配偶者が、選挙地盤である下関だけに税金を使って「元気にしてくれている」ことです。

 山口4区に相当する下関・長門を中心に、総理の推薦でおよそ1000人が恣意的に招待され、またその夫人が地元で「幅広く参加希望者を募る中で」「推薦」することで、勲章にも匹敵する名誉が勝手に安売りされている。

 そうしたことに無感覚なまま、よくもまあ市長など恥ずかし気もなく続けられたものだと呆れました。

 およそ民主主義の根幹を理解していないわけですが、さらに

下関市長: 総理主催でしょ? この国は民主主義ですよ。ある程度の権限が与えられておかしくないと思いますけどね。
 逆に私たちが民主党政権の時に、一歩も踏み入れなかったのも仕方ないと思ってますもん。自分たちの政策が国民の支持を得られなかったからでしょ?
 それはジェラシーでもなく、甘んじて受け入れた。選挙で勝って主催になって、多くの方に喜んでもらえるのって悪いことですか?


 明らかに悪いことなのですが、それが本当に分かっていないらしい。
 公職にある者として、公式に謝罪が必要なことを無自覚に、息をするように発言しています。

下関市長: そういう方が地方で耐えて耐えて地方で歯食いしばって、自分が何十年も頑張って応援してきた代議士がトップを取って、招待状が届いて、やっぱり今まで応援してきてよかったなって、いいじゃないですか。
 そういうなんか、人情的な感覚というのは公金を扱ってルールにのっとって正しくやっていく中では、あまり言っちゃいけないのかもしれないけど、そういうのもあっていいんじゃないですか。


 はっきり、良くないんですね。
 憲法の条文に照らして、白黒をはっきりさせておきましょう。

なぜ有権者を買収してはいけないか?

 国会議員たるべき候補者が、有権者を買収して集票して議席を得ることは、さまざまな法に照らして有罪とされる、まぎれもない刑事犯罪です。

 しかし自治体首長の職にある者を含め、あまりに低レベルの理解水準にある日本の現実があるようです。

 事実、上の妄言と同様の主張をネットでけっこうな数、目にしました。

 また、SNSでは怖いもの知らずというか、私にすらその手のことを言ってきたケースがありました。
 鉄槌一撃で終わりにした、そのアウトラインを、憲法を引いて示しましょう。

 そもそも国会とは何をするところなのでしょうか?

日本国憲法第59条〔法律の成立〕
法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。


 衆参両院は「立法府」と言われるように、法律を作ることができます。
 分かりやすく言うと、誰かを犯罪者に仕立て上げることができる仕かけです。

 そんなものがお金で買える状態にすることを「おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔」などで誤魔化してはいけません。

 あることが法律的に「正しい」「正義とされる」か、あるいは「不正である」「犯罪である」と決定する、ルールを作ることができるのが「立法府」のもつ「権力」です。

 法を捻じ曲げれば、あなたの財産をすべて没収しても「正義」になるでしょうし、極悪非道の犯罪人も「無罪」とされる可能性がある。

 実際その種の報道が、問題にされる場合があるのではないでしょうか?

 国会には多くの重要な役割がありますが、もう一つ決定的な仕事があります。

 国家予算の決定、つまり皆が収めた税金の使い道を決定できるという、決定的な権力が付与されています。

憲法60条 予算:衆議院の予算先議権及び予算の議決
予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。


 衆議院議員に選ばれること、さらにその衆議院で過半数を制して国政のトップに立つということは、全国民が立場に応じて平等に収める「税金」の使途を決定できる、巨大な権力を把握することを意味します。

「桜を見る会」は、そもそもは大使館員などを遇する場で、都道府県知事であっても毎年呼ばれて集中することは避けられ、文化勲章など栄典相当の功労があった人を、国家全体の予算を用いて顕彰し、その参加者名簿も10年単位で保存されるべき、素晴らしい名誉でありました、元来は。

 それを、一地方の代議士が、自分の選挙区から1000人もまとめて招待したり、その奥さんというだけで、何の信任も国民から得ていない、ただのおばさんが、勝手に推薦して遇したりするのを、メディアは「税金の私物化」と伝えます。

 しかし、この言葉も若い人たちにはピンとこない様子でした。
 国語力が本質的に低下しているのかもしれません。

 これは、要するに「特権階級気取り」、何の根拠もないのに、勝手に人さまの財産を流用し、財貨と名誉を好き勝手にもて遊ぶ、「貴族ごっこ」でしょう。

 さらに何千万、何億円というお金を浪費し、自分の選挙の地盤固めに悪用したとんでもない「泥棒」であることを、はっきり指摘する必要があります。

「私物化」だと、概念が格好よすぎて東大生にもピンとこないんですね。
 幼稚園児にも分かる言葉で、明確に示す必要があると、本郷や駒場で学生たちに尋ねて、率直に感じました。

税金を泥棒していいと思うか?

それを一部の人だけに依怙贔屓しておじいさんおばあさんが笑顔などという美辞麗句で、誤魔化せると思うか?

「いいと思う」と答えた学生はさすがにいませんでした。
 是は是、非は非とは、こういうことだと考えます。

 こうした、最低限の「公共性」の感覚を、きちんと若い世代に教育していかねばならないと思います。

 東大で教えて20年、単位を発給した学生から、公務員や代議士、裁判官も出ていますが、中にはモラルが疑われるケースも目にします。

 物事は基本をきちんとしなければなりません。


JBプレス、2019.11.22(金)
民主主義を知らない「桜を見る会」擁護者
有権者を買収してはいけない理由が分からない大学生も

(伊東 乾)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58330

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木村草太「なぜ政治家は“うちわ”を配ってはいけないのか」

だんだん麻痺してくるのは、良くないことです。
5年前の「うちわ」問題の時の木村草太さんの記事

・・・平野啓一郎、11月19日

1本の値段ではなく「総額」が問題になる

 選挙区内でウチワを配布したことについて責任を追及され、松島みどり氏が法務大臣を辞任しました。
 ネットでは「そんな些細なことで辞任までしなくてもいいのではないか」という声も聞かれました。
 しかしこれは些細なことではなく、選挙制度のあり方を問う重大な問題です。

 なぜウチワを配ってはいけないのか。
 すぐに思い浮かぶのは、「票をカネやモノで買うようなことは、絶対に許されない」という理由です。
 公職選挙法では、買収は最も悪質な選挙犯罪とされ、票を売った人も買った人も処罰されます(同法221条)。
 また、買収に関わる金品は没収されます(同法224条)。

 なぜ公職選挙法は、買収を厳しく罰するのでしょうか。
 それは、公職にふさわしい人物を選ぶには、有権者が自由な判断に基づいて投票すること(※1)がとても大切だからです 。

 議員や首長としての「ふさわしさ」は、物差しを当てればすぐにわかるような、単純なものではありません。
 政策判断能力、決断力、交渉力、勇気、優しさ、感受性、人生経験など、さまざまな要素を総合的に考慮して、ようやくわかってくるのです。
 それゆえ、選挙制度は、様々な要素を有権者が自由に比較検討できるように設計される必要があります。

 しかし、選挙で買収がなされると、「誰がいくらお金を出したか」という唯一つの要素で有権者は結論を出すことになるでしょう。
 利益誘導があったのでは、公職への「ふさわしさ」を、多様な角度から自由に検討しようという選挙の理念が台無しになってしまいます。

 松島氏が、「買収」をしたのなら、選挙の根幹を破壊した犯罪人です。
 大臣の資質を欠くのはもちろん、議員辞職もやむなしでしょう。

 しかしながら、「買収」と言えるためには、票を買う側が利益提供を申し出て、票を売る側がそれに心を動かされなくてはなりません。
 今回配られたのは、松島氏のイラスト入りウチワとのことです。
 票を買うにしてはあまりにしょぼく、これをもらったからといって、直ちに松島氏への投票に心を動かされる人はいないでしょう。
 ですから、「買収」の罪で起訴したとしても、恐らく無罪です。

 そういうわけで、今回、問題になっているのは、「買収」ではなく、「寄附」です。
「寄附」の禁止は、それで投票へと心を動かされたかどうかを問題にしません。
 財産的価値がある物品を選挙区内の人に贈れば、それだけで「寄附」になります。

 具体的な法文を見てみましょう。
 公職選挙法は、まず、「公職にある者」が当該選挙区内にある者に対し、「いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない」と定めています(199条の2)。
 また、これに違反すると「1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金」が科されます(249条の2)。

 もっとも、兄弟や両親に誕生日プレゼントを贈ったり、演説会の会場費を支出したりしただけで違法というのでは、さすがにやりすぎでしょう。
 そこで、親族への寄附や、政治集会での実費の負担などは例外として許されることが、明文で定められています。
 また、罰則にも例外があり、例えば、本人が出席する結婚式でのご祝儀などは「寄附」ではあるけれど、罰は科されないことになっています。

 では、心を動かされない程度の「寄附」が、なぜ禁じられなければならないのでしょうか。
 実は、「寄附」と「買収」は似ているように見えて、禁止される理由が異なっています。
 そもそも「寄附」の禁止は、「各候補者が地盤固めのために寄附を競い合い、選挙にお金がかかってしょうがない」という状況を改善するために導入された制度(※2)なのです。

 選挙にあまりにお金がかかるのでは、公職にふさわしい才能の持ち主が、「お金が無いから」という理由で立候補を諦めねばならない可能性が高まります。
 また、公職についた人が、選挙に使ったお金を取り戻そうと、自分の金銭的利益のためにばかり、活動するようになるかもしれません。
 これでは、公共のためにふさわしい人を選ぼうという選挙の目的が達成できなくなってしまいます。
 こうしたことにならないように、心を動かされない程度の「寄附」までも、法は禁止しているのです。

 たとえ些細なものであろうと、もし抜け駆け的な寄附を許せば、寄附の競争が始まり、お金のかかる選挙の再来になってしまいます。
 ですから、選挙にかかわるお金については、厳格な対応が必要です。

 ということは、今回の事件では、ウチワが1本いくらだったのか、つまり、寄附を受けた側にどのくらいの利益があったのか、ということはあまり重要ではありません。
 配ったうちわの総額がいくらなのか、つまり、寄附した側がどれだけ費用をかけているのか、ということに注目する必要があるのです。

 松島氏を告発した階猛氏(民主党副幹事長)の説明によれば、3年間で合計約150万円の支出がされています。
 刑事罰や議員辞職まで必要かどうかはともかくとして、松島氏は一定の責任をとる必要があったと言わざるを得ないでしょう

「思想」と「カネ」はわけて考えるべき

 ところで、松島氏のウチワ問題が発覚したのと同じ時期、山谷えり子国家公安委員長など数名の閣僚が、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の関係者などと写真に写っていたことが相次いで発覚しました。

「在特会」は人種差別・排外主義を公言している団体です。
 なぜこの問題の責任をとって辞任する閣僚があらわれないのでしょうか。

 人種差別・排外主義団体との関係を持つ人、あるいは、たとえ関係が無くても、そうした団体から強く支持されるような思想・信条を持つ人に閣僚たる資質があるのでしょうか。
 残念ながら閣僚の「資質」は法律で規定されていません。
 憲法は思想・信条の自由を保障していますから、閣僚の思想・信条のありようについても、法的規制の対象にするのは適切ではないのです。

「なんて法律は役に立たないんだ」と感じる人もいるでしょう。
 しかし、人種差別や排外主義の撲滅を法律に頼ったのでは、権力が濫用され、個人の自由が不当に制約される危険があります。

 こうした問題は、「法的」な責任追及ではなく、有権者や国会議員の「政治的」な批判によって解決していかねばなりません。
 国民一人ひとりが、「なぜ人種差別や排外主義がいけないのか」と実質的な批判を提起し、選挙などを通じて責任を追及していく努力が必要です。

 他方、寄附の禁止などは、選挙というレースのルールです。
 ここでは、候補者の公平性が何よりも重要とされます。
 ほんの少し人より早くスタートしただけでも、フライングはフライングであるのと同様に、「他の人がやっていない寄附を自分だけやった」という事実が、形式的に非難されます。
 先ほど紹介した階氏も、「告発状の御説明」というメディア向けの文書で、「他の議員」はやっていないウチワ配布により、松島氏が「不当な宣伝効果をあげ」た点を非難していました。

 ちなみに、蓮舫氏も選挙ビラとして、選管の証紙つきのウチワを配っていたようですが、松島氏との違いはその形状。「厚紙のウチワはOK、柄と骨組のあるウチワはNG」との認識が候補者の間にあった、との報道もあるようです。
 この問題は、馬鹿馬鹿しいほど形式的に判断してゆくことが重要なのです。

※1: 有権者が何を判断すべきかは、木村草太『憲法の創造力』(NHK出版新書、2013年)第2章参照。

※2: 安田充・荒川敦編著『逐条解説公職選挙法(下)』(ぎょうせい、2009年)1419頁参照。

PRESIDENT 2014年12月1日号


PRESIDENT Online、2014/11/13 8:30
なぜ政治家は“うちわ”を配ってはいけないのか
(木村草太、憲法学者)
https://president.jp/articles/-/13870

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木内みどりの「広島」

2019年11月17日.jpg
☝ 2019年11月17日撮影:木内みどり

「河」
 広島の青春群像。
 平和運動の原点を照らす。
 四幕。
 1973年度 小野宮吉戯曲平和賞受賞
 あの名作「河」が30年ぶりに蘇る。
 2017年12月23・24日 /全4回公演。
 @広島市横川シネマ

 画家・四國五郎さんの息子さんである四國光さん(ヤッホーくん注)から、この演劇の上演があると聞いて、即座に「観たい」とそう思い口走っていた。
「こうしたい」「行きたい」「会いたい」「食べたい」と反射的に感じてそのように動いた結果、後悔したということがない。
「〜したい直感」は、信頼できる。

 観るのは迷わず、ラスト回、12月24日15時からのステージと決めた。
 ラッキーなことに、チケット完売寸前でなんとか席を確保してもらえた。

 当日、乗りこんだ新幹線車内で落ち着いて頭を切り替えた。
「河」…。
 いったいどういう演劇なのか。

 詩人・峠三吉さんと天才画家・四國五郎さんを中心に活動されていた「反骨」の若者たちの事実を芝居にしたということだけで、詳しい情報は持っていない。
 だから、とりあえず、峠三吉『原爆詩集』をしっかり読んで客席に座ろうと思い、東京―広島間の新幹線車内で熟読した。
 文庫『原爆詩集』は、「あとがき」で解説を書いてらっしゃる詩人のアーサー・ビナードさんが扉にススっと「Arthur Binard アーサー・ビナード」とサインしてくださったもので、わたしの大切にしている一冊。
 今までも読んだことはあるけれど、数時間後には舞台上の「峠三吉さん」や「四國五郎さん」を目撃すると思うとグッと現実味を帯びてきて、感じるものが変容していく。

 まずは初めのページ。
「序」として書かれた有名な有名な詩、
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

 この本はこの詩で始まると知っていた。
 が、改めて手にして気がついた。
 この詩集、実は、「序」の前のページにこんな短い一文があるのだった。
 1945年8月6日、広島に、9日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人びとに捧ぐ。

 この一文で、わたしの心はつかまれた。
 だって「全世界の原子爆弾を憎悪する人びと」って、紛れもなくわたしもそのひとりだから。
 峠三吉さんは出版のあてもない中で、やっと、自費出版にこぎつけたこの時点でもう、後々のわたしのような者までをも心においてこの詩集を「捧げ」られていた…。
 読み続けた。

 8月6日
 死
 炎
 盲目

 目次を書き連ねるようだから遠慮しますが、それでも、書きたい。

 墓標
 呼びかけ
 その日はいつか
 希い

 四國光さんと広島駅で合流して横川シネマへ。
 チケット完売の劇場はいつだって独特の「気」に満ちている。
 スタッフもチケットを扱う方々も席に向かう人びとも高揚している。
 控え室や袖で準備している出演者はさらになお独特の時間を過ごしているはず。
 客席でフォトジャーナリスト・那須圭子さんと会いうれしかった。
 大宅賞作家・堀川惠子さん、毎日放送プロデューサー・大牟田聡さん、画家・ガタロさん、お隣には四國光さん、幕が開くまでの音楽はバッハの無伴奏チェロソナタ…と、素敵な素敵な時間はもう、始まっている。
 やがて、暗くなり「河」が進行していきました。

 ほとんどの方が土曜日曜、仕事のお休みを稽古に当て、パートパートでの練習。全員揃っての通し稽古は、本番前のゲネプロ一回だったとか。
 進行するにつれてわたしの気分は高揚どころか深く静かに潜っていきました。
 事実・真実の重みが次から次へとわたしの中に堆積されていく。
 長い芝居の途中休憩、10分間。
 誰とも口をききたくないまま、柔らかい席に埋もれるようにして沈黙するしかなかった。
 ふた幕目が始まり、原爆投下された広島の中で大きな権力に逆らい争い抗った人びとのその呼吸に自分の呼吸も同調してしまう。
 舞台上の人びとの苦悩がわたしの苦悩になり、悲しみがわたしの悲しみになってしまう。
 新幹線の席で読みこんできた詩が次から次へと登場、展開していく。

 圧巻は、イッちゃん。
 市河睦子という役をやった中山涼子さんは、普段は時事通信社の記者さんだそう。
 彼女のおばあさまをモデルにした役をやってみないかという劇作者の故・土屋清氏夫人であり主演女優であり演出家でもある土屋時子さんが誘った時、即、やりたいと思ったそう。
 
 その後、舞台出演の実際がわかり出してからは腰が引けた時期もあったようだけれど、本番を前にして中山涼子さんの心はピタッと治ったのだと思う。
 見事だった。
 完璧だった。
 神がかっていた。
 どのセリフもひとことひとことが全員の心に響いて響いて。
 客席のあちこちから嗚咽の声さえ聴こえてきた。

 素晴らしい時間が流れて「劇」の時間が終わり、拍手喝采の時間がすんでも、わたしは打ち沈んだまま。
 客席に取り残された気分だった。
 誰かと「よかったですね」「すばらしかったですね」と言い合う気力もなかった。
 打ち上げ会場に誘っていただいて参加した。
 長い長い困難な稽古と準備にみなさん疲れ果ててる。
 けれども、公演の大成功を実感してどの方も弾けて喜びを爆発していらした。
 そのしあわせな充実感の渦にまきこまれてわたしまでたのしかった。

 中山涼子さんに感想を聞かれた。
 すらすら返事ができた。
 素晴らしかった。
 見事だった。
 地球全てが自分のその両の手の中にあるって実感しませんでした?
 涼子さんが静かに二度、うなずいた。
 これを機に女優さんの道へという話もあるそうですけど、わたしはお勧めしません。
 今晩のようなことは努力して勝ち取れるものじゃないからです。
 今後二度とあり得ないようなことが今夜のあなたに起こった、そのことを宝物にして、今のお仕事の中に生かしていくほうがいいと思います。
 こうして書くとなんてエラそうなことを言いやがるって感じだけれどw、本気の感想でした。

 制作された池田正彦さん、演出主演された土屋時子さんに大きな尊敬の拍手を送ります。

***

 翌朝、ひとりで長い散歩をしました。
 1945年8月6日朝8時15分、広島中心部に落とされた原子爆弾。
 72年後の今、歩き回ることでなにを感じとれるのか。
 いつかやってみたかった散歩。
 7時30分にホテルを出て歩きはじめました。
 相生橋を渡る。
 みなさん日常の朝を迎えて歩いたり走ったりしている。
 路面電車やバス、自転車、自動車、または、子犬を連れて散歩中の方も。
 わたしはこういう光景の中にとけ込んで気ままに歩くのが好きだ。
 この頃使えるようになった iPhone で Live しながら歩く。
 もうそろそろ8時15分近い頃かなと感じた時に時計台が大きな音を立てる。
 そうなんだ、広島では毎朝8時15分の時報があるんだ。
 元安川を挟んで向こう岸の原爆ドームに向かって、峠三吉さんの詩「八月六日」を朗読した。
 2時間近く歩いているうち、だんだん腹立たしくなっていった。

 昨日見学した原爆資料館では、40年以上見学者に強烈な印象を与えてきた等身大の展示物が2017年4月25日に撤去されたと知ったし、『原爆詩集』の峠三吉さんのコーナーがないことにも驚き、原爆や戦争反対のためだけに絵を描いた天才画家・四國五郎さんの絵も詩も一枚も展示されておらず、被爆者のその後10年を記録した写真集『ピカドン』の写真家・福島菊次郎さんの写真も一枚も展示されていないし、コーナーもない!
 2002年8月に開館された「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」にはさらに驚いた。
 素晴らしい建築物だけれど、「原爆の惨禍を全世界の人びとに知らせ、その体験を後代に継承するための施設」とのことなのに、館内のコンピューターで「四國五郎」「峠 三吉」「福島菊次郎」と検索してもなにひとつ出てこなかった。
 その一生を「原爆の惨禍を全世界の人々に知らせ」るために生きたこの3人の偉大な人びとを無視してるなんて。
 広島市やこの国はこの大切な3人を歴史から消そうとしている……と書いたら過ぎるでしょうか?
 Twitter Liveしたので、お時間のある方は観てください(ただし、30分くらいありますw。デジタルな web マガジンだからアーカイブに残りさえすれば、いつの日か偏屈でへそ曲がりの頑固者、わたしのような人が見てくれる……かもしれないと夢見て載せておきます)。

マガジン9、2018年1月10日
木内みどりの「発熱中!」
第45回:「河」と広島

https://maga9.jp/180110/

(ヤッホーくん注)四國光さん

次回 2019年11月27日(水)予告

芸術と憲法を考える連続講座 第23回

やさしい視線・静かな怒り
詩画人・四國五郎が伝えたかったこと

「戦争の記憶」を伝えることを自らの使命と課し、「平和のために」絵と詩を描く人生を生涯貫いた詩画人・四國五郎(1924-2014)。

戦争とシベリア抑留、そして最愛の弟の被爆死を体験し、平和のための芸術活動に一生を捧げた四國五郎の「表現」と「生き様」を通して、今、私たちは戦争の記憶をどのように継承し、未来に伝えていくべきなのか。息子の視点から考えてみたいと思います。(四國光)

◇日時: 2019年11月27日(水)18 : 30 - 21 : 0 0 (開場18:00)
◇教室: 東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部 5-109
◇お話: 四國光さん(四國五郎長男)

https://www.peace-geidai.com/芸術と憲法を考える連続講座/

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2019年11月22日

幼保無償化で値上げ続々

「子どもの通っている幼稚園が、2019年10月の幼保無償化のタイミングで保育料を引き上げてきました」

 読者の疑問や困り事を取材する朝日新聞「#ニュース 4U」取材班にそんな声が寄せられた。取材を始めると、無償化に合わせて値上げした施設は全国各地にあった。値上げした園を直撃すると、園長たちが本音を語った。

「うまいことだまされた印象が消えません」

 近畿地方の私立幼稚園に子どもを通わせる30代の女性はため息をついた。幼児教育・保育の無償化は消費増税分を財源に10月から始まり、この幼稚園は保育料を月約2千円値上げした。
 自治体が保育料を決め、その保育料が無料となる公立幼稚園や認可保育所と違い、一部の私立幼稚園は各施設が保育料を決められる。このため、無償化の額には上限(月2万5700円)があり、超えた分は保護者の自己負担となるが、この幼稚園の場合は以前より負担額は少なくなった。

 保護者説明会で園の職員は開口一番、「みなさんいいですね、こんな支援(無償化)があって。私の時はなかったからうらやましい」と話したという。
 女性は「値上げの理由を聞くと、せこいみたいで何も言えなくなった」と悔しがる。「便乗値上げ」感はぬぐえず、モヤモヤ感は残ったままだという。

■ 園長「現場は疲弊し切っている」

 名古屋市内の私立幼稚園は10月から保育料を月6500円引き上げた。「使い道を理事長に聞いてもはっきり説明しない。理事長たちの私腹を肥やすのではと疑ってしまう」と、子どもを通わせる女性は憤る。
 文部科学省は無償化を機に保育料を値上げする幼稚園の有無や値上げの理由を調査。不適切な値上げがあれば指導するよう都道府県などに連絡している。全国の私立幼稚園約7500園が加盟する全日本私立幼稚園連合会も昨夏から4回にわたって、質の向上を伴わない値上げはしないよう加盟園に求めてきた。
 だが、大阪府のある私立幼稚園の園長は「幼稚園の現場は疲弊しきっている。保護者の懐を痛めないこの機会に値上げしなければ、もう限界」と打ち明ける。
 私立幼稚園は保護者からの保育料のほか、都道府県からの私学助成などで運営費を工面している。だが、働く親の増加で保育所に通う子どもが増えていることに加え、少子化で幼稚園の保育料収入は減り続けている。
 この幼稚園は園の積立金を取り崩して運営してきたが、10月から保育料を月2550円値上げした。説明会で園の経営事情も伝え、苦情はまだないという。
 福岡県内のある幼稚園も来年4月から保育料を1050円上げる。園長は「老朽化した建物の整備や、職員の残業代など処遇改善の費用にあてたい」と言う。

「便乗値上げは良くないが、無償化は保育の質を上げるチャンスだ」。同県内のある幼稚園連盟会長は管内の園長らにそう言ってきた。「保護者に負担をかけることなく保育の質を上げられる。ご理解頂けるなら応援してほしい」

 値上げは認可外保育施設でも確認されており、所管する厚生労働省は9月、理由なく値上げしている施設があれば国への報告と施設への指導を求める文書を都道府県などに出した。

■ 誰のための無償化?識者は

 一体、誰のための無償化か――。そんな疑問を取材した保護者は感じていた。識者はどう考えるのか。

 大阪府立大の吉田直哉准教授(教育学)は「無償化は保護者の負担軽減が目的。不透明な値上げで保護者の理解は得られない」と指摘する。

 一方、経済協力開発機構によると、日本は2016年時点で幼児教育に関する支出の約半分を保護者の私費負担でまかなっていた。

 加盟国の中で2番目に高く、吉田准教授は「就学前教育への公金投入は世界の潮流。無償化は『子育ては親がするもの』という日本人の意識に変化を促し、国全体で子どもを育てる当事者意識を持つきっかけになるのでは」と期待する。

「その財源は国民の税金。私学運営は本来行政の介入を受けないが、施設側は値上げにふさわしい保育・幼児教育を提供しているか、これからは全納税者からチェックされることを理解するべきだ」

※ 幼児教育・保育の無償化
 すべての3〜5歳児と、低所得世帯(住民税非課税世帯)の0〜2歳児が対象。2015年4月に始まった「子ども・子育て支援新制度」に移行した幼稚園や認可保育所は保育料が無料となり、給食費やバス代などは別に徴収される。
 新制度に移行していない幼稚園は月2万5700円まで、認可外保育施設の3〜5歳児は月3万7千円まで、低所得世帯の0〜2歳児は月4万2千円までが無償化される。財源には消費増税分の一部が充てられる。


[写真]
大阪府内の幼稚園では園児たちが帰った後、教諭らが誕生日会のイベントで使う「作り物」の制作に励んでいた

朝日新聞・ニュース 4U、2019/11/22 07:00
「だまされた感」保護者ため息 幼保無償化で値上げ続々
(山根久美子、城真弓)
https://www.asahi.com/articles/ASMBP4S3XMBPPTIL018.html

いよいよ10月から始まる「幼児教育・保育無償化」。
京都大学大学院准教授で『子育て支援が日本を救う』の著書のある柴田悠さんは、一定の意義はあるものの、デメリットも大きいと指摘する。
無償化後の日本に起こることとは――?

地方での虐待予防効果は期待できる

 10月から幼児教育・保育無償化が始まり、3〜5歳は全員無償、0〜2歳は住民税非課税世帯のみ無償になります(幼稚園と認可外保育施設は上限額まで無償化)。これには一定の意義がありますが、課題もあります。

 第1の意義は、地方で虐待予防が進むことです。
 虐待などの不適切な養育は、幼児の脳を物理的に変形させ、その後の社会生活を困難にしてしまいます。東京大学の山口慎太郎准教授らが全国調査データを分析した研究によれば、母親が高卒未満の家庭では、不適切な養育が生じやすく、子どもの社会的発達が悪化しやすいのですが、子どもが2歳半時に保育所に通っていると、不適切な養育が予防されやすく、子どもの社会的発達が健全になりやすい。
 そのため、保育所定員に余裕のある地方では、無償化によって、社会経済的に不利な家庭の保育利用が増え、虐待予防が進むと期待できるのです。

無償化で利用希望は約2割増の見込み

 第2の意義は、地方での人手不足緩和と女性活躍です。
 岡山市が2018年に行った保護者対象のアンケート調査によれば、無償化によって認可保育所(認定こども園を含む)の利用希望者数が、3歳児でも4歳児でも2割増える見込みです。とくに4歳児では幼稚園から保育所への需要の移動が見込まれます。5歳児については調査されていませんが、おそらく4歳児と同様でしょう。

 保育所を利用するには、基本的に共働きが求められますので、保育所定員に余裕のある地方では、無償化により母親の就業が増え、人手不足が緩和されたり、女性活躍が進むと期待できるのです。

高等教育費の軽減のほうが効果は大きい

 第3の意義として、育児費用が減るため、「産みたい人が産みやすくなる」という少子化対策効果を挙げることもできますが、効果は限定的でしょう。
 たしかに、全国の50歳未満有配偶女性を対象としたアンケート調査(2015年国立社会保障・人口問題研究所実施)では、「理想の子ども数を持たない理由」の第1位は「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」(56%)でした。

 しかし、全国20〜59歳男女対象のアンケート調査(2012年内閣府実施)では、「子育ての経済的負担」の第1位は「大学・専門学校などの高等教育費」(69%)、第2位は「塾などの学校外教育費」(49%)、第3位は「小・中・高の学校教育費」(47%)で、「保育所・幼稚園・認定こども園の費用」は第4位(45%)でした。
 つまり、幼保無償化によって「子育ての経済的負担感が減る」と感じる人は、子育て世代の半分弱にすぎないのです。むしろ、専門学校や大学などの高等教育費を軽減するほうが、子育て世代の7割の人々の負担感軽減につながるでしょう。
「より多くの人々にとって産みやすい環境を整える」という意味では、幼保無償化よりも高等教育費軽減のほうが効果が大きそうです。さらに、より根本的な対策としては働き方の柔軟化こそが必要でしょう。

都市部ではさらに待機児童が増える

 他方で最大の課題は、主に都市部で待機児童が増えることです。
 野村総研は、2018年に行った全国アンケート調査に基づいて、「女性の就業率が、今後国の目標どおりに上がっていくならば、保育の定員は(2018年度から2020年度末にかけて32万人分増やす政府の計画が実現してもなお)2023年には28万人分不足する」と試算しています。
 政府の計画では、「保育の申し込みをしたがかなわなかった数」(顕在的待機児童数)を基に32万人という将来需要を想定していますが、野村総研の試算は、「保育(幼稚園の預かり保育を除く)を希望していたが諦めて申し込みをしなかった数」(潜在的待機児童数)も含めて将来需要を想定しているため、「待機児童の完全解消に必要な定員数」により近いでしょう。
 そして岡山市のアンケート調査で見たように、無償化によって保育所の利用希望者はさらに増えると見込まれます。それにより、待機児童がいる都市部では待機児童がさらに増えると考えられるのです。

保育の質が低下し、子どもに悪影響の可能性

 待機児童が増えることの問題点は、第1は、保育の質が低下し、子どもの発達に悪影響が生じかねないことです(これは後述します)。
 第2は、職場復帰がかなわなかった母親で、孤立育児によるストレスが高まり、虐待リスクが高まりかねないことです。
 第3は、職場復帰できなかった母親のもつスキルが職場で活かされず、人手不足にも拍車がかかり、企業経営や経済成長に悪影響が生じることです。
 第4は、それらが総じて育児環境の悪化につながり、少子化がますます進行することです。

 以下では第1の問題に焦点を絞ります。

 待機児童が増えると、厚生労働省から自治体に対して「国の基準ギリギリにまで児童を保育所に受け入れてほしい」という要請が、これまで以上に強まる可能性があります。
 2016年、厚労省は待機児童の多い114市区町村などに対して、「人員配置や面積基準について、国の基準を上回る基準を設定している市区町村では、国の基準ギリギリまで一人でも多く児童を受け入れる」よう要請しました。
 要請された自治体はいずれも「保育の質が下がる」という懸念から要請を退けましたが、今後、無償化により待機児童が増えた場合には、同様の要請が強まり、「国の基準ギリギリまで児童を受け入れる」自治体が増える可能性があります。

日本の3〜5歳児保育基準は先進国で最悪

 日本の保育士・幼稚園教諭配置基準(1人の保育士・幼稚園教諭が児童を何人まで見てよいか)は、0〜2歳については先進16カ国平均(0〜3歳7人)よりも手厚い(0歳3人、1〜2歳6人)。
 しかし、3〜5歳については先進19カ国平均(3歳以上18人)よりもはるかに悪く、先進19カ国で最悪です(3歳20人/保育士、4〜5歳30人/保育士、3〜5歳35人/幼稚園教諭)(2012年OECD報告)。
 また保育士の学歴は、先進諸国の中で中程度ですが、もし保育所が3〜5歳児童を国の基準ギリギリまで受け入れた場合には、そこでの保育士の労働環境と保育の質は、先進諸国の中ではかなり悪いレベルになるでしょう。

子どもの発達への影響が研究で明らかに

「幼児教育・保育の質が園児の発達に与える影響」についての最新の国際比較研究によれば、そのような質の低下した保育所に子どもが通った場合には、その子どもの発達(認知能力や非認知能力の短期的・長期的発達)は、通わない場合よりも悪くなる可能性が高い(図表1参照)。
 そのため主に都市部では、無償化によって待機児童が増えることで、保育の質が低下し、子どもの発達に悪影響が生じかねないのです。

幼児教育の質.jpg

 ではどうしたらよいでしょうか。
 待機児童を減らすとともに、保育士の給与・労働環境を改善し、保育の質を守るべきです。そのための財源は、無償化の制度を一部修正すれば捻出できます。
 たとえば、幼稚園と同様に月2万5700円までを、3〜5歳保育無償化の上限額とすれば、約2000億円の財源が浮くでしょう。または、3〜5歳幼保無償化を、0〜2歳保育無償化と同様に住民税非課税世帯に限定すれば、約7000億円の財源が浮きます。
 上限額設定や所得制限は、虐待予防などの意義を大きく損なうことなく、待機児童の増加や子どもの発達の悪化を防ぐこともできます。
 政府に検討してもらえるように、私はさまざまな場でこの提言をしています。

※ 主要参考文献>
・Yamaguchi, Shintaro, Yukiko Asai and Ryo Kambayashi, 2018, “How does early childcare enrollment affect children, parents, and their interactions?” Labour Economics 55: 56-71.
・野村総合研究所、2018、「政府の女性就業率目標を達成するために、追加で整備が必要な保育の受け皿は27.9万人」(https://www.nri.com/jp/news/newsrelease/lst/2018/cc/0626、2019年9月12日閲覧)
・Huizen, Thomas van and Janneke Plantenga, 2018, “Do children benefit from universal early childhood education and care? A meta-analysis of evidence from natural experiments,” Economics of Education Review 66: 206-222.


プレジデント ウーマン、2019.09.16
保育無償化による、子供への思いがけぬ悪影響
一定の効果と引き換えに失うものは

柴田 悠(しばた・はるか、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
https://president.jp/articles/-/29935

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木内みどりの発熱中

 木内みどりさん。
 はやすぎる。
 寂しいじゃないですか!
 世の中が変わって行く姿を見て欲しかった。
 一銭の得にもならない、本業を考えればリスクでしかない。そのような活動にも積極的に関わってくださった。
 自由を愛する本物の表現者。
 感謝しかありません。

・・・山本太郎「住まいは権利!」

 原子力の専門家・京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんに初めてお会いしたのが去年の2013年9月1日。
 東京・日比谷公会堂で「さよなら原発1000万人集会」のイベントがあって、わたしは司会を務めていた。

 会の呼びかけ人、大江健三郎さん・澤地久枝さん・落合恵子さん・内橋克人さん・鎌田慧さんに加えて、この日のゲストが小出裕章さんで、前半に大江健三郎さんが45分講演、後半に小出裕章さんが45分の講演をしてくださった。

「日本の知性」と「日本の良心」、おふたりはこの国の「宝」だと思った。

 2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故以降、私はテレビ・新聞の報道を信じられなくなり、インターネット上の情報を渡り歩いて、2011年4月初めに大阪・毎日放送「たね蒔きジャーナル」の小出裕章さんの発言に辿り着いた。

 ベント、サプレッションチェンバー、タービン建屋…… 聞きなれない単語ばかりのお話に慣れていった頃、ふと、気がついた。

 小出さんの声を聴いているとそこだけ「きれいな酸素」があるようで身体がホッと安らいでいる。

 目に見えない匂わない「放射能」に怯えるばかりの毎日。
 テレビ・新聞は本当のことを知らせてくれないという不安から憂鬱を抱えた時間の中で、小出さんの声を聴く時間が増えていった。
 iPhoneに「たね蒔きジャーナル」の全部と小出さんが各地でなさった講演(主催者や参加者が講演終了後すぐにYouTubeにupしてくれる) を入れ、なんどもなんども繰り返し繰り返し聴きつづけてきた。

 小出さんのお話を初めて聴いた2011年4月から2年半経過した頃、司会を依頼された2013年9月1日の日比谷公会堂での集会、この日のゲストが小出裕章さんと聞いて、飛びあがるほどうれしかった。

 会える。

 登壇者と司会者だからご挨拶もするし簡単な打ち合わせもする…。

 当日、当たり前のようにご挨拶して、当たり前のように、司会進行させていった、冷静に。

 でも、心の中でこの方とはもうお会いできないかもしれない、これが最初で最後かも……と思い、記念にと、舞台袖の司会者じゃなければ撮れない位置から、パソコン越しの小出さんの姿を撮った。

 会が終了後、幾人かがその流れで国会前まで歩いていって短いスピーチをすることになった。
 主催スタッフ、鎌田さん落合さんに交じって小出さんもいらっしゃる。

 前になったり横になったりしながら、ふと、信号待ちで小出さんとお喋り、最高にうれしかった。
 一緒にいた友人の写真家・田村玲央奈さんが撮ってくれた1枚。

 混雑した国会前エリアではぐれそうになりながらスタッフが言いました。

「ちょっと一杯やりませんか?」

 ええぇっ!

 歩き出した先に小出さんもいらっしゃる。
 えっ、一緒っ?

 ドキドキドキドキ。

 溜池山王まで混雑の中歩いていって、小さなイタリアンレストランで小さなテーブルを囲んだ。
 ワインといろいろ。
 たのしい軽い会話が続く中、心に溢れる言葉を、ついに、言っちゃった。

「わたし、小出裕章さんオタクです。毎日毎日、聴いています。真似できるほどです」

 小出さんは少し困ったような顔をして笑っていた。

 この記念日から、1年。

 いろんなイベントの司会をやり、新聞にコラムを書いたり、脱原発を表明する候補の応援に都知事選、沖縄名護市長選、鹿児島2区衆議院議員補欠選挙と走り回り、脱原発関連ドキュメントの宣伝にナレーション。

 こんなわたしでも役に立つと思って誘ってくださってるのだからと、怖がらず参加していたら、「NUCLEAR HOTSEAT」(*1)というカリフォルニアの核廃絶グループと繋がり、ロンドンの「JANUK」(*2)というグループと繋がり、ついには、ロンドンの日本大使館前で抗議スピーチを英語でしてしまう展開に。

 こんな展開にわたし自身が驚いている。
 今は亡き父母が知ったらなんて言うかしら……。

 でも、今は、非常事態。
 できることはしなければ。

 事故は、起きた。
 人類史上初の放射性物質ばら撒き・汚染水流しっぱなしの最悪の事故。

 何が原因かわかっていない、事故現場にだれも行けない入れない、どの時点のだれの判断が良くなかったのか明らかにしない・させない。
 だれひとり責任をとらない無責任なこの国の在りように世界が怒り始めていると思う。

 ばら撒かれてしまった毒物は未来永劫、無毒化できない。
 ここからどこかに移動させても、見えなくさせてもそこには、在る。

 1年前より事態はさらに悪化、深刻になっていると思う。

 福島のあちこちに山積みされているフレコンバッグ。
 除染の名の下、集められて詰められた土の中から雑草が袋を突き破って繁っている。
 厄介なものを「ないこと」にして目の前からどけることしかしない愚かな私たち。

 誰でもみな、裸で生まれてきて裸で死んでいく、確実に。

 なにも持ってはいけない、お金も名誉も土地も家も伴侶もこどもも。
 ひとりで生まれ生きて、ひとりで死んでいく。

 だからこそ、原発・核廃絶を目指して生きて在る間に少しは役にたちたい。

 小出裕章さんは今も毎日、惜しげもなく「きれいな酸素」をくださっている。


[YouTube -1]
2013.09.01「0901日曜首相官邸前抗議」木内みどりさん〈総理官邸前〉
https://www.youtube.com/watch?v=OJgZ30BbelY

[YouTube -2]
木内みどりさん英で政府批判 「また事故起きる」(英語スピーチ)(*3)
https://www.youtube.com/watch?v=u1ps6NyVOEk

マガジン9、2014年9月3日up
「木内みどりの発熱中」
第1回
9月1日はわたしにとって
特別な記念日。

http://www.magazine9.jp/article/kiuchi/14440/

(*1)
http://nuclearhotseat.com/

(*2)
http://januk.org/english/about.html

(*3)木内みどりさん英で政府批判 「また事故起きる」
[ロンドン=石川保典] 脱原発を訴える女優の木内みどりさんが2014年4月11日、ロンドンで行われた脱原発集会でスピーチし、日本政府が同日の閣議決定で事実上、原発ゼロを撤回し、原発再稼働を進めるとした政府のエネルギー基本計画を批判した。
 木内さんは東京電力福島第一原発事故後、脱原発運動に積極的に参加。
 この日、在英日本人でつくる反原発団体や英国の反核グループが毎週金曜日に日本大使館前で行っている集会に招かれた。

 木内さんは英語で、
「私の人生は福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべて行おうと決心した。誰も事故の責任を取らず、原因を追及もしない日本に対し私は怒っている」
と述べた。基本計画にも触れ、
「国民が事故のことを忘れたり、事故から逃げていてはまた事故が起きる」
と訴えた。

 木内さんは反核を訴える英国の著名なファッションデザイナー、キャサリン・ハムネットさんと31年前に日本の雑誌で対談した際にもらったという反核メッセージのTシャツを着て参加。
 ハムネットさんも集会で、
「再稼働は、日本や世界の民主主義に対する破壊行為だ」
と批判した。


東京新聞・朝刊、2014年4月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2014041202000110.html

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2019年11月21日

木内みどりさんに聞いた

木内みどりが、2019年11月18日、急性心臓死により永眠いたしました。生前の本人の希望通り通常の通夜・告別式は行わず、家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします。これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます。
https://twitter.com/kiuchi_midori

「私にも責任がある」
そう気がついて動き出した


編集部: 木内さんは、脱原発について積極的に発言をしたり、地方選で脱原発を公約に掲げる候補者の応援をしたり、さまざまな活動をされていますね。日本の芸能界では、自身の社会的スタンスや政治的スタンスを明らかにしない人が多い中で、女優である木内さんは、ご自分の考えをはっきりとおっしゃっている。そもそも、そうした発言や行動のきっかけは何だったのか、お聞かせください。

木内: きっかけは3.11です。福島第一原発事故後、何が起きているのか、原発がどうなっているのかもまったくわからなくて外出もできず、悶々としていた時期があったんですね。そのときに「たね蒔きジャーナル」(MBSラジオ)の小出裕章さんのお話を聴くようになって、そこだけおいしい酸素があるみたいに感じて、毎日聴いていたんです。iPhone にも落として、何度も何度も繰り返し聴くうちに事の次第がだんだんわかってきて、それと同時にテレビのニュースも新聞もあまり信じられなくなり、ウェブでの情報を拾うようになっていったんですね。
 そうして半年くらい経った頃でしょうか。小出さんが、原発政策は「国を挙げてやってきたことだから、騙されてもしようがないけれど、騙されたあなたにも責任がある」と。「騙されたことを認識しないと、また騙される、また事故が起きる」ということをおっしゃっていて、その言葉にハッとして「私にも責任があるんだ」というふうに自覚したんです。
 というのは、私の夫の水野誠一は、2001年の静岡県知事選に出ているんですね。私はそのときは政治のことなんか何もわからないし、最初は「絶対嫌だ!」と大反対したんですけれど。どうして彼が県知事選に出たかったかというと、彼の父親の水野成夫は、静岡県の浜岡町(現在は御前崎市の一部)の出身で、フジテレビを設立したり、産経新聞の社長をつとめたりしたのですが、1960年代に浜岡原発の誘致をするときに協力した人なんです。ところがチェルノブイリの原発事故が起きたことで、息子である水野は「浜岡だって危ないんじゃないか」と危機感を持って勉強をし出したんですね。
 県知事選出馬の話が持ち上がったのは、水野は当時、参議院議員だったので、政治がわかっていて、マーケティングがわかっていて、人柄としてもクリーンだということで、地元の学生と主婦が頼みにきたわけです。だからバックも何もなかったんですが、水野は、浜岡原発を止める「いいチャンスだ」と、せっかくチャンスがあってお願いされているのに、「僕は逃げるわけにはいかない」と言ったんですよ。それはやっぱり「人としてかっこいいな」と思ったので、私もひと夏、選挙のためにものすごく頑張ったんです。

編集部: 県知事選のときは、水野さんは浜岡原発の危険性を正面切って訴えたのですか?

木内: はい。静岡空港建設反対と浜岡原発停止を言ったんですが、浜岡の話をすると、場がシラーっとなって、人がすーっと引くのがわかるんですよ。私もそのときは原発のことをまったく理解していなかったから、側で聞いていて「また難しい話をし出した」みたいな。「ねえ、浜岡の話題はやめない?」なんて言っていたくらい、わかっていなかったんですよね。
 結局、選挙は現職にダブルスコアで負けて、そのとき身に沁みたのは、有権者のみなさんの県政への無関心ぶり。私は原発の話はしなかったけれど、福祉政策とかいっぱい訴えたんです。でも、全然手ごたえがなくて、この無関心ぶりはすごいなって。
 あと、選挙の結果が出た後で、地元の財界の人たちから「もっとうまくやれば勝たせてやったのに」みたいな話も聞いたりして、私は政治の素人ですから、そういう選挙のあり方に「なんて嫌な仕組みなんだろう」と絶望したんです。それで政治とか選挙とか、どんどん嫌いになってしまって。

編集部: それから10年後の2011年3月11日に、福島第一原発事故が起きた。

木内: 事故が起きてから「ああ、本当に起きちゃったんだ…」と。そこに小出さんの「あなたにも責任がある」という言葉が心に響いて、静岡県知事選のときに、もう少し原発の問題を理解して動いていたら、ちょっとは違っていたかもしれないという思いが、一気にわき上がってきたんですね。「私にも責任がある」って気づいてしまったんだから、「できることは全部やるぞ」と決意したのが、今やっているいろいろな活動のはじまりです。

国内外の脱原発運動に参加して

編集部: 現在は脱原発集会の司会ほか、多彩な活動をされていますね。

木内: ツイッターで発信したり、脱原発集会に参加したりしているうちに「司会をしてください」とか「官邸前抗議でスピーチをしてください」とか、そういう機会がだんだん増えていきました。
 その流れで、この2014年4月にロンドンの日本大使館前での脱原発集会で、英語でスピーチというのを大胆にもやってしまったんですけれど(笑)。その脱原発集会では、キャサリン・ハムネットという著名なデザイナーもスピーチをして。30年くらい前、彼女が来日したときに私は雑誌で対談をしているんです。そのとき彼女がプレゼントしてくれたTシャツには「WORLDWIDE NUCLEAR BAN NOW」というメッセージが大きなロゴで書いてあって、かっこいいTシャツなんですけれど、当時はそのメッセージが全然わからず、わかろうともせず着ていたんですよ。
 それで3.11後に、「あっ」と思ってTシャツを見てみたら、「全世界のすべての核を今すぐ禁止せよ」という意味だったことに気がついたんです。そこでまた、彼女がこれをくれた30年前に、今やっているように全身全霊で反対運動をしていたら、原発をめぐる状況はどうなっていただろうという思いが、ますます自分の中で強くなっていったんです。

編集部: ロンドンの脱原発集会では「私の人生は、福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべてやろうと決心した」とスピーチをしていますね。

木内: だからね、3.11以前の私から見たら、もうとんでもないことをしているわけで、そういう流れになってしまっている自分に、いちばん驚いているのは自分だし、怯えているのも自分なんです。でも勇気を出してやればやれないことではない。それに、私はどこの組織にも所属していないし、自分の考えを自由に言えばいいんだから、ひとつずつやっていくと、それなりに達成感はあるんですよ。ロンドンの脱原発集会では、キャサリンがものすごく喜んでくれて「一生友だちでいよう」って言ってくれたり。
 あとはアメリカに「NUCLEAR HOTSEAT」という大きなウェブサイトがあって、これはスリーマイル島の原発事故後に立ち上がったサイトなんですね。そこが3.11の3年目に、ポッドキャストで福島特集を世界に発信するというプロジェクトを組んだんです。それで小出さんや山本太郎さんや水野の他、私も「インタビューに答えてください」と言われて、「私ごときが」とためらったのですが、自分の気持ちを喋ればいいんだと思ってお話ししました。

編集部: 木内さんの、脱原発を訴える活動は、日本国内だけでなく、世界にも広がっているんですね。

木内: でも、いろいろやらせてもらって思うのは、デモや集会のやり方ももっと考えなきゃいけない。私もデモに行ったり、座り込みに行ったり、署名したり、お金を寄付したり、お金を集めたり、やって、やって、やって、やって…。だけど、やっているうちに「なーんにも変わらないじゃない、デモを何万回やってもおんなじじゃないのーーーっ!!!」というもどかしさが大きくなっていったんですね。
「さようなら原発1000万人アクション」という集会でも、私は何回か司会をしていますが、例えばデモをするときでも、せっかくノーベル賞作家の大江健三郎さんが先頭を歩いてらっしゃるのだから、「KENZABURO OE」とプラカードを出したり、動画に英語のテロップを入れたりすれば、世界の人が見てくれるじゃないですか。デモや集会のやり方や発信の方法を変えていくことは、本当にこれからの課題だと思います。

原発や政治について、
「言えない」社会の空気


編集部: 一方で、脱原発に向けて、行動する人びとは多数派とはいえません。それは社会の中に、政治的な話をするのはタブーだというような空気が漫然とあるからではないでしょうか。原発の話題を出すと「引かれるんじゃないか」と思ってしまったり、若い人たちからも「友だちと政治の話はしにくい」という声を聞きます。

木内: たぶん、1人ひとりが自分の足で立っていないんだと思うんです。誰かが褒めてくれたり、誰かが認めてくれたり、何かの会に所属したり、支え合っていないと倒れてしまう人が多いというか。だから、原発再稼働はおかしいと思っても動けなかったり、「こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか」と気にしてなんにも言えなくなってしまうんじゃないですか。
 もともと私は1人で行動するのが好きなんですね。小学生の頃からヘソ曲がりで、学校の集団行動も大嫌いだった(笑)。3.11以降「できることは全部やる」と決めてからも、グループ活動は苦手なので、動くのはいつも1人。だから考えも誰とも似ていないと思うんですよ。知識の足りないこの自分の頭で判断しているので。その代わり、本当に知りたいことを知ってきたから、私はこの考えで最後までいこうと思っています。

編集部: 本来はそうやって組織や会に属さない、それぞれ自立した個人がつながっていくのが理想ですね。どんな運動でも人と人の結びつきが生まれますから。木内さんは、原発問題に関わるようになって、交友範囲もずいぶん変わったのではないですか?

木内: 3.11前と後では、友人はかなり入れ替わっちゃいました。「なんだかすごい頑張っているのね…」みたいな、冷やかな言い方をする友だちは「もう会ってくれなくてけっこうです」って(笑)。私のほうで、そういう人たちは色あせてしまったんですね。あれだけの事故が起きて、原発の危なさが見えたのに、全然興味を持たないでいられることが、私にはわからない。

編集部: 芸能界に限らず、私たち一般社会においても、なかなか、政治や原発の話題は出しにくいわけで…。でも、何かきっかけをつくって、話しかけていくことは大事ですね。

木内: そう、先日も友人のお誕生日会で久しぶりに会った知人がいるんです。彼女は、政治に関してしっかりとした自分の考えを持っているので、せっかくの会なのに、2人で「いや、そうじゃない!」「私はそうは思わない!」なんて、ちょっと言い合いになったんですね。でも、おたがいの意見は違うけれど、彼女は「こういう場で政治の話をするのは初めて」と言うんです。「本当はこうあるべきよね。日本の女の人はやらなさ過ぎ。そこは問題だから大いにやりましょう」と言っていました。だから、私もひるまずに、原発のことを聞いてくれそうな人がいたら、どこでもどんどん喋ろうと思うんですよ。

脱原発候補者の選挙応援に駆けつけて

編集部: 前回は、脱原発運動に関わるきっかけと、活動の内容などを伺いました。そこから2月の都知事選をはじめ、地方選で脱原発を公約とする候補者の応援もされるようになったんですね?

木内: 選挙に関しては、私はどこの党とも関係がないし、どの組織にも属していないので、はっきりしているのは、とにかく原発を止めたい。それだけなんです。原発を止められそうな人がいたら、その候補者を全力で応援する。だから都知事選のときは、脱原発を訴えて出馬した宇都宮(健児)さんの応援をすることは、早い時期に決めたんです。

編集部: 選挙期間中はあちこちの集会の司会をしたり、それこそ全力で協力されていましたね。

木内: 先にお話ししたように、脱原発集会のやり方を変えなくちゃいけないと思っていたので、選対(選挙対策本部)でも私なりに「こうしたらどうか」といろいろな考えを伝えました。
 例えば2013年の参議院選で三宅洋平さんが出てきて「選挙フェス」をやったときには、「こういう選挙のやり方があるんだ!」と目からウロコでしたよね。だから選対では、これまでの選挙の闘い方にこだわらず、「(応援演説では)政治家の話は心に響かないからやめましょう」ということも言ったんですよ。官邸前で脱原発を訴えている人たちでも、政治を自分の言葉で語れるようになった人たちがいるんだから「そういう人たちに喋ってもらいましょうよ」とかね。

編集部: 都知事選の選挙運動の途中で、沖縄の名護市長選の応援にも行かれていますね。

木内: 名護市長選が1月にあって、現職の稲嶺進さんはずっと辺野古への米軍基地建設に反対されていて、熱い思いを持った方ですよね。私は、宇都宮さんから稲嶺さんへの応援の檄文を届けに行ったんです。
 名護のみなさんは、意識が高かったですよ。石破茂さんが「(基地容認派が勝てば)500億の振興基金を出す」って言ったでしょ。でも、普通のおじいちゃん、おばあちゃんでも、沖縄戦の記憶が生々しくあるからかもしれませんが、札束でひっぱたかれても動じない。びっくりしたのは、車を運転していたら、ガソリンスタンドのスタッフの若い男の子が「名護のことは名護が決める」と書いたプラカードを掲げているんです。「かっこいい!」と思いましたね。

編集部: 都知事選の後は、4月の衆議院鹿児島2区の補欠選挙にも駆け付けていますね。

木内: 都知事選では自分なりにやれることはやったし、しばらく選挙とか政治からは離れていようと思っていたんです。そうしたら、ロンドンの脱原発集会でスピーチをしてむこうの空港にいたときに「川内原発の再稼働を阻止するチャンスだ」という電話がかかってきたんですよ。「私、ちょっと、行けないですよ!」と言いながらも「ああ、私は結局行くんだろうな」って。もうね、自分でわかるんですよね(笑)。

編集部: 木内さんが応援した有川美子さんは、山本太郎さんの「新党ひとりひとり」が擁立した候補者ですね。福祉政策と、川内原発の再稼働阻止、消費税増税反対を訴えていました。

木内: 山本太郎さんが、誰かいないかと見つけた介護福祉士の人です。この有川さんという人がすごくいい人で、東京からも太郎さんの選挙を支援した人たちがいっぱい行ったんですけれど…。1位当選した自民党の陣営は、とにかくお金を使った選挙をやっていました。2位の民主党の候補者は、30人くらい民主党の議員の秘書さんたちが応援に来ていたんですが、数人ずつに分かれて「選挙に行こう」と書いた紙を持って歩いているだけ。民主党、あれじゃ勝てるわけがない。「何やってるの?」と呆れました。
 私たちは、お金はないけれど情熱はあったと思うんですが…。

編集部: 鹿児島2区の有権者の反応はどうでしたか?

木内: この補欠選がいかに大事な選挙か、一生懸命訴えたんですけれど、届かなかったですね。「今度の選挙は全国が注目しています」と言っても、投票日も知らない方も多くて。川内原発がどれだけ危ないか伝えても、「でもねえ、原発のおかげで暮らしているしね」と言う人もいました。

編集部: 地方選こそ、生活に密着した身近な選挙なので、もっと多くの人に関心を持ってほしいですね。来年は統一地方選挙がありますし。

木内: 鹿児島2区では有川さんは5858票しかとれなくて、自民党の候補者が6万票で、民主党の候補者が4万票。だけど、有川さんのツイキャスを見たり、ツイッター、フェイスブックで追いかけて、寄付もしてくれて、応援もしてくれた人たちがいっぱいいるんです。
 だから、希望は感じています。5858票は種火なんですよ。「この種火は絶対に消えない」という感触はあるんですね。自民党の組織票に比べたら少ないかもしれないけれど、熱があるから。「この熱はいつか伝わっていくよ、フワーッと伝わったら、あるときボッと火がつくよ」と私は思うんです。それは夢見ています。
 三宅洋平さんなんかも、あちこちの地方の市長選や町長選で、熱心に支援活動をやっています。地方選では、これまで選挙に出ようなんて思わなかった人が出始めているでしょう? そういう選挙戦では、ネットの分野で活動している若い人たちも動き出しているので、小さいところから3年後、5年後、10年後を目指して、着々と地固めはできていると思うんですね。

一人ひとりが
「熱」を持って動けば変えられる


編集部: 木内さんはこの3年間、脱原発運動に尽力してこられて、そのつながりで政治や選挙にも関わるようになりました。最近の重要な問題としては、安倍政権は解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を進めようとしていますが、そのへんはどう思われますか?

木内: 私はずっと脱原発ばっかり訴えてきたので、集団的自衛権のことは実感としてわからないんですけれど。ただ、去年の夏、報道写真家の福島菊次郎さんのドキュメンタリー映画の上映と写真展と講演が横浜であって、私もイベントに参加したんですね。そのとき菊次郎さんが、「このままじゃ戦争が始まる。今は戦前なんだ」というようなことをおっしゃっていて、あれから1年近く経って、状況は1歩、2歩、3歩、4歩、5歩くらい進んでいるのだろうから、「本当にそうなんだろうな…」とは感じます。
 イベントでは、菊次郎さんに「あなたは女優さんなんだから、あなたが読んでください」と言われて、『あたらしい憲法のはなし』という冊子をその場でいきなり渡されて朗読したんです。『あたらしい憲法のはなし』というのは、「戦争放棄」のことがわかりやすく書いてあって、素晴らしいですね。あれ、日本国憲法が公布された年に配られた中学生用の教科書らしいですね(ヤッホーくん注)。

編集部: 1947年の5月3日に憲法が施行された後、当時の文部省がつくって配布したものですね。憲法に書かれている内容を、中学生向けに分かりやすく解説してある。

木内: 横浜のイベントの後、府中でも菊次郎さんのイベントがあって、また「読んでください」とリクエストされて読んだんです。そのときはちゃんと読み込んでいって、この素晴らしい冊子を配ろうと考えたのは誰なのか知りたくなったんですね。それで「もともとの発案者を探すプロジェクトをつくろうよ」と私は言っているんですけれど。

編集部: 木内さんが感じているはがゆさのようなものを、私たちも感じています。原発再稼働を目論み、集団的自衛権の行使容認に突き進もうとしている現政権の暴走を止められないでいます。原発も憲法も、大事な局面にあるのに、世の中の大多数は、無関心だったりと。

木内: 私はね、社会と自分は同じ大きさだと思っているんですよ。だって、私が死んじゃったら自分にとっての社会もなくなってしまう。だから、大きな社会があって、その中にちっぽけな自分がいるんじゃなくて、この社会イコール自分だというふうに考えているんですね。だとしたら、こんな社会で生きるのは嫌だ、原発のない社会にしたい、戦争をしない国にしたいと思ったら、自分が動いて変えていくしかないじゃないですか。
 そのとき大切なのは、「熱」じゃないかと思うんです。脱原発の運動やいくつかの選挙戦を経験してわかったのは、どれだけ熱を持っているかで、伝わり方は全然違ってくるということ。偉い政治家が言うことよりも、普通のお母さんの言葉にふっと胸を打たれたりしますよね。権威とか、肩書とか、権力とか、武器とか、そんなもので世の中を動かすことはできない。心に伝わるあたたかいものでなければ、原発も戦争もなかなか止められないと思うんですね。
 1人ひとりが熱を持って行動すれば、きっと社会は変わります。


マガジン9「木内みどりさんに聞いた

(その1)2014年6月11日up
「脱原発」のため、私がやれることは何でもやる
http://www.magazine9.jp/article/konohito/13066/

(その2)2014年6月18日up
「熱」を持って動いていこう
http://www.magazine9.jp/article/konohito/13074/

(ヤッホーくん注)
 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください:

★ 2014年07月08日「あたらしい憲法のはなし」
★ 2018年10月31日「歌には力がある、歌を通して出来ることがいろいろある」

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祝賀資本主義 Celebration Capitalism

「桜を見る会」の問題が連日、テレビや新聞を賑(にぎ)わしている。
 ホテルオータニでの「前夜祭」において、安倍首相の地元後援会の関係者約800人が、5000円という異例の低価格で飲食をしていた点については、公職選挙法違反や政治資金規正法違反の疑いがあると指摘されている。
 SNS上では、「森友、加計問題に続く疑惑であり、3アウト、チェンジだ」という声も多数出ているが、安倍政権は今回も居座る公算が大きい。
 11月13日には突如、来年の「桜を見る会」の中止が発表され、15日には安倍首相自身が官邸で、20分以上の時間をかけて記者団に経緯の説明をするなど、政権は問題の幕引きに躍起になっている。
 
「桜を見る会」が象徴する「宴の政治」

 ここでは、「桜を見る会」そのものの問題点よりも、この会が象徴する政治のあり方について考えていきたい。

 テレビで繰り返し流された「桜を見る会」の光景こそが、安倍政権、そして今の日本の主流の政治のあり方を象徴している、と私は考えているからだ。

 それは「宴(うたげ)の政治」とでも言える政治のあり方だ。

「桜を見る会」のような祝宴は、主催者に招待された限られた人しか参加できないという性格があるが、現代の祝宴はテレビやネットを通して映像を流すことで、参加していない人にも華やかな雰囲気を伝え、その場に参列しているかのような錯覚を与えることができる。

 そして、宴の中心にいるのは主催者である権力者だ。
 この間、参列者が立ち並ぶ中、安倍首相ひとりが壇上に立って、両手を大きく広げている写真がSNSで拡散していたが、この構図こそが「宴の政治」を象徴している。

 華やかな場。
 立ち並ぶ各界の著名人と政権の支持者。
 そして、その中心にいる権力者。
 こうした映像が垂れ流されることで、「彼」が政治だけでなく、社会や文化の中心にいるかのようなイメージが刷り込まれる。

祝宴の政治的効果を最大限に活用

 お祝いムードの中、「彼」がおこなう政治の中身について議論することは「空気を読まない」行為とされ、批判の声はかき消されていく。

 どの政権も多かれ少なかれ、こうした祝宴の性格を利用するものだが、安倍首相をはじめとする近年の保守政治家は、祝宴の政治的効果を最大限活用しようとする傾向が強いと言える。
「桜を見る会」の参加者が年々増え、肥大化した一因は、そこにあるだろう。

 こうした政治のあり方を私は「宴の政治」と名づけたい。

「宴の政治」とは、地に足をつけ、格差や貧困、災害、少子高齢化など山積する社会課題に取り組むよりも、意図的に人びとの耳目を集める祝宴を作り出し、その効果を自らの権力維持のために最大限に活用することを優先する政治である。

 現代の日本では、こうした「宴の政治」が横行している。

 スポーツイベントのように主催者が政府や政治家でない場合も、政治家が便乗する形で「宴の政治」が繰り広げられる。

 今年の秋には、ラグビーのワールドカップという祝宴があった。

 9月20日、安倍首相は自身の公式Twitterアカウントで動画を投稿。
 そこでは、日本チームのラガーシャツを着込み、「トライ! ニッポン!」と言いながらラグビーボールでトライのまね事をする首相の姿があった。

 10月20日、安倍首相はラグビーの日本チームがベスト8に進出したことに触れ、「日本代表の皆さん、たくさんの感動をありがとう。夢のような一ヶ月間でした」とTwitterに書き込んだ。

 だが、その1週間前には台風19号が東日本各地で甚大な被害をもたらし、死者・行方不明者は90人を超えていた。
 10月20日時点では約4000人が避難所での生活を送っていた。

 また、9月に関東地方に襲来した台風15号の影響による千葉県の大規模停電が完全に復旧したのも10月に入ってからであった。

 SNS上では、「夢のような一ヶ月間」という表現があまりにお気楽で、被災者に対して無神経なのではないかという批判が散見されたが、「初のベスト8進出」というお祭りムードの中で批判は大きく広がらなかった。

新元号発表でつくり出された「梅」の祝宴

 今年の4月には「桜」だけでなく、「梅」の祝宴も作り出された。
 初めて和語を使った新元号「令和」の発表である。

「令和」の引用元となったのは、「万葉集」の序文に記された「梅花の宴」を詠った32首の序文である。
「梅花の宴」が開かれたとされる太宰府市の坂本八幡宮は、一躍、有名スポットとなり、観光客が押し寄せた。

 新元号の発表のあった4月1日、安倍晋三首相は記者会見を開き、首相談話を発表。
 その中で、「令和」の意味について「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました」と説明した。

 さすがに明言はしなかったものの、「一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせる」という表現は、政権のスローガンである「一億総活躍社会」との類似性を強調するものであった。
 新元号の選定には官邸の意向が強く働いたとの報道もあり、新元号と政権スローガンの類似性は偶然ではなかった可能性が高い。

 この時期、改元による祝賀ムードの影響で安倍政権の支持率は10%近くアップした。
「梅」の祝宴の政治的効果は絶大であったと言えよう。

 この時は「令和」の発表役を担った菅義偉官房長官も「令和おじさん」として自らを売り込もうとしたが、野党側にも新元号を政党名(「れいわ新選組」)や選挙のキャッチコピー(立憲民主党の「令和デモクラシー」)に使うなど、「梅」の祝宴に政治的にあやかろうという動きが散見された。

 11月10日の新天皇の即位パレードの前夜に開催された「国民祭典」では、会場アナウンスによって「万歳三唱」が15回も繰り返されるなど、天皇代替わりに伴うお祝いムードをナショナリズムの強化に利用しようという動きは、現在も続いている。

問題山積の東京五輪

 来年予定されている最も大きな祝宴は、東京オリンピック・パラリンピックである。

 東京五輪は当初、「復興五輪」と呼ばれていた。
 安倍首相は五輪の誘致演説において福島第一原発の状況は「アンダーコントロール」であると述べたが、今年10月には台風19号の影響で、除染廃棄物の入ったフレコンバッグ90袋が流出。
 福島第一原発から出た汚染水の海洋流出も検討される等、放射能汚染をコントロールできない状況が続いている。

 最近では、五輪誘致に使われた海外コンサルタント費約9億円の支出を裏付ける会計書類が不明になっているという問題も報道された。
 高額の海外コンサル費が贈賄に使われたのではないかという疑惑については、フランス検察当局による捜査も継続している。

 また、この連載でも指摘してきたように、東京では五輪に伴う都市再開発により都心部で路上生活者が排除される動きも加速している。
 新国立競技場の建設の影響で取り壊しになった都営霞ヶ丘アパートでは、高齢の入居者が移転を余儀なくされた。

 オリンピックのマラソンと競歩は札幌開催になったものの、他の競技は真夏の東京で開催され、アスリートやボランティアが熱中症になるリスクは依然として高い。

 このように東京五輪についてはさまざまな問題点が指摘されているが、来年になれば、報道は歓迎ムード一色になり、「空気を読まない」批判者は無視されたり、バッシングされたりするのであろう。

 マラソンと競歩がIOCの意向により札幌開催になったのは誤算であったであろうが、安倍首相、小池都知事はそれぞれの思惑で、この祝宴の晴れ舞台を最大限、政治的に活用するであろう。

 五輪という世界規模の祝宴は、政治家だけでなく、大企業にとっても巨額の利益を上げる草刈り場となっているという指摘もある。

五輪を「祝賀資本主義」と批判

 米国のサッカー五輪代表選手という経歴を持ちながら、現在は世界各地のオリンピック反対運動をつないでいるジュールズ・ボイコフ(Jules Boykoff、1970年生まれ)パシフィック大学教授(『オリンピック秘史〜120年の覇権と利権』翻訳・中島由華、早川書房、2018年1月)は、「祝賀資本主義 Celebration Capitalism」という言葉を用いて五輪を批判している。

 同氏は、五輪が開催される各都市において、お祭りムードの中、正常なルールのもとでの政治が機能しない例外状態が発現することを指摘。
 この間に企業の営利活動のリスクを公的機関や開催都市の納税者が負担する構造ができ上がり、環境への負荷やセキュリティー強化によるプライバシー侵害、貧困層の排除といった問題が起こることを指摘している。

 東京五輪の開催費用は当初の予定の数倍に膨れ上がっており、3兆円を超えると言われている。
 最終的にその負担を税という形で背負うのは都民や国民である。
 その一方で、「宴の政治」や「祝賀資本主義」により、政治的・経済的利益を享受する人たちがいるのを忘れてはならない。

 東京五輪開催まで、あと1年を切り、五輪後の景気失速も懸念される中、その次の祝宴も続々と計画されている。
 2025年に予定されている大阪・関西万博は、その代表格だ。

 大阪での万博決定には、維新の会と安倍官邸の意向が強く働いたと言われている。

 大阪府と大阪市は万博開幕前の2024年度内にカジノを含む統合型リゾート(IR)の開業をめざしている。

 カジノについては、ギャンブル依存症患者が増えること、マネーロンダリングに悪用されること等が懸念されており、候補地となっている各都市で市民による反対運動が盛り上がっている。
 大阪では万博という祝宴と結びつけることで、批判をかわそうという意図が見え隠れする。

 このように近年の政治は、祝宴を次から次に作り出して批判を抑え、祝宴と祝宴の間の空白を短くすることで権力を維持するということが目的化しているように見える。

 その観点で振り返ってみると、第二次安倍政権の表看板であったアベノミクスも、国をあげての祝宴であったと言うことができるだろう。

祝宴に目を奪われない有権者が増えることが必要だ

 私は2012年12月に発足した安倍政権が最初に行った仕事の一つが生活保護基準の引き下げであったことを批判してきた。

 生活保護費の大半は、生活保護利用者が暮らす地域での消費に回るお金である。
 国内消費を活性化したいのであれば、生活保護基準はむしろ上げないといけないはずだが、経済学の理論を無視してまで引き下げにこだわったのは、アベノミクスという祝宴に誰を入れないのか、ということを政治的に明確にしたかったからであろう。

 野党やマスメディアの奮闘にもかかわらず、「桜を見る会」のスキャンダルは決定的な証拠が出てこない限り、沈静化してしまうのであろう。

 しかし、一部の人のみが優遇される「宴の政治」というマジックのからくりを人びとが理解するようになれば、この後に次々控える祝宴の政治的効果も薄らいでいくだろう。

 野党側にも、改元や五輪といった祝宴にあやかるパフォーマンスではなく、祝宴の影で進行している諸問題に向き合う姿勢を求めたい。

「宴の政治」に別れを告げて、地に足のついた政治を取り戻すには、祝宴に目を奪われない有権者が増えることが不可欠である。

 そのことに一縷の望みをかけていたい。

朝日新聞・論座、2019年11月21日
「宴の政治」に別れを告げる時
桜、梅、五輪、万博が隠すものは?

(稲葉剛・立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019111900001.html

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国民を愚弄する「萩生田文科大臣」

「小池百合子」vs「萩生田光一」都知事選の暗闘(1/2)

 来年2020年7月5日に行われることとなった東京都知事選挙。
 どんな日程であれ小池百合子都知事の優位は揺るがないだろうが、引きずり下ろしたい自民党東京都連の萩生田光一・文科相も必死なのだ。
 が、暗闘が激化すれば彼の「脛の傷」にもスポットライトが……。

* * *

 選挙に至るまでの間、自民党都連としては小池知事のイメージダウンを図るため、あらゆる手段を講じるに違いない。
 しかし、その先頭に立つのであろう萩生田氏、そして高島直樹・都連幹事長の足元には、いつ爆発してもおかしくない地雷が埋まっている。
 実は、2人とも金がらみの疑惑を抱えているのである。

 英語民間試験導入に関する「身の丈」発言で謝罪に追い込まれたばかりの萩生田大臣。
 その疑惑の舞台となるのは、彼が代表を務める「自由民主党東京都第24選挙区支部」だ。
 2017年分の収支報告書を見ると、同支部が1年で集めた企業・団体献金はトータルで約3600万円。
 そのうち約1850万円については、衆院選が公示された10月10日から投開票日の22日までの12日間に集中的に集められている。
 その一方で、同支部は衆院が解散した9月28日から11月10日までの間に、計6回に分けて、総額1600万円を「はぎうだ光一選挙対策本部」に寄付。
 つまり、選挙期間中に集中的に集めた「企業からの選挙資金」を、政党支部を迂回して萩生田大臣が受け取っている形となっているのである。
 企業からの献金を政治家個人が受け取っていれば、政治資金規正法違反となる。

 こうした経緯は今年9月、「しんぶん赤旗」ですでに報じられているが、
「ポイントは献金した側がどう証言するか、ですね」
 と、政治資金問題に詳しい神戸学院大学教授の上脇博之氏は指摘する。

「献金を受けた政治家側はおそらく“企業側が選挙に関係なくたまたま政党支部に献金してくれて、そのお金を会計責任者が必要だと思って選対本部に移してくれた”等と抗弁することでしょう。しかし、献金した側が“選挙のために渡した”と証言するのであれば、そのお金は政党支部ではなく、政治家個人に渡したお金だったと言えます」

選挙の時は昔から…

 では、献金した企業側は何と言うか。
 選挙と関係のない時期に3万円の寄付を2回しており、衆院解散後の17年10月3日に10万円、同月11日に20万円を寄付した会社の社長に質したところ、
「選挙の時は昔から、市議会議員の頃からずっとね」
と、あっさり“選挙のため”であったことを認めた。

― ずいぶん応援しているんですね?

「選挙以外でも出して(寄付して)ますよ。普段からずーっと出していますよ」

― 普段から出しているけれど、選挙になると……。

「そりゃ、余分にお金がかかるから」

― 頑張れよって意味で。

「そりゃそうだ。当たり前だ。お金一銭もなくて選挙なんて出来るわけがない」

 選挙と関係のない時期に12万円、衆院選公示後の17年10月12日に100万円を寄付した会社にも聞いた。

― 普段は12万円なのに10月にいきなり100万円を出していますね。

「選挙の時ね」

― 選挙だから大きなお金を出している?

「そうそうそう。東京ルネッサンス21という後援会があって、その役員の人たちが出してる」

― 1800万円くらい集まった金がすぐに萩生田大臣の選対本部の方に移されているのだが?

「そういうつもりで出してますからね」

―額は決まっていない?

「決まってない」

―いわゆる「身の丈に合った」金額を?

「うん、そうそう」

萩生田大臣に問うと…

 先の上脇氏は、
「献金した側が“選挙のため”と証言しているのであれば、政治資金規正法で禁止されている違法な献金を萩生田氏が受け取ったことになります。企業側が“ずっとやってきた”と言っているのなら、より悪質性が高いと言える」
として、こう語る。

「また、本来は政治家個人に対して行われた献金を、政党支部への献金として収支報告書に記載しているので、こちらも政治資金規正法の虚偽記載罪に問われる可能性がある。その上、本来、選挙運動費用収支報告書に記載されるべき企業からの献金が記載されていないことになるので、公職選挙法の虚偽記載罪に問われる可能性もあります」

 一連の疑惑について萩生田大臣に問い質すと、

「お金の出入りのことはちょっと個人的には分からないんですけど」

― 党の支部から選対本部に寄付されて……。

「事務所の秘書に聞いてもらってもいいですか?」

 萩生田大臣の事務所に改めて取材を申し込むと、
「政治資金は法令に従い適正に処理しその収支を報告しているところです」

 真剣に答える気がないようである。


週刊新潮 2019年11月21日号掲載
萩生田光一文科相の政治資金規正法違反疑惑
献金業者が決定的証言

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11210802/

 他人は批判するが、自分にとって都合の悪い話になると逃げ回る――。
 それが安倍晋三という政治家の処世術だが、側近もまったく同じだ。


「政治とカネ」で野党議員に厳しい言葉をぶつけておきながら、自分への疑惑に対しては知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ萩生田光一衆議院議員が、なんと子供の“教育”を司る文部科学省の大臣になった。
 国民を愚弄するにも程がある。

■ 野党幹事長を厳しく批判

 自民党の幹事長代行だった萩生田氏は、参院選を前にした2019年7月2日、福山哲郎立憲民主党前幹事長の後援会が企業や団体から「後援会費」などとして政治資金の提供を受けていた問題に言及。
「後援会が企業からの寄附を受けられないことは政治家の一丁目一番地。野党第一党の幹事長がこういう状態を7年間も放置していたとすれば、いかがなものか」などと批判した上で、会計記録などを公表して説明責任を果たすべきとの考えを示していた。
 後援会が企業・団体からの寄附を受けられないことは、たしかに政治家の一丁目一番地。
 政治資金規正法は、企業・団体が政党及び政党支部と政党の政治資金団体以外の政治団体に寄附することを禁じており、萩生田氏の主張は間違っていない。
 だが、萩生田氏に他人のことをとやかく言う資格があるとは思えない。

■ 自らの迂回献金疑惑にはダンマリ

 萩生田氏が支部長を務める「自由民主党東京都第二十四選挙区支部」(以下、「自民支部」)が東京都選挙管理委員会に提出した平成29年分の政治資金収支報告書によれば、同支部がこの年に集めた企業・団体献金は約3,600万円。
 このうち約2,000万円は、衆議院が解散した2017年9月28日以降に集められたものだった(総選挙が公示された同年2017年10月10日から投開票日である22日までの12日間で1,770万円)。

 短期間に多額の政治資金を集めた同支部は、9月28日の100万円を皮切りに11月10日までに計6回、総額で1,600万円を「はぎうだ光一選挙対策本部」に寄附していた。
 選挙前後に自民支部で集めた多額の政治資金が「迂回」によって、そっくり選挙資金に充てられた格好だ。

 公職選挙法は、「選挙運動に関するすべての寄附及びその他の収入」を備え付けの会計帳簿に記載した上で、その内容を当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会に報告するよう求めているが、萩生田氏の選挙運動費用のうち1,600万円は、自民党の支部を迂回させることで出所を隠したもの。
 陣営として、意図的に虚偽報告を行った可能性があった。

※ 参照記事 ⇒
《自民・萩生田幹事長代行 自民支部「迂回」でふところに業者のカネ》
http://hunter-investigate.jp/news/2019/07/-271800hp-20170426.html
《安倍側近・萩生田幹事長代行の選挙費用収支に虚偽報告の疑い》
http://hunter-investigate.jp/news/2019/07/2000-1.html

 さらに、自民支部で集めた個人献金のうち、総選挙期間中の10月10日に国と契約期間中だった八王子市の建設会社「黒須建設」の役員から提供された100万円が、公職選挙法が禁じる「特定寄附」(国と請負契約を結ぶ個人や企業が国政選挙に関して行う献金)だった疑いも浮上。

※ 参照記事 ⇒
《首相側近・萩生田氏側 国との請負契約業者から選挙中に100万円》
http://hunter-investigate.jp/news/2019/08/-20170426-122000000.html

 HUNTERは萩生田氏側に、虚偽記載と特定寄附についての質問取材を行ったが、まともな答えは返ってこなかった。
(下が萩生田氏側から送られてきた文書。回答になっていない)=HUNTER URL 参照

■ 加計学園疑惑でも逃げ回る

 学校法人加計学園の獣医学部新設を巡る疑惑で主役となったのは、安倍首相と首相の「腹心の友」である加計孝太郎加計学園理事長。
 国家戦略特区を悪用した“便宜供与”が疑われる事態だったが、首相に代わって関係官庁を動かしていたのが、当時官房副長官を務めていた萩生田氏だったとみられている。

 2017年11月に開かれた国家戦略特別区域諮問会議では、議論を経ぬまま、事務方が用意した「国家戦略特区における追加の規制改革事項について(案)」を、『意義なし』の唱和によって決定。
 そこには、“加計学園の獣医学部新設”を決定付けたとされる次の一文が記されていた。
○ 先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する獣医学部の設置
・ 人獣共通感染症を始め、家畜・食料等を通じた感染症の発生が国際的に拡大する中、創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進や、地域での感染症に係る水際対策など、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するため、現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を、直ちに行う。

『広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域』というのは四国で、ここに『限る』となれば、該当するのは加計学園の獣医学部新設を特区申請した愛媛県今治市だけ。
 この時点で、同じく獣医学部新設を申請していた京都産業大学は、周辺地域に獣医師養成機関があるため失格になっていた。
 対象地が1カ所に絞られたのは、上記の一文の原案にはなかった「広域的に」「存在し」「限り」が書き入れられたためだが、加筆を指示したのが萩生田氏であったことが、文科省で共有された省内メールの記述によって明らかになっている。
(下参照。赤い書き込みはHUNTER編集部)=HUNTER URL 参照

 萩生田氏は、加計学園が運営する千葉科学大学で危機管理学部の客員教授として毎月10万円の報酬を得ていたことが分かっており、いわば加計学園の身内。
 その彼が同学園の獣医学部新設に関わったというのだから、便宜供与を疑われるのは当然だろう。
 だが、同氏はマスコミや野党から逃げ回り、一連の追及を「難癖(なんくせ)」と切って捨てていた。

 有名になった下の写真は、萩生田氏自身がブログに添付した1枚。
 安倍首相とビールを片手にポーズしている萩生田氏に挟まれているのが、加計学園の加計孝太郎理事長である。
 加計学園問題で、萩生田氏にかけられた疑惑は、決して「難癖」ではなかった。
=HUNTER URL 参照

 自分に向けられた疑惑からは逃げ回り、他者に対しては厳しい批判――。
 ご都合主義の権力者が就いたポストが、教育を司る文科省の大臣というのだから、開いた口が塞がらない。
 子供たちにみせたくない現実が、また一つ増えた。


HUNTER、2019年9月24日 09:00
国民を愚弄する「萩生田文科大臣」
http://hunter-investigate.jp/news/2019/09/-29360017701010221256110200282000-2810011101600-1600-29100-291010100.html#

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安倍首相の腰巾着

 2020年度から実施が予定されている「大学入学共通テスト」をめぐって、中高生でつくる「大学入学共通テストから学生を守る会」が2019年11月19日、記述式問題の中止を求める「緊急声明」を発表した。

採点の公平性に懸念

 大学入学共通テストは、現行のセンター試験に代わって来年度から始まる入試制度で、現在の高校2年生から適用される。
 当初の計画では、英語科目で、英検やTOEFLなどの民間試験が活用される予定だったが、受験生が住んでいる地域や家庭の経済力による「教育格差」を助長すると批判を浴び、導入が延期された。
 一方、国語や数学で導入される「記述式問題」も、採点の公平性や正確性が担保できないと懸念する声があがっている。

「高校生からの緊急声明」

「大学入学共通テストから学生を守る会」は10月25日、都内の高校に通う男子高校生2人が立ち上げ、全国の中高生約40人が参加している。
 共通テストの中止を求める署名活動を始め、11月4日までに寄せられた4万2千筆を文科省へ提出。
 10万人を目指して、現在も活動を続けている。

 11月19日に発表した「高校生からの緊急声明」では、記述式問題の問題点をこのように列挙している。

・ 一律の基準での採点が極めて難しく、採点の質が担保されない
・ 受験生による自己採点が極めて難しく、志望校選びが困難になる
・ そもそも全国統一の一次試験に導入するものとして不適切

 すでに入試まで約1年前に迫っているため、少なくとも2020年度での導入は延期するべきだと訴えている。

「受験に人生を賭ける思いで」

 特に、採点の公平性と正確性の問題については、1万人規模とされる採点者が同じ判断基準を共有して、受験生50万人の記述回答を正確に採点することは、極めて困難だと主張。
 また、採点者の中にはアルバイトの大学院生なども含まれる予定だという報道も踏まえ、採点者の適正にも不安があるとして、こう訴えている。
 私たち高校生は、人生をかけて1枚の答案を仕上げます。
 たった1点で大学に落ちることもあります。
 一問一問に必死で取り組みます。

 その、私たちの人生をかけた答案を、能力が担保されていない人が、公平かどうかも分からないような基準で、不透明なまま「採点」することに怒りを覚えざるを得ません。

 同会によると、文部科学省の担当者は声明を受け取った際、「しっかり読ませていただきます」「記述式に問題点が存在することは認識しています」と回答したという。
 代表の男子高校生は「これから改善します、解決策を検討しますというのではもう遅い。すでに入試は1年後に迫っており、すでにタイムリミットは来ている。まずは2020年度での導入は即刻延期して、それからじっくり考え直せばいいと思っています」と訴えた。

 声明の全文はこちら(https://twitter.com/protest_test/status/1196720682207342594)から(*)。


Buzzfeed、2019/11/19 20:23
高校生が発表した“緊急声明”に書かれていたこと
「受験生は1枚の答案に人生を賭けている」
2020年度から実施が予定されている「大学入学共通テスト」。その最初の受験生となる高校生たちが、記述式問題の中止を求める緊急声明を発表した。

(伊吹早織 BuzzFeed News Reporter)
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/protest-kyotsutest-2

(*)
https://drive.google.com/file/d/1H6cwTPywyjBZVByOqo2oabmPyvgfuASt/view

 おととし2018年、「大学入学共通テスト」の課題を探る「プレテスト」が行われた際、採点を委託された業者が、みずから採点業者であることをうたって、自社の模試などを宣伝する資料を、高校の教諭に配布していたことがわかり、萩生田文部科学大臣は厳重に抗議する考えを示しました。
 再来年2021年1月から始まる「大学入学共通テスト」で、初めて導入される記述式問題の採点は、ベネッセ(*)の関連会社に委託されることになっていて、ベネッセはおととし文部科学省が行った「プレテスト」の記述式問題の採点関連業務も担当しました。

 2019年11月20日の衆議院文部科学委員会で、国民民主党の城井崇議員は、ベネッセが、その当時行った首都圏の高校の教諭向けの研究会で、みずから採点業者であることをうたって、自社の模試などを宣伝する資料を配布していたと指摘しました。

 これについて、萩生田文部科学大臣は「ベネッセに確認したところ、資料の配付は事実であることが確認できた。学校現場に、このような資料を配付することは、記述式問題の採点業務の中立性、信頼性に疑念を招くものであり厳重に抗議し、是正を促していきいたい」と述べました。


NHK、2019年11月20日 19時36分
文科相 「大学入学共通テスト」採点の委託業者に厳重抗議へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191120/k10012184521000.html

(*)
ヤッホーくんのこのブログ、2019年11月09日付け日記「深まるばかりのこの国の病理」をお読みください。

「萩生田? もちろん覚えてますよ、怖い人だったから。“中ラン” と “ズンドウ” 姿で、よく喧嘩してましたね。陸上部にいましたが、すぐ退部して “帰宅部” になっていました」

 そう語るのは、萩生田光一文部科学大臣(56)の、早稲田実業高校時代の同級生だ。

 萩生田文科相といえば、大学入学共通テストの英語試験に、TOEFLなどの民間試験を導入するに際して、不公平を懸念する声に「自分の身の丈に合わせて、頑張ってもらえれば」と発言して大炎上。
 全国の受験生の怒りを買い、国会で野党の集中砲火を浴びた張本人である。

 下の写真は、カメラにガンを飛ばす「3年A組の萩生田くん」だ。
 “剃り” まで入ったリーゼントは、番長そのもの。
 同校の先輩は、こう振り返る。

「他校生にやられた後輩の仕返しとか、“大義” がある喧嘩しかしなかった。
 自分から仕掛けることはなかったな。
 挨拶もしっかりするし、言葉遣いも丁寧。
 先輩に目をつけられるタイプではなく、むしろかわいがられてたね。
 たしか、卒業パーティのパーティ券を売りさばいていたことと、他校との乱闘で2度、停学処分を食らっていた」

『ビー・バップ・ハイスクール』を地でいく、“人情派” 番長が、なぜ政治の道を志したのだろうか。
 前出の同級生は、こんなエピソードを明かす。

「授業で先生が、『自宅が “ボットントイレ” の生徒はいるか』と聞いたとき、手を挙げたのは萩生田だけ。
 相当ショックを受けたらしく、『俺が大人になったら、八王子の家は全部水洗トイレにする!』って宣言したんです。
 本人によれば、それが政治を志すきっかけになったそうですよ」

 早実から1浪して、明治大学商学部に入学。
 大学を卒業した萩生田氏は、まずは八王子市議の秘書として、政治活動を開始する。
 当時を知る八王子市政関係者は、こう語る。

「彼は学生のころに、八王子のベテラン女性市議の事務所に入りました。
 萩生田さんは、『ラーメンはデザートですよ!』なんて言いながら、市議の目の前でたくさん食べる。
『母性本能をくすぐるのがうまい人だな』と思ったものです」

 その後、萩生田氏は、27歳で八王子市議選に出馬し、当時では全国で最年少の市議に。
 そのころに出会ったのが、安倍晋三首相(65)だった。

「2人は、拉致問題の運動を通じて知り合った。
 萩生田が2001年に都議選に打って出たとき、安倍さんは頼まれてもいないのに、萩生田の応援に来た。
 萩生田は、それをとても恩義に感じて、忠誠を誓うようになった」
(ベテラン秘書)

 “叩き上げ” の萩生田氏は、世襲や官僚出身者が多い安倍首相の側近のなかで、「異例の厚遇を受けてきた存在」だという。
 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は、こう指摘する。

「ほかに側近議員とされる、世耕弘成参院幹事長や西村康稔経済再生相と違い、萩生田氏は理屈をこねるより黙って行動するタイプです。
 安倍首相にとっては、使い勝手がいいんでしょう。
 同郷でもなく、世代も違うのに、官房副長官などの要職に据えられてきたのは、異色な存在といえます」

「加計学園問題」では、黙って忖度したことが、裏目に出た。

「岡山理科大学の獣医学部新設を、文科省や内閣府に働きかけたという『萩生田メモ』が、安倍首相の考えを代弁したようなものだとして批判を集めた。
 また、萩生田氏が落選中に、加計学園グループの千葉科学大学の名誉客員教授を務めていたことも、火に油を注ぐことになった」
(政治部デスク)

 萩生田氏の “腰巾着” ぶりの評判は、当然芳しくない。

「何かにつけて、『総理がこう言っている』と、居丈高に指示を飛ばす。
 毎朝、総理から電話がかかってくるのを、自慢していましたね。
『機種変更するときに、数年ぶんの着信履歴を移行して保存した』と誇らしげでした」
(自民党中堅議員)

 二階俊博幹事長、菅義偉官房長官といった政権の重鎮からの不興も聞こえてくる。

「2017年に総理は、『二階さんのお目付役』として、萩生田を幹事長代行につけた。
 二階さんは、『あいつは、小便にもついてくる』とボヤいていました。
 菅さんも、放言の尻ぬぐいに呆れていて、いまでは閣議で目も合わさない」
(自民党幹部)

 主君に忠誠を尽くすあまり、周囲が見えないのか。
 前出の同級生は、悲しそうに語る。

「萩生田はいじめを見つけるたび、いじめっ子をやっつけていた。
 正義感の強い男だったんです。
 彼に救われた奴は多かったんですがね……」

 心優しき番長は、いつしか姿を変えていた。
 己の「身の丈」を打ち破ろうと奮闘した若き日々を、忘れてしまったのか――。

※ 週刊FLASH 2019年11月26日号


SmartFLASH、2019.11.17 06:00
安倍首相の腰巾着「萩生田光一」のリーゼント番長時代
https://smart-flash.jp/sociopolitics/85958

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武器見本市はいらない

 国内初の防衛装備の総合見本市「DSEI Japan」が2019年11月18日、幕張メッセ(千葉市)で開幕した。
 日英両政府が支援し、防衛分野での日本企業の国際競争力強化などにつなげる狙いがある。
 陸海空に加え、宇宙やサイバーなど防衛技術が新たな分野に広がる中、アジアでの需要拡大を見込む日米欧の大手企業などが各国の防衛当局者らに最新装備を売り込む。

 DSEIは英国で2年に1回開かれる世界最大級の見本市で、英国外での開催は今回が初めて。防衛装備庁は陸上自衛隊の10式戦車などを展示した。
 防衛産業には技術革新の波が押し寄せている。「新領域」と呼ばれる「宇宙」、「サイバー」、「電磁波」の3分野やドローンなどの新技術の台頭だ。
 これを背景に多くの企業がビジネスチャンスが広がるとみており、見本市には三菱重工業や川崎重工業などの国内防衛産業大手や、米国のロッキード・マーチン、レイセオン、英BAEシステムズ、欧州エアバスなど内外から154社が参加。日本企業の出展は61社にも上った。

 この手のイベントには反対派の抗議が付き物で、今回も例外ではない。
 何も「闇の武器商人」になろうという訳ではない。
 正規軍ではないが、日本を防衛するための組織である自衛隊がある限り、当然ながら国内に防衛産業も存在する。
 産業である限りビジネスになることは、自然の摂理である。
 商談がまとまれば、莫大な外貨が日本にもたらされるのだ。

 世界中で行われいる兵器見本市を、綺麗事ばかり言って遠ざけていては、日本の国体が弱体化する。

 小学生でも分かるように説明すると、警察官は拳銃を所持しています。
 それが抑止力となって、ある程度犯罪の発生を抑えていることは理解できると思う。
 それでも中には、警官の拳銃を奪おうとする犯罪が起きます。
 そんな報道を見た時にほとんどの人は、早く捕まってほしいと思うだろう。
 その時あなたは拳銃を持った犯人に対して、警察官に拳銃を持たずに「丸腰」て捕まえろと言いますか?
 身近な範囲で考えるとこれが正常な感覚だと思う。
 それが国家単位になった途端、武器を持つことを反対と訴えていることに、気づいてほしいと思う。

 今の日本の周りには、そんな法を無視するような無法国家が、犇めいている事を理解するべきである。
 もしあなたに子供がいれば、親として当然のように外敵から我が子を守ろうとするだろう。
 それが人の親として自然な行動だ。
 国民の生命と財産を国家が守るとう言うことと、一体どこが違うというのか。
 無法国家が武装して侵略してきた時、「丸腰」では国民を守ることができない。

 えっ、「憲法9条があるから侵略されることはない」って?
 世間では、そう考える人を「お花畑」と言うのだ…
 続きは動画の中で・・・


【DSEI 2019】日本初、防衛装備見本市が開幕!陸自の最新戦車からサイバー対策まで【一方外では】
https://www.youtube.com/watch?v=kEWmHAFRjGs

 国内で初めて、陸海空にまたがる総合的な武器見本市「DSEI JAPAN」が千葉市の幕張メッセで2019年11月20日まで開かれた。
 もともとは英国で開かれてきたが、初の日本開催となった。
 いったい何が展示されたのか。
 なぜ日本で?

■ 銃や装甲車ずらり

 会場でまず目に飛び込んできたのは、銃や装甲車、暗視スコープなどが整然と並んだ光景だ。
 出展したのは、イギリスやアメリカ、インドなど20ヶ国以上の154社。
 ひときわ明るく、広いのが日本ブースだ。
 IHIや三菱重工など61社が参加した。

 爆風を防ぐタイル、危険なドローンを捕獲する装置……。
 国内外のブースでは、実演しながらの説明があった。

「どれだけ殴られても、蹴られても、こすれても平気だ。もちろん命も守る」

 ドイツからの出展者は、下着のような薄さの白い防弾チョッキを着たまま匍匐(ほふく)前進を披露した。

 銃を試している背広姿の男性がいた。

「軽いっすね」

 赤い照準レーザーを的に照らしながらつぶやく。
 出展者は「スコープも人工知能を使って性能が良くなっている。枠の材質も良くなって軽量になりました」と満足げだった。

 ブースごとにコーヒーや軽食も用意され、陸海空の制服姿の自衛官や勲章をつけた各国の軍関係者が装甲車やミサイルを前に、和やかに懇談していた。
 軍事ヘリコプターなどは模型で展示され、興味があれば会場から見えない商談室で交渉するのだという。

■ 日本市場「金の卵」

 DSEIは1999年から、ロンドンで2年に1度、開かれてきた。
 主催者の一つ、クラリオン・イベンツ社によると、アジアでも開いてほしいという声が大きくなったのだという。
 防衛省は2020年度の概算要求で5兆3223億円を掲げており、7年連続の増加だ。
 同社の担当者は「日本の防衛予算は増え続け、世界から注目されている。アジア太平洋の防衛市場への参入ルートを探す企業が増えている」と話した。

 実際、暗視スコープのブースを設けた英企業は「日本の市場は未開拓で金の卵に見える。きょうは、多くの自衛隊員がブースに来てくれた」と話した。

「災害時技術」強調

 一方、見本市は日本側にとって別の意味がある。
 今回は、防衛省や外務省、経済産業省も後援し、いわば国を挙げた一大イベントだ。
 主催者の一つ「クライシスインテリジェンス」の浅利真代表は「海外バイヤーに日本の技術力を見せる機会になる」と語った。

 日本の「防衛装備品」は欧米からの調達が多く、国内では防衛事業から撤退する企業も出ている。
 政府は2014年に「武器輸出三原則」を改め、一定条件を満たせば輸出できるようにしたが、国際競争に勝てず、国内開発の航空機などの輸出は進んでいない。
 浅利氏は「北朝鮮や中国の軍事力が高まる中、賛否はあると思うが、日本も世界の武器市場の中でネットワークを作っていくべきだ」と話す。

 出展の意義を日本企業にも尋ねたが、口ごもるケースがほとんどだった。
 海外出展者とは異なり、展示品が「災害時や日常にも使える技術」であると強調していた。

 憲法で戦争放棄を掲げる日本で、和やかに武器売買の交渉が進む。
 会場の外では、見本市に反対する団体が抗議活動をした。

 DSEIは、今後も2年ごとに日本で開催するという。


[写真]
こんなものが展示されていた/防衛費の推移

朝日新聞、2019年11月21日05時00分
武器の見本市、戦争放棄の日本でなぜ?
(江戸川夏樹)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14264808.html

 総合的な防衛装備品の見本市「DSEI JAPAN 2019」が2019年11月18日、千葉市美浜区の幕張メッセで開かれ、日本企業や海外企業約150社が出展した。
 2014年に安倍政権は「武器輸出三原則」を撤廃し、原則解禁する「防衛装備移転三原則」を閣議決定してから、武器輸出の動きは加速。
「平和国家」を標榜(ひょうぼう)する国で繰り返される武器見本市に、批判が上がっている。

 見本市の会場入り口ではこの日、約410人の市民らが集まり「武器はいらない」と訴えた。

 呼び掛けたのは市民団体「幕張メッセでの武器見本市に反対する会」と「安保関連法に反対するママの会@ちば」。
 会場最寄りのJR海浜幕張駅南口前でも「武器見本市はいらない」と書かれた横断幕を掲げた。
 20日までの開催期間中、抗議活動を続けるという。

 見本市は、英国・ロンドンで2年に1度開催される世界最大級の武器見本市で、英国外での開催は今回初となる。

 日英両政府が支援し、三菱重工業や川崎重工業などの国内メーカーも参加。
 開催前に学者や市民らが反対の共同声明も発表していた。
 ママの会メンバーの金光理恵さん(56)=千葉県船橋市=は、抗議活動で「憲法の平和主義の精神に照らし合わせ、いかなる武器の売買も日本国内で行われてほしくない。『死の商人』はいらない」と語った。

 海浜幕張駅を通りかかった船橋市の会社員三橋和夫さん(63)も「武器見本市が最近になり、なぜ何度も開かれるのか。日本の防衛装備庁も出展しているというが、もっと暮らしに寄り添った税金の使い方をしてほしい」と疑問を投げ掛ける。

 幕張メッセが武器見本市の会場となるのは、2017年と今年2019年6月に「MAST ASIA」が開かれたのに続き3回目。
 ママの会と反対する会は、施設を所有する県に対しても、貸し出し中止を求める署名を提出。
 県の担当者は「公の施設は正当な拒む理由がない限り貸し出す。(武器見本市の開催は)県の設置管理条例に違反していない」としている。

(山口登史、中谷秀樹)

[写真]
「武器見本市はいらない」と書かれた横断幕を掲げる市民団体のメンバーら=18日、千葉市美浜区のJR海浜幕張駅前で

◆ 産業強化狙い禁断の領域に

 日本の武器等の輸出を巡る方針は第二次安倍晋三政権の発足以降、大きな転換を見せてきた。

 1967年、当時の佐藤栄作首相が、共産圏や国連決議により輸出が禁止されている国、国際紛争の当事国などへの武器輸出を認めない「武器輸出三原則」を表明。
 厳しい制約を課してきた。

 だが、安倍首相が政権に復帰した後の2014年に新たな「防衛装備移転三原則」を策定。
 移転を禁止する場合の明確化や、認める場合の限定や情報公開などをうたったものの、輸出を原則解禁。
 当初もくろんだオーストラリアへの潜水艦輸出は実現しなかったものの、2017年にフィリピン海軍に海上自衛隊が使用した練習機「TC90」を貸与している。
 2015年に横浜で武器展示会が開かれるなど、国内での武器見本市の開催も活発化している。

 こうした動きの背景には、供給先が国内に限られる防衛産業界の意向があるようだ。
 経団連は2015年、防衛装備品の海外移転を「国家戦略として推進すべきだ」と提言している。
 河野太郎防衛相は先月2019年10月、都内で開かれた防衛政策などを議論する経団連の会合に出席。

 その後の記者会見で河野氏は「海外からも情報提供の要望があるようなものについては、装備品の移転ということも視野にきちんと入れていく必要がある」と理解を示した。

 金子勝・立教大大学院特任教授(財政学)は「国際的な産業競争力の低下が深刻になり、禁断の領域に手を突っ込んだ印象。ただ、武器輸出の分野だけ競争力があるわけではない。日本の産業の現状はもっと厳しく、政府の思考そのものが遅れている」と、武器輸出に前のめりな姿勢を危ぶんだ。

(荘加卓嗣、布施谷航)

[写真]
政府が支援する防衛装備の見本市では防衛装備庁が陸上自衛隊の10式戦車も出展=18日、千葉市で

東京新聞・朝刊、2019年11月19日
幕張で武器見本市
「死の商人 日本にいらない」
市民ら抗議の声

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019111902000148.html

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2019年11月20日

G7で2番目に高い日本の相対的貧困率

 日本は、貧困国でしょうか。

「貧困」と聞いて大ぜいの人がイメージするのは、アフリカの貧困国のように、極端に背が低くガリガリに痩せ細った子どもたちの姿かもしれません。
 しかしGDP規模が米国、中国に次ぐ第3位の日本において、そのような光景を目の当たりにすればそれは「事件」です。

 そうした貧困は「絶対的貧困」と呼ばれ、世界銀行では「1日1.90米ドル(約200円)未満で生活する人びと」と定義されています。

 2015年には全世界で約7.36億人いると試算されています。

米国に次いで高い日本の「相対的貧困率」

 貧困にはもう1種類、「相対的貧困」と呼ばれる指標があります。
 その国の文化・生活水準と比較して困窮した状態を指し、具体的には「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人びと」と定義されています。

 日本の相対的貧困率は、12年は16.1%、16年は15.7%もありました。
 約6人に1人は「相対的貧困」なのです。
「OECD経済審査報告書(2017年)」には、国別の相対的貧困率が掲載されています。
 日米欧主要7カ国(G7)のうち、日本は米国に次いで2番目に高い比率になっています。
 日本は、貧困国でしょうか。


[グラフ]
日本の相対的貧困率はG7の中で米国に次いで高い

「昔はもっと貧しかった」と主張される方もいます。
 では、ご自身の学生時代を江戸時代と比較して「あなたは昔に比べて裕福だった」と言われたら、どのような気分になるでしょうか。
 それと一緒で、成長を続ける現代において昔との比較は意味がありません。

 相対的貧困とは、あくまで相対的なものであり、概念であり、目で見えにくい。
 だからこそあまり注目を集めず、今も苦しんでいる人たちがいます。
 ちなみに国立社会保障・人口問題研究所が2017年7月に実施した「生活と支え合いに関する調査」によれば、「ひとり親世帯(二世代)」の約36%が食料の困窮経験について「あった」と回答しています。

[グラフ]
食料の困窮経験が「あった」世帯の比率

 持続可能な社会を目指すなら、相対的貧困は低い方が良いといわれています。
 実際、SDGs(持続可能な開発目標)では、「目標1」として「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」と掲げるだけでなく、「目標10」に「各国内および各国間の不平等を是正する」と掲げ、相対的貧困層の減少を訴えています。

 それは、なぜでしょうか?

「相対的貧困層」は若者、老人、ひとり親の家庭に多い

 まず、相対的貧困層とはどのような人たちが多いかを調べてみます。

 貧困に関する研究の第一人者である阿部彩先生(首都大学東京教授)の「貧困統計ホームページ」に、詳細な分析結果が掲載されています。

[グラフ]
出典:阿部彩(2018)「日本の相対的貧困率の動態:2012から2015年」科学研究費助成事業(科学研究費補助金)(基盤研究(B))「『貧困学』のフロンティアを構築する研究」報告書

 この結果から、主に10代後半〜20代前半の若者と70代以上の高齢者の相対的貧困率が高いと分かります。
 70代後半の女性の4人に1人が相対的貧困というのは、なかなか衝撃的な結果です。

 少し違った角度で見てみましょう。
 20〜64歳における世帯構造別・男女別の相対的貧困率は以下の通りです。

[グラフ]
出典:前掲、阿部彩(2018)

 母子・父子家庭を意味する「ひとり親と未婚子のみ」の相対的貧困率が他世帯構造と比べて高いと分かります。
 もちろん、その家庭で暮らす子どもも「相対的貧困」に含まれます。

 子どもの貧困率(子ども全体に占める貧困線に満たない子どもの割合)は「平成28年国民生活基礎調査」によると13.9%、実に7人に1人の子どもが貧困だと分かりました。
 ひとり親の場合、貧困率は50%を超えます。

 10代後半〜20代前半の若者、70代以上の老人、そして母子・父子家庭(子ども含む)。
 この3つの層に、相対的貧困が多くいると言えるでしょう。


「相対的貧困」家庭の子どもは相対的貧困に陥りやすくなる

 20歳未満の若者・子どもが、相対的貧困の場合、それはどのような影響を及ぼすでしょうか?

 「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」に、家庭の「社会経済的背景(SES)」と小学6年生、中学3年生の学力の関係を分析した結果が掲載されています。

※ 社会経済的背景(Socio-Economic-Status、SES):
子どもたちの育つ家庭環境の諸要素(特に保護者の学歴・年収・職業など)のこと。ただし固定的な定義があるわけでなく、調査によって定義や分類に使われるデータは異なる

 この調査では、家庭の社会経済的背景(SES)を「Lowest」「Lower middle」「Upper middle」「Highest」の4階層に分け、それぞれの家庭収入、父親の学歴、母親の学歴について以下のようにまとめています。

[表]
出典:文部科学省「全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)の平成29年度追加分析報告書」

 この中では、Lowestが相対的貧困層に比較的近いのではないかと考えます。

 家庭の社会経済的背景(SES)別の小学校6年生の平均正答率は、以下のようになっています。
 棒グラフは平均正答率、丸い円が変動係数(標準偏差を平均値で割った値で高いほど正答率にばらつきがある)を意味しています。

[グラフ]
小学6年生におけるSES別の平均正答率と変動係数

 どの科目も、家庭の社会経済的背景(SES)が高いほど平均正答率が高まり、変動係数は低くなるという結果でした。
 では、中学校3年生の平均正答率も見てみましょう。

[グラフ]
中学3年生におけるSES別の平均正答率と変動係数

 同じような結果を示しました。
 家庭の社会経済的背景(SES)が平均正答率と何らかの関係があるとうかがわせます。

 もっとも、この結果だけでは「両親の学歴が低い・年収が低いから、子どものテストの点数も悪くなる」と言えません。
 なぜならLowestの変動係数が相対的に見て高いということは、高い学力水準を持つ生徒もいると言えるからです。
 あくまで「平均正答率の平均値が低い」だけしか分かりません。

 ただ、平均正答率の平均値が低ければ、大学に入学せず就職したり、職場でも単純労働に従事したりするなど、その後の生涯収入に影響を及ぼす可能性があります。

 2009年公表と、少し古いデータになりますが、東京大学の大学経営・政策研究センター「高校生の進路と親の年収の関連について」によると、両親の年収別の高校卒業後の進路は以下の通りでした。
 年収が高まるほど大学に進学するか浪人する比率が高まり、かつ就職する率が低くなります。

[グラフ]
両親年収別の高校卒業後の進路

 また、2019年に発表された内閣府の子供の貧困対策「子供の貧困に関する現状」によると、子どもの大学(専修学校等含む)進学率の推移は、ひとり親家庭、生活保護世帯など金銭的な問題が考えられる世帯は、全世帯に比べて相対的に低い結果となりました。

[グラフ]
子どもの大学(専修学校等含む)進学率の推移

 本人が自らの意志で「大学に行かない」と選んだならともかく、「大学に行けない」と言わざるを得なかった。
「学ぶ環境」が無く、適切に学業を修められなかった。
・・・これこそが貧困が与える影響でしょう。
 その結果、その家庭に生まれた子どもも相対的貧困に陥りやすくなる。
 結果、貧困は連鎖し、再生産されてしまう。

 これこそが「持続可能性が無い社会」なのでしょう。
 こうした状況を「学ばないおまえが悪い」と斬って捨てるほどの自己責任論者にはなれません。
 このような状況を放っておいてよいはずがありません。

捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無い

 貧困から抜け出すための手段の1つは生活保護です。
 しかし日本は海外に比べて捕捉率(生活保護を利用する資格がある人のうち実際に利用している人の割合)が低い
といわれています。

 日本弁護士連合会(日弁連)が作成したリーフレットでは、日本の捕捉率は15.3〜18%としています。
 一方でドイツは64.6%、フランスは91.6%と高水準とされています。
 しかし少なくとも日本の数値は推測であり、真の実態は不明です。
 実は、捕捉率の把握を目的とした継続的な統計データは無いのです。

 旧民主党政権下の10年4月に、厚生労働省に「ナショナルミニマム研究会」が開催され、初めて生活保護の捕捉率の推計が公表されました。
 ただし「国民生活基礎調査」(2007年)を用いた類推です。
 ちなみに、政権交代の影響か以降の捕捉率は公表されていません。

 生活保護を受給するには、「収入要件」や「貯蓄要件」(貯蓄残高が生活保護基準の1カ月分未満)のほかに、「就労要件」(働けるか否か)、家族による扶養義務者の有無(家族の中で扶養してくれる人がいるか否か)など、さまざまな要件をクリアする必要があります。
 これらのうち後者2つは「国民生活基礎調査」からは分かりません。

 研究会の資料によると、所得が生活保護の「収入要件」より低い低所得世帯は、全4802万世帯中597万世帯(12.4%)でした。

 一方、「貯蓄が保護基準の1カ月未満で住宅ローン無し」という生活保護の「貯蓄要件」に当てはまる世代は229万世帯(4.8%)となりました。

 当時の生活保護世帯は108万世帯ですから、所得要件のみで判定すると、捕捉率は15.3%(108万人/108万人+597万人)となります。
 資産要件のみで判定した捕捉率は32.1%(108万人/108万人+229万人)となります。
 これではいろいろな要件を加味した実際の捕捉率は分かりません。

貧困率が下がると捕捉率も下がる不思議

 そんな中で、学術研究の一環として就業構造基本調査の「オーダーメード集計」を用いて、都道府県別の貧困率、ワーキングプア率、子どもの貧困率、生活保護の捕捉率を集計した論文を発表されたのが山形大学の戸室健作准教授です(*)。

※「オーダーメード集計」:
既存の統計調査で得られた調査票データを活用して、調査実施機関等が申し出者からの委託を受けて、そのオーダーに基づいた新たな統計を集計・作成し、提供するもの

 論文によると、全国の捕捉率(所得のみ)は1992年14.9%、1997年13.1%、2002年11.6%、2007年14.3%、2012年15.5%と推移しています。
 10%台前半で推移というデータは日弁連が作成したリーフレットともだいたい合っています。

 論文の中に掲載された都道府県別の貧困率と捕捉率で散布図を作製すると意外なことが分かります。

[図]
都道府県別の貧困率と捕捉率の散布図

 都道府県別に見て、貧困率も捕捉率もこんなに散らばっています。
 貧困率が高くてもしっかり捕捉している大阪に対して、ほぼ同じ貧困率なのに捕捉できていない宮崎。
 この差はいったいどこにあるのでしょう?

 また、貧困率が低いと、捕捉率が低くなる傾向にあるのも気になります。
 捕捉率は「生活保護が必要な世帯に保護が行きわたっているか」を表す指標なので、本来はこの2つの指標は無相関になってもおかしくありません。
 それなのに、貧困率が低いと補足率が低くなる(貧困なのにそう見なされていない人が多くなる)のはなぜでしょうか。
 貧困率が低いことに安住して、捕捉率を高める自治体の努力がおろそかになるなら問題です。
 予算をかけて早急に改善すべきではないでしょうか。

 さらにいえば、「どこに住んでいるか」によって捕捉率が異なるなら、所得だけでなく場所ですら「貧困を生む要因」になりかねません。
「私は〇〇県だったから生活保護ももらえず貧しい人生を過ごす羽目になった」なんて、絶対にあってはならないことです。

 数字を見えないままにしておくと、あるはずの現実も無いことになってしまいます。
 それが生活保護を巡る現状です。貧困の実態は3年に1回の国民生活基礎調査(厚生労働省)と、5年に1回の全国消費実態調査(総務省)のデータを加工しないと分からないのが現状です。
 こうした状況でよいのでしょうか?
 これは、行政を動かす政治家の仕事です。

日経ビジネス、2019年11月19日
G7で2番目に高い日本の相対的貧困率。そこで何が起きている?
(松本 健太郎、株式会社デコム データサイエンティスト)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00067/111200016/

(*)山形大学の戸室健作准教授
しんぶん赤旗、2016年3月15日(火)
貧困世帯、1992年から20年で2.5倍
山形大・戸室氏の研究で明らかに
都道府県別の実態示す

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-15/2016031501_03_1.html

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民間試験導入だけでなく、小学校英語教科化も

 大学入試への英語民間試験導入は、制度設計の杜撰さもさることながら、決定プロセスにも大きな問題があったことは関係者の間では有名である(*)。
 この点は長らく関係者内だけでの「公然の秘密」であったが、最近になってようやく一般のメディアも報じるようになった。

 実は、小学校英語教科化(2020年4月〜)にもまったく同じ状況があった。
 しかし、一般にはほとんど知られていないように思うので、その点について説明したい。

官邸主導の英語民間試験導入

 小学校英語の話の前に、民間試験導入の決定プロセスを簡単に確認しよう。

 以下のデイリー新潮の記事を引用する。
☆ 英語民間試験ごり推しの裏に「ベネッセ」の教育利権…高校も大学も逆らえない
(デイリー新潮)
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11130558/
 京都工芸繊維大の羽藤由美教授は、
「今回の入試改革をさかのぼれば、安倍内閣のもとで13年、教育再生実行会議が第4次提言を公表したことに端を発します。このときの文科相は下村さんで、それ以来、すべては“民間ありき”でズルズルと話が進んでいきました」
…中略…
「13年6月、“大学の英語入試への民間検定試験の活用をめざす”という内容が盛り込まれた、第2期教育振興基本計画が閣議決定されました。ただ、そこに至るまでの前段があります。13年2月、楽天の三木谷浩史会長兼社長が、自民党の教育再生実行本部で“英語ができないため日本企業が内向きになって、世界の流れに逆行している”と指摘、大学入試にTOEFLを導入することを提言しました」
 すると、それを受けるかたちで翌3月に、
「遠藤本部長の下、実行本部がまとめた教育改革案に“TOEFLを大学入試に活用する”という内容が組み込まれました。続いて5月には、教育再生実行会議が、“TOEFLなどの民間試験の活用”などを含む提言を安倍総理に提出し、翌月の閣議決定につながっていきます」

 以上を要約すると、次の通り。
・ 2013年2月 自民党教育再生実行本部で委員が提案
 ↓
・ 同年5月 教育再生実行会議(首相の私的諮問機関)で提言
 ↓
・ 同年6月 第2期教育振興基本計画を閣議決定

 2013年に一部の委員の熱烈アピールによって検討が始まり、結果、ごく短期間の間に官邸主導の形で――要するに、各所との総合調整なしで――導入が決まった。

小学校英語教科化はどうか?

 小学校英語の教科化も上とかなり近い。
 2013年6月に、上述の第2期教育振興基本計画(閣議決定)に、官邸主導で盛り込まれたからである。

 実はその2ヶ月前の4月、文科省の審議会である中央教育審議会(中教審)が第2期教育振興基本計画について答申を出している。
 そこには教科化の「きょ」の字もなかった。

 この中教審の有識者(および文科省)が示した結論を尊重するのであれば、首相はその答申で示されたプランをそのまま第2期教育振興基本計画として閣議決定することになる。
 しかし、安倍内閣はそうせず、むしろ教科化を新たに付け加えた。
 わずか2ヶ月の間に、重大な変更を行ったのである。

 以下の画像は、4月の中教審答申と、6月の閣議決定を比較したものである(画像:略)。
 閣議決定の「主な取り組み」の部分に、以下の教科化提言が新たに追加されていることがわかる。
 また、小学校における英語教育実施学年の早期化、指導時間増、教科化、指導体制の在り方等や、中学校における英語による英語授業の実施について、検討を開始し、逐次必要な見直しを行う。

(余談ながら「TOEFL等」の文字列も閣議決定で新たに書き込まれたことがわかる)

トップダウンのツケ

 教科化はたった2ヶ月の間に官邸主導で決定されたわけである。

 とはいえ、短期間だったとしても、それに見合うだけの濃い議論を経たのならまだ納得がいく。
 しかし、筆者が関係会議の議事録(および報道記事)をいくら調べても実際には詳しく審議をした形跡は出てこなかった。
 たとえば、教育再生実行会議では教科化に関する議論がほとんどなされていない(そもそもこの頃の同会議の主たるテーマは大学教育改革であり、小学校教育は周辺的なテーマだった)。

 端的に言えば、教科化は「拙速な決定」以外の何物でもなかったと言えよう。

 筆者が以前からヤフーニュース(個人)で指摘してきたことだが、小学校英語は大変な苦境に直面している。
 そうした苦境に対する考慮は一切なく、ただ誰かが思いついた教科化プランをを、トップダウンで押し付けた格好である。

 たとえ、トップダウンだったとしても、最終決定に至るまでに相当の熟議を経ているのならまだわかる。

 小学校教育が直面する課題について綿密に調査し、それをもとに徹底的な議論を行い、それでも教科化をすることに意義があると考えたのなら、首相が自身の責任をかけて決断する。
 その当然の帰結として、関係機関・関係者には予算措置をはじめとして相応の配慮を行う。それが本来の「健全なトップダウン」のはずである。

 しかし、教科化はその対極である。

 思いつき、拙速な議論、総合調整の欠如という、トップダウンの悪い面だけを凝縮したような決定過程であった。


[参考]
☆ 働き方改革を阻む小学校英語(寺沢拓敬)
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20171128-00078674/
☆ 図解:小学校英語になぜ予算がつかないのか(寺沢拓敬)
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20170221-00067950/

Yahoo ! News Japan、2019/11/18(月) 7:00
民間試験導入だけでなく、小学校英語教科化も、安倍内閣による官邸主導
寺沢拓敬、関西学院大学社会学部准教授
https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20191118-00151312/

(*)大学入試への英語民間試験導入
立憲民主党・枝野幸男代表(発言録)
(延期が決まった英語民間試験について)なぜ、こんなおかしな制度を作ることになったのか。
 私の承知する限りでは、一番の原動力になったのは、(教育再生実行会議のメンバーだった)下村(博文)元文部科学大臣ではないかと思っている。
 下村元大臣が(英語民間試験を)導入しようとしたいきさつ、これが一番本質的な問題ではないか。
 しっかりと問いただしていきたい。
(4日、福島県いわき市で)


[写真]
立憲民主党の枝野幸男代表=4日午前10時59分、福島県いわき市

朝日新聞、2019年11月4日13時59分
枝野氏
英語試験「下村元大臣の導入のいきさつが本質」

https://www.asahi.com/articles/ASMC44FPQMC4UTFK006.html

 今月導入が延期された英語の民間試験について、東京大学は去年2018年4月、それまでの慎重な姿勢を転換し、活用へとかじを切りました。

 今回、NHKは、その直前に開かれた自民党の会議の音声データを入手しました。
 そこでは大臣経験者が、東京大学に民間試験を活用するよう、文部科学省に指導を求める発言などをしていたことが分かりました。
 専門家は「大学が萎縮する発言だ」と指摘しています。
 これについて、東京大学は外部からの影響はなかったとしているほか、大臣経験者は「発言は当たり前で議院内閣制の意味も無くなる」と話しています。

自民党 教育再生実行本部の会合で

 大学入学共通テストの英語の民間試験について、文部科学省は今月2019年11月、導入の延期を決めましたが、その決定過程などが不透明だと批判されています。

 NHKは、去年4月13日に開かれた自民党の教育再生実行本部の音声データを入手しました。
 この会合には、自民党の国会議員に加えて、文部科学省の幹部や、大学の関係者なども呼ばれ、英語の民間試験をテーマに意見が交わされました。
 当時、文部科学省は、民間試験を大学入学共通テストに導入すると公表していましたが、多くの大学はそれを活用するか、態度を表明せず、東京大学が去年3月に、現時点では入試に活用することは拙速だと会見で表明したことが注目を集めました。
 会合では、主査を務めた遠藤利明元オリンピック・パラリンピック担当大臣が、東京大学の五神真学長らが訪ねてきて、会見の内容を説明したと報告しています。

 さらに、下村博文元文部科学大臣が、東京大学の名前を挙げて、「間違ったメッセージを国民や他大学に対して、与えている。文部科学省は、よく東大に指導していただきたい」などと発言していました。

 東京大学は会合の2週間後に、民間試験の活用を検討すると方針を転換しました。

 大学入試の方法や内容は、憲法が保障する学問の自由に基づいて、大学の権限で、決めることになっています。

 取材に対して、東京大学は、「文部科学省や政治家からの指導や問い合わせはありません」と回答しました。

英語民間試験 判断揺れた東大

 文部科学省は、2020年度にスタートする大学入学共通テストの大きな柱として、2017年7月に英語の民間試験導入を決めました。
 しかし、大学側がどこまで活用するかは未知数でした。

 大学がどのような入試を行うかは国公立、私立を問わずに、憲法が保障する学問の自由により大学が決めることになっているためです。

 そんな中、全国の国立大学で作る「国立大学協会」は、同じ年の11月、この民間試験を活用すると公表しました。

 しかし、各大学は、民間試験への不安などを理由にその活用方針を明らかにせず、国立大学、なかでも、東京大学の判断に注目が集まっていました。

 こうした中、東京大学は去年3月、記者会見で現時点で入試に用いるのは拙速だとして、民間試験の活用に消極的な考えを示しました。

 しかし、翌月の4月27日になって、突如、方針を転換し、国立大学協会の指針に沿って、民間試験の活用を検討すると声明を出しました。

 そして、去年9月、最初の年は、出願資格として活用することを公表していました。
<
strong>東大元副学長「学問の自由への政治介入には抵抗がある」

 下村元文部科学大臣の発言について、東京大学の元副学長で、民間試験を検討する作業部会で、座長を務めた石井洋二郎名誉教授は、「非常に残念な発言だ。当時は、多くの課題が未解決のまま民間試験の活用に走り出すことに危惧を覚えていた。大学の方針転換は誰もが疑問を感じ、内部の関係者もよくわからなかった。学問の自由に政治が介入することには抵抗がある」と指摘してします。

 一方で、「大学にも、予算的な懸念から政府と対立しないほうがいいという雰囲気が浸透してきている。大学は国民のものであり、国にただ従っているだけでは矜持を失ったと言われても仕方ない」と懸念を示しています。

下村元文部科学相「与党として当たり前の話」

 自民党の下村元文部科学大臣は、NHKの取材に対し、「『東京大学は象徴的な大学なので、文部科学省から導入してもらえるよう働きかけたらいいのではないか』というニュアンスのことを言ったと思う。いいものは使うべきだ。国立大学の多くが『導入する』と言っている中で、『導入してもらえるよう働きかけたらいいのではないか』と言うのは、当たり前の話ではないか」と述べました。

 その上で、「民間試験の導入を進めるべきだという立場にも関わらず、文部科学省に任せて一切何も言ってはいけないという指摘があるとすれば、逆に政治的な恣意を感じる。偏向だ。全て役人に任せて、役人の言う通りにやればいいというのであれば、与党の意味はなく、そもそも、議院内閣制の意味もなくなる」と述べました。

文部科学省「個別会議受け東大指導した事実ない」

 文部科学省は「国立大学協会を通じて、すべての国立大学に英語4技能の評価実施を働きかけてきたが、個別の会議を受けて東京大学を呼び出したり、指導したりした事実はない」としています。

高等教育学会元会長「大学が萎縮する発言だ」

 日本高等教育学会の元会長で筑波大学の金子元久特命教授は「かなりあからさまに言っていることに驚いた。国立大学は国の財政負担の上に成り立っており、国民が求める声にも、耳を傾けなければいけないが、国会議員が具体的に指示するのはおかしい。大学や教育の現場では政治家が強圧的な発言することはあってはならない。大学が萎縮する発言だ」と話しています。

行政学の専門家「『不当な要求』で大学自治を阻害」

 行政学が専門の東京大学先端科学技術研究センターの牧原出教授は、「政治家がこうした発言をすること自体は法的に問われるものではない。しかし結果的に、民間試験に不備があり延期になって混乱したことを考慮すると、今回の発言は、ある種の『不当な要求』と言える。東京大学の決定が他大学に与える影響を踏まえると、大学を萎縮させる発言だ。大学の自治を阻害するもので問題だと思う」と指摘しています。

 その上で、「文部科学省にも責任はあるが、役所ができないことを政治が推し進めてきたことは問題だ。下村元文部科学大臣は当初から導入に関与した立場であり、混乱を招いた結果責任は重いと思う」と話しています。

教育政策の専門家「一線を越えた発言だ」

 教育政策に詳しい名古屋大学大学院の中嶋哲彦教授は「与党にせよ野党にせよ、政治家が教育政策を文科省に伝えること自体は許されないものではない。しかし、入試は大学にとって教育の根幹に関わる命ともいえるものだ。教育基本法は、行政機関や政府が大学に介入する、不当な支配を禁じる規定がある。今回は与党の会議で強い影響力を持つ文科大臣経験者が文科省の担当者を集めて、事実上の指示をしているわけで大学に対する介入と受け取れる一線を越えた発言だ。政治家は行政機関に対して強い影響力を持っていると自覚した上での行動が求められるし、大学側も、国民、とりわけ受験生に対して大学自治の担い手として行動しなければならない」と指摘しています。

憲法は大学の自治を認める しかし形骸化の指摘も

 憲法や教育基本法は、学問の自由に基づき、大学が、外部からの介入や干渉を受けないとする、大学の自治を認めています。

 これは戦前に、京都帝国大学で起きた滝川事件や、東京帝国大学の、美濃部達吉の天皇機関説への攻撃など、学問の自由が侵された歴史の反省にたったものとされています。

 一方、大学自体もその閉鎖性から象牙の塔と称されるなど、改革を求める声は上がり続け、1960年代には、各地で大学紛争が相次ぎました。国も大学改革に力を入れ、2004年には、国立大学がそれぞれ法人化され、国が財政面に責任を負いつつ、大学の自立性は保つという今の形ができあがります。

 しかし、国が国立大学への予算となる「運営費交付金」を削減し続けるなか、もはや、「大学のことは大学が決める」という大学の自治そのものが形骸化していると指摘する専門家もいます。


NHK、2019年11月19日 18時42分
英語民間試験
下村氏「東大に活用するよう指導を」党内会議で

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191119/k10012183121000.html

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2019年11月19日

連合発足30年

 労働組合の総元締である連合が発足して2019年11月21日で30周年を迎える。
 この間、非自民政権の樹立を後押しするなど、存在感を示した局面もあったが、近年は目立った成果を出せずにいる。
 組織内で「労働環境の改善を加速するには、政権と手を組むのが現実的だ」との声を聞くことがある。
 労組イコール左翼の図式で語られることが多いが、自民党の支持団体になる日はそう遠くないのではなかろうか。

 連合の正式名称は、日本労働組合総連合会である。
 その名前の通り、旧社会党系の日本労働組合総評議会(総評)と、旧民社党系の全日本労働総同盟(同盟)が連合して生まれた。
 組織率が低下する中で、発言力を維持するには大同団結した方が得策との思惑で一致したからだ。
 連合を接着剤にする形で、旧社会党系と旧民社党系を含む非自民勢力は1993年と2009年の2回、政権交代を実現した。

 だが、官公労中心の旧総評と民間労組の旧同盟との溝は埋まらなかった。
 親方日の丸的な体質の旧総評系の労組は、目先の待遇改善より自民党政権の批判に軸足を置く。
 他方、民間労組からなる旧同盟系の労組はイデオロギー闘争よりも、日々の暮らしを重視しており、安倍政権が力を入れる賃上げと親和性がある。

 両者の溝があらわになった出来事が2017年にあった。
 安倍晋三首相が打ち出した働き方改革の目玉だった「脱時間給」の扱い。
 連合がいったんは容認したのに、最終的にはその方針を撤回したのだ。
 容認を主導した旧同盟系の逢見直人事務局長(当時)は「政権と連携」派の代表格で、その2年前には安倍首相と密会したのが明るみに出たことがあった。
 脱時間給を「残業代ゼロ」と批判してきた旧総評系が猛反発し、次期会長とみられてきた逢見氏は会長代行にとどめられた。

 だが、労組単位での自民党支持の動きは徐々に進んでいる。
 騒動に先立つ2016年には化学メーカーでつくる全国化学労働組合総連合(化学総連)が連合を脱退。
 化学総連は否定したが、当時、幹部が自民党の茂木敏充政調会長(当時)と接触したと取り沙汰された。
 与野党対決型だった2018年の新潟県知事選では、連合としては野党統一候補を推したものの、反原発色が濃いことを嫌った電力総連は自民党候補を事実上支援した。

 自民党も労組との距離を縮めようと積極的に動いている。
 旧民主党出身の国会議員の引き抜きというと、知名度のある細野豪志氏や長島昭久氏のことが話題になることが多いが、それよりもはるかに重要な引き抜きが今年3月にあった。
 衆院新潟2区の鷲尾英一郎氏だ。
 細野氏や長島氏はもともと保守志向で、連合とは距離があった。
 他方、鷲尾氏は選挙区に東京電力柏崎刈羽原子力発電所があり、電力総連と二人三脚で選挙を戦ってきた。
 知事選での自民党候補支援にも当然かんでいた。

 これをきっかけに、電力総連に支えられている各地の野党議員が雪崩を打って自民党入りするのではないか。
 鷲尾氏はそのオルグ役を務めているのではないか。
 与野党は動向を注視している。
 9月には東北電力のお膝元の宮城県選出の桜井充参院議員が国民民主党を離党した。
 自民党入りも選択肢という趣旨の発言もしている。

 旧同盟系労組に支えられた国会議員らでつくる民社協会という集まりがある。
 旧民社党のOB会的な役割も担っていて、関係者に会うと往事の思い出話になることが多い。
 旧社会党とつくった1980年の連合政権構想、自民党と一緒に成立させた1992年の国連平和維持活動(PKO)協力法。
 そのとき、必ず出る愚痴がある。

「社公民のときも、自公民のときも公明党と一緒だった。なんで公明党が与党で、我々はずっと野党なのだろう」

 今年7月の参院選で自民党は議席を減らし、いわゆる改憲勢力は国民投票の発議に必要な3分の2を4議席、下回った。
 自民党は憲法改正に向けた個別の引き抜き工作と並行して、旧同盟系労組に支えられる国民民主党のまるごと取り込みも視野に入れている。
 影響力が低下しているとはいえ、700万人もの人がいる組織はそうそうない。

「安倍総理もオーケーしたんだ」

 先日、永田町で話題になった発言があった。
 しゃべったのは2017年に国会議員を退いた亀井静香氏。
 何をオーケーしたのかといえば、国民民主党との連立だ。
 発言の真偽を問われた玉木雄一郎代表は「政治は一寸先は闇であり光だ」とはぐらかした。
 安倍晋三首相と最終合意していたのかどうかはともかく、自民党との接触はあったのだろう。

 国民民主党は結局、次期衆院選を戦うには野党でいた方がよいと判断し、衆参両院で立憲民主党と統一会派を組む方を選んだ。
 ならば、連合も一体化の方向で進むのか。
 どうも答えはノーのようだ。
 永田町の情報通に聞くと、自民党と国民民主党が連立するソフトランディング型の政権入りを志向してきた旧同盟系労組はあてが外れ、じかに自民党と連携する方策を模索し始めているという。

 鉄鋼、造船重機、非鉄、建設などの産業別労組「基幹労連」が2016年に実施した組合員アンケートで支持政党を尋ねたら、自民党(23%)が当時の民進党(18%)を上回っていた。
 航空連合が2017年の衆院選の際、組合員にどの党に投票したのかを聞いたら、自民党が50%を超えた。
 第2の化学総連を出したくないならば、連合の神津里季生会長は安倍政権との距離を縮める方向に動かざるを得まい。
 だが、そうすれば今度は旧総評系は黙っていないだろう。
 右からぼろぼろと崩れていくのか、左から大分裂するのか。
 連合がいまのまま40年、50年と続いていく姿は想像できない。

 連合30周年に先立ち記者会見した神津会長はこれからの連合についてこう語った。

「右も左も広げて、幅広の道を真っすぐ行く。真ん中でいることが大切だ」

[写真-1]
「幅広の道を真っすぐ行く」と語る連合の神津里季生会長

[写真-2]
脱時間給の扱いを巡っては、組織内の足並みの乱れを露呈した

[写真-3]
大内啓伍民社党委員長(左)と田辺誠社会党委員長(右)の間に立つ山岸章連合会長(1992年当時)

日本経済新聞 Nikkei Views、2019/11/18 5:00
連合発足30年の岐路
労働組合が自民党を支持する日

(大石格、編集委員)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52151050U9A111C1I00000/

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桜を見る会

「桜を見る会」をめぐり、政界がざわついています。
 招待者の選考基準のあいまいさ、予算の膨張が問題となるや、突如、中止が決定されましたが、今なお疑念が晴れたとはいえず、安倍晋三総理の後援会会員を対象とした「夕食会」をはじめ、多くの問題が議論を呼んでいます。
 すでに多くの論者によって論じられているところではありますが、「桜を見る会」の一体、何が問題なのか。
@「桜を見る会」の前夜に行われた安倍晋三後援会の「夕食会」、
A「桜を見る会」自体、
の二つに分けて、私見を述べたいと思います。

前夜の「夕食会」について総理の説明は

 まず安倍晋三後援会の「夕食会」について論じます。
 この「夕食会」については「ホテル・ニューオータニで1人あたり会費5000円のパーティーが可能か否か」が世間の注目を集めると同時に、2013年から昨年まで安倍総理関連の後援会の政治資金収支報告書にこの「夕食会」の記載がないことが、政治資金規正法に反するのではないかという疑いが提起されています。
 これに対して安倍総理は、記者会見で次のように説明しています。

「夕食会の価格設定が安過ぎるのではないかという指摘がございます。そういう報道もありますが、参加者1人5000円という会費については、これはまさに大多数が当該ホテルの宿泊者であるという事情等を踏まえ、ホテル側が設定した価格である、との報告を受けております。以上、以前すでに行った国会での私の説明を、正確に補足させていただいたところでございます」

「収支報告書への記載は、収支が発生して初めてそれは発生するんです。公職選挙法を見ていただければ明らかなんですが、それは政治資金規正法上、収支が発生して初めて記入義務が生じます。いま申し上げましたように、交通費、宿泊費等について、直接代理店に支払っていれば、これは後援会に収支は発生しません。前夜祭についても、ホテルが領収書を出し、そしてそこで入ったお金をそのままホテルに渡していれば、収支は発生しないわけでありますから、政治資金規正法上の違反にはまったく当たらないということであります。その際、事務所の者がそこで受付をするということは、これは問題ないということでございます」
(首相官邸HP参照)

 これは本当でしょうか。

「夕食会」について確定している「事実」

 まず、「安倍晋三後援会(複数の後援会が存在しますがそれらを総称して)に収支は発生していない」という点を考えます。
 本年の「夕食会」について、確定している「事実」は以下の通りです。

(1)  2019年2月 安倍晋三事務所から後援会員に、「桜を見る会」の申込案内が出された(締切2月20日締切)。この案内には4月20日19時よりホテルニューオータニの鳳凰の間で会費5000円で夕食会が開かれる事が明記され、会費は当日会場で払う事となっていた。

(2) 2019年4月20日、推定800人参加で夕食会が開催された。
(朝日新聞デジタル2019年11月13日)

 さらに総理は11月18日、記者から問われて、夕食会の総額を示す明細書はないと答えています。
(朝日新聞デジタル2019年11月18日)

総理の説明から「推定」した「事実関係」

 これらの「事実」と安倍総理の説明に従って「事実関係」を「推定」すると、以下の通りとなります。

 まず、(1)についてです。

@ 2019年2月にニューオータニと安倍晋三事務所との間で「1人5000円」という値段がニューオータニの提示で決まった。

A この時、ニューオータニと安倍晋三事務所は「総額」を固定せず、「費用は5000円×来場者」と定めた(「総額」を固定すると、見込み人数と実人数が食い違った時に安倍晋三後援会に収支が発生します)。この取り決めについて、文書が作成されたか否かは不明。

B 手付等がまったく支払われないまま、ニューオータニは「鳳凰の間」を抑えた(手付等を支払うと安倍晋三後援会に収支が発生します)。

 次に(2)についてです。

@ 2019年4月20日、「夕食会」開催前に、ニューオータニは、代金を1円も受け取っていないにもかかわらず(見込みで代金を支払っていたなら安倍晋三後援会に収支が発生します)、来場見込みの800人+α分の、1枚5000円で宛名が白紙のニューオータニ名義の領収書を安倍晋三事務所職員に手交した(正確に800人と分かっているわけではないし、予備も必要です)。

A「夕食会」開始前の18時〜20時程度の間に参加者が其々1人5000円を支払って入場し、宛名が白紙のニューオータニ名義の領収書を得た。

B 入場を締め切った時点で初めて全来場者数が確定し、これにより、代金総額が決まった。安倍晋三事務所職員が代金総額全額をニューオータニに支払い、これにより支払いは終了した(この時点でニューオータニの請求額と安倍晋三後援会の支払額に齟齬があると、安倍晋三後援会に収支が発生します)。

C この時、ニューオータニは、安倍晋三後援会に総額についての計算書、受取書、領収書等を一切手交しなかった。

D 安倍晋三事務所職員は、余った1枚5000円で宛名が白紙の領収書を全てニューオータニに返還した(すべて返還しないと脱税に用いられる恐れがあります)。

「推定される事実関係」の不自然な点

 この「推定される事実関係」には、普通に考えて、極めて不自然な点が複数あります。

 まず、(1)の@ですが、通常ホテルのパーティーコースは複数あり、ホテルは当然それなりの利幅のものをやろうとしますから、「1人5000円」という、後述する通り、仮に可能であったとしても、採算ラインぎりぎりか採算割れになることが必至の値段を提示するのは、考えづらいといえます。

 (1)のAも、総額を固定しないホテルのパーティープランは通常考え難いものです(追加料金等の取り決めはありうるとして)。

 さらに(1)のBも、800人×5000円は400万円であり、400万円ものパーティーについて手付等が一切ないことは通常、めったにありません。

 (1)については、まだ程度問題ですが、(2)の@に関していえば、代金を1円も受け取っていないのに、400万円分もの宛名が白紙の領収書を渡すということは、ほとんどありえないというほど考え難く、ニューオータニがこの様な対応をしていたなら、ニューオータニのコンプライアンス上、いかがなものかと思われます(より詳しくは郷原信郎弁護士の解説参照)。

 (2)のCに至っては、ニューオータニのようなホテルが、400万円もの現金を受け取って、計算書、受取書、領収書を一切交付しないという事は社会通念上、極めて考えづらく、これが「真実」であると信ずる人はいないと言って過言ではないでしょう。

 もちろん上記の「推定される事実関係」の不自然さは、あくまで不自然さに過ぎず、安倍総理があくまでこの「推定される事実関係」が真実だと主張し続けるなら(主張し続けるのでしょう)、捜査権のない私や国民が、なにかできるわけではありません。とはいえ、通常行われている商取引と比較して、上記の「推定される事実関係」はあまりに不自然かつ不合理な点が多く、それが「真実でないのではないか」という疑念は消えません。

総理にとって「不都合な真実」とは

 一方で、こうした疑念を安倍総理がはらすことは、極めて簡単です。

 もし上記の「推定される事実関係」が真実なら、通常は(1)のAの時点で見積書・契約書が作成されるか、(2)のCの時点で、総理は受け取っていないと言っていますが、万が一、仮に本当にそれが事実であったとしても、少なくともニューオータニの側では「総額」を計算しているはずであり(400万円ものお金を受け取って、何の計算もしていないとはおよそ考えられません)、総理が求めれば、計算書、受取書、領収書等、何らかの形で総額を示す書面を得る事は容易で(ニューオータニにとっては何程の手間でもありません)、首相がこれを取得して公開すれば、いとも簡単に「推定される事実関係」が「真実」であると証明することができるのです。

 にもかかわらず、安倍総理は今に至ってもそれを行っていません。その理由は何か?

 考えられることは二つ。
(A) そもそも安倍総理の説明自体が「真実」でない。
(B) 記の説明自体は真実で、従って(1)のA、(2)のCの書類は存在するか、少なくともそれを取得する事は可能だが、これを公開すると、そこには、より一層「不都合な真実」が記載されている――です。

 そして、(1)のAもしくは(2)のCに記載されているであろう「不都合な真実」が、話題となっている「ニューオータニで1人5000円のパーティーが可能か」なのです。

 (1)のA、もしくは(2)のCでこの夕食会の総額と人数が確定すると、そこから1人当たりにかかった「実費用」が計算されます。
 しこれが5000円を超えると、公職選挙法199条の2の「寄附」に該当し、一年以下の禁錮又は30万円以下の罰金となってしまうのです。

極めて難しい1人5000円のパーティー

 それでは、実際に「ニューオータニで1人5000円のパーティー」は可能でしょうか。

 この「1人5000円パーティー問題」については、立憲民主党の石川大我参議院議員が自らの事務所の宴会としてニューオータニに見積もりを依頼し、1万3127円との回答を得たと報告(石川大我議員のツイッター)しています。
 パーティーの料金はオプションの付け方によってもかわるので、この1万3127円という見積もりの値段が安倍総理の「夕食会」にそのまま当てはまるとは言えませんが、ほぼ間違いなく当てはまると考えられる項目が二つあります。それは、「ビール・ソフトドリンク」の1人1800円、「鳳凰の間」の室料275万円を800人で割った1人3438円です。

 私自身、落選中何度もこの手のパーティーを行ない、自分自身でホテル担当者と交渉しているのでよくわかりますが、ホテルは食事の値段については、官邸幹部が主張するように、「唐揚げを増やし」たり、究極「乾いたチーズとサキイカと柿ピーナッツだけを出す」などして比較的柔軟(?)に対応してくれるのですが、アルコール代と会場費だけは、まず値引きしてくれません。

 この二つを足すと1人5238円となり、それだけで5000円をオーバーしてしまいます。
 従って、いかに唐揚げを増やす“努力”をしても、食事代が上がるだけ。ホテル・ニューオータニで、1人5000円でパーティーを行うことは実際問題、極めて困難だと思われます。

安倍総理には疑いをはらす義務がある

 これについても、安倍総理があくまで「これが真実だ」と主張し続けるなら(主張し続けるんでしょう)、捜査権のない私や国民が、なにかできるわけではありません。
 しかし、いくら首相が主張し続けたところで、アルコール代と会場費だけで5000円を超えてしまう会場で、出席者が「盛大なパーティー」「料理は結構出ました」(デジタル毎日2019年11月14日)と記載するようなパーティーを開催している以上、その経費は実のところ1人5000円を超えていたのではないかと言う疑念は消えません。

 この疑念を安倍総理が晴らすこともまた、上記の通り極めて簡単で 、(1)のAの契約書、 (2)のCの計算書、受取書、領収書を、万が一仮に本当に受け取っていないなら、今からでもニューオータニから取得して公開すればいいことですが、総理は今に至ってもそれを行っていません。

 なぜか。

 これを説明する答えはただ一つ、「『1人5000円のパーティー』は事実ではなく、(1)のAもしくは(2)のCの書類には、これと異なる事実が記載されている(記載される事になる)」しか考えられません。

 繰り返しますが、「安倍晋三後援会に収支が発生していた」も「夕食会の経費は1人5000円を超えていた」も、私が提起できるのはあくまで「疑念」であって、それを立証することはできません。
 しかし、民主主義国家においては、為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持つのであり、国民の疑念に対しては、適切に説明する義務があります。
 しかも、上記の通り、この「疑念」は社会通念上ごく自然なものであると同時に、総理の主張が真実であるなら、極めて簡単にこれをはらすことができるものです。
 私は、総理が自らの主張が「真実」であると主張するなら、早期に上記の証拠をもってその疑いをはらす義務がある
と思います。

「夕食会」が明らかにした最大の問題

 にもかかわらず、今に至るまで安倍総理はこれを行わず、与党自民党もまた、本件については安倍総理の国会での集中審議を拒否する意向と報じられています。
 それどころか上記の通り安倍総理は、この「夕食会」において、総額を示す明細書等は一切ないという社会通念上およそ真実とは信じがたい主張を堂々と行っています。
 それはすなわち、安倍総理にも与党自民党にも、国民の疑念に対して説明義務を果たす意思がないどころか、自らのつじつま合わせの為には、どれほど社会通念上およそ信じがたく、合理性・信ぴょう性が一切ない主張をしても問題ないと思っているということです。
 それは、彼らにとって「為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持つ」のではなく、「為政者は、為政者ゆえに正当性を持つのであり、説明どころか、主張の合理性・信ぴょう性すら不要である」と考えている証左であるように、私には思えます。
 そして私は、「1人5000円」が真実でないなら公職選挙法違反であり大問題であることはもちろんですが、それと同時に、この「為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持つ」という意識の欠如こそが、「桜を見る会」の前夜に行われた安倍晋三後援会の「夕食会」で明らかになった最大の問題であると、思います。

「桜を見る会」に招かれた時に感じた感慨

「桜を見る会」自体についても、同じことが言えます。
 桜を見る会は、1952年の吉田首相から始まり、途中災害等による中止はありましたが、以後67年間続いてきました。2006年の小泉純一郎内閣以降、参加者はおおむね1万人だったのですが、2013年の安倍総理の就任直後の会から1万2000人に増加、その後も増加の一途をたどり、直近の2019年は1万8000人になりました。
 同時に、予算は変わらないまま、実際に使った決算額が、予算額1766万円の3倍超の5518万円7000円にも膨れ上がりました。そしてそれが問題になるや、さしたる検討・議論もないまま、突如来年度の開催が中止されたのです。
 この「桜を見る会」には、私も知事就任後の2016年招待されて参加しました。落選時代が長かったこともあり、新宿御苑の入り口を入った時には、率直に言って「ああ、自分もここに招いてもらえるようになったんだ」と感慨深いものがありました。
 しかし、その感慨に浸る間もなく、私は見知った顔の「一団」に出会いました。自民党時代に地元の後援会でお世話になった方々です。きっと何かの業界団体や慈善団体の推薦だろうと思って(後援会の幹部をやるような方は基本的には地元の名士で、大体そういう団体の役員の一つや二つはやっているものです)、「皆さんお揃いで参加なんですね。何の会なんですか?」と尋ねました。尋ねられた人はなぜか少しバツが悪そうな顔をして、「いや、俺達はほら、○○先生の会でさ。大したもんじゃねぇんだよ」と言って足早に立ち去ってしまいました。
 当時は、無所属とはいえ野党系の支援を受けて当選した私と話すのは、○○先生の手前都合が悪いんだろうと思っていたのですが、今思うと、あれが「自民党議員の推薦枠」であったのだろうと思います。

「議員の推薦枠」のどこが問題か

 私は、「議員の推薦枠」の存在も、そこに自らの後援会の幹部を呼ぶことも、それ自体が悪いこととは思いません。さまざまな業界団体や慈善団体が推薦枠を持つとして、そこから漏れた「地域の縁の下の力持ち」的な人を見出し、スポットライトを当てることは、むしろ議員の仕事の一つだろうと思いますし、その際に後援会の幹部が選ばれることも、後援会の幹部をやるような人は地域で人望を集める地元の名士であることが多い以上、そうおかしなことではないからです。
 当時の私には「推薦枠」はもちろんありませんでしたが、仮に推薦枠があったとしたら、私自身、非常に高い確率で、その一つを10年の落選生活を支えてくれた後援会長と奥様に当てただろうと思います。このお二人は、私がお世話になったというそれ以上に、お世辞でもなんでもなく、さまざまな人を助けて地域に多大な貢献をしており、私がこのお二人を選んだとして、誰からも何の異論も出ないだろうと確信できたからです。
 問題はそこにあるのではなく、選ばれた人自身がバツが悪い思いで立ち去らなければならないような人選が、公然とかつ大規模に行われていたことです。前述の安倍晋三後援会では、「人選」どころか、安倍晋三後援会を経由して「申込」さえすれば、誰でも「桜を見る会」に参加できたことが、他ならぬ安倍晋三後援会から送付された案内から明らかです。
 私にはそれは、「公費で自らの支援者を饗応する」という以上に、「日本という国家は何によって正当性を持つのか」にかかわる問題であるように思われます。

「報われるべき努力」が報われることの大切さ

 万人はもちろん平等ですが、同時に人は、人から認められたいと思い、人から認められることを喜びに感じる動物です。
「人から認められる」ことは、多くの人にとって、人生をかけた努力で達成すべき目的の一つです。
 そして、その努力がより多く、より良い方向に向いた時に、社会全体もよくなると私は思います。

 だからこそ、私達の社会は「桜を見る会」や「園遊会」そして「叙勲」で、社会の人達の努力に報いるのであり、この時、どのような努力を「報われるべき努力」として選考するかは、決して大げさではなく、その社会の価値感、方向性を端的に示すものとなります。

 そして、民主主義社会の日本において「報われるべき努力」は、「国民とって有用であると、国民が認めた努力」でなければならないと、私は思います。
 もちろん実際の選考に当たっては、団体が推薦するにせよ、議員が推薦するにせよ、一定の客観的基準によるべきなのは当然なのですが、民主主義社会における国家の正当性は、国民にしかない以上、その根底には「国民にとって有用であると、国民が認めた努力」に報いるのだという理念があるべきなのです。

問われる日本という国家のあり方

 翻って、今般の「桜の会の参加者急増」問題では、前述の「安倍晋三後援会経由なら申込だけでOK」や、TVで「功労は?」とコメントされた自民党議員の親族の招待などに端的に示されたように、率直に言って、「自民党にとって有用であると、自民党が認めた努力」、もっと言えば、「安倍総理にとって有用であると、安倍総理が認めた努力」ばかりが選考され、認められたと言わざるを得ないように、私には思えます。
 そして、予算額と決算額の大幅な乖離(かいり)が5年以上放置されていたことは、「安倍総理にとって有用であると、安倍総理が認めた努力」にだけ報いる事を、「予算」という形で国民に示す必要性さえも感じていなかったことの証左であり、問題が表面化するや、さしたる検討・議論もないまま、「総理の決断」で突如、来年度の中止が決定されたことは、総理・官邸がこの行事を「総理の、総理による、総理の為の行事」と考えていた(考えている)ことを、別の方向から示す端的な証拠ではないかと、私には思えてなりません。

 この問題を「低俗な」「下らない」問題、もしくは「招かれない人の嫉妬」などとして早期に幕引きを図ろうとする声が、政権内部や政権を支持する方々から聞こえてきますが、私はそうは思いません。

 この問題は、日本という国家のあり方、日本が「為政者は国民から選ばれたことによって正当性を持ち」、「国民にとって有用であると、国民が認めた努力」に報いる民主主義国家であり続けられるかどうかの分水嶺です。

 真摯(しんし)で徹底した議論と疑念の解明が求められると思います。


[写真-1]
首相官邸で、「桜を見る会」に関する取材に応じる安倍晋三首相=2019年11月18日

[写真-2]
「桜を見る会」追及チームの会合で、内閣府や総務省の担当者ら(手前)に質問する野党議員ら(奥)=2019年11月14日、国会内

[写真-3]
「桜を見る会」に関する記者の質問に答える安倍晋三首相=2019年11月18日、首相官邸

[写真-4]
「桜を見る会」で用意された和菓子=2016年撮影

[写真-5]
今年の「桜を見る会」。安倍晋三首相(中央左)、昭恵夫人(同右)と記念撮影をする参加者=2019年4月13日、東京都新宿区

[写真-6]
今年の「桜を見る会」であいさつする安倍晋三首相(中央)=2019年4月13日、東京都新宿区

朝日新聞・論座、2019年11月18日
「桜を見る会」が日本政治に突きつけた本当の問題
「国民が認めた」努力に報いる民主主義国家であり続けるかどうかが問われている

(米山隆一・前新潟県知事。弁護士・医学博士)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019111700003.html

※ 安倍氏の「桜を見る会」前夜祭の公選法政治資金規正法違反は首相としてではなく衆院議員としての疑惑だ。ならば官邸記者クラブの政治記者しかほぼアプローチできない官邸でのぶら下がり取材ではなく社会部記者やフリーも行ける議員会館で記者会見すべきだ。やはり官邸記者だけなら追及が甘く安心なのか?
(鮫島浩氏コメント)

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2019年11月18日

金時娘との出会い旅

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:

★ 2011年06月26日「山で元気に」 
★ 2011年11月20日「雨上がりの金時山」
★ 2014年12月14日「金時山1212m」
★ 2014年12月17日「金太郎」
★ 2014年12月19日「大江山」
★ 2014年12月27日「旅する歌手」
★ 2017年03月13日「箱根外輪山」
★ 2017年03月17日「箱根丸岳1156m」

 ヤッホーくんから今日、2019年11月18日月曜日なにやら一斉報告メールが発せられたようですのでご紹介:

 こんにちは。
 昨日17日日曜日、何回目の挑戦でしょうか、何ヶ月ぶりの山歩きだったのでしょうか・・・

 異常気象に見舞われた2019年も押し迫った昨日の日曜日、バスで金時山1212m?1213mに行ってまいりました。
 参加者6名。

 仲間のおひとりから新宿駅発のバスは残席がひとつしかないよ、ってメールが前日の土曜日に入ったときはびっくり。
 あわてて電話相談、もともとの夏前の企画にたちもどって東京駅発のバスに変更。
 お知らせしてくれた仲間にも変更をお願いして、どうにかこうにか、ことなきをえました。
 参加者の仲間一人ひとりのケイタイにお電話を入れたり、お騒がせしました。
 大涌谷への立ち入り規制も解除、台風で温泉も引けなかったのがようやく、とかなんとか、もう秋の最後の行楽シーズンで、17日は天気もよさそうと観光客が殺到したハイシーズンになったのではないでしょうか、と。

 そうですか、おかげさまで帰りのバスは高速道路が渋滞にはまり、それはノロノロ運転。
 東京駅に戻ったときはもうすっかり日も暮れ、遅い時刻。
 そんじゃあ、とばかり、ヤッホーくん、待ち望んでいた「打ち上げ会」も開かず帰宅を急いでしまいました。

 金時山への山路や山頂に目立ったのは、若い人!
 金時娘の茶屋も若い人であふれていました!

 写真を添付しますが、乙女峠のバス停と展望台と山頂…
 こんなすっきりときれいなお富士さまと出会えたんは何年ぶりかのことでした。
 では次回まで、御身お大切に、ごきげんよう、ヤッホー!


[写真-1]乙女峠登山口

乙女峠バス停.JPG

[写真-2]乙女峠展望台

乙女峠展望台.JPG

[写真-3]金時山

金時山山頂.JPG

posted by fom_club at 17:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

桜を見る会夕食会弁明で法律違反を正当化

はーあ、
領収書も無エ!明細書も無エ!
議事録あんまり見たこと無エ!
メモなど無エ!名簿も無エ!
生まれてこの方記憶も無エ!

俺らこんな国いやだ〜
俺らこんな国いやだ〜 
この国変えるだこの国変えたなら
みんなさ集めて
東京で花見るだ


[これが首相?]
「桜を見る会」前日の夕食会に関して「事務所や後援会に一切入金、出金はない」各参加者が直接支払い、食事代も「領収書を発行していない」、ホテル側からの「領収証の明細もない」と。
 証拠を隠せば、何を言っても大丈夫?
 ヤジ、大嘘つき、泥棒みたいな首相。

[嘘つき泥棒の独裁国家になる]
 アベは相次ぐ閣僚辞任、格差容認の民間英語試験導入の挫折、税金「泥棒まがい」の「桜を見る会」も解明を放棄する中、アベは憲法審査会で国民投票法を採決しようとする。
 これを許せば、本当にファシズムになってしまうだろう。
 日本は滅びる。


 安倍晋三首相は2019年18日午前、首相主催の「桜を見る会」の前夜に後援会関係者らと東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開いた今年2019年の懇親会に関して「安倍事務所や後援会に一切、入金、出金はない」と述べ、事務所には会費などの総額を示す明細書もないと明らかにした。
 官邸で記者団の質問に答えた。

 懇親会の参加者は約800人だったとした上で「参加者が直接、宿泊費、旅費を払い込んだ」と説明。
 懇親会費5000円の領収書については「ホテルが発行し、事務所の者が渡している」と述べ、事務所による領収書発行や補填(ほてん)を否定した。
 15日には、首相の事務所職員が会場で会費を集め、ホテル名義の領収書を手渡したと説明している。

 首相は、国会で自ら説明する機会を設けるよう与党に指示する考えがあるかを問われて「国会の対応は党に全て任せている」と話すにとどめた。

 一方、立憲民主党の安住淳国対委員長は、首相が明細書などはないと主張していることに、
にわかにそんなことを信じる日本国民がいるか。ホテル側が首相の後援会の前夜祭を主催するわけがない
と疑問を呈し、ホテル側に資料提出を要請する考えを示した。

 安住氏は十八日午後、自民党の森山裕国対委員長と会談し、首相が出席する衆院予算委員会の集中審議を開催するよう求める。
 

東京新聞・夕刊、2019年11月18日
「桜見る会」懇親会の明細書
首相「事務所にない」

(川田篤志)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201911/CK2019111802000257.html

 安倍首相は、墓穴を掘った――。
「桜を見る会」をめぐる自身の後援会ツアーや前夜祭のホテル夕食会について、2019年11月15日、官邸でのぶら下がり取材で釈明したが、むしろ疑惑は深まった。

 特に、5000円という破格の夕食会。
「事務所、後援会の収入、支出は一切ない」
「会費は会場受付で事務所職員が集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交し、集金した現金をホテル側に渡す形で支払った」
という説明は、政治資金規正法違反(不記載)を自ら認めているようなものなのだ。

「会費制の会合で収入がないからといって収支報告書に記載しないのはマズい。政治資金規正法の専門の弁護士に、そう言われました」

 こう話すのは野党系の前衆院議員。
 数十人規模の支援者との懇親会を地元のホテルで開催した際、当初は、会費を会場でもらってホテル名義の領収書を出し、集めた現金をホテルに渡す形式を考えていた。
 それなら、自身の事務所は「仲介者」「幹事役」にすぎないので、報告書にも記載する必要がないと思っていたという。

 しかし、弁護士に「違法になる」と指摘されたため、結局、後援会が集金して領収書を出し、後援会としてホテルに支払う形にして、報告書にも記載した。

「収支が一致していて後援会としての収入がないため記載不要だと思っていましたが、政治資金規正法の趣旨に反するとのことです。規正法は政治家のお金の動きを透明化するのが目的で、後援会の名前で会合を催したら、収支に関係なく記載しなければならないということでした」
(前出の前衆院議員)

 会費制で収支均衡でも報告書に記載――。
 実はコレ、今や永田町では常識だ。

 昨年2018年10月、立憲民主党の近藤昭一副代表(当時)が会費制集会の不記載を指摘され、資金管理団体の収支報告書を訂正、党の役職を辞任している。
 実行委員会が主催し、申込先が近藤事務所だった「サマーパーティー」「いちご狩り」は、集めた会費をそのまま会場に支払っていたため、事務所の収入はなかった。
 しかし、規正法に抵触する恐れがあるとして、訂正申告したのだった。

収支ナシでも後援会は報告書に記載義務

 その直後の同年2018年12月、現文科相の萩生田光一自民党幹事長代行(当時)の後援会有志が企画したバス旅行の不記載が問題に。
「支援者有志の主催であり、参加者が個人で旅行会社に参加費を支払い、後援会の事業収入はないため記載しなかった」と説明したが、「今後は後援会主催にして報告書に記載する」としている。

 近藤氏と萩生田氏のケースは、安倍首相の疑惑にもバッチリ当てはまる。
 安倍事務所が支援者らに出した昨年2018年の「桜を見る会」の案内文には、夕食会の主催は「あべ晋三後援会」とハッキリ書いてある。
 後援会の収入はないから後援会は関与していないという説明は通用しない。

政治資金規正法は、お金の出入りを全て記載しなさい、という法律です。安倍首相の事務所が夕食会の参加者から会費を受け取って、ホテルに支払ったとしても、それら全てを記載しなければいけません。重要なのはどこが企画して事業を行っているか、です。後援会主催なら、政治団体が領収書を出さなければおかしい。ホテルの領収書を使っているのは、政治団体が関与していないと言うための、明らかな偽装です
(政治資金に詳しい神戸学院大教授・上脇博之氏)

 総理大臣が政治資金規正法違反を“正当化”してどうする。

 20分程度のぶら下がり取材で“幕引き”など許されない。
 安倍首相は資料を揃えて国会で説明すべきだ。


[写真-1]
夕食会もおもてなし(安倍首相と昭恵夫人)

[写真-2]
夕食会というよりパーティー(2015年、吉田真次議員のブログから)

日刊ゲンダイ、2019/11/18 15:18
安倍首相が墓穴
桜を見る会夕食会弁明で法律違反を正当化

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264891

 森友学園、加計学園の問題に続いて、安倍晋三首相側が自分に近い人たちに特別の便宜をはかった疑惑がまた浮上した。
 首相サイドは「個人情報」というキーワードを盾に解明資料の公開を拒み疑惑を隠蔽しようとしている。
 政治に対する国民の信頼を損なう背信行為だ。

◎ 大勢の地元関係者を招待

 毎年開かれる内閣総理大臣主催の「桜を見る会」の招待客をめぐって国会の論議が活発化している。
 野党側は、安倍晋三首相側が特別のはからいをして、大勢の地元後援会関係者を招待したのではないかとして徹底追及の構えだ。

 疑惑が真実だとすれば、公的行事の私物化、公私混同であり、有権者は「桜を見る会」に限らず安倍政治全般の公平、公正性に対して重大な疑問を抱かざるを得ない。

 1952年、当時の吉田茂首相が始めたこの会は、各界で功績、功労のあった人たちを慰労し、親睦を深めるのが目的とされる。
 当初は各国外交官などごく限られた人が招かれただけだったが次第に対象が拡大され、現在は幅広い分野から功績、功労のあった人たちが選ばれる。
 今年は皇族や各国大使、国会議員らのほか芸能人、スポーツ選手、議員の地元関係者なども招待された。

◎ 増え続けた招待者

 問題の第一は近年、出席者が増えて実際の費用は予算を大幅に上回っていることだ。
 今年の費用は5年前の3倍、5500余万円になった。
 予算を実態に近づけようというのか、来年度予算案ではさらに多い5700万円の概算要求が出ていた。

 問題の第二、そして野党がとりわけ厳しく追及しているのは、2012年の第二次安倍政権発足後、参加者が急増した裏に首相の後援会関係者の急増があるのではないか、という点だ。
 招待者選びの基準として「各界での功績、功労」のほかに「その他各界の代表者等」もあるが、首相の後援会関係者というだけでは該当しないことは明らかだからである。

「個人情報」と非公開に

 疑惑解明には招待者名簿の公開が欠かせないが、内閣府は「保存期間一年未満の文書として会の終了後、遅滞なく速やかに廃棄した」という。

 菅義偉官房長官は「個人情報を含んだ膨大な文書を適切に管理する必要が生じるため」(11月12日の衆院本会議答弁)、安倍首相は「個々の招待者については招待されたかどうかを含めて回答を差し控える」(11月8日の参院予算委での答弁)という。

 名簿廃棄が本当だとしても、天皇皇后主催の園遊会の招待者名簿が宮内庁では30年であることに照らしても、あまりにも早い廃棄処分にうさんくさい思惑の存在を感じざるを得ない。 

 報道によると、この会を日程に組み込んだ観光ツアーの案内文書が安倍首相の事務所名で地元関係者に送られていたという。
 前日、東京のホテルで首相夫妻同席の後援会前夜祭を開き、当日はホテルから貸し切りバスで会場の新宿御苑へ行ったという。
「桜を見る会」が後援会活動の一環に組み込まれた形になっていたわけだ。
 参加者は850人に達した、との指摘もある。

 安倍首相は「招待客のとりまとめには関与していない」というが、首相が直接関与しなくても大勢の地元関係者が参加できたのは首相の影響力が行使されたからとみて間違いはないだろう。
「個人情報」を口実に逃げることは許されない。
 公の場所で首相が主催し、酒や菓子など飲食物も提供され、その費用は税金でまかなわれる。
 そんな行事への出席情報を国民に公開しないでいいはずがない。
 たとえ形式的には「個人に関する情報」であっても「秘すべき個人情報」ではない。

◎ 根っこは首相の政治姿勢

 政府は、これ以上の追及をかわそうとして来年の「桜を見る会」を中止し、招待基準なども見直すと発表した。
 しかし、これで一件落着としてはいけない。
 この問題を単に個人情報の問題と矮小化してはいけない。

 問題は安倍首相の政治姿勢の根っこである恣意的、独善的な振る舞いの表れとみるべきだ。
 菅長官が認めたように、与党議員など政治家による推薦者を招待する特別枠があったとしても、後援者を組織的に送り込み、公的行事を自らの勢威を誇る後援会活動の場に利用した安倍首相の責任は軽減されない。

 問題は有力なライバルのいない一強態勢下のおごり、たかぶり、節度の喪失が公的行事の私物化となって現出したのだ。
 その意味でモリカケ疑惑の延長線上にある。
 前の二件と同質の問題であり、厳しく追及されなければならない。


News for the People in Japan、2019年11月18日
見逃せない公的行事の私物化
(飯室勝彦)
http://www.news-pj.net/news/85080

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予定通りのスピン逮捕劇

 夕方、人気女優の沢尻エリカ(1986年生まれ)さんが合成麻薬MDMAで逮捕とのことで衝撃が走っていますが、出張から帰ってきて、夕方のニュースを見くらべてみて愕然としましたね。
 どの局も、沢尻さんがMDMAで逮捕されたという速報的な報道だけしか打てていない状況でありながら、何故かTBSだけが、前夜の沢尻さんがお出かけする姿をカメラで捉えているんですね。
 なんでも、沢尻さんは昨晩渋谷のクラブにお出かけしていたそうなんですね。
 その映像がこちらです。

沢尻容疑者 逮捕前夜の様子、MDMA所持容疑
https://twitter.com/i/status/1195619151747801088

 沢尻さんも異変に気がついたのか?一度カメラの方を振り返っています。
 これはどう見ても不自然な映像です。
 例えば、大河ドラマの件でインタビューなどがしたいのでしたら、出てきたところでインタビューなどをするでしょうし、逆に、MDMAの噂を掴んでいたとしたら、マスコミなら決定的証拠が出てきそうなところまで潜入し、ずっとついて行って隠し撮りすると思うんですよね。
 ところが実に中途半端な映像だけを録っている。

 これはお決まりの捜査情報が事前に伝えられ、捜査の邪魔にならない範囲という約束で、スクープを狙ったとしか思えないです。

 しかも!この私、「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」の事務局を務めている関係上、ありとあらゆる報道をつぶさに見て検討しているのと、ワイドショー的ネタに対する抜群の記憶力の良さと執念から覚えているのですが、清原さん逮捕の時も逮捕直後の映像をスクープしたのは、なんとTBSだったんですよね!

 そして今回も沢尻エリカさんの逮捕前夜の模様というスクープ映像がTBSから流れた。

 しかもですよ、清原さんも沢尻さんもどちらも逮捕したのは、麻取りではなく警視庁組織犯罪対策第5課(銃器・薬物取締担当)なんです。
 清原さんの時も、何故TBSだけが?とマスコミ界隈がざわつきました。
 そしてTBSは「警察24時」などで、警察の宣伝活動に貢献しているためと推測が出ました。
 組対5課は、逮捕のタイミングを入念に狙っています。
 事前にさまざまな証拠をつかんでいて、いつでも行けるようになっています。

 清原さんの時には、政界は甘利さんの疑惑で大揺れになっていました。
 現在は、桜を見る会の件で、政界が揺れています。

 あの時と、社会は同じような状況にあり、そしてあの時と同じく警視庁組対5課が逮捕し、どちらもTBSだけがスクープ。
 ただの偶然なのか、まさか裏があるのか?

 いずれにせよ、確かに言えることは、情報漏えいの疑惑は払拭できません。
 田口淳之介さんの件で、麻取りの度重なる情報漏えいがあり、現在国家公務員の守秘義務違反で刑事告発されています。
 この件は、国会で初鹿明博(立憲民主党)先生が追求し、厚生労働省は内部調査中と答えています。

 今回の件で、何故TBSが何のために沢尻さんの映像をとっていたのか?
 こういった情報漏えいが警視庁でも常態化していないのか?

 薬物事犯に対する人権侵害について、きちんと検証して頂きたいと思います。


アゴラ、2019年11月17日 06:00
沢尻エリカさん逮捕!
組対5課とTBS疑惑の報道と絶妙なタイミング

(田中 紀子)
http://agora-web.jp/archives/2042704.html

 警察の職権乱用とマスコミの暴走はもはや当たり前になってしまったということか。
 昨日2019年11月16日、沢尻エリカが合成麻薬MDMAを所持していたとして警視庁組織犯罪対策部第5課(組対5課)に逮捕された。
 例によって、昨日の夕方からマスコミは大騒ぎを繰り広げているが、警視庁がまたぞろ逮捕をマスコミに事前リークして、逮捕劇をショーにしてしまったのだ。

 逮捕の一報が報じられた約1時間後には、TBS NEWSのツイッターアカウントに、逮捕前日の15日夜21時半ごろ自宅から出かける沢尻の動画が投稿された。
 YoutubeにアップされたTBSの動画には「これだ、これだ!来た!」という現場の記者の声が入っていることから、明らかに逮捕を想定して張り込んで撮影したことがわかる。

 実際、この映像は『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS)でも流され、MCの安住紳一郎アナはこう説明した。

「これまでにも大麻使用疑惑などなどが週刊誌などで報じられていて、そして今回は非常に確度の高い情報がマスコミに一部もたらされていたということで、TBSの報道記者もこの映像を持っているということのようです」

 TBSだけではない。
「週刊文春」(文藝春秋)も、昨日21時すぎにに「[「週刊文春」記者は見た]家宅捜索3時間前、クラブで踊り明かす沢尻エリカ」と題したスクープ記事を配信。
 逮捕前夜から逮捕当日の朝方にかけて都内のクラブで過ごしていた様子を写真付きで詳細に報じていた。
 その後、ニコニコ生放送の番組『直撃!週刊文春ライブ』ではお酒を飲んだり友人とハグし合ったりしている動画も公開していた。
 しかも、記事によれば、「週刊文春」は沢尻本人がクラブに到着するより前から、記者を当該クラブに先回り入店させ、張り込んでいたという。

 ようするに、TBSも「週刊文春」も事前に逮捕情報をリークされ、前日から沢尻を張り込みしていたのだ。
 情報をリークしたのはもちろん、沢尻を逮捕した警視庁の組対5課だ。
 逮捕の瞬間を大々的に報道して、見せしめのショーにするために、映像を撮らせようと、事前に情報を流したのである。

「今回、沢尻を逮捕した組織犯罪対策部5課は、ASKA、そして清原和博を逮捕した部署。組対5課はとにかく逮捕をマスコミにアピールしたがることで有名。清原のときも、ASKAのときも同じように逮捕を事前リークして、その瞬間を実況中継させた」
(警察関係者)
。。。


リテラ、2019.11.17 11:22
沢尻エリカMDMA逮捕で警視庁組対5課がTBS、文春に露骨な事前リーク!
清原、ASKA逮捕に続き…

https://lite-ra.com/2019/11/post-5096.html

 麻薬で逮捕された某女優、逮捕の前日の夜自宅から出かける姿をテレビカメラに収められていた。
 マスコミは、この女優に何事かがすぐに起きることを知らされていたわけだ。

 松尾貴史氏が twitter で述べていたことだが、これはやはり当局から逮捕の予告がマスコミに流されていたということを意味する。

 逮捕劇の筋書きが、当局によって予め書かれている、ということ。
 その筋書き通りに動くマスコミ。

 その当局は、よりによってこの時期に逮捕することを命じている。
 それを当局に命じる、その上の存在がいることになる。
 森羅万象を司る至高存在ということか。

 犯罪は犯罪だろうが、スピン報道の筋書きが幾つか当局に用意されており、至高存在の必要とするときにそれが実行され、ワイドショーが飛びつく。
 世間の注目を惹きつける、というか至高存在にとって不都合な事実から、世間の目を逸らす。

 この状況にうすら寒いものを感じる。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2019/11/17 17:19
予定通りのスピン逮捕劇
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/#entry8749

※ こんなつぶやきも:

テレビ新聞の社会部警視庁担当記者は警察が芸能人を麻薬取締法違反で逮捕したことより総理大臣を公選法・政治資金規正法違反で捜査しないことを追うべきだ。警察と一体化してリークを垂れ流す大本営発表報道はもういらない。現政権の不正を放置する警察の不作為を追及するのがジャーナリズムだ。

このパターン(なぜか逮捕直前の映像をマスコミが撮ってるやつ)ちょくちょくあるけど、これが地方公務員法違反(守秘義務違反)にならない理由を教えてほしい。100歩譲って、逮捕の場面の映像はともかく、前日の自宅の出入りとかどう見ても正当化できないと思うんだけど。

1人の市民の自宅に捜索に入る情報が予め提供され、記者が前日からビデオを回し、記者が行動を監視取材して、逮捕後すぐに映像や記事が出るってかなりやばいよ。
「取材班は…逮捕当日、沢尻が「W」を訪れるという情報を得ており、深夜12時から店内で取材を進めていた」


ゴーン報道だらけの裏側では…

 日産のゴーン逮捕の後、マスコミはこの事件の報道一色になり、外国人労働者の問題はすっかり脇役に追いやられた。

 朝日新聞の朝刊を見ると、逮捕翌日の2018年11月20日以降、27日の今日まで8日間、1面トップはゴーンの記事が掲載されている。
 8日連続の1面トップは珍しい。
 今回、朝日は逮捕前に検察からリークを受け、羽田空港での逮捕時の様子を独占で撮影させてもらうという特別扱いを受けた。
 その恩返しで、おそらく検察との間での約束だろうが、小出しリークを1面トップに刷るという措置に及んでいるのだろう。

 無論、検察と朝日にそれをさせているのは官邸で、移民法(=入管法改正)を世間の関心から隠すためである。
 いわゆるスピンの政治だ。
 ゴーン逮捕はかなりの荒業に違いなく、フランス政府との外交問題にも発展しかねない問題であり、こんな重大な決定を特捜部長や検事総長の小役人が独断で出せるわけがない。
 菅義偉にお伺いを立て、杉田和博と北村滋と谷内正太郎が長官室に寄って車座で相談し、安倍晋三氏の差配で逮捕が行われている。
 そのタイミングを周到に移民法の政局に合わせた。
 ゴーン氏が逮捕された時期は、法案が委員会で審議入りする最も重要な局面だった。
。。。
 安倍晋三氏がゴーン逮捕を移民法の国会審議に合わせたのは確実だが、マスコミの側がそれに積極的に協力している点を見逃せない。
 本来、反安倍の論陣を張らなくてはいけない朝日新聞とTBSが、このスピンに熱心に協力している。


MONEY VOICE、2018年12月2日
ゴーン逮捕で「移民法」のスピン報道に成功、日本をカースト構造にする移民政策へ=世に倦む日日
https://www.mag2.com/p/money/592377

※ スピン(英語:spin)

パブリック・リレーションズ(PR)において、特定の人に有利になるような、非常に偏った事件や事態の描写を意味する、通常皮肉のこもった言葉である。 日本ではスピン報道とも。
(Wikipedia)

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2019年11月17日

望月衣塑子さんにインタビュー

大ヒットした映画「新聞記者」のリアル版ともいえる「i 新聞記者ドキュメント」が2019年11月15日から全国ロードショーされる。
前作は、官邸会見で菅官房長官と闘う東京新聞の望月衣塑子記者の著書を原案としたドラマだったが、今作は望月記者が取材する姿を通して、メディアの問題点や社会の同調圧力などに迫るドキュメンタリー映画である。
昨年2018年12月から10ヶ月間、望月記者に密着したという監督の森達也氏に話を聞いた。

◇  ◇  ◇

「予想はしていたけれど、望月さんを通じて見たメディアの閉塞と停滞状況は想像以上でした。ジャーナリズムは民主主義において最も大事な要素。それがこの状況ではマズい。ジャーナリズムは現場性が最も重要です。もちろん、企業メディアは組織ですから、上司の指示や利益も大事なことはよく分かります。しかし同時に、記者が現場に行って感じたことや思ったこと、怒りに震えたこと、伝えなければいけないと思ったことは、たとえ数字(視聴率)が取れなくても、部数に貢献しなくても『これはやるべきです』と言わなければいけないと思う。ところが、それが本当に脆弱化している。記者が組織の歯車になってしまっている」

 もっとも、おかしいのはメディアだけではない。
 森氏は「今の日本社会は集団化が加速している」と言う。
 安倍政権によって、官邸トップダウンの完全なピラミッド型組織になった自民党はその典型。
 一般企業やNPOにさえも波及しているという。

「集団に属したいという気持ちがとても強くなっていますから、違う集団を可視化したい気持ちにもなるわけです。だから、『あいつら俺と考えが違うから右なんだ、左なんだ』とレッテルを貼りたくなる。レッテルを貼れば安心して『敵』になり、今度は攻撃できる。集団化は同時に分断化でもあります」

 数多くのドキュメンタリーを撮ってきた森氏だが、今回、誰もが思い描く“定型”を壊す試みにも挑戦している。
 全編2時間弱が短く感じる。

「集団に埋没することで人は一人称単数の主語を失う。その帰結として集団は大きな過ちを犯します。日本社会は『個』が弱い。もっと個を強く持った方がいい。これはジャーナリズムだけでなく、一般の人に対しても言えること。この映画を見て、そこまで感じてくれればうれしいです」
 

日刊ゲンダイ、2019/11/09 06:00
「i - 新聞記者ドキュメント -」
森氏 日本社会の集団化を危惧

(取材・文=小塚かおる/日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/264432/2

2019年11月15日(金)より映画『i ―新聞記者ドキュメント―』 が公開されます。
森達也さんが監督を務め、東京新聞の記者、望月衣塑子さんを追う、という内容です。
カドブン編集部は、試写会でこの映画をご覧になった直後の望月さんにインタビューを敢行!
スクリーンを通して自分自身を見るのはどんな感じでしょうか。
どんなふうに見えたでしょうか。
森監督との撮影裏話も飛び出しました。

自分でも心配になる猪突猛進さ


― まず見終えての率直な感想をお聞かせください。

望月衣塑子さん(以下、望月): 自分が仕事をしている姿を客観的に見るのは初めてだったのですが、基本的に戦っていました(笑)。
 菅義偉(すが よしひで)官房長官に質問し、取材先でバトり、会社の上司やデスクともやりあっていて……。
 私自身、「ちょっと大丈夫か?」と心配になりました(笑)。
 映画にはプライベートなシーンがほとんど入っていないから、よけいそう感じられるのかもしれません。
 森さん特有のいじり、というか、私が国会の中で迷ったり、おっちょこちょいなところもきっちり撮られていて、笑えるシーンもたくさんあると思います。
 仕事の合間に軽食をとるシーンもいくつかありますが、あんなふうに食べているのかと……家族には見られたくないですね。
 まじめなところでいえば、やはり今の政権がどういったことをしているのかを改めて感じさせるものでした。

― というのは?

望月: たとえば、私が菅官房長官の会見で質問するシーンが多く出てきます。
 そこで映し出されるのは、菅さんの「ご指摘には当たりません」「あなたの質問に答える必要はありません」といった対応です。
 記者の背後にいる市民の皆さんに対して、丁寧な説明をしているとは思えません。
 さらに準強姦事件にあった伊藤詩織さん、「あったことをなかったことにはできない」と会見した当時の文科省事務次官の前川喜平さんなど、関係者が次々に登場します。
 現政権下で起こった一つひとつの問題はその時々で取り上げられますが、一本のストーリーとして見ることで、あんなこともあったこんなこともあった、と改めておどろかされるのでは、と思います。
 しかもそれらの問題はほとんど解決していません。
 現実はシリアスなのですが、そこは森さんなので、エンタメ的にも見せてくれてすごいなと思いました。

― そもそもこの映画はどういったきっかけでできたのでしょうか。

望月: 2017年10月に『新聞記者』(角川新書)という本を刊行したのですが、それを読んだ映画プロデューサーの河村光庸(かわむら みつのぶ)さんから、この本を原案にした映画を作りたいというお話をいただきました。
 本が出てすぐ、1ヶ月たつかどうかというタイミングだったと思います。
 そうして完成したのが今年2019年6月に公開された映画『新聞記者』です。
 シム・ウンギョンさんと松坂桃李さんのダブル主演で、本とはまったく別のフィクションとして完成、当初の予想を超えて46万人を動員し、興行収入も5.8億円を突破したそうです。
 映画を作りたいというお話のすぐ後に、再び河村さんから連絡があり、ドラマとしての『新聞記者』とは別に、ドキュメンタリー版の映画『新聞記者』を作りたい、森達也さんに望月さんを撮ってもらいたい、というお話がありました。
 2017年の年末だったと思います。
 まだドラマ版の映画の話を始めたばかりでしたから、もう別の映画のことも考えているのかとおどろきました。

森監督が描く「集団と個」

―『i ―新聞記者ドキュメント―』の撮影はいつから行ったのですか。

望月: 実際に撮り始めたのは、今年1月ごろからでした。
 森さんか助監督の小松原茂幸さん、どちらかが私の取材に同行し、カメラを回してくれました。
 2019年1月には沖縄の辺野古の埋め立ての現場にも一緒に行きました。
 そこでは埋め立て用の土砂が赤土ではないか、という疑問に対して沖縄防衛局の会見があったのですが、こちらが聞きたいことに答えてくれない。
 新聞だったら「答えなかった」で終わるところですが、映像なので、防衛局の幹部たちが逃げるように会場を後にする様子や表情までが映し出されています。
 映像の強さを感じました。
 最終的に撮影は9ヶ月にもわたりましたが、私自身は「これで映画になるのかなぁ、大丈夫かなぁ」と思っていました(笑)。
 最後は、森さん、小松原さん、鈴尾啓太さんが寝ずに編集作業を行なったようです。
 膨大な撮影量だったのでかなり大変だったのではと思います。

― 森監督の作品を観ていつもおどろくのですが、ノンフィクションを飽きさせずに2時間も見せるのはさすがですね。

望月: スピーディに、テンポ良く見せますよね。
 少し前に観た映画『主戦場』が思い浮かびました。

― 撮影中、森監督とはどんなやり取りがありましたか。

望月: 森さんはけっこうノセてくるんです。
 たとえば、あるとき森さんが、週刊誌のあるコラム記事を持ってきました。
「望月さん、こんなことしてたの?」と言いながら。
 その記事には、私が千葉支局にいたときに、東京の地検特捜部かどこかで取材しているように書かれていました。
 まったくの事実無根の話でした。
「こんなこと私、やってないですよ! そもそもそのときは千葉支局にいましたから!」と言ったら、「それはとんでもないことじゃないですか」「〇〇さん(この記事を書いた著者)に取材しましょう!」って。
 あやうく突撃するところでした(笑)。
 私は撮られながら、「森監督のことだ、安心しないほうがいい。ノセられたらダメだ」と自分自身に言い聞かせていました(笑)。
 制作する側と私の間には緊張感があり、押したり引いたりもありました。
 私を礼賛しているだけの映画ではまったくないと思います。

― 森監督は望月さんを撮る理由を、「なぜ彼女が特異点になってしまうのか、撮りながら考える。だからあなたにも考えてほしい」と言っています。森監督がこの映画で伝えたかったことはなんだと思いますか。

望月: もちろん私を撮っていることを通じて、今の政権やメディア、社会が抱えるさまざまな問題点を問うているのだと思います。
 そこから森さんが描き出そうとしたのは、「集団と個」ではないか、と私は感じました。
 撮影の最初に森さんに聞かれたんです。
「なぜ望月さんは会見で一人で質問しているの?」と。
 森さんの作品には常にこのテーマがあると思います。
 オウム真理教を追った「A」シリーズや『FAKE』……
 オウムのときは世の中がオウム信者たちの違法逮捕を望むようになっていました。
 ふだんは善良な一人ひとりの市民が、です。
 何かをまつりあげてしまう怖さ、同調圧力の空気の怖さ、集団心理の異常さ、なぜそうなってしまうのかを問いかけられていると感じていました。
 今回の映画『i ―新聞記者ドキュメント―』でも、特に後半、集団と個がクローズアップされています。
 私自身は、菅官房長官の会見に出始めてからの2年半を通して、個として戦うのには限界があり、ほかの記者や市民の方々と連帯することの大切さも感じています。
 たとえば2019年3月14日、新聞労連などが声をあげて記者たちが首相官邸前でデモを行いました。
 このデモの前日から、上村秀紀報道室長による私への質問妨害がピタッとやみました。
 私一人が何度言っても変わらなかったのに、です(少ししたらまた復活、抗議した後に止めていますが)。
 一方で森さんは、集団の中で個を失ってはいけない、集団心理の危うさを自覚していないといけない、と訴えているように感じます。
 映画の終盤にある写真が出てくるのですが、私もハッとしました。
 正義を訴える側も狂気となりうる、ということでしょうか。
 その危うさというのは、オウム真理教も現政権も、ある種の旋風となっているれいわ新選組も、どこにでもあてはまる、というのが森さんの問題意識ではないでしょうか。
 私自身、森さんと感じていること重なる部分もありますし、違うと思う部分もあります。
 気づかされたことも多くありました。

― 6月に公開されたドラマ版の映画『新聞記者』もロングラン上映しています。

望月: テレビやラジオではほぼ取り上げてもらえませんでしたが、興行収入も動員も、当初の予想超え、現在も上映されてロングランになっています。
『i ―新聞記者ドキュメント―』の公開をきっかけに、シアターキノ(北海道)、新宿ピカデリー(東京)、京都シネマ(京都)、シアターセブン(大阪)ではアンコール上映してくれるそうです。
 うれしいですよね。
 ドラマ版の映画は、吉岡エリカ演じるシム・ウンギョンさんの真剣なまなざし、杉原拓海演じる松坂桃李さんの家族と仕事の間で苦悩する表情、吉岡の上司役の北村有起哉さん、同僚役の岡山天音さん、杉原の先輩官僚役の高橋和也さん、杉原の妻役の本田翼さん……
 本当に皆さん個性的で素晴らしくて、観るたびに引き込まれてしまいます。
 予想を大きく上回る結果になったのは、ひとえに映画に携わった方々の熱意のたまものだと思います。

― それをうけて、いよいよ『i ―新聞記者ドキュメント―』の公開、楽しみですね。

望月: 私のいい面も悪い面も描かれていて、正直、恥ずかしいところも多々ありますが、森さんの問題意識や、今の世の中で起きていること、メディアや政治家、官僚のおかしさなど、さまざまなことを感じてもらえる内容だと思います。
 講演会に呼んでいただいて話をする機会があるのですが、最後の質疑応答では「モリカケ問題は終わりなのですか」「伊藤詩織さんの事件はどうなっているのですか」と今もよく聞かれます。
 多くの方の心のなかでモヤモヤし続けていて、このままでいいのか、という気持ちがあるのだと思います。
 そういったことを改めて見つめ、考えるきっかけになるのではと期待しています。

※(編集部追記)『i ―新聞記者ドキュメント―』は、先行上映された東京国際映画祭で、日本映画スプラッシュ部門(海外への飛躍を強く意識した部門)の作品賞を受賞しました。


カドブン、Kadokawa 文芸 Web マガジン、2019年11月15日
《11/15(金)公開!映画「i ―新聞記者ドキュメント―」》
試写会直後の望月衣塑子さんにインタビューを敢行!
「自分をスクリーンの中で見た感想は?」

(取材・文:角川新書編集部)
https://kadobun.jp/feature/interview/e7aspz9wv808.html

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2019年11月16日

”i” or/not "I"

今月2019年11月15日より森達也監督の新作映画『i−新聞記者ドキュメント−』が公開される。
これまで、オウム真理教や佐村河内守といった被写体を対象に「日本社会とメディア」を描いてきた森監督が今回テーマとして選んだのは、東京新聞社会部記者の望月衣塑子氏。
『i−新聞記者ドキュメント−』は望月氏に密着するなかで、日本のジャーナリズムが抱える問題が次々と炙り出していく。
なぜメディアは「権力の監視役」の役目を放棄しつつあるのか、また、そんな時代において我々がするべきこととはなにか、森監督に話を聞いた。

─『i−新聞記者ドキュメント−』を拝見してまず印象的だったのは、望月さんの強さです。

森達也(以下、森): 望月さんは本当に強いメンタルの持ち主ですよ。
 でも映画を観てくれればわかるけれど、強いだけの女性ではない。
 ならばなぜこれほどに強くなれるのか。
 そこにこの映画のテーマと繋がる要素が隠されていると感じます。
 オウム真理教に密着したドキュメンタリー映画『A』(1998年公開)を発表した後、よくいろいろな人から質問されました。
「なぜあなただけが撮れたのか」
「なぜあなただけがオウム施設内に入れたのか」と。
 答えは「『撮っていいですか?』と聞いたら『いいよ』と言われたから撮れた」です。
 つまり、あの時期に取材しようと思えば、もっとたくさんのメディアがオウムの内部に入って撮影できたはずなんです。
 でも、誰もそれをやらなかったから、結果的に僕の映画だけが突出した存在になってしまった。
 そこでさらに訊かれます。
 ならばなぜ他の記者やディレクターたちはオウムと交渉しようとしなかったのか。
 でもそれは、僕ではなく他の記者たちに訊くべき質問ですよね。
 僕は普通のことをやっただけですから。 
 これ以上は言わないけれど、望月さんと他のメディアの関係にも同じ構造が重なります。
 会見の場で鋭く質問する。
 これは記者として普通のことです。
 納得した答えが出てこないなら、2回、3回と食い下がって聞く。
 それも記者として当たり前のことです。
 でも、まわりが当たり前のことをしなくなっているから、浮き上がって見える。
 そういう意味では、似たものを感じます。
 とはいえ、やっぱり彼女は僕より強い。
 だって何年間も官邸から反感を買いながら質問し続け、同業の記者からも批判され続けている。
 僕ならとっくに尻尾を巻いて撤退している。

─ すごい強さだと思います。

森: つい先日、中国のメディアから取材されたとき、こんなことを言われたんです。
「中国には中国共産党という圧倒的な権力をもつ組織があって言論や表現の自由を上から抑え込んでいるけれど、国民の多くはそのことに気づいている。一方日本は、中国共産党みたいな強圧的な存在はないけれど、空気が言論や報道を支配している。でも、空気は目に見えないから、国民はそのことをよく理解していない」。
……返す言葉がなかったですね。

─ どうしてそういう状況になってしまっているのでしょうか?

森: そもそも空気や場が強い国です。
 集団との親和性も高い。
 さらに近年は、「セキュリティ意識」が過剰に発動しているからです。

─ セキュリティ意識?

森: 映画の撮影中、彼女がさまざまなメディアからインタビューを受けているところも撮ったけれど、「身の危険はないですか?」という質問が多かった。
 僕もオウムを取材していたとき、周囲の人から同じように、「オウムは危なくないか」とか「公安に監視されていないか」とか、いろいろ質問されました。
 100%安全とは言いません。
 でも僕から見ればあまりにセキュリティ意識が過剰です。
 その帰結として自己規制する。
 その傾向が強まっています。
 もっと自由に発言したり書いたり撮ったりしていいんです。

─ とはいえ、怖がるのも分かります。

森: 不安と恐怖の領域がとても大きくなっている。
 ネットは炎上する。
 組織内で責任を取らされる。
 脅迫の電話やメールが来る。
 万が一の事態が起きたらどうするんだと言われたら、誰も言い返せなくなっている。
 万が一なんて常に起きます。
 僕も今日の帰りに万が一車にはねられて死ぬかもしれない。
 リスクをいかに少なくするかと考えることは間違っていない。
 でもリスクをゼロにはできない。
 ゼロにしようと思ったら、家から出ないことです。
 何もしなければいい。
 こうして展示や上映ができなくなる。
 政治権力が不都合な表現や報道を抑え込むことが容易くなる。
 その状況が加速しています。

─ 大手メディアなんかでは上司から「待った」がかかることもあるでしょうね。

森: 会社がリスクヘッジを最優先にしようとするのは当たり前です。
 組織ですから。
 でもリスクをゼロにしようとするならジャーナリズムは機能停止します。
 だからこそ組織の論理に対して、記者やディレクターたちは“個”をしっかりもつ。
 そのせめぎ合いが組織ジャーナリズムのダイナミズムのはずなのに、個が組織に完全に従属してしまっている。
 これが日本のメディアとジャーナリズムの大きな問題です。

ドキュメンタリーは嘘をつく

─ メディアには「公正中立」という基本原則があって、みんなその呪縛にとらわれているようにも思います。

森: 僕はまず「公正中立」は不可能だと思っています。どんな意見であろうとそれは非常に恣意的で人為的なものですよね。
 それならば、自分自身を主語にして「自分はこう見えた」「自分はこう思う」と記述する方が誠実だと思う。
 それを公正中立な視点が可能であるかのごとく、「神の視点」で書いてしまうことのほうが、よほど不誠実だと思います。

─「神の視点」って、まさしくそうですね。

森: もちろん、客観公正や中立を必死に標榜することは、ジャーナリストとして大切です。でも同時に、情報とはすべて個の視点で、絶対的な客観性や中立は無理なんだとしっかりと意識することも重要です。その負い目をなくした瞬間に、ジャーナリズムは正義になってしまう。それは違うと思う。
 現状において新聞は部数を落としているし、テレビも見る人が減ってきた。既成メディアにとって冬の時代です。だからこそやり方を変えて、自分を晒さなくてはならないときに来ていると僕は思う。

─ 欧米が顕著ですが、海外では情報の受け手も成熟していて、記者による一人称のオピニオンを飲み込む度量がある社会だと感じます。

森: そうした記事に触れることで社会のリテラシーも成熟します。この国は道徳を教科化したり英語の試験方式を変えたりする前に、小学校からメディアリテラシーについて教える授業があった方がいいと思いますよ。

─ メディアリテラシーの授業ですか。

森: メディアリテラシーを身につけるって大変なことだと思っている人が多いけど、基本メソッドはとても簡単なことなんです。
 大事なことは2つ。ひとつは、情報とは誰かが書いたり撮ったりしているものなのだと意識すること。つまり誰かの解釈です。そしてもうひとつは、世界は多面的で多重的で多層的なものであり、「どこから見るか」で変わるのだと知ること。
 この2つを組み合わせれば、いろんなものを見聞きしながら判断し、自分だけのオピニオンをつくる作業に移行することができるわけです。
 情報は常に相対化されるべき。どんな情報も多面的なのだから、それは当然のことです。
 そうすれば、自分が見ているのも、単なるひとつの視点に過ぎないということに気がつくはず。ニーチェが「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」という言葉を残していますが、まさしくそれですよ。

─ それって、メディアに限った話ではなく、人と人のコミュニケーションでも同じですよね。

森: まったくその通り。会社の気に入らない先輩と、たまたま帰り道でビールを一緒に飲んだら、それからは全然違う印象になったとか。

─ あります、あります。

森: 人間だって、多面的で多重的なわけです。それに気づいたら社会は侮れないって思うはず。人にも優しくなれる。フラットなものじゃないんだと。それが分かった人生はきっと楽しいし、実りあるものになると思いますよ。

“個”であれ!

─ いまメディアに対して最も指摘したいのは「権力の監視役」というジャーナリズムが負うべき役割を放棄しているという問題です。

森: メディアは社会の合わせ鏡です。社会が求めればメディアは劇的に変わります。
 だから、いま現在のメディアが権力を監視する役を果たしていないのであれば、それは社会がメディアに権力の監視役を求めていないということになる。

─ それでは為政者はやりたい放題になってしまいます。

森: とはいえ、一昔前までなら既成メディアの情報を社会が受け取るだけでしたけど、いまではインターネットもあるし、SNSもある。
 マーケットの規模は違うけれど、一応、社会の側からも情報や意見を発信することができるわけですよね。
 だから、ネットも含めて社会の側からどんどんメディアに対して意思表示をしていけば、メディアも変わらざるを得ないのではないかと思います。

─ それは希望ですね。

森: ただ、日本の場合はまたひとつ問題がある。
 それは匿名性です。
 日本におけるSNSって匿名性が非常に強い。
 海外ではツイッターでもみんな自分の名前でやっていますよね。
 これは大きな違いだと思う。
 なぜ匿名にするかといえば、集団に隠れたいからです。
 隠れるからこそ、他者を平気で罵倒したり追い詰めたりすることができるわけで、この国ではSNSが良いことだけをもたらしているわけではないんです。
「アラブの春」であるとか、最近では香港もそうかもしれませんが、ああいった場所では「SNSにはこういった使い方ができる」というのを市民が体現しているわけじゃないですか。
 でも日本ではネットが、匿名性に覆われた誹謗中傷の温床になってしまっている。
 つまり自分を出さない。
 やっぱり集団です。
 匿名性については、しっかりと意識して直面すべき問題だと思います。
 アメリカの心理学者であるアーヴィング・ジャニスは、集団で思考すると選択を間違える頻度が高くなることを、ホワイトハウスなど過去の例をあげながら実証しました。
 この国も同様です。
 いや、日本人はアメリカ人以上に集団と親和性が高いから、間違えるリスクはとても高いんです。
 だから、「集団から離れて、少し距離を置いた方が、いろんな物が見えてきて面白いんだ」ということに、みんな気がついてくれたらいいと思います。

─ 監督がいまおっしゃったことは『i−新聞記者ドキュメント−』のラストシーンで、秋葉原に集う群衆と望月さんを対比させたカットから伝わってくるメッセージに共通するものがあると思いました。

森: それぞれの解釈にお任せします。
 映画のメッセージは、それぞれ見た人が感じてくれれば良いことで、そうじゃない見方をしてもらってもいい。
 映画は観た瞬間に観た人のものになります。
 監督の思惑なんてどうでもいいんです。

─ 映画を見る人ひとりひとりが“個”であれ、ということですね。


[写真-1]「i -新聞記者ドキュメント-

[写真-2]森達也監督

wezzy、2019.11.15
森達也インタビュー
日本社会には圧倒的に「メディアリテラシー」が足りない

(取材、構成:編集部/テキスト起こし:ブラインドライターズ)
https://wezz-y.com/archives/70628/2

オウム問題、死刑制度、「3・11」に、ゴーストライター騒動……。
時代時代の主題に迫りつつ、背後で進行する社会の「空気」の変化を見つめ、描いてきた映画監督・森達也さん。
この国のトップが歴代最長在任期間を更新しようとするなか、森監督が新たに被写体に選んだのは、東京新聞社会部の望月衣塑子記者。
2017年夏から菅義偉・官房長官の会見に出席し始めて以来、妨害を受けながらも波状攻撃のように直球の質問を繰り出し、一躍時の人になったジャーナリストだ。
喝采を浴びる一方で激しい批判にもさらされてきたその望月記者に密着した『i -新聞記者ドキュメント-』が11月15日から全国で順次公開される。
森監督が、いま、メディアに携わる人間をあえて題材にした理由は何か。
そこにはどんな問題意識があったのかを聞いた。

周囲の人間が普通ではなくなっている、という疑問

 インタビューに現れた森監督は、自作のPR中というのに、ぼさぼさの髪に登山シャツ、すすけたジーンズという、いつもの出で立ちだった。
 そういえば、11月5日に六本木で開かれた東京国際映画祭のクロージングセレモニーに登壇した際も、パーカーにカーゴパンツ姿だった。
「僕は世の『空気』を描いてきたと言われますが、空気を読まない奴ともよく言われます。周りをあまり気にしない。胸を張ることでもないし、直したいんだけど。そういうところは、実は望月衣塑子さんとよく似ているんです。周囲から浮き、首相官邸の他の記者から色眼鏡で見られても、あの人は気にしない。もちろん、まっすぐでコケティッシュな部分もある彼女とは、性格はまったく似ていないですけどね」
 確かに仏頂面で愛想がない。
 サービス精神もない。
 だが決して偏屈ではない。
 質問には一呼吸置き、じっくり悩んで答える。

「オウム内部から『A』を撮ったとき、色んな同業者から『なんでお前だけ撮影が許されたんだ?』と言われましたが、僕は普通の手順通り、広報に手紙を書いて取材申請をして、信者に『なぜオウムに入ったんですか』『なぜ脱会しないんですか』と疑問をぶつけただけ。
 当たり前のことを当たり前にやっただけです。でも周りはそういう手順を踏んでいなかった。普通のことをやっているだけだと思っていたけど、僕だけが浮いてしまった」

「望月さんの場合も、同じことが起きている。彼女も記者として当たり前のことをやっているだけだと僕は思う。それなのに彼女だけが目立って浮き上がってしまっている。それはなぜなのか、逆に周囲にいる人たちの方が普通ではなくなっているのではないか……。そんな疑問からこの映画は出発しています」

『i』は、望月記者の著書を原案にして今年ヒットした映画『新聞記者』の河村光庸プロデューサーが企画・製作した。
 映画『新聞記者』は序章に過ぎなかった――とのキャッチコピーどおり、前作同様、昨今のメディア状況への危機感が強い動機となったという。

 作中、辺野古問題や森友・加計問題の関係者たちを「どうして答えられないんですかっ!」と追いかけ、官房長官に「回答をいただけていると思わないので、繰り返し聞いています」と食い下がる望月記者の姿は、強い印象を残す。
 一方、望月記者の質問中に官邸報道室長が執拗に繰り返す「質問は簡潔に」という横やりに反応せず、ひたすらPCのキーボードをたたく内閣記者会の記者たちの姿も映し出される。

 官邸は昨年末、望月記者の「度重なる問題行為」についての「問題意識の共有」を内閣記者会に求めたが、この極めて異例の文書が記者室の掲示板に貼られたまま放置されているシーンは、象徴的だ。

「でも、官邸の記者を糾弾する意図はありません。善悪の図式に押し込めるつもりもない。望月さんも別に記者として100点満点ではないし、質問も長い。他の記者からしたら『迷惑だ』『あんなのパフォーマンスだ』という理屈も分からなくはない。僕が撮りたかったのは、記者としてのスキルというより、記者としての内実や姿勢と言えばいいのかな……。集団に埋没し同調圧力に負けるのではなく、『個』として声を発するのがジャーナリストの大事な部分なんじゃないか、ということです」

自粛の連鎖と二項対立のワナにはまっていないか

 過去の作品『A』『A2』『FAKE』では、オウムや佐村河内守の深部に入り込んだ森監督のカメラは、教団や「ニセ天才作曲家」の異様さよりも、むしろ取り囲むメディアや住民の暴力性を映し出してきた。
 結果として世の多数派とは異なる視点を提示するその表現スタイルは、強い批判も受けてきた。

「オウム事件を機に日本社会は変質した、というのが僕の意見です。事件後に続いた信者に対する別件逮捕や微罪逮捕の後遺症は、いまだに社会をむしばんでいる。体感治安の悪化で防犯カメラが増殖し、危機意識からか人々の『群れ化』が進み、結果として異物を排除する空気が醸成されました。正義と悪、敵と味方、右と左、被害と加害。単純な二元思考で物事を切る傾向や風潮も、この20年でどんどん広がっています」

「そういう集団化の流れへの違和感が、作品を撮るにあたっての動機というか手がかりになってきたのは事実です。それが多くの人にとって不愉快だというのも、よく分かります」

『i』の編集作業中も、「あいちトリエンナーレ」の問題や「KAWASAKIしんゆり映画祭」での上映中止問題が起きた。
 どちらも、特定の立場から激しく批判された作品をめぐってのことだった。

「抗議や脅迫など直接の攻撃もありましたが、いま文化やメディアの世界で起きているのは、露骨な圧力というより、むしろ自粛や萎縮の連鎖だと思います。論争があるのが当たり前なのに、それを極度に恐れ、攻撃されることにおびえている」

「『新聞記者』にしても『i』にしても、内容よりも、この題材を作品化したこと自体が『挑戦』と評価される。これはきわめて不健全な状況です。政権に厳しい問いを投げている彼女を取り上げること自体が、メディアのなかで一種のタブー化している証拠です」

同調圧力から解放されること

 森監督がこれまで撮ってきたのは、オウム真理教(当時)の広報担当・荒木浩や佐村河内守など、悩みや葛藤、揺れを抱えた人物ばかりだった。
 今回の望月記者の裏表のない、迷いの見えない姿勢は、従来の作品の主人公たちとはかなり異なる。
 それだけいまの時代への危機感と切迫感があったということか。

「確かに、僕のこれまでの流儀には、望月さんは合致しない。彼女はしっかり目標を持って突き進む人ですが、僕は葛藤とか煩悶(はんもん)、懊悩(おうのう)を撮るのが好きだからね。そこは結構苦しみましたし、悩みました」

「でも、繰り返すように、善悪の図式の中で彼女を正義のヒロインにするつもりはまったくなかった。撮っている途中から、これは被写体に迫る映画ではない、と気付きました。望月さん自身ではなく、テーマはたぶん、背後にある別のもっと大きなものなんです」

 森監督はそれを自ら詳しく解説することはしないが、先述のとおり、今作のテーマが社会に広がる同調圧力や忖度のあり様であり、メディアがそれに抵抗できていないどころか埋没しているのではないかという問題提起にあることは明らかだ。

「メディアの力が弱くなっている、チェック機能が働かなくなっている、と言われて久しい。一昔前だったら森友問題も加計問題も、それだけで『アウト』ですよね。政権も、ここまで露骨なウソやはぐらかしはしなかった。追及力が弱くなっているのは確かだと思います」

「でも、メディアは社会と政治の合わせ鏡です。社会と政治が素晴らしいのにメディアだけがどうしようもないということはない。メディアが地盤沈下しているとしたら、社会全体がそれを許していると考えるしかない」

「まさにニワトリと卵ですが、社会が何かに気付いて動くためには、メディアも覚醒しなければならない。そのためには、個々の記者が自主規制や思考停止、同調圧力から解放されなければならないはずです」

 東京国際映画祭での作品上映後、記者からの質問タイムで際立ったのは、「あなたはどう思いますか?」という森監督の逆質問。
 答えに詰まる記者の言葉をゆっくり待ったうえで、
「それが正解です。映画は見た瞬間に皆さんのもの。色んなことを考えてもらえばいい。僕も皆さんの意見を受けて発見していきたい」と返した。

 タイトルには、衣塑子(i)のように主語(i)を出そう、というメッセージが込められているようだが、むろん森監督は絶対に自ら解題しない。

「虎の尾を踏むかのような題材を扱うのは、ある意味で僕の抵抗です。スタイリッシュな世界観やオトナの趣味を紹介する『&M』の世界にはそぐわないかもしれない。でも、メディア=媒体は、文字どおり社会や政治と人をつなげるものです。政治のことや社会問題なんて自分には関係ない、と思っている人がいま見ているスマホやPCも、キャンプや車といった趣味の世界も、ぜんぶ政治や社会が反映されている。無関係と思っているうちに巻き込まれている。メディアはそれを人びとに気付かせる役割があるはずです」

「言っている意味がよく分からない、と思ったら、ぜひこの映画を見て下さい」

 最後に少しだけニヤリと笑った。

※ 森達也〈もり・たつや〉 

1956年、広島県生まれ。テレビ番組制作会社を独立後の1998年、オウム真理教を取り上げたドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年には続編『A2』も公開し、賛否両論を巻き起こした。2016年には作曲家・佐村河内守に密着した『FAKE』を発表。著書に『下山事件(シモヤマ・ケース)』『死刑』『A3』など。

※ 『i -新聞記者ドキュメント-』

企画・製作・エグゼクティヴ・プロデューサー:河村光庸
監督:森達也 出演:望月衣塑子
2019年/日本映画 制作・配給:スターサンズ
11月15日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
http://i-shimbunkisha.jp/


朝日新聞・&M、2019.11.12
望月衣塑子はタブーなのか?
森達也、新作『i』でメディアの忖度に迫る

(文・石川智也 写真・林 紗記)
https://www.asahi.com/and_M/20191112/7262093/

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令和の不平等条約

 私が日米貿易協定について書くのはこれで最後にしたい。
 あまりにもむなしいからだ。
 あまりにも書き甲斐がないからだ。

 きょうの各紙が小さく報じた。
 衆院外務委員会は15日、日米貿易協定の承認案を、自民、公明などの賛成多数で可決したと。
 19日に衆院本会議で可決され、議論が深まらないまま協定が発効する公算が大きくなったと。
 何もかも予想通りだ。
 それにしても、ここまで対米従属的な条約を、ここまで無抵抗に承認した野党は、まともに外交をする気があるのだろうか。

 「大事な資料が出て来ない中で、これ以上審議を続けるのは無理だ」
 これは野党共同会派の岡田克也氏が、ほかの野党委員ととともに退席した時の言葉だと言う。

 安倍政権が密約を明かさないのはわかりきったことだ。
 密約は、日米安保条約だけで十分だと言って、野党をあげて、安倍内閣に総辞職を迫ってもらいたかった。

 そう言えば、ここまで日韓関係を悪化させた安倍政権の歴史認識の誤りについても、米国と一緒になって中国の脅威を煽りながら習近平国家主席の国賓来日に固執する安倍首相の支離滅裂ぶりについても、そして何よりも金正恩委員長との無条件首脳会談の頓挫について、野党は今度の国会で何一つ追及せず、かつそれに代わる外交を提示できないままだ。

 まるで一緒になって対米従属に走り、韓国、中国、北朝鮮を敵視している。

 その一方で「桜を見る会」の追及は、あまりにも熱心だ。
 それで、安倍政権を解散・総選挙に追い込めるのならいい。
 しかし、その気配はまるでない。
 「桜を見る会」の熱心な追及は、無策を隠すためのパフォーマンスではないのか。
 そう思えてならない。


天木直人のブログ、2019-11-16
日米貿易協定をあっさり通した野党の無策と非力
http://kenpo9.com/archives/6365

 2019年11月15日金曜日の午後7時より、衆議院第2議員会館多目的会議室で「いま消費税を問う!」緊急院内集会を開催した。
 専門家・国会議員・市民による緊急院内集会である。

 ちょうどこの日、衆議院外務委員会が日米FTA協定の委員会採決を行い、協定批准案を可決した。
 1858年の日米修好通商条約以来の不平等条約の採決を野党が何の抵抗もせずに容認したことは主権者に対する重大な背任行為である。
 もとより、TPPは日本が国家主権を含めて国益を失うものばかりのいびつな経済協定であった。
 それでも、米国に対する自動車および自動車部品の25年後、30年後の撤廃が日米合意のなかに盛り込まれた。
 このこと自体、協定の不平等性を象徴するものであったが、日米FTAでは、この合意さえ消滅した。


 問題はもちろんこれにとどまらない。
 日本の主権者のいのちとくらしが深刻に脅かされることになる。
 この日米FTA協定の採決を容認することは許されない。

 また、週末で多くの国会議員が地元に帰らねばならず、国会議員の出席が難しくなったことをお詫び申し上げたい。
 それでも、「不公平な税制をただす会」より、湖東京至氏、荒川俊之氏が講師として出席下さり、多数の現職、元職の国会議員、れいわ新選組の衆院選候補者、議員秘書、そして主権者が会場を埋め尽くすほどに多数参集くださった。
 各政党からは、
・ 国民民主党の篠原孝衆議院議員、
・ 小宮山泰子衆議院議員、
・ 日本共産党の笠井あきら衆議院議員、
・ 碧水会の嘉田由紀子参議院議員、
・ 福島伸享前衆議院議員、参議院議員立候補者の渡辺てる子氏が出席して講演を下さり、れいわ新選組代表の山本太郎代表からはメッセージをいただいた。
 心より厚くお礼申し上げたい。

https://www.youtube.com/watch?v=EohqxoSxhNU

「桜を見る会」で安倍首相の進退問題に直結することになるのは、前夜祭の5000円会費と実費との間に差額が生じていたのかどうかである。
 2014年に小渕優子経産相が辞任に追い込まれた。
 その核心になったのが後援会の観劇ツアーの費用の一部を小渕優子議員の事務所が負担したのではないかとの疑惑だった。
 安倍晋三氏が前夜祭を開催したホテルのパーティー費用は最低でも一人1万1000円とされており、多額の費用を安倍晋三事務所が供与した疑いが濃厚である。
 国会での集中審議と捜査当局による適正な捜査が求められる。

 野党はこの問題を盾に、日米FTA協定の国会審議を止めるべきだった。
 安易な対応は野党に対する主権者の不信感を増幅させる。


 緊急集会では税理士で元大学教授の湖東京至氏より、マレーシアの消費税廃止事例と消費税の根本的な欠陥について説明があった。

 また、同じく「不公平な税制をただす会」の荒川俊之事務局長(税理士)から消費税を廃止するための財源調達について、法人税課税の適正化を中心に提言をいただいた。

 れいわ新選組の山本太郎代表は、全国ツアーで東北地方を訪問したため、集会に出席できなかった。
 メッセージでの参加になったが、次の衆院選に向けて「消費税廃止へ」の方向で「政策連合」を構築することを提唱された。
 れいわ新選組は「消費税廃止」を公約に掲げているが、選挙戦術上、野党陣営がまずは「消費税率5%への引き下げ」で足並みを揃えられるなら、この線で共闘することができるとしている。

 日本共産党の笠井あきら氏は消費税減税、消費税廃止について積極的な見解を示された。

 10月31日にはれいわ新選組の山本太郎代表と馬淵澄夫衆議院議員(無所属)が共同代表となり、「消費税減税研究会」が創設された。
 馬淵澄夫議員は出席予定であったが、怪我をされたため、秘書が出席された。
 この研究会には立憲民主党、国民民主党の国会議員も多数参加した。
 社会民主党も消費税減税に賛成の意思を表明している。
 立憲民主党、国民民主党は党として正式な決定は行っていないものの、少なくとも消費税率の10%への引き上げには反対の立場を明確にしている。
 財務省と政府は「消費税増税は財政再建と社会保障制度維持のために必要不可欠」と説明し、多くの主権者がこの説明によって洗脳されてしまっているが、この説明は正しくない。

 拙著『25%の人が政治を私物化する国』(詩想社新書、2019年7月)に明記したように、消費税が導入された1989年度以降の税収推移が消費税の正体を鮮明に示している。
 消費税による税収は法人税減税と所得税減税によって消えた。
 消費税収は財政再建のためにも社会保障制度維持のためにも使われていないのである。
 もっとも深刻な日本の経済問題は格差拡大、新しい貧困問題である。
 消費税はこの問題を拡大させてきた主因のひとつである。
 同時に、消費税増税によって中小零細企業が破綻に追い込まれている。
 消費者が負担するとされた消費税の負担が中小零細企業に転嫁されているからだ。
「悪魔の税制」と呼ぶのが適正である。
 次の総選挙に向けて「消費税廃止運動」を国民運動として広げる必要がある。


植草一秀「知られざる真実」2019年11月16日(土)
熱気沸騰「いま消費税を問う!」緊急院内集会
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-9c4161.html

 安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で、自民党所属の国会議員らに出席者の推薦枠があったことが問題になっている。
 野党は名簿の公開を求めているが、菅義偉官房長官は14日、記者会見で「名簿については、会の終了をもって、遅滞なく廃棄している」と説明。
 資料はすでに“隠ぺい済み”ということだ。

 隠ぺいが疑われているのは、「桜を見る会」だけではない。

 政府・与党が今国会の最大の焦点と位置づけている日米貿易協定でも、隠ぺい疑惑が指摘されている。
 にもかかわらず、協定の承認案は15日に衆院外務委員会で可決され、19日に衆院本会議で採択される予定だ。
 なぜ、政府は隠ぺい工作に手を染めなければならなかったのか。
 その背景には、専門家から「交渉で負けた」と批判される協定の内容にあった。

* * *

「日米貿易協定は『令和の不平等条約』です」

 こう話すのは、TPP(環太平洋経済連携協定)などの通商交渉で国際交渉官として参加した経験のある明治大の作山巧教授だ。
 日米貿易協定は、2017年にTPPを離脱した米国のトランプ大統領が安倍政権に求め、今年9月に最終合意に達した。
 交渉期間は、わずか半年。
 異例のスピード決着だった。

 安倍首相は「両国に利益をもたらすウィンウィンの合意」と強調したものの、その内容は過去の貿易協定と比べて似て非なるものだ。
 公式には、日本政府は関税撤廃率について「米国約92%、日本約84%」と発表している。
 ところが、日本の対米輸出額の約3割を占める自動車と自動車部品については関税撤廃の合意がなされていない。
 作山教授は言う。
 通商交渉は『ギブ・アンド・テイク』が基本で、日本が農産品でTPP並みに譲れば、米国から自動車などで譲歩を引き出さなければなりません。
 それが、今回は米国の譲歩はほとんどありません。
 TPPと日米貿易協定を関税撤廃率で比べると、日本は95%から84%に小幅の低下なのに、米国は100%から自動車などを除くと57%まで下がりました。
 とてもウィンウィンの協定とは言えず、ここまで完敗した交渉を国会で承認するなど、信じられないことです」


 安倍首相は「自動車および同部品は単なる交渉の継続ではなく、さらなる交渉による関税撤廃を明記した」と説明するが、そんなことは協定の関係文書のどこにも書かれていない。
 そのため、官僚たちは“ウソ”と“隠ぺい工作”に奔走せざるをえなくなっている。

■ 書き換えられた外務省文書

 外務省が公表した日米貿易協定の概要を説明した資料では、9月26日には<米国譲許表に「更なる交渉による関税撤廃」と明記>と安倍首相の説明に近い書き方をしていた。

 それが、10月18日には<米国附属書に「関税の撤廃に関して更に交渉」と明記>と変化。
 わずかな違いに思えるかもしれないが、関税引き下げのスケジュールを示す譲許表に「関税撤廃」と書かれていないことの意味は大きい。
 将来的な自動車関連の関税撤廃が約束されていないことを示すからだ。
 7日の衆院連合審査会で共産党の田村貴昭衆院議員からそのことを指摘されると、内閣官房の渋谷和久政策調整統括官は、ニつの文書について「時系列に伴う修正」と、改変を認めた。
 前出の作山教授は言う。
 関税撤廃で合意しているのなら、政府は自動車関連のどの品目で将来的な関税撤廃に合意しているかをリストにして示せばいい。
 しかし、本当は合意がないのでそれはできないでしょう。
 世界貿易機関(WTO)は自由貿易協定(FTA)について9割超の関税撤廃が必要としていて、米国の自動車関連の関税撤廃がなければそれを満たしません。
 日米というニつの大国が国際ルールを無視することの意味は大きい。
 これまで安倍首相は韓国に対して元徴用工問題で『国際的な約束を守ってほしい』と批判してきましたが、協定が発効してしまえば今後はそれも言えません。
 国際的な自由貿易のルールを、トランプ大統領と一緒に破壊することになるからです


 安倍政権の国際ルール違反を表に出さないようにするため、国会での説明は意図的に改変された情報ばかりになってしまった。
 その一つが、協定の経済効果を示した試算だ。

 政府の試算では、協定の経済効果は実質国内総生産(GDP)を約0.8%押し上げるという。
 しかし、これは米国が自動車関連の関税をすべて撤廃したことを前提にしている。
 東京大学大学院の鈴木宣弘教授(農業経済学)が、協定の内容通り、自動車の関税撤廃がないことを前提に政府と同じ手法で試算すると、GDPの増加率は0.09%にしかならなかった。
 鈴木教授は言う。
 日本政府の試算がおかしいことは、米国の貿易情報誌からも『撤廃を仮定してGDPの増加効果を計算した』と指摘されています。
 せめて、自動車関連の関税が撤廃されていない場合の試算と2本立てで発表すべきですが、それすらしていません

■ GDPがマイナスになる可能性も

 これだけではない。
 協定の発効でもっとも影響を受ける農林水産物について、政府は生産額が600億〜1100億円減少すると試算している。
 ところが、国内対策で農業の競争力が高まるとして、生産量への影響は「ゼロ」だという。
 ちなみに、自動車関連の関税撤廃が実現したとして試算しても、GDPは0.16%しか増えなかった。
 試算には『価格が下がっても、生産コストが下がる』『コストが下がれば、賃金が上がる』などの前提をつけて、意図的にGDPの増加率を引き上げています。
 試算の前提を変えることは、ドーピング剤を打つようなもの。
 そんなことをすれば、結果の数字はいくらでも増やせます」
(鈴木教授)

 そのほかにも、試算には「日本の農産品は品質が高いので、米国産と入れ替わらない」「農業で職を失った人は、瞬時に別の業種に転職できる」といった前提がある。
 いずれも試算のための机上の空論で、非現実的だ。
 そのこともふまえて鈴木教授が試算をすると、GDPはマイナス0.07%となった。
 政府はそれでも、今回の協定で牛肉や豚肉の関税が下がっても、コメの開放がなかったことが「成果」だったと主張している。
 だが、この説明もあやしい。
 来年に大統領選を控えるトランプ氏にとって、コメの生産地であるカリフォルニア州は民主党の票田なので、もともと興味がないのです。
 しかも、コメ以外の農産品では譲っているのに、自動車関連の成果は何一つなかった。
 こんな協定は前代未聞です
(鈴木教授)

 前出の作山教授は、交渉の過程で日本が持っていたカードをアメリカ側に提示した形跡がないことも、元国際交渉官として疑問に感じているという。
 トランプ大統領が自動車の関税を上げると脅してきたら、日本は『では、牛肉の関税を現行の38.5%から上限の50%まで上げます』と反論すればよかった。
 これは国際ルールの違反ではありません。
 実際、EUはトランプ大統領の脅しに対して、対抗措置として米国のどの品目の関税をどこまで上げるのかのリストを準備しています。
 日本は、韓国に対しては輸出優遇国(ホワイトリスト)からの除外という対抗措置を取りましたが、米国にはそのそぶりすら見せていません。
 本気で米国と交渉していたとは思えません

 では、米国は今回の協定に満足しているかというと、そんなことはない。
 コメについてはTPPの水準に達しておらず、米国内で批判が出ている。
 協定は、来年5月以降に再交渉されるため、今後、コメなども議題にのぼる可能性がある。
 今回は始まりにすぎないのだ。
 それでも協定の承認案は、大きな混乱もなく15日に衆院外務委員会で可決した。
 TPPは70時間以上の時間をかけて議論したが、日米貿易協定の審議時間は10時間にも満たなかった。
 安倍政権の思惑通りの展開に、野党の農林議員も嘆くばかりだ。
 こんなにひどい協定なのに、野党議員が体を張って審議を止めるどころか、プラカードを持ち込んでメディアにアピールするようなこともしない。
 だから、すべてが与党のスケジュール通り。
 闘う気すらなくて、情けない。
 野党の幹部は、国民の生活よりも大臣のクビを取ること(辞任)しか考えてないんだよ

 戦後史で例をみない「不平等条約」が、安倍首相とトランプ大統領の間で実現しようとしている。
 だが、そのことを政治家も国民も多くの人が知らない。最大の危機は、そこにある。


dot,asahi、2019.11.15 14:45
桜を見る会だけじゃない!
日米貿易協定では外務省が文書を改変
元国際交渉官「内容は令和の不平等条約」

(AERA dot.編集部/西岡千史)
https://dot.asahi.com/dot/2019111500038.html

posted by fom_club at 11:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「大嘗祭」と憲法の関係

 東京都千代田区のJR東京駅・丸の内駅前広場で2019年11月14日夜、大嘗祭(だいじょうさい)に反対する集会があった。
 主催者の男性はマイクを持ち、
「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い、巨大な神殿が建てられた」と訴えた。
 参加者は「インチキ大嘗祭」などと書かれたプラカードを掲げ「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールの声を上げた。
 武蔵野市から来たという女性(37)は、
「天皇制に反対する人は潜在的にいるのに、声を上げにくい息苦しい状況が生まれている」と語った。


[写真]
「大嘗祭反対」の声を上げる参加者=東京都千代田区

朝日新聞、2019年11月14日19時43分
大嘗祭「一晩のため税金27億円」東京駅前で反対集会
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191114004070.html

 天皇陛下の即位に伴う宮中祭祀「大嘗祭」が11月14日夜から15日早朝にかけて、皇居内に設営された大嘗宮で執り行われる。
 大嘗祭は即位に伴う儀式ではあるが、宗教的要素があり、「国事行為」とされていない。
 しかし、皇室の公的活動とされ、費用は公費である「宮廷費」から支出される。
 大嘗祭をめぐっては、2018年に秋篠宮さまが「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑念を呈されたことが話題になった。
「奉祝」ムードの中ではあるが、大嘗祭と政教分離、公費の支出をめぐる議論を、いま一度振り返っておきたい。

そもそも大嘗祭とは?

 宮中では毎年11月に「新嘗祭(にいなめさい)」という儀式がある。
 その年に収穫された米などを、天皇が皇室の祖先とされる天照大神など神々に供え、自身もこれらを食し、五穀豊穣や国家安寧を祈る儀式だ。
「古事記」や「日本書紀」にも記述があることから、その起源は奈良時代以前にまでさかのぼる。
 7世紀後半の天武天皇(位673〜686年)、持統天皇(位690〜697年)の頃から、新天皇の即位後初めての「新嘗祭」は「大嘗祭」として区別され、天皇一代につき一度のみ実施される皇位継承の儀式となったという。
 また、戦乱が相次いだことから、室町後期〜江戸時代にかけて大嘗祭がなかった時期が200年ほどあった。
 明治に入って制定された旧皇室典範11条では「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と定められた。
 天皇の践祚、即位などに関する規定「登極令」にもその細目が記され、皇位継承の儀式の一つとして明記された。

戦後、皇室典範から消えた「大嘗祭」

 戦後、天皇の地位と皇室典範は大きく変わった。
 明治憲法下で「神聖ニシテ侵スヘカラス」「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する存在だった天皇は、現在の日本国憲法に規定される国民主権のもとでの「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となった。
 新たな皇室典範では「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」(24条)とのみ記され、大嘗祭に関する記述は削除された。
 登極令も廃止された。
 なぜ、戦後の皇室典範で大嘗祭に関する記述がなくなったのか。
 終戦間もない1946年12月、憲法問題を担当した金森徳次郎国務大臣は、国会でこう述べている。
 大嘗祭等のことを細かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点を多分に含んでおりまするが故に、皇室典範の中に姿を現わすことは、或は不適当であろうと考えておるのであります。
(金森徳次郎国務大臣―1946年12月5日、衆議院本会議皇室典範案第一読会)

 ポイントとなるのは「信仰に関する点を多分に含んでおります」という言葉だ。
 天皇を神格化した戦前の反省から、憲法20条では政教分離が定められた。
 また、憲法89条では宗教団体への公金支出も禁じられている。
 神道の形式で、宗教的な性格を持つ大嘗祭は、これら新憲法の原則に反するものと考えられたからだ。

平成の大嘗祭、法的な位置づけで議論

 1990年、戦後初めての代替わりとなった平成の即位の礼では、大嘗祭の法的な位置づけをめぐって議論になった。
 法的な位置づけ、つまりは一連の即位の礼の一つとして「国事行為」とするのか、憲法との関係や宗教的な要素が強いことを勘案し「皇室の私的行事」と位置づけるのか。
 位置づけによって、その費用を公費である「宮廷費」から賄うのか、皇室の私費である「内廷費」で賄うのかも決まる。

 護憲派の旧社会党のほか、憲法学者やキリスト教系の団体なども憲法違反ではないかと提起した。

 一方で、保守派は即位の「奉祝」ムードに乗じ、大嘗祭を国家儀式として、伝統に即した形で執り行う空気の醸成に努めた。
 保守系最大の団体「日本会議」の前身「日本を守る国民会議」の立ち上げメンバーだった作曲家・黛敏郎(1929 - 1997)氏は、「大嘗祭の伝統を守る国民委員会」の発起人の一人だった。
 黛氏は、国民委員会の設立総会で「一連の皇位継承儀礼が(新憲法による)積弊を改める唯一、永遠に訪れることのないチャンスだ」「一大運動を盛り上げよう」(朝日新聞1989年12月20日)と述べている。
 国民委員会の設立メンバーには、経団連会長や日本商工会議所会頭、ソニー名誉会長だった井深大(1908 - 1997)氏などの財界トップをはじめ、神社本庁総長など宗教界の大物が名を連ねた。
 このときは芸能界からは「東京五輪音頭」などで知られた大御所の歌手、三波春夫(1923 - 2001)も参加していた。
 保守派と政財界が連携して、新天皇の即位を「奉祝」するという動きは、令和の時代にも重なる。

 異例の「エンドレス万歳」で話題になった、2019年11月10日の「国民祭典」。
 主催は「天皇陛下御即位奉祝委員会」と超党派の議員連盟だったが、奉祝委員会は「経団連」「日本商工会議所」「日本会議」の3団体を中心とする組織だった。

「国事行為」ではないが「公的性格」

 登極令の廃止後、初めて迎えた平成の大嘗祭。
 当時の海部俊樹内閣は、これを法的にどう位置づけたのか。
 まず、大嘗祭については宗教性を否定できないとして国事行為とはしなかった。
 宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。
(1989年12月21日 閣議口頭了解「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)

 一方で、「皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然」として、その「公的性格」を強調した。
 大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。
 その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。
(1989年12月21日 閣議口頭了解「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について)

 大嘗祭の宗教的な性格は認めつつも、その費用は公費から出す。
 当時の海部内閣は、政教分離上の問題については触れず「公的性格」という言葉を用いて説明した。
 つまり、皇室の公的な活動費のための公費「宮廷費」から支出するために、「皇室の公的行事」であると位置づけたことになる。

平成で敷かれたレールの上での「奉祝」ムード

 当時の海部内閣の政府見解は、戦後日本が直面した「伝統」と「新憲法」の矛盾、そのバランスをとろうとして編み出された苦肉の策と言えるものだった。
 そして、平成から令和への改元。
 大嘗祭が政教分離に抵触するのではないかという問題提起は、皇室の中から持ち上がった。

 2018年11月、53歳の誕生日を前に記者会見した秋篠宮さまは、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います」とする一方で、以下のように述べられた。

大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります

宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だった

宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています

宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています

 皇室行事の宮中祭祀と憲法との関係を、どう考えるか。
 皇位継承順位1位の「皇嗣」の秋篠宮さまによる、皇室側からの異例の問いかけだった。
 ただ、安倍晋三内閣は「平成の踏襲」を早々と方針として決めた。
 今回の大嘗祭の費用は27億1900万円。平成のときは、22億5000万円だった。

「令和」の奉祝ムードは、「平成」で敷かれたレールの上に成り立ったものだった。


[写真-1]
報道陣に公開された大嘗宮=13日、皇居・東御苑

[写真-2]
平成の大嘗祭。純白の祭服で悠紀殿に向かわれる天皇陛下(現上皇さま)

[写真-3]
旧皇室典範

[写真-4]
即位の礼を許さない11.12全国集会

[写真-5]
黛敏郎氏

[写真-6]
天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」で、万歳をする集まった人たち=9日、東京都千代田区皇居外苑

[写真-7]
海部内閣の閣僚たち。前列中央が海部俊樹首相

BuzzFeed Japan、2019/11/14 18:46
「大嘗祭」と憲法の関係は? 秋篠宮さまの問題提起をふりかえる
大嘗祭をめぐっては、2018年に秋篠宮さまが「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑念を呈されたことが話題になった。
大嘗祭と政教分離をめぐる議論を、いま一度振り返っておきたい。

(吉川 慧 Kei Yoshikawa、BuzzFeed News Reporter, Japan)
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/sokui-daijyousai

「一世一度の極めて重要な皇位継承儀式」(宮内庁)とされる大嘗祭。
 天皇が新穀を神々に供えて祈る宗教色が強い儀式で、過去には政教分離の観点から訴訟も起こされてきた。
 政府は今回、憲法論争再燃を避けるため平成時の儀式踏襲を早々に決定。
 秋篠宮さまからも皇族として異例の疑義が呈されたが、「前例踏襲」で押し切った。
 結論ありきの姿勢に、専門家から批判も出ている。

◇ 簡素化も費用増

 大嘗祭は天皇の即位後一度だけ行われ、その都度「大嘗宮」を建設して終了後に取り壊すのが習わしとなっている。
 政府は平成時と同様に、宗教色の濃さから「即位礼正殿の儀」など即位に絡む一連の国事行為とは切り離し、皇室行事と位置付ける一方、費用は国費から支出した。
 宮内庁は、経費削減などのため大嘗宮の規模を2割縮小した上で主要建物の屋根材をかやぶきから板ぶきに変更し、一部にプレハブも採用した。
 しかし、建材費や工事の人件費が高騰したこともあり、祝宴「大饗の儀」も含めた予算は結局約24億4300万円と、前回より2億円増えた。

◇「私費で行うべきだ

「大嘗祭はある意味宗教色が強い」
「(天皇家の私費の)内廷会計で行うべきだ」
 秋篠宮さまが長年の持論として昨年2018年11月の誕生日会見で明かした意見は、関係者に波紋を広げた。
 大嘗祭に国費の「宮廷費」を支出することは、既に政府の決定事項となっていたためだ。

 秋篠宮さまは「身の丈に合った儀式」とするのが本来の大嘗祭の姿だとも主張。
 以前からこうした考えを宮内庁長官らに伝えてきたが、「話を聞く耳を持たなかったことは非常に残念だった」と苦言も述べた。

 昨年2018年1月に発足した政府の式典準備委員会は、早くも翌2月に「大嘗祭の位置付けや費用は前例を踏襲する」と確認。
 挙行まで1年半以上の時間があったものの、公開された議事概要に十分な議論が行われた形跡はなく、秋篠宮さま発言後も再検討はされなかった。

◇「時間の余裕あった

 憲法と天皇制の関係に詳しい九州大の横田耕一名誉教授(憲法学)は、
「政府は平成の代替わりの際、大嘗祭が宗教色の強い儀式だと認める一方で、皇室の伝統であることを理由に公費を支出すると決めた。しかし、宗教儀式なのであれば政教分離の原則に従い、内廷費から費用を出すべきだ」と語る。

 秋篠宮さまの発言については、
「正当な内容だ。伝統的な大嘗祭はもっと素朴な儀式で、現在のように多額の金を掛けるものではなかった」と指摘。
「政府は今回、前例を踏襲すると早々に決め、即位関連の儀式が抱える憲法上の疑問点に答えなかった。退位による代替わりで時間の余裕があったのだから、儀式の在り方を憲法に照らして精査すべきだった」と批判した。


[写真]
政府の式典準備委員会の初会合で、あいさつする菅義偉官房長官(右から2人目)。左端は宮内庁の山本信一郎長官=2018年1月、首相官邸 

時事ドットコムニュース・深層探訪、2019/11/16(土) 8:31
政府、結論ありきの大嘗祭
憲法論争避け前例踏襲

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019111400914

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2019年11月15日

共産・大門氏「世界の流れは庶民増税でなく減税」

 財政の立て直しにまず持ち出される消費増税は、所得が低い人の負担も増やし、格差を温存してしまう。
 税の持つ「所得再分配」の機能を生かす道は、なかったのか。

 2019年10月16日、参院予算委員会。
 共産党の大門実紀史議員は、
「消費税の最大の問題点は、お金持ちより所得の少ない人の方が(実質的に)負担が重いという『逆進性』だ。税金は苦しい人から取るのではなく、余裕がある人から取るのが当たり前ではないか」と切り込んだ。

 再分配に後ろ向きな政権の姿勢を象徴するとして、野党の矛先が向かう税がある。
 株式の配当や売却益にかかる「金融所得課税」だ。
 税率は世界的にも最低水準の20%。
「金持ち優遇」といわれるゆえんだ。

 所得が増えると最大45%まで税率が上がる累進制をとる所得税に対し、金融所得は他の給与所得などとは切り離して単独でかかる。
 株の売却益が1万円でも1億円でも税率は一律に20%。
 このため、所得1億円を境に富裕層ほど申告納税者の税負担率が下がるという「逆転現象」が起きている。

 麻生太郎財務相もその原因が金融所得にあると認める。

「高所得者ほど、所得に占める株式等の譲渡益の割合というものが高い。一番大きな理由はそれだと思う」

 金融所得課税を強化したいと考えるのは、なにも野党だけではない。
 税財政をつかさどる当の財務省もだ。

 財務省の星野次彦主税局長(当時)は昨秋、首相官邸で、金融所得課税を段階的に25%に引き上げる案を菅義偉官房長官に示した。
 提案は、1年余で3度目だった。

 だが、菅氏は一蹴した。

「株価への影響が出たらどうするんだ」

 とどめを刺すように、こう加えた。

「この件は、もう持ってくるな」

 星野氏が4度目の提案に行くことはなかった。

 菅氏が引き上げを認めないのは、アベノミクスの成果を示す株高こそが、政権運営の生命線と考えているからだ。
 金融所得課税の強化で株価が落ちれば、政権に致命的な打撃になる。
 菅氏は周囲に語る。

「株価が下がれば税収も減るのに、財務省は目先のことばかり。おれが官房長官の間は、金融所得課税の引き上げは絶対に認めない」

 それでも、昨冬決まった与党税制改正大綱は、金融所得課税について、将来の引き上げの議論へ含みも残す文言となってはいた。
 しかし、今年2019年9月に自民党の税制調査会長に就任した甘利明・元経済再生担当相は、
「(今年の)税調で結論が出るということではない」と早々に明言した。

 安倍晋三首相の盟友である甘利氏は「経済成長なくして財政再建なし」との立場。
 企業の不利につながる増税には冷たい。
 その姿勢は、いびつな「逆転現象」による格差を放置し、国民が税の公平性へ不信を強める危険とも背中合わせだ。


[図]
所得が1億円を超すと税負担率が下がる「逆転」が起きる

朝日新聞・けいざい+、2019年11月15日05時00分
「10%」後の税財政:下
「株持ち優遇」再分配案を一蹴

(岡村夏樹)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14257079.html?pn=2

 富裕層ほど負担率が下がる金融所得課税、共産党の大門議員が指摘し、麻生大臣も認め、財務省も前向き。
 なのに課税強化が進まないのは、政権維持のため。政治的に経済格差が作り出されている。

日本共産党・大門実紀史議員は2019年10月16日の参院予算委員会で、安倍政権が強行した消費税10%増税の問題点をさまざまな角度から追及し、「緊急に消費税5%減税の実施を」と求めました。

大門: 消費税増税が、中小事業者にとって何か一つでもいいことはあるのか。

安倍晋三首相: 買い物が喚起されるような施策を打った。

 大門氏は、消費税増税に伴うキャッシュレス・ポイント還元に登録する店舗が少ない実態などを紹介。
「そもそも消費税増税は中小事業者にとって、身銭を切る分が増えることになる。そのうえ複数税率だの、キャッシュレスだの、インボイスだの余計な負担が加わる」と指摘し、
「今回の消費税増税は、中小事業者にとって、何か一つでもいいことがあるのか」とただしました。
 安倍首相は、中小企業に広がる困惑をかえりみず、「施策を打った」としか答えられませんでした。

大門: 消費税の最大の問題は逆進性だ。

麻生太郎財務相: 消費税はあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点から社会保障財源にすべきだ。

大門: 税金は生活の苦しい人からとるのではなく、余裕のある人、もうかっている人からとるのが、政治の役割だ。

 大門氏は、株や証券などの金融資産を1億円以上もつ富裕層の世帯が保有する資産が2000年の171兆円から2018年には299兆円に膨らむ一方、年収200万円以下の「働く貧困層」が13年連続で1000万人を超えている実態(グラフ)を告発。
「税金は貧しい人より、もうかっている人からとるのが当たり前だ」と求めました。

大門: 消費税は財界の求めてきた直間比率の見直しを忠実に実行してきたものだ。

財務相: 当時8対2だった直間比率は67対33までになった。

 大門氏は消費税導入後31年を振り返り、消費税が社会保障や財政再建のために使われず、大企業・富裕層減税の穴埋めに使われてきた実態を告発しました。
 その上で、消費税が財界の要求である「直間比率の是正」に応えて導入・増税されてきた事実を浮き彫りにしました。
 安倍首相はこれには答えず、
「消費税は全世代型社会保障制度への転換を進めていく上で重要な財源」と強弁しました。

大門: 消費税増税は経済の自滅行為だ。減税こそ求められる。

首相: 消費は持ち直している。(増税には)十二分な対策を打った。

大門: 持ち直しといって5年たつ。何も持ち直していない。

「世界の流れは庶民増税ではなく、減税だ」―。
 大門氏は、世界経済が悪化するもとで、ドイツやフランス、アメリカなどの各国が庶民減税で消費を底上げしようとしていることを紹介。
「今や世界の流れは、むしろ庶民減税だ。日本だけ消費税増税して大丈夫か」と迫ると、安倍首相は消費者マインドが弱くなっていることは認めながらも「(景気は)持ち直している」と強弁し、増税を正当化しました。

 大門氏は、富裕層優遇である証券優遇税制や大企業優遇である研究開発減税の実態を告発。
「これらを見直せば、消費税増税は必要ないし、減税にも道を開く」と力を込めました。

 麻生財務相は証券優遇税制の見直しについて、「これから先、検討しなければいけないところだ」と認めました。


[図」
働く貧困層と富裕層

[写真]
質問する大門実紀史議員(右端)=16日、参院予算委

しんぶん赤旗・論戦ハイライト、2019年10月18日(金)
参院予算委 大門議員が求める
世界の流れは庶民増税でなく減税

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-10-18/2019101802_03_0.html

大門実紀史・共産党参院議員

(刑法で)賭博が禁じられてきた理由の一つは、勤労の美風を損ない、経済活動を阻害することにあります。
 立法事実は江戸時代末期にさかのぼります。
 資料によれば、江戸後期から末期にかけて、世相は乱れ、町の辻々で昼間からばくちが行われ、博徒がはびこっていた。
 明治維新になって、「新しい日本の建設、経済発展のためには、まず賭博撲滅、風俗矯正だ」ということになり、明治天皇のもとで定められた刑法において厳しく賭博を禁止することになったのです。
 こういう最初の立法時の趣旨を知った上で、自民党の皆さんは「カジノが経済の目玉」などとのんきなことを言っているのでしょうか。
 明治天皇も雲の上で怒っています。
「共産党、頑張れ」と言っているのではないでしょうか。
(カジノ解禁法案を可決した2016年12月14日の参院本会議の反対討論で)


朝日新聞、2016年12月14日22時53分
「カジノ法、明治天皇も怒っている」
共産・大門氏

https://www.asahi.com/articles/ASJDG771CJDGUTFK02C.html

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衆院外務委員会

 日米貿易協定の承認案は2019年11月15日、衆院外務委員会で採決される。
 政府・与党が成立を急ぐ中、審議は11時間で終わり、環太平洋連携協定(TPP)を大きく下回る。
 農産品の影響試算の根拠や、牛肉のセーフガード(緊急輸入制限措置=SG)の実効性などを巡る政府と野党の議論は平行線のまま。
「熟議」につながらないまま衆院の審議は終わる。

審議時間 延期・空回し TPP下回る

 10月24日の衆院本会議で審議入りしたが、外務委で予定されていた審議は2度延期された。
 公職選挙法違反疑惑を巡り、辞任した閣僚2人が説明責任を果たさないことに野党が反発し、国会審議が空転したためだ。

 本格的な質疑は11月6日に始まったが、8日の質疑では要求資料の提出に応じない政府・与党に主要野党が反発して退席。
 与党側は、質問者不在のまま時間を進める「空回し」で審議時間を消化するなど対立が深まった。
 13日には正常化したが、政府と野党のやりとりはかみ合わないまま。
 結局、与野党の合意で採決日程が決まり、衆院での実質的な審議は終わった。

 衆院での審議時間は11時間。
「空回し」の時間を除けば10時間にも満たない。
 TPPは2016年に特別委員会を設けて70時間以上、米国抜きのTPP11は2018年に20時間以上審議したのと比べると、議論の不足は否めない。

 政府・与党は、日米協定を今国会の最重要案件に位置付ける。
 その分、野党の視線も厳しく、国会運営の駆け引き材料になった面があるが、野党内には「審議時間をより多く確保する方法がなかったか」(農林幹部)との声も漏れる。

試算・SG 議論は平行線なお残る懸念

 審議の中で、野党が特に批判を強めたのが影響試算だ。
 政府は農産品について「生産額は減少するが、国内対策によって生産量や農家所得は維持される」との説明を変えていないが、国内対策は指針となるTPP等関連政策大綱の改定さえ完了していない。

 野党からは「予算を出してから言え」と、政府説明の根拠の乏しさに批判が相次いだ。

 より現実的な試算を求める声も出た。
 日米協定の試算は、既に発効済みのTPPや欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)を前提としていないことを野党は問題視。
 既存の通商協定を踏まえた具体的な試算を示すよう要求したが、政府・与党側は一貫して拒否している。

 牛肉SGは、発動した場合の再協議規定を巡る攻防が激化した。
 発動すれば「発動水準をより一層高いものに調整する」協議に入り、期限も決まっている。
 引き上げを前提とした規定だとして、野党はSGの効果を疑問視する。

 一方、SGの再協議についての政府答弁は「結果は予断していない」(茂木敏充外相)にとどまり、SGの先行きの不透明さは解消されないままだ。
 生産量や農家所得を維持する国内対策の具体像や、SGの実効性をどう確保するかなど、農業経営に直結する論点の議論は深まらなかった。


[図]日米貿易協定を巡る論点

日本農業新聞、2019年11月15日
日米協定「熟議」遠く
きょう衆院委採決

https://www.agrinews.co.jp/p49239.html

 全世代型社会保障検討会議で、政府側が、政府の方針と異なる経団連会長の発言部分を削除していた問題。以前のポストで記した。
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-8700.html

「桜を見る会」疑惑といい、この諮問会議議事録問題といい、政府・行政側が自らに不利なことを認め始めている。
 何か潮流が変わってきているように見える。
 隠蔽・改ざん・虚偽から、良い方向に向かっていると言えるが、この背後に何があるのだろうか。

「良い方向に向かった」といっても、まだ方向転換の萌芽のようなものであるし、何か背後に隠されているだけなのかもしれない。

 与党内部での権力争いが表面化し始めたのか、それとも現政府が何か・・・もしかすると、日米FTAの中身・・・を隠そうとする偽装工作なのか。注目してゆく必要がある。

 自動車関税で脅され、わが国に不利な条件を飲まされた日米FTAは、同じ恫喝によって、サービス部門・医療社会保障部門にまで米国のグローバル資本が食い込んで来ようとするのは間違いない。
 米国と本気で対峙する気概と方策があるのかどうかが試される。
 これまでの安倍政権のやり方では、日米FTAは米韓FTAの二の舞になる。

 与党内部での権力闘争はどうでも良いので、大いにやって自滅してもらいたいと切実に思う。
 もし権力闘争が激化したとすると、安倍首相としては、衆議院解散が切り札だろう。
 野党陣営には、必ず野党共闘の候補を擁立する努力をすぐに始めてもらいたい。


以下、引用〜〜〜
議事録不記載、中西氏発言認める
政府が説明一転「録音も存在」

2019/11/12 18:19 (JST)
c一般社団法人共同通信社

 政府の全世代型社会保障検討会議で政府方針と異なる意見を述べた中西宏明経団連会長の発言の一部が議事録に記載されなかった問題で、政府の担当者は12日、中西氏の発言は実際にあったとの見解を初めて示した。これまでの説明から一転し、録音や速記録が存在していたことも認めた。政府はこれまで議事録の作成手続きは適切だとして、事実関係については明確にしてこなかった。

 立憲民主党が開いた会合で、検討会議を担う事務局の担当者が「(発言は実際にあったと)そのように考えている」と述べた。従来は「ない」と説明していた会議の録音や速記録も、存在していたことが新たに分かったとした。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2019/11/15 05:53
「隠蔽、改ざん、虚偽」を少し改めた?その背後にあるものは何か?
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-8726.html

 2019年4月21日の「桜を見る会」で安倍首相は次のように挨拶している。

「皆さんと共に政権を奪還してから7回目の「桜を見る会」になりました」

「桜を見る会」は政府行事である。
 政府が血税を投入して実施している行事である。

 2017年7月1日の夕刻、安倍首相は東京都議選街頭演説最終日に、「安倍辞めろ!」との怒号を発する有権者に対して、
「こんな人たちに、皆さん、私たちは負けるわけにはいかない!」
と絶叫した。
「こんな人たち」も有権者である。
 有権者の声に真摯に耳を傾けない安倍首相の姿勢が批判された。
 それでも、2017年の発言は自民党党首としての発言だ。
 特定の政治的立場から発言しても、自民党を代表する立場からのものだとすれば説明がつけられないわけでもないものだった。

 しかし、本年2019年4月21日の発言は立場がまったく違う。
「桜を見る会」は政府行事であり、挨拶は内閣総理大臣としてのものだ。
「皆さんと共に政権を奪還」と発言しているが、そうなると、この会に招かれた人びとは、すべてが、安倍首相と政治的立場を同じくする人びとということになる。

 安倍首相は講演会関係者850人を17台の観光バスで動員したと見られている。
 政府行事を完全に私的な行事にしていることが鮮明に浮かび上がる。
 政府行事の私物化が許されるわけがない。
 安倍首相の責任が問われなければならない。

 同時に、最大の問題になっているのが前夜祭の問題だ。
 安倍首相の個人事務所が前夜祭を取り仕切り、5000円の会費を徴収したが、前夜祭の実費が5000円を大幅に上回る疑いが浮上している。
 このホテルではパーティープランの場合、1人1万1000円が最低料金で値引き販売を行なうことはないとしている。
 有名寿司店も料理を提供しており、1人5000円の会費は実費をはるかに下回るものであると考えられる。
 実費が会費を上回っていれば、公職選挙法に抵触する飲食饗応ということになる。
 また、会費を集めてパーティーを開いておきながら、政治資金収支報告書に記載がなければ不記載の違反になる。

 振り返っていただきたい。
 2009年3月3日に、小沢一郎衆議院議員の公設第一秘書の大久保隆規氏が突然逮捕された。
 小沢氏の資金管理団体は、西松建設関連の二つの政治団体である新政治問題研究会と未来産業研究会からの寄附を事実通りに記載して収支報告書を提出した。
 この行為が虚偽記載だとして突然、大久保氏が逮捕されたのだ。
 この事案は完全な冤罪事案だったが、安倍首相の資金管理団体の違法行為疑惑に対して、捜査当局は厳正な対応を示す必要がある。
 主権者が監視を強めなければならない。

 この重大問題が前面に出ているが、その影で重大条約の批准が強行されようとしている。
 自民、立憲民主、国民民主の国会対策委員長が11月13日に国会内で会談し、日米FTA批准案を11月15日の衆議院外交委員会で採決し、19日に衆院本会議で採決することで合意したと報じられている。
 日米FTAでは日本から米国への自動車および自動車部品の関税撤廃が確約されていないにもかかわらず、茂木外相が確約されているとの国会答弁を示してきた。
 重大な問題が明らかにされないままで、採決を強行することは完全な売国行為である。

 野党は「桜を見る会」問題に関する予算委での集中審議を求め、これが受け入れられないならすべての国会審議を拒否する戦術を採用するべきである。
 ところが、集中審議の要求を貫かずに、日米FTAの衆院本会議採決で合意してしまったら、強く攻勢に出るカードを失う。
 野党陣営が解散総選挙を恐れているようにしか見えない。

 日米FTAをこのまま通すことはまさに売国の行為である。
 この重大な衆院外交委と日程が重なるが、
「いま消費税を問う! −専門家・国会議員・市民による緊急院内集会−」
を11月15日午後5時〜7時半に衆議院第二議員会館多目的会議室で開催する。
 参加費無料、主催:政策連合(=オールジャパン平和と共生)。
https://bit.ly/34PLHUz
https://bit.ly/2O0YM6Q

 ぜひ衆議院第二議員会館多目的会議室に参集賜りたい。


植草一秀の『知られざる真実』2019年11月14日(木)
2012年に政権を奪還した皆さんのための桜を見る会
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-e5af52.html

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2019年11月14日

Abe’s top priority for the current session of parliament is the passage of the Japan-U.S. trade pact

Japanese Prime Minister Shinzo Abe has canceled an annual cherry blossom viewing party after facing opposition criticism that invitations were given as political favors, seeking to sweep away obstacles ahead of a looming vote in parliament on a U.S. trade deal.

The publicly funded event with a nearly 70-year history won’t be held next spring, Abe’s government said Wednesday. Opposition lawmakers over the past few days have slammed Abe for increasing the budget and the number of guests, and for inviting large numbers of his political supporters.

“We need to step back and deal with the various criticisms that have been made,” top government spokesman Yoshihide Suga told reporters. The party may be reinstated in subsequent years, once changes have been made, he said.

Abe’s top priority for the current session of parliament is the passage of the Japan-U.S. trade pact, which President Donald Trump’s administration wants to put into force Jan. 1. Local media reports said a vote in the powerful lower house could come as early as next week.

The event attracted about 18,000 people this year and pictures on the website of the prime minister’s office show a smiling Abe under the flowers emblematic of the country posing with celebrities, some of them dressed in colorful kimono. The decision to cancel the viewing party was flashed as major breaking news on Japanese television networks.

The abrupt decision came after a string of scandals in Abe’s cabinet, which resulted in the resignation of two ministers in quick succession.
Twin Japan Cabinet Resignations Cloud Prospects for Early Vote

Opposition parties use such problems to delay the government’s legislative agenda, and had already begun holding meetings on the cherry blossom viewing party.


Yahoo! Finance, Published: November 13, 2019
Japan’s Abe Axes Cherry Blossom Bash in Bid for U.S. Trade Pact
Isabel Reynolds
Bloomberg
https://finance.yahoo.com/news/japan-abe-axes-cherry-blossom-090800788.html

幸福の科学大設置、認可を諮問 文科相、21年度開学予定・・・
国民の関心が桜を見る会に向いている間に、萩生田文科大臣のこの諮問は何か。
大学認可以前に大学入試の記述式テストを廃止する方が優先度が高いのに、だ。
前回の幸福の科学大学の設置認可申請の際、萩生田文科大臣は教団関係者と接触しどうすれば設置認可を受けられるか直接アドバイスするなど、教団の大学設置に肩入れしてきました。
審査するのは大学設置審だとはいえ、最終的な判断は萩生田文科大臣。
中立性が極めて疑われる大臣に任せられない。


自民、立憲民主、国民民主3党の国対委員長は13日、国会内で会談し、日米貿易協定承認案を19日の衆院本会議で採決する日程で合意した。与党の賛成多数で可決、参院に送付される・・・
「桜を見る会」で騒いでいる裏で3党合意!?
なぜ立憲と国民民主はFTA審議に同意したのか。

なぜ日米自由貿易協定を採決するのか?自民党はともかく、立憲民主党や国民民主党までも国を売りたいのか?
絶対反対!!

日米FTAが発効されたらこうなる!!!!
・ 国民皆保険が撤廃される
・ 年金や生活保護が撤廃される
・ 消費税廃止できなくなる
・ 水道再公営化できなくなる
・ 警察、消防が民営化
・ 軽自動車が撤廃される
・ JAが解体される
・ GM食品しか食べれなくなる、GM表示がなくなる

公選法違反の犯罪者である総理大臣の下で、「行政を遅滞なく進めること」なんて絶対してはならないことだ。
ましてや日本の将来を決める外国との協定だ。欠格者の下での審議など論外。即刻止めろ。


 安倍晋三政権が、日本の農畜産物やデジタル貿易の市場をアメリカに開放する日米貿易協定とデジタル貿易協定の二つの承認案の国会審議を本格化させようとしています。
 今週中にも衆院を通過させる動きも見せています。
 しかし、安倍政権は承認案の審議に必要な資料さえ国会に出しておらず、審議の前提は整っていません。
 拙速な審議で日本の農畜産業などの死活にかかわる協定の承認など許されません。

必要な資料は提出されず

 二つの協定承認案は2019年10月24日の衆院本会議で審議入りしました。
 その直後の菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の「政治とカネ」をめぐる疑惑による辞任が影響し、委員会での実質的な審議入りは与党が描いていた日程より遅れました。
 先週末開かれた承認案を審議する衆院外務委員会は、野党側が審議の前提となる資料の提出を求めていたのに、その資料を提出しないまま、与党などだけで審議するという異常な事態となりました。
 承認案の審議がほとんどなされていないにもかかわらず、安倍政権と与党は今週中にも衆院を通過させ、参院に送ろうとしているのは重大です。

 日米貿易協定とデジタル貿易協定は、昨年2018年9月の日米首脳会談での合意に基づき、今年2019年4月の交渉開始からわずか半年足らずで署名したものです。
 この間、首相とトランプ氏の首脳会談や、茂木敏充経済再生担当相(現外相)とライトハイザー米通商代表との協議が繰り返されてきました。
 その詳しい中身は明らかになっていません。

 もともとこの交渉は、トランプ氏が大統領に就任した後、環太平洋連携協定(TPP)から離脱したため、国内で日本への農畜産物などの輸出で不利になったとの不満が出て、日本へアメリカに有利な協定を押し付けるために始まったものです。
 そこで何が話し合われ、日本が何を約束したかの議事録などの提出は不可欠です。

 協定の実施による日本経済や日本国内の農畜産業への影響も、「暫定値」や「暫定試算」が公表されただけで、専門家が検証した正式な試算は年末になるというものです。
 その不十分な試算でも日本の牛・豚肉や乳製品などの生産額は大幅に減少するとなっており、国内農畜産業への打撃は隠せません。

 しかも協定の実施で日本の国内総生産(GDP)が約0.8%押し上げられるという試算は、日本がアメリカに輸出する自動車や同部品の関税が撤廃されることを前提にした架空の計算です。
 今回の協定には自動車などの関税撤廃は盛り込まれておらず、英文しか公表されていない付属書には「さらに交渉」としか書かれていません。
 ごまかしの試算で承認を強行しようとするのは国会軽視の極みです。

次の段階の交渉の危険

 安倍政権が二つの協定の承認を急ぐのは、1年後に迫ったアメリカ大統領選をにらんだ、トランプ大統領の意向に沿ったものです。
 今回の協定の発効後には、次の段階の交渉が待ち受けています。
 茂木外相は国会答弁で、次の段階の交渉分野は「特定されていない」と述べ、より広範になることを否定しませんでした。
 文字通りアメリカに有利な自由貿易協定(FTA)につながる危険は明白です。
 交渉拡大を許さないためにも、二つの協定の承認阻止が重要です。


しんぶん赤旗・主張、2019年11月12日(火)
日米貿易協定審議
承認ありきのやり方許されぬ

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-12/2019111201_05_1.html

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日本語訳は出さない日米貿易協定

日米貿易協定の国会審議が2019年10月24日の衆議院本会議から始まった。
政府はバランスのとれた交渉結果だと強調するが、農産品分野以前の問題として、そもそもこの協定の問題点を指摘する声は多い。
今回はWTO違反の協定だといち早く指摘している鈴木宣弘東大教授と、農業を捨て石にした交渉結果だと批判する作山巧明治大学教授に聞いた。

◆ トランプの都合に譲歩 国際ルール無視の協定


― 今回の日米貿易協定はそもそもWTO違反だと指摘されていますが、現在の貿易ルールの基本からお聞かせください。

鈴木宣弘東大教授: 現在のWTO(世界貿易機関)と、その前身のGATT(関税貿易一般協定)は、第二次大戦前に各国がつまみ食い的に特定国の関税を引き上げるなどして排除するといった行動が戦争まで招いてしまったという反省から、戦後、とにかく貿易ルールは差別をしてはならないというルールを作ったわけです。
 つまり、二国間、あるいは複数国間のFTA(自由貿易協定)は基本的に禁止しました。
 二国間、複数国間で差別的な協定を結ぶことは戦前のような経済のブロック化の状況になりかねないからです。
 ただ、例外として地理的に近い複数国が一国になるぐらいのかたちになるよう、すべて関税撤廃するといった協定であれば例外的に認めようということにしました。
 それがGATT24条で規定され、FTA域内では「実質上すべての貿易について」関税などを撤廃しなければならないとされており、具体的にそれは概ね貿易量の9割とされています。
 実際、今までのFTAを調べた研究では85%を下回るものはないことが示されています。
 今回、政府は米国側の関税撤廃率は92%と国民に説明していますが、これは自動車も含めた割合です。
 しかし、自動車と自動車部品の関税撤廃は約束されていません。
 したがって自動車関連の貿易額41%を差し引くと51%にしかなりません。
 過去のFTAで85%を下回った協定はほぼないのですから、これは前代未聞の国際法違反の協定だということです。
 日本はもともとWTOを重視して無差別原則を崩してはいけないという立場をいちばん強調していました。
 その日本が今回はアメリカと一緒になって犯罪者になったようなものです。


― しかし、政府が公表した資料では「関税の撤廃に関してさらに交渉」と協定に明記した、と説明しています。

鈴木: さらに交渉、ということは関税の撤廃は約束されていないということではないですか。
 実際、米国側の約束内容の英文も、関税の撤廃をするかどうかは今後の交渉次第という意味にしか取れません。
(Customs duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties)
 こんなあからさま虚偽を言うのは信じられません。
 これが通用するとなると、他国もこれでいいのかということになり、品目を限ったつまみ食い協定がそこら中でできて、貿易ルールが錯綜して戦前のような混乱状態に戻ってしまう可能性もあります。
 とくに日米という巨大経済圏が国際ルール違反をやってしまえば、他の国も何でもありだということになり、貿易ルールの原則ががたがたになりかねません。
 そうなると日本がいちばん被害を受ける。
 日本は貿易が正常に動いていることによって利益を得てきた国ですから。


― この問題は国会審議でどう議論すべきでしょうか。

鈴木: 国会にこの英文をそのまま出して、この意味が、なぜ完全撤廃を約束したということになるのか、と政府を追及すべきです。
 今のところ日本語訳は出さない方針のようですが、これまでの貿易協定で正文かどうかは別にしても日本語訳がないことなどほとんどないはずです。
 逆に今回非常に分かりやすいのは、日本語に訳したときに困るから訳さない、というのが本当の理由ではないでしょうか。


― 農産物についてコメが「除外」されたとして政府は成果を強調しています。この「除外」とは韓国と米国のFTAで韓国のコメが除外されたのと同じように考えていいのでしょうか。

鈴木: コメを除外したといいますが、協定には再協議規定が入っています。
 しかも奇妙なことに日本側の付属文書のほうに「米国は将来の交渉において、農産品に関する特恵的な待遇を追求する」との項目が入っています。
 これは強い米国の意志として、これで終わっているわけではないということを示しているもので、今回の「除外」は除外とはいえません。
 とりあえず入っていない、というだけの話です。
 今回、コメを除外した理由は、トランプ大統領が関心がないだけの話です。
 簡単にいえばトランプ大統領の都合で、大統領選対策として牛肉など今もらいたいものはもらい、自動車に象徴されるようにやれないものはやれない、という話です。
 別の言い方をすれば、コメは民主党に絶対負けるカリフォルニア州への「いじめ」で除外扱いとなったわけです。
 しかし、当然、米国のコメ団体は反発しています。
 再協議規定も入っていますから、当然何らかのかたちで再協議されることは前提とされているということであり、韓米FTAでコメが除外されたのと意味が違います。
 乳製品も米国枠の設定は先送りされましたが、酪農団体も反発しています。
 今回の協定はまさに国際貿易のルール無視でトランプ大統領の選挙対策に日本が協力するかたちで必要な部分だけを入れ込んだ協定であり、それに日本が乗らざるを得なかったということでしょう。
 TPPで約束した米国の自動車関税の撤廃は反故にされ、一方、米国にとって必要な牛肉、豚肉をはじめとした日本の農産物はTPP以上に差し出されることになったということです。
 つまり、基本的な貿易ルールを無視したつまみ食い的な協定であり、それに基づいてコメは除外されたから成果があったなどと言っても、そんなことは今の時点で判断できないということです。
 とりあえずトランプ大統領の関心はここまでで、彼自身はこれ以降はどうでもいいかもしれませんが、米国全体とすればこれで済むわけではないでしょう。
 米通商代表部やほかの農業団体もこれで済むと考えているわけではなく、米国としては必ず次の交渉を求めてきます。
 米国がTPPでコメの7万t枠や乳製品で獲得した米国枠について絶対にもういらないというわけがありません。
 コメはもともとTPP交渉では7万tでは少なく、15万tにしろと主張していたぐらいですから、それが今回の交渉で終わったなどという話になるわけがないと考えておかなければなりません。


― 協定文でさらに明らかになった問題点は?

鈴木: 牛肉についてはセーフガードが発動されたら、ただちに枠を増やして、次の年からは発動されないように協議していくことを交換公文で約束していることも判明しました。
 これではセーフガードではない。
 要するに9%まで関税削減されるまでの間に関税が引き上げられることがないように数量を調整していくということです。
 ゼロ関税ではないですから完全自由化とはいえませんが、実質は輸入枠を広げていくということです。
 それから政府は自動車の25%の追加関税について協定の誠実な履行中はそれを課さないことを日米共同声明で明記し、首脳間でも確認したと強調しています。
 しかし、協定本文(第4条)に、協定のいかなる規定も国家安全保障上の措置をとることを妨げないと明記されています。
 自動車への追加関税は国家安全保障が理由ですから、この条文はその根拠となり得るものです。
 ですから、今回の交渉で追加関税を阻止できたと政府が説明するのも問題です。


◆ 農業「捨て石」の交渉 コメ含め再協議を警戒

― TPPから日米協定まで一連の日本政府の交渉をどうみますか。

作山巧: 安倍政権は米国追随で、独自の戦略はないことが露呈したと思います。
 安倍政権は、選挙公約では農業団体を騙した上で、その後、政権をとったらTPPに参加し、一見、主導権を発揮した印象になりました。
 合意内容も結構うまくやったという評価もあったと思います。
「例外なき関税撤廃」と言われましたが、それなりに例外は確保しました。
 ただし、「重要5品目は除外」との国会決議は守られていないので、そこはおかしいとの指摘は当然です。
 しかし、それ以上におかしくなったのは、米国がTPPから抜けてTPP11になってからです。
 TPP交渉に参加する際に、安倍総理は「米国と経済圏を作る」と宣言しました。
 したがって、米国が抜けたTPP11の価値はないので、そこでやめるのが筋だったと思います。
 しかし、「米国をTPPに引き戻す」という新しい屁理屈を口実に、米国も含めて合意した農業の譲歩はそのままにして、TPP11を発効させたのが間違いの始まりです。
 そこが今になって、たとえばセーフガード発動基準がTPP11分に加えて今回の日米合意で米国分も加わるという問題になっているわけです。
 日本政府は、「米国抜きでTPP11を発効させれば、米国は不利になるからTPPに戻ってくる」と説明していましたが、実際は米国の怒りを買って、TPP復帰どころか、自動車の追加関税で脅かされて、一方的に譲歩した。
 それが今回の結果です。
 TPP交渉参加を決めたとき、そのメリットとして米国の自動車関税の撤廃や、アジア太平洋のルールづくりが強調されました。
 しかし、今、その両方ともありません。
 日米貿易協定では米国の自動車関税の撤廃はできていませんし、物品だけの交渉ですからルールづくりもありませんでした。
 TPP11でルールを作っているといっても、それはアジア太平洋のルールにはなりません。
 結局、WTO協定に違反して米国に自動車関税の維持を認め、農業をTPP並みに譲っただけです。

― しかし、政府は昨年の日米共同声明どおりTPPの範囲内で収まったとの評価です。

作山: 交渉というのはギブ・アンド・テイクのバランスですから、日本が農産品でTPP並みに譲るのであれば、自動車などで確保するものがなければいけません。
 それで初めてTPP並みになります。
 政府もTPP協定について、「自動車関税の撤廃やルールづくりで確保したから、農業でここまで譲った」という趣旨の説明を何回もしています。
 したがって、昨年2018年の日米共同声明がそもそもおかしいということになります。
 自動車関税の撤廃やルールづくりなどで確保するものが何も分からないにも拘わらず、「農産品でTPP並みに譲ります」と言ってしまった。
 あれ自体が間違いです。
 日本が確保するものがないのに農業だけ譲ると宣言した今回の日米交渉自体、最初から日本の負けで、「農業は捨て石にされた」ということを理解する必要があります。


― 協定文や付属書が公表されて、さらに明らかになった問題点は?

作山: 農産品については少なくとも4点ほどTPPを超えていると思います。

 1つ目は、追加交渉が明記されていること。
 付属書に「米国は将来の交渉において農産品に関する特恵的な待遇を追求する」と規定されています。
 また、これとは別に共同声明には、「協定が発効して4ヶ月後に関税などで追加交渉する」と書かれています。
 日本政府は、これは自動車を想定していると言っていますが、付属書の規定と合わせると、農産品も協定が発効して4ヶ月後に追加交渉が始まる恐れがあります。
 なぜなら付属書の規定には「将来の交渉において...」とありますが、将来とはいつでもいいということだからです。
 こうした規定がなぜTPP超えかといえば、TPPでは「発効から7年経ってから初めて見直す」という規定になっているからです。
 7年経たないと相手国は見直しを提起できない。
 したがって、ここは大変な譲歩です。
 米国は共同声明と付属書のこの規定をセットとして、日本に農産品の追加協議を要求するでしょう。
 それを禁じる規定はどこにもありません。
 茂木外相は、「自動車の交渉が先延ばしされたから日本はそれを提起する」といいますが、米国からすれば、自動車関税を撤廃するという一方的な交渉を受けられるわけがない。
「自動車を議論するなら日本の農産品もさらに議論を」ということになりますし、それを断る条文はありません。
 非常に危険な規定です。

 2つ目は、セーフガード(SG)の発動基準数量について、発動したらただちに再協議すると規定されていることです。
 これもTPPでは発効後7年目以降の見直しになっていました。
 すなわち7年間は、輸入基準数量を超えれば自動的にSGが発動されることになっているわけです。
 そもそもSGとは自動的に発動されるものであって、発動されるとその基準がただちに見直されてしまうなどという協定は見たことがありません。
 これも大変な譲歩であり、SGの概念を否定するものです。

 3つ目は、協定が2019年度に発効した場合は、チーズやリンゴ、オレンジなど多くの品目で、関税撤廃などの年限をTPP合意から1年短縮するとしていることです。

 4つ目は、協定が2019年度中に発効しなくても発効したことにするという規定もあることです。
 これはすでに発効しているTPP11に米国が劣後しないよう、「日本の手続きが遅れたら責任を取れ」という趣旨です。
 農産品以外の問題点としては、米国の自動車関税が撤廃されていないことです。
 この点でずるいのは、9月26日の最終合意時に政府は「更なる交渉による関税撤廃」と発表したので、みな関税を撤廃すると思いましたが、10月18日の署名時の資料では「関税の撤廃に関してさらに交渉」と変わっていることです。
 これでは撤廃するとは読めません。

 さらにずるいのは、これは米国側の約束なので和訳はありません。政府の魂胆は、協定が英語(※)しかないのだから、和訳を歪曲して「撤廃していないものを撤廃したように書く」というものでしょう。これらを国会で追及してもらいたいです。


― 政府としてとるべき対応についてはどうお考えですか。

作山: 今回の交渉結果は日本の「完敗」であり、米国に対する日本側の交渉力はまったく期待できないということだと思います。
 そこでできるとすれば、TPP11交渉時にやるべきだったセーフガードの発動基準数量の削減です。
「TPPへの米国復帰が見込めないときには発動基準数量を見直す」といっているわけですから、その約束を実行してTPP超えを回避してもらう。
 そこで、豪州やNZ、カナダが納得するのかという指摘がありますが、TPP11のなかでは日本の立場は強いし、豪州などはTPP11を維持したいと思っているはずです。
 そうだとすれば、冒頭に指摘したように、日本にとって米国復帰の見込みがないTPP11には価値がないわけですから、日本の脱退も示唆してSGの見直しを強気で交渉すべきでしょう。

※ 米国の付属書にある自動車関税についての英文は以下。

Customs duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties


農業協同組合新聞、2019.10.25
[緊急特集:日米貿易協定]
許すな! 嘘とごまかし 国会審議の焦点はここだ!
 
https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/2019/10/191025-39469.php

 日米貿易協定が10月24日から国会審議に入った。
 最大の焦点は、私が当初から指摘してきたように米国の自動車・自動車部品関税となっている。
 しかし大事なことは、「事実に基づく政策論議」だ。
 これが今の日本に欠けている。
 国内でしか通用しない、都合のいい解釈論とは仕分けすべきだ。
 重視すべきこの協定の自動車関税に関する「事実」とは、以下の2点である。

 (1)日米両国で署名された文書にどう書かれているか

 (2)相手国である米国側がどう対外説明しているか

 (1)については、すでに指摘したように
(関連記事:日米貿易協定から「自由貿易」が消えた!)、
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00133/00021/
「自動車・自動車部品関税の撤廃に関して更に交渉する」としか書かれていない
(日米貿易協定の原文、119ページを参照)。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf
 これを「さらなる交渉による関税撤廃」と意訳して発表したり、「将来における関税撤廃を約束した」と解釈したりしている。
 これは、明らかに事実から逸脱している。

 (2)については、米通商代表部(USTR)のライトハイザー代表が9月25日の記者会見で「自動車・自動車部品はこの協定に含まれていない」と2度も明確に説明している。
 そしてこれはホワイトハウスが公表している。
 日本のメディアはなぜかこれに触れていない。
 もしもこのライトハイザー発言が日本政府の見解と相違があるならば重大な問題である。
 即座に米国政府に反論していなければならないが、今のところ反論した形跡はない。
 こうした「事実」を直視すると、自動車・自動車部品関税の撤廃を米国が約束したような「強弁の解釈」は国内向けと言わざるを得ない。
 大事なことはこうした言い逃れに終始するのではなく、「事実」を前提に、それでもこの協定を結ぶべきだという堂々とした政策論での説明だ。

来年の第2段の交渉に向け建設的な議論を

 私は「日米交渉では現実論として譲歩自体は仕方ないが、今回の協定は越えてはならない一線を越えている。もう少し時間をかけてでも、一線を越えない範囲にとどめる努力をすべきではなかったか」と考えている。
 しかし、そうではないとの政策判断も当然あり得るだろう。

 日米貿易協定を結ぶにあたって議論すべきポイントは、多岐にわたる。
 例えば、「トランプ大統領による制裁関税の発動は単なる脅しか。その可能性、緊急性はどうか」「それを回避するためにはどうしたらいいか」「欧州連合(EU)との連携は可能か」「今後の交渉に委ねると言っても、その可能性はあるのか」「日本の農産物という交渉のレバレッジを失って、今後の交渉で米国を追い込めるのか」「世界貿易機関(WTO)ルールの“抜け穴”を作ることの弊害は何か」「今後他国との交渉にどう影響するか」といった論点がある。

 政策論は多面的に議論すべきだ。
 そして、これらの論点について、判断の違いがあったとしても、日本政府には「すでに署名してしまったからには、来年の第2弾の交渉では日本は米国に対して自動車・自動車部品関税の撤廃時期を明確にさせることを最優先にする」という、今後の交渉方針を明確に打ち出すことを期待したい。

 もちろん米国がそれに応じる保証はない。
 むしろ物品貿易の交渉は終わったとして、サービス分野の市場開放に焦点を移すと考えておいた方がいい。
 しかも来年に入ると大統領選の真っただ中で、米国は日本との交渉どころではなくなる。
 よほど日本側が自動車の撤廃時期を明示する交渉にこだわらない限り、実現は期待薄だ。
 こうした点も希望的観測ではなくクールに見て政策論争をすべきだ。

 さらに米国の制裁関税についても、これを発動しないとのトランプ大統領の口約束があったとしても、手のひら返しを繰り返すトランプ大統領相手だと心もとないのも事実だ。
 万が一、口約束を破って発動することがあれば、今回日本が譲歩した農産物の関税引き下げは撤回するとの方針を明確に打ち出すことも有効だろう。

 言った言わないよりも、こうした政策論を期待したい。

メキシコ、EUなどから厳しい声

 なぜ、こうしたことを言うのか。
 それはこの協定が海外からは厳しい目で見られているからだ。
 こうした協定に他国がWTO提訴をしてくるわけではないが、どういう目で見ているかが、今後の日本の立ち位置に大きく影響してくる。

 環太平洋経済連携協定(TPP)参加国のうち、オーストラリアやカナダなど農産物の対日輸出で米国と競合する国々は、TPPで得た自国の有利な状況を失うことから日本政府に問い合わせをしてくるのは当然だ。

 それだけではない。
 非公式に外からの見方が伝わってくる。

 例えば、メキシコのグアハルド前経済大臣も今回の協定がWTOルール上疑義がないか、日本の関係者に内々に問題意識をぶつけてきている。

 さらにかつてWTOドーハラウンドでルール交渉を担当していたEU関係者からは厳しい声も聞こえてきた。
 それはかつて、ドーハラウンドで日本政府が表明していた見解とのギャップだ。
 そこには、WTOルールが形骸化するのを防ぐために、規律を明確化する目的があった。
 その一つが今回焦点になっている自由貿易協定(FTA)に関する規定だ。
 FTAの関税撤廃は「妥当な期間内に」行うルールになっているが、その「妥当な期間内」の解釈があいまいなので明確化すべきだという議論である。
 WTOの解釈では「例外的な場合を除いて10年を超えるべきではない。超える場合はその必要性の十分な説明をしなければならない」とされており、日本政府はこの規律を強く主張していた。
 EUも途上国のみその例外が認められるとの厳しい立場だった。

 その日本が、日米貿易協定では期限を明示しない関税撤廃でもよいとして規律を形骸化するのは言行不一致ではないか、との厳しい受け止め方をされている。
 10年を超える場合も時期を明示することは当然の前提になっている。
 時期の長短の議論はあっても時期を明示しないものはあり得ないとの認識だ。

「中間協定」という「強弁の解釈論」まで飛び出す混乱

 そうした海外の厳しい目をよそに、国内の議論はますます混乱している。

 「強弁の解釈」の一つとして、「今回の合意は『中間協定』として認めてよい」と、ある学者のコメントが最近メディアに掲載されていた。
 これは一般人にはわかりづらいので、これまであえて言及を避けていたが、この記事によって誤解が広がることを懸念する。
 率直に言ってこの解釈には明らかに無理がある。

 多少専門的になるが、WTOルールにおいてはFTAに関する「中間協定」への言及がある。
 そこで「今回の合意を中間協定として位置づけて、WTOルール違反との批判を逃れよう」との意見が政府の一部にあり、一時検討されたのは事実だ。

 しかしその中間協定については「妥当な期間内にFTAの要件を整えるための『計画及び日程』を含まなければならない」という規定がある。
 現在の日米貿易協定にはそれがないため、この解釈は無理だと判断された。
 こうした事情があるので、日本政府は中間協定としては位置づけることをしていないのだ。

 それにもかかわらず、こうした問題のある解釈を一部のメディアが報道している。
 知らない一般人は真に受けてしまう。

 いずれにしてもこうした法解釈論が本質ではない。
 もっと大きな政策論が必要だ。

脱「町人国家」の堂々たる政策論を

 国会を乗り切るために事実をゆがめるような解釈論に汲々(きゅうきゅう)とするのはいただけない。
 今、日本に必要なのは、事実をきちっと国民の前に提示して、政策の選択の是非を問う堂々とした政治ではないだろうか。
 それが政治の責任だ。
 官僚もそうした糊塗(こと)するための姑息(こそく)な知恵ばかり絞るようになっては、この国の将来にとって深刻だ。


 当初FTAという言葉を避けるためにTAG(物品貿易協定)という用語をどこからともなく引っ張り出して批判を避けようとしてみたり、日米の合意文書の英語を素直に訳さず意訳して取り繕ったり、関税の撤廃時期を明示しなくても許されるとの都合のいい解釈をしてみたり……。
 正直、何とも切なくなる。


 日本は米国に安全保障を依存していることから、米国との貿易交渉で譲歩せざるを得ない宿命にある。
 とりわけトランプ大統領は予測不能で、ある意味日本は非常事態にある。
 日本が譲歩してトランプ大統領をなだめすかすこともやむを得ないだろう。
 理想論だけではダメで、現実主義であるべきであるのは当然だ。

 ただ、そうした譲歩も無原則であってはならない。
 越えてはならない一線はどこなのかを常に意識しながらの譲歩であるべきだろう。
 その一線はどこなのか。
 それを問うための政策論が、今こそ日本に必要だ。

 かつて日米貿易摩擦が華やかなりし頃、「町人国家論」が唱えられた。
 武士の無理難題を飲み込まざるを得ない町人に日本を見立てての論だ。

 問題は今の日本がかつての「町人国家」と同じかどうかだ。
 米中がパワーゲームを繰り広げて、国際秩序を崩壊の危機にさらしている今日、日本は単なる「町人国家」でいいのだろうか。
 日本の国際的な立ち位置も大きく変化している。

 日本は利害の調整が難しいTPPを米国抜きでまとめ上げた。
 中国の構造問題への対処で犬猿の仲の米欧の橋渡しをしながら、日米欧連携を引っ張っている。
 データ流通のルール作りを「大阪トラック」と称して主導している。
 こうしたグローバルなルール作りを着々と主導しているのが、かつてはなかった今日の日本の姿だ。

 そして何よりも大事なのは、中途半端な国内市場しかない日本は、米中のような巨大な国内市場を背景にしたパワーゲームはできない。
 日本の命綱はルールしかない。

 そうした日本が自らルールを空洞化、形骸化させる先例になったら、今後の他国との通商交渉にどのような影響を与えるかも直視すべきだろう。
 事実を糊塗せず国民に提示して、トランプ大統領対策としてどこまで譲歩を甘受すべきか。そのプラス・マイナスについて正面から政策論争をしてもらいたいものだ。


日経ビジネス、2019年10月29日
ルールを逸脱した「日米貿易協定」に海外からの厳しい目
国会審議は「強弁の解釈」より「事実に基づく政策論」を

(細川昌彦、中部大学特任教授、元・経済産業省貿易管理部長)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00133/00022/

 「桜を見る会」の権力私物化が大騒ぎとなってる裏で、とんでもない取引が行われた。

 きょう11月14日木曜日の政治欄に一段の小さな記事を見つけた。
 そこにはこう書かれている。
 自民党の森山裕、立憲民主党の安住淳両国対委員長は13日水曜日、国会内で会談し、日米貿易協定案について、15日金曜日に衆院外務委員会で採決した後、19日火曜日の衆院本会議で採決することで合意した・・・
 与党は週内衆院通過を目指し、衆院外務委での採決を13日に行うように求めたが、野党は応じなかった。与党は国会が混乱する事を懸念して譲歩した・・・

 これは何を意味するのか。
 ズバリ、日米貿易協定案が11月19日に成立するということ与野党が手を握ったということだ。
 いくら参院で議論を続けても、そして抵抗しても、衆院で通過すれば、衆院議決優先で日米貿易協定は事実上成立する。
 あとは消化試合だ。
 当初の予定より、わずかばかりずれ込んだ。
 しかし、承認されればいいのだ。

 このところ安倍首相の譲歩が目立っているが、すべては日米貿易協定案を今国会で成立させるためだ。

 おそらく国民投票法案の今国会の採決すら譲歩するだろう。

 二閣僚の更迭、英語民間試験の停止、そして今度の桜の会の来年見送りなど、野党は安倍政権を責めてたて、譲歩させたことを戦果のように世論に訴えるつもりかもしれないが、令和の日米安保闘争ともいうべき日米貿易協定阻止については徹底抗戦はしない。


 私は、ここに今の政治の与野党対決の欺瞞があると見ている。

 おりから、調査研究機関「言論NPO」が世論調査を発表した。
 それによると、日本が直面する課題の解決をいまの政党や政治家に「期待できない」と考えている人が7割を超え、政治不信が高まっている事が浮き彫りになったらしい。
 世論はバカではないのだ。
 既存の政党、政治家たちは、自分たちの選挙や政権争奪や政局に明け暮れる事なく、本気で国民の為の政策を実現して見せなければいけない。
 即ち、その特権、優遇に見合った仕事をしなければいけないのだ。
 政局で飯を食っている政治記者や政治評論家たちは、その事を報じ、語らなければいけないのである。


天木直人のブログ、2019-11-14
日米貿易協定案の19日成立で手を握った野党国対

http://kenpo9.com/archives/6362

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2019年11月13日

「どうせやるなら派」and/or「参加型権力」

◆ 小笠原博毅、山本敦久著『やっぱりいらない東京オリンピック』(岩波書店、2019年2月)

 2020年東京オリンピックについては、招致活動の段階から反対意見が少なくありません。
 開催が決まった後も返上を主張する声があちこちから聞こえてきます。

 本書は岩波ブックレットの一冊で、五輪が日本社会に及ぼしている/及ぼすであろう影響についてしっかり考える基本的な材料を提供するものです。
 共著者としてクレジットされている小笠原博毅は文化研究、山本敦久はスポーツ社会学を専門とする研究者。

 もっとも今さら東京五輪の開催を揺るがすようなスタンスには当然ながら反論が予想されます。
 一度決まった以上は「後戻りできない」のだから、「新しい発想で」、「別の楽しみ方を」探るべきではないか──という一見前向きな意見がその代表です。
 それこそが大人の態度だと考える人も多いでしょう。
 本書ではそういう人を「どうせやるなら派」と命名し、やはり批判の対象にしています。
 そのような態度は「2020年東京大会を開催することの矛盾や問題を覆い隠す」。
 このような、オリンピックを開催するためには不都合な真実は見て見ぬふりをし、「どうせやるなら」と「参加」するあり方が拡散し多様化することによって、オリンピックとは誰が準備し、誰が主体で、誰が責任をもって開催するのかという、あらかじめ明らかにされていてしかるべき答えがますます曖昧なものになっていく。
(p15)

 本書で五輪批判の論点となるのは、以下の四点です。

・ 復興五輪を掲げることの欺瞞と経済効果への疑義。
・ 参加と感動をうたうことによる権力の作動。
・ 暴力とコンプライアンスの関係をめぐるオリンピックの支配。
・ 言論の自主統制と社会のコントロール。

 経済効果については当初から疑義を呈する声は多い。
 アメリカの政治学者ジュールズ・ボイコフは五輪費用をめぐる際限のない経費膨張を「祝賀資本主義」と呼んで批判的に論じています。
 コストに見合うだけの経済効果が得られるかはまったく保証の限りではありません。
 投資回収がうまくいかなかった時、債務を引き受けるのは公金を初期投資した公共セクターです。
 民間企業への不利益は最小限に留められます。

 東京五輪では多数の無償ボランティアが募集されています。
 参加を呼びかける声は外見上は強制的ではありません。
 そこでは、経済的見返りではなく「やりがい」や精神的報酬などが強調されます。

 成就する保証もない「夢」や「希望」に人びとが賛同していくからくり。
 社会学者の阿部潔は、その矛盾を埋めるのが「感動」だと指摘します。
 現実の不満を未来へと先延ばしにして、将来の感動を約束し、夢や希望といった喜びの感情を投企させる仕組み。
──本書ではそれを「参加型権力」と呼び、批判します。
 市民を無償労働に駆り立てながら、一方で莫大な利益を目論む民間企業が存在することに違和感を感じる国民は多いでしょう。

 スポーツの祭典としての五輪が現実にどのような影響をスポーツに与えてきたかを正面から問う議論もなされています。
 前回の東京五輪がもたらした五輪至上主義を批判するくだりにはとりわけ説得力を感じました。
 1950年代の後半、まさに東京オリンピックの開催が決定する時期になると、自由や自治や個性に向けられていたスポーツは方向を変えはじめる。
 戦前の軍国主義を反省せずに、再び競技性の重視や競技力向上へと舵が切られていくのだ。
(p42)

 その過程で、競技力向上の末端の舞台となった学校の部活動に、戦前に競技をしていたOBたちが指導者として参入してきたといいます。
 戦前の軍国主義的なスポーツ観が戦後に入り込む土壌が出来上がったのです。
 勝利至上主義や競争原理という文脈においては、暴力は「熱血指導」などのフレーズとともにむしろ美談として語られ、根性主義を美化してきました。

 2020年東京五輪では、「勝利至上主義」「上意下達の集団主義」などの古臭いスポーツ観は一掃すると関係者によって言明されていますが、それがそもそも過去の五輪によってもたらされた風潮だということはすっかり忘却されています。
 あるいは忘れたふりをしています。

 五輪はスポーツにおける暴力を制御したり意味づけたりする力をもってきました。
「昨今のコンプライアンス支配は、オリンピックによるスポーツの支配の一形態でもある」のです。

 五輪をめぐる言論の自主統制に関する論考は著者自身の体験談も盛り込まれているのが興味深いところです。
 通信社配信の記事で五輪に批判的な談話をしたところ一部の紙面では割愛された事例を引き、「オリンピックそのものの是非を問う言論は存在感を薄めざるをえない状況」が作られていることを指摘しています。

 またネット上では盛んに論じられていることですが、四大全国紙が東京大会のオフィシャル・パートナーになっているのはやはり大きな問題だと思われます。
 本書でも「さまざまな問題点や疑問点を問題提起し、論じることが期待されているはずの言論メディアにとって、その機能と役割を自ら制限する足かせとなっているのではないか」と疑義を呈しているのは多くの読者の気持ちを代弁するものでしょう。

 何はともあれ、本書の意義は、当初の理念から逸脱して肥大化してしまったオリンピックについて再考するための資料というにとどまらないものだと思います。
 やや大きく構えて言うならば、動き出したら止まらない日本の政治に一石を投じる意味でも、また同調圧力の強い日本社会の風通しをよくするうえでも、本書のようなブックレットが世に出ることは歓迎すべきことではないでしょうか。


note.mu、2019/02/14 20:20
〈参加型権力〉に抗するために〜『やっぱりいらない東京オリンピック』
(吉本 俊二)
https://note.mu/rose_yoshimoto/n/nd34d02160d4b

武田砂鉄さんがTBSラジオ『ACTION』の中で開幕まであと1年となった東京オリンピック2020についてトーク。
https://www.tbsradio.jp/400647
現在までにしてきされている問題点や懸念点をまとめて紹介していました。

幸坂理加: ここからはパーソナリティーが見たこと、聞いたこと、考えたことなど日常のアクションについてお話しするコラムコーナーです。砂鉄さん、今日のアクションは?

武田砂鉄: 相次いで問題点が明らかになる東京オリンピック、本当に大丈夫? というテーマです。
 まあ、大丈夫じゃないんですよ。
 今週、いろいろ新聞、ニュースを見てると相次いで東京オリンピック関連の問題点が浮き彫りになってきたなっていう感じがするんですよね。
 この番組が始まってすぐくらいにこのコラムコーナーでも言ったと思うんですけど、そのオリンピックについて「どうせやるなら派」っていうことを言ったと思うんですけども。
 この「どうせやるなら派」っていうのは神戸大の小笠原博毅さんっていう先生が作った言葉で。
「東京オリンピックに反対だったんだけど、まあもう近くなっていたし、どうせやるならしょうがないか」っていうことで。
 最初は批判的だったんだけれども、まあせっかくの機会だから……っていう風に考えを改めてしまう。
 で、それをやってると、やっぱりいろんな問題点をいかに忘却させるかということを画策してる人たちの思惑通りになってしまうんじゃないか?っていうことを小笠原さんはおっしゃっていて。
 やっぱり本当に今回、そのオリンピック。大きな新聞各社がオフィシャルスポンサーになってることもあって、結構メディアの追求は弱いっていう風に言われているんだけども、でも楽しみにしてる人も問題点であるんだったらそこはきっちりと追求をするべきかなという風には思っていまして。
 先週の日曜日に、まずオープンウォータースイミングっていう競技のテスト大会がお台場で行われて。
 これ、男女ともに周回コースを10キロ泳ぐらしいんだけれども。
 テスト大会では5キロを泳いだという。


オープンウォータースイミング・水温&水質問題

 それでその水質への懸念というものが相次いで。
 まず午前10時予定だったところを繰り上げて7時にスタートしたという。
 それは、暑いか。
「健康的に泳げる水温の上限」というのは31度ということに国際水泳連盟ではなってるらしいんだけれども。
 その日の午前5時の時点で29.9度だったという。
 で、これが不思議なというか露骨だなと思うんだけれども。そのテスト競技中の水温は非公開になっている。
 だから、そのテスト中にはもうその健康的に泳げる水温の上限の温度を超えていたんじゃないのか?っていう気がしていて。
 国際水泳連盟は「場合によっては、水温次第で午前5時から6時半に競技開始時間を変更する可能性もある」って言っているんだけども。
 午前5時にどうやって人が見に行くんだよ?っていう感じがするんですけどね。
 そして何よりもその水質が問題視されていて。
 ある男子選手は「トイレのような臭いがします。正直、臭いです。ただブレない気持ちが必要です。細菌検査で細菌がいないとなれば、信じてやるしかない」っていう風に言ってるんですけど……気持ち、ブレますよね。これね。


幸坂理加: ブレますよね!

武田砂鉄: トイレのような臭いがしていたらね。
 これ、これコースが東京湾の入り江にあってですね、それをふさぐように……その大腸菌類なんかを入れないように400メートルに渡ってポリエステル製の膜を張ったらしいんだけど。
 まあ、実際の五輪の時には三重に張るらしいんですけども。
 それで「だから大丈夫だ」って言ってるんですけど。
 組織委員会の担当者は「大腸菌が流れ込む原因となる大雨とか台風が本番で来ないことを祈るのみ」って言っていて、もう祈りに入っちゃってるんですよね。


幸坂理加: 最近の天気だと、絶対にNGですよね。

武田砂鉄: 昨日・今日の天候が本番だったとしたら、これはもう張った膜は越えてきますからね。
 あとね、競歩選手でね、9月の世界陸上に出場するような本当にトップ選手で。20kmの世界記録保持者である鈴木雄介さんという方が「さすがに東京オリンピックのコースは暑すぎるんで変えてくれませんか?」っていう。
 実際に7月31日、早朝にそのオリンピックのコースを歩いたら、全く日陰がない。
「脱水症状になってもおかしくない」っていう感想を持ったらしいんですよね。
 で、本当は最初は青山通りとか、そのあたりは歩く予定だったんだけども、皇居前を周回するっていうコースになったみたいで。
 本当に日陰がないところをずっと歩くことになったという。
 で、いろいろとこれまで陸連の強化委員長なんかをやってきた順天堂大の澤木啓祐さんという方が日刊ゲンダイの記事でコメントを出してるんですけども。
「鈴木はよく声をあげた」と。
 なかなか選手で声をあげることっていうのは難しいですから。
「この時期にこういう環境でやってると死に至る可能性もある。死人が出るということは決して大げさなことじゃないですよ」っていうことを言ってるんですね。
 それで「たとえもしゴールをしても、後遺症が残るかもしれない。
 脳に悪影響をおよぼしたりする可能性も出ている」っていうことらしいんですよね。


幸坂理加: 臨海部とかは特に日陰とかがなくて危険だっていう話もありますよね。

武田砂鉄: で、幸坂さんといえば馬好きで知られていますけども……。

幸坂理加: そうですよ。馬術も「人馬ともに危ない気温だ」っていうのがありましたよね?

武田砂鉄:「馬も危ない」っていうのはすごいですよね。
 馬術のテストをやったら、最初の1分で明らかに馬の反応は違った。
 早くしないと馬も人も危ない暑さだっていう。これはすごいよね。
 でも、「気象状況がそうなんだから仕方ないじゃないじゃないか」って思うかもしれないけど、東京オリンピックの招致委員会は最初に立候補する時に何を言っていたのか?
 当時の資料を引っ張り出すと、「2020年の東京大会は理想的な日程です。なぜならばこの時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」っていうプレゼンをして。それで招致をしてるわけですよね。
 いま、「最高の状態でパフォーマンスを発揮できる」っていう感じで歩いてる人、いないと思うんですけどね。
 とんでもない気温ですけども。


「理想的な東京の気候」(立候補資料より)

幸坂理加: そうですね……。

武田砂鉄: あるいは、その東京都。
 こういう風に気温が大変だっていう風に言われてるんでね、それオリンピックのマラソンコースとか、そういったところをですね、遮熱性舗装っていうのをしていて。
 路面に何か白いものを施して太陽光を反射させることで表面温度の上昇を抑えるという実験をしたんだけれども。
 そうしたら地面は温度はたしか低くなったけれども、高さ50センチとかとか1メートル50センチ、2メートルのところで温度を測ると、むしろ気温が上がったという。
 つまりそのマラソンをしている人たちの体感温度としては上がるんじゃないか?っていうようなことも出てきている。
 こんなことばっかりなんだよね。
 で、僕は東京オリンピックについていろいろと調べることもあるんで。
 そのボランティアの人たちがどういう風に運営されているのかっていうのをチェックすると先月、第4回ボランティア検討委員会っていうのが開かれて。そのレポートが上がってるんですけども。
 そこにはですね、「マラソンなど早朝に行われる競技については、ボランティアの会場入りが始発の交通機関でも間に合わないため、終電での会場入りを想定」っていう。
 この時点でもう……困るじゃないですか。


幸坂理加: 困る……。

武田砂鉄:「終電で来い」って言われてもな……っていう。
 で、終電で来てどんな風に泊まらせてくれるのか? ベッドが確保されてるのか?っていうと、どうやらそうでもないらしくて。
 そこの文章の続きにはですね、「終電での会場入りを想定する。その場合は待機時間が見込まれるため、ボランティア同士の交流機会や士気を高めるような取り組みを検討していくこととなりました」っていう。
 どうやら、寝かせないつもりらしいということがわかってきて。これはすごい話ですよね?


ボランティアは終電で来て、寝かせない?

幸坂理加: ねえ。だって寝不足で強い日差しに当たったら、熱中症になってしまいますよね?

武田砂鉄:「熱中症にならないために」っていう風に検索をしたら、まず「睡眠不足はやめろ」っていう風に出てくるし。
「疲れやすい体で外に出ないこと」っていう風に出てくると思うんですよね。
 で、僕はそれをTwitterでツイートしたらある人が、「戦国時代みたいですね」って言っていて。
 ほら、戦国時代って敵の方に攻める時に夜にサササササッて忍び寄って、日が明けたら「うおおーっ!」って雄叫びをあげるみたいなのが戦国時代のやり方でしたけども。そのやり方にほぼ近づいてるなっていう。


幸坂理加: そうですね。

武田砂鉄: で、その暑さ対策について、「ボランティアの人たちは基本的には自己管理でお願いします」ということも普通に言ってるんですよね。
 それでね、ボランティアの方たちっていま、たくさん集まったでしょう?
 集まったというそれはいいことだと思うんですけど、「こういうことになりますよ」っていうのを……。
 たとえば、「終電で来てもらうことになりますよ。その際に宿は用意できないかもしれませんよ。ほとんどお金も払いませんよ。ご飯もそんなに大したものをお出してきませんよ」って。
 それで「ボランティア募集ですけど、その条件でどうですか?」って言うんだってたらいいんですけど、いまはすでにボランティアを集めた後に「あ、実はすいません。終電で来られます?」っていう話をしているわけですよね。


幸坂理加: 順番が違いますよね。

武田砂鉄: 順番が違う。しかも年配の方とかも多いから。
 やっぱり自分たちぐらいの歳でも、徹夜明けでなんかアクティブなことをするとものすごく疲れるじゃないですか。
 しかも、そうやってオリンピックの本番ってなれば、自分の体調よりもその相手側のなにかケアしなきゃいけない場所で仕事するっていうことが中心になっちゃうから、たぶん自分の体調管理とかが二の次になっちゃうと思うんですよね。
 その状況も見越してるはずなのに、後からこういう風に「いや、実はこうなんですよ」っていう風に言ってるっていうのがね、なんだか納得いかないんですよね。どうしたいのかなあ?
 あと、もうひとつ気になったのはね、そのJOCが先週かな? 理事会を開いて。1989年に発足して以来、ずっと報道陣に公開してきた理事会をですね、完全非公開にするという。
 それで新しく山下泰裕さんが会長になったんですけど、彼がどんな風に言ってるのかというと、「表に出せない情報も共有して、本音で話し合ってスポーツ界の発展に役割を果たす」っていう風に言ったんですけどね。
「本音で話すから、もう中には入れませんので」っていう。


JOCの理事会、報道陣へ非公開に

 その東京の運動記者クラブはずっと7月下旬からJOCからそういう方針を伝えられていたけれども、「いや、それは時代の動きに逆行してますよ。JOCっていうのは高い公共性を持ってなきゃいけないんだから、それを公開しないのは国民の理解を得られませんよ」っていう風に抗議文を出してたんだけれども、それもなくなってしまったと。
 それで、みなさんも覚えてると思いますけど、6月末でJOCの竹田恒和さんという方が任期満了で退任をして。
 今年頭にね、ずっと会見は7分で打ち切ったりとかっていうことで、かなり評判の悪い状態を見せつけましたけれども。
 で、その招致活動をめぐる疑惑でずっとそのフランス司法当局が動いてるぞっていうことで退任に追い込まれたんですけども。
 山下さんはその時にも「疑惑についての再調査を行ってくれるんですか?」っていう問いかけに対して、「現時点ではそれは頭にありません。潔白を信じています」って言うわけですよね。
 まあ、なんかそれも先輩の潔白を信じてるだけなんだけど。
 でも、そしたらもう山下さんがそんなに上下関係で何も言えないんだったら、もしかしたらそれは外からメディアが追求しようという動きも出てくるかもしれないんだけども、「理事会は非公開にします。非公開で俺たちは本音で話し合うんです」っていう……なんだかね。
 この山下会長が就任する時には「いま、信頼が落ちてるから、信頼回復へのインテグリティーの充実を……」って。インテグリティー(integrity)っていうのは「高潔性」という意味ですけれども。
「……インテグリティー(高潔性)を充実させて真剣に取り組んできたい」っていう風に抱負を語ってたんだけれども、なんか全く違う方向に行っちゃってますよね?
 だからこういう、最初の方に述べたいろんな暑さ対策の問題とか、ボランティアの問題とか、いろいろとこの1年でどうなってるのかなっていう風に心配な中で、いざこのJOCの内部は「あ、ちょっともう外にお見せできませんので……」っていう風にチェンジしていくというのは、これは本当にヤバいことが起きるんじゃないかなと思って心配しかないですけどね。


幸坂理加: ねえ。いい盛り上がり方をしてないですよね。東京オリンピック。

武田砂鉄: そうなんですよ。だから僕がこういうことを言ってると「いや、選手はオリンピックを目指してるんだから。そんなにいろいろと言うんじゃないよ」っていう風に言われることもあるんですけど、やっぱり選手のことを考えた時に、選手が万全の態勢で臨めるように外から言っていくってことはすごく重要なことだと思うので。
 そういった、最初に言った「どうせやるなら」派にならないということが、すごく重要になってくるんだなっていう風に思いましたね。


幸坂理加: 森喜朗さん、1年前は「日本のイノベーションを世界に発信するチャンスだ」っていう風に言ってましたけど、ちょっと逆になってるかな?っていう感じがしますよね。

日本のイノベーションを世界に発信するチャンス

武田砂鉄: イノベーションっていうか、いまはもう「がんばれ!」ということでしかなくなってますからね。
「暑いけどがんばれ!」だからね。うん。


幸坂理加: 以上、武田砂鉄さんのコラムコーナーでした。

miyearnZZ Labo、2019.08.16
武田砂鉄
東京オリンピック開催1年前の問題点と懸念点を語る

https://miyearnzzlabo.com/archives/59113

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森達也 × 武田砂鉄

映画監督の森達也氏が、これまでに公開してきたドキュメンタリー作品を題材に、日本のタブーについて鋭く切り込んだ『FAKEな平成史』(角川書店、2017年9月)。
本書の発売を記念して2017年10月19日、青山ブックセンターで行われた武田砂鉄さん(近著に『コンプレックス文化論』文藝春秋、2017年7月)とのトークイベントをここに公開する。

あの「炎上事件」の真相


武田: 今回は、森さんの新著『FAKEな平成史』の刊行記念対談ということで、まずは最近、しきりに問題視されるフェイクニュースをはじめとした、ネット上での「フェイク」について聞いていきたいと思います。
 なぜならば、たびたび炎上を経験されてきた森さんが、先日、なかなか大規模のフェイク≠ネ炎上を経験されたと。
 安倍晋三首相が記事に対してFacebookで「いいね!」したこともある、彼の熱烈な支持層に愛されるまとめサイト「保守速報」で、森さんのインタビューを元にした記事が燃え盛ったという。
 読んでみましたが、いくつも不可解な点がありますね。


森: いきなりその話から入るのか(苦笑)……
 えーと、これまでも炎上らしきものは何回もありましたが、今回は規模が大きかったですね。
「保守速報」に記事が上がってしばらくは、金正恩、トランプ、安倍晋三などに関する記事をぶっちぎって、森達也についての記事がアクセス数トップ。
 リツイートは、最後に確認した時点で4000を越えたのかな。


武田: 4000RTということは、記事を拡散するツイート自体はおそらくウン十万人が目にしていることになりますね。

森: そんなに? 参ったな。

武田: ことの次第を簡単に説明すると、昨年2016年の参院選の際に、森さんが雑誌「週刊プレイボーイ」のインタビューに答えた。
 この記事が「週刊プレイボーイ」のウェブ版に、雑誌発売とほぼ同じタイミングで掲載された。
 で、この記事掲載から一年経った今になって「保守速報」がこれを取り上げました。
 しかも、タイトルを変えて。
「週刊プレイボーイ」のウェブに掲載された時のタイトルは「映画監督・森達也が新有権者へメッセージ『棄権していい。へたに投票しないでくれ』」だったのに、「保守速報」が付けたタイトルは「映画監督森達也 自民党に投票するバカは迷惑だから、投票にいかないでほしい」でした。
 元々のタイトルもインタビュー内容を的確に拾い上げたタイトルとは言い難かったけれど「保守速報」のタイトルでは、森達也が今回の選挙で自民党に投じようとしている人達を丸ごと侮辱したように伝わる。
 すると、森さんへのバッシングがコメント欄やツイッターに積もっていき……。


森: たぶんほとんどは僕よりも年下だと思うのだけど、なぜか「こいつ」とか「このバカ」と呼ばれます。
「こいつは選民思想だ」とか「このバカ、大学をクビにしろ」とか。
 最初は放っておこうと思ったのだけど、家族に危害を加えることを示唆したリプライも来たりしたので、自分のサイトで、そんな意図では話していない。
 元の記事を見れば分かるはずだ、と否定するメッセージを公開しました。
 まあでも、脊髄反射でリツイートしている人は読まないだろうな。
「保守速報」は、一応は公開された記事をソースにしているけれど、タイトルという看板を付け替え、刺激的な文言で、ネトウヨを煽ってアクセス数を稼いでいる。
 記事を読めばタイトルとはだいぶ違う内容だとわかるんだけども、もとの記事を読む人はほとんどいないんでしょうね。
 あらためて、ネットのリテラシーというものがいかに脆弱かということを、身をもって知りました。


武田: 実際に掲載されたインタビューを読むと、「バカ」だとか「迷惑」だなんて一言も言っていない。
 そもそも元記事に当たれば、インタビューは一年前のものだとすぐわかる。
 でも、彼らは元記事を当たるという、ワンクリック、ツークリックをしてくれない。
 文句を言う時に、その対象が何を言っているかを通読するのは当然のことだと思いますが、これまで前提とされていた最低限のリテラシーを持ち合わせていない。


森: それにしても、僕にリプライを飛ばしてきた人たちは、どんな人たちなんだろう。
 多くの人がアイコンに日の丸を付けていたけど。
 一回きちんと、対面で、たとえば公開イベントなどで話してみたいね。


武田: 昨年2016年4月出版された『ネット炎上の研究』(田中辰雄、山口真一著、勁草書房)を読むと、炎上って世の大半が騒いでいるように見えるけれど、炎上参加経験者はネット利用者の0.5%だったという。
 限られた人たちが、常に新しいターゲットを探して燃え上がらせている。
 森さんのインタビューは、たまたまそこら辺に転がっていた焚き木にすぎません。
 森さんは件のインタビューで、若者の投票をテーマにこんな話をしています。
 森さんが学生20人ほどに支持政党を聞くと、その9割ぐらいが自民党支持だった。
 しかし、憲法改正について聞くと、半分以上の学生が「憲法はこのままでいい」と答えました。
 そこがちぐはぐしているレベルなら投票に行かなくてもいい、これが森さんの意見でした。


森: 投票するならせめて、どの党が改憲でどの党が護憲なのかくらいは把握してから投票してくださいというのが本旨です。

武田: (対談が行われた投票日3日前の)現時点での衆議院選挙に向けた世論調査(朝日新聞)を見てみますと、比例で自民党に投票するとした人は34%。
 年齢別で見ると、18〜29歳では41%が自民と答え、60代は27%。
 立憲民主党に投票するとした人は、60代が20%だったのに対して、18〜29歳では6%です。
 若い世代の「このままでいいよ傾向」は興味深いテーマです。


皮肉や批評はどこに消えた?

森: 若い世代の興味の半径がどんどん短くなっている。
 だから政治も、彼ら彼女らの半径からはみ出してしまって、関心が持てない。
 もちろん、いまの若者が自民党を支持するのを否定しているわけではありません。
 確かに就職状況は数年前に比べれば良くなっている。
 その意味で、自民党支持は理解できる。
 まあ、就職状況の変化も政策ではなく、現役世代の人口減少と年配層の大量退職による影響の方が大きいのだけど……。
 でも、「最近の若者は」という爺さんに自分がなるのは面白くないけど、今の若者は素直で真面目だからこそ、一歩枠の外から出て物事を見る、ということをしない。
 社会に組み込まれたら枠の外に出ることは難しくなる。
 今体験しないならば、その視点を獲得できないまま人生を過ごすことになる。
 それはもったいないと思う。
 話しながら思い出したけれど、この春に台湾国際桃園映画祭に呼ばれました。
 ドキュメンタリー映画の審査員を依頼されて、候補作は10本くらい。
 審査員は、僕の他には台湾のフィルムメーカーや評論家たちです。
 特に印象に残った作品のタイトルは『進擊之路』と『機器人夢遊症』。
 前者は、若手弁護士たちと国家権力との闘いを描いている。
 そして後者は、台湾の最先端IT企業の非人道的な雇用状況を激しく告発している。
 この二作は共通して、権力と対峙する市民を描きながら、大学生たちが重要な被写体となっている。
『進擊之路』では、弁護士たちが支援する「ひまわり運動」(2014年3月、台湾の学生と市民が国会を占拠したことに端を発する社会運動)の大学生たちが数多く登場します。
 あらためて映像で見るとすごい。
 だって現役の大学生たちが国会をバリケード封鎖して武装した機動隊と対峙するのだから。
 結局は学生たちのこの運動がきっかけのひとつとなって、中国に急接近していた国民党政府は支持率を大きく低下させる。
『機器人夢遊症』も、最先端IT企業の組合運動を応援するためデモ活動に参加する大学生や市民たちが被写体です。
 グランプリはこのどちらかだと思ったのだけど、他の審査員たちの評価は低い。
「森さんがそこまで言うなら、3位か4位にしておきましょう」とは言われたけれど、それでは納得できない。
 そのとき、日本でも映画『生命』が公開されて何度も来日している呉乙峰監督から、「おまえは日本人だから驚いたのかもしれないが、俺たちは大学生たちのデモや政治活動は、テレビニュースなどでさんざん観ている。台湾では当たり前のことなんだ」と言われました。


武田: 森さんがこの時点で衝撃を受けている事自体がおかしい、と。

森: ああ、そういうことかと合点がいきました。
 でもね、香港では大学生が主体となった雨傘運動があったし、韓国では市民と大学生たちが主体となってパククネ大統領の罷免を街で激しく訴えた。
 アラブの春だって主体は若い世代です。
 なぜ日本の若者はこれほど保守化してしまったのか。
 時おり市民集会などに呼ばれるけれど、参加者の平均年齢は絶対に60歳をはるかに超えている。
 愚痴るつもりはないけれど、その理由やメカニズムは考えないと。……結局は愚痴っているかな(笑)。


武田: 批評家の大澤聡さんが『1990年代論』(河出書房新社、2017年8月)という本を編著で出されて、つい先日、大澤さんと「90年代とはどんな時代だったのか」をテーマに対談したのですが、話していくうちに「皮肉、アイロニーが保たれていた時代だった」との話になりました。
 『進め!電波少年』などのバラエティ番組はどこまでも徹底的にひねくれてみる執着に面白さがあったし、自分が学生時代に耽読していた古谷実の漫画『行け!稲中卓球部』はシニカルな笑いの応酬です。
 そして、自分がこういったライターの仕事をする上で影響を受けたのがナンシー関さんで、彼女が週刊誌コラムで活躍していたのが90年代です。
 芸能界を中心に、テレビの中から感知したわだかまりに突っ込んでひっくり返すコラムを書き続けていた。
 暴力的にではなく、テクニカルに揚げ足を取ることに、世の中も、そしてメディアも寛容でした。
 けれど現在は、あらゆる媒体から真っ先に皮肉や批評が削ぎ落とされていく。
「揚げ足をとる」ってある種批判するための前提だとすら思うけれど、その前提を刈るように「揚げ足をとるな!」が積み重なり、それを止めてしまう。


森: そうですね。

国民がメディアを抑えつけようとする奇妙

武田: 森さんも繰り返し書かれていますが、バラエティ番組では、笑う時に顔の前で拍手しながら、時に立ち上がりながら笑う。
「ここは笑う場面だよ」と全員で同調するのが面白い笑い、だからみんなもここで笑ってくれ、という伝達になっている。
 先日、あるお笑い芸人とラジオで共演したのですが、そういう同調性が笑いのパターンを狭めているのではないか、笑いのポイントを強制しているのではないか、といった話を投げると、納得しつつも苦笑いされていた。
 特定の人物や事象を皮肉るという観点が、いたずらに暴力的なことと処理され、同調して安堵する笑いが増えていますよね。
 その同調性こそがイジメっぽい笑いを作り上げるわけですが。


森: 政治も一緒ですよね。

武田: そうですね。
 たとえば麻生太郎が失言しました、と報じられれば、信奉者は必ず「揚げ足をとってどうするんだ」「彼の真意を聞かなければいけない」と切り返してくる。
 いや、そうじゃない。
 言葉に責任を持つべき立場の人が発言したのであれば、それを批判するのは当たり前の行為だ、と思うわけだけど、皮肉や批判をぶつけた時に、エラい人になんてこというんだ、などとクソ真面目に潰してくる、ということがとても多い。
「全文を読め」という回避もあるけれど、全文読んでも変わらないことが多い。


森: 芸能でも政治でも、アイロニーやパロディが有効にならなくなった。

武田: 求められていないんですね。

森: 結果として失言や舌禍が多くなる。
 たとえば、安倍首相が解散の際に記者会見で「民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはなりません。むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応について国民の皆さんに問いたいと思います」と言いました。
 これ、意味わかる?
 後段と前段の趣旨がまったく逆です。
 だって今回の選挙は、まさしく北朝鮮の脅威が自民党の追い風になったわけですよ。
 投票前に記者クラブで党首討論やりましたよね。
 そこで安倍首相が朝日の坪井ゆづる論説委員の質問に対して、「朝日新聞は八田(国家戦略特区ワーキンググループ座長)さんの報道もしておられない」と返し、質問した坪井記者が「しています」と反論すると、「ほとんどしておられない。しているというのはちょっとですよ。アリバイ作りにしかしておられない。加戸(前愛媛県知事)さんについては、証言された次の日には全くしておられない」と発言しました。
 この少し前、国会で加計問題についての審議をしていたとき、加戸前知事の話が、朝日新聞にはまったく載っていないとネットで盛り上がっていた。
 ソースは産経新聞です。
 おそらく、安倍首相もこういうネット上の意見を参考にしていたんじゃないかな。
 朝日の紙面を見れば明らかです。
 どちらも何度も記事として掲載されています。


武田: たしか10回くらいは載せていたんですよね。

森: 八田さんの記事は12回です。
 産経新聞の阿比留瑠比論説委員は党首討論の翌日、「朝日がいかに『(首相官邸サイドに)行政がゆがめられた』との前川喜平・前文部科学事務次官の言葉を偏重し、一方で前川氏に反論した加戸氏らの証言は軽視してきたかはもはや周知の事実」と首相発言を擁護する趣旨の記事を掲載しました。
 でも産経は八田さんの発言についての記事は4回だけしか掲載していない。
 朝日の三分の一。
 何なんだろこれ。
 産経はもはや新聞とは言えないんじゃないか。


武田: 愕然とします。

森: この党首討論では、終わってから日本記者クラブに、朝日と毎日の記者に対しての抗議の電話が殺到したらしい。
 内容は「首相に対して失礼だ」「あんな質問を許していいのか」だったそうです。
 電話をかけてくるのは年配の世代でしょうね。
 若い世代はネットに書いているんだろうけど、メディアが最高権力者に質問することが失礼であるとの感覚が前面に出てきている。
 独裁国家なら無理やりにメディアを押さえつけるけれど、この国では国民がメディアを押さえつけようとする。
 こうして独裁的な体制が民主主義的手続きで完成する。
 不思議です。
 でもナチスドイツもそうでした。


武田: 森達也が気に食わないから、アイツに文句を言いたい……だからまとめ記事を作って炎上させる。
 自分で、ではなく、みんなで一緒になって文句を言いたい。
 繰り返しますが、そのソースが1年前で、誰もそのことを指摘しないというのが異様です。
 しかし、何十万人も見ているのだったら、自著のAmazonリンクを貼るなどすれば販促活動になるかもしれませんよ(笑)。
 1年前の記事だとすら気付かない人達のいくらかが、うっかり買ってくれるかもしれない。


森:『FAKEな平成史』のAmazonの評価欄に「保守速報」の記事をそのままコピペされています。
 評価は星一つ。
 あれは営業妨害だなあ。


とても残念な出来事

武田: そうか、今日はその本の中身の話をするんでしたね(笑)。
 本書は、今まで作ってきた森さんのドキュメンタリー作品を、第三者の目線を入れながら、振り返るという一冊ですね。


森: 平成が始まる少し前、テレビの仕事を始めました。
 最初はもちろんADだから、ただ番組制作のために駆け回っていましたが、まずは昭和天皇崩御があって、ベルリンの壁が崩壊して、天安門事件が起きて……これ全部、平成元年です。
 昭和天皇崩御による「自粛」から平成が始まり、そして、阪神大震災、地下鉄サリン事件……それらの事件を、自分が作った映像作品についての記憶を縦軸にしながら、平成という時代を振り返っても面白いかなと思ったんです。
 自分で書くのは面倒だから(笑)、いろんな人へインタビューをして構成しました。


武田: 最初の章では、「放送禁止歌」をテーマに、ピーター・バラカンさんと対話されている。
 そこで触れられている「P!nk」という女性のシンガーソングライターが発表した「ディア・ミスター・プレジデント」という曲の存在を初めて知りました。
「親愛なる大統領、ちょっと一緒に歩きませんか ごく普通の人間として」と始まる曲は、アメリカによるイラク侵攻後に発表された楽曲です。
 僕はピンク・フロイドが好きなんですが、今、そのメンバーであるロジャー・ウォーターズがソロツアーをしていて、彼はライブ会場に大きな豚の風船を飛ばし、その豚にドナルド・トランプの顔をプリントして揶揄している。
 ライブの最後に撒かれる紙吹雪には、その一枚一枚に「抵抗せよ」と書いてある。
 政治色が強い、というか、ほぼ全て政治色です。
 こういうことができる大御所ミュージシャンが欧米には平然といます。
 日本の音楽界にはごく一部を覗けばメジャーなフィールドにいませんね。


森: まったくいないわけではないけれど、表には出てこない。
 求められないから、淘汰されて少なくなるのもあるでしょう。
 少なくともメジャーの世界にはいない。
 でも、海外ではニール・ヤングだったり、ブルース・スプリングスティーンだったり、ビッグネームが公然と政権を批判する。
 日本で言えば、サザンであったり、ユーミンであったり、中島みゆきであったり、その人たちが、反体制的な歌をテレビで普通に歌うようなものであって。
 日本でそれをやったらどうなるのか。


武田: 2014年の年末、桑田佳祐がライブで、その年に受賞した紫綬褒章をポケットからひょいと取り出してぞんざいに扱ったり、紅白歌合戦の中継でちょび髭を付けて登場したことが問題になりました。
 所属事務所前で抗議デモが行われた事も影響したのか、本人が謝罪文を出しました。
 謝罪文の中には「つけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません」という文言がありました。
 その一年前に発表された楽曲「ピースとハイライト」のPVでは、安倍首相や朴槿恵大統領のお面をかぶった人を登場させ、その映像をこの日のライブでスクリーンに流していた。
 明確なメッセージです。
 でも謝罪文ではそのような「他意は全くございません」と言う。
 なぜこのような文言を出したのか、とても残念な出来事でした。


森: 首相に批判的な質問をすれば失礼だと抗議が来る。
 でも欧米の記者クラブでは、メディアが政治権力と対峙することは当たり前。
 同じ構造かな。
 ロックは体制批判して当たり前。
 でもこの国では、音楽に政治を持ち込むなとの意見が正論になってしまう。
 音楽だけじゃない。
『FAKEな平成史』でピーター・バラカンさんが言っているけれど、アメリカでは権力を茶化すトーク番組がたくさんある。
 若い世代はそうした番組をゲラゲラ笑いながら見て、同時に政治や社会に興味を持つ。
「ザ・ニュースペーパー」とか松元ヒロさんのコントのような芸が、もっと普通にテレビで観ることができる社会のほうが、ずっと健全だと思います。


世論調査はなぜ増えているのか

武田: そういえば、少し前に「週刊金曜日」で「松本人志と共謀罪」という特集が組まれました。
 松本人志は今「ワイドナショー」という番組のMCを務めていて、政権寄りの発言を繰り返しています。
 安保法制に反対する高校生たちのデモの様子に「(反対している人は)単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない」と言い、共謀罪について「僕はもう、正直言うと、いいんじゃないかなと思っている」と賛成の姿勢を示し、「(共謀罪によって)冤罪も多少はそういうことがあるのかもしれないですけど……」と冤罪の発生を半ば容認した。
 多少の冤罪があってもいい、には愕然としました。
 それらの言動に突っ込んだ特集です。


森: ありましたね。

武田: その中で、元・吉本興業幹部で竹中功さんという、35年前に芸人養成学校に応募してきたダウンタウンを初めて面接し、以降、長年付き合ってきた方がインタビューに答えています。
「ワイドナショー」に安倍晋三が出演した時に、松本人志が首相を起立して出迎え、そして見送ったことに、「僕はショックでした」と語っています。
 2025年大阪万博の誘致アドバイザーをダウンタウンが務め、松井一郎大阪府知事や、二階俊博自民党幹事長と並んで発足式に臨んでいます。
 為政者であろうが誰であろうが、どんな相手であっても茶化しつつ笑いに変えてきた人たちが、むしろ従順の見本になっている。
 竹中さんは「松本のような、緻密なことをずっと考えてきた男」と称した上で、その現在について、懸念を表明されていた。


森: この国では皆が自由だし、政権寄りの芸人がいてもいいと思う。
 もちろん、政権を批判する芸人がいてもいい。
 しかし今は、批判すると視聴者からの抗議で仕事がなくなってしまう。
 松尾貴史さんくらいじゃないかな、明確な言葉遣いで批判しているのは。
 その松尾さんも、竹中さんと同じように言っているけれど、「僕たち芸人は本来、権力を茶化したり批判したりするものだ」と。
 それがどんな権力であろうと、自民党であろうと民主党であろうと、共産党だって、権力を批判しなければいけない。
 なんでそれができなくなってしまったのか。


武田: テレビやエンタメ業界のトップの人達がこういう振る舞いだと、これからその世界で活躍したいと入ってくる人たちは、あらかじめその「空気」を察知し、その作法を得てから登場するわけです。
 自分が芸能界で生き長らえるためにはどうするべきか、これはしていけないことだと把握する。
 私、従順ですので、と宣言して入ってくる。


森: また森が同じことを言っている、と思われるかもしれないけど、やはり「集団化」が起きている。
 全体で一緒に同じ動きをしたいという気持ちが強くなっている。
 その動きに乗り遅れたら排除される、ネットで叩かれてしまう。
 要するに、つねに回りを気にしながら、同じ動きをしなければいけない。
 がんじがらめになって、ゆとりがどんどんなくなっていく。
 たとえば、それは世論調査の数にも現れています。
 安倍政権の支持率、選挙でも政党の支持率がさかんに報道されました。
 でも、思い出してください。
 十数年前には、世論調査をこんなにやっていなかったですよ。


武田: たしかに選挙前になれば、毎週のように知らされている気がします。

森: いま、とても世論調査の回数が多い。
 なぜ多いかと言えば、読者や視聴者が求めるから。
 回りの動きをみんなが気にしている。
 たとえば自分が立憲民主党を支持しているけど、まわりはどうなのか。
 昔であれば、まわりは関係なく、自分の考えで投票していた。
 しかし、いまは回りが気になって仕方がない、そんな動きが加速しているからこそ、世論調査がこれだけ行われている。
「マジョリティはこうなのか」――それを知って、安心する。


武田: 神戸大学の小笠原博毅さんが編者となり、『反東京オリンピック宣言』という興味深い本を作っています。
 誘致の際の買収疑惑すら放置されている現状ですが、この本のなかで、東京五輪をなんだかんだで「成功」という言葉でまとめさせるのは、「困難を乗り越えて頑張れ」派でも「手放し礼賛」派でもなく「どうせやるなら派」という人たちだ、と書いている
 つまり、「オリンピックってやる必要ないよね」「しかも何か怪しい事ばっかりやってんじゃん」と最初は思っていたけど、所属するコミュニティの中などで「オリンピック、やっぱりやったほうがいいよ」と何となく方向が定まってきた時に、「うんうん、どうせやるならしょうがない」と勝手に譲歩してしまう。
「もう間近だし」「せっかくやるんだから」「いつまでも文句言ってないでさ」と、諸問題が一掃されていく。
 この一掃って、五輪に限らず全ての問題に言えることだと思います。


森: なるほど、「どうせやるなら派」…これも自発的な隷従ですね。
 人間は「馴致能力」が高い動物です。
 馴致とはつまり慣れる、適応するということ。
 アマゾンのジャングルでも砂漠地帯でも極北でも、その環境に自分を合わせて暮らしていく。
 人類は馴致能力が強いから、これほど繁栄できたんです。
 それは言い換えれば、今の状況に自分をカスタマイズしてしまうこと。
 最初は世の中に違和感があっても、それではやっていけないから、自分を合わせていく。
 こうしていつのまにか前提が作られる。
 それが積み重なったのが、今の日本なのかもしれない。
 自分が何を考えているか、ではなく、社会が作り上げたようにみえるものに依存している。
 平成が終わろうとするなかで、メディアをはじめ、社会はもう大きく良い方向には変わっていかない。
 平成という一つの時代を振り返った今、そう感じています。
 僕が見たところ、どうあがいても、この状況が加速するだけ。
 ドラスティックな変化は、もう起きないんじゃないのかな。
 あんまり、楽しい話じゃないですけど。


現代ビジネス、2017.11.08
『FAKEな平成史』
いまこそ、平成ニッポンのタブーを語ろう
森達也×武田砂鉄

(構成/伊藤達也)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53391

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2019年11月12日

斎藤 美奈子「呪われた東京五輪」

 リオデジャネイロ五輪も終わり、「次はいよいよ2020年の東京だ」みたいな空気がただよっている。
 2016年8月21日のリオ五輪の閉会式にはマリオに扮装した安倍首相まで登場し、心底うんざりだったが、これに喜んでいる人もいるわけで。

 しかし、東京五輪の界隈はすでにトラブル続きである。
 一度は決まった新国立競技場のコンペのやり直し。
 やはり一度は決まったエンブレムの盗用疑惑による選び直し。
 招致にともなうJOCの不正支払疑惑。
 3000億円だったはずの予算は6倍の1兆8000億円にまで膨んでいるわ、猪瀬直樹、舛添要一と、東京都知事は二人続けて任期半ばで辞任するわ。
 五輪組織委員会の会長だという森喜朗元首相が我が物顔にふるまっているのも不可解だ。

 まるで呪われたオリンピック! 
 2020年まであと4年。
 このぶんだとまだ何かあるかもね。
 トラブルが続くっていうことは、運営の方法に何か根本的な問題があるにちがいないからだ。

 2013年9月、東京が五輪開催地に決まったとき、絶望的な気持ちになった私。
 その気分はいまも変わらない。
 福島第一原発の事故による避難民がまだ9万人もいるいまの日本に、オリンピックなんかやってる暇があるか?
 しかし、あれから3年たって、東京五輪反対論はめったに見かけなくなった。

 はたして東京五輪を開催する意義はあるのだろうか。
 今年になってたてつづけに出版されている関連書籍を読んでみた。

オリンピックは儲らない

 巻頭言で〈オリンピックの開催による経済的効果はそれほど期待できないことが分かるだろう〉と述べるのは、アンドリュー・ジンバリスト『オリンピック経済幻想論』である。
 開催地は何十億ドルもの資金を費やし、巨額の借金を作り、さまざまな社会的混乱や環境破壊を引き起こし、他の目的で使った方が生産的かもしれない土地を奪っていく。
 IOCは魅力的な言葉で彼らの目標を語り、人権や、持続可能性や、雇用創出や、健康的なライフスタイルや経済発展を説く。
 しかし残念ながら、現実はそのような甘い言葉通りにはいかないことをこれまでの大会が示している。

 なにやら不吉な言葉だが、過去の五輪を検証したこの本を読むと、いま東京で起きていること、起きつつあることは、過去の五輪開催地でもなべて共通していたことがわかる。

 たとえば予算超過問題。
 予算超過はどの開催都市でも起きていることで(1960年以降、予算内で収まった開催都市はひとつもない)。
 2004年のアテネは10倍、2012年のロンドンは4〜5倍、2014年のソチは4〜6倍の費用がかかった。
 なぜそんなことが繰り返されるのか。
 本書は五つの理由をあげる。

@ 政府のゴーサインを取り付けるために、最低限の安価なプランで見積もり、承認後にあれこれ付け加える「戦略」が常態化している。
A 開催を目指す都市は、最初は国内の他都市と、その後は世界の他都市と競い合うため、質を張り合っているうちに当初の予算内では収まらなくなる。
B プラン作成から実大会までの間に物価が上昇する可能性がある。特に狭い地域に建設物が集中すると、資材や人件費のコストが高くなる。
C 政治的障害、環境問題、不充分な計画、ずさんな段取り、悪天候、労働争議などで建設スケジュールの遅れは避けられず、入札のルールが甘くなったり、割増料金が必要になったりする。
D 建設費の高騰にともない、不動産価格も大会に向けて上昇する。地元の物価が上がることもある。

 なんだなんだ、予算超過は、最初からわかっていたのだ!

 五輪開催にともなう直接的な財政コストは、
@ 運営予算(17日間の大会運営費など)、
A 建設予算(恒常的なスポーツ施設の建設費など)、
B インフラ整備予算(道路の整備費など)
の3つのカテゴリーに分かれるが、五輪のコストはもちろんこれだけではない。

 見落としがちなのは、大会に向けて配置される政治家、技術者、労働者などの人的コストだ。
 五輪がなければ〈彼らの技術や時間は、より生産的な別の活動にあてることができたかもしれないのだ〉といわれれば、その通り。
 五輪でできた借金を返すため、医療、教育などの公共サービスが削られた都市もある。

 いや、五輪には絶大な広告効果があり、都市のブランドイメージが上がって観光客が増えるのだ、という説にも本書は異を唱える。
2012年にロンドンを訪れたスポーツファンは、劇場にも、コンサートホールにも、大英博物館にも、バッキンガム宮殿にも、ハイド・パークにも行かなかった。

 逆に混雑や厳しいセキュリティと高い物価を嫌ってロンドンを避けたツーリストもいたはずで、2012年7月、8月の観光客数は、前年の同期と比べて6.1%減少したというのだから何をかいわんや。

 オリンピックが儲かるという幻想は、どうやら1984年のロサンゼルス大会からはじまったらしい。

 1968年のメキシコシティ大会は政治的抗議の舞台となり、1972年のミュンヘン大会は武装ゲリラによるテロ事件が起き、1976年のモントリオール大会は多額の負債を抱えた。
 こうして五輪の立候補地が激減する中、1984年の開催地に決定したのがロサンゼルスだった。
 この大会から、IOCはプロ選手の参加を認め、五輪の商業化は加速していく。
 商業化路線を進めたのはサマランチ会長だった。

 しかし、もともとのオリンピックは商業主義とは無縁だったのだ。
 小川勝『東京オリンピック』は、だからこそ東京五輪は、オリンピック憲章の精神に立ち戻るべきだと主張する。
 五輪は都市の再生のためにやるわけではない。経済成長のためでもない。招致活動において繰り返された文言を用いて表現するなら「今、ニッポンにはこの夢の力が必要」だからでもない。あるいは、国民に観客の立場での「感動と記憶を残す」ためでもない。
 五輪の開催目的とは、オリンピズムへの奉仕である


 実際、この本を読むと、五輪に対して私たちがいかに誤った認識を持っていたかを思い知らされる。
 五輪は国家間の競争ではなく、個人参加が基本だと五輪憲章には明記されていること。
 五輪が国別対抗戦的になったのは1908年の第4回ロンドン大会からで、ブランデージら、70年代までのIOC会長は五輪がナショナリズム高揚の場となることを懸念していたこと。
 したがって今日、国ごとのメダルの数を比較したり、まして日本のように〈政府が自国のメダル獲得数の目標を掲げる〉など言語道断であること。

 東京五輪に向けた日本政府の指針を批判しつつ、小川は〈東京五輪を、政治家や官僚や大企業が利権の内部調整に終始するだけの巨大イベントにしてはならない〉と訴える。

 それはそれで理解できる。
 しかし、東京五輪の開催そのものに反対する、という立場があってもいいはずなのだ。

フクシマを隠蔽し、フクシマを利用する

 東京五輪そのものに反対する。『反東京オリンピック宣言』はそのような視点から編集された論考集である。

 東京五輪を前にした日本の現状について、塚原東吾は二つの特徴があるという(「災害資本主義の只中での忘却への圧力」)。

 第一に〈オリンピックが3.11を強制的に忘却させる機能を持たされていること〉。
 首相の「アンダー・コントロール」発言に反して、危機は悪化している。

〈それを隠蔽することが、オリンピックに課せられた最大の使命であるかのようである〉

 第二に〈オリンピックが、3.11を契機にした「エマージェンシー・ポリティクス(非常事態政治)」のなかでの、典型的な「災害資本主義」の発動であること〉。
 災害資本主義とは「惨事利用型資本主義」ともいう。
 災害を経済活動に利用する。

〈東京オリンピックは、非常事態を利用し、資本主義的な収奪システムを再編し、格差の構造を強化するための、格好の事業である〉

 フクシマを隠蔽しつつ、フクシマを利用する。
 それは3年前の東京五輪招致のプログラムをみて私も感じたことだった。

 この本の「あとがき」で、編者の小笠原博毅が述べていることが示唆的だ。
 結果的に、東京五輪を「成功」に導くのは、手放しの礼賛派ではなく「どうせやるなら」派だろうというのだ。

 この人たちは〈初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコストを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできないと結論づけて、むしろそれまでかかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する〉。

〈オリンピックを「機会」ととらえ、統治側の計画を逆手にとって、本当に市民のためになると考えられる、都市の再開発も含めた「オルタナティヴ」を求めようというのである〉。

 たくさんいそうでしょ、こういう人。

 私がここから想起するのは、端的に「戦争」である。
 戦争には反対だったけど、どうせやるなら勝たなくちゃ。
 そのためには……とアイディアを出す人が一番役に立つのよ、戦争には。

 五輪をめぐる状況は、すでに言論統制を生んでもいる。
 くだんの「あとがき」で、2013年の夏、全国紙に五輪開催反対論を書いたところ、定期的に仕事をしていた媒体から原稿依頼が一切来なくなった、という裏話を小笠原は明かしている。
 当時はまさか四大全国紙(朝日、読売、毎日、日経)すべてが五輪の協賛企業になるとは思っていなかった、と。
 そうなのだ。
 いまやこの国のメジャーなメディアはみんな東京五輪の応援団。
 やり方を批判しても、やるなとはいわない。
 これを大政翼賛といわずして。

この記事で紹介された本

『オリンピック経済幻想論――2020年東京五輪で日本が失うもの』
アンドリュー・ジンバリスト/田端優訳、ブックマン社、2016年、1600円+税

〈オリンピックの開催は経済発展を後押しするという毎年繰り返される主張には、実証的な裏付けはほとんどない〉
(カバーより)

 著者はアメリカのスポーツ経済学者。バルセロナ、ソチ、ロンドンなど、過去の五輪に遡り、開催都市にもたらされたメリットとデメリットを検証。招致活動、施設建設、インフラ整備などにかかる莫大なコストの回収は短期的にも長期的にも難しいと結論する。

『東京オリンピック――「問題」の核心は何か』
小川勝、集英社新書、2016年、700円+税

〈政府が示す「基本方針」は、日本選手に金メダルのノルマを課し、不透明な経済効果を強調し、日本の国力を世界に誇示することに固執する、あまりに身勝手な内容〉
(カバーより)

 著者はスポーツライター。五輪は開催国のための大会ではない、国同士の争いではない、経済効果を求めてはいけないなど、オリンピック憲章を紐解きつつ、自国の利益のみを追求する東京五輪の方針を批判。望ましい五輪の姿を模索する。


『反東京オリンピック宣言』
小笠原博毅+山本敦久編、航思社、2016年、2200円+税

〈東京で開催されることになっている夏季オリンピック/パラリンピックの開催権を返上し、開催を中止しよう〉

 東京五輪に反対する立場で書かれた16本の論考集。科学論、大会後の「遺産(レガシー)」、生活環境への影響、排除されたアスリートなど、多角的な視点から五輪を考察。単なるスポーツイベントという枠を越え、五輪がときに住民の生活を破壊し、ときに国民を総動員する装置であることが暴かれる。


webちくま、2016年10月13日更新
世の中ラボ[第78回]
4年後の東京五輪に反対する、これだけの理由

(斎藤 美奈子)
http://www.webchikuma.jp/articles/-/333

 延期が決まった英語民間試験だけでなく、国語と数学の記述式問題にも批判が殺到している大学入学共通テスト。
 小学校からのエスカレーターで大学受験の経験がない安倍首相には、どこがマズイか分からないのかもしれないが、デタラメ試験制度をめぐる混乱の背景には、安倍首相の出身派閥・清和会の文教利権がある

 民間試験の導入は、2013年に安倍首相が設置した私的諮問機関「教育再生実行会議」で浮上。
 当時の下村博文文科相が旗振り役となって、大学入試改革を主導してきた。

 注目すべきは、下村氏の後任の馳浩から松野博一氏、林芳正氏、柴山昌彦氏、そして現在の萩生田光一文科相に至るまで、林の他は全員が清和会の所属議員ということだ。

「林さんが文科相に就いた2017年は、加計疑惑で文科省が大揺れだった時期。地元の下関で親の代からライバル関係にある安倍総理が、嫌がらせで難しいポストに就けたともっぱらでした。教育行政は門外漢の林さん自身、『なんで俺が文科?』と不思議がっていたほどです」
(自民党関係者)

■ 教育行政を歪めてシノギに

 そういうイレギュラーな人事を除けば、第2次安倍政権で文科相が清和会の指定ポストになり、教育再生実行会議の方針を踏襲して、受験生を食い物にする民間試験の導入に邁進してきたわけだ。

「長らく非主流派だった清和会は、運輸や建設のようなガチガチの利権に食い込めず、他派閥があまり興味を示さない文教分野に流れていったという事情がある。清和会の典型的な文教族が森喜朗元首相です。もともと文教族というのは、教科書選定で影響力を発揮するなど、当初は利権よりイデオロギーを重視していたはずです。彼らにとって不都合な負の歴史を修正し、道徳教育や日の丸などで国民に右翼的な思想を植え付けるには、公教育を押さえるのが手っ取り早いからです。古今東西、教育と報道を掌握するのは独裁者の常套手段でもあります」
(政治評論家・本澤二郎氏)

 カネにならないといわれていた文教分野を掌握し、教育をビジネス化して利権に育てたのが清和会ということだ。
 2020年東京五輪という大きな利権も手にした。
 英語民間試験の拙速な導入も、この流れの中にある。


 森友学園、加計学園、入試制度など、安倍政権で学校関係の不祥事が相次いでいるのは偶然ではない。
 本来は利権と無縁であるはずの教育が、安倍政権で歪められ、シノギにされているのだ。
 この根本問題を取り除かない限り、マトモな文科行政は望めそうにない。


[写真]
萩生田文科相も「清和会」所属

日刊ゲンダイ、2019/11/12 06:00
モリカケの次は英語民間試験
文教利権貪る「清和会」の罪

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264522/

 外務省は2019年11月8日、旭日(きょくじつ)旗を韓国語で説明した文書をホームページ(HP)で公開した。
 これまでは日本語と英語のみだった。
 仏語とスペイン語版も同時に公開。
 韓国国内で旭日旗を問題視する動きがあり、自民党議員らから韓国語での説明を求める声があがっていた。

 旭日旗は太陽をかたどった意匠で、「日本国内で長い間広く使用されている」「大漁旗や出産、節句の祝いなど、日常生活の様々な場面で使われている」などと意義や歴史を説明した。
 外務省HP内にある「旭日旗」のページに掲載。
 菅義偉官房長官が2013年9月の記者会見で述べた「政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」との発言も各国語で紹介している。
 韓国国会は2019年9月、旭日旗を「第2次世界大戦当時の日本の帝国、軍国主義の象徴」と位置づけ、来年2020年の東京五輪・パラリンピックの競技会場への持ち込み禁止を求める決議を賛成多数で可決した。


[写真]
韓国語で旭日(きょくじつ)旗について説明している外務省HP

朝日新聞、2019年11月11日14時46分
外務省、韓国語で旭日旗説明
HPに「日常生活で使用」
https://www.asahi.com/articles/ASMC8644GMC8UTFK01C.html

ユニフォームの正式発表がありましたが、迷彩柄が変更されるまで、本活動は続行いたします

 2020年のオリンピックにおけるサッカー日本代表のユニフォームが、迷彩柄であると発表されました。
 私たちはこのことに疑問を感じ、日本サッカー協会に再考をお願いしたいと考えます。

 オリンピックはもともと、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことが目的です。
 そして、迷彩服は、もともと戦争における戦闘服です。
 人を殺し合う「戦争」と、ルールを守ってお互いを尊重しあう「スポーツ」は、同じ「戦い」ではあっても、目的が違います。
 また、迷彩服は、今も世界中で、人を殺し合う戦争で用いられています。

 今回の決定で、選手が迷彩服を着れば、サポーターも買って着るでしょう。
 大人だけではなく、子どもも戦闘服である迷彩服を着て、迷彩服で埋まる観客席が世界中で放送される様子を想像してみてください。

 かつて、日本では沢山の人が戦争で死に、今も戦争のトラウマを抱える人が少なくありません。
 その人たちは、競技の様子を見て、戦争を思い浮かべてしまうでしょう。
 そして、海外では迷彩服を着た人たちが、罪もない人びとの命を日々奪い続けている現実が、今もあります。
 日本では戦争は遠い外国の話でも、海外では今も迷彩服は戦争をイメージさせる「戦争における戦闘服」です。
 選手ばかりではなく、迷彩服を着た数十万人の日本人のサポーター達が、日の丸を振りながら大声援に沸くスタジアムに、日本にやってくる人たちはどう思うでしょうか。
 そんな光景は、スポーツを純粋に楽しみたい観客には失望を、アスリートたちには迷いと戸惑いを、そして世界には疑念を生んでしまうのではないでしょうか。

 一方で、戦争とオリンピックとの関係については、「オリンピック停戦」という1993年の国連決議があります。
「オリンピックの前後7日間は、いかなる戦争・紛争も停止する」という国際的ルールであり、この期間中は、停戦の他、観客も無事に帰国できるように各国がはたらきかけています。
「オリンピック停戦」は、国連史上どの決議よりも多くの加盟国に支持されたものであり、国連総会において2年ごとに話し合われるほどの重要な議題です。
 つまり、オリンピックには、戦争とは相反する思想で生まれ、世界がなるべく暴力による物事の解決ではなく、スポーツを通じたコミュニケーションの機会をもってお互いを理解しあい、平和を恒久的なものにするという目的があるのです。

 私たちは、アスリート達が命を削るような厳しい練習の日々を耐え抜き、技も人格も磨き上げることを、よく知っています。
 アスリートは平和の使徒です。
 オリンピックはスポーツを愛し、平和を願う人びとの「平和の祭典」です。
  この祭典を全世界の皆さんとぜひ共有したいと思います。

 私たちは、オリンピックの主催国である日本の代表チームが戦闘服柄を着用することに抵抗を覚えます。
 平和の祭典を、戦争に由来しないユニフォームで開催するように訴えましょう。

 日本サッカー協会は、迷彩柄のユニフォームの採用を再考してください。
 皆様のご賛同をよろしくお願いいたします。


サッカー日本代表、迷彩柄ユニフォームの再考をお願いします。WE LOVE SAMRAI BLUE.
宮脇 文恵さんが 日本サッカー協会、日本オリンピック委員会、アディダスに宛てて立ち上げたキャンペーンに1,048人の賛同者が集まっています。

https://www.change.org/p/要求継続-日本サッカー協会-サッカー日本代表-迷彩柄ユニフォームの再考をお願いします-we-love-samrai-blue

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プラごみ削減

 まずは隗(かい)より始めよう――。
 立憲民主党は今月2019年11月から、ペットボトルに入った飲料の購入をやめた。
 環境政策を推進する立場から、プラスチックごみ削減に率先して取り組む姿勢を示すねらい。
 所属議員らには党の会議などへのペットボトルの持ち込みを控えるよう呼びかけ、缶や瓶の飲み物に順次変更する。

 全廃方針は、来年2020年7月から始まる小売店でのプラスチック製レジ袋の有料化を受けたもの。
 立憲は一部の特殊な袋は対象外とする政府方針を批判。
 全ての袋を有料化するよう環境省に申し入れ、自党の立場を示そうと全廃を決めた。

 枝野幸男代表は2019年11月7日の記者会見で、
「個人を含め全てをいきなり(廃止するの)は難しいが、党の行う会議においてはペットボトルを使わない。国の制度を待つことなく、一人ひとりの行動の大切さを実践していきたい」と説明。
 プラスチックゴミの削減に一役買おうと、枝野氏自身も新たに水筒を購入したという。

 在庫として残っているペットボトル飲料は、党職員らが会議以外で飲み干す予定だ。


[写真]
共産党の志位和夫委員長(左)が立憲民主党を訪れた会談でも、机には缶や瓶の飲み物が並んだ=10月24日午後3時13分、国会

朝日新聞、2019年11月12日13時04分
「ペットボトル買いません」
立憲、プラごみ削減で実践

(井上昇)
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191112000897.html

 20世紀型の大量生産、大量消費という経済モデルは、同時に大量の廃棄物を生み出しました。
 そうした経済社会からの脱却を目指して、日本では2000年に循環型社会形成推進基本法が制定されました。
 最近では欧州連合(EU)が2015年に、循環経済パッケージを発表し、サーキュラーエコノミー(循環経済)の実現に向けた大規模な取り組みを開始しています。

 サーキュラーエコノミーと、これまで日本が進めてきた循環型社会はどこが異なるのでしょう。
 簡単にいえばサーキュラーエコノミーが完全な資源循環を目指す一方で、日本型の循環型社会はそこまでは求めていません。
 廃棄物の焼却で生じる熱の利用に対する考え方に、その違いが端的に表れています。

 話題になることが多いプラスチックごみについては、日本では毎年約900万トンが回収され、リサイクル率は85%程度とされています。
 しかしその内訳を見ると、サーマルリサイクルが約60%を占めています。

 サーマルリサイクルは和製英語で正しくは熱回収といいます。
 熱回収は物質あるいはそのエネルギーを100%、また何度も再利用するものではないため、リサイクルとは定義されません。
 一方でプラスチック製品に再生するマテリアルリサイクルは約20%にすぎず、その処理もアジア各国に依存しています。
 石油に近い形に戻すケミカルリサイクルも数%です。
 国内で純粋にリサイクルされているのは10%程度と、日本のリサイクル率は世界的に見て高いとはいえません。

 焼却で発生する二酸化炭素(CO2)については、炭素回収・貯留技術(CCS)を活用すればよいという考えもありますが、過度な依存へのリスクも指摘されています。
 日本の多くの地方自治体はこうした高価な技術を導入できる財政的な余裕もないでしょう。

 廃棄物処理の実態を国際的に比較するのは難しいことですが、日本は突出して焼却処理が多いのが特徴です。
 他方、広大な国土を持つ国は埋め立て処分に頼るなど、各国それぞれに課題はありますが、完全な資源循環を目指した新しい競争はもう始まっています。


日本経済新聞、2019/11/12 2:00
サーキュラーエコノミーを考える
日本型リサイクルに「循環」の壁

(大阪商業大学准教授 原田禎夫)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52024300R11C19A1SHE000/

The global battle about who will deal with the world’s trash is raging on. This week, Malaysia sent back 3,000 tons of plastic waste in 60 shipping containers to several countries because the waste counts as contaminated under a new law in the country. On Friday, Filipino President Duterte returned 1,500 tons of household waste to Canada after years of legal battle.

Slowly but surely, the global waste trade that kept a low profile for years is entering the public eye. Plastic waste, which is still imported by some countries for use by recycling companies, has been making headlines recently after China decided to prohibit its import amid environmental concerns. While the recycling of foreign plastic waste can be lucrative, lack of regulations and oversight have caused a myriad of problems in receiving countries. After China backed out, Malaysia became one of the biggest plastic waste importers (and is trying to change that).

This turning of the tide is felt in Japan, the United States and Germany, which were the biggest exporters of plastic scrap and waste in 2018. According to data retrieved from the UN Comtrade platform, Japan shipped almost 926,000 tons abroad in the previous year. If the waste was anything like that shipped back from Malaysia this week, that would equal 18,500 shipping containers. The U.S. clocked in more than 811,000 tons, or 16,200 containers, while Germany was responsible for 701,000 tons, or 14,000 containers.

Experts expect the streams of plastic waste exported from industrialized nations to continue shifting to countries where regulation are not (yet) in place.


[graph]
The Biggest Expoters Of Plastic Waste In The World

graph.jpg

Statista, May 31, 2019
Plastic Waste
The Biggest Exporters of Plastic Waste in the World

By Katharina Buchholz, data journalist
https://www.statista.com/chart/18229/biggest-exporters-of-plastic-waste-and-scrap/

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ネトウヨのアイドル、竹田恒泰

『中学歴史 平成30年度文部科学省検定不合格教科書』(以下、不合格教科書)なる本がいま、Amazonでベストセラーになっているのをご存知だろうか。
 タイトルの通り、昨年度の文部科学省教科書検定に申請して「不合格」となった「教科書」がベースになっているというのだが、実は、この本をつくったのは、あの“ネトウヨのアイドル”こと竹田恒泰。
 版元である令和書籍は最近設立された教科書会社で、その社長もやっぱり竹田サンだ。

 昨年度の教科書検定に関しては、朝日新聞デジタルが今年の3月26日付で、申請があった小学校の教科書164点がすべて合格したと伝えるとともに、1点だけ申請のあった中学校教科書が、教科用図書検定調査審議会から「重大な欠陥がある」と不合格判定をする旨の事前通知を受け、申請を取り下げたことを記事にしていた。

 文科省は実質的に「不合格」となった教科書の出版社名など、具体的な情報を公開してこなかったが、それこそ、竹田サンが「国史教科書」と題し、中学校の社会教科(歴史分野)で申請したシロモノ。
 そして、この“出来損ないの教科書”を一般向けに売り出したのが、いまAmazonで売れている『不合格教科書』の正体なのだ。

 もう、出版にいたる経緯からしてキナ臭いが、読んでみると、実際に戦前の「国史」教育を意識したトンデモ本だった。
 たとえば、一般的な日本史の教科書では、旧石器時代から古墳時代までを「原始・古代」として土器等の発掘物や古代中国の史書などをもとに概説する。
 ところが、『不合格教科書』が第一章にもってくるのは「神代・原始」。
 つまり、天地開闢の日本神話(ファンタジー)からスタートするのである。

 これだけでもクラクラしてくるが、さらに読んでいくとグッタリするのが、とても教科書とは思えない誤字脱字や初歩的ミス、誤謬の多さだ。

 たとえば、『不合格教科書』では、1882年に渡欧した伊藤博文について、
〈ドイツのワイマール憲法などを参考に憲法について学びました〉と書かれているのだが、これはウソ。
 伊藤らによる大日本帝国憲法制定に影響を与えたのはプロイセン憲法だ。
 というか、ワイマール憲法は当時まだ生まれてすらいない(だいたい、直後に〈ワイマール憲法とは、第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国が崩壊したあとに制定されたドイツ憲法のことです〉と自ら解説している時点で誤り気がつきそうなものだが……)。
 こんな初歩的な間違いを犯すって、普通に考えてヤバくないか。

 他にも、昭和天皇について、
〈〔前略〕病に伏してしまわれ、そのまま御恢復になることなく、昭和64年1月9日に崩御あそばされました〉
とあるが、事実ではない。
 昭和天皇の崩御は1989年1月7日の早朝だ。仮に単なる誤植だとしても、民族派や天皇絶対主義者が見たら烈火の如く怒りそうな間違いではないか。

 まあ、こうした誰が見てもわかる間違いについては、さすがの竹田サンもマズいと思ったのか、自身のブログで「正誤表」を公開しているのだが、それ以外にも問題は山積。
 とりわけ明治以降の記述は、大日本帝国の国体思想を擁護し、侵略の事実を矮小化するような誘導が各所になされている。
 いくつか紹介しよう。

 たとえば、日本が不平等条約である日韓修好条規締結に利用した江華島事件(1875年)。
『不合格教科書』は、
〈ついに日本の艦艇が朝鮮の砲台から砲撃を受ける江華島事件が起き、日本は強い態度で開国と謝罪を求めた結果、明治9年(1876)に日朝修好条規を締結しました〉と書いている。
 これだけ読むと、何か「無抵抗な日本側が朝鮮側から攻撃を受け、自然に軍事衝突となった」かような印象を受けるだろうが、歴史学的には、事件前から武力的威嚇を行っていた日本軍軍艦による挑発が衝突の原因というのが通説である。

先の戦争を「勝ってもおかしくない戦争」と主張する“お花畑脳”

 教育勅語(1890年発布)に対する評価も過剰だ。
『不合格教科書』ではわざわざ1ページ半のコラムを設け、いわゆる「12の徳目」について、
〈そうです、このような生き方は、先人たちの教えだったのです。先人たちが良き伝統を残してきたから今の日本があると言えるのです〉などと賞賛。
 加えて、
〈しかし、教育勅語はこのような美徳を実践するように国民に命令する箇所はありません。それどころか、天皇自ら実践すると宣言しています〉などと解説する。
 典型的な教育勅語の礼賛だ。

 戦前の教育勅語を現代に復活させようと目論む極右勢力は、きまって「教育勅語は『親孝行せよ』『夫婦は仲良くしろ』などと当たり前の良いことが書いてある」と主張する。
 だが、教育勅語を読めばわかるが、そうした「徳目」はすべて〈天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉すなわち「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」にかかっている。
 12番目の〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉(ひとたび皇国に危機が迫ったならば、忠誠心を発揮してその身命を捧げよ)というのもそうで、つまり“おまえたちは天皇を中心とした神国日本の臣民であり、その身と心を天皇に捧げよ”というのが、教育勅語の本質である。

 もっとも、上に挙げたのはほんの一部で、他にも「どんな脳ミソで書いたのか?」と聞きたくなるような記述は枚挙にいとまがない。
 なかでもヒドいのは “先の戦争は日本が勝てた戦争だった”と大々的に主張していることだろう。
「対米戦争に勝算はあったのか」というコラムのなかで、このように書いている。

〈日本とアメリカは国力を比較すると、圧倒的にアメリカの方が大国です。
 しかし、日米の海軍力を比較すると日本もそれなりの力を持っていたことが分かります。〉

〈無論、国力が異なるので長期戦になったら不利ですが、短期か中期であれば、互角どころか、有利に戦える可能性があったのです。
 戦後になって「勝てるはずがない戦争」といわれることがありますが、兵力差などから分析すると、短期戦あるいは中期戦なら「勝ってもおかしくない戦争」、もしくは「勝たないまでも負けなかった戦争」であると言えます。〉

 いったい何を言っているのだろう。
「うまくやればアメリカに勝てていたはず」とか「もし日独伊が連合国に勝利をおさめたら戦後日本はこうなっていたはず」というような物語をしばしば「架空戦記」と呼ぶが、それは言うまでもなく歴史学ではない。
 ファンタジーである。
 義務教育の教科書に載せられるものではない。

 だいたい、「勝ってもおかしくない戦争」だったらなんだと言うのか。
 戦争は、あまりにも多くの人々の生命と生活、自由と人生を犠牲にする。
 日本人だけではない。
 植民地支配した国々もそうだ。
 日本の「皇軍」は民間人を含む大量の人々を殺し、奪い取った。
 そこから、戦後日本は「もう戦争はしたくない」という人びとの切実な思いとともに歩んできた。

竹田版歴史教科書の執筆者は竹田恒泰本人と竹田研究会の学生

 はっきり言うが、「勝ってもおかしくなかった」などとして戦争の正当化を図ろうとするのは、まさしく、わたしたちが生きる現在までの“日本の歴史”を否定することだ。
 “お花畑”もたいがいにしてほしい。

 もっとも、この『不合格教科書』における「対米戦争に勝算はあったのか」については、文科省からその全体について根拠資料の提出を求められたという(その他39点についても根拠資料を出すよう求められている)。
 同書の巻末には、文科省からの「検定申請図書に係る検定審査不合格の理由の事前通知」が掲載されており、そこに不合格の理由が書かれているので、一部を紹介しておく。

〈学習する上で必要と思われる諸資料が極端に少なく、資料に基づき考察することが非常に困難である。〉

〈特定の時代や題材に偏った構成となっており、全体として調和がとれていない。〉

〈学習した内容を活用してその時代を大観し表現する活動に関する記述が見られないなど、我が国の歴史の大きな流れを各時代の特色を踏まえて理解させるには不十分である。〉

 文科省はこのような指摘をしたようだが、いや、一般論以前の問題だ。
 竹田恒泰が送り出そうとしている「国史教科書」は、初歩的な誤りが多く見当たるのはもちろん、日本の歴史を神話に求めたり、侵略戦争の矮小化ないし正当化を図るなど、義務教育であつかう教材としてあり得ないほど低レベル。不合格は当然だろう。

 というか、こんなレベルで本当に竹田サンは文科省の検定に通るとでも思ったのだろうか。
 実際、執筆者の項目を見てみると、竹田サンが「主筆」で、その他の4人の執筆者はみな「竹田研究会学生部」の学生。
 歴史学の専門家は一人もいない。
 マジでなめてんのか?と聞きたくもなっている。

 ここまでくると、商魂たくましい竹田サンのこと、このトンデモ教科書の申請計画自体、はなから『不合格教科書』として売り出すための単なる“箔付け”“ネタづくり”なのでは……。
 そのあまりにヒドい出来を目の当たりにすると、そんな気すらしてくるのである。

 しかし、『不合格教科書』の前書きでは、同書の売り上げを費用にして、今後も「国史教科書」の制作を続けて検定合格を目指すとしているが、さて、どうだろう。
 “極右仲間”優遇で知られる安倍政権が続いていれば、こんなトンデモ教科書でもそのうち合格しそうなところが、恐ろしい。


[写真]
トンデモ・ベストセラー!

リテラ、2019.06.22 10:45
竹田恒泰『中学歴史 検定不合格教科書』の間違いが酷い!
大日本帝国憲法はワイマール憲法を参考…ワイマールは30年後なのに

https://lite-ra.com/2019/06/post-4788.html

 11月13日、富山県朝日町の教育委員会主催で町内の中・高校生たちに竹田恒泰氏を呼んで講演会をする(生徒たちは強制参加)ってほんとですか。
 幼児の教育勅語の暗唱を絶賛し、Youtube もガイドライン違反で永久凍結させられたごじんですが、教育委員会はなぜ極右に講演させる?
11月5日

 教育勅語さえ実践すれば、それでいい。
 教育勅語さえ実践すれば、それで幸せになれる。
 そんなことを力説する竹田恒泰を講演会に読んで中高生に聞かせるなんて、富山県朝日町の教育委員会はどういう意図でしょうか。
 竹田氏を選んだ経緯と理由を説明しないといけません。
11月5日

 電話確認された方からメッセ。
 人選決定したのは教育委員会と学校関係者。
 町内の中高生徒全員に参加強制 約500名。
 なぜ日本の教育現場は民主主義と市民権ではなく戦前の「教育勅語」に回帰しようとするの !!!
 今回も、極右講演会を生徒に強制決定のプロセス検証が必要。
11月6日

 文科省は以前、前川喜平・前文部科学事務次官という元上司の名古屋市立八王子中学校の講演は不適切といっていたが、竹田恒泰氏のような教育勅語を信奉する違憲論者の中学校での講演は何も問題がないということか、この違いを文科省に聞いてみたい。
11月7日

 富山県朝日町の教育委員会主催 竹田恒泰 さん講演会について、中高生の強制参加はなくなりました。
 しかし税金で公的機関が教育勅語推進の講演会を主催することは変わりません。
 問題はこれから。
 なぜ竹田さんを選んだのか、そのプロセスに不適切な介入がなかったか検証すべきです。
11月8日

 講演会取りやめのお知らせ
 11月13日(水曜日)に予定しておりました、竹田恒泰氏の特別講演会は、事情により取りやめとさせていただきます。


富山県朝日町教育委員会公式サイト、2019年11月11日
https://www.town.asahi.toyama.jp/soshiki/kyoiku/1573441173939.html

 富山県朝日町教育委員会は2019年11月11日、町内で13日に開催予定だった作家の竹田恒泰氏の講演を中止すると発表した。
 開催を妨害するとの予告連絡があり、会場の安全確保に支障があると判断したという。
 予定では、町立朝日中学と県立泊高校の生徒らの活動発表の後に、「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」とのテーマで竹田氏が講演することになっていた。
 町によると、先週から竹田氏の講演に対する意見が電話やメールで多い日には数十件届いた。
 10日には妨害を予告する連絡があった。
 活動発表は会場を変更して行うという。


朝日新聞、2019年11月11日20時21分
作家の竹田恒泰氏の講演、妨害予告で中止
富山・朝日町

https://www.asahi.com/articles/ASMCC6GFBMCCPUZB00S.html?iref=pc_ss_date

 ところで貴方が「ガソリン」という脅迫内容を知り得たのは「地元の誰」ですか??
 15時台の時点では教育委員会の担当者すらも「ガソリンによる脅迫」など全く把握されていなかったんです。
 中止の理由もガソリンは関係していないとのことでしたよ。
 どこから知り得たのかとても興味深いです。
11月11日

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繰り返される「教育勅語」再評価

繰り返される「教育勅語」再評価

「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」)復活論は亡霊のように何度でもよみがえる。
 1948年6月に衆参両院でその排除および失効確認が決議されたにもかかわらず、政治家や教育関係者でその再評価を唱えるものがあとを絶たない。

 最近では、大阪の私立幼稚園で、園児が「教育勅語」を暗唱させられているとして話題になった。
 今年2017年4月に開校予定の系列小学校では、「教育勅語」が「教育の要」におかれるのだという。
 しかも、同校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が就任するというのだから驚かされる。
 こうした「教育勅語」の再評価は、今後も繰り返されるだろう。

 それにしても、なぜ「教育勅語」復活論はいつまでたっても消えないのだろうか。
 それは、この文書の内容や歴史がかならずしも広く知られていないことが関係している。

「教育勅語」について、あるものは、いつの時代にも適用できる普遍的な内容として金科玉条のごとく尊び、またあるものは、狂信的な神国思想の権化として蛇蝎のごとく嫌悪する。

 だが、「教育勅語」に対する評価としては両方とも一面的で適切とはいいがたい。

「教育勅語」の内容や歴史をただしく知れば、議論もおのずと収束するはずである。
 そこで、以下では「教育勅語」のたどった道を事実ベースで振り返ってみたい(なお引用にあたって、読みやすさを考慮し、カタカナをひらがなに直し、漢字を開いたところがある)。

弱小国家らしい慎ましい内容

「教育勅語」は1890年10月30日に発布された。
 日清戦争が勃発する約4年前のことである。
 これが「教育勅語」の内容を考えるときのひとつのヒントになる。

 当時の日本は、不平等条約を押し付けられ、いつ植民地にされてもおかしくない、極東の弱小国家のひとつにすぎなかった。
 それゆえ、「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

 たとえば、「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。
 これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。

 むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。
 たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。
 だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

 当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

 そのため、日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。
 大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめたのである。

 その動きはのちに触れるとして、以上を踏まえたうえで、まずは「教育勅語」発布の経緯をみておきたい。

「教育勅語」成立の経緯

 1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。

 ときの首相山県有朋(内務大臣兼任)も国防上の理由などからその求めに同意し、明治天皇より「徳育に関する箴言」編纂の命令を取り付け、腹心の芳川顕正内務次官を文部大臣に据えてその任にあたらせた。
 山県は「軍人勅諭」(「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」、1882年)の民間バージョンを考えていたようだ。

 同年5月、「徳育に関する箴言」の起草は中村正直に依頼された。
 ところが、『西国立志編』の翻案者・中村は啓蒙思想家であり、自由民権運動に親和的な草案を提出してきた。
 そこで、代わりに法制局長官の井上毅に白羽の矢が立った。
 井上は、「大日本帝国憲法」の起草にも関わった法制官僚である。

 能吏の誉れ高い井上は、その評判に反せず、山県の求め以上に完全な文書をめざした。
 井上は、山県に対する書簡で「箴言」ではなく「勅語」の名称を使い、その内容は「王言の体」でなければならないと説いた。

 つまり、君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではないと主張したのである。

 また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

 井上は、明治天皇の侍講で儒教主義者の元田永孚と協議しながら、「教育勅語」を短期間で完成させた。
 その本文はわずか315文字に刈り込まれた。
 それが以下である。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
  明治二十三年十月三十日
 御名 御璽

注釈書は戦前だけで300種類以上

 では、「教育勅語」はどのような内容だったのか。
 実はこれがむずかしい。
 というのも、井上毅が「王言の体」をめざした結果、言葉づかいが曖昧になり、さまざまな解釈を受け入れるものになったからだ。
「教育勅語」の注釈書は、戦前だけで300種類以上も刊行された。

 そのなかでも、帝国大学文科大学教授の井上哲次郎が執筆した『勅語衍義』(1891年)は、ときにもっとも権威があるとされる。
 文部省が公認し、井上毅を含む文教関係者の回覧を受け、天覧にも供されたからである。

 ただ、井上毅が不満を述べ修正を求めた(にもかかわらず修正されなかった)箇所もあり、そのまま採用することはできない。
 それに、井上哲次郎はのちに不敬事件を起こして、帝国日本のイデオローグとしての地位を失った。

 また、「教育勅語」には英訳を含むさまざまな官定翻訳が存在するが、これも正確なものではない。
 なぜならその官製訳は、ヨーロッパ向けでは、日本の先進性をアピールするために意訳されることがあったからである(官定翻訳については、平田諭治『教育勅語国際関係史の研究』を参照されたい)。

 さらに、文部省は1939年から翌年にかけてひそかに学者を集めて「教育勅語」の全文通釈を作成したが、一般に公開されたものではなく、またアジア太平洋戦争(1937〜1945年)下特有の超国家主義的な解釈も行われたため、やはりこれもそのまま鵜呑みにできない。

 このように、「教育勅語」の内容理解は困難をきわめる。
 現在、「現代語訳」として流通しているものにも身勝手な解釈が含まれ、信頼に足るものが少ない。

 とはいえ、具体的な徳目が以下の箇所である点はおおよその同意が取れている。
父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 先述の全文通釈(1940年完成)の該当箇所を以下に引いておく。
 正しい解釈と断言できないが、部分的には参考になる。
父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて気随気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。

 最後の「一旦緩急アレハ(万一危急の大事が起つたならば)」以下はともかくとして、それ以前の徳目の多くはかなり現実的なものだ。

 もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。
 その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。

解釈、追加、修正、補完…

 ただ、前述したように、こうした控えめな内容は、日本が帝国主義列強として成長するにつれ問題視されるにいたった。

「教育勅語」には、国際交流や産業振興に関してかならずしも十分な言及がない。
「一等国」の国民としてこれらは欠かせない徳目だ。
 そこで、1898年第三次伊藤博文内閣の文部大臣に就任した西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

 今日に残されたその草案には、「大国寛容の気象」を発揮して、「藹然社交の徳義を進め、欣然各自の業務を励み」、また女子教育を盛んにするべきなどとある。
 悪くない内容だったが、結局、西園寺の病気と辞職で頓挫してしまった。

 また1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された。

「教育勅語」は植民地を獲得する前に書かれたので、異民族の教育方針にはなりにくい。
 そこで「今上陛下が有個所を修正せられて、新付の民族に賜はる様にすればよくはないか」というのである。
 この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

 しかし、こうした「教育勅語」の改訂・修正案などは、さまざまな理由でうまくいかなかった。

 そのひとつに「不敬」問題があった。
「教育勅語」はその発布以後、小学校の祝祭日の儀式などで校長によって「捧読」され、神聖不可侵な存在となっていった。
 そのため、年々その改訂・修正などがむずかしくなったのである。

 結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。
 1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

 1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。
 これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ。

 このように「教育勅語」の歴史は、解釈、追加、修正、補完などで覆われていた。
「教育勅語」はつねに動揺していたのである。
 これが偽らざるこの文書の姿であった。

復活論はナンセンス

 敗戦後、GHQ内で新しい「教育勅語」を発布させる動きもあったが、ここでは割愛する。
 いずれにせよ、主権在民を原則とする「日本国憲法」のもとで「教育勅語」が廃止された。
 当然というべきである。

「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。
 その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

 ましてかつてなく社会が複雑化し、価値観が多様化した現在、部分的に評価できるところがあるからといって、「教育勅語」全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンスである。

「教育勅語」の内容と歴史を知れば知るほど、そう結論づけざるをえない。

 復活論者は、「『教育勅語』再評価=戦後民主主義批判=反左翼=保守」と早合点し、その内容や歴史の精査を怠り、その復活を唱えることを自己目的化してはいないか。

「教育勅語」の歴史に学ぶことがあるとすれば、それは、ある時代の教育方針を金科玉条のように墨守することではなく、むしろそれを柔軟に見直し、現実に対応していくことであろう。

「教育勅語」を個々人で愛好するのはよい。
 だが、公的に復活するべきかといえば、その答えは明確に否である。

※ 本稿で扱ったテーマは、近刊『文部省の研究 、「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書、2017年4月)でも掘り下げている。「文部省の真の姿」に迫った1冊、どうかご高覧ください(*)。


現代ビジネス、2017.01.23
「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ
ナンセンスな主張が繰り返される理由

(辻田 真佐憲)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50764

(*)辻田真佐憲『文部省の研究』

文部省は(略)つねにほかの組織に介入され続けた。

 天下り問題や獣医学部の新設をめぐる加計学園問題で、にわかに注目の的になった文部科学省。

 辻田真佐憲『文部省の研究』は、そんな文部科学省(前身は文部省)の創設以来の歩みを追った本である。
 副題は「『理想の日本人像』を求めた百五十年」。
 これを読むと、そのときどきの国家の方針や為政者の思惑によって、文部省がどれだけ翻弄され、右往左往してきたかがわかり、情けないやら涙ぐましいやら。

 文部省が正式に発足したのは1871年。
 当初から日本の教育方針は「欧米式の啓蒙主義」と「復古的な儒教主義」の間でゆれていた。
 そこで1890年には「教育勅語」が発布されるが(教育勅語は意外にも近代的な側面を備えていた)、10年おきに勃発する戦争に対応して、この後「理想の日本人像」は激しく変化する。
 日清戦争後にはリベラルな「第二の教育勅語」が構想されたりもしたが、徐々にそれは国家主義的な傾向を強め、1930年代なかば以降は「天皇に無条件で奉仕する臣民」に収斂されていく。

 そして「教育基本法」とともにスタートした戦後。
「理想の日本人像」も大転換した。
 すなわち「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」。
 が、これはこれで普遍的すぎて反動を招く結果となり、さらに高度経済成長期になると企業戦士の養成が課題として浮上、「期待される人間像」が打ち出される。
 今度は「責任をもって黙々と働く日本人」。

 右へ左へと付和雷同する文部省。
 加えて宿敵・日教組との攻防。
 経済界や保守団体の手前勝手な要求と、官邸や他の省庁の介入。

 こうしてみるとたしかに〈文部省は主体的な組織とはいいがたく、つねにほかの組織に介入され続けた〉。
 その伝統を今も引きずってるんだ。
 もちろん、それは教育が重要だからなんだけど、ナショナリズムとグローバリズムの狭間で「理想の日本人像」はゆれ動いてきた。
 その上〈教育をめぐる議論は、イデオロギーが跋扈し、空理空論に陥りやすい〉。
 右派も左派も教育にはうるさいからね。


※ 週刊朝日  2017年8月4日号

dot.asahi ・書評《今週の名言奇言 (週刊朝日)》、2017.7.26 10:51
『文部省の研究』辻田真佐憲著
斎藤美奈子
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2017072500070.html

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2019年11月11日

ブレイディみかこ「みんなで怒らないと」「人がつくった鋳型にはまるな」

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:
★ 2016年12月10日「ブレイディみかこ」
★ 2018年02月21日「私の『貧乏物語』」
★ 2018年02月23日「あの男たちへの批判」
★ 2018年03月20日「スティーヴン・ホーキング博士の最後の闘い」
★ 2019年01月03日「ブレイディみかこ」
★ 2019年02月21日「藤原辰史 京大准教授」
★ 2019年07月20日「日本がこれ以上分断しないため」
★ 2019年08月09日「桃井かおり主演『夏少女』」

パンクな文体で腐った政治を撃つ豪速球投手。
と思えば、ユーモアと繊細さをマジックのごとくブレンドさせた変化球の人。
英国在住のライター、ブレイディみかこさんが放つ言葉の力に勇気づけられた女性たちは多いでしょう。
話題の最新作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)では、英国の公立中学に通う一人息子の葛藤と成長を描きながら、多様性の時代に生きる“ややこしさ”と“奥深さ”を余すことなく伝えてくれます。
一時帰国を機に、女性たちへのメッセージも込めて、たっぷり語ってもらいました。

英国・ブライトン発、「元底辺中学校」の現場から


― 一気に読みました。英国社会の荒廃を無料託児所などの光景から浮き彫りにしたルポや、政府の緊縮財政の愚を指弾する時評とは、ずいぶん雰囲気が違う気がします。

ブレイディみかこ(以下、みかこ): そうかもしれません。
 英国で周囲にいる人々や出会った人びとを観察して書くのでなく、いままさに私自身の現場である子育ての日々を、初めて書いたノンフィクションなんです。

 ロンドンの南、ブライトンという海辺の町で息子が通う公立中は、貧しい白人の子どもが多く、少し前まで学力的に最底辺校と呼ばれていたところです。
 それが音楽とか演劇とか、生徒がやりたいことをのびのびやらせるユニークな改革を重ね、生徒たちの素行も改善され、学力も上がってきた。
 とはいえ、トラブルは日常茶飯事。
 移民問題や貧困問題が背景にあります。
 そこで起きる出来事をちりばめながら、思春期の息子と私たち夫婦のホームドラマの要素も入っているので、マイルドな印象もあるのでしょう。

 単著は10冊目になるらしいのですが、今回は、より多くの読者に届くオープンな本にしたいと思いました。
 自分の主張は控えめにし、状況を皆さんに伝え、考えていただく。
 果たして面白いのかな、という気持ちもありましたけど。


― すごく面白いです。この手法だからこそ、今ひとつわかりにくかった英国社会の最前線の一端を、リアルに知ることができた気がします。

みかこ: 本当に、ぐっちゃぐちゃですからね。
 人種・民族にジェンダーといった軸と、階級という軸とが複雑に交差して。
 移民でもお金をためて一定レベルの生活をしている人もいれば、貧しく取り残された白人も多い。
 いろんなレイヤー(層)があって、互いに意識し、時に差別しあう。
「多様性はややこしい、衝突が絶えないし、ない方が楽だ」って書きましたけどね。
 いま英国は、3度目の大きな変化の波にあるといわれています。
「揺りかごから墓場まで」で有名な福祉政策を打った労働党政権の「1945年のピープルの革命」が最初。
 そして次が80年代、福祉切り捨てや民営化などの新自由主義的路線に転じたサッチャー政権。
 90年代には「第三の道」を提唱したブレアの労働党政権が期待されましたが、失望に終わり、2010年から保守党が進めてきた緊縮財政によって、貧困層にしわ寄せが強まり、社会の分断が進みます。
 EU離脱をめぐり紛糾するいまは、3度目の波のさなかなんですね。

 というわけで、ひどく大変な状況ではあるんですが、子どもたちはたくましい。
 日々、ぶつかりあい、迷い、考えながら、思いがけない方法で、突破していっている。
 乗り越えるというより「いなしていく」という言葉がぴったりかな。
 たとえば、ぼろぼろの制服を着ている友達に、代わりの服をあげたいと思う。
 でも返ってそれは、相手を傷つけることにならないか。
 いざ口にしたら、案の定、不審の目を向けられた。
 とっさに息子は「君は僕の友達だから」と言ったんですね。


― 絶妙の一言ですよね。

みかこ: そのやりとりを目にしたとき、私が思い出したのは、例えばジョージ王子が通っている私立校をはじめとし、「ベストフレンド」という言葉は使っちゃいけない、という方針の学校が出て来た、というニュースでした。
 さすがにPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的な正しさ)の行き過ぎだと、たたかれていたようですが、ほら、いいんだよ、助けたくなるかけがえのない友達がいていいんだよと、息子が示してくれた気がしました。

 そういえば数ヶ月前、マイクロソフトのワードファイルで、AIがPC(ポリティカル・コレクトネス)的に正しくなるよう私たちの文章を書き換えることが可能になるというニュースが話題になりました。
 PCを否定するつもりはありません。
 それは多様な社会で生きるために必要なものです。
 でも、あらかじめ問題になりそうな言葉が、「なぜいけないのか」を考える暇もなく排除されてしまったら、その言葉を吐かれた人の痛みといった現実的なことを考えてみる機会も、奪われかねない。
 深く理解することと、傷つけあって学ぶこと。
 2つが結びついている場合もあると思う。
(*1)

― ご本の中で、多様性は楽じゃないと伝えたブレイディさんに、息子さんが「楽じゃないものがどうしていいの?」と尋ね、「楽ばっかりしてると、無知になるから」と答える場面が印象的でした。

みかこ: さっきの話に通じることです。
 今の時代、インターネットで何でも手に入れられると思いがちですね。
 でもそれで知識を得たことにはならないでしょう?
 私、よく「地べた」という言葉を使うんです。
「机上」に対する「地べた」。
 地べたで実際に人とぶつかる中から、本当の理解が生まれる。
 インテリジェンスというより、「叡智」みたいなもの。
 それが今の世の中、欠けていないでしょうか。
 頭で考えすぎて、空中戦になりがちな今の風潮をみていると、子どもたちの世界の方がよっぽど人間として大人で、まともに思えることも多い。
 もちろん、物事を論理的に考えていく知的な作業の大切さも承知しています。
 あるとき、息子が「エンパシー」という言葉の意味を、学校のシティズンシップの試験で問われて、「誰かの靴を履いてみること」と回答したというんですね。
 これは英語の定型表現なのですが、シンパシー(同情する)と違い、エンパシーは自分と違う理念や信念をもつ人のことを想像してみる、主体的な力のことです(the ability to understand other people's feelings and problems・・・Longman"Dictionary of contemporary English")。
 息子は、EU離脱などで分断が進む今の社会で、その力が大切になると教わったらしいです。


― ご本の魅力の一つは、そうした息子さんの聡明さですね。さまざまなバックグラウンドをもつ友人たち、先生、お母さんお父さん、道ですれ違う人たちまで、いろんな言葉や態度から、さまざまなことを感じ取り、考え、次に生かしている。

みかこ: いえいえ、まったく聡明じゃないところもありますけどね。
 でも、もう13歳ですから、スポンジみたいな吸収力には驚かされます。
 えっ、そんなこと覚えていたんだと、はっとさせられることは多いです。
 私も、一緒に学んでいく日々です。


ライター・保育士、ブレイディみかこができるまで

― 福岡のお生まれですね。どんな子どもでしたか。

みかこ: 気が強かったですね(笑)。
 とっくみあいのケンカもしましたよ。
 勉強は全然しなかったけど、試験の要領だけはよかった。
 家は土建屋なんですが、貧乏でしたね。
 周りもそんな感じだったから、中学まではあまり気にならなかった。
 ところが地元の進学高に入学して、家のことは一切言えなくなりました。
 お金がなくてパン1つしか買えなくても「ダイエット」なんてウソついて。
 裕福な家庭の子どもたちには、貧乏のイメージがわかないわけですよ。
 彼らの幸せな世界を、こんな暗い話題で壊しちゃいけない、と感じていた。


― それは、自分を保つため?

みかこ: そうだったと思いますね。
 恥ずかしかった。
 なんでこんなに貧乏なんだろう、なんでこんなところに生まれちゃったんだろうって。
 親がバカだからだと思っていましたよね、ずっと。
 上の学校に行きたいとか、お金があれば、ああいうこともできた、って気持ちは当然ありましたけど、自分でなんとかしなきゃいけない。
 で、バスの定期券を買うために、スーパーのレジ打ちのバイトをやっていたんですが、あるとき学校にばれちゃったんですね。
 そうしたら担任から叱られた。
 理由を正直に説明したら「いまどきそんな家庭があるわけない」って。
 そこから、本気でグレましたね。
 授業をさぼり、バンドばっかりの生活になった。
 英国との出会いはそのころからです。
 学校で家のことを話せない自分がいて、でも帰宅してブリティッシュ・ロックを聴いたら、労働者階級である自分を誇りに思う人たちがいると知る。
 会ってみたい、彼らの国に行ってみたいと、あこがれました。


― いつから渡英したのですか。

みかこ: 高校卒業後の80年代半ばです。
 行ってみたら、やっぱりすごく気が楽でした。
 労働者階級の誇りも肌で感じましたけど、何ていうかなあ……あまりちっちゃなことにこだわらない。
 自分は自分で、好きにしていられる。
 それが日本と決定的に違った。
 で、ビザが切れると帰国して、お金をためてまた出かける、というフーテン暮らしを続けました。
 男性を追いかけていったこともありましたね、はい(笑)。
 バブル世代だから、楽天的だったのかもしれません。
 いまはこんなフラフラしていても、何とかなる、という根拠なき確信を抱いて生きられる時代だった。
 その後、アイルランド系の英国人の夫と知りあい、結婚して1996年からブライトンに住み始めました。
 この間、日系企業のアシスタントをしたり、翻訳の仕事をしたり。新聞社で働いたこともありますが、特派員が発信する英国だけが日本に情報として入るとしたら、かなり偏ってしまうなと正直思っていた。
 駐在員の記者の方々はいつも多忙で、地元のコミュニティに根差して生活しているとは言い難い。
 そうすると、英国の人びとの感覚と報道がずれて行くのは当然です。
 だからと言って、自分が書こうとか、そんなことは夢にも思ってませんでしたが。
 ライターの仕事は、ほんの小遣い稼ぎに始めたことです。
 それが変わってきたのは音楽雑誌「エレキング」に書くようになってからですね。
 好きな音楽について書き始めると、政治も社会も、いろいろと自分の言いたいことがわいてきた感じで。
 そうこうするうち、2006年に出産し、翌年に保育士見習いを始めるわけです。


― そもそも、また何で保育士に?

みかこ: 自分の子を産むまでは、子どもなんてケダモノというくらい、好きじゃなかったんですよ。
 それが、世の中に子どもほど面白いものはない、と大転換が起きた。
 無料託児所の門をたたいたら、ここの創設者が地元では伝説の幼児教育者だった。
 息子は彼女に見てもらったのですが、親なら見逃すような成長のあとも、詳細に記録してくれるプロ。
 平等も自由も大切だ、両方あってしかるべきだという理念の持ち主でした。
 私の師匠、と呼べる人ですね。
 でも当時の保守党の緊縮政策のツケで、託児所はつぶれてしまいます。
 そこから保育士の仕事をPR誌に書いてほしいとみすず書房から声がかかり、別途、ヤフーニュースでも執筆依頼があって、その記事を集めた本が岩波書店から出た。
 人文書の世界にデビューみたいな感じですかね。
 それから今日に至る……ほとんど成り行き、ですよね。


― でも、もともとはライター志望だったのですか。

みかこ: いやいや、そんなことないですよ。
 ただ、本を読むこと、文章を書くことは、好きだったのかな。
 十代のころは、けっこう小説を読んでいて、特に好きだったのは坂口安吾とオスカー・ワイルド。
 流行りの作家なんかも、わりと読みましたね。
 あと、不良だった高校のとき、白紙で出した答案用紙の裏に、バンドの詞や、大杉栄についてのミニ論文とか、ヒマだから書いてたんです。
 そうしたら、私の文章を読んだ現代国語の先生が「君は物を書きなさい」と言ってくれて。
 どの先生からもたらい回しにされていた私の面倒をみる、と言ってくれ、2年生、3年生と担任になってくれた。
 何度も何度も自宅に足を運んでくれて、「大学に進んでたくさん本を読んで、たくさん文章を書きなさい」と。
 まあ、うっとうしくて勉強もやりたくなかったから、大学には進まなかったんですけど……。
 回り回って、こうして物書きになった。
 不思議ですよね。


― いろいろな出会いが、いまのブレイディさんをつくってきたのですね。ご本にも、息子さんの友達2人に絶妙なケンカ両成敗が下された話にからめて、小学校の恩師のことが思い出されていました。

みかこ: 周囲の反対を押し切って、差別を受けていたコミュニティの人と結婚した方です。
 きっとご自分の経験があったからこそでしょう、彼女は、どの差別がよりいけない、という前に、「人を傷つけることはどんなことでもよくない」と子どもたちに言い聞かせていました。
 もう40年ほど前で、半分覚えていたかどうか、くらいの話だったのに、息子の話を聞いてフラッシュバックのように蘇ってきた。
 子育ての面白さは、そんなところにもありますね。


日本社会へ、日本の女性たちへ

― 平成のほぼ30年、離れていた日本は、いまブレイディさんの目にどう映りますか。

みかこ: 一言でいうと、窮屈になった。
 帰国するたび、そう感じますね。
 さまざまな現場で若い人たちを取材したことがあるのですが(「THIS IS JAPAN」、太田出版)、仕事でも人間関係でも、生きづらさを自分のせいにする。
 自己責任論というやつですね。
 どうにかなるという楽天的なところも感じられない。
 私も若いころ、めちゃくちゃ貧乏だったけど、もう少し楽天的でした。
 今の、この時代を覆う空気なんでしょうね、きっと。

 それから気になるのは、女性問題。
 英国にいると、特に去年くらいから、女子学生を不利にする医学部入試とか、相撲の土俵に女性が上がれないとか、女性が虐げられた国・日本、というニュースばかり目に入ります。
 海外メディアにとっては、いかにも日本っぽいという話題で、飛びついている面もあるでしょうけど、悲しいのは、「いや、それはウソです」と言えないことですね。


― 確かに。反論できない。

みかこ: いまの日本で何がいちばんダメかといえば、経済と女性問題です。
 この問題をどうにかしていくには、フェミニズムのありかたを考え直すべきじゃないかと思う。
 男性社会で差別はいろいろあったし、つらい目にあったけど乗り越えた。
 私=グレイト、だからあなたも頑張れ――こんな新自由主義的な発想では、逆に個人が生きづらくなると思う。
 もっとソーシャルなフェミニズムを作りだしていかなければいけないのでは。
 世界的に広がった「Me Too」の運動だって、そういう方向でしょう?
 フェミニズムといって語弊があるなら、シスターフッド(女性同士の連帯)と言い換えてもいい。
 つらいことをなくしていこうよ、という社会制度を変えていく方向への転換は、一人じゃ絶対無理ですから。
 最近、韓国の女性作家の「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ著、斎藤真理子翻訳、筑摩書房、2018年12月)っていう本が売れているじゃないですか。
 知りあいに聞いたら、あれを読んだ韓国の女性はみんな怒った。
 でも日本の女性は泣いたと。
 これが示唆するものは大きいと思う。
 泣いて終わってたら、しょうがない。
 涙が乾いたら明日からがんばろうじゃ何も変わらない。
 やっぱり、みんなで怒らないと、誰もビビらないですよ。


― でも以前、フェミニズムって「おっかない」と感じていたと書いていましたよね。

みかこ: ええ、そう思ってました!
 私なんか、きっと怒られるって。
 だから最近まで直接的には書かなかったんです。
 やっぱり、フェミニズムが学問になってしまって、第一波がこう、第二波がこうと(笑)。
 そんなことを知らない学のないおまえが言うな、と言われそうだから発言しちゃいけないのかな、と思ってた。
 でも、これからの女性の運動は、フェミニズムのフェの字も知らないような人が「私もつらい」「おかしいと思う」と声をあげる、あげてもいいんだ、と思えるものにしないと実際には何も変えられないと思う。
 女だからといって、何でこんな目にあわなきゃいけないの?と誰もが言い出せる勇気をもらえるものにしないと。

 フェミニズムも左派も、よく分裂しますよね。
 左派は思想や理念で分裂するのが宿命だとよく言われますけど、でも女性であるということは思想や理念じゃないですよね。
 事実であり、現実です。
 なのに無駄に分かれて行ったら、それだけ声が細く小さくなって行く。
 そもそも女性って数的にはマイノリティでも何でもないですよ。
 世の中の半分、しっかり生きているんですから。
 これが何で、いまだにマイノリティということになってるのかが問題であって。
 もちろん個人であることも大事ですよ。
 だれかと同じになれ、って上から言われたら、私はぜったいイヤだし、まず、なれないし。
 個人でありながら、そのうえで、ゆるやかに連帯する。
 個人的なものとソーシャルなものはいつも対立する概念でもないですよね。
 私が私として生きられるようにするために連帯して闘うこともある。
 要するに、このバランスが大切なんですよね。


― 萎縮し、閉塞する一方の、日本社会へのメッセージは、ありますか。

みかこ: 不確実な時代って、みんな正しい答えをほしがります。
 迷ったり、間違ったり、道を踏み外したりすることを恐れる。
 そういう機運が、ますます閉塞を強める。
 だから、そういう時代こそ「迷ってやる」くらいの気持ちが必要じゃないかな。
 自ら迷いながら、探していく。
 ネットに答えなんか載ってない。
 だから、ここだけが世界だと思わないこと。
 迷っているあいだに、まったく違う世界が見つかるかもしれない。
 今ある世界が、すべてじゃない。
 どんどん違う世界に出ていけばいいと思いますよ。
 最近、100年前に生きた日英の3人の女性、アナキストや運動家のことを本に書いたのですが(『女たちのテロル』、岩波書店、2019年5月)、いまの時代にアナキズムが必要だとすれば、「鋳型にはまるな」っていうことなんだと思う。
 人がつくった鋳型にはまるな。
 今ある鋳型を信じるな。
 これだけ世界が大きく変わっている時代です。
 これまでの鋳型を信じてやっていても、しくじる可能性が高いですし(笑)


― 今後のお仕事は。

みかこ: 私は自分が論客とは思っていません。
 なりたいとも思っていない。
 現場を大切にしたいのもあるし、何が書かれているかよりも、「どう書くか」のほうが気になるということは、書き始めた頃からずっと言ってきた。
 物書き、ですよね。
 明確にそうありたい、と思っています。
 ただ、小説とかノンフィクションとか評論とかエッセイとかルポとか、ジャンル分けが細かすぎると思うことがよくあります。
 形式にこだわりすぎというか別に、ぎちぎちに分けなくてもいいんじゃないかと。
 ジャンルをクロスオーバーしていると、邪道というか、イロモノ扱いもされますけど、窮屈なところにはまり込むより面白いと思います。

 先日、詩人の伊藤比呂美(*2)さんと会ったんですが、彼女は詩だけでなく、エッセイや小説も書かれていますけど、「私の書くものすべてが詩だ」と仰ってます。
 僭越ながら、その感覚はわかる気がする。
 と言っても私は詩人じゃないので、「私」がジャンルということにしておきますか。なあんて。


※ ブレイディみかこ、保育士、ライター、コラムニスト
1965年福岡市生まれ、高校卒業後、渡英を重ね、96年からブライトン在住。本文中で紹介した著書のほか、「花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION」(ちくま文庫)、「アナキズム・イン・ザ・UK」(Pヴァイン)、「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)、「子どもたちの階級闘争」(みすず書房、新潮ドキュメント賞)、「労働者階級の反乱」(光文社新書)などがある。

朝日新聞・好書好日、2019.09.26
ブレイディみかこさん『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』インタビュー
多様性は楽じゃないけど「楽ばっかりしていると無知になる」

(文:藤生京子、写真:家老芳美)
https://book.asahi.com/article/12738111

(*1)PC(ポリティカル・コレクトネス)
 どうも、ドイツに外国人として暮らす wasabi です。
 突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現、およびその概念を指す。
(Wikipedia)

 要するにポリティカル・コレクトネス(略称:PC)とは「差別的な表現をなくそう」とする概念のことなんです。日本語にすると「政治的正しさ」みたいな訳になってしまいますが、これは例えば「自民党が正しくあるためにはこうあるべき」とかそういう正しさのみを指すものではないです。
 日本でも移民や在日外国人に対する憎悪や軽蔑の念を込めて発言する「ヘイトスピーチ」が問題になっています。
https://ironna.jp/theme/43
 この記事内で投票形式で議論されている通り、ヘイトスピーチはPC的観点から規制されるべきなのか、はたまた「表現の自由」として保障されるべきなのかという視点で問題が議論されています。
 日本では法規制が採決見送りになってしまったそうですが、アメリカ、カナダ、他欧州各国ではヘイトスピーチは法律によって厳しく罰せられる対象となっています。ドイツもヘイトスピーチにはかなり厳しい処罰が適用されます。
ドイツは、ヘイトスピーチを世界で最も厳しく取り締まる国の一つだ。ヘイトスピーチは、刑法第130条の「民族扇動罪(Volksverhetzung)」に該当し、裁判所は最低3ヶ月、最高5ヶ月の禁固刑を科すことができる。
(ハフィントンポスト:熊谷徹氏)

というわけで、他民族が共存するドイツやその他欧米では「ヘイトスピーチが表現の自由か?」と議論することはもはや論外な訳ですが、もっと広義のポリティカル・コレクトネスという概念については戸惑いを覚える人もいるそうです。
 ポリティカル・コレクトネスとヘイトスピーチの違いは、後者が攻撃的な発言のみを指すのに対して、ポリティカル・コレクトネスを持ち出すと、「何気に発言してしまった差別的なこと」まで含まれます。
 良い例として、またまたアメリカのコメディ・アニメ、サウス・パークがこれについて面白いエピソードを作ってくれました。
 シーズン19のエピソード「Stunning and Brave」のテーマは、自身の出演したリアリティ番組をきっかけに性同一性障害だったことを告白し、女性に性転換をしたことが話題となった、元アメフト選手ケイトリン・ジェンナー。アメリカでは彼女のことを“Stunning and Brave”(魅力的で、勇敢だ)と評価するのがポリティカル・コレクトネス(PC)の観点から一般的だそうです。というのも彼女のことを悪く言うのは「ダサイ」ことで、許されるべきではないという空気感があるそう。
 しかしエピソード内で、主人公の一人であるカイルが、「個人的に彼をそんなにすごいと思わない」と悪気がなくて言ってしまった途端、PCを押し付ける校長やその他PCフラタニティ(サークルみたいな団体)に責められまくり、PCがやっかいなものになっていく・・・という展開で話は進んで行きます。
 さすが時事ネタや議論を呼ぶテーマを扱うサウス・パーク。PCは大事だけど、固執しすぎるがあまり、社会が窮屈になっていないか?という風刺をしたエピソードでした。

 と、そこで気になったのは日本語の「平等」という概念。これは欧米からやってきたポリティカル・コレクトネスの概念と相容れるものなのでしょうか?そんなことを考えていると面白いYoutubeのビデオに出会いました。これは、日本語の「差別」と「平等」の概念の根底を検証した話です。
https://www.youtube.com/watch?v=dNipmf7az3w
 お時間のある人は是非ビデオの最初から最後まで見て欲しいところですが、簡単にまとめると日本語の「平等」と「差別」は仏教語から翻訳された翻訳語なんだそうです。

 今でこそ日本では「男女平等、差別反対」などという使われ方をする、「差別」という言葉。
 これはもともと「しゃべつ」と発音されていて、男女差別等の差別に限らず「ものを区別する」という意味だったそうです。
 例えば、目の前に机がそこにあればそれを「机」という名前で区別して、自分と机の違いを認識しますよね。
 仏教語ではこれも「差別」ということになります。

 でも、「平等」というのは言って見れば「一切の差別を捨てる」、様子するに全ての区別をなくすということなんだそうです。
 男と女の違い、日本人とドイツ人の違い、どころの話ではなくて究極には、ゴキブリも、机も、私も、ゲイもレズも、欧米人もアジア人も世の中にあるものみ〜〜〜んな一緒、という哲学が「平等」という言葉の裏には隠れていたんです。
 これってスゴイことですよね。完全に「無」の境地です。

 アメリカ発のポリティカル・コレクトネスは人間には適用されていますが、まだゴキブリや机にまでは適用されていません。「机って呼ぶな、机も人間と同じなんだ!」と叫ぶ人がいたらコイツは大丈夫か?と思われるのがオチです。
 もちろん、動物愛護などの意識は欧米では高まっていますが、机同様、動物と人間の違いを区別(差別)するからこそ「愛護しなければ」という意識が生まれるのは否定できません。

 これって、人種にも当てはまると思うのです。私はもちろん人種差別は大反対ですし、自分がされたらとても悲しいですが、同時に「人種差別反対」と言いながら「日本人とドイツ人は一緒だ」と言われたら素直に納得できないですし、その違いを楽しんでいる節もあります。
 違いを認める、と言えば響きは良いのかもしれませんが、仏教から派生した平等の概念で言えば、「違いを認識する、ことすらも捨て去る」わけですから、その境地は完全に無です。
 もはやポリティカル・コレクトネスという概念さえ「平等」の前には存在しません。

 それでも、やっぱりポリティカル・コレクトネスという概念は現代において非常に重要な役割を持っていると私は思っています。
 なぜなら世の中は仏教の「平等」が実現するような「何にも軸を置いていない状態」に耐えられないからです。
 多くの人にとって、最強のカオス状態である「無」は非常に恐ろしいものです。
 秩序を保たなければいけない世の中において、そしてルールが存在している世の中においてはPCのような概念をもって、徐々に無(平等)に近づいて行くことが大切なんじゃないかと思います。
 そんなこんなで「平等」の境地、考えると頭がグルグルしてきますがいつか辿り着いてみたいです。

(2015年10月16日「WSBI」より転載)


ハフポスト、2015年12月15日 02時38分 JST
ポリティカル・コレクトネスとは?「平等」の本当の意味が面白い
突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?

(藤沢祐子 wasabi、ブロガー、ライター、翻訳家)
https://www.huffingtonpost.jp/yuko-fujisawa/political-correctness_b_8802070.html

(*2)伊藤比呂美
ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください:
★ 2017年11月03日「詩人・伊藤比呂美」
★ 2017年11月03日「伊藤比呂美のくまもと」
★ 2017年11月03日「伊藤比呂美の介護」
★ 2017年11月04日「伊藤比呂美の人生相談」
★ 2017年11月11日「石垣りん」

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ステマって何?

 京都市が吉本興業所属の漫才コンビ「ミキ」にツイッターで施策を発信してもらうため、同社と100万円を支払う契約を結んでいたが、同市がこのほかにも同社所属のタレントのツイートに50万円を払う契約をしていたことがわかった。

 京都市によると、市が定めた3月の「伝統産業の日」をPRするため、昨年2018年1月に計216万円の業務委託契約を締結。
 同社のタレントが「きもので乾杯」というイベントに出席するなどとする内容で、20万人以上のフォロワー(登録者)を持つタレントによるツイートに50万円を支払うことも含まれていた。

 昨年2018年2〜3月、当時20万人以上のフォロワーがいた「ミキ」の亜生さんが「京都出身ということで、僕たちが京都市の伝統産業の日のPRをさせてもらうことになりました!」と投稿したほか、木村祐一さんが「『きもので乾杯』@北野天満宮」と投稿するなど、計5組がツイート。
 一連のツイートには「#伝統産業の日」といったハッシュタグはついていたが、市が広告主であることは明示されていなかった。

 市の施策に関するツイートを巡っては広告でありながらそれを隠す「ステルスマーケティング(ステマ)」との指摘もあるが、市の広報担当者は、
「ステマという認識はない。より多くの方に市政情報を知っていただくために実施したが、指摘を受け、今後はより分かりやすく効果的な広報を心がけていく」としている。

 ネット広告に詳しい板倉陽一郎弁護士(第二東京弁護士会)は、
「金銭の提供を受けながら明示していないため、ステマと指摘される恐れはある。PRであることを明記するだけでなく、誰のPRであるかも明らかにすべきだ」と指摘した。

 藤代裕之法政大准教授(ソーシャルメディア論)は、
「PRであると書いてあれば関係性が明らかになるため、ステマとはいえないのではないか」との見解を示した上で、ステマに明確な定義がないことが混乱を招いているとし、
「ステマを撲滅するためにも、金銭の提供がある場合、どう表記すべきか、実効性のあるルールづくりを急ぐべきだ」と語った。


[写真]
木村祐一さんのツイート

朝日新聞、2019年10月29日21時40分
ステマ?ツイート、木村祐一さんらも判明
吉本興業契約

(大貫聡子)
https://digital.asahi.com/articles/ASMBY636MMBYPTIL030.html

 京都市と吉本興業の契約に基づき同社所属の漫才コンビ「ミキ」が市の施策を投稿したツイッターについて、吉本興業が市関連のハッシュタグが明記されているとして、口コミを装ってPRする「ステルスマーケティング(ステマ)」に該当しないとする見解をまとめたことが2019年10月30日、関係者への取材で分かった。

 市と吉本興業は昨年2018年9月、総額420万円で京都国際映画祭などの宣伝事業を契約。
 ミキら所属芸人で「京都市盛り上げ隊」を結成しイベントや広報紙に登場し、ミキの2人が計100万円で施策をツイートした。


東京新聞、2019年10月30日 21時48分
吉本興業「ステマに該当せず」
京都市の施策PR投稿

(共同)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019103001002361.html

 2019年も残すところ2ヵ月を切ったが、今年何かと世間を騒がせているのが、吉本興業ホールディングスだ。
 
 お笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之ら複数の芸人による「闇営業」騒動に加えて、「チュートリアル」の徳井義実が約1億2000万円の申告漏れで活動自粛に追い込まれるなど、所属芸人による不祥事が相次いだ。

「どちらの騒動も、当該芸人のみならず、吉本サイドの対応にも世間から疑問の声が上がりました。『テープ撮ってへんやろな?』や『在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫』、『お前ら全員クビにするぞ』といった岡本(昭男)社長の“恫喝発言”しかり。最近の徳井さんの騒動でも、吉本サイドは当初、活動自粛の可能性は『全然ない』としていましたからね。反省よりも、ドル箱タレントを何とかして守ろうというビジネス優先の意思が見えみえで、世間の反感を買うことになりました」
(スポーツ紙デスク)
 
 そんな中、ここに来て注目を集めているのが、人気上昇中の兄弟コンビ「ミキ」による“ステマツイート疑惑騒動”だ。

「ミキ」が昨年2018年の10月に京都国際映画祭やふるさと納税、市営地下鉄の宣伝のため、広告であることを明示しない形でSNSのツイッターでツイート。
 その対価として、吉本興業が京都市から100万円を受け取ったことが、「ステルスマーケティング(=ステマ)」ではないかと指摘されている。

 他の芸能事務所のマネジャーは語る。

「『ミキ』にしてみれば、事務所の指示でツイートした可能性もあり、そうであれば人気に水を差された格好で可哀そうな部分もあります。吉本さんは『#京都市盛り上げ隊』といったハッシュタグを投稿につけていたことから、『プロモーション業務であるということは世間一般にご理解いただける』とステマには当たらないという見解を表明しています。でも、IT関連の識者も指摘しているように、著名人によるSNSを利用したステマに関しては風当たりも強く、脇が甘すぎると言わざるを得ません」
 
 そのうえで、
「それでなくても、吉本さんは最近不祥事続きで世間の風当たりも強い。加えて、過去に“ペニーオークション詐欺騒動”の際に『ピース』の綾部(祐二)さんが関わっていたことで、世間の批判を浴びていますしね」と業界内からも厳しい意見も多い。

 そして最近、こうした声に動揺した吉本サイドの“ある動き”が業界と話題となっている。
 民放テレビ局の番組スタッフは明かす。

「『ミキ』のステマ疑惑に関しては、一部のテレビ局の情報番組がニュースとして扱ったのですが、これに吉本サイドが激怒。吉本興業の幹部が自らアポなしである局に乗り込み、局上層部に『事実を確認せずに報じている』と抗議したそうです。そのことは局内外で話題になっています」
 
 逆風続きでピリピリしがちなのも分からないではないが、一連の騒動を見るにつけて、まずは他者への攻撃よりも、自浄作用を優先した方がいいのでは!?

※ 週刊朝日オンライン限定記事


[写真]
伝統産業の日をPRする問題の「ミキ」昴生さんのツイート

dot.asahi、2019.11.4 15:13
「ミキ」ステマ騒動で吉本幹部がテレビ局に抗議も?!
(立花茂)
https://dot.asahi.com/wa/2019110400007.html

 京都市が吉本興業所属の市出身の漫才コンビ「ミキ」による施策PRのツイッターに100万円を支払う契約を結んでいた問題で、口コミを装った広告「ステルスマーケティング(ステマ)」ではないかとの議論がわき起こった。
 京都市や吉本興業側は「ステマではない」との立場だが、識者からは広報の手法を疑問視する声が相次いだ。
 ツイッターなどSNSで影響力のある人物「インフルエンサー」を活用する宣伝が広がる中、識者は業界団体が作ったガイドラインの活用や、発信する側の倫理向上を呼び掛けている。

 問題となったミキのツイートは2018年10月、「京都最高ー♪みんなで京都を盛り上げましょう!!」などの内容で投稿された。
 市の説明では、タレントの発信力を生かした取り組みとして吉本側から提案があったという。
 文面は事前に市の担当者が確認していた。

 ツイートに「#京都市盛り上げ隊」「#京都市ふるさと納税」などのハッシュタグ(検索目印)はあったが、市が広告主とする記載はなかった。
 このためネットなどでは「ステマでは」との意見が相次ぎ、京都市には苦情の電話が相次いだ。

 口コミマーケティングに詳しいブロガーの徳力基彦さん(46)は、
「最大の問題は金銭が発生しているのにそれを開示しないことで、ミキの郷土愛と感じた情報の受け手が『だまされた』と思ってしまうこと」と指摘。
「明らかな宣伝なので市が広告主だと明記すべき。『違法ではないから良い』という考えは法的には間違いではないかもしれないが不適切」と話す。


 市市長公室の担当者は京都新聞社の取材に「市の発信だと分かってもらえると思っていたが、市民から『分からない』というご批判を多くいただいた。課題としてしっかりと受け止め、今後の広報に生かしていきたい」と話す。

 吉本は10月30日に見解を発表した。
「京都市との連携を示すタグ表示と活動の周知により、今回のツイートが市のためのプロモーション業務であるということは世間一般にご理解いただけるものと考えている」とし、ステマには当たらないと主張する。

 ステマは、やらせ業者の投稿でグルメ口コミサイトの順位が操作されたケースや、オークションサイトを巡ってタレントが謝礼を受け取って虚偽の内容でサイトを宣伝する記事をブログに掲載していたことで注目された。
 発覚すれば世間の批判が集まり「炎上」のリスクはあるものの、広告業界の関係者によると、依然としてステマが疑われるSNSの投稿は後を絶たないという。
 徳力さんは「内部告発でも無い限り、証明はできない」と根深さを語る。

 米国では「欺まん的行為」としてステマは法で規制されているが、日本では法整備はされていない。
 明確な基準はなく、グレーゾーンの領域が広いのが現状だ。


 業界内では健全化に向けた動きがある。

 大手広告代理店などが2009年に民間団体「WOMマーケティング協議会」を立ち上げ、「正しく情報を知る権利」の保護を目的にステマ対策のガイドラインを策定。
 ネットで公開して啓発活動を行っている。
 ポイントは、金銭や物品、サービスなどが広告主から情報発信者に提供された場合、その関係性を明示することを義務としたことだ。
 具体的にはハッシュタグに「PR」「プロモーション」などを付けることを求めている。
 だが、あくまで民間団体のガイドラインのため、会員以外は守る義務はない。

 同協議会の細川一成理事は、
ステマは消費者をだますだけではなく、企業や自治体のブランドを傷つけてインフルエンサーも信用を失う。ガイドラインを参考にして、より明確な関係性の表記をしてほしい」と訴えている。

※ 京都市の吉本興業タレントSNS発信問題

 京都市は吉本興業と2018年度、「京都国際映画祭」などのPRで、所属する有名タレントのSNS発信1回につき50万円を支払う業務委託契約を締結。これに基づき、市出身の漫才コンビ「ミキ」の2人がツイッターで市政に関わる内容をそれぞれ2回つぶやいた。市は2017年度にも、市の定める「伝統産業の日」に関連し、ミキら複数のタレントのSNS発信に対し、一括で50万円を吉本興業へ支払う契約を結んでいた。


[写真-1]
京都新聞社が京都市への情報公開請求で入手した吉本興業との委託契約書。所属タレントがSNSで発信する内容が盛り込まれている

[写真-2]
「ミキ」が発信していたツイートの一部。「#京都市盛り上げ隊」などの記述がある

京都新聞、2019年11月9日 10:30
ステマ?後絶たず、日本は法規制なし
漫才コンビツイート問題、問われる発信側倫理

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/65725

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2019年11月10日

「安倍晋三記念小学校」

「桜を見る会」が首相後援会の恒例行事に
https://www.youtube.com/watch?v=FqG_eybQ_ZE

 党派を超えて、数年に一度の素晴らしい質疑だったと思います。
 少し長いかもしれませんが、やり取りに引き込まれて、あっという間に感じます。
 多くの方にご覧いただきたいとお願いします。

「桜を見る会」安倍政権の私物化やめよ
https://www.youtube.com/watch?v=d_jNl_PisMo

 菅義偉・官房長官の記者会見をめぐる望月衣塑子・東京新聞記者の質問内容について、長谷川栄一内閣広報官ら首相官邸側が、東京新聞側に申し入れたのは合計9件だった。

 このうち、官邸が「事実誤認・事実に反する」などとしたのが5件あった。残りは、質問ではなく「意見」「要請」「個人的見解」との指摘で、それぞれ1件。そして、報道発表前の情報に質問のなかで触れたとして抗議したのが1件――という内訳だ。

 今回は「事実誤認だ」とする2018年3月2日の申し入れを取り上げたい。

「朝日新聞が誤りを認め、記事の内容を正した記事は書かれていない」――。

 東京新聞が2019年2月20日朝刊に掲載した特集記事「検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ」によると、同紙がそう記された文書を首相官邸から受け取ったのは、2018年3月2日だったという。

 前日(1日)午後の菅長官の記者会見。望月記者は、「森友学園」問題に関する朝日報道を批判する安倍晋三首相の国会答弁について質問をぶつけていた。
 首相の国会での答弁についてお聞きします。
 去年(2017年)11月に財務省の情報開示によって籠池前理事長がつくる学校が安倍記念小学校でなく、開成小学校であることがわかりました。
 これについて報道していた朝日新聞が修正記事を出しております。
 しかしながら、この報道が出ているにもかかわらず、1月、2月と計5回ですね、予算委員会の場で「間違いだ」とか、「裏取りがない」などと再三、安倍首相が発言されました。
 首相が国会の場で修正記事が出ているにもかかわらず、このように名指ししてですね、一社の批判を続けるのはかなり異例だと思うのですが、政府としてこの安倍首相の国会答弁に問題がないというお考えでしょうか

 これに対して、菅長官は「政府として答える話じゃないですけれども」としたうえで、「総理の言われた通りだと思います」と首相答弁の内容を支持しながら、朝日批判を繰り返す安倍首相の答弁姿勢の是非については、言及しなかった。

 望月記者は「(菅長官が)言われたとおりですけれども修正しているにもかかわらず、再三にわたって批判を続けることの問題をもう一度、政府に考えて頂きたいと思います」と注文を付けたのだった。

 望月記者の質問の背景にある出来事をさかのぼってみていきたい。

「虚偽答弁」を決して認めなかった財務省

「森友学園」問題は2017年10月の衆院選で自民党が圧勝し、同年11月には、会計検査院が大阪府豊中市の国有地売却をめぐって値引きの根拠となったごみ推計量について「十分な根拠が確認できない」とする検査結果をまとめたことで政治的には幕引きムードだった。

 しかし、年が明けると、2018年の通常国会(1月22日召集)での再燃を予感させる報道が開会直前に出た。

 毎日新聞が1月20日朝刊で財務省近畿財務局が森友学園との交渉について役所内部で検討した詳細な文書が存在することをスクープした。毎日からの「学園との面談・交渉に関する文書」として情報公開法に基づく請求に対して近畿財務局が開示したもので、近畿財務局が2016年年3月〜5月に作成した「照会票」と「相談記録」だ。

 そこには、森友学園側が小学校建設のために借りていた国有地から廃棄物が出たことで、安値での買い取りを近畿財務局に持ちかけていたことなどが記されていたのである。

 毎日が開示を受けたこれらの文書は会計検査院にさえ提出が遅れ、2017年11月23日の国会への検査報告の前日だったという。この後、財務省は五月雨式に関係する文書を開示していくのである。

 公文書だけでなく売却額を巡って森友学園側と近畿財務局職員が交わした会話の音声データの存在も明らかになっている。池田靖近畿財務局統括国有財産管理官(当時)が「1億3000万円」と言及し、森友学園側は「ゼロに近い形で払い下げを」と求めていた。2018年の国会で共産党は独自に入手したという別の音声データを元に「森友学園側は『1億5000万円かかる分、航空局からもらって、それより低い金額で買いたい』と発言している」などと追及した。

 財務省はそれまで交渉経緯を記載した文書はすでに廃棄し、価格交渉もしていないと答弁しており、文書や音声データの内容が事実だとすれば、財務省は虚偽の国会答弁をしていたことになる。佐川宣寿・財務省理財局長(当時)は、売却交渉の経緯を示す文書については「廃棄した」とし、金額のやりとりについても「(価格について)こちらから提示したことも、先方からいくらで買いたいといった希望があったこともない」と国会で答弁を繰り返していたからである。

 一連の文書について、麻生太郎財務相は「法的な論点について近畿財務局内で検討を行った法律相談の文書でありまして、いわゆる森友学園との交渉記録ではありません。(佐川氏の)虚偽答弁との指摘は当たらない」とし、太田充理財局長(同)は「買受け希望の金額を承るということはない」という答弁を繰り返し、虚偽答弁とは決して認めなかった。

 そもそもなぜ、財務省は自ら窮地に追い込まれかねないような文書の開示に踏み切ったのだろうか。

 森友学園の取材にかかわったある全国紙の記者が筆者にしてくれた解説がもっとも説得力があるように思えた。当時、財務省は市民からの告発を受けた大阪地検の捜査対象で、たくさんの資料を提出していた。財務省が隠しておきたかった文書が手を離れてしまった以上、裁判にでもなれば、いずれ公になることも予測される。

「財務省にとって佐川氏の国会答弁との整合性が取れそうなダメージの少ないものだけを開示したのだと思う」

 国会での追及は織り込み済みだというわけで、安倍首相の朝日批判もその戦略の一つだというのである。

 この点は最後に考えてみたい。話を元に戻す。

安倍首相の度重なる朝日新聞批判

「『安倍晋三記念小学校』との名で申請したと朝日新聞は報じ、民進党も、それを前提に国会で質問した。実際には『開成小学校』だった。裏付けを取らず、事実ではない報道をした」

 安倍首相は国会での野党の追及に正面から応えず、代わって持ち出したのが朝日新聞批判だったが、それは、望月記者が質問した2018年3月1日までに▽1月29日衆院予算委員会▽1月31日参院予算委員会▽2月1日参院予算委員会▽2月5日衆院予算委員会▽2月13日衆院予算委員会――の5回にも上った。例えば、次のようにだ。
 私は自分の名前を冠した学校をつくるというつもりはございませんので、はっきりとお断りをしていました。
 そこで、これ朝日新聞の報道でございますが、籠池さんは安倍晋三記念小学校という名前で申請をしたと、こう言ったわけでありまして、事実かのごとくこれ報道されてありました。
 この国会においても民進党の方がそれを事実と前提に私に質問をし、だから忖度されたんだろうということであったわけでありますが、実際は開成小学校という名前でございました。
 ご本人(籠池氏)は当然、原本のコピーは当然持っておられるはずでありますから、(朝日新聞は)それに当たるべきであった。
 また、当然、だから恐らくご本人はそうではないことを知っていてそうおっしゃったんだろうと。朝日新聞の方も裏を取らずに事実かのごとくに報道したということは間違いないんだろうということでございます。
(1月31日)

 安倍晋三記念小学校という、これは全く違ったわけであります。
 しかし、これを訂正もしていないわけでありますから、まさに国民の間にそういう安倍晋三記念小学校だったということが浸透している。
 しかし、実際は開成小学校だった。
 そして、(朝日新聞は後述する)検証記事を書いた。
 検証記事を書いたにもかかわらず、これは籠池さんが言ったから、それはそのまま書いたということしか書いていない。
 自分たちが記者として最低限果たすべき裏づけをとらなかったということについては全く言及がないということについては、これで私はあきれたわけであります
(2月13日)

 安倍首相の批判の矢面に立たされた朝日新聞は、2月6日朝刊で「朝日新聞の報道経緯は」という検証記事を掲載し、批判に答えている。2017年5月9日朝刊での報道当時、財務省は森友学園が近畿財務局に提出した設置趣意書を非公開扱いし、説明も拒んだため、籠池氏に独自に確認して、「証言した」という形で報じたという経緯を明かした。

 望月記者の指摘に対して、菅長官がもう一度考えた結果が、東京新聞への抗議の申し入れというのだから穏やかではない。

 安倍首相と朝日新聞の間でいったい何が起こったのだろうか。

「安倍晋三記念小学校」の爆弾質問

 そもそも「森友学園」問題は、朝日新聞が2017年2月9日朝刊で報じた「金額非公表 近隣の一割か 大阪の国有地 学校法人に売却」(東京本社版では第二社会面で三段見出しの地味な扱いだった)との記事をきっかけに浮上した。

 その焦点の一つは、安倍首相の妻・昭恵氏が2017年4月の開校を目指した「瑞穂の國記念小学院」の名誉校長に就任していたり、寄付金集めのための「払込取扱票」の通信欄に「安倍晋三記念小学校」と印刷してあったりすることが発覚するなど、安倍首相側との距離を縮めようとする森友学園の要望に沿う形で8億2000万円(評価額は9億5600万円)もの値引きをした大阪府豊中市の国有地売却をめぐる安倍首相側の関与だった。

「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」

 安倍首相は2017年2月17日の衆院予算委員会でそう豪語したのだから自ら政治問題に引き上げたようなものだった。

 安倍首相側の関与を示す傍証の一つとして疑われたのが、森友学園が近畿財務局に提出した設置趣旨書に記載された学校名だった。ところが財務省は当初、この校名や本文の部分を黒塗りにして、非公開扱いとし、国会議員の開示請求に対しても明かさなかった。

 この疑惑を国会で取り上げたのが、民進党の福島伸享氏(2017年10月の衆院選で落選)で、2017年5月8日の衆院予算委員会で追及したのだった。
 平成25年(2013年)9月2日に森友学園から近畿財務局に出された取得等要望書。
 財務省に出してもらったんですけれども真っ黒、黒塗り。
 籠池さんはもう、民事再生までやって、学校設置の認可も取り消されて、失うものは何もないんですよ。
(森友学園側は)学校設置の認可が取り消されたわけですから、秘密に当たらないですから開示していいですよという承認ももらって、財務省にもそのことを伝えております。
 設置趣意書の黒塗りのところ、一体これはどう書いてあったんでしょうか

 ところが、佐川宣寿・財務省理財局長の答弁はゼロ回答だった。次の3点を理由にあげた。
@ 学校法人として存続していることを踏まえれば、当該情報は不開示情報に該当すると考えられる
A 民事再生手続が開始されている。法令上、業務の遂行並びに財産の管理及び処分をする権利は管財人に専属している
B 仮に開示する場合でも、改めて財務省から先方に確認の上、対応していく必要がある

 福島氏は、この日、国会で傍聴している籠池泰典・元理事長の開示の同意書も得るなど周到な準備をした上で臨んだ質問だった。佐川局長の答弁には納得するはずもない。

 福島氏は「何で設立趣意書の趣意の部分が開示できないんですか。何で設立趣意書のタイトルすら開示できないんですか。ちゃんちゃらおかしいと思いますよ」と前置きしたうえでたたみかけた。
 なぜそれを聞くかというと、これは何と書いてあったかというと、籠池前理事長の記憶では、安倍晋三記念小学院の設置趣意書だったからなんですよ。
 それを出したくないから黒塗りにしたんじゃないですか。
 そもそも、最初の設立趣意書がその名前だったからこそ、さまざまな忖度がなされ、特例措置が講じられることになったんじゃないですか。

 一種の爆弾質問である。

 これに対して、佐川理財局長は「タイトルを含めて一体としてこの学校の経営方針ということでございますので、不開示情報としている」と答弁している。当時、森友学園は約28億円の負債を抱え経営は行き詰まっていた。大阪地裁は17年4月28日に民事再生手続きの開始を決定し、森友学園は確かに管財人の管理下にあった。

 しかし、佐川氏による答弁は、かえって福島氏の疑念を深めさせた。福島氏は「まさに安倍晋三という名前がこの特例を得るためのノウハウになっているから示せないということを言っているだけじゃないですか。何でそこまで忖度するんですか」と憤りをみせていた。

 設置趣意書の表題に「安倍晋三記念小学校」との記載があるのが事実なら、大きなニュースである。

東京新聞に申し入れた首相官邸の方こそ事実誤認

 朝日新聞は、翌5月9日付朝刊一面で、籠池・元理事長に前夜(8日)に直接インタビューし、その内容を一面(安倍昭恵氏の両脇に籠池夫妻が並んだ写真を掲載)と第二社会面で伝えた。
−−近畿財務局に設立趣意書を提出する際にはどういう表記をしたのか
「安倍晋三記念小学校と表記をしていましたね」
(第二社会面の「籠池氏との主なやりとり」から抜粋)

 ただ、朝日記者も原本や写しの入手はできなかったようだ。記事は証言を元にしたもので、一面、第二社会面のいずれにも、見出しにはなっていなかった。籠池氏が当時、所持していた書類の中に設立趣意書の原本や写しはなかったらしい。

 財務省が半年も経った2017年11月22日になって立憲民主党、24日には神戸市の大学教授らに対し黒塗りされていない趣意書の全文を開示したことで、正しくは「開成小学校」だったことが分かった。

 籠池氏が朝日新聞記者にした証言は、真実ではなかった。朝日は2017年11月25日朝刊三面で「森友の設置趣意書を開示 小学校名は『開成小学校』 財務省」と修正する記事を掲載し、「校名などが当初、黒塗りになっていたため、朝日新聞は籠池氏への取材に基づいて、籠池氏が『安倍晋三記念小学校』の校名を記した趣意書を財務省近畿財務局に出したと明らかにした、と5月9日付朝刊で報じた」と書いた。

 望月記者が記者会見で「朝日新聞が修正記事を出しております」とした記事はこれを指す。

 安倍首相は、森友学園問題の追及を受けるたびに朝日の「誤報」を国会であげつらってはいるが、先に記した「払込取扱票」には「安倍晋三記念小学校」と印刷されていただけでなく、2018年5月に財務省が公表した土地の売却に関する資料の中からは、森友学園側が2014年3月4日、小学校の認可申請先だった大阪府に対して校名を「安倍晋三記念小学校」と説明していたことを示す記載が見つかっている。

 共同通信は2017年3月1日に「府私学課によると、2013年ごろ、森友学園の籠池泰典理事長から『豊中市の国有地を取得して小学校を建てたい。安倍晋三記念小学校という校名を考えている』と認可申請の方法について問い合わせがあった」との記事を配信していた。

 また、朝日の初報(2017年2月)後に野党が行ったヒアリングに対して、大阪府は森友学園側の構想に苦慮したことを明かしていたという。

 こうした別の証拠からも籠池氏自身が「安倍晋三記念小学校」という校名に強いこだわりを抱いていたことははっきりしているし、財務省も認識していたことは、財務省の保有する一連の資料からも明らかだった。言ってみれば、設立趣意書には記載されていなかった――ということにすぎない。

 森友学園は2017年4月28日に民事再生手続きが決定し、業務の遂行や財産の管理、処分をする権利は管財人に専属することになった。安倍首相は「原本のコピーに当たるべきだった」と朝日記者に取材のわざわざ”アドバイス”をしているが、そもそもは非公開とした政府の決定が問題なのではないか。

 繰り返しになるが、朝日が2017年11月25日に修正する記事を掲載し、2018年2月6日には取材経緯も明かしたのである。東京新聞に申し入れた首相官邸の方こそ事実認識に誤りがあることは、もはやだれの目にも明らかだろう。

 東京新聞は2018年3月6日、首相官邸に対して、「朝日新聞の17年5月の記事は学園前理事長の証言として名称を『安倍晋三記念小学校』としていたが、17年11月の記事で『開成小学校』と修正している」とする回答を出したという。

 首相官邸が東京新聞に申し入れた2018年3月2日は、奇しくも朝日新聞が朝刊で「森友文書 書き換えの疑い 財務省、問題発覚後か 交渉経緯など複数箇所」とする記事を一面トップで報道した日だった。政権を揺るがす大スクープのさなかで、安倍首相の威勢の良い朝日批判はどこかに行ってしまった。

 このため、官邸は、安倍首相に教えてあげる機会を逸してしまったのだろうか。1年4カ月たった後も安倍首相は同じ批判を繰り返していた。

 2019年7月3日、日本記者クラブ(東京・内幸町)であった参院選(4日公示・21日投開票)を前にした、与野党の7党首による討論会。安倍首相(自民党総裁)は朝日記者からの「森友学園問題、加計学園問題はもう終わったと認識しているか」との質問に「朝日新聞は『安倍晋三(記念)小学校』があったという記事を書いたが、訂正していない。自分たちが間違えたことは全く関係ないという姿勢はおかしい」などと述べていた。

朝日新聞「記事取り消し」の後遺症

 なぜ安倍首相はこれほどまでに朝日の報道にこだわり続けるのだろうか。そこには安倍首相らのある成功体験の影響があるのではないだろうか。

 それは2014年8月に朝日新聞が行った「慰安婦」をめぐる報道の一部記事の取り消しである。

 朝日新聞は同年8月5日朝刊で、韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたとする吉田清治氏(故人)の証言(吉田証言)を紹介した記事を取り消した。この取り消しのもたらした影響は極めて大きかった。

 愛知県で開かれた「あいちトリエンナーレ2019」(8月1日〜10月14日)の企画展の一つ、「表現の不自由展・その後」。「慰安婦」を象徴した「平和の少女像」の展示に異を唱えた河村たかし氏は筆者の取材に対して「朝日新聞が記事を取り消したようにそもそも間違えとった可能性があるわけ。私も国会議員時代にワシントン・ポストに40人ぐらい名前連ねて、強制連行の証拠はないんだと(いう記事を載せた)」と口にした。

 このように、吉田証言を朝日が取り消したというたった1点で、あたかも「慰安婦」に対する戦後補償の問題がそもそも存在しないかのような言説を信じる人がネットを通じて広がったことだ。

 米ワシントン・ポスト紙に載った意見広告の内容については、吉見義明氏の「日本軍『慰安婦』制度とは何か」(岩波ブックレット)など研究者らから有力な反論がなされているので詳細はそちらに譲るが、安倍首相をはじめとするこうした歴史観に共鳴する人にとっては、朝日を狙い撃ちにした「慰安婦」報道攻撃は、大きな戦果を上げた成功体験だったに違いない。

 2017年10月の衆院選(10日公示・22日投開票)のさなかに「約束の日 安倍晋三試論」の著者・小川栄太郎氏による「徹底検証 『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」という安倍首相を援護射撃するような本も出版された。

「安倍首相による朝日バッシングは、『吉田証言』をめぐる朝日の『慰安婦』報道批判と似ている。安倍首相は、籠池氏の証言を報じた朝日の報道が誤りだったことを強調し続けることで、森友学園問題そのものが実は存在しないのだという構図を演出し、国会を乗り切ろうとしたのではないか」

 ある朝日関係者はそう明かしていた。

「名指しで一社の批判を続けるのはかなり異例だと思う」

 望月記者の質問からは、さまざまな安倍政権の思惑が浮かび上がってくるのである。

※「望月衣塑子の質問(6)」につづく


[写真-1]
「安倍首相の記者会見の回数は民主党政権時代に比べて激減している。番記者でさえ1問か2問。私が安倍首相に聞けることはまずない」。望月衣塑子記者は講演会でそう語っていた=東京都文京区で2019年9月22日

[写真-2]
佐川宣寿・元財務省理財局長

[写真-3]
野党の質問に答弁する安倍晋三首相=2018年1月31日

[写真-4]
「安倍晋三記念小学校と表記をしていましたね」。籠池泰典氏のインタビューを掲載する朝日新聞の2017年5月9日朝刊の記事(右)と、校名は「開成小学校」だったと報じた同年11月25日朝刊の記事(左)

[写真-5]
「いま、なぜ私が良くも悪くも浮いてしまっているのか。森ワールドを通して社会、政治状況があぶり出たのではないか」。望月衣塑子記者(中央)は「i-新聞記者ドキュメント-」(2019年11月15日公開)試写会でそう語った。森達也監督(左)とエグゼクティブ・プロデューサーの河村光庸氏(右)=東京都千代田区で2019年10月23日

朝日新聞・論座、2019年11月10日
望月衣塑子の質問(5)
安倍首相の朝日バッシング
「名指しで一社の批判を続けるのはかなり異例だ」が投げかける諸問題

臺宏士(フリーランス・ライター)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019110600004.html

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国立天文台、軍事研究検討

 これまで「非軍事」に限るとしてきた日本の宇宙開発を、軍事利用にも拡大する― そんな動きが、自民党と財界を中心に加速しています。
 宇宙科学の研究者から、平和の流れへの逆行を心配する声とともに、「日本の宇宙開発にたいする国際的な信頼が失われる」「自由な研究活動ができなくなる」との指摘があがっています。

◇ 次期国会に「基本法案」

 宇宙の軍事利用に道を開く「宇宙基本法案」(仮称)の骨子を夏までにまとめた自民党は2006年10月、「宇宙開発促進特命委員会」(委員長・額賀福志郎前防衛庁長官)を立ち上げて本格的な検討作業に入りました。
 11月には公明党と共同のプロジェクトチームを設置。
 年明けの次期通常国会にも、議員立法で法案提出を狙う模様です。

 日本の宇宙開発を平和利用に限定することは、1969年の国会決議において全会一致で確認されています。
 政府としてこれまで「平和利用」とは「非軍事」と国会答弁してきました。

 今回の動きは、平和利用の解釈を変更して「非軍事」の制約を取り払い、「非侵略」であれば軍事利用も可能とする狙いです。
 軍事目的をもつ情報収集衛星の高性能化、弾道ミサイル発射探知のための早期警戒衛星の導入など、自衛隊による独自の軍事衛星の開発に道を開くことになります。

◇ 「機密の壁」に懸念の声

 宇宙科学分野への影響が懸念されています。

「学問は、公開の原則があってはじめて研究者が育成される」と、軍事利用による機密性との矛盾を指摘するのは、国立天文台で電波天文学の研究をする石附(いしづき)澄夫さんです。
「日本の宇宙科学は、軍事から切り離され、科学者・技術者集団の自発的な意思に支えられて、大きな成果をあげてきた」といいます。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の関係者は「軍事分野では、どうしても秘密主義がでてくる。実際、情報収集衛星に誰がかかわっているのかは、JAXA内部でも一部の人間以外は知らされていない」といいます。
「安全性にかかわる技術交流が妨げられたり、論文発表が自由にできなくなる。そうなれば、科学者にとっても社会全体にとっても、大きな損失だ」と指摘します。

 また、軍事予算が増える分、平和利用の宇宙科学予算が減らされる可能性も大きいといいます。

 石附さんは「日本の平和主義は世界に誇るモデルとして堅持すべきだ。今回の動きに、科学者としてほおかむりできない」と話しています。

科学の発展 平和でこそ

◇ 吉井英勝衆院議員にきく

― 今回の動きの背景をどうみていますか。

 宇宙を軍事に活用したい自民党の防衛族議員と、多額の開発費には国費を使い、衛星やロケットの打ち上げの受注量を増やしたい航空宇宙産業界の思惑が一致したものです。
 防衛族は、専用の衛星通信システムや対衛星攻撃機、戦場気象衛星なども視野に入れて検討しているようです。
 また今回の動きは、防衛省昇格や憲法九条改悪などの一連の動きの一コマです。日米の軍事協力を強めたい米国の要求も背景にあります。
 一方業界は、緊縮財政で宇宙開発予算が減ってきたことに危機感を抱いています。「非軍事」の枠内では売り上げが伸びないとして、日本経団連などが何度も要望を出してきました。

― 軍事機密の拡大を心配する声があがっています。

 現在でも、情報収集衛星については「機密」を理由に情報が非公開にされています。国会議員の私でさえ、関連施設への立ち入りを拒否されました。衛星の製造を受注した三菱電機は受注したことさえ認めていません。
 これまでに防衛庁の装備品水増し請求事件や官製談合事件が繰り返されてきましたが、軍事機密の壁に隠れてますます不正がはびこる可能性があります。

― この動きを阻止するために何が必要ですか。

 宇宙分野に限らず、戦後の日本の科学技術は、憲法九条にもとづいて平和目的に限定し、原子力基本法に定めた「自主・民主・公開」の三原則を守って進めてきました。軍事機密の制約を受けないで、民生用機器として開発・普及が進み、コストダウンに成功して、それが新たな科学技術の発展につながりました。

 国民の多数は、平和を求めています。科学技術を平和利用に限るべきだという考え方は多くの日本の科学者に支持されています。こうした願いと連携して、宇宙の軍事利用への危険な道をくい止めるために、国会でも力を尽くします。

※ 宇宙基本法案 自民党が「戦略的な宇宙開発の推進をめざす」として5月末までに基本方針をまとめました。法案の「骨子」では、宇宙開発の基本理念として、「安全保障への寄与」と「産業の振興への寄与」を掲げています。


しんぶん赤旗、2006年12月28日(木)
宇宙の軍事利用 急加速
「非軍事」取り払い 自公・財界狙う

(中村秀生)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-12-28/2006122803_01_0.html

「東京大学の軍事研究禁止の原則を再確認しよう!」昼休み集会に参加された皆様に心より敬意を表します。

 いつの時代においても最先端の学術研究の成果が軍事転用という負の側面を持ちうることは残念なことではありますが、軍事応用を主たる目的とする軍事研究は、公開性・自主性に支えられ人類全体の幸福に資することを基とする学術研究とは対極にあると考えるべきです。

 私たちが勤務する国立天文台では、1988年7 月の発足に際して「国立天文台の発足に当たっての声明」を出し、「私たちの決意」のなかで「国立天文台は、いっさいの軍事研究に協力してはなりません。私たちは、あらゆる軍との協力・共同研究を行わず、武器の開発を直接の目標としたプロジェクトへは参加しません」と明確に述べています。

 天文学の分野では、1980 年代に米国が推進した宇宙空間での SDI(戦略防衛構想)に日本の天文学研究者が巻き込まれそうになる危機がありました。

 このため電波天文学の研究者が中心となって「SDI に反対する天文学研究者の会」が結成され、この会と天文台職員組合が共同でシンポジウムを開催するなどして、反対運動を関連の研究者に呼びかけました。

 すると、彗星などを探索しているアマチュアの天文研究者も独自の反対署名を開始し、反対運動は全国に広がりました。

 こうして、日本から SDI に協力する研究者を出すことはありませんでした。

 1993年の SDI 計画中止を受けてこの反対運動自体は終結しましたが、1993年4月に野辺山宇宙電波観測所が観測装置共同利用における軍事研究排除の方針を明らかにして研究成果の公開を条件として求めるなど、現在も国立天文台は軍事研究と一線を画しています。

 戦後70年を迎えるにあたり、東京大学職員組合が東京大学の軍事研究禁止の原則の再確認を呼びかけたのは時宜を得た取り組みだといえます。

 軍事研究は「戦争ができる国」への第一歩です。

 公開性・自主性に支えられ人類全体の幸福に資する学術の発展のため、そして平和を貫くため、共に頑張りましょう。


2015年5月20日
国立天文台職員組合 執行委員長 阪本成一
http://tousyoku.org/wp/wp-content/uploads/2015/05/3679ab7b53c29df3bb92eaa6e531128f.pdf

 軍事技術に応用可能な基礎研究を助成する防衛省の制度が使えるよう、国立天文台(東京都三鷹市、常田佐久台長)が方針転換を検討していることがわかった。
 天文台内では3年前、この制度に応募しないと決めていた。
 所属する研究者からは「突然で十分な説明がない」と反発もある。
 すばる望遠鏡など先端施設をもち、日本の天文学の中核を担う国立天文台が方針を転換すれば、学術界への影響は大きい。

 この制度は「安全保障技術研究推進制度」。
 防衛装備品や兵器開発につながる研究を進めるため、防衛省が2015年度から始めた。
 昨年度の公募テーマの一つに、物体を観測する技術を挙げ、その研究例として国立天文台のすばる望遠鏡を名指しで挙げている。

 これに対し、同天文台内では「政府の介入が大きい」など問題点を指摘する声が相次ぎ、2016年に教授会議で「安全保障技術研究推進制度もしくはそれに類する制度に応募しない」と決めた。

 ところが天文台執行部は今年2019年7月の教授会議で、方針の改定案を提出した。
 案は、2016年の取り決めから、同制度もしくは類する制度に応募しないとの部分を削除し、研究成果を自由に公開できるなどの条件を満たせば応募できるとする内容。
「軍事利用を直接目的とする研究は行わない」などの部分は残した。

 会議資料によれば、執行部側は、防衛省の制度には成果を自由に発表できるなど、国の他の研究助成と同等の自由度があると訴えた。
 賛否両論で会議はまとまらなかった。

 これを受け天文台の職員組合などからは、慎重な議論を求める申し入れや、改定案の撤回を求める意見書などが執行部に出された。
 結論は出ていない。

 同制度に関しては2017年、国内の科学者でつくる日本学術会議も、戦争に協力した過去の反省から「軍事研究は行わない」とした過去の声明を踏襲すると発表している。
 京都大や名古屋大なども軍事研究を禁止する方針を定めてきた。
 日本天文学会も今年2019年3月に「安全や平和を脅かすことにつながる研究はしない」との声明を出したばかり。

 改定案を出した理由について常田台長は、予算が厳しいとした上で「経費削減には限界がある。研究費を増やすため外部資金を多様にしないと次世代につながる研究ができない。(防衛省の)制度は一つのオプションとして議論したい」と説明した。

※ 国立天文台
 日本の天文学の中枢を担う研究機関。1988年、東京大学東京天文台、緯度観測所、名古屋大学空電研究所の一部が合併して発足。2004年から大学共同利用機関法人になった。米ハワイ島にある世界最大級の口径8.2メートルの「すばる望遠鏡」や、南米チリでの国際計画「アルマ望遠鏡」の建設や運用などに携わる。本年度の予算は約156億円、職員数は540人(4月1日現在)。


[写真]
米ハワイ島にあるすばる望遠鏡

東京新聞・朝刊、2019年9月10日
「防衛省助成に応募しない」一転
国立天文台、軍事研究容認も

(三輪喜人)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019091002000144.html

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2019年11月09日

千葉明鐘岬の崖崩れ

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をお読みください。

★ 2014年11月01日「ふしぎな岬の物語」
★ 2015年01月20日「音楽と珈琲の店 岬」
★ 2015年01月22日「脚本家 青島武」 

Kaori Muraji - The theme of Cape Nostalgia / ふしぎな岬の物語のテーマ曲
https://www.youtube.com/watch?v=IMui_SbXkKI

『ふしぎな岬の物語』映画オリジナル予告編
https://www.youtube.com/watch?v=o_vy9nXn4qc

 モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞した、吉永小百合さん主演の『ふしぎな岬の物語』は鋸南町に実在するカフェを舞台に、房総半島の美しい景観が登場し、多数の地元住民がエキストラ出演するなど、千葉の魅力が詰まった作品だ。
 吉報に地元や関係者には祝福と期待が広がった。

 映画の舞台「岬カフェ」のモデルは、海の向こうに富士山を望む鋸南町元名の明鐘岬(みょうがねみさき)の突端にある、1978年創業の老舗喫茶店「岬」(玉木節子さん経営)。

 映画では、カフェ店主の柏木悦子(吉永小百合)、おいの柏木浩司(阿部寛)、常連客の娘の竜崎みどり(竹内結子)、不動産屋で悦子や浩司を見守ってきたタニさん(笑福亭鶴瓶)らの人間模様が描かれ、「昔懐かしい、温かいほわほわした雰囲気」(成島監督)の作品という。

 同町ほか、館山ファミリーパーク、いすみ鉄道上総中野駅、勝浦漁港など房総半島の美しい景観がロケ地となった。
 3月には沿岸捕鯨基地でもある南房総市・和田漁港で、鯨の祭りシーンが撮影され、エキストラの地元の小学生、住民らが法被姿で俳優陣と“共演”を果たした。

 吉永さん演じる女店主のモデルとなった玉木さんは2014年9月2日、「知人からの祝福の電話が鳴りっぱなし」とうれしい悲鳴を上げた。

 もともと、両親が営んでいた食堂があった場所。
 3年前の1月には火事で全焼したが、常連客の家具職人の協力でその年の12月には再開。
 鋸山の湧き水でいれるコーヒーと音楽、海の眺望が自慢で、「眺めや音楽で日頃の嫌なことを洗い流していってほしいと思っている」。

 受賞には「一滴の無駄もない素晴らしい出来だったから納得。成島監督や吉永さんに『ありがとう』と伝えたい」と感謝した。

 原作「虹の岬の喫茶店」(幻冬舎文庫)の作者、森沢明夫さん(44)は船橋市出身・在住で、高倉健さん主演の映画「あなたへ」の小説版などを手がける注目の作家。
「岬カフェ」には「日本中の海岸線を旅し、エッセーを書いていた時に出会い、富士山も望むことができ、最高のコーヒーを味わったことが忘れられず、ここを風景に作品を作ってみようと思った」という。
 吉報はメールで知り「県内の美しい風景や、温かい人間模様が詰まった作品。それが海外でも評価され、県民としてとても喜ばしい」と話した。

 映画に出演し、江戸時代から鋸南町に伝わる鯨唄を披露した鯨唄愛好会の舟宝(ふなとみ)康行会長(66)は「受賞は素晴らしいこと。鯨唄や鋸南町を多くの人に知ってもらうきっかけになればうれしい。映画のため半年間練習を続けてきたメンバーと映画を見に行きたい」と話した。

 また白石治和・鋸南町長(67)は「町を舞台に撮影された映画が世界的な賞を受賞されたことは町にとっても名誉なこと。『岬』はロマンあふれる場所であり、多くの方が訪れて、都会と町を、人と人を結びつけてくれることを期待する」とコメントした。

 3月に撮影現場を激励に訪れ、45年ぶりに吉永さんと再会し感謝の花束を手渡した森田健作知事は2日、「本県にゆかりが深い映画が国際的な映画祭で受賞したことは大変うれしく思う。映画を通じ、千葉県の魅力が多くの方に伝わることを願っている」とお祝いのコメントを寄せた。


[写真-1]
エキストラとして出演した地元住民と写真に納まる吉永さん(中央)ら=今年2014年3月、南房総市和田町

[写真-2]
「海の眺めが一番のごちそう」と話す玉木さん=2014年9月2日午後、鋸南町の喫茶店「岬」

千葉日報、2014年9月3日 05:00
『ふしぎな岬の物語』
快挙に沸くモデルの地
モントリオール映画祭特別GP

https://www.chibanippo.co.jp/news/local/212057

 千葉県富津市と安房郡鋸南町との境にある「明鐘岬(みょうがねみさき)」は鋸山が東京湾に落ち込む位置にある小さな岬で、その岬の上には2014年封切の吉永小百合主演東映映画『ふしぎな岬の物語』の舞台になった小じんまりとした「音楽と珈琲の店・岬」がある。
 この店はそれ以来多くのファンや関係者が訪れる「名店」になっている。
 南房総に撮影にでかけた時に駐車場が空いていれば何度か立ち寄ったことがある。

 今回は駐車場に入ってすぐに「がけ崩れのため危険」の立て札を見てびっくりし、店のほうに近寄ると店の前のそそり立つ岬の断崖が大きく崩れ落ちて建物に迫っていた。
 以前はベランダ前を車も通れるほどのゆとりがあったがそれどころではなかった。
 あとほんの数メートル崖が崩れていたら・・・。
 幸いこの日は営業中で店に入って事情を聞いてみると、去る2017年10月23日の台風21号直撃の大波でがけ崩れが発生したということだった。

 いつものようにおいしい珈琲とケーキをいただいた後、がけ崩れの様子を見るために回り道をして海辺に下りてみた。
 見上げると写真のようなおそろしい眺めで、建物の上には鋸山の崖が迫り、道路を挟んで立っている店は崩れた崖上ぎりぎりの位置に見える。
 このままではいつどうなるかわからないきびしい状態だということが一目でわかる。
 車両も入りにくい海辺のがけ崩れの修復工事は早急にできるのだろうか。
 一日も早く工事が始まるのを期待するしかない。


[写真-1]
2017.11.19 撮影

[写真-2]
2015.6.20 撮影

たびびとの写真帖 --小さな旅の思い出写真集--、2017年11月24日
「ふしぎな岬」の台風被害
https://blog.goo.ne.jp/knbk_photo/e/00175c6b3b5d6b6da991b07e91706476

 台風15号で停電や断水に見舞われた千葉県南部の鋸南町(きょなんまち)では通信網に大きな障害が生じ、県の被害把握が大幅に遅れた。
 被害をいち早く伝えたのは、町にゆかりのある人たちのツイッターで、同町議(共産)の笹生(さそう)あすかさん(38)=同町吉浜=もその一人だ。
 被害現場の画像も交えて支援を呼び掛け、町の危機的状況を内外に発信した。
 町の復興は遅れており、「正確な情報発信を心掛けたい」と、言葉に力を込める。 
 #鋸南町 大変なことに。木は倒れ、屋根は飛び、壁ははがれ、崩れているお家もたくさんあります。…(中略)…ふるさとの変わりように涙止まらず。車もアウト。でも、負けられない

 台風15号が通過した9日。
 午後6時少し前に笹生さんがツイートした内容だ。
 自宅の二階窓ガラスが割れ、室内に暴風雨が吹き込んだ。
 家族にけがはなかったが、自宅で寝たきりの父の介護、母や妹との今後の生活を考えると不安が募った。
 何より、テレビも加入電話もつながらないことに恐怖が募った。

 携帯電話の電波は、辛うじて通じていた。
 変わり果てた町の姿を「一刻も早く外に伝えたい」。
 ダイレクトメッセージを交換し合う那覇市在住の知人から「ツイッターで情報発信したらどうか。それがあなたの使命」と励まされ、町の現状を発信することにした。

 つぶれた家屋、がれきであふれた漁港、吹き飛ばされたビニールハウス…。
 こうした光景を、時には涙ながらに、写真や動画で撮影。
 それらを添付してツイートすると「情報拡散に協力します」「電気が届いていない中、発信してくれてありがとう」と応援ツイートが寄せられた。

 中には「親と連絡が取れない」と相談を受けることも。
 今年2019年3月に始めたツイッターのフォロワー数は、台風直撃前は300だったが、今は1500を超えた。
 鋸南町は公式ツイッターがなく、笹生さんのツイートが、多くの人の情報源にもなっている。

 大規模停電が発生した9日から一週間を経過したが、町の復興は遅々として進んでいない。
 18日は断続的に雨が降った。
 多くの民家がブルーシートで屋根を覆っているが、雨漏りの懸念は尽きない。
 災害ごみが町内の仮置き場に次々と運び込まれ、爪痕の大きさをうかがわせる。
 笹生さんは一日も早い復興を願い、情報発信を続ける。


[写真]
雨の中、仮置き場に運び込まれた災害ごみ。町の復興は遅々として進まない=18日午前、千葉県鋸南町保田の保健福祉総合センター駐車場で

東京新聞・朝刊、2019年9月19日
千葉南部の惨状ツイート
鋸南町議、台風直後から

(山田雄一郎)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019091902000166.html

吉永小百合さん主演映画の舞台 千葉明鐘岬
台風で崖崩れ放置2年 復旧求め署名2836人分
老舗コーヒー店主ら国に要望

 俳優の吉永小百合さん企画・主演の映画『ふしぎな岬の物語』の舞台となった店の前の崖が崩れ、放置されている問題で、店主らが2019年11月6日、国土交通省に署名を提出しました。
 日本共産党の畑野君枝衆院議員、さいとう和子衆院南関東比例候補、みわ由美千葉県議、日本共産党の志位和夫委員長秘書が同席しました。

 2017年10月の台風21号による高波で、鋸南町と富津市の境にある明鐘(みょうがね)岬の崖が崩れました。
 岬に立つ「音楽と聊琲の店岬」は、敷地とテラス席の一部が利用できないまま営業を続けています。
 今も崩れた崖の復旧がされていません。

 署名は、開店以来40年にわたり愛されてきた店と周辺地域などの安全確保を求める、吉永さんをはじめ常連客など全国から2836人分が集まりました。
 店主の玉木節子さんらは「県はこれまでパトロールのみで、危険な状況は変わっていない。個人で直せる規模ではない。せめてこれ以上の崖崩れを防ぐための対策を急いでほしい」と求めました。

 畑野氏は「2年間進展がない。早く決断を」と迫りました。
 国交省担当者は「県と調整を続けている。協議を進め県への補助など検討する」と答えました。


日本共産党みわ由美事務所、2019年11月8日
千葉明鐘岬の崖崩れ
国土交通省に早期対策を求める署名提出

http://miwa-3838.jp/html/menu1/2019/20191108135405.html

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深まるばかりのこの国の病理

「責任を痛感」参院でも繰り返し

「壊れたテープレコーダーのように、同じことを繰り返す」――。
 2019年11月8日の参院予算委員会の集中審議で、立憲民主党の福山哲郎幹事長が安倍晋三首相の答弁スタイルをこう表現した。
 福山氏が閣僚の連続辞任をめぐり角度を変えながら追及しても、首相は「お決まり答弁」の連発で押し通すためだ。

「責任を痛感している」

 菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の連続辞任をめぐり、首相は福山氏から責任を重ねて問われ、最初の8分間で4度、「定番」のフレーズを使った。
 責任の取り方は「行政を前に進めていくことで果たす」の繰り返し。
 2日前の衆院予算委で連発した答弁と同じ内容だ。
 福山氏は「これまでの説明ではない総理の答弁を」と前置きして質問に入ったが、首相は答弁ペーパーを棒読みするばかり。
 福山氏が「行政が遅滞なく進むようにするのは当たり前。なぜ(連続辞任の)事態になっているのか」と問うても、同様だった。
 委員会室は野党議員の「説明になっていないよ!」とのヤジが飛び交ったが、首相は自らの答弁のペースを貫いた。

首相本人への質問に「萩生田氏から反論させたい」

 首相が委員会の進行をコントロールしようとし、批判を浴びる場面もあった。
 野党側は、民間試験をめぐる「身の丈」発言で批判された萩生田光一文部科学相の資質を問う姿勢を強めている。
 福山氏が萩生田氏をめぐる加計学園問題の文書や過去の発言をとり上げつつ、「なぜ萩生田氏を文科相にしたのか」と首相に問うた時のことだ。
 首相は「萩生田氏から反論すべきことは反論させたい。その上で私が答弁する」。
 野党議員たちは「なんで質問内容を総理が勝手に決めるんだ!」と猛反発し、委員会室は騒然となった。
 議事運営の「行司役」の金子原二郎委員長(自民党)は一時あっけにとられた様子だったが、気を取り直して首相に答弁を促した。
 首相は「萩生田氏は自民党で文教行政に関わっていた。任にふさわしい」と答えた。
 福山氏は40分間の持ち時間の大半を閣僚の辞任や資質の問題に当てたが、首相から新たな見解を引き出すことはできなかった。
 質問後、記者団に悔しさをにじませながら、首相の姿勢を批判した。

「反省の色はない、説明する気もない、誠実さのかけらもない」


[写真]
参院予算委で、立憲民主党の福山哲郎幹事長の質問に答弁する安倍晋三首相=2019年11月8日午後1時24分

朝日新聞、2019年11月8日18時13分
「壊れたレコーダー」
同じ答弁繰り返す首相に野党批判

https://digital.asahi.com/articles/ASMC85FCTMC8UTFK00G.html

 自民党の吉川貴盛・前農林水産相は2019年11月8日、同党の水産部会などの合同会議で、7日告示された高知県知事選をめぐり、水産庁職員に応援を求める趣旨の発言をした。
 複数の出席者が明らかにした。
 政治的行為を禁じる国家公務員法に反する行為を促しかねない発言だ。

 出席者によると、吉川氏は「水産庁の皆さん、分からないように応援してください」などと発言したという。
 吉川氏は、自民党支援団体と関係を築く組織運動本部の本部長代理を務めている。
 会議は自民党議員のほか、団体関係者、水産庁幹部らが出席していた。
 吉川氏の事務所は朝日新聞の取材に「水産庁の役人に言ったのではなく、団体に対しての発言だった」とし、官僚向けの発言はしていないと説明している。


朝日新聞、2019年11月9日05時00分
「知事選、分からぬよう応援を」
自民・吉川氏、水産庁職員らを前に

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14250150.html

 安倍晋三首相が2019年11月8日の参院予算委員会で、質問する立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながらやじを飛ばしたとして、杉尾氏が抗議する一幕があった。
 首相は6日の衆院予算委でも野党議員にやじを飛ばし、棚橋泰文衆院予算委員長が不規則発言を慎むよう要請した。
 短期間で同じ行動を繰り返しており、批判を招きそうだ。
 杉尾氏によると、放送局に電波停止を命じる可能性に言及した2016年の高市早苗総務相発言について質問した際、首相が自席から杉尾氏を指さして「共産党」とやじ
 金子原二郎参院予算委員長が「不規則発言は厳に慎んでほしい」と注意した。


共同通信、2019/11/8 19:10 (JST)
安倍首相、再びやじ飛ばす
野党議員に指さして

https://this.kiji.is/565478813042459745

 衆院予算委員会は2019年11月6日、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して集中審議を行った。
 2020年度の大学入学共通テストへの導入が延期された英語民間検定試験に関し、実施団体の一つベネッセの関連法人に旧文部省、文部科学省から2人が再就職していたことが明らかになった。
 野党は、英語民間試験導入の背景に官民癒着があるのではないかと追及した。 
 関連法人は、ベネッセと共同で英語検定試験を実施している一般財団法人・進学基準研究機構。
 この法人はベネッセ東京本部と所在地が同じ。
 文科省の伯井美徳高等教育局長は予算委で、旧文部省の事務次官経験者が同法人に再就職し、10月1日まで理事長を務めていたことを明らかにした。
 国立大学の事務局長を務めた文科省退職者も同日まで参与を務めていたと述べた。
 立憲民主党の大串博志氏は「(民間試験導入が)民間に利益が及ぶ形で考えられているのではないか。疑念を呼ぶこと自体が大きな問題だ」と批判した。
 萩生田光一文科相は共通テストの国語と数学の記述式問題については、予定通り導入する考えを示した。
 立民の川内博史氏が採点者に学生アルバイトも想定されるのかをただしたのに対し、萩生田氏は「さまざまな属性の方が含まれる」と否定しなかった。


東京新聞・朝刊、2019年11月7日 朝刊
衆院予算委
英語試験法人に天下り
旧文部省次官ら2人
 
(木谷孝洋)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201911/CK2019110702000159.html

 もうほんとに自民ってこんなのばっかり
 異常さに拍車がかかっている

 安倍総理、完全に知性崩壊。
 国会の審議中に「共産党!」と罵声を浴びせて恫喝。

・ 杉尾議員は立憲民主党
・ 事実と違っていてもお構い無し
・ 他党の名前を悪口として認識
・ 話を聞くつもりゼロ
・ 議論するつもりゼロ

 この総理大臣、どう見ても日本をナメてますよね?
https://twitter.com/i/status/1192712741900800002

 韓国旅行中のたった4日のうちに起きた日本政府/安倍政権絡みの異様な出来事:

1.現職総理大臣が国会で公文書を引用して自分の不正疑惑を追及する野党議員に「その文書はお前が作ったんじゃないのか」という主旨の野次
2.この現職総理大臣の発言について記者会見で問われた官房長官が「知らない」と言い逃れ
3.政府が昨年9月に開いた公的会議の議事録から、政府の方針に合わない参加者の発言を削除していた事実が発覚
4.自分の発言の根拠について問われた官房長官が「いつ、どこでそんなこと言った?」と言い逃れ
5.最近辞任した前法務大臣のスピード違反を広島県警(警察)が不問にしていた事実が発覚
6.総理大臣と名乗る安倍晋三風の男が妙な演説をするだけの映像作品等が展示されたウィーン芸術展に、日本の外務省が「日墺の相互理解に寄与しない」等の名目で公認取り消し
7.安倍首相「桜を見る会」の税金を使った不正が国会で明らかに!「地元の自治会やPTA役員を招待」と白状 萩生田・稲田・世耕も…

 参院集中審。内閣府の「桜を見る会」は安倍と萩生田らが自身の選挙活動のために税金を私物化しているのではないか、数々の証拠を付き付けながら追求中。山口から貸切バスが17台だとよ。

 この国の病理は深まるばかり。東京の大手新聞テレビは、いつになったら本来の仕事をするのか。

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2019年11月08日

小川亮作

ルバイヤート(四行詩)の由来

 弊社のワインの商標名(ブランドネーム)は“ルバイヤート”です。
 1957(昭和32)年のある日、三代目社長、大村忠雄の知人で内務省の関川氏が、詩の先生の日夏耿之介氏を連れてワイナリーに遊びにみえました。
 そこで丹精こめて造ったワインをお出ししたところ、「これは美味しい」と大変喜んでいただきました。
 後日、商標名の命名を関川氏を通じて日夏氏に依頼したところ、快く引き受けていただき、次のお手紙を送っていただきました。
啓上
御清健賀上ます
 関川君よりの来信にて貴社愈愈(いよいよ)発展 葡萄酒を大かゝ(り)に売出されるにつき 老生に命名を依頼して来られたる由、依て左ノ如く愚考申上げます。
 二種と仮に定め、第一はインテリ向き
 これを
 RUBAIYAT ルバイヤット
と命名、ペルシャ11世紀天文学者詩人 Omar Khayyám オアマ・カイヤムの詩集の名にて、
原名はルボウイヨウトと発音するが、ルバイヤットの方が語呂もよく通りがよく、ブドーの原産地の人にて非常に葡萄酒の好きな詩人で ブドー酒と美女とを歌つた詩が多く 卋(世)界的大詩人の一人で、日本のインテリは皆その名を知る故、ルバイヤットと名附けて発売したら、必ず「やったな」と思ふでせう。
 第二は一般大衆(向)きで
 ENCHANTÉ アンシャンテ これはフランス語で、気持ちのよい、ウットリする、等の意ですから、フランス好みの大衆には可(よ)いでせうか。
 右二種選びましたが、尚黄色系統の新発売品には シャリオ・ドオル CHARIOT D’OR(金の馬車といふ意)といふ名も乙でありませう。
 気に入らなかつた(ら)お棄て下さい。どれも。
 右
草々
日夏老生

 このようないきさつで弊社の商標名(ブランドネーム)は“ルバイヤート”となりました。
 日夏氏よりいただたお手紙は、ワイナリー見学コースのギャラリーに展示しております。
 ワイナリーにお越しの際には、ぜひご覧ください。
―133―
酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果(しるし)だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ眞の人生だ!

オマル・ハイヤーム著、小川亮作訳


オマル・ハイヤームについて

 11世紀ペルシアの数学者・天文学者・詩人。1040年頃生まれ、1123年没。
 ペルシアのホラサン川の都城ネイシャプールの近くで生まれる。
 自然科学に関する業績では、三次方程式の解法に関する研究、天文学に関する業績では、後のグレゴリイ暦にもまさるほどのジャラリイ暦の作成が特に有名である。
 19世紀に彼の詩集『ルバイヤート』がイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルドによって翻訳されて以来、詩人として世界中にその名が知れわたるようになる。
 酒をたたえ、現世の快楽を詠んだ無神論的なその作品は19世紀末のヨーロッパで流行することとなる。
「ルバイヤート」はペルシア語で「四行詩」を意味する(複数形。単数形は「ルバーイイ」)。
 本来は一般名詞だが、欧州や日本では「ルバイヤート」はハイヤームの詩集を指す固有名詞となっている。

ペルシャ語詩集『ルバイヤート』翻訳 小川亮作

英文学を志した亮作

 小川亮作は、父全一、母ヒサの8人兄弟の長男として1910(明治43)年11月20日に、海老江で生まれました。
 亮作の父は、黒埼の小学校に教員として勤務したこともあります。
 また、1927(昭和2)年ころ、海老江で球根栽培が行われるようになった礎を作った一人でもありました。

 亮作は岩船郡金屋村立金屋尋常小学校を卒業後、旧制新潟縣立(県立)村上中学校(現村上高校)へ進みました。
 学業成績は優秀で、抜群でした。
 特に、文章を書くことを好むとともに、英語と得意とし、英文学を志したこともあったといいます。

ロシア語、ペルシャ語を勉強

 亮作は、1929(昭和4)年に当時満州国のハルビン市にあった日露協会学校(後の満州国立大学ハルビン学院)に奨学生として進学し、ロシア語を本格的に勉強しました。
 1932(昭和7)年、さらに力を付けるため、外務省の外交官試験を受け、合格しています。
 その後、ペルシャ(現イラン)のテヘランで3か年の外交官生活を送りました。
 この時、電気や水道もない生活の中で、ペルシャ語を一生懸命に勉強しました。
 1935(昭和10)年に帰国し、外務省に勤務した後、1937(昭和12)年には外交官としてアフガニスタンに大使館付書記官という役職で赴いています。
 1941(昭和16)年に帰国し、外務省アジア局に勤務します。
 そして、千葉県松戸市に居を構えました。

詩集『ルバイヤート』との出会い

 亮作は、テヘランにいたころペルシャ語の詩集『ルバイヤート』に出会い、詩の美しい調べと内容の奥深さに感動します。
『ルバイヤート』は、11世紀にオマル・ハイヤームというペルシャの詩人によって歌われたもので、四行詩のことを言います。
 人生の挫折や苦しみ、希望やあこがれを四行の文で表現しています。
 19世紀になると、英語訳によって広く世界中に愛読されるようになりました。
 ルバイヤートの詩に込められた人生への深い思いが多くの人びとの心に響いたものと思われます。
 明治時代には、日本にもルバイヤートの詩の一部が紹介されています。

 亮作は、ルバイヤートの詩のすばらしさを多くの日本人に伝えたいと、ルバイヤートの翻訳を強く願いました。
 良作の翻訳は、太平洋戦争後から本格的に行われたそうです。
善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命、
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。

ペルシャ語の詩を小川亮作が訳したもの(岩波文庫より)

岩波文庫より出版、版を重ねる

 亮作は、原典ペルシャ語の詩集に載っている詩をすべて日本語に翻訳しました。
 ペルシャ語で書かれた美しい調子をできるだけ生かし、日本語で表現しようと努力しています。
 また、当時の詩は古文調の言い回しが中心でしたが、古文調ではなく、分かりやすい現代語訳として翻訳されています。

 小川訳『ルバイヤート』は、1949(昭和24)年に岩波書店から岩波文庫の一冊として出版され、現在でも版を重ねています。
 本の最後の方に、著者オマル・ハイヤームの生涯や功績、詩の内容の解説が載っていますが、これも亮作が書いたものです。
 詳しく、しかも分かりやすく説明されているという評価を受けています。

 1949(昭和24)年夏、亮作は神奈川県鎌倉市に居を移し、研究活動に専念しますが、1951(昭和26)年12月27日に急性肺炎で亡くなりました。
 享年41歳でした。

 亮作は、ルバイヤートのすばらしさを多くの日本人に伝えてきた、そして今でも伝え続けている功労者でもあるといえると思います。

丸藤葡萄酒工業(株)公式サイト
http://www.rubaiyat.jp/

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オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』

The coming year is the 200th anniversary of the birth of Edward FitzGerald; so, as the year turns, what better celebration than some stanzas from his free translation of that great meditation on life's transience, The Rubáiyát of Omar Khayyám?

FitzGerald was a friend of Thackeray and Tennyson, but initially had few writerly ambitions of his own. Scruffy, eccentric, a bit of recluse and very rich, he was drawn to younger men, and it was from one of these, Edward Cowell, he began learning Persian in 1853. Cowell also passed on his discovery in the Bodleian Library, Oxford, of verses written by Khayyám, a Persian polymath whose life spanned the 11th and 12th centuries.

FitzGerald was enthralled and declared that the poems had "the ring of true metal".

The Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics quotes the tradition that the Persian quatrain-form, the ruba'i, originated in the gleeful shouts of a child, overheard and imitated by a passing poet. "Succinctness, spontaneity and wit" are its essence, the encyclopaedist writes, coolly noting FitzGerald's "venial infidelity to his Persian model". FitzGerald got the rhyme-scheme right but missed the rhythmic subtlety of the original prosodic pattern; some of the quatrains are paraphrased, some mashed together, others invented. Furthermore, Khayyám's 750-plus quatrains certainly did not constitute one long poem.

The 101-verse semi-narrative FitzGerald finally assembled is the product of a ruthless editorial job – but how much poorer English poetry would be without it. His endeavour might more generously be termed "transcreation". Khayyám, an agnostic famed during his lifetime as a mathematician and astronomer rather than a poet, and his mediator, a nineteenth-century English sceptic who believed that "science unrolls a greater epic than the Iliad", may not meet in a true linguistic union, but there seems to be a "marriage of true minds" nevertheless (and, yes, you'll note a passing trace of Shakespeare in FitzGerald's diction).

The speaker that emerges with such authority and panache, despite the stiffish western dress of iambic pentameter, has a voice unlike any other in Victorian poetry, and a philosophical sensibility which, while it has been compared to that of Epicurus and Lucretius, is new and distinct. A whole culture must have suddenly seemed within the imaginative reach of the poem's first audience.

Though initially published as an anonymous pamphlet, once the Rubáiyát was discovered by Rossetti, Swinburne and others, it swiftly became famous. It is said that its effect on Victorian England was no less considerable than that of Darwin's On the Origin of Species, published in the same year, 1859.

Everyone will have their favourite stanzas. My selection – from the fifth and final edition of the poem – begins with one of the most majestic and is followed by a less familiar episode, the Potter and his pots, a sustained narrative that literalises the creation myth and exudes a strong sense of Fitz-Omar's humour and his almost magic-realist imagination. The Rubáiyát's two concluding stanzas round it off. I hope you'll be enticed to read, or re-read, the whole poem and savour its homely yet memorable rhetoric, its vivid images, gloriously yearning sighs, twinkling jokes and keen-edged rational arguments. Meanwhile, let's raise a glass to a new year in which the spirit of translation – the spirit, in fact, of the luminous conversation between Edward FitzGerald and Omar Khayyám – presides over public affairs, especially those in the Middle East.
"Ah, make the most of what we yet may spend,
Before we too into the Dust descend;
Dust into Dust, and under Dust, to lie,
Sans wine, sans Song, sans Singer and – sans End!"

71
The Moving Finger writes; and, having writ,
Moves on: nor all your Piety nor Wit
Shall lure it back to cancel half a Line,
Nor all your Tears wash out a Word of it.
******
82
As under cover of departing Day
Slunk hunger-stricken Ramazán away
Once more within the Potter's house alone
I stood, surrounded by the Shapes of Clay.
******
83
Shapes of all Sorts and Sizes, great and small,
That stood along the floor and by the wall;
And some loquacious Vessels were; and some
Listen'd perhaps, but never talk'd at all.
******
84
Said one among them – "Surely not in vain
My substance of the common Earth was ta'en
And to this Figure molded, to be broke,
Or trampled back to shapeless Earth again."
******
85
Then said a Second –"Ne'er a peevish Boy
Would break the Bowl from which he drank in joy;
And He that with his hand the Vessel made
Will surely not in after Wrath destroy."
******
86
After a momentary silence spake
Some Vessel of a more ungainly Make;
"They sneer at me for leaning all awry:
What! did the hand then of the Potter shake?"
******
87
Whereat some one of the loquacious Lot –
I think a Súfi pipkin – waxing hot –
"All this of Pot and Potter – Tell me then,
Who is the Potter, pray, and who the Pot?"
******
88
"Why," said another, "Some there are who tell
Of one who threatens he will toss to Hell
The luckless Pots he marr'd in making – Pish!
He's a Good Fellow, and 'twill all be well."
******
89
"Well," murmured one, "Let whoso make or buy,
My Clay with long Oblivion is gone dry:
But fill me with the old familiar Juice,
Methinks I might recover by and by."
*******
100
Yon rising Moon that looks for us again -
How oft hereafter will she wax and wane;
How oft hereafter rising look for us
Through this same Garden – and for one in vain!
******
101
And when like her, oh Sáki, you shall pass
Among the Guests Star-scatter'd on the Grass,
And in your joyous errand reach the spot
Where I made One – turn down an empty Glass!

Tamám [It is ended].
* Notes: Ramazán – Ramadan.
* Sáki – a maid or manservant who pours wine.

[picture]
An early-20th-century illustration of The Rubáiyát of Omar Khayyám

The Guardian, Published: Mon 29 Dec 2008 12.59 GMT
Poem of the week: The Rubáiyát of Omar Khayyám
If only we could all learn the spirit of Edward FitzGerald's wonderfully unfaithful translation

By Carol Rumens
https://www.theguardian.com/books/booksblog/2008/dec/29/poem-week-edward-fitzgerald

 ワイン通なら「ルバイヤート」と聞けばピンとくるかもしれない。
 1890年に創業した歴史のあるワイナリー、丸藤葡萄酒工業(山梨県甲州市勝沼町藤井780 Tel 0553-44-0043)のワインブランドだ。

 伊勢志摩サミットで提供されるなど話題も豊富なワインだが、売れない時代も長かった。
 約60年前、ワイナリーを訪れた詩人、日夏耿之介(1890 - 1971)にブランドの命名を依頼したところ、1年かけて提案したのがペルシャの4行詩を意味するルバイヤートだった。
 代表的な作家、オマル・ハイヤームの作品にはワインの詩が多い。

 ワインのほか、醸造所も楽しめる。
 毎年4月に開くワイナリーコンサート「蔵コン」もその一つ(*1)。
 大村春夫社長は「東京駅で開いた駅コンをヒントにした」と話す。

 おいしいワインの存在を知ってもらおうと1988年に開始。
 初回はシャンソン歌手、水織ゆみさん(*2)の歌声とワインの香りに観客は酔いしれた。
 その後も尾崎紀世彦(*3)さんら幅広いジャンルからゲストを招き、2018年で30回目を迎える(11年は中止)。

 蔵コンは2部構成。
 第1部は参加者が前庭と畑で新酒を飲みながら交流するパーティーだ。
 第2部のコンサートは決して広くない地下貯蔵庫で、ゲストにかぶりつきで歌や演奏を堪能できる。
 15回連続で蔵コンに来ている東京都東久留米市の木藤亮さんは「ライブハウスとひと味違う臨場感は格別」と魅力を語る。
 
 コンサートは2019年から趣向を変え、古民家を改築した事務所棟で開く。
「お客さんがもっと気軽に参加できるよう」(大村社長)に、開催を年2回に増やす予定だ。

 イベントがない日は見学ツアーでワインの製造法や歴史を学ぶのも楽しい。
 ユニークなのはかつて白ワインを貯蔵していたタンクをぶち抜いて作った通路。
 壁いっぱいに広がるキラキラと光る小さな粒は、ワインに含まれる酒石酸がカリウムと結合した「酒石」と呼ばれる結晶だ。
 まるでロマンチックな星空のよう。
 と思いきや、通路はテレビドラマで事件現場になったこともあるとか。

 通路のドアにはワインづくりを表現したステンドグラスをはめ込んでいる。
 制作は三鷹の森ジブリ美術館(東京都三鷹市)を飾るステンドグラスも手掛けた山梨県北杜市の八田高聡さん、ゆり子さん夫妻。
 大村社長と意気投合し、代金の代わりにワインを受け取ったとの逸話も残る。


[写真]
蔵コンはワインの香りが漂う貯蔵庫で開催(2017年4月、山梨県甲州市)

日本経済新聞、2018/1/26 10:00
ワイン蔵で堪能
新酒と一流音楽

(甲府支局長 三浦秀行)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26122930V20C18A1KNTP00/

(*1)「蔵コン」
ルバイヤート ワイナリー コンサート
丸藤葡萄酒工業(株)公式サイト
http://www.rubaiyat.jp/kuracon/

(*2)水織ゆみ「愛の賛歌」
https://www.youtube.com/watch?v=s-ZdIy-xrhU

(*3)尾崎紀世彦(1943 - 2012) I LOVE YOU
https://www.youtube.com/watch?v=wXHRPOkJhVM

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