2019年10月19日

”壊憲”もして“戦争”をしたい安倍首相

 やはり安倍首相は“戦争”をしたいらしい。
 本日2019年10月18日午後、日本政府が中東のホルムズ海峡周辺に自衛隊を派兵する方針だと、マスコミ各社が伝えた。
 13時台にFNNが〈ホルムズ海峡周辺に自衛隊を独自派遣へ〉と速報を打ち、他社も後追いで報じた。
 安倍首相は午後の国家安全保障会議(NSC)で、自衛隊派遣の具体的検討を指示した。

 速報後に行われた菅義偉官房長官の会見によれば、派遣が検討しているのは中東のオマーン沖やアラビア海北部など。ホルムズ海峡という言葉はあえて避けたが、地理的につながっており、まさに目と鼻の先だ。
 河野太郎防衛相は“ホルムズ海峡は含まれていない”と記者団に語ったというが、はっきり言って言葉遊びにすぎない。

 ホルムズ海峡をめぐっては、イランとの緊張関係が高まっている米国が、日本に「有志連合」への参加を強く要請していた。
 菅官房長官によれば、「有志連合」には参加せず、自衛隊派遣は「日本独自の取り組み」と位置付けるという。
「中東における緊張緩和と情勢の安定化」「中東地域の平和と安定および我が国に関係する船舶の安全の確保」を理由に挙げ、さらに「情報収集体制の強化を目的」とし、「防衛省設置法に基づいた調査および研究」として実施すると表明。
 そのうえで「今後、さまざまなことを検討していく」と述べた。

 周知の通り、米国とイランとの緊張の高まりを背景に6月中旬以降、「自衛隊のホルムズ海峡派遣」の問題は、米国が要請する「有志連合」参加の可否も含め、浮上していた。
 ところが、安倍政権は選挙の争点にならないように徹底してはぐらかしてきた。
 事実、7月の段階では、当時の岩屋毅防衛相が「現段階でホルムズ海峡へ自衛隊を派遣することは考えていない」とコメントしている。
 今回のホルムズ海峡周辺への自衛隊派遣は、事実上、それをひっくり返した形だ。

 いまのところ日本政府は、表向きイランとの外交関係も踏まえたものとして、米国率いる「有志連合」へは参加しないとしているが、注意しなければならないのは、菅官房長官が「今後、さまざまなことを検討していく」と含みを持たせていることだろう。
 断言するが、その本丸が「ホルムズ海峡への自衛隊派遣と米国船防護」にあることは疑う余地がない。

 どういうことか。
 そもそも、ホルムズ海峡への自衛隊派遣問題をめぐっては、第一に「米国の強い要請」という文脈がある。

 事実、安保法制に多大な影響を与えた2012年の「第3次アーミテージ・ナイ リポート」でも〈イランがホルムズ海峡を封鎖するとほのめかしたら、自衛隊は掃海艇を派遣すべきだ〉とされている。
 つまり「ホルムズ海峡への自衛隊派兵による米国船防護」は、米国から長年求められていたことだ。
 トランプ大統領はとくに強行で、今年6月にはホルムズ海峡のタンカーについて、日本を念頭に〈なぜ、われわれアメリカがそれらの国のために航路を無償で守っているのか。そうした国々はみな、危険な旅をしている自国の船を自国で守るべきだ〉とツイート。
 日本政府へのプレッシャーを強めており、事実、この夏の間も日米防衛幹部らが水面下で交渉していた。

 トランプ大統領に尻尾をふってやまない安倍首相は、当然、「米国の強い要請」を満たしたいに決まっている。
 だが、そこに法的な問題が立ちふさがった。
 6月の日本タンカー攻撃事件の際、岩屋防衛相は集団的自衛権を発動することはないと明言した。
 つまり、集団的自衛権行使の3要件のひとつである「存立危機事態」に該当しないと認めていたのだ。
 これに関しては、本日の菅官房長官の会見でも「現在、日本に関係する船舶の防護が直ちに必要な状況にはない」と述べられた。

 自衛隊を派遣してストレートに集団的自衛権を行使することはできない。
 ならばと、政権は“抜け穴”を探し始めた。
 海賊対処法や自衛隊法が定める海上警備行動による自国船の警護を名目にすること、あるいは、安保法制の「重要影響事態」に認定すること。
 しかし、前者は米国の求める「米艦防護」が不可能で、後者は認定のハードルが高く、かつ、世論の強い反対も必至だった。

 そこで現実的プランとして有力視されていたのが、本日の官房長官会見でも明言された防衛省設置法に基づく「調査・研究」を名目とする方法だ。
 同法4条には、防衛省が司る事務として「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」が明記されており、偵察・情報任務などの根拠法とされる。
 2001年の米国同時多発テロ直後には、テロ対策特別措置法に基づく米軍への後方支援の前段階として、海上自衛隊護衛艦のインド洋派遣の根拠にもされた。
 一方で、法的には日本船警護を念頭にした他船や人への武器使用は認められず、当然、集団的自衛権にもカスリもしない。

菅官房長官「今後、さまざまな方法を検討する」の真意、用意されている“第二・第三の矢”

 しかし、騙されてはいけない

 官邸や防衛省幹部はこの間、新聞記者らに「防衛省設置法を使うと比較的安全な地域に限定されるから」などと吹聴していたようだが、逆に言えば、これだけで終わるわけがないのだ。

 だいたい、いくら安倍政権が隠そうとしても、ホルムズ海峡周辺で日本の自衛隊が哨戒をすれば、イランからは敵対行動に映る。
 自衛隊機による偵察が得た情報を米国側に差し出すことは“公然の秘密”であり、それは米軍と一体化した“軍事行動”に他ならないからだ。
 また、単純に周辺海域で他国間の武力衝突が発生すれば自衛隊が巻き込まれるリスクは高まる。
 さらに、哨戒任務中に不測の事態が起こると、それこそ世論は安保法等に基づいた武力行使に一気に傾くだろう。

 菅官房長官が「今後、さまざまな方法を検討する」と語るように、“第二・第三の矢”が用意されている可能性は極めて濃厚だ。

 最終的な安倍政権の目標を「集団的自衛権を行使した米艦防護」におけば、防衛省設置法の「調査・研究」を名目とするホルムズ海峡周辺への自衛隊派遣は、その“撒き餌”となる。
 当然、海外で自衛隊が武力行使に出れば、日本は第二次世界大戦での敗戦後、初めて直接的に戦争へ参加することになる。

 そして、この「ホルムズ海峡周辺への自衛隊派遣」から始まるシナリオは、まさに安倍首相が悲願とする改憲へとつながる。

 ひとつは、“軍事目的”による自衛隊海外派遣を既成事実化することで、9条改憲の「必要な自衛の措置」「そのための実力部隊」(自民党の改憲条文イメージ)を国民に飲み込みやすくさせるという狙いがあるだろう。

 もうひとつは、ひとたび自衛隊が任務中に何者かに攻撃されたり、海峡周辺で米軍関連の不測の事態が起これば、安倍政権が「なぜ自衛隊は反撃できないんだ」と世論を煽っていくのは火を見るより明らか。

 一気に改憲に雪崩れ込もうとするはずだ。

 いずれにしても、任期が残り少なくなってきた安倍首相にとって、自衛隊の海外派遣は、改憲を達成するため“最後のワンピース”だ。
 これまで以上に無理を押し通し、めちゃくちゃな法解釈をしてくる可能性もある。
 自衛隊を“改憲の道具化“する政権の動きを、引き続き注視しなければならない。


[写真]
2018(平成30)年自衛隊記念日観閲式に出席する安倍首相(首相官邸HPより)

リテラ、2019.10.18 11:44
安倍政権がホルムズ海峡への自衛隊派遣で使った姑息な詐術と本当のシナリオ!
米国の戦闘に巻き込まれ、なしくずし改憲へ

https://lite-ra.com/2019/10/post-5034.html

 昨日10月18日の午後、政府がホルムズ近海に海上自衛隊の艦船を派遣する事にしたというニュースが流れた。
 これを聞いた時、私は我が耳を疑った。
 安倍外交は、理解の苦しむことの連続だが、その中でもこの派遣は断トツに理解に苦しむものだ。
 なぜ、いま派遣なのか。
 さっぱりその理由がわからない。

 明日の各紙の朝刊を見て判断するしかない、そう思って真っ先に今朝の各紙を読み比べた。
 そして、さらにわからなくなった。
 米国の有志連合に参加するものではないという。
 だからといって、ロシアやイランが提案しているペルシャ湾安全確保の構想への参加でも、もちろん、違う。
 単独の派遣だという。
 それにもかかわらず、日本の船舶を守る活動はしないという。

 だったら何のためだ。
 調査・研究のためだという。
 情報収集だという。
 そして、米国、イランの双方に顔を立てるものだという。
 読めば読むほどわからない。
 よく、こんな馬鹿げた決定をしたものだ。

 そう思ったら、ただひとつはっきりしたことがある。
 政府は、まだ派遣の決定をしたわけではないのだ。
 自衛隊派遣の検討を関係閣僚に指示しただけなのだ。
 当然のことながら派遣時期は未定だ。
 なるほど、すべてはこれからなのだ。
 だから、いま、大騒ぎする必要はないのだ。

 しかし、これはこれで大問題だ。
 いままで、何も正式に検討を始めていなかったということだ。
 やはり安倍首相の考えることは訳が分からない。

 最後に一つだけ分かったことがあった。
 なぜ「調査・研究」の派遣にしたのか。

 それは、調査・研究の派遣なら、国会承認の必要がなく、防衛省の裁量で何でもできるからだという。

 これで合点がいった。
 このまま何もしないわけにはいかない。
 やってる感を出すために、海自の艦船派遣の検討を指示する決定を国家安全保障会議で決定させ、それを大きく報道させたのだ。
 やってる感の安倍外交、ここに極まれりである。
 メディアには、この決定に至るまでの裏話を取材して、教えてもらいたいものだ。
 笑い話のような関係者の言動がどんどん出てくるに違いない。


天木直人のブログ、2019-10-19
理解に苦しむホルムズ近海への海自艦船派遣
http://kenpo9.com/archives/6312

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自衛隊派遣

 2018年3月、当時の米国務長官、レックス・ティラーソンはアフリカに過剰な投資を繰り返す中国を次のように非難した。

「中国の投資はアフリカのインフラ格差を是正するのに有益かもしれない。しかし、不透明な契約や略奪的な融資、買収が横行する取引がアフリカを借金漬けにし、主権を弱体化させ、自立的な成長を阻んでいる」

 しかし、米国の強い調子の非難にもかかわらず、中国は投資の勢いを緩めない。

 やはり2018年の9月、中国・北京で開かれた中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)で国家主席、習近平は、向こう3年間でアフリカに600億ドル(約6兆6000億円)の経済支援を行うことを約束。
 中国のアフリカ支援額は米国のそれを遥かに上回っている。
 その一方で、最貧国の債務返済を一部免除することも併せて発表し、米国の非難に配慮を見せた。

 ジブチでも事情は変わらない。
 先に触れた鉄道だけでも40億ドル(約4400億円)の資金が投じられている。
 この2年間だけをとってみても、融資額は14億ドル(約1500億円)。
 ジブチのGDP(国民総生産)の4分の3以上に当たる金額だ。

 総面積48平方キロメートル(羽田空港の4倍超)、35億ドル(約3900億円)もの巨費を投じて中国の企業群が建設、そして運営を行う予定なのがアフリカ最大の「ジブチ国際自由貿易区」である。
 2018年の夏に行われた一部完成を祝った式典ではジブチ大統領、イスマイル・オマル・ゲレも出席し、
「自由貿易ゾーンは国際通商貿易におけるジブチの地位を向上させる」
とその未来に強い期待を寄せた。

 黄色く塗られた正面ゲートにはジブチ国旗と中国国旗がたなびいていた。
 そのゲートの左側には、ほぼ完成しているホテルがその威容を誇っていた。
 まだほとんどが手つかずといっていいこの自由貿易ゾーンだが、その規模は想像を絶する。
 車で走ってみれば、その地区全体が地平線のようだ。

 砂漠の中をエチオピアに延びる幹線道路は、両国を行き交う大型トラック、タンクローリーなどがひっきりなしに走っている。
 この道はジブチの生命線だ。
 電力はエチオピアから送られ、水もエチオピアに依存している。
 エチオピアなしにジブチは生きていけない。
 それと、同じように中国の投資はジブチにとって欠かせないものになりつつある。

 見方を変えるならば、中国マネーはアフリカを、ジブチを麻痺させる麻薬に似ているかもしれない。

「全て中国のもの。もうジブチのものじゃない」

 あるジブチ政府の高官はこんな自虐的な言い回しでジブチにおける中国の進出ぶりを表現してみせた。

 48平方キロメートルという途方もない広さを占める自由貿易ゾーン。
 中国の投資はこれにとどまらない。
 この自由貿易ゾーンから連なるジブチの優良な港湾地域は中国資本によって、巨大開発が急ピッチで進められている。
 
「中国交建」「中国中綿建設集団」「中建信条」……、工事現場は建設を請け負っている中国の企業群の名前で埋め尽くされている。
 まさに全て中国のもの≠ネのである。

自由貿易区の中に築かれた中国軍基地

 町の中心部には巨大ショッピングモール、ホテルの建設も行われている。
 その先を望めば、そこは自由貿易ゾーンに並ぶように一昨年、中国が建設した中国初の海外での中国軍基地が望まれる。
 万里の長城のような外壁が延々と続き、中の様子はうかがい知ることはできない。

「一帯一路」という途上国にとっての甘い蜜≠ヘ、その国のインフラから、軍事転用可能なインフラへの投資から始める。
 ましてや、ジブチなどは、自由貿易ゾーンの中に、中国軍基地も含まれているのだ。

 昨年末、ボルトン米大統領補佐官が、中国軍基地が東アフリカの軍事バランスを崩していると警鐘を鳴らせば、現地の西側多国籍軍も中国軍が駐留軍ルールを乱すような動きを見せ始めていると警戒感を強めている。

 その基地近くには石油備蓄基地も出来ている。
 それに隣接する多用途の岸壁にはそびえるようなガントリークレーンがいくつも並んでいる。
 その様はいかなる物量でもびくともしないように見える。
 まさに、この地域はさながら中国租界の様相。ジブチから隔離した独立国家のようでもある。

 赤く染まるアフリカ、赤く染まるジブチ。

 巨大経済圏で世界を赤に染めようとする中国。
 しかし、それに対し、NOをつきつける動き、また巨額な債務が中国の動きを鈍らせ始めている。

 それは2.2兆円もの鉄道建設の計画を白紙に戻したマレーシア、誰も利用しない空港、高速道路を作り、残ったのは巨額の債務だけとなったスリランカ。
「一帯一路」のモデル国家と言われたエチオピアもGDPの59%という債務に喘いでいる。
 エチオピアの姿が、明日のジブチの姿ではないと誰が言えるだろうか。

 ジブチ、エチオピアが支え、経済的な成長が著しいアフリカの角=B
 軍事戦略上のチョークポイントであるこの地域、中国も国家の威信をかけ「一帯一路」の遂行、軍事基地の展開を考えるはず。
 ますます、この地域から目を逸らすわけにはいかなくなる。

 なぜなら、ジブチには自衛隊の拠点があり、シーレーン防衛も含め、日本は紛れもなく当事者だからだ。


[写真-1]
2018年7月に第一期エリアの一部がオープンした自由貿易ゾーンの正面ゲート。計画がすべて完成するとアフリカ最大となる

[写真-2]
自由貿易ゾーンの辺り一帯には中国企業の工事現場が点在する

[写真-3]
道路の先に中国の軍事基地が見えるが、近寄ることができない。数千人のキャパシティがあるとみられている

[写真-4]
中国の大規模投資で港湾開発が進むジブチ

自衛隊拠点.jpg

Wedge REPORT、2019年2月25日
中国軍初の海外基地は鉄道・港湾建設の見返りか?
「一帯一路」の衝撃・中国に飲み込まれるアフリカ・ジブチ
(後編)
児玉 博 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/15394

 安倍晋三首相は2019年10月18日、国家安全保障会議(NSC)を官邸で開き、中東情勢の悪化を踏まえ、自衛隊派遣の検討を関係閣僚に指示した。
 イラン沖ホルムズ海峡の安全確保に向けて米国が提唱する有志連合構想には参加せず、アラビア半島南部オマーン湾やイエメン沖で日本独自に活動する。
 防衛省設置法の「調査・研究」を派遣根拠とする。 

 菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、ソマリア沖アデン湾で海賊対処活動をしている海上自衛隊の護衛艦や哨戒機の活用に加え、別途、護衛艦の派遣も検討すると表明。
 日本船舶の防護は「ただちに実施を要する状況にはない」と述べた。
 政府高官は年内にも派遣を決定するとの見通しを示した。

 菅氏は派遣地域の候補にオマーン湾のほか、アラビア海北部、ジブチとイエメンの間にあるバベルマンデブ海峡東側を挙げた。
 河野太郎防衛相は派遣を検討する地域にホルムズ海峡を含んでいないと記者団に明らかにした。
 ホルムズ海峡を避け、友好国イランを敵対視しない姿勢を示す。

 日本はエネルギーを中東に依存しており、政府は航行の安全確保に貢献する必要があると判断した。
 米国主導の有志連合に加わらないことで、米国とイランの「橋渡し役」の立場も維持できるとみている。

 自衛隊の派遣根拠とする「調査・研究」は比較的安全な地域での警戒監視や情報収集活動を想定。
 国会承認の必要がなく、自衛隊を速やかに派遣できる。
 他国の船舶の護衛はできない。 

(上野実輝彦)

<解説>「橋渡し役」の限界露呈

 安倍晋三首相が中東への自衛隊派遣の検討を指示したことで、これまで模索してきた米国とイランの「橋渡し役」の限界が露呈した。

 軍事的側面の強い自衛隊派遣に踏み切れば、対話による緊張緩和を断念したとのメッセージを国内外に送ることになりかねない。

 ホルムズ海峡周辺の情勢が悪化した6月以降、日本政府は有志連合構想に対する米国からの参加要請に即答を避け、自衛隊派遣には言及してこなかった。
 その間、首相はトランプ米大統領、イランのロウハニ大統領と相次いで会談して打開策を探ってきた。

 米国の同盟国であると同時に、イランと伝統的な友好関係にある日本の独自性を示す外交努力だった。
 だが、米国とイランの対立が解消する見通しは立っていない。
 こうした状況で、米国の顔を立てて自衛隊を派遣しながら、ホルムズ海峡を避けてイランにも配慮する苦肉の策が浮上した。

 派遣の法的根拠にも問題がある。
 防衛省の組織や担当事務を定めた設置法による海外派遣は、苦し紛れの拡大解釈との批判を免れない。
 国会承認も必要ない。
 政府がこの手法を繰り返せば、自衛隊派遣は歯止めを失う。
 

(山口哲人)


[地図]
想定される自衛隊活動海域

自衛隊活動海域.jpg

東京新聞・朝刊、2019年10月19日
自衛隊、中東独自派遣へ
首相検討指示
有志連合参加せず

https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201910/CK2019101902000150.html

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中東海域に自衛隊

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をぜひお読みください:

★ 2016年02月25日「米川正子」
★ 2016年03月02日「コルタン」
★ 2016年10月13日「稲田朋美」
★ 2016年10月16日「稲田朋美の化けの皮」
★ 2017年04月21日「瞼の母」

 日本政府が2019年10月18日、中東・ホルムズ海峡周辺などに情報収集目的で自衛隊を独自派遣する検討に踏み切った。
 中東地域への関与を示して米国の顔を立てつつ、米国主導の「有志連合」構想・海洋安全保障イニシアチブ参加は見送り、イランとの関係悪化を避ける窮余の策だ。

「我が国として中東地域における平和と安定、および我が国に関係する船舶の安全の確保のために独自の取り組みを行っていく」

 菅義偉官房長官は18日夕の記者会見で、中東の海域への自衛隊の独自派遣を検討していく考えを明らかにした。
 ただ、米主導の「海洋安全保障イニシアチブ」への不参加も表明。
 派遣についてもホルムズ海峡は避け、防衛省設置法の「調査・研究」名目で海洋状況を監視する程度にとどめる内容だった。

 中東では今春以降、タンカーなどが狙われる事案が相次いだ。
 これを受け、米政府は「イラン包囲網」の色彩が強い同イニシアチブを打ち上げ、日本を含めた各国に参加を呼びかけた。
 だが日本政府は、参加には法的なハードルがあるうえ、伝統的な友好国であるイランとの関係も重視する立場から、米国の動向を見極める姿勢だった。

 ところが、サウジアラビアの石油施設が9月14日に何者かに攻撃され、米イラン関係はさらに悪化する。

 ブライアン・フック米国務省イラン担当特別代表は9月下旬、朝日新聞の取材に、日本のタンカーが攻撃された事件に言及して、「再び起きないよう、抑止力を回復することが全ての国にとって大切だ」と日本への期待を語った。
 日本政府は「イランとの関係を切らず、アメリカとの関係も保つ」(首相官邸関係者)派遣方法について、官邸や国家安全保障局(NSS)などの限られた幹部で検討。
 行き着いたのが、米主導の枠組みには参加せず、あくまでも「情報収集態勢の強化」の独自派遣だった。

 日本政府高官らは、9月下旬の国連総会などの機会に独自派遣案を米政府側に説明。
 10月16日には、外務省の森健良外務審議官をイランに派遣。
 ザリフ外相らに日本の計画を説明した。
 外務省幹部はこう漏らす。

「中東には日本のタンカーも多く通るのに『知りません』では通用しない。何らかの関与はしないといけなかったということだ」

(竹下由佳、二階堂友紀)

■ 国会承認不要/「規定が漠然」懸念も

 政府は、自衛隊艦船がタンカーを守る海上警備行動や、防衛出動も可能な安全保障関連法を適用しての派遣検討は見送った。
 そこまで緊張が高まっていないとの判断だ。
 代わりに浮上したのが、防衛省設置法4条にある「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行う」との規定を根拠とした派遣だ。

 過去にも、2001年の米同時多発テロ後に海上自衛隊の護衛艦が米空母を護衛した際や、テロ対策特別措置法の活動に先立ちインド洋に護衛艦などを先行派遣した際にも適用された。
 首相や国会の承認は不要で、防衛相の判断だけで派遣が可能だ。
 政府関係者にはハードルの低さから「打ち出の小づち」「魔法の杖」とみる声がある一方、「漠然とした規定で何でもやってしまうのは、法の支配の観点から問題だ」との声もある。

「調査・研究」名目のため日本のタンカーなどの護衛を目的にはできない。
 そのため菅氏は会見で、「ただちに我が国に関係する船舶の防護を実施する状況にはない」と繰り返した。

 防衛省は派遣に備えた検討を水面下で進めてきた。
 現在、海賊対処法に基づいてソマリア沖アデン湾に派遣中の、海自の護衛艦とP3C哨戒機の拠点があるアフリカ東部のジブチに拠点を置く可能性が高いという。
 ただ、オマーン湾まで直線で約2000キロあり、実際の活動時間は制限される。

 今回はあくまで情報収集が目的だが、現地の緊張は高まっている。
 海自幹部は「何者かから攻撃を受けた場合、何ができ、どう対処すべきか。かなり高度な準備が必要だ」と指摘する。

(山下龍一、伊藤嘉孝)

■ タンカー攻撃、緊張続く ホルムズ周辺

 ホルムズ海峡周辺では、米国がイラン産原油の全面禁輸を開始した5月以降、石油タンカーなどが攻撃を受ける事案が続発している。
 いずれも攻撃主体ははっきりしないが、米国とサウジなどはイランに疑惑の目を向ける。
 一方、10月にはサウジに近い紅海でイランのタンカーで爆発が起きるなど、関係国を巻き込んで緊迫した状況が続いている。

 石油タンカーのみならず、9月にはサウジの石油施設が無人機などで攻撃を受けた。
 内戦中のイエメンでイランから支援を受ける反政府武装組織フーシが犯行を認めた。
 だが、米国やサウジは「イラン犯行説」を主張。
 イランが反発して米側と対立が深まるという構図が繰り返されている。

 敵対するイランの封じ込めを狙う米国は、海洋安全保障イニシアチブ構想を提唱。
 米国が指揮統制を担い、参加国が協力して商業船舶を守る構想だ。
 ただ、攻撃事案の犯行主体が判然としない中、参加国を決めた国はサウジや英国など5ヶ国程度にとどまっている。
 だが、米政府高官は9月下旬、「既に(活動は)開始していると認識している」とした。

 イランも同月、独自に「ホルムズ平和構想」を打ち出して、米構想に対抗。
 日本や欧州諸国に対して「(米国の構想への)参加はお勧めできない」と牽制(けんせい)している。

(杉崎慎弥、ワシントン=渡辺丘)

■ 近年の主な自衛隊海外派遣

☆ 1991年 海自掃海艇をペルシャ湾へ派遣(自衛隊法)
☆ 1992年 陸自の施設部隊をカンボジアへ派遣(PKO協力法)
☆ 2001年 海自艦艇をインド洋へ派遣(テロ対策特措法)
☆ 2003年 空自輸送機部隊をイラク支援の活動拠点のクウェートへ派遣(イラク特措法)
☆ 2004年 陸自部隊をイラク・サマワへ派遣(イラク特措法)
☆ 2009年 海自護衛艦をソマリア沖へ派遣(自衛隊法に基づく海上警備行動、のちに海賊対処法)
☆ 2012年 陸自施設部隊を南スーダンへ派遣(PKO協力法)


[地図]
タンカーなどが標的にされた最近の事案

朝日新聞・時時刻刻、2019年10月19日05時00分
調査名目、窮余の派遣
米にもイランにも配慮
中東海域に自衛隊
 
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20191019000216.html

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仁平典宏

 2018年9月中旬から、東京五輪・パラリンピック(以下、東京五輪)で運営に関わる「大会ボランティア」が募集される。
 これに先立ち、街や交通の案内を行う「都市ボランティア」が各自治体によってすでに募集されている。
 大会ボランティアが8万人、都市ボランティアが3万人という大規模な人数である。

 一方で、求められる大会ボランティア像が明らかになってから、批判の声も高まってきた。
 外国語能力や高いコミュニケーション能力をもち、1日8時間で10日間以上働ける人といった条件に対し、無償で交通費や宿泊費も出さないのは、まさに日本的なタダ働きブラック労働やりがい搾取ではないかというものである。

 これに対して推進側も、大会組織委員会の幹部みずから国際スポーツ大会でボランティアをして見せたり、近郊交通費相当分の物品を支給することを決めたり、右往左往している。

 おそらく今後も同じようなボランティア批判が盛り上がるだろう。しかしタダ働きという批判はどこまで有効なのか。論点を整理しておきたい。

ボランティア大量導入はこうして始まった

 五輪ボランティアを「搾取」と見る議論が支持されるのは、最近のブラック労働に対する批判が広がったことの表れでもあり、その意味で正常なことである。
 だが、それが日本特有かどうかは議論の余地がある。
 というのも近年の五輪では毎回多くのボランティアが活用されてきたからだ。

 夏の五輪の大会ボランティアの概数は、ロサンゼルス五輪5万人(1984年)、ソウル五輪2万7千人(1988年)、バルセロナ五輪3万人(1992年)、アトランタ五輪4.2万人(1996年)、シドニー五輪4万人(2000年)、アテネ五輪4.5万人(2004年)、北京五輪7.5万人(2008年)、ロンドン五輪7万人(2012年)、リオデジャネイロ五輪5万人(2016年)と言われる(報道や数え方によってバラツキはあるが)。

 基本的に無償で交通費・旅費が自己負担という条件も大差ない。

 専門性のある人をタダ働きさせるのも似たり寄ったりで、例えばロンドン五輪では7万人のうち5000人が医療スタッフである。
 このときはイギリスの保健省が、看護師がオリンピックのボランティアに参加できるよう有給休暇を取らせるように雇用者に求めていた。
 オリンピックという枠組み自体に「タダ働き」が組み込まれているのだ。

 オリンピックでボランティアを大量に使うようになったのはロサンゼルス五輪以降だ。
 ゴリゴリの新自由主義者レーガン大統領のもとで五輪の民営化が進められ、一気に商業主義化した記念すべき(?)大会でもある。
 ボランティアによって人件費を削ったこともあって黒字となり、五輪は儲かるという認識を広げることになる。

 ところが、味をしめたアメリカは次の1996年のアトランタ五輪で大失敗する。
 やはり運営をボランティアに依存する完全民営だったが、ボランティアが途中で多く辞めたり、バス運行システムが破綻するなど大混乱が起こった。
 さらに警備もボランティア頼りだったことがテロを許してしまい、2人の死者を出すという最悪の事態を招いた。

「民度の高い国民が支える大会」という物語

 アトランタ五輪の失敗を受けて、国際オリンピック委員会(IOC)は五輪の運営に行政の関与を求めるようになった。
 今はボランティアの募集、選考、研修を公的機関が一定のコストをかけて行う。
 ボランティアの研修不足が懸念された大会(アトランタ五輪やシドニー五輪など)では多くの問題が起きてしまった。

 ボランティアに支払うお金がかからないとしても、彼ら・彼女らが円滑に働けるようにするためには、責任を持って十分なお金と時間をかけて環境を整えなければならない。
 その意味では「安上がり」では決してない。

 だから五輪の支出を抑えるためには、ボランティアを多く使うのではなく、逆に数を減らすのが普通だ。
 リオデジャネイロや平昌の大会がそれに該当する。
 この意味で東京五輪はコンパクトな五輪という理念から逆行している。
 IOCは東京五輪のコスト削減のために、ボランティア数を見直すことを求めているが、これは数が過剰だとIOCが見ているということでもある。

 それにもかかわらず国がボランティアの多さにこだわるのは、「民度の高い国民が自発的に支える大会」という物語を求めるからだろう。
 例えば北京五輪は、過去最多の大会ボランティア7.5万人に加え、都市ボランティアを実に40万人以上動員し、「ボランティアが多すぎて逆に邪魔」という欧米メディアの揶揄もどこ吹く風で、大国らしさを演出してみせた。

 東京五輪では早い時期から大会ボランティア8万人という数字を掲げてきたが、「過去最多」という称号を手にしたいからのようにも思える。

 しかし五輪は、民度の高い国民の見本市ではない。
 そもそも普通は海外からも多くの応募ある。
 五輪の理念に共感したり、単に異国で様々な国の人と「祭り」を楽しみたいといった理由からだ。
 アテネ五輪のときは、12万人の応募のうち4万人が海外からの申し込みだった。

 東京五輪では、ボランティアを「おもてなし=日本の伝統」という枠に閉じ込めたいようだが、それがいかに内向きな議論かわかる。
 個人の思いや動きは、たえずこうした国の思惑からズレる可能性を持つ。
 以下では、ボランティアの報酬の問題を個人の側から整理してみたい。

「やりたくてやる」人は否定しない

 以下では、五輪ボランティアに関する人を3つのタイプに分けてみたい。
 それは(1)やりたくてやる人、(2)やりたいわけではないのにやらされる人、(3)やりたいのにできない人である。

 まず、(1)やりたくてやる人だが、これは事前に報酬や労働条件に関する情報が与えられ、参加しない自由が十分あるにもかかわらず、本人がメリットとコストを比較考量して参加する場合である。
 自発的なボランティアというイメージに最も近い。
 このケースまで滅私奉公とかやりがい搾取といって叩くのは、さすがにその人自身の合理性を無視しすぎだ。

 ところでなぜ「自発的」に五輪ボランティアをする人がいるのだろうか。
 本当に滅私奉公の意識があるのか。
 ロンドン五輪のボランティアに関する実証研究によると、いくつかの動機の因子がある(*1)。

 その中には愛国心から参加する「愛国因子」というのもあるが、これが強い人は五輪が終わるとスポーツから離れる傾向があり、意外と「レガシー」になりにくい。
 一方で、「スポーツや五輪が好き」因子や「他者と繋がりたい」因子というのもあり、これらが高い人は大会後もボランティア活動やスポーツを続ける傾向がある。
 愛国云々に関係なくより私的な動機で参加する人の方がプラスの外部効果が大きいようだ。

 一般に近年のボランティア活動に、社会や国という「大きな物語」が介在することはあまりない。
 自分を成長させたいとか他者と繋がりたいとか、めったにできない経験をしたいという個人の「小さな物語」をフックとしながら活動するのが一般的である。
 この傾向は五輪のようなお祭り騒ぎの時に顕著になる。

 生の充実のために自発的に「祭り」に参加するボランティア――これに報酬を払う必然性はないし本人たちも求めていないだろう。
 ボランティアのタダ働きを批判するのは、たいていオリンピックに否定的な人だが、それが五輪の無用なコスト増大につながるような主張をするのは、あまり理にかなっていないように思える。

 筆者自身オリンピックはやめるか極力安上がりがよく、その分を国が本来行うべき社会保障や教育に回してほしいと考えているが、その立場にとってやりがい搾取論は諸刃の剣である。

「動員」される懸念もある

 しかし問題は、この自発性の前提が十分に満たされない(2)のケースである。
 長野冬季五輪のときに前例がある。
 この時のボランティアは約3万5千人とされるが、この中には自治会や消防団、婦人会などの地域団体、経済団体、労組などに協力を要請して動員された人も多く含まれていた。

 さらに、ボランティア運転手が大幅に足りなくなってからは、企業や自治体を通じて1万人近くが運転ボランティアとしてかき集められ、半強制的に参加させられた人も少なくなかった(*2)。

 中間集団を通じた動員は、日本のお家芸である。
 1964年東京五輪のときも、大学や企業を通じて運転や通訳、会場整理の人員が集められた。
 また都内では地域組織が中心となって、海外の人から見て恥ずかしくないように地域の改善運動が展開された。
 復興した日本を世界に見てほしいという「大きな物語」が社会を覆い、「公徳心」という言葉が睨みを利かせていた。

 現在は「大きな物語」も地域組織も空洞化しているが、大きなスポーツ大会があって人手が足りないとき、地方自治体や地域の大学・企業などにボランティアの要請が行われる構造は変わらない。

 しかし参加しない自由が十分に保証されない限り、「ボランティア」として扱うべきではないし、その労働には正当な対価を払うべきだろう。

 長野五輪のときには、運転手を出す地元103社の約3300人の8割が、ボランティアといいながら実際には業務命令による派遣だった事がわかり、労働基準局から各会社の就労規則を守るように行政指導が入った(*3)。
 今回も人手不足の領域を埋めるために、大学・企業・自治体を介して半強制的な「ボランティア」動員が行われないか懸念される。

「ブラック」という批判はこのような働かせ方に対してこそ厳しく向けられるべきだ。

 加えて重要なのは、これらのケースを「例外」ではなく「やっぱりな」と思ってしまう感覚が、我々の中にあるということだ。

 これまでの日本社会は、仕事への全人格的なコミットメントと家族(女性)のアンペイドワークに依存し、政府も他の選択肢を保障することなく、その仕組みを推進してきた。
 自由度の小さい「やりがい搾取」の体系が、社会に埋め込まれているというリアリティがある。

 先に述べたように、無償のボランティアはオリンピックでは一般的だが、日本で強い反発が起こる背景はここにあると思われる。
 この懸念を払拭しない限り、いくら小手先で対応しても批判は消えないだろう。

結局、五輪ボランティアの社会的意義って?

 このように、ボランティアの無償問題は自発性の仮定が満たされているかどうかでかなり整理できる。
 非自発的ならば当然支払われなければならない。
 ただし自発的でもお金の問題を無視できないケースがいくつかある。
 その一つが(3)やりたいけど交通費や滞在費がかかるため応募できない場合である。

 海外の五輪でも、ボランティアに金がかかるため、高所得者の方が参加する傾向があった(*4)。
 では、お金にゆとりのない人でも五輪ボランティアをできるように、実費や報酬を出すべきなのだろうか。

 この答えは、五輪ボランティアにどのような社会的意義を認めるかで変わってくるだろう。
 推進側は「一人ひとりが互いに支え合う『共助社会』実現に寄与」すると主張する(東京都・東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会2016『東京2020大会に向けたボランティア戦略』)。

 しかし、戦前の恤救規則(じゅっきゅうきそく)から近年の介護保険のサービス抑制に至るまで、日本では「地域の支え合いや共助」という理念が社会保障の切り下げに用いられてきたことを考えると、個人的にはすんなりうなずける話でもない(拙著2011『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会)。

 これに対し、五輪ボランティアの意義についてユニークな考え方をしていたのはロンドン五輪である。
 そこでは、五輪ボランティアは社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の一環として位置づけられ、求職者や非正規労働者が事前研修や大会での経験を通して雇用可能性を高め、就職や昇進につなげることが期待された(*5)。

 その主なターゲットは若者層である。
 実際にロンドン五輪の若者のボランティアは、履歴書の見栄えを良くするために参加したという動機をあっけらかんと語る傾向があった。
 雇用者側もボランティア経験のある学生への期待値は高いという知見があり、求職者にとって五輪ボランティアは合理的な選択である(*6)。

 もしこの方向性を突き詰めるならば、豊かな人ばかり五輪に参加しても意味がないので、ゆとりのない人も参加できるように経済的保障をするという議論もありうる。

 もっとも日本では、ボランティア活動の経験が就職や昇進で考慮されることは少ない。
 それどころか、成績や就職のためと言うと偽善視されかねない。
 やりがい搾取批判が流行する一方で、妙に潔癖なところがある。
 実際に「履歴書のため」にボランティアをする割合は、仕事の競争の激しいアングロサクソン諸国(アメリカ、イギリス、カナダ)では高い一方、日本では低い(*7)。

 東京五輪ボランティア推進の資料を見ても、「おもてなし」や「全員が自己ベスト」のようなふんわりワードばかりで、社会政策的な意義や雇用との関係については全く検討されていない。

 活動経験をどのような形で社会的に評価し、参加者のリターンにしていくかという問いと正面から向き合わない限り、ボランティアの報酬の是非に関する議論は深まりようがないだろう。

タダか否かの論点を越えて

 これまで五輪ボランティアの問題は「タダ働き」という点に焦点があたってきた。
 それも重要な点だが、より根本にあるのは、五輪でブラック労働をはびこらせないということではないだろうか。
 無償労働とブラック労働は重なる部分もあるが、ズレる部分もある。

 むしろボランティアか被雇用者かにかかわらず、膨大な仕事量、酷暑、研修・コーディネション不足による混乱、強制的な動員こそが、ブラック労働の温床になるだろう。
 ソウル五輪のときは警官が一人過労死しているが、東京五輪でも懸念される。

 安心して働ける環境を作る責任が国、自治体、組織委員会にはある。

 無償/有償、ボランティア/被雇用者を問わず、「五輪だから」という理由で行われる過剰な労働を許容しないことが、今回の五輪で問われている。

(*1) Niki Koutrou & Athanasios (Sakis) Pappous, 2016, Towards an Olympic volunteering legacy: motivating volunteers to serve and remain : a case study of London 2012 Olympic Games volunteers. Voluntary Sector Review 7(3)
(*2) 朝日新聞朝刊1998年2月25日
(*3) 朝日新聞夕刊1998年1月23日
(*4) 前掲論文
(*5) Geoff Nichols & Rita Ralston, 2011, Social Inclusion through Volunteering: The Legacy Potential of the 2012 Olympic Games, Sociology 45(5)
(*6) Rita Ralston, 2016, Talking ’bout my generation: generational differences in the attitudes of volunteers at the 2012 Olympic Games, Voluntary Sector Review 7(2)
(*7) Femida Handy et al., 2010, A Cross-Cultural Examination of Student Volunteering: Is It All About Résumé Building?, Nonprofit and Voluntary Sector Quarterly, 39(3)


現代ビジネス、2018.08.23
東京五輪ボランティアをやっぱり「やりがい搾取」と言いたくなるワケ
過去の「動員」を思い出す… …

(仁平 典宏、東京大学准教授)

日本社会における市民運動と助け合いにはどのような特徴があるのか。
共助が弱いと言われる背景にある構造とは? 
市民運動が自立するために必要なことを探る。

市民社会の二重性

─ 地域や職場での助け合い機能の低下を懸念する声があります。

 立ち位置によって異なる見方ができます。
 例えば、地域の相互扶助機能が低下することで、草の根民主主義が弱くなっているという見方。
 代表的なのはロバート・パットナムのソーシャル・キャピタル論です。
 タウンミーティングや相互扶助活動などに象徴されるアメリカの社会関係資本が弱まることで、民主主義も弱くなっているという議論です。
 この観点で見れば地域の相互扶助活動は民主主義強化のために重要です。

 一方、異なる文脈もあります。
 日本では社会保障費抑制の流れの中で、地域にサービス主体を移行する動きがあります。
 この観点では、国の社会保障費の抑制のために地域の助け合いが称揚されます。

 そもそも、日本において、こうした助け合いを称揚してきたのは保守政党で、革新系の野党は社会保障の弱さや資本主義が生み出す矛盾を相互扶助で糊塗することを批判してきました。

 ただ、1970年代から住民運動や革新自治体の誕生を背景に、革新系の中にも市民活動を推進する動きが生まれてきます。
 同時に女性運動や障害者運動など多様な主体の運動が勃興していきます。

 ただ多くの団体は法人格がなく、組織基盤は安定しませんでした。
 資金を得やすくするために公益法人の認可を得ようとしても、そのハードルが高く難しい。
 公益の定義を国が独占していたため、官僚のさじ加減によって認可は恣意的に左右されました。
 そのため政府から自律して運動をする団体は大きくなりにくい一方で、社会的信用のために法人格を得ようとすると政治的な自律性が損なわれるという構図が生まれました。
 日本の市民社会にはこうした二重構造があると指摘されてきました。

自律性の確保

 こうした状況を打破するものとして期待されたNPO法は、1990年代の非自民連立政権の誕生や阪神・淡路大震災のボランティアの活躍などを経て1998年に施行されます。

 この立法において市民の果たした役割は大きいですが、90年代後半以降の新自由主義に向けた条件整備という背景もあります。
 政府が担ってきた社会サービスを地域の相互扶助に移管しコストカットを狙う勢力と、草の根の運動を展開してきた人びとが、まったく異なる文脈から市民セクターの強化を訴えてNPO法が成立したのです。

─ NPO法の成立から20年が経過して、その関係はどう変わったでしょうか。

 行政の政策もNPOの存在を前提として行われるようになるなど、NPOは日本社会の中で大きな役割を果たすようになりました。
 しかし、行政の助成金や委託金を取るために消耗し、雇用も不安定な中で疲弊していくNPOは少なくありません。

 他方で、同じく低福祉国のアメリカと比べると、日本は寄付の水準も低いです。
 そのため、行政からの委託金に依存せざるを得ません。
 それは、NPOが行政の意向を忖度せざるを得ない構図を生み出します。
 NPOは日本社会において大きなアクターとして成長したものの、財源と自律性という観点において厳しい状況に追い込まれているとも言えます。

─ 市民運動が自主性・自律性を確保するためには?

 寄付や会費が少ない背景には市民セクターに対する社会的な信頼が弱いことがあります。
 助け合いや絆のような言葉は一般論として称揚されますが、実際に活動しているNPOなどを応援・支援している人は多くありません。

 2012年に行われた調査(日本版 General Social Surveys 〈JGSS-2012〉)の中に、機関や人に対する信頼の度合いについて尋ねた項目があります。

「まったく信頼していない」割合が一番高かったのは労働組合なのですが、「NPOやNGOのリーダー」も悪い方から3番目です。
 この信頼性の低さがNPOが助成金に依存せざるを得ない状況とかかわっています。

 その背景には、公共性を担う存在が日本では長らく行政しかなかったことが挙げられます。
 日本には長い間、公的=行政=非営利、私的=民間=営利という区分けしかなかったので、市民が非営利の活動を通じて公共性の担い手になるという感覚を肌でつかむことができず、市民活動に取り組む人たちを冷笑したり、敬して遠ざけたりする構造ができてしまいました。

「やりがい搾取」と助け合い

 また、助け合いを称揚する言説がある一方で、不信感も根強い背景には、日本がすでに助け合いを過剰に組み込んだ社会であることも挙げられます。
 そのことを端的に表現しているのが「やりがい搾取」という言葉です。
 日本は「やりがい搾取」を含み資産のように保持してきた社会だと言えます。
 例えば、家庭内では女性が家事や育児を無償で行うことで、育児や介護の施設をつくらずに済みました。
 企業内でも不払い残業などで従業員を搾取してきましたが、長期雇用との引き換えにそれが許容されてきました。

 短期的には搾取であっても長期的な安定が提供されるから、含み資産として無償の労働力を提供してきたのです。
 しかし、近年そうした長期的な交換条件が成立しなくなると、人びとは搾取されている意識を高めていきます。
 このように見ると、日本社会は助け合いが少ないのではなく、システムの中に助け合いを過剰に組み込んできた社会とも言えます。

 その中で、人びとにさらに助け合いを求めたり、寄付を求めたりすれば、「もう十分にやっている」という反応が返ってくるのもうなずけます。
 そのため、私は一般の人々に公的サービスの肩代わりのためのボランティアや寄付をこれ以上求めるのも筋が違う気がしています。
 ただ、ボランティアや寄付を無理にする必要はありませんが、それらに取り組む人を冷笑しないでほしいとは思います。

 一方、ボランティアや寄付をもっとすべきなのは高所得層です。
「ノーブレス・オブリージュ」(ヤッホーくん注)という言葉に代表されるように、多くの国で高所得層ほど寄付やボランティアを行う傾向があります。
 日本も戦後しばらくそうでした。
 しかし、2000年代に入ってから日本の高所得層はボランティア活動への参加を顕著に減らしています。
 これは世界的に見ても大変珍しい現象です。

 日本の格差社会は、所得や資産の格差に加え、高所得者層が公共圏から撤退しているという点でも問題です。
 自分の得たものを社会に還元する意識をもっと持つべきです。


ミクロの場を超えたつながり

─ 助け合いの意識を醸成するには?

 日本における助け合いは、家族や職場といったミクロな場における助け合いであって、そうした場を超える見知らぬ他者に対する助け合いの意識は希薄です。
 ミクロな場において濃密な助け合いがあるのは、それをしなければ「村八分」にされるからで、長期的な人間関係が前提になっていると言えます。

 日本では、流動性の低い集合内での助け合いは強度に行われる一方、それを超える範囲の人に対する贈与の意識は非常に低いことが学術的にも指摘されてきました。
 前者のつながりは「ボンディング bonding 型」。後者は「ブリッジング bridging 型」と呼ばれます。後者の意識をどう強めていくかが課題です(ヤッホーくん注)。

 先ほどの調査で労働組合の信頼度が低かったのは、非正規労働者など組合の外にいる人とのつながりが弱かったからと考えられます。
 労働の現場で起きていることは、他の市民団体が取り組んできた活動と必ず結び付きます。
 多様な組織・人との結び付きを強めることが労働組合の存在意義の向上につながるはずです。


情報労連リポート、2019.10
「共助」をもっと考えよう
「助け合いと市民社会」考
市民運動がもっと自立するには?

(仁平 典宏、東京大学准教授)
http://ictj-report.joho.or.jp/1910/sp01.html

(ヤッホーくん注)「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」

 19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。
 財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。
 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。
 法的義務や責任ではないが、自己の利益を優先することのないような行動を促す、社会の心理的規範となっている。

 また、聖書の「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)に由来するとも言われる。

 例えばイギリスでは、国家・国民のために尽くす義務があるという意味に受け取られ、貴族やエリートの教育で扱われる。
 アメリカでは「慈善を施す美徳」の意味があり、富裕層が貧しい人びとに慈善を施すという形で実践されている。
 最近では、主に富裕層、有名人、権力者が社会の規範となるようにふるまうべきだという社会的倫理として用いられる。

 日本では、派遣労働者を雇い止めしたり、産地・賞味期限偽装で不当利益を得たりする例をあげ、企業経営者や政治家など社会のリーダー層にノブレス・オブリージュの欠落が指摘される。
 自己(自社)の利益の追求だけでなく、社会を構成する責任ある主体としての取組が求められる。


日本女性学習財団
https://www.jawe2011.jp/cgi/keyword/keyword.cgi

(ヤッホーくん注)次の論文参照のこと
西出優子(東北大学経済学研究科教授)「ソーシャルキャピタルと教育の相乗効果 Social capital and its synergy with education」
http://archive.unu.edu/gs/files/2008/sy/SY08_Nishide_text_jp.pdf

posted by fom_club at 08:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする