2019年10月09日

先崎彰容『未完の西郷隆盛』

明治維新150年 なぜ今、西郷隆盛か

片山杜秀  今年はNHKの大河ドラマも「西郷どん!」で、維新関連、西郷関連の本が数々出版されています。明治維新から150年というタイミングが何かと意識されますね。しかしそれは外側の話として、『未完の西郷隆盛』のあとがきには、先崎さんが思想史研究を志すきっかけが、そもそも西南戦争であり、西郷隆盛であったとありました。

先崎彰容  明治維新150年を、人物を通して考えるとすれば、例えば坂本龍馬ならもっと躍動感が生まれただろうし、大久保利通なら堅実に描けるでしょう。でも今回、西郷隆盛に関する夥しい書籍が出たのは、恐らく西郷が征韓論であれ西南戦争であれ、敗者の側であり、「暗い」からかも知れません。

 2018年の日本は、かつて司馬遼太郎が「坂の上の雲」を書き、大いに受け入れられたのとは違う社会的雰囲気ですよね。経済だけではなく、政治への期待感の喪失を含めて日本全体に閉塞感がある。つまり、「暗い」。なぜこうなったのか。少なく見積もって戦後、巨視的に観れば日本の「近代」全体をいま一度問い直したい、これが『未完の西郷隆盛』執筆の強い動機です。

 日本の近代化とは何か、ということを考えるとき、西郷は懐が深いと思うんです。徴兵制で士族の特権をはく奪した例でも分かるように、西郷自身が日本に様々な先進的制度を導入し、近代化を進めていった。一方で、近代化に違和感を表明した、西郷は岡倉天心とともに最初期の人物です。つまり西郷は、近代日本を作った人物であると同時に、それに対して懐疑した、とても謎めいた人物なのです。

片山  といっても西郷隆盛には思想家として、系統だった著作があるわけではない。そこで彼の片言隻語や時々の行動が、『論語』の短すぎるフレーズが後世の人たちに解釈の無限変奏を生み出したように、様々な西郷像がつくり出される。先崎さんは見事な西郷変奏曲を今回書かれましたね。

先崎  西郷には系統だった著作がないどころか、主著『南洲翁遺訓』すら、実は庄内藩の人による聞き書きです。それが福澤諭吉から江藤淳に至るまで、西郷を自由に論じ、自らの思想を仮託することを許して来ました。何より驚いたのは、彼らの言葉を精読し、腑分けしてみると、現代の私たちの行動パターンがほとんど出揃っていることでした。つまり「西郷隆盛」は、私たちの思考態度のソースなんです。

片山  いきなり福澤諭吉の西郷観から入るのには意表を突かれました。しかも要点は近代社会の通弊である誇大宣伝や虚偽報道への危惧でしょう。この福澤と西郷の共通認識が導入になることで、本書はとても現代的な印象を与えますね。
 その後に西郷論の王道が出てきますが、そこから浮かび上がるのは、やはり西洋近代への懐疑や異議申し立ての系譜学となりましょうか。それでいきなりなのですが、このタイミングで西郷を取り上げて、先崎さんがいま、日本近代に何を思うかを伺いたいですね。

先崎  私はこれまでの著作もそうでしたし、今回の西郷論でも同じですが、一つの立場に立たないようにしています。例えば、第四章で取り扱った政治思想史家の橋川文三や小説家の島尾敏雄によれば、西郷は明治新政府がつくりつつある天皇親政の国家体制を相対化する人物だった。西郷は30代の壮年期に流罪となり、離島生活を余儀なくされます。その西郷に本土中心の歴史観をひっくり返す可能性を観ようとした。これは明確な「反近代」です。

 一方で、福澤諭吉は驚くべきことに、西南戦争で西郷軍が敗北した原因を、当時、世界を席巻していた情報通信を駆使できなかったからだと観ていた。官軍は電信を用いて速やかに情報を把握していたからです。これは西郷を論じつつ「近代」について考えていると言えるでしょう。さらに第5章で論じた江藤淳も、西郷に「近代」とは何かを読み取ろうとしていました。江藤は文藝評論家としてデビューして以来、一貫して西郷を低く評価し、勝海舟を持ち上げていた。江藤にとって近代国家を作り上げることは、常にアメリカなどの列強と対峙しつつ、いかに自己主張を貫徹するかという問題です。

 私たちは比較的容易に「国家権力」という言葉を使い、何やら国家は巨大なもの、絶大な壁のようなものと前提しがちです。しかし江藤は逆の考えを持っていて、アメリカという自らの価値観の普遍性を疑わず、強制してくる存在に対し、何とか対峙するシンドイ国家、それが日本であると。国づくりは平和を維持して当たり前。壊せば批判され責任を問われる。これが政治家の仕事です。だから政治家は夢を語ったり、理想に溺れるのではなく、むしろ地味で地道であるべきだ、それが勝海舟だと言っていたのです。西郷はあまりに詩人的でダメだと。

 その江藤が突如、晩年に評価を逆転させ『南洲残影』を書いた。それはなぜか。安易に近代批判をせずに、そもそも「近代」とは何なのか――西郷について考えると、私だけでなく、多くの思想家が、こうした問いに導かれていくんです。

片山  結果、この本は、一章から四章までと、江藤淳を扱う五章では少しトーンが違っていますね。

先崎  そうですね。第二章から四章は、「反近代」的な思想が読みとれる内容だと思います。二章の中江兆民の場合、西郷とルソーが似たような問題と格闘していることを論じました。具体的には、経済の自由放任主義を批判し、儒教的な道徳の復活を処方箋として提案しました。中江兆民が西郷を高く評価し、儒教への親近性を語っていることだけでも、十分に「意外性」があるのかも知れません。

 また三章では、右翼の巨頭・頭山満と西郷の関係を考えました。西郷を敬慕しつづけたこの右翼人の周辺から、次々にテロリストが生まれたのはなぜか。西郷の思想のなかに、実はテロリストを生んでしまう危険な香りがあらかじめ内包されているのではないかと。そしてこの香りは、日本で暴力的行動が生まれる際の、論理と心理が典型的に現れており、現代にも無縁ではないのではないか。

 実は西郷が歴史学で取り上げられる場合、天皇と藩主・島津斉彬に対する忠誠の相剋、あるいは明治新政府の国家体制づくりとの関係で論じられることが多い。でも、『南洲翁遺訓』を思想史的に精読して観ると、少し違う論点が出てくるんです。

 具体的には著名な「敬天愛人」に注目するだけでもいいでしょう。幕末の儒学者・佐藤一斎に親しんでいた西郷は、「天道」「天命」を重視しました。自らの行動の指針、究極の根拠を超越的なものにおいていたんですね。維新を押し進めた志士たちの強烈な自負心は、この「天」とのつながりを根拠としています。

 ところが、一方で西郷には自分の過剰な精神をうまくコントロールできない一面があった。「天」から与えられた規範を逸脱するような、独善に陥るような暴力的な一面があったのです。その危険性が突出してしまったのが、後の頭山満周辺の西郷信者によるテロ事件でした。

資本主義の終焉と、社会主義的なるもの

片山  ところで最近、資本主義の終焉という論調が強まっていますが、先崎さんは、社会主義についてはどう捉えていますか。冷戦構造の崩壊とともに、社会主義は表舞台から消えましたから、先崎さんが学生の頃は、社会主義など歯牙にもかけず、という風潮だったと思います。しかし近代のオルタナティブとして、反近代あるいは超近代を考えるとき、社会主義は外せません。西郷や中江兆民の中にある、「道」や「天」といった儒学的、儒教的な思想が、資本主義や個人の解放とは逆方向の、明治の社会主義に通じていきます。明治から150年の現在と今後を考えるとき、社会主義的なものをどう扱うべきだと思われますか。

先崎  あくまでも西郷との関連でお答えすると、明治末期の大逆事件が起きた際、なみなみならぬ関心を寄せた石川啄木が、日記の中に「幸徳と西郷!」と書き付けているんです。啄木は評論「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)」の中で、国家という強権への確執と、青年を囲む時代の空気の閉塞を執拗に書いています。晩年には「帝国主義的社会主義」という概念まで用いて、閉塞の打破を模索していた。

 日露戦争の勝利で、日本は国家目標の「富国強兵」のうち、取りあえず「強兵」を達成します。そのことで、それまで青年たちにあった国家有為の人材になるという未来図が揺らいだわけです。残るは「富国」ですが、啄木は、富を過剰に追求することに成功する者がいる一方、高学歴で、しかも大学は就職養成所の様相を呈しているにも関わらず就職できない、「遊民」という不思議な階級が現れた、と懸念を述べています。

 澱んだ社会状況の中で大逆事件が起こり、社会を本気で改造しなければいけないと啄木が考えたとき、浮かんだ名前が幸徳秋水と西郷だった。西郷は社会主義を標榜した啄木に、明治末期、社会改造のシンボルとして思い出されていた。

 それを踏まえて、今、片山先生がお話された現代にまで視線を移すと、1990年代後半の私の学生時代には、社会改造の方法として、社会主義の魅力は皆無だった。資本主義が独り勝ちしている状態で、現状の打開策も皆無だった。

 もちろん1990年代後半、社会に対する違和感は強く持っていましたし、飽和しきって砂粒化した社会に、居場所がないと感じていました。あるいは「自分」という存在自体が曖昧で、溶解していく感覚もあった。

 もがくように今村仁司のポストモダン論を読んでも、砂粒化した秩序をさらに解体する方向に持っていく論理のように思われ、生理的な嫌悪感すらありました。

 そうして本を読む中で、当時面白いと思ったのは、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』です。簡単に言うと、マルクス主義などのあらゆる社会改造が崩壊した後の、1930年代の青年のデカダンスが、ロマン主義を生んだ、という内容です。それが当時の私には非常にリアリティがあって、ある意味でそのリアリティをベースとして、思想史研究をしてきたんです。

明治100年の時代背景、昭和元禄、戦争ブーム

先崎  大学で教えるようになった当初も、「現在は社会改造の包括的プランが壊滅した時代です」と説明してきました。その後どんどん、日本の経済状況が悪くなり、2000年代には「格差社会」という言葉が流行する。全く先の見えない状況の中で、東日本大震災が起こります。

 その後の日本は、若い世代を中心に、社会の役に立ちたいとか、NPOで社会改造を行おう、という人が出てきているように感じます。社会主義とは違うかたちだけど、何らかの方法で社会を変えなければいけないと、再び「公」の世界に「自分」を直結させ、興味を持つ人が増えているのかな、と。

 ただ震災以後のこうした状況に危惧する部分もあります。飽和しきった時代が長く、精神的に引きこもっていたところからの反動で、社会正義や社会参加を、過剰に求める傾向が起こっているのではないかと。

 片山先生の新刊、『「五箇条の誓文」で解く日本史』(NHK出版新書、2018年2月)の最後には、最近のナショナリズムの喚起は安上がりな仕掛けで、「「美しい国」「和の国」などの美辞麗句を掲げて、国民の不満を緩和し、その場しのぎの連帯を演出する」と書かれていますね。これが安倍政権批判だとすれば、僕は反原発デモに否定的なので、一見正反対の政治的立場のようですが、実は同じことを感じているんです。政権が近隣諸国を叩くことで、国民の思いを一気に凝集して、「美しい国」という日本像を立ち上げようとすることと、東電を悪者にして蹶起すれば、社会がよくなると錯覚することは、同じコインの裏表だとしか思えません。複雑化を極める現代社会において、一つの象徴を祭り上げ叩く、あるいは興奮を集中させる。これがはたして健全な「公」的な行動と言えるか。社会参加していると無条件に肯定してよいのか。

片山  私は1968年の明治100年のときはまだ幼稚園児でいろいろなことが朧ですけれども、その前後に強い調子で続いた、近代史回顧と日本賛美、戦争の記憶の反芻にやはりドップリ漬かって育っていたんですね。映画と言えば先代の松本白鴎が明治天皇を演じた「日本海大海戦」、小説は「坂の上の雲」、NHK大河ドラマは「竜馬がゆく」。幕末維新と日露戦争と司馬遼太郎の時代でした。まだ戦後20数年なので、軍事雑誌の「丸」には、士官クラスの太平洋戦争の体験談がどっさり掲載されていましたし、漫画も戦争物が多かった。
 そういう言わば戦争文化攻勢を浴びせられて、いつしか戦記マニアみたいになって(笑)。日本海軍の軍艦の写真集を愛蔵していましたが、これがほとんどアメリカに没められている。ここまでひどい負け方があるのか。どうしてそこまでやるのか。西洋が憎かったのか。別の理由か。なぜ玉砕や特攻までするのか。日本近代に興味を持ったのは明治100年の御蔭ですね。日本というのはとても無茶で際どくていつも薄氷を踏んでいる危うい国で、しかも構造的な歪みを抱えているのではないか。そういう関心になりました。
 つまり続いているのが不思議だな、ということ。滅びるんじゃないか。根底にあるのはそればっかりで。その意味で江藤淳の国家が弱いという話には共感してしまいますね。

先崎  明治100年と150年の現在とでは、時代背景に差がありますよね。

片山  そうですね。私の子どもの頃は、戦争の話をたくさん聞かされながら、少なくとも戦後はうまくいっているんだと。高度経済成長だ、昭和元禄だ、みたいな時期が、幼稚園から小学校低学年ですね。三島事件は小学一年で、そのとき現場に比較的近い飯田橋に居たせいもあってよく覚えていますが、当然ながら意味はよく分からない。それよりむしろ同年の大阪万博ですね。東京から出かけて夢を味わった。猛烈な記憶になっている。小松左京や梅棹忠夫や岡本太郎のデザインした世界で、もちろん彼らなりの反近代も超近代もあったわけですが、基本的には産業文明のユートピア。動く歩道や月の石や原子力の灯でバラ色の未来を刷り込まれました。
 ところがその直後の1973年がオイルショックでしょう。突然節電が叫ばれ、産業文明はもう終わりだという。落差が強烈すぎて、何を信じればいいか分からなかったですね。日本の国が脆いのではないかというのは、歴史から学んだよりも、私の場合はあの頃の刷り込みかもしれません。
 もう一つ思い出すのは、1969年だから明治101年の沖縄反戦デーの都市騒乱。天皇誕生日の前の晩です。私は都心の小さなホテルの部屋から眼下に目撃しまして。学生と機動隊が睨み合って、学生が火炎瓶を投擲して道が燃える。幼稚園児としては本当に怖かった。部屋の電気をつけると学生に火炎瓶を投げられるとホテルの人に言われて、部屋を真っ暗にして窓から見ていた。4階だったかな。あの晩はもう大変だ、早く逃げようと、深夜まで親や親戚に訴えたのですが、笑って相手にしてくれない。だって外が暴動なのに。
 崩壊感覚とでも言うのでしょうか。それがトラウマであり基本になってしまっている。学問のことでも、安定が前提になっていたり、管理して統制できるという話が当たり前になっていると、嘘っぱちに思える。滅亡や混乱やカタストロフについて聞かされると、そっちがデフォルトになっているので安心する。呆れ果てたバイアスのかかりようで(笑)。要するに不可能性が前提になって、その前でもたもたする思想でないと共感できない。

先崎  なるほど。

片山  江藤淳の精神史も日本海軍的な合理精神に懸けたものが揺らいで壊れてゆくプロセスなんでしょうね。勝海舟が素敵に思える人は、よほどの楽天家か機会主義者かニヒリストですよ。山本権兵衛にこだわるに至っては山岡荘八の『徳川家康』みたいなものです。しっかりやれば結果が出るみたいな。そんなもんじゃないですよ、日本の歴史は。
 そこはさすが江藤淳だ。晩年に西郷に辿りつく。西南戦争の薩軍の敗北にこそ、太平洋戦争で敗戦に至るまでの日本の近代史が凝縮されていると。歴史は繰り返すと。先崎さんの整理がとても腑に落ちました。
「抜刀隊」の歌や「孝女白菊の歌」に先崎さんがページを割かれたのも、滅びへ向う日本近代の暗いトーンを浮かび上がらせるのに、非常に利いています。感服しました。
 明治150年の現在は、滅びを基調としながらも、といって「はい、滅びます」とはいかないので、結局、江藤が西郷に投影したように、滅びの感覚に耐えながら、砂粒化した社会をギリギリで保ちつつ、延命のためのマイナーチェンジを繰り返すしかない。そんな具合でしょうか。

西郷の中に潜む「日本人を知るための何か」

片山  本書では、司馬遼太郎を終章に持ってきて、それが読者への一つの謎かけのようにも読めたのですが、司馬を通して先崎さんが問いたかったことは?

先崎  まず驚いたのは、三島由紀夫も江藤淳も司馬遼太郎も、皆、眼前の「五十五年体制」を批判する際、西郷に言及していることです。

 司馬が西郷を評価していなかったことは比較的知られていると思いますが、同時に大久保利通のつくる官僚組織についても懐疑的だった。大久保に理想の国家像を仮託できない。でもそれに対する反旗の翻し方が、征韓論や西南戦争では困るのです。司馬は征韓論を、本来冷静に対処すべき「外交」に、民族的な対立意識の情念を持ち込んだ最初の事例だと批判しています。と同時に、西南戦争についても、最初から敗北を分かっていての無意味な戦争だったと辛口です。国内外の政治において、西郷にはリアリズムが足りないと。

 そして司馬は、眼前の「五十五年体制」もまた、何一つ変わっていないではないかと言うのです。社会党は、最初から政権交代などできないと分かっていて、無意味な自民党批判ばかり行っている。また外交で自民党を批判する際も、近隣諸国との情念深いナショナリズムを焚きつけるだけで冷静な対応を目指さない。

 以上の司馬の西郷評価は、とても合理的で納得できるものです。しかし、と私は立ち止まりました。でもなぜ、西郷の人気は衰えないのか。そこには何か、日本人が抱える思考と行動のあるパターンが読み取れるのではないか。国民作家と呼ばれる司馬ですら、見落としてしまう「日本人を知るための何か」が潜んでいるのではないか、と。

片山  そうですね。そうした思考展開に先崎さんの西郷びいきとしての真骨頂がありましょうね。
 さて、先崎さんが要領よく、しかも厚く整理してくださっているので、江藤淳を含めたそれぞれが、西郷に仮託した思想はとてもよく分かります。しかし明治150年に、近代を一遍にひっくり返すことは無理にしても、異議申し立ての思想的原基を、西郷に求め続けるべきなのか。

先崎  結論は出しにくいのですが、何らかのかたちで現状を変えたいと思うとき、その方法論のいくつかのパターンが、西郷をめぐる思想の系譜に凝集されていることは、確かだと思うんです。

 例えば、橋川文三や島尾敏雄、吉本隆明は日本の近代化を天皇制国家であると定義し、その体制を相対化する手段として、南島時代の西郷に注目したわけですが、同時期の三島由紀夫は、別の問題意識から西郷と天皇の関係に注目している。三島にとって明治以来の近代化とは、天皇本来のあり方が失われていく時代だった。三島にとって天皇とは日本文化を象徴する存在であって、立憲政治に限定されてはならない。天皇は勅撰和歌集はもちろん、叙事詩からセックスにいたる人間の営み総体を抱擁し、非合理な暗部にまで眼の届く存在であるべきだった。

 だから三島は明治立憲体制に批判的で、とりわけ治安維持法が嫌いでした。なぜなら治安維持法は共産主義者対策の法律であることから、日本の「国体」を資本主義だと言っている。これが三島には我慢ならなかった。そして理想の天皇像の復活を求めて、1970年に割腹自殺をしたわけです。明治以降の「近代」日本を呪い、天皇と、天皇を愛した西郷の革命思想に期待をよせたというわけです。

 つまり天皇を軸として観れば、橋川や島尾と、三島由紀夫は正反対の立場に立っている。でも彼らには共通点もあることに注意せねばならない。彼らは総じて反近代の立場に立っていた。「西郷隆盛」を語る饒舌な議論の中に、日本の近代化の是非を問い質す発言の典型的なパターンが出揃っている「事実」は、驚くべきことだと思います。私たちが社会改革を云々するとき、西郷はその存在感を増してくるのは間違いない。ここに福澤諭吉の情報革命に翻弄される西郷像、中江兆民の自由主義経済批判、さらには頭山満の西郷思慕とテロリズムの発生を思い出せば、日本の近代化が生み出す諸問題のいかに多くが西郷によって語り出せるかに、改めて気づくと思うのです。

「敬天愛人」を説く西郷の中に、近代を超克する「アジア主義」の一面と、真面目さゆえの狭量さ、暴力性が同居していた。西郷の多様性を肯定すると同時に、西郷の中にあるきな臭い部分も見つめ、危うさも含めた日本人の思考パターンを知ることは、今の世の中にも必要だと思っています。

150年の時間軸、死から生を問い直すべきとき

片山  その通りですね。
 しかし、この複雑化した現代社会で、福澤諭吉が理想とするような、情報の適正な流通が可能でしょうか。中江兆民のように、人間の欲望を儒教的な倫理によって修正して経済の道徳化、公益本位、社会主義的な方向付けを目指すというのも、どうでしょうね。すでに歴史の中で試され、しくじっている事柄とも言え、今後に生かすのは難しいように思ってしまいます。頭山が仮託したアジア主義思想も、西洋近代を相対化するためのカウンターとしては機能するけれど、民族の連帯が絵に描いた餅ということは……。

先崎  そうですね……しばしば言われるように、現代社会で包括的な改革案、世界観自体を問い直す具体的運動は困難なのでしょう。だから小規模な形での、しかも生活に密着した感じのする、「もう一つの近代」を求める動きがある。「生活に密着した」と言ったのは、要するに政治的な匂いが少ないという意味です。

 例えば、有機栽培の食材を使ったレストランや、地方都市で古民家カフェが注目を集めたりすること。また物を持たないシンプルな生活が、かえってスタイリッシュに思えるのは、近代社会の価値観・通念に対する柔らかなアンチテーゼなのだと思います。それはどこか、岡倉天心がかつて語った、インドの夕刻に木陰で人びとが憩う光景につながる、近代的な速度から降りた生活感があります。アジアの原風景への衝動というか。資本主義の加速から降りるという選択肢が今、経済成長の減速とともに意識されている。そしてその先駆者こそ西郷隆盛なのだ、西郷のアジア的で反西洋文明風の価値観なのだということになってくる。「もう一つの近代」の先駆者という記号として、西郷はあるのです。

 この本では、近代社会の弊害とともに、処方箋も示すように心がけましたが、福澤諭吉の場合、性急な改革と過剰な文明開化に、精神的な安定を奪われないための「地方自治」が処方箋となります。最近、東京一極集中型の社会から、地方へのシフトチェンジが語られる機会が増えていますよね。

 中江兆民の場合、過剰な自由主義経済化を戒め、個人の欲望追求と他者との競争に明け暮れる状態を近代であるとし、理想の共同性を復活させるために儒教道徳の「浩然の気」が処方されています。ルソーの一般意志もまた、眼前の西洋社会が殺伐とした人間関係であり、その無秩序から理想の共同性を模索した書物だと、兆民は理解し評価していたのです。これは現代で言うと、東浩紀さんの『一般意志2・0』の議論に、重ねて考えることができるのかも知れません。東さんは、ネットを活用することで、政治参加をせずに引きこもっている人びとを連帯させて、政治的な一般意思をつくる道を模索します。人と人がどうすれば社会につながれるのかは、兆民以来の課題なわけです。

 そして拙著『未完の西郷隆盛』の一応の結論は、西郷隆盛に私たちは「政治家」以上のものを読み込んできたのだ、それは西郷という人物の中に、この近代社会を生きていく際の指針、少し大袈裟に言えば、私たちの死生観、理想の人間イメージを読み込んできたのだ、というものです。

 近代150年は、富国強兵や高度成長といった、過剰な生の情熱が満ち満ちた時代でした。一方で、反乱、暗殺、戦争、テロなど過剰な暴力と死への憧れを生んだ時代でもありました。西郷は離島流罪時代に、「生と死の論理は二つにわけられるものではない。これを呑みこむことができれば、あらゆる行為は天理からはずれないのだ」と言っています。こうした死生観に支えられて幕末維新期を駆け抜けた西郷に、私たちは何か政治家以上のものを嗅ぎつけ、憧れているのではないか。私たちが生きる近代社会が排除し続けてきたもの、徹底して眼を逸らしてきた死の匂いを、西郷に嗅ぎあてているのではないか。テロや暴力といった過剰なかたちで日常生活に死を呼び込むのではなく、どう生と死を等分に見渡せる価値観を取り戻せるのか。きな臭いかたちではない、生と死の共存は、現代社会であり得るのかと。

明治100年と明治150年の経済状態の違い

片山  明治100年の頃は、極端な右肩上がりがいつまでも続くと思えた時代だから、アダム・スミス流に言えば、経済成長で皆が豊かになってゆけば、その豊かさを維持しようとして、他人に攻撃されないように、道徳的に公益を尊重する態度がおのずと身につくと。資本主義が市民道徳を生み出すから大丈夫という話を保守の人たちはしていた。林房雄とかはそうでした。対して社会主義の人たちは仕組みを変えないと豊かさは全体に及ばないと言った。
 しかし今思えば、当時の左翼と保守の争いは能天気でした。どちらも成長することが前提で、富の分け方の争いだった。みんなが豊かになって階級対立や立場・考え方の隔たりが狭まれば、情報にかかるバイアスも軽減されるから福澤の心配もなくなる。豊かさが極まって道徳が生まれれば兆民の心配もなくなる。
 ところが今は、経済発展という点では、少なくとも先進諸国は行き詰っている。富が増えない。福祉も行き渡らない。階級対立が深まり、人間も切羽詰まり、情報にもバイアスがかかる。急な処方箋を書こうにも、経済と社会の複雑化はそれを難しくする一方である。
 急進的な革命ができる時代ではもちろんない。かつて丸山眞男は、マックス・ウェーバーの『ロシア革命論』を持ってきて、レーニンの暴力革命の成功の要因は当時のロシアの都市に電気やガスや水道がなかったからだと喝破しましたね。継続性が保たれなくてはいけないものが少ない世界ほどラディカルに変えられ、その逆も真である。
 現代の高度資本主義世界では継続すべき事柄だけで飽和してがんじがらめになっている。革命からいちばん遠い世界に来ている。
 でも、何か変えねばならぬことは確かだから、民主主義的にやりましょうと言われても、特に最大の問題である経済の領域が専門家にも手に余る複雑さに達してしまったから、民主的にはやりようがない。一般人に理解できないことは民主的に決められない。裁判員制度とか公聴会とか、市民が参加して熟議する仕組みだけは整えられていますが、民主主義を実質化するためのはずが、今日の情況下では形式化を促進するようにしか機能しない。アイロニーがあります。経済に限らず、安全保障でも原発でも、問題の高度化が客観的解答を出しにくくし、だから慎重になるのならまだしも、それぞれの立場が都合のいい解釈で都合のいい真実を作り出し暴走するのを誰も止められない、最悪の意思決定プロセスが至る所を覆うようになっています。
 先程、社会全体を変えるような大きなビジョンは持てない時代だから、さまざまな小さな問題を個々に世に問うて、脱構築をはかるしかないと言った議論になったと思うのですが、つまりマイナーチェンジということですけれども、その方法論の有効性も疑わざるを得なくなってくる。新左翼、ポストモダン以降の「抵抗の論理」でも「一般意思」の形成でも、ジェンダーや格差問題でもいいけれど、常に構造を相対化しながら、組み替えていくしか方法がない、と言ってきた。それは微視的な戦略や戦術とつながる。しかし、そのマイナーな組み換えの要求が、行政の些末化や近視眼化やタコツボ化と対応し、小さなことが無数に起きて、微分化が極限にいって、しかもどの小さな箇所でも問題が現代社会の通弊として複雑化しているから、答えがなかなか出ず、停滞する。試行錯誤を繰り返す。
 大学でも、毎年のように研究資金の仕組みや受験の制度が変わって、それによって環境改善をはかっているかに見せて、その手続きをしているだけで膨大な時間が使われ、書類づくりで一年が終わって何のために変えているのか分からないうちにまた変わる。それぞれが視野狭窄の中で渋滞して、大きな思考は失われる一方でしょう。
 新左翼以降の、ポストモダンの「抵抗の論理」が、「管理の論理」と重なって、人を疲弊させていく。それが今ではないですか。福沢と兆民から、ずいぶん飛躍しましたが。

先崎  面白い論点がいくつか出てきましたね。その中で二つ拾うと、一つは1968年と2018年、維新100年と150年の経済情勢の違いです。

 片山先生の『「五箇条の誓文」で解く日本史』の終章に、〈「民主主義と資本主義」蜜月時代の終わり〉とあるのですが、資本主義がグローバル化とともに無限の拡張を続けている現在では、民主主義は必然的に機能不全に陥る。なぜなら経済問題は世界規模で起きているのに、民主主義は国家という地域性を単位にしているからです。世界と地域の違いがあるのですから、当然、資本主義と民主主義は乖離に陥ります。

 問題は、その渦中で政治が行政化してしまうということです。本来、司法・立法・行政の三権によって成り立つ政治が、とりわけ行政にウェイトがかかってしまう。分かりやすく言えば、国民の身の回りの生活改善、生活保障の充実が政治のやるべき課題だと勘違いされている。行政こそ政治だと思い込むと、自分の短期的利益を実現してくれない政治はダメな政治だ、ということになるわけです。近視眼的になることで、「政治不信」が常に言われる社会となる。政治とは、立法を目指して議論の応酬をする民主主義の場であって、日本という国がどうあるべきか、未来のために何を変えるべきかなど、「長期的な視野」を持つことが是非とも必要です。

 でも今は、それが全くないですよね。

近代の出口で振り返る西郷ともう一つの国家像

先崎  いささか強引に言うなら、日本という国は常に外圧、あるいは天災によってしか、我に返れない国だった。

 黒船が突然やってくるとか、関東大震災が起きなければ、日本人は大きく変わることはできなかった。2011年に震災が起こったとき、社会の変化が期待されましたが、それも今は昔になってきている。

 もしかしたら、この国はこれから数年以内に、外交的な緊張か、天災か、外からの刺激によって、戦後70数年、あるいは1968年以降の飽和しきった状態を抜け出そうとするのかもしれません。「近代とは何か」を問い直すきっかけを強制されるのかも知れない。逆に言うと、そういうことでしか、長期的なビジョンを取り戻すことは難しいのかもしれない。

片山  そうだとしたら、やはり西郷の中にあるパターンで、我々は思考していくのかもしれません。現代は、司馬遼太郎が超克したかった西郷の亡霊が蘇らざるを得ない時代。有司専制、官僚国家、行政国家的なものへのアンチテーゼとして、あるいは民衆の連帯の方法論として。

先崎  司馬遼太郎は、西郷は国家的なビジョンを持たない人間だと決めつけます。でも実は、西郷は『南洲翁遺訓』でも、普仏戦争をはじめとした当時の国際情勢を理解した上で、日本のあるべき姿を述べています。ですから、現在のような長期的な視野で物を考えるべきときには、思い出されてもいいのではないかと思うんです。

 西郷隆盛は、近代化の先頭走者でありながら、江戸時代に培われてきた伝統が壊れ失われていくということを、強く意識していた人です。だから西郷には、アジア的な匂いがするでしょう。彼は失われていく価値観への郷愁があった。

 今の社会はその逆で、戦後以来、近代化を極北まで突き進んだ私たちは、近代の出口にまで来ています。全てを失い、やはり必要なものがあったのではないかと、完全に失われた価値観を思いだしている。そして西郷の後ろにあるアジア的なものや、草花の匂いがする近代文明とは異なる価値観を、もう一つの国家像として、振り返っているのかも知れない。

 ただし、繰り返しになりますが、西郷は現代社会の病理の多くも体現しているので、処方箋としては効果があるけれど、注意しないと副作用も大きい。取扱い注意な人物です。

片山  自由主義、個人主義、欲望解放でおさまりがつかなくなれば、その先は社会主義的な連帯か、儒教的道徳か。とにかく和辻哲郎の倫理学ではないけれど、関係性の問題に戻ってこざるを得ない。
 人倫、天、アジア、日本。
 西郷のモティーフばかりが蘇ってくる。明治100年は、「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」がしっくりくる時代でしたが、明治150年は西郷隆盛。先崎さんの本はまことに時宜を得ています。

週刊読書人 Web、2018年3月9日
対談=先崎彰容×片山杜秀
明治維新150年「西郷隆盛」という処方箋
『未完の西郷隆盛』(新潮社)刊行を機に

https://dokushojin.com/article.html

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雑誌「ひらく」

 創業40年余、アウトドアスポーツ用品販売の老舗A&AFが雑誌「ひらく」を創刊した。
 登山の雑誌ではない。
 監修は佐伯啓思・京大名誉教授、刊行の辞にいわく「現代文明や日本の思想についての本質的な論議の場所を作り、この混沌(こんとん)たる現代に対する思想的な座標を論じてみたい」。
 分野横断で問題に向き合い、若い人の登場も歓迎する。

 創刊号の特集は「日本文化の根源へ」と「現代という病」。
 監修者をはじめ、松岡正剛、又吉直樹、東浩紀、先崎彰容、上田岳弘、荒川洋治、末木文美士の各氏ほか多彩な顔ぶれが並ぶ。

 A&F創業者で「ひらく」発行人の赤津孝夫氏(72)は、紙の媒体を大切に考えてきた。
 ネット全盛の時代にあって「思慮深さが失われていく」ことを憂え、本誌創刊で「炎上しては消える議論でなく、深く考えるための一石を投じたい」と語る。

 年2回ほど刊行し、次号は2019年11月の予定。2376円。

※ 朝日新聞、2019年9月21日掲載


朝日新聞・好書好日、2019.09.25
アウトドアスポーツ用品販売の老舗が、思想の場を「ひらく」雑誌を創刊
(福田宏樹)
https://book.asahi.com/article/12737409

 A&Fという会社を知っているだろうか。ひと言でいえば、アウトドアグッズの輸入販売を手がけている会社である。

 バックパックブランドの「ミステリーランチ」や、キャンプ用品の「ロッジ」など、高品質で知られるブランドを取り扱い、アウトドア界ではかなり知られた存在となっている。

 現在は扱っていないが、バックパックブランドの「グレゴリー」をいち早く国内に紹介した会社といえば、なるほど、とうなずく人も多いかもしれない。

 そのA&Fが、近年、本の出版を行っている。それも、どこかの出版社と組んだわけではなく、完全に独立事業として。それでいて、出す本のクオリティが異様に高い。今年は定期雑誌として思想誌の刊行まで始めた。

 なぜ、アウトドア製品輸入会社が出版を?
 なぜ、この出版不況の時代にあえて?
 本作りなどしたことのないはずの会社がどうしてこのクオリティを?

 会社の創業者であり現会長、そして出版事業を始めた当事者でもある赤津孝夫さんに、その尽きぬ疑問をぶつけてみた。

アウトドアは「カルチャー」だから。

 どうしてアウトドアの企業が本作りを始めたのか。

よく聞かれます(笑)。うちは創業42年になるんですが、創業当初には洋書の輸入販売もやっていたんです。それがけっこう売れていましてね。当時はアメリカでアウトドアムーブメントが盛り上がった時代で、でも、その情報は日本にはまだまだ入っていなかったんです。
 アメリカのアウトドアというのは、カウンターカルチャーとしての側面が強くて、ただ野外で遊ぶだけではなくて、思想的なこととか哲学的な部分も重要な要素だったんです。
 スティーブ・ジョブズが言った『Stay Hungry, Stay Foolish』という言葉がありますよね。あれはジョブズのオリジナルじゃなくて、『ホールアース・カタログ』という、当時のアメリカン・アウトドアのバイブル的な本に載っている言葉なんですよ。
 私たちが扱っているアウトドア用品は、そういうアメリカのカルチャーをバックグラウンドにもったものが多いので、ユーザーの方も知識がほしかったんじゃないかと。そういう経験が、現在の出版事業の根底にはありますね


 A&Fが出版事業を始めたのは2014年。これまでの5年間に23冊の本を刊行しており、そのうち半数の11冊が海外原著の訳書である。刊行第1号は、『アウトドア・サバイバル技法』(ラリー・D・オルセン著)という本。

この本、アメリカで半世紀も読まれている大ロングセラーなんです。じつはこの原著を、創業当初に輸入していました。ほかにも、ロープワークの本とか、釣りとかナイフの本とか、私たちの商品を買ってくれるお客さんが興味をもちそうなテーマの洋書をいくつも輸入していました。
 趣味のモノって、好きな人はその文化とか背景にも興味が湧きますよね。だから私たちも、モノを売るだけじゃなくて、情報の需要にも応えたいし、そういう部分を知ってほしいという思いもありました。
 だから本にはずっと興味があったんですが、出版を事業として始めた直接的なきっかけは、『アウトドア・サバイバル技法』がアメリカで今でも売られていることを知ったことです。やっぱり本というのはいいな、廃れない商品だなということを再発見したんです


とはいえハードルは高いはずだが……。

 とはいえ、出版というのはいうほど簡単な事業ではない。独自に本を作って、取引のあるアウトドアショップなどに並べれば確かに販売はできるが、書店に置かれなければ広がりはもたない。

 書店で販売するには、取次という本専門の流通業者を通す必要があるのだが、その取次が新規の取引先をなかなか受け入れないというのは、出版業界では知られた事実。よほどの覚悟がないと、まずこのハードルを越えられないのが普通だ。

 A&Fもその例にもれず、本は作ったものの、当初は書店で販売することはできなかった。1冊作って独自に販売した実績をもって、小さな取次業者との取引がようやく可能になり、少しずつ販路を広げて今にいたる。

ブランドには唯我独尊の部分が必要。

 付き合いのあるアウトドア系出版社などに交渉して本を刊行してもらうという手もあったはずだが、わざわざ苦労の多い道を選んだのはなぜか。

うーん、そこはこだわりというか……。他の力を借りてやっても自分たちの財産にならないし、そうすると自分たちの力が発揮できないんじゃないかと思うんです。
 ブランド商売を長年やってきて思うんですが、ブランドには唯我独尊的な部分も必要なんじゃないかと。それが、他とは違う一目おかれる存在を作るわけで、A&Fという会社もそうありたいと思ってやってきましたので


 輸入販売会社が変わることも多いアウトドアブランドの業界で、A&Fは取り扱うブランドをなかなか変えないことで知られる。よいと思い定めたブランドは簡単には手放さず、自社に専用修理工房まで備える態勢で、じっくり時間をかけて育てていく。そういう姿勢がアウトドアユーザーの信頼を得ていることは間違いない。

 本を作るにあたっても同じ。出版社の力を借りては、できあがるものは結局その出版社のもの。それでは自分たちの個性を100%発揮することはできず、ということは、A&Fブランドの確立に寄与する割合も限定的になる−−ということだろうか。

カタログも美しいA&F。

 その思いを貫いた結果に違いないのだが、これまでに刊行された本は、普通の出版社にはなかなかできないほどのクオリティだ。

 まず、装丁が非常に凝っている。ハードカバーあり、ペーパーバックふうのものあり、今どきあまり見ない箱入りのものまである。デザインのクオリティも高く、中身を読まずとも部屋に置いておきたいと思わせるような、“モノ”としても質感が高いものが多い。

そこは土台があったんです。毎年、当社の取り扱い商品カタログを出しているんですが、300ページほどあるカタログの3分の1くらいが、商品とは直接関係ない読み物の編集ページになっています。たんなるカタログとして捨てられてしまわないために、それから商品を取り巻く文化により深い愛着をもってもらうためにやっていたんですが、結果的に、そこに文章を寄せていただいた作家さんとかアウトドアの専門家とかとのつながりが蓄積されていました。
 装丁もそうです。カタログをよりよいものにするために、一流の装丁家さんとか編集者にかかわってもらうなかで、本作りのプロの方たちとたくさん知りあうことができました。そういう意味では、ゼロから出版業を始めたわけではないんですよ


これまでで一番売れた本は?

これまででいちばん売れたものですか? それは、昨年2018年に出した『トレイルズ』(ロバート・ムーア著)という本です。全長3500キロくらいあるアメリカのアパラチアントレイルというコースを著者が歩くんですが、その過程でいろいろなことを考えるんです。どうして道ができたんだろうとか、周辺の自然環境のこととか。歩きながら人間の内面や自然のあり方に思いをはせていく過程が描かれているんですね。
 トレイルって、登山道とかハイキングコースという意味なんですが、日本では『道』という言葉には、道徳的な意味とか人生訓的な側面もありますよね。著者もそのような観点に焦点を当てていて、そういうところが日本の読者にも共感されたのかなと思います。
 あとはこれ、『バーバリアンデイズ』(ウィリアム・フィネガン著)。この著者はニューヨークタイムスのジャーナリストなんですが、サーフィンが趣味で、波を求めて世界中を旅していたころの思考を書いています。いわば『トレイルズ』の海版みたいな本ですね。ピュリッツァー賞を受賞した作品で、アメリカではオバマ元大統領が夏に読みたい本としてあげていたくらい有名な本です


 これらはA&Fという会社の成り立ちからしてテーマ的にふさわしく、わかりやすい本だ。他にも、ダッチオーブンやスキレットを利用したキャンプレシピの本などもあり、これも本業と合致していて、「なぜ、本を」という疑問には答えやすい。

文化思想の定期刊雑誌はなぜ?

 が、今年2019年には『ひらく』という定期刊雑誌の刊行まで始めた。しかもそのテーマは文化思想。登場する筆者を見ると、又吉直樹、佐伯啓思、松岡正剛、東浩紀、先崎彰容などといった名前が並ぶ。内容的にはアウトドアとは関連がない。これはどういうことなのか。

これは佐伯啓思さん(経済学者、京都大学名誉教授)との個人的なつながりから生まれたものです。『ひらく』は『表現者』という論壇誌の流れをくんだもので、アウトドアとは確かに関係ないんですが、文化思想的なことは僕も感心があるし、雑誌もやってみたいと思っていたところだったんです。
 佐伯さんは保守派の論客ですが、考え方がナチュラルで幅広い。政治的な動きをしない人で、そこに共感しました。だから思想誌なんだけど、政治論はやめようという決まりを設けています。もっと文化的なことをテーマにした思想誌。登場する書き手の人選などは佐伯さんの考えが色濃く反映されています。佐伯さんが中心になっているので、佐伯さんの本といえると思います


 赤津さんは、アウトドアのカルチャー的側面を積極的に啓蒙してきた、アウトドア界のオピニオンリーダーのひとりでもある。そのため、こう説明されると、あまりにも意外な内容も腑に落ちるところがある。

『ひらく』は年2回刊。いまは第1号が出たばかりだが、赤津さんの頭のなかには、すでに3号までの構想があるという。

大儲けはできなくても損はしないように。

 しかしどうしても聞いておきたいことがある。

 現代は出版不況。良質な本を出してもなかなか売れない時代だ。そこでなぜ本作りを目指すのか。そもそも採算はとれるのか。結局のところ創業者の道楽ではないのか。失礼な質問かもしれないが、これは聞いておかなければいけないことだ。

疑問に思いますよね(笑)。でも、ビジネス的に無理は決してしないようにしているんです。少ない部数でも損はしないようにコストを計算してやってます。赤字では続かないじゃないですか。
 やりたいことをやるには、続けられる環境はどうしても必要なので、大儲けはできなくても損はしないように、継続できるということをいちばんの目標にしています


 思い切った事業に見えて、社内体制は意外なほどにコンパクト。編集や装丁などの作業は外注するものの、社内の専任は実質的に赤津さんひとりで、出版エージェントなどとの交渉も自ら行う。

社員にはそれぞれ担当の業務があるし、かかわる人が多いと業務が複雑になって判断がブレるので

 これは本業が順調であるからこそできることでもあるはず。近ごろはこうした、本業を別にもつ会社や個人が作る本のなかに、驚くほど質の高いものを見る機会が多い。出版のひとつの未来はこういうところにあるのかもしれない。

それから、こういうアウトドアに関連した本を出版するのは、私たちのお客さんに対するサービスや販促的な意味合いもあるんです。たとえば、ダッチオーブンを買ってくれた人なら、その使い方には興味があるはずだし、その詳しいことが知れるなら本も欲しいと思うはずですよね。
 逆に、本を読んでダッチオーブンに興味をもつ人もいるかもしれない。こういうことは、道具の販売会社であるからこそできるし、やる価値があることだとも思っています。
 まあ、そういうビジネス的な計算ももちろんあるんですが、根底には、自分が欲しいものを作りたいという思いがあることは確かです。人生のなかで影響を与えられることって、人から学ぶことがいちばん大きいのはもちろんだけど、本はその次に人に強い影響を与えるものじゃないかと思っているんです。
 テレビを見ても忘れちゃうし、ネットの情報もすぐ流れていってしまうけれど、本はひとつの形あるモノとして残っていますよね。匂いとか手ざわりも含めて。やっぱり価値あるメディアだと思うんですよ


 本を自分で作れることに、すごく満足している――赤津さんの表情にはそんな充実感がにじんでいた。

Number Web、2019/09/22 08:00
なぜアウトドア企業が本を作るのか。
創業者「野外で遊ぶだけではなくて」

森山憲一
https://number.bunshun.jp/articles/-/840774?page=4

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