2019年10月03日

没後90年記念 岸田劉生展

 海外から新たな絵画が伝わった明治末から大正時代、ひたむきに“美”と向き合い、「麗子像」など独自の絵画を打ち立てた岸田劉生(1891 - 1929)。
 劉生が生まれ育った銀座を中心に巡りました。

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銀座4丁目交差点。この奥、中央通り沿いの銀座ど真ん中で岸田劉生は生まれ育った。

東京・丸の内/東京ステーションギャラリー


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東京ステーションギャラリー「没後90年記念 岸田劉生展」会場。右は「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年 東京国立近代美術館所蔵 重要文化財

「麗子坐像」1921年 メナード美術館(左端)他、ずらりと並んだ愛娘「麗子」の作品。


 38歳で他界した劉生のメモリアル・イヤーにあたる今年、東京・丸の内の東京ステーションギャラリーでは、「没後90年記念 岸田劉生展」が開催されています(10月20日まで)。

 初期の水彩画から、写実の時期の名作。
 さらに、日本画を試みた時期の掛け軸、最晩年に描いた満州での風景画まで、劉生が追い求めた“美”を代表作の変遷から一望することができます。

「時代ごとに分かれているので、劉生のそのときどきの個展の会場をタイムスリップして巡っているような気分を味わっていただけるかもしれません」
(東京ステーションギャラリー 学芸室長・田中晴子さん)

 9月29日放送の番組「日曜美術館『異端児、駆け抜ける!岸田劉生』」では、「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年 東京国立近代美術館所蔵 重要文化財)など、写実的な傾向が強い時期の作品を深く掘り下げましたが、日美旅では劉生が生まれ育った銀座から旅をスタートし、若き日に親しんだ場所を訪ねてみます。

銀座・中央通り

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銀座4丁目交差点付近。劉生の回想録に登場する老舗のパン屋、楽器店、書店が軒を連ねる。

中央通りに交差する柳通りから、劉生の実家があった銀座2丁目界わいを眺める。

劉生が銀座界わいの思い出を記した随筆「新古細句銀座通」挿絵、劉生の実家・楽善堂の図。


 岸田劉生は、『東京日日新聞』の記者でありさまざまな商いも手掛けた岸田吟香(ぎんこう)の四男として、銀座の薬局兼書道用品店「楽善堂」に生まれました。
 銀座を走る「鉄道馬車の鈴の音を聞きながら、青年時代までそこで育ってきた」劉生は楽善堂周辺の思い出を、のちに「新古細句銀座通」(しんこざいくぎんざれんがのみち)と題した新聞連載に挿画とともに記しています。

 銀座中央通りが歩行者天国になる週末の昼下がり、のんびりと「銀ぶら」をしてみました。
 銀座の中心地、銀座4丁目交差点から劉生の生家があった辺りに向かって、パン店、楽器店、書店など、随筆で目にした屋号が軒を連ねることに気が付きます。
 劉生がユーモラスにつづった、パン食熱が高まった時代の出店競争のエピソードなどが思い出され、90年近い時を経て、いまだにお店が続いていることが感慨深く思えてきます。

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関東大震災で失われたレンガを組み込んだ「金春通り煉瓦遺構の碑」

「新古細句銀座通」が世に出た1927年、劉生が「忘れられない懐かしいものの一つ」と回想する、雑多な品々を商う勧工場(かんこうば)など、明治期を代表する風物はすでに失われていました。
 さらに、その4年前に発生した関東大震災によって、明治の初めに築かれた美しい煉瓦(れんが)街も壊滅しました。
 掘り出された当時の赤レンガの一部が、金春(こんぱる)通りで記念碑として保存されているのを見かけました。

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劉生が楽しみにした縁日の立った出世地蔵尊。現在は百貨店のテラスガーデンに立つ(右は大型複製像。ご本尊は例大祭と毎月7日のみ公開)。

 劉生が「旧日本の美の尤(もっと)もなるひとつ」とたたえた縁日の立った銀座4丁目横丁の「出世地蔵尊」は、震災と空襲を逃れ、現在では百貨店のテラスガーデンに移され、明治期の銀座の風情を伝えています(通常は大型複製像が鎮座していますが、毎月7日にご本尊が開帳されます)。

虎ノ門界わい

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外堀通りを経由して、画学生時代の劉生がよく訪れた日比谷・虎ノ門方面へ向かう。

 劉生の人生に大きな変化が訪れたのは、14歳のときのことです。

 両親が相次いで他界し、兄が継いだ生家の事業にもかげりが見えてきました。

 両親の死をきっかけに、劉生はキリスト教へ厚い信仰を抱くようになります。

 牧師を志しましたが師と慕った人に反対され、1908年、17歳のときに当時、赤坂葵橋(現在の虎ノ門2丁目)にあった黒田清輝が主宰する白馬会洋画研究所に通い始めました。

 当時の劉生のように、銀座から虎ノ門方面に足をのばしてみました。

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虎ノ門。工部大学校跡の碑。劉生が描いた、白馬会洋画研究所近くの洋館があった辺り。

 白馬会洋画研究所に進んだものの、アカデミックな教育になじめなかった劉生は、相撲ばかりとっていたと言われています。

 記録魔で生涯膨大な日記を残したことで知られる劉生ですが、その頃の日記にはキリストへの思慕とともに、宗教的な葛藤が重苦しいほどにつづられています。

 当時まだ劉生は信仰を捨てていたわけではなく、むしろ伝導のために絵を修得し「キリストの足跡を追ってパレスチナに向かい、その生涯を描いて死にたい」という夢想を胸に秘めていたほどでした。

日比谷公園

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西側に面している霞門(かすみもん)。

第一花壇。後ろのバンガロー風建物は1910年建築の公園事務所(現在は結婚式場)。

開園とともに創立した洋食店・松本楼。公園設計者・本多静六が首を賭けてまで伐採から守った、通称「首賭けイチョウ」がそびえ立つ。


 1911年、劉生にとって第2の転機となる出来事が起こります。

 春から愛読しはじめた文芸・美術雑誌『白樺』を通して、ゴッホを知ったことでした。

「自然を自己の眼で見る事を教えられた。それは宗教的な感じを自分に興さした」――ゴッホの芸術との出会いを、劉生はまるで新しい神の降臨のように表わしています。

 この年の12月、後に親友となる画家・木村荘八は劉生との出会いを次のように回想しています。

 同じ白馬会洋画研究所に通っていた荘八が、研究所からほど近い日比谷公園で日課の写生をしていると、いつまでも後ろで「貧乏ゆすりをしながら肩の絵の具箱をガタガタ云わせている『研究所の人』」の存在に気がつきます。

 初めて会話を交わしたにもかかわらず、ゴッホを巡って意気投合した二人は、劉生は銀座、木村は東銀座の歌舞伎座向かいと近所に住んでいたこともあり、すぐにお互いの家を行き来するようになりました。

 二人の画家が出会った日比谷公園の第一花壇を訪ねました。

 ドイツ留学から帰った林学博士で造園家の本多静六による幾何学的なデザインは、1903年の開園当初から、ほぼそのままに保たれているそうです。

 この日は巨大なユッカの花が咲き乱れていました。

 洋花が人々の目に触れる機会が少なかった明治時代、第一花壇に咲くバラやチューリップなどの洋花は、野外音楽堂の洋楽、松本楼の洋食とともに、日比谷公園のシンボルである「三つの洋」の一角をなし、人気スポットのひとつでした。

築地

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劉生が一時期好んで描いた築地居留地の風景。東京ステーションギャラリー「没後90年記念 岸田劉生展」会場より。

 画家として独自の歩みを始めた頃、劉生がよく描いた風景に築地旧居留地があります。

 築地の顔だった卸売市場は昨年2018年に移転しましたが、幕末から明治にかけての築地(現在の明石町)は、商社や領事館が立ち並ぶ外国人居留地だったことは忘れられがちです。

 劉生は木村荘八とともに、しばしば旧居留地で写生を行いました。

 エキゾチックな旧居留地の風景は、当時傾倒していたゴッホを思わせる激しい筆跡と鮮烈な色彩で描かれています。

「ここに来るとへんに余はセンチメンタルになる」

 旧居留地の風景は劉生を深く魅了したのか、神奈川県藤沢市鵠沼に転居した後にも、木村とともに散策に訪れています。

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かつての築地外国人居留地を貫く居留地通り。右手にそびえるのは聖ルカ礼拝堂。

トイスラー記念館(非公開)。聖路加国際病院創立者のトイスラー院長が米国から招へいした医療・看護分野の教育者や女性宣教師が大正期に滞在した。

1874年創立のカトリック築地教会。現在は聖堂の耐震工事中。


 関東大震災で、築地旧居留地の建物の多くは失われました。

 それでも、旧居留地を貫く「居留地通り」界わいで出会う洋風建築の姿からは、劉生が「センチメンタルになる」と記した、在りし日の面影が感じられます。

再び銀座

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銀座もそろそろ日が落ちる時間。画面右端あたりにかつて劉生の実家があった。

「新古細句銀座通」より「毛断嬢之図」。「毛断嬢」つまりモダンガール。だじゃれの達人劉生ならではのネーミング。


 夕闇が迫る頃、再び銀座に戻りました。

 先に紹介した随筆「新古細句銀座通」の中で、劉生は銀座をかっ歩するおかっぱ頭のモダンガールたちを「毛断嬢」というだじゃれの呼び名で風刺しています。

 彼女たちが集うカフェの名前はクモトラ、漢字で書けば「雲虎」、音読みすると……。つまりあれです!

 モダンガールの美を「味わわしめない美」「いそがしい美」とこき下ろした劉生は、この随筆が『東京日日新聞』に掲載された1927年、写実から離れ東洋的な「内なる美」を追求し始めてから5年以上が経っていました。
 38歳の短い生涯を終える2年前のことです。

 「内なる美」を求道者のように究めるべく制作を続けた劉生。
 その眼差しが培われた銀座を中心に、若き日の劉生の足跡をぜひたどってください。

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カフェー・ライオンが前身のビアホールが、今も銀座七丁目にある。

 旅の最後に生ビールを一杯。

 劉生がよく生ビールを飲みにでかけたカフェー・ライオンの流れをくむビアホールが、中央通り沿い、銀座七丁目にあります。
 1934年開店当時のたたずまいを守っている現存する日本最古のビアホールです。

「高村光太郎君に会いビールのコップを林立させた」という劉生のエピソードがよみがえります。

※ 展覧会情報
◎ 東京ステーションギャラリーでは「没後90年記念 岸田劉生展」が開催中です。10月20日まで。
同展は山口県立美術館(11月2日〜12月22日)、名古屋市美術館(2020年1月8日〜3月1日)に巡回します。
◎ 八王子市夢美術館では「素描礼讃 岸田劉生と木村荘八」が開催中です。11月4日まで。
同展は小杉放菴記念日光美術館(2020年9月5日〜10月25日)に巡回します。

※ インフォメーション
◎ 中央通り銀座地区歩行者天国
銀座通り口交差点から銀座8丁目交差点までの間
実施日時 土曜、日曜、休日 12時〜午後6時(4月〜9月)、12時〜午後5時(10月〜3月)
JR「新橋」駅から徒歩2分。東京メトロ銀座線「銀座」駅から徒歩すぐ。

◎ 東京ステーションギャラリー
東京都千代田区丸の内1-9-1
開館時間 午前10時〜午後6時(金曜日は午前10時〜午後8時、入館は閉館30分前まで)
アクセス JR「東京」駅から徒歩すぐ。東京メトロ丸の内線「東京」駅から徒歩3分。東京メトロ東西線「大手町」駅から徒歩5分。東京メトロ千代田線「二重橋前」駅から徒歩7分。

◎ 日比谷公園
東京都千代田区日比谷公園
常時開園
アクセス 東京メトロ丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関」駅、東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷」駅、都営地下鉄三田線「日比谷」駅から徒歩すぐ。JR「有楽町」駅から徒歩8分。

◎ 金春通り煉瓦遺構の碑
東京都中央区銀座8-7
アクセス JR新橋駅から徒歩2分。東京メトロ銀座線「銀座」駅から徒歩8分。

◎ 銀座出世地蔵尊
東京都中央区銀座4-6-16 銀座三越9階テラスガーデン
見学時間 午前10時〜午後8時。通常見学できるのは、大型複製像。本尊は4月、10月の例大祭と毎月7日(土・日の場合は前金曜日)
アクセス JR東京メトロ銀座線・丸の内線・日比谷線「銀座」駅から徒歩すぐ。JR有楽町駅から徒歩9分。

NHK・出かけよう・日美旅、2019年9月29日
第100回
銀座・日比谷・築地へ
岸田劉生若き日の足跡をたどる旅

https://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/413111.html

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自民党議員の「右傾化」

 自民党はどう変化をしてきたのか。
 野党に求められるのは何か。
 既成政党は、有権者の声に耳を傾けているか――。

 朝日新聞社は2019年9月23日、朝日・東大共同調査の15周年記念トークイベント「政党はどこに向かうのか」を東京本社で開き、160人が来場した。
 蒲島郁夫熊本県知事(東京大学名誉教授)と谷口将紀東大教授を招き、15年間の調査で見えてきた日本政治の動きや展望を語ってもらった。

 朝日新聞は東大谷口研究室と共同で国政選挙を調査しており、候補者や有権者に様々な政策への考えを聞き、分析結果を報道してきた。
 2003年に開始し、2005年までは当時東大教授だった蒲島知事が東大側で調査を担当していた。

 イベントの第1部では、まず蒲島氏が講演し、2008年に熊本県知事へ転身した経緯を説明。
「政治は可能性の芸術だ。不可能を可能にするのが政治だという思いで県政にあたっている」と述べ、政治学者の知見を熊本地震の復興など県政の場に生かしてきた事例を語った。

 続いて谷口教授が、これまで蓄積した共同調査の分析結果を発表。
 衆院議員の「イデオロギー分布」を示し、そのピークが有権者よりも「右寄り」であることを指摘したうえで、自民党議員の「右傾化」によって、有権者との距離が2012年衆院選以降拡大したと説明した。

 自民党が有権者と政策的に距離がありながら支持を得られている理由に経済政策への評価を挙げて、
安倍政権はアベノミクスで政治的な『貯金』を作り、憲法や集団的自衛権など有権者と距離のある政策の実行に使っている」と述べた。

 また、会派統一で合意した立憲民主党と国民民主党についても言及。
 7月の参院選の両党の候補者を比較すると、25の争点のうち、11〜15で統計的に有意な差があったという。
 しかし、自民党と公明党の候補者では、16〜19の争点で有意な差が認められたことを受け、
自公はこれでも10年以上連立を組めるのだから、立憲と国民に求めるべきは、政策をぴったり一致させることより、(民進党の分裂などで)失われた相互の信頼の回復だ」と指摘した。

 第2部の各論では、進行役が既成政党への不信が世界的に高まっている現状について質問。
 谷口氏は「政党には有権者へ情報を提供し、ときには有権者を説得する機能がある。社会保障の問題など長期間にわたる政策を完遂できる主体は今のところ政党しかない」と主張した。
 一方、蒲島知事はカナダの政治学者で自由党党首を務めたマイケル・イグナティエフを引き合いに「優れた政治学者が優れた政治家になれないのは、政党の党議拘束があるからだと思う」と指摘。自らの知事選挙について「私は政党の推薦も公認も求めず、(各党と)等距離という形でやっている。精神の自由を持てるので県民本位の知事になれる」と語り、国会議員との違いを指摘した。

 また、7月の参院選で「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党(N国)」が躍進したことについて、朝日新聞政治部の蔵前勝久記者は、「風頼みの政治、空中戦に頼る政治の行き着く先が、ユーチューブに頼ったN国だ。れいわの躍進は、既成政党が政争ばかりやっていて、自分たちの声が反映されないといった、有権者からの反発があったのでは」と解説した。
 蒲島氏は、
「れいわは消費税廃止、最低賃金の引き上げ、奨学金の返済免除など受けのいい政策を訴えた。しかし、政権をとれるような政党になったとき、長期的にそれでやっていけるのか」と課題を指摘した。


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トークイベントで発言する谷口将紀東大教授(右)と蒲島郁夫熊本県知事(左)=9月23日、朝日新聞東京本社・読者ホール

朝日新聞、2019年10月1日17時23分
朝日東大調査15年
蒲島熊本知事・谷口東大教授ら議論

https://digital.asahi.com/articles/ASM9Z3R84M9ZUTFK004.html

 熊本県鹿本町(現山鹿市)に江戸時代末ごろから残る民家で9人兄弟の7番目として生まれ育った。
 両親は旧満州(中国東北部)から無一文で引き揚げて祖母の元に身を寄せ、そこで私が生まれたのだ。

 民家と言っても土間と8畳2間に4畳半1間しかない小作農が住んでいたようなボロ家。
 そこに祖母と両親、兄弟合わせて10人ほどが住み、2反2畝(約2200平方メートル)の田んぼを耕して生活していたのだから、並大抵の貧乏暮らしではない。

 小学生のころには日本の復興も進んでいたが、我が家は白いご飯が食べられない。
 弁当も1人だけアワの混じった黄色いご飯で「卵ごはんだ」とからかわれたりもした。
 母が遠足のために買ってくれたズック靴が赤色で、墨を塗って黒くしたこともある。

 そうした暮らしの中の楽しみは読書だった。
 小学校3年生の時に兄が借りてくれた「レ・ミゼラブル」に感動したのをきっかけに、図書館の本をあらかた読んでしまったほどだ。
 貧乏で家には何もなかったので、読書と屋外で遊ぶことくらいしか楽しみがなかったのだが、今、考えるとそれが良かったのかもしれない。

 高校時代は学校に行かず、よく通学途中の丘に立っていた一本松の根元で本を読んでいた。
 学校の成績は悪く「落ちこぼれ」だったが、「阿蘇山の麓で牧場をやりたい」「小説家になりたい」「政治家になりたい」という夢を持ったのは読んだ本の影響だ。

 生家はもとは熊本市長を務めた星子敏雄さんの所有で、父が星子さんと尋常高等小学校時代の友人だった縁でタダで貸していただいたものだった。
 星子さんは戦前、満州国で警察庁長官にあたる警務総局長を務め、実力者の甘粕正彦氏の妹婿でもあった。
 父は星子さんの身近にいたため、姉が甘粕氏の自動車に同乗させてもらったこともある。

 また星子さんのお母さんから「この家は住んでいるときはひどく貧乏するが、ここを出ると成功する」という話も聞かされた。
 最初に住んだのは熊本県の製糸業の父と言われた熊本製糸の創業者、長野濬平氏だったという。

 当時は早く抜け出したいと思っていた生家だが、こうしたさまざまな広がりを持っていたことを知ると不思議な気持ちがする。
 現在は誰も住んでいないが、時々、訪れて初心を忘れないようにしている。

※ 蒲島郁夫(かばしま・いくお)
1947年熊本県生まれ。高校卒業後、農協職員を経て派米農業研修生に応募、ネブラスカ大で畜産学、ハーバード大で政治学を学ぶ。筑波大教授、東大教授を歴任し2008年熊本県知事に初当選、現在2期目。


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江戸時代末にたった生家は、風が強く吹くと揺れるほどだった

日本経済新聞・夕刊、2012/10/15付
熊本県知事 蒲島郁夫(1)
小さな生家
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO47261290V11C12A0BE0P00/

 この写真はハーバード大学の中庭にある大学の創設者、ジョン・ハーバードの像だ。
 米国にはやる気のある者にはチャンスを与えよう、という精神がある。
 そして結果を出せば、奨学金など実のある形で認めてくれる。
 私がハーバード大大学院で学べたのも、そうした米国の精神のおかげだ。

 渡米したのは高校を卒業して地元の農業協同組合に2年ほど勤めてから。
 農協の仕事になじめずにいた私は「阿蘇山の麓で牧場をやりたい」という夢を実現しようと派米農業研修生に応募した。
 農家での研修は厳しくまるで農奴のような生活だったが、研修の最後にネブラスカ大学で受けた畜産学の学科研修が楽しく、もっと勉強したいと思うようになった。

 24歳で再渡米しネブラスカ大農学部を受験したが不合格。
 しかし研修時の先生が私のやる気を買って推薦してくれたおかげで仮入学できた。
 必死に勉強してよい成績を収めると、いきなり特待生になり奨学金も支給してくれた。
 大学院に進む時に「勉強するなら一番好きな政治学をやりたい」とハーバード大を志望したが、この時も畜産学の指導教授だったジーママン先生に推薦してもらった。

 ハーバード大ではヴァーバ先生やライシャワー先生、ハンチントン先生といった著名な先生たちから指導を受けた。

 最初にとったヴァーバ先生の講義では、あるとき米国の植民地時代の政治を扱った分厚い本を読んで内容を報告することになったが、誰も手を挙げない。
 思い切って私が手を挙げ、翌週、報告したことで、厳しいヴァーバ先生に存在を認めてもらえた。
 後に奨学金付きのポストを提供してもらえたのも、ライシャワー先生やヴァーバ先生の推薦があったからだ。
 この奨学金で学業に専念でき、通常は5〜7年かかる博士論文を3年9カ月という短期間で仕上げることができた。

「文明の衝突」で有名になったハンチントン先生は、先生の理論を批判した私のゼミ論文を認め、学術雑誌に投稿すべきだと勧めてくれた。
 ハーバード大には本当に世話になったと感謝している。


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ハーバード大大学院の博士課程で政治学を学んだ

日本経済新聞・夕刊、2012/10/16付
熊本県知事 蒲島郁夫(2)
ハーバード大での研究生活
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO47274750V11C12A0BE0P00/

 ハーバード大在学中は奨学金をもらっていたものの、妻と3人の子どもを抱えていたので、それだけでは生活していけない。
 勉強が忙しくアルバイトなどしている時間はないと忠告されたが、ガイドや通訳のアルバイトとともに古切手の売買をして生活の足しにしていた。

 米国には第2次世界大戦後に進駐軍が持ち帰った日本の切手が大量に残っていた。
 使用済み切手でも珍しい消印が押されていると高く売れるのだが、米国の切手商は日本語が読めないのでひと山いくらで売っていた。
 そうした切手をまとめて買い、日本の切手商に送ってオークションにかけてもらうのだ。

 なかには1ドルで買った明治時代の封書に珍しい消印が押されていて、17万円で売れたことがある。
 また当時は為替が変動相場制になって、大きく円高に動いていた時期。
 アメリカの切手カタログの値段は、日本のカタログ価格を前年の為替レートで換算してあったので、為替差益も大きかった。
 逆ににせものの高額切手をつかまされたこともある。
 切手の売買は生涯で唯一のビジネス経験だが、知識がお金になるプロセスをここで学んだ。

 高額切手や未使用の新品は売れにくく、価値は高くても顧客が求めている商品でないと売れないことも知った。
 写真の飛行郵便試行記念切手は当時のカタログで青は10万円、赤は17万円の価格がついていたものを4万円スタートでオークションに出したが売れなかった。
 一度売れ残るとあらためて売りに出す気にならず、今も手元に残している。

 切手を日本に送るときは、切手の種類やオークションの開始金額などを書き込んだリストを作って同封した。
 売れるとそのリストに落札価格が書き込まれて戻ってくる。
 買った切手をひとつひとつ丁寧に仕分けしてリストを作る作業は妻が手伝ってくれた。

 妻とは大学1年生の時に結婚し、勉強でも論文のタイプなどを手伝ってくれ、二人三脚で学んだようなものだ。
 売れ残った切手と一緒にリストも保存しているが、米国での学業と家計を支えてくれた妻には心から感謝している。


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一部の切手は今も手元に残る

日本経済新聞・夕刊、2012/10/17付
熊本県知事 蒲島郁夫(3)
米国生活支えた古切手
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO47322060W2A011C1BE0P00/

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大阪大学出版会「分断社会と若者の今」

「若者論」はあるあるネタで終わる

 若者の自民党支持論には、いくつかのパターンがある。
「若者の保守化」「現状を肯定したいから」「安倍政権以降、一応は好転した就職市場の影響」あるいは「自民党の戦略に若者がダマされている論」まで。

 枝野幸男氏は立憲民主党を立ち上げる前、つまり最後の民主党代表選を前に、私のインタビューで「よく取り上げられ、名前を知っている政党が自民党だからという要素が大きいからだ」と語っていた。

サンプルは自分に「身近な若者」

 さて。
 若者論は誰でも語ることができる。

 新入社員が飲み会でビールを飲まなかったとしよう。そこに若者のビール消費量が減っているというニュースが絡めば、「最近の若者はビール離れである。なぜなら〜」と経験から語ることができると言えば分かるだろうか。

 語られているほうも、聞いているほうも思い浮かべるのは、自分の身近にいる「最近の若者」であり、厳密な定義をして語ろうとはしない。
 そもそも、若者は何歳代までを指しているのか。
 大卒なのか、高卒なのか。正社員なのか、非正規なのか。男性か女性かーー。

 自民党支持論も多くは同じだ。
 若者論は「あるある」ネタとして消費されていく。

実証から「若者」に迫れ!

『分断社会と若者の今』(大阪大学出版会、2019年4月)は、こうした状況において、極めて貴重な、実証的データに基づき若者論を展開した1冊だ。

 編者の一人、大阪大の吉川徹は、高卒と大卒という学歴によって引かれる「線」が日本における最大の分断だと主張してきた社会学者である。
 吉川が展開する若者論の特徴は、大規模な社会意識調査―それも面接調査―をベースにしていることにある。
 印象論や、安易な推測ではない。
かつて、私のインタビューに吉川はこんな話をしていた。
《大卒は大卒同士で、非大卒はそこでかたまり、それぞれまったく違う文化のなかで生活をしている。いってしまえば、違う日本社会で生きている。自分とその周囲の視点だけでみる「日本」はかなり偏っている可能性がある。

「日本社会をケーキで例えると、下半分はスポンジケーキで、その上にミルフィーユがのっているんですよ。下は非大卒で、上は大卒ですね。大卒の人たちは細かい階層にわかれていて、どこの大学を卒業したかを学歴だと思っているんですね。それは『学校歴』であり、学歴ではありません。大きな勘違いです」》

《「奨学金を出すのもいいのですが、生まれ育った家庭の文化的影響は0にはなりません。解決しないといけないのは、分断によって大卒だけが有利になる社会であって、全員が大卒になる社会ではないのです」》

 同書で使われるのも2015年の大規模面接調査だ。
 彼らは若年層を20代〜30代とし、多様な分析を試みている。

 その白眉が第3章「若者はなぜ自民党を支持するのか」だ。
 担当した松谷満が指摘するように、若者の自民党支持が注目されるのは、先進諸国と比べて不思議な現象だからである。

若者の政治離れの正体

 これまでの自民党は明らかに高齢者の政党だったし、諸外国でも保守政党は高齢者を支持基盤にするものと相場が決まっている。
 加えて、安倍政権は若者の支持を得やすい急進的な改革派ではない。
 だから、若者の自民党支持はますます不思議な現象なのだ。

 松谷らが明らかにしているように、「若者の政治離れ」は「若者全体」の傾向ではない。
 より顕著なのは、「非大卒」の若者の政治離れだ。
 示唆されているのは「持てる若者」と「持たざる若者」の間の分断だ。

自民党を支持する「若者」とは誰なのか?

 結論から言えば、若者の自民党支持は、壮年層と比べて下げ止まっている。
 データからは高学歴で正社員、特に大企業のホワイトカラー層で支持が強まっていることが観察できた。

 研究者が背景にあると考えているのは社会意識だ。
 若者の自民党支持はイデオロギーとは結びついていない。
 保守政党と相性が良い伝統主義、権威主義的な意識は弱いからだ。
 関連していると考えられるのは3つ。
 物質主義、新自由主義、宿命主義だ。

 物質主義とは、経済をより重視する意識と言い換えることができる。
 これまでの積み上げられてきた政治学の理論では、経済成長で社会が豊かになると人々の意識は経済よりも、文化や環境といった脱物質主義へと向かうと説明されてきたが、日本の若年層はより経済を重視している。

 新自由主義は、市場への政府の介入を最小限にし、より個人間の競争が重視する価値観だ。
 市場の中で勝てる人びと=持てる人びとにとっては、共感しやすい価値観だと言えるだろう。

 宿命主義は「いくら努力しても報われず、あらかじめ家庭環境等によって人生は決められている」という価値観である。
 行き着く先は、政治に期待することもせず、努力しても無駄だから自民党でいいという価値観だ。

宿命を乗り越えられるか?

 自民党支持の背景をイデオロギーではなく、社会意識から実証的に読み解くという同書のアプローチは説得力を持っている。

 市場の中で勝てる者=持てる若者は新自由主義から、もう少し幅を広げて宿命主義的な価値観の若者から、消極的な支持を得ているのが自民党ということが言えるのではないか。

 特に宿命主義が実証的に証明されたことは大きい意味を持つ。

 松谷も指摘するように自民党支持というよりは、消極的な既存の政治秩序の承認という意味合いが強い。
 だとするならば、この分析をより深刻に受け止めないといけないのは野党である。

「意識高い系」ばかりを重視する野党

 この夏の参院選で、立憲民主党は私からすれば都市部に住む「意識高い系」ばかりを重視するような政策を並べて失敗した。

 代わって注目されたのは、「持たざる者」に消費税減税という「物質主義」的なアプローチで議席獲得に成功した、山本太郎率いる左派ポピュリズム政党・れいわ新撰組だった。

「持てる者たち」が支持する自民党か、「持たざる者」の反乱としてのポピュリズムか。
 そんな選択肢しかない社会でいいのだろうか。

 若者に広がる宿命主義、そして分断は政治への失望を通り越し、絶望を招く要因になっていくだろう。

 何をしても無駄、だって生まれた家ですべてが決まっていくのだから――。結局、日本の若者の政治参加が進まないのは、諦念に理由がある。

 では、諦念を生み出しのは誰なのだろうか?
 声をあげても無駄だと思わせる政治の側にあるのではないか。

 この先重要なのは、別の希望を指し示していくことだ。

 社会は変わるという成功体験が積み上がれば宿命主義は弱まっていくのではないだろうか。

 そこで最も重要なのは、物質主義と真剣に向き合うこと。つまり、経済への希望だと思うのだが……。


[写真-1]
自民党本部に掲げられた画家の天野喜孝氏が「新時代の幕開け」をテーマに描いた広告ポスター、Jiji Press

[写真-2]
Members of protest group Students Emergency Action for Liberal Democracy (SEALDs), REUTERS

[写真-3]
Man looks at a stock quotation board outside a brokerage in Tokyo, REUTERS

ハフィントンポスト、2019年10月02日 07時14分 JST
なぜ若者は自民党を支持するのか?
キーワードは「努力しても無駄」な宿命型社会
若い人の「自民支持」をめぐっては、多くの憶説が飛び交っていた。
社会調査に基づく実証的な研究がやっと出てきた。

(石戸 諭、ハフポスト日本版レポーター)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/jimin-wakamono-shiji_jp_5d8dde5de4b0019647a6c6ab

 ツイッターに、
「私の通う高校では前回の参院選の際も昼食の時間に政治の話をしていたりしていたのできちんと自分で考えて投票してくれると信じています。もちろん今の政権の問題はたくさん話しました」
と書いた投稿者(おそらく高校生)がいた。
 それに対して柴山昌彦前文部科学相は、
「こうした行為は適切でしょうか?」
とツイートした。

 言うまでもなく、18歳から選挙権をもつようになった現在、高校生が昼食時間に政治について話しあったりすることは、きわめて適切だ。
 それに口を挟んだ側のほうが、主権者とは何かについて全く理解していないのである。

 教育行政のトップがこの体たらくである日本で、先の高校生のような若者はむしろ希少だろう。
 事実、7月の参院選でも投票率は全体では49%だが(これも低すぎるが)、18歳は35%、19歳は28%にすぎない。
 若者の中で「政治」への関心は霞(かす)んでいるように見える。

 また、参院選直後の朝日新聞の世論調査によれば、内閣支持率は男性で、
・ 29歳以下55%、
・ 30代57%、
・ 40代・50代45%、
・ 60代41%、
・ 70歳以上40%
(女性は70歳以上を除きすべて30%台)と、男性の30代以下で高い。

矛盾する意識

 投票には行かず政権は支持するという傾向が、なぜ若年男性にはみられるのか。

 吉川徹・狭間諒多朗編『分断社会と若者の今』第3章では、2015年時点の調査データを用いて若年層が自民党を支持する要因を分析し、「社会的地位は家庭や親で決まる」という意識、経済成長や競争を重視する意識が背後にあると結論している。
 一見矛盾する、あきらめと経済至上主義が、若者(特に男性)の現状肯定を生み出していることがうかがわれる。

 しかしその後、アベノミクスは実質賃金の上昇をもたらしていないこともすでに明らかになっている。
 とりあえず長いものに巻かれていれば生活が苦しくなくなるわけではない。
 内政も外交もぐだぐだな国を、目をつぶって肯定し続けることほど愚かなことはない。

「愛国」とは何か

 将基面(しょうぎめん)貴巳『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房、2019年7月)は、ただしい「愛国」とは、偏狭な〈ナショナリズム的パトリオティズム〉ではなく、〈共和主義的パトリオティズム〉だと説く。
 それは、現実の政治の長所も短所も直視し、国がうまくいっていないときにはそれを批判し事態の改善を図ろうとすることだ。
 日本の若者の政治への関心を喚起するためには、こうした「教科書」が、教育現場で基本教材として使われることが、まずは必要だろう。

 しかしそれでもまだ足りない。
 川崎一彦ほか『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』(ミツイパブリッシング、2018年3月)第4章が伝えるように、
学校のすべての授業が民主的方法で行われ、生徒たちが社会の土台となる権利と影響を行使するとともにその責任を取る力を育めるようにすることが理想である。
 ルールも生徒たちが決める。
 選挙権を手にする前から「学校選挙」で実際の政党に投票する。
 そのために政治家とも対話する。
 結果も公開する。
「日本ではありえない!」と肩をすくめるのではなく、不合理な細かすぎる指導や校則が蔓延(まんえん)している日本の学校のほうが、異常ではないかと考えてみるべきだ。

 しかしそれでもまだ足りない。

 政治家が市民の政治的議論に介入することに留(とど)まらず、家庭でも、職場でも、友人間でも、力をもつ者が他方に屈従を強いるような関係が広がっている。
 明確な自分の意見をもつことさえためらいがちな若者を嘆くのではなく、日々の生活の中にはびこる忌むべき根を除くことこそが急務である。

※ 朝日新聞2019年9月21日掲載


朝日新聞・好書好日、2019.09.25
「教育と政治」を読み解く
あきらめと経済至上主義が現状肯定を生み出していないか

(本田由紀・東京大学教授)
https://book.asahi.com/article/12737305

posted by fom_club at 08:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第4次安倍再改造内閣

 統一教会と関係の深い議員が多数入閣。
 その一人、<菅原一秀の経産相抜擢に見る、「菅政権」への布石〉でジャーナリストの鈴木エイト氏が、第4次安倍再改造内閣における統一教会系閣僚の顔ぶれをリポートしている。
https://hbol.jp/202072
 同内閣での統一教会(世界平和統一教会)系閣僚は11名。副大臣や政務官、党役員などを含めると総勢21人にものぼる、まさに「カルト内閣」だ。

 しかも今回の内閣では、統一教会以外の問題集団と関わりを持つ議員も多い。
「カルト」と断定すべきかどうかはともかくとして、問題のある宗教団体やニセ科学集団などとの関わりを検証したい。

昭恵夫人も関わる偽歴史教

 閣僚4名、副大臣4名が関わりを持っているのが「不二阿祖山太神宮」(山梨県富士吉田市)。
 偽の古文書とされる「宮下文書」を根拠として、200〜300万年前の富士山麓(富士高天原)に天皇を頂点とする「富士王朝」(古代富士王朝)があったとする世界観を教義としている。
 その文明において天皇家縁の神社だったのが「不二阿祖山太神宮」で、その再建を謳っている。

 人類の誕生は約100万年前と言われている。200〜300万年前と言えば、まだ猿人・アウストラロピテクスの時代。
 天皇を頂点とする王朝などあるはずもない。

 またこの宗教団体は2009年に設立されたもので、そもそも「富士王朝」なるものとは関係がない。
「病気が治る奇跡の水」なるものを販売していた過去もある。

 特に問題なのが、関連NPO法人の名義で年1回開催している「FUJISAN地球フェスタWA」。
 学研『ムー』編集長を講師に招き「富士高天原ツアー」や「富士王朝」に関する講演会を開催するなど、教義に結びつけるような企画を含んでいた年もある。

 このイベントの初期に「代表発起人」と「名誉顧問」を務めてきたのが安倍首相の夫人・昭恵氏だ。
 彼女が関わりを持つようになって以降、多い年には47もの行政機関から後援を取り付けた。
 また70名近い国会議員が顧問などを務める。

 そのうち、今回入閣したのが、田中和コ・復興大臣、武田良太・国家公安委員長、竹本直一・IT担当大臣、西村康稔・経済再生大臣。
 副大臣では義家弘介氏(法務)、牧原秀樹氏(経産)、御法川信英氏(国交、内閣府、復興)。
 政務官では中谷真一氏(外務)、青山周平氏(文科、内閣府、復興)だ。

 田中・復興大臣は2018、2019年の「FUJISAN地球フェスタWA」の特別顧問及び代表発起人で、ほかは全員2015〜2019年の間、連続で顧問等を務めている。

 不二阿祖山太神宮は、いわゆる「カルト」のような事件を起こしているわけではない。
 しかし「FUJISAN地球フェスタWA」は子供連れ客の来場も想定した内容で、教育委員会などの教育関係機関も多い年で17も後援についている。
 しかし、偽史に基づいた宗教イベントに国会議員ばかりか子供まで巻き込んでいるというのは明らかに問題だ。
 カルトというよりニセ科学に近い問題を抱える団体と捉えるべきか。

「偽装勧誘」を行う霊友会

 次に多いのが「霊友会がらみ」だ。
 高市早苗・総務大臣、加藤加藤勝信・厚労大臣、西村康稔・経済再生担当大臣がそれぞれ、過去に自身が代表を務める自民党支部や政治団体から霊友会や関連団体に会費を支払っている。
 小泉進次郎・環境大臣は会費支払いはないものの、2015年に霊友会創立祭に出席した。

 霊友会も「カルト問題」の現場で取り沙汰されることは殆どない。
 しかし勧誘手法にかなり問題がある。

 霊友会は伊豆の山奥の研修施設で定期的に合宿を行っている。
 お題目やお経を唱える完全な宗教合宿だ。
 これに、信者が知人などを誘ってくる。
 ところが、霊友会の宗教合宿であることを知らせないまま知人などを誘って連れてくるケースが複数確認されている。

 正体を隠した勧誘は、統一教会などの典型的なカルト宗教の手法と変わらない。

「幸福の科学大学」認可申請を仲介した萩生田氏

 幸福の科学に関わっている閣僚は萩生田光一・文科大臣1人だけだが、関わり方がややディープだ。

 幸福の科学は2014年に「幸福の科学大学」を開設すべく文科省に認可申請を行った。

 この時、教団側と文科省側の仲介役だったのが萩生田氏だ。

 文科省側から大学の計画内容の変更を求められた際、幸福の科学側が反発。
 そのとき萩生田氏が「学長を変えれば(大学を)開設できる」などという趣旨のアドバイスを幸福の科学側に対して行っていたことが、「幸福の科学大学(仮称)」の公式サイトで教団側が発表した文書で明らかになっている(現在は削除されている)。

 幸福の科学大学は、教祖・大川隆法総裁が霊を呼び出したと称して喋る「霊言」を、科学的に証明されたものとして扱う授業を予定していたことを理由に、認可申請は「不可」とされた。
 また申請過程で関係者が文科省職員を脅すかのような言動をとったり、当時の下村博文・文科大臣の霊をおろしたと称する「霊言」の書籍を文科省の諮問機関である審議会関係者に送りつけるなどしたことから、5年間は認可しないとのペナルティも課された。

 今年2019年に、この「喪」が明ける。
 10月に再び申請を行う予定だ。
 奇しくも、かつて仲介役だった萩生田氏が、今度は文科大臣として申請を受ける側として関わることになる。


 宗教関連でもうひとつ、安倍首相が関わっているのがワールドメイト。
 過去、高額な伏せを支払った信者から訴訟を起こされたり、批判的な報道を行ったジャーナリストや出版社を片っ端から訴えるなどしてきた「訴訟カルト」。
 近年も、天災を予言して、それを防ぐためと称して信者からカネを集めるなどしている。

 こんな教団の教祖・深見東州(本名=半田晴久)の誕生会に、安倍首相は毎年花や祝電を送っている。

ニセ科学やスピリチュアルも

 宗教ではなく「ニセ科学」や「スピリチュアル」と呼ばれる分野の集団との関わりもある。

 高市・総務大臣と橋本聖子・東京五輪担当大臣が参加しているのが、「自民党統合医療推進議員連盟」。
 ほかに副大臣2名、政務官も2名いる。

 統合医療とは、一般的な医療との統合を謳い文句に民間療法を医療分野へと押し上げようとする運動。
 そこには、科学的根拠がすでに否定されている「ホメオパシー」も含まれている。

 ホメオパシーについての詳細は省くが、大まかに言えば単なる砂糖玉(病状を引き起こす成分を希釈震盪したものを配合している、と謳われている)を飲むことで病気が治せると信じている民間療法だ。
 単なる砂糖玉なので、それ自体には害はない。
 しかし推進団体や信奉者の中には通常の医療で使われる薬やワクチンを否定し医療を忌避する者もおり、それゆえの死者も出ている。

 2010年には朝日新聞がこの問題を大々的に報じ、日本学術会議や日本医師会といった科学・医療関係の団体がこぞって、医療現場からのホメオパシー排除を訴える声明を発表する騒ぎも起こった。

 このホメオパシーも含めて推進している業界団体が日本統合医療学会。
 閣僚が加わっている前述の議員連盟は、厚労省などの担当者まで出席させて、この学会の名誉理事長の講演会を開催するなどしてきた。

「親学」と安倍総理の深い関係

 安倍首相と西村大臣は、「親学推進議員連盟」の所属。
 特に安倍首相は議連設立時の会長だ。

 親学とは、日本会議の主要メンバーである教育学者・高橋史朗氏が提唱する子育て論だ。
 当然、復古的傾向が強い内容だが、中でも発達障害は親のしつけが悪いことが原因であり、伝統的な子育てをすることによって予防できるとする主張が、科学的根拠がない誤解や偏見であるとして批判されている。

 民主党政権時代の2012年、一般社団法人「日本発達障害ネットワーク」が親学推進議連の安倍会長宛に、親学の問題を指摘する文書を送付。2014年に成立した第二次安倍改造内閣も、閣僚に4名の議連メンバーがいるとして問題視され新聞でも取り沙汰された。

 2015年に活動を休止した「人間サイエンスの会」という団体がある。
 宗教や神秘体験、「高次元のインスピレーション」等々、あからさまにスピリチュアルなテーマの講演会を173回も開催してきた。

 この団体に関わっていた閣僚は確認できないが、下村博文・党選対委員長は同会の幹事長を務めていた。
 自身が代表を務める自民党東京都第11選挙区支部から2013年に同会への会費1万2000円を支払った記録も、政治資金収支報告書に記載されている。
 宮下一郎・内閣府副大臣も、同会の事務局長だった。

 かねてより批判が多い保守勢力の日本会議や神道政治連盟等も含めると、恐ろしいことに「無傷の閣僚」が1人もいない。
 
 それが第4次安倍再改造内閣の実態なのである。


※ 藤倉善郎(ふじくらよしろう)

1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)

ハーバー・ビジネス・オンライン、2019.09.22
第4次安倍改造内閣の知っておくべき側面。
統一教会系閣僚11人、その他の問題集団との関係も枚挙に暇なし

<取材・文/藤倉善郎>
https://hbol.jp/202356/

posted by fom_club at 07:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする