2019年10月01日

先崎彰容

[プロデューサーAのおもわく。]

 明治維新の立役者の一人であり「江戸無血開城」等の政治的難事業をなし遂げた稀有な政治家、西郷隆盛。
 晩年こそ反逆者として追われ不遇の最期を遂げたが今なお多くの人から慕われ続けています。
 しかし、特に晩年の行動は謎に包まれており、今でも議論が尽きません。
 西郷を生涯にわたって支えた思想とはどんなものだったのか?
 それを知る上で大きな手がかりがあります。
 生前の彼の言葉が記録されている「南洲翁遺訓」です。

 編纂したのは元庄内藩有志たち。
 西郷の仇敵にあたる庄内藩の人たちが彼の言葉を残そうとしたのは、西郷のはからいにより庄内藩に寛大な処置がとられたからでした。
 その高潔な人格に感動した人びとによる編纂であるため、これまでは「偉人・西郷隆盛」をイメージづける名言集という読まれ方がなされてきました。
 しかし、その言葉の端々に潜む意味を丁寧に読み解くと、西郷が世界史の動向を鋭く見据え、比類のない洞察力で、国家のあり方、文明のあり方、人間のあり方を模索し、新たな時代の指針を打ちたてようとしていたことがわかってきます。
 研究者の先崎彰容さんは、この書が単なる名言集を超えた一級の思想書であり、これまで謎とされてきた西郷晩年の行動の意味を解き明かす鍵を握っているといいます。

 また、その言葉の裏には、せっかく維新を成し遂げたにもかかわらず志を失い私利私欲にふける官僚達、民のことを忘れ権力闘争にあけくれる政治家達、物質的な繁栄のみを追い求めようとする政策等々への、西郷の深い憂いがこめられています。
 この書は、明治新政府への厳しい諫言でもあり、現代社会の問題をも鋭く刺し貫く射程をもっているのです。

 大河ドラマ「西郷どん」の放送がスタートする2018年1月。
 幕末から明治維新への激動期、新しい国づくりのために、51年の人生のすべてを捧げた西郷の言葉から、あるべきリーダーの条件、国家や経済への洞察、困難を乗り越えるための人生の指針など、現代の私たちが学ぶべきメッセージを読み解いていきます。

第1回 揺らぐ時代
放送: 2018年1月8日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ

 西郷が生きた時代、1830-70年代は、世界で巨大な情報通信革命とエネルギー革命が急速に展開している時代だった。
 一大鉄道網の敷設、大陸間をつなぐ海底電信ケーブルの設置等々、現在でいえばインターネット革命に匹敵するような巨大な地殻変動。
 その余波が超大国ロシア帝国をも揺さぶる時代。
「南洲翁遺訓」を読むと、西郷が世界史的視野からそうした変動を鋭く洞察し、国家がどうあるべきかについてのヴィジョンを模索していたことがわかる。
 こうした激動の時代だからこそ、国家の屋台骨を打ちたて、世界に伍する国柄を明確にせねばならないと考えた西郷は、巨視的な立場から、藩閥政治の利害争いや安易な西洋文明の模倣に対して、鋭い批判を展開する。
 第一回は、西郷の人となりなども交えながら、彼の思想の先見性に迫っていく。

第2回「敬天愛人」の思想
放送: 2018年1月15日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ

 ともすると、古きよき人生訓やビジネス指針として読まれがちな「敬天愛人」の思想。
 しかし、「南洲翁遺訓」を読み解いていくと、そこには時代を経て培われてきた奥深い思想が秘められていることがわかる。
 そのエッセンスの一つが佐藤一斎らが展開してきた「陽明学」。
 維新が成った結果、人びとの欲望が解放され、経済的利害のみが人びとを動かす行動基準になろうとしていた時代、西郷は、改めて日本人がよって立つべき原理を「天」という概念に求め、旧秩序の崩壊で価値基準が混沌する中、国家の命運をかけた大きな決断を下す際の基準点をぶれることなく持ち続けた。
 第二回は、奄美流罪時代の西郷の苦闘の意味なども交えながら、これまであまり読み取られることのなかった「敬天愛人」の思想の淵源に迫っていく。

第3回「文明」とは何か
放送: 2018年1月22日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ

「このままでは日本は商法支配所になりさがる」

 私利私欲に走り、そろばん勘定だけを政策決定の基準にしようとしているかにみえる藩閥政治に対して、西郷は鋭い論陣を展開する。
 刑法のあり方、財政のあり方など具体的な指針も交えながら、西欧列強と対峙しうる国家のアイデンティティとは何かを追求し続ける西郷。
 だがその基本姿勢は偏狭な国粋主義と一線を画す。
 彼の思想は、西欧に学ぶべきところは学ぶが、途上国に対する非道さや経済的な打算による威信の軽視を鋭く批判するという文明史的視点に貫かれているのだ。
 第三回は、西郷が思い描いた文明のあり方、国家のあり方の奥深さに迫っていく。

第4回 時代を映す「古典」
放送: 2018年1月29日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ

 西郷を悲劇の死に追いやった「西南戦争」。
 不平士族たちの思いを背負った西郷が負けとわかって挑んだ戦いと記されることも多いが、先崎彰容さんは、実はこの戦いは、西郷が大きな思想的な課題を成し遂げようとして戦った必然的な戦いだったと考える。
 この戦いには、洋行帰りで西欧の最新知識を吸収した人やルソーに心酔した知識人も参加していた。
 こうした事実と「南洲翁遺訓」を合わせて西郷の行為を読み解くと、官僚独裁が進み排除の論理が横行する新政府に対して行った大きな「抵抗運動」だったと考えられるという。
 時代の転換期ごとに読み返され、福沢諭吉、内村鑑三、三島由紀夫らにも大きな影響を与え続けた西郷の思想。
 第四回は、時代を超えて何度も掘り起こされてきた西郷の思想が、現代の私たちの置かれた状況にとってどんな意味をもっているかを明らかにしていく。

※ NHKテレビテキスト『100分 de 名著、南洲翁遺訓』
……2018年1月(2017年12月25日発売)

[プロヂューサーAのこぼれ話。]

西郷の「抵抗の精神」に学ぶ

 今回、西郷隆盛「南洲翁遺訓」を取り上げようと考えた理由の一つには、もちろん大河ドラマ「西郷どん」の放送がスタートするということがありました。
 世間では、この時期を期に西郷への関心が高まるのは間違いないでしょう。
 ただ場合によっては、ムード先行でお祭り騒ぎになってしまい、西郷が本当に考えぬいたことについて、読み解き、深めていく機会が意外に少なくなってしまうのではないかとも危惧していました。
 どうせやるならば、他の番組やドラマでは描きえないような深みのある解説ができたらと思っていましたが、西郷を新しい視点で解説してもらえるような講師が思い浮かばず、考えあぐねていたのです。
□ □ □
 そんなときに出会ったのが、今回の講師・先崎彰容さんでした。
 ある出版社の方に紹介いただき、先崎さんにお会いしたのが今年2017年4月。
「ナショナリズムの復権」「違和感の正体」などの著作を読んで、その鋭い論客ぶりに注目していた私は、日本の近現代を彩る思想家の数々が先崎さんに解説していただく候補として頭に浮かんでいました。
 しかし、先崎さんは、「取り組むならばしっかりとした準備をしてからにしたい」という強い気持ちをおもちで、私が挙げる思想家のことごとくを「とても興味はあるのですが、解説するには少し時間がかかりますね」と固辞されました。
□ □ □
 少しあきらめかけてきたとき、「そういえば、今、集中的に読み込んでいる本があるんですが、こんな本は候補になりますか?」と手にとられた本が「南洲翁遺訓」だったのです。
□ □ □
 こちらとしては願ったりかなったり。
 しかも、先崎さんが提示してくれる西郷像が、これまたことごとく、私たちの常識を打ち破ってくる斬新なものでした。
□ □ □
 一つは、私たちが想像もしなかった西郷の巨視的な洞察力です。
 西郷が生きた時代、1830-70年代は、世界で巨大な情報通信革命とエネルギー革命が急速に展開している時代でした。
 一大鉄道網の敷設、大陸間をつなぐ海底電信ケーブルの設置等々、現在でいえばインターネット革命に匹敵するような巨大な地殻変動。
 その余波が超大国ロシア帝国をも揺さぶる時代。
「南洲翁遺訓」を読むと、西郷が世界史的視野からそうした変動を鋭く洞察し、国家がどうあるべきかについてのヴィジョンを模索していたことがわかってきます。
□ □ □
 こうした激動の時代だからこそ、国家の屋台骨を打ちたて、世界に伍する国柄を明確にせねばならないと考えた西郷は、巨視的な立場から、藩閥政治の利害争いや安易な西洋文明の模倣に対して、鋭い批判を展開していたのでした。
 先崎さんによるこんな説明を聞いて、古色蒼然とした西郷像が、がらがらとくずれていきました。
□ □ □
 もう一つは、西郷を悲劇の死に追いやった「西南戦争」についてのイメージです。
 不平士族たちの思いを背負った西郷が負けとわかって挑んだ戦いと記されることも多いですが、先崎さんは、実はこの戦いは、西郷が大きな思想的な課題を成し遂げようとして戦った必然的な戦いだったと考えていました。
 この戦いには、洋行帰りで西欧の最新知識を吸収した人やルソーに心酔した知識人も参加していたという事実を先崎さんの説明で初めて知りました。
 単なる不平士族の反乱とのみ「西南戦争」をとらえるだけでは、こうした実相が見えてこないのです。
□ □ □
 そして、こうした事実と「南洲翁遺訓」を合わせて西郷の行為を読み解くと、官僚独裁が進み排除の論理が横行する新政府に対して行った大きな「抵抗運動」だったと考えられるといいます。
 実は、このことは、すでに同時代の福沢諭吉が鋭く見抜いており、西郷批判の嵐が吹き荒れる中、ただ一人、西郷擁護論を書き残していたのです。
 私は、この西郷と福沢の響きあいに深く感銘を受けました。
□ □ □
 当時、西南戦争が始まると、ジャーナリズムはこぞって西郷批判を繰り広げました。
 メディアによる徹底的な西郷バッシング。
 しかし、その背景には、明治新政府寄りの報道だけに統制しようという政府側の思惑もあったといいます。
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 福沢は、こうした流れにただ一人立ち向かいました。
 福沢の論はこうです。
 西郷は、武士の「抵抗の精神」、つまり自尊心をもち、安易に政府の見解だからと言って阿諛追従せず、場合によっては異を唱える精神の重要性を示そうとしたのだ。西郷批判一色に染まった現状では、この日本の最良の伝統が失われてしまうのではないか。だから、私は、西郷を擁護するのだ、と。
□ □ □
 先崎さんの解説を聞く中で、私は、自分が仕事をしていく上での姿勢を鋭く突かれたような戦慄を覚えました。
 西郷が示し、福沢が評価したこの「抵抗の精神」は、私たちメディアに携わるものとして忘れてはならない大事な思想性が込められていると深く感じています。
□ □ □
 皆さんには、西郷のどんな言葉が響いたでしょうか?
 表面だけ読むと、さらっと流れてしまうような非常に短い言葉を集めた「南洲翁遺訓」ですが、先崎さんの解説にならって、一歩立ち止まり、自分に引き当てて深く読みこんでいくとき、今までにない光が宿ってきます。
 ぜひあなただけの一言をこの本から見つけ出してみてください。


NHK、100分de名著
名著72
西郷隆盛『南洲翁遺訓』
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/72_nanshuoikun/index.html

 現在の日本は、先行きが不透明な時代だ─―そんな言葉をよく耳にします。
 この国の大きな転換点だとも言われる2011年の東日本大震災を経て、これから日本はどちらに向かって進むべきなのか。
 1990年代以降の経済不況の頃から言われ続けている「先行き不透明」という表現は、日を追うごとに身近になり、もはや常套句になっているように思えます。

 では、どうすればよいのか。
 闇雲に前進すればよいのでしょうか。
 むしろ私たちは、自らの来た道を振りかえり、そこから未来を照らしだす「灯火」を得るべきではないでしょうか。

 先の見通せない時代、不安定な時代になると、必ず名前が挙がってくる二人の日本人がいます。
 夏目漱石(1867〜1916)と、今回取り上げる西郷隆盛(1827〜1877)です。
 漱石は、小説家として近代日本の文明について考えた人で、「私の個人主義」という講演録が話題になることも多い人物です。
 一方、『南洲翁遺訓』の西郷隆盛は、政治家としてはもちろんですが、それ以上に人びとを惹きつけてやまない人間的魅力をもつ、懐の深い指導者として、不安定な時代になるとたびたび登場してくる印象があります。

 西郷隆盛の一般的なイメージというと、最も典型的なのは、封建的な武士の棟梁というものでしょう。
 それは、上野公園の銅像や有名ないくつかの肖像画の、いかにも豪傑といった姿に拠るところも大きいと思います。
 どちらかというと保守的な、あるいは古色蒼然とした、古い時代の人という印象を抱いている方が多いのではないでしょうか。
 実際、第二次世界大戦後には研究者の間でも、以下のような理由によって否定的に評価されるのが普通でした。

 一つは、戦争中の大陸進出を動機づけた元凶として「征韓論」が槍玉に挙がったことです。
 西郷を明治六年の「征韓論」のカリスマとして記憶している人も多いでしょう(実際には、西郷は「征韓論」という言葉自体、使ったことはありません。西郷の主張は、近年では「遣韓論」とも呼ばれるようになっていますが、詳細は第3回で解説します)。

 もう一つ、同時代に活躍した大久保利通(1830〜1878)に比べて、明治維新以降の新しい日本をつくる明確な国家像──司馬遼太郎の言葉でいえば「青写真」──を持たない人物だったというイメージもあります。
 日本の近代化には役立たなかった、政治的にはあまり有能ではなかった人物、そんな風にさえ思われている節があります。

 封建的で保守的、そして日本の近代化には全く理解のない男。さらには「征韓論」の急先鋒で、数年後には日本最大の内乱「西南戦争」まで引き起こしてしまった──。
 以上のような西郷像に、あまりよいイメージを持たない人も多いのではないかと思われます。
 しかし近年、以上のような「イメージ」とは異なる、西郷の「実像」を明らかにしようという動きが活発に出てきています。
 これについては本論できちんと見ていくことにしましょう。

 西郷が遺した『南洲翁遺訓』とはどういうものか。
 またなぜ、今、読むに値するのか。
 第1回で詳述するので、ここでは簡単に触れるにとどめますが、「南洲翁」は西郷隆盛の尊称です。
 実は、この本は西郷隆盛本人が書いたのではなく、旧庄内藩の関係者が、聞き書きをまとめて編纂したものなのです。
 出版されたのは、西郷の死後、賊名が解かれた1890(明治23)年のこと。
 内容は、為政者としての心構えをはじめとして、西郷の国家観・文明観を示す多彩なものです。
 政治家や組織のリーダー的地位にある人を意識して語られていて、非常に示唆に富む内容です。
 と同時に筆者は、とりわけ西郷の死生観がこの書に溢れていることが、今日でもなお、西郷に私たちが惹きつけられる理由であると考えています。
 その詳細も本論で明らかにしていきます。

「政治家」としての西郷隆盛について書かれた、歴史学者による研究書は多くあります。
 しかし今回は『南洲翁遺訓』に書かれている言葉に注目し、精読することで、思想史の立場から見た西郷像を示したいと思っています。
 より具体的にいえば、実際にどのような学問をまなび、それを糧に時代と格闘したのかを検証し、「人間」西郷隆盛に迫ってみよう──これが今回の「100分de名著」で挑戦したいことです。

 現在と同じくらい、いや、もっと激しく先行き不透明で、混迷した時代を生きた西郷隆盛。
 彼の実像に迫ることで、現在のような社会状況において羅針盤になるような何かを、読者のみなさんと摑み取ることができれば幸いです。


名著、げすとこらむ
『南洲翁遺訓』
混迷の時代を照らす「灯火」

ゲスト講師 先崎彰容
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/72_nanshuoikun/guestcolumn.html

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橋川文三

 なんという不器用な思想家だろう−−
 これが20歳のころ、私が最初に作品を読んだときの橋川文三への印象である。

 橋川文三、と聞いてもピンと来ない人も多いかもしれない。
 彼は政治思想史家・丸山真男の、いわば「鬼子」である。
 晩年の三島由紀夫とのあいだに論戦をくり広げ、三島も一目置いた思想家、それが橋川文三だった。
 三島は天皇についての自分の考えが論破されたとき、橋川を天才であると認めた。

 どうして彼が不器用に見えたのか。
 それは彼が、生涯をかけて戦争体験を考えたからだ。
 戦後、多くの人たちは次の時代、新しい時代へと突き進んでいった。
 だが橋川は違った。
 彼は戦中の体験に「躓(つまず)く」。
 そして困惑を一生背負ったまま、千鳥足で戦後を生きていった。
 作品を読みながらこのことに気づいた私は、彼を直感的に「不器用な思想家」だ、こう考えたわけである。

 橋川が、自身の心のなかを覗(のぞ)き込む。
 あのとき何が自分をとらえ、離さなかったのかを問いただす。
 すると「ロマン主義」こそ、戦争体験そのものだと橋川は思った。

 ではロマン主義とは何か。
 私たちは普通、世界を理解する共通の「ものさし」をもっている。
 たとえば最近なら冷戦=米ソ対立の時代だったとか、一億総中流の時代なのだと言うことで、私たちは現実を理解する。
 こうした世界観=ものさしを前提に、他人と話を進めていくことがしばしばある。

 戦前、ものさしの役割を果たした思想の一つに、マルクス主義があった。
 マルクスを読む、すると世界全体のうねりが、はっきりと理解できた気になる。
 今の時代がどんな時代で、次にどうなるか、分かったような気がする。

 だがもし、全てのものさしが嘘だったらどうか。

 この世の中は「混沌(こんとん)」であり、何一つ確実なものはない。
 全ては疑わしく、心のよりどころなど何もない。
 こういう意識に、橋川は襲われた。
 なぜなら戦争中は、誰も明日がどうなるかなど分かりっこないからだ。
 死の匂いが日常を覆っている。
 死は些細(ささい)な偶然で私の人生を奪い、静かに隣人の顔に白い布をかける。
 これほどの不安定と混沌があるだろうか−−

「かんたんにいい切ってしまえば、すべて存在するものの存在がその確定的な意味を喪失し、人間における信条体系の一義性が消失した状態がそこにはあった」(「日本浪曼(ろうまん)派と太宰治」)。

「一義性」という言葉に注目すべきだ。
 これこそ、ものさしと同じ意味だからだ。
 人は食べ物だけでは生きていけない、自分がなぜ、何を根拠に生きているのかを問わずにはいられない−−橋川はこういう問題に直面した。
 それを「ロマン主義」と名づけた。
 当時、保田與重郎(よじゅうろう)や亀井勝一郎らがロマン主義の代表選手であり、その主張に橋川は酔った。
 決定的な影響を受けた。

 彼らの日本の古典文学への熱烈な愛情。
 ロマン主義とは、日本主義者であればあるほど言葉への繊細さを失う、そんな時代状況への批判だった。

 日本を大事に思う、
 ならばなぜ日本人の心の襞(ひだ)深くまで降りていかないのか。
 古典時代の文学に耳を傾けないのか。
 古典の詩歌こそ、心の混沌を鎮めてくれる唯一の処方箋のはずなのに。


 この主張に、橋川は打ちのめされた。

 こうした強烈な戦争体験を橋川はもち、戦争の意味を探りつづけた。
 戦後、石原慎太郎や大江健三郎らの過激な主張が登場したときも、三島由紀夫の天皇論の限界を指摘するときも、橋川の脳裏にはつねに、自身のロマン主義体験があったのだ。

 さらにふり返れば、高山樗牛(ちょぎゅう)や石川啄木など「明治時代」の青年たちの心理にまでつながる。

 この事実に橋川は気づく。
 だとすれば、「あの戦争」を問うことは、明治から戦後にまで連なる日本の精神史を、つまりは日本の近代化総体を問うことになるではないか。

 橋川文三。
 このいぶし銀の思想家の言葉は、今こそ紐(ひも)解かれるべきだろう。

[知るための3冊]

『日本浪曼派批判序説』(講談社文芸文庫)
 橋川の名を後世に残した著作。戦中日本人の精神ドラマの典型例=ロマン主義の研究の金字塔で、これなくして「あの戦争」は語れない。

『ナショナリズム』(紀伊国屋書店)
 昨今「ナショナリズム」をめぐる研究書は山ほどあるが、近代日本精神史から「国家」について考えた書物としては今でも決定版である。日本政治思想史という学問の一つの頂点をなす。

『昭和維新試論』(講談社学術文庫)
 高山樗牛、石川啄木らを取りあげた作品。近代化のゆがみを是正せんとする青年たちの葛藤、革命運動がどのように生まれたか−橋川の問いはここにある。

[プロフィル・橋川文三(はしかわ・ぶんそう)]
 1922(大正11)年、長崎県生まれ。旧制第一高等学校を経て1945(昭和20)年に東京帝大法学部卒業。丸山真男のゼミで学ぶ。明治大教授として近代日本政治思想史を教え、戦時中に自らの世代の心をとらえた日本ナショナリズム思想の意味を問い直す著作を次々に発表。代表作に『日本浪曼派批判序説』『歴史と体験』など。1983(昭和58)年、死去。

[プロフィル・先崎彰容(せんざき・あきなか)] 
 1975(昭和50)年、東京都生まれ。東大文学部卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』など。


産経新聞、2014.7.17 12:01
【「戦後日本」を診る 思想家の言葉】
橋川文三 「あの戦争」を問い続ける意味
(先崎彰容)
https://www.sankei.com/life/news/140717/lif1407170036-n1.html

 いやあぁ〜、ヤッホーくんの朝シャン後の朝キン、世田谷区豪徳寺。
 ところが東京メトロ千代田線の小田急線直通電車「向ヶ丘遊園」駅に乗ったのはラッキーだったのですが、「代々木上原」駅で発生した線路内立入の影響とかで、電車が大渋滞を起こし動かないのです。
 そしたら、悪いことは重なるものです。今度は小田急線!
 朝の9時半過ぎ、登戸駅で起きた人身事故で、千代田線の「向ヶ丘遊園」駅行きは「代々木上原」駅止まり!
 消費税が増税になったせいで飛び込んでしまったのかな・・・
 
 ヤッホーくん、「豪徳寺」駅でおりたあと、古書店「靖文堂」へ(世田谷区豪徳寺 1-18-9 Tel 3426-2139)。
 店主からは11時開店なので電気をつけるのは11時だよって言われたのですが、ヤッホーくんの耳には店内から呼ぶ声が確かに聞こえてきたのです。

 橋川文三『西郷隆盛紀行』(朝日新聞社、1981年11月)!!

 何度か書いているが、私は西郷隆盛という人物の魅力がよく分からない。
 ほうっておけばよさそうなものだが、時々、思わぬ人が西郷を礼賛しているので、どうしても気になる。
 たとえば、内村鑑三は「明治の維新は西郷の維新であった」と言い切り、「聖人哲人」「クロムウェル的の偉大」「日本人のうちにて、もっとも幅広きもっとも進歩的なる人」と口をきわめて褒めている。
 内村鑑三というのも、ちょっとアヤシイところのある人で(←ホメている)この記述を含む『代表的日本人』を、読みたい読みたいと思って探している。

 中江兆民も西郷に高い評価をおく。
 著者いわく、兆民は、名誉や社会的地位に目もくれず、貧乏を恐れない。
 そのかわり、正義と信じるものには絶対に従う、そのあたりが西郷と似た性格なのではないか。
 それから、福沢諭吉。これは意外な気がした。
 西南戦争直後に西郷弁護論を書いているが、反響を考慮して晩年まで発表を控えたという。
 福沢は、単純な進歩主義者タイプとはいえない、という分析が興味深い。
 北一輝は、非常に複雑な表現で西郷を評価している。
 西郷軍の反動性を指摘し、倒されたのは必然としながら、西郷の死によって維新の精神が失われたことを惜しむ。
 それから鶴岡育ちの大川周明。
 庄内藩は戊辰戦争で寛大な処遇を受けたことから、西郷への敬愛の念が強いのだそうだ。

 さらに意外なことに、中国文学者の竹内好が登場する。
 竹内は西郷論は書いていないが、関心をもっていたに違いない、と著者は推測する。
 そして、竹内好の研究対象だった魯迅も西郷に関心があったらしい。
 まあ近代中国の「志士」たちが明治維新に学んでいたことはたくさん傍証があるし。

 それから、これは仮定であるが、もし西郷が遣韓大使として朝鮮に渡り、大院君(高宗の父)に会っていたら、意気投合していたのではないか(安宇植氏談)という見解も興味深く読んだ。
 私は閔妃事件の関係で、どちらかというと悪役イメージで見ていたが、勝海舟も大院君に会って、面白い人物だと評しているという。
 時代や国境を越えた西郷隆盛シンパが、芋づる式に現れるので、たいへん面白かった。

 その一方、西郷は政治的実務能力を全く欠いていたとか、封建的な地方主義を脱却していなかったとか、近代的合理性の立場からの批判がある。
 木戸孝允とか大隈重信の弁。
 また、敗戦後は、西郷の「征韓論」が軍国主義や右翼のシンボルのように扱われた。
 しかし著者は、西郷の「征韓論」は前近代の大陸膨張論であり、その後の帝国主義的な膨張論(アジア侵略)とは区別すべき点があるのではないかと考える。
 歯切れは悪いけど、言いたいことは分かる。

 そして、それゆえ、著者は西郷隆盛論を書こうと思って、いろいろ調べていく。
 ゆかりの地を訪ねたり、対談をしたり、講演をしたり、その構想ノートが本書なのだ。

 いちばん面白かったのは、「西郷隆盛と南の島々」と題された島尾敏雄氏との対談。
 作家の島尾敏雄さんって、奄美大島で図書館長(分館長)をされていたのか。
 知らなかった。
 西郷が「島暮らし」で得たものをめぐって、倭(ヤマト)の辺境である南島と東北の親近性に話が及ぶ。
 島尾さんの「薩摩は南島とものすごく似ています」とか、北九州はヤマトの中心であって辺境ではない、などの指摘が、いちいち刺激的だった。
 西郷は、ヤマトの政治に絶望して、何か違うもの(日本を超えたもの?)を求めていたのではないか、というのが著者のたどりついた推論である。

 「征韓論」について、日本が朝鮮とぶつかり、清国と戦うことになれば、日本の士族層は滅び、その後の日本に新しい体制ができるかもしれない。
 そこらへんまでは西郷さんも考えていたのではないか、と著者は1976年の講演で述べている。
 これは、著者が意識していたかどうか分からないけど、中江兆民『三酔人経綸問答』に登場する豪傑君の主張そのものであると思って、はっとした。
 なお、ネタバレだけど、最終的に著者の西郷隆盛論は完成せずに終わっている。

 鹿児島、それから奄美大島も行ってみたくなってきたなあ。
 あと、この「文春学藝ライブラリー」、文藝春秋社のHP(本の話WEB)に「名著、良書の復刊」を目指します、とうたっているが、選択眼が非常によい。
 息切れしないよう、今後とも期待!
 

見もの・読みもの日記(興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介)、2015-01-28 23:42:03
南島から来た人間/『西郷隆盛紀行』橋川文三
『西郷隆盛紀行』(文春学藝ライブラリー、文藝春秋、2014年10月、注)
https://blog.goo.ne.jp/jchz/e/d627258c7257bd700443140219dda88f

(注)文春学藝ライブラリー

 近代日本の精神史を探求しつづけ、優れた作品を残した政治思想家による西郷隆盛論です。
 西郷が日本人を惹きつけてやまないのはなぜなのか?
 明治維新の「最大の立役者」にして、明治政府に背いた「逆賊」というパラドクスをどう考えればよいのか?
 本書は、近代日本の矛盾を一身に体現した西郷隆盛という謎に迫ります。


https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130311

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首相の発言をファクトチェック(事実確認)

 2019年7月21日投開票が有力視される参院選まで1ヶ月。安倍晋三首相の政治姿勢も、有権者にとって重要な判断材料だ。第2次安倍政権以降、6年半にわたる首相の発言をファクトチェック(事実確認)する。 

「自衛隊に対する、自治体の非協力な対応がある。例えば自衛官の募集。6割以上の自治体から所要の協力が得られていない」

 今年2019年1月の衆院本会議。首相は、自衛隊は災害派遣で自治体を助けているのに冷たい扱いを受けているとして、「終止符を打つためにも、自衛隊の存在を憲法に位置づけることが必要」と訴えた。
 だが、首相の言葉は正確とは言い難い。
 防衛省によると、2017年度、全国1741市区町村のうち、自衛官適齢者の名簿を作って自衛隊に提出した自治体は36%。一方で、適齢者名簿や住民基本台帳の閲覧・書き写しを自衛隊に認めた自治体も計54%あった。完全拒否したのは1%に満たない。
 ほかにも首相は、自衛隊を明記する必要性を訴えようと、あらゆる理由を総動員してきたが、額面通り受け取れないことが多い。
 有名なのは、自衛官の子どもが「お父さん、憲法違反なの」と涙ながらに尋ねたというエピソード。首相は2017年10月の民放番組で「(自衛官から)直接聞いた」と説明したが、野党は国会で「実話なのか」と追及。首相は2019年2月の衆院予算委員会で「防衛省担当の首相秘書官を通じて伺った」と言い直した。
 首相は「(実話と証明する)資料を出せというのなら出させていただく」とたんかも切ったが、結局、資料は出てこなかった。
 そもそも首相は、2020年の新憲法施行を目指すとして期限を切る一方、憲法のどこを見直すかという肝心な点で主張を変えてきた。
 2012年末に第二次安倍政権が発足した当初は、衆参両院で3分の2以上の賛成が必要とする改憲要件を緩和する96条改憲を目標に。ルールを変えるやり方に「裏口入学」と批判が高まり、棚上げした。
 自民党も、現行憲法は世界的に見ても改正しにくいと訴えたが、海外の憲法に詳しい憲法学者は、議会の承認が必要な各国憲法のおよそ4分の3は「3分の2」が改憲要件と指摘する。
 首相はその後、自衛隊明記のほか、教育充実のための改憲も強く主張。改憲で日本維新の会の協力を得るためとみられている。
 2年前の施政方針演説で首相は、江戸時代に土佐藩が、江戸から持ち帰ったハマグリを食べずに放流した結果「今も大きな恵みをもたらしている」として、子孫のための憲法論議を訴えた。演説当時、高知県のハマグリ漁獲量はピーク時の4%弱にすぎず、「大きな恵み」は誇張と言える。
 在任中に自らの手で改憲を成し遂げる意欲が先走り、内容は二の次。
 首相の改憲論からは哲学が見えてこない。


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東京新聞・朝刊、2019年6月21日
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>
(1)憲法 要件緩和、教育充実… 変わる改憲項目
(清水俊介)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201906/CK2019062102000162.html

 安倍政権が6年半、経済政策で最も重視してきたのは、「成果」の見せ方だ。さまざまな解釈や表現を駆使し、いかに経済成長を実現したかを国民に印象付けることに腐心してきた。

「しっかりと経済を成長させている」

 安倍晋三首相は2019年6月19日の党首討論で、立憲民主党の枝野幸男代表に向けこう強調した。民主党政権時代の国内総生産(GDP)の実質成長率が安倍政権を上回っていたと訴えた枝野氏に対し、「一点だけ申し上げる」と強く反論した。
 枝野氏は物価変動の影響を除いた実質成長率を「経済の総合成績」と主張した一方、安倍首相は変動分を含んだ名目成長率を前提にした。どの指標を扱うか。解釈一つで、アベノミクスの代表的な「成果」とされるGDPでさえも評価が大きく変わる。両者の主張がかみ合わなかったのは、「物差し」の違いが大きい。
 政権が「名目GDP 600兆円」を目標に掲げたのは2015年。首相は同年2015年11月、「2020年ごろに十分達成できる」と宣言した。2015年度の実額は当初、500兆円程度にとどまり、専門家から「不可能」との意見が相次いだ。しかし、その後に数値は急伸。2018年度には550兆円まで伸ばした。
 伸長のからくりは、GDPの計算方法の変更だった。
 目標を掲げた後の2016年12月に計算法を変え、2015年度は基準変更前と比べGDPを30兆円以上伸ばした。「後出しじゃんけん」との批判も招いたが、一連の事象を首相が率先して説明する姿はみられない。
 首相がアベノミクスの成果を誇る際、紹介した数字の裏側にある実情を丁寧に説明しない場面が多くみられる。賃金の伸びは春闘の実績を使い、基幹統計として重要性が高い「毎月勤労統計」の結果には触れず。勤労統計の2018年実績が、政府の不正や算出方法の変更により、かさ上げされていることも背景にある。
 頻繁に取り上げる雇用の改善でも説明不足の構図は同じだ。今国会でも「有効求人倍率は史上初めて全都道府県で一倍を超えた」と繰り返す首相。この数字は事実だが、団塊世代の一斉退職や生産年齢人口の減少という特殊要因には触れず、増えた雇用は高齢者ら短時間労働者が多いという中身は語らない。
 看板に掲げた金融政策「異次元緩和」でも、その理由と結果を十分に説明したとは言い難い。当時、首相はデフレの原因は金融緩和の不足にあるとして、任命した日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁による「2年で物価上昇率2%」に強くこだわった。
 それが6年かけても達成できず、地方銀行の経営悪化など副作用が相次ぐと発言は一変。今月の国会では「2%は一応目的だが、本当の目的は雇用」と転じた。


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東京新聞・朝刊、2019年6月22日
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>
(2)経済 GDP・勤労統計・求人倍率… 「成果」実情触れず
(渥美龍太)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201906/CK2019062202000154.html

 公平公正であるべき行政がねじ曲げられ、安倍晋三首相に近い人に特別な便宜が図られたのではないか−−。第二次安倍政権発足後の六年半を振り返り、見過ごせない特徴は、「忖度(そんたく)」という言葉に象徴される政と官のゆがんだ関係だ。

「私や妻が認可あるいは国有地払い下げに、事務所も含めて一切かかわっていないことは明確にさせていただきたい」

 2017年2月の衆院予算委員会で首相は、学校法人「森友学園」に国有地が大幅に値引きされて売却された問題について、自身や妻昭恵氏の関与を強く否定した。
 この問題では、学園が開校予定だった小学校の名誉校長に昭恵氏が就いていたことなどを官僚が忖度したという疑念がくすぶる。
 学園理事長だった籠池泰典被告が2015年11月、国有地賃貸で優遇を受けられないか昭恵氏に相談し、昭恵氏付き政府職員だった谷査恵子氏が財務省理財局に照会していたことが、同省が公開した文書などで判明。首相は「(理財局は)ゼロ回答。忖度してないのは明らかだ」と国会答弁したが、昭恵氏の存在が国有地を巡る交渉に影響した可能性は低くない。
 籠池被告は当初、国有地を8年間借りた後に買い取ることを目指した。財務省近畿財務局との交渉は難航したが、昭恵氏が学園の幼稚園を視察し、籠池被告と一緒に写った写真が示されると、売却を前提とした交渉が進んだ。2016年6月、地中のごみ撤去費として約8億円を値引きして国有地が売却された。
 籠池被告は「神風が吹いた」と表現したが、「安倍一強」と言われる長期政権下で、官僚が権力者に近いと思われる人を優遇した疑いは消えない。公文書改ざんに関わった職員が命まで絶っている。
 また、首相が「腹心の友」と呼ぶ加計(かけ)孝太郎氏が理事長を務める加計学園の獣医学部新設を巡っても、「加計ありき」で国家戦略特区の選定が進んだ疑いが解消されていない。業者による供応などを禁じた大臣規範があるにもかかわらず、首相と加計氏はゴルフや会食を繰り返してきた。2015年6月に愛媛県と同県今治市が国家戦略特区での獣医学部新設を国に提案した後も続けている。首相が学園の獣医学部新設の意向をいつ知ったのかが焦点となった。
 首相は2017年7月の衆院予算委で「(加計学園による特区への)申請を知ったのは1月20日の特区諮問会議」と答弁。しかし、首相は同年2017年6月の参院予算委などで「(国家戦略特区の前の)構造改革特区で申請されたことは承知していた」と答えていた。矛盾だと追及された首相は「整理が不十分で混乱していた」と陳謝し、答弁を修正した。
 その後も、首相と麻生太郎副総理の地元を結ぶ道路整備を巡り、当時の国土交通副大臣が「忖度した」と発言して事実上更迭されるなど、政権の体質を疑わせる問題が続く。
 だが、その場しのぎにも映る首相の説明から危機意識は感じられない。


ファクトチェック 安倍 モリカケ.jpg

東京新聞・朝刊、2019年6月23日
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>
(3)森友・加計問題 ゆがむ「政」と「官」 忖度の疑念 消えないまま
(望月衣塑子)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201906/CK2019062302000155.html


posted by fom_club at 06:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする