2019年07月31日

吉本興業にH.I.S.の倫理なき企業活動

 吉本興業問題はこの企業に巨額の国民資金が投入されている事実があり、安倍首相が癒着とも言える深い関わりを有している企業であるだけに、主権者としての視点から軽視できない。
 吉本興業は2009年9月にクオンタム・エンターテインメント社によるTOBによって買収され、上場が廃止された。
 買付代金は506億円。
 資金源はクオンタムファンドへの出資金240億円のほか、三井住友銀行などからの融資資金300億円などである。

「創業家の排除を狙った 吉本興業の非上場化(上)」
https://www.data-max.co.jp/2009/09/post_6997.html

 非上場かされた吉本興業の筆頭株主に躍り出たのはフジ・メディア・ホールディングスで持ち株比率は12.13%である。
 このほか、
・ 日本テレビ放送網
・ TBSテレビ
・ テレビ朝日ホールディングス
・ テレビ東京
・ 朝日放送
・ MBSメディアホールディングス
・ 関西テレビ放送
・ 讀賣テレビ放送
・ テレビ大阪
・ 電通
・ 博報堂
・ 博報堂DYメディアパートナーズ
・ BM総研(ソフトバンク子会社)
・ ヤフー(ソフトバンク子会社)
・ ドワンゴ
などが株主となっている。

 吉本興業タレントの宮迫博之氏、田村亮氏による会見で発覚した吉本興業の問題は以下の三点である。
【第一】は、吉本興業の経営最高幹部によるパワハラ、あるいは、脅迫、強要行為が存在した疑惑
【第二】は、吉本興業が下請法違反をしている疑惑
【第三】は、吉本興業自体が反社会的勢力との関わり有していたとの疑惑

【第二】の論点については、元検事で弁護士の郷原信郎氏が精密な考察を公表されているので、こちらを参照賜りたい。

「「契約書のない契約」という“闇”〜吉本興業の「理屈」は、まっとうな世の中では通用しない」
https://bit.ly/2YeTuvn

「「吉本興業と芸人の取引」は下請法違反〜テレビ局、政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか」
https://bit.ly/2GprGu7

「吉本興業、独禁法「優越的地位の濫用」による摘発が現実のものに」
https://bit.ly/2Y9f19N

 宮迫氏と田村氏は反社会的勢力が資金源のイベントに出演して報酬を得ていた。
 このことと、当初に報酬を受けていたことを隠し、虚偽を述べたことで責任を問われている。
 週刊誌フライデーが宮迫氏に接触したのは5月30日で、吉本興業は6月3日にフライデーからの質問状をもとにヒアリングを実施。
 この際に、宮迫氏などが虚偽の供述をした。
 フライデーは6月7日に発売されたが、宮迫氏や田村氏は6月8日に吉本興業に報酬を受領していたことを報告した。

 吉本興業は「静観する」の姿勢を示し、結局、7月20日の宮迫氏、田村氏自身による会見まで、本人からの事実公表の機会を与えなかった。
 吉本興業が、タレントが報酬を受領していたことと当該タレントへの処分を発表したのは6月24日である。
 6月8日に報酬を得ていた事実の報告を受けながら、事実を公表したのは6月24日である。
 さらに、6月24日段階で田村亮氏が引退を前提に会見する意向を申し出たが、岡本社長は「会見するなら全員クビ」と発言し、会見開催の要望を封殺した。
 この点が【第一】の問題の主要点になるが、北村晴男弁護士は、
「恫喝をパワハラと言っているが犯罪行為。『全員クビ』というのは、生活の糧を奪うことを意味しており、財産に対する害悪の告知という脅迫罪にあたる。それを手段にして会見させないようにしようとしたとなれば強要罪に該当する」
とコメントしている。

【第三】の反社会的勢力との関わりについて、吉本興業は、宮迫氏が参加した誕生パーティーの主賓である詐欺グループ首謀者が経営する企業がスポンサーのイベントにタレントを派遣していた事実が判明している。
 2014年5月31日に開催されたイベントで、問題のフロント企業「CARISERA」がスポンサーになっている。
https://bit.ly/2Yk78JV
 誕生パーティーの主賓であるフロント企業社長をフジサンケイグループメディアであるSankei Biz Expressが記事にして掲載していた事実も判明している。

「「日本と世界の懸け橋に」
CARISERA代表取締役社長、小林宏行氏(27)に聞く」
https://bit.ly/32R1fr8

 上場廃止された吉本興業には上場企業のような監視の目が届かなくなる。
 大崎洋会長、岡本昭彦社長、藤原寛副社長はすべて松本人志氏と極めて近い関係にあり、この少数が吉本興業を独裁的に実効支配し、フジサンケイグループとともに吉本興業を実質的に支配している構図が浮かび上がる。
 フジサンケイグループ報道は、吉本興業の現体制を擁護する方向に全面的な偏りを示しており、放送法第4条に抵触する疑いが強い。
 公共の電波を用いる事業であり、
「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」
という放送法の規定に準拠するべきである。
 フジサンケイグループは吉本興業の大崎体制を擁護することに全面的に力を注いでいるように見られ、主権者はこの視点からフジテレビ放送を監視することが必要である。

植草一秀の「知られざる真実」、2019年7月26日 (金)
吉本がCARISERA提供イベントに芸人派遣した事実
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-48eff1.html

 そして今日、新たな企業活動の問題を発見!

 エイチ・アイ・エスの澤田秀雄会長はロイターとのインタビューに応じ、日本でカジノ運営が解禁され、長崎県佐世保市にカジノを誘致できれば、地方都市の活性化につながるとの考えを示した。
 カジノをめぐっては、国内外の娯楽運営会社が東京や大阪など大都市での運営参画に意欲を見せているが、澤田氏は投資が大都市に一極集中するより、地方都市への誘致で雇用や観光が拡大すれば、日本経済の活性化につながるとみている。

 澤田氏は、カジノ経営は中途半端な規模では失敗のリスクがあると指摘。誘致における投資額は何千億円にも及ぶため、基盤のない他の地方都市に作ると採算がとれなくなる可能性があるという。
 また澤田氏は、カジノにはゲームだけでなく、アミューズメント面などの集客コンテンツが重要だと強調。すでにアジアではマカオや韓国などに大型のカジノが開業していることもあり、日本でのカジノ成功には万全なエンターテインメント施設・コンテンツが欠かせないと述べた。
エイチ・アイ・エスはリゾート施設、ハウステンボス(長崎県佐世保市)を保有し、ここに、すでに2000数百億円を投資したアミューズメント施設がある。このため、ハウステンボスを土台とし、「(あと)500─1000億円前後の投資」(澤田氏)をするだけで、質の高いカジノ設立が可能とした。
 設立にあたってエイチ・アイ・エスは、土地・場所の提供などで協力をする。資金面ではエイチ・アイ・エスのほか、自治体など「いろんな方が共同でやればいい」(澤田氏)と考えている。
 澤田氏は、「ある程度のアミューズメントがついていないと単なる賭博(とばく)場になってしまう。やるなら立派で、エンターテイメントと一緒にやらないとだめだろう」と述べ、誘致できれば、これまでに培ったノウハウを活かせると自信を示した。
 米国、フランス、中国などのカジノの場合、首都に大きな施設はなく、1─3時間離れた立地にある。ハウステンボスに誘致すれば「湯布院や阿蘇、福岡など(長崎だけでなく)九州全体の観光に大きなプラスになる」(澤田氏)と期待を示した。
 澤田氏は、カジノを設立することになった場合、ハウステンボスの近くに専用の飛行場を作る構想も明らかにした。70─100人乗りの飛行機をピストン輸送できるような小型の空港で、建設費用は100─200億円を見込むという。
 澤田氏によると、「エンターテインメントが楽しめる空港を作り、そこから3時間以内のところに飛行機を飛ばせば、中国、台湾、香港、韓国、東南アジアに安価で利便性の高いアクセスが増やせる」という。国内だけでなく、アジア近隣諸国からも観光客を呼び込み、九州の観光業を活性化したいと意気込みを示した。
 現在、日本でカジノ運営は違法だが、新たな税収減への期待や雇用拡大など経済効果から解禁すべきとの見方があり、今秋の臨時国会に議員立法での法案提出が予定されている。


*インタビューは2013年9月11日に行われました。

[写真]
https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/12/casino-his_n_3912185.html

ハフポスト、2013年09月12日 19時43分 JST
「カジノ誘致」を企むHIS会長の野望
HISの澤田秀雄会長が、日本へのカジノ誘致に意欲的だ。何故、HISにカジノが必要なのか。考えを聞いた。

(東京 2013年09月12日 ロイター)
https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/12/casino-his_n_3912185.html

 ハウステンボス(佐世保市、HTB)の親会社で旅行大手エイチ・アイ・エス(HIS)の澤田秀雄社長=HTB会長=は、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の候補地について、佐世保市に売却する際には候補地内にあるホテルヨーロッパを残すことなど複数の条件を付ける考えを明らかにした。澤田氏は長崎新聞の取材に「土地を売らない限り、IR事業者は何もできない。協力はするが、言うべきことはきちんと言う」と語った。
 HTBは4月、園内にある約30ヘクタールの土地と建物を候補地とすることで、県、市と基本合意した。総面積の約5分の1に当たり、ホテルヨーロッパやパレスハウステンボスなどを含む。
 HTBと佐世保市が締結予定の土地売買契約は、IRの誘致が実現した際に効力が生まれる。ただ、IRの要件に大型ホテルや巨大な国際会議場など大規模施設の整備が含まれたため、ホテルヨーロッパなど既存のホテルは建て替えとなる可能性がある。
 澤田氏はホテルヨーロッパに触れ「あんないいホテルはもう建てられない。隣接するHTBの雰囲気を壊さないよう、最低限の条件を付けたい」と語った。このほかIRとHTBのイベントが重ならないよう求めていく方針も示した。
 本県への誘致実現には「市、県ともにやる気で、経済界も一枚岩。有望だと思う」との認識を示した。その上で、「(HTBは)IRがなくても食べていけるが、来場者の一部はこちらにも来てもらえると思うので、利益は増えるはずだ」と語った。


[写真]
ハウステンボス(HTB)澤田会長=佐世保市、ハウステンボス

長崎新聞、2019/6/20 00:07 (JST)
HTBのIR候補地 売却に複数の条件 澤田会長
https://this.kiji.is/513734557631186017?c=174761113988793844

環境に悪いパーム油を「エコな発電」と勘違い

 東南アジアの熱帯雨林を切り開き、オランウータンなど貴重な野生生物を絶滅の危機に追いやっている ― 食品や洗剤に使われるパーム油が環境に悪いことは、ある程度、エコロジーに関心がある人々にとっては、もはや常識に近い。

 環境破壊だけでなく、現地での最低賃金以下の労働や児童労働、先住民族の生活の場を奪う等、人権という観点からもパーム油を生産するプランテーションは大きな問題を引き起こしている。

 ところが、そのパーム油を「エコなエネルギー」としてバイオマス発電に利用、しかも固定化価格買取制度(FIT)で一般の人々の支払う電気料金から高値で買取させる、という酷すぎる案件が進行中だ。

 旅行会社大手のH.I.S.は現在、宮城県角田市にバイオマス発電所「H.I.S.角田バイオマスパーク」を建設中で、この発電所はパーム油を燃料とする。これに対して国内の環境NGOや学識経験者、専門家らが一斉に反発。H.I.S.の澤田秀雄社長に申し入れを行った。

 申入れ者代表で、環境社会学者の長谷川公一教授(東北大学大学院)は、パーム油による発電が、いかに環境負荷が高いかを強調する。

「森林破壊による火災、泥炭地開発による温室効果ガスの排出など、パーム油による発電は地球温暖化対策としては不適切です。欧州委員会の調査によれば、化石燃料の中で最もCO2排出係数の高い石炭火力発電よりも、2倍以上ものCO2をパーム油発電は排出します。そのため、米国ではパーム油を燃料とすることを認めておらず、欧州でも利用を制限する動きが強まっているのです」
(長谷川教授)

 世界最大のパーム油生産国であるインドネシアでは、森林破壊や泥炭層開発などにより、世界第3位の温室効果ガス大量排出国となっている。同国からパーム油や紙パルプ、木材を輸入している日本の責任も決して小さくはない。長谷川教授は「日本を代表するような旅行会社が、熱帯林を破壊するような事業に加担してはいけません」と訴える。

パーム油需要増が森林破壊を促進

 高まる批判に対し、H.I.S.側は「環境に配慮したRSPO認証のパーム油を使用する」と弁明する。

「以前のパーム油産業は、環境や労働・土地といった点で問題が多かった業界だったと思いますが、その問題を解決するためにできたのがRSPO認証基準です。真に地球環境に取り組むのであれば、パーム産業に自国の未来を描く途上国の取り組みや、パーム油の食品以外の化学品向けなどの利用拡大を支援することが、地球全体の環境保護や経済発展には大事ではないかと考えております」
(H.I.S広報)

 だが、国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花・事務局長は「RSPO認証のパーム油だからバイオ燃料に使っても良いというわけではありません」と指摘する。

「パーム油を発電のために大量に燃やすことにより、需要が爆発的に拡大することが問題です。インドネシアやマレーシアのプランテーション開発を促し、結果的に森林破壊を促進することになります」
(満田さん)
 
 実際、「H.I.S.角田バイオマスパーク」は、年間7万トンという膨大な量のパーム油を燃料とする。

「これは日本の食用などの従来のパーム油の消費量の1割に相当する量です。これに対し、RSPO認証のパーム油は日本では市場流通のわずか数パーセントにすぎません。H.I.S.は、どうやって十分な量のRSPO認証パーム油を確保するのでしょうか?」
(満田さん)

 いかにRSPO認証パーム油を確保するのか。筆者は、H.I.S.に問い合わせたが、この点についての具体的な回答はなかった。

2017年時点で、パーム油の総発電容量は原発4.6基分

 問題なのは、H.I.S.1社だけではない。経産省・資源エネルギー庁へFIT登録されているパーム油発電の総発電容量は、2017年時点で460万kW、つまり原発4.6基分に達した。これらの発電施設を稼働させるには、世界の燃料用パーム油の年間生産量の約半分という膨大な量のパーム油が必要となる。

 その後申請を取り下げる企業も出てきたため、現時点でのパーム油発電のFIT登録は、178万kWへと減少した。それでもなお膨大な量のパーム油が必要であり、日本のバイオマス業界団体は、燃料用パーム油確保のためRSPO認証のパーム油だけでなく、インドネシアやマレーシア政府の環境基準によるパーム油の使用を認めるよう求めている。

 しかし、これらの環境基準は「森林破壊の歯止めになっていない」と環境NGOなどから批判を受けている。

パーム油発電はFITの対象として高値で買い取られている

 環境に悪いと知りながら、なぜ日本企業はパーム油を使ったバイオマス発電を行おうとしているのか。それはバイオマス発電による電気は、再生可能エネルギーとしてFIT(固定価格買取制度)によって電力会社に高値で買い取られるため、安定して利益を出しやすいからだろう。

 だが、それは最終的には一般の消費者の負担となるのだ。NPO法人バイオマス産業社会ネットワークの泊みゆき理事長が指摘する。

「2018年度、電力料金に占めるFITのための賦課金は業務用で16%、家庭用で11%を占めています。本当に地球にやさしい電気のためならともかく、環境破壊や人権侵害につながるパーム油発電のために、私たちの電気料金から負担させられることには納得がいきません。パーム油発電はFITから除外されるべきです」
(泊さん)
 
 資源エネ庁の責任も大きい。早くからパーム油発電の問題を指摘し、資源エネ庁でのFITに関する有識者会議でも意見陳述した自然エネルギー財団の相川高信上級研究員は「バイオマスとして、パーム油による発電事業がFIT申請されることは、資源エネ庁にとっては想定外だったのでは」と語る。

「ですから、RSPO認証のパーム油に限るとしてハードルを上げたのでしょうが、そもそもパーム油発電をFITの対象としてしまったこと自体が間違いだと思います」
(相川さん)

パーム油発電が日本のイメージダウンに!?

 それでなくても、安倍政権の露骨な石炭火力発電の推進で、各国の環境NGOなどから、日本は「最悪の温暖化推進国家」の一つとみなされている。パーム油発電を推進するならば、さらに国際社会の怒りを買うことになるだろう。前出のFoE Japanは他の環境NGOとともに、H.I.S.に対してパーム油発電施設の建設を停止するよう求める署名を開始した。長谷川公一教授ら専門家らも署名の呼びかけ人となっている。

 H.I.S.グループの理念には「自然の摂理にのっとり、人類の創造的発展と世界平和に寄与する」とあるが、それならば潔く誤りを認め、パーム油発電から撤退すべきだろう。また経産省・資源エネ庁も、一刻も早くパーム油発電をFITから除外すべきだろう。


[写真-1]
H.I.S.のオフィス前で、パーム油発電の見直しを求める環境NGOメンバーら。今年2019年3月

[写真-2]
パーム・プランテーション造成のために伐採された山(マレーシア・サラワク州)

[写真-3]
FoE Japanほか、複数の環境NGOによるパーム油反対署名も始まった。画像は署名サイトより

ハーバービジネスオンライン、2019.05.12
H.I.S.の“勘違い
SDGsビジネス”が熱帯林を破壊。
「パーム油発電」に非難轟々

取材・文/志葉玲(ジャーナリスト)
https://hbol.jp/192034

posted by fom_club at 17:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気持ち悪い「笑い」

「吉本に入れるぞ」は、大阪の子どもにとって恐怖の脅し文句だった。それが今や、政権との蜜月関係ばかりが目立つ。お笑いの矜持を忘れてはいないか。

「吉本新喜劇」の舞台に安倍晋三首相が立ち「四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ」とG20サミット開催をアピールしたかと思えば、看板芸人のダウンタウンは大阪万博誘致のイベントで松井一郎大阪府知事(当時)の頭にバシッとつっこみを入れる──。

 吉本興業と、政府や自治体。両者の蜜月関係を目にする機会は今や珍しくない。ただ、安倍首相が舞台に立った新喜劇について、兵庫県の男性会社員(44)は、こう首をかしげる。

「ここまでやると、ちょっと気持ち悪い。会社として大丈夫なのか」

 安倍氏が登場したのは、7月の参院選の前哨戦とも位置づけられていた衆院大阪12区の補欠選挙の投開票前日だった。結果的に自民公認候補は敗れたが、吉本が政治利用されただけなのか、自ら何らかの思惑で安倍首相を招いたのか。経緯はわからないものの、男性には違和感ばかりが残った。

 男性が子どものころの吉本のイメージは、今と違った。

「しょうもないことやってると大人に『吉本に入れるぞ』と叱られてたんですよ」

 吉本は「やばいところ」「搾取されるところ」と思われていたといい、男性にとっては、テレビで楽しむことはあっても関わり合いになりたいと思う対象ではなかった。ところが、その後の東京進出以降の快進撃。

「勉強や運動が嫌いでも、お笑いが好きなら若者にとって吉本がある種の希望になった」。事業はどんどん大きくなり、「関西では『大したもんや』っていう受け止めでしたよ。それなのに……」。純粋に「笑い」を追求する企業ではなくなった、男性はそう残念がる。

 吉本はこの数年で急激に国の中枢や公的機関との距離を縮めている。

 政府が87%を出資しているクールジャパン機構(東京)は今年、吉本興業とNTTが協力して展開する教育コンテンツを発信する事業に、最大で100億円を出資することを決めた。機構はほかにも、吉本興業と在阪テレビ局、電通など計13社による大阪城公園を舞台にした発信事業など、吉本関連の事業に2件で22億円を支出している。

 機構を所管する経済産業省も吉本とは関わりが深い。「吉本関係分をまだすべて精査しきれていない」(同省)としながらも、16年から17年にかけて、吉本の海外展開などに対して1件あたり125万6千〜430万円の支援事業を3件実施していた。

 法務省でも16年から「社会を明るくする運動」の関連で、17年からは再犯防止に関わる啓発活動で、いずれも吉本芸人を使っている。「分かりやすく発信し、関心を持っていただくために協力をいただいている」(広報室)という。

 また、内閣府は普天間飛行場など在日米軍施設・区域の跡地の利用を検討する有識者懇談会を今年6月に設置し、委員の一人に大崎洋会長を選んだ。普天間飛行場をめぐっては、安倍政権が進めようとする名護市辺野古への移設に反対する運動が今も地元で続いている中での就任だった。

 全国紙社会部記者が言う。

「懇談会では当然、辺野古移設という政府のシナリオを前提とした上での跡地利用の検討になります。沖縄国際映画祭をはじめとして、吉本興業が沖縄振興のために貢献しているという評価があって大崎氏が委員に入ったわけですが、地元では当然、反発があります」

 こうした中央省庁や官民ファンドと吉本との関わりは、いずれも安倍政権下での出来事だ。ほかにも、16年には東日本大震災後の復興支援を目的に福島県と連携協定を結んだほか、18年からは吉本興業を代表とする企業連合が大阪府立万博記念公園の指定管理者となるなど、地方行政にも食い込む様子が見て取れる。

 毎日放送の元プロデューサーで、同志社女子大学の影山貴彦教授(メディアエンターテインメント論)は、「吉本はどんな考えでこんなことをやっているのだろうか。権力と距離を置くという矜持はお笑いにも求められるべきだ」と憤る。

 そのうえで、吉本が権力に近づいていった理由をこう指摘する。「会社が大きくなり、お笑いの世界だけでなく社会のど真ん中にくさびを打ち込めるという満足感に浸ってしまったからではないか」

 また、その「満足感」には、社会の中での「お笑い」の位置づけが関連しているという。

「政治や経済と違い、お笑いは『しょせん』という言葉を付けて語られることがあります。だからこそ、行政などに認められると喜んでしまうわけです」

 事業をどう拡大するか、どんな仕事を選ぶかは企業の判断だ。ただ、影山教授は吉本興業には「お笑いという原点に立ち返り、今回の騒動を再出発へのきっかけにしてほしい」と望んでいる。


※AERA 2019年8月5日号

[写真-1]
大阪万博のPRイベントで共演する万博誘致アンバサダーのダウンタウンと松井一郎・大阪府知事(右、当時)/2017年、大阪市中央区

[写真-2]
法務省のPRのために動画に出演した吉本芸人たち 

[図]
吉本は政府や自治体との関係を深めている(AERA 2019年8月5日号より)

AERA dot.、2019.7.30 11:30
「ここまでやると気持ち悪い」
安倍政権下で権力に急接近する吉本興業

(編集部・小田健司)
https://dot.asahi.com/aera/2019072900055.html

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☝ 吉本新喜劇の公演にサプライズ出演した安倍首相(上) 松井大阪市長と万博アンバサダーのダウンタウン(下)(C)共同通信社

1⃣
 先日(2017年)、渋谷のシネコンで実写版『ジョジョの奇妙な冒険』を観たあと、何だか晴れ晴れとしない気分のまま、居酒屋で映画プロデューサーのK氏と雑談をしていて、積年の小さな疑念がぱっと晴れた、と感じた瞬間があった。たしか北野武の映画について話し込んでいた流れだったが、かつてお笑い芸人を目指していたというK氏は、こんなことを言ったのだ。

「松本人志は天才ではありません、あの人はどこまでも普通の凡人なんですよ、杉田さん、松本が出演している「クレイジージャーニー」を一度観て下さい」

 その後地元のTSUTAYAでDVDを借りて、TBS系列の紀行バラエティ「クレイジージャーニー」をみてみた。なるほど。この世には、本当にクレイジーな天才どもがいるのだ。松本は、それに対してほとんど素人のように、絶句し、驚くことができるばかりである。
 その不思議な無残さは、何だろう。
 1990年代以降、お笑い界の頂点に君臨してきた松本人志という人間は、芸能界とメディアが作り出した虚像でしかない、裸の王様に過ぎない、というつまらないメディア論をぶちたいのではない。ダウンタウンは同時代の東京サンシャインボーイズのような(非小劇場的な)演劇の要素をお笑いの世界へと輸入しただけだ、と言いたいのでもない。「天才を詐称し続けねばならない凡人であること」――そこに松本人志という人間の笑いの宿命があり、爬虫類めいたその顔の皮をはぎ取れば、そこには圧倒的にからっぽな空無が拡がっているだけではないか。
 その精神の虚無を、まずは見つめてみたいと思った。
 松本人志のカリスマ性を相対化したいとか、そのシニカルかつ権力的な振舞いを批判したいというのですらない。その空疎と虚無は、僕(ら)にとっても不気味なほど身近で親密なものであり、だからこそ、松本人志の存在とその笑いには、無視できない怖さと感染力があるのではないか。そう言いたい。たとえ近頃の「人志松本のすべらない話」や「IPPONグランプリ」において、若手芸人たちよりも松本の話の方がつまらなくても。つねにすべり気味で一本取れないのに、周りにそれを言わせないという忖度の空気がどんなに寒々しく、痛々しいとしても。

 凡庸で月並で平均的な人間にすぎない僕は、周りの凡庸で月並で平均的な連中と同じように、大学生の頃、「ごっつええかんじ」等のダウンタウンのテレビ番組をそれなりにみていた。ウッチャンナンチャンの優等生的な笑いでは、何かが物足りなかった。特に熱心なお笑い番組ファンではなく、ごく凡庸で月並で平均的な視聴者の一人であるにすぎず、それまでドリフ的なもの(客席と舞台を分けて、コントを中心に行われる演芸的なもの)とひょうきん族的なもの(テレビ局内の内輪ネタを中心にしたポストモダンなもの)くらいしかお笑いのあり方を知らなかった僕にとっては、やはり、ダウンタウンの笑いの衝撃力はそれなりに大きかった、という記憶がある。マンガでいえば、当時の吉田戦車や榎本俊二を読んだ時の衝撃に似ていたろうか。

 笑いとはお茶の間の親密さや日常の喜びを維持強化するものとは限らず、日々の思い込みを打ち砕く驚きであり、精神的なショックでありうる、そういうことを思い知ったのである。
 しかし、その後も「ごっつええ感じ」や「ガキの使いやあらへんで!!」等は人並みに見て来たと思うが、松本人志という人間に対しては、いつもある種の不気味さを感じていた。あの、心の中では何を考えているか全くわからない、爬虫類的な表情。この世の何をも信じていないかに見える空疎な笑い声。非人間的なドヤ顔。
 とくに「ひとりごっつ」という深夜番組が、僕にとっては妙に印象深い。誰にも理解されない孤独な天才が深夜、たったひとり、不気味な仏像やグロテスクな人形を前にして、延々と何かをやっている――というそのポーズ(自己演技)において。しかし今思えば、あれは本当に面白かったのだろうか。
 この俺の面白さがわからない奴らは、本物のお笑いがわからないうんこちゃんだ、という神々のように傲岸不遜な松本の嘲弄にひたすら耐え続ける深夜のあの時間帯とは、一体何だったのか。
* * *
 松本人志は「ワイドナショー」に出るようになってから、その政治的な発言によって、数々の炎上と論戦を定期的に巻き起こしてきた。
 しかもそれは、現にある政治的な問題に対して、本当は無関心であるにもかかわらずそれを嘲弄し、逆張りし、全てをなし崩しにしていく、という意味での非政治的な政治性であり、つまりは最悪の意味でのつまらない「イデオロギー」である。
 たとえば松本は、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)についてこう言った。

「正直言うといいんじゃないかと思ってるんですけどね」
「冤罪も多少はあるかもしれないけれど、未然に防ぐことのプラスの方が僕には多い気もするし」

 あるいは安全保障関連法案に対する反対派のデモを侮蔑するように、こう言った。

「安倍さんがやろうとしていることに対して反対だっていう意見って、意見じゃないじゃないですか。対案が出てこないんで」
「このままでいいと思っているとしたら、完全に平和ボケですよね」

 ちなみにダウンタウンは同番組を含む幾つかの場で、橋下徹や松井一郎を後押しするためのアクションを行ったりしているし、同番組では安倍晋三現総理大臣をゲストとして呼んで明らかに応援する空気を作ったりもしていた。
 お笑い芸人が政治的な発言や主張を行うことが悪いというのではもちろんない。
 芸能活動と政治的発言は無関係でありうる、というのは甘すぎる。
 世の中に対する圧倒的な影響力にも関わらず、松本が自らの政治性や党派性にあまりにも無自覚である、ということ。
 のみならず、おそらくはそれをわかってやっている、ということ。
 その悪魔的無邪気さこそが、やはり不気味に思えるのである


 そこには権力や大衆に対する肝の据わった批判精神があるわけではないし、巧みなイロニーやユーモアがあるわけでもないし、何より、芸能というものの根源にあるはずの自由の手触りが全く見られない。

 それに対し、「週刊金曜日」(2017年7月21日号)が「松本人志と共謀罪」という特集を組み、話題になった。
 脳科学者の茂木健一郎や若い頃のダウンタウンを知るプロデューサーの田中文夫、吉本興行の幹部だった竹中功などの人びとが原稿やコメントを寄せている。
 ちなみに茂木。
「(日本のお笑いは)上下関係や空気を読んだ笑いに終始し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無」

「本当に「終わっている」」というツイートをめぐって松本と「論争」(茂木の言葉を擁護し、先輩にあたる松本を公然と批判したオリエンタルラジオの中田敦彦をも巻き込んで)を展開していた。

「週刊金曜日」のはっきりとした党派性もあるだろうが、それらの記事や発言の多くは、近年の松本の政治的発言や無自覚さを厳しく批判するもの、立場的に批判は出来ずとも強い違和感を表明するものであり、もはや松本は裸の王様になってしまった、変節してしまった、昔の純粋なお笑い芸人としての松本に戻ってくれ、という方向性のものが多かった。

 だが、はっきりいえば、「週刊金曜日」のそれらの松本批判の殆どは、批評としては弱い、現象としての松本に対する上っ面の批判ではあっても、松本の存在的な必然性をその急所において突き放す、という意味での批評にはなっていない。
 そう感じた。
 つまり、松本人志という人間の存在と笑いの質に、批判の言葉が匹敵していない、という気がしたのも確かである。

 松本という存在を(芸能界の・メディアの・政治的状況の)「権力者」の側に位置づけ、それを一方的に罵倒し批判し違和感を語る、という「権力批判者たち」の花園=安全圏から物を言っているにすぎない。
 そう見える。
 松本の「ワイドナショー」の発言が暗黙の権力構造と空気と忖度に守られているとすれば、「週刊金曜日」に寄せ集められた発言達もまた、別のタイプの権力構造と空気と忖度に守られている。
 空気と空気批判の相補的構造こそが日本的な〈空気〉の怖さであるのに。

 しかし批判の言葉がもしもその段階にとどまるならば、それは、誰よりも周りの空気を読むセンサーを磨き抜き、それゆえ大衆的な「空気」に茶々を入れ、傲慢と嘲弄の毒を浴びせることができた――そのような仕方において「空気」を支配してきた――松本的な暴力性の、似姿であるにすぎないし、劣化コピーであるにすぎない。

 本来の意味での「政治」とは、そうした大衆迎合と大衆嫌悪が相補的に織りなす空気=世論に対し、はっきりとした対立軸と敵対性を導入し、真の意味での輿論(論争と論戦の気風)を爽やかに導きいれることではないのか。

 「週刊金曜日」の記事の中では、僕が読み得た限り(本当は中田敦彦にさらに公然と、自由かつ「政治的」な松本批判を行う場を与えてほしかった)、唯一、『安倍でもわかる保守思想入門』等の著作のある適菜収の記事だけが、松本人志の核心にある何事かを突こうとしているかに見えた(「「何となく安倍支持」の筆頭 その凡庸さは犯罪に近い」)。

 お笑い芸人とは端的に空気を読む職種であり、松本はその能力に誰よりも長けているが(というか松本こそがまさしくそうした「お笑い=空気を読むこと」という場を作り出したと言えるのだが)、そもそも、空気によって政治を動かすことは危険である、と適菜は言う。

「私は松本は無知なだけで、本質的には悪意のある人間ではないと思っている。しかし、自分の置かれている状況にあまりにも無自覚だ」

 たとえば立川談志であれ、北野武であれ、上岡龍太郎であれ、世間とは全く違う切り口から芸人たちが政治や社会について発言する時、そこには「ためらいや一呼吸のようなもの」があったはずである。
 しかし「松本は、子どもでも言わないような凡庸な意見をドヤ顔で言う。芸人としてどうかと思うが、問題は凡庸な人間が無害ではないことだ」。
 その上で適菜は、哲学者のハンナ・アレントの『イェルサレムのアイヒマン』を引く。
 ナチスの親衛隊中佐だったアイヒマンは、極悪人や絶対悪などではなく、凡庸な人間であり、バナールな悪だった。
 そう考えるアレントは、同書に「悪の陳腐さについての報告」という副題を付けたのだった。
 近代社会においては、思考停止した「陳腐な悪」たちが大挙して「わかりやすい」世界観に飛びつくことによって、非政治的で排他的な全体主義が醸成されていく。
 適菜はいわば、松本人志こそが陳腐な悪であり、無知で凡庸な「悪」である、という批判を突きつけているのだ。
 この批判はおそらく松本に対するある種の核心を突いている。

 だが、それはまだどこか「政治的な凡庸さ」と「お笑い芸人としての天才性」という二元論的な区別を許し、それを温存させるような甘さがあり――それによって松本人志の存在を免罪してしまうところがあり――、批評としては依然として弱い、足りないように思える。

 むしろ必要なのは、政治/お笑いという二元論を超えて、松本のお笑いと芸の核心にあるその凡庸さ、陳腐さ、空疎さを――しかもその可能性の中心において――えぐりだし、あばきたてて、それを公然と批判することではないか。
 だがそれは当然、近代社会を生きる僕らの内なる凡庸さ、陳腐さ、空疎さを見つめることでもある。すなわち「右」や「左」、あるいは「ネトウヨ」や「パヨク」等の概念が対立的に区別されていくその手前にあり、どちらの立場の人間たちをも侵食している圧倒的な虚無、そうした虚無への対峙を個々人が強いられることでもあるだろう。

 適菜は松本に「悪意」は感じない、と書くが、僕の考えでは、松本に「悪意」はある。
 そう感じる。

 だがそれは、政治的なものとしての悪意とは微妙に異なる。松本的な悪意とは、善悪や真偽などの区別自体を無意味化していく悪意であり、この世にはさまざまな価値観を持つ人間たちが多事総論によって新しい価値をたえまなく生み出していく、というアレント的な「政治=公共性」の意味を根こそぎに嘲弄し、虚無のアビスへと引きずり込んでいくような「悪意」としての「笑い」であるからだ。

 前置きがすでにだいぶ長くなった。
 僕はこれから、松本人志が監督した四本の映画を論じる。
 彼の映画を批評することによって迫りたいのは、述べてきたような圧倒的な虚無としての笑いの正体であり、その全てをうんこちゃんの中に引きずり込んでいく悪意と空疎の先に、はたして何があるのか/ありえないのか、ということである。
(以下、略)

note、2019/07/28 20:25
松本人志についてのノート
https://note.mu/sssugita/n/nb02c291c3fad

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黒岩比佐子『パンとペン』

思想としての「売文」
 
 明治・大正期の社会主義者としては、幸徳秋水(1871 - 1911)、大杉栄(1885 - 1923)、荒畑寒村(1887 - 1981)らに比べて論じられる機会の少なかった堺利彦(1871 - 1933)に光を当てた、本格的な評伝である。
 本書によれば堺は、1910年の大逆事件で幸徳らが一斉検挙されたときに、その2年前の赤旗事件で入獄中だったために逮捕を免れ、出獄して数ヶ月後の翌年1911年1月に同志たちの死刑が執行されてしまったので、彼らの遺体を引き取りに行き、引取り人がいないものは自分で供養をし、遺品を家族に分配し、さらに彼らの故郷へと慰問の旅をして(刑事に尾行されたまま)義捐金を遺族たちに事情に応じて分配したという。
 そしてこのような社会主義への圧倒的な弾圧のなか、挫けることなく「売文社」(1910 - 1919)という翻訳や文章立案や代筆などを引き受ける編集プロダクションのような会社を立ち上げて、残った同志たちの生活基盤を作っていくことに奔走したという。
 この、これまで知られていなかった、社会主義者・堺利彦の「売文社」における活動に着目することが本書の大きな特徴である。

 しかし、まったく泣かせる話ではないか。
 社会主義者の評伝だというのに威勢のよい話などどこにもない(大杉栄がパンクロッカーの若者に降臨する中森明夫『アナーキー・イン・ザ・JP』=ヤッホーくん注=とは好対照だ)。

 社会主義運動がほとんど敗北させられたときに、転向したり自暴自棄になったりするのではなく、敗北の事実を冷静に受けとめ、その後始末をきちんとし、さらに残った同志たちが細々と生活していくための計画を立てて次の機会を待つこと。
 おそらく本書を読む誰もが、そうした堺の行動力に社会主義という思想的問題を超えた感動を覚えるだろう。
 何と大きな人物が明治の日本にはいたのだろうと。
 と同時に、それはまっすぐに現代のちっぽけな私たちにも突き刺さってくる。
 いま私たちは文化や政治や芸術がすべて高揚感を失って退潮していくような、辛い時代を生きているように感じているだろう。
 そのなかでただそれを嘆くことなく、後退戦をいかに戦ったらよいかという切実な問題を私たちは抱えている。
 それを考えるためのヒントを本書は与えてくれたように思う。
 そこが私にはとてもよかった。

 それにしても、著者・黒岩比佐子の調べっぷりは半端じゃあない。

 例えば、冒頭で彼女は、「堺利彦は明治3年11月25日、福岡県豊前国京都(みやこ)郡豊津で生まれた」というこれまでの通説(堺自身の評伝も含めて)を鮮やかにひっくり返してしまう。
 利彦が生まれる4年ほど前の1866年、彼の父・得司を含む小倉藩士たちは、徳川幕府による第二次長州征伐に加わって薩長連合や奇兵隊に敗北し、小倉城と城下を焼き払って退却し、田川郡香春に藩庁を移して、領内の各地に分散して疎開することとなった。
 そのときの堺家の疎開先である豊前国仲津郡松坂が、堺利彦の正確な生誕の地であると突き止めるのだ。
 そして生年月日もまた単純ではなく、普通は明治3年は西暦では1870年と考えてしまうが、この年はまだ旧暦だったから(新暦は明治5年に採用)、西暦に換算すれば、明治3年11月25日は一ヶ月半ずれて1871年1月15日に当たるという。

 だが私が本書に感銘を受けたのは、そのように丁寧に資料にあたって書かれた優れた評伝だからではない。

 著者は明確には意図していないのかもしれないが、私は本書を社会主義という思想への問いかけのように読んだ。
 そもそも素朴に考えれば、社会主義者が「売文」を掲げるということは思想的には矛盾した行動だろう。
 あえて単純に言うが、社会主義とは、自分たちの生活基盤としての労働が、資本主義によって利潤追求の手段となって疎外化されることに対抗し、その労働や生活の喜びを自分たちのものとして取り戻そうとする社会的運動だったはずだ。
 ところが「売文」とは、自分の生活費を稼ぐために、自分たちの主義主張とは異なって、他人のための文章を心ならずも書くという意味において、まさに労働を自己疎外化してしまう行為に他なるまい。

「売文社のペンはパンを求むるのペンである。僕等個々人のペンは僕等の思ひを書現すペンである」(本書、12頁)
と書いた堺もまた、その矛盾に充分に自覚的だったはずである。

 だとすれば、堺の考案した売文業は、彼らが生き延びるためにやむを得ずに取られた仮の手段にすぎないのだろうか。
 それは、社会主義革命が勝利したときには投げ捨てられるべき虚業であり、彼らの本当の主義主張をカモフラージュするための偽の行動だったのだろうか。
 常識的にはそうなのだろう。

 だが本書を読んだ私は、どうしても「違う」と思わずにはいられなかった。

 端的に言って、疎外というには、堺利彦があまりに楽しそうに、売文業をこなしているように見えるからだ。
 売文社の仕事の範囲は、広告の文案を考えたり、裁判の判決文を英訳したり、世界各国の観光案内書を編集したりといった公的なものから始まって、赤ん坊の名前を考えたり、手切れ金請求の手紙を女の代わりに代筆したり、恩師に対する弟子一同の感謝状を代わりに作成したりといったような私的な代筆業にまで及んでいた。
 つまり彼らの仕事は、文章を使った人間同士のコミュニケーション過程全般に関わるものだった。

 そのようなコミュニケーション過程は、社会主義革命の成功後には必要なくなるだろうか。
 いや、決してなくならないだろう。
 それどころか、それこそが、社会主義によって守られるべき人間らしい普通の生活なのではないか。
 自分の作った製品をより良いものとして他人に宣伝したいと願う気持ちも、恩師を喜ばすような感謝状を渡したいという気持ちも、外国の事情を知りたいという気持ちも、人間の生活にとって普遍的な心情だろう。
 だから売文社は、そのような心情をもとに人びとが互いに交流することの手助けをしたということなのだと思う。
 
 とするならば、売文社は革命後に彼らがやるべき仕事を予め行っていたということになるのではないのか。

 普通の社会主義運動が、現状の社会体制を打ち倒す運動を行っているうちに普通の人びとの生活から遊離した閉鎖的な党派となり、その党派を維持すること自体が自己目的化して自滅しまうものだとするならば、売文社は、ふつうの人びとの生活のただなかに彼ら自身の「書く(ペン)」という活動を持ち込んだことになる。

 いわば堺らは、社会主義の運動が弾圧されるなかで、革命後のユートピアを生きてしてしまったのだ。
 つまり本書は、堺らが心酔した社会主義思想の内容にほとんど触れない代わりに、もう一つ別の社会主義運動の可能性を描き出している。

・・・私は言いすぎているのだろうか。
 だが著者の描き出す、堺利彦が生き生きとユーモアを持って楽しそうに代筆業を行う姿を読んでいくと、私にはそうとしか思えないのである。

 著者・黒岩比佐子氏は、2010年11月17日に亡くなられた(享年52)。
 私は10月初旬の出版後すぐに本書を読んでここに書評を書くことに決めていたのだが、諸々の事情で遅れているうちに、先に逝かれてしまった。
 闘病中であったことはブログで拝読して知っていたので何とも悔しい。
 ご冥福をお祈りする。


書評空間::紀伊國屋書店、2010-11-28
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)
長谷正人
https://booklog.kinokuniya.co.jp/hase/archives/2010/11/post_16.html

(ヤッホーくん注)森明夫『アナーキー・イン・ザ・JP』

「本書が出版された2010年(新潮社より単行本、より2013年に新潮文庫)、まだ私たちは政治にも生き方にも無関心だった。2015年の私たちは、震災と原発事故と安保に対して自らの主張を掲げられるようになった 」

 今回の安保法案に対しては、国会内でも与野党の激しい対立が続いたのだが、それ以上に注目されたのは国会の外で行われた反対派による大規模なデモ活動である。
 法案が提出されて以降、国会を取り巻く安保法案反対派の人たちは増え続け、主催者側の発表では12万人もの人が集結して、国会に向けて
「安保法案反対!」、
「戦争法案反対!」
のシュプレヒコールをあげたのである。

 国民による大規模なデモ集会が開かれ、そこに全国から多くの共感しあう人たちが集まって活動をする光景は、東日本大震災で発生した東電福島第一原発事故以降の、原発再稼動反対デモ以降、顕著に増えている。
 これまで、あまり声をあげることがなかった国民、なかでも若い世代や母親たちが、この国の将来に危機感を抱き、積極的に活動するようになったのが目立っている。

 それまで、久しく日本で大規模なデモや社会運動が起こることはほとんどなかった。
 ときおり何らかの抗議活動と称して人々が集まり、デモと称する活動を行うことが報道されたりするが、それもあらかじめ警察に届けを出し、交通などの障害にならないように法規に沿って粛々と行われることがほとんどだった。
 警官隊との衝突や怪我人が出ることもなく、決められた時間で終わって散会していくという、機械的なパフォーマンスのような印象をもっていた。

 だが、少し時代をさかのぼってみると、以前は日本でも大規模なデモ活動や抗議活動がさかんに行われていた。
 戦後に関していえば日米安保反対運動などがあげられるだろう。

 さらに時をさかのぼると、社会主義活動がさかんに行われていた時代につきあたる。
 その社会主義運動の中心人物として現代に語り継がれる生粋のアナーキストが大杉栄だ。

 大杉は、幸徳秋水らと活動をともにし、天皇を否定し、無政府主義を唱えた。
 当時の日本は天皇を神と崇める国であったことを考えれば極めて過激であり、先駆的な思想の持ち主であったと言える。
 大杉は1923年に甘粕大尉率いる憲兵隊によって強制的に収監され、暴行を受けて死亡した。

 また前置きが長くなってしまったが、本書である。

 中森明夫『アナーキー・イン・ザ・JP』の主人公は、平成の世に生きるいまどきの若者シンジ。
 彼は、あることをきっかけにパンクロックにのめりこみ、セックス・ピストルズを知り、シド・ビシャスの生きざまに憧れる。
 シンジは、シドの魂と語らいたいとイタコを称する老婆のもとを訪れるが、どこを間違えたのかシンジの中に降臨してきたのは本物のアナーキスト大杉栄の魂であった。
 大杉に乗り移られたシンジは、大杉を現代日本へと案内する。
 自分の死後約100年が経った日本に戸惑いながらも、大杉は貪欲に知識を吸収していく。

 本書には、現代日本の様々な風俗や環境、メディア文化人と呼ばれる学者や政治家たちに対する痛烈な皮肉が込められている。
 多くの学者、政治家がほぼ実名で登場し、ときには批判の対象となり、ときには揶揄される。
 その矛先は著者自身へも向けられていて、オタク文化を揶揄する場面などは、オタクという言葉の生みの親ともいわれる著者自身が強烈に揶揄されているかっこうだ。

 基本的な姿勢はギャグである。
 ワーキングプアという言葉が生まれ、就職氷河期と言われ、それを裏付けるように小林多喜二の「蟹工船」がベストセラーになったりする時代。
 著者は、稀代のアナーキスト・大杉栄というキャラクターを使って、閉塞的な時代の中で、あまり積極的に行動を起こそうとしない当事者(若者、労働者)に対する不満を声高に訴え、雇用対策、景気対策の重要性を主張しながら、実現性のビジョンを示すことができない政治家や経営者たちを糾弾する。
 本書は、小説という形を借りているが、立派な思想啓蒙書であると感じた。


タカラ〜ムの本棚、2015-09-21
http://s-taka130922.hatenablog.com/entry/2015/09/21/221324

ツルシカズヒコ(以下ツルシ): 僕が『「週刊SPA!」黄金伝説1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)という本を書いたのは、雑誌の歴史の空白を埋めたかったから。
 人気雑誌の編集現場の記録が残っているものって、「平凡パンチ」と「ポパイ」までなんですよ。
 平成の雑誌の代表としての「SPA!」を記録に残しておきたかったんです。


中森明夫(以下中森): 編集者の回顧録はたくさん出版されてますけど、この本は単なる思い入れや経験談だけじゃない。当時のデータが細かくちりばめられていて、ジャーナリストの目が入っている。それを編集長経験者が書いたということに意味があると思う。
 
《「週刊SPA!」は1988年に、老舗週刊誌の「週刊サンケイ」をリニューアルして生まれた。中沢新一や田中康夫といったポスト団塊世代の論客やサブカルチャーの旗手たちを積極的に起用して、20〜30代の男性読者から大きな支持を得た。ツルシ氏は「SPA!」編集者時代に宅八郎を発掘し、副編集長のときには、小林よしのりを口説いて人気マンガ「ゴーマニズム宣言」をスタートさせた。
 一方の中森氏は1990年代の「SPA!」で「ニュースな女たち」と「中森文化新聞」という二つの連載を持っており、まさに看板ライターとして活躍していた》

 
ツルシ: 今の「SPA!」の読者は「SPA!」の前身が「週刊サンケイ」だったなんて知らないんじゃないかな。
 日本の雑誌の100年あまりの歴史を振り返ると、「SPA!」というのは週刊誌の最終形の一形態だと思うんですよ。


中森: 確かに、「SPA!」と同時期に創刊した「AERAS」と「Hanako」は今でも残ってるけど、それ以降の週刊誌で成功したものってないよね。
 「SPA!」はある意味1990年代を象徴する雑誌だったし、僕も1990年代をまるまる「SPA!」にかかわってきた。
 1990年代で最も重要なのが、阪神大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件のあった1995年。
 ちょうどその年にツルシさんが編集長を辞めているということも、この本を1990年代論にしていると思うんです。


ツルシ: バブルが崩壊して景気が下り坂に入り始めたころでも、扶桑社の親会社であるフジテレビの「楽しくなければテレビじゃない」的なノリがあり、「SPA!」編集部にはバブルのポジティブ感が漂ってました。
 雑誌って売れてくると、そこに特殊な磁場が発生して運動体になる。
 あの一種異様な高揚感を体験できたのは貴重でしたね。


中森: 1991年に湾岸戦争が起こったりと、1990年代って実は政治の季節だったんです。
 その政治を巡って、文春と朝日というお約束としての対立構造が成立しているなかで、「SPA!」というのは何だかよくわからない雑誌だった。
 各誌が右だ左だってやってるときに「SPA!」は、「フセインの手相を見る!」って記事をやったんだから(笑い)。
 これはすごいなと思いましたよ。
 そうか、これが「SPA!」的なポジションなんだとわかった気がしましたよ。


ツルシ: それまでの「週刊現代」や「週刊ポスト」が団塊の世代に向けて作られた週刊誌だったのに対して、「SPA!」は20代から30代のヤンエグと呼ばれる人たちがターゲットでした。
 でもそれは広告向けの建前の読者層で、僕はヤンエグなんて全然、眼中になかったですもん。
 ただ自分の好きな雑誌を作っていただけですから。それが結局は、おたくや新人類といわれる人たちに受け入れられたんです。

《本書では、自決した野村秋介氏の事務所や大手芸能プロのバーニングプロダクションとのトラブル、部落解放同盟の協力を得て描かれた「ゴーマニズム宣言」など、ツルシ氏が残した克明なメモを基に、当時の編集部が抱えていた、決して表面化しなかった交渉ごとが詳細に記録されている》

 
中森: あのころ、いつもツルシさんが真っ青な顔してトラブル処理に追われていた記憶がある。
 取材相手や広告関連のトラブルがここまで細かく書かれている本はなかったと思う。
 そういう意味でも、単なる懐かしものとして読まれるのではなく、出版志望者のためのきれいごとの就職読本じゃない、シビアな雑誌の現場を書いた本として読めるんじゃないですか。

● 紙でも電子でも編集力が大事に

《いま出版業界は大きな転換期を迎えている。雑誌の廃刊が相次ぎ、iPad、キンドルといった黒船到来に戦々恐々としている。雑誌業界を知り尽くした二人は、雑誌の未来をどう見ているのか。》

 
ツルシ: 僕は妻でイラストレーターのワタナベ・コウと「クレイジー・ヤン」という雑誌を作っています。いずれ電子化も考えていますが、大事なのは編集力。
 それは電子でも紙でも変わらないと思います。
 電子化はマス化しすぎた雑誌を一度コンパクトなサイズに戻してみるよい機会なのでは。
「クレイジー・ヤン」の原点もそこにあるんです。


中森: 週刊誌って「価値の捏造」をするのに最適なメディアだと思うんです。
 そういうのが週刊誌のおもしろさだった。
「ポパイ」や「ホットドッグ・プレス」に取り上げられたモノに憧れるっていう機能があったじゃないですか。
 インターネットが発達して情報格差が解消された今、それが機能しなくなってきている。
 それでも宝島社の付録付きの雑誌が100万部売れている現実がある。
 これも新しい形の「価値の捏造」なんですよ。
 だから僕は、100万部売ろうと思ったら売れるんじゃないかと思う。
 今は景気が悪くなって、ネガティブ情報ばかりに目がいってるけど、僕は「週刊朝日」が突然100万部売れても全然おかしいと思わないですから。(笑い)
 僕は週刊誌の編集長を今でもやりたいと思ってるんです。
 この年になって、そんな夢もあきらめていたところにiPadが出てきた。
 これを使えば、60歳になったときに「中森文化新聞」を復活できるんじゃないかと思ったんですよ。


ツルシ: 僕も死ぬまで雑誌を作りたい。
 その手段が電子出版なら大歓迎です。
 今、連合赤軍の特集を考えているんですよ。
 こういうのはマスじゃできないけど、試行錯誤を経てまた雑誌の時代が来るような気がする。


中森: いつの時代でも雑誌的なものは社会のなかで必要だと思う。
 僕は雑誌の未来を楽観視しています。
 ツルシさんの本は、そんな次の時代へのヒントになるんじゃないですか?
 いや、「SPA!」っていうのは、ある時代の奇妙なメディアだったよね。
 もちろん今の「SPA!」にも頑張ってほしいんだけど。
  
* つるし・かずひこ
「週刊SPA!」3代目編集長 1955年生まれ。「月刊OUT」「週刊サンケイ」を経て「週刊SPA!」編集長に。現「クレイジー・ヤン」編集長。http://www.kureyan.com

* なかもり・あきお
「おたく」の名付け親 1960年生まれ。コラムニスト。「新潮」5月号で初の純文学小説「アナーキー・イン・ザ・JP」を発表。著書に『女の読み方』など

* 3代目編集長が綴った「週刊SPA!」黄金時代譚が絶賛発売中!
『週刊SPA!黄金伝説』(ツルシカズヒコ・著


AERA dot.、2010.12.7 14:23
「死ぬまで雑誌を作りたい」
週刊朝日(構成 本誌・今田俊)
https://dot.asahi.com/wa/2012092600452.html

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2019年07月30日

吉本興業が請け負う政府・省庁「肝いり事業」

 吉本興業の芸人たちが、待遇改善を求めて声を上げ始めている。
 吉本以外でも事務所の移籍に関するトラブルが後を絶たない。
 タレントが入ることができる労働組合の必要性を訴える声も上がる。
 公正取引委員会も興味を示すタレントの働き方改革は起きるのか。

 SNS上では、吉本興業所属タレントの嘆きが日々、更新される。
 あるタレントは、出演料の欄に「1」と書かれた明細書をツイッターにあげ、「一回の仕事のギャラが1円」。
 1週間拘束された仕事のギャラが1万円だったと示唆するつぶやきもあった。

 芸能界は、事務所とタレントが専属契約を結ぶのが一般的だ。
 雇用関係にある「労働者」ではなく、委託契約して、個人で直接仕事を請け負う「フリーランス」にあたる。
 そのため、労働基準法で保護されず、最低賃金も保証されていない。

 この動きに、「労働組合を作り、団結して戦うべきです」と東京管理職ユニオンの鈴木剛執行委員長は話す。
「事務所が封じ込めてきた不満の声が、SNSで発信できるようになった。芸能だけが特殊な世界という固定概念が崩れ始めている今がチャンス」という。

 権利が手厚く守られていないフリーランスでも、産業別の組合はつくることができる。
 ハリウッドには、所属事務所に限らず、あらゆるタレントが所属する労働組合があり、最低賃金や労働時間が保証されている。
 組合ができれば、団体交渉権、団体行動権が認められ、ストライキができる場合もある。

 ただ、「日本エンターテイナーライツ協会」共同代表理事の佐藤大和弁護士は「声は上がり始めたが、タレント自らが立ち上がらなければ、何も変わらない。事務所を『親』とする前近代的な家族観や、仕事を奪われるという恐怖が根強くある」。

 一方で、タレントたちを「事業者」ととらえ、所属事務所との「取引」に着目したのが公正取引委員会の有識者会議だ。
 事務所側が強い立場を利用して不当な要求をしていれば、独占禁止法が禁じる「優越的地位の乱用」にあたるおそれがある。
 2018年2月にまとめた報告書で、そんな見解を初めて示した。

 宮迫博之さんらの会見では、事務所側の強い立場が浮き彫りになった。
 ただ、公取委が注目したのは、「契約書がない」という両者の取引関係だった。

 契約書を交わしていなければ、どういう仕事をすればどれだけの報酬が得られるかが明確にわからない。
 弱い立場にあるタレントに対し、「著しく低い対価での取引を要請する」といった独禁法の違反行為を招くおそれがある。
 有識者会議の報告書でも「望ましくない」と指摘され、24日には公取委の山田昭典事務総長もそれに言及した。

 公取委事務総長の発言後、吉本興業は希望するタレントには書面で契約する方針を決めた。

■ 12時間で時給300円

 吉本興業には現在、6千人のタレントが所属する。
 テレビに出ていないタレントたちは、どのような仕事をしているのか。

 20代の男性お笑い芸人の元には、時々メールで、エキストラや舞台設営などの裏方仕事の依頼が届くという。
 12時間働いて、時給300円。
「これはまだいい方で……」と言いよどむ。
 爆発物が絡む撮影のカメラリハーサルをするという仕事もあり、「ケガの危険性もあります」という。

 男性は3年前に、吉本のタレント養成所「NSC」を卒業した。
 1年間、放送作家やベテラン芸人による授業や、ダンス、演技を学んだという。
 卒業と同時に、「この世界に残るのなら、メールアドレス登録してねと言われて。今思えば、それが専属契約だったのかも」と話す。

 居酒屋と警備員のバイトを掛け持ちしながら、吉本主催の舞台にも出演する。
 こちらは0円で報酬なし。
 来場客を笑わせるようになったらステップアップする仕組みという。

「人気がないからお金をもらえないのは当たり前。それでも、(岡本昭彦社長の)会見に対する世間の反応を見ていると、吉本の常識はずれているんじゃないかと思った。これっていわゆるブラック企業なのかな」と語る。


[写真]
所属するタレントの「闇営業」問題などを語る吉本興業の大崎洋会長。12日のインタビューでは、契約書を交わすことについて「そんな水臭い紙の契約書なんて、ということもある」と否定的だった=東京・新宿

朝日新聞、2019年7月30日05時00分
吉本芸人、働き方改革は
「ギャラ1円」最低賃金保証なし…
労組結成訴える声も

(江戸川夏樹、中野浩至)
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20190730000362.html

「ギャラに関しては『安い』等々言われていますけど、会社が9でタレントが1とか、そういうことは全くなく、ざっくりとした平均値で言っても、5:5から6:4」

 7月22日に行われた会見で、芸人に支払われるギャラに関して言及した吉本興業の岡本昭彦社長。
 所属芸人たちがよくネタにする会社側の“ギャラ取りすぎ”については、きっぱりと否定した。

「そりゃ、明石家さんまさんやダウンタウンなどの大御所クラスになれば、事務所との取り分の実態はそれくらいじゃないですかね」

 そう話すのは、あるテレビ局関係者。
 明石家さんまを例に出して、こう説明する。

「2008年にさんまさんは、お世話になったフジテレビのプロデューサーが引退するというので、恩返しの意味も込めて『27時間テレビ』の総合司会を務めました。このときテレビ局が支払ったギャラが“億近い額”と言われています。吉本はその6割ほどをさんまさんに渡したそうですよ」
(同・テレビ局関係者)

 これが事実であれば、会社よりタレント側の取り分が多くなり、決して悪い話ではない。
 だが、これは吉本の大功労者である明石家だからこその厚遇であることは間違いないだろう。

 逆にいえば、トップクラスにならない限り、岡本社長の言う「平均して5:5か6:4」という割合は厳しい。
 2011年に引退した島田紳助も、ギャラが「会社9:芸人1」の割合に関して『スポーツニッポン』のインタビューで、「ギャラが安いのは“オマエが安いんじゃ”ということ。それならオマエが売れてくれ」と証言している。
 つまり、売れない若手は厳しい状況にあるのだろう。

 6000人の芸人を抱えていると言われる吉本。
 なぜ、抱えきれないほどの若手芸人を所属させるのか。
 もちろん絶対数が多ければ、その中からスターが輩出される可能性は上がるかもしれない。
 しかし、本質はそこではない。

 それは吉本が運営する通称『NSC』と呼ばれる「吉本総合芸能学院」という養成所が大きな儲けを生んでいるからだ。

 全国に7校あるNSCは、入会金10万円と、1年間の授業料が30万円。合計で40万円が必要になる。
 99.9%入学できるという養成所だけに、毎年1000人近い学生が入学。
 仮に800人集まったとすれば、年間で3億2000万円の売り上げだ。

「お金を受け取ったらこっちのもんと言わんばかりに、遅刻や欠勤が重なると、問答無用で退学になると言います。もちろん、返金はありません。さらには志半ばで辞めていくものもいるので、卒業時には4分の1程度に激減することも。ですが、この“大量生産”体質こそが、飯を食えない芸人を生み続け、その結果“闇営業”をしなければ食べていけないという原因になっているんです。本当に才能があると見込んだものだけを所属にさせ、最低給与を保証すれば、こんなことにはなりようがないでしょう。ですが、吉本は他のプロダクションの養成所よりも、卒業後に事務所に所属できる可能性が格段に高い。なので、芸人というよりも、とりあえず“芸能人”なりたい子たちが集まってくるんですよ」
(スポーツ紙記者)

 “養成所ビジネス”は経営面で見れば、間違いなく成功しているだろう。
 だが、その結果が名前だけの「吉本芸人」の大量生産である。

 一度売れ始めると怒涛の出演ラッシュになり、一気にスターダムにのし上がることが度々あることも確かだ。
 だが、売れない吉本芸人は事務所を通さない「直営業」に手を出し、そこに反社会勢力が付け込むスキを与えている。
 そして、“闇営業”芸人が出てくるのだ。

 100年以上続く“吉本帝国”は今、ビジネスモデルの大きな転換期を迎えているのかもしれない――。


[写真]
明石家さんまクラスであれば、給料の取り分の割合も公平なようだが……

Friday Digital、2019年07月30日
明石家さんまで「ギャラ6対4」闇営業生む“吉本システム”の崩壊
https://friday.kodansha.co.jp/article/58465

続々と上がる疑問の声

 反社会的勢力と芸人の交際に端を発した「吉本騒動」が、意外な方向に発展している。

「政治レベルで大問題になりつつある。それというのも、多額の税金が投入される政府系の出資事業に多数絡んでいることが明るみに出たからだ」

 経済産業省関係者はそう語る。
 同省が資金提供している官民ファンド「クールジャパン機構(正式名称は株式会社海外需要開拓支援機構)」が、吉本興業がかかわる事業に多額の出資を繰り返してきた事例については、前回の記事「渦中の吉本興業に『クールジャパン』で巨額の税金が注ぎ込まれていた」で報じたが、改めて振り返っておこう。

 同機構は、日本のアニメや食文化などの魅力を海外に発信するほか、インバウンドの増加を促進することを目的に2013年に安倍政権の成長戦略の目玉として設立され、現在は安倍首相の信頼の厚い世耕弘成経済産業相のコントロール下にある。
 同機構はこれまで、次のような出資を行った。

(1)2014年、吉本興業や電通などで構成されるコンソーシアムによるエンターテインメント・コンテンツの創作とアジア各国への発信事業に10億円を投資。
(2)2018年、吉本興業が参加する大阪城公園でのエンターテインメント発信事業に対し、12億円を投資。訪日外国人観光客などを対象としたものだが、同時にエンターテインメント産業を担う人材の育成も図る。大阪城公園内には「クールジャパンパーク」なる施設が開場、吉本興業所属芸人の公演などがこの夏も実施されている。
(3)2019年4月、吉本興業がNTTと提携し、教育コンテンツを発信する事業「Laugh & Peace_Mother(ラフ&ピースマザー)powered by NTT Group」に対して最大100億円まで投資すると決定。事業は沖縄・那覇市を拠点に今年10月から始動し、5GやVR技術などを活用した映像コンテンツを子供向けに発信する予定。

 こうした事業に関係する省庁の大臣たちが、騒動を受けて続々と非難の声を上げている。

「文化の健全な振興の観点からもガバナンス(企業統治)、コンプライアンス(法令順守)は極めて重要だ」
(柴山昌彦文部科学相)

「吉本興業はクールジャパンのコンテンツ制作者として非常に有力な企業の一つであり、法令順守の徹底や説明責任を期待せざるを得ない」(平井卓也科学技術担当相)

「一国民としてはすっきりしない」
(片山さつき地方創生担当相)

 クールジャパン機構を管轄する当の世耕弘成経済産業相までも、「一般論として反社会的勢力と付き合うことは厳に慎むべきだ」とコメントした。
 だが、吉本興業と政府のつながりは、これだけにとどまらない。

「騒動が拡大する最中、吉本がなかなか記者会見を開かなかったのは、『もっと隠したいこと』があったからではないか」
 前出の経済産業省関係者はそう疑っている。

大崎会長の「公的な肩書」

「吉本興業の大崎洋会長は2013年以降、クールジャパン機構を含め、安倍政権が重点を置く『クールジャパン戦略』の方向性を策定する内閣直轄機関の委員をずっと務めている。安倍首相がトップとして旗を振る、知的財産戦略本部に設けられた『検証・評価・企画委員会』のことだ。

 大崎会長の公的な肩書はこれだけではない。

「内閣府が主催する『わくわく地方生活実現会議』の委員、また同じく内閣府が沖縄の米軍跡地の利用法を検討するために設置した『基地跡地の未来に関する懇談会』の委員も務めている」

 そうした大崎会長の立場が、吉本がかかわる事業への政府出資に影響したのではないか、との声が出かねないというのだ。

 クールジャパン機構については言うまでもないが、内閣府の「わくわく地方生活実現会議」も吉本興業の“仕事”につながっていた。
 2018年3月、内閣府は同社とコラボして、所属の芸人が地方の魅力を紹介するほか、その地方に移住した人たちを取材し、政府広報にアップするなどといった地方創生の企画を発表している。

「基地跡地の未来に関する懇談会」に関しては、吉本興業が協賛し同社所属タレントの監督作品なども出品される沖縄国際映画祭や、先に記した教育コンテンツ事業とのかかわりが指摘されていることに加え、カジノ誘致にかかわる利権に食指を動かしているのではないかとの憶測も呼んでいる。
 政府関係者はこう語った。

「懇談会の今年2019年6月の会合で、沖縄を『エンターテインメントやスポーツで世界一の島にする』といった意見が出た時、ああカジノか、と思った。懇談会の委員の中でこれに直接関係しそうなのは大崎氏だけ。とすると、吉本はいよいよカジノにも進出するのかと」

 永田町と霞が関の双方から懸念の声が上がるなか、大崎氏は7月26日に開かれた知的財産戦略本部「検証・評価・企画委員会」を欠席した。

 一方で、菅義偉官房長官は非難が集中しているクールジャパン機構の出資について、こうはねつけた。
「経産省の監督の下に適切に実施している」

 また、内閣府特命相の宮腰光寛沖縄担当相も吉本興業を庇わざるを得なかった。
「(吉本が)沖縄国際映画祭を開催している実績も考慮し、有識者として知見をお借りしている。現時点で特段の対応は考えていない」
 まさに必死の状況だ。

中央省庁の事業も数多く請け負う

「しかし、庇いきれないのではないか。吉本興業は第二次安倍政権以後、政府系の出資事業にとどまらず、政府が直接取り仕切る各省庁の重点事業にも、がっちりと食い込んでしまっている」

 前出の政府関係者は、そう指摘して実例を列挙した。
 以下はいずれも、中央省庁と吉本興業が提携しての事業だ。

・ 経済産業省: 毎月最後の金曜日に合わせて行われるイベントやセールなど、消費喚起キャンペーンの実施。昨年夏も「よしもと流プレミアムフライデー サマーキャンペーン」を開催。

・ 法務省:「再犯防止」や「裁判員制度」のあり方など、法務省の取り組みを紹介する動画を作成。

・ 外務省: 海外安全情報配信サービス「たびレジ」の登録を呼びかける動画を配信。

・ 国土交通省: 2016年、建設業で活躍する女性を応援するためのキャンペーンを実施。2017年には、建設業の安全教育のための動画を作成。

・ 消費者庁: 同庁の活動を伝える動画を配信。2018年には、吉本の芸人との公演も行った。

・ 内閣府: 地方創生企画(前述のとおり)。

「吉本の主要株主であるテレビ各局がそのまま利用できるような事業ばかり。吉本にしてみれば一石二鳥ということなのかもしれないが、政府と一企業の距離感としては、いかがなものか」

 吉本興業に事業を発注していない総務省関係者は、そう言って呆れる。
 それにしても、ここまで深く政府に入り込んでしまった企業の不祥事に、安倍政権はいったいどう対応するつもりなのか。
 あくまでも“お友だち”扱いし続けるのだろうか。


現代ビジネス、2019.07.30
吉本興業が請け負う政府・省庁「肝いり事業」は、まだこんなにあった
会長は政府委員を兼任

時任 兼作
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66199

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大きな顔が死神のよう

想田和弘

あーあ。ナチス礼賛者に媚びを売る人間が大阪府知事。あり得ないはずの情景が現実になっている。

吉村洋文(大阪府知事)
まくら.jpg
高須先生の枕をゲットした、なう。大阪に売ってないので、淡路島のお店でゲットですよ、なう。大阪でも販売期待、なう。

7:56 - 2019年7月28日


 自民党の中谷元防衛相は2019年7月28日朝、フジテレビの「日曜報道 THE PRIME」に出演し、ホルムズ海峡周辺の安全確保のためにアメリカが結成を目指す有志連合に関連し、日本の船舶を守るために、自衛隊を派遣すべきだとの認識を示した。

 自民党・中谷元防衛相は、「とりあえずは海上警備行動で対応できるので、日本政府は速やかに、派遣を決断すべきではないか」と述べた。

 中谷氏の発言は、自衛隊法に定められた海上警備行動を発令し、自衛隊がホルムズ海峡周辺の日本の船舶を護衛すべきだとの考えを示したもので、中谷氏は、「派遣を躊躇(ちゅうちょ)することは国益を損なう」とも強調した。

 一方で、中谷氏は「イランとは敵対関係にならないようにできないか」と述べ、外交努力も必要だとの考えを表明した。


FNN Prime News、2019年7月28日 日曜 午後6:39
ホルムズ海峡「自衛隊派遣を」
有志連合へ中谷元防衛相

https://www.fnn.jp/posts/00421540CX/201907281839_CX_CX

ホルムズ海峡「自衛隊派遣を」 有志連合へ中谷元防衛相 - FNNプライムオンライン
写真の背景にある大きな顔が死神のようでおそろしい

3:49 - 2019年7月28日

 日本の経済報復措置により韓日対立が深刻化する中、光化門(クァンファムン)広場で日本の安倍政権を糾弾するろうそく集会が開かれた。

 596の市民団体が集まった「安倍糾弾市民行動」は2019年7月27日午後7時、光化門広場北側広場に集まり、「歴史歪曲、経済侵略、平和威嚇の安倍糾弾2次ろうそく文化祭」を開いた。
 光化門北側広場で開かれた今回の文化祭は主催側推定で5000人ほどが参加した。
 今回のろうそく文化祭は全国各地でリレー進行された。
 前日からこの日までろうそく文化祭は大田(テジョン)と春川(チュンチョン)、釜山(プサン)、蔚山(ウルサン)、慶尚南道(キョンサンナムド)でも開かれた。

 自由発言に立った歴史学者のチョン・ウヨン氏は、
「われわれは日本人を憎もうと来たのではなく、正義が何かを論じに集まったもの。安倍首相がしようとしているのは軍国主義で、われわれはここに世界平和を守るという義務感で向き合わなくてはならない」
と強調した。続けて
「われわれがすることは日本企業ひとつ、日本人ひとりを倒すのではなく、自分の利益のためなら他人の権利を踏みにじっても良いと考える反人間的態度と向き合って戦うもの。最後まで正義を持って、平和を愛する気持ちで安倍政権糾弾を継続しよう」
と主張した。

 全国宅配連帯労組のキム・テワン委員長は、
日本製品不買運動は過去史を整理せず軍国主義復活を夢見る日本の安倍政権に反対するもの。われわれも(ユニクロ製品配送拒否で)不買運動に参加し、マート労働者も(日本製品案内拒否で)一緒にしているだけに、より多くの労働者が日本製品不買運動をともにするだろう」
と声を高めた。

 集会参加者は片手にろうそく、片手に「No安倍!」「強制労働謝罪せよ」などと書かれたプラカードを持ち、「親日積弊清算しよう」「安倍を糾弾する」などのスローガンを叫んだ。

 発言後に参加者らは日本大使館まで行進し、大使館の建物を取り囲む計画だったが、警察に阻止された。
 行事を終えた後、参加者らは日本大使館前に移動して強制徴用被害者賠償を拒否した日本政府を糾弾し、韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)廃棄を促した。

 市民行動は8月10日まで4回にわたり「安倍糾弾ろうそく文化祭」を続け、8月15日の光復節にも「安倍糾弾ろうそく大規模集会」を開く計画だ。


Yahoo! Japan News、2019/7/28(日) 10:24配信
ソウル・光化門広場に5000人が集まり安倍首相糾弾するろうそく集会
(中央日報)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190728-00000002-cnippou-kr

 和田春樹(1938年生まれ)東京大学名誉教授ら日本の知識人が韓国に対する安倍晋三首相の輸出規制措置を批判する署名運動を開始した。
 両国関係が報復が報復を呼ぶ最悪のどん底だけは避けなければならないというのが彼らの主張だ。

 和田春樹東京大学名誉教授、内田雅敏弁護士、岡田充共同通信客員論説委員、田中宏一橋大学名誉教授をはじめとする、教授、弁護士、ジャーナリスト、元外交官、医師、作家ら77人はインターネットサイト(https://peace3appeal.jimdo.com)で2019年7月25日から8月15日を第一次締め切りとして輸出規制撤回要求署名運動を進めている。

 彼らは該当サイトに公開された声明を通じ、「韓国は敵なのか」という題名で「昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志が執筆し、日本の市民に賛同を求めるものです」とし、「私たちは、7月初め、日本政府が表明した、韓国に対する輸出規制に反対し、即時撤回を求める」と明らかにした。
 また、「半導体製造が韓国経済にとってもつ重要な意義を思えば、この措置が韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない、敵対的な行為であることは明らか」と強調した。

 続けて「特別な歴史的過去をもつ日本と韓国の場合は、対立するにしても、特別慎重な配慮が必要になります。それは、かつて日本がこの国を侵略し、植民地支配をした歴史があるからです」とし、「日本の圧力に『屈した』と見られれば、いかなる政権も、国民から見放されます」と説明した。
 声明はまた、安倍首相が今年初めの国会施政方針演説で韓日関係については一言もふれず韓国を「相手にせず」という姿勢を誇示し、主要20ヶ国(G20)首脳会議でも文在寅(ムン・ジェイン)大統領だけ無視したと指摘した。
 その上で「まるで韓国を『敵』のように扱う措置になっていますが、とんでもない誤りです。韓国は、自由と民主主義を基調とし、東アジアの平和と繁栄をともに築いていく大切な隣人です」と強調した。
 また、日本の措置は日本の経済にも大きなマイナスになるだろうとし、普通、五輪主催国は周辺国とごたごたが起きてほしくないと考えるが、日本は主催国自身が周辺と摩擦を引き起こしていると指摘した。

 声明は1965年の韓日請求権協定で過去の問題がすべて解決されたという日本政府の立場を批判したりもした。
 声明は「日韓請求権協定は尊重されるべきです。しかし、安倍政権が常套句のように繰り返す『解決済み』では決してないのです」と明らかにした。
 その上で「日本政府自身、一貫して個人による補償請求の権利を否定していません。この半世紀の間、サハリンの残留韓国人の帰国支援、被爆した韓国人への支援など、植民地支配に起因する個人の被害に対して、日本政府は、工夫しながら補償に代わる措置も行ってきました」と指摘した。
 韓日が仲裁委員会設置をめぐり対立する状況に対しては、2011年8月に慰安婦問題に関する韓国憲法裁判所の決定に対し、日本側は仲裁委員会の設置に応じなかったと説明した。

 最後に声明は、
「ネトウヨやヘイトスピーチ派がどんなに叫ぼうと、日本と韓国は大切な隣国同士であり、韓国と日本を切り離すことはできないのです」
「日本政府が韓国に対する輸出規制をただちに撤回し、韓国政府との間で、冷静な対話・議論を開始することを求める」
と明らかにした。


中央日報日本語版、2019年07月29日10時43分
「対韓規制撤回せよ」
日本の知識人77人の叫び

https://japanese.joins.com/article/009/256009.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news

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2019年07月29日

黒岩比佐子

Josef Rheinberger: Suite for violin and organ op. 166, 1. Praeludium. Lukas Medlam & Simon Lawson
https://www.youtube.com/watch?v=5fH30vkkavk

 3年前の2008年11月17日に私はこのブログを書き始めたのですが、その2年後の2010年11月17日、同じ日に黒岩比佐子さんが亡くなられるなんて、言葉もありませんでした。
 黒岩比佐子さんが他界されてから今日で一年になります。
 この一年、みちくさ市や一箱古本市に出るたび、比佐子さんがひょっこり現れてくれるのではないかと探してしまう自分がいました。
 逝ってしまったとは思えない、思いたくない気持ちが心を占めていたからだと思います。

 そんな中、11月14日、神保町の学士会館で催された「語り継ぐ 黒岩比佐子の会」に出席し、黒岩さんはもうこの世にはいないのだと、初めて実感するに至りました。
 今も黒岩さんのブログ「古書の森日記 by HISAKO」http://blog.livedoor.jp/hisako9618/ を管理、代筆され、事務局の中心として不眠不休で動かれた宮崎さんにこの会のご案内をいただき、感謝の念にたえません。

 私は黒岩さんと親しくお付き合いさせていただいたわけではありませんし、メールを除けば、直接お話しできた時間もわずかだったので、語り継げるほどのものがあるだろうか…と躊躇い、ひょっとしたら足を運べなかったかもしれないからです。
 宮崎さんは、黒岩さんが亡くなられた直後に私が書いたブログ記事「いつかパラソルの下で…」を以前読んでくれていました。私に連絡がいっていないかもしれないと、今回わざわざブログにコメントくださいました。
 その際、「追悼・黒岩比佐子さんDVD上映会」で(私が黒岩さんにお見舞いとして差し上げたCD)ラインベルガー『ヴァイオリンとオルガンのための作品集』から選曲し、音楽として使っていただいたことを伺い、感無量です。
 ありがとうございました。当日お話しできて嬉しかったです。

 100人を超える方々がそれぞれの思いを抱き、集って来られました。
 献杯後には、昨年2010年6月のトークセッション、10月の講演会のダイジェスト版が会場正面のスクリーンに流されたのですが、黒岩さんが実際に話しているような、不思議な感覚に囚われました。
 岡崎武志さんの問いかけに、楽しそうに受け答えする比佐子さん。
 その眩しいばかりの笑顔は闘病中という事実を束の間忘れさせてくれるものでしたが、改めて見ても同じ気持ちになってしまいます。

 しかし一方で、亡くなる一か月ほど前の『パンとペン』刊行記念講演には、言葉をひとつひとつ噛みしめ、紡ぎ出す比佐子さんがいます。
 今でも忘れられない結びの言葉。
 難産のすえに産み出した我が子の如く著書に手を触れ、
「私にとってはこれは、いろんな意味で忘れられない、一冊に、なると、思います…」 そして、
「堺利彦も、楽天囚人として乗り切ったわけなので、ええ…これから頑張って乗り切っていきたいと思います。ほんとうに今日はありがとうございました」
 絞り出すように語り終えた黒岩さんの心の中に渦巻いていたものを想像するだけで、胸が詰まります。

 会場には黒岩さんの直筆原稿、メモ、絵、スケジュール帳ほかさまざまなものが展示され、これまで知ることのなかった黒岩さんの一端に触れることができました。
 黒岩さんの息吹が生々しく伝わってくるものもあれば、いかにも女の子らしい絵があったり、ライターとしての矜持が滲み出ていて、こちらの肺腑に染みわたってくるものなど、目が眩んでしまいました。

 小学校卒業後に書かれた400字詰め原稿用紙135枚におよぶ「わが生い立ちの記」には枚数、書かれている内容ともども目を瞠りました。
 タイトルからして小学生が思いつくものではありません。
 家の間取りまできれいに描かれていて、黒岩さんの几帳面さが伝わってきました。
 多くの方が魅入られるように読んでいたのも当然でしょう。

 強く印象に残ったのは大学生になられた時に書かれた断章のようなものです。
 ご自身の未熟さを自覚しながらも、奥底から湧き上がってくる「書く」ことへの切迫した、熱き思いが感じられました。
 そこには、
「私の頭に浮かぶ未来の設計というのは、やはり作家になるということなのである」
「私は人の心に触れるものを書きたい」
「そうだ私は書かねばならない」
という言葉が、力強い筆致で刻まれていました。

 黒岩さんが生きていらっしゃったら、こういう貴重な資料のほとんどは見る機会もなかっただろう。
 そう思うと、「黒岩さんは逝かれてしまったのだな…」という実感が湧いてきて、言い知れぬ悲しみに襲われてしまいました。
 膵臓癌におかされることがなかったとしても、黒岩さんという方は一切妥協せず、すべての精力を注ぎ、身を削るように書かれる方だったいう思いを強くしました。
 ほんとうに凄い方です。
 それゆえ、「あなたは大切なことに背を向けていませんか。ほんとうにやりたいことをやっていますか」と問われているように思えてしまうのです。

 会の終わり近く、高校時代からの大親友Hさんの歌とともに、スクリーンに黒岩さんの生涯を辿る写真が数多く映し出されました。
 亡くなる前の時から幼小の頃へと徐々に遡り、そこからまた還ってくるかのように大人へと成長していく。
 これを見て胸を打たれない人はいないはずです。
 実際すすり泣きが会場のいたるところから聞こえてきました。

 黒岩さんの著作とともに、黒岩さんが書評された本、或いは書評としてとりあげなかったまでも興味を持たれた本など、蔵書の一部がチャリティの一環として販売されました。
 売り上げは東日本大震災被災地義援金として、各自治体あるいは現地NPOなどに、寄付されるとのことです。
 買いたいと思っていた書評本は既に売れてしまっていたので、それ以外の本を購入。
『精神分析と美』には思わず目を引かれました。『川の地図辞典 多摩東部編』は工作舎・石原さんのお勧めで購入。

● 2010年6月26日「作家・黒岩比佐子が魅せられた明治の愛しき雑書たち 日露戦争・独歩・弦斎」スペシャル・トークセッション
● 2010年11月14日「『パンとペン』出版記念講演会」
 特別映像として<編集者が語る黒岩比佐子>付
 どちららも聞きに行ったものなので迷わず上記2枚組DVDも購入。
 特典として黒岩さんの描いた絵ハガキをつけてもらいました。

 帰りに戴いたお土産も嬉しい。
 黒岩さんの遺稿となった西日本新聞掲載の「歴史と人間を描く」と、2006年5月から8月にかけて日刊ゲンダイに掲載された「ようこそ古書の森に!」のコピーに加え、黒岩さんの講演「食育のススメ─現代に通じる明治人の知恵」が収められた「お茶の水図書館設立60周年記念講演記録」。
 歌人穂村弘氏との対談「読書の楽しみ」も載っている。

 読売新聞で同時期に書評委員をされていた松山巌さん、井上孝治さんのご長男、井上一さん、黒岩さんの弟さん、黒岩さんの著書『「食道楽」の人 村井弦斎』を担当された元岩波書店の編集者Hさんの話もあり、盛りだくさんの内容でした。

 最後になってしまいましたが、発起人、事務局、スタッフの方々、このような機会を設けていただき、ほんとうにありがとうございました。
 また、当日あらゆるところに気を配られ、会を支えられていた工作舎の石原さん、おつかれさまでした。黒岩さんのことではいつも何かとお心遣いいただき、感謝しております。

 久しぶりの神保町、学士会館を後にした時には雨足が強くなっていた。
 本屋など一軒も開いていない時間なのに、そのまま帰る気持ちになれず1時間以上もふらふらしてしまった。
 パラソルではなく、雨傘の下でもいいから比佐子先輩と高校時代の話ができたら…などと決して叶わぬことを夢見るなんて、感傷的過ぎるだろうか。

〔参考〕
闘病中の比佐子さんに、「一番気持ちに寄り添ってくれます」と言っていただいたCDはこちらです。
ラインベルガー『ヴァイオリンとオルガンのための作品集』NAXOS 8.557383


〈本と音楽〉 風太郎の気ままな水先案内、2011年11月17日 (木曜日)
黒岩比佐子さん一周忌「語り継ぐ 黒岩比佐子の会」のこと
http://ramble-in-books.cocolog-nifty.com/blog/cat41888002/index.html

黒岩比佐子『忘れえぬ声を聴く』 幻戯書房、2014年1月

 この本は、2010年に52歳で逝去された作家・黒岩比佐子さんの、単行本未収録のエッセイを集成したものです。

 私は生前の黒岩さんにお目にかかったことはなく、本や新聞・雑誌で文章を読む一読者でした。
 ある時、公式ブログ「古書の森日記」http://blog.livedoor.jp/hisako9618/ を、ご本人が亡くなられて以降、関係者の方が更新されていることを知りました。
 そこで紹介されていた「歴史と人間を描く」という遺稿を目にしたことが、今回の本が生まれるきっかけです。
 デビュー作『音のない記憶 ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』から、当時の最新作『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』までの著作をふり返りつつ、“歴史”と向き合うことの面白味を全50回の構想で綴られる予定だったこの連載は、病室にパソコンを持ちこんでまで執筆されながらも、11回目の途中で、やむなく中断されました(翌2011年、西日本新聞に掲載)。

 しかし当初の構想は未完となったものの、近い内容を記されたものは、断片的ながら既にある。
 しかもそれらのほとんどは、新聞・雑誌などの媒体に発表されたままとなっている。
 ご遺族の協力をいただき、デビュー以来の文章をコンセプトのもとに編成した本書は、既刊とも一味違うエッセイ集となりました。

 黒岩さんは明治・大正期の歴史家・山路愛山の「隔離的精神」に倣い、本文中で、「時を隔てて初めて明確に見えてくる」ものがある、と書かれています。
 しかし、ある出来事から長い時間が経てば、記憶が薄れ、資料が散逸してしまうことも多いでしょう。
 そうした困難に対し膨大な調査を経て、その時代の空気・空間を再構築のうえ現代を照射するようにして書かれたのが、『パンとペン』にいたる数々の作品だと、編集中にあらためて感じました。

 写真家から伝書鳩、食、小説家と多彩なテーマを手がけた著者が、作品中ではあまり語ることのなかった発想や方法、エピソード、著作を貫く想いが、本書の端々に記されています。
 残念ながら現在では長らく品切れとなっている既刊もありますが、展示会などのイベントはいまも度々開かれ、先述のとおり公式ブログも続けられています。

 この本が黒岩比佐子さんについての、またそれだけではなく、読者の皆様のさまざまな記憶を新たに呼び覚ます“声”になれば、と願います。


日本の古本屋、2014年11月19日
黒岩比佐子さんの『忘れえぬ声を聴く』について
幻戯書房 編集部 名嘉真春紀
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php

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むのたけじ、沖縄で戦争絶滅を語る

あの人の戦争体験 ≫ むのたけじさん(ジャーナリスト)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001240317_00000

 少し時間が経ってしまいましたが、2008年8月22日付の朝日新聞朝刊総合面(東京本社発行)の「あしたを考える」の欄「夏に語る」に、ジャーナリストむのたけじさんの長文のインタビュー記事が掲載されています。
 93歳のむのさんは1945年8月、新聞が戦争の実相を国民に伝えてこなかったことに責任を感じて朝日新聞社を退社し、その後、郷里の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊したことで知られます。
 略年譜を朝日新聞の記事より引用します。

・ 1945年8月、「負け戦を勝ち戦とだまして報道した責任をとる」と朝日新聞を退社。1940年に報知新聞を経て朝日に入社し、中国特派員や東南アジア特派員などを歴任していた
・ 1948年、郷里の秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊
・ 1978年、780号をもって「たいまつ」休刊
・ 2001年、「たいまつ」休刊後、農業問題を中心に各地を講演、その活動が評価され農民文化賞を受ける
・ 2003年、秋田県湯沢市で「平和塾」を開講。「塾」は2005年まで続いた

 あの戦争を新聞記者として体験し、戦後は商業新聞の外に身を置いて平和のための運動を続けてきた大先輩の数々の指摘は、わたしには厳しい叱咤のようにも、また励ましのようにも読み取れました。
 実は昨年2007年10月、沖縄で開かれたある集会で、むのさんのお話を直接、聞く機会がありました。そのときのもようは後述します。まずは朝日の記事本文の書き出しを引用します。
 転換点は、あるのではなくて、自分でつくるのよ。それは12月8日。始まった日があるから原爆があって終わった日、8月15日がある。原因をつぶさなければ同じことが起きる。なぜあの日があったのか。その日の様子はどうだったのか。誰が仕組んだのか。国民の誰一人として相談受けなかったでしょ。
 朝日新聞も、真珠湾奇襲の大軍事行動を知らなかった。私は東京社会部で浦和(現さいたま市)に住んでいて、朝6時か7時か本社から電報が来たの。全社員に同じ文章。「直ちに出社せよ」だ。うんと寒かったな。
 行ってみたら戦争が始まったって。編集局みんなショック受けちゃって。だれも物言えなかった。異様な沈黙でしたよ。最初は「戦争状態に入った」。しばらくして「真珠湾で軍艦やっつけた」。そういう発表があったけど、万歳なんて喜ぶ馬鹿はいなかったな。通夜みたいな感じでした。何も知らないうちに始まったショックと、これからどうなるかという不安ですよ。
 そしてずるずると300万人の同胞を死なせ、2千万人の中国人を殺した。こんなことがあっていいのかと考えなきゃいかんでしょ。考えたらそうならないための365日の生活の中での戦いが必要だということになるんじゃないですか。

 自身の戦後と、現在の戦争と平和に対する考えについては次のように語っています。
 私は朝日を退社以来、戦争をなくすることに命をかけてきた。平和運動だ、抗議集会だと何千回もやったけど、一度も戦争をたくらむ勢力に有効な打撃を与えられなかった。軍需産業は成長しているんじゃないの。「戦争反対行動に参加した私は良心的だ」という自己満足運動だから。それでも意思表示をしないと権力は「民衆は反対していない」と勝手な判断をするからやめるわけにはいかない。
 でもそれだけじゃダメだ。今は「戦争はいらぬ、やれぬ」の二つの平和運動でないとならない、と怒鳴り声をあげている。
「いらぬ」というのは、資本主義を否定すること。戦争は国家対国家、デモクラシー対ファッショなどあったが、今、根底にあるのは、人工的に起こす消費。これだけなんだ。作って売ってもうける。そこにある欲望が、戦争に拍車をかけてきた。
 無限の発展はいらない。当たり前の平凡な、モノ・カネ主義でない、腹八部目で我慢する生き方が必要なんです。地球の環境を大事にするとか、スローペースの生き方ですよ。
 そのことに一人一人が目覚め、生活の主人公になること。
 これが資本主義を否定する人間主義の生き方。
 戦争のたくらみをやめさせるのはこれなんだ。

 全文で170行以上の長大な記事ですが、従軍記者経験に基づいて「戦争には、弾丸の飛ぶ段階と飛ばない段階がある」と看破していることにも強い印象を受けました。朝日新聞のサイトにはアップされておらず、紙面を手に取るしかないようですが、現在のマスメディアの記者にぜひ読んでほしいと思います。

 むのさんは昨年2007年10月、沖縄で開催されたマスメディア労組主催の集会で基調講演をしました。
 当時、わたしは労働組合専従から復職して1年余の時期で、自身の仕事の意味や働き方を再確認しなければならない、との思いが日増しに強まっていました。むのさんが集会に参加することを聞き、たまらず週末の休みを利用して沖縄に行きました。少し長いのですが、以下に、わたしが当時所属していた労組の新聞研究活動の機関紙に投稿したレポートを再掲します。写真は沖縄の集会での、むのさんです。
「戦争が始まってしまってから『ヒューマニズム』や『反戦平和』と言ってみても何の役にも立たない。戦争を止めようとするなら、やらせないことしかない」
 むのたけじさん(92)は大きな声で切り出した。
 10月13日(土)、那覇市で開かれた沖縄県マスコミ労働組合協議会主催の2007反戦ティーチイン「戦争への道を止めるために ― ジャーナリズムと労組の責任を考える」に参加した。
 むのさんは1945年8月、自らの戦争責任を明白にして朝日新聞社を退社し、戦後は郷里の秋田県・横手で週刊新聞「たいまつ」を刊行。今も反戦・平和に積極的に発言を続けている。今回は秋田から来訪し、「いい記事を書くために、生活の現場に心を砕き、自分の命を洗いながら、民衆の中に飛び込んでほしい」と後輩のわたしたちをも励ました。むのさんの基調講演を紹介する。
 沖縄マスコミ労協は、沖縄県内の新聞、放送の労働組合で結成。毎年10月を反戦月間と位置づけ、市民参加のティーチインを開催している。新聞労連や民放労連、出版労連が加盟する日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が昨年から共催に名を連ね、平和と民主主義を守るための運動の一環として、広島や長崎とともに、地域のマスコミ共闘組織との連携・共闘の柱と位置づけている。ことしの沖縄の反戦ティーチインには、MICからの30数人を含め、組合員と市民計約200人が参加。14日付の沖縄タイムス、琉球新報両紙も社会面で紹介した。
 むのさんはまず「戦争を食い止めるために、ジャーナリズムと労働組合にも責任があることは明らかだ。しかし、今の日本のジャーナリズムと労組に第3次世界大戦を食い止められるか。今のままでは可能性はゼロだ」と言い切った。続けて「70数年間の経験から言うと、既に第3次大戦は始まってしまった」とも。
「戦争を止める」ということについて、要点を3点に要約した。
 第1は、戦争が始まってしまってからでは、ヒューマニズムや反戦・平和と言ってみても何の役にも立たない、戦争を止めるなら「やらせない」ことしかない。
 第2は、戦場では相手を殺さなければ自分が殺される。この一事のために、全身が縛り付けられ、やがて人間は一個のけだものになってしまう。社会にも同じムードが漂う。武器を手にしていようがいまいが、戦争とは人がけだものになることであり、社会がそれを許すこと。
 第3は、戦争には2つの段階、すなわち銃砲弾が飛び交う段階と、その以前の段階との2つの段階があること。
 第3の点に関連して、むのさんは戦前戦中の自身の取材経験を話す。
 日本軍はインドネシア占領後、1942(昭和17)年3月に軍政を布告し、司令官が大東亜共栄を宣言した。しかしその宣言は一字一句、太平洋戦争開戦から1年半も前に準備されていたものだった。「戦争を企んでいた連中は、昭和15年のときから、あるいはもっと以前から準備を進めていた。弾が飛ばない前の段階で民衆を組織しないと、戦争は防げない」とむのさんは強調する。治安維持法をはじめとする統制で当時は縛られていたが、今は報道の自由があり、抵抗する権利があり、主権者は国民だと明白に憲法に書かれている。

「最近は目が不自由になり、情報源はNHKのニュースだけ。しかし、そのNHKニュースだけ聞いていても、もはや第3次大戦は始まっている」

 むのさんは、米陸軍第1軍団の神奈川移転計画が持ち上がったときが、その始まりだと指摘する。

「第1軍団の任務地域は中国からインドにかけて。その司令部を米本土から現地に近い日本に移すということは、近い将来に中国からインドにかけての地域で米軍が軍事行動を想定しているということだ」

 時に仲良く見せながら、戦うか否か、つばぜり合いが続く。これから3〜5年が、戦争を食い止められる最後のチャンスになるだろうと、むのさんは言う。
 では、どうやってその戦争を食い止めるのか。
 その一つの道として、むのさんはジャーナリストのヒューマニズムを挙げる。戦時中、多くの従軍記者が戦場に赴いたが、どんなに危機に陥っても、自分で銃を手に取ろうとした記者はいなかった。そこに、ヒューマニズムに根ざす近代の情報産業の命があるのではないか、とむのさん。

「マスコミが本来のマスコミの姿で真実をはっきり暴き出し、民衆に伝えること。マスコミが本来の役割を果たせば、民衆が戦争を止めるエネルギーを作り出す」

「これは今日、ここにいる皆さんへのお願いだ」と、むのさんの声に一段と力がこもった。

「何でもいい、明日からの自分を作る目標を持って欲しい。それをエネルギーに、現場の中で、労働者の連帯の中でがんばってほしい」

 互いに意見をぶつけ合うことが必要だとも。戦時中は、職場でも2人では会話ができても、3人目が来ると皆口をつぐんだという。

「だから観念論はあっても、戦争をやる人間を止められなかった」

 新聞記者に対しては「生活の現場、人間の関係を密にすることに心を砕け」と訴える。

「人間として自分の生活も大事にしながら、読者の中に入って学び、自分の命を洗いながら民衆の中に飛び込んで行くこと」

 そうでなければ面白い記事は書けない、と言う。

「観念論ではダメだ。労組も政党も数を頼るからダメだ。数だけ70万人集まっても、死を覚悟した7人の方が強い」

 一人ひとりが自分を変えながら、人との結びつきを作っていくこと。「観念論を卒業して、新しい人類を作っていくためにがんばろうじゃないか」と、むのさんは講演を締めくくった。

 62年前に日本の敗戦で終わったあの戦争の時代を、新聞人として生きたむのさんの話を聞きながら
「戦争で最初に犠牲になるのは<真実>」
「戦争が起きた時点でジャーナリズムは一度敗北している」
という有名な2つの言葉をあらためて思い起こした。
 あの時代、新聞産業は戦争遂行に加担した。
 むのさんは自らの戦争責任と向き合い新聞社の職場を去ったが、戦後の新聞の労働運動は「2度と戦争のためにペンをとらない、輪転機を回さない」が合言葉になった。あの時代を新聞人として生きた先輩たちの思いはみな一緒だったのだろうと思う。「もはや戦前」とも言われ、むのさんによれば「弾が飛ばない段階として、既に戦争は始まっている」という今、「観念論ではダメだ」というむのさんの言葉が胸に突き刺さる。


ニュース・ワーカー2、2008年 08月 24日
「戦争はいらぬ、やれぬ」
〜朝日新聞むのたけじさんインタビュー記事〜

美浦克教(共同通信記者、元新聞労連委員長)
https://newswork2.exblog.jp/8496706/

 以前のエントリ「『戦争はいらぬ、やれぬ』〜朝日新聞むのたけじさんインタビュー記事」で紹介した元朝日新聞記者でジャーナリストむのたけじさんの一問一答式の聞き書きが岩波新書で刊行されました。
 聞き手の黒岩比佐子(1958-2010)さんは、むのさんより43歳年下のノンフィクション・ライター。本書の「まえがきにかえて」によると、1997年に初めてインタビューして以来の交友関係で、むのさんが以前、岩波新書を一冊書くと約束したまま果たせないでいることを知り、聞き書きの形を提案。本書の刊行となりました。
 敗戦から63年がたった今、あの戦争を新聞記者として体験し、戦後は戦争反対を貫いてきたむのさんの本書には、多くの価値があると思います。
 中でも第2章の「従軍記者としての戦争体験」は、インドネシアに従軍記者として派遣された際に見聞きしたことの証言であり、戦争の実相の記録としても貴重だと思います。ここでむのさんは次のように述べています。
 インドネシアでのいろいろな出来事は、『たいまつ十六年』に書いていますが、今回は、これまで本でも、講演でもあまり言わなかったことを話しましょう。
 それは、本当の戦争とはどういうものか、ということです。
 少なくとも、戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。
 ところが、戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。
 相手を先に殺さなければこちらが殺される、という恐怖感。
 これが、朝昼晩とずっと消えることがない。
 3日ぐらいそれが続くと、誰でも神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。
 したがって、戦場から反戦運動というものは絶対に出てきません。
 本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる。しかも、ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する…ということが、戦場における特権として、これまでずっと黙認されてきました。

 殺されなければ殺されるという狂いの状態で、3日間は何とか神経を維持できるけれども、あとは虚脱状態でなげやりになってしまう。
 もし、父親が自分の戦争体験を子供に語ろうとしても、何か立派なことを言えると思いますか。
 おそらく、何も言えないでしょう。
 あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。
 中国戦線では兵士に女性を強姦するようなことも許し、南京では虐殺もした。
 そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そういうことはやるな、と逆に戒めた。
 軍機の粛正を強調したんです。(中略)

 そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。

 日本軍の従軍慰安婦についても、自ら取材として慰安所の女性のもとへ足を運んで見聞きした内容の証言が続きます。
 第3章の「敗戦前後」では、国民に真実を伝えてこなかった新聞人としての責任を取り、朝日新聞社を去った有名なエピソードが語られますが、今はその気持ちに変化があることを明かします。
 それは、3年前の2005年、敗戦60周年の記念として、琉球新報社がつくった『沖縄戦新聞』を見たからです。
 戦争中は絶対に書けなかった内容を、新たに14回分の新聞にしたものでした。
 この新聞を見て「あっ、これだ」と思ったんです。

 私は3月10日の東京大空襲の記事を書けませんでした。
 その日の朝、焼跡になった現場を歩いているのに、ひとことも書いていない。
 戦時中、新聞に書けなかった事実というものはたくさんある。
 いよいよ軍部が倒れて平和が回復し、自由に書けるということになったら、新聞は8月16日、17日からでも「本当の戦争はこうでした」ということを、国民に知らせるべきだったんです。
 戦後、すぐに「本当に戦争はこうでした」と読者に伝えて、お詫びをすべきだったんです。
 そうすれば、みんながもっと戦争のことを考えたでしょうし、敗戦から今日にいたるまでの日本の新聞の報道の態度も、まるっきり変わっていたと思いますよ。

 第4章の「憲法九条と日本人」からは、今日につながる戦争と平和の問題が語られます。
 本編の最後になる第6章の「絶望のなかに希望はある」の末尾で、むのさんは、
「今回の話は、93歳の私からの遺言みたいなものです。この本を読者がどう読んでくれるのか、楽しみですね」
と語っています。
 新聞記者の一人であるわたしは、まさに大先輩からの貴重な遺言と受け止めています。昨年2007年10月、沖縄で直にむのさんのお話を聞く機会があったことは、以前のエントリで紹介しました。そのときに、むのさんがわたしたち新聞記者に向けて話した言葉のいくつかを、本書の数々の言葉とともに、あらためて胸に刻みたいと思います。

 「生活の現場、人間の関係を密にすることに心を砕け」

 「人間として自分の生活も大事にしながら、読者の中に入って学び、自分の命を洗いながら民衆の中に飛び込んで行くこと」

 「観念論ではダメだ。労組も政党も数を頼るからダメだ。数だけ70万人集まっても、死を覚悟した7人の方が強い」

 「観念論を卒業して、新しい人類を作っていくためにがんばろうじゃないか」


ニュース・ワーカー2、2008年 09月 22日
読書:
『戦争絶滅へ、人間復活へ―93歳、ジャーナリストの発言』(岩波新書、2008年7月)
(むのたけじ 聞き手黒岩比佐子)

美浦克教(共同通信記者、元新聞労連委員長)
https://newswork2.exblog.jp/8496706/

朝日新聞、2018年10月2日16時30分
(むのたけじをたどって:2)
「沖縄戦新聞」の衝撃

https://www.asahi.com/articles/DA3S13706071.html



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2019年07月28日

Foolish war with Fukushima and South Korea

 東京電力福島第一原発の汚染水対策が難航している。
 原子炉建屋などの地下にたまる高濃度汚染水はなお約1万8千トン。
 計画通りに減らせていない場所もある。
 安倍晋三首相は2013年9月の東京五輪招致演説で「状況はコントロールされている」と言い切ったが、開幕まで1年を切った今も、現場は汚染水を制御しきれていない。

■ 水位下がらぬ理由、不明

「見通しが立っているのか、お手上げなのか、示して欲しい」

 廃炉の進捗(しんちょく)を監視する原子力規制委員会の6月の検討会で、伴信彦委員は東電の担当者にいらだちをぶつけた。
 3号機の原子炉建屋地下階の一部エリアで計画通り水位が下がらない状態が2ヶ月も続いているのに、原因についてあいまいな説明に終始したからだ。

 建屋地下の高濃度汚染水は、福島第一が抱える汚染水リスクの「本丸」だ。
 1〜3号機の溶融燃料を冷やした水に、建屋の割れ目などから流入する地下水が加わって生まれる。
 放射性物質の濃度は、タンクに保管されている処理済み汚染水の約1億倍。
 事故直後には、地下の坑道を伝って海へ漏れ、魚介類から基準値を超える放射性物質が検出される事態を招いた。
 100万トン以上に増えたタンクの汚染水も、もとは建屋地下からくみ上げたもの。
 この「おおもと」をなくさない限り汚染水対策は終わらない。

 事故当初、1〜4号機の原子炉建屋とタービン建屋の地下にたまっていたのは約10万トン。
 東電は、井戸から地下水をくみ上げたり、建屋の周りの土壌を凍らせる「凍土壁」をつくったりして地下水の流入を減らしながら、地下の汚染水の水位を徐々に下げてきた。
 事故から8年が過ぎた今、1万8千トンに。
 2020年度中に6千トンに減らし、最下階の床をほぼ露出させる目標だ。

 ただ、思うようには進まない。
 検討会で規制委から「持ち帰って検討しますでは、また1ヶ月が無駄になる」と追及されることもあった。
 3号機の問題の区画も、溶融燃料を冷やす水が流れ込んでいることはわかったが、そこだけ水位が下がらない理由が不明だ。

 建屋内の水位が高いままだと、周囲の地下水の水位を下げたとき割れ目などから汚染水が地中へ漏れ出す恐れがあるため、作業全体が滞ってしまう。
 その後、東電は実際に作業員を現場に向かわせ調査したが、理由は特定できなかった。

「おおもと」を減らす作業と並行して、規制委は津波対策も求めている。
 再び巨大津波に襲われると、引き波で地下の高濃度汚染水を海へもっていかれるおそれがあるからだ。
 国の地震調査研究推進本部が2017年、北海道沖の千島海溝で東日本大震災級の地震が切迫している可能性が高いとの見解を公表するなど、警戒を緩められない状況にある。

 だが、この対策も遅れがちだ。
 原発事故の影響で密閉できなくなった扉など、津波時に汚染水の流出ルートになりうる開口部を約50ヶ所閉じる工事は2021年度末までかかる見込み。
 千島海溝の巨大地震の津波も防げる防潮堤の増設は2020年度上半期までかかるという。

■ セシウム流出、違う試算も

「コントロール」発言があった2013年9月当時は、タンクにためていた高濃度汚染水があちこちで漏れて海へ流れたり、地中にしみこんだ汚染水が地下水と混ざって港湾内へ流れ込んだりしていた。
 政府は「港湾外の海水の放射性物質濃度は検出できないほど低くなっており、全体として状況はコントロールされている」と説明してきた。

 その後、岸壁に鉄板を打ち込むなどの対策が進み、海への汚染水流出はほぼ止まったとされる。
 ただ、建屋の表面や地表に残る放射性物質が雨水とともに海に流れ込むのは防ぎきれていない。
 東電は、2016年度に排水路を通じて1日平均約1億ベクレルの放射性セシウムが流出していたと試算している。

 一方、筑波大の青山道夫客員教授(地球化学)が、東電が公表している原発周辺の海水に含まれる放射性物質のデータをもとに、同時期に原発から海へ流出した放射性セシウムの量を試算すると、1日あたり約20億ベクレルと出た。
 魚介類に影響が出るようなレベルではないものの、「東電が把握しているルート以外にも流出経路があると考えないと説明できない。しっかり調査すべきだ」と指摘する。

 東電は「計算の仕方が違っており、単純に比較できない。海水の放射性物質の濃度は大きく変動しておらず、新たな流出はないと考えている」と説明する。

 安倍首相は五輪招致にからみ、「汚染水による影響は、港湾内の0.3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」とも述べた。
 東電は「放射性物質が外に漏れるのを完全に遮っているわけではない。近海で放射性物質の濃度が上昇しているとは認められない」としている。


[写真]
廃炉作業が続く東京電力福島第一原発。海側に並ぶ1〜4号機の建屋の地下に高濃度汚染水がたまっている=2月、福島県、本社ヘリから

朝日新聞、2019年7月28日05時00分
汚染水、制御しきれず
福島第一建屋地下、高濃度1.8万トン

(杉本崇、今直也)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14116709.html

韓国輸出規制問題に対する各国の厳しい反応

 いま大きく注目されている韓国輸出規制問題に対する国際社会の反応について解説したい。

 7月1日に安倍政権が適用したIT機器製造には不可欠な化学製品3品目の韓国への輸出規制に、韓国は強く反発した。
 7月24日には、日本は27の友好国に適用されている貿易優遇処置のホワイト国のリストから韓国を排除する決定をした。
 日韓関係は戦後最悪な状態になりつつある。

 こうした状況を打開すべく、韓国は今回の日本の輸出規制が自由貿易の原則に違反しているとして、「世界貿易機関(WTO)」に審査を要請した。
 7月23日にスイス・ジュネーブで始まった「WTO」の一般理事会では、日本と韓国が半導体材料の対韓輸出規制を巡り討議する。
 双方が正当性を主張して加盟国に理解を求めるが、「WTO」のルール違反にあたるかどうかの議論は平行線に終わる見通しだ(編注:24日に終わった一般理事会では、日韓以外の第三国から発言はなく、韓国の訴えに同調する声は出ませんでした)。
 韓国は「WTO」への提訴の準備を進めており、「安全保障上の適切な措置だ」とする日本の主張が認められるかが焦点になる。
「WTO」の審査には、相当に時間を要すると思われる。日韓ともに、これから国際社会の理解を得られるかが焦点になる。

日本に非常に厳しい国際世論

 しかし、日本の今回の輸出規制に対する国際世論は相当に厳しい。
 日本国内では韓国非難の世論が激しいので、こうした海外の動向が報道されることはない。
 客観的に何が起こっているのか知っておくべきだろう。

 もちろん、国際世論が韓国の主張を支持しているというわけではない。

 そうでなく、日本の今回の対応を自由貿易の原則に違反するものだとして、厳しく非難しているのだ。

 韓国に対する貿易規制が発動された7月1日からしばらくの間は、海外の主要メディアでも「困ったことになった」という論調が強く、どうしてこのようなことになったのか事情を解説するものがほとんどだった。
 しかし、10日を過ぎる頃から、日本の今回の処置を強く非難する記事や社説が次第に増えている。

 筆者は、この件に関するメディアやシンクタンクが出した数十の記事や社説、また論説を読んだが、安倍政権がいま主張しているように、国際社会に説明するなら日本の立場は理解してもらえるなどということは実質的に不可能なのではないかという印象を持った。

 日本の立場に理解を示すき記事は日本国内のメディア以外、ほとんどなかった。
 いずれ日本は国際社会の圧力に屈して、方針転換せざるを得なくなるのではないだろうか?
 今回は、そうした社説や記事の代表的なものの要約を掲載する。

「ブルームバーグ」の社説

 最初は大手経済紙「ブルームバーグ」が7月22日に掲載した社説だ。

 21日投開票の参院選で勝利した安倍晋三首相は多くを成し遂げる政治的影響力を得たわけだが、まずやらねばならないのは、隣国の韓国に対して始めたばかげた貿易戦争をやめることだろう。
 安倍政権は今月、半導体生産に不可欠な3つの材料の対韓輸出規制を強化した。日本の当局者はハイテク関連の輸出品が北朝鮮などに不法に渡らないようにする措置だと主張するが、元徴用工を巡り日本企業に損害賠償の支払いを命じた韓国大法院(最高裁)の判決への報復を意図したものであるのは明らかだ。<中略>
 悪影響は安倍首相の評判悪化どころでは済まない可能性がある。日本のサプライヤーは市場シェアを落とし、信頼性でも評判を落とすだろう。韓国は「ホワイト国」リストから除外されれば、間違いなく報復しようとするだろう。既に日本製品の不買運動は広がり、高まる緊張は安全保障関係を損ねるリスクがある。対立は、トランプ政権との関係も不必要に複雑にする恐れがある。
 明らかな妥協策は、日本側が輸出規制強化をやめ、追加措置の実行も我慢するというものだ。韓国は元徴用工問題で仲裁委員会の設置に応じる必要がある。今回の争いを始め、選挙で無事勝利した安倍首相がまず行動すべきだろう。そして韓国大統領が速やかに報いるよう、米国は保証しなければならない。
 そして日韓両国は、歴史上の紛争に対するもっと創造的な解決策を模索するべくコミットすべきだ。深いわだかまりが簡単になくなると考える者はいない。それでも、文大統領も安倍首相も自らの責務は緊張を高めるのではなく、和らげることにあるのだと自覚する必要がある。
※ 出典:安倍晋三首相が韓国と始めた希望なき貿易戦争ー社説 – Bloomberg(2019年7月22日配信)

 以上である。今回の安倍政権の動きを日本が標榜している自由貿易の原則に違反するものだとして、安倍政権に即刻方針転換するように要求している。

「ニューヨークタイムズ」の記事

 次に、米大手紙「ニューヨークタイムズ」が7月15日に掲載した記事だ。「ブルームバーグ」ほど激しい口調ではないものの、やはり日本は戦後の自由貿易体制のルールに違反しているとして、日本の動きを批判している。
 先月、安倍首相は世界のリーダーが居並ぶG20の席上で、トランプ政権が損なっているグローバルな自由貿易を世界の繁栄と平和の基礎だと強く擁護した。
 しかし2日後、韓国のIT産業を狙い撃ちにした日本製化学薬品の輸出規制で、自由貿易に打撃を与えた。その理由は、アメリカやロシアが口実として使う、漠然としていてはっきりとしない安全保障上の考慮だ。
 自由貿易体制のもとでは、こうした口実は各国間の争いがコントロールできなくなることを恐れ、各国の指導者はこれを使うことを避けてきた。もしこの口実が1カ国や2カ国えはなく、10カ国や15カ国が頻繁に使うようになると、自由貿易体制は根本的に破壊されるかもしれない。
日本の当局によると、韓国は軍事物資として潜在的に使用可能な戦略物資である化学薬品を韓国の企業が適切に管理できなかったとしているが、企業名も管理不備の実態は明らかにしていない。
 しかし韓国は、これが戦前の徴用工問題に対する報復として見ている。安倍はトランプと同じように貿易をこん棒に変えようとしていると見ている。これは、他国を脅かすために関係のない問題を持ち出す行為だ。歴史問題に対する日本の抗議には合理的な面もあるが、貿易問題にするべきではない。
 韓国は国連に調査を要請した。もし韓国に不正が見つからなければ、日本は輸出規制を即座に撤廃すべきだとしている。日本は自由貿易の原則を侵犯しているというのだ。
 戦後、大恐慌の後の保護貿易を反省し、世界経済は自由貿易体制になった。この体制のルールには、安全保障という例外規定が始めからあったものの、どの国もこれを保護貿易の口実として使うことは避けてきた。自由貿易体制が損なわれる可能性があったからだ。
※ 出典:Japan Cites ‘National Security’ in Free Trade Crackdown. Sound Familiar? – The New York Times(2019年7月16日配信)

 以上である。
 このように、今回の日本の動きが戦後の世界を支えていた自由貿易の原則を踏みにじるものだとする見方は海外メディアにはとても多い。

「フォーリンポリシー」の記事

 最後に著名な外交誌「フォーリンポリシー」誌の記事を紹介する。これは今回の問題の原因が戦前の戦争犯罪に無反省は安倍政権にあるとして、歴史問題に切り込んでいる。
 中国や北朝鮮ではなく、東アジアにおけるアメリカの同盟国の日本と韓国が対立している。7月1日、日本はIT産業には不可欠な化学製品の韓国への輸出規制を導入した。これが長引けば、両国の経済関係を損なうだけではなく、ちょうど5Gの導入が進む時期に、IT機器の世界的な生産に甚大な影響を与えることになる。
 7月1日、日本は半導体やフラット・スクリーンなどのIT機器の生産には不可欠な化学薬品の輸出規制を韓国に適用した。これに対して韓国は強く反発し、文在寅大統領は50年間の両国の経済関係を傷つけるものだとした。「WTO」に日本の自由貿易のルールの侵犯を訴えた。
 日本は、韓国は軍事使用が可能な輸入化学薬品の適切な管理を怠り、安全保障上の懸念を生じさせたとしている。韓国が北朝鮮へ横流しした可能性も示唆している。だが、日本のこうした非難には具体的な証拠が示されていない。アメリカが仲介に乗り気でないとき、両国の関係がどうなるのかとても気になるところだ。
 これは公式には安全保障の問題であると日本は言っているが、実はそうではないことは明白だ。問題の発端は、韓国の最高裁である大法院が戦前の徴用工の補償を認めたことにある。元徴用工は日本製鋼や三菱重工に対して補償を要求したが、拒否された。これに苛立った安倍首相は経済的に報復するとしていた。
 安倍首相は、戦前の売春宿で女性を強制労働させた問題に対して謝罪する気もないし、反省もしていない。これは公式には2015年には解決している。また安倍首相は、中国や韓国からの強い抗議にもかかわらず、何人もの戦争犯罪人を祭っている神社に繰り返し奉納している。中国と韓国は、安倍首相は戦前の戦争犯罪を反省していないと抗議している。
 最近では日韓は、韓国軍の艦艇が日本の哨戒機をレーザー照射した件で対立した。日本はレーザー照射に抗議し、韓国は日本の哨戒機が不適切な挑発を行ったからだとしている。
 日本は韓国の対応に疲労している。韓国は中国と距離を縮め、アメリカや日本との同盟から距離をおく方向に動いていると日本は見ている。
 この輸出規制の影響は大きい。いま韓国のIT産業は1カ月程度の在庫があるため影響は出ていないが、輸出規制が長引くと、IT産業全体の発展を阻害するだろう。また、もし日本が韓国を優先的待遇のホワイトリストから外すなら、日本の輸出規制の影響は広い範囲の製品に及ぶことだろう。日本は、安全保障の懸念という口実の言語道断の悪用によって、自由貿易体制を危機に陥れている。
 トランプ政権は、アルミから鉄鋼、そして乗用車などに対しても、「安全保障上の懸念」を口実に貿易規制を適用している。アメリカは自国のみが「安全保障」の内容を決定できないとしているが、これに対して「WTO」が反論している。トランプ政権が安全保障を口実に同盟国、非同盟国にかかわりなく課している高関税は、パンドラの箱を空け、自由貿易体制を引き裂くかもしれない。
 日本と韓国のケースはこれから「WTO」に持ち込まれる。しかし、「WTO」が結論を出すには1年以上かかるかもしれない。一方トランプ政権は、日韓両国の仲裁には関心がない。両国の関係は損なわれるだろう。
※ 出典:Why Are Japan and South Korea in a Trade Fight? – Foreign Policy(2019年7月15日配信)

 以上である。
 これは安倍政権が、戦前の戦争犯罪という歴史問題に、自由貿易の原則に違反した輸出規制で対応したとして日本を批判した記事だ。
 こうした論調の記事も非常に多いのである。

オリンピックの狂騒のなかで日本は孤立する?

 もちろん、日本にも今回の輸出規制を正当化する合理的な理由はある。
 それは、韓国のあまりにずさんな戦略物資の管理である。
 すでに5月7日に韓国の大手紙「朝鮮日報」は、「2015年は14件だった戦略物資の違法輸出の摘発件数は、昨年は41件と3倍近くに増えた。さらに今年は、3月までの摘発件数だけでも31件に上り、急増する様子を見せている」として、違法輸出が文在寅政権で急増している事実を指摘している。韓国の戦略物資管理があまりにずさんであることは論を待たない。

 しかし、これを安全保障上の懸念として輸出規制を発動した日本の立場を、国際社会と世論が日本の期待しているように受け入れるかといえばそうではない。

「安全保障上の懸念」という口実は、すでにアメリカもロシアもサウジアラビアも使っている。
 これは貿易で他国に圧力をかけ、脅すための口実として使われているという理解が一般的だ。
 G20などで自由貿易を宣言していた日本が、自らの方針を裏切ったとして見られても仕方がないかもしれない。

 オリンピック開催までちょうど1年になった。
 これから日本国内はオリンピックの狂騒で沸くに違いない。
 しかし、この問題が早期に外交的に解決しない限り、この狂騒のなかで日本は孤立するのではないだろうか?


マネーボイス、2019年7月28日
韓国輸出規制、国際世論は「日本が悪者」。
安全保障を言い訳にしていると批判殺到

(高島康司)
https://www.mag2.com/p/money/734643/4

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映画「愛と死の記録」

映画「愛と死の記録」
1966年 出演/吉永小百合 渡哲也 監督/蔵原惟繕
* 1965(昭和40)年。広島のレコード店に勤める少女(吉永)が、印刷工の青年(渡)と恋に落ちる。彼は被爆者でやがて原爆症で入院。少女は回復を願い懸命に看病を続ける・・・。二人の愛と死が見る者の心をゆさぶる青春映画の傑作。
https://www.youtube.com/watch?v=4ra0_H8pK7I

 俳優の吉永小百合さんが主演し、被爆者の青年との純愛を描いた映画「愛と死の記録」(1966年)の公開50年を機に、原爆資料館(広島市中区)は2016年8月5日、東館地下1階の情報資料室で、脚本など関連資料の展示を始めた。
 いずれも脚本を手掛けた小林吉男さん(89)=埼玉県川口市=から寄贈された。
 吉永さんのメッセージも飾っている。
 9月中旬まで。無料。

 映画は、4歳の時に被爆した男性が19年後に白血病で亡くなり、恋人の女性が後を追って自ら命を絶った実話を基にした。
 男性役は渡哲也さんが演じた。

 会場には脚本のほか、モデルとなった二人の友人たちへの取材ノート4冊、ロケハンで撮影した二人の思い出の喫茶店の写真など計15点が並ぶ。
 吉永さんは事務所を通じ「実際に広島で起きた悲劇は、撮影当時21歳だった私の胸に深く残りました」とのメッセージを寄せた。

 当時映画を見た西区の辻靖司さん(74)は、
「生きていたら男性は自分と同年代。資料から、二人の生きざまを淡々と伝えようとした熱意を感じる」
と見入っていた。

 小林さんの家族が5月下旬、資料館への寄贈を持ち掛けた。
 次男のきよしさん(62)=千葉県我孫子市=は、
「父は戦争の矛盾や生きることへの問題提起がしたかった。その思いが多くの人に伝われば」
と話している。


[写真]
小林さんが書いた脚本や吉永さんのメッセージが並ぶ展示

中國新聞、2016/8/6
「愛と死の記録」映画50年展
原爆資料館に脚本や取材ノート

(有岡英俊)
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php

【東京新聞、2017年2月26日2面】核なき世界願う原点

 広島で被爆した青年とその婚約者の悲劇を描いた「愛と死の記録」(蔵原惟繕監督)は、大ヒットした「愛と死をみつめて」から2年後の1966年9月に公開された。
 吉永さんのライフワークである「核なき平和な世界」を目指す活動の原点になった重要な作品だが、映画の出来も素晴らしい。
 演出、映像、音楽、演技、どれを取っても一級品で、蔵原さんが日本のヌーベルバーグの一翼を担った監督だったことが実感できる。

 だが、実は、撮影が順調にスタートしたわけではなかった。

「もともと共演することが決まっていた浜田光夫さんが、撮影直前、名古屋のクラブでけんかの巻き添えになって、目に大けがをしたんです」

 浜田さんとは60年の「ガラスの中の少女」を皮切りに、「キューポラのある街」「愛と死をみつめて」など、計44本もの映画で共演した名コンビだった。

「2歳年上ですが、本当に仲の良い同級生という感覚でした。忙しい頃は、1年間で合わない日は数日というほど顔を合わせていましたけれど、”男性”という意識はなくて付き合っていました。昔も今も『はまやん』『さゆりちゃん』と呼び合っています」

 小学生の頃から映画に出ていた浜田さんは「しっかりした演技力」を、常に安定して発揮できる俳優だった。

「野球で言えば、私は直球しか投げないピッチャーで、浜田さんは非常に優秀なうまいキャッチャー。感覚的にすごく優れていて、どんな球を投げても受け止めてくれるという感じでした」

 浜田さんの目の傷は、その後1年間の休業を余儀なくされるほど重く、「愛と死の記録」の出演は不可能だった。
 製作自体が危ぶまれる状況で、日活首脳部が浜田さんの代わりに抜てきしたのが、前年、宍戸錠さん主演の「あばれ騎士道」でデビューしたばかりの渡哲也さんだった。

「東京の撮影所で衣装合わせの時に初めてごあいさつして、いい感じだなと思いました。でも、寡黙な方なので、撮影前にはほとんどしゃべることはありませんでした。パイロットを、目指していて、元々役者志望だったわけではないということや、これまでアクション映画がほとんどということを聞きましたので、今回は、私がしっかり渡さんの球を受けなきゃいけないと思いました」

 8月6日の平和祈念式典など実写部分を撮影した後、8月8日に広島ロケが始まった。
 だが、吉永さんの広島入りは数日遅れた。
 日活との契約交渉が難航したせいだ。

「私が20歳を過ぎた頃から、父がマネジャーを務めていました。父は私の女優としての可能性を広げようとして、松竹など他社への映画出演も認めてほしいと、日活と交渉していたのですが、うまくいかなかったんです」

 吉永さんが日活に入社した60年以降、映画はテレビの進出に押され、娯楽の王様としての地位を失いつつあった。
 60年に10億人を突破していた映画館の年間入場者数は、66年には3億4500万人にまで減少する。
 映画業界全体の不安定な状況が、俳優の生き方に影を落とすことになった。

 だが、作り手たちの情熱は決して失われていなかった。
 9月12日のクランクアップまで1ヶ月余り、吉永さんと渡さんはその熱気の中に投げ込まれる。
 そして、2人は、限られた時間を懸命に生きようとする若い恋人たちを見事に演じきった。
(聞き手=立花珠樹・共同通信編集委員)


伸光堂西部販売、2017/03/02
https://seibuhanbai.com/column/2日%E3%80%80愛と死の記録%E3%80%80上/

【東京新聞2017年3月19日2面】被爆者場面なぜ削除

 印刷工場に勤める青年がバイクで通勤中、若い女性と接触しそうになる。
 女性の持っていたレコードが割れたため、青年は仕事後に女性と待ち合わせ、弁償を申し出る。
 この出だしの映像を見ただけで、「愛と死の記録」(蔵原惟繕監督)の水準の高さが分かる。
 青年、幸雄を演じた渡哲也さんと、若い女性、和江役の吉永さんが、橋で待ち合わせるシーンでは、カメラはまるでドキュメンタリー映画のように、広島の街を生き生きと映し出している。

「撮影の姫田(真佐久)さんのカメラワークがさえていますね。実際に、市電やら車やらが行き交っているところに、渡さんと二人で行って芝居をする。それを超望遠レンズで撮っているんです。車や人の流れを止めるのではなく、むしろ、それを生かして撮っている。そのために、徹底的なリハーサルをしました」

 蔵原監督の作品には「この若さある限り」(1961年)で出演した時「アフレコで声を入れるとき、20回くらいやり直させられた」記憶があった。

「蔵原さんってしつこんですよ(笑)。怒鳴ったりしないし、怖くはないんですが、感覚派で自分でイメージに近づけようという思いが強い監督さんなんですよね」

 早朝から夕方まで撮影し、旅館に引き揚げると食事後30分で大広間に集合、翌日のリハーサルを行うハードな日々が続いた。
 ある晩、渡さんが行方不明になった。

「みんなで旅館の中を捜して、自分の部屋の押し入れの中で寝込んじゃっている渡さんを見つけたんです。あんなリハーサルは初めてだったと思いますし、それは疲れますよ。隠し撮りのようなかたちで撮っていくのも緊張感がありますし、私にとっても、ゆるめる所がない映画でした」

 ノーヘルメットでのバイクの二人乗り。
 互いの気持ちを確かめ合う二人の背後を、蒸気機関車が煙を吐きながら走り去るシーン。
 名場面が多いが、最もインパクトがあるのは、原爆ドームの中で幸雄が被爆者であることを告白した後、和江と二人で抱き合うシーンだ。

「特別な許可をいただいて撮らせていただいたんですね。蔵原さんが、渡さんの演技になかなかオッケーを出さず『力いっぱい抱いていろ』と怒鳴り、渡さんが力を込めるんで、私は息ができないくらい苦しかったんです。でも、演じているうちにぐんぐんと和江に引きつけられて、われを忘れて胸にしがみついた。涙が止まらなくなりました」

 力を出し尽くしたという満足感があった。
 東京に戻り、撮影所でオールラッシュ(編集の最終段階での試写)を見たスタッフや出演者からも、自然に拍手が起きるほどの出来栄えだった。
 だが、信じられない事態が起きた。
「日活の偉い方が見て、原爆ドームを象徴的に映した場面と、芦川いずみさんが演じた被爆者の顔のケロイドの場面を削るように、命令を下したんです」

 吉永さんは、この命令に抗議し、スタッフとともに、撮影所の食堂の前の芝生に座り込んだ。

「みんなで作り上げた映画なのに残念で仕方がないという思いで、ただ無言で座っていただけです。でも、だめでした」

 結局、命令通りドームの全景などがカットされ、映画は公開された。

「原爆をテーマにした映画を作っていて、何故原爆ドームがいけないのでしょうか」

 吉永さんは自著「夢一途」でこう問いかけた。
 その問いは、今も吉永さんの胸で生き続けている。
(聞き手=立花珠樹・共同通信編集員)


伸光堂西部販売、2017/03/22
https://seibuhanbai.com/column/22日%E3%80%80愛と死の記録【下】/

 例年以上の猛暑が続いた2018年7月中旬の週末。
 東京・練馬にある武蔵大学キャンパスで「被爆者の声をうけつぐ映画祭2018」(主催・被爆者の声をうけつぐ映画祭実行委員会/武蔵大学社会学部メディア社会学科 永田浩三ゼミ)が開催されました。
 映像や映画で被爆体験の継承を目的とした映画祭で、依然と続く核武装と戦争への危機に警鐘を鳴らそうとするものです。
 2018年は2日間で7作品が上映され、その一つが吉永小百合さんの主演映画「愛と死の記録」(1966年)でした。
 大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」をもとに、まだSLが走っていた終戦後の広島を舞台に作られた劇映画ですが、ドキュメンタリーのような手法で撮影され、原爆ドームや原爆病院の中でのロケが収められるなど、映像資料としても価値のある貴重な作品です。
 その上映前のトークコーナーには吉永さんが登場し、同映画祭最高となる800名を超える来場者が詰めかけました。
 聞き手を務めた映画監督の宮崎信恵氏から紹介された吉永さんは、
「『被爆者の声をうけつぐ映画祭』というのはすてきなタイトルだと思います」
とリアクション。
「ただの“平和映画祭”とかではなく、被爆者の方たちがどんな思いをして生きてこられたかをみんなで知って、それをみんなで受け止めていく。そしてそれを次の世代に伝えていくことが、この国に生きていくうえでとても大事だと思います」
と同映画祭の核心をあらためて言葉にしました。

 吉永さんは、これまで「夢千代日記」(1985年)、「母と暮らせば」(2015年)、2018年公開された「北の桜守」と、原爆にちなんだ3本の映画に出演してきたほか、広島を題材にしたドキュメンタリーのナレーションもこれまで数多く務めてきました。
 そして、原爆詩の朗読も長年のライフワークとなっていることが知られていますが、そのきっかけはNHK「ドラマ人間模様」枠で放送された「夢千代日記」にありました。
 3シーズン(1981年〜84年)にわたって続いたテレビシリーズの後、吉永さん演じる主人公・夢千代は映画でついに最期を迎えました。

「シナリオの早坂暁さんと私たちとで夢千代のフィナーレとして映画にしたのですが、それを見た被爆者の方から『夢千代が元気だから頑張れたのに、こんなふうになるのではとてもつらい』と言われ、私たちの考えがひとりよがりだったのではと思いました。でも、あの『夢千代日記』に出演したことで、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の方と知り合い、原爆詩の朗読をしてほしいというご依頼を受けました。渋谷の教会で行われた平和集会です。20編程の詩を見せていただき、この中からいくつか読んでほしいと言われました。実際に読んでみて、私自身がとても感動しました。そして、これらの詩をもっとたくさんの方たちに聞いていただきたい。そして子どもたちにも原爆のことを知ってもらいたいと思いました。それが私の原爆詩の朗読の始まりです」

 2011年の東日本大震災以降は、朗読CD「第二楽章 福島への思い」を出すなど活動の場をさらに広げています。
 2018年9月21日には、長野県上田市の「無言館」(戦没画学生慰霊美術館)でのイベントが予定されています。

「(無言館の)絵の前に立つと、無言で絵を見つめてしまいます。どんなに生きたかったかという思いが伝わってきます。戦争で命を落とさなかったら素晴らしい画家になっていただろうと思います。そして、70年以上前の絵ですから痛んできています。その修復の手助けをするために、朗読会、コンサートを企画しています。そういうふうにいろいろな形で今の私の活動があるのですけれども、やはり一番初めは『愛と死の記録』なんですね」

 仕事が忙しくなり高校1年から通うことができなくなった吉永さんは、この映画の撮影で広島の街に行き、いろいろな話を聞いて学び、また心を痛めたといいます。
「初めて原爆のことを知った作品です。あの年に広島で撮影しなければ、きっと原爆にここまで関わっていなかっただろうと思います。私にとっては映画に出演することが勉強だった。最大の教科書でした」
と当時を振り返りました。

「今、戦争のことを知らない子どもたちもたくさんいるんですね。大きな戦争があって、たくさんの人たちが亡くなって今の私たちがいるということを知ってほしい。戦争というのは絶対やってはいけないし、そういう思いを持つ子どもになってほしいと思います。そして、核兵器禁止条約というのが何とか成立すればいいと願っているのですが、日本はアメリカの核の傘の下にいるのが安全と、なかなかその条約に参加しようとしない。それはどんなに悲しいことで、被爆者の方たちがどんなにつらい思いをしているかと考えます。みんなで核兵器のない世界を作れるように、ご一緒に行動を共にできたらどんなにすてきかと思います。一人ひとりが声を出していけば絶対世界は動かせる。諦めないでやっていきましょう!
と、想像を超えた力強いメッセージも飛び出しました。

 俳優であるからこそ、過去にあったことを次の世代に伝える役目があると自認する吉永さん。
 そうした活動を続ける原動力は何かと問われ、少し考えた後、
「戦争に行った父が他界していたら私は生まれてこなかった・・・。そして、1945年に生まれたということもあるような気がします・・・」
と静かに言葉を選びました。

 原爆が落とされ終戦を迎え、多くの人が犠牲になった年に生まれた運命を背負い、強い信念で活動を続けている吉永さん。
 その歩みは何ともドキュメンタリーチックであり、その凛とした姿にますます魅了されました。
 そしてさらにこんな名言も・・・。

「平和はみんなでつくるものだし、人からもらうものでもない。ただ待っているものでない。できることをこれから少しずつやっていきたいです」

Internet TV Guide、2018年7月21日
「平和はみんなでつくるもの・・・」
女優・吉永小百合が明かした平和を願う活動への思い

https://www.tvguide.or.jp/column/kimagure/20180721_01.html

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ひとびとをつなげたのは、言葉

 永田浩三、再び。
 ヤッホーくんのこのブログ、これまでの以下の日記をぜひお読みください:

★ 2018年03月14日付け日記「NHKの番組に放送前に介入し、改変」
★ 2018年03月15日付け日記「佐川宣寿の証人喚問」
★ 2018年10月18日付け日記「対談=武田砂鉄×貴戸理恵」
★ 2019年02月22日付け日記「永田浩三」
★ 2019年05月04日付け日記「日本国憲法施行から72年となる憲法記念日」
★ 2019年07月23日付け日記「むのたけじさんの精神受け継ぐ」

 沖縄が戦後28年間米国の占領下に置かれたことはよく知られている。
 しかし、鹿児島県の一部である奄美もまた、1946年2月2日か ら1958年12月25日までの約8年間、沖縄とは別に行政分離され直接軍政下に置かれたことはあまり知られていない。
 沖縄より早く日本に復帰できた要因の一つには、当時の日米関係・国際関係との関連で、 沖縄に比べて奄美は軍事上相対的に重要とみなされなかったことが考えられる。
 もう一つ は、それ以上に奄美では、占領下の早い段階で復帰運動が始まり、数多くの集会、署名活動、断食期間などのさまざまな島ぐるみの大きな運動が展開されたことがあげられる。
 生活物資と資材を日本本土に依存し、黒糖、本場大島紬の交易を中心にしてきた奄美にとっては、行政分離による本土との遮断は致命的であった。
 島民は言語に絶するほどの生活困窮を強いられた。
 また、言論をはじめ軍による統制も厳しかった。
 こうした閉塞状況を打破しようとして、最初に復帰運動を提唱して活動を展開したのは 青年団をはじめとした若者たちであった。
 本書は、軍政下に置かれた奄美がどのよう な状況に追い込まれたか。
 先の見えない窮迫した事態に立ち向かい、乗り越えるために「事実は、小説より奇なり」と言いたくなるように、人と人、人と出来事が、出会い繋がり結びあって、どのように行動や表現活動が展開されていったか。
 そして、それらが復帰運動に収斂し、広がりをみせて復帰に至るのか。
 こうした動きを、中心的な役割を担った人や運動を牽引し続けた若者達に焦点をあてて、復帰に至るまでの歴史的事実を捉え返し、再構成した貴重な記録である。
 歴史書というよりもドキュメンタリーの労作である。
 当時を知る関係者に会い、少女時代に復帰運動を経験し、軍政下の奄美に関する資料を収集してきた井上邦子さんから提供された重要文献を読み込み、ドラマティックにリアルに眼に浮かぶように描いている。
 また、巻末の文献リストは軍政下の奄美を知るための重要な手がかりであり、意義深い資料である。

 著者は、現在は大学教授であるが、かつて「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」など優れた番組を制作してきたプロデューサーであった。

 著者の永田浩三氏には、『NHKと政治権力』(岩波現代文庫 2014年8月刊)という本もある。
 この本は、2001年1月、日本軍慰安婦問題を扱ったNHK教育TVの教養番組が、政治家の圧力を受けNHK幹部の指示によって、放送直前に改変された事件の真相を明らかにしようとしたものである。
 担当のプロデューサーが著者であり、政治家とは中川昭一・安倍晋三といった人たちではないかとされている。
 著者は、当時者として厳しい自己批判をしながら、率直に事実経過を辿り、真相に迫ろうとしている。
 まさに、 迫真の書であり、最近のマスコミの動向と関連づけて読むのに相応しい一冊である。
『奄美の軌跡』とあわせて、是非読んで頂きたい。


熊本学園大学付属社会福祉研究所
福祉情報誌「くまもと わたしたちの福祉」第69・70号(2017年1月発行)
一冊の本
『奄美の軌跡』―「祖国復帰」著者たちの無血革命―
永田浩三著 WAVE出版 2015年7月

評者:本研究所嘱託研究員・古賀皓生(教育学)
http://www3.kumagaku.ac.jp/research/sw/files/2017/02/P05.pdf

― 永田さんはテレビ番組では、今は亡きドキュメンタリストの片島紀男さんらと、NHKスペシャルなどで素晴らしい作品を作りつづけてきたわけですが、今度は舞台をペンの世界に代えて、このドキュメンタリー作品<『奄美の軌跡』―「祖国復帰」著者たちの無血革命―>に取り組もうとしたきっかけは?

永田浩三: わたしは、6年前までNHKに勤務していました。
 ディレクターやプロデューサーとして『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』など、たくさんの番組をつくりました。
 2009年からは東京・練馬区にある武蔵大学で教員をしていますが、教員になったころ、神戸で、NHK問題を考える会が開かれ、わたしが関わったETV2001番組改変事件のことをお話しました。
 そこに来ておられたのが、奄美大島で本土復帰運動に関わった井上邦子さんでした。
『その時歴史が動いた』という番組で、復帰運動が取り上げられたが、あれは事実ではない、ほんとうの歴史を本にしてほしいとおっしゃったのです。
 わたしは、沖縄のことなら少しは調べたことがあるが、奄美についてはなにも知りません。
 いっしょに勉強させてくださいとお願いしました。
 その時以来、井上さんから膨大な資料が送られてきました。
 去年10月から、本気で奄美に通うようになり、今回の本にまとめることができました。

― 最後の証言になるかもしれないご高齢の方々をはじめ、たくさんの方々からお話を聞いていますが、取材はどのような形で進められたんですか?

永田: 復帰運動のリーダーである、中村安太郎・泉芳朗・村山家國の3人はすでに故人です。
 しかし、その教えを受けた、当時の10代・20代の若者たちはいまもお元気でした。
 奄美大島、鹿児島、大阪、神戸、首都圏にたくさん住んでおられます。
 大学の仕事の合間に、なんとか時間をつくって会いに行きました。
 みなさん、当時の記憶は、まるで昨日の出来事のように鮮明でした。
 話をされるときは、みな青年の顔に戻っていました。
 復帰運動に関する文献や写真は、先人の努力のおかげで、散逸することなく残っていました。
 わたし自身が生まれたのは、復帰の翌年の1954年ですが、膨大な資料のおかげで生々しい時代の雰囲気がよみがえってきました。
 資料とたくさんの方々の貴重な証言がなかったら、一歩も前に進めませんでした。

― その証言者を一人だけ上げることはできないでしょうが、印象に残る方々を何人かご紹介いただけますか?

永田: どのかたも素晴らしい話をしてくださいました。
 復帰運動の精神的支柱だった中村安太郎の大島中学時代の教え子である、「中村学校」の崎田実芳さんは、おからだを壊しておられましたが、何度も会っていただきました。
 運動の大きな盛り上がりをつくった署名活動や断食という作戦を考え、雑誌「新青年」を発行したすごいひとです。
 同じく中村学校の徳田豊己さんは、軍政府に追われて逃走し、本土に渡ります。
 その一部始終を語って下さいました。
 逃亡を助けてくれたひとたちの恩情を思い出すたびに、涙をこぼされました。
 保守的な風土の奄美にあって、タブーを恐れず突き進んだ当時の青年たち。
 その熱い体験聞き漏らすまいと、事前の準備を必死におこないましたが、付け焼刃でまだまだ不十分だったと反省しています。

― 奄美大島の復帰運動は、この本を読んでくださいとしか言いようなないかもしれませんが、どういうものでしたか?

永田: 沖縄の復帰運動に比べて有名ではありませんが、熱気やエネルギーにおいてひけをとらないどころか、沖縄基地闘争の原型が奄美の復帰運動です。
 沖縄の瀬長亀次郎は中村安太郎に学ぶところが大きかったのです。
 アメリカの軍政下にあって、奄美には日本国憲法はありませんでした。
 言論の自由、集会結社の自由はなかったのです。
 そんななか、若者たちは、さまざまな知恵を編み出して、デモを行い、「新青年」のような当時の日本全体をみても特筆すべき雑誌をみんなで盛り立てました。
 当時、本は貴重品。一冊の本を手分けして書き写し、コピーを作りました。
 またゴーリキーの小説などは軍政に有害だとして禁止図書となりました。
 そんななか、若者たちは言葉を欲し、隠れてむさぼるように読んだといいます。
 不自由だったのは確かですが、健気さをうらやましくも思いました。
 奄美の復帰運動は、弾圧をはね返した「無血革命」。
 これは、日本の民主主義のなかでも、特筆すべき成功例だと思います。

 ひとびとをつなげたのは、言葉でした。
 いまの安倍政権は、言葉への敬意を失う文化の破壊者ですが、当時の奄美の人たちはまさに言葉によって革命をもたらした
のだと思います。

― この運動が世界に与えた影響は多大なものがあったと聞きます。そのいくつかを教えてください?

永田: ナセルをリーダーにしたエジプトの独立運動は、奄美をモデルにしました。
 奄美はガンジーの無抵抗主義とハンガーストライキをまねました。
 歴史は、国境を越えて引き継がれていく。
 奄美の復帰運動は、その後、沖縄の基地闘争にも引き継がれ、辺野古の新基地闘争反対の運動にもつながっていきます。
 こうした運動が、いまの安全保障関連法案反対のうねりにもつながっていくと素晴らしいと思います。

Webマガジン・GHQ Club
INTERVIEW 永田浩三さんインタビュー
Vol.1 Published on 2015/11/06 12:16、Vol.2 Published on 2015/12/02 4:25
http://ghq.club/?p=1095
http://ghq.club/?p=1239

「ひとりの男性が思い立ったことが、ひとりの画家のアドバイスを受けながらテレビというメディアで拡散し、歴史上類を見ない絵画による戦争の記録という大事業につながった。これからお伝えするのは、そんな奇跡のような物語だ」

 これは本著、第一章の書き出しである。テレビのドキュメンタリー番組の手法を駆使した“ヒロシマ”を伝える記録である。導入部から終章に至るまでそれは随所に感じる。著者である永田浩三氏は元NHKの人で、ドキュメンタリー番組をいくつも手掛けてきた。活字で映像を想起させる描写は活字文化で育った人には真似のできない手法である。副題に<詩画人・四國五郎と原爆表現者たち>とある。

 ひとりの男とは、1974年5月のある日、NHK広島支局を訪ねてきた小林岩吉さん、76歳。

 A3の画用紙に黒いサインペンで壮絶な被爆体験を描いた絵を携えてきた。
 これらの絵は「広島リポート」で放送され、やがて大きなうねりとなって被爆体験者の絵が集められていった。そして、広島平和美術展に結集していった。
 被爆体験者の生々しい実体験が描かれていた。

 このうねりの中心にいたのは、もうひとりの男性、四國五郎であった。
 四國五郎は、峠三吉『原爆詩集』の挿絵で知られた画家で、多くの絵本作家として著名である。
 本著は四國五郎を縦糸にして、さまざまな人間関係がダイナミックに展開していく。
 戦後71年、ヒロシマを伝えてきた人たちの被爆者の歴史が次々と掘り起こされ、繋がっていく。

 四國五郎は、広島出身で、原爆投下のとき、シベリア抑留の身であった。
 弟・直登は被爆し、苦しみながら28日に亡くなった。日記が残されていた。弟・直登の無念。日記は帰還してきた四國五郎の支えとなった。

 四國五郎は、
「今ここにあることを残す事が大事なんだ。わかっている人間がやらなきゃならない。そういうことを次の世代に引き渡していくことが大事なんだ」
と言う。
 この思いが峠三吉の詩に四國五郎が描いた画の『原爆詩集』に結集していったのである。
 最初はガリ版刷りのB6横長の装丁で画は四國五郎。
 表紙に描かれたのは被爆した人びとの歩いて行く姿。
 灰色の地に白抜きで人間が横に崩れていく構図。
 被爆して逃げていく人間のシルエットは赤。
 表紙の見返しの部分は被爆のスケッチで、峠が被爆のときの様子を四國に話し、それを四國がそのまま絵にしていったものである。

 私たちは決して忘れてはならない。
 原爆投下後の広島を「見せまい、語らせまい」としたアメリカ、そして日本政府の執拗な弾圧と妨害があったことを。
 それを跳ね除けて描き、語り伝えてきた人々がいたことを。


 本著は丹念な取材を積み重ねて、広島に関わってきた人びとの軌跡を伝えてくれる。
 ヒロシマの声が聞こえてくる……。
ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりを こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ

(『原爆詩集』より)

週刊読書人Web、2016年9月23日
『ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』
永田 浩三著 WAVE出版 2016年7月
ドキュメンタリー手法で 迫る迫真のヒロシマの軌跡
評者:峰 順一
https://dokushojin.com/article.html

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自分の寿命と、核兵器がなくなるのと、どっちが先かな

 原爆被害の惨状を目の当たりにした被爆者が訴え続けている「核兵器廃絶」。高齢化する被爆者たちは声を振り絞りながら実現を願い続けていますが、現実は、大国が核兵器の開発を進めるなど、その願いとは程遠い状況になっています。

 こうした中、2019年4月下旬から5月上旬にかけて、ニューヨークで開かれたNPT=核拡散防止条約についての国連の会合に、広島と長崎の被爆者2人が参加しました。

 各国の当局者やNGOなどと話し合いを続けた被爆者たちは“核なき世界”の実現に向けて現地で何を感じたのか、その活動に密着しました。

“限界”まで動き続けた被爆者

 現地での取材で最も印象的だったのは、滞在期間中、被爆者2人が体力の限界まで動いていたことです。

 核兵器廃絶を直接、世界に訴える貴重な機会とはいえ、毎日、本当に朝早くから深夜まで、面会の予定を入れたり、その事前打ち合わせをしたりと、驚くほどスケジュールが詰まっていました。

 密着取材のため同じホテルに宿泊し、被爆者が就寝する直前に話す機会も多くありましたが、同じようなスケジュールで、30代半ばの私も疲れたのに、70代だとどれだけしんどかったことか、想像に難くない状況でした。

 その2人が何度も口にした「自分の寿命と、核兵器がなくなるのと、どっちが先かな」ということばは、非常に重く、忘れることができません。

NPTとは

 そもそもNPT=核拡散防止条約とは、アメリカと旧ソビエトの間で核軍拡の競争が続き、中国も核兵器を持つようになった1960年代に、これ以上の核兵器の拡散を防ごうと議論が始まり、1968年に国連で採択されたものです。

 アメリカやロシアなど核兵器を持つ5つの国には核軍縮を義務づけ、それ以外の国には、核兵器の開発や保有を禁じています。

 そのNPTを巡って、来年2020年、5年に一度の「再検討会議」が予定されていて、その会議に向けてあらかじめ論点の整理などを行う必要があるとして、今回「準備会合」として、条約に加盟するおよそ190ヶ国が集まり、意見が交わされました。

“胎内被爆者”初の演説

 ことしの会合に出席し各国に核兵器廃絶を訴えたのは、広島の被爆者で、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の濱住治郎事務局次長です。

 濱住さんは、原爆で当時49歳だった父親を亡くし、父親を探すため爆心地近くに行った母親のおなかの中で被爆しました。いわゆる“胎内被爆者”です。

 濱住さんは、長い間、自分自身が被爆者であることを強くは意識していませんでしたが、亡くなった父と同じ年齢になって、その無念さに思いをはせたことをきっかけに、証言活動など核兵器廃絶に向けた運動を始めました。

 濱住さんは「49歳で人生を断ち切られた父のことを思うと、原爆に対する憤りがある。犠牲者一人ひとりに人生があり、自分が少しでも長く生きて、原爆の悲惨さを伝えなければならない」と話しています。

“青い空”に込めた思い

 濱住さんは、会合での演説に向けて何度もその内容を見直し、中でも「青い空」ということばを大切にしていました。

「キノコ雲のようにまだ核弾頭がある世界は、決して青い空ではない。核の傘を取り払ったときに本当に青い空が私たちの中に見えてくる」
と考えたからです。

 そして、各国の代表を前に行った演説では、
「戦争は終わっていません。なぜならいまだに世界に1万4500発もの核兵器が存在しているからです。核兵器も戦争もない『青い空』を世界の子どもたちに届けることが、被爆者の使命であり、全世界の大人一人ひとりの使命ではないでしょうか」
と訴えかけました。

浮き彫りになった対立 @

 しかし、核をめぐる各国の考えは、濱住さんたち被爆者の願いとは程遠いのが現実です。

 今回の会合でも、核軍縮に向かって各国の意見がまとまっていく、ということにはなりませんでした。
 そのひとつは、核保有国と非保有国の意見の対立です。

 核兵器を持たない多くの国々は、核兵器の非人道性に言及した過去の再検討会議での合意を完全に順守すること、「核兵器禁止条約」を多くの国が支持していることなどを合意文書に盛り込むよう主張しました。

 これに対し、アメリカなど核兵器をもつ国々は「世界の厳しい安全保障情勢を無視したものだ」などと反対し、最終日になってもその溝は埋まらず、合意文書を採択できないまま会合は閉会しました。

浮き彫りになった対立 A

 核保有国どうしの対立も鮮明になりました。

 その議題となったのが、INF=中距離核ミサイルの全廃条約です。

 アメリカとロシアが結んでいる条約ですが、アメリカのトランプ大統領が「われわれは守っているが、ロシアは守っていない」と主張し破棄する方針を示したのに対し、ロシアのプーチン大統領も「アメリカこそ条約違反だ」として破棄に応じることになり、この8月にも失効する見通しとなっています。

 この条約を巡って、会合では、ロシアが「条約が定める中距離ミサイルの廃棄をロシアは完全に実行している。アメリカが条約違反の道を歩んでいるのは残念だ」と述べたのに対し、アメリカが「残念ながら事実は異なる。世界はロシアの宣伝マシーンには引っ掛からない」と反論するなど、ののしり合いと言っても過言ではないやり取りが交わされました。

 この条約は当時、東西冷戦の終結につながる緊張緩和をもたらしたともされているだけに、被爆者からは強い懸念の声が出ています。

来年はどうなる?

 対立が続く中、アメリカは、NPTとは別に核軍縮が可能になる環境作りを有志の国で考えていこうと提案しました。

 しかし、ロシアや非核保有国の間では「アメリカが何をねらっているのか分からない」という不信感も広がっていて、打開策になるのか見通せない状況となっています。

 こうした状況について、国際NGOのICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲国際運営委員は、
「このまま行くと、2つの超大国が、何の核削減の枠組みにも縛られないでいる状態になっていく可能性がある。環境作りや条件整備といった言い方で軍縮を先送りしようという流れが出てくるのは、大変危険だ」
と指摘しています。

 また、核保有国と非保有国の「橋渡し」をするとしている日本政府は、今回、アメリカとの同盟関係を背景に、歩調を合わせるようなスタンスをとっていました。

 アメリカなどの保有国に、強く核兵器廃絶を訴えることはなく、また、各国の対立の間に立って大きな影響力を示すこともありませんでした。


市民社会を巻き込んだ動きに期待

 核兵器廃絶、核軍縮が進んでいく見通しは厳しいのが現状ですが、核兵器廃絶を願う声が世界規模で市民の間で広がれば、核保有国の政策に影響を与える可能性は十分にあります。

 各国が協調姿勢に転じて核軍縮が進むかどうか、来年に向けて、唯一の戦争被爆国である日本政府の姿勢は問われ続けることになりますし、被爆者の訴えに呼応し、世界各地で市民社会の動きが出ることに期待したいと思います。

 現地での要請行動を終えた濱住さんは、
「核抑止に比重を置いた考え方で議論をされていることは、被爆者にとって、とても脅威で、核保有国が、私たちの話を一応は理解したとは言うけれども、やはり根本の考え方が違う。大きな壁の前に立ちすくんでいる状況は変わらないと思うが、それでもなお被爆者が運動を続けていくのは、二度と核兵器を使わせてはいけないという思いが、われわれの行動のエネルギーになっている。私たちの願いとは逆行している時代だからこそ、もっと頑張らなければいけない」
と力強く話していました。


NHK News Web、2019年6月4日 17時36分
“核兵器廃絶”
市民社会が世界を動かす日を目指して

(広島放送局記者 喜多祐介)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190604/k10011934181000.html

【ニューヨーク=遠藤誠二】国連本部で開かれている核不拡散条約(NPT)再検討会議・準備委員会に参加している日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)と原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の代表は2019年5月1日、中満泉・国連軍縮担当上級代表(事務次長)と懇談し、8月に日本で開かれる原水爆禁止世界大会への参加を要請しました。

 被団協の木戸季市事務局長と濱住治郎事務局次長は、核保有国、非核保有国双方に働きかけている核兵器廃絶にむけた要請行動について説明するとともに、同日、中満氏がサイード準備委員会議長とともに「ヒバクシャ国際署名」を受け取ってくれたことに感謝の意を伝えました。

 中満氏は「核兵器廃絶をめぐる状況は厳しいものがあるが、だからこそ市民社会の役割が重要になっている」と指摘。若い人たちを含め、核兵器廃絶の必要性を多くの人たちに訴え続けてほしいと述べました。

 原水協の土田弥生・事務局次長、川田忠明・全国担当常任理事は、反核運動を前進させる変革をつくりだしたいと語り、「中満上級代表に今年の原水爆禁止世界大会にぜひ参加してほしい」(土田氏)と要請。中満氏は「検討する」と述べました。

 また、被団協、原水協の代表は同日、オーストリアのハイノッチ軍縮大使と懇談。木戸、濱住両氏は、オーストリアが核兵器廃絶にむけ積極的に取り組んできたことに謝意を表明。ハイノッチ大使は「被爆者の証言は人の心を動かします。新しい世代の人々に伝えることも含め、証言を広げることはとても重要なことです」と述べ、被爆証言を含め引き続き活動に尽力してほしいと要望しました。


[写真]
中満上級代表(右端)と懇談する日本被団協、日本原水協代表=1日、国連本部

しんぶん赤旗、2019年5月3日(金)
市民社会の役割重要
被団協・原水協に中満国連上級代表
世界大会参加要請

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-05-03/2019050304_02_1.html

【ニューヨーク=池田晋】日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の木戸季市事務局長と濱住治郎事務局次長は2019年5月1日、核不拡散条約(NPT)の第3回準備委員会が開催中の国連本部で、同委員会のサイード議長(マレーシア国連大使)に、ヒバクシャ国際署名連絡会を代表して日本と世界各地で集めた941万5025人分の核兵器廃絶を求める国際署名の目録を提出しました。

 両氏は、サイード議長と国連の中満泉・軍縮担当上級代表(事務次長)と議場で面会。昨年2018年10月には、約830万人分の署名を国連に提出しており、約140万人分をさらに集めました。

 木戸事務局長は、NPT再検討会議が開かれる2020年までに数億人分の署名を集め、「命あるうちに核兵器を禁止・廃絶する条約が、実現されることを望んでやまない」とサイード氏に要望。5歳の時に長崎で被爆した自らの体験にふれ、「原爆は人類を滅ぼす兵器。人間を守り、次の世代に確かに渡すことが私たちの責務だ」と語りました。

 サイード氏は「署名を集め、ニューヨークまで届けてくれたことに感謝したい。この行動は、核兵器のない世界を実現したいという願いの国際的な広がりを証明するものだ」と応じました。

 木戸氏は提出後、「準備委員会の議論を聞いて危機感を深めた。大きく国際的な署名運動にしていきたい」と記者団に話しました。


[写真]
NPT準備委員会のサイード議長(左から2人目)にヒバクシャ国際署名を提出する日本被団協の木戸事務局長(中央)=1日、国連本部内

しんぶん赤旗、2019年5月3日(金)
ヒバクシャ署名 941万人分提出
NPT準備委に被団協
議長「核なき世界の願い証明」

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-05-03/2019050304_01_1.html

【ニューヨーク=遠藤誠二】国連本部で開会中の2020年核不拡散条約(NPT)再検討会議・第3回準備委員会に参加している日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)と原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の代表は2019年5月2日、サイード準備委員会議長(マレーシア国連大使)と懇談し、8月に日本で開かれる原水爆禁止世界大会への参加を要請しました。

 日本被団協の濱住治郎事務局次長は、核兵器廃絶に真剣に取り組むよう各国代表に要請を続けていると説明。1日に、準備委員会NGOセッションで胎内被爆者として初めて国連の場で演説できたのは「とても光栄です」と述べ、サイード議長に感謝の意を伝えました。

 サイード氏は、
「昨日のあなたの話には感動しました。被爆者の証言を聞くのは初めてです。どの出来事も世代が代わると忘れがちになるので、悲痛な体験ですがそれを伝える活動はとても重要なことです。今後とも人類の正道を守る活動を続けられることを願っています」
と述べました。

 日本原水協の土田弥生事務局次長、川田忠明・全国担当常任理事は、これまでの再検討会議の合意と、NPT第6条が規定する核軍備撤廃の義務を核保有国に実行させていくことが重要になっていると指摘。「困難はありますが、サイード議長のご尽力に期待します」(土田氏)と述べるとともに、今年の原水爆禁止世界大会への参加を要請しました。

 サイード氏は、検討することを約束しました。


[写真]
サイード準備委員会議長(左から2人目)と懇談する日本被団協と日本原水協の代表=2日、国連本部

しんぶん赤旗、2019年5月4日(土)
NPT準備委議長と懇談
被団協・原水協の代表

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-05-04/2019050403_03_1.html

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2019年07月26日

松本清張『両像・森鴎外』

舞姫(森鴎外)

 漱石と並ぶ文豪の代表作。
 主人公は、母親、国、恋愛など様々な価値観に引き裂かれ、人生の目的を見失う。
 時代背景を解説し、独特の文語文で書かれた物語を整理する。


https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150050_00000

舞姫 Die Tanzerin 1989年6月3日(土)公開
https://www.youtube.com/watch?v=-lfKlQrpNqQ

 太田豊太郎は東大医学部を卒業して3年後の1885(明治19)年、天皇の命を受け日本の将来を任うべく国費留学生としてドイツへ渡った。
 ベルリンで豊太郎はコッホ教授に師事するかたわらドイツでの生活を楽しんでいたが、ベルリン駐在武官・副島和三郎の監視は厳しかった。
 ある日、豊太郎は散歩の途中で、少女エリスと出会い、恋におちた。
 貧しくて父の葬式も出せないエリスに豊太郎は懐中時計を渡し、質屋で金に替えるよう勧めた。
 エリスはビクトリア座で踊る美しいプリマドンナだった。
 二人の交際を認めたくない副島は豊太郎をミュンヘンへ飛ばそうとするが、彼は免官して民間人となり、ベルリンへ残った。
 貧しくも楽しいエリスと彼女の母、そして豊太郎の三人の共同生活が始まった。
 豊太郎は新聞記事を書く仕事が認められるようになった。
 そんな時、天方伯爵のお伴としてベルリンにやって来た旧友・相沢と再会。
 豊太郎の免官が原因で母・清子が自殺未遂したことを知らされ、また伯爵の片腕となり日本へ帰国するようにと勧められた。
 悩んだ豊太郎は雪の中をさまよい、急性肺炎で倒れてしまう。
 その間、エリスは豊太郎の子供を流産してしまい、相沢によって慰謝料が支払われていた。
 豊太郎はエリスとの別れと共に帰国を決意したのだった。
 日独合作。

監督:篠田正浩
太田豊太郎:郷ひろみ、エリス・バイゲルト:リザ・ウォルフ


https://movie.walkerplus.com/mv17916/

 松本清張の作品で読み残しはないか、正月の休みの中でひっくり返してみた。
 目新しいものはなかったが、この『両像・森鴎外』(文春文庫)を読み返してみた。森鴎外の作品は晩年の史伝の類が好きだが、特に『阿部一族』は今でも新鮮だ。それに続く『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』は鴎外の遺書のような気がしてくる作品群である。簡明というか、そぎ落としたというか、鴎外の言葉でいえば「簡浄要訣」の文がだんだんとこたえられなく作品である。松本清張は『阿部一族』『渋江抽斎』の作品に対し、史料の域を出ていないとしつつも、そこに森鴎外の真髄を読み込もうとしている。本に添いながら話を進めてみる。

 松本清張が小倉時代の森鴎外に興味をもったのは、松本清張が小倉の出身ということもあったのだろう。
『鴎外の婢』は、森鴎外が小倉時代に雇った女中のうちのひとりのその後の消息を文学研究者浜村幸平がおいかけていく過程で、殺人事件にぶちあたるという構成で書かれていた。その時の種本は鴎外の『小倉日記』である。それはまた松本清張が芥川賞を受賞した作品の、『或る「小倉日記」伝』の種本でもある。
『両像・森鴎外』は小説ではなく森鴎外という人物に対する考証ともいうべきものである。
 両像とはふたりの森ということである。官僚としての森林太郎は軍医総監となる。森鴎外としては明治の文豪として名をはせる。この相反する鴎外像を淡々と解き明かすうちに評伝は人間関係をうかびあがらせ、また『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』の作品成立にせまる。清張の遺作評伝でもある。
 官僚としての鴎外は門閥の流れからははずれてほされるというか、おのずと栄達には限度があった。
 それは妻・登志子を離別したことに深くかかわっている。こういう考証ものは、結論を急ぐよりどうしてそこに至ったのかという、その過程がほんとは楽しい。最初は退屈に思えて読み出して、ある時点から急に面白くなるといった本でもある。

 遠回りしながら書いていくと、まず鴎外の祖父のお墓にまつわる件である。つまり、小倉時代に鴎外は祖父の墓を移そうとしたが何故か、ということである。
 鴎外が小倉の第十二師団軍医部長として赴任したのは、左遷されたためである(明32)、とするのが一般的な見方だがそうだろうか。
 まず、祖父自仙は石見国津和野藩亀井家の藩医である。藩主の参勤交代に同道し、江戸から帰りの道中で死亡する。それで旅先に墓があった。近江国甲賀郡土山の常明寺に葬られた。鴎外がその墓を訪れるのは、明治33年の上京の折である。小倉赴任の翌年である。陸軍師団軍医部長会議出席のための上京の途中でなぜ、祖父の墓へ立ち寄ったのか、というのが松本清張が首をかしげたところである。
 祖父森白仙にはひとり娘がおり、峰子という。峰子の婿となるのが吉次泰造、後の鴎外の父静雄である。静雄一家は鴎外が11歳のおり東京に出てくる。新橋の千駄木潮見坂の家、観潮楼である。
 僕は、津和野には二回ほど足を運んだが、小さな町中は水路がめぐらされ鯉が放流されている町であった。森家も保存されている。しかし、鴎外は東京へ出て後は、津和野にはついに足を運ばなかった。
 ひとつ峠を越えれば、そこは山県有朋の故郷である長州徳佐である。距離にして2里半という近さであるが、明治の藩閥の主流からみれば、石州津和野はかろうじて長州閥の末席くらい、厳しくいえば長州閥の圏外にたたされているといえる。鴎外は賀古鶴所に口述した遺言を残しているが、その中で、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言している。郷土愛として受取られる向きが多いが、松本清張は死を前にした望郷説である。また一説には、山県有朋に尽くしたが、ついに爵位をくれなかった、尽くしがいのない山県への憤怒とする解釈がある。松本清張は、先の口述遺言の「宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的扱ヒヲ辞ス」をみて鴎外がはじめて死後「文学者」であることを宣言したのだという。だから、その文脈で考えるべきだという。
 これには前段がある。『鴎外漁史とは誰ぞ』(明33)以降鴎外がとってきた態度は、官吏でもなく文学者でもないという人を煙にまく態度であった。それは、官吏としての栄達がちらついている時の処しかたである。また、弟子をとらない理由として、官吏であって文学者ではないとも云っていたわけだから、死に際して、文学者として死ぬことを宣言したとするのが松本説である。

 望郷説は地元では観光受けがいいから、そういう解釈で使用される場合が多い。津和野の駅に降り立ち、右手のそびえた所に津和野城の山城らしい石塁をみとめるようになる。津和野城は海抜370メートルあるという。亀井氏が治める前は坂崎出羽守直盛が領主である。千姫との物語で名を知られたといってもいい。その墓が永明寺(ようみょうじ)にある。その境内の墓所に鴎外の墓もあるというので足をのばした。鴎外の遺言どおり「森林太郎墓」とだけ刻まれていた。
 津和野藩は維新に取り残されたといっていい。その中で同郷の西周(にしあまね)は幕末に幕府からオランダのライデンに派遣されていたので、その早さをもって帰国後の新政府に法知識で出世することになる。その点、鴎外が山県有朋に接近するのは遅い。明治39年頃という。しかも、「常磐会」という趣味の会からの縁故である。小倉赴任が明治32年。東京に戻され第一師団軍医部長となるのが明治35年。そして、陸軍軍医総監となるのが明治40年である。
 鴎外が小倉の第十二師団軍医部長に赴任する前は近衛師団軍医部長である。鴎外のこころづもりは、近衛師団軍医部長⇒第一師団軍医部長⇒軍医総監・医務局長という人事の流れである。だから、小倉へ飛ばされたというのは人事本流からはずされたという思いを抱くのである。
 しかも、鴎外の前任は同期生の江口譲である。鴎外が蔑視していた本人であり、しかも江口の休職のあとを受けて赴任するので被害妄想を強くしたとするのが松本清張の整理でもある。
 小倉赴任が決して左遷ではないということは浅井卓夫の指摘したところである。小池医務局長と鴎外が合わなくても、私情をはさんで陸軍軍医部長を左遷することはありえない。むしろ陸軍省の秩序、官僚組織の秩序、省内の序列に照らしてもことさら、小池医務局長が左遷人事を私情にもとづいておこなった跡はないというものである。

「鴎外には神経質なところがあった。他からの攻撃にはすぐ反撃した。常に自分に加えられる『隠れた攻撃』に対しては細心の注意を怠らなかった、と前に書いた。これは鴎外の一種の被害意識からである。内にひそむコンプレックスからだ。だからセンシチィヴになる」

 ちょうど鴎外が小倉左遷と思っているおりの、初の師団軍医部長会議の召集の途上に祖父の墓を訪ねる。そして、祖父の墓所詣ではそれが最後である。それを松本清張はこう整理する。

「初の師団軍医部長会議のため上京の途次でなかったら、果たしてそのことを行ったかどうかわからない。……失意の心を抱いて出京する鴎外は、途上で斃死した祖父を想って土山に赴き、荒蕪荊棘の間から自仙墓を探り当てたのである。この感激はこのときのものだけで、同じ感銘は二度と戻らない」

 ドイツから帰国したのは明治21年である。翌年の22年に、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚する。媒酌は西周である。一子於菟をもうけるが離婚する。それをめぐっていろいろな解釈が流布している。
 森家側の言い分は鴎外の妹、小金井喜美子の回想があるし、鴎外の弟、潤三郎のもある。妹は「誰にも思いがけず」と言葉をにごし、潤三郎は詳細をさけている。赤松家も顛末について残していない。西周日記が頼りである。釈然としないので研究家の穿鑿(せんさく)するところとなる。
 その穿鑿の一端を松本清張が紹介しているが、それは権力への反抗説である。よく出来た説ではある。鴎外がベルリンから帰ると、1週間か10日ほど遅れて、金髪娘のエリスが来る。『舞姫』のエリスである。エリスを帰国させることで騒動はおさまるが、このような嗟鉄を二度と生じさせないようにと赤松登志子との縁談が母の森峰子から進められたという。穿鑿は、鴎外がこの婚姻を押し付けられたものとして反抗し、新婚翌年1月号に『舞姫』を発表したとするものである。自らのゴシップを暴露し、妻の登志子にもあてつけたというのである。それが離婚の予備段階という。
 反抗は単に妻、登志子にむけられたものでなく赤松家とその親戚につながる榎本、大鳥、外縁の林洞海、西周など「幕臣派」への反抗という。当時陸軍軍医界は旧幕臣松本良順を頂点として、林紀、橋本綱常、石黒忠悳などでかためていたという背景もある。
 松本清張はその論の矛盾点についていくつか述べている。鴎外が『西周傳』をなぜ書いたのかを前説では説明できない。通説は赤松登志子を鴎外が理不尽に離婚し、媒酌人たる西周が激怒し、鴎外を出入禁止にしたとするものである。松本清張は『西周日記』の解読をして、西周は鴎外に対して出入禁止、破門という厳しい処置はとらなかったとみるべきだろうと分析している。『西周傳』の執筆依頼は養嗣子紳六郎が率先しておこない、西家も反対しなかったという整理となる。
 離婚の原因をどうみるかについて、松本清張は嫁姑の不和説である。鴎外の母、峰子と妻登志子の不和である。鴎外は板ばさみではあるが黙して語らずである。そのへんはずるさもある。典型的な日本的家庭紛争という。僕が読んでもそのあたりだと思う。
 その時の鴎外の態度について松本清張の文を引く。

「赤松家では林太郎にまだ未練があった。その林太郎の態度は終始曖昧であった。思いとどまるでもなく、断固離婚の主張でもなかった。その時の煮え切らぬ態度の背後に峰子があったのは、想像に難くない」

 この間題は鴎外の再婚相手の荒木志げ子と峰子の間でも生じる。小説『半日』は志げ子をモデルにし、前の登志子をも投影して書いたように思えるという。志げ子はその作品を『鴎外全集』に入れるのを遺言により拒否している。自分と登志子の二重焼きを見たからだという。

「丸であなたの女房氣取で。會計もする。側にもゐる。御飯のお給仕をする。お湯を使う處を覗く。寝ている處を覗く。色氣違が」

 小説『半日』の中の高山博士の奥さんの言葉は、鴎外の母峰子だというのである。
 松本清張は鴎外に対して、反権力とか権力否定といったものはない、とする。確かにその生涯は権力志向そのものである。というより、そういう機構のなかに身をおいたといったほうがいいのかも知れない。官僚の世界が権力の道であることは、軍医総監・医務局長までたどりついた鴎外をなぞっていけばわかるはずである。
 軍医界の大御所石黒忠悳に令視され、むしろその系閥に睨まれたと信じたふしがあり、陸軍の超然たる存在の山県有朋に倚ったという。
 山県有朋は政党政治をきらい、元老政治をしいてきたのである。伊藤博文が生きている間は伊藤は政治、山県は軍事という二分の権力でバランスとられていたが、伊藤なきあとは山県の影響力が絶大だといえる。伊藤の作った政党政治の路線は西園寺公望が継承し、山県が育てあげた軍閥、官僚閥と対立する。山県の権力は大正デモクラシーあたりまでだろうと思う。鴎外が山県につくしたというのは、それなりの功利的な思惑があるのは当然である。しかし、特に鴎外が陸軍を辞めて2年あたり(大正7年頃)から功利的なかかわりから脱却しただろうと松本清張は言う。
 こうである。

「鴎外は山県の没落をおそらくは大正七年ごろから間近に見たであろう。それでも鴎外は山県有朋を敬愛した。小田原古希庵に臥した山県の病態を最後まで気遣った。それは、いっさいの功利性を捨てた鴎外が、山県の『古武士』のような面を憧憬したのか。その憧憬は乃木希典に相類するものなのか。さらにその底には郷土言葉の共通、長州弁と津和野弁の親愛感があった」

 軍医の道を選んだ鴎外は、後悔したかも知れないとも松本清張は言う。特に小倉から東京に戻り、第一師団軍医部長の時、賀古鶴所の手引きで山県有朋の歌会「常磐会」の幹事役に賀古とともになり、山県との縁を強くしてからはよけいそれを感じただろうというものである。出世では本科が強いのはあたりまえである。軍隊は戦闘本位であり、本科からみれば軍医部は非戦闘員であり、低い地位におかれる。最高位の軍医総監も中将相当官待遇である。
 この本事体が「家系学的」方向でまとめられていると読める。実は鴎外の『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』三部作も家系学的方法である。その成立を分析しながら、一方では今までみてきたように鴎外の生涯を重ねている。二重焼きのようになっている。それは充分意図的なのだろう。
 渋江抽斎、伊沢蘭軒は医師である。北条霞亭は儒学者である。渋江抽斎は弘前藩津軽家に、伊沢蘭軒と北条霞亭は備後福山藩安部家に仕えた。身分が低く、世に知られた人物でもない。維新から取り残された藩なので、明治の時代では苦労しただろう。考証学者であることが共通項でもある。

 松本清張にとってもこれが遺作となってしまった。
 森鴎外が『北条霞亭』を執筆していたときには萎縮腎にとりつかれていて、それが死因ともなっていく。鴎外は北条霞亭も萎縮腎ではなかったかと書いているので、執筆動機がうかがい知れる。そうでなければ、調べれば調べるほど面白みのないこの人物を淡々と書き続けた鴎外の意図が見えないともいえる。それでも感情の表現を押し殺しつつ、人間を克明に掘り下げて書いていけばそこに何かが見えてくる、というのが鴎外のスタンスのような気がしている。この作品完成後8ヶ月で鴎外も没する。
 松本清張もせまりくる死を悟ったとき『両像・森鴎外』を書いた。
 未完に終えたが、森鴎外の両像のなかに自分を重ねたとも読める。


琉球の風光、2013年01月07日
松本清張『両像・森鴎外』
https://tws031.ti-da.net/e4207640.html

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六草いちか

 高見順の胸像を後に、部屋に入ってヤッホーくん、なんかそわそわと落ち着きなくうろうろ徘徊しています。
 トイレは外に出ないといけないんだけど、どうしたのかな、急に尿意を催してきたのかな、前立腺肥大かな。

「日本近代文学館」では、国語教育の現場と文学研究の成果を館が橋渡しする形の企画展「教科書のなかの文学/教室のそとの文学」を2017年度から開催しています。
 一昨年の芥川龍之介「羅生門」、昨年の中島敦「山月記」に引き続いて今回取り上げる作品は、森鷗外「舞姫」です。

「舞姫」は、1890(明治23)年1月、鷗外最初の創作小説として雑誌『国民之友』に発表された作品です。
 発表からおよそ130年もの時間が経過したことになります。
 その「舞姫」が初めて高等学校国語科教材となるのは、1957(昭和32)年のことです。
 高校生にとって、必ずしも読みやすい文体とは言えないにも関わらず、以後60年以上にわたって定番教材としての位置を保ち続けています。

 では、その「舞姫」が〈今、ここ〉に生きる私たち(特に若い世代の人たち)に問いかけてくるものは何なのでしょうか。

 本展覧会では、第1部において「舞姫」という作品世界にしっかり向き合うために、
・ 現存する「舞姫」草稿の問題、
・ 発表当初からの作品享受のありよう、
・ 主人公太田豊太郎が生きた時間、
・ 彼が歩いたベルリンという空間、
・ そして近年判明したエリスのモデルである Elise Wiegert エリーゼ・ヴィーゲルトのこと、
などさまざまな角度から光線を当てることを目指します。

 そして第2部では、同時代あるいは後につづいた作家たちと、鷗外/鷗外作品との交響の様を追います。


(編集委員 須田喜代次)
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/11971/

 夢中になってさがしまわっていたんです、「六草いちか」!
 再会したときのヤッホーくんの表情っていったら、もう・・・
 ヤッホーくんのこのブログ、以下の日付けの日記をぜひお読みください:

★ 2015年03月27日「それからのエリス」
★ 2015年04月06日「エリーゼ・ヴィーゲルト」

関連イベント
六草いちか氏講演「鷗外のベルリン 『舞姫』のBERLIN」

『舞姫』ヒロイン、エリスのモデルとなった女性はどのような人物だったのか ―
 著書『鷗外の恋―舞姫エリスの真実』で、その真実の姿を明らかにしたドイツ・ベルリン在住作家、六草いちか氏に、鷗外留学時のベルリン、「舞姫」に描かれた世界を、100点以上にわたる貴重な画像や資料をもとに鮮やかにひも解いていただきます。

日時:7月20日(土)14:00〜15:50終了予定

※ 六草いちか(ろくそう いちか)

ノンフィクション作家。1962年大阪府生まれ。1988年よりドイツ・ベルリン在住。2000年より雑誌等の執筆を経て作家に。ベルリンの歴史や日独交流史、エッセイ、映画評論ほか。2011年『鷗外の恋―舞姫エリスの真実』を発表。「舞姫」ヒロインのモデルであり鷗外の恋人であった ドイツ人女性エリーゼ・ヴィーケルトの正体を精緻かつ徹底的な調査で論証、鷗外研究に大きな転機をもたらした。主な著書:『森鷗外『舞姫』を読む』(共著)、『それからのエリス―いま明らかになる鷗外「舞姫」の面影』ほか。


https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/11971/

六草いちかの気になる毎日
‏7月20日
今日は東京・駒場にある日本近代文学館で講演ですE

無題.png舞姫.png

六草いちかの気になる毎日
7月20日
館内のカフェBUNDANでちょっと休憩
鴎外珈琲は大人の味わい
コーヒー.jpg文学館.png

 森鴎外の「舞姫」ほど日本でくりかえし読まれた恋愛小説はほかにないだろう。そして「舞姫」は現代の多くの読者に困惑を与える恋愛小説でもある。『それからのエリス』の著者の六草いちかもこの作品の裏にある真実を知るまでは「女性である私にとってはたんなる『むかつく小説』」と書く。ドイツに置き去りにされた妊娠した恋人が発狂するという「舞姫」の結末は現代の読者にとって男女を問わずなかなか受け入れがたいものだ。

ドイツから東京まで鴎外を追いかけてきた女性がいることはよく知られている。著者の前作『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』は綿密で詳細な調査によって舞姫のモデルを突き止め、モデルとなった女性が東京からドイツへ帰るまでを描いている。その女性の名はエリーゼ・ヴィーゲルトである。
 『それからのエリス』は、ドイツ帰国後のエリーゼの足跡を追うものだ。冒頭、鴎外の母峰が西洋へ為替を定期的に送っていることが物語られる。この謎の送金はエリーゼにあてたものであったのだろうかという推量は、エリーゼは鴎外の子を産んでいたのだろうかという疑問を生む。
 そこから、ドイツでの綿密な調査が再開される。この調査の過程が実におもしろい。調査は難渋するが、それによって20世紀初頭から中期にかけてのドイツの庶民の暮らしぶりが無味乾燥な記録の中から浮かび上がってくる。

ドイツ帰国後のエリーゼは帽子製作の職人として生き、ユダヤ人の夫と結婚していた。横浜の港で手を振って別れて以来、生涯会うことのなかった2人だが、その関係は続いていた。帰国後のエリーゼには、大きな世界史の流れに巻き込まれるという運命が待っていたのだ。

そして鴎外との関係は、鴎外の作品、遺族の証言などから解き明かされて行く。ロマンチストであり、思いやりの人であった鴎外の一面が実に生き生きと著者の中で創造されて行く。エリーゼが亡くなったのは1953年、つまり第2次世界大戦後であった。

六草いちかそれからのエリス
『森鴎外の「恋人」の足跡
(作家 中沢けい)

[日本経済新聞朝刊2013年10月20日付]
https://www.nikkei.com/article/DGXDZO61343800Z11C13A0MZC001/

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2019年07月25日

波乱の人生のなか、真摯に書き続けた高見順

 三國一朗(1921 - 2000)は今のテレビ東京で10年間、「私の昭和史」という番組の「きき手」をしていた。
『寒い夜』と題されたエッセイでは、354回目、壺井繁治に『多喜二の死』を聴いたことなどが綴られる。
・・・思わず耳を掩(おお)いたくなるような話題を・・・私は数知れぬほど聴いてきた。
・・・私が特に辛(つら)い思いで聴くのは、1928(昭和3)年以降「治安維持法」が強化されてから敗戦までに頻発した思想弾圧に見られる「官憲テロ」、つまり警察官による拷問の話である。
 小林多喜二は1933(昭和8)年2月20日の正午すぎ・・・つかまり、築地署で、警視庁の特高係長中川成夫、須田刑事部長、山口巡査等の取調べを受けた。
 拷問は中川係長の指揮で、須田、山口、それに築地署の水野主任、小沢、芦田など特高4、5人が手伝い、前後3時間以上つづけられ、多喜二は夕方一度留置場の第三房に戻されたが、人事不省のまま保護室に移され、同日午後7時45分、築地署裏の前田病院で絶命した。
 30歳であった。
(pp. 239~240)

 三國一朗は1965(昭和40)年11月18日、「横浜事件」の被害者、畑中繁雄からも、
拷問の実態をつぶさに聴いたのである。
 それによると、取調側の中心人物であった柄沢六治という神奈川県警特高の警部は、拷問に際して、
「小林多喜二はなんで死んだか知っているのか」
「貴様も小林の二の舞をさせてやるぞ」
と連呼したそうである。
 多喜二の死の当時、拷問の事実を全面的に否定した警視庁や築地署の発表の嘘を、この柄沢警部は自らの口先であばいたことになるとともに、このことはまた当時の特高部内で、小林虐殺が武勇伝扱いを受け、当事者は英雄視されていたことを考えさせる根拠にもなる。
 故高見順氏はやはり1933(昭和8)年の1月、大森署に検挙され・・・「1月、2月、3月を留置所で送った」一人であるが、その際高見氏を取調べた特高刑事は小林多喜二を調べた刑事の一人で、
「お前も多喜二のようにしてやるぞ」とおどかし、拷問を加えたという(勁草書房『高見順全集』第一巻解説)。
 このような例は他にも無数にあるであろう。
 多喜二殺しの下手人たちは、特高仲間の輝けるスターであったにちがいない。
 横浜事件の加害者たち(特高)30余名は、1947(昭和22)年4月、拷問を受けた33名の人たちから「人権蹂躙」「傷害」で告訴された。
 そのうち次の3名だけが有罪の判決を受け、最高裁の棄却で服罪した。
  元神奈川県警察部特別高等課左翼係長警部  松下英太郎(懲役1年6ヶ月)
  元同警部                 柄沢六治(懲役1年)
  元同警部補                森川清造(懲役1年)
(pp.241~242)

 webを見ると、"服罪した"けれど、投獄はされなかった模様。
 1930(昭和5)年以来冷害の続く東北凶作地帯の教育者たちの間に起った生活綴方運動も、治安維持法の取締り対象の一つとなったが、土岐兼房さんが青森の小学校で教鞭をとっていた頃の行動に目をつけた地元の一警官は、土岐さんの赴任先の台湾にまで、全く独力で捜査の手をのばし、ついに1941(昭和16)年12月、台湾で土岐さんを逮捕し、はるばる青森まで引張って来た。
 以来まる1年余り追求に追求を重ねたあげくの1943(昭和18)年2月、土岐さんは「治安維持法違反の事実なし」として釈放された・・・。
 (TVの)控室で土岐さんにきくと、その執念深い男は当時、山形県沼田の小さな警察署につとめていた砂田周蔵という男(妻は女教員)で、砂田はこの土岐さんの件での活動が上長に認められ、のちに内務省警保局思想課左翼係主任にまで累進したそうである。
 もちろん異例の栄達である。
(pp.242~243)

三國一朗「肩書きのない名刺」中公文庫、1984文庫化


猫額洞の日々、2015年 05月 09日
三國一朗「肩書きのない名刺」(自由現代社、1980年、1984年中公文庫、第28回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)
『三國一朗の人物誌』(毎日新聞社、1982年)再読・読了
https://byogakudo.exblog.jp/23081355/

 高見順、たかみじゅん・・・

高見順 敗戦日記 昭和二十年三月十二日より
https://www.youtube.com/watch?v=zLelKb1-gyw

 東日本大震災から今月2013年で2年になる。
 死者・行方不明者が2万人近い、かつてない大災害だったにもかかわらず、東京で暮らしていると、人びとの被災者への思いが「少しずつ風化しているのでは」と感じることがある。
 多くの被災者は今、どうしているのだろうか。

 被災直後に家を失い、家族を亡くした被災者たちが、泣き叫ぶでもなく、静かに辛抱強く、支え合って生きている姿は、私に第二次世界大戦前後の人気作家、高見順の言葉を思い出させた。

 高見は東京大空襲直後の上野駅で、全てを失った戦災者が、それでも秩序正しく、健気(けなげ)に疎開列車を待っている様子に、
「こうした人びとと共に生き、共に死にたいと思った」
と日記に残した。
 私も同じ気持ちになっていた。

 私は日本人になって一年になる。
 以前からの日本への愛、日本人への尊敬の念は変わらない。
 ただ、震災後の日本には、少しがっかりさせられている。

 日本は天災が多い国だが『方丈記』や『源氏物語』などを除けば文学作品に天災は出てこない。
 悲惨な記憶は残したくないからだろうか。
 日本では忘年会も盛んで「過去を忘れる」というのは未来志向の知恵ではある。
 だが、仮設住宅の被災者も原発事故の避難者もそのまま。
 震災は現在進行形なのだ。

 1957年に東京と京都で開かれた国際ペンクラブ大会で、私は高見と知り合った。
 以来、著書を送ってくれた高見は、戦災者に感銘を受ける一方で、権力を持った日本人の傍若無人ぶりには失望していた
 それにも、私は共感する。

 被災地の復興予算が「復興とは無関係の事業に流用されていた」と東京新聞や英BBC放送などが報じた。
 官庁の役人たちは震災を忘れてしまったのだろうか…。
 被災者の冷静な行動で大きく上がった日本の国際イメージが、傷ついてしまった。

 先日、お会いした英国生まれで日本国籍を取得した作家のC・W・ニコルさんは、宮城県東松島市の高台に復興の森を作り、学校を建設する計画を進めている(ヤッホーくん注)。
 日本の有力な政財界人に復興に直接、手を貸している人がどれほどいるのだろうか。

 原発事故についてもそうだ。
「原発は安全」と私たちをだましてきた。
 ウソがばれたのに、まだ事故の検証も終わらぬまま本格的な再稼働に向けて動きだした。
「2030年代に原発稼働ゼロ」も揺らいでいる。
 東京では夜の明るさが震災前に戻っているが、原発に頼らないための節電はどうなってしまったのか。

 高見は日本の敗戦についてこう書いた。

今日のような惨憺(さんたん)たる敗戦にまで至らなくてもなんとか解決の途(みち)はあったはずだ。その点について私らもまた努むべきことがあったはずだ。それをしなかった。そのことを深く恥じねばならぬ

 今、私たちにできることはあるはずだ。


東京新聞、2013年3月3日
日本文学研究者ドナルド・キーンの東京下町日記
被災者への思い忘れてないか

https://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/shitamachi_nikki/list/CK2014040902100018.html

(ヤッホーくん注)一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団
https://afan.or.jp/

 1907(明治40)年、永井荷風の叔父でもあるのちの貴族院議員・阪本ソ之助が、福井県知事として赴任当時、現地の女性に生ませた「非嫡出子」が高間芳雄、のちの高見順である。
 芳雄少年が一歳のとき、父の転任に従い東京・麻布に移り住むが、邸宅付近の陋居に住まわされ、父の顔を見ることは一度もなかった。
 わずかな手当と針仕事で生計をたてる母は、
「政治家になって父を見返しておくれ」
と芳雄少年に語っていたという。

 勉学のすえ一高、東京帝大と進み、そこでプロレタリア文学に目覚め、「左翼芸術同盟」に参加。
 しかし26歳のときに治安維持法違反の疑いで検挙。
 半年の拘留のすえ、「転向」を表明し釈放された。

 以後、高見順の小説は「転向文学」と呼ばれる。
 28歳、左翼崩れのインテリの苦悩を「饒舌体」で描いた「故旧忘れ得べき」で、第一回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立する。

 陸軍報道班員として徴用され、ビルマ侵攻作戦に帯同したこともある。
 軍政下にあってビルマの人や文化に真摯に向き合い、のちに現地で作家となった人びとから感謝されている。
 この時期を含む、戦中から戦後にかけての日記は「高見順日記」として出版された。
 昭和史の貴重な資料となると同時に、戦争協力や、占領地の人びとへの優越した態度などを、隠さず素直に公表している点が高く評価され、永井荷風と並ぶ日記作家と呼ばれる。
 荷風は従兄弟にあたるが、その生い立ちの経緯もあり、関係は険悪であったという。

 その後も真摯に執筆を続け、晩年には日本近代文学館の建設に尽力したが、落成を待たず、1965(昭和40)年、食道癌で逝去した。
 享年58歳。

文藝春秋、2012.03.05
不幸な生い立ち、左翼からの転向。
波乱の人生のなか、真摯に書き続けた高見順

(文・写真: 「文藝春秋」写真資料部)
https://books.bunshun.jp/articles/-/3223

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高見順

 西武線「江古田駅」に2016年9月まであった「Poem & Gallery Cafe 中庭ノ空」で開催された高見順篇。

 福井県生まれの彼。同郷に荒川洋治氏もいらっしゃる。すごいぞ、福井県!高見恭子(1959年生まれ)の父でもある。
 高見順は1907(明治40)年、福井県知事坂本詝之助の妾の子として生まれる。
 この父が永井荷風の父の実弟というから、のっけからいろいろ驚かされる。
 福井で生まれるも1歳ですぐ父の転任に伴い、母(高間古代)と上京。しばしばいじめにあっていたという。出生のことでいじめにあっていたのだろうか。そんなこと子供には何の罪もないのに。
 12歳、1919(大正8)年ー東京府立第一中学に入学。この頃、白樺派の作品に親しみ、詩のようなものを書く。友人と回覧雑誌を作る。
 15歳、1922(大正11)年ー何を思ったか、社会主義に目覚める。15歳の私は「全然、背が伸びん……」と自虐ネタに目覚めていたのとは大違いである。
 16歳、1923(大正12)年ー関東大震災で東京の無残な姿に衝撃を受けつつ、破壊の魅力も感じる。
 18歳、1925(大正14)年ードイツより帰国の今でも人気の村山知義などの影響を受け、最初のダダイズム系同人雑誌「廻転時代」創刊。
 19歳、1926(大正15)年ー初めて故郷の三国市を母と訪ねる。
 20歳、1927(昭和2)年ーエリート街道まっしぐらで東京帝国大学に入学。新田潤らと同人雑誌「文芸交錯」刊行。壺井繁治らとも交流。
 21歳、1928(昭和3)年ー左翼芸術同盟結成。創刊の機関誌から筆名「高見順」を使う。
 23歳、1930(昭和5)年ー石田愛子と結婚、母と別居し、大森へ引っ越す。研究社の和英辞典編集部に臨時雇いで働く。父に庶子として認知してもらう。この人、面白いとこであちこち働いてるなあ。お次はコロムビア・レコード会社の川崎工場教育部に教育レコード係として勤務。レコードが教材になっていたこの時代。
 24歳、1931(昭和6)年ー日本プロレタリア作家同盟城南支部のキャップとして積極的に活動。
 26歳、1933(昭和8)年ー治安維持法違反の疑いで、逮捕、拷問を受ける。留置中に小林多喜二が虐殺される。中野重治もそうだったが、転向し、釈放される。が、妻は去っていた。
 27歳、1934(昭和9)年ー水谷秋子と出会い、1935年に結婚。この年は高見順にとって、大きな出来事が続く。饒舌体という手法で高い評価を得た「故旧忘れ得べき」が第1回の芥川賞候補に。ちなみに受賞したのは石川達三。「私生児」を「中央公論」に発表。
 29歳、1936(昭和11)年ーコロムビア退職し、文筆活動に専念。この頃は随筆、自叙伝などを怒涛のごとく発表。
 31歳、1938(昭和13)年ー浅草に仕事部屋を借りる。今でも残っているのだろうか。
 34歳、1941(昭和16)年ー陸軍報道班員として徴用され、太平洋戦争開始時は香港にいた。
 35歳、1942(昭和17)年ー新年をバンコクで迎え、ビルマ、中国と渡り、帰国。鎌倉市へ転居。没年まで山ノ内に居住。
 38歳、1945(昭和20)年ー終戦の年、鎌倉で貸本屋「鎌倉文庫」設立。
 39歳、1946(昭和21)年ー胃潰瘍。
 41歳、1948(昭和23)年ー鎌倉アカデミアの講師となるも結核となり、平野謙と交代。
 43歳、1950(昭和25)年ー詩作は学生の頃にやり始めたものの、ずっと小説を書いていたので、第1詩集はなんと43歳でしかも自費出版で刊行(限定300部)。
 45歳、1952(昭和27)年ー先端恐怖症、白壁恐怖でノイローゼになり、執筆休止。若い時分から執筆活動が盛んだった高見だが38歳頃から、体調に支障をきたすようになっていく。だがまだまだ高見は衰えない。ノイローゼも奈良の寺院めぐりで半年で快方に。46歳から56歳までの間が最も心身充実。
 55歳、1962(昭和37)年ー芥川賞選考委員に。伊藤整、小田切進らと「日本近代文学館」の設立準備も始める。
 56歳、1963(昭和38)年ー「いやな感じ」が第10回新潮社文学賞に。食道癌と診断される。
 57歳、1964(昭和39)年ー今度は「死の淵より」で野間文芸賞受賞。
 58歳、1965(昭和40)年ー日本近代文学館の起工式にメッセージを送り、翌日の8月17日に死去。

「差別」という詩と最後の行が似ているなあと思ったのが「鉛筆は悲しい」という詩
〜人間もほんとうはそのようにありたい〜
「差別」の最後は
〜人間も人間なら人間のままでいいのに〜 と結ばれている。

「葡萄に種子があるように」「喜び悲しみ」「鉛筆は悲しい」この3つの詩は連作で読むとなんだか、続いているなあと感じた。悲しみについての詩だけど、透明感があって、どんよりとした暗さではないのだ。それは「死の淵より」という詩集でも言えると思う。

「帰る旅」や「魂よ」でも悲しみを、死に直面した今の状況を昇華させているような気がするのだ。
「帰る旅」では
〜大地へ帰る死を悲しんではいけない
 肉体とともに精神も
 わが家へ帰れるのである
で、最後に
〜はかない旅を楽しみたいのである〜
としめくくっている。

 一方、「魂よ」では、魂よ、おまえより、食道のほうが私にとってはずっと貴重だったのだと痛烈な言葉で、それでも今のしんどさを楽しんでやると、ガンなんかには負けてられないよと言ってる様な気がするのは私だけだろうか。

 高見順は名もなき雑草を愛した。花や草をテーマにした詩も多い。「花」では、カトレアやバラより、けなげな花に会いたいと。この詩でさらにいいのが、僕の大事な一部、つまりは僕の友人に会いたいのですと詩っているのが、じーんとくる。

「われは草なり」・・・これ、朗読も楽しい。なり、なりと語尾が〔なり〕ばかりなのだ。冒頭からこの詩はいいのだ。
〜われは草なり 伸びんとす
 伸びられぬ日は 伸びぬなり
 伸びられる日は 伸びるなり〜

 おとらさんのラムレーズンのパウンドケーキがまた食べたい。ポエカフェで食べてばかりの私である。


古書ますく堂(豊島区西池袋4-8-20-102、Tel 090-3747-2989)のなまけもの日記、2013-01-28
ポエカフェ 高見順篇
https://mask94421139.hatenadiary.org/entry/20130128/1359361973

 あの、ね。高見順は福井県生まれなんですがすぐに上京。この年譜で紹介されていませんが、小学校はど・こ・か・
 ヤッホーくんは珍しく知っているのです!それは東町小学校!麻布十番です!

高見順展パンフ ☟

高見順展パンフ.JPG

高見順文庫 ☟

高見順文庫.JPG

 彼は子供の頃、麻布竹谷町とその後新堀町に住んでいたことがあった。
 竹谷町は現在の南麻布一丁目。二の橋から仙台坂を登ろうとする左側一帯である。
 新堀町は竹谷町の南隣。三の橋の付近である。間に東町小学校がある。
 高見順は最初は本村小学校に通っていたらしいが途中から東町小学校に転校した。


ヒグの部屋、2017-06-20 11:50:57
麻布綺譚57 麻布と作家I 高見順
https://ameblo.jp/crest1935/entry-12285339025.html 

 あの、ね。高見順(1907-1965)は治安維持法で逮捕されるのですが転向します。
 小林多喜二(1903-1933)は拷問死させられてしまいます。

 警視庁から自分は多喜二を殺した者だと豪語する刑事がやってきて、高見に激しい拷問を加えた(高見順「現代の挫折について」『高見順全集』第13巻、勁草書房、1960/1971年、p.678参照)。。。 
 抑留3ヶ月の後、高見は、転向手記を書き、起訴保留となって拘留を解かれた(高見順「感傷」『高見順全集』第8巻、勁草書房、1933/1970年、pp.304-305参照)。


三田学会雑誌、Vol 98 No 2、2005年7月)
寺出道雄「『転向文学』の時代、高見順の場合を中心に」
慶應義塾大学学術情報リポジトリ Keio Associated Repository of Acdemic resources

 あの、ね。ヤッホーくんが高見順と再会したのは、2019年7月24日水曜日の午後、駒場公園にある「日本近代文学館」(目黒区駒場4-3-55 Tel 03-3468-4181)2階ロビー!

 日本の近代文学は、明治以降、海外から押し寄せる新しい思潮や古くからの伝統がせめぎあう中で、また、関東大震災や戦禍、言論弾圧など数々の苦難をこえて、発展してきました。
 こうした歩みを示すかけがえのない資料は、敗戦から立ち直り経済成長へ向かう、激しい社会の変遷の中で、散逸しつつありました。
 それを憂えた高見順、小田切進ら有志の文学者・研究者が、文学資料を収集・保存する施設の必要を広く訴え、1962(昭和37)年5月、設立準備会を結成、翌1963年4月、財団法人 日本近代文学館が発足しました。

 その動きは大きな反響を呼び、15,000人にのぼる人から資料の寄贈や建設資金の寄付などの支援をいただいて、1967年4月、東京都目黒区駒場に、今の建物が開館しました。
 当館はその後も、民間の財団として、文学者、研究者、文学や書物を愛する方々と、出版社、新聞社はじめ各界からの協力によって維持運営されています。

 2007年9月、資料の増加にともない、千葉県成田市に分館を建設しましたが、その資金も、すべて募金によるものです。

 当館は現在、図書や雑誌を中心に、数々の名作の原稿も含め、120万点の資料を収蔵するにいたりました。
 それらの資料を閲覧室や展示室で、また書籍や電子媒体として公開し、各種の講座・講演会を開催するなど、一般の読書家から専門の研究者まで、広くさまざまな要請に答えようと努めてきました。
 2011年6月には公益財団法人の認定を受け、引き続き、近代文学に関する総合資料館、専門図書館として、文学資料の収集・保存・公開と文芸・文化の普及・発展のために活動しています。


日本近代文学館とは
館の成り立ち
https://www.bungakukan.or.jp/about/origin/

高見順の胸像 ☟ 

高見順.JPG

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2019年07月24日

ふなごやすひこ

2019年7月19日、新橋SL広場で開催された「れいわ祭り2」においての、ふなごやすひこさんのスピーチ全文です。
ぜひ、ふなごさんの思いに触れてみてください。
そしてよければ、ふなごさんの言葉を拡散してください。
よろしくお願いします。
以下です。


 ふなごやすひこです。
 僕は今回の出馬に、文字通り、命をかけています。
 僕がなぜ立候補しようと思ったのか。それは、僕と同じ苦しみを障害者の仲間にさせたくないからです。
 国会の皆さんは、現場に通用しない穴ぼこだらけの法律があることを知りません。そのひとつが、建築基準法です。
 建築基準法には、国民の生命・健康・財産のためと謳われています。
 それを作った議員さんたち。
 僕が国会に入ったら、僕を無視せず、僕の介助をお願いします。
 それが、立法者の役目でしょう。そうではないですか? 聞きに来てくださってる親友の皆さん。
 現場感覚の本当の意味の法律の必要性を理解してもらいたい。
 障害者が今まで我慢させられてきた、あてがわれてきた法律からはおさらばです。
 もっと障害者が自由になれるために。
 国会議員の皆さんも親友の皆さんも、いずれ年を取り障害者になります。
 僕たちが関わり作る制度が本物になるように。皆さん力をお貸しください。

 車椅子の皆さんは、ユニバーサルデザインだと言って、デザイン性を重視した点字ブロックにタイヤを取られ、横倒しになりそうになったことはありませんか?
 僕はあります。
 車椅子はエレベーターにと言われ、大型の車椅子が入れなかったことはありませんか?
 僕はあります。
 障害者用のトイレに入って、戸が閉められないことはありませんか?
 僕はあります。
 仲間とレストランに入って、一緒にテーブルにつけたことありますか?
 僕は、ありません。
 ちょっと考えただけでも穴ぼこだらけです。
 こんな簡単なことがわからないのです。誰がこんな片手落ちのものにOKを出すんでしょうか?
 国の基準とやらではないのでしょうか? この建築基準法が、時には悲劇を生んでいることを知ってください。
 僕がデザインを重視した点字ブロックにタイヤを取られ横倒しになれば、呼吸器が外れ、死んでしまいます。

 ALSになってから、僕はいわれのない虐待に苦しんでもきました。
 ある地方都市の施設に入居していた時のことです。食事が口からとれないため、僕は胃ろうという穴をお腹に開け、経腸栄養剤を処方されていました。保険請求できるものです。しかし、突然「法律が変わった」と言われ、月に5万円ほどの自己負担で栄養剤を購入させられました。結果的に身体に合わず、15ヶ月間もの間、下痢が続き、栄養失調になり、全身がむくみました。強いめまいも起こしました。本来、保険で処方できるものを自費で購入させられ、しかも身体に合わないものを15ヶ月間もの間、処方され続けたのです。

 週に3回あった入浴も、2回に減らされました。入居者全員が2回に減らされたとその施設の職員から聞かされていたのですが、減らされたのは僕だけでした。手間がかるというのがその理由でした。

 また、看護課長から口を聞いてもらえぬ日々が続いたこともありました。いく日も、決まって20日間。何が原因かわからないまま挨拶もしてもらえない日々は辛いものでした。
 僕は大学で講義するために外出することがあったのですが、施設の帰宅時間は15時と決められており、それ以降は施設に帰ることを認められず、ホテルに泊まらなくてはいけないこともありました。そのため、講義自体を断ったこともありました。
 それだけでなく、施設からは病気が進行し、意思疎通ができなくなったら退去するように言われました。

 こんな施設に入居していられないと思い、一人暮らしを決断しました。
 そのため、障害者自立支援法の障害福祉サービスの申請を行いました。障害者が一人暮らしをするにあたってヘルパーを派遣してもらうためのものです。
 しかし、市役所からは「すぐには出しませんよ。3ヶ月くらいかかります」と言われました。

 皆さん、おかしいと思いませんか?
 一般的に、人工呼吸器をつけた人が3ヶ月間、自費でヘルパーをお願いすることができると思うでしょうか?
 そもそも、自立支援とは、障害者が自立した生活を送れるための制度です。施設を出て、一人暮らしを始めた時点で適用されなければ生活していけません。
 この制度を巡って、障害福祉サービスの利用時間を確保するために裁判を起こしているケースも多々あります。でも、裁判を起こさないと獲得できないなんてことはあってはいけないことだと思います。
 結局僕は、180万円を自費で払いました。

 障害者自立支援法とは、障害者の日常生活および社会的に自立を目指す法律のはずです。
 もし、僕が当選したら、今利用している障害福祉サービスは受けられなくなってしまいます。なぜなら、自立支援法と言いながら、職場にヘルパーがついていくことは禁じられているからです。
 障害者は働くなということでしょうか?
 この部分は、絶対に変えなくてはなりません。
 障害者が仕事を持つことこそ、自立支援だと思います。
 それなのに、歩けない人のお手伝いが、なぜ法律で禁じられているのか。
 全身麻痺でも働ける障害者はいます。
 能力があっても国の法律で制限されてよいのでしょうか。小手先だけの制度を見直したいです。

 僕は今、介護関連会社アースの経営陣に参加しています。そこで驚いたのは、介護、福祉の制度がちょこちょこ変わること、そしてケアマネージャーの書類仕事の多さです。本来、利用者の声を聞き、必要なサポートをする人たちがペーパーに追われている。この実態に、制度改革の必要性を強く感じます。
 今、ヘルパーの人材不足は、どこも逼迫しています。弊社も言うまでもありません。介護職は、3Kと言われます。きつい、汚い、危険。そして基本給が安い。
 そんな声が上がったことから、国は処遇改善交付金をばら撒きました。
 しかし、そんなことで介護職の介護離れに歯止めをかけることはできません。

 今年から導入された働き方改革も同じです。
 正社員の有給取得を義務づけ、一方でダブルワーク推奨。どこで休みが取れるのですか。有休を使って介護職に他の仕事をさせ、その穴を派遣会社が埋める。最近は、看護職の紹介会社が派遣職員を推奨する傾向になってきていることを皆さんは知っていますか。このシステムは、誰かが得をするように仕向けられているように感じます。

 企業は、有休取得を義務づけられたことで、常勤職員の雇用をやめるのではないですか。もちろん、ヘルパーも同じです。
 これでは、いつまで経ってもきつさは解消されないんです。このきつさを解消しなければ、障害者や高齢者はいつまで経っても虐待から解放されません。
 これまでの経験を生かして、介護職の待遇を改善していきます。

 そして僕は当選したら、小学校、中学校、高校、大学での、生産性を重んじない、命の大切さの教育導入を約束したい。

 僕は5年前にも、松戸の市議選に立候補しました。
 その時のスローガンを今回も掲げたいと思います。

「強みは、障害者だから気づけることがある」

 僕が議員になったら、全難病患者・障害者を幸せにするために働きます。
 全難病患者・障害者が幸せな社会は、みんなが生きやすい社会です。
 人の価値が生産性ではかられない社会を目指します。
 みなさん、力をお貸しください。


雨宮日記、2019-07-19 21:37:53
ふなごやすひこさん
7月19日スピーチ全文

https://ameblo.jp/amamiyakarin/entry-12495788541.html

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2019年07月23日

「れいわ新選組」、既存メディアは感度ゼロ

2019参院選
令和最初の参院選が終わった。
衆参ダブル選挙を回避した与党の判断は功を奏したのか。
野党の「共闘」はうまくいったのか。
消費増税や年金の「2千万円」問題はどう影響したのか。
「3分の2」を与えなかった民意に「改憲勢力」の次の動きは。
この選挙を通じて、私たちに「希望」は見えたのだろうか。

長期政権、新たな人材遠ざける弊害も
牧原出さん(東京大学先端科学技術研究センター教授)


 今回、自民党は議席を減らしましたが、それは織り込み済みだったと思います。安倍政権は、2012年の衆院選で政権をとった後、2013年の参院選で大勝して衆参のねじれを解消し、政治基盤を固めました。今回は、2013年ほどは勝たなくても、2016年の参院選くらいの結果に収まれば、「現状維持」できるという判断だったのでしょう。

 安倍政権は、衆院選のリセット効果をうまく利用して短い任期を積み重ねた「短期政権型の長期政権」です。今回、リセットを狙って勝負をかけるなら、衆院を解散してダブル選にしたはずですが、解散せずに現状維持を選びました。

 ダブル選でリセットしてさらに4年というのは難しいという判断があったのでしょう。今の「チーム安倍」で、もう4年間政権を運営するのはさすがに無理があります。かといって、来年に東京五輪・パラリンピックがある以上、いま菅義偉官房長官や杉田和博官房副長官を始めとする官邸幹部を総入れ替えするわけにもいきません。

 安倍さんは、本質的には官僚システムの上に乗っている政治家です。国会審議で「質問に答えない」と批判されますが、官僚の用意したペーパーをそのまま読み上げるだけだから、話がかみ合わなくなってしまうのです。

 元ハンセン病家族訴訟の控訴断念も、2001年の小泉政権のときとは状況がかなり違うと思います。小泉純一郎首相は、首相談話で患者・元患者の救済の方向性をはっきり示していたし、政府声明も低姿勢でした。政治主導で決められていたのです。今回は、首相談話で具体的な救済策には触れておらず、政府声明はきわめて官僚的な文章で、高圧的ですらあります。首相主導が貫徹していないのだと思います。

 安倍政権の6年半を振り返ると、派手な政策の転換をやったというよりも、時間をかけて、政府がとりうる政策の幅を広げていったといえます。安保法制にしても、実際に集団的自衛権を行使するかはともかく、政府のオプション(選択肢)を増やしたという意味が大きい。ある意味で愚直な政権です。

 地味に、少しずつお膳立てして、日本の政治の枠組みを変えていったのです。安倍政権以降の政権は、幅広い政策のオプションを持つ代わりに、より重い責任を背負って政治判断をすることになります。本来の政治主導が求められます。

 今回は、憲法改正がほとんど争点にされませんでしたが、改憲という作業の重さを政権側もわかっているのだと思います。安倍さんも7月2日の読売新聞の単独インタビューで、2020年の改正憲法施行について「スケジュールありきではない」とはっきり述べています。消費増税後の経済対策、東京五輪の準備、米中関係や日韓関係への対応など、課題が多すぎる中で、憲法改正をするだけの余裕は、今の政権にはないということでしょう。

 ただ、3分の2をとれなかったことで、憲法改正の発議が無理であることを見越して、ポーズとして憲法改正を前面に押し出すかもしれません。政権末期の求心力を維持するためです。また改憲のために衆院で3分の2の議席を確保する必要がなくなり、より身軽に解散できるようになりました。

 立憲民主党は議席を伸ばしましたが、自公の壁は厚いままです。とはいえ、注目すべきなのは、新潟選挙区の打越さく良さんのような野党統一候補が当選したことです。統一候補なら勝てるということになれば、有望な人材が野党に集まってきます。与党は現職を外せないから、新しい人材が入ってくる余地がない。自民党の「動脈硬化」が進みつつあります。長期政権で選挙に勝ち続けてきたことの弊害が、見え始めた選挙でした。

 とはいえ、立憲民主党の前途は多難です。政権に近づくには、共産党を引き入れるしかありません。ある程度、左に寄らざるをえませんが、その後、どうやってウィングを中道、さらに右へ伸ばしていくのか。しかも今回、れいわ新選組が大きな注目を集めました。二つの党の間で埋没する可能性もあります。

 今後、安倍政権が解散・総選挙を断行するかどうかは、消費増税後の経済がどうなるかにかかってくるでしょう。さらに注目されるのは、参院選後と、来年の東京五輪後に予想される内閣改造です。衆院を解散して「もう4年」を目指すのか、それとも安倍政権の「幕引き内閣」にするのか。後者の場合は、小泉進次郎氏のような若手を後継候補として、思いきって官房長官などの重要閣僚に起用するかもしれません。
(聞き手 シニアエディター・尾沢智史)
(まきはらいづる、1967年生まれ。専門は行政学。著書に「『安倍一強』の謎」「内閣政治と『大蔵省支配』」など)

目先の「経済成長」訴え、抱え込むリスク
藻谷浩介さん(日本総研主席研究員)


 そもそも経済は「生き物」です。政治の過度な介入は経済の活力を失わせます。仮に政策を総動員して好景気にしたとしても、景気の循環によって、何年か後には必ず不景気が訪れます。だからこそ、過去の政権は経済成長を数字で公約にすることは避けていたのです。

 そのタブーに挑んだのが、2012年に誕生した第2次安倍政権です。以来、国政選挙のたびに「経済成長」を正面に掲げて、勝ち続けてきました。

 この言葉を、消費税や年金、格差拡大、マイナス金利政策の是非といった複雑な問題を見えにくくする「魔法の言葉」として使ってきたのです。そして、今回の参院選でも勝利をおさめました。

 安倍晋三首相は、経済学界では少数派である「リフレ論」を深く信じ込みました。日本銀行による「異次元の金融緩和」が緩やかなインフレをもたらし、購買意欲が刺激されれば、内需が拡大し、経済が持続的に成長するという考え方といえます。確信したがゆえに、安倍首相は真摯(しんし)に経済成長を訴え続けました。多くの有権者は理論はよくわからぬまま、その「真摯さを信じた」といえるのではないでしょうか。

 では、現実はどうだったのか。株式の時価総額はトランプ政権の景気刺激策や日銀や公的年金を動員した買い支えもあり、2012年から2018年にかけて、年率16.1%も伸びました。同時期のGDP(国内総生産)の成長率は、政府が積極的な財政出動を続けた効果もあり、年平均で1.7%となり、名目上の経済成長は実現しました。ただ、当初目標の3%にはほど遠い。その間に政府の純債務が年率2.5%増えたのに比べても、効率が悪いものです。同時期、個人消費は年率で0.9%しか伸びず、多くの国民や企業には、戦後最長ともされる「好景気」の実感がありません。一部の大企業や投資家は大きな利益を上げたものの、そのもうけはためこまれたままなのです。

 今回の参院選で、安倍政権はアベノミクスにより、若者の就職率が改善したことを強調しました。しかし、これは半世紀近く続く少子化で新規学卒者が年々減るとともに、団塊世代の最終退職によって労働市場が極端な人手不足になったことが主な要因です。実際問題として44歳以下の就業者の数は減り続けており、企業経営や消費の足を引っ張っています。

 とはいえ、安倍政権下において内需とGDPはかろうじて増え、マイナスにはなっていません。

 投票率が低かったのは、政権の「針小棒大な」成果の宣伝にしらける一方、あえて「反対票」を野党に入れるという気分にもならず、投票に行かなかった有権者が多かったためではないでしょうか。

 今回の参院選でもカギとなった「経済成長」ですが、それが実現したからといって、いろいろな問題が自動的に解決するわけでは決してありません。

 例えば、参院選の争点のひとつになった「老後の2千万円不足」に象徴される年金不安があります。原因は長引く少子化で現役世代の数が減る一方、長寿化で高齢世代の数が増えていることです。

 そんな中で、安倍政権の掲げる「2%インフレ」が達成されれば、年金の給付水準を自動的に調整する「マクロ経済スライド」が発動し、物価は上がっても年金は増えません。他方、消費増税で年金受給世帯の負担感は増すことになり、「ダブルパンチ」になります。このことを理解して今回投票した年金生活者はいったいどれだけいたのでしょうか。

 理解されていないのは、日銀の「異次元の金融緩和」の副作用も同じです。インフレになって金利が上がれば、国債の市場価格は下落します。400兆円以上を保有する日銀は債務超過となり、その発行する日銀券(お札)の価値が下落しかねません。わずかばかりの経済成長のためにとんでもないリスクを抱え込んだのが、「アベノミクス」の実態です。

 本来、政治が取り組むべきは抽象的な「経済成長」などではなく、女性と若者の賃上げによる内需拡大、これ以上の少子化の食い止めです。だからこそ、この参院選で多くの政党が最低賃金の引き上げを訴えたのです。さまざまな少子化対策の公約が打ち出されたことも評価はできますが、まだ濃淡があります。

 アベノミクスのように、政府の借金を増やし、日銀の財務の健全性も損なってまで、目先の経済成長を求めることは、来たるべき反動への不安をかきたてて、少子化を進めることにつながり、長期的な日本の繁栄にはマイナスです。後世に「経済成長の早期達成を安請け合いする公約には要注意」という教訓が残れば、せめてもの救いなのですが。
(聞き手・日浦統)
(もたにこうすけ、1964年生まれ。日本政策投資銀行などを経て、2012年より現職。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」など)

社会運動からの課題提起、ようやく光
稲葉剛さん(つくろい東京ファンド代表理事)
  

 今回の参院選では、野党が「2千万円問題」で与党を攻め立てる構図が見られました。年金だけでは老後の生活を支えられないのではないか、という有権者の深刻な不安を背景にした批判です。

 2千万円問題があぶり出したのは、日本社会の「中間層」にあたる人びとが経済的にやせ細り、その地盤沈下がいよいよ隠せなくなってきているという実態でしょう。実際、この十数年間に日本では、貧困の問題が拡大してきています。

 選挙戦で示された野党の主張を見ていて以前と変わりつつあるなと感じたのは、住まいの問題に光が当てられ始めたことです。賃貸住宅で暮らす世帯への「家賃補助」が掲げられたり、低家賃の「公的住宅」を拡大する政策が訴えられたりしていました。持ち家を奨励する政策が中心で、賃貸住宅での暮らしを充実・安定させる政策が手薄だと言われてきた日本にあって、ようやく住宅政策の見直しが意識され始めているのです。

 個々人の収入を増やす政策や生活保護などの福祉政策だけではもはや足りないことが明らかになり、生活の根幹である「居住」のありようを見直すことも必要だという認識が広がっている構図です。

 振り返れば、日本社会で貧困の存在が可視化されたのは今から10年ほど前のことでした。派遣切りに遭った人たちを支援する派遣村が設けられ、注目を集めたことが契機になっています。

 この10年間に起きた変化の一つは、絶対的貧困と呼ばれる問題の改善です。貧困に苦しむ人への支援が広がり、路上生活者がこの時期に約5分の1に減っていることが象徴的です。もう一つ起きたのが、相対的貧困の増大です。生活が苦しいと感じる人が増えてきたのです。相対的貧困の問題が深刻化したのは、政府の政策によって非正規労働が拡大されたことが要因だと私は見ます。目的は、企業の人件費負担を圧縮するためでした。

 中間層に持ち家を持たせることを支援する従来の住宅政策は、正規労働者を中心とする「日本型雇用システム」の存在を前提にしていました。30年以上もの長期間にわたって住宅ローンを支払い続けられる労働者が必要であり、終身雇用と年功序列を特徴とする旧来の雇用システムが、それを支えていました。また住宅費と並ぶ重い負担である子どもの教育費についても、年功序列の賃金上昇でカバーできました。かつて老後が安定していたとすればそれは、ローンを払い終えた持ち家と、夫婦2人分の生活を支えられる年金があったからだと思います。

 この旧システムの特徴は、住宅や教育への重い出費を各世帯が「賃金収入から払う」ことでした。しかし、それが成り立つ前提は2000年代を通じて崩れました。非正規労働が広がり、住宅費も教育費も賃金収入で担う方式の無理があらわになった。家賃負担にあえぐ世帯のために公的な家賃補助や公共住宅の充実といった政策が提示され始めたのは、そうした社会の変化を映したものです。

 非正規労働の拡大によって従来の日本型雇用システムは崩壊しました。にもかかわらず、政治は人びとの生活を支える新しい仕組みを提示できず、従来のシステムの手直しにとどまっています。こうした現状が、いま日本を覆っている行き詰まり感の根っこにあると思います。

 社会をより良くしようと活動する人びとと多く出会っていて少し不安を感じるのは、NPOや社会的起業による民間の創意工夫には高い関心を向ける半面、政府の政策を変えようとする動きが低調な傾向です。政治へのあきらめがあるのかもしれませんが、民間だけでは貧困は解決できません。貧困のような構造的な問題を解決するには、政府の巨大な力を活用して普遍的な支援の体制を築きあげていく作業がやはり欠かせないのです。

 生活への公的な支援を充実させる方向に政府の役割を変えるべきだという異議申し立ては、参院選での議論にも表れたと思います。ただ、それが旧システムの終わりの始まりになるかは未知数です。投票率は低く、日本では自己責任論が広がり、社会としての連帯感は10年前より後退している印象さえあるからです。

 先日、元ハンセン病患者の家族を支援する方向に政府が政策を転換しました。参院選を意識したものだと言われましたが、長年にわたる当事者や支援者の地道な活動があっての転換だった事実を忘れるべきではありません。日本では社会運動が弱いと指摘されますが、今回の転換から見えたのは、この社会にも「課題を設定する力」はあるという事実です。

 問題は山積みですが、社会運動による課題提起の力を、野党の公約だけでなく現実政治の転換にまでつなげていければと考えています。
(聞き手 編集委員・塩倉裕)
(いなばつよし、1969年生まれ。つくろい東京ファンドなどを拠点に貧困解消の活動に取り組む。立教大学特任准教授(居住福祉論)


朝日新聞・耕論、2019年7月23日05時00分
選挙戦で見えたものは
牧原出さん、藻谷浩介さん、稲葉剛さん

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14108684.html

 参院選が終わりました。いろいろな観点で語られるべき問題ですが、既存のジャーナリズムにとって、ネット世界で進行しつつある事実を伝えることひとつとっても容易ではないことをあらためて印象付けました。あからさまな悪意に基づくものでない限り、それは文字通りジャーナリズム側の怠慢によるものだけに深刻です。

 と書いても、既存の新聞社やテレビ局で働く人たちがどれほど実感できているかは怪しい。
 山本太郎さんが立ち上げた「れいわ新選組」のことです。
 既存の報道側が自ら設定したルール(実はその気になれば変えられる)によると、「新選組」は政党ではないので事実上泡沫候補扱い。選挙運動が始まってもほとんど報道されませんでした。党首座談会にも呼ばれない「新選組」が比例で2議席、政党要件まで獲得してしまったのです。その重みを日本の政治状況との関連で受け止められない人は、報道メディア、ジャーナリズムを担う資格はありません。

 個人的に関心があって、インターネットでずっとフォローしてきました。山本さんの国会での活動をあらためてチェックし、「新選組」に参加した立候補者について調べました。主にYouTubeで公開された映像を毎晩チェックするだけの単純な作業でした。何しろ新聞を見ても、テレビを見ても、泡沫扱いされているので知る術がありません。

 既存のメディアにとって致命的なまでに重要なのは、新聞やテレビが報じなくとも、ネットにはありとあらゆる情報が転がっていたことです。山本さんとともに立ち上がった候補者9人がどんな人であるかも詳細に理解できました。新聞の候補者紹介のような紋切り型で深みに欠けるテキストとは異なり、「当事者こそが最も優れた専門家」であるという山本さんの言葉の意味がよく伝わってきます。参院選の結果にかかわらず、国会内外での市民運動的な展開まで想像できました。このような動きを全く報道しないでいいのだろうか。たまりかねて、Facebookに「自殺行為」と書き込んだのは7月16日のことでした。

 候補者一人ひとりの街頭演説もほとんどすべてをフォローできました。言葉の持つ力を毎夜感じるのに翌日の新聞、テレビでは一切紹介されませんでした。既存のメディアの「助け」なしに政党要件まで獲得し、次の衆院選をにらむ「新選組」。

 既存のメディアは自己都合や手順にこだわり、事実を伝えるという報道機関の役割さえ果たしてこなかったことを一度は総括すべきでしょう。

 2議席当確が出た時間帯、都内で開かれた会見では、大手新聞社の記者から「(今回の参院選報道を踏まえて)メディアに伝えたいメッセージは何か」という質問が出ました。

「新選組」候補者の一人が「僕たちはインターネットだけでここまでたどり着いた。それは、あなたがた既存のメディアのやり方そのものが意味をなさなくなっていることを示す」と答えました。興味があったらネットを検索してください。


[写真]
JR仙台駅での街頭演説。立憲民主党の石垣のりこさんと同流した(2019年7月17日)

Web日誌2.0、2019年7月22日
「れいわ新選組」が意味するもの/感度ゼロだった既存メディア
佐藤和文、メディアプロジェクト仙台
http://www.media-project-sendai.com/

The election of two candidates with serious disabilities to Japan's parliament was hailed by activists Monday, saying it could help boost understanding and improve infrastructure for those in the community.

Yasuhiko Funago has Amyotrophic Lateral Sclerosis (ALS), a neurological disease that causes loss of muscle control, and Eiko Kimura has cerebral palsy, which can affect movement.

Both candidates, who use wheelchairs, were elected to the upper house on the ticket of a newly formed opposition party.

"I look frail but I've got strong guts. I'm putting my life at stake," 61-year-old Funago said in a message, read by his caregiver, on Sunday after his election victory.

"I don't want other disabled people to suffer like me," added Funago, who uses a special slightly reclined wheelchair and an artificial respirator.
Japan's cabinet office says there are 9.63 million people in the country with physical, mental or intellectual disabilities.

"I want people to look at me with their own eyes and think once again what necessary assistance should be like," Funago added.
The head of Japan's ALS association hailed Funago's election as a "landmark."

"It is unprecedented social participation and a landmark that a severely disabled person... will play an active role in national politics," Shigeyuki Shimamori said in a statement.

"We want people to understand Mr Funago's disability, and make the national parliament barrier-free for wheelchairs, and give reasonable consideration to those with communication difficulty," he added.

Funago is the first person with ALS to be elected to the national parliament, although there have been lawmakers who used wheelchairs before.

Kimura, 54, who is paralysed from the neck down, called during her campaign for a system to ensure necessary care for the disabled.

The election wins come as government officials tout efforts to improve infrastructure for people with disabilities ahead of the Paralympics in Tokyo in 2020.

But activists say the community is often poorly integrated into Japanese society, and point to a horrific 2016 stabbing attack that killed 19 people at a care home for the disabled as evidence that attitudes need to change.

"Disabled people winning elections and becoming elected officials in Japan is very important as a symbol of a possible change in attitudes towards the disabled in Japan," said Michael Gillan Peckitt, a part-time lecturer at Osaka University, and an expert on disability studies.

"Japan as a country is not necessarily much worse than other countries overall when it comes to access, but sometimes cultural attitudes can appear to be different and seemingly more negative," he told AFP.

The election of Funago and Kimura is expected to require adjustments at the national parliament, or Diet.

"The wheelchair Mr Funago is using seems larger and heavier than the standard wheelchair politicians have used before," a Diet spokeswoman told AFP.

"So we'll ask him what is necessary and the parliamentary committee for rules and administration will discuss the matter."

Funago also relies on a caretaker, whose presence throughout parliamentary and committee sessions will be discussed.


[photo-1]
Newly elected lawmaker Eiko Kimura, who is paralysed from the neck down, has called for a system to ensure necessary care for the disabled

[photo-2]
Yasuhiko is the first person with ALS, Amyotrophic Lateral Sclerosis, to be elected to Japan's national parliament

AFP、22 Jul 2019
Activists hail Japan election of lawmakers with serious disabilities
https://www.afp.com/en/news/15/activists-hail-japan-election-lawmakers-serious-disabilities-doc-1j01f91

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むのたけじさんの精神受け継ぐ

[秋田県横手市] 太平洋戦争後、朝日新聞社を退社して故郷の秋田県で自ら「週刊たいまつ」を発刊したジャーナリスト、故むのたけじさんの特別展が横手市にある雄物川郷土資料館で開かれています。
 2019年3月24日まで。

 特別展は遺族が横手市横手図書館に寄贈した資料や遺品を中心に組み立てられ、反戦・平和にかけたむのさんの思いが強く伝わる内容になっています。
 特に90歳を越えてから書きためた色紙が壁一面に展示されている様は、不屈のジャーナリストらしい切れ味が迫力十分です。
 執筆期日などのデータが記されていないだけに、見る者の心をかえって揺さぶるようです。
 色紙81枚の中から適宜選んで紹介します。じっくり味わってください。

嵐はたいまつを消すことができる。たいまつの炎々と燃えるのも嵐のときだ。

沖縄の風と水が好きだ。人を人にする。

地震に地球の怒りを感じないか。人類は地球を怒らせていないか。

地球を汚すな、地球の生命は最長ならあと55億年 最短でも40億年には終る。後続の者たちのため地球をよごすまい。

散り桜 椿の根っこに食べさせる 椿の花たちキンモクセイに

農耕する人たちは地球のメンコ(愛児)だな。汗は必ず咲いて実る。あすとあさっても

老いても闇を恐れない。幼少を無電灯で育ったから。三つ児百マデダナ。

笑ってごまかすな。相手と自分と二重に裏切る。ごまかすならゴマかすつらでゴマかせ。

人は本気になると物を言わずにやる。言葉はいのちの薪となる

しずくでもあらしでも水は水。同様に状態や状況はどうあれ人は人。人をつらぬく人は、そうですね。太陽の子だな。

夜が朝を生む。

始めに戦え 終わりに笑え

お前は誰だ、百姓の子 お前は誰だ、プロレタリアート。お前は誰だ。俺だ。

自分の頭脳の主人になるな、召使いになるな。一対一の友を通せ。

死ぬときそこが生涯のてっぺん


 むのさんは2016年8月21日、101歳で亡くなりました。
 1000枚を超える色紙のほか「語録」と題された大判のノートが家族に託されたそうです。
 それらについては、岩波新書「99歳一日一言」として出版されています。
 むのさんは「著者の願い」のなかで、
「矛盾だ、歪曲だ、偏向だなどと非難される言葉もあるでしょう。当然です。まだ生きている一人間のナマの生活から出た言葉ですから、もしそんな言葉に出会ったら、あなた自身の言葉で四方八方から叩いてください」
と書いています。


TOHOKU 360、2019年3月6日
色紙にこめた反戦・平和・エコ/秋田県横手市でむのたけじ特別展
文・写真/佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)
http://tohoku360.com/munotakeji/

『言わねばならないこと─新聞人 桐生悠々の警鐘』
(製作:北陸朝日放送、ディレクター・黒崎正己、テレビドキュメンタリー番組・60分)

 第1回「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」大賞受賞作品です。
「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」は、「たいまつ新聞を念頭に置いて、地域に根ざし、住民の生活向上を計ることを目的に、発信・活動してきた個人、団体を対象にする」もので、昨年始まった賞です。既存の賞からは漏れがちな個人や規模の小さな団体で発行しているものも選考対象にし、光をあてようとすることも目的の一つ」としています。
 それにふさわしい作品だと実感しました。

 この作品を製作した、北陸朝日放送は金沢に本社のあるテレビ地方局。
 ディレクターの黒崎正己さんはその北陸朝日放送報道制作部の報道担当部長です。
 それだけでもこのような政権のやることに真っ向から疑問を呈している作品が地方のテレビ局ではできるのかと驚きでした。

 テレビをはじめとするメディアが、安倍政権によっていいようにされていると、ふがいなさを嘆き、そう思い込んでいる私たちにとって、目が覚めるような思いです。
 戦前の桐生悠々の権力に対するたたかいと重ね合わせ、いまの新聞、報道、ジャーナリズムを批判しているからです。

 作品の「すごさ」を伝えるために、この作品のアバンタイトル部分(プロローグ部分)の音声を採録しましたので、少し長くなりますが、その内容と語り口、そしてこの作品で語ろうとしているものを感じ取ってください。
ナレーション(演出の黒崎さん自身)

「85年前、ある新聞記者が残したスクラップブックがあります。ヒットラー首相誕生。国際連盟脱退。五・一五事件。国内外の激動を縦横に論じた記事は一本のお詫びで止まっています。『一週間はしばらく筆を断つ』。記者はその後二度と新聞でペンをとることはありませんでした。桐生悠々、軍部の防空演習を嗤った代償でした。」

中村敦夫(語り)
「帝都の上空において敵機を抑え撃つが如き作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、パペットショウに過ぎない」(桐生悠々)

ナレーション
「軍部の圧力と特高警察の検閲、彼が抵抗のよりどころにしたのは個人雑誌でした。」

「日本のジャーナリズムっていうのは、非常に冷たいところあって、」(作家 井出孫六)
「桐生悠々を信毎という会社が守り切れなかったという悔恨の思いで」(信濃毎日新聞 松山貢一)

ナレーション
「昭和の日本が軍国主義に舵を切った満州事変、世論を扇動したのは軍部を批判してきた新聞でした。」

「戦争になれば、一番新聞が発展するというわけですね、戦争報道は何といっても新聞にとってですね、最大のニュース源ですから。」(ジャーナリスト 前坂俊之)
「北朝鮮の脅かしに屈してはならないのであって…」(首相 安倍晋三)

ナレーション
「安倍政権が全国で繰り返したミサイル攻撃の避難訓練。住民を動員し、危機感を煽った意図は何だったのか?」

「空襲の恐怖というのは、言わば国民を動員するための道、」(神戸大学名誉教授 須崎愼一)

ナレーション
「抵抗するものは排除し、安全のために自由を規制し、情報は隠蔽する。彼が生きたあの時代と重なります。」

「時代が違うから今、民主主義の社会だからそんなことはあり得ないっていうふうに考えること自体が現実をリアルに見てない」(小樽商科大学名誉教授 荻野富士夫)
「声を上げなかったら、官邸の前で叫んでいる人たちの思いを誰が伝えることができるのかって」(東京新聞社会部記者 望月衣塑子)
「過去に学ぶということは、いかに大事かってことを今ほど感じていることはないですね。」
(桐生悠々の孫 原文哉)

ナレーション
「言論統制の時代をペン1本で闘った桐生悠々、言わねばならないことを言い続けた新聞人からの警鐘です。」

 安倍政権が成立して以来、私たちがずっと感じてきた「社会全体を覆う息苦しさ」のもとは、何なのか、この作品は明確に示しています。
 よく、昭和の「戦争に向かっていく時代」と「安倍政権ができてからの政治、社会の状況」が似かよっていると言われてきましたが、この作品は、その原因がどこにあるのかをよくわからせてくれます。
 権力をもっているものが不都合なことを隠そうとする、隠蔽しようとする、ごまかす、まともに論議しない、そしてそれを問い正したり、批判しようとするものに圧力を加える。
 そしてみんな黙っていってしまう、……。

 ペンを武器に、桐生悠々が反軍部、反ファシズムの論陣を張ってたたかったのは、満州事変以降、急速に軍国主義化していく中、軍部や特高警察といった権力に対してです。
 そうした中で信濃毎日新聞の社説に『関東防空大演習を嗤う』という文章を書いて、退職を迫られます。

 このドキュメンタリー作品の中では、『関東防空大演習を嗤う』の社説と昨年全国で行われた「北朝鮮のミサイル避難訓練」を重ね合わせます。
 たしかに、みんなが「あれはおかしい、バカバカしい、あり得ない」と思っているにもかかわらず、行政の役人は黙々とそれに従って国民を「指導」し、既成事実をつくります。
 メディアはそれを批判せず事実として報道します。
 しかし、それを「嗤う」ものに対しては、「危機に対して、まじめに取り組んでいるものを、笑うとはお前は売国奴か」という空気が社会を支配していくことになります。
 おそらくそれこそがミサイル避難訓練をする側の「ねらい」なのです。

 さらに、自衛隊を一度憲法の中に加え、軍隊と認めさせてしまえば、戦争に反対する、自衛隊や米軍に文句を言うだけで、逮捕されるようにならないとどうして言えるでしょうか。
 そうしたことは今までも、今も、目に見えにくい形で起きているのですから。
 そうした目に見えにくい、おかしなことをきっちり問題にしていくことが何より大切であることをこの作品は教えてくれます。
 
「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」の集まりで、この作品のディレクターの黒崎さんのお話を聞く機会がありました。
 こうした内容で番組をつくることに、テレビ局内で反対されたり、圧力をかけられたりしなかったですか?という質問が多くありました。
 黒崎さんがさらりと答えた言葉が印象的でした。

「テレビ番組などではナレーションで、よく『私たちは…』と言いがちですが、この作品のナレーションでは『わたしは…』で通しています」

 つまり局の意見としてではなくて、作り手である私が、責任もって、言っている、という覚悟のようなものをその話に感じました。
 今、活動をするにしても、報道をするにしても、ひとりひとりがそのあたりの覚悟をもって、変えていかなくては、きっとまた巻き込まれていってしまうのではないでしょうか。
 まさに「言わねばならないこと」を言う覚悟です。


※[上映情報]憲法を考えるちいさな映画の会(試写会)
日時:2019年7月14日(日)13:30〜16:00
会場:文京区民センター2A会議室

法学館憲法研究所
テレビドキュメンタリー作品『言わねばならないこと─新聞人 桐生悠々の警鐘』
花崎哲さん(憲法を考える映画の会)
http://www.jicl.jp/cinema/backnumber/20190708.html

 3年前、101歳で亡くなるまで反戦を訴え続けた「反骨のジャーナリスト」むのたけじさんの精神を受け継ぐために創設された「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」第2回公募の集いが2019年6月1日、文京区民センターで開かれる。

 むのさんは終戦後、戦争報道に責任を感じて朝日新聞社を退社。
 秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を30年間発刊し、晩年は埼玉県に住み執筆活動した。

 第一回の授賞式は2月に都内で開催。

 集いでは、大賞となった北陸朝日放送制作のドキュメンタリー番組「言わねばならないこと −新聞人・桐生悠々の警鐘−」を上映。
 反軍、反ファシズムの言論活動をした桐生についてディレクターの黒崎正己(まさき)さんが解説する。

 続いて実行委共同代表のルポライター鎌田慧さん、評論家佐高信さん、武蔵大教授永田浩三さんらが登壇。
「今、危機的状況かメディア・ジャーナリズム、地域・民衆ジャーナリズム」などをテーマに討議し、第二回むのたけじ賞への期待について語り合う。

 会場からの発言の場もある。
 その後、第二回の募集要項を発表し、公募を呼びかける。
 午後1時10分開場。資料代500円。
 問い合わせは、事務局の武内さん=電090(2173)2591=へ。


[写真]
桐生悠々と創刊した個人誌「他山の石」(「言わねばならないこと」の一場面)

東京新聞、2019年5月31日
むのたけじさんの精神受け継ぐ
文京であす、公募の集い

https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201905/CK2019053102000125.html

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むのたけじは、101歳で亡くなるまで反戦を訴え続けた

 日本には、101歳で亡くなるまで反戦を訴え続けた孤高のジャーナリスト、むのたけじさん(1915-2016)がいた。
 影響を受けた市民やジャーナリストらにより「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」が創設され、むのさんの精神を受け継ごうとしている。

 戦時中に新聞記者として国民に真実を伝えられなかった責任を感じ、終戦の日に一人、朝日新聞をやめた。
 故郷の秋田県に戻り、30年間、庶民の目線で社会問題を報じる週刊新聞「たいまつ」を発行し続ける。

 その後も執筆活動や講演を続け、平和を守る言葉を発し続けた生涯現役のジャーナリストだった。

 最晩年、むのさんは「第2次世界大戦が始まる前に近い空気になっている」と危機感を募らせていた。
 今こそ、むのさんの言葉をかみしめたい。

戦争は始める前に止めなければならない

 戦時中、朝日新聞の従軍記者や遊軍記者として記事を書いていたむのさんは、敗戦色が濃厚でありながら戦況を覆い隠す報道を続けた新聞社の一員として忸怩たる思いを抱えていた。

 ポツダム宣言を受諾して降伏したことが朝日新聞のデスク席に届いたのは1945年8月12日の午後2時10分ごろだったと、その場にいたむのさんは記録している。
 読者を裏切り続けたことのケジメをつけないで、社屋に掲げている国旗と社旗を星条旗に変えるだけで、このまま新聞の発行を続けていたら、同じあやまちを一層大きく繰り返すことになる。ケジメを考えようでないか」と言い続けていた。
(『希望は絶望のど真ん中に』より)

 賛同する記者はおらず、8月15日に玉音放送があるまで、新聞はそれまでと変わらぬ報道を繰り返した。
 むのさんは、14日の夜に「おれは明日からこの会社にはもう来ない」と言って、退職した。30歳だった。
 当時、妻子を抱え、生活のあてはない。
 長女のゆかりさんは前年に疫痢で亡くしていた。
 医師も戦争に駆り出され、治療を全く受けられないまま3歳で命を落とした我が子の骨壺を抱えた時に胸に刻まれた思いをむのさんはこう書いた。
 焼かれて両手ですくい上げられるほどになった人骨を壺におさめた日は、台風一過の青空に赤とんぼがむれ飛んでいた。骨壺を抱いた父親は、のろのろ歩いていた。のろのろしたその歩みは、彼にとってきのうまでとちがった歩みであった。徹底した反戦主義者の第一歩であった。
(『たいまつ十六年』より)

 むのさんは、そんな戦争を加速させ、長引かせた報道についてこう書き残している。
 あの時の新聞社の者たちは「自己規制」におちいっていた、と多くの人たちが説明してきた。光景はそう見えた。憲兵や特別高等警察官や内務省検閲係などが、直接に新聞社の中に入ってきて干渉や取り締まりをやったことは全く一度もない。新聞社自体、そこで働いていた者たち自身が自分たちで自分らの仕事に圧力を加えて縛っていたのですから「自己規制」と形容したであろう。現実には「殺さなければ殺される」という戦争そのものに、新聞社は戦わずして殺されていた。つまり「自己喪失」=「自殺」がその姿の実体でしたな。
(『希望は絶望のど真ん中に』より)

 100歳になった2015年7月21日には、安全保障関連法案が衆議院で可決されたのを受け、戦争を知るジャーナリストの一人として記者会見に臨んだ。その時に訴えた言葉はこうだ。

戦争をやめさせようと思ったら始める前に力を尽くして始めさせない。それしか手はないです。戦争が始まってしまえばもうどうにもなりません

「たいまつ」を燃やして 草の根の民衆運動

 戦後、社会運動を模索していたむのさんは、全国的なストライキがマッカーサーの指令で潰されたことにショックを受け、「どん底から出直しだ」と故郷の秋田県に妻子を連れて戻った。
 ジャーナリストとしてできることは、民衆と社会をつなぐ週刊新聞「たいまつ」を創刊し、草の根から民主主義を育てることだと考えたのだ。
 題号は「たいまつ」ときまった。世の中は、くらいくらい世の中である、と思われたから。もるべき主な内容は、主張(新聞社側と読者側の)と解説であった。主張をとり戻すことは、日本にとっても新聞にとっても、何より大切だと思われたから。そしてまた、たとえば大きな国際事件でも自分らの身辺の小さな事柄とどうつながっているか、いないか、自分らの中の小さいと見える出来事がどんな時代的意義をもち、国全体あるいは世界全体の問題とどうつながっているか、いないか、こうした吟味が必要であると思われたから。
(『たいまつ十六年』より)

 創刊号には、横手中学校時代の国語教師で、当時からむのさんの文才を評価して作文指導をしていた流行作家、石坂洋次郎さんが署名記事を寄せた。
 むのさん自身は、たいまつ新聞の創刊号にこんな決意表明を書いた。
 国民の心にとけこんだほんとうに信頼される新聞を私どもは育てたいと存じます、苦しんでいる人や貧乏な人やいつも馬鹿をみている正直者には愛され悪利をむさぼる者や政治ボス共には激しく憎まれる新聞−−週刊「たいまつ」はそのようなものになりたいと思います。
(「たいまつ創刊号」より)

 農業、教育、国際情勢まで幅広くテーマにし、それを元に市民と学習会を開く。
 自身が執筆、組版、印刷も行い、妻子も新聞の勧誘、配達、集金までを担った。
 経営に苦しみながらも、たいまつは、1978年までの30年間、780号まで発行した。
 たいまつに掲載した言葉をまとめた本『詞集たいまつ』は版を重ね、全国での講演会は4000回以上を重ねた。

広がる影響 人を鼓舞する言葉

 むのさんの言葉は、日本中の読者の心をつかみ、後に続くジャーナリストにも生涯にわたる影響を与え続けている。
 ノンフィクション作家の清武英利さんは、宮崎南高校の学生だった1967年、国語の教師にその年に発行された『詞集たいまつ』を借りて、むのたけじの存在を知る。
「この世の中には自分の職を賭して信念を曲げなかった人が本当にいるのか」と驚いた。
 地元教職員組合の組合員で、学歴主義を掲げる校長に抵抗を続けていた国語教師は、「勉強は成績のいい者だけがやるものではない。大学には勉強ができない子が行くべきだ」というのが口癖だった。本に挟まれたむのさん自筆のハガキから、当時、組合にむのさんが講演に来たことがわかる。

「秋田から遠く離れた宮崎の教職員にとっても太陽のような人だったのでしょう。僕も何のために生きるのか悩んでいた多感な時期でしたから、こういう抵抗の人になりたいと感動しました。それからずっと折に触れて読み返し、自分を鼓舞し続けてくれる聖書のような存在です」

 読売新聞社会部時代、戦中の報道に関わった先輩たちの手記をもらって読んだことがある。

「『英米撃沈』などと日本が勝つかのように書いていた記者が、戦後は見事に180度転換しているわけだ。そんな中で、むのさんのような生き方をした人がたった一人でもいる。それは希望になるんです」

 借りたまま返さなかったその本にはたくさんの付箋が貼られ、好きな言葉には鉛筆で先生の、赤ペンや青鉛筆で清武さんの傍線が引かれている。冒頭の言葉は赤いマジックペンで囲ってあった。
 はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ。歓喜するなら最後に歓喜せよ。途中で泣くな。途中で笑うな。
(『詞集たいまつ』より)

 清武さんは読売巨人軍代表として渡辺恒雄氏に異議を唱えた頃、この言葉を何度も読み返したのを覚えている。

「自分の人生の標語だから。生きる指針です」
 ウソをホントということや、ホントをウソということはさほどむずかしくないが、ホントをホント、ウソをウソと言い伝えることは実にむずかしくなり、それを一般国民が仕様のないことだとして黙過する状況が、通常時としてせり上がってきてはいないか。もしそうだとすればそれはあきらかに破局の近づきを告げるしるしであろう。
(『詞集たいまつ』より)

「現代の状況もこの言葉と全然変わっていないと思いませんか? つまり、これは真理なんです。腹をくくって生きた人だから、時代を超えた人間の真理が書けた。政治家や官僚の言葉が全く信用できず、ちり紙よりも軽くなっている今、会社を辞めて責任を取ったむのさんの言葉は重みがあるし、余計響く」

 むのさんの言葉を胸に清武さんが描き続けるのは、自分の言葉に責任を持ち、「巨大な組織の餌付けを拒んで生きる人」だ。

政治家の言葉が二重の意味を持つ 第二次世界大戦と似た状況

 晩年、網膜剥離や胃がん、肺がんと度重なる病気に苦しんだむのさん。
 当時、順天堂大学医学部に生物学者として勤務していた次男の武野大策さん(65)が、東京に呼び寄せ、病院に付き添っていた。
 2011年1月、95歳でむのさんが心不全を患い、東日本大震災が起きて帰宅が難しくなったのを機に、埼玉県の大策さんの家で一緒に暮らすようになった。
 気力が萎えたように見えた父を励まそうと、本の執筆を持ちかけ、執筆や講演の付き添いなどを手伝うようになった。
『99歳一日一言』も二人で作った本だ。
拝むなら自分を拝め。
賽銭出すなら自分に渡せ。
自分をいたわれ。
自分こそ一切の原点。

(『99歳一日一言』より)

 年をとって活字が見えにくくなったむのさんは、毎日ラジオを付けっ放しにして、ニュースを聴き続けていた。
 最晩年には、繰り返し「第二次世界大戦が終わって70年経った今がもっとも戦争前に近い空気を感じる」と大策さんに話していた。

よく言っていたのは、戦争前は政治家の言葉がストレートに受け止められなくなっていたということです。そして、現在も政治家の言葉が二重の意味を持ち、すり替えとすり抜けを繰り返していると話していました。軍国主義に向かう政策を、『積極的平和主義』などとすり替える。国民もそれに危機感を抱かなくなっていることに強い懸念を示していました

 100歳の時、
「ジャーナリズムは歴史の日記帳です。過去に何があるから、現在こうなっていて、明日はこうなるだろうと、社会現象の原因を明らかにしながら誤りなき明日を作るべく努力するのがジャーナリズム」と語ったむのさん。
 集会に呼ばれる度に、「日本のジャーナリズムはくたばった」「情けないね。日本のジャーナリズムは」と叱咤を続けた。
 それでも大策さんは「父ほどジャーナリズムの力を信じていた人はいなかった」と話す。

「非常に楽観的に若い人に対する期待感を持っていたと思います。第二次世界大戦も、朝日、毎日だけでも力を合わせたら止められたはずだと晩年よくいい、ジャーナリズムは世の中を変えていく力になる、戦争を止められるのはジャーナリズムだと話していました。最後までジャーナリズムの力を信じていたんです」

むのたけじ賞創設 その精神を受け継ぐために

 そして、2018年6月12日、「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」が創設された。
 晩年、さいたま市で暮らしていたむのさんは、市民が運営する「埼玉・市民ジャーナリズム講座」で講演した縁がある。
 運営メンバーから、「むのたけじ賞」を作ってむのさんの精神を受け継ぎたいと声が上がり、むのさんの影響を受けたジャーナリスト、鎌田慧さんや佐高信さんらが呼びかけ人となった。

 むのさんの「自己責任の全体重をかけた、自己を賭けた発言」に影響を受けたという鎌田さんは、「地域で新聞を作ってそこから民主主義を広げていく」という「たいまつ」のあり方こそが、「民衆ジャーナリズム」だと言う。

「民衆ジャーナリズムは草の根から、いろんなものを吸い上げ、流れていく水平運動。むのさんの精神も水平運動であり、市民とジャーナリストが一緒にそういう精神の賞を作り、日本のジャーナリズムが力を持っていくための媒介にしたい」と語った。

 佐高さんは、「8月15日に自分の言論に責任を感じて辞表を出した記者が一人でもいたということは、日本のメディアを救った」と語り、「むのたけじは自分の言論に生き方を賭けた。残念ながらそういうジャーナリストはこの国にはほとんどいない。むの精神を受け継ぐ者出でよ」と呼びかけた。

 賞は、地域に根ざして人々の生活向上に貢献する発信や活動をしてきた個人・団体が対象になり、
(1)紙を媒体にする、新聞、出版、地域紙など
(2)それ以外のネットメディア、 SNS、映画、演劇、美術などの2部門が対象となる。
 2017年10月〜2018年10月に発表されたものが選考対象になる。
 応募や問い合わせは、「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」実行委員会事務局、武内暁さん(電話 090-2173-2591、メール satoru.takeuchi9@gmail.com、さいたま市中央区新中里1-5-19-206)まで。
 応募は10月まで。
 運営はカンパで賄う。「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」カンパの振込先は、ゆうちょ銀行 店番038 普通8167066 まで。
 ツイッター(@munotakeji)、フェイスブック「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」でも情報を発信している。

[写真-1]
2016年5月6日、亡くなる3ヶ月前に埼玉県の自宅で。最後まで反戦・平和を唱え続けていた。

[写真-2]
1942年、朝日新聞ジャカルタ支局に赴任していたむのさん。

[写真-3]
1944年、埼玉県の自宅で写した長女ゆかりさん。娘の死はむのさんの反戦の意志を確固たるものにした。

[写真-4]
新聞「たいまつ」の活字を自分で組むむのたけじさん。1968年、秋田県横手市の自宅で。

[写真-5]
むのたけじさんが書いた色紙

[写真-6]
たいまつ創刊号。恩師の石坂洋次郎が署名記事を寄せた。

[写真-7]
常に民衆の立場に身を置きながら、視野は世界に広がっていた。

[写真-8]
折に触れて読み返してきた『詞集たいまつ』を手にする清武英利さん

[写真-9]
先生から借りっぱなしの『詞集たいまつ』に挟まれていたむのさん自筆のハガキ。宮崎の教職員組合宛てに講演内容を問い合わせる内容だった。

[写真-10]
清武さんの持つ『詞集たいまつ』には印象に残る言葉にたくさん線がひかれている。

[写真-11]
両親の遺影の前で思い出を語る武野大策さん

[写真-12]
亡くなる3ヶ月前、最後に公の場で話した憲法集会で。「第三次世界大戦を許すならば、地球は動植物の大半を死なせるでしょう。そんなことを許すわけにはいきません。戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格はない。この覚悟を持ってとことん頑張りましょう」と声を張り上げた(2016年5月3日)

Buzzfeed News、 2018/06/19 17:01
ジャーナリズムはくたばったか?
抵抗者であり続けたむのたけじの今も生きる言葉
草の根から反戦・平和を訴え続けた生涯現役のジャーナリスト、むのたけじさんの精神を受け継ごうと、名前を冠した賞が創設された。

(岩永直子 BuzzFeed News Editor, Japan)
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/munotakeji-kotoba

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むのたけじ

 テレビ朝日の番組「報道ステーション」に準レギュラーのコメンテーターとして元経産官僚の古賀茂明が出演していたらしい。その古賀が3月いっぱいで番組を降板することになり、3月27日の放送中、「テレビ朝日の早河会長、古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で、私は今日が最後です」と発言、その直後にメイン・キャスターの古舘伊知郎と口論になって話題になったようだが、問題はそうした事態が生じた理由。安倍晋三政権からの圧力のためだというのだ。

 安倍首相は14年前にも番組の内容を変えさせるためにマスコミへ圧力をかけたとして話題になっている。2001年1月30日にNHKはETV特集「問われる戦時性暴力」を放送したのだが、その内容が政治的な圧力で改変されたとされているのだ。その当事者のひとりが安倍だった。

 2007年1月に東京高裁が出した判決によると、松尾武放送総局長や野島直樹国会担当局長が国会議員などと接触、「その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされた」ため、「松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」

 松尾総局長と野島局長を呼び出したのは中川昭一や安倍で、「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたと伝えられている。そうした会談を受け、松尾、野島、そして伊東律子番組制作局長が参加して「局長試写」が行われる。

 当初、安倍やNHKは報道内容を全面否定、それに対し、取材に協力した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」は、その改変を問題にして損害賠償を求める裁判を起こす。結局、最高裁第一小法廷は「報道の自律性」を尊重、「番組内容への期待や信頼は、原則として法的保護の対象とならない」と判断し、東京高裁の判決を破棄したのだが、高裁の事実認定を否定していない。政治家の「意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にする」ことも「報道の自律性」に含まれるというわけだ。

 事実上、最高裁が言うところの「報道の自律性」が認められているのは編集や経営の幹部にすぎないわけだが、現在、そのNHKの経営幹部は安倍の傀儡ばかりになっている。そうしたひとり、籾井勝人がNHK会長に就任する際、記者会見で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあったこと。」と口にしている。

 記者から「慰安婦は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが」と言われ、新会長は「韓国だけにあったことだとお思いですか。」と聞き返し、「戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。」「行って調べてごらんなさいよ。あったはずですよ。あったんですよ、現実的に。ないという証拠もないでしょう。」少し後で、再び「僕は、なかったという証拠はどこにあったのか聞きたいですよ。」と繰り返している。

 まず自分の発言に関する調査の責任を相手に押しつけ、「あったはず」という推測から「あった」という断定に変わり、「ないという証拠もないでしょう」と一気にトーンダウンする。口から出任せ。何か違反なり犯罪なりの容疑で捕まった人物が別の次の人物を指し、「あいつが悪いことをしていない証拠を出せ」と居直っているようだ。

 「ドイツにありませんでしたか、フランスにありませんでしたか?そんなことないでしょう。ヨーロッパはどこだってあったでしょう。じゃあ、オランダに今ごろまでまだ飾り窓があるんですか?」とも言っているが、オランダの「飾り窓」は「従軍慰安婦」とまったく別の話。

 安倍首相はマスコミをなめきっているが、マスコミ側にもなめられても仕方のない歴史がある。戦前戦中には戦意高揚のプロパガンダを展開、敗戦後、その責任を問われず、自分たちで責任をとろうとしなかった。戦前戦中の体質を戦後も持ち続けたということだ。

 そのひとつの結果が1960年6月17日に東京の7新聞社、つまり朝日新聞、産業経済新聞、東京新聞、東京タイムズ、日本経済新聞、毎日新聞、そして読売新聞が掲載した宣言。「6月15日夜の国会内外における流血事件は、その事のよってきたるゆえんを別として、議会主義を危機に陥れる痛恨時であった。」ではじまるのだが、安保改定を政府と与党が強行採決、それに抗議するデモ隊を警察が暴力で鎮圧し、ひとりの死者と多くの負傷者を出したことには言及していない。

 1960年1月に岸信介首相は日米安全保障条約の改定でアメリカ側と合意、5月19日に自民党は国会へ警官隊を導入、会期延長を単独採決した直後、20日未明に新安保条約を強行採決している。それを受け、20日には約10万人のデモ隊が国会を取り巻き、6月4日には全国で460万人が参加したというストライキが実行されたわけだ。言うまでもなく、岸は安倍の祖父にあたる。

 そうした事態を見た岸首相は6月7日にマスコミの幹部を官邸に呼びつけている。読売新聞の正力松太郎社主、産経新聞の水野成夫社長、NHKの前田義徳専務理事、毎日新聞の本田親男会長、東京新聞の福田恭助社長をそれぞれ個別に官邸へ呼び、その翌日には共同通信、時事通信、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、日経新聞、さらに民放の代表を招き、9日には朝日新聞の代表にも協力を要請している。駐日大使のダグラス・マッカーサー2世も7日に各新聞社の編集局長を呼んで「懇談」したという。そして17日の宣言につながる。

 支配層がマスコミへの影響力を強める節目になった事件として「沖縄返還」をめぐる密約の問題も忘れてはならない。返還にともなう復元費用400万ドルはアメリカが自発的に払うことになっていたが、実際には日本が肩代わりするという密約の存在を毎日新聞の記者だった西山太吉がつかみ、その事実が議員から漏れ、問題になった出来事だ。その後、この報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。

 西山は密約に関する情報を外務省の女性事務官から入手していたのだが、マスコミは密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして西山を激しく攻撃する。

 1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になるのだが、2月から事務官夫妻は週刊誌やテレビへ登場し、「反西山」の立場から人びとの心情へ訴え始めた。このキャンペーンにマスコミも協力、こうしたキャンペーンが毎日新聞の経営にダメージを与え、倒産の一因になった可能性があるのだが、これは偶然でないと見る人もいる。密約を知らせた事務官が自衛隊の情報将校とつながっていたと言われているからだ。

 1987年にもマスコミを脅す事件が引き起こされた。5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃されたのである。散弾銃を持ち、目出し帽を被った人物が侵入、小尻知博が射殺され、犬飼兵衛記者は重傷を負った。これで日本のマスコミが萎縮したことは間違いない。このころから日本でもマスコミは急速にプロパガンダ色を強めていく。

 古賀が「報道ステーション」を降板させられた直接のきっかけは、1月23日の放送されたIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の人質事件に関する報道だったとされている。本ブログでは何度も書いているように、ISはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが作り上げたモンスター。人質事件自体、そうした黒幕国の意思で行われた可能性が高い。

 番組の中で古賀は安倍首相の外交姿勢を批判、「I am not ABE”」というプラカードを掲げたという。古賀の主張によると、これで官邸が激怒し、古賀降板、チーフプロデューサーと恵村順一郎朝日新聞論説委員の交代という形になったわけだ。

 しかし、日本のマスコミはとうの昔に死んでいる。今はゾンビ状態。ジャーナリストのむのたけじは1991年に「ジャーナリズムはとうにくたばった」と「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったという(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)が、その後、状況はますます悪くなっている。だからこそ、今回のようなことが起こるとも言える。


櫻井ジャーナル、2015.04.16
「ジャーナリズムはとうにくたばった」
日本でネオコンを後ろ盾にする安倍首相を批判すれば報復

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201504150001/

 絶望は抵抗する気力を失わせ、服従につながる。国際情勢は勿論、自分の置かれた状況にも無関心で、刹那の快楽に走る。つまり支配者は被支配者を絶望させようとする。「どうせ無駄だよ」と思わせられれば、支配システムは安泰だ。

 そうした意味で、2009年8月の総選挙は大きな節目だった。選挙で世の中を変えられるという希望を持っていた国民は小沢一郎の率いる民主党に投票、獲得した議席は総議席の3分の2に迫ったのである。ウォール街やシティの支配者に従い、その手先として日本支配に協力してきた日本人たちは動揺しただろう。

 アメリカにはCIA、イギリスにはMI6という情報機関が存在する。CIAはウォール街、MI6はシティが作った組織だ。こうした情報機関は米英の巨大資本のカネ儲けシステムを築き、障害を排除する仕事をしてきた。当然、日本にもそのネットワークは張り巡らされている。アメリカが各国で行う情報活動の拠点は大使館だということも有名。日本とアメリカとの関係を考える際、在日アメリカ大使館を見ることも重要だ。

 自衛隊、警察、検察、裁判所だけでなく、霞ヶ関の官僚機構は、おそらく、がんじがらめである。本ブログでは繰り返し書いてきたが、CIAはメディア支配にも力を入れてきた。ここ20年ほどは広告会社の存在感が強まっている。

 それだけでなく、犯罪組織やテロ組織との親和性も強い。アメリカではユダヤ系やイタリア系のギャングと手を組み、中東ではサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を使い、ヨーロッパではネオ・ナチだ。

 ムスリム同胞団はハッサン・アル・バンナによって1928年に創設された組織だとされているが、19世紀にイギリスの情報機関がその基礎は作ったと言われている。社会奉仕団体的なイメージを持つ人も少なくないが、その内部には暴力的な集団が存在、第2次世界大戦当時から暗殺を繰り返してきた。

 1948年12月にもムスリム同胞団はエジプト首相を暗殺するが、その報復で49年2月にバンナが殺され、組織は解体。現在のムスリム同胞団は1950年代に入ってからCIAとMI6が復活させたもの。その指導者になったサイード・クトブはフリーメーソンのメンバーで、ジハードの生みの親と言われている。こうした歴史を考えると、CIAが日本で犯罪組織やカルト団体と手を組んでいても不思議ではない。

 ところで、週刊現代の2006年6月3日号に「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事が掲載されている。この段階で小沢と鳩山を軸にした民主党が警戒されている。

 そして総選挙の3カ月後には「市民団体」が小沢の政治資金管理団体である「陸山会」の2004年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発する。それを受け、翌年の1月に秘書は逮捕された。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴される。

 これは事実上、冤罪だったのだが、この起訴で小沢の影響力は大幅に弱まった。それだけでなく、小沢と組んでいた鳩山由紀夫は2010年6月に総理大臣の座から降りざるをえなくなる。一種のクーデターだ。

 鳩山を引き継いだ菅直人や野田佳彦は民主党に投票した人びとの期待に反する政策を打ち出す。ギリシャの首相になったアレクシス・チプラスと似ている。

 菅直人政権時代の2010年9月、海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を日中漁業協定無視で取り締まる。当然、中国との関係は悪化した。その時、海上保安庁を指揮する立場にあった国土交通大臣は前原誠司だ。菅と前原は領土問題の棚上げ合意を壊し、日本と中国との関係悪化を図ったのである。前原はその翌月、衆議院安全保障委員会で「棚上げ論について中国と合意したという事実はございません」と発言しているが、関係者の証言を聞いても、そういう事実はある。

 菅直人は首相に就任した直後、消費税率の引き上げと法人税の軽減を打ち出すなど内政面でも有権者の希望を打ち砕いた。当然のことながら民主党の支持率が急落、そこで衆議院を解散して党は惨敗し、そこから安倍晋三政権が始まる。

 安倍政権は日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込む政策を続けるだけでなく、国を破壊している。中曽根康弘、小泉純一郎の系譜だ。日本を食い物にしていると言われても仕方がないだろう。1990年代のロシアでボリス・エリツィンが果たした役割に近いことを行っている。

 その状態をマスコミは伝えない。「毒饅頭の食べ過ぎ」で毒が全身に回っているという人もいる。絶望的な状態だ。

 しかし、マスコミが急速に腐敗し始めたのは1980年代。同じ時期に官僚の腐敗も進んでいた。当時、東大法学部で警察官僚が一番人気だという話を聞いたこともある。

 ジャーナリストの、むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったように、その時点で「ジャーナリズムはとうにくたばった」(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)情況だったのである。そうした絶望的な情況を換えられず、30年近くになるわけだ。昨日今日に始まった話ではない。その中から希望を見いだすしかないのだ。


櫻井ジャーナル、2019.07.22
日本の情況は絶望的かもしれないが、絶望への安住は服従へつながる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907210000/

「戦争絶滅」を訴え続けた、ジャーナリスト・むのたけじ(本名・武野武治、1915 - 2016)。
 21歳で報道の世界に入り、101歳で亡くなるまで、日本の戦前戦後を鋭く見続けた。
 むのは1915(大正4)年、秋田県の小作農民の家に生まれる。
 働いても働いても、貧困から抜け出せない ― 貧富の絶対的格差の中で働く両親を目の当たりにして育ち、「社会の仕組みを変える」と決意する。
 東京外国語学校(現・東京外大)へ入学、報知新聞を経て1940(昭和15)年、朝日新聞社に入社。
 戦争へと突き進む政治の裏側を取材。
 その後、従軍記者として中国・東南アジアの戦場を目の当たりにする。
 直ぐに終わると言われた戦争は泥沼の一途を辿る。
 拍車をかけたのは、‘国益に反することは書かない’と新聞社自らが課した‘自主規制’による報道の「嘘」だった。
 記者でありながら真実を書くことが出来なかった悔恨から、むのは1945(昭和20)年、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社。

「ジャーナリストは何が出来たのか」
そして、
「どうすれば人間が幸せに暮らせる社会が出来るのか」。
 二つの命題を胸に、故郷の秋田に戻り週刊新聞「たいまつ」を創刊する。
 読者とともに作る新聞を目指し、常に生活者の視点から日本そして世界の姿を見つめ、鋭く深い思索に裏打ちされた言葉を紡ぎ出してきた。
 そこには「日本は地域から生まれ変わる必要がある」という強い思いが根ざしていた。

 90歳を迎えてからは、憲法9条の大切さを精力的に訴えて講演活動を重ね、反戦を訴える若者たちを応援、子供たちに向けた本を記した。

「ジャーナリズムとは、歴史の日記。過去に何があって現在に至っているのか。何をやって、何をやらなかったのか。人間の歩みを伝えるのが、私たち古い世代の仕事なのだ」

『平和を手渡す』という強い決意を胸に、ジャーナリストとして生きぬいた。


[動画]
あの人に会いたい、むのたけじ

人・物・録
https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010497_00000

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自民党は10議席減、改憲勢力3分の2割れなのに…

 きのう2019年7月21日、投開票が行われた参院選。「憲法改正」を争点に掲げた安倍首相だったが、獲得議席数をみれば、与党・自民党は57議席と、改選前から10議席も減らし、公明党が14議席。ここに日本維新の会(10議席)を加えた“改憲勢力”は、非改選と合わせて「改憲発議要件の3分の2議席」を下回った。

 投票率が戦後2番目に低い48.80%となるなど盛り上がりに欠けた選挙だったことは事実だが、この結果は率直に“改憲発議をさせるべきではない”という世論の表れと言っていいだろう。

 ところが、信じがたいことに、昨晩、テレビの選挙特番をはしご出演した安倍首相は、「やっぱり改憲の議論をせよということだ」と真反対のアピール。民意を完全に“捏造”し、9条改憲に前のめりになっていたのである。

 繰り返すが、今回の参院選で改憲勢力は「3分の2」を割ったのだ。にもかかわらず、各局の選挙特番では、この安倍首相の詭弁にちゃんと反論したキャスターやコメンテーターはほぼ皆無。むしろ“改憲は既定路線”かのように進行するありさまだった。

 なかでも、安倍改憲に露骨な助太刀をしたのが、あの橋下徹・元大阪市長だ。フジテレビの特番『Live選挙サンデー』に大阪のスタジオから中継出演した橋下氏は開口一番、安倍首相をこうおだてた。

「まずは自民党、公明党の圧勝、おめでとうございます」

 自民党が改選前議席を割ったのに「圧勝」と言い放った時点で、橋下氏お得意の詐欺的弁術にほかならないが、これには安倍首相もまんざらでもない表情。さらに橋下氏は続けて“安倍改憲”を猛烈にPRしはじめた。

「僕は正直、衆議院、参議院のW選挙を期待していました。やはり安倍さんの、総理の任期中にですね、絶対に憲法改正の国民投票、憲法改正の発議をやってもらいたかったんですね。それはやっぱり国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できない。背水の陣で、総理がこれはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、これをもう一か八かで賭けてやるんだってエネルギーが国民のうねりを起こしたと思うのですが、いま、この結果を受けて、圧勝ですけども、衆参Wにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

 いやはや「安倍さんの任期中に絶対に改憲の国民投票をやってもらいたい」って、あまりにも剥き出しのアシストだが、これで安倍首相は完全に水を得た魚。「維新の会のみなさんにもご協力いただきながら、国民民主党のみなさんのなかにもですね、憲法議論をしっかりしたいと言っている方がおられる」と維新の協力を仰ぎながら、厚顔にも選挙結果が示す意味をこう言って“捏造”したのである。

「この街頭演説においては、ほとんどの会場で、“議論する政党か候補者か、あるいは議論すら拒否する政党か候補者か”ということを訴えてきました。結果としてはですね、国民のみなさんは“ちゃんとやっぱり議論せよ”ということだったのだろうと思います。私の使命として、残された任期のなかで、憲法改正に当然、挑んでいきたいと考えております」

 念のため言っておくが、すでに安倍首相のフジ出演時点で、マスコミ各社は「改憲勢力の3分の2割れ濃厚」などと報じていた。なぜそれが「改憲議論をせよ」という話にすり替わるのかまったく理解できないが、橋下氏はまるで安倍首相と事前に打ち合わせでもしたかのように、こう煽りたてた。

「今回の選挙結果を受けて、衆議院の憲法調査会(註:憲法審査会)を、全会一致の原則を外して、自民党や改憲勢力の多数決で衆議院の憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍首相と橋下徹はこの期に及んで「改憲論議しない」立憲民主党と共産党を攻撃

 ようするに橋下氏は“憲法審査会を無理矢理やってしまえばいい”と言っているわけだが、つまるところ、安倍首相がカメラの前で言えないグロテスクな本音を、橋下氏が“代弁”しているということだろう。

 実際、安倍首相は橋下氏の発言を受け、待っていましたとばかりに誘導を進めていった。

「共産党は議論すらしないという姿勢をほぼ明らかにしています」
「それでは国会議員としての職責果たせない」
「この選挙の結果を受けて、野党のみなさんにも真摯に対応していただきたい」
とまくしたてたかと思えば、すぐさま橋下氏が、
「共産党と同じく立憲民主党も安倍政権中には議論しないと言っている」
「立憲民主党もある意味、職務放棄と見なして、同意がなくても憲法調査会を進めていくということですか」
と畳み掛ける。息をぴたりと合わせて補完しあいながら、「改憲議論をしない野党はおかしい」という印象操作をしかけていったのだ。

 さらに橋下氏は、MCの宮根誠司らからの安倍首相への質問が終わると、最後にまた、
「憲法改正の衆議院の憲法調査会、これはどうしても共産党と立憲民主党が議論に応じないというのであれば、国民民主党や維新やら、自民党、公明党、ここで、きちっと多数で憲法調査会を動かしていただきたいと思います」
とダメ押し。結局、橋下氏が「圧勝」を印象付けながら改憲を煽りに煽りまくって、フジの安倍首相の出演は終わったのである。

 “与党と維新ら改憲戦力だけで憲法審査会を開いてしまえ”と言う橋下氏と、またぞろ立憲民主党や共産党ディスを繰り出す安倍首相−−。
 自分たちに反対する政党を“敵”に仕立て上げ、力づくで願望を押し通そうとするその姿は、まさに民主主義を破壊する“独裁者コンビ”と呼ぶしかあるまい。

 しかも、フジの選挙特番では、この安倍・橋下コンビのやりたい放題に対して、他の出演者が一切止めようとしなかった。いや、フジだけではない。他局の選挙特番でも、やはり安倍首相に直接「改憲論議を押し進めることは民意無視だ」と指摘する者はほとんどおらず、ただただ“改憲の意気込み”をフリーで語らせるような番組ばかりだった。

 唯一の例外はテレビ東京の『TXN選挙SP 池上彰の参院選ライブ』で、MCの池上が「改憲勢力を確保できるかはかなり微妙」と安倍首相にふって、「そもそも憲法改正すべきだと仰っている以上、選挙で3分の2を確保するということが本来やらなければいけない責務だったのでは」と、至極当然のツッコミをしたぐらいだろう。

日本テレビでは「私の任期中に」と発言! 世論調査でも民意は「改憲NO」なのに

 まったく、テレビマスコミの体たらくには心底うんざりするが、調子に乗った安倍首相は日本テレビで粕谷賢之報道局解説委員長の質問に答えるかたちで、とうとう自ら「私の任期中にですね、(改憲発議と国民投票を)なんとか実現したいと考えています」と発言した。

 安倍首相は、この参院選での「改憲勢力3分の2割れ」という結果をどう考えているのか。

 いや、選挙結果だけではない。最近のマスコミ各社による世論調査を見ても、安倍首相の憲法改正に反対する声が賛成する声を上回っている。

 たとえば、朝日新聞の調査(7月13、14日)では、〈参議院選挙で、自民党と公明党の与党と、憲法改正に前向きな日本維新の会などが、参議院の3分の2以上を占めた方がよいと思いますか。占めない方がよいと思いますか〉との設問に対し、「占めない方がよい」(40%)が「占めた方がよい」(37%)を超えた。共同通信の調査(6月26〜27日)では、「安倍政権下での憲法改正」に「反対」が50.1%で「賛成」が35%とかなり差がひらいた。

 政権寄りである読売新聞の調査(7月12〜14日)ですら、「憲法9条に自衛隊の存在を明記する条文を追加する安倍首相の考え」にかんして「反対」が41%に対し「賛成」は34%だ。NHK調査(7月13〜15日)でも「今の憲法を改正する必要があると思うか」について「改正する必要はない」が32%、「改正する必要がある」が29%(「どちらともいえない」30%)という数字になっている。

 それでも、安倍首相は「“改憲議論をせよ”という国民の信を得た」と言い張って改憲発議へと邁進するらしい。

 すでに、今回の参院選で議席を減らし、危機状態にある国民民主党の取り込みを図っていると言われる。
 国会運営でも維新のバックアップを得て、その手法をどんどん強引にし、自民党の萩生田光一幹事長代行が語った「ワイルドな憲法審査」を推し進めていくのは火を見るよりも明らかだ。
 参院選は終わったが、安倍改憲を阻止するためのたたかいはこれからだ。
 安倍首相と橋下氏の“独裁コンビ”による民主主義と平和主義の破壊を、何としてでも食い止めなければいけない。


リテラ、2019.07.22 10:42
改憲勢力3分の2割れなのに…
安倍首相が橋下徹と民意無視の“改憲議論”強要、
「私の任期中に改憲実現」明言の倒錯

https://lite-ra.com/2019/07/post-4857.html

「『少なくとも議論をおこなうべきだ』、これが国民の審判だ」──。参院選の結果を受けて、本日午後に安倍首相が記者会見をおこなったが、さっそく憲法改正に向けてスロットルを全開にした。

 今回の参院選で「改憲勢力」は改憲発議に必要な3分の2議席を割ったというのに、「憲法改正の議論をおこなうべきというのが国民の審判」って……。だいたい安倍首相は、「連立与党で71議席、改選議席の過半数を大きく上回る議席をいただきました」と誇るが、実際には、改選前の77議席を大幅に下回ったのが現実だ。

 しかも、自民党にかぎれば、改選前は67議席だったのに対し、今回獲得した議席数は57議席と10も減らした。その結果、今回の選挙で自民党は3年振りに参院での単独過半数を失った。

 さらに比例区では2016年参院選と同じ19議席となったが、得票数は前回の2011万票から今回は1800万票前後に留まる見込みだといい、〈棄権者も含めた全有権者に占める割合を示す比例区の絶対得票率も、第2次安倍政権下での国政選挙で過去最低の17%を切る可能性もある〉(朝日新聞デジタル22日付)と指摘されている。

 参院での単独過半数を維持するために必要だった67議席から10も減らした上、比例区の絶対得票率も安倍政権下では過去最低になる可能性まで──。これは明確に、安倍政権に対して「厳しい審判」が下された結果だ。

 議席数や得票数だけではない。自民党は、安倍首相自ら応援に乗り込んだ重点区でことごとく議席を失っている。その最たるものが、秋田選挙区と新潟選挙区だ。イージス・アショア問題や原発再稼働問題を抱える秋田、自民・塚田一郎候補の安倍総理と麻生副総理への「忖度」発言を抱えていた新潟には、安倍首相が2回も応援に駆け付けた。しかし、自民現職候補を破って野党統一候補の新人が当選したのだ。

 他にも、沖縄選挙区の野党統一候補が勝利したし、加計学園問題の舞台であり安倍首相も応援に入った愛媛選挙区でも野党統一候補が当選した。辺野古新基地建設、イージス・アショア配備、原発再稼働、加計学園問題の舞台という安倍政権の問題が凝縮した地域でことごとく安倍自民党は敗北を喫したのである。

 今回から1人区となった宮城選挙区では、安倍首相が公示日に応援に駆け付けるなど党をあげて力を注いだ現職の愛知治郎候補が野党統一候補に破れ、参院で自民は宮城の議席すベてを失う結果に。同様に、山形選挙区でも自民の現職だった大沼瑞穂候補が野党統一候補に敗れたことで、60年振りに山形で議席を失った。

 さらに、安倍自民党の求心力の低下を印象付けたのは、元首相補佐官で安倍首相の側近である礒崎陽輔が現職だった大分選挙区で、新人の野党統一候補に約1万6000票差をつけられて落選したことだ。礒崎氏は首相補佐官時代の2015年に安保法制審議をめぐって「法的安定性は関係ない」などと暴言を吐いて謝罪に追い込まれたが、今回は安倍首相が応援に駆け付けたというのに落選したのである。

 にもかかわらず安倍首相や自民党は、あたかも勝利したかのように振る舞っている。

 これは、国民に“自民党圧勝”のイメージを植え付けることで、安倍首相の権力を維持させ、冒頭で述べた改憲論議のように、政策をゴリ押しするためだ。

安倍自民党の低い勝敗ラインに丸乗りして“圧勝ムード”を煽ったマスコミ

 実際、安倍官邸はこういう結果になることを予測して、もともと参院選の勝敗ラインを低く設定していた。

 二階俊博幹事長は勝敗ラインを自公で改選議席の過半数となる「63議席」と掲げたが、一方で菅義偉官房長官や萩生田光一・幹事長代行は「全体の過半数」「改選過半数」と言い出して自公で53議席に勝敗ラインを引き下げた。これは、公明党が目指していた13議席を差し引くと、自民は40議席を獲得すればクリアできる設定。ちなみに、自民党が大敗して安倍首相の辞任につながった2007年参院選の議席は37。つまり、安倍官邸はあの大敗時より3議席多いだけの数字を勝敗ラインに設けた。

 その結果、10議席も失いながら「民意は示されたのだから、野党は改憲論議に参加すべきだ」などとめちゃくちゃな主張をしているというわけだ。

 だが、こうしたインチキは安倍政権だけではない。
 新聞やテレビも同罪だ。
 開票が始まるや、一斉にその低いハードルに乗っかって「安倍政権 改選過半数確実」と打ち、まるで「圧勝」であるかのように盛り上げた。

 そして、選挙特番に安倍首相が登場した時点では、前述の重点区で自民党の苦戦が浮き彫りになっていたというのに、そうした点を鋭く追及したキャスターは皆無だった。
 憲法改正の議論を進めることに歯止めをかけるような結果になったにもかかわらず、ほとんどがそれを突きつけようともせず、「安倍総裁の4選もあるか」などと煽り続けたのだ。

 メディア支配で批判報道を押しつぶす安倍政権のやり口については、本サイトでも散々批判してきたが、選挙の結果までが捻じ曲げられるとは、いよいよこの国も本格的に「独裁国家」に近づいてきたということかもしれない。


リテラ、2019.07.22 09:19
安倍首相とマスコミが作り出す自民党“勝利ムード”の嘘! 実は10議席減、
安倍が乗り込んだ重点区、側近議員も次々落選

https://lite-ra.com/2019/07/post-4859.html

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改憲「自分の任期中にやらせてくれって」

【東京】菅義偉官房長官は2019年7月22日午前の会見で、参院選沖縄選挙区で、名護市辺野古の新基地建設に反対する高良鉄美氏(65)が勝利したことを問われ、
「地元の理解を得る努力を続けながら普天間飛行場の1日も早い全面返還を実現し、基地負担の軽減に努めたい。そのために全力で取り組む」
と述べ、選挙結果に関わらず基地建設を進める考えを示した。
 また、昨年の県知事選や今年2月の県民投票、4月の衆院沖縄3区補選と、辺野古移設に反対する民意が示され続けていることについては、
「(普天間飛行場の危険性を)このまま置き去りにしていいとは誰も思っていないと思う」
と強調した。
「住環境やさまざまな環境整備をしながら、そこは進めさせていただきたい」
と話した。


琉球新報、2019年7月22日 12:15
菅官房長官、選挙結果にかかわらず辺野古移設進める考え
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-958231.html

【東京】安倍晋三首相は3日の日本記者クラブ主催の党首討論会で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「飛行経路も住宅の上空から海上に変わる」と述べ、危険性除去を強調した。だが辺野古新基地での経路は海上に限定されるわけではなく、防衛省の普天間飛行場代替施設建設に伴う環境影響評価書は、気象などの要因から「航空機は図示された場周経路から外れることがある」と記しており、首相の発言は不正確だといえる。

 さらに普天間飛行場など現在の米軍機の飛行実態を見ても、設定された経路通りに飛行しないなど米軍の運用にゆだねられている側面もある。

実際に安倍首相は何と発言した?

 党首討論会は日本記者クラブが全討論を生中継したほか、各種メディアもネットで中継して、首相発言は公に発信された。

 安倍首相は、社民党の吉川元幹事長の質問に答え、
「辺野古への移設について、まず学校や住宅で囲まれた世界一危険と言われるこの普天間飛行場が危険なまま置き去りにされる、固定化は断じてならないとこう考えている。そして辺野古への移設、全く新しい基地を新たに増やすのではない。辺野古が持っている機能、三つのうちを一つに絞ってそれを辺野古に移すことになる。そして、航空経路、飛行経路も変わる。住宅の上空から海上に変わるので、今施している住宅防音、一千数百世帯がこれゼロになっていくということも申し添えておきたい。三つから一つになっていく、例えば空中給油機については、これ20年越しの課題だったが山口県の岩国飛行場に移しているというそういう努力をしているということを申し上げておきたい」
と話した。

https://www.youtube.com/watch?v=UN1Kg7B2D14&feature=youtu.be

沖縄防衛局はこれまで何と説明してきた?

 防衛省の沖縄防衛局の「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価書」は「代替施設の運用等」の「飛行経路」の項で「気象(風向き、視界及び雲の状況)、管制官の指示(間隔及び順序)、安全(緊急時)、パイロットの専門的な判断、運用上の所要等により、航空機は図示された場周経路から外れることがある」と述べている。

 さらに「また状況により主たる滑走路の使用が妨げられる場合(鳥による障害、悪天候、緊急時、その他の滑走路の使用を妨げる物体)、または運用上の所要から必要とされるとき(状況によりやむを得ない場合)には、もう一方の滑走路が使用される」とも記しており、海側の経路使用を想定している「主たる滑走路」が米軍の運用の必要性から変更され得ることも付け加えられている。

https://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/07oshirase/chotatsu/hyoukasyo/3.pdf
。。。
住宅防音戸数「一千数百世帯」は誤り

 一方、同じ党首討論会で安倍首相は、辺野古移設に伴い「今(普天間飛行場周辺で)施している住宅防音、一千数百世帯がこれゼロになっていくということも申し添えておきたい」と述べた。
 だが防衛省の担当者が国会で住宅防音戸数は「1万数千」と答弁しており、さらに安倍首相自身、2018年1月22日の首相施政方針演説で「普天間では1万数千戸必要であった住宅防音がゼロとなる」と説明しているように、討論会での首相発言は誤りだ。

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement2/20180122siseihousin.html

 今年4月2日の衆院安全保障委員会で、防衛省の鈴木敦夫整備計画局長が「普天間飛行場については、市街地の真ん中にあるので、米軍が運用する航空機がこの普天間飛行場から離陸する場合も着陸する場合も、必ず市街地の上空を飛行することになる。このため騒音被害も避けられず、住宅防音が必要な世帯は一万数千に上っている」と答弁した。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/198/0015/19804020015006a.html


琉球新報、2019年7月4日 15:46
〈参院選ファクトチェック〉
辺野古移設で「飛行経路は海上に変わる」という安倍首相の発言は正しい? ☛→☛→ 不正確
実際には住宅地上空を飛行する可能性も

('19参院選ファクトチェック取材班・滝本匠)
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-948240.html

 下関と北九州を結ぶ「安倍・麻生道路」をめぐる「忖度発言」で国交副大臣を辞任した自民現職塚田一郎氏(新潟・55歳・自民)は、野党統一候補で無所属新人の打越さく良氏(同・51歳・無所属)に敗れた。

「忖度議員は絶対に落選させない」と自民は総力戦を展開した。
 安倍首相は2回新潟入り。
 ラストサンデーの7月14日には小泉進次郎が新潟駅南口で「一度の失敗で再起できない社会でいいのか」と妙な理屈で塚田氏の再起を訴えていた。

 打越は、北海道出身の落下傘候補で、知名度ゼロからの出発だったが、塚田氏に4万票以上の大差をつけた。
 新潟県民の良識が示された。


日刊ゲンダイ、2019/07/22 14:50
「忖度発言」の塚田一郎に新潟県民“良識のレッドカード”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258807

 安倍晋三首相は参院選を
「憲法を議論すべきだという国民の審判だ」
と言ったが、とんでもない。
(野党は)改憲勢力の議席3分の2をストップさせたわけでね。
 やっぱり性急な改憲を望まないというのが民意だと思います。

 首相はですね、改憲の発議と国民投票について、
「期限ありきではないが、私の(2021年9月までの自民党総裁)任期中に何とか実現したい」
と。
 これ、期限ありきなんですよ。
「私の任期中に」と言われたら、静かに議論はできないでしょう。
 そもそも自分の任期中にやらせてくれって、これ、改憲を自分のレガシー(遺産)にするんですか、っていう話でね。
 こういう中で憲法っていうのは議論する問題じゃないと思う。
(NHKの討論番組で)


朝日新聞、2019年7月23日00時50分
改憲「自分の任期中にやらせてくれって」
共産・小池氏
https://digital.asahi.com/articles/ASM7Q728NM7QUTFK02B.html

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2019年07月22日

早乙女勝元『徴用工の真実』

「満員電車で足を踏んだ者と踏まれた者。踏んだ方はすぐに忘れるが、踏まれたほうは痛みを忘れない。しかも何度も踏まれれば傷は深く忘れてくれと言う方が無礼だろう」

 日本と韓国の関係を作家の早乙女勝元さんがたとえています。
 踏んだ者はつねに被害者の立場でものを考える姿勢が大事だと。

 早乙女さんは戦前、勤労動員の鉄工所で大勢の朝鮮人とともに働いた経験がありました。
 彼らは過酷な労働を強いられ、食事も監視されながら粟(あわ)入りのコーリャン飯。
 なにかといえば労務係からののしられ、殴り蹴られる。
 そのときのアイゴー、アイゴーと血を吐くような悲鳴が遠い記憶のかなたから今も聞こえてくるといいます。
(『徴用工の真実』注1)

 日本による韓国への半導体材料の規制が両国の対立をいっそう激しくしています。
 政府は日本企業に賠償を命じた徴用工問題とは無関係だと言い張りますが、安倍首相はこの処置が徴用工問題の報復であることを示唆しています。
 話し合いもなく一方的だと批判した韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は、
「過去の問題と経済問題を関連づけたことは関係発展の歴史に逆行する」。

 実際これまで会談の呼びかけに応じてこなかったのは安倍首相です。
 南北や米朝会談と朝鮮半島に平和の流れがつくられ力を合わせるとき、蚊帳の外で隣国との関係も壊すだけの政権。
 早乙女さんは訴えます。

 加害者である日本の政府が忘れてはならないのは過去を誠実に直視すること、なによりも人間としての道理を欠いてはいけない」
(17日付けしんぶん赤旗「潮流」より)

 安倍首相の行動は、アメリカのトランプ大統領に似てきて、弱い国には強硬な姿勢を示します。

 さて、今朝近所を散歩していると、「スイッチョン、スイッチョン」とキリギリスの鳴き声が聞こえて来ました。
 気が付けば、もうすぐ夏休みで、網を持って追いかけたのが懐かしく感じます。
(写真は、岐阜県・揖斐川町にある「道の駅さかうち」ですが、ここも合併前は坂内村だったそうです)


店長日記(滋賀県高島市安曇川町田中426番地、安曇川小学校東隣)、2019/07/17
キリギリスが鳴きはじめました。
http://www.me-fukui.com/diary/topics.cgi

(注1)忘れないで。いま、日本がしたことに向き合う意味

 終戦を知らず、13年も厳冬の北海道を逃げた中国人徴用工がいた。
 強制連行、人権侵害の実態に切り込む『穴から穴へ13年 劉連仁と強制連行』。
 自由独立を訴えた3・1抗日運動から百年。
 韓国のジャンヌ・ダルクと呼ばれた少女を追う『柳寛順の青い空 韓国で歴史をふりかえる』。
 日本の加害を見つめる2作品を収録。


早乙女勝元『徴用工の真実、強制連行から逃れて13年』(新日本出版社、2019年5月)
https://www.shinnihon-net.co.jp/child/detail/name/徴用工の真実/code/978-4-406-06355-5/

(注2)侵略戦争と植民地支配の反省の上に、アジア各国との友好・信頼関係の構築を
2019年6月

 日本が過去におこした侵略戦争と植民地支配の歴史にどう向き合うかは、国際社会とりわけアジア諸国との関係で、たえず日本が問われ続ける課題です。

安倍政権は過去の侵略戦争と植民地支配に対する責任を明確にせず、逆に正当化する立場に固執しており、その誤った歴史認識が、周辺国や国際社会との関係で大きな矛盾や問題を生み出しています。

韓国の「徴用工」訴訟に、日本政府・企業は誠実に向きあうべき

 第2次世界大戦中、日本の植民地支配のもとにあった朝鮮半島から、多くの朝鮮人が日本本土に連れてこられ、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かされました。
 いわゆる「徴用工」と呼ばれた人たちです。
 虐待や食事を与えられないなど過酷な環境で重労働を強いられ、死傷者も少なくありませんでした。
 賃金が支払われなかった例も多くあります。
 韓国政府が認定している被害者の数だけでも22万人に上ります。

 韓国大法院(最高裁判所)は2018年秋、元徴用工の訴えを受け、「日本の植民地支配と直結した反人道的不法行為」との判断を示し、企業の賠償責任を認めました。

 これについて日本政府は、1965年に締結された「日韓請求権協定」で、両国間の問題は「完全かつ最終的に解決している」と判決を拒否し、韓国を非難する態度をとっています。

 日本政府の態度には重大な問題があります。

 日本政府がいうように、仮に「日韓請求権協定」によって、日韓両国間での請求権の問題が「解決済み」だとしても、被害にあった個々の人たちの請求権までを消滅させることできません。
 そのことは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことです。
 1991年、当時の柳井俊二外務省条約局長は、「日韓請求権協定」で、両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味を問われ、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と答弁しています。
 政府だけではありません。
 日本の最高裁判所も同様の判断を示しています。
 中国の強制連行による被害者が日本の西松建設を相手に起こした裁判(2007年)で、日本と中国は共同声明を結んだ際に、「(個人の)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人それぞれの人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断をしめし、さらに、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と述べて、西松建設が被害者に謝罪し、和解金を支払う和解につながりました。

 日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者が、いずれも、被害者個人の請求権の存在は認めているのです。
 日本共産党は、この一致点を大切な、解決への糸口になると考えています。
 国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論をすること、それをふまえて冷静に、解決の方法を探るべきです。

 解決は、日本政府だけでできるものではなく、日韓両国の双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が求められます。

 国際労働機関(ILO)も2009年、日本政府に「年老いた強制労働者が訴えている請求に応える措置をとることを望む」との勧告を発表しています。

植民地支配の不法性を認めず、謝罪も反省もなく

 もう一つ見ておくべきは、「日韓請求権協定」の交渉過程でも、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、謝罪もしていない事実です。
 韓国大法院の判決は、こうしたもとで結ばれた「請求権協定」が、強制動員された被害者の慰謝料を請求する権利までは否定しているとは見られないとしています。
 韓国最高裁の判決は、原告の求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――非人道的労働に対する慰謝料を請求したものだとしています。

「徴用工」の問題は、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人びとの命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実です。
 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきだと考えます。

日本軍「慰安婦」問題と「河野談話」

 日本軍「慰安婦」問題は、日本が起こした侵略戦争のさなか植民地にしていた台湾、朝鮮、軍事侵略していた中国などで女性たちを強制的に集め、性行為を強要した非人道的行為です。
 当時の国際法規から見ても違法行為です。

 この問題について、2015年12月の日韓外相会談で合意がかわされました。
 しかしこの合意には、元「慰安婦」はもとより、韓国社会全体からの批判が続いています。
 すべての「慰安婦」被害者が人間としての尊厳を回復してこそ真の解決です。
 そのために日本政府は韓国政府と協力して誠実に力を尽くすべきです。
「慰安婦」問題で「軍の関与と強制」を認めた「河野談話」(1993年)は、「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と明記しており、子どもたちに歴史の事実を語り継いでいくことは、わが国の責務です。

 日本共産党はこの間、見解「歴史の偽造は許されない」の発表(2014年3月)など、日本軍「慰安婦」問題での逆流に徹底的な批判をくわえ、歴史の真実を明らかにしてきましたが、こうした努力を引き続き行っていきます。
 女性の人間としての尊厳を踏みにじった歴史の事実に対して、「性奴隷制」の加害の事実を認め、被害者への謝罪と賠償の責任を果たすべきです。

歴史認識・「徴用工」・「慰安婦」・「靖国」(2019参院選・各分野の政策)
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/2019-bunya57.html

SEOUL:
A South Korean man died on Friday after setting himself on fire in front of the Japanese embassy in Seoul, police said, amid ongoing trade and diplomatic disputes with Tokyo.

The man in his 70s started a fire inside his vehicle parked in front of the embassy building and died after being treated in hospital, authorities said.
Some 20 disposable gas canisters were also found in this car, authorities said.

A local media report said the late man’s father-in-law was a victim of Japanese wartime forced labour.

The incident comes as relations between Seoul and Tokyo feel the strain over the labour issue.

Japan last month unveiled tough restrictions on exports crucial to South Korean tech titans like Samsung Electronics.

Tokyo says its measures – targeting key chemicals used in making gadgets – were made necessary by a “loss of trust” in relations with Seoul, while also accusing Seoul of improperly handling exports of sensitive materials from Japan.

But Seoul says Tokyo was retaliating for a series of rulings from South Korean courts ordering Japanese firms that used forced labour decades ago to compensate the victims.

Tokyo on Friday summoned Seoul’s ambassador to Japan to protest Seoul’s refusal to join in an arbitration panel to settle the ongoing dispute.
Seoul had until midnight on Thursday to respond to Tokyo’s request for a three-nation panel.

On Wednesday, the South’s presidential Blue House posted tweets slamming Japan’s wartime atrocities, comparing the Korean victims to Simon Wiesenthal, a Jewish Austrian Holocaust survivor.

New Straits Times, Published:July 19, 2019 @ 2:56pm
S.Korean dies after self-immolation at Japanese embassy
(AFP)
https://www.nst.com.my/world/2019/07/505629/skorean-dies-after-self-immolation-japanese-embassy

(ヤッホーくん注)

 日本は戦後、サンフランシスコ平和条約に基づいて戦後賠償問題は2カ国間の国家補償を実施して完了済みだが、第1次、第2次の2つの世界大戦の敗戦国となったドイツの場合、過去の賠償問題は日本より複雑だ。ドイツの場合、国家補償ではなく、ナチス軍の被害者に対する個別補償が中心だ。ギリシャやポーランドではドイツに対して戦後賠償を要求する声が依然強い。
 韓国の金泳三大統領(在位1993〜98年)が海外訪問で飛行機のタラップから降り、歓迎する人々に手を挙げて挨拶する時、その手を挙げる姿がナチス式敬礼ハイル・ヒトラー(独語 Heil Hitler、ヒトラー万歳)を彷彿させるということで話題になったことがある。そこで大統領側近が、「タラップから手を振る際には決して腕を真っ直ぐに伸ばさず、手を左右に軽く振ってほしい」と助言したという。韓国大統領となった人物が側近から助言を受けなければ、ドイツ人の歴史的感情、痛みに気が付かなかったのだ韓国では日本の「正しい歴史認識」不足を指摘する声が強い一方、日本と同じ第2次世界大戦の敗北国ドイツの戦後の償い方を称え、日本に対して「ドイツを見習え」といってきた。そのため、ナチス・ドイツの蛮行に対する客観的な認識が決定的に不足しているわけだ。
 日本でもナチス・ドイツの戦争犯罪に対して正しい認識が十分とはいえない。文芸春秋社の発行月刊誌「マルコポーロ」がホロコーストの記事を掲載し、その中でガス室がなかったという論文を主張した学者の記事が掲載され、ユダヤ協会から強い抗議を受け、最終的には廃刊に追われたことがある。


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「東京大空襲・戦災資料センター」館長

作家で東京大空襲・戦災資料センター館長も務める早乙女勝元さん(1932年生まれ)を迎えた東京新聞フォーラム「早乙女勝元さんが語る下町っ子戦争物語−東京大空襲から65年」が今月2010年3月9日、東京都墨田区横網の江戸東京博物館で開かれた。
早乙女さんは、二度と愚かな戦争を繰り返さないために過去を学び、現在を知り、未来を生きる子どもたちに伝える重要性を熱っぽく語りかけた。
400人を超す満席の会場では、熱心にメモをとり、うなずく姿が多くみられた。
早乙女さんの戦争体験をまとめた『下町っ子戦争物語』が東京新聞から出版されたのを機に開いた。

過ち正当化の風潮に憂い


 今日は特別な日です。
 65年前の3月10日未明、米軍機B29による東京大空襲で、100万人が罹災(りさい)し10万人もの命が失われました。
 その大半が下町の庶民、しかも女性や子どもでした。

 今日は話を分かりやすくするために四つに分けお話しすることにしました。
 最初は「過去から学ぶ」です。
 二番目は「戦争と空襲」で、今日の中心テーマです。
 三番目は「そしてそれから私は…」。
 四番目が「この日この時」です。

 今や国民の8割以上が戦争を知らない世代になり、戦争はこりごりだという方は私を含めてかなり高齢になりました。
 若い人たちは平和を空気のように感じているかもしれないが、空気がなくなってからでは後の祭りです。
 過去の戦争の黒を、白と言いくるめる論法が声高になってきている現実を、私は憂えています。

 今を生きる私たちに大事なことは、社会の動きに目配りし、どうしたら二度と戦争や空襲のない日を子どもや孫たちに手渡せるかを真剣に考えることです。
 現在は過去とつながっており、現在は未来へと結び合っています。
 過去は未来のためにあると言っていいと思います。
 過去の教訓を学ばぬ者は、再び同じ過ちを繰り返すとか。
 未来を人間らしく平和に生きたいからこそ、民間人の戦争体験を語り継がなければならないのです。

 1944(昭和19)年、私は国民学校高等科一年生でした。
 学校はミニ軍隊となり、勉強はほとんどせず、柔剣道、跳び箱に鉄棒、騎馬戦、棒倒し、果ては竹やり訓練です。
 私は幼少から大層な弱虫、泣き虫の虚弱児で、そういう子どもは軍国主義の世の中では役に立たない。

「負け抜き相撲大会」というのがあって、勝つまでやらなくてはならないのですが、私は一度も勝てず、私のいたクラスは最後まで大負けで、さんざんな目にあいました。
 でも、女学校を出たばかりの先生が「負けるが勝ちって言葉があるのよ。君は相撲に強くなくたって、ほかの分野で頑張ればいいのよ」と言ってくれて、私の心に一点の灯がともりました。

2時間の空襲で東京の運命一変

 二学期になると学徒勤労動員が発令されて、隅田川沿岸の鉄工所で働きました。
 11月1日、帝都の上空に初めてB29が登場。
 戦場は海のかなたから内地に飛び火して、連日連夜の空襲で翌年1945(昭和20)年となり、ついにあの恐ろしい炎の夜を迎えてしまいました。
 東京の下町を家ごと、人ごと焼き尽くそうという無差別爆撃でした。
 3月10日の午前零時8分に開始されて、空襲警報解除は2時37分、2時間ちょっとで東京の歴史と運命が一変しました。
 10日の朝が来たとき、上野駅から東京湾が見えたそうです。
 私は最後まで東京にとどまっていた一人です。
 しかし、東京空襲を体験なさった方は次々とこの世を去っており、残された書き手の一人である私の使命は重いような気がします。

 8月15日、親たちの言葉で戦争は終わったらしいとわかりましたが、日本はこれからどうなるのか全くわからず、ただただ呆然(ぼうぜん)としていました。
 でも、これが平和だと思ったことが二つあります。
 一つは灯火管制解除。
 黒い覆いを外して裸電球の下で家族の顔を見渡したとき、平和って明るいんだ、まぶしいんだと思いました。
 二つ目は、翌年1946(昭和21)年11月3日の新憲法公布です。

 9つ違いの兄から、
「今度の憲法でおれの心に一番深く残ったのは第九条だ。日本は永久に戦争放棄して、ありとあらゆる軍事力を持たないと書いてある」
と教えてもらい、私は、
「そうか、日本はもう二度と戦争をしない国になったんだ。それじゃ、平和のために役に立つ人間になれたらいいなあ」
と思いました。

 私は戦後すぐから日記帳と雑記帳の二冊のノートを持って、いろんな本を読んでは、感想を書き始めましたが、ある作家の一言が戦後の座標軸になりました。
 それは宮沢賢治の「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉です。

 ところが戦争が終わって4年目あたりから、占領下の日本は戦後の原点ともいうべき平和主義から逸脱し始めます。
 その決定的要因となったのは1950年の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)です。
 GHQ(連合国軍総司令部)の指令で警察予備隊がつくられ、それが保安隊、自衛隊へとエスカレートしていきました。
 特需景気で日本は焼け跡闇市の時代を脱出しつつあったが、あのB29が今度は日本から朝鮮半島に出撃していくのです。

 私は悩み、迷い、何かできることはないかと考え続けました。
 そして、文章を書くことならできる、自分史を書いたら劣等感で気弱な自分を一歩乗り越えることが可能かもしれない。
 それを読んでくれた人が、もしかして戦後の原点を見直してくれないか。
 手記が一冊の本になって出たのが二十歳のときでした。

声なき声を次の世代へ

 いつしか長い歳月が経過して、150冊は出したでしょうか。
 その中で、1970年に何人かで「東京空襲を記録する会」を立ち上げ、『東京大空襲・戦災誌』(全5巻)を3年がかりで完成させました。
 2002年には、無償提供された江東区北砂に、民間募金で、「東京大空襲・戦災資料センター」を設立しました。
 今、修学旅行の生徒たちが続々と来てくれます。

「記録する会」を結成してから40年、私の人生の半分以上を費やしましたが、こだわって生きれば、その声はほそぼそながらでも通じていくのだと思います。
 目下、追体験の時代を前にして民間人の戦禍の証言映像をライブラリーにしようという活動に着手しています。

 日本人の平均余命は厚生労働省統計によると2008年は男性79.29歳、女性86.05歳でしたが、昭和20年は、驚くなかれ男性23.9歳、女性37.5歳でした。
 子どもや若い人たちがいっぱい死んだのです。
 ところが、昭和21年には、男性42.6歳、女性51.1歳になっています。
 平和と人命がみごとに直結していることがわかります。
 そんな資料も入手して、未来世代に残したいと思います。

 さて、海のかなたへ目を向けると、今も紛争が絶え間なく続き、空爆が現実の問題となっているのは悲しむべきことです。

 7年前にイラク戦争が始まり、私はその翌日、何人かで戦争をやめよと新宿駅頭で訴えましたが、人の流れは止まらず、無力感に襲われました。
 でも戦時中と違って、今なら言えるのですから、一言を惜しんではならない。
 生き残った者たちは、過去の無念の死を遂げた人たちの声なき声を重ね合わせて生きることが大事なのだと思います。

 もう一つは未来への声です。
 まだ何も発言できない小さな子どもたちの声をも重ねて、今日から明日を生きなければ…と思います。
 どこまでできるか、齢(よわい)78歳、「元気高齢者」と言ってくれる人もいますが、まあ、空元気でもう一踏ん張りですよ。


早乙女勝元(さおとめ かつもと)

 作家、東京大空襲・戦災資料センター館長。1932年、東京生まれ。12歳で東京大空襲を経験。働きながら文学を志し、18歳の自分史「下町の故郷」を20歳で刊行(ヤッホーくん注)。ルポルタージュ「東京大空襲」が話題になり、日本ジャーナリスト会議奨励賞を受ける。1970年、「東京空襲を記録する会」結成に尽力し、「東京大空襲・戦災誌」が菊池寛賞を受賞。2002年、江東区北砂に「東京大空襲・戦災資料センター」をオープンし、館長に就任。東京空襲の語り部として未来世代に平和を訴え続けている。主な作品は「早乙女勝元自選集」(全12巻)、「東京が燃えた日」、「空襲被災者の一分」など。

[写真]
満員の客席を前に行われた早乙女勝元さんの講演会=東京都墨田区の江戸東京博物館で

[図解]
世界の核保有国.jpg

東京新聞、2010年3月27日
「早乙女勝元さんが語る下町っ子戦争物語−東京大空襲から65年」
講演「未来につなぐ平和への誓い」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/forum/list/CK2010032702000170.html

(ヤッホーくん注)

早乙女勝元自選集「愛といのちの記録」第二巻所収(日本図書センター、1991年7月)

 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)館長で、作家の早乙女勝元さん(86)=写真=が2019年3月10日、2002年の開設以来務めてきた館長を、6月で退任することを明らかにした。

 早乙女さんは同区であった「東京大空襲を語り継ぐつどい」であいさつし、
「6月に館長を降りることになった。17年やっていて、若い人の出番を封じることになりかねない。体調も良くない」
と語った。

 後任は未定としながら、
「自分のライフワークとセンターのテーマは共通するものがある。不条理がまかり通る戦争がだんだんと生活の中に染み込んでいくことは、阻止したい」
と、館長退任後もセンターを支えていく意向を示した。

 早乙女さんは12歳で大空襲を経験し、戦後は働きながら夜間学校に通い、文学を学んだ。
 1970年に「東京空襲を記録する会」を結成。
 ルポルタージュ「東京大空襲・戦災誌」で菊池寛賞を受賞。
 戦争や大空襲の実態を伝えていくために、同センターを民設民営で開設するのに尽力した。


東京新聞・朝刊、2019年3月11日
戦災資料センター・早乙女館長、6月退任へ
「不条理が通る戦争 今後も阻止」

(長竹祐子)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019031102000118.html

 東京大空襲・戦災資料センター(江東区北砂1)で2019年7月1日、新館長に就任した一橋大名誉教授の吉田裕さん(64)と、前館長で名誉館長に就いた作家の早乙女勝元さん(87)が記者会見した。
 吉田さんは、
「憲法改正への動きが強まる中で、東京大空襲を次の世代に伝えていくことが大切だ」
と決意を語った。

 同センターは、東京大空襲をはじめ東京の空襲被害を伝える民立民営の平和博物館。
 吉田さんは、
「空襲を若い人にどう自分のこととして考えてもらえるか、接点を持てるようなセンターでなければならない」
と今後の課題を挙げた。

 吉田さんは日本近現代軍事史が専門。
「戦争を経験した世代と若い世代をつなぐ橋を、架ける役割を果たしたい」
と述べ、若手研究者や市民との交流を深めて、講演会などによる情報発信や、館内のリニューアルにも積極的に取り組むことを表明した。

 2002年の開館から17年にわたり館長を務めた早乙女さんは、
「若い世代にバトンをつないでいかないとならない」
と考えて昨年暮れに館長退任を決意したという。
 吉田さんの著書『日本軍兵士−アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書、2017年12月、ヤッホーくん注)を読み、戦時下の人権にスポットを当てる視点に感動し「若い研究者の先頭を切っていける方」と後任を打診した経緯を明らかにした。

 吉田さんは2006年からセンターの戦争災害研究室室長を務めてはいたが「大変驚いた」と振り返った。
「早乙女(前)館長は空襲の記録を残す運動の面で大きな役割を果たしてきた。重圧は大きいが、自分なりにできることはあるのではないかと思う」
と語った。


[写真]
東京大空襲・戦災資料センターの館長に就任し、記者会見する吉田裕さん。左は前館長の早乙女勝元さん=江東区で

東京新聞、2019年7月2日
江東の東京大空襲・戦災資料センター 新館長に就任吉田・一橋大名誉教授が抱負
(長竹祐子)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201907/CK2019070202000129.html

(ヤッホーくん注)

 日本人は日本人論を好むとよく言われる。明治維新以来、脱亜入欧をかけ声に、追いつき追い越せでやってきたものの、しょせん欧米人にはなれない。では自分はいったい何者か、他者からどう見られているかが気になってしかたない。そこで、昔から多様な日本人論が生み出されてきた。

 それは「エコノミック・アニマル」のように否定的なものでも全然かまわない。とりあえず自分たちが何者かはわかった気になって安心できるし、そんな自分を「反省」すれば道徳的な高みにさえ立てるからだ。

 本書はそのような日本人論のひとつとして受け止められ、ゆえに多くの読者を獲得したと私はみた。そこで描かれる旧日本軍のやり方は、自らの無策を補うため兵士の生命を徹底的に軽視して死に追いやるなど、近年社会問題化しているブラック企業のそれと酷似している。このブラックさは日本人ならではの伝統、体質に由来すると思った人も多いのではないか。

 日本人が本当にそういう体質の持ち主であるかはひとまずおくが、本書が凡百の日本人論とは明らかに質が違うことは強調しておきたい。けっして情緒に流れず、日本軍の酷(ひど)さを数字と具体例にもとづき淡々と述べているからだ。

 たとえばインパール作戦の兵士が行軍で担いだ荷物は40〜50キロだったという。当時の20歳男子の平均体重に近い。

 歯科医の話も印象的だ。
 1945(昭和20)年の陸軍総兵力は550万人に達していたのに、敗戦時の陸軍歯科医将校は約300人に過ぎなかった。虫歯に苦しんだことのある人なら慄然(りつぜん)とする数字だろう。

 著者はあとがきで、
「軍事史という特殊な分野についての文章がはたして次の世代に届くだろうか、という強い危惧」
を示している。
 そこには近年の世論に目立つ、戦争の美化も含まれている。
 本書の売れ行きがそれらを払拭(ふっしょく)しているとすれば、たいへん喜ばしい。

◇ ◇ ◇
中公新書・886円=10刷12万部。2017年12月刊行。軍事史研究の第一人者が兵士の目線で大戦の実態に迫った。被服や糧食、メンタルを含む健康の問題にも目配りして「死の現場」を描く。

朝日新聞・好書好日
現代に通じるブラック体質
吉田裕『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』

(朝日新聞、2018年6月23日掲載)
https://book.asahi.com/article/11637032


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A meaningful life

HE’S not quite what I had in mind when it comes to being an environmental champion. Nondescript and looking very much like your resident Chinese uncle you’d come across (and immediately forget) in a kopitiam, Akata Yang Khuan Chi is anything but typical – once you get to know him. And I find myself having to adjust my expectations of what a green hero looks like.

No dashing cavalier mouthing off pithy phrases about saving the world. No worldly-wise ‘David Attenborough’ sage giving a lecture on why we need to protect our forests. He’s neither. The only apparent “green” thing about Yang is his olive green shirt. At least he’s dressed the part, I reason to myself. Bulging unfashionable fanny pack strapped around his waist notwithstanding.

His weather-beaten face breaks into a wide grin as he extends his hand out in greeting. “I’m Akata,” he says simply by way of introduction. And then there’s silence. He waits for a question. I wait for a ‘save the world’ introduction. We get neither, and I’m not sure who’s more disappointed. “Well I’m no green hero!” he protests with a nervous chuckle, shrugging his shoulders.

But then again, no one sets out to be a hero or champion. At least not Yang. In search of something meaningful, he found his footing in the field of sustainability and the former mechanical engineer hasn’t looked back since. Green farming, organic produce, sustainability are words he bandies in his role as an advocate for environmental sustainability. A far cry from his not-so-distant past, where he says bluntly: “I earned a lot more money!”

Far from his home down south in Johor, Yang is in town to collaborate with GMBB Mall – a new creative mall located in Jalan Robertson, Kuala Lumpur – to promote a “Green is Good Market” where over 40 local and international vendors will be selling ‘green-friendly’ products and where Yang will be conducting educational and interactive workshops focusing on environmental sustainability.

BIRTH OF A HERO

Born in Kedah, Yang tells me he didn’t set out to be a mechanical engineer. “Back in the days, I didn’t have much of a choice really,” he says, confessing sheepishly. “I didn’t do well in my Bahasa so I couldn’t enter Form 6!”

The eldest of the family, Yang was sent to a polytechnic school in Ipoh to pursue his studies, and so that’s exactly what he did, he shares, with another shrug of his shoulders.

“We weren’t well off,” he reveals. “My father was a newspaper vendor, and I usually helped deliver his papers before heading to school.”

Life was pretty unremarkable. “Back then, you just want to get a good job and earn lots of money,” he says pointedly.

He moved to Kuala Lumpur and worked there for a couple of years before heading to Johor, where he ran a business with his university mate, designing and building industrial ovens.

If I’m waiting for an interesting “turning-point” that changed his outlook completely, I don’t get it. There’s no dramatic story, no ‘coming of age’ moment. I look disappointed and Yang looks uncomfortable.

“I loved being in nature,” he offers finally, hoping to appease my disappointment. He tells me he signed up and took part in many of the outdoor programmes that were organised by the Ministry of Culture, Youth & Sports.

“I learnt kayaking, rock climbing and took part in a whole load of outdoor activities,” he recalls, smiling. But the activities ceased when he moved down south after five years in the capital city.

Moving to Johor, Yang focussed on his business and building his family. “Life was pretty much clear cut back then,” he says, adding candidly: “I got married, and I had children – two girls and a boy. It was all about making money and raising my family.”

But eventually, he tells me, he decided to change his outlook and venture into something more meaningful. “I worked in an eco-resort and soon decided to dabble into environmental education,” he confides.

That’s quite an about-turn, I comment. He agrees, replying: “You begin to notice how the environment is being degraded slowly. Our lives aren’t getting any better and I figured, why not change?”

Surely there was a turning point, I insist. “You can’t have just thrown in the towel on your business and go green completely!” I exclaim. “I kept my business running,” he corrects me. Then he goes silent. “It was my father,” he says finally. There’s a catch in his voice. Silence again, as he collects himself.

“My father had Alzheimer’s,” he confides, breaking the silence, eyes glistening. Yang was the primary caregiver and watching his father’s eventual decline and finally succumbing to the degenerative disease after more than a decade, had him questioning his own life path. “Your perspective tends to change after losing a parent,” he explains softly.

What is money, when the quality of life is lost to illness? “I realised that life was too short to chase after money,” he muses, adding: “I wanted to change my life and pursue something more meaningful.”

His mum is now battling the same disease, he reveals, his voice heavy with emotion. “My siblings and I recently had to make some hard decisions about her care,” he says. “It’s hard sometimes when we think of how they (his parents) managed to raise us four siblings, but we’re finding it so tough to take care of them now.”

His mother is now bedridden, being cared full-time by professional caregivers. He grows pensive as he tells his story, and then after a moment’s silence, he reiterates: “I had to do something meaningful.”

A MEANINGFUL LIFE

Doing “something meaningful” didn’t come easy, he admits. “My wife wasn’t very happy of course!” he says, with a rueful laugh. “Who wouldn’t be upset when the income isn’t as lucrative as before?” Yang joined an eco-resort for a year, where he got the experience of running a sustainable business.

“It wasn’t difficult,” he insists, adding that his mechanical engineering background enabled him to understand the technical rudiments that went behind running a resort. “For example, I could understand the mechanics behind running a hydro-generator because of my engineering background. Still, it was a learning curve but I enjoyed it.”

His first-hand experience in being a caregiver for over a decade led him to research about organic farming and the effects of pesticides on the food we consume. A range of chronic health problems, he says, have been linked to exposure to pesticides, insecticides and fungicides. “When I think of my parents, I sometimes wonder if their condition had anything to do with the food they consumed through the years,” he says heavily.

Synthetic chemicals, he explains, are found in nearly everything we touch and consume. But some chemicals can be potentially harmful and a number of experts are anxious about possible long-term health effects of our everyday exposure.

Says Yang: “You can reduce your levels of exposure to these chemicals but you can’t completely eliminate these exposures because some of them are found in environments we can’t control.”

But there were things within his control, he says. He planted his own vegetable patch at home and soon got himself linked with organic farmers around his vicinity.

“I did my own extensive research on organic farming and I also enrolled in courses on permaculture and agriculture to equip myself with knowledge,” he recalls, adding: “The more I learnt about sustainable farming, the more I wanted to share that knowledge with as many people as possible.”

He soon crafted little tours for students to be introduced to the mechanics of organic farming. “I brought in kindergarten and primary school students into farms and showed them how food is grown,” he tells me proudly.

Through his school tours, he adds, the students build a real connection and relationship with the world in which they live. If children don't have this relationship, if they don't feel the soil in their hands, then it really doesn't matter to them. They won't care where their food comes from.

Shares Yang: "If we're really serious about teaching green issues, not just climate change and energy consumption, but actually understanding the whole process of how food is actually produced, then they’re not going to make considered choices in what they eat and what they buy.” And we have to start educating them from young, he insists.

THE JOURNEY CONTINUES

I could tell that education remains a venture that’s close to Yang’s heart. After all, he picked his name “Akata” because he wanted his students to call him by a simple name. “I didn’t want them to call me teacher or ‘uncle’!” he exclaims with a laugh. The name “Akata” in Balinese means “not artificial”. “It somehow resonated with me - so it stuck!” he explains, smiling.

He organised a platform to sell organic produce called the “Green-U Market” and even dabbled in sustainable farming himself. “When opportunities present themselves, you just grab hold of it and try,” he remarks. In recent times however, Yang has ventured into yet another aspect of organic farming.

He joined Medini Green Parks development, an urban green space which boasts of two major forest landscapes – edible park and heritage forest. “It’s an exciting venture,” he reveals excitedly. “The message of sustainable farming is now reaching a larger audience.”

Tucked in the heart of Medini city in Iskandar Puteri, Johor, the Medini Green Parks aims to promote sustainable farming, as well as providing a green sanctuary of sorts for Malaysians – Johoreans, especially.

“I gave up my farming to take up this new adventure,” he says.

So no more farming? I ask.

“Still got!” he replies blithely. “It’s taken on a different angle now that I’m part of the management team for the park!” The 57-year-old hasn’t looked back since.

“People said I was crazy when I first wanted to do something meaningful,” he says ruefully. “My income dropped quite a bit when I ventured into this field. But then I ask myself, how much money does it take to make your life meaningful or happy?” He pauses before answering his own question: “Money can’t buy you happiness or good health.”

Nothing in his life was mapped out or planned, he insists, saying: “It’s simply a case of making a change and trying to live as authentically as you can.”

As his name would suggest, Yang is all about making a difference the best he can, without artifice or illusions of grandeur. Even if he wears a fanny pack and doesn’t remotely look the part of an environmental advocate, Yang is content to spread the message of green sustainability in any way possible. And sometimes, that’s exactly what green champions do.

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Akata Yang

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Yang crafted tours for students to be introduced to the mechanics of organic farming.

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Yang with his group of university students after his eco-tour.

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Through Yang's tours, students build a real connection and relationship with the world in which they live.

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Fresh produce sold at the Green-U market which Yang started.

New Straits Times, Published: July 14, 2019 @ 8:30am
Sustainability champion Akata Yang is no ordinary hero
By Elena Koshy
https://www.nst.com.my/lifestyle/sunday-vibes/2019/07/504131/sustainability-champion-akata-yang-no-ordinary-hero

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2019年07月21日

Merkel at 65

German Chancellor Angela Merkel on Saturday paid tribute to Colonel Claus von Stauffenberg and other German military figures who tried to assassinate Adolf Hitler 75 years ago.

"Following their conscience, they proved themselves to be true patriots," Merkel said at a military ceremony in Berlin. "They urge us to be vigilant and to confront racism and nationalism in all its facets," she added.

Stauffenberg and other senior officers such as Henning von Tresckow and Erwin von Witzleben planned to kill Hitler in his "Wolf's Lair" headquarters in modern day Poland and then declare peace with the Western allies.

But a bomb that Stauffenberg placed in a suitcase near to the Nazi dictator failed to kill him and the attempt to seize power, dubbed Operation Valkyrie, failed. The colonel and his coconspirators were tracked down and executed in the days and weeks that followed.

After her speech, Merkel laid a wreath at the site where Stauffenberg and several others involved in the plot were shot.

Germany's ambivalence

Stauffenberg's legacy in postwar Germany has been mixed. Some view him as a hero of the anti-Hitler resistance movement and others see him as an opportunist who only turned against the Nazi dictator when Germany's defeat became certain.

Historian Wolfgang Benz told the Augsburger Allgemeine newspaper that it was important for Germans to remember the broader resistance movement and not just the military officers involved in the July 20 plot.

"Conservatives have always focused on the military resistance, but it came very late [in the war]," he said.


[video]
Germany remembers 1944 plot to kill Hitler

[photo-1]
Stauffenberg was shot at Bendlerblock in Berlin a day after the assassination attempt

[a series of the photo]
Known and unknown heroes: People who resisted Hitler
The assassination attempt of July 20, 1944
75 years ago, a bomb exploded in the Führer's "Wolf's Lair" headquarters, which was supposed to kill Adolf Hitler. The assassination attempt failed; Hitler survived. The resistance fighters involved were executed in the days following the attempted coup.


DW, published: 20.07.2019
Germany: Merkel commemorates Hitler assassination plot 75 years after Operation Valkyrie

On July 20, 1944, Claus von Stauffenberg tried to kill Adolf Hitler by placing a suitcase bomb next to him during a meeting of senior Nazi officials. Merkel said he and his coconspirators were "true patriots."

https://www.dw.com/en/germany-merkel-commemorates-hitler-assassination-plot-75-years-after-operation-valkyrie/a-49660510

Angela Merkel was born on July 17, 1954 while Abe Shinzo on September 21, 1954.

She became German chancellor in 2005 while he became the prime minister in Japan in 2006 as his first term.


Addressing US President Donald Trump's recent attacks against a group of minority congresswomen, Merkel clearly showed her disdain.

"I firmly distance myself from it and feel solidarity toward the attacked women," Merkel said at her annual summer press conference in Berlin on Friday.

The chancellor said that "people of very different nationalities have contributed to the strength of the American people."

She added that Trump's statements "contradict the strength of America."

Merkel joined other international leaders who have criticized Trump. The US president had tweeted that the congresswomen from the Democratic Party should "go back and help fix the totally broken and crime infested places from which they came."

All congresswomen are US citizens, and three of them were born in the United States.

Trump's remarks were criticized as "racist," although he dismissed that description and said he did not have "a racist bone" in his body.

'I understand questions about my health'

Merkel also used the press conference to once again dispel doubts about her health, after three recent shaking spells in public caused concern in the country.

"I understand questions about my health, and I have already given an answer," Merkel said.

"It is important that I commit myself to the responsibility of acting as head of government. Now, I would just say that you have known me for a while. And I can perform this function," she said.

The German chancellor, who turned 65 this week, said she also had a personal interest in her good health.

"As I said, I will finish my political work in 2021, but I hope that life will continue after that, and I would like it to continue in a healthy way," she said.

The press conference, with its trademark blue background, is a traditional event which began under former Chancellor Helmut Kohl, in office from 1982 to 1998.

It was here in August 2015 that Merkel uttered one of the sentences that will undoubtedly mark her legacy. "We can do this (Wir schaffen das)," she said, referring to Germany taking in over 1 million migrants at the height of the refugee crisis.

'Proud' of von der Leyen

Merkel also fielded questions about Ursula von der Leyen, who was voted new EU Commission president this week, saying that her election was "really good news for Europe" and a reason to be "proud" from a German perspective.

Merkel added that von der Leyen's confirmation had avoided uncertainty and conflict among European institutions, which would be important in the future regarding pressing issues such as Brexit.

The chancellor showed no intention of amending the withdrawal agreement between the UK and the EU, saying it had been carefully negotiated, but she did say the declaration on the future relationship between the EU and the UK could be refined. And this, in turn, could have an impact on the Irish border question.

Merkel also had positive words for von der Leyen's successor as German defense minister, Annegret Kramp-Karrenbauer, who is currently the head of Merkel’s conservative Christian Democrats (CDU).

The announcement of Kramp-Karrenbauer's new position came as a surprise in Berlin, but Merkel defended the decision by saying she had the "political weight" to lead the ministry, one of Germany's most important and most controversial Cabinet positions.

Both Kramp-Karrenbauer and von der Leyen are among Merkel's closest advisers, and their new roles have been analyzed as a way in which Merkel is securing part of her political legacy.

The chancellor reiterated that she believed her government was "capable of working" despite serious infighting that has threatened the coalition.

And she said there was a lot of work to be done after the summer break, in such areas as climate protection and digital development.
"I have to fulfill my tasks," she said.


[video-1]
Merkel criticizes Trump diatribe

[video-2]
Merkel at 65: What will be her legacy?

[a series of photo]
The squad: These are the women Trump wants to send back
The squad
Often referred to as "the squad" − both by themselves and the media − the first-term Democrats in the US House of Representatives are united in their progressive views. Although they come from different ethnic and religious backgrounds, they all stand for more diversity in US politics. And this has put them at odds with Donald Trump.


[photo]
Merkel has secured her political legacy with advisers Ursula von der Leyen (center) and Annegret Kramp-Karrenbauer

DW, Published: 19.07.2019
Angela Merkel: 'I distance myself' from Donald Trump's racist comments

At her annual summer press conference, German Chancellor Angela Merkel strongly criticized the US leader for his recent diatribe against Democratic congresswomen, saying it went against America's strength.

https://www.dw.com/en/angela-merkel-i-distance-myself-from-donald-trumps-racist-comments/a-49646567

Please listen to the screaming loud voice of a Japanese candidate crying about the need to change our Peaceful Constitution yesterday:
https://twitter.com/i/status/1152515852345810944

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Shall we 選挙?

 選挙に行こう。そして未来を自分で選ぼう――。
 そんな呼びかけが広がっている。
 見過ごすなんてもったいない。
 きょう21日は、参院選の投開票日。

 参院選に行こうと呼びかけるポスターを、絵本作家やCMディレクターたちがネットに投稿している。
 美大出身者たちが3年前の参院選から始めた「Shall we 選挙?」というプロジェクト。
 ポスターを募集してネットで公開する取り組みで、今回で3回目だ。

「行かないことで何を選んでるの?」
と猫が問いかける。
「棄権は、あなたの国の健全を悪化させる危険性を高めます」
は、たばこのパッケージをパロディーにした作品だ。

 きっかけは、国政選挙の低投票率だという。
 プロジェクトの立ち上げや運営に携わるクリエーティブディレクター入江洋平さんは、
「近年は衆参ともに投票率は50%台しかないのに、国の在り方、自分たちの代表が決まっていくいらだちがあった」
と言う。
 簡単なメッセージ付きのポスターであれば、選挙に関心のない若い人たちの目を引くこともできると考えた。

 だれでも参加することができ、プロの芸術家たちに交じって、16歳の高校生や離島のミカン農家からの投稿もあるという。
 特定の政党の応援目的などでなければ表現は自由だ。

 入江さんは、
「政党の公約を理解するのは大人だって難しい。だったら、気になったポスターから自分の印象に残ったことを探って候補者を選んでみては」
と話す。


[ポスター~1]
投票所は減ってはいるものの……「投票所は、月より近い。」

[ポスター~2]
投票に行かないことを皮肉る猫の一言に考えさせられる……「行かないことで何を選んでるの?」

朝日新聞、2019年7月21日06時00分
棄権は危険
投票呼びかけ、きっかけは「いらだち」

https://www.asahi.com/articles/ASM7N5X2CM7NULZU002.html

「Shall we 選挙?」のホームページはこちら: 
https://www.peace-geidai.com/

 また前回の参院選のときは東京新聞でも取り上げられていました。

 参院選2016(7月10日投開票)に18歳選挙権が導入されるのに合わせ、若い世代に個々の感覚に基づいて投票に行ってもらいたいと、東京芸術大などの有志がポスター展「Shall we 選挙?」を、同大上野キャンパス(東京都台東区)で開催している。

「選挙に行こう」という意味を込めた「Shall we 選挙?」の文言を配置することを唯一の条件として、インターネットで作品を公募。
 2日までに180作品が集まった。
 このうち151作品が会場に展示されている。

 ベートーベンの「第九」の楽譜とピアノの写真の上に「おお友よ、この調べではなく。」という歌詞を重ねたポスターなど、政治的主張を押し出さずに感情を喚起する作品も多い。

「そもそも一つの政党の公約全てに賛同できる人は少ないし、公約を全て把握して合理的に投票するという行為は大人でもハードルが高い」
と、事務局で作品を募ったクリエーティブディレクターの入江洋平さん。

「人が行動する理由はさまざま。思い浮かべるのは友人でも家族でもいい。個々の感覚を信じて投票に行ってほしい」
と話す。


[写真]
壁一面に投票を促すポスターが貼られた「Shall we 選挙?」展=2日、東京都台東区の東京芸術大学で

東京新聞、2016年7月3日
思うまま若い1票を
東京芸大で選挙ポスター展

https://www.tokyo-np.co.jp/senkyo/kokusei201607/zen/CK2016070302100021.html

選挙って、政治って、難しい。
つい「詳しい人」に頼りたくなります。
読んだ本は1万冊以上、旅した国は70ヶ国以上というライフネット生命創業者の出口治明さん(69)に、聞いてみました。

― 出口さんは多くの著作も人気ですが、ツイッターも8万6千人のフォロワーがいます。フォロワーの方々と政治の話をしますか?

出口治明: しょっちゅうしますよ。政治も宗教も。タブーなんてないです。外国の人も、まともな人は政治や宗教の話は大好きですよ。

― 今回の選挙を、どう見ていますか。

出口: 今回の選挙はどうかという前に、そもそも選挙って何ですかという話をおさえるべきだと思います。
 選挙には、万国共通の三つの原則があります
 まずひとつめ。
 あなたは、食堂に行って、千円札を出して、「なんでもええから食べもの出して」って言います? 普通の人は、カレーライスとかラーメンとか、好きなものを注文しますよね。
 またはデパートに行って、1万円を出して「何でもいいから服を売って」って言います? 好きなワンピースとか、好きなシャツを買いたいですよね。自分のお金を使うんやったら、自分で使い道を決めたいですよね。
 選挙ってなんやっていうと、自分で出したお金を、こういうふうに使いたいと意思表示することなんです。

― そういえば、「自分たちで出した金の使い道を自分たちで決める」という意識が薄いかもしれません。

出口: 調べてみたら、日本の市民は平均的に、収入の4割くらいを税金と社会保険料に払っているんです。そんなに払っているのに、なんで使い道に文句言わへんのや。人任せにしてんのや。おかしいやんか。選挙に行かない人には、「食堂に行って千円出して、何でもいいから出してと言ってるのか。おかしいやろ」と言ってあげたらいいと思います。

― はい。わかりやすいです。

出口: ふたつめ。
「ろくな候補者がいない」とか「ろくな政党がない」からアホらしくて選挙に行かないっていう考え方をよく聞きます。無意識の前提として、「選挙に出る人は立派な人に決まっている」とか、「政党はまともなもの」と考えているからそういう意見が出るんですが、それって人類史上ありえない幻想なんですよ。

― うわあ、断言ですね(笑)。「人類5千年史」を書いた方に言われると爽快です。

出口: イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは「選挙に出るやつはみんなろくでなし。変なやつばっかり。自分も含めて」と言っています。もてたいとか、金もうけしたいとか、目立ちたがりやとかね。
「そんなとんでもない人たちの中から、誰に税金を分けてもらったら相対的にマシかという消去法の『忍耐』を選挙と呼ぶ。だから民主主義は最低なんだ。ただし、過去に試みられてきた王政や貴族制など他のあらゆる政治形態を除いては」と続けています。チャーチルが100年前に言ったことに尽きるんです。

―「期待」がそもそもおかしいと……。

出口: 人間の脳みそは、脳研究者の池谷裕二先生のお話では、ポンコツなんです。最高の脳研究者が、「脳はポンコツや」って言っているんですから(笑)、政治家も僕らもポンコツなんや。

― 政治家というより、人間はみんな「そういうもの」と考えればラクかもしれません。

出口: 選挙の原則の三つ目は、ロンドンで教えてもらいました。
 ロンドンの人って賭けが好きで、選挙でも賭けをやっているんですね。選挙って必ず事前予想が出るじゃないですか。もし自分がその通りでいいと思ったら、選択肢は三つある。勝つと予想されている人の名前を書くか、白票を出すか、棄権をするか。結果はすべて一緒です。
 もし、事前予想が嫌だなと思ったら、方法はひとつしかあらへん。投票に行って違う人の名前を書くしかない。

― 簡単ですね。

出口: この3原則が、選挙とはどういうものかという基本です。どんなひどい争いになろうと、これは変わりません。
 1点目は、格好良く言うと、「市民が政府をつくる」という原則です。2点目は、民主主義の本質。3点目は、選挙の技術、スキルです。

― ただ、いざ投票しようにも誰を選べばいいのかわからないという人は多いです。

出口: それは簡単。選挙って結局、「誰に税金を分けてもらうか」ですが、候補になる人ってだいたい3人くらいじゃないですか。たとえば3人の家に下宿すると考えてみましょう。誰の顔なら毎日見ていても相対的に耐えられるかと考えたら、選べるんじゃないかと思います。

― え、そんな感じでいいのでしょうか。

出口: チャーチルいわく「困った人の中から選ぶしかないという忍耐が選挙」ですから。選挙区ごとに状況が違いますけど、事前予想が嫌なときは、この2〜3人の顔を思い浮かべて、誰のもとにいたらまだ生きていきやすいかと考えるだけでええんやないですかね。下宿の大家さん説。それでも行かないよりはるかにマシだと思いますよ。意思表示するということが大事です。

― 選挙は大事なことだから、真面目に考えないとダメだ、という圧力があります。

出口: それはメディアのせいですよ。中学高校時代の生徒会長選びって、そんなに真面目にやってました? 「あいつ落としたろ」とか、適当だったでしょ(笑)。生真面目でなくていいと思います。それより、さきほどの3原則という市民社会の大原則をみんなが意識することの方がはるかに大事やと思う。選挙に行くということは、オムライスを食べたいって言うことやでと。何も注文しないというのは、おかしいことなんやでと。

― それって、選挙以外の暮らしでも同じ「おかしいこと」をやっているかもしれない、というですよね。

出口: そうなんです。

― 特に若い人に多いようですが、「自分ごときが投票して国に影響を与えていいのか」「政治に詳しくないから投票しちゃいけないんじゃないのか」と尻込みする人たちもいます。

出口: 「分かっている人」なんてどこにおるの(笑)。みんなチョボチョボやで(笑)。
 そもそも民主主義って、素人がリーダーを選ぶということなんです。もちろん、知らないとだまされますよ。
 でも、なんで民主主義がいまも残り続けているのか。
 少人数の人を長くだますことはできる。カルトみたいに。
 また、大人数の人をちょっとの間だますことはできる。ナチスみたいに。
 でも大多数の人を長い間だますことはできないから、素人に選ばせた方がええんやというのが、民主主義の原理原則なんです。

―「大多数を長くだませない」のが歴史的に証明されているということですか?

出口: そうです。経験則です。時間がたつと、みんな「あれ、おかしいぞ」と気付くんです。だから、選挙って難しいことじゃないんです。「選挙ってこんなもんやで」というのをメディアが報道すればいいのに、メディアって逆の報じ方をしますよね。

― 選挙報道は、どうしても難しい内容になりがちですね。争点とか、政策比較とか。または政局。

出口: 争点なんてないですよ(笑)。もっともらしい争点はつくれますけど、そんなの要は権力者の殴り合いじゃないですか。小選挙区制なんで、「俺が税金を分けたい」「いや私が分けたい」って言うのが基本です。
 もちろん政策を見て選ぶべきだと思いますが、それ以前に、まずは選挙の三つの原則を理解させることが大事だと思います。その努力を放棄して、政局とか政策とか言うから、余計難しくなるのとちがいますか。

― なるほど。

出口: あと、日本の選挙が世界の選挙と何が違っているかを指摘しておきたい。めちゃ簡単に言うと投票率が低いことです。欧米と比べても低い。低かったらどうなります? 

― ええっと。一部の人の意見しか反映されない?

出口: 新しい血が入らない。投票率が低いということは、大政党に所属するか、看板・地盤・後援会がある人しか通らないということ。政治の世界に新規参入が起こらなくなるんです。
 いま世襲議員が増えているでしょう。政治が世襲されていって、新しい血が入らないということは、ダイバーシティーの真逆になるんです。

― たしかに。

出口: わかりやすい例をあげましょう。いま国民の喫煙率って2割以下でしょ? 国会の先生方は6割ですよ。投票率が低くて、世襲議員ばかりで新しい血が入らないから、政治がよどんでいくんです。

― 私たち自身が、政治をよどませているということですね。

出口: そうです。メディアは構造問題を指摘するのが本質だと思っています。万国共通の選挙3原則をきちんと伝えること。日本は他の国と比べて投票率が低いこと。そして投票率が低いことがなにをもたらすか。これらをきちんと書いてほしいですね。
◇ ◇ ◇
出口治明
 三重県生まれ。日本生命保険相互会社を経て、2008年、ライフネット生命保険を開業。ビジネス書のほか「仕事に効く 教養としての『世界史』」(祥伝社)「『全世界史』講義」(新潮社、全2冊)など歴史に関する著書も多数出版。ツイッターは(@p_hal)。


朝日新聞、2017年10月21日12時00分
2017衆院選
選挙に行く若者へ押さえておきたい3原則
出口治明さん

(聞き手・原田朱美)
https://www.asahi.com/articles/ASKBK5WZQKBKUTIL04D.html

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投票所へ足を運んで

 7月19日に放送されたNHK「あさイチ」にゲスト出演した久米宏さんが、
「NHKは独立した放送機関になるべきだ。人事と予算で、国家に首元を握られている放送局があっちゃいけない」
と発言し、注目を集めている。

 番組では、プレミアムトークというコーナーに久米さんを招き、キャスターの近江友里恵NHKアナウンサーと、博多大吉さん、博多華丸さんが久米さんに話を聞いた。

 NHKに関する発言が出たのは、博多大吉さんの「メディアのこれからってどうなんでしょう」という質問に対してだった。

 久米さんは「言いたいのはNHKに関してですよ」と切り出し、こう続けた。
 NHKはね、民間放送になるべきだと思います。
 もしNHKが民間放送になり、スポンサーを集めたら、他の民放は全滅ですよ。
 だから1社でNHKが民放になるのは無理です。
 多分JR方式になると思うので、分割されると思うんですけど。
 それにしても今ある民間の放送局は、半分以上は整理整頓、淘汰されますけど、僕はやっぱりNHKは独立した放送機関になるべきだと思います。

 人事と予算で、国家に首元を握られている放送局があっちゃいけないんですよ。
 そういう国は先進国とは言えないです。
 絶対報道機関は独立していないといけない。


 で、NHKが民放になったら、他の民放はひどい目にあって、地獄を見ることになりますけど、NHKが国会だとか政府に首根っこ掴まれているような放送局でなくなるんだったら、そっちの方がよほどいい社会になります。
 政治ニュースとか、社会を伝える、世界情勢を伝える放送局が、その国の国家に人事と予算の首根っこを握られているのは、絶対的に間違っています。
 先進国にそういうことはあってはいけません」

政府を強烈に批判する放送局があってしかるべき

 また、久米さんが戦争に進んで行った時代と今の社会を比べ、
気がつかないうちに戦争に入って行ったんですよね。割と似ていると言えば、似ているような気もするんです、あの頃と今って。とっても危機感を持っていますね
と話した。

 この発言に対し、近江アナウンサーが、
「メディアのあり方と言いますか、情報の伝え方とか。やっぱり同じ轍を踏んではいけないという…」
と問うと、久米さんは、
「政府を強烈に批判する放送局があってしかるべきなんですよ」
と応じた。
 アンチ政府、アンチ国家の放送局、新聞があってしかるべきなんですよ。
 だいたいみんな同じになって。
 すっかり流行語になった忖度みたいなところで、よくないと思いますよね」

 そして、若い世代へのメッセージを続けた。
 政治家に限らず年寄りってあまり先の事、本気で心配してないんです。
 ところが、今の日本の困ったところは、若い人が先のこと心配してないんですよ。
『なるようにしかなんないよ』って。
 それはいかん。
 少しでも自分の暮らしからよくしていこうと、若い人こそ思ってくれなきゃ。それが一番心配です」

 近江アナウンサーが、
「明後日(参院選)選挙ですから、若い人も投票にもちろん行くべきですね?」
と問いかけると、久米さんは
「もちろん」
と答え、続けた。
 投票に行って開票特番見るのと、行かないで開票特番見るのと、開票特番との距離が違いますから。
 投票して見ると特番の距離が近づくんですよ。
 ぜひ開票特番を楽しんで見ようと思うんだったら、投票所へ足を運んで、夜できればぜひNHK。
 一言ぐらい、お世辞言わないと(笑)

ハフポスト、2019年07月19日 12時44分 JST
久米宏、NHKについて「人事と予算で、国家に首元を握られているのは間違っている」 あさイチで発言
久米宏さんはNHK「あさイチ」で、「国家に首元を握られている放送局があっちゃいけないんですよ。そういう国は先進国とは言えない」と主張した。

(湊彬子 Akiko Minato)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/kume-hiroshi-nhk_jp_5d312e5ae4b004b6adad79cf

JUMP
https://www.youtube.com/watch?v=TzwYYyy3Xf0

戦争の親玉
https://www.youtube.com/watch?time_continue=41&v=8oIwlhOqmdE

 そう、ヤッホーくん、ここで「きっこ」のつぶやきを一挙拡散!

岡林信康
「僕は牧師の息子なので貧乏はその人の心の持ちようで起こると思ってました。
 でも、そうじゃない。
 政治の貧しさや矛盾から貧乏が起こるんです。
 大人たちのエゴで子どもたちに悲劇が起こるんです」

3:48 - 2019年7月20日

 安倍晋三は今夜の秋葉原での演説で、自分に野次を飛ばす市民を強制排除するために、警視庁に1台しかない緊急事態用の公安機動捜査隊特殊車両を出動させた。
 他にも異常な人数の警察官と機動隊員が出動させられ、推定で総額数千万円が安倍のために使われた。
 もちろん原資は国民の税金だ。

4:35 - 2019年7月20日

 自民党から立候補するまで人生で一度も投票に行ったことがなかった政治に無関心な丸川珠代(本名・大塚珠代)が、このまま東京選挙区で1位当選したら、東京都民の何よりの心配事は「タピオカ問題」ということになるよね。
 だって丸川珠代は今回の選挙戦で「タピオカ」のことしか主張してないから。

4:42 - 2019年7月20日

「総務省は20日、参院選15日間の期日前投票が1417万2236人だったと発表した。2016年の前回同時期と比べて約97万人の増加で、過去最多だった前回を上回るとみられる」とのこと。
 多くのマスコミは「盛り上がりに欠ける」「投票率は低調」と報じているが、期日前投票に限っては真逆の結果だね。

5:08 - 2019年7月20日

 庶民は消費税が10%になることを心配しているが、安倍政権のスポンサーである経団連が安倍に要求してるのは「20%までの段階的増税」だ。
 10%を許せば次は15%になり、その次は20%になる。
 そして増税のたびに大企業の法人税は引き下げられる。
 これが消費増税のシナリオだ。

5:19 - 2019年7月20日

 安倍晋三の師匠の森喜朗
「まだ投票先を決めていないと言うか政治に関心がないと言うか、全体の40%くらいを占める無党派層の存在は大きいんです。この人たちは投票など行かずに家で寝ててくれればいいんです」
(2000年の第42回衆院選挙で)
6:03 - 2019年7月20日

 安倍政権が何もしないために市民が立ち上げた「こども食堂」は、この3年間で全国に4000近くまで増加した。
 しかし、安倍晋三がトランプの言いなりになって100機以上も爆買いした欠陥戦闘機F-35をたった1機減らし、その予算を貧困児童のために使えば、全国の「こども食堂」は必要なくなるのだ。

6:25 - 2019年7月20日

 凄いな安倍晋三の警察私物化力は。今日の秋葉原での演説で、安倍の近くへ行こうとした市民はすべて警察官に「シールのない人は入れません」と阻まれた。
「シール」とは「安倍支持者」を示す黄色いシールのこと。
 それは別にいいが、どうして警察がそれに協力しているのか?
6:35 - 2019年7月20日

 今日の安倍晋三の秋葉原での演説に集まった支援者たち、その大半がどこかの地方から観光バスを連ねて連れて来たサクラで、全員が同じ「安倍総理がんばれ」というプラカードを持っていた。
 もはや自作自演どころか小学校の学芸会レベル。
「裸の王様」とはこのことだろう。
 あ〜恥かしい。

7:03 - 2019年7月20日

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小田嶋隆

 今は亡き「新潮45」2017年12月号に寄稿した拙文を再録します。
 と申しますのも、この度の参院選で、自民党が、例によって、書籍広告(電車の中吊り広告や新聞への出稿)の形で、大々的に広告を打っているという情報を得たからです。
「新潮45」に掲載した原稿では、2017年10月中に「新潟日本」に載った広告をすべてチェックした上で、各党の戦略を見比べています。
 この時も、やはり自民党の突出は際立っていました。
 なお、以下に採録するテキストは、私の個人所有のハードディスク(←dropboxですが)に残っていた最終稿がネタ元とするコピペなので、校閲を通っていません。
 なので、いくつか間違いがあるかもしれません。その点については、よろしく、ご了承お願いいたします。
『越後のDNA』(仮題)

 今回は新潟日報を掘り下げてみることにした。
 理由は二つある。ひとつは、先の総選挙で、長らく保守王国と言われていたこの地域で、自民党候補が続々と落選したからだ。どうしてこんなことが起こったのか、地方紙の紙面を通して解明できる部分があるのなら、私はそれを知りたいと思っている。それが第一の理由だ。

 第二の理由は、新潟が原発の再稼働をめぐって揺れている場所だからだ。
 これまでにも、東北、九州、四国の各地方の地方紙を見てきた実感から、私は、原発に関しては、賛否はともかく、それぞれの県の地方紙のほうが、全国紙に比べて、より切実な情報を伝えている印象を抱いている。
 どういうことなのかというと、原発が立地している地域には、原発による電気に依存している地域とは別の声があるということだ。というよりも、より端的な言い方をするなら、原発の周辺には、その電気で暮らしている東京の人間があえて耳を塞ごうとしている声が渦巻いているのであって、われわれは、その声に耳を傾けなければならないはずなのだ。
 新潟は、福井県や福島県とともに、原発の存在感がことのほか大きい地域だ。とすれば、再稼働の是非についても、全国紙が拾いきれていない地元の声を、より多く伝えているはずだと考えた。

 もっとも、この二つの理由は、最終的に、ひとつにつながって行くものでもある。というのも、原発再稼働への賛否と自民党への支持/不支持は、この地方の産業経済のみならず、人情風俗政治にも大きな影響を与えてきた、いわば歴史に属する話題だからだ。
 10月の衆議院議員選挙では、全国的に自民党の優勢が伝えられる中、新潟県内は、6選挙区のうち、自民党の2勝、野党側の4勝という結果に終わった。

 23日の「新潟日報」は、23面の社会面に、『本県自民逆風強く』という見出しを掲げて、かつて保守王国と呼ばれた新潟県の各小選挙区で、自民党候補が苦戦を強いられた背景を伝えている。
 振り分けられた議席数だけを見れば、たしかに、自民党の惨敗に見える。

 とはいえ、各選挙区の得票数を仔細に見比べてみると、いずれも接戦だったことがわかる。
 たとえば、4区の金子恵美議員の場合は、公用車で保育園に送迎していた件を報道され、さらに夫である宮崎謙介議員(辞職済み)の「ゲス不倫」問題でも騒がれていただけに、敗因はもっぱら個人的な問題に帰せられる。
 新潟日報は、『野党共闘の効果証明』と題された県内の小選挙区の結果を総括する記事で、

《野党が健闘した背景には、分裂した民進党から出る予定だった候補全員が「希望の党」からの出馬を選択せず、共闘が実現したことが大きな原因だ。希望から出れば、対立候補を立てるとした共産党は新潟2区を覗いて擁立を見送り、2区でも前回候補を立てた社民党が擁立せず、民進系と連携し、各区で自民党に対抗した。−−略−−》
という分析をしている。

 同じ日の『県内有識者に聞く』とする見出しの記事では、新潟県立大学の田口一博准教授の寄稿を仰いで、

《−−略−− 野党側が4議席を獲得したのは政党や政策への支持というよりは、候補者本人を支持しての得票のように思う。当選回数の少ない自民党議員は「自民党」としての票は集められるかもしれないが、候補者個人としての支持は得られていないといえるだろう。−−略−−》
という見方を紹介している。

 話を整理すると、新潟での自民党の敗北は、安倍政権に対する不信というよりは、この地域独自の事情を反映した結果だと見た方が良さそうだということだ。
 県内の投票率は、山形県に次いで全国2位の62.56%を記録している。前回の52.71%を9.58ポイント上回っていることからもうかがえる通り、有権者の関心は高かったといえる。

 投票率の高さの理由として第一に考えられるのは、当然、原発の再稼働問題への関心だと思うのだが、新潟日報は『原発政策 ぼやける争点』という18日の記事の中で、必ずしも原発問題が争点になっていないという見方を示唆している。
 この記事は、小見出しで
『自民候補「脱原発」、野党候補「原発ゼロ」 似通う主張 論戦は低調』
と、多くの議員が、演説の中で原発問題への明確な言及を避けている現状を紹介し、記事本文では、

《−−略−− 新潟日報社が、各候補に柏崎刈羽原発の再稼働問題や、原発の将来的な位置付けについて聞くと、与野党の主張の違いが見えにくい実情が浮かび上がった。 −−略−−》
として、選挙戦の実情を以下のように伝えている。

《−−略−− 野党候補は、東電福島第一原発事故や避難計画などに対して県が進めている検証作業を尊重する考えを示している。そのうえで、再稼働を「容認できない」「阻止する」とし、再稼働路線を進める自民との違いを強調している。しかし自民候補の多くも県の検証を尊重する立場だ。党公約には「原子力規制委員会の基準に適合すると認められた場合、再稼働を進める」とあるが、規制委の事実上合格が出た現時点でも「再稼働に反対」と話す議員がいる。 −−略−−》

 思い出すのは、はるか30数年前、新潟出身の友人が、
「うちのあたりじゃ自民党と社会党の選挙演説はまったく同じだよ」
と言い切っていたことだ。

 与党であれ野党であれ、東京にある党本部がどんな方針を打ち出していたところで、いざ選挙になれば田舎の候補は、田舎の選挙民の気に入ることしか言わない、と、彼が力説していたのは、そういう主旨の話だったわけなのだが、状況は、どうやら現在でも変わっていない。
 たしかに、有権者の関心は高い。
 でも、争点はぼやけている。
 そして、候補者は有権者の聞きたいことを言う。
 それだけの話なのだ。

 原発問題への関心が高いことは、新潟日報の紙面を見れば即座にわかる。
 ただ、その「関心」の中身は、私のような県外の部外者が抱く予断とはかなりかけ離れている。
 たとえば、新潟5区で自民党から立候補した泉田裕彦候補は、つい1年ほど前まで、新潟県知事だった人物だ。
 その泉田氏が、県知事時代、柏崎刈羽原発の再稼働を進めようとする中央政府ならびに東京電力に対して、ことあるごとに反発していたことは新潟県民であれば誰もが知っているところだ。が、その泉田氏は、今回の選挙で、なぜか原発再稼働を目指す自民党から立候補して、しかも当選している。
 23日の新潟日報は、

《知事時代は東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に慎重と見られており、再稼働を目指す自民党からの出馬を疑問視する有権者も多かった。支援者らに「原子力政策の)欠陥を与党の中から直すという約束を果たす」と声を張り上げた。》
と、若干の皮肉をこめた書き方で、泉田氏の言い分を紹介している。

 まあ、こういう書き方をするほかにしかたがなかったのであろう。
 というのも、もともと、泉田氏と新潟日報社の間には、遺恨めいたいきさつがあるからだ。
 両者の行き違いは、2016年の新潟県知事選で、出馬の意思を表明していた現職の泉田氏が、選挙を一ヶ月後に控えた8月末に、突如、日本海横断航路のフェリー購入問題をめぐる新潟日報の批判的な報道を理由に立候補の撤回を言い出した時点にさかのぼることができる。
 この出馬撤回について、新潟日報のウェブ版、「新潟日報モア」は、「選挙態勢整わず 本紙に責任転嫁」という見出しで記事を書いている。
 で、この記事に対して、当然、泉田氏は、あるメディアのインタビューで正面からの反論を試みている。
 県知事選の不出馬に関して、どちらの言い分がより真相に近いのか、いまとなってはよくわからない。が、ともあれ、県民から見て、泉田氏の原発への態度がわかりくいことはたしかだろう。

 一方、その2016年の県知事選に急遽立候補・当選して、現在、新潟県知事の職にある米山隆一氏は、もともと、2012年の衆院選、2013年の参院選に、いずれも日本維新の会から立候補して落選している人物だ。
 彼は、国政選挙の選挙戦では、いずれも原発の再稼働を訴えていた。ところが、県知事選の選挙では、「東京電力福島第一原発事故の検証なしに、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働の議論はできない」と主張し、「泉田路線」の継承を掲げて当選を果たしている。
 現在、米山知事は、安倍政権のさまざまな施策に批判的なツイートを連発する、反政権側勢力の有力な論客として、一定の地位を築いていたりもする。

 自分の置かれている立場次第で、主張の内容を変えるものの言い方を「ポジショントーク」と呼ぶ。私の目には、泉田、米山両氏の現在の主張は、いずれもポジショントークの典型に見える。
 泉田氏と米山氏は、ともに、非常な能弁家だ。知事時代の泉田氏が、東電の詭弁を丁寧に論破していく手腕には、毎度感心させられたものだし、知事就任以来の米山氏が、安倍政権の国会運営をたしなめるカタチで連発しているツイートの論旨の鮮やかさにも毎度唸らされている。
 その意味では、私は、この二人の政治家の力量を高く評価している。

 が、その、二人の、いずれ劣らぬディベート上手な政治家が、ともにポジショントークの達人であることを、われわれはどう受けとめるべきなのだろうか。
 もしかすると、新潟というのは、演説の達人を育む土地柄で、だからこそ、彼の地の政治風土は、常に論争的たらざるを得ないということなのだろうか。
 はるか昭和の時代を振り返ると、新潟には、田中角栄という不世出の弁舌家がいた。この人の演説は、内容の面白さもさることながら、語り口の自在さ、声のトーンの渋さ、抑揚と遅速が醸すリズム感の魅力など、どこをどう切り取っても常に第一級の話芸だった。
 新潟の雪を、東京の電気を生む資源だとする(←雪解け水が水力発言の動力源になるから)角栄氏独自の理屈は、よくよく考えてみれば詭弁以外のナニモノでもないのだが、その発想の大胆さと不思議なユーモアで、多くの人を魅了し、最終的には納得させたものだった。また、彼は、地方の政治家が地元に利益誘導をすることを、「列島改造」というスケールのデカい風呂敷を広げてみせることで、正当化してしまう手品を発明した人物でもあった。
 おそらく、こんなことのできる政治家は二度と現れないだろう。

 かつて、新潟が保守王国と呼ばれていた時代に、新潟の政治風土が保守的であったのだとすると、現在の、全国でも最も与党側の敗北が目立つ新潟の現状は、リベラル的なのだ、と、理屈の上では、そういうことになる。
 が、私は、その種の分析を信じない。

 田中角栄が健在だった時代、新潟の人々は、保守だとか革新だとか、あるいは進歩的だとか反動的だとかいうこととは関係なく、単純に、田中角栄のビジョンに乗っかったのだと思う。
 その田中角栄の掲げたビジョンとは、都市からの利益誘導であり、新幹線の延伸であり高速道路の建設であり、原子力発電所の誘致と、それらのもたらす巨大な経済効果による地域経済の活性化という物語だった。
 で、それらは、ほんの20年ほど前までは、うまく回転しているように見えた。
 ところが、その物語のエンジンであるはずの原発には、震災以来大きな疑問符がつくことになった。
 となると、保守だとかリベラルだとかといった理念上理屈とは別に、原発それ自体が、ダイレクトな争点になる。
 原発をかかえた土地の政治は、だから、政党の理屈とは無縁な、オールオアナッシングの選択で動くことになる。
 ところが、例によって、政治家はポジショントークしかしない。
 しかも、弁の立つ政治家ほど、その場に合わせた「うまいこと」しか言わない。

 新潟の人々は「うまいこと」を言う政治家が好きなのだというと、バカにした言い方に聞こえるかもしれないが、私は、耳の肥えた有権者である新潟県民は、政治家の演説の内容を信じていないからこそ、その弁舌のテクニックに拘泥する、と、半分ぐらいはそう考えている。
 いずれにせよ、新潟の政治家は雄弁だ。
 10月18日の朝刊で、新潟日報は、柏崎刈羽原発についての世論調査の結果を掲載している。
 それによると、再稼働について、「反対」「どちらかといえば反対」という否定的な回答の割合は、58.6%で、「賛成」「どちらかといえば賛成」の計22.3%の約2.6倍にのぼっている。
 面白いのは、原発が立地する柏崎市を中心としたエリアで、再稼働に否定的な回答が52.6%と比較的低く、むしろ肯定的な回答の割合が29.2%と、県内全体よりも7ポイントも高かったことだ。
 さらに記事は、

《対照的に、原発から半径30キロ圏の周辺地域では、原発に否定的な回答の割合が高く、立地地域との温度差が際立った。30キロ圏の見附市を含むエリアで66.1%、妻べしを含むエリアで66.8%、十日町市を含むエリアで59.3%が再稼働に否定的だった。−−略−−》
と、細かい数字を紹介している。
 思うに、原発については、立地地域の地域の住民と電力の供給を受けている都会の人間が、ともにある意味ポジショントークを繰り返しているだけでなく、立地地域の住民の内部にも、原発の従業員や関連産業に従事する当事者と、そうでない人々の間に、立場の違いがある。早い話、被害想定地域にも距離や条件によるグラデーションがあって、それに応じた賛否があるということなのだと思う。

 そんなわけで投票日前日の10月21日の新潟日報の紙面には、
『どうする? 再稼働』
という巨大な活字を掲げた、「さようなら原発1000万人アクションin新潟」「新潟県原爆被害者の会」「緑の森を育てる女性の会」「なくそう原発・新潟女性の会」の連名による全面広告(朝刊14面)が、大々的に掲載されている。
 これは、直接には選挙のための広告ではないが、広告を出稿した側の人々は、十分に選挙を意識している。
 地方紙の広告欄には、そういう狙いの明らかな、あるいは、ターゲットを絞ったものが載ることがある。
 新潟の場合、拉致被害者の話と原発の話が異彩を放つ。
 拉致の問題は、日本海側の新聞を見るといまだに風化していないことがわかる。
 というよりも、東京のメディアが風化させている問題を当地の新聞は粘り強く訴えていると言った方が適切なのかもしれない。
 今回は、主に選挙期間中の新聞をあたっただけなのだが、その間にも、「拉致 40年目の真実」という一面の半分以上を使った連載記事が一週間以上にわたって掲載されていたし、11月18日に開催される「忘れるな拉致県民集会」という新潟日報社、新潟県、新潟市の共同主催によるイベントの広告も出稿されている。

 当然、政党の広告も出ている。
 投票日前日の10月21日には、自民(36面)、共産(35)、幸福(11)、立憲民主(39)、社民(29)の各党が、それぞれ広告を掲載している。
 投票日当日の22日には、自民党の広告だけが出稿されている。
 ま、資金力の差ということなのだろう。
 印象深かったのは、投票日当日の22日に、2つの大きな書籍広告が掲載されていたことだ。
 ひとつは、飛鳥新社から発売された『「森本・加計」徹底検証』という書籍(小川榮太郎著)の4段抜きの広告で、広告スペースの中には、

「スクープはこうして捏造された」
「本当は何が問題だったのか?−−−−明かされる真相」
「朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」
「安倍総理は「白さも白し富士の白雪だ!!」前愛媛県知事 加戸守行」
「発売たちまち大増刷!!」
「別々の問題をまったく同じ手法で事件化する「虚報の連鎖」」

という活字が踊っている。

 もうひとつは、『ついにあなたの賃金上昇が始まる!』(高橋洋一著・悟空出版)の広告だ。この広告には、

「アベノミクス継続で日本経済は必ず大復活する」
という惹句とともに、
「フェイク報道にだまされるな!」
として、

? 安倍首相の疑惑隠し解散
◎ 北朝鮮本格的危機到来で解散は今しかなかった
? 企業が儲けても国民は苦しい
◎ 来年から本格的な賃金上昇局面になる
?「森友・加計」は安倍のおごり
◎森友は財務省のチョンボ、加計は三流官庁文科省の完敗

といった「?」=「フェイク報道」と「◎」=「〇橋教授の検証結果」の対照項目が、7つ列挙されている。

 いくらなんでも露骨な選挙運動に見えなくもないのだが、おそらく法律的には、広告の枠内の話で、掲載が投票日当日であっても大丈夫だという判断なのだろう。
 まあ、大丈夫ではあるのだろうが、これはみっともないと思う。
 われわれは、うまいことを言ってくれる政治家を待望している。
 ポジショントークであっても、だ。
 
 以上です。おそまつさまでした。

偉愚庵亭憮録(コラムニスト小田嶋隆の日録ページ)、2019/07/19
投票日当日に新聞各紙に掲載されるかもしれない巨大な書籍広告について
http://takoashi.air-nifty.com/diary/2019/07/post-8798a3.html

posted by fom_club at 08:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誰かを落とすための一票

 投票日も近いことなので、今回は選挙関連の話をする。
 この話題は、おそらく荒れるだろう。
 もちろん、読者の圧倒的多数が、黙って読んでくれる穏当な人たちであることは承知している。
 ただ、インターネット上に公開されたテキストを取り巻く空気は、ごく少数の「声の大きい人たち」が作り上げる決まりになっている。であるから、揮発性の高い選挙の話題を含む文章は、毎度のことながら、あっという間に炎上する。そういうことになっている。
 選挙の場合とは逆だ。
 どういうことなのかというと、選挙の結果を左右しているのは、熱心な政党支持者による個々の一票であるよりは、むしろ最大多数を占める「投票に行かない人たち」の「投じられなかった票」だったりするということだ。それゆえ、皮肉なことだが、21世紀に入ってからこっちの、投票率が頭打ちの状況にあるわが国の選挙の結果は、「投票所にやって来なかった人たち」の巨大な沈黙を反映して、毎度毎度、「声のデカい人びと」の蛮声を増幅する結果に落着している。

 すぐ上のパラグラフは、ちょっとわかりにくい書き方になっている。
 言い直してみる。
 私は、
「投票に行かない最大多数の有権者による声なき声が世界を動かしている」
 と言いたかったのではない。
 逆だ。
 私が強調したいと思っているのは、
「投票に行かない最大勢力である無党派層という人びとの巨大な沈黙が、必ず投票に行く少数の極端な考えを抱いた人々の声を過度に強調する結果をもたらしている」
 ということで、つまりこの話のキモは、
「黙っていると、短絡的で声のデカい少数派の好きなようにされてしまうよ」
 というところにある。

 ただ、この話をあんまりくどくどと繰り返すのは得策ではない。
 というのも、政治に対してシラけた気持ちを抱いている若い人たちは、選挙の度に繰り返される年長者によるおためごかしの説教にうんざりしているはずだからだ。
 先週の今頃、以下のようなツイートを放流した。
《若い人たちに投票を促すのに
「説教」(君らのためなんだぞ)
「脅迫」(行かないとひどいことになるぞ)
「挑発」(老人の天下になっても良いわけだな?)
 的なツイートを発信する人たちがいますが、どれも「若者は現状を把握できていない」と決めつけている点で失礼だし、逆効果だと思います。6:46 - 2019年7月10日》

 若年層の投票率が長らく伸び悩んでいることの背景には、選挙の度にインターネット上の画面を埋め尽くす「激越な言葉」に対する、あらかじめの疲労感がある。
 もう少し丁寧な言い方をすれば、令和の日本人が政治の話題を嫌うのは、政治そのものを忌避しているからというよりは、「論争的な場所に関与せねばならない機会」を何よりも恐れているからだということでもある。

上のツイートを書いた同じ日に、私は、引き続き以下のツイートを連投している。
《私自身、投票に行かなかった時代、何がいやだといって上から説教されるのが一番不快でした。現状を把握できていない若者がいないとはいいませんが、彼らを投票から遠ざけている最大の理由は、日常の中で政治が忌避されているからです。選挙の時だけ「政治的になれ」と言われてもシラけます。6:48 - 2019年7月10日》

《10〜20代の若い世代は、同世代のコミュニティの中で「政治的に振る舞う人間は面倒くさい」という認識を共有しています。さらに就活や入試の面接では、「政治・宗教に関する話題はタブー」であることを強く印象付けられます。こういう中で暮らしている人たちに「選挙に行け」と言うこと自体無理です。9:59 - 2019年7月10日》

 政治への忌避感を持たされているのは、平成生まれの若者に限った話ではない。
 この50年ほど、子供たちは、大人に成長していく過程の中で、最も身近な大人である両親や教師から、

「政治にはかかわらないほうが無難だぞ」
「政治について考えるのはかまわない。ただし、他人のいる場所で政治的な発言をすると必ず友達を失うことになることは覚えておいたほうがよい」
「いいかね。政治について語る人間とは距離を置くのが賢い処世なのだよ」

てな調子で、こと政治と宗教については「知らないふり」「考えていないふり」を押し通しておくのが要らぬトラブルを避ける賢明な態度である旨をそれとなく聞かされながら育ってきた。

 そんなふうに、なにかにつけて
「目立つな」
「声をあげるな」
「黙って大勢に従ったふりをしておけ」
「本音とかは広告の裏にでも書いとけ」

と言ってくるその大人たちが、あらまあびっくり、ひとたび選挙がはじまると態度を一変させて、

「政治は大切だよ」
てなことを言い出す。

 もっとも子供たちに政治的な振る舞い方を要求するのは、彼らの身近にいるリアルな大人ではない。テレビに出てくる文化人や、新聞の紙面で説教を垂れている「有識者」と呼ばれる、たぶんに芝居がかったロール(役割)としての「大人」だ。
 彼らは、

「投票を通じて自分の声を政治に反映させましょう」
「無投票、白票は、現体制への承認と同様に解釈されるのですよ」
「若い世代の投票率の低さが、老人優先の政策選択を招いています」
てな調子で、作り声の政治賛美演説を押し付けてくる。

 言われる側の若者にしてみれば、
「うるせえ」
と思わないほうがおかしい。

 私自身、長らく、
「うるせえばか」
と思っていた。

 じっさい、40歳になるまで、私は有効投票をしたことがない。
 両親や周りの人間がグダグダうるさいので、投票所に足を運ぶところまでは付き合ったものの、どうしても候補者の名前を書く気持ちになれなかったからだ。
 だから、投票用紙に自作の俳句を書き込んだり、好きなロックスターの名前を書いたりというカタチでその場をしのいでいた。
 まあ、バカな話だ。弁解の余地があるとは思っていない。
 ただ、ここで大切なのは、私が、単に、
「面倒くさいから投票には行かないよ」
という消極的な理由で投票を回避していたのではない、ということだ。
 現に私は何回か投票所に足を運んでいる。
 それでもなお、私が有効な一票を投じなかったのは、私自身が、積極的に投票をボイコットする気持ちを持っていたということだ。
 まあ、スネていたわけですね。
 あなたの一票があなたの未来を作るのです的なおためごかしの演説に、なんだか猛烈に腹を立てていたということです。
 はい。バカな反応でした。
 反省しています。

 ただ、40歳を過ぎた頃からは、毎回投票に行っている。
 理由は、必ずしも一票の重みを自覚しはじめたからではない。
 私が投票するようになったのは、メディアを通じて発言する機会を持つようになったことと関連している。
 もう少し具体的に言うと、公共的な場所で、「言論人」に近い扱いを受けている人間が、

「えーと、選挙には行っていません」
「えっ? 投票ならしてませんが?」

みたいな発言を垂れ流すことが、絶対的に許されないことを、いくつかの機会を通じて思い知らされたからだ。

 特にインターネットが普及してからは、

「オダジマは投票ボイコット組らしいぞ」
「あいつ選挙にさえ行かないんだとさ」
「そのくせ、政治には一家言あるみたいだぜ」
「最悪だな」
「クソだな」

という感じの噂(まあ、半ば以上は事実だったわけだが)にずいぶん苦しめられた。
 自業自得であることはよくわかっている。とにかく、私としては、説教のつむじ風みたいなコトバの塊が選挙の度に訪れることに閉口して、有効投票を実行する方向に方針変更した次第なのである。

 そろそろ結論を述べる。
 2日ほど前、以下のようなツイートを書き込んだ。
《若い頃、自分が投票に行かなかった理由は、信頼できる政治家や支持できる政党を見つけられなかったからなのだが、20年ほど前から投票するようになったのは、「きらいな候補者を落選させ、不快な政党にダメージを与えるためには、当面、誰に投票すれば良いのか」という視点を得たからだと思っている。16:30 - 2019年7月16日》

 このツイートは、意外に大きな反響を呼んで、これまでのところ、約4000件のRTと、7000件以上の「いいね」を獲得している。
 反応してくれた人の全員が共感を抱いてくれたとは思っていないのだが、こういう考え方で投票するのもアリだという感想を通じて、何人かの投票回避派が、投票所に赴いてくれたらうれしい。
 ことのついでに、絵に描いたような建前論を述べるなら、投票は、最も簡単で有効な政治参加だ。
 その意味で、「投票」は「開票」で終了する動作ではない。
 「選挙」自体も、「当落の決定」をもって決着するイベントではない。
 政治における選挙の意味は、むしろ選挙期間が終わって、当選した議員が政治家としての第一歩を踏み出した時にはじまると言い換えてもよい。
 じっさい、
「あいつはオレが投票した議員だ」
ということになれば、おのずと見る目も違ってくる。

 選挙の面白さは、投票した人間の思考や行動パターンが、ほかならぬ自らの投じた一票によって微妙に変化するところにある。
 であるからして、選挙の時点で「死に票」を投じたのだとしても、一票の意味そのものは死なない。
 投票した人間は、次の選挙までの間、自分の選挙区から選出された議員の一挙手一投足を、投票に行かなかった有権者よりはずっと真剣な目で監視することになる。

 自分が馬券を買っていない競馬中継のつまらなさを知っている人なら、逆の意味で見当がつくと思うのだが、なんであれ一票を投じておくことで、政治を見る目は、よりリアルになる。

 最後に個人的な話をする。
 この4月に投開票がおこなわれた統一地方選で、私が住んでいる地域では、区長選挙が実施された。選挙戦は、公示の時点で84歳になる現職と、新人で都議から転じた30代の候補者との一騎打ちになると見られていた。
 私自身は、当初、この選挙について、さしたる関心を抱いていなかったのだが、ツイッターのタイムラインに流れてくる若い候補者の言動のいくつかを見るうちに、私は、彼を落選させなければいけないと考えるようになった。

 というのも、若い候補者は、その時点で自分がいずれ国政に打って出ることを隠そうともしていなかったからだ。
「ってことは、うちの地域の区長のポストは、あんたにとって踏み台のひとつに過ぎないってことか?」
と、住民として、そう受け止めないわけにはいかなかった。
 もっとも、84歳の現職区長を積極的に支持できるのかというと、それも簡単なことではなかった。
 年齢も年齢だし、それ以外にも、やがてめぐってくることがわかっていたはずの区長選に向けて、後継者を指名して後援会を一本化することができなかったのは、失態だと思ったからだ。

 決め手となったのは、若い候補者を支持するアカウントが発した、
《おい、東京都○区の若者、選挙行け! もしかしたら「将来の総理大臣の第一歩をオレは投票したんだぜ」と言えるかもしれねぇぞ》
という高飛車なツイートだった。

 こんな連中にうちの地域の大切なポストを踏み荒らされてはかなわない……そう思って私は、84歳の現職区長に投票した。
 その私の一票は、結果として、投票した候補者が当選するという10何年かぶりの喜びをもたらした。
 当選後3ヶ月を経過して、区長は、意外なほど元気に活躍している。
 私自身は、まだ、支持とか応援というまでの気持ちには至っていないのだが、投票した責任は少し感じている。
 誰かを落とすために投じた一票が、結果としてほかの誰かの政治生命を延命させることもある。
 そうやって世界はまわっている。
 区長にはがんばってほしいと思っている。

日経ビジネス、2019年7月19日
誰かを落とすための一票だってある
(文・イラスト/小田嶋 隆)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00031/

(ヤッホーくん注)
当選 65,807(46.3%)花川与惣太(84)無所属、現、当選回数(5)、区長
次点 54,072(38.1%)音喜多駿(35)諸派、新、(元)都議
https://www.yomiuri.co.jp/election/local/2019/yn_YN13XXXXXX000

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2019年07月20日

KyoAni à Kyoto (Japon)

L’incendie survenu jeudi a fait au moins 33 victimes. Fondée il y a près de quarante ans par la peintre Yoko Hatta, la modeste entreprise avait su s’imposer comme un artisan-clé de l’anime.

C’est une tragédie qui vient de meurtrir la communauté du cinéma d’animation. L’incendie qui a touché le studio Kyoto Animation, jeudi 18 juillet, met en péril l’un des studios indépendants les plus prometteurs du cinéma japonais. Le feu a ravagé une partie des locaux consacrés à la production artistique, et tué au moins 33 personnes.

Depuis sa création, au début des années 1980, Kyoto Animation s’est imposé petit à petit dans la production de films, avec des méthodes assez originales, pour devenir la locomotive de l’animation dans sa région, le Kansai, mais aussi au niveau national. Il jouit d’une solide réputation, avec pourtant une équipe de 160 salariés, plus modeste que celle des mastodontes du secteur.

≪ Au Japon, c’est un des studios qui comptent ≫, assure Mickaël Marin, directeur du Festival international du film d’animation d’Annecy. Dans de précédentes éditions, le festival avait programmé A silent voice et Liz et l’Oiseau bleu, deux films sortis des studios ≪ KyoAni ≫, selon l’abréviation affectueuse donnée dans le milieu de l’anime.

Un studio essentiellement féminin

≪ C’est une équipe d’autant plus remarquable qu’elle a été fondée par une femme, fait encore assez rare, tant au Japon que sur le plan international ≫, ajoute M. Marin. L’histoire de Kyoto Animation est intimement liée à celle de Yoko Hatta, une peintre qui travaillait pour Mushi Production, un studio créé par Osamu Tezuka, le Walt Disney du manga et père d’Astro Boy.

Après son mariage, Yoko Hatta part s’installer dans la préfecture de Kyoto. Pour tuer le temps, elle se rapproche d’autres femmes au foyer et forme une petite équipe de sous-traitantes, qui peignent sur celluloïds pour les besoins en dessins animés de studios, tels que les productions Pierrot, comme le raconte le blog anglophone Sakuga. Les quatre pionnières se font la main sur quelques épisodes du populaire Urusei Yatsura, la série dérivée du manga de Rumiko Takahashi, mettant en scène la romance gaguesque entre un adolescent et Lamu, une extraterrestre.

Quelques années plus tard, en 1985, Yoko Hatta décide de fonder l’entreprise Kyoto Animation et de s’établir de façon plus professionnelle. Tandis qu’elle conserve l’entière maîtrise des décisions artistiques et logistiques, elle confie à son mari, Hideaki Hatta, les rênes de la présidence. Un modus operandi qui ne changera guère par la suite.

Matthieu Pinon, journaliste et coauteur avec Philippe Bunel du livre Un siècle d’animation japonaise (Ynnis, 2017), a visité les équipes de Kyoto Animation en mars 2017. Il confirme : ≪ Le studio est resté très féminisé. Entre 70 % et 80 % des salariés sont des femmes. Une particularité assez rare, et, il me semble, seulement partagée par le studio 4 °C. ≫ Le journaliste parle également d’≪ un fonctionnement avec une hiérarchie un peu moins verticale que de coutume, prenant en compte à plusieurs occasions l’avis de ses salariés et collaborateurs ≫.

Un registre sentimental et charmant

Le blog Sakuga vante aussi un studio avec ≪ un fort désir d’indépendance, d’être réellement responsable des animes qu’ils font et de piloter toutes les décisions ≫. Une posture relativement inhabituelle pour l’industrie culturelle de l’archipel.

Un travail raffiné et livré dans de bons délais a permis au jeune studio de gagner la confiance de plus en plus de clients. Ce qui convainc la direction de délaisser la sous-traitance au début des années 2000. L’équipe d’une soixantaine de personnes s’attelle alors à ses propres productions : des films, des séries et des téléfilms animés.

En 2006, KyoAni se distingue avec deux séries télé : La Mélancolie de Haruhi Suzumiya, l’histoire d’une lycéenne extravagante qui se passionne pour le paranormal ; Kanon, le récit romantique d’un adolescent qui retourne dans sa ville d’enfance. Suivront ensuite les succès critiques de K-On ! (2010) ou encore de Tamako Market (2013), des titres qui s’apparentent tous au registre ≪ Moe ≫, un terme d’argot qui fait référence aux sentiments d’affection et d’adoration. Ce style se caractérise par des personnages féminins charmants et adorables, et par le bon sentiment poussé à l’extrême – dont certains dénoncent les dérives fétichistes.

Pour nourrir ses créations originales, le studio possède par ailleurs KA Esuma Bunko, une maison d’édition de romans jeunes adultes, des ≪ light novels ≫, source quasi inépuisable de scénarios.

Virtuoses de la lumière

Récemment, les studios kyotoïtes se sont illustrés avec l’adaptation en film du manga A Silent Voice (2016), qui aborde la question du harcèlement et du handicap. Son succès auprès de la critique et dans les salles – y compris étrangères – a permis à sa réalisatrice, Naoko Yamada, qui fait ses armes chez KyoAni et a dirigé nombre de ses hits, de grimper sur la liste des cinéastes d’animation à surveiller de près.

≪ Sur le plan technique, ils se sont beaucoup distingués pour le travail de la lumière, détaille le journaliste Matthieu Pinon. Le studio est également très performant sur l’animation des musiciens, qui peut être dans certains films ou séries catastrophiques. Chez eux, on peut presque reconnaître les accords joués sur le manche d’une guitare. ≫

Des marques de fabrique et des thèmes récurrents (récits de collégiens, bluettes musicales, jeunes filles émouvantes) chez Kyoto Animation, qui peuvent donner à ses détracteurs un sentiment de répétition, là où les soutiens y voient ≪ une équipe qui fait seulement les œuvres qui lui plaisent ≫. En 2018, le studio se renouvelle et s’ouvre définitivement à l’international avec la série Violet Evergarden, dont les droits de diffusion en streaming sont acquis par Netflix, et qui s’avère être une formidable carte de visite pour le studio.

Ces derniers mois, l’équipe travaillait d’ailleurs à la réalisation d’un film animé du même nom. Sa sortie, prévue pour janvier 2020 selon son site Internet, est aujourd’hui compromise par l’incendie qui a ravagé le studio.


[video-1] Liz et l’Oiseau bleu
https://www.youtube.com/watch?time_continue=42&v=l8Wizjhpr2I

[video-2] La mélancholie de Haruhi Suzumiya - Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=8NyUq7V-Y1g

[video-3]
京都アニメーション大賞受賞作品、待望のアニメ化『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告編
https://www.youtube.com/watch?v=GgyYEf8ZkFU

Le monde、Publié le 19 juillet 2019 à 07h53
Kyoto Animation, un éminent studio d’animation dévasté par un feu meurtrier
Par Pauline Croquet
https://www.lemonde.fr/pixels/article/2019/07/18/kyoto-animation-un-eminent-studio-d-animation-devaste-par-les-flammes_5490885_4408996.html

Vingt-quatre heures après l’incendie, au cours duquel 34 personnes sont mortes, le profil du principal suspect se précise.

Vingt-quatre heures après l’incendie du studio d’animation KyoAni à Kyoto, au cours duquel 34 personnes sont mortes, le profil du principal suspect dans cette affaire se précise. Selon la police, l’homme âgé de 41 ans s’appelle Shinji Aoba. Il souffre apparemment de problèmes psychiatriques. Gravement brûlé dans l’incendie qu’il a provoqué, il a été hospitalisé sous surveillance policière. Il n’a pas encore été interrogé ni formellement inculpé.

A la suite d’études secondaires dans le département de Saitama, au nord de Tokyo, il avait travaillé comme intérimaire à la municipalité puis dans un bureau de poste. En 2012, il avait braqué une supérette avec un couteau pour voler de l’argent avant de se constituer prisonnier le jour même, se disant membre de la secte Aum Shinrikyo, responsable de l’attaque terroriste au gaz sarin dans le métro de Tokyo en 1995. Ce qui n’a jamais été confirmé. Il avait été condamné à trois ans et six mois de prison.

Volumineux paquet

A sa sortie de prison, il vécut dans des logements destinés aux anciens prisonniers puis, depuis 2016, dans un petit appartement du département de Saitama où il se disputait fréquemment avec ses voisins en raison du tapage nocturne auquel il se livrait. La police était intervenue à plusieurs reprises. Selon la chaîne de télévision nationale NHK, souffrant de problèmes psychiatriques, il était suivi par des aides-soignantes qui lui rendaient visite.

La veille ainsi que le matin de l’incendie, une collégienne l’avait aperçu assis dans un parc à proximité du siège de KyoAni avec un volumineux paquet à côté de lui. Non loin ont été retrouvés les emballages des jerricanes d’essence qu’il a utilisés. La collégienne l’a reconnu en raison des vêtements qu’il portait lorsqu’il fut appréhendé par la police après avoir essayé de fuir.

Dans un commentaire sur le site japonais Yahoo News, le sociologue Mikio Kawai, de l’université de Yokohama, estime que par rapport aux cas de violence aveugle (attentat de la secte Aum ; déchaînement de haine contre des voisins ou meurtre indiscriminé comme celui survenu en 2008 dans le quartier d’Akihabara à Tokyo), l’incendie du bâtiment de KyoAni est particulier : ≪ L’auteur a utilisé de l’essence et non un couteau [comme c’est le plus souvent le cas dans ces types d’agressions au Japon] en se mettant lui-même en danger. Son acte pose la question du processus psychologique qui l’a conduit à l’acte et de l’isolement social dont il était ou non victime. ≫


[photo]
Devant le studio KyoAni à Kyoto (Japon), le 20 juillet.

Le Monde、
L’homme soupçonné d’avoir incendié le studio d’animation KyoAni souffrirait de problèmes psychiatriques
Par Philippe Pons
https://www.lemonde.fr/international/article/2019/07/20/incendie-du-studio-d-animation-kyoani-le-suspect-souffrirait-de-problemes-psychiatriques_5491590_3210.html

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日本がこれ以上分断しないため

ブレイディみかこ――。
イギリス・ブライトン在住、パンクロックを愛してやまないライターである。
現地で――彼女の言葉を借りれば「地べた」で――生活をしながら、イギリス社会のリアルを描くことで注目された。
そんな彼女がこの夏、『女たちのテロル』(岩波書店)と『ぼくはイエローでホワイト、ちょっとブルー』(新潮社)をほぼ同時に刊行した。
前者は歴史に名を残した3人の女性の評伝であり、後者は現地中学校に通う息子とのコミュニケーションを通して、イギリス社会を描写する。
彼女の手にかかれば、遠いはずのイギリス、遠いはずの歴史と今の日本社会が、どこかで地続きになっているように感じてしまう。
好きなように生きられない苦しさ、持っている人とそうではない人、あちら側とこちら側の間に起きてしまった分断――。
今、そこにある分断を乗り越える鍵、キーワードはイギリスの中学校に出た試験問題のなかにあった。
「問題:エンパシーとは何か?」

「私は私を生きる」――金子文子の人生


 ブレイディみかこは、まったくイメージを裏切らない出で立ちでやってきた。
 白いTシャツにはバナナがばっちりとプリントされている。伝説のバンド「ヴェルベットアンダーグラウンド」(*1)のバンドTである。

 彼女のライター人生に決定的な影響を与えたのは、パンクの生ける伝説ジョン・ライドン(*2)だ。
 自身のスタイルにも関係しているという。

彼の知性とユーモアが何よりも好きです。ライドンはよく、いろんなものにラベルを貼って、箱にわけるなってよく言っています。勝手に決めつけるなよってことです。これこそがパンクですよね。
 私もよく「何を書いている人なのかわからない」って言われるんですね。
 いろんなジャンルの本を書いているからです。今はなんとなく人文系の棚に本が置かれていますが、私は大学の先生でも在野の研究者でもない、在野の生活者なんですね。「人文」の人じゃない。
 よくわからないと言われると、別にジャンルレスでいいじゃないと思う。既成概念で見ないでほしいし、私は既成概念なんて気にするなって思うから自分が書きたいことを書いています


 決めつけられることを徹底して拒絶するパンクスらしい一言からインタビューは始まった。
 彼女の感性を通して描かれる強烈な個性を持った女性たちは、これまでの既成概念が見事に取っ払われ、パンクな一面が浮かび上がる。
 例えば、金子文子(1903 - 1926、*3)である。

 遡ること今から約100年前、大正時代に日本で活躍した無政府主義者にして、稀有な文章力を持った女性だった。
 朝鮮人の内縁の夫、朴烈とともに逮捕され、23歳で獄中死したドラマの多い人生は多くの小説家、思想家の感性を刺激した。
 彼女を描いた作品はたくさんある。

 国家権力の横暴で亡くなった可哀想な文子、朝鮮人との恋愛に殉じた文子――。ブレイディみかこはそんな単純化した見方はしない。

みんなが賞賛する革命だって、権力を倒した後に、別の権力を立てることには変わりない。だったら、何が「革命」なのか?って話を彼女は20歳そこそこで真剣に考えているんです。
 結局、彼女が大切にしたのは、私は私を生きたいということです。亡くなったのだって、私は私を生きるために亡くなっている。
 100年前というのが一つのキーワードなんですよね。 いろんなクリエイターが今、100年前から現代を捉え直そうとしています。金子文子も韓国で映画化され、日本でも、私以外にも、彼女に注目した小説家の方が彼女について書いている。これは決して偶然ではないと思うんです。
 彼女は貧困家庭に生まれ、子供の頃、虐待まがいのことも受けている。そこから立ち上がって、おかしいことはおかしいと言った人生なんですよね。
 そこで私が私であろうとした彼女の生き方は、女性たちが抱えている問題とリンクしているように思うんです。


「私は朝鮮人に対して尊敬の念を持っていないと同時に人種的偏見も持っておりませぬ。したがって朴(※内縁の夫)との生活は私自身を一段高いところに置いた同情結婚でもありません」

 文子は法廷でこんな発言をしている。
 〜〜人なんて曖昧なものなんて自分には関係ないと堂々と言い切り、態度にまで徹底してみせる強さが彼女にはある。
 マジョリティだろうが、マイノリティだろうが相手を見下すことも、自分を卑下することもしない。
 徹底してフラットなのだ。

金子文子は家父長制の問題、人種と差別の問題、貧困の問題とぶつかり、それらは上下の問題だと考えていた。今の時代は右と左ではなく、上と下の対立なんだと言われますが、彼女は100年前に明確に感じ取っていた。
 なぜ差別があるのかを問い、それは生まれながらにして「上」に立つ人がいるからだと考えた。だから生まれながらに「下」がいる。全てを階級の問題として捉えていたんです。
 家族も男女も階級があり、社会にも階級があり、人種問題にも階級がある。彼女がいいのは、上と下を作るから人間は生活が楽しめないんだと考えたところです。
 彼女の言葉や文章を読めば読むほど、革命にも、思想にも、男性にも殉じていない。自分を貫いた姿が浮かび上がってくる。そこは、これまであまり描かれてこなかった姿なんです。


人が絶望するときに、希望を語る

 100年前は金子文子だけのキーワードではない。
 本の中で交互に描かれるエミリー・デイヴィソン(Emily Wilding Davison、1872 – 1913、*4)も同じである。
 マッド・エミリーという異名で知られる、サフラジェット(好戦的な女性参政権運動)の伝説だ。

『女たちのテロル』というタイトルが決まっていて、イギリスに住んでいるので、イギリスとアイルランドの女性を描く、それも100年前を生きていた女性にしようと思ったんですね。
 2018年はイギリスで女性参政権が認められてから100年という節目の年でした。その前後でまた注目されていたエミリーの生き方を見ていると、今とシンクロするんです。
 100年前も緊縮財政で格差が広がっていたし、その中で女性はサフラジェットも盛り上がって参政権を求めていた。今も同じ理由で起きた格差が注目され、インターネットではMeToo運動が盛り上がっていますよね。
 エミリーは女性だけでなく、社会のことを考えた人でもありました。貧しい人も同じように等しく教育を受けるべきだと考えていたんですね。生き方も暗くなくて、実は茶目っ気があって明るい。社会問題を暗く語る人より、どこかで明るさがある人のほうが私は好きなんです。
 今、絶望するなっていうのも難しいのはよくわかるけど、だからといって絶望ばかりしていてもしょうがない。人が絶望するときに、希望を語るのがパンクですよ。
 彼女も文子と同じで、悲劇的な人生の最後ばかりが注目されてしまうのですが、そればかりの人生ではない。彼女も今を生きる女性に読んでほしい人です。


日本は良くも悪くもイギリスを追っている

『ぼくはイエローでホワイト、ちょっとブルー』は現代を生きる、自分の息子の中学生活を描いた作品だ。
 イギリス人の夫との間に生まれた息子は、アジア系の顔立ちで、英語が母語で、日本語は話せない。
 彼の肌の色はイエローで、でも生まれ育った意識はホワイトで、気持ちはちょっとブルー――その意味を彼がどう捉えているかは本書で確認を――なのだ。

 彼はカトリック系の品行方正な中学校ではなく、仲のいい友達が通うということもあって、近所の「元底辺中学校」への進学を決める。
 カトリック系の中学校はアジア系だけでなく、南米やアフリカ、欧州から来た移民の子供も通っている。人種的な多様性があり、「優秀かつリッチな学校」だ。
 かたや元底辺中学校は白人ばかりで――正確には白人労働者階級の子供ばかりで――、やんちゃな子供も集まってくる。イギリスの階級社会のリアルをまざまざと見せつけられるような学校だ。

「多様性」は優秀な子供たちの特権になりつつあるなかで、リアルに存在する格差の中で彼はどのように成長していくのか――。
 多様性もまた格差の一側面であることや、家庭にも問題を多く抱えているのであろう貧困層の子供が繰り出すラップの歌詞など、ドキッとするようなファクトがふんだんに描かれることもこの本の魅力だ。

 なぜドキッとしてしまうのか、と本を閉じて考える。
 それは、遠くない日本の未来図を見せられている気になるからではないか。

日本は良くも悪くもイギリスを追っていると私は思っています。日本もイギリスと同じような階級問題が起きているのではないかな。
 だからこそ、今、書かないといけないと思っています。日本では虐待のニュースが大きく報じられますよね。これはイギリスも同じで、10年くらい前に大きく報じられました。
 ところが、虐待に関する報道があるときから少なくなったんですね。それは虐待が減ったからではなく、ありふれてしまいニュースバリューを失ったからです。背景には格差があって、虐待と貧困は関連しています。このままでは、日本はそうなっていくと思いますよ。


 そして、もう一つは多様性だ。
 外国人労働者の受け入れが拡充されていく日本社会に突きつけられた問題がある。

日本もこれから多様性が鍵になってくるでしょう。イギリスでは多様性もまた格差、階級によって受け止め方が違うものなんです。
 経済的に余裕がある人たちにとって多様性は楽しめるし、歓迎すべきものだけど、下に行けば行くほど、一言一言に気を遣わないといけないとても面倒なものだと思う人が増えているというのがイギリスの現実です。
 上の人たちは外国人から職が奪われるなんて危機感はない。知的に文化の違いを楽しむこともできる。でも、下の人たちにとっては、緊縮財政の影響もあって、病院や学校の公的サービスはどんどん悪くなっていく一方で、それなのに外国人まで増えてきて……という印象があるんです。そこでバッシングが起きる。
 統計を見れば、そんなに外国人は増えていない地域に住んでいても、彼らはそう認識してしまう。そして不安を漏らせば、ポリティカルコレクトネスがどうこうと注意される。まぁ面倒なものでしかないと思う人たちもいるわけです。


「エンパシー」とは何か?

 結果、進んでいくのは意識レベルからの分断だ。
 この本の中で、ひときわ印象的なエピソードがある。
 イギリスの公立学校教育で導入されているシティズンシップ教育についてのエピソードだ。
 実際に彼女の息子に出されたテスト問題に挑戦してみてほしい。
「問題:エンパシーとは何か?」

 さて、あなたはどう答えるだろうか。
 よく混同されるシンパシーは共感や同情といった感情の動きである。
 エンパシーとは違う(*5)。

 息子の回答が最高にしゃれている。

「自分で誰かの靴を履いてみること」

 要するに他人の立場から物事を捉えるということだ。
 ブレイディみかこはもう一歩深めて、こんなことを定義を書いている。
 エンパシーとは「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力」だ、と。
 彼の通う学校では、これからはエンパシーの時代だと教師が語ったという。
 日本が追いかけるべきはこの思考なのではないか?

エンパシーは感情的に共鳴することではないので、知的な作業であり、能力なんです。これを鍛えないといけない時期だと思うんです。
 でも、反対側を理解しようとすると私なら「ウヨク」と批判されるでしょう。
 私がEU離脱に賛成した人の言い分を記事に書くと、「ブレイディみかこは離脱万歳のウヨク」みたいな単純な反応が返ってくる。
 自分と同じ意見が書かれていないと安心できないのかもしれない。自分と違う陣営を理解しようとする人はみな敵だという風潮が強まっていますよね。
 A.R.ホックシールド(1940年ボストン生まれ、*6)の『壁の向こうの住人たち アメリカ右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店、2018年)なんかもそうですけど、世界では知的なエンパシーの力が必要だということに気がつき始めている人が多いと思いますよ。彼女はフェミニズム社会学の第一人者なのに、右派の人たちに会って、実はすばらしい人もいたと言ったりする。
 それこそが人間のリアルですよね。人間を捉えることが大事なのに、「右派にいい人もいるなんていう気がしれない」という批判が飛んでくる。あなたはどっちなのか、と常に問われて、レッテルを貼られる。そこをやめないと、左派は衰退してしまいます。
 繰り返しになりますがエンパシーは知的作業なので、それを批判するということは知的であることを放棄するってことです。


 これは私にも思い当たる節がある。
 ニューズウィーク日本版で『百田尚樹現象』と題して、右派を代表する売れっ子作家を分析した。
 そこで左派から飛んできた批判も、ブレイディと似たようなものだった。
 理解することと、許すことはまったく別のものなのに……。
(詳しくはhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12403_1.php

分断を乗り越えるために

今年の初め、イギリスで話題になった『Brexit: The Uncivil War』というドラマがあるんです。EU離脱派のPRキャンペーン指導者の役を、EU残留派の俳優、ベネディクト・カンパーバッチが演じたドラマでした。そこで、印象的なシーンがあったんです。

 残留派はエリートが仕切るんですね。ところが、離脱派のキャンペーンリーダーはちょっと変わり者で暇があればパブにいく。そして、景気や移民について聞き取りして、聞いた言葉をもとにスローガンを生み出すんですよ。それがテイクバック・コントロール。自分たちの手に主導権を取り戻そうということです。
 それはEU離脱のことだけじゃなくて、自分の人生に対するテイクバック=元に戻すという意味も込められていた。失った職も、コミュニティも、離脱すればテイクバックできるかもしれない。そう思わせることに成功した。いい悪いは別にして、キラーフレーズだった。
 そして、離脱派はキャンペーンの対象を、極端な離脱派でも、極端な残留派でもなく、真ん中に定めたんです。極端な人はもう考えが固まってるから何を言っても変わらない。真ん中にいる多くの人をいかに惹きつけるかを考えた。

 その時点で、残留派は負けたんだと思う。離脱派は真ん中を理解しようとした。私はドラマを観て、左派は真ん中を理解しようとすることを忘れてきたなって思ったんです。

 イギリスもEU離脱を主張した右派が言っていることは稚拙なんです。でも、大胆に言い切って、わかりやすさと面白さで人々からの人気を獲得しています。逆に左派は言い切ることができないし、変に真面目になってしまい、ユーモアもなくなり、支持が得られなくなっている。


 参院選を控える日本も課題は似たようなものだ。
 左派、リベラル派が目の敵にする安倍晋三政権は発足以来、いまも40%台後半の高支持率を維持している。

 だが、支持理由は、例えばNHKの世論調査によると「他の内閣より良さそうだから」が圧倒的なトップだ、支持は消極的なものであることがわかる。

 リベラル派の主張は消極的な支持層を振り向かせることにすら失敗している。
 その理由はエンパシーの欠如に尽きる。

 意見をもって敵か味方を分断するのではなく、エンパシーを鍛えることで、現状に立ち向かう。
 今が鍛えるチャンスだ。

 日本社会はイギリスの経験から学ぶことができるのだから。

現代ビジネス、2019.07.20
日本がこれ以上分断しないために絶対必要な「エンパシー」とは何か
今、イギリスの経験から学ぶこと

(石戸 諭)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65958

(*1)Velvet Underground
Pale Blue Eyes
https://www.youtube.com/watch?v=KisHhIRihMY

(*2)John Lydon
Band Aid - Do They Know It's Christmas バンドエイド クリスマスソング 歌詞 日本語字幕
https://www.youtube.com/watch?v=3Y7xSRzhVi4

(*3)金子文子
[映画 予告編]金子文子と朴烈
https://www.youtube.com/watch?v=TpIGLQHW0ow

映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』公式サイト
http://www.fumiko-yeol.com/

(*4)Emily Wilding Davison
Suffragette Emily Davison Killed - 100th Anniversary
https://www.youtube.com/watch?v=-G4fJ9I_wQg

(*5)
empathy= the ability to understand other people's feelings and problems
Ex. a doctor who ad great empathy with her patients

Cf. sympathy= a feeling that you understand someone because you are similar to them
(Longman, Dictionary of contemporary English)

(*6)Arlie R. Hochschild

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周燕飛『貧困専業主婦』

 JILPT(独立行政法人「労働政策研究・研修機構」)研究員の周燕飛(シュウ エンビ、Zhou, Yanfei、1975年中国生まれ)さんが『貧困専業主婦』(新潮選書、2019年7月)を出版しました。

 本書は周さんがここ数年来やってきた貧困専業主婦に関する研究の、一般向けの集大成になっています。
https://www.shinchosha.co.jp/book/603844/
「100グラム58円の豚肉をまとめ買いするために自転車で30分をかける」「月100円の幼稚園のPTA会費を渋る」――勝ち組の象徴とも思われていた専業主婦の8人に1人が貧困に直面している。なぜ彼女らは、自ら働かない道を選択しているのか?
 克明な調査をもとに研究者が分析した衝撃のレポート。

 この研究の出発点は、本ブログでも紹介したこのディスカッションペーパーですが、

https://www.jil.go.jp/institute/discussion/2012/12-08.html (ディスカッションペーパー 12-08 専業主婦世帯の収入二極化と貧困問題)

その後、子育て世帯全国調査を繰り返す中で、さらに研究を深めていって、昨年2018年はJILPTから出版した『非典型化する家族と女性のキャリア』の中の第4章「貧困専業主婦がなぜ生まれたのか」を書いていますし、
今年2019年は英文誌 Japan Labor Issues の6月号と7月号に、「Poverty and Income Polarization of Married Stay-at-home Mothers in Japan」を書いています。

 これが本書の英文要約版になっているので、関心のある方はどうぞ。
https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2019/015-02.pdf (Part I: Historical Perspectives of Japanese Full-time Housewives)
https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2019/016-02.pdf (Part II: What Drives Japanese Women to Be Full-time Housewives despite Poverty?)

 さて、周さんの研究が世間の注目を集めたのは、世の常識、というか、経済学でもダグラス・有沢の法則(本当は中村隆英さんが発見したそうですが)として知られていた金持ち世帯ほど専業主婦が多いという常識に反する実態を見いだしたためです。

 英文誌から切り取ってそのデータの図を示すと、

[図]
Stay-at-home rate of married women by household income level

 若干くねくねしていますが、豊かな世帯の方が専業主婦率が低く(リッチなダブルインカム)、貧しい世帯の方が専業主婦率が高いのですね。

 で、本書には個々のケースの聞き取りが載っていて、これがいろんな意味で興味深いのです。

 詳しくは是非本書を買い求めの上じっくり読んでいただきたいのですが、「家庭内の問題を抱えるため今は働けない」とか「心身共に健康を害してこぼれ落ちる」とかの例が上がっています。

 実際にどんな格差が生じているかというと、
・「食」格差−2割は食糧不足が常態化
・「健康」格差−子供は6人に1人が病気か障害
・「ケア」の格差−貧困・低収入と育児放棄
・「教育」格差−人並みの教育をさせてあげられない

 この中でいちばんショッキングなのは児童虐待や育児放棄の割合でしょう。

 本書はもちろん、研究者としての周燕飛さんの顔で書かれていますが、最後のあとがきでちらりと1人の働く母親としての顔を垣間見せています。

 アメリカ滞在から帰国後、3歳の子供が待機児童となり、認可保育所にも認証保育所にも入れず、ベビーホテルを見に行ってその余りの惨状に、仕事を辞める覚悟もしたときに、土壇場で認証保育所に入れたというエピソードを示しながら、
・・・今もその時に救ってくれた東京都認証保育所には感謝の気持ちでいっぱいです。しかし、世の中には、私と似たような状況に陥り、専業主婦を選んだ、あるいは選ぶことを余儀なくされた女性は数知れません。・・・

と綴っています。


hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)、2019年7月19日 (金)
周燕飛『貧困専業主婦』
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-e1c63f.html

「調査当初は、母親がパートやアルバイトで働いている世帯よりも専業主婦のほうが裕福なイメージがあり、経済的に困っている世帯率も少ないと予想していました。ところが予想外の結果だったのです」

 そう話すのは独立行政法人『労働政策研究・研修機構』の副主任研究員である周燕飛さん。
 同機構は2011年の10〜11月にかけて18歳未満の子供がいる全国4千世帯の世帯年収などを調査。
『妻が正社員の世帯』『妻がパート・アルバイトの世帯』『妻が専業主婦の世帯』などにグループ分けし、分析したところ−−。

「専業主婦世帯の平均年収は617.8万円。妻がパート・アルバイトで働く世帯の平均年収552万円よりも約65万円高かった。平均世帯年収だけを見ると専業主婦世帯のほうが裕福に見えます。しかし、専業主婦世帯のうち実は貧困層が12.4.%にも達していたんです」

 同機構のいう”貧困層”とは、専業主婦世帯の中間層の年収の約半分である年収300万円以下の世帯のことだ。
 妻がパート・アルバイトで働く世帯では貧困率は8.6%。専業主婦世帯より、貧困率は3.8ポイントも低くなっている。

「年収が800万円近い裕福な専業主婦世帯が多いいっぽう、年収が300万円にとどかない専業主婦世帯もあります。専業主婦世帯の年収の分布は、年収が800万円に近い層と500万円以下の層で2つの山ができています。世帯年収が高い裕福な世帯と低い貧困世帯とに、二極化しているんです」
(周さん)

 学生の就職率が低下するなかで、”専業主婦”になることを希望する大卒女子も増えているという。
 しかし、調査結果はかなり厳しいものだ。
 専業主婦の貧困化の理由について周さんは、こう説明する。

「経済的に恵まれているから専業主婦になっているのではなく、子供の保育の手だてがないなどの理由で、働きたくても働けないので仕方なく専業主婦のままでいる人もいるのです。働けず収入が得られないことで、専業主婦の貧困化が進んでいるのです」


女性自身、2012/05/01 00:00
全国4千世帯調査で判明
「貧困なのに専業主婦な家庭が急増」

https://jisin.jp/life/living/1623911/

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「自己責任でしょ…」そう考えていた東大生

自己責任論に染まった学生でした。冷たい人間だった

 東大文学部3年の岩崎詩都香さん(20)は、母子家庭で育ち、苦労して、学費が安く、授業料の免除制度がある国立大学に入った。

 自身の体験から、お金がなくて大学で学ぶことをあきらめた人の話を聞くと、「努力するのが筋」と思っていた。

 それが一転。
 いま、大学などの学費の値下げや授業料免除枠の拡大、奨学金制度の改善を求める活動を仲間たちと進めている。
 何が彼女を変えたのか。

努力するのが筋

「学費が払えなくて私立大学を中退する子がいるという話を聞くと、『お金がないなら、努力して国立を目指せば良い』って思っていた。奨学金の返済で自己破産した人のニュースを見た時には、『私はそうならないようにきちんと働こう』って」

 かつての自分をこう振り返る。

 長崎県生まれ。
 6人きょうだいの末っ子として生まれ育った。
 8歳の時に父ががんで亡くなった。
 バブル崩壊の影響で父が背負った借金が残った。
 専業主婦だった母がパートで家計を支えた。
 長女は定時制高校に通い、アルバイトをして家計を助けた。

「将来は働いて給料をもらい、苦労しないようにすることが、きょうだいの暗黙のルールだった。みんな国立大学を目指していた」

 東大には、経済的な理由で授業料を支払うことが難しく、学業の成績が優秀な学生を対象にした授業料の免除制度がある。
 岩崎さんは中学時代にこの制度を知り、東大を目指した。
 塾には行かなかった。

 もともと読書が好きだった母は、勉強する岩崎さんを応援してくれた。
 母は「女の子だから」と親に言われて大学に行けなかったといい、「私も大学に行きたかった」とよく口にした。

 東大に合格し、授業料は免除された。
 月5万1千円の無利子の奨学金を借りることもできた。
 「母を楽にさせたい」と踏ん張ってきた。

「お金がないなら、努力するのが筋」。
 そう思っていた岩崎さんの考えが変わったきっかけは、1年ほど前。
 地元の中学校の友達との何げない会話だった。

自己責任のプレッシャー

 たまたま岩崎さんの学生生活が話題になったとき。
 友達が「うらやましいな」「私も行きたかった」とつぶやいた。
「行けば良かったのに」

 岩崎さんが深く考えずにそう返すと、高校を受験する時点で親から「うちは自営業だから、大学は無理」と言われていたと、打ち明けられた。

「友達は、すぐに働きたくて働いているって思っていたから、早くから大学進学をあきらめていたなんて、と思った。一人一人可能性を持っているのに、やりたいことが追求できない人がいることに気づいた」

「私は末っ子で姉や兄の助けもあり、幸運だったから大学に来られた。大学に行かなかったり中退したりしたという結果だけを見て、どんな大変な経験をしたのか目を向けていなかった」

 ただ、振り返ってみると、自分自身もやりたいことを我慢してきた。
 奨学金とアルバイトで生活費をやりくりするため、交際費はできるだけ削ってきた。
 入学したばかりの頃、新入生歓迎会に出られず、なかなか友達ができなかった。
 教科書代を節約するため、シラバスを見て教科書を買わずに受けられる授業を選択した。

 奨学金の返済額は、大学卒業時点で250万円にのぼる。
 大学院に進学したい気持ちはあるものの、返済額が増えることに不安を感じ、ちゅうちょする気持ちもある。

 留年も浪人も、選択肢には入れられない。

1回失敗したら終わり。私自身も、絶対に失敗できないと考え続けた人生だった

学生にアンケート⇒「少数派じゃなかった」

「何かを変えたい」
 先輩に相談し、まずは学生の実態を知ろうと、身の回りの友達に学費や奨学金への考えをインタビューした。
 すると、困っていることなど何もないように見えていた人の中に、自分と似たような経験をしていた人がいた。

 親が学費を出してくれている人の中にも、「自分が大学に行ったせいで、父は体調を崩しながら働いてくれている。母も立ち仕事をしてくれている。申し訳ない」と言う人がいた。

 東大でも、授業料の免除を申請する窓口は、毎年列ができる。

「東大には年収の高い家庭の子が来るイメージもあるが、そうでない学生の存在が見えなくなっている。それはむしろ苦しいことだと思った」

 高等教育の無償化に向けて、こうした学生の「リアル」を可視化しようと、昨年2018年9月、仲間たちと「高等教育無償化プロジェクトFREE」を立ち上げた。

 全国各地の現役の大学生や専門学校生らを対象に、学費や奨学金が受験や学生生活、将来の進路選択にどんな影響を与えているかアンケートし、7月中旬までに約7500人から回答が集まった。
 そのうち約6700人分を集計したところ、以下のことがわかった。

「約6割の学生が大学や学部など進路を選択する際に学費のことを判断基準にした」
「約3割の学生が仕送りや小遣いをもらっていない」
「約4割の学生が将来の進路を考える上で学費や奨学金の返済による影響があった」

 学費が進路の選択に影響し、アルバイトに追われている学生生活の実態が浮かんだ。

 自由記述欄には、こんな切迫した記述があった。

「私立医学部に受かったものの、学費が払えず、退学。夢を諦めて、国公立の工学部に編入した」
「やりたい活動が思うようにできない。1日3食だった食事が1食もしくは0食のときもある」
「アルバイトと大学の両立で家に帰るのは寝るためのみ。2〜3日何も考えずに休む時間がほしい」

 もし、いま学費が無償になったら、どうしたいかを尋ると、以下の回答が寄せられた。

「1日の食費を300円から増やす」
「アルバイトを減らして勉強する時間を増やす。ちゃんと寝たい!!!!」
「ギリギリで小手先のテクニックで周りに助けられて単位を取るのではなく、1年では分からなかった授業を留年してもきちんと理解したい」

 アンケートを通じて、岩崎さんは自身の経験が決して少数派ではなかったことに気づいた。

「何不自由なく大学に行くことが保障されている人がいる一方で、『自己責任』のプレッシャーを過度に感じて、カツカツの生活をしている人がいるのは、おかしいと思った」

 昨年2018年12月と今年2019年6月には、新宿・アルタ前で街頭スピーチをした。
 すると、同世代から多くの反響があった。

「自分も何かやりたい」「自分も生活が大変だから活動をしてくれてうれしい」というポジティブなものだった。
 ゆるやかに関わっている学生も含め、現在メンバーは130人ほどに増えた。

ゆるく、楽しく

 教育費や貧困問題の専門家のアドバイスも受けるようになった。
「大学進学前の教育格差についても目を向けるべきだ」との指摘もあり、メンバーで勉強を続けている。

 一方で、SNSや、活動を伝えるニュースサイトのコメント欄には、「甘えているだけだ」「大学に行きたいのなら働いてから行けば良い」という批判も数多く寄せられた。

「私たちの活動に少しでも反応があれば、みんなで喜んでいます。批判的な声があれば、みんなで受け止めて、自分たちに非があれば直すし、非が無ければ自信を持ってやろうと確認する」

「がつがつやり過ぎず、ちょっとでも前進すれば良いかなと思います。ゆるく、楽しくというのは、かなり意識している」

 参院選に向けては、候補者へアンケートを実施した。

 高等教育の学費値下げを政策として掲げ、「授業料減免枠の拡充」、「奨学金制度の改善」、「授業料減免措置の維持」、「学費値上げストップ」のいずれか二つを政策に掲げる候補者をFREEとして認定し、ツイッターで公表する「FREEマークプロジェクト」も進めている。
 7月15日までに139人の候補者から回答があり、92人を認定した。

 将来は高校の国語教員を目指し、日本文学を学んでいる。
 高校までと異なり、自分で問いを立てて理解を深められることが楽しいという。

「自分と同じように、日本文学を学びたいと思って大学に入ってきた人たちと、学問を突き詰められることが楽しい。私は大学に来て良かった、と心から思う。大学に行きたい、と思った人が、いつでも教育にアクセスできるようにしたい」

[写真-1]
岩崎詩都香さん

[写真-2]
7月17日に文部科学省で開かれたFREEの記者会見

[写真-3]
FREEのホームページ(ヤッホーくん注)

ハフポスト、2019年07月19日 15時45分 JST
「自己責任でしょ…」
そう考えていた東大生が「教育無償化」に取り組む理由
「自己責任論に染まった、冷たい人間だった」
母子家庭で育ち、苦学の末に東大に入った女性は、かつての自分をそう振り返る。

By Kaori Sawaki
https://www.huffingtonpost.jp/entry/free-project_jp_5d313398e4b004b6adad810e

(ヤッホーくん注)
https://www.free20180913.com/
・メールアドレス:free20180913@gmail.com

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“自己責任”という言葉、どう考えますか

 全国の自治体で急増する非正規公務員。
 取材を進める中で、NHKにも多くのご意見が寄せられています。
 ただ、中には
「待遇が悪いと知っていて働き始めたのでは?」
「ほかの仕事を探せばいい。自治体が悪いといっても何も変わらない」
など、改善を求める声に否定的な意見もあります。
 口々に出てくる“自己責任”という言葉。
 この重い言葉の意味。たくさんの方に考えてほしい、知ってほしいと思いました。

投稿にも“自己責任”の言葉

 NHKに意見を寄せてくださった中に「みずからも地方の自治体で非正規公務員として働いた経験がある」という方が。
 以下の内容が印象に残りました。

「契約は契約、臨時は臨時でしかありません。誰でもなれる広い玄関から入っておきながら、狭い道をくぐってきた正規職員並みの待遇を求めるほうが間違っています。もし公務員にしかできない仕事がしたかったのなら、そういった資格を取ったなら、なぜ若いうちに公務員試験を受けなかったのか。民間企業で正社員の口を探すべきです。全て自分の責任です」
(投稿の一部を抜粋)

 投稿には連絡先が記載されていなかったので、直接、お会いしてお話を聞くことはできませんでした。
 ただ、この言葉はとても重く、考えさせられました。

 非正規公務員として働く人は“自己責任”という言葉をどのように受け止めているのか、考えているのか。取材を始めました。

「もっと頑張っていれば」と言われると…

「非正規公務員の実情を知ってほしい」と投稿を寄せた首都圏のある自治体で学校事務の臨時職員として働くミキさん(30代)(仮名)に、「“自己責任”ではないか」という意見を聞いてどう思うのかたずねました。

「努力することは大事だと思いますし、絶対に必要です。ただ、自己責任と言われたら正直、何も返す言葉が見つかりません。あんな就職氷河期でも“もっと頑張っていれば安定した仕事が見つかったはず”と言われると…」
(ミキさん)

 ミキさんは大学卒業後、氷河期で就職先が見つからず3年間のパート勤務を経てやっと民間企業の正社員になりました。

 しかし、夜遅くまでの長時間労働。
 休みもほぼ週1日。体調を崩し、数か月で退職しました。

 その後、20代の半ばから、公立の学校事務の臨時職員として働き始めました。
 仕事は先生全員分の給与計算や備品管理、来客対応。
 先生の給食の配膳もやっているということです。
 事務員が1人しかいない学校の場合は、お昼休憩も自分の席に座りっぱなし。
 電話や来客の対応をしながら、合間に昼食を食べるので、実質休憩はないも同然だといいます。

 臨時職員は「1年未満の契約」という建て前上、3月30日付けで退職。
 そして4月1日から契約開始ということが繰り返されたといいます。

 契約を5回以上更新し、35歳で迎えた3月、新年度を目前に「更新はありません」と告げられました。

 今度こそは安定した仕事をと、就職活動をしましたが、年齢は30代後半。
 非正規雇用を繰り返してきたミキさんは内定をもらうことができなかったといいます。
 1年間、貯金を取り崩して生活したあと、今、再び別の学校の事務員として働いています。
 独身で実家暮らし。
 将来、親もいなくなったらどうしようと不安だといいます。

「私が意見を投稿したのは、仕事を頑張ったら、努力をしたら、その分必ず報われるという人ばかりではないということを知ってほしいという思いからです。真面目に働いていないわけじゃないんです。『助けて』とかそういうことでもないんです。本当は正社員とか正規職員になりたかった。だけど、社会の大きな流れの中で、仕組みの中で、契約を切られたり権利が弱かったりする存在になってしまった人がいることを知ってほしい」
(ミキさん)

いつか自分自身に返ってくる言葉

 神奈川県のある市で、公立のこども園の臨時職員をしていたアヤさん(仮名)、39歳です。
「“自己責任”と言うことはいつか自分自身にかえってくる言葉だと思う」と話します。

 アヤさんはおよそ10年前、民間の保育施設で保育士として働いていたとき、第1子を妊娠。
 しかし「うちには産休も育休もない」と言われ、そのまま退職に追い込まれてしまいました。

 その後、仕事を再開し、転職を経て、自治体が運営する公立のこども園の臨時職員として働き始めました。

 アヤさんの夫は工場に勤務していますが、朝7時前に自宅を出て、夜9時すぎに帰宅する生活。
 保育園の送り迎えはアヤさんがほぼ1人でしなければならないといいます。
 両親に助けを求めようとも考えましたが、実家は車で1時間かかる距離で、日常的なサポートはのぞめません。
 そんな中で、自治体の臨時職員に応募したのは勤務が8時半から16時までで、子育てとの両立がしやすかったことが大きかったといいます。

我慢をするのが当たり前

 しかし、非正規公務員として3年間働き、2人目の子どもを妊娠したとき、職場の上司から「産休を前に契約期間が満了するので退職してほしい」と告げられました。

 自治体で働く臨時職員は本来は1年以内の契約が前提のため、法律上、育児休業制度の対象には含まれていません。
 しかし、実際には契約を繰り返し更新して何年も働き続ける人が少なくありません。

「仕事を失ってしまったら、上の子は保育園に通えなくなります。また、産休に入る前に退職してしまったら出産手当金が受け取れなくなります。これまで社会保険料をおさめてきたのに、なぜ臨時職員だけが育児休業の制度がないのかと思いました。労働組合に入り交渉した結果、産休が終わるまでは契約期間を延ばしてもらうことができましたが、結局、退職せざるをえませんでした」
(アヤさん)

“自己責任”という言葉をどう思うか聞きました。

「その人の“自己責任”と片付けてしまうのは簡単だと思います。誰もが本当はこうしたい、でもできないという何かしらの“負い目”があるわけですから。私の場合は、育児中で夫や家族に保育園の送迎を頼むことができないため、正職員に求められる早番や遅番ができないという事情があります。ただ、育児や介護の事情を抱えた人も仕事で責任を果たしていることは同じで、そこで事情を理由に優劣をつけ始めたらキリがないですよね。“自己責任”という言葉を強く言えば言うほど、経済的・健康的に弱い立場になった時に我慢をするのが当たり前という“差別の意識”を迫られるという印象を受けます。“自己責任”と言うことはいつか自分自身にかえってくる言葉だと思います」
(アヤさん)

取材を通じて…

 今回、取材に応じてくれた2人は、自分が働くことができる、または自分のことを受け入れてくれる、そうした職場を探し続け、厳しい現実に直面しながらも「非正規公務員」として働くことを選んでいました。

 しかし、その背景には就職氷河期の就職難や妊娠・出産すると仕事を続けることが難しいという、個人ではどうしようもない大きな課題があることも感じました。

 確かに努力は必要ですし、仕事は自分で責任を持って自分で選ぶもの。
 ただ、「自己責任」という言葉だけを前面に押し出し、働く人たちからの改善をのぞむ声を無視してしまったら、苦しい時に声を出すことが許されない、そんな息苦しい社会になっていくのではないだろうか、取材を通じてそう感じました。

 みなさんは“自己責任”という言葉、どう考えますか。


NHK News Web、2019年7月19日 18時16分
仕事が不安定なのは“自己責任”ですか
(「非正規公務員」取材班ネットワーク報道部記者 岡田真理紗)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190719/k10011998901000.html

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国家が守らない・国家が守れない人たちと一緒に

◆ 偏見を取り除き活躍の場つくる

 紛争や迫害から逃れて、日本で難民申請する人は年間約2万人。
 中には、母国で技術者や研究者などとして働いていた人もいる。
 2年前に難民の社会参加を促すNPO法人を立ち上げた渡部清花さん(27)は、彼らの住む場所の確保や市民と対話の場を設け、企業とマッチングして就労につなげている。
「難民はかわいそうではなく、可能性のある人たち。一緒に生きやすい社会をつくりたい」
と理想を描く。

ー WELgee(ウェルジー)の活動を始めたきっかけは。

渡部清花: 大学院進学のために上京し、難民申請中の彼らが置かれた状況を知ったことです。
 結果が出るまで数年をひたすら待ち続け、認定率は極めて低い。
 公的なサポートはなく、住む場所がなくホームレス状態となり、知り合いもいない孤独の中で絶望する人もいます。
 私の中にも、難民への偏見があったと思います。
 アフリカのコンゴ共和国出身の男性は、ぱりっとしたスーツをきて、胸ポケットに赤いハンカチが入っていておしゃれ。
 彼は牧師でエンジニアで、女の子を性的暴力から守るための非政府組織(NGO)で働いていました。
 日本語教室で初めて会ったとき、イメージの中の「難民」とは違いました。
 私が大学で平和学を勉強していると伝えたら、「すごく興味がある。僕の国には平和がないから」と。
 人身売買、市民の殺りく、彼が経験したことは壮絶でした。
 他にも、母国で修士号を取ったり、エンジニア、企業経営者など、知見や経験が豊かな人がたくさんいます。
 社会を良い方向に変える人になれます。
 来日した彼らが国籍、人種、宗教の違いを超えて一緒に未来を築ける社会にしたい。
 ウェルジーは、WELCOME(ようこそ)とrefugee(難民)の造語で、歓迎の気持ちを込めました。

ー 難民に悪いイメージを持つ人もいます。

渡部: 難民は、「難しい民」と書きます。
 日本社会の反応は大きく分けて、「かわいそう」と「怖い」。
 貧困で教育もなくかわいそうという目線と、テロ予備軍で日本の治安が悪くなる心配。
 彼らにも「日本人は難民のことを知らない」と言われました。
 仲良くなった日本人に難民だと打ち明けたら、連絡がつかなくなる。
 病院でも難民だと分かると、対応がすごく冷たくなったそうです。
 彼らが難しい人ではなく、置かれた環境が難しい。
 希望を持って日本に来た人たちのことを伝えたいと、難民の人と語り合うウェルジーサロンを始めました。
 2016年10月から毎月一回開いて、参加者は延べ千人を超えました。
 年齢層は中学生からシニアまで、職業も大学教授から看護師、通訳など幅広い。
 多くが難民と話すのが初めてです。
 サロンの統括を担っている大学生でさえ、「難民の人って笑うんですね」と言ったくらいです。
 社会が無関心なのは、知るきっかけがなかったから。
 そのきっかけを多くつくりたい。
 難民って聞いたときに誰かの顔が浮かべば、心に引っ掛かっていくと思うからです。

ー 難民の人に住む場所を提供し、一般家庭にホームステイする活動も。

渡部: 来日してすぐは知り合いはいないし、お金もない。
 アパートを借りるにも保証人がいなくてホームレスになったり、24時間営業のお店でコーヒー一杯を買って一夜を明かす人もいます。
 何とかしたいと、都内に短期的に受け入れるシェルターを開設し、私も含めてウェルジースタッフが一緒に暮らしています。
 千葉県には空き家を購入して、自立の準備のために中長期で暮らすシェアハウスを造りました。
 費用はクラウドファンディングでまかない、リフォームも自分たちでやりました。
 今後は難民の人だけでなく、シングルマザーや高齢者など住宅が借りられず困っている人も受け入れていきたいと考えています。
 初期のころに始めたのはホームステイ。
 難民申請中の人の中には、政府に拷問されて人を信用できなくなった人もいます。
 日本人と一緒に暮らしてご飯を食べて、人をもう一度信頼できるようになり、社会につながる仕組みをつくりたかった。
 難民受け入れの先進地のドイツへ視察に行ったら、同じことをしている団体がありました。
 すでに1000件を超える実績があり、10ヶ国以上でネットワークをつくっています。
 日本でも少しずつ増えて、これまでに10都道県の20家族が受け入れてくれました。

ー もともとマイノリティーに関心があった。

渡部: 7歳のときに母とバングラデシュに行ったことがあり、同じ年ごろの女の子がプラスチックのバケツで茶色く濁った水を売っていた。
 自分とあまりにも違うことに驚きました。
 貧富の差、経済格差について関心を持ち、国際関係論を勉強したいと思うようになりました。
 実家がNPOで、虐待などで親と暮らせない子たちと過ごす時間が多かったことも大きいですね。
 いろんな背景を持つ子どもたちに出会い、社会を見る角度が増えたんだと思います。

ー バングラデシュはアジア最貧国。そこで大学時代に先住民族の村に滞在し、教育支援のNGOを立ち上げました。

渡部: 3年生の夏に2週間。首都からバスで12時間の場所にあるチッタゴン丘陵地帯で、現地のNGOを訪ねました。
 かつては先住民族と政府の紛争地で、和平協定が結ばれました。
 でも、帰国する日に武力衝突が起きて戒厳令が出た。
 軍と交渉して首都まで戻ってこられたけど、紛争地は常に爆弾が降っている場所だけじゃないと分かりました。
 それから大学を休学して、1年間はNGOの駐在員として滞在。
 親を亡くした子どもが学校に通えるように奨学金や里親制度をつくりました。
 その後さらに1年間、国連機関のインターンとして平和構築に関わりました。
 絶対中立の国連は、政府が先住民族を弾圧していても介入できない。
 和平協定は守られずに武力衝突がいまも起きている。
 国家が守らない人の存在を知ったことが、東京大大学院で人間の安全保障を専攻するきっかけになりました。

ー 難民申請中の人の就労のため、企業とのマッチングに力を入れている。

渡部: 難民には能力や経験を持つ人が多く、企業とつなげ、法的地位を固めることが大事です。
 難民申請中は不安定で、就労許可を取り消されたり、在留資格を剥奪されたりします。
 そして、99%は不認定となります。
 難民として認定されるべき人が守られる制度の存在がまず第一ですが、紛争中の祖国には帰れない人にとって、難民認定以外の人生の選択肢が必要です。
 だから、技術のある外国人として働く仕組みにしたい。
 実際に、プログラマーやエンジニアとして3人が採用されました。
 彼らはいつか祖国を立て直したいとか、今いる日本に貢献したいという志があります。
 安定して就労できる在留資格が得られれば、いつか彼らの国が平和になって戻れる日が来るまで、彼らの能力や経験を日本で生かすことができます。
 生まれた環境や境遇にかかわらず、やりたいことができることが理想です。
 難民の人が生きやすい社会って、障害のある人、シングルマザー、学校に行けなくなった人、いろんな背景を持つ人がともに生きやすい社会でもあります。
 いろんな境遇の人が、自分で第二の人生を歩み出せる。
 そんな世の中を一緒につくっていきたいと思っています。

<渡部清花(わたなべ・さやか)>
 1991年、浜松市生まれ。東京大大学院修士課程に在学中。静岡文化芸術大3年時にバングラデシュの先住民族の村で教育支援を行うNGO「ちぇれめいえプロジェクト」を立ち上げ、現地駐在員として2年間滞在。国連開発計画(UNDP)のインターンとして、平和構築プロジェクトにも関わった。
 2016年に任意団体 WELgee を設立し、2018年2月にNPO法人化。フォーブスジャパン主催の「日本を代表する30歳未満の30人」に社会起業家部門で選出された。活動はホームページで発信している(「ウェルジー」で検索)。

◆ あなたに伝えたい

 社会が無関心なのは、知るきっかけがなかったから。
 そのきっかけを多くつくりたい。
 難民って聞いたときに誰かの顔が浮かべば、心に引っ掛かっていくと思うからです。

◆ インタビューを終えて

 浜松市の東海本社にいたころ、大学生だった渡部さんに何度か取材した。
「難民ホームステイを考えているんです」
 2016年春、大学院進学のために東京で新生活を始めていた彼女から、ウェルジー設立の構想を聞いた。
「難民」という言葉にピンとこなかった一人だ。
 今回、千葉県のシェアハウスを訪ねると、管理人であるアフリカ出身の男性がいた。
「自己紹介しましょう」と彼女に促され、簡単な日本語で名前や出身地を話し、握手を交わした。
 私の中でぼんやりした難民のイメージが明らかに変わった。
 傍らで、渡部さんがほほ笑んでいた。


[写真]

中日新聞、2018年10月12日
あの人に迫る
渡部清花
難民と未来をつくるNPO代表

(河野紀子)
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018101202000250.html

生まれた家庭が正解ではない。

学校に行かなくたっていい。

どんなパートナーと人生を過ごしてもいい。

就職しない仕事の仕方だってある。

人と違う活躍の方法がある。

自分の人生を自分で選び生きる、多様な人たちの多様な生き方が当たり前になってきた21世紀に生きるわたしたち。

「難民」と聞いたとき、頭に何が浮かびますか?

子ども時代、血が繋がっていない子ども・若者たちがよく家で一緒に暮らしていました。

ちょっとめずらしい環境だったかもしれないけれど、学校で会うクラスメイトたちと、家に帰って一緒にご飯を食べる子たちはちょっと違った。

帰れる家がなかったり、学校に行かない子ども・若者たち。

人一倍の優しさを持つ子や、今ではママになった子、頑張り屋さんな子、私は彼・彼女たちが大好きだったし、生まれた家庭・血の繋がった親は、別に絶対の正解ではなさそうでした。

学校に行かないという選択肢だって普通にあることを彼らが教えてくれました。

進学した大学は静岡県浜松市にありました。

日系ブラジル人が最も多く暮らす地域のひとつです。

高度経済成長期に労働力不足に直面した日本は、大勢の日系人を招きました。

日系の子どもたちに日本語を教えたり、日系の同世代の友人たちと街で仲良くなる日常の中で、彼らの考えている「アイデンティティ」について触れる機会がたくさんありました。

そして国際労働力移動の概念も、多文化共生の政策も、どうやら教科書通りではなさそうでした。

リーマンショックの後の当時、解雇・生活保護・帰国のゆえに、バラバラになってゆく家族を見ました。

進学した大学は静岡県浜松市にインドネシアから外国人研修生として日本に来ていた同い年の女の子は、大企業の下請けの会社で朝から晩まで働きながら、寮と工場だけを行き来していました。

「あまり、日本人と仲良くなることはよく思われないの」という彼女の言葉が心に残っています。

おにぎりの裏のポークエキスの表示を、20年間気にしたこともなかったわたし。

人生初めての、イスラム教のモスクに連れていってもらいました。

地域トップの成績で高い倍率を選ばれて研修生としてやって来た好奇心旺盛な彼女は、過労の果てに、体調を崩し、国に帰ってゆきました。

こうして日本の国内のマイノリティに関心を持った私は、ゼミでのフィールドワークで訪れたバングラデシュで、“この国のマイノリティに会いたい”と、先住民族の地域を訪ねました。

つい最近停戦をしたばかりの、傷の癒えない紛争地でした。

自分たちの生活・文化を大事にしたい、そんな声を上げることで、消されてゆく人たちがいました。

**********************

生まれた家庭が正解ではない。

学校に行かなくたっていい。

どんなパートナーと人生を過ごしてもいい。

就職しない仕事の仕方だってある。

人と違う活躍の方法がある。

自分の人生を自分で選び生きる、多様な人たちの多様な生き方が当たり前になってきた21世紀に生きるわたしたち。

選択肢の数は人生を豊かにしてくれます。

*********************

しかし、完全にそんな選択肢を完全に失う人たちがいました。

それは、”国家が守らない・国家が守れない人たち”。

国際社会とグローバル化の中で、ヒトモノカネがものすごい勢いで動いています。

紛争、弾圧、迫害、テロ、人権侵害、人種差別、虐殺・・・いま世界には、6000万人を超える、故郷を追われた人々がいます。

しかし故郷を追われ、国と国の間に宙ぶらりんになってしまう人びとを保護する枠組みは、完璧とはいえません。

世界ではいま、市民、企業、政府、国連、様々なアクターが、より良い方法を模索しています。

********************

さて、そんな人たちが、日本・東京にも実はいました。

2016年、今ではよき友人たちである「難民」に東京で出会ったことからWELgeeは始まりました。

難民の人々も、歓迎できる社会を作ろう。

Welcome と Refugeeを組み合わせたのがWELgeeです。

「難民」と日本社会が、人として出会うきっかけを作るところから始まりました。

そこに、志を同じくする仲間たち、応援団が集まって今があります。

彼らは、生き延びた土地で学び、働き、将来、平和になった社会の担い手となる人びとです。

命を繋いだ先がたまたま日本だった人びとが、今ここにすでにいます。

わたし自身が、難民という背景や境遇を乗り越えて前を向いて生きる友人たちの、ファンの1人です。

自分で未来を選び、日本に降り立った同世代の彼ら彼女らがもつ志に励まされ、勇気をもらい、夢に感動し、一緒になにかしたいと感じた日本人の1人です。

そんな若者たちが、希望を取り戻し未来の選択肢をもてる社会を作りたいと思います。

私たちは、彼らと共に、もっとカラフルな世界を作れるはず。

これを読んでくださっている皆さんにもできることがあります。

国籍問わず、意欲ある若者の背中を押せる仕組み作りを一緒に仕掛けませんか?

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2019年07月19日

一緒に歩きませんか!

2019.07.19
WTOの裁定で解決を!
悪化する一方の日韓関係

 悪化する日韓関係。
 日本政府は2019年7月1日、韓国向け輸出の規制を強めると発表し、一方的にその実施に着手した。
 規制の対象となるのは、スマホやテレビの電子部品、半導体基板に塗る感光材、半導体洗浄に使うフッ化水素など3品目、すべて、韓国の高度な電子部品・製品の生産に不可欠な原材料。
 国際的に日本のシェアが大きく、韓国も、日本からの輸入への依存度が大きい。
 日本は輸出をスムーズにするため、2004年に指定した韓国をはじめ、米国など27ヶ国を安全保障上問題がない「ホワイト国」に指定、軍事転用が可能な技術や製品の輸出手続きを包括的に実施し、個別審査を簡略化するなど優遇してきた。

 今回、日本政府は、一方的に韓国を「ホワイト国」から外した。
 そのため韓国への輸出手続きが個別の審査となり、日数がかかるうえ、不都合な障害が起こりかねない。
 政府はこの制裁措置について、韓国政府に対応を求めていた諸問題が、大阪での20ヶ国首脳会議までに解決しなかったことを理由の一つに挙げた。
 それは、韓国最高裁判所の元韓国人徴用工らへの損害賠償判決への対抗措置で、報復ではないと否定はしたが、「韓国との信頼関係のもとで輸出管理に取り組むことは困難だ」(西村官房副長官)と説明した。
 日韓の主要メディアはすべて、徴用工問題への対抗あるいは制裁措置だと報道した。
 その後、両国政府は、事務レベルの協議を行ったが、まったく進展せず、2週間が過ぎた。

 もはや、日本・韓国二国間での交渉では解決の見込みはないと思う。
 国際的な経済、貿易紛争を調停し、解決に導く国連のWTO(世界貿易機関)に提訴し、解決方策を委ねるしかない。
 そのためには、一方的な報復、輸出規制を解除しなければならないだろう。

 この件では、国内主要メディアのうち、日本政府に対し即時撤回を要求した朝日新聞の社説が最も明快だった、と思う。
 記録のためにも、全文を紹介しようー
(2019年7月3日付け朝日新聞社社説 全文転載)
対韓輸出規制
「報復」を即時撤回せよ

 政治的な目的に貿易を使う。

 近年の米国と中国が振りかざす愚行に、日本も加わるのか。
 自由貿易の原則を捻じ曲げる措置は即時撤回すべきである。

 安倍政権が、韓国への輸出の規制を強めると発表した。
 半導体をつくる材料の輸出をむずかしくするほか、安全保障面で問題のない国としての優遇をやめるという。

 日韓には、戦時中に朝鮮半島から労務動員された元徴用工への補償問題がくすぶっている。
 韓国政府が納得のいく対応をとらないことに、日本側が事実上の対抗措置にでた格好だ。 

 大阪でのG20会議で議長だった日本は「自由で公平かつ無差別な貿易」を宣言にまとめた。
 それから2日後の発表は、多国間合意を軽んじる身勝手なすがたをさらしてしまった。

 かつて中国は尖閣問題をめぐり、レアアースの対日輸出を止めた。
 米トランプ政権は安全保障を理由に鉄鋼などの関税を上げた。
 国際社会はこうした貿易ルールの恣意的な運用の広がりを強く案じているさなかだ。

 日本政府は徴用工問題を背景に認めつつ、「韓国への対抗措置ではない」などとしている。
 全く説得力に欠ける。
 なぜいま規制なのか、なぜ安全保障にかかわるのか、具体的な理由を国内外に堂々と表明すべきだ。

 日本は今後の貿易をめぐる国際論議で信用を落としかねないうえ、日韓双方の経済活動に悪影響をおよぼす。
 そんな規制に矛盾した説明で踏み切るのは、無責任というほかない。

 今のところ、半導体の材料輸出そのものを禁じてはいない。
 だが審査期間が長引けば、供給や生産に響く。
 規制の運用によっては、かなりの生産が止まるとの見方も出ている。

 韓国と取引する日本企業にも被害が跳ね返る公算が大きい。
 将来的には韓国企業が供給元を変える可能性もある。

 政治の対立を経済の交流にまで持ち込むことが、日韓関係に与える傷は計り知れない。

 確かに徴用工問題での韓国政府の対応には問題がある。
 先月に示した解決への提案は、日本企業の資金が前提で、日本側には受け入れがたいものだ。

 しかし、今回の性急な動きは、事態を一層こじらせている。
 機を合わせるように、韓国の司法当局は、日本企業の株式を現金化する手続きを一歩進めた。
 韓国は世界貿易機関(WTO)への提訴も検討するといい、報復の応酬に陥りかねない。

 日韓両政府は頭を冷やす時だ。
 外交当局の高官協議で打開の模索を急ぐべきである。
 国交正常化から半世紀以上、隣国間で積み上げた信頼と交流の蓄積を破壊してはならない。

「報復」を即時撤回せよ、朝日新聞社社説は良識だ
坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

2019.07.18 韓国「バッシング」鳴りやまず

 従軍慰安婦問題から始まり(もっと遡れば歴史認識)、徴用工問題、自衛隊機照射問題、ついに輸出制限措置にまでエスカレートした日韓関係は今や「泥仕合」の観を呈している。
 日本政府の強硬姿勢に歩調を合わせてマスコミは「最悪の日韓関係」とはやし立てるばかり。
「子供じみてないか」と眉をひそめる人も多い。

 政府発の一方的な韓国批判とそれに同調するマスコミ報道、政府の提灯持ちをする学者が続々と登場することには驚くばかりだ。

 おととしから昨年にかけて、拉致と核問題で北朝鮮の脅威を煽りまくった安倍政権は、今度は矛先を変えて韓国との対立を煽っているように見える。
 いささかウンザリするが、政権維持のために隣国を敵視することで失うものは大きい。

 こんな時こそ過去から学び、現実に起きている問題と冷静に向かい合うべきと思うのだが、マスコミも何を恐れているのか、おとなし(音無し)い。
 不勉強なのか、わかっていながら発言しないのか。
 政府の主張を鵜呑みにするようでは、ジャーナリズムも死んだに等しい。
 相手がハンコを押したから日韓併合条約も日韓条約も有効だと平然と言い切るなら、強制連行によって奴隷のように働かされた徴用工や慰安婦たちは切り捨てられ、眼中から消える。
 それでいいのか。
 日本政府の非情、横着ぶりに気づくはずだ。

おろそかにされる事実。悪用された韓国国会議長の「天皇発言」

 韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が米国ブルームバーグ社のインタビューで、従軍慰安婦問題の解決には「日本を代表する首相か※天皇(日王)の心のこもった謝罪(おわび)が必要」と発言したため日本で物議を醸した(2019/2/7) 。
「天皇に謝れとは非常識」と、政府も右翼が血相を変え、そして一般市民も戸惑い、怒った。

※ ハングルによる発言内容を検証する。まず、「首相か天皇」の「か」は韓国語で助詞나(ナ)の訳である。日本語の「か」と同じ意。従って「首相と天皇」ではなく、かなりざっくばらんに「首相でも天皇でも」という表現になる。また、天皇については「天皇」ではなく「日王」と表現しているが、韓国では一般的表現である。日本の「王」という表現に日本人は少し戸惑うはずだ。

 日本政府は直ちに抗議し発言の撤回を求めた。
 日韓関係を悪化させたことに気づいた文議長は、訪韓した鳩山由紀夫元首相との会談で、「(発言)で傷ついた人たちに謝罪する」と謝罪した(2019/6/13付韓国聨合ニュース)。

 この謝罪発言は、大騒ぎしたわりには日本で大きく報じられた形跡はない。
 そのため国会議長の発言は多くの人の記憶にいまだに不信感として残ったままだ。
 そればかりか日韓関係の不信材料のひとつとして文議長発言をいまだに非難し続けるマスコミもかなり多い。

 文氏の謝罪は、鳩山氏の発言−「韓国の国民感情からすれば理解できないわけではないが、日本の国民感情からすれば認められない」という主張に応えたものだ。
 鳩山発言は日韓相互の理解のためには柔軟で適切な発言だった。
 それに比べ、過日のG20大阪サミットでは文大統領との会談を拒絶した安倍首相の硬直した姿勢が際立つ。
 和解の糸口を見出す努力もなかった。

安倍首相の責任逃れ

 さらに問題なのは、文議長発言のカナメ、「安倍首相の謝罪」という指摘が、日本政府によって無視されたこと。
 それはマスコミも同じだが。
 首相は「天皇の責任発言」を鬼の首を取ったように批判するばかりで、自分に向けられた注文には知らんぷりするという図である。

 文議長の発言は「首相か天皇」という発言で、あらぬ方向に発展したが、あくまでも従軍慰安婦問題の現状を憂慮したものだった。
 2015年の政府間合意については当初から金銭の支払いとともに「誠意」が必要という議論があった。
 これに関連して国会で安倍首相が「直接お詫びをする気はないか」と質問され、「ない」と答弁したため、首相の不誠実さが浮き彫りとなった
 拙速な両政府の合意に、元従軍慰安婦たちと韓国国民から激怒の声があがり深刻な状況となっていた。
 文議長の発言の真意は、慰安婦問題の解決のために日本側の誠意を求めたものだった。

 「天皇の責任」問題と慰安婦問題が完全にすり替えられてしまった。

 安倍首相は文議長の天皇発言を奇貨として、文議長からあらためて問われた謝罪を無視したばかりか、10億円で「不可逆的な解決をした」とうそぶき、問題を更に大きくしてしまった。
 これでは日本の内閣支持率45%の人たちは支持しても、韓国の99%は認めない。
 安倍内閣では慰安婦問題も徴用工問題も解決できないのは明らかとなった。

 天皇を防波堤にして自分に問われた問題を回避するのは天皇の政治利用という疑問もわく。

 最近の安倍内閣には、かつて日本の植民地とした国に対する軽視と侮蔑の姿勢が目に余る。
 アジア侵略の事実を認めないし、反省もない。

 トランプ頼みで拉致問題解決を期待したが、「当事者で話し合え」とたしなめられ(?)、「条件を付けずに金正恩委員長と話し合う」と言いだしても、相手にされないのは当然だろう。
 日本のマスコミを味方につけても、海外から相手にされないようではアジアのなかで孤立するばかりだ。
 隣国の韓国と北朝鮮軽視がひょっとして安倍政権の墓穴を掘ることになるかも知れない。 

ドキュメンタリー映画「主戦場」が面白い

 日系2世のミキ・デサキ監督が慰安婦問題をめぐる論争を描いた映画。
 慰安婦問題をめぐって桜井よしこ等そうそうたる論客が発言。
 編集は一切なし、いわば各人が云いたい放題。
 結論は見た人にまかされる。

 余りの反響の大きさに登場する右派論者の一部が公開後に上映中止を求めて提訴した。
 これまで主張してきた内容が「あまりにもみっともない」と狼狽 (うろた)えたのかも知れない。
 監督は、「日韓に横たわる問題の解決を望み、日韓間の相互理解になれば」と映画製作の動機を語った。
 4月上映開始後異例のロングラン、大ヒットとなった。
 この時期お薦めしたい映画だ。

北海道から広島まで、反核平和行進を続けるアン・スルギ(21)さん

 8月6日に開かれる広島原水禁世界大会に参加するために韓国の女子学生が来日した。
 5月6日に根室を出発、今月7月20日に我孫子に到着予定だ。
 通訳をかねて、彼女と2時間あまり行進することになった。
 真夏の徒歩による行進である。
 体調を整えて最後のゴール広島まで頑張ってほしい。
 天王台西公園から9時出発、11時半に手賀沼公園で集会後、柏へバトンタッチ。

 彼女に拍手を送ろう。
 一緒に歩きませんか!
 核兵器禁止条約調印を求める署名にもご協力を。


韓国通信 No 607          
小原紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

以上、坂井定雄(龍谷大学名誉教授)の文章も小原紘(個人新聞「韓国通信」発行人)の文章も、出処は、2007年3月15日創刊の「リベラル21」:
http://lib21.blog96.fc2.com/

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河野外相「極めて無礼」

この国を大事に思うから、隣国とも仲良くすべきと思います。大事にされたいなら、大事にしないと。
室生佑月
23:17 - 2019年6月19日

 韓国最高裁が日本企業に元徴用工への賠償を命じた判決を巡り、河野太郎外相は19日、韓国の南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使を外務省に呼び、日韓請求権協定に基づく仲裁委員会の設置に韓国側が応じなかったことについて「非常に残念に思う」と抗議した。
 また「韓国政府が国際法違反の状態を野放しにせず、ただちに是正措置をとることを強く求める」と述べた。

 南氏は、6月に日韓の企業が資金を拠出して財団を設立し、元徴用工に補償する案を提示したことを念頭に「韓国政府の努力の一環として日本側に韓国側の構想を伝えている」と述べた。
 これに対し、河野氏は韓国側通訳が南氏の発言を日本語で説明するのを「ちょっと待ってください」とさえぎり、「韓国側の提案は全く受け入れられるものではないことは以前にお伝えしている。それを知らないフリをして改めて提案するのは極めて無礼だ」とまくし立てる一幕もあった。

 日本政府は今年1月、協定に基づく政府間協議を韓国に要請。回答がなかったため、5月に協議で解決しない紛争処理を付託する仲裁委員会の設置を要請した。
 しかし、韓国は協定上の期限である今月18日までに仲裁の諾否を回答しなかった。
 韓国側は「日本が一方的、恣意(しい)的に定めた日付だ」として、日本側が仲裁手続きを進めたことに不満を示している。


[写真]
韓国の南官杓駐日大使を外務省に呼び出し、元徴用工問題で強く抗議する河野太郎外相=2019年7月19日午前10時26分

毎日新聞、2019/07/19 11:11
河野外相「極めて無礼」韓国大使呼び強く抗議
徴用工仲裁委問題

(秋山信一)
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/河野外相「極めて無礼」韓国大使呼び強く抗議-徴用工仲裁委問題/

 河出書房新社は2019年7月12日までに、同社が5日発売した文芸誌『文芸』秋号の売れ行きが好調で、2002年冬号以来、17年ぶりの増刷が決まったと発表した。

「韓国・フェミニズム・日本」と題した特集がSNS(交流サイト)などで話題を呼び、書店で売り切れが続出しているという。

 特集ではベストセラー「82年生まれ、キム・ジヨン」のチョ・ナムジュさん、直木賞作家の西加奈子さんら、日韓の作家10人の短編を掲載。「世界文学のなかの隣人」と銘打ち、翻訳家の斎藤真理子さんと鴻巣友季子さんの対談も掲載している。

 編集部によると、初刷り8千部に3千部を上乗せする。
 増刷分は19日以降、全国の店頭に並ぶ予定。
 編集長の坂上陽子さんは
「反響の大きさに驚いた。これまで文芸誌を手に取ってこなかった人が買ってくれているのでは」
と話している。


[写真]
17年ぶりの増刷が決まった「文芸」秋号の表紙

日本経済新聞、2019/7/12 11:13
「文芸」17年ぶり増刷
韓国、フェミニズム特集

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47273540S9A710C1CR0000/

【特 集】韓国・フェミニズム・日本

〈対談〉 斎藤真理子×鴻巣友季子
「世界文学のなかの隣人〜祈りを共にするための「私たち文学」」

〈短編〉
イ・ラン「あなたの可能性を見せてください」(斎藤真理子 訳)
小山田浩子「卵男」
高山羽根子「名前を忘れた人のこと〜Unknown Man」
チョ・ナムジュ「家出」(小山内園子・すんみ 訳)
西加奈子「韓国人の女の子」
パク・ソルメ「水泳する人」(斎藤真理子 訳)
パク・ミンギュ「デウス・エクス・マキナ〜deus ex machina」
ハン・ガン「京都、ファサード」(斎藤真理子 訳)
深緑野分「ゲンちゃんのこと」
星野智幸「モミチョアヨ」

〈わかる! 極める! 韓国文学一夜漬けキーワード集〉

〈エッセイ〉
推しとフェミニズムと私 渡辺ペコ
違うということと、同じということ ハン・トンヒョン
痛みを手がかりに 日本と韓国のフェミニズム 小川たまか

〈論考〉
極私的在日文学論〜針、あるいは、たどたどしさをめぐって。 姜信子
物語の中の「他者」と「隣人」〜「匂い」で読む韓国女性文学小史 斎藤真理子

〈自伝的小説〉
「三代(抄) 兵役、逃亡、夢」 MOMENT JOON

 (誰も誰かに殺されていいはずなんかない。)
河出書房新社@文藝86年ぶり3刷め増刷決定した社の公式
午後7:34 ・ 2019年7月18日

 完売店続出の文藝、本日2刷が増刷出来です。
 2刷がお客様注文で完売したため慌てて3刷を決めた河出さんですが正直3刷分が残ってしまわないか超ドキドキドキドキしてます。購入検討中の方、今からでも書店様に注文していただけると私達のドキドキが少し和らぐ…!
河出書房新社
午前11:43 ・ 2019年7月19日

河出書房新社
文藝・1933年創刊、文学の「いま」を伝える季刊文芸誌
http://www.kawade.co.jp/np/bungei.html

 ね、いまの嘘つきごろつき支配層がどんだけ、主権者と気持ちが通じ合っていないかですよね。
 片方は偉そうに高飛車に無礼者と叫ぶのに、われわれは相手を理解し、通じ合おうとしてます。

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2019年07月18日

「作らず、持たず、持ち込ませず」非核三原則

 2020年の核拡散防止条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons、NPT)再検討会議に向けた最終準備委員会が、米ニューヨークの国連本部で2019年5月10日まで開かれている。
 保持したら捨てられない「悪魔の兵器」と呼ばれる核兵器削減は世界の難題だが、手放した数少ない国の一つが旧ソ連の東欧ウクライナだ。ロシアによるクリミア半島併合を許したことで、25年前の核廃棄の決断に否定的な声も上がるが、広島訪問の経験を基に非核化を推進した当時の担当者は「核戦争回避を目指したことに間違いはなかった」と話す。
 
 1991年末のソ連崩壊は、独立した国々に核兵器を分散させた。
 約1500発の戦略核弾頭などが残されたウクライナは、米国、ロシアに続く世界3位の核大国に押し出された。
 米ロの核放棄の圧力に対し、ウクライナ国内の議論は紛糾。
 ロシアの干渉から独立を守るため、保持すべきだとの主張もあったからだ。

「核兵器の管理はソ連中枢で行われていた。われわれには維持するための技術がなかった」

 当時、軍事研究の責任者の立場から、核保有に反対したビクトル・バリヤフタル元ウクライナ科学アカデミー副総裁(88)は振り返る。

 核兵器を保有する限り、米ロの経済援助を得られない事情もあり、ウクライナは結局、非核化を決断。
 1994年1月、NPT加盟とすべての核弾頭のロシア移送で、米ロ両国と合意した。
 同年12月には核廃棄と引き換えに、米ロ英3ヶ国がウクライナの独立と領土保全を約束する「ブダペスト覚書」に署名した。

 20年後、核廃棄の判断に疑問符がつく事態が起こる。
 ウクライナで起きた政変をきっかけに、ロシアは2014年3月、クリミア半島に軍を投入して併合し、覚書をほごに。
 覚書を調印したクチマ元大統領も「確実な安全保障なしに、核兵器を放棄したのは大きな間違いだった」と認めた。

 だが、バリヤフタル氏は、
核兵器があれば、という発想は同意できない
と否定的だ。
 1970年代に広島の原爆資料館を訪れ、被爆者の話を聞き、非人道的な兵器の恐ろしさを知った。
「ロシアと核兵器で張り合えば、国が壊滅しかねなかった」
と指摘する。

 核の誘惑にかられる指導者は絶えない。
 北朝鮮は自国の体制を守ろうと非核化に抵抗し、世界を脅威にさらす。
 米トランプ政権は中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄をロシアに通知して、核軍拡競争の懸念を高め、来年2020年で発効から50年を迎えるNPT体制は揺らぐ。
 バリヤフタル氏は、
核兵器の拡散が、実際に使用される危険性を高めるのは明らかだ。模範を示すべき米ロがまず、軍縮合意に踏み切るべきだ
と大国の努力を求める。


[写真]
ウクライナ・キエフで、核兵器廃棄の判断について語るビクトル・バリヤフタル元科学アカデミー副総裁

[図解]世界の核保有国 ☟

世界の核保有国.jpg

東京新聞・朝刊、2019年5月2日
「非核化判断正しかった」
ウクライナ、廃棄から25年

(ウクライナの首都キエフで、栗田晃)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201905/CK2019050202000123.html

 核兵器の製造や保有を禁じる核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons または Nuclear Weapon Ban Treaty)が国連で採択されて2年。
 だが条約に賛同する国と核保有国の溝は深く、核兵器廃絶への道は険しいままだ。
 ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN、アイキャン)の国際運営委員を務める川崎哲(あきら)氏(50)に、現状について聞いた。

 核兵器禁止条約は70ヶ国が署名を済ませた。
 政府が署名したら、議会承認など国内手続きを経て批准に至るのが一般的な流れで、署名したのに批准にいたらないケースはごくまれ。
 来年に批准国が50を超え、条約は発効するだろう。

 南半球に賛同する国が多いのは、途上国が大国に反対して核兵器廃絶運動の旗を振ってきた歴史があるからだ。
 核兵器が使われたら巻き添えで被害を受ける。
 1962年に米ソが核戦争の一歩手前まで行ったキューバ危機があり、中南米は1967年、核兵器の使用や配備を禁じる「非核兵器地帯」条約を結んだ。
 フランスなどが核実験を繰り返した南太平洋、南アフリカが核兵器を放棄したアフリカ大陸、東南アジアなども、非核兵器地帯へと進んだ。

 あるメキシコの外交官は、
「隣国が核兵器を持った時、二つの道がある。一つは非核化をめざすこと、もう一つは核の傘の下に入ること。メキシコは前者を、カナダは後者を選んだ」
と誇った。
 日本は唯一の戦争被爆国だが、米国の核の傘の下で生きる道を選んでいる。
 特に戦争を知らない世代には、「日米安保のもとで平和が守られてきた」と、現状を受け入れる意識がある。

 長崎を最後に、戦争で核兵器は投下されていない。
 だが、誰がこの先も使われないと保証できるのか。
 事故が起きないという「原発神話」のように、核抑止も神話になっていないか。
 2017年にノーベル平和賞を受賞したICANで活動する欧州、南米、アフリカなどさまざまな地域の人たちは、核兵器は現在の脅威と考えている。

 残念ながら核保有国がすぐに核兵器禁止条約に参加するのは現実的ではない。
 ICANは昨年2018年11月、自治体に自国政府に条約への参加を呼びかけてもらう「シティー・アピール」という取り組みを始めた。
 核保有国でも、米・ワシントンDCやロサンゼルス、仏・パリ、英・マンチェスターなどが名を連ねている。
 まず「核兵器は悪だ」という意識を広げたい(ヤッホーくん注)。

核兵器にお金を貸すな

 米・ニューヨークで今年2019年4月に開かれた国連安全保障理事会で、核兵器禁止条約を批准したばかりの南アフリカの政府代表は、「多大な圧力にもかかわらず批准した」と胸を張った。
 条約に強硬に反対する米などを批判したものだ。

 核保有国やその核の傘の下にあり、条約に反対する国々は「核兵器での報復を恐れさせ、相手に攻撃を思いとどまらせる」という核抑止の考え方を採る。
 日本もその立場だ。
 外務省の担当者は「北朝鮮の核開発をはじめ、日本の安全保障環境は厳しい。条約は日本の核抑止政策の正当性を損なう」とする。

 こうした状況の中、条約が発効しても核保有国が参加する道筋は描けていない。
 だが従来とは違う手法で、核兵器を「包囲」しようとする動きもある。

 オランダで平和推進活動に取り組むNGO「PAX」は条約採択前から、「核兵器にお金を貸すな」と題するキャンペーンを展開。
 責任者のスージー・スナイダーさんは「条約の効果」が見え始めていると語る。

「採択前後で、核兵器製造に関わる企業に投資する金融機関が減った」

 369あったものが、325に減ったという。

 国内でも「りそな銀行」などを傘下に置くりそなホールディングスが採択後の昨年2018年11月、核兵器製造に関わる企業には融資しないと宣言。
「人身売買」「児童労働」などへの関与に加え、核兵器、生物兵器、対人地雷など「禁止条約」がある兵器を名指しし、「開発・製造・所持に関与する先などに融資しない」と盛り込んだ。
 同社の広報担当者は「社会的な要請、世界の情勢を考慮した」という。

 スナイダーさんはこうした動きを「とても建設的。他の金融機関にも広がって欲しい」と歓迎する。

◇ ◇ ◇

核兵器禁止条約
 核兵器の製造や保有に加え、その援助や使用するとの威嚇も禁じている。2017年7月7日、122ヶ国の賛成多数で国連で採択された。50ヶ国が批准した90日後に発効する。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)によると、23ヶ国が批准を済ませ、70ヶ国が署名している。


[写真]
「核兵器があす使われない保証はない」と語る、核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲・国際運営委員=2019年6月、福岡市

朝日新聞、2019年7月16日16時30分
核抑止、神話になってないか
専門家に聞く険しい現状

(聞き手・大隈崇)
https://digital.asahi.com/articles/ASM727F2TM72PTIL02Y.html

※ (ヤッホーくん注)

 東京都知事選(2016年7月31日投票)に立候補している自民党の小池百合子前衆院議員・元防衛相は、29日放送のフジテレビ系「みんなのニュース」で、「非核都市宣言の考えには賛同しない」と述べました。

 都知事選では、被爆国の首都・東京の知事として、核兵器に対する態度も問われています。

 番組では、生中継で小池候補と、野党統一の鳥越俊太郎、自民、公明が推す増田寛也の各候補が相互に質疑応答しました。

 鳥越氏は小池氏に、雑誌『Voice』(2003年3月号)の対談で同氏が「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうる」と述べていたことを挙げ、「私は都知事になれば、非核都市宣言をしたいと思っています。小池さんに非核都市宣言はできますか」と質問。

 小池氏は「言ってません」と、事実をねじ曲げたものの、鳥越氏に「書いてある」「現物を持っている」と指摘され、反論不能になりました。

 さらに小池氏は非核都市宣言について、「鳥越さんの考えに敬意を表しますが、賛成をいたしません。明確に申し上げます」と明言。
 被爆者や都民の「非核都市宣言を」という願いに背を向ける立場を示しました。


しんぶん赤旗、2016年7月30日(土)
小池氏「核武装」発言隠す
非核都市宣言賛同せず
TV番組で討論

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-30/2016073004_05_1.html

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瓜田不納履、李下不正冠

 安倍政権の発足から6年半がたち、霞が関の官僚が政権の意向を忖度(そんたく)する動きが強まっている。
 苦言を呈すれば左遷され、従順なら厚遇される‐。
 人事権を一手に握る首相官邸の思惑を先取りし、口をつぐんだり功を焦ったりする官僚たち。
 安倍政権の「政治主導」は政権基盤強化の一方で、政策のゆがみも生み出しつつある。

 「本当はもっと強く反対すべきだったのだが…」

 厚生労働省のある官僚は悔恨の念を口にする。
 厚労省の毎月勤労統計で、昨年1月以降の賃金伸び率が異常に上振れした問題。
 上振れの主因となった作成手法の変更は、首相秘書官や麻生太郎副総理兼財務相の「問題提起」を受ける形で実行された。

 厚労省は、上振れを事前に認識していたにもかかわらず、十分な説明をしないまま異常値を公表。
 メディアや世論の誤信を招いた。
 賃金の実勢が見えない状況は今も続き、専門家からは「統計が破壊された」と批判を浴びている。

 作成手法の変更は省内に異論もあったというが、厚労省や総務省統計委員会が官邸に疑義を呈した形跡はない。
 ある厚労官僚は「官邸から『問題提起』があれば、みんな震え上がる。反対なんてできっこない」と自嘲気味に語る。

◆    ◆

 政権への忖度が疑われるのは「統計破壊」にとどまらない。
・ 厚労省の裁量労働制を巡る不適切データ提供、
・ 海外派遣された陸上自衛隊の日報に関するずさんな文書管理、
・ 財務省の森友学園問題の決裁文書改ざん、
・ 加計(かけ)学園の獣医学部新設問題‐。
 いずれも安倍政権下で起きた不祥事だ。

 指摘されるのは、安倍政権が2014年に内閣人事局を発足させ、首相官邸が中央省庁の幹部人事を一手に握った影響。
 国土交通省のある幹部は「今の人事はとにかく官邸の力が強い」と明かし、菅義偉官房長官の意向に反すれば「飛ばされるか辞めさせられる可能性がある」と畏怖する。

 加計学園問題では「総理のご意向」と書かれた文書を認めた前川喜平元文部科学事務次官に対し、菅氏が辞職の経緯を巡り「地位に恋々としがみついていた」と激しく批判。
 一方、国会の追及に「記憶にない」を連発した柳瀬唯夫元首相秘書官は経済産業省を退官後、複数の民間企業の役員に就任し、霞が関で「官邸に忠誠を尽くした論功行賞」とも受け止められた。

 強大な人事権を振るい、官僚組織を掌握する安倍政権。
「官邸に逆らわなければ、仕事がスムーズに進む」(国交省幹部)と好意的な受け止めもあるが、政策の検討過程で「官邸のご意向」という言葉が免罪符のように使われることが珍しくなくなったという。

 政治の過度な介入で、官僚が萎縮し矜恃(きょうじ)まで失ってはいないか‐。
 強まり続ける忖度の空気に、政官の力関係のゆがみが透ける。


[図]
忖度が疑われる主な問題

西日本新聞、2019/7/18 6:00
官僚が忖度ゆがむ政策
官邸に萎縮 苦言封印

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/527872/

 なれ合いの構図は公共事業の公正さを疑わせる。

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、軟弱地盤の改良工事に関する調査報告書をまとめた建設コンサルタント3社に、2018年度までの10年間で防衛省のOB7人が再就職していたのである。

 調査報告書は、防衛省の委託を受けた7社で構成する共同企業体(JV)が今年2019年1月に作成した。
 地盤改良は既存の工法で安定性を確保することが可能とし、騒音や水中の濁り、ジュゴンなど環境面への影響も当初の想定範囲を超えずに施工できると結論付けていた。

 早期に工事を進めたい防衛省の方針を後押しする内容だ。
 OBが所属する業者が防衛省の事業に「お墨付き」を与える格好になっている。

 両者にもたれ合いの関係が成り立っているのだとすれば、事業の正当性にも疑問符が付く。

 天下りが確認されたのは、JV7社のうちの3社だ。
 いずれも東京に本社がある。
 これまでに、辺野古の新基地建設工事に関するコンサル業務をたびたび手掛けてきた。
 防衛省によると、2012〜2018年度の3社が関わる受注額は約112億円(34件)に上る。

 防衛省職員が退職後2年以内に営利企業に再就職する場合は届け出が必要だ。
 2年以上経過しているときは報告の義務はない。
 OB7人は全員が規定に従って届け出ていたという。

 これについて岩屋毅防衛相は「関係法令の規定に基づき適切に行われている」と記者会見で述べたが、「李下(りか)に冠を正さず」という格言を知らないのか(ヤッホーくん注)。
 公職にあった者なら、なおさら、他人から疑いを受ける行動は巌に慎まなければならない。
 公務に対する信頼を傷つけるからだ。

 OBが水面下で出身省庁に受注を働き掛け、それを受け入れるような癒着体質があるのではないか。
 特定の業者が潤う構図がありはしないか。
 天下りの横行はそのような疑念を国民に抱かせる。

 防衛省からの天下りを巡っては、2013年12月〜2015年11月の間に辺野古の工事の関連業務を受注した65社のうち、14社に防衛省や自衛隊のOBが再就職していた。
 当時の中谷元・防衛相が2016年1月に明らかにしている。

 ただし、退職から2年以上たてば民間企業に再就職しても届け出る必要はなく、実態がつかめない。
 実際は公表されている数よりもさらに多くのOBが天下りしていた。

 反対の民意を無視した国策の背後で、官民のなれ合いによる利権の構図が出来上がってはいないか。
 天下りが疑念を増幅させる。

 防衛省に求められるのは行政運営の基本である公平、公正さと透明性を確保することだ。
 この際、天下りの実態を徹底的に調査し、所管する事業との関連を含め、国民の前に明らかにしてもらいたい。


琉球新報・社説、2019年7月18日 06:01
防衛省OBの天下り
公正さ疑わせるなれ合い

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-955330.html

(ヤッホーくん注)瓜田不納履、李下不正冠

 李下(りか)に冠をたださず、という警句が中国にある。
 実のなるスモモの木の下で頭にかぶっているものをかぶりなおしたりすると、あらぬ疑いを招きかねない。
 ことほどさように日ごろの振る舞いに気をつけよう、と戒める。
 唐の時代より前から伝わる、随分と古い言葉だ。

 人間はたいして変わらないということであろう。
 21世紀の日本でもピンとくる。
 たとえば加計学園の問題である。
 ざっくりいって、ときの政権によって特例をみとめられた組織のトップが、ほかでもない首相の親しい友人だった、という構図。
 ご本人たちがどういうつもりだったにせよ「李下に冠」をただしたのは明白だ。

 そして続いたのは「臭いものにふた」をする動きだった。
 森友学園の問題とあわせて「モリカケ」と呼ばれる疑惑を追及しようと、野党はずっと国会の開催をもとめてきた。
 これに対し言を左右にしてきた与党がようやく応じた、と思いきや、国会が開かれるやいなや衆院を解散する意向を首相が固めた、というのである。

 首相は解散の「大義」として、教育をタダにするための財源に消費税を転用することの是非を問う、と伝えられる。
 もしも教育の無償化が実現したら加計学園にもプラスに働くのだろうか、などと考えたりしてしまう。
「李下に冠」の警句は本来「君子」に向けたものらしい。
 政治と君子は相性が悪いと、今更ながら思う。


日本経済新聞・春秋、2017/9/22 2:30
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO21407240S7A920C1MM8000/

※ さらに、まだあるのです。それはヤッホーくんのこのブログ、2018年10月21日付け日記「美智子皇后の誕生日談話『マクワウリ』」です。ぜひ再読してみてください!

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財務省の犯罪を見逃すな!

 参院選さなかの17日。
 大阪地検前でプラカードを掲げアピールする人びとがいた。

「森友事件で財務省がしたことは犯罪だというのが、市民の常識的な感覚です。ぜひ起訴して検察の意地を見せて下さい!」

 声を上げているのは、大阪・豊中市の市議会議員、木村真さんだ。
 トレードマークのオレンジ色のシャツをこの日も着ていた。

森友事件「不起訴はおかしい」という議決

 木村市議は森友事件の火付け人だ。
 近畿財務局が森友学園に売却した豊中市内の国有地の金額の公開を求めて、2017年2月8日に裁判を起こした。
 これがきっかけで8億円もの値引きが明らかになり、さらに、土地取引に関わる公文書の改ざんや廃棄も発覚した。
 安倍昭恵首相夫人の名前などが消されていた。
 財務省の佐川元理財局長ら幹部や近畿財務局の職員らが背任と公文書変造などの罪で告発されたが、大阪地検特捜部は全員を不起訴にした。

 ところが市民から選ばれる検察審査会は「不起訴不当」と議決し、「起訴する意義は大きい」とまで表現した。
 この議決を受けて現在、大阪地検特捜部はこの件の再捜査を行っている。

「財務官僚らを起訴すべき」大阪と東京で同時要請

 こんどこそ財務省幹部らを起訴し、法廷で真相を明らかにしてほしい。
 木村市議は東京大学の醍醐聡名誉教授らと連携し、大阪と東京で同時に検察庁に対する要請を行った。

 要請の宛先は検察トップの検事総長。

 大阪の申し入れでは、値引きの根拠とされたごみがないことを近畿財務局の担当者が知っていたこと、「理事長がおっしゃるゼロ円に近づける努力を今、私しています」と発言していたことが明らかになっていると指摘。
 国有地を極端な低額で売却し、国に損害を与えたことは明白で、市民の常識的な感覚としては、なぜ背任罪に問われないのか理解しがたいと訴えた。
 また財務省による公文書の改ざんと廃棄についても、財務省自身が認めている事実で、犯罪を構成すると考えるのが当然だと指摘した。

 特捜部は事務官2人が応対。
 要請については「お受けしました。法律に則って判断します」としか答えなかった。
 木村市議が「起訴・不起訴はどこで意思決定されているのか?最高検の圧力があるのではないか?」と迫ると、「基本的に大阪地検内で判断する」と答えたという。

 すかさず木村市議は発言した。

「ええかげんな扱いせんといて。圧力がないというなら、大阪地検がきちんと捜査して、粛々と起訴してほしい」

必ず起訴すると信じています

 要請の前後には、木村市議をはじめ10人ほどが大阪地検前でアピールを行った。
 掲げたプラカードには、
「特捜部よ!意地を見せろ!」
「忖度するな!」
「財務官僚を起訴すべし!」
などと書かれている。

 木村市議は地検の建物に向かって訴えた。

うそとごまかしと改ざんと隠ぺいがまかり通る。こんなでたらめを認めていいのですか?私たちは特捜部の奮闘に期待しています。でも、またしても不起訴なら、検察庁に対する市民の信頼は地に落ちるということを肝に銘じてください。必ず起訴すると信じています

森友事件追及の急先鋒「たつみコータローさんを国会に」

 そして、進行中の参院選についても触れた。

「私たちは森友事件を追及してきたたつみコータローさんを応援しています。大阪選挙区ではぜひ、たつみさんが当選して国会に戻ってほしい。そして引き続き森友事件を追及してほしいと思っています」

 この後、木村市議はたつみコータローさんの街頭演説会場に駆けつけ、ガッチリと握手。マイクを握って支援を訴えた。
 森友事件は終わらないだろう。
 真相を追及する人びとがいる限り。


[写真-1]
大阪地検前で「財務官僚を起訴すべき」と訴える木村真豊中市議

[写真-2]
オレンジのシャツがトレードマーク

[写真-3]
問題の土地に建つ小学校の名誉校長は安倍昭恵首相夫人だった

[写真-4]
検事総長に宛てて厳正な再捜査を要請

[写真-5]
木村市議とともにプラカードを掲げ、忖度なき捜査を求める人びと

[写真-6]
大阪地検に向かって「起訴すると信じています」と呼びかける木村市議

[写真-7]
木村市議らの訴えは検察庁に届いたか?

[写真-8]
たつみコータローさんと握手を交わす木村市議

Yahoo! Japan News、2019/7/17(水) 18:48
「財務省の犯罪を見逃すな!起訴すると信じています」
森友事件で検察に大阪・東京同時要請

(執筆・相澤冬樹、大阪日日新聞論説委員・記者、元NHK記者)
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190717-00134614/

 タローがコータローの応援に駆けつけた。4議席を12人で争う激戦の参院選大阪選挙区。聴衆の中には籠池夫妻の姿もあった。そして山本太郎は最後に梅田で夢を語った。「あなたはそこにいるだけで価値がある」という社会を作りたいという夢を。

山本太郎とたつみコータロー 党派を超えて

 森友事件やコンビニの長時間労働の追及で知られる共産党のたつみコータロー参議院議員。その応援のため、党派を超えてれいわ新選組の山本太郎参議院議員が大阪にやってきた。11日午後1時から、まずはJRと京阪の京橋駅をつなぐ広場で。きょうは雨だがここは上を京阪電車の線路が走っていてぬれずに済む。

 現場では開始の1時間ほど前から、そろいの青いTシャツを着た人たちが選挙ビラを配っていた。共産党は支持層が高齢化していると指摘されるが、たつみさんの場合はSNSの呼びかけで20代から30代前半くらいのボランティアが集まり「たつみコータロー応援チーム」を結成。共産党の人たちと一緒に活動している。

 しばらくして、たつみコータローさん本人も姿を見せた。駆け寄って握手を求める人が絶えない。そのうちの一人、山崎情児さんは、京都でコンビニ店を経営している。フランチャイズの本部が傘下の店に24時間営業を強要し、長時間労働を強いられる問題について、たつみさんが国会で追及したことから、支援するようになった。
「たつみさんは私たちのために闘ってくれた。共感する経営者は多いですよ」
 こうしてたつみさんは従来の保守層にも支持を広げているようだ。

山本太郎はたつみコータローを国会に戻すためにやってきた

 午後1時、現場にはすでに大勢の人たちが集まっている。そこにお待ちかねの山本太郎さんが現れた。沸き起こる拍手と「太郎ちゃ〜ん、ガンバレ〜」のかけ声が飛び交う中、タローさんはコータローさんとがっちり握手。そしてマイクを握ると「大きな音でお騒がせして申し訳ありません。京橋駅前でマイクを握らせて頂いていますのは、山本太郎と申します。よろしくお願いします!」再び拍手と歓声が沸き起こった。

「きょう大阪に入った理由は、たつみコータローさん、絶対に国会に戻さんとダメですよって皆さんに言うためです」

「私とたつみコータローさん、13年の参議院選挙で国会に送って頂いた、いわば同期。その同期の中でも図抜けた知能才能を持った方だと思ってます。たつみコータローさんは参議院のエース、日本の宝!」

「権力側に嫌われるぐらいの追及、それだけじゃないですよ、膨大の資料の中から丹念に掘り下げて、それ見つけてきたか!っていうことの連続なんですよ」

国家の私物化は許せない 予算は国民のために

 続いてマイクを握ったたつみコータローさん。

森友事件で隠ぺい、公文書の改ざんまで安倍政権は(近畿財務局の)職員にさせた。それが元で自ら命を絶った職員も出ました。まじめな職員だった。だけど皆さん、まさにこの公文書の改ざんをさせた張本人は、今も国会でウソをつき通しています。絶対に許されません

国有地がタダ同然で売却されちゃった。国家の私物化です。国の予算は、安倍さんのものでも、昭恵さんのものでも、トランプ大統領のものでもない。国民一人一人のために使われるのが国の予算なんです

籠池夫妻も姿を見せた

 森友事件と言えばこの人。主役の一人、森友学園元理事長の籠池泰典さんと妻の諄子さん。この夫婦も現場に訪れていた。演説を聞きながら時折、拍手や声援を送る。周囲にいた人たちが籠池夫妻の存在に気づき、握手を求めていた。

「熱のある演説だったね、2人とも。演説は熱がなきゃダメやね」

 演説で評価したところを尋ねると

「山本太郎さんもたつみコータローさんも基本は一緒。目線が民の目線、民衆目線。上から目線じゃない。一緒にやりましょう、皆さんの力を貸して下さいという姿勢がいいんじゃないですかね。そして大企業優先の施策をやめること、もうかってるならそこから取ったらいい、消費税はやめること。そういうとこやね」

 2人の演説は大阪・梅田でも行われ、籠池夫妻も訪れた。そこで報道陣や聴衆に囲まれ一句を求められた籠池さん。
「風すがし 選挙演説 さわやかに」
 するとすかさず諄子さん「ちょっと、もひとつです」周囲から笑いが起きた。諄子さんは籠池さんの最も身近にいる厳しい批評家だ。

太郎さんに聴衆から寄せられる献金

 梅田での演説が終わり、太郎さんが街宣車から降りると、聴衆が周りを囲み握手や記念撮影を求める。さらに、近くにいた太郎さんの選挙スタッフに1万円札を差し出す人も相次いだ。支援の気持ちから寄せられる献金だ。こんな光景、他の街頭演説ではなかなかお目にかかれない。

2人の候補を同時に応援するのはなぜ?

 この後、山本太郎さんは、なんば高島屋前でマイクを握った。今度は立憲民主党から立候補しているかめいし倫子さんを応援するためだ。かめいしさんはネットで「美人すぎる弁護士」と言われている。この日の現場でも聴衆の男性から「美人や〜」とかけ声が飛んでいた。

 ここで太郎さんがまず話したこと、それは…

「たつみさんとかめいしさん、2人の候補者を応援するって、いったい何考えてんのかって言う方いらっしゃいますけど、何を言ってんですか。大阪は4つ議席があるんですよ。その2つを野党側で取りにいかないでどうするんですか!」

なにわで最後は山本太郎自身に投票を求めた

 山本太郎さん、なにわ最後の演説会場は、大阪有数の人通りがある梅田のヨドバシカメラ前。周辺には数え切れないほどの聴衆が集まった。2階の通路からのぞいている人も大勢いる。午後7時、山本太郎さんが姿を現した。沸き起こる歓声と拍手。大人気だ。ここで行うのは誰か他の候補の応援演説ではない。山本太郎さんは、自分で立ち上げたれいわ新選組から比例で立候補している。ここでは自分自身とれいわ新選組のための街頭演説を行った。

「まっとうな賃金を払えば人は集まる。それをしていないのがこの国。そこを変えなきゃいけない。力を貸して下さい」

「皆さん、2枚目の投票用紙はどうか、山本太郎とお書き下さい。比例の候補は全国どこからでも投票できます」

「大阪選挙区で私が推しているのは2人。たつみコータローさん。この人は本物です。落とさんといて。かめいし倫子さん、弁護士なのに金にならない仕事ばかりしてきた。大阪の皆さん、力を貸して下さい!」

「あなたはそこにいるだけで価値があるっていう社会を作るのが政治なんですよ。それ実現したいんです。生産性で人を計らせない、そんな社会作っていきましょう!」

 地鳴りのような「タロー」コールと拍手が、しばらく鳴り止まなかった。


[動画-1]
Wタロー街宣 in大阪 山本太郎が、たつみコータローと街頭演説 2019.7/11
https://www.youtube.com/watch?v=SoYlSuONZKo

[動画-2]
Wタロー街宣 in大阪を聞きに来た籠池さんの感想と今日の一句
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=Vg-y15fgqaA

[動画-3]
山本太郎街頭演説 熱いタローコール れいわ新選組 @ 大阪
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=DHXNXVpjVkI

Yahoo! Japan News、2019/7/11(木) 20:56
「あなたは そこにいるだけで 価値がある」by 山本太郎
タローがコータローを応援

(執筆・相澤冬樹、大阪日日新聞論説委員・記者、元NHK記者)
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190711-00133822/

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とんでも夫妻

 今回の参院選で比例代表から出馬している自民党の和田政宗氏。
 6月下旬には「週刊文春」(文藝春秋)が、和田氏が公職選挙法で禁じられている「公示前の事前選挙運動」をおこなっていたと報道、Web上で録音された音声データも公開したが、本人が「切り貼りされたもの」「名誉棄損にあたるものについては対抗措置を取ります」と主張すると、対する「週刊文春」はノーカット録音を公開し、疑惑はより深まる結果となったことは記憶に新しい。

 報道に訴訟をちらつかせて言論弾圧をはかろうとは国会議員としてあるまじき言動だが、そんな和田氏の選挙戦に、なんとあの人が援軍として登場した。安倍昭恵氏だ。

 三連休の最終日となった7月15日の夜、「和田政宗候補を応援する会」という個人演説会が東京都内で開かれたのだが、そこに昭恵氏が登場したのだ。

 まず、挨拶に立った昭恵氏は、こう述べた。

「今回の選挙、安倍政権にとりましては本当に正念場の、大切な大切な選挙でございます。そのなかで和田政宗先生には、なんとしても勝っていただきたい。きょうはしっかりと昭恵が応援して来るように、ということを言われて参りました」

 いまだ森友学園問題について国民の前で何の説明もおこなっていないというのに、選挙の応援には、夫である安倍首相直々に「しっかり応援してこい」と背中を押されてノコノコやってくるとは……。
 まったく呆れるしかないが、さらに呆気にとられたのは、昭恵氏の口から語られた次の言葉だ。

「和田先生には、安倍政権が叩かれ、そして私が叩かれているなかで、表立って、ほんっとうに助けていただきました。応援をしていただきました。連日、私は、まるで犯罪者かのように、メディアから追いかけられて、あることないこと書き立てられてですね、辛い日々を送っていたんですけれども、そんななかでしっかりと応援をしていただいた。正しいことをちゃんと発言をしていただいた」

 えっ、よりにもよって和田氏が、森友問題で「正しいことをちゃんと発言してくれた」ですと……!? 

 昭恵氏がそこまで言うならあらためて振り返ってみたいが、和田氏といえば昨年3月、朝日新聞が森友学園の決裁文書が改ざんされていたことをスクープすると、「全く別の決裁文書の調書を比較した可能性がある」などと誤報扱い。
 ところが、財務省が公文書改ざんの事実を認める方針を打ち出すや否や〈今回は財務省による証拠隠しを、政治の力で防いだことになります〉などと理解不能なことをほざきはじめ、ワイドショーに出演すると「(昭恵氏が)関わってなくても(国有地売買は)あった」「そもそもの問題は近畿財務局が相当悪い」と責任を近畿財務局に押し付けたのだった。

 だが、もっとも醜悪だったのは、伝説的なトンデモ質疑として多くの人の度肝を抜いた、昨年3月19日に参院予算委員会でおこなわれた森友公文書改ざん問題の集中審議での和田氏の発言だ。
 和田氏は質問に立つと、財務省の太田充理財局長(当時)に対し、こんなことを言い出したのだった。

「まさかとは思いますけども、太田理財局長は民主党政権時代の野田総理の秘書官も務めておりまして、増税派だから、アベノミクスをつぶすために、安倍政権を貶めるために、意図的に変な答弁をしているんじゃないですか?」

 すさまじい陰謀脳としか言いようがないが、これにはさすがの太田理財局長も血相を変えて反論。
 首を横に大きく振りながら「いくらなんでも、そんなつもりはまったくありません! それはいくらなんでも……それはいくらなんでも、ご容赦ください!」と抗弁したほどだった。

昭恵夫人と「和田を応援する会」を企画したのはあの「男たちの悪巧み」メンバーか

 とまあ、森友問題における和田氏の活躍ぶりはご覧のとおり、デマを吹聴し、陰謀論を振りまくというもので、とてもじゃないが「正しいことをちゃんと発言」したとは天地がひっくり返っても言い難い。

 しかし、「まるで犯罪者であるかのようにメディアから追いかけられた」と被害者意識丸出しの昭恵氏にとっては、デマと陰謀論で抗した和田氏に恩義を感じているらしい。
 昭恵氏は和田氏に感謝を述べると、つづけてこう発言したのだ。

「このご恩返しをなんとか私はしたいという思いで、きょう、このような会を、増岡後援会長とともに開かせていただいたようなところでございます」

 なんと、この和田氏の「応援する会」自体、昭恵氏が企画・開催したものだというのである。
 しかも、「増岡後援会長」というのは、2015年のクリスマスイブに昭恵氏がFacebookに投稿した例の「男たちの悪巧み」写真で、安倍首相や加計学園の加計孝太郎理事長らとともに写っていた、鉄鋼ビルディング専務の増岡聡一郎氏のことではないのか。
 というのも、「応援する会」が開催された会場も、「悪巧み」パーティがおこなわれたのと同じ丸の内にある鉄鋼ビルディングだったからだ。

 しかも、昭恵氏が企画したこの「応援する会」には、和田氏とともに森友・加計問題で陰謀論やデマを撒き散らかしてきた自民党の青山繁晴参院議員や、安倍応援団によるネトウヨ番組『報道特注』メンバーである豊洲市場仲卸三代目・生田よしかつ氏も弁士として登場したのだ。

 森友問題の最大のキーパーソンである昭恵氏が音頭を取り、森友・加計問題をメディア批判にすり替えてきた和田氏を功労者として応援する──。
 露骨すぎて反吐が出るが、昭恵氏は1ミリも反省していないどころか、自分が何をしでかしたのか、いまだに無頓着であるらしい。
 でなければ、「森友問題で私を助けてくれた!」なんて無邪気に選挙応援などできないだろう。

「和田先生には主人の近くで働いてほしい」と公選法違反の“メール”選挙運動呼びかけ

 しかも、昭恵氏は挨拶のなかで、このように和田氏のことを猛プッシュした。

「(投票用紙の)2枚目には和田政宗。『自民党』ではなくて名前を書いていただきたいんですね。名前を書いていただかないと、和田先生、当選できません。そして、本当にこの先生は安倍政権のために絶対に力になってくださる。これから日本は世界のなかでもっともっと役割が大きくなってくると、私は主人と一緒に世界に出て行って感じているところですが、そのなかにおいて、絶対に和田政宗先生には、主人の近くで働いていただきたい」

 外交で大失態ばかり犯し、嫌韓感情を煽って選挙利用する安倍首相が、世界で役割を果たせるとはとても思えないが、その上、ネトウヨ陰謀脳の国会議員に側近としてそれを支えてほしいって……。
「世も末」「日本終わってる」としか思えないが、さらに昭恵氏はこう述べて挨拶を締めくくった。

「きょう、本当にいいなと思ったら、一人ふたり、必ず、お電話をして、メールをして、LINEをして、少しでもこの輪を大きく広げていただきますように、心よりお願いを申し上げまして、私のご挨拶とさせていただきます」

 おいおい、電話やLINEはOKだが、選挙運動用の電子メールの送信は候補者・政党等にしか認められておらず、一般有権者が電子メールで特定候補者の投票を呼びかけるのは公選法違反。
 つまり、昭恵氏はダメ押しで公選法違反の選挙運動を要求したのである。

 どこまでいっても反省・学習しない昭恵氏……。
 森友・加計問題は何も終わっていないというのに被害者ヅラして選挙運動に勤しむこの総理夫人を、このまま野放しにしていていいものなのだろうか。


リテラ、2019.07.18 03:30
安倍昭恵夫人があの和田政宗候補をトンデモ応援演説!
公選法違反の“メール選挙運動”を有権者に呼びかけ

https://lite-ra.com/2019/07/post-4845.html

【速報】
 2019年7月17日、松山地裁は安倍首相が関与する加計学園の公金詐欺疑惑について、被告の今治市に加計学園の獣医学部の図面と見積資料一式の開示を命じる決定をしました。


安倍首相 汚職・収賄で逮捕へ
松山地裁、今治市に安倍首相の公金詐欺疑惑の証拠開示を命令

https://www.youtube.com/watch?v=EEQhwxviSok

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2019年07月17日

Power To The People

田村智子さん「Power to the People」を渋谷ハチ公前で熱唱(吉良よし子参議院東京選挙区候補応援演説)2019年7月15日
https://www.youtube.com/watch?v=AnMOQjFxi18

John Lennon - Power To The People - Offical Video-HQ
https://www.youtube.com/watch?v=RtvlBS4PMF0

[Intro]
Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on


[Verse 1]
Say you want a revolution
We better get on right away
Well you get on your feet
And out on the street


[Chorus]
Singing power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on


[Verse 2]
A million workers working for nothing
You better give them what they really own
We got to put you down
When we come into town


[Chorus]
Singing power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on


[Verse 3]
I got to ask you comrades and brothers
How do you treat you own woman back home
She got to be herself
So she can free herself


[Chorus][x3]
Singing power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on
Now, now, now, now


[Outro]
Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on


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劉霞&劉暁波

 ノーベル平和賞を受賞した中国の人権活動家、劉暁波(リウシアオポー、Liu Xiaobo)が亡くなってから2年が過ぎた。
 劉氏を連想させる壁画を中国本土で公開したとして、当局に一時拘束された芸術家が通信アプリを通じて朝日新聞の取材に応じ、民主化運動に人生を捧げた劉氏の精神は「代々、継承されていく」と訴えた。

 取材に応じたのは、中国出身でフランス在住の芸術家、胡嘉岷 Hu Jiamin さん(35)。
 2017年12月、深セン市主催の芸術展に壁画を出展したところ、描かれた「無人の椅子」が獄中の劉氏が出られなかったノーベル平和賞の授賞式を象徴しているとして、問題視された。

 2年前、劉氏の死に悲しみで体が震えたという胡さん。
 帰国にあたり、貧困層がないがしろにされた行政のあり方に疑問を深めた。
 芸術家として社会への関心を表明しなければと考え、壁画を作った際に、鉄格子や無人の椅子を描いた。

 面倒なことが起きると覚悟したが、「自己検閲は拒否する。これは私にとって芸術創作の原則だ」。

 作品が完成した日から5日間、社会の秩序を乱したとの容疑で拘束された。

 胡さんは無人の椅子の部分だけ修正を迫られると予想したが、壁画すべてがペンキで塗りつぶされ、存在自体が消された。
 記者も実際に目撃したが、表現の自由を力で封じ込める中国の現状を象徴するかのような光景だった。

 中国本土では、いまも劉氏の追悼行事は認められていない。
 胡さんは「中国社会は彼の死があっても、なにも改善されていない」と嘆いた。

 一方、香港では2019年7月13日夜、劉氏の追悼行事があり、約200人の市民が献花に訪れた。

 主催したのは、中国の民主化を支援している香港の民主派団体「香港市民支援愛国民主運動連合会」。
 ビクトリア湾を望む会場には劉氏の像が置かれ、生前の劉氏を紹介する動画が流された。
 香港民主派最大の政党・民主党の何俊仁主席は「劉氏の偉大な志を引き継いでいこう」と呼びかけた。

 香港メディアによると、妻の劉霞(リウシア、Liu Xia)氏は今年、出国先のドイツでの追悼行事に参加しない見通しだという。
 霞氏は北京で長年軟禁された後、昨年2018年7月、病気の治療名目でドイツに出国したが、公の場に姿を見せることは少ない(ヤッホーくん注)。

 中国本土で通常、見られないツイッター上では劉氏の死去2年にあたって追悼メッセージが流れているが、実際に追悼集会が開かれたかは不明だ。


[写真-1]
当局に塗りつぶされる前の胡嘉岷さんの壁画。女性は胡さんの妻(深セン、関係者提供)

[写真-2]
当局に塗りつぶされ、消えた胡嘉岷さんの壁画=2017年12月20日、深セン

朝日新聞、2019年7月17日13時00分
中国、塗りつぶされた壁画
「無人の椅子」に込めた意味

(香港=益満雄一郎)
https://digital.asahi.com/articles/ASM7F41YBM7FUHBI01F.html

※ ヤッホーくん注

PRAGUE (AFP) - A Prague art gallery has unveiled a brass bust of the late Chinese dissident Liu Xiaobo to mark the 30th anniversary of the 1989 Tiananmen massacre, a spokesman said on Wednesday (April 17).

"It's his first bust in the world so far," Ms Hana Janisova, spokesman for the Dox Centre for Contemporary Art, told AFP.

A joint project of Amnesty International, Art for Amnesty, Humanitarian China and Dox, the bust by Czech sculptress Marie Seborova was unveiled on Monday as part of an exhibition marking the anniversary.

Mr Liu, a writer and philosopher, veteran of the Tiananmen protests and the 2010 Nobel Peace Prize winner, died of liver cancer at age 61 in 2017 after serving several prison terms for his activities.

Mr Liu's widow Liu Xia, a 58-year-old poet, had been expected to take part in the opening ceremony, but she excused herself at the last moment "for serious personal reasons", said Ms Janisova.

Ms Liu Xia's photographs are on display in the same room as the bust. Dox has kept them since an exhibition in 2014 which Ms Liu Xia could not attend because she was under house arrest.

She was put under close police watch tantamount to house arrest after Mr Liu won the Nobel Prize, which infuriated Beijing.

Ms Liu Xia was released and allowed to travel to Germany in 2018.

The images date back to 1996 when Mr Liu was at a labour camp and his wife preferred to communicate with him through her photos depicting dolls to puzzle the guards.

"She was supposed to see them for the first time now but it won't happen. But we'll give them to her as a present," Ms Janisova said of the enlarged versions of her 1996 photographs.

The bust and pictures will be on display until June 4, the exact anniversary of the 1989 Tiananmen massacre in which hundreds of protesters demanding democratic changes lost their lives, Ms Janisova said.

She added that the bust would stay at the gallery after the exhibition.


[photo]
Workers carry a bust of Chinese Nobel Peace Prize winner Liu Xiaobo after its unveiling at the DOX Centre for Contemporary Art in Prague, Czech Republic, on April 15, 2019.

Straits Times, Updated: Apr 18, 2019, 1:13 pm
Prague honours late Chinese Nobel Peace Prize winner Liu Xiaobo with bust
https://www.straitstimes.com/world/europe/prague-honours-late-chinese-nobel-peace-prize-winner-liu-xiaobo-with-bust

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本当のことなんか言えない(言えば排除される)

 なんか知らないけど、僕たちのやった行動が一部でバズっているようなので、それについて書いてみようと思う。
 アベの演説場面(公道)でヤジを飛ばしたら、ものすごい速さで警察に取り囲まれ、強制排除された話である。

ヤジを飛ばし、排除される

 つい昨日、7/15に「わがPM」こと安倍晋三が、僕の住む札幌の街に来るという話を友人Mから聞いたので、友達数人と一緒に駆けつけることにした。
 参議院選挙に関する応援演説らしい。
 僕は、日々の生活を送りながら、本当に毎日毎日「0.1秒でも早く、アベに消えてほしい」と思ってるような人間である。
 これは、アベに直接文句を言う、またとないチャンスだと思ったのである。

 ということで札幌駅前に来てみた。
 どこから聞きつけたのか、思ったよりも沢山の聴衆が集まっており、駅前の空間を埋め尽くす勢い。
 あまり後ろのほうに行って、こちらの声が届かなくなっても困るので、メディアや関係者が陣取っている、ほとんど最前線みたいなスペースで待つことにした。
 時間どおりに行ったものの、アベの演説は始まっておらず、高橋はるみ(前北海道知事で、今回の参議院議員候補)や鈴木直道(現・北海道知事)や、あとよく知らないおっさんが、選挙カーの上に立って何かを喋っていた。

 まわりはほぼ全て関係者と自民党支持者のようで、反対派とおぼしき人の姿は、(いたのかもしれないが)全く見えなかった。
 正直、この時点で「えっ、ここでやるの?まじ?」とビビっていた。
 というか、ここに来ても一縷の望みにかけていた僕は、アベが演説を始めたら、きっとどこからともなく「アベやめろ」のコールが聞こえてくるのではないかと思っていたのである。

 しかし、いざアベが話し始めても、一向にヤジは聞こえてこない
 他の人に託していてもどうにもならないし、「ええいままよ」という感じで、「帰れー」とか「やめろー」とか叫んでみることにした。
 突然の大声に、聴衆が一瞬ざわつく。
 すると、ものすごい速度で警察が駆けつけ、あっという間に体の自由を奪われ、強制的に後方に排除されてしまった。
 同行のC氏が、僕が逮捕されないようにしがみついてくれたのだけど、一緒に後ろの方に押し流されてしまった。

 その時の様子が、例の動画におさめられている。

 選挙に関連して、同様の抗議行動をやっている内地の場合でも、公道上で拘束されたり、強制排除されているのはあまり見たことがなかったので、道警(北海道警察)もなかなか乱暴だなあと思った。

 引き離された後は、警察に取り囲まれ、しばらく押し問答をしていた。

選挙期間とはいえ、国会内ですら認められているヤジを飛ばす権利が、警察権力によって恣意的に規制されるというのはおかしいんじゃないですか

法律を守らない人を取り締まる警察自身が、なんらの法的根拠に基づかないまま、市民の行動を制限することが認められるんですか

 僕が主張していたことは、大体こんな感じだ。
 僕は、こうした場面ではちょっとヘラヘラしながらも、法律の知識に基づいたやりとりをするように心がけている。
 ちょっとおどけたように笑いながらも、目の前の警察による行為が、決して許されるものではないという認識は崩さず、理詰めで反論する。
 最近はなるべくそういうスタンスを取るようにしている。

 対応した警察官は、このような警備の場面で出てくる担当者にしてはロジカルで、こちらの話にも一定の理解を示していたものの、ともかくアベに近づくことは絶対に許可できないようだった。
 というか、こういう場面でよくある、「お願いをしてるんです」という体の事実上の強制(複数の警察官が壁を作って進めないようにする)を延々と食らうことになった。
 アベには近づけないので、少し離れた位置から思い出したように「アベやめろー!」と叫んでみる。
 そうすると警察がアタフタするのだが、さすがにこちらの口を手でふさぐわけにもいかず、取り囲んでわーわー騒ぐだけ。
 その様子はどこか滑稽でもあった。

二回目のヤジ

 その後、警察とのやり取りの中で、「この後はどうするの?」と言われてハッと思い出した。
 大通でもアベは同様の応援演説を行う予定になっているのだった。
 そこで、これまで進もうとしていた街宣車へ近づくための道をあっさりとあきらめ、クルッときびすを返して、大通に向けて移動することにした。
 ただし、10人ぐらいの私服警官を引き連れて。
 尾行どころかプチ大名行列みたいな感じだったが、さいわいなことに全員が私服だったので、あまり恥ずかしい思いはしないで済んだ(制服警官に囲まれていると完全に犯罪者にしか見えないので)

 しばらく歩いていたが、ゾロゾロ付きまとわれているのも癪なので、タクシーに乗ってまくことにした。
 あっという間に演説会場である三越前に到着。
 ちょうどアベが街宣車の上で演説している最中だった。
 また警察にマークされると近づくこともできなくなるので、とりあえず善良な歩行者ヅラして街宣車の真後ろに回り込み、再び大声で「アベやめろ」とコールしてみた
 アベは何事かと一瞬振り向いたので、ここぞとばかりに指をさして面罵することができた。

 もちろん、この時も速攻で(コール開始から実に三秒ぐらいで)近くにいた警察に身動きを封じられ(一人からは首を締められそうになって少しこわかった)、再び離れた場所まで押し流された。
 あっという間に終了である。
 このときは、とりあえず現場で一言でも文句を言えればOKと考えていたので、それ以上は粘らずに立ち去ることにした(私服警官は相変わらずゾロゾロとついてきたが、適当にまいた)

法律とか違反とか

 ちなみに、このような行為に関して、選挙(演説)妨害だ、公職選挙法違反だということを言う人もいるが、向こうがマイクで喋っている際に肉声でヤジの一つ飛ばしたところで、別に演説の聞き取りに支障はないし、だいいち僕が叫んでいた時間なんて合わせても数十秒とかそのぐらいなので、妨害の要件を満たすとはとても思えない。
 だから、警察による今回の強制排除は、おそらく法的な根拠を欠いた、越権行為だろうと思われる
 その証拠に、僕の行動を強引に止めにかかってきた警官のうち、誰一人として「公職選挙法」という言葉を出すことはなかった。
 強いていえば、彼らの頭の中にしか存在しない「アベ侮辱罪」にでも抵触したのかもしれないが、まあ、ふざけた話である。

(もとより、アベが僕の自宅に菓子折りでも持ってきてくれたら、そもそも僕が公道で文句を言う必要なんてないし、誰の迷惑にもならない。アベがこっちに出向いて来ればいい話なのだ、ということはずっと思っている)

 だいたい、法律違反やマナー違反だのをいう人は、アベがやってる憲法違反の可能性が高いアレコレ(たとえば集団的自衛権に関する安保法)や、数々の強行採決をどう考えるのか。
 公文書の改ざんとか、統計不正、権力を濫用しての知人友人への利益誘導とか、どうなるんじゃい。

 権力者による大きな不法行為・不正義には目をつむりながら、細かいルールを持ち出して、一般庶民の行動をどんどん規制する。

 最近の日本社会は、そのような風潮がいっそう強くなっているように感じるが、それが招くのは、単なる権力者への盲従ではないか。
 僕はそんなディストピアに住みたくはない。

(僕たちが警察によって排除されたことを喝采しているハッピーなネトウヨ諸君も少なくないが、恣意的な警察権力が行使される社会にあっては、その次の矛先は君になるかもしれないぞ)

 それから、一応書いておくと、僕自身はどこの政党を特別に支持しているわけでもないし、選挙がどうのこうのということには、実はそこまで強い関心はない。
 ただ、とにかくアベのような人間が好き勝手に権力を行使し、それによって僕たち庶民の生活がより苦しくなるような状況に、人一倍怒りを感じているということが、今回の行動の動機である。

 期せずして体を張り、動画やら写真やらにおさめられてしまったので、なんらかの形で拡散していただけると、一般市民による言論の自由を憎悪する日本という国家の、現状と今後を考える参考資料の一つにはなるんじゃあないでしょうか。

 あーあ、本当に嫌な国である。


[動画-1]
https://twitter.com/i/status/1150746751680172032

[動画-2]
RCサクセション RC SUCCESSION/ 言論の自由/ LIVE in HIBIYA, 1988.8/ "コブラの悩み"

note、2019/07/16 03:10
本当のことなんか言えない(言えば排除される)
大杉 雅栄
https://note.mu/s_ohsg1/n/n459263e58af1

 敵を見つけて叩き、国民の愛国心を煽る。
 選挙のためとも思わざるを得ない韓国への強硬姿勢や、討論会での議論をはぐらかす安倍首相の姿が「安倍のトランプ化」と揶揄されている。
 野党のみならず自民党のベテラン議員からも「情けない」と批判の声が上がる。

*  *  *

 7月3日。
 日本記者クラブで参院選に向け主要7党の代表による党首討論会が開かれた。
 そこで「原発の新増設」「選択的夫婦別姓」がテーマになった。

 司会者が「原発の新増設を認めない方は挙手を」と7党首にたずねると、安倍首相だけが賛成の挙手をしなかった。

 続けて、司会者が「選択的夫婦別姓を認める方は挙手を」と続けると、今度も、安倍首相だけが賛成の挙手をしなかった。
 司会者がその真意を質すと、安倍首相はやや声を荒らげて言った。

「政策的な議論をしなければならない。政治はイエスかノーかではない」

「今の段階で答えられなくても直ちにノーではない。印象操作をするのはやめてほしい」

 一瞬、会場に白けた空気が広がった。
 選択的夫婦別姓の議論については、ネット討論会でも、立憲民主党の枝野幸男代表から聞かれ、安倍首相は、

「いわば夫婦別姓の問題ではなくて、しっかりと経済を成長させ、みんなが活躍できる社会を作っていくことではないか」

 と、質問をはぐらかした。
 司会者が「『選択的夫婦別姓はいらない』というご返答でよろしいでしょうか」と聞くと、

「いわば経済成長とは関わりがないというふうに考えています」

 と、明言を避けた。

 TBS「ニュース23」での党首討論では、司会を遮り持論を延々と語る場面もあった。

「選挙戦を前にちょっと刺激的な資料が出回っている」

 そう言って司会の小川彩佳キャスターが持ち出したのは、「フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識」という冊子。
 これは、自民党本部が参院選を前に党所属の国会議員に「演説用資料」として配布したものだ。
 野党の党首を醜く描いたイラストがずらりと並び、ネットに氾濫するデマ情報がオンパレードの内容だ。

「これ国会議員に20部ずつ配られているということですが、ご覧になられたことありますか」

 ニュースアンカーの星浩さんの質問に対しては、あいまいな答えに終始した。

「あの、党本部でですね、いろんな冊子を配っていますが、あの、私、いちいちそれを見ておりませんので、まったく知らないんですが。無責任だと言えば、無責任だと思いますよ」

 自分に都合の悪い質問に関しては、真正面から答えず、その質問の手法に疑問を呈し、メディアの印象操作と言う。
 トランプ大統領が、自分を批判した媒体の記者を名指しして「フェイクニュース」と決めつけ、激しい口調で恫喝する姿勢と重なる。


 とりわけ姑息と批判が噴出したのが「民主党の枝野さん」と、野党第1党の立憲民主党の党首である枝野幸男代表を揶揄した安倍首相の選挙応援演説だ。
 この言い間違えは2日にわたり計8回。
 ある野党幹部は悪質な言い間違えで確信犯だと断じる。

「国会でも民主党政権時の悪夢と連呼するのが、安倍首相の十八番でした。ただ、この『民主党の』という言い方は、明らかに有権者が党名を書いて投票する比例代表を意識した発言。つまり、民主党と書いても立憲民主党の票にならない。選挙妨害だ、と批判されて当然です」

 選挙妨害をメディアに指摘された安倍首相は、

「どんどん変わるから覚えるのが大変」

 と、反論。
 もちろん謝罪はなかった。
 この相手を嘲笑し、意見の違う相手とは真正面から議論をしない姿勢もトランプ流に通じる。

 自民党内のベテラン議員からは情けないと声があがる。

「かつての自民党が大切にしてきたのは、フェアな精神。派閥同士の議論でも、他党の議員に対しても、正々堂々と議論を戦わせる。党内であれば、議論を経て最終的な結論が出たならば、その時はノーサイドで一致団結する。この善良な政治風土を壊したのは、米国ではトランプ大統領であり、日本では安倍首相だ」


※AERA 2019年7月22日号より抜粋

AERA.dot、2019.7.17 08:00
自民党内からも批判の声
安倍首相「フェアな精神」忘れトランプ流を貫く?

(編集部・中原一歩)
https://dot.asahi.com/aera/2019071600097.html

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原子力はやめてほしい

 今日もヤッホーくん、高村薫。
 作家はICU(国際基督教大学)で学び、卒業しました:

「書きながら」しか、考えられないのです。

渡辺真理: 高村薫さんがICUご出身ということを遅ればせながら先日のDAY(*)の表彰式のときに知りました。そのときは、「この方がICUの出身だったなんて・・・」という想いでいっぱいでICUという大学が私の中で実は大きくジャンプアップしました。メディアの業界で仕事をしていて、高村さんにインタビューができるのは、「まず不可能」と思っていました。今回インタビューを受けてくださって、心からお礼を申し上げます。

高村薫: 今回は同じ大学で学んだ同窓生が集まり、ざっくばらんにお話ができるということで受けさせて頂きました。
 私もDAYの表彰式のときに渡辺真理さんを含めこんな活躍されている方がICU出身だったのだと知って、なんだか嬉しかったです。
 私が“TV”の報道をお受けしていないのは、ただ“しゃべりながら考える”ことが苦手だからです。
 おそらく、私の頭のなかはいつも整理されていない引き出しのような感じで、「書く」という行為でしか、まとめることができないのでしょう。

齋藤顕一: 面白いですね、そうなんですか。僕は、経営コンサルティングを職業としているので、クライアントの問題に対して、その時その場で“考えながらしゃべる、しゃべりながら考える”ことが必要とされることが頻繁にあります。きっと、高村さんの場合は言葉のなかに伝えたいことを凝縮して表現することに慣れているために、結果的にこの「書く」という表現方法が今一番心地良いということなんですね。僕は今回のインタビューの前に初めて『マークスの山』を読んだのですが、高村さんの数文字の描写に非常に感銘しました。まるでその場面が頭に浮かぶように細かく描写されていて、こんな臨場感のある表現を使う作家はそんなにいないと思ったほどでした。そういった意味でも、どのように「書く」のか、高村さんのインタビューを楽しみにしてきました、どうぞよろしくお願いします。

(*) 国際基督教大学の魅力づくりに貢献した卒業生を称えるための 「DistinguishedAlumnioftheYear」制度。2006年高村薫さんと渡辺真理さんを含む10名の同窓生が表彰された

大学時代は、目の前に与えられた課題を理解しようとすると、 結果的に本を読み勉強するしか選択肢がなかったのです。


齋藤: 以前のAOLS(**)の講演録を読んで、ICUには国語がなかったから受験したとありましたが、実際にどのような学生生活を送られていたのですか?

高村: 私は、大学は勉強をするところだと思い込んでいた最後の世代だと思います。
 大学に入って授業を受けて、これまでのように世界をなめてかかっているわけにはゆかないことを痛感しました。
 遊びたい盛りでもありましたけど、授業についてゆくのに必死で、まずは手当たり次第に本を読むしかなかったというのが、正直なところでした。
 楽しいとか、楽しくないとか、考えるひまもなかったように思います。

渡辺: 高村さんが人文科学科を選ばれたのは、どうしてだったのですか?

高村: 私の親はどちらも理科系で、「数学や物理は18歳、19歳になっても、ひらめかない頭脳なら絶対に無理。だから、おまえは無理」と言ったんですよ。
 数学や物理は解を考える“ひらめき”すなわち直感の勝負で、そういう数学的直感は、いくら九九を覚えてもだめなのですって。
 おまえは無理って言われて、それでもあえて挑戦するほど数学が好きというわけでもありませんでしたから、もう迷うことなく人文を選びました。
 もちろん、いまは正しい選択だったと思っています。

渡辺: ご両親の影響で、数学とか物理は自分の学ぶ道ではないと思われて人文科学科を選ばれたわけですね?フランス文学を選ばれた理由は何だったのでしょう?

高村:「選択した」というわけではなく、「何も知らない」から「どれでもよかった」、だから「選んだ」と言ったほうが正しいでしょう。
 初めて親元を離れて、一人で社会に出たのですから、ほんとうに知らないことだらけで何もかもが新鮮でした。
「あれも知りたい、これも知りたい」と思いました。
 はじめからフランス文学と決めていたわけではなく、英文学やドイツ文学が難しそうだったので、消去法でなんとなくフランス文学になっていました。
 あとで、ほんとうに難しくて、原書が読めずに苦労しましたけれど。

(**) 国際基督教大学で開催される学生向けの講演会。ユニークな同窓生を多数講演に招いている

ICUで学んだことが今の自分の基礎になっていると思います。

渡辺: 大学に入学してから受けた授業が難しくて勉強なさったとおっしゃいましたが、高村さんにとって特にどんな科目が難しかったのでしょうか?

高村: 哲学が難しいと思いました。
 それまでの人生で哲学に触れたことがなかったというのもあるでしょう。
 一口に哲学と申しましても、東洋も西洋もあります。
 長い歴史の中で人類の叡知が積み上げてきたものを、たとえ一部分だけでも理解するのがたいへんなことなのは当たり前です。
 でも、当時は高校生の20%の人が大学に進学した時代で、皆がこんな難しい学問を修めて卒業していると思うと自分がひたすら情けなくて、いつも落ち込んでいました。

斎藤: 僕も高村さんの2歳上くらいで同じ世代なのですが、それほどまで勉強していた人がいるとは驚いてしまいました・・・。

高村: スポ−ツとか音楽とか、ほかに楽しみもなかったですし。
 でも、私が特別だったわけではなく、同級生もよく勉強していましたよ。
 ソルボンヌに行ったり、フランス語の弁論大会に出たり。
 私はいつもクラスメイトに追いつけませんでしたが、大学の4年間で叩き込まれた「学ぶ姿勢」は、間違いなく今の自分の基礎になっていると思います。
 こんな大学教育が行われていたのは、ICUだけではないでしょうか。

齋藤: 高村さんがおっしゃるようにICUで学ぶ、「学ぶ姿勢」は今の僕にとっても非常に役立ちました。それがあったからこそ、「ものを考える」今の仕事に就けたのだと僕は思っています。ICUは非常にユニークですよね。医学部はないがお医者さんになる人、法学部がないけど弁護士になる人、ユニークな中小企業を選ぶ人がいたり、それぞれ多様で面白い。

高村: 大学で勉学をする醍醐味とは、「これを学べば、この資格がとれる」という単純明快な結果にあるのではなく、人生最後の何をしても許される貴重な時期に、自分の“思うまま”に本を読み、世界を広げるというところにあるのだと思います。
 おそらく迷いもするし、挫折もするだろうけれども、ともかく人類の知識の集積を覗いてみて、そしてそれが何になったのか結果を問われない。
 それこそが、大学生活でしょう。
 いまの大学はたいてい、即戦力につながらないことは勉強する意味がないという流れになっているようですが、ICUは違いました。
 いまも違うと思います。
 何になるかわからないけれど、ともかく学ぶ。
 そうでなければ、学問などなりたちません。

人を観察することが大好きな子供でした。皆でつるんで遊ぶというよりも教室の後ろの席で 40数名のクラスメートを観察するのが面白いと思っていました。

渡辺: 大学生になって大阪から上京しての寮生活、里心がつくとか、不安はなかったのでしょうか?

高村: 不安はありませんでした。
 むしろ、中学生や高校生のときは「先生を含め大人はうそつきで素晴らしい人ではない」と思っていましたが、大学に入って初めて、大学の教授ははるかに自分より頭がいいということを認めました。
 当たり前ですけどね。
 実家が懐かしいという気持ちよりも、新しい学生生活から受ける刺激の方が大きかったと思います。

渡辺: どのくらい小さいときから、大人はつまらないものだと思ってらしたのですか?

高村: 小学校に入ったときから。
 生意気な子どもでしたから。
 大人から見れば、いつも大人を観察しているすごく嫌な子供だったことでしょう。
 戦後の影が残っている時代に大阪市内で生まれ育ちましたから、家を一歩でると、子どもの眼にも明らかに貧しい人たちがいる。
 なぜ、世の中には貧しい人がいるのだろうかと、子どもながらに思いましたよ。
 子どもにとって外の世界は、なぜ、なぜ、なぜ、という疑問にあふれていました。

渡辺: 高村さんは、言葉にするのは難しいかもしれませんが、どんなお子さんだったのでしょう?お家の中で遊ぶお子さんだったとか、外で活発に遊ぶお子さんだったとか。

高村: どちらかといえば、一人でいるほうが好きでした。
 皆でつるんで遊ぶよりも、教室の後ろの席で40数名を観察しているタイプのいやな子。
 でも、世の中には自分とは違ういろいろな人間がいることをこの眼に刻むというのは、ほんとうは社会で生きるために必要な第一歩だと思うのですけれど。

齋藤: 高村さんは小さいときから人を観察するということをやっていたのですね。本を読んでいると人の描写が非常に細かい。人を観察し、細かなことをさらに細かく描写している、それはすごい才能だと思いました。

作家でなくとも生きていけたと思います。 でも一人で筆をとる“作家”という職業に向いていたのでしょう。

齋藤: 作家になったのは、自分で作家になろうと思ってなったのか、それとも気がついたらものを書き、結果的に作家になっていたのでしょうか?

高村: 小説家になっていなくても、何かはして生きていたでしょう。
 でも、私は会社などの組織にいるよりも、一人でやる仕事に向いているのは間違いありません。
 小さいときから友達を作るよりも一人でいるほうを選んできましたし、人に合わせることの苦痛よりも、孤独のほうがマシという人間ですから。
 結局、勉強をするのも、ものを考えるのも一人でやるもの。
 人との共同作業は、楽しいことも学ぶことも多いのでしょうけれど、一人でしかできない仕事というのもある。
 ものを書くというのは、その一つです。

渡辺: ニュースステーションという番組のコメンテーターだった朝日新聞社の方から、
日食があるとすると多くの人は欠けていく太陽を見上げる。でも、そこで、日食を見ながら、太陽を見上げている人達を観察している人、それがジャーナリストだ
という話をうかがいました。高村さんもきっと人を観察する方なのでしょうね。TVでは、内容、出演者の発言、すべてチーム制作をしているため連帯責任となる面もありますが、高村さんの場合は一人で全ての責任を持ち、作品を個人名で世の中に出されることは、潔く、大変なことだと思います。

高村: 多分、メディアの取材は時間が限られているからでしょう。
 私の場合は、時間の制約もなければ、取材の目的が決まっているわけでもありませんから。
 また、メディアはその性質上、必ず「誰に向けて」「何を訴える」というものでしょうから、意識的に捨象するのはやむをえません。
 逆に、小説は何かを訴えてはならない。
 何かを感じ取るのは、読者に任せなければならないのです。
 私は、自分の眼で見ることを基本にしておりまして、たとえば工場を取材しますと、製造ラインだけではなく、天井や床、臭いや光などの全部を身体で経験します。
 そして、それを描写するだけです。
 それに尽きます。

渡辺: 書くことは、その体験の軌跡なのですね。

高村: 小さいときから色々な場所を一人で歩きまわっていました、目的もなく、あらゆるものを見てきました。
 私の場合、それらの記憶が海馬のなかの引き出しにいれられ、普通の生活では閉めたままで終わってしまうのでしょうが、「書く」ことによって、引き出しを開けているのかもしれません。

文章で表現する醍醐味とは、 目にみえないもの、形のないものを言葉で表現すること。 行間でその場面の温度、湿度までも伝えることができるのです。

渡辺:“考えることを放棄しない”姿勢を私は高村さんに感じます。が、いまという時代、世の中を思うと考えることを放棄しつつあるのではないかと感じることがあります。

高村: 先日、あるところで同じような内容の鼎談をしたのですが、そのときは、結局日本人という民族が昔からこうだったという結論になってしまいました。
 これでは、ほんとうはわざわざ人さまとお会いして、言葉を互いに深めてゆく意味がありません。
 けれどもいまの時代は、忍耐のない時代です。
 すぐに結論や結果が求められます。
 多様であいまいなものは、見向きもされません。
 多様であいまいなものを捉えるのは、結局言葉しかないのですが、日本では複雑な言葉の営みも敬遠されつつあります。
 それが、今の日本の政治・経済・社会にも反映されているのですが、この傾向はどうも世界の先進国に共通のようですね。
 自由主義経済の突出。
 原理主義の隆盛。
 ナショナリズム。
 どれも複雑な連立方程式を解く忍耐を放棄して、単純な一次方程式に世界を還元しているようなものです。
 かつてICUで私が学んだのは、まさにそうならないための思考の訓練だったと思っています。いまの時代こそ、それが求められていると思うのですが。

渡辺: TVではまさに「それでどうなのか」という答えを求められます、時にそれをとても怖いと感じます。数行の原稿のなかでは言い表せないことの方が多いのに、それなりの答えを求められる。私は、個人的にですが、TVの提示するものを「100%正しい」とは受け止めないでいただきたいと願っています。それは、テレビに限らずですが、何かを伝えるという行為自体、何かを削っている事実でもあるので。日頃、比較的、簡単に使ってしまっている「分かる」という言葉自体、本当はなかなか無いことだと思うので…。分からないんだ…ということを分かっていく毎日のような気もしています。高村さんを前に高揚して、私の方が長々と聞いていただくというインタビュアーとしては失格だったことを読んでいただく方にも謝らなければ…と思います。職業柄、時間を気にしながら次の質問を考えるという切羽詰まった状況でうかがうのが常ですが、今日はそうではなく、聞きたいことを聞かせていただきました、本当にありがとうございました。

高村: 新聞記者は別ですが、今日の4名はICU同窓生ということで、誰がインタビューワーでインタビューするという関係でもありません。
 私が一方的に話すほうが不自然だと思いますよ。

阪神大震災の後に、言葉を使う”快楽”に気がつきました。“言葉と言葉の間の感覚に官能できるかどうか”、この官能を知った人間は才能がないと反対されても書き続け、結局作家になっていくのだと思います。

高村: いま、ようやく自分をプロと呼べるようになったような気がします。
 世の中にはものを書きたい人は大ぜいいて、読者の数よりも書きたいと思う人のほうが多いぐらいです。
 でも、その中で作家になることができるのはごく僅かです。
 その条件は観察眼というよりも、「言葉を使うことの”快楽”に目覚めているか、目覚めていないか」ということだろうと思います。
 言葉をあやつることは誰にでもできますが、”快楽”いわば”言葉と言葉の間の感覚に官能できるかどうか”この官能を知った人間が物書きになるのです。
 止めろといわれて止められるものならば、その人は作家にはなっていないと断言できますよ。

渡辺: その官能を自覚なさったのはいつなのでしょうか?

高村: 物書きとして自覚したのは、1993年ごろです。
 私はなんとなくデビュ−してしまったあと、なぜものを書くのが自分でも分からずにずいぶん悩みました。
 それが、ある日ふと官能に目覚めたのでしょうね。
 それからさらに、1995年の阪神大震災で自分の立っている大地が揺れたとき、書くことの方向性は大きく変わってしまいましたが、書くという行為の意味は変わっていません。
 やはり言葉のもつ魔術のような「快楽」です。
 物書きとして言葉を連ねて文章をつくる。
 これは、申し訳ないけれど、何にも替えがたいものです。
 だから、私は物書きなのですよ。
 ほんとうに罰当たりです。

渡辺: では、高村さんが今一番楽しいと感じられるのは書いているときなのですね?

高村: 書いているときが一番楽しいですね。
 普通仕事をする人には気晴らしが必要という方もいらっしゃいますが、私の場合は、海外にいっても、食事にいっても、運動をしても、気晴らしになりません。
 もちろん書き詰まることも多々あります、でもそんな時ほど良い文章が生まれる兆しで、自分の文章をじっと眺めて考え続けます。
 じっと眺めることで、新しい文章が生まれてきます。
 それこそ、文章が「生まれるか、生まれない」が一番重要で、それが私にとって「生きる」ということなのだと思っています。


国際基督教大学同窓会

今を輝く同窓生たち
このコーナーはICUの今を輝く同窓生でユニークな仕事に就いた人の、考え方や、きっかけ、生き方、そして、夢を、皆さまにお届けします。「何がしたいんだろう?」と迷っている人、「どうやったら夢が実現するのか」と考えている人に読んでもらい、才能溢れた多くの人の“自分の可能性”について考える機会となることを願っています。
(17期 齋藤 顕一、34期 渡辺 真理、55期 國村 有弓)

第3回・高村 薫(作家)2006年7月24日
https://www.icualumni.com/interview/guest004

 直木賞作家の高村薫さんが原発について語る。
 震災復興のための費用19兆円をつぎ込んで本当に未来のある東北が誕生するのかということに疑問を感じており、政治が財政状況や人口・社会情勢を勘案しなければならないと語った。

 高村さんは福島原発の現状について、原発事故の結果の重大さや被害者のことを考えた時に、原発を日本中で54基も抱えているのは正気の沙汰ではないと思うのが人間の理性だと話す。

 原発再稼働の流れについては、
「してはならない」
と指摘。今年の夏の節電でみんなの価値観が変わったのではないかと話し、東京電力が言うほど生活者は堪えていなかったと思うと述べた。

 高村さんは
「引っかかったことや違和感を覚えたことは覚えておくことが大事だ」
と話す。日本人はその逆で、その結果かつて戦争が行ったことを考えると、孤独でも何でも違和感を持っている方がいいと語った。

 日本の財産は自然の風土だと語る高村さんは今後、自然や土や水など自然について書いていきたいという。セシウムや放射能もずっと残っていくので、原子力はやめてほしいと訴えていた。
(ヤッホーくん注)

TVでた蔵トップ
「報道ステーション」2011年9月19日(月、祝、敬老の日)21:54 - 23:10 テレビ朝日 放送内容
https://datazoo.jp/tv/報道ステーション/513358

『黄金を抱いて翔べ』(新潮社、1990年12月)などの本を手掛ける高村薫を古舘伊知郎が取材。
 高村は日本のこと・生きることについて、
「私の中に出来てしまった溝を自分で埋められなくなりつつある。時代の流れに付いていけない。なぜかそれが出来ない私がいる。これは私なりの生きる知恵」
と語る。

 古館が「日本経済の成長戦略のなかで大きな規制を改革していかなければならないが、どこまで変えようとしているか不安だ」とコメント。
 高村は、
「エネルギーの改革というととても夢のあることに思えるが、実現しそうにない。新しいエネルギーはを起こしていくのはあらゆる産業構造に関わってくるから、そこで大きな規制改革が起こると広がっていくと思う」
とコメントした。

 高村は日本の政治について、
「簡単には片付かない、複雑で手間のかかる手続きをじっくりと賢くやっていけるような政治がほしい」
と語る。また国家の安全保障について、
「子どもたちを忍耐強くて賢い、幅広いものの見方ができる大人に育てていくことが一番の安全保障だと思う」
とコメントした。

 行政改革について、高村が、
「私たちは色んな法人の改革を望んだがどこへいったのか」とコメント。また、
「答えを出すのは一瞬だが、考えるのは10年20年と考え続けているという時間が、まだに人間が生きているということ」
と話した。

 高村薫の著した、携帯電話の求人サイトで出会った男2人が一家4人殺害という凶行に及ぶフィクション『冷血』(新潮社、2012年11月、2018年10月、新潮文庫)について、古館が「読む方もはっきり言ってしんどい。読む奴だけ読めと、これが現実ですよ、答えなんか出ないんですよ、暗い穴がぽっかり人間の心に空いてるんですよと突きつけられるようでしんどい。未だに余韻が残っている」とコメントした。

 スタジオにて、古館が高村薫に「どうして自分の生活圏にはいないであろう登場人物が次々と登場してきて、その人達をリアルに書けるのか」を聞いたと話す。これについて高村は、
「私には自我がない。自我が強くないのでスッと登場人物そのものになれる」
と話したという。


価格ドットコム
「報道ステーション」2013年1月28日(月)21:54〜23:10 テレビ朝日 放送内容
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=619639/

(ヤッホーくん注)<参院選 公約点検>原発、「将来も使う」自民鮮明

 エネルギーの将来像の中に原発をどう位置付けるかを巡り、各党の公約は三つに大別される。
 自民は将来も原発を使い続ける姿勢を明確にした。
 公明、立憲民主、国民民主、共産、社民の五党は「原発ゼロ」を掲げた。
 日本維新の会は「脱原発依存」を唱えた。

 同じ「原発ゼロ」でも、いつまでに実現するのかという目標の示し方には違いがある。
 立民、共産、社民は衆院に共同提出した原発ゼロ基本法案の「成立を目指す」と公約した。法案は法施行後5年以内に全原発の廃炉決定と定めている。
 国民は「2030年代」を目標に挙げた。公明は時期を示さなかった。

 原発の再稼働に関しては自公は一定の条件を満たせば認める立場を示した。
 国民、維新はより厳しい条件を付けた。
 立民、共産、社民は一切認めていない。

 政府が2015年に決定した電源構成見通し(エネルギーミックス)に関し、自民は「確実な実現を目指す」と強調した。
 発電電力量のうち原発が占める割合を2030年度に20〜22%へ引き上げる目標を掲げたことになる。新規制基準に適合し再稼働した原発は9基で、発電電力に占める割合は2017年度で約3%。20〜22%の目標達成には30基以上の再稼働が必要になる。

 自民の公約は原発の新増設も否定していない。安倍晋三首相は党首討論会で「現時点で新増設は想定していない」と将来に含みを残した。公明は新設を認めない方針を明記しており、与党間の距離が際立った。

 地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」を受け、温室効果ガスの大幅な排出削減が国際的な課題になった。その手段として再生エネをどれだけ重視するかについても、与野党の立ち位置は分かれた。
 自民は2030年度の再生エネの政府目標比率(22〜24%)を追認した。
 国民は2030年までに30%以上、共産は同40%、社民は2050年までに100%へ引き上げる目標を示した。立民は時期を示さずに自然エネルギー100%を目指すとした。

 二酸化炭素を多く排出する石炭火力発電所に関し、自民は、2030年度に全体の発電量の26%を石炭火力で賄う政府方針に足並みをそろえた。
 立民、社民は2030年までの廃止を主張した。共産は新設計画の中止、既存の発電所の計画的な廃止を盛り込んだ。
 政治団体「れいわ新選組」は「原発即時禁止」を掲げ、火力発電をエネルギーの主力に位置づけた。


原発再稼働.jpg

東京新聞・朝刊、2019年7月14日
(伊藤弘喜)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201907/CK2019071402000131.html

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「お父さんも恋人誘って」首相が脱線?

 2019年7月15日に札幌市中央区であった安倍晋三首相の参院選の街頭演説の際、演説中にヤジを飛ばした市民を北海道警の警官が取り押さえ、演説現場から排除した。
 道警警備部は取材に対して「トラブル防止と、公職選挙法の『選挙の自由妨害』違反になるおそれがある事案について、警察官が声かけした」と説明。
 だが現場では、警察官は声かけすることなく市民を取り押さえていた。

 安倍首相はJR札幌駅前で同日午後4時40分ごろ、選挙カーに登壇。
 自民党公認候補の応援演説を始めた直後、道路を隔てて約20メートル離れた位置にいた聴衆の男性1人が「安倍やめろ、帰れ」などと連呼し始めた。
 これに対し、警備していた制服、私服の警官5、6人が男性を取り囲み、服や体をつかんで数十メートル後方へ移動させた。
 また年金問題にふれた首相に対して「増税反対」と叫んだ女性1人も、警官5、6人に取り囲まれ、腕をつかまれて後方へ移動させられた。
 いずれのヤジでも、演説が中断することはなかった。現場では、多くの報道陣が取材していた。

 公選法は「選挙の自由妨害」の一つとして「演説妨害」を挙げる。選挙の「演説妨害」について、1948年の最高裁判決は「聴衆がこれを聞き取ることを不可能または困難ならしめるような所為」としている。

 松宮孝明・立命館大法科大学院教授(刑法)は、
「判例上、演説妨害といえるのは、その場で暴れて注目を集めたり、街宣車で大音響を立てたりする行為で、雑踏のなかの誰かが肉声でヤジを飛ばす行為は含まれない」
と話す。
 むしろ連れ去った警察官の行為について
「刑法の特別公務員職権乱用罪にあたる可能性もある」
と指摘。
「警察の政治的中立を疑われても仕方がない」
と話した。


Yahoo! Japan News、2019/7/16(火) 18:39配信
ヤジの市民を道警が排除 安倍首相の街頭演説中
朝日新聞社
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190716-00000100-asahi-pol

 2019年7月21日投開票の参院選で安倍晋三首相が札幌入りした15日、JR札幌駅前など中心部で行われた街頭演説に、多くの有権者が耳を傾けた。
「道内に目を向けてくれている」など期待の声があった一方、政権の実績アピールが中心の演説に「信用できる政策が見えてこない」「本当に有権者の気持ちが伝わっているのか」との疑問の声も上がった。
 15日は3連休最終日。札幌駅前と札幌三越前での演説には、買い物客や旅行客らが次々と足を止めた。

 安倍首相は演説で「新千歳空港の発着枠を2割増やす」などと言及。
 札幌市中央区の無職小笠原孝之さん(82)は「道内の食と観光の振興につながる」と期待し、「安定した政権運営で北海道の発展に尽くしてほしい」。
 夫の実家が農家という後志管内倶知安町の主婦高倉由香さん(51)は「1次産業の輸出促進など、道内に目を向けてくれていると感じた」と話した。

 一方、雇用拡大や株価上昇など実績の強調に首をかしげる人も。
 中央区の無職新沼佐智子さん(77)は「私たちの生活の不安は全く変わらない」とつぶやく。

政権が力を入れるのは大企業ばかりがもうかる政策。年金制度や消費税増税など生活に直結する問題がちゃんと議論されていない

 3歳の息子と聞いた札幌市北区のパート職員小岩明子さん(40)は、
「奨学金の返済ができず苦しむ若者が多いと聞くし、年金の先行きも不透明。子どもの将来を考えると心配だが、子どもや若者対策などが見えない」。
 豊平区の40代主婦も、
「子どもの医療費無償化の地域間格差を無くすなど、子どものための政策が聞きたいのに」と漏らした。

 演説の前後、安倍首相は有権者とハイタッチを交わすなどし、そのたびに歓声が湧いた。
 観光で道内を訪れた川崎市の会社員池上正輝さん(29)はそうした様子を気にも留めず、「イベント的盛り上がりに流されたくない。政策などは自分でしっかり調べ、投票で示したい」と淡々と話した。

 演説中には数人が「増税反対」などと声を上げ、警察官らに制される一幕も。
「安倍総理を支持します」とのプラカードは何枚も掲げられたが、市民団体が「年金100年 安心プランどうなった?」と記したプラカードを掲げようとしたところ、警察官に制されたという。
 制止された女性(69)は、
演説をさえぎることもしていないのに、掲げる自由すらないなんて異常だ
と話した。


[写真]
札幌三越前で安倍晋三首相の演説に足を止める聴衆=15日午後5時40分

北海道新聞、2019/07/16 18:56 更新
首相来札、迷う1票
「目向けてくれている」
「政策が見えてこない」

(下山竜良、樋口雄大、岩崎あんり)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/325527

 安倍晋三首相は2019年7月16日、新潟県上越市と柏崎市での街頭演説で、参院選の期日前投票を促す際、
「どうかお父さんも恋人を誘って(投票所へ)」
と発言した。
 言い間違えの可能性があるが、上越市の演説では「お父さんの恋人」に続いて「お母さんは昔の恋人を探し出して」と、使い分けるかのように話した。

 首相はこれまでも、演説の締めに期日前投票を要請。
「一人で行くのも寂しいでしょうから、お友達や家族、恋人、あるいは昔の恋人も探し出して、連れて行ってほしい」
などと決まり文句のように呼び掛けてきたが、この日は「脱線」したようだ。


[写真]
街頭演説する自民党総裁の安倍首相=16日午後、新潟県上越市

北海道新聞、2019/07/16 20:00
「お父さんも恋人誘って」
首相が脱線?

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/325712?rct=n_major

 選挙予想が野党に不利だからそう言っているのではない。
 あまりにも理不尽だからだ。
「安倍やめろ」、「首相帰れ」、のヤジを飛ばした男性が、ただちに複数の警官に取り押さえられ、演説現場から強制排除されたという。
 きょう17日の朝日新聞で知った。

 しかも、一人ではない。
「安倍やめろ」と叫んだのではない。
「増税反対」とヤジを飛ばした女性までも、同じように現場から排除されたというのだ。

 私も多くの選挙を見てきたが、こんなことは初めてだ。
 これは民主国家で許されることではない。
 こんな選挙は無効だ。

 しかもである。
 現場では多くの報道陣が取材していたのに、誰も問題にしなかったという。
 メディアは権力の犬になってしまったのだ。

 野党はいますぐ選挙をボイコットして安倍首相に総辞職を求めるべきだ。
 国家権力がメディアと結託して国民の敵になってしまった以上、あらゆる手段でそれを排除しなければいけない。
 国民に代って安倍政権を権力の座から引きずり下ろさなければいけない。
 もし野党が今度の事件を見逃すなら、今度こそ野党は終わりだ。
 潰される前に潰すしかない。
 国民を守ってこそ、野党の復権がある。


天木直人のブログ、2019-07-17
野党はいますぐこんな参院選など無効だとボイコットせよ
http://kenpo9.com/archives/6192

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2019年07月16日

自民党の歴史の中でも最高峰のホステス

 大混戦が予想される東京選挙区にあって、早くも「トップ当確」の呼び声高いのが、自民党の丸川珠代元五輪担当相(48)である。前回の改選時に、公明党の山口那津男代表を上回る100万票超を獲得した彼女に死角はなさそう。だが、その陰で官僚からは怨嗟の声が漏れ聞こえ……。
 つい先日、安倍総理への問責決議案を出した野党に対し、三原じゅん子参院議員が「恥を知りなさい!」と怒声を発して話題となった。これを聞いて「彼女」のヤジが頭を過(よぎ)った向きも少なくあるまい。

 民主党政権下の2010年3月、子ども手当法案強行採決に際して、
「この愚か者めが!」
「このくだらん選択をしたバカ者共を絶対忘れん!」
 と、元女子アナらしい滑舌の良さでタンカを切ったのが丸川氏だった。
 だが、こと自民党内ではそんな「女傑」ぶりは鳴りを潜めているようだ。

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう語る。
「丸川さんは党内での人気がすこぶる高く、組織票も揺るぎません。彼女の知名度からすればもっと目立つこともできたと思いますが、長らく下積みを頑張ってきたことが奏功している。しかも、バックには安倍総理が控えていますからね」

 政治部記者によれば、
「都議や代議士も多くが丸川さんの応援に回ってしまい、同じく自民党から出馬する武見敬三さんの票を喰うのではないかと戦々恐々としている。政策立案能力はバツグンの武見さんですが、人気では丸川さんに大きく水をあけられています」

三流役所ですか?

 他方、彼女のトップ独走にやきもきしているのは中央省庁の役人も一緒だとか。

「彼女は官僚に対しては、“愚か者”発言で垣間見えた“女王様気質”を全開にしているんです」
 とは自民党関係者。これまで環境相や五輪担当相を歴任してきた丸川氏だが、
「たとえば環境相時代には、彼女に報告を上げずに案件を進めてしまった役人が突然呼び出され、“なにやってるの! 反省文を書きなさい!”とピシャリ。さらに、五輪担当相の頃も性格が丸くなることはなく、ある省庁のレクで間違いが見つかった時には、“アナタのところは三流役所ですか?”と怒鳴り散らしていた」

 秘書官への当たりもキツいようで、
「ある会議の最中、彼女がテーブルに置かれたペットボトルを秘書官に渡したんですね。何をするのかと思ったら、秘書官にキャップを開けさせていた」(同)

 3期目を圧勝で飾れば、閣僚の座に返り咲く可能性も――。今年の「官僚たちの夏」はかなり冷え込みそうである。


※ 週刊新潮 2019年7月11日号掲載

デイリー新潮
丸川珠代「トップ当確」でも官僚に嫌われる女王様気質
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07110558/

安倍首相と麻生副総理 今も特別顧問/事務局長は維新・遠藤氏

 改憲・右翼団体「日本会議」と一心同体の議員連盟=日本会議国会議員懇談会の最新の役員体制で、安倍晋三首相と麻生太郎副総理が特別顧問にとどまっていることが、2019年7月8日までにわかりました。

 安倍自民党が公約で掲げた、憲法9条への自衛隊明記の改憲案も、「早期の憲法改正」を目指すとする方針も日本会議仕込みのもの。

 9条改憲に強い執念を燃やす日本会議と安倍政権が、文字通り一体となって「改憲突破」を狙っていることを示しています。

 同議連の新役員体制は6月20日の総会で確認されたもの。
 
 総会では、「衆参の憲法審査会の審議を促進し、改正原案作成に向けて超党派で合意できる環境づくりをすすめ、早期の国会発議を目指す」との運動方針が採択されています。

 議連幹部には、自民党の改憲シフトの面々や現職閣僚らがズラリと顔を並べ、日本維新の会の馬場伸幸幹事長が副会長に、遠藤敬国会対策委員長が事務局長など、改憲の補完勢力ぶりを鮮明にしています。

 安倍首相が2017年5月3日の日本会議系集会で公表した「9条1、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」との改憲案は、当時の日本会議議連の運動方針やシンクタンクの提言内容と同じものです。

 日本会議系シンクタンク・日本政策研究センターの提言では、「速やかに九条二項を削除するか、あるいは自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきである」と述べていました(機関誌『明日への選択』2016年11月号)。

 安倍首相は「(改憲を)議論する政党か、議論しない政党か」と争点化をはかりますが、「議論」とは自民党改憲案を基礎とした、憲法審査会での改憲原案作成の議論です。

 自民党の改憲公約では、9条2項を受けて「前条の規定は…自衛の措置を取ることを妨げず」とし、9条2項の制約が自衛隊の権限に及ばないことを明確にしています。

 まさに9条2項の死文化案です。海外での制限のない武力行使に道を開き、米軍とともにたたかい血を流す自衛隊への「変革」をもたらすものです。

 9条2項の死文化へ、憲法審査会での議論を強行するためのお墨付きを得ようというのが安倍首相の狙いです。

 この野望を、市民と野党の共闘の勝利、日本共産党の躍進で打ち砕くことは、選挙の重大な焦点です。

参院選出馬の維新・松沢氏、自民・丸川氏/「日本会議」議連の役員に

 日本会議議連の役員体制では、会長として古屋圭司元国家公安委員長が続投。
 副会長には、下村博文自民党憲法改正推進本部長、森英介衆院憲法審査会会長、新藤義孝同会自民党筆頭幹事、石井準一参院憲法審査会自民党幹事、高市早苗衆院議院運営委員長など「改憲シフト」の顔ぶれがズラリ。
 自民党の加藤勝信総務会長は副幹事長、萩生田光一幹事長代行と稲田朋美筆頭副幹事長が政策審議会副会長です。

 参院選改選組の中からは、神奈川選挙区で新たに維新から出馬する松沢成文議員が政策審議会副会長に、東京選挙区の自民・丸川珠代議員は事務局次長です。日本維新の会の馬場伸幸幹事長が副会長、遠藤敬国対委員長が事務局長など、松沢氏も含め維新が同議連に深く組み込まれていることが注目されます。

 現職閣僚では、菅義偉官房長官が副会長、岩屋毅防衛相が幹事長代行、山本順三国家公安委員長が副幹事長、柴山昌彦文科相が政策審議会副会長、山下貴司法相が事務局次長に就任しています。

 第2次安倍政権発足以来、不動の首相補佐官として安倍首相に寄り添う衛藤晟一参院議員が議連の要の幹事長として続投。西村康稔官房副長官が副幹事長です。


※ 2019年7月9日付「しんぶん赤旗」より

日本共産党 東京都委員会、2019年7月9日
自民・丸川珠代氏「日本会議」議連の役員に
https://www.jcp-tokyo.net/2019/0709/221227/

〈誘導喚問しました「ね」?〉
〈今回の質問政治素人の私たちでもはまったくの茶番劇にしか見えない。もっと鋭い質問できなかったかね。時間の無駄で残念でした。〉
〈だから与党の質問時間なんていらないと言われるんだよ。〉
〈あんな茶番の質問誰が納得します? 100%の国民は理解しません。誘導尋問なやり方をやるなら去ってください。〉
〈国民はそんなにバカばっかりじゃありやせんぜ。〉

 自民党の丸川珠代元環境相のTwitterアカウントが大炎上している。丸川参院議員は2013年を最後にツイートを更新していないのだが、27日の佐川宣寿・前財務省理財局長の証人喚問での尋問内容に怒りを覚えた市民から、いま、批判の書き込みが殺到しているのだ。

 当然だろう。念のため振り返っておくと、丸川議員は午前の証人喚問でトップバッターに立つと、まるで佐川氏との間に“台本”でもあるかのような阿吽の呼吸で「まさに本当に理財局のなかでおこなった話」などと引き出した。なかでも批判が集中しているのが丸川議員の“誘導尋問”だ。

 丸川議員は「佐川さん、あるいは理財局に対して、安倍総理からの指示はありませんでしたね?」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね?」と、「ありましたか?」ではなく「ありませんでしたね?」と質問。佐川氏はすべてオウム返しのように「ございませんでした」と繰り返した。真相究明よりも、もっぱら安倍夫妻の関与を「否定」するためなのは明らかだった。

 こうした露骨な“誘導尋問”に対しては、元テレビ朝日アナウンサーの南美希子が27日の『バイキング』(フジテレビ)で「(テレ朝の)後輩ですけど、恥ずかしいですね」と一刀両断するなど、各方面から批判する声があがったわけである。

 丸川議員は昨日の国会で、「総理、総理夫人の指示はなかったんですね、という聞き方をしたら、答えを誘導しているのではないかというご指摘が出ている。そのような趣旨で聞いたのではない」と釈明したが、その後も一般ユーザーから〈どう見ても誘導尋問でした〉〈「ね」と語尾つけて質問するやり方は誘導尋問ですよ〉〈誰の作った台本だか知らないが、読むのダケはお上手〉などとツッコミが相次いでいる。

「官邸や自民党としては、和田(政宗)さんの太田理財局長への質問で批判が殺到したので、今度は女性の丸川さんに立たせたてソフトイメージを狙ったのでしょうが、所詮、安倍首相の“子飼い”議員。あの官邸擁護の誘導的な尋問は、そうした丸川さんの地金が出たということでしょう」(全国紙政治部記者)

アナ時代はリベラル発言も安倍チル議員になったとたん極右に

 丸川氏といえば、第一次安倍政権時の2007年参院選に初出馬し当選。安倍首相が直々に口説き落とした“安倍チルドレン”のひとりで、第二次安倍政権の2015年には環境相および内閣府特命担当大臣(原子力防災)として初入閣するなど、首相の寵愛を受けてきた。

 ちなみにこの初出馬時、丸川氏は、宗教団体・幸福の科学から選挙応援を受けている。当時、これを報じた日刊ゲンダイ(07年7月31日付)によれば、幸福の科学の信者が「丸川への投票を呼びかける電話作戦を展開し、当選に大いに貢献した」という。実際、日刊ゲンダイの取材に幸福の科学側も「これまでの安倍政権の仕事と方向性を高く評価し、丸川珠代氏を応援しました」とコメントしている。

 まあ、それはともかくとしてもだ。いまとなっては信じられないかもしれないが、実は、丸川氏はある時期まで、リベラルなスタンスの発言をするタイプの人間だった。たとえば、テレ朝時代の2003年に刊行した金子勝・慶応大学教授との共著『ダマされるな! 目からウロコの政治経済学』(ダイヤモンド社)では、当時の小泉政権によって進められていたネオリベ的な小泉改革や、米国ブッシュ政権によるイラク戦争の強行などを鋭く批判していたのだ。

 ところが、前述のとおり安倍首相に見初められ、安倍チル議員になると、その丸川氏が「日本の核武装に対して検討を始めるべき」などと主張しだすなど、どんどん「右傾化」していく。しかも、単に保守寄りの政治思想に“転向”したというようなものではなく、ネット右翼のようなフェイクまで言い始めたのである。

 たとえば、月刊誌「WiLL」(ワック)11年3月号に掲載された渡部昇一・上智大学名誉教授との対談では、民主党政権が前年に導入した子ども手当について、渡部氏の「(子ども手当を目当てに)中国人や韓国人が役所へやってきて、一人で数十人も申請するようなケースが出てきてしまった」というデマ丸出しの主張に丸乗りして、「子ども手当は、子供が日本国内に住所を有せず、かつ日本国民でない場合は支給しない」という条項をつければ「あのような事態は未然に防ぐことができたんです」などとヘイトスピーチまがいのデマを言いふらしていた。さらに、同対談ではネトウヨ的歴史修正主義の片鱗ものぞかせている。

「私たち世代が受けてきた歴史教育は、明治時代までがせいぜい。それ以降の戦争を学び、『自虐史観』を持つ以前の段階でおわってしまうようなものなので、あまり判断材料が足りませんでした。ようやく今、インターネットなどで情報を共有し合う若い人たちのつながりが出てきたことで、『本当の歴史』を知ることができるようになった」

辻元デマ攻撃、原発反対派叩き…どんどんネトウヨ化していった丸川珠代

 ネットで「本当の歴史を知った」とは恐れ入るが、実際、丸川議員がネトウヨにかなりのめり込んでいることを如実に表すエピソードもある。それは、2015年7月、安倍首相が安保法制の説明のため、自民党の広報ネット番組『Café Sta』に出演した際のこと。丸川議員はインタビュアーをつとめたのだが、いきなり「辻元清美が乗ったピースボートが自衛隊に護衛を要請した」というネトウヨが流したデマとして有名なネタを、したり顔で語り始めたのだ。安倍首相も一緒になって「実際にいざ危なくなると、助けてくれと、こういうことなんだろうなと思いますね」と辻元叩きをおこなった。

 だが、実際には辻元氏はこのとき、乗船などしておらず、ピースボートとも関係がなくなっていた。結局、丸川氏は辻元氏に抗議を受けて謝罪する羽目になったが、こういう根拠のないデマ攻撃は“親分”の安倍首相とそっくり。というか、そのネトウヨ的性質を注入されたということなのではないか。

 ほかにも丸川議員は、環境相時代の2016年2月、長野県の講演で東京電力福島第一原発事故後に国が除染に関する長期努力目標として「年間1ミリシーベルト」と定めていることに関し、「何の科学的根拠もない」「反・放射能の人がワーワー騒いだ」と発言して大きな問題となった。後日、丸川議員は謝罪したが、こうした発言もまた、“安倍首相のお気に入り女性政治家”として口から出たものであり、原発再稼働を推進する安倍政権のグロテスクな本音と考えるべきだろう。

 こうした丸川氏の経歴を見ても、今回の佐川氏証人喚問での“誘導尋問”も、当然、べったりである安倍首相のためと言うしかない。丸川氏にはテレ朝時代から“オヤジ転がし”なる評判があったというが、転がしに転がして、権力構造をのし上がっていくうちに、逆に自分が極右オヤジの操り人形みたいになってしまった。どうやらそういうことらしい。

 もっとも、こうした指摘をしているのは、本サイトだけではない。実は、あのマツコ・デラックスも、丸川議員が環境相として初入閣した際、「EX大衆」(双葉社)2015年12月の連載で同様の苦言を呈していた。

丸川珠代の豹変に「テレ朝時代、けっこう好きだったのに」と驚いたマツコ

 2007年の参院選後に丸川氏と話したことがあるというマツコ。だが、組閣時の写真で安倍首相の背後で微笑む丸川大臣をみて、「エッ!? 丸川さんって、こんな笑い方する人だったっけ!?」と思ったという。マツコはこのように綴っている。

〈テレ朝時代の丸川さんのこと、アタシけっこう好きだったのよ。女子アナ・ブームにも踊らされていなかったし、女性蔑視的な発言をする人に対してはっきりと反論するという話も聞いていたの。〉
〈だから、自民党から参院選に出馬するって聞いたときも、「あっ、自民党にもこういったタイプの人が入って、新しい面を見せてくれるような時代になったんだ」と思っていたの。
 でも、結果は──。これまでの自民党の歴史の中でも最高峰のホステスぐらいの仕上がりになっていたからね。〉

 マツコはこのコラムを、〈丸川さんがこのまま順調に出世して、もし巨大な権力を握った時、「いままでのことは、ウッソで〜す」とかベロを出して、狸ジジイたちを全員政界から抹殺するぐらいのこと、してくれるんだったら、「たいしたタマね」ってなるんだけど〉と言って、丸川氏へのほのかな期待を捨てきれないと締めていた。

 はたして、それから2年以上の月日が流れた。丸川珠代は国会で醜悪な誘導尋問を繰り出している。その目は私たちのほうには向いておらず、安倍首相に釘付けだ。マツコの「一縷の望み」が現実になる日は、おそらく、永遠にやってこないのだろう。


リテラ、2018.03.29 07:04
佐川誘導尋問で炎上!
丸川珠代の本質を見抜いていたマツコ・デラックス
「自民党の歴史の中でも最高峰のホステス」

https://lite-ra.com/2018/03/post-3913.html

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安倍首相の「野党は年金不安煽るだけ」デマに騙されるな!

 ついに投開票が1週間後にまで迫った参院選。
 本サイトでは2回にわたって、安倍首相がこの選挙戦で誇示しているデータや数字がいかにデタラメなものであるかをお伝えしてきた。

★ 前編
https://lite-ra.com/2019/07/post-4832.html
★ 後編
https://lite-ra.com/2019/07/post-4833.html

 安倍首相の街頭演説のなかでも、とくに度肝を抜かれたのは、このだ。

「この選挙、年金問題も大きな議論であります。野党は財源の裏打ちのある具体的な議論をせずに、不安ばっかり煽っている。残念です」

 いやいや、参院決算委員会や党首討論でも、野党は財源案も出して年金の見直しについて安倍首相に提案をさんざんおこなってきた。
 そもそも、年金2000万円問題のきっかけは金融庁の報告書案であって、それを「受け取らない」などとないことのような態度に出て国民の不安を煽りに煽ったのは安倍政権だ。
 そのトップが、党首討論や国会で野党に対案を突きつけられたことも完全無視して「具体的な議論なし」「残念です」と国民に平然と嘘をつくとは──。

 このひとつだけでも、到底信用ならないことがよくわかるかと思うが、いまこそ強調したいのは、この安倍首相が無視している野党の「対案」こそ、今回の選挙の最大の争点と言えるものだということだ。

 それは、安倍首相が率先してきた大企業・富裕層の優遇をやめる、という税の見直しだ。

 まずひとつ目は、金融所得課税だ。

 所得税は年収が高くなるほど税率も上がる累進税率になっているが、株式の配当や売却益といった金融所得は累進課税を免れており、住民税を含めると所得税が最高55%の税率であるのに対し、金融所得は一律20%でしかない。
 しかも、高所得者ほど金融所得の割合が多いため、所得税の負担率は年収1億円を超えると右肩下がりになっている。

 たとえば、2020年から年収850万円超の会社員は所得税が増税されるが、それによって見込まれる増収は約900億円。
 対して、金融所得課税を現在の20%から25%に引き上げた場合は、増収は財務省の試算でも2500億円で、数千億〜1兆円の増収になるとの試算もある(中日新聞2007年12月12日付)。

 低所得者であるほど負担が重くなる逆進性の高い消費税を増税するならば、この不公平極まりない優遇を真っ先に見直すべきだが、しかし、安倍首相は金融所得への課税の増税を見送った。

 そして、もうひとつは法人税。

 第二次安倍政権の発足以降、アベノミクスの成長戦略として法人税率はどんどん引き下げられ、法人実効税率は37%から2018年度には29.74%にまで減少している。

 しかも、実質的に企業が負担する法人税率も、2016年度のデータでは資本金1億円以下の小規模企業の負担率は18.1%である一方、資本金100億円超の大企業は12.4%で、連結納税法人はわずか5.2%。
 資本金10億円超の企業と連結納税法人を合わせた大企業全体だと10.4%になったという(しんぶん赤旗2018年4月20日付)。
 なぜこのように大企業の法人税負担率が低くなっているかといえば、大企業のために莫大な数の租税特別措置が設けられているからだ。
 こうした法人税減税の一方で、大企業の内部留保は6年連続で過去最高を更新し続け昨年は446兆円を記録している。

 富裕層や大企業を優遇し、その分を消費税によって庶民に肩代わりさせる──。
 これが、安倍首相がやってきたことなのだ。

国会で共産党・小池晃に対案を突きつけられた安倍首相は…

 にもかかわらず、安倍首相は日本記者クラブでの党首討論会で、こんなことを言い出した。

「安倍政権においてですね、消費税率をこれ以上引き上げることは、まったく考えておりません」

 こう言われると「これ以上は上げないと言っているし、10%への引き上げも仕方がないか」と思う人もいるだろう。
 だが、騙されてはいけない。

 そもそも安倍首相は総裁任期を延長しつづけており、一体いつまでのさばるつもりなのか未知数な上、法人税率の引き下げなどで安倍首相が言いなりになってきた経団連は、昨年4月に政府への提言として公表した「わが国財政の健全化に向けた基本的考え方」のなかで〈税率10%超への消費増税〉を提唱。
 ちなみに、2015年の提言「『豊かで活力ある日本』の再生」では、経団連は消費税率10%台後半への引き上げを政府に求めている。

 賃金は上がらず、消費増税で生活はさらに苦しくなり、その上、老後は自助でどうにかしろと迫るのに、大企業や富裕層を優遇しつづける安倍政権。
 ──そんななか、これに「NO!」を叩きつけているのが野党だ。

 安倍政権と対峙する野党は、こうした優遇税制と庶民への痛みの押し付けを批判し、今回の参院選で税制の見直しを打ち出している。

 たとえば、立憲民主党は、選挙公約で
〈消費税率10%への引き上げは凍結〉
〈金融所得課税や法人税などを見直し、税の累進制を強化して公平な税制へ転換〉
と明記。

 共産党は消費増税の中止はもちろん、さらに具体的な財源提案をおこなっており、
「大企業優遇税制の見直し」で4兆円、
「法人税率引き下げをやめ、中小企業を除いて安倍政権以前の水準に戻す」ことで2.5兆円、
「富裕層への証券課税の強化」で1.2兆円、
「富裕層の各種控除の見直しなど」で1.9兆円など、
合計で17.5兆円の当面の財源確保案を提示し、同時に「マクロ経済スライド」の中止も訴えている。

 また、山本太郎氏が立ち上げた「れいわ新選組」は消費税廃止を訴え、法人税に累進性を導入することを公約に謳っている。

 しかし、こうした野党の提案を安倍首相は無視。
 6月10日の参院決算員会では、マクロ経済スライドと富裕層・大企業優遇税制の見直しを迫った共産党・小池晃議員に対し、安倍首相はこう言って一蹴した。

「まったく馬鹿げた政策なんだろうと、こう言わざるを得ない。間違った政策だと思いますよ、それは」

 ようするに、安倍首相は「野党は財源の裏打ちのある具体的な議論をせずに、不安ばっかり煽っている」と言うが、実際には「議論をせずに不安を煽っている」のは、安倍首相のほうなのである。

 そして、馬鹿げているのは、現実には国民の多くを苦しい生活に追い込んでいる政策をあらためるでもなくありもしない成果を謳い、「年金は増やせる」などと無責任に言い放っている安倍首相のほうなのではないか。

 だからこそ、繰り返したい。

 今回の選挙の争点は「憲法改正」などではなく「わたしたちの生活」であり、消費税の増税中止・廃止、大企業・富裕層の優遇税制を見直すと公約で掲げる野党か、それともそれを「馬鹿げた案」だと言い、経済悪化のなかで消費増税を決行しようとしている与党か、どちらを選ぶかという選挙なのだ。

リテラ、2019.07.15 12:24
安倍首相の「野党は年金不安煽るだけ」デマに騙されるな!
野党は対案提示も無視し、共産党・小池晃には逆ギレ

https://lite-ra.com/2019/07/post-4838_2.html

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安倍政権の秘密

 安倍晋三政権は投機市場のバブルを支え、日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込むという政策を進めてきた。その政策は1%に満たない富裕層を豊かにし、大多数の庶民を貧困化させることになる。つまり、政策を変えない限り、いつまでたっても庶民が豊かになることはない。

 その実態を隠すために考えられた呪文が「トリクルダウン」である。富裕層を豊かにすれば富が非富裕層へ流れ落ちて国民全体が豊かになるというのだ。荒唐無稽なおとぎ話にすぎないことは明白だが、そのおとぎ話を今でも宣伝し、それを信じている人がいるらしい。

 来年、東京でオリンピックが開催されるようだが、開催地が東京に決まった2013年9月のIOC(国際オリンピック委員会)の総会で安倍は事実に反することを口にしている。プレゼンテーションで「福島の状況はアンダーコントロール」であり、「​汚染水による影響は0.3平方キロメートルの範囲内に完全にブロックされている​」と語ったのだ。

 2011年3月に炉心溶融という大事故があった東電福島第1原発の話だが、炉心が溶融してデブリ(溶融した炉心を含む塊)が落下、地中へ潜り込んでいる可能性もある。コントロールできていないことは明白だ。

 日本政府は2051年、つまり34年後までに廃炉させるとしているが、イギリスのタイムズ紙は​この原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定​していた。その推測も甘い方で、数百年はかかるだろうと考えるのが常識的だ。廃炉作業が終了した後、10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要もある。今から10万年前と言えば、旧石器時代だ。

 すでに原発事故が原因で相当数の人が死んでいる可能性が高い。例えば、医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いていた:

 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」

 ​事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆​によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。

 事故の翌日、2011年3月12日には1号機で爆発があり、14日には3号機も爆発、15日には2号機で「異音」がり、4号機の建屋で大きな爆発音があった。そして建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で語っている。​発見された破片は炉心にあった燃料棒のもの​だと推測するというのだ。

 また、マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出している。

 事故に伴って環境中に放出された放射性物質の放出総量をチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表しているが、その算出方法に問題があるとも指摘されている。

 この計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、今回は水が沸騰していたはずで、放射性物質の除去は困難。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。

 原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセン Arnie Gundersen は少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書、2012年2月、ヤッホーくん注1)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。

 放射線の影響は20年から30年後に本格化するともいわれているが、甲状腺の異常は数年前から増えている。2013年12月に成立した「特定秘密の保護に関する法律」によって政府は被害の実態を合法的に隠そうとしているのだろう。

 中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三、菅直人、野田佳彦といった日本の総理大臣が推進した新自由主義がどういう情況を生み出すかは先例を見れば想像がつく。

 例えば、ソ連消滅後にボリス・エリツィンが新自由主義を推進したロシアの場合、一部のグループが国民の資産を盗み出して国外の巨大資本へ渡し、自らも巨万の富を築いた。そして生まれたのがオリガルヒ(ヤッホーくん注2)。日本にもオリガルヒになろうとしている人物がいる。

 言うまでもなく、そうした政策を続けていれば国は衰退していく。ロシアにしろ、日本にしろ、実権を握っている人びとは「自国」の衰退を気にしているとは思えない。個人的な利益を追いかけているだけだ。


櫻井ジャーナル、2019.07.16 11:32:46
安倍政権の秘密
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907150000/

(ヤッホーくん注1)アーニー・ガンダーセン『福島第一原発、真相と展望』

◎ 東京を離れて

 本書の元となったインタビューのために、私が米バーモント州のオフィスと自宅を訪ねてから、ちょうど4ヶ月。2012年2月、出版を機に来日したアーニー・ガンダーセン氏はガイガーカウンターを片手に、移動した先々で放射線量を測定していた。携帯性を重視した機器を持参していたが、少なくとも相対的な比較はできる。
 地面に近づけると、空中線量の3倍ほどに値が跳ね上がる。子供たちが石を拾ったり草を掘り返したりして遊んでいる道路の脇や公園、住宅街やオフィスビルの屋上で高い値が検出された。恐れていた通りだった。放射線量の測定だけではなく、土壌サンプルも採取した。ホテルの部屋へ戻ってから水分をドライヤーで飛ばし、帰国してから分析した結果、いずれもアメリカならばテキサス州の地中深くに放射性廃棄物として埋蔵する必要があるほど汚染されていた。
 若ければ若いほど注意しなければならないと彼が忠告しているマスクの装着や飲食物の摂取について、ガンダーセン氏自身はそれほど神経質にはなっていなかった。短期の滞在だったこともあるが、なにより放射能に対する感受性は年齢によって著しく異なる。地面近くで活動し、体の小さな子供たちは、細胞分裂が盛んなために放射性物質の影響を受けやすく、内部被曝によるDNAの損傷が特に問題となるという。
 ガンダーセン氏は、「急性症状を引き起こさない程度の被曝ならば、自分の場合は生きている間にその悪影響が顕在化する確率は低い。日本で退職した年配の技術者たちが福島第一原発の現場で貢献したいという動きがあるが、それに共感する」とも述べていた。専門的な知識と経験を持つ年配者が福島第一の現場で働こうとすることは、決して感情的な〈自己犠牲〉などではなく、きわめて合理的な行動であると評価していた。
 日本記者クラブでの会見、連日のメディア取材、日本弁護士連合会への表敬訪問。過密スケジュールではあったが、私は原発が立地する地域をガンダーセン氏に視察してもらうことにこだわった。メルトダウンの直接的な引き金となった海水取水系ポンプの脆弱性や推測される配管の破断は、全原発に共通の課題である。耐震性も放射性物質の格納能力も不十分なGE社マークIBWRは、浜岡原発3、4号機でも使用されている。それだけではない。仮に全炉を廃止できたとしても、問題は終わらないのだ。使用済み核燃料の処分や廃炉が済むまで危険に直面し続けるのは、立地自治体なのである。

◎ 浜岡原発

 冷たい風が吹きつける2月下旬のこの日、ゲートボールに歓声を上げる地元民やサーファーたちの姿はなかった。遠江の最南端に位置する御前崎の知人宅では、駿河湾の向こうに富士山を望む。波打ち際を縁取るように、「原発道路」が浜岡原発から灯台の下を通って御前崎港まで10キロほどのびている。砂丘や岩礁のため原発に港がつくれず、中部電力が整備したのだ。
 沿道でカフェを営む友人によると、道路を閉鎖して核燃料等を搬出する際には中電がインスタントコーヒーの詰め合わせといった粗品を携えて挨拶に来る。それに対し「米国では予告せず極秘に輸送する」とガンダーセン氏は語った。そう言えば、フィンランドの地下貯蔵施設を扱ったドキュメンタリー『100,000年後の安全』をみて印象的だったのは、地盤や地下水による影響といった自然の脅威よりも、後世の人間が使用済み核燃料を発掘する懸念の方が大きいという事実だった。悪用する意図がなかったとしても、考古学的に意味があるのではと思って掘り返してしまうかもしれない。絵文字等で危険を伝えたとしても好奇心を余計に刺激してしまう恐れがある。だから警告すべきか徹底的に隠すべきかで意見が分かれるのだ。
 浜岡原発の広報施設「原子力館」が観光名所であることも、ガンダーセン氏にとっては意外だったようだ。看板には「HAMAOKA NUCLEAR PLANT」と英語でも明記してある。軍事機密やテロに対して神経を尖らせてきた米国では、例えばマンハッタンから50マイルのインディアン・ポイント原発を指し示す標識には「インディアン・ポイント」としか表記されていない。
 本格的な科学館と呼ぶにふさわしい規模にも驚いていた。展望台へのエレベーターはひとクラスの生徒全員が乗れる大きさで、実物大の原子炉模型の中を上っていく。制御棒などのパーツは実際に動き、映像と共に核分裂反応の仕組みが解説される。原発の敷地を見下ろせる窓からは、田畑や住宅、神社の上を横切る高圧電線が目立つ。海沿いは工事中で、反対側の窓の外には風力発電のタービンが立っている。
 著書でガンダーセン氏が指摘している通り、福島第一で起きたメルトダウンの直接的な原因は海水取水用系設備の壊滅だった。原子炉の種類を問わない共通のリスクであるためか、防潮堤やディーゼル発電機に比べて東電や保安院による言及は少ない。しかし、東電との差別化を図りたい中電は、海水取水系設備の強化計画を発表している。津波に直接襲われなくても海水取水設備が浸水する事態を想定し、機能喪失を多重に防ぐのだ。海水取水ポンプを建屋で保護し、扉を防水化し、水中で使えるポンプを準備し、各号機間の相互融通を高める。非常用発電機や冷却水タンクと共に、高台には電池や移動式ポンプを備える。
 ただ、工事が完了するまでは脆弱なままだ。しかも浜岡は地形の関係で、海岸線ではなく沖合からトンネルを通じて取水している。運転停止したとはいえ、廃炉が決定した1、2号機の使用済み核燃料プールも含めて冷却され続けねばならない。隣の牧ノ原市議会は永久停止を、三島市や吉田町の議会も全廃炉の要請を決議している。リスク分散の観点から工場の移転を口にする企業もある。福島第一の事故を機に、立地自治体以外の意見も無視できなくなっている。
 原子力館の展示室へ進む。地下貯蔵を学ぶためにエレベーターで地中に降りて行く演出がなされたりして非常に凝ったつくりだ。他のエネルギー源と比較した原子力の長所、自然界に存在する放射線、出勤する作業員に扮して〈体験〉する現場の安全管理などが強調されている。計画通りに進んでいない再処理に関する解説がテープで修正されている様子は前回訪れたときにも見受けられたが、撤去されたのか見当たらないものもあった。例えば、ハンドルを回すとガラスケースの中で地震がシミュレーションされ、木造家屋の模型が激しく揺れるものの「原発は地盤に直接固定されているので微動だにしない」といったような展示は消えていた。

◎ 御前崎市役所

 次に車で5分も離れていない御前崎市役所へ向かった。2階の応接室で、原子力対策室の室長や大澤博克市議会議員と面会する。ガンダーセン氏は、「海水ポンプ対策をはじめとした工事を再稼働のためだと捉えるべきではありません。運転停止中の現在も、計画が完了するまでは冷却機能の喪失と紙一重の状態なのです。廃炉が決定した1、2号機にも使用済み核燃料が入っていますよね?」と聞いた。
 確かにその通りだが、説明によると1号機のプールに残されている使用済み核燃料は1本だけだそうだ。被覆管に損傷があるため六ヶ所村でも受け取ってくれないという。問題は使用済み核燃料だけではない。「使用前の核燃料は何年間保管できるのか」という質問が、ガンダーセン氏に向けられる。4号機でのプルサーマル計画が度々延期されているとは知っていたが、使用の見通しが立たないMOX燃料がすでに運び込まれており余っているのだった。
 ウラン燃料より高額で保管も困難なMOX燃料が、通常の数倍の交付金で推進されている。「交付金が幾らかという話にしか関心がなく、技術的なことを無視する人も多い」という嘆きも聞こえた。
 御前崎市では、市民もガンダーセン氏との意見交換に参加してくれた。ガンダーセン氏は市民からのさまざまな質問に答えた。親子連れもいれば、震災を機に宮城から引っ越してきた人もいる。近所には福島からの避難民も暮らしている。40年間地元で漁師として生計を立ててきたという男性に「私も原子力エンジニア歴40年です」とガンダーセン氏が応じた。「建設当時、周りは反対していたでしょう?」と氏が尋ねると、「そりゃ、もう」という答えが返ってきた。皮肉なことに、新規立地が抗議活動に阻まれることで全国54基の原子炉は19ヶ所に集中した。結局、他県の候補地では建設が実現せず、中電唯一の原発である浜岡では6号機まで計画されていた。福島第一では7、8号機が誘致されていた。
 東海地方では「江戸時代から警戒されてきた大地震がまだ来ていない」などと教えられ、50キロ西の浜松市に住んでいた私は小学校低学年の頃、交通事故と地震を念頭に黄色いヘルメットをかぶって通学することになっていた。「そんなに危険なの?」と海外の知人たちが仰天したものだ。
 御前崎では、地震や台風による通行止めを何度も体験している。海と山に密着した温かいコミュニティが魅力な一方で、年に数回ほど遊びに行くだけでも自然災害とのニアミスが多いことを実感している。花火大会から帰宅する見物客が渋滞を迂回できない地区で、緊急時にどうやって逃げろというのだろう。
 政府の要請で全炉停止中の浜岡原発も、2012年12月に防潮堤が完成すれば、中電が国に運転再開を求める予定だという。

◎ 事故発生から1年

 老朽化、地震、津波、爆発、火災、台風等に加え、設計を超える応急措置ではかりしれない負荷がかかっている福島第一原発は依然として予断を許さない状況だ。東日本大震災では、福島第二や東海第二、女川原発も危機の一歩手前だったという。福島第二の所長は、「金曜日ではなく週末に起きていれば人員が足りなかっただろう」と語っている。
 私たちは分岐点に差し掛かっているとガンダーセン氏は説く。もはや原発は新規建設も改良も非常に高コストとなっている。事故前すでに、浜岡原発1、2号機は耐震補強を施すより廃炉にした方が採算が合うと判断されていた(もっとも使用済み核燃料プールが使われているので廃炉にできないのだが)。
 一方で、分散型エネルギーの秘める可能性が注目を集めている。世界の風力発電の総出力はこの10年間で大きく伸び、太陽光パネルも量産によって価格が下がっている。日本では潮力や地熱にも期待できそうだという。ベースロードには向かないと決めつけられてきた再生可能エネルギーだが、懸念材料であった安定性はIT技術で制御できるようになった。電気自動車を電源にして給電するV2G(Vehicle to Grid)も有望で、蓄電の研究が進められている。
 事故後、頻繁に耳にして印象的だった言葉があった。
 一つ目は「専門家に任せろ」という趣旨のもの。
 平時から関心を保ち続けることを怠った私たちの態度こそが破局を招いたのに、真顔で唱えられていた。あるいは「意見が割れている」「何を信じていいのかわからない」という批判。学説が一つしかないとしたら恐ろしく非科学的だし、今回は未知数の部分が多いだけでなく、論者にはそれぞれの立場がある。唯一の正しい答えを教えてもらおうという姿勢では、ミスリードされるのも無理はない。
 建屋は水素爆発して原形をとどめていないのにスタジオには無傷な模型が並び、1万人強のデモが黙殺されるテレビ画面を眺めているのがどんなにシュールだったとはいえ、報道と現実との乖離は今に始まったことではない。不正や権力の濫用を告発するのではなく、政府の意向を汲んで視聴者や読者を「落ち着かせる」、すなわち〈なだめる〉役割をマスコミは買って出ていた。私自身、ガンダーセン夫妻へのアプローチに、ある意味で取材・構成そのものよりも骨を折っている。事故後、日本のメディアが真実を捻じ曲げる様子を目の当たりにし、実際に取材を受けて経験していた彼らの警戒心を解くには、意見交換に時間をかけて信頼関係を構築する必要があった。
 二つ目は、「投票が唯一の政治的な意思表示だ」という言葉。
 事故から間もない4月末の統一地方選挙で変化を促そうという意図に基づいて掲げられていた。一票を投じることはもちろん重要だが、それは終わりではなくきっかけにしかすぎない。本来は私たちの生命と財産を守るのが政府の最も基本的な役割であり、情報を得ることも含めてさまざまな権利が存在しているはずだが、それらは自動的に保障されるものではない。政治も市場も社会も見えざる手によって健全に操作されているのではなく、声の大きい者が影響力を発揮しているのが現状だ。対抗するためには、透明性を要求し、関与し続けねばならないのである。
 震災から1年、BBCは Japan’s Children of the Tsunamiというドキュメンタリーを制作した。番組では、被災地の子供たちが淡々と話している。
「これほど放射性物質が広まってしまったのに除染できるはずがない、言われているより長い間にわたって故郷へ帰れないのでは?」
 幼い彼らは、自分たちの子供、未来の世代、海外の人びとといった、顔の見えない人たちの健康を心配していた。
「将来は安全を優先させる仕事をしたい」
 これこそが直感的な反応ではないだろうか。
 1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故で、事実の隠蔽を2度も見てきたガンダーセン氏は、今度こそは被害の拡大を許さないと決心したという。
「これまで自分が培ってきた経験や苦労は、この試練のために積み重ねてきた」


訳者手記
岡崎 玲子(おかざき れいこ)訳
1985年兵庫県生まれ。ジャーナリスト、ニューヨーク州弁護士。カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクール(UCLA School of Law, LL.M.)修了。『レイコ@チョート校』でデビューし、『9.11ジェネレーション』で、黒田清・JCJ(日本ジャーナリスト会議)新人賞受賞。訳書にスラヴォイ・ジジェク『人権と国家』、ノーム・チョムスキー『すばらしきアメリカ帝国』など。
https://shinsho.shueisha.co.jp/specials/gundersen/05/index.html

(ヤッホーくん注2)マーシャル・I・ゴールドマン Marshall I Goldman 『強奪されたロシア経済』(訳・鈴木博信、NHK出版、2003年10月) 
 1998年に世界の富豪200人が発表されたとき、史上はじめて5人のロシア人企業家が入っていた。このニュー・リッチは「オリガルヒ」と呼ばれるが、この5人は、実は10年前までは財産と言えるようなものを何も持っていなかった・・・。

 オリガルヒには3種類ある。
 第1は、国有企業の元企業長たち、
 第2は、共産主義時代の「ノーメンクラトゥーラ」と呼ばれる上層幹部、
 第3は、1987年まではソビエト社会の外まわりにいた人々。

 ソ連のブレジネフ政権のもと、ブレジネフの娘の夫であるユーリー・テュルバーノフ内務次官は警察の元締めであった。このチュルバーノフがウズベキスタンのマフィアから手当を受けとっていた。ウズベキスタンのマフィアの頭目は、なんと、共産党第一書記だったのだから、犯罪撲滅キャンペーンの成果が上がらなかったのも当然のこと。
 1986年、ソ連全体で殺人は1万5000件だった。ところが、2000年にはロシア国内だけで2倍以上の3万1829件。2001年には、人口10万人あたりの殺人件数で、ロシアは南アフリカに次いで第2位だった。
 毎年、国家予算の4分の1が、「意思決定者たち」のポケットに消えていった。
 ロシア内務省の組織犯罪取締総局によれば、1994年には4352人の「マフィア」がいて、マフィアのリーダーが1万8000人、メンバーは10万人にのぼるという。
 ロシアのマフィアは、部分的に私有化されてしまっているKGBや
政府官僚層と結びつき、この三者が渾然と手を組みあっている。
 背筋の寒くなるような、ぞっとする恐ろしいロシアの実態です。

弁護士会の読書、2004年7月1日
強奪されたロシア経済
https://www.fben.jp/bookcolumn/2004/07/post_386.html

 ギリシャ第2の都市、北部テッサロニキの中心部から車で約40分。雪に覆われた丘の上にロシア風の黄金のドームが目を引く教会が立つ。両親を追悼するためにこの教会を建てた男性の名はギリシャ系ロシア人のイバン・サビディス氏(59)。テッサロニキの重要資産を短期間で次々と傘下に収め地域経済を牛耳る「オリガルヒ」(新興財閥)として知られる人物だ。

 サビディス氏の国際的な知名度が一気に高まったのは2018年3月。保有するサッカー1部、PAOK(本拠地テッサロニキ)のリーグ戦で判定に激高し拳銃を携行してピッチに乱入する事件を起こしたのだ。同年夏には、ロシアが反対するマケドニアの北大西洋条約機構(NATO)加盟に必要な同国の国名変更を妨害する資金援助を行った疑惑が報じられ、本人が否定声明を出した。
 
 債務危機で大きな打撃を受けた地域経済の救世主か、それともロシア国益に沿って動くプーチン大統領の代理人か。サビディス氏の評価は割れる。

 保有していた飲料工場の株式をサビディス氏に売ったディミトリスさん(72)は「破綻企業や業績不振企業を再生させ、地域を助けている」と評価する。ブタリス・テッサロニキ市長(76)は過去のラジオ出演でサビディス氏を街の「資産」と呼び「彼のためなら玄関マットになる」と称賛した。

 一方、地元記者は「ギリシャは資産保全などの点でロシアより安全で、オリガルヒ同士の競争も少ない」と動機を読む。サビディス氏は過去10年足らずの間にPAOK、ホテル、リゾート施設、飲料工場、たばこ会社、港湾、歴史的建物などテッサロニキとギリシャ北部の重要資産を相次ぎ買収。投資額は累計で2億ユーロ(約250億円)を優に上回ったとみられている。

 2016年には普段は閉鎖されている政府施設を特別に貸し切り、600人の招待客を招いて長男の結婚披露宴を開催した。豪華な花火の演出は市民の度肝を抜いたが、前出の記者は「街の『王』になれると考えているのかもしれないが、度を超えている」と批判する。

ロシアの国益に沿った動き?

 テッサロニキはバルカン半島の入り口に位置する要衝でもある。一連の買収攻勢には欧米とバルカンでの影響力を争うロシアの国益に沿って動いているのではないかとの疑念が付きまとう。実際、民営化に伴う港湾買収の過程では、駐ギリシャのパイアット米国大使が公の場で懸念を表明した。結果として、サビディス氏の直接の出資比率は低く抑えられた。今回、記者はサビディス氏に取材を申し込んだが、「対外的な言動は控えている」と断りの連絡を受けた。

 サビディス氏がテッサロニキに集中投資する背景として見逃せないのが「ポントス人」としての出自だ。ポントス人とは黒海南岸地域に住んでいたギリシャ系の人々を指し、オスマン帝国の崩壊とトルコ建国の過程でギリシャや旧ソ連に離散した。

 1959年、現在のジョージアの山村でポントス人の大家族に生まれたサビディス氏は14歳で故郷を離れ、ロシア南部ロストフナドヌーの国営たばこ会社で工員として働き始めた。兵役や夜間大学への進学を経て頭角を現し、取引の詳細は不明だがソ連崩壊後の民営化で同社を手中に収め財を成した。プーチン大統領の与党で下院議員も務めた。

 2018年にはロシアとギリシャのたばこ事業を日本のJTに16億ドル(約1750億円)で売却。米経済誌フォーブスによると1月時点の保有資産額は19億ドルと約1年前に比べ約3倍に跳ね上がった。

 開放的なアテネに比べ、テッサロニキは保守的な土地柄だ。教会に多額の寄付を行うなど、サビディス氏の信仰心のあつさは広く知られている。拳銃事件を起こしたPAOKはアテネやピレウスのライバルを突き放してリーグ首位を快走、34年ぶりの優勝が視界に入った。宗教とサッカーで大衆の心をつかむサビディス氏は「王」に着々と近づいているのかもしれない。


[写真-1]
ギリシャ北部テッサロニキはバルカン半島の入り口に位置する要衝だ(2019年1月15日)

[写真-2]
2018年3月、保有するサッカーチームのリーグ戦で判定に激高し拳銃を携行してピッチに乱入するサビディス氏

[写真-3]
サビディス氏が両親を追悼するために建てた教会(14日、テッサロニキ郊外)

日本経済新聞・グローバル Views コラム、2019/1/24 5:50
ギリシャ北部、「王」になるオリガルヒ
テッサロニキで、佐野彰洋
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40351450T20C19A1I00000/

posted by fom_club at 16:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする