2019年03月31日

日の丸掲揚、君が代斉唱

卒業式本番までの日々

 全国の学校では卒業式も終わり、今年度も残すところあと数日となった。
 3月の卒業式は、最高学年の子どもと担任にとって、一年のなかでもっとも重要な行事である。
 「重要」というのは、単純に学業の「節目」としてだけではない。「練習の成果を披露する場」としても重要である。卒業生はもちろんのこと在校生も含めて、すべての子どもが卒業式本番に向けて日々練習を重ねていく。その成果が保護者や来賓に披露されるのだ。
 さてこの卒業式の練習、「しんどかった」という思い出をもつ読者も多いことだろう。
 「呼びかけ」や歌(式歌、校歌、国家)にくわえて、起立・礼・着席の所作まで、さまざまな練習が積み重ねられていく。卒業式当日の感動によってそれまでの苦労は洗い流されるかもしれないが、しかしながら、はたして卒業式にはそれほどの練習が必要なのだろうか。

統率のゆるい式典の数々

 見事なまでに身体の動きが統率され、見事なまでに歌声が響き合う。
 どうにもそれは、式典というよりも、その場にいる保護者や来賓向けのショーのようにも見えてくる。
 考えてもみれば一般に、結婚式、葬式、追悼式典、記念式典など、さまざまな式典は、ほぼ練習なしでおこなわれる。参加者の動きは不揃いであるし、歌もそれほど合っているわけでもない。だけれども参加者は、皆で一つの思いを共有し、そこに集っていることの意味を噛みしめ、ときに涙することもある。
 学校の式典に関していうと、卒業式に比べて入学式の空気はわりとゆるい。そもそも主役である新入生には、時間的な余裕がなく、練習ができない。それでも、一つの通過儀礼として式典は成り立っている。
 いくら事前に時間が確保できうるからといって、卒業式においてそこまで練習にこだわる必要があるのか。卒業式という通過儀礼は大切であるとしても、事前の徹底した練習は不要であるように思える。

「学校の働き方改革」から卒業式を考える

 ここまでの議論は、練習させられる子どもの目線からであった。練習がしんどかったという思い出はあちこちで語られているし、ネット上でも多くの記事を見つけることができる。
 だが本記事では、従来の子ども側の視点にくわえて新しい視点として、今日における学校の働き方改革の文脈から、卒業式の練習量を問題視したい。すなわち、事前の練習量や本番の式次第を大幅に簡略化することで、年度末における教員の業務負担を削減できるのではないか、という提案である。
 私が知る限り、卒業式の練習は、小学校でもっとも徹底されている。そして、中学校、高校と学校段階があがるにつれて、練習量は少なくなっていくようである。それでも小中高を問わず卒業式は、緊急事態を除けば必ず実施されていると言ってよい。
 しかし意外なことに、文部科学省の学習指導要領に「卒業式」という文言が明記されているわけではない。
 この数年、学校で実施すべきかどうかが議論されている「部活動」でさえ、学習指導要領に文言として登場している。それを考えると、「卒業式」が見当たらないのは不思議にも思える。

学習指導要領に「卒業式」は明記されていない!?

 とは言うものの、学習指導要領の「解説」にまで掘り下げていくと、「卒業式」の文言を見つけることができる。
 そもそも小学校や中学校の学習指導要領(2017年3月公示)では、国語や社会などの「各教科」にならんで「特別活動」が設けられている。そこに「学校行事」があり、その一つに「儀式的行事」があげられている。学習指導要領の本体はここまでだ。
 そして「解説」において、「儀式的行事は、全校の児童及び教職員が一堂に会して行う教育活動であり、その内容には、入学式、卒業式、始業式、終業式、修了式、開校記念に関する儀式、教職員の着任式・離任式、新入生との対面式、朝会などが考えられる」として、さまざまな「儀式的行事」の一つに「卒業式」が位置づけられている(なお文部科学省の見解では、「学習指導要領」は法的拘束力をもつものの、その「解説」には法的拘束力はない)。

卒業証書の授与は義務

 このように書くと、ともすると文部科学省は卒業式をやや軽視しているように思えるかもしれない。だが卒業においてもっとも重要なことは、卒業生に卒業証書を授与することであり、それは法的に校長の義務とされている点を強調しておきたい。
 学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)の第58条には、「校長は、小学校の全課程を修了したと認めた者には、卒業証書を授与しなければならない」と規定されている。
 また第79条には「第41条から第49条まで、第50条第2項、第54条から第68条までの規定は、中学校に準用する」、第104条第1項には「第43条から第49条まで(第46条を除く。)、第54条、第57条から第71条まで(第69条を除く。)の規定は、高等学校に準用する」、第173条には「第五十八条の規定は、大学に準用する」とある。
 すなわち小学校、中学校、高校、大学といずれの学校段階においても、卒業証書を授与することが省令で定められているのである。

多すぎる練習時間

 いかなる形式をとろうとも、とにかく卒業生に卒業証書を授与することだけは必須である。儀式的行事として卒業式を実施する場合には、何よりも卒業証書の授与を主たる目的として、式を運営していくべきである。
 卒業式は最低限、卒業証書の授与が粛々とおこなわれればよい。式歌などを歌ったり、「呼びかけ」をしたり、起立・礼・着席を皆で合わせたりすることは付加的なことであり、そこに業務削減の可能性が見える。
 公立小学校の教諭でブログ「学校の働き方改革 10の提言と50の具体策」を運営している能澤英樹氏は、「卒業式にかかる時間を適正化する」と題する記事で、卒業式とその練習に要する時間数を問題視している。
 能澤氏の主張によると、「卒業式自体に1.5〜2コマ、事前の練習に2コマ〜10数コマ。『10数コマ』というのは、『3月に入って毎日のように1コマ、全校での練習がある』という声をもとに推定しました。中には授業コマを使わずに1時限目の前や2時限目と3時限目の間の長い休憩時間を、練習時間に充てている学校もあります」という。

「感動」で厳しい練習が報われる

 また、福岡教育大学の講師である兼安章子氏は、X県下の49校の公立小学校を対象とした調査において、「儀式的行事のうち多くの学校が卒業式に多くの時間を割いている。練習を含め10時間以上の時間を確保している学校もあり」と述べている[注]。
 先の能澤氏は、多すぎる練習時間について、「小学校では、卒業式に過剰な重みづけをしがちで、多忙の根源が潜んでいる」と指摘する。
 多忙ならばすぐにでも練習を減らせばよいのだけれども、先述したとおり保護者や来賓の目線を過剰に意識すると、なかなかそうもできない。さらに、この練習の多さが本番の「感動」に接合するかたちで、教員自身がそこにハマっているとも考えられる。
 立教大学教授の有本真紀氏は、『卒業式の歴史学』(講談社、2013年)において、卒業式が「涙」をともなう儀式と化していった歴史的経過を追う。
 有本氏によると卒業式が感動の場面となるには、「長い時間経過が不可欠」(228頁)である。そこでいう「長い時間経過」とは式当日の経過を主に指しているが、それは式当日を超えた数週間にわたる準備と練習の時間にも当てはまるだろう。
 たくさんの準備と練習の積み重ねは、その集大成たる式当日の重みを増大させ、式の緊張感と落涙の発現可能性を否応なく高めていく。こうして「感動」の式典が成立(成功)し、それが多大な練習量を正当化する。「感動」をひとたび味わうと、そこから抜け出るのはなかなか難しい。

学校行事の年間時数は定められていない
 
 式の練習時間については、単に多いことだけでなく、それが他の授業に影響を与えていることにも言及しなければならない。
 学校教育法施行規則には、学習指導要領に記載されている教育内容について、その年間の標準授業時数が示されている。たとえば、2017年3月公示の小学校の学習指導要領では、6年生の場合、国語175時間、社会105時間、算数175時間…である(授業時数の1単位時間は45分)。
 そして「特別活動」には年間で35時間が割り当てられている。ただしそこでカウントされるのは、「学級活動」のみである。長期休業期間を除く年間35週において、学級活動を毎週1時間おこなえば35時間を満たす。
 一方で「特別活動の授業のうち、児童会活動、クラブ活動及び学校行事については、それらの内容に応じ、年間、学期ごと、月ごとなどに適切な授業時数を充てるものとする」(小学校学習指導要領)と定められており、行事本番とその練習においてどれくらいの時間をかけるかは、学校の裁量にゆだねられている。

教科の時間を削って卒業式の練習!?

 この目安がないという状況は、学校の裁量を保障する一方で、結果的に「何でもあり」の事態を導くことにもなりうる。
 卒業式をはじめ学校行事が「総合的な学習の時間」や「学級活動」に読み替えられることは頻繁にある。さらには、「教科」指導の代わりとされることもある。
 教科に関していうと、たとえば卒業式の歌の練習は「音楽科」の授業に読み替えられたり、呼びかけ(卒業生や在校生が一言ずつメッセージを発する)の準備・練習は「国語科」に読み替えられたりする。これであらかじめ決められている各教科の標準授業時数を満たすことができるというわけだ。とりわけ小学校の場合、ほぼ全教科を一人の担任が受け持っているため、卒業式の練習等を教科指導に読み替えることは、それほど難しいことではない。

見えにくい読み替え
 
 しかしながら音楽科や国語科をはじめとする各教科の授業時数は、卒業式のために用意されているわけではない。教科書に即した内容を指導するために用意されたものである。各教科ではそれぞれに固有のやるべきことがあらかじめ定められているのであり、上記の読み替えは、学校行事(卒業式)が教科を侵食しているようにも映る。
 見方によっては、こうした読み替えは、合理的な方法であるといえるかもしれない。だが読み替えが常態化しているとするならば、標準授業時数そのもののあり方にまで踏み込んで、見直しを進めたほうがよいだろう。
 いずれにしても、時数の読み替えは、外部からはかなり見えにくい。
 「行事を教科の中で実施したりするなど、無理をしている」(薩摩川内市教育委員会)といった表現で、読み替えが公的に論じられることは珍しい。読み替えはほとんどが教員個人あるいは学校内部で、水面下でおこなわれている。調査データも見当たらない。その意味で、卒業式の練習過多の問題を論じるには、まずは実態把握が必要である。

教育的意義があったとしても…

 以上が、卒業式の練習に関する問題提起である。
 卒業式の過剰な練習は、ときに授業時数の読み替えを伴いつつ見えにくいかたちで、かつ参加者の感動によって正当化されながら、成り立っている。
 学校の教員がいまほどには多忙ではなかった時代であれば、練習に時間を費やし、感極まる卒業式を演出することに、大きな支障はなかったかもしれない。だがいまや、公立小学校で約3割、公立中学校で約6割の教員が、過労死ラインを超えて働いている状況である。

 私個人は教員の働き方のことを抜きにしても、子どもにそれほど練習させることなく、簡略な式典で十分だと思っている。
 だが教員の働き方の観点からも、練習の量を劇的に減らすことが重要であると考える。
 卒業証書の授与だけでも、式典としては十分に意義があるはずだ。

 なお卒業式には、事前練習以外にも、教員の労働時間を増大させているものがある。
 学級の思い出を詰めた記念DVDのプレゼント、黒板アートの作成、式場の飾り付けなどにも、多くの教員が真剣に取り組んでいる。
 小学校では卒業式の前に、6年生を送る会が企画されている場合には、さらに仕事量は増える。


 これらの諸課題については、別稿にて論じていきたい。
 卒業式やその練習に費やされる多くの時間に仮に教育的意義があったとしても、その活動をあきらめる勇気が必要である。


Yahoo! Japan News、2019/3/29(金) 6:33
卒業式の練習 必要か?

子どもと教員の負担軽減に向けて

見えぬ実態に迫る

内田良(名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授)
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20190329-00120026/

 学校現場での「日の丸掲揚、君が代斉唱」に従わない教職員らに対する懲戒処分を巡り、国際労働機関(ILO)が初めて是正を求める勧告を出したことが分かった。
 日本への通知は4月にも行われる見通し。
 勧告に強制力はないものの、掲揚斉唱に従わない教職員らを処分する教育行政への歯止めが期待される。

 ILO理事会は、独立系教職員組合「アイム89東京教育労働者組合」が行った申し立てを審査した、ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会(セアート)の決定を認め、日本政府に対する勧告を採択。
 今月3月20日の承認を経て、文書が公表された。

 勧告は、
「愛国的な式典に関する規則に関して、教員団体と対話する機会を設ける。規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする」
「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒の仕組みについて教員団体と対話する機会を設ける」
「懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせる」
ことなどと求めた。

 1989年の学習指導要領の改定で、入学式や卒業式での日の丸掲揚と君が代斉唱が義務付けられて以来、学校現場では混乱が続いていた。
 アイム89メンバーの元特別支援学校教諭渡辺厚子さんは、
「教員の思想良心の自由と教育の自由は保障されることを示した。国旗掲揚や国歌斉唱を強制する職務命令も否定された」
と勧告を評価している。

 これまで教育方針や歴史教科書の扱いなどを巡る勧告の例はあったが、ILO駐日事務所の広報担当者は、
「『日の丸・君が代』のように内心の自由にかかわる勧告は初めてだ」
と話している。


東京新聞・朝刊、2019年3月30日
「日の丸・君が代」教員らに強制

ILO、政府に是正勧告

(佐藤直子)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019033002000143.html
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幹事長時代から16年間、常任番記者

 新しい元号の発表、それはイマの支配層にとっては、コクミンの支持を得る絶交のチャンス!
 ヤッホーくん、早稲田大学教授の水島朝穂教授の次の言い回しに、えっと立ち止まりました!
NHKの中継では、「安倍幹事長」時代から16年間、常任番記者をやっているNHK女性記者(『フラッシュ』2003年10月24日号8頁)が、「安倍総理大臣の思い」を解説するだろう。

 なに、なに、どういう意味?

「版」をめぐる深夜の攻防

 2019年1月1日、年が明けてすぐにNHKが天皇退位にともなう新元号の公表を4月1日に行うと速報した。
 0時15分から始まるニュース番組開始前、『ゆく年くる年』で全国の年越しの風景が生中継されているときだった。

 その日の朝刊各紙を確認すると、朝日は3面(13版●)でこのニュースが加えられ、日経の13版にはこのニュースは載らない一方、14版では1面に掲載されていた。
 産経新聞は最終版(15版)の一つ前である14版の1面トップでこのニュースを報じ、マイクロソフトのウィンドウズ更新の必要性などにも触れていた。ちなみにこのニュースは、年明け直後には産経新聞社のニュースサイトに流れていた。
 そして毎日新聞は最終版1面に掲載することで対処した。

 年が明けてすぐ報じたNHK、詳しい内容を最終版よりも前の版に書き込んだ産経。

 他の新聞はそれを追いかけて一報を載せるしかなかった。
 NHKには岩田明子記者、産経には阿比留瑠比記者など、安倍晋三首相と深い関係にある記者がいるため、このようなことが可能になったのかもしれないが、他の新聞は年明けすぐの速報に面食らったのではないだろうか。
 
 新聞制作の合理化が進むと、こういった事態に対処することが難しくなってくる。
 1面しか速報を掲載する場所がなく、とりあえず第一報を1面に載せる。あるいは他の面をいじって対処する。新年の速報騒動が、新聞の「版」の重要性をわかりやすく示すことになった。

 現実的には、夜中までニュースが動き、紙面に入れなければならないような重要な事態が起きることはあまりない。
 この大みそか深夜の動きが、例外的だっただけである。

 深夜まで紙面をなんどもつくり直して版を重ねることは、はたして合理的なのか。
 人件費だけではなく、何度も刷版をつくるのにもコストがかかる。
 そのコストもばかにはならない。
 そういった場合、早い時間で校了してそれを最終版としても、よいのではないだろうか。
 いずれにしても、新聞社が厳しい状況に置かれていることは、紙面を見ても確かだろう。


ビジネスジャーナル、2019.03.24
新聞紙面に滲み始めた、新聞社のコスト削減と「働き方改革」の苦労
(文=小林拓矢/フリーライター)
https://biz-journal.jp/2019/03/post_27195_2.html

 きのう2016年5月10日発売の月刊文藝春秋6月号に、安倍首相の母親である安倍洋子さんのロングインタビュー記事が掲載されている。
 「晋三は『宿命の子』です」という見出しにひかれて早速買い求めて読んでみた。
 まるで中身のないインタビューには失望させられた。

 しかし、大きな収穫があった。
 このインタビュー記事の聞き手、書き手が、岩田明子NHK解説委員であることを知ったからだ。

 岩田氏と安倍晋三首相の付き合いは、2002年に岩田氏がNHKの政治部記者として小泉政権の官房副長官であった安倍晋三氏の番記者になってから以来であり、その時母親の安倍洋子さんに気に入られ、今度の単独インタビューにも応じてもらったのだ。

 私はこれまでに何度も岩田記者の批判を繰り返してきた。

 よくもここまで安倍首相をほめちぎる捏造まがいの偏向報道ができるものだと。

 そしてこの文藝春秋のインタビュー記事を読んで思った。
 岩田記者をジャーナリストとして見るからそう批判せざるを得ないのだが、彼女を安倍母・息子の追っかけと考えれば何の不思議もない。
 このインタビュー記事も、安倍首相や岸信介、安倍晋太郎のことを書きたいのではない。

 安倍洋子絶賛のための4時間半にわたるインタビューだ。
 母親に気に入られ、その息子を絶賛し続けて母親に忠義を尽くしている姿がそこにある。
 そうなのだ。
 NHKの岩田明子解説委員はジャーナリストではない。
 芸能リポーターなみの追っかけだ。
 そう考えると腹も立たない。

 文藝春秋6月号には、他にも面白い記事があるから、880円出して買っても我慢できる。


天木直人のブログ、11 May 2016
岩田明子NHK政治部記者の正体見たり
http://天木直人.com/2016/05/11/post-4526/

 『安倍官邸vs.NHK』(文藝春秋)が、7万部を超えるベストセラーになっている。
 この手の本にしては異例の売れ行きだ。
 NHK大阪放送局で森友事件を取材し、特ダネを連発していた相澤冬樹記者に圧力がかかり、相澤さんは閑職に異動を命じられ、退職する。
 政治部出身のNHK中枢幹部から大阪放送局へ指示があったと見られている。
 「忖度」は霞が関の官僚にとどまらず、公共放送を掲げるNHKにも及んでいたことを内部告発した書だ。

 政権からのプレッシャーにNHKが弱いのは、今に始まったことではない。
 本書『変容するNHK――「忖度」とモラル崩壊の現場』(花伝社発行、共栄書房発売)は、30年近くNHKを取材してきた朝日新聞社会部の川本裕司記者が、NHKの問題点をえぐり出した渾身のリポートだ。

「いくらもうかるか」と聞いた三井物産OB会長

 1989年に島桂次氏が会長になる以前から川本さんは、NHKをフォローしてきた。
 元三井物産会長の池田芳蔵氏がNHK会長となったが、海上自衛隊潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」が衝突した映像をNHKがスクープすると「これでいくらもうかるのですか」と質問したり、国会では得意の英語で長々とあいさつしたり、失言が多く局内外でひんしゅくを買っていた。
 そうした池田会長の不用意な言動は自民党にも受けが悪く、受信料の値上げは吹っ飛んだ。
 会長人事に深く関与するNHK経営委員長は磯田一郎・住友銀行会長が務めていた。
 川本さんは池田会長、磯田経営委員長のダブル辞任をスクープした。

 その後の会長となった島氏は、衛星放送の有料化や経営改革に辣腕をふるったが、国会での虚偽答弁が引き金となり辞任に追い込まれた。
 川本さんは、
「NHK内部と政治家の一部が呼応したかのような動きを見せ、島会長の追い落としの意図が明確だった」
と書いている。
 ちなみに島批判の急先鋒は自民党竹下派の野中広務・衆院逓信委員会委員長だったという。

 戦後、電波行政にもっとも影響力をもったのは田中角栄氏である。
 所管する郵政省(当時)を通じて、新局の開局で競い合う民放キー局とNHKにも隠然たる勢力を及ぼしていた。
 川本さんは、野中委員長の背景に、竹下派前身の田中派を長く担当した海老沢勝二氏の影を見る。
 海老沢氏はNHKエンタープライズ社長から本体に復帰、専務理事、副会長を経て、1997年に会長になる。
 政治部で5年先輩だった島氏とは、自民党の派閥抗争さながらの足の引っ張り合いがあったようだ。

 海老沢会長時代に起きたのが、慰安婦問題を扱った「ETV2001」の問題だ。
 放送内容をめぐり取材に協力した市民団体がNHKなどを相手取って損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
 背景には当時の安倍晋三官房副長官からNHK幹部に「公正中立の立場で報道すべきではないか」という発言があり、その意図を忖度して当たり障りのない番組にすべく、改変が行われた、と書いている。

不祥事相次ぎ辞めた海老沢会長

 ちょうどこの時期、衛星放送の有料化と受信料の値上げで経営が潤沢になったせいか、職員の不祥事が相次いだ。
 カラ出張など金銭スキャンダルに加えて、受信料支払い拒否は空前の規模となった。
 2005年には不払い率30%の大台に乗った。
 「NHKがつぶれるのでは、と本気で思った」という理事のことばを紹介している。
 視聴者の怒りが海老沢会長の辞任につながったという。

 その後、生え抜きの橋本元一会長、アサヒビール相談役から起用された福地茂雄会長、JR東海副会長だった松本正之会長と続き、2013年に会長となったのがさまざまな言動で波紋を呼んだ籾井勝人氏である。
 三井物産OBという点では池田芳蔵氏と同様だ。
 ジャーナリズム、報道にかんする見識が欠け、経営委員会の支持も得られず、1期の任期満了で退任した。

 2016年12月、後任には元三菱商事副社長で常勤のNHK経営委員だった上田良一氏が就任した。
 籾井会長時代の異常さは陰を潜めたが、川本さんは報道番組「クローズアップ現代」のキャスターを23年間務めた国谷裕子さんの降板には、官邸の顔色をうかがったNHK上層部の判断があった、として実名で幹部の発言を書いている。

 長く続く安倍政権で安倍首相に食い込む岩田明子記者についても多くのページを割いている。
 本人に野心や私心はないが、NHK人事に影響力をもつようになっている、という内部の声を紹介している。
 また「安倍首相の内心を代弁するかのような語り口」の解説に戸惑うこともある、と書いている。


 会長人事をめぐる政治との距離についてピックアップして本書を紹介したが、NHKの番組のすばらしさ、優秀な人材についてもふれている。
 その上でNHK内部の「乖離」と「分断」があり、やりがいを見いだせない一部の職員による不祥事の連鎖が断ちきれないのでは、と見ている。
 新聞は気に入らなければ購読を止めればいい。
 しかし、NHKの受信料の支払いは法律で定められている。
 だからこそ、NHKは公共放送として、しっかりとその役割を果たしてほしいと思う。

 川本さんは、朝日新聞で学芸部、社会部、企画報道部、総合研究本部、編集委員など、さまざまな職場を移りながらも、NHKなどメディアを対象に取材してきた。
 そのねちっこい息の長い仕事ぶりは業界では有名だ。
 NHKのネット同時配信も視野に入る中、今後もNHKウォッチを続けてほしい。

 評論家の田原総一朗さんが、
「NHKの問題点をこれほど詳しくそして鮮明に描き出した作品は他に無い。非常に読みごたえがある」
と推薦のことばを寄せている。
 

水曜 J-cast 書評、2019/2/20
朝日記者の NHKウォッチ30年

あの会長、この会長はこれでクビになった!

https://www.j-cast.com/bookwatch/2019/02/20008666.html

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2019年03月30日

このまま終わらせてはいけない!

このままでは終わらせない…
“森友事件”のいま(ザ・ドキュメンタリー)

https://www.youtube.com/watch?v=J9_6FipHS20&feature=youtu.be

テレ東NEWS、2019/03/26 に公開

 森友学園をめぐる国有地の売却問題で公文書の改ざんをさせられた近畿財務局の職員がAさん命を絶ってから1年。
 Aさんの父親が遺書の中身や今の心情を明かしました。
 また、Aさんの死をきっかけに立ち上がったのが近畿財務局などのOBたち。
 テレビの取材に初めて顔を出して証言してから、半年。
 「このまま終わらせてはいけない!」と新たに動き始めています。
 そして、当事者である籠池氏は今どうしているのか…。
 “森友”事件のいまを見つめます。


ナレーション:余貴美子
番組HP:https://www.tv-tokyo.co.jp/documentary_190326/

 森友事件をめぐり、背任や公用文書毀棄(きき)などで告発され、大阪地検特捜部が不起訴にした財務省職員らの一部について、大阪の検察審査会が「不起訴不当」の議決を出した。
 この件、報道各社の見出しは、元財務省理財局長の佐川宣寿氏が不起訴不当とされたことをメインに捉えているものが多い。
 例えば朝日新聞の当初のウェブ上の見出しはこうだ。

▽ 佐川氏に「不起訴不当」議決 改ざん問題で検察審査会

 もちろん公文書改ざんは重大問題だ。

 だが森友事件の本質は何だろうか?

 国有地の不当な値引き売却である。
 これが「背任」だ。
 そして、不当な値引きを行ったことを隠そうとして公文書改ざんが行われ、安倍昭恵首相夫人らの名前が削除された。
 佐川氏はまさにここに関わっているが、土地の値引き売却には関わっていない。
 売却は前任者の時だ。

 だから彼は公用文書毀棄などで「不起訴不当」とされたが、背任にはそもそも問われていない。
 
 今回、検察審査会は、背任についても、近畿財務局の当時の担当職員らを「不起訴不当」とした。


 その意義は大きい。
 有権者から選ばれ、市民目線で審査する審査会が、この国有地の値引きは背任にあたる疑いがあり、不起訴にしたのはおかしいと判断したのである。
 審査会は議決で次のように指摘している。

「国に損害が生じるか否かの冷静な判断を誤らせ、自己保身のために本件国有地を森友学園側が希望する価格に近づけるため、売却価格ありきで値引きし、売り払ってしまう方向に動いたのではないかと推認される。」

「本件のような社会的に注目を集めた被疑事件については、公開の法廷という場で事実関係を明らかにすべく公訴を提起する意義は大きいのではないかと考える。」

 検察審査会がここまで言うのは珍しい。
 事実上、起訴すべきと言っているに等しい。

 大阪地検特捜部は重大な責務を負わされた。
 私はNHK時代に森友事件を取材し、大阪地検で背任についてギリギリまで捜査を尽くしていた検事がいたことも知っている。
 今回の不起訴不当の議決を受けた再捜査で、今度こそ特捜部が正義にかなう判断を行うことを期待する。
 そして公開の法廷で、なぜこのような不当な値引きが行われたのか、真相が明らかにされることを期待する。


[写真]
問題の国有地の前に立つ安倍昭恵首相夫人と森友学園の籠池夫妻

Yahoo! Japan News、2019/3/29(金) 18:42
財務省「不起訴不当」今度こそ背任追及を
相澤冬樹(*)、大阪日日新聞論説委員・記者(元NHK記者)
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190329-00120152/

(*)相澤冬樹
 1962年宮崎県生まれ。1987年NHK記者に。山口、神戸、東京、徳島、大阪で勤務。神戸で阪神・淡路大震災を取材。大阪でJR福知山線脱線事故を取材。大阪司法記者クラブ担当の2017年に森友事件に遭遇して取材を進めるが、2018年記者を外されてNHKを退職。大阪日日新聞に移籍した。この時の経緯を「安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」(文藝春秋刊)という本にまとめて出版した。

 また、ヤッホーくんのこのブログ、以下の日付けの日記をぜひお読みください:

☆ 2019年02月20日「完全なデマ !」
☆ 2019年02月22日「相澤冬樹」
☆ 2019年02月28日「『私や妻が関係していたら、総理も議員も辞める』」
☆ 2019年03月03日「なぜ書店にヘイト本があふれるのか?」

 そう、ヤッホーくんのお慕い申しあげているお医者さまのご発言をぜひ、共有したいな:

 検察審査会が機能していると言ってよいのだろうか。
 大阪地検特捜部が、この後、佐川氏らを再捜査し起訴するかどうかを決めるのだが、再び不起訴とするようなことがあると、大阪地検特捜部の存在意義はなくなる。
 前回の捜査時には、結局全員不起訴とし、当時の特捜部長は栄転をした(*)。
 あれは、検察の自殺行為に等しかった。

 この案件では、現場の人間が無理難題の公文書改ざんを命じられて自死している。
 それなのに、真相は解明されず、誰一人として彼の死に相当する責任を取っていない。
 検察は、しっかり仕事をすべきだ。
 巨悪を眠らせてはいけない。

[追伸]
 「起訴相当」の議決ではないため強制起訴の可能性はなくなり、地検が再び不起訴にすれば捜査は終結する、ということのようだ。
 この件に関して永久に蓋をするような行為を検察は行なうべきではない。
 関心を持ち続ける必要がある。

(*)大阪地検の山本真千子特捜部長(54)

 露骨な論功行賞だ――。
 法務省は2018年6月25日、大阪地検の山本真千子特捜部長(54)の函館地検「検事正」への異動を発表した。
 山本氏は、森友問題で刑事告発されていた佐川宣寿前理財局長ら38人を全員不起訴にした責任者。
 地検トップの検事正への異動は栄転だ。
 森友問題の渦中にあっても国税庁長官に昇格させた佐川氏同様、安倍首相を守り抜いたご褒美である。

「森友問題が法廷に持ち込まれれば、司法によって断罪される可能性が高まる。裁判所、とりわけ地裁にはマトモな裁判官も多いからです。だから、安倍政権は行政組織である検察で食い止める必要があったのです」
(司法担当記者)

 那覇地裁は2018年6月18日、ゴミ計量票を改ざんして議会に提出した公務員に有罪判決を下した。
 佐川氏らも起訴なら、有罪も十分ある。
 安倍政権にとって大阪地検特捜部は頼みの綱だったのだ。

 山本氏は、大阪市立大卒業後、1991年東京地検に着任。
 神戸、大阪、金沢地検などを経て2015年10月、大阪地検初の女性特捜部長に就いた。
 金沢地検の次席検事に就任した直後の2008年4月、朝日新聞のインタビューで、「モットーは現場主義」と熱く語り、キムタクが検事役で出演したドラマ「HERO」がお気に入りと打ち明けている。

「マイペースで、自分を貫くタイプです。記者の間では、彼女ならマトモな捜査をやるのではとの見方もありました。森友案件処理後の検事正ポストは既定路線でしたから、政権サイドの顔色をうかがったのでしょう」
(前出の司法担当記者)

 2018年9月の自民党総裁選を控え、安倍政権は特捜部長を函館に異動させ、森友問題の幕引きを一気に図る魂胆だ。
 全員不起訴を不服として、有権者で構成される検察審査会に審査申し立てをしている醍醐聰東大名誉教授が言う。

私たちが、大阪の検察審査会に申し立てをしていることもあり、山本氏が大阪地検にいることを避ける意味もあったと思います。泥をかぶった公務員を、追及の手が届かないポジションに栄転させるのは安倍政権のお決まりのパターン。谷査恵子氏の在イタリア日本大使館への赴任、佐川氏の国税庁長官しかりです。これほど重大な問題が、司法にすらはかられないでの幕引きは許されません

 やりたい放題である。


[写真]
大阪地検に告発状を提出する市民ら(昨年2017年4月)

日刊ゲンダイ、2018年6月26日
安倍政権また忖度に“ご褒美”

森友不起訴の特捜部長が栄転

https://www.nikkan-gendai.com/articles/image/news/232040/97905

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元号まで私物化、無知の安倍の無知

 いつもより1日早く更新する。
 4月1日11時30分、政府は新元号を公表する。
 元号の問題については、直言「元号は政権の私物なのか―元号法制定40周年」で書いたのでこれを参照されたい。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0211.html

 ところで、3月29日午前の段階で、国会内の売店で売られていることを確認したのが、『晋ちゃんせんべい2019』である。
 中身は2種類。
 「平成ありがとう」と「平成の、その先の時代に向かって!!」である。
 発売開始は2月。
 箱の裏側に記されている賞味期限は9月5日だが、実質的な期限は本日、3月31日だろう。
 店員によれば、売り上げはいま一つとのこと。
 3月28日の自民党のある派閥の会合で、お茶菓子として机の上に出されていたという。
 この写真を送ってくれた人のメールの件名は、「安倍4選を彷彿?」だった。
 これまでも、国会内で売られていた「ねじれ解消餅」や「晋ちゃんラッキートランプせんべい」などについて紹介してきた。
 今回は、新元号が入る額は当然まだ白紙で、それを手にしているのは「晋ちゃん」である。

 新元号のお披露目は「平成」の時は官房長官がやった。
 今回も、菅義偉官房長官が同じスタイルで公表するようだ。
 「平成」の時と違うのは、引き続き12時から安倍首相が記者会見で「談話」を発表して、新元号の意義について語るという点である。
 しゃべりのトーンは安倍第1パターンで、これ以上ないという自己陶酔型になるだろう。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0218.html

 昼のNHKニュースをはじめ、民放各局のワイドショーがこれをたっぷり生中継する。
 安倍首相自らが「その先の時代」を熱く語れば、支持率にプラスという判断だろう。
 NHKの中継では、「安倍幹事長」時代から16年間、常任番記者をやっているNHK女性記者(『フラッシュ』2003年10月24日号8頁)が、「安倍総理大臣の思い」を解説するだろう。
 新聞は12時30分締め切りの早番に間に合うから、夕刊一面トップ記事となる。
 新元号にかこつけて、自らの政権が「平成の先の時代」にまで幾久しく、永々、蜿々に続くことをアピールできるわけである。

 この首相談話は完全に悪のりである。
 モリ・カケ・ヤマ・アサ・統計等々、政権のアキレス腱ともいうべき問題から人びとの関心をそらし、曖昧にし、結局なかったことにする。
 安倍流5つの統治手法を駆使して、重大問題が山積みのときに、「今日から新時代」を派手に演出するわけである。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2018/0212.html
 
 H. シラー=斉藤文男訳『世論操作』(青木書店、1979年)原題はMind Manegement)によれば、「断片性」と「速報性」を駆使すると、重要でないことを重要なことにすることもできるし、反対に、重要なことを重要でないことにすることもできる。
 元号発表を4月1日に設定して、さらに「1日午前」から「1日11時30分」へと情報を小出しにして流すたびに、メディアは大きく報道する。
 「安」の字、とりわけ「安久」が有力という情報(NHKは、あしかの芸を使う)により、鹿児島県都城市安久(やすひさ)町に淡い期待をかけされる。
 そして、実際は別の文字を使う。
 人びとを混乱させ、期待をもたせ、翻弄する。
 シラーがいうように、断片的な情報を速報する。
 4月30日夜には、「新元号のカウントダウン」までやって、若者を引きつけようとする局が出てくるかもしれない。
 まさに「マインド・マネージメント」である。

 読者がこの「直言」を読む頃には、すでに新元号が発表されているだろうが、とにかく、立ち止まって考えないと危ない。
 安倍政権の争点ぼかし、論点ずらしは実に巧妙である。

 元号法制定から40年。
 日本国憲法下での二度目の改元について、この機会に改めて考える必要があるのではないか。

 さて、話は突然変わるが、この3月15日、ドイツ連邦参議院〔参議会〕(16の州政府代表からなる)が基本法(憲法)改正に同意した。
 昨年の段階では、連邦議会が可決した基本法改正案について、連邦参議院が疑義を提起して、両院協議会が開催された。
 このほど、その両院協議会がまとめた案に参議院が同意して、63回目のドイツ基本法改正が行われたわけである(参議院の議事録)。
 この改正の内容については、昨年12月の直言「教育デジタル化のために憲法改正?―ドイツ基本法第63次改正の迷走」で詳しく書いたので繰り返されない。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2018/1224.html

 ただ、改憲を説く人たちは、「ドイツは60回も改正しているのに、日本はゼロだ」という物言いをする。
 何事も回数を誇ると、ろくなことはない。
 問題は中身とその質である。


 ドイツは63回の改正をしているが、中核的な憲法原理(人間の尊厳、法治国家原理など)の改正は許さない(基本法79条3項)。
 今回は、国が州の教育デジタル化に資金援助をするための改正である。
 教育は州の権限だから、そこに介入するような仕組みには慎重になる。
 でも、デジタルは全国一律に行われる、その限りで合意は取りやすかった。
 憲法改正にここまで慎重に、かつ熟議を行って、その結果として63回もの改正が行われている。
 ドイツだけでなく、どこの国でも、憲法改正は何のために行うのかは具体的で、かつ明確である。
 ところが、日本の場合、憲法の規範が現実に合わないからとか、一度も改正されていない「世界最古の憲法」だからとか、70年以上前の制憲過程に問題があるから(「押しつけ憲法論」)といった、理由にならない理由を持ち出す傾きが強い。
 とりわけ安倍首相は、改憲理由の重点をしばしば唐突に動かす。


 近年では、「憲法学者の7割が自衛隊を違憲という」とか、「「自衛隊は合憲」と言い切る憲法学者は2割にとどま(る)」といった数字が飛び交い、さらには、「ある自衛官は息子さんから『お父さん、憲法違反なの?』と尋ねられたそうです。その息子さんは、目に涙を浮かべていたといいます。皆さん、このままでいいんでしょうか」という、むきだしの感情論も。
 2月10日の自民党大会では、「都道府県の6割以上が新規隊員募集への協力を拒否している悲しい現実がある。この現実を変えよう。憲法に自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とう」とぶちあげた。
 これは明らかに間違っている。
 すぐに「都道府県の6割」は「市町村の6割」に訂正したが、この論点では、安倍首相は、小馬鹿にした態度をとれなかった。
 自衛官の適齢者情報(名前、生年月日、性別、住所の4情報)の提供などの業務は、自衛官の募集に関する事務の一部を国にかわって行う「法定受託事務」とされている。
 自治体の自衛隊への協力は1954年の自衛隊発足とともに始まっているが、法定受託事務になったのは2000年からである。
 だが、住民基本台帳法はこれら4情報の「閲覧」を認めているにすぎず、紙媒体での提供や、適齢者を抽出した住基台帳の写しの閲覧(防衛省職員の書写)まで明確に規定しているわけではない。
 2014年10月の国会では、住基台帳法は「閲覧」を認めているだけなのに、自治体側が紙媒体での提供や書写を認めるのは法の趣旨に反し、防衛省への自治体の過剰な情報提供であると批判的に取り上げられていた(『東京新聞』2014年10月6日付)。
 この写真にあるように、「自治体71%積極提供」と、新聞の見出しは、自衛官募集のために個人情報を過剰に提供していると、批判的トーンだった。
 「若年層の採用を競う民間企業は閲覧を許されておらず、自衛官の募集事務だけが厚遇されている」という批判も紹介している。

 ところが、今年の2月に安倍首相は、「6割の自治体が拒否している」と意味不明のことを言い出した。

 5年前の『東京新聞』では、71%の自治体が自衛隊・防衛省に「過剰な情報提供」を行っていると批判されていたのに、まったく逆に、「6割が協力していない」と断定している。
 これは、「閲覧」や「書写」では十分でなく、積極的に紙媒体で提供せよという要求を裏からいったものだろうが、そのことを書いた日本会議のチラシをサッとみて、早合点した安倍首相は「6割が拒否」とやったようである。

 「無知の無知の突破力」はここでも発揮されている。
 こんな改憲坊やに付き合う自民党の内部からも、「無知の安倍の無知」を嘆く声が生まれている。


 なお、改憲に関する個別の論点については、自民党憲法改正推進本部事務局が2月に出した『日本国憲法改正の考え方―条文イメージ(たたき台素案)」Q&A』に対する徹底批判のサイト〔PDFファイル〕を参照されたい。
http://www.seihokyo.jp/shiryou/2019/201904-kaiken-qa-hihan.pdf

asaho.com、2019年3月31日
安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0331.html




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八海醸造の「麹だけでつくったあまさけ」

 ヤッホーくんのこのブログ、2012年06月12日付け日記「緑の直行便」によると、山歩クラブで新潟県八海山の途中まで歩いたのは2008年、巻機山といっしょに合宿をはったときのようですね。
 あんときゃ、「八海山」でなく「巻機山」を買って飲んでおりました。
 ところが28日の木曜日、豊洲市場に行ったとき、ヤッホーくん、出会ったのが「八海山」。

酒造メーカーがつくった甘酒が売れている。
「麹だけでつくったあまさけ」の発売は2009年。
広告を始めたのは2013年秋からで、一貫して新聞広告を中心に展開している。
結果としてそれが口コミを生み、雑誌など他のメディアにも取り上げられる要因にもなった。
これまでの取り組みを八海山広報担当の浜崎こずえ氏に聞く。

日本全国の世帯に届く新聞が適していた

─ 「麹だけでつくったあまさけ」が売れていますが、どのようなコミュニケーション戦略を取られているのでしょうか。

浜崎: 「麹だけでつくったあまさけ」の発売は2009年、広告は2013年から新聞広告を中心に展開しています。
 一部雑誌も使っていて、広告展開としてはそれがすべてです。
 この地道なコミュニケーション活動が昨年あたりから実ってきたと思っています。

─ なぜ新聞広告だったのでしょうか。

浜崎: 「麹だけでつくったあまさけ」は、825g/800円(税別)、118g/190円(税別)と甘酒としては決して安くはありません。
 酒づくりで培った蔵人の高い技術力を生かし、麹と水だけで実直につくっている高品質の甘酒です。
 その良さを伝えるには、日本全国の世帯に届く新聞が最も適したメディアだと考えたからです。
 八海醸造(注)は新潟県魚沼の地酒地方メーカーとして日本酒をつくってきた会社で、広告はほとんど行ってきませんでした。
 甘酒は八海醸造にとって新たな経営の柱をつくるチャレンジです。
 日本酒の八海醸造が甘酒をつくり始めたことを社会に広く知ってもらうために、新聞広告を始めたということもあります。
 実際、新聞広告の読者の反響を見ると「八海山のつくる甘酒」であることが、商品に対する興味や信頼に繋がっていることがわかります。

(注)八海醸造株式会社は清酒「八海山」をつくる酒造メーカー。販売・広告活動などを担当する株式会社八海山とは別組織になっている。

増産で2014年から扱い店舗が増加

─ 甘酒は新たな事業展開の一つということをもう少し教えていただけますか。

浜崎: 八海醸造の創業は1922(大正11)年で、清酒を柱に発酵食品企業として「米・麹・発酵」をコンセプトに事業展開を進めています。
 八海醸造のある南魚沼市は冬には3メートルの雪が積もる豪雪地帯です。
 長い冬を乗り切るための保存食文化が根付いています。
 その保存食をつくる上で重要な位置を占めているのが麹を使った発酵食品です。
 魚沼にある酒蔵として、その保存食文化を大切に 伝承していきたいと考えています。
 その一つが「麹だけでつくったあまさけ」です。
 他にも、魚沼の食と文化を全国に紹介する「千年こうじや」というブランドを立ち上げ、ネットショップに加え、地元魚沼や東京、神奈川などに5つの実店舗を経営していますし、発酵ワークショップなども開催しています。
 また、八海山の麓にはレギュラー酒を製造する八海醸造第二浩和蔵を中心として、そば屋やカフェ、売店を備えた「八海山雪室」などが点在する「魚沼の里」も運営しています。
 弊社の代表(南雲二郎代表取締役)は、「我が社は魚沼株式会社だ」とよく言いますね。

─ 「麹だけでつくったあまさけ」は「千年こうじや」でも購入できるのですか。

浜崎: Webサイトでも購入できます。
 実は「麹だけでつくったあまさけ」は、売っているところがまだ多くはありません。
 新聞広告を出して一番多いのも、「どこで買えるんですか」という問い合わせです。

─ 新聞広告には「商品のご購入は」として、電話番号とメールアドレスが掲載されていますね。

浜崎: ホームページにも「麹だけでつくったあまさけが買える店」というページはつくってありますが、電話での一件一件の問い合わせにはお近くの店舗を紹介させていただいています。
 大きなスーパーやコンビニで売っている商品ならその必要もありませんが、そうなるためには生産体制の整備が必要なんですね。
 2009年に発売を始めた当初は、酒蔵の一角で製造していたのですが、2014年11月に甘酒専用の製造所をつくってから成城石井、東急ストアといったところでも扱っていただけるようになりました。
 2017年7月にはまた製造所を新設し、製造量も倍ぐらいになる予定です。
 扱っていただける店舗をまた増やせると思います。

高品質の甘酒を3つのポイントで伝える

─ 新聞広告で伝える内容は、どんな点を重視しているのでしょうか。

浜崎: 高品質のモノづくりをしていること、ノンアルコールであること、麹と水だけでつくっていることの3つです。
 まず、「高品質のモノづくり」とは、酒づくりで培った技術で甘酒をつくっていることです。
 日本酒づくりと同等な準備を原料米に施すことや麹に含まれる酵素を使って米のでんぷんを糖化させて甘味を出すという、酒造メーカーだからこその特有の酒造技術を生かしていること。
 毎日お飲みいただくことを考慮し、すっきりとした自然な甘さを実現するために、清酒製造で培った経験値を生かし、麹の出来をコントロールするなど、我々にしかできない製品づくりをアピールしています。
 それから、「ノンアルコールであること」を伝えるというのは、酒かすの甘酒だと思っている人が意外に多いからなんですね。
 日本酒の仕込みは秋から冬にかけて行われますが、もろみから酒を搾った残りが酒かすで、約8%のアルコールが含まれています。
 これをお湯に溶かして、砂糖を入れる。
 酒かすの甘酒は寒い冬に飲む飲み物です。
 これに対し、本来の麹でつくるアルコールを含まない甘酒は、主に夏に作られ、冷たいまま飲む飲み物でした。
 俳句でも「甘酒」は、夏の季語になっています。

─ 麹と水だけというのは?

浜崎: 米麹と水だけでつくられていて、混ぜものは一切していないということです。
 麹の甘さというのは、でんぷんが分解したブドウ糖の甘さなんですね。
 酒づくりで培った技術でつくった高品質の甘酒、それが「麹だけでつくったあまさけ」だということです。

2016年に甘酒が大きな話題に

─ 「麹だけでつくったあまさけ」が売れた要因は何だと思いますか。

浜崎: 製品の品質には自信を持っており当初から消費者の反応は良く、リピーターも多くありました。
 加えて、2011年の東日本大震災でした。
 夏場の避難所の生活でも栄養を効果的にとるには甘酒がいいと言われ、避難所で甘酒が飲まれるようになったのです。
 これが甘酒が世の中でクローズアップされてきたきっかけです。

 私たちの会社の甘酒ということではなく、体にいい飲み物として甘酒全般が世の中に注目されたということです。
 翌年の2012年からは、私たちの会社の甘酒も売れ出したのです。

─ その後の動きはいかがですか。

浜崎: 世の中で大きな話題になったのは2016年になってからです。
 そのいい例が、ぐるなび総研が毎年12月に発表している、その年の世相を最も映した料理を選ぶ「今年の一皿」です。
 2016年の大賞は「パクチー料理」でしたが、特別賞に「こうじ甘酒」が選ばれたんですね。
 選定理由は、「世界的な発酵ブームの中、日本の国菌である『こうじ菌』が再評価された。同時に『飲む点滴』という表現が話題となり、その栄養価の高さにも改めて注目が集まった(ぐるなび総研HPより)」というものでした。

─ 東日本大震災で甘酒が注目されて5年以上たっているわけですね。

浜崎: 雑誌への取り上げられ方を見ると、その間の経緯もより具体的に見えてきます。
 「美的」「MAQUIA」「VoCE」といった美容誌から、記事で紹介したいので商品写真を送ってほしいという依頼が増えてきたのが3年ぐらい前からです。
 一昨年前、2015年ぐらいからは、酒販店を回ってきた営業から、
「きょう、◯◯という女優さんが『麹だけでつくったあまさけ』を買いに来た」
「芸能事務所の人が大量に買っていった」
という話をよく聞くようになりました。
 そして、昨年2016年頃から美容誌だけでなく女性誌からの掲載許可の依頼が多くなり、年末には健康系雑誌の「Tarzan」にも紹介されました。
 新聞広告を中心としたこの3年間の私たちのコミュニケーション活動が実ってきたと実感しています。


[写真‐1]
南魚沼市にある「魚沼の里」

[写真‐2]
千年こうじや神楽坂店の店内

[写真‐3]
今年2017年7月には2つ目の専用工場が新設される

読売新聞東京本社広告局 adv.yomiuri、2017年2月6日
[健康志向の食品]
八海山「麹だけでつくったあまさけ」:売れている商品はどう新聞広告を使っているか

https://adv.yomiuri.co.jp/ojo/theme/theme201702_03.html

 越後駒ケ岳、中ノ岳とともに越後三山の1つに数えられる霊峰・八海山。
 その麓、豪雪地帯で知られる魚沼の地に八海醸造はある。
 里山に抱かれた田園の中に個性的な建物が点在するのどかな風景。
 「魚沼の里」と呼ばれるこの地には八海醸造の酒蔵のほか、そば処(どころ)、カフェ、食堂、パン屋、菓子処、雪室など多彩な施設が集まる。
 近年観光スポットとしても注目されている。

 ここでひときわ目を引くのが、黒壁の威風堂々としたたたずまいの第二浩和蔵だ。
 ここでは主に普通酒や本醸造酒といった定番酒を製造している。
 大吟醸造りの技を応用し、多くの人に手頃な価格でおいしい酒を味わってほしいという蔵のコンセプトを形にすべく、最新鋭の設備を備え2004年に誕生した。

 今回の一本はここで醸される「特別本醸造 八海山」。
 八海醸造では製造、売り上げともに8割が普通酒と特別本醸造酒。
 ふだん食卓に上がる酒をきちんと造ることが使命と考えている。
 特別本醸造酒といっても精米歩合は55%。
 吟醸酒並みに米を磨く。

「特別本醸造酒は味が前に出てしまいがちですが、うちの特別本醸造酒は昔から、麹の香りや味を感じつつ、きれいな味わいだと言われています」
と第二浩和蔵の製造責任者である棚村靖製造部次長。
 その理由は設備をはじめ複数あるが、棚村さんは米の大切さ、特に掛け米の品種が味に出るという。

 特別本醸造酒の掛け米は、三段仕込みの1回目にあたる添仕込みでは「ゆきの精」、最後の留仕込みでは「トドロキワセ」を使う。
 ゆきの精は柔らかい味わいは出せるが、すっきりと締まった味は難しく、それができるのが「トドロキワセ」なのだ。
 米の特性に合わせた適材適所にこだわる。
 10年前から実家の米作りに関わるようになった棚村さんは、
「肌で感じた田んぼの空気感が、酒造りで原料米を処理するときの微妙な判断に生かされています」
とその意味を確認する。

「どんな食べ物でもおいしくするのが日本酒のいいところ。その日本酒らしさが八海山らしさです」

 個性に磨きをかけるため、八海醸造では昨年秋から720ミリリットル瓶を王冠キャップに変更し器としての美しさを追求。
 日々の食事でグラスに酒を注ぐ。
 何げないひとコマの幸せに、わくわく感が加わる。


[写真]
第二浩和蔵の製造責任者・棚村靖製造部次長

日刊スポーツ・新潟版、2016年2月20日
八海醸造/南魚沼市

日々食卓に上がる酒を大切に

(高橋真理子)
https://www.nikkansports.com/leisure/sakagura/article/hakkai.html

「八海山」で知られる酒造会社

【ニセコ】
 日本酒の「八海山」で知られる酒造会社「八海醸造」(新潟県)は、後志管内ニセコ町にウイスキーなどを造る蒸留所を建設する。
 同社が新潟県以外で酒造りに取り組むのは初めて。
 海外展開を見据え、外国人の多いニセコを足がかりにした本格的なウイスキー製造に乗り出す。
 今夏着工し2020年末ごろの製造開始を目指す。

アンヌプリ国際スキー場そばに立地

 建設予定地はニセコアンヌプリ国際スキー場そばで、広さ約9900平方メートルの町有地を借りる。
 蒸留所のほか売店、飲食スペースを併設する計画で、観光客も楽しめる施設にする。
 投資額は約5億円。

 同社は新潟県内で3年ほど前から、米を原料に樽で熟成させたウイスキーの製造に取り組んでいる。
 南雲二郎社長はスキーが好きで、毎年ニセコに来るうちに知人らから事業を始めるよう要望され、
「(熟成期間が長いため)地元に長く貢献できる商品を」
と蒸留所の建設を決めた。

ウイスキーは熟成期間3〜5年後から販売

 ニセコで製造するウイスキーは大麦などが原料になる見通し。
 ジンやウオッカも造り、ウイスキーと合わせた生産量は年間計90キロリットルほどを見込む。
 詳細は未定だが、地場産原料の使用も検討している。
 ウイスキーは製造開始後熟成期間を経て3〜5年後から販売する。

 南雲社長は取材に対し、
「外国人の多いニセコは海外市場の反応を試す場所になり得る」
と話した。


[写真]
八海醸造が進出する北海道のニセコ町

Yahoo! Japan News、2019/3/28(木) 11:27配信
新潟の八海醸造、ニセコにウイスキーなど洋酒蒸留所 今夏着工
(北海道新聞、堀田昭一)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190328-00010001-doshin-hok

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2019年03月29日

誰一人、路頭に迷わせない東京をつくる

 いつの間にか、とっても悲しい国、ひどい国になってしまいましたね。
 そんなこと知らん素振りで相変わらず、傍若無人にふるまっているアベ、アソウには退場していただかないといけませんね。
 投票所に足を運んで、一票を投じましょう。投票率をあげましょう!
 さくらの一輪一輪が咲き揃うときれいな満開になるように、われわれの一票一票で笑顔あふれる国に変えることができます!

国内の貧困問題を可視化した「年越し派遣村」から10年を経て、なぜ今、#アンブレラ基金 を設立するのか。
#東京には傘がない とはどういうことなのか。
説明をしているので、ぜひご一読ください。

・・・稲葉剛(*)

「住む場所がなく、現在所持金も百円程で食事も三日程食べておらず、現在どうしていいか困り果ててメールさせて頂きました。区役所が開く月曜日までとても持ちそうになく、御相談させて頂きたいのですが、どうすれば良いでしょうか?」(30代男性)

「現在、無職で生活費、住む場所がありません。ですが、来週の月曜日から派遣で仕事をする事が決まりました。どうすれば宜しいかと思いご相談いたしました。」(40代男性)

 これらは、私が代表理事を務める一般社団法人つくろい東京ファンドに届いた相談メールの一部である。つくろい東京ファンドでは、東京都内で住まいを失った生活困窮者のための個室シェルターを運営しており、上記のメールを送ってくださった人たちも、その後、シェルターの入居につなげることができた。
 だが、緊急の宿泊支援を必要としていても、シェルターが満室のため、お断りせざるをえないケースもある。その場合、他の支援団体の情報を伝えているが、年中無休で対応できる団体はないため、支援につながるまでの間、路上生活をせざるを得ない人も出てきている。
 「待ったなし」で緊急の宿泊支援を必要としている人がいても、その日のうちに「屋根のある場所」を用意できない、という状況は他のホームレス支援団体でもよく見られる。
 東京・池袋を中心に路上生活者への支援活動を展開しているNPO法人TENOHASIでも、シェルターが満室のため、宿泊の支援が必要な人も路上で待機してもらうケースが少なくないという。
 だが、疾患や障害などの事情があり、すぐに屋根のある場所に移る必要がある人については路上で待機してもらうわけにはいかない。そのため、公的な支援につながるまでの間、ネットカフェ等に泊まる費用と当面の生活費を団体で支給しているが、特に年末年始やゴールデンウィークなど長期の休みの時は、こうした緊急支援にかかる費用が団体の財政を圧迫することもあるそうだ。
 路上生活者以外の人たちを支援している現場ではどうだろうか。

さまざまな属性の人たちの貧困が「可視化」

 「国内の貧困問題を可視化した」と言われた「年越し派遣村」から10年の歳月が経ったが、この10年間は、日本社会の中でさまざまな人たちの貧困が「発見」され、「可視化」されるプロセスであった。
 それまで貧困問題と言えば、中高年の路上生活者や若年の「ネットカフェ難民」など、単身男性の貧困が世間の注目を浴びていたが、この間、「子どもの貧困」、「母子家庭の貧困」、「貧困女子」、「下流老人」、「LGBTの貧困」等、これまであまり語られてこなかったさまざまな属性の人たちの貧困が語られるようになっていった。
 その背景には、それぞれの分野で困難を抱えた人を地道に支えてきた民間団体の活動がある。

それぞれの民間団体がホームレス状態の人を支援

 子ども、若者、女性、LGBT、外国人など、さまざまなカテゴリーで対人援助に取り組んでいる民間団体の数は、この間増え続けており、それぞれの支援において専門性を磨いてきている。また、以前から活動を続けてきた団体も、専門家と協力して貧困に着目した支援を行うようになってきている。
 この連載でも、そうした団体の活動をいくつか取り上げてきたが、それぞれの団体の支援現場の話を聞いてみると、「ホームレス支援」と銘打っていなくても実質的にホームレス状態にある人を支援しているケースが多いことに私は気づいた。
 例えば、女子高生を中心に十代の若者たちを支援している一般社団法人Colaboでは、虐待などの問題があるために家庭に居場所がなく、夜の街をさまよっている若者を一時保護するためのシェルターを開設している。
 昨年秋からは新宿や渋谷の繁華街にマイクロバスを停車させ、そこで食事提供や相談をおこなう「バスカフェ」の活動を始めており、「バスカフェ」での相談を通して、緊急の宿泊支援につなぐケースも出てきている。
 深夜の相談でシェルターへの移動が困難な場合は、近隣のホテルの部屋を確保して泊まってもらっているが、近年、都内のホテルの宿泊費が高騰しているため、その費用が負担になっているという。
 日本国内に逃れてきた難民を支援している認定NPO法人難民支援協会では、近年、難民申請中の外国人が十分な公的支援を受けられず、路上生活となってしまうケースが増えているため、他団体と連携して緊急の宿泊場所を提供したり、ホステル等での宿泊費用を支給したりするといった緊急支援を実施している。
 しかし、すべての人の宿泊先をすぐに確保できるわけではなく、資金的な問題もあるため、宿泊費用の支給については女性や未成年、病気を抱えている人など、特に脆弱性が高い人に限定せざるをえない状況だという。
 LGBTの生活困窮者を支援する「LGBTのハウジングファーストを考える会・東京」では、都内のアパートの部屋1室を確保して「LGBT支援ハウス」を開設。今年1月より、住まいを失ったLGBTの生活困窮者の受け入れを始めたばかりだが、シェルターが満室時も緊急支援を求める問い合わせが各方面から相次ぎ、対応に苦慮している。
 これらの団体において、緊急時のネットカフェ代、ホテル代等の支援は各団体の会計からの持ち出しになっており、それが財政への負担になっていた。

新たな基金を作り、緊急宿泊支援に助成
 そこで、つくろい東京ファンドでは、このたび「東京アンブレラ基金」という新たな基金を作り、各団体が実施する緊急宿泊支援に助成する仕組みを作ることにした。「アンブレラ」には「今夜、雨露をしのぐ場」という意味を込めている。
 助成の金額は1人1泊あたり3000円。連続4泊分まで支援する仕組みだ。安全上の都合により支援者が同じ場所に宿泊する際は支援者1人分3000円も追加支給する。
 この程度の金額では、各団体が実施する緊急宿泊支援の全額をまかなうことは難しいが、少しでも金銭的な負担を軽減できればと考えている。
 現在、以下の7団体が協働団体として「東京アンブレラ基金」への参加を表明してくれている。

● NPO法人TENOHASI(路上生活者支援)
● 一般社団法人Colabo(若者支援)
● 認定NPO法人難民支援協会(難民支援)
● LGBTのハウジングファーストを考える会・東京(LGBTの生活困窮者支援)
● NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク(子ども支援)
● 避難の協同センター(原発避難者支援)
● NPO法人 人身取引被害者サポートセンター ライトハウス(人身取引被害者支援)

 つくろい東京ファンドは、これら7団体と協働してクラウドファンディングを行い、「基金」の資金を調達する。
 当面の目標金額は200万円。これは延べ600泊分の支援を可能にする金額である。
 また、「基金」の運用が始まれば、研究者の協力のもと、各団体による支援実績をデータにまとめ、東京における住居喪失者の全体像を明らかにしていきたいと考えている。

東京という街のありようを変えていきたい

 私が「東京アンブレラ基金」の活動を通して変えていきたいのは、東京という街のありようだ。
 「生産性がない」、「自己責任」、「国に帰れ」…近年、特定の人々を切り捨てたり、排除したりする言葉やふるまいが東京でも大手をふるうようになってきている。
 また、東京オリンピック・パラリンピックを来年に控え、路上生活者を都市空間から排除していこう動きも加速してきている。
 だが本来、都市の魅力とはさまざまな人が混じりあい、交流することから生まれるのではないだろうか。
 私は分断と排除の街より、誰もが人として尊重され、包摂される街に暮らしていたいと思う。

 「東京アンブレラ基金」の合言葉は、「誰も路頭に迷わせない東京へ」。
 私たちがめざすのは、雨露に濡れて途方に暮れている人がいれば、そっと誰かが傘を差し出すような街だ。
 さまざまな分野で活動を続ける8団体が団体の枠を超えて連携することで、世代や国籍、SOGI(性的指向・性自認)といったあらゆる分断を超えて、誰一人、置き去りにしない東京を作っていきたい。
 3月28日から「東京アンブレラ基金」設立のためのクラウドファンディングを開始した。ぜひ多くの方々の応援をお願いしたい。
 「今夜、行き場のない人」を路頭に迷わせないため、団体の枠を越えた基金を作りたい!


〔写真〕
「東京アンブレラ基金」協働団体のみなさん

WEBRONZA、2019年03月29日
貧困の現場から、27
誰一人、路頭に迷わせない東京をつくる

団体の枠を超えた「東京アンブレラ基金」設立へ

稲葉剛、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授
https://webronza.asahi.com/national/articles/2019032600001.html

(*)稲葉剛
一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事。住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。生活保護問題対策全国会議幹事。 1969年広島県生まれ。1994年より路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。幅広い生活困窮者への相談・支援活動を展開し、2014年まで理事長を務める。2014年、つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者への住宅支援事業に取り組む。著書に『貧困の現場から社会を変える』(堀之内出版)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』(エディマン/新宿書房)、『生活保護から考える』(岩波新書)等。
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過労死しないための7箇条

 4月から、それぞれの職場で新たな一歩を踏み出す新社会人。しかし、彼、彼女らが働く社会では「過労死」がいまだ大きな問題として残っています。働きすぎが「ふつう」になる前に、自分の身を守るためにはどうしたらいいか――。過労死問題の取材を長年続ける牧内昇平記者が、約50人の遺族から話を聞いた経験をもとに、「過労死しないための7箇条」をまとめました。

日本にはびこる「過労死」

 この春、新しい生活がはじまる人も多いのではないでしょうか。

 どんな仕事を任されるのだろうか。初任給をもらったら何に使おうかーー。さまざまな期待を胸に、入社式の日を待っていることでしょう。

 意欲をもって働くことは大事だと思いますが、ここで一つだけ、みなさんに覚えておいてほしいことがあります。

 それは、仕事が原因で命を落とす「過労死」が日本にははびこっている、ということです。

 過労による脳や心臓の病気で亡くなる人がいます。これが狭い意味で言う「過労死」です。また、仕事が原因でうつ病などの心の病にかかり、自死をはかる人もいます。私はこうした人々も広い意味で言えば「過労死」だと考えています。

過労自死した電通の新入社員

 犠牲者の数はどのくらいでしょうか。労働基準監督署で労働災害(労災)と認められた人の数を見てみましょう。脳や心臓の病気で亡くなり、労災認定された人は2017年度だけで92人にのぼりました。心の病で自死をはかり、労災認定された人は98人でした(未遂を含む)。

 遺族が労基署に申請して審査をパスしない限り、労災とは認められません。したがって、労基署に申請しない人、労災と認めてもらえなかった人などを合わせると、犠牲者の数はもっと多くなります。

 若い人も安全とは言えません。2016年には大手広告会社の電通で新入社員が過労自死した事案が注目を集めました。

 心の病による自死については、先ほどの98人の労災認定のうち、40歳未満が45%を占めています。体力があるのをいいことに若い社員を限界まで働かせようとする会社、経験の少ない若手社員にも心理的圧迫を加える会社が、残念ながら世の中にはあります。

過労死しないための7箇条

 過労死問題を7年ほど取材しつづけている私は、こうした現状をぜひ多くの人々に知ってほしいと思っています。数字だけ紹介してもなかなかピンとこないかもしれません。そこで、新年度に合わせて一冊の本を出版しました。タイトルは「過労死 その仕事、命より大切ですか」です。

 仕事によって命を奪われた人々の足跡を知りたくて、コツコツと遺族取材を続けてきました。これまでに直接話を聞かせてもらった遺族は50人ほどになります。その中から11人の方々を、本で紹介しています。
 
 この記事では、遺族取材を続けてきた経験をもとに、私が皆さんに必ず覚えておいてほしいポイントを7つ挙げます。これだけは会社に入っても、忘れずにいておいてほしいと思っているものです。イメージを持ってもらうために、取材で出会った人たちの例を少しだけ紹介します。

(1)働いた時間をチェックしよう

 自分の1カ月の残業時間は必ずチェックしましょう。国が定める「過労死ライン」は「月80時間超の残業」です。1カ月の残業が80時間を超えると過労死する危険が高まります。80時間未満なら大丈夫というわけではありません。

 残業が月45時間を超えると、だんだん危険は高まっていきます。45時間以上で「黄信号」、80時間以上は「赤信号」なのです。毎日の始業・終業時刻を手帳にメモし、残業時間を定期的に計算しましょう。

 特に注意すべきなのは、働いた時間と関係なく給料が支払われる仕事の人たちです。代表例は学校の先生です。給料の4%が実質的な残業代として一律で支払われています。残業がゼロでも80時間でも同じ金額が振り込まれてくるのです。給料に影響しないのですから、働いた時間に関心を失ってしまいがちです。

 私の本では、2007年にくも膜下出血で亡くなった中学校の先生を紹介しています。授業やサッカー部の指導に明け暮れ、我が身をいとわず働いてしまいました。正確な労働時間は死後にご遺族が調べてはじめて判明しました。

(2)サービス残業はダメ

 タイムカードを読み取り機に通した後の「居残り」残業や、自宅で明日の準備をする「持ち帰り」残業はするべきではありません。

 賃金が支払われない労働はすべて、違法です。お金の問題ばかりではないのです。これが多いと自分が実際に働いた時間の把握が難しくなり、(1)で書いたチェックが不十分になります。スーパーの男性店員でサービス残業をくり返していた人の取材では、男性の死後に遺族が調べたところ、勤務記録と実際に働いていた時間に大きな食い違いがありました。

(3)パワハラに気をつけて

 残業時間が短い人でも心の病による「過労自死」の危険はあります。心の病で労災認定された人のうち、最大の原因は「職場のいじめや嫌がらせ、暴行」、いわゆる「パワハラ」でした。

 パワハラされていると感じたら、すぐに加害者以外の上司や同僚、労働組合などに相談しましょう。本では、上司からたたかれるなどの暴行を受けていた飲食店社員や、大声で叱られ続けた県庁マンのことを紹介しています。

(4)心の不調はすぐに受診を

 心の病が重くなるのを防ぐ最大のポイントは、「早期発見・早期予防」です。「やる気が出ない」「最近だるい」などと感じる人は、なるべく早く医療機関にかかりましょう。そして、症状が重くなれば迷わず仕事を休みましょう。

 これまで、心の病で自死した人の遺族を数多く取材してきました。たとえば、郵便局に勤めていた50代の男性は、5年間で3回も心の病で病気休職をくり返した末、自死をはかってしまいました。仕事の負担を軽くしたり、別の郵便局に異動させたり。男性が命を絶つ前に会社ができることはなかったのか。深く悔やまれます。

(5)睡眠不足での運転も危険

 装飾関連の会社に勤めていた24歳の男性は、徹夜勤務が終わった後の午前9時ごろにバイクで帰宅する途中、交通事故を起こして命を落としました。

 過労状態での運転は飲酒運転と同じくらい危険だという研究結果もあります。「飲んだら乗るな」だけでなく、「疲れたら乗るな」を自らのルールにしましょう。

(6)危なかったら、すぐ逃げて

 取材を続けていて感じるのは、正常な状態であれば死を選ぶはずのない人たちが、自ら命を絶っていることです。

 育ち盛りの子どもがいる人、妻が待望の赤ちゃんを妊娠した人。私生活では幸せいっぱいなはずの人々が亡くなっています。いったん重い心の病にかかると、どんどん視野が狭まり、最終的には「生きる」という選択肢さえ見えなくなってしまうようです。そのような状態になる前に、仕事から逃げなくてはなりません。

 長時間労働やパワハラが横行する職場の風土は、そう簡単に変わりません。危ないと思ったら、すぐに退職を決断しましょう。転職活動は大変ですが、倒れてからでは遅いのです。
ぼくの夢
大きくなったら
ぼくは博士になりたい
そしてドラえもんに出てくるような
タイムマシンをつくる
ぼくはタイムマシーンにのって
お父さんの死んでしまう
まえの日に行く
そして『仕事に行ったらあかん』て
いうんや

出典: 父親を過労自死でなくしたマーくん(当時6歳)が書いた詩。過労死遺族の思いを象徴する詩として、たいせつに読み継がれている

(7)退職後も注意を

 レンタルビデオ店で働いていた27歳の男性は、夜勤つづきの生活に疲れ果てて会社を辞めました。しかし退職の半年後、くも膜下出血で亡くなってしまいました。会社を辞めてもすぐに心身が復調するわけではありません。

 不調を感じる場合は病院で精密検査を受け、「過労時代」についた不規則な生活習慣も改めましょう。

働きすぎが「ふつう」になる前に

人間が馴れることのできぬ環境というものはない。ことに周囲の者がみな自分と同じように暮しているのが分っている場合はなおさらである

 ロシアの文豪、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に出てくる言葉です。
 「慣れ」というものほど、怖いものはありません。
 過労死ラインを超える残業は異常なはずですが、そんな状態にも人は慣れてしまいます。
 朝起きたときに体が鉛のように重くても、連日のことになればそれが「ふつうの朝」と感じるようになります。
 同僚たちも同じ状態で働いているならば、なおさらのことです。

 スタートの時期が肝心です。
 働きすぎが自分の「ふつう」になってしまう前に、過労死がたくさん起きていることを思い出し、自分の働き方に常に目を配ってください。

[写真‐1]
新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が過労自死した電通(中央)の違法残業事件は、長時間労働の是正の議論が加速するきっかけの一つになった

[写真‐2]
授業やサッカー部の指導に明け暮れ、我が身をいとわず働き、くも膜下出血で亡くなったある中学校の先生。正確な労働時間は死後に遺族が調べてはじめて判明した

[写真‐3]
事故死の責任を追及する裁判を2015年に起こした男性の母親(右)。昨年の和解後は、過労事故をなくすための活動に取り組んでいる

withnews、2019年03月29日
働きすぎが当たり前になる前に

新社会人へ過労死しないための7箇条

牧内昇平(*)
https://withnews.jp/article/f0190329001qq000000000000000W0by10301qq000018937A

(*)牧内昇平『過労死: その仕事、命より大切ですか』(ポプラ社、2019年3月)

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足元しっかりと守る「伊藤ウロコ」

 ヤッホーくんのこのブログ、2019年2月28日付け日記「百年企業の吉野家」をぜひお読みくださいね。

 ヤッホーくん、1ヶ月後の3月28日、月島と豊洲で乗り換え「ゆりかもめ」に乗ってまたもや新市場へ。

 向かった先は、水産仲卸売場棟4階物品店舗街区及び青果関連施設棟”魚がし横丁”にある「伊藤ウロコ」。

2018年10月6日に営業を終えた築地市場(東京都中央区)は、日本の食文化を支える業者たちの誇りを育んだ場所だ。
市場とともに歴史を刻み続けた業者の多くはこの日、愛着を深めた店舗に別れを告げ、移転先の豊洲市場(江東区)へと引っ越しを本格化。
期待と不安を胸に歩み始めた。
 
◆ 鮮魚仲卸業「亀谷」社長・亀谷直秀さん 食の安全をさらに追求

 イヨー、シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン!
 築地伝統の「魚河岸一本締め」が、鮮魚仲卸業「亀谷(かめたに)」の売り場に響いた。

「歴史ある市場で働けたことを誇りに思う。悲しい、寂しい、よりも新しい市場でしっかりやっていけるよう考えていこう」

 二代目社長の亀谷直秀さん(58)は最後の営業を終えた6日午前10時すぎ、輪になった約25人の従業員に呼び掛けた。
 大学卒業後、父が60年前に創業した亀谷に就職。
 時はバブル景気前。
 魚は売れに売れた。
 毎日が年末のようににぎわっていた。
 アジ、サンマ、ブリ…。
 「うまい」と思う魚だけを売ってきた。
 同業者や魚に詳しい客とのやりとりを重ね、目利きの技を養った。

「築地は僕の先生。ここで一人前になれた。『築地ブランド』って、人なんだ。そこで働き、うまい魚を提供してきた人なんだ。豊洲に場所を移してもブランドは変わらない。市場で働く人たちは変わらないから」

 世界に誇れる食文化をつくった築地は今、消費者のニーズに十分に応えることができているのだろうか。
 亀谷さんは自問する。

「築地の衛生管理は何十年前ものレベル。今のままでいいわけがない。客が今一番求めているのは食の安全・安心。それを提供するのが僕らの仕事だから。市場も変わらないと。一番大切なことを忘れちゃいけない」

[写真]
築地市場での最後の営業を終え、手締めする鮮魚仲卸業「亀谷」の亀谷直秀社長(左端)ら=6日午前10時17分、東京都中央区で

◆ ゴム長靴「伊藤ウロコ」専務・伊藤嘉奈子さん 足元しっかりと守る

 市場内の飲食店街「魚がし横丁」にある「伊藤ウロコ」は、市場関係者御用達のゴム長靴専門店。

 「ずっと一緒に頑張ってきたね。お疲れさま。本当にありがとう」

 築地での営業を終えた専務の伊藤嘉奈子さんは、市場の歴史と一緒に年を重ねた店をねぎらった。

 日本橋に魚市場があった1910(明治43)年、げた商として創業。
 商売と水の神様の化身「白蛇」のウロコを模した白い逆三角形を、膝部分に刻む長靴は、ウロコ製の証し。
 滑りにくく、しゃがんでも足首に負担がかからない。
 魚脂の上を歩くことも多い「河岸の衆」の定番になった。

 伊藤さんが幼少のころ、三代目の父親の店を訪れると、番頭や市場で働く人たちが温かく迎えてくれた。
 築地は、市場関係者と伊藤さんを家族のようにつなげる特別な場所だった。
 父が急死し、広告出版会社を退社、2000年に家業を継ぎ、昔かたぎの男ばかりの市場で、四代目の母と店を切り盛りした。

「あしたから、この店のシャッターを開けることができないと思うと…」
と涙ぐむ。

 豊洲でも、ウロコ印の長靴は河岸の衆の足元を支えていく。

「築地のようににぎわうのだろうか。新しい場所でのスタートだから今は心配ばかり。市場で働く人たちの足元を守ってきた先代からの思いを、しっかり受け継いでいきたい」


[写真]
引っ越しの準備をする「伊藤ウロコ」の伊藤嘉奈子さん=6日午前10時55分、築地市場で

東京新聞・朝刊、2018年10月7日
築地魂 豊洲でも
(神野光伸)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100702000116.html

 目からウロコ、じゃない、ない・・・「伊藤ウロコ」・・・
 滑らない、しっかりしたゴムの長くつ、良いな、冬の雪山はそれこそアイゼンつけられるよう冬用登山靴は必需品だけど、冬の山歩きに最適な飯盛山1653m、富士山、八ヶ岳、南アルプス、奥秩父、西上州の山々を見渡せる大展望台のあの山を歩くとき履いていこうかなあ、と。
 お店ではヤッホーくん、四代目からいろいろとお話を伺うことができ、店をでてからも思わず、店の前にいた通行人に「伊藤ウロコ」さん、100年の歴史を誇る長くつ専門店です、どうぞ中に入って見るだけでも、ほら、この白いのが「ウロコ」マーク、なんて興奮して呼び込みしてましたぁ。

書評 『跡取り娘の経営学』(白河桃子、日経BP社、2008)
−「跡取り娘」たちが背負う日本の中小企業の未来 −

◆ 「跡取り娘」たちが背負う日本の中小企業の未来。彼女たちから元気をもらいたい

 日本全国の法人数は、国税庁のデータによれば約280万社、法人の数だけ社長がいると考えれば、そのうちの約1割を占めるのが女性経営者である。

 女性経営者のなかには、最近よく脚光を浴びているベンチャーの創業経営者もいるが、その多くはスモールビジネスの所有者であろう。

 また、配偶者の死によって事業を継いだオーナー経営者の未亡人や、父親の後を継いで経営者になったものもいる。本書に取り上げられた「跡取り娘」とは、この最後のタイプのことだ。

 人口減少傾向にともなう国内マーケットの縮小は、日本国内で事業活動を行う企業には等しくかかわってくる事業環境に大変化だが、とくに少子化の影響が大きく影響しているのが中小オーナー企業経営である。

 端的にいえば、後継者問題がネックになって廃業する中小企業が後を絶たないのだ。跡取り息子がいない、息子たちがいても事業を継ぎたくない、社内にも後継者が見つからない。こういった声はかつてから存在してきたが、このところ急速に顕在化してきている。

 そこに登場してきたのが本書でその一部が紹介された「跡取り娘」たちなのだ。娘たち自身が、中小オーナー企業の跡取りとして経営にあたっている。

 江戸時代以来、日本の商家では、息子がいてもあえて事業を継がせずに、娘婿をとって事業継承させることが行われてきた。しかしここでいう「跡取り娘」は、従来からある娘婿による跡取りではなく、経営者でもある父親の背中を見て育った娘たち自身が、跡取りとして、「看板」(ブランド)を背負い始めということだ。

 たとえ配偶者がいても、経営者として事業継承したのはあくまでも「跡取り娘」であって婿殿ではない。事業家の娘たちによる、新しい時代の中小オーナー企業経営の波が現れてきたのかもしれない。

 本書に取り上げられた「跡取り娘」たちは以下のとおりだ。目次に沿って掲載しておこう。肩書きは出版当時のもの(敬称略)。

第1章 産業再生跡取り娘
 ● ホッピービバレッジ 取締役副社長 石渡美奈(飲料製造販売)
 ● 日本電鍍工業 代表取締役 伊藤麻美(金属メッキ加工)
 ● 黄木コーポレーション 代表取締役 黄木綾子(老舗和風旅館)

第2章 跡取り娘のしなやか仕事術
 ● 曙 代表取締役社長 細野佳代(和菓子製造販売)
 ● 浅野屋 代表取締役社長 浅野まき(パン製造販売)

第3章 伝統文化の守り手として
 ● かめびし 常務取締役 岡田香佳苗(粉末醤油製造販売)
 ● 清香園 盆栽家 山田香織(盆栽業)
 ● 伊勢由 常務取締役 千谷美恵(呉服屋)

第4章 職人ニッポンの跡取り娘
 ● (株)タナカ シェフパティシエ 田中千尋(カフェ)
 ● 京都・丹山酒造 清酒製造部 長谷川渚(酒造業)
 ● 亀岡商会 常務取締役 亀岡幸子(ビル経営)
 ● 伊藤ウロコ 専務取締役 伊藤嘉奈子(業務用長靴専門店)

 娘が後を継ぐというのは、意外というかやはりというか、オーナー経営者である父親にとっても、実はなかなかそう簡単にすんなりと決められるものではないようだ。

 ほんとうは継いで欲しいのだが、可愛い娘には苦労させたくないし、女性としての幸せも掴んで欲しい、そういった複雑な親心を知ってか知らずか、自分が継がなければ誰が守っていくのかという心意気に燃えた娘たちが後を継いでいるというわけなのだ。なかには、成功しているキャリアを捨ててまで家業を継いだ娘たちもいる。

 本書で紹介された12人のインタビューを行った著者が、最後に7項目にわたって「跡取り娘 力」をまとめているので紹介しておこう。

「バブル 力」、
「わがまま 力」、
「コミュニケーション 力」、
「「ムダ」力」、
「姉妹力、婿取り 力」、
「よそ者 力」、
「「品格」美人 力」。

 ここに見られるのは、仕事と遊びをつうじて家業以外の世界を幅広く知っている視野の広さや、経営者にとっては不可欠なコミュニケーション能力など、「跡取り娘」たちが、知らず知らずのうちに身につけていたチカラが、経営を継承するにあたっても大きく働いていることだ。

 日本ブランド再生の担い手でもある「跡取り娘」たち。ぜひ一読して、彼女たちから少しでも元気をもらいたいものだ。

<書評への付記>

 目を日本から転じて東南アジアをみれば、華僑華人系のビジネスでは、娘が事業の全てあるいは一部を継ぐことはけっして珍しいことではない。

 たとえば、今年2010年8月に放映された NHKスペシャル「灼熱アジア 第1回 タイ“脱日入亜”日本企業の試練」でも大々的に取り上げられたサミットグループ、番組では登場場面は少なかったが、会長のソンポーン氏は創業経営者の未亡人だが、経営手腕を存分に発揮してタイでも有数の製造メーカーに育てあげた。

 また、タイ最大の富豪は象印のビール、ビア・チャーンを製造販売するタイ・ビヴァレッジの社長であるが、その娘は現在、グループの資産管理会社の社長を務めている

 これは、台湾でも香港でもシンガポールでも、タイでもマレーシアでも華人世界では当たり前となっている。

 また、欧米のビジネス界でも、男性雑誌のプレイボーイは創業社長の娘が継ぎ、国際的メディアグループでもマードックの娘が継ぐ可能性が高いといわれている。

 要は、能力があれば男女に関係なく後継者に指名するということだ。この点にかんしては、成功している起業家は実にシビアな選択を行っているというべきだろう。

 この点においては、日本はまだまだ発展途上国だ。だが、見方によっては、今後も「跡取り娘」が増えていくものと期待もされるわけであり、大いに期待したいものである。

 本書は「NBオンライン」での連載をまとめて一冊にしたもので、私は連載中から読んでいた。本書自体も出版されてすぐに読んだが、出版から2年後の現在にあえて紹介するのは、その価値があるからである。


「アタマの引き出し」は生きるチカラだ! 2010年11月18日木曜日
"思索するビジネスマン" が惜しみなく披露する「引き出し」の数々。ビジネスを広い文脈のなかに位置づけて、重層的かつ複眼的に考える。
http://e-satoken.blogspot.com/2010/11/nb-online-booksbp2008.html

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2019年03月28日

山本太郎議員の質問を黙殺、安倍総理と河野外相

 自由党共同代表・山本太郎参議院議員は3月18日、参議院予算委員会で午前と午後にわたって、辺野古の新基地建設をめぐって、日米地位協定や密約について安倍総理を始めとする閣僚らに質問した。

密約の方程式

 午後の質疑を理解する上で、必要となる情報をお伝えしたい。

 ノンフィクション作家の矢部宏治氏によれば、日米の関係において『密約』というのが重要な意味を持っており、そこには下記のような「密約の方程式」とも言えるものがあるのだという。

古くて都合の悪い取り決め= 新しくて見かけの良い取り決め+ 密約

 これが例えば、「地位協定」の場合は、

日米行政協定=日米地位協定+密約

 安倍総理の祖父・岸信介元総理が「対等な日米関係を目指す」という建前で1960年に締結した日米地位協定。
 しかし、その裏で日米間では密約が結ばれ、基地権(米軍が日本の国土全体を自由に使用できる)や裁判権(米軍関係者を日本の法律で裁けない)など日本に不利な取り決めが今日に至るまで継続しているというのだ。

 密約文書については、裁判権放棄などの密約文書が機密解除された複数の英公文書などで明らかになるなど、実在するもので、たびたび問題視されてきたものだ。(参照:”裁判権放棄 米以外とも密約 1953年に政府、英・豪などに適用” 東京新聞)

 なお、この文書については山本太郎議員が自身のウェブサイトで質疑の模様とともに公開しているのでそちらをご覧いただきたい。

 こうした「密約」について、山本議員は質問をぶつけたのである。

河野外相も安倍総理も真っ赤!

【基地権密約】2019年3月18日午後 参議院予算委員会 山本太郎議員vs河野外相&安倍総理
https://www.youtube.com/watch?v=75XLtnCTF40

密約問題に正面から切り込んだ山本太郎議員

 午後の質疑の終盤、密約の方程式について山本議員は正面から切り込む。

山本議員
 つまり、新しい地位協定、文言変わるけど、前の行政協定のまんまだからねって話なんですね。行政協定イコール地位協定だよってことです。
 アメリカでは絶対にできない、絶対にできない市街地上空での米軍機の訓練飛行、小学校、幼稚園に窓枠などの危険物を落下させても、何もなかったようにすぐ訓練飛行を再開させる米軍、それに抗議できない日本、止められない日本、なぜですか。米軍機が学校、保育園の上を飛ぶたびに、運動場で遊んでいた子供たち、校舎に避難しなければならないような生活、普通ですか。アメリカ国内ではやれない訓練、なぜ米軍は日本でできるんですか。
 総理、辺野古の建設に幾ら沖縄県民が反対しても、日本政府がその声を受け止められない本当の理由、又は総理が北方領土交渉において25回会談しても何一つ交渉を進展させられない本当の理由、それ、おじい様がひそかに結んだ先ほどの基地権密約、米軍の日本国内での行動に日本側が歯止め掛けられない密約にあるんですよ。
 おじい様の結んだこの密約、根本から見直して破棄する、米軍の行動を日本がきちんとコントロールできるようにする、日本国首相として沖縄県民の民意に応えて、また軍事主権を持つ独立国の首相として堂々と北方領土交渉、返還交渉に臨む。やっていただけませんか、総理

 こう安倍総理に問いかけた山本議員。
 しかし、例のごとく出てきたのは安倍総理ではない人物。
 このときは河野太郎外相だった。

河野外相
 あのー、日米行政協定と、おー、今度の地位協定においては表現は変更されておりますが、施設区域における米軍のいわゆる管理権の実質的内容が変わったわけではございません。
 こうした経緯、考え方については昭和35年の日米地位協定締結にあたっての国会審議の場で繰り返し申し上げていることでございまして(以上、「信号無視話法、黄判定」、
 え、これは当時、国会で、えー、議論されておりますから密約でもなんでもございません(以上、「信号無視話法、赤判定」」

 山本議員の質問は「密約を破棄して頂けるか」。
 対して、河野外相の回答は「管理権の新旧協定間の差異、密約であるか否か」となっており、あからさまな論点のすり替えと判断し、赤信号とした。
 山本議員もすぐさま以下のように切り返す。

山本議員
 じゃ、何で密約文書が出てくるんですか。総理、今言ったことをやっていただけませんか。基地権密約。これ破棄して、もう1回、日本、出直した方がいいでしょう。戦後レジームからの脱却なんじゃないですか。やってくださいよ

 この提案に対して、ようやく答弁に出てきた安倍総理。

安倍総理
 あの、おー、政府としてですね、え、米国において公開されたとされる文書の中身について、一つ一つコメントすることは適当ではないと考えてます。えー、米国の一般に公開された文書につきコメントを行わないものと承知をしております。
 この文書から離れてですね、施設区域における米軍の管理権について申し上げれば、この権利権、あ、管理権の実質的内容が1952年に締結された日米行政協定と1960年に締結された日米地位協定の間で、え、異なるものではないことはですね(以上、「信号無視話法、赤判定」)、
 日米地位協定の締結にあたって、え、国会審議の場を含め、ま、政府から既に説明していることであります(以上、「信号無視話法、黄判定」)。
 えー、なお、いわゆる密約問題について、2009年から、え、外務省において4000を超えるファイルを対象に徹底した調査を行い、その結果及び多数の関連文書を2010年に、え、こうひょ、公表したところ、え、これはあのー、民主党政権時代でありますが、2010年に公表したところでありますが、この文書はその調査及び結果の関連文書の中には、ま、含まれておりませんでした(以上、「信号無視話法、赤判定」)」

 こちらも、「密約を破棄して頂けるか」と問う山本議員の質問に対して、安倍総理の回答は「米国文書へのコメント、管理権の新旧協定間の差異、民主党政権時代の関連文書公表結果」となっており、論点すり替えとなっている。

またしても山本議員のみ悪者にする金子委員長

 これらのやり取りを受けて、山本議員の質疑は、金子原二郎委員長と山本議員の以下のやりとりで終了する。

金子委員長
 山本君、時間が来ております。

山本議員
 総理自身がこの植民地状態から脱するという決意しないと、何も終わらないんですよ。おじいさんの作った売国条約をあなたの手で変えてくださいよ。それがあなたがやるべき仕事じゃないんですか。沖縄に基地は造らせない。以上で終わります。

金子委員長:
 ただいま不適切な言葉があるとの指摘がありましたので、委員長といたしましては、後刻理事会において速記録を調査の上、適切な処置をとることといたします。

 午前に続いて、山本議員の発言に対して、「速記録を調査」すると述べた金子委員長。

 山本議員が「売国条約」というやや強い表現を用いたのは事実だが、閣僚たちの論点ずらしや時間稼ぎは一切注意せず、山本議員の発言だけを問題視する金子委員長。
 午前の山本議員の言葉を借りれば、「官邸の下請け」としての職責を全うする姿勢は終始一貫している。

 そして、質問に全く答えなかった河野外相と安倍総理。

 日米地位協定に関しては、昨年2018年11月に共産党・小池晃議員も議題に挙げ、日米地位協定の改定を提案しているが、この際も安倍総理と河野外相は質問に全く答えず、論点ずらしに終始した。

 現政権の閣僚が質問に全く答えようとしないため、なかなか議論は進まないが、山本太郎議員がこれまであまり触れられることの無かった密約の問題を取り上げ、正面から問題提起したことは大きな意味があると考えられる。


ハーバービジネスオンライン、2019.03.28
山本太郎議員が切り込んだ59年前の密約問題。

その質問を黙殺した安倍総理と河野外相

犬飼淳
https://hbol.jp/188923

 ね、われわれのトップたちって、いっつも主権者、納税者、国会議員を無視、論点をすりかえてその場をのりきることだけの非生産的な熟議!ていねいな説明!議論!
 ね、だから、われわれのトップってこんな相関図にあるって。
 場末(はイッパン庶民だから)のじゃなくって、ハイソな展望レストランか扉を閉ざした密室でおともだちと食べ・飲み放題、放談で、この国の納税者をほったらかし。

加計学園問題相関図.jpg

日本会議による独裁.jpg

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Reconstruction Olympics 2020 ???

TOKYO: With Japan keen to flaunt Tokyo 2020 as the “Reconstruction Olympics“, people who fled the Fukushima nuclear disaster are being urged to return home but not everyone is eager to go.

Tokyo and the International Olympic Committee (IOC) plan to use the global spotlight from the Games to showcase the recovery of the region devastated by the 2011 nuclear disaster and the tsunami that triggered it, killing 18,000 people.

But Kazuko Nihei, who fled her home in Fukushima city with her two daughters in 2011, insists she won’t return, even though government subsidies she once received have now ended.

“I’m not wavering at all,” she told AFP in Tokyo, where she relocated with her daughters, now 11 and nine, after the disaster.

Japan ordered more than 140,000 people to evacuate when the Fukushima Daiichi reactors went into meltdown, but many others living outside the evacuation zones also opted to leave, including Nihei.

Her husband and in-laws stayed in Fukushima city, and living apart has come with emotional and financial costs.

“I have to work with every ounce of energy,” said Nihei, who works seven days a week to help keep the family afloat.

For six years, she and her daughters lived in free accommodation supported by government subsidies, but support for “voluntary” evacuees ended in March 2017.

She moved and now struggles to pay the 130,000 yen (US$1,200) monthly rent.
But she insists she is not ready to return to Fukushima city, despite government assurances the area is safe.

Japan’s government has pressed an aggressive decontamination programme involving removing radioactive topsoil and cleaning affected areas, and evacuation orders have been lifted across much of the region affected by the meltdown.

But the programme has not swayed everyone, with a poll conducted in February by the Asahi Shimbun daily and Fukushima local broadcaster KFB finding that 60 percent of Fukushima region residents still felt anxious about radiation.

Nihei worries about “various health risks for children, not only thyroid (cancer) but others including damage to their genes.”

“If there was a comprehensive annual health check, I might consider it, but what they are offering now is not enough, it only concentrates on thyroid cancer,” she told AFP.

Part of the doubt stems from Japan’s decision in the wake of the disaster to alter its own standards for what it considers acceptable levels of radiation exposure.

It changed the level from 1 millisievert (mSv) a year to 20 and says that level of exposure carries far lower cancer risks than smoking or obesity and “can be comparable to the stress from evacuation.”

The International Commission on Radiological Protection sets a maximum dose of 1 mSv/year in normal situations and a range of 1-20 mSv/year in post-accident situations, though it has urged Japan’s government to choose a target at the lower end of that range.

Despite the uncertainty, Fukushima prefecture plans to end almost all housing subsidies by the end of March 2021, with a goal of having no evacuees by the time – a target some fear will have disastrous results.

“We are worried that the subsidy cuts could prompt... suicides and homelessness” said Daisaku Seto, secretary general of the Cooperation Center for 3.11, an NGO that supports evacuees.

“Officials from the government and Fukushima say it’s time for them to lead self-supporting lives, but evacuees can’t find jobs that bring in enough money,” Seto told AFP.

Many evacuees want to stay away at least until their children are adults, “but the government unilaterally set the deadline“, he added.

Independent experts say it is hard to definitively quantify the risks evacuees could face by returning, but they add that prolonged anxiety for those who have come back reluctantly could itself be unhealthy.

“If someone has to live (in Fukushima) without being convinced about worries over health and what they eat, that would be mentally hard and could be a great burden,” said Reiko Kanda, head of the Center for Radiation Protection Knowledge.

Last year, Japan was forced to defend its policy of encouraging people to return after a UN special rapporteur said women and children should not be sent back to parts of the Fukushima area.

“Many feel they are being forced to return to areas that are unsafe, including those with radiation levels above what the government previously considered safe,” Baskut Tuncak said.

Japan rejected Tuncak’s statements as based on “one-sided information“, but the comments struck a chord with some evacuees.

“We have the right to evacuate,” said Noriko Matsumoto, 57, who left in 2011 with her daughter from Koriyama in Fukushima prefecture.

She questions why the government is pouring money into preparations for the Olympics – some baseball and softball games will be held in the region – while dropping subsidies for Fukushima evacuees.

“I have no grudge against the athletes,” she told AFP.

“But I think there are other things that should be done before hosting the Olympics.”


[Photo]
This picture shows an abandoned car and house in Namie town, Fukushima prefecture.

New Straits Times, Published: March 8, 2019 - 11:12am
Fukushima evacuees resist return as 'Reconstruction Olympics' near
By AFP
https://www.nst.com.my/world/2019/03/467170/fukushima-evacuees-resist-return-reconstruction-olympics-near

TOKYO (BLOOMBERG) - Japan's disaster-hit Fukushima prefecture will host some baseball and softball games at the 2020 Tokyo Olympics, at a site about 70km from the crippled Fukushima Dai-Ichi nuclear power plant.

The Tokyo organising committee said in a statement on Friday (March 17) that the Fukushima Azuma Baseball Stadium would host the matches, adding that the events would support recovery efforts in the region devastated by the March 2011 earthquake, tsunami and nuclear meltdowns.

"By hosting Olympic baseball and softball events, Fukushima will have a great platform to show the world the extent of its recovery in the 10 years since the disaster," Tokyo 2020 president and former prime minister Yoshiro Mori said in the statement.

World Baseball Softball Confederation president Riccardo Fraccari said the decision showed "the power of sport to shape a better world".

While a recent Yomiuri newspaper survey showed that 88 per cent of respondents approved of hosting events in the stricken region, not everyone is so enthusiastic.

More than half the heads of towns and villages in the three prefectures hit hardest by the 2011 disaster said that the concept of the Olympics being the "Reconstruction Games" is fading, according to a Mainichi newspaper poll.

Six years after the disaster, the region is still dealing with the stigma of the nuclear accident.

A "name-and-shame" show on Chinese state-run television this week accused retailer Ryohin Keikaku of concealing some food as being from Japanese areas from which imports were banned following the nuclear meltdowns.

But the Shanghai Daily reported on Friday that the local government had found no evidence the Muji store operator imported foods from the area.
The region will also host Olympic soccer games in the city of Sendai, about 100km south of the Dai-Ichi site.

The base of the cleanup of the Fukushima nuclear plant is set to be returned to its original use as the training camp for the Japanese national soccer team.

The 2020 Games have been tainted by controversy, with Japan's initial jubilation over its winning bid fading amid a series of scandals.

A futuristic design for the flagship stadium was scrapped over soaring costs, and the logo was changed after accusations of plagiarism.

Tokyo Governor Yuriko Koike won an election last year to become the city's first female governor with a promise to slash the cost of the event.

In December, organisers announced a budget of between US$15 billion (S$21 billion) and US$16.8 billion for the 2020 Games, backing the new governor's pledge to cut costs that had been projected to exceed 3 trillion yen (S$37.1 billion).


[photo]
John Coates (left), the International Olympic Committee (IOC) Vice President and Chairman of the IOC Cordination Commission for the Tokyo 2020 Olympic Games, answers questions beside Yoshiro Mori, president of the Tokyo 2020 Organising Committee, during a press conference.

The Straits Times, Published: Mar 17, 2017, 1:53 pm SGT
Disaster-hit Fukushima to host baseball games at 2020 Olympics
By BLOOMBERG
https://www.straitstimes.com/asia/east-asia/disaster-hit-fukushima-to-host-baseball-games-at-2020-olympics

A dimly lit stairway leads up to the unit while the smell of incense, as a Taoist medium clad in religious garb leads a ritual in an adjacent apartment, fills the air.

A Housing Board flat in Dakota Crescent is hardly the place one would expect to find a marketing consultancy, let alone one which reportedly played a role in helping Tokyo win the bid to host the 2020 Olympics.

The less-than-impressive unit is the registered address of the now-defunct Singapore-based firm Black Tidings, its appearance and location adding intrigue to a saga of Olympic proportions.

The firm, owned by Singaporean Ian Tan, 34, made headlines when British newspaper The Guardian reported that French authorities were looking into suspicious payments made by the Tokyo bid team, allegedly to influence the vote to decide the 2020 Olympic host. Japan has also launched its own probe into the matter.

They are questioning the US$2 million (S$2.8 million) in consulting fees paid to Black Tidings by the Tokyo bid team in 2013. That year, Tokyo beat Madrid and Istanbul to win the hosting rights to the quadrennial Games.

The transaction raised eyebrows as, just two years ago, German broadcaster ARD/WDR revealed Black Tidings' alleged ties to an extortion and doping scandal involving Russian athlete Liliya Shobukhova and the International Association of Athletics Federations (IAAF).

When The Sunday Times called Mr Tan, he said he was assisting the Corrupt Practices Investigation Bureau (CPIB) with investigations and declined to comment. The CPIB is helping the French authorities' Tokyo bid probe.

Asian Athletics Association (AAA) secretary-treasurer Maurice Nicholas, who met Mr Tan in 2014 when the latter was helping the AAA secure sponsorship, said he was surprised by the allegations.

Mr Nicholas, who last saw Mr Tan at last year's IAAF World Championships, said: "He seemed like a nice chap, a genuine young man coming up in life. I was quite surprised to hear about all these."

A friend of Mr Tan, who declined to be named, described him as "a nice guy" who seems well-connected in the local music scene. It is understood that he had worked on starting a singing school in the early 2000s.

Mr Tan's LinkedIn profile has testimonials - from 2007 to 2009 - from former colleagues and clients from his time as a freelance marketeer, a marketing analyst with technology firm Oracle and campaign manager with marketing agency McCorkell & Associates.

But it is his involvement as owner of Black Tidings, which was registered in 2006 and terminated in 2014, which has brought him worldwide attention. Japanese officials claim the US$2 million fee is legitimate payment for consulting services, but the company's links to the corruption-plagued IAAF have investigators suspecting otherwise.

In 2014, €300,000 (S$465,000) was transferred from Black Tidings' bank account as a "refund" to Shobukhova, who had been told to cough up the amount to cover up a positive drug test in 2011.

The Singaporean is a known associate of Mr Papa Massata Diack - son of Senegal's disgraced former IAAF president Lamine Diack, who was put under investigation by French police last November for alleged corruption. He is now free on bail but barred from leaving France. Mr Tan and the younger Mr Diack had met at the 2008 Beijing Olympics.

Mr Diack Jr, a former IAAF marketing consultant, is wanted by Interpol for alleged money laundering and corruption. He is also banned for life by the IAAF ethics committee over corruption and cover-up allegations.

The extent of their friendship is perhaps reflected by the fact that when Mr Tan's son was born in 2014, he was named Massata.

French investigators said they stumbled on the Olympic transaction as part of their investigations into alleged fraud at the IAAF.

Mr Tan and Black Tidings' involvement in the Tokyo bid is unusual, said Mr Duncan Mackay, editor of insidethegames, a news website specialising in reporting on major games.

"It is unusual, but not unprecedented for a company with no previous record in bidding, to be employed to work on a campaign. Once they have been employed, however, you would expect to see the company and its individuals attending the many events where bids gather to lobby," he told The Sunday Times.

"I travelled extensively during the campaign for the 2020 Olympics and Paralympics following the bids, and never once heard anyone mention - let alone introduce me to - Ian Tan Tong Han and Black Tidings."

The US$2 million, sent in two tranches, before and after the International Olympic Committee vote in 2013, also raises suspicion.

Mr Mackay said: "All the consultancy companies I know that work in the Olympic movement insist on being paid monthly, so they can manage their business (paying their staff and bills) in a professional manner."

Sources familiar with the Olympic bidding scene also told The Sunday Times that Singapore has had no previous track record in providing expertise to countries seeking to host the Olympics.

While Black Tidings was terminated in 2014, a search of Accounting and Corporate Regulatory Authority (Acra) records found that Mr Tan also owns two other companies, The Sporting Age (Asia Pacific) and Goal Up!, both described as consultancies in their Acra records. The Sporting Age was described in a January World Anti-Doping Agency report as a firm based in Senegal.

Like Black Tidings, both businesses were registered to residential addresses, The Sporting Age in Punggol and Goal Up! in Serangoon Road.

When The Sunday Times visited these two properties, the Punggol address led to a newly renovated flat, while the other was a unit above a coffee shop. No one answered the door at both places.

Lawyer Samuel Sharpe, head of white collar crime practice at Duane Morris & Selvam LLP, said if allegations that the money was paid to influence the Tokyo bid is true, it could constitute criminal offences under Singapore and Japanese anti- corruption laws. It is also possible that other parties could be drawn in - if the allegations are proven true.

He added: "Anti-bribery laws with an international reach, such as the United Kingdom Bribery Act and United States Foreign Corrupt Practices Act, have a wide application when it comes to individuals and organisations involved in international bribery schemes. But it is far too early to draw any conclusions.

"With Black Tidings no longer an operating entity, it may be harder to carry out detailed investigations and prosecute officers linked to it. This will depend in part on how much documentary evidence (such as e-mail records) is still available."


[photo-1]
The registered address of now-defunct Black Tidings led to a Housing Board flat in Dakota Crescent.

[photo-2]
Black Tidings was revealed to have alleged ties to an extortion and doping scandal involving Russian athlete Liliya Shobukhova (above) and the International Association of Athletics Federations (IAAF) two years ago.

The Straits Times, Published: May 22, 2016, 5:00 am SGT
Black Tidings: The Singapore connection in Olympics probe

S'porean behind now-defunct firm known in music fraternity rather than in Olympic circles
By Chua Siang Yee and May Chen
https://www.straitstimes.com/sport/black-tidings-the-singapore-connection-in-olympics-probe

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Radioactive contamination from Fukushima

Fukushima Radiation: What You've Heard are LIES!
https://www.youtube.com/watch?v=1ZqcxI_XATI

Radioactive Salmon Discovered in Canada Linked to Fukushima Nuclear Contamination
https://www.youtube.com/watch?v=jrnKVHQMpIE

A team of research scientists from the University of Victoria in Canada discovered radioactive salmon due to Fukushima nuclear contamination.

Researchers at the Fukushima InFORM project in Canada, led by University of Victoria chemical oceanographer Jay Cullen, said they sampled a sockeye salmon from Okanagan Lake in British Columbia that tested positive for cesium 134.

This finding comes after seaborne cesium 123, which is thought to be an indicator of nuclear contamination from Fukushima, was detected on the West Coast of the United States this month.

It's the first time Canadian experts confirmed the news that radioactive plume has made its way across the Pacific to America's West Coast from the demolished Fukushima Daiichi nuclear power plant in eastern Japan.

Cullen with his research team as well as 600 volunteers started their research on the Fukushima nuclear contamination in 2014 and have collected fish and seawater samples.

Cesium 134 is called the "footprint of Fukushima" because of its fast rate of decay. With a half life of only 2.06 years, there are few other places the dangerous and carcinogenic isotope could have originated.

"In 2015, we collected an individual fish that we could detect artificial radioactivity in the fish itself. This contrasts with almost all the other fish we've collected on the order of about 400 fish over those three years where we were unable to actually detect any artificial radionuclides in the individuals. In this particular one, we can detect cesium-137 which is artificial, a man made radio nuclide, and so we decided to have a more careful look to see if some of that contamination was related to Fukushima. The way that we do that is to look for cesium-134 and that isotope has a relatively short half life of two years, and if we see cesium-134 in a fish today, we know that it has been affected by Fukushima. When we count for longer, we can see smaller and smaller amounts of radioactivity," said Jay Cullen, professor of the School of Earth and Ocean Sciences with the University of Victoria.

It is important to note that airborne radioactive fallout from the initial explosion and meltdowns at Fukushima in 2011 reached the USA and Canada within days, and circled the globe falling out wherever the currents and precipitation carried it - mostly to places unknown to this day.


ANCHORAGE, Alaska (Reuters) - Radioactive contamination from Japan’s Fukushima Daiichi nuclear power plant hit by a tsunami in 2011 has drifted as far north as waters off a remote Alaska island in the Bering Strait, scientists said on Wednesday.

Analysis of seawater collected last year near St. Lawrence Island revealed a slight elevation in levels of radioactive cesium-137 attributable to the Fukushima disaster, the University of Alaska Fairbanks Sea Grant program said.

“This is the northern edge of the plume,” said Gay Sheffield, a Sea Grant marine advisory agent based in the Bering Sea town of Nome, Alaska.

The newly detected Fukushima radiation was minute. The level of cesium-137, a byproduct of nuclear fission, in seawater was just four-tenths as high as traces of the isotope naturally found in the Pacific Ocean.

Those levels are far too low to pose a health concern, an important point for people living on the Bering Sea coast who subsist on food caught in the ocean, Sheffield said.

Cesium-137 levels some 3,000-times higher than those found in the Bering Sea are considered safe for human consumption under U.S.

Environmental Protection Agency drinking water standards, officials said.

A 9.0-magnitude quake and tsunami in March 2011 triggered meltdowns at three of the Fukushima Daiichi plant’s six reactors, spewing radiation into the air, soil and ocean and forcing 160,000 residents to flee.

It was the world’s worst nuclear disaster since Chernobyl 25 years earlier.

LONG-TERM STUDY

The results reported on Wednesday came from a long-term but small-scale testing program.

Water was sampled for several years by Eddie Ungott, a resident of Gambell village on the northwestern tip of St. Lawrence Island. The island, though part of the state of Alaska, is physically closer to Russia than to the Alaska mainland, and residents are mostly Siberian Yupik with relatives in Russia.

Fukushima-linked radionuclides have been found as far away as Pacific waters off the U.S. West Coast, British Columbia and in the Gulf of Alaska.

Until the most recent St. Lawrence Island sample was tested by the Woods Hole Oceanographic Institution, the only other known sign of Fukushima radiation in the Bering Sea was detected in 2014 by the National Oceanic and Atmospheric Administration.

NOAA scientists found trace amounts of Fukushima-linked radionuclides in muscle tissue of fur seals on Alaska’s St. Paul Island in the southern Bering Sea. There was no testing of the water there, Sheffield said.

The people of St. Lawrence Island, who live well to the north of St. Paul Island, had expected Fukushima radionuclides to arrive eventually, she said.

“They fully anticipated getting it. They didn’t know when,” she said. “The way the currents work does bring the water up from the south.”


Reuters, Published: March 28, 2019 1:37 pm
Fukushima contaminants found as far as north as Alaska's Bering Straits
By Yereth Rosen 
https://www.reuters.com/article/us-alaska-fukushima-idUSKCN1R90BV

SEATTLE (Reuters) - Scientists in Alaska are investigating whether local seals are being sickened by radiation from Japan’s crippled Fukushima nuclear plant.

Scores of ring seals have washed up on Alaska’s Arctic coastline since July, suffering or killed by a mysterious disease marked by bleeding lesions on the hind flippers, irritated skin around the nose and eyes and patchy hair loss on the animals’ fur coats.

Biologists at first thought the seals were suffering from a virus, but they have so far been unable to identify one, and tests are now underway to find out if radiation is a factor.

“We recently received samples of seal tissue from diseased animals captured near St. Lawrence Island with a request to examine the material for radioactivity,” said John Kelley, Professor Emeritus at the Institute of Marine Science at the University of Alaska Fairbanks.

“There is concern expressed by some members of the local communities that there may be some relationship to the Fukushima nuclear reactor’s damage,” he said.

The results of the tests would not be available for “several weeks,” Kelley said.

Water tests have not picked up any evidence of elevated radiation in U.S. Pacific waters since the March earthquake and tsunami in Japan, which caused multiple fuel meltdowns at the Fukushima plant and forced tens of thousands of people to evacuate the surrounding area.

Scientists from the National Oceanic and Atmospheric Administration and the Fish and Wildlife Service have been seeking the cause of the diseased seals for weeks, but have so far found no answers.

Reuters, December 28, 2011 / 9:25 AM / 7 years ago
Scientists test sick Alaska seals for radiation
Reporting by Bill Rigby
https://www.reuters.com/article/us-usa-alaska-seals-idUSTRE7BR01420111228

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European parliament votes to ban single-use plastics

The European parliament has voted to ban single-use plastic cutlery, cotton buds, straws and stirrers as part of a sweeping law against plastic waste that despoils beaches and pollutes oceans.

The vote by MEPs paves the way for a ban on single-use plastics to come into force by 2021 in all EU member states. The UK would have to follow the rules if it took part in and extended the Brexit transition period because of delays in finding a new arrangement with the EU.

The UK environment secretary, Michael Gove, who has previously sparred with the European commission over who is doing the most to cut down plastic pollution, also wants to curb single-use plastics.

As well as targeting the most common plastic beach litter, the directive will ban single-use polystyrene cups and those made from oxo-degradable plastics that disintegrate into tiny fragments.

EU member states will have to introduce measures to reduce the use of plastic food containers and plastic lids for hot drinks. By 2025, plastic bottles should be made of 25% recycled content, and by 2029 90% of them should be recycled.

The EU is also tackling the scourge of wet wipes that help to clog sewers in the form of “fatbergs”. Wet wipes, sanitary towels, tobacco filters and cups will be labelled if they are made with plastic. Packaging will warn consumers of environmental damage they do by disposing of these items incorrectly.

The “polluter pays” principle will be extended to manufacturers of fishing nets so that companies – but not fishing crews – pay the cost of nets lost at sea.

Frans Timmermans, a European commission vice-president, who has spearheaded the plan, said: “Today we have taken an important step to reduce littering and plastic pollution in our oceans and seas. We got this, we can do this. Europe is setting new and ambitious standards, paving the way for the rest of the world.”

At the sitting in Strasbourg, 560 MEPs voted in favour of the recent agreement hammered out with EU ministers, 35 against, with 28 abstentions.

The directive only has to pass through formalities before it is published in the EU rulebook. Once that happens, EU member states will have two years to implement the directive.

Every year, Europeans generate 25m tonnes of plastic waste, but less than 30% is collected for recycling. More than 80% of marine litter is plastic.


[photo]
The directive will target common beach litter as well as polystyrene cups and those made from oxo-degradable plastics.

The Guardian, Last modified on Wed 27 Mar 2019 18.24 GMT
European parliament votes to ban single-use plastics

Vote by MEPs paves way for law to come into force by 2021 across EU

By Jennifer Rankin in Brussels
https://www.theguardian.com/environment/2019/mar/27/the-last-straw-european-parliament-votes-to-ban-single-use-plastics

The ugly face of plastic pollution

Rivers of plastic

Some 90 percent of plastic enters marine habitats via just 10 rivers: The Yangtze, the Indus, Yellow River, Hai River, the Nile, the Ganges, Pearl River, Amur River, the Niger, and the Mekong. These rivers run through highly populated areas with a lack of adequate waste disposal infrastructure. Here, a fisherman in the Philippines removes a fish and crab trap from plastic-filled waters.

EU Parliament backs ban on single-use plastic products

The EU Parliament has voted in favor of a ban on disposable plastic products, bringing the ban one step closer to reality. The ban would affect a wide range of products that have alternatives, such as straws and cutlery.


DW, Published: 28.03.2019
https://www.dw.com/en/eu-parliament-backs-ban-on-single-use-plastic-products/a-48088221

マレーシアのプラスチックごみ処理施設に、輸入プラスチックの津波が押し寄せています。

2018年に、中国がプラスチックの輸入を禁止してから、世界の”ごみ捨て場”は中国から東南アジアに変わりました。マレーシア、ベトナム、タイといった国々が、大量のプラスチックごみの受け入れ先になっています。こうしたプラスチックごみは、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなどの経済先進国から来ています。

2018年の1月から7月の間だけでも、マレーシアは754,000トンものプラスチックごみを輸入しました。これは、10万頭の大きなゾウに匹敵する重さです。

こうした大量のプラスチックごみは、どのように処理されているのでしょうか?グリーンピースは去年、マレーシアの大量の輸入プラスチックごみ処理施設を調査し、プラスチックごみのリサイクルの実態を追いました。

調査の結果、プラスチックごみが道端で燃やされたり、
規制のない埋立場に捨てられたり、廃墟に投棄されたり、
ただ屋外に放置され腐らされている、という現状が明らかになりました。

マレーシアは去年、違法のごみ処理施設を取り締まり、114のごみ処理施設を閉鎖しました。それでも、まだこうした施設の多くが、プラスチックごみの輸入を受け入れていたのです。

プラスチックを屋外で燃やすと、重大な健康被害を引き起こす可能性があります。すでに、近隣の住民から、野焼きによる煙と汚染物質によって、呼吸器系の病気が発症しているという健康被害が報告されています。

私たちがリサイクルされると信じてゴミ箱に入れたプラスチックは、こうしてマレーシアのような開発途上国で、誰かの住む街の土や水、空気を汚したり、海にまで流れ出したりしている可能性があります。

これは、マレーシアだけの問題ではありません。ごみが最終的にどうなっているのかに目をつぶった、世界のごみ貿易のシステムが破綻している証拠です。

マレーシアはすでに昨年10月に段階的な輸入禁止を表明しています。

また、グリーンピースが調査結果を公表してから、マレーシアの環境大臣は、違法プラスチック処理施設を再調査し、2019年の3月までにさらに100の違法処理施設を閉鎖することを目指すと発表しました。そして、リサイクル可能なプラスチックを輸入する業者に対して、新たに18の規制を導入されることになりました。

大量消費・大量廃棄する社会をもつ日本のような国にとって、中国に続いてマレーシアもプラスチックごみの輸入規制を厳しくすることは、大打撃です。

しかし、この打撃をきっかけに、私たちの暮らしをもっとよくすることもできます。

プラスチックごみの処理を外国に押し付けるのではなく、国内で処理できない分を、削減するために動くことを選べばいいのです。

プラスチック汚染を解決するには、個人がストローを断ったり、エコバッグを持ち歩いたりするアクションだけでは残念ながら十分ではありません。

使い捨てプラスチックを使わなくても快適に暮らせるように、シティ・デザインやビジネスのあり方を変えていくことが必要です。

例えば、パッケージのない量り売りのお店が身近に増えること。

固形シャンプーやステンレスストロー、竹歯ブラシなど、プラスチックフリーのチョイスが豊富になること。

スーパーでも、野菜やくだもののビニール包装がなくなること。

いつでもどこでも水が補給できるマイボトル給水機が増えること。

プラスチックごみの行き場がなくなる日は、きっとやってくるでしょう。

でも私たちは、ごみを出さない循環型の社会「サーキュラーエコノミー」に変えていくことができます。

想像してみてください。あなたなら、どんな循環型の仕組みが欲しいですか?


グリーンピース、2019-03-07
行き場を失うプラスチック “マレーシア・ショック”が来る日
https://www.greenpeace.org/japan/sustainable/story/2019/03/07/7126/

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My ancestors were killed by the Japanese !

ALOR SETAR: They were invaders. Yet, there stands a monument here that honours them as heroes.

Three Japanese soldiers who tried to blow up Alor Setar Bridge to cut off the Allied Forces during World War II were hailed as war heroes with the granite monument.

It caused a social media uproar, with many Malaysians wondering how invading troops ended up being decorated as such.

The monument was set up in Jalan Raja by the state Museums Board with the Kedah History Society and the Japanese Consulate-General in Penang.

State Tourism Committee chairman Mohd Asmirul Anuar Aris officiated the event last Thursday.

Photographs of the opening ceremony were posted on the Kedah Museums Board Facebook page which promptly led to Malaysians lambasting online that the monument was a “big mistake”.

Many called the monument an insult to the nation’s struggle for independence and to the Malaysian army.

“My ancestors were killed by the Japanese. But I take it that the Kedah government is proud of the invaders. What an insult,” someone wrote.

Mohd Asmirul rushed to act yesterday by first removing signboards set up near the monument.

The signboards, which were in Bahasa Malaysia, English and Chinese, told the story of how the three soldiers “heroically” tried to blow up Alor Setar Bridge to thwart defenders but their bomb exploded prematurely.

Mohd Asmirul had earlier clarified that although he cut the ribbon to unveil the monument, it was not done by the state government nor did the government play a role in writing the account of how the soldiers died in 1941.But the damage was already done.

Kedah Chinese Assembly Hall president Datuk Cheng Lai Hock, in a press conference yesterday, said it was an insult to victims of the Japanese Occupation.

“The Japanese soldiers could be heroes in the eyes of the Japanese but not in the eyes of Malayans of the time.

“They were our enemies. How can we classify enemies as heroes here?

“It should never have been erected. The state government must rectify the mistake they made,” he said.

MCA president Datuk Seri Dr Wee Ka Siong slammed Pakatan Harapan government leaders for not being alert about issues that are sensitive to Malaysian society.

“The excuse given by the chairman of the state Tourism Committee is unacceptable.

“This is the importance of a two-way relationship between the two countries. The leaders need to communicate well and tell them what is sensitive for us,” he said.

MCA secretary-general Datin Paduka Chew Mei Fun questioned the need for the Japanese warriors’ monument.

“Does it commemorate or praise the Japanese army for invading our country and doing violent acts towards the people?” she posted on Facebook on Saturday.

Chew questioned the legitimacy of the monument which she felt would only bring back painful memories to Malaysians.

“Demolishing it immediately is the only action that should be taken,” she wrote.

Chew hoped the Prime Minister would instruct his son - Kedah Mentri Besar Datuk Seri Mukhriz Mahathir - to tear down the monument.

Former prime minister Datuk Seri Najib Tun Abdul Razak also voiced his disagreement over the setting up of the monument.

The monument had been built to remember Lt Hajime Asai. He rode a motorcycle to the northern end of the bridge to plant a bomb, but it detonated too early.

Of his two comrades, Cpl Kaneko Juga was also killed in the blast while Cpl Nakayama suffered serious injuries in the ensuing gunfire with the Allied Forces.

The Japanese eventually took control of the bridge.

On Feb 15, 1942, General Tomoyuki Yamashita awarded certificates of appreciation to families of the three soldiers for sacrificing their lives.


[video]

The Star, Published: Monday, 25 Mar 2019
Many slam ‘monumental mistake’
By G.C.Tan and Liew Jia Xian
https://www.thestar.com.my/news/nation/2019/03/25/many-slam-monumental-mistake/

ALOR SETAR: A translation error at the new monument marking the graves of fallen Japanese soldiers has made them look like heroes.

State Tourism Committee chairman Mohd Asmirul Anuar Aris said the error occurred when a Japanese officer tried to communicate with a local contractor here commissioned to build the signboard at the graves.

“They were like chicken and duck, trying to communicate with each other. That was the issue. It was the error in translation,” he said.

He said he had spoken to the Consulate-General of Japan on the words used.

Mohd Asmirul apologised to Malaysians on behalf of Kedah History Society for the error, stressing the monument was only about three Japanese soldiers and not their heroic act.

These three soldiers were killed when they tried to blow up Alor Setar Bridge to cut off Allied forces during World War II.

On whether the state government would demolish the new monument, Mohd Asmirul said the state regarded it as a historical site and would preserve it.

Prior to the new monument being erected, there used to be square rocks at the site, covered in overgrowth, which locals called kubur Jepun (Japanese graves).

About 10 years ago, it was learned the remains of the Japanese soldiers were exhumed and taken back to Japan.

Kedah History Society, the state Museum’s Board and the Consulate-General of Japan in Penang had jointly rebuilt the monument at the site and invited Mohd Asmirul to cut the ribbon to unveil it last Thursday.

“Historical artefacts such as these must be preserved for the younger generation to see that the world must never again be at war.

“The old monument was here for a long time. They only made it look good again. It is history. Whatever had happened, happened,” he said.

He said if this monument was to be demolished, then other monuments such as A’Famosa, built by the Portuguese in Melaka after they conquered the state in 1511, must also be demolished.

Mohd Asmirul said even the pyramids built by cruel pharaohs in ancient Egypt were preserved to keep history alive.

He expressed regret that Kedah MCA Youth put up new banners around the monument on Sunday evening.

Mohd Asmirul said the state would lodge a police report against Kedah MCA Youth.

“The MCA Youth chief should have come and hear us out, instead of manipulating the issue,” he said.

Party members covered the granite monument with a black banner bearing the Chinese words and Bahasa Malaysia translation that meant: “Fighters of Japanese Heroes Monument”.

They added more banners describing the atrocities of the Imperial Japanese Army of WWII.

Kedah MCA Youth, in a statement, urged the state to demolish the new monument and create a new one to remember those who fought the Japanese.

Alor Setar MCA Youth chief Phee Kuan Joo said he acknowledged Mohd Asmirul’s public apology but could not accept the views that MCA Youth was stirring up racial sentiments by putting those banners around the monument.

“We will take action against him (Mohd Asmirul) for accusing us of being racist. If he wants to lodge a police report against us, he can do whatever he wants,” Phee said.

Phee said in a statement the party had put up the banners on the monument as a reminder of how much suffering took place during the Japanese Occupation.

Meanwhile, Tourism, Arts and Culture Minister Datuk Mohamaddin Ketapi said the monument did not fall under the purview of his ministry.

“It (monument) is (built) on the neighbouring side to our compound. It is not in our (Tourism ministry) side.

“So, this should be a state matter, not under our (Federal) purview. Sorry, I can’t answer you on that. Federal ministers cannot comment on state matters,” he said.

The monument is next to his ministry’s Kedah office.

Meanwhile, NGO Pertubuhan Sahabat Erat Dan Amanat Rakyat Malaysia (Sedar) has joined the chorus of other parties in demanding for the new monument to be demolished.

Its president Nazrin Norani also called for the resignation of those who took part in the restoration and the official unveiling of the monument last Thursday.

Aside from starting a petition, Sedar has also submitted a memorandum to the Japanese Embassy yesterday.

“There has never been a monument built solely and exclusively dedicated to honour fallen Japanese soldiers in countries which had suffered cruelty and devastation in the hands of these soldiers during the Japanese occupation,” he said in a statement.


[video]

[photo]
The critical banners ring the granite monument to three Japanese soldiers in Alor Setar.

The Star, Published: Tuesday, 26 Mar 2019
It was an ‘error in translation’
By G.C. Tan, Liew Jia Xian, and Nalinie Meganathen
https://www.thestar.com.my/news/nation/2019/03/26/it-was-error-in-translation/

ALOR SETAR: Some 30 MCA Youth members staged a peaceful protest at the controversial fallen Japanese soldiers’ monument to voice out their displeasure and to fight for the dignity of the Chinese community in the country.

The group, led by MCA Youth chief Nicole Wong Siaw Ting, hung up fresh banners in Mandarin and Bahasa Malaysia around the perimeter fencing of the monument as soon as they arrived at the site.

Kedah MCA Youth had previously put up banners around the monument but the police removed them.

Wong was accompanied by MCA deputy Youth chief Tan Chee Hiong, Alor Setar MCA Youth chief Phee Kuan Joo, and the committee members of the state MCA Youth.

Some members from the youth wings of Umno, MIC and PAS joined the group.

“We cannot accept this action by the state government to allow this monument to be here.

“We want them to get rid of it,” she said during a press conference at the site yesterday.

It was reported that the Kedah History Society, the state Museum’s Board and the Consulate-General of Japan in Penang had jointly rebuilt the monument at the site and invited state Tourism Committee chairman Mohd Asmirul Anuar Aris to unveil it last Thursday.

Photographs of the opening ceremony were posted on the Kedah Museums Board Facebook page. Outraged Malaysians cried foul, lambasting online that the monument was a “big mistake”.

Mohd Asmirul then rushed to act by first removing signboards near the monument.

The signboards told the story of how the three soldiers “heroically” tried to blow up Alor Setar Bridge but their bomb exploded prematurely.

Tan, in a press statement yesterday, said according to information, Japanese forces built tombstones along the riverside during World War II (1941) to commemorate the three Japanese soldiers who were killed.

“However, the tombstones were damaged in 2000. After the discovery of low-lying tombstones by the Malaysian Historical Society, it was reported that there was a proposal for the former Barisan Nasional-led state government to develop that site into a tourist attraction. However, this proposal was never accepted,” he said.

Tan said when he became the director of the Chinese Youth Bureau of the Kedah state government and carried out a community renovation project in the nearby Chinatown, the Malaysian Historical Society’s Kedah chapter suggested restoring the related tombstones.

“We declined their proposal. Our position was that we will not destroy the tombstones, but neither will we restore nor rebuild them.”

Meanwhile, in George Town, Penang MCA Youth also insisted that the new monument must go.

Its chief Lim Swee Bok said it would be more appropriate to have a monument commemorating those who were killed by the Japanese army instead.

“The Japanese army were invaders and they don’t deserve a monument,” he said.

Lim was with his committee members to hand over a memorandum to the Penang Japanese Consulate at the Consulate-General of Japan at Menara BHL in Jalan Sultan Ahmad Shah here yesterday.

The consulate’s security contractor Susumu Kiryu received the memorandum on behalf of the Consul-General of Japan in Penang.


[video]

The Star, Published: Wednesday, 27 Mar 2019
MCA Youth: It’s a monumental mistake, it must go
By G.C. Tan and R. Sekaran
https://www.thestar.com.my/news/nation/2019/03/27/mca-youth-its-a-monumental-mistake-it-must-go/

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2019年03月27日

全国トップで桜の満開が東京で!

 連日のポカポカ陽気で、東京では、全国で一番乗りとなる桜の満開が発表された。
 例年より早い春の便りに、桜の名所では、意外にも悲鳴が上がっている。

 東京・靖国神社にあるソメイヨシノの標本木。
 3月27日、全国のトップを切って満開になった。

 開花の発表があった21日からわずか6日で8分咲きとなり、平年より7日早く満開が発表された。

 桜の名所・上野公園は、平成最後の花見を楽しむ人々で埋め尽くされた。

 平年よりも2日早く桜の開花が発表された、岡山市。
 満開は、4月頭ごろとなる見込み。

 27日は、このほか大阪市や京都市などから平成最後の桜開花の便りが届いた一方で、最高気温19.7度を観測した東京都心では、ポカポカ陽気に後押しされ、全国トップで桜の満開が発表された。

 桜をバックにポーズを決める外国人観光客や、久しぶりに会った同級生と桜の眺めを楽しむ人々。

 一方、平年の7日前と早すぎる満開発表に困っている人もいる。

 4月6日と7日に、目黒桜まつりを開催する実行委員会の目黒イーストエリア桜まつり・藤森昇実行委員長は、
「完全に残念ながら(桜の満開が早くて)諦めです。悔しいですね。(桜に対して)勝手にしろみたいな」
と話した。

 2018年に続き、せっかくの祭りが“葉桜まつり”となることを心配していた。

 今後の空模様はどうなっていくのか。

 実は、この先ありそうなのが「寒の戻り」。

 27日の最高気温を見ると、北海道・札幌市で4.1度、宮崎市で24.3度と、北と南で大きな差が出た。

 北日本に寒さをもたらしたその寒気が徐々に南下するため、週末から4月1日にかけて、日本付近はすっぽりと寒気に覆われる。

 29日以降は、全国的に寒の戻りとなる見込みで、お花見には万全の寒さ対策が必要となるとみられる。


[動画]

FNN PRIME、2019年3月27日 水曜 午後5:27
東京“全国トップ”で桜満開 早すぎて悲鳴!?
https://www.fnn.jp/posts/00415060CX

 東京都千代田区の靖国神社でソメイヨシノの標本木が全国で最も早く満開となった27日、都立庭園「六義園」(東京都文京区)でも、シンボルのしだれ桜が見頃を迎え、訪れた多くの市民が、本格的な春の訪れを楽しんだ。

 同園によると、しだれ桜は樹齢約70年で、高さ約15メートル、枝の幅は約20メートルに及ぶ。

 今年は、都心でソメイヨシノの開花が発表された21日よりも早い19日に開花したという。

 この日、両親と訪れた東京都葛飾区の小学5年壺坂遥君(11)は、花に近づいてカメラで写真を撮り、
「大きな木に近づけて迫力満点だった」
と笑顔で話した。


[写真]
見頃を迎えた「六義園」のしだれ桜。訪れた多くの人たちが足を止め、春の訪れを楽しんでいた=27日午後、東京都文京区

東京新聞、2019年3月27日 16時38分
「六義園」でしだれ桜が満開

都立庭園、春の訪れ楽しむ

(共同)
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019032701001799.html

石野真子『春ラ!ラ!ラ!』
https://www.youtube.com/watch?v=cfvZQ8iVuuw
https://www.youtube.com/watch?v=9g1ug9dcEA4

 ヤッホーくんからも一斉メールが発信されました:

 きょう27日水曜日、東京では桜の満開が発表されましたが、それに合わせるように清洲城での春の宴!
 楽しかったです。
 お越し頂き、まことにありがとうございました。
 そして何よりも台所の荒神さまをお迎えしていただいたこと、トイレの神さまをお呼びしていただいたこと、まことにかたじけなく思うております。
 また京都弁がぬけない方を今年度、新しい仲間として招くことに相なりました。
 差し入れのお酒がなんとまあ、美味しかったこと。皆んな、頬を桜色に染めて、いやぁ〜お話がつきませんでした。
 喜ばしい限りです。
 これで今年度の企画はすべて終了し、第17回目となる「爽快」を迎えます。
 終わりましたら、むしろを敷いてお花見としましょう。
 ちょうど「常盤桜祭り」なんです。
 ではそれまでお元気で、ヤッホー!
 添付写真は足立区江北の老舗酒屋の七代目御主人と話に花が咲く山歩クラブの面々、3月24日!

P1060914-1.JPG

春の唄(詩:喜志邦三)〜 由紀さおり・安田祥子
https://www.youtube.com/watch?v=2WYtFwhWc3g

柏原芳恵 Lonely Canary (春なのに)
https://www.youtube.com/watch?v=ON_TekOw5xw

どこかで春が  百田宗治作詞・草川信作曲 Spring is coming
https://www.youtube.com/watch?v=L2qI1dBmmxI

どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す

どこかで雲雀(ひばり)が ないている
どこかで芽(め)の出る 音がする

山の三月 そよかぜ吹いて
どこかで春が うまれてる


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提出書類にうその内容

 「消えた留学生」
 およそ1400人の留学生が所在不明となっている東京福祉大学の問題です。
 大学の現役の教員がJNNの取材に、内部の実態を証言し、所在不明の留学生が増加する一方で、何の対策も取られていなかったと批判しました。
 群馬県にある東京福祉大学のキャンパスで2019年3月20日、卒業式が行われました。
 5000人を超える留学生が在籍する東京福祉大学。
 卒業式でも留学生とみられる人たちの姿が目立ちます。
 しかし・・・
 「自分のクラスで友達は6人くらい、いなかった」(卒業した研究生)
 「ひとクラス40人ぐらいいたけど、卒業するときは半分くらい」(卒業した研究生)

 所在不明となっているのは非正規の留学生である研究生。
 原則1年間のコースで定員の制限がありません。
 2016年度から募集を始め、3年間でおよそ5700人が入学しましたが、このうちおよそ1400人が「所在不明」となっているのです。
 なぜ、これほどまでの数に上っているのか。
 東京福祉大学の現役の教員がJNNの取材に応じ、研究生制度の実態を証言しました。

「4月1日に入学した研究生が、4月17日付とか5月とか6月付で、就職のために退学って、まずあり得ないと思うんですよね。最初から就労目的で、学生ビザでの入国は偽装だったとしか思えない」
(東京福祉大の現役教員)

 現役教員は、入学して1ヶ月も経っていないうちに就職を理由に退学するなど、当初から問題が起きていたと明かします。

「何百人単位でいなくなりはじめたのって今年に始まったことではないので、そういうことがあった時点で研究生の制度自体、縮小するなり、何らかの対策をとるべきだったと思うが、今年度も何もしていない」
(東京福祉大の現役教員)

 さらに、こんなことも・・・

「学期の途中なのにもかかわらず、大学の指示で時間割が全部変更になった。留学生が出席している授業を全て1、2限にしなさいと。日本でたくさん働きたいのだから働けるようにということで」(東京福祉大の現役教員)

 研究生が多くの時間働けるように大学からの指示で、突然、時間割が変えられたというのです。

「真面目に勉強に取り組んでいる留学生たちからは非常にクレームがあって、『私たちは昼間は授業をきっちり受けて、夜に飲食店でバイトしているのに、いきなり毎日1、2限って言われても逆に睡眠時間がとれなくて迷惑だ』と」
(東京福祉大の現役教員)

 この点についてJNNは、大学側に取材を申し込んでいますが、現時点で回答はありません。
 研究生の受け入れは、2018年度は2700人近くにまで達し、3年間で大学の学費収入はおよそ12億円増えています。

「日本人入学生が定員割れしているのを補うため、大学を維持するためになのかなと思っていたが、補うっていうにしては十分すぎるというか、過剰な数の留学生を集めているので、おそらく利益が出ていて、ビジネスになってしまっている気がします」
(東京福祉大の現役教員)

 20日、卒業式に出席した水野理事長は・・・

「(Q.留学生問題に対して、経営者としてどう考える)・・・・。
 (Q.今後も研究生の制度は続ける方針か)また機会を見つけて、お話を申し上げます」
(東京福祉大学 水野良治 理事長)

 東京福祉大学が20日、書面で出したコメントには、
「本学の研究生制度は、本来なら大学合格が難しい成績が悪かった学生をたくさん救ってきました。そのような救った学生に裏切られた形です」
と書かれていました。
 そのうえで、
「多数の行方不明者を出してしまったことは誠に遺憾であり、責任を感じている」
としています。


TBS News、2019年3月21日 17時13分
【現場から、】

「消えた留学生」、東京福祉大 現役教員語る“実態”

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3628057.html

 2008年に強制わいせつ罪で懲役2年の実刑判決を受けた、東京福祉大学創設者の中島恒雄氏。
 同大は現在「消えた留学生」が国会でも話題となっているが、その陰には中島氏の終わらない「恐怖政治」があるという。
 象徴的なのが、「中島恒雄 理念満ちて 真の教育 我ら築かん」と歌う同大の校歌だ。

国営別荘(刑務所)から帰ってきた人

 2016年からの3年間で、ベトナムやネパールなどからの留学生が約1400人も所在不明になっていることが発覚した東京福祉大学(東京都)。
 創設者で元理事長の中島恒雄氏(71)は、学内で声を潜めてそう称されることがある。

 同大には、2018年5月時点で約8千人の学生が在籍し、約5千人が福祉や日本語を学ぶ留学生だ。
 日本学生支援機構の調べによれば、留学生数は早稲田大に次ぎ国内で2番目に多い。

 同大は00年、社会福祉専門の大学として群馬県伊勢崎市に開学。
 現在は社会福祉学部、心理学部、教育学部、保育児童学部の4学部があり、名古屋や東京・池袋、王子にもキャンパスがある。
 留学生は14年5月時点で596人だったが、4年で約8倍に急増。
 それを主導したのが、大学の創設者で理事長、事務総長を務めた中島氏だ。
 同大の現役職員が「アエラ」の取材に応じた。

「留学生受け入れの拡大は中島氏のトップダウンでした。政府のグローバル戦略の一環である留学生30万人計画も進み、留学生の受け入れは国策として伸びる、これは稼げると」

 「消えた留学生」が国会などで問題となっているが、職員はこう続けた。

「中島氏は強制わいせつ罪で実刑判決を受け、文部科学省から学校経営に関与しないよう指導を受けましたが、恐怖政治は今も続いています。留学生の過剰な受け入れに違和感を持っても、中島氏の意向である以上、誰も止められない」

 中島氏は2008年10月、同大の女性教職員ら5人に対する強制わいせつ罪で懲役2年の実刑判決を受けた。
 大学の総長室などで教職員にキスしたり、胸を触ったりするなどの行為を繰り返したことを認め、理事長などの全役職を辞任した。
 後任の理事長には、実母の範氏が就任した。

 事件発覚前の2005年、中島氏は朝日新聞群馬県版の人物紹介欄でこう評されている。

<強烈な個性のワンマン経営者だ。「教授会に力はない。決定は、すべてわたしがする」「結果を出せない教授は、さっさと辞めていただく」。言葉にも遠慮はない>

 創設者にして、絶対的な権力を持つ中島氏。
 有罪判決後、同大は「(中島氏が)経営や教育に関与することはない」と表明していたが、実際は出所後の中島氏を2010年に事務総長として採用。
 正式な契約も結ばずにコンサルタント料名目で約1941万円を支払っていた。
 文科省は2011年、刑事罰を受けた中島氏の雇用を問題視し、「学校法人にふさわしい管理運営体制が整っていない」として同大の経営学部新設を却下した。

 中島氏は一度は弱まった独裁者としての存在感を取り戻しつつあるようだ。前出の現役職員が内情を明かす。

「校歌はこれまで1番だけでしたが、18年4月からは2番と3番も歌うように指示が出され、学生たちも練習をしています」

 外国人留学生が多いためだろう。
 歌詞に出てくるすべての漢字にかなが振られている。

 3番の歌詞はこうだ。

新しき風 緑を渡る
燈くそびえる 学び舎に
中島恒雄 理念満ちて
真の教育 我ら築かん
東京福祉大学


 ちなみに、2番にある「福祉の範」というフレーズは、実母の範氏を指しているのが「暗黙の了解」(職員)だという。

[写真]
校歌の歌詞カードは学生証などには掲載されておらず、行事の際などに配られる。文部科学省からの指導もあり、しばらくは1番しか歌われていなかったという

[図]
東京福祉大と系列校の経営実態

※AERA 2019年4月1日号より抜粋


AERA dot.、2019.3.26 07:00
東京福祉大学「独裁者讃える校歌」

元理事長出所後、驚きの待遇とは?

(編集部・澤田晃宏)
https://dot.asahi.com/aera/2019032500065.html

 大学の教育状況などをチェックする認証評価機関の「大学基準協会」は3月26日、不正入試などが発覚した東京医科大が、協会の基準に「適合」するとした2017年度の評価を取り消し、「不適合」に変更した、と発表した。
 大学などの認証評価制度が2004年度に始まって以来、「適合」の評価が取り消されて「不適合」になるのは初めて。

 同協会は女子や浪人回数の多い受験生の得点が一律に抑制されていた問題の発覚を受け、東京医科大について再調査したところ、提出書類にうその内容が書かれていたことなどがわかったという。
 その結果、
(1)公正、適切な学生の受け入れが実施されていない
(2)民主的かつ効果的な大学の意思決定プロセスが担保されておらず、適切・公正な管理運営が行われていると判断できない
(3)自らの活動を点検・評価し、改善・改革を行うことのできる組織となっていない
――などの理由で、協会の基準に適合しない、と評価を変更した。

Yahoo! Japan News、3/26(火) 13:14配信
東京医科大は基準「不適合」
不正入試受け初の評価変更

(朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190326-00000052-asahi-soci

提出書類にうその内容、と。
なお東京福祉大も「不適合」とすべきでは・・・


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2019年03月26日

懲りない妻に、図に乗る夫──稀代の私物化夫婦

 今月2019年3月23・24日に東京で開かれた日本政府主催の国際女性会議「WAW!」。
 ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが出席したことで話題を呼んだ同会議だったが、一方で唖然とするようなことが起こった。

 なんと、閉会の挨拶に立ったのは、安倍昭恵氏だったのだ。

 外務省HPの会議報告でも「内閣総理大臣夫人」という肩書きが記されていることからも昭恵氏が首相夫人として登場したことがわかるが、政府主催の国際会議で閉会のスピーチを担うこの人はどこからどう見ても「公人」だ。

 あらためて「首相夫人は公人ではなく私人である」という閣議決定のデタラメさには憤りを感じざるを得ないが、しかし、さらに驚いたのは、そのスピーチの内容だ。

 報道によると、昭恵氏は、
〈性被害を告発する「#MeToo」(「私も」の意)運動に触れ、課題の解決には1人1人が声を上げることが必要だと指摘。「皆さんがつかんだひらめきを周りの人と共有し、必ず行動に移してほしい」と呼び掛けた〉
というのだ(日刊スポーツ24日付)。

 性被害に対して「声を上げることが必要」と訴えるのは大事なことだ。
 だが、昭恵氏といえば、性被害を訴える声に対して信じがたい行動に出た張本人ではないか。

 というのも、昭恵氏は2017年5月に「週刊新潮」(新潮社)がジャーナリスト・山口敬之氏による伊藤詩織さんへの性暴力疑惑を報じた際、山口氏がFacebookに投稿した“反論”に「いいね!」したからだ。

 この投稿で山口氏は告発を否定しただけではなく、
〈犯罪行為がなかったという最終的な結論が一年ほど前に出た後も、当該人物側がこの話をスキャンダルとして各種メディアに売り込もうとしていたことは察知していました〉
などとも記述していた。
 事件がもみ消されようとするなかで、被害をメディアに訴える手段に出ることは当然の話だが、それを山口氏は、
「売り込もうとしていた」
などと、あたかも女性が金銭目的であるかのように印象付けていた
 そんな投稿に対し、昭恵氏は「いいね!」と共感を示したのだ。

 昭恵夫人といえば、森友学園問題が浮上し籠池泰典理事長(当時)の証人喚問がおこなわれた同年3月23日に自身の関与を否定したコメントをFacebookに投稿して以来、しばらく沈黙していたが、それを初めて破ったのが、山口氏が投稿した記事に「いいね!」だった。
 山口氏は当時、森友学園問題ではテレビで安倍首相と昭恵夫人を徹底擁護しつづけ、他方、ネトウヨによるデマであることが確定した辻元清美議員への流言をテレビで垂れ流していた。
 デマで問題をすり替える山口氏にはジャーナリストを名乗る資格などまったくないが、それでも昭恵夫人は国民から注目を集めるなかで、山口氏に「いいね!」とエールを送ったのである。

 人間の尊厳を奪う性暴力を告発する女性の声には耳を傾けず、自分や自分の夫を庇ってくれるジャーナリストの主張に「いいね!」と賛意を示す── そのような人物が、女性会議で “1人1人が声を上げることが必要” などと指摘し、「必ず行動に移してほしい」と挨拶するとは。
 とんだ恥さらし
ではないか。

「男女平等は反道徳」の杉田水脈は会議後、「日本は男女平等の先進国」と

 しかし、安倍政権で開始されたこの「国際女性会議」というものの “正体” がわかる出来事は、昭恵氏の挨拶だけではなかった。

 じつは、この会議には、自民党のあの杉田水脈議員も参加していたのである。
 そして、24日に自身のブログに、こんなことを投稿したのだ。

〈ジェンダーギャップ指数2018、日本は110位でG7最下位「日本は男女平等が進んでいない」と言われていますが、本当でしょうか?
 ジェンダーギャップ指数を図る指標は大きく4つ。
 教育、健康、経済、政治。
 実は教育と健康の分野において日本はほぼパーフェクトに男女平等なのです。
 まだまだ世界中には教育を受けられない人びとがたくさん存在します。
 その3分の2が女性なのです。
 そんな国から見れば日本は「スーパー先進国」〉

〈そんな国が「男尊女卑」なはずはありません。
 日本人より海外の方々の方がそれをよく理解してくださっています〉

 ジェンダーギャップ指数で日本がG7で最下位となっているのは、経済分野で117位、政治の分野で125位と、経済と政治で大きな遅れをとっているからだ。
 収入の男女格差、管理職における男女平等、国会議員・閣僚の女性割合など、改善しなければならない項目はたくさんある。
 それに取り組むのが国会議員の仕事であるはずだが、杉田議員は女子の教育機会が奪われている国と比べて「スーパー先進国」など胸を張るのである。

 そもそも、杉田議員は「次世代の党」時代の2014年、国会で、
「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です」
と暴言を吐き、「週刊プレイボーイ」(集英社)でのインタビューでも、日本に男女差別は「ない」と断言した人物。

 さらに、伊藤詩織さんの告発に対しても、昨年2018年6月にBBCが公開し、本日、19時からニコニコ生放送で日本初放送される詩織さんの事件を中心にしたドキュメンタリーでも、杉田議員はこう語っている。

「彼女の場合はあきらかに、女としても落ち度がありますよね」
「社会に生きていたら(男性からのセクハラは)山ほどありますよ」
「伊藤詩織さんが記者会見をおこなって、ああいう嘘の主張をしたがためにですね、山口さんや山口さんの家族には、死ねとかいうような誹謗中傷のメールとか電話とかが殺到したわけですよ。だから私はこういうのは男性側のほうが本当にひどい被害を被っているんじゃないかなというふうに思っています」

安倍首相が掲げる「女性が輝く社会」の正体があらわに!

 性暴力被害を訴える女性に対し、「女として落ち度がある」「社会に生きていたら山ほどある」などと言って責めたてながら、「こういうのは男性側のほうが本当にひどい被害を被っている」などと主張する──。
 このような人物が国会議員として参加する女性会議とは、一体何なのだろうか。


 つまり、これこそが安倍首相が進める「女性が輝く社会」の実態なのだ。
 実際、この国際女性会議で「すべての女の子が少なくとも12年間の質の高い教育にアクセスできる世界を目指す決意を首脳たちと確認したい」と途上国における女性教育の拡充を訴えたが、他方、この国で発覚した医学部入学試験における女性差別問題を直視することもなく、根本的・積極的な是正を打ち出していない。
 さらに、男女の立候補者数をできるかぎり均等にするよう政党に求めた「政治分野における男女共同参画推進法」が施行されて初となる次回の参院選では、共産党が5割を、立憲民主党は比例代表の4割を女性候補にすることを目指しているが、自民党は擁立目標を見送った(信濃毎日新聞25日付)。

 だいたい、安倍自民党は、準強制性こう容疑で告訴されて議員辞職した田畑毅議員にも当初、離党で手を打ち、福田淳一・前財務事務次官セクハラ問題では麻生太郎財務相が「はめられた可能性は否定できない」などと被害者女性があたかもハニートラップをしかけたようなデマを口にしたが何のお咎めもなかった。
 女性に対する性被害を一向に問題として取り合わないのだ。

 こんな状況で、よく「女性が輝く社会」などと宣えたものだが、この安倍政権下で女性の権利の向上、男女平等を目指すこと自体に無理があるのである。


リテラ、2019.03.26 12:39
日本政府主催「国際女性会議」の閉会挨拶に安倍昭恵が!

山口敬之を擁護していた首相夫人を起用する異常

https://lite-ra.com/2019/03/post-4626.html

 もりそばだっけ、なんだっけ、それ以来の久々の登場、と思ったのですが、もう昨年から恥さらしを再開していたようなんです:

 2018年8月12日に山口県下関市の講演で、秋に開かれる予定の臨時国会で憲法改正案の提出を目指すと明言した安倍首相。
 国の根幹にかかわる改憲を総裁選に利用するとは浅ましいにも程があるが、じつは地元で安倍首相はもうひとつ、とんでもない行動に出ていた。

 それは、11日におこなわれた自民党山口県連の会合でのこと。
 この会合は安倍首相の総裁選3選を支持する「囲む会」で、自民党籍の村岡嗣政・山口県知事をはじめ、国会議員や地方議員ら約300人が集合。
 そこで安倍首相は、同伴した昭恵夫人を傍らに立たせ、こう述べたというのだ。

「この1年数カ月の間に、行政の信頼を揺るがすさまざまな出来事があった。決裁文書の改ざんはけして、あってはならない。行政の長として責任を痛感している」

 いやいや、その「決裁文書の改ざん」を起こした原因こそ、昭恵氏にあるのではないか。
 しかも、この会合の模様について報じた日刊スポーツによると、安倍首相がこう語っているあいだ、昭恵夫人は〈神妙な表情で首相の話を聞いていた〉のだという。

 言っておくが、昭恵氏は森友問題が発覚してこの約1年半のあいだ、公の場で国民に向かってきちんとした説明を一度たりともおこなっていない。
 それどころか、近畿財務局の職員が自殺したことが報じられた今年2月9日の夜、昭恵夫人は銀座で開かれたパーティに参加。
 このパーティには元サッカー日本代表の中田英寿や女優の真矢ミキ、俳優の別所哲也らも参加しており、昭恵夫人はタレントの神田うのと仲良くツーショット写真を撮影するなど、無神経さを露わにした。

 そして今回、安倍首相は3選支持のための集会では、昭恵氏と並んで立ち、改ざん問題について語った──。
 つまり、多くの国民が昭恵氏の国会招致を求めていたにもかかわらず拒否しつづけたのに、安倍首相は支持者に対しては昭恵氏とともに挨拶に出向くのだ。

 まさしく日本一の「恥知らず夫婦」としか言いようがないが、昭恵氏は“禊ぎ”が済んでいないどころか、疑惑のデパート状態だ。
 だいたい、昭恵氏をめぐっては、つい最近も「週刊文春」(文藝春秋)(*)と「FRIDAY」(講談社)(*)が立てつづけに怪しい “お友達” の広告塔になっている問題を取り上げたばかりだ。

 その問題とは、昭恵氏が発起人を務める「世界こどもサミット」というイベントで、同じく発起人を務める菅沼奏香氏という女性にかんするものだ。

 昭恵氏と菅沼氏はとても親しい間柄にあり、菅沼氏は2015年にはFacebookで昭恵氏のことを
〈もう人間の枠など超えて、神様の存在に近い 今迄の皇室の誰よりも数十倍神々しく、その行動には宇宙愛としか言えない!〉
(原文ママ)
と投稿していたほど(*2)で、昭恵氏もまた菅沼氏との写真を投稿している。

 そしてこのふたりがかかわる「世界こどもサミット」は、字面だけでは世界の諸問題を子どもたちが話し合う場のような気がするが、HPにはこう書かれている。

〈こども達の中には、既に自分の生きる道や、行動指針、生まれてきた意味などが、大人から教わらなくても理解している子がいます。そんな天性の才能に溢れたこども達が集合して、彼らの才能を認めて伸ばす、可能性を最大限に発揮できる様に、子供達の想い、価値観、考え方、やりたいこと、夢、希望、創りたい未来の社会など、自分の思ったままを自由に発表して頂きます〉

 生まれてきた意味、天性の才能……。
 何やら引っかかる言葉が散見されるが、「週刊文春」7月12日号によると、
〈登場した十五人のこどもスピーカーのうち「胎内記憶」を持つ子が四人〉
〈特異な体験を持つ日本の子どもたちの発表の場〉
とレポートされている。
 昭恵氏の大好きなスピリチュアルの匂いがぷんぷんしてくるものなのだ。

「2時間で300万円」の講義をするオカルト団体とイベントを首相公邸で

 しかも、じつはこの菅沼氏、同サミットの事務局と兼ねた伊勢市のコミュニティ館でスタッフと共同生活を送り、
〈『KAMIスタイル』という新興宗教の“教義”のようなものを教えている〉
という。
 しかも、その受講料が〈2時間で300万円。人によっては1000万円を請求されることもある〉(「FRIDAY」7月20日号)
とかなりの高額であるというのだ。

 「週刊文春」によると、この「KAMIスタイル」は「縄文時代の生き方を理とする」もの。
「病気は人間の我欲が生み出した代物。宇宙の法則に則って生きていれば病気にはならない」
という教えで、たとえばガンの原因は、
〈我が強すぎる、突っ張りすぎ〉、
子宮筋腫は、
〈女としての生き方が間違っている〉
とテキストでは説明しているらしい。

 科学的根拠がない上に高額な受講料……。
 その上、300万円の受講料を支払ったという元信者は、
「こどもサミットには、首相夫人も関わっている。魅力的で信頼できると思って、伊勢にやって来ました。(中略)私のような人間は絶好のカモでした」
と語っている。
 つまり、菅沼氏と昭恵氏との関係が信頼する材料になっていたというのである。

 しかも、菅沼氏のFBによると、今年1月5日に首相公邸で「世界こどもサミット会議」を開いたと報告。
 公邸で撮影された昭恵氏との写真が投稿されている。

 森友問題であれだけ公私混同が指摘され、ついには「首相夫人は公人ではなく私人」というトンデモ閣議決定までおこなわれたが、その私人であるはずの昭恵氏は、お友だちを私邸ではなく公邸に呼んで、私的な会議を開いているというのである。
 ようするに、何の反省もないのだ。

 この調子だと、第2の森友、第2の籠池泰典・前理事長のような人物がいつ出てきても、まったく不思議ではない。

 懲りない妻に、図に乗る夫──稀代の私物化夫婦をこのまま放置して、ほんとうに国民は納得できるのだろうか。


リテラ、2018.08.14 10:29
安倍昭恵夫人の“傍若無人”が復活!

支持者会合に夫婦で登場、首相公邸でお友達のオカルト団体とイベント

https://lite-ra.com/2018/08/post-4188.html

(*1)いずれも「削除」されております!
(*2)薄荷らぼ。2018年07月06日
【文春砲】昭恵夫人が発起人の「世界こどもサミット」に、新興宗教が深くかかわっている!
http://hakka-pan.blog.jp/archives/10318753.html

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安倍首相、いいトコ取りの目くらまし

 今国会の安倍晋三首相の答弁姿勢に、三つの特徴が表れている。

▽ 実行を十分に伴わない「大風呂敷
▽ 聞かれたことに答えず別の主張を強調する「論点ずらし
▽ 説明不足を認めない「取り繕い

 野党は批判を強めるが、首相に改めるそぶりはない。

 焦点となった統計問題について首相は2月6日の参院予算委員会で「政府、与党、野党なく協力して実態を解明、検証し、再発防止に万全を期していきたい」と意気込みを見せた。
 だがその後、政府与党は野党の求めた参考人招致や資料提出に時間をかけて少しずつ応じた。
 積極的な首相答弁とは落差があった。

 厚生労働省が2018年1月、毎月勤労統計の「データ補正」をひそかに始めた当時の担当室長の招致を野党は再三要求。
 首相は「国会から要請があれば」と前向きに答えたが、実現していない。
 首相は結果的に大風呂敷を広げた形になっている。

 「論点ずらし」も特徴的だ。
 2月5日の衆院予算委で立憲民主党の西村智奈美氏は、
「安倍政権がスタートしてから一貫して実質賃金が下がっている」
と指摘したが、首相は実質賃金下落について直接反論することはせず、
「総雇用者所得は名目でも実質でもプラスになっている」と強調した。

 「実質賃金」は名目賃金から物価変動の影響を差し引いた数値で、個人の生活実感に近いとされる。
 「総雇用者所得」は1人当たりの賃金に雇用者の人数をかけたもので、経済全体の評価に用いられる。
 それぞれ別の指標だ。

 自らの発言の正当性を主張するために説明を重ねる「取り繕い」もあった。

 首相は1月のNHKの番組で、
「(沖縄県名護市辺野古の)土砂投入にあたり、あそこのサンゴは移している」
と発言。
 だが実際に移植したのは、当時の土砂投入区域外のごく一部にとどまる。
 野党や沖縄県は「不正確だ」と批判した。

 2月13日の衆院予算委で立憲の川内博史氏は、
「一般の視聴者は埋立区域全体と思う。もう全部移したと取られかねない。ミスリーディング(誤解を招く)だ」
と指摘。
 だが首相は、
「土砂を投入している側、南側のサンゴは移植したというのは事実。やっていないなら間違いだが、やっている。長々とテレビでは説明できない。間違いではない」
と主張。
 撤回には応じなかった。

 3月5日の参院予算委で統計問題を追及した共産党の小池晃書記局長が「私の質問に全く答えてない」と首相の答弁姿勢を批判したが、首相は反論した。
「小池氏の気にくわないかもしれないが、誠実に答えている」


[図]
首相答弁の3類型

朝日新聞、2019年3月26日05時00分
首相、批判かわす3答弁

大風呂敷・論点ずらし・取り繕い

(板橋洋佳、磯部佳孝)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13949875.html

○ 委員長(金子原二郎君) 総理にお願いします。
 答弁について、言葉に注意して、できるだけ分かりやすく丁寧にお願いしたいと思いますので、もう一度答弁をよろしくお願いいたします。(発言する者あり)
 速記を止めて。
〔速記中止〕

○ 委員長(金子原二郎君) 速記を起こしてください。

○ 内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、私は、私は既に答弁をしているつもりであります。ですから、国民から理解されるのかというのが質問だったわけでありまして、ですから私は先ほど答えたじゃないですか。
 ですから、私が答えたのは、言わば専門家というところに着目をしてお願いをしたということがまさに答えであって、厚労省に手心を加えてもらおうということで着目を、任命理由にしたのではないということでございまして、それは今まさにこう申し上げているのですから、国民の皆様に御理解をいただけるのではないかと、こう申し上げているわけでありまして、お答えに沿っていると、こう考えているところでございます。(発言する者あり)

○ 小池晃君 私はあの答弁、気に食わないなどという態度じゃないですよ。「気に食わない」を撤回してください。

○ 内閣総理大臣(安倍晋三君) それは私の受けた印象でございます。それは、つまり私は答えているわけでありまして、答えているのに答えていないというのを私がおかしいと思うのは、それは私の印象でありまして、そう申し上げたところでございます。(発言する者あり)

○ 委員長(金子原二郎君) 速記を止めて。
〔速記中止〕
○ 委員長(金子原二郎君) それじゃ、速記を起こしてください。
 総理にお願いいたします。

○ 内閣総理大臣(安倍晋三君) 私が気に食わないと申し上げたのは、小池委員の意に沿わない答弁だったかもしれませんがと、そういう意味で言ったわけでございまして、小池委員の気持ちを害したのであれば、それは意に沿わないという意味だったというふうに訂正をさせていただきたいと思うのでございますが、私は誠実に答弁させていただいているつもりでございます。

○ 小池晃君 私は、手心を加えているんじゃないかなんて一言も言っていませんからね。やっぱり樋口さんがこの間やってきたことを見れば、国民から見れば、厚労省と一体の人なのではないかと、第三者性、中立性があるのかと見られるでしょうと言っている。私は、これ理解得られないというふうに思いますので、内容以前の問題だということを申し上げたい。今後もこの問題を取り上げたいと思います
(*)。

2019年3月5日 参議院予算委員会 速記録
http://www.a-koike.gr.jp/?p=9159

(*)小池晃 午後1:39 ・ 2019年3月7日

5日の参院予算委。私は統計不正特別監察委の樋口美雄委員長が厚労省のどの審議会等に所属していたか質問。根本大臣が示したのは労働政策審など8つだけ。2014年以前も示せと求めたら「過去に遡って網羅的に調査するには一定の時間を要する」と拒否し紛糾。翌日渋々提出してきたら35。どこが第三者!?

「昨年の12月1日時点の大卒者の就職内定率は過去最高」――。
 アベノミクスの成果を強調する際に最近、安倍首相が多用するお気に入りのフレーズだが、やっぱり“おいしいトコ取り”で根拠が薄弱だったことが分かった。

 安倍首相が「過去最高」と胸を張るのは文科省と厚労省が合同調査する「大学等卒業予定者の就職内定状況」だ。
 確かに今年2019年3月の大学卒業予定者の就職内定率が87.9%となり、過去最高だった。
 ところが、この統計にはバブル期(1986〜1991年)のデータが含まれていないのだ。

■ 超売り手市場「バブル期」のデータはなかった

 3月25日の参院予算委員会で立憲民主党の吉川沙織議員が、「内定率調査」について
「1997年3月の卒業生分からしか(データを)取っていない」
「空前絶後のバブル期は、このデータは取っていない」
と指摘。
「統計の使い方には留意すべきだ」
と畳みかけた。
 すると安倍首相は、
「当然、統計を取り始めてから(過去最高だった)ということになるわけでございまして、それも踏まえて申し上げている」
と眉間にしわを寄せ、渋々、バブル期のデータが含まれていないことを認めた。

 超売り手市場だったバブル期の方が内定をもらった学生が多かったのは当然だ。
 吉川氏によると、安倍首相は冒頭のフレーズを今年に入ってから少なくとも9回、国会で繰り返したという。
 バブル期のデータがないのに「過去最高だ」と自賛するのは、ミスリードじゃないか。

「大学生の就職内定率が過去最高であることは事実で、若者の雇用が確保されていることは喜ばしいことです。しかし、空前絶後の売り手市場だったバブル期はこの調査が始まる以前のこと。若年者の人口が減少する中にあっては、リーマン・ショックのような特殊事情がなければ、就職内定率が高まる傾向にあること自体は不思議ではありません。総理が殊更に喧伝するようなものではないでしょう」
(吉川議員)

 文科省は「内定率調査」とは別に、「学校基本調査」で1948年以降の大卒者の就職状況を調査している。
 それによると、バブル期の1986〜1991年、ピーク時の就職者は全体の81.3%。
 ところが、2018年は77.1%と下落している。
 しかも、「学校基本調査」が大卒者への全数調査であるのに対し、「内定率調査」は抽出調査。
 有利な数字をあえて利用したなら、またぞろ“アベノミクス偽装”と批判されても仕方あるまい。


日刊ゲンダイ、2019/03/26 14:50
安倍首相「内定率は過去最高」はいいトコ取りの目くらまし
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250495/

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佐治晴夫

 NHKラジオ深夜便、今朝の「明日へのことば」にヤッホーくん、もう明け方からびっくりして聞いておりました。
 『人生の星をつかみ続けて』
 お話なさったのは、北海道・美瑛町(びえい)美宙(みそら)天文台長の佐治晴夫さん。
 山歩クラブがいつのころか、北海道への旅を企画しましたけど、ヤッホーくんたち、美瑛町に行ったんだっけ…

朝起きたら、スタインウェイのピアノでバッハを弾き、
日中は天体望遠鏡で“真昼の星”を観る──
そんなロマンティックな「おへそ」をもつ理論物理学者、
佐治晴夫さんを訪ねて、北海道の美瑛に行ってきました。
音楽家になりたかったけど、単なる憧れでしかなく、
数学科に進んで卒業はしたものの、周囲の天才たちに圧倒されて方向転換。
落ちこぼれ続けて、最終的には理論物理学者になったけれど、
惑星探査機「ボイジャー」にバッハの「プレリュード」を
搭載しようと提案できたのは、音楽と数学の知識があったから。
結局、人生というのは、そのときで
よかった悪かったとは言えないものなのです。

目に見えるものがすべてではない

 理論物理学者の佐治晴夫さんは、専門の物理学や天文学だけでなく、音楽や詩などの芸術にも造詣が深く、ピアノやパイプオルガンを弾きながら、宇宙論などの難しい話をやさしく語りかけるように教えてくれる人として知られています。
 佐治さんの本には、
金子みすず
宮沢賢治
オスカー・ワイルド
ロマン・ロラン

などの文学から引用があるかと思えば、
バッハ
ベートーヴェン
シューベルト

の楽曲が登場し、その語り口は実に温か。
 まるで一篇の物語を読んでいるように感じます。
 取材にうかがう前日、佐治さんからのメールにこんなひと言がありました。

「美瑛にいらしたら、ぜひ真昼の星を見ていただきたいです」

 真昼の星? と意外に思うかもしれませんが、佐治さんは、1990年から「昼間の星を見る」活動を全国で行っています。
 現在は、2011年に仕事の拠点を移した北海道美瑛町に一昨年新設した「美宙天文台」の台長でもあります。

「この天文台では、昼間でも星が見られます。科学は見えないことを“見える化”することで進歩してきましたが、目には見えなくても、存在するものはたくさんあります。童謡詩人の金子みすずが『星とたんぽぽ』で謡っているでしょう?
昼のお星は目にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ

と。昼間に星を見る体験は、目に見えるものがすべてではないことに気づかせてくれます」
  
 宇宙の中で私たちが目に見えるものは、たったの4%に過ぎないのだそう。
 96%は見えないもの、正体不明なものだけれど、確かに存在する。
 そんな宇宙の研究を長年続けきた佐治さんですが、もともとは物理学者になりたかったわけではないのだと言います。

「小学2年生のとき、『もうすぐ戦争が始まると、日本に数台しかないパイプオルガンが焼けてしまうかもしれない。学校を休んでもいいから、聴いてきなさい』と父に言われ、兄に連れられて日本橋三越にパイプオルガンを聴きに行きました。
 そこでバッハの曲に出会い、心を打たれ、パイプオルガンを弾きたい、音楽家になりたいと思ったんです。
 でも、能力がなかったので、大学は数学科に進み、でも、そこでも周囲の天才たちに圧倒されて、理論物理学の道に方向転換しました。
 とはいえ、今までやってきたことが無駄だったかと言えば、決してそんなことはない。
 音楽と数学の知識があったからこそ、NASAのボイジャー計画に関わったとき、惑星探査機『ボイジャー』にバッハの『プレリュード』を
搭載しようと提案できたのです。
 そう考えると、人生というのは、その時点でよかった、悪かったというのは言えないものなのです。
 これからどう生きていくか、で過去の価値はいかようにも変えられます。
 未来が過去を決めるのです


人は毎日生まれ変わる。昨日の自分はもういない

 過去は単なる記憶であって、実際に経験した過去そのものではないと佐治さんは言います。
 過去は固定されたものではなく、自分の都合のいいように作り変えたり、脚色したりすることができるのだと。

そんな実体のない過去にこだわるより、この先どう生きていくかを考えたほうが建設的だと思いませんか?

 佐治さんが音楽から数学の道に進んだのは、感覚的に音楽にもっとも近いと感じたのが数学だったから。
 「ボイジャー」にバッハの「プレリュード」を選んだのも、その曲に数学的規則性があったからなのだとか。

「E.T(地球外知的生命体)との交信には、言語としての情報が不可欠です。
 例えばジュウシマツには8つの鳴き声があって、その組み合わせによって言語を作っていますが、それと同じような数学的構造が、バッハの曲にもたくさん含まれています。
 具体的に言うと、 “f分の1ゆらぎ”の様相を呈しているのです。
 バッハがそれを知っていたとは思えないので、恐らく偶然でしょう。
 でも彼は、そういう数学的な美しさを感じていたのだと思います」

 “f分の1ゆらぎ”とは、佐治さんが提唱する宇宙のはじまりに関わる理論で、半分予測できて、半分予測できないという性質のこと。
 そうした“ゆらぎ”は、そよぐ風や木漏れ日、星の瞬きなど自然界のほとんどにみられ、私たちの脳は、この“ゆらぎ”の刺激を受けると、脳自身の“ゆらぎ”と呼応して、心地よい、美しいと感じるのだとか。

「健康な人の脳派や心拍の変動は、自然界のゆらぎに近いことがわかっています。
 私たちも明日のことを半分は予測できて、あとの半分は予測できないからこそ、明日に夢を託して生きられるわけですよね。
 自然のからくりも、私たちの心の動きも、すべては宇宙の根源的性質をそのまま反映しています。
 それはつまり、私たち自身が宇宙のひとかけらの証だと言うことです」

 人間を含めたすべての生物を構成する主要元素の優先順位は水素、酸素、炭素、窒素で、実はこれは宇宙を構成する主要元素とほぼ同じなのだそう。
 そして、人間の体を構成する数十兆の細胞のうち、数千億の細胞はひと晩で入れ替わるのだとか。

 ということは、昨日と同じ自分はもうどこにもいないということ。
 つまり、何回でも新しい自分に生まれ変われる。
 毎日、毎日新しい自分になれるということです。

人の一生には全盛期も衰退期もない


「私たちは時間の経過とともに成長し,老いていきます。
 年を重ねるということは、体や頭の動きが衰える一方で、多くの経験を重ねて直観力が鋭くなっていく。
 おしなべてみれば、人間の一生には全盛期も衰退期もないのです。
 だからこそ、“今さら”ではなく“今から”。
 好奇心を持って新しいことに挑戦することが大事です。
 私がパイプオルガンのレッスンを始めたのは68歳のときでした。
 何かを学び始めるのに年齢は関係ありません。
 “今さら”ではなく“今から”数学を学んでもいい。
 みなさんは数学が苦手だと思っているでしょう? 
 でもそれは、数学の本質を教えない教育に問題があるんです。
 数学というのは、物事の道理を単純明快に、しかも無駄なく、美しくエレガントに表現することです。
 それに気づくには、秩序があるところに美しさを感じるセンスがあればいい。
 それは計算が得意というのとはまた違い、どちらかと言うとアーティスティックなセンスです。
 だからこそ、私にとっては数式もポエムも音楽も同じなのです」

 どうしたら佐治さんのように芸術と科学の垣根をなくし、同じ目線で美しさを感じることができるのでしょう?

「どんなものもうんと掘り下げた根底ではつながっています。
 共通項があるんです。それを見出すには、物事を統括的にとらえる知識が必要です。
 文系・理系の枠にとらわれず、幅広い知識を身につけることで、既存の常識や慣習から心をリバレイト(解放)し、自由なものの見方をすること。
 それを教えるのが欧米の伝統的教育“リベラル・アーツ”です。
 残念ながら、日本の教育制度はかなり早い段階で文系向き、理系向きという区分を作って仕分けをしてしまっているため、それができていないように感じますね」 

 だからこそ、佐治先生は今、自身の宇宙研究の成果を平和教育に生かす「リベラル・アーツ教育」の実践を目指して、全国の学校や美瑛町でピアノやパイプオルガンを弾きながら、宇宙や命の授業を行なっています。

宇宙を知ることは
自分を知ること


「子どもの頃、近所の子から”キミどこかで拾われたんでしょ”と言われました。
 悩んだあげくに思い切って母親に聞いてみると、“あなたはお母さんのお腹から産まれたから私はあなたのお母さんよ。でも、あなたは牛さんのおっぱいで育ったから、牛さんがお母さんなのよ”と言われました。
 当時は母親のお腹から産まれたと聞いて安心しただけでしたが、“牛さんがお母さん”という言葉が切々と迫ってきたのは、高校生くらいにななってからでした。
 牛は水を飲み、草を食べないとお乳が出ません。
 牛が母親だということは、周りの自然すべてが母親だと思い至ったのです。
 それが私の原点にありますね。
 人間はひとりでは生きられません。
 自分を取り巻く環境や相手あっての自分です。
 水が水ではない水素と酸素からできているように、私は私でないものによって私になっています。

 自分というのは「自」然の「分」身です。

 なので、自分を知るためには、自分を取り巻く環境や周囲との関係性を知ることです。
 それは何も身近な周りだけでなく、最も大きな環境である宇宙を知ること。
 私たちは宇宙から生まれたのですから」

 私たちは宇宙の分身であり、宇宙のひとかけら。
 138億年もの昔に誕生した宇宙に比べれば、私たちの一生はほんの一瞬。
 でも、その一瞬がなければ宇宙時間も途切れるわけだから、そんなささやかな人生だからこそ、くよくよせずに、星空を見上げてみては?
 きっと元気になります。


text:和田紀子、photo:興村憲彦
『暮らしのおへそ Vol. 23』より

佐治晴夫
 宇宙創生に関わる「ゆらぎ」研究の第一人者として知られる理学博士(理論物理学)。大学教授や学長、学園理事長などを務めた後、2011年に北海道美瑛町にアトリエを建て、移住。近著は『ぼくたちは今日も宇宙を旅している』(PHP研究所)、『14歳のための宇宙授業、相対論と量子論のはなし』(春秋社)

暮らしのおへそ、2017.11.16
「今さら」ではなく「今から」

それだけで人生は変わります

理論物理学者 佐治晴夫さん

http://kurashi-to-oshare.jp/column/34046/

位置

 美瑛は、北海道のほぼ中央「旭川市」と「富良野市」の中間に位置し、大雪山国立公園十勝岳連峰の裾野から、なだらかに丘が広がる美しい自然景観が美瑛の魅力を創り出しています。
 面積は、676.78㎢と東京23区の広さに匹敵し、その70%以上が山林が占めています。

気候

 美瑛は、寒暖の差が激しい内陸性気候であり、春夏秋冬がはっきりしているため四季の移り変わりを楽しむことができます。
 気温は、東京から比べると1ヶ月ほどおそくずれていると言う感じです。
 桜は、5月上旬から咲き始め、7月上旬にはジャガイモの花が畑一面に美瑛の丘を彩ります。
 夏は、30度を超えることもありますが、朝夕は涼しく、過ごしやすいことが特徴です。
 11月下旬から雪が舞い散り、本格的な冬の到来です。
 冬はマイナス20度以下になることもあります
 そんな日の朝は、きらきら輝くダイヤモンドダストもみられます。
 3月末春の息吹が感じられ、農作業も始まります。

美瑛の丘はどうしてできたの

 美しい丘の風景が誕生した歴史をひもといてみます。
 およそ50万年前、十勝岳連峰には10個ほどの火山が火山列をつくり噴火を繰り返し、大地の躍動は想像を絶する光景であったに違いありません。
 十勝岳の北斜面で噴火が集中したのが3,000年前からのことです。
 美瑛の大地にも泥流・火山灰が堆積し、水を多く含んでいる火山列は、放射線状に河川・谷が形成され、自然の赴おもむくままに丘や平地が創造されました。

歴史

 美瑛の未開の原野に初めて足を踏み入れたのが探検家松浦武四郎です。
 1858年、武四郎が美瑛を通り十勝越えをしたときです。
 1894(明治27)年に現在の旭農場に貸付地450haに初めて鍬を入れたことが始まりです。
 当時、樹林の中で方向さえわからない状況であったと書に記されています。
 1899(明治32)年、十勝線(現JR富良野線)旭川・美瑛間が開通し、美瑛駅が開業、翌年神楽村から分村し、美瑛村が誕生しました。
 その後、戦争や災害など幾多の難関を乗り越え、先人たちのたゆまぬ努力の積み重ねがあり、美しい「丘のまち美瑛」の発展を見ることになるのです。
 訪れる方々にお願いです、農家の畑や私有地には、入らないようお願いします。

美瑛の観光

 美瑛の観光は、1950年、白金温泉が開湯したことで温泉旅館が建設され、温泉を楽しみに訪れる方々増えてきます。
。。。

美瑛町観光協会
美瑛を知る
https://www.biei-hokkaido.jp/ja/about_biei/

 太古の昔から人びとは空を見上げ、その美と調和に驚きのまなざしを向けてきました。
 それは数学や音楽をはじめとする数々の文化をつくりあげ、限りある人生と永遠を結びつける哲学を生み、明日への希望を夢見てきました。

 この施設は、世界で最も美しい村 "美瑛町" からみなさんを「知のゆりかご」にのせて、はるかなる宇宙の旅へといざなうゲイトウェイ(玄関)です。
 そしてその旅を通して、生きていることの素晴らしさと感動をみなさんとともに分かち合えることを心から願っています。
理学博士・佐治晴夫


美瑛町公式サイト
丘のまち郷土学館「美宙」
天文台長からのメッセージ

http://town.biei.hokkaido.jp/facility/misora/

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土屋鞄製造所・西新井本店

 この間の24日(日)に行なわれた山歩クラブのお散歩会でのことです。
 舎人ライナー「西新井大師西」駅から歩きだし、目に入ったのがこれ ☟

P1060900-1.JPG

 「土屋鞄製作所」(足立区西新井7-15-5 Tel 0120-907-647)でした。
 公式サイト: https://www.tsuchiya-kaban.jp/

 ビジネスウエアのカジュアル化が進み、多くの人が仕事かばんにリュックを選ぶようになってきた。
 手提げのブリーフよりも荷物の重さを感じにくく、両手が空くために自転車通勤も快適そのもの。
 PC収納付きモデルが多数発売され、いまやビジネスバッグの定番のひとつになっている。
 しかしビジネスユースである以上、そこにはマナーが存在する。
 スーツやジャケットでも違和感がなく、また相手先に不快感を与えない配慮が必要なため、売れ筋は「スクエア型」だという。
 リュックにもなる3WAYブリーフも人気だが、現在はリュックとして使うことを前提に選ぶ人が増えたため、スクエア型の純然たるリュックが売れているそうだ。
 さらに条件を付け加えるなら、「レザー製」に注目が集まっているとか。
 高級感のあるレザー製であれば上品に見えるため、ビジネスにもしっかり対応できる。
 このレザー製のスクエア型リュックを突き詰めたのが「ランドセル型」。
 立体的なフォルムで品があり、書類を縦向きに整然と収納できるのが特徴で、その筆頭は土屋鞄製造所の「大人ランドセル」にほかならない。

 土屋鞄製造所は1965年創業、子ども用ランドセルづくりからスタートした革かばんブランド。
 自社工房を構え、現在は紳士・婦人用の各種バッグから財布や名刺入れなどの小物まで、数多くのレザーアイテムを展開している。
 この土屋鞄から2015年11月に発売されたのが大人ランドセルで、「創業50周年の節目に新しい取り組みとして企画した」と、土屋鞄製造所のかばんデザイナー、舟山真利子氏は話す。
 土屋鞄の子ども用ランドセルは広く認知されていたため、“大人用”のリクエストは以前からあったそうだ。
 ユーザーの後押しもあり、また「純粋にランドセルのすばらしさを大人にも伝えたい」(舟山氏)との思いから、開発に着手したという。
 ランドセル職人や紳士かばん職人など、社内のさまざまな職人の意見を取り入れながら、大人向けのシャープさを出すために試行錯誤。
 「革選びや色出し、フォルムや仕様など、子ども用ランドセルの良さを生かし、大人が使えるように設計するのに苦労した」(舟山氏)という大人ランドセルは、約2年をかけて完成した。
 この大人用に作られた斬新なかばんはSNSやメディアで大きな話題となり、発売当日には数時間で完売したという。
 その後も2016年1月から約2ヶ月おきに再販売されたが、いずれも即日完売という人気ぶり。
 ハンドメイドで生産数が限られるため、現在は受注をストップしている状態だ。
 しかし2017年2月25日から待望の予約受け付けがスタートする。

ワイドモデルやイタリアンレザータイプも展開

 ランドセルは子どもが使いやすい・背負いやすいように作られているため、大人が仕事に用いても使い勝手がいい。
 とはいえ、そのままではマチ幅が広く、丸みのあるフォルムのため、大人が持つには違和感がある。
 そこで大人ランドセルはマチ幅を狭めると同時に、収納力を確保しながらすっきり見えるよう、底部から上部にかけて斜めに設計。
 横から見ると台形になっていることが分かる。
 また、フラップも丸みを抑えてシャープな印象に仕上げるなど、ランドセルの機能性は継承しながら、大人でも違和感なく使える工夫を施したことがヒットにつながったといえるだろう。

 ヌメ革を使用した「OTONA RANDSEL 001」のほか、イタリアンレザーを用いた「OTONA RANDSEL 002」も展開。
 上質感のあるシボ立ちと、オイルをたっぷりと含んだ柔らかな表情が大人っぽい。
 植物タンニンで革をなめす、イタリア伝統のバケッタ製法で仕立てた革は、ソフトタッチながら繊維が密で強靱。
 使うほどに光沢が増し、エイジングも楽しめる。

 そのほか、収納力と使い勝手を高めたワイドモデルも2016年10月末に登場した。
 マチ幅が1センチ広がり容量アップ。
 外ポケットもひと回りサイズアップし、トレンドである長財布も難なく入るので、ビジネス用として活躍する。

 大人ランドセルの購入者は20〜70代と幅広いが、主に30〜40代だという。

「男女問わず使えるので、ご夫婦で兼用されている方や、娘の入社祝いとしてご購入されるお父様もいらっしゃいます」(舟山氏)。

 また、ユーザーの声としては、「自慢したくなる」という声も多いらしい。
 袋仕立てのリュックとは根本から製法が異なるため、土屋鞄ではこの大人ランドセルをリュックとは呼ばず、あくまでもランドセルという位置付けにこだわっている。
 これはランドセル製造への絶対的な自負があるからにほかならない。
 大人ランドセルは実用性や特徴的な見た目だけでなく、土屋鞄が手がけているからこそ所有欲が満たされ、自慢したくなるのではないだろうか。


日経トレンディネット、2017年02月21日
“ランドセル型”がビジネスリュックの新潮流に
「大人ランドセル」だけじゃない!

https://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/1035122/021600048/?P=4

 職人の手仕事によるランドセル作りに取り組む「土屋鞄製造所」 西新井本店・工房(足立区西新井7)で、2019年3月16日〜4月7日まで、子どもたちの感性を育むイマーシブ(没入型)イベント「おもう、つくる、そのさき展」が始まった。

 同社は、「子どもたちに感性の芽を育むきっかけとなる体験を届けたい、そして一人一人が豊かな未来を築いてほしい。」という願いから同イベントを企画。
 「『作る』にまつわる魅力を、全身で感じてもらうこと」をテーマにしている。

 会場では、デジタルコンテンツや展示を通して、色・形・質感に付いて新たな発見を楽しむことができる「体験ブース」や、発見を通して得た材料を使い、のぞくと不思議な世界が広がる自分だけのアイテムを作れる「ものづくりワークショップ」を展開。
 2020年入学用ランドセルの中から、新作11種類「牛革プレミアムカラー」シリーズの新色「アッシュブルー」をはじめ「アトリエ」シリーズも先行展示する。
 ランドセル販促企画課長中橋竜矢さんは、
「このイベントでは、『作る』にまつわる魅力を子どもたちが全身を使って楽しめる。イベントを通して、手を動かして何かを形作ることだけではなく、作る前に何からのインスピレーションを得たり、誰かのために思いを込めたりすることを感じてもらえれば」
と話す。
 同社は、工房を併設した西新井本店と軽井澤工房店、ランドセル専門店10店舗、大人向け革鞄専門店10店舗、全22店舗を構える。
 開場時間は、10時〜18時。入場無料。対象は、小学生以下の子どもと家族。4月7日まで。


足立経済新聞、2019.03.19
土屋鞄製造所の子ども向け体験イベント
新色ランドセル展示も

https://adachi.keizai.biz/headline/455/

 今年で創業51年目を迎える老舗のランドセル工房「土屋鞄製造所」が今、インターネット上で急激に注目を集めている。
 来年分のランドセルの受注が始まった7月1日には、サイトにアクセスが殺到し一時つながりにくい状態に。
 Googleの急上昇ワードの2位にも「土屋鞄」が入るなど大きな話題になった。
 注目を集めるようになった理由は、職人が手作りで製造する革製のランドセルにある。
 シンプルなデザインと丈夫さを武器に、口コミで徐々に人気が拡大。
 注文開始と同時に「自分の子どもにいいランドセルを使わせたい」と考える親が殺到した形だ。

 その時のアクセス数は12時間で約350万。
 ランドセルの注文が年々早まっていることを受け、昨年度の8倍のアクセスを見越しサーバを増強したが、予想を大きく上回る20倍のアクセスがあったため、つながりにくくなったのだという。
 1965年に足立区の小さなランドセル工房から始まった土屋鞄は、15年程前から大人向けのかばんも取り扱い、幅広い層から支持を得ている。

創業者である土屋國男さんは現在78歳。
中学卒業後、岐阜県から上京しかばんメーカーに勤めた後、修業を経て東京都の足立区で土屋鞄製造所を立ち上げ、現在も職人としてランドセル作りに携わっている。
今回、アクセスが集中した背景を伺うとともに、これまでの土屋鞄の軌跡を創業者・土屋國男さんと広報担当者に話を聞いた。


[写真]
創業者の土屋國男さん

かばんを持つ人が引き立つようなデザインを
― 土屋鞄製造所はどのようにスタートしたのでしょうか。

土屋: 1953(昭和28)年に入った会社で、ランドセルの材料を調達する仕事をしていて、10年ほど職人さんと交流していく中でランドセルづくりを学びました。
 その後職人の元で修業し、足立区で独立したんです。
 最初はランドセル一本で、今では大人向けのかばんも手掛けています。

広報: 大人向けのかばんを始めたのは15年程前からですね。
 ランドセルを購入する方はやはりご家族で来店されるのですが、ランドセルを見にいらっしゃった中で親御さまたちから「自分たちのかばんも欲しい」という声をいただくようになって、それから少しづつ手掛けるようになったんです。

― 土屋鞄の商品の特徴として、デザインのシンプルさがあると思います。ロゴも目立たないところに配置されたりしていて控えめな印象ですが、何か理由があるのでしょうか。

土屋: 「しっかりした作りでシンプルなデザイン」というものは品格があると思っています。
 ランドセルは6年間持つものですが、小学1年生と小学6年生では心身ともに成長していきます。
 そんな中で飽きのこないものとなると、目立つ飾りを着けるのではなく、やはりシンプルでないといけないと考えています。
 大人向けのかばんもこの考え方を踏襲してデザインされています。
 ランドセルと同じように“何年も使えるかばん”を作るには、時がたっても持ち主に似合うデザインでなくてはいけません。

広報: そういう意味でも、私達がなにか主張したかばんではなく、“かばんを持つ人を引き立てるようなデザイン”を目指しています。
 シンプルだけれども見えないところに気を使っていて、革は使い込むことで味わいが出るので、持つ方の相棒のようなかばんになってくれればと思います。

[写真]
打ち合わせや食堂として使われるスペース。窓の外には公園があり、まるでカフェのようでした

― ランドセルについてデザインのマイナーチェンジは行っているのでしょうか。

土屋: 大きい変化はないですが、大きさが変わったり毎年細かく作りを改良したりはしています。

広報: 昔はB5サイズの教科書が学校で使われていたのですが、今だとA4サイズのものが使われています。
 先生が出すプリントもA4サイズになったり、保護者向けのプリントがクリアファイルに入れられたりすることもあるので、それに合わせたサイズに作り直しています。

土屋: 僕が就職した当時はランドセルの縦幅が27センチでしたが、現在は31センチありますし、昔はクッション材に布団の打ち直しの残り綿を使ったり、背面には板ボールを使ったりしていました。
 大きくなると当然本来は重くなるのですが、現在は素材の改良が進み、今のランドセルの方が軽くなっているんです。

[写真]
ランドセルの裏側部分。徐々に大きくなっているのが分かります(右から昭和30年ごろ、昭和60年ごろ、現在)

― ランドセル製造業として、少子化の影響などはあるのでしょうか。

広報: 土屋鞄は一人で始めて徐々に仲間を増やして……という小さなところからのスタートなので、そもそもあまり大きな規模ではないんです。
 少子化により1人のお子さまに対する思いや使えるお金が増えていますし、特にランドセルは一生に一度の大切なかばんなので、“こだわりの1つは欲しい”と土屋鞄を検討してくださる方が増えたようにも感じています。

― 2015年に発売された「OTONA RANDSEL」ですが、どういう経緯で生まれたのでしょうか。

広報: もともと背負い心地がいいとか、箱型だと書類の形が崩れず運べるとか、子どもが6年間使い続けられる頑丈さであるとか、ランドセルには日本の職人が進化させてきたさまざまな利点があります。
 昨年が創業50周年の節目ということもあり、その機能美を大人の方にも味わって欲しいと考えて、新たな挑戦としてデザイナー・職人とスマートで大人にふさわしい仕事かばんを手掛けました。
 開発中の時期には、海外の女優さんがランドセル背負っている写真が出たりして(笑)。
 偶然ではありますがランドセルが再評価される時流があったり、最近はビジネスマンの間でも背負うタイプのかばんを使う人が増えてきていたことも人気を後押ししたかなと感じています。
 「OTONA RANDSEL」はご夫婦で兼用する方や、1個目が良かったから2個目を購入したという方もいらっしゃいますね。

[写真]
こちらが「OTONA RANDSEL」。高級感あります(現在は予約受付を終了。次回予約受け付けは12月になる予定だそうです)

[写真]
裏側は通常のランドセルとほぼ同じ

職人を続ける理由と、革に込めた思い

― 土屋鞄で扱っているかばんはほとんどが革製ですがなぜ革にこだわるのでしょう。

土屋: 勤めているとき革屋さんに出入りしていて、職人さんの大変な苦労のすえ、丈夫で素晴らしい革ができることにとても感動しました。
 昔から、本物に触れてきたので革への思い入れは強いんです。
 革は扱うのが難しいので、一般的に革素材は敬遠されがちですし、革を扱う職人も減っています。
 確かに手間がかかる素材ですが、その苦労に見合う品質のかばんが作れるので革製にこだわってやっています。
 革の目利きである職人が状態のよいところを選別したものを使って作っています。

― 創業者である土屋さんは現在も職人として働いていると聞きました。

土屋: 僕は職人としてスタートしていますから(笑)。
 手の節が盛り上がるほどひたすら第一線で作ってきました。
 今は工房をまわって職人の仕事をみたり、声をかけたりと指導をしています。

― 例えば事務を中心にした仕事をしたりということは……。

土屋: 全然やらないです。
 どのくらいでどういう材料が必要かなど仕入れのところから理解していますし、他の職人がどういう仕事をしているのか音を聞けばなんとなく分かります。
 職人っていうのは体が動く限りできますから、今後も職人を続けていくつもりです。

広報: 土屋は“お父さん”と呼ばれて皆に慕われていて、何かあれば相談しますしプライベートでも20代のスタッフと一緒に登山に行ったりします。
 もう一人の土屋と同い年の職人も、スノーボードに行ったりとか、みんな元気なんです(笑)。

口コミで広がった土屋鞄

― アクセスが集中するほど人気となった土屋鞄のランドセルですが、ネットで話題になり始めたのはいつごろからだったのでしょうか。

広報: 騒動になってご迷惑をおかけしたという意味では今年が初めてです。
 年々ランドセルを注文される時期が早まっており、今年は前もってご家族で検討していただけるようにランドセルの先行展示を1ヶ月前から始めました。
 その時からかなりのお客さまがいらっしゃっていた中で「土屋鞄のランドセルはすぐ完売してしまうのではないか」という話が出てきてアクセスが殺到したのではないかと考えています。
 それを想定して準備をしていたのですが認識が甘く、予想を上回る量のアクセスがあり、多大なご迷惑とご不便をおかけしてしまいました。
 その後、すぐ完売にならないように生産体制の調整を行って、実際に完売したランドセルが出たのは7月16日でしたが、今でもベーシックなモデルのランドセルは購入できます。

― 売り上げとしては、実店舗とオンラインではどちらの方が多いのでしょうか。

広報: 今年は店頭混雑の緩和のため、先行展示やオンラインでの注文をしやすい環境を整えました。
 結果、アクセスが集中してしまったのですが、オンライン注文が増えたのは確かだと思います。
 昨年ですと店舗限定の商品なども多かったのですが、それを減らしたのでオンラインでの販売が伸びた、というのもあると思います。
 ただ、皆さん一度はお店でランドセルを検討された方がほとんどだと思いますね。

― 会社としてネットを活用していこうという流れがあるのでしょうか。

広報: 作り手の思いや、商品に込めたこだわりを伝える場の1つとして、自社サイトやSNSなど大切に取り組んでいます。
 アンケートを取ってみると口コミで知った方が一番多く、例えばママ友同士の会話の中で「ランドセルどうする?」という話になって、それで「土屋鞄使っててよかったよ」という話が出て土屋鞄を知っていただくことが多いようです。
 私たちは広告宣伝などほとんどしていませんし、カタログも自分たちで作りますし……自社サイトもそうですが自分たちで全部やっていますので、お客さまからの反響は励みになります。

― SNSの活用なども積極的に行っていますね

広報: 兼任ですが社内にSNSのチームがありまして、活用しているのはFacebookとInstagramですね。
 私たちから発信するのもそうなんですが、SNSを通じて「こんな方が使ってくれている」という姿を見られるのがうれしいんです。
 例えばInstagramで「土屋鞄」のハッシュタグを付けて投稿される写真には大人向けの製品も多いのですが、ランドセルは成長を感じられる特別な品物として「写真に収めておきたい」という気持ちもあるようで、ランドセルを背負った子どもの写真もたくさんあります。
 また、春になると、新一年生のご家族からの声が工房にたくさん届くんですよ。


ねとらぼ、2016年11月26日 09時00分
なぜ土屋鞄製造所のランドセルにアクセスが集中したのか――
人気の秘訣と、創業者が語るかばんへの思い
7月1日にアクセスが集中し話題となった土屋鞄のランドセル、その裏側を探ります。

(2016年11月2日 土屋鞄製造所・西新井本店にて)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1611/11/news122.html

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2019年03月25日

西新井大師西駅から西新井大師へ

 今年2008年は鉄道開業の「当たり年」だ(*1)が、その中でも「難産」という意味では、2008年3月30日に開業した新交通・日暮里・舎人(とねり)(日舎)ライナーがトップクラスだろう。
 それだけに東京・足立区などの周辺住民にとっては、悲願の新路線ともいえる。

 東京都から同線を新交通として導入すると答申が出たのは1985年のことだが、実はそれよりも以前から計画があった。
 70年代初頭に営団地下鉄7号線(現在の東京メトロ南北線)の計画が持ち上がったときに、これを分岐させて足立区西部を走らせようという構想が始まりだ。
 それがあっさりと消えた後に新交通案が浮上するが、1999年度と設定された開業予定は、2003年度、2007年度へと延期が繰り返される。
 建設コストの低い新交通だが、それでも東京都の財政悪化などで最終的なゴーサインが出ない。
 1997年に着工にこぎ着けるが、用地買収の遅れもあって、スムーズには進まなかった。

周辺住民は大歓迎だが他地域の客は困難?

 紆余曲折を経て開業した日舎ライナー。
 足立区舎人の見沼代親水公園から日暮里までほぼ直線で南下し、西日暮里、日暮里でJR、京成線と接続する。
 延長距離は10キロメートル足らずで、ゆりかもめや多摩都市モノレールなどと比べても短い。
 ただ、この沿線は東武伊勢崎線や埼玉高速鉄道などに挟まれた、鉄道の空白地帯で、住民にとって利便性は高くなる。

 これまで住民の足は、バスのみだったが、それが走る尾久橋通りは、東京でも有数の混雑街道。
 朝方は東京都心に向かう車が集中するため、雨の日などの場合、乗客は1時間以上も超満員のバスに押し込められる。
 ライナー開通で、こうした問題が完全に解消される。

 交通の便の改善を見込んで、この地区にもマンションが建ち始めた。
 ここ2年ほどは年率2ケタの地価上昇をみせる地域も現れている。

 だが、地域住民には歓迎されても、他地域から人を呼び寄せる要素は弱い。
 初詣の名所である西新井大師へのルートにはなりそうだが、これはシーズン限定のイベントである。

 総工費は約1300億円。
 都では1日の乗客者数5万1000人を予想している(*2)が、それでも累積赤字の解消までには40年近くかかる。
 多摩都市モノレールなど赤字路線を抱える都としては、計画倒れは何としても避けたいはずだ。

 関係者が期待するのは、「隣接する埼玉県からの利用者が増えること」(足立区議会議員の鯨井光治氏)。
 見沼代親水公園駅から草加市、鳩ヶ谷市までの距離はわずか。
 ライナー開通と同時にここにバス路線も開通しており、この地域の利用者が今後、どう動くか。
 それにしても都民の関心はいま一つ。
 舎人ライナーが駆け抜ける道は決して平坦ではない。


[図]
空白地帯を埋める日暮里・舎人ライナー

東洋経済Online、2008/04/19 12:00
新交通を待ち受ける現実

「陸の孤島」の救世主開業

日暮里・舎人ライナーの勝算

https://toyokeizai.net/articles/-/1159

(*1)2008年は鉄道開業の「当たり年」
★ 3月30日: 横浜市営地下鉄4号線(愛称・グリーンライン)。JR横浜線の中山駅と東急東横線の日吉駅の間約13キロを結ぶ。
★ 6月14日: 東京メトロの新線「副都心線」。池袋・渋谷間を明治通りの下を通る約9キロの新線。
★ 3月15日: JR西日本の新線「おおさか東線」。片町線(学研都市線)の放出駅と関西線(大和路線)の久宝寺駅の間約9キロ。
★ 10月19日: 京阪鉄道「中之島線」。大阪の中心部・中之島を貫いて京阪天満橋駅までを結ぶ約3キロの新線。

(*2)2017年4月〜2018年3月: 86,006人

 あけましておめでとうございます。
。。。
 2016年第1回は日暮里・舎人(とねり)ライナーに乗って西新井大師(東京・足立)にお参りします。
 渡良瀬渓谷(群馬県)、房総半島(千葉県)などこれまでの目的地に比べて近いのは、編集など諸々の準備を2015年中に済まさねばならないうえ、スタッフのスケジュールを合わせて出かけられる範囲と日程が限られていたからです。
 テレビの正月番組と事情は同じです。お正月気分が出るように、紅白の衣装を選びました。

 集合場所は日暮里駅。
 松本記者ら撮影隊は会社から車で向かったのに対して、筆者はJR山手線など電車を使いました。
 駅周辺は高層マンションなどが建ち並び、再開発が進んでいるのに驚きました。

 東京都交通局が経営する日暮里・舎人ライナーは「新交通システム」と呼ばれる鉄道です。
 電気で走るのは電車と同じですが、車輪はゴムタイヤ。
 有明など臨海部を走る「ゆりかもめ」と同じです。
 バスよりも大量の乗客を運べるけれど、鉄道ほどの需要は見込めない、中規模の輸送に適しているといわれます。

 都に撮影を申し込んだところ、乗客を運ぶ定期列車でなく、舎人公園駅近くにある車庫に向かう回送列車の提供を受けました。
 車内でお客様と触れ合う機会がないのは残念ですが、「貸切」も鉄道ファンにはたまりません。
 先頭車両は非常時の運転台が備えられているものの、通常は自動運転。
 つまり、最前列で「かぶりつき」、運転士になった気分を味わえます。
 最高時速は60キロ。
 全線が高架橋を走り、高い位置から街を眺められるのは気分爽快です。

 2008年の開業以来、毎年乗客が増えており、ラッシュ時の混雑もひどくなっています。
 開業前の沿線の交通アクセスは都バスが中心だったので、日暮里・舎人ライナーの開通が地域の発展に寄与したのは間違いありません。

 都内有数の初詣スポット、西新井大師にお参りに行きましょう。
 正式な名前は総持寺です。
 年末の午後に撮影したので参道や境内は閑散としていますが、三が日は大混雑するはずです。
 筆者も6年前に家族でお参りしました。
 境内には露店も多く出ており、2歳だった娘に「ネズミさん」のお面をねだられて買いました。

 参道には草団子で人気の「清水屋」「中田屋」が向かい合ってお店を出しています。
 どちらのお店も作りたてで柔らかく、あんもほどよい甘さ。
 小腹を満たすのにちょうどいい大きさです。
 一方のお店だけにお邪魔するのは不公平なので、松本記者が「清水屋」、筆者が「中田屋」と分担しました。

 西新井大師には日暮里・舎人ライナーの西新井大師西駅からも歩いて行けますが、東武鉄道大師線の大師前駅からはまさに目の前と便利です。
 ちなみに、大師前駅は切符の販売機も自動改札機もなく、切符を持たずに改札を通り抜けられます。
 切符は隣の西新井駅構内の乗り換え通路で購入します。
 初めての方は戸惑うかもしれません。

 大師線はワンマン運転の2両編成が行ったり来たりするのどかな路線です。
 東武東上線の上板橋駅と結ぶ「西板線」として計画されて1931年(昭和6年)に開業したものの、全線開通は日の目を見なかったそうです。
。。。
[動画]

日本経済新聞、2016/1/2
日暮里・舎人ライナーで西新井大師に
(電子編集部 苅谷直政)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO95375470R21C15A2000000/

 平安時代の826年、十一面観音のお告げで、疫病が流行していたこの地を訪れた弘法大師が自ら彫った自身の像を枯れていた井戸に安置した。
 すると井戸から水が湧き疫病も治まった。
 井戸はお堂の西にあったため、「西新井」の名が付いたとされる。
 お堂の場所に立つのが西新井大師(足立区)。
 正式には「五智山遍照院総持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)」という。

 東武鉄道西新井駅から延びる1キロの単線が大師線。
 正月に参詣客であふれる大師前駅のホームは幅が広い。
 普段は無人駅で、1日1万4000人を乗せる地域の足だ。
 西新井駅から西に線路を延ばし、東上線上板橋駅までを結ぶ「西板(にしいた)線」の計画が大正時代にあったが、関東大震災などで断念。
 1931(昭和6)年、大師前駅だけが開業した。

 今より約100メートル南西の参道の入り口にあった駅舎は1968年、環七通りの工事のため移動した。
 西新井大師の総務主任奥隆博(おくりゅうはく)さん(50)は、
「昔は参道が長かった。今は駅がすぐ横だが、帰りは参道を通ってもらえたら」
と話す。
 団子屋が並ぶ石畳の道は、幹線道路の喧噪(けんそう)をふっと忘れ、下町の情緒を感じさせてくれる。


東京新聞、2016年12月4日
西新井大師

単線の先

下町情緒

(神谷円香)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/thatu/nozomu/CK2016120402000149.html

西新井大師 ☟

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延命水洗地蔵尊 ☟

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2019年03月24日

本醸造「五色桜」

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をぜひお読みください。

★ 2013年06月06日「江戸の地酒」
★ 2013年06月07日「お手かざし四国霊場」
★ 2017年05月12日「東京の水でつくる東京の酒」
★ 2018年4月16日「江北の五色桜」
★ 2018年4月18日「五色桜よ、平和の花よ」 
★ 2019年3月7日「おかめ桜物語」
★ 2018年3月7日「Captain Collingwood Ingram」
 
 今日のヤッホーくんは初めて乗る舎人ライナーで山歩クラブのお散歩会、足立区へ。
 おや、イマ、一斉報告メールが発信されたようなので、特別大公開としましょう:

 彼岸明けの弥生24日いかがお過ごしでしたでしょうか。
 山歩クラブは9人で西新井大師〜足立区都市農業公園〜荒川堤のお散歩会!
 最後、江北2丁目まで来ましてヤッホーくん、今日もびっくり、「東屋本店」前で、腰を抜かしておりました。
 彼の生地は山形県天童市、ここの地酒は「出羽桜」、今日、お花見に来て、見つけたお酒は「五色桜」!
 このお酒は1878(明治11)年から140年もの間、お酒を造りつづけて東京23区内で唯一残っていた蔵元、小山酒造で作っておりました。
 荒川の対岸、ほら岩淵水門の近く!
 両国駅そばの江戸NORENで、小山酒造が廃業したお話(*1)を聞いてショックだった覚えのある酒蔵です。
 今日飲んだお酒「五色桜」は、蔵元が替わって、長野県上田市でお作りになっているって。
 上田市といいますと真田十勇士のふるさと、無言館や平塚らいてふ記念館のある町、カッシーのクルマをお借りしてでも実施したい山歩クラブの合宿候補地!
 清洲城での春の宴にお酒「五色桜」を開栓しますので、どうぞいらしてください。
 それにしても9代目が咲蔵くんという由緒ある酒屋「東屋本店」さん、旧荒川が流れていたという堤沿いにある酒屋「東屋本店」さん、ミヤビなる濃厚な色合いの桜の下(*2)での打ち上げは気持ちよいものでした。
 では次回までお元気で、ヤッホー!


(*1)
2010-06-24 21:14
荒川堤 五色桜・・・・お酒の銘柄です
http://d.hatena.ne.jp/hanamizuki-nitibeiyuko/20100624/1277381660

 東京23区で唯一、戦前から続いていた東京都北区・赤羽の酒蔵「小山(こやま)酒造」が2018年2月末、清酒製造から撤退した。
 140年の酒造りの歴史には幕が下りたが、多くのファンに愛されている代表銘柄の「丸眞正宗(まるしんまさむね)」は、オーナー家が遠縁に当たる、さいたま市西区の酒蔵「小山(こやま)本家酒造」が継承。
 その歴史に新たな一ページを刻み始めている。 

 小山酒造の以前のホームページなどによると、小山酒造は、現在の小山本家酒造に当たる造り酒屋で生まれ育った初代小山新七が、1878(明治11)年、良質な水が流れる当時の岩淵本宿で創業。
 長く地元の赤羽地区で愛されてきた。
 丸眞正宗の名称には「まるまる本物」の意味と、名刀の「正宗」になぞらえた「切れのいい後味」の意味が込められているとされる。

 しかし、最近は酒造業の赤字が続いていたといい、小山周(しゅう)社長は取材に「人手不足もあり、続けるには採算が合わなかった」と明かした。
 それでも「140年間この地で続けてきた。(ここで造られた酒を)残したかった」と昨年2017年12月、商品の継承などを小山本家酒造に相談した。

 本家酒造は丸眞正宗を受け継ぎ、2018年4月に全国で発売。
 荒川水系の天然水を使い、従来の切れに、華やかな香りとフルーティーな味わいを加えた飲みやすい仕上がりになったという。
 商品開発部長の小寺宏明さん(44)は、
「以前と同等か、それ以上の品質になった。地元のお客さまを大切にしながら、さらに広めていきたい」
と意気込む。

 小山酒造の事業撤退で、都内の酒蔵は9蔵となり、23区内では2011年に開業した港区の一蔵だけとなった。
 葛飾区の「区郷土と天文の博物館」によると、23区内には明治後期に、酒蔵などの酒類業者が60ほど存在したが、酒税制の変更に追いつけず、さらに、都心の開発が進むなどして減少したという。

 近年、脚光を浴びる蔵元も一部にはあるものの、酒蔵の経営環境は厳しい。
 都酒造組合(立川市)によると、人口減少やライフスタイルの変化で、全国的に日本酒の消費量が減っているという。
 小山酒造の撤退について、岩田茂事務局長(68)は、
「地域に根付いてきた歴史がある。寂しいのひと言」
と話した。


東京新聞・夕刊、2018年9月14日
赤羽の酒、埼玉で第二章

23区最古「小山酒造」撤退

(中村真暁)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018091402000286.html

(*2)3月10日、青梅で出会った「おかめ桜」は江北ではもう終わっていました。
    ここで桜守・船津静作について報告しておきましょう:

五色桜を保存し再び世に広めた船津静作

 桜は日本を代表する花であり、日本人の分身のような植物です。
 筆者にとって桜の想い出は少年時代の戦前に遡ります。
 戦争末期で、連日の空襲警報が報ぜられるなか、軍事教練の教官が全生徒を集めて訓示しました。
 「『散る桜 残る桜も散る桜』という歌のように、われわれも皆、国のため、天皇陛下のため、命をささげよう」
と声を大にして話しました。
 生徒は黙って聞いていましたが、俺は死にたくないよという私語もささやかれました。
 後日それが武士道精神を讃えた良寛和尚の歌であることが分かりました。
 それから間もなく敗戦となり、日本人の国家観、人生観は180度転換し、人間個人の生の尊さが叫ばれる平和な時代となりました。

 現在、我が家には樹齢約70年のソメイヨシノの1本の桜があります。
 1950(昭和25)年頃、自宅を下町から丘陵地の山手に移転しましたが、やや広かった庭に父が植木市から桜の苗木を買ってきて、東南側の崖寄りの場所に4本植えました。
 うち1本は八重桜で、3本はソメイヨシノでした。
 丈50cm位の小苗でしたが、年月をへるにつれてあれよあれよと大きくなり、枝が重なり合って陽がささず風通しが悪くなりました。
 樹齢30年位になった頃やむをえず、崖の補強工事を兼ねて、ソメイヨシノを1本だけ残して、あとは工事職人に頼み、ブルドーザをいれ根こそぎ伐採しました。
 その際父は、タタリを恐れて、八幡神社の神主さんにきてもらい、厳かにお祓いの儀をしてもらった光景を想い起こします。
 残った1本は立派に育って巨木となり、春の花時には近隣の人びとのお花見となっています。
 以前は花後に毛虫が密生し、殺虫の手間がかかり大変でしたが、今は野鳥がきてさえずり害虫は食べてしまうので、この1本の桜は我が家の広告塔のような存在となっています。

 このように昔から桜とは心情として馴染みの深い筆者にとって、江北の地元の誇りである五色桜を再現し、広めた船津静雄について書く機会をえましたことを桜からの導きと感じます。

生い立ちー先駆者清水謙吾との出合い

 静作は1858(安政5)年、埼玉県鳩ケ谷町の里村、船津徳助の二男として生まれました。
 1874(明治7)年、16才で分家である沼田村の船津家の養子に入りました。
 船津家は江戸時代から沼田村の旧家(名主)で、静作は9代目となりました。
 沼田は現代の東京都足立区江北一帯を示す地名です。
 祖父の久五郎は、江戸時代後期の日本画家谷文晁の弟子として親しく交わり、文晁の作品をたくさん保蔵しました。
(注:谷文晁は[日本名山図絵]や[公余探勝図]などの風景画家として有名)
 静作にとっては沼田村の戸長(現在の村長)であった清水謙吾(1840-1907)と知り合いになったことが、桜人生への道に踏み込むきっかけとなりました。
 1885(明治18)年、当時沼田村や鹿沼村の近辺には桜が植わっていませんでしたが、洪水に備えた堤防の補強となり、洪水の際に船をつなぐ係留くいとしての機能もあるとして、清水謙吾が中心となり、近郊の村々と協議し、並木として桜を植えることになりました。
 吉野桜(染井吉野)を植えようとする意見が大勢であったが、吉野桜は大きくなりすぎ、台風の際に木がゆすられて、堤防をいためるとの清水の意見により、里桜を植えることになりました。
 そして珍しい種類も加え、彼らの努力により、桜は78品種、本数は3,225本、鹿沼村から西新井村までのかなり長い距離に植えられました。
 清水は私塾を開いて村の青年たちに学問(儒学)を教えていましたが、その門下生の一人が舩津清作だったのです。

園芸品種へと発展

 サクラの起源はヒマラヤのネパール地方といわれ、日本には太古の昔、中国を経由して日本に来ました。
 古来日本人の身近にあって生活にかかわってきました。
 日本に自生するサクラ属には10種の原種があります。
 ヤマサクラ(山桜 Cerasus jamasakura)、オオシマサクラ(大島桜 Cerasus speciosa)、エドヒガン(江戸彼岸 Cerasus spachiana)などです。
 日本の桜は低温期に落葉・休眠し、春季に開花・結実し、高温期にかけて成長と花芽分化をします。
 桜の記録が残っているのは、古事記と日本書記以降からで、自生のヤマザクラなどが中心でしたが、江戸時代に園芸品種が飛躍的に増えました。
 参勤交代制は江戸と地方の交易が促進され、全国各地からさまざまな植物が江戸に持ち込まれ、江戸には園芸文化が成立しました。
 園芸趣味は上の将軍から、大名、武士、町民まで広がり、専門の植木業者もあちこちに登場しました。
 桜も全国から集まり、桜の栽培品種は約200品種にも達していたといわれます。
 明治維新により大名屋敷が廃止され、桜などの庭園樹木は一時荒廃しましたが、明治になって東京周辺では染井吉野が人気を集めて一斉に植樹されました。
 染井吉野はエドヒガンとオオシマザクラの雑種の交雑種から生まれた単一の樹からの遺伝子をもつといわれ、接ぎ木などの人口増殖によって増やしました。
 美しいが同じ形態の花なので、もっと変わった多くの種類の里桜を集めて植えたら賑やかになり、花見客が増えるだろうと船津たちが考えました。
 町づくりの一環です。
 里桜とは昔から人が増殖し栽培している園芸品種を総称し、本稿の主役でもある五色桜なども含まれます。

荒川の五色桜の登場

 船津たちが植えた里桜は、今まで一般の大衆たちが見れなかった珍しい美しいもので、開花の時期も早咲きから遅咲きもありました。
 前記のように78種、3,225本もの桜を堤防上に植えました。
 そして10数年後の明治中頃には、見事に成熟し、たくさんのお花見客を集めるようになりました。
 3月上旬の寒桜から始まり、4月上旬から中旬にかけて一重、八重の桜が一斉に咲き、荒川堤は東京一の桜の名所となりました。
 また荒川堤の桜は小石川植物園、新宿御苑、東京府立園芸学校など、各地の公園や研究施設に移植され、多くの里桜の品種が全国的に広まりました。
 花色が多彩なので、当時の新聞記者が「荒川の五色桜」と名付けたといわれています。
 五つの色を代表する品種として、紅色の「関山」、白色の「白妙」、黄色の「鬱金」、濃紅色の「紫桜」、灰色がかった白色の「墨染」が挙げられています。
(注:「鬱金」の代わりに「御衣黄」を、「墨染」の代わりに「薄墨」をいう場合もあります)
 お花見のルートとしては王子駅や田端駅から徒歩で荒川の右岸に出て渡し船で対岸に渡るルートや、千住から徒歩で来るルートがありました。
 また荒川の下流から蒸気船にのって船上からお花見する方法もあり、お花見時には、現代風によると一大リクリエーションセンターと化しました。

日米友好の象徴としてワシントンのポトマック河畔へ

 戦争という不幸な出来事により、戦前日米関係は崩壊しましたが、それ以前は桜が友好の懸け橋となって、民間では心情的にはきわめて親密でした。
 日本の桜は、幕末に来日した、プラントハンターの米国人ロジャース・ホール(Rogers Hall)によって1862年に他の樹木、ケヤキやエゾマツ等と共に、初めて米国に導入されたといわれています。
 その後、英国人植物学者のヘンリー・ウイルソン(Henry Wilson)が1914に来日し、桜に魅せられ、川口市安行にしばしば出かけ、帰国後、1916年に著書『日本のサクラ』(Cherry of Japan)を出版しました。
 また米国人のデビッド・フェアチャイルド(David Fairchild)が1906年に日本の桜100本を輸入し、メリーランド州の自邸に植えて育て成功しました。
 そして来日して桜に魅せられ、1885年に帰国してから、熱心に日本の桜を米国に植えたいと願っていたエリーザ・シドモア女史(Mrs Elisa Scidmore)と出合って共鳴し、強く政府に働きかけ、ワシントンのポトマック河畔に桜並木を建設するプロジェクトがスタートしました。
 まず東京市は2000本の桜を寄贈し、1910年1月にワシントンDCに到着しましたが、期待に反して農業局による植物検査の結果、虫やネマトーダによる病害虫に侵された状態だとして全量の廃棄焼却処分を命ぜられました。
 この不測の事態に対処し、次回の出荷は慎重をきして桜専門家の船津が登場します。
 荒川土手の五色桜に染井吉野を加え、正確かつ健全な接ぎ穂を採取するため、船津の監督のもと彼の植栽台帳と引き合わせながら綿密に行ないました。
 これらの接ぎ穂は兵庫の伊丹地域で精選された台木に接ぎ木し、興津園芸試験場で育てられ、十分に養生されて、1912年2月に12種3020本の桜が横浜から阿波丸に船積みされました。
 3月にワシントンDCに到着し、その後立派に生育し、世界に誇るポトマック河畔の桜並木の華々しい未来に向かって大発展していきました。
 染井吉野の1800本が最も多く、関山の350本、一葉の160本、滝匂の140本、白雪の130本、普賢象の120本、上匂の80本、福禄寿50本、駿河台匂50本、御衣黄20本、御車20本と続き、大部分は現在も立派に育っています。

荒川堤桜の保存に務める

 船津は清水健吾とともに荒川土手の桜の植付けに努めしましたが、清水の引退後、その維持管理や保存を引き受け力を注ぎました。
 桜博士と呼ばれた三好学が、荒川の桜堤を見て感動し、桜研究に打ち込むようになり、雑誌に研究成果を発表しました。
 清水が植え、船津が守り育て、三好が学術的まとめた荒川の五色桜は世界的に有名になりました。
 しかし1910(明治43)年8月に東京に暴風雨が襲い、荒川の堤防が決壊し、下町一帯は大洪水に襲われました。
 政府は予防措置として、荒川の大補修工事を敢行しました。
 船津を中心として地元の人びとは反対し、桜の保存運動を起こし、1917(大正6)年に「桜会」を結成しました。
 残念ながら桜の植わっていた堤はことごとく新しい放水路の河川区域に組み込まれてしまい、移植できたものは少なく、大部分伐採されてしまいました。
 船津の1920(大正9)年の調査によると、1886(明治19)年に植えられた78品種のうち、残っている桜の品種は49品種になってしまいました。
 その後昭和にかけて、伐採して薪炭にするなどして品種数と本数は激減し、戦後の1946(昭和21)年には江戸、御座の間匂、御衣黄、鬱金、福禄寿、関山、普賢象、一葉、松月、江北匂の10品種になってしまいました。
 そして数年後には壊滅状態になりました。
 かって清水、船津、三好などが築き上げた五色桜の歴史的舞台は消えてしまったのです。

桜とともに散った静作

 静作は沼田の名主、舩津家の子孫として広い土地を所有しており、桜は父の集めた桜に加え、全国から多種類の桜をたくさん集め自邸でも栽培していました。
 彼は植物学者ではありませんが、品種を識別する知識は十分に持っていました。
 そして桜の形態調査を行ない、台帳を作りました。
 [荒川の五色桜]を[江北里桜の品種と特徴]と題して資料として公表しました。
 また画家の角井厚吉に57枚の[江北桜譜]を描かせ残しました。
 研究者たちは標本を、多くの愛好者たちは接ぎ穂や苗木を求め、4月下旬から5月上旬にかけ船津家にひんぱんに来訪しましたが、静作は多忙にもかかわらず、彼らに親切に快く対応しました。
 かくして荒川の五色桜は日本各地のみならず、前期のように米国ワシントンのポトマック河畔など海外へも移植し発展していきました。
 これらの仕事に携わった船津静作は、まさに「縁の下の力持ち」的存在で、日本桜界の恩人ともいえる人です。


植物交流と園芸文化 、古典園芸から洋種園芸へ〜人と植物の軌跡〜、2018/11/14
五色桜を保存し、再び世に広めた船津静作
http://engei.main.jp/2018/11/12/post-911/

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2019年03月23日

日本がやるべきこと

 きょう3月23日の朝日新聞が一面トップで大スクープを書いた。
 経産省は原発で発電する電力会社に対する補助制度の創設を検討しているというのだ。
 脱原発たちをなめきった政策だ。
 原発の即時撤廃は無理としても、脱原発はもはや不可避である。
 それは政治の暗黙のコンセンサスだ。
 ところが経産省は電力会社に補助までして原発を進めるというのだ。

 この朝日のスクープは脱原発たちの怒りに火をつけるだろう。
 いや、脱原発たちだけではない。
 一般国民もまたこの朝日の記事を読めば怒り出すに違いない。
 なにしろ朝日の記事によれば、原発発電を行う電力会社への補助予算は電力価格に転嫁されて一般国民の負担増になるからだ。
 それだけではない。
 原発を維持する電力会社は負担増のために生き残れない。
 だから脱原発に舵を切って生き残りを図ろうとする電力会社を、むりして原発で電力をつくらせようとするものであるからだ。

 これを要するに、経産省は、無理に無理を重ねて原発発電を続ける電力会社を助け、そのツケを一般消費者に押しつけることを企んでいるのだ。
 それを朝日がスクープ報道して白日の下にさらしてくれた。
 選挙前の朝日の大スクープだ。
 経産官僚に牛耳られている安倍政権にとって大打撃になるだろう。
 果たしてこの朝日の大スクープはどんな反響を呼ぶか。
 メディアはどこまで騒ぐか。
 見物である。


天木直人のブログ、2019-03-23
脱原発たちを敵に回した経産省の信じがたい愚策
http://kenpo9.com/archives/5766

 なんですか、これ!アベノミクスってやっぱり大企業優先、富裕層ファーストで、イッパン庶民の暮らしなんてどうでもいいんだ、ふん!

厚生労働省の「毎月勤労統計」の不正が発覚し、「アベノミクス」自体の評価が揺らいでいる。
だがそもそも6年にわたって継続された「アベノミクス」とはどのような政策だったのか。
成功しているといえるのか。
埼玉大学の結城剛志准教授に、アベノミクスの成否について寄稿していただいた。

「アベノミクス」とは何か?

 今回のテーマはアベノミクスです。
 それも特にトリクルダウンと呼ばれる経済の考え方について説明します。
 こういったよく分からないカタカナ用語が出てきたときは要注意。
 うまく説明できないことを難しい言葉でごまかそうとしているかもしれないと疑ってかかった方がよいでしょう。

 2012年12月に発表されたアベノミクスももう6年が経ち、すっかり用語として定着しました。
 首相の名を冠した経済政策で日本経済を底上げすることができたのでしょうか。
 私たちの生活はよくなったのでしょうか。


 その前に。そもそも、アベノミクスってなんですか?
 この質問にビシッと答えられる方は意外にも多くありません。
 6年の間にすっかり私たちの生活になじんでしまって、意識することも少なくなってきているのかもしれませんね。
 意識しなくとも、空気のように流れていく政策でしたら、それは結構なことです。
 私たちの暮らしを、少なくとも意識のうえでは煩わすことがないのですから。
 でももしかすると、見るべきものを見ていないだけかもしれません。

 まずは、アベノミクスって「なに」ということから思い出してもらうことにしましょう。

アベノミクスが目指していたこと

 アベノミクスとは何か、といわれれば、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」からなる経済政策のパッケージです。

 おっと、いきなり難しそうな四文字熟語が並んでいますね。
 金融政策と財政政策は、実は多くの方が高校で習っています。
 金融政策は、日本銀行が金融機関と国債を売買して、市場にお金を出し入れするものです。
 財政政策は、国が集めた税を使って、景気を刺激したり、所得を再分配したりするものです。
 成長戦略はなんでしょう。
 バズワードに近い、アベノミクスの殺し文句ですが、成長を阻害する規制をなくすことが主な内容です。

 2012年12月26日の、安倍氏が首相に就任したときの記者会見を見てみましょう。

「内閣の総力を挙げて、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略、この三本の矢で経済政策を力強く進めて結果を出してまいります。頑張った人が報われる日本経済、今日よりも明日の生活が良くなると実感できる日本経済を取り戻してまいります」

 これは同じ日に発表された閣議決定「基本方針」に沿う内容です。
 なかでも「大胆な金融政策」は、経済政策としてのアベノミクスの屋台骨を支えている点で重要なだけでなく、経済学の常識を覆す点でも「大胆な」ものでした。

 上の記者会見の1週間後に語られた安倍首相の言葉も読んでみましょう。

「日本にとって何より喫緊の課題は、デフレと円高からの脱却による経済の再生です。(中略)大胆な『金融政策』、機動的な『財政政策』、民間投資を喚起する『成長戦略』が経済再生の『三本の矢』です。頑張った人が報われ、今日よりも明日の生活が良くなると実感できる日本経済を取り戻すために、内閣の総力を挙げて、経済政策を強力に進めてまいります」(平成25年1月1日 安倍内閣総理大臣 平成25年 年頭所感)

 さらに、先の閣議決定には次のような文言があります。

「強い経済は、日本の国力の源泉である。強い経済の再生なくして、財政の再建も、日本の将来もない」

 まとめましょう。

 アベノミクスの目的は、「強い経済」を創り出すこと、それは「デフレと円高からの脱却による経済の再生」ともいいかえられています。
 そのための手段が「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」からなる経済政策のパッケージです。
 そして、これらの経済政策をやると「頑張った人が報われ、今日よりも明日の生活が良くなると実感できる日本経済」になる、というものです。

 「強い経済」は、具体的には2020年までにGDP(国内総生産)を600兆円にする、そのために10年間平均で名目成長率を3%にする、という目標です。
 「デフレ」からの脱却とは、消費者物価指数の上昇率を2年間で2%に引き上げ、それを持続させること。
 円高からの脱却は、円とドルの交換比率を引き下げること、たとえば1ドル=120円が1ドル=140円になれば円安です。
 1ドルを買うために必要な日本円の額が増えているため、円が安くなっています。
 そして、やや抽象的になるのが「頑張った人が報われ」るとの表現ですが、文の流れからいってそれは「生活が良くなると実感できる」状態を指しているといえるでしょう。

 内閣官房が作成した広報誌『やわらか成長戦略〜アベノミクスをもっと身近に〜』(2014年4月)に「頑張った人」の具体的なイメージが記されています。

「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならないという日本経済の課題を克服するため、安倍政権は、『デフレからの脱却』と『富の拡大』を目指しています。これらを実現する経済政策が、アベノミクス『3本の矢』です」

「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならないという日本経済の課題を克服する」
とあるので、働いて暮らしている人びと、つまり、労働者の生活が良くなるという意味です。
 実際、「日本経済の課題」が、労働者の生活状態の悪化にあることは間違いありません。
 労働条件の悪化が続いて、働いて暮らしている人びとの元気がなくなっていく、これこそが日本経済の停滞の原因です。
 政策手段はトリッキーですが、目標には共感できます。

実質賃金が上がらないのだから暮らしが良くなるわけはない

 しかし残念ながら、「なるほど、いいね!」とはなりません。
 「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならないという」状態が改善されていないためです。
 なぜでしょうか。

 アベノミクスは、そのうたい文句とは裏腹に、
労働条件の悪化が続いて、働いて暮らしている人びとの元気がなくなっていく、これこそが日本経済の停滞の原因
とは考えていないためです。
 アベノミクスは、停滞の原因を「デフレ」(物価が持続的に下落すること)に求めます。
 これが第1の誤りです。

 そして、「大胆な金融政策」で「デフレからの脱却」ができると考えてしまったこと。これが第2の誤り。
 そして、この6年間、がんばって「大胆な金融政策」を継続してきたことのツケがたまってきたこと。
 これは政府の過失であるとともに、国民の誤算ともいえます。

 「生活が良くなると実感できる」かは、給料で見るのが一番単純です。
 「図」(賃金指数と消費者物価指数の推移)を見てください。

[図]
賃金指数と消費者物価指数の推移・(厚生労働省「毎月勤労統計調査」、総務省「消費者物価指数」から筆者作成)(賃金指数は、事業所規模5人以上〔全産業〕、現金給与総額のデータを用いた)

 実際に支払われた金額が増えたかどうかは、名目賃金指数で分かります。
 アベノミクス実施の2013年を起点に見てください。
 名目賃金はじわじわと上がっています。
 それなのに、どうして「残念」なのでしょうか。
 それは実質賃金が低調だからです。
 実質賃金指数は、実際に支払われた金額で、買えるモノの量が増えたか減ったかを示しています。
 金額が増えていても、それ以上にモノの値段が上がれば買えるモノの量は減ります。

 アベノミクスは消費者物価を引き上げることも目指しているので、見た目の給料が増えていても、思ったほど豊かにならない、ときには貧しくすらなっているという状況に陥ります。
 2013年〜14年の物価上昇期には実質賃金が顕著に減少しています。


 その後の2016年〜18年に実質賃金が大きく低下することなく低位に留まっているのは、アベノミクスがうまくいかず、物価が上がっていないためです。
 いわば敵失点のようなものです。

 『やわらか成長戦略』のような政府広報では、名目賃金の上昇を強調し、実質賃金の低下や停滞に触れない、という見せ方をしています。
 これが最近発覚した統計の不正とあいまって、アベノミクスの成果を偽装しているのではないかと疑われる一因となっています。
 実際、現在発表されている賃金統計の再集計値では、2018年の賃金指数が元の数値よりも低下しています。

「目標未達」のアベノミクス

 「アベノミクスはうまくいったのか?」というと、うまくいったとはいえません。
 なぜなら、アベノミクスの主要な目標が達成できなかったからです。
 GDPは規模でみても、成長率でみても、未達成です。
 消費者物価の上昇率も未達成。
 なにより、働いて暮らす人びとの生活に結びつかなかったことは、6年間の政策の空虚さを物語っています。

 なぜこのような結果になってしまったのでしょうか。
 さらに突っ込んだ話は次回以降になりますが、それはアベノミクスが理屈で間違っているからです。

 いまの政府は、選挙の度にアベノミクスをやると「こんなにいいことがあるよ」という華やかなメニューを見せて、うまくいかなくても「自分たちはこんなにがんばりました」といって済ませるところがあります。
 国民も「きっとがんばってくれたんだろうな」と温かい目で見ているようですが、タダでできる政策はありません。
 子どもが運動会で一生懸命走るのとは訳が違い、私たちの税金をがんばって使っているのです。
 今後、アベノミクスのツケ、社会的に負担しなければならない費用が問題になってきたときに、
「こんなはずじゃなかった」、
「こんな話は聞いていない」
とならないようにしたいものです。


ハーバービジネスオンライン、2019.03.20
<ゼロから始める経済学・第1回>
経済学的に見て「アベノミクス」はやっぱり失敗なこれだけの理由
<文/結城剛志(ゆうきつよし)>
埼玉大学大学院人文社会科学研究科・准教授。専門は貨幣論。著書に『労働証券論の歴史的位相:貨幣と市場をめぐるヴィジョン』(日本評論社)などがある。
https://hbol.jp/188261/

 アベノミクスの失敗、研究の場にも・・・

 新聞等で報道されていることですが、宇宙誕生の謎に迫る巨大加速器「国際リニアコライダー(ILC)」を日本に誘致する構想を巡って、科学者の国際組織が日本政府に求める意思表明の期限が3月7日に迫っています。
 建設候補地の東北地方などでは国際的な研究拠点が生まれることへの期待が大きく、また、米カリフォルニア大学バークレー校の村山斉さんをはじめ、誘致をするべきという有識者も多いようです。

 一方で、日本学術会議は12月19日に政府に慎重な判断を求めました。
 約8千億円とされる建設費の国際分担が不明瞭であり、科学的成果が巨額の負担に見合うと認識できないなどとして「誘致の意思表明に関する判断は慎重になされるべきだ」とする回答をまとめ、文科省に回答を提出したとのことです。
 検討委員会の家泰弘委員長(日本学術振興会理事)は「現時点でゴーサインを出すには至らなかった」と述べ、誘致の判断は時期尚早との認識を示したと報じられています。

 私は、日本学術会議の判断に賛成するものであり、その英断を高く評価します。

 今、日本の研究力は失速し、学術の国際競争力が大きく損なわれており、科学立国として危機的状況にあります。

 その惨憺たる状況と原因については、拙著「科学立国の危機ー失速する日本の研究力」(豊田 長康、東洋経済新報社、2019年2月)において、エビデンスに基づいて詳しく説明しました。
 「国際リニアコライダー(ILC)」の学術的意義は大きいと思われますが、この本をお読みいただければ、日本が巨額の資金を投じてILCを建設する状況にないこと、そして、同じ金額を研究に投資するならば、別のことに投資するべきであることがご理解いただけるものと思います。

 学術論文(数)に反映される「大学の研究教育力」が、その国の国内総生産や労働生産性に貢献することは、先行研究においても、また、拙著でお示しした分析においても明らかであると思います。

 その日本の「大学の研究教育力」が2000年を超えた頃から失速し、学術論文の数および質ともに、海外先進国に引き離され新興国に追い抜かれてしまいました

 その最大の原因は、国の財政難により大学への研究投資が縮小され、研究従事者数が抑制されたことにあります。
 そして、公的研究資金と研究従事者数を増やした海外諸国に大きく引き離されてしまいました。
 人口当りでは、韓国には1.5倍、ドイツには2倍以上引き離されています。


 今、日本が投資するべき部分は、「大学の研究教育力」であり、研究従事者数の増、つまり、「ヒト」への投資です。

 イノベーションを起こすのは「ヒト」であり、多くの研究従事者やイノベータが、多様な発見・発明やイノベーションの芽を生み出すことによって、GDPに大きく貢献するイノベーションが生まれます。
 学術論文数は、各種のイノベーションの指標の中で、GDPとの相関が最も強い指標ですが、学術論文数を決める最大の因子は、研究従事者数であり、ついで研究活動費です。
 研究設備費は相関せず、むしろ、研究設備費に多額のお金をかけている国ほど論文数は少なくなっています。

 「大学の研究教育力」は、イノベーションの量とともに、その「広がり」に貢献することにより、GDPに貢献します。
 今、日本が特に力を入れるべきは、イノベーションの多様な「広がり」です。
 ILCの地元に及ぼす経済効果も計算されていますが、経済効果というのは「投資効果」とは違いますね。
 ILCの年間維持費は約400憶円と試算されていますが、もし、年400憶円を投資するのであれば、年俸1千万円として、4000人の規模の研究従事者を雇用する大学院大学を創って、地元の既存の大学と一体となって、AIや人口減少対策などを始めとして多様な研究を行なえば、地元に対して、単なる経済効果だけではなく大きな「投資効果」を生み出すことが期待されます。
 地域が抱えている多くの課題の解決に繋がり、ベンチャーの起業や地元企業のイノベーションも促され、あるいは企業の誘致にプラスになり、また、優秀な頭脳の地域への還流も起こる可能性があります。
 ILCでは、このようなことは起こりえません。

 また、政府の財政難の中でのILCへの巨額の政府資金の投入は、このような「大学の研究教育力」への投資を削減することにもつながりかねず、ますます、日本の公的研究力の国際競争力が低下し、差し引きを考えると日本のGDPへの貢献がマイナスになる可能性があります。

 日本がILCを誘致するのは、公的研究資金を、人口当りで計算して韓国やドイツ並みに投資することが可能になってからです。


ある医療系大学長のつぼやき、2019年02月08日
国際リニアコライダー(ILC)を誘致する前に日本がやるべきこと
https://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/48616fb170a4b1fe2a005e34975992e0

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サンサーンス「デンマークとロシアの歌によるカプリス」

Caprice on Danish and Russian Airs,for Flute, Oboe, Clarinet and Piano, Op 79
https://www.youtube.com/watch?v=GFuMQWd1o5A
https://www.youtube.com/watch?v=CbESGmTwhHo

サンサーンス「デンマークとロシアの歌によるカプリス」

 サンサーンス(1835-1921)の「デンマークとロシアの歌によるカプリス」は、1887(明治20)年のロシア演奏旅行のために書かれ、当時の皇帝アレクサンドル三世の妃でデンマーク出身の Marie Feodorovna (*)に献呈されました。
 華やかな序奏からロシアの歌(変奏曲)、デンマークの歌を経て、再び華やかなフィナーレ、という構成の、祝祭気分に満ちた四重奏曲です。

 この演奏旅行に同行したのは、フルート奏者で「管楽器のための室内楽協会」の設立者でもあるポール・タファネル、オーボエ奏者 Georges Gillet、クラリネット奏者 Charles Turban、という名手たち。
 管楽器のアンサンブルはロシアの聴衆には新鮮に映ったようで(といっても他の曲目はフルートがドップラー、オーボエがヘンデル、クラリネットがウェーバーといった普通のプログラムだったようですが、だからこそ出発直前に急遽「カプリス」が用意されたのかも)ツアーは大成功、特にこの「カプリス」は人気を博したとのこと。
 オールスターメンバー全員の共演や、それぞれの聴かせ所たっぷりの豪華さ、そしてやはり「デンマークとロシア」もツボだったのでしょうか。

 それほどの成功を収めたなら、この編成でもう1曲くらい書いておいてくれればいいのに...と、ついつい思ってしまいます(笑)


cafconc blog、2013-03-11
http://cafconc.asablo.jp/blog/2013/03/11/6744314

(*)Marie Feodorovna
Woman and Time: Mother of the last Russian monarch Empress Maria Feodorovna
https://www.youtube.com/watch?v=ILUysWTbW1I

 チャイコフスキーは、ヨーロッパ辺境の地のロシアの作曲家として、西ヨーロッパにあこがれ、旅をしたり滞在したりしましたが、西ヨーロッパの中心的な国の人なのに、自国での評価が低く、外国への旅行を繰り返した音楽家がいます。
 フランスの、カミーユ・サン=サーンスです。
 今日は、彼の代表なオペラ、「サムソンとデリラ」をとりあげましょう。

4歳から作曲をはじめた神童

 1835年にパリで生まれたサン=サーンスは、神童と呼ばれるぐらい幼少期から音楽の才能を発揮しました。
 モーツアルトでさえ5歳の時の作曲が最初とされているのに、サン=サーンスはわずか4歳から作曲をはじめ、ピアノを始めたら目覚ましい上達をしめし、11歳でパリのホールでデビュー、13歳で、パリ国立音楽院に入学します。
 18歳でパリのサン・メリ教会のオルガニストの職に就き、21歳でボルドーの作曲コンクールで優勝、そして、若干23歳で、ショパンの葬式も行なわれたパリの壮麗なマドレーヌ教会のオルガニストの地位に上り詰めます。

 信じられないような音楽の天才であっただけでなく、彼は幼少期から数学や天文学にも興味を示し、それらにおいても才能を発揮します。
 パリのスコラ・カントルムという新しい音楽学校のピアノ科の教授を引き受けた時はまだ26歳で、生徒たちとあまり年齢が変わらない...といったことさえありました。

 サン=サーンスは、優秀なオルガニストかつピアニストであったので、モーツアルト、ベートーヴェン、ウェーバーやシューマンといった作曲家の作品を高く評価し、演奏しました。

 現代のクラシックレパートリーでは当たり前となっているこれらドイツの作曲家たちの作品は、当時のフランスでは、驚くべきことにまったく知られていなかったのです。

 それは、ドイツとフランスという文化的にも言語的にも異文化である両国の距離そのものでした。

 パリでの彼のこれらの作品の演奏会は、いわれなき批判と批評にさらされたのです。
 幸いにも、自分のピアノのクラスの生徒たちは、彼の演奏と説明を熱心に聞いてくれ、わずか4年間でしたが、彼は、フランスの未来の音楽家たちに、ドイツ古典派・ロマン派の音楽の魅力を伝えることが出来たのです。

独作曲家の作品を紹介し「外国かぶれの変な音楽家」

 サン=サーンスは、こうして、若いころは、「外国かぶれの、未来的な変な作曲をする音楽家」という扱われ方をしました。
 当時のフランスはイタリア・オペラなどの上演が多く、フランス独自の音楽作品はあまり演奏されていなかったのです。
 外国の、主にドイツのクラシック作品の素晴らしさを、演奏を通して痛感していたサン=サーンスは、当時フランスでは誰よりも早く、後にヨーロッパ中を魅了することになるドイツのオペラ作曲家、ワーグナーを評価したりもしています。

 しかし、1870(明治3)年、サン=サーンスが35歳の時、普仏戦争が勃発します。
 彼も従軍しました。
 パリも包囲され、その後の1871(明治4)年、パリ・コミューンの時期はロンドンに避難したりもしました。

 アンチ・ドイツの国民的雰囲気が形成される中、サン=サーンスは、今まで存在しなかった「フランス独自の音楽」を作り出さなければいけないと考え、「フランス国民音楽協会」という団体を、音楽学校の教え子であったフォーレなどと共同で設立します。
 同時代のフランスで作られた音楽のみを演奏するこの団体は、19世紀後半の輝かしいフランス近代音楽を生み出す母体となります。
 それでも、サン=サーンスのパリでの評価は変わりませんでした。
 作品が上演されるたびに、作曲家として無能だとか、不可解な未来の音楽作品だ、と保守的な聴衆におもねるマスコミから厳しく糾弾されたのです。

北アフリカへの転地療養から「さすらいの作曲家」

 もともと健康面に不安を抱えていたサン=サーンスは、寒い北の都市であるパリにいたたまれなくなり、北アフリカのアルジェリアに旅行をします。
 この「転地療養」は大成功で、彼は以後たびたびこの地を訪れることになります。

 最初のアルジェリア滞在で生み出されたのが、彼のもっとも有名なオペラ「サムソンとデリラ」です。
 旧約聖書の物語をもとにしたこのオペラは、舞台がパレスチナです。
 異国の地の滞在でより筆が進んだのかもしれません。
 程よくエキゾチックな旋律が流れるこのオペラは、今ではサン=サーンスの代表作品ですが、このオペラも、全幕のパリでの上演が、劇場の支配人によって拒否されてしまいます。
 それほど、首都での彼の評判は悪かったのです。

 結局、そのころはドイツにいたフランツ・リストが尽力をして、ワイマールで、ドイツ語に台本が翻訳された形で初演されました。
 オペラの上演は大成功で、フランス人たちは、ドイツで大当たりをとったこのオペラの作曲者が自国のサン=サーンスであることをやっと自覚することになり、15年ののち、パリでも上演されることになります。
 しかし、自国フランスでの容赦ない批判にさらされ続けたサン=サーンスは、その後しばらくしてから、旅また旅の「さすらいの作曲家」になってゆくのです。


J-CASTニュース、2015/9/ 8 13:44
自国フランスで評価されなかったサン=サーンスの代表的オペラ
(本田聖嗣)
https://www.j-cast.com/trend/2015/09/08244655.html

Saint-Saëns - Samson and Delilah - Bacchanale
https://www.youtube.com/watch?v=vjRiLKSPbqc

 シューベルトは主に彼を尊敬する友人たちの集まりで作品を発表したということもあり、佳作が多く生み出されました。
 聴衆にとっても、演奏者にとっても、そして作曲家にとっても、室内楽という編成は、「気の置けない仲間内の集まり」というような雰囲気が大切で、また、そういったシチュエーションのために作曲されることも多いジャンルです。

 今日取り上げる作品は、フランスの作曲家、カミーユ・サン=サーンスの「動物の謝肉祭」です。
 オーケストラで演奏されることも多いですが、もとは、変わった編成の室内楽で、ピアノ2台にヴァイオリンが2台の弦楽合奏、管楽器はフルート、ピッコロ、クラリネット、それにグラスハーモニカにシロフォンという編成です。

 サン=サーンスが、知人の夜会で開かれるごくプライヴェートな音楽会のために書いた曲なので、おそらく、その参加メンバーを想定してこのような独特な編成になったものだと思われます。

題名は、亀、象、カンガルー

 しかしそれ以上に変わっているのは、全14曲からなるこの組曲の内容です。
 正式な題名に「動物たちの謝肉祭・・・動物園的大幻想曲」という大げさな題名をつけてある割には、1曲で1分に満たない小曲もあり、全体を通して演奏しても25分ほどで終わります。
 動物園の展示が謝肉祭のパレードに出張してきたような、「雄鶏と雌鶏」「亀」「象」「カンガルー」「水族館」・・・はいいとしても「ピアニスト」「化石」などという脱線気味の題名を持つ曲たちが並び、その曲の中には、数々のパロディ・・・他人や民謡から拝借したメロディーが、リスペクト、というよりカリカチュアライズされて織り込まれているのです。

 例を上げると、第4曲目の「亀」と名付けられた曲は、その名の通り大変ゆっくりした曲なのですが、そこに使われている旋律は、フレンチ・カンカンで有名になった、ジャック・オッフェンバックの「地獄のオルフェ」・・日本では「天国と地獄」で知られて、カステラのCMにも使われた、あの人気曲のメロディーなのです。
 それをわざとゆっくり演奏する・・もちろん、原作者本人に許可などとっていない、毒のあるパロディなのです。

 使われた作曲家は、ベルリオーズにメンデルスゾーンにロッシーニに上記オッフェンバック・・・さらにはサン=サーンス自身の「死の舞踏」も「化石」という曲に自ら使っています。

 こういった内容からみても、これが「ごく内輪だけで楽しみのために演奏されるために企画されたちょっと一風変わった毒のある室内楽」であることがわかります。

楽譜の出版は「生前禁止」

 サン=サーンスはもちろん、このことを自覚していたため、この曲は、彼の生前は楽譜の出版を厳に禁止する、という命令を言い置いていました。
 演奏も、数回内輪で演奏されたあとは、とりあげられず、彼の死後かなりたってから、やっと公開演奏されることになったのです。

 しかし皮肉なことに、このフランス流毒のあるユーモアで貫かれたおしゃれで軽快な曲は、公開演奏の後大人気となり、今ではサン=サーンスの代表曲となっています。

 また、パロディに満ちているため、生前禁止された楽譜の出版ですが、第13曲目「白鳥」だけは、オリジナル曲のため許可されていて、こちらも、現在では、チェロとピアノのデュオなどで、定番の名曲として単独で演奏されることも大変多くなっています。

 仲間内の「内輪うけ」の楽しみが、世界に文字通り「ウケた」、皮肉な経緯をたどった皮肉満載の、名曲です。


J-CASTニュース、2017/8/30 16:49
毒っ気が気持ちいい「動物の謝肉祭」

仕掛けたパロディが大ウケ

(本田聖嗣)
https://www.j-cast.com/trend/2017/08/30307160.html

Camille Saint-Saëns - Le Carnaval des animaux, The Carnival Of The Animals
https://www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
https://www.youtube.com/watch?v=k2RPKMJmSp0

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飛鳥山散策

 ヤッホーくんのこのブログ、グリーグとドヴォルザークとクラシックが続いていますが、な〜んでか。
 実は、ね、3月21日金曜日は山歩クラブのスペシャルイベント、ゆったり まったり、春のクラシック!
 でもね、名に恥じぬよう山歩きもしなきゃと、クラシックのまえに飛鳥山登山を追加、挿入したんや!
 6人で歩いた山歩きに街歩き、その日にヤッホーくんから仲間に一斉報告メールが発信されたようで:

 ね、ね、ヤッホーくんの目を覚ましたのはあの有名な節回し、ノルウェイを代表する作曲家エドヴァルド・グリーグの「ピアノ協奏曲イ短調」で、これは1868年の作品、ということはですよ、明治維新の年です!
 その演奏の前に6人衆は飛鳥山にモノレールで登山!
 1864年、暗殺され、54歳の生涯を閉じた佐久間象山(さくましょうざん)の桜の賦に手を合わせていただけに、脳内に響きわたるものがありました。
 ヤッホーくんは船を漕いでいたのですが、ん、ここはどこ?ぼくは誰?と隣の田島さんに聞いておりました。
 いやあ〜、音楽は素晴らしい、山も良い、そろそろ桜の季節ですね。また歩きましょう、次回までお元気で!


 飛鳥山については、ヤッホーくんのこのブログでたくさん、取り上げていますが、ま、次の日付けの日記はぜひお読みくださいませ:

★ 2014年04月07日「4月6日の山歩クラブ特別企画『お花見ウオーク』」
★ 2016年03月21日「糸と光と風景と」
★ 2016年03月22日「北のソノリテ」

 ね、飛鳥山というと桜と北のソノリテ:

 飛鳥山丘陵にて ☟

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 タカトウコヒガンザクラ ☟

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 桜賦 ☟

 桜の賦(ふ)は、松代藩士で儒者であったが、後に西洋の学問を学び進歩的考えをとなえ、明治維新前後の日本に大きな影響を与えた佐久間象山(さくましょうざん)の作である。

 この賦で象山は、桜の花が陽春のうららかな野山に爛漫と光り輝き人びとの心を動かし、日本の全土に壮観を呈しその名声は印度、中国にまで響き、清く美しいさまは他に比類がないと云い、当時象山は門弟吉田松陰の密出国の企てに連座(れんざ)松代に蟄居(ちっきょ)中であったので、深山幽閉中で訪れ来る人もないが自ら愛国の志は堅く、この名華の薫香のように遠くに聞こえると結んでいる。

 この賦は象山50歳(万延元年1860)の作と云われ2年後の文久2年(1862)孝明天皇の宸賞(しんしょう)を賜った。

 象山は蟄居赦免(ほうめん)となり翌年京に上り皇武合体開国論を主張してやまなかったが一徹な尊皇攘夷(そんのうじょうい)論者によって刺され、元治元年(1864)7月11日54歳の生涯を閉じた。

 この碑は遺墨(いぼく)をもとに門弟勝海舟の意によって同門北沢正誠(まさなり)の文で書は日下部鳴鶴(くさかべめいかく)である。

 明治14年11月15日と刻まれている。

 この下に(象山が暗殺時に着けていた血染めの)挿袋(そうたい)石室が埋蔵されている。

https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/takinogawa/rokkoku/asukayamahi/sakura.html

 北のソノリテ ☟

 あらためて自己紹介させていただきますね。

 わたしたち北のソノリテは、北区とその周辺を拠点に活動する室内楽グループとして、2012年に結成されました。
 その後、年に1回、暖かくなった頃の午後に、「北とぴあ」にて演奏会を開催しています。
 そして、今回は第7回の演奏会が近づいてまいりました。

 毎回設定させていただいているテーマは、今回は「ネイションの多彩」。
 グリーグのピアノ協奏曲をピアノと弦楽四重奏で演奏するメイン・プログラムをはじめ、
 ドヴォルザークの代表作「アメリカ」、
 ベートーヴェンの「街の歌」、
 ショパン、
 スクリャービン、
 サン=サーンス、
その他、多様性に富んだプログラムを用意しました。
 初めての方も、是非是非、お気軽にご来場頂けたら幸いです。

https://snrt.exblog.jp/

 「北とぴあ」にて ☟

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 飛鳥山を下山し、「北とぴあ」に入る前は、三っつの博物館、そして渋沢栄一邸に立ち寄っています:

春期企画展「明治*東京*名所−うつろいゆく風景と名所−」

 明治時代、東京は欧風都市の建設を目指すものの、江戸の面影は色濃く残り、東京は新旧と和洋の風景が混在した都市として変貌を遂げていきました。
 名所においても文明開化を象徴する洋風建築や近代的な工場などが新名所としてもてはやされますが、一方では飛鳥山のように前時代から引き継がれる名所もあれば、大きく姿を変えた名所、あるいは消えていく名所もありました。
 
 本展では、当館が所蔵する石版画や名所案内書などの資料を通して当時の東京名所をたどりながら、時代が求めた名所の在り方を探っていきます。
 ぜひご観覧ください。


北区飛鳥山博物館
https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/tenji/kikaku/index.html

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 近代日本経済の基礎を作った渋沢栄一は、設立に尽力した王子製紙(設立当時は抄紙会社)の工場を眼下に見守ることができる飛鳥山に、邸を構えました。
 1879(明治12)年からは内外の賓客を招く公の場として、その後1901(明治34)年から亡くなる31(昭和6)年までは家族と過ごす日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、栄一もこの地をこよなく愛していました。
 公園内の旧渋沢庭園には、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、当時のままの姿で残っています。


[画像‐1]晩香廬にて

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[画像‐2]青淵文庫にて

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渋沢栄一の住まい
http://www.asukayama.jp/asukayama/as09.html


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秋田公立美術大学の卒業式

 ヤッホーくんのこのブログ、グリーグとドヴォルザークとクラシックが続いていますが、な〜んでか。
 ちょっとまとめてみましょうか。

チェコの国民音楽(国民楽派)の動き

 チェコの代表的な国民音楽(国民楽派)の音楽家はスメタナとドヴォルザーク。
 スメタナは自国の独立運動や歴史等に連携した音楽を発表しましたが、音楽の形式自体は伝統的なドイツ音楽を踏襲したものでした。
 一方、ドヴォルザークはチェコ独自の音楽を確立するべく民謡や民族舞曲を取り入れた作品を手がけました。
 国民音楽(国民楽派)といっても切り口はさまざまだったようです。

フランスでの国民音楽(国民楽派)の動き

 フランスはもともとドイツ音楽が主流でしたが、1871年の普仏戦争の敗北をきっかけにサン=サーンスを中心に「国民音楽協会」が設立されます。
 ここからフランスは独自の音楽文化を意識するようになります。

その他の国の国民音楽(国民楽派)の動き

 フィンランドは1899年、ロシア皇帝ニコライ2世により自治権をロシアに奪われてしまいます。
 この圧制に対し、民族意識がフィンランドで高まります。
 シベリウスの音楽は交響詩『フィンランディア』、『交響曲第2番「解放」』等、民族の独立を求める象徴としてフィンランド内で人気を博します。
 エドヴァルド・グリーグはノルウェーの音楽家で自国の民族音楽、民族楽器から着想を得た曲を次々に発表し評価を得ます。


クラシックなひと時、2018年12月1日
国民音楽(国民楽派)の特徴・有名な曲・活躍した作曲家・時代背景を知ろう
https://classical-music-info.jp/nationalist-school

 自国、ですよね〜、自国の民族音楽、民族楽器から着想を得ようとしますよね〜
 この国はどうしたんですかね〜、どうして米国からの独立、自立を言わないの!
 どうしてこの国は、ウエをおもんばかり、米国をおもんばかるのか、ですよねぇ
 どうして、ちょっとでも口にだすと、忖度して、自主規制して、と言われるの!

 2019年3月21日に行なわれた秋田公立美術大学(秋田市、霜鳥秋則学長)の卒業式で、学生代表の謝辞から地上イージス配備計画に触れる部分が大学の要請で削除された問題で、大学は3月22日、「まずかった」と非を認めた。
 学生や地元の新屋地区の住民からは、

自由にものを言えないのはおかしい
忖度(そんたく)があったのでは

と疑問の声が聞かれた。

 削除されたのは、大学に近い陸上自衛隊新屋演習場への配備計画に触れ、

平和な生活を過ごせるよう願う

と述べようとした部分。
 事前に原稿を見た学生課長に言われ、学生は削除を受け入れた。

 大学理事の二木正行事務局長は3月22日、秋田魁新報社の取材に、

学生課長からは『削除して』とは言っていないと聞いている。『デリケートなこともあり、上(学長ら)に確認が必要になるとの趣旨を(学生代表に)伝えた』とは聞いた

と釈明。
 ただ、大学事務局の対応としては、
「まずかったと思う。申し訳なかった」
と述べた。

 卒業した女子学生(22)は謝辞の一部取りやめを知らなかったとして、

社会問題を題材とした芸術作品も数多くある。大学側が発言内容を制限するのはどうか。自由な考え方を否定する姿勢に見えてしまう

と話した。

 在校生はどう感じたか。
 1年の進藤珠里さん(19)は、
「卒業生はこれから社会に出る立場。生活する地域の問題に関心を持つのは大事なこと」と語り、
 3年の井上灯(あかり)さん(21)は、
「新屋のことをきちんと考えているし、言いたいことがあったのに言えなかったのは、どうなんだろうと思う」
と首をかしげた。

 大学は地域連携に力を入れ、住民との関わりも深い。
 大学の近所の50代のパート従業員女性は、
「削られた文章の後半を読めば、新屋に親しみを持ってくれたことが分かる。ここだけでも言わせてあげたかった」
と話した。
 新屋豊町の松本政之さん(74)は削られた部分について、
「偏った意見でもないし、どこが問題なのか」
と指摘。
「人の悪口や常識に欠ける発言を削るのなら理解できるが、ごく普通の意見を削るのはおかしい。大学側がどこかに忖度したとしか思えない」とした。

 秋田公立美術大は秋田市が設立母体。
 市は2019年度、大学の運営費交付金約10億5千万円、施設整備費補助金約5千万円を一般会計当初予算に盛り込んだ。


秋田魁新報、2019年3月23日 6時59分 掲載
「まずかった」美大側、非認める

卒業式謝辞のイージス削除

https://www.sakigake.jp/news/article/20190323AK0001/

政府に都合が悪い意見を、忖度して潰してゆく国に先は無い

 地上配備型弾道ミサイル防衛システム「イージス・アショア」を巡り、防衛省が配備候補地の新屋(あらや)演習場(秋田市)とむつみ演習場(山口県萩市、阿武町(あぶちょう))で、レーダーの電波影響などを調べる現地調査をしている。
 今月末まで行う調査には計5億円以上を投入。
 4月以降に調査結果を地元に説明する予定だが、強力なレーダー波による健康被害などに住民の懸念は強い。
 導入の総費用もさらに膨れる可能性があるが、「配備ありき」の姿勢が際立っている。 

 今月2019年3月1日、秋田・新屋演習場。陸上自衛隊の中距離地対空ミサイル(中SAM)のレーダーが持ち込まれ、レーダー波の影響範囲をみる実測調査が、報道陣に公開された。
 レーダー波を斜め上空に向けて照射した際、地上にはどの程度の電波が届くのかを確認。
 レーダーから約400メートル離れた地点の「電力束密度」という電波の強さを測定した。

 数値は、事前に机上計算で想定した値の約20分の1にあたる「0.0001ミリワット」(1平方センチあたり)。
 総務省の電波防護指針もはるかに下回るが、中SAMは、弾道ミサイルを大気圏外までとらえるアショアのレーダーに比べれば出力は低い。
 アショアの安全性を直接証明する根拠にはならず、
「今後、アショアの机上計算値を示す際に、実測値はさらに小さくなることを説明するため」(担当者)
のものでしかない。

 「実はあまり意味がない」
と同省関係者も漏らすが、それでも実施したのは地元配慮の姿勢を見せるためだ。
 市などから
「机上計算だけでは不安」
との声が上がり、それに応じた形だ。

 だが、新屋演習場付近は住宅街が広がり、演習場から約300メートルには高校がある。
 周辺町内会でつくる新屋勝平地区振興会は「配備撤回」を要請。
 山口・むつみ演習場に接する阿武町も「配備反対」を明確にする。

 実測調査は4日まで実施。
 山口・むつみ演習場でも11〜14日に行われ、費用は秋田、山口で計1200万円。
 そのほか地質調査などの現地調査費用を含むと5億4千万円に及ぶ。

 新屋勝平地区振興会事務局長の佐藤毅さん(71)は、
「国は今後もアショアは安全と説明するだろうが、レーダーの実際の出力がどれだけ強力か分からない。万が一、ミサイルで攻撃された時の被害範囲もはっきりしない。ここは適地でありえない」
と訴える。


[写真]
中距離地対空ミサイルレーダーを使った電波調査について説明する陸上自衛隊員=秋田市の新屋演習場で

[地図]
陸上自衛隊新屋演習場周辺

東京新聞・朝刊<税を追う>、2019年3月18日
健康被害、不安の候補地

イージス・アショア

(原昌志、藤川大樹)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019031802000116.html

 さ、クラシック、クラシック、フランスのサンサーンスを聴いてみましょうね・・・

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2019年03月22日

ドヴォルザーク「新世界」

The New York Philharmonic String Quartet performs Dvořák’s American Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=HrqgMrwG4i0

 ね、いいでしょ、ドボルザーク!

はじめに

 2002年11月にフィルハーモニア・カルテット ベルリンとシューマンの「ピアノ五重奏曲」を共演し、2004年11月にはブラームスの「ピアノ五重奏曲」を再び共演した。
 2007年1月に3度目の共演を行うこととなり、クラ シックの三大ピアノ五重奏曲として残る一つのドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲」を取り上げることとなった。
 この演奏に際し、シューマン、ブラームスとドヴォルザークの関係について、またこの曲を演奏した際に感じたドヴォルザークの哀愁を帯びたメロディ、これは日本人に大変親しみやすいが、そのなかに民族性を感じ、この 曲について研究と考察を行なった。

アントニン・ドヴォルザーク Antonin Dvorak(1841−1904)

 クラルビ近郊のネラホゼヴェス(チェコ、プラハの北40km、現在のチェコ共和国、分裂前はチェコスロバキア) に生まれる。
 かつてはボヘミア地方とも呼ばれた。
 チェコでは、スメタナ、ヤナーチェクと共に民族主義運動の偉大な3人の作曲家とされている。
 ドヴォルザークは最初、村の学校の教師に音楽の手ほどきを受けて、教会や村の楽団での演奏をする程度であった。
 家業の肉屋の修業に必要なドイツ語の勉強のために進んだ学校で、音楽教師に出会い、音楽の才能を認められ北ボヘミアの学校に進み、更にプラハ・オルガン学校に進学した。
 そこで音楽家への正規の訓練を受け、有能なヴィオラ奏者として音楽の道を進んだ。
 卒業後はボヘミア民族文化活動の高まりの中でオーケストラの団員として活動し、指揮者として活躍していたスメタナの下で過ごしている。
 この頃より作曲活動も始めており、スメタナの指揮で彼の曲が上演されている。
 30歳を過ぎて、作曲家として認められたが収入が少ないために、オーストリア国家奨励賞に応募して(当時チェコはハンガリー・オーストリア帝国の属領であった)、この審査委員の1人であったブラームスに才能を認められた。
 賞金の獲得と、後にブラームスが出版社ジムロックを紹介し、スラブ舞曲集の出版に至った。
 この曲によって一躍ドヴォルザークは有名になり、作曲家として安定した名声を獲得した。
 この後多くの曲を作曲するが、特にユーモレスクに代表されるピアノ曲や室内楽曲にその才能を発揮した。
 彼は有名な第9番「新世界より」を含め9つの交響曲とピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲そして、ドヴ ォルザークの代表作の一つとして広く愛好されているチェロ協奏曲を作曲している。
 現在、ピアノ協奏曲は演奏される機会が少ない。

 ドヴォルザークの曲の旋律は、ボヘミア民族性が基礎にあるとされる。
 彼は1892(明治25)年にニューヨーク・ナショナル音楽院院長として2年間アメリカで務めたが、その後は故郷ボヘミアの田舎で多くの時間を過ごしている。

 オ ペラの作曲にも意欲的に取り組んだが「ルサルカOp.114 1900年」以外は成功したとはいえなかった。
 しかし 「スターバト・マーテルOp.58 1876〜77年」に代表される合唱曲や多くの声楽曲、ピアノ曲、室内楽曲も作曲しており、特に室内楽曲においては、ブラームスに次いでその才能が発揮されている。
 中でもピアノ曲や弦楽曲の中でドゥムカ(Dumka)と名付けられた作品や楽章は、民族性と共に彼の瞑想的な作風をよく表している。
 ドゥムカはチェコ・ポーランド語で熟考することを意味し、「ピアノ三重奏曲」に名付けられたドゥムキー(Dumky)はドゥムカ(Dumka)の複数型の言葉である。
 音楽の表現としてはメランコ リー(感傷的)とか黙想的な気分でと考えられている。
 著者と共演したフィルハーモニア・カルテット ベル リンのメンバーも第2楽章のドゥムカをメランコリックに表現するのだと、コンサートのリハーサルで確認していた。

 ドゥムカの表題は19世紀のポーランド、ウクライナ、ロシアの多くの作曲家により用いられて、スラブのダンス曲またはウクライナの民族音楽の一種と考えられている。
 4分の2拍子でゆるやかな悲しいメロディと速い情熱的なメロディが対照的に出てくる、スラブ民族的な哀調と熱情にあふれる曲とされる。
 ドヴォルザークはボヘ ミア音楽の代表のように見られていたのだが、彼のドゥムカに良く民族性の表れを見られるとして、汎スラブ的とも考えられていた。
 Op.35のピアノ曲に見られたドゥムカは、Op.81のピアノ五重奏曲で良く知られることになり、この五重奏曲の印象が第二楽章のドゥムカに代表されるように思える。


鳴門教育大学研究紀要 第23巻 2008
ドヴォルザーク作曲「ピアノ五重奏曲イ長調作品81」に関する一考察

ドゥムカ、フリアントにおける民族性を視点として

村澤由利子
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190322174646.pdf

 ベルリンフィルの首席奏者でつくる弦楽四重奏団「フィルハーモニア・カルテット ベルリン」と、ピアニストの村澤由利子鳴門教育大名誉教授による公演(徳島新聞社主催)が2016年5月19日夜、鳴門市文化会館であり、約800人が優雅な調べに聞き入った。
 楽団がベートーベンの「弦楽四重奏曲第7番ヘ長調」を演奏。
 ドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲イ長調」では村澤名誉教授が加わり、息の合ったアンサンブルを披露した。

 堺市から訪れた主婦堀田まゆみさん(66)は「響き合う音色が心地良く、迫力も十分」と話した。
 公演には市内の小中学生31人が無料で招待された。


徳島新聞、2016/5/20
優雅な調べ、800人魅了

鳴門でベルリンフィル奏者公演

https://www.topics.or.jp/articles/-/10298

Dvořák - Piano Quintet No. 2 - Leschenko / Jansen / Brovtsyn / Rachlin / Maisky (Utrecht, 2007)
https://www.youtube.com/watch?v=dnarQ7fh1w4

 あっ、そう、そう、ドヴォルザークがアメリカ、な〜んでか、でした!

 ドヴォルザーク(1841−1904)一家がプラハをあとにして、汽船ザーレ号でニューヨークに着いたのは、1892(明治25)年の9月だった。
 そのころマンハッタンには現在のような超高層ビルはなく、自由の女神像があるだけ。

 一家は東マンハッタン17番街にある、5室もある大きな3階建ての家に移り住んだ。
 音楽院に行くのもそこから数分で行ける距離にあり、ドヴォルザークは週3日、午前中だけ出向いて作曲法を教えた。
 受け持ちの生徒は8人。
 なかには黒人が数人いた。
 たった8ヶ月の講義にたいする謝礼が1万5000ドルで、そのうえ、彼の曲で演奏会を10回開くという条件だった。
 その破格の報酬は、プラハではおよそ3万グルテンにも相当した。
 彼はプラハの音楽院から支給される給料は年間わずか1200グルテンだったことを考えれば、天にものぼる心地だったかも知れない。

 妻の強い意向で、この申し出を受け入れたのだが、最初は、それでも断り状を送った。
 ドヴォルザークを招聘したのは大金持ちの女性、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者ジャネット・サーバー夫人(1852−1946)という、当時40歳の未知の女性だった。
 彼女のつくった音楽院は、理想には燃えていたが、ヨーロッパから見れば音楽的にははるか辺境の地で、知名度も低く、ぱっとしなかった。
 そのころのドヴォルザークはすでにプラハ音楽院の作曲科教授であり、皇帝からは勲章をいただき、イギリスのケンブリッジ大学からは名誉博士号を授けられていた。
 ヨーロッパから権威ある音楽家を招いて、彼女の音楽院の知名度を少しでもあげたいと考えていた。
 ドヴォルザークからの断り状を受け取っても、彼女は頑としてあきらめなかった。
 サーバー夫人の熱意にドヴォルザークもついに折れ、ニューヨークのナショナル・コンサーヴァトリー・オブ・ミュージック・オブ・アメリカの院長としての契約にサインした。
 彼はプラハ音楽院から休暇をたまわり、合衆国入りを果たした。

 サーバー夫人のはからいで、音楽家には院長としての余計な雑務をさせまいとして有能な秘書をつけた。
 それからはいろいろな場面で、彼を驚かせることになる。
 このアメリカでは、主人も召使も、呼びかけるときはお互いに「ミスター」と呼び、「親愛なるだんなさま」という敬語を使わないことに驚く。
 大金持ちであろうが、貧乏人であろうが、民主主義的な思想がいきとどくアメリカという国のふしぎな進歩思想に慣れてくると、ドヴォルザークは「もっとも自由な国」というイメージを持つようになった。
 そういうことがあって、彼は8ヶ月どころか、滞在は2年半にもおよんだ。

 ニューヨークといえば、アメリカの音楽界のまさに震源地だった。
 ニューヨーク・フィルはもとより、メトロポリタン歌劇場といった世紀の殿堂では、イタリア語、ドイツ語、フランス語によるオペラを上演し、ヨーロッパ世界の音楽家やスターたちが大挙してやってきた。
 それでも、アメリカ独自の水準と特性はまだなく、アメリカ音楽を標榜する芸術音楽に目覚めてはいなかった。

 サーバー夫人は、たんに自分の音楽院の知名度をあげることだけを考えていたのではなく、このアメリカにドヴォルザークを招くにあたって、アメリカの音楽的気運を少しでもゆたかにしてくれることを期待していた。
 しばらくして、ドヴォルザークは、アメリカの音楽というのは、いったい何だろうと考えるようになった。
 ボストン・フィルでは「テ・デウム」、ニューヨーク・フィルでは「交響曲第6番」が演奏され、絶賛されたものの、彼はアメリカの国民音楽とは何かをめぐる、いつ果てるとも知れない論争の渦中に投げ出されていく。
 そして、彼は「ニューヨーク・ヘラルド」紙のインタビューに応じ、

「この国の将来の音楽は《黒人メロディ》と呼ばれる歌をもとにして書かれることになるだろう。そのような音楽こそが、アメリカの本格的な《作曲学校》の基礎にならなくてはならない」
と発言した。
 これに対する反論は、
「われわれの自由な国にふさわしい作品であるためには、わが国の芸術にそのような異種文化があってはならない」
というものだった。

 この話は大きな波紋をひろげた。
 当時は、アメリカの台頭が目覚ましい時代にあって、ドヴォルザークはプラハでは考えられない夢孕む新世界を実見する。
 1878年からのおよそ20年間で、国中の工場が2培になり、そこで働くブルーカラーの賃金労働者の数も2倍に増え、国内総生産が3倍に増え、意気をあげる新生アメリカの熱意をいやでも目にすることになった。

 「石油王」の偉名をとるロックフェラーや、「鉄鋼王」の偉名をとるカーネギー、鉄道業界を支配したスタンフォードやヒル、その名を冠した大財閥の開祖モーガンらは、ヨーロッパにはない新しい風を吹かせていた。

 そのような世界を垣間見て、ドヴォルザークはアメリカにおける最初の作品に、人びとの関心を大きく惹きつけた。
 その新作は交響曲「新世界より(From the New World)」という、論争のなかであからさまに取りざたされた題名だった。
 これは、曲を書き終えてから急におもい立ったかのように譜面に書き込まれたものだった。

 1893年12月16日。――カーネギーホールで、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルによって初演された。
 初演は空前の大成功をおさめた。
 ドヴォルザーク最後の交響曲となった「交響曲第9番 ホ短調《新世界より》」は、彼の交響曲のなかでもっとも有名で、もっとも成功した作品となった。
 主題に「アメリカ的な色彩」が盛り込まれたのははじめてのことだったが、アメリカの音楽ファンを虜にした。



 ぼくには、イングリッシュホルンとアルト・オーボエの奏でる独奏シーンが忘れられない。
 日本ではこの部分のメロディは「家路」という曲で知られている。
 感情惻々として聴く人のこころに迫り、おさえがたい郷愁がその主題を構成している。
 そして詠嘆ののちに、転調して嬰イ短調のエピソードがあらわれ、速度を速めてフルートとオーボエが3連音符ではじまる中間部の主題へと切り変わるのである。
 ここが「新世界」の魅力である。
 「新世界」といえば、ラルゴ。
 ラルゴといえば「新世界」と相場が決まっているようだ。

 1992(平成4)年、ぼくが札幌を出てふたたび上京し、それ以来ずっと持ちつづけているのは、このドボルザークの「交響曲第9番 新世界から」1曲だけである。
 ボストン交響楽団、小澤征爾さん指揮のもので、カラヤンでもなければ、オットー・クレンペラー、ブルノー・ワルター、カール・べームでもない。
 小澤征爾さんのラルゴがあまりにも素晴らしいのである。
 小澤征爾さんのボストンでの充実した仕事ぶりが伝わってくる。
 五音音階のほかにも、短七度をひんぱんに使い、そのエキゾチックな哀愁をおびた旋律がドヴォルザーク独特の旋律になって聴こえた。
 ボヘミア風のシンコペーションとか、リズムは、ここではすべてがアメリカ風になって聴こえてくる。
 第一楽章の長―短―短―長―長というリズムがそうである。
 ボヘミアの音階は、日本の音階とそっくりだ。
 われわれ日本人がこのラルゴを聴いてこころ揺さぶられるのは、そうしたことも原因しているかも知れない。

 若くしてブラームスに認められて支援を受け、晩年には、グスタフ・マーラーを感動させたドヴォルザークは、スメタナのなし得なかったチェコの国民的な音楽家であったといえる。
 帰国後しばらくして、またサーバー夫人から誘いの手紙を受け取った。
 ニューヨークで活躍してみませんか? という誘いだったが、彼はこれになんのためらいもなく断って創作に没頭した。
 「交響詩」の創作である。

 1896年には、多くの「交響詩」を書き、この年はたてつづけに5曲もつくった。
 それらの曲は、リヒャルト・シュトラウスをほうふつさせるもので、ドヴォルザークの友人たちは、彼の不幸を懸念して、やめたほうがいいと忠告する者もいたが、もとよりドヴォルザークはそんなことには頓着せず、曲趣のおもむくまま書きまくっている。
 交響詩「英雄の歌」に感動したマーラーは、交響詩「野鳩」とおなじくらいすっかり魅了されてしまったという手紙を送りつけた。
 晩年は、オペラの作曲に没頭した。
 自分はオペラの作曲者として認められたいという強い希望を持っていた。
 オペラへの傾倒は、アメリカ滞在中に出会ったアントン・ザイドルの影響が少なからずある。
 彼はワーグナー派の流れをくむオペラに心酔していた。
 それとともに、スメタナの「売られた花嫁」がウィーンでセンセーショナルな成功を博し、全ヨーロッパで絶賛されたことにも関係しているだろう。
 しかし、ドヴォルザークは生涯、台本作家に恵まれず、彼の最高傑作とされるオペラ「ルサルカ」は、日本ではほとんど馴染みがない。
 それでも、1901年3月31日、プラハの国民劇場でこのオペラが初演され、ドヴォルザークはオペラ作曲家としての、いままで最高の、不動の栄誉を勝ち取った。
 資料によると、このオペラは1950年までに上演回数800回を数えたという。

 元気だったドヴォルザークは、最後のオペラ「アルミダ」の初演に立ち会っていたが、途中で気分が悪くなり、帰宅して寝込んでしまった。
 それから少し気分がよくなり、食卓まで歩いて行って少しスープを口にしたところで急にむせて、寝室のベッドに運ばれたが、医者がやってきたときはもう手遅れだった。
 63歳だった。



 ブラームスのことばが甦ってくる。

「あの男は、われわれ仲間のだれよりも発想が豊かである。彼の捨てた素材をかき集めるだけで、主題をつなげていくことができる
 
 そしてぼくは、あらためてウィーン・フィルのカール・ベーム指揮による「交響曲第9番 ホ短調《新世界より》」を聴いた。
 100年まえのアメリカ人を大いに熱狂させたという音楽を聴き直した。


二葉亭餓鬼録、2014年02月19日(水)23時45分21秒
「新世界」が誕生した日。

作曲家ドヴォルザーク。

https://ameblo.jp/tta33cc/entry-11776601866.html

Dvořák’s “New World” Symphony (Opening Gala Concert 2016)
https://www.youtube.com/watch?v=HClX2s8A9IE

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2019年03月21日

グリーグ 「ピアノ協奏曲」

グリーグ − ピアノ協奏曲 イ短調 Op.16
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
1981年9月27・28日 1982年1月
ベルリン フィルハーモニーホール
https://www.youtube.com/watch?v=5vmWev9krT0

北欧ノルウェーを代表する国民的作曲家グリーグ
名作「ピアノ協奏曲」誕生の裏には、ピアノの魔術師リストのアドバイスがあった!?
そして北欧の大自然を不思議と連想させるメロディーの秘密とは?
ノルウェー愛にあふれたグリーグの名作を紐解く

ノルウェーがいっぱい!?

 雄大なフィヨルドや流れ落ちる滝など、聴くと不思議と北欧の自然を思い浮かべるこの作品。
 グリーグがこよなく愛したのがノルウェーの自然でした。
 ノルウェーでは、自然を象徴するものの一つに精霊「トロル」という存在があります。
 ノルウェーの伝説にしばしば登場するこの森の精霊になぞらえ、作曲家グリーグは自らを「小さなトロル」と呼んでいました。
 そして、グリーグは大自然の中に小さな作曲小屋を作り、作曲に没頭しました。
 大自然の力と恩恵を音楽で表現しようとしたのです。
 さらにノルウェーに根付く古くからの民謡や舞曲を収集するなど、素朴で温かなその響きはグリーグの創作の源となり、いくつもの曲が生まれたのです。

グリーグが愛したノルウェー独特の伝統楽器、ハーディングフェーレ。

 スタジオでは奏者の山瀬理桜さん(*)に楽器を紹介頂きました。
 グリーグのピアノ協奏曲には、ノルウェーの民俗舞曲「ハリング」が一部取り入れられています。
 その特徴は「独特なリズム感」。
 当時の一般的なクラシックでは1拍目にアクセントがくるものが多いところ、グリーグは、1拍目ではない所にアクセントを置くことで、ノルウェーらしさを曲に封じ込めたのです。
 クラシック作品に、あえて民俗音楽のエッセンスを取り入れたこの作品。
 当時、聴衆に斬新な印象を与えたそうです。

生涯追い求めた北欧らしさ

 グリーグがピアノ協奏曲を作曲したのは25才の頃。
 「ピアノの魔術師」リストとの出会いが大きな影響を与えました。
 グリーグの目の前で、リストはこの作品を初見で弾き切り「これこそ、真の北欧だ」だと絶賛しました。
 それまでには無い異国の香りを感じさせる音楽に心を打たれたのです。
 そしてグリーグにこう告げます。

「あなたの道を行きなさい。あなたにはその能力があるのです。恐れるものはありません。」

 この言葉をきっかけにグリーグは“ノルウェーらしさ"を深く追求し始めます。
 実はこのピアノ協奏曲は改訂を重ねた作品。
 細かな改訂を亡くなる6週間前までおよそ40年も続けました。
 修正箇所はピアノパートで100、オーケストラパートで300にも上りました。
 余分なものをそぎ落とし、北欧らしい厳しくドラマチックな曲へと変えていったのです。
 真の北欧とは何かー。
 ピアノ協奏曲は生涯問い続けたグリーグの傑作なのです。

ららら♪クラシック、2017年7月7日(金)の放送
https://www.nhk.or.jp/lalala/archive170707.html

(*)山瀬理桜公式サイト
http://rioyamase.com/aboutme

東京新聞は、バイオリニストでノルウェーの民族楽器、ハルダンゲルバイオリン奏者、山瀬理桜さんを迎え2008年6月12日、東京都千代田区紀尾井町の紀尾井小ホールで講演と演奏会を開いた。
日本と友好関係の深いノルウェーの話と、第2部では、「北欧民謡と北欧クラシック」と題し、ピアニストの中村真理さん、城綾乃さん、それに山瀬さんのめい、山瀬クリスティーナ静佳さんも出演して演奏を披露、満席の聴衆を約3時間魅了した。

 私は、ピアニストの姉が留学先で知り合ったノルウェー人と結婚した縁で、十数年前、姉とともに日本人として初めて、首都オスロのムンク美術館のホールで、ピアノとバイオリンのコンサートを行ないました。
 以来、ムンクの絵が盗難に遭ってホールが閉鎖になる2004年まで毎年、北欧と日本の音楽を紹介する文化交流のコンサートを続け、その中でハルダンゲルバイオリンと出会いました。

 ノルウェーの各地方には、華麗な装飾を施した民族衣装があります。
 ハルダンゲルバイオリンも、美しく装飾されたノルウェーを代表する民族楽器です。
 ノルウェーの作曲家グリーグもこの楽器をこよなく愛し、彼によって民族楽器ながらクラシックに大きな影響を与えました。

 ノルウェーは2005年に独立百周年を迎えた王国です。
 150年ほど前、スウェーデンからの独立の機運が高まると、人びとの民族意識が高揚し、作家のイプセンや画家のムンクなど個性的な芸術家が活躍しました。
 グリーグもまた、民族音楽をクラシックに取り入れ、それが後にフランスの近代音楽家たちに影響を与えたといわれています。
 
 この事実が日本ではあまりに知られていなかったので、私はバイオリンとハルダンゲルバイオリンの二丁を使って紹介してまいりました。
 ハルダンゲルバイオリンは、「ハルダンゲル地方のバイオリン」という意味です。
 日本における津軽三味線のような位置づけでしょうか。
 伝承楽器なので楽譜はなく、言葉のように先輩の演奏を聴いて覚え、それをまた次代に伝えます。
 要するにコミュニケーションがとても重要なのです。

 コミュニケーションといえば、ノルウェーの人は仕事もバリバリこなしますが、家族とのコミュニケーションを何よりも大事にします。
 週末は家族や友人と一緒に過ごすための時間であり、長期休暇になると、仕事関係の電話には一切出ません。
 また、子供が生まれる3週間前から出産後6週間は、母親の育児休暇が義務づけられ、給与が100%支払われる44週間のうち6週間は、父親の育児休暇が義務づけられるなど、彼らにとって子供と接する時間は大切にされています。

 ノルウェーでは週末、多くの人が別荘で家族と過ごします。
 大自然の中、自然とともに生活を楽しむことを知っています。
 そして、生活を楽しんでいるのは、ご老人も、障害のある方も、病気の方も同じです。

 ノルウェーが高福祉国家であり、弱者に惜しみなく税金を使い、人に優しい社会を実現していることは皆さんもご存じのとおりです。
 半面、若い人たちにとっては、働けど働けどお金が税金に消えていくわけですが、先々の安定した生活が保障され、国に対する信頼感があります。


 それを反映して、毎年5月17日の憲法記念日は国中、お祭り騒ぎです。
 憲法記念日が単なる祝日の一つに埋没した感のある日本とは大分、印象が違います。


 ただ、ノルウェーもここに至るまで、多くの問題を面倒がらずに時間をかけて話し合い、ベストな形に改善していく努力を続けてきました。
 日本も今、多くの人が市場経済の行き過ぎを感じてうれいている感がしますが、きっとそれを是正し、将来に望みが持てる国に変われると信じています。

[写真]山瀬理桜(やませ・りお)
マレーシアのクアラルンプール生まれ、桐朋学園大学音楽学部演奏学科バイオリン科卒業。バイオリンを故江藤俊哉氏と江藤アンジェラ氏に、ハルダンゲルバイオリンを故ハールバル・クヴォーレ氏に師事。十数年にわたる日本と北欧の「懸け橋」の活動が高く評価されている。三鷹の森「ジブリ美術館」で定期上映中の宮崎駿監督の短編アニメ「水グモもんもん」の音楽(作曲・演奏)担当。「ゲド戦記」にもハルダンゲルバイオリン演奏で参加。


東京新聞、2008年7月3日
東京新聞フォーラム
『山瀬理桜さんとノルウェー』
講演 山瀬理桜
https://www.tokyo-np.co.jp/article/forum/list/CK2008070302000195.html

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アー・ユー・ハッピー?

 アー・ユー・ハッピー?

 国連の関連団体は2019年3月20日、今年の「世界幸福度報告」を公表した。
 日本は156ヶ国・地域中、58位
 昨年より4つ順位を落として過去最低となった。
 これまで40位を上回ったことがなく、4年連続の50位台となる。

 この報告は2012年から2014年を除いて毎年公表されており、これが7回目。
 1〜3位は昨年に続き、フィンランド、デンマーク、ノルウェーの北欧3ヶ国が独占。
 欧州諸国がトップ10の大部分を占める構図は例年と大きく変わらず、米国は19位、韓国は54位、中国は93位だった。

 報告の基になったデータは米ギャラップ社の世論調査で、各国・地域の各3千人程度が2016〜2018年、現在の生活の満足度を「0〜10」で答えたもの。
 国連の関連団体「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」がその値について、
(1)1人当たりの国内総生産(GDP)
(2)社会的支援の充実ぶり
(3)健康寿命
(4)人生の選択の自由度
(5)寛容さ
(6)社会の腐敗の少なさ
の6項目を用いて分析を加えた。

 日本は健康寿命で2位、1人当たりGDPで24位となったものの、人生の選択の自由度(64位)、寛容さ(92位)が足を引っ張ったとみられる。
 経済協力開発機構(OECD)加盟国36ヶ国で見ても、32位と低迷した。


Yahoo! Japan News、3/20(水) 17:38配信
日本の幸福度、過去最低の58位

「寛容さ」足引っ張る

(朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000065-asahi-soci

アー・ユー・ハッピー?

 ある日本人男性が3月19日、韓国・金浦(キンポ)空港の搭乗区域で航空会社職員に暴行を加えて立件された。
 当時、この男性は泥酔状態だった。

 騒ぎはこの日午前9時、金浦から羽田へ向かう大韓航空旅客機の出発直前に旅客機搭乗口付近で起きた。

 当時、航空会社職員は旅客機に搭乗しようとするこの男性に対して、酒の臭いが激しいことに気が付き「しばらく待ってほしい」と要請した。

 男性は搭乗口前の椅子に座っていたが、この航空会社職員に対して怒り始めた。

 複数のメディアを通じて公開された映像によると、当時男性は金浦空港搭乗口前の椅子に座って英語で「私は韓国人が嫌いだ。韓国人が嫌いだ」と独り言を繰り返していたところ、突然立ち上がって飛行機に乗ろうとした。

 これに対して職員が「私たちは先程、あなたが非常に酔った状態だと申し上げた」と言って男性を制止しようとすると、男性「ノーノー」と言って反論した。

 一旦椅子に座った男性はこの航空会社職員に向かって周辺にあった紙など物を投げつけて再び席から立ち上がった。

 この航空会社職員が「座ってほしい」と言いながら男性を座らせようとしたが、男性は「酔っていない。私は酔っていない。腹ただしい」と言って激しく反応した。
 この過程で男性は職員を足で蹴り、ある職員の膝側に当たった。
 男性は気にもとめずにこの職員に向かって拳まで振り回した。

 結局、男性は近くにいた他の職員と乗客に取り押さえられた。

 ある目撃者は、JTBCとのインタビューで「一番最初は職員が男性を最後に乗せようとしていた。だが男性が度々乗るんだと言って暴れまわり、(職員に)物を投げつけた」と説明した。

 男性は出動した警察に引き渡されて暴行容疑で事情聴取を受けている。
 

Yahoo! Japan News、3/20(水) 6:59配信
「韓国人が嫌いだ」

酒に酔った日本人、金浦空港で暴力騒ぎ

(中央日報)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000001-cnippou-kr

[動画]韓国の空港で暴行トラブル 厚労省現職課長だった
htpps://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000150340.html

安倍晋三 Twitter]
 今は賃金課長ですが、一昨年まで内閣官房において安倍政権肝いり政策である「働き方改革」「一億総活躍社会」「女性活躍推進」を担当する参事官でした
アベノミクスや働き方改革などに関する私の考えを全国各地に伝える講演などを行ない、私の信頼できる優秀な官僚の一人でありました
7:05 - 2019年3月20日

 捏造です
7:26 - 2019年3月20日

アー・ユー・ハッピー?

日本で高齢者の犯罪が止まらない。
65歳を超えた層による犯罪の比率はこの20年、上昇の一途をたどってきた。
BBCのエド・バトラー記者がその理由を探る。

 広島県内の更生保護施設(刑務所を出て社会に復帰する元受刑者のための施設)で、タカタ・トシオ氏(69)は私にこう語った。
 罪を犯したのは貧しかったから。
 たとえ塀の中でもいい、ただで住める場所が欲しかった。

 年金をもらう年になった後、金が底をついてしまったタカタ氏は、刑務所ならただで住めそうだと思いついた。
 自転車を拝借して警察まで乗って行き、警察官に『ほら、こいつを盗んできた』と話したという。
 作戦は成功した。
 62歳での初犯だったが、日本の法廷では軽微な盗みも厳しく罰せられる。
 こんな罪でも1年の刑が言い渡された。
 タカタ氏は小柄でやせ型、しきりにクスクスと笑う。
 犯罪を繰り返す人には見えない。
 ましてや、刃物で女性を脅すような人物とはとても思えない。
 だが最初の刑を終えて出所した後、彼がしたことはまさにそれだった。
 公園に行って脅しただけ。
 危害を加えるつもりは一切なかった。
 ただ刃物を見せて、この中のだれかが警察に電話すればいいと思ったら、1人が通報してくれたとタカタ氏は話す。

 タカタ氏はここ8年間のうち、合わせて半分を刑務所で過ごした。
 刑務所にいるのが好きなのかと尋ねると、金銭的に都合のいいことがもうひとつあると言う。
 それは、服役中も年金の支給は続くということだ。
 刑務所暮らしが好きというわけじゃないが、刑務所にはただで寝泊まりできる。
 しかも出所した時には金がたまっている。
 だから、それほどの苦労ではない。
 そうタカタ氏は話す。

 タカタ氏のケースは、日本の犯罪にみられる際立った風潮の代表例だ。
 日本は驚くほどよく法律を守る社会だが、その中で65歳以上の高齢者が起こす犯罪の比率が急上昇している。
 1997年には犯罪20件に1件の割合だったのが、20年後には5件に1件を超えていた。
 人口全体に占める65歳以上の割合が増えたペースを、はるかに上回る上昇ぶりだ(65歳以上の高齢者は現在、人口の4分の1以上を占めている)。

 罪を犯す高齢者の多くは、タカタ氏と同じような常習犯だ。
 2016年に有罪が確定した65歳以上の2500人中、3分の1余りが過去に6回以上有罪となっていた。

 もう1人の例はケイコ氏(仮名=70)という、小柄で身ぎれいな女性だ。
 やはり貧しさのせいで道を踏み外したと話す。
 夫とうまくいかず、住む家も身を寄せる先もなくて、もう盗みをするしかなかった。
 ケイコ氏によると、足元さえおぼつかないような80代の女の人たちも、食べ物がない、お金がないからという理由で罪を犯しているという。
 ケイコ氏とは数カ月前に、出所者の宿泊施設で話をした。
 あれからまた逮捕されたと聞く。
 今度も万引きで服役中だという。

 高齢者の犯罪で圧倒的に多いのが窃盗、主に万引きだ。
 行きつけの店で3000円もしない食品を盗むケースが多い。
 東京に事務所のある香港のコンサルティング会社カスタム・プロダクツの元幹部で、オーストラリア出身の人口統計学専門家、マイケル・ニューマン氏によれば、日本の基礎年金で支給される額は「ほんのわずか」にすぎない。
 これで生活していくのはとても大変だ。
 ニューマン氏が2016年に出した論文で試算したところによると、年金以外に収入のない人は家賃と食費、医療費を払っただけで赤字になる。 暖房費や洋服代は入っていない。
 かつては子供が親の面倒を見るというしきたりがあったのだが、農村部には経済的なチャンスがないため、多くの若者が出て行ってしまう。 取り残された親たちは自力でやっていくしかない。

「年金暮らしのお年寄りは子供の重荷になりたくないと思っている。公的年金でやっていけなければ、重荷にならない方法はほぼひとつだけ、刑務所へ駆け込むしかないと感じている」

 犯罪を繰り返すのは、1日3食ちゃんと食べられて請求書も来ない場所、つまり「刑務所に舞い戻るため」だと、ニューマン氏は指摘する。

「押し出されるからまた自分から転がり込む。およそそんな感じだ」

 ニューマン氏によると、高齢者の間では自殺も増えている。
 「身を引くのが務め」という思いを果たすための、もうひとつの方法だ。

 私がタカタ氏に会った更生保護施設「ウィズ広島」の山田勘一理事長(85)もやはり、日本の家族のあり方が変わって、それが高齢者による犯罪急増の一因になっているとの見方を示した。
 ただし経済面ではなく、精神面の影響が大きいという。
 突き詰めて言えば、人と人の関係が変化した。
 それぞれの孤立が深まって、社会に居場所が見つからない。
 寂しさに耐えられないと山田理事長は指摘する。
 理事長は、子供時代に広島の原爆を体験し、自宅のがれきの下から助け出された。
 罪を犯す高齢者の中には、人生の半ばに転機があった人もいる。
 妻や子供を亡くした悲しみに耐えかねてというように、何かしらきっかけがある。
 人はたいてい、面倒を見てくれる人や力になってくれる人がいれば罪を犯したりしないものだと、理事長は言う。
 金がなくて犯罪に走ったというタカタ氏の話は「言い訳」にすぎない。
 問題の根っこにあるのは寂しさだ。
 タカタ氏が再犯に走った動機のひとつとして、刑務所には必ず仲間がいるという思いがあったかもしれない。
 そう理事長は語る。

 確かにタカタ氏は天涯孤独の身だ。
 両親は亡くなり、2人の兄とは連絡が途絶えたきり。
 電話しても応答がない。
 2回の離婚で別れた元妻たちや、3人いる子供たちとも連絡が取れない。
 妻子がいれば事情は違っていただろうかとタカタ氏に尋ねると、そう思うという答えが返ってきた。
 もし妻子がそばで支えてくれていたら、こんなことはしなかったと。

 ニューマン氏はこれまで、刑務所の定員拡大や女性看守の増員(高齢の女性受刑者はもともと少なかったが、特に速いペースで増えている)といった日本政府の改革を見守ってきた。
 受刑者が請求される医療費も大幅に上がったと指摘する。
 このほかにも改革が行われていることを、私自身も東京の府中刑務所で確認した。
 ここでは受刑者の3分の1近くが60歳を超えている。
 日本の刑務所というのは行進が多い。
 行進と大きなかけ声が教え込まれる。
 だがここでは軍隊式の訓練を行なうのが難しくなってきているようだ。
 ひとつの集団の後ろから、必死で追いつこうとする白髪の受刑者2人の姿が見えた。
 1人は松葉づえをついていた。

 府中刑務所教育部の谷澤正次氏は、施設を整備する必要が出てきたと話す。
 これまでに手すりや特殊なトイレを設置したほか、高齢の受刑者向けの講座もあるという。
 その中のひとつを見学させてくれた。
 講座はヒット曲のカラオケで始まる。
 題名は「いのちの理由」。
 生まれてきた意味についての歌だ。
 受刑者も一緒に歌うよう促される。
 感極まった表情の受刑者もいる。
 歌で伝えたいのは、本当の人生は刑務所の外にあり、そこに幸せがあるということだと、谷澤氏は語る。
 それでも刑務所の生活のほうがいいと、たくさんの受刑者が戻ってくる。

 ニューマン氏は、裁判手続きや収監にコストをかけずに高齢者の面倒を見るほうがずっといいし、安上がりだと主張する。

「私たちは実際に、高齢者向けに産業・住宅複合コミュニティーをつくるというモデルの費用を見積もってみた。高齢者は年金の半分を渡すのと引き換えに、食事や家賃、医療などが無料になる。ほかの入居者たちとカラオケやゲートボールを楽しみながら、比較的自由に暮らせる。そのコストは、政府が現在費やしている額よりはるかに少なくて済むはずだ」

 ニューマン氏は一方で日本の裁判について、軽い窃盗罪でも刑務所へ送られることが多いのは、罪に応じた罰かどうかを考えるとやや常識外れの感があると話す。
 2016年に書いた報告書では「200円のサンドイッチを盗んだ場合の刑期が2年なら、その刑期に840万円の税金が使われる」と指摘した。
 この例は仮定の話なのかもしれないが、私が出会ったある高齢の常習犯はほぼその通りの経過をたどっていた。
 1本370円の瓶入り唐辛子を盗み、まだ2回目の犯行だったが2年の刑期を言い渡された。
 国内約3000店舗の警備を請け負う会社「エスピーユニオン・ジャパン」代表取締役の望月守男氏によれば、万引きに対する判決はむしろ厳しくなっているという。

 法務省矯正局の荘雅行補佐官はこう語る。
 パンを一切れ盗んだだけだとしても、裁判では刑務所に入るのが妥当と判断された。
 だから受刑者には、社会で罪を犯さずに生きていくにはどうしたらいいか、その方法を教える必要があると。

 タカタ氏が服役中にそれを学んだのかどうか、私には分からない。
 ただ次の犯罪をもう考えているのかと尋ねると、タカタ氏は否定した。
 もうこれでおしまいだと。
 こういうことはもうしたくない。
 それにもうすぐ70になる。
 次回は年を取って、体も弱っているだろう。
 もうあんなことはしないと。
(英語記事 Why some Japanese pensioners want to go to jail)

BBC News Japan、2019年03月18日
日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由
https://www.bbc.com/japanese/47453931

アー・ユー・ハッピー?
 ヤッホーくんのお慕い申し上げている小児科の先生がため息をもらしておられます:

 ちょっと前に、30から50歳台、就職氷河期を生きて、非正規雇用になった一群の人々がいることを記した。
 彼らの多くが、貯蓄ゼロ世代でもあるのだろう。
 BBCが、強烈なタイトルの記事を掲載している。
 いわく、「日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由」である。
 今後、老後資金のない世代が実際に老後を生きるとなると、生活保護を受給するか、この記事にあるような生活をするか、いずれかにならざるをえないのではないだろうか。
 安倍政権は、中距離巡航ミサイルを開発するとか、イージスアショアを二基設置するとか、沖縄に新たな基地を建設するとかやっているが、そんな余裕は一体あるのだろうか。
 また、賄賂を関係者に贈ってまで誘致したオリンピックの予算が、あれよあれよという間に3兆円を超えようとしている。その余裕はあるのか。

00:07 - 2019年3月21日

アー・ユー・ハッピー?

 アベが施政方針演説でまた統計を使った印象操作。
「児童扶養手当の増額、給付型奨学金の創設を進める中で、ひとり親家庭の大学進学率は24%から42%に上昇」と。
 この調査は2016年で施策実施前のこと。
 菅さん、止めてくれませんか。

5:57 - 2019年3月17日

 何を言っているんだか…
 内閣府が3月の景気判断を引き下げた。
 ところが、アベアソウの戦後最長の景気回復キャンペーンのため「景気は緩やかに回復」とする一方で、実態については「生産や輸出の一部に弱さが見られる」とする。
 アベの顔色伺いで支離滅裂の大本営発表です。

3:39 - 2019年3月20日

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2019年03月20日

想田和弘

 日本の「どぶ板選挙」を描いたドキュメンタリー映画の上映会を、会場の千代田区の図書館が一方的に中止を申し出ていたことを、朝日新聞が報じた。
 上映会は予定通り、2013年7月2日に開催されるが、図書館側は共催を降りたため、配給会社が単独で主催する結果となった。
 映画は想田和弘監督の「選挙」。
 2005年の川崎市議補選に立候補した自民党公認候補の「どぶ板選挙」ぶりに密着したドキュメンタリーで、2007年に公開された。

 朝日新聞デジタルの記事によると、想田監督と配給会社「東風」は、千代田区立日比谷図書文化館の指定管理者「図書館流通センター」との間で2013年5月上旬に上映会の話がまとまり、「参院選の前にこそ見て欲しい」として今月7月2日の開催が決定。
 ところが6月下旬、センター側から
参院選前にセンシティブな内容の映画を上映することに千代田区が懸念を示している
と突然、センターが上映中止を通告してきたという。

 監督側が「中止の経緯を公表する」と抗議すると、センターは参院選後の開催を持ちかけ、監督側が再度断ると、東風の単独での開催に決まったという。
 この結果、当初は上映料と謝礼計6万円を図書館から東風に払うはずが、逆に会場使用料とチラシの刷り直し費用など約12万円を東風が負担することになったという。

 記事の中で、千代田区図書・文化資源課の担当者は、
「指定管理者が共催に入れば区の事業とみられる。特定の政党を支持している映画という誤解を受けかねないと思ったので、気をつけた方がいい、とセンター側には言った」
とし、区側から中止を求めた事実はないとしている。

 問題となった上映会と上映後のトークショーは予定通り、2日18時15分から、日比谷図書館で開催される予定。
 想田監督は千代田区に対し、公開質問状と抗議文、さらに2日のトークへの参加要請を自身のブログに掲載。

 7月1日の記事で、監督は自身の考えをこう語っている。
 ものを言いにくい雰囲気。
 これが社会の隅々にまで充満している。
 その雰囲気を打破する唯一の方法は何か?
 タブーなく語ることである。
 逆に、語ることを自主規制すれば、ものを言いにくい雰囲気に加担することになる。

 僕は問題の所在を明らかにし、オープンな議論を巻き起こすためにも、今回の経緯を公表する必要があると判断した。
 その決断に東風も賛意を示した。
 指定管理会社の皆さんには申し訳ないという気持ちもある。
 しかし、彼らも一度は中止の決定をした主体だ。
 一定の責任は感じてもらいたい。
 7/2の日比谷図書館での上映後のトークでも、この問題について語りたいと思う。
 個人の責任を追及するつもりは一切ない。
 そんなことより、問題提起をしたい。
 語ることはタブーだという雰囲気があるが、そのタブーこそが問題だと思うのだ。
(「観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda」)
http://documentary-campaign.blogspot.com/2013/07/blog-post.html

[写真]
映画『選挙』公式サイト
http://senkyo2.com/

HuffPost、2013年07月03日 14時24分 JST
想田和弘監督の映画「選挙」上映中止を通告 千代田区の図書館

日本の「どぶ板選挙」を描いたドキュメンタリー映画の上映会を、会場の千代田区の図書館が一方的に中止を申し出ていたことを、朝日新聞が報じた。上映会は予定通り、7月2日に開催されるが、図書館側は共催を降りたため、配給会社が単独で主催する結果となった。
https://www.huffingtonpost.jp/2013/07/02/movie_senkyo_n_3532081.html

映画『選挙』上映会中止騒動に関し会場で声明する想田和弘監督
https://www.huffingtonpost.jp/2013/07/02/movie_senkyo_n_3532081.html

 このとき、ソントク(損得)ということばはあったけど、ソンタク(忖度)はまだ流通せず、「自主規制」だったんですかねぇ〜
 もうおびえているのが分かりますし、「懸念を表明」することば使いに組織のウエにいる人間は長けているということですかね〜

東日本大震災直後の2011年4月の川崎市議選を追った想田和弘監督(43)のドキュメンタリー映画「選挙2」が公開中だ。
組織選挙の舞台裏に迫ったデビュー作「選挙」(2007年)の続編。
選挙を題材にした作品から見えてきたものは何か。
舞台あいさつで広島市を訪れた想田監督に聞いた。

震災後の社会 限界と可能性

― 選挙を撮り続けるのはなぜですか。

相田: 前作で取り上げた大学の同級生が再び立候補するとブログで知り、急きょ撮影を決めた。
 震災直後の日本を撮っておきたい気持ちもあった。
 戦後最大の危機に直面しながら、日本的な選挙風景が繰り広げられていた。
 素材を編集するうちに、震災直後の混乱の中で行われた小さな選挙に、この国の限界と可能性が凝縮されていると感じた。

― 可能性とは。

相田: 映画を見に来てくれた人たちの熱気もそうだが、現状への危機感を持って何かを変えようとしている人は確かにいる。

― 独自の撮影方法ですね。

相田: 僕は事前の調査や打ち合わせは一切せず、台本なしでカメラを回す。
 編集もナレーションやBGMは付けない。
 それは映画のスタイルではなく、「よく見て、よく聞く」という僕の生きる態度でもある。

―「選挙」にも登場した現職議員が、街頭演説を撮らないよう申し入れるシーンがあります。

相田: まさか公道での選挙活動を「撮るな」と言われるとは思わなかったので驚いた。
 その夜、「撮った映像を使うな」「直ちに処分しろ」という内容の通知書が弁護士から届いた。
 もちろんカメラを止めるわけがないし、映像を捨てるはずもない。

― なぜ、そんなことが起こったのでしょう。

相田: 今回のような撮影拒否が、表現の自由に関わる重大な問題だという自覚が関係者に乏しいのではないか。
 表現者やジャーナリストのセンサーも鈍っている。
 おそらく今まで闘うことなく、不戦敗を続けてきた積み重ねがあるのではないか。
 根は深い。
 東京大学新聞の編集長を務めていた学生時代、上の世代から民主主義についてうるさいぐらい聞かされた。
 でも今は、表現者やジャーナリズムが備えているはずの常識や伝統が途絶えてきて、表現の自由が脅かされても危機として認識できていない。
 僕自身もバトンを渡してこなかった反省がある。

― 憲法や原発など重要課題をめぐる論議をどう見ますか。

相田: センサーを持つ人には警報が鳴り響いているけれど、それが壊れている人やない人には聞こえない。
 そんな状況だ。
 憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とある。
 権利は使わないと意味がないが、使おうとすると摩擦が起きる。
 僕はぎりぎりのところで抵抗していく。
 それが不断の努力。
 不戦敗では、どんどん後退してしまうだけ。一人一人にその責任があるはずだ。

※ 映画「選挙2」
 新人候補として「どぶ板選挙」を繰り広げて当選した元市議が、任期満了後の4年間の空白を経て、「脱原発」を掲げ、あらためて市議選に挑む。東日本大震災の直後で、節電ムードの中をマスク着用で暮らす有権者と、元市議を含めた各候補者の選挙運動を追う。

中國新聞・朝刊、社説・コラム、2013年7月20日
表現の自由後退に危惧

ドキュメンタリー「選挙2」

想田和弘監督

(渡辺敬子)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=18909

「何この人?日本人じゃないんだね」
「この人朝鮮半島系でビンゴだと思う。容姿に特徴が出てる」…。

 昨年2015年10月、映画作家の想田和弘さんのツイッターに、こんな中傷の言葉が続々とアップされた。
 ネット右翼的な人たちから想田さんが浴びせられた言い掛かりの数々を、そのまま転載したのである。

◆ 並ぶ罵詈雑言

 その数は2日で約40件。
 「レイシズム可視化プロジェクト」と名付けたツイッター上の実験だった。
 「ツイッターで歴史認識の話を書くと必ず『おまえ朝鮮人だろ』と、レイシズムど真ん中のコメントが来るんです。そういうのみんな知らないだろうと思って」
と想田さんは言う。
 罵詈(ばり)雑言の並んだツイートの異様さは、一覧で眺めると一目瞭然だ。
 こんなプロジェクトを始めれば、さらに反発を招くのだが、それでもひるまない。

 そうこうするうち不思議なことが起きた。
 「可視化」された発言者の中に、こうした中傷の言葉を削除してしまう人が出てきたのだ。
 「こういうツイートって日にさらされると消えてしまうドラキュラのようなものなんだな」
と想田さんは思う。

 想田さんはリベラルな言論人としても知られる。
 安保関連法や憲法改正、歴史認識問題をはじめとした安倍晋三首相の政権運営や、橋下(はしもと)徹前大阪市長の政治手法などを批判してきた。
 その主な手段がツイッターだ。
 過去のツイートを見ると、「可視化プロジェクト」にあったような極端な発言の人たちと論争を繰り返してきたのが分かる。
 時に、他のツイッター利用者から「このような幼稚な揚げ足取りにいちいちとりあっていては」と心配されることもある。

「こういう相手を説得できるとは思っていません。ただ、ツイッターのような公開の場で、自分自身の考えを表現すれば、右でも左でもない中間領域の人の考えるヒントになるかもしれない」

 そんな願いを込めて、想田さんは自身の取り組みをごみ拾いにたとえる。
 一人の人間がいくら頑張ったところで、街中に散らばる無数のごみを片付けることは難しい。
 でも、一つのごみを拾うことから始めなければ、永遠に街はきれいにならないし、もしかすると、触発された誰かがごみ拾いの輪に加わってくれるかもしれない。
 ささやかでも、こんな行為の積み重ねが、社会を変えるきっかけになると信じている。

 政治的な発言を始めたきっかけは2011年3月の東日本大震災だった。
 東京電力福島第一原発事故について、当時の政権は「ただちに健康に影響はない」と繰り返した。

「そうやって政府が隠すなら、そうでない情報を発掘して自分だけでも、拡散しようと思った」

 それまで、政治的な立場を鮮明にすれば自分の映画を色眼鏡で見られると懸念していたのに「映画なんてどうでもよくなった」と笑う。

 やはり最近話題になった想田さんの取り組みが「菅(すが)官房長官語で答える」だ。
 ツイッターで、自身に寄せられる批判に対し、菅義偉(よしひで)官房長官の記者会見での発言などを引用して、「その批判は当たらない」などと返答する。
 「ツイッター実験が話題 無敵の“官房長官語”って?」とネットニュースでも注目された。

◆ 黙認できない

 想田さんはその趣旨について、ツイッターで、
安倍氏の言葉も橋下氏の言葉も、基本的にはコミュニケーションを遮断する目的で使われる。実はそれ以外の機能はない。菅語を回りくどくすると安倍語になり、攻撃的にすると橋下語になる
と解説した。
 相手の質問や抗議に向き合わず、けむに巻く−そんな論法を自ら用いてみせることで、その欺瞞(ぎまん)的な様子を分かりやすく「可視化」してみせたのだ。

 想田さんがこんなふうに手を替え品を替え、粘り強く声を上げ続ける背景には、ヘイトスピーチに代表されるように、ネット上の言論が強い影響力を持ち始めている現実がある。

「たとえば僕はイラクに行ったこともないのに、メディアの情報を仕入れることでイラクについて論じている。僕のイラクというリアリティーはメディアの中にある。そのメディアでネットの占める割合が高くなっているいま、われわれの現実の半分くらいはネットにある。だから、単に黙認していい段階は過ぎていると思うんです」

<想田和弘(そうだ・かずひろ)>
米ニューヨーク在住の映画作家。1970年、栃木県生まれ。東京大卒業後、米国で映画制作を学んだ。台本やナレーション、BGMなどを排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの手法を提唱する。日本流どぶ板選挙を追った『選挙』は米放送界で権威あるピーボディ賞を受賞。世界200ヶ国でテレビ放映された。『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』『熱狂なきファシズム』など著書も多数。


東京新聞、2016年1月7日
ネットと言葉

可視化で消える中傷

映画作家・想田和弘さん

(森本智之)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/culture_news/CK2016010702000278.html

 私たちの身体には、免疫システムというものが備わっている。
 身体に病原体や寄生虫などが侵入したり、がん細胞などが生じたりしたら、それらを認識して殺してくれる。
 私たちの身体は、免疫システムの働きのおかげで、病気から保護されている。

 なんでいきなりこんな話をするのかといえば、日本社会の免疫システムが危険なほど混乱・弱体化し、もはや機能不全に陥っているのではないかと感じるからである。

 たとえば、俳優が違法薬物を使用していたという、どう考えても社会(=身体)にとっては極めて小さな「かすり傷」。
 本来ならば、警察という免疫系の一種がちょっとだけ動き、容疑者を逮捕し、裁判で吟味すれば済むはずである。
 ところがあたかも大きな癌か何かを見つけたかのように、日本中(=身体全体)がひっくり返るような騒ぎになってしまう。
 その様子は、まるで酷い花粉症か猫アレルギーにかかったような感じだ。

 花粉や猫のフケは、本来ならば人間の身体に害を及ぼすわけではない。
 しかし免疫システムが混乱すると、それらを重大な外敵であると勘違いし、なんとかしてやっつけようと総攻撃をかけてしまう。
 そしてその総攻撃が、発疹やクシャミや炎症となって、人間の身体と精神にダメージを与える。

 瑣末な問題を深刻な問題であると勘違いし、全力で排除しようとしてしまう。
 まあ、それだけならそれほど心配することではないのかもしれないが、その逆も実際に起きているから実にやっかいである。

 つまり、生命を脅かすような病原体を、免疫システムが病原体であると認識することができない。
 したがって、身体を守るための対応も起動しない。
 そういう例を挙げようと思えば、いくらでも挙げられる。

 たとえば、日本社会の息の根を止めそうになった、福島第一原発事故。
 免疫システムが正常に作動するなら、同じような事故を起こしかねない日本各地の病原体(=原発)など虱潰しに廃止させたであろう。
 ましてや再稼働させようなんて選択は、到底しないはずである。

 たとえば、立憲主義という日本社会の免疫システムの重要な系統を弱らせてしまう、秘密保護法や安保法。
 免疫システムが正常に作動するなら、自らを弱らせる病原体や、病原体を植え付けようとする勢力は排除しようとしたはずである。

 たとえば、日本経済に筋肉増強剤を投与するような、アベノミクス。
 免疫システムが正常に作動するなら、恐ろしい副作用が身体を蝕むことに身体そのものが警告音を鳴らし、ボロボロになるまえにやめさせるはずである。

 たとえば、アベノミクスの失敗をごまかそうとして行われたようにみえる、統計不正。
 免疫システムが正常に作動するなら、身体の状態を誤って伝える細胞があるならば、速やかに排除するはずである。

 問題は、脳(内閣)が身体のあちこちに病原体や癌を生じさせても、国会や裁判所やマスメディアや警察などといった免疫システムが適切に反応せず、スルーを決め込んでいることである。
 その代わりに、あるいはその反動として、花粉や猫のフケを排除することに躍起になっている。

 だが、それ以上に問題なのは、そういう脳の暴走や免疫系の機能不全に、「身体そのもの」であるはずの主権者が、いつまで経っても気づこうとしないことだ。

 働きすぎで、自分の身体の中で進行中の病気に気づく暇もないのであろうか?

 あるいは、後で突然末期癌を宣告されたときに、敗戦時のように「だまされたー!」と一億総出で文句を言うのであろうか?

 そうなる前に、伊丹万作が敗戦直後に書いた言葉を改めて記しておきたい。
 あたかも現代人に対して発した言葉のように思えてしまうからだ。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。
 だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
(略)
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいても、だれ一人だまされるものがなかつたとしたら、今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。
 だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
(伊丹万作『映画春秋』創刊号・1946年8月)

マガジン9、2019年3月20日
脳〈内閣〉の暴走と免疫システム〈国会、裁判所、メディア、警察etc〉の機能不全
(想田和弘)
https://maga9.jp/190320-2/

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東大名誉教授 ロバート・ゲラー氏

日本の大学の国際化がなかなか進まない。
世界大学ランキングで上位に顔を出すのは一握りで、留学生の受け入れ比率なども世界的に低い水準だ。
東京大学で正規職の外国人教員として32年間教え、今春退官したロバート・ゲラー名誉教授は「日本の大学が国際化するにはガバナンス(統治)改革が不可欠」と訴える。

― 外国人の目に日本の大学はどう映りますか。

ロバート・ゲラー: 私は1984年、東大の任期なし外国人教員第1号として米スタンフォード大から招かれた。
 恩師が東大出身だったので、オファーを受けたときに迷いはなかった。
 だが当時も今も、外国人が移籍したいと思う日本の大学はほとんどない。
 大学運営も世界標準から大きく外れている。

外国人教員5%

 なかでも奇異に感じたのが2011年、東大が秋入学への移行を検討し始めたときだ。
 欧米の多くの国が秋入学なので、日本もそれに合わせれば国際化が進むという単純な発想だったようだが、議論は紛糾し、結局先送りになった。
 学内討論会が開かれたとき、私は『なぜそんなマイナーな問題にこだわるのか』と当時の学長に問いただした。
 国際化を目指すなら、もっとやるべきことがあると。

―それは何ですか。

ロバート・ゲラー: 最も大事なのは優れた外国人教員を任期なしで多く採用することだ。
 英米の一流大では外国人比率が3〜4割に達し、多様性の高さが研究や教育の質を高めている。
 一方、日本では外国人教員は5%程度しかおらず、大半が3〜5年の任期付きだ。
 せっかく日本に来ても任期中から次の就職先を探さねばならず、日本語を学ぶ余裕すらない。
 結局定着できず日本を去ってしまう。

― なぜ外国人を増やせないのでしょうか。

ロバート・ゲラー: ひとつの理由は日本では各専攻で少人数の教授たちが人事権を実質的に独占していることだ。
 教授会で審査されるが、覆ることはほぼない。
 しかも採用基準が曖昧で、自分の弟子や仲間だけが条件に当てはまるようにしている。
 外部に優れた人材がいても確保できず、大学がタコツボ化している。
 自治に名を借りた悪平等だ。
 一方、欧米の有力大では教員を採用するとき、一流学術誌に掲載された論文数や引用数といった定量的評価と学外の第三者による定性的な評価を併用し、大学が本当に必要とする人材を国内外から選んでいる。

― 何を改めるべきですか。

ロバート・ゲラー: 米国の大学には学長に次ぐ『プロボスト provost 』という職があり、学務全般や人事で強い権限をもっている。
 プロボストが外部人材を交えた諮問委員会をもち、運営方針や人事を諮ることもある。
 日本の大学も同様のポストを設け、ガバナンスを改革することが不可欠だ。
 米スタンフォード大が運営理念として『Steeples of excellence』を掲げ、実行しているのは参考になる。
 Steepleとは尖塔(せんとう)のことで、戦略的に強化すべき分野を決め、世界トップの研究者や学生が集まるように採用も戦略的に行っている。
 もしも研究や教育の水準が下がってきたら、諮問委員会が再生委員会のように機能し、立て直しに何が必要か、外部からどんな人材を招くべきかを学長に助言する。
 日本の大学にもこうした組織が欠かせない。

英語教育に欠陥

― 日本の学生の学力に問題はありませんか。

ロバート・ゲラー: 学生の英語力が足りないので英語で授業ができず、外国人教員を呼べないという悪循環は確かにある。
 東大は大学院入試に英語能力テストTOEFLを取り入れているが、米国の一流大の合格水準に達する学生はほとんどいない。
 日本人は中学から大学まで8年間も英語を学び、トップクラスの東大でもこの程度というのでは、日本の英語教育全体に重大な欠陥があると言わざるを得ない。
 ただ英語力をつけるのは大学入学後でも遅くない。
 私の専攻で約10年前、英語で話す力、聞く力を伸ばすため、週2回、年90時間程度の特別講義を始めたら、TOEFLの点数が目に見えて伸びた。
 例えば夏休み中に集中的に特訓すれば英語力はかなり伸ばせる。
 こうした授業にこそ予算をつけるべきだ。

― 安倍政権は高等教育の無償化を検討するとしています。

ロバート・ゲラー: 政権の求心力が低下するなか、場当たり的に言っている印象が強い。
 日本の大学の国際化の遅れは、既に競争力の低下を招いている。
 教育格差を解消できるなら悪いことではないが、無償化と引き換えに大学の予算や人員が削られることになれば、大学は瓦解する。
 それでは本末転倒だ。

※ ロバート・ゲラー(Robert James Geller、1952年生まれ)

 米カリフォルニア工科大博士課程修了。1984年、東大の任期なし外国人教員第1号として助教授に。99年教授。2017年3月退官。地震予知に懐疑的な研究者としても知られる。


日本経済新聞、2017/7/12
大学国際化の課題

東大名誉教授 ロバート・ゲラー氏

「タコツボ排し、統治改革を」

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO18720900R10C17A7TCN000/

日本政府の言う『30年以内に南海トラフ(海溝)で巨大地震が発生する確率が80%』などというのは“神話”です

 冒頭から刺激的な発言が飛び出した。
 2019年2月13日に東京・丸の内の日本外国特派員協会で行なわれたロバート・ゲラーさんの会見。
 東京大学名誉教授で地震学者のゲラーさんは、地球の内部構造の解析が専門だが、20年以上前から「地震は予知できない」という論文を発表。

 1978年に「大震法」(大規模地震対策特別措置法)を制定した日本政府の地震政策に対して「現実的ではなく科学的でもない」とする批判的な言動を繰り返してきた。
 いわゆる「予知派」の学者だけでなく、政府の掛け声の下、東海地震や南海地震への警戒を呼びかけるマスコミからは、あまり快く思われていないようだ。
 近著の『ゲラーさん、ニッポンに物申す』(東京堂出版)でも、〈「地震予知」という幻想〉〈止まらない研究不正〉〈知られざるアメリカの正体〉など、歯に衣着せぬ痛烈な批判を展開している。

 ゲラーさんは予知と予測の違いを説明した上で、
「短期的予知は不可能だし、長期的予測も不可能」と指摘。

「周期説は成り立たず、統計的な優位性はないのです。日本政府は過去40年間も“予知”ができるかのように偽り続け、それを国内メディア、特にNHKが誇張してきた」
とし、2002年の「東南海、南海地震(略)特別措置法」成立の際に政府が発表した南海地震の危険性を示すマップを紹介。

「赤色が危険で黄色が安全。太平洋側の東海地方を中心に広い地域が赤色になっていますが、その後起きたのは、皆さんご存知のように、
2011年の東日本大震災、
2016年の熊本地震、
2018年の北海道胆振東部地震
で、いずれも『安全』であるはずの黄色の地域です。赤色の地域では何も起きていません。このマップと現実はあまりに違う。これは科学者でなくてもわかる、明らかな事実」
と説明した。

 ゲラーさんはまた、
「2万人近くの死者・行方不明者を出した東日本大震災ですが、東京電力が津波の危険性をわかっていれば原発事故は防げたのではないか。南海地震を危険視しすぎたことによる弊害とも言える」
と指摘したが、地震のリスクがあると認めた上での自身の「条件付き原発再稼働容認論」については触れなかった。

さすがNHK!

 ゲラーさんは結論として、
「こうしたハザードマップを使ってはいけません。メディアもこれで警戒心を煽るのはやめた方がいい。何十年に一度、100年に一度起きるとかの周期説も間違っているので廃棄しなければなりません。仮説が検証できなければ廃棄するのが科学。日本は間違いなく地震大国ですから〈いつでも、どこでも起こりうる〉というのが真実です。ある地域が他の地域に比べて地震発生の確率が高いと言うことはできない。どの地域でもリスクがあると認識すべき」
と強調した。

 なぜ他の地震学者はその説を受け入れないのかとのメディアからの質問に対し、ゲラーさんは「利権が絡む」とし、
「研究資金の恩恵も受けられず、政府の審議会にも呼ばれない」
と即答。
 話題がNHKに及ぶと、
「私が最後に呼ばれたのは1994年8月の『クローズアップ現代』。2012年10月にはNHKラジオの1時間の番組から声がかかったが、前日になって突然『形式を変える』と言われ、予知派の学者も出演することになったと。私がそれはないでしょうと断ると、結局、予知派の学者1人の出演となった」
と明かし、
「今日(の会見に)はNHKの記者はきていますか?」
と問いかけ、会見場から何も反応がないのを見ると、
「さすがNHK!」
と笑わせた。

 ゲラーさんは最後に、
「『3.11』の時期に合わせ、南海トラフの報道が出てくると思う。しかし、日本ではいつでもどこでも地震が起こりうるという真実を、皆さんにきちんと伝えてほしい」
と訴えた。

 なお、この会見から8日後の2019年2月21日には、昨年2018年9月に続き、「安全」なはずの北海道胆振地方で震度6弱の地震が発生した。


週刊金曜日、2019年3月19日10:41 AM
ゲラー東大名誉教授が地震予知批判
 
「南海地震は神話」

(片岡伸行・記者、2019年3月8日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/03/19/antena-438/

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土井敏邦『福島は語る』

 あったことをなかったことにする、なかったことだってあったことにする、この国の支配層はとんでもないことでも好き勝手にやれます。
 主権者は誰?納税者は誰?
 どっかの国の独裁者のような気どった言い方で言われると、もうたまったもんじゃありません。刷り込まれている呪縛から、さ逃れろ〜:

福島原発かながわ訴訟原告団団長・村田弘さん(76歳)
 先月2019年2月20日、横浜地裁は、福島原発事故による被害者60世帯175人を原告とする訴訟で、国と東京電力に対して法的な責任を認めた。
 「ふるさと喪失・生活破壊慰謝料」など4億円超の賠償を命じるもので、国の責任を認める5例目の判決となった。

 福島原発かながわ訴訟原告団団長の村田弘さん(76)は判決後に、
「まずまず良かった。私たちは生活の基盤がなくなっているし、やっぱり国の責任ですよ」
と語った。とはいえ、放射性物質に汚染された「ふるさと」と被害者の生活再建は進んでおらず、
「今年3月末に避難者の民間賃貸住宅の家賃補助を一気に打ち切り、公営住宅から追い出すという被害者の切り捨てが進んでいる」
と憤る。

 村田さんは、2003年5月に37年間勤務した朝日新聞社を退職。
 南相馬市小高に1950年ごろ建てられた妻の実家を改築し、移住した。

「退職金の半分を使いましたが、それまでは転勤族で借家暮らし。初めての“自分の家”でした」

 村田さんにとっても南相馬は、小学生から高校生まで生活した故郷だ。
 敷地には廃業してジャングルのようになった果樹園があり、チェーンソーや草刈り機で整地し、桃、リンゴ、サクランボなどを植え直した。
 無農薬有機栽培で8年間かけて蘇らせて、自家菜園の収穫を楽しんでいたという。
 傾聴ボランティアや小高の広報紙制作などを通じて地域コミュニティーにも積極的に参加する日々を過ごした。

 そんな中、大地震に襲われた。
「いきなり大きな横揺れで、立っていられないほどだった」
と振り返る。

 自宅は物が散乱したが、大きな被害はなく、電気もテレビもついた。
 高台にあったのが幸いした。

「海沿いは津波で全滅です。親族の無事を確かめるために外出しましたが、夕方に戻ると隣家の女性が大きな爆発音を聞いたと言っていました」

 防災無線はよく聞こえず、翌2011年3月12日にテレビニュースで福島原発の事故を初めて知った。
 長引くとは思わず、毛布2枚とわずかな缶詰だけを持ち、慌てて車で避難所に移ったという。

 周囲では高齢者が相次いで亡くなった。
 800人ほどいた避難所の閉鎖に伴い、3月17日の早朝には、3人の子供たちがいる神奈川県に2日がかりで自力で避難している。
 結局、横浜市で次女夫婦と同居することになったが、
「東電は『同居する合理性はどこにあるのか』と主張。引っ越し代と敷金礼金の補償は認められませんでした」。

 国や東電の対応は口先ばかり。
 避難民は明るい見通しを立てられず、2013年9月に集団訴訟を起こした。

「責任をはっきりさせ、実際に受けた被害、物理的・精神的な損害を賠償させたいと考えました」

 勝訴はしたが、課題は残る。

「原発事故は自然災害とは違い、被害の奥深さがある犯罪です。国はオリンピック前に完全復活を宣言したいのでしょう。それまでに被害者をゼロにするのが目標で、強引な被害者切り捨ての姿勢を鮮明にしています。福島県も国とまったく同じ方針で、出先機関のような対応をしていることが一番腹立たしい」

 まだ、全国で1万2000人以上が国と東電に対して訴訟を起こしている。


日刊ゲンダイ、2019/03/20 06:00
原発事故「被害者0」で五輪開催のため強引な切り捨てが…
(ジャーナリスト・渡辺輝乃)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/250038/

『福島は語る』(2019)予告編 土井敏邦
https://www.youtube.com/watch?v=yWlsPkVomE4&feature=youtu.be

 映画を見たあとのコメントです:
 
(1)佐藤忠男 (映画評論家)

 数々の作品で高い評価を受ける土井敏邦監督が、100 人を超える証言者の中から選び抜いた14 人の現在進行形の ”福島の声” を、4 年かけて映像作品に仕上げた。
 日本に住むすべての人に向けて語り継ぐ、珠玉の証言ドキュメンタリー。
 原子力発電所の事故の被害者たちが、受けた心の傷を、その本人たちが、あくまでも静かに、そしてあくまでも深く掘り下げて語るのを、真剣に聞く映画です。
 人びとの表情が、口調が、これほど雄弁に一つの深い思いに結集した映画が、これまでにあっただろうかと、私は驚き、感動しました。
 まれにみるドキュメンタリーです。

(2)保坂展人(世田谷区長/ジャーナリスト)

 東日本大震災の夜、私は一晩中、福島第一原発事故の深刻な事態を受け止めていた。
 そして、爆発と放射性物質の拡散。
 『福島は語る』は7年の歳月を経て、原発事故により避難を強いられた人たちの言葉を記録し、憤りと悔しさ、切なさと絶望、非情な事故によって奪われた人生を克明に語る映像作品だ。
 この映画は涙なくして見ることは出来ないが、現在まで続く被害を封じ込めている「沈黙の圧力」とは、鈍感で浅薄な「無関心と忘却」だ。
 鉄の爪が大地に根ざして生きていた人々を容赦なく襲い、傷つけ、引き裂いた。
 この暴力に私たちひとりひとりが加担していないかを問いかけてくる。

(3)吉原毅(城南信用金庫顧問)

 映画『福島を語る』で、避難を強いられた人たちの生の言葉に触れると、大きな声で叫びたくなります。
 "原発ゼロで日本経済を再生しよう"
 原爆の被爆国でありながら原発事故をおこした日本が、何故危険な原発を推進するのか。
 それは、「原子力ムラ」という政官財がつるんだ巨大な利権集団が私利私欲のために、間違ったことを強引に続けているからです。
 7年の歳月が経ち、福島第一原発の悲劇の記憶が薄れる中、この映画では悲劇が終わるどころか拡散・膨張している現実を思い知らされます。

(4)金滿里(劇団態変主宰)

 福島の今を知りたいと思っていました。
 そこへ応える重要な映像に加え、自然が泣けるほど美しい。
 政府による無き者とあつかう、現代の棄民政策の実態が、ここにあると感じました。
 そこには、次には自分の番?から目をそらそうとする一般市民が透けて見え、福島は、収容施設で殺された園障碍者19名・現在生きている私たち障害者、と同じところにあると思います。怒り、は必要です!

(5)松元ヒロ(コメディアン)

 家を失い、家族を友を日常生活を失なった人びと。
「でもこの故郷、福島が好き。ここが故郷で良かった」
と笑顔で言いながら泣いている人が私を更に泣かす。
 福島の四季、美しい景色をバックに流れるエンディング曲「ああ福島」(*)でまた涙が…。
 あきらめずに生きている人たちがいる。

(6)花田達朗(フリーランス社会科学者)

 昨日、2019年2月4日、土井敏邦監督のドキュメンタリー映画『福島は語る』を試写会で観た。
 14人の「被災者」のインタービューである。
 「フクシマ」についてのドキュメンタリーはこれまで何本も観てきたが、これは次元を超えている。
 月並みな言葉ではあるが、「最高傑作」だと思った。
 どうして私をしてそのように言わしめるのか。

 理不尽さに対する悔しさ、怒り、無念さ、悲しみ。
 それらが深いところから、つまりこれまでじっと耐えて沈黙してきた深度から、肉声と表情で表出され表現されている。
 そのことによって、悔しさ、怒り、無念さ、悲しみがその深さと重さにおいて私たちに伝達可能になっている。
 私たちの方からすれば、つかもうとする意志さえあれば手が届くという形になっている。
 私がこれまでのさまざまな表現物にもどかしさを感じてきたのは、その深度に届いていないのではないかと感じさせられたからだ。
 この土井さんの作品によって、私たちはやっとその深度に届く手段を得ることができたと言える。

 この映画を観たあと、それから先のことは、それぞれの個人の領域の問題だ。
 私たち一人ひとりが考え、感じるための手段が与えられたということだけは確かなことだ。
 「被災者」とは原発事故の犠牲者である。
 「犠牲者」と定義しなければならない。
 この世界、この社会は犠牲者を生み出しながら進んでいく。
 そこにおいて、犠牲者とは多くの場合、沈黙を強いられて、沈黙に行き着く。
 自分のことを「わかってほしい」と他者に語ることを試みたとしても、多くの場合、他者に拒絶されるからだ。
 犠牲者は少数者へと追い込まれ、それ以外の多数者はその少数者を記憶と視野から消し去っていく。
 記念日ごとに思い出しているかのように演出してみたところで、それは自分たちの不作為を正当化するための偽装でしかない。

 ある日突然放射能によって日常と生業、自然と故郷を奪われた理不尽さ、そして犠牲者としてその理不尽さを語ることを奪われた理不尽さ、犠牲者はこの二重の理不尽さのなかを生きている。
 その接合した二重性が固い沈黙を生み出す。
 そのことを、ここに登場する福島の14人の人びとは体験し、経験してきた、ということがわかる。
 土井監督は、そこにできあがった深く固い沈黙を切り開き、その人びとから発話と表情を獲得して、私たちに映画という形で手の届くものにしてくれた。
 そのことによって、このドキュメンタリーに登場した人びと、さらには同じような経験をした多くの「犠牲者」たちは、その思いが言葉と表情で語られ、他者に届けられる可能性を得たことによって、その思いのある部分だけだとしても救済されたと感じるのではないだろうか。
 どのような形、どのような手法によってであれ、権力の「犠牲者」を救うこと、それこそがジャーナリトの役割なのだ。

 なぜこの14人の人々は沈黙を破って、語り始めたのだろうか。
 しかも深く豊かな言葉によって……。
 それは映画のなかでも聞こえてくるように、土井さんの問いかけがあったからであり、その横にカメラが据えられていたからである。
 証言した人々は土井さんに向かって、土井さんの目を見て、語っている。
 土井さんだからこそ語っているのである。
 そして、それが映像に記録されていることを意識し、受け入れたからである。
 公開され、他者に見せられることを受け入れて、語っている。
 カメラのレンズの向こうに、これまで沈黙を強いてきた、見えない他者たちを見据えて、語っている。
 したがって、これは証言者個人、インタービュアー、見えない他者たちの3者の間の対話の試みなのである。
 その3地点からなる構図のなかで、証言者たちは真剣勝負をしている。

 福島の証言者たちに犠牲を強い、さらに沈黙を強いたのは私たちだ。
 私たち、多数者だ。
 証言者たちはインタービュアーに対して語っているようで、本当はそのようにして、そのようなやり方で私たちに向かって語っている。
 私たちは、私たちによって二重に犠牲にさせられた人びとの、壮絶な痛みをわかることができるのだろうか。
 映画は、私たちにそれを問いかけている。

 作品のタイトルは『福島は語る』である。
 沈黙というテーマを表に出せば、「福島が沈黙を語る」となるのではないか。
 実に、一連の土井作品のテーマは「沈黙」なのだと私は思う。
 沈黙監督と言ってもいい。
 土井さんはドキュメンタリー映画『沈黙を破る』で、2009年の石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、キネマ旬報ベストテン文化映画部門第1位を受賞された。
 この映画もまた、パレスチナ紛争のなかで「語られないこと」、つまり沈黙の、その深さに迫り、それを可視化した作品だった。
 単に紛争地の情景を撮影するのではない。
 紛争地の現場に行くことは簡単なことではないだろう。
 しかし、情景は現場に行けば目に見えるものだ。
 『沈黙を破る』はそうではない。
 土井さんは暴力の、見えない構造を映画という手段で可視化した。
 この映画も中東紛争についてのドキュメンタリーのなかで通常の次元を超えていた。

 今、ドキュメンタリー映画『福島は語る』は、原発メルトダウンの3.11から8年目となる2019年3月に公開されようとしている。
 それだけの時間を寝かせたからこそできた作品ではないかと思う。
 言葉の醗酵には必要な時間というものがある。
 映像の編集においても醗酵時間は必要だろう。
 ちょうど福島の酒造りのように……。
 2018年の全国新酒鑑評会で、福島県の酒は金賞を受賞した銘柄の数において6年連続日本一を達成した。
 今の仕事が一段落したら、また福島に酒を飲みに行こう、人に会いに行こう、そう思いながら、私は試写場から夕暮れの街に出て、いつもより確かな足取りで歩いた。

 私が試写会で観た、劇場版は2時間50分。
 3.11に合わせて、東京では3月2日からその劇場版のロードショーが始まる。
 そのすぐ後、全国で一斉に上映するそうだ。
 それはいわゆる短縮版で、それとは別に5時間30分の長時間版が存在するそうだ。

なぜ『福島は語る』を制作したのか

監督 土井敏邦

言葉の映像化


 この映画は、福島の被災者たちの“証言ドキュメンタリー”です。
 派手な動きがあるわけではありません。
 ひたすら、“語り”が続きます。
 観る人が単調で退屈だと感じて途中で投げ出すなら、この映画は失敗です。
 しかし“語り”に観る人が引き込まれ、最後まで観てくれる力があれば、この映画は意義があります。
 私はこの映画で、“言葉の力”に賭けてみました。

 なぜ今、“言葉”なのか。
 原発事故から8年になろうとする現在の日本で、「フクシマ」は多くの人びとから「もう終わったこと」として忘れさられようとしています。
 2020年の東京オリンピックの話題に、社会の関心が高まるにつれ、その傾向は強まっています。

 福島の為政者たちも、「風評被害の払拭」「復興」の名の下に、「フクシマ」の現実を覆い隠そうとしているようにも見えます。

 しかし、「原発事故」によって人生を狂わされ、夢や未来を奪われ、かつての家族や共同体の絆を断ち切られ、“生きる指針”さえ奪われた被災者たちの“生傷”は癒えることなく、8年近くになる今なお、疼き続けています。

 ただそれは、平穏に戻ったかのような現在の福島の光景からは、なかなか見えてきません。
 その“生傷”を可視化する唯一の手立ては、被災者たちが語る“言葉”です。
 この映画は、その“言葉”の映像化を試みた作品です。

福島の証言を残すこと

 本作『福島は語る』の取材を開始したのは、私の前作『飯舘村―放射能と帰村―』の劇場公開から1年後の2014年4月です。
 きっかけは、この年の春、福島原発告訴団が東京・豊島公会堂で開催した「被害者証言集会」でした。
 800人の観衆で埋まったこの集会で、数人の被災者の方々が、自らの原発事故後の体験と心情を語りました。
 その一人ひとりの証言は聞く者の胸に迫ってくる切実な体験でした。
 その訴えを聞きながら、私は、
「被災者の方々のこれらの貴重な体験を、会場の800人にしか聞いてもらえないのはあまりに惜しい。原発事故の被災者たちの切実な声をもっと多くの人たち聞いてもらうために記録し残そう」
と思いました。それがこの証言映画を作ろうと決心した直接の動機です。

 実際に証言を集めようとするとき、真っ先にぶつかった問題はどうやって語ってくれる被災者たちを探すかです。
 私は、あの「被害者証言集会」を開いた福島原発告訴団の団長、武藤類子さんに相談し、告訴団のメンバーの中から紹介してもらうことにしました。
 武藤さんが紹介してくださった方々たちの取材を開始したのは2014年4月です。
 福島原発告訴団のメンバーの方々、そしてその方たちに紹介してもらった他の被災者の方々を私は車で訪ね回りました。
 その数は4年間で100人近くになりました。
 しかしそれまでのインタビュー映像を粗編集してつないでみると、自分の胸にストンと落ちる記録映像ではありませんでした。
 “胸に染み入る深さ”がないのです。
 原発事故後に自分や家族に起こった事象、今に至るまでの生活環境の変化、その中で抱え込んだ「問題」はある程度表現されていましたが、語る人の内面、“深い心の傷”“痛み”が十分に引き出せてはいませんでした。
 つまり「問題」は描けていても、その中で呻吟する“人間”が描き切れていなかったのです。

人間を描くこと

 私は、1980年半ばからほぼ30数年にわたって“パレスチナ”の現場を取材し日本に伝えてきました。
 試行錯誤の長い取材体験と報道の中で学んだことの一つは、“伝え手”は現場で起きる現象や事件を描くことだけではなく、“人間”に迫り、伝えなければならないということでした。
 中東・パレスチナのような「遠い問題」を日本人に伝えるには、私たちが描く現地の人びとの姿の中に、日本人である自分と同じ“人間”を見せていかなければなりません。
 観る人、読む人が「もし自分があの人だったら」「これが自分の息子だったら」と、自らをその相手に投影させる“人間”を突き出して見せなければなりません。
 そのためには“人間として普遍的なテーマ”に迫る必要があります。
 例えば「人が生きるとはどういうことか」「生きるために何が一番大切なのか」「人の幸せとは何か」「家族とは何か」「土地・故郷とは何か」「自由とは何か」「抑圧とは何か」「死とは何か」といったテーマです。
 それらが欠落し、現象や問題だけを伝えるのであれば、所詮、「自分とは関係のない遠い問題」でしかないのです。
 私は「フクシマ」も同じだと思いました。
 インタビューで聞き出す言葉が単に周囲で起こる現象や事件だけに終わってしまっては、「人間を描く」ことにはなりません。
 福島の原発事故がもたらした事象やその特殊性を突き抜けた“人間の普遍的なテーマ”に迫る言葉を引き出せていなかったのです。
 それは、証言者側の問題というより、彼らがなかなか言語化できずに心の奥底に沈殿させているその深い思いを引き出す私の “能力”の問題であり、私の“人の内面を見抜く目” “人間への洞察力”の問題でした。
 つまり“聞き手”の私自身の生き方、人間観、思想が問われていたのです。

「チェルノブイリの祈り」との出会い

 そんな時、1冊の本に出会いました。
 2015年度のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り』です。
 この本は、事故から10年後に発表された事故被害者たちの証言集です。
 そこにはアレクシエービッチ自身の解説はありません。
 ひたすら被害者たちの生々しい語りが続きます。
 しかもそれは単なる「事実の羅列」ではありません。
 その言葉が、読む私の心に深く染み入るのです。
 「被害者の証言」だけの作品なのに、なぜこれほどまでに私は衝撃を受けたのか。
 なぜこれほど読む者の心を揺さぶる語りを聞き出せたのか。
 どうすれば「事故の緊急リポートにすぎず、本質はすっぽり抜け落ちてしま」(アレクシエービッチ)わないドキュメントが生み出せるのか。
 私の「フクシマ」取材の行き詰まりを抜け出すヒントがここにあるような気がしました。
 この著書(岩波現代文庫版)の「あとがき」にジャーナリストの広河隆一氏が、著書の中でも最も感動的な証言の一つ、冒頭の消防夫の妻リュドミーラの語りについて書いています。
 事故直後に現場の消火活動に駆り出され、致死量の数倍もの放射能を浴びた夫は、文字通り身体が崩れていきます。
 その夫に付きそい、必死に世話を続けたリュドミーラは原発事故についてではなく、ひたすら「どれほど夫を愛していたか」をアレクシエービッチに切々と語ります。
 広河氏はその証言とアレクシエービッチの力についてこう評しています。
 「リュドミーラの力だけではないことは、私にはわかる。なぜなら私自身も昔彼女に会って話を聞いたことがあるからだ。しかし私が書き留めた言葉は、アレクシエービッチのそれとはまったく違っていた。私の記録には、輝きの片鱗も見られない。事実の羅列にすぎない。アレクシエービッチだからなしえたことがあったのだ。アレクシエービッチの仕事は、最も過酷な形で崩壊させられていく人間の姿を、生命の尊厳で書き留めていくことだったのだ。それは決して覆い隠すことで守られていく尊厳ではなく、言葉の極限まで語りつくしていきながら、守られていく尊厳だった」
 「アレクシエービッチのこの本は、ドキュメンタリー文学の最高の傑作ともいえる力で驚くべき世界を伝えている。言葉とはこうしたことを成し遂げるために存在しているのか、と思うばかりだ。
 その力を私自身も渇望している。戦争で、核被害の現場で、撮影する写真に求められるものも、それに似た力を必要としているのだろう。砲弾で叩き潰された体、放射能で焼けただれていく体、腐臭、そうした記憶が、言葉や写真の形で、尊厳ある伝え方をされるためには、どれほど心のたたかいが必要なのだろうか。それともそれはその人に備わった資質と呼ばれるものだろうか」

 どんな過酷な事象や体験をも、「尊厳ある伝え方」で伝えていく。
 単に目の前に現れる、また語られる現象や事実を、ただ表象をなぞるのではなく、その本質と尊厳を見出す目。
 私が「フクシマ」取材に行き詰っていた原因はその欠落にあるのだろうか。
 それ以前に私は、「フクシマ」を伝えるためにこれまでに一体どれほどの「心のたたかい」をしてきただろうか。
 そもそも「その人に備わった資質」もないのに、「ないものねだり」をして能力を超えることを無理にやろうとしているのかも知れません。
 しかし私は、ここでおずおずと引き下がりたくはないと思いました。
 「負けた。自分にはできない」と投げ出すことは、「心のたたかい」を放棄し自身の尊厳を放棄することに等しいことだからです。
 こんな「備わった資質」もない私でも“伝え手”としてできることがあるはずです。
 「一人ひとりの人間が消えてしまったように」されていく国内の現状の中で、「個々の人間の記憶を残すこと」はこんな私でもいくらかはできるはずです。
 アレクシエービッチにはなれなくても、『チェルノブイリの祈り』ほどの記録は残せなくても、私なりに「フクシマの記憶と記録を残す」ことはできるはずです。
 『福島は語る』はそういう試行錯誤と暗中模索の中で、かたちとなった作品です。

http://www.doi-toshikuni.net/j/fukushima/

(*)「ああ福島
(作詞:武藤類子・李政美/作曲・唄:李政美)
https://www.youtube.com/watch?v=2l6vmbxzeP8

山は青く、水は清らかな
美しき我が故郷

東に海を臨み
果実はたわわに実る
黄金の稲穂は揺れ
そのむこう山々がふちどる

ああ福島、ああ福島
ああ福島、ああ福島

山は青く、水は清らかな
美しき我が故郷

春、草木芽吹き
夏、緑の風渡る
秋、山は紅く燃え
冬、空は高く澄み渡る

ああ福島、ああ福島
ああ福島、ああ福島


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Jacinda Ardern, Grace. Dignity. Courage... Real leader

NZ首相.jpg

☝ ジャシンダ・アーダーン(Jacinda Ardern)首相

 ニュージーランド(NZ)南部クライストチャーチで15日に起きた銃乱射テロ事件の現場となったモスク(イスラム教礼拝所)前で2019年3月18日、地元高校生が先住民族マオリの伝統舞踊ハカをささげ、犠牲者を追悼した。ロイター通信などが伝えた。

 事件ではクライストチャーチ市内の2カ所のモスクが相次いで襲撃され、少なくとも計50人が犠牲になった。

 花束を手にモスク前を訪れた高校生は、すでにたくさんの花束で埋め尽くされた道路の上に献花。
 犠牲者の冥福を祈り、厳粛な表情でハカをささげた。
 終了後、涙をぬぐう生徒らの姿もあった。


[動画]
https://video.mainichi.jp/detail/videos/新着/video/6015102637001?autoStart=true

[写真-1]
銃乱射テロ事件の現場となったモスク前で、伝統舞踏ハカをささげる地元高校生ら=ニュージーランド・クライストチャーチで18日、AP

[写真-2]
銃乱射テロ事件の現場となったモスク前で、伝統舞踏ハカをささげる地元高校生ら=ニュージーランド・クライストチャーチで18日、ロイター

毎日新聞、最終更新 3月18日 14時36分
NZ銃乱射

「ハカ」で犠牲者を追悼

地元高校生、現場モスク前で

(佐藤賢二郎)
https://mainichi.jp/articles/20190318/k00/00m/030/094000c

New Zealand pays tribute to victims of Christchurch mosque massacre
https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=eWv-3mm3XDE

New Zealanders show outpouring of solidarity after mosque attacks | DW News
https://www.youtube.com/watch?v=huovEuKvqmI

New Zealand students honor shooting victims with haka dances
https://www.youtube.com/watch?v=hmVjMdutQrc

In the hours after a gunman killed 50 people at two mosques in central Christchurch, prime minister Jacinda Ardern called a press conference that set the tone for a grief-stricken country. It has become a seminal moment of her leadership story.

The 38-year-old prime minister has been tested like few New Zealand leaders before, leading the country as it deals with the worst terrorism attack in the nation’s modern history.

Fifty people killed while at Friday prayers. Dozens injured. A once peaceful nation in profound shock. Ardern’s voice wavered slightly as she spoke, but her message of unity and compassion was unflinching.

“You may have chosen us,” said Ardern, referring to the killer, anger in her voice. “But we utterly reject and condemn you.”

By Saturday morning she was on the ground in Christchurch with the majority of her cabinet ministers and opposition leaders. Dressed in a black headscarf trimmed with gold, the prime minister met with members of the Muslim community affected by the tragedy. She held them in her arms as they sobbed, whispering words of condolence, and pressing her cheek against theirs. Video footage of those embraces travelled around the world.

Walking hand in hand with those affected, Ardern’s focus was on grieving and commiserating with the affected community. The alleged killer Brenton Tarrant was not representative of New Zealanders’ values and beliefs, she said. Quite simply he was: “not us”.

“The everyday discourse in New Zealand since the attacks hasn’t been one of hate and anger, it’s been we can do this, we can heal, we can come through this,” says Professor Jennifer Curtin, director of the public policy institute at Auckland University.

“She has shown a quiet, strong leadership, and been very focused on looking after the people who are most affected straight away. The killer has barely been mentioned.”

Paul Buchanan, a security expert for 36th Parallel, says Ardern’s strength was her empathy, and she has “excelled” in this arena during a time of crisis. She is also an expert delegator, Buchanan says, and has delegated security reviews and inquiries about how the killer was missed to senior, trusted colleagues, allowing her to focus on healing a traumatised country.

“She is like the mother of the nation. When it comes to events like this I think her touch is near perfect,” says Buchanan.

“The way Trump and others talk, tough talk, after terror attacks, all that is posturing. And sometimes it is designed to mask weakness, sometimes it is a thirst for revenge. Ardern is doing none of that.”

“It is a leadership style that particularly suits New Zealand. New Zealand does have a serious dark side, it does have racism. But what she is doing is giving us a moment to confront these demons, this darkness and change our ways.”

‘Clarity and decisiveness’

Her warmth is balanced by a steeliness. When asked about comments by an Australian senator who sought to blame Muslims for the attack, Ardern called him simply “a disgrace”. She has spoken repeatedly about the need to curb the spread of hate speech and violence on social media in the wake of the attacks. Sites that allowed video of the massacre to be shared were “the publisher, not just the postman. There cannot be a case of all profit, no responsibility.”

Speaking in parliament house on Tuesday, Ardern opened her tribute remarks in Arabic “As-Salaam-Alaikum,” she said. “Peace be unto you”.
“One of the roles I never anticipated having and hoped never to have, is to voice the grief of a nation,” she continued.

Refusing to speak the suspect’s name, she moved to strip him of power, instead urging people to speak the names of victims.
“You will never hear me mention his name.”

Domestically, even Ardern’s most strident critics have fallen silent. Sam Sachdeva at Newsroom said the event had allowed the prime minister’s “clarity and decisiveness” to come to the fore, while the New Zealand Herald described her leadership as displaying “solace and steel”.

Those watching around the world, who might previously have only known Ardern as the second female leader to have a baby while in office, have in this last week seen her lead her country with humanity and resolve.

An image of Ardern in a headscarf, framed through a stained glass window, was immediately picked up internationally and has come to symbolise her leadership in the aftermath.

The Crisis magazine, the publication of the NAACP, tweeted of Ardern: “Grace. Dignity. Courage... Real leaders do exist.

Australian journalist Peter Fitzsimons said Australians wished they could have a leader like Ardern.

“Your Prime Minister stands out internationally as a leader to inspire people around the world,” Fitzsimons said. “Her poise, her steely resolve and most importantly her language of inclusiveness and diversity was admirable.”

Australian television host Osher Gunsberg wrote: “Australia has an election in a few months. Please, please give us someone like Jacinda Ardern to vote for. Please.”

Ardern’s commitment to reform New Zealand’s gun laws in the wake of the shooting also drew praise, with David Hogg, the Parkland school shooting survivor and teenage gun control advocate, sharing a news story about Ardern’s promise to announce gun law changes within 10 days, captioning the tweet: “Imagine.”

The prime minister will again travel to Christchurch on Wednesday to reassure the community that what happened there will never be forgotten. She has already announced that laws to tighten access to semi-automatic weapons are in the works, as well as financial and logistical help with burial costs, and that visas for relatives trying to get to New Zealand for funerals will be fast-tracked.

But largely she will be in Christchurch because her people need her.

At the makeshift memorial at Hagley Park on Tuesday, where paper chains adorn the trees, Christchurch residents unanimously praised Ardern’s “calm, compassionate” response to the massacre. Muslim leaders say her leadership has brought the community together, and made them feel that New Zealand is, and will always be, their home.

“For me, being a Christchurch resident, this is worse than the earthquakes,” one man says. “And I think she feels that, you can tell she feels it deeply.”


[video-1]
Jacinda Ardern lays wreath and meets families of Christchurch shooting victims

[video-2]
PM Ardern holds press conference, vows gun laws will change

[Photo-1]
Jacinda Adern wears a headscarft in the wake of the Christchurch mosque attacks

[photo-2]
Prime Minister Jacinda Ardern hugs a mosque-goer at the Kilbirnie Mosque in Wellingto

The Guardian, Last modified on Tue 19 Mar 2019 09.42 GMT
'Real leaders do exist': Jacinda Ardern uses solace and steel to guide a broken nation

The 38-year-old prime minister has been tested like no other New Zealand leader before by the worst terrorism attack in the nation’s modern history
By Eleanor Ainge Roy in Christchurch
https://www.theguardian.com/world/2019/mar/19/real-leaders-do-exist-jacinda-ardern-uses-solace-and-steel-to-guide-a-broken-nation

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2019年03月19日

竹田恒和は、誰か

 旧皇族出の据わりの良さだけで8期18年も日本オリンピック委員会(JOC)会長を務めるが、決断せずリスクを取らず、華々しい成功はない代わり失敗もない――。
 JOC関係者の竹田恒和(たけだ つねかず)評をまとめれば、こうした可もなく不可もない人物像が伝わってくる。

 要は「お任せの人」だが、それが通用しなかったのが仏司法当局だった。
 東京2020五輪招致委員会の理事長だった竹田は、影響力のあるIOC委員で国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミーヌ・ディアクに対し贈賄工作をした日本の責任者として、12月10日にパリ大審院が予審手続きを取ったのだ。
 ル・モンドのスクープ第一報を受けた東京五輪組織委の森喜朗会長は、日ごろは竹田と同席しても目さえ合わせないほど犬猿の仲なのに、言下に携帯で「竹田を守れ」と下知したという。
 永田町では美談だが、竹田がパリで被告席に立たされたら、東京五輪に前代未聞の汚点がつくからだろう。

 竹田に贈賄工作をしたとの「自覚」はない。
 一方的に声明文を読み上げた1月15日の7分間会見で顰蹙を買ったのは、「俺は知らない」という “自負” からだろう。
 「知らない」のではない、耳を塞いでいるのだ。
 それが旧皇族出の狡猾なところである。


「俺は神輿役」といいとこ取り

 問題のシンガポールのブラック・タイディングス(BT)社の送金についても、イアン・タン代表が32歳(当時)で、海千山千のIOC委員たちを籠絡できるような人脈と情報力があったとは思えないのに、「有能なコンサルタント」とシラを切る。
 実はディアクの息子と親しく、1回目の送金は、先に購入した高級時計代金に充てられIOC委員にばらまかれた模様だが、ツジツマが合わずとも、いざこざは部下に押しつけ、「俺は神輿役」といいとこ取りである。

 彼を甘やかしたのが、電通スポーツ部門の総司令塔で元専務の高橋治之だ。
 実弟はイ・アイ・イの総帥として日本長期信用銀行を破綻に追い込み、1995年に背任事件で逮捕された高橋治則(故人)である。

 高橋と竹田を結びつけたのが慶応義塾人脈である。
 竹田は竹田宮恒徳王の三男として1947年に生まれ、明治天皇の曽孫にあたるが、幼稚舎からエスカレートで慶応大学に進んだ。
 次兄に三つ年上の恒治がいて、これが高橋の同級生だった。
 「兄の友人で先輩」の高橋は、だから気の置けない席では竹田を「カズ」と呼び捨てにする。

 幼稚舎の頃から乗馬を始めた竹田は、1972年ミュンヘン、1976年モントリオールと2度の五輪で馬術代表となって出場している。
 1976年モントリオールにクレー選手として出場した麻生太郎財務相とは「オリンピアンズ」仲間ということになる。

 しかし広壮な旧竹田宮邸がプリンスホテルに売却されたように、戦後の旧皇族は台所が火の車。
 そこで1974年、竹田は東京・小平市で精神病院を営む松見家の次女と結婚、「道楽スポーツ」の馬術に没頭できた。

「松見病院を率いていたのは、竹田さんの義母にあたるイクさん。有名な女傑で不動産事業にも進出、一時は相当に羽振りが良く、三越の外商がひとりイクさん専従でいたほど。元麻布には豪邸を建ててやり、竹田夫妻を援助し、何不自由ない暮らしをさせていました」
(松見家関係者)

 おかげで引退してからも指導者となって慶応馬術部のコーチ・監督を務める一方、1984年ロサンゼルス五輪以降は日本選手団の監督、本部役員などで五輪に関わった。

 ただビジネス面では順調といえなかった。
 1979年、旅行代理店のエルティーケー(LTK)ライゼビューロジャパン(現せとうちLTKトラベル)の設立に参加、代表に就任するが、個人的人脈で細々と法人顧客を世話する状態が続いた。
 馬術の縁で理事長を務めた乗馬クラブのロイヤルホースライディングクラブ(栃木県)は、豪奢な調度に湯水の如くカネを遣った挙句、2001年10月、親会社の倒産に連鎖して破綻した。

 松見家にもバブル崩壊の波が押し寄せる。
 資産は次々に競売にかけられ、病院本体も苦境に陥った。
 渦中に竹田夫妻は別居、2003年には離婚が成立、その後、竹田はLTK社員でスポーツ界重鎮の娘と再婚した。

 当時、公私とも窮地の竹田を高橋が支えた。
 2001年9月、JOC会長の八木祐四郎が死去。
 後任に竹田を推したのが高橋だった。

「後任を竹田さんに決めたのはJOC名誉会長の堤(義明)さんですが、それまで無給で名誉職だった会長ポストを1500万円の有給職にしようと奔走したのは高橋さん。『カズが大変なんだから仕方ないだろ』と言っていたそうで、LTKにも電通スポーツ局の海外出張の仕事を回してカネを落としていました」
(JOC関係者)

電通スポーツ利権のお先棒担ぎ

 そのころの高橋は電通のスポーツ利権を牛耳り、飛ぶ鳥を落とす勢い。
 執行役員、常務、専務と出世街道を驀進した。
 竹田は電通丸抱えのJOC会長として、そのスポーツ利権のお先棒を担いだ。
 高橋は汐留と仙石山の高級ステーキレストラン「そらしお」のオーナーだが、常連の竹田と優雅にグラスを傾ける光景がよく見られた。

 だが、本誌の執拗な追及と東京五輪買収疑惑で、高橋は表に立つことがなくなった。
 カネに汚いディアク父子を手なずけるのは本来、“汚れ役” の高橋の役目なのだが、JOCの “お手盛り” 調査報告書でも、フランスに要請された捜査共助報告書でも、どこにも彼の名は記されていない。
 しかし、難題は「お任せ」で鉄面皮を通す竹田流はもう限界だろう。
 「説明責任を果たすべきだ」との官房長官コメントは、すでに首相官邸に見限られたことを意味する。
 新天皇即位の年に明治天皇の曽孫のスキャンダルなど願い下げなのだ。

 早くも6月のJOC会長改選前に竹田が辞意を表明するとの観測から、後任が取り沙汰され始めた。
 山下泰裕・全日本柔道連盟会長や麻生太郎、橋本聖子の名が挙がる。

 フランス国歌ラ・マルセイエーズに次ぐ第二の革命歌サ・イラ(*)は歌詞が残酷だ。

Ah! ça ira, ça ira, ça ira!
Les aristocrates à la lanterne!

 意味は「ああ、それ、それ、それ! 貴族どもを街灯に吊るせ」。
 フランスはそういう国だ。
 殿下、お覚悟を。

DEEP、2019年3月号
辞任必至「竹田恒和」の正体

慶応同窓の電通元専務、高橋治之の丸抱えだった旧皇族出の人を官邸は見限った。はや後任が取り沙汰されて。

https://facta.co.jp/article/201903045.html

(*)Edith Piaf Le Ca Ira It'll Be Fine French & English Subtitles
https://www.youtube.com/watch?v=L9VoRmjxvPs
https://www.youtube.com/watch?v=bzu01gO3pi4

Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Le peuple en ce jour sans cesse répète,
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Malgré les mutins tout réussira.
Nos ennemis confus en restent là
Et nous allons chanter ≪ Alléluia ! ≫
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Quand Boileau jadis du clergé parla
Comme un prophète il a prédit cela.
En chantant ma chansonnette
Avec plaisir on dira :
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Suivant les maximes de l’évangile
Du législateur tout s’accomplira.
Celui qui s’élève on l’abaissera
Celui qui s’abaisse on l’élèvera.
Le vrai catéchisme nous instruira
Et l’affreux fanatisme s’éteindra.
Pour être à la loi docile
Tout Français s’exercera.
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Pierrette et Margot chantent la guinguette
Réjouissons-nous, le bon temps viendra !
Le peuple français jadis à quia,
L’aristocrate dit : ≪ Mea culpa ! ≫
Le clergé regrette le bien qu'il a,
Par justice, la nation l’aura.
Par le prudent Lafayette,
Tout le monde s’apaisera.
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Par les flambeaux de l’auguste assemblée,
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Le peuple armé toujours se gardera.
Le vrai d'avec le faux l’on connaîtra,
Le citoyen pour le bien soutiendra.
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Quand l’aristocrate protestera,
Le bon citoyen au nez lui rira,
Sans avoir l’âme troublée,
Toujours le plus fort sera.
Petits comme grands sont soldats dans l’âme,
Pendant la guerre aucun ne trahira.
Avec cœur tout bon Français combattra,
S’il voit du louche, hardiment parlera.
Lafayette dit : ≪ Vienne qui voudra ! ≫
Sans craindre ni feu, ni flamme,
Le Français toujours vaincra !
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Les aristocrates à la lanterne,
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Les aristocrates on les pendra !
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Les aristocrates à la lanterne.
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Les aristocrates on les pendra.
Si on n’ les pend pas
On les rompra
Si on n’ les rompt pas
On les brûlera.
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Nous n’avions plus ni nobles, ni prêtres,
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
L’égalité partout régnera.
L’esclave autrichien le suivra,
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Et leur infernale clique
Au diable s’envolera.
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Les aristocrates à la lanterne ;
Ah ! ça ira, ça ira, ça ira,
Les aristocrates on les pendra ;
Et quand on les aura tous pendus,
On leur fichera la paille au c...,
Imbibée de pétrole, vive le son, vive le son,
Imbibée de pétrole, vive le son du canon.


posted by fom_club at 21:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍首相の防衛大卒業式の欺瞞

 防衛大学校(横須賀市走水)の男子学生(20)が、上級生ら8人から体毛を燃やされるなどの暴行を受けたとして刑事告訴していた問題で、横浜地検は2015年3月18日までに、いずれも22歳の3人を暴行の罪で略式起訴した。
 関係者によると、横浜簡裁は3人のうち元学生に罰金20万円、4年の男子学生2人に罰金10万円の略式命令を出した。

 また、地検は告訴されていたほかの学生5人については、不起訴処分とした。
 いずれも3月11日付。

 起訴状によると、元学生は2013年6月、防衛大の学生寮内で下半身に消毒用アルコールを吹き付け、体毛に火を付ける暴行を加えた。
 4年生2人は同2013年10月と2014年5月、学生寮内で顔面を殴るなどの暴行を加えた、とされる。

 告訴状によると、被害学生と8人は、全寮生活の同部屋で生活。
 暴行被害のほか反省文を書かせられたり、携帯電話の無料通信アプリ「LINE(ライン)」で加工された写真を流されたりする被害を受け、ストレス性障害を発症したとし、昨年2014年8月に傷害と強要容疑で告訴状を提出していた。
 学生は現在、実家に戻って静養している。

 防衛大は「今後このようなことがないよう、学生の服務指導の一層の徹底を図り、再発防止に努めたい」とコメントした。

 被害学生の代理人弁護士は「被害の実態と地検が認定した事実の隔たりが激しく、不満と言わざるを得ない」と指摘。
 「不起訴となった5人について検察審査会に申し立てをするか、民事裁判で上級生らに損害賠償を求めるか検討したい」と話した。


神奈川新聞、2015年03月19日 20:32
防大生いじめ問題:暴行罪で罰金20万円
https://www.kanaloco.jp/article/entry-57621.html

 防衛大学校(神奈川県横須賀市)の上級生らから暴行や嫌がらせを受けたとして、福岡県内の男性(24)が、在学時に学生だった8人と国に計約3700万円の損害賠償を求めた訴訟のうち、元学生を相手取った訴訟の判決が2019年2月5日、福岡地裁であった。
 足立正佳裁判長は8人のうち7人の責任を認め、計95万円の支払いを命じた。
 1人に対する請求は退けた。

 訴状によると、男性は2013年4月の入学以降、上級生らに顔を殴られたり、アルコールを吹きかけられ体毛に火をつけられたりする暴行を受けた。
 体調を崩して帰郷した後には、遺影のように加工した写真を「LINE」に流された。
 「重度ストレス反応」などと診断され、2015年3月に退学した。
 男性が国に約2300万円の損害賠償を求めた訴訟は分離されている。


[写真]
「一部勝訴」と書かれた紙を掲げる原告弁護団=2019年2月5日午後1時17分、福岡市中央区

朝日新聞、2019年2月5日14時37分
防大いじめ訴訟、元上級生ら7人に賠償命じる

福岡地裁

(一條優太)
https://www.asahi.com/articles/ASM2465TCM24TIPE02M.html

 反省文を百枚書かされ、体毛に火を付けられる−。
 防衛大学校(神奈川県横須賀市)を退学した男性(24)が、当時の上級生ら8人に損害賠償を求めた訴訟で、学内にまん延する陰湿ないじめの実態が明らかになった。

 専門家は「リーダーシップを学ぶという後輩指導の本来の目的から外れている」と批判する。

 「この判決を機に、大学の体質が変わってほしい」

 2019年2月、違法な暴行があったと認め、7人に計95万円の支払いを命じた福岡地裁判決(確定)後、男性は訴えた。

 防衛大では全員が学生舎に住み、同じ部屋の上級生が下級生を指導する。
 男性は2013年4月に入学。
 指導の名目で上級生に暴行やいじめを受けて体調を崩し、2015年3月に退学した。
 被告8人のうち7人は現在、自衛隊の幹部になっている。

 男性の弁護団によると、防衛大の内部調査などで、
▽ 食べきれない量の食べ物や、固いままのカップ麺を食べさせる
▽ 風俗店に行き、女性と写真を撮るよう強要する
▽ 原稿用紙百枚に反省文を書かせ、ノート一冊を「ごめんなさい」で埋め尽くさせる
▽ 机を荒らす
−といった下級生へのいじめが確認された。

 また弁護団は、防衛大が2014年8月、全学生1874人に実施した下級生への指導を巡るアンケート結果も入手。
 4年生の57%に当たる274人が、下級生のミスや不手際ごとに点数を加算し、一定値で罰を与える「粗相ポイント制」をしたことがあると答えた。
 こうした実態について、防衛大は取材に「再発防止に努める」と答えている。

 元海将で金沢工業大虎ノ門大学院の伊藤俊幸教授は、
「最も重要なリーダーシップ教育の一つである後輩指導がうまく機能していない。幹部に求められる豊かな人間性を育てられるよう、教育内容を改善すべきだ」
と指摘している。


[写真]
訴訟を起こした男性が防衛大在学中に荒らされた机=本人提供

[図]
確認された下級生へのいじめ一覧

東京新聞・朝刊、2019年3月18日
防衛大、下級生いじめがまん延

宿舎生活、地裁が認定

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019031802000115.html

 安倍首相と同様に自衛隊大好きの産経新聞が、きのう2019年3月17日行なわれた防衛大卒業式での安倍首相の訓示を詳しく報じてくれた。
 おかげで私は安倍首相の訓示の中に、とんでもないいかさまを見ることができた。
 安倍首相は最後の部分で次のように述べて防大卒業生を鼓舞している。

「今や自衛隊は国民の9割から信頼を勝ち得ている」と。

 もしそうなら、なぜ自衛隊明記の憲法9条改正が必要なのか。
 なぜ「親が自衛隊だと言われていじめられている」などというとんでもない自虐的ウソをつくのか。

 これは許しがたいダブルスタンダードだ。
 これだけでも内閣総辞職ものだ。

 しかし、安倍首相の訓示でどうしても見逃せないもっと深刻な個所がある。
 それはイラク戦争から逃げたことだ。
 安倍首相は、
「平成は世界を舞台にその平和と安定の為に自衛隊が大きな役割を果たした時代だった」
と誇らしげに語って、自衛隊の国際舞台での活躍ぶりを列挙した。
 湾岸戦争から始まってソマリア、東ティモール、南スーダンなど派遣先を具体的に列挙した。

 しかしそこには、最も重要な派遣地であるイラクのサマワがすっかり抜け落ちている。
 まさか、見落としたわけではないだろう。
 米国のイラク攻撃は歴史に残る失敗だった。
 すべての国がそう評価した。
 その失敗のために米国は国力を低下させ、トランプの誕生をもたらした。
 そして米国の失敗に追従した日本もまた国力を失い、格差社会に突き進んだ。
 なによりも、自衛隊を憲法9条違反の自衛隊にしてしまった。
 その誤りの検証を日本はしていない。
 まさかあの派遣は失敗だったから、卒業式の訓示から意図的に消したのではないだろうな。
 あの時サマワ部隊を指揮した髭の佐藤が国会議員となっていまでは外交・安保を偉そうに語っている。

 こんなことを許してるから日本はダメなのだ。
 野党は今日の参院予算委員会集中審議で、私のこのヒントを参考にして、安倍首相の防衛大卒業式の欺瞞を徹底追及しなければウソだ。
 不毛な統計疑惑ばかりをくり返して予算をあっさり成立させるのではなく、野党は本物の質問をして安倍首相を立ち往生させてみたらどうか。


木直人のブログ、2019-03-18
野党は安倍首相の防衛大卒業式の訓示を徹底追及すべきだ
http://kenpo9.com/archives/5751

posted by fom_club at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アウシュビッツは捏造?史実?

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をぜひぜひお読みください:

★ 2013年04月05日「豊田直巳」
★ 2019年03月11日「大沼勇治」

 フォトジャーナリスト、豊田直巳と昨夜、ヤッホーくんは仲間たちと酒盛りにおでかけして帰ったのは11時!
 場所は、とても美味しい中華屋さんの「萬福楼(わんふうろう)」(江東区東陽4-6-3 東陽ビル 3F)でした。
 その席上、円卓にのぼった話題がタカス。トヨスはなんとか分かりますが、またまたびっくりしたってお話。

 高須クリニックの高須克弥院長(1945年生まれ)が、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を管理運営するアウシュビッツ・ビルケナウ博物館から直接 “ホロコーストは史実である” と指摘された件(*1)。
 周知の通り、高須院長が2015年10月に〈南京もアウシュビッツも捏造だと思う〉とツイートしたことに対して、同博物館が2019年3月15日、公式 Twitter にて日本語でこんなリプライ(返信)をしたのである。
アウシュビッツは世界中の人々の心に絶えず忠告する史実です。ナチス・ドイツによって造られたその強制・絶滅収容所の史跡は、人類史上最大の悲劇を象徴しています。

 ナチスのユダヤ人虐殺を否定する歴史修正主義に対する直接的な抗議であることは明白だ。
 ところが、当の高須院長は謝罪するどころか反発。
 こんなツイートを連投している。

〈そのありがたい忠告が真実のだったら、現在進行中のチベットや東トルキスタンのことには目を向けないのは何故ですか? 同じことをされているのではありませんか?〉(原文ママ)

〈全ての歴史は検証されるべきだと思います。これが正しい科学者の姿勢だと思います。検証を禁止された段階でその歴史が都合よく歪曲されたものではないかと疑うのが罪ですか? お答えください。〉

〈すでに昨年サイモンヴイーゼンタルセンターと手打ちがすんだと僕は解釈しておりました。・・・昔の話しを持ち出す姿勢に不信感がわいております。売られた喧嘩は買います。なう〉

 だが、これはまさに歴史修正主義者・否認主義者の開き直りだ。
 たとえば、高須院長は「科学者として真実の検証をしているだけ」とうそぶくが、「アウシュビッツは捏造だ」という主張は、ナチスによるユダヤ人虐殺という歴史事実を否定し、宣伝する文句に他ならない。
 つまり、「科学的」なホロコースト研究でもなんでもなく、歴史修正主義者の言い分をかいつまんで「なかった」という誤った主張を拡散させているだけだ。

 そもそも、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館のツイートは、ユダヤ人強制収容所の歴史を記した32ページのパンフレットへのリンクを貼っている(*1)ように、「検証を禁止」しようとなどしていない。
 高須院長のツイートを見てもわかるとおり、ホロコーストにしろ南京事件にしろ「〇〇はなかった」というのはリヴィジョニストの決まり文句だが、彼らはそれが「虚説である」と指摘されると、「言論弾圧だ」「研究を封じ込めるのか」などと言って被害者ヅラをしはじめるのである。

 また、「現在進行中のチベットや東トルキスタンのことには目を向けないのは何故ですか?」というのも典型的なすり替えだ。
 だいたい、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館は「アウシュビッツは捏造」という高須院長のデマについて、当事者側として反論しているのであって(事実、「南京も捏造」という箇所については触れていない)、中国共産党によるチベット弾圧等の話をしているわけでないのだ。

 こうした論点ズラしもまた、歴史修正主義者の典型的な手法である。

 たとえば戦中の日本軍の戦争犯罪の話題になると、リヴィジョニストたちはしばしば「韓国軍がベトナムで行なった残虐行為は無視か」とか「中国共産党は現在進行形で民族虐殺している」などと言い出す。
 しかし、当たり前だが、いくら別の国の残虐行為を強調したとしても、それによって日本の戦争犯罪やナチスのユダヤ人虐殺という歴史的事実を「なかった」ことにすることはできない。
 それは「科学的」な検証でも議論でもなく、問題のすり替えを狙った詐術に他ならないのである。

高須院長はユダヤ人団体SWCと手打ちがすんだというが……

 また、高須院長はユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)の存在を持ち出し、「手打ちがすんだと僕は解釈しておりました」などと言っているが、これはどういう意味なのか。
 高須院長はこれまで、ブログや Twitter で、
〈誰が何と言おうが ヒトラーは私心のない 本物の愛国者だ〉
〈ドイツのキール大学で僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授にお会いした。励まして下さった!嬉しい なう〉
〈我が国の医学は大東亜戦争に負けるまではドイツ医学だった。ナチス政権下のドイツ医学の発展は目覚ましいものだった〉
などと繰り返しナチスを礼賛してきたが、謝罪や撤回はしていない。

 一方で高須院長は、昨年2018年11月、K-POPグループ・BTS(防弾少年団)(*2)の「原爆 T シャツ」が問題視されたときには、BTS がナチスに似ているとされる衣装を使用していたと SWC に告発する動きを見せ、Twitter でも、
〈何故大騒ぎしないんですか? サイモンヴィーゼンタルセンターさん。なう〉
などと挑発的な投稿を繰り返していた。

 もしこれで、本当にユダヤ人団体と「手打ち」をしているというなら、その全容をきちんと公開すべきだろう。

 いずれにしても今回、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館が高須院長の〈南京もアウシュビッツも捏造だと思う〉というツイートに〈史実です〉と指摘するのは当然であり、むしろリプライは遅すぎた感すらある。

 だが、他方で気になるのは国内のマスコミの動きだ。
 一部新聞やネットニュースこそ、このアウシュビッツ・ビルケナウ博物館のリプライをストレートニュースで報じているが、普段、高須院長のツイートを盛んに取り上げているスポーツ新聞系のメディアや、高須院長を出演させているテレビなどのメディアは、今回の件についてダンマリを決め込んでいるのだ。

高須院長を“ご意見番”扱いのマスコミがホロコースト問題だけスルー

 たとえば東スポは、高須院長が社会情勢についてツイートしたことを毎日のように記事化してきた。
 この1カ月間のネット記事タイトルの一部をあげるとこんな感じだ。
〈高須院長 二階氏と文議長のツーショット写真に不快感〉(2月19日)
〈高須院長 透析中止は安楽死と程遠いと強調「最後は地獄の苦しみ」〉(3月7日)
〈高須院長 辰巳琢郎辞退に嘆き「また根回し不足の早漏かよ」〉(3月11日)
〈高須院長 内田裕也さん訃報に「理想的な死に方だ」〉(3月18日)

 ほかにも、日本体操協会のパワハラ問題をめぐって高須クリニックが宮川紗江選手の支援に乗り出した件など、高須院長にまつわるニュースは、テレビでも格好のネタとなってきた。
 つまり、マスコミはこの歴史修正主義丸出しの病院経営者を “ご意見番” 的にもてはやしてきたのだ。
 ところが、今回の件は真逆で、東スポなどのスポーツ紙やテレビは完全スルー。
 なぜなのか。

 理由のひとつとしては、SWCはじめユダヤ人団体の抗議を極度に恐れるあまり、ユダヤに関わる話題を徹底的に避けようとするマスコミの姿勢があげられる。
 だが、今回の場合、高須院長が抗議を受けていることを報じたり、高須院長の姿勢を批判するなら、ユダヤ人団体の抗議を恐れる必要はないはずだ。

 それでも、マスコミがこの問題を報じることができないのは、もうひとつのタブーがあるからではないのか。
 つまり、マスコミは高須クリニックからの大量広告を受けているせいで “高須批判” がタブーになっているようにしか見えないのだ。
 事実、テレビでは以前も、高須院長のナチ礼賛発言がネットを中心に問題になった際、「高須クリニックが爆破予告を受けていた」というニュースこそ伝えたものの、その背景にあるとみられる高須氏の発言についてはほとんど報道しなかった。
 SWCが欅坂46(*3)の衣装がナチスの制服に極似しているとして抗議声明を発表した際にはテレビでも報じられたにも関わらず、である。

 そう考えると、今回の件は、単にひとりの著名な歴史修正主義者の問題ではないのかもしれない。

 メディアの都合によって、むき出しのネガシオニズム発言が何の批判も受けずに放置され、歴史修正主義者が社会的影響力をどんどん増していく。
 マスコミもまた、歴史修正主義の加担者である
ことを、最後に強調しておきたい。


リテラ、2019.03.18 10:55
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論!

ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか

https://lite-ra.com/2019/03/post-4612.html

(*1)2019年3月15日午後4:50。日本語のツイートで「史実です」。
「アウシュビッツ・ビルケナウ、その歴史と今」
file:///C:/Users/shuei%20hiratsuka/AppData/Local/Packages/Microsoft.MicrosoftEdge_8wekyb3d8bbwe/TempState/Downloads/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2017%20(1).pdf

(*2)BTS (방탄소년단) 'IDOL' Official MV
https://www.youtube.com/watch?v=pBuZEGYXA6E

BTS (防弾少年団) 'FOR YOU' Official MV
https://www.youtube.com/watch?v=TTG6nxwdhyA

(*3)欅坂46 『サイレントマジョリティー』
https://www.youtube.com/watch?v=DeGkiItB9d8

 1937年に日本軍が南京を占領して多くの中国人を暴行、殺傷した「南京大虐殺」も、第二次世界大戦中にナチスドイツがユダヤ人を大量殺害したホロコーストとその現場のひとつだった「アウシュビッツ収容所」も、多くの証拠が残っている「史実」である。

 日本では南京大虐殺についてしっかり教えてくれないので、私がそれを知ったのは、1984年にイギリスでホームステイをしていた家庭のリビングルームでのことだった。
 イギリス人家族と一緒にBBCのドキュメンタリーを見ていたのだが、それが「南京大虐殺」だったのだ。
 写真や映像でのむごたらしいレイプや殺害の記録はいまだに忘れられない。
 日本人としていたたまれない気持ちだったが、それ以上に、それまで史実を知らなかったことを恥じた。

 1996年刊行の小説『ブリジェット・ジョーンズの日記』に、「日本人は残酷」という一節があるのだが、もしかしたら、作者はこのドキュメンタリーを見ていたのかもしれないと思った。

 自分の国の人が過去におぞましいことをしたという事実を受け入れるのは難しいかもしれないし、それを認めたくないからわざと無知であることを選ぶのも人間の性かもしれない。
 だが、アメリカ人がもし「広島や長崎の原爆は捏造」と言ったら、日本人としてどう感じるだろう?

「原爆についてアメリカ人にちゃんと知ってほしい」、
「原爆資料館に来て、どれほど残酷なことだったのか見てほしい」
と思うはずだ。

 だから、アウシュビッツ収容所でのユダヤ人虐殺や原爆投下、南京大虐殺など、すでに史実として繰り返し検証されていることへの「捏造説」を見かけてそれを信じたくなったときには、「なぜ自分は捏造説のほうを信じたくなるのだろう?」と自問してほしい。
 すると、「真実から目をそらしたい」という自分の中にある理由を見つけられるはずだ。
 それは「自分の祖先がそういう人間だとは信じたくない」という理由かもしれないし、「史実として認められているものを否定できるほど自分は頭が良くて偉大だ」というナルシスティックな理由かもしれない。

 次には、できれば原爆資料館のように史実に向き合うことができる場所を訪れてほしい。
 私は2012年にポーランドのアウシュビッツ記念館を訪問したのだが、そのときに書いたエッセイを引用したい。
アウシュビッツへの道

 2012年4月、ワルシャワでの仕事を終えた私たち夫婦は、アウシュビッツ強制収容所を訪問するために午後8時発の列車でクラクフへ向かった。
 ワルシャワを発ってしばらくのうちはビルの灯りが見えたが、じきに窓の外は墨を流したような闇に包まれた。あまり郊外は広くないようだった。私は、外の景色を眺めるのをあきらめ、持参したアウシュビッツ強制収容所のサバイバーであるElie Wiesel(エリ・ヴィーゼル)の『Night(邦訳版タイトル『夜』)』を読み始めた。
 これまでにも書籍、ドキュメンタリー、映画で学んで来た歴史だが、本の描写には読者を第二次世界大戦中のアウシュビッツに引きずり込む生々しさがある。
 共産主義時代の名残がある列車は轟音をたてて時おり激しく揺れるが、闇の中を進んでいるためか前に向かうスピードは感じない。たった三時間の旅なのに、時間が止まっているような感覚すら覚えた。
 約70年前、周辺の国々でとらえられたユダヤ人は、もっと長い道のりを、家畜用の窓のない車両に身動きできないほどぎゅうぎゅうに押し込められ、アウシュビッツに向かったのだ。腕も足も動かせない状態で、水も与えられず、どこに連れてゆかれるのか分からない苦痛は、時間を永遠のように引き延ばしたことだろう。
 当然、命を落とした人もいた。けれども、この辛い旅に耐えて生き残った人々にとって、この「時間」にどんな意味があったのだろうか? ヴィーゼルの母と妹は、到着してすぐにガス室送りになったのだから。

私を震え上がらせたアウシュビッツの光景

 旅がようやく終わったときに彼らを待ち受けていた運命を想像し、鉄道の旅ではあまり経験しない乗り物酔いをしてしまった。
 翌朝は、「時々曇り」で降水確率0パーセントという天気予報を裏切り、雲の上に太陽が存在することさえ信じられないような暗い曇り空だった。
 「アウシュビッツ」は、アウシュビッツ-T(基幹収容所)、アウシュビッツ-U ビルケナウ(絶滅収容所)、アウシュビッツ-V モノヴィッツ(強制労働キャンプ)の広大な複合施設だ。
 アウシュビッツTに到着したときには冷たい風が加わり、春だというのに冬用のダウンコートを着ても身震いするほどの寒さだった。
 だが、何よりも私を凍えさせたのは、展示されている大量の「髪の毛」だった(犠牲者への尊厳を守るために髪の撮影は禁じられている)。
強制収容所に到着するやいなや、ナチスドイツの兵士たちはユダヤ人たちが運んで来たスーツケース(下記の写真は、陳列されている実物。持ち主の名前が読める)をすべて取り上げ、衣服と靴を奪って、髪を剃ったのだった。
 ナチスドイツは、奪った衣服や靴を再利用しただけでなく、剃り落とした髪の毛、処刑した者の身体の脂肪、死体を焼いた灰も、それぞれ繊維、石鹸、肥料として再利用したという。
 展示されているおびただしい髪の山にはブロンド、栗毛、白髪が混じりあい、三つ編みがそのまま残っているものもあった。
 これらの髪の持ち主は、バイオリニストになりたかった少年や、学者になりたかった少女、結婚したい恋人がいた若い女性、もうじき産まれてくる子どもを楽しみにしていた妊婦のものだったはずだ。だが、それらは刈り取った羊の毛のようにまとめられ、個々の人間のものだったという尊厳が奪われていた。
 命とともに奪われた夢や愛の象徴である髪を、布やマットレスといった日用品にするグロテクスな発想は、戦争という異常事態に順応した人間にとっては日常になっていたのだ。戦争の前にはたぶん隣人に笑顔で挨拶をし、気軽に手助けをしていた普通の人たちが、こうして平然とグロテスクな残酷さを発揮するようになったのだ。その人間の闇の深さが、私を震え上がらせた。

ドイツ人だから悪人だとか、ユダヤ人だから善人だということはない

 Elie Wiesel(エリ・ヴィーゼル)の『Night(邦訳版:夜』や、プリーモ・レーヴィの『Survival in Auschwitz(邦訳版:アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察、朝日選書) 』の回想録には、想像を絶するような収容所での生活が克明に描かれている。だが、アウシュビッツを訪問したときに受ける視覚的な衝撃は、文章から想像していた以上のものだった。裸の死体の山や絞首刑にされた人の写真を見て、それらが実際に行われた場所に立つと、「人間性」への最低限の信頼が崩れ去る。
 自分と同じ人間に対してこれほどの残酷さを行使できるということだけでなく、学問も、宗教も、芸術も、人間性を救うものではなかったということに絶望し、その事実を私たちに知らしめたナチスドイツへの激しい憤りがこみあげる。
 だが、歴史を遡れば、程度の差こそあれ、どの国も自国や他国の人々に非道な振る舞いをしてきたのだ。生存者の回想録やアウシュビッツ・ビルケナウ博物館から得るべきことは、「ナチスドイツは…」とか「ドイツ人は…」といった、無責任で安全な立場からの怒りではないと思った。
 強制収容所にいるときから冷静にそういったことを考えていたのが、『Man’s Search for Meaning(邦訳版「夜と霧」)』を書いたヴィクトール・E・フランクルだった。
 結婚したばかりの妻と強制収容所で引き離され、ドイツ人将校や看守から何度も暴力を受けているにもかかわらず、フランクルは、この世に存在するのは、アーリア人(白人のドイツ人)やユダヤ人といった人種ではなく、「まとも(人道的)な人」と「まともではない(非人道的な)人」という種別なのだと考えた。
 このふたつの人種はどの集団にもいるので、ドイツ人だから悪人だとか、ユダヤ人だから善人だということはない、と語るフランクルは、アドラーやフロイトに師事し、希死念慮があるうつ病の女性を多く治療してきた精神科医だった(脳外科医としての腕もあった)。

生と死を振り分けられた場所

 アウシュビッツ-Uのビルケナウに到着して施設の中央を横断するプラットフォームに立ったとき、雨が降り始めた。あと1〜2℃低ければ雪になっていた氷雨に、私は身震いしながら周囲を見渡した。
 何日も家畜用の車両に押し込められていた人々は、ここで降りるように命じられ、旅の途中で亡くなった人々をまたいでプラットフォームに降りた。せっかくここまで苦痛を耐えて生き延びたのだが、彼らは即座にナチス親衛隊医師により右と左に振り分けられたのだ。
 右は強制労働用と人体実験用で、その価値もないとみなされた者は左だった。振り分けられた人々は、左右がどんな運命を意味するのか知らされることはなかった。
 女、子ども、老人のほぼ全員が左に選り分けられ、そのままプラットフォームの終わりにある4つのガス室(複合施設、クレマトリウム。下記の写真の背景に見える森のあたり)まで行進させられ、裸でガス室に送られた。
 私と夫がここに降り立ったのが70年前であったら、長身で体力がある男性の夫は右に、私は左に振り分けられたことだろう。
 そして、それが最後の別れになった筈だ。

私がアウシュビッツで得たもの

 夫と二人でガス室があった場所に向かってプラットフォームを歩いてゆく途中、私の心を占めていたのは、アウシュビッツTで感じたショック、憤り、人間性への不信感、平和を維持する責任感、といったものではなく、たったひとつのことだった。
 それは、生死が不明な妻のことを思い出しつつ、フランクルが心の中で毎日彼女と会話を交わしたことだった。多くの詩人が書き、思想家が最終的に辿り着いた叡智のように、フランクルも「愛こそが、人が目指すことができる究極で最高の目的なのだ」という真実に気づいたのだった。
The salvation of man is through love and in love.(人の魂を救済するのは愛である)」
といっても、フランクルのように妻が死んだ後に再婚した場合や、後に喧嘩をして別れた恋人の「愛」は「永遠」ではない、と思う人がいるかもしれない。
 だが、プラットフォームに立っていた私は「愛とはそんなものではない」と思った。
 長い列車の旅や、ガス室に行進する途中、人々の心を占めていた親や子や伴侶への「愛」は、たとえすぐに消えてしまうものであっても、その時点では、その人の人生で最も価値があるものだった筈だ。そして、それで十分完璧なものだったと思うのだ。

 プラットフォームを立ち去るとき、私と夫は自然と手をつなぎ、身体を寄せ合っていた。寒かったからだけではない。
 たぶん二人とも、「二人揃ってここを離れたい」という無意識の衝動にかられていたのだろう。
 フランクルは「人は『人生の意味とは何か?』と訊ねるべきではなく、むしろ、人生から意味を問われているのは自分なのだということを自覚すべきなのだ」といったことを書いている。自分にとっては無意味に感じる人生でも、その人を必要とする他の「誰か」あるいは「何か」が存在する。今分からなくても、いつか出会うだろうから捨てるべきではないと彼は言うのだ。
 私がアウシュビッツで感じたのは「人生は私に何を求めているのか?」という問いの答えではなく、ただ単に「お互いが、ここにいる」ことのありがたさだった。
 でも、それこそが問いへの答えではないかと気付いた。

 「私が生きていている」というだけで幸せにできる人(夫や娘)がいたのである。
 それだけで十分生きている価値があったのだ。
 私たちはその夜レストランで夕食を取りながら、今日感じたことや、お腹いっぱいに食べられることへの罪悪感を語り合った。
 けれども、私たちの胸をいっぱいに満たしていたのは、食べ物でもなく、罪悪感でもなく、世界への責任感でもなく、「愛する者と、今この時間を共有できる」ことへの深い感謝だった。

 ここまでが、私が2012年にアウシュビッツを訪問して書いたエッセイの引用だ。
 史実や科学的な事実だと検証されていることでも、高須院長やトランプのような影響力ある人が陰謀説や嘘を伝えると、すぐに信じてしまう人がいる。そして、それを「真実」としてソーシャルメディアで流通することに加担する。
 「自分がやっていることはそんなに悪いことではない」という軽い気持ちがあるだろう。
 だが、ナチスドイツでもユダヤ人に対するそういった陰謀説や嘘が流通したことが、アウシュビッツのような非人道的な行動につながったのだ。
 トランプの中傷や悪い噂のターゲットになっているヒスパニック系やイスラム教の人びとへの差別や暴力がアメリカ国内だけでなく海外にまで広がっているのも、同じような現象だ。
 だから、たとえツイッターでリツイートすることであったも、軽く陰謀説に乗るのは罪深い。

 陰謀説を信じたくなったら、まずは検証されている証拠をその目で見てほしい。


cakes、2019年3月18日
アウシュビッツが捏造だと思うなら、アウシュビッツに行こう

捏造説をソーシャルメディアで見かけたときに考えてほしいこと

渡辺由佳里
https://cakes.mu/posts/24955


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2019年03月18日

まさに腐敗政治

 ヤッホーくんの尊敬申し上げている小児科の先生が今朝、こんなことをつぶやかれております。

 後で紹介する積りだが、ハーバード大学のヤシャ モンク教授等の論考『「ポピュリスト統治」がもたらすもの』に、ポピュリスト政権が増え、彼らの主張とは裏腹に、政権に巣くうワニを退治するどころか、彼ら自身という新しいワニが政権に巣くうようになっている。
 それに伴い国民の主権や、民主主義が冒されている、とある。

 この維新というポピュリスト政治家集団は、まさにそれだろう。
 一旦、住民投票で否決された大阪都を何としても実現しようと、市と府の長の座を自分たちで交換して、利権に与ろうとしている。
 市がなくなっても、新たに行政区ができ、そこに大きな利権が生まれる。
 それを独占したいというのが、維新の本音なのだ。

 維新の政治家には、問題のある人物が多い。
 利権集団には、同じような人間が集まる、ということだろう。

 日本維新の会、大阪維新の会の議員の不祥事の一覧。
 不祥事のすさまじい数と質である。


 詳細は以下をご覧ください:

まさに腐敗政治「大阪維新の会」不祥事リスト

 「既得権益の打破」や「身を切る改革」とスローガンはご立派な地域政党・大阪維新の会。
 しかし、その実態は改革どころか不正や不祥事のオンパレードです。
 あまりにも不祥事が多すぎるためリストにまとめました。
 臨時追加中。

 
この記事は私がまとめました
wolve777さん
https://matome.naver.jp/odai/2144437261638147701

政治において一番大事なことは何か。

それは、

「言葉に対する責任」

である。

「言葉に対する責任」

を取らないとは、

「ペテン」

「詐欺」

である。

日本政治の劣化は、こうした、

「詐欺師政治屋」

「ペテン師政治屋」

が横行していることに主因がある。

「安全性が確認された原発を稼働させる」

「集団的自衛権行使容認は合憲である」

「ISD条項が盛り込まれたTPPに参加する」

はすべて

「詐欺」

である。

詐欺師が政治のトップに居座る。

これで政治が劣化しないわけがない。

「市長の任期まではやるが、それ以降は政治家はやらない」

と電波に乗せて発言した人物がいる。

本年2015年5月17日夜のNHKニュース。

「大阪維新の会の代表を務める大阪市の橋下市長は、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で反対多数となったことを受けて、17日夜、記者会見し、

「市長の任期まではやるが、それ以降は政治家はやらない」

と述べ、年内に予定されている次の市長選挙には立候補せず、政界を引退する意向を表明しました。

大阪維新の会の代表を務める大阪市の橋下市長は、17日に投票が行われた、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で、反対多数となったことを受けて、幹事長を務める大阪府の松井知事と共に記者会見しました。」

わずか3ヶ月前のことだ。

橋下徹氏は、大阪都構想を掲げて住民投票を実施した。

その住民投票で大阪都構想が否決された。

住民投票の前に橋下徹氏は、住民投票で否決されれば「政治家をやめる」と宣言していた。

そして、現実に住民投票で否決され、「政治家をやめる」ことを公式に発表した。

ならば、政治家を辞めるべきである。

当たり前のことだ。

その橋下徹氏が新党を結成する方針を明示したとメディアが伝えている。

うそつきの橋下氏が何を言おうが、それは橋下氏の勝手だが、それを伝書鳩のように右から左に垂れ流すメディアは汚物のようなものだ。

住民投票で否決されて「政治家をやめる」と宣言したのは、たったの3ヶ月前のことなのだ。

このことに触れずに新党結成発言をニュースとして報道するメディアは、ゴミを超えている。

汚物である。

ここまで劣化している日本に多数の主権者が絶望するのはやむを得ない。

しかし、絶望を絶望に終わらせたら、明日はない。

「絶望の山に分け入り、希望の石を切り出さ」ない限り、

明るい明日はやってこない。

2008年秋に、小沢一郎氏が民主党代表に三選されたとき、

複数候補による代表選実施を執拗に要請し続けたのは、どこの誰だったか。

連日連夜、

「民主党代表戦で党の活力を示せ」

などの社説などが掲載され続けた。

ところが、今度の自民党総裁選はどうか。

無投票再選になることを批判するメディアなど存在しない。

救いは、すべての主権者が腐っているわけではないことだ。

現状を憂い、現状を打破することを決意し、行動を起こし始めた主権者が少なからず存在することだ。

この人々が、これから、大きなうねりを作り始める。

今日、2015年8月30日の行動はその第一歩になる。

「戦争法案廃案!安倍政権退陣!
 8.30国会10万人・全国100万人大行動」

http://sogakari.com/?p=633


植草一秀の『知られざる真実』2015年8月30日 (日)
腐敗臭が広がる詐欺師政治屋と汚物メディア
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-431f.html

 さ、ヤッホーくん、希望という名の荷をリュックにつめ、家を出ようとしています。
 え? 山なの? 集会じゃないの? デモで叫ぶんじゃないの? 誰か、同志はいないの?

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綿野恵太

 シンガポールで米朝首脳会談がおこなわれ、朝鮮半島の完全非核化や平和体制の構築が明記された共同声明に両首脳が署名した。

 まず朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題を論じるにあたって以下のことを前提としなければならない。
★ イスラエル、インド、パキスタンといった、核拡散防止条約(NPT)に加盟していない核兵器保有国が現に存在している以上、北朝鮮だけが非難される理由はどこにもないこと。

★ 核保有をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国にだけ認めるNPT自体がそもそも正当なのか、ということ。

★ そして、アメリカ本土を射程圏内とするICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験を北朝鮮が繰り返すきっかけとなったのが、2017年4月6日、米中首脳会談の最中におこなわれた米軍によるシリアへのミサイル攻撃だったことだ。

 アメリカによる国連安保理決議なしの軍事介入に刺激された北朝鮮が、核抑止力獲得のためにミサイル開発を急ぎ、その結果、厳しい経済制裁と軍事的緊張を招き、さらなる発射実験をくりかえす……というかたちで朝鮮半島情勢がエスカレートしたことをまず、確認しなければならない。

 そうした情勢のなか、韓国の文在寅政権の一貫した融和・対話姿勢によって、平昌オリンピックを契機に南北首脳会談、米朝首脳会談が実現され、軍事衝突という最悪の事態は回避された。
 文大統領は米朝首脳会談を「冷戦の対立に終止符を打つ歴史的な出来事」と評したが、ソ連崩壊や東西ドイツ統一といった冷戦終結を象徴する出来事と決定的に異なるのは、いまやリベラル・デモクラシーが力を失っている点だ。

 ヤシャ・モンク(*1)とロベルト・ステファン・フォア(*2)は次のように述べる。
 北米、西ヨーロッパ、オーストラリア、そして日本という、第二次世界大戦後にソビエトに対抗して西側同盟を形成した民主国家は、19世紀末以降、世界の総所得の大半を占有する地域だった。
〔…〕
 しかしいまや、過去1世紀で初めて、これらの国が世界のGDP合計に占める割合は半分を割り込んでいる。
 国際通貨基金(IMF)は、今後10年もすれば、その比率は3分の1へと落ち込むと予測している。
「欧米経済の衰退と民主的世紀の終わり」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』6月

 自由民主主義リベラル・デモクラシー国家の没落に対して、中国やロシアといった権威主義国家の成長はいちじるしい
 民主国家が優位を喪失していく一方で、世界の経済生産に占める権威主義国家の割合が急激に上昇している。
 1990年当時、人権団体フリーダム・ハウスが「自由ではない」と分類した国が世界の所得に占める割合はわずか12%だったが、いまやそれが33パーセントに達している。
〔…〕
 世界はいまや大きな転換点に近づきつつある。
 今後5年以内に世界の所得に占める中国、ロシア、サウジアラビアなど「自由ではない」と分類される諸国の割合は、欧米のリベラルな民主国家のそれを上回るようになるだろう。
 逆に言えば、四半世紀の間に、リベラルな民主国家は先例のない経済的強さから、同様に先例のない弱体化の道を歩みつつある。
(同前)

 冷戦崩壊後の自由民主主義リベラル・デモクラシー国家は「資本の偉大な文明化作用」(マルクス)を過信していたといえる。
 つまり、中国やロシアを世界市場に迎え入れれば、いずれその政治体制は民主化・自由化するとのんきに考えていた。
 たしかに多くの人びとが豊かな消費者になり、日本に観光客として訪れるようになった。
 しかし、経済的な自由に見合うほどの政治的な自由を獲得していない。
 いっぽうの西側諸国ではグローバリゼーションによって中産階級が没落し、リベラル・デモクラシーが危機に瀕している。
 リベラルな国際秩序からすれば、人権尊重や自由競争の徹底を求めて権威主義国家に圧力をかけるべきだが、これらの国が世界経済に深く食い込んでいる以上、世界経済の混乱によって自国もダメージを受けかねないというジレンマがある。

 モンクらは、「強権国家と市場経済に準じた経済、そして適度に安定した財産権を組み合わせたシステム」をもつ「権威主義的近代性」がペルシャ湾岸や東アジアで成功していることを指摘し、次のように述べる。
 成功した経済モデルを採り入れることを望む、そう豊かでない世界の国々にとって「権威主義的近代性」を実現する国々の目を見張るような成長は、もはやリベラルな民主主義だけが豊かさへ至る唯一の道ではないことを示している。
(同前)

 このような世界情勢において米朝首脳会談をどう見るべきか。
 エマニュエル・トッド(*3)が、アメリカのイラン核合意離脱とならべて、次のように分析しているのは興味深い(「日本は核を持つべきだ」『文藝春秋』7月)。
 米国は、核兵器を持った相手(北朝鮮)とは交渉し、核兵器を諦めた相手(イラン)には攻撃的に出ている。
 ここから得られる教訓は何か。
 米国は、核保有国には和平的な態度を取るが、非核保有国には威圧的な態度に出るというわけで、「米国と和平的交渉をしたいならば、核兵器を持った方がいい」というメッセージを全世界に向かって発しているも同然です。
 米国は、核拡散を奨励する外交を展開しているわけです。

 トッドは核兵器を「戦争を不可能にするもの」と定義している。
 核兵器は使用する場合のリスクが極めて大きく、自国防衛以外には用途はないからだ。
 たしかにアメリカは武力行使に踏み切ることができなかった。
 北朝鮮が完全な非核化を達成することは今後もずるずると延期されるだろうし、北朝鮮に倣ってアメリカと対立する国家は核兵器の獲得・保持を目指すだろう。
 日本も核武装すべきだ、というトッドのような主張も当然出てくる。
 宮崎哲弥(*4)はトッドの見解を引きながら、北朝鮮国内の人権問題を棚上げした米朝首脳会談について、
「敗退したのはリベラル国際秩序である。剥き出しの「力の政治」に敗れたのだ」と正しく指摘している(「時々砲弾」『週刊文春』6/28)。
 そうしながらも宮崎は依然としてリベラル国際秩序の必要性を説くが、自由民主主義リベラル・デモクラシー国家が経済でも劣勢であるのは先に述べたとおりだ。

 ところで、ジャン・ジャック=ルソーは戦争を相手国の憲法を書き換えることと定義(*5)した。

 つまり、戦争を社会契約の変更=革命と同じ意味で捉えたわけだ。
 ならば、「戦争を不可能にする」という核の定義は、「革命を不可能にする」といいかえられる。
 ボルトン補佐官が提案した「リビア方式」による非核化に北朝鮮が反発したのも、「アラブの春」におけるカダフィ政権の崩壊を目のあたりにしたからにほかならない。
 たしかに核は「戦争の不可能」=平和をもたらす。
 しかし、それは同時に革命を不可能にする国家の暴力なのだ。
 こうした認識なしに平和を望むことは、人民への抑圧を認めることになる。

 革命の権利を肯定するという意味において、すべての・・・・核兵器に反対しなければならない。

 会談前夜、金正恩委員長がシンガポールを観光する様子が報道された。
 三つの屹立するビルの頂上を大きな船で覆い隠したかのようにデザインされたホテル「マリーナベイ・サンズ」に入った金委員長が、観光客らの呼びかけに手を上げて応える姿が印象に残っている。
 一昨年解散したSMAPが真っ白な衣装に身を包んで出演したソフトバンクのCMが撮影された有名観光スポットだからか、その場に居合わせた日本人観光客もいたようだ。
 この両首脳ならば、会場周辺でデモがおこなわれても不思議ではないが、そうならなかったのはシンガポールが政治的に「自由である」国ではないからだ。

 消費は許されても政治は許されていない。この意味で金委員長が「シンガポールから多くを学びたい」と感想を漏らしたのは象徴的だろう。
 もちろん、中国が少子高齢化問題などを抱えているように、権威主義国家といえどもその体制は磐石ではない。
 だが、それゆえに人民の不満を解消するために経済成長を最優先とし、「力の政治」による争いは熾烈を極めるだろう。
 「ブルジョワ独裁」の時代はすぐそこまで迫っている。


週刊読書人 Web、2018年7月10日更新
金正恩の夢
 
米朝首脳会談とリベラル・デモクラシーの衰退

綿野 恵太(作家)(*6)
https://dokushojin.com/article.html?i=3662

(*1)Yascha Mounk
1982年、独ミュンヘン生まれ。英国の大学で学び、2014年から米ハーバード大講師(行政学)。近著に「The People vs Democracy」。

(*2)Roberto Stefan Foa
メルボルン大学講師(政治学)、エレクトラル・インテグリティー・プロジェクトのフェロー

(*3)Emmanuel Todd
1951年生まれ。歴史人口学者・家族人類学者。フランス国立人口統計学研究所(INED)に所属。作家のポール・ニザンの孫。1976年、『最後の転落』(新版の邦訳2013年)で、弱冠25歳にして旧ソ連の崩壊を予言。1983年、『世界の多様性』(邦訳2008年)で世界の家族構造を7つに類型化。9・11の1年後、イラク戦争開始前の02年9月に出版された『帝国以後』(邦訳03年)では米国の金融破綻を予言し、28ヵ国以上で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。 その他の著書に、『移民の運命』、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』、『シャルリとは誰か?』、『問題は英国ではない、EUなのだ』など多数。

(*4)宮崎哲弥、評論家。
1962年福岡県生まれ。慶応義塾大学文学部社会学科卒業。政治哲学、宗教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動をテレビ、新聞、雑誌などで行なう。

(*5)「相手国の憲法を書き換えること」
「私(加藤陽子、日本の歴史学者。東京大学教授。1960年生まれ)はこれを、東京大学法学部の長谷部恭男先生の『憲法とは何か』(岩波新書)という本で知ったのですが、目からウロコが落ちるような思いを味わいました。
戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃というかたちをとる


(*6)綿野 恵太(1988年生まれ)
元出版社勤務。詩と批評『子午線』同人。論考に「谷川雁の原子力」(『現代詩手帖』2014年8―10月)「原子力の神―吉本隆明の宮沢賢治」(『メタポゾン』11)など。

白井聡『国体論』(集英社新書、4月)が売れているそうだ。対米従属論はもちろん昔からあったが、近年の「左」への浸透ぶりは目にあまるものがある。ベストセラーとなった『永続敗戦論』の文庫版あとがきによれば、同書は安保法制反対運動だけでなく、福島第一原発事故や沖縄米軍基地といった問題にたずさわる人びとからも理論的に参照されているようだ。事実、この書籍のもととなった論考は、私も編集でかかわった市民運動礼賛雑誌に掲載された。当時一読して、加藤典洋『敗戦後論』の焼き直しですらない、といった感想しか持たなかったが、驚いたことに多くの読者から新しい議論として支持された。しかも、安倍政権に批判的である「左」寄りの読者から支持されたのだ。

白井がいう「永続敗戦」とは「敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く」状態を指す。「「戦後」の始まりたる8月15日」を「終戦記念日」と呼ぶような、「純然たる「敗戦」を「終戦」と呼び換えるという欺瞞」が日本社会に巣食っている。「敗戦」を「否認」することで、米軍が日本国内に駐留しているという現在の敗戦状態から目を背けさせる。かつての冷戦においてはソ連という共通の敵が存在したが、いまやアメリカにしたがう必要はない。にもかかわらず、安倍政権は対米従属を続けるばかりであり、それを支持する日本国民は自分が「奴隷」であることにも気づかない「家畜人ヤプー」なのだ、という具合だ。ただ、いまは白井の主張の難点をあげつらうことはせず、なぜ多くの「左」がこの至極単純な対米従属論に魅了されたのか、と問うてみよう。

レーニンに関する著作もある白井はトロツキー『永続革命論』から「永続敗戦」なる造語を思いついたようだ。だが、トロツキーよりも丸山眞男と比較してみてはどうか。つまり、丸山が自身の政治的立場とした「永久革命としての民主主義」のことだ。丸山は「敗戦」を機に天皇から国民に主権が移動した「8月革命」説を唱え、そして1960年の安保闘争に「8月革命」を内実化する市民運動をみた。しかし、日本国憲法の制定はアメリカの軍事力を背景に昭和天皇に裁可されたもので、決して革命とは呼べないものだった。対米従属論は、戦後民主主義がフィクションであることを暴露することで、人びとの「享楽」を刺激してきたといえる。対米従属論者の矢部宏治の著作のタイトルにあるように、日本の主権はアメリカに盗まれている、これは「知ってはいけない」真実なのだ、と。もちろん、丸山もフィクションだと認識したうえで、「戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける」という有名な啖呵を切ったわけだが。

ところで、「永久革命としての民主主義」の一定の成果と見なされた出来事があった。2009年の民主党の政権交代がそれだ。江田五月や菅直人といった民主党の議員の一部は、丸山の弟子といえる松下圭一や安東仁兵衛がブレーンとなった構造改革路線の影響下にあった。日本で1960年代以降に広まった構造改革論は、イタリア共産党が採用した革命路線で、マルクス主義者のアントニオ・グラムシに依拠している。グラムシは、労働者が武器を手にして国家と暴力的に対決したロシア革命を「機動戦」と呼び、そのような革命戦略は市民社会が発達した先進諸国では不可能であるとしりぞけた。たいして、学校や組合といった中間団体に根をおろし、市民社会のヘゲモニーを獲得することで、選挙を通じて議会で多数派を形成し国家を改革するという「陣地戦」を主張した。簡単にいえば、マルクス主義版市民社会論といったものだ。たしかに、民主党政権の誕生は、2008年末の「年越し派遣村」の湯浅誠が国家戦略室のメンバーに入るなど、「左」が市民社会のヘゲモニーを獲得したかにみえた出来事だった。いまでは隔世の感があるが、「市民革命」(山口二郎)と呼ぶ言説まであったのだ。

注意すべきは、近年の対米従属論の流行は「市民革命」なるものの失敗をきっかけにしていることだ。白井聡『永続敗戦論』、孫崎享『戦後史の正体』、矢部宏治『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』といった対米従属論が立て続けにベストセラーになったのが、民主党政権崩壊前後だったことを思い返すべきだろう。これらの著作は、米軍の普天間基地移設を「最低でも県外」と公約に掲げた鳩山内閣が9ヶ月で退陣したショックを受けて書かれている。

原発問題についてもおなじことがいえる。脱原発デモは野田政権による大飯原発再稼働決定を機に大きな盛り上がりを見せ、2012年8月にはデモを主催する活動家と野田首相の会談が実現するにいたった。再稼働の方針は変えなかったが、野田政権は2030年代までに脱原発を目指すという閣議決定をおこなおうとした。実現されていれば運動の一定の成果だったといえようが、アメリカが安全保障上の懸念を表明したことで見送られることとなった。市民社会のヘゲモニーを獲得した(かにみえた)米軍基地問題や原発問題において敗北を喫したこと、その敗北の理由をアメリカに求めたことが、戦後民主主義はまやかしだとする対米従属論に「左」を向かわせたわけだ。対米従属論の流行と市民社会への絶望は表裏一体なのだ。

すると、白井聡と松尾匡の『国体論』をめぐるウェブでの論争(?)も、ちがった角度から見ることができる(「松尾匡氏と白井聡氏による討論のまとめ」大阪労働学校・アソシエ HP 7/17)。天皇の「お言葉」への共感や階級的視点の弱さを問題視する松尾の批判は正しい。白井が単なるナショナリズムにおちいっていることはあきらかだ。しかし、白井はうまく応答できていないが、白井に代わって『永続敗戦論』の主張を展開すれば、こう言えないだろうか。リフレ派経済政策で貧困層を底上げし、中産階級をボリュームアップして市民社会の充実をはかり、立憲民主党を中心としたリベラル左派政権(?)が実現したところで、アメリカを排除できないかぎり、かつての民主党政権と同じく失敗は運命づけられている、と。リフレ派経済政策が戦後民主主義(リベラル・デモクラシー)を延命させる唯一の政策のように持て囃されているのだから、白井はこう応答すべきだった。

しかし、アメリカにすべて支配されている、と単純化させてよいものか。グラムシ的な言い方をすれば、「左」は市民社会で解決できない国家の問題に直面したのではないか。軍隊や原子力は国家による「暴力の独占」(ヴェーバー)といわれる。グラムシは市民社会のヘゲモニーを獲得することで、暴力と対峙することなく、コントロールしようとしたといえる。しかし、それが難しいのは、国家が単体で存在するのではなく、いくつもの国家との関係において存在しているからにほかならない。軍隊や原子力にかかわる政策が複数の国家の協力や対立のなかで決定される以上、一国の市民社会のヘゲモニーを獲得しただけでは大きな転換はできない。その意味で、日本でのグラムシ主義の成果として「革新自治体」が挙げられるのは象徴的だ。それは国家を回避することで可能となった「革新」にすぎない。沖縄の翁長県政の厳しい情勢を考えれば、このことはあきらかだ。

しかし、奇妙なことに、白井はナショナリズムを煽ることで、絶望したはずの市民社会に喝を入れようとしている。白井は共産党のネット TV に出演し、「野党共闘で、自民党政権の対米従属に根本的な否定を突きつけてほしい」と発言したようだ(『しんぶん赤旗』6/27)。対米従属論の果てに天皇を礼賛した白井と共産党の思想はほぼ同じだ。かねてから共産党は日本をアメリカの「事実上の従属国」とみなしてきた。天皇制に関しては「民主共和制」の実現を掲げているが、第1回国会以来欠席してきた天皇臨席の国会開会式に参加するなど態度を軟化させている。しかし、野党共闘とはまさに市民社会の「陣地戦」ではないか。憲法9条=天皇制護持という護憲派がナショナリズムに行き着くのは当然だが、それは戦後民主主義を延命させるものでしかない。しかも、その多くが搾取されている移民労働者なしには成り立たない市民社会でナショナリズムを叫ぶほど滑稽なことはない。結局、「左」に受けの良い対米従属論は市民社会に、戦後民主主義(リベラル・デモクラシー)に真に絶望しきれないという「絶望の否認」なのだ。

ジジェク(Slavoj Žižek、1949年生まれ)―アガンベン(Giorgio Agamben、1942年生まれ)の言葉を借りれば、「絶望する勇気」が足りないといえる(『絶望する勇気』青土社、7月)。ジジェクはギリシアの急進左派連合シリザ Syriza を例に出して言う。

草の根の自己組織は国家の代わりにはなれない。そして問題は〔…〕いかに国家装置をつくり直すか、ということである


週刊読書人 Web、2018年8月14日更新
市民社会に絶望する勇気

白井聡『国体論』と対米従属論の流行

綿野 恵太(作家)
https://dokushojin.com/article.html?i=4032

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2019年03月17日

探ろう、共生の道!

OF all places on earth, peaceful Christchurch in New Zealand has just become the scene of a cold blooded massacre of innocent people in two mosques there. With 49 dead so far and dozens wounded, it is one of the worst terror attacks in the world, this time carried out by white right-wing extremists. Three male and one female suspects are in custody.

In an immediate reaction, the secretary general of the Organisation of Islamic Cooperation (OIC) Yousef Ahmad Al-Othaimeen, said: “The brutal crime had shocked and hurt the feelings of all Muslims around the world, and served as a further warning on the obvious dangers of hate, intolerance, and Islamophobia.”

Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad called on the governments of the world to understand why such terror attacks took place and their modus operandi, which is different from a conventional warfare.

Many people may not understand what right-wing extremism or the far right is all about and its recent resurgence in the West. In simplistic terms, right-wing politics is about preserving certain often oppressive social orders and hierarchies as inevitable and even desirable. Right-wing people tend to react to progress and change, hence they are also called “reactionaries”.

Extreme right-wing politics is associated with ultra-nationalism, fascism and racism or race supremacy, which is often used as justification to oppress and repress others. The most classic example of right-wing extremism is Nazism (oppressing Jews and others) and more recently, Zionism (oppressing Palestinian people) and the extreme right-wing politics used by President Donald Trump in many instances to secure and stay in power.

The far right has also been sweeping Europe, mostly singling out innocent Muslim refugees there, who are merely escaping from the horrors of wars in Syria and the region. These vulnerable refugees become easy targets for xenophobia, hate and outright racism.

Donald Trump used right-wing politics to get himself elected in 2016 and he is also playing the same right-wing politics to stay in power. Many of the Far Right in the West today are inspired by and see President Trump as their poster child. He has certainly done a lot to instill Islamophobia and hatred against the Muslims by his various actions such as his anti-Muslim statements, very pro-Zionist stance and the ban on Muslims from at least seven countries to visit the USA.

President Trump may have sent his “condolences and warmest sympathy” to the people of New Zealand on the terror incident. But he is seen by many to be culpable or at least partially responsible for creating an atmosphere of hatred and racism against Muslims and promoting xenophobia with his Border Wall idea with Mexico.

The purpose of Trump’s Islamophobia or racism is to distract, confuse and divide & rule in order to stave off serious challenges to his presidency including allegations on his abuse of power, obstruction to justice and on the possible outcome of Russia investigation which may include impeachment.

I have written many press articles on why we should not take peace for granted, the importance of mutual-racial respect and the need to recognise the cultural diversity of Asia, with Malaysia as a mini-Asia, as a strength for our survival and progress and never as a weakness or liability. We must never allow our cultural diversity to be exploited by extremists of any shades to create conflict, wars and terror like what has happened in New Zealand.

Most people take peace for granted. We were shaken and shocked when our own MH17 was cruelly shot down in 2014 in a war fought more than 8,000 kilometres away.

There have also been numerous terror attacks in our neighbouring countries recently. Recent police arrests of suspected terrorists in Malaysia should send alarm bells ringing to the authorities concerned. We must never sit back and assume our multi-racial country is immune from such acts of terror.

There is hardly any populated place on earth that is safe from the extremists of all
shades who are motivated to be mass-murderers based on their extreme right-wing political or religious ideologies which would include the misinterpretations of religious teachings.

More needs to be done to analyse and understand the real causes of extremism and to promote sustainable peace and multi-cultural understanding. Possible ways are via press articles, civil debates in the new media, peace forums and talks, innovative peace museums and centres promoting cultural diversity as a bulwark against extremism.


[photo]
Women embrace near Masjid Al Noor mosque in Christchurch, New Zealand, March 17, 2019.

New Straits Times, Published: March 17, 2019 - 5:50pm
Understanding right-wing extremism
By K.K.Tan
The Writer is a political analyst and CEO of a social enterprise proposing an anti-extremism, peace and cultural diversity museum at Carcosa Seri Negara, Kuala Lumpur as part of Asian Peace, Arts and Cultural-Heritage (APAC) Park.
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2019/03/470152/understanding-right-wing-extremism

東京・品川の東京入国管理局で3月12日、収容者のクルド人男性チョラク・メメットさんが体調不良を訴え、救急車が出動したにもかかわらず、入管が病院への救急搬送を拒否したとして、チョラクさんの家族や支援者らが抗議している。
難民支援のNPO法人WELgee代表の渡部清花氏が、これまでの経緯を緊急寄稿した。

「助けて。どうしたらいいか、もうわからないの……」
 日付が変わろうとしていた頃、電話口の友人の声は震えていた。 

 2019年3月12日、東京・品川の入国管理局で長期収容されているクルド人男性チョラク・メメットさん(38)の容態が急変したにもかかわらず、入国管理局は2度にわたって救急車による緊急搬送を拒否した。
 私は入管の前にいるクルド人の友人たち・そのご家族からの連絡で知った。

「どうしたらいい?旦那は、朝まで生きられないかもしれない...」
 1回目に来た救急車は、結局本人に会わず、入管職員だけに会って空のストレッチャーを乗せて帰ってしまったという。
 2回目の救急車が到着したときには、裏口からチョラクさんが救急車で搬送されたことが期待されたが、救急相談センターに確認したところ、入国管理局からは誰も運ばれていないことが発覚した。現場は混沌としている。

「14年間難民認定されず…収容施設のクルド人が語った日本での現実」
 チョラクさんは、兄がクルド人の独立運動に参加していたことから、自分の身にも危険を感じ、14年前の2004年、身重だった奥さんを国に残して、埼玉に避難していた兄を頼って来日した。
 その後奥さんもチョラクさんを追って来日し、いまはトルコで生まれた長男(中学2年生)と日本で生まれ小学校に通う次男・三男の5人で生活している。
 いま日本にいるクルド人は、埼玉を中心に2千人以上と言われている。
 しかし、難民認定されている人はゼロだ。
(FNN PRIME 2018年8月10日)

 いま命の危機にあるのは、この記事に登場するチョラクさんだ。
 たまに彼と面会する私もこの日、取材記者の鈴木款さんと一緒に入国管理局の面会室に入った。
 この夏の時期も、チョラクさんは痩せてゆく一方だった。
 収容期間は2019年3月の時点で14カ月間にも及び、衰弱が進んでいる。

 チョラクさんの奥さんと彼女の妹さんによると、3月12日は以下のような経緯だったという。
 朝、奥さんはいつものように品川の入国管理局に面会に行った。
 しかし、入管職員は「今日彼は、具合が悪いから面会できません」と奥さんに告げた。
 奥さんが入国管理局の4階に移動し、「何の病気ですか?」と聞くと入管職員が「面会の方で聞いてください」としか言わなかった。
 そのあと、奥さんは5分間だけチョラクさんと面会した。
 2人の入管職員がチョラクさんの両側を支えているが、彼は一人ではとても歩けない状態だった。
 チョラクさんが「息が苦しいよ、頭が痛い…」と訴えたため、奥さんは面会をすぐ終わらせ、総務課に声をかけた。
 奥さんが「外の病院に行かせてください」と申し出ると、入管職員は「13時から16時の間、入管に医者が来るから診てもらいます」と答えた。
 奥さんたちは、入管で15:30まで待ち、職員から「薬を出しましたから」と言われたので、その言葉を信じて埼玉県蕨市の自宅まで戻った。

 しかし午後5時56分、チョラクさんからの電話を受け、それが真実でなかったことを知る。
 薬はおろか、医者の診察さえなかったという。
 奥さんたちは慌てて蕨市から電車で品川の入国管理局に戻ったが、入管職員からは「営業時間は終わりました」と、チョラクさんとの面会を拒否した。
 奥さんが「救急車のお金を自分たちで払うので、旦那を病院に行かせてください」と嘆願したものの、職員は対応しなかった。

 午後7時20分、再びチョラクさんから奥さんに電話がかかり、「なぜ、外からも何もしてくれないのか」と訴えたところ、奥さんの友人が救急車を入国管理局に呼んだ。
 午後7時25分頃、救急車が到着。
 しかし入管職員は「看護師がいるから大丈夫、帰りなさい」といい、救急車は空のストレッチャーを乗せて帰ってしまった。
 しかしその後、入管職員は「看護師はいない」と奥さんに告げた。
 奥さんは「お願いですから、医者の診察をしてください」と懇願した。
 入管職員は奥さんに「明日医者が判断し、必要なら外の病院に行きます」に告げた。
 「責任者は誰ですか?」と奥さんが尋ねると、入管職員は「答えられません」としか答えなかった。

 その後、チョラクさんとは連絡がとれなくなった。
 入管の規則で、収容されている人が電話できるのは午後8時までだからだ。
 それ以降は外にいる家族とも電話ができなくなる。

 午後11時13分、2台目の救急車到着。
 奥さんによると119では対応してくれず、救急相談センターに電話をしたという。
 しかしその30分後、救急車はどこにも見当たらなかった。
 チョラクさんを支援する人たちが入管前に集まっていたが、彼らが気づかないうちに別の出口からいなくなってしまったようだ。
 その時、チョラクさんが搬送されたのかどうかもわからなかった。
 奥さんが、支援者たちと共に救急相談センターに確認したところ、チョラクさんを搬送していなかったことを知った。

 クルド人の仲間が訴える。

「日本のみなさんに迷惑はかけたくないです。入管が営業時間外なのもわかります。ただ、あれだけひどいチョラクさんの状態があって、病院に連れて行って欲しいだけなのです」

 3月13日午前2時ごろ、家族や支援者など、日本人、クルド人合わせて60人くらいが、入管の前に集まっていた。
 3月12日当日、入管にいた当直の医師は精神科のお医者さんだったという。
 救急車がそこまで来ているのに、緊急状態にある人が乗せさせてもらえない。
 病院に連れて行ってもらえない。
 迫害により国にも帰れないチョラクさんが、1年以上出られない入管の中で命を落としたら、日本政府はいったいどうするのか?

 2018年には、難民申請中だったカメルーン人が体調悪化にもかかわらず放置され、入国管理局に収容されたまま命を失った。
 男性が施設内で「死にそうだ」と声をあげ、もがき苦しんでいるのに7時間以上放置されたあげく死亡するという衝撃的な出来事だった。
 国家に守ってもらえず祖国を逃れて、せっかく命をつないだチョラクさんのような人たちが、また国家に殺されてしまう。

 いまメディアが取り上げないと、またなにも生かされない悲しい教訓が増えるだけだ。

 チョラクさんのように、何かしらの理由で日本での在留資格をもらえない人であっても、自由権規約第6条「生命に対する権利」は有しているはずだ。
 命の危険があるときに「あなたは日本に在留する資格がないので病院へは連れて行きません」と対応するのは、人権侵害に他ならない。
 一刻も早く、チョラクさんを病院に搬送してほしい。
 チョラクさんは普段、弱音を吐かない人だ。
 彼がダメだと言っているのだから、本当に危機的な状況なのだろう。
 
日本人のみなさん。
 私たちの国で、今起きていることを知ってくださってありがとう。
 もう一度、日本人も外国人も、被収容者であってもクルド人であっても、同じ人間であることに立ち返ってみませんか。
 もし、これが自分の旦那さんだったらと、考えてみてほしいのです。

 メディアのみなさん。
 これを書いている段階では、ひとつの英字メディア以外は、マスコミは現地にいないそうです。
 しかし、ツイッターでは、トレンド入り。
 かつてないほど多くの国民の注目を集めています。ジャーナリズムの力を、まだ彼らは信じています。

 弁護士の皆さん。特に、いつも闘ってらっしゃる難民弁護の弁護士以外のみなさん…。
 いくつかの現地からの情報にある通り、本当に「看護師の判断で救急車不要と言った」のであれば、そのような判断は、(お世話になっている弁護士さんによると)看護師ができるのがあくまで診療の補助であり(保健師助産師看護師法5条)、診察は医師の専権事項ということからすると、医師法違反が疑われる事態でもあります。
 2018年3月に法務省入国管理局は「被収容者の健康状態及び動静把握の徹底について(指示)」という以下の内容の通達を出しています。

「時間帯により看守責任者等が当該被収容者への対応を判断せざるを得ない場合は、 体温測定等の結果に異状が見られなくとも、 安易に重篤な症状にはないと判断せず、 ちゅうちょすることなく救急車の出動を要請すること」(以上、抜粋)

 今回のような事態は、これまで何度も繰り返されています。
 違法な状態が放置されている現状について、是非先生方のお立場から問題提起の声をあげていただき、あるいは、伝えるべき所に伝えていただけませんか?


[追記 3/13 17:50]
 3月13日午後1時すぎ、入管からチョラクさんへのご家族に対し、すでにチョラクさんが施設外の病院に搬送された、と説明がありました。
 同日行われた通常国会の法務委員会でも、佐々木聖子入国管理局長が個別の事案については回答しないと前置きしつつ、「一般論として当局が要請していない救急隊員には、事情を話して帰ってもらうことはありうる」と答弁しました。
 結果的にチョラクさんが搬送されたということは、報道や国会答弁の影響だと思います。
 今回、さまざまな政党の議員さんから法務省へ働きかけてくださりました。
 命に関わる非常事態、多くの方々が関心をもってくださり、議員の方々も動いてくださっています。
 仕組みが、制度が、変わりますように。


forbesjapan.com、2019/03/13 10:30
14カ月収容され、命の危機にあるクルド人男性。救急搬送を拒否した入国管理局の対応を問う
渡部清花
https://forbesjapan.com/articles/detail/26044/3/1/1

 朝鮮学校を高校無償化の対象から外したのは違法だとして、九州朝鮮中高級学校(北九州市八幡西区)の卒業生68人が国に計約750万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡地裁小倉支部(鈴木博裁判長)は2019年3月14日、「国の裁量権の範囲は逸脱していない」として請求を棄却した。
 原告側は控訴する方針。

 全国で起こされた5件の同種訴訟で、最後の一審判決。
 大阪地裁判決が唯一原告の請求を認めたが、大阪高裁で逆転敗訴しており、対象除外を適法とする司法判断がそろう形となった。

 原告側は、政治・外交的理由に基づいた処分で、在日朝鮮人社会への差別だと主張している。


[写真]
福岡地裁小倉支部が原告側の請求を棄却し、涙ぐむ九州朝鮮中高級学校の女子生徒ら=14日午後、北九州市

沖縄タイムス、2019年3月14日 18:03
無償化、朝鮮学校卒業生が敗訴
福岡地裁小倉支部

(共同通信)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/396373

いつまでこんなバカなことやってるんだ、日本人。
子どもを泣かせて恥ずかしいと思わないのか、日本人。
日本で教育を受けている子どもたちはみんな同じだろう。
何が「美しい国 日本」だ。
国籍や民族、体制の違いで子どもたちを公に大っぴらに差別する最も恥ずかしい醜い国、日本!
2:55 - 2019年3月15日

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CSIS とは、何か

 いやぁ〜、またまた日曜日だというのにビックリして腰抜かしてへたり込んでいたヤッホーくん。
 まずは、ヤッホーくんの以下のブログをお読みください:

2016年10月15日付け日記「稲田朋美防衛相」

 ……稲田朋美防衛相、2016年9月の南スーダン行きを中止しながらもアメリカには行き、そのアメリカ・ワシントンDCのシンクタンク、「戦略国際問題研究所(CSIS)」で講演した

2017年03月25日付け日記「水道民営化」
2018年07月10日付け日記「水道民営化」
2018年11月26日付け日記「日本の水道事業... 現在は国営、市営、町営...こういったものは全て民営化!」

 2013年4月19日、米ワシントンDCにある超党派シンクタンクCSIS(米戦略国際問題研究所)での講演で、麻生さんは「日本の水道を全て民営化します」と発言。

2017年10月29日付け日記「衆院選と台風一過のあと、いろいろ雑感」

 彼らに共通するのは、若手議員のころからCSIS(米戦略国際問題研究所)などの在米シンクタンクを頻繁に訪れ、アメリカの超党派知日派(ジャパンハンドラー)との交流に熱心だったことだ。
 リチャード・アーミテージやジョセフ・ナイ、マイケル・グリーンといった連中だ。
 集団的自衛権行使容認は彼らジャパンハンドラーの悲願だった。


 そう、CSIS って何?
 2012年9月29日付けの「櫻井ジャーナル」のブログを読んでみません?

 厚労省は社会福祉を破壊する姿勢を見せているが、これは強者総取りを理念とする新自由主義の基本方針であり、今後は庶民から高等教育を受ける権利を奪っていくことに

 厚生労働省は社会福祉を破壊する姿勢を鮮明にした。
 生活保護への支出を抑制するため、受給者の保護費支出状況を調べる福祉事務所の権限を強化、低収入、短時間の労働を強い、家族に扶養を押しつけようというのだ。

 こうした政策が出てきた切っ掛けをマスコミは「人気芸人の母親」のケースに求めているようだが、社会保障の切り下げ/放棄を推進するため、政策推進者が「人気芸人の母親」をキャンペーンに利用しただけの話。
 日本の支配層はTPPに執着していることを考えると、社会福祉を放棄するつもりだとしか思えない。

 生活保護の受給者が増えている主な原因は、不公正なシステムで富が一部に集中する仕組みを推進してきたことにある。
 日本の支配層は庶民を低賃金で使い捨てる対象としか見ず、適切な対価を支払わなくなっているのが現状で、1980年代から政府はそうした傾向が強まった。
 そのひとつの結果が非正規雇用の増大。
 特にひどかったのが小泉純一郎が総理大臣を務めた2001年から2006年にかけての時代だ。

 小泉政権の経済政策で中心的な存在だったのが竹中平蔵。
 不公正な社会システムを作り上げる上で中心的な役割を果たしたひとりである。
 このところマスコミが大々的に宣伝している「日本維新の会」では、次期衆院選候補を選定する委員会の委員長を務めているという。

 維新の会で中核メンバーのひとり、堺屋太一は小渕恵三内閣や森喜朗内閣で経済企画庁長官を務めた後、小泉政権で内閣特別参与に就任している。
 CIAと関係の深いCSISが企画、1996年にスタートしたプロジェクト「日米21世紀委員会」では委員長だった。(*)

 この委員会は1998年に報告書を発表、その中に日本が目指すべきだという方向が示されている。つまり、
(1) 小さく権力が集中しない政府(巨大資本に権力が集中する国)、
(2) 均一タイプの税金導入(累進課税を否定、消費税の依存度を高めることになる)、
(3) 教育の全面的な規制緩和と自由化(公教育の破壊)。

 このふたり(竹中平蔵、堺屋太一)に限らず、橋下徹を看板に掲げる維新の会は小泉純一郎色が濃い、つまり新自由主義をイデオロギーにしている。
 このイデオロギーでは、フリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンが「経済理論」の柱になっている。

 軍事クーデターで巨大資本の暴力、略奪に異を唱える人がいなくなったチリで新自由主義は初めて実践された。
 その結果、庶民は貧困化する。
 そうした現実を知った上で、マーガレット・サッチャー英首相、ロナルド・レーガン米大統領、中曽根康弘首相なども導入し、中国やロシアにも広がった。
 支配層にとってはありがたい仕組みだからだ。

 その結果、いずれの国でも貧富の差が拡大して社会の仕組みが揺らぎ、庶民が反撃を始めている。
 欧米、特に南ヨーロッパ諸国では庶民の抵抗が激しい。
 ロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークも厳しく批判されるようになった。
 このネットワークは金融と結びつき、多国籍企業や富裕層は資産を隠し、税金を回避、マネー・ロンダリングする仕掛けであり、経済を破壊する元凶とも言える。

 不公正な社会システム、つまり強者総取りの仕組みは、公教育の破壊がベースになっている。
 OECDの中でも日本は教育の破壊が進んでいる国で、児童教育に対する公的な負担が少ない。
 GDPに占める比率で比較すると、OECD31ヶ国の中で日本は27位。1位のアイスランドに比べると12%、OECDの平均に比べても23%にすぎない。

 教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈に言わせると、
「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になって」
いくそうで、教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門は、
「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」
と語っている。
「落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける」
のだという。(斎藤貴男著『機会不平等』)

 しかし、現実には「できる者」を伸ばせてもいない。
 親の収入で学歴、学校歴が決まるようになり、能力があっても能力を発揮できない環境になっているのだ。
 思考力のある若者は批判力もあるわけで、支配層としては扱いにくい存在。
 そこで排除の対象になってしまう。
 つまり、「権威」に従い、その教条を記憶することしか能がない人間が残ることになる。

 このところ、大手製造会社の研究者やエンジニアは異口同音に「最近の新入社員は使えない」とこぼしている。
 帳簿上のカネ勘定ばかりしている管理職はコスト削減に熱心で、中堅以上の研究者やエンジニアは疲弊、精神を病んで現場から離脱する人が少なくない。
 にもかかわらず、人員を補充してこなかった。
 そうした中、新入社員が使えないのは痛い。
 生産の現場は崩壊寸前ということだ。

 入学の難易度が最高ランクに位置している大学でも、優秀な学生はごく一部にすぎないため、各企業は中国やインドでの採用を増やそうとしているという。
 日本の教育水準がそれだけ下がっているということ。
 そうした意味でも日本と中国との関係悪化は日本企業にとって大きな傷手になる。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/?PageId=277&ctgy=0

(*)Alliance for the 21st Century、The Final Report of the U.S.–Japan 21st Century Committee(August 1998)
https://csis-prod.s3.amazonaws.com/s3fs-public/legacy_files/files/attachments/980801_21st_finalrpt.pdf

 このCSISになんとこの国が税金から寄付金を差し上げておりましたぁ〜
 その額なんと安倍内閣の6年間で3億円!:

 トランプ大統領におねだりされて戦闘機やミサイルなどを爆買いし、普天間返還の見通しも立たぬまま辺野古新基地建設を強行、そしてトランプのノーベル平和賞推挙……。
 ”対米隷属” が甚だしい安倍首相だが、ここにきて、さらなるえげつない “アメリカへの貢物” が判明した。
 あのジャパンハンドラーたちの巣窟である米シンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)に、日本政府が巨額の寄付金をつぎ込んでいたというのだ。

 3月14日付のしんぶん赤旗によれば、第二次安倍政権の2013年度からの6年間で、日本政府がCSISへ寄付した金額はなんと2億9900万円にのぼるという。
 共産党の宮本徹衆院議員の追及によって外務省が明らかにしたもので、外務省は「国際情勢に関する情報の収集および分析」「海外事情についての国内広報その他啓発のための措置および日本事情についての海外広報」などを寄付の理由にあげている。

 だが言うまもなく、寄付の原資は税金だ。
 国民の血税を米国の一民間シンクタンクに勝手に寄付するなんてことが許されるのか。

 しかも、問題は寄付した相手の正体だ。
 「戦略国際問題研究所」(CSIS)は前述したようにワシントンに本部を置く民間シンクタンクだが、アメリカの政財界の意向を受けて、日本をコントロールする “任務” を帯びた知日派「ジャパンハンドラー」の巣窟といわれているのだ。
 実際、このシンクタンクが、日本の政治家や官僚を「客員研究員」や「ゲスト」として大量に招き入れ、“親米保守” “米国の利害代弁者” に取り込んでいるのは有名な話。
 さらに、CSISの日本政府への影響力を象徴するのが、同研究所が定期的に発表するリチャード・リー・アーミテージ米元国務副長官とジョセフ・ナイ元米国防次官補による「アーミテージ・ナイレポート」だ。
 同報告書には日本の安全保障政策や諜報政策などのプロトプランが含まれており、日本政府はその提言のことごとくを実現してきた。

 たとえば2012年の第3次アーミテージ・ナイレポートでは、
〈平時から戦争まで、米軍と自衛隊が全面協力するための法制化を行うべきだ〉
〈集団的自衛権の禁止は日米同盟の障害だ〉
などとして、集団的自衛権の行使容認や自衛隊の活動を飛躍的に拡大させる安保法制策定が “指示” されていた。

 また、
〈日米間の機密情報を保護するため、防衛省の法的能力を向上させるべき〉
〈日本の防衛技術の輸出が米国の防衛産業にとって脅威となる時代ではなくなった〉
などとされている部分は、読んでの通り、安倍政権下での特定秘密保護法の成立や武器輸出三原則の見直しにつながっている。

 第3次報告書では、他にも、
〈原子力発電の慎重な再開が正しく責任ある第一歩だ〉
〈女性の職場進出が増大すれば、日本のGDPは著しく成長する〉
などとあり、第二次安倍政権は原発再稼働政策や「女性活躍推進法」によってこうした “対日要求” を叶えてきた。

 そんなところから、CSISとアーミテージ・ナイリポートが日本の政策をすべて決めているなどという陰謀論めいた見方さえ、ささやかれるようになった。

安倍政権下で寄付金が10倍以上! 安倍首相はCSISであいさつ

 つまり、こうした日本の対米従属を支えるシンクタンクに、安倍政権が3億円の巨額寄付をしていたのだ。
 しかも、あからさまなのが安倍政権下で寄付金額がどんどん増えていることだ。
 赤旗によると、2013年度に780万円、14年度の890万円だったものが、安保法制が国会で成立した15年に3432万円と爆上げ。翌16年度には8300万円とさらに増加し、17年度、18年度も8000万〜9000万円を維持している。
 5年間でなんと10倍も増加させているのだ。

 これはいったいどういうことなのか。
 実は、安倍首相は歴代首相のなかでも、このジャパンハンドラーのシンクタンクにもっともしっぽをふってきた総理大臣である。

 2012年の末、総選挙で自民党が政権に返り咲くと、安倍首相は翌2013年2月に訪米しているが、このとき、さっそくCSISでスピーチを行ない、アーミテージ氏らを前に
「申し上げます。日本もまた、厳しい財政制約の下にあります。けれども、わたくしは政府に命じ、国土防衛のため予算を増額するようにいたしました。長年月において初めてのことであります」
と自分の忠犬ぶりをアピールした。

 また、安倍首相は2015年4月の米議会演説で “安保法制をこの夏までに成立させます” と公言すると、同年7月9日にやはりCSIS主催のシンポジウムに出席し、
「米国の権威あるシンクタンクであるCSISが、日本国際問題研究所と一緒になって、世界の歴史に関してとても有益なシンポジウムを開催されると聞き、エールを送りにやってまいりました」
とうやうやしく挨拶をしている。

安倍首相とジャパンハンドラーの関係の裏に岸信介と日本財団

 2012年の第3次アーミテージ・ナイレポートにあった特定秘密保護法や武器輸出三原則撤廃、安保法制が安倍政権下で次々と実現されたことは前述したが、安倍首相自身がその時期、露骨な形でCSISと接触をもっていたというわけだ。
 そして、そのことと軌を一にするように、安倍政権はこのジャパンハンドラーのシンクタンクに巨額の寄付金を支払うようになり、その金額をどんどん増額させていった。

 この安倍首相の異常とも言えるCSISへの忠誠の背景には、祖父である岸信介の影響があるのではないかとも言われている。
 周知の通り、戦後日本の安全保障政策はアメリカの意向に左右されてきたが、米ソ冷戦構造においては、とりわけ1950年の朝鮮戦争開戦前後に米国は対日政策をガラリと転換していった(逆コース)。
 その流れのなか、米国によって “日本再武装化の旗手” として首相の座に押しあげられたのが岸信介だった。
 岸はCIAの工作員リストにも名前があがるなど、日本をコントロールしようとする米知日派と深い関係があった。
 安倍首相はその岸にならい、人脈を引き継ぐかたちで、このジャパンハンドラーのシンクタンクと関係を深めていったのではないか。
 そんな推測の声が聞こえてくるのだ。

 一方では、第二次安倍政権下でのCSISとの関係深化と寄付金急増の背景に、安倍首相の有力ブレーンである笹川陽平・日本財団会長の介在もささやかれている。
 というのも、CSISは日本財団傘下の東京財団と密接な関係にあり、2016年の2月にはCSISと笹川平和財団が共同で研究会を設立しているからだ。

 いずれにしても、この3億円にものぼる寄付金は、親米保守政権のケツ持ちへの “上納金” であることは間違いない。
 そして、安倍政権は今後も、このCSISのシナリオどおりに動いていくのだろう。

イージス・アショア購入も米国を守るためだった! CSISがレポートに明記

 昨年2018年10月、CSISは第4次アーミテージ・ナイレポートを発表しているが、この第4次報告書では、
・ 日米の基地共同運用の拡大、
・ 日米による共同統合任務部隊の創設、
・ 共同作戦計画の策定、
・ GDP1%以上の防衛費の支出
などが求められている。
 周知の通り、すでに安倍政権は毎年過去最高の防衛費を更新しているが、今後も、米国の要請どおりに日米の軍事一体化を進めていくのは火を見るより明らかだ。

 無論、CSISが提言する対日要求は米国の利益が第一だ。
 たとえば安倍政権が導入する地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の日本配備は、現在、秋田県と山口県で計画が進められているが、これは、米国の軍事拠点の防衛が目的だ。
 CSISは昨年5月に発表したレポートのなかで「(アショアは)米国本土を脅かすミサイルに対し、前方に配備されたレーダーの役割を果たしうる」としており、実際に、秋田市は北朝鮮とハワイを結ぶ直線上に、萩市はグアムを結ぶ直線上にそれぞれ位置している。

 トランプにすりよるだけでは飽き足らず、国民の血税を使ってジャパンハンドラーたちへ貢ぎ、その言いなりとなっている安倍政権。
 「自主憲法制定」などと勇ましく吠える連中がやっているのは、実のところアメリカの “奴隷” として日本の属国化を推し進めることにすぎない。
 安倍応援団が好んで使う “国賊” という言葉は、安倍政権にこそお似合いだということだろう。


リテラ、2019.03.17 12:09
安倍政権が3億円の寄付をした米シンクタンクの正体!

アーミテージレポートで日本属国化を進めるジャパンハンドラー

https://lite-ra.com/2019/03/post-4610_4.html

posted by fom_club at 19:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平成は対立が奪われていった時代

平成元年生まれの直木賞作家、朝井リョウ(*1)。
受賞作『何者』では、SNS時代における就職活動を描いた。
これまで、スクールカースト、サークル活動、アイドルの生活など、現代を表す作品を生み出してきた。
そんな彼が新たに描くのは「平成の苦悩」だ。


 「ナンバーワンよりオンリーワン」。こんな風に個性が重んじられる時代。
 安全面から組体操や棒倒しが運動会からなくなって、成績は順位が発表されなくなった時代。
 IT企業の社長もバイトに明け暮れる大学生も、ユニクロの服を着てコンビニで昼食をとる時代。
 直木賞作家、朝井リョウは平成を「個人間の対立をなくそうとしていった時代」と表現する。
 最新作『死にがいを求めて生きているの』(中央公論新社、2019年3月)には、平和が成立した時代に育った20代を中心に、学生団体に没頭する大学生、着飾ってしまうSNSのプロフィール、イライラしつつも見てしまうTweet……よくある風景の裏から人が狂っていく様が描かれる。

 争いはなくなればいい。きっと、どの時代の人も願ってきた。
 明日の食事に困るわけでもなく、キリキリとした競争もない。幸せじゃないか。

 でも、そこには新しい地獄がある。

 対立は本当に失われるべきなのか、それとも――

「あらゆることがただ繰り返されている日々の中で、何が生きがいになり得るのか」

就職活動には内定という終わりがあるが、人生にはゴールがない。
平和で争いのない時代、自動的に運ばれた毎日の先に何があるのだろう?
将来に対するぼんやりとした不安が人を駆り立てる――。
受賞作『何者』で、SNS時代における就職活動に奔走する大学生を描いた朝井。
新作『死にがいを求めて生きているの』でどんな物語を紡ぐのか。

 もともとこの企画は、小説家の伊坂幸太郎」(1971年生まれ)さんが「対立」をテーマに複数の小説家と原始から未来までの歴史物語をバトンリレーのように書こうとお声がけくださったものでした。
 私は、平成しか書けないな……という気持ちもあり、この時代を担当させてもらいました。
 大先輩を目の前に偉そうですよね。
 例えば、中世・近世を担当された天野純希(1979年生まれ)さんは源氏と平氏、信長と光秀などの対立関係を書く、昭和・近未来を担当された伊坂さんは昭和で嫁姑の対立関係を書く。
 そんな話を聞いていたのですが、「平成」で、となると、国をあげての対立も、時代を象徴するような個人間の対立も、なかなか思い浮かばなかったんです。
 自分でこの時代がいいと言ったけれど、悩んでしまいました。
 逆に、平成は対立が奪われていった時代だったのではないか?
 私は平成元年生まれ。
 対立について書くことが思い浮かばないと悩んだとき、初めてこう考え始めるようになりました。
 対立によって人が磨き上げられていくのではなく、自分の内なる個性が重要視されてきた世代なのかな、と。
 この作品『死にがいを求めて生きているの』を書いているとき、ある目上の方から「昭和は『男はこう、女はこう』というような、外部からの決めつけがたくさんあった。
 苦労や抑圧はあったけれど、問題意識を見つけやすいという意味では楽な部分もあった。
 逆に平成は決められたレールがないから、自分で自分のことを見つけないといけない。
 また別の苦しみがあるんだろうね」とお話をしてくださったんですけれど、本当にそう思います。
 「対立をなくそう」も「自分らしく」も、考え方はもちろん素晴らしいけれど、同時に、対立がなければ自分の存在を感じられない人の存在が炙り出される。
 自分らしさとは何か、自分とは何かということを自ら考え続けなければならないことによって、新しい地獄みたいなものも生まれる。
 それは、外部から決めつけられる痛みとは全く別の、勝手に自分を毒していく痛みというか、自分を内側から腐らせていくような感覚だと思うんです。

自分が持っているモノの幻感

「特別な誰か」になりたくて、ボランティア活動に勤しんだり、無人島に行く様をSNSで投稿したり。
そんな風に焦燥し、奔走する『死にがいを求めて生きているの』の各登場人物は、朝井自身を投影させたという。
大学在学中に小説家としてデビューした彼は、会社員として働きながら男性としては最年少で直木賞を受賞した。「特別な誰か」に違いない。
それでも平成に地獄を感じたのは、何故か?

 『黒子のバスケ』脅迫事件の犯人の渡邊博史受刑者(*2)の吐露に、秋葉原通り魔事件の加藤智大受刑者(*3)が回答した手記がとても印象的だったんです。
 あまりに理路整然としていて絶句しつつ、自分が普段考えていたことがそのまま言葉にされている、と感じました。
 渡邊受刑者は、夢破れたワーキングプアとして「極端な行動」や「対抗する存在」を作らないと社会との『つながりの糸』が持てない切迫感があった、と話していました。
 つまり、『黒子のバスケ』の原作者を脅迫していたのは、原作者を傷つけるためではなく、自分が生きていくためだった、と。
 でも、逮捕されたことでそれすら失われてしまい「出所後、どう生きていけばいいのかわからない。多分自殺すると思う」というようなことを述べていたんです。
 これに加藤受刑者は「あなたは人を殺さずして有名な犯罪者になれたのだから、その肩書きを活かして犯罪者心理の真実を世の中に伝えていく、というようなことをすればいいのではないか。犯人という肩書きは、一生消えることのない『つながりの糸』なのだから」というようなアンサーを返していました。
 読みながら、返す言葉がないというか、自分の中にある“あえて言葉にしないようにしていた考え”みたいなものをそのまま言葉にされたような感覚がありました。
 同時に、私にとっての『つながりの糸』はきっと小説で、それがなかったら何に『つながりの糸』を託していたのだろう、と考えました。
 他者を傷つける行為に走らなかった、とは全く言えないなと。

 そして、こういった自分と社会との繋がりについて考え続けた結果、他者を傷つける行為に走る人って、男性が多いんですよね。
 そのことも、自分と彼らは何も違わないという気持ちをより強くしています。
 このあたりの考えは今回の小説にかなり反映されています。

 『つながりの糸』を求める気持ち自体はおかしなことではないのに、どこかでズレていってしまうのはなぜなのか。
 小説の中では、どちらに振り分けるでもなく、いろいろな例を書いたつもりです。

 現実でも、例えば、大学のレポートを求められてもいないのに英語で提出するとか、社会に対して熱く語り合う仲間を求めてシェアハウスに入り浸るとか、無人島で過ごした経験を高々と掲げるとか、大小さまざまなことに対して『つながりの糸』を求める気持ちを敏感に読み取ってしまう癖があります。

 私にとっての『つながりの糸』への執着は小説を書いていることなんですよね。
 それは子どものころからずっとそう。
 小説を書くことが好きな気持ちと同様に、「小説書いている子どもってすごくない?」みたいな気持ちも絶対にあった。
 虚栄心がすごく強いんですよ。

 投稿する賞、選考委員の面々、タイミング。
 何か一つでも違っていたら、今の状態はない。
 ものすごく幸運が重なって小説家としてデビューできただけで、表現欲と莫大な虚栄心だけ抱き続けていたらどうなっていたのか想像するのも怖いです。
 ただ、私が私でなかったら、今の私の発言を読んで「そんなこと言ったって直木賞とかとってるじゃないか」みたいに思うんですよね。
 でも、小説は人によって評価が揺らぐものであり、絶対的な物差しがない。
 どんな賞だって、一時的で個人的な評価をいただいただけ。
 『何者』を書いたのが40歳の作者だったとしたら、どんな選考になっていたんだろう、とか考えると止まらなくなります。

 常に自分に疑いがあるんです。
 世界共通の物差しがあって、実力が明確にわかる分野の住人だったら、もっと自分のことを信じられるるのかな、と思います。
 医者として〇人の命を救ったとか、アスリートとして世界〇位の記録保持者だ、とか。
 何かしていないと不安になる。
 何もない人生への焦燥……。

 小説を書きながら無能感を抱くことがすごく多い。
 だって、道で倒れている人に小説は差し出さないから。
 私は当初、会社員をやりながら小説を書いていたのですが、とにかく時間のない生活の中で最初に削ったのが読書の時間でした。
 なので最近は、「誰かのため」という気持ちを起点にしないようにしています。
 誰かのために役に立ちたいなら、それこそ医者か、衣食住を直接支えられる農家などを目指した方がいい。

 じゃあ、なぜ小説を書いているのか、というと……。
 もちろん純粋に書くのが好きだからという気持ちが土台にありますが、言葉の選択肢を得たいから、だと思います。
 いま、人は言葉でしか他人とコミュニケーションが取れないですよね。
 今後画像や音をそのまま共有できるようになるかもしれないけれど、今は言葉でしかやりとりができない。
 それってつまり、本当は言葉で表現することができないものも、無理やり言葉というものに当てはめているってことだと思うんです。
 例えば、アルコールを摂取していい状態であることを表す言葉が「二十歳」って、おかしくないですか。
 少年法でいう責任能力だって、「十八歳」という言葉で無理やり線引きしてますけど、本来そこで線引きできないはずです。
 95歳の親を看ていた75歳が老々介護の果てにその親を殺したとして、当てはまる言葉は「殺人」なのかな、とか。

 とにかく、世の中にあふれる感情や現象に対して、言葉が足りてないな、と感じます。
 だから、言葉でしかコミュニケーションを取れない以上は、言葉の選択肢はできるだけ多く持っていた方がいいと思うんです。
 自分はそれを小説から受け取っている感覚があるから、物語を書いて生きている自分をかろうじて許せているのかもしれません。
 「黒と白の間を何通りの言葉で表現できるか?」みたいなことが大切だと思うんです。
 その中で新たな言葉の選択肢を見つけた時は、非常に嬉しい。
 でも、それを映画や漫画やゲームや、本以外のいろんなものから受け取る人もたくさんいますよね。
 だから、小説が一番、とかも思えないんです。
 だから、自分の存在は常に怪しい。疑いの目が常にある。

スペシャルな経験がないのに「自分らしさ」なんて見つけられるのか

平成は絶対的な物差しがなく、誰にでもチャンスがある時代。
それは「持っているモノ」ですら不安定な時代とも言える。
物語と自身が交錯するように、朝井も「自分らしさ」の地獄にいた。
作家として「スペシャルな経験がないことがコンプレックスだった」と話す彼だが、最近ある言葉に出会った。

 私は「リア充爆発しろ」(*4)みたいな感覚がないんです。
 そもそも「不幸な経験がある人こそ創作者に向いている」ということも信じていないし、その創作者の不幸合戦って不毛だと思っています。
 不幸ゆえの反逆心は、創作の上で一瞬は光ると思うんですけど、不幸合戦の先って究極「死」なんですよね。
 「いい作品を書くためには死んだ方がいい」って、おかしいじゃないですか。
 自分には最大公約数だという自覚が強くあります。
 浜崎あゆみ(*5)を聴いてしっかり感動し、地方の公立でそれなりに楽しく過ごし、特殊な趣味などもありません。
 だから「大発見」のある物語を書くことは目指さないようにしています。
 『死にがいを求めて生きているの』も、平成のアイテムや言葉を使って、これまで散々書かれてきたようなことを書き直しているんだと思います。
 たとえば80年前に書かれた中島敦(1909 - 1942)の短編小説『山月記』は、勝手に、とても似たものを感じていたりします。
 大発見のある物語を書くことのできる小説家の存在が、ずっとコンプレックスでした。
 でも、それをある先輩作家に相談したら「大発見もなしに、細々としたズレみたいなもので1冊の物語を書けるのは長所なんじゃないの。そこを伸ばせばいいんじゃないの」とアドバイスをいただいて、開き直った部分はあります。

「物語で大事なのは、物じゃなくて語りの方だ」

 最近読んだ藤田祥平(1991年生まれ)さんの小説にこんな言葉が出てきて、すごく印象的でした。
 自分はスペシャルな経験を持っていないのだから、なんてことない「物」を「語り」で成立させていこう、そういう気持ちになりました。
 総理大臣になったから、死の淵を見たから、いい物語が書けるわけではない。
 どんなモノも語りによって物語になる。

物差しがない時代、対立のない毎日。
自分が誰なのかわからなくなるのは当然なのかもしれない。
しかし、平成元年生まれの小説家は、先輩に相談したり、誰かの小説で言葉を見つけたり「特別ではない方法」で少しずつ前に進んでいる。

 「それしか考えなくていい状態」ってすごくデトックス(detoxification の略。解毒・浄化の意)(*6)になると思うんです。
 小説の中ではカルト的なもの、学生運動的なものを、「それしか考えなくていい状態」の例として書いたのですが、私自身、会社員時代がそうだったと思います。
 降ってくる仕事に応えることに精いっぱいで、毎日とにかく必死で、「この仕事は社会にとって何のためになるの?」なんて一切考えなくてよかったんです。
 でも、いざ専業作家になると「なぜ今この物語を書くのか」とか「小説を書いても人は救えないな」とか、考える時間がいっぱいある。
 作家の自殺が多い理由って納得できてしまう。
 平井堅さんの『ノンフィクション』に出てくる「惰性で見てたテレビ消すみたいに生きることを時々やめたくなる」という歌詞に共感するぐらいに(*7)。
 たぶん、自分の意味とか仕事の価値とかって、根詰めて考えちゃいけないんですよね。

 私は、バレーボールが好きなので、都内の体育館によく行くのですが、その時は「ボールを落とさない」ということだけを考えるので、精神的にとても健康だなと感じます。
 子どもを産んだ友人は、何よりも自分について考える時間が減ったと話していて、それによって助けられている部分も確かにあると言っていました。
 自分が面倒を見ないと死んでしまう生き物がいるという環境は、自分についての考え事を否応なく減らしてくれるんですよね。
 どこにも物差しがなくて自分で自分を見つけなければならないからこそ、何も考えなくてもいい時間……がありがたいんだと思います。

 小説の最後のほうは、そういうものを一切見つけられない、自分のことを考え続けることをどうしたってやめられない気持ちをどうすれば自分や他者への攻撃へすり替えずに済むのか、とても考えながら書きました。
 書きながら、今の自分の最上級を尽くしたつもりでも、やっぱり言葉の選択肢がまだまだ足りてないな、と、実感しました。

バズフィード・ジャパン、2019/03/16 10:31
「ナンバーワンよりオンリーワン」

素晴らしい個性の時代は、新しい地獄をもたらした

(嘉島唯 Yui Kashima、バズフィード・ジャパン スタッフライター)
https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/ryo-asai

(*1) 朝井リョウ(あさい・りょう
1989年岐阜県生まれ。2009年早稲田大学在学中に『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2013年『何者』(新潮社、2012年11月、新潮文庫)で第148回直木賞受賞。同賞史上初の平成生まれの受賞者となった。

(*2)篠田博之(月刊『創』編集長)「黒子のバスケ」脅迫事件で服役中の渡邊受刑者に面会した(Yahoo! Japan News、2016/5/3(火) 21:20)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20160503-00057344/

(*3)篠田博之(月刊『創』編集長)平成最後の元旦に男が原宿で無差別殺傷を狙った事件の気になるその後(Yahoo! Japan News、2019/1/31(木) 14:22)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190131-00113135/

(*4)漫画家・コラムニスト、カレー沢 薫 KAORU CURRY ZAWA「非リア充」とは「非リアルで充実した人」である。このたび『非リア王』(講談社文庫)という本を出版した。(Yahoo! Japan News、2019/2/16(土) 11:01)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190216-00059914-gendaibiz-bus_all

(*5)浜崎あゆみ(1978年生まれ)
いいなCM パナソニック ルミックス 浜崎あゆみ 「春の新作」篇
https://www.youtube.com/watch?v=dtL3cKBP3bE

NIKKEI Style 原点はQVー10 平成デジカメ、競争の末消えた個性派(Yahoo! Japan News、2019/3/15(金) 10:12)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190315-00000008-nikkeisty-life&p=1

(*6)日経BPヒット総合研究所・西沢邦浩「デトックスにブーム再来? 科学的根拠が後押し」(2017/2/9)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO12484490T00C17A2000000/

(*7)日曜劇場『小さな巨人』(2017年4月16日から6月18日まで放送)ドラマ主題歌
描いた夢は叶わないことの方が多い
優れた人を羨んでは自分が嫌になる

浅い眠りに押しつぶされそうな夜もある
優しい隣人が陰で牙を剥いていたり

惰性で見てたテレビ消すみたいに
生きることを時々やめたくなる

人生は苦痛ですか? 成功が全てですか?
僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ
みすぼらしくていいから 欲まみれでもいいから
僕はあなたの あなたの 本当を知りたいから
響き消える笑い声 一人歩く曇り道
僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ

何のため生きてますか? 誰のため生きれますか?
僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ
人生を恨みますか? 悲しみはキライですか?
僕はあなたの あなたの 本当を知りたいから
秘密 涙 ひとり雨 目覚めたら襲う不安
僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ
信じたいウソ 効かないクスリ 帰れないサヨナラ
叫べ 叫べ 叫べ
会いたいだけ


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2019年03月16日

冬剱雪黒部

 装備や食料をできるだけ持たずに、山に登ってみることにした。
 サバイバル登山と名付けたその登山は、いまでは私の活動の中心になっている。
 そんな活動を始めたきっかけのひとつがフリークライミングだったことを前回述べた。
 もう一つ、カギとなった経験が、1996年にカラコルムのK2(8611メートル)を登りに行ったときのポーターたちとの出会いである。

 K2はパキスタンの北部、ヒマラヤ山脈の西端に聳(そび)えている。
 登山基地となる麓のベースキャンプ(標高5000メートル)は、車道の終点から徒歩で1週間(歩行時間50時間強)ほどのところにある。
 8000メートル峰の登山はルート工作や高度順応などを含めて、2ヶ月弱かかる。
 その期間、ベースキャンプに滞在するためのテントや食料、燃料、ルートを工作する物資を運ばなくてはならない。

 登山隊は隊員18人の大所帯だったので、ベースキャンプに運ぶ物資は6トンを超えていた。
 ひとりのポーターが運ぶ荷物の重さの上限は20キロ、1日の歩行時間は最長8時間。
 パキスタン政府が決めた規定である。
 我々は300人以上のポーターを雇って、車道の終点からK2のベースキャンプへのキャラバンを開始した。

 荷物の番号とポーターの名前をチェックしたあと、ポーターたちはおのおの担当の荷物を背負って、集積地からヒマラヤの谷の奥へ出発して行く。
 キャラバンの行列は壮観で、文字通り「遠征」と言った風景だった。
 当時26歳だった私はそれまでキャラバンが必要な登山をしたことがなかった。
 登山とはすべての生活物資や登攀(とうはん)道具を自分の背中に背負っているからこそ、自由で安全でおもしろいと思っていた。
 だから、自分の登山に必要な食料や装備を他人に運んでもらうというのは、違和感があった。
 厳しく評価するなら、これは登山とは言わないのではないか。

 日本で登山をする場合、登山口まで公共交通機関で荷物を運ぶことができる。
 ヒマラヤでは、ポーターを公共交通機関と考えればいい、仲間の1人はそんなことを言った。
 ポーターも仕事に対する賃金に納得して荷物を運んでいる。
 どちらかと言うと荷物(仕事=現金)を取り合うようにしているほどだ。

 もし20キログラムの荷物を8時間(20キロメートル強)徒歩で運ぶアルバイトがあったら、いくらだったらやるだろうか。
 標高は3000から5000メートルの高所、落石を受けたり、川で流されたりする危険もある。
 日本だったら日当は1万円以上になるはずだ。
 1万円で300人を7日間雇ったら2100万円。
 登山隊にそんな資金はない。

 パキスタンのポーターのギャランティは政府の規定で決まっていた。
 当時日約400円。
 合意の上の雇用関係とはいっても、登山隊がポーターを雇えるのは、パキスタンの人件費が日本と比べて格段に安いためだった。
 それは別の見方をすれば、我々のK2登山が成り立つのは、日本とパキスタンに大きな経済格差があるからといえた。

 ポーターの目に自分はどう映っているのだろうか。
 小ぎれいな格好をした異国の若者が自分たちの村の奥にある山を登りにくる。
 複数の村から村人を300人雇って、登山に必要な物資をベースキャンプまで運ばせ、バルトロ氷河奥へ向かいながら、自分とポーターたちの違いを考えていた。


日本経済新聞、2018/7/14 14:00
素登りへの道程 1
服部文祥
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32425540Z20C18A6FBB000/

 1996年、26歳でカラコルムのK2に登頂した私は、帰国してまず、黒部横断という日本独自の登山に目を付けた。

 南に穂高岳、槍ケ岳という3000メートル峰が聳(そび)える飛騨山脈は、真ん中で黒部川によって縦に分断され、立山、剱(つるぎ)岳、薬師岳などを連ねる西側の立山連峰と、白馬岳、鹿島槍ケ岳、五竜岳などを連ねる東側の後立山連峰の2つに分かれ、黒部源流を底辺にした「U字型」の大山脈になる。

 このU字型大山脈をわざわざ横切るように登ったり下りたりする冬山登山が、黒部横断と呼ばれるものだ。
 鹿島槍ケ岳や五竜岳に登って、そのまま黒部川に下り、黒部別山や剱大滝周辺の岩壁を登って、剱岳の東面に出て、さらにその剱岳に登って、富山に下りる。
 山深い黒部には、まだ誰も冬に登っていない岩稜(がんりょう)や岩壁が残っており、誰も見たことがない風景のなかで、初登攀(とうはん)の興奮と喜びを感じることができる日本の秘境といっていいエリアだった。

 地理的な空白部分とはいえないが、黒部や剱岳に未踏のルートが残されていたのは、剱黒部周辺が極端な豪雪地帯だったからだ。
 低気圧の通過にあわせて、モンゴル付近に高気圧が張り出す冬期特有の西高東低の気圧配置になれば、西の高気圧から東の低気圧に吹き込む風は日本海を流れる対馬暖流の湿った空気を取り込んで剱・立山に直接ぶつかり、豪雪となる。
 猛吹雪は長いときには一週間続き、また次の低気圧が来て、同じことをくり返す。

 そんな冬剱雪黒部を好んで登っていたのが和田城志(というオッサン)だった。
 和田の豪快な登山記録や刺激的な発言を山岳雑誌で読んで、山ヤとしての魅力を強く感じていた私は、インタビューにかこつけて和田に会いに行った。
 それは、K2から帰国後、縁があって「岳人」という山岳雑誌の編集部に潜り込んだ私の最初の仕事だった。

 本格的な冬山到来を前に、「冬山の工夫」を聞きに行くというのを体裁に、和田が暮らす大阪に行った。
「冬山の工夫? そんなんないで」と開口一番、和田は言った。

冬山とは小手先で登るものではなく、ハートで登るものなんや

 矛盾をはらんだ自分の登山や存在に悩んでいた私の胸に、和田の言葉はまっすぐにつき刺さった。
 冬の黒部、剱では高性能な最新装備で身を固め、軽量でおいしい乾燥食品で食生活を豊かにする。
 一見それは、自分の力で登ろうとするフリークライミングとは違うように見える。
 後に私がはじめる自給自足のサバイバル登山とも考え方が逆に思える。

 だが冬剱雪黒部は、登山の理想型のひとつだった。
 豪雪によって原始の姿に戻った山では、たとえ高性能なヤッケで身を包み、チタンのアイゼンを駆使しても、生身の人間が大自然とまみえるフリークライミング的な登山ができるのだ。
 そこでは豪雪によって人間がフェアな振る舞いを強いられているといってもいい。

 その冬、和田とともに、冬の黒部剱に向かった私はそこで、一晩で雪が1メートルも積もるでたらめで強力な環境に翻弄されながら、それでも登り、なんとか生き残るという、登山の本質にふれた。
 それは少し形を変え、生身で原始の山と向き合うというサバイバル登山思想の柱のひとつになっていく。


日本経済新聞、2018/7/28 14:00
冬剱雪黒部
服部文祥
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32493960S8A700C1FBB000/

 自分の力にこだわって、装備を少なくするほどに意識されるのが、自分の身体である。
 現代日本では、都会でも田舎でも、あまり体を酷使しなくても暮らしていける。
 私も、少し街にいる時間が続いて、久しぶりに山に行くと筋肉痛になる。

 鉄道、道路、車輪、発動機などの文明施設や文明品は人類の移動能力を高めた。
 交通機関の発達は(裕福な国の)個人が世界中の山に登れるようになった、という意味で(少なくとも私にとって)福音だが、人間の移動能力は高まった分、それに伴う経験や感情は薄まったのではないかと感じる。
 山ではきっちり自分の身体能力分しか移動できない。
 よい道があれば1時間で4キロ。
 道がなければその半分以下。
 機械は燃料さえあれば長時間動くが、肉体はそうではない。

 速く歩いても、ゆっくり歩いても、一日に歩ける距離はおおよそ決まっていて、長期の旅ではたとえば天気がいいからと無理して長く歩いても、結局翌日以降に疲労感としてシワよせが来て、トータルの出来高は同じになる。
 これは仕事にも当てはまるらしく、残業をしても翌日の能率が落ちるので、トータルすると出来高は変わらない、という調査結果がアメリカにある、とどこかに書いてあった(だから残業はやめましょう)。

 アルコールを摂取してひとときはしゃぐのも同じで、翌日のエネルギーを前借りしているだけらしい。
 というわけで、私は残業もしないし、飲み会もほとんど参加しない。

 無理して長時間行動をしても、山旅トータルでは意味がないだけでなく、疲れがたまってくると登山は面白くなくなるし、集中力が切れたり、筋肉にバネがなくなって動きが鈍くなったり危険になる。

 この距離と疲労のアルゴリズムは、すこし組み替えるとそのまま荷物の重量にも当てはまる。
 潤沢な装備と食糧は、山での快適な生活を可能にし、疲労の回復を図れるが、あまりに重ければ運ぶのが大変で登山にならない。
 山旅で運べる荷物の限界重量は(余計な脂肪が身体に付いていないとして)体重の3分の1くらいである。
 それ以上の荷を背負って旅するのはかなり苦しい。
 逆に何も荷物がなければ、自分が持っている身体能力のすべてを発揮することができる。
 空身なら20キロの荷物を持っている自分の倍近いスピードで、倍近い時間動ける。
 荷物を持ったら1泊2日のコースが軽い1日コースになる。

 特に登攀(とはん)の場合は垂直方向の動きなので、荷物が直接影響し、空身なら登れるところが、荷があるので登れないということが起こる。
 そういう地理的な障害に行き当たったら、ザックにロープを結び、ロープを引っぱりながら空身で登って、荷上げする。
 荷物は登山者のバランスを乱すので、ちょっと転んだり、小さく滑落したりしたときも、ダメージが大きい。
 危険を感じたら荷上げ荷下ろしはいとわないというのは、山旅のコツである。

 空身になることで、アップする身体能力の幅はかなり大きく、いざとなったらすべての装備を捨てて空荷で逃げ帰ってしまえばいいという自信があれば、山奥にいても精神的に潰されることが少ない。
 日本の山は8時間も歩けば人里に出られる。
 人間社会に逃げ込むことを想定するのは自力を求めるサバイバル登山の思想とは矛盾する考え方だが、現実的なところだ。


日本経済新聞、2018/10/6 14:00
サバイバル登山と移動
服部文祥
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35870320Y8A920C1FBB000/

 山で自力移動していると、自分の身体を基盤にして空間を捉えるようになり、その結果、街の生活で広く薄くなっていた距離感が自分に戻ってくる。
 自分という有機的な装置の性能や特性や限界を感じて考えるようになって、自分の命の輪郭がはっきりする。

 技術、経験、知識、装備、体力。登山は人間活動の縮図であり、必要とされる要素はたくさんある。
 なかでも何がいちばん重要かと問われたら「体力」である。
 身もふたもないが、正直なところだ。
 心技体がバランスよく充実しているのが理想だが、知識や装備で、体力をカバーするのは実際のところ難しい。

 一方、体力は他のことをカバーすることができる。
 ゆっくり丁寧にやる、何度もやる、長時間がんばるなど、先週の移動と体力の話とは矛盾するようだが、体力は他の分野を、文字通り力技で補うことができる。

 山で自分のイメージ通り体が動くように、日ごろから私はトレーニングをしている。
 といっても特別なことをするわけではなく、歩ける範囲に行く時は自分で歩く(もしくはジョギング)、エレベーターやエスカレーターはできるだけ使わないというのが基本である。
 移動や生活をできるだけ文明に頼らず、自分の体を動かすことで解決する。
 そこからサバイバル登山は始まっている。

「高所恐怖症なので山登りはできません」という意見をよく聞く。
 たしかに私の登山でも、落っこちたら死んでしまうような場所に、なんとかへばりついて登っていくこともある。

 高いところが怖いというのは、飛べない生き物共通の感覚だろう。
 クライマーが落ちる恐怖に鈍感なわけではない。
 どちらかといえば、自分の破壊強度や高度感に関しては敏感である。

 恐怖とはセンサーである。生き残るためのセンサーだ。
 怖いときは、危険が迫っているときであり、それを感じなければ本当に死んでしまう。
 高いところが怖くても、クライマーは岩を登る。
 自分の登攀(とはん)能力とそのときの状況、ロープによる確保のシステムの長所短所をきちんと理解しているので、闇雲に怖がることがないだけだ。
 想定内の失敗は安全の圏内であることが分かっていれば恐怖で体が縮こまることはない。
 さらには自分の状態と周辺の状況を的確に分析して、自分が十分安全に登れると確信できれば、登攀に集中できる。

 ただ、余裕をもった登攀を繰り返すだけでは、登山者として成長はできない。
 だからクライマーは、自分にできるかできないかギリギリのところに挑戦してしまう。
 高いところが怖くない本当の理由は、恐怖より「いまの自分を越えたい」という欲望の方が強いからかもしれない。

 登山では、登れるか登れないか不確定なルートにチャレンジし、自分の能力を総動員して、なんとか登って無事に下りてこられたときが、もっとも面白い。
 自分にもできるということを、自分で自分に証明する。
 それは確かな経験として自分の中に残り、経験以前の自分とは違うということが実感できる。
 自分がなにかひとつ深まったという手応えは、大きな快感であり、これが登山の魅力なのではないかと私は思っている。

 グレードアップを求めなければそのままである。
 求めて希望が叶(かな)えば快感がある。
 だが求めすぎると破滅する。
 このバランスはなかなか難しい。


日本経済新聞、2018/10/13 14:00
サバイバル登山と移動 2
服部文祥
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36181170V01C18A0FBB000/

posted by fom_club at 22:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

服部文祥は、誰か

 あれはいつ?和田城志は、誰か?を日記にしたのは・・・
 今日は服部文祥は、誰か?を日記にするってヤッホーくん
 あれはいつ?服部文祥を日記に綴ったことがあった・・・

 ヤッホーくんのこのブログ、2011年06月21日付け日記「東京新聞フォーラム」をぜひとも読んでもらいたいんだって・・・

服部文洋(はっとり・ぶんしょう)
登山家。作家。山岳雑誌『岳人』編集者。1969年横浜生まれ。94年東京都立大学卒。オールラウンドに高いレベルで登山を実践し、96年に世界第2位の高峰K2(8611m)登頂。国内では剱岳八ッ峰北面、黒部別山東面などに冬期初登攀(とうはん)が数本ある。99年から長期山行に装備と食料を極力持ち込まず、食料を現地調達する「サバイバル登山」を始める。2016年に第5回「梅棹忠夫・山と探検文学賞」受賞。2018年に「三島由紀夫賞」候補。

― 最近「サバイバル登山」は行きましたか?

服部: この間は電気製品を使ったので厳密には「サバイバル登山」のルールから外れるけど、写真家の石川竜一くんと北海道の山に登りました。
 そこで石川くんが、狩猟で獲ったシカの頭をふたつ持って帰るって、空港に生と腐りかけのものを持ち込んだんだけど、乗り継ぎの大阪の空港で引っ掛かっちゃったらしい(石川竜一氏は沖縄在住)。

― 大阪までは行けたんですね。

服部: 大阪からは佐川で自宅に頭を送ったみたい。

― 腐ったシカの頭も送れるんですか。匂いがもれそうですけど。

服部: 乾いてたから大丈夫じゃない? あとで「無事に沖縄に頭ふたつ着きました」って連絡がありました。

― 今回の登山で新しい発見はありましたか?

服部: やっぱりシカの脳みそと目玉はうまい、の再確認。あとは腹子(ハラコ)。
 鉄砲撃ちが表に出さない食べ物はおいしいですよ。
 われわれにとっては当たり前でも、世の中に出すとギョッとされるというのは何でなんですかね。
 最近は漫画の「ゴールデンカムイ」のおかげで、うまいゲテものもドン引きされることが少なくなった気がするけど。

― それでもまだ「気持ち悪い」っていう人もいます。

服部: そうですね。まあ、鉄砲撃ちでも肉以外は食べないという人も多い。
 理屈で考えれば可食部位は全て食べたほうが良いに決まってるんだけど、不気味に思う人の気持ちも分かる。
 最近は「真実を知りたい」って猟に同行して獲物をさばく様子を見たがる人も増えました。
 でもその後に猟師の免許を取ったって人はひとりもいないですね。

■「うちの次男ね、高校辞めたんです

― 働くまでのルーツとしての服部さんの生い立ちを教えていただけますか。

服部: うちの親は昔の安保世代で、どちらかというと「共産主義者」でした。
 母親はちょっと絵を描く人で「最高の人間は芸術家なんだ」って人だった。
 子どもの頃は母親の影響もあって「自分も芸術家になりたい」という思いはありましたね。
 ただ、僕は絵の才能はなかったので、表現の方法として山登りを選びました。
 自分にクリエイターとしてのダイレクトな才能がないから「まずは自分を高めよう」と山登りを始めたわけです。

― 大学では山登りに明け暮れて、そこから一応、一般的な企業に就職しようと考えたんですよね?

服部: うん。そこが僕の限界ですね。
 「社会人というのは大きな会社、上場している企業に就職して、平日は毎日会社に通うものなんだ。それがまともなんだ」っていう価値観を蹴飛ばすことができなかった。
 そうした考えを社会から強く叩き込まれていたから。

― 働き方の選択は、教育が大きく影響してしまうと思います。

服部: うちの次男ね、今日もあっちにいますけど、高校辞めたんです。
 「俺、辞めたいんだけど」って言われたとき、僕は「自分で決めたんならいいよ」って答えました。
 同世代の親なら「よくそんな無責任なことが言えるな」って思うかもしれない。
 でも、自分の子どもを平均的なレールに乗せたい理由を、親は一度考えたほうがいいですよね。
 それを考えず「大学に行ったほうがいいんだ!」「企業に就職しなさい!」「安定的な生活をしなさい!」って勧めるのは無責任だと思う。
 僕からすると、最終的な目標を考えないで生きるほうがよっぽど怖い。
 次男はそこにどうやら気付いて行動した。すごいですよ。
 いい高校、いい大学に行って、いい企業に勤める。その価値が本当に良いことなのかどうかは、今かなり多くの人たちが疑問に思っていますよね。
 「生きるってなに?」「幸せってなに?」「働くってなんだ?」「生物ってなんだ?」って根本的なことを、みんなが考え始めた。

― そうした意識の変化に社会の仕組みが追い付いていない部分もあります。

服部: 社会をつくってきた人たちって、成功してカネ持ちになった人たちだから。
 「カネもうけに意味はない」とは思えないですよね。
 客観的な視点や根本的な疑問がなければ、自分の「成功例」をベースに、自分の子どもにも似たような道を勧めるのは当然でしょう。


― 逆に進む答えがはっきりしていれば、平均的な進学や就職にこだわる必要はないと。

服部: 高校、大学に行って就職すれば、多少リスクは低いかもしれない。
 でもその程度ですよね。
 そっちを取って本当にやりたいことを捨てる意味をどこまで考えているのか。
 僕自身は、はっきりと何がやりたいっていうのがないまま大学に行った人間だから強くは言えません。
 でも山登りに出会って、文字表現の世界にも多少はなじんできたつもりです。

― 好きな仕事を選ぶと不安定になることもしばしば。大げさにいえば「死」に近付きます。サバイバル登山で常に死と向き合ってきた服部さんから見て、そのあたりはどう感じますか?

服部: 「死ぬってことは、生きているから死ぬ」わけです。
 じゃあ、本当に生きているのかを死に近付いて検証する必要がある。
 ある程度まで納得できる人生を歩めなかったら、それはもう死んでるのと同じじゃないのかな、って僕は学生の頃に考えてました。
 「そんなことしたら死んじゃうよ」ってえらそうにアドバイスする大人もいたけど「じゃあ、アンタたち生きてんの?」っていつも思ってた。常に死んでいるような人生なら、それは生きていることにはならない。
 最近思っているのが「死ぬのは本当に悪いことなのか」ということ。
 もちろん死にたくはないですよね。
 だけど、かたくなに否定するのはどうなんですかね。
 さらに誤解を恐れず言うなら、ひとりの人間の命は地球より重いって言葉はウソですよ。そんなことあるわけない。

「自分らしく生きる」覚悟

― 死というリスクを恐れる気持ちが、結果としてレールに乗る人生を選ぶのでしょうか。

服部: あとは結局、カネなんじゃないかな、と僕は思いますけど。

― カネ。

服部: みんなが「自分のやりたいことをやります。もうからなくても生活できればいい」「残業なんかしたくない。私は9時5時でしか働きません」と言い出したら、国が安定しなくなって停滞も起こる。
 これまで国は「便利でカネがあることがいいこと」と提唱してきたでしょう。
 みんなが自分らしく生きはじめたら、そりゃ国は慌てますよ。国力が落ちるんだから。
 それに、みんなが本当に不安定や停滞を受け入れる覚悟があるのかも疑問です。

― スーパーは夕方までしか開いていないのに、みんな幸せそうだという他国の話も聞きますね。

服部: 日本のコンビニは間違いなくやり過ぎ。
 あれは便利だけどなくてもいいサービスは全部やめたほうがいいんじゃないかな。
 北欧とかは、その辺をうまくバランス取って高い税金でうまく国がコントロールしているようですね。
 さっきも言ったけど、労働時間を減らしたら国力が下がって、おカネもなくなって、わかりやすいレジャーも減る。治安も悪くなるかもしれない。
 「自分らしく生きたい人」がどれくらい覚悟を持ってるのかな、と正直思います。


― 過剰な発展と「自分らしく生きる」は両立できない?

服部: 「私はこれ以上働きません」「給料減らしますよ?」「それでいいです」っていう覚悟があるか。
 「カネ減ってもいいです」って行動を取る人が増えたらいいですよね。
 「給料下がってももうひとり雇って労働時間を減らそう」とか、「俺が奇数の日に出勤するから、お前は偶数の日出ろよ、その代わり給料半分ね」とシェアして、余った時間を自分のために使う。
 もしくはダイレクトに食べ物をゲットするために使う。
 あるいは、これまでお金を払って他人に頼んでいたことを自分でやるとかね。

■ 仲間っていうのは、なかなか得がたい

― 一方で働き方に自由度が増してくると、その分、成果主義になってきます。

服部: 成果主義がうまく機能したら、素晴らしいよね。
 でも、日本の社会ではうまくいかないと多くの人が思ってる。
 だから結局、机に座っているだけで給料がもらえる。

― 日本で成果主義にしたら二極化するという話もあります。できる人とできない人がはっきりと分かれてしまうかも。

服部: 有能な人からすれば、そりゃ成果主義がいいですよね。
 よくアリの2割は忙しく働いて、6割は適当に働いて、残りは何もやってないという話がありますね。
 労働者も会社からそう思われているんじゃないですか。
 あと成果主義にしても、徹底的な個人能力至上主義だと「それって会社じゃなくていいじゃん。フリーでやれば」になります。
 直接成果が見えない仕事もたくさんあって、誰かをサポートしたことに対して評価する制度も必要になってくる。
 パーティーを組んで山登りするなら、強いヤツがたくさん荷物を持って、弱いヤツは軽い荷物で、ってします。

 山登りもそういう世界です。
 最初は平等に荷物を持つわけだけど、そのままだと結局パーティー全体の成果が下がるだけ。
 だったら、弱いヤツの荷物をみんなで分担して持って、みんなで移動したほうがいい。
 僕なんかはわりと体力があるほうで、いっぱい荷物を持たされて不満を持ってた。
 バテたヤツに「何やってんだよ」みたいなことを口にしていました。
 そうすると、真面目な後輩に「違いますよ、世の中そういうものじゃないですよ」って諭されて、「そっかぁ、世の中そういうものじゃねえかぁ〜」って(笑)。

― でも結局、服部さんはソロがメインになっているような…。

服部: まあ、僕がソロクライマーになっていく理由のひとつがそこですよね。
 ただ登山のコンビって、1+1が2になる必要はなくて。
 1+1が1.1、もしくは1.2になるなら組む意味があるんですよ。
 ちょっとでも上に行けるなら仲間と手を組む意味がある。
 力を合わせることでお互いが高まるほどの仲間っていうのは、なかなか得がたいですよね。
 仕事でもそうですけど、もしそういう仲間がいたら大切にしなきゃダメです。

 あとは、たとえ組んで0.4になったとしても「アイツ、しょうがねぇな」って人間関係の潤滑油になっている場合だってあるでしょう。
 逆に全員が有能だったらぶつかりますよ。
 いろんな人がいて世の中が回っている。

 もちろん努力や才能は正しく評価されるべきだと思うし、「助け合うのは素晴らしい」という考えを根本的に否定したい気持ちもあります。
 仙人になって、山にこもって、社会とはまったく関わらずに生きていきたいという思いもどこかにあるけど、そこまで厭世家ではないので。
 まぁ、バランスかなぁ。

■ 8割は「考えるのが面倒くさい」?

― 服部さんはいま、雑誌「岳人」の編集部で働いていますが、仕事はどんなペース配分ですか? 雑誌の校了後に10日の休みを取って山にこもるとか。

服部: そうですね。
 定期的におカネをもらっているのは「岳人」で。
 その月刊誌がメインで人生が回っている。
 月末に校了して、月の頭がある程度はヒマなので、その間に山に入ります。

― 服部さんは契約社員ですが、「岳人」の母体である(アウトドアメーカーの)モンベルには正社員もいますよね。そうした人たちから、服部さんはどのように見えているのでしょうか。

服部:「あの人は特別だ」って思われているんじゃないかな。
 僕はあんまりかしこまったのが好きじゃないから、ざっくばらんにやっている。
 もちろん仲は良いですよ。
 でも「服部さんだから許されてるんだろうな」ってみんな思ってるかもしれない。
 山に登ったり、文章を書いたりとか、いわゆる副業が認められているのって社員にはほとんどいないから。
 社員にも山ヤやクライマー、カヌーイストとか、本気でアウトドアの活動をしている人が多いんだよね。
 そういう人たちに「もっとガンガン休まなきゃダメだよ!」ってすごく言ってるけど。
 僕なんかは、有給休暇をだいたい2ヶ月くらいで使っちゃう。
 その後は欠勤して、山に行ってます。

― 休みを取りにくい空気、というのも日本企業ではしばしば見られます。なぜだと思いますか?

服部: なんですかね?
  「あいつら休みやがって!」「お前、もう帰るの?」みたいな感じで、社員がお互いに足を引っ張り合うのは前の会社でありました。
 僕としては「協力してみんなで帰って、それぞれ好きなことやろうぜ」と思うんだけど、実際には……なかなか難しい。
 いつ辞めてもいいよ、って覚悟があれば自由に動けるんじゃないですかね。
 ただ仕事を与えられて働きたい人もいると思うんですよね。
 「考えるのが面倒くさい」「みんなと一緒に合わせているほうがいい」って人も結構たくさんいるはず。
 8割はそうだと思う。

「何をしたらいいか分からない」は裕福な悩みかも

― 働く前の教育の段階で、自分から動く訓練をするのも大事ですよね。それなら「何かおかしい」と思う人が、2割以上に増えるのでは。

服部: そうは言っても先生も大変ですよ。
 新卒なら20代から人に何かを教えなければいけないんだもの。
 確かに今のところ、現代文明に生きる人たちにとって「教育が最善の方法」となっていて、その発想はおおよそ正しい気がする。
 でもねぇ…教育で「自由な精神」みたいなものをうまく教えてやるのはムリですよ。
 もし学べたらかなりレアケース。「いい先生に当たりましたね」って感じ。

― そうなると、家庭での教育も大事になってきます。

服部: それこそ、さっき話した「子どもの中退を認められるかどうか」っていうことです。
 仕事を与えられて「そのほうがラクだ」って思ってきた人、「生きるとは何か?」ということを客観的に考えることをしてこなかった人たちが親になって、子どもに「自由に生きろ!」と唱えて子どもに伝わるのか。
 大きなリスクを負って好きなことをした実体験がないわけですから。
 それぞれが「なぜこれをやるのか?」と考えなきゃダメなんだろうけど…。
 「Why?」を考えるのって、結構つらいんですよね。
 それに意欲のない人からやる気を引き出すってできるのかな、とも思う。
 うちの子どもは一緒に鉄砲撃ちに行ったりしていて、それなりに感じたり考えたりしているのかもしれないけど。
 結局、親が自分の人生を自分が納得するように生きるべく進む。
 それを子どもに見てもらって判断してもらうしかないのかも。
 ルールは教えることができるけど、意欲は教えられない。
 だから、もし今「何かおかしい」「自分の力で生きていきたい」って本気で思う人がいたら、その時点でかなり重要なことに気が付いていると思う。
 感じる自分に自信を持っていいんじゃないでしょうか。
 気付いてしまったらもう戻れないけど。
 あとは今のまま苦しむか、行動して苦しむか。


― どちらに行っても苦しいですね。

服部: ただね、うれしい苦しみと、苦しいだけの苦しみがあるから。
 死ぬときに「こっちで良かった」って思える道を進んだほうがいいでしょうね。

― 今って「好きなことが分からない」という人も多いと思うんです。

服部: みんなそうですよ。
 何かひとつを選び出すのは怖い。

― 好きなことが見つからないから動けない。動けないからモヤモヤしてイライラもたまって……。

服部: 時間だけが過ぎていく。
 もちろん1億2千万人全員が、何か一芸に秀でているっていうことはないです。

― 凡人はどう楽しむべきですかね。

服部:うーん。
 「凡人であることを受け入れる」ことなのかな。
 というか、ほとんどの人が凡人ですよね。
 何をやっても二流三流。
 それでも動くヤツは動く。
 例えば、プロサッカー選手になれない人はそれでもあきらめずに運営する側に回ったりして。
 「何をしたらいいか分からない」って、ものすごく裕福な悩みですよね。
 ひと昔前はほとんどが農民で「村で一番足が速い」程度の自己表現しかない。
 そう考えると、今は可能性が広がっています。
 ただ、それはそれで怖い。
 だって自分の能力の限界と向き合わなくちゃいけないわけだから。
 それに「これだ!と決めて進んだけど、実は好きじゃないし才能もなかった」ってことだってあるかもしれない。
 やってみたら自分より何でも上手にできるヤツがいたというのが現実でしょう。
 上には上がいるから。

― それでも進む価値はある?

服部: 僕はあると思う。


livedoor news「アウトサイダーの労働白書」、2018年7月10日 19時0分
誰もが二流三流。

登山家・服部文祥が突きつける「人生と向き合う覚悟」

企画・インタビュー・文=森田浩明
http://news.livedoor.com/article/detail/14971389/

 この登山家・服部文祥は〇〇家と「家」をなした者だけが言いうる発言、というのが随所にでてきます。
 たとえば、
 「誤解を恐れず言うなら、ひとりの人間の命は地球より重いって言葉はウソ」、
 「バテたヤツに『何やってんだよ』みたいなことを口にして」、
 「『助け合うのは素晴らしい』という考えを根本的に否定したい気持ちも」
あるとか、ヤッホーくん、口にしていいことと悪いことってあるんじゃないか、と、そこまで物事をストレートに言わなくっとも、と逆に〇〇家に教えたくなります。
 あっ、言ってもいいけど、読む人に誤解を与えないようにしないと、言いたいことが伝わらない滑舌?活舌?になってしまうことが往々にして多いってことですね。
 しかし、この登山家・服部文祥のお師匠様は、和田城志なんです:

 たとえテント泊で自炊だったとしても、刃物を使わないのが、今の登山である。
 ガスストーブ(コンロ)でお湯を沸かし、ドライフードの封を切って、入れるだけ。
 そこにナイフの出番はない。
 ジャガ・タマ・ニンジンでカレーを作っていた20年前だって、登山ナイフは野菜を切ることにしか使われなかった。
 ちなみに女の子といっしょに山に登ってリンゴを剥くのは、ハイキングであって登山ではない。
 実は登山に持っていくナイフとは、それだけで、山に対する態度や思想を表してしまうものなのである。
 極限のクライマーは持って行かない。
 持って行くとしてもせいぜい万が一の事故時にロープを切るための最軽量ナイフである。
 長期縦走などの重厚な登山をおこなう人は、荷物にならない安い刃物かハサミ。
 ハサミはアウトドアで思いのほか役に立つ。
 私に登山を教えてくれた和田城志というおっさんはオルファのカッターを使っていた
 曰く「よく切れ、軽く、安く、手入れも簡単(刃を替えるだけ)、二週間の黒部横断にはぴったりやで」。

山旅とナイフ
服部文祥


Akimama、2015.11.19
<特別寄稿>服部文祥、モーラナイフを使う in 北海道
https://www.a-kimama.com/dougu/2015/11/35146/

 「登山や釣り、ひいては人生の師匠は(黒部横断などの先鋭的な登山で有名な)和田城志(わだ・せいし)氏

思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々、2009-01-31 19:00:21
一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。
服部文祥メモ
https://blog.goo.ne.jp/watarureport/e/f2f86fade35bca3e55c0d268a49d4f10

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徴兵制への道

 自衛官の募集を巡り、自衛隊に対象者の名簿を提出していた葉山町の山梨崇仁町長は2019年3月14日、
「(法的根拠とした自衛隊法や住民基本台帳法の)法令解釈に不明瞭な点がある」
とし、「提出」を取りやめる考えを示した。
 2019年度から名簿の「閲覧」に対応を変更する。


 町によると、自衛隊神奈川地方協力本部に文書で要望され、2017年度から、住基台帳から抽出した18歳の氏名や住所など個人情報を記した名簿を「提出」している。

 以前は名簿の「閲覧」だった。
 町町民健康課は「提出」に変えた法的根拠について、
(1)法定受託事務として自治体が「事務の一部を行う」と規定した自衛隊法
(2)防衛相が名簿の「提出を求めることができる」とする同法施行令
(3)住民基本台帳法
(4)町個人情報保護条例
−を列挙。
 条例には個人情報の利用や提供に制限があるが、ただし書きで法令の定めがあるときは除外されていることから、法令に基づく対応と判断したとする。

 安倍晋三首相が今年2019年2月10日の自民党大会で「6割以上の自治体が協力を拒否している」などと発言。
 その後に開かれた町議会第1回定例会の予算特別委員会で、個人情報保護の観点から「提出」を疑問視する声が議会側から上がり、町は「対応を再検討する」と回答していた。

 3月14日の本会議で、検討結果を問われた町長は、
昨今の報道でも、名簿『提出』の際、法令解釈に不明瞭な点があるとの認識を新たにした
と説明。
『提出』しないことが、現行法令の解釈の明確な範疇(はんちゅう)と考えている
とした。

 町長は「自衛隊に協力する気持ちに変わりはない」とも述べ、「国の法改正で、明確な対応が取れるよう改善を望む」と国に求めた。
 これに対し、質問した近藤昇一氏(共産)は「国の見解に惑わされず、自らの考えを明確に持って対応してほしい」とくぎを刺した。

 神奈川新聞社が調査したところ、県内の全33市町村が募集に協力、うち川崎、横須賀、南足柄、葉山、開成の5市町が名簿を「提出」していることが分かった。
 残る28市町村は個人情報保護の観点から公開を制限する住民基本台帳法や条例などを踏まえ、名簿や住基台帳の「閲覧」で対応している。


神奈川新聞、2019年03月15日 05:00
「法令不明瞭」名簿「提出」取りやめ

自衛隊募集問題で葉山町

https://www.kanaloco.jp/article/entry-154441.html

昨年2015年本会議で可決された安全保障関連法案は、今後の日本がどのように平和と向き合うべきかを考えさせられた。
またこれにより、集団的自衛権の行使やPKO活動での駆けつけ警護などが可能になった。
しかし、実際に現場に従事する自衛隊や隊員がどのような現状であるのかは中々伝わってこない。
そこで『経済的徴兵制』(集英社新書)を上梓したジャーナリストの布施祐仁氏に、自衛隊員の現状や隊員の確保などを中心に話を聞いた。

ー 「経済的徴兵制」と呼ばれるような貧しい家庭で育ち、大学進学の奨学金を手に入れるために、軍に入隊するというアメリカの若者の話はよく耳にします。同じようなことが日本でも起きていると。

布施: イラク戦争時、現地から帰還したアメリカ海兵隊員を取材する機会がありました。
 彼は母子家庭出身で家が貧しく、大学進学が経済的に難しかったので、軍の奨学金がほしくて入隊したそうです。
 何もイラクの人達が憎いと思ったわけでも、戦争がしたかったわけでもありません。
 彼はリクルーターの経験もあり「貧しい者を軍に入隊させるのは簡単だ。なぜなら貧しい人達には選択肢がないからだ」と話していました。
 その時、戦争を起こすのは国でも、そのリスクは国民が平等に負うわけではなく、貧困層が集中的に負わされる社会構造があると認識しました。
 その後、そういう社会構造がアメリカで「経済的徴兵制」と呼ばれていることを、堤未果さんの『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)で知りました。

 同時期、日本では「構造改革」と称してさまざまな規制緩和が進められ、とりわけ労働法制の改正によって非正規雇用が急速に拡大していきました。
 日本では高度経済成長期以降、「1億総中流」などと言われていましたが、当時話題になった「ネットカフェ難民」を始め、この頃を境にそれまで目立たなかった貧困や格差が社会問題化し始めた。
 同時に、自衛隊をまだ戦闘が続くイラクに派遣し、海外派遣をそれまでの「付随的任務」から「本来任務」に格上げするなど、自衛隊を海外の紛争地に出していく流れも強まりました。
 このままアメリカの後を追うように格差社会が進み、自衛隊もどんどん海外に出されるようになれば、直に日本でもアメリカのような経済的徴兵制が始まってしまうのではないかと思い、取材を始めました。

 取材してみると、家が貧しかったので大学進学を諦め、衣食住に困らない自衛隊に入隊したとか、逆に、自衛隊に行けば奨学金を借りなくても仕事をしながら大学に通えると知って志願したというような話をたくさん聞きました。
 さらに調べてみると、就職先の少ない東北地方の農家の二男三男が食べていくために自衛隊に志願するなど、「経済的徴兵制」のような構造は自衛隊が発足した当初からあったことがわかりました。
 これから起こる将来の話ではなく、昔からすでに存在していたのです。

現在も7割しかない自衛隊充足率

ー 発足当初からそのような中で自衛隊は人員を確保していたわけですが、自衛隊の人員確保の考え方はどのようなものでしょうか?

布施: アジア太平洋戦争の敗戦で、日本はポツダム宣言に基づき連合国に武装解除されました。
 しかし、アメリカは戦後まもなく、ソ連との冷戦に日本の戦力を活用しようと日本に再軍備を求めるようになります。
 最初は国内の治安を維持するという建前で警察予備隊がつくられ、保安隊を経て、国防を目的とする自衛隊が1954年に発足します。
 自衛隊をつくる時、アメリカは当初、32万5000人の陸上兵力を要求しました。
 しかし、当時の吉田内閣は経済成長を優先する政策を取っていたため、交渉の末、最終的には18万人に落ち着きました。

 当時の考え方として、あくまで専守防衛の自衛隊の戦場となるのは日本国内になるので、輸送や補給などの後方支援は民間の会社にアウトソーシングすることを想定していました。
 もう一つは、部隊を指揮する将校と兵隊を率いる下士官さえしっかり集め、平時から訓練しておけば、末端の兵隊はいざ有事になってから緊急募集で集めても戦えるという考え方です。
 兵隊は上官の命令に従って駒のように動けばいいので、訓練はそれほど必要ないという理屈です。
 こういう考えに基づき、陸上兵力を18万人まで絞り込んだのです。

ー その常に訓練する必要がないという兵隊はどうやって集めるつもりだったんですか?

布施: 有事になれば、祖国を守るために戦おうという愛国心にあふれた若者が多数志願するはずだという考え方です。
 実は、末端の兵士の不足分は緊急募集で集めればいいという考え方は、いまだに変わっていません。

ー ということは現在も兵隊に関してはそういう考え方なんでしょうか?

布施: 現在でも、陸上自衛隊の「士」階級の充足率は7割ちょっとです。
 自衛隊では、日本の防衛に必要な最低限の人数を定員として定めていますが、定員分の予算は100%は計上されておらず、実際には、実員と言われる定員より少ない人数の予算のみです。
 充足率というのは、この定員のうち実際の隊員のパーセンテージを表し、現在は幹部と下士官では9割以上ですが、兵隊は7割ほどです。
 足りない分は、有事の緊急募集で埋めようという方針です。

隊員確保危ぶまれる中始まった高校生への戸別訪問

ー 自衛隊自身は今後の隊員の確保についてどう考えているのでしょうか?

布施: 必要な数と質の隊員を集められなくなるという危機感を非常に強く持っています。
 これは防衛白書にも書かれていますが、このまま少子化が進み、大学進学などの高学歴化が進めば、人員を確保できなくなると。
 だから、10年以上前から、そのための対策を練っています。

 自衛隊は「組織的募集の強化」と呼んでいますが、つまり自衛隊だけでは隊員確保できなくなるから、地方自治体や学校など部外の組織におおいに協力してもらおうということをやっています。
 たとえば、高校の校内で自衛隊の説明会を開いてもらったり、生徒に自衛隊の仕事に興味を持ってもらうために小中高での「総合的な学習」や「キャリア教育」の一環として体験入隊の受け入れに力を入れています。
 ただ、現状では自衛官募集に積極的に協力してくれる学校は限られているので、募集の目標が達成できなければ、やはり自衛隊自身が駆けずり回ってリクルートするしかありません。
 今年度2016年度はかなり志願者が減っているので、これまで自粛していた高校生の自宅へ直接、広報官が訪問する戸別訪問を再開しました。
 自粛していたのは、民間企業は高校生への戸別訪問での求人活動は禁じられているからです。
 確かに、法律上は、公務員である自衛隊は職業安定法の適用外ではありますが、民間企業が禁止されているのに政府機関がやるのはいかがなものかと思いますね。

ー 高校は大学進学率や就職率が低い地域を中心にまわっているのでしょうか?

布施: アメリカの場合は、広報官の数も限られていますし、ただ闇雲にまわっても効率が悪いので、地域ごとに経済状況を含めたデータベースをつくって勧誘しているそうです。
 日本では今のところ、そこまではしていませんが、大学進学率が高い高校よりも、就職を希望する生徒が多い高校を優先的にまわっています。
 進学希望が多い高校では大学合格実績が評価のひとつとなるのと同じように、就職する生徒が多い高校ではどれだけ就職したかが学校の評価基準になります。
 就職実績を上げるために、生徒に積極的に自衛隊を薦める高校もあります。
 自衛隊の方も、毎年多くの志願者を出している高校を「重点校」に指定し、卒業生の若い隊員を「ハイスクールリクルーター」に指定して母校を訪問させるなど力を入れています。
 あと、学校との関係強化を重視しているのは、学校を通じて生徒の個人情報を手に入れようというねらいもあります。
 やはり、「数撃てば当たる」でやみくもに勧誘するよりも、自衛隊に肯定的な生徒や公務員志望の生徒など「入りやすい生徒」に絞って勧誘した方が効率がいいからです。
 その情報の中には、生徒の家庭環境、たとえば進学を望んでいるが経済的に厳しいといった情報も入ってきます。

ー 昔はボン引きのような街頭募集をしていて問題になったこともあるようですが、現在でも街で勧誘を行っているのでしょうか?

布施: 自衛隊の広報官には、隊の中で唯一民間企業の営業のようなノルマがあるんです。
 最近聞いた話では、ハローワークに仕事を探しに行ったら、建物に入る前に駐車場で自衛隊の広報官に声を掛けられたと。
 今年は民間の雇用情勢も多少よくなったのに加え、安保法制の影響で志願者が大きく減っていて、広報官もそうせざるを得ない状況のようです。

日本で志願兵を増やすためには

ー 世間ではこのままでは日本でも徴兵制がひかれるのではないかと危惧する声も聞かれます。

布施: 確かに徴兵制を引けば強制的に人員を確保することはできます。
 しかし、日本のように選挙で多数派を占めた政党が政権を握る民主主義国家で、徴兵制を主張しても選挙には勝てないでしょう。
 つまり、政治的なハードルが極めて高いので徴兵制は難しいと考えています。

ー これまで入隊者について聞きましたが、退職者はどうなのでしょうか?

布施: 増えていますね。
 こちらも一概に安保法制だけが影響しているわけではなく、民間の雇用情勢が改善していることも影響しています。
 退職すると言っても、再就職先がなければ退職できませんから。
 つまり、不景気の時は再就職先も少ないので退職者は減り、景気が改善すれば退職者も増えます。
 しかしながら、自衛隊員のリスクが高まれば、当然退職者も増えます。
 一応、建前上は「非戦闘地域」での人道復興支援活動であったイラク派遣時ですら、中途退職者が急増しました。

ー 徴兵制がほぼ無理な状況で、高校生を始め、志願する人達を集めるにはどのような方法が有効でしょうか?

布施: 志願兵を集める方法は主に2つしかありません。
 1つ目は、アメリカのように福利厚生を充実させ、給付型の奨学金制度を設けるなど、自衛隊に入隊するメリットを民間と比較して良くすること。
 2つ目は、教育によって将来自衛隊に入隊したいと愛国心に燃える子供を育てることです。
 私が入手した自衛隊の内部文書には、自衛隊への志願者が少ないのは、国民の国防に対する知識や意識が低いからだと分析し、「学校教育における安全保障教育の推進」を打ち出しています。
 ただ、日本は戦後70年平和憲法の下で平和主義が社会に定着し、世界価値観調査という国際的な調査でも「自国のために戦う」と回答した人が15パーセントと、78カ国中断トツで最下位となっています。
 それくらい戦争を忌避する意識が浸透しているので、それを変えるのは並大抵のことではないでしょう。
 まして、安保法制が成立して自衛隊が海外の紛争地域で危険な任務に就く機会は増えるでしょうから、そういうリスクが誰の目にも明らかになった時は、志願者が大幅に減るのは間違いないと思います。

 そう考えると、1つ目の福利厚生を充実させる、まさにアメリカ的な経済的徴兵制にしていくしか方法はないように思います。
 人間は食べていかなくてはいけないので、ほかに選択肢がなければ志願する人もいるとは思いますが、アメリカと日本ではそもそも軍隊に対する考え方が違いますから、アメリカ以上に難しく、個人的には集まらないと思いますね。

ーイラク派遣より前に入隊した隊員にとっては、自国を防衛することは稀にあったとしても、災害派遣がメインで、ましてや海外に派遣されるとは思っていなかったと予想できます。そういった戸惑いのようなものは自衛官を取材していて感じますか?

布施: それは人それぞれですね。
 確かに、これまでは外国の侵略を排除するとか災害救援など国内で国や国民を守ることが自衛隊の仕事でしたが、同盟国であるアメリカの要求に応える形で海外での活動をどんどん拡大し、自衛隊の仕事の前提が大きく変わってしまいました。
 そして、一昨年2014年7月1日の閣議決定で、ついに集団的自衛権の行使まで認めてしまった。
 「専守防衛」の最後の砦ともいえる、海外で絶対に武力行使をしないという大原則に穴をあけた。
 海外で戦争をするかもしれない、そんなことを考えて自衛隊に入った人はほとんどいないと思います。
 実際、私が取材したある隊員も、東日本大震災の時に災害派遣で国民の命を救う自衛隊の仕事に誇りとやりがいを感じたけれど、集団的自衛権の行使容認以降、「自衛隊という組織は大好きだけど、外国の人々に銃を向けるような仕事は自分にはできない」と言って退職しました。

ー やはり災害派遣にはやりがいを感じるものなのでしょうか?

布施: 自衛隊の最大の任務は、外国の侵略から日本を防衛することですが、政府も「本格的な侵略自体が生起する可能性は低い」とはっきり言っています。
 しかし、可能性はゼロではありませんから、「備えあれば憂いなし」で万万万が一に備えて日頃から訓練しているのです。
 それと比べて、日本は自然災害の多い国ですから、災害派遣は国民を守る仕事としては最もリアリティがあります。
 国民のために汗水を流し、国民のために仕事をしているというアイデンティティを感じる任務。
 実際にやったら国民から感謝されるので、やりがいも感じるのだと思います。

ー 自衛隊について本書では言及されていませんが、入隊を躊躇うようなさまざまな問題が報じられています。それは借金やいじめ、自殺といった問題です。こられについてはいかがでしょうか?

布施: 確かに、借金についてはよく耳にしますが、他でもよく報じられているので、この本ではあえて書きませんでした。
 自衛隊駐屯地のまわりには消費者金融が大抵あります。
 自衛隊員は公務員で安定していて、かつ駐屯地で駐在していれば管理されていますし、踏み倒される心配がありませんから、貸す側にとっては好都合なのでしょう。
 ただ、借金の問題は、自衛隊だけでなく、一般社会にもありますよね。

いじめの質変えた海外派遣

 いじめについては、特に「営内班」と呼ばれる基地内で生活する隊員たちの間で多いと聞きます。
 閉鎖的な基地の中で24時間生活を共にし、かつ自衛隊には階級という絶対的な上下関係があります。
 そうした環境がいじめを誘発しやすいのです。
 それに加えて、海外派遣が始まって以降、いじめの質が変わってきたのも事実です。

ー と言いますと?

布施: 海外派遣という実任務が増えるなかで、たとえば陸上自衛隊の中では「行動して結果を出せる本物の『強さ』を身につけろ」と強調されるようになりました。
 そして、訓練も、以前のような空想的な想定ではなく、どんどん実戦的になっていきました。
 一人ひとりの隊員に要求されるレベルも高くなっています。
 自衛隊はすべてが集団行動ですから、行動が遅い一人の隊員のせいで部隊が全滅することもあり得ます。
 だから、訓練についてこられない隊員に対して、「指導」という名の下にいじめや暴力が正当化されるようなことが起きています。
 防衛省内の幹部の会議で隊員の自殺問題が話題になったとき、ある制服組の幹部が「精強な自衛隊をつくるためには質の確保が重要であり、自殺は自然淘汰として対処する発想も必要と思う」と驚きの発言をしました。
 これは、弱い隊員が自殺したと、自衛隊は強い隊員しか必要ではないからある意味しょうがないというブラック企業並みのとんでもない発言でした。

ー ここまでの話を聞き現在の自衛隊員の状況というのはかなり厳しいなと。たとえば、貧しい家庭に生まれたばかりに、命の危険まで晒して入隊しなければならない状況もあると。こういった状況を改善する手立てについてはどうお考えですか?

布施: 貧困とは「機会と選択の欠如」といわれます。
 お金がないから、大学に進学できない、病気になっても医療を受けられない。
 そういう若者たちに進学や医療の機会を提供して兵士を獲得しているのがアメリカの「経済的徴兵制」です。
 もし、アメリカの大学の学費が無料で、日本のような国民皆保険制度があれば、「経済的徴兵制」は機能しないでしょう。
 日本で状況を改善する手立ての一つは、お金の心配をせずに誰でも大学に進学できるように給付型の奨学金制度を整備するとか、最低賃金を上げるなどして、一生懸命働いても生活が豊かにならない非正規雇用の「ワーキングプア」の問題を改善することです。

 自衛隊に入るしか、大学に進学したり生活を安定させる選択肢がないという社会状況をつくらないことです。

 私は、自衛隊が若者たちにさまざまな機会を提供すること自体が悪いことだとは思っていません。
 他に選択肢がないか、あっても非常に限られていることが問題なのです。

低所得者だけが担わされる戦争のリスク

 それと、「経済的徴兵制」の問題は、まさに現在のアメリカがそうであるように、国家の意思で行なわれる戦争のリスクを低所得者層だけが担わされ、実際に命を失うということです。

 専守防衛の原則の下では、外国の侵略を受けた際に前線で戦うのは自衛隊ですが、この狭い国土で危険は国民全体にふりかかります。
 しかし、いま安倍政権が自衛隊にやらせようとしているのは、国連PKOでの治安維持活動や海外でアメリカの軍事行動に協力することです。

 しかも、それらは海外での国益追求や多国籍企業の経済活動の自由を確保するためであったりするわけです。
 もちろん「国益追求」や企業の経済活動も大事ですが、そのために貧しい若者の命を犠牲にしてよいということにはならないはずです。
 それを認めることは、社会的な不公正を容認することです。
 くり返しになりますが、経済格差の中で貧困層の若者たちだけが国が起こす戦争のリスクを負わされる社会的不公正こそが問題なのです。

ー 最後に人員面から見た今後の自衛隊についてどうお考えですか?

布施: 安保法制に加え、このまま少子化が進めば将来隊員を確保できなくなるでしょう。
 だからこそ、アメリカのような経済的徴兵制に日本もなっていく可能性が高いのではないかと本書では言及しました。
 しかし、自衛官の待遇を良くすれば集まるという保証もないわけです。
 僕は、アフガニスタンに派遣したドイツ軍のようにたくさんの「戦死者」を自衛隊が出した場合、おそらく待遇を良くしても集まらないのではないかと思います。
 そうなった時に、自衛隊の本来の任務である国防や災害派遣といった「国民を守る」仕事まで成り立たなくなってしまう。
 自衛隊は米ソ冷戦が終わった1990年代初め以降、海外派遣など任務はどんどん増える一方ですが、人員は減らされてきました。
 現場ではすでに、人員不足とオーバーワークで隊員はヒーヒー言っています。
 その上、安保法制でさらに厳しい任務が増えれば「戦死者が出る前に過労死が続出する」と、ある隊員は悲鳴をあげていました。
 さらに、これからはメンタルヘルスの問題も多くなるでしょう。
 そうすると、自衛隊にとって一番重要な「日本防衛」という任務が崩壊していく可能性すらあると思っています。
 安倍首相は安保法制で「隙のない防衛態勢を構築する」と言っていますが、人的な面から現実を直視すれば、逆に防衛基盤を崩壊させる危険性があります。
 自衛隊の海外での活動を広げようとしている人たちにはそこのところを考えて欲しいと思っています。


Wedge、2016年3月13日
貧者だけが担う死のリスク

国防人材絶やさぬため“必要”なこと

『経済的徴兵制』布施祐仁氏インタビュー

本多カツヒロ (ライター)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6116

 「地方自治体が若者の個人情報を自衛隊に提供しないと難癖をつけ」た独裁者気取りのこの国のトップに怒っているのが、ヤッホーくんの尊敬する小児科のお医者様です:

個人情報は、きわめて重要な個人の財産だ。医療機関等社会の組織では、個人情報を秘匿することは極めて重要な要請であり、それに責任も負わせられている。

ところが、地方自治体のかなりの数が、自衛隊員リクルートのために個人情報を、自衛隊当局に易々と差し出している。とくに改憲を目指した安倍首相が、地方自治体が若者の個人情報を自衛隊に提供しないと難癖をつけて以来、積極的に提供する動きが盛んになったという。

自衛隊は、若者の数が少ない逆ピラミッド型の年齢構成になっている。多国籍軍等への自衛隊員派遣が現実となり、さらには自衛隊が海外での米軍主導の戦闘に加わることになると、末端の兵士に相当する若者の隊員が足りなくなることは明白。この個人情報の提供が、容易に「徴兵制」に移行する。

その時になってから反対しても遅い。反対するならば今だ。徴兵制に続く道を、若者のみならず国民すべてが拒否すべきなのだ。

以下、引用〜〜〜

自衛官用の住民名簿、提供続々 首相発言後、首長指示か

2019年3月12日20時21分

 自衛官募集のため市区町村が国に伝える住民の個人情報をめぐり、名簿の「閲覧」の許可から「提供」に変更する動きが相次いでいる。「自治体の6割以上が協力拒否」という安倍晋三首相の発言を受け、首長らが見直しを指示しているとみられる。だが、個人情報の専門家は「閲覧と提供は全く違う概念だ」と懸念を示している。

自民要請文、にじむ「圧力」 自衛官募集 身内も批判

 安倍首相の地元・衆院山口4区にある山口県長門市。首相発言から数日後の2月中旬、大西倉雄市長が担当課長を市長室に呼んだ。「閲覧で対応しています」と言う課長に「紙での提供は?」と問うと、「可能です」との返答。何度かのやりとりで、今後の方針が固まった。

 昨年2018年までは、対象者約200人分について、住民基本台帳から個人情報を抽出した名簿の閲覧を自衛隊の担当者に認めてきた。だが今春以降は、自衛隊からの要請を前提に、名簿そのものを提供する。大西市長は「災害発生時には自衛隊のお世話になるかもしれない。基本的に協力するべきだと考えた」と話した。

 首相の元秘書の山口県下関市の前田晋太郎市長も取材に「紙媒体で情報提供する方針だ」と変更する考えを示した。これまでは自衛隊の担当者2人が毎年約1300人分を閲覧し、2日間かけて市が用意する様式の紙に手で書き写していた。市は個人情報保護条例などに照らして検討する。

 大阪市の吉村洋文市長は2月中旬、「調査したら閲覧、書き写しだった。今後は紙や電子媒体の提供に改める」とツイッターに投稿した。市によると、個人情報保護の観点などから閲覧にしてきたが、市長の意向を受け、提供に切り替える方向で検討を始めた。担当者は「現場の実務が対応できるか、法律的な問題がないかなど急ピッチで検討している」と話す。

 県知事からも発言が相次ぐ。和歌山県の仁坂吉伸知事は2月下旬の県議会で「自衛隊の人材確保は重要。市町村に提供を強く働きかけていく」と発言した。その後、県市町村課の職員が、自衛隊職員と自治体を行脚して閲覧から提供に変更できないか検討を求めている。

 「自衛隊には過去の水害の際にお世話になった」と県市町村課職員。要請を受けたある町の担当者は「職員が立ち会う閲覧より、名簿を渡すだけの方が対応時間も減る」と提供に前向きだ。

 元自衛官でもある宮城県の村井嘉浩知事は今月上旬の会見で「全ての自治体ができる限り協力することが国民、県民にとって利益があるのではないか。東日本大震災で自衛隊の皆さんにお世話になった自治体のトップとしては、(市町村に)できるだけ協力をして頂きたい」と述べた。

 防衛省は2008年度から毎年、情報の提供を市区町村に周知するよう都道府県知事に要請した。それでも、提供する自治体はここ数年、増えたり減ったりしながら600前後で推移。昨年2018年5月には全1741市区町村長に直接文書を出した。自民党は首相発言の後、所属国会議員に地元自治体の協力状況を確認するよう文書で求めた。

 自衛隊は少子化などで志願者数が伸び悩み、従来の18歳に加え、22歳の情報を求める地域もある。昨年2018年10月には、大半の採用年齢の上限が26歳から32歳へ引き上げられた。書き写しの手間がかからない提供が広がれば、自衛隊が情報を求める対象が広がる可能性もある。

 甲南大法科大学院の園田寿教授(情報問題)は「個人情報を伝えるという点では『閲覧』と『提供』に違いはないが、法律的な概念は全く異なる」と話す。

 住民基本台帳法11条には、国などが市区町村長に「閲覧させることを請求できる」とある。園田教授によると、国税徴収法など他の法律では「閲覧または提供」と明記されており、住基法で提供まで認めることは「拡大解釈だ」と言う。
「『災害対応で頑張っているから協力しなければ』という発想は危険。仮に変えるとしても、個人情報を取り扱う審議会などで議論し、住民が事後的に検証できるよう議事録を残すことが必要だ」と指摘している。

◇ ◇ ◇

 〈自衛官募集と安倍首相発言〉
 自衛隊は主に高卒者を想定し、18歳の住所、氏名、生年月日、性別の個人情報を自治体から入手し、募集案内などを送っている。
 その際に紙や電子媒体での提供を求めているが、昨年度2018年度提供したのは全1741市区町村のうち632自治体(約36%)で、閲覧は931自治体(約53%)だった。
 全自治体の9割近くが協力していると言えるが、安倍晋三首相は今年2019年2月10日の自民党大会で「6割以上が協力を拒否しているという悲しい実態がある」と述べ、憲法に自衛隊を明記すべきだと訴えた。


2019/03/15 09:36
徴兵制への道

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2019年03月15日

下関市立中央図書館と武蔵野市議会の事例から

 全国で図書館の民営化が進むなかで、武雄市や海老名市のツタヤ図書館の惨状をはじめとして次次に問題が露呈している。
 山口県内でも周南市でツタヤ図書館の建設をめぐって議論が起こっており、防府市も今年2016年4月から指定管理者制度を導入するなど、図書館民営化は依然として進められている。
 こうしたなかで2010年に全国に先駆けて指定管理者制度を導入してオープンした下関市立中央図書館は、民間企業と交わした5年の契約期間を待たずして破綻し、今年度2016年度から市直営に戻った

 指定管理者制度導入の5年間で図書館がどのように変わったのかは、自治体でアウトソーシング(外部委託)が推進されるなかでおおいに教訓にすべき内容となっている。
 
司書は抗議の辞職、残ったのは非正規、経費は以前より増大

 文化会館、婦人会館、中央公民館をとり壊し新たな社会教育複合施設を建設する計画は、第1次安倍政府の誕生間もない2006年に慌ただしく決まった。
 総額155億円(20年)にのぼるこの事業は、建設から運営(年間約4億円ほどの委託料)までを民間企業に丸ごと投げるというもので、入札のときから地元企業を排除して安倍首相の兄・安倍寛信氏が中国支社長をつとめる三菱商事グループに落札させて地元企業が訴訟を起こすなど、不透明さが問題になってきた曰く付きの箱物事業だった。


 揉めた末に三菱商事グループは火の粉が及ぶのを避けて辞退し、再入札で合人社計画研究所(本社・広島市)を代表企業とする9社で構成する特別目的会社・ドリームシップが落札。
 グループ内には図書総合プロデュース業のリブネットや紀伊國屋書店(広島営業所)が入り、購入図書はすべて紀伊國屋書店が納入するという形で運営されてきた。

 2010年3月20日、「従来の公共施設とは異なり、PPP手法という民間資金やノウハウを活用する新しい手法」など鳴り物入りでオープンした下関市立中央図書館は、旧下関図書館と比べると2倍の床面積となり、蔵書数も大幅にアップ。
 自動書庫や自動貸出機、予約ロッカー、読書通帳機(全国初導入)など最新式の設備が導入され、カフェも併設した。
 開館日数・開館時間も延長となった。

 1人10冊まで借りることができるが、カウンターに並ばなくても10冊まとめて自動貸出機に載せると、すぐに手続きが済むし、返却するときも1階のポストに放り込めばよい。
 また登録すればインターネットで自宅から予約して1階ポストで受けとることができるようになり、司書などの手を通らずに簡単に本を借り、返却することができるようになって一面便利になった。

 中央図書館の貸出件数は、前年の6万6173件(2009年度)からわずか1年で23万465件へと3.5倍に跳ね上がり、貸出冊数は29万4424冊(2009年度)から95万7425冊(2013年度)へと3倍化した。
 そのうち56万1318冊(約6割)が自動貸出機での貸出だ。
 全国的にもこの「貸出冊数の大幅増」は注目を集めるものとなった。
 短期間でおよそ3倍もの貸出冊数になったからだ。

 貸出冊数はなぜこれほど大幅に伸びたのか?
 関係者に取材を進めたところ、これこそまさに「民営化」の産物だったことがわかった。
 市民の読書熱が燃え上がったという印象など乏しいのに、どうしてこれほど貸出冊数は倍加したのか?
 そこにカラクリがあった。

 市民が最初に驚いたのが、2011年に「夏休み100冊チャレンジ!」のかけ声で、子どもたちに本の貸し出しを勧め始めたことだった。
 「中央図書館の読書通帳を利用して、夏休み期間中に100冊読んだ人」に記念品を贈呈するというキャンペーンだった。

 夏休みに入ると、自動貸出機で本を借りた子どもたちが、読書通帳を持って記載機の前に列をなす姿が見られるようになった。
 読書通帳は中学生以下には無料で配布されており、当初は「子どもたちが読書に愛着を持つようになった」と喜んでいた利用者たちも、ここまできて眉をひそめた。
 通帳を持って館内を走り回る子どもたちの姿は、じっくり読書をするというものではなく、明らかに記念品が目的だったからだ。
「5冊でも10冊でも、あるいは98冊でも、それを読んだ子どもが心の成長の肥やしにしたかどうかが問題だ。40日の期間中に100冊を求めるのは図書館側の都合を子どもに押しつけるものでしかない」
と、利用者や教育に携わる各方面から批判が続出したが、ドリームシップは夏休みや冬休みに照準を合わせた同様の企画をやめることはなかった。

 途中からは大人にも通帳を無料で配布するようになり、「見開きページが埋まったらカフェラメール(併設カフェ)の半額券を2枚差し上げます」という特典をつけたり、予約ロッカーを利用したら図書袋(本が大量に入る布袋)がもらえるなど、大人たちもターゲットにしたキャンペーンを展開していった。

 さらに関連企業の社員たちに「本を借りるように」とハッパをかけ社員たちが4階、5階の自動貸出機で読みもしない本を大量に借りて、そのまま1階の返却ポストに放り込んでいたという。
 貸出冊数を劇的に増大させるための裏技であり、1人10冊読まない本を借りては放り込んでいく行為を毎日くり返し、しかも集団的・組織的にやれば、おのずと貸出冊数は膨れあがるというシカケである。

 また、新規の図書購入費用の大半はベストセラーの購入に回り、同じ新刊を10冊近く購入することもあった。注目度の高いベストセラーを大量に購入すれば、当然にも貸出や予約は増加する。一方で「目立たなくても図書館として所蔵しておくべき図書や資料」は、ないがしろにされていった。まるでスーパーの特売のような、図書館の常識とはかけ離れた手法で貸出冊数が上積みされていった。

 今年度、市直営に戻って1割超、貸出冊数が減少したといわれている。仮に1割と仮定しても年間に約10万冊が架空の貸出冊数であったと考えられる。

 なぜこれほど「ドリームシップ」が貸出冊数の増加にこだわったのか?
 契約時に「業者のモチベーションを上げるため」に、4半期ごとの貸出冊数の実績によって委託料が増減する変動単価の形式をとっており、貸出冊数を伸ばせば収入が増える関係だったことがある。
「合人社にとっては本の貸出冊数だけが唯一小銭を稼げるポイントだった。それに一生懸命で、図書館がどっちを向こうと関係なかった」
と関係者は話す。
 また合人社にとってはこの5年間で上げた実績が、次の指定管理を受けるときや他の自治体に売り込むときの実績になることもあって、死活の利害をかけて貸出冊数なりの数字にこだわったようだ。

知識の蓄積と人材失う 市民の相談も困難に

 図書館が「無料貸本屋」のようになっていくなかで、現場の司書たちには「効率的」な動きが要求され、最小限の人数で現場を回すために調べものなどの相談に応じる(レファレンス担当)司書まで1階のカフェに巡回配置するなど、役割などお構いなしの人員配置が横行していった。
 他の仕事に忙殺されて司書の仕事をまっとうできず、休みもとれない状態に、契約期間が終わる直前の2014年11月末、ベテランの司書8人のうち、アシスタントマネージャー2人とリーダー2人の計4人が抗議を込めて一斉に退職する事態となった。
 そのなかにはレファレンスを担当していた3人のうち2人が含まれていた。

 もっとも多いときには35人いた職員が、契約期間終了時には館長以下27人、指定管理導入の当初から残っているのは10人となり、司書の資格は持っていても基礎的な知識のない非正規雇用の社員ばかりが残された。
 社員の回転も速く、図書館として長年蓄積されてきた郷土の歴史や文化の資料などについての知識が断絶し、市民が相談してもなかなか対応できない、図書を「返した」「返していない」といったトラブルもあいつぐようになった。

 現場を知る人たちは、合人社に図書について意見をあげても通じないこと、指定管理になってから市役所が「それはいえない」「いうことができない」というばかりで責任をとらなくなり、市として図書館運営をどうするのかという姿勢がなくなったことに、みなぎりぎりした思いを持っていたと語っている。

 民間委託の最大のメリットであるはずの経費削減はどうだったのだろうか。
 2014年度の生涯学習プラザの指定管理料は3億8800万円。
 直営に戻した今年度2016年度の予算額は、中央図書館分が1億5100万円、文化振興財団の指定管理料が1億8300万円の計3億3400万円。
 生涯学習プラザ全体で5400万円の減となった。
 施設のメインである中央図書館分の経費を半分と仮定すると(合人社がどんな内訳で委託料を回していたかはわからない)、単純計算でも約2700万円安くなった計算になる。

 現在も現場の窓口業務を担っているのは全員が非正規雇用の嘱託職員のままであり、正規職員を配置すれば経費は上がる。
 しかし、同じように非正規だらけの民間委託時代の方がはるかに潤沢な委託料を与えられていたこと、「民営化による経費節減」など大嘘だったことを物語っている。公営に戻して5000万円も維持費が浮いたのである。

知性を育む重要な役割 民営化と相容れぬ

 下関市の図書館にとって、この5年間に失われた知識の蓄積と人材は、「1、2年ではとり戻せない」といわれるほどの困難を残している。
 経験者は、「一人前の司書といえるようになるまでには5年、10年の歳月がかかる」と話す。
 指定管理導入と同時に正規職員の司書は現場から離れており、図書館政策課に数人は残ったが、別部署に移った職員もいる。
 多くが退職間近だ。
 指定管理の期間、正規職員は図書館現場を経験できない。
 職員が現場を知らないということは、民間業者に対しても強く意見をいうこともできないし、市として図書館運営のノウハウを失うことになる。

 文化関係者の一人は、
「図書館は地域の文化のよりどころ、知識や歴史を集積する場だ。営利企業が運営すれば絶対に問題になるのはわかっていた。直営に戻ってよかったが、今後も課題はたくさんある。情熱を持った司書をどう育てていくかが一番の課題」
と話す。

 また別の関係者は、
「公務員は“だれのため、なんのために仕事をしているのか”というのを問われている。少なくとも現場を持っている職員は、市民の方を向いて仕事をしてきたと思う。しかし、民間業者は“成績を上げろ”という会社の上層部や市役所の方を向いて仕事をするから、本当にいい仕事ができるはずがない。ツタヤやTRCが入った他県の図書館もひどい状態になっている。なぜ公共が仕事をしているのかを考えないといけない」
と話した。

 人件費削減のために公共部門の民営化が推進され、下関でも図書館やゴミ収集、学校給食調理など、現場を持っている部門が真っ先に民営化されてきた。
 しかし、中央図書館の顛末は、民営化が正規職員を非正規雇用のワーキングプアに置き換え、図書館なりが持つ機能を破壊するものだということ、公共性を否定して合人社や紀伊國屋の利害ばかり追い求めるものだったことを浮き彫りにしている。

 貸出冊数が伸びること、すなわち下関の地で読書熱が高まり、住民がその読書量に裏付けされた知性を育むことは望むべきことだ。
 しかし読む行為を二の次にして、プレゼント欲しさで本を手にするという浅ましい心を子どもに植え付けたり、読まずして貸出冊数増大に貢献するような品性のない行為を奨励して、何が「知の財産」かといわなければならない。
 図書とは何か、読書とは何か。
 それはツタヤや紀伊國屋、合人社のような企業が利益をあげるためのものではない。
 みなが本によって自然科学にせよ社会科学にせよ、文学にせよ、自己の経験することのできない広い世界から間接的知識を得たり、感性や知性を育むことに最大の役割がある。
 そのために図書館が有効に機能することが地域全体の人材育成、人間形成にとっても欠かせない。
 民営化が相容れないことは、直営に戻した下関の事例が歴然と示している。


長周新聞、2016年2月12日
図書館の役割否定した民営化

直営にもどした下関の教訓

やらせで急増した貸出冊数

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/3204

 いえ、政府や行政に主権者、納税者、コクミンが声をあげるときに、よ〜く、下関の事例、といいますか、「図書館の民営化」って誰のためのもの?民でできることは民に任せろ、シンジユウシュギって誰のため?って考えるときの資料になれば、と思いました。

 来月、選挙があります。
 この選挙で選ばれた議会も、本当に主権者、納税者、ジュウミンのためになっているのか、ヤッホーくん、よ〜く考えてみないとねって。
 今日、びっくりしたことがありました。

 武蔵野市議会は、最低賃金の大幅引き上げによる改善を求める意見書を3月12日の本会議で可決した。

 この意見書も3月4日の総務委員会で「最低賃金の大幅引き上げによる改善を国及び東京都に求める意見書提出に関する陳情」を審議し、賛成多数で可決したことにより、議員提案により提出されたもの。
 現在の最低賃金では、生活ができないと考え、時給1500円を目標になるべく早くあげるような政策を行うよう国と都に求める内容だ。

 自由民主・市民クラブ、志民会議の会派の10名の議員が反対。
 民主生活者ネット、公明党、共産党、空の会派と会派に属さない議員の13名が賛成し、可決した。
 意見書の内容は下記。

最低賃金の大幅引き上げによる改善を求める意見書


 ワーキングプアと称される働く貧困層の増大が社会問題となって久しくなります。

 2017年度の年収200万円以下の労働者は、1,828万人・雇用労働者の33.5%にまで増大、非正規労働者数も37.3%にまで増大しています(総務省統計局労働力調査平成29年平均(速報)より)。

 現在東京都の最低賃金は時間額985円となっており、週40時間・年50週(年末年始及び5月連休を除く)を働く労働者の場合、年収197万円・月収約164,000円となります。

 憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことを保障していますが、非正規労働者を初めとする多くの低賃金労働者はダブルワークやトリプルワークでやっと生活を維持し、
「年金掛金が払えない」
「国民健康保険税が払えない」
「病気になっても医者にかかれない」
という悲痛な声が労働組合に寄せられています。

 最低賃金は、8時間働けば誰もが憲法25条に定める生活ができる生計費を保障する水準に改善されるべきです。
 この数年、最低賃金は毎年10円の単位で改善されてはいますが、速やかに時給1,500円となるよう改善を求めます。

 政府も、「中小企業・小規模事業者が賃上げしやすい環境を整備するため、生活衛生業など最低賃金の引上げによる影響が大きい業種を対象に、生産性や収益向上のための相談事業を実施するとともに、下請中小企業振興法に基づく振興基準の徹底により、親事業者が下請事業者からの労務費上昇に係る取引対価見直しの協議要請に応じることを促すなどの取組を行う」(経済財政運営と改革の基本方針2018)と述べています。

 よって、武蔵野市議会は貴職に対し、最低賃金の大幅引き上げによる改善を求めるため、下記事項を要望します。



1.  法定労働時間の労働で健康にして文化的な最低限度の社会生活ができる賃金を保障するため、最低賃金を大幅に引き上げること。

2. 最低賃金引き上げに対応する賃上げが困難な中小・零細企業に対し、最低賃金の引き上げに対応できるよう国及び東京都による支援を行うこと。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

内閣総理大臣
厚生労働大臣
東京都知事    あて


BLOGOS、2019年03月15日 15:49
武蔵野市議会

最低賃金の大幅引き上げによる改善を求める意見書を可決

(川名ゆうじ)
https://blogos.com/article/364381/

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IFLA/UNESCO Public Library Manifesto 1994

 東京都練馬区の図書館で、教育委員会と現場の図書館で働く非常勤司書たちが対立している問題で、12月19日と12月26日に予定されていた練馬図書館でのストライキは回避された。
 前日夜に教育委員会と非常勤司書たちでつくる労働組合が交渉を行った結果、両者に「一定の合意」があったという。
 しかし、組合側は「ストライキは延期」としており、2019年1月まで交渉は続けられる。
 残された課題とは?

● 区立図書館における雇用の継続で「一定の合意」

 練馬区には12館の区立図書館があるが、10年前から民間に運営委託する指定管理者制度の導入を進めており、区が直接運営しているのは現在、3館のみとなっている。
 さらに区側は今年2018年7月、直営館2館にも指定管理者制度を導入する方針を明らかにした。

 これに対し、30年にわたって練馬区の図書館運営を支えてきた非常勤職員司書である図書館専門員で構成する「練馬区立図書館専門員労働組合」(*)が反対を表明。
 直営3館の協力体制のもと、練馬区の図書館行政が適切に行われてきたと主張、指定管理者制度の導入は運営の崩壊につながるとして、導入の撤廃や雇用の継続を求めてきた。
 その交渉の中、区側は直営館の図書館専門員を学校図書館へ任用替えすることを提案したが、組合がこれを拒否。
 組合は2日間のストライキの決行も辞さないかまえだったが、12月18日夜に行われた教育委員会との交渉により、一定の合意があったとして延期を決定した。
 組合によると、
「図書館専門員が司書として練馬区立図書館で働く場を奪わないこと」
という要求に対し、区側は、
「光が丘図書館(直営館)でのカウンター業務を行わせる」
と回答、大筋でまとまった。

 組合は、
「区より、光が丘図書館のカウンター業務を行わせるとの回答がありました。この回答を受け図書館専門員が区立図書館で働く場が確保される、指定管理者が拡充された際にも今後の交渉次第で区立図書館のサービス水準の維持が一定程度可能になると組合で判断しました」
とコメントしている。

「働く場」や「指定管理者」をめぐっては今後も交渉

 区教委は弁護士ドットコムニュースの取材に対し、
「図書館専門員の方たちを解雇する考えはないと当初より伝えていました」
と話す一方、今回の交渉で直営2館に指定管理者制度を導入する方針は撤回しないことをあらためて明言した。
 その理由をこう説明する。

民間にできることは民間にお任せしようということです。区立図書館は12館ありますが、徐々に指定管理者制度を導入し、すでに9館に5社が入っています。これらの図書館の利用者のアンケート調査でも満足度が高いという結果が出ています」

 この利用者アンケートとは、2018年11月に全12館で実施されたもので、区立図書館のホームページでも公開されている。
 それによると、たとえば指定管理者が運営する平和台図書館では715人が回答、「職員の接遇」について「大変満足している」は35.9%、「満足している」は53.8%で、合計89.7%が「満足」と答えている。
 しかし、図書館専門員が9割という練馬図書館(直営館)でも693人が回答、同じく「大変満足している」が31.7%、「満足している」が53.2%で、「満足」が合計84.9%とその差はわずかだ。

 また、利用者アンケートを参考にするとしても、「今後の区立図書館に望むことや期待すること」(全館の回答者数6390人)という項目では、「文芸・趣味・娯楽・実用書などを充実する」(10.4%)が最多で、次いで「飲食スペースを拡大し、くつろげる場所を増やす」(8.2%)、「貸出冊数を増やす」(7.9%)となっており、資料費増加や施設改善などで対応できるニーズが上位を占めた。

 指定管理者制度には教育施設になじまないという指摘がある一方、東京23区では指定管理者制度を導入している自治体はすでに15区にのぼるという現実もある。
 その導入の背景には、財政状況が厳しさを増す中、コストカットを目的に選択する自治体も少なくない
 練馬区でも、中心的な役割を果たしてきた直営図書館に指定管理者制度を導入すべきかどうか。その判断の前には、多くの区民を巻き込んだ、より深い議論が求められるだろう。

 図書館専門員の一人は、
「学校図書館への任用替えを提案された時よりは、一歩前進したと思いますが、これまで利用者の方達ととても良い関係を築いてきたため、(指定管理者制度導入により)それを継続できないという区側の回答には、身を切られる思いです」
と複雑な心情を吐露した。

 両者の交渉期限は来年1月18日まで。
 組合側は引き続き、指定管理者制度導入の撤回を要求するとともに、区立図書館における図書館専門員の処遇の詳細を話し合うことにしている。

※ 練馬区立図書館の図書館専門員とは?

 練馬区の非常勤司書は「図書館専門員」と呼ばれ、1年契約の雇用形態だが、勤続20年以上の専門員も多く、最長で勤続29年目という人もいる。
 現在の直営館である練馬図書館で32人、同じく光が丘図書館で25人が働いている。
 中でも、練馬図書館は全職員のうち9割にあたり、レファレンス担当館としてネットから寄せられる区民の調査依頼を一手に引き受けるなど、高度なサービスを行なっている。
 また、光が丘図書館でも、指定管理者が導入されている区内9館の蔵書や選書のチェックなど、運営状況のモニタリングを担当。
 区の常勤職員と同等の仕事を担っている。

弁護士ドットコム、2018年12月19日 19時19分
図書館司書ストライキ延期、続く交渉に「身を切られる思い」
(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
https://www.bengo4.com/c_23/n_9018/

(*)練馬区立図書館専門員労働組合
https://toshoneri.wixsite.com/toshoneri

日本図書館情報学会研究委員会編集『公共図書館運営の新たな動向、わかる! 図書館情報学シリーズ 5』(勉誠出版、2018年10月)

 公立図書館に関しては近年、いろいろな動きがある。
 東京都練馬区で2018年12月、区立図書館の運営を民間に任せるかどうかをめぐり、区教育委員会と図書館司書の組合が対立、ストライキ突入寸前というニュースも流れた

 利用者にとっても他人事ではない。
 そのあたりもふくめて、近年の様々な動きを専門の研究者が丁寧にまとめたのが本書『公共図書館運営の新たな動向』だ。

民間参入で揺れる

 練馬区で問題になった民間委託については、本書で概況がつかめる。
 2003年、地方自治法の改正で公の施設に指定管理者制度が導入された。
 2016年の統計によると、都道府県の図書館の11%、指定都市では22%、市区町村では16%でこの制度が導入されている。
 類似施設の文化会館が90〜50%、博物館が50〜27%に比べるとまだ低い。
 図書館については「増加傾向にあるものの伸びは緩やか」であり、「慎重な姿勢がうかがえる」と本書は分析している。

 すでに民間企業を指定管理業者としているのは全国で508館。
 そのうち333館が特定の一社、図書館流通センターが請け負っているというのには驚いた。
 数年前、佐賀県武雄市の図書館を、TSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)運営するという話が注目されたが、同社の運営はまだ7館のみ

 一方で、本書では、こうした「民間委託」の動きに対する反動も記している。
 いったん民間委託したが、「直営」に戻ったところが17館あるというのだ。
 その事情はさまざまだが、興味深い。
 最近話題の「水道事業の民営化」と、ちょっと似ている感じがした。
 世界各国で、過去に民営化した水道事業を、再び公営に戻すところが少なくないという。

窓口が劣化していない?

 特定の一社が、大半の「民営」を担っていることについて、本書では、図書館の管理運営が単に施設の管理にとどまらず、書誌データの作成、窓口業務など「サービスの提供」が重視されることを挙げている。
 したがってノウハウ、実績のある一社に集中することになっているというわけだ。

 しかし、それなら、そもそも「司書」が不要ではないかという疑問も出てくるだろう。
 年間100冊以上の書籍をあちこちの図書館から借りている評者が最近痛感するのは「窓口担当者の劣化」だ。

 例えば都心のある区の図書館のケース。
 業務は民間に委託されている。
 HPをリニューアルしたのはいいが、操作方法がややこしくて、評者はうまく予約できない。
 HPのどこを見てもよくわからない。
 そこで窓口に直接行って聞いたのだが、係員も当惑するばかり。
 一緒になってパソコンを操作してわかったことがある。
 係員(民間)は一度も自分の図書館の㏋で、本を予約したことがないのだ。
 評者と一緒になって、おかしいですね、などと言っている。
 鳴り物入りでリニューアルしたのに、いったいどうなっているのかとあきれてしまった。

全国的な視野で概観できる

 本書は勉誠出版の「わかる! 図書館情報学シリーズ」の5冊目だ。最終回になる。
 「公共図書館における計画と評価」
 「指定管理者制度の新たな動向」
 「都道府県図書館の新たな動向」
 「図書館における経営組織と司書の専門性」
 「公共図書館運営における住民との『協働』」
 「個人情報保護と図書館」
 「図書館建築の動向」
 「公共施設再編と公立図書館」
の8章に分けて、図書館が直面している「新しい動向」を8人が手分けして、コンパクトに解説している。

 筆者はいずれも図書館問題の研究者。
 内容的にダブるところがなく、データも新しい。
 日本図書館情報学会研究委員会の編集ということだが、よく整理されている。
 図書館関係の本では売れ行きトップらしい。

 さて、本書で特に記憶に残ったのは、民間委託を直営に戻した下関市立中央図書館の話だ。
 理由の一つとして「レファレンスサービスの充実が難しい」ことが挙げられていた。
 図書館民営化の根幹はこの「レファレンスサービス」にあると思う。
 一口で言えば、専門知識を持つ司書が、利用者の相談に乗る、ということだが、それにとどまらない。
 「知の拠点」である図書館のレベルアップ、ひいては地域を育てることにつながる。
 それをやめるのか続けるのか。
 担当者の「力量」「図書館愛」がもっとも問われるのが「レファレンスサービス」だ。
 東京・広尾の東京都立中央図書館に行ってみれば、誰しも必要性を実感できるだろう。
 主催しているさまざまなイベントや特集もレベルが高い。
 もちろんすべての図書館で同じことはできないだろうが。

地域の事例も豊富

 ネット社会になって、レファレンス機能はネットに移りつつあるともいえる。
 図書館の㏋で本を予約し、実際に図書館に行くのは本の受け渡しと返却の時のみ、という人も少なくないだろう。
 しかし、ヤフー出身で、現在は図書館プロデューサーとして各地の図書館にアドバイスする立場の岡本真さんは、近著『未来の図書館、はじめます』(青弓社)で、このレファレンス機能をことのほか重視していた。
 「下関市立中央図書館」のケースは、案外、大きな意味を持つのではないか。

 全国的な動向とともに、上記の下関のように、本書は地域のユニークな事例も豊富だ。
 まさに全国の図書館で備えるべき一冊といえる。
 新聞なら、この本をタネ本にして100回の連載ができるだろう。
 地方紙や地方支局の記者の場合、地元の図書館がどんな問題を抱え、全国的に見てそれがどういう意味を持つのか、たいがい知らないはずだから、参考になるはずだ。

 本欄では図書館関係で、
 『図書館さんぽ――本のある空間で世界を広げる』(駒草出版)、
 『司書のお仕事』(勉誠出版)、
 『図書館のこれまでとこれから』(青弓社)なども紹介している。


J-CASTニュース、2019/1/9
「水道民営化」と「図書館民営化」の恐るべき類似
(BOOKウォッチ編集部)
https://www.j-cast.com/bookwatch/2019/01/09008485.html

 2019年2月12日、東京・練馬区立図書館専門員労組のたたかいの経過報告集会「“図書館司書のストライキ”を掲げて」に参加しました。
。。。
 人目を引くチラシの作成やSNSでの拡散は、全国的な注目を集めました。
 不安を抱えながらも臆することなくストライキを構え、提案の撤回を求めた彼女たちのたたかいは、マスコミも注目し、多くの共感と支持を得ました。
 1999年にPFIが導入され、2003年に指定管理者制度が導入され、構造改革の名の下にあらゆる公務職場が営利企業に開放され、公共サービスの劣化が止まりません
 全国的な支持を集めた彼女たちのたたかいは、これからの運動を展望する大きな教訓を含んでいました。
 12日の集会も熱気に包まれ、大きな感動を呼ぶ集会となりました。
 以下に彼女たちの宣言を紹介させていただきます。

[宣言]

 私たちが非常勤雇用の待遇改善と、健康で安心して働きつづけられる職場を目指し、練馬区立図書館専門員労働組合を結成して、21年が経ちました。
 しかし、図書館をとりまく労働環境が改善される兆しは見えません。
 図書館は、地域に根ざし、誰もが平等に情報にアクセスできる、市民生活を支える基盤です。
 にもかかわらず、その現場の多くは、不安定な雇用条件のもと、低賃金で働く非正規の司書によって支えられています。
 その熱意と努力に、民間・直営の区別はありません。

 この状況を変え、図書館で働くすべての人が、専門職としての誇りを持って、安定した待遇のもと力を尽くせる環境を作っていかなければ、図書館を守り、次の世代に引き継いでいくことはできません。
 社会に広く問題を投げかけるきっかけになった、このたびの労使交渉を経て、私たちは総ての図書館員が力を合わせて行動していく必要性を感じています。
 それぞれの現場が起こす小さな風が、全国の図書館員をつなぎ、やがて大きな力となって図書館の未来を変えていくことを信じて、私たち練馬区立図書館専門員は、以下のことを宣言します。

1. 私たちは誰もが安心して暮らせる地域の拠点としての図書館づくりを目指し、図書館を必要とするすべての利用者のために働きます。
2. 私たちは司書の専門性に敬意を払わず、働く者を幸せにしない指定管理者制度には反対します。
3. 私たちは日本全国、総ての図書館員が誇りを持って働けるよう、その地位向上と待遇改善のために活動します。
   そのためにあらゆる努力を惜しみません。


2019年2月12日
練馬区立図書館専門員労働組合一同

[動画]
図書館の民営化・使い捨てはゴメン!〜司書たちのたたかい

レイバーネット日本、2019-02-13 12:08:26
誇りをもって働ける職場めざして

練馬図書館労組「指定管理者拡大に抗する闘い」の報告集会

染 裕之(東京清掃労組委員長)
http://www.labornetjp.org/news/2019/0213some

専門員全員
直営図書館で勤務

 練馬区立図書館への指定管理者制度の導入撤回を求め区側と交渉を続けていた区の非常勤司書「図書館専門員」でつくる労働組合は2019年2月12日、区内で交渉の経過報告会を開いた。
 昨年末にいったん構えたストライキを回避し、今年2019年1月に妥結した交渉の結果、指定管理者による運営が導入されても、専門員は唯一残る区の直営館で全員働き続けられることになった。

 指定管理者による運営は、常勤が働く石神井図書館に2020年4月、専門員が9割を占める練馬図書館に2023年4月に導入される。
 これに伴い、直営は三館から光が丘図書館の一館となり、専門員は57人全員が光が丘で働くことになる。
 組合側は成果の一つに、光が丘のカウンター業務を、現在の民間委託から専門員の仕事とする要求が認められたことを挙げた。

 区立図書館は、専門員が長年ノウハウを蓄積し、引き継ぎながら運営されてきた。
 一方で区は、効率化などを理由に指定管理者に運営を任せる館を増やしている。

 報告会では、図書館運営を民間に任せると不安定な雇用条件で勤務が続かず、専門性が維持されない現状が説明された。
 会の最後に組合の代表者が読み上げた宣言にも
司書の専門性に敬意を払わず、働くものを幸せにしない指定管理者制度には反対する
という一文が盛り込まれた。
 

[写真]
昨年からの労使交渉を振り返り開かれた経過報告会=練馬区で

東京新聞、2019年2月14日
練馬の「指定管理者導入」問題

交渉経過報告会

(渡辺聖子)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201902/CK2019021402000122.html

[参考]
IFLA/UNESCO Public Library Manifesto 1994
(オリジナル)
https://www.ifla.org/publications/iflaunesco-public-library-manifesto-1994
(日本語)
https://www.ifla.org/files/assets/public-libraries/publications/PL-manifesto/pl-manifesto-ja.pdf

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宮沢政次郎

 第158回芥川賞・直木賞が2018年1月16日、発表され、芥川賞に、若竹千佐子さん(63)の「おらおらでひとりいぐも」(文芸冬号)と石井遊佳(ゆうか)さん(54)の「百年泥」(新潮11月号)、同直木賞に門井慶喜(よしのぶ)さん(46)の「銀河鉄道の父」(講談社)が選ばれた。
 このうち、若竹さんは岩手県遠野市出身、岩手大教育学部卒。
 また、「銀河鉄道の父」は、「銀河鉄道の夜」で知られる同県花巻市出身の作家、宮沢賢治と、その父親を題材にしていたことから、ツイッター上では岩手県民や知事から喜びの声が相次いでいる。

現職知事まで反応

「おらおらでひとりいぐも」は、74歳の「桃子さん」を、リズムあふれる文体で「老いの新境地」を描いたもの。
「銀河鉄道の父」は、宮沢賢治の父・政次郎がいかに息子を育てたのかを記した小説。
 今回、いずれの作品も岩手県に関係していることから、ツイッター上では

※ 岩手県人の芥川賞受賞と銀河鉄道の父という直木賞受賞、何故に岩手関連が続いてるんでしょうか。同県人として嬉しく思いますね。
午前10:26 ・ 2018年1月17日

※ 直木賞は「銀河鉄道の父」だし、今回岩手づいてる。
午前7:36 ・ 2018年1月17日

※ 銀河鉄道の父、めっちゃ気になる。てか最近賢治や岩手推しですか…?w
午前1:19 - 2018年1月17日

※ おらおらでひとりいぐも、岩手県人としてやっぱり読まなきゃね。直木賞も銀河鉄道の父ということで、どっちも宮沢賢治関連!岩手が盛り上がる!すごく嬉しい
午後23:29 - 2018年1月16日

と喜ぶ声が相次ぐ中、なかには達増拓也県知事が、

※ 岩手県出身の若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』が芥川賞受賞。ひとり暮らしのおばあさんの話ですが、若い人たちに推奨したいです。普通の人の人生こそ個性豊かで、かけがえのないものだと感じられ、人生捨てたものではないというような、生きる主体性がわいてくるでしょう。
午前9:35 - 2018年1月17日

※ 直木賞に門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』。宮沢賢治を息子に持ったお父さんというのは、大変だと思います。父であることの喜びと大変さは #スターウォーズ #最後のジェダイ でも描かれていたことですが、今、大事なテーマなのだと思います。
午前10:46 - 2018年1月17日

と反応している。


タウンネット東京都、2018年1月17日 20:00
岩手県民歓喜!

県内出身者が「芥川賞」、賢治題材の作品が「直木賞」

https://j-town.net/tokyo/news/localnews/254557.html

宮沢賢治の父、政次郎を主人公にした『銀河鉄道の父』(講談社)で、第158回直木賞を受賞した門井慶喜さん(46)。
私大職員などをしながら小説を書き、のち作家として独立した。
2015年の『東京帝大叡古教授』、2016年の『家康、江戸を建てる』も直木賞候補になっている。
今回三度目の正直での受賞だ。作品にかけた思いなどを尋ねた。

― 宮沢賢治の父親を主人公に描くという着想はどのように生まれたのでしょう。

門井: 子供のために買った伝記マンガに宮沢賢治のものがあり、父親の政次郎が少しだけ出ていました。
 あまりいい印象はありませんでしたが、責任感の強い、立派な人だと思い、調べてみました。
 明治の父でしたが、いろいろなことが分かりました。
 古い父親であると同時に新しい父親でもありました。
 教育に熱心な先進的な父親でもあったのです。

― 妹のトシも従来のイメージとはかなり違う形で描かれていますが。

門井: これまでのイメージとは違うでしょうね。
 歴史小説を書いてきたので、色メガネで人を見ないで、資料を読み込んで書くことが出来たと思います。
 賢治の作品によると、はかない人だという印象があったと思いますが、独立心の旺盛な魅力ある女性だと思います。

― 賢治についても、「まじめな天才」というこれまでのイメージとは違う人物像が提示されています。「親がかりの生活破たん者でオタク」という感じですが。

門井: 先入観なしに書きました。
 宮沢賢治は神格化され、「雨ニモ負ケズ」みたいな道徳的バケモノのように理解されてきましたが、それは違うと思います。
 社会的能力の乏しい、普通の人という側面もありました。
 家族にとってはある意味、やっかいな存在でもありました。

― 門井さんは、『東京帝大教授叡古教授』、『家康、江戸を建てる』に続き、三回目のノミネートで直木賞を受賞した。作家としてどのような展開を考えてきたのですか。

門井: ミステリーから歴史小説という形で進んできたと思います。
 その過渡期に「歴史ミステリー」というジャンルの作品もあったのかな。
 人間たちの行動を描く大きなスケールの作品が『家康、江戸を建てる』だったとすれば、スケールは小さくても人間の真理を描くという作品が『銀河鉄道の父』の系譜だと思います。
 この二つの流れで小説を書いていきたいと思います。

― 今後はどのような作品を。

門井: 連載を二つ持っています。
 一つは、「空を拓く」というタイトルで、初代東京駅の設計者として知られる明治の建築家、辰野金吾の一代記です。
 もう一つは、「地中の星」というタイトルで地下鉄銀座線をつくった人々のプロジェクトを書いています。
 歴史には二つのアプローチがあると思います。
 一つは文字。
 もう一つはモノです。
 だから建築とか文化財には興味があり、3人いる息子たちと一緒にあちこちを訪ねたり、写真を撮ったりしています。

― 栃木県で育った門井さんだが、大学進学を機に京都に出て、関西の空気を吸ったことが今の創作活動の原点になったようですね。卒業後、関東で働いたが、また関西に戻り、いま大阪府寝屋川市に住む。関東と関西はどう違うのでしょうか。

門井: 中世以前の歴史があるのが関西です。
 というか歴史のすべてがあるのが関西です。
 京都が好きで、一時期、京都市内に仕事場を持ったこともあります。

― でも、前回の直木賞候補作は『家康、江戸を建てる』で舞台は関東。今回受賞された『銀河鉄道の父』は、東北・岩手が舞台です。どんどん北上されていますね。

門井: あ、そう言えばそうですね(笑)。
 連載中のものも関東が舞台ですね。
 関西に住んでから、東京が好きになりました(笑)。
 でも関西が好きです。

※ 門井慶喜(かどい・よしのぶ)プロフィール

1971年群馬県桐生市生まれ。栃木県宇都宮市で育ち、同志社大学文学部卒。2018年『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞。大阪府寝屋川市在住。

※ インタビューを終えて

宮沢賢治は父親の政次郎に愛されて、当時としては珍しく旧制中学、さらに上級の盛岡高等農林に進学し、長じても経済的な援助を受けた。
 現代の眼から見ても相当「甘ちゃん」な側面もあったようだ。
 しかし、妹トシの闘病と死を契機に、爆発的に創作に打ち込むようになった。
 受賞作はこれまでの「賢治神話」に修正を加え、まったく思いもよらない人間像を造形した内容になっている。
門井さんは本名が「慶喜」。
 徳川最後の将軍と同じ名前である。
 いつか幕末の歴史小説を手掛けるに違いない。
 歴史小説に新しい視点を導入し、このところ本を出すたびに直木賞候補となり、ついに受賞。
 いま最も旬の作家だ。
 作家の万城目学氏との対談集『ぼくらの近代建築デラックス』(文藝春秋)を出すなど、建築への造詣も並々ならないものがある。
「率直に資料を読み込む」という真摯な姿勢から、今後どのような世界が生まれるのか、期待はふくらむ。
(BOOKウオッチ編集部)


J-CASTニュース、2018/1/28 07:00
直木賞を受賞した門井慶喜さんに聞く

宮沢賢治は「社会的能力の乏しい、普通の人」でもあった

https://www.j-cast.com/2018/01/28319692.html

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2019年03月14日

門井慶喜『銀河鉄道の父』

「まさにダメ息子とは僕だと、書きながら気づきました」
こう語るのは『銀河鉄道の父』(講談社、2017年9月)で第158回直木賞を受賞した門井慶喜さん。
受賞が決まり、祝福の嵐から一夜明けた2018年1月17日、受賞作の執筆秘話や門井さんにとっての「書く意義」を伺いました。

「誰もがそうである」ということが、一番文芸のテーマになりやすい

― このたびは『銀河鉄道の父』での第158回直木賞受賞おめでとうございます。一夜明けて、ご気分はいかがでしょうか。

門井: ありがとうございます。
 僕にとっては大きな出来事なんですけれど、今朝、宿泊したホテルを出れば鳥は鳴き、電車は走り、人びとは会社に出勤しているわけですね。
 ああ、世の中って変わらないんだなと、妙に頼もしくもあったり、ちょっと残念でもあったりしました(笑)。

― 昨夜の記者会見では最初に気持ちを聞かれた際の「風が来た、飛ぶだけだ。そういう気持ちです」というお答えが印象的でした。あれはその場で出てきた言葉だったのですか。

門井: 直木賞のいいところはですね、会見の順番が芥川賞の次ということですね(笑)。
 横で聞いていて「今の気持ちは?」と聞かれると分かるわけです。
 我々は習性といえば習性で、お題を与えられるとついつい言葉をさぐりにいってしまいますから。
 まあ、「飛ぶ」というのは抽象的な表現で、つまりは地面に足をつけてペンを持って書くという意味ですね。
 ペンといってもパソコンですけれど。

― 受賞作『銀河鉄道の父』を書くきっかけは、お子さんのために買った宮沢賢治の伝記漫画を読んで、賢治の父親・宮沢政次郎に興味を持たれたことだったそうですね。

門井: そうです。
 僕自身が男の子3人の父親なんですけれど、子どものために『宮沢賢治』(小学館版学習まんが人物館、850円)を買いまして。
 読んでみたら、ちょっとしか出てこないお父さんが、僕にはすごく印象的だったんですね。
 どちらかというと賢治を抑圧するキャラクターとして書かれているんですが、大人の僕が読むと、責任感のある人なんだな、と分かる。
 それと、賢治が入院した時に自ら看病したエピソードには、そういう父親が明治にいたのかと驚くと同時に、これは現代の読者が現代の心理で分かる話だな、と感じました。
 僕は普段歴史小説を書いていますが、届ける相手は現代の人です。
 当然、現代的なテーマがなければいけないので、これは非常に小説になりうる題材だと思いました。

― 政次郎に関する資料はそれほど多くなかったのでは。

門井: 政次郎については小説も研究書もないので、調べるのが大変だというのは最初から分かっていました。
 同時に、僕が書けば、それは僕が知っている限り、本邦初になる。
 そこに強烈なモチベーションがあったのもまた事実です。

 政次郎に関するエピソードが一番残っていたのは、賢治の回想録、回想記事の類でした。
 賢治の家族から近所の人からその他まで、「賢治さんはこういう人だった」という証言を沢山残している。
 その中に、ついでみたいに「あの時お父さんもおられまして」という文章が1行2行あるわけです。
 それらを寄せ集めていって、情報として蓄積していくのが、初期の大きな作業でした。

 もうひとつ、筑摩書房が『新校本 宮澤賢治全集』というのを出していて、そこに宮沢政次郎の年表もあるんですね。
 これはずいぶん役に立ちました。
 筑摩書房に感謝すべきであろうと思っています。

― 受賞作を読むと、彼は表向きは厳しいけれども、本音は息子を可愛いと思っていたんだなとよく分かります。それと、賢治が社会性のないダメ息子だったんだな、とも。父親像や父子像は資料にあたるうちに明確になっていったのですか。

門井: はい。
 そういう一面があることを見出し、そこに現代的なテーマを感じた、ということですね。
 現代においては僕もそうですけれど、父親も母親も、過保護と厳格の間でウロウロしている。
 自分の立ち位置をビシッと決められないで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラするのが、子育てをするということだと思うんですね。
 そして、そういう「誰もがそうである」ということが、一番文芸のテーマになりやすいんです。

新人賞を獲る前に亡くなった父。個人的には満たされないものがある

― 昨日の会見では、書き進めているうちに、自分が政次郎ではなく賢治に重なっていったとおっしゃっていましたね。

門井: そうなんです。
 政次郎の話のつもりで書いていたら、途中からむしろ「僕は賢治ではないか」と思い始めてしまって。
 僕も長男で、社会的能力がなく、父が会社をやっていたけれど跡を継がず、原稿を書いては新人賞に落ちてばかりいましたし。
 まさにダメ息子とは僕だと、書きながら気づきました。
 最初から気づけって話なんですけれど(笑)。
 でもそれは決して悪いことではなくて。
 そう気づいた時から、テーマが父の話から父と子の話、親と子の関係性の話になったんですね。
 個から入って関係の話へと続いていくのは長篇小説のある意味王道です。
 僕がダメ息子であることは甚だ残念な事実ではありますが、この小説にとっては残念ではない、というふうに思っています。

― こうして直木賞も受賞されて、全然ダメ息子じゃないですよ。

門井: 今はそう言えますけれども。
 結局僕の父は、僕が新人賞を獲る前に亡くなっちゃったので。
 つまりダメな僕しか知らないまま、あの世に行ってしまったんですね。
 そこに父親に対する申し訳なさもあります。
 まあ、言ってもしょうがないことではありますが、個人的には満たされないものがある。
 でもたぶん、満たされないものがあるから、人間はまた次に頑張るんでしょうね。

― ダメ息子同士、賢治側に共感する部分はありましたか。自分のやりたいことを追求する部分とか……。

門井: 共感したというよりは、共感せざるをえなかった部分は多々ありました。
 今となってはきれいな話であっても、一番底にある部分は道徳的に善とは言えないと思うんです。
 社会で必要とされているものより自分がやりたいことを選ぶというのは、僕は決して美しい心理だとは思いません。
 それは宮沢賢治であっても、門井慶喜であっても、誰であっても同じです。
 そういう善ではないもの、でも誰もが心の中に持っているものを、紙の上に文字として定着させる。
 そういうことが小説の機能というか役目というか、目的かもしれません。

― ご自身の息子さんたちが賢治みたいになったらどうされますか。

門井: はぁ……(深い溜息)。
 今、一番上が中3なんですが、将来大きくなって僕に「人造宝石の会社を作りたいから、お父さんの印税をくれ」って言うなんて……。
 それは考えたくない未来です(笑)。
 僕はいつも、書かなければいけないと思うから書いている

― あはは。今ちょっと思ったのですが、門井さんは「自分が書きたいから書く」というより、書く意味や意義をかなり意識して書かれているのではないですか。

門井: ああ、それはおっしゃる通りですね。
 僕は新人賞に応募していた時代から、書きたいから書いているという瞬間は一瞬もなかったと思います。
 僕はいつも、書かなければいけないと思うから書いている気がします。
 大袈裟に言うと日本の文化のために、日本の文明のために、ということになるんでしょうけれど。
 そこまで言わなくても読者のため、誰かのために役立つからこれは届けなきゃいけない、届けるのはお前しかいない、だからこの仕事をしなさい、というふうに自分で自分に義務を課している。
 それが僕にとっての書く行為だというところはありますね。

― ミステリや歴史小説などさまざまな作風、テーマの作品をお書きになりますが、共通するのはやはり“歴史”ですよね。それもやはり、歴史を書くことは誰かの役に立つから、という思いからですか。

門井: 歴史の中には現代がいっぱいあるんですね。
 そのことを意識すると歴史はすごく面白いんですけれど、意識しないと単に知識の羅列、数字の羅列になる。
 僕も知識の羅列には興味がなく、そこに現代があるから面白く感じているんです。
 そういう意味では僕にとって、歴史小説や歴史に材をとったミステリというのは、まさにぴったりのツールなわけです。
 歴史から現代を引っ張ってきて、現代の読者に届けるわけですから。

もし1日が48時間なら軍事史や外交史、南極探検史も学んでいるかも

― しかも扱う歴史というのが、古典美術であったり、建築物であったりもする。本当に博学でいらっしゃいますよね。もともとお好きなんですか。

門井: 過去のものはみんな好きですね。
 物書きになっていなくても、間違いなく歴史には興味を持ち続けていました。
 美術や建築だけでなく、政治史も経済史も機会があればぜひ勉強したいですし、もし1日が48時間だったら、軍事史や外交史、あるいは南極探検史も学んでいるかもしれません。

― 得た知識を小説の中に面白く溶かし込めるところに技術を感じます。門井さんの小説はとても分かりやすいですが、そこは非常に配慮されているのかな、と。

門井: 歴史小説って難しいという先入観ってありますよね。
 前もって知識が必要、とか。
 僕は声を大にして言いたいのですが、少なくとも僕の作品に関する限り、そんなことはないはずです。
 スラスラ読めて、内容的にも深いものがあるはずだと自分では思っています。

― ところで、門井さんは、大学は京都の同志社ですが、卒業後は栃木の実家に戻られたんですよね。その後また関西に移り住んだのはどうしてですか。

門井: 歴史が好きだからだと思います。
 最初、関心の中心にあったのは京都ですが、今はもっと広がって、大阪も神戸も面白いですね。
 関西というのは狭い面積の中に、全部の時代がある。
 奈良という古代都市、京都という中世都市、大阪や神戸という近代都市が全部、電車で1時間2時間のところにある。
 僕にとっては関西全土が博物館みたいな感じで、すごく好きなんですね。
 もちろん、東京、横浜、札幌なども面白いと思いますけれども。

門井さんのガイドで近代建築を鑑賞する「ブラカドイ」

― そういえばTwitterで「ブラカドイ」という言葉をお見かけしました。横浜近辺の作家や書店員の方たちが集まって、門井さんのガイドで近代建築などを見て回る集まりがあるのですか?

門井: ああ、その話題が来ましたか……!
 「ブラカドイ」というのは恥ずかしいので、僕は「横浜会」と呼んでいるんです。
 最初、横浜の方々を集めて、その方たちの前で僕が横浜の近代建築について語るという、意味の分からない、厚かましい会がありまして。
 それが好評だったのか、翌年である一昨年(2016年)には富岡製糸場、昨年(2017年)には東京・上野に日帰りで集まりました。

― 楽しそう。本日お話を伺っていてもとても説明がお上手ですし。そんな門井さんが今後どんなテーマの小説を書かれるのかも気になります。

門井: 『銀河鉄道の父』を刊行した2017年9月後で書き始めたものが2つあります。
 ひとつは「別冊文藝春秋」で「空を拓く」というタイトルで、辰野金吾についての連載をさせていただいています。
 現在の東京駅の設計などを手掛けた建築家ですね。
 以前『家康、江戸を建てる』という、何もないところに江戸という町を作る話を書きましたが、今度はもともと江戸があるところに東京を作る話です。
 江戸が東京になっていく姿を辰野金吾という一人の人間に託して書くという野望を持っております。
 もうひとつは「yom yom」で「地中の星」という連載が始まります。
 これは地下鉄銀座線を開通させた、早川徳次ら関わった人々のプロジェクトの話になると想定しています。
 つまりしばらくは、近代日本の地上と地下を行ったり来たりする生活になりますね(笑)。

文春オンライン、2018/01/21
直木賞受賞 門井慶喜

「満たされないものがあるから、人間はまた次に頑張るんでしょうね」

受賞作『銀河鉄道の父』

(瀧井朝世)
https://bunshun.jp/articles/-/5933

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天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』

 私が宮沢賢治に関して最初の著作を刊行したのは、40年余り前、1968年1月であるが、その内実となる本文を同人誌「凶区」に連載を始めたのは1964年である。

 そもそも、その題名「宮沢賢治の彼方へ」は何時、何処から来たかというと、連載開始前号の表紙裏に「次号予告」をと言われて、とっさに思い付いたのだと、長い間、私自身、思い込んでいた。

 ところが、はるか後年、それも今回刊行の新著『《宮沢賢治》のさらなる彼方を求めて』(2009年)の原稿束を2006 年秋に筑摩書房へ渡したあと、昨年になって、偶々、半世紀前に私が初めて書いた短い賢治論の切抜きに目を通してみると、そこに、
「……天才である賢治をのりこえてその彼方にあるもの、人間としての賢治をつかまえねば……」
などとほざいていたのであった。
 大学2年時、1957年のことである。

 そこで私は急遽、筑摩書房編集部にも相談して、校了直前にこの、20代初頭の拙文「宮沢賢治論序説」を、そのまま、今回の書物の「序にかえて」として掲げることにした。

 しかし、「彼方」とは、どういうことを言うつもりだったかは、必ずしも明らかでない。

 1964年6月の、「凶区」連載第一回の序章では、
「ぼくは作品の彼方へ行きたい」
「宮沢賢治の作品の彼方を見るのだ」
と書いていて、これは1968年の初版でも、後の文庫版でも同じだが、この「作品」概念の重視は、当時熟読していたモーリス・ブランショの影響だけれども、1957年はまだ、ブランショのブの字も知らずにいた。
 それでも、年譜的事実への還元を非とし、聖人視・天才視から脱却しようという意志をそのときから明言していて、以後のわが賢治論全体の「序」たりえている。

 後に私が、何かといえばブランショを援用して得々と弁じるたびに、大岡信さんに、
「そんなことはとっくにヴァレリーが、必要なことをみんな言ってるよ」
と、たしなめられた。
 じっさいヴァレリーが、
「詩人たちの伝記についての知識は、かれらの作品を賞味したり、そこから芸術上の教訓や問題を引き出す場合、たとえ有害ではないとしても無益である」
と断じながら、ヴィヨンとヴェルレーヌの場合を例外としているのを知って、私も、宮沢賢治の場合もまた、少なからぬ例外の一つであると、柔軟に考えることにしている。
 ただし、ヴァレリーもブランショも、言っていることは基本的に正論であり、それ以来私は特にその正当性にかんがみて発言するものであることのしるしに、自著の題名では
『《宮沢賢治》論』
『《宮沢賢治》注』
等と、二重山カギ《 》を用いることにしている。
 ただ、いちいちそのことを明示する必要のないときは、煩雑であるから、ふだんは《 》は原則として省略している。

 さて、「の彼方へ」とは何か。
 この前置詞句は、じつはフランス語の《au del de》の直訳である(反義語は《en de de》)。
 日本語の「彼方」は時間的と空間的の両義をかねていて、反義語「の手前に」が限定的であるのに対して、「の彼方へ」は無限に遠くまで広がるという特質がある。
 しかしいずれにしても、この前置詞句の核になっている《l》も《》も、その正体は代名詞であって、実体は何もなく、「〜のあっちへ」(「〜のこっちへ」)という方向指示語にすぎないから、「彼方」という漢語の意味深長さは、もともとフランス語にはなかったのだ!

 ただ、時間性を考えに入れると、「《宮沢賢治》の彼方」は、オリジンへの遡行を含みうるように思われる。
 一体、《宮沢賢治》は、いつどこから、この私にやってきたか?

 具体的には、幼時の私に父親がもたらした『賢治童話集』という書物。
 それらをさらに遡ると、父親が同僚の西川氏から借りたもの――その西川伍朔さんが今年の一月に死去されたので、この私への《宮沢賢治》到来の経緯の詳細はもはや聞くべくもなくなった。
 残されたのは茫漠たる「過去時の彼方」のみ。


いまさらながら、《の彼方》とは何か
天沢退二郎(あまざわ・たいじろう 詩人)
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/261/

銀河鉄道の夜 エンドロール.mp4
https://www.youtube.com/watch?v=KlgK9dXD8HY

春と修羅の有名な序の常田富士夫さんによる実に素晴らしい朗読入り:

わたくしといふ現象は

假定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといっしょに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)


これらは二十二箇月の

過去とかんずる方角から

紙と鑛質インクをつらね

(すべてわたくしと明滅し

 みんなが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつゞけられた

かげとひかりのひとくさりづつ

そのとほりの心象スケッチです


 最近、宮沢賢治の本を少しづつ読み始めたのは、福島県天栄村羽鳥の山小屋に退避させている本の中、ひょんなことから手にした天沢退二郎さん著『宮沢賢治の彼方へ』を読み始めたことが契機であった。 
 奥付では1979年1月第二刷となっているから、その日付のそう遅くない時期に購入したものだろう。1980年前後。大学の最終年次に当たる。定価2,400円とあるから学生時代はそんな立派な本は買えないので、社会人なってかもしれない。

 読み始めたというのは少し正確ではなく、読み始めてさっぱり歯が立たないのだ。
 新潮の文庫本で宮沢賢治の本は多少読んでいたし、『銀河鉄道の夜』はこのBlogで取り上げた通り、第一稿から最終稿まで読んでいる。
 多少の前提知識はあるだろうくらいで本を手にしたが、これがさっぱりついていけない。

 それであらためて宮沢賢治を読み始めたわけだが、そんな訳の分からない「難解」な本は敬してこれを近づけずでもよいわけだが、何故か賢治を猛烈に読みたくさせるようなものが、本書にあった。
 本書で取り上げられた作品を再読・再再読しながらまた本書に戻ってという時間のかかる読み方で、本日ようやく読了。
 とても現時点でコメントできるような位置に立ってていない。

 宮沢賢治の作品を読むと、一見、自己犠牲の美しさを述べる内容のものが多い。
 あるいは自分以外の命を犠牲にして自分が生きていることを恥じるというバリエイションもある。
 『よだかの星』のよだかは、夜空を飛びながら口の飛び込んでくる虫を食べている。
 カムパネルラは川に落ちた友人を助け、自分はそのまま死んでしまう代償として銀河鉄道に乗って来た。
 「《身をほろぼすことの善》を賢治の最高善に置いて」理解する姿勢は意外に賢治読者の多数派であるかもしれない。
 『グスコーブドリの伝記』はその究極で、グスコーブドリは自らが死ぬことで農民皆を救済する英雄的な結末を持って居る。

 天沢さんの「宮沢賢治の彼方」とは、こうした自己犠牲を第一義的な至高善とは賢治は考えていなかった、少なくとも初稿から時間を経て書かれた作品(たとえば『銀河鉄道の夜』、『風の又三郎』)は、そうした傾向が顕著である。
 では賢治が目指した至高善とは何か。
 天沢さんは『学者アラムハラドの見た着物』を引きながら次のように書いている。
 学者アラムハラドがその十一人の生徒に向かって「人が何としてもさうしないでゐられないことは一体どういふ事だらう。考えてごらん。」と問うたとき、まず大臣の子のタルラが立って「人は歩いたり物を言ったりいたします」と答え、アラムハラドに「もっと大切なものがないだろうか」と示唆されて少し青ざめ、《小さな獅子のやうに》「私は飢饉でみなが死ぬとき若し私の足が無くなることで飢饉がやむなら足を切っても口惜しくありません」と答えるのをきいて、アラムハラドは《あぶなく泪をながしさうに》なる。
 だがこの明らかにグスコーブドリ的な自己犠牲思想の表白ははまだまだ低次の段階の答えにすぎなかった。
(中略)
 次にブランダという子が答えていう−「人が歩くことよりも言ふことよりももっとしないではゐられないのは、いゝことです。」
 アラムハラドは云う−「さうだ。私がさう言おうと思ってゐた」ことだと。
 しかしまだ至高の答えにはほど遠い。最後に答えるのは(中略)セララバアドといふ子である。
「人がほんとうのいゝことが何だかを考えないではゐられないと思います」
(P61「よだかはなぜみにくいか」)

 このように筋を説明しながら天沢さんは宮沢賢治自身が、必ずしも至高善ではありえない自己犠牲のさらに彼方で《ほんとうにいいことが何だか》が賢治に理解できていなかったことを指摘する。
 ジョバンニの「けれどもほんとうのさいはひは一体何だらう」と自問したり、カムパネルラに問いかけたりするばかりで、これが「さいはひ」であると具体性をもって説明することはできていない。

 しかしその「説明」が賢治自身としてできたと思ったら、おそらく文学からはどんどん離れて、たとえば宗教に限りなく近づいてしまうのだろう。
 「さいはひ」を求め続けること、その発見の不可能性が賢治を不安にし、『銀河鉄道の夜』の暗い夜の世界の巡礼になるわけだし、物語発生の契機になる。

 ところで賢治の童話とはなんなのだろう、と思う。
 誰に向かって書いているのか。
 普通に考えれば童話は子供向けのお話であり、その中に楽しさや喜びや悲しみ、あるいは人生の有意な知恵を例示されたりするもの。
 だが賢治の「童話」はかならずしも子供を向いて書かれているようには思われない。
 たぶん賢治にあっては、このような書き方以外にはありえないものの書き方なのだろう。

 そうした童話を論考する天沢さんの著書なら、賢治の作品を一応総覧したから、一応あとはついていけるくらいにはなった。
 しかし意外にも『春と修羅』はじめとする詩作品が今度は困難を感じてしまう。
 またもう少し詩を読み込んでから、本書を再読することになるのかもしれない。

 不思議な本であった。


福島・羽鳥・ログハウス・四季、2016年10月02日13:07
福島県天栄村羽鳥に山小屋があります。 羽鳥の四季の中で読んだ本、その他感想を徒然に書いています。
天沢退二郎著 『宮沢賢治の彼方へ』を読む
http://blog.livedoor.jp/mozart08/archives/1688996.html

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天沢退二郎

青春は満たされないものの中に存在する、と言えるのではないだろうか。
とすれば、青春を謳歌すると言う言葉は、青春が終わった者が思う郷愁に過ぎないことになる。
和田城志「駆り立てられるもの」

 ヤッホーくんも同級生も卒論書いているころ、同級生が宮沢賢治論を書いているけど、何かいい本ないかなって聞いてきたことがありました。
 いつのころ?禿げ、デヴ、頻尿、血便、リストラ直後のヤッホーくん、もうムカシのことは、朧月夜、濃霧注意報、猛吹雪で、前後不覚。
 ぼうと生きてきたせいか、目をこすっても鼻をくんくんしてもだめ、ただ、一人なんか浮き上がって、おいでおいでしているような感覚。
 ちさちゃん、元気にしているかな?そうだよ、ちさちゃんから電話で聞かれたからね、イマ読んでる本を教えたって母ちゃんに喋ってた。
 夢ん中。
 あの頃、読むようすすめた本の著者は、アマタイこと天沢退二郎(1936年東京生まれ)だったってことが蘇ってきたのです、突然、今朝! 

 天沢退二郎が、ひたすらにママチャリをこいでいる。
 彼が暮らす千葉 chiba をフランス語読みしたシバを死場、詩場と読みかえ、彼はペダルを踏む。
 自転車がはしる。
 終わりも目的も拒否する、エンドレスなロードムーヴィーのように。

 本作冒頭、天沢は、詩人なんて正体を見せたくないと語る。
 なかば、自分探しなどくだらない、そんなものはないのだと静かに語気をつよめ、ラストには「天沢さんは詩人ですか?」という問いに対し、

詩人はどこにいる?
詩人はね、ほら、
詩の言葉の、ちょうど
すぐ斜めうしろのところで
ふっふっふっふっ
と笑っているよ

「あのわらいごえだけが《詩人》さ」
と1976年の詩集『les invisibles 目に見えぬものたち』の一節を読む。
 一貫しているのだった。

 公園の遊具にたわむれ、ママチャリをこぎ、半廃墟ともいえる「通信所跡」で詩を朗読し、また自転車にまたがり、舗装の粗い砂利道、「砲台跡」、「壕の跡」、住宅地を転々と移ろう。
 そして、移動は、時間を越え、渡る。

 フランス現代思想にリンクした批評、詩作により「60年代詩人」ラディカリズムの旗手と称された若き日の天沢を題材に、鈴木志郎康が撮影したフィルムが路上の無造作なコンクリート壁に映写される。
 夜風にうたれながら、彼はかつての自身を見つめる。
 後年、天沢は60年代の自身の詩作を反省しつつも、

「モダンジャズの大音量の吹き荒れる店内で、二時間、三時間と居続けたあげくに、ついに無限の自由を獲得した右肘を利かせながら、ペン尖から奔る言葉を書きとめて行くという『行為』のことを、今更後悔できるわけがない」
(「現代詩手帖2010年11月号」)
と記している。
 彼は決してこの「行為」の「自由」を忘れてはいない。

その裏側の廃墟に沿って
ずーっと奥へ行くとどうなるか
知ってるか?
足跡ひとつない乾いた土のみち
ダダダーッとオートバイで駆け入ると
両側の草むらが迫ってきて
気がつくと何もないんだよ
ほんとに何も なーんにもないんだよ!

(「帰りなき者たち22」『帰りなき者たち』より)

 天沢は朗読する。
 「何もない」へと「駆け入る」「オートバイ」は、ママチャリだ。
 彼のたたずまい、声には、どこかオプティミスティックな気配が漂う。
 だが、本気なのだ。
 自転車ではしりつづけ、ついに彼は、
「自分はどこに住んでいるのかわからなくなる」と言う。

 千葉、詩場、死場は、単なる言葉あそびではない。
 切迫する空無を巡り、刺しちがえ、引き起こる錯乱こそが、天沢のラディカルな「行為」だから。
 天沢は、ママチャリをこぎつづけている。


[動画](*)

Edge、2005.07.09
Edgeはスカパー!で2001年から放送しているアート・ドキュメンタリー番組です。
天沢退二郎の過去と現在
(text 菊井崇史)
http://edgeofart.jp/千葉%e3%80%80詩場%e3%80%80死場%e3%80%80天沢退二郎の過去と現在/

(*)
金子遊のこの人に聞きたいVol.15 
鈴木志郎康(詩人、映像作家)インタビュー 前編 
「職業カメラマンから個人映画の世界へ」

・・・
金子遊:

 その頃から8ミリで個人映画を撮りはじめたんですね。「フィルムメーカーズ」という雑誌のインタビューでは、広島へ飛ばされて天沢退二郎、菅谷規矩雄らの詩誌「凶区」にプアプア詩などを書いていた時期に、「ニコン8ズーム」で8ミリ映画を撮りだしたと言っています。

鈴木志郎康:

 ニコン8ズームは広島で買った8ミリカメラですね。
 NHKで働いているディレクターやカメラマンは局の仕事だけでなく、自分の作品を作りたい、自分の映画を撮りたいという欲望を常に持っているものなんですよ。
 ルーティンワークばかりだとおもしろくないから、自分の作品を作りたいと思うようになった。
 広島に飛ばされて、余計に自分の表現で抑圧されているものをストレートに吐き出していく方向になった。
 プアプアの詩を書いた時も、そういう気持ちで辿り着いた方向だし、8ミリ作品も自分の映画を作りたいという気持ちが強かったということがある。

 8ミリ映画を作るときの手本としたのは、大学卒業の直前に見たロマン・ポランスキーの『タンスと二人の男』(58)という短編です。
 ぼくの8ミリフィルムの映画はヌーヴェル・ヴァーグの影響で作っているんだけど、劇映画ではなくて、自分の周りにある素材を使って虚構的な空間を作りあげるという感じでした。
 といっても撮る対象は、結婚して一緒に生活している悦子さんという一人の女性、それから広島の街くらいしかない。
 それにダブル8の画像は小さくて、16ミリフィルムの職業カメラマンとして働いているぼくには不満でした。
 それでも、自分の映画製作の要求を満足させようと8本の短編作品を撮りました。

 最初に作ったのは『Eko Series』とでも言うべき5本の短編シリーズ。
 橋の上を一人の女が歩いてきて、橋の上に落ちている本を見つけると、そこに卑猥なアフリカ原住民の写真があるのに驚く『Eko on the Bridge』(63)。
 冷蔵庫の中に冷やしておいてある粘土で作った男の首にキスする女を描いた『Eko in Blue Kiss』(63)などなど。
 あまり成功しなかったけど、自分なりに何らかの「物」が意識下に抑圧されている人間の欲望を引き出してくる、というのを映画でやりたかったんでしょう。
 一つの発見は、グラビア写真を画面内に取り込むことで、自分の狭い生活空間から映像をもっと広げられると気がついたことです。

 その他にも『宣言』(63〜67)、『NITORISH WIFE―出産之神秘』(63)、『家』(67)という作品を撮りました。

 69年に「凶区」の同人だった天沢退二郎が結婚し、彼も映画好きなので同人が結婚記念に贈る8ミリ映画を作ることになって、ぼくが撮ることになった。
 広島大学でフランス文学会があって天沢が広島に来たとき、広島の宇品線という蒸気機関車が走っている路線で、その前を逃げるように走る天沢の姿を撮影しました。
 それからフィクティヴな物語を作り、同人の藤田治と高野民雄に出演してもらい、天沢退二郎の詩の美しさになっている曖昧性を映像で再現してみようとした。
 それで天沢退二郎の写真を顔につけた二人の男(藤田と高野)が出没し、抱き合ったりする奇妙な『アマタイ語録』(69)という作品ができたんです。


。。。

映画芸術、2010年10月17日
インタビュー
http://eigageijutsu.com/article/166031575.html

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2019年03月13日

伝説のクライマー、和田城志

好きやからしゃあないな
和田城志(せいし)
2016年10月28日、新宿区スポーツセンター

■ 450回目の報告者は“伝説のクライマー”和田城志さんだ。
 和田さんのお話しが聞ける!とあって、会場には、いつもは見かけない人たちの姿も多くみえた(北海道から飛行機に乗って、和田さんに一目会いたいと二次会へ駆け付けた、山岳会所属の女性までいました)。

◆ まず、江本嘉伸さんが自分にとっての和田さんは「『サンナビキ』の和田城志」だ、と話し始める。
 1972年に結成された、豪雪の黒部、釼岳を舞台に豪快な登攀を実践してきたクライマー集団「サンナビキ同人」。
 当時から和田さんに注目していたのだという。
「60歳なら60歳、70歳なら70歳の生き方があるはずだ」
と江本さん。
 いまも行動をつづける和田さんを、「地平線会議」が目指しているものの体現者でもあり、「現役で生きつづけている人」と紹介した。

◆ 和田さんは、5日前に大阪の家を出発、自転車で旅をしながら会場へやってきた。
 前夜は川越の山仲間の家に泊まってしこたま呑んだそうだが、そんなのどこ吹く風で、エネルギーに満ち満ちているふう。
 ものすごい、酒豪なんだそうです。
 山は垂直、地平線会議の地平線といえば水平だ。
 ヒマラヤ全域を旅して水平の広がりを見た今、自分を「山岳オタク」と謙遜、さらには
「岩登りと冬山登山ばかりやっていたので、水平の魅力を知らなかった。30歳くらいで目覚めておけばよかった、と今は後悔しています」

◆ 和田さんにとって、山岳の世界には当時「スターがおりすぎた」という。
 すごい人がいて、憧れた人たちを追いかけることで精いっぱい、気づけば40歳近くになっていた。
「青春、というか、人生そのものが詰まっていますね」
というのが、冬の黒部、釼岳。
 30年間、ほぼ毎年正月と3月に登攀をおこない、15回の黒部横断を成功。
「横断できるルートは全て踏破し、残っているところはない」
というほど、入り込んだ。
 つねに天候が悪く、日本の山の難しさの神髄ともいえる山。
 登攀に2週間はかかるため、
「そんな時間を費やして、ほかに誰もやらない」。
 若いアルパインクライマーたちが最近、黒部に出かけてくれているのは嬉しい。
「僕が認められた気がする」と和田さん。

◆ 一番熱中した理由は、釼沢大滝の存在だ。
 スケールが大きく、
「奇をてらった感じもある」という1983年の遡行が、とくに
「ラインがきれいで、手ごたえがあった」という。
 釼沢尾根、大滝尾根、十字峡の渡渉。
 たくさんの写真が映し出される。

◆ 和田さんは学生運動真っ盛りの1969年、大阪市立大学に入学して山岳部へ。
 京都大学山岳部の影響で、人のやらないことをやる「パイオニアワーク」に惹かれていった。
「未踏峰に行かなくては」
との思いから、積雪期の黒部横断と釼沢大滝のほかに、目指したのはヒマラヤの初登頂。
 1978年に東部カラコルムのゲント(監)(7,343m)とネパールのラタン・リルン(7,246m)の二つを初登頂した。
 日本の山をやめて、ヒマラヤニストになろうかと思ったのも束の間、飛行機の窓からナンガ・パルバットのディアミール壁を見てしまう。

◆「話にならんのですよ」と和田さん。
 ちょうどその時、ラインホルト・メスナーが単独でそこを登っていた。
 世界のトップクライマーたち(メスナー、イエジ・ククチカ、エアハルト・ロレタン)は、当時、8,000m峰のバリエーションルートに挑戦しており、
「技術、体力、アイディア、すべて桁が違った」。
 そのため、
「自己主張するということができなかった」
和田さんだが、
「この山だけは自分がひらいた」
というのが、マッシャーブルム北西壁新ルート。
 非常に難しかったし、ものすごく危険だった。
「こう登って、こっちにきて、ここは話にならんくて……」
と、山の写真から、ルートを生き生きと追ってゆく和田さん。
 素人目にはなにがなんだかわからず、あそこを登れるってことが、そもそも信じられません……。

◆ オーストラリアのクライマーたちも登ってきて、キャンプ3で顔を合わせた。
 合同隊になろうと言われるが、こちらは一ヶ月以上もやってほぼルート工作もできている。
 和田さんたちが初登頂、オーストラリアのクライマーたちが同ルートを二登した。
 この登攀は、賞をもらったわけではないが、ヨーロッパで話題になったという。

◆ マッシャーブルムのあと、つづけて、ブロード・ピークにも登頂。
 14座を狙う人のほとんどは8.000mということで「III峰」や「IV峰」(いずれも8.000にわずかに足りない)ではなく、ガッシャーブルムII峰へ行く。
 「8.000m14座」などの記録は、山ではなく数字を見ているのではないか、と和田さん。
 人がやらないことをやるのが登山なのに、それでは「品がない」とばっさりだ。

◆ ほかにも情熱を傾けたのが、どの面から登っても雪崩のリスクが非常に大きい山、ナンガ・パルバット。
 カンチェンジュンガ縦走を果たした1984年には、ディアミール壁に、1985年にはルカパール壁中央側両稜(メスナールート)へ挑んだ。
 ナンガ・パルパットへは3回頂上近くまで行くが、届かなかった。
「手に入れたのは、マッシャーブルムだけ」
 ところどころで詩的なフレーズが現れる和田さん。
 登りたい山はたくさんあったが、1987年に冬の立山で滑落、右膝の十字靱帯損傷で登山を断念。
 2年後に敗者復活戦で黒部へ戻ってからは、再び山へ挑戦しつづけた。

◆ 1991年に挑んだのが、イエジ・ククチカが登ったのちいまだ第二登されていないパティン柱状岩稜(ポーランドルート)。
 フィックスロープを6,000m使って76日間粘ったが、7,800mで断念。
 雪崩と落石だらけで、恐怖心もすっかり麻痺してなくなる、「狂ったルート」だったという。
「ここまで上がれば、あと少しだったんだけどねえ」
 郷愁がにじむような、でもどこかさっぱりしたような、そんな口調が、印象的だった。

◆ 高知の土佐湾のそばで生まれ育った和田さんには、「根っからの放浪癖」があるという。
 しつけの厳しい母に育てられ、家の中のさまざまなことが苦痛。
 小さい頃から週末には家を抜け出して海岸でごろ寝。
「布団で寝ない、朝のけだるさ」
が好きだったという。
 いまは誰にも怒られないため、風呂嫌いで下着もなかなか替えない。
 不快になってきたら、パンツはひっくり返して履く。
「旅も、あらゆること、自分が正しいと思うことや思わされていることを、ひっくり返してやる」

◆ ということで、後半は「垂直」から「水平」の世界へ。
 2012年に挑戦した「ヒマラヤ全域横断」と「冬のおくのほそ道」の話になった。
 「放浪癖」があるとはいえ、和田さんが打ち込むのは「アルピニズム的な旅」だ。

◆「その前に、小難しい話です」と始めたのは、「身体性」についての話。
 会場に向かって「車の免許を持っていない人は?」と、和田さんが聞く。
 数人しかいない。
 和田さんはバスや電車、人の車には乗るが、自分で運転するのは「足・自転車・ヨット」とエンジンのないものばかり。
 そう遠くない未来には人工知能によって自動車が全自動で動くだろうといわれる中で、大事なのが「身体性を通しての解釈」であり、「登山も旅も、身体性に訴えるもの」と考えているという。

◆「ヒマラヤ全域横断」は、8月1日出国してネパールへ。
 シェルパ2人(途中から3人)を雇い、食料はほぼ現地調達、薪を担いでの山旅だった。
 カンチェンジュンガからルンバサンバへ向かう途中で肺炎になり、ヘリコプターでカトマンズへ。
 カトマンズから再出発して、マカルー、ソロクンブ、ロールワリン、ランタン、ガネッシュ、マナスル各山域を歩いた。

◆「頂上に登るのもいいが、毎日毎日、山から山へと旅するのが面白かった」と和田さん。
 トレースもなにもない大雪原。
 真っ白な山々。美しい写真がつづく。
「登山の素養がなければいくことのできない場所」
というが、「素養」のレベルが限りなく高そうです……。

◆ 村に着いて飲み屋があれば、呑む。
 キャンプするときは
「『まずは酒、それから肉』を探して」とシェルパに頼んだそうだ。
 ロキシーを作っている様子、解体ほやほやの肉の写真、燃料となるヤクの糞、子供たち。
 山以外の写真も映される。
 この旅は、アンナプルナ山麓のパーミッションでビザが切れていることがわかり、国外退去となって、帰国するはめに。

◆ 口惜しい気持ちで日本に着いた11月29日は、和田さんの次男の結婚式の5日後だったという。
 旅に出る前に欠席は伝えていたが、新婦の親族はびっくりしていたとか。
 12月、新婚の次男夫妻と妻と家族旅行へゆき、そのまま「よいお年を」と挨拶、いてもたってもいられず、「冬のおくのほそ道」の旅へ向かった。
 妻や息子は慣れたものだが、「やっぱり、次男の嫁さんはびっくりしていましたね」

「冬のおくのほそ道」は、12月17日に深川の芭蕉庵跡から歩き始めて、ほぼ芭蕉の辿った道を歩く2ヶ月弱の旅だった。
 雪の中を歩いて夜は野宿。
 落石や雪崩があるわけではないのでどこでだって寝られる。
 旅では
「金があったらぜんぶ飲み代に使う」という和田さん。
 夜は居酒屋でしこたま呑み、そのままそこで泊めてもらうこともあった。
 そうやって道中を楽しみながらも、この旅は、アルピニストだから冬に、詩を好むので「付け句」をしながら歩くことで、芭蕉とのシンクロを期待したが、失敗に終わったという。

◆ 肉体を使って、頭でなく足で感じようと旅をしているのに、昔の街道は国道となっており、車の横を歩いているだけ。
 日本もネパールも同じで、
「車の便利さは過疎を減らすのではなく助長しているし、文化や生活を劣化させている」というのが和田さんの実感だ。
 この年、1年のうち家にいたのは3分の1ほど(その間もあちこち旅ばかり)。
 トラバースも未完成、芭蕉も消化不良で、翌2013年には、残していた「ネパール北西部」を目指して旅立った。

◆ ネパール北西部は、情報もなく訪れる人もほとんどいない。
 未踏峰がたくさん残る面白いエリアだ。
 日本人でこのエリアに一番入り込んだ大西保さんから資料を譲り受け、大西さんも歩いていない峠を2つ越えた。
 1つは「どこから来たのか」と現地の人にも驚かれたので、現地の人も未踏の山かもしれない。
……まだまだスライドはあるのだけれど、このへんで時間切れ。

◆ 今後は、できることなら「伊能忠敬の足跡を辿る旅」をやりたいという和田さん。
 そして、
「またネパール北西部に行きたいが、もう山は厳しいかなと思っているところ」なのだという。
 一つ登攀や旅で一回の報告会になるものばかり。
 2時間半の間、ばんばんと提示されるスケールの大きい登攀につぐ登攀、そして旅!
 とても一回には収まりきらない、贅沢すぎる報告会でした……。
(お話のスケールが大きすぎて、とっかかりすらつかめなかった 加藤千晶)


報告者のひとこと
身体性としてのアルピニズム
和田城志

■ 地平線会議という得体のしれない団体(失礼)で、私のようなアルピニズムオタクの話が通じるかどうか不安がありましたが、分かってもらえたようです。
 私は今ではしゃべり過ぎていますが、現役バリバリのときは記録を外に出したことがありませんでした。
 1987年、冬山遭難をして登山することが絶望的になり、7ヶ月の闘病生活の中で過去を振り返るような気分で書き始めました。
 40歳位のときだと思います。

◆ 登山(冒険)では、独り黙々と打ち込んでいる姿は格好いいのですが、ひとたび人目にさらされだすと、ひどく安っぽいものに見えるものです。
 行為も表現も際立たせようとして、過剰な演出をしがちです。
 大体、登山や冒険は極道もんのする行為で、あまり目立たない方がいいのです。
 社会的な価値があるような中途半端な意味づけは、特に品がありません。

◆ 探検は違います。
 見た目の行為にはそれほど差がないのですが、動機の深層心理には違いがあります。
 険と検の違いです。
 危険を冒す冒険は文学部、かっこよく言えば芸術活動、探して検分する探検は理学部、つまり科学的好奇心です。
 戯作と実学の差があります。
 桑原武夫は『登山の文化史』の中で言っています。

「近代アルピニズムの起源となり、またその指導精神となったのは、近代自然科学である。恐れられていた山にまず入りこんでこれを開発していったのは科学である。芸術的静観のごときはその後にあるのであって、最初の原動力とはなりえないものである」

 このような意気込みで行う行為なら、大いに主張してもらっていいのです。

◆ SNSの発達した今では笑い話のような主張ですが、登った尻からいちいち記録を発表するのは、目立ちがり屋で格好が悪いと考えていました。
 私はもう完全に過去の人ですから、いくら喋っても法螺を吹いても許されます。
 考え方も変わりました。
 活動そのものに加え、他の自己表現を持つことによって、登山により深みを与えることがあることを知りました。

◆ 写真、絵画、文章表現など、内面を吐露することで気づくことがあります。
 ポール・ヴァレリーの言葉「人は、他者と意志の疎通がはかれる限りにおいてしか、自分自身とも通じ合うことができない」が胸に響きます。
 大いに他者と交感すべきだと思います。
 ただし、奇をてらった行為や派手なパフォーマンスは、意味がないばかりか不快ですから、要注意です。

◆ 報告会で私の登山歴を披露しました。
 象徴的に要約すれば、雪黒部とナンガパルバットに尽きます。
 そして今、旅に回帰しています。
 私は重度のアル中(アルピニズム中毒)です。
 しかし、歳や右膝の障害のせいにするつもりはありませんが、もう思うように登れなくなってしまいました。
 それでも、垂直であろうと、水平であろうと、ただ非日常の世界に身を置いていたいのです。

◆ 私は運転免許を持っていません。
 現代合理主義(つまり時間、金の節約)的に移動しません。
 これと言って際立った計画もありません。
 歩く、自転車、たまにヨットでほっつき回っているだけです。
 野宿、居酒屋(できればバツイチ五十路の美人ママ)、温泉で、行ったことのない鄙の里を巡るのが目的です。
 私は、火野正平と吉田類(同じ歳です)のやっていることをちょっと過激に実践しているだけです。

◆ キーワードは身体性です。
 今、2045年問題が話題になっています。
 ディープラーニングするコンピューター人工知能(AI)が全人類の知能を凌駕するシンギュラリティ(技術的特異点)がやってくるという話です。
 AIが人類をコントロールする世界の到来です。
 その開発を危惧する声が多く上がっています。
 賛否があります。
 工学より哲学の問題として議論されています。
 知能とは何か。
 無限と言っていいビッグデータの集積と解析は、人間の脳にはもはや手に負えません。

◆ 意識(知能より上位の働き)は、生命的存在、つまり身体性に基礎づけられたものです。
 周囲の環境と有機的に接触する中で発現するものです。
 AIのような抽象的な物理空間で知能を発揮するのではありません。
 知性や知能は肉体を離れて勝手に動き回り、ときには節操をなくしたりしますが、意識は常に私だけのものです。
 つまり、2045年問題は我々の意識にかかっているのです。

◆ 我々の日常が求める情報の大半は視覚情報です。
 仕事も付き合い(フェイスブック)も書籍もパソコンもすべて視覚に頼っています。
 けっして嗅覚ではありません。
 身体は五感のセンサーで外部環境を認識しますが、現代社会はどこで間違ったか、視覚の袋小路に迷い込みました。
 アメリカ国防省の精神疾患の報告によると、うつ病発症は、現地で戦う兵士より無人機を遠隔操作して画面を見ながら殺戮する兵士の方が多いそうです。
 身体を伴わない行為は強いストレスにさらされるということです。
 私は、この身体性を社会矛盾の突破口にしたいのです。

◆ 意識もAIも神経細胞の、つまり脳の話です。
 デカルトは「われ思うゆえにわれあり」と言いましたが、身体のわれは実は脳ではなく胸腺、つまり免疫システムにあります。
 多田富雄の『免疫の意味論』には衝撃を受けました。
 自他の境は脳ではなく胸腺にあるのです。
 首を切断されたとき、私はどっちにいるのか。
 深い哲学的問いです。
 身体性は首下にあります。
 長々と理屈を述べました。
 本題です。

◆ 身体性の自覚は、アスリートになろうという話ではありません。
 昔から言うように、「ものごとは体で覚えよ」に戻れということです。
 判断を視覚データでするのではなく、肉体を通してやろうということです。
 私はそれを「肉体の作法」と呼んでいます。
 登山は身体性そのものです。
 ここから少し悪口です。
 身体性を重視するあまり、身体そのものに関心が固定されます。
 それがスポーツクライミングやグレードです。
 そのあからさまな自己顕示はさわやかさがありません。
 目立ってなんぼは下品です。

◆ オリンピック競技になろうとしているクライミングはもう登山ではありませんから、私の批判はお門違いでしょうが、登山はもう少し静かにやるものです。
 メジャーになってはいけません。
 登山の魅力は、自分と大自然が対峙している、その戦慄の内にほのかに灯るものです。
 挑戦という言葉が陳腐に思えるほど圧倒的な存在に対して、自分の肉体がシングルハンドで挑みかかる行為です。
 そして、いつか必ず死にます。
 偉大な探検家や登山家の多くは大自然に呑みこまれました。
 決してAIはこのような世界には足を踏み入れないでしょう。
 彼は死ねる肉体を持っていないのですから。


◆ 私は垂直の世界にあこがれてきました。
 今は水平の世界をさ迷っています。
 しかし、その中にもアルピニズムの香りを残したいと願っています。
 探検にはほとんど触れずに終わりそうです。
 ハゲ、デブ、加齢臭の高齢者がやることですから、アルピニストとしてご披露できるようなことはやっていませんが、少し自慢話をします。

◆ 2012年から13年にかけて、ネパールヒマラヤ全山域横断と冬の「おくのほそ道」を歩きました。
 合計で約7ヶ月を要しました。
 岩と雪の頂ばかりに目を向けていた私がハタと気づきました。
 広大なヒマラヤのほんの一部分しか見ていないことに。
 いっそのこと全部見てやろうと突然思い、何の用意もせずにネパールに飛び込みました。
 シェルパ2人を友にして、ネパールの東端、カンチェンジュンガ山域から歩き始めました。
 食料はすべて現地調達ですが、6000mの峠をいくつか越えますから、ピッケル、アイゼン、ロープもいります。
 すごい荷物を3人で分け合います。
 もとより私は一番軽いですが。
 ルンバサンバ、マカルー、ソロクンブ、ロールワリン、ランタン、ガネッシュ、マナスルの各山群をなるべくチベット国境に沿って歩きました。

◆ しかし、つまらないミス(滞在ビザが切れ)で国外退去になりました。
 その消化不良の悔しさを帰国して2週間ほどして、おくのほそ道を歩くことで紛らわせようと思いました。
 芭蕉のたどった道を忠実に歩こうというものです。
 私はアルピニストですから冬に歩きます。

◆ 東京深川から歩き始め、日光、白河、福島、松島、太平洋側北限岩手県平泉まで行き、奥羽山脈を横切って酒田から日本海側北限秋田県象潟まで。
 以後、海岸線を南下、山形、新潟、親不知、富山、金沢を経由して福井県敦賀で旅を終えました。
 氷雨の深川から風雪の敦賀へ、54日間の旅は芭蕉にシンクロすることなく、不愉快な国道歩きに終始しました。

◆ 春になり、ネパール全山域横断の旅を完成させるため、再びネパールへ。
 長期の山旅は荷物が多くなります。
 去年の教訓を生かして、今回はシェルパを3人に増やしました。
 昨年の中断地点、アンナプルナ山群のチャーメに入りました。
 ティリッツオ湖からジョムソン、ダウラギリの北をアッパードルポに入り、河口慧海のルートをたどり、サルダンヘ。
 いくつもの峠を越え、ムグへ。
 チベット国境の未踏峰の山々を見ながらの旅は、私にとって十分に探検的気分を満喫させてくれるものでした。

◆ ムグ地方からフムラ地方に抜けるルートのある部分は記録を見たことがありません。
 タケ・コーラからバルビハン・コーラへ抜ける峠は私が最初に越えたのではないかと思われます。
 薬草取りの現地の人から尋ねられたくらいですから。
 なおも国境沿いに西に向かいましたが、雪のため峠越えができずドジャム・コーラに引き返し、極西ネパールの町シミコットに入りました。
 ここから国境の町ヒルサに向かい、サイパルの西を越えて、ウライバンジャンに出ました。
 ルートを誤り、一部チベットへ越境してしまいました。
 逃げるように峠を越えネパールへ。
 アピ、ナンパ、ジェチボフラニの山々を雲間に眺めながらチャインプールまで下り、この長い旅を終えました。

◆ 私は、右膝に障害を持ちます。
 十字靱帯と内半月板がありません。
 整形外科医は、登山は無理だと言いました。
 あれから約30年、私の身体性は私を手なずけています。
 精神が体を規定しているのではなく、体が精神を規定します。
 ヒマラヤと芭蕉、何の関係もないように見えるでしょう。
 芭蕉の風狂も、身体に精神を語らせている点でアルピニズムに通じます

 芭蕉を師事する文人たちは、芭蕉の道を歩いたことがあるのでしょうか。
 体験に学ぶに勝るものはありません。
 解るより感じるです。

◆「心頭滅却すれば火もまた涼し」とんでもない頭でっかちの詭弁です。
 脳がなければ、熱いも寒いも感じないと考えるのはまちがっている。
 身体は膜でおおわれていて、脳がなくても外部環境に反応します。
 筋肉は収縮しますし、無駄なエネルギー代謝はやりません。
 身体こそが私なのです。
 生物の定義はたった三つ、代謝、複製、膜です。
 肥大化した知能優先の社会にブレーキをかけられるのは、身体性に他なりません。

◆ 旅をしながら、星を眺めながら、しみじみと私の中で、身体と心が交換することが分かります。
 冒険も探検も、動機はいろいろあっても身体表現です。
 それも奥ゆかしいのは、他者の視線が不要なことです。
 人に見せない、見られたくない、限りなく生理に近いパフォーマンスというべきでしょう。
 登山は人と競ってはいけません。
 相手は自然です。
 自然に受け入れられて、それ以上何を望むことがあるのでしょうか。


地平線通信450より
2016年10月の地平線報告会レポート
http://www.chiheisen.net/_hokokukai/_hk2016/hkrp1610.html

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