2019年02月28日

「私や妻が関係していたら、総理も議員も辞める」

国や大阪府・市から補助金計約1億7000万円を詐取したとして、詐欺罪などで起訴された森友学園の籠池泰典前理事長(66)と諄子夫人(62)。
3月6日に初公判を控えた2人が『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋)の著者・相澤冬樹氏(大阪日日新聞論説委員)の取材に応じた。

― 安倍(晋三)首相とどう繋がっていったのか。

 うちのPTAの重鎮がもともと昭恵さんと知り合いで、学園の『おかあさん新聞』を送ったんです。そしたら昭恵さんも『いい学校ですね』と。それで安倍事務所の初村(滝一郎)秘書と連絡したり、直接昭恵さんとも話をするようになって、スーッと安倍さんの講演会の日にちが決まった

― でも、(安倍氏の)講演は実現しなかった。

 (2012年9月の)総裁選に入ってね。(出馬表明の)4日ほど前だったか、電話があって『安倍晋三です。ドタキャンで申し訳ないんですが、総裁選に出ることになりましたので行けなくなりました。必ず次は行かせて頂きます』と

― 籠池さんからは何かお願いは?

『PTAにもお話ししておかないけませんので書面にして頂けますか?』と。で、安倍さんは『じゃ書面にして送りますので』ということでね。一枚の紙、ゆうパックで。その書面は今、検察庁に行っている」

― 文章はワープロ打ちで署名だけご本人の? で、印鑑が押されている?

 そんな感じです。昭恵さんから地鎮祭と棟上式の時にもらった祝電とかも、全部検察に押収されてますね。そんなもの、補助金問題に何の関係もないのに

 安倍事務所に事実関係の確認などを求めたが、締め切りまでに回答はなかった。

 2月28日(木)発売の「週刊文春」3月7日号では、籠池夫妻が相澤氏の取材に対し、大阪地検特捜部が安倍首相夫妻に関心を示していたことや、昭恵夫人から掛かってきた電話の内容、文書改ざん問題で命を絶った近畿財務局職員との関係などについて語っている。
 また、「週刊文春デジタル」では、籠池夫妻へのインタビュー動画を同日午前5時より公開する。


[動画]
白熱対決 籠池夫妻×森友スクープ記者「安倍さんからの“お詫び文書”」《予告編》公開中!

[写真]
昭恵夫人と籠池夫妻の3ショット

文春オンライン、2019/02/27
森友学園・籠池前理事長が明かす「安倍さんからの“お詫び文書”」
「週刊文春」2019年3月7日号
http://bunshun.jp/articles/-/10875

 二階幹事長に次いで、今度は側近の加藤勝信内閣府特命担当相まで言い始めた。
 安倍4選もありうると。
 自民党のポスト安倍の連中も、そして野党も、舐められたものだ。
 しかし、こんなことは、たとえ冗談でも言わせてはいけない。
 安倍政権をこれ以上放置するわけにはいかないからだ。
 そんなことを許せば、今度こそ日本が破滅する。

 ならば野党は森友疑惑を再び持ち出して安倍夫妻を追及し、今度こそ内閣総辞職に追い込むのだ。
 すっかり逃げ切ったと思って安心したいる森友疑惑の追及が再燃すれば、人間の心理として、その打撃は安倍首相にとってはかりしれないほど大きなものになる。
 その追及の格好の材料を、今日発売の週刊文春(3月7日号)が提供してくれた。
 今日発売の週刊文春に籠池夫妻のインタビュー記事が掲載されている。
 聞き手は、森友疑惑を追及してNHKから追放された相澤冬樹氏だ。
 言うまでもなく、相澤冬樹氏とは、NHK退社後に『安倍官邸 vs NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋)を出版し、安倍首相に忖度するNHKの内情を告発した元NHK記者である。
 役者はそろった。

 そのインタビュー記事の中で籠池氏が暴露した。
 安倍昭恵夫人から受け取ったお詫びの文書が検察庁に没収されたままであると。
 その文書とは森友学園のPTAの前で安倍首相が講演することになっていたが、(2012年9月の)総裁選に入ってキャンセルせざるを得なくなった、次は必ず行かせていただきます、という安倍昭恵夫人から籠池氏宛てにゆうパックで送られてきた詫び状だという。
 これは安倍首相夫妻が森友学園に関与していた動かぬ証拠だ。

 森友疑惑が指摘され始めた時、安倍首相は国会でこう答弁している。
 「私や妻が関係していたら、総理も議員も辞める」と。
 ならば今度こそ辞めてもらわなくてはいけない。
 おりから、籠池被告の初公判が3月6日から始まる。


 森友事件が再び国民の記憶に蘇る。
 野党は、このさく裂した文春砲に書かれた昭恵夫人の詫び状の国会への提出を求め、安倍首相に総辞職を迫るべきだ。
 野党の国民に対する責任は、解散・総選挙で安倍政権を倒すことしかない。

 私は森友疑惑が国会で追及されていた時、森友疑惑で安倍内閣を総辞職に追い込めないようでは、逆に野党が潰される、と警鐘を鳴らした。
 そしていま、野党は潰されようとしている。
 そんな野党に最後のチャンスが巡って来たのだ。
 
 森友解散こそ、安倍首相にふさわしい解散だ。
 野党はいまこそ共闘して全国で安倍政権と野党共闘の一騎打ちを国民の前で戦うのだ。
 安倍四選などというふざけたことを言わせてはいけない。
 三選の任期中に途中退場させるのだ。
 せめて東京五輪は新しい顔で迎えるべきである。


天木直人のブログ、2019-02-28
安倍4選が囁かれた中でさく裂した森友疑惑に関する文春砲
http://kenpo9.com/archives/5678

 学校法人「森友学園」(大阪市)を巡る補助金詐欺事件で、国と大阪府・市からの補助金をだまし取ったとして詐欺などの罪に問われた、前学園理事長の籠池泰典(66)と妻諄子(62)の両被告が、公判で無罪主張する方針であることが分かった。関係者が明かした。
 2人の公判での主張が明確になるのは初めて。
 籠池被告はこれまで自身の認否については明言を避けてきた。

 初公判は3月6日、大阪地裁で開かれる。
 争点などを絞り込む公判前整理手続きが2017年11月から行われ、今月27日に終わった。
 公判は15回開かれ、10月30日に求刑が行われて結審する予定。

 複数の関係者によると、籠池被告は「補助金をだまし取る意図はなかった」などと主張。
 実態より多く補助金を申請したことが、より量刑の軽い補助金適正化法に触れる可能性は認めるが、同法違反では起訴されておらず、起訴内容をほぼ全面的に否認。無罪を求めるという。

 諄子被告は「補助金の申請には関与していない」などとして、全面無罪を主張する。

 起訴状によると、両被告は学園が大阪府豊中市の国有地で計画した小学校建設を巡り、虚偽の契約書を提出し、2017年2月までに国の補助金約5600万円を詐取。
 さらに2011〜2016年度、幼稚園の障害児数などを偽り、府と市の補助金計約1億2000万円をだまし取るなどしたとされる。

 両被告は2017年7月、大阪地検特捜部に逮捕され、昨年2018年5月に保釈された。
 その後の記者会見などで、籠池被告は特捜部の捜査や長期間の勾留を批判したが、自身の認否についての言及は避けていた。


[写真]
詐欺罪などで勾留された後、10カ月ぶりに保釈され記者会見する籠池泰典被告(手前)と妻諄子被告=大阪市北区で2018年5月25日

Yahoo! Japan News、2019/2/28(木) 5:01配信
籠池夫妻が無罪主張へ
「補助金詐取の意図なかった」
森友学園公判

(毎日新聞・高嶋将之、松本紫帆)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190228-00000006-mai-soci.view-000

 なんで、こんなことが平気で起こるのかなぁ〜

 鳩山由紀夫内閣は検察やマスコミによって潰されが、傍若無人な安倍晋三内閣は疑惑を物ともしない長期政権。
 彼は官僚やマスコミから忖度されているらしい。
 安倍には沖縄県民の意思を踏みにじるだけの力がある。

 首相という地位が安倍に力を与えているわけではない。
 それなら鳩山も潰れなかったはずだ。
 かつて警察も検察も押さえていると思われていた田中角栄もスキャンダルで失脚している。
 鳩山や田中を潰し、安倍を生きながらえさせている人物、あるいはグループこそが日本の支配者にほかならない。

 東電福島第1原発が事故を引き起こした後に行われた反原発デモには17万人が参加、60年安保の時には30万人以上が参加したとも言われているが、それでも支配体制は倒されていない。
 デモの力はその程度だということだろう。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカの支配層はカネ儲けの邪魔になる体制を倒す際、経済戦争を仕掛け、プロパガンダで攻撃、抗議活動を演出する。
 その先には軍事クーデターや軍事侵略も用意されている。

 こうした抗議活動は圧倒的な資金力を持つ勢力が行なう工作の一部だということ。
 だからこそ体制転覆につながるのだが、抗議活動だけで体制を倒すことは困難だ。

 安倍晋三政権はアメリカの支配層が動かす戦争マシーンの一部として働いている。
 一部支配層からは嫌われているようだが、アメリカの基本戦略から外れない限り、鳩山のようなことにはならない。
 その基本戦略のうち長期戦略はハートランド理論、中期戦略はウォルフォウィッツ・ドクトリンだと言えるだろう。
 それらを理解する必要がある。
 支配層は民意で動いているわけではない。


櫻井ジャーナル、2019.02.26 00:00:11
アメリカの戦略に奉仕する安倍政権は鳩山政権のようにならない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902250001/

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小池百合子は、不実な緑のたぬき

消えた「食のテーマパーク」構想。
築地での市場機能の確保という構想も霧散。
中央卸売市場が豊洲に移転してからの築地再開発計画をめぐる変質について、小池百合子東京都知事の発言内容の「新旧対照表」と共に検証する。

「食のテーマパークというのは、いろいろ捉え方にもよることだと思いますけれども」――。

 上の表は、小池百合子東京都知事の人気が絶頂にあり「築地は守る、豊洲を活かす」を掲げて、直後の都議選で圧勝した2017年6月20日と、今年1月23日に都が新たに公表した「築地まちづくり方針(素案)」を受けての小池知事の記者会見での発言を、テーマ別に比較した新旧対照表である。

 今年の素案公表後は、実際には方針を大転換しているにもかかわらず「変えた」とも「変えていない」とも取れる、ごまかしを意図したかのような玉虫色の発言のオンパレードだ。
 1年半前に「食のテーマパーク」などと記された資料を報道陣に配布した上で、
「これから、日本一の世界に誇る築地ブランドからの食に魂を込めまして、この築地を再開発するという基本方針を判断するに至ったところでございます」と熱弁をふるった。

 さらに、築地を東京オリンピック・パラリンピックの輸送拠点(デポ)として利用し、その後の再開発を経た地での営業継続を望む仲卸業者に対しては、
「やはり築地だからこそ経営が可能だと考える方々もおられるわけでございまして、そういった方々に対しては、築地へまた復帰される際のお手伝いはさせていただくということでございます」と明言。
 当時の配布資料にも「新たな築地の姿」の項目に「仲卸の目利きを生かしたセリ・市場内取引を確保・発展」と記載されていた。

 だが新たな素案にはもはや、市場機能や「食のテーマパーク」は跡形もない。
 冒頭のように、「捉え方にもよる」と述べるなど言い訳がましい限りだ。

「不実な政治姿勢」と批判した朝日社説

 その代わりに素案に出てきたのは、「国際会議場等の機能を中核としながら、文化・芸術、テクノロジー・デザイン、スポーツ・ウェルネス(健康増進)などの機能が融合して相乗効果を発揮し、東京の成長に大きく寄与する交流拠点として発展していく」などという文言。
 具体的には、国際会議場や展示施設、高級ホテルや広場、舟着き場などを整備するそうだ。

 これに噛みついたのが、築地市場跡地の真正面に本社を構える朝日新聞。
「築地市場跡地 小池都知事に問いたい」と題した1月28日付社説で「築地を支持する人たちに、新旧の市場が両立できるかのような期待を抱かせたのは間違いない」とした上で「方針を変えたのであれば『変えた』とはっきり認め、理由をていねいに説明し、理解を得るのが筋だ」と指摘した。
 東京新聞も2月4日付社説で同様の批判を展開している。

 小池知事はまた、豊洲市場の建設や運営による卸売市場会計の赤字圧縮のために都民に負担を求めるかどうかについて、2017年6月には
「これから税金をドーンと投入することなどあってはならない」と明言している。

 にもかかわらず、今回の素案の実現のため、築地跡地を所有している卸売市場会計から、まさに都民の税金などからなる一般会計への「有償所管換え」といわれる手続きのために、約5600億円の税金を文字通り“ドーンと”投入することを決定した。

 朝日社説は「不実な政治姿勢は、跡地開発の行方だけでなく、都政運営全般に影を落とすと肝に銘じるべきだ」と戒めて結んでいるが、小池知事の心にはどの程度響いたのだろうか。

 本誌は2月1日の定例記者会見で、
(1)仲卸業者が再開発後に築地に戻ることができる可能性が現時点でも残っているのか否か、
(2)一般会計からの5600億円の投入が当初からの方針変更に当たるのか否か
――の2点を質問した。

 ところが小池知事は、記者が(1)を言い終えたところで「その質問だけお答えいたます」と質問を妨害。
 2点に対して答えるよう求めたところ同意したが、(1)については
「先週もお答えいたしましたように、関係局長会議においても、築地にお戻りになりたいという方々のご意見はしっかりと聞いてまいりますということを発言し、また、その点については同じだとお答えしております。ただ、まだ移転をして2ヶ月というところで、それぞれが定着するようにご努力をいただいているところでございますので、まずは中核的な市場としての豊洲市場、これの定着を図ると。まさに現時点、We are here.でございます。それに取り組んでいくということであります」となぜか英語を交え、前週の会見と全く同じ文言を繰り返した。

側近から紙を渡されないと答えられない小池知事

 そして(2)については、(1)への発言を終えてから、いつも会見に陪席している都政策企画局の河内豊・報道総括兼知事補佐担当理事から急遽受け取った紙を見て、
「2番目の有償所管換えにつきましては、これは、あの、都民にとりましての有効な資産をどのようにして活用していくかということで、都の会計間における適正な価格で移し換えるということでございます。これによって、築地市場の跡地を将来の東京全体としての価値の最大化を目指す、再開発につなげていくということでございまして、これについては有効な財産をともに生かしていくという方向性で、この今回の結論に至ったということでございます」
と朗々と読み上げた。
 なんのことはない。手元に紙がないから、(1)しか答えたくなかったのである。

 記者が「答えになっていない。回答は2択だ」と改めて明確な回答を求めたが、
「はい、お答えした通りです。ありがとうございました」とこわばった笑みを浮かべて会見を打ち切ろうとした。

 これらの言動からすれば、小池知事の政治姿勢が不実かどうかは、もはや詳しく述べるまでもあるまい。

 さて、新たに決まった5600億円の税金をかけて取得した土地を再開発して貸し出し、賃料を得ることで、将来この金額を回収することができるのだろうか。

 2017年6月のプランでは、都税を支出することなく卸売市場会計の赤字を縮小して大幅な資金ショートを避けるためには、年間160億円の賃料収入を得る必要があるとの試算を都財務局が作成していた。

貸出面積が大幅減でも収入見通しは微減の謎

 160億円を毎年稼ぎ続ける前提条件について都財務局はかつて、本誌の取材に「跡地の北側に高層オフィスビルを4棟、南側にタワーマンションを3棟建設するなど最大限の開発をした場合」と説明していた。

 だが「築地は確かに一等地だが、交通の便が悪く、大手町や八重洲に比べればオフィスには向かない」(不動産大手のオフィスビル開発担当幹部)と言われる。

 マンション市況についても、不動産経済研究所がまとめた首都圏の2018年の統計では、販売開始月に契約に至った戸数の割合を示す「初月契約率」は前年比6.0ポイント減の62.1%という低水準だったと発表。

 加えて築地に隣り合う晴海では、東京五輪の選手村が大会終了後に4000戸超、マンションとして分譲される計画で、付近の相場を大きく押し下げると懸念されている。
 一時は大人気だった“湾岸タワマン”の冬の時代がひたひたと近づいているとも言えるのだ。

 さすれば、年間160億円はあまりに現実感がないと言わざるを得ないが、こちらについて都財務局は「いくつかの極端な試算パターンのうちの一つで、卸売市場会計の負債を圧縮し、大幅な資金ショートを回避できる数字として弾いた賃料額だった」と認める。

 では、新たな試算はどうか。

 市場跡地を卸売市場会計で保有したまま、新たな計画で民間に貸し出した場合、跡地を段階的に再開発して2029年度以降毎年154億円の賃料収入を得られるとの条件を置いている。
 それでも、全体の開発が終わるまで時間がかかるといった理由から暦年の賃料収入の総額が減り、2025年度と早期に資金ショートが発生するとした。

 だが、少し待ってほしい。
 新たな素案では跡地に広場を整備するなど、160億円を弾いた試算の前提と比べて、外部に貸し出せる延べ床面積が大幅に縮小する。
 にもかかわらず、賃料収入はわずか6億円のマイナスにしかなっていない。

 また、小池知事が採用するとした有償所管替えにより、跡地を一般会計に移せば、入れ替わりで5600億円もの税金を卸売市場会計に流し込むことになるのだから、卸売市場会計は約50年間、資金ショートを回避できるとしている。
 だが、一般会計への年間の賃料収入の見通しはそもそも明記されていない。

 都財務局は「154億円という数字を無視するわけではないが、段階的に開発されるので賃料収入の見通しを示すのは難しい。都への実入りだけではなく周辺への波及効果も勘案している」と説明するが、いずれにせよ「税金をドーンと投入することなどあってはならない」と1年半前に言い切った小池知事の発言との整合性は問われるべきだろう。

やっぱり浮上するカジノ計画

 ただし、素案で示された国際会議場などとセットになりがちなカジノが併設されれば、収益力は一気に向上する。

 小池知事は、新旧対照表にあるように
「カジノという言葉は素案に出て来ないので、その方向性で行きたいと思う」と、何とも言えない言い回しでカジノを計画に盛り込まない考えをにじませたが、明確に反対を表明したわけでもない。

 カジノは、わずかな面積でも多大な収益を稼ぎ出せる。
 しかも築地再開発は、これから長期間、段階的に進められるものであり、現時点ではまだ素案の段階だ。
 小池氏が知事をとっくに退いてから、カジノが計画に盛り込まれる可能性は大いに残る。


ダイヤモンドオンライン、2019.2.7
小池発言を“新旧対照表”で検証、「築地は守る」の変質とごまかし
週刊ダイヤモンド編集部、岡田 悟
https://diamond.jp/articles/-/193275

 東京都議会の主要会派が築地市場跡地(中央区)の再開発を巡って対立し、混迷を深めている。

 2019年2月20日開会の第1回定例会は戦後初となる初日流会こそ免れたが、小池百合子知事の施政方針演説は21日未明にずれ込む異例の事態となった。
 都が先月発表した再開発の方針が一昨年の都議選前の公約と大きく異なるのに、知事が説明しないのが原因だ。
 知事与党の間にも議会運営を巡ってしこりが生まれ、来年2020年夏の知事選にも影響しそうな情勢だ。

 21日午前0時半過ぎ。
 傍聴席の大半が空席で、目をこする都議もいる中、知事の演説が始まった。
 しかし、再開発については「築地を先進性と国際性を兼ね備えた東京の新たな顔に育てたい」などと述べるにとどまった。

 小池知事は一昨年2017年6月、都議選告示を3日後に控え、豊洲への市場移転の賛成・反対両派に配慮する形で、跡地などに市場機能を残して再開発する「食のテーマパーク」構想を表明した。
 市場業者の使用料収入などで賄う「中央卸売市場会計」で保有を続け「税金を新たに投入することはない」とも明言。
 都議選は知事が率いる都民ファーストの会が大勝し、自民から都議会最大会派の座を奪った。

 だが、都は先月1月、再開発案に食のテーマパーク構想を盛り込まず、国際会議場や展示場を軸に整備すると発表。
 跡地も都税などが原資の約5600億円で買い取り、一般会計に移す方針を示した。

 これを「公約違反」「説明不足」と批判する自民、共産など6会派は開会前日、委員会に知事を招致して一問一答形式での質疑をするよう議長に要求。
 これを不要と主張する都民ファーストと公明は、他会派の合意がないまま知事を招致しない方針を決めた。
 しかし、若手が難色を示したため都民ファーストが「強硬路線」を取り下げ、公明は「信義則を破った」と反発した。

 最終的には議長が知事を招致する案を示して各派が合意した。
 開会にこぎ着けたのは、開会時間の期限となっている午後5時の15分前。
 その後も約1分で休憩するなど3度中断し、知事の演説が始まったのは当初の予定の11時間以上後だった。
 ある都幹部は「与党も野党も執行機関も情けない。都民不在でこんなことをしていて良いのか」と漏らす。

 都民ファーストの議席は過半数に届いておらず、小池知事が公明の協力を得るため、要望をそのまま取り入れた事業も多い。
 2020年東京五輪前に行われる知事選でも公明の動向は鍵となる。
 別の都幹部は「与党間の不信感が今後の都政運営や知事選に火種を残した」と指摘した。


[写真]
解体が進む築地市場(手前)=東京都中央区で2018年11月18日午後2時14分、本社ヘリから

[解説図]
築地市場跡地の再開発を巡る経緯と小池百合子知事の発言

毎日新聞、最終更新2019年2月21日 23時02分
築地跡地で都議会紛糾
小池氏「変心」
説明なく国際会議場構想

(市川明代、森健太郎、竹内良和)
https://mainichi.jp/articles/20190221/k00/00m/040/250000c

 東京都議会第1回定例会は26日、主要会派の幹事長らが代表質問に立った。
 焦点の築地市場跡地(中央区)再開発問題について、自民党や共産党、立憲・民主クラブは、小池百合子知事が跡地の再開発方針を転換したにもかかわらず十分な説明がないことを批判。
 小池知事は「築地に改めて卸売市場を整備することはない」と答弁しながらも「食のテーマパーク」構想の基本方針は変えていないとの考えを強調した。

 豊洲市場(江東区)への移転に伴い昨年2018年10月に閉場した築地市場の跡地について、都は今年2019年1月、国際会議や展示会などが開ける「MICE(マイス)」施設を核に整備する再開発の素案を公表した。

 だが、小池知事は一昨年2017年6月、築地跡地などに市場機能を残し「食のテーマパーク」を整備するとの基本方針を表明した上で「事業者が築地に復帰する際のお手伝いはさせていただく」と述べていた。
 素案にはこうした内容が盛り込まれておらず、自民や共産など野党会派は「方針転換」と批判している。

 代表質問で自民の吉原修幹事長は「何の説明もせずにこのような方針(素案)を発表することで、やすやすと都民、事業者への約束をほごにした」と追及。
 小池知事は、
「豊洲との近接性を考えれば、築地再開発において都が改めて卸売市場を整備することはない」と答弁しつつ、築地について、
「『食文化』は重要な要素。素案でも歴史的、文化的なストックも十分に生かすことも示した」と説明。
「基本方針の方向性は変わっていない」と述べた。

 質疑では築地跡地への税金投入も議論された。
 小池知事は当初、跡地は市場業者の使用料収入などで賄う「中央卸売市場会計」で保有する方針を示し「税金を新たに投入しない」としていたが、今年2019年1月に都税などが原資となる約5600億円で買い取り、一般会計に移すと決めた。

 これについても自民や共産が見解をただしたが、小池知事は、
「一般会計への移し替えにいち早く着手することで、民間事業者の参画意欲を早期かつ最大限引き出すことができる」などと答弁。
 野党会派による「方針転換」との指摘は認めなかった。

 野党6会派の求めで、都議会は3月4日の経済・港湾委員会に知事を招致し「一問一答」形式で再開発方針について質疑を行う


[写真]
東京都議会定例会の代表質問に答弁する小池百合子知事=都議会本会議場で2019年2月26日午後2時26分

Yahoo! Japan News、2019/2/27(水) 8:43配信
築地跡地

小池都知事「食のテーマパーク」方針変えず強調

(毎日新聞・森健太郎、市川明代、竹内良和)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00000009-mai-pol

 2月26日の都議会定例会本会議で、小池知事が旧築地市場の跡地について「豊洲市場との近接性を考えれば、築地に改めて卸売市場を整備することはない」と明言した。

 知事与党の最大会派「都民ファーストの会」(都F)の増子博樹幹事長の代表質問への答弁だ。
 小池知事は2017年6月に「食のテーマパーク機能を有する新たな市場にする」と表明。
 「市場業者が築地に復帰される際のお手伝いはさせていただく」とまで言い切って、移転慎重派に期待を抱かせた。

 そのかいもあって直後の都議選で、小池知事が代表に就任した都Fは圧勝したが、今年2019年1月の築地跡地の再開発方針案では市場機能への言及は一切なし。
 自民や共産など知事野党は「公約をひっくり返した方針転換だ」と批判している。

 この件について、小池知事は先週22日の定例会見で
「『テーマパーク』というのは、どこまでの何を言うのかは、それぞれお考えは違う」
「業者の方がおられないと市場にもなりませんし」
と珍妙な理屈でゴマカシ連発。

 26日の代表質問で、自民の吉原修幹事長に
「知事は都民や市場業者との約束をほごにした」と厳しく批判されても、
「基本方針の方向性は何ら変わっていない」と開き直る始末で、議場からも
「都民への裏切りだ」と怒号が飛んだ。

 どう考えても、あからさまな公約違反にもシラを切り通す。
 平気で大胆に、堂々と嘘をつき、その非を認めない。
 これではまるで、都議選で都民をダマした“緑のたぬき”だ。


日刊ゲンダイ、2019/02/27 14:50
小池都知事は“緑のたぬき”

築地跡地の公約違反に開き直り

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248364

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百年企業の吉野家

 ところで今日が平成最後の如月。
 朝から雨も降りだし冷たい一日。
 ヤッホーくん、勇んでお出かけ。
 腹をくくり、じゃなくって朝ごはんも食べずに、おなかすかせて。
 出かけた先は、吉野梅郷?また?じゃなくって豊洲市場の吉野家!

ゆりかもめ「市場前」駅から豊洲市場をのぞむ ☟
 
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 2018年10月11日に開場した豊洲市場(江東区)では、築地市場(中央区)の商店街「魚がし横丁」にあった市場関係者向けの飲食・物販店も移転、市場とともに営業を始めた。
 
 水産仲卸売場棟3階には飲食店が並ぶ。
 その一つ、牛丼チェーン「吉野家」豊洲市場店は、午前5時にオープンした。
 午前8時35分ごろには数人が行列待ちしていた。
 同社広報課長の寺沢裕士さんは「お客さまの入りは築地と変わらない」とほっとした表情。

 築地店は吉野家創業の地とされ「築地一号店」の別名もあった。
 豊洲に「一号店」の看板はないものの、店頭には築地一号店にあったオレンジののれんが掲げられた。
 店内も築地と同じカウンター15席だ。

 築地一号店には独自の裏メニューがあった。
 脂身が多い肉を盛り付ける「トロダク」や、他店よりタマネギがさらに多い「ネギダク」で、人気を集めたが、豊洲市場店では初日は提供されなかった。
 寺沢さんは「なくなったわけではない。スタッフが仕事に慣れるまで、しばらく提供を見合わせたい」と「復活」に力を込めた。

 カレー専門店「中栄」はこの日、来店客に粗品のボールペンをプレゼントしていた。
 埼玉県・西川口で魚料理専門店を営む武江直子さん(47)は「味は変わらず。仕入れの場所からちょっと遠くなったね」。

 同棟4階には、仲卸業者らプロ向けなどの物販店が移転した。
 昭和初期に築地で開業した包丁店「正本」の平野操社長(73)は「築地と比べたらきれいになりすぎ。店の前の見通しも良くなったね」と心機一転。
 真っ赤な「豊洲市場」の文字入りTシャツ姿で店に立った長靴等販売「伊藤ウロコ」の伊藤嘉奈子専務は「お客さんがつつがなく上ってきてくださるか。そこは不安です。これを着て頑張ります」と話していた。

 豊洲市場の飲食店は、このほか管理施設棟三階、青果棟一階などにもある。


[写真]
豊洲市場の水産仲卸売場棟内でオープンした牛丼店「吉野家」=江東区で

東京新聞、2018年10月12日
豊洲市場開場、飲食・物販店も営業開始

吉野家裏メニュー当面見合わせ

(渡辺聖子、辻渕智之)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201810/CK2018101202000125.html

吉野家の由来がほら、こんなふうに記載されています ☟

P1060815-1.JPG

1899年に誕生した吉野家の牛丼。
これまでにさまざまな危機を乗り越え、もっと上の「うまい」を目指して改良を重ねてきました。
現在にまで受け継がれた、牛丼の100年にわたる歴史を振り返ります。

 東京・日本橋にあった魚市場に、吉野家が誕生。
 お客様は魚河岸で働く職人たち。
 魚市場の仕事は大変な重労働であり、いったん仕事がはじまってしまうと、ろくに食事をする時間もない。
 そこで、料亭で働いていた創業者・松田栄吉は、当時はしりだった「牛めし」に目をつけた。
 美味しいものをお腹いっぱい食べてもらうため、当時まだ高級だった牛肉とごはんを上等な器「有田焼の丼」で提供し、職人たちの胃袋を満たした。

 関東大震災による、魚市場の築地への移転に伴い、吉野家も移転。
 日に日に吉野家の評判は広がり、カウンターの後ろには、お客様が2〜3重に囲んで牛丼の順番を待っていた。

 東京大空襲により、店舗を焼失した吉野家は、戦後すぐに屋台で商売を再開。
 戦災にもめげず「市場の復興に携わる人々に活力を提供したい」という思いで立ち上がった。
 食材も十分に揃わぬ状況下での営業であった。

 戦争から復員し家業を手伝うようになった松田瑞穂は、かつて築地に出店していた人と組合をつくり、築地市場で店舗を再開した。
 松田は後に、株式会社吉野家の初代社長となる。
 当時、吉野家の牛丼は鰻重と同じぐらいの価格で高級な食事とされていたが、店舗にはお客様が絶えなかった。
 1952年頃には24時間営業にも挑戦し、築地の名物店として知名度を高めていった。
。。。
 そして現在。
 これからもさらなる「うまい」を求めて、牛丼の進化は続く。


吉野家公式サイト
吉野家のこだわり

牛丼100年ストーリー

https://www.yoshinoya.com/kodawari/story/

「父親に大好きな牛丼を食べさせたい」

 2015年9月、吉野家ホールディングスの企業内起業塾で商品開発部の佐々木透さんが、高齢者向け商品を社長に提案したことから、吉野家ホールディングスは介護食事業に参入した。

 佐々木さんの父親は高齢になってから咀嚼(そしゃく)しにくくなり、具材を細かく刻んだ料理を食べるようになった。
 このシーンを見て
「自分の親が食べられる形で、昔ながらの吉野家の牛丼の味を提供できたら、多くの人に喜んでもらえるはず」と考え、介護食への挑戦を思い立った。

 商品開発は困難を極めたが、2017年2月に高齢者向けの塩分を抑えた「吉野家のやさしいごはん 牛丼の具」の発売にこぎ着けた。
 今では、専用の丼まで用意して介護施設で提供している。
 食が細くなっている高齢者でも完食し、おかわりするケースが続出。
 介護の現場で話題になっている。

 吉野家ホールディングスにとって新たな事業領域を切り開いたこの商品の開発の起点となったのは、論理的な市場分析からのアプローチではない。
 何としてでも父親に「吉野家の牛丼を食べさせたい」という一人の社員の強い思いからだ。

 いつの時代も、新たな事業は個人の強い思いから始まる。

 社内起業家の介護食への熱意を、リスクを共有した経営陣が後押しして、吉野家ホールディングスの新たな事業イノベーションがスタートした。
 百年企業の同社にとって、食品メーカーとしての新規事業は初挑戦となった。

 現在、日本の介護食品の市場は、利用者6500万人で1300億円。
 1970〜80年代に吉野家を最も利用した団塊世代も、70代に突入し始めた。
 多くの市場が縮小する中で、介護関連のマーケットは拡大している。
 なじみのある吉野家の味を求めるシニア層が、今後も増えると予測される。

 事業を起こせば、必ずピンチに出会う。
 吉野家ホールディングスの安部修仁会長は、次のように語っている。
 傍から見て危なっかしくても、失敗するのが見えていても、事業の根幹を揺るがすほどのことでなければ、じっと我慢して口を出さないで見守っていくことだ。
 きっと自分の力で、痛みも失敗も血肉にして成長していく。
 リーダーとなる人間に教えることがあるとしたら、ただ一つ。
 決断の軸に『志』を確立することだ。
 浮利を追わず、メディアや同業他社の言動に振り回されず、『われわれが目指すべき道』をまい進すること。
 『誰のため、何のため』の使命感に順ずる心が、リーダーの器を大きくし、さらに次のリーダーの伝承へとつながっていく

 2018年10月6日、築地市場が豊洲に移転した。
 これに伴って、59年の歴史を持つ吉野家の築地一号店の姿が消えた。
 次代に向け歩み始めた吉野家ホールディングス。
 社内起業家の挑戦が、新たな歴史を刻んでいる。


日経産業新聞、2018年11月19日
吉野家社内起業家の挑戦
(インターウォーズ社長 吉井信隆(*)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO37869820W8A111C1XY0000/

(*)インターウォーズ社長 吉井信隆
1979年リクルート(現リクルートホールディングス)入社。首都圏営業部長など経て1995年にインキュベーション事業のインターウォーズを設立、社長に就く。日本ニュービジネス協議会連合会副会長。

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Michael Cohen's explosive testimony

Donald Trump’s former attorney Michael Cohen accused the president in explosive public testimony before Congress of knowing in advance about key events under investigation in the Russia inquiry and of committing criminal conspiracy in the coverup of an extramarital affair.

In a day of high drama before the House oversight committee, Cohen delivered a string of bombshells that could spawn fresh investigations by Congress and the FBI. Testifying on Wednesday, he labelled the US president a “racist” and “conman”, produced signed checks that he said were proof of a fraudulently disguised conspiracy to silence a former adult film actor, and gave what he claimed were eyewitness accounts that implied Trump had prior knowledge of crucial Russia links.

Cohen became the first in the president’s inner circle to allege that Trump knew that his longtime adviser, Roger Stone, was communicating with WikiLeaks during the 2016 election regarding the release of hacked Democratic party emails.

He also said Trump was aware of the infamous Trump Tower meeting between members of his presidential campaign, including his son Donald Trump Jr, and a Russian lawyer with ties to the Kremlin, which was arranged in order to receive damaging information about Hillary Clinton.

Cohen’s testimony marked a rare opportunity for millions of Americans to bear witness to the account of a central player in multiple investigations ensnaring the president and associates. Cohen acted for more than a decade as the president’s fixer – a role in which he became intimately familiar with both Trump’s personal and professional affairs.

In an extraordinary and emotional closing statement, Cohen spoke directly to his former boss, admonishing Trump for a litany of sins ranging from his attacks against the media to his policy of separating immigrant families and his failure to “take responsibility for your own dirty deeds”.

He exhorted those who still support the president, as he once did, not to make “the same mistakes I have made or pay the heavy price that my family and I are paying”.

In his most lurid warning, Cohen suggested that America could be facing existential peril as a constitutional democracy. “Given my experience working for Mr Trump, I fear that if he loses the election in 2020 that there will never be a peaceful transition of power.”

Cohen’s testimony, stretching, with breaks, over more than seven hours, highlighted how the US president faces legal and political peril on at least two fronts – the investigation into Russian interference in the 2016 US election and possible ties between the Trump campaign and Moscow, as well as a criminal conspiracy to violate campaign finance laws through the payment of hush money.

“Today, I am here to tell the truth about Mr Trump,” Cohen said in his opening statement.

“I am ashamed that I chose to take part in concealing Mr Trump’s illicit acts rather than listening to my own conscience,” he added. “I am ashamed because I know what Mr Trump is. He is a racist. He is a conman. He is a cheat.”

Cohen pleaded guilty in November to crimes that including lying to Congress and is scheduled to go to prison in May to begin a three-year sentence. Speaking in a measured tone, Cohen described his testimony as a step on “path of redemption” and apologized to the panel for his previous lies.

Trump, who arrived in Hanoi this week for a summit with the North Korean leader Kim Jong-un, accused Cohen of “lying in order to reduce his prison time”.

Cohen testified publicly for the first time in detail about a six-figure sum that was paid to adult film actor Stormy Daniels to prevent her from speaking out about an alleged an affair with Trump. Cohen presented checks he said were signed by the president and his eldest son, Donald Trump Jr, to reimburse him for the hush money payments totaling $130,000.

“The president of the United States thus wrote a personal check for the payment of hush money as part of a criminal scheme to violate campaign finance laws,” Cohen said.

Ro Khanna, a congressman from California, suggested that the check for $35,000 signed by Trump amounted to the “smoking gun” in legal investigations bearing down on the president. He said it gave “compelling evidence of crimes … It’s important for the American public to understand that this is financial fraud, garden variety financial fraud.”

Khanna put it to Cohen that he was saying that the US president had directed payments by his son and the chief financial officer of the Trump Organization, Allen Weisselberg, “as part of a criminal conspiracy of financial fraud”. Khanna asked: “Is that your testimony today?”

Cohen hesitated for a moment, then replied: “Yes.”

He told the panel that Trump knew of and approved each step of the payments, and said the president had committed other illegal acts that he was unable to discuss because they were under investigation.

Cohen added that he was instructed by Trump to lie about the alleged affair to the president’s wife, Melania Trump, stating: “Lying to the first lady is one of my biggest regrets because she is a kind, good person.”

The finding that Donald Jr was directly involved in the scheme to pay off Daniels, whose real name is Stephanie Clifford, could mean the president’s son faces legal jeopardy. Federal prosecutors in New York, who have had copies of the checks and other records for months, say the payments violated campaign finance laws.

That investigation, which is being overseen by the southern district of New York, is also examining a six-figure payment made to Karen McDougal, a former Playboy model who also alleged an affair with Trump, by the National Enquirer. The tabloid, which is owned by the president’s close friend David Pecker, purchased the exclusive rights to McDougal’s story and then refused to publish it in a practice known as “catch-and-kill”.

Cohen said he presided over “several” similar arrangements, while telling the committee: “These catch-and-kill scenarios existed between David Pecker and Mr. Trump long before I started working for him in 2007.”

Forensic questioning by the New York congresswoman Alexandria Ocasio-Cortez appeared to lay the groundwork for subpoenas to be issued for the president’s tax returns. She asked Cohen whether his knowledge of Trump’s financial affairs led him to believe that the returns would be helpful to the committee in understanding how he managed sharply to reduce his tax burden by undervaluing his parents’ real estate holdings, and he said that it would.

Elsewhere in the proceedings, Cohen said that he had seen Trump’s tax returns but hadn’t studied them. Trump had resisted releasing the documents, he suggested, because he “didn’t want an entire group of think tanks, who are tax experts, to run through his returns.”

The hearing began in dramatic fashion, with Republicans objecting to the leaking to the media of Cohen’s testimony late on Tuesday evening, and pushing to postpone the event. They were overruled by Democrats, who since assuming a majority in the House in January have vowed to act as a check on Trump.

“We are in search of the truth,” Elijah Cummings, the Democratic chairman of the committee, said.

But his exchanges with Republican lawmakers often grew contentious, as allies of the president aggressively sought to undermine Cohen’s credibility as a witness.

“You’re a pathological liar. You don’t know truth from falsehood,” Representative Paul Gosar, of Arizona, told Cohen.

Trump used his charity's money to pay for portrait of himself, Cohen says
Read more

“Sir, I’m sorry, are you referring to me or the president?” Cohen retorted.

Responding to his testimony, Trump’s 2020 re-election campaign condemned Cohen as “a felon, a disbarred lawyer, and a convicted perjurer”.

“This is the same Michael Cohen who has admitted that he lied to Congress previously,” the Trump campaign spokeswoman Kayleigh McEnany said in a statement.

Cohen was convicted in December of crimes that included lying to Congress over negotiations around a possible Trump Tower project in Moscow during the 2016 campaign. Cohen testified on Wednesday that he briefed both the president’s son and the president’s daughter, Ivanka Trump, about the deal approximately 10 times.

Donald Trump Jr hit back at Cohen on Twitter, suggesting this was all an attempt by the president’s former attorney to gain publicity.

In his testimony about the Trump Tower meeting, Cohen also said that he recalled Trump Jr telling his father “in a low voice” in early June 2016: “The meeting is all set.”

“I remember Mr Trump saying, ‘OK, good … let me know,” Cohen said. He added that Trump had previously complained that Donald Jr “had the worst judgment of anyone in the world” and would not have set up a meeting of such significance without clearing it with his father.

Robert Mueller, the special counsel, is concluding a two-year investigation into any links or coordination between Russia and the Trump campaign. Cohen said he has spoken with the special counsel’s office on seven occasions.

Trump told Mueller in a series of written answers last year that he did not discuss WikiLeaks with Stone and did not know of the Trump Tower meeting in advance.

Stone previously claimed to have been in touch with Assange, the founder of WikiLeaks, but now says that he was lying about this. Stonesaid: “Mr Cohen’s statement is untrue.”

Cohen’s remarks painted a scathing picture of a mobster-like president, who dispatched his former attorney to shortchange suppliers, threaten his schools that they must not release his student grades, and handle negative press around Trump’s avoidance of the Vietnam war draft.

In one particularly revealing exchange, Cohen said he had probably threatened an individual on Trump’s behalf at least 500 times under his former boss’s instructions.

Cohen said he planned to produce false financial statements Trump provided to Deutsche Bank in pursuit of loans. Citing a Guardian article to illustrate his argument, Cohen said Trump inflated his wealth to secure a place on rich lists and artificially reduced it to avoid paying tax.

Cohen went on to note that Trump said black people were “too stupid” to vote for him and remarked during a drive through a poor area of Chicago that “only black people could live that way”.

“The country has seen Mr Trump court white supremacists and bigots. You have heard him call poorer countries “shitholes,” Cohen said. “In private, he is even worse.”

[video]
Key moments from Michael Cohen's explosive testimony

[photo-1]
Michael Cohen described his testimony as a step on the ‘path of redemption’

[photo-2]
A bar in Washington DC held a viewing party on Wednesday.

[photo-3]
Representatives Alexandria Ocasio-Cortez, Ayanna Pressley Rashida Tlaib listen to Michael Cohen’s testimony.

The Guardian, Thu 28 Feb 2019 00.40 GMT
Michael Cohen accuses 'racist, conman' Trump of criminal conspiracy

In dramatic testimony, Cohen claims Trump committed crimes to cover up affair and had prior knowledge of Wikileaks release
By Sabrina Siddiqui in Washington and Jon Swaine and Ed Pilkington in New York
https://www.theguardian.com/us-news/2019/feb/27/michael-cohen-donald-trump-testimony-latest-news

# 'racist' is 'someone who believes that people of their own race are better than pthers, and who treats people from other races unfairly and sometimes violently'.

# 'conman' is 'someone who tries to get money from people by tricking them'


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2019年02月27日

吉野梅郷のウメの由来

 青梅のうめの研究に最低限、目を通しておかねばならないのが次の文献。

 芦川孝三郎・土方智「東京都におけるウメの優良系統に関する研究」(東京都農業試験場研究報告第3号所収、1964)。

 そのなかに、青梅市のウメの由来として3ヶ所が記載されているのです:

・ 大聖院の「親木のウメ」の子孫の系統
・ 川崎市小向地方からの導入種
・ 埼玉県安行地方から導入された諸系統

この3種の混合物から構成されているものと推察されるそうです。

 プラス1938(昭和13)年6月に刊行された「わが村のウメ」(吉野村ウメ出荷組合)です。

 ヤッホーくんの足が自然と、川崎市小向地方、そして埼玉県安行地方へと向きます。
 小向地方と安行地方がどうして青梅と関係するの?
 青梅と小向地方は実は多摩川で結ばれています(だって奥多摩の材木やお蚕は、多摩川によって運ばれていたのです)。
 青梅と安行地方は、安行の植木と関係しています。
 へぇ〜 

 正月の松が取れ、いよいよ寒さが本格的になると、可憐な梅の花の開花が待ち遠しくなります。

 その面影はわずかにしか残っていませんが、成島柳北により
「東京新橋を距(へだつ)ること僅か十余町にして一大香世界有り 梅樹鬱然として林を成す 其の数幾千萬株成るを知らず…」
と表現された梅林が、現在の川崎市幸区小向には広がっていました。

 『新編武蔵風土記稿』によれば、小向の梅は江戸時代寛文(1661〜1672)年間に植え始められ、江戸市中に食用として盛んに出荷されていました。

 しかし、観梅の名所として人気を博すようになったのは、明治時代になってからのことでした。

 鉄道が開通し、川崎駅が開業したことで、川崎大師や多摩川一帯への日帰り行楽客が増えるなか、1880(明治13)年に成島柳北が『朝野新聞』に「小向村探梅記」を執筆したことがきっかけとなり、多くの人が観梅に訪れるようになりました。

 1884(明治17)年3月19日には、その評判により、明治天皇が観梅に御幸されました。
 御幸とは、天皇(上皇・法皇・女院を含む場合も)の外出を意味する言葉です。  

 地元では明治天皇が観梅に訪れたことがとても誇らしく受け止められ、1889(明治22)年の市制・町制の施行の際に、南河原、戸手、小向、古川、塚越、下平間の6ヶ村と上平間村、中丸子村が合併してひとつの町となると、天皇の御幸を記念して「御幸(みゆき)村」と名付けられました。

 後には田山花袋も小向の梅林について、
「六郷川に添った形がちょっと他の梅林にみることのできない風致があった。(中略)川の大きく折れ曲がっているさまも趣致がある。白帆と梅林との調和も面白い。」と記しています。

 その梅林も、明治の末頃には枯死などによって衰微著しくなります。
 それを惜しんだ横浜の実業家・原三渓により、三渓園に移植され、現在でも三渓園の来園者の目を楽しませています。

 小向の梅は、多摩川大洪水により壊滅状態に陥りますが、昭和になると明治天皇の御幸を記念した碑が地元の有力者たちによって建てられ、梅林の記憶を留める一助になっています。

 現在、幸区役所では市制百周年をめざし、御幸公園の梅林の保全や活用に向けて、御幸公園梅香(うめかおる)事業を進めています。

              
[写真]御幸公園の明治天皇臨幸御観梅跡碑

多摩川新聞ブログ、2016.01.09 14:41:37
川崎の歴史あれこれ

「御幸梅林と明治天皇」

(川崎市教育委員会文化財課 小柳津 貴子)
https://blog.goo.ne.jp/tamagawa-np1962/e/d3fa6cf520f9bd9e1bcf52902288ad69

※ 御幸公園へのアクセス(交通機関)
JR川崎駅西口北バス停から市営バス「川73」系統「御幸公園前」下車

 さらに、埼玉県安行地方の「花と緑の振興センター」の梅
https://www.youtube.com/watch?v=fWDITPIPMVI

 安行を訪ねる際、立ち寄りたくなるのが、埼玉県の「花と緑の振興センター」である。
 昔から植物園歩きが好きなので、約2千種5千本の樹木のあるこの展示園は、どの季節に来ても面白い。興禅院のすぐ近くだ。

 1953(昭和28)年、「県植物見本園」として開園、2003(平成15)年に「植物振興センター」から現在の名前に変わった。

 園内は、「花木園」「コニファー(針葉樹)園」「カラーリーフ(紅葉)園」などに別かれ、最も有名な梅園をはじめ、ツバキ・サザンカ、ツツジ、サクラソウ、ハーブなど各種の花が楽しめる。

 ホームページを見ると、ツバキ・サザンカ450種、サクラソウ300種、ハーブ40種とあり、名前と写真がついているので花の名を同定するのに役立つ。
 サクラも見たこともない珍しいものもある。
 次々眺めているだけでうれしくなる。

 ホームページには、その月の見どころや園内の見頃情報も載っているので、出かける前にチェックできる。

 「道の駅 川口・あんぎょう」を併設している「川口緑化センター」も見逃せない。
 1996(平成8)年に緑化産業の拠点としてオープン、「樹里安(ジュリアン)」というバタくさい名前がついている(写真)。

 10月初めの3連休には「安行花植木まつり」が開かれ、庭木、苗木、鉢物、草花などが展示販売される。
 園芸資材も展示即売するほか、専門家による園芸相談もある。

 盆栽展も同時に開かれ、女性や外国人の姿も増えてきた。
 夏には「アサガオ・ほおずき市」が開かれ、風物詩になろうとしている。

 学会も開かれる。
 2008(平成20)年11月のシーズンには、「国際もみじシンポジウム in ジャパン」があった。
 もみじの研究成果の発表や品種展示などが実施され、国内外から多くの関係者が参加した。

 安行の植木の伝統技術の一つに「根巻き」がある。
 樹木を移植する際、根についている土が落ちないようわらや縄で巻く技術である。
 安行の根巻きは、縄の造形美が特徴で、仕上がりが美しいのが誇り。
 その根巻き技術の講習会も開かれた。

 安行にはこのほか、「安行流」という仕立物の技術、「ふかし」という花の開花を早める技術など長い伝統が培った技術が生きている。

 このセンターでは、「樹里安だより」という美しいカラーの広報誌などを出している。
 技術の話は、その中の一冊「植木の里 川口安行 緑化産業の概要」というパンフレットに書いてあった。

 訪ねる度に新しいのが出ていないかと探すのがくせになった。
 この安行シリーズを書くのにも歴史や数字などいろいろ引用させて頂いた。

 このパンフレットの「安行植木の歴史」によると、1982(昭和57)年、オランダのアムステルダムで開催された花の万博フロリアード(国際園芸博物会)に、日本を代表して川口市から植木5千本、苗木、盆栽などを出品、日本庭園が最高賞を獲得、安行の名を世界に知らしめた。

 安行の植木のそもそもの起源は、390年前の1618(元和4)年、安行の赤山に城を構えた関東郡代第3代伊奈半十郎忠治が、植木や花の栽培を奨励したのが始まりという。

 第二次大戦中は、陸稲や麦、甘藷などの畑に転換され、8件の農家と母樹園 5ha が残っただけで、壊滅状態になった。

 1950(昭和25)年頃、朝鮮戦争の特需景気で、植木の生産が本格的に再開され、1960(同35)〜1973(同48)年には、今度は高度経済成長の波に乗り、未曾有の緑化ブームが到来、需要が飛躍的に拡大した。

 植木産業が景気に大きく左右されることがよく分かる。

 10年から川口市造園協会が中心になって造園業者が作った庭や苗圃(びょうほ=植木の畑)を公開する「安行オープンガーデン」も、「安行花植木まつり」に合わせて始まった。
 この時に訪れれば、安行の全貌が分かる。


ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ (足で書いた百科事典)、2012年10月06日 19時54分05秒
埼玉について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基ずき5年かけて歩いて見聞した「足で書いた百科事典」。
植木の里 安行

花と緑の振興センターと樹里安
https://blog.goo.ne.jp/jiei62/e/647d891685e2a685ced68238b75a85a6

※ 花と緑の振興センター(川口市安行1015 Tel 048-295-1806)
 アクセス、公共交通機関の場合
 埼玉高速鉄道「戸塚安行駅」下車徒歩20分、またはJR武蔵野線「東川口駅」南口から国際興業バス西川口駅東口行きに乗車20分。「花と緑の振興センター」下車すぐ
https://www.pref.saitama.lg.jp/hana-midori/

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青梅 即清寺

 やっほーくんのこのブログ、次の日付けの日記をぜひお読みくださいな:

2011年01月08日「発端丈山」
2011年01月09日「つるしびな」
2011年01月10日「ピエロの会」
2011年01月11日「宝船」
2013年03月09日「お人形さんめぐり」

 これは「つるしびな」、そうなんです、「日本三大つるし飾り」なんてのもあったんですよ。

 2008年2月24日、稲取温泉観光協会の呼びかけによる第一回日本三大つるし飾りサミットが開催されました。
 稲取の雛のつるし飾り、山形県酒田市の傘福、福岡県柳川市のさげもんの観光振興を目的としたもので、それぞれの飾りの紹介やシンポジウム、共同宣言が行われました。


東伊豆町公式サイト、かわらばん
第一回日本三大つるし飾りサミット
https://www.town.higashiizu.shizuoka.jp/bg/town_news/ent/711.html

 ところで青梅市は、もう「つるし梅」!
 家々の軒先につるして飾ってあります。

青梅きもの博物館にて ☟

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「梅の公園」でもおつくりになっておりました ☟ 

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 つるし飾り、ですかぁ〜・・・
 ひな祭り、ですよねぇ〜・・・

 チロルチョコ(東京・千代田)は一口チョコレート菓子「ビッグチロル ひなまつり」を2019年1月15日に発売する。
 発売7年目を迎えた人気商品。
 内裏びなや三人官女、五人ばやしといったひな人形のイラストをチロルチョコの包装紙に描き、1箱に詰め合わせた。
 箱を組み立てるとひな壇になり、ひな人形に見立ててチロルチョコを飾ることができる。

 味はビスケット入りのチョコレート「ビス」、ピーチチョコレートの中にピーチソースが入った「ふんわりピーチ」、イチゴやバニラ味のチョコレートを3層にした「いちごバニラ」の3種類。
 内容量は20個入りで、参考価格は税別300円。全国で売り出す。


[写真]
チロルチョコが発売する「ビッグチロル ひなまつり」

日本経済新聞、2019/1/9 11:13
チロルチョコでひな祭り
箱がひな壇に変身

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39796340Z00C19A1000000/

 いえ、ヤッホーくん、大聖院から即清寺におじゃましたとき、ひな壇を見つけたのです。
 大声で仲間に来てぇ、来てぇ〜と叫ぶとその場にへなへな、へたりこんでしまいました。
 イマはもうない田舎、その家でイマはもういない母が、蔵からひな人形を出してきて飾っていたな、って思い出しつつ、ムカシの光景がアタマをよぎってしまいました。

即清寺のひな壇、品があって、思わず背筋が伸びてしまいます ☟

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即清寺のひな壇、後ろの額に書いてある漢字、一文字は「睦」 ☟

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うわぁ〜、こいつぁ、豪勢だねえ、豪華だね、春先から縁起がいいわい ☟

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 こりゃあ、このおひなさまからわれわれも、運をお裾分けしていただこう、とあいなったのです。
 「心想事成」、「恭喜発財」、「生意興隆」、「歩歩高升」だなあ、ヤッホーくん、急に真顔!

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 春の即清寺での和やかなひと時でございました。

うれしい ひなまつり
作詞:サトウ・ハチロー、作曲:河村光陽、唄:由紀さおり・安田祥子
https://www.youtube.com/watch?v=PZq97S5pJac

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青梅 大聖院

青梅市の「市の花」うめ

 青梅市では、1976(昭和51)年11月1日、市制施行25周年を記念して、「市の花」として“うめ”が制定されました。

 全国的に見ても、それぞれの市区町村のシンボルの花や木として、“うめ”を掲げている自治体はたくさんあります。
 日本には、現在(2010=平成22=年1月時点)、およそ1800の市区町村がありますが、そのうち、およそ70の市区町村が“うめ”をシンボルの花や木として制定しています。
 もっとも北では北海道の豊浦町、また、南は九州の鹿児島県の日置市です。

 一般的に梅の開花条件としては、気温7℃以下が1000時間以上必要とされており、沖縄県では、ほとんど見ることができません。
 最も南に位置する鹿児島県の日置市に尋ねたところ、うめを市の花とした理由について、次のようなご回答をいただきました。
梅の花は、酷暑や厳寒に耐え、百花に先駆けて「凛」として美しい花を咲かせ、市内各所に植えられ親しみがあり心を和ませる花である。梅は、蘭・菊・竹と並び四君子の一つとして、気品と気高さを象徴し、古くから教育や文人精神を表した植物とされ、また市内においても歴史的なつながりも深く、花を楽しんだ後には、果実も収穫でき、その実は健康にも良いとされ、これからも広く日置市民に親しまれる花である
(日置市総務課のご担当者様、ご回答ありがとうございました)

 ちなみに、青梅市の「市の鳥」は、“うぐいす”で、1966(昭和41)年11月1日、市制施行15周年を記念して制定されています。
  “うめ”に“うぐいす”風情があってぴったりですが、“うぐいす”の方が10年も前に制定されていたのです・・・。

紅梅の見分け方

 みなさんは、紅梅の見分け方を御存知ですか?
 こう書くと、「馬鹿にするな! そんなの紅色の花が咲くのが紅梅だろう」という声が聞こえてきそうです。私もそう思っていました。

 実は、花の色で区別するのでは無いのです!
 なんと枝(幹)の断面の色で区別するのです。もちろん、枝を切ってみなければわかりません。
 白い花が咲いても、枝の断面が紅色なら紅梅です。
 その逆に、紅色の花が咲いても、枝の断面が紅色でないと紅梅ではありません。
 でも、見分けたいからといって、枝を切ったりしないで下さいね。

※ 時間が経過した切り口の場合は、見分けが難しくなることがあります。

「青梅」の地名の由来となった”将門伝説”
〜 金剛寺のあおうめ青梅 〜


 平将門は、中央の朝廷にとっては反逆者ですが、関東地方の人びとにとっては英雄で各地に伝説がたくさんあります。

 青梅や奥多摩にもいくつか伝えられていますが、もっとも有名なものに金剛寺の「あおうめ青梅」伝説があります。

 市内天ケ瀬町の金剛寺(*)に、夏を過ぎても青い梅(1922=大正11年=東京都の天然記念物)がなっている梅の老木があります。

『新編武蔵風土記稿』によると「これは承平年間(931~938)、将門がみずから植えた梅で、古くから『誓いの梅』といわれている」と書かれています。

 戦に破れて青梅に逃れた将門が、一枝の梅をさして「私の願いが成就するのならば芽をふけ だめになるのなら枯れよ」と誓ったところ、梅は年ごとに繁茂し、その枝に実を結び、成熟しても常に青々として落ちない。世の人は不思議に思って、この地を青梅と呼ぶようになった −− という由来があります。

 なお、これは植物学上「稚態保留」という現象で、まれにあるものだそうです。
「青梅歴史物語」「青梅市史(上巻)」より


青梅市観光協会事務局
まめ知識
http://www.omekanko.gr.jp/ume/chishiki.htm

(*)
 金剛寺は、承平年間(931〜937)、平将門は当地に来て、馬の鞭としていた梅の枝を地にさし「我が望み叶うなら根づくべし、その暁には必ず一寺建立奉るべし」と誓ったところ、この枝は見事に根を張り葉を繁らせたことから、京都蓮台寺の寛空僧正に開山を請たものの寛空は辞退、自刻の弘法大師像を送り、寺名を空海の灌頂号「遍照金剛」にちなみ「金剛寺」と、安置された将門の念持仏・阿弥陀仏(別名、無量寿仏)から無量寿院と号したといいます。
 頼遍上人が元亨年間(1321〜1323)中興開山、徳川家康が関東に入国した1591(天正19)年には本寺格として寺領20石の御朱印状を拝領、真言宗檀林所として末寺25ヶ寺を擁していたといいます。
 16世紀中頃に、 三田氏を滅ぼした後北条氏により、塩船寺と同様、 ただちに領地を保証され、 大きな勢力を持ちました。

 金沢(横浜市)の弥名寺(金沢文庫のあった寺)から伝えられた鎌倉時代の仏画の名作「如意輪観世音」(1302=乾元1=年作、1926=大正15=年に国の重要文化財に指定)をはじめとした、多くの文化財を所有しています。

 青梅市天ヶ瀬町1032(JR青梅線青梅駅から徒歩15分)


 で、この金剛寺の末寺にあたるのが、大聖院!
 24日に山歩クラブお散歩会で訪れていました!
 ここに吉野梅郷の親木(元祖)がありました。

親木の梅.jpg

 探梅、のつもりでしたが、見当たりません。
 でも、ここで marking しないといけません。

 大聖院の延命地蔵堂にて。
 このお地蔵さんは、1889(明治22)年、当時の住職が四国八十八ヶ所霊場の19番立江寺(たつえじ)の本尊、延命地蔵を写して建立しています ☟

P1060784-1.JPG  

 大聖院の若い梅の木の前で、若返りを願って、はいパチリ ☟

P1060785-1.JPG

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2019年02月26日

菅官房長官「あなたに答える必要ない」

首相官邸の質問制限に抗議する
2019年2月5日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 南 彰

 首相官邸が昨年2018年12月28日、東京新聞の特定記者の質問行為について、「事実誤認」「度重なる問題行為」と断定し、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」、「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と官邸報道室長名で内閣記者会に申し入れたことが明らかになりました。

 記者会見においてさまざまな角度から質問をぶつけ、為政者の見解を問いただすことは、記者としての責務であり、こうした営みを通じて、国民の「知る権利」は保障されています。
 政府との間に圧倒的な情報量の差があるなか、国民を代表する記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能で、本来は官房長官が間違いを正し、理解を求めていくべきです。
 官邸の意に沿わない記者を排除するような今回の申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の「知る権利」を狭めるもので、決して容認することはできません。
 厳重に抗議します。

 官房長官の記者会見を巡っては、質問中に司会役の報道室長が「簡潔にお願いします」などと数秒おきに質疑を妨げている問題もあります。
 このことについて、報道機関側が再三、改善を求めているにもかかわらず、一向に改まりません。

 なにより、「正確な事実を踏まえた質問」を要求する官邸側の答弁の正確性や説明姿勢こそが問われています。
 2017年5月17日の記者会見で、「総理のご意向」などと書かれた文部科学省の文書が報じられた際に、菅義偉官房長官は「怪文書のようなものだ」と真っ向から否定。
 文書の存在を認めるまで1ヶ月かかりました。
 こうした官邸側の対応こそが、「内外の幅広い層に誤った事実認識を拡散させる」行為であり、日本政府の国際的信用を失墜させるものです。
 官邸が申し入れを行った2018年12月26日の記者会見でも、菅官房長官は「そんなことありません」「いま答えた通りです」とまともに答えていません。

 日本の中枢である首相官邸の、事実をねじ曲げ、記者を選別する記者会見の対応が、悪しき前例として日本各地に広まることも危惧しています。
 首相官邸にはただちに不公正な記者会見のあり方を改めるよう、強く求めます。

《追記》 

 そもそも官邸が申し入れのなかで、東京新聞記者の質問を「事実誤認」と断じた根拠も揺らいでいます。
 記者が、沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設をめぐり、
「埋め立て現場ではいま、赤土が広がっております」
「埋め立てが適法に進んでいるか確認ができておりません」
と質問したことに対して、官邸側は申し入れ書のなかで、
「沖縄防衛局は、埋立工事前に埋立材が仕様書どおりの材料であることを確認しており、また沖縄県に対し、要請に基づき確認文書を提出しており、明らかに事実に反する」
「現場では埋立区域外の水域への汚濁防止措置を講じた上で工事を行っており、あたかも現場で赤土による汚濁が広がっているかのような表現は適切ではない」
――と主張しました。

 しかし、土砂に含まれる赤土など細粒分の含有率は、政府は昨年2018年12月6日の参議院外交防衛委員会でも
「おおむね10%程度と確認している」
と説明していましたが、実際には「40%以下」に変更されていたことが判明。
 沖縄県が
「環境に極めて重大な悪影響を及ぼすおそれを増大させる」として立ち入り検査を求めていますが、沖縄防衛局は応じていません。

「赤土が広がっている」ことは現場の状況を見れば明白です。
 偽った情報を用いて、記者に「事実誤認」のレッテルを貼り、取材行為を制限しようとする行為は、ジャーナリズムと国民の「知る権利」に対する卑劣な攻撃です。

 新聞労連は今年2019年1月の臨時大会で、
「メディアの側は、政治権力の『一強』化に対応し、市民の「知る権利」を保障する方策を磨かなければなりません。(中略)いまこそ、ジャーナリストの横の連帯を強化し、為政者のメディア選別にさらされることがない『公の取材機会』である記者会見などの充実・強化に努め、公文書公開の充実に向けた取り組みを強化しましょう」
とする春闘方針を決定しています。

 今回の東京新聞記者(中日新聞社員)が所属する中日新聞労働組合は新聞労連に加盟していませんが、国民の「知る権利」の向上に向けて、共に取り組みを進めていきたいと考えています。
以 上


首相官邸の質問制限・妨害行為(記者に対するハラスメント)に抗議する
2019年2月18日
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC) (新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、 映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)

 安倍内閣は2月15日、菅義偉官房長官の記者会見における東京新聞の「特定の記者」の質問について、「誤った事実認識に基づくものと考えられる質問」と一方的に断定し、「国内外の幅広い層の方々の事実認識を誤らせることにもなりかねず、ひいては、定例会見を行う意義が損なわれるおそれがあるとの問題意識 を有している」とする政府答弁書を閣議決定しました。

 記者会見は、記者が国民・市民を代表してさまざまな角度から質問をぶつけ、為政者の見解を問いただすことによって、国民・市民の「知る権利」を保障する場です。
 それにもかかわらず、記者の質問内容にまで政府見解の枠をはめようとする今回の閣議決定は、「取材の自由」や全ての国民・市民の「知る権利」の侵害で あり、断じて容認することはできません。
 首相官邸および閣議決定に署名した各閣僚に対し、厳重に抗議し、撤回を求めます。

 首相官邸は、沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設をめぐり、「埋め立て現場ではいま、赤土が広がっております」と東京新聞記者が質問したことについて、 「表現は適切ではない」「事実に反する」と主張し、その質問を「事実誤認」「問題行為」と断じています。
 しかし、赤土が広がっていることは現場の状況を見れば明白であり、記者が記者会見で質問することは自然な行為です。
 問題発覚後に沖縄県が求めている土砂に関する立ち入り調査に沖縄防衛局などが応じていないことも事実です。
 首相官邸の主張は、問題発覚前に行われた調査とすり替えて、意に沿わない記者に「事実誤認」のレッテルを貼る卑劣な行為です。

 また、首相官邸は、「事実誤認」を理由に「9回の申し入れを行った」(菅官房 長官)と国会などで答弁し、「度重なる問題行為」を印象づけようとしています。
 しかし、たとえば国連特別報告者が求めた閣僚との面会が見送られたことについて、東京新聞記者が「ドタキャン」と表現したことは、国際社会の評価に沿ったものです。
 こうした質問を「事実誤認」としておとしめる行為は、日本政府の国際的信用を失墜させる恐れすらあります。

 記者会見で指名権を持つ菅官房長官は約1年半にわたって、この東京新聞記者の質問を後回しにし、司会役の官邸報道室長は「公務」を理由にこの記者の質問数を1〜2問ほどに制約していました。
 さらには、質問中にもかかわらず、報道室長が数秒おきに「簡潔にお願いします」と妨害し、「質問が長い」と印象づけようとしています。
 一方的に「事実誤認」のレッテルを貼ることを含めた一連の首相官邸の行為は、権力者による記者に対するハラスメント(いじめ、嫌がら せ)行為です。

 首相官邸は昨年2018年12月28日、この東京新聞記者の質問が「事実誤認」「度重なる問題行為」であるとして、「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」 とする申し入れを内閣記者会に行いました。
 新聞労連などがこの申し入れを撤回するよう求めています。
 事実をねじ曲げ、意に沿わない記者にハラスメント (いじめ、嫌がらせ)を繰り返し、排除しようとする首相官邸の対応が、悪しき前例として日本各地に広まることを危惧しているからです。
 ところが、政府は2 月15日の閣議決定で、一連の質問制限・妨害を正当化し、今後も「ある」と宣言してきました。

 日本では第2次世界大戦中、政府が新聞事業令を施行するなど、報道機関や記者の統制を計画し、準統制団体である日本新聞会を設置させるなど、自由な報道や取材活動を大きく制限しました。
 この結果、報道はいわゆる「大本営発表」に染まり、取り返しのつかない数の死傷者を出しました。
 二度と同じ過ちを繰り返してはなりません。
 マスコミ・文化・情報の職場で働く私たちは、言論・表現・報道の自由を守るため、首相官邸に対して、不公正な記者会見のあり方をただちに改め、記者に対するハラスメント(いじめ、嫌がらせ)をやめるよう、強く求めます。
(以上)


官邸による取材・報道の自由侵害に抗議する緊急声明
2019年2月19日

 上村秀紀内閣官房総理大臣官邸報道室長は、2018年12月28日、内閣記者会宛てに、記者会見における菅義偉官房長官に対する東京新聞の特定の記者の質問について「事実誤認がある」とした文書を示し、「問題意識の共有」を求めた。
 この文書は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事に関するものである。
 この件については、政府と野党の認識が鋭く対立している。
 野党による国会質問や政府の答弁を見れば政府側の認識に誤りがないなどと断定することはできない。
 政府の一方的認識を前提として、質問者から寄せられた赤土が広がっているという事実認識を「事実誤認」と断定し、説明を免れ、質問を抑圧することは許されない。
 これは取材の自由、報道の自由への侵害である。
 また、事実認識を内閣記者会に共有したいなどとすることは自由で批判的な質問をする記者の官房長官記者会見からの排除にもつながりかねない。
 内閣官房長官の記者会見は日々2回開催されている。
 それは国防、外交、災害、国際紛争など国民の将来を左右する重大事をとりあげる場である。
 知る権利は最大限尊重されなければならない。
 西村康稔官房副長官は、「報道室長からは質問権を制約したり知る権利を制限したりする意図はまったくないと報告を受けている」と発言したが、本件文書の与える影響は深刻なものであって、看過できない。
 表現の自由、知る権利に関心を寄せる私たちは、この問題について深刻な憂慮を表明するとともに、政府に対しこの文書をただちに撤回するよう要求する。
346名(2019年2月19日 15時30分現在)


 しかし…きょうになっても・・・

 全国の報道関係者らでつくる「メディアで働く女性ネットワーク」は2月26日、官房長官記者会見での東京新聞記者による質問を「誤った事実認識に基づくものと考えられる」とした政府答弁書の閣議決定について、安倍晋三首相らに撤回を求める声明文を出したと明らかにした。
 同団体は「政府による言論統制そのもの。特定記者を超え、ジャーナリスト一人一人に向けられた『刃』だ」と抗議した。

 声明文は2月25日付で、「質問の妨害は、権力者が特定記者の弾圧と排除を意図した行為と評価せざるを得ない。質問内容にまで政府見解の枠をはめようとするものだ」と指摘した。


Yahoo! Japan ニュース、2/26(火) 17:19配信
「政府決定は言論統制」

メディア女性ら抗議

(KYODO)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190226-00000143-kyodonews-soci

 菅義偉官房長官は2月26日の記者会見で、事実に基づかない質問を繰り返しているとして首相官邸が対応を求めている東京新聞記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と回答を拒んだ。

 首相官邸は「事実に基づかない質問は厳に慎むようお願いする」などと再三、東京新聞に対応を申し入れている。
 同記者のこの日の質問は「会見は国民の知る権利に応えるためにあると思うが、何のための場だと思うか」との内容だった。

 この直前に同記者は、他のメディアにも対応を求めたことがあるかと尋ねた。
 菅氏はそれに直接答えず、「この場所は質問を受ける場であり、意見を申し入れる場ではない。『会見の場で長官に意見を述べるのは当社の方針ではない』と東京新聞から(官邸側に)回答がある」と指摘した。


時事ドットコムニュース、2019/02/26-19:00
菅官房長官「あなたに答える必要ない」=東京新聞記者の質問に
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019022601095&g=pol

【ファクトを隠すのは誰か】
ふるさと納税発案者の菅官房長官は、東京新聞の望月記者の質問に、今度は「あなたに答える必要ない」と回答拒否。
事実に基づかない質問をしているという理由がアホすぎる。
公文書も政府統計も改ざんし、偽証する政府が事実に基づいているのか?
16:27 - 2019年2月26日

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沖縄県民投票

 2月24日日曜日は山歩クラブのお散歩会。
 その日は、名護市辺野古米軍新基地建設の埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票の日!

 辺野古の新基地建設をめぐる県民投票から一夜明けた。驚いたのは“本土メディア”の報道姿勢だ。周知の通り投票者の7割以上、沖縄の全有権者でみても約4分の1が「反対」を投じ、明確に「辺野古に基地はいらない」と意思を示したにもかかわらず、“本土”のメディアはその民意を矮小化しまくっている。

 たとえば、本日の情報番組やワイドショーでは、テレビ朝日の『羽鳥慎一モーニングショー』こそスタジオトークを交えて報じたものの、『とくダネ!』(フジテレビ)、『ひるおび!』(TBS)はごくわずかストレートニュースで触れただけ。『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)や『直撃LIVE!グッディ』(フジテレビ)は一秒も沖縄県民投票の結果を報じなかった。ちなみに、『グッディ』に至っては、例の南青山の児童相談所問題で反対派・賛成派の番組独自討論会企画に長尺を使ったにもかかわらず、だ。

 別に児童相談所問題をやるなとはいわないが、明らかに明日以降でも問題ない企画を優先させ、昨日の沖縄県民投票を完全にネグったのは、ちょっとどうかしているとしか思えないだろう。

 しかも、“本土メディア”は報じたら報じたで、選挙結果を過小評価するミスリードとしか思えないやり方をしている。たとえば、NHKの『おはよう日本』では、投票結果について「多数となった『反対』の意見が有権者の4分の1にあたる28万8000票余りを超えたことから、条例の規定により、沖縄県の玉城デニー知事は総理大臣と米大統領に結果を通知することになりました」と説明しただけで、「反対」の票が得票率で72.15%におよんだという数字には一言もふれなかった

 また、昨日放送の『Mr.サンデー』(日本テレビ)では、意味のわからない両論併記的な報じ方に終始した。たとえば、沖縄知事選のニュースを受けたMCの宮根誠司は、これだけ明確に「基地反対」の民意が示されたのに、唐突に沖縄経済を持ち出して、こんな話を始めていた。

「それからもう一個考えなければいけないのは沖縄振興、沖縄の経済ですよね。僕も沖縄へ取材に行ったんですけど、沖縄の基地で働くための専門学校っていっぱいあるんですよね。やっぱりお給料いいんですよ。そのあたりもあって複雑だなって思っちゃうんですけどね」

 いつもの「沖縄は経済的に基地へ依存している」とかいうペテンである。たしかに、基地関連施設で働いている沖縄の人は少なくないが、「だから基地をなくすのは無理」という主張はとっくのとうに否定されている話だ。

 実際、沖縄県自身がホームページで〈沖縄経済における基地関連収入(軍用地料、軍雇用者所得、米軍等への財・サービスの提供)の割合は、復帰直後である昭和47年の15.5%から平成27年度は、5.3%となり、その比重は大幅に低下しています〉と公表している。また〈過重な米軍基地の存在は、道路整備や計画的な都市づくり、産業用地の確保等、地域の振興開発を図る上で大きな制約となっており、今後、米軍再編による大幅な兵力削減や相当規模の基地返還が進めば、基地経済への依存度はさらに低下していくものと考えています〉としており、住民に対する危険性はもちろんのこと、むしろ基地の存在自体が沖縄県の振興の弊害となっているのだ。

読売新聞1面トップは沖縄県民投票でなく「適量ですか 高齢者の薬」

 まったく呆れてものも言えないとはこのことだが、ところが『Mr.サンデー』では、続いてコメンテーターの木村太郎氏がこんなトンチンカンな解説をする始末だった。

「今回ね、投票率だと思うんですよ。今回ね、50.51(注:パーセント、番組放送時点での速報値)でしょ。知事選が60パーセント超えるんですよ、ここは。だからそれと比べるとずいぶん低かったな、っていうのはやはり積極的な棄権じゃなくて、やはり決めかねるというそういう民意もあったのが反映してるのかな。僕はこれ、YESかNOかでやったら絶対的多数の、(有権者総数の)115万の半分いっちゃうと思ったんですよ。そこまでいかなかったっていうのは、やっぱりいろんな意味で沖縄の抱えている苦しい問題があるんだろうなっていうことを想像させますね」

 もうツッコミどころが多すぎて困ってしまう。そもそも、今回の県民投票での43万4273票という反対票は、昨年の知事選で玉城デニー氏が獲得した39万6632票を大幅に上回っている。しかも、「賛成」「反対」「どちらでもない」という3つの選択肢が設けられたにもかかわらずだ。木村氏は「YESかNOかでやったら115万の半分いっちゃうと思ったけどいかなかった」などと述べているが、そもそも3択だし、だいたいどれだけ高い投票率を想定しているのか、ちょっと意味がわからない。繰り返すが、有効投票総数の72・15%が「反対」というのは圧倒的比率であり、それは反対票の実数を見ても同じなのだ。これがはっきりと示された「民意」と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

 だが、こんな体たらくや矮小化報道をやっている“本土メディア”はテレビだけではない。全国紙も相当にヤバいとしか言いようがなかった。

 実際に今朝の朝刊を見てみると、当然、1面トップは沖縄県民投票の結果報道だと思いきや、なんと、トップにしたのは朝日と毎日だけ。代わりに入っていたのが、日経は「見えざる資産 成長の源に」なる見出しの速報性がまったく感じられない経済特集記事、産経は「海自観艦式 韓国招待せず」という十八番の韓国批判ネタ、そして読売にいたっては、なんと、こんな見出しの記事をトップに持ってきていたのだ。

「適量ですか 高齢者の薬」

 そう、健康記事である。これが1面トップ? そんなの生活面でやれよ、と誰もが突っ込んだと思うが、しかも読売は全国5紙で唯一、1面における沖縄県民投票の記事を最も小さな扱いにしていたのだ(あの産経ですら、天皇在位30年式典記事よりも「辺野古反対7割超」を大きく扱っているにもかかわらずである)。

 前から安倍応援団新聞の読売だが、これはもう、露骨すぎると言うしかないだろう。内容も相当ひどいものだ。3面には「投票率52% 広がり欠く」「『反対』最多 影響は限定的」なる見出しが躍る。記事内では「移設容認派」の自民党県連幹部の「反対多数は想定の範囲内だ。盛り上がりに欠け、県民の総意とは呼べない」なるコメントを掲載するなど、モロに政権側のプロパガンダを垂れ流した。

産経は社説で県民投票は「民主主義を履き違えたもの」と負け惜しみ

 さらに驚くのはこの前のページ、2面の「沖縄米軍基地『役立つ』59%」なる見出しの記事だ。一瞬、なんの話をしているのかわからないと思うが、実はコレ、読売が今月22〜24日に実施した全国調査の数字だという。しかも、この読売全国調査でも辺野古埋め立て工事を進める政府の方針に「反対が47%で、「賛成」(36%)を10ポイント以上も上回っている。にもかかわらず、〈沖縄のアメリカ軍基地は、日本の安全保障に役立っていると思いますか〉との設問に「役立っている」の回答が59%(「そうは思わない」30%、「答えない」11%)だったほうを大見出しに掲げるそのセンス……。

 ようするに読売は、沖縄の県民投票で7割以上が「反対」したところに、わざわざ自社の全国世論調査の「(米軍基地は)役立っている」の数字を強調して持ってきているのである。言い換えれば、「沖縄県民はつべこべ言わずに我慢しろ」と書きなぐっているに等しいだろう。ちなみに、読売は社説で沖縄県民投票に一切触れなかった。どこまで公権力の犬であれば気がすむのか。絶句するしかない。

 いや、社説といえば、産経新聞の「主張」も相当イカれている。なにせ、他紙が「沖縄県民投票 結果に真摯に向きあえ」(朝日)、「『辺野古』反対が多数 もはや埋め立てはやめよ」(毎日)と、示された有権者の意識から論じたのに対し、産経は、実に「国は移設を粘り強く説け」だった。

 産経が重ねる言葉は〈投票結果は極めて残念である〉〈移設推進を堅持しなければならない〉。読者たる市民の側ではなく、あくまで安倍政権側に立っていることをこれでもかと物語っているが、挙句、こんなことまで恥ずかしげもなく述べている。

〈投票結果について、いろいろな分析が行われるだろうが、今回の県民投票はその内容にかかわらず、民主主義を履き違えたものであるというほかない〉

 何をかいわんや。どうも記憶力が悪いようなので、本サイトが親切に振り返っておいてあげるが、2016年の宜野湾市長選で自民公明が推薦した佐喜真淳氏が再選した翌日、産経の社説「主張」はどうだったか。ちなみに、佐喜真陣営はこの選挙で「辺野古移設の是非」について徹底して意見しないことで争点を隠す作戦にでていたのだが、ともあれ産経はこんな勝どきをあげていたのである。

〈米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市長選で、与党が支援する現職の佐喜真淳氏が再選を果たした。佐喜真氏が普天間の危険性除去を主張し、名護市辺野古への移設を否定しなかったのに対し、対立候補は移設に反対していた。危険性除去には、辺野古移設がより現実的だという判断が示された結果といえよう〉

 ようは、産経の頭のなかでは「安倍政権の意向にそう投票結果だけが民主主義」なのだろう。本当に、どうかしているとしか思えない。

 いずれにしても、“本土メディア”の体たらく、矮小化報道が眼に余る。
 以前から沖縄の基地問題については、全国紙や全国放送は明らかに軽視する傾向があったが、今回の県民投票では“唯一の争点である新基地建設の是非”に明確なNOがあらわれた。
 安倍政権と同様、これまで無視してきた沖縄の声に、これ以上耳をふさぐことは決して許されない。
 沖縄報道はよりいっそう“メディアはいったい誰のほうを向いているのか”を測る指針となるだろう。


リテラ、2019.02.25 11:59
本土メディアの沖縄県民投票無視がヒドい!

読売は1面トップから外し「広がり欠く」「影響は限定的」と無理やり矮小化

https://lite-ra.com/2019/02/post-4569.html

 沖縄県民が米軍普天間飛行場移設による辺野古埋め立てに「ノー」を突きつけて一夜明けた2月25日、安倍晋三首相は工事を止めることもなく、移設の必要性をひたすら繰り返した。自ら約束した「普天間の5年以内の運用停止」も空手形に。工事の長期化は必至で、民意を軽んじられ続ける県民の政権への不信は募るばかりだ。

 25日朝、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前。有効投票数の72.15%が反対票を投じた県民投票を受けて、市民ら約40人が座り込んだ。「県民投票の結果で大きなうねりをつくろう」と拳を突き上げたが、県警の機動隊に抱えられ排除された。資材を積んだダンプカーやミキサー車が続々と到着し、沿岸部にはこの日も土砂が投入された。

 安倍晋三首相は衆院予算委員会で「県民投票の結果を真摯(しんし)に受け止める」と神妙な面持ちではあったが、続けた言葉は普天間飛行場の移設の必要性ばかり。
「危険なまま置き去りにされることは絶対に避けなければならない。地元の皆様との共通認識である」

 埋め立て工事の中断や見直しには一切触れず、沖縄の民意を無視し、工事を続行する姿勢は変えなかった。

 政府は県民投票を当初から「意味がない」と軽視していた。自民、公明両党は告示後も賛成を訴えるわけでもなく、投票率が下がることを期待していたのが実態だ。その影響もあって投票率は昨年の知事選より下がったが、反対票は玉城デニー知事の票数を超え、自公支持層も反対票を投じたのは間違いない。投票率52.48%は、2017年衆院選全体の投票率と1.2ポイントしか違わず、不参加で投票の政治的効果を減じようとした与党の思惑は外れた。

 それでも政府が無視するのは、日米両政府の合意を変えたくないという判断がある。首相は「普天間の全面返還については、日米で合意をしてから既に20年を超えて、今もなお返還が実現しておらず、もはや先送りは許されない」と答弁した。

 ハガティ米国駐日大使も朝日新聞のインタビューに「現行案を追求し続けること以外、実行可能な選択肢はないと思っている」と語っている。

 首相は3月1日にも玉城氏と面会するが、これまで通り政府方針を一方的に伝達することになりそうだ。首相官邸幹部は「民主党政権でも結局辺野古になった。辺野古しかない。県も反対だけで代替策なんて何の提案もしていないでしょう。辺野古になれば基地の面積は今の半分になる」とさえ語る。

 移設の是非が争点となった2度の知事選に続き、埋め立ての是非を問うた県民投票の民意さえも無視されることに、沖縄県側は収まらない。
 玉城氏は25日の県議会で「辺野古埋め立てを決して認めないという断固たる民意を真っ正面から受け止め、辺野古が唯一という方針を見直すべきだ」と政府に迫る考えを示した。
 県幹部は首相の「真摯に受け止める」との言葉について、
「また口ばかりだ。本土の国民向けに丁寧な言葉ばかり並べるが、実際に沖縄でやっていることは誠実さのかけらもない。沖縄県民を馬鹿にしている」と語った。


msn ニュース、2019/02/26 05:00
首相「投票結果を真摯に」言ったその日、工事進む辺野古
(朝日新聞、宮野拓也、岡村夏樹)
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/首相「投票結果を真摯に」言ったその日、工事進む辺野古/ar-BBU4dps?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2

 美しい海を埋めてまで、沖縄はこれからも重い負担を背負い続けなければならないのか。
 沖縄の人々は考え抜いた末に「埋め立て反対」の結論を出した。

 問題の原点は74年前にある。
 太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、地上戦で県民の4人に1人が命を落とした。
 占領した米軍は人びとの土地を力で奪い、基地を造った。
 米軍普天間飛行場もその一つだ。
 国土面積の約0.6%の島に全国の米軍専用施設の約70%が集中する現実。
 そんな沖縄に「土地を返すから、代わりに海を差し出せ」と求めているのが辺野古移設問題の構造だ。

 普天間か辺野古か。
 1996年の日米両政府による普天間返還合意以降、沖縄は常に不条理な選択を迫られてきた。
 だが、数々の選挙で「民意」を示し続け、政治が機能していれば実施しなくてもよかったはずの2度目の県民投票でも「辺野古ノー」の答えを出した。
 それは74年前から現在まで続く構造的差別に対する「ノー」でもある。

 埋め立て工事は想定外の軟弱地盤が発覚し、工期も工費も大幅に膨らむのが確実で曲がり角に差し掛かっている。
 政府は投票結果を真摯(しんし)にとらえ、工事を止めて計画を見直すべきだ。

 県民投票の実施を求め、署名集めに駆け回ったのは、若いウチナーンチュ(沖縄の人)たちだった。
 未来を担う若者たちが率先して考え、出した結論を政府が切り捨てれば、本土に対する失望や不信感は際限なく広がる。
 答えは出た。
 次は政府が、そして本土が考える番だ。


毎日新聞、2019年2月25日 07時30分
沖縄、構造的差別に「ノー」

次は本土が考える番

(那覇支局長・遠藤孝康)
https://mainichi.jp/articles/20190224/k00/00m/010/204000c

 2月24日に投開票された沖縄での県民投票の結果が明らかになった。
 辺野古新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票である。
 投票率は52.48%。
 投票結果は

「反対」 43万4273票(72.2%)
「賛成」 11万4933票(19.0%)
「どちらでもない」 5万2672票(8.7%)

だった。

 「辺野古埋め立て」への反対票は、昨年2018年9月の知事選で玉城デニー氏が獲得した過去最多の39万6632票を超えた。
 「反対」の43万4273票は、投票資格者数115万3591票の4分の1である28万8398票をはるかに上回った。
 「反対」票の投票資格者数に対する比率は37.64%に達した。

 圧倒的な民意が示されたと言える。

 沖縄県が制定した条例では、最大得票が有権者の4分の1を超えた場合、知事が結果を尊重し、首相と米国大統領に通知することになっている。
 今回、最多の得票となった「反対」票は、全有権者の38%に達し、玉城デニー知事は結果を安倍首相と米国大統領に通知する。

 圧倒的な民意で「辺野古埋め立て反対」の意思が示された。
 民主主義政治において、この意味は計り知れなく大きい。
 安倍内閣がこの民意を無視して辺野古埋め立てを強行するなら、日本の主権者は重大な決意をもって、その愚行に対処しなければならない。

 安倍内閣御用メディアや安倍内閣追従者は、すかさず、

「1996(平成8)年の県民投票では、アメリカ軍基地の整理縮小に有権者の過半数が賛成したが、今回の県民投票で『反対』に投票した人は38%程度となっている」

「投票率52% 広がり欠く」
などと唱えるが、全有権者の38%が反対票を投じた意味は限りなく重い。

 自公の政権与党の2014年と2017年衆院総選挙での得票率は次のものだ(比例代表、全有権者に占める得票率)

2014年選挙
自民 17.4%
公明  7.2%
計  24.6%

2017年選挙
自民 17.9%
公明  6.7%
計  24.6%

となっている。
 つまり、現在の自公政権は、主権者全体の4分の1を欠く者の投票によって成立した政権なのだ。
 主権者全体の25%の得票を得ていない。

 自民党に限っていえば、主権者全体の17〜18%、6人に1人の投票しか得ていない。
 それなのに、自公の政権与党は国会議席の3分の2を占有している。

 安倍首相はこの国会議席にあぐらをかいて、傍若無人の暴走政治を続けている。
 国政のこの現状を踏まえたとき、沖縄県民の38%の人びとが辺野古埋め立て反対の意思を明示した意味は限りなく大きい。
 この38%民意を無視するなら、主権者の25%の支持さえ得ていない安倍内閣存立の根拠は完全になくなると言うべきだ。

 今回の県民投票では、沖縄、宜野湾、うるま、宮古、石垣の5市が県民投票妨害の行動を示した。
 これに元山仁士郎さんなどがハンストで抗った。
 その結果として、全県で予定通り県民投票が実施された。
 主権者が行動を起こして県民投票を実現させ、さまざまな妨害工作を跳ね返して今回の結果を得た。
 民主主義の重要な金字塔のひとつが打ち立てられたと言える。

 安倍内閣がこの民意を無視するなら、主権者はこの政権を消し去るしかない。
 暴政を続けるなら、必ずその報いが安倍内閣に跳ね返るはずだ。


植草一秀の『知られざる真実』、2019年2月25日(月)
25%基盤安倍内閣に38%民意が突き付けられた
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-5b6d.html

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2019年02月25日

梅菓子処 紅梅苑

 東京の西部に位置する青梅。
 都会の喧騒を離れた自然豊かな土地は、数多くの著名人にも愛されています。
 そんな青梅の、紅梅の淡い紅色が咲き乱れる奥に見えるのが、菓子処「紅梅苑」(青梅市梅郷3-905-1 Tel 0428-76-1881)です。
 青梅吉野梅郷は、日本一の梅の名所にも選ばれた梅の町。
 作家の吉川英治が戦中から戦後にかけて住み、「新・平家物語」を執筆したゆかりの地でもあります。
 その英治が生前、こよなく紅梅を愛していたことにちなんで、ささやかな菓子処を「紅梅苑」と名付けました。

 梅をかたどり、風味を生かした数々の和菓子や、自家製の梅甘露煮といった紅梅苑のお菓子は、
 すべて創造と愛情の結晶をベースに作られています。

 奥には座敷もご用意しております。
 どうぞ紅梅苑にてごゆっくりと、梅の味わいと青梅の風情をお楽しみください。

 webサイト「甘いお話」に紅梅苑と吉川英治についての紹介をご覧いただけます。

http://www.koubaien.net/

webサイト「甘いお話」に紅梅苑と吉川英治についての紹介をご覧いただけます。
梅の郷で夫を想うの巻
お店:梅菓子処 紅梅苑
和菓子:青梅葛切り

https://www.youtube.com/watch?v=ON0Um2ODysg

 青梅の吉野梅郷と言えば、日本有数の美しい梅林で、それはもう圧倒的な美しさ。
 ところが、それが失われてしまったという話を聞いたのである。
 プラムポックスウイルスによる感染を食い止めることができず、昨2014年春には全ての梅が伐採され、あの美しい梅郷の面影は完全に消えてしまったのです。
 それこそ梅が咲き誇る時期には、多くの観光客が訪れ、一年で最も賑わいます。
 その美しい梅が完全に失われ、ハゲ山のようになってしまい、言葉を失ってしまいました。
 しかし、青梅にとっては、まさにその梅こそが象徴であり、もう一度、あの見事な梅林を蘇らせるべく、さまざまな運動が始まったのです。

 日向和田駅から程近い老舗「紅梅苑」も立ち上がり、夏になると、かき氷や葛きりなどで使用している青梅のシロップを使って、地元の多摩産の「東京牛乳」を使用したソフトクリームを開発し、これが多くのテレビや新聞などでも取り上げられ、「吉野梅郷再生プロジェクト」が始動したのです。
 この話を立川島屋の担当者から聞いた僕は、すぐさま協力させて頂きたく、久しぶりに、紅梅苑の本店にお邪魔することになったのです。

 観ても美しく、味わっても美味しい青梅に寄り添って生きて来た想いに触れ、御中元ギフトで取り上げさせて頂き、その売上の一部を支援活動に役立てる形で、『青梅ぜりー』と『青梅しゃーべっと』の詰合せをご紹介させて頂くことになりました。
 その打合せもあって、数度足を運んで伺いまして、一度会ったら二度と忘れられないご主人・鈴木 博さんのキャラクターも楽しく、笑いが止まらず、寒い時期のことでしたが、何だか物凄く温かい時間でした。

青梅葛きり
 そして、まずは、評判の『青梅葛きり』を頂きまして、葛切り好きとしてはたまらないわけです。
 よく日持ちがするタイプの葛菓子が、夏になると登場して黒蜜タイプと青梅蜜タイプがあって、葛切風の新潟・大阪屋の『流れ梅』など、夏の定番になっているお菓子も多いですよね。
 しかし、意外と甘味処のスペースで食べられる葛切は、ほとんど黒蜜と白蜜。
 あまり青梅のシロップで味わえるということはなく、なお嬉しいものです。

 つるんとした葛きりを箸ですくい出して、自慢の青梅の蜜にさらりと通して頂きますと、もう何とも言えない爽やかさに包まれて、酸味が強すぎることもなく、すっきりとしてお見事。
 ですが、この葛切の最大の楽しみは、葛切を食べ終えた後に、蜜に浮かんでいる青梅の果実を食べることにあります。
 これほどに美味しい青梅の蜜煮は、そうそう出会えないでしょうね。

青梅ソフトクリーム
 そして、この青梅シロップを使ったかき氷に加えて、今回、「吉野梅郷再生プロジェクト」のために生まれたソフトクリームが新登場。
 まろやかな甘みのソフトクリームの渦に、キレイな緑色の青梅シロップが伝わり、程良い酸味が混じり合って、爽やかな後味を残してくれるのです。
 よく夏日の時はアイスクリームやソフトクリームが売れますが、それ以上の温度になって真夏日となった時は、かき氷が動き出すとよく言います。

梅が姿を消してしまった吉野梅郷
 乳製品独特の最後に喉に残って、もう一度水分を補給して潤いたくなるようなことはなく、その最後のもたつきを、キレイに取り払ってくれるのが、この青梅の爽快感でしょう。
 ソフトクリームに練り込んでしまうのではなくて、あとでシロップをかけることで、青梅のさっぱりとした味わいが追いかけてくるのです・・・・これはいいなあと思ったのです。

 少しでも早く、吉野梅郷が蘇ってくれるように、みんなでこのソフトクリームを食べましょう!!
 いつかきっと、また美しい梅の花を観られるよう、応援しましょう!!

青梅葛きり 1人前 税込925円
青梅ソフトクリーム シングル 税込378円


和菓子魂・第458回、2015年06月07日
紅梅苑の『青梅葛きり』と『青梅ソフトクリーム』
http://blog.livedoor.jp/wagashibuyer/archives/44711880.html

梅の里、再生へ

 2009年、国内で初めての「プラムポックスウイルス」が、東京・青梅市の梅の木から見つかりました。
 感染した果実を食べても人や動物への影響はないそうですが、ウイルスに感染した木は弱り、実は未熟なまま落ちてしまいます。
 2014年春には、青梅市・梅郷のシンボル「梅の公園」の梅の木がすべて伐採されるなど、農業や観光への被害は甚大です。

 そんな中、梅郷の梅菓子処「紅梅苑(こうばいえん)」の鈴木さんより、「梅の里再生へ向け動き始めています」とのお便りをいただきました。
 地域を支える若手と共にNPO法人を立ち上げ、植樹のための募金活動もスタート。おいしいソフトクリームを食べるだけでも再生の一助になるそうです。

梅菓子処「紅梅苑(こうばいえん)」

 青梅吉野梅郷の梅菓子処「紅梅苑(こうばいえん)」。
 作家の吉川英治氏が愛した紅梅に因み、1983(昭和58)年に文子夫人が開きました。
 後に甥の鈴木博さんが継ぎ、現在は3代目、鈴木宗さんが店を守ります。

 最寄りの日向和田駅から店へと向かう、神代橋からの眺めは息をのむ美しさ。
 紅葉の名所としても知られますが、夏はアウトドアスポーツを楽しむ人で賑わうそうです。

 久しぶりに訪ねると、梅郷の豊かな自然は変わらないながらも、梅の木が見当たりません。
 「紅梅苑」の自家梅園は姿を消し、同店のシンボルである、1つのヘタに2つの梅が実る「鴛鴦(えんおう)梅」も切り株を残すのみとなっていました。

再生への第一歩「青梅(あおうめ)ソフトクリーム」

 まずは梅の里再生の第一歩として考案された「青梅(あおうめ)ソフトクリーム」。
 目を奪われる鮮やかなグリーンは、梅の自然の色。
 近隣の多摩地区産の新鮮な牛乳をたっぷり使ったソフトクリームは、まろやかでコクがありながらも、すっきりとした後味です。

 自家製あおうめシロップは、ソフトクリームに練り込むのではなく仕上げに上からかけるため、梅の色と甘酸っぱい風味が生かされ、目にも舌にも爽やか。
 梅郷の澄んだ空気と相まって、清々しいおいしさです。

 シロップに使われる「梅郷」という品種の梅は、運よく市外に植樹されたものが見つかり、取り寄せているもの。
 青梅ソフトクリームの売上の一部は梅の里再生のため寄付されます。

ウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス、PPV)

 2009年に青梅市の梅の木から見つかった、国内初の「ウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス、PPV)」。
 またたく間に市内で感染が広がり、吉野梅郷にあった2万5千本のおよそ9割が伐採され姿を消しました。

 木を弱らせ、梅の実の収穫へ深刻な被害をもたらすウイルスですが、農林水産省などによれば人には感染せず、また感染した果実を食べても健康への影響はありません。

 毎年2月末から3月末にかけて開催されてきた「吉野梅郷梅まつり」。
 その中心地、「梅の公園」に残った1266本の梅の木は、2014年春に全て伐採され、今春は、伐採後に植栽された花を愛でる「吉野梅郷花まつり」が開催されました。

 まだ知名度のない「花まつり」の花見客は、「梅まつり」の1割程度に止まったそう。
 同地の飲食・観光業等の年間売り上げは「梅まつり」によるところが大きく、ダメージを受けて既に廃業したところもあるそうです。

「氷梅」と「梅酒風味水羊羹」

 自家製梅シロップでいただく出来立ての「青梅葛切り」や、鉄釜で炊く淡い紫色の餡を使った和菓子の数々で知られる「紅梅苑」。

 私自身、10年来のファンですが、これからの季節におすすめなのは、「かき氷」や「水羊羹」。
 かき氷は、梅シロップの「氷梅(こおりうめ)」と北海道産小豆で作る「氷小豆」の2種類。
 青梅の水を鉄瓶で沸し、ゆっくりと凍らせた自家製氷をふんわりと削っています。

 「氷梅」に使われるあおうめシロップは、葛切りのものより濃厚でとろりとし、梅の風味がギュッと詰まった贅沢な味わい。
 梅の効果で夏の疲れも和らぎそうです。

 梅酒のふくよかな香りにハッとする「梅酒風味水羊羹」。
 よく晒された漉し餡と相まって、深みがありながらもさっぱりとした食べ心地。
 梅の酸の影響か、煉っている間に赤みを帯びた薄紫色になるそうで、独特の美しい色をしています。
 瑞々しく口当たりのよい水羊羹は夏のご馳走。
 手土産にもオススメです。

青梅吉野梅郷 梅の里未来プロジェクト

 夏の梅菓子に舌鼓を打ちながら、鈴木さんにお聞かせいただいた梅郷の厳しい現状。
 一方で今夏、青梅市の梅の里再生計画を支援するコーナーが立川高島屋のお中元会場に設けられるなど、支援の輪も少しずつ広がっているそうです。

 「紅梅苑」としても新製品の開発に乗り出すなどしてはいるものの、「個々の店舗レベルでの努力では限界がある」とし、鈴木さん自らが代表を務めるNPO法人「青梅吉野梅郷 梅の里未来プロジェクト」を立ち上げ、2015年7月1日に申請が認められたばかり。

 苗木からでは梅の実の収穫まで約10年要するため、1本数10万円かかるとされる成木の植樹など、梅の里早期再生のための募金を呼びかける等する予定です。
 つい先日ホームページも完成しました(*)。

 10年、20年後のことを考えて動き始めた鈴木さん。
 より若い世代とも力を合わせて再生へ向かっていきたいと仰っていました。
 青梅吉野梅郷に1日でも早く、満開の花が咲く梅の園が戻ることを願います。


All About、2015年07月24日
青梅「紅梅苑(こうばいえん)」梅の里、再生へ!

梅の木を弱らせるウイルスにより、9割もの梅の木が伐採された梅の里、青梅吉野梅郷。
「紅梅苑」の鈴木社長に再生への道のりを伺いました。

(原 亜樹子、和菓子ガイド)
https://allabout.co.jp/gm/gc/456526/

青梅吉野梅郷梅の里未来プロジェクト
https://omeumepro.jimdo.com/

 紅梅苑?そう、その老舗の和菓子屋さんで景品で饅頭「紅梅饅頭」とハンカチをもらってきたんだそうです。
 えっ?景品?そうなんです。奥野木さんとヤッホーくんの二人はなんと「吉野梅郷商店会梅まつり」に参加。
 その饅頭は、「紅梅饅頭」で上記、お店の公式サイトのなかの「商品のご紹介」に写真付きで載っています。
 北海道産の小豆を「紅梅苑」独自の鉄釜で練ったあんは、甘みを抑えたあっさりとしてますが、実に深い味。
 見ます?ヤッホーくんがさっそく撮った24日「駅から駅までお散歩会」の収穫物、いよいよ公開、展示です!

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 再生途上の「梅の公園」風景(2019年2月24日)も二葉、ご紹介:

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銘菓 新・平家物語

古の源平女人を想わせる優雅な洋風和菓子

 1971(昭和46)年、バウムクーヘンの中にあんこを入れた独創的な菓子として発売以来、全国から定評を得てきたロングセラー商品。
 カステラの切り口を十二単衣に見立て、赤あんは平氏、白あんは源氏として、ひとつの小箱に納めて、平和を象徴しています。

 生地の甘い香りに、ふんわり、しっとりとした食感。
 生地に絶妙にマッチする上品なあんこ。
 菓子名につけられた文豪 吉川英治の名作『新・平家物語』を思わせる「雅」な銘菓です。

「株式会社にしき堂」の想い

 にしき堂の掲げる「百試千改」。
 新・平家物語はまさにその言葉がふさわしいお菓子です。
 発売当時は「洋風和菓子」の先駆けともなった斬新な商品でしたが、その分、難点も多く、お客様の声を伺いながら何度も何度も改良を重ね、やっとの思いで完成いたしました。
 そして、文豪 吉川英治先生の名作『新・平家物語』に因み、吉川家のご了解を得て、菓名をつけさせて頂いております。

 にしき堂は“お菓子は平和の食べもの”と考えております。

 赤餡、白餡を源氏、平氏に見立て、一つの小箱に納めたこの『新・平家物語』のように、お菓子を通して争いのない世界、そして皆さまの元へ笑顔をお届けしたいと思っております。


ザ・広島ブランド
銘菓 新・平家物語
http://hiroshima-brand.city.hiroshima.lg.jp/ninteihin-single.html?aid=1892

 へぇ〜、吉川英治の戦争と平和!

 1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件を端緒とする日中戦争は、文学場にも大きな影響をもたらしたが、その一つは、文学者の社会的役割・存在意義に関する議論/実践だと思われる。
 具体的にいえば、文学者の従軍やその体験をモチーフとした報告(ルポルタージユ)文学/戦争文学の執筆・発表、さらにはそれらに関わる同時代受容の地平− モードの再編成である。
 この時期の文学者の動向については、
《7月11日の華北出兵声明当日、近衛首相はまず新聞通信各社代表と懇談して協力を求め、13日には中央公論社、改造社、日本評論社、文芸春秋社の代表を招き、雑誌社にも協力を要請していた》として都築久義が次のように整理している。
 おそらくそれに応えるべく、雑誌社が文学者の現地派遣を計画している矢先、『東京日日新聞』は8月3日の新聞に、「本社事変報道陣に異彩、大衆文壇の巨匠/吉川英治氏特派/昨夕飛行機で天津到着」
の五段抜きの社告を出して、人びとを驚かせた。
 8月5日には、はやくも彼の「天津にて」の第一報が紙面を飾った。
 吉川は24日に帰国したが、同紙は続いて木村毅を上海に特派した。
 彼は海路で21日に上海に着き、24日に第一報を載せ、9月5日に帰った。

 雑誌の方で先陣を切ったのは吉屋信子である。
 彼女は「主婦之友皇軍慰問特派員」として、8月25日、天津に向けて羽田を飛びたった。
 9月3日に帰京すると、22日にまた、長崎から上海へ行った。
 彼女は、『主婦之友』10月号に「戦禍の北支現地を行く」、11月号に「戦火の上海決死行」を書いている。

  『中央公論』から特派された林房雄は、8月29日に上海入りし、 尾崎士郎は8月31日、佐藤観次郎と一緒に東京駅を出発して華北へ向かった。
 『日本評論』からは榊山潤が上海に9月初めに赴いている。
 かくして10月号『中央公論』には、「現地ルポルタージュ」と付されて、尾崎士郎の「悲風千里」と林房雄の「上海戦線」が、『日本評論』に榊山潤の「砲火の上海を行く」が載った 。

 本稿は、右にあげられた文学者のうち、大衆文学の第一人者と目されていた吉川英治と『東京日日新聞』に注目する。
 まずは、都築も言及していた「本社事変報道陣に異彩/大衆文壇の巨匠/吉川英治氏特派/昨 夕飛行機で天津到着」(『東京日日新聞』1937=昭12=8.3)を引いておく。
 日本全国民の眼は今や北支事変の報道に集中し一報毎に愛国の血を 沸きたぎらせてゐる。
 本社がすでに三次に亘り多数の記者、写真部員、ニユース映画班を現地に特派し、遺憾なき報道陣を布いてゐることは読者諸氏の知らるゝ通りであるが、今回さらに本社は報道陣の完璧を期し事変報道に精彩を添ふるため、わが大衆文壇の巨匠吉川英治氏を現地に特派することに決し、氏は2日夕刻飛行機で凄壮の気漲る天津に到著した。
 氏はかねて剣の神髄を把握せる人、その血迸る筆と、鋭敏なる観察とによつて書き綴られる現地のルポル タージユは近く本紙上を飾るべく、必ずや読者諸氏の御期待に副ふものであることを信じます。

 この吉川の従軍は、《吉川英治氏が従軍したのは流石だ》という「文士と従軍」(『東京日日新聞』1937=昭12=8.10)の村松梢風によって、《小説を書いてゐさへしたら誰からも苦情の来ない吉川氏が敢然として従軍した意気や壮》だと称賛される。
 さらに村松は、《人類の体験の中で、戦争ほど大きな深刻なものはない。文学者が従軍すれば、万巻の書を読むにも勝る収穫があるだらう》と付言している。
 つまりは、日中開戦後における文学者の役割(の一つ)として従軍が提案されており、吉川はその先駆的なロールモデルと位置づけられているのだ。
 吉川の従軍旅程は、1937(昭和12)年8月3日〜26日だが、前後の事情については、年譜「1937(昭和12)年45歳」の項を引いておく。
7月、毎日新聞社特派員として、天津、北京に行く約をひきうける。
 出発、即日の急なり。
 それより前に、家庭争議継続中にて、前夜来、妻及び縁類の者、膝づめにて離婚条件を提出、早朝、羽田より空路出発を前にして一睡だに眠らず。面倒事、一切先方まかせとして立つ。
 「天津だより」「北京から」等、ルポルタージュを托送、1ヶ月余にて帰国、旅中離婚成立の報を受く。
 「迷彩列車」を毎日紙上に寄せる。
 同年末、妻文子と同棲 。

 上にみられる「迷彩列車」(『東京日日新聞』1937=昭12=9.2〜12.8夕〔全68回〕)こそ、この特派の最もまとまった文学的成果である。
 ただし、尾崎秀樹の評伝においては、
《英治はやすとの問題もあって、プライベートな面では身動きができなかったが、盧溝橋事件後の状況を自分の眼でたしかめてみたいといった関心がつよく、それにこの際、日本を留守にして、これまでの家庭的なもつれを一気に清算したい気持ちもあった 》
のだと、公私にわたる従軍の動機が記述されている。
 いずれにせよ、新聞社が白羽の矢を立てたのが吉川であり、家庭の事情があったにせよ、文学者として「北支」特派の一番手だったことは確かで、それに伴って、「迷彩列車」など戦場をモチーフとした報告(ルポルタージユ)文学がいち早く発表されてもいった。
 本稿で吉川に注目するゆえんである。。。


日中開戦後の吉川英治
 『東京日日新聞』・「迷彩列車」を中心に

松本和也(まつもと かつや、神奈川大学教授、日本学研究所特任研究員)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=15102&file_id=18&file_no=1

 そして・・・

 吉川英治の「新・平家物語」には、氏が設定した架空の人物、麻鳥(あさとり)と蓬(よもぎ)夫妻が全編を通して登場する。

 壮大な物語の語り部として、世の争乱、人間と一族の栄枯盛衰を時に一歩引いたところから見つめ、時に庶民目線で物語の真ん中に入り込み、いい働きをする。

 16巻を費やし争乱と栄枯盛衰を描いたこの物語の最後は、夫妻の会話で終わる。

 夫妻は、奈良の吉野の山に桜を見にやってきた。
 麻鳥の方こそ、じつは、この吉野へ来たら、老いたる妻へ、いちどは、男の本音として
「よく、わしみたいな男に」
と、礼やら詫びを、いおうと考えていたのである。吉野の花を見せるよりは、ほんとの気持ちはそれだった。(中略)わがままな男の意志へ、なんのかのとはいっても、よくついて来てくれた妻へ、かれは、あらためて、
「…………」
何かいってやりたい。
 けれど、そうした男の胸のものを、こっくり、いい現わせることばなどは、見つからなかった。真情とは、そんな簡単に、出して見せられるものではなかった。―だから、さっきから、黙っていた。が、蓬には、良人のそうした気もちは充分なほど分かっていた。
(同書 418n)

 夫妻の会話は我が子・麻丸のことになる。
 蓬が言う。
「それにしても、医師のあなたの子が、生涯、手を真っ黒けにして、染屋の紺搔き男(こんかきおとこ)なぞで終わったら、世間も笑うじゃありませんか」
「ばかをおいい」
 つい麻鳥は、口癖で、しかってしまった。
「笑う世間の方がおかしい。なぜ紺搔き男では、恥ずかしいのかい」(中略)
「だからといって、おまえもだが、何を世間へ恥じるのか。まじめで、そしてよく働く一個の紺搔き男と、もう亡きお方だが、頼朝どのや、梶原などどいう者と較べても、人としてどこに負(ひ)け目がある?(中略)……結構だ。あれで結構。― 人おのおのの天分と、それの一生が世間で果たす、職やら使命の違いはどうも是非がない。が、その職になり切っている者は、すべて立派だ。なんの、人間として変わりがあろう。……あれもな、蓬」
「……はい」
「どうか、達者に働いてくれて、小さくても家をもち、よい女房でも娶って、やがて、わしとおまえのきょうのような一日でも老後に見ることができたら、それで申しぶんないではないか」
(同 420〜421n)

 自分がいまいるところで、必死に生き、使命を果たす。
 そこにこそ「人間の尊厳」がある。
 人間に尊卑貴賤があるわけがない。

 ひとりひとりがひたむきに生きることができる社会を作るために、憎悪と復讐の連鎖を止めて、平和な社会を作らなければならない。

 重複するが、16巻を費やし、世の争乱、人間と一族の栄枯盛衰を描いた物語のラストシーンが、吉野の桜を眺めながらの庶民の老夫婦の会話である。

 この設定自体に、時代を超えて伝わる吉川英治のメッセージがあるのだろう。


にじのかなた(*)、2018-12-25
吉川英治「新・平家物語」(2)―自分の天分に生き切っている人は、みな立派だ。
https://ameblo.jp/takamine561c/entry-12428376882.html

(*)にじのかなた
 子どもの頃、学校からの帰り道、雨上がりの向こうの空にとても大きく綺麗な虹がかかっていました。
 「ごらん友よ 戻らない日々は 虹のかなたか」―父や母、恩師、友だち、ふるさと…
 今でも虹を見ると、私を育んでくれた原風景は、いつもあの虹のかなたにあるように思います。

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吉川英治記念館

 ヤッホーくんのこのブログ、2013年02月28日付け日記「吉川英治」をぜひお読みくださいね。

 なんと昨日の2月24日日曜日、11人での山歩クラブお散歩会で吉川英治記念館を訪れようとしました。
 今日はそのお話から。
 道路際に「休館日」とあり、御一行様にごめんね、と言いながら、得意のポーズをつくっていました。
 そのとき、はるちゃんはじっと「梅まつり(2月24日〜3月24日)」のパンフレットを読んでいました。
 そして、ヤッホーくんに向かっておもむろに「閉館」だって告げ、それを聞いた御一行様はびっくり。
 ヤッホーくんはもっと驚いてしまって、腰を抜かして、へなへなと路上に倒れこんでしまったのです。
 だってここに来る途中の「青梅きもの博物館」のように2月まで全休かな、と考えていたんですって。
 
文豪・吉川英治の旧宅と書斎がそのままの状態で保存され、原稿、著作、書画など約300点を展示しています。
 ※ 2019年3月20日で閉館となります


2018年2月21日(水)
吉川英治記念館の4月以降の開館日について

 昨日、吉川英治記念館の存続についての記事が読売新聞と毎日新聞に掲載されました。
 それについては、まだ私が何か言えるような状況ではありませんので、ここでは控えます。

2018年3月23日(金)
「吉川英治小説作品目録 増補改訂版」

 吉川英治記念館は、昨年2017年(平成29)年3月23日で、開館から満40年となりました。
 それを記念して、「吉川英治小説作品目録」の改訂版を刊行する事を決めました。
 今日、開館から満41年を迎えてしまいましたが、ようやく「吉川英治小説作品目録 増補改訂版」が出来上りました。
 改訂は、1992(平成4)年以来、約四半世紀ぶりとなります。
 その間に新たに判明したことを反映させ、さらに、付録として小説以外の随筆集の一覧を追加するなどしました。
 希望される方にはお配りいたしますので、以下のメールアドレスに「作品目録希望」として、メールをお送りください。
renraku-yehm@mbr.nifty.com
 ただし、予算の都合もあり、100部しか制作しませんでした。
 図書館や文学館といった施設に寄贈する分を除くと、20〜30部ほどしか配布できません。
 その点はご了承ください。

2018年8月26日 (日)
英治忌のお知らせ

 間もなく9月になります。
 3ヶ月の休館が明けると、すぐに9月7日の英治忌を迎えます。
 吉川英治は1962(昭和37)年9月7日に70歳で亡くなりました。
 吉川英治記念館ではこの吉川英治の命日に、1979(昭和54)年以来、毎年《英治忌》を開催しております。
 今年で、記念館の行事として開催するのは40回目ということになります。
 例年通り、冷茶や日本酒を来館者にふるまうほか、母屋の座敷では裏千家淡交会青年部によるお茶会も開きます。
 裏千家淡交会青年部によるお茶会は、より多くの方に茶道に触れる機会を作ることと、若い茶道家にお点前の経験を持ってもらいたいという青年部からのお申し出を受けて、2002(平成14)年から始めたものです。
 紅梅苑がこの日のために作る限定の和菓子「菊一花」が提供されます。
 また、来館者にふるまう日本酒は広島県のにしき堂から長年にわたりご提供いただいている賀茂鶴の樽酒です。
 なお、今年は40回目の英治忌ということで、来館者の方100名に抽選でミュージアムグッズを差上げます。
 今年は9月7日が金曜日で、平日の開催となりますが、ぜひご参加ください。

2018年10月28日 (日)
吉川英治記念館の平成30年度の開館について

 吉川英治記念館は平成30年度いっぱい、つまり2019年3月をもって閉館することになりました。

2019年1月5日(土)
最後の文学散歩

 あけましておめでとうございます。
 先日、現在の記念館で最後に行うイベントは「旧吉川邸を隅から隅まで見てみよう」であると告知しましたが、その前に、文学散歩も開催します。
 題して、文学散歩リバイバル「墓地で文学 多磨霊園を歩く」です。
 吉川英治の墓所のある多磨霊園で、吉川英治と関係のある人たちの墓所をめぐります。
 現在応募者は5名で、実施するかしないか微妙なところです。
 お時間のある方は、ぜひご参加ください。


草思堂から
吉川英治記念館学芸員日誌

http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/

晴れた日は晴れを愛し 雨の日は雨を愛す
楽しみあるところに楽しみ 楽しみなきところに楽しむ

(吉川英治)

 最近は、梅雨空のすっきりしない天気が続いています。
 雨の日というのは多数の人にとってはありがたいことではなく、天気を表現するのにも「天気が悪い」であったり「あいにくのお天気」というマイナスのことばを使ったりします。
 ついつい気持ちまで曇りがちな天候の日に思い出されるのが、時代小説を多く手掛けた、作家の吉川英治さんのこのことばです。

 このことばはとても前向きで、気持ちを曇らせていた自分を方向転換させてくれます。
 天気のことだけでなく、その日起こった出来事について、どんな日でも気持ちの持ちようでいい一日になるのだと、いい一日だと思うのも悪い一日だと思うのも、すべて自分次第なのだと教えてくれるからです。

 似たようなことばに雲門禅師の「日々是好日」というものがあります。

 一瞬一瞬を大切に生きよという意味のことばです。
 自分自身が生きているのは、今この瞬間です。
 過去は過ぎ去ったものであり、すがる必要はありません。
 また未来は何が起こるか分かりません。
 すべてが期待通りになる訳ではなく未来に起こる不安を心配してもどうしようもありません。
 過去や未来に囚われず、今この瞬間になすべきことを行なうことが必要なのでしょう。
 しかし、今をよりよく生きる為に過去を内省し、未来への希望を繋ぐため、今を懸命に生きるということは必要だと思います。

 今日という一日は、晴れの日であっても雨の日であってもであっても二度と繰り返すことのできない、かけがえのない一日です。
 空しく過ぎる人生ではなく、生きる意味を見つけるために、一日一日を大切に、今この瞬間を尊びながら、時を過ごしていけたらと思います。

今月のことば、平成24年7月のことば
光華女子学園
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/713

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2019年02月24日

プラムポックスウイルス(PPV)

青梅梅郷梅祭り2014さよなら空撮(PART-1)
https://www.youtube.com/watch?v=rrVENfmWCDA

青梅梅郷梅祭り2014さよなら空撮(PART-2)
https://www.youtube.com/watch?v=tCuoq4ZeRSI

青梅「吉野梅郷」
東京都青梅市の「吉野梅郷」です。
2009(平成21)年2月14日(土)の日本経済新聞「おすすめの梅の名所ランキング」で日本一位を獲得した名所です。

https://www.youtube.com/watch?v=hD67jY5R4W0

 全国で唯一、市の名前に「梅」の字がつく青梅市は、梅を重要な農業・観光資源としてきました。
 しかし、2009(平成21)年に市内で日本ではじめてのウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス Plum pox virus、PPV)の感染が確認され、国による緊急防除対策が行われた結果、市内全域で3万6千本を超える梅樹等が伐採されました。
 また再植栽もできないことから、農業や観光・商業事業に深刻な影響を与えてきました。
 このような状況を踏まえ、2015(平成27)年度から青梅市が主体となって、地域の皆様方の協力を得て、ウメ輪紋ウイルスに対する強化対策に取り組んだ結果、2016(平成28)年10月に一部の地域での梅の再植栽が可能となりました。
 現在、青梅市では一刻も早く梅の里を再生・復興させるため、失われた梅林を再生させるとともに、「梅の公園」等の施設整備を進めることにより、多くの観光客の皆様が訪れる観梅名所の復活を目指しています。


青梅市公式サイト、2017年8月25日
梅の里再生情報
https://www.city.ome.tokyo.jp/umenosato/ppv_info.html

 ヤッホーくんたち山歩クラブは、今日2月24日がお散歩の会。
 11人で東京は下町から向かった先が青梅市「梅の公園」。JR「日向和田」駅からJR「二俣尾」までの駅から駅までハイキング!
 駅頭にたまたま梅が全盛時代にボランティアガイドをなさっていたという方がわれわれに説明してくださったのが、次の三盃!

梅の観賞には、三つの見方があると言われております。
その一 探梅…一輪、二輪を探しながら歩く
その二 賞梅…八分咲き、九分咲き、満開を満喫する。
その参 送梅…梅の花を惜しみながら、感謝をこめて。


梅の公園ガイドのひとりごと
http://ome-hiroba.news.coocan.jp/umegaidoindex.htm

 今日は、探梅!
 いったいどうなってるんでしょうか?

 梅などに感染すると葉に斑紋ができる「ウメ輪紋ウイルス」が広がっている。
 国内では2009年度に東京都青梅市で初確認されて以降、今年度、2013年度は8都府県にまで拡大。
 まん延を防ぐために伐採した梅の木は青梅だけで2万6千本に上る。
 生産農家は「伝統産業が途絶える」と危機感を強め、梅の名所では観光への打撃を懸念する声が上がっている。

「ウイルスなんて誰も知らなかった。自慢の梅だったのに……」

 青梅市で梅農家を営む石川毅さん(75)は嘆く。
 約50年前から手塩にかけて梅の木を育てており、毎年約2トンの梅を生産してきた。
 2011年から感染が判明、すでに130本すべてを伐採した。

■ 3年間出荷禁止

 ウメ輪紋ウイルスはアブラムシなどを介して感染する。
 果実を食べても健康上の問題はないが、葉や果実の表面に斑紋が表れ、出荷ができなくなる。
 青梅で初めて見つかった2009年度以降、急速に拡大。
 2013年度の農林水産省の全国調査では、東京のほか、茨城、大阪、兵庫、三重など8都府県26区市町村で新たに約1万2千本(前年度比約2.6倍)の感染が判明した。
 調査対象の約5%に当たる。
 感染が確認された原因は不明だが、何らかの原因で海外からウイルスが国内に入った可能性があるとみられる。

 農水省は感染の拡大を防ぐため、感染した木の伐採を開始。
 感染から発症まで潜伏期間が長く、実態がつかみにくい。
 伐採後は再感染の有無が確認されるまで少なくとも3年間は生産や出荷が禁じられる。
 石川さんは「次々に感染が明らかになり、生産再開の時期が見えない」と不安を口にする。

■ 苗木を焼却処分

 梅の名所も打撃を受けている。
 全国有数のスポットといわれる青梅市営の「梅の公園」は園内の梅が感染。
 1700本以上あった梅は伐採で約1200本に減った。
 さらに2014年3月までに700本を伐採しなければならない。

 花の見ごろとなる3月は例年数万〜10万人が来園する「吉野梅郷梅まつり」が開かれており、市は伐採を4月以降に先延ばしするよう農水省などに要望。
 感染防止のためすべて伐採することも検討されている。
 市担当者は「寂しい風景になってしまう。梅以外の花も植栽し公園を再生しなければ」と話す。

 苗木農家も悲鳴を上げる。
 兵庫県伊丹市では、2012年度だけで苗木24万本を焼却処分。
 盆栽や正月飾り向け苗木の名産地、同市東野地区でもほとんどの農家が苗木を処分した。
 同地区の久保吉昭さん(49)は「80〜90年かけて育てた苗木が切られるのは悲しい」と語る。
 数年後に再開できても商品として育つには10年近くかかる。
 国から処分した梅の木に対する補償はあるが、廃業を決める高齢の農家も多く、久保さんは「このままでは地場産業が廃れてしまう」と懸念している。

 農水省は2014年度予算に伐採と補償のための費用約2億6千万円を計上する見通し。
 担当者は「まずはさらなる感染拡大を防ぎ、農業被害を最小限に食い止めたい」と話している。

▼ ウメ輪紋(りんもん)ウイルス

 梅や桃などサクラ属の果樹に感染する植物ウイルス。
 農林水産省によると、1915年にブルガリアで発見された。
 欧州、アジア、北米、南米、アフリカなど世界各地でも感染が確認されている。
 ウイルスそのものを根治する手立てはないとされ、アブラムシの除去を徹底して感染を未然に防ぐほか、感染した場合は、伐採して拡大防止を図るのが有効。
 症状は葉に斑紋が生じるほか、桃などに感染すると成熟前の果実が落ちる恐れがある。
 人や動物には感染しないため、感染樹の果実を食べても健康に影響はない。


[写真‐1]
多くの梅の木が伐採された「梅の公園」(11日午前、東京都青梅市)

[写真‐2]
ウメ輪紋ウイルスに感染した梅の木の葉(兵庫県伊丹市)

[写真‐3]
ウメ輪紋ウイルスの感染本数

日本経済新聞、2014/1/11
梅林ピンチ

ウイルス感染、青梅で2万6000本伐採

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0401R_R10C14A1CC0000/

 関東地方屈指の梅の名所「青梅市梅の公園」のある吉野梅郷(よしのばいごう)で2017年3月5日、梅まつりが3年ぶりに復活する。
 梅の木を弱らせるウイルス感染によって約1700本すべてを伐採せざるを得なくなり、毎年10万人以上を集めていたまつりも2014年を最後に開催できなくなっていた。
 ウイルスを媒介するアブラムシの防除などに全力を挙げた結果、昨年2016年10月に国に認められ、翌月11月から再植栽が始まった。

「うれしかった」

 地元の市立第五小学校、西中学校を卒業した鍼灸(しんきゅう)師の高水盡(じん)さん(23)は再植栽が決まった時の気持ちをこう振り返る。
 昨春は地域を再び盛り上げるグループを同級生らと立ち上げ、巨大なモザイクアートを製作。
 木が1本もないはずの園内に満開の「梅」を咲かせた。

 高水さんを突き動かすのは「梅の里を将来に引き継ぐには若者が再生の過程から関わるのが大事」という思いだ。
 今年2017年は1000本以上のペットボトルを組み合わせたしだれ梅の立体アートを3月11日から展示する。

「次は僕らが梅の里を守っていく番」

 梅の開花とともに、若者たちの心にも新たな気持ちが芽吹き始めている。
 

[写真]
3年ぶりに梅まつりが開催される「青梅市梅の公園」がある吉野梅郷=本社ヘリ「まなづる」から

東京新聞、2017年3月5日
青梅市梅の公園

3年ぶり梅まつり

(加藤健太)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/thatu/nozomu/CK2017030502000180.html

 水戸市の偕楽園を市民の力で日本一の梅園にしようと、苗木の育成に取り組んできた団体「偕楽園公園を愛する市民の会」が2018年11月23日、病気で育てられなかった約四百種千本の苗木を弔う「鎮魂祭」を園で開く。

 会は約十年間にわたる記録を報告書にまとめ、苗木の育成活動にピリオドを打った。 
 会は2006年に設立。
 偕楽園の梅が老木となっていることから、新たな梅の木を植えようと、全国から多様な梅の品種を収集。
 苗に継ぐ接ぎ穂の提供を受け、園内の「平成梅林」という苗畑で育ててきた。

 しかし2009年、東京都青梅市の学校から提供された接ぎ穂に、梅の木を弱らせる「プラムポックスウイルス」の感染を確認した。
 それ以来、周辺の伐採、焼却処分など対応してきたが、その後も感染が続いたため、2012年の総会で、全苗木の伐採を決定。
 実際に感染したのは15本だが、2013年度までに約1000本の苗木を焼却処分した。

 湊正雄会長(78)は「偕楽園の梅に感染がまん延したら、歴史的価値がなくなってしまう。断腸の思いだった」と振り返る。

 その後3年間、残った苗木にウイルスが確認されず、再開できる状態になったが、約250人いるメンバーの多くが高齢になり、継続できないため活動の終結を決めた。

 会は先月、こうした活動を記した報告書を作成。
 鎮魂祭では、この報告書を供えて、梅の霊を悼むという。
 今後について湊会長は「梅の魅力をしっかりと発信していく」と、ネットでの情報発信に力を入れるとした。


[写真]
偕楽園で咲く梅の花=水戸市で2018年3月3日撮影

東京新聞、2018年11月21日
偕楽園の梅苗木供養

育てた市民の会、23日に「鎮魂祭」

(山下葉月)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201811/CK2018112102000150.html

 ヤッホーくんのこのブログ、2013年02月24日付け日記「プラムポックスウイルス」をご参照ください。
 6年前になるんですかぁ〜時の経つのが早くって早くって・・・
 ではここで、一曲:

時の過ぎ行くままに(1975年)
作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、唄:沢田研二
https://www.youtube.com/watch?v=nVjcSGTP6Nk

あなたはすっかり 疲れてしまい
生きてることさえ いやだと泣いた
こわれたピアノで 想い出の歌
片手で弾いては ためいきついた

時の過ぎ行くままに この身をまかせ
男と女が ただよいながら
堕ちてゆくのも しあわせだよと
二人つめたい からだ合わせる

体の傷なら なおせるけれど
心のいたでは 癒せはしない
小指に食い込む 指輪を見つめ
あなたは昔を おもって泣いた

時の過ぎ行くままに この身をまかせ
男と女が ただよいながら
もしも二人が 愛せるならば
窓の景色も かわってゆくだろう


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2019年02月23日

父と子

 ツイッターの写真を手掛かりに、広島市安芸区の土砂崩れ現場で一人息子を捜し続けた。
 広島県東広島市の会社員国安修さん(63)。
 長男和宏さん(38)の行方が2018年7月11日朝になっても分からない。
 和宏さんが乗っていた車は3日前、土砂に埋もれた状態で見つかった。

「和宏は最愛の息子。じっとしていられない」

 国安さんは、黙々とがれきや土を自ら掘り起こした。

 安芸区矢野町の病院近くで6日夜、複数の場所で土砂が崩落した。
 和宏さんは同県呉市の会社から、広島市南区の自宅へと帰る途中だった。
 和宏さんが電話で妻に「倒木があって通れない」と伝えると、「ゴォーッ」と音がして通話が途切れ、連絡が取れなくなった。

 8日朝、国安さんの親戚が、ツイッターに投稿された写真に、和宏さんの乗用車を見つけた。
 写真の背景から病院近くの道路と分かり、国安さんが駆け付けると、現場には土砂になぎ倒された乗用車、トラックなど約15台が放置されていた。

 当初は警察など救助隊の作業を見守ったが、和宏さんは発見されなかった。
 隊員が別の場所に移動しても「ここにいるのでは」と思うと、居ても立ってもいられなくなった。

 現地での捜索が3日目となった10日、国安さんは和宏さんの車があった場所から約500メートル下のがれきの中を捜した。

「このジャージーは息子のでは」
「いや違う」

 強い日差しが照り付け、汗まみれになりながら作業を続けた。
 「早く見つけてあげたい」と話す国安さん。
 望みは捨てず、見つかるまで捜し続けるつもりだ。


[写真]
広島市安芸区の土砂崩れ現場で、一人息子の和宏さんを捜す国安修さん=10日

東京新聞・夕刊、2018年7月11日
最愛の息子捜し続ける 炎天下

父「じっとしていられず」 西日本豪雨・広島

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018071102000288.html

2018年7月29日に判明した方々
 今回の豪雨災害で亡くなり、新たに身元がわかったのは次の方。※ 警察や自治体への確認による
[広島県]広島市南区西霞町、国安和宏さん(38)


朝日新聞、2018年7月31日00時38分
西日本豪雨で亡くなられた方々
https://www.asahi.com/articles/ASL795DVHL79PTIL02X.html

 平成最悪の水害をもたらした西日本豪雨は8月6日で1ヶ月が過ぎた。
 広島、岡山、愛媛各県を中心に犠牲者は15府県で225人に上り、負傷者は26都府県で407人に達した。
 7月6日以降、延べ約1万3千人の緊急消防援助隊が投入され、懸命の救出活動が続けられているが、岡山、広島、愛媛で計10人が行方不明のままだ。

 猛暑が続く中、3600人超が避難生活を続けている。
 東日本大震災や熊本地震では長引く避難生活による震災関連死が相次いでおり、熱中症や感染症対策、心のケアが急務だ。

 自宅に住めなくなった被災者向け住宅の確保が進められており、賃貸住宅を行政が借り上げて無償で提供する「みなし仮設住宅」の入居決定は広島で358件、岡山2143件、愛媛18件。仮設住宅は広島169戸、岡山200戸、愛媛170戸の建設が決まった。

 農林水産業関連の被害額は6日時点で約2489億円。2017年の九州北部豪雨(約1122億円)の約2倍、15年の関東・東北豪雨(504億円)の約5倍に膨らんだ。
 国土交通省によると、最大で865区間が通行止めとなった道路網は2日時点でも354区間が不通。
 愛媛県宇和島市では1443戸(6日時点)で断水が続いている。

■ 中小企業被害額4738億円
 
 中小企業は建物や生産設備の浸水などの直接被害に加え、物流の途絶などによる間接被害に見舞われた。
 中小企業庁が7月24日に推計した直接被害額は4738億円。

 岡山県によると、高梁市では高梁川の氾濫で倉庫や資材置き場が浸水。
 広島県呉市ではダムの放水で市原地域などが浸水し、小売業や製造業などに被害が出た。

 政府は8月3日、復旧支援費として今年度予算の予備費から1058億円の支出を閣議決定。うち483億円を中小企業向けに充てる。

■ 農林水産被害額2489億円

 農林水産省によると、農林水産関係の被害は6日までに36道府県から報があり、計2489億7千万円に上る。
 調査は続いており、被害額はさらに膨らむ見通しだ。

 4区分の中で最も多額は「農地・農業用施設」。
 ため池の決壊などで農地約2万7千ヶ所、農業用施設約2万3千ヶ所に被害が及んだ。「農作物等」は126億9千万円。
 防風林など管理された森林が崩れた林地荒廃は1826ヶ所、742億8千万円に上る。
 漁港にも流木が行き着き、6県26漁港に影響が出た。

■ ボランティア延べ14万人

 家屋で泥のかき出し作業など、多くのボランティアによる支援が続いている。
 全国社会福祉協議会によると、台風12号の影響でほとんどのボランティアセンターで受け入れを中止した7月29日を除き、8月5日までに延べ約14万2千人が12府県で活動した。
 3連休中の7月15日がピークで約1万8千人が汗を流した。
 1ヶ月が経過しても支援のニーズは強い。
 広島県社会福祉協議会によると、呉市では休日に約700人が参加するが平日は半減。休日並みの人数が必要という。


日本経済新聞、2018/8/7 7:08
西日本豪雨1ヶ月 平成最悪の水害、列島に傷痕
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33875110W8A800C1CC1000/

 ところで、話は戻って「母と娘」のあとですから、「父と子」。
 10年前になるのでしょうか、でも新しい!
 イマの人びとをも惹きつけるでろう磁場をもっています:

 この本は小品であるが、実に射程の広い、深い思考をもった書物である。

 著者は現在、ドイツのライプチッヒに住み、哲学や思想を論じるアカデミシャンだ。
 そのバックグランドには西田哲学や広松渉の政治哲学などがあり、現在東アジア研究所の教授も務める。

 本書の副題に「日本の近代を読み解く」とあるように、著者がここで中心的に取り上げたのは、夏目漱石、中野重治、中上健次の文学である。
 彼らの作品に代表される日本近現代小説の底流にある「父」の問題は、これまでも数多くの論者が語ってきた。
 それは、近代日本がその精神形成を獲ちとるさいの必須事項でもあった。
 父とはつねに打倒される壁であり、乗り越えるべき象徴でもあった。
 そこに後続世代である子の宿命が重ねられる。

 本書で通奏低音のように聞こえてくるもう一つのテーマは、「知識人とは何か」である。
 これはたぶんに自己批評も加味されていよう。
 学問や表現、芸術にたずさわる者なら誰しもそこに関心が向かわざるをえない。
 実業とは違い、文化的・精神的な営みを職業とする者は、いったい何を生産しているのか。
 生活者に対して、戸惑い、だじろぎ、気おくれを抱かない知識人はいない。

 事実、本書の出発点は、著者の父に対する「気おくれ」にあった。
 地方都市の行政に携わる父は、どちらかと言えば、文化や芸術に無縁な一介の「生活者」だ。
 だが20歳で終戦=敗戦を迎えた父は、言うに言われぬ戦争体験を経てきた。
 その重みは、著者をして 「気おくれ」というコンプレックスに追い込んでゆく。
 ドイツに住む著者にとって父は、故郷にしっかりと根を下ろした存在であり、それゆえ「知識人」の仕事という虚業性を理解することは難しい。
 父と子は互いに対極にある存在なのだ。
 この対比は、日本の文学や芸術でどれだけ変奏されてきただろうか。
一般に「父」に代表される巷の生活人に対して、知識人という存在は多かれ少なかれ非現実的な「子」としての役を演じなければならない。(28頁)

 ここから本書のメインテーマが浮かび上がってくる。
 「子」として振る舞うことは決してヤンチャやイノセントを装うことではない。
 むしろ現状肯定を要請する圧倒的な力に抗して、非同意に撤することだ。

 著者が選んできた題材、漱石の『こころ』、中野の『村の家』、そして中上の『岬』 『枯木灘』などは、多かれ少なかれ父と子の葛藤が描かれている。
『こころ』に登場する人物は、「人間が存在しているということの理由もない孤独」
(49頁)

に襲われる。
 現実から遊離した高等遊民ならではの葛藤だ。

 『村の家』では、政治活動から転向した息子が父に対して、「やはり書いて行きたいと思います」と文学を通して抵抗の道を探る。
 彼らに共通しているのは、地方都市、というより農村共同体が色濃く存在している故郷から、いかに離脱し、「知に殉じる」(68頁)かにあった。
 大衆が天皇のために「殉死」したように、知識人は「知に殉じる」のである。
 この言葉にわたしは惹かれるものがあった。
 そこに今も通じる知識人の根拠があり、現在のわたしたちを突き動かしてやまない何かがある。

 父の壁は厚く、高い。
 父に抵抗することが、時代や国家に抵抗することにつながっていた時代は、おそらく1960、70年代を境に終わったろう。
 父が「家」に見立てられた時代は決定的に変質した。
 それ以後、「父親の失権」が始まったと言われる。

 知識人と生活者の対比は、都市と農村=村=家、西洋と土着、などさまざまな二項対立を生んできた。
 この二項対立が成立していたのは、これまた1960年代までである。
 そこに中上健次の登場する所以があった。
 彼の小説には「父殺し」が積極的に扱われている。
 そこが父への抵抗という従来の段階を踏破した彼のオリジナリティである。
 中上文学が 「ギリシア悲劇」に通じる理由は、日本近代という固有性を超えて、人類の文化の原型へと遡れるところにある。
 だが中上に関して、知識人という主題は変化している。
 彼の小説に登場してくるのは、知よりも「肉体」をもった青年であり、そのパッションだ。
 これは言葉と肉体という二項対立を超えた、「超−知識人」とでも呼ぶべき存在だろう。

 「父殺し」に次ぐ「父親崩壊」が言及されるようになった1970年代以降、父と子の思想を解明しようとする著者のモチーフは失効したのだろうか。
 そうではあるまい、というのが著者の立場である。

 例えば、著者は日本国内の経済的成功や成熟の「達成」に関して、実はそのために踏みにじられてきた「アジア」の貧困を視野に入れる。
 東京が繁栄して地方が壊滅していく近代の成れの果てをよりアジア的・グローバルな視野から見たとき、読者は大きな海図の中に連れ出されるだろう。

 たしかに問題はねじれ、一筋縄では解きがたい複雑さを増してきた。
 そしてその解き口をさまざまな論者が探ってきた。
 その一つが「精神分析」である。だがこれを著者は手厳しく批判する。

 西洋の新しい「知」は結局、
子が父という外的権威を内面化することによって、そこに自己監視と自己処罰を可能にする超自我の成立を見た。……だから、精神分析は人間の解放どころか、むしろ一九世紀的抑圧の構造に加担しているにすぎない
(241頁)

とするのだ。
    
 今日の日本で「知識人」という言葉はどのように受け止められているだろうか。
 知識人の打倒を叫んだ学生叛乱は、別の立場での知識人の運動だった。
 すなわち「新しい知」による「旧来の知」の打倒である。
 古い知識人は象牙の塔に立て篭もり、独占した「知」で学生を誘導した。
 だが彼らは「裸の王様」となり、その結果、1980年代以降は「知」そのものが廃墟と化した。
 消費文化への転換である。

 では「知」をどう取り戻せばいいのか。
 1960年代の叛乱の時代を潜り抜け、1980年代の消費時代を通過した後、21世紀のわれわれはその「知」の回復をあの手この手で探っている。
 その危機感は、ナショナリズムの復古や繰り返される日本回帰、若者に対する就業の困難さや貧困ビジネスなどともつながっている。
 「知」を葬れば、なしくずし的に国家に再編されていくことは目に見えている。
 昨今の日本の若い小劇場にも、無力感をことさらに描いてウケているものが目につくが、国家に再編されやすい人間を製造しているようで、不気味さを感じる。

 抵抗能力そのもののが失われれば、
国家が介入するや、たちどころに無力をさらすのではないのかという危惧のほうが強いからである。悪いけれども、私は何だかふわついた今の日本人をそれほど信用できないのである。
(236頁)

 ここに著者の強いメッセージがある。

 最近、イギリスの劇作家トム・ストッパードの『ユートピアの岸へ』(蜷川幸雄演出)の舞台を見た。
 19世紀前半の若い「インテリゲンツィア」(このロシア語はこの頃生まれた)たちが革命の思想をめぐって延々と議論しているという芝居だ。
 それは今となっては空疎に聞こえるかもしれないが、世の中に懐疑的であることに関して、彼らの情熱は決して浅薄ではない。
 演劇というライブは、これを舞台の熱として観客に直接届ける機能を持つ。
 ここで重要なのは、知識人は「批判的」という精神とともにあることだ。
 言い換えれば、現在の趨勢に対して知をもって抗している者たちは、すべて現代の「知識人」と規定することができる。

 本書は、「批判精神」の発露たる「知」の実践として読むことが可能だろう。


書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG、2009-10-07
『父と子の思想』小林敏明(ちくま新書、筑摩書房)
西堂行人
https://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2009/10/post_43.html

※ 小林敏明(コバヤシ トシアキ)
1948年岐阜県生まれ。1996年ベルリン自由大学学位取得。ライプツィヒ大学教授資格取得を経て、現在ライプツィヒ大学東アジア研究所教授。専門は哲学・精神病理学。著書に『精神病理からみる現代思想』(講談社現代新書)、『西田幾多郎――他性の文体』(太田出版)、『西田幾多郎の憂鬱』(岩波書店)、『廣松渉――近代の超克』(講談社)、『憂鬱な国/憂鬱な暴力――精神分析的日本イデオロギー論』(以文社)ほか。

posted by fom_club at 20:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

断層地震説 地震爆発論

 鳩山由紀夫バッシングはまだ続いているようですね。
 鳩山由紀夫は、苫小牧など北海道9区が地盤でした。
 支配層は「悪夢」からまだ目醒めていないようです。

 北海道で2019年2月21日夜に発生した地震で、道警は翌22日、鳩山由紀夫元首相のツイッターに書き込まれた「CCS(Carbon dioxide Capture and Storage)による人災と呼ばざるを得ない」などとする投稿を、サイバーパトロールで確認した「流言飛語」の事例の一つとして公表した。
 CCSは工場などから出る二酸化炭素(CO2)を集めて地下に閉じ込める技術。
 温暖化対策として、苫小牧市で実証試験が行われている。

 鳩山元首相のアカウントには地震発生後の21日午後9時40分ごろ、
「再び厚真町を震源とする震度6の地震が起きてしまった。本来地震にほとんど見舞われなかった地域だけに、CCSによる人災と呼ばざるを得ない」との投稿があった。


Yahoo! Japan News、2019/2/22(金) 20:36配信
鳩山氏の地震投稿は「流言飛語」
北海道警が注意呼び掛け

(KYODO)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000171-kyodonews-soci

 2月21日夜に北海道で発生した最大震度6弱の地震について、鳩山由紀夫元首相の「人災」などとするツイートを道警が「流言飛語」と認定したことを受けて、鳩山元首相は22日夜、「道警は命を守ってほしい」などとする反論をツイートした。

 鳩山元首相はツイッターで、工場などから大気中に排出される二酸化炭素(CO2)の量を減らすため、CO2を地中深くに閉じ込める「CCS」と呼ばれる技術に再度言及。

「道警は科学的データも調べないで厚真町地震と苫小牧のCCS実験は無関係でデマと認定した。国会論戦で中越地震・中越沖地震はCCSによって引き起こされた可能性があるとされ、長岡のCCSは中止となったのであろう。更に北大の研究者が地震誘発の可能性があると論文を書いている。道警は命を守ってほしい」
と反論を展開した。

 この問題をめぐっては、鳩山元首相が21日、CCSによる人災の実験施設が北海道にあることから、21日夜の地震は「CCSによる人災と呼ばざるを得ない」とツイート。

 北海道が22日の災害対策関連の会議で示した資料によると、鳩山氏の投稿は、「5、6時間後には本震がきます」といった投稿とともに流言飛語の例として紹介された。


Yahoo! Japan News、2019/2/22(金)23:09配信
鳩山元首相、道警の「デマ」認定に反論ツイート
(産経新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000610-san-soci

[6月22日 AFP]二酸化炭素(CO2)排出削減のひとつの方法として挙げられている、大気中のCO2を回収して地中に隔離する「二酸化炭素回収・貯留(CCS)」には地震を引き起こす危険性があると、米国の研究者らが警告している。

 18日の米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された米スタンフォード大学(Stanford University)のチームの報告によると、国連(UN)の気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCC)は、火力発電やその他の工業排出源による汚染管理法としてCCSは「実現性が高い」としている。

 いまだ大規模なCCSが試みられていない中、スタンフォード大のチームは、膨大な量の液体を長期間地中に貯留する必要のあるCCSは非現実的であるとし、「大陸内部によくみられる脆性(ぜいせい)岩石に大量のCO2を注入することにより、地震が引き起こされる可能性が高い」と主張した。

 論文では、すでに米国において排水の地下貯留と小中規模の地震発生が関連づけられていると指摘。
 古くは1960年のコロラド(Colorado)州の例、さらにはアーカンソー(Arkansas)州やオハイオ(Ohio)州で昨年発生した地震を例に挙げつつ、「100年から1000年の単位でCO2を隔離することが考えられている地層で同規模の地震が起これば、問題は極めて深刻である」と警鐘を鳴らす。

 この報告に先立ち前週15日、米国学術研究会議(US National Research Council)は、水圧破砕法(ハイドロ・フラッキング)によって地震が発生する可能性は低いが、CCSには「比較的大きな地震事象を誘発する可能性がある」と発表している。


AFP、2012年6月22日 19:09 発信地:ワシントンD.C./米国 [北米 米国 ]
二酸化炭素貯留に地震を引き起こすリスク、米研究
AFP/Kerry Sheridan (*)
http://www.afpbb.com/articles/-/2885691

(*)phys.org

Graphic showing the main options for the capture and storage of carbon dioxide.
'Carbon capture' too risky, earthquake prone: study 18 June 2012 by Kerry Sheridan
https://phys.org/pdf259253374.pdf

Storing CO2 underground can curb carbon emissions, but is it safe?
November 27, 2018 by Jonathan O'callaghan, Horizon: The EU Research & Innovation Magazine
https://phys.org/news/2018-11-co2-underground-curb-carbon-emissions.html

 ほかにも:

Significance for secure CO2 storage of earthquakes induced by fluid injection
https://www.researchgate.net/publication/263203058_Significance_for_secure_CO2_storage_of_earthquakes_induced_by_fluid_injection

 しかし主流派からは異端視され、無視、放置、ネグレクトされています。

 鳩山氏の発言を北海道警察はデマ認定しましたが、これは言論を封殺し全体主義国家への途に誘導するものです。
 学者やマスコミの無知こそが問題です。


新・地震学セミナー、2019-02-23 (Sat)
鳩山発言をデマ認定する北海道警察は言論を封殺している!
http://www.ailab7.com/Cgi-bin/sunbbs/index.html

 ほかにも:

★ 地震爆発論とは
一、地震はどうして起きるのか
二、地球内部はどうなっているのか
三、地殻の構造はどうなっているのか
http://bakuhatu.org/index.php/bakuhatu

★ 2月21日21時22分に北海道胆振地方中東部で発生した地震(M5.8、深さ33km、最大震度6弱)については、現時点では有意な地殻変動は検出されていません。
http://www.gsi.go.jp/chibankansi/chikakukansi_20190221iburi.html

 地震がどうして起こるのかな、もっと発生についてお互いが切磋琢磨してそのメカニズムをわいわいがやがや、論議すればいいんでしょうが、いまは、結論先にありき、その結論が主流派であればそれで通る、反対派であればバッシングなんだもん。。。
 でも今まで、断層がずれてたまっていた地下のエネルギーが解放されるのだ、とばっかり思っていました(思い込まされていたのか、上から摺りこまされて、それ以外の説があるなんて考えようともしてこなかった凡人ヤッホーくんだったのですねぇ〜)。

posted by fom_club at 10:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母と娘

目標であり、ライバルであり、反面教師であり――。
さまざまな親子のカタチがあるけれど、自分の
人生は“母から自立できたとき”に始まります。
そんな母と娘の関係について話を聞きました。
題して「“母”が歩いた道、私が歩く道」

 自らを“父親っ子”という西村知美さん(47)は、実母の綾子さん(74)との間に長い確執があったと打ち明ける。

「うちの母は、ずっと共働きで事務の仕事をしていて、家庭にいる時間が少なかったせいもあり、私は幼いころからコミュニケーションを取れずに反発していました」

 中学時代のこと、激しい言い争いになり、母に平手打ちされた。とっさに言い返す西村さん。

「私は、あなたみたいな母親には絶対にならない!」

 もっとひどい仕打ちがかえってくると構えていたが、意外にも母は冷静な表情でつぶやいた。

「今、言った言葉を覚えておいて。将来、同じことを、あなたも自分の子どもから言われるから」

 14歳のとき、母との関係はぎくしゃくとしたまま、姉が応募した「第1回ミス・モモコクラブ」オーディションでグランプリに輝き、単身で山口から上京。

 26歳で、元タレントの西尾拓美さん(51)と結婚。2度の流産と不妊治療を乗り越えて長女の咲々さん(15)を出産したのは32歳。

「結婚も事後報告でしたが、妊娠となると、わからないことだらけで不安でした。まわりに聞くと、みんな、『自分の母親に頼った』と言う。このときばかりは背に腹は代えられずの思いで、悩んだ末に母に電話するんです。おずおずと『来てくれない?』と言うと、思いのほか、あっさり『いいわよ』と、当たり前のように上京してきたんです」

 出産をはさんで、2カ月間を共に過ごすことになったが、「戸惑うというより、新鮮でしたね。だって、母と2人きりで2カ月も過ごすなんて、三十数年間の人生で初めてでしたから」。

 ここで、母の素顔にふれる。

「母は、子育て経験者として余裕で手ほどきしてくれるのかと思ってたら、赤ちゃんの具合が少し悪かったりすると、私と一緒にオロオロして『病院に電話しなきゃ』って。食事も、料理もは相変わらず上手じゃないんですが(笑)、母なりに工夫して産後の私に栄養のあるおかずを作ってくれたり。そんな姿を見ていて、ああ、うちのお母さんは、表現するのが下手なだけで、いつも一生懸命なんだと初めて気付くんですね」

 自分も親となり、かつての母親の気持ちを知ったことで、いつしか確執も消えていたと話す。
 それ以降は、いままでの疎遠が嘘のように、母親に頼み事をしているという。

「私が泊りがけのロケなどがあるときは、母に山口から上京してもらって、娘の面倒を見てもらっています」

 これには、2000年にホームヘルパー2級の資格を取得していた西村さんならではの考えもある。

「何でも手を差し伸べることは、けっして高齢の方のためにならないんですね。できる範囲で頼み事をするのは、生きる糧になりますし、親孝行にもなる。母自身、孫の世話は楽しそうですし」

 昨年には、母が内臓と血管の、父の省吾さん(81)が胃の大手術を経験する家族の危機もあった。

「母も父も、なんとか無事に乗り越えました。ふだんは実家で姉が同居して面倒を見てくれています。私は、ようやく母親との関係を修復できて、気をつけていることがあります。それは、思いを言葉やカタチにするということです」

 西村さん自身、あれだけ母親に反発していたせいで、自分は嫌われていると思い込んでいた。

「でも、違ったんですね。今年の夏、テレビの企画で実家の断捨離をしたとき、母が私のアイドル時代からのスクラップをしていたことを知って涙が止まりませんでした。当時、私は知ろうともしなかったし、母も言わなかった。親子だから、言わなくても『目と目で通じ合う』というのは幻想です。ですから今は、母が上京してくれたときには、必ず感謝の手紙を渡したり、ふだんからメールや電話を心がけています」

 そして、この学びは、自身の子育てにも生かされている。

「今、娘がまさに私が実家を離れたときと同じ年ごろなんです。そう、思い出しましたよ〜、あの母の平手打ちのときの言葉(笑)。ですから、娘には、『うちは何でも口に出して言うようにしようね』とふだんから話しています」

 今、その娘さんも一緒に、できる限り多く両親との家族旅行を楽しんでいるのにも理由がある。

「親孝行は、“いつか”ではなく“今するもの”と思います。共に過ごすことで増える思い出こそが家族の宝物なんですね」

 失われていた母親との時間を取り戻そうとするのに遅すぎることはない事実を、西村さん母娘が教えてくれる。


Yahoo! Japan News、2018/11/16(金) 16:05配信
西村知美“母への反発”乗り越え、親のために心がけること
(女性自身)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181116-00010008-jisin-ent

認知症のある87歳の母を95歳の父が支える−。
広島県の実家で暮らす両親を、東京に住む一人娘の映画監督(56)が撮影したドキュメンタリー映画が近く封切られる。
昨年2017年の正月、母から掛けられた言葉「ぼけますから、よろしくお願いします。」がタイトルだ。
認知症や老老介護、遠距離介護といった問題に直面する家族を、ありのままに捉えた。

 撮影・監督したのは、引きこもりなど社会的なテーマでドキュメンタリーを撮り続けている信友直子さん。
 2001年正月から、故郷の広島県呉市に帰省する機会を利用し、両親を撮り始めた。

「一人っ子で独身。家族は両親だけ。自分が寂しくならないように撮りためていた」

 社交的だった母、文子さんの言動がおかしくなり始めたのは2013年。
 翌年にアルツハイマー型認知症と診断された。
 信友さんは帰省を2ヶ月に1回に増やし、食事の準備や病院への付き添いなどの介護をしながら、母と、それを支える父良則さんの日常を撮影。
 「娘が撮った母の認知症」などのタイトルで3回、テレビ番組で放送した。

 映画はこれを基に、2014〜2017年の映像を中心に再編集した。

「思っていた母が少しずつ自分の前から消えていく」

 そんな苦悩を抱えながらも、撮り続けたのは「映像は今しか撮れない」という職業意識もあったという。

 映画では、認知症が進んだ文子さんが「自分だけ、のけものにして。死んでやる」と良則さんと大げんかする場面など、老老介護の現実をリアルに映し出す。
 たらいで洗濯したり、包丁でリンゴをむいたりして「初めての家事」を頑張る良則さんの様子も。
 娘に向かって「お母さん、おかしいじゃろう。何も分からんようになっていてごめん」と語る母の姿も、泣きながらカメラに収めた。

 信友さんの勧めもあり、両親は2016年に初めて要介護認定を受け、文子さんは要介護1だった。
 良則さんは「非該当」のためサービスを受けられない。
 買い物袋を両手に提げて何度も休みながら歩く父の姿に、老いの厳しさも重ね描いた。

 信友さんは仕事を辞めて実家で介護した方がいいのではと悩んだ。
 しかし「自分のやりたいことを続けなさい」と言う良則さんの思いをくみ、実家に毎日電話し、仕事の合間に帰省しては自動消火のガスこんろに買い替えるなど遠距離介護を続けることにした。

 今はホームヘルパーが週一回訪問介護に入り、文子さんはデイサービスにも通う。
 信友さんは、
「介護は一人で抱え込まずプロとシェアをすると、家族も心に余裕を持って接することができ、親とうまくいくと思う」と遠距離介護のコツを話す。

 11月3日から東京都中野区のポレポレ東中野で、同24日から名古屋市千種区の名古屋シネマテークで上映する。
 浜松市中区のシネマイーラや、飯田センゲキシネマズなど長野県では来年2019年、公開予定。102分。

◆ 異変察知する対策を

 都会に住む息子や娘たちは、故郷の親の老いにどう向き合ったらよいか。
 遠距離介護のセミナーなどを開いているNPO法人「パオッコ」理事長の太田差惠子さん(57)は「『子どもに迷惑を掛けたくない』と、入院や手術をしても子どもに連絡しない親は多い。
 便りがないのは元気な証拠とは限らない」と、電話などで近況の確認が必要とする。

 異変を察知するため「普段の親の生活パターンを知ることから始めて」と太田さん。
 元気なうちは帰省時に、話し相手になったり、変わった様子がないかを確認したりする。

 介護状態になった場合、現状より介護の度合いが悪化しないよう予防することが大切だ。
 太田さんは「無理をせず、離れていてもできることを考えて」とアドバイスする。


東京新聞、2018年10月24日
娘が撮った「母の認知症」「老老介護」
「ぼけますから、よろしくお願いします。」

(五十住和樹)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201810/CK2018102402000183.html

映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」予告編
https://www.youtube.com/watch?v=KBg22eyg85k

映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」公式サイト
http://www.bokemasu.com/

監督:信友直子さん
 1961年広島県呉市生まれ。
 1984年東京大学文学部卒業。
 1986年から映像制作に携わり、フジテレビ「NONFIX」や「ザ・ノンフィクション」で数多くのドキュメンタリー番組を手掛ける。  「NONFIX 青山世多加」で放送文化基金賞奨励賞、「ザ・ノンフィクション おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記」でニューヨークフェスティバル銀賞・ギャラクシー賞奨励賞を受賞。
 他に、北朝鮮拉致問題・ひきこもり・若年認知症・ネットカフェ難民などの社会的なテーマから、アキバ系や草食男子などの生態という現代社会の一面を切り取ってきた。
 本作が劇場公開映画初監督作品。

 「母と娘」の関係が修復される日が突然、やってくる、
 う〜ん、娘は自然に思うまま「子ども返り」ができる、
 母は「愛する娘と共に、娘のことを一番に考えられる」、
 う〜ん、それには時間がかかるものなのかもしれません。
 昨日から読んでいた真瀬樹里『母、野際陽子』からです:

 厳格で毅然としていた完璧な母親と、その教育に従順に従う素直ないい子ー
 そういう理想的な親子であろうと一生懸命あがいてきた私たちは、それを捨てて、
 甘えん坊の娘と、
 それを許し受け入れる優しい母親、
 という新しい関係を心地良く感じていました。

 遅まきながらも辿り着けて本当に良かったと心の底から思います。

 。。母は他界しました。。
「笑っていなさい」
「輝いていなさい」
「自分が輝いていれば人は惹きつけられてくるものだから」
 何度も何度も母に言われてきた言葉は今では私の宝物です。
 この言葉を本当に体現できる人間になりたい。
 そして誰よりも大好きだった母が、安心して私を見守ってくれるように、毎日を大切に生きていきたいと思っています。


 ぜひ書店でこの本をお買い求め、おかあさんといっしょにお読みください、ってヤッホーくん!

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2019年02月22日

猫の日

 はっちゃんからメールが届きました:

I am not good because Chako died.
She was Ok with no symptoms of disease and even she ate her dinner last night but in this morning I found her dead.
I am feeling so sad.

 チャコって、一歳ちょっとの赤ちゃん猫。
 親からはぐれ、猫シェルターになってるはっちゃん家が面倒をみてたのです。
 昨年は手のひらにチャコを乗せると喜んでのどを鳴らして、親指と人差し指の間の手を美味しそうに吸ってました。
 チャコの手も足もその吸うリズムに合わせて動かし、まるで踊っているよう。
 もう1時間なんてあったりまえ、何時間でもそうしていたいような・・・
 それが逝っちゃいましたかぁ〜

 今日は、この国では「猫の日」・・・

福井ネコ寺の一番人気猫!「レオ」はオレ様ニャン。
https://www.youtube.com/watch?v=464gmpLv2_E

猫、春を待つ 雪に包まれた「猫寺」 福井県越前市・御誕生寺
https://www.youtube.com/watch?v=z_K3Gh1yMH0

井伊直弼の遺体はどこに?3つの埋葬地候補とその理由
https://rekisuta.com/early-modern-period/ii-naosuke/remains-place/

猫好きが集まるお寺。豪徳寺はなぜ「招き猫」発祥の地と言われるのか?
https://tripeditor.com/162667

Are you a cat person? If so, Japan is the place to be on 22 February because this is when Cat Day is celebrated.

Now in its 30th year, Cat Day has lit up Japanese social media with endless portraits of ...cats as well as cat-themed doughnuts, cat-shaped biscuits, cat manga, cats staring soulfully out of windows, kittens mewing expectantly and so on. On this day it is Japan's hugest trend on social media.

What happens on Cat Day?

Known as "Neko no Hi", it was chosen because the date's numerals, 2/22 (ni ni ni), are pronounced fairly closely to the sound a cat makes in Japan (nyan nyan nyan).

・ You can play tricks on your cat
This Twitter user pranked a sleeping pet cat which woke up to find itself buried under an avalanche of toy mice 

・ You can dress up as a cat
Enthusiasts of cosplay, the art of dressing up like animated characters, posted pictures of themselves dressed as cats, or wearing "nekomimi" (cat's ears).

・ You can make food look like cats
Some have celebrated by making cat-shaped food, like rice balls

・ You can monetise cats
Over the years the day has become a commercial success, with shops and businesses releasing cat-themed items

How did it start?

The event began in 1987 after an Executive Cat Day Committee polled cat-lovers across Japan and decided that February 22 should be Cat Day.
Other countries also have days to celebrate cats, but few marked with as much enthusiasm as Japan's.

Some of Japan's celebrity cats

A cat called Tama made headlines after becoming honorary stationmaster of a train station in Wakayama prefecture. Wearing a special cat-sized stationmaster's hat, she was a popular tourist attraction until her death in June 2015.

Tama was duly inducted into a hall of fame for the station's train line in February 2016.

Meanwhile, a cat called Maru became an internet sensation with a series of YouTube videos. The videos have had huge viewing figures since 2008, with one early film gaining 21.7 million views.

And then there's Nyancat - the internet meme which features a flying cartoon cat, creating an infinite rainbow through space, set to the sound of Hatsune Miku, a "vocaloid" human-sounding synthesiser.

The original video has been viewed 131 million times.

※ ウィキペディア「Nyan Cat」(ニャン・キャット)ご参照ください!
https://ja.wikipedia.org/wiki/Nyan_Cat

This is probably the day to clear up a common misconception about the global phenomenon that is Hello Kitty - the white cat without a mouth first unveiled by Japanese company Sanrio in the 1970s. Not a cat, but a girl and actually British to boot.

But what if you're not a cat person?

Fret not. This day, 22 February, is also Ninja Day in Japan (another play on 'two' being pronounced as 'ni').

Koka city in Shiga prefecture is one of the better known places to celebrate this occasion, with town hall staff dressing as elusive assassins for the day.


BBC、22 February 2016
These are the amazing things you can do in Japan on Cat Day
Reporting by Jordan Allen, a freelance journalist in Tokyo.
https://www.bbc.com/news/world-asia-35628239

Fans of Matteo Salvini, Italy’s rightwing, populist deputy prime minister, have been sending him images of their cats so he can post the cute, furry faces on his Facebook page and give his relentless attacks on migrants a more cuddly setting. Yet the idea that cat pictures are sweet is an internet-era development. In art, until recently, the cat was an evil creature.

It is positively diabolical in Renaissance images of witchcraft. The German artist Hans Baldung Grien regularly included cats in his drawings of witches cavorting naked. While his witches offer themselves to Satan, their feline familiars, nicely observed, sit enigmatically, as cats will. In fact, 500 years ago, cats were considered so malign they were sometimes sealed alive inside wattle-and-daub walls.

That legacy of superstition took a long time to fade. Francisco Goya included a fat cat among the bestial personifications of madness and ignorance in his print The Sleep of Reason Produces Monsters. In 1939, Picasso painted a brutal allegory of Hitler as a vicious cat carrying a broken bird in its jaws. In cinema, too, cats are, at best, disturbingly amoral: a cat cosies up to the ruthless Harry Lime in The Third Man, while an equally corrupt kitty wantonly accepts Vito Corleone’s patronage in The Godfather.

Perhaps it is fitting that in our own sleep of reason, populists adore cats. Salvini’s furry Facebook friends draw attention to something strange and sickly in the new age of online cat art. Internet cats are always funny and touching. Just this morning I was watching a video of one in China doing situps. Where are the cats bringing in dead birds as gifts? Where are the rodent hecatombs?

Of course, cats are not actually evil; Picasso was simply observing their predatory nature. The internet, by contrast, has created a superficial, sentimental parade of sickly sweet moggies. These whitewashed cats are pure phoneys. It means Salvini and his followers can lavish love on pussy cats while refusing to empathise with migrants. That’s a hypocrisy Goya or Picasso would have seen through. The populist is Europe’s new top cat, hiding its claws.


[photo]
Puss in shoot ... one of the cats sent by a fan to Matteo Salvini.

The Guardian, Last modified on Tue 27 Nov 2018 21.53 GMT
Why populists adore cats – and use them in their political propaganda

Italy’s rightwing deputy prime minister is using cat pictures to soften his anti-migrant posts on Facebook. This is no surprise. The whitewashed cats of the internet are pure phoneys

By Jonathan Jones
https://www.theguardian.com/artanddesign/shortcuts/2018/nov/27/why-populists-adore-cats-and-use-them-in-their-political-propaganda

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真瀬樹里『母、野際陽子』

トモエ学園
作詞・作曲:福山雅治、合唱:神戸大学附属中等教育学校4年1組

うれしいのに
さみしくなる
たのしいのに
かなしくなる

恋に似て まぶしかった
恋のように せつなかった

大好きな気持ち
思い出すと
泣きそうです 今も

先生 友達
わたしの心
育ててくれたの
学び舎の日々
ありがとう

わたしたち
違うんだね
顔のかたち
心のかたち

「違う」って
面白いな
だからその手
繋ぎたくなる

「はじめて」っていつも
こわいけれど
とってもワクワクする

ねぇパパ ねぇママ
ちょっと待ってて
この場所でなら
もっといい子に
なれるから

電車の教室でお弁当食べて
裸ん坊でプールに飛び込んだ夏は
わたしの心も裸だったんだね
「この夏がずっとずっと続けばいいのにな…」

大好きな笑顔
思い出すと
泣きそうです 今も

先生 友達
わたしの明日
作ってくれたの
学び舎の日々
ありがとう

教えてくれましたね
「違う」って
「自由」ってこと

教えてくれたんですね
「大好き」って
「幸せ」ってこと

ほら自由で
幸せです
わたしは 今

https://www.youtube.com/watch?time_continue=13&v=GMnnTvUj4CE

 この合唱曲は、TVドラマ「トットちゃん」(2017年10月2日から、テレビ朝日系列の帯ドラマ劇場として放送された昼ドラでした)の主題歌なんです。
 この黒柳徹子(くろやなぎてつこ、1933年生まれ)物語であるドラマに野際陽子(のぎわようこ、1936-2017)役で、真瀬樹里(まなせじゅり、1975年生まれ)が出演しております。
 今朝のNHKラジオ深夜便「明日への言葉」にこの真瀬樹里の声が聞こえてきて、いやぁ〜、ヤッホーくん、びっくりしたんですって。

 今年2017年6月13日に肺腺がんのためこの世を去った野際陽子さん(享年81)。
 彼女をしのぶ会が9月29日、都内の中華料理店でひっそりと行われていた。

「会は、人気昼ドラシリーズ『花嫁のれん』(フジテレビ系)で共演した羽田美智子さん(49)、山本圭さん(77)、吉田羊さん、矢田亜希子さん(38)が発起人となって開かれました。当日はドラマスタッフを中心に、70人ほどが参加していました」
(テレビ局関係者)

 開始時刻の18時を前に、羽田や山本、吉田、矢田らが続々と店内へ入っていく。
 輪のなかには、野際さんの長女・真瀬樹里(42)の姿もあった。

「『花嫁のれん』は10年11月にスタートし、11年、14年、15年と続きました。野際さんのがんが最初に発覚したのは14年。手術をしましたが、翌15年4月に再発しています。それでも最後まで休むことなく仕事を続けてきた彼女に、みんな感銘を受けていました。出演者やスタッフの絆は固く、真瀬さんも感動していました」
(ドラマ関係者)

 最初に山本が「またふっと戻ってくるんじゃないかと思う」と語ると、矢田も「途中から『花嫁のれん』のキャストとして加わったのに、優しく抱きしめて迎えてくれました。私の永遠の憧れの女優です」と挨拶。
 吉田は「初めてお会いしたとき、『吉田羊って変わった名前ね』と話しかけてくれました。ヒール役で悩んでいたときにアドバイスをくれて……」と語り、声を詰まらせる場面も。
 羽田は「野際さんがレディー・ガガの真似した写真を送ってきてくれた」と、ユーモアを大切にしていたという故人の意外な素顔も明かした。

 その後も共演者や関係者の挨拶が続くなか、真瀬は次第に感極まっていたという。
 そして最後に、彼女はこんな言葉を語っていた。

「真瀬さんは『こんなにたくさんの人に愛されていたんだと実感しました。病気のことを内緒にしていたのは正しい判断だったのか、いまだにわかりません』と吐露。それでも『羽田さんはいっしょに闘病しているみたいに支えてくださって、母だけでなく私自身も励まされました』と感謝していました。そして『これからも母のことを思い出して話してください。皆様の心の中に母は生き続けます。私も生涯かけて母のような人間に近づけるように頑張ります』と締めると、会場から拍手が起きていました」
(前出・ドラマ関係者)

 会は20時に終了予定だったが、お開きになったのは1時間近く後だった。

「最後には、会場にいる全員で『良き思い出は心の宝』と野際さんの台詞を唱和。そして『野際さん、ありがとう』と言って締めくくりました。出演者の方々は名残り惜しそうに店を後にしていましたが、その後も羽田と真瀬は残って思い出話に花を咲かせていました」
(前出・テレビ局関係者)

 みんなの思いは、きっと天国の野際さんにも届いたことだろう。


女性自身、2017/09/30 11:00
野際陽子さん偲ぶ会が極秘開催

長女・真瀬樹里涙した言葉とは

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1614260/

女優・野際陽子さんが亡くなって1年。
年を重ねるほどに魅力が増した秘密とは……。
『母、野際陽子』を著した娘の真瀬樹里さんと、母娘と近しかった女優の羽田美智子さんが語り合った。

羽田: 実は私、5、6年前に「野際さんの本を書かせてください」って野際さんご自身にお願いしたことがあるの。野際さんは女性を元気にする言葉をたくさん持っていらっしゃるでしょう? 私たちに話してくださるお話を多くの方に紹介したくて、お聞きしたの。

真瀬: 母は何て言ってました?

羽田:「めんどくせぇ」って。

真瀬: ああ、やっぱり(笑)。

羽田:「撮影も取材もみっちゃんがするの? ずっと隣にいるなんて、鬱陶(うっとう)しいじゃないの」って(笑)。

真瀬: 母が言いそうなことですね。私も今回の本のお話をいただいたとき、最初はお断りするつもりだったんです。「そんな大げさな人生じゃないんだから、やめてよ」っていう母の声が聞こえるような気がして。

羽田: おっしゃりそう。

真瀬: でもたくさんの方から、「読みたい」「作ってほしい」って言っていただいて、決心しました。ただし、母をオーバーに持ち上げるのは絶対にやめよう、人を笑わせること、楽しいことが好きだったリアルな姿を書こうと。

羽田: 野際さんって、ほめられると居心地悪そうだったもんね。

真瀬: そうそう。むしろ、「妊娠5カ月の人くらいおなかが出てるよ」なんてからかうと、喜ぶ(笑)。本では、そういう話も包み隠さず書きました。娘でないと、あそこまで突っ込んで書けなかったと思います。

羽田: 私が初めてご一緒させていただいたのは、1999年の「サラリーマン金太郎」(TBS系)だったわ。共演者が初めて顔を合わせる台本の読み合わせって、独特の緊張感があるんだけど、野際さんは品のいいお洋服を着て、楚々としていらっしゃった。大女優なのに「自分は普通の人間だから特別扱いしないで」という雰囲気を出していらして。自然体なのに品格があって、すぐ大好きになっちゃったの。

真瀬: 特別扱いが嫌いな人でしたよね。

羽田: それでも私から見れば、野際さんはやっぱり特別な魅力を持った方だし、“トップ”が似合う女性。女優以外のどんな仕事をしていても、成功したと思う。例えば、銀行初の女性頭取とか。趣味で描いていらした水彩画もお上手だったし、多才よね。

真瀬: 文章を書くのも、うまかったですね。

羽田: あんなすてきな方には、今後もう出会えないんじゃないかな……。お会いするたびに若々しくなるというか、どんどん魅力的になられて、年を重ねるのは怖くないっていうことも、野際さんが教えてくださったことの一つよ。

真瀬: 羽田さんとお会いしたときは既に独り身でしたし、自由な生活を楽しんでいましたね。

羽田: 以前、仕事のストレスで円形脱毛になったことがあって。メイクさんに指摘されてショックを受けていたら、たまたまそこに野際さんがいらして、「平気平気。私もあるわよ」って。野際さんと“おそろい”だと知って、何だかものすごく安心したのを覚えてる。

真瀬: そうだったんですね。

羽田:「みっちゃんが一生懸命やってる証しよ、お気楽に見えるけど」なんておっしゃって。「がんばってね」「大変ね」でなく、ウィットのきいた言葉で私の気持ちをすくい上げてくれて嬉しかった。そんな野際さんのDNAを樹里ちゃんは受け継いでいるのね。

真瀬: どこをどう引き継いでいるのか、わからないんですけどね。あんなに彫りの深い顔じゃないし。

羽田: ドラマの出演者やスタッフで開いた野際さんのお別れ会で、樹里ちゃんがご挨拶をしたでしょう? あのとき、「野際さんに似てる!」って思ったの。

真瀬: ちょうどドラマで母の役を演じていたので、しゃべり方とかしぐさは似ていたかもしれませんね。

羽田: 私が感じた「似ている」という感覚は、そういう見た目の部分ではなく、中からきたものなの。野際さんが確実に樹里ちゃんの中に入った、という感じ。言葉の端々にさりげない気遣いがあって、「これぞまさに野際さんが言ってほしかったことだろう」っていう内容のご挨拶だった。

真瀬: 本当ですか? ありがとうございます。

羽田: ドラマの打ち上げなどで野際さんがご挨拶なさるときも、いつもその場にいる人全員のことを考えて話していらしたなあ……。しかも、必ずどこかに笑いの要素があるのよね。

真瀬: 面白いこと、人を笑わせることが好きでしたね。

羽田: ドラマの撮影が深夜までかかったとき、着物姿で廊下を滑り始めてね。スピードスケートのまねをして。それで「ああ疲れた」っておっしゃるから、「暴れるからですよ」って(笑)。

真瀬: シリアスな役が続くと「もうコメディーしかやりたくない」って言ってました。

羽田:「人生には試練もある。それを乗り越えるには、ユーモアしかない」って、よく話されていたわ。

真瀬: 今回の本を書く途中で煮詰まって、友だちに相談したら「お母さんがどんな人だったか、思いつく単語を挙げてみたら」ってアドバイスされたんです。早速書いてみたら、出てきたのは「三枚目」とか「ふざけんぼ」とか「芸人気質」なんて言葉ばかり。「吉本興業に入ろうかな」なんて話も、10回ぐらい聞いた気がする(笑)。

羽田: あの美貌で面白いことを言われたら、誰もかなわないわよね。ずるいわ! その半面、人見知りなところもあるのよね。

真瀬: 母以上の人見知りは、なかなかいないですね。自分からは積極的に話しかけません。大学時代、友だちを家に連れていったときも、母はまったく愛想がなかった。「なんでそんなに不機嫌なの?」って、よく思いました。

羽田: 何だか少女みたい。

真瀬: 60代のころ、若い俳優さんに食事に誘われ、「2人だと何を話したらいいかわからないから」って、私も連れていかれたことがありました(笑)。相手の方も、さぞ困惑されただろうと思います。

羽田: ベテランの監督さんにうかがったら、野際さんは若いころ、東映撮影所のマドンナだったって。結婚されたときは、みんなでヤケ酒を飲んだって。

真瀬: 本人は自分のことを美しいと思っていなかったみたいだし、特にスタイルに関しては、コンプレックスのかたまりでしたよ。

羽田: かけ離れた存在でありつつ、どこか親近感もあって……。亡くなられて1年が経つけど、私は実感がなくて、またひょっこり会えそうな気がしてしまうの。

真瀬: 私にとっては長い1年でした。母が最後に入れてくれた留守番電話も、まだ聞く勇気がないんです。この本を書く間もずっと母のことを考えてつらかったけれども、「本を完成させたい」という思いのほうが強かった。本に出てくる会話に母のニュアンスを出したくて、語尾にも細かくこだわったんですよ。身内でも知らないようなことも結構書いていて、例えば、亡くなる直前に聞いたフランス留学中の恋愛話とか。

羽田: お付き合いしていた方が1人いるって、お聞きしたことがある。

真瀬: それが他にも何人かいたみたいで……。

羽田: ええっ!? それは知らなかった(笑)!

※ 週刊朝日 2018年6月22日号

[写真-1]
真瀬樹里『母、野際陽子 81年のシナリオ』(朝日新聞出版、2018/5)

[写真-2]
〈左・真瀬樹里(まなせ・じゅり)〉
1975年、東京都生まれ。1994年に映画「シュート!」でデビュー。抜群の運動神経を生かし、タランティーノ監督作品「キル・ビル」に出演、殺陣指導も担った。衣装協力=トップス:ユキ トリヰ、イアリング:スタイリスト私物。
〈右・羽田美智子(はだ・みちこ)>
1968年、茨城県生まれ。1988年デビュー。「サラリーマン金太郎」「花嫁のれん」などで野際陽子と共演した。ドラマ「特捜9」や「おかしな刑事」シリーズ(ともにテレビ朝日)に出演。衣装協力=シャツ/BAGUTTA

dot.asahi、2018.6.18 11:30
複数の恋人も…一周忌迎えた野際陽子の素顔と秘密を娘が明かす
(構成/木下昌子)
https://dot.asahi.com/wa/2018061400031.html

 昨年2017年6月に81歳で亡くなった女優の野際陽子と、俳優の千葉真一(79)の娘として育ちました。
 母が私を産んだのは38歳11ヶ月。
 当時の芸能界では、初産の最高齢記録でした。

 陽気な母が私は大好きでした。
 母は一人娘の私を愛情深く育ててくれる一方で、しつけや教育に関しては厳格でした。
 勉強やピアノで間違いが続くと、怒鳴るだけではなく手が飛んできます。
 ドラマの野際陽子よりはるかに怖い教育ママでした。

 芸能活動についてもそう。
 「高校を卒業するまでは普通の生活を送るべきだ」という母の信念は固く、芸能活動は一切させてもらえませんでした。
 5歳の時、父が一緒に舞台に出ないかと私を誘ってくれたのに、母は即座にストップをかけました。
 心底がっかりし、私が演じるはずだった役を別の子が演じているのを見て「絶対女優になってやる」と誓いました。

 中高生のころも、母は劇団に入って勉強することすら許してくれませんでした。
 いくら言っても分かってもらえないのがつらく、母に対して壁をつくるようになってしまいました。
 5歳で女優になると決めてからの13年間、ずっと苦しい気持ちを抱えていました。

 役者になってからも母の厳しい姿勢は変わりませんでした。
 悩んで弱音をこぼすと、「ネガティブなことを言っている間に、できることをしなさい」と言われてしまう。
 母なりのエールだったとは思いますが、私は説教する前に気持ちを受け止めてほしかったし、つらいときには思い切り泣かせてほしかったんです。

 そんな思いが爆発したのは、私が30歳を過ぎ、母が70歳前後の時でした。
 ささいな口論がきっかけで、一番甘えたい母に甘えられなくて寂しかった積年の思いを泣きながらぶつけました。
 母も「苦しい思いをさせてごめん。気付かなくてごめんね」と謝りながら、30年分抱き締めてくれました。

 以降、母の接し方と言葉が大きく変わり、私も素直になれました。
 どんな年になっても親子関係は変わるのですね。
 悩んでいる人がいたら「いくつになっても遅くない」と伝えたいです。

 父に言われて今も実践していることがあります。
 小学校高学年の頃のバレエの発表会前に言われた「舞台の袖に立ったら何も考えるな」という教えです。

「緊張した状態で動きやせりふを反すうしても不安は募るだけ。稽古してきた自分を信じて、全て忘れて立ってろ」

 おかげで、舞台に出ていく楽しみだけを見つめることができています。


真瀬樹里(まなせ・じゅり)
1975年、東京都生まれ。殺陣を得意とし、映画「キル・ビル」をはじめ、海外作品でも活躍している。2017年にはテレビドラマ「トットちゃん!」で、実の母親である野際陽子役を演じた。母の一周忌に合わせ、『母、野際陽子 81年のシナリオ』(朝日新聞出版)を刊行した。

東京新聞、2018年7月8日
<家族のこと話そう>
ドラマより怖かった母
女優・真瀬樹里さん

(聞き手・今川綾音/写真・淡路久喜)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201807/CK2018070802000182.html

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永田浩三

 以下は、これも一昨日、2019年2月20日の記事でした。
 う〜ん、ヤッホーくん、かなりこころ痛めている様子!
 え〜と、これまでの次の日付けの日記をご参照下さい:

2018年03月14日「NHKの番組に放送前に介入し、改変」
2018年03月15日「佐川宣寿の証人喚問」
2018年10月18日「空気を管理する社会 弱者を救わない社会 」

今年1月、元日本軍「従軍慰安婦」の一人、韓国の金福童さんが亡くなりました。
被害を受けた当事者が次々と世を去って行く一方で、日本ではネット上に「慰安婦問題はでっち上げ」などとする歴史修正主義の言説が広がり、政治家の口からさえ「どこの国にもあったこと」「強制連行はなかった」といった発言が、悪びれもなく飛び出してくるような現状があります。
こうした状況はなぜ生まれてきたのか? と考えるとき、思い出さずにいられない出来事の一つが、従軍慰安婦をテーマにした番組が政治家の圧力によって改変された、2001年の「NHK番組改変」問題です。
20年近くが経った今、番組プロデューサーとして「改変」の渦中にいた永田浩三さんに、当時の状況と今の思いをお聞きしました。

NHK番組改変問題とは何だったのか

─ 2001年1月、NHK教育テレビ(Eテレ)で「問われる戦時性暴力」と題した、「従軍慰安婦」や「戦争責任」をテーマとしたドキュメンタリー番組が放送されました。その後、朝日新聞を中心とした取材によって、番組内容が放送直前に大きく改変され、しかもその背景に与党の政治家からの強い圧力があったと報じられることになります。永田さんは当時NHKにおられ、「問われる戦時性暴力」のプロデューサーを務めておられました。改めてこの問題について、振り返ってお話しいただけますでしょうか。

永田: 番組が放映される前年、2000年の12月に、東京・九段会館で「女性国際戦犯法廷」が開かれました。
 「従軍慰安婦」をはじめとする旧日本軍による性暴力について、国際法上どのような罪に当たるのかを明らかにし、日本軍や日本政府、昭和天皇の責任を追及しようとする民間法廷です。
 ベトナム戦争中にアメリカの戦争犯罪責任を追及した「ラッセル法廷」(※)に倣って行われたもので、NGO「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(略称バウネットジャパン/現・「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター)などによって主催されました。
 この女性国際戦犯法廷を取材し、そこで問われたものは何だったのかを分析・検証しようと企画したのが「問われる戦時性暴力」でした。
 ところが、放送前日にNHKの幹部が永田町に呼びつけられ──と私は聞いていますが、幹部たちによれば「自分たちのほうから出向いて行った」ということになります──
 安倍晋三氏や中川昭一氏といった政治家たちに、番組内容の説明を行なった。
 その結果、放送直前になって番組の内容を大きく変えろという指示が、現場に下りてくることになったのです。


※ ラッセル法廷…
 ベトナム戦争中の1967年5月、スウェーデンのストックホルムで開催されたアメリカのベトナムにおける戦争犯罪を裁く民衆法廷。
 哲学者バートランド・ラッセルの呼びかけによって実現したことから「ラッセル法廷」と呼ばれる。


─ 具体的には、どのような変更が加えられたのでしょうか。

永田: 後の朝日新聞の報道などでも明らかになっていますが、政治家たちはNHK幹部に向かって「こう変えろ」と指示したわけではなく、「公平・公正にやってくれ」「勘ぐれ」などという言葉をかけたようです。
 つまりは「忖度しろ」ということですよね。
 その結果、大きく分けて、番組から三つの要素が消されました。
 まず、女性法廷の中で語られた、当事者である元「慰安婦」の女性たちの被害証言。
 もう一つは、日本政府がそれまでまがりなりにも「慰安婦」の存在を認めて施策をとってきていたという、その事実。
 そして、実際に戦場で女性たちへ性暴力を行った日本軍兵士たちの加害証言。
 この三つです。
 つまり、慰安婦問題の根幹の部分、加害性を限りなく薄め、問題の本質から目をそらす番組に変えさせたといえると思います。
 私はその圧力に対して、プロデューサーとして最終的に抗うことができなかった。
 結果として「改変」に荷担することになってしまったわけです。
 
─ その後、バウネットジャパンがNHKなどを相手取って訴訟を起こしたりもしましたが(※)、NHKは現在でも、「政治家からの圧力があった」ことは認めていないのですね。


※ 訴訟を起こした…
 「問われる戦時性暴力」の放送後、バウネットジャパンは、番組内容が当初聞いていた企画と異なり、「女性国際戦犯法廷」の内容が正確に伝えられていないとして、NHKや制作会社を相手取り提訴。
 一審・二審はNHKや制作会社の責任を一部認めたが、最高裁ではバウネットジャパンの要求が全面的に退けられた


永田: そのとおりです。
 政治家は関係なく、NHKが自主的に──あるいは自律的に──変える判断をしたんだ、と主張しています。
 たしかにこの番組については、制作会社との行き違いなどもあり、ぎりぎりまで内容をめぐってNHK内部で論争がありました。
 それでも、いろいろとすりあわせをして、前日の夕方には「この内容で行きましょう」という合意ができていたわけです。
 それを突然、幹部が永田町に出向いた直後に、手のひらを返すようにして「あれを変えろ、これを変えろ」という指示が下りてきた。
 そこにはどう考えても嘘があるし、露骨な政治介入が発生したとしか考えられないと思います。
 本来なら憲法21条にある「検閲」にあたる、明確な憲法違反だと疑っています。

─ 「改変」前の番組内容は、それほど衝撃的なものだったのでしょうか?

永田: そうは思いません。
 もちろん、被害女性や兵士たちの生々しい証言はありましたが、同じような内容はそれまでにもNHKでさまざまな形で紹介していた。
 従軍慰安婦にされた女性たちの存在は、1993年の「河野談話」(※)でも認められていたわけですし、「本邦初公開」というようなセンセーショナルな内容は全く含まれていなかったのです。
 「慰安婦」の問題が表面化したのは、韓国人の金学順さんが「私は日本軍の『慰安婦』だった」と名乗り出た1991年以降ですが、その2年後に河野談話が発表され、教科書への慰安婦問題に関する記述もはじまる中で、1997年には「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(※)が発足するなど、慰安婦の存在や日本の戦争責任を否定しようとする動きが生まれていました。
 今思えば、番組改変も現在にまで続くそうした大きなうねりの渦中にあったのだと思います。


※ 河野談話…
 1993年に河野洋平官房長官(当時)が発表した談話のこと。
 1991年に金学順さんら韓国の元慰安婦女性たちが、日本政府に補償を求め提訴したことを受けて実施された、慰安婦問題に関する調査の結果を踏まえて作成されたもの。
 慰安所の設置・運営に日本軍が直接・間接的に関与したことを認めている。

※ 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会…
 1997年、自由民主党内で結成された議員連盟(のちに「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」となる)。
 従軍慰安婦の存在や南京事件などについて否定的な立場を取り、その視点から歴史教科書の記述の「是正」を主張していた。
 安倍晋三氏が事務局長を務めていた。


─ 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」には、番組改変の当事者とされる安倍氏、中川氏も参加していました。

永田: その意味でも、今振り返れば「変えろ」という指示が下りてきたときに、その一つひとつに対して「それは違いますよ」と抗って、闘うべきだったと思います。
 しかし編集長の私も勉強が足りなかったし、はね返す力が弱かった。
 こちら側の取材の薄さや認識の甘さにつけ込まれたところはあったと思うし、それは反省し、深く後悔するところです。
 しかも、この「改変」問題を機に、メディアの間では、慰安婦問題はますます「地雷」のような存在になって、扱われることが減りました。
 それまで慰安婦問題についての良質な番組をたくさんつくっていたNHKでも、なかなかテーマとして取り上げることができなくなってしまった。
 そういう状況を生み出してしまったことにも、強く責任を感じています。

慰安所は、戦場の「必要悪」だったのか

─ その「番組改変」から20年近くが経ちました。インターネット上では、「慰安婦問題はでっち上げ」「売春婦だ」といった言説が、まことしやかに語られているのをよく目にします。同様の内容が政治家の口から語られることさえあり、昨年には米サンフランシスコ市での「慰安婦像」建立に対して、大阪市長が「事実と異なる言説を流布している」などと抗議、60年以上にわたるサンフランシスコ市との姉妹都市関係解消を決定しました。

永田: 本当に、まがりなりにもこれまで積み上げられてきたものを一気に壊すほうに時代が向かっている気がしますね。
 ただ、そこにきちんとした知識や論理の裏付けがあるかといえば、そんなことはなくて、証拠を積み重ね、それを分析すればすでに決着はついていてもおかしくない問題なのに、日本の戦争責任にきちんと向き合うことをしたくない人たちが、悪あがきをして「なかったこと」にしようともがいているだけのように思えます。
 たとえば、朝日新聞が「吉田証言」(※)の誤りを認めたことがよく指摘されます。
 たしかにあの証言には、ディテールを操作していたりと、歴史資料としていいかげんな部分があるのは事実です。
 でも、だからといって慰安婦問題自体が「なかった」ということにはなり得ません。
 私は、吉田証言を含む記事を全面的に取り消した朝日新聞の検証も、残念ながらずさんなものだったと考えています。

 また、元慰安婦の女性たちの証言が「ころころ変わって信用できない」という人がいるけれど、そもそもなぜ「ころころ変わる」のか。
 そこには戦後、差別などを受ける中で、彼女たち自身がその記憶を封印して「なかったこと」にすることでようやく生きてきたという事実があるわけです。
 それを無視して「嘘つきだ」などととがめるのはまったくの的外れだし、証言者たちをまた新たに傷つけることにもなると思います。


※ 吉田証言…
 吉田清治氏(故人)による、「韓国・済州島で戦時中、地元の女性を日本軍慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出した」とする証言のこと。朝日新聞は1980年代、この証言を含む16本の記事を紙面に掲載したが、2014年に「証言に虚偽があった」として記事の取り消しを発表した。


─ また、慰安所は「必要悪」だった、といった論調もよく耳にします。戦争には多かれ少なかれああした場所はつきものであって、それを野放しにしていたらもっとひどいことになるから、国がきちんと管理していたのだ、というロジックですね。

永田: もちろん、日本軍の兵士たちによるレイプの横行があって、それを防ぐために慰安所をつくったという面はあるでしょう。
 でも、そもそもどうしてレイプが横行したかといえば、性欲だけの問題だったとは思えません。
 特に中国戦線においては、一見日本軍が勝ち進んでいるように見えても、実は地元住民によるゲリラ戦が多発し、多くの兵士が犠牲になっていました。
 その中で、住民たちに復讐心を抱いた兵士たちが、それを晴らそうとしてレイプに走ったわけです。
 つまり、女性をそんなふうに貶めるということが一つの攻撃手段、武器となっていたのだとも思います。

 他の戦争犯罪と比べて「慰安婦」に過剰に反応して否定しようとする人が多いのも、それがあまりにも劣悪な、「天皇の軍隊」にふさわしくない見苦しい行為だったからではないでしょうか。
 だから言われたくない、指摘されたくない、恥ずかしいということだと思います。

─ 「性欲コントロールのためには仕方がない」なんていう、単純な話ではないんですね。2013年に、当時大阪市長だった橋下徹氏も「慰安制度は(兵士たちを休息させるために)必要な制度だった」などと発言していましたが……。

永田: その橋下氏の発言があったとき、私はちょうどニューヨークにいたのですが、周りの人たちは皆、慰安婦問題についての知識のあるなしにかかわらず、「とんでもない、ひどい発言だ」という反応でした。
 移動の自由もなく、兵士の相手をしなくてはならない状況に追い込まれている女性たちというのは、まさに「奴隷」のような存在です。
 奴隷制度という負の歴史に向き合ってきたアメリカ社会においては、そんな存在を許してはいけないという考え方が共有されているのだと思います。

 先ほど話に出たサンフランシスコの「慰安婦像」も同じように、戦争中、女性が性暴力という人権侵害を受けたという負の歴史を共有して、語り継いでいこうという価値観がベースにある。
 それを「日本バッシングだ」などとして、姉妹都市解消のような脅しをかけるというのは、野蛮で情けないと思います。

 ちなみに、サンフランシスコと同じカリフォルニア州のグレンデール市で、やはり「慰安婦像」が設置されたために、現地在住の日本人が嫌がらせされている、子どもがいじめられているなんていう主張もありますが、そんな事実はほぼないと言っていいと思います。
 私も気になっていろいろ調べたのですが、実際に「いじめられた」といった声は聞いたことがありません。

世界は、「被害者の声と向き合う」方向へと動いている

─ そもそも「慰安婦像」の設置だけでなく、慰安婦問題への取り組みというのは、しばしば言われるように「日本だけを非難している」「日本に謝らせようとしている」ものなのでしょうか。

永田: 私は違うと思います。
 慰安婦問題というのは、すぐに日韓の政府間の問題であるかのように矮小化されがちですが、本来はアジア全体の問題です。
 各地の戦場で同じような悲劇があって、しかも戦後数十年にわたって被害者の人たちが声をあげることができずに来たという事実がある。
 慰安婦問題を考えるということは、世界のどこであっても同じようなことをまた繰り返さないようにしよう、ということだと思うのです。

 たとえば最近の日韓交渉の中でも、韓国は「日本に懲罰を与えるべきだ」と言っているのではなく、何より大事なのは被害に遭った人たちの人権の回復なのだから、そのために日韓が手を携えて向き合いましょう、と一貫して訴えています。
 きわめてまっとうなことだと思います。

 そして、これは私も最近知ったのですが、1991年に金学順さんが元慰安婦として初めて名乗り出られたとき、その背景には、広島・長崎で被爆した人たちの存在があったようなのです。
 私は広島の被爆2世のひとりとしてそのことに関心を持っています。

─ 韓国人被爆者の方たちですか。

永田: そうです。徴用などで日本にやってきて、原爆に遭った人たち。
 彼らは戦後に故郷に帰るのですが、韓国でも原爆被害についての理解はまだ薄く、韓国政府も非常に冷たかった。
 その中で、広島での被爆者の一人である孫振斗さん(※)が日本政府に補償を求めて裁判を起こし、日韓の市民の支援を受けながら、それまで「外国人被爆者には交付できない」とされていた被爆者手帳の交付を1978年に勝ち取るのです。

 そうした流れを、金学順さんや支援者たちは確実に意識していたはずです。
 つまり、被害者であることには日本人でも韓国人でも違いがないのだから、そこに差別があってはならない、被爆者への補償の問題を、国対国の対立の形にするのではなく国境を越えて解決していくんだ、という動きが生まれてきていたことが、金学順さんの背中を押したのだと思うのです。


※ 孫振斗さん…
 広島で被爆した韓国人被爆者。1951年に韓国へ強制退去となるが、1970年に原爆症の治療を受けたいと密航によって来日した。被爆者手帳の交付を申請するが却下され、処分の取り消しを求めて提訴し、1978年に手帳交付を勝ち取る。


─ 被爆者の問題と同じように、慰安婦の問題も「国境を越えて」解決していくことができるのではないか、ということですね。

永田: よく、元「慰安婦」の女性に対して「金目当てだ」なんて言う人がいますが、彼女たちが名乗り出た後の叩かれ方を思えば、じっと黙って静かにしていたほうがいいのではないか、とさえ思えます。
 それでも彼女たちが立ち上がったのは、自分たちみたいな被害を二度と繰り返してほしくない、と考えたからだったはずです。
 それは被爆者の人たちも同じでしょう。
 未来の世代に対して、自分たちの被害を何らかの形で役に立ててほしいと思うからこそ、痛みに耐えて語ってくれているわけです。

 そうした、非常に崇高ともいえる声を無視することはあってはならないと思います。
 特に、終戦から70年以上経って、当事者の方たちが次々に亡くなられている今、それをそのまま見過ごしていていいのか。
 それはすごく無礼なことだし、命をかけて闘ってきた人たちに対して、もっとしっかりと向き合わなくてはならないのではないでしょうか。

 「慰安婦像」が最近になってアメリカやアジア各地で設置されていることもそうした危機感の強まり、そして当事者の方たちが亡くなっても語り継いでいくんだという意志の表れという面があると感じます。
 そこを無視して「日本ばかりが否定されている」「日本を侮辱するな」などというのは、あまりにも視野が狭いと思いますね。

─ 先ほど「戦争責任に向き合いたくない人たちが、悪あがきをしているだけ」とおっしゃいましたが、まさに政府の中枢にいる人たちがその「悪あがきをしている」のが現状だと思います。

永田: ただ、世界全体を見れば、声をあげてくれている戦争被害や性暴力の当事者ときちんと向き合おう、被害の実態を理解して、その被害をもたらす構造を変えていこうという動きは、決定的なものになっていると思います。

 昨年のノーベル平和賞などは、まさにその象徴といえるでしょう。
 受賞者の一人、イラク出身のナディア・ムラードさんは、少数派のヤジディ教徒で、IS(イスラム国)による性暴力の被害を受けた人です。
 彼女が生まれ育った社会の価値観では、レイプされたことは被害というよりも本人の恥のように考えられる部分があって、彼女もおそらく非常につらい視線にさらされてきた。
 それでも声をあげようとする彼女のほうに、国際社会は拍手を送ったわけです。

 これは、慰安婦問題とも非常に構造が似ています。
 世界が、被害者の声に耳を傾けようという方向に進んでいる中で、日本政府は今も元慰安婦の人たちときちんと向き合わず、背を向け続けている。
 世界100ヶ国以上が賛成している核兵器禁止条約への参加を、おそらくはアメリカとの関係から拒否し続けていることとも共通する姿勢だと思います。

─ このままでは、日本だけが世界から取り残されていってしまいそうですね。

永田: 元「慰安婦」の女性たちも被爆者も、被害当事者の人たちは、戦争や性暴力が人の人生をいかに破壊するかということ、そしてその破壊された人生を取り戻すことがいかに大変かということを身をもって示してくださっているわけです。
 そこから学ばなくてどうするのか、耳を塞いでありもしない「美しい国」の物語の中に閉じこもっていていいのかと思いますよね。
 せっかく生きているのだから、過去の人間よりも、わずかでも賢くなりたいじゃないですか。

 でも、私自身はそれほど悲観はしていないんです。
 今、大学で教えるようになって11年目で、毎年授業の中で慰安婦問題も取り上げているのですが、最初はネットの情報に踊らされて「韓国が悪い」と言ったり、時には私に対して「大学から出ていけ」とコメントペーパーに書いたりしていたような学生たちにも、きちんと話せば必ず伝わる。
 しっかりと伝える努力をしていけば、その努力は必ず実を結ぶと感じています。

 もちろん、油断はしてはいけないけれど、希望がないわけではない。
 ひどい時代ではあるかもしれないけれど、いつか「一時の気迷いの、そんなひどい時代もあったね」と話せる日が来るんじゃないか。
 やっぱり嘘やヘイトは必ず負けるし、真実や連帯のほうが強い。
 楽観的すぎるかもしれないけれど、私はそう考えているんです。


永田浩三(ながた・こうぞう)
1954年大阪生まれ。東北大学教育学部卒業。1977年NHKに入局。主にドキュメンタリー、教養番組に携わり、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」などのプロデューサーを務めた。2009年、NHKを退社。現在、武蔵大学社会学部メディア社会学科教授。著書に『奄美の奇跡 祖国復帰 若者たちの無血革命』(WAVE出版)、『ベン・シャーンを追いかけて』(大月書店)、『NHKと政治権力』(岩波現代文庫)、『NHK、鉄の沈黙はだれのために』(柏書房)など多数。


マガジン9、2019年2月20日
永田浩三さんに聞いた:

NHK「番組改変」と「慰安婦」問題の今

By マガジン9編集部
(構成/仲藤里美・写真/マガジン9)
https://maga9.jp/190220-5/

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相澤冬樹

 これも2019年2月20日、ヤッホーくんのこのブログ、日記「完全なデマ!」をぜひもう一度、振り返って読んでくださいませ。
 
NHKの元記者が森友学園問題の報道をめぐる局の内部事情を描いたノンフィクションが話題を集めている。
上層部の意向で原稿を書き直されたり、特ダネを報じたことで幹部が激怒したり……。
著者の相澤冬樹さんにNHK報道の内幕、森友問題をめぐる課題などについて聞いた。
 
― 相澤さんは今夏にNHKを退職し、現在は大阪日日新聞の論説委員。これからも森友問題の取材を続けるといいます。ただ、政府は佐川宜寿前国税庁長官ら財務省職員20人を処分したことで、幕引きを決め込んでいるように見えます。

相澤: 財務省の処分は、決裁文書の改ざん問題に対するものです。
 森友学園に格安で払い下げられた土地取引については不問のまま。
 誰も責任を取っていません。
 9億5600万円の鑑定額から地中ごみの撤去費として8億1900万円が値引きされ、1億3400万円で売却されました。
 なぜ森友学園は特別扱いされて、こんな土地取引が行われたのか。その謎が解けていません。
 そもそもなぜ文書を改ざんしたのか。
 政治家や安倍晋三首相夫人の昭恵氏の関与を消すためではないですか。
 消さなければならない理由は、国有地を巡る売却交渉にやましいところがあるからでしょう。

― 森友学園の理事長だった籠池泰典氏は2014年4月、近畿財務局(近財)との面談で昭恵氏と一緒に写った写真を示し、彼女の「いい土地ですから、前に進めて下さい」という発言を伝えたといいます。後に森友学園の小学校の名誉校長にも就くなど、首相夫人の関与がきっかけになったのでしょうか。

相澤: 昭恵氏との写真を見せられ、近財の態度が変わったのは間違いありません。
 それまでは森友学園への国有地の貸し付け契約を断ろうとしていましたから。
 ただ、昭恵氏の関与だけで、あれほど格安で売却する事態になったのか疑問です。
 なぜあんな大幅値引きをしたのか。
 この問題は多くの謎を残したままです。

― 近財は森友学園に国有地を売却する前に、学園が支払える上限額を聞き出していた。その事実はNHKニュースで明るみに出たわけですが、相澤さんの特ダネだったそうですね。ところが放送後、小池英夫報道局長が相澤さんの上司(大阪放送局報道部長)に電話をし、「私は聞いていない。なぜ出したんだ」と激怒したそうですね。

相澤: たまたまその夜、私は大阪報道部のフロアで部長と一緒にいました。
 小池局長は部長の携帯電話にかけてきたのですが、その声は横にいる私にも聞こえるほどの大きさでした。
 ただ、小池局長がニュースを見て怒ったのなら、放送中か放送直後に連絡してくるはずなんです。
 ところが、実際には時間差がありました。
 19時からの『ニュース7』で報道後、局長から電話があるまで3時間くらい経っていた。
 おそらく、その間にニュースを見た人物から、小池局長に『あんなニュースを出して、どうなっているんだ』というような連絡が入ったのでしょう。
 電話の後、部長は苦笑いをしながら『あなたの将来はないものと思え、と言われちゃいましたよ』と言っていました。

― 小池局長と官邸の間には太いパイプがあるのでしょうか。

相澤: 小池局長は政治畑を歩み、政治部長も務めました。
 官邸と接点があっても不思議ではありません。
 官邸には地方勤務時代以来の知己もいますし……。
 森友問題をめぐるNHKの報道には安倍政権に対するさまざまな忖度がありました。
 以前はあり得なかったことです。
 NHKだけでなく、官邸はテレビ朝日の『報道ステーション』にも介入したと聞いています。
 時の政権が報道内容に露骨に介入してくる。実態は“忖度”でなく、“介入”なのです。
 報道機関に介入するくらいですから、財務省など行政機関には平気で手を突っ込んでくるでしょう。
 官僚は自分たちの手足ですからね。
 そう考えると、森友との国有地の取引は、官邸の意向によってゆがめられた可能性もあるわけです。

― 近財は、学園側が国有地に支払える上限を知ったうえで、それを下回る価格を設定した。相澤さんのスクープは、近財に背任の疑いを示す内容でした。しかし、大阪地検は立件を断念しました。

相澤: 東京サイドの法務省や最高検が『捜査は終わり、全員不起訴』という決め打ち情報を流してくるなかで、大阪地検特捜部は必死に跳ね返そうとしていました。
 8億円もの値引きは、国に損害を与えたと認定できるのではないか。何とか立件できないかと模索している検事が、幹部にも現場の一線にもいました。

 大阪地検は郵便不正事件で厚生労働省の局長を逮捕した際、証拠の捏造が発覚し、信頼が失墜しました。
 その名誉回復の大チャンスだったのです。
 でも、捜査はうまく進まなかった。
 幹部の間で秘密主義が徹底され、現場の検事は不満をため込んでいました。
 籠池氏の自宅を家宅捜索した際には、着手する時間を現場の検事より私たち記者の方が早く知っていたほどです。
 最後は力関係で東京に押し切られてしまった印象です。

― 大阪地検は籠池氏を詐欺容疑で逮捕しました。

相澤: あれは国策捜査だと思っています。
 問題の本筋は、近財と財務省官僚らの背任です。
 背任容疑での刑事告発が続々と検察庁に提出されていたころ、大阪府が籠池氏の補助金不正取得の問題を盛んに報道各社に流すようになりました。
 詐欺事件に注目を集め、背任事件から世間の目をそらす陽動作戦としか思えませんでした。
 もともと森友学園の小学校設置を認可しようとしていたのに、手のひらを返したわけです。
 トップの松井一郎府知事は安倍首相に近い。
 国会で野党からの追及を受ける安倍首相を、大阪府はナイスアシストしたのです。

 何度でも言いますが、森友事件の本質は、国と大阪府の責任です。
 国有地の大幅値引きや交渉記録の改ざんに、官邸がまったく関与していなかったとは、私にはどうしても思えません。
 背任の刑事責任を問えなくても、政治的責任や道義的責任はあるはずです。

 この問題には多くの官僚がかかわっています。
 安倍首相が財務省や近財の職員に直接指示するはずはありません。
 でも、あうんの呼吸で秘書官に意向を伝えることはできる。そういう意味で安倍首相の関与はあったのか、なかったのか。謎は解明されていません。
 森友事件は終わっていないのです。

― 著書『安倍官邸 vs NHK』では、取材相手の心を開くための具体的な工夫や、情報の裏取りをしっかりしたうえでニュースに出すという報道姿勢にも触れていますね。

相澤: この本には狙いが三つあります。
 一つは森友事件の本質を伝えること。
 もう一つはNHK報道の内幕です。
 でも最大の狙いは、読者のみなさんに記者の仕事を知ってもらうことです。
 いま、テレビや新聞、雑誌の報道がフェイク(虚偽)だと言われます。
 プロの記者の仕事が信用されなくなり、むしろ、インターネット上の根拠のない情報のほうが信じられてしまっている。
 こうなった背景にはメディアの反省すべき点もあります。
 報道が真実だという説明を十分にしてこなかったと思うんです。
 本では、情報源は秘匿しつつ、取材手法、手の内を明かしています。
 31年間、記者を続けてきた人間として、説明責任を果たしたいと考えたのです。


AERA dot.、2018.12.30 09:30
森友疑惑報道
NHK局長が激怒するまでの3時間に何があった?
退職した相澤冬樹記者に聞く
(週刊朝日・亀井洋志)
https://dot.asahi.com/wa/2018122900024.html

森友事件の本質やNHK報道の舞台裏を記した『安倍官邸 vs NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋)。
その著者で元NHK記者の相澤冬樹氏が今回、直撃取材を試みたのが、森友事件を巡って虚偽答弁を重ねてきた佐川宣寿理財局長(当時=61)だ。
財務省のごく一部のOBとは顔を合わせているという佐川氏だが――。

◆ ◆ ◆
 本はNHK内にある書店でも完売し、さらに追加分が平積みされているというから、NHK内でも関心が高いのだろう。
 かつての同僚からは「よく書いてくれた」との評価や、「もっと核心に迫るものを期待していた。さらに踏み込んでほしい」というお叱りと励ましの声が伝わってくる。

 私が本で「特ダネに激怒した」と書いた小池英夫報道局長。
 発売日に行われた報道局の編集会議では「私の意向で報道内容が恣意的に歪められたことはない」と述べていた。
 だが、その言葉を額面通りに受け止める記者は少なかろう。
 彼らは「Kアラート」と呼ばれる“圧力”に直面してきたのだから。

 事件の一方の主役、森友学園の籠池泰典前理事長もすでにこの本を読んでくれている。
 「森友事件は森友学園の事件ではなく、国と大阪府の事件」との指摘について「的を射ている」とした上でこう語った。
小学校設立は、安倍(晋三)首相と昭恵夫人、それに大阪府の松井(一郎)知事のスクラムによって始まった。ところが2017年2月に問題が明らかになると、私がトカゲのしっぽ切りにされた。真犯人の責任は問われていない。相澤さんにはそこを追及してほしい。
 
 その厳しい指摘に応えることこそ、記者の務めだ。

 しっぽとして切られた最大の被害者は、自ら命を絶つところに追い込まれた近畿財務局の職員だろう。
 仮にBさんとする。
 Bさんについての元同僚たちの評判は極めていい。誠実に仕事をこなす有能な役人――そのBさんが公文書改ざんという常識外れの不正行為を押しつけられたのだ。

 その無念の思いをBさんはメモのような形で書き残している。
 完全な形では明らかになっていないが、改ざんについて「もとはすべて佐川理財局長(当時)の指示だ」とはっきり記しているという。
 財務省の中枢にいる人物の指示で、自分はこんな不正をやらされたのだという思いを文書に残していたのである。
 その無念の思いについて、当の佐川氏はどう受け止めているのか。
 NHK在職中も知人を通じて取材を依頼していたが、直接話すことは結局叶わなかった。

私は佐川氏の自宅を訪ねた

 12月のとある朝。
 私は都内の閑静な住宅地にある佐川氏の自宅を訪ねた。
 しばらく姿を見せるのを待ったが、ゴミ収集日なのにゴミを出す動きすらない。
 近所の人の話では、最近は誰もこの家には住んでいないようだ。
 だが、玄関の花は生き生きしているし、誰かが定期的に訪れて手入れをしているようだ。
 本に手紙を添えて郵便受けの中に入れた。
 佐川氏が受け取り読んでくれることを願って。

 翌朝、私は再び佐川氏の自宅を訪ねた。
 昨日は玄関前に止まっていた車が、今朝はない。
 誰かが来た証拠だ。
 再び手紙を書いて、郵便受けに投函した。

 考えてみれば、佐川氏が関与したのは国会答弁と公文書改ざんだ。
 もちろんそれらは許されることではないが、肝心の国有地売却には関与していない。
 首相答弁との整合性を取ろうとした結果、役人人生を棒に振ってしまったことを思えば、彼もしっぽとして切られた一人なのかもしれない。

 森友事件は多くの人の人生を変えた。
 私の人生も変えた。
 亡くなった近畿財務局職員の無念の思いを晴らすまで、真相追及の手を緩めるわけにはいかない。


文春オンライン、2018/12/28
内幕本でNHK激震
「森友スクープ記者」今度は vs.佐川元局長
相澤 冬樹(*)
http://bunshun.jp/articles/-/10186

(*)相澤 冬樹(あいざわ・ふゆき)
 大阪日日新聞論説委員。1962年、宮崎県生まれ。東大卒。87年にNHKに記者職で入局。山口、神戸放送局を経て東京報道局社会部記者、大阪放送局大阪府警キャップ、同司法キャップを歴任。2018年5月に考査部への異動を命じられ、同年8月に退職。9月から現職

 その相澤冬樹さん、今晩、東京でお話されます:

 森友問題でスクープを続けたNHKの元記者・相澤冬樹氏をお迎えし、「森友真相に迫るメディアの役割」についてシンポジウムを開催します。
 森友問題は、安倍政権側が「まだモリ・カケが」などと目を背けていますが、11月5日の「森友ごみ問題を考える会主催の小川敏夫参議院議員ご説明」の記者会見によって、写真偽装問題が明らかになり、全国約25社の新聞で取り上げられ、森友ゲート事件への新たな出発点に立ちました。

 写真偽装問題で分かったのは、森友問題の核心点である約8億円値引きの根拠として、国が示した試掘写真資料が、偽装されていたことと、地下深部から掘り出したとする根拠も見つからなかったという事実です。
 米国のウォーターゲート事件も、一つの事実をきっかけに2年2か月かかって、ニクソン大統領を辞任に追いやりました。
 森友問題も、写真偽装について国は事実を認めつつあり、新聞も各社が報道し、後はTVメディアが偽装の事実を大きく報道するかにかかっています。

 NHKは、スクープ記者である相澤氏を、取材現場から外し、退職に追いやりました。
 相澤氏の大手メディア報道記者としての闘いと森友ゲート事件を追及する市民の闘いをコミットし、森友ゲート事件の解決策を、実践的に考えてゆきたいと思います。

2・22シンポジウム『森友 真相に迫るメディアの役割」
日 時:2月22日(金)17:00〜19:30(16:30開場)
会 場:衆議院第二議員会館 多目的会議室(1F)(148名)
※入館証はロビーにて16:30より配布します。
会 費:無料
*必要な方には、資料用意(500円)
申込み:こくちーずの下記のイベントページから申込み願います。
    https://kokucheese.com/s/event/index/554411/
主 催:森友ごみ問題を考える会
   (世話人)加藤弘吉 080-1014-5764
http://www.labornetjp.org/EventItem/1550651570864matuzawa


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ロブ・カジワラ

 今月2019年2月24日、あさってに行なわれる、辺野古米軍新基地の建設の是非を問う沖縄県民投票。
 この日にむけて、ロブ・カジワラさんが来日、沖縄県および東京都を訪問するという。
 日系米国人であるカジワラさんは、米国政府の公式署名サイトを使い、辺野古新基地の建設停止を求める請願署名を呼びかけた。

 カジワラさんの呼びかけに、多くの市民に加え、モデル/女優のローラさんや、タレントのりゅうちぇるさん、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんら著名人も賛同。
 米国政府が具体的な対応を検討する条件である「30日以内に10万筆以上を集める」ことを達成、現在も署名数は増加中だ。

○ QUEENのブライアン・メイさん等、著名人も賛同

 ハワイ在住の音楽家ロブ・カジワラさんが辺野古新基地問題に関心を持ったのは、母方の祖母が沖縄県の出身であるなど、自身のルーツから他人事だと思えなかったからだという。
 ハワイには、沖縄県からの移民も多く、彼らは辺野古をめぐる動きに強い関心をもっているとのことだ。

 当初、カジワラさん一人が始めた電子署名は瞬く間に広がり、冒頭にあげたローラさんら他、俳優/ギタリストのうじきつよしさん、タレント/演出家のラサール石井さん、女優の東ちづるさん、芥川賞作家の平野啓一郎さん、ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」の後藤正文さん、映画監督の塚本晋也さんや想田和弘さんが賛同。

 さらに、映画『ボヘミアン・ラブソディ』の世界的な大ヒットで再び脚光を浴びている伝説のロック・バンド「QUEEN」のギタリスト、ブライアン・メイさんも自身のツイッターで署名を呼びかけた。

 映画監督の是枝裕和さんは、第72回英国アカデミー賞授賞式で、メイさんと同席。
 是枝監督が
「『沖縄』の抱える問題に寄り添って頂いてありがとうございます」と謝意を表すと、メイさんは、
「you have to win」(あなた達は勝たなければならない)と応えたという。

 現在、署名数は当初の目標の10万筆をはるかに超え、21万筆以上が集まっており、なおも増加中だ。
 署名サイト。13歳以上なら国籍を問わず署名できる ☟ 
https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa

○ カジワラさんが来日、東京で講演、沖縄を訪問

 カジワラさんは、日本のインターネットメディア「IWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)」の京都支部に宛てたメッセージの中で、その思いを以下のように語っている。
 辺野古新基地建設は沖縄のジュゴンなどの数百種類もの希少絶滅危惧種の生息地である天然のサンゴ礁を破壊しています。そのリーフ(礁)は、(オーストラリアの)グレートバリアリーフに次いで世界で2番目に生物多様性の高いリーフだと言われています。このリーフを失うことは環境災害だとも言えます。

 この基地は米国の国防を助けないばかりか、中国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の軍事強化を招き、両国との緊張関係を高めるだけでしょう。

 今こそ、軍隊を国に返し、不必要な支出を止め、米国の海外に展開する軍事的負担を縮小し、中国と北朝鮮との平和的で友好的な関係を築く時です。これは、米国民と沖縄の人々だけでなく、アジア太平洋地域のすべての市民にとっての緊急事態です。
出典:カジワラさんのメッセージより 訳:北野ゆりさん/浅野健一さん

 カジワラさんは、来週来日し、東京で国会議員らとの面談や、講演、ライブ演奏をした後、沖縄に向かうという。
 20日の議員会館でのイベントには、在日米軍兵士からの性暴力被害を告発した在日オーストラリア人のキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんも駆けつけ、カジワラさんと共にトークを行うとのことだ。

* ロブ・カジワラさん講演:2019年2月20日(水)17:30〜19:30 衆議院第一議員会館 多目的ホール

* ロブ・カジワラさんライブ演奏:2019年2月21日(木)13:30〜 東京倶楽部・水道橋店(千代田区神田駿河台2−11−16)


[写真]
ホワイトハウス前で直訴するロブ・カジワラさん(マイクを持った男性)

Yahoo! Japan News、2019/2/15(金)12:00
米国政府を動かす男、緊急来日

辺野古新基地を問う沖縄県民投票、QUEENブライアン・メイも激励

志葉玲、フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190215-00114902/

 えっ、2019年02月20日?ヤッホーくんのこのブログ、この日のブログをご覧ください:
「今世界中で再び大ブームのQUEEN」

 えっ、2019年02月20日?ヤッホーくんのこのブログ、この日のブログをご覧ください:
「土井大助『小林多喜二よ、よみがえれ』」

 それで、ロブ・カジワラさんは講演できたのかな?

 沖縄県名護市辺野古で建設中の米軍の新基地について、その建設中止を米国政府に求める請願署名の発起人となった日系米国人のロブ・カジワラさんが、昨晩の来日の際に大阪入国管理局関西空港支局によって不当に一時拘束されていたことが、本人及び関係者の話でわかった。

 カジワラさんは「何度も日本に来ているけども、こんなことは初めて。とてもショックを受けている」と話しているという。

○ 超党派議連との面会等のため来日

 カジワラさんは、今年2019年1月、辺野古新基地建設の中止を米国政府に求める請願署名を呼びかけ、多くの人々がこれに賛同。
 ロックバンド「Queen」のギタリストのブライアン・メイさん、モデル/女優のローラさん、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんなど著名人も署名を呼びかけた。
 現在21万筆以上の署名が集まり、米国政府としても正式に対応を検討することが決まっている。

 昨日2019年2月19日、カジワラさんは、超党派の国会議員との面談や記者会見等のため、在住するハワイから来日。
 関西空港を経由して羽田空港に向かう予定だった。

○ 執拗に繰り返される詰問

 ところが、昨晩18時50分頃、関西空港での入国審査での際に、カジワラさんは、入国管理局の係官らによって別室に連れて行かれ、執拗に詰問を受けた。
 映画監督の増山麗奈さんにカジワラさんが語ったところによれば、カジワラさんは、国会議員との面談など、その来日目的を説明したものの、入管係官は「どういうイベントに参加するのか」と執拗に、何度答えても、同じ質問を繰り返し聞き続けたのだという。
 また、カジワラさん自身もツイッターに昨晩の状況を投稿。
 「辺野古(に関する活動)について問いただされた」と書いている。

 羽田への乗り継ぎ便に遅れることや、強制送還されることを危惧したカジワラさんは、沖縄県の知人に連絡。
 その知人が照屋寛徳衆議院議員に事情を伝え、同議員が大阪入管に電話したことで、カジワラさんは解放された。
 拘束時間は2時間弱に及び、羽田空港に到着したカジワラさんは「憔悴しきっていた」と増山さんは語る。

 明白に法に反することでなければ、来日した外国人の行動を制限する権限など入管当局は持たない。
 カジワラさんが、辺野古新基地に反対するイベントに参加しようとしまいと、それは個人の自由であり、それは何の問題もないことは、大阪入管関西空港支局も、筆者の取材に対し認めている。
 それならば、なぜ、同支局は執拗にカジワラさんに問いただしたのか。

「上からの指示」とは?

 奇妙なのは、照屋議員からの連絡後、入管係官達は、
「私達も好きでこのような対応をしているわけではなく、上からの指示でやっているだけ」とカジワラさんに釈明したということだ。

 カジワラさんを招いての都内のイベントでスピーカーを務める、ジャーナリストの浅野健一さんは「安倍政権による嫌がらせではないか」と疑う。

「当時のバラク・オバマ米国大統領が広島を訪問した2016年5月、韓国の被爆者の方々が広島を訪問しようとした際に、やはり大阪入管関西空港支局により、不当に長時間に拘束されたということがありました。今回のカジワラさんの件も、沖縄・辺野古新基地への反対運動をくじけさせるべく、安倍政権の指示が下っていたのではないでしょうか」
(浅野さん)。

 浅野さんが疑うような指示はあったのか。筆者の取材に対し、同支局は「現在、事実関係を確認中」とだけ答えた。

○ 坂本龍一さんが沖縄応援メッセージ
https://www.youtube.com/watch?v=RlCrGxkdoEQ
坂本龍一さんのメッセージ 本人提供

 来日早々にトラブルに見舞われたカジワラさんだが、議員面談や記者会見、院内集会などの東京でのイベントは予定通り行われる見込みだ。
 カジワラさん来日に際し、音楽家の坂本龍一さんも、
「基地負担が沖縄に過剰に集中していることは、沖縄の人々の問題ではなく、100%本土の人々の問題」
「温暖化などの環境問題が深刻さを増す現在、人間には戦争に時間やお金を費やす余力はありません」として、
「(カジワラさんや沖縄の人々を)応援しています」とエールを送っている。


Yahoo! Japan News、2019/2/20(水)12:02
「米国政府動かす男」R・カジワラさん、大阪入管に屈辱の拘束

辺野古基地問題で来日、超党派議員と面談

志葉玲、フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20190220-00115487/

 沖縄県名護市辺野古(へのこ)での米軍新基地建設を巡る県民投票が終わるまで工事を止めるよう、トランプ米大統領に求める電子署名運動をした日系4世の作曲家ロブ・カジワラさん(32)来日し、2019年2月20日、都内の衆院議員会館で記者会見した。

 2月24日に行われる県民投票について、
県民が意思を示す。日本と米国が民主主義の国を名乗るのならば、沖縄の民主主義を尊重してほしい」と政府が結果を尊重すべきだと訴えた。 

 カジワラさんは、県民投票の結果にかかわらず工事を進めるとの日本政府の方針について、
非民主的で、沖縄の声を尊重していない対応だ。私だけでなく世界中の支持者(署名参加者)がそう思っている」と指摘した。

 新基地建設は、
「安全保障上の必要性、実現可能性、人権、採算性、環境問題などさまざまな側面で悪い計画だ」と批判。
「世界の多くの人がそれを望んでいない。集まった署名の数がそれを示している」と計画見直しを訴えた。

 署名は米ホワイトハウスが設けた電子署名サイト「WE the PEOPLE」で実施。
 署名開始から30日以内に署名数が10万筆に達した後、60日以内に米政府が公式見解を回答するよう義務付けている。

 カジワラさんは昨年2018年12月に署名活動を開始。
 同月12月18日に10万筆を超え、60日を経過しているが、米政府は回答していない。

 署名は続いており、2月20日現在で約21万筆に達している。

 カジワラさんの活動には、タレントのローラさんや英ロックバンド「クイーン」ギタリストのブライアン・メイさんらが会員制交流サイト(SNS)で参加を呼びかけ、話題となった。

「真の民意に期待」 学者ら92人声明

 沖縄県名護市辺野古(へのこ)での米軍新基地建設に反対する学者らでつくる「普天間(ふてんま)・辺野古問題を考える会」は20日、国会内で記者会見し、24日の沖縄県民投票への参加を呼びかける緊急共同声明を発表した。
 法学や環境学など幅広い分野の学者や弁護士など92人が賛同した声明は、
「沖縄の真の民意が示されることを期待する」としている。 

 声明は、昨年2018年9月の知事選などで、
「県民は新基地建設反対の民意を繰り返し示してきたが、安倍政権が耳を傾ける姿勢を全く持たない」と指摘。

 今回の県民投票について、
「単一争点での投票を通じて改めて民意を示す趣旨だ」と評価し、
「民意を明確に示されることで、建設中止に結びつくことを願う」と訴えている。

 記者会見で、世話人の寺西俊一・一橋大名誉教授は、
「県民の新基地反対の意思がさらに強固に示され、無謀な建設をストップさせるよう求めたい」と指摘。

 専修大の白藤博行教授は、「賛成」「反対」「どちらでもない」の三択があるうち「どちらでもない」の得票が少なくなかった場合、
 「(過重な基地負担を)沖縄にまだ我慢してもらっていいと、沖縄以外の人が考えるかもしれない」と懸念。
 反対票を投じるよう呼び掛けた。 


[動画] 日米政府は沖縄県民の声尊重して!
署名運動立ち上げたロブ・カジワラさん来日会見(ノーカット版)

https://www.youtube.com/watch?v=Cu9Jc_GeDHE

[写真]
県民投票を前に記者会見する識者たち=いずれも20日、東京・永田町の衆院第一議員会館で

東京新聞・朝刊、2019年2月21日
「沖縄の声尊重 世界の願い」

辺野古STOP仕掛け人 ロブ・カジワラさん来日

(島袋良太)(関口克己)
STOPhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201902/CK2019022102000156.html

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2019年02月21日

年越し派遣村から10年

 今の全財産は3円で、ここに来るまでの3週間、「公園のトイレにいた」と50代の男性は言った。

 今から10年前に開催された、年越し派遣村を記録した映像の中でだ。
 2019年2月16日に開催された「反貧困ネットワーク全国集会」。
 今年の集会のテーマは「年越し派遣村から10年、自己責任社会はどう変わったか」。
 集会のディスカッションに登壇したのは、年越し派遣村の際、まさに現場で「村民」たちの生活相談、労働相談に乗り、その後の生活保護申請をはじめ数ヶ月間にわたってフォローを続けた活動家たち。
・ 労働運動活動家の河添誠氏、
・ 派遣ユニオンの関根秀一郎氏、
・ 弁護士の猪股正氏、
・ 元連合非正規労働センターの龍井葉二氏、
・ 元生活保護利用者の和久井みちる氏、
だ。このメンバーに私も加わり、当時を振り返りつつ「この10年」の変化について、語った。

 その冒頭にて、当時の映像が流れたのだ。
 改めて思ったのは、「派遣村なんて、よくこんな無謀なこと、ほんとにやったよな…」ということだ。

 2008年秋に起きたリーマンショック。
 それによって全国に派遣切りの嵐が吹き荒れ、製造業派遣などで働く人々が寮から追い出されるなどしていた。
 そんなことから、職も住む場所も所持金も失った人々を受け入れようと企画された派遣村。
 しかし、そもそも不安要素しかない取り組みだ。

 本当に人は来るのだろうか?
 もし来なかったら?
  いや、予想よりたくさん来てしまったら?
 寝る場所は?
  毎日の食事は?
 そのための物資は?
 人手は?
 体調が悪い人への対応は?
 いったん受け入れてしまったら、いろいろと責任だって発生する。
 みんなの生活が再建されるまで、とにかく支援し続けるしかなくなる。
 あらゆるトラブルも予想される。
 お金だってかかるし、みんなの年末年始の休みは当然、潰れる。

 しかし、そんなこんなをものともせず、「とにかくやろう!」と派遣村実行委員会は立ち上がった。
 この日、話を聞いて改めて驚いたのは、派遣村を「やろう!」ということになったのが、」2008年12月なかば頃だということ。
 なんと半月くらいしか準備期間がなかったのだ。

 が、多くの人とノウハウ、そして資金が投入され、「年越し派遣村」は年末の日比谷公園に突如、出現した。
 私も「開村」の日に訪れたが、当初は「ほんとに人なんて来るのかな」といった空気だった。
 しかし、多くのメディアで報じられるにつれ、続々と人が押し寄せる。
 結局、初日だけで100人以上が訪れ、最終的に500人以上に膨れ上がった。
 年明けには厚生労働省の講堂が開放され、みんなは吹きっさらしのテントから、暖房のある部屋に移動することができた。
 派遣村の様子はお正月のメディアの連日トップニュース扱いで、寄付金はなんと4000万円以上集まった。
 そうして炊き出しなどのお手伝いに来てくれたボランティアは、「村民」の3倍以上になったのだ。

 おのおのが、そんな10年前の「野戦病院」のような様相を振り返った。

 派遣村にやって来たのは、職も住む場所も所持金も失った人たちだ。
 何日も食べずに、命の危機にある人もいた。
 着いた途端、倒れ込んでしまう人もいた。
 飛び降り自殺しようとしているところを警察に保護され、派遣村に連れてこられた人もいた。
 2008年6月、秋葉原で無差別殺人事件を起こした加藤智大の同僚もいた。
 派遣切りされていたのだ。
 静岡から歩いてきたという人もいた。
 もし、派遣村がなかったら、年末年始の路上で、餓死・凍死していたかもしれない人びとだ。
 そうして約半数が派遣村から生活保護を申請し、生活再建の第一歩を踏み出した。

 そんな当時の映像を見ながら驚いたのは、テレビカメラの数だ。
 映像のほとんどのシーンに何台ものテレビカメラがひしめき、カメラのフラッシュが光る。
 それを見ながら、複雑な思いがこみ上げてきた。
 なぜなら、10年前の派遣村の光景は、今の年末の炊き出しの光景とちっとも変わらないものだからだ。
 この連載でもレポートしているように、私は2014年から毎年、年末年始は都内や関東周辺の越年越冬を巡っている。
 ホームレス状態の人に炊き出しが振る舞われ、生活相談・労働相談が行われ、場合によってはテントで集団野営するその場所は、「年越し派遣村」の取り組みとまったく変わらない。

 しかし、私はこの4年間そんな現場を巡っていて、テレビカメラなど一台もお目にかかったことはない。
 取材など、ほとんどない。
 あの時と同じ光景が今も毎年、年末年始に出現し、当事者が語る切実な言葉(所持金が3円とか、失業して昨日初めて野宿したとか)はちっとも変わっていないのに、メディアの関心はもう、まったくもって全然一切、ないのだ。

 そのような現実を見るたびに、「社会問題」って「作られる」ものなのだとつくづく思う。
 作られ、消費され、ブームになったらたちまち古びて忘れられる。
 一方で、メディアが無視すればそれは「ないこと」になってしまう。
 これにどう抗っていけばいいのか、今のところ、答えは出ていない。

 もうひとつ、派遣村の映像を見て思い出したのは「自己責任の線引き」という言葉だ。

 年越し派遣村まで、世論は「貧困は自己責任」という方に傾いていたと思う。
 しかし、派遣村以降、一気にひっくり返ったのを感じた。
 特にそれまで「自己責任」と強調していた自民党議員などが2009年の年明けになると、突然「セーフティネットの必要性」なんかを言い始めたのだ。

 一方で、「派遣村って言っているのにホームレスもいるじゃないか」という批判もあった。
 派遣切りで失業した人と、それ以前に失業し、ホームレス状態が長く続いた人を分けるような言い方だ。
 しかし、そもそも「ホームレス」は状態をさす言葉である。
 そういう意味では、派遣村にいるすべての人が「ホームレス」だ。
 そこを「時期の長さ」などで選別し、「線引き」しようとすることになんの意味があるのだろう?
 おそらく、そんなことを言う人の中には「ホームレスは好きでやってる」という偏見があり、「好きでやってるやつは助ける必要がないけど、派遣切りでホームレスになった人は助けるべき」という「命の選別」があるのだろう。
 これって恐ろしい考えだと思うのだが、そんな事態を受けて当時みんなで話したのは、「派遣村って結局、自己責任の線引きを少しズラしただけかもしれない」ということだった。

 そうして今、「自己責任の線引き」は、もっと複雑怪奇になっている。

 2019年のこの国では、「貧しい人」「ホームレス状態になった人」に、10年前ほどの同情は集まらない。
 きっと今、同じ光景が出現しても、4000万円ものカンパは集まらないだろう。
 関心も薄れている。
 10年前、ネットカフェに暮らす家なき人びとは「ネットカフェ難民」と呼ばれ、衝撃をもって受け止められたが、今は「家がなくてネットカフェ暮らし」なんてあまりに普通のことなので「ネットカフェ難民」という言葉すら使われない。

 10年分、この国の人びとは貧困の悲劇に慣れ、麻痺した。
 「今は世界中で格差が広がってるっていうし、仕方ないよね」という諦めも感じる。
 そんな中、「苦しい」と声を上げれば、たちまち「貧困バッシング」に晒される。
 2016年夏、「子どもの貧困」をテーマとしたテレビ番組に出た女子高生が、部屋にアニメグッズがあったことなどをきっかけに「ほんとの貧困じゃない」などとバッシングされたことを覚えている人も多いだろう。
 自己責任云々の前に、貧困当事者として目立とうものなら、
「お前は本当に貧困なのか」
「お前が正真正銘の清く正しく美しい貧困者だということを今すぐに証明しろ、それができないなら今すぐ黙れ」
「お前ごときが貧しいなどとおこがましい」と怒涛のバッシングが待っている。

 この10年で、貧困は「過去のもの」から「すぐそばにある、誰が落ちてもおかしくない落とし穴」に変わった。
 そんな中、非正規雇用率は4割に迫り、賃金は上がらず、貯蓄ゼロ世帯が増え続け、多くは他者に同情している余裕などないのかもしれない。
 中間層がどんどん地盤沈下していくということは、善良な人々の声も奪われていくということだ。

 この日、ディスカッションに登壇した人々の多くは、10年前と比較して、貧困をめぐる状況はまったく変わっていないどころか、むしろ悪くなっていると語った。

 そんな話をしながら思い出したのは、反貧困ネットワークが結成された時のことだ。

 ホームレス支援団体や労働組合や弁護士、シングルマザー支援団体などが「貧困」というプラットフォームで出会い、ともに解決していこうとこのネットワークが結成されたのは、派遣村の前年、2007年。
 32歳だった私は、副代表に就任した(現在は副代表という立場はなく、世話人)。
 ネットワーク結成に向けていろいろ準備で動いている頃から、私は衝撃の連続だった。

「家がない」
「お金がない」
「働けない」
「働いたのに賃金未払い」
などなど、本当に満身創痍の状態の当事者を、反貧困ネットの活動家、支援者たちが次々と鮮やかに救っていったからだ。
 これほど「貧困で困っている人」がいることにも驚いたけれど、それよりも驚いたのは、世の中に、見知らぬ誰かを当たり前に「助ける」人たちがいるということだ。
 しかもみんな法律を知り尽くしていてすごいノウハウを持っていて、とにかくどんなに大変な状況の人でも鮮やかに助けてしまうのだ。
 そしてそれをひけらかすこともなく、ただ淡々と、本当に「普通のこと」としてやっている。
 そんな人びとの姿を見て、泣きたいくらいに感動した。
 この人たち、人間の姿をしてるけど、もしかして地上に舞い降りた天使?
  一見「普通の成人男性、成人女性」風に見えるけど、もしかして妖精とかそっち系?

 同時に、19歳でフリーターとして働き始め、25歳で物書きとなってから、初めて「一息つけた」気がした。
 それまで、
・ 絶対に病気になっちゃいけないし、
・ 絶対に家賃滞納しちゃいけいし、
・ とにかく絶対仕事切らしちゃいけないし、
・ 「つらい」なんて思ったらアウトだし、
・ 誰も助けてくれないんだから歯を食いしばって耐えて、嫌なことも飲み込んで仕事にしがみつき続け、稼ぎ続けなきゃ死ぬ
と思ってた。
 ちょっとでも弱みを見せたら、たちまち奈落の底に突き落とされると思ってた。
 常に体調もメンタルも万全なふりをしてないと、自分なんか一瞬で「干される」と思ってた。
 だから絶対締め切りに遅れなかったし、ひどいことを言われたりされたりしても泣き寝入りしたし、原稿料があまりに安くても、あまりに無茶な要求をされても何も言わずにいた。

 だけど、そんなに気張らなくてもいいのかもしれない。
 もしかしたら、もしかして、ちょっと休みたいと思ったり、サボッたりしてもいいのかもしれない。
 自分をいじめるような働き方をしなくても、少しくらいだったら自分を大切にしてもいいのかもしれない。
 だって、最悪、一文無しになってもホームレス状態になっても、こんなふうに当たり前に人を助ける人たちがいるんだから。

 ……それは私にとって、本当に大きな大きな発見だった。
 それまで、人間は所詮自分のことしか考えてなくて、他人が死のうと苦しもうとそれよりも自分の欲望の方が大切なんだと思ってた。
 実際、そんな人の方が多かった。
 でも、私は30代で生まれて初めて「困っている赤の他人に当たり前に手を差し伸べる」人に出会ったのだ。
 それも、一気に、大量に。

 この人たちの近くにいれば、お金がなくても死ぬことがなさそうだ。

 私が反貧困運動に深入りした一番の理由はそれである。
 身も蓋もないけれど、一番の動機は「自分のため」だ。
 当時の私は物書きになって5年以上経っていたけれど、いつまたバイト生活に戻るのか、日々怯えていた。
 そしてその不安は今も、根本的には変わっていない。
 完全歩合制の物書き稼業は注文がなくなれば終わりだからだ。

 そうして反貧困ネットワークを通して「死なない方法」をたくさん知っている人たちと出会えた私は、それをみんなに伝えたくなった。
 もうどうにもならないと思っても、自殺しないで済む方法なんか、いくらでもある。
 法律や国の制度を知っていれば、支援団体を知っていれば、解決策なんてたくさんある。
 最低限、「このことを知っていたら生きられる」という情報がある。
 だから死ぬことなんてない――。

 思えばこの10年以上、それだけを伝えたくて書き続けてきたのかもしれない。
 反貧困運動に出会うまで、私は少なくない周りの人を、自殺という形で亡くしている。

 さて、なかなか進展のなかった10年間だったけれど、集会の前日の2月15日、嬉しいニュースが飛び込んできた。

 それは大阪高裁の判決。
 大学の研究室で、非正規の秘書として働いていた女性が、仕事内容がまったく同じ正規との賃金格差が不当と訴えた裁判で、ボーナスの支給を認める判決が出たのだ。
 裁判長は、「この大学のボーナスは就労していることに支払われる対価で、非正規の職員にまったく支給しない理由を見出すことは困難だ」として、2年分のボーナス100万円あまりを支払うよう命じたという。

「なんて嬉しい判決!」
「とうとうやったね!」
「画期的!!」
集会では、そんな喜びの声が飛び交っていた。

 なかなか変わらないことばかりだけど、時々、こうやって「立ち上がった当事者」が風穴を開ける。
 声を上げることで、現実が変わる。
 こういう奇跡みたいなことがあるから、そういう人たちと共にありたいから、活動をしているのだと思う。
 もちろん、一番は「自分のため」だ。

HuffPost、2019年02月21日 10時04分 JST
10年前の年越し派遣村の記録を見て思う。

派遣村にやって来たのは、職も住む場所も所持金も失った人たちだ。何日も食べずに、命の危機にある人もいた。着いた途端、倒れ込んでしまう人もいた。飛び降り自殺しようとしているところを警察に保護され、派遣村に連れてこられた人もいた。

(2019年2月20日 雨宮処凛がゆく!より転載)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/hakenmura0221_jp_5c6df09ee4b0f40774cbdf63

「年越し派遣村」開村式
https://www.youtube.com/watch?v=mG_InRyy4NY

困った人はきてください・日比谷公園に「年越し派遣村」
https://www.youtube.com/watch?v=jsjfUUh4aDY

派遣村は何を残したか(1)
https://www.youtube.com/watch?v=nC8T0CybPp4

派遣村は何を残したか(2)
https://www.youtube.com/watch?v=cQNKMZucYNQ

派遣村は何を残したか(3)
https://www.youtube.com/watch?v=s_whLLkAw9o

派遣村は何を残したか(4)
https://www.youtube.com/watch?v=ObG9hjfguMA

派遣村は何を残したか(5)
https://www.youtube.com/watch?v=z2QQDiNIBUk

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藤原辰史 京大准教授

 巻末プロフィールには、専門は農業史とある。
 されど前作『トラクターの世界史』で異色の技術史を描いてみせた藤原さんのこれまでの著作は、農業史のひとことでは片付けられない広がりを持っている。

「よく『ご専門は?』と尋ねられるのですが、自分でもなにが専門なのか見当がついていなくて、面倒なので、農業史ですとお答えするようにしています(笑)。ただ真面目な話をしますと、農業史の射程は、かなり広いものなんです。食にかかわる生命全般が対象になり得るわけですから」

 本書で「給食」をテーマに選んだのはなぜなのか。

「家族制度って疲弊しているな、と感じたことが理由のひとつです。食でいえば、かつては家族が1つの食卓を囲むことが当然視されてきました。でも現代では、それこそ『孤食』なんて言葉があるように、一家団欒で食べること以外の可能性が模索されているように思います。そういえば、99パーセントの日本人には、給食の経験があるじゃないか、これは研究するに値するな、と直感がありました」

 給食に関する研究は主に家政学や栄養学で蓄積されてきた。
 先行研究を整理するうちに頭を抱えることもあったが、ある資料の発見が本書を完成へと誘う。

給食は貧しい学童を救う任務から降りたことはない

「国会図書館でGHQ関連の資料を漁っていたとき、治安維持の手段として給食について言及している文書を見つけました。GHQは軍事や政治と同じレベルで、占領政策の重要な一環として食に目をつけていたんです。さながら、軍と胃袋の2つをガッチリ掴まれたのが、戦後の日本だったわけです。アメリカは恐ろしいと思いながら(笑)、これはいけそうだ、と思いました」

 本書では給食という現象を、
(1)貧困
(2)災害
(3)運動
(4)教育
(5)世界
という5つの視点から描き出す。

「給食はあくまで政策です。言い換えれば、それは強制ということ。この性質は、貧困から給食を見たときに如実に現れます。歴史的にわかっている給食の最初の主な目的は、貧困ゆえ就学できなかった子供たちに、学校へ通えば食事にありつけるぞ、と足を運ばせることでした。国民皆学を目指したお上の巧みな政策です。その上で、給食史において特徴的なのは、世界各国どの時代でも、貧困家庭の子供に対し、その子が貧しいというスティグマを与えないように常に配慮がされていたことです」

 藤原さんは本書で繰り返し言う。
〈給食は、一度だって貧しい学童を救う任務から降りたことはない〉。

「政策といいつつ、給食が中央政府の一元的な管理下にあるわけではないところも面白いんです。実際の運営は地方自治体に任されているので、良きにつけ悪しきにつけ給食のバリエーションは様々です。自治体のどこかで一括調理して各学校に配るセンター方式の是非、食器の材質を巡る議論…… いずれも小さな地方の単位で、我が子を学校に通わせる親、教員、調理者、栄養士たちの運動を経て地道に改善されてきた歴史があります。給食はときに社会主義的であるとか、経済合理性に欠けると、批判にさらされてきました。それでもなお、いまの日本に給食が存在するのは、やはり貧困がなくなっていないからでしょう。有志の人々の手で貧しい子供へ食事を給する『こども食堂』のような尊い活動もありますが、本当に貧しく、その取り組みすら知らない家庭もある。給食がもつ強制の性質は、こういう家庭の子供にも等しく食事を届けることができるという点で、現代でもなお希望のある制度だと思っています」

藤原 辰史『給食の歴史』 (岩波新書、2018年11月)
藤原 辰史(ふじはら たつし)
1976年、北海道生まれ、島根県出身。京都大学人間・環境学研究科中途退学。京都大学人文科学研究所准教授。農業史専攻。2013年、『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞。『稲の大東亜共栄圏』『戦争と農業』など著書多数。


文春図書館・筆者は語る、2019/02/19
99パーセントの日本人が食べている給食は「貧困」を救うためにあった
「週刊文春」編集部
http://bunshun.jp/articles/-/10753

『トラクターの世界史』を上梓した藤原辰史さん。
19世紀末にアメリカで発明されたトラクターが、人類の歴史をどのように変えたのか描いた意欲作です。
トラクターという着眼点や執筆時の苦労などをうかがいました。

― トラクターへの関心はいつ頃からですか。なぜ、『トラクターの世界史』を描いてみたいとおもったのですか。

藤原: 小学生の頃、山に囲まれた田舎の春のよく晴れた日でした。祖父が田んぼで運転しているトラクターがとても格好よくて近くで見てみたいとおもいました。近寄ろうとすると、「危ない! 近寄るな!」と祖父が怒鳴りました。彼の怒鳴り声が、わたしにとってのトラクターの原体験です。
 普段は無口な祖父でしたが、騒音と振動が激しいトラクターがどれだけ危険な乗り物であるのか、孫を事故に巻き込んだ事例があとをたちませんでしたから、伝えたかったのでしょう。そういえば、機械を扱うときは、いつも怒鳴っていました。
 研究テーマとしてトラクターに関心を抱いたのは大学院生の修士課程の頃です。ナチス時代の農民の暮らしが知りたくていろいろ資料を探していたのですが、行き詰ってしまいました。あるとき、パラパラめくっていた新聞に可愛い「ブルマー」という名前の小型トラクターの広告(わたしをトラクターの道に誘ってくれた感謝を込めて、ブルマーの写真を本書で掲載しました)が載っていて、これも農民の暮らしの一部だと知ってから、真っ暗なトンネルにかすかな光が見えた気がしました。

ゼミも変わっていて、先生も学生たちも、こんな変なテーマを選んだことを非難するどころか、面白がってくれたことにも勇気付けられました。ただ、修士論文はドイツのことだけだったので、本場のアメリカや歩行型トラクターの歴史が長い日本も含めて、トラクターの世界史を描いてみたいという思いはずっとありました。

― 執筆にあたって最も苦労した所はどこですか。

藤原: 一つは「世界史」と名乗ってしまった以上、文字通り「世界史」を書かなければならなかったことです。
 国民史の限界が指摘されて久しいのですが、わたしもその限界のなかで悩んでいて、ふがいない自分を鍛えるためにも、あえて「現代史概説」という講義を京都大学の全学共通科目で開講したくらいです。それでも、20世紀の歴史はドイツ中心で学んできていて、あまりにも世界の「現代史」を知らないことを思い知らされ、途中で後悔しました。
 集まる資料がアメリカと西欧中心になるので、思い切って、ガーナ、東ドイツ、ポーランド、チェコ、中国などの歴史を研究する友人や同僚に問い合わせて、いろいろ聞いたり、教科書を読んだりして、学生に戻った気分で世界史を学びました。スポーツでいえば、体がなまっているのに、走り込みで基礎体力をつけるとことから始めたのが、とても苦しかったです。でも、この本ほど、同僚や友人たちのありがたさを感じた本はありませんでした。

 二つ目は、トラクターの構造についてです。工学的な知識も、トラクターの扱い方の映像や画像、農業機械の専門書だけでなく、実際に運転してみたり、触ってみたり、ヤンマー農機の工場見学をしたりして、勉強しました。これも頭で理解するまでかなり時間がかかりました。

― 特に注目して読んでもらいたい所はどこでしょうか。

藤原: 一つ目は、世界史であるとともに地域史でもあること。岡山の歩行型トラクターの開発がなければ、「トラクターの世界史」は成り立ちません。島根のその開発も、GHQとの関係が重要です。また、どちらも伝統的な製鉄方法である「たたら」とからんでいることも今回の大きな発見でした。
 二つ目は、「トラクターの文学史」にもなっていることです。大学院のとき、文学史を専門とする指導教員からたくさんの面白い小説を紹介してもらい、むさぼるように読みました。そのため、ほかの歴史研究者よりも文学を用いる頻度が高いのですが、この『トラクターの世界史』はこれまででも最も文学を用いたい欲望を解放したものになっています。
 文学は、歴史を知るうえでも、書くうえでも、たいへん有意義です。とりわけ、スタインベックの『怒りのぶどう』の強烈なトラクター描写は修士論文のときに出会ったので、思い入れが深い箇所です。

― 『トラクターの世界史』を通して伝えたかったことは何ですか。

藤原: なによりも、トラクターという機械の魅力です。
 家畜からトラクターになるときの農民の反応についてもかなり言及しました。若者は恋するように魅せられていました。また、こんなパワーがあるのにゆっくり動く。それは自然と闘っていることの証拠だと思います。さらに、同じ内燃機関でも、自動車以上に世界各地でデザインが異なります。世界にはトラクターファンがたくさんいますが、それはトラクターのデザインが多様だからです。
 なぜ、こんなに大事な機械が見過ごされてきたのか、わたしはいまだに不思議なのですが、おそらく、農業全般に関心がなくなっているからだと思います。でも、トラクターがなければ、第一次世界大戦も、世界恐慌も、ダストボウルも、スターリニズムも、日本の戦後も、違った様相になっていたことでしょう。
 それとともに、この機械の魔力です。
 事故の多さと健康への影響についてもページを割きましたし、戦車ファンの業界では常識すぎてだれも話題にしない戦車への転用も、あらためて向き合いました。
 以上の問題は、トラクターだけの問題ではありません。自動車や携帯電話、身の回りのあらゆる機械に共通するものであり、この本を通じて、ぜひ、まわりの機械との付き合い方を考えるきっかけになってくれればと願っています。化学肥料と農薬のデュアルユースについては、十月に上梓した『戦争と農業』(集英社インターナショナル)で詳しく触れましたので、あわせて読んでいただければ、ありがたいです。

― ご専門は農業史ですが、なぜこの分野に関心を持ったのですか。

藤原: 減反や食料自給率の低下のニュースを聞いて、なぜ、日本の農業はこんなに軽視されているのだろうと疑問に思ったことがきっかけです。
 そういう思いから、大学の国際関係論のゼミで、一度、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)とコメ自由化の発表をしたことがありましたが、そのとき、いつも鋭い発言をして、仰ぎ見ていた院生から「なんでそんな古い、終わったテーマをやるんだ」と言われたのがショックでした。京都大学の院生が食料問題の構造にほとんど関心がないことに驚いたわけです。
 ところが、大学三年生のときに、ナチスの概説書を読んでいたら、ナチスが自給自足を目指していたことを知って、そのことを家族に伝えたら「食料自給自足と公約に掲げたら、ナチスに投票する」と言ってまた別の意味で驚きました。
 このことを指導教員に伝えたら、研究テーマとして面白いじゃないか、と言ってくれた。こんなテーマでも大学で研究できるんだ、と勇気づけられました。ここから、この研究をしようと思いました。

― 今までの著作『ナチス・ドイツの有機農業』や『ナチスのキッチン』、また今回のご本でもナチス・ドイツにおけるトラクターの受容についても大きくページを割いています。ナチス・ドイツへの関心は、どういったことからでしょうか。

藤原: 戦争はなぜ起こるのか、戦争はなぜ終わらないのか、という疑問を小学校の頃から抱いていました。家族の旅行で広島の平和資料館に訪れたときに見たあの人形や、ケロイドの写真を見たときのショックが、いまなお続いています。大学の講義でナチスのことを学んだのもそういう問題意識からでした。
 大学で学んでみると、ナチスが試みた政策は、一方で、弱者を「生きるに値しない生命」として殺したり、ユダヤ人やシンティ・ロマたちを大量に殺したり、他方で、食料自給自足政策や貧困対策などいまの日本に必要なものがあり、いったいナチスとはなんだったのか、考え込んでしまいました。この地点から、ナチス・ドイツへの関心は現在まで続いています。

― 今後の関心やテーマについてお聞かせ下さい。

藤原: 今後も、食と農の歴史および思想研究を、大学の枠にとどまらず、芸術家、農家、陶芸家、運動家、詩人、図書館の司書、専業または兼業主婦、不登校児のための場所作りをしている人々、子どものための美術学校をしている方々、戦争について考える集会を開いている住職、映像作家、写真家、保育園や中高の先生たち、独立系の編集者たち、味わいある本屋さんなど(すべて具体的なお名前が上がるかたばかりです)、これまでお世話になってきた方々とともに続けていきたいと思っています。
 プロジェクトは二つに分かれています。
 一つ目は、食と農を根拠とした思想、「分解」というキーワードを軸に据えた思想を生活者や表現者と一緒に構築するために、食と農を根拠にしようとした過去の学問や思想を検討し、批判することです。たとえば、それは農本主義であったり、農学の哲学であったり、健康食の運動であったり、戦争中に活況を呈したものであることがポイントです。
 二つ目は、ともに食べる場所の研究です。「縁食」という言葉をキーワードに、家族の外での食の形態、たとえば、給食や食堂の歴史について調べています。孤食と共食のあいだに存在する食のかたち。これを歴史的に検討するとともに、具体的に探っていくことを目標に据えています。

― 読者にメッセージがあれば是非に!

藤原: 農業技術がどのようなものであるかをぜひ詳しく知ってください。読者のみなさんの生命活動と密接に関係しています。もっといえば、みなさんの生命を左右するものです。にもかかわらず、これまであまりにも無視されてきました。本書がひとつのきっかけとなって、食と農の新しい技術のかたちが議論されていくことを心から祈っています。


Web 中公新書、2017.11.22
『トラクターの世界史』/藤原辰史インタビュー
http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/103009.html

◆ 戦争させぬよう暮らし方変えて

戦争は、防衛を名目に始まる
戦争は、兵器産業に富をもたらす
戦争は、すぐに制御が効かなくなる
生命は、誰かの持ち駒ではない
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい

(抜粋)

安保法案への反対の声が高まった2年前、京都大の研究者らが発した声明に、ネット上で共感が広がった。
その声明づくりで中心となった京大准教授の藤原辰史さん(41)の専門は農業技術史。
トラクターや化学肥料が戦争に転用されるなど、私たちの暮らしと戦争が根深く絡み合うことを解き明かし、戦争をさせない暮らし方を模索する。

− なぜ農業、特にトラクターに着目するのですか。

 私は農家出身で、原初体験は祖父の怒鳴り声だった。トラクターは小学生の目にはかっこいい。乗りたいと近づくと「あぶない」と。危険なものだとたたき込まれた。大学院に入り、ナチス時代の農民生活を知ろうと当時の新聞を調べると、トラクターの広告がいっぱい出てきて、その研究に夢中になった。

− 農業技術はどのように戦争へ転用されたのか。

 農業用トラクターは1892年に誕生した。第一次世界大戦で隠れて撃ち合う塹壕(ざんごう)戦が始まると、戦争が膠着(こうちゃく)した。そのとき、トラクターを戦場で使うアイデアが出て、その研究が戦車の開発につながった。戦車はトラクターなしでは誕生しなかった。第二次世界大戦では、トラクター工場で戦車がたくさん造られた。
 また、化学の力で空気中の窒素から窒素肥料が作れるようになった。その窒素を肥料に変えていく技術は火薬作りにも使えた。大量に肥料を作る過程が、大量の火薬を作ることと重なり、大量の火薬を使う大型爆弾や機関銃が生まれた。
 戦争で使う毒ガスは、逆に農業に転用された。毒ガスは、第一次世界大戦で塹壕から敵をあぶり出し、戦意を喪失させるために作られた。呼吸を止め、皮膚をやけどのようにただれさせ、血液に作用して体に酸素を取り込めなくする。第一次世界大戦で米国が血液に作用する青酸ガスを大量に作ったが、終戦後に余った。それが南部の綿花畑を荒らす害虫の駆除に転用された。人間を生かすための農業技術が、人間を殺す戦争と密接に結びついている。

− 農業技術や兵器は、人間を変えましたか。

 昔と今の戦争は根本的に違う。昔は人を狙って撃ち、命を奪う強い感覚が人を縛り続けた。ところが、第一次世界大戦で活躍した機関銃は、特定の人を狙うことなく人々をなぎ倒した。今はモニターを見てボタンを押すと、敵を画像の中で爆破でき、非常に軽率に人を殺せる。自然や敵を抽象化し、早く大量に手を加えていくという行為の根っこは、戦争も農業も同じ。人間は技術を使って自然を改変し生きていると思っているが、実は技術によって人間は使われている。
 戦争がなければこういう転用は起こらなかった。戦争に勝つため巨費がかけられている技術なので民間転用しやすい。私たちの便利でスマートな生活を支えているのは戦争であることは間違いない。一方で、戦争で発展した技術で生きて本当に心地よいのかという問いも立てねばならない。

− 今の民主主義、資本主義がフェアで幸せを生み出しているか疑問だが、ほかの制度があるかというと難しい。安倍政権を批判する先にどんな世界を描くか。

 自分たちの生活は肉体レベルから資本主義に縛り付けられている。
 まず自分の感覚的な違和感を発見することが必要だと思う。
 そのうえで個々人が生きやすいように仕掛けを作り直していくことが必要だ。
 その仕掛け作りこそ政治だ。

 私が日本政治にメッセージを発しようとしたのは、考え抜いた結果というより、生理的に受け付けなかったから。
 ナチスには「指導者原理」という考えがある。
 指導者には一も二もなく従えと言って議論を否定することで、できるだけ早くものを動かそうとするシステムだ。
 ナチス研究者がそれを知っていて、現代政治の稚拙な決定の仕方に何も感じないのはあり得ない。

 民主主義は機能不全に陥っている。
 金利がずっとゼロなのは、人間がお金に価値を見いださなくなっているから。
 常に右肩上がりを求める資本主義のマーケットは、欲望がないと死に絶える。
 いま資本主義の延命措置のために、私たちは「もっと欲望せよ」とカンフル剤を打たれ続けている。
 本来は売ってはいけないものもたくさん売られている。
 人間も売られ、内臓まで切り売りされている。
 そして、武器。武器を売ってもうけたい、それで株価を上げ経済を活性化したいと考える人が、世界の政治の中枢に居座っている。
 今の政治は欲望が消えた世界で、欲望をもう一回作ろうとしている人たちの悪あがきだ。
 資本主義を守ろうという悪あがきが私たちを苦しめている。
 あがいているのは富を持っている人たち。
 富は増えていくという幻想がまだ彼らにはある。
 彼らはルールさえ変える。
 競争社会は出来レースになっている。
 最初から圧倒的な資本を持っている人がいる「えせ競争社会」がひずみを生んでいる。
 悪あがきする人たちは触れてはいけない部分にもどんどん触れている。
 反発を抑えるため、人々を守るためだと偽って監視し、言論の自由も規制する。

− 未来像はどうなる?

 次々に新しい商品を作って消費する悪循環に私たちは組み込まれている。
 それとは違う、自分たちが好きな人のため仕事ができるようにする仕掛けづくりが必要だ。
 英国在住の保育士でライターのブレイディみかこさんの本に、貧しい保育園で食事を作るスーザン・ボイル似の女性が登場する。
 彼女は精神障害があり、体臭がきついが、料理がすごくうまい。
 みんながもっとほしいというと笑顔になる。
 でもけなすと暴れる。
 おいしいと言われることが自尊心になっている。
 これは譲れないという自尊心が人々に認められる社会が住みやすい。
 過度な競争の中で、生き方も過度に制限されている。
 自尊心があれば画一的な競争から降りていきやすい。
 みんな一緒ならもっと降りやすい。

 これからの時代は雄弁に天下国家を語るより、地域で新しいモデルを作ることが大切だ。
 地域でやっていることをかっこいいと思ってもらえれば、自然に広がっていく。
 私も滋賀で地域の活動に参加している。
 放射能に汚染された地域の子どもたちの保養キャンプをしたり、政治に関する意見交換をしたり、ゆっくり読書会をしたり、どの集まりも活発で楽しい。
 自分たちが楽しんでいないと他には伝わらない。
 同じような動きが各地にある。
 似た考えを持つ人のネットワーク作りが活発化している。

− それが戦争しないこととつながる?

 お金への欲望が弱まる中で、武器を売ることに突破口が見いだされている。
 それは戦争に陥りやすい国だ。
 軍事産業は一方でたくさんの生活物資も作っている。
 カンフル剤によって生かされたくないと考える人たちのネットワークは、そういう製品をできるだけ使わないように助け合って暮らしている。
 巨大な経済の大量生産システムでは生きづらい人たちが結びつくことで、軍事産業の土台をちょっとずつ、しかし持続的に弱らせる戦略を私たちはとっている。

◆  あなたに伝えたい

 今の政治は欲望が消えた世界で、欲望をもう一回作ろうとしている人たちの悪あがきだ。
 資本主義を守ろうという悪あがきが私たちを苦しめている。

◆  インタビューを終えて
 「今のシステムを変えて、誰もが楽しく生きられるほうがいい」と藤原さん。
 私は「楽しく生きるとは」と尋ねた。
 漠然とした質問に戸惑いながらも、
「楽しさは、森さんと私の間に存在して、炎のように燃えさかる。人間と人間、人間と自然の間に起こる即興的なやりとりの活発化が楽しい」と答えてくれた。
 取材中ずっと笑顔で、つたない問いにどう答えるか考えを巡らしてくれた。大学の外と触れ合うのが、本当に楽しそう。地に足を着け、柔軟に人々と交わることで思索を深める。自身の思想の通り、短期的な研究成果を求める時流を離れた、豊かな研究生活だと感じた。


中日新聞・あの人に迫る、2017年12月22日
藤原辰史 京大准教授
(森耕一)
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2017122202000227.html
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石牟礼氏と渡辺氏

 作家・石牟礼道子さん(1927年天草市生まれ)が、2018年2月10日未明3時過ぎに亡くなってから1年が経つ。

 『椿の海の記』(朝日新聞社 1977年、河出文庫 2013年)、
 『西南役伝説』(朝日新聞社 1980年、講談社文芸文庫 2018年)、
 『春の城』(藤原書店 2017年)
 『天湖』(毎日新聞社 1997年)など、数多くの作品があるが、なかでも『苦海浄土 わが水俣病』(講談社 1969年、講談社文庫 1972年、新装版 2004年)は、1969年の刊行時から反響を呼び、2011年には池澤夏樹さん責任編集の「世界文学全集(全30巻)」(河出書房 2011年)に日本人作家の長編として唯一収録された。
 当初『海と空のあいだに』と題されたこの小説の原稿を郷土文化雑誌の編集者として受け取ったのが、評論家・思想史家の渡辺京二さん(1930年京都市生まれ)だ。

調子が狂ってしまいました

 その後、半世紀以上続いた、ふたりの関係。それは、単なる「作家」と「編集者」という関係に留まらなかった。

「私は、長年、彼女の仕事の手伝いをしてきました。手伝いとは、要するに、彼女が執筆する環境を整えること。原稿の清書から、机上の片付けや部屋の掃除、通信物も自分で開ける人ではないからその処理まで、とにかく一人でほったらかしておくわけにいかない人でした」

「彼女の原稿は、いつも大量の書き損じが出るんです。スッとはいかない。一度清書しても、またそれをメチャクチャに直すから、また清書し、またメチャクチャにするから、また清書し……。だから、その清書を誰かがやらなければいけない」

 石牟礼さんがパーキンソン病を発病してからの約15年間は、食事をつくるために、ほぼ毎日、彼女のもとに通ったという。
 それだけ石牟礼さんは、渡辺さんの日常から切り離せないものとして存在したのだ。

「石牟礼さんが逝かれてからというもの、調子が狂ってしまいました。生活のリズムがすっかり変わり、体調までおかしくなったのです。彼女の心配をするようになってから約40年。40年ぶりに1日が全部自分のものになって、かえって戸惑ってしまったのです。私はもう88です。この歳なので、彼女の心配をすることが、気持ちの張りになっていたのでしょう。彼女が亡くなってから急に体力が落ち、生活のリズムも変わり、慣れるのが大変でした。今はもう慣れたのか、まだ慣れていないのかよく分かりません」

多くを教わりました

 渡辺さん自身も、代表作『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー 1998年)を始め、多くのファンを持つ評論家・思想史家だ。
 最近では、『バテレンの世紀』(新潮社 2017年)で読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞している。
 渡辺さんが書き手として石牟礼さんから学んだものは大きかったという。

「多くを教わりました。彼女が私から学んだものはない。損得勘定では、私が一方的に儲かっているんです(笑)。実務的な手伝いをやったことの元はきちんと取りました」

「僕は、都会で育った学校秀才タイプ。小市民の生活しか知らない。日本の庶民の精神世界については、柳田国男や折口信夫を読んで自分なりに学びはしたけれども、本当に教えてもらったのは、石牟礼さんからです。『西南役伝説』がそもそもそういう作品。『苦海浄土』も単に水俣病のことを書いたのではない。日本の近代化と取り残された前近代的な民衆の精神世界が作品のモチーフです。『椿の海の記』はとくにそうで、僕はこれを全部清書したわけだから、そこで教わったものは大きかった」

 渡辺さんが、現在の心境と石牟礼さんとの思い出を語った「作家・石牟礼道子に捧げた我が半生」の全文は、「文藝春秋」3月号に掲載されている。


[写真‐1]  石牟礼道子氏

[写真‐2] 渡辺京二氏

[写真‐3] 石牟礼氏と渡辺氏(1970年代前半)

文春オンライン、2019/02/18
88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」
「文藝春秋」編集部
http://bunshun.jp/articles/-/10767

渡辺京二『バテレンの世紀』(新潮社 2017年11月)―― 著者は語る

 本作は、『逝きし世の面影』で知られる渡辺京二氏が、1543年のポルトガル人到来から1639年の「鎖国令」完成に至る約一世紀を描いたもの。
 10年にわたる連載が元で480頁にも及ぶ大著だが、滑らかな叙述で飽きることがない。

「和辻哲郎の『鎖国』は名著ですが、戦後、飛躍的に進んだキリシタン史研究を踏まえた一般向けの通史がない。そこで自分で書いてみようと。『日本近世の起源』の執筆で宣教師の日本観察記の面白さに惹かれたということもありました」

 本作を読むと、歴史はエピソードによってこそ甦ることを実感する。
 そしてキリスト教伝来、天下統一、朝鮮出兵、日本人の海外進出などがすべて「同時代の出来事」だったことが分かる。
 しかもそれは「世界史」の一部でもあった。

「日本に到来したポルトガル人の眼中に日本はなかった。黄金のジパングという伝説に対する関心もない。中国海民と一体となって密貿易や海賊行為をするなかで日本に到達したのです。中国の絹を日本の銀と交換すれば大儲けできる、と」

「インド洋交易圏こそ世界経済の中心で、アジアの側に喜望峰を回る動機はない。絹、綿織物、陶磁器、香料といった花形商品はすべて東から西に流れた。他方、ヨーロッパには、インド洋交易圏と直結すべくイスラム世界の背後に回りたい、という動機があった。しかし売る物がない。そこで新大陸の銀が活用され、同じ理由で日本の銀が重宝されたのです」

 興味深いのは、日本が執拗に生糸を求めていたことだ。
 貿易相手がポルトガルからオランダに替わる際も、唯一の関心は、生糸輸入を継続できるか、だった。

「貧富を問わず、絹という贅沢品を皆がこれだけ欲したのは印象的です。戦乱の世から織豊時代、徳川時代と移るなかで、日本は急速に豊かになったのです」

 だが、西洋との濃密な接触も、キリスト教禁教を目的とする「鎖国」によって幕を閉じる。
 しかし、仮に禁教せずとも、結局、キリスト教信者は一割程度に留まったのではないか、と渡辺氏は言う。

「豊かになるなかで、まるで戦後の復興のように、世俗化が急速に進みました。徳川期は、死も冗談の種にできるほど『この世』の暮らしを謳歌していたのです」

 本書を通読して伝わってくるのは、「当時の日本人は何ら劣等感を感じておらず、西洋人も絶対的な優越感を抱いていたわけではない」という、ファーストコンタクト(バテレンの世紀)とセカンドコンタクト(黒船来航)の根本的違いだ。


文春オンライン、2018/01/25
16、17世紀、日本人は西洋とどう接触していたのか
「文藝春秋」編集部
http://bunshun.jp/articles/-/5820

作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが亡くなった。
代表作『苦海浄土(くがいじょうど)』は、「水俣病」の現実を描いたノンフィクション作品で、水俣病が注目されるきっかけをつくった。
石牟礼さんの死去について、5つの全国紙のうち社説で論じたのは朝日と毎日だけだった。
2紙はなにを訴えたのか――。

公害とは利益追求の落とし子である

 作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが2月10日、パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市東区の介護施設で死去した。
 90歳だった。石牟礼さんは四大公害病の一つ、水俣病の現実を描いた『苦海浄土(くがいじょうど)』で知られる。

 1927(昭和2)年に熊本県で生まれ、水俣実務学校(現・県立水俣高)を卒業、代用教員となった後、主婦となり、短歌の投稿など文学活動を始めた。

 「苦海浄土」は1969年に刊行された。
 水俣病に苦しみ、言葉までも奪われた患者たちの思いをひとつずつ丁寧に拾い上げた作品で、大反響を呼び、水俣病が注目されるきっかけとなった。

 この石牟礼さんの死去を毎日新聞と朝日新聞が社説で取り上げた。

 毎日社説は「公害は、あくなき発達と利益追求文明の落とし子でもある」と指摘し、朝日社説は「権力は真相を覆い隠し、民を翻弄し、都合が悪くなると切り捨てる。そんな構図を、静かな言葉で明らかにした」と説明する。

 その通りだと思う。この2つの社説を読みながら石牟礼さんの生き方と公害についてあらためて考えてみたい。

人間と共同体の破壊を告発

 2月11日付の毎日社説は「心は本当に満ち足りているのだろうか」と書き出し、石牟礼さんが「改めて私たちに問いかけているような気がする」と指摘する。
 そのうえで『苦海浄土』を取り上げてこう解説する。

「鋭く繊細な文学的感性で水俣病の実相をとらえ、公害がもたらす『人間と共同体の破壊』を告発した」

「高度経済成長に浮かれる社会に衝撃を与え、公害行政を進める契機ともなった」

 毎日社説は水俣病に対する国の対応の鈍さも指摘していく。

「56年、熊本県水俣市で原因不明の病続発が保健所に通報され、水俣病は公になる。だが、チッソが海に流す排水の有機水銀による魚介類汚染が疑われても行政の動きは鈍く、ようやく68年に公害病と認定された」

「この間の放置で被害がどれだけ拡大したかわからない。公害を大きな問題にすると経済成長のブレーキになりかねないという政府内の消極姿勢、世論の無関心もあった」

 当時の政府は、弱者をしっかり見ようとしない安倍政権と似ていないだろうか。
 いや、政府というのはいつの時代も強い者を中心に考え、彼らのために便宜を図るものなのである。
 強者の持ってくる利益が莫大だからだ。

どこまでも控えめで、患者とともに生きた

 毎日社説は「害がむしばむのは自然と健康だけではない」と述べ、「差別と対立。家族、集落の絆も断たれ、生活や人生そのものが否定される」と指摘する。

 そして「『苦海浄土』はそれを克明に、患者一人一人と向き合うようにして描き、全国の読者の心を動かした」と解説する。
 最後に毎日社説はこうつづって筆を置いている。

「『苦海浄土』の中で老いた漁師が語る。『魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい』」

「天の恵みの魚を要るだけとって日々暮らすような幸福。今は幻想とも思える、そんな充足感をどこかに失ってしまった現代を、石牟礼さんの作品は見つめ続ける」

 この毎日社説を読むと、私たちの幸せとは何だろう、と考えさせられる。

 石牟礼さんは1968年に「水俣病対策市民会議」を結成するなど患者への支援活動にも深く関わり、どこまでも水俣病と戦った。
 『苦海浄土』は1970年の第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、石牟礼さんはその受賞を辞退した。
 どこまでも控えめで、患者とともに生きることを忘れなかった。

 毎日社説の見出しは「問いつづけた真の豊かさ」だ。

虐げられた人の声を聞き、記録する

 朝日社説(2月12日付)は「『近代』を問い続けて」と少々分かりにくい見出しを付けている。
 そう考えて書き出しを読むと、こうある。

「水俣病患者の声をすくいあげてきた作家が告発したのは、公害や環境の破壊にとどまらない。私たちの社会に深く横たわる『近代』の価値そのものだった」

 朝日社説によれば、石牟礼さんは「公害や環境破壊」だけではなく、「近代の価値そのもの」を社会に訴えた、というのだ。
 どこか奥が深そうである。

「恵みの海とともにあった人々の質素だが穏やかな暮らしが、いかに奪われたか。成長を最優先し欲望をかきたてる政治、科学への信頼、繁栄に酔い、矛盾に目を向けぬ人々。それらが、何を破壊してしまったのか」

 石牟礼さんは「虐げられた人の声を聞き、記録することが、己の役割と考えた」のだ。

 朝日社説も毎日社説と同じように「豊かさとは何か」「何が本当の幸福なのか」をただしている。

「希望」と「思いやり」の文学作品だ

 朝日社説はこうも書く。

「現場に身をおくと同時に、石牟礼さんが大切にしたのは歴史的な視点だ。公害の原点ともいうべき足尾鉱毒事件を調べ、問題の根を探った」

 そして「こうした射程の長い複眼的なまなざしが、さまざまな立場や意見が交錯し、一筋縄ではいかない水俣病問題の全体像を浮かびあがらせ、人間を直視する豊かな作品世界を作り上げた」と指摘する。

 なるほど、いまさらながら石牟礼さんのスケールの大きさが分かった。

 さらに朝日社説は「『水俣』後、公害対策は進み、企業も環境保全をうたう。
 だが、効率に走る近代の枠組みは根本において変わっていない」と指摘し、「福島の原発事故はその現実を映し出した。石牟礼さんは当時、事故の重大性にふれ、『実験にさらされている、いま日本人は』と語った」と書く。

 石牟礼さんの「実験にさらされている」という言葉にどこか恐ろしさを感じる。

 終盤で朝日社説は「石牟礼文学には西南戦争や島原の乱に材をとった魅力的な作品も多い。通底するのは民衆への深い共感と敬意である」と作品の文学性の強さを褒めたたえたうえで、こう主張する。

「どん底状態に身をおいても、人は希望をもち、隣人を思いやることができる――。石牟礼さんの確信は、今の時代を生きる私たちにとって、一つの道しるべといえるのではないか」

 「希望」「思いやり」……。
 2つとも朝日新聞が好きそうな言葉ではあるが、石牟礼さんの生き方を書くなかで使われることには違和感はまったくない。

読売、産経、日経は社説では取り上げていない

 チッソ水俣工場からメチル水銀が含まれた排水が、水俣湾に垂れ流される。
 メチル水銀が魚や貝、海藻にたまり、それを食べた漁民たちが、手足の感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴に苦しみもだえながら何人もの人々が死んでいった。
 これが水俣病だ。

 毎日社説の抜粋で前述したように国はなかなかその責任を認めようとはしなかった。

 被害者に不利な補償、国家賠償を求めた訴訟、厳格過ぎる認定基準、そして政治決着、行政に責任を認める最高裁の判決と“解決”までには半世紀もの時間がかかった。

 公害や薬害などの健康被害に対し、行政と企業の対応は遅れ、不作為になる。
 行政は被害をできるだけ小さく見積もり、「大したことではない」と保身に走るからだ。

 水俣病のような健康被害を二度と繰り返してはならない。
 そのためにも節目節目で問題を改めて考えることが大切だ。

 石牟礼さんの死去について、2月16日現在、5つある全国紙のうち、読売、産経、日経は社説では取り上げていない。
 もちろんテーマ選びは自由だが、朝日と毎日が取り上げて、残り3紙が取り上げないというのは偏りを感じる。
 全紙が一斉に取り上げるべきテーマではないだろうか。
 残念に思う。


ダイヤモンドオンライン、2018.2.19
社説では朝毎だけが触れた石牟礼道子の死
「公害」に向き合った孤高の作家

沙鴎 一歩、ジャーナリスト
https://president.jp/articles/-/24457

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2019年02月20日

土井大助「小林多喜二よ、よみがえれ」

 今日2月20日は多喜二の命日です。

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記もあわせて読んでくださると、とてもうれしいです、と。

2017年10月16日「Norma Field, champion of Japan’s leftist literature」「ノーマ・フィールド」
2017年10月20日「小林多喜二の母」
2017年10月21日「亀戸事件」「JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)」
2017年10月22日「讃美歌404番『山路越えて』」「三浦綾子」
2017年11月16日「亀戸事件犠牲者之碑」
2018年10月25日「相沢良没後82周年」

 土井大助氏が、『小林多喜二よ、よみがえれ』という詩を残されています。

 今の安倍政権の暴走によって繰り返されようとしている今、この詩も痛いほどに胸にささりませんか?

(全文掲載します)

小林多喜二よ、よみがえれ
没後70周年

死者はいつまでも若いー
ならば、多喜二よ、
70年をひとっとびに 今の日本によみがえれ。
青春のあつい息吹を 精一杯
いまの日本に吹きかけてくれ。
誰よりもおふくろさんを愛したきみは
その愛を 世のすべての母たちの運命につなげた。
人一倍 兄弟思い、隣人思いのきみは
人間が幸福に生きる権利を 時代に求めた。
なればこそ 新しい世の中をめざし
何代がかりの運動に 全青春を投じたのだ。

なによりも ウソを憎んだきみは
国家のウソの皮を
ひっぱがさずにいられなかった。
鍛えたペンで、一日28時間の労働で。

急所をつかれた国家は
痛さに逆上してきみを殺した。
国家は 戦争がしたくて やっきだった。
戦争な 抵抗者を投獄するたびに ひどくなった。
そうして ついに310万の国民を殺し、
近隣諸国を侵して 2000万人を死なせた。

多喜二よ、21世紀幕開きのいま
暮らしの底を吹く風は
70年前と どこがちがう。
風の中身は温かく 少しは人間にやさしいか。
母親の顔に 憂いのシワは かきけされたか
戦争の影は もう立ち消えたか。

たしかに巷は きらびやかにふくれ、
国中 車であふれかえってはいるが、
きみの時代にひきくらべて
変わるべき 肝心の 何が変わったといえるだろう。

総理大臣の口から ウソは減ったか。
年寄りの顔に 笑いはふえたか。
世のしくみは 人間の色を濃くしたか。
民衆の権利は 肩身をひろげたか。
人間のいのちは 値打ちを高めたか。

いまや 日本の田畑も都会もまるごと牛耳るのは内外の一握りのベラボウな『不在地主』たち、
バブルやら公金投入で厚化粧した巨大な『蟹工船』でカローシや倒産や自殺は 多産の一途だ。
挙句に 鼻先には 新手の戦争が色濃く匂いたっているではないか。

多喜二よ、怒りあらたに よみがえれ、
きみの選び取った道が80年を築いたように、
まっとうな若者が誇り高く生きたい以上、
つき破れぬ時代の壁がどこにあろう。

何代がかりの 最後の代は いま産声をあげている。

よみがえって 力をかせ、多喜二よ
あの時代に 身体を張ったきみの力を!
時代の急所に かっきりと歯形を刻み込んだきみの力を!


「未来を平和に」日々徒然 ♪、2015-08-07 23:55:41
小林多喜二よ、よみがえれ 土井大助(詩)
https://blog.goo.ne.jp/sky8731/e/bab4d19d3fab2d720f247593a21ee5ee

 山形県鶴岡市出身の詩人・作詞家・脚本家である「土井大助を語る文化のつどい」が2014年11月16日、鶴岡市勤労者会館で開かれ57人が出席しました。

 故郷・庄内を誇り、小林多喜二を愛した熱血詩人・土井大助(本名・吉澤四郎)さんが2014年7月30日、肺がんのため87歳で急逝され、参加者は故人を偲び思い出を語り合いました。

 つどいでは、始めに黙祷を捧げ、笹山一夫・実行委員長が主催者挨拶、佐藤一彦氏が土井大助の詩3遍を朗読しました。

 三矢英臣氏(東京都・写真)が「土井大助の足跡を語る」と題して話され、
「土井さんの鶴岡中学校時代、私の兄とこそでやの中里昭太郎さんとが3羽ガラスの関係で、その3人の背中を見ながら育ってきたし、尊敬してきた」と切り出し、

「私と堀井さん(土井さんの旧姓)は11歳違うが、最初の印象は戦前の陸軍士官学校時代に私の家に寄って、きちんと敬礼し『堀井四郎ただいま帰りました』と挨拶を述べる。カッコいいなというのが最初の印象だった」

「戦後、黎明舎というサークルをつくり、『芥子(けし)』という題の演劇を公民館で上演していたのが芝居との関わりの始めだった」などと語りました。

 佐藤欣哉弁護士は、
「大坂にいた時代、1974年11月27日に兵庫県但馬で八鹿高校事件が起こり、部落解放同盟による先生方への暴行事件が起きて、警察もマスコミも行政も動かない中、私は弁護士としてこの問題に派遣された。革新候補の町長選に土井さんは東京から応援に駆けつけていた。人民のために闘う気概を土井さんから学んだ」と語りました。

 鶴岡書店の佐藤一雄社長が、
「シェバノといつものように土井さんは帰って行った。しかしもう2度とこのふるさとの地を踏むことは叶わなくなりました」と述べ、土井さんと鶴岡との足跡を話しました。

 第2部では「交流懇親のつどい」が開かれ参加者が各々スピーチをおこないました。

 党鶴岡市議団の4人も参加し、加藤太一議員がギターの伴奏をおこない、土井大助作詞の「青春の歯車」の唄(*)を参加者みんなで歌いました。


新つるおか、2014年11月23日 No.1921
「土井大助を語る文化のつどい」開催

鶴岡出身の熱血詩人を偲び思い出を語り合う

http://koichikato.world.coocan.jp/minpou/minpou2014/minpou2014.11.23/newpage5.html

(*)1968年の労音ミュージカル「青春の歯車」主題歌
作詞:土井大助、作曲:すぎやまこういち

君のひとみに 僕の白い歯うつってる
胸にいっぱい いきる喜び
ぬれたまつげに 小さな星が光ってる
澄んだ青空 若さの吐息

まわる青春 火花散らして
ぶつかる歯車 強い強いぼくらの愛

立ち止まらずに 何があるのか行ってみよう
ぐんと広げよう 大きな夢を 大きな夢を


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完全なデマ !

 タレントのフィフィが17日、立憲民主党・蓮舫参院議員に対して、こんなツイートをしたことが波紋を広げている。

〈私は問いたい、なぜ平成16年の警察の積極的介入を盛り込んだ児童虐待防止法改正に反対した蓮舫議員が、今回の虐待死の件で現政権を責めることが出来るのか、私はその真意を問いたい。あなたは本当に国民の側に向いているのですか?それ以前に同じ親の立場として問いたい、なぜあの時反対したのですか?〉

 蓮舫議員は9日立憲民主党の群馬県連が開いた会合で、千葉県で小学校4年の女児が自宅の浴室で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件に関して、「子供一人の命を守れない国は何なのか。あそこまでメッセージを出していて、どうして守れないのか」「どうしていつも、関係閣僚会議が後手後手になり、警察、児童相談所、自治体は連携を取れないのか」と発言したと、産経新聞が報じている。

 フィフィはこうした蓮舫議員の発言に反応したのか、〈平成16年の警察の積極的介入を盛り込んだ児童虐待防止法改正に反対した蓮舫議員〉として、〈あなたは本当に国民の側に向いているのですか?それ以前に同じ親の立場として問いたい、なぜあの時反対したのですか?〉と批判したわけである。

 ところが、このフィフィのツイートは完全なデマだった。

 そもそも、平成16年(2004年)の児童虐待防止法の改正は、児童虐待の疑いのある家庭への強制立ち入り調査など児童相談所の権限を強化する内容で、同年4月26日に衆院を通過、5月25日の参院本会議にて成立した。この改正案は超党派の議員立法、衆参でともに全会一致での可決であり、当時の民主党も党PTでの議論を経て承認している。しかも、フィフィは「平成16年の児童虐待防止法改正に反対した蓮舫議員」などと言って批判しているが、だいたい、蓮舫氏は2004年7月の参院選で初当選なので、法案成立当時は国会議員ですらないのである。
 もはや、「言いがかり」などのレベルを超えた完全なデマゴギーであり、悪質なフェイクだ

 当然、ネットでは一般のユーザーからフィフィの間違いを指摘する声が相次いだ。また、蓮舫議員自身も18日、自身のTwitterで〈何か誤解が流布されているようです〉として、〈私は議員になってから児童虐待をなくすための活動に力を入れています。2004年夏に初当選し、児童養護施設の視察を重ね、その秋に施行された児童虐待防止法と整合性を取るための児童福祉法改正案について初めての本会議質問を行いました〉と説明している。

 こうしたフェイクへの指摘を受けて、フィフィは18日に前後の投稿を含めて問題のツイートの削除。同日午後には、〈蓮舫さんへの質問ツイートに対し立憲民主党から先程直接電話があり、児童虐待防止法改正法案と彼女が当選した時系列に誤認があるとの返答を頂きました。よって謝罪の念をこめツイートは削除という対応を取らせて頂きました。重ねてお詫び申し上げます〉とし、蓮舫議員にも〈直接お詫びのリプをお送りし〉たと投稿したのだが、その後の連続ツイートでは、一般ユーザーに対して〈何度も謝ってもダメなんですか?〉〈何度も何度も謝ってるのに、追い詰められてしまうなんて苦しいです。怖いです〉など、なぜか被害者ヅラをしている(現在は削除)。
 近年では月刊誌「正論」(産経新聞社)や『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)などにも登場、Twitterでも生活保護受給バッシングや反リベラル的な発言を繰り返し、極右界隈・ネット右翼らからも一目置かれているフィフィだが、そもそも彼女は、ワイドショーや討論番組で社会的なコメントをしている芸能人である。そこらの一般人と比較すれば自らの言論に負う責任は大きく、当然、その社会的影響力を考えれば、デマを流したことを強く批判されても甘んじて受け入れなければならない。それを〈何度謝ってもダメなんですか?〉などと逆ギレしたのだから、その意識の低さに呆れざるを得ないではないか。

明らかなデマをノーチェックで垂れ流した日刊スポーツ、スポーツ報知

 だが、さらに呆れるのは、このフィフィのフェイクを何ら事実の検証をせずに垂れ流したメディアのほうだ。

 たとえば、日刊スポーツやスポーツ報知は、このフィフィのツイートを紹介する記事をネット版で出したのだが、そのなかで、2004年の児童虐待防止法改正案に「蓮舫議員が反対」などしていなかったこと、そもそも蓮舫氏は当時議員ですらなかったことなど、基本的なファクトチェックをまったくせず、そのままフィフィの言い分を垂れ流していた。
 念のため言っておくと、18日夕方までにニッカンは該当記事を削除、「フィフィが蓮舫氏に謝罪 児童虐待問題で事実誤認」という別の記事を配信し、報知は問題の記事の末に〈しかし、児童虐待防止法改正法案は蓮舫議員が初当選した2004年7月11日の参院選の前(04年4月)に可決されており、蓮舫議員は投票できない。一部フォロワーからは事実誤認ではないか?との指摘が出ている〉と短く付け加えている。

 だが、それでもちょっと調べれば誰でもデマだとわかるシロモノを、当初なんの検証もせず拡散したことは事実だ。いったい、このスポーツ紙のチェック体制はどうなっているのかと聞きたくなるではないか(なお、朝日新聞デジタルも日刊スポーツから提供されて記事をそのまま掲載していた)。

 いや、考えてもみれば、こうしたメディアによるデマ拡散は氷山の一角であり、問題は前述したスポーツ紙だけの話ではない。

 たとえば、静岡新聞は今月6日付朝刊の政治評論家・屋山太郎氏によるコラム「論壇」(「ギクシャクし続ける日韓関係」)のなかで、元徴用工による損害賠償について〈この訴訟を日本で取り上げさせたのは福島瑞穂議員〉とした上で、〈福島氏は実妹が北朝鮮に生存している。政争の具に使うのは反則だ〉と記していた。もちろん、「福島瑞穂議員の実妹は北朝鮮に生存している」なる話は荒唐無稽なデマである。
 静岡新聞は9日付で〈「徴用工に賠償金を払えということになっているが、この訴訟を日本で取り上げさせたのは福島瑞穂議員」「福島氏は実妹が北朝鮮に生存している」とあるのは、いずれも事実ではありませんでした。おわびして訂正します〉と謝罪・訂正した。外部の執筆者とはいえ、こんなデマをそのまま掲載してしまったこと自体が新聞社として信じがたいミスだ。

デマの背景に安倍政権への忖度と“物を言う女性”を標的にした女性蔑視

 なぜ、こんな杜撰なことになっているのか。マスコミがフィフィや屋山太郎氏のデマをそのまま垂れ流してしまった背景のほうを、よく考えなくてはならない。

 ひとつの共通点は、フィフィにしても屋山氏にしても、親政権的な発言が目立つ保守界隈の言論人だということだ。
 周知の通り現在、テレビや新聞・週刊誌等のマスコミでは安倍政権を擁護・賞賛する文化人やコメンテーターばかりが幅をきかせている。
 ときたま政権批判的な言論が出てくると、たとえばテレビではMCが必死にフォローしたり、別のコメンテーターが政権擁護を加えて“両論併記”的に進行させるのが常だ。

 ところが逆に、安倍応援団らが政権に批判的な野党やリベラルな言論に対してバッシングをしかけても、反対意見や別の角度からの意見が語られることなど滅多にない。
 つまるところ、権力批判の言説には安倍政権を忖度し、過剰なまでに神経を使ってチェックあるいは自重するのに、“政権批判叩き”は何でもありのダダ漏れ状態になっているというわけだ。
 こうした状況を考えると、今回のフィフィのような“野党バッシングのケース”だと、連中にとって、その中身が事実であるかどうかなんて関係ないのだろう。

 また、デマ攻撃の対象にされたのが、リベラル系(とみられている)“女性”という点も偶然ではないだろう。
 たとえば蓮舫議員は(本人は「バリバリの保守」を自称しているが)、周知の通り、立憲民主の辻元清美議員と並んでネトウヨや安倍応援団からバッシングのターゲットにされがちな女性政治家だ。実際、屋山氏から「妹が北朝鮮に生存」なるデマを飛ばされた福島瑞穂議員や、東京新聞の望月衣塑子記者、精神科医の香山リカ氏、女優の水原希子、タレントのローラなどがネトウヨ・右派論壇から標的にされている。「物を言う女性」が気に食わないという女性蔑視、ミソジニーが背景にあるのではないか。

 いずれにしても、今回のフィフィによるデマ発言を、単なるミスとして片付けるわけにはいかないだろう。
 政権から睨まれる恐れのない“政権批判叩き”“リベラル叩き”言論ならば、どれだけとんでもなデマであっても、マスコミはろくすっぽチェックせず垂れ流す。
 その現実の歪さをあらためて認識する必要がある。


リテラ、2019.02.19 01:47
フィフィの蓮舫デマに丸乗りした新聞の責任! 福島瑞穂、辻元清美にも…

“物言う女性”へのデマ攻撃を生む安倍忖度と女性蔑視

https://lite-ra.com/2019/02/post-4555.html

 アベの指示なのか、アベへの忖度なのか、イマの支配層は独裁体制、独裁国家をねらって動いてるようで、ヤッホーくん、気持ち悪いって言ってます。
 NHKまで・・・

「安倍一強」と言われる政治状況は、権力とメディアの関係性もがらりと変えた。
露骨な圧力など加えずとも、メディアの側が権力にすり寄る構図が鮮明になっている。
NHKの「組織大改編」をめぐる騒動は、その一面を露わにした。

◆ 部の全員が声を上げた

 ここに「要望書」と題した一通の書面がある。差出人は、NHKの文化・福祉番組部職員一同。宛先は同局の制作局局長だ。要望書にはこうある。

〈今回の組織改正案について、文化・福祉番組部では1月31日・2月4日に、〇〇(注・原文では本名)部長より説明会が開かれました。(中略)福祉と文化が切り離されることについて驚きと強い懸念を抱いています〉

〈現在部員の全員(管理職を含む)が、現状の説明では納得がいっていないと考えています〉

〈NHKの番組全体の多様性が失われることを懸念する〉

 要望書の中で、局長に対し、〈意見交換の場を求める〉とした部員は72名。海外留学中の部員を除く全員である。NHK局員が語る。

「現在、NHKでは番組制作体制の大幅な見直しを進めています。すでに上層部は組織改編案を作成しており、今年6月から新体制をスタートする方針です」

 NHK(EテレやBSを含む)の自局番組制作は、政治部や社会部、経済部などニュース系番組を担当する「報道局」と、ドラマやバラエティ、情報番組を担当する「制作局」の2局によって行なわれている。今回、“改革の本丸”となったのが後者の制作局だった。

 改編案には、制作局の8部署(青少年・教育番組部、文化・福祉番組部、経済・社会情報番組部、生活・食料番組部、科学・環境番組部、ドラマ番組部、エンターテインメント番組部、音楽・伝統芸能番組部)を全て廃止し、新たに6つの「制作ユニット」に再編するとの計画が示されている(図参照)。

「『従来の組織は縦割りで、専門性は身につくものの、幅広い制作スキルが育たず、局員の柔軟な運用もできない』という説明です。各ユニットには部長に相当するジャンル長がいて、人事発令がなくても、それぞれのジャンル長の判断でユニットをまたいだ異動ができるようになる」(NHK制作局の局員)

 縦割り体制の見直しを目的とした組織改編という理由はもっともに聞こえるが、今回の改編には、それとは“別の意図”が見え隠れするという。

「改編と言っても、旧来のほとんどの部署は横滑りで新ユニットに移行する。例えば、『青少年・教育番組部』は第1ユニットの『教育・次世代』に、『エンターテインメント番組部』と『音楽・伝統芸能番組部』は第5ユニットの『音楽・芸能』に改編されるので、業務内容はこれまでと大きく変わらない。

 しかし、『文化・福祉番組部』だけは複数ユニットに分割されることが提案されており、事実上の“解体”です。それについては明確な説明がなく、文化福祉の職員から不満の声が上がり、反論の意見書を出すことになった。70名以上の部員全員が声を上げるのは異例のこと。この改編は文化福祉の解体を狙い撃ちにしたものだったのではないか、との疑いが部員たちの中にあるのです」(文化・福祉番組部に在籍経験のある局員)

 リストラ部署の恨み節にも聞こえるが、文化・福祉番組部の置かれた状況を知ると、背景には複雑な構図が浮かび上がる。

◆ 加速する「安倍シフト」

 文化・福祉番組部の主な制作番組には様々な社会問題を取り上げるドキュメンタリー番組『ETV特集』や、LGBTや障害者の悩みなどマイノリティに寄り添う『ハートネットTV』などがある。そうしたテーマを扱う中で、時に「反権力」を強く打ち出すことも厭わない──というのが局内での評価だ。

「『ETV特集』では、憲法九条や日本の戦争責任、女性の権利などを重点的に取り上げています。政権のスタンスと真逆の番組も多く、局内有数の“反権力部署”とも呼ばれます」(同前)

 2011年3月の東日本大震災後は、福島第一原発事故による放射能汚染の実態や、反原発報道に力を入れ、同年9月に放送したETV特集『シリーズ原発事故への道程』は2012年の科学ジャーナリスト大賞を受賞した。

 文化・福祉番組部が“反権力”の姿勢を見せる一方で、2012年12月に第二次安倍政権が誕生すると、局としてのNHKは「政権寄り」に傾斜していった。

 安倍首相の就任1年目となる2013年10月には、小学校時代の安倍首相の家庭教師を務めたJT顧問の本田勝彦氏をはじめ、小説家の百田尚樹氏、海陽中等教育学校長の中島尚正氏ら“安倍シンパ”がNHKの経営委員に次々と就任。翌年1月には、籾井勝人氏がNHK会長に就き、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」発言が物議を醸した。

「第二次安倍政権の誕生以降、NHKでは政権に近い政治部出身者の声が大きくなり、2017年4月に政治部長経験者の小池英夫氏が報道局長に就任して『安倍シフト』に拍車がかかった。昨年4月には“安倍番”を長く務めた政治部の岩田明子記者がNHK会長賞を受賞するなど、官邸との距離の近さが際立つようになっている」(NHK社会部記者)

 昨年の森友問題を巡っても、当時NHK大阪報道部記者だった相澤冬樹氏が、政権を揺るがす特ダネに上層部から様々な圧力が加えられた経緯を『安倍官邸vs.NHK』(文藝春秋)で明かしたばかりだ。相澤氏が語る。

「安倍政権が長期政権となって官邸の力が巨大化したこともあり、局として政権の意向をうかがう姿勢は強まる一方だと感じていました。私のことだけでなく、迎合する姿勢を見せなかった国谷裕子キャスターや大越健介キャスターの番組降板も、そうした流れのなかにあったのではないか」

 そうした中で、変わらぬ姿勢を貫く文化・福祉番組部は“浮いた”存在になっていったようだ。

「政権を刺激する番組を作り続ける文化福祉は、局の上層部にとっては煙たく映ったのかもしれない。改編案に文化福祉が憤るのも無理はなく、他部署の人間からも“これはさすがにおかしい”と、文化福祉を援護する声が上がっています。

 正直、文化福祉の作る番組は“地味”なものも多く、数字は取れない。局内にも批判的な人はいます。しかし、公共放送の存在意義は、視聴率には表われない少数派に寄り添う社会的弱者に寄り添う番組を作ることにもあると思う。視聴率至上主義なら『ETV特集』のような番組はなくなってしまう」(前出・制作局局員)

◆ 18年越しの“対立関係”

 今回の改編に政権への配慮があるのかどうかはともかく、安倍首相にかねてから「NHK改革」の強い思いがあったことは知られている。前述した経営委員の“お友達”人事はその姿勢の表われと見られてきたが、こと文化・福祉番組部は、安倍首相にとって長きにわたる“因縁の相手”だった。

 発端は、2001年1月30日に放送されたドキュメンタリー番組『ETV2001 問われる戦時性暴力』だ。

 番組は慰安婦問題を扱う女性国際戦犯法廷を取り上げたが、放送から4年が経った2005年1月、朝日新聞が、「政権介入でNHK『慰安婦』番組改変」と一面で報道。当時自民党幹事長代理だった安倍首相が、故・中川昭一経産相とともに、放送前日にNHK幹部と面会。「一方的な放送ではなく、公正で客観的な番組にするように」と、番組内容の変更を求めたと報じた。

 当時、この番組を制作したのが、他ならぬ文化・福祉番組部だった。

 報道直後に同部のチーフプロデューサーだった長井暁氏が記者会見し、安倍首相と中川氏を名指しして、「政治的圧力で番組の企画意図が大きく損なわれた」と涙ながらに告発。安倍首相は、朝日新聞と長井氏に対して「悪意のあるねつ造だ」と抗議し、謝罪を要求する騒動になった。因縁は続く。

 2009年4月にNHKスペシャルで放送された『シリーズJAPANデビュー アジアの一等国』では、日本の台湾統治を検証したが、台湾先住民の暮らしぶりを日英博覧会で「人間動物園」として紹介した、といった内容に、保守派論客から「事実を歪曲している」と批判が広がった。その急先鋒に立ったのが安倍首相で、月刊誌『WiLL』(2009年8月号)ではこう断じた。

〈NHK職員は公共放送の責任をよく自覚する必要がある。自分の主義や主張、イズムを放送を使って拡大させようとするのは間違っている〉

 この番組にも文化・福祉番組部のディレクターらが関わっていた。

「当時の番組スタッフは今も多くが残っている」(別のNHK局員)

 NHKは、安倍首相との間に残った“最後のしこり”を取り除こうとしているのだろうか。今回の組織改編案についてNHKに質問すると、こう回答した。

「限られた経営資源で最高水準の放送・サービスを継続的に実施していくための最善の業務体制を検討しています。ご指摘のような(政権への配慮の)意図は一切ありません。報道機関として、自主自立、不偏不党の立場を守り、公平・公正を貫く姿勢を引き続き堅持していきます」(広報局)

 かつてNHKでは、田中角栄元首相の側近として知られた島桂次氏、竹下派をバックにした海老沢勝二氏など、歴代会長が時の政権とのパイプによって局内の権力を握ってきた歴史がある。一方、そうした中で政治闘争に巻き込まれ、実力者が失脚する事態も起きた。メディアと権力の関係に詳しい立教大学名誉教授の服部孝章氏が語る。

「かつての番組改変問題にしても、政治家の介入の有無よりむしろ、それに配慮して内容を現場に無断で上層部が変えてしまったことこそが、報道の在り方として問題でした。今回の組織改編は、政権に批判的な番組制作自体に縛りをかける方向に動いているようにも見える。本来、NHKは国民の受信料によって成り立つ国民のためのメディアですが、NHKは政府のための広報メディアに変わろうとしている」

 本誌がNHKに取材を申し入れた2月14日には、上層部から文化・福祉番組部の部員たちに対し、組織改編の説明会が行なわれ、今後も双方の話し合いが続く見込みだという。

 公共放送の在り方が、今まさに問われている。

※ 週刊ポスト2019年3月1日号


BIGLOBE ニュース、2月17日(日)16時0分
NHK組織大改変で“反権力”職員72名が提出した反論意見書
(NEWSポストセブン)
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0217/sgk_190217_9227788685.html 

 そしてまたも出てきた、「安倍首相の虚偽答弁」!
 指摘者は Hiroshi Matsuura です(2019/02/19 17:43)。

「ノーベル平和賞委員会は推薦者の公表を禁じていない」
… 50年間秘密にされるのは調査と選考の過程であり、誰が推薦者ということではない。

 しかし、テレビ中継されている国会審議の最中に国民に向かって平然と噓をつく神経がわからない

 昨年の3月1日付の AFP 通信は、「推薦者は自分が推薦した個人や団体を明らかにできる」と報じており、50年間明らかにできないのは調査や審査の過程である。
http://www.afpbb.com/articles/-/3164608


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今世界中で再び大ブームのQUEEN

 水森かおりにMay J・・・どうしたんですかね、春近し、というので気があせってるんかな・・・
 実は昨夜のテレビ、うたコン「みんなで歌おう!ほっこりソング」で、懐かしい歌手と唄声に出会ってしまったんですね。

 もうひとつ、それはクイーンでした。
 「デーモン閣下初降臨!今世界中で再び大ブームのQUEENメドレーを島津亜矢と熱唱!
http://www4.nhk.or.jp/utacon/x/2019-02-19/21/715/1850327/

 イギリスのロックバンド「クイーン」は2016年7月19日、オハイオ州クリーブランドで行われている共和党全国大会で自分たちの楽曲「We Are The Champions(伝説のチャンピオン)」が、大統領選の候補指名を確実にしている実業家ドナルド・トランプ氏の登場時に使われたことを非難した。

An unauthorised use at the Republican Convention against our wishes - Queen 23:18 - 19 Jul 2016
私たちの考えに反して、共和党全国大会でクイーンの楽曲が使用されてしまいました - クイーン

 トランプ氏は18日夜、共和党全国大会のステージで、1977年にチャート1位となった「伝説のチャンピオン」をスピーカーから大音量で流し、煙の中から登場するという演出をした。

No time for losers ‘cause we are the champions
敗者のための時間はない、僕たちがチャンピオンだからだ

 この歌詞は、自分の気に入らない人やグループを「敗者」と呼ぶ、トランプ氏のキャンペーンのレトリックに相応しくも見える。

 クイーン側からの自分たちの楽曲を使用して欲しくないという主張を受け、共和党全国大会の広報担当長のショーン・スパイサー氏は、この楽曲は大会で使用するにあたり正式な許可を受けたものだとTwitterで反論した。

 トランプ氏は6月7日に大統領予備選の勝利宣言をした時にも「伝説のチャンピオン」を流し、伝説的なロックバンドの怒りを買っている。
 その翌日、クイーンのリードギタリストのブライアン・メイが個人のウェブサイトで、楽曲の使用に関して許可はしていないと投稿した。
 「私たちは間違いなく『伝説のチャンピオン』の使用を許可していない。ドナルド・トランプ氏の不快なキャンペーンとクイーンの関係を断つために、私たちができる方法で対策を行っていく」と、ブライアン・メイは書いている。

 2月には、トランプ氏はオクラホマの大会でアデルの「Rolling In The Deep」を流し、それを受けたアデルのスポークスマンは「アデルは、政治キャンペーンに自分の楽曲を使用することは許可していない」と話している。

 2015年10月には、エアロスミスのボーカル、スティーブン・タイラーが、キャンペーンで自分たちの「Dream On」を使用するのをやめるようにトランプ氏に要求している。
 タイラーの知的財産侵害行為停止の通告書には、「Dream Onが使われることで、スティーブン・タイラーがドナルド・トランプ氏の大統領選挙への出馬に関係し、支持しているような誤った印象を与えてしまう」と、書かれている。

[編注]
ドナルド・トランプ氏は、
・ 世界に16億人いるイスラム教徒をアメリカから締め出すと繰り返し発言してきた、
・ 嘘ばかりつき、
・ 極度に外国人を嫌い、
・ 人種差別主義者、
・ ミソジニスト(女性蔑視の人たち)、
・ バーサ―(オバマ大統領の出生地はアメリカではないと主張する人たち)
として知られる人物である。

[動画]
・ Queen - 'We Are The Champions'
https://www.youtube.com/watch?v=04854XqcfCY

・ Adele - Rolling in the Deep
https://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw

・ Aerosmith - Dream On
https://www.youtube.com/watch?time_continue=8&v=aU44W5W9lqg

HuffPost、2016年07月19日 23時16分 JST
クイーン「We Are the Champions」を「無断使用」し、煙の中から登場したトランプ氏に抗議

「私たちの考えに反して、共和党全国大会でクイーンの楽曲が使用されてしまいました」

By Mercy Yang
(ハフポストUS版より翻訳・加筆しました)
https://www.huffingtonpost.jp/2016/07/19/queen-has-no-time_n_11077768.html

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」(ブライアン・シンガー監督、2018年)の勢いが止まらない。
 日本での興行収入は100億円を超え、2018年公開の洋画、邦画を通じて1位に。
 映画を鑑賞したクイーンファンらの熱い声を紹介する。

 旋風はおさまる気配がない。
 映画「ボヘミアン・ラプソディ」は第91回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞など計5部門でノミネートされた。

 映画の勢いに負けず劣らず、アンケートも熱かった。
 回答数が多かったのは、やはりクイーン全盛期に熱狂した40〜60代の女性たちだ。

 ライブ・エイドをテレビで観ていた熊谷(くまたに)由美子さん(52)は、映画が記憶と違う部分もあり、ラミ・マレックにフレディらしい気品が足りないようにも感じたという。
 しかし、3回も劇場に足を運ぶことになったのは、クイーンの音楽へのこだわりや比類のない存在感がうまく描かれていると感じたからだ。

「ライブ・エイドに向けての盛り上げ方のうまさに、まんまとはめられました」と話す。

 クイーンの初来日時、羽田空港やホテルまで追いかけたほど夢中だったと回答してくれた東京都の女性(50代)には、当時の思い出を聞いてみた。

「羽田空港では、もみくちゃになってメンバーの頭くらいしか見えませんでした。ホテルには何日も通いました。ファンを気の毒に思った誰かがロジャーとブライアンに伝えてくれたようで、ロビーの売店まで下りてきてくれたんです。そばには寄れませんでしたが、優しい2人には感謝してます。大好きだったロジャーのブロンドとブルーアイは一生忘れられません」

「エンドロールで涙のダムが決壊した」「バンドをやっていた頃を思い出した」という男性も。

「時系列を小細工して腹が立つと思うのに、何回も泣ける」と回答した東京都の男性(50代)に、その理由を聞いてみた。
 男性は、「映画は評価していない」と話す。

「ロックバンドにとって時の経過はないがしろにできない。クイーンにも歴史がある。話を分かりやすくするために曲の発表順がめちゃくちゃになっていたので、音楽の神様に対してバチあたりめ、って思ったんです」

 にもかかわらず、泣いてしまったのは、どの曲も細かな思い出と重なったからだ。
 一つは小学生のとき。
 転任する先生のあいさつを不思議に感じたことがあった。
 中学に入ってからクイーンの「手をとりあって」の歌詞について語っていたことに気づき、先生の思いが腑に落ちた記憶がよみがえったという。

 10〜20代の回答も少なくなかった。
 音楽学校の授業でクイーンを教えられて以来、気になっていたという鈴木彩女(あやめ)さん(10代)は、映画を観て「フレディのように美しくてチャーミングで、いつでも超新星みたいに輝ける生き方を目指したいと思うようになった」と話してくれた。

 ブライアンの歌声が好きという杉本彩華(あやか)さん(20代)は、SNSなどを通じて同世代のクイーンファンの友人が増えた。

「曲だけでなく、クイーンのメンバーの人柄の良さや親日家の姿に強くひかれました。小さな夢ですけど、英語をもっと勉強してイギリスに行きたい。英語を生かした仕事に就くのもいいなと思ってます」

※ AERA 2019年2月4日号

アエラドット、2019.2.3 16:00
「腹が立つのに涙が…」

生粋のクイーンファンの映画「ボラプ」への思い

(ライター・角田奈穂子、フィルモアイースト)
https://dot.asahi.com/aera/2019013100047.html

映画『ボヘミアン・ラプソディ』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=ujDil739dEc

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2019年02月19日

May J.『私のものじゃない、私の歌』

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をお読みください:

2017年04月26日「真鶴町、美の原則」
2017年04月05日「春よ、来い」

 May J.といえば、一昨年、映画『アナと雪の女王』の主題歌を歌って、激しいバッシングにさらされたことも知られるが、そのMay J.が最近自伝『私のものじゃない、私の歌』(TAC出版)を出版。その中で、当時の心境や、バッシングについての分析を赤裸々に告白した。

 まず彼女は『アナと雪の女王』の主題歌をめぐるバッシングが始まったときのことをこう振り返る。

〈私へのバッシングの声が出始めたとき、正直、最初は“?(はてな)”でした。
 Facebookをやっていると、フォローをしなくてもニュースとか入ってくるじゃないですか。で、「May J.はどうしてバッシングされているの?」みたいな、そういうテーマが記事になっているのを見て「え、私、バッシングされているの?」って初めて知ったんです。そこからTwitterとかを追っていくと、「May J.またカバーだし」「私もそう思った。ムカつく」ってどんどんコメントが増えていくんですよ。バッシングってこういう風に広がっていくんだって、すごく怖くなりました〉

 当時、『関ジャニの仕分け∞』(テレビ朝日系)のカラオケ企画に出演し、また、Sugar Soul「Garden」のカバーなどただでさえカバー曲しかヒットのイメージがなかった彼女が、またもや「カバー」(後述するが、劇中歌とエンドソングはアレンジなどが違うため、彼女の「Let It Go〜ありのままで〜」は厳密にはカバーではない)でヒットを飛ばしたことにより、世間からは「便乗している」「調子に乗っている」と受け取られ始めた。

 そして、さらにこのバッシングをひどくしたのは、ご存知の通り、エルサ役の吹き替えを担当し、劇中で「Let It Go〜ありのままで〜」を歌った松たか子がメディアでその歌声を披露することは一切なく、一種「神格化」すらされる一方で、May J.はたびたびこの曲をテレビで披露していたことだった。「松たか子バージョンを一度でいいから聴いてみたいのに、聴かされるのはいつもMay J.バージョンの方」。そういった不満がバッシングをより強めていくことになる。

 そんな声が上がり始めていた時期の2014年8月10日、彼女は『情熱大陸』(TBS系)に出演するのだが、そこでの発言が、May J.バッシングの声に対し、さらに火に油を注いでしまう。

「なんでエンドソングはMay J.が歌ってるの?という風に思ってる人が多いというのが……。そういう仕組みなんだけどなっていう。全世界で必ず劇中歌の人とエンドソングっていうのはアレンジが違う、そして歌ってる人も違うっていう共通があるんだけど、それを理解されていないのがすごく残念ですよね。それでも自分が日本版の主題歌を担当させていただいているし、しっかりと責任感を持っていい歌を歌い続けるしかないんですよね。人になんと言われようと」

 May J.の主張は間違っておらず、『アナと雪の女王』において、ほとんどの国が劇中で歌う歌手とエンドソングで歌う歌手を分けており、そこには〈音楽で走らせるアーティストと、劇中歌で走らせるアーティストを分けることで、楽曲の魅力を幅広く伝えていきたい〉というディズニー側の明確なコンセプトがあった。そして、曲を伝える立場としてブッキングされたMay J.の方がメインでメディアに出演し「Let It Go〜ありのままで〜」という楽曲、および『アナと雪の女王』という映画をプロモーションしてほしいというのもディズニー側の意向だった。

 しかし、前述の『情熱大陸』では、発言を編集されていたというのもあり、そのあたりの事情が一切伝わらず、ただただMay J.が不満げに言い訳を言っているというように見えてしまった。
 そして、このバッシングの渦中で、さらに彼女を追い込んだのがSNSである。

〈私、ネットで自分がバッシングされているコメントを、よせばいいのについつい見ちゃうんですよ。一時期は見ないようにしていたし、スタッフからもエゴサーチ禁止令が出たんだけど、世間から何て言われているか、どうしても確かめたくなる。見ればショックを受けるってわかっているのにわざわざチェックして、「こんなこと言われているけど、気にしないようにしよう」って思うんです。でも、気にしないと決めた途端、落ち込む。当たり前ですよね(笑)。
 多分、当時はちょっとでも、ポジティブな意見を見つけたかったんだと思う。それを見ればちょっとでも救われる気がしていたんですよ。でもネガティブな声のほうが膨大すぎて結局、逆効果でした。見る度にどんどんツラくなって怖くなっていった〉

 もうなにを言っても誤解される──。そう悟ったMay J.は発言そのものを自制するようになる。しかし、それがまたもや逆効果を生んでしまう。

〈その頃から、ちょっとでも毒のある言葉は一切、言わなくなったんですよ。元々、毒を吐くタイプじゃないけど、何を聞かれても「そうできたらいいなぁと思います」みたいな、曖昧な表現しかできなくなって、発言の幅がすごく狭くなっていった。で、そうなると絵に描いたような優等生発言しか出てこなくなるから、今度は「May J.はつまらない」って叩かれるわけです〉

 こうして、ある種ネットいじめのような状況に陥った彼女が最も追いつめられていたのは、その年の年末だった。心理的なストレスからなのか、この少し前から歌っている途中に急に声が詰まるような症状に見舞われていた彼女は、レコード大賞の時、ついにこんな妄想に襲われる。
〈何が苦しいって、歌う前から「自分の曲じゃないのにレコード大賞で歌っている」っていう批判の声が、心の声として聞こえてくるんですよ、マンガの吹き出しみたいに…。その頃は世間がどういう動きをしているのか、私に対して何を言っているのか予測できるようになっていたから、いまこの瞬間、テレビを観ている人たちはいっせいにツイートしてるって、妄想なんだけど、その絵が浮かんでしまうわけですよ〉

 そして、May J.は炎上騒ぎに疲れ果て、心理的ストレスからだんだんと歌うことすらできなくなっていってしまったのだ。

 その喧噪が一段落したいま、彼女はこの本の中で、どうしたらあの騒動をうまく回収できたのかを振り返って分析している。

〈野呂さん(引用者注:May J.のマネージャー)に一回、「なんで弱音を正直に吐かないの?」って言われたんです。「聞かれてもないのにわざわざ言う必要はないけど、ショックだったらショックって素直に言えばいいじゃん」って、すっごい怒られた(笑)。野呂さんから見れば私が無理しているのがわかるぶん、強がることで余計アンチを増やして損をしているっていう状況が歯がゆかったみたいです。
 でも、私、そのときは強がることが問題だって理解できなかったんですよ。自分のそういう性格がバッシングを加速させているって言われても、「なんでダメなの?」って原因がわからなかった。
 私の中には弱音を吐いて共感してもらうっていう発想がないっていうか。弱音を吐くヒマがあったら努力しようって思考回路なんですよ〉

 確かに、前述の『情熱大陸』で顔を強ばらせながら発言する様子からは、精いっぱい意地を張って強がり、そして、周囲の罵詈雑言から自分の心を守るため、体全体から相手を拒絶するオーラのようなものさえ感じられた。

〈いま思うと、それって「叩かれるのは私のせい。だったら私がもっとがんばれば何とかなる」っていう着地点に自分を落とし込みたかったんですよね。努力すれば何とかなるってところに解決策を見出したかったというか。そうすれば、そこに向かって進んでいけるから。(中略)
 でも当時はそういうとことがまた、叩く人たちからすると、シャクに触るというか…可愛くなかったんでしょうね(笑)。「なんで平気な顔してんの?」って。肩肘張ってがんばる前に素直に弱音を吐いていれば、少し何かが変わっていたのかもしれない…〉

 ネットいじめにさらされた芸能人は数多いが、ここまで、冷静に適確に、自己分析し、それをきちんと本で総括したケースはなかなかないだろう。しかし、May J.はけっして、あの騒動を乗り越えたわけではないらしい。

〈「あのバッシングを乗り越えたから、強くなったのでは」みたいなこともよく聞かれるけど、強くはなってないですよ、全然。
 特に、“アナ雪”ブームのときは人前で話すことがものすごく怖くなって。ただでさえトークは苦手なのに、ここでさらに怖くなってしまった。それはトラウマでちょっと残っていて、いまでも、なんか言ったらヘンな風に取られるんじゃないかって用心しちゃうんですよ。当時は本当に発言ひとつひとつを批判されていましたからね…〉

 これからの時代、SNSやネットで叩かれても気にしない、というある種の鈍感さがないと、有名人をやっていくことは難しいのかもしれない。

リテラ、2017.11.24 09:45
May J.が『アナ雪』バッシングを振り返って当時の心境を告白!
「幻聴で“自分の曲じゃないのに”という声が」

(新田 樹)
https://lite-ra.com/2016/04/post-2138.html

May J. / May J. Tour 2018 -Harmony-
https://www.youtube.com/watch?v=Pjp2KilSRBk

日本最高の歌姫 May J. N響との初コラボ I dreamed a dream , My Heart Will Go On
https://www.youtube.com/watch?v=y2ZNyOXeZx0

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水森かおり「高遠 さくら路」

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付けの日記をぜひお読みください:

2010年06月01日「高遠」
2012年09月21日「裏磐梯高原ホテル」
2012年09月22日「会津磐梯山踊り」

 いえね、

 新宿区で2018年3月23日、区立小学校29校の卒業式が開かれ、卒業生約1300人に一本ずつ、アルストロメリアの花が配られた。
 区と友好都市提携を結ぶ長野県伊那市からの贈り物。
 赤やピンク、黄色のかれんな花を手にした児童らは中学生活に向け、希望を膨らませた。 

 伊那市など上伊那地方はアルストロメリア生産量が全国一。
 花言葉は「未来への憧れ、持続」。
 地元JAが卒業生にふさわしい花として今回、初めて提供してくれた。

 江戸時代、新宿御苑一帯が高遠藩主内藤家の下屋敷があった縁で、区は旧高遠町と1986年に友好提携。
 町は2006年の合併で伊那市になり、再提携した。

 西新宿の高層ビル群と昔ながらの下町に近い雰囲気を残す町を学区にする西新宿小学校では6年生の総合的な学習の一環で、伊那市の農家に泊まり、まき割りなどを体験。
 この日、36人の卒業生が花を手に巣立った。

 児童らは世話になった農家と絵手紙などで交流を続けており、小黒(おぐろ)綾香さん(12)は「伊那での体験は忘れられない。花を頂いて感謝です。中学校生活に向けて頑張っていきます」とほほ笑んだ。


[写真]
卒業祝いのアルストロメリアの花を手に記念撮影する6年生=新宿区立西新宿小で

東京新聞、2018年3月24日
祝卒業 児童の門出に花

長野の友好市から新宿区立小に

(増井のぞみ)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201803/CK2018032402000136.html

 どんな花?

伊那市公式サイト、2018年3月23日
伊那市から新宿区へ
〜アルストロメリアが卒業式を彩るから〜
http://www.inacity.jp/koho/photonews/photelibrary300316-2.html

 この旧高遠町を歌ったのが水森かおり!

 「ご当地ソングの女王」として知られる演歌歌手の水森かおりさんが、桜の名所、伊那市高遠町を題材に歌った新曲「高遠さくら路(みち)」が2019年1月22日、発売された。
 失恋した女性が別れた恋人との思い出の地だった高遠に思いをはせながら、恋を切々と振り返る曲で、水森さんが高遠にちなんで歌うのは初めて。
 桜のシーズンを前に、市内の観光関係者らは「全国の人に高遠を知ってもらう機会になればいい」とヒットに期待している。

 水森さんは東京都出身で1995年に歌手デビュー。
 歌には「風吹く高遠さくら路全てを賭けた恋でした」などの歌詞があり、悲しい恋への思いを歌っている。
 水森さんが所属する芸能事務所によると、水森さんは1月上旬に高遠町を訪れ、ミュージックビデオの撮影をしたという。

 同市福島の平安堂(*)伊那店では1月上旬から、桜の模型や曲名を切り抜いた発泡スチロールなどを並べた特設コーナーを置いている。
 他の演歌に比べ、3倍ほどの予約があったといい、同店の担当者の鮎沢久美子さんは「CDをきっかけに高遠の名前が全国に広まったらいい」。

 伊那市観光協会には水森さんのファンから、歌に出てくる場所のことをもっと知りたい―と、高遠町のパンフレットを請求する電話があったという。
 同協会の職員は「CDを聞き、実際に高遠に足を運んでもらえたらうれしい」と話している。
 CDは徳間ジャパンコミュニケーションズが発売し、1204円(税別)。


[写真]
水森かおりさんの新曲を紹介する平安堂伊那店の特設コーナー

信濃毎日新聞、2019年1月23日
高遠舞台に恋歌の新曲 演歌歌手の水森かおりさん
https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000017958

(*)平安堂
 創業は、1927(昭和2)年(芥川龍之介が自殺した年、岩波文庫の刊行が開始された年)。
 イベントは、こちら ☟
http://www.heiando.co.jp/event/1434

 お待たせしました、では、ここでじっくり聞いてみましょう:

高遠 さくら路
https://www.youtube.com/watch?v=om1gK19gj84
作曲:弦哲也、作詞︰伊藤薫、唄:水森かおり

ほどいた糸なら 結べるけれど
切れたら元には 戻らない
花咲く高遠 さくら路
涙を捨てる ひとり旅
もしも もしも もしも出逢いが 早ければ
別の未来(あした)も 別の未来(あした)も あったのに

生きてる限りは 忘れはしない
二人で過ごした あの日々を
風吹く高遠 さくら路
全てを賭けた 恋でした
同じ 同じ 同じ想いで いたはずが
いつの間にやら いつの間にやら 行き違い

桜の季節も 私の胸は
木枯らし冷たい 冬のまま
花咲く高遠 さくら路
悲しいほどの 青い空
今度 今度 今度生まれて 来る時は
二度とあなたを 二度とあなたを 離さない


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牧田寛

家から通えるイージス・アショア

 2月12日の通常国会衆院予算会議で、国民民主党所属の泉健太代議士が要約すると次のような質問を行いました。

“イージスアショアは、秋田と萩に固定式である。真っ先に狙われるのではないか。(略)イージス・アショアは2基で2404億円、運用費は4389億円。来年度イージス艦は8隻に増え高額のアショアじゃなく、イージス艦のミサイルを増やせば良いだけである”

 これに対し、首相である安倍晋三氏は次のような答弁を行いました。

陸上に配備されている利点については、先程岩屋大臣から答弁をさせていただいたわけでございます。

 いわば、あの、えー、船であればですね、出港して行って、その間はずっと洋上にいるということになってですね。その中でローテーションしていくわけでございますが、陸であればですね、まさに、いわば、陸上においての勤務となるわけでございます。それについては、これは大きな差なんですよ。全然ご存じないかもしれませんがね、あの、いわばずっと外に出ている、えっと、一ヶ月間とか出ているということですね。あのいわば、これは自分の自宅から通えるわけですから、近くに勤務があればですね、それは全然勤務状況としては違うんですよ。そういうことも考えていかなければならないんだろうと、こう思いますよ。

 それ実際に皆さんそういう勤務、実際されたことはないからそういうことをおっしゃってるんだろうけど、実際に勤務する人たちのですね、(野次への苦言)そこでですね、まさにそういう中においてはですね、我々は、そういう勤務環境をしっかりとある程度確保してあの向上させていくということも必要ですし、最初に申し上げましたようにですね、いわば、えー、最初の、端緒の段階においてですね、(北朝鮮は)この移動式発射台による実戦的な発射能力を向上させている、あるいは潜水艦発射型SLBMを開発しているということで、発射兆候をですね、早期に把握することはより困難に、より困難になっているということは、かなり決定的なことになるわけでありまして、それは、それはですね、対応していかなければならないということでございます。

 で、そして、それはさらに進んでいくということでございましてご承知のようにこのイージス・アショアをですね、この発注してすぐに例えば来月とか、来年にですね、来年にそれを取得できるかといえばそんなことはまったくないわけでございまして、前もってですね、これはいわば発注をしてですねそれまで導入までかなり時間がかかるわけでありますから、そういう意味においてですね、まさに私たちはそういう判断をしたと。こういうことでございました


(*本稿執筆時点で第198回常会予算委員会議事録は第二号までしか公開されていませんので、衆院インターネット中継のアーカイブから書き起こしました)
(※記事中のレファレンスや画像、動画については配信先によってはリンクされなくなる場合があるので、その場合はハーバービジネスオンライン本体サイトからご覧ください)

改めて問う。誰がための「イージス・アショア」か

 昨年2018年8月20日から9月26日にかけて、イージス・アショア日本配備についてその欺瞞と無意味さ、そして重大な弊害を7回解説し、5ヶ月が経過しました。現在通常国会では、イージス・アショア日本配備について予算承認の面から論戦が行われています。

※参照【イージス・アショアシリーズ】:
1(2018.08.20)イージス・アショアは「無敵の超兵器」か「大いなる無駄」か?、
2(2018.08.24)ミサイル防衛の現実を踏まえれば、イージス・アショア導入以前にやるべきことがある、
3(2018.08.27)日本のMD強化に「THAADを排してイージス・アショア」という選択は正しいのか?、
4(2018.08.31)米軍迎撃シミュレーションから垣間見える、イージス・アショア日本配備計画の「不自然さ」、
5(2018.09.07)「誰がためのイージス・アショアか?」配備地から導き出される、ある推論、
6(2018.09.14)秋田と萩へのイージス・アショア配備こそ、日本を逆に窮地に追い込む「平和ボケ」、
7(2018.09.26)朝鮮半島緊張緩和が進む中、日本の防衛政策はどこに向かうべきか?

 本連載のあと、
・ イージス・アショア日本配備は費用対効果の面で全く無意味なだけでなく、
・ 迎撃対象が対ハワイICBM(*1)と対グァムIRBMであり、日本国内防衛には無効であること、
・ 対合衆国ICBMの早期警戒システムであって、対日弾道弾防衛が目的ではないこと、
・ そのために1兆円の日本市民のお金が浪費されること(*2)、
・ イージス・アショアは最優先の先制核攻撃対象となり、配備地の秋田市、萩市は複数の核弾道弾攻撃に見舞われ、さらに東京都心と立川市も先制核攻撃対象になるであろうこと
がメディアでも論じられるようになりました。

*1: 戦略兵器制限条約(SALT)での定義上のICBMは、「アメリカ合衆国本土の北東国境とソ連本土の北西国境を結ぶ最短距離である5,500km以上」である。このため射程距離上の定義ではICBMを5,500km以上の射程とする場合が一般的である。なお、北朝鮮とハワイの距離は7,500kmである。

*2: 同じく在欧州合衆国軍防衛、合衆国本土早期警戒用の欧州展開イージス・アショアは、合衆国の費用で展開され、合衆国が運営する。

 摩訶不思議なことになぜか封印されてきたこの常識的議論を封印解除した点で本連載はおおきな意義があったと自負しています。

「家から通える」答弁を徹底的に斬る

 さて、冒頭の答弁に戻りましょう。

 私は、この答弁を耳にしたとき、軍務・自衛隊勤務経験無し、国産軍需企業で勤続3年の人物の言葉かと吹き出してしまいました。

 まず、安倍晋三氏は、イージス・アショアの本質的脆弱性である固定基地且つ地上露出であることについて回答していません。

 連載第4回、第5回で指摘したように、萩・秋田のイージス・アショアは日本国内の防衛にはほぼ役に立ちません。これは、主要標的都市と弾道ミサイル想定射点を結ぶ軸線から大きく離れており、弾道弾に対して側方迎撃(横からの迎撃)となるためです。従って、シミュレーションで迎撃弾は「届く」でしょうが、「迎撃成功」する可能性は著しく低くなります。これは「カタログスペック」には現れない常識です。にもかかわらず、萩と秋田市への配備に固執するのは、萩市がグァムの、秋田市がハワイの弾道弾防衛に最適の地点であるからです。

【北朝鮮による弾道弾攻撃の軌跡】

秋田上空をハワイ攻撃の弾道、能登半島上空を東京攻撃の弾道、山口・九州北部上空をグァムへの弾道が通過する。東京防空には、萩、秋田は最悪の射点である。

pp2-14, Making Sense of Ballistic Missile Defense: An Assessment of Concepts and Systems for U.S. Boost-Phase Missile Defense in Comparison to Other Alternatives, 2012, National Academy of Sciences

 図で示すように、秋田上空をハワイ攻撃の弾道、能登半島上空を東京攻撃の弾道、山口・九州北部上空をグァムへの弾道が通過します。東京防空には、萩、秋田は最悪の射点であり、配備は無意味です。一方で、秋田市はハワイ防空に、萩はグァム防空に最適の射点となります。

 一方で北朝鮮にとっては、民需・軍需のすべてを犠牲にして開発・整備してきた核兵器は、対米抑止力の要です。このことについては、本連載第6回で詳細に論説しています。本来北朝鮮にとって日本は今や路傍の石ころ程度の無価値な対象であり、事実北朝鮮は日本を長年無視してきました。ところがこの北朝鮮の国の存続に関わる対米抑止力を阻害するイージス・アショア日本配備は、全力で排除する対象となります。故に、秋田市、萩市は複数の核弾頭による先制核攻撃の脅威にさらされることとなります。

 先制核攻撃は、まず相手国の目つぶし、次いで迎撃戦力の破壊、報復核戦力の破壊(*3)、都市の破壊を行います。北朝鮮の場合、核戦力の規模が小さい為に、確実性の高いグァム、ハワイ諸島の破壊となるとおもわれます。

*3:亡命GRU将校であるヴィクトル・スヴォーロフ(ウラジーミル・ボグダーノヴィチ・レズン)は、著書で先制核攻撃において報復核戦力への攻撃はあり得ず、全力で都市を破壊すると主張している。

 北朝鮮による対日先制核攻撃の理由は、自らの対米核抑止力への脅威であるイージス・アショアがそこにあるが故であり、日本の存在価値と意義は全く無関係です。

 なお、合衆国が自国防衛を想定して欧州にMDを配備してきたことは自ら明らかにしてきたことで、対象は北朝鮮と共同開発してきたとされるイランのICBMです。このため、ポーランドなどに大型の弾道弾迎撃ミサイルGBD(Ground-Based Midcourse Defense)配備が予定されていましたが、オバマ政権はこれを絵空事と批判し、妥協の結果ルーマニア配備イージス・アショアに縮小した経緯があります。要するに、欧州イージス・アショア自体が合衆国の軍需産業を食わせるための代物と化しているといえます。

【イラン(中東)ICBMの迎撃想定図】

ポーランドにGBD(Ground-Based Midcourse Defense)を配備する想定の図である

pp5-28, Making Sense of Ballistic Missile Defense: An Assessment of Concepts and Systems for U.S. Boost-Phase Missile Defense in Comparison to Other Alternatives, 2012, National Academy of Sciences

 このようにイージス・アショアは、最優先の先制核攻撃対象であり、平時はゲリラ・コマンドによる破壊の対象となる訳ですが、地上固定基地である以上、イージス・アショアは極めて脆弱であり、ゲリラ・コマンドによる破壊で容易に機能を失いますし、先制核攻撃で至近弾、上空爆発であって機能を完全に失います。

 一方で洋上イージス艦の場合は常時移動しますので弾道弾攻撃は極めて困難であり、秘匿性と極めて高い抗堪性を持ちます。さらに、萩や秋田のような合衆国防衛専用ではなく、東京や大阪などの重要防衛対象を防衛するのに最適な射点を取ることが出来ます。これらもカタログスペックにはでない極めて重要な差異です。

 現在、イージスMD対応艦は短期間に8隻整備可能であり、現在たったの32発(最大迎撃数16発相当)しかないSM-3(ミッドコース弾道弾迎撃ミサイル)を増やせば、飛躍的に強固な弾道弾迎撃態勢を整備出来ます。SM-3BlockIミサイルは、日本の対北朝鮮弾道弾防衛は十分なものであり、対日価格は正価の二倍ですが20億円とされています。100発の追加導入ですら2000億円です。

 格安との虚言で導入の名目とされたイージス・アショアはすでに6000億円を超える有様で、対日対外有償軍事援助(FMS)の性格上、1兆円を超えるのは確実でしょう。日本の防衛には役に立たず、むしろ秋田市、萩市、東京都心、立川市を先制核攻撃対象とするイージス・アショアの値段は「べらぼう」な代物と言うほかありません。

 こういうことは、カタログスペックを眺めるだけの人には分かりません。

 さて、洋上イージスMDより安いという嘘っぱちで始まったイージス・アショア日本配備ですが、すでにMDイージス艦のユニット価格を遙かに上回る代物と化しています。しかも、同じお金を使って、イージス艦は、艦隊防空、対潜攻撃、対艦攻撃、対地攻撃、平時の警備活動、災害時の救援活動、海上救難ほか、様々な事に活用されます。旧式化すれば改装して別種の兵器とすることも出来ます。

 イージス・アショアは、動くことは出来ず、先制核攻撃の標的となり、日本の防空には、せいぜい早期警戒レーダーとしてしか役に立ちませんが、その他のことには何も使えません。ただ、税金を消費し、電気を消費し、ウンコとゴミを排出するだけです。

 こういうことも、カタログスペックを眺めるだけの人には分かりません。

「先制攻撃対象の街」になるという意味

 そういった中で泉健太氏と安倍晋三氏の間で交わされた質疑での安倍晋三氏の答弁が冒頭の「自宅から通える弾道弾迎撃基地」です。

 そもそも、イージス・アショアは陸自担当なので海自は直接関係ありません(出向支援はあり得る)が、そういうことも分からないのでしょう。

 ここで、合衆国コロラド州コロラド・スプリングス市滞在・在住時のスナップ写真を二枚ご紹介します。

[写真]
Holiday Inn Garden of The Gods, Colorado Springs, CO, USA付近の工業団地より撮影したシャイアンマウンテン 北米防空司令部(NORAD)が地下にある 2000/11/21撮影

[写真]
著者在住(当時)のアパートメントでのスナップ写真 背後にシャイアンマウンテンが見える。隣人として空軍将校が多数居住。子供が頭につけているのは聴覚過敏対策のノイズキャンセリングデヴァイス。2004/5/27撮影

 コロラド・スプリングス市は、市域人口42万人の大きな都市ですが、空軍大学、空軍基地に加えて北米防空総司令部(NORAD) や軍需産業、半導体・情報産業、州立大学、私立大学、様々な宗派の教会が多数集まっています。

 米ソ冷戦時代からNORAD=シャイアンマウンテンは、最重要の先制核攻撃対象とされてきており、地球が核の炎に包まれるとき、アラスカの早期警戒レーダーの次の順番でシャイアンマウンテンは最大威力級の核による地表爆発に見舞われます。北朝鮮もコロラド・スプリングスを最優先先制核攻撃対象と表明しています(*4)。コロラド・スプリングス市民は、せめて苦しまずに死ねるから仕方ないと先制核攻撃については諦観(ていかん)しています。

*4:North Korea threatens to strike Colorado Springs but doesn’t know where it is. Washington Post. 2013/4/12

 自宅から通える戦略的軍事施設、とくに弾道弾迎撃基地というものは具体的にはこのような情景となります。コロラド・スプリングスの場合は、複数の大型核によって蒸発しますから逃げようもなく多くは苦しみもないのでしょうが、中途半端な爆発規模の複数の核による攻撃を受けるイージス・アショアは、基地だけでなく「自宅」も一瞬では蒸発しきれずに、甚大な被害と塗炭の苦痛を受けることになります。特に秋田市の場合は、コロラド・スプリングス市と同じく、全市が壊滅することとなりますが、瞬時での全市蒸発とはならないでしょう。萩市の場合は、市街域そのものは離れていますが、フォールアウト(死の灰)の影響を受けます。

 安倍晋三氏の答弁には、兵器の中途半端なカタログスペックと詭弁による言い逃れ以外の何もありません。

 このような薄っぺらな答弁で、日本防衛の役に立たない代物を1兆円の日本市民のお金で合衆国軍需産業に貢ぎ、その見返りに安倍晋三氏がトランプ氏からの個人的歓心を得て日本は最優先の先制核攻撃となる。とても独立国の首相答弁とは考えられません。

 いまだに垂れ流される詭弁として、イージス・アショアで護衛艦隊が楽になるのでイージス・アショアは安いというものがあります。まず、MDイージス配備開始時にはイージス艦は4隻しかなく、当時のMDイージスは日本海に二隻配備が必須であったために護衛艦隊への運用上の負荷はたいへんに大きなものでした。

 しかし、護衛艦隊のイージス艦はまもなく8隻体制になります。また、MDイージスは最新型に改修が進んでおり、MDイージス艦一隻の日本海展開で日本全土を防衛出来ます。もちろん、迎撃成功率を上げるためには2隻展開すべきですが、平時のMDパトロールは一隻で十分であり、護衛艦隊の運用への負荷は軽微です。

【洋上配備イージスMDによる北朝鮮MRBM迎撃シミュレーション】

濃黄色は現行のイージスMD(LOR)
淡黄色は能力向上イージスMD(EOR)
理論上は、一隻の展開で十分と示されている(確実性のためには2隻展開が望ましい)

pp3-20, Making Sense of Ballistic Missile Defense: An Assessment of Concepts and Systems for U.S. Boost-Phase Missile Defense in Comparison to Other Alternatives, 2012, National Academy of Sciences

 「イージス・アショアで護衛艦隊ラクチン」という珍説は、1兆円でカタログスペックだけの役に立たないガラクタを配備して、萩市、秋田市、東京都心、立川市を先制核攻撃の対象にする理由にはとてもなりません。

 また、中国と北朝鮮の二正面戦争の時にMDイージス艦を日本海に貼り付けるのはもったいないからイージス・アショアが必要というもはや詭弁にすらならない弁明まで現れていますが、そもそも論として、北朝鮮、中国と二正面戦争するようでは、国は滅んでしまいます。政府の公式見解では長年常に「中国を脅威と見なしていない」と答弁してきています。2016年8月5日参院安保法制特別委員会でも岸田文雄外務大臣は、「我が国は中国を脅威とみなしておりません」という従来からの答弁をしています。そもそも、国連安保理常任理事国と敵対して戦争を企図することは、旧敵国条項対象国である日本にとっては自殺行為以外の何物でもありません。

 私は、対中防備を否定はしませんが、1兆円のガラクタを市民に強請(ねだ)るのではなく、無理なく出来る範囲で防備を整備し、対中関係を良好に保つのが為政者の仕事です。そもそも、主役である外交はどこへ行ってしまったのでしょうか?軍事は外交の一環でしかありません。軍事あって外交なしは本末転倒で、旧帝国滅亡の主因です。

INF条約失効下の弾道弾防衛

 去る2月1日、合衆国は中距離核戦力全廃条約(INF条約)の破棄をロシアに通告し、すでに米露両国は条約履行をやめています。正式に条約失効となるのは、2019年8月1日です。

 INF条約は、1987年12月7日に米ソ間で調印され、これにより最悪期であった米ソ冷戦は終結に向かいました。当時の私は主戦論者でしたが、そうであってもINFの脅威は日常から肌身に感じるほどの切実なものであって、INF条約の締結に心底安堵したものでした。
 INF条約成立前の核の恐怖は、大衆文化にも色濃くでており、「北斗の拳」や、「ターミネーター」シリーズなどはその典型といえます。ソ連圏でも厳しい検閲下にありながら「ストーカー」や「死者からの手紙」などといった核戦争の恐怖を暗示、明示した作品が多数発表されていました。

 INF(Intermediate-range Nuclear Forces)とは、SS-20やパーシングIIなどの中距離核戦力を指し、核搭載のIRBMやMRBM、巡航ミサイルが対象となりました。具体的には、欧州配備のSS-20とパーシングII/Ia/I、極東配備のSS-20などと核搭載の地上発射巡航ミサイルが対象であり、この全廃によって日本、韓国、西ドイツをはじめとする西欧諸国とそれに対する東欧諸国とソ連極東地域が核の脅威から解放されました。なおINFに艦載兵器は含めません。

 合衆国にとっては、同盟国である日本、韓国、西独などが核で焼き払われるだけですし、ソ連にとっても東欧諸国と極東、白ロシアが焼き払われる程度ですので、INFは比較的使いやすい核として全面核戦争の敷居を大幅に下げる効果があったために、核戦争の可能性を歯止めが効かないまでに大幅に高めるとして激しい反核運動が起こりました。特に国土全体が戦術核で焼き払われる想定であった西独では、全市民的な反核運動となりました。

 INF全廃条約は、この脅威をなくすという意味合いで、非常に高く評価され、後の戦略兵器削減条約(START)へとつながりました。

 今やINF条約は、事実上失効しましたので、米露はINF配備を今後急速に進めることになります。
 現在合衆国が展開している弾道弾迎撃システムは、北朝鮮などの新興核保有国の弾道弾や、偶発核攻撃を対象としたもので、米露という二大国に加えて中国の大規模核戦力に対処する能力はありません。
 加えてすでに中露は合衆国の弾道弾迎撃システムに対抗した迎撃不可能の搬送手段(ミサイルなど)を開発し終えており、もはや合衆国の優位は風前の灯火です。
 これも常識ですが、兵器の進化は、常に攻撃側圧倒的優位であって、迎撃兵器は常に無効化の脅威にさらされています。

 仮にロシアがINFを大規模に配備した場合、合衆国の迎撃システムは障子紙のように容易に突破されることになります。

 特にロシアはイージス・アショアを名指しでINF条約違反と批判してきました。
 INF条約が合衆国の都合で失効した今となっては、イージス・アショア配備国は対露INF配備国としてロシアによる徹底した対抗措置をとられることになります。
 具体的には対日戦略核の本格配備が再びあり得るということです。

 軍拡競争は周辺国も巻き込みます。
 ロシアがイージス・アショアをINF条約違反と見なしてきた以上、中国も萩のイージス・アショアをINFと見なすことになり得ます。

 結果として、イージス・アショアは、対日戦略核の撒き餌になるという最悪の結果をもたらしかねません。

 軍備というものは、カタログスペックだけでは語れません。
 兵器のカタログスペックは刺身の上のタンポポのようなものです。
 軍備を何の目的で、どのようにどの程度の規模で整備するかと言うことは、外交、経済、財政、と四位一体で語られねばならないことです。

 ホビー軍事アナリストが陥りがちなカタログ談義、軍備のみしか視野にない思考は全く無意味です。
 日本では政治家や防衛官僚もそういった素人の落とし穴にはまりやすく、実際に旧帝国の軍備はカタログスペックだけ立派なガラクタ揃いでしたし、自衛隊も
・ 弾なし、
・ 燃料なし、
・ 携帯応急医療品なし、
・ 被服すら満足になく
・ 隊舎糧食まで貧相で
隊員なしのカタログ自衛隊(かかし軍隊)に陥りつつあります。

 軍備は官僚や政治業者、ホビー軍事アナリストの玩具ではありません。
 限られた予算の中で熟慮熟議によって最大効率で整備するものです。
 イージス・アショア日本配備は、本来あるべき日本の防衛装備の姿から著しく乖離した最悪の代物であると断ずるほかありません。

『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』イージス・アショア編 − 番外

<取材・文・撮影/牧田寛 Twitter ID:@BB45_Colorado>

● 牧田寛(まきた ひろし)
 著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。
 勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。
 1年半の沈黙の後著述家として再起。
 本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。
 原発問題についてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中


ハーバービジネスオンライン、2019.02.18
安倍首相「家から通えるイージス・アショア」答弁の無知と詭弁と恐ろしさ
牧田寛
https://hbol.jp/186051


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やっぱり平和がいいな、「子ども兵士」だって・・

South Sudan: Warring Parties Break Promises on Child Soldiers
https://www.youtube.com/watch?time_continue=112&v=e0Qe6GNnKDM

 「子ども兵士」って知ってますか?
 南スーダンかな・・・外国に派遣されたとき、敵が「子ども兵士」で、その子が銃を向けて自分に引き金を引こうと狙い撃ちしようとしているとき、映画の主人公の幼馴染は、やっぱり、相手を先に撃ってその子を撃ち殺してしまうんです。
 でもそれが尾を引いて「コンバット・ストレス」になり、自分が撃ち殺したあの子と同じくらいの自分の子どもとも別れ、北海道から幼馴染のいる三重県に里帰りし、幼馴染の家業、炭焼きを手伝っているうちに少しづつ回復していきます。

 炭焼きってこれ ☟

備長炭の窯出し作業(マルモ製炭所)
https://www.youtube.com/watch?v=GU9xahxtzQo

 「子ども兵士」ってこれ:

大人たちに徴用され、人を殺傷することを強要される子どもたち。
彼らは「子ども兵士 Child Soldiers」と呼ばれます。
武器の取引を規制する条約がないために、数十万人の子どもたちの未来が、奪われているのです。
 
「武器」は他人事じゃない

 「武器」という言葉を聞いたとき、何を思い浮かべますか?
 おそらく多くの方は、ナイフや銃といったものを思い浮かべると思います。
 実は武器には、拳銃やライフルのみならず、戦車や攻撃用のヘリコプターなども含まれます。
 そしてそれらは、日本に暮らす私たちには、少し遠い存在です。
 しかし世界に目を向けてみると、状況はまったく異なります。
 世界では、戦争・紛争が絶え間なく繰り広げられています。
 そして今この瞬間にも、武器によって、多くの命が奪われ、かけがえのない生活が奪われているのです。
 その中でも、とくに犠牲となっているのが、「子ども兵士」とよばれる子どもたちです。

子どもたちの未来が奪われていく

 現在、19ヵ国で25万人以上の少年や少女が、強制的に武器をもたされ、兵士として徴用されていると言われています。
 紛争下において、政府軍や武装勢力は、まだ判断能力のない子どもたちを誘拐し、監禁し、洗脳します。
 そして、子ども兵士として、戦闘の最前線に立たせるのです。
 子どもたちは、「殺人マシーン」として、利用されます。
 上官の命令に逆らった子どもたちは、手足を切断されたりします。
 そして、兵士として役に立たなくなった彼らは、言葉通り使い捨てられ、命を落とすのです。
 そのような激しい恐怖の中で、子どもたちはただ闘うことだけを強制されます。
 生きるためには、そうするしかないのです。

トラウマに苦しむ子どもたち

 コンゴ民主共和国では、数年前まで続いていた紛争で、政府軍と反政府勢力の双方が、子ども兵士を使い続けました。
 その大半は、15歳未満でした。
 子どもたちは、前線での戦闘に加え、武器を持たない市民に対する暴力にも、加担させられたのです。

 コンゴ民主共和国に暮らすベンジャミン君。
 彼は15歳のときに誘拐され、子ども兵士にさせられました。
 そして、カラシニコフ銃や拳銃の使い方を教え込まれ、実際の戦闘に何度も加わり、何人もの人を殺しました。
 「ぼくは、人質にした兵士2人の腹を撃った。上官の命令だから、気にならなかった」と、ベンジャミン君はアムネスティの調査員に語っています。
 幸運なことに、ベンジャミン君は兵士をやめることができました。
 しかし、彼は今も当時の記憶に苦しんでいます。
 「もう銃には近づきたくない。銃を見るのは、耐えられない」と彼は語っています。
 本来であれば、鉛筆を持つべき年齢の子どもたちが、代りに銃を持たされている。
 これは決して、許されることではないはずです。


アムネスティ日本
武器貿易条約 - 「子ども兵士」を知っていますか?
https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/att/child_soldier.html

 地球儀外交をいくらしても世界を知らない、世間も知らないイマの支配層には、馬の耳に念仏、カエルの面に水、なんでしょうが、やっぱり「戦闘」じゃない、「平和」がイチバンなんですが・・・

 一夜明けて、安倍首相がトランプ大統領に宛てて、ノーベル平和賞受賞の推薦をしたことを知らせるメッセージを送った事が、確実になった。
 この暴露の最大の問題は、ノーベル平和賞に値しないトランプ大統領に、頼まれて推薦状を出していたことが、世界に知れ渡ったことだ。
 安倍首相のあまりも露骨なトランプ大統領に対する追従ぶりが世界に知れ渡り、日本と言う国が世界の笑いものになったことだ。

 そのことだけでも内閣総辞職に値するが、国民がもっと怒らなければいけないことは、安倍首相が国民にウソを重ねて、数々の政策を強行していたことだ。
 北朝鮮からのミサイル脅威を取り除いてくれてありがとうと言いながら、北朝鮮のミサイル脅威から日本を守るためだと嘘をついて、不要なミサイルシステムをどんどんと米国から買わされていたのだ。
 国民向けにはトランプ大統領に対し、北朝鮮にだまされるな、北朝鮮の完全非核化は日本の安全保障にとっても重要だと、さんざん米朝協議の足を引っ張っておきながら、その裏で、米朝合意はノーベル平和賞ものだとトランプ大統領を持ち上げていた。
 これを要するに、安倍首相は国民にウソをついて外交を進めて来たということだ。

 一事が万事だ。
 他の外交もウソをついてきたに違いない。
 いや、外交だけでなく内政もウソつきの連続だ。
 トランプ大統領が軽率にも暴露した安倍首相のトランプ大統領あてのメッセージは、とりもなおさず安倍首相の国民に対する背信を暴露することになった。
 国民への背信が明らかになった時、その政権はもはや正統性を失う。
 私が「内閣総辞職に値する安倍首相のトランプ推薦状」と呼ぶ理由がそこにある。

 そんな安倍首相を、即刻内閣総辞職に追い込めないようでは、野党もまた国民を裏切る事になる。
 負け比べをやっている場合ではないのである。


天木直人のブログ、2019-02-19
内閣総辞職に値する安倍首相のトランプ推薦状
http://kenpo9.com/archives/5632

 ヤッホーくんがお慕い申し上げているお医者さまも、2月15日にこんなつぶやきを:

 安倍首相は、100回以上外遊し、総額54兆円の援助を約束してきた。

 彼の一回の外遊にかかる費用は5億円と言われている。政府専用機も新調したので、それに600億円かかっている。したがって、少なく見積もっても、安倍首相の外遊には1100億円以上かかっている。これは、安倍政権が取りやめた、生活保護の母子家庭予算20億円の55年分に相当する。

 で、安倍首相が、外交で何を達成したか、である。最近では、今年2019年6月までと時限を切っていた北方領土交渉妥結を、安倍首相自身が放棄した。北方領土がわが国固有の領土であるという主張も取り下げ、これまでの対ロシア外交よりも大きく後退している。自分自身が先頭にたって解決するとしてきた、北朝鮮による拉致の問題は、トランプ大統領に丸投げである。

 言いたくないけれど、安倍首相は能力も品性もない。それを担いでいるNHK他のマスコミも同じ。行政も平気で不正を行うようになった。経済・財政指標がことごとく改ざんされている。

 安倍首相が積み上げた負債は、あとで国民に押し付けられることになる。
 これ以外でも、以下の通りの有様だ。

『藤本吉則氏の facebook への投稿』(2月9日 23:05)
 安倍晋三氏がバカで、アホで・・・とわめいていても始まらない。
 NHKがすっかり安倍チャンネルになっているけど、1市民が電話入れても、丁寧な対応をされるだけで相手にされない。
 ここは、一人でも二人でも、安倍政治に疑問を持つ人を増やし、ふがいない野党だけど、各種選挙で、議席や得票率を増やしていくしかない。
 先日、塾の卒業生から「父親が、今日本の外交を任せられるのは安倍首相しかいないと言っている」とラインが来たので、以下の返事を書きました。長くなってごめんなさい。
 安倍さんはおそらく戦後の総理大臣の中で、最も外交がへたというか、できない首相です。「外交の安倍」という産経新聞や読売新聞の宣伝をちょっと置いて、彼が何を言い、何をしてきたかを一つ一つ見てみればわかります。
 安倍さんは、国内で難しい立場になると、すぐ外国に行きます。
 すると、出発時・向こうの首脳と会ったとき・帰って来た時、NHKはもちろん、他のマスコミも報道します。すでに100ヵ国は超えているんじゃないかな。
 そして、行った先で金をばらまきます。使った金と約束した金を合わせると、50兆円を超えています。それがニュースになるから、「外交の安倍」という錯覚が生まれています。

では、成果が上がったか?
成果が上がったものが一つでもあるか?
あったら教えてもらいたい。

・北朝鮮・・・選挙のたびに拉致問題の解決は安倍内閣の最重要課題と言っておいて、進展は全くない。・・・アメリカと北朝鮮の会談について、ヨーロッパ諸国は打ち合わせ会場の提供などで役割を果たしたが、日本は全く相手にされなかった。
・アメリカ・・米政府は、「安倍は問題ない」と、大事なことは相談せず、結果だけを伝え、安倍は「米政府の立場を支持する」と言っているだけ。
・ロシア・・・北方領土問題は進展しないどころか、後退している。記者会見で、日本でと同じようにあらかじめ予定された質問に、あらかじめ用意したものを読んで答えるだけだったことを、あきれられている。
・イギリス・・メイ首相を全面的に支持すると言って、そのメイ首相は、提案が国会で否決されている。ヨーロッパ諸国の首脳は簡単にそんなことはいわない。
・インド・イギリス・べトナム他・・・原発、鉄道等の輸出を大々的に宣伝したが、どこもとりやめになっている。
・韓国・・・・安倍首相は第二次世界大戦が侵略戦争だということを認めない勢力(歴史学者200人中10人ぐらいいる)に支えられているので、悪化しただけ。
・中国・・・・中国の相手はアメリカ。日本はアメリカの属国ぐらいにしか見られていない。そうなったのは安倍政権になってから。
・国連・・・・安倍総理の演説はがら空きであることは有名です。また、記者会見で事前通告を要求することでも有名。

 安倍首相が最悪の外交をやってきたことは、彼が「外国特派員記者クラブ」に出ていかないことでもわかります。官邸記者クラブは、事前通告の質問ばかり。外国特派員は、その場で質問し、不十分だと再質問する。

 繰り返しますが「外交の安倍」という人がいたら、どういう成果をあげたかを教えてもらいたい。教えて、教えて。

 国内問題をほったらかしにして大金をはたいて世界を回って、あげた成果があるなら、教えてもらいたい。

 お父さんに「安倍首相の外交の成果を教えてもらいたがっている」と伝えてください。

 沖縄の状況はますます悪くなっているしね。早朝、夜中、住宅地の上や近く、米軍は好き放題やっているけど、これも安倍政権になってから。


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阪本順治『半世界』

 ヤッホーくんのこのブログ、次の日付の日記をご確認ください:

2011年07月18日「大鹿村騒動記」
2012年11月25日「北のカナリアたち」
2018年04月20日「4月13日(金)eチャリ」

1989年に『どついたるねん』で監督デビューを果たした阪本監督は、この『半世界』が26作目に当たる。
基本的にはデビュー以降、約1年ごとに作品を作り上げているが、その殆どが前作とは違った作風を見せ、“自己模倣”に陥らないように、を信条にしてきた。
それができるのは、しかし技量と意思の賜物であろう。
漢方薬を作っていた夫婦が団地に移り住んだことで騒動が起きるSFコメディの『団地』(16)、チェ・ゲバラと共に革命闘争に参加した、実在の人物フレディ・マエムラを描いた『エルネスト』(17)に続く『半世界』は、稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦、池脇千鶴という豪華俳優陣を迎え、人生半ばに差しかかった彼らが、次の人生をどう折り返すかを描いている。
三人の友情、家族の在り方、そこに生じる葛藤などをオリジナル脚本で描いた、まごうことなき“阪本世界”だ。

俳優に見抜かれた状態でクランクインした方が断然、合理的

―  紘(稲垣吾郎)の妻役である池脇千鶴さんは、日々の生活に追われる主婦として素晴らしい演技でした。

阪本順治監督(以下、阪本): 池脇さんが出演している映画は観ていましたが、あの世代の女優さんで生活臭を感じさせる人としては、誰も敵いませんね。

―  演技に関して注文したりしましたか?

阪本: 脚本を読んで納得してもらっていたので、特にこうしてくださいとは言いませんでした。
 今までの経験から言うと、特に女優さんは準備段階の衣裳合わせで、役の衣裳を纏い髪型を決め客観的にそのすがたを鏡で確認した瞬間、役柄がすとんと自分の中に入ってくるといいますね。男優にも通じますが、女性の場合はバリエーションがありますから。この人はアクセサリーを付けるタイプなのかとか、例えば、髪型はショートなのか長い髪を結んでいるのか、とか。
 それは監督も同じで、俳優のビジュアルが決まったときに架空だった人物がより現実的になっていく。それがオリジナル脚本の面白いところなのです。それまでは、自分の頭の中で作り上げているわけですから、それが具現化していく過程でもありますね。
 稲垣(吾郎)くんには、髭をはやしてニット帽被ってもらって作業服着てもらって。でもそれが凄く似合っていて、稲垣くん自身も、こんな自分を初めて見たってびっくりしていましたね(笑)。

―  俳優の話でいくと、稲垣さん、長谷川(博己)さん、渋川(清彦)さん、三人とも阪本監督の映画では初出演ですよね?

阪本: 三人とも一緒に仕事をしたことはなかったのですが、どこかで生では実際に会っていたりします。誰かのパーティの席だったり、芝居関係の場所だったり。あるいは今まで仕事した俳優と同じ事務所の所属俳優だった、などで。
 一回でも生で会っているというのは、僕にとってすごく大事なことなのです。稲垣君は、なにも誤魔化さない本音の人だったし、長谷川君は、ぽつぽつと俯き加減に話すその神経質さに興味を持ったし、渋川君はいつもにこにこしながら近づいてくる。お互い素の状態で会って、その俳優の情報というか、その印象や存在が頭の中に蓄積され、僕の中にタレント名鑑ができる。

―  なるほど独自のタレント名鑑ですか(笑)。配役が決まった後、俳優さんと密に話し合ったのでしょうか。

阪本: クランクインするまでの僕のやり方として、一対一で会って食事するわけです。今までも、主演級の男優女優とはそうやってきました。
 会って何を話すかというと、台本開いて打ち合わせするわけではなく、お互いのことを語るのですね。僕がどんな環境で生まれ、どんな思春期を送り、どんなことを考えて、どんな恥を掻いたかをまず僕からしゃべるのです。つまり、まずは僕のことを理解してほしいという食事会なのです。
 最初は緊張していた俳優さんも、同じように、「昔、子供時代にこんなことあったんですよ」なんて話が出てくると、彼らのことが分かるし、距離も一気に縮まる。
 そして、彼らに見抜かれた状態でクランクインした方が断然、合理的なのです。
 現場で演出について口ごもって何か言おうとしているとき、僕のことバレていますから、「ああ、こういう事を言いたいんだな」と解釈してくれる(笑)。

―  今回のオリジナル脚本は、ふたつのシナリオが合体したというようなことを耳にしましたが、炭焼き職人の話は、大分、前からあったものなのですか?

阪本: 「同級生」を題材にしたものと、炭焼き職人の物語を両方とも4〜5年位前に書いていましたね。「同級生」の方は高齢の人物の話で、それは叶わなかったのですが。他の取材でもしゃべったのですが、『画家と庭師とカンパーニュ』(08)というフランス映画に両方の脚本とも影響を受けているのです。
 その作品は、主人公の画家が故郷の村に戻って、いまは庭師を生業とする同級生に再会するという話です。その土着の、土の匂いのする庭師に興味を持ったんですね。僕はこれまでの作品の中で、農業や林業や漁業も触ってきて、他に土着的なもので何が残っているだろうかと思ったときに、土の匂い=炭焼きを思いつきました。
 炭焼きは、土を触るというのとはちょっと違いますけれど、山で木を切ったり土で窯作ったりも含めて、まだその仕事の全容を知らない人がほとんどで、おもしろいなと。しかも、陶芸家というアーティストではなく、あくまで熟練職人で。
 誰もやってない職業って、やってみたいじゃないですか。前作では漢方薬がどう作られるかみたいな話(『団地』)をやりましたし。

戦争をテーマにした写真展を見に行って、そこで小石清さんという人を知った

―  長谷川さん扮する瑛介が、「お前たちは世界を知らない。世界で紛争や何が起きているかを」。それに対して紘は、「こっちだって、世界なんだよ」っていう。その辺りがタイトルの「半世界」に繋がる素晴らしいセリフだと思って。

阪本: 自衛官として自分が見てきた世界が、本物の世界だって信じ込んでいる瑛介がいるわけですからね。テーマとしては、紘のような土着の人間が地方都市から世界を見たらどうなんだと。
 それは、僕が5ヶ国ぐらい海外ロケをやってきて、それが僕自身の視野を拡げてくれたのだけれど、一方で、日本の中の普通の営みから世界を見ることで、また違うものが発見できると思っていましたから。そうやって越境することで分かったこともあるのです。自国の自分の立ち位置に戻ることで、景色が変わると。
 今回は『エルネスト』の反動でもありますけれど、日本の小さな地方都市の話がやりたいと。ただ、“世界”というワードには触れたいと思ったので、帰ってくる同級生を、海外派遣を経験した元自衛官という設定にしたのです。多少重たいテーマというか、日本の自衛隊の現状に触れてはいるけれど監督として、そこの社会性だけで観る映画ではなく、「人は生まれて死ぬ」という、単純なところを真ん中に置きたかったわけです。

―  小石清という戦前の報道カメラマンがいて、彼の写真集の「半世界」というタイトルに惹かれたと、監督が言っていらして…。

阪本: 15年ほど前に戦争をテーマにした写真展を見に行って、そこで小石清さんという人を知ったのですね。その写真集を見たときに、プロフィールに、戦前はアマチュアカメラマンで、前衛的な作品を撮っていたと書いてありました。
 彼は、戦争のせいでフィルムが配給されなくなってきたとき、どうしても写真を撮りたいと、日中戦争の従軍カメラマンになるのです。その時に撮ってきた写真集が、「半世界」というタイトルです。
 実は従軍カメラマンだから、勇ましい日本兵を撮ってこなくてはいけないのを、中国の現地のおじいちゃん、おばあちゃん、子供、そして象や鳥などの動物、そういうものを撮って、タイトルに「半世界」と付けていて。僕はすぐにメモしましたね。いつか自分の映画のタイトルに使おうと思って。
 そして、この「半世界」の意味は何なのかと思ったとき、実際の小石さんの解釈は分からないですけれど、“もうひとつの世界”というものがあると。戦争中は覇権的な世界視野ばかりが謳われるけれど、大多数は小さな営みの集合体であって、そっちも世界なのだと小石さんは訴えているんだと。亀井文夫さんのドキュメンタリー『戦ふ兵隊』と同じものを感じたのです。

― 戦争に行っても、戦争とはまた違う「半世界」があると。

阪本: 小石さんが発表したその写真集は、戦争批判と解釈されたりしたらしいですけれど。反戦カメラマンと言う人もいたみたいですし。
 同じものづくりの人間として、小石さんと似た発想でやってみたいと思ったのですね。

― ネタバレ注意報ですけれど、明(紘の息子)の未来に、監督の最初の作品を思い出しました。

阪本: そもそも、あの場面、脚本にはなかったのですよ。クランクアップ何日か前に思いついたものです。で、昔からのスタッフに自己模倣かなと言ったら、「もう30年経ったから、いいんじゃないですか」とか言われてね(笑)。

2018/9/25(火)虎ノ門ヒルズフォーラム
インタビュー/構成:小出幸子(東京国際映画祭)


東京国際映画祭、2018.10.19 [インタビュー]
「普通の営みの中から世界を見ることで、違ったものが生まれると思っていました」
第31回東京国際映画祭コンペティション出品作『半世界』 阪本順治監督スペシャルインタビュー

https://2018.tiff-jp.net/news/ja/?p=49838

 では、予告編を動画で。
 ヤッホーくん、雨予報があるけど映画館に出かけたいなって言ってます。

『半世界』本予告 2019年2月公開
監  督 :阪本順治
キャスト :稲垣吾郎、長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦 ほか
公式サイト:http://hansekai.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=0KmlLWQp6rQ

 「半世界」

 昨年の東京国際映画祭で観客賞を得た「半世界」。
 中年に差し掛かった地味な炭焼き職人を、アイドルとして派手に活動してきた稲垣吾郎が演じる。
 稲垣のためにオリジナル脚本を書いた阪本順治監督は「稲垣君には土の匂いのする役が似合うと思った」と語る。

 稲垣演じる高村紘は、妻の初乃(池脇千鶴)と息子の明(杉田雷麟〈らいる〉)と地方都市に住み、備長炭作りで細々と生計を立てている。
 ある日、自衛隊員だった同級生の瑛介(長谷川博己)が帰郷する。紘は、同じく同級生で中古車販売店を経営する光彦(渋川清彦)と3人で旧交を温めるが……。

 阪本監督は稲垣について「彼に会うと、テレビで見るのとは全く違っていた」と語る。

「大人の論理が支配する芸能界に若い頃から身を置き、『素朴』を貫き通すことで長く生き抜いてきたんだなと感じました。それが僕の中で、山奥の窯に独りで向き合い、汗を流し、火と闘う男になった」

 稲垣は「十三人の刺客」や「おしん」などで高い演技力を発揮してきた。
 「稲垣君の魅力は何も足さないところにある」と阪本監督はみる。

「むしろ、自分が持っているこの部分は炭焼き職人に必要ないと感じたら、彼は自ら削(そ)ぎ落としていくことができるんです」

 紘は職人肌の男だ。
 しかし、いわゆる男らしい男とは違う。
 例えば、道路の反対側でチンピラに絡まれる光彦を見つけた時、一目散に突進していく瑛介に対し、紘は道路の両側を見て、車が来ていないのを確認してから走り出す。

 「僕自身にああいうところがあるんです。渋川君のおちゃらけて説教じみているのも僕だし、長谷川君の極端にナーバスになるのも僕。池脇さんの自立しているところは、なりたいけどなれないという僕の憧れです」

 2月15日から全国公開。


朝日新聞、2019年2月15日16時30分
稲垣君には土が匂う役、似合う
「半世界」の阪本順治監督

(編集委員・石飛徳樹)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13895007.html?rm=150

2019年、文化娯楽面の幕開けを飾るのは稲垣吾郎(45)。
SMAP 解散後、ファンサイト「新しい地図」を拠点に活動を続けていて、俳優としては2月15日公開の主演作「半世界」で新たな境地を切り開き、盟友の草なぎ剛(44)、香取慎吾(41)と一緒に取り組む2020年東京パラリンピックの啓発活動にも特別な思いを抱く。
地図に終わりはなく、広げていくもの−−−。
稲垣が語る新年の抱負は、力強いメッセージでもある。
 
 「世の中は、波瀾(はらん)万丈な人生を送る人ばかりじゃない。派手なエンターテインメントではないけれど、普通の悩みを抱えた市井の人の心に響いてほしい」
 「半世界」への思いをそう語る。地方で暮らす炭焼き職人の紘(こう)を演じた。山中の窯で備長炭を焼き、街で売る庶民的な自営業者だ。知的でスタイリッシュな役が多かったが、「環境が変わり、新しいスタートを切った時期に、ふさわしい映画を与えていただいた」と新たなチャレンジに手応えをつかんだ。
 反抗期の息子との対話も劇中の見どころの一つだ。「自分も父親になったら、こんなふうに不器用になっちゃうのかなと思った。没頭して何かを作るのも好きだし、かけ離れた役のようで、どこか自分っぽいところがあるのかも」と振り返る。約1ヶ月滞在した三重・伊勢志摩地方でのロケでは「日本の原風景のような場所で、多くの方に協力をいただきながら役作りができた」と感謝する。

 映画では今年、手塚治虫原作の主演作「ばるぼら」も公開予定で、こちらは破滅型の小説家役。「他人の人生を演じ、その世界に連れて行ってもらえるのが俳優の仕事の魅力。どんな役にも、どんな世界にもなじめるようにしていきたい」と信条を語る。
 芸歴は30年を超えるが「俳優一筋の方に比べれば、出演数は少ない。作品数を増やしていきたい。映画に舞台、もちろんテレビドラマもチャンスがあればやりたい」と意欲を見せる。
 SMAP 解散後、草なぎ、香取と始めた「新しい地図」は、基本的に個人としての3人の集まる“場所”。そこに集うファンやスタッフも大切な仲間だという。でも「グループ名ととらえてもらっても、応援してくれる人の見方で良いと思う」。草なぎ、香取の二人とは「SMAP 時代よりもよく話し、ほどよい距離感を保っている」と話す。
 その3人が力を入れているのが、東京パラリンピック開催に弾みをつける「スペシャルサポーター」の役割だ。パラスポーツ(障害者スポーツ)の普及や認知度の向上に励んでいる。
 3人で歌う応援曲「雨あがりのステップ」を配信で出し、昨夏にはその売り上げ約2300万円を競技の発展のために寄付した。「皆さんが多くの寄付金を与えてくれた。みんなでパラ五輪を盛り上げていくことにつなげたい」と喜ぶ。同11月に東京都調布市で啓発イベントに三人で出演し、選手や障害のある音楽家らと交流した。

 2018年の年末にも千葉市で開かれたウィルチェアー(車いす)ラグビー大会で、ゲストとして競技用車いすに乗り、選手のタックルも受けた。「車いすでぶつかる衝撃とかを体験できた。障害者の競技というより、新しいスポーツの一ジャンルです」と目を輝かせる。
 国民的人気グループの活動に終止符を打って2年が過ぎた。稲垣、草なぎ、香取の3人は真っ白で大きなスペースに向き合い、自分たちの地図を描き始めている。

◆ 三者三様 アップデート

 三者三様の活動は充実している。
 パリ・ルーブル美術館で個展を開くなど画伯としても活躍する香取を「平昌(ピョンチャン)(冬季パラリンピック)も観戦し、パラスポーツには一番意欲的」、草なぎを「先月の舞台『道』で、パワーや気迫といった新しい姿を見せてくれた」。
 刺激し合う仲間のことをうれしそうに語る。
 先月45歳になった稲垣は「新しい地図」に託して心境を語る。

人生って、描いて旅して終わりじゃない。地図をずっと広げていくことだと思う。知っている場所もアップデート(更新)されていく。終着点は、考えたことがない

<映画「半世界」>
 地方都市で製炭業を営む39歳の紘(稲垣吾郎)は、妻の初乃(池脇千鶴)と中学生の長男明(杉田雷麟(らいる))との3人暮らし。ある日、自衛隊員として海外派遣されていた同級生の瑛介(長谷川博己)が退官して帰郷する。心の傷を察した紘は、中古車販売業を手掛ける光彦(渋川清彦)を誘い、同級生3人で十数年ぶりに酒を酌み交わす。数日後、紘は瑛介を炭焼きの仕事に誘うが……。昨年の東京国際映画祭コンペティション部門に出品。阪本順治監督。

<いながき・ごろう>
 1973年12月8日、東京都出身。6人組グループ「SMAP」(のちに5人に)のメンバーとして1991年デビュー。歌や映画、テレビドラマ、バラエティーなど多彩に活躍。2016年末に解散後は、元メンバーの草なぎ剛、香取慎吾と志を共にし、ウェブサイト「新しい地図」を拠点に活動を続けている。


[写真‐1]
「半世界」の一場面。左は息子役の杉田雷麟

[写真‐2]
昨年2018年12月、千葉市であった「ウィルチェアー(車いす)ラグビー日本選手権」で競技用車いすに乗る稲垣(左)=日本財団パラリンピックサポートセンター提供

[写真‐3]
昨年2018年7月、パラスポーツ応援ソング「雨あがりのステップ」で得た収益を寄付する3人=東京都品川区で

東京新聞・朝刊、2019年1月3日
吾郎、広げる地図
(酒井健)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2019010302000132.html

 では、「雨あがりのステップ」:

新しい地図 - 雨あがりのステップ
▼ オフィシャルホームページ
https://atarashiichizu.com/
https://www.youtube.com/watch?v=n_GExOcP-mU

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2019年02月18日

蔵王の樹氷に新たな脅威

 ヤッホーくん、もうひとつ山形の話題で今日の日記を閉じたいんだって。
 それは、蔵王の樹氷。
 山歩クラブでもうだいぶ前、スノーシュウもいいけど、蔵王の樹氷が立ち並ぶ中、スキーで滑り降りる企画をやりたいねって話をしましたが、話だけで終わりましたね、そんなこと思い出しながら、テレビを見ていたんですって。

テレビ朝日、2019年2月18日(月)19:00 〜 20:30
帰れマンデー見っけ隊
人生で一度は見たい山形・蔵王の“樹氷"を目指す乗り継ぎ旅

https://www.tv-asahi.co.jp/pr/contents/20190218_04641.html

 山形と宮城の両県にまたがる蔵王(ざおう)連峰。
 標高1700メートル余りの山々が南北25キロにわたって連なります。
 気温が氷点下10度以下になる日が続く2月は、樹氷が最も美しくなる季節。
 風に向かって刻々と姿を変える自然の彫刻、樹氷の風景です。


動画で見るニッポン(この動画は、2008年に放送したものです)
蔵王連峰 樹氷の風景
風が刻んだ彫刻

https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004080092_00000

(この動画は、2011年に放送したものです)
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990120_00000

 山形県と宮城県にまたがる蔵王山で、アオモリトドマツがおよそ500ヘクタールにわたって、立ち枯れているのが、森林管理署の調査で新たにわかりました。
 アオモリトドマツは蔵王の冬のシンボル「樹氷」ができる木で、観光への影響も懸念されています。
 いったい何が起きているのでしょうか?


NHK山形ポータル、2018/12/05(水)
[記者特集]樹氷
新たな脅威迫る

山形局記者
https://www.nhk.or.jp/yamagata-blog2/300/310595.html

 みなさん「世界三大樹氷」って知ってますか?
 そもそも樹氷は、空気中の0度以下に冷やされた水分が、強風に吹き付けられて、常緑樹であるアオモリトドマツ(モロビ)の枝や葉に着氷し成長したもの。
 この条件は、世界の豪雪地帯でも条件が厳しく希少とされていますが、特に日本の東北地方に多く分布しています。
 中でも「青森市八甲田連峰」「北秋田市森吉山」「山形市蔵王」の3ヶ所が「世界三大樹氷」として有名です。

 その3市が集まって、いろいろな話をする国際樹氷サミットが開催されるという話題 ☟
 樹氷を観光資源として活用し、外国人観光客を呼び込む方策について考える。北秋田市と山形市、青森市の市長らが参加する。3市は、樹氷が見られる森吉山、蔵王山、八甲田山を抱えている。北秋田市での開催は初。
 パネルディスカッションで樹氷を活用した観光推進策を話し合うほか、旅行会社や海外メディアの関係者も招いてツアー商品開発、情報発信について意見を求める。
開催日:1月26日(土)
時 間:14:30から
場 所:北秋田市阿仁ふるさと文化センター
料 金:サミットは観覧無料

 去年はツアー客が樹氷にスプレーで「誕生日おめでとう」なんていうメッセージを書いてしまうような悪質なマナー違反もありましたし、そこらへんの問題点も話し合ってほしいと思います。

 他にも読売新聞に心配なニュースが…☟
調査木60本のうち45本が食い荒らされていることが判明した。今年度には被害が60本全てに及び、標高1420メートル付近にも拡大。

 なんと松くい虫によって、樹氷の芯となるアオモリトドマツが立ち枯れしているとのこと。
 温暖化の影響もあるようで、これは徐々に北上してくるかもしれませんね。
 美しい樹氷のある風景を守っていくために、自分たちが今からできることは何でしょうか。
 その答えを探すきっかけになれば良いですね。
 最後に森吉山の樹氷動画をご紹介します ☟
森吉山阿仁スキー場 樹氷
https://www.youtube.com/watch?v=UKQN5zID1dk


ORIYAMAKE、2019-01-10
まもなく樹氷サミットですが
https://oriyamake.hatenablog.com/entry/20190110/1547073771

 国際樹氷サミット北秋田市が、1月26日(土)に阿仁ふるさと文化センターで行なわれ、北秋田市、山形市、青森市の市長らが参加し、連携を図りながら樹氷の魅力を国内外に広く発信していくことを誓い合いました。

 国際樹氷サミットは、世界的な絶景として知られ、東北地方の冬季山岳観光の大きな魅力となっている樹氷原を活かした観光を創造するため、日本を代表する三大樹氷形成地の青森市(八甲田連峰)、山形市(蔵王山)、北秋田市(森吉山)が、広域的に連携して国内外へ広く発信し、東北地方の良さが際立つ魅力ある観光地づくりを目指すために3市が持ち回りで開催しているもので、今回で3回目を迎えます。

 この日は、午前の部に樹氷鑑賞ツアーが行われ、海外の旅行業者や招待客約40人が参加し、森吉山の樹氷を鑑賞しました。午後から行われたサミットには、青森市の前多正博副市長、山形市の佐藤孝弘市長、津谷市長をはじめ、関係団体の代表者、海外の旅行業者や報道関係者など、約180人が参加しました。

 開会にあたり、主催者を代表して津谷市長が「サミットを通して、樹氷という世界的に貴重な地域資源を冬季観光の柱とし、自然の大切さ等にも理解を深めながら、関係機関の皆様とともに国内のみならず、外国人客のさらなる誘致に結びつけたい」などとあいさつを述べました。

 続いて、JTBグローバルマーケティング&トラベル営業企画部デスティネーション開発担当部長の阿部昌孝さんが「最新のインバウンド状況〜訪日外国人旅行客の趣向・特徴〜」と題して基調講演を行いました。阿部さんは「東北地方に多くのインバウンドが訪れる時期は4月の桜と10月の紅葉の時期。今後の展開として、桜や紅葉の時期だけでなく、年間を通してインバウンドに来てもらうことが重要となる。各県の祭りなど東北地方ならではの個性と樹氷を活かした広域連携をすべき」などと考察を述べました。

 このあと「個性・連携・樹氷の未来について」をテーマにパネルディスカッションが行なわれました。パネリストとしてな3市長のほか、関係団体の代表ら計8人が参加。北秋田市からはNPO法人森吉山の片岡信幸理事長と秋田内陸縦貫鉄道株式会社の吉田裕幸代表取締役社長が参加しました。

 はじめに、それぞれの樹氷の個性や特徴について述べ、山形市の佐藤市長は「蔵王は樹氷鑑賞だけでなく、温泉やスキーなども含めた総合型リゾート。課題である冬季以外の観光客を増やす対策として桜を植え始めている」などと、青森市の前多副市長は「インバウンドの受け入れ態勢づくりとして、ロープウェー山頂でインターネットにつなぐことができるよう実証実験を行っている」などと紹介しました。

 また、津谷市長は「樹氷鑑賞期間中は、樹氷案内人を配置し、案内のほかスノーシューの貸し出しや樹氷教室などを行っている。また、ゴンドラを降りて徒歩5分くらいのところに樹氷平があり、アクセスが良いことに加え、天候不良時には山頂駅舎に隣接しているビジターセンターの中から樹氷を鑑賞することができ、いつでも誰でも気軽に樹氷鑑賞をすることができる。このほか、秋田犬とのふれあいはインバウンドにとても好評である」などと森吉山における樹氷鑑賞の特徴を紹介しました。

 関係団体からは「スノーモンスターという言葉がよく使われるが『樹氷』という言葉でブランド化すべき」「3市で樹氷についての情報共有をもっとしていくべき」「樹氷という資源が持続するよう、環境に配慮した取り組みも行うべき」などと活発な意見交換が行われました。

 閉会にあたり、次年度開催地である山形市の佐藤市長が「本日のサミットを通じていろんな課題が見つかった一方で、より良い方向性も見えてきた。今回でサミットは一巡したことになる。来年は、蔵王で皆様と顔を合わせながら、より議論を深めていける機会を作りたい」と来年の再会を呼びかけました。


北秋田市公式サイト、2019年1月26日
国際樹氷サミット北秋田市
魅力ある観光地を目指し広
域連携を
http://www.city.kitaakita.akita.jp/chiiki_wadai/2019/01/26-juhyousummit.html

 え〜と、樹氷地帯の環境劣化について、現状と対策、提言って話題にのぼったのかしら・・・

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テツandトモ

 トモ(山形出身)です。
 北海道から一旦帰って来ました。
 北海道では普段あまり食べない朝食を毎日しっかりいただきましたよ。
 美味しさのあまり連日食べ過ぎたので、体重が増えてるだろうな〜と恐る恐る体重計に乗ると・・・
 何と!全く増えてませんでした〜(^O^)。
 毎日やってる足をグルグル回す体操200回と、筋トレもどき(^^)の効果があったのかな??
 でも、食べ過ぎは注意ですね(>_<)。

 さて、2018年10月18日(木)は・・・
 Eテレ「きょうの料理」の収録でしたよ(^O^)。
 番組が始まって61年目!
 歴史のある番組に呼んでいただき光栄です(*^^*)。

 今回は、僕の故郷「山形」の郷土料理をアレンジしました!!
 新米「雪若丸」も美味しかったです(^^)。

 放送は・・・
◯ 10月24日(水)Eテレ夜9時00分〜9時24分
 「きょうの料理 つくろうにっぽんの味47」

【再放送】
◯ 10月25日(木)午前11時00分〜11時24分

 是非!見てくださいね(*^^*)。

 山形の食材が沢山 \(^^)/。

[写真] 山形県鶴岡市「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ・奥田さん、アナウンサーの稲塚さんと(^O^)。
[写真] 本番収録中〜。どんなお味の料理が出来るのか?ワクワク!!
[写真] 最高の料理が完成〜(^O^)。
[写真] スタッフの皆さんも一緒に!!


テツandトモ公式ブログ、2018/10/19 15:54
きょうの料理(^-^)。
https://lineblog.me/tetsu_and_tomo/archives/9351251.html

 ヤッホーくん、「いも煮会」もいいけど、「いも煮パスタ」をつくって皆んなをびっくりさせてやろうかなって、思っておるそうです。

https://www.nhk.or.jp/lifestyle/program/tkaj47/yamagata/enquete/index.html

 で、このお笑い芸人「テツandトモ」は、旅回りの超ベテラン!

 歌手志望のテツ(46=写真左)と役者志望のトモ(46=同右)が、ひょんなことからコンビを組んで19年目。
 「なんでだろう〜」のフレーズが今も耳に響くテツ and トモだ。
 「奥さんより、一緒にいる時間が長い」(テツ)という仲良しの2人だが、目下の悩みは“忙しい”こと。
 今日も旅の空の下にいる。

テツ「息子が『お父さん、死んじゃったの』と妻につぶやいたそうです。……さすがに切なかったですね」

 赤ジャージーでカメラを前にポーズをつくった後、さすがに参ったという顔をしたテツさん。
 家に戻れば、小学校6年の長男、3年の長女、3歳の次男の3人の良きパパだ。

 なにしろ、山形グランドホテルでディナーショーを終えると、翌日には福岡に移動してソフトバンクの始球式。
 すぐに新幹線に飛び乗って大阪まで移動し、翌日は福井で昼夜の2ステージといったあんばいなのだ。

トモ「次の日は千葉と埼玉でステージでした」

 先週末からは再び4泊5日の行程で全国を飛び回っている。

トモ「山形花笠まつりのゲストで山形に行って、大阪、淡路、また大阪、そして徳島……」

 いや〜、一年の半分が地方という説明もうなずける。

テツ「地方に行ったら『おいしいものがいっぱい食べられていいですね』とよく言われるのですが、移動とホテルの往復ばかり。その合間に弁当を食べる感じですね」

 ある日の2人は、深夜に帰宅し、睡眠わずか3時間でまた早朝7時20分発の北陸新幹線「かがやき503号」に飛び乗って長野へ向かった。

テツ「唯一の趣味とも言っていいのが、釣りです。地方に行く際は、縮めれば30センチくらいになる3メートルのマイ竿を持参して、少しでも時間が空けば釣り糸を垂らしています。移動中もユーチューブで釣りの動画を見ています」

トモ「僕は、ブログを更新していることが多いですね。写真を100枚撮っても、使えるものが1枚しかなかったり、結構大変なんです」

 そんな2人がコンビを結成してから19年の歳月が過ぎようとしている。

トモ「18歳で山形から上京し、コンビを組んだのが互いに27歳のとき。テツは歌手、僕は役者を目指していましたが、たまたま結婚式の余興で2人で芸をしたのが今に至っています。僕たちはたまたま運にも恵まれていて、『爆笑オンエアバトル』(NHK)という若手の登竜門的番組もあった。そこでは今も一線で活躍する芸人がライバルにいて、互いにしのぎを削りながらネタ作りに励んでいた。彼らに負ければ、オンエアされない(敗者は放送されない)わけですから、そりゃもう必死でした。そこで苦労した分が、今の糧となっているような気がします」

 傍らでは、2人とずっと苦楽を共にしてきた美人のマネジャーが静かにうなずいている。来年は結成20周年、オリジナルアルバムを出す予定だ。


[写真]コンビを組んで19年目

日刊ゲンダイ、2016/10/17 04:37 更新
1年の半分が地方 家にいない

「テツandトモ」に息子が一言

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/187445/

 「なんでだろ〜、なんでだろ〜」でおなじみのお笑い芸人「テツ and トモ」のテツさんは、中2の長男、小5の長女、もうじき5歳になる次男がいる三児のお父さん。
 ご自宅での様子を伺いました。

◇ ◇ ◇ 

 うちは、僕とカミさん、子どもたち、カミさんの両親をあわせた7人で一緒に暮らしています。
 来月2018年5月9日は僕の誕生日なんですが、我が家は5月に誕生日を迎える人が4人もいる。
 結婚記念日も5月なので、5月は一年で一番ケーキを食べる月です。
 だから若干、ラストを飾る26日のばあちゃんの誕生日の頃には「もう食べ飽きたなぁ」みたいな空気になります(笑)。

 土日はイベントのお仕事で休めないことが多いので、子どもたちと休みが合うときは張り切って自らホットプレートを準備して、お昼ごはんにお好み焼きやたこ焼きを作ります。
 ホットプレートはいいですよ!
 焼いている最中もみんなと話せるから楽しいし、できたそばからどんどん食べてもらえるから。
 基本的には僕が焼き担当で、他のみんなは食べる担当。……なんですが、近頃は娘からよく指導が入ります。
 たこ焼きを返そうとすると、「父さん、まだ早い」。
 クレープやパンケーキを焼くこともあるんですが、それも「父さん、もう少し生地に牛乳を入れないと」。

 もともと娘に作り方を教えたのは僕やカミさんなのに、今では何を作らせても僕より娘の方が上手だから、すっかりアドバイスを受ける立場になっちゃいました。
 ときどき子どもたちだけで作ったクレープをラップに包んで僕に残しておいてくれるんですが、それもすごくおいしいんですよ。

 僕にとって家族で囲む食卓は、親子のコミュニケーションをとるのに欠かせない場になっています。
 長男は年頃なのか、最近僕に対して少しそっけないんです。
 「今日の剣道の試合どうだった?」って聞いても、「うん、まぁ……」みたいな。
 でも、みんなでごはんを食べながらだと、学校や友達のことも自然と聞き出せるんですよね。

 長男の皿にだけ、こっそり好物のマグロの一番おいしい部分を載せたり、肉を多めに取り分けたりすることもあります。
 長男は優しいから、下の子たちによく食べものを譲っているんですよ。
 「そういうの、父さん気づいてるから!」という無言のアピールの場としても、食卓は使えます(笑)。
 うれしそうな顔で「ありがとう」って言われると、つれなくされたときのあの寂しい気持ちも吹き飛びます。

唯一の遊び相手 父のモノマネをする次男

 上の子たちが大きくなった今、僕と遊んでくれる唯一の相手は次男です。
 勘がいいのか、僕のネタも数回見ただけですぐに覚えちゃう。
 モノマネもうまいんですよ。
 「それでは登場していただきましょう、テツandトモさんです! どうぞ〜!」と僕に言わせて、「なんでだろ〜 なんでだろ〜」、「うちの父さん寝てるのに、テレビ消そうとすると『見てるんだよ!』って言うの、なんでだろ〜」って。
 頼んだわけでもないのに自発的にマネをしてくれるのは、やっぱりうれしいです。

 一方、長男と長女からは「なんでだろう」のネタへのツッコミを受けています。
 「教室のカーテンに巻きついて遊んでる奴、なんでだろ〜」も、「今の学校はカーテンじゃなくてブラインドだよ」。
 「スーパーの値札のシールを貼りつけて『おまえ100円』ってやる奴、なんでだろ〜」も、「父さん、今はバーコードだよ」。
 気がつけば、「なんでだろ〜」をやり続けて20年。
 そりゃ時代も変わりますよね。

 もともと歌手志望だったから、20年も「なんでだろ〜」をやることになるなんて思ってもみない人生でした。
 自分で言うのもなんですが僕は割と真面目な性格で、家ではおもしろいことを一切言わない。
 子どもたちも「父さんはなんでお笑いやっているの?」と首を傾げていて、家族にとって最大の「なんでだろう」は僕が芸人をやっていることなんですよ(笑)。

 でも、20年間お笑い芸人をやり続けてこられたのは誇れること。
 父親として偉そうに子どもたちに言えることは何一つないですが、「自分で決めたことをずっと続けることの大切さ」は、僕の姿からなんとなく感じ取ってもらえたらいいなぁと思います。

◆ テツ
 1970年5月9日生まれ。1998年にお笑いコンビ・テツandトモを結成、今年20周年を迎えた。


[写真‐1]
3人の子どもたちに、「父さん」と呼ばれているテツさん。「家の中はいつもにぎやか。でもその騒がしさも大好きです」

[写真‐2]
冬季五輪に影響されてスキージャンプの様子を再現する次男と、次男を支えるテツさん。「ものすごく良い写真が撮れました」

朝日新聞、2018年4月13日
「父さん、真面目なのになんでお笑いやっているの?」

テツandトモ・テツの子どもたちが思う最大の“なんでだろう”
(聞き手・渡部麻衣子)
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018041167011.html

 ではここで、その「結成20周年、オリジナルアルバム」をどうぞ!

テツandトモ 「なんでだろう20連発!!」予告編!3連発だけ見せちゃいます(笑) [2017/7/12 CD+DVD発売]
https://www.youtube.com/watch?v=5s1AGrpIxHI

 そして、こんな動画も:

テツandトモ「おんなじ空の下」ミュージック・ビデオ(2016/4/6発売)
https://www.youtube.com/watch?v=sdHTGYZzkJ4

テツandトモ「泥の中の蛍」ミュージック・ビデオ(2016/4/6発売)
https://www.youtube.com/watch?v=jRZQYLjkn08

テツandトモ - 「桜前線」ミュージック・ビデオ(2014/2/26発売)
https://www.youtube.com/watch?v=VbphMQ58YI4

テツandトモ - 「立川談志 作詞楽曲」(2017/7/12 20周年記念アルバム発売)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=4tk_b_yRE4M

 ね、いいでしょ。この唄に出てくる「」!

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男女間の教育格差

 そして、大手メディアの記事がどんどん、有料記事になったり、すぐに削除されたりして、知る権利が危うくなってきているとき、急ぎヤッホーくんの今日2月18日の日記に貼っておきます:

■ Dear Girls

 一連の医学部不正入試問題に関連し、「進学や就職で性別を理由に差別されたことがあるか」を朝日新聞デジタルのアンケートで尋ねたところ、「ある」または「身近で見聞きしたことがある」が合わせて8割に達しました。
 教育現場での差別や男女格差が何をもたらすのか、専門家に聞きました。独自の教材を活用する滋賀県の取り組みも紹介します。

■ 「女だから」と進学否定

 アンケートには、性別を理由に進学や就職で差別されたという体験談が多く寄せられました。その一部を紹介します。
◇ ◇
 ● 「現役理系大学生です。第1志望の大学に受からなかったとき、浪人しようか悩んでいたが、親から『女の子は浪人しないほうがいいよ』と言われ、まだ若かった私は『そういうものなのか』と信じて受かったところで勉強している。浪人すればよかったかもしれないと今は思う」
(東京都・20代女性)
 ● 「大学進学の際に、祖父から『女の子がそんなに学歴ばかり求めてたら結婚できなくなるぞ!』と言われたことがあります。地方出身だからかもしれませんが、女子という理由で勉強の機会を否定されることに強い憤りを感じたのを覚えています」
(東京都・20代女性)
 ● 「高校時代、理系を希望する成績優秀な女子生徒が文系の学部を受験するよう指導されていました。自分自身も、先生たちから『女子は伸び悩む』と言われ続け、真に受けて成績を落としてしまいました」
(長崎県・20代女性)

* * <バカなフリ、終わりに>

 ● 「女の子なんだから危険を避け冒険を控えるべきだ、女の子は男より優秀じゃない方が可愛がられる、女の子は親の老後の世話をすべきだ、女の子はいずれは結婚して出産して家事育児を担うのが当然……といった価値観が当たり前のものとして広く受け入れられており、女の子を縛っている。女の子にもやりたいことに挑戦させ、能力を存分に発揮させる社会であってほしい。自分より優れた女性は恋愛対象にならない、という男性たちの顔色をうかがいながら、バカな女のフリをするのはもう私たちの世代で終わりにしたい」
(岩手県・40代女性)
 ● 「高校時代は数学が得意で理系に進む予定でした。しかし男女両方から、女のくせにと言われ嫉妬され数学がクラスでトップと発表される度に友人関係が悪くなり、文系に進んでしまいました。似合わない文系の世界で、居場所を見つけられないまま今日まできました。男性と同じことをしたい目的はありません。自分に適した道に進みたかったと思います。リケジョがあまり増えないのは、その芽をつんでしまう人がいるからではないかと思います」
(兵庫県・50代女性)

* * <就活で不平等感じた>

 ● 「大学進学時に、先生や親族から『女の子は東京の大学になんか行かなくていい』と言われた(四国出身)。就活の時に、産休育休の取りやすい会社を選び就職したが、周りの男子学生は子供ができた時のことなど考えず就活をしていてうらやましく、不平等に感じた」
(東京都・20代女性)
 ● 「進学では、『社会に出て学歴がなく苦労するのは男だから』と弟に進路を譲った。私の方が勉強できたのにだ。就職でも、女性は一般職しかなく、給与や昇進で明らかな差別があった。そして、仕事は結婚後に辞めるのが当然だった。仕事が楽しくて辞めたくなかったが、続けることは自分のワガママ。我慢することが立派な人間なのだと思い込むしかなかった。結果、学歴もない、大した職歴もない、自信をなくしてしまった女の出来上がり。ここからはい上がる方法も見つからず、毎日派遣社員として小さくなって生きている」
(広島県・50代女性)
 ● 「公的職場で働いていた時、とても良い人が人事担当者をしていたのですが、そんな人ですら新卒者からの問い合わせがあった際に『今度も女性からです』とガッカリした口調で上司に伝えていたことを思い出します」
(兵庫県・60代男性)

■ 原因は家庭・学校・企業・国
 NPO法人サルタック理事・畠山勝太さん(33)

 世界銀行やユニセフでの勤務経験があり、教育とジェンダーに詳しいNPO法人サルタック理事の畠山勝太さん(33)に、教育現場での男女格差について聞きました。
 1970年には全ての先進諸国で男性の方が多く大学へ進学していましたが、今はほとんどの国で女性が上回っています。一方、今年度、日本の大学生は男性が56%、女性が44%。大学院修士課程の入学者では男性70%、女性30%です。女性の割合は、先進諸国で最低レベル。東大の学生の男女比も8対2です。なぜ、こんなに開きがあるのでしょう。
 さらに注目すべきは、科学、技術、工学、数学といった理系分野を専攻する女性の少なさです。高学歴の女性、理系で学ぶ女性が少ないことは、何が問題なのでしょうか。

 一つは、男女間の賃金格差が解消しないことです。科学や技術分野は他の教育分野に比べて収入が高いというデータがあります。この分野に進学・就職する女性が少ないと、男女の賃金の差はなかなか縮まりません。国会議員や裁判官をはじめ、指導的・専門的な立場に就く女性が少ないことにもつながっています。

 日本で男女間の教育格差が埋まらない原因は大きく4つあると考えます。家庭、学校、企業、政府です。

 家庭で「女の子なんだから、そんなに勉強しなくても」と言ったり、学校で「女子は手に職をつけられる仕事に」という進路指導がなされたりしていませんか。直接的・間接的に、「女の子らしくない」進路を諦めさせていないでしょうか。
 経済協力開発機構(OECD)のデータを見ると、日本の労働者は男女で同じスキルを持っていても、女性のスキルが職場で生かされていないだけでなく、受けている研修にも差があり、同じ大学を卒業していても、昇進・昇級のスピードが違うと考えられます。
 配偶者の扶養からはずれ、自ら健康保険や厚生年金の保険料を支払うことになる「130万円の壁」など、女性の働き方を抑制させるような税制も政府は放置したままです。こうしたことが女子の学ぶ意欲にも影響していると考えます。

 男女間の格差は、さまざまな要素が複雑にからみ合った問題であり、特効薬は存在しません。社会全体が差別に気づき、さまざまなレベルで改善をめざすしかありません。
(聞き手・栗田優美)

■ 性別で選択狭めぬ教育

 子どもたちが性別による固定的な役割分担意識にとらわれず、多様な生き方ができるように。先生たちも性別による偏見や思い込みを持たずに指導にあたれるように――。

 滋賀県では20年前から、小、中、高校生向けに県独自の教材と、教員向けの手引をつくっています。

 例えば小学生向けの副読本では、料理や掃除、子どもの世話など、家庭内でそれぞれ主に誰がしているかを書き込むページがあり、気づいたことを話し合ってみよう、と呼びかけます。また、女性消防士や男性保育士の姿も紹介されています。
 手引には、「『男の人の仕事』『女の人の仕事』というようにみえても、ほとんどは『性別は関係ない仕事』であることに気づかせる」と、指導のポイントが示されています。
 高校生向けの教材では、「(将来を考える際に)『男だから……』、『女だから……』などと、周りの人から言われたり、自分自身で思ったりしていませんか?」と問いかけ、自分の特性や本当の気持ちに向き合って進路を考えさせるつくりになっています。
 手引では「性別を選択の基準にして、選択の幅を狭めていないか考えさせる」ことなどがポイントとして挙げられています。

 県女性活躍推進課によると、数年ごとに内容を改訂。グラフなどのデータは毎年更新しています。小学5年、中学2年、高校1年の全員分を毎年、県内の全校に配布。昨年度は72.5%の学校で活用されました。
 文部科学省も新年度、滋賀県と同じような目的で、若者向けと教員向けの教育・研修プログラムの開発に取り組みます。「次世代のライフプランニング教育推進事業」として、新年度予算案に3400万円を盛り込みました。

 世界経済フォーラムによるジェンダーギャップ(男女格差)の国別ランキングで、日本は149ヶ国中110位(2018年)と低い評価が続いています。
 同省の担当者は「日本は政治や経済分野で、意思決定をする立場の女性比率がとても低い。背景として、学校現場で無意識のうちに、男女の役割に対する固定的な価値観が植えつけられている実態があるのではないか」と指摘。全国の中学校や高校を対象に、校長や生徒会長の男女比、進路指導などの場面で「無意識の偏見」がどのくらい影響しているかなど、実態調査をする方針だといいます。
(三島あずさ)


朝日新聞(フォーラム)、2019年2月18日05時00分
教育現場の男女格差
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13897839.html

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ブラック研究室

 ドイツは日本と並んで、戦後の発展の中で研究開発を重視し、科学技術の振興を国の重要施策としてきた。
 そのため、論文をはじめとする指標をみると、日本と同様の発展をしてきた。
 しかし、近年、日本はドイツから大幅に引き離されつつある
 例えば、世界で優れた論文といわれる被引用数上位10%の論文をみると、1980年代後半には日本とドイツは約6%台でほとんど同じであったが、2012年にはドイツが11.1%、日本は5.2%と倍以上に差が開いてしまった。
 研究開発費総額はドイツのほうが日本の3分の2程度であるにもかかわらずである。
 日本とドイツ、あるいは日本人とドイツ人は似ているところがあるといわれる。
 しかし、違いも大きい。
 根底にある違いは、ドイツでは社会全体が個々人から構成されているというか、個々の人格がベースとなっていわゆる西欧社会が成立してきたという点にあるのではないだろうか。
 そして西欧で現在の市民社会を作り上げた集団の一つが科学者たちであり、例えば天文学者が宗教界に反抗して地動説を展開したことも結果としてそのような動きにつながった。
 もう一つの集団は技能、技術をもつ人びとであり、彼らは専門家としての組合を作り、市民社会の発展を支えてきた。
 本稿では、このような点を中心にドイツの強靱な研究活動の由縁を探求してみたい。

社会の一角を占める科学者、技術者

 科学者が近代社会の構築の一翼を担ってきたことによるのか、ドイツでは街を歩くと科学者の名前をつけた通りが結構ある。
 私の住んでいたミュンヘンでは、アインシュタイン通り、ライプニッツ通り、マックス・プランク通り、ロベルト・コ ッホ通りなどがあった。
 王室、政治家、文筆家の名前もあるので、それらの人と同じように受け入れられているということだろう。
 技術者は技術者でやはり主要な社会構成員となっている。
 ドイツでは大学に行かない若者は手に職をつけなくてはならない。
 一般的には18歳前後の3年程度、週の半分は学校、半分は企業で見習いとして働くことになる。
 この3年間、企業での労働に対し、生徒を受け入れた企業が給与を支払うことになる。
 15歳の右も左もわからない生徒が見習いに3年間来ることに対して、利益を追求する企業がなぜお金を払えるのかと聞いたところ、3年間をトータルとしてみれば収支はあうという計算はあるとしても、その前提として社会は将来を担う若い世代を育てる責務があるのでそうなっているという答えが戻ってきた。
 大学教育が無料ということは知っていたが、数年にわたる職業訓練の際の給与を企業が負担するという考えが今でも生きているのがドイツである。

  改めてみてみると、ドイツのシステム、例えば、理論(学校での教育)と実践(企業での職業訓練)という二重教育システム、フンボルト理念による教育と研究の一体化、日本の高等専門学校 (高専)の大学・ 大学院版のような専門大学など、どれをとっても ドイツがそのアイデアにおいて発祥の地、あるいはその発展の一端を担ってきている。
 ドイツでは教授(Prof.)、博士(Dr.)などは名前の一部のように扱われており、私ははじめ、これは自らの肩書を自慢しているのかと思ったが、どうも見ていると、 一つの任務をこなすことができることを表示する ものであり、同時に、できなければいけない責任をも明示しているような気配を感じるようになった。

地方分権で成り立つ政治システム

 このようにドイツにおいては科学、科学者、技術、技術者の社会における確かな居場所のあるこ とがわかるが、ドイツの研究環境を考えるうえでは、地方の自治という政治のシステムも度外視できない。
 ドイツの政治システムは特にフランスのそれと比べるとわかりやすいが、大変に地方分権である。
 ドイツは連邦制であり、連邦憲法で連邦の権限を書かない限りは州の権限になる。
 例えば教育の権限はすべて州にあり、連邦はほとんど出る幕が ない。
 研究も基本的には州の権限である。

 連邦政府がもともと専有する権限は、外交、通貨、防衛など少ない。
 これはそもそも現在ドイツと呼ばれる地域では封建諸侯、王国、自治都市などが併存し、1871(明治4)年にようやくプロシアのウィルヘルム皇帝のもとで地方分権をベースとしたドイツ帝国を築くことになったという歴史的背景がある。
 その後、第一次世界大戦を経てワイマール共和国となり、やはり地方分権的な国家形態をとっていた。

 ナチスが政権をとった1933年から敗戦の1945年までは全体主義的であったが、敗戦後、米国、英国、フランス、ソビエト連邦の4ヶ国に占領 され、現在の連邦政府が形成される以前にそれぞれの占領地域で既に別々の行政活動が再スタートしていたため、新たにできた連邦政府においても当然のように地方分権を基盤とした政治・行政システムができあがった。

 この結果、ドイツの地方色の豊かさは文化、社会生活のみならず産業においても各地の伝統に根づいたものが生きており、本当の田舎町というようなところに世界をまたにかけて活躍する中堅企業が散在している。昨冬に訪ねたノルトライン・ ウェストファーレン州(州都デュッセルドルフ)のフェルル(Verl)という人口2万5000人の小さな町にも世界で名の通ったPC制御メーカーのベッコフ社,中堅クラスのキッチンメーカーとして世界中に輸出をしているノビリア社などが居を構えている。

 当然のことながら連邦教育研究省の推進する産学連携施策の最重要プログラムは地域での産学公連携を支援する先端クラスタープログラムである。

大学間格差の少ないドイツ

 では大学のレベルはどうかと考えると、ドイツといっても実態は16の州がそれぞれ各州の大学を支援するシステムのため、全体をトータルした論文の数、質は高いとしても、大学ランキングの上位には入ってこない。
 スイスのチューリッヒにあるスイス連邦工科大学(ETH)がドイツ語圏の大学では世界一であると、スイス人が自慢する由縁である。
 ではランキングには入ってこないのに、質の高い論文が多いのはなぜであろうか。

 ドイツではマックス・プランク科学振興協会の研究所などの公的研究機関の存在が質の高い研究活動の一端を担っていることは事実であるが、大学も7割程度の論文を出している。
 日本とドイツの大学発の論文については面白い分析がある。
 科学技術・学術政策研究所が2014年12月に発表した「研究論文に着目した日本とドイツの大学システムの定量的比較分析」である。分析対象 を2002年から2011年の10年間での総論文数が1000本以上の大学(ドイツは68大学、日本は128大学)について世界における上位10%論文の多い順に大学を並べていくと図2のようになる。
 日本の場合トップ大学(東京大学)は450本、ドイツのトップ大学(ミュンヘン大学)は270本で、東京大学のほうが圧倒的に多いが、日本の場合、2位以下が急激に論文数を減らし、5校目ではドイツの大学のほうが多くなる。
 さらに日本では50本以上を出す大学は11校しかないのに対して、ドイ ツでは37校もある。
 ドイツでは日本のような急激な大学間の格差がみられず、どの大学もそれなりの本数の優れた論文を出している

 同じことを1位の大学を基準とした際の上位10%論文数の相対値分布でみると、日本では10位の大学はトップ大学の10%程度であるのに対して、ドイツの10位の大学は50%近くの論文を 出している。
 これは研究費の配分額でみても同じで、トップ大学を1とした場合に、日本の科学研究費助成事業、ドイツのドイツ研究振興協会の研究費が各大学にどの程度配分されているかをみると、日本では研究費がトップ大学にしかいっていないのに対して、ドイツでは比較的フラットになっていて大学間の差があまりなく、ほとんどの大学が同じ土俵の上で競争している。
 こ れも、ドイツでは16の州がそれぞれ独立して大学を運営していることと無縁ではない。
 ちなみにドイツの大学は各州に分散しているため、規模も中程度であり大学ランキングにはなじみがないように思われるが、タイムズ社(THE)による2017年世界大学ランキングによると、100位以内9校(日本は2校)、200位以内22校(同2校)、400 位以内37校(同8校)となっていて、ここでも日本はドイツに大きな差をつけられている。
 連邦政府の支援もあり、各大学のレベルも向上しつつあることが読み取れる.

研究機関における自治

 さてドイツの基礎研究機関というとマックス・ プランク科学振興協会(以下「MPG」と略称)がその総本山といえよう。
 ドイツ内外に69の研究所、職員2万2000人、うち研究要員1万3000人を抱え、ノーベル賞も戦後だけで18人を輩出している。
 ここでの印象深い言葉は、ミュンヘン近郊ガ ルヒングにあるMPG宇宙物理学研究所の日本人所長小松英一郎氏(ヤッホーくん注)の次の言葉だ。
 連邦政府と州政府は,MPGに対してプロジェクトファンディ ングなどによる第三者資金の調達を求めていない。
 MPG本部も各研究所に対し、外部資金の調達を強制することはないし、もしどうしても研究資金が不足しているということであれば、その調達や調整は本部の仕事であって所長の職務ではない。
 所長は研究に集中するよう言われている。自分たちの活動に対する政府やMPG本部からの「信頼」を感じている。

 日本や米国との差を目の当 たりにし、MPGでの待遇の良さに泣き。。所長といい ながら行政的業務に忙殺されることなく、研究に専念できるとのことであった。。。


政策研究大学院大学(Aug. 2017 Vol.87 No.8
ドイツの研究力の構造
永野 博( ながの・ひろし、慶應義塾大学理工学部訪問教授)
www.grips.ac.jp/list/wp-content/uploads/170801.pdf

(ヤッホーくん注)小松英一郎
 今、日本で生み出される論文数は減っているらしい。
 事実とはいえ信じがたい事態である。
 20年前に東北大で修士の学位を取ってから国外に研究の場を移した僕には、何が起こっているのかよくわからない。
 しかし昨年、財務省主計局次長の神田真人氏が、国立大学のありようを批判したインタビュー記事を朝日新聞や読売新聞で目にして、腑に落ちた。
 要するに、財務省は国立大学の研究者を信頼できていないのである。。。

Web Ronza、2019年02月12日
ドイツはなぜ一流の研究成果を出し続けられるのか

アメリカとは正反対の研究環境こそ「研究者としての能力を一番発揮できる」

小松英一郎(マックス・プランク宇宙物理学研究所所長)
https://webronza.asahi.com/science/articles/2019013100004.html

 売国奴にょる反日派が政権を握ってる限りは、純粋研究の場も成果主義になってるらしいね。
 この記事の翌日のことです、いったい、研究現場で何が起こっているのか、腑に落ちました:

M君のこと

 大学に職を得てから25年あまりになり、その間に多くの学生を社会に送り出したが、時に忘れられない印象を残す学生がいる。その一人が、M君だ。彼が研究室に入ってきたのは、20年以上は前のことだろうか。背が高く、少しボーっとした印象を人に与えるM君が、ある日、事件≠起こした。
 理系の大学の研究室なら、大体どこでも「雑誌会」というゼミの時間がある。自分の研究に関連する英語の論文を抄録して、研究室のメンバーに紹介して発表するというものだ。今はパワーポイントなどPCを使って発表するのが普通だが、M君がいた当時はB4の紙のレジメを配るスタイルが一般的だった。
 M君はその日、雑誌会の抄録担当だったのだが、ゼミの教室に行くと彼のレジメだけない。どうしたのかな、と思っていたが、他の担当者の発表が終わり、彼の番になると、彼は普通に前に出て教壇に立った。レジメなしで発表を始めるのかと思いきや、なんと彼は「論文を読んでいたのですが、間に合わず、できませんでした!」と言って、頭を下げた。
 私の教員生活はおろか、小学校以来の経験を顧みても、こんな発表≠ヘ、後にも先にも、これ1回きりである。こういったケースは、通常、担当者が急に「お腹が痛く」なったり「熱が出た」りして、1週間後に発表が延びるのが普通≠ナある。ちゃんとゼミに参加して、みんなの前に出てきて「できませんでした!」と謝るような学生は、空前絶後だ。
 まじめな学生は「なんで、そんなことになるの?」という困惑の表情を浮かべ、当時、研究室にいた百戦錬磨のさぼりの常連たちの間にも「えっー、そんな手があんの???」と、その斬新さに衝撃が走ったという。

大学が持つ「2つの顔」

 当たり前だが、大学にはいろんな学生がいる。優秀な研究者になりそうな学生もいれば、指示通りに丁寧に仕事はするが、自分で考えるのはちょっと苦手という学生もいたり、また研究にはあまり興味がなく、最低限の労力で単位だけとって卒業すればいいという、さぼりの常連たちもいる。いろんなことをスルスルとすり抜けてゆく優秀な学生がいる一方、M君のようにそういう優秀さ≠ニは縁遠い学生もいる。
 私は、M君のような不器用な真っ直ぐさが、嫌いではない。しかし、そんなやり方が社会に出て通用するはずもない。叱咤すべきなのか?  普通の大人は、そういった時は「急におなかが痛くなるものだよ」と教えてあげるべきなのか? 悩んでしまう。大学の本来の役割は、研究機関というより、やはり教育機関なのであろうと、思う。
 この大学の二面性、つまり研究機関であり教育機関である、という属性は、時にコンフリクトを起こす。そして、教員や大学の評価が厳しくなればなるほど、その軋轢が強くなっていくことが、少なくとも実験系の研究室では、今、起きている。一般にはあまり知られていないようにも思うが、潜在的には深刻な問題であり、現場からの声として、この場で提起したい。

大学の研究室における「教育」の構図

 大学における研究というのは、もちろん教員が主導しているが、実験系の場合、実際に手を動かしているのは、主に大学院生を中心とした学生である。外部資金を多くとっているラボだとポスドクと呼ばれる、給料をもらいながら実験する研究員がいる場合もあるが、全体とすれば数は決して多くない。
 教員が実際に実験をすることも、若い助教を除けば、ごく少数の例であろう。私も一応まだ自分で実験をしているが、まとまった時間を取るのはなかなか難しいのが現実だ。大学の実験系研究室における、研究の主力は学生なのである。
 このラボにおける主な労働力が学生≠ニいう状況は、実に微妙なバランスで成り立っている構図である。学生は学費を払って大学に来ており、給料をもらっているわけではないので、基本的には何かを教わる立場であり、ラボの「労働力」として扱われるのは、本質的には筋違いだ。
 つまり教員の主導する研究に従事することで、実験のスキルであったり、科学的なものの考え方であったり、物事の進め方であったりしたことを学んでいく、という理屈なのである。これが前提であることを、まずご理解いただきたい。

「子どもの貧困」問題

 ここに、成果主義、「選択と集中」のようなことが導入されると、何が起こるか? 

 ひとつめの大きな問題は、「子ども(=学生)の貧困」問題である。「研究ができない」と烙印を押された教員は、研究費が得られなくなる。研究室で「教育」を受けるために、学生に配分される実験経費は極めて少なく、筆者の属する機関であれば、年間、学部学生一人あたり7000円、修士学生一人あたり2万円という額である。現在の生命科学分野における研究の常識からすれば、2万円では酵素1本買ったらおしまい、抗体なら買えない。事実上、何もできないということである。
 つまり外部資金が豊富なラボに行った学生は、年間一人100万円くらい使って実験をしているような例も決して珍しくないが、貧乏なラボに行くと、できることが極めて限られてしまう。「格差社会」が、「子どもの暮らし」に反映され、同じ学費を払っていても、「教育」の機会均等性が担保されないということが生じる。

「外部資金を稼ぐ」ということ

 「子どもの貧困」問題を解決するには、親≠ェ頑張るしかない。外部資金の獲得である。外部資金も科学研究費補助金のように、ある程度、研究者に理解のある≠烽フであれば良いが、企業との共同研究による委託研究費や研究助成金のような形になると、当然、期限までにきちんとした成果を出すことが求められる。相手は営利団体であり、慈善団体ではないのだから、当然である。「できませんでした!」では、残念ながら済まない。
 その成果は誰が出すのか? 教員は実際には実験をしていないのだから、もちろん学生になる。学生が研究するための、外部資金を稼いでいるのだから、学生がやるのが当然だ、という考え方もあろうが、そんな研究ならしたくない学生もいるだろうし、なんだかマッチポンプというか、何のために学生が研究をしているのか訳が分からない状況である。
 たとえ企業のための研究であれ、その中から学生が学べることもあるというのは理屈であり、あながち否定もできないが、それが大学における「教育」のあるべき姿なのか、議論の余地は大いにあろうかと思う。

「ブラック研究室」問題

 このような状況の中で生まれてくる問題の一つが、「ブラック研究室」である。企業からの委託に限らず、外部資金は教員が外部に向けて何かを「やります!」と宣言して獲得してくるものであり、評価が厳しい外部資金であれば、年に何回も成果発表会がある。予算を獲得した教員には、社会的な責務が生じ、計画通りに研究が進んでいるのか発表しなければならない。
 本来、そうして請け負った課題の成果を出す責任は、学費を払って「教育」を受けている学生にはないのだろうが、実際に実験をしているのが学生なのだから、教員を介して、当然プレッシャーをかけられることになる。そして、そのプレッシャーは、教員の人柄によっては、強迫的なものや陰湿なものとなり、いわゆる、ブラック研究室化が起こってしまうのだ。
 より正確に言えば、これは外部資金の成果報告だけに限らない。教員の業績は論文などのアウトプットによって評価されるが、評価のプレッシャーが強くなれば、「もっとデータを出せ」という圧力は、必然的に学生に向かうことになる。
 学生を無償の労働力として、長時間研究することを強いたり、各種の評価、単位や卒業要件などの教員の権限を使って、学生の行動を厳しく管理するようなことになる。学生は放っておけば怠ける≠フが常であり、教育的指導は実際ある程度、必要なだけに、この問題は悩ましい。

 しかし、教育的指導は、結果がどうあれ、学生が努力していれば、それを認めてしかるべきだが、教員が本当に欲しいのは、成果、つまり望ましいデータということになると、話が違ってくる。
 失敗して成果がでない場合はもちろん、結果が出ても、教員の思うようなデータでないと、学生を叱咤し、その結果を認めないようなことが起きてくることも、しばしば耳にする。

 この「ブラック研究室」化は、一見アクティビティーの高い「優秀な」教員のラボで、むしろ起こりやすいのが特徴である。

 教員には、「教育」の名の下に、ある意味、学生を「支配」する権限が与えられている。それを本当に学生のために使えば、教育なのであろうが、自分のために使うようになれば、「ブラック研究室」である。
 ただ、口で言うのは簡単だが、現実にはその二つの要素が個々の事項によって微妙なグラデーションで絡み合っており、線引きはかなり難しい。教育と研究、利他と利己のはざまで、悩み、揺れ動いているのが現実の大学教員である。その背中を少し押せば、転がり落ちることは容易に起こってしまう。

「デ・リクルート」問題

 これがさらに発展してくると、研究室に入ってくる学生を、教員が選り好みするようなことが起こってくる。
 現実の学生は個性も様々で、大学に入ってくる目的も違っている。研究に情熱を持ってくれる学生が研究室に来てくれれば、教員は皆ハッピーだが、中にはたとえ愛すべきキャラクターであっても「できませんでした!」と言ってくる学生もいる。もちろん百戦錬磨のさぼり学生も、学年に必ず数人はいる。
 こういった手のかかる♀w生は、研究という面からみれば、実際扱いが大変である。えてして、データを出してくるのが遅い上に、その質も低いので、結局、信頼できる学生や自分でやり直さないと公表できるものにならないのが常である。時間だけとられて「何も成果が出ない」ということは、私もこれまでに多く経験している。
 学生は「教育」を受けるために、研究室で研究に従事しているはずなのに、教員は「被教育者」ではなく、「戦力」が欲しいのだ。特に短兵急に「成果」が求められれば、そうなっていく。

「研究に興味のない学生は、うちの研究室には来ないで欲しい」

「厳しさに耐えられない学生は来てもらわなくて結構」

 そういった有形無形の圧力を、教員が学生に伝えるようなことが起きてくる。リクルート、いやむしろデ・リクルートとでも呼ぶべき所業である。
 また、研究室に分属後も、研究内容に対する学生の興味の問題ではなく、「厳しさに耐えられない」「教員とうまくやっていけない」といったことで、学生がドロップアウトする例も少なくない。そういった学生を受け入れる駆け込み寺≠フようなラボも、現実には出てきている。
 うまく言えないが、いろんな学生がいるように、教員にもいろんな教員がいて、大学は成り立っている。皆が目を吊り上げて「成果」を目指すようになれば、居場所をなくす学生が現実には出てくるだろう。

教育機関としての大学

 こういった趨勢が、教育機関としての大学にとって望ましいことかどうかは、論を俟たないであろう。正確に言えば、こういった問題の多くが、成果主義の導入以前から、大学には潜在的に存在していたようには思う。しかし、拙著『科学と非科学――その正体を探る』(講談社現代新書)でも触れたように、昨今、こういった問題がより深刻化していることは間違いのないことである。

 お金を取ってくる≠アとが至上の価値のような成果主義が横行し、大学の教員が皆、その方向を向くようになれば、もともと微妙なバランスの上になりたっていた研究機関としてのわが国の大学の仕組みは、根本から崩壊することになりかねない。

 大学は研究機関であると同時に教育機関であり、教員への厳しい成果主義の適用は、学生へのプレッシャーにすぐに転嫁される。しかし、本来学生にはそんなプレッシャーを背負う責任はないのだ。なんと危うい構図であろうか。

 具体的な方策を提言させてもらえるなら、少なくとも実験系の学部では、学生の実験に必要な実習経費を実態に合わせて増額することである。バラマキ的に教員研究費を増やすというのではなく、指導している学生の数に応じて、卒業論文や修士論文の研究に使う経費をある程度、リーゾナブルな金額で配分することは、教育機関として実際に必要なことである。
 先端の研究をするには、とても足りない額ではあろうが、そのことで「悪くとも研究を続けられる」という心の余裕が、教員に与えられる。その余裕が、教育には本当に必要なのだ。

エール

 今でも、時々、M君のことを懐かしく思い出す。僕は彼を、そして彼が起こした「事件」を一生忘れることはないだろう。あの時、虚をつかれた僕は、唖然としたまま、実際は何も言えなかった。
 自分はどうするべきだったのか? 「彼の未来のために、きちんと叱ってやるべきだった」――そんな反省もある。
 しかし、彼の不器用な愚直さを、僕はどこかで認めてあげたいと思っているのだと思う。
 そのままで良いとは言えないが、何か違う形で、大切にしろ、とどこかでエールを送りたい。
 大学という場所は、成果を求めるだけでなく、そんな所であって良いような気がするのだ。
 それができなくなったら、大学は死んだも同然だ。


講談社・現代新書、2019.02.13
いま理系の大学で増えている「ブラック研究室」という大問題

文系の人間が知らない「闇」

中屋敷 均(*)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59831

(*)中屋敷 均(なかやしき・ひとし)
1964(昭和39)年、福岡県生まれ。1987年京都大学農学部農林生物学科卒業。博士(農学)。現在、神戸大学大学院農学研究科教授(細胞機能構造学)。専門分野は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子(ウイルスやトランスポゾン)の研究。著書に『生命のからくり』(講談社現代新書)、『ウイルスは生きている』(同/2016年講談社科学出版賞受賞)がある。趣味は、将棋、山歩き、テニス等。

posted by fom_club at 10:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Nobel laureate Dr Koichi Tanaka

msn ニュース、2019/02/18 05:05
「儲かっているのに優遇」に怒り。NY進出断念で見えたアマゾンが“嫌われる理由”
津山恵子、Business Insider Japan 
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/「儲かっているのに優遇」に怒り。ny進出断念で見えたアマゾンが“嫌われる理由”/ar-BBTIzVg?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp

 そうじゃなくって、ヤッホーくん、どうして田中耕一なのってこと!
 それは、ね、昨夜2019年2月17日(日)午後9時00分〜9時49分放送!

平成史スクープドキュメント第5回
“ノーベル賞会社員”
〜科学技術立国の苦闘〜
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190217

Scientists are closer to rolling out a revolutionary blood test for Alzheimer’s after discovering a new way of detecting one of the earliest signs of the brain disease.

For decades scientists worldwide have tried to develop blood tests to predict Alzheimer’s in the hope of replacing the expensive and often invasive brain scans and lumbar punctures currently used to diagnose the most common form of dementia.

A team of Australian and Japanese scientists now claim they have the most accurate test yet for the earliest indicator of Alzheimer’s – a build-up of an abnormal protein in the brain known as beta-amyloid.

One of the lead researchers Colin Masters, a laureate professor of neuroscience at the Melbourne-based Florey Institute, says the blood test is more than 90% accurate at predicting Alzheimer’s, based on a study involving 252 Australian and 121 Japanese patients.

It can detect the build up of beta-amyloid in people without any outward signs of Alzheimer’s including memory loss, as well those with moderate symptoms and full onset dementia.

“By the time you hit 60 to 70 about 30% of the population are showing signs of this protein aggregating in their brain and that can be picked up now with this blood test,” Prof Masters told reporters.

“I can see in the future, five years from now, where people have a regular checkup every five years after age 55 or 60 to determine whether they are on the Alzheimer’s pathway or not.” 

Alzheimer’s starts developing about 30 years before obvious symptoms emerge.

While up to 40% of Australians over 70 are considered at risk of Alzheimer’s, drug companies haven’t had much success tackling its underlying causes.

The new blood test has boosted hopes that it could help the development of new drugs because of its ability to identify people most at risk of Alzheimer’s - the perfect participants for clinical trials of new therapies.

It could also give those at risk of Alzheimer’s a valuable headstart in slowing its onset by adjusting their sleep, exercise and diet.

“If a person knows they are on this pathway well before the onset of any cognitive impairment some would want to alter their lifestyles,” Prof Masters said.

Details of the new test, which was developed by Nobel prize-winning scientist Dr Koichi Tanaka at Japanese medical technology company Shimadzu Corporation, were published in the prestigious journal Nature on Thursday.

Using high-tech mass spectrometry techniques, the Japanese and Australian scientists identified patients with a rouge peptide in their blood plasma, indicating a build-up of beta-amyloid in the brain.

Prof Masters, who has spent 30 years researching an Alzheimer’s test, said mass spectrometry was more sensitive and accurate at detecting beta-amyloid levels than PET brain scans and lumbar punctures.

While more tests are needed, the new technique may one day also help determine how fast a patient with Alzheimer’s may deteriorate, and tell how effective future drugs are at clearing beta-amyloid buildups.


[photo]
A micrograph of brain tissue with Alzheimer’s. The new blood test will identify people most at risk - the perfect participants for trials of new drugs.

The Guardian, Published: Wed 31 Jan 2018 22.59 GMT
Alzheimer's hope as scientists unveil blood test for early signs

Researchers say they will be able to detect build up of beta-amyloid and give sufferers a headstart for treatment

By Australian Associated Press
https://www.theguardian.com/society/2018/feb/01/alzheimers-hope-as-scientists-unveil-blood-test-for-early-signs

Scientists have developed a new blood test that can predict if a person is at risk of developing Alzheimer’s disease. The test, which has a 90 per cent accuracy rate, identifies people who have high levels of a protein in their brain that is associated with the disease.

The test could be used for frontline screening, to help speed up the selection of participants for clinical and prevention trials in two to three years, says Professor Katsuhiko Yanagisawa, director general of the Research Institute at the National Centre for Geriatrics and Gerontology in Japan, and lead author of the study published in the journal Nature today.

The test measures a specific sign, or biomarker, in blood plasma which can indicate abnormal levels of amyloid-beta in the brain. It can appear decades before dementia symptoms become apparent. Amyloid-beta is a small protein fragment that clumps together in the brain to form plaque, and has long been linked to Alzheimer’s. The disease is the most common form of dementia, for which there is no preventive drugs or cure.

Nobel laureate Dr Koichi Tanaka is also part of the team, and developed the initial technique involved in the test.

While highly sensitive, the test is cheaper and less invasive than the current options of a PET scan or painful lumbar puncture which involves drawing cerebrospinal fluid from the spinal canal with a needle.

“The number one use would be for screening participants to come into clinical trials, particularly in the preclinical phases. That is when people are cognitively normal, before the onset of any cognitive impairment, or even in the presence of mild cognitive impairment,” says Professor Colin Masters of the Florey Institute in Australia.

“The test itself has accuracy of 90 per cent at predicting people who are at risk of developing Alzheimer’s because they have of a build-up of this protein in the brain. This blood test will help determine whether this person is on an Alzheimer disease pathway, or, if they have some other cause for their cognitive impairment.”

The technique was tested in Japan on two independent groups (samples from 121 Japanese and 252 Australians) which included individuals with no cognitive impairment, those with mild cognitive impairment, and those with Alzheimer’s.

The team has been working on a blood test for several decades. It still needs to be scaled up before it can be more widely used.

“This is a 30-year odyssey, and it’s only with these results coming out in Nature that we can finally say that we have a high-performing blood test,” says Masters.

“The test could also potentially be used for [wider] population screenings; it may be useful in distinguishing different types of dementia once the dementia is fully expressed, or it may have prognostic implications, which means that the test may contain information about how fast this person is going to deteriorate.

“Finally, we could use the test in monitoring the efficacy of any intervention, particularly in those interventions that are directed at clearing this abnormal protein from the brain.”

He added that only in the next phase will they know whether the test will be useful for all these conditions.

The team is currently looking for healthy volunteers to participate in a trial. For more information visit Early Trial.


[photo-1]
The Alzheimer’s disease test measures for high levels of the amyloid beta protein in the blood.

[photo-2]
Alzheimer’s disease is the most common form of dementia, for which there is no preventive drugs or cure.

[photo-3]
A graphic of the current options available for determining if the person has a high level of the protein, compared to the new blood test method.

[photo-4]
Professor Colin Masters of the Florey Institute in Australia.

South China Morning Post, Updated: Friday, 20 Jul, 2018 8:47pm
Alzheimer’s:
30-year wait is over for early-warning blood test that’s highly accurate

The test detects the build-up of the amyloid-beta protein that’s linked to the disease. It can appear decades before dementia symptoms become apparent

By Lydia Hales
https://www.scmp.com/lifestyle/health-beauty/article/2131519/simple-alzheimers-disease-blood-test-thats-90-cent-accurate

An international collaborative research team led by the Japanese National Center for Geriatrics and Gerontology (NCGG), Koichi Tanaka Mass Spectrometry Research Laboratory at Shimadzu Corporation, and the Australian Imaging, Biomarker and Lifestyle Study of Aging (AIBL) groups has established a highly sensitive blood test able to identify individuals at risk of developing Alzheimer’s disease. (The research also involved collaborators at The University of Tokyo, Kyoto University, Kindai University, and Tokyo Metropolitan Institute of Gerontology.) The results are online published on, 31 January 2018, in Nature, one of the world’s leading scientific journals.

One of the essential pathological signatures of Alzheimer's disease is deposition in the brain of an abnormal protein, called Aβ-amyloid (Aβ).

About three decades before the onset of dementia symptoms, the deposition starts silently, without any sign of cognitive abnormalities. It is estimated that about 20-40 % of the general elderly population have a significant Aβ burden in their brain. While the Aβ deposition does not necessarily mean a fast progression to Alzheimer's dementia, these individuals are considered to be "at risk" of developing Alzheimer's disease at some future point. The new blood test can identify individuals with abnormal Aβ deposition in the brain,with about 90% accuracy.

"Currently, only positron emission tomography (PET) imaging or cerebrospinal fluid testing are available to ascertain brain Aβ burden, however, these tests are expensive and/or invasive" says Akinori Nakamura, Laboratory Chief at NCGG., "Therefore, a minimally invasive and cost-effective blood test is strongly desired; however, it has proven to be very difficult to develop despite much research effort. Our study is important because it not only demonstrates the high performance of this blood test, but also its reliability and reproducibility as it was successfully validated in two independent large datasets from different countries, Japan (121 samples) and Australia (252 samples)."

One key point for their success is that the test employed a new method called immunoprecipitation and mass spectrometry (IP-MS). "From only 0.5ml of a blood sample, the IP-MS method can quantitatively measure several Aβ-related peptides, such as Aβ1-42, Aβ1-40, and APP669-711, in plasma, even though their concentration in plasma is extremely low. We found that the ratio of these peptides, APP669-711/Aβ1-42, Aβ1-40/Aβ1-42, were an accurate surrogate for the brain Aβ burden. This technique was established by our colleague Naoki Kaneko, who also first found APP669-711 in plasma," says Koichi Tanaka at Shimadzu Corporation, who won the Nobel chemistry prize in 2002 for developing a method for mass spectrometric analyses.

"Scientists at Shimadzu Corporation will need to scale up the test so that it can be widely used, but once this issue is resolved, this new test has the potential to eventually disrupt the current PET/CSF technologies. In the first instance, however, it is likely to be used for screening." says Colin L. Masters, Professor at the Florey Institute, The University of Melbourne, who led the AIBL project.

"Our blood test may also have a transformative potential to facilitate the development of effective drugs for Alzheimer's disease," says Katsuhiko Yanagisawa, Director-general of Research Institute at NCGG. He continues, "Although drugs for Alzheimer's disease are still under development, the best chance for the efficacious interventions are considered to be before the onset of the dementia symptoms. Our blood test is expected to enable population-based screening to identify "at risk" individuals to be recruited in preclinical and prodromal prevention trials with reasonable cost-benefit and scalability."

Nature, A. Nakamura, N. Kaneko et. al.,
High performance plasma amyloid-β biomarkers for Alzheimer's disease.
doi:10.1038/nature25456
http://www.nature.com/nature


Shimadzu Corporation, News & Notices, February 1, 2018
Less than a teaspoon of blood can predict Alzheimer's disease risk.
https://www.shimadzu.com/news/c-od0gjn000000h57r.html

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2019年02月17日

田中耕一

 スウェーデンの王立科学アカデミーは2002年10月9日、今年のノーベル化学賞を島津製作所(京都市)分析計測事業部ライフサイエンス研究所主任の田中耕一氏(43)ら3氏に贈ると発表した。
 21世紀の生命科学のかぎを握るたんぱく質など生体高分子の質量や立体構造を解析する方法を開発したことが評価された。
 日本人のノーベル賞受賞は、8日に物理学賞の受賞が決まった小柴昌俊・東大名誉教授に続いて12人目。
 化学賞は3年連続で、同じ年に日本人が二つの賞を獲得するのは初めて。

 43歳で受賞するのは湯川秀樹博士の42歳に次ぐ若さで、戦後生まれでは初。
 民間企業からの受賞は江崎玲於奈博士以来2人目になる。
 ほかの2氏は、米バージニア・コモンウエルス大のジョン・フェン教授(85)と、スイス人で米スクリプス研究所のクルト・ビュートリッヒ客員教授(64)。

 授賞式は12月10日にストックホルムで。
 賞金は総額1千万スウェーデンクローナ(約1億3千万円)。
 ビュートリッヒ氏が半分、田中氏とフェン氏が4分の1ずつを分ける。

 3人の授賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。
 田中氏とフェン氏は「質量分析法のための脱離イオン化法の開発」が、また、ビュートリッヒ氏は「溶液中の生体高分子の立体構造決定のための核磁気共鳴(NMR)分光法の開発」が業績に挙げられた。

 これらの技術が可能にしたのは、たんぱく質の複雑な立体構造の解析や質量の分析だ。
 その結果、細胞中でのたんぱく質の機能など生命のプロセスをこれまで以上に理解できるようになった。

 そして新薬の開発などに革命をもたらし、乳がんや前立腺がんなどの早期診断に道をひらくことになった。
 さらには食品検査の分野での応用も報告されている。

 私たちの体は主にたんぱく質という部品から成り立ち、その働きがさまざまな生命現象を担っている。
 たんぱく質の立体構造や質量を研究することが生命現象のなぞ解きにつながる。
 多くの病気にも関係する。

 しかし、従来の方法でこれらを詳しく分析するのは難しかった。
 田中氏は「ソフトレーザー脱離法」という方法を開発し、高精度、高感度の質量分析を可能にした。
 たんぱく質のような高分子にレーザーをあてると通常は壊れる。
 それを壊れずに分子量の大きいものを分析できるように工夫。
 試料の中にどのような異なったたんぱく質が入っているのか詳しく分析できるようになった。

 フェン氏は田中氏とほぼ同時期に、エレクトロスプレーイオン化法という別の方法を開発した。

 ビュートリッヒ氏の業績は、NMRを大きく進展させたことだ。
 1980年代初めに、NMRをたんぱく質に適用できるようにしたほか、立体構造の計算を可能にした。

○ 誤って薬品混入…偶然、大発見

 田中耕一さんは午後9時すぎから、京都市中京区の島津製作所本社で記者会見し、「受賞は本当に驚いた」と同社の作業服姿で話した。

 今回の受賞につながった発見は偶然がきっかけだったという。
 研究所では4、5人が田中さんと一緒に開発にあたっていた。

 そのとき、間違えてグリセリンの液体をコバルトの微粉末に落とした。
 大きい分子の親イオンが偶然に観測できたという。

 田中さんは「ひょうたんから駒だった。当時は薬品を混ぜるということ自体、常識では思いつかなかった」と自ら評した。

◆ 田中耕一(たなか・こういち)氏
1959年 8月3日生まれ
1978年 富山県立富山中部高校卒
1983年 東北大工学部電気工学科卒、島津製作所入社
1987年 受賞理由の「ソフトレーザー脱離法」を発表
1992年 英国の子会社へ1年間出向
1997年 英国の子会社(2社)へ出向
2002年 分析計測事業部ライフサイエンス研究所

[写真]
記者会見で笑顔を見せる田中耕一さん=9日午後9時すぎ、京都市中京区の島津製作所本社で

朝日新聞東京本社発行 2002年10月10日付夕刊
ノーベル化学賞に田中耕一氏
たんぱく質の分析法開発

http://www.asahi.com/edu/nie/syasin/kiji110.html

2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一シニアフェロー。
受賞理由となった、たんぱく質などの高分子を質量分析する独自技術は今後、幅広い分野での展開が期待されている。
田中氏は受賞を機に島津社内に設立された「田中耕一記念質量分析研究所」の所長を務める。
20数名の研究者を率いる管理職でありながら、1人の研究者として今も自らの研究に取り組む田中氏に、革新を生み出す組織のあり方を聞いた。

― ノーベル賞受賞から16年たちました。今もなぜ企業にとどまり続けるのですか。

 受賞直後も、そして最近でも『なぜまだ企業にいるのですか』『大学や公的研究機関に行かないのですか』と聞かれる。
 それは大学は基礎研究、企業はその応用を手がけるという役割分担が先入観としてあるからだろう。
 だが私はそう思わない。
 基礎研究にはその分野を深掘りしながら他分野への応用を進める段階もある。
 そのような異分野融合はむしろ企業の方が進めやすい。

 例えばノーベル賞の受賞理由になった質量分析は化学や物理だけでなく、医療、数学、機械、農学といったさまざまな学術分野との融合が欠かせない。
 大学ではそれぞれの学術分野が縦割りになってしまい、連携を取りにくいことがまま起こる。
 企業はスピード感を持って自然と進められる。
 私自身、大学では電気工学を勉強したが、化学や物理の研究でノーベル賞を受賞できたのは企業という自由な環境があったからこそだと感じている。

― 日本企業にはイノベーションを生み出す力が衰えているという指摘があります。

 イノベーションは『技術革新』と訳されることが多いが、本義は『新結合』、新しい捉え方をいかに見つけるかだと思う。
 まさに異分野融合こそイノベーションだ。
 日本企業のものづくりの現場では当たり前のように異分野融合を手がけてきた。
 衰えているように感じるのは、その価値に気づいていない企業が多いからだろう。

 日本はさまざまな課題を抱える課題先進国でもある。
 今年2018年8月に始めたアルツハイマー病の原因とされる成分を血液から検出する受託事業では、企業や国の枠を超えて連携していきたいと考えている。
 我々が先頭に立って解決していくことで、日本は『課題解決先進国』に変わり得る。
 見方によっては身の回りにチャンスが潜んでいると言え、イノベーションを生み出す土壌は整っている。

― 日本企業の中でも島津はイノベーションの創出に力を入れている印象があります。なぜなのでしょうか。

 島津という会社の成り立ちと関係が深い。
 レントゲンが発見された直後に京都大学と連携して実証に乗り出すなど、昔からベンチャー気質にあふれた会社で、その志向は今も変わっていない。
 すぐには利益に直結しないような基礎研究に力を入れている。
 私が最初に開発したタンパク質の質量分析装置は結局、世界で1台しか売れず、赤字で終わったが、それでも良しとされた。
 また学会に参加することを奨励されるなど自由な雰囲気が残っている。
 私も好んでパネルの前で研究者と自由に議論できる場に足を運び、異分野の研究者と意見交換してきた。

 ベンチャー気質にあふれているが、多くのベンチャーと異なるのが、しがらみを捨てていない点にある。
 京都大を始め、さまざまな大学とのつながりを今も生かしている。
 それも大学は基礎研究、企業はその応用という図式ではない自由な関係性を築いている。
 例えば、1985年に(ノーベル賞の受賞理由となった)質量分析装置を開発した直後、大阪大学の第一人者の先生が我々の研究所を訪れ、世界的な研究状況をレクチャーし、今後の技術の応用に関しても相談に乗ってくれた。
 従来の大学と企業の関係性とは逆だが、島津には外部の大学、研究機関とのつながりを生かした暗黙知がある。

― 島津の中で自身の役割をどう捉えていますか。

 研究所長というポジションに就いているが、管理職というよりも外部とつなげるリエゾンの役割を担っている。
 世間的には研究者と思われているが、そうではない。
 特定の研究領域にこだわりはなく、基礎研究や応用研究など関係なく、世の中の役に立つものを作りたいという点にこだわっている。
 研究者の採用にも力を入れており、企業に来れば世の中の役に立つことを自由に研究できるという利点を広く伝えたい。


[写真]
田中耕一氏は管理職でありながらも自ら研究に取り組む

日本経済新聞、2018/10/10 0:00
ノーベル賞から16年、田中さんが語る企業の役割
ニッポンの革新力

(聞き手は林英樹)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35951890R01C18A0000000/

 現役サラリーマンの身でノーベル賞を受賞した人もいた。
 2002年に化学賞を受賞した田中耕一さん(59)だ。
 当時、田中さんは京都市に本社がある島津製作所の従業員(現在、同社シニアフェロー)。
 現役サラリーマン初の受賞と話題になった。
 受賞理由は、「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」という一般人には難しい研究だったが……。

 田中さんの勤務先の島津製作所は今、「大腸がん」の検査で、がぜん注目を集めている。

 というのも、患者のわずかな血液から早期がんを見つける診断サービスの検証試験が、今月から京都市で始まったから。
 先月、一部の新聞が「大腸がんを9割以上の確率で発見できる」「自由診療で検査費用は約2万円」と報じ話題にはなっていた。
 その検査が病院で始まったのだ。

 同社のホームページによると、この検査は、同社ら2社が、提携先の京都市中京区にある御池クリニックで2018年10月からスタートした、「大腸がんスクーリング」という検証試験。
 クリニックには問い合わせが殺到する騒ぎになっているが、個人で誰でも受けられるわけではない。

 島津製作所の広報担当者が困惑気味にこう言う。

「このスクーリングを受けるには条件があります。同クリニックで有料の人間ドックを受ける人で京都市在住、または在勤の方。その中からランダムに募集案内を送付して試験の趣旨に賛同いただいた方のみに参加していただいています。大腸がん検査だけ単体で受けさせてくれという電話が来ていますが、この検証試験ではそれはできません」

 検証試験は「年内に終了予定」で、これから人間ドックを申し込んでも予約がいっぱいになる可能性もあるというから悪しからず。
 もっとも、担当者は「技術的な点はクリア済み。これは実用化に向けて医療機関でのプロセスの検証試験です」とキッパリ。
 実用化が何年も先の話ではないのは間違いない。

 しかも、試験管に採取されたわずか数ミリリットルの血液をこの解析システムで分析すると、早期の大腸がんを検出できる点は既報の通り。
 これまで、人間ドックの便潜血反応で陽性 ↓ お尻の穴から内視鏡でチェック(細胞診)↓ 診断というのが一般的。
 それに比べたら、画期的に超単純化されたといっていい。
 何より、「9割以上の確率で見つかる」のだから、早期発見が鍵になる病気だけに患者には心強い限りではないか。

■ アルツハイマー病の早期予防法の研究に貢献

 一方、田中耕一さんの研究である。

「大腸がん検査のように一般向けではありませんが、製薬企業や研究機関向けに、田中の研究が生かされています。8月に発表した“アルツハイマー病の治療薬や予防法の基礎研究開発に貢献”という研究成果です」
(前出の広報担当者)

 この分析技術を使うと、血漿からアルツハイマー病の原因とされる脳内アミロイドの蓄積を推定できるという。
 診断や治療が目的ではないものの、治療薬や早期予防法の開発に貢献できる可能性が高い。
 認知症患者数は2015年で525万人、2025年には730万人との推計もある。
 その約6割がアルツハイマー型だから期待は大きい。

 田中さんは5年前の講演で、「血液1滴で病気の早期発見ができるようにするのが私の実現可能な夢」と言っている。
 夢実現に大きく近づいたということか。

 大腸がんに加えてアルツハイマーでも新技術が成果を上げたら……。
 島津製作所の社員は当分、ウハウハできるのは間違いない。


[写真]
最新の研究成果はアルツハイマー関連

日刊ゲンダイ、2018/10/11 06:00
2002年化学賞の田中耕一氏在籍 島津製作所は大腸がんで注目
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/239244/

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カルトまみれで発狂中の日本

 「自治体の6割以上が防衛省に協力を拒否している」というのは本当なのか?

 2月13日の衆議院予算委員会でこの点を指摘されると、安倍首相は驚くべき理屈を述べ始めた。
 全体の6割以上の自治体は法令に基づく防衛大臣の求めに応じず、資料を提出していません。自衛隊はこれまで4万回を超える災害派遣を行ない、助けを求める自治体があればいかなる事態にも直ちに駆けつけ、献身的な働きを行なっています。これに対して、これに対して、募集に対する現状は、まことに残念と言わざるを得ません。。。

 住民基本台帳法に基づく閲覧は文字通り見るだけ。そこに見に行って、写しの交付はこれ、行われません。写しの交付は行われない。複写もできませんから、膨大な情報を自衛隊員が手書きで書き写しているということであります。これも含めてですね、報道は一部、私はそういう意味では誤りだろうと、こう思うわけでございますよ。それも協力を得ていることで勘定されてしまってますから、あの報道は誤り、あの報道は誤りであります。6割以上の自治体において協力を得られないというのが真実、ファクトであります!


 安倍首相が必死になって叫んでも、残念ながらこの認識は“真実”ではない。。。

 こうした経緯からわかるのは、安倍首相は憲法や法律、政令、条例等の趣旨を理解し、それに従って行政を行なうという基本をわかっていないということだ。
 これまた恐ろしい話である。
 それにしても、行政の頂点に立っているはずの安倍首相がなぜ、こんな簡単に誰にでもわかるフェイクに乗ってしまったのだろう。
 実はそこには恐るべき事実があることを朝日新聞(2月16日朝刊)が書いていた。

 安倍首相のあの発言は、なんと昨年2018年12月5日に開かれた日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の大会(*)で配られたチラシの裏に書かれていた内容とそっくり同じだというのだ。
 朝日新聞によれば、そこにはこんな文言があったという。

全国6割の自治体が、自衛隊募集に非協力的

自治体が円滑に業務を遂行するため、自衛隊の憲法明記を!

 驚いた。
 一国の首相たるものが一民間団体のチラシに書いてあった「話」を鵜呑みにして、改憲の理由にしていたのだ。

 このことからわかるのは、いまの日本の首相の情報ルートの脆弱さだ。
 頭の中がアップデートされず、真偽もわからない情報を鵜呑みにする―――。

 日本がいま、どれほどの危機にあるかがおわかりいただけたと思う。


[写真]
改憲と「自衛官の募集」は何の関係もない

Yahoo! Japan News、2019/2/16(土) 23:05
「日本会議」のチラシを鵜呑みにしていた安倍首相の“改憲理由”
山口一臣、ジャーナリスト(THE POWER NEWS代表)
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikazuomi/20190216-00115067/

(*)日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の大会:
https://kenpou1000.org/news/post.html?nid=71

 京都市が住民基本台帳を基に18歳と22歳になる市民の宛名シールを作成し、自衛隊に提供することについて、市民団体「市民ウォッチャー・京都」(中京区)のメンバー3人が1月18日までに、提供の差し止めを求める住民監査請求を行った。
 市は自衛官の募集に協力するため、1月中にも自衛隊京都地方協力本部に提供する。
 初回は計約2万8千人分になるという。

 請求書によると、市が提供の法的根拠とする住民基本台帳法12条や自衛隊法施行令120条は根拠となり得ず、「プライバシー権の侵害は極めて重大で、提供は違法」としている。

 請求者で、市民ウォッチャー・京都幹事の井関佳法弁護士は「自衛隊に個人情報が提供されることに拒否感を覚える人は多いはずだ」と話している。

京都新聞、2019年01月18日 21時35分
自衛隊への宛名シール提供差し止め求め住民監査請求
https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20190118000133

 う〜ん、非正規にしかなれない若者、貧困に悩む若者をターゲットに、ごはんがたっぷり食べられるよと、自衛隊にリクルートしようとする危険な動き。。。

 ヤッホーくんのこのブログ、これまでもNo!と指摘してきました。例えば、次の日付けの日記をお読みくださいますように:

★ 2014年04月17日「佐倉連隊
★ 2014年11月21日「県警が辺野古取材妨害
★ 2015年05月09日「反戦平和に生きる
★ 2015年12月11日「一億総動員社会建設のはじまり
★ 2015年12月12日「経済的徴兵制
などなど。

 4年も5年も前の話ですが、事態は悪い方向、悪い方向へと流れ、流され、けっして平和で、皆んな笑顔でいっぱい、そしてどの国とも仲良くという国の姿になっていませんね。
 そして、事態をそんな方向へとひっぱり、裏で糸を引きこの国の支配層に潜入、洗脳している「一民間団体の日本会議系の『美しい日本の憲法をつくる国民の会』」などなど。

 検索かけながらイロイロ見てたらゲゲゲッ と・・・

 この手の団体は名変えたり、ちょっと目先を変えたりしながら、

 そして、ほぼみんな同じ界隈でウロウロしてるから根っこが繋がるんでしょう・・・

 まさに引き寄せの法則ってやつ?(笑)

 ただの興味本位で覗いているうちはまだいいんでしょうけど、

 それが「盲目的信仰」になったら終わり。

 何しろ「森羅万象すべてを担当する総理大臣」がおわす国日本ですから(笑)
 
 カルトにまみれても当然か・・・

 いや、日本スゴイわーーーーーーーーーーー
      

渾沌から湧きあがるもの、February 13, 2019
日本母親連盟とか、体罰の会とか、親学とか、日本会議とか、カルトまみれで発狂中の日本お憑かれ
https://ameblo.jp/awakinginheaven/entry-12439818355.html

 これも、復習!2015年時の記事ですが再読してみましょう:

集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法制。
国会審議を重ねるほどに疑問は浮かび、廃案を求める声が広がった。
安保法制の問題点は何か。
本紙が掲載を続けてきた「言わねばならないこと」の特別編として、各界の第一人者に聞いた。

論点は六つ。

・ 安保法制は歴史的にどんな意味を持つのか。
・ 政府は安保法制は「憲法の枠内」で、安全性が高まると主張する。
・ それぞれ本当か。
・ 国会審議では言葉が尽くされたのか。
・ なぜ多くの市民や若者が反対の声を上げたのか。
・ その声に、政府は耳を傾けたのか。


◆ 審議するほど違憲明確

 安全保障関連法制について「従来の憲法解釈の基本的論理は維持されている」という政府の主張には問題点がある。

 政府が根拠にしている1972年の政府見解は、個別的自衛権の行使が認められることを根拠づける考え方だが、実はその全部をカバーしていない。
 例えば尖閣諸島をどこかの国が占拠したとして、日本の国の存立が脅かされ、国民の生命、幸福追求の権利が根底から覆されるのか。
 個別的自衛権行使についてさえ相当引いている根拠を持ち出して、なぜ集団的自衛権行使を正当化できるのか。
 何の理屈にもなってない。

 同じく政府が根拠としている1959年の砂川事件判決は、米軍の駐留が憲法9条2項に反するか、反しないかが争われた事件の判決。
 集団的自衛権を行使できるかどうかなんて、およそ争点になっていないので根拠になるはずがない。

 「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」というのも、具体的説明がない。
 国際的なシンクタンク「経済平和研究所」による2015年の平和と安全ランキング(Global Peace Index)では、日本は4年連続で第8位。
 本当に環境が厳しくなっているなら、限られた防衛資源を世界中にばらまいて、米軍をお手伝いするのは愚の骨頂だ。

 武力行使は限定されるというが、地球の反対側まで行って中東のホルムズ海峡で武力行使できるというのは、どう考えても限定されていない。
 結局、政府がよく使う言い回しだが「最後は政府が総合的に判断する」というだけだ。

 他国軍支援についても、弾薬の提供や発進準備中の航空機への給油は、明らかに憲法上禁じられてきた他国との武力行使の一体化に当たる。
 政府も説明できていない。
 安保法制は審議が進むほど、憲法に違反することが明確になっていった。

 政府・自民党は、安保法制を違憲とする多くの憲法学者の意見に対し「字面にこだわっている」などと言ってきた。
 「あの人たちの言うことを聞かないでください」と言っているだけ。
 反論できないということを態度で示している。

 安倍政権は、内閣法制局長官の人事にまで手を突っ込み、集団的自衛権の行使はできないと何度も何度も繰り返し確認されてきた政府の憲法解釈を、時の政権が変えられることにしてしまった。
 これは大変な問題だ。
 「立憲主義」の最低限の意味は、憲法によって政治権力を縛ること。
 その意味を政府自体が変えられるというのは、立憲主義に対する正面からの挑戦としか言いようがない。

 9条を正々堂々と変えるという話なら、こんな大騒ぎになっていないが、9条を変えてまで今回のような法律を導入する合理性も必要性もないと思う。

 安倍晋三首相は、徴兵制は憲法18条が禁じた「意に反する苦役」に当たるからあり得ない、と言うが、だれも信用しない。
 あれだけ繰り返し確認されてきた9条の解釈を、時の政権の判断で変えられる先例を開いてしまったから。
 徴兵制が18条に反することは、それほど繰り返し確認されていない。


 これからどう戦っていくか。
 最後は政権を変えるしかないと思う。
 今回の安保法制を廃止する法案を提出して成立させるだけでは駄目で、集団的自衛権行使を容認した閣議決定を「間違っていた」と、元に戻してもらわないといけない。

 国会前などの抗議行動に出かけているが、何の組織・団体に動員されたわけでもなく、何万人もの人たちが自発的に集まっている。
 まだまだあきらめたものではないと思う。
 集会だけではなくて、次は選挙にも行って、おかしな政権を倒さないといけない。

長谷部恭男(はせべ・やすお)
 1956年生まれ。早稲田大法学学術院教授。東大法科大学院長、国際憲法学会副会長などを務めた。今年2015年6月の衆院憲法審査会に与党推薦の参考人として出席、安保法案を違憲と断じた。憲法学者や弁護士らによる「国民安保法制懇」メンバー。近著に『安保法制の何が問題か』(岩波書店、共編)。


東京新聞[言わねばならないこと]2015年9月18日
<特別編>憲法 踏み外していないか
憲法学者・長谷部恭男氏

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2015091802000207.html

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鳩山友紀夫『脱 大日本主義』

 えっ、ヤッホーくん、乗松聡子氏と会ったんだって。
 いつ? どこで?
 それはね:
 
本日、2月16日(土)に友愛政治研究会主催シンポジウムが開催される。

事前申し込みは必要なくなったので、気軽にご参加賜れればありがたい。

各種費用が発生するため、参加費1000円をお願いするとのことだが、有益な会合になると思われるのでぜひご参加を検討していただきたく思う。

サプライズゲストも予定されているようである。

公開シンポジウム「脱 大日本主義のすゝめ」

主催:友愛政治研究会
後援:村山首相談話を継承し発展させる会

期 日: 2019年2月16日(土) 18:30〜21:20(開場18:00)
会 場: 東京都文京区民センター3階会議室(3A)
参加費: 1,000円(資料代として) 
※ 事前申し込みは不要になりました。

「友愛政治研究会」は、下記のような形で公開シンポジウムを開催します。共通テーマは、「脱 大日本主義のすゝめ」です。対米従属を深めながら軍事大国化を進めようとする、今の日本政治のあり方を根本から問い直す機会にしたいと思っています。一人でも多くの皆様方のご参加をお待ちしています。(主催者のことば)

フライヤーはこちら
https://bit.ly/2S1C6TD

● プログラム ●
司会者:木村 朗(鹿児島大学)

T 研究会代表からの開会のご挨拶(18:35〜19:00)
  鳩山由紀夫(東アジア共同体研究所所長)
  「いまなぜ脱 大日本主義なのか」

U 個別報告:(19:00〜20:20) 各20分
 ・川内博史(衆議院議員)「日本の主権を取り戻す」
 ・植草一秀(政治経済学者)「『シェアノミクス』政策連合による市民政権樹立の方策」
 ・纐纈厚(明治大学)「朝鮮半島問題と日本の植民地責任―明治150周年と植民地主義の未精算」
 ・高良鉄美(琉球大学教授)「『大』と『帝』の憲法と東アジア」(スカイプ中継の予定)

V 質疑応答:(20:30〜21:10)

W 閉会の挨拶(21:10〜21:20)
  藤田高景(村山首相談話を継承し発展させる会・理事長)

一人でも多くの主権者の参加を求めたい。

2月14日付ブログ記事「たしかに鳩山内閣は悪夢の民主党政権だった」(https://bit.ly/2SNajLn)にも記述したが、日本の既得権勢力にとって、2009年9月に樹立された鳩山内閣は、本当の意味で「悪夢の政権」だったのだと推察される。

既得権勢力が支配する日本政治の構造=「この国のかたち」を根底から刷新しようとした政権であるからだ。

いま私たちに必要なことは、現実を正しく知ること。

圧倒的多数の市民が、巨大な資本力によって支配され、権力の御用機関に堕してしまったマスメディアによって洗脳されてしまっている。

市民がその洗脳から解放されなければならない。

鳩山内閣を正しく知ること、鳩山首相の思想を正確に知ることがその第一歩になる。

3月2日(土)にはオールジャパン平和と共生主催の総決起集会が開催される。

消費税廃止へ!
2019政治決戦必勝!総決起集会
ガーベラ革命で共生社会を実現しよう

日 時 2019年3月2日午後1時開場 午後1時半開会
会 場 日本教育会館一ツ橋ホール(地下鉄メトロ神保町駅A1出口徒歩2分)
参加費 無料

ご案内状は
https://bit.ly/2X0tUXI

フライヤーは
https://bit.ly/2GHnRRX

3月2日午後1時半、神保町日本教育会館一ツ橋ホールに集結されることを強く希望している。

経済大国なのに日本は貧困大国である。

フルタイムで働いているのに年収が200万円に届かない労働者が1000万人を超えている。

雇用が増えたことが宣伝されているが、増えた雇用の7割は非正規雇用で、圧倒的多数の国民が下流へ下流へと押し流されている。

私たちは、すべての国民に保障する最低ラインを引き上げることを求めている。

誰もが笑顔で生きてゆける社会を私たちの手で樹立しようではないか。

その実現を「ガーベラ革命」の言葉で表現した。

ガーベラ革命で共生社会を実現しよう!


植草一秀の『知られざる真実』、2019年2月16日 (土)
脱大日本主義のすゝめ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-97f2.html

 鳩山由紀夫(友紀夫)元首相が『脱 大日本主義』(平凡新書)という本を書き、思想家の内田樹氏が絶賛している。
 安倍政権が目指しているのは無謀な大日本主義だと断じたうえで、その弊害と矛盾を列挙、アンチテーゼとして、「大国志向の幻想から目覚めよ」という提言だ。

 本の中には「成長戦略」のアンチテーゼとして「成熟戦略」という言葉も出てくる。
 3%の成長など無謀な夢を追おうとするから、過熱した強欲資本主義によって格差と貧困が拡大するという主張である。
 今や凋落著しい“元”超大国、米国に媚びへつらい、常任理事国となり、一流国家を目指すことも、「夢と潰え、挫折した」と断じている。

 そのうえで鳩山氏は<大国への夢は幻に終わった今世紀の日本はむしろ、積極的に中規模国家として生きる道を選択するべきではないでしょうか>と問いかける。
 米国隷従、中韓敵視を改め、「東アジアでの連携を深めてゆき、成熟期を迎える多くの中規模国の模範になるべきだ」と提唱する。
 内田樹氏も同じく、今の日本は<戦争にコミットし、五輪や万博、カジノといった蕩尽的消費を目指している博打国家>と断じ、警鐘を乱打しているから、「鳩山さんの提案に私は賛同の1票を投じる」と大絶賛だ。

 改めて、鳩山氏に聞いてみた。
 この本を書いたのは、政治家としての悔恨も含めて、これから日本の歩むべき道、理想を示したかったというのがあります。
 冷戦後の日本は唯一の超大国となった米国との軍事的経済的一体化を深めることで、大国を目指してきました。
 第2次安倍内閣は、大国日本の夢を追う復古主義的首相をグローバリズム推進官庁である外務省や経産省が強力に支えています。
 トランプ大統領との親密さを必死になって演出する安倍政権の親米保守路線を突き進めていけば、いつか戦争に巻き込まれるのではないか、そういう危惧もありました。
 世界的に蔓延する“グローバリゼーション疲れ”の中で、日本は経済的にも政治的にも大国を目指してきましたが、もはや、そんな時代ではありません。
 TPP、原発再稼働、国連安保理の常任理事国入りなどの大国志向を改めて、成熟したミドルパワーの国として、世界のモデルになるべきではないか。
 東アジアの緊張を緩和し、安全保障の枠組みをつくることで、日本の政治的経済的自立を維持、確保する道が開けると考えたのです


■「日本の役割は米朝を協調路線にもっていくこと

 米国隷従を続ければ、間違いなく、日本も戦争国家になってしまう。
 鳩山氏の理想はその通りなのだが、とはいえ、問題は北朝鮮のミサイルだ。
 今年に入ってから、毎週のようにミサイルを撃っている。
 米国との軍事同盟に頼るしかないのではないか。
 北朝鮮がなぜミサイルを撃ち続けるのか。
 朝鮮戦争は休戦協定を結んでいるだけで、米国との戦争は終わっていないからです。
 米国の脅威に対抗するためには核やミサイルを持たざるを得ない。
 北朝鮮は常に米国を意識しているわけで、日本をターゲットにしてきたわけではありません。
 トランプ大統領の言う“あらゆる選択肢”の中に“対話”の可能性があるということが重要です。
 これだけの原発があり、その脆弱性を露呈した日本は絶対に戦争をやってはいけません。
 日本の役割は、米朝を協調路線にもっていくことなのです

 哲学者のショーペンハウアーは「成功には3段階ある。第1段階、人から笑い者にされる。第2段階、激しい抵抗と反対に遭う。第3段階、それまで笑い者にしていた人が同調する」という名言を残したが、鳩山氏の主張もそうなるかもしれない。


日刊ゲンダイ、2017/06/16 06:00
「日本の大国志向は幻想」
鳩山元首相に提言の真意を聞く

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/207458/

 鳩山友紀夫の近著『脱 大日本主義』(平凡社新書)がなかなかの評判である。
 2017年7月30日付毎日新聞の「今週の本棚」欄では、中島岳志が5段の大きなスペースで書評を書いていて、その結びの部分でこう述べている。
民進党は、相変わらず迷走中である。その最大の要因は、国民に訴えかける清新なヴィジョンの欠如にある」のだが、その「ヴィジョンがここにある。民進党は、鳩山内閣の挫折のプロセスを検証したうえで、理念の再提起を行うべきではないか。鳩山内閣は確かに失敗に終わったが、その理念までもが全否定されていいわけではない。未来に向けて有効な構想や政策が多く含まれている。……いまこそ必読の一冊だ

 いつも辛辣なこの評者にしては、ちょっとビックリするくらいの褒め言葉であるけれども、私は共感する。
 中島は言う。

鳩山政権が長期政権になっていれば、いまの日本はどうなったろうか。……私たちは異なる現在を生きていたに違いない

 確かに、鳩山政権はよろず下手くそではあったけれども、あんなふうに寄ってたかって叩き潰すことが、どうして必要だったのだろうかと、私もあの時代の空気をやや不気味なものを見るかのように思い返すことがある。

 タイトルが意味するのは、明治から150年、日本はずっと「大日本」を追い求めてきたが、それはもういい加減にして、
★ 石橋湛山の「小日本主義」や
★ 武村正義の「小さくともキラリと光る国」という理念の系列をくんで、中規模国家(ミドルパワー)としての成熟をこそ目指すべきだという提唱である。
 そこで何よりも重要なのは、
★ 時代遅れの対米従属からの脱却であり、その実体化のための
★ 米軍基地の縮減、
★ 地位協定の改定、
★ 東アジアにおける連携、そしてまた内にあっては、
★ 低成長経済の下での新たな分配政策でなければならない。

 そう考えると、
★ 安倍政権の対米従属・軍事強国路線、
★ アベノミクスによる無理やりの成長追求路線というのは、大日本主義の最後の徒花なのだろう。

 とすれば、それに対抗する民進党は、鳩山ヴィジョンを座標軸として、ポスト安倍の新しい日本の生き方の提案を国民に訴えかけなければならないのではないか。


日刊ゲンダイ、2017/08/03 06:00
大日本主義の徒花 「安倍政治」に対抗するヴィジョンとは
高野孟
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/210676

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乗松聡子

今年は2006年にブログを開設して以来、投稿数が一番少ない年となりました。

理由は、シンプルで、ブログに費やせる時間が減ってしまったことです。今年は別の媒体に書いた記事の転載が中心となりました。

今年は前半は『沖縄は孤立していない』(金曜日、2018年)の本の執筆・編集・出版イベントなどでまたたく間に過ぎました。

2012年にガバン・マコーマック氏と共著で出した英語の本 Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States の Second Edition も、2012−17年の動きを書いた章を新たに付け足して、出しました(Rowman and Littlefield, 2018)。

夏は、済州島を初めて訪れ、済州島国際連帯キャンプに参加しました。朝鮮半島の終戦・平和実現に大きく踏み出した年です。軍産複合体の妨害があっても、一歩ずつ進めるように関係諸国首脳を応援していきたいです。

また、2006年以来通訳・講師として参加してきている広島・長崎の日米学生の旅、例年のようにワシントンDCのアメリカン大学と、新しいパートナーである明治学院大学の学生さんや社会人参加者の皆さんと共に行いました。

地元バンクーバーでは、私は不在でしたが、「バンクーバー9条の会」の仲間たちが核兵器の恐ろしさを訴える「原爆展」を例年通り行い、何百人もの人に来てもらえました。

9月には、「海外識者103人声明」にたいし、琉球新報社から「池宮城秀意記念賞」を仲間と共に受賞しました。沖縄は、辺野古に土砂が投入され始め、南西諸島全体の自衛隊配備も進み、深刻な状況ですが、新年は、引き続き、そして新たな試みをもって、沖縄に対する軍事・植民地主義と闘っていきます。

『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス Asia-Pacific Journal: Japan Focus』のエディター・ライター・翻訳コーディネーターとしても、役割を果たしてきました。来年は英語による執筆もこれまで以上に積極的に行っていきたいと思います。

日本の、鹿児島大学をはじめとするいくつかの大学でも講演・ゲストスピーカーをさせていただき、若い人たちの考えから学ぶことができました。

地元カナダでは、国会で「南京大虐殺を記憶する日」を設けることにたいする、日本政府、一部の日本移民や日系カナダ人による反対に対して懸念を表明しました(これについては英語サイト Japanese Canadians Supporting Nanjing Massacre Commemorative Day を参照)。

また、これとは別に、12月、地元で、バンクーバー9条の会とピース・フィロソフィーセンターは、南京大虐殺追悼集会を主催しました。

銅像や記念日の法的制定については私はそこまでの関心はありません。制定よりも、実際に歴史と歴史からの教訓を学ぶことの方が重要です。私が関心があるのは、被害者に寄り添う歴史記憶のあり方であり、私が闘う対象は、被害者を傷つける歴史否定です。

相変わらず、日本国外に出てきてまで、日本軍「慰安婦」の制度に「強制がなかった」とか、「南京大虐殺はなかった」とかいう、おおよそ日本国外では全く通用しない歴史否定の言説を流布する人たちの存在に心を痛めております。

そしてそういう人たちが、私や仲間に不当なレッテルをはり、ネット中傷やデマを流布するような傾向もあります。それらには断固対処し、必要とあらば法的処置も取っていきます。

私の原理原則は以下の二つです。

 ★ 見解の相違は認めるが、嘘や個人攻撃、誹謗中傷は許さない。

 ★ 歴史記憶のあり方についての意見の相違は認めるが、歴史的事実自体の否定は許さない。

お互い敬意をもって意見交換ができるような土壌を創っていきたいと思っています。

地元の仲間、日本を含むアジア諸国の同胞、世界の同志と、平和で持続可能な世界を築くために2019年も頑張っていきます。また、考えの異なる人々へのコンパッションも忘れないでいきたいと思っています。

新年への願いをこめて 。


[写真]
今年訪ねた場所でもっとも印象に残った場所の一つ、ウィニペグにあるカナダ人権博物館。手前に見えているのはマハトマ・ガンディーの像。

You must be the change you wish to see in the world. – Mahatma Gandhi

Live as if you were to die tomorrow; learn as if you were to live forever. – Mahatma Gandhi

乗松聡子
『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』エディター Editor, Asia-Pacific Journal: Japan Focus
ピース・フィロソフィーセンター代表 Director, Peace Philosophy Centre
バンクーバー9条の会共同代表 Co-Chair, Vancouver Save Article 9

Peace Philosophy Centre, Published: Monday, December 31, 2018
2018年のおわりに At the End of Year 2018
http://peacephilosophy.blogspot.com/

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2019年02月16日

2019 world para swimming championships

LONDON (Reuters) - The International Paralympic Committee (IPC) on Sunday stripped Malaysia of the right to host the 2019 world para swimming championships after the country banned Israeli athletes from participating.

The championships, a qualifier for the 2020 Tokyo Paralympics, had been scheduled for Kuching between July 29 and Aug. 4.

The IPC said a new venue would be sought for the same dates, although there might have to be some flexibility in light of the circumstances.

“All World Championships must be open to all eligible athletes and nations to compete safely and free from discrimination,” said IPC president Andrew Parsons in a statement after a meeting of the IPC governing board in London.

“When a host country excludes athletes from a particular nation, for political reasons, then we have absolutely no alternative but to look for a new Championships host.”

Malaysia, a majority-Muslim country that does not maintain diplomatic relations with Israel, announced this month that it would bar Israelis from any event held in the Southeast Asia nation.

Israel had condemned the ban as ‘shameful’ and said the decision was inspired by Prime Minister Mahathir Mohamad’s “rabid anti-Semitism”.

“This is a victory of values over hatred and bigotry, a strong statement in favor of freedom and equality. Thank you @Paralympics for your brave decision,” said Israeli Foreign Ministry spokesman Emmanuel Nahshon on Twitter.

Malaysia’s Minister of Youth and Sports, Syed Saddiq Syed Abdul Rahman, said the country stood by its decision to bar Israeli athletes.

If hosting an international sporting event is more important than standing up for our Palestinian brothers and sisters who get murdered, maimed and tortured by the Netanyahu regime, that means Malaysia has truly loss its moral compass,” he said in a statement.

Malaysia stands firm with our decision on the ground of humanity and compassion for the Palestinian plight. We will not compromise.”

Mahathir, 93, has for decades been accused of anti-Semitism for his attacks against Jews. In a BBC interview last October, he described Jews as “hook-nosed” and blamed them for the troubles in the Middle East.

Some 600 swimmers from 60 countries had been expected to compete in the championships in the eastern state of Sarawak, with more than 160 titles to be won.

The IPC said all potential replacement hosts were asked to express an interest by Feb. 11.

“The Paralympic Movement has, and always will be, motivated by a desire to drive inclusion, not exclusion,” said Parsons in the statement.

“Regardless of the countries involved in this matter, the IPC would take the same decision again if it was to face a similar situation involving different countries.”

He said that when Malaysia was awarded the championships in 2017, the IPC had been given assurances that all eligible athletes and countries would be allowed to participate with their safety assured.

“Since then, there has been a change of political leadership and the new Malaysian government has different ideas,” said Parsons.

“Politics and sport are never a good mix and we are disappointed that Israeli athletes would not have been allowed to compete in Malaysia.”


Reuters, Published: January 27, 2019 / 7:29 PM / 19 days ago
Malaysia barred from hosting Paralympic swimming championships after Israeli ban
By Alan Baldwin
https://www.reuters.com/article/us-paralympics-meeting/malaysia-barred-from-hosting-paralympic-swimming-championships-after-israeli-ban-idUSKCN1PL09K

The International Paralympic Committee (IPC) on Sunday (27 January) stripped Malaysia of the right to host the 2019 World Para Swimming Championships, which were due to be held in Kuching between 29 July and 4 August.

The decision was taken by the IPC Governing Board at its meeting in London, Great Britain, after the Home Ministry of Malaysia failed to provide the necessary guarantees that Israeli Para swimmers could participate, free from discrimination, and safely in the Championships. This includes full compliance with the IPC protocols related to anthems and flags, and where required the provision of relevant visas.

Andrew Parsons, IPC President, said: “All World Championships must be open to all eligible athletes and nations to compete safely and free from discrimination. When a host country excludes athletes from a particular nation, for political reasons, then we have absolutely no alternative but to look for a new Championships host.

“The Paralympic Movement has, and always will be, motivated by a desire to drive inclusion, not exclusion. Regardless of the countries involved in this matter, the IPC would take the same decision again if it was to face a similar situation involving different countries.

“In September 2017 when the IPC signed the contract with the Paralympic Council of Malaysia (NPC Malaysia) to host the World Para Swimming Championships, we had assurances that all eligible athletes and countries would be allowed to participate in the event with their safety assured.

“Since then, there has been a change of political leadership and the new Malaysian government has different ideas. Politics and sport are never a good mix and we are disappointed that Israeli athletes would not have been allowed to compete in Malaysia.

“As a result of the Board’s decision today, we are now looking for a new host for this vital World Championships, which acts as a qualifier for the Tokyo 2020 Paralympic Games. We will strive to maintain the same dates and conditions for the Championships as to not upset the training schedules of athletes who aim to peak for the end of July and early August. However, we may need to be flexible in this area bearing in mind the circumstances we face.”

Chelsey Gotell, Chairperson of the IPC Athletes’ Council, said: “The IPC Athletes' Council has received a great deal of correspondence from athletes around the world on this situation. We have discussed all potential outcomes and engaged with the World Para Swimming Athlete Advisory Group to gather their feedback on the situation to ensure the athlete voice was well reflected in the IPC Governing Board discussion and decision.

“Not only does this decision stress the importance of keeping sport and politics separate, but it also reinforces the IPC's commitment to our fundamental moral and ethical principles that encompass inclusivity of all eligible Para athletes and nations to compete at IPC sanctioned events.”

Around 600 swimmers from 60 nations were anticipated to take part in Kuching with more than 160 world titles up for grabs. The IPC encourages all potential hosts for the 2019 World Para Swimming Championships to express an interest in staging the event by 11 February 2019.


27.01.2019
IPC strip Malaysia of 2019 World Para Swimming Championships

Decision taken by IPC Governing Board in London.

https://www.paralympic.org/news/ipc-strip-malaysia-2019-world-para-swimming-championships

THE recent ban on Israeli athletes is merely a reiteration and affirmation of Malaysia’s policy on the question of Palestine.

Given the historical context of Malaysia’s efforts and stance on the question of Palestine − signified by its efforts in the UN Security Council, among others − the global reaction is surprising.

Its commitment is solidified, given Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad’s profound pro-Palestine stand. Thus, Malaysia’s refusal to allow in Israeli Paralympic swimmers for the qualifying round is not a surprise, but merely an affirmation by the Muslim-majority country.

The ban that resulted in Malaysia being stripped of hosting the 9th World Paralympic Swimming Championship leads one to wonder: why is Malaysia so dedicated to this cause? Why doesn’t Malaysia commit to other causes like the Rohingya or Uighur issue on the basis of Islam being its official religion?

Essentially, Malaysia’s historical commitment to Palestine is the main reason. It is a less problematic commitment compared to the issue of the Rohingya and Uighurs. Malaysia’s leadership and the re-election of Dr Mahathir are also major factors contributing to Malaysia’s strong advocacy of Palestine and being anti-Israel.

Firstly, Malaysia’s support for Palestine stems from the 1970s. It was the first Southeast Asian nation to allow the Palestine Liberation Organisation to establish itself in its capital, Kuala Lumpur before having it upgraded to full embassy status in 1983. While Malaysia was a non-permanent member of the United Nations Security Council in 1989-1990, it helped the Palestinians lobby for support for their cause by allowing Palestine access to its network in the Non-Aligned Movement and Organisation of Islamic Cooperation.

Additionally, Malaysia extended support for the cause financially and by having regular consultations. So much so that Tan Sri Razali Ismail, in his memoir, wrote that many of the UN resolutions on Palestine were written at the Malaysian mission in New York. Malaysia was an essential key player and important advocate of Palestinian issues. And throughout the years, Malaysia’s commitment stands firm. Its recent tenure in the UN Security Council was highly celebrated with the passing of Resolution 2334 declaring Israel’s settlement activity as a flagrant violation of international law and having no legal validity.

Secondly, the Dr Mahathir factor is certainly one that should not be overlooked. Within the first few months of his second tenure as prime minister, he famously blamed issues in the Middle East on Israel.

It can be safely said that he is no stranger to being labelled an anti-Zionist and anti-Semitic. At the end of his 22-year tenure as the fourth prime minister, he left a mark by saying the Jews ruled the world by proxy and caused fights and deaths for the state of Israel.

His support for the Palestinian state did not stop after retirement as he established the Perdana Global Peace Foundation, a non-governmental organisation that aids Palestine. All of his efforts were not ignored by the Jewish state too, as his visit to the West Bank was delayed as Israeli officials banned him from entering Jerusalem and the West Bank through Jordan in 2005.

However, Malaysia’s relationship with Israel has not always been non-existent. In the past few years, Israelis have visited Malaysia. Just in 2018, ambassador David Roet, currently Israel’s deputy permanent representative to the United Nations, led a delegation to the 9th World Urban Forum.

The delegation prided themselves on Malaysians using Waze, and Israeli-developed software. Articles by Israelis have also discussed prospective Malaysia-Israel ties as Israelis suggested that both countries have much in common, citing Malaysia’s multiculturalism as being one of them.

In the past year, too, Israel has managed to cause fury in Malaysia with an alleged Mossad agent killing a Palestinian in Kuala Lumpur in broad daylight. This assassination was clearly disrespectful to a foreign country’s sovereignty. Whether this hostile act has managed to influence the recent decision by the government can be the subject of speculation, but it should not be ignored that it plays a part in Malaysia’s hostility towards Israel.

While it is important to recognise the role sports play in diplomacy, it should be highlighted that Malaysia has not acted out of the ordinary.

Whether it is because of Dr Mahathir’s second tenure as the prime minister, or simply Malaysia’s affirmation of its decade-long policy, rest assured, Malaysia’s stance against Israel is strong and will only get stronger from here on.


[photo]
Until recently, this was supposed to be the venue for the 9th World Paralympic Swimming Championship in Kuching.

New Straits Times, Published: February 15, 2019 - 11:47pm
Affirming Malaysia's stance
By Tengku Nur Qistina Petri
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2019/02/460596/affirming-malaysias-stance

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Happy Valentine’s Day !

IT was the beginning of the week-long holiday period. Most city dwellers had already made their way back to their hometowns to spend the Chinese New Year break with their loved ones. But my family and I decided to stay put. We’ve had some bad experiences with heavy traffic and weren’t keen on battling through it again. We were looking forward to a quiet but relaxing time at home.

That said, we still needed to fill the time with meaningful activities. So we planned for some simple activities such as cycling around the neighbourhood and other scenic locations. We also planned to explore the city’s popular attractions on foot.

One sunny afternoon, we decided to explore our neighbourhood on our bikes. We agreed to start the journey at 5pm. But at about half past four, we could hear thunder. Before long, it started raining cats and dogs. Our plan just went down the drain. Since we couldn’t cycle that day, we did the next most “interesting” thing - tidying up the boys’ room!

DIVIDE AND CONQUER

My youngest, Adam, had promised to tidy up his room before the holiday ended. In fact, he’d been halfway through before he started slowing down and dragging the process.

As it was raining outside, I decided to offer him a helping hand. There were piles of books, files and toys everywhere. He seemed overwhelmed. He kept putting it off and distracted himself with some other irrelevant activities. He just didn’t know where to start and what to do next.

I advised him to “divide and conquer” the mess. He began with the bed. Stuff on and under it were mercilessly attacked. Armed with a garbage bag, I advised him to throw away the things he no longer needed. That seemed to do the trick as almost half of the mess went into the trash.

Adam began to smile when he realised there was a way out in front of him. Once the bed was nicely made, he began working on other areas of the room. In just under an hour, he was able to overcome the stumbling block that had been there for many days.

Once the “dust” had settled, Adam came to me and planted an unexpected kiss on my cheek. “Thank you, Daddy. I was stuck, and you helped me.” They were sweet words to my ears. Later, he wrote in our family chat group, “Now I know how to clean my room systematically. THANK YOU, DAD for teaching me that!”

It was a priceless moment for us. We’d planned to do some bonding via cycling but tidying up the room turned out to be a good alternative.

During dinner, I took another opportunity to remind him about the “mess” in his life too. He could apply the same technique - of dividing and conquering - to tackle other challenges in his life. Start with the easy ones first before moving his way in. Remove the trash and get some help along the way. We can all apply this simple tip.


[photo-1]
Proud Adam and his neat room.

[photo-2]
Adam’s room before his tidying activity commenced.

New Straits Times, Published: February 12, 2019 - 8:01am
Tidy room, happy life
By Zaid Mohamad
https://www.nst.com.my/lifestyle/pulse/2019/02/459347/smart-parenting-tidy-room-happy-life

It has been a busy week of festivities and school holidays, and now Valentine’s Day is around the corner. For some people, Valentine’s Day is insignificant because of its pagan beginnings, which then evolved into a day to celebrate romantic love by presenting flowers and chocolates to the object of your heart. That too has evolved into gifting to anyone you love – your parents, best friends, and even colleagues!

To me, it’s a day to celebrate love and show appreciation to those who matter, just like any of the other special days marked out and have been commercialised – Mother’s Day, Father’s Day, Teacher’s Day and so on. It just simply means that there are lovely gifts ever ready to be purchased if you don’t have the time to make them yourself. Tell me who doesn’t like presents?

I’ve been a caregiver for more than 20 years, and there isn’t a day in the year that has been marked as Caregiver’s Day. No matter. Any day is a good day to give and receive thanks.

On the flipside, how many of us have thanked the caregivers in our lives? You’d have noticed by now that most caregivers never really ask for anything personal from you. They just do what they have to do. If there’s anything they ask for, it’s for your support and understanding in caring for your loved one.

You may have given your caregiver year-end monetary bonuses. However if you haven’t, this is a good time to thank your caregiver. It doesn’t always have to be money, although that really helps because while some caregivers are paid, most are not. Small gestures of kindness or small gifts are always appreciated.

From the heart

I find that people appreciate home-cooked food. I’ve taken the cue from my late mother’s practices. She used to frequently send tiffins of food from her kitchen to relatives and friends who’d just returned home from the hospital. She also sent food to the hospital for the patient with no dietary restrictions and whose appetite needed to be enticed, as well as to the patient’s caregivers and family who were on hospital duty.

On days I anticipate to be a long one, I sometimes bring a bag of breakfast (much like a small picnic basket) of a light meal like porridge, pie or sandwiches for the ones I’m accompanying to the hospital.

Recently, my brother had been in and out of hospital for treatments that affected his appetite. He needed to eat well to regain his strength. He was sick and tired of hospital food and what was available at the cafeteria. He was also not keen on store-bought food. To coax him to eat, I rustled up dishes that our mum used to cook. That did the trick! Soon he was looking forward to eating other types of food.

On that note, you could share your food by cooking a bit more when you cook for the family and send some to the caregiver. Alternatively, you could order food online and get it delivered to them.

Online shopping has opened a whole new world where they come to you without you ever needing to leave the house. You can use this facility to help others. Everything is at your fingertips and your credit card.

Make it special everyday

There are so many other ways to show you care. You don’t need to wait for a special day to do this. And you can do it more than just once a year. You could actually put down in your calendar to do this on a certain day of the month, like the first Monday (or any other day) and so on.

You could, for instance, run errands for the caregiver, like doing their groceries, cleaning and vacuuming the house, arranging for someone to cut the grass or do the laundry. You won’t believe how one less chore can really be such a boon to an exhausted caregiver.

If you’re familiar with the loved one who’s being cared for, offer an hour or two of your time for the caregiver to take a break to do something personal for themselves or for some pampering like a massage, hot bath, or a good, long nap!

There are times when the caregiver cannot and will not be separated from the loved one in his care, but you know full well that they need a break. You could arrange something for this so that both the caregiver and care receiver can benefit from some change of air.

If it’s the occasional surprise that makes you happy, putting together a hamper of all of the caregiver’s and care receiver’s favourite things can be fun. It can be anything from food to towels, blankets, linen, bath and household cleaners as well as soaps and fragrances. The list is endless!

Try it! Lighten up, discover the joys of gifting and make someone smile.

Happy Valentine’s Day!


New Straits Times, February 12, 2019 ‐ 8:05am
Gifts of love and care
By Putri Juneita Johari
https://www.nst.com.my/lifestyle/pulse/2019/02/459355/i-caregiver-gifts-love-and-care


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ニューヨークはアマゾンにノーと言うべきだ

 数カ月にわたる誘致キャンペーンの後、アマゾン社はいわゆる「第2本社」の設置場所をワシントンD.C.郊外のバージニア州アーリントンとニューヨーク市に分けることを正式発表しました。
 税控除その他の優遇措置で30億ドル以上の誘致インセンティブを約束されたうえでの決断です。

 このニュースを受けて、ニューヨーク市のロングアイランドシティにあるアマゾンのオフィス複合施設の建設予定地で抗議行動が起こりました。
 抗議者たちは、市当局や州政府がアマゾン社をニューヨーク市に誘致するため大規模な税控除やその他の優遇措置を惜しみなく提供していると非難しました。
 誘致のために約束した中には、ニューヨーク州の納税者のお金で、世界一の大富豪であるジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)のためにヘリポートを建てることさえ含まれます。
 地元の政治家の多くが、この設計画を支援したとしてニューヨーク州とバージニア州の当局者を公然と批判しています。

 新本社の建設で5万人の雇用が創出されるとされています。
 ニューヨーク州議会議員のロン・キムに話を聞きます。
 キム議員は、この誘致計画を阻止して、アマゾン社への助成に使われる納税者の金を学生の債務救済にあてるようにする法律を提案しています。
 彼は最近、ニューヨーク・タイムズ紙に“New York Should Say No to Amazon”(「ニューヨークはアマゾンにノーと言うべきだ」)というタイトルの意見記事を共同で書きました。


Democracy Now! 2018年11月14日
ニューヨーク州議員:アマゾン社に貢ぐ30億ドルは、学生の借金減免にこそ使うべきだ
http://democracynow.jp/dailynews/18/11/14/1

※ ロン・キム(Ron Kim represents parts of Queens in the New York State Assembly)に話を聞きます:
NY Politician: We Need to Block $3 Billion Handout for Amazon & Use Money to Forgive Student Debt
https://www.democracynow.org/2018/11/14/ny_politician_we_need_to_block

※ 「ニューヨークはアマゾンにノーと言うべきだ」
This week, word leaked that Amazon may be close to finalizing a deal to set up a major operation in Long Island City, Queens. The news, which was embraced with peak sycophancy by Gov. Andrew Cuomo − he literally offered to change his name to “Amazon Cuomo” to make it happen − came with a slap in the face to New York and every other state that bid for this deal.

For the past year, Amazon has been promoting a cruel tournament, asking cities to compete for the privilege of hosting a second headquarters outside Seattle − what the company called “HQ2.” The winner was promised tens of thousands of jobs and the tempting vision of becoming a tech hub to rival San Francisco. Hundreds of cities prostrated themselves before Amazon, offering the company tax breaks and subsidies along with valuable data, such as infrastructure plans, to which no other company had access.

But as details of the reported deal trickle out, it seems clear that this whole tournament has been a sham. There is no HQ2. Instead, Amazon is expected to announce a fairly routine expansion, adding new satellites in Queens and in Northern Virginia. The countless hours spent courting Amazon were undoubtedly valuable for Amazon: the company gained free media coverage and untold amounts of economic data from each bidding city. But it has been a terrible waste for those cities and states whose public servants labored to win a prize that would never materialize.

Even for the biggest Amazon boosters, such casual dishonesty should be cause for consternation. It’s like getting a marriage offer along with a confession of infidelity.

The tactic is all too familiar to the merchants who rely on Amazon’s platform. Amazon starts these relationships by inflating expectations. Then, it uses its bargaining power to demand highly favorable terms, including requiring merchants to share sales data that they would normally never share with an outside company. Amazon extracts as much value and data as possible and shrugs off the initial visions, indifferent to whether these merchants go out of business. After making them dependent, Amazon sets all the terms of engagement, and the merchant is left with a terrible choice: quit Amazon and lose their business, or agree to a serf-like relationship. Most agree to serfdom.

If Amazon indeed locates a substantial part of its business in New York, serfdom is the style of “partnership” the city should expect. Despite the familiar promises, Amazon is not a good partner. Not for the cities it occupies, not for the merchants who depend on it, not for the workers it employs. The company does not seek partnership; it seeks control. Seattle’s experience shows that becoming dependent on Amazon did not lead to broader wealth; it has pushed up home prices and led to increased homelessness. Amazon also threw its political weight around in the city, spending millions in a brutal campaign to resist corporate taxes in Seattle.

Unfortunately, New York has a long history of playing the fool in corporate relationships. Our state already ranks last in the nation in returns on billions of dollars in corporate giveaways. Its economic development programs are the most expensive in the country, amounting to 76 percent of the state’s gross tax revenue. In 2015, Mr. Cuomo gave away $8.25 billion to corporations − as much as the next three states combined.

If Mr. Cuomo gets his way, New York State will reward a mega-corporation that specializes in extracting money out of local neighborhoods. For every job Amazon may create today, hundreds of jobs at small businesses could be lost.

It would be a special insult in New York City to sell out to a company so closely identified with squashing small merchants, stifling workers’ rights and undermining the publishing and ideas industry.

New York City is the heart and soul of the truly independent small business: idiosyncratic merchants that are rooted in their communities, making life rich, beautiful and chaotic for all New Yorkers. They include not only retail businesses, but also the dreamers who make things and sell them, such as CW Pencil Enterprise, which sells curated pencils in Manhattan; Pintrill, a Brooklyn-based company that creates and trades small pins, and Shine Electronics, an electronic store that buys and resells used cellphones, with its headquarters in Long Island City. No company has done more to decimate the power of these small businesses than Amazon has.

New York has a long, strong history of union power, and Amazon has a long history of union busting. In a 45-minute video leaked by Gizmodo, Amazon’s anti-union tactics were revealed, as Whole Foods team leaders were instructed in how to quell unionization after Amazon bought the company.

Finally, Amazon has abused its power as gatekeeper of ideas in our culture. As Franklin Foer details in his book World Without Mind, when Hachette, the publisher, dared to challenge some of Amazon’s contract demands in 2014, shipments to Amazon customers of books published by Hachette were delayed by weeks. Publishers are frightened to speak out against Amazon for fear that it will harm book sales. For New York to prostrate itself in front of a company trying to control the flow of ideas in America would be an insult to our commitment to open, diverse debate.

At this point, it looks like Mr. Cuomo wants to rush into a deal with Amazon before there is any scrutiny, but New York can and should say no, at least until we know a lot more. The public should see correspondences between the Cuomo administration and Amazon to learn what promises have been made. The State Senate should demand a full study to examine the impact of any proposed deal on transportation and the cost of housing. We should hold hearings on Amazon’s union-busting practices.

In other words, Mr. Cuomo and the rest of New York’s public officials should fulfill their civic duty and reveal exactly what Amazon is promising, before entering into a relationship that will compromise the dignity and livelihoods of the people of our state.

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If Amazon indeed locates a substantial part of its business in Long Island City, serfdom is the style of “partnership” that we should expect.


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An Amazon fulfillment center in Kent, Washington. Despite the promises, Amazon is not a good partner for the cities it occupies, nor for the merchants who depend on it, or the workers it employs.

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Seattle’s experience shows that becoming dependent on Amazon did not lead to broader wealth; it has pushed up home prices and pushed down wages.

The New York Times, Published: Nov. 9, 2018
Opinion
New York Should Say No to Amazon
A city that thrives on the energy of its neighborhood merchants should not offer incentives and giveaways to an internet giant known for squashing small businesses.

By Ron Kim and Zephyr Teachout
Mr. Kim is a member of the New York State Assembly. Ms. Teachout is a law professor at Fordham University.
https://www.nytimes.com/2018/11/09/opinion/amazon-new-york-business.html



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Anti-Amazon protesters

Amazon on Thursday canceled its plans to build an expansive corporate campus in New York City after facing an unexpectedly fierce backlash from lawmakers, progressive activists and union leaders, who contended that a tech giant did not deserve nearly $3 billion in government incentives.

The decision was an abrupt turnabout by Amazon after a much-publicized search for a second headquarters, which had ended with its announcement in November that it would open two new sites − one in Queens, with more than 25,000 jobs, and another in Virginia.

Amazon’s retreat was a blow to Gov. Andrew M. Cuomo and Mayor Bill de Blasio, damaging their effort to further diversify the city’s economy by making it an inviting location for the technology industry.

The agreement to lure Amazon to Long Island City, Queens, had stirred intense debate in New York about the use of public subsidies to entice wealthy companies, the rising cost of living in gentrifying neighborhoods, and the city’s very identity.

“A number of state and local politicians have made it clear that they oppose our presence and will not work with us to build the type of relationships that are required to go forward,” Amazon said in a statement.

The company made its decision late Wednesday, after growing increasingly concerned that the backlash in New York showed no sign of abating and was tarnishing its image beyond the city, according to two people with knowledge of the discussions inside the company.

In recent days, Mr. de Blasio had tried to reach Jeff Bezos, Amazon’s chief executive, according to one official. But Mr. Bezos did not speak with him, nor with Mr. Cuomo.

The company’s decision was at least a short-term win for insurgent progressive politicians led by Representative Alexandria Ocasio-Cortez, whose upset victory last year occurred in the western corner of Queens where Amazon had planned its site.

Her race galvanized the party’s left flank, which mobilized against the deal, helped swing New York’s Legislature into Democratic hands, and struck fear in the hearts of some local politicians.

On Thursday, Ms. Ocasio-Cortez seemed to revel in Amazon’s decision, writing on Twitter that “anything is possible.”
Anything is possible: today was the day a group of dedicated, everyday New Yorkers & their neighbors defeated Amazon’s corporate greed, its worker exploitation, and the power of the richest man in the world.

Not only progressive activists took issue with the Amazon deal: Michael R. Bloomberg, who championed New York City as a technology hub while mayor, questioned the incentive package earlier this month.

The company also had its supporters − in the city’s business community, among some unions and within nearby public housing, where some residents were hopeful that the project would bring jobs. A pair of polls showed broad support around the city and state.

But in the end, it was not enough to persuade the company to ride out the torrent of negative attention.

Amazon did not inform the governor or the mayor of its decision to pull out until Thursday morning, shortly before the company posted its announcement online.

Mr. Cuomo and Mr. de Blasio reacted in starkly different ways. The governor blamed the newly emboldened Democrats who now control the State Senate for derailing the project.

“A small group of politicians put their own narrow political interests above their community − which poll after poll showed overwhelmingly supported bringing Amazon to Long Island City − the state’s economic future and the best interests of the people of this state,” the governor said in a statement.

For his part, Mr. de Blasio turned on the company after having steadfastly backed the deal.

“We gave Amazon the opportunity to be a good neighbor and do business in the greatest city in the world,” Mr. de Blasio said. “Instead of working with the community, Amazon threw away that opportunity.”

The mayor and the governor, who only rarely find common cause, met Monday in Albany and discussed how to save the deal, which had appeared increasingly imperiled, according to a person familiar with the conversations. After the meeting, Mr. de Blasio spoke to a senior Amazon executive by phone and was told that the company remained committed to New York, the person said.

Both the mayor’s and the governor’s offices reassured Amazon executives that, despite the vocal criticism, the deal they had negotiated would be approved. But the company appeared upset at even a moderate level of resistance, said the person, who, like many of the people describing private conversations at the company and with elected officials, did so on the condition of anonymity.

A decisive moment appeared to come when the Senate Democrats selected Senator Michael Gianaris of Queens for a state board with the power to veto the deal. Mr. Gianaris had once supported the efforts to bring Amazon to New York, but became a vocal critic after learning the details of the plan.

Over time, opposition to Amazon had spread from the specifics of the deal to the company’s corporate practices. Elected officials and activists in New York drew attention to the company’s anti-union stance and its work with federal immigration officials − positions unpopular with Democratic leaders across the country.

Amazon executives felt they had been open to answering questions, submitting to two City Council hearings, with another planned for later this month. They had begun working on a hiring plan, people with knowledge of the planning said, and were encouraged by public support in two polls of voters, conducted by Quinnipiac University and Siena College. While the subsidies were less popular, the deal to bring Amazon, and tens of thousands of jobs, was welcomed by a variety of groups.

On Wednesday, Mr. Cuomo had even brokered a meeting between Amazon executives and union leaders who had been resistant to the deal − including from the Retail, Wholesale and Department Store union and the Teamsters.

“Amazon and the governor and everybody agreed yesterday on a way to move forward,” said Stuart Appelbaum of the retail union, who was part of the meeting. “Shame on them. The arrogance of saying ‘do it my way or not at all.”’

Some unions supported the deal, and even those opposed had appeared willing to work with Amazon if the company agreed to not work against the unionization of its employees in New York. An Amazon representative, during one council hearing, pointedly said the company would not agree to such terms.

Kathryn S. Wylde, the chief executive of the Partnership for New York City, an influential business group, said the reception Amazon had received sent a “pretty bad message to the job creators” of the city and the world.

“How can anyone be surprised?” Ms. Wylde said. “We competed successfully, made a deal and spent the last three months trashing our new partner.”

When Amazon announced plans for a second headquarters in September 2017, it promised 50,000 high-paying jobs and billions in investment for a community that would be coequal to its home in Seattle. The voracious company, whose ambitions outgrew the number of people it could hire in the Pacific Northwest, set off a nationwide frenzy, with more than 200 cities making bids.

Amazon decided last fall that no one city could provide the number of tech workers it needed and split the headquarters in two.

The company has long been willing to take short-term pain in exchange for maintaining long-term leverage. In Seattle, Amazon’s relationship with officials soured as it grew to become the city’s dominant employer. Last year, when the Seattle City Council proposed taxing large employers to pay for homeless services and affordable housing, Amazon took a rare public stance and threatened to halt its expansion. In the end, the city retreated and got rid of even a pared back version of the tax it had adopted.

The Seattle relationship looms over Amazon’s growth plans. As much as Amazon wanted New York’s talent, it was not worth facing years of opposition on broad swaths of issues.

Instead, Amazon will grow across its tech hubs, which include large outposts in cities like Boston, Austin, Tex., and Vancouver, British Columbia, as well as smaller ones in Pittsburgh and Detroit. It will lose the value it has said it finds in having employees in a centralized corporate campus, but will maintain flexibility to grow where and when it wants.

Even in New York, where Amazon already has 5,000 workers, about half at a distribution center on Staten Island, the company still plans to add more jobs, particularly in advertising, fashion and web services.

Mr. Gianaris said the collapse of the deal in Queens revealed the company’s unwillingness to work with the community it had wanted to join.

“Like a petulant child, Amazon insists on getting its way or takes its ball and leaves,” said Mr. Gianaris, whose district includes Long Island City. “The only thing that happened here is that a community that was going to be profoundly affected by their presence started asking questions.

“Even by their own words,” he added, pointing to the company’s statement on the pullout, “Amazon admits they will grow their presence in New York without their promised subsidies. So what was all this really about?”

While small protests greeted the company after its initial announcement in November, the first inkling that opposition had taken hold among the city’s Democratic politicians came during a hostile City Council hearing the next month. Protesters filled the seats, unfurled banners and chanted against the company. Not a single council member spoke up in defense of the deal or the company.

Company executives fared no better at their second appearance, in January, though supporters, lobbyists and consultants were better prepared. Unions supporting the deal, including the powerful 32BJ Service Employees International Union and the Building and Construction Trades Council of Greater New York, staged a rally outside City Hall immediately after one held by opponents.

Still, the company did not hire a single New Yorker as an employee to represent it in discussions with local groups. Its main representatives traveled between Washington and Manhattan, and only one had moved into an apartment to work with community members and foster support.

Gianna Cerbone, who owns a restaurant several blocks from what would have been the main Amazon campus, said the demise of the deal was a major blow to people who need jobs and local businesses that would have benefited.

“I’m really upset because I don’t think they realized what they did,” she said of the elected officials who had opposed the plan. “And they’re proud of it? They think they did something lovely? They wanted the political gain, they should have done it in a different way. They get put into office for us, not to work for themselves.”


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After community backlash, Amazon has decided not to move forward with its plan to open a headquarters in Long Island City, Queens. Here’s a look at what happened.

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Anti-Amazon protesters before a New York City Council hearing in January. The deal to build a sprawling Amazon campus in Queens had also run into opposition from some local lawmakers.

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Gov. Andrew M. Cuomo, center, and Mayor Bill de Blasio, second from right, had been forcefully defending the deal they negotiated.


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A view of the Pepsi-Cola sign in Long Island City. A campus for as many as 40,000 Amazon workers was planned for the neighborhood.

The New York Times, Published: Feb. 14, 2019
Amazon’s Retreat on New York City Headquarters Followed Unexpected Backlash
By J. David Goodman
https://www.nytimes.com/2019/02/14/nyregion/amazon-hq2-queens.html

Amazon announced Thursday it was abandoning plans for a new headquarters site in New York City, citing opposition from local politicians angry at the huge subsidies being offered to one of the world's most successful companies.

The New York neighborhood of Long Island City had been one of two locations Amazon selected last year after a long search for a second headquarters or "HQ2." The online giant promised the sprawling complex would create 25,000 new jobs -- in exchange for nearly $3 billion in state and city incentives.

"While polls show that 70 percent of New Yorkers support our plans and investment, a number of state and local politicians have made it clear that they oppose our presence and will not work with us to build the type of relationships that are required to go forward with the project," Amazon said in a statement.

"We are disappointed to have reached this conclusion -- we love New York, its incomparable dynamism, people, and culture -- and particularly the community of Long Island City, where we have gotten to know so many optimistic, forward-leaning community leaders, small business owners, and residents."

Amazon said it would "continue growing" its workforce in New York which includes some 5,000 people.

Amazon said it would not reopen the bidding process but would "proceed as planned" with a headquarters site in Northern Virginia and a logistics center in Nashville, Tennessee.

It added that it "will continue to hire and grow across our 17 corporate offices and tech hubs in the US and Canada."

The New York plan had been endorsed by Mayor Bill De Blasio and Governor Andrew Cuomo, but ran into fierce opposition from some local politicians and community activists, including newly elected Democratic Representative Alexandria Ocasio-Cortez, whose district borders the New York site.

In addition to complaints about the scale of the incentives, critics voiced concerns that the promised jobs could inflate an already overpriced housing market and strain infrastructure.

Amazon, the dominant online retail giant which also operates services in cloud computing, streaming media and artificial intelligence, began seeking a new headquarters, saying it was outgrowing its current home in Seattle, Washington.


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Amazon dropped its plans for a new headquarters in New York City following a series of protests including this one on November 26


AFP, Published: 14 FEB 2019
Amazon drops plan for New York headquarters
https://www.afp.com/en/news/15/amazon-drops-plan-new-york-headquarters-doc-1dg2503

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トランプ大統領「アベが私を平和賞推薦」

Responding to a question about the upcoming summit with North Korea on Friday, President Trump said that Japanese Prime Minister Shinzo Abe had nominated him for the Nobel Peace Prize.

“Prime Minister Abe of Japan gave me the most beautiful copy of a letter that he sent to the people who give out a thing called the Nobel Prize,” Trump said. “I have nominated you, respectfully on behalf of Japan, I am asking them to give you the Nobel Peace Prize.”

Trump said he then thanked Abe but added that he did not expect to win the prize.

The president’s comments caught many observers by surprise. A Japanese nomination for a Nobel Peace Prize was not announced, and though Abe has formed a strong personal bond with Trump, the two leaders have often been at odds over Trump’s outreach to North Korea’s Kim Jong Un.

This is also reflected in polls of the Japanese public: One poll conducted shortly before Trump met with Kim in Singapore to discuss denuclearization last June, found that 83 percent of the Japanese public were not convinced North Korea would give up its nuclear weapons.

Neither the White House or the Japanese Embassy in Washington responded immediately to a request for more information about Trump’s comments.

There are hundreds of Nobel nominations each year. There are 304 candidates for this year’s prize, according to the committee. The names of the nominees and their sponsors are kept secret for 50 years.

The bare details of Trump’s comments led some to note that South Korean President Moon Jae-in has spoken in the past of how he felt Trump should win a Nobel for his negotiations with North Korea’s Kim.

“President Trump should win the Nobel Peace Prize,” Moon said last April. It is unclear if the South Korean leader actually wrote a letter to the Nobel committee in Oslo, however. (A representative of the South Korean Embassy in Washington did not immediately respond to a request for comment).

Polls have shown South Koreans are largely positive about Trump’s talks with North Korea, though many argue that it is Moon rather than the U.S. president who is leading talks.

Some analysts speculated that Trump had indeed mistaken Abe for Moon. However, some noted that Abe has repeatedly shown that he values his relationship with the U.S. president. “A pretty deft move to use on a man who has repeatedly proven receptive to flattery,” Mintaro Oba, a former State Department staffer who now works for West Wing Writers, wrote on Twitter.

Though they are neighbors and both allies of the United States, South Korea and Japan have had a fraught relationship in recent months.
“The relationship between South Korea and Japan is suffering a compound fracture unprecedented in the five decades since the two countries established diplomatic relations,” Shin Kak-soo, a former South Korean ambassador to Japan, recently told The Washington Post.

“The Trump administration did not pay attention to the alliance,” Shin added.


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In response to a question about the upcoming summit with North Korea, President Trump touched on the Nobel Peace Prize, Syria and President Barack Obama.

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In this July 6, 2017 photo, President Trump meets with Japanese Prime Minister Shinzo Abe, right, and South Korean President Moon Jae-in before the Northeast Asia Security dinner at the U.S. Consulate in Hamburg.

The Washington Post, Published: February 15 at 12:48 PM
Trump says he’s been nominated for a Nobel. But did Japan’s Abe actually do it? Or was it S. Korea’s Moon?
By Adam Taylor
https://www.washingtonpost.com/world/2019/02/15/trump-says-hes-been-nominated-nobel-did-japans-abe-actually-do-it-or-was-it-s-koreas-moon/

WASHINGTON − President Donald Trump claimed Friday that Japan's prime minister had nominated him for a Nobel Peace Prize for opening a dialogue with North Korea.

Trump also complained about President Barack Obama's Nobel Peace Prize and doubted he would be similarly honored.

Prime Minister Shinzo Abe "gave me the most beautiful copy of a letter that he sent to the people who give out a thing called the Nobel Prize,"

Trump said at a White House news conference when asked about his late February summit in Vietnam with North Korean leader Kim Jong Un. "He said, 'I have nominated you, respectfully, on behalf of Japan. I am asking them to give you the Nobel Peace Prize.'"

The Associated Press could not immediately confirm Trump's claim. The Japanese embassy in Washington did not respond to a request for comment.

South Korean President Moon Jae-in, who also has credited Trump with starting negotiations with the reclusive North, has endorsed the U.S. leader for the Nobel Peace Prize as well.

Trump said early exchanges with Kim were filled with "fire and fury," but that the two have established a good relationship since their first meeting last year in Singapore. He said claimed Abe nominated him because he was worried about North Korea conducting missile tests over Japan.

Obama was awarded the Nobel Peace Prize in 2009, his first year in office, for laying out the U.S. commitment to "seek the peace and security of a world without nuclear weapons."

Trump complained Friday that Obama was there "for about 15 seconds" before he was awarded the prize.

"I'll probably never get it, but that's OK," Trump said. "They gave it to Obama. He didn't even know what he got it for."


The New York Times, Published: Feb. 15, 2019
Trump Claims Japan's PM Nominated Him for Nobel Peace Prize
By The Associated Press
https://www.nytimes.com/aponline/2019/02/15/us/politics/ap-us-trump-nobel-prize.html

 今朝7時のNHKニュースが、笑い話のような、しかし、衝撃的なニュースを流した。
 なんとトランプ大統領が、昨年のノーベル平和賞受賞に際して、安倍首相がトランプ大統領を推薦する書簡をノーベル平和委員会に出していた事を伝える書簡を安倍首相からもらっていた事を誇らしげに暴露したのだ。
 記者会見でそうトランプ大統領が語っている映像が流されていたから、これはフェイクニュースではない。
 NHKのスクープ報道でもない。
 もはや世界中に知れわたった事実だ。

 しかもである。
 その理由としてトランプ大統領は語っていた。
 昨年2018年6月の米朝首脳会談で北朝鮮との和解が出来た。
 これで日本に北朝鮮からのミサイルが飛んでくる危険性がなくなった。
 ありがとうと、その感謝を込めて、安倍首相は私をノーベル平和賞受賞に推薦したと伝えて来たと語っているのだ。
 これはものすごい暴露だ。
 さすがはトランプ大統領だ。
 外交儀礼もへったくれもなく、自分の宣伝なら何でもしゃべってしまうのだ。

 国会はこのNHKのニュースを徹底追及すべきだ。
 そして、その推薦状を国民に公開する事を求めるべきだ。
 そうすれば安倍外交の欺瞞が一瞬にして明らかになる。
 安倍首相は、米朝首脳会談の成功を日本の安全保障にとって良かったと大歓迎していたのだ。
 ならばなぜ、安倍首相は米朝会談の足を引っ張るような事ばかりしてきたのか。

 今からでも遅くない。
 安倍首相は公言すべきだ。
 日本は2019年2月末に行われる2回目の米朝首脳会談の成功を日本の安全保障の為にも期待すると。
 米朝首脳会談で朝鮮戦争の終結宣言が実現し、本格的に朝鮮半島の和平が実現されるなら、それは日本の安全保障にとっても歓迎すべき事であることを安倍首相はいますぐ公言すべきだ。
 そして、今年こそ、それを実現したトランプ大統領はノーベル平和賞に値すると、もう一度推薦状を出すべきだ。


 安倍外交を揺るがすトランプ大統領の笑ってしまうような衝撃的な暴露発言だ。
 それを真っ先に報じたNHKは殊勲だ。
 はたして、他のメディアはこのトランプ大統領の暴露発言をどう後追い報道するだろうか。
 今朝一番のビッグニュースである。


天木直人のブログ、2019-02-16
トランプ大統領のノーベル平和賞受賞を推薦していた安倍首相
http://kenpo9.com/archives/5618

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司馬遼太郎『坂の上の雲』

 11月3日の「文化の日」を「明治の日」にしようという気持ち悪い動きがある。

 きのう2015年11月11日にも「「明治の日」を実現する集い」なるイベントが開催され、日本会議会長の田久保忠衛が基調講演を行なった。
 「取り戻せ!明治の精神」というキャッチフレーズのもと、協賛には極右カルト「日本会議」はもちろんのこと、ヘイト団体である「頑張れ日本!全国行動委員会」、「新しい歴史教科書をつくる会」、「神道政治連盟東京本部」、「東京都神社庁」、「日本教育再生機構」など右派団体が名を連ね、稲田朋美政調会長もかけつけたという。
 現在「文化の日」とされている11月3日が、明治天皇の誕生日でもあり戦中は「明治節」とされていたことから、この日を再び「明治の日」とし、「厳しい国際環境の中で国家の独立を護り抜いた明治の先人たちに思いを馳せ」よう(明治の日推進協議会ブログより)というのである。

 数々の侵略戦争によって多くの国の人間の命と自由を奪い、日本自体も滅亡の危機に追い込んだ「大日本帝国」を取り戻したい、とは正気の沙汰とは思えないが、こうした明治日本への憧憬、回帰願望は単なる懐古趣味と笑っていられる状況ではない。
 
 たとえば、今年2015年7月「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録へのゴリ押しだ。安倍首相は幼なじみでもある発起人の女性に「君がやろうとしていることは『坂の上の雲』だな。これは、俺がやらせてあげる」と語るなど、この登録には安倍首相の強い意向が働いていた。その背景に、明治日本の近代化を誇り大日本帝国の植民地主義の正当化をアピールしようという意図があったのは明らかだ。
 
 また、今年2015年8月15日の安倍談話のなかで、明治の日本と日露戦争について、安倍首相は以下のように語った。

「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」

 明治日本の植民地主義を正当化し日露戦争を良い戦争だったと真顔で語る、この安倍首相の歴史観はつくる会の歴史教科書そのままなのだが、この歴史観のベースにあるとされるのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』だ。
 『坂の上の雲』といえば、『竜馬がゆく』とならぶ司馬遼太郎の代表作で、明治の軍人・秋山好古、秋山真之の兄弟と俳人・正岡子規の3人を主人公に、日露戦争へといたる明治日本を描いた歴史小説である。

 明治日本の近代化、そしてその結実として日露戦争を肯定的に描いていることから、愛読書にあげる保守政治家や右派論客は多い。
 たとえば、「「坂の上の雲」日本人の奇跡」(文藝春秋/2010年12月臨時増刊号)という『坂の上の雲』をテーマとしたムックには、安倍晋三をはじめ、石破茂、櫻井よしこ、中西輝政、葛西敬之といった右派の面々がこぞって寄稿している。
 「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝にいたっては、『坂の上の雲』をきっかけに“自由主義史観”なるトンデモ歴史観をもつようになったというのは有名な話だ。
 西尾幹二の『国民の歴史』でも日露戦争を自衛の戦争とし、「司馬遼太郎氏は、日露戦争の原因は基本的には6対4の割合でロシアに責任があり、そのうち8割ぐらいはニコライ二世という皇帝の性格に原因があると言っていた」などと司馬の名前を持ち出す。

 安倍首相も、先述のように明治の産業革命遺産の世界遺産登録を『坂の上の雲』と呼んだり、facebookで、
「『まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている』… 司馬遼太郎作『坂の上の雲』の冒頭です。テレビドラマ化されご存知の方も多いと思いますが、その小説の舞台でもある愛媛県は松山市にやって参りました」などと得意気に『坂の上の雲』の一節を引くこともあった。

 安倍首相はじめ右派の政治家や論客たちが、強い日本=明治への憧憬を口にするとき心の拠り所としている、『坂の上の雲』だが、しかし、実は、当の司馬遼太郎は生前『坂の上の雲』が、右派の拠り所となることを危険視していたというのである。

 映画プロデューサー・山本又一朗氏が『文學界』(文藝春秋)11月号のインタビューで、挫折した企画でいちばん思い出に残っている作品として『坂の上の雲』をあげ、司馬に映画化権の獲得交渉に出向いたエピソードを披露している。

 アポなしで大阪に行き「1週間や10日ぐらいだったらお待ちしますから、ぜひお時間をください」という山本氏の熱意に押されたのか、司馬は山本氏を自宅に招き入れた。当初30分という約束だったのが「3時間40分もの大論争」になったという。
 
 というのも、司馬が映像化を強く拒否したからだ。

「山本さん、私はミリタリズムだとかナショナリズムというのは賛成できないんですよ。人は住民の単位で生きていけばいいと思っています」

線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういう話はストーリーだから書きますけど、それを映画なんていうものにされたら、影響力が大き過ぎて、いろんな人がそういうものに血気盛んになられても困るんです

 こうした司馬の言葉に説得力を感じながらも山本氏は、現代の若者は生きる目的さえなくしている。『坂の上の雲』の時代は一個人が天下国家を動かせた、一個人が重要だった時代だ。だから「現代の若者に、おまえひとりで国が変わるんだよ、己の力をちゃんと見つめ直せ、と言いたいんです」と、国ではなく個人を描きたいのだと食い下がる。
 この山本の切り返しに司馬は「口の立つ方ですな」と感心するが、それでも司馬の意志はかたく、「山本さん、お願いです。他にもいっぱい書いた小説がありますから、他のものに目を移してください。『坂の上の雲』は一切やらせるわけにはいかない。ノーです」とキッパリ断られたという。

 単に山本が断られただけ、断るための方便と思われる向きもあるかもしれないが、映像化を断られたのは、山本だけではない。
 司馬自身、たとえば『「昭和」という国家』(日本放送出版協会)のなかで、

「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されえたくない作品でもあります。
 うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓舞しているように誤解されたりする恐れがありますからね。
 私自身が誤解されるのはいいのですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです」
としている。

 実際、山本だけでなく、NHKも司馬の生前『坂の上の雲』を映像化しようとして断られている。

 『NHKスペシャル』を立ち上げるなどした元NHK教養部のプロデューサーの北山章之助氏が、『手掘り司馬遼太郎 その作品世界と視覚』(NHK出版)のなかで、NHKで過去に2度『坂の上の雲』の映像化許諾を依頼しいずれも司馬に断られたことを明かしている。
 
 北山氏自身は教養番組担当でドラマとは関係なかったが、司馬と関係が深かったことから、放送局長、会長直々の指示で、映像化交渉のために司馬のもとを訪れたという。二度目はNHK会長からのたっての依頼ということもあり、司馬はわざわざ断りの手紙をしたためた。

その後、考えました。
 やはりやめることにします。
 “翻訳者”が信頼すべき人々ということはわかっていますが、初めに決意したことを貫きます。
 『坂の上の雲』を書きつつ、これは文章でこそ表現可能で、他の芸術に“翻訳”されることは不可能だ(というより危険である)と思い、小生の死後もそのようなことがないようにと遺言を書くつもりでした。(いまもそう思っています)
 小生は『坂の上の雲』を書くために戦後生きたのだという思いがあります。日本人とはなにか、あるいは明治とはなにか、さらには江戸時代とはなにかということです。
 バルチック艦隊の旗艦「スワロフ」が沈んだときから、日本は変質します。
 山伏が、刃物の上を素足でわたるような気持で書いたのです。気をぬけば、足のうらが裂けます。
 単行本にしたときも、各巻ごと、あとがきをつけてバランスをとりました。
 たしかにソ連は消滅し、日本の左翼、右翼は、方途を見うしなっています。状況がかわったのだということもいえます。
 が、日本人がいるかぎり、山伏の刃渡りにはかわりません。日本人というのは、すばらしい民族ですが、おそろしい民族(いっせい傾斜すれば)でもあります。
 『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います。
 以上、このことについては議論なし、ということにして


 『坂の上の雲』の映像化は危険、小生の死後もそういうことのないように――。
 「明治の精神」をやたら賞揚していたイメージのある司馬だが、さすがにそれを現実世界に持ち込むことの危険性は認識していたようだ。
 いっせいに傾斜したときの日本人は恐ろしいというのも、先の戦争を知る人間だからこその強い危機感なのかもしれない。

 しかし残念ながら、司馬のこの強い決意はあっさり破られることになる。ご記憶の読者も多いと思うが、2009年NHKでドラマ化されたのだ。

 司馬が『坂の上の雲』映像化を拒否していることは、司馬ファンのあいだでは知られたことだったため、司馬の意志に背くドラマ化であるとして市民団体がNHKに質問状を送るなどの動きもあった。
 司馬本人は1996年に亡くなっているため著作権継承者であるみどり夫人が許諾したということだろうが、みどり夫人の弟で司馬遼太郎記念館の館長を務める上村洋行氏は映像化を許諾した理由について、「NHKの熱意」「(執筆当時の昭和40年代と比べて)技術力が大きく進歩」「原作者と同じ時代の空気を共有するスタッフが手がけるということ」(『スペシャルドラマ・坂の上の雲・第1部』より)などと語っている。しかし、いずれの理由も生前の司馬が抱いていた懸念を払拭するようなものでは全くない。それどころか、技術力など司馬の懸念とは何の関係もないし、技術が進歩してより迫力ある映像となると、むしろ危険度は増すではないか。
 
 何より、時代状況だ。

 前述の上村氏のインタビューによると、NHKが遺族と交渉し映像化権を取得したのは2000年前後のこと。
 つくる会による歴史修正運動、小林よしのり『戦争論』、小渕政権による国旗国歌法や盗聴法の成立……と現在にいたる右傾化の道を大きく踏み出した時期だ。
 さらにドラマが放映された09年から11年は在特会などネトウヨによる排外主義、ヘイト活動が大きく盛り上がっていった時期。
 かつて「もう右翼も、左翼もない」「国でなく個人を描く」という説得にも首を縦にふらなかった司馬がもし生きていたとすれば、はたしてこんな時代状況のなかで映像化を許可したただろうか。

「線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういうものに血気盛んになられても困るんです」

 こうした司馬の警鐘もむなしく、現在、戦後民主主義を否定し、明治が日本の理想かのような思想がはびこっている。
 安倍首相は、強かった明治日本という幻想を現実政治に持ち込み、日本を再び戦争のできる国に変え、教育勅語まがいの道徳教育を押しつけ、さらには大日本帝国憲法を彷彿とさせる憲法改正を目論む……。
 明治の日本を取り戻すべく着々と歩を進める、安倍首相。
 「俺のやろうとしていることは、『坂の上の雲』だ」とでも思っているのだろうか。

 自身の作品が最も怖れていた方向、ナショナリズムとミリタリズムの旗印とされているこの状況に、司馬は草葉の陰で何を思うのか。

リテラ、2015.11.12 06:51
安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた
(酒井まど)
https://lite-ra.com/2015/11/post-1671.html

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2019年02月15日

うそ次々、モラル崩壊

 衆参両院の本会議は1月31日、安倍晋三首相の施政方針演説など政府四演説に対する各党代表質問を行なった。
 毎月勤労統計の不正に伴う再集計で、賃金の伸び率が下方修正されたことを巡り、首相は「雇用、所得環境は着実に改善しているとの判断に変更はない」とアベノミクスの成果を重ねて強調した。これに対し、野党に加え、与党からもアベノミクスの成果を疑問視する声が出た。 

 国民民主党の榛葉賀津也参院幹事長は参院本会議で「アベノミクスが重視する賃金の動向に疑義が生じている」と指摘。
 自民党の橋本聖子参院議員会長も「賃金上昇率に疑念の声が出ている。今回の不正調査でどのような影響があるのか、政府の見解を示していくことは大切だ」と求めた。

 首相は続く衆院本会議で今回の不正に関し「国内総生産(GDP)に影響がないことが確認されている」と強調。
 共産党の志位和夫委員長が各種経済指標への影響についてただした。

 首相は、厚生労働省の特別監察委員会に関し「事務局機能も含め、より独立性を高めた形で、さらに厳正に調査を進める」と表明した。
 公明党の斉藤鉄夫幹事長が、特別監察委の調査報告書について「中立性・客観性に疑義がある」と徹底した追加調査を求めた。

 首相は、基幹統計全体の約4割にあたる23統計で誤りが見つかったことを受け、総務省の統計委員会に専門部会を新設する方針に言及し「一般統計についても検証を行ってもらう」と述べた。
 斉藤氏が、基幹統計の誤りを「言語道断」と批判したことに答えた。

◆ 野党「うそ次々、モラル崩壊」

 毎月勤労統計の不正調査の影が、安倍政権の看板政策「アベノミクス」に及びつつある。
 野党6党派は、専門家の試算で2018年の実質賃金の伸び率の大半がマイナスだったのに上昇したように見せかける「アベノミクス偽装」が行われたと批判
 安倍政権は賃上げ、消費拡大による「景気の好循環」を誇るが、その成果が足元の「統計」からほころびかねない情勢だ。

 厚生労働省は、野党側が示した試算を受け、2018年の実質賃金が実際にはマイナスになる可能性を認めている。
 公表済みの1〜11月のうち対前年同月比プラスは5ヶ月あったが、野党側の試算ではプラスは1ヶ月だけで、11ヶ月を通じマイナス0.53%だった。
 厚労省は実質賃金の伸び率を実態に近い形で計算し、来週にも国会に示す方針。

 勤労統計不正と同様のデータ修正や公文書改ざんは昨年1年間に相次いで発覚した。
 自民党の伊吹文明元衆院議長は31日の二階派会合で、一連の問題を列挙し「役人の意識が非常に落ちている。内閣はそこを一番考えなくてはいけない」と述べた。
 だが、官僚に責任を押し付けて乗り切れるかどうかは不透明だ。

 主要野党はすでに根本匠厚労相の罷免を首相に要求。
 野党6党派は31日、国対委員長らの会談で、賃金が増えたように意図的に装った疑いもあるとの認識で一致。
 首相の政治責任を問う構えだ。

 共産党の志位和夫委員長は衆院本会議の代表質問で、毎月勤労統計の不正調査を把握していた担当職員が昨年2018年1月から補正処理をひそかに続けていたことに触れ「改ざん、うそが次々と明らかになり大問題になった時期。政治モラルの崩壊が統計不正の温床となった」と批判した。 


嘘.jpg

東京新聞・朝刊、2019年2月1日
統計不正
看板政策に影
与党からも疑義
アベノミクス成果

(清水俊介)(大野暢子)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019020102000150.html

 日本共産党の志位和夫委員長は2月12日の衆院予算委員会で、家計消費が落ち込み、実質賃金も落ち込んでいる実態を明らかにして今年2019年10月からの消費税10%増税の中止を求めました。
 安倍晋三首相は、言い訳を重ねながらも家計消費と実質賃金のマイナスを認めざるをえず、消費税増税の根拠は総崩れとなりました。


 志位氏は、総務省の家計調査をもとに実質家計消費支出の推移を提示。

 物価変動の影響を除いた実質の家計消費支出は、2014年の消費税8%増税を契機に大きく落ち込み、増税前と比べて年額で約25万円も減っています
 一方、首相が「持ち直している」というGDP(国内総生産)ベースでも、統計上の架空の消費である「帰属家賃」を除いた実質家計消費は8%への増税を契機に大きく落ち込み、増税前と比べて約3兆円も減っている(図)として、
1世帯当たりの消費をとらえる家計調査ベースでも、一国全体の消費をとらえるGDPベースでも、家計消費は8%増税による打撃を回復するに至っていない」とただしました。
 安倍首相は「水面上には顔をだしていない」と認めざるをえませんでした。

 さらに、志位氏は、安倍首相が繰り返す「所得環境は着実に改善している」という弁明も根拠がないことを厚生労働省の毎月勤労統計、連合の調査、総雇用者所得の3点から追及。

 不正調査が発覚した毎月勤労統計では、2018年の実質賃金は調査対象を変えたために伸び率が過大となっており、より実態に近い「共通の事業所」で比較すれば、前年比で実質賃金はマイナスです。
 また、2012〜2018年の6年分の推移をみれば、政府の「公表値」でも、実質賃金は増税前と比べて10万円以上も落ち込んでいます
 志位氏の追及に安倍首相は「消費税が上がれば実質賃金が押し下げられるのは当然」と居直ったものの実質賃金がマイナスとなったことを認めました。

 志位氏は、安倍首相が主張する「連合の調査では、5年連続で今世紀に入って最高水準の賃上げ」について、
(1) 「名目ベース」であること
(2) 「定期昇給」を含んだ数字であること―
の「2重の上げ底」の数字だと追及。
 賃上げ水準をはかるなら、買えるモノやサービスを決める「実質賃金」で見ることが大切だと強調しました。

 志位氏は、連合調査でも「実質ベースアップ率」はこの5年間平均でマイナス0.54%だとして「ベースアップは、物価上昇に追いついておらず、労働者全体の実質での賃金水準はマイナスだ」とただしました。

 安倍首相は実質賃金のマイナスを否定できず、「給料明細に書いてあるのは名目賃金」「安倍政権になって久々にベースアップが復活した」などと弁明に終始。
 志位氏は「都合のよい数字だけをつまみ食いして『今世紀に入って最高水準』というゴマカシをいうのは金輪際やめるべきだ」と批判しました。

 さらに志位氏は、安倍首相が「総雇用者所得」を持ち出して、「働く人が増えたからみんなの稼ぎが増えた」と主張する就業者の“増加”なるものについても「増えたという380万人の中身はどんなものか」と問いかけ、増加のほとんどが65歳以上の高齢者と高校生・大学生で、少ない年金や高い学費のために働かざるをえない状況になっていることが内閣府や日本学生支援機構の調査でも示されていることを指摘。

「こういう現状をもって『所得環境は着実に改善』というのか」とただしました。

 安倍首相は答弁に窮し、「仕事があるという状況を私たちがつくりだすことができた」などと言い訳。
 志位氏は、

政治がやるべきは、低すぎる年金の底上げをはかり、高すぎる学費を抜本的に引き下げることではないか」と批判し、「消費税を10%に増税することは生活に苦しむ高齢者、学生、女性、多くの人々に追い打ちをかけることであり、絶対やってはならないことだ」と強調しました。


実質の家計消費支出 ☟

家計消費支出.jpg

就業者増の中身 ☟

就業者数増加の内訳.jpg

しんぶん赤旗、2019年2月13日(水)
消費税10% 首相の“根拠”総崩れ
志位委員長“きっぱり中止を”
家計消費も実質賃金もマイナス 首相認める
衆院予算委

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2019-02-13/2019021301_01_1.html

 日本共産党公式ツイッター(*)が2月15日、国会質問時の同党の姿勢について言及した。
 政権を握る与党に対し、さまざまな問題を追及する役割を担う同党は、野党の急先鋒のイメージがある。

 そんな世間の印象からか、ツイッターでは
「『なんでも反対』といわれることのある日本共産党ですが、実際に反対している割合をご存知ですか?」と書き込み、小池晃書記局長(58)による解説を掲載した。

 これに対し、フォロワーからは、
「反対するだけの簡単なお仕事ですね^^」と批判的な意見が寄せられた。

 すると、同党の公式ツイッターは、
「反対することが『簡単なお仕事』だったら凄く楽なんですけどね。実際には、きちんと『反対する』ことは、なかなか骨の折れる仕事です」と説明。

「まず相手の主張の中に、論理的におかしな点がないか吟味する必要がありますし、事実関係の確認のために、多くの記録の精査が必要だったりしますので」と訴えた。

 さらに表を用いて具体例を示し、
「例えば志位委員長は、12日国会で、GDPベースの家計支出の落ち込みや、安倍政権6年間の就業者数の内訳を示し、安倍政権が誇っている内実は、実は全く誇れるようなものではないことを示しました。まず『反対ありき』ではなく、こうした事実があるから反対なのです。順序を履き違えてはいけません」と記し、理解を求めた。


Yahoo! Japan ニュース、2/15(金) 12:44配信
「反対するだけ」批判に日本共産党公式ツイッターが丁寧に回答
(東スポ)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190215-00000015-tospoweb-ent

(*)日本共産党公式ツイッター
https://twitter.com/jcp_cc

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Trump-Kim summit

HANOI (AFP) - Vietnamese young and old expressed their delight on Wednesday (Feb 6) after hearing their country had been chosen for the second face-to-face meeting between US President Donald Trump and North Korean leader Kim Jong Un.

The communist-run South-east Asian country was announced during Mr Trump's State of the Union address as the location for the high-profile summit due to take place later this month.

It follows the pair's historic handshake and brief declaration on denuclearisation at their inaugural meeting in Singapore in June last year.

The pick brings prestige to the former US foe-turned-ally and is symbolic for Vietnamese of a certain generation, who welcomed the move.

"Our country now has a new position and the world trusts us," Mr Pham Van Thau, an 82-year-old communist party member, told AFP in Hanoi.

"The summit will help the world understand more about Vietnam."

The precise location for the summit - to be held on Feb 27 and 28 - has not been announced, though both the capital Hanoi and beach resort town Danang have been rumoured.

Ms Nguyen Hong Nhung, a masters student, hoped the summit could expand her country's budding tourism industry.

"We have a chance... to show everyone that Vietnam is a beautiful country and that the Vietnamese are friendly," she said.

Analysts say the trip, which is set to be Mr Kim's first to Vietnam, could offer the North Korean leader a model of post-war economic transformation under a communist state with capitalist leanings.

Ms Nhung agreed: "I think North Korea now is like Vietnam before the US embargo was lifted, poor and economically limited."

On Facebook and other social media platforms, users beamed with pride at the prospect of the summit.

Commenters on one site said Mr Kim could even take inspiration from the country's north and south reunifying after the war.

"They meet in Vietnam so that Kim can see how the two parts of a country will look like after reunification," Mr Gia Hoang commented on otofun.net.

Vietnam is looking to follow up on its successful hosting of the Asia Pacific Economic Cooperation (Apec) summit in 2017 and the regional World Economic Forum last year - boosting its diplomatic gravitas on the global stage.


[video]

[photo]
US President Donald Trump has confirmed that he will be meeting North Korean leader Kim Jong Un later this month in Vietnam. As Reuters reports, Vietnamese-style reforms could work for North Korea, but it would come at a cost for its powerful leader.

The Straits Times,Published: Feb 6, 2019, 8:41 pm SGT
'The world trusts us': Vietnamese proud to host Trump-Kim summit
https://www.straitstimes.com/asia/se-asia/the-world-trusts-us-vietnamese-proud-to-host-trump-kim-summit

HANOI: A handkerchief, illicit letters and secret visits – the first three decades of love between a Vietnamese man and his North Korean sweetheart were counted out in stolen moments and small tokens of devotion.

But now this love story is being lauded as an example of the two countries’ amity in the lead-up to this month’s much anticipated second summit between US President Donald Trump and North Korean leader Kim Jong Un in Hanoi.

The communist state is thrilled to be hosting the high-profile event in Hanoi, an opportunity for Vietnam to boost its diplomatic gravitas on the world stage.

But for the couple, their hopes for peace on the Korean peninsula also carry personal motivations.

“I wish... we can go back for visits more easily,” 69-year-old Vietnamese Pham Van Canh told AFP.

He first met his future wife Ri Yong Hui in 1971 at a Pyongyang fertiliser factory, where she was working.

Canh was one of hundreds of Vietnamese sent to fellow communist nation North Korea to study how their country could rebuild after the devastating war with the US.

“I asked others for her name, trying to meet her,” he said. “At that time, both Vietnamese and North Koreans were not allowed to love each other.”
His first token of affection was a handkerchief.

Their courtship included secret visits to her hometown, which were cut short in 1973 when he had to return to Vietnam.

Canh gave Ri 20 envelopes with his mother’s work address at the State Bank of Vietnam already written out so she could send letters, skirting North Korea’s monitoring of correspondence.

Still the couple sent only two or three letters a year to avoid notice. Mostly, they kept to safe subjects like health and work, in case the envelopes were opened by others.

“We were in love and she had even told me to die together, to commit suicide. But I told her, ‘We are in love, why die? Wait for me and I will come back.’“

As the years ticked by, he kept an eye on the two countries’ relationship, as Vietnam outpaced North Korea in economic growth.

Meanwhile, he set up a friendship club between the countries and organised fundraising to donate rice to the Korean peninsula as its leadership isolated itself from the outside world.

He also appealed to Vietnam’s Foreign Ministry, who brought the couple up in bilateral talks to their North Korean counterparts as “a humanitarian matter“, he told AFP.

Then in 2002, Canh’s efforts paid off.

He was allowed to return to Pyongyang to hold a small wedding ceremony and then take Ri back to Hanoi on the condition she remained a North Korean citizen.

Today, 70-year-old Ri says she has a good life in Hanoi where she lives with Canh in a modest apartment.

But the couple have managed to visit Pyongyang only three times because of its isolation.

“I always have my homeland on my mind,” she told AFP.


[photo-1]
Former Vietnamese chemical student Pham Ngoc Canh who studied in North Korea and his North Korean wife Ri Yong Hui hold their first photo together which was taken in Spring 1971, at their house in Hanoi, Vietnam.

[photo-2]
Former Vietnamese chemical student Pham Ngoc Canh who studied in North Korea and his North Korean wife Ri Yong Hui looks at their wedding photos, at their house in Hanoi, Vietnam.

[photo-3]
Vietnamese man Pham Ngoc Canh, (left), and his North Korean wife Ri Yong Hui pose together holding their wedding photograph outside their house in Hanoi.

The New Straits Times, Published: February 15, 2019 - 11:18am
Poster couple: Vietnam-N.Korea sweethearts lauded in summit run-up
By AFP
https://www.nst.com.my/world/2019/02/460363/poster-couple-vietnam-nkorea-sweethearts-lauded-summit-run



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安田菜津紀

 国道を絶えず、巨大なダンプカーが行きかっていた。
 海からは金属や岩がぶつかるような音が陸地まで響く。

「まるで外国の海みたいね。このフロートとか、おっきな船の群れとかがいなければ沖縄の海だけど」

 土砂に埋まっていく辺野古の海を高台から見下ろしながら、案内して下さった方がもどかしそうに語った。

 沖縄では2月24日に辺野古米軍新基地建設の賛否を問う県民投票を控えている。
 私が訪れる直前、海外の有名アーティストが県内の基地で無料ライブを行っていたらしい。
 今回は基地そのものの是非を問う投票ではないにせよ、出会った20代の若者たちは「そういういいこともあるから迷うよね」と漏らしていた。
 「ずっと日常の中にあると、感覚がマヒしてくる」とも。
 若者に限らず、今の70代より下の世代は皆、生まれたときから基地と共に生きている。

 一方、全県でこの県民投票を実施しようと、ハンガーストライキを行った若者や、音楽イベントを通して気運を高めようと奔走する人びともいる。
 けれどもそのハンストを「テロ行為」などと誹謗中傷する言葉がネット上で散見された。
 「民主主義にそぐわない」と言い放つ大人がいた。
 あまりに視野の狭い言葉たちだと言わざるを得ない。
 そもそも問わなければならないのは、それしか手段がないという状況に追い込みかねない政治の在り方ではないだろうか。

 海を見下ろす丘の上では、温かな風が頬をなでる穏やかな気候の中で、早くも桜が咲き始めていた。
 愛おしそうにそれを見つめながら、一緒にこの地を巡って下さった方がこうつぶやいた。

基地があるより、花が咲いている方がいいね


[写真‐1]
今帰仁村の丘から眺めた海と、桜

[写真‐2]
田んぼには農家さんたちがコスモスを咲かせていた

新潮社・Webでも考える人、2019年2月15日
花が咲いている方がいいね
安田菜津紀
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2776

安田菜津紀
 studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。
 1987年神奈川県生まれ。
 16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。
 現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。
 東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。
 2012年、「HIVと共に生まれる ウガンダのエイズ孤児たち」で第8回名取洋之助写真賞受賞。
 共著に『アジア×カメラ 「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。
 著書に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)がある。
 最新刊は『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。
 上智大学卒。

 1月6日、いつもお邪魔しているテレビ番組「サンデーモーニング新春スペシャル」で、VTRと共に平成の30年間を振り返った。
 いよいよ、平成が終わる。
 昭和の終わりに生まれた私にとっては、人生の大半を占めている時代が、ついに幕を閉じる。

 記憶に残っている最初のニュースは、阪神淡路大震災と、地下鉄サリン事件だった。
 中学生のとき、アメリカの同時多発テロが起き、高校生のときにイラク戦争がはじまった。
 激動の時代は、これからどこへ向かっていくだろう。

 私自身はバブル期の記憶が殆ど残っていない。
 気が付けば、働くほどに生活がよくなっていく、という時代は終わりを迎えていた。
 それにも関わらず、長時間労働を容認する風潮は根強く残ってきた。
 その結果が、過労死や、自殺問題にもつながっているなら、それは決して「自己責任」で済ませられるものではないはずだ。

 技術は飛躍的な進歩を遂げ、その反面、ヘイトスピーチがネット上に刻まれ続け、ついに路上へとあふれ出てきた。
 革新のスピードに、人間の倫理観は追いついているだろうか。

 ただ、「ここでこんなことが起きている」、「こんな助けが欲しい」という声が、瞬時にネットを通して地球の裏側まで届く時代でもある。

 大切なのはその不条理に沈黙せず、「助けて」の声に応答できる社会に成長できるかなのだろう。
 人間を諦めるにはまだ早すぎる。
 そんな気持ちで新たな時代に臨みたい。


[写真‐1]
2015年夏、分断された沖縄、辺野古の海。

[写真‐2]
宮崎県、島野浦の夜明け。境界線のない、自由な海が好きだ。

新潮社・Webでも考える人、2019年1月18日
平成とは何だったのだろう
安田菜津紀
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2743

 年末年始、久しぶりに日本で過ごせることもあり、岩手、福島の沿岸の街を巡った。
 東日本大震災から間もなく8年。
 変わらず受け継がれてきた宝物もあれば、あの日から時が止まったように取り残されてしまった風景もある。

 私は「あの日」、日本にさえいなかった。
 フィリピンの山奥で静かな時間を過ごしている最中に、知人からの電話で初めて、とてつもない状況になっていることを知った。
 まして東北の出身でもない自分が、こうして取材し、発信することに、いつも“後ろめたさ”を感じてきた。
 ただ、街の人間しか発信できないのであれば、ここで起きたことは街の外ではなかったことにされてしまう、と取材でお世話になった方々が背中を押してくれたのだ。
 大切なのは、それでも消えない「後ろめたさ」から逃げない、ということだった。

 あらゆる問題に、この「後ろめたさ」は付きまとう。
 例えば #MeToo の運動でも、「自分も過去にセクハラをしてしまったかもしれない」、「加担してしまったかもしれない」という思いから、躊躇してしまう友人たちもいた。
 「いまさら声をあげづらい」と。
 ただ、後ろめたい人が押しなべて皆沈黙すれば、この問題はどこまでも置き去りになってしまうはずだ。

 「沈黙」は一見無害に見えて、暴力的な構造がそこにあるときほど、力のある方へ暗に加担してしまうこともある
 「後ろめたい」と感じているときほど、「“だから”もう、終わりにしよう」と声をあげたい。
 2019年を、理不尽を見過ごさない一年にするために


[写真‐1]
盛岡にて。東北に通い続けていると、雪を見て初めて「冬」を実感する。

[写真‐2]
2019年1月1日、陸前高田市広田町で臨んだ初日の出

新潮社・Webでも考える人、2019年1月11日
「後ろめたさ」から逃げない
安田菜津紀
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2737

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