2018年09月30日

日本がいかに男(と、そのペニス)に都合良い社会で、未だに買春大国で、女を暴力的に「活用」してきたか

作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。
今回は台湾で流れる「慰安婦」像のニュースについて。


*  *  *

 台湾の友人から連日のように「慰安婦」像を蹴った男のニュースが送られてくる。

 今夏、台南市に「慰安婦」像が設置された。
 その抗議に訪れた日本人団体の一人が、像を足蹴にするポーズを取り、そばにいた別の男に写真を撮らせた。
 その様子は台湾で大きな衝撃をもって報道された。

 台湾人の彼女は、私が「日本はとんでもない男尊女卑の国。本当に生きにくい」と嘆くと、いつもこう言っていた。

日本ほど住みやすい国はないよ。だいたい完璧な国など、どこにもないし

 そういう彼女は、戒厳令が解かれた数年後にイギリスに留学している。
 その後、とんでもない額の給与と引き換えに命を削るような働き方を長年続け、アジアの女が世界でどんな目にあうのかを私は永遠に語り続けられると言い、「日本は住みにくい」と嘆く私を真顔で戒める40代だ。
 マドンナの存在を87年に知った彼女にしてみれば、
  幼い頃から外国文化を味わえた私の人生も、
  電車がオンタイムに来るのを当然だと思う私の感覚も、
  選挙の結果に怒る私も、
  どんなチープな食堂でもそこそこのサーヴィスを受けられると信じて疑わない私も、
「日本人」だから。
 それに、性差別は日本だけの問題じゃないしね、と。

 その彼女が私に毎日のように、この事件のニュースを送ってくる。
 ひと月前は東京医大の事件がどのように台湾で報道されているかを送ってくれた。
 そしてついに、彼女はハッキリと理解したようなのだった。
 知り合って15年目に。

みのり、ごめん。日本で起きていることは、私が想像できる全ての限界を超えている

 台湾はアジアで初めて同性婚合法化に向けて具体的に歩き始めており、若い女性たちがフェミニズムこそ「今」の問題だと積極的に発信している。
 フェミニズムは「性」の問題を避けては通れない。
 性暴力を根絶するための取り組みは、フェミの存在意義そのものだし、だからこそ「慰安婦」問題を、若い世代が引き受けようとしている。

 そのような感覚が民主主義の成熟と共に根付こうとしている社会で、「慰安婦」像に足を向けるスーツ姿の日本のオジサンの姿は、恐らく、パニックを引き起こすレベルの衝撃だったはずだ。

 「慰安婦」像を蹴った男は直後、「ストレッチをしていた」と言っていた。
 実際に映像を見ると、ゆっくり足を上げ、写真に撮らせている様は、勢いよく感情にまかせて蹴ったのとは確かに違う。
 しかし、勢いよく蹴っていないだけ、写真に撮らせているだけ、それはどこか半笑いの、どこかふざけた、空虚なただのポーズに見える。
 もしかしたら、日本の暴力の根源とは、そのようなものなのかとも思う。

 おふざけの延長で、記録を残すような気軽さでの、感情すらない、自分で何をやっているかもわからない、緩慢な暴力。

 「みのり、ごめん」と言われて泣けてきた。
 私こそ、もっとたくさん謝らなくちゃいけないのに。

※週刊朝日  2018年10月5日号


週刊朝日、2018.9.29 16:00
『慰安婦』像を蹴る緩慢な暴力
北原みのり
https://dot.asahi.com/wa/2018092700013.html

作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。
文筆家の北原みのり氏は、国会中継を見ていて吠えたい気持ちになったという。
その理由は…。


*  *  *

 銀行の窓口で並んでいたら、テレビで国会中継が流れていた。ちょうど、「慰安婦」についての質問が行われていて、しかもボリュームが大きくて、銀行中に「慰安婦が性奴隷というのは、捏造です」等と言っている男性議員の声が響き渡り、いたたまれない思いになった。
 しかもその調子が、どこか晴れやかで、勢いがあり、誇り高きニッポン!という気合に満ちてたから余計に。

 2014年8月、朝日新聞は「従軍慰安婦」に関する過去の記事を検証し、済州島で女性を強制連行したという「吉田証言」が虚偽であることを認めた。
 あの検証記事自体、あれから「慰安婦」について見聞きしない日はないほど、大変な騒動になっている。

 私自身はあの記事を高く評価している。
 「慰安婦問題は女性の人権問題だ」と明確にしていたから。
 まるで朝日新聞が「日本の誇り」を傷つけたように語りたがる人は少なくないけれど、「慰安婦問題」とは国家の誇りの話ではなく、女の性が蹂躙(じゅうりん)されてきたこと、女性への暴力にどう私たちが向き合うかが問われているのだ。

 だいたい「吉田証言」は90年代からその信憑性が疑われていて、「河野談話」に証言は反映されていない。
 そのことは安倍総理自身が先日、国会で認めたこと。

 それなのに、「吉田証言」が嘘ならば、「慰安婦問題」もなかった、と言いたがる人が後を絶たないのはなぜなのだろう?
 甘言や脅しで見知らぬ土地に連れていかれ「労働させられた」その状況を、「奴隷」と表現することが、なぜ「捏造」となるのだろう?

 “僕たち日本人はお金を払ってセックスしたんだから! 女はお金のために働いたんだから! 合法的な買春を、奴隷制度と一緒にするな! これは脱法買春じゃない!

ということを「国際社会」に向かって言うことが、どれだけみっともないことか。

 日本がいかに男(と、そのペニス)に都合良い社会で、未だに買春大国で、女を暴力的に「活用」してきたか、証明しているようなもんでしょう。

 銀行で、吠えたい気持ちを抑えながら、私は税金をものすっごい渋々支払いました。

※週刊朝日  2014年10月24日号


週刊朝日、2014.10.21 11:30
慰安婦問題がないと言いたがるのはなぜ?
北原みのり
https://dot.asahi.com/wa/2014101700056.html

posted by fom_club at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

反・戦後民主主義者

 新潮社は、LGBTへの差別と偏見を煽る『新潮45』10月号(9月発売)の特別特集記事への大きな非難を受け、9月25日に『新潮45』休刊を決めた。

 発端は『新潮45』8月号(7月発売)に掲載された杉田水脈衆議院議員の文章に「LGBTには生産性がない」との表現があったことだ。
 これは多くに人々の顰蹙を買い、永田町の自民党本部は抗議をする人々に取り囲まれた。自民党は抗議に応えるかたちで杉田議員を指導したと発表。
 不十分な措置とは言え、自民党が杉田議員への自重を求める措置をとったことで杉田発言は一応の終息を見せるかに見えた。

 が、同誌は10月号(9月発売)で「特別企画 そんなにおかしいか「杉田水脈」論文」と銘打つ特集を組み、一旦は沈静化した非難を再燃させた。
 非難の矛先は杉田議員を擁護した小川榮太郎氏の「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」と題した文書へ向けられた。
 この文章は性的指向と性的嗜好を混同した俗悪極まりないものだ。
 非難は小川榮太郎個人にとどまらず、発行元の新潮社にも向けられた。

 小田嶋隆氏は日経ビジネスオンラインの連載で、「新潮45はなぜ炎上への道を爆走したか」と題し、今回の事案が「総理案件」であったことを指摘している。
 確かに、杉田水脈衆議議員も小川榮太郎氏も安倍晋三総理と極めて近い関係を持っている。

 また毎日新聞は今年4月に『新潮45』が2018年1月号から『WILL』や『HANADA』と言った極右雑誌と似通った内容になったことを報じている(参照:新潮45“右寄り”に活路 「部数減で炎上商法」指摘も 毎日新聞)。

 ここでは『新潮45』10月号の特別企画が登場するまでの書店店頭を中心とした出来事を改めて辿ってみようと思う。

すでに「表現弾圧」されていたリベラル系書籍

 2000年代に入って書店の店頭には嫌韓本・反中本が氾濫し始めた。

 いわゆる「戦後」=1945年以後の昭和中期、昭和後期に、多くの読者を安定的に集めてきた日本の戦争責任や軍国主義を批判的に扱った書籍が「偏向」の名で非難を浴びる一方で、隣国への敵意と侮蔑、偏見をあおる嫌韓本、反中国本は書店店頭に氾濫し始めたのだ。

 例えば、2012年前後には、漫画「はだしのゲン」が暴力的場面があるということを理由に図書館の書架から取り除かれることが頻発した。

 また、2015年の安保法制が国会で審議されたおりには、安保法制に反対する学生グループが発表したシールズ選書を並べた書店は「偏向している」と非難を浴び店頭の書籍を選びなおすという事態になった。

 その一方で、2017年にはケント・ギルバード「儒教に支配された中国人と韓国人」(講談社α新書)が、新書売り上げの1位を記録するまでになった。
 折しも、日本政府はしきりに北朝鮮のミサイルの脅威を語り、実効性が疑われる防災訓練が全国で繰り返されていた時期だ。

 小川榮太郎『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)が発行されたのは、衆議院選挙が実施された2017年10月のことだ。
 この本は後に朝日新聞から名誉棄損で提訴され、係争中だ。

 そして、同年の年末、『新潮45』が『WILL』や『HANADA』と似た内容の特集を組み始めた。
 毎日新聞は2018年1月号から“転向”したと指摘しているが、1月号の発売は前年の12月である。
 2018年1号(12月発売)の特集は「開戦前夜の『戦争論』」で、新年号とは思えない物騒なタイトルだが、日米開戦のあった12月に書店店頭に並んでいることを考えれば、それなりのタイトルではある。
 執筆者はケント・ギルバード、橋爪大三郎、などとなっている。

極右路線の『新潮45』が辿った道

 以後、特集タイトルを列挙しながら、社会で何が起きていたかを出来事を振り返ってみよう。

● 2月号(1月発売)「『反安倍』病につける薬」

● 3月号(2月発売)「五輪を『政治ショー』にしてご満悦『非常識国家』韓国」。
※この時期、安倍首相の平昌オリンピック開会式への出席がぎりぎりまで論議されたが、最終的に安倍首相は開会式へ出席した。北朝鮮からは金与正氏らが参加している。

● 4月号(3月発売)「『朝日新聞』という病」
※この月、朝日新聞は森友学園への国有地払下げに絡んで公文書が改ざんされたことをスクープしている。

● 5月号(4月発売)「北朝鮮『平和』のまやかし」
※4月27日、板門店で文在寅大統領、金正恩委員長が南北会談。5月26日には予告なしの電撃的な南北会談が再び板門店で行われている。

● 6月号(5月発売)「朝日の論調ばかりが正義じゃない」

● 7月号(6月発売)「特別企画 『反安倍』ヒステリー列島解剖」「こんな野党は邪魔なだけ」

● 8月号(7月発売)「日本を不幸にする朝日新聞」
※杉田水脈「LGBT支援の動きは度が過ぎる」はこの特集の中の文章であった。

● 9月号(8月発売)「『茶の間の正義』を疑え」「『日本喰い』中国人」「 特別企画 まだ『敗戦国』ニッポン」
● 10月号(9月発売)「『野党』百害」「特別企画 そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」
となる。

 やや煩瑣だったが「新潮45」の2018年1月号以来の特集、特別企画の表題を並べてみると朝日新聞攻撃、韓国・北朝及び中国への敵意を煽る内容と、野党攻撃に終始していることが分かる。
 『WILL』や『HANADA』と似た内容で執筆者も重なる。
 これに春先から夏に至る出来事を並列してみると以下のようになる。

笛吹く者と踊らされた人々による「圧力」

 杉田水脈議員が人文系研究者に対する科研費を攻撃対象としたツイートを繰り返したのは4月初旬であった。
 これは、科研費申請の仕組みをまったく理解していない誹謗中傷の攻撃であった。

 また和田宗政議員が、ツイッターで大学教員二人の名を上げたうえで、「大学の教員たる人物が論評を超え誹謗中傷をするのはいかがなものかと思うが社会常識が通じないのだろうか。良識ある方々ぜひこうした人物のツイッターを見てみてください」と非難したのは、4月27日であった。
和田政宗 @wadamasamune
青山学院大学教授の中野昌宏氏であったり法政大学教授の中沢けい氏であったり、大学の教員たる人物が論評を超え誹謗中傷をするのはいかがなものかと思うが社会常識が通じないのだろうか。良識ある方々ぜひこうした人物のツイッターを見てみてください。中野氏は気にくわない人をブロックするようですが
17:50 - 2018年4月25日

 名指しの非難は、発言者自身の意思とは別に、往々にして攻撃対象を示す役割を果たす結果を生む。
 その結果、こうした主張のシンパによるSNSを使った直接の言葉による脅迫、ツイッター社への集団的な「通報」などが行われるようになるのだ。

 和田議員のツイートと爆破予告の因果関係は推測の域を出ないが、GWの大型連休明けに、このツイートで名前が上がった2人の大学教員の勤務校が爆破予告を受けた。
(参照:青学大に「殺害予告」=5月も「爆破」書き込み−東京 時事通信)

 和田政宗議員が名指した大学教員のひとりは私であった。
 警備上の理由から今ここで爆破予告にどう対処したのかは詳細を記すことはできない。
 爆破予告の原因が自分であると考えるのはいささかうぬぼれが過ぎるかもしれない。
 また、繰り返すが和田議員のツイートと爆破予告の因果関係は推測の域をでない。
 しかし、推測の域を出ないという事実が漠然とした不安と懐疑を生み、直接に脅迫されたり危害を加えるよりも自己規制を生みやすい。
 和田議員のツイートから勤務校への爆破予告に至る経緯は、たまたま名前が出ていたのが私自身だったので、詳細を承知しているが、同じような不安と懐疑を呼び起こす事案はSNSの中で無数に起きているに違いない。

 事実、昨年の衆議院選挙の頃から差別発言を批判的に引用したことを理由に、リベラル系のアカウントが不当に凍結されたり閉鎖される例も多数、起きている。

 4月20日に開催された自民党の都道府県県議会議員と政令都市の市議会議員を対象とした研修会では、小川榮太郎「徹底検証『森友・加計事件ー朝日新聞による戦後最大の報道犯罪」が約800人の出席者全員に配布されたと文藝春秋6月号の「赤坂太郎」が報じている。

 「世論の反発が強い森友・加計の対処のため」だと指摘している。

 そして、7月に、『新潮45』8月号「特集 日本を不幸にする朝日新聞」で、杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」と差別発言を含む文章が掲載された。
 この記事はもともとは朝日新聞攻撃の一環だった。

 8月に入ると『WILL』『HANADA』などが大手新聞に下段ぶち抜きの広告を打ち、書店には安倍晋三礼賛本が並ぶようになっていた。

 私は8月下旬に『枝野幸男 魂の3時間大演説』(扶桑社)を小倉駅構内の書店で購入したのだが、立体展示されたその本の周囲は安倍晋三礼賛本で埋め尽くされていたことを記憶している。

 そして9月。
 自民党の総裁選挙が行われるなかで、前年の衆議院選挙で自民党中国ブロック比例代表名簿実質1位に杉田水脈氏が指名されていたことを、告示日まで石破茂氏が承知していなかったことが明かされている。
 『新潮45』10月号が「特別企画 そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を掲載したのは自民党総裁選の最中であった。

これらの「安倍支持本」から見えてくるもの

 以上、見分の限りの出来事を並べてみたが、ここから3つのことが推測することができる。

 まず第一に、これらの媒体及びその媒体で展開される論考を主張する者たちは森友・加計事件は朝日新聞の捏造した事件だという印象を作り出そうとしているという点だ。

 朝日新聞に提訴された小川榮太郎氏の本の題名が如実にそれを示している。

 「従軍慰安婦問題は朝日新聞の捏造」とした杉田水脈議員らの言動はある程度の効果をあげ、現在に至ってもそうと信じている人を時折、見かける。

 第二に、自民党総裁選後の憲法改正を睨んで改正に反対する学者などをあらかじめ叩いておこうとする意図を感じるという点。

 そして第三の目的は、安倍支持のムード作りがあるだろう。
 書籍、雑誌の新聞広告は、内容を読まないまま心象形成をする人が多い。
 嫌韓本、反中本は書店の平台に並んでいるだけで、一般的な反感と偏見を形成した様子が見てとれるのだが、同じような心象形成を狙って野党非難、朝日新聞攻撃、安倍晋三礼賛が繰り返されている

 書籍、雑誌の広告と書店の平台は安倍政権を強く支持する人々の「主戦場」になっていると言っていいだろう。

 NHKを人事で、民放については、放送法をたてにとった圧力で抑え込み、朝日新聞には「捏造」の汚名を着せる安倍政権のやり方を揶揄して緩慢なクー・デターすなわち「茹で蛙クー・デター」と呼ぶことがある。
 そのひそみに倣えば、現在、SNSと連動するかたちで書店の店頭で起きていることは、戦後の良識と常識に対する内戦であると言える。

 新潮社は『新潮45』の休刊を決定したが、今後も雑誌、書籍を利用した戦後民主主義に対する攻撃はかたちを変えて続くであろうことは間違いない。

ハーバービジネスオンライン 、2018.09.29
『新潮45』が生み出された社会

〜反戦後民主主義者の主戦場となっている書店の平台

中沢けい 、小説家、法政大学教授(*)
https://hbol.jp/175573/3

(*)中沢けい
1959年神奈川県横浜市生まれ。明治大学政治経済学部政治学科卒業。1978年「海を感じる時」で第21回群像新人賞を受賞。1985年「水平線上にて」で第7回野間文芸新人賞を受賞。代表作に「女ともだち」「楽隊のうさぎ」などがある。近著は「麹町二婆二娘孫一人」(新潮社刊)、対談集「アンチ・ヘイトダイアローグ」(人文書院)など。2006年より法政大学文学部日本文学科教授。文芸創作を担当。

posted by fom_club at 20:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マレーシアのマハティール首相

 親日家として知られるマレーシアのマハティール首相が28日午後(日本時間29日未明)、米ニューヨークの国連本部で会見し、日本で憲法改正の動きが出ていることに「戦争に行くことを許すようにするなら後退だ」と述べた。
 以前から日本の現行憲法を評価し、日本の憲法を参考に自国の憲法改正を検討しているという。

 マハティール氏が首相として国連総会に出席するのは2003年以来。
 一般討論演説では「世界は道に迷っている」と述べた当時の演説を引き合いに、「15年たっても変わっていない。ずっと悪い状況になり、経済的、社会的、政治的に混乱のさなかにある」と指摘。
 24分の演説で「平和」との言葉を7回使った。

 その後の会見で日本の憲法について質問を受けると、「(我々は)戦争に行くことを許さない日本の現行憲法に続くことを考えている」と言及し、憲法改正の動きにクギを刺した。
 マハティール氏は8月に訪日して福岡県で高校生を前に演説した際も「日本には模範とすべき平和憲法がある。マレーシアでも同様の憲法を作りたい」と意欲を示していた。

 国連本部での会見では、米国の記者が93歳という年齢と見た目とのギャップについて、「若さの秘訣(ひけつ)」を問う場面も。マハティール氏は苦笑いし、「秘訣(ひけつ)はないが、喫煙も飲酒もしないし、運動をして、よく寝ている」と答えていた。


[写真‐1]
報道陣の質問に答えるマレーシアのマハティール首相=2018年9月28日午後1時58分、米ニューヨークの国連本部

[写真‐2]
年齢について問われ、笑顔を浮かべるマレーシアのマハティール首相=2018年9月28日午後2時13分、米ニューヨークの国連本部

朝日新聞、2018年9月29日11時52分
マレーシア首相「後退だ」
日本の憲法改正の動きにクギ

ニューヨーク=藤原学思
https://digital.asahi.com/articles/ASL9Y3D74L9YUHBI00Y.html

posted by fom_club at 08:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

In Japan, promoter of gropers is tip of right-wing, sexist iceberg

Should men on a crowded train have the right to grope women? According to a prominent right-wing writer and ally of Japanese Prime Minister Shinzo Abe, the answer is “Yes.”

The remarkable contention was made in magazine Shincho 45 this month. Unsurprisingly, a controversy was immediately ignited.

However, what started out as a simple outcry about obscene and morally tone-deaf rantings is spiraling into a scandal that reaches out to touch some of the highest in the land.

It focuses on whether Abe uses right-wing writers and media to manipulate public opinion, and to say things he would never dare say himself.

Gropers and writers

Japan is arguably a male chauvinist paradise. It ranks 114th out of 144 countries in terms of gender equality, a ranking that has been in free fall since Abe assumed office in 2012.

His allies have been behaving (in)appropriately. In recent months, current and former cabinet ministers publicly ridiculed the claims of a female reporter who was allegedly sexually harassed by a senior bureaucrat and accused her of being the criminal. They were later forced to apologize when her allegations were proven true.

That was followed by an LDP lawmaker, personally recruited by Abe, penning a piece bashing homosexuals as “unproductive” because they did not produce children.

Even amid these low standards, a new nadir was reached this month. Eitaro Ogawa, an author and an unofficial mouthpiece of Abe, lobbied for the rights of molesters, or chikan.

“The deepest suffering belongs to the men who are plagued with the symptoms of train groper syndrome in which his hand automatically moves when he steps on a packed train and catches a whiff of a woman,” Ogawa wrote.

“Repeated offenses show that it is an uncontrollable urge stemming from the brain. Shouldn’t society protect and reserve their rights to grope?”

Train groping is indeed a problem in Japan – so much so that there are female-only cars during rush hour so women can go to work without fear of being molested. At the same time, there are also countless adult movies and comics glorifying chikan.

There are even legal sexual massage parlors that replicate subway cars, where men pay for a simulated chikan experience.

Ogawa’s essay was published in controversial right-wing monthly magazine Shincho 45, put out by Shinchosha Publishing on Sept. 18.

Predictably, a brouhaha erupted.

Within days of publication, Shinchosha apologized for its lack of oversight, and last Wednesday, announced the indefinite suspension of the magazine.

Given the damage he had caused, what exactly did Ogawa mean to say?

Supporting molesters?

His intention appears to have been the denigration of sexual minorities rather than an outright promotion of sexual assault. In his essay, he argued that train gropers and LGBT are essentially the same thing – sexual deviants – and lumped them together with an anagram he himself created: SMAG – sadists, masochists, ass fetishists and gropers.

According to Ogawa’s logic, groping people on trains and being homosexual are just different kinds of deviance. Ergo: Offering to protect the rights of one group (LGBT) over another (gropers) is ridiculous.

Critics of this thinking have not held their fire.

“I think that the magazine ceasing publication has a lot do with the #MeToo movement growing in Japan and more people willing to point out what is just simply wrong,” stormed Mari Hiryama, a professor of law at Hakuou University. “The thought process behind arguing that the rights of gropers and the rights of LGBT are the same is completely mistaken.

His utterances may even discourage victims of sexual assault from coming forward. What in the world was Ogawa thinking when he made such a dubious statement?”

That is a fair question. And was he being malicious or just plain ignorant? Aya Goda, the editor of LGBTQ magazine Palette, suspects it is the latter.

“I think his inappropriate and discriminatory remarks come from total ignorance. But if we are going to blame his ignorance, perhaps we must blame the structure of Japanese society,” she said. “Japan’s schools and media aren’t fertile ground for promoting correct knowledge of LGBTQ.

“For the sake of the next generation, in order to prevent further remarks like his, we need to encourage a better understanding of sexual diversity.”

Such an understanding may be particularly essential in conservative circles, including some major publishers and close Abe allies.

Pols, publishers, penmen

The suspended Shincho 45 had previously drawn fire for an opinion piece in its August issue by Liberal Democratic Party lawmaker Mio Sugita,
who had been recruited into the LDP by Abe. In her column, she labelled gay couples “unproductive” on the grounds they don’t reproduce. Sugita added that taxpayer money should not be wasted on support for sexual minorities.

Despite a resultant public outcry, Abe refused to condemn or admonish her. He explained in a television program that he didn’t ask her to resign because “she’s still young.”

Sugita is 51.

She has also blamed victims of sexual assault for being victimized, has ridiculed the plights of refugees and essentially serves as the party’s leading bullhorn.

It was thanks to Sugita that Shincho 45 may have sealed its own doom. On Sept. 18th, it ran a lengthy 37-page special feature entitled “Is Mio Sugita’s article that outrageous?”

That was the title of Ogawa’s now notorious piece.

In it, he answered the question by not just penning a defense of Sugita’s homophobic rant, but by pushing the boat out even further. Ogawa also appeared with Sugita, in a joint interview for another right-wing publication, Japanism, published this August.

And it is Ogawa who is arguably the most outspoken and controversial of Japan’s right-wing writers.

The pitbull with a pen

Ogawa, a self-proclaimed literary critic, has made a career out of praising the prime minister while putting the boot into his enemies – making him a combination of Abe’s lapdog and pit-bull.

He was a relatively unknown author until 2012, when his book The Promised Day, lauding Abe and his first term as prime minister from July 2006 to September 2007 was printed by Gentosha, a right-wing publisher.

The book appeared shortly before Abe ran in the party’s election to be president of the LDP, and the book is partly credited with his political comeback. Abe’s political fund, Shinwakai, reportedly spent 7 million yen ($61,000) purchasing copies of the book, elevating it briefly to best-seller status.

While Ogawa has made a tidy sum wielding his pen on behalf of Abe, he has also stabbed himself with it – even before his latest blunder.

Last year, just prior to general elections, Ogawa released a book accusing the liberal Asahi newspaper of fabricating scoops involving Abe’s abuse of power to benefit political cronies. The LDP also reportedly bought thousands of copies of that work, pushing it up onto the bestseller list.

However, the allegations in the book were so serious that the Asahi took the rare step of suing him and his publisher for defamation. That case is still in court, meaning Ogawa could end up facing severe and expensive legal repercussions.

Ogawa isn’t the only writer to be rewarded tangibly or intangibly for lavishly praising the Prime Minister.

Controversy spirals into scandal

Journalist Noriyuki Yamaguchi, who was given the scoop on Abe’s retirement in 2007, also appears to have benefitted. In 2015, while working on his book Prime Minister (Sori) about Abe’s struggles, a female journalist, Shiori Ito, filed charges of sexual assault against him.

The police began an investigation and held a warrant to seize Yamaguchi on rape charges. But on June 8, his arrest was called off at the last minute by Tokyo Metropolitan Police Department Criminal Investigations Chief Itaru Nakamura.

Nakamura was a friend of the prime minister and the former secretary to Abe’s second-in-command, Cabinet Spokesman Yoshihide Suga.

Nakamura not only halted the arrest, he replaced all the detectives on the case.

On June 9, 2016, while the prosecutors were still reviewing the case, Yamaguchi’s book was published by Gentosha, the same publishers of Ogawa’s 2012 work The Promised Day. On July 22,, prosecutors dropped all charges against Yamaguchi, who has denied all wrong-doing. Ogawa has publicly expressed support for Yamaguchi.

Shincho 45 once had up to 50,000 readers a month, but has suffered a drastic drop in recent years. Since 2016, it has veered to the right in order to boost sales. The publisher admits that their trial-and-error efforts to boost sagging sales resulted in insufficient oversight of content.

Ironically, after the company announced it would cease publishing the magazine, prices of remaining issues sky-rocketed, with some used copies going for 10 times the cover price.

The sad part of this debacle is that Shinchosha also publishes Shukan Shincho, a weekly magazine which features some of the best investigative journalism in Japan. In fact, it was Shukan Shincho which first published a series of articles on the obstruction of standard criminal procedure in the rape investigation concerning Shiori Ito, which was later followed up by The New York Times, while the BBC released a documentary on the case, Japan’s Secret Shame, this summer.

Ogawa has not walked back his essay, nor has he apologized. As he usually does in such cases, Abe has remained silent.

However, newspapers and commentators in Japan are now openly discussing the problems with Shincho 45, right-wing magazines like Japanism, Hanada and others. Much of the discussion centers not only on content, but on whether these magazines are acting as the voice of the administration.

While Abe has not made discriminatory or misogynist statements himself, his propensity to represent himself with misogynists, gay-bashers and accused sex offenders is raising big questions. Japan is starting to wonder.

[photo]
Japanese Prime Minister and ruling Liberal Democratic Party leader Shinzo Abe has some outspoken and controversial supporters.

Asia Times, Published: September 29, 2018 4:04 PM (UTC+8)
In Japan, promoter of gropers is tip of right-wing, sexist iceberg

Angry citizens are probing the links between some conservative writers, publishers and politicians with Japan's leader

By Jake Adelstein
http://www.atimes.com/article/in-japan-promoter-of-gropers-is-tip-of-right-wing-sexist-iceberg//

posted by fom_club at 08:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Dr M in New York

NEW YORK: Tun Dr Mahathir Mohamad is scheduled to meet a slew of world leaders, including from the United Kingdom, Iran, Sri Lanka and Qatar, at the sidelines of the 73rd United Nations General Assembly.

The prime minister is also set to deliver Malaysia’s statement at the assembly’s general debate on Friday - nearly 15 years after he last spoke at the UN podium.

Dr Mahathir, who is scheduled to arrive here tomorrow (Tuesday), is expected to meet British Prime Minister Theresa May on the sidelines of the assembly, where they will discuss a host of bilateral issues.

It will mark the first meeting between the two prime ministers after Dr Mahathir assumed the premiership in May following the 14th general election.

The meeting with May will take place after Dr Mahathir meets Qatar Emir Sheikh Hamad Al Thani, also on Tuesday.

The prime minister’s packed schedule will also see him hold bilateral meetings with Iranian president Hassan Rouhani the day after.

Among others, they are expected to discuss the situation in West Asia.

Sri Lankan president Maithripala Sirisena is scheduled to meet Dr Mahathir on Wednesday.

A string of interviews with Washington Post, The Wall Street Journal, TRT World, sessions with investors and fund managers, Council on Foreign Relations, among others, have also been lined up.

Dr Mahathir will also attend the Second Annual Bloomberg Global Business Forum, address a session at the Asia Society and attend dinner functions with the US-Asean Business Council and US Chamber of Commerce as well as the Malaysian diaspora in New York.

Foreign Minister Datuk Saifuddin Abdullah, at a dinner he hosted at the Malaysian mission here on Monday night, said Dr Mahathir would lay out the framework of the Pakatan Harapan government’s foreign policy.

Saifuddin himself has a tight schedule here where he is expected to meet, among others, his Sudan counterpart Dr Dirdeiry M. Ahmad.

Other than Saifuddin, Dr Mahathir will be accompanied by his wife Tun Dr Siti Hasmah Mohd Ali, Defence Minister Mohamad Sabu, Health Minister Dr Dzulkefly Ahmad, and senior government officials.


[photo]
Tun Dr Mahathir Mohamad at a dialogue session with members of the United Kingdom’s Bunga Raya Club.

New Straits Times, Published: September 24, 2018 - 4:00pm
Dr M to meet world leaders on sidelines of UN General Assembly
By YUSHAIMI YAHAYA
https://www.nst.com.my/news/nation/2018/09/414438/dr-m-meet-world-leaders-sidelines-un-general-assembly

KUALA LUMPUR: Netizens are singing praises of Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad over his strong message to the international community at the 73d United Nations General Assembly in New York.

As of 5pm today, almost 300,000 social media viewed the video of the prime minister addressing global leaders during the event, which was streamed live via his Facebook account, Dr Mahathir bin Mohamad.

The clip also received more than 11,000 likes and shared more than 6,000 users as of press time.

More than 117,000 social media users tuned in to #NSTTV, #BHTV and #METROTV, which also shared clips of Dr Mahathir’s speech.

A Facebook user, who identified himself as Keng Huei Chew, said he is proud and impressed with Dr Mahathir for his ability of deliver a good speech with high spirited at the age of 93.

“(He is) so amazing on the global stage. The best leader in the world,” he said.

Another user, Ooi Teik Chen, said also agreed that Dr Mahathir is the best leader in world since he is also the most senior leader to deliver his speech at this year’s UN general assembly.

“Salute and proud for our prime minister. He should be recognised as the world’s best leader,” he said.

Hamy AK, on the other hand, was impressed with the energy displayed by Dr Mahathir, referred fondly as ‘Tun M’ among his followers, at the UNGA.

“Praying the best of health for Tun M. May he do the best for Malaysia.”

Another user, Faizal Zal Faizal, said action by Dr Mahathir, who criticised Israel for the atrocities in Palestine, should be supported by the Muslim community regardless of their political affiliations.

“Tun M is brave to announce his support for Palestine and the fight for the honour of Islam.

“As a Muslims, we should support this effort,” he said.

Yahya Buyong said Dr Mahathir’s speech is laden with information and advice for others to emulate.

Yoga Subhra said the people in Malaysia are always proud Dr Mahathir for his tenacity and concern on the welfare of those who being oppressed.
Dr Mahathir, in his 24-minute long speech, spoke on various issues as he made his comeback to the UN after 15 years.

He spoke on how terrorism could be stopped if the international community recognise the state of Palestine.

Dr Mahathir had also condemned Myanmar and Aung San Suu Kyi for the massacres of the Rohingya.


[photo]
Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad addresses the General Debate of the 73rd session of the General Assembly of the United Nations at United Nations Headquarters in New York, New York, USA, 28 September 2018.

New Straits Times, Published: September 29, 2018 - 7:54pm
UNGA:
Netizen singing praises for Dr Mahathir

https://www.nst.com.my/news/nation/2018/09/416217/unga-netizen-singing-praises-dr-mahathir

NEW YORK: Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad ended his five-day working visit to New York today and left for London to continue the second-leg of his working trip to the United Kingdom.

Dr Mahathir and his wife, Tun Dr Siti Hasmah Mohd Ali, arrived in New York on Sept 25 to attend the 73rd Session of the United Nations General Assembly (UNGA).

It was his first trip to the United States after returning to power in May.

After a 15-year hiatus from the UN, Dr Mahathir made a comeback on Friday and boldly repeated his call for a reform of the world body.

Presenting Malaysia’s statement at the UNGA, the prime minister repeated his suggestion that veto power should not be exercised by just one permanent member but by at least two powers backed by three non-permanent members of the Security Council, and that the General Assembly should then back the decision with a simple majority.

While in New York, he also held bilateral meetings with leaders of other nations including British Prime Minister Theresa May, Iranian President Hassan Rouhani and Sri Lankan President Maithripala Sirisena.

The prime minister also had a string of interviews with the Washington Post, The Wall Street Journal, TRT World, and sessions with investors and fund managers, and the United States’ Council on Foreign Relations, among others.


[photo]
Dr Mahathir and his wife, Tun Dr Siti Hasmah Mohd Ali waving to Malaysians before leaving his hotel to continue his work visit to London after delivering a speech at the 73rd General Assembly at the United Nations Headquarters.

New Straits Times, Published: September 29, 2018 - 11:31pm
Dr Mahathir wraps up New York visit, heads for London
By Bernama & NST
https://www.nst.com.my/news/nation/2018/09/416294/dr-mahathir-wraps-new-york-visit-heads-london

posted by fom_club at 08:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Second Annual Bloomberg Business Forum

NEW YORK: What is Tun Dr Mahathir Mohamad’s secret to staying healthy and mentally sharp despite his advanced years?

Moderator Fareed Zakaria couldn’t resist asking this question at the Second Annual Bloomberg Business Forum yesterday (26/9).

“I don’t really know, but I do keep to a strict diet. I don’t overeat. I do a little exercise, and I have six hours of sleep,” said Dr Mahathir, who was a panellist along with Dutch Prime Minister Mark Rutte (*1) and New Zealand Prime Minister Jacinda Ardern (*2).

“If you live a fairly well regulated life you would survive. But if you get some disease which is incurable, there’s nothing you can do.”

This drew a spontaneous remark from Rutte, directed at Ardern.

“It means you and I can still be prime ministers at 90.”

Ardern then replied: “I have to say if I survive to 90 I don’t want to (be prime minister).”


[photo]
Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad (centre) arriving in New York on Sept 26, 2018.

New Straits Times, Published: September 27, 2018 - 9:00am
Dr Mahathir asked about secret to his longevity at New York forum
By YUSHAIMI YAHAYA
https://www.nst.com.my/news/nation/2018/09/415332/dr-mahathir-asked-about-secret-his-longevity-new-york-forum

(*1) Dutch Prime Minister Mark Rutte

Most state leaders would avoid saying no to President Trump in a room full of reporters. But Dutch Prime Minister Mark Rutte isn't like most leaders.

Rutte, a liberal straight-shooter known for mopping up his own coffee spills and cycling to the Dutch King's palace in The Hague, met Monday with Trump amid rising trade tensions between the United States and the European Union, of which the Netherlands is a member. In a five-minute news conference in the Oval Office, Rutte spoke significantly less than Trump. But when the Dutch prime minister interjected, he made himself heard.

About a minute into his remarks, Trump suggested that leaving the trade dispute unresolved could still be “positive.” Rutte responded by raising his eyebrows, laughing and cutting in to say, “No.” When Trump kept going, Rutte said while smiling to reporters: “It's not positive ... We have to work something out.”

Here's the full exchange, according to the White House transcript:
Trump: We are very close to making some very good trade deals. Fair trade deals − I didn’t want to say “good,” I want to say “fair.” Fair trade deals for our taxpayers and for our workers and our farmers. And a lot of good things are happening. I think the E.U., we’re going to be meeting with them fairly soon, and we want to see if they can work something out. And that will be good. And if we do work it out, that’ll be positive, and if we don’t work it out, that’ll be positive also. Because -

Rutte: No.

Trump: We're just thinking about those cars that pour in here.

Rutte: It’s not positive.

Trump: And we'll do something, right?

Rutte: We have to work something out.

Trump: It’ll be … it’ll be positive.

While Rutte's concise interjection tickled many in the Netherlands, his remarks reveal a deeper tension growing between the United States and its European allies.

In May, Trump commissioned an investigation by the Commerce Department into the state of automobile imports into the United States, prompting E.U. leaders to send Trump an 11-page document last Friday threatening to levy taxes on $290 billion in U.S. goods. Trump responded by tweeting that the United States would impose a 20 percent tax on all European cars if the E.U. did not remove existing tariffs, and then saying in a televised interview with Fox News that the E.U. is “as bad as China” when it comes to trade.

The Netherlands is the sixth-largest economy in the E.U. and the fifth-largest exporter of goods in the world, according to data from market research company Statista. The country has a lot at stake in the face of U.S. protectionism, and this is not the first time Rutte has made that clear.

In March, the Dutch leader told reporters that Trump's decision to impose a global steel and aluminum tax was “very disappointing,” adding that the E.U. had “to make clear we are prepared to take countermeasures.”

Rutte, who has now served as prime minister for two terms, is also reportedly planning to run for the position of European Council president in 2019, when current President Donald Tusk is poised to step down. If Rutte is serious about representing the European Council, he will need to show that he can hold his own with Trump. On Monday, the Dutch leader did just that with a concise, resounding no.

The Washington Post, Published: July 3, 2018
Trump got a dose of Dutch bluntness from visiting prime minister
By Rebecca Tan
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2018/07/03/trump-got-a-dose-of-dutch-bluntness-from-visiting-prime-minister/

(*2) New Zealand Prime Minister Jacinda Ardern

Prime Minister Jacinda Ardern has delivered New Zealand's national statement at the United Nations this morning.

She made her opening remarks in te reo Māori, then told world leaders that on her first visit to the UN general assembly she was struck by the power and potential that resided there.

Ms Ardern said New Zealanders were self-deprecating people, who were not wowed by status.

"We'll celebrate the local person who volunteers at their sports club as much as we will the successful entrepreneur.

"Our empathy and strong sense of justice is matched only by our pragmatism, we are, after all, a country made up of two main islands - one simply named North and the other, South."

Ms Ardern said she is a child of the '80s, a period when New Zealand did not just observe international events, but challenged them.

Watch Jacinda Ardern's speech here:
https://www.youtube.com/watch?v=HiobwkovZWw

"Whether it was apartheid in South Africa, or nuclear testing in the Pacific, I grew up learning about my country and who we were by the way that we reacted to international events.

"Whether it was taking to the streets or changing our laws, we have seen ourselves as members of a community and one that we have a duty to use our voice within."

As foreshadowed she spoke at length about the importance of international institutions, particularly in combating global issues, like climate change.

"Any disintegration of multilateralism - any undermining of climate related targets and agreements aren't interesting footnotes in geopolitical history - they are catastrophic.

"That's why as a global community, not since the inception of the United Nations has there been a greater example of the importance of collective action and multilateralism, than climate change."

Amongst unprecedented global economic growth we have still seen a sense of isolation, dislocation, insecurity and the erosion of hope, she said.

"It should hardly come as a surprise that we have seen a global trend of young people showing dissatisfaction with our political systems and calling on us to do things differently."

She spoke of the current generation as a virtually borderless one that expects the reality of world leaders to change as their reality does.

The impact of inaction regarding climate change is not an option, she said, highlighting the issues raised at the recent Pacific Island Leaders Forum.

"Of all of the challenges we debate and discuss, rising sea levels present the single biggest threat to our region," she said.

"If my Pacific neighbours do not have the option of opting out of the affects of climate change, why should we be able to opt out of taking action to stop it."

Ms Ardern said New Zealand supported the moves to reform the UN to make it more responsive and effective, including the Security Council.

"If we want the Council to fulfil its purpose of maintaining international peace and security, its practices need to be updated so it is not hamstrung by the use of the veto."

She also promoted women's rights in her address - saying that despite New Zealand being considered progressive, being the first country in the world to grant women the right to vote, and her being the country's third female Prime Minister - New Zealand still had a gender pay gap, an over representation of women in low paid work, and domestic violence.

"It seems surprising that in this modern age we have to recommit ourselves to gender equality, but we do.

"And I for one will never celebrate the gains we have made for women domestically, while internationally other women and girls experience a lack of the most basic of opportunity and dignity.

"Me Too must become We Too."

New Zealand is pursuing the simple concept of kindness, she said.

"In the face of isolationism, protectionism, racism, the simple concept of looking outwardly and beyond ourselves, of kindness and collectivism, might just be as good a starting point as any."

Ms Ardern returns to New Zealand this weekend.

Radio New Zealand, Sept, 29, 2018 - 9:33 am
'Me Too must become We Too' - Jacinda Ardern delivers UN address
Chris Bramwell, Deputy Political Editor
https://www.radionz.co.nz/news/political/367450/me-too-must-become-we-too-jacinda-ardern-delivers-un-address

posted by fom_club at 07:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月29日

国立大学から文系がなくなる?

はじめまして、ライターの大島一貴(おおしまかずき)と申します。
僕は文学部に通う現役大学生なのですが、うっかり留年して路頭に迷っていたところを拾われ、ジモコロで記事を書かせてもらっています。

さて、文学部なので括りとしてはもちろん「文系」……なのですが、なんとなく「文系って役に立たない」みたいなイメージがありませんか?

「文系って何やってるかよく分からん」「理系は就職してすぐ役に立つけど……」みたいな暗黙の認識があるような気がします。しかも、ネットサーフィンしていると、
《国立大学から文系がなくなる? 文科省の揺さぶりに地方大学が浮足立っている》
超絶バッドニュースが出てきた〜!

え、文系学部を無くそうなんて議論があったの?
もし文系学部が無くなってしまったら、文学部の僕はどうなるんでしょう。

就職面接で「文学部」とか言ったら鼻で笑われる時代が来るの? そもそも大学って何するところ?「学ぶ」って何? 人生って……??

悩みすぎて、思わず東京工業大学(以下、東工大)まで来てしまいました。
「なんで文系の話をしてるのに東工大?」と思う人もいるかもしれませんが……

この方、西田亮介(にしだりょうすけ)先生にお話を伺うためです。

西田先生は「理系学生オンリー」の東工大で社会学を研究しており、本人も文系(総合政策学部)出身。選挙や政治に関する著書も出されています。
ってことは大学時代の「文系の学問」をまさに仕事に役立てている方なのでは……?

つまり「大学時代の勉強、今も役立ってますよ!」とおっしゃってくれれば僕にもかすかな希望が見えてくるわけです。

ちなみに今回、ジモコロ編集部で文学部出身の友光だんごさんにも同行してもらいました。

大島「だんごさん、大学で勉強してたことってライターの仕事に役立ってます?」
だんご「ものを書く仕事をしてるけど、とくに実感はないなあ……」
大島「そこは嘘でも『役に立ってる』って言ってくださいよ!」

文理問わず、大学は「役に立たない」?

大島「本日はよろしくお願いします。僕は現役の文学部生なので、『文系って要らないよね?』と言われることに危機感を抱いているのですが」
だんご「僕はどっちかというと、『要らない』って言われても仕方ないのかなと。文系の学問って、わかりやすく『こんな風に役に立った!』というのが少ないと思うんです。文学部は特に…」
西田先生「なるほど。僕はもちろん『必要』だと思ってますよ
大島「おお、これは心強い!! では、どんな風に文系学部が必要なのか、お話を聞かせてください。西田先生も文系学部出身ですが、きっと大学時代の勉強が今のお仕事にも役立っているんですよね」
西田先生「うーん、まあ直接的には役に立ってないでしょうね
大島「ええええ!?」

西田先生「現在の専門領域である政治や選挙について勉強し始めたのは大学院に行ってからで、学部のときは全然興味なかったですからね。大体、仕事の役に立つ大学なんて基本ありえないわけですよ」
大島「めちゃ根本からバッサリいかれた……」
西田先生「むしろ学部のときは勉強よりサーフィンしてましたね。サーフィンしてなかったら今の僕はなかったと思います
大島「どういうことでしょう?」
西田先生「分子生物学講読の期末テストの日、サーフィンの先輩に急に呼ばれたんですよね。『今日は波がいいから来いよ〜!』って。で、行っちゃったんです。

大島「なんで行っちゃうんですか!」
西田先生「1単位くらい取り返せるかなと思ってたんですね。でも取り返せず、そのまま留年しちゃって」
大島「僕も履修ミスでうっかり留年したので偉そうなこと言えませんが、留年理由としては全然同情できませんね……」
西田先生「ただ、留年してなければ大学院にも行ってないので、こうして大学教員をやることもなかったわけですよ。ですから、将来への影響としては勉強よりもそっちですね。7〜8割の人にとって『学部で何を学んだか』と『それが進路選択や仕事に役立つか』は関係ないと思いますね」

Q 大学時代の勉強って、将来、何かの役にたつの?
A(直接的には)役にたたない。でもそもそも大半の人にとって大学で何を学んだかと、それが将来の仕事に役立つかは関係ない。

大島「なるほど……それは文理問わず、ってことでしょうか?なんとなく『文系と違って、理系の勉強はそのまま仕事の役にも立ってそう』というイメージがあるのですが」
西田先生「文理問わずですね。理系って、ザックリ言うと理学と工学に大別できます。その中でただちに『役に立つ』と言えるのは、工学でプログラミングとか金融工学とかやってる一部の場合だけだと思いますよ。研究職はまた別ですけど」
大島「そういうものなんですね」

「文系ってなんで必要なの?」と聞かれたら

大島「西田先生は、『文系の学部・学問ってなんで必要なんですか?』と問われたらどうお答えになりますか?」
西田先生「法学や政治学に関して言うと……たとえば満員電車って嫌ですよね? あれを解消するとしたら、どうします?」
大島「うーん……単純にダイヤを組み換えて増やすとか?」
西田先生「ですよね。今って、鉄道の需給予測がすぐできるんですよ」
大島「需給予測?」

西田先生「技術的には、『改札を通った人が何人いるから、何分後にホームにこのくらい人が溢れる』っていう予測が可能なんです。でも実際それに合わせて柔軟にダイヤを組み換えることはできない」
大島「すごい……!『技術的には可能』ってことは、なにか制度上の問題があるんでしょうか?」
西田先生「そうなんです。『鉄道事業法』っていう法律で、『時刻表や運賃を変更したときは国土交通省に申請しなきゃいけない』って決まってるんです。だからこの問題を解決しようと思うと、法律を変えないといけない
大島「あ!それで法律の知識が必要になってくるんですね」
西田先生「はい。そして法律を変えるには、政治学の知識を持った人が必要になってくるんです」
大島「なんだか壮大な話……」
西田先生「今のは極端な例でしたが、たとえば色んな人に関係がある『契約』についても、民法が規定しているので、法学の分野になります。つまり、意外と文系の学問って日常生活に関係があるんですよ

大学は「あるだけ」で役に立っている

大島「とはいえ、文系の中でもジャンルによって毛色が違うじゃないですか。法学・経済学なんかは比較的『実学』寄りなのかなと」
西田先生「そうですね」
大島「とすると文学や哲学、歴史学なんかは実生活において『不要じゃね?』と言われても反論できない気がして」
西田先生「そのときは直接的な役立ち方というより、間接的な役立ち方を考えましょう。『そもそも大学があったり、大学で何かを学んでる人がいるだけで世の中の役に立ってるじゃないか』と言ってみるといいと思いますよ」
大島「それはどういう……?」
西田先生「ある場所に大学が立地していて、周辺に学生街がある。すると学生が飲食してその地域にお金を落とす。何を学んでいるとか関係なく、これって経済効果がありますよね
大島「あ〜、経済という観点から見るんですね。盲点でした……!」
西田先生「いま僕の研究室に、留学生が10人くらいいます。彼らが海外から来るのは『日本に外貨を落としてくれている』とも捉えられますよね。彼らが将来偉くなったら東工大に援助をしてくれるかもしれないし、日本と他国との関係を良くすることにも繋がるかもしれない」
大島「なるほど。……あれ、でも今のお話だと大学の文系学問の中身は関係なくて、『そこに存在していることに意義があるんだ』ってなっちゃいませんか?」
西田先生「もちろん中身も大事なんですけど、考えても仕方ないところはあると思います。外から評価しづらいし。お互い分野が違えば何やってるか分からないじゃないですか」
大島「確かに、数値化できるものでもないですしね」

西田先生「それに『大学は役に立たない』って言われても、じゃあ日本の一般企業がそんなに役に立ってるのか、といえばそんなことないわけですよ(笑)。部署で考えても総務や経理はその企業の外部に『役立っているのか』といえば、それもよくわかりません」
大島「先生、結構ぶっこんできますね」
西田先生「たとえば、我々は『コンビニ』があればいいわけで、それがセブンイレブンでもファミリーマートでもローソンでもそんなに関係ない。学部もそれと同じです」
大島「大学の外の人にとっては別に重要ではない、と?」
西田先生「そう。その中身をとやかく言うのは、余計なお世話な気もしてます(笑)。しかも研究者とかごく一部の人を除くと、学部というのは個々人のキャリアにはほとんど関係ないわけですよ。だから気にしなくていいと思いますね」
だんご「そういった意味での大学の価値って、見逃されてるかもしれませんね。ネットが普及したりして、分かりやすく即効性のある結果を求められがちな印象があります」
大島「確かに。その中で、特に文系の学問って『目に見える成果』をパッと出すのが難しい……」
西田先生「まあ理系でも、モノ作りとか分かりや果を出すのは一部の人だけですよ。それよりは、『文系って要らないよね?』という論調を引き起こした背景には、もっと別の問題があると思いますね

Q 文系学部って価値があるの?
A 大学は存在しているだけで経済効果をもたらしているし、そもそも学問という「中身の価値」を証明するのは難しい。

そもそもなぜ「文系不要論」なの?

大島「そもそも、なぜ『文系不要論』なんてものが出てくる社会になってしまったんでしょう?」
西田先生「不況などの背景もありますが、まず多くの人が『文系は要らない』って信じちゃってるわけですよね。問題はザックリ2つあって、1つは、文系の研究者たち自身が『役に立たなくてもいい』っていうスタンスを取ってしまっているところ」
大島「ああ〜。以前、文学部の著名な先生が『文系の学問は社会に出たとき直接役に立つのではなく、人生の岐路に立ったときに役に立つんだ』とおっしゃってて、イマイチ腹落ちできなかったことがありました……」
西田先生「そうでしょうね。だから『役に立つ』って言ったほうがいいと思いますよ。だって当事者自身が『役に立たない』って言っちゃうと、『じゃあ要らないんだな』と社会の誤解を増長させるに決まってます」
大島「それは本当にそうですね!」
西田先生「もう1つの問題は、大学の人たちが外の世界に向けて、文系の必要性を語ってこなかったことだと思います」
大島「それは西田先生のように、たとえば一般向けの本を書くとか、ネットでガンガン発信するとか、メディアに出るとか?」

西田先生「そうです。ただ研究者にとっては、どれも基本的に苦痛な作業なわけですよ
大島「……なんか取材申し込んじゃってすみません」
西田先生「いや、僕はいいんですけど(笑)。『研究して論文や専門書を書く』ことだけに全力を注ぐのが正しい研究者の在り方だ、という方もたくさんおられますから」
大島「広く発信したがらなかったり?」
西田先生「一般向けの雑誌に寄稿したり、取材を受けたりすることは、必ずしも研究者の業績とは見なされないんですよね。ピュアな研究者の方から見ると時間のムダに思えるみたいなんです」
大島「では、ネットなんかは邪道ってことですよね」
西田先生「でも学問の本質って『形式』じゃないと僕は思います。1冊4,000円の専門書に書いたから偉いとか、そういうことではない。新書でもなんでもいいから、純粋な形で議論が行われさえすればそれが本質だと思ってます」

Q どうして「文系不要論」が叫ばれる世の中に?
A 大学の研究者が「役にたたなくてもいい」と構えてしまったり、大学の人たちが外部に向けて価値を発信していなかったりするのが原因

大学は「普通の人」のためにある

大島「先ほど教養という話が出ましたが、仮に大学に『教養を身に付ける場』としての役割があるとしますよね」
西田先生「はい」
大島「すると、たとえば大学の授業に真面目に出て単位を取る学生と、授業には出てないけどめちゃめちゃ本を読んでる学生がいたときに、『前者のほうが教養があるよね』とは必ずしも言えませんよね
西田先生「まあ、後者のような人もいますからね。堀江貴文さんとか」
大島「だから人によっては『大学なんてなくても、本読めばいいじゃん』と言われてしまいそうな…」
西田先生「堀江さんのように、それで成功する人はいいですよね。結局大学っていうのは、大半の『普通の人』のためにあるわけですよ。シンプルです。
 本を読みまくって起業するとか、著者として大成功するとか、そんな人って少ないんですよ。僕だってそうじゃないし……そういう凡人にとって大学は便利なんです。大学という『安定した評価を得られる場所』を経て次のステージに行ける
大島「なるほど……良くも悪くも安定はしてますよね」
西田先生「そういう役割が一つ。それと、この社会を生き抜いていく上で、最低限必要な知識を得るというのも大事です。例えば歴史ですね。これから第一線で活躍する人が、日本や世界の歴史をほとんど知らないって恥ずかしいじゃないですか」
大島「確かに。でも理系だと歴史が必修じゃないところも多いですよね」
西田先生「そうそう、必修じゃないことをわざわざ勉強する学生は少数派ですから(笑)。自学自習だと足りない部分をカバーするのも、教養教育の役割の一つかなと思います」
大島「ネットで好きな情報だけ選び取って摂取できる時代ですもんね」

意義なんて、気にしなくてもいい

大島「ネットといえばTwitterとかインスタとか、SNSの流行がものすごいじゃないですか。最近では『大学生のうち50%以上は1日の読書時間0分』という調査結果もありますし、ネットの普及が『本離れ』に関係してますよね?」
西田先生「それは一因として確実にありますね」
大島「僕は文学部なので、もっと近代文学の魅力とかを広めたいんですが……でもそれって、別に押し付けるものでもないんですよね。だから『文学部は何をすべきか?』というのは考えちゃいます。『社会に出たあとで、文学部の出であることをどう活かすか?』みたいな……」
西田先生「あんまり考えなくてもいいんじゃないですか
大島「やっぱりそうですかね」
西田先生「結局『その人が魅力的かどうか』に尽きますよね。僕は大学教員という仕事なので、『大学は大事なんだ』という理屈をこういった取材でもひねり出してるだけです(笑)」

大島「じゃあ、『文系学部の存在意義はなんですか?』と聞かれたら……
西田先生「『なんで役に立たないと思うんですか?』と逆に聞き返しましょう

大島「それいいですね!」
西田先生「さっきの『大学があるだけで経済を回せてる』って話に連なりますけど、大学も民間企業と同程度には役に立ってるし、同程度に役に立たないとも言えるんです。大学にばっかり税金が使われてると思われがちですけど、実は民間にも税制優遇や実証制度、特定の雇用形態の促進、不景気対策などのさまざまな形で税金は使われているし……」

大島「なるほど。最後にお尋ねしたいのが、『勉強する意味って何なんだろう?』ってことなんです。家で文学の勉強をしてると、外への価値、生んでないなって思っちゃって…」
西田先生「それは分からないですよ。何かになるかもしれないし、ならないかもしれない。一つ言えるのは、大島さんが成功すればいいんですよ
大島「成功する?」
西田先生「そうすれば『ほら文学で良かったじゃん、これだけやれたじゃん』って言えるでしょ?なんでも結果論なんですよね。僕は大学受験に失敗してるんですけど、もし第一志望に受かってたら大学の教員になってないかもしれないし。だから分かんないですよ」
大島「なるほど。僕が今すぐに意味を説明できなくていいんですね」
西田先生「そうです。とりあえず大島さんが何かで成功することにフォーカスすればいんじゃないですか?」
大島「なんだか勇気が出てきました……! Twitterを拝見してると忙しそうにされてるので、本日は貴重なお時間をありがとうございました」
西田先生「Twitterでヒマそうにしてると、また『文系要らないじゃん』って言われちゃいますからね。忙しいフリしてるんです(笑)」

おわりに

というわけで、西田先生への取材が終わりました。最後のほう、人生相談みたいになってるけど。

「文学部はどうなるのか」「文学部出身としてどう生きていけばいいのか」……これらはおそらく答えのない問いです。というより、「大きすぎる問い」と呼ぶほうが正確でしょうか。

文学部でも大学でも、「役に立つの?」とか「意味はあるの?」なんてことを突き詰めていけば、結局「わからない」んだと思います。
今回その「わからない問い」に挑戦してみた結果、願ってもいなかった多くのヒントを西田先生に教わることができました。

大きな視点でものを考えておられる西田先生の言葉は論理的で、飄々としていて、なのにとても力強い。

僕は文学部です。だからって、その価値を叫ぶ必要なんて今はまだない。
でも僕は文学が好きです。だから、その面白さを広く伝えたい。

それなら変に肩肘張って叫ぶんじゃなく、好きなものを「好きだ」とつぶやき続けること。
世の中の潮流なんて、実はあまり関係ないのかもしれない。
「要らない」って言われても、気にしなくていいのかもしれない。

そんな風に、ちょっと気が楽になりました。

イーアイデム、ジモコロ、2018.09.28
「文系学部」がなくなるって本当⁉︎ 大学の先生に文学部生が話を聞いてみた

「大学の文系学部は不要なのでは?」そんな議論が数年前から取りざたされていますが、その真偽を確かめるべく、現役大学生のライターが東京工業大学の西田亮介先生の元を訪ねました。文系学部、そして大学の価値とは?

https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/oshima01

posted by fom_club at 18:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『新潮社四十年』

 きのう2018年9月25日の朝刊を読んで、東京メトロ東西線の神楽坂駅で降りてみた。
 記事が伝えているとおり、新潮社の本社近くの商業施設の看板が、シートで覆い隠されていた。
 「新潮文庫 Yonda?」の広告文の間に、「あのヘイト本、」との落書きが挿入されていたという。

 同社発行の月刊誌「新潮45」が、性的少数者(LGBT)を巡る特集で批判を浴びている。
 掲載論文は、LGBTの権利を擁護するならば「痴漢」が、「触る権利を社会は保障すべきでないのか」など独自の主張を展開。
 同社社長も内容に問題があったことを認めた。
 「深い反省の思いを込めて」、きのう2018年9月25日、休刊を決断した。

 1985年。同誌を立ち上げたのは当時の役員、斎藤十一さん。
 編集部を鼓舞し、同年夏の日航機墜落事故の生存者の独占手記をスクープした。
 戦後、太宰治に「斜陽」を連載させるなど、看板誌「新潮」を軌道に乗せたほか、「週刊新潮」、写真週刊誌「FOCUS」を創刊。
 2000年に86歳で没した伝説の編集者だ。

 弔辞で瀬戸内寂聴さんは、偽悪的な態度に潜むダンディズムを追慕した。
 元部下は「編集者ほど素晴らしい商売はないじゃないか。いくら金になるからって、下等な事はやってくれるなよ」との遺訓を追想録に残している。
 特集はそろばんずくの炎上商法だったのか。
 小林秀雄も一目置いた泉下の名編集者の声を聞きたい。

日本経済新聞・春秋、2018/9/26付
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO35756740W8A920C1MM8000/

 9月28日のヤッホーくん、朝の8時に「東京メトロ東西線の神楽坂駅で降りてみた」んですって。
 ありました、新潮社! 

P1060277-1.JPG

 新潮社の斎藤十一はその発想力で天才と呼ばれ、こわもてで畏怖された伝説的な編集者だ。
 名だたる作家を育て、「週刊新潮」や「芸術新潮」などの雑誌をつくり、時代を築いた。
 俗物を名乗り「人殺しのツラが見たくないのか」「人生はカネと女と事件」「売れる雑誌より買わせる雑誌をつくれ」といった言葉を残している。

 一方でクラシック音楽や絵画を愛し、教養を重んじた人だったそうだ。
 <いくら金になるからって下等な事はやってくれるなよ>と部下を戒めている(斎藤 美和 『編集者 斎藤十一』冬花社、2006年11月)。

 その戒めに逆らって、道を踏み外してしまったのではないか。
 斎藤が心血を注いだ月刊誌「新潮45」の休刊が、決まった。
 性的少数者への偏見に批判が集まった寄稿を最新号であらためて擁護する特集を組んだ。
 「常軌を逸した偏見と認識不足」があったと認めての休刊だ

 性的少数者を犯罪者である痴漢と並べて語った寄稿は主張への驚きと掲載した見識への疑いを催させる。

 発行部数が、落ちているのだという。
 炎上商法は否定する半面、部数の低迷に直面し「試行錯誤の過程において編集上の無理」が、生じたのだと社は発表している。

 魅力的な連載などを擁した一大雑誌だ。
 貧するあまり、大切なものが失われてしまったか。
 「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」という創業者の決意も、名編集者の精神も、みえなくなってしまった。


東京新聞・筆洗、2018年9月27日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018092702000173.html

 創業者の佐藤義亮(1878 ‐ 1951)氏は1896年に新声社を創立、しかし失敗。
 そこで1904年、矢来町71で文芸中心の出版社である新潮社を創立。
 雑誌は『新潮』。この時、編集長は中村武羅夫(1886 - 1949)氏でした。
 自然主義文学運動と結んで多くの文学作品や雑誌を出版し、文壇での地位を確立します。

 今では新宿区矢来町に広大な不動産があります。
 佐藤義亮氏の『出版おもいで話』(http://bungeikan.jp/domestic/detail/355/)から。
 退社後しばらく姿を見せなった正岡芸陽(*1)氏が、ひょっくりやって来て、「あなたも近ごろ経済上お困りのようですが、新声社を手離す気持はありませんか」というのである。私は驚いた。これは、私を簡単に都合よく転身させるために、神業としてこの人が出て来たのではないか――とさえ思ったのである。
 話はその場ですんだ。
 誰一人相談もせず、譲渡の条件も一切先方まかせ。ただ「結構です、結構です」と、猫の子一匹の受けわたしよりも手軽に終った。
 明治二十九年以来の、私の新声社は、こうして幕が閉ざされたのである。
(中略)
 いよいよ雑誌を出すことに決めた。
 が、金が一文もない。質草も大抵尽きてしまった。実際当惑したが、思いついたのは、その時の借家は、飯田町赤十字の下のかなり大きな庭のある家で、敷金が二百五十円入れてある。敷金の少ない家ヘ引越して、敷金の差を利用するということだった。牛込区新小川町一丁目のすこぶる家賃のやすい家に大急ぎで越したのはそのためであって、敷金の差約百五十円――、これが私の更生の仕事の全資金だった。
 かくして明治三十七年(1904)五月十日、『新潮』第一号は、発行所を新潮社と名づけて世に出たのである。真先きに喜びの言葉を寄せられたのは、中村吉蔵(*2)氏だった。

(*1)正岡芸陽 まさおかげいよう。
 明治時代の評論家。『嗚呼売淫国』『人道之戦士 田中正造』『裸体の日本』などを刊行。明治36年「新声」主筆。人道主義の立場から社会批判を行った。生年は明治14年9月5日。没年は大正9年3月24日。享年は満40歳

(*2)中村吉蔵 なかむらきちぞう。
 劇作家。早稲田大学教授。米国やドイツ等を外遊。近代劇の影響を受けて帰国。芸術座に参加。生年は明治10年5月15日、没年は昭和16年12月24日。享年は満64歳。


てくてく牛込神楽坂、2017年10月8日
http://kagurazaka.yamamogura.com/sinchosha/

posted by fom_club at 17:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

強制不妊手術

違憲・国賠裁判におけるジェノサイトへの言及

 国賠訴訟のなかで、 ジェノサイトの例が引用されたことは、 それほど多くないが、 少なくとも2つの場面を上 げることができる。
 いずれも、 隔離政策の 「被害」 を論じている場面である。

 一つは、 裁判に原告・被告双方から申請の証人として出廷した大谷藤郎の言葉である。
 大谷は『らい予防法廃止の歴史』(ヤッホーくん注)の著者、 元厚生省国立療養所課長、 同省医務局長であって、 この裁判では自分は被告の立場であると語り、 原告・被告のどちらとも打ち合わせをしないという、 中立的立場を堅持しての証言台であった(注18)。
 『開かれた扉』によれば、 大谷は弁護団が社会復帰の希望者がどうして少ないのかという質問を発したのに答えて、 怒りをこめて発言した。

「私、 前回と今回の証言を通じて感じますのは……」

 そしてナチス・ドイツにより強制収容所に収容されたユダヤ人を例に出す。 フランクルの 『夜と霧』を引用しながら大谷は続けたという(注19)。

「未来のないところに投げ込まれた人の心理というものを考えなければいけない。 患者さんが帰りたくないと言われても、 それは90年もの間の隔離の結果に過ぎません」 と。

 この証言は被告、 国側の代理人には大きな衝撃であり、 裁判は原告の勝利に向けて大きな一歩を進めた、 と 弁護団は感じている(注20)。

 もう一つは、 原告鈴木時次が語るストーリーと、 彼が入所していた楽泉園とアウシュビッツを重ねて語る両者間の共通点である。
 彼は自分が絵を描き始めたのは、 ア ウシュビッツに収容されていたある女性が、 その収容所のなかで子どもに絵を教える物語に感動して、 自分も絵を描き続けようと思った、 ということを語っている(注21)。
 彼は言う。

結局、 将来に希望が全然持てないということと、 何というのかな、 結局……結婚、 まあ、 年頃だか ら結婚もかんがえてはいましたけれども、 ここでは、 若くて結婚できれば断種でしょう。 そういう、 何と言うかね、 ちょうど猫を飼って、 猫は近所となりがとにかく困るというんで、 キンを抜いたり、 子宮まで抜いた。 飼っているあの猫と何も変わらないんじゃないかなと。そんな思いがして、 犬猫のね、そんな思いまでして一緒にはなれないし、 それで、 結婚そのものが将来につながっているものではないし、 これはどうしても結婚できないと。 それで、 自分が、 まあ、 本当4人とも苦労しちゃったけど、 4人のなかの長男ですよ。 そんなことがあって、 絵をかき、 アウシュビッツと楽泉園を重ねあわせて絵を・・・


 人生そのものを抹殺されるということが何を具体的に意味するかと語っている。

(ヤッホーくん注)大谷藤郎『らい予防法廃止の歴史』(勁草書房、1996年)
(注18)ハンセン病違憲国賠裁判全史編集委員会 (編集)『ハンセン病違憲国賠裁判全史』第1巻45頁
(注19) ハンセン病違憲国賠訴訟弁護団編『開かれた扉―ハンセン病裁判を闘った人たち』(講談社、2003)120頁
(注20)同『開かれた扉』120頁
(注21)『ハンセン病違憲国賠裁判全史』第8巻248頁

中部学院大学・中部学院短期大学部 研究紀要第9号(2008)
「ハンセン病隔離政策の被害」 論
―ハンナ・アーレントの所説にてらして―
窪田暁子
On the Nature of the “Total Life Damage” Caused by the National Policy of Segregation for the Hansen’s Disease
https://www.chubu-gu.ac.jp/organization/center/souken/journal/009/documents/009-06.pdf

 2018年9月29日土曜日の朝、ヤッホーくん、口をぽかんと開けたまんま、そうしたら、ね、今朝のニュースでこんなんのが飛び込んできたんです。
 1996年に「らい予防法」は廃止されますが、それから20年も経ってるのですが、らい病のほかにも「キンを抜いたり、 子宮まで抜いた」んですねぇ〜:

 旧優生保護法(1948〜96年)下で強制不妊・避妊手術が繰り返された問題で、知的障害を理由に不妊手術を強いられた宮城県の60代女性が9月28日、国に3300万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。

 同地裁では60代と70代の女性2人が原告の同種訴訟が係争中で、提訴は3人目となる。

 訴えによると、女性は1969年に「中等度精神薄弱」と診断され、1977年に手術を受けた。
 女性の妹は亡くなった母親から「自治体職員に『障害年金を受給するには手術を受けるしかない』と言われ、やむを得なかった」と説明されたという。
 女性は他の原告と同様に、国は手術による人権侵害の実態を旧法廃止前から把握し、補償の必要性を認識していたと指摘。
 憲法が保障する幸福追求権に基づく自己決定権、人格権の侵害を前提に、救済措置を怠り続けた政府と国会の立法不作為を主張している。

 聴覚障害を理由に手術を強いられたとする兵庫県の男女と大阪府の女性も同日、神戸、大阪各地裁にそれぞれ提訴する。
 訴訟は札幌、東京、熊本の各地裁でも既に提起され、全国の原告は計13人となる。


[写真]
横断幕を掲げて仙台地裁に入る原告弁護団=28日午前10時55分ごろ

河北新報、2018年09月28日金曜日
<強制不妊手術>
宮城の60代女性が提訴 仙台地裁3人目

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201809/20180928_13058.html

 旧優生保護法の「強制不妊手術」の被害について、国による早期の解決をもとめる院内集会が6月6日、東京・永田町の参議院議員会館で開かれた。
 実名で国を提訴した札幌市在住の小島喜久夫さん(77)ら当事者たちが登壇した。


「精神分裂病」を理由に手術を受けさせられた

 1941年生まれの小島さんは、養父母に育てられていたが、弟と妹が生まれたあと、養父母らの態度が冷たくなり、素行が荒れるようになった。
 19歳のころ、警察官に札幌市内の病院に連れて行かれて入院。
 数カ月後、その病院で「精神分裂病」を理由として、不妊手術を受けさせられたという。
 手術の記録は残っていない。
 小島さんは今年2018年5月17日、不妊手術で子どもを持つ機会を奪われるなど、苦痛を被ったとして、国を相手取り、札幌地裁に提訴した。

 小島さんは集会で「(病院で)『精神分裂病で障がい者(小児麻痺の障がいが右足に残っている)なので、そういう子どもが生まれてきたら困る』と言われた。子どもができないんだ、と涙が出ました」と振り返った。

「今も心の傷がいえることはありません」

 宮城県在住の飯塚淳子さん(仮名・70代)も今年2018年5月17日、国を相手取り、仙台地裁に提訴した。
 飯塚さんは、地元の中学入学後、まったく身に覚えないことで犯罪者あつかいされたあと、中学3年から、知的障がいがないにもかかわらず、仙台市内の知的障がい児入所施設にいれられた。
 飯塚さんは中学卒業後、職親にあずけられ、住み込みで働いていたが、そこで虐待されていたという。
 さらに16歳のころ、知的障がいがないにもかかわらず、「精神薄弱者」などの判定を受けて、何も知らされないまま、県の診療所に連れて行かれて、不妊手術を受けさせられた。
 飯塚さんは「今も心の傷がいえることはありません」と心境を明かした。
 「すべての不妊手術の被害者に対して、国は謝罪して、事実を明らかにして、適切な補償をすることを強くのぞみます。裁判所には被害者の声を誠実に聞いていただいて、本質を見極めて、公正な審理をしていただきたい」と涙ながらにうったえた。

弁護団は第三次訴訟の準備をしている

 この集会は、全国優生保護法被害弁護団が主催した。
 旧優生保護法にもとづく強制不妊手術をめぐっては、今年2018年1月、仙台地裁に提訴した宮城県の女性のケース(第一次訴訟)のほか、5月17日の全国3カ所(東京・札幌・仙台/第二次訴訟)とあわせて、裁判が計4件となっている。
 同弁護団によると、第三次訴訟の準備をしているという。

 強制不妊手術は、全国で約1万6500件あったとされるが、全体の2割ほどしか記録が残されておらず、被害救済が遅れている。
 同弁護団は
(1)国に対して、被害者に対する謝罪と賠償を内容とする立法をすみやかにおこなうこと、
(2)都道府県に対して、実態調査にあわせた相談窓口を設置すること――
などももとめている。


弁護士ドットコムニュース、2018年06月06日 20時14分
強制不妊手術で「子どもができないんだ、と涙が出た」、国を訴えた被害者「今も傷は癒えない」
https://www.bengo4.com/gyosei/n_7989/

posted by fom_club at 09:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

容易に人権が奪われる日本

 ヤッホーくんのこのブログ、2015年10月31日付け日記「映画『あん』」そして2015年11月14日付け日記「ドリアン助川」をご参照ください。

 「ハンセン病違憲国家賠償裁判」についてのシリーズ最終回をお送りする。
 ハンセン病と診断され、療養所に事実上隔離された入所者らの訴えに応じる形で始まった尊厳回復の裁判は、原告の勝訴となった。
 だが、あまりにも弱い立場に置かれ続けた彼らの戦いを考えると、人権の尊重を謳うこの国の憲法の規定と実際のありかたについて、大きな疑問が生じてくる。
 弱者に戦いを強いるこの現実は憲法のめざすところなのか。
 私たちは、本当の弱者の存在を見て見ぬ振りをしていないか。
 憲法改正の議論が本格化するが、その重みも含めて、私たちは憲法が定めるところの意味を、今一度考えてみるべきではないか。


 ハンセン病違憲国家賠償裁判は、一審の熊本地裁判決について国が控訴を断念し、原告団の勝訴が確定した。ハンセン病療養者たちの人権を侵害していた「らい予防法」を早くに廃止しなかった国の「不作為」が断罪されたのである。

人権侵害を省みなかったのは国だけか?

 だが、「不作為」は国だけのものか、私たちは考えなければならない。
「この問題は国だけでなく、憲法学の不作為でもなかったのか」
 憲法学界の重鎮、専修大学の棟居快行教授はそんな自問を重ねている。
 熊本地裁判決後の判例評釈(判決文を理論的に分析した論文)で、棟居はこんなことから書き始めている。

《(前略)関係者の誰の目にも当該施策(神田注・「らい予防法」のこと)の不当性は明らかであったろう。にもかかわらず、なぜ形式的な法律論のみが跋扈する不毛な訴訟が、えんえんと継続せざるを得なかったのか、なぜ知恵と勇気のある裁判官に当たるという幸運の世話にならなければならないのか……。(中略)本判決が我々に投げかけた極めて大きな宿題である》

 判例評釈という論文に、このような感情的な文章は珍しい。
 だがたしかに、この裁判は一審の裁判官や控訴断念した政治家の決断という「運」に恵まれたところがあった(もちろんそれは原告団と弁護士たちの努力がたぐりよせたものであることは言うまでも無いが)。

 そもそも裁判自体、ハンセン病療養施設に暮らす入所者から九州弁護士連合会への一通の手紙から始まっている。
 はなはだしい人権侵害の法律に、憲法学はもっと自覚的に取り組むべきではなかったか。憲法学のそのような不作為の態度について棟居は2つの理由を挙げる。

「まず憲法学がたとえば9条の論点のように、天下国家を論ずる発想が強すぎたことです。個人の個別的な不幸な問題は民法や刑法などで解決すべきであり、憲法学は個人対国家など普遍的なテーマを取り扱うと考えてきました。そうすると足元の弱者が見えてこないんですよ」

「二つ目は憲法学が個人対国家の関係を考えたとき、その『個人』とは個別の事情を抱えた人々という意味ではなく、国民主権を担う国民をばらして『個人』としていることです。ここでいう個人とは、自分のことは自分で決められる自己決定権を持つ、『強い個人』です。いわば民主主義の兵士みたいなものです。その兵士の人権さえ守っていれば民主主義がちゃんと運営されると考える。ところが今回の裁判の原告の方々のように、強制隔離で自己決定権を奪われている人は、憲法学は見えていなかった。兵士じゃないから」

ホームレス、いじめ、介護問題とも通低

 一般市民がなんらかの人権侵害を受け、憲法保障の土俵際まで追い詰められたとき、憲法学は考察の対象にする。しかしハンセン病療養者のように最初から憲法の枠外に置かれた人々の存在は、憲法学から見えない。

「たとえばホームレスの人たちの問題は、一部の憲法学者は取り上げていますが、憲法学のメインのフォーカスに入ってこない。大学の教室で憲法25条の『国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と話したとき、学生から『外のあの人たちはなんですか』と聞かれても、憲法学は満足に答えられない」

「そういう例は他にもあって、たとえば子どものイジメの問題は大きな社会問題ですが、人権や人間の尊厳に絡めて憲法学の問題として捉えていない。介護や障がい者問題も福祉問題にして、人権の問題として考えていない。例外(個別的事情)はあくまで例外であって、例外から憲法学全体を作り直す発想がなかった。しかし当事者がなにを望んでいるのか、そこらから憲法学は入らないといけないと思います」

メディアも、裁判所も・・・

 これはなにも憲法学の問題だけではない。
 たとえばメディアでも、個々の記者やジャーナリストがハンセン病の療養者の問題を取り上げたことはあっても、それを社会的問題として十分に広げることはできなかった。
 法の番人である裁判所ですら、ハンセン病施設療養者、患者への差別・偏見を助長する行為をしていた。

 2016年4月、最高裁判所は「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査報告書」という文書を公表し、かつて裁判所の運用ついて
《ハンセン病患者の人格と尊厳を傷つけるものであったことを深く反省し、お詫び申し上げる》
 と謝罪した。

 同時に発表した「最高裁判所裁判官会議談話」においても、
《ハンセン病に罹患された患者・元患者の方々はもとより、御家族など関係の方々には、ここに至った時間の長さを含め、心からお詫びを申し上げる次第です》
 と繰り返し謝罪した。

 1948年から1972年までの間で、裁判の当事者がハンセン病であることを理由に裁判所以外の場所で法廷を開かせていたケースが95件あった。

 ようはハンセン病について誤った理解、偏見によって裁判所の外、おもに療養施設内で裁判を開いていたことを謝罪したのである。
 しかし最高裁はそれが裁判所法に違反していた「違法」であったとは認めても、憲法14条の平等原則など憲法に反していた「違憲」であったとは認めていない。2016年5月3日に行われた寺田逸郎・最高裁長官の記者会見では、調査報告書をまとめる際に組織した有識者会議で憲法第14条違反が指摘されたにもかかわらず、報告書で触れなかったことについて、
「違法と結論づけたので、それ以上に憲法違反かどうかの判断は法律的には必要ない」
 と説明した。

 たしかに法律論としてはそうだろうが、関係者らが求めていたのは最高裁の口ではっきりと己の行為が「違憲だった」と認めることではなかったか。

容易に人権が奪われる日本

 この国はいったん「絶対少数者」の立場に滑り落ちると、憲法の枠外に放り出され、容易に人権が奪われる。
 ハンセン病問題だけでなく、ホームレス、障がい者、「見えない貧困」と呼ばれる子どもの貧困、原発事故の被災者など、いまだに十分な憲法の保障を受けていない人々がいる。
 そしてそれらの人々の存在を知りながら、私たちは見て見ぬ振りをしている。

 たとえば大学までの教育の無償化が改憲テーマのひとつとして浮上している。
 だがこの国の子どもの6人にひとりが貧困層におり、給食が一日の唯一の食事だったり、その給食費が払えない子どもの存在が社会問題化している。
 彼らの憲法25条の生存権や同26条の教育を受ける権利がないがしろにされている状況を知りつつ、なぜ高等教育の無償化の改憲論が始まるのか、私には全く理解できない。
 高等教育を無償化できるような大きな財源があるのなら(日本維新の会の片山虎之助議員は参議院で4兆3000億円の試算と発言している)、それはまず26条の義務教育の無償化を徹底するために給食費の無料化に当てられるべきではないだろうか。

 この国は主権者の私たちが憲法を通じて統治している。
 いかなる政治家の改憲論も私たちに対する「ご提案」に過ぎず、決めるのは私たちだ。
 だからこそ、私たちは憲法が守られているのか、憲法保障がこの国の隅々にまで十分に届いているのか、監視する責任がある。
 「見て見ぬ振りをする私たち」とは、そのことを念頭に置いている。

 今年で憲法施行70年、私たちは改めて憲法をいかに「使う」のか考えなければならない。
 それが主権者たる私たちの責任であり、ハンセン病違憲国家賠償裁判から得なければならない教訓だ。
 日本国憲法下において、もう二度と断じてあのようなことがあってならない。


[写真]
「らい予防法」はハンセン病患者に対し、療養施設への隔離など人としての尊厳を無視した施策を定めていた。写真は施設の劣悪な環境の改善や人権の尊重を訴えて抗議活動をするために所沢街道を歩く多磨全生園(東京都東村山市)の入所者たちと、立ちはだかる警官隊(国立ハンセン病資料館収蔵)

日経ビジネス、2017年5月16日(火)
容易に人権が奪われる現実と見て見ぬ振りの罪
「ハンセン病違憲国家賠償裁判」(下)

神田 憲行
法律監修:梅田総合法律事務所・加藤清和弁護士(大阪弁護士会所属)
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/051100016/

 ハンセン病強制隔離政策は、 ハンセン病に対する誤った認識(感染力の強さおよび治療の不可能性)を前提として、1907年から1997年に到る90年の長きにわたって継続された。
 療養所への完全隔離を内容とするこの政策は、 国際的な批判の対象とされながら、 収容者の退所をみとめず、 子孫をつくらせず、 その意味でもきわめて日本的な政策であった。
 その被害の深さを明らかにしたのが、 平成13年5月熊本地裁の判決に至るハンセン病違憲国賠裁判である。
 本小論は、 この裁判の結果を生かし、 今後、同様の問題を引きおこさないための教訓を探る作業のひとつとして、 隔離政策のもたらした 「被害」 の質はどの ようなものであったか、 さらにそのような、 医学的に不合理、 かつ人権を極端に無視した政策が何ゆえあれほどの長きに渡って継続したのか、 という二点について、 考察しようとするものである。
 考察の観点を定めるにあたって、 ハンナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン― 悪の陳腐さにつての報告」 (1)に示唆を求めた。

(1)ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳、みすず書房、新版、2017年8月)

中部学院大学・中部学院短期大学部 研究紀要第9号(2008)
「ハンセン病隔離政策の被害」 論
―ハンナ・アーレントの所説にてらして―
窪田暁子
On the Nature of the “Total Life Damage” Caused by the National Policy of Segregation for the Hansen’s Disease
https://www.chubu-gu.ac.jp/organization/center/souken/journal/009/documents/009-06.pdf

posted by fom_club at 09:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月28日

今日は山歩クラブで神楽坂俳諧!

 ヤッホーくんから二本も報告メールが流れました:

 一本目、今日の午後7時半ころ:

こんばんは。いやぁ〜、日ごろの行いが善い人ばっかり集まっているわれわれ山歩クラブの面々、今日は太陽がきらきら、お空は真っ青、曇もなし。気分はつらつ、足取りも軽く神楽坂ウオーキング。そしてお楽しみ打ち上げは日比谷公園!なんと本物のドイツビールにイギリスビールの泡を飲み干して、日本酒三種飲み比べ(だってぇ〜、マレーシア航空ではタイガービールに赤ワインだもん)。日本、日本人はいいね、こんな平和で楽しい日本を次世代に手渡していかないとな、とあらためて決意し千鳥足で帰路についたのでした。明日は11時、お待ちしております。ヤッホー!


P1060290-1.JPG

 二本目は今日の午後8時ころ:

皆さま、こんばんは。今日は小径、路地裏、裏道、それに坂だらけの神楽坂を徘徊。軒を並べる料亭から流れるのは旨い香りに鼻をひくひくさせ、三味(しゃみ)の音に聞き惚れながらのウオーキングでした。お空はぴっかぴかの青色だし、気分もはつらと足取りも軽く、カッシー(夏は白馬を歩いたって)に雄ちゃん(家がイチバンと思うようになったって)に奥ちゃん(夏の猛暑で外に出る気もおきなかったけどイマようやく少しづつ回復)と気心も知れたメンズトリオが肩を並べて歩いてきたのです。打ち上げは「秋のふるさと大収穫祭」。われわれはドイツとイギリスからの輸入ビールに喉をうるおし、秋田のきりたんぽにかぶりつき、いやぁ、歩くのも良いけど、食べるのも良いねと食欲の秋到来。子どもにかえって笑い転げてきました。あさっての日曜日、12時半上野公園は西郷さんの銅像前です。桜守の話しを聞いた後は、今度はうみブタかなってうつらうつら考えてるヤッホーくんでした。それまでご・・き・・げ・・ん・・よ・・う・・


P1060291-1.JPG


posted by fom_club at 20:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

絶望の国の幸福な若者たち

 現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
 今回紹介するのは「転職を繰り返したせいで税金や国保の滞納があり、毎日の生活に不安や不満が付きまといます」と編集部にメールをくれた34歳の独身男性だ。

 大学院卒業の前年、リーマンショックが起きた。就職が決まっていた会社からは内定を取り消され、なんとか入社した別の会社は半年で倒産。その後、転職を重ねた先は、異常な長時間労働やサービス残業、ノルマの強制などが横行する問題企業ばかりだった。

 30歳手前からは、ファミリーレストランやパチンコ店でアルバイト。ホームレス、生活保護、“ネットカフェ難民”を経て現在は、マンションなどの清掃員として働いている。

 神奈川県在住のカナメさん(34歳、仮名)の“経歴”である。

■ 滞納した税金が給与から差し引かれる

 いま、ひとつ困っていることがある。ホームレス時代などの一時期、市県民税を滞納したため、給与の差し押さえに遭っているのだという。毎月およそ20万円の手取り額から滞納分を差し引かれ、カナメさんの手元には13万円ほどしか残らない生活が、ここ半年ほど続いている。13万円は、地域の生活保護水準とほぼ同額である。

 「生活保護と同じといっても、僕は(生活保護利用者と違って)医療費はかかるし、働いているので昼食代とか出費もかさみます。(生活保護利用者よりも)確実に僕のほうが苦しい。もちろん、払わなかった自分が悪いんです。でも、布団もカーテンもない暮らしから、頑張ってやっとここまで挽回したのに……。落とし穴にでもはめられた気分です」

 払わないとか、減額してほしいと言っているわけではなく、杓子定規に生活保護と同じ水準になるまで差し引くのはあんまりなのではないか――。自治体の担当者に電話をかけ、そう文句を言った。しかし、返ってきたのは「法律で決まっていること。どこで決まったか?  国会です」という冷たく、短い答えだったという。

 カナメさんは「貧困を知らない人が、制度や法律をつくっていると思います」と訴える。

■ 母親の“恐怖政治”に縛られてきた

 生まれ育った家庭は「裕福なほうでした」。父親は国家公務員で、母親はフルタイムで働く派遣社員。幼い頃から、水泳教室や英語教室などに通い、大学進学では、浪人も許された。大学院卒業までの学費は、奨学金の返済も含めて親が負担したという。

 しかし、カナメさんは両親のことを、特に母親のことを「毒親」だと非難する。毒親とは、虐待やネグレクト、過干渉、抑圧などによって、子どもに悪影響を与える親のことを指す。2000年以降に広まった言葉である。
 「小さい頃から、母親の“恐怖政治”に縛られてきました。いつも母親の機嫌ばかりうかがっていました」とカナメさん。

 殴る蹴るといった直接の暴力は受けなかったが、リモコンやラジカセ、茶わんなどのモノをよく投げつけられた。「星一徹ばりのちゃぶ台返し」も何度かあったという。

 「何より嫌で、怖かったのは、でかい声で怒鳴られること。たとえば『私はお前の家政婦じゃねえんだよ』とか。後は、産みたくて産んだんじゃない、みたいなこととか。今でも、(仕事などで)大きな声で怒鳴られると体がキュッとなります」
 親子関係ばかりは、他人が簡単に理解することはできない。子どもに経済的に不自由をさせない親の中にも、毒親はいるだろうし、一方で、カナメさんの両親にも、言い分はあるだろう。

 ただ、息子がホームレス状態になったとき、そのことを人づてに聞いたらしい両親は「今、お前には会いたくない」と、これもまた人づてに伝えてきたという。

 カナメさんは「親子の縁は自分からぶった切ったんです。今はなんの感情も、憎しみもありません」と言う。ただ、取材中は、母親について「ウソつき」「結婚生活の不満を子どもにぶつけていた」「今度会ったら殺す、くらいの気持ち」と恨み言を繰り返した。

 子どもが毒親の呪縛から逃れるのは、そう簡単なことではないのではないか。

 カナメさんはこれまで10社近い会社で正社員として働いてきた。そこでは、さまざまな違法・不当な働かせ方がまかり通っていた。いわゆるブラック企業が、いかに野放しにされているかという話である。同時に、彼には実家という“一時避難先”がなく、失業しても、まともな転職先を探す余裕もなかったのだろう。

 オール電化システムの購入を勧める営業の仕事では、会社が決めた出退勤時刻に従い、朝礼にも参加しなくてはならなかったが、個人事業主としての契約だった。1日200軒以上の住宅を訪問し、やり取りはボイスレコーダーで録音するよう命じられた。トラブル防止と説明されたが、「僕たちがさぼっていないかを監視することが目的だったと思います」。
 毎晩の帰宅時刻は、日付が変わる頃。顧客が家にいる可能性が高い週末は、まず休むことはできなかったという。

 その後、勤めたIT関係の会社では、会社で寝泊まりするのは当たり前。残業時間や深夜割増手当などという概念はないも同然だったという。

 ただ、営業はむいていたのか、カナメさんの成績は悪くなかった。上司や同僚から「お前のおかげで目標達成だ!」「支店のエース」などと言われると、うれしかったという。

 「洗脳されていたと思います。会社で寝泊まりしていたときも、不思議と苦痛じゃなかった。頭を空っぽにしないと、頑張るのっていいなと思わないと、やってられないというのもありました」
 収入は、オール電化の訪問販売だけは歩合制だったため、月収40万円近くなることもあったが、それ以外は15万円から、多くても20万円台なかば。正社員とはいえ、ボーナスは一度ももらったことはなく、有給休暇を取ったこともないという。

■ 同じことの繰り返し

 一方で、カナメさんが会社を辞めた理由は、「人を見下すような上司の怒鳴り方が、母親に似ていた」「異動先の支店で営業成績を上げられず、給料が下がったから」「インフルエンザになったから」「やりがいを感じない」など、必ずしもやむをない事情があったわけではないようだった。

 ブラック企業など、とっとと辞めるというのはひとつの選択肢だし、メンタル不調に陥るよりはずっといい。しかし、転職先もまたブラックでは、同じことの繰り返しだ。

 「不況と言われる割に、選ばなければ、仕事はあっさり見つかったんです。だから変に辞め癖が付いてしまったというか……。」

 ホームレスを経験したのは、30歳を過ぎたころ。きっかけは、当時住んでいた部屋から引っ越しをするため、退去手続きを取った矢先に、勤務先の社長とトラブルになり、会社を辞めたことだった。すぐに敷金礼金を用意して新しい部屋を見つけることは難しく、宿無し、一文無しの生活は4カ月に及んだ。年齢が高くなるにつれ、特に正社員の仕事は確実に見つけづらくなっていた。

 現在のマンション清掃の仕事は、アルバイトである。長時間労働も、サービス残業もない。職場には、勤続数十年の先輩アルバイトもおり、不当な雇止めの話も耳にしたことがない。皮肉なことに、非正規労働の今が、最も法律に守られた働き方をしているという。

 「人間関係もすごくいいんです。正社員になることもできるそうなんですが、(基本給などが低く抑えられているので)正社員のほうが、年収が低いんです。なら、アルバイトのままでいいかなって。これ、“フリーターあるある”なんですよね」

■「今がいちばん、幸せ

 リーマンショックのあおりをもろに食らい、一方で、ここ5、6年の「アベノミクス景気」の恩恵はみじんも受けていないカナメさん。それでも選挙には必ず行く、と胸を張る。

 何を基準に投票するのかと尋ねると、「勝ちそうなところに入れる」。勝利しそうな政党や、当選しそうな候補に投票するという。理由を問うと、カナメさんはこう説明した。

 「自分に世の中を見る目があるかどうかを確認するためです。事前にニュースとかを見て、勝ちそうだと思うところに入れる。結果、その政党や候補が勝てば、自分には世の中の状況を見極める目があるってことになりますよね」

 自分の1票を死票にしたくない
ということなのか。
 現行の制度や法律に不満を抱きながら、政治による変化は期待しないのか。
 見る目も何も、よほどの接戦は別にして、普通に新聞やテレビを見れば、たいていの勝敗は予想がつくのではないか。
 選挙での圧勝は、時に権力の暴走にもつながるのではないか。

 私がさまざまな疑問をぶつけると、カナメさんは「はあ、そういう考え方もあるんですね」とあいまいな笑顔を見せた。

 「今がいちばん、幸せだなって思うんです」と、カナメさんは言う。生活保護水準の暮らしは苦しいが、それもあと少しの辛抱だ。

 「プロ野球の(横浜DeNA)ベイスターズのファンなんです。深夜まで働いていた頃は、野球は結果を見るだけでした。でも、今は家で野球中継を見ることができる。こんな生活、社会人になってから初めてなんです。夕食も、モヤシを(中華調味料の)ウェイパーと一緒に煮るとおいしいし、時々、それに豚バラを乗っければ十分。貧乏だし、10年後も今の仕事ができているかどうかはわからないけど、今すごく幸せだなって感じる自分がいるんです」。

 今が幸せ――。社会学者・古市憲寿(*)の著書『絶望の国の幸福な若者たち』の中には、同じような思いを抱く若者たちが登場した。

 古市はあるインタビューの中でこう語っている。

 「人は将来に希望をなくしたときに、『今が幸せ』と感じるのではないでしょうか

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。


東洋経済オンライン、9/28(金) 5:00配信
34歳貧困男性が「今が幸せ」と感じる深刻原因
藤田 和恵 :ジャーナリスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180928-00239250-toyo-soci&p=1

(*)ふるいち のりとし(1985年-)の書いた本の書評

最近読んだ本、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年9月)

・ 長年大学生とつきあってきて、最近特に強く感じるようになったのは、「彼や彼女たちは、これからちゃんと生きていけるのだろうか?」という心配だ。それとは対照的に、日本の現状はますます暗く、将来的な見通しも立たないような状況だから、「もっと真剣に考えたほうがいいんじゃないの」と、ついついけしかけたりもしてしまう。しかし、反発してくれば、それなりに議論にもなるのだが、黙ってしまって何の反応もなかったりするから、僕の不安が募るだけになってしまう。

・『絶望の国の幸福な若者たち』はまだ20代の若い博士課程在学の学生によって書かれている。新聞などの書評でも話題になって、その題名にも惹かれたから、買って読んでみた。この絶望の国で、若者たちはなぜ、幸福な意識を持って生きていけてるのだろうか。結論を先に言えば、「確かにそうかも」と納得できる内容で、重い内容を軽い文体で分析するスタンスの取り方にも、新鮮な印象を持った。

・ 著者によれば、今若者たちが幸せだと感じるのは、衣食は足りているし、日々の生活を彩るものはたくさんあって、お金が十分ではなくても、工夫次第で、それなりに楽しく暮らせるからだと言う。それは調査においても実証されていて、内閣府によれば、2010年の時点で20代の若者の70.5%が現在の生活に「満足」と答えていて、それは過去40年間で最高の数値になっているようだ。確かに、モノは豊富にあるし、近くにコンビニもあって便利だし、スマートフォンのような情報端末も使えるようになった。日本が世界最高の居心地のいい暮らしを提供してくれる社会であることは間違いないのだろうと思う。

・ しかし、その幸福感には、現状についても未来についても、大きな不安感がつきまとっている。僕が学生たちにもっと自覚的になってほしいと思うのは、まさにそこのところなのだが、著者の解釈は、若者たちは無自覚なのではなく、どうしようもないとわかっていて、マクロではなくミクロなところで、自分なりに個人的な方法で対処する道を探っているというものだ。

・ 確かに、上の世代が日本の現状や将来について心配するのは、国が抱える借金や経済的な衰退、政治的な、そして防衛的な力の弱さであり、少子高齢化に伴う社会保険制度の崩壊といったマクロな問題ばかりである。しかも、このどう改革しても難しい問題に対して、政治家や官僚、そして財界のトップたちは、既得権や目先の利益にこだわり、これまでの政策に縛られて、ますます泥沼にはまってしまっている。

・ それに対する現在の若者たちの姿勢は、正面切っての批判や大人たちに変わって改革をといったものではなく、消極的な拒絶や自分なりの個人的な逃げ道の模索といったものだ。彼や彼女たちは、今を幸福だと感じる反面で、社会に対して満足していないし、未来に対する希望も持てないと感じている。あるいは、日本に生まれてよかったと思う反面で、国を愛する気持ちは薄く、国のために戦う気持ちは他国はもちろん、上の世代と比べても低い数値のようである。

・ 経済が衰退したっていいじゃないか、人口が減っても、社会保険制度が破綻しても仕方がないじゃないか。そうなったらそうなったで、生き方や暮らし方に自分なりの道を探せばいい。もし、多くの若者たちが、そんな自覚を持って現在や未来を見ているのなら、僕はそれは大いに結構なことだと思う。それは未来に対する絶望ではなく、新たな希望にもなるだろう。しかし、学生とつきあっていて、なかなかそんなふうには思えないのが正直なところだ。彼や彼女たちは、豊かで便利な現実を自然視している反面で、将来に対する不安も感じていて、二つの間にある大きな断層の前で為すすべもなく立ち尽くしているように見えるからだ。

・ 経済成長一辺倒で来た国が、そうではない方向に舵を切るのは難しい。著者が指摘するのは、その反面で、民主主義の浸透が犠牲にされてきていて、若者たちにその埋め合わせというつけが突きつけられているという現状だ。それをどう解決するかはマクロではなくミクロの問題として個々人が何とかすればいい。この本に書かれているのはそんな結論だが、であればこそ、為すすべもなく立ち尽くしているように見える若者たちが気になってしまう。

・ この本には3.11以後「世界が変わった」とする言説に対する批判もある。納得できる点もあるけれども、原発やエネルギーの問題について、まったくふれられていない点に強い疑問を持った。若い人ほど影響がある放射能とどうつきあうのか。これは、ミクロのみならずマクロな問題として、誰もが直面している問題のはずである。

2012年6月11日付
東京経済大学名誉教授、渡辺潤(1949年山梨県生まれ)
http://www.tku.ac.jp/~juwat/journal1-152.html

posted by fom_club at 18:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

杉田議員の語ることと、障害者運動の求めてきたこと

 「LGBTは生産性がない」という“トンデモ作文”を寄稿し、老舗出版社「新潮社」の看板雑誌である「新潮45」を休刊に追い込んだ杉田水脈衆院議員。
 責任を感じておとなしくしていると思ったら大間違い。
 きのう(9月26日)も東京都内で開かれた講演会に出席して持論を展開すると聞き、日刊ゲンダイ記者が会場を直撃した。

 杉田氏の講演会を主催したのは「channel AJER」というサイト(運営会社は埼玉・戸田市)。
 ホームページを見ると、小川榮太郎や藤岡信勝といった「ガチガチの保守系」といわれる人物が登場している。
 驚いたのは、杉田氏の講演会タイトルが「国連人種差別撤廃委員会参加報告会」だったことだ。
 LGBTの「差別」を平然と口にする杉田氏が一体、どのツラ下げて「差別撤廃」を言うのか。
 ギャグ漫画のようなテーマだ。
 早速、会場に向かった。

 会場の東京・千代田区のビルでは、講演会が始まる前から、4〜5人の取材陣が待ち構えていたのだが、主役の杉田氏本人は隠れるように裏口からこっそりと会場入り。
 それならばと、主催者に講演会の取材を申し込んだところ、「定員は60人でもう満員になってしまったので参加できない」と完全拒否だ。
 だが、会場に出入りする人を数えると、多く見積もってもせいぜい20人程度。
 とても60人とは思えなかった。

 そこで、講演会の終了後、会場から出てきた杉田氏を直撃しようと試みたのだが、講演会の参加者らしき連中が「壁」をつくり取材を妨害。
 「LGBT差別を許さない」とプラカードを掲げていた人の写真を撮影し、「抗議をやめろ」と怒鳴るなど、まるでヘイトスピーチの集会そのもの。
 会場周辺は騒然となり、そのスキに杉田氏もコソコソと逃げるようにして立ち去ったから唖然ボー然だ。

 杉田氏の差別発言が掲載されてから2カ月以上経つが、問題は沈静化するどころか周囲を巻き込んで、どんどん悪化している。
 その原因は、いつまで経っても表舞台に出てこない杉田氏自身にあることは明々白々。
 国民の前に堂々と出てこられないような人間をいつまでも国会議員にさせていてはダメだ。


日刊ゲンダイ、2018/09/27 14:50
「新潮45」休刊に追い込んだ“張本人”の超厳戒講演会を直撃
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/238307/

LGBT当事者だけでなく、障害者からも批判を浴びている自民党の杉田水脈議員の「(LGBTは)生産性がないから税金を使うべきではない」とする寄稿。

障害者を生きづらくしている社会の壁について研究を続けてきた東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授の熊谷晋一郎さんのインタビュー2回目では、この「生産性がない」と人を選別する思想についてさらに深く切り込みます。


杉田議員の言う「生産性」は「子供を産むこと」を指す

ーーまず一つ目の論点です。杉田議員の発信でもっとも批判が集まっている理由の一つが、「(LGBTは)生産性がない」として、公的支援は必
要がない存在だと勝手に選別したことです。これに対し、LGBTだけでなく、障害を持つ人たちも反発しました。


 すでに初回でも述べましたが、重要なのは、この記事で言うところの生産性というのは、子供を産む能力に限定して使われているという点です。
 貨幣を介して市場で交換される財やサービスは、土地、資本、人(労働者)という3つの基礎的な『生産力』によって生産されます。
 この3つの生産力の規模を維持し続ける過程は、再生産と呼ばれることもあります。
 3つの生産力のうち、人を再生産する過程は、

1・ 子供を産む
2・ 命と健康を保つようケアをする
3・ 生産能力を発揮できるよう教育する

などの過程に分けられますが、杉田議員が『生産性』という言葉で言い表そうとしているのは、再生産のうち1のみといえるでしょう。

 『生産性がない人々に対して、国や社会は税金を使った支援(再分配)をしなくてよい』という考え方は、優生思想的なものと言えます。そして優生思想は、スティグマ(差別や偏見)現象の代表格です。

 これに対する反論としては、『いや、LGBの人々にも生産性がある』というものと、『そもそも生産性と分配を結び付けるべきではない』という2通りが考えられます。

 前者は、優生思想自体は温存させながら反論する立場で、後者は優生思想自体を批判する立場です。

 杉田議員の記事がいうところの生産性が 1・ に限定されているとしたら、『LGBの人々に生殖という意味での能力が備わっていないというのは間違いで、生殖とセクシュアリティが切り離された性的指向を持っているだけだ』『1・を様々な理由で選択できない、あるいはしない人々も、2・や3・の形で人の再生産過程に参加しうる』といった反論が、容易に思いつくところです。

優生思想そのものを批判すること

 そうではなく、生産性に基づいて分配を決定する『優生思想』そのものに対する批判は、より根本的なものであり、賛否両論ある難しい論点でもあるでしょう。

 1970〜80年代の障害者運動を牽引した『青い芝の会』は、ずっと、『働かざる者、食うべからず』とでもいうべきこの優生思想を批判し、生産性の有無とは無関係に、すべての命が無条件に肯定される社会の実現を主張してきました。

 これは、昨今の障害者支援の現場でもしばしば目にする『障害者でも、適切なサポートがあれば潜在能力を発揮し、生産者になれるのだから、必要な支援を提供せよ』というタイプの運動とは一線を画すものといえます。

 もちろん、そのような運動にも機会の平等を目指すという重要な意義がありますし、否定できるものではありません。でもそれだけでは、優生思想そのものから距離を置くことはできないのも事実です。

 生産性とは無関係に、すべての命が無条件に肯定されるべきという『青い芝の会』の主張は、日本国憲法第25条に掲げられる国の生存権保障義務を踏まえれば、当たり前の主張に過ぎないのですが、当時はラディカルな主張として受け止められました。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。(日本国憲法)

 今回、杉田議員の記事に対して、障害者運動の団体が異議申し立てをした背景も、『性的マイノリティへの対策は生産性につながらない → 生産性につながらないのであれば国が公的に対応すべきものではない』といったロジックへの反発があります。

 一方、障害者運動における優生思想批判は、『優生学上の見地から不良な子孫の出生を防止する』という目的の下、『子供を産む』権利を障害者たちから奪って、本人の承諾なしに不妊手術を受けさせた旧優生保護法にも向けられてきました。

 本人の同意がない優生手術は、1949年から1994年の間に、統計に現れただけでも約16500件も実施され、その68%は女性でした。
 ゆえに障害者運動の中では、『子供を産む』ことへの自由を求める主張と、その自由を国家によって奪われた過去への謝罪と救済が要求されてきました。

 そのような背景があるため、障害者の反優生思想運動の中には、『生産活動で人の価値を決めるな!』という主張と、子どもを産むという形での『再生産活動への参入の自由を!』という主張が、併存してきたといえます。

自ら再生産への参入を求めてきた障害者運動

――生産性で人を判断するなと主張してきた障害者運動が、同時に再生産を求める主張をしてきたということですね。

 これは、障害者運動の側も、立ち止まって振り返るべき点であるように感じています。
 生産性の強調を批判する一方で、再生産への強い志向性を持ってしまうことが、誰かを抑圧してしまっている可能性はないのか、という振り返りです。

 例えば先日、『当事者研究と専門知』という本を出版したのですが、その中で、私と同年代の障害者同士で集まり、『先輩障害者から受け継ぐべきもの、受け継ぐべきではないもの』というテーマで座談会を行いました。

 その中で、私と同じ脳性まひという身体障害をもつ20代の女性が、優生保護法と戦ってきた先輩の女性障害者たちから、『あなたは産める時代なんだから産みなさいよ』と言われたというエピソードを紹介してくれました。
 彼女は、歴史的背景を踏まえればその言葉の意図はわかるものの、そんな時代でもないし、なんだか違和感を覚えたと話していました。

ーー若い世代、特に女性は再生産を求められると反発するわけですが、障害者運動を担った古い世代では、それが「普通に近づく」かのように主張されてきたわけですか。

 どこかでそういう面があったのでしょうね。
 『差別されてる自覚はあるか』という、脳性まひを持ちながら障害者運動をした横田弘という人物と、彼が所属していた障害者団体『青い芝の会神奈川県連合会』の評伝では、『いのちの環』という表現を使っていました。

 彼の思想に影響を受けた先輩方からは、『障害者の種を残すんだ』という思想を感じることはままありました。
 自由には、『〜への自由』と『〜からの自由』があり、常にその両者を求めることが必要です。
 私たち障害者は、『産む自由』とともに、『産まなくていい自由』を主張していかなくてはなりません。
 すなわち、目指すべきは選択の強制ではなく、選択肢の確保です。

その選択は、知らないうちに強制されたものではないか?

 さらに言えば、選択肢の確保は、形式的なものではなく、実質的なものでなくてはなりません。
 再び優生思想の例を取り上げましょう。
 優生思想は、産む場面と、死ぬ場面の2つにおいてあらわになります。

 それは例えば、出生前診断や尊厳死が問題になる場面で、障害を持つ子を『産むか産まないか』の選択を迫られたり、自らが不治の病や障害に直面して『死ぬか死なないか』の選択を迫られるときです。

 一見、選択肢が確保されていて良いことのように思いますが、選択結果は、スティグマや社会資源によって大きく影響を受けます。
 障害をもつ子どもの育児を支え、病や障害をもちながら豊かに生きることを実現する社会資源がない、あるいは知らない場合には、当然、中絶や尊厳死へと水路づけられるでしょう。
 障害者へのスティグマもまた、同じような効果を及ぼすことは明らかです。

――前提条件や環境が違っていれば、他の選択肢を選ぶ道が拓けたかもしれないのに、それが整っていなければ選択肢があってもないに等しいという意味ですね。

 形式的な選択肢の提示の問題点を、例えを用いて説明しましょう。
 あるファストフード店が、客の回転率を上げるために、客に気が付かれない程度に他店よりも硬い椅子を設置したとします。
 硬い椅子のせいで、短時間で店を出るよう強いられているにもかかわらず、客はそのことに気づかず、何ものにも強制されない自分の自由意志で店を出たと感じています。

 この例において、店を出ることを、中絶や尊厳死を選択すること、店に居続けることを出産や生存を選択することになぞらえてみると、硬い椅子は、先に述べた障害者にとっての社会資源の不足や、スティグマに相当するといえるでしょう。

 政治や運動の目指すところは、硬い椅子のまま座り続けることを強いたり、そんな店は早く出ろと命令したりすることではありません。
 また、椅子が硬いまま選択権のみ解禁すれば中絶や尊厳死は加速しますが、現代的な優生思想はそのようなスタイルで機能しています。
 政治や運動が目指すべきは、まず、椅子をもっと柔らかくすることなのだと思います。

 少し脱線してしまいましたが、この記事の生産性という概念をめぐっては、LGBの人々に再生産という意味での生産性がないというのは、2・や3・の側面を切り捨ててしまっているという理由で端的に誤りです。
 そして、生産性と分配を関連付ける優生思想は、スティグマの極端な例なので、すでに述べた理由から正当化できないと、私は考えます。

なぜ人を生産性で判断すべきではないか

――根本的な質問をさせてください。そもそもなぜ生産性で人の価値を判断すべきではないと言えるのでしょう? 私たちの住む社会では人の価値を生産性で測ることが日常的に行われている気がします。

 大変難しい質問です。
 先ほども、障害者支援の現場で、障害者が持っている潜在的な生産能力を開花させるために、社会に対して合理的な配慮を求めること自体は否定できないと述べましたが、その背景には生産性に価値が宿るという前提があります。
 しかし、それだけでは優生思想というスティグマを追認することになってしまいます。

 私もずっと、こうした問題を考えてきました。
 現時点での私個人の考えを述べることにしますが、是非、様々な立場からのコメントや批判をいただき、引き続き考えていきたいと思います。

 優生思想は、人の価値を、その人が生産した財やサービスの価値で測ることができると主張します。
 つまり、人の生産者としての側面に注目しています。
 しかしそもそも財やサービスに価値が宿るのは、それが人によって必要とされるからではないでしょうか。

 つまり、人の必要性こそが価値の源泉であって、生産性にも価値は宿るけれども、それは手段的かつ二次的な価値に過ぎないのではないかと私は思うのです。
 誰にも必要とされない財やサービスを生産したとして、その生産性に価値は宿るでしょうか?

 生産性に価値が宿るのは条件付きですが、必要性には無条件に価値が宿っているとしか考えられないと個人的には思います。
 それが、生きていく上で様々な必要性をもつすべての人々に無条件に価値が宿ると私が考える理由です。

 このように考えてくると、『生産性がない→その人に価値はない→その人の必要性(ニーズ)を満たす再分配は必要ない』という優生思想のロジックは、目的と手段が転倒してしまっているように感じます。

ーー相模原事件に限らず、意識がなく、コミュニケーションも取れず、生活するのに全ての世話を見てもらわなければならない障害者や高齢者を「生産性がない」として生きる価値がないと見ている人は少なくありません。「生きているだけで価値がある」という思想をきれいごとと受け止める人もいます。

 私は医者としての仕事もしてきましたが、命ある身体と向き合う時は、身体そのものが持っている、必要性を満たそうとする傾向を応援しようとします。
 例えば、血糖値を維持し、酸素を十分取り入れようとする傾向です。
 その傾向自体が、必要性としての価値の源泉で、その価値を守り抜くのが医者の仕事だと私は考えて診療に携わってきました。

 もちろん先ほども述べたように、終末期や出生前診断など、優生思想が入り込みやすい現場が医療の中にもあります。
 本人の意思と、命の傾向との間に齟齬が生じることもあります。
 意思は、自分に固有の必要性を訴えかける身体の声や環境条件、過去の経緯などを踏まえず、社会に流布する通念や価値観などに容易にジャックされるものです。

 その結果、身体は明らかにある方向に進もうとしているけれども、本人の意思は別の方向を望むということが起こり得ます。
 そのときに、患者さんの中にも強い葛藤が生じ、患者さんの身体と、患者さんの意思と、そして私の三者で議論することが必要になります。
 この三者面談は、終末期などの特殊な場面で先鋭化しますが、日常診療においても常に行われているかもしれません。

 この三者面談において、患者さんの意思と、私の二者は多弁で、患者さんの身体は口下手です。
 したがって医師としての専門性は、口下手な身体のメッセージを、メッセージの最大の受け手である患者さんの意識と、メッセージの解読のプロである医師との共同作業によって読み取り、体が目指している方向性を三者面談に反映させるところにあります。

 しかし、患者さんの意思が、身体の声をあまり考慮せず、他者の目や、社会に流布する一般論や価値観を優先する傾向が強いケースもあります。
 その時は、三者面談が難航します。
 恐らくそういう状況は、『生きているだけで価値がある』という思想をきれいごとと受け止める人の状況と地続きなものでしょう。

自分を抑え込んで生きるナルシストと優生思想

――なぜ、身体の声をあまり重視せず、他者の目や、社会に流布する一般論や価値観を優先するようなことが起きるのでしょうか?

 非常に難しい問題ですが、ここ10年近く行ってきた、依存症自助グループとの当事者研究を通じて学んだことの中に、ヒントがあるような気がしています。
 例えば、依存症とナルシシズムを関連付けて論じた先行研究は、当事者研究の中で報告されている内容の一部をうまく説明できると感じてきました。

 精神科医のローウェンは、著書『ナルシシズムという病い』の中で、自分の存在に対する他者からの承認を得たいがために、他者から称賛されるであろう自己イメージ(理想像を投影した仮面)に、過剰なのめり込みをしている人びとをナルシストと呼びました。

 ローウェンによればナルシストは、仮面と現実の自分を区別することが難しく、身体を自分の意思の従属物とみなしており、『こうあるべき』という強靱な意志によって、みずからの身体的な感覚や感情さえもその仮面の下に抑えこむ傾向があるといいます。
 彼らは、等身大の自己を犠牲にしながら、仮面としての自分のイメージをより高めることへと向けられています。

 これは、三者面談において患者さんの意思が、身体の声や環境条件、過去の経緯などを踏まえず、社会に流布する一般論や価値観に支配されてしまう状況と共通しているように思います。
 私は、ローウェンの言うナルシスト傾向と、優生思想にリアリティを感じる心性との間に関係があるのではないかと感じているのです。

 ナルシストは、はじめからナルシストであったわけではないでしょう。
 等身大の自分を否定する人間関係や社会環境の中で、『等身大の自分では生きてはいけないのだ』と学習してきた結果だろうと思います。

 依存症の自助グループは、正直になって、仮面を外した等身大の自己を語り、それを仲間に受け入れてもらうことを通じて、長いこと医療者もさじを投げてきた依存症からの回復という偉業を成し遂げてきました。

ーー性的マイノリティも日本社会の中でなかなかカミングアウトできず、仮面をつけて生きている人が多いと言われています。政治家が、性的マイノリティへの公的支援は必要ないと語ってしまう社会の中で、等身大の自分を否定せざるを得ず、ナルシスト的に生きている人も多そうです。

 ナルシストが置かれている状況は、実は依存症者や障害者や、性的少数派といった様々なマイノリティが置かれている状況と、『等身大の自分を否定され、否定してきた』という点で、近いところにあるともみなせるでしょう。
 でも両者にはわずかな違いもあります。

 どんなに努力しても周囲の期待通りの仮面をかぶれないマイノリティは、ナルシストになる選択肢は残されておらず、等身大の自分を受け容れてアクティビスト(運動家)になるしかなかったのかもしれません。

 私は、ナルシストとアクティビストが、ともに正直になり、『等身大の自分を否定する社会通念や価値観』に苦しめられてきた共通経験に気づき、それを変えていくべく連帯する可能性を夢見ています。

(続く)次回の公開は来週になります。


[写真-1]
杉田議員は「新潮45」の寄稿の中で、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と書いている

[写真‐2]
強制不妊手術をめぐる提訴後の記者会見で、涙を拭う宮城県の70代女性=5月17日(仙台市)

[写真‐3]
杉田議員の寄稿に障害者団体も反発し、抗議の声明を出した

[写真‐4]
医師は患者の意思に耳を傾けると共に、”口下手な”患者の身体の声にも耳をすます必要がある

BuzzFeed、2018/09/27 11:01
熊谷晋一郎氏インタビュー(2)
「生産性」とは何か?
杉田議員の語ることと、障害者運動の求めてきたこと
 
岩永直子
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kumagaya-sugitamio-2

posted by fom_club at 06:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月27日

Problem with incontinence

Adult incontinence can significantly impact lifestyle and women are more likely to be affected, writes Meera Murugesan

SHANTI, a 48-year-old mother of four always wears a sanitary pad and also keeps a change of underwear in her handbag.

She dreads travelling or dining at places where restrooms are not located nearby.

She has a problem but one she has kept to herself for the last few years due to shame and embarrassment although it has significantly affected her lifestyle.

Shanti is one of the many women over the age of 40 in Malaysia who suffers from adult incontinence.

The condition affects one in three women over 40 and one in 10 men over 65 but only 31 per cent have sought medical help.

Like many people with the condition, Shanti is just too ashamed to talk about it, even to her loved ones or to seek medical treatment.

Instead, she copes as best as she can, wearing sanitary pads all the time to absorb urine leakage and avoiding places or circumstances where she may not be able to access a toilet easily.

“I’m trying to cope as best as I can. It’s not a problem I feel comfortable talking about. I don’t want people to think I’m an invalid,” she says.

Shanti has also stopped travelling for holidays or family weddings. She has a phobia of leaving the house due to her incontinence.

Like Shanti, 36-year-old Anne also has problems holding her bladder. She has to urinate very often and has been suffering from the problem for the past 10 years.

She once had an extremely humiliating incident when she was on the way to a meeting and got stuck in traffic.

When she reached her destination, she tried to rush to the toilet but ended up wetting her pants and having to clean herself up before her meeting.

Anne has not sought medical advice or treatment but is trying to manage the problem on her own.

She goes to the toilet frequently, even if her bladder only feels slightly full to avoid any accidents.

“My job requires me to be out and about so it does make the situation more difficult. When I’m in the office, it’s more manageable because I can go to the toilet anytime,” says Anne.

THE PROBLEM WITH INCONTINENCE

Incontinence occurs when there is involuntary loss of urine. Though not life-threatening, this prevalent problem can hugely affect a person’s quality of life and women, particularly those above 40 are much more likely to suffer from the problem. It’s estimated that 1.4 million Malaysians have the condition.

Urinary leakage is not a disease. It is a symptom caused by underlying health conditions and without proper awareness of the condition, many remain embarrassed and avoid pursuing medical help.

For the elderly, it does help if children or caregivers watch out for signs of incontinence and get them the necessary help.

Dr Andrew Yap says he first noticed signs that his mum, Mary Hii, could be suffering from adult incontinence when he returned home from studying overseas in 2008.

His mum, 62, had always been an active person but she started to cut back on her daily exercise routine. Long car journeys or other forms of travel also made her apprehensive.

Dr Yap later came to know that she was also using sanitary pads to contain the urine leakage.

“By the time I came to know about it, she had been suffering and coping with the condition for almost five to seven years, probably even during my secondary school years but she never spoke about it to anyone.”

In Hii’s case, her incontinence was caused by a growth in the wall of her uterus. It required surgical intervention and since then, the problem has been significantly reduced.

She is back to her old self and is even planning to travel and be part of a charitable mission to Tanzania soon.

“In my mum’s case, she was suffering despite having a problem that could be fixed,” says Dr Yap.

GETTING HELP

Juriah Jalalus Shuti’s mother, Aminah, 75 has been suffering from incontinence for the past four years.

Juriah first suspected something could be wrong when her mother started changing her clothes often and going to the toilet all the time.

Juriah also noticed that there was a constant stench of urine in her mum’s house.

In addition, Aminah did not want to travel on long journeys and was generally anxious about going out of the house.

Her sleep patterns were also affected because she was constantly waking up to use the toilet.

“At that time, I dismissed the thought that she could be having incontinence because she had always been a strong, tough lady who’s in control of her life. It didn’t seem possible that she was struggling with such an issue.”

After discussing things with her siblings Juriah realised that all of them had noticed similar symptoms in their mum and it was time to do something about it.

In 2016, after much persuasion, Aminah moved in with Juriah so she could be under the care of the family. She also started wearing adult diapers and it has helped her cope significantly with her incontinence.

Juriah says the fact that her mum doesn’t have to worry about “accidents” anymore has made her more confident about going out, socialising and resuming her daily activities.

“As a caregiver, I definitely appreciate having tools and resources available to help me understand urinary incontinence better. If my siblings and I had not noticed the signs, it probably would have taken longer for Mak to get to where she is today – free to carry out her daily activities and even travel without worries,” says Juriah.


[photo-1]
Dr Yap has chosen to speak about his mother’s problem in the hope of creating awareness about incontinence.

[photo-2]
Juriah, at first dismissed the possibility that her strong, independent mum could be suffering from incontinence.

New Straits Times, Published: September 25, 2018 -10:01pm
Toilet troubles
By Meera Murugesan
https://www.nst.com.my/lifestyle/heal/2018/09/414924/toilet-troubles

RECOGNISING that many are reluctant to speak openly about adult incontinence, Tena’s “Apa Khabar Mak Abah?” campaign, supported by the Continence Foundation of Malaysia (CFM), aims to encourage children to be more alert and attentive to their ageing parents’ wellbeing and recognise signs that their parents may be suffering in silence.

Incontinence can affect an individual’s mobility and quality of life, which is worrisome for the people who love and care for them.

What’s more, their embarrassment or the fear of social stigma can make it difficult for them to talk about it, says Evelyn Chan, marketing director of Vinda Group Southeast Asia, one of the largest companies for hygiene products in Asia, including Tena adult diapers and pants.

“At Tena, we recognise the need for greater awareness and understanding so they feel more comfortable about seeking help, with the support of their children.”

The campaign offers valuable resources to those suffering from the condition and their caregivers to cope with adult incontinence.

For more information, go to www.tena.com.my

KNOW THE FACTORS

INCONTINENCE is when one has an accidental or involuntary loss of urine or faecal matter due to bladder weakness and two common forms of incontinence are urge incontinence and stress incontinence says Dr Peter Ng, consultant urologist and president of the Continence Foundation Malaysia.

Urge incontinence occurs when there is a sudden or intense urge to use the bathroom while stress incontinence happens when pressure is exerted on the bladder when one is laughing, sneezing, exercising or lifting something heavy.

Incontinence affects more women than men due to pregnancy, childbirth and menopause.

“Incontinence can also affect people of all ages, even younger and active people as early as 20 years old. Some might suffer from incontinence due to pregnancy, childbirth or even because of over exertion from certain sports activities such as running, gymnastics and weight lifting.”

Dr Ng says many factors could lead to incontinence.

Therefore, always consult a doctor to diagnose the root cause of the incontinence and explore potential solutions.

Most people are not aware that incontinence itself is not a disease but is the outcome of a disease and can be treated if the root cause is identified.

For example, a patient with stress incontinence who undergoes a surgical procedure where a sub urethral tape is inserted will be cured in 85 per cent of cases. A person with an overactive bladder can also be cured with bladder training.

Some of the things which a person can do to prevent or reduce the impact of incontinence include maintaining a healthy body weight, avoiding bladder irritants such as reducing caffeinated drinks, alcohol and smoking and doing pelvic floor muscle exercises to strengthen pelvic muscles.

It’s also important to establish a regular toilet schedule.
Make regular visits to the toilet every two to four hours instead of holding your urine for too long.

Limiting fluid consumption before bed time and doing bladder training − holding your urine for 15 minutes before going to the toilet − can be beneficial as is wearing absorbent pants to manage daily activities.

THE CAUSES

* Prostate problems
* Diabetes
* Obesity
* Urinary Infection
* Medication
* Pregnancy and childbirth
* Caffeine and alcohol
* Menopause
* Brain (neurological) diseases: stroke, Parkinson’s, Alzheimer’s, Multiple Sclerosis

COMMON SIGNS

* Having to urinate frequently (more than eight times in 24 hours)
* Waking up two or more times at night to urinate
* Small volume of urine leakage when coughing, sneezing or laughing
* Feeling the urge to urinate all the time
* Difficulty to start a urinary stream
* Poor urinary stream
* Feeling of incomplete emptying of the bladder


[photo-1]
Tena’s campaign encourages children to be aware of the problem and get their parents the help they need.

[photo-2]
Dr Ng says incontinence affects more women than men due to pregnancy, childbirth and menopause

[photo-3]
Incontinence affects both men and women.

[photo-4]
The elderly are more likely to be affected by incontinence so children and caregivers must be aware of the problem.

[photo-5]
Having to urinate frequently is one of the signs of incontinence.

New Straits Times, Published: September 25, 2018 - 10:23pm
Raising awareness on adult incontinence
By Meera Murugesan
https://www.nst.com.my/lifestyle/heal/2018/09/414937/raising-awareness-adult-incontinence

posted by fom_club at 09:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Penang ferry service

PULAU Talang Talang sedia untuk berlepas (Pulau Talang Talang is ready to depart),” the voice booms over the public announcement system. This is quickly followed by two short blasts of the ship’s horn. Almost immediately, the entire vessel starts to shudder as its powerful engines below deck effortlessly nudge the submerged propellers to life.

Fortunate to get a choice position right next to the metal railing at the upper deck bow, I join the dozens of excited holiday makers and regular commuters in enjoying the scenic landscape that lay in front of us as the ferry slowly glides towards Pengkalan Raja Tun Uda, our disembarkation point on Penang Island.

Apart from enjoying the cool and invigorating sea breeze blowing in our faces, quite a number of my fellow passengers also start taking selfies and wefies with the imposing city skyline forming an irresistible backdrop. At the same time, the smell of freshly baked bread wafting in the air successfully attracts quite a number of hungry passengers to the snack shop just a few steps away from me.

BIRTH OF THE FERRY SERVICE

Everyone on board seems to be having a whale of a time as there’s practically nothing to dislike about this iconic ferry service that first started to take root in its most basic form sometime between 1893 and 1894 (*). The inaugural regular service was initiated by a local entrepreneur, Quah Beng Kee who, together with his four brothers, worked under the collective name, Beng Brothers.

The siblings descended from a well-established Straits Chinese family headed by their China-born father, Quah Joo Moey who immigrated to Penang in the middle of the 19th century. Beng Kee, born in 1872, was educated in Penang Free School and Roberts’ College in Calcutta, India. He married the daughter of Chew Choo Im, the Chinese Kapitan of Deli in Dutch-ruled Sumatra and had five sons and two daughters.

The Beng Brothers’ service operated between Kedah Pier on the island and Bagan Tuan Kecil Pier in Butterworth. Apart from this main route, they also provided transportation services to other nearby areas like Teluk Ayer Tawar, Bagan Ajam, Bagan Luar, Simpang Empat, Bukit Tambun and Kuala Kurau. As motorised vehicles were yet to make their appearance at that time, the fleet only consisted of three large steamers and seven smaller steam launches.

BUSINESS EXPANSION

A few years later, in 1897, Beng Kee bought out his siblings’ shares in Beng Brothers and began operating the ferry service under his own company, Guan Lee Hin Steamship Company. When his business prospered in tandem with growing passenger and cargo demand, Beng Kee made the decision to convert his concern into a limited company and named it the Eastern Shipping Company Limited.

Besides maintaining its lucrative local ferry service, the Eastern Shipping Company Limited extended its activities by running ships regularly between Penang and ports in other parts of Malaya, Sumatra, Siam (today Thailand) and Burma (now Myanmar).

While keeping a close watch on his expanding shipping venture, Beng Kee also made his fortune by exporting copra from his Penang estates in Glugor and Sungai Nibong. He also dabbled in iron works and owned the Penang Foundry.

The onset of the First World War in 1914 witnessed the Straits Settlements Government requisitioning all local steamers including those belonging to the Eastern Shipping Company Limited. Thanks to the limited effects of the war on Malaya, the authorities released the vessels back to their owners by the end of that same year.

It was business as usual for Beng Kee until 1922 when he accepted a lucrative offer from Singapore’s Straits Steamship Company Limited to take over the ferry service between Kedah Pier and Bagan Tuan Kecil Pier. The new owners’ tenure, however, proved to be short-lived as the venture changed hands once again when the Penang Harbour Board gained control on Dec 1, 1924.

TRANSPORTING CARS AND PASSENGERS

At that time, the Penang Harbour Board was aware of the exponential growth of cars in Malaya and it was just a matter of time before a service to transport vehicle across the Penang Straits was needed. It conducted a study of the harbour and found that the water depth during low tide at the Bagan Tuan Kecil Pier wasn’t sufficient for the ferries transporting motor vehicles to operate efficiently and safely.

This revelation resulted in the construction of the Church Street Ghaut Pier on the island and Mitchell Pier on the other side. By early 1925, the transportation of cars using decked-in lighters towed by launches were initiated. The trial service was so successful that a steam ferry vessel, aptly named Seberang, built by the Singapore Harbour Board was put into service late that same year to transport both motor cars as well as passengers.

By the beginning of 1928, the number of passengers and vehicles using the ferry service had increased to an extent that vessels with higher carrying capacity became a necessity. An order for two larger steam vessels were subsequently placed with the Singapore Harbour Board.

NEW VESSELS ARRIVE

Contracts for extension work on both piers were also awarded and the work was completed before the new ferries, Tanjong and Kulim, came into service in early 1929. Together with Seberang, the fleet provided uninterrupted half hourly services during daylight hours.

The number of passengers and vehicles using the ferry service continued to increase annually in the first half of the 1930s. By 1937, it became evident that the older Seberang could no longer accommodate the burgeoning vehicular traffic. Seberang was sold off after the Singapore Harbour Board delivered a new vessel named Bagan in 1938.

The three vessels continued to serve the company well and contributed enormously towards Penang’s economic growth. Things, however, began to take a turn for the worse when the winds of war began blowing towards Malaya in December 1941.

CHAOTIC WAR PERIOD

Just as the Japanese Imperial Army was making its way across neighbouring Kedah, a strategic decision was made to scuttle Kulim within the boundaries of Penang Harbour while Tanjong, whose engines were already damaged, was sunk by gunfire in the same area. The sinking of both vessels was necessary to prevent them from falling into the hands of the advancing enemy.

Only the relatively new Bagan was spared a watery grave. The British War Office used it to transport evacuees to Singapore, and from there on to Sumatra. Unfortunately, Bagan was captured during the final leg of its journey and was used by the Japanese to support their war effort in the Dutch East Indies (now Indonesia).

These unlucky string of events left Penang without any proper ferry services during the Second World War. In order to maintain a connection between the island and the mainland, the Japanese authorities operated an irregular service using a wooden motorship for passengers and decked-in lighters towed by launches for vehicles.

“Look! There’s something in the water!” a middle-aged gentleman near me suddenly hollers while excitedly gesturing towards the water surface. I crane my neck to have a closer look, wishing for the most remote possibility that he’d discovered the long lost wreckage of Kulim and Tanjong. Alas, the mysterious object turns out to be a common jellyfish swimming slightly below the water surface.

SERVICES REINSTATED

Returning my sights to the distant horizon, I’m in time to see another ferry glide past in the opposite direction. The regular service that we enjoy today is indeed a far cry from the haphazard ferry schedule experienced soon after liberation in September 1945. During that time, the returning British forces tried their best to reinstate the popular ferry services by reassigning four Z-type tank landing crafts for cross-strait transportation.

The situation improved further after the Penang Harbour Board was reconstituted in April 1946. Bagan, which was recaptured by the Allied forces during the closing days of the war, returned to Penang where it was quickly put back into service.

To improve service further, two of the military landing crafts were given simple modifications at the Bagan Dalam slipway. Renamed Senangin and Lidah, these two vessels teamed up with Bagan to meet the essential needs of passenger transport.

The remaining two tank landing crafts, however, underwent extensive reconstruction at the Bagan Dalam slipway. They were each given an entirely new passenger deck that boasted of greater standards of convenience and comfort. Called Talang and Tenggiri, the two vessels formed part of the post-war fleet that managed to keep up with the growing cross-strait traffic until the mid-1950s.

COMPLETE MAKE OVER

The number of vehicles carried by the ferry service in 1946 was nearly 247,000 but a decade later, the number almost tripled to 711,000. Keen to maintain this phenomenal growth momentum, the Penang Harbour Board hired consulting engineers, Bruce White, Wolfe Barry & Partners, London in 1953 to examine the possibility of increasing capacity as well as plan a completely new set up to replace the existing ferry service once it reached point of saturation.

The study revealed that the existing fleet was outdated and had to make way for a new generation of ferries endowed with greater power, capacity and manoeuvrability while equipped with separate passenger and vehicle decks. The consultants also recommended building new terminals, each with double berths, on both sides of the Penang Strait so that service frequency could be increased beyond 15 minutes.

Accepting the recommendations, the Penang Harbour Board put in place plans in early 1955 to help achieve its ultimate service frequency of five minutes. To make this feat a reality, contracts for new double ended ferries with end-loading capabilities for faster vehicular embarkation and disembarkation times were awarded. The one for a single prototype was awarded to the Singapore Harbour Board while Cheoy Lee Shipyard in Hong Kong received an order for four vessels.

A NEW DAWN

The prototype, named Penang, was delivered in May 1957. Apart from its many revolutionary new features, it retained the old styled side-loading capability so that it could still be used at the existing piers while awaiting the completion of the new ferry terminals.

“Excuse me. Please move aside,” the voice of the attendant jolts me out of my reverie. Looking around, I realise that the ferry has already reached its berth. The attendant swings the railings apart as soon as the hydraulic drawbridge is in place and in that instant, everyone starts to surge forward.

While walking through Pengkalan Raja Tun Uda, I pause momentarily to turn back the hands of time to Sept 24, 1959. On that historic day, this terminal was simultaneously declared open together with Pengkalan Sultan Abdul Halim on the mainland. The opening heralded a new dawn for the ferry service in Penang.

By the 1970s, the ferry service’s exponential growth eventually became its own undoing. Second Prime Minister, Tun Abdul Razak mooted the idea to build a bridge linking the island to the mainland to ease the frequent traffic congestion at the ferry terminals.

The ferry service lost its prominence on Aug 3, 1985 when the Penang Bridge was officially opened by Tun Dr Mahathir Mohamad in his capacity as the fourth Prime Minister of Malaysia at that time.

Even though it’s the slower alternative to reach Penang, many were heartened by Transport Minister Anthony Loke’s recent comment to retain Penang’s iconic ferry services. Loke announced plans to improve services by introducing catamarans and upgrade existing ferry terminals. With these novel ideas in the pipeline, there’s definitely better days ahead for the Penang ferry service.

[photo-1] The Renong was one of Beng Kee’s passenger steamers during the early part of the 20th century.

[photo-2] A passenger steamer calling at the Prai Harbour in the 1920s.

[photo-3] View of the Church Street Ghaut Pier in the 1930s.

[photo-4] An aerial view of the Church Street Ghaut Pier in the 1930s.

[photo-5] Beng Kee and his siblings were responsible for the first ferry service in Malaya.

[photo-6] After simple modifications, one of the military landing crafts was launched from the Bagan Dalam slipway in 1946.

New Straits Times, Published: September 23, 2018 - 8:01pm
History Behind Penang's Popular Ferry Service Unveiled
By Alan Teh Leam Seng
https://www.nst.com.my/lifestyle/sunday-vibes/2018/09/414239/history-behind-penangs-popular-ferry-service-unveiled

(*) ペナンへのアクセス

 クアラルンプールからは空路約45分で、毎日数便が運航されており、日本からだとクアラルンプール国際空港での乗継便をそのまま利用できます。
 鉄道の場合は、マレー半島側に位置する島の対岸の町、バターワースまでクアラルンプールから約6時間。
 バターワースからは24時間運航のフェリー(所要時間20分)を利用するか、陸路ペナン・ブリッジ(13.5km)をタクシーなどで渡ります。


マレーシア政府観光局公式サイト
http://www.tourismmalaysia.or.jp/region/penang/top.html

posted by fom_club at 08:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Japan Has Enough Nuclear Material to Build an Arsenal. Its Plan: Recycle.

MORE than 30 years ago, when its economy seemed invincible and the Sony Walkman was ubiquitous, Japan decided to build a recycling plant to turn nuclear waste into nuclear fuel. It was supposed to open in 1997, a feat of advanced engineering that would burnish its reputation for high-tech excellence and make the nation even less dependent on others for energy.

Then came a series of blown deadlines as the project hit technical snags and struggled with a Sisyphean list of government-mandated safety upgrades. Seventeen prime ministers came and went, the Japanese economy slipped into a funk and the initial US$6.8 billion (RM28.09 billion) budget ballooned into US$27 billion of spending.

Now, Japan Nuclear Fuel Ltd. (JNFL, 通称は原燃, ), the private consortium building the recycling plant, says it really is almost done. But there is a problem: Japan does not use much nuclear power anymore. The country turned away from nuclear energy after the 2011 Fukushima disaster, and only nine of its 35 reactors are operational.

It is a predicament with global ramifications. While waiting for the plant to be built, Japan has amassed a stockpile of 47 metric tons of plutonium, raising concerns about nuclear proliferation and Tokyo’s commitment to refrain from building nuclear arms even as it joins the United States in pressing North Korea to give up its arsenal.

In August, North Korea’s state-run Rodong Sinmun newspaper accused Japan of accumulating plutonium “for its nuclear armament”.

Japan pledged for the first time this past summer to reduce the stockpile, saying the recycling plant would convert the plutonium into fuel for use in Japanese reactors. But if the plant opens as scheduled in four years, the nation’s hoard of plutonium could grow rather than shrink.

That is because only four of Japan’s working reactors are technically capable of using the new fuel, and at least a dozen more would need to be upgraded and operating to consume the plutonium that the recycling plant would extract each year from nuclear waste.

“At the end of the day, Japan is really in a vice of its own making,” said James M. Acton, a researcher at the Carnegie Endowment for International Peace in Washington. “There is no easy way forward, and all those ways forward have significant costs associated with it.”

A handful of countries reprocess nuclear fuel, including France, India, Russia and the United Kingdom. But the Japanese plan faces a daunting set of practical and political challenges, and if it does not work, the nation will be left with another problem: about 18,000 metric tons of nuclear waste in the form of spent fuel rods that it has accumulated and stored all these years.

Japan’s neighbours, most notably China, have long objected to the stockpile of plutonium, which was extracted from the waste during tests of the recycling plant and at a government research facility, as well as by commercial recycling plants abroad. Most of this plutonium is now stored overseas, in France and Britain, but 10 metric tons remain in Japan, more than a third of it in Rokkasho, the northeastern fishing town where the recycling plant is being built.

Japan says it stores its plutonium in a form that would be difficult to convert into weapons, and that it takes measures to ensure it never falls into the wrong hands. But experts are worried the sheer size of the stockpile − the largest of any country without nuclear weapons, and in theory enough to make 6,000 bombs − could be used to justify a nuclear buildup by North Korea and others in the region.

Any recycling plan that adds to the stockpile looks like “a route to weaponise down the road”, said Alicia Dressman, a nuclear policy specialist. “This is what really concerns Japan’s neighbours and allies.”

Japan maintains that its plutonium is for peaceful energy purposes and that it will produce only as much as it needs for its reactors. “We are committed to nonproliferation,” said Hideo Kawabuchi, an official at the Japan Atomic Energy Commission.

But the launch of the Rokkasho plant has been delayed so long − and popular opposition to restarting additional nuclear reactors remains so strong − that skepticism abounds over the plan to recycle the stockpile. Critics say Japan should concede the plant will not solve the problem and start looking for a place to bury its nuclear waste.

Giving up on the recycling plant, though, would be politically difficult, not least because Aomori Prefecture, where it is, has threatened to send the 3,000 metric tons of nuclear waste stored here back to communities around the country with nuclear plants.

Pulling the plug would also deprive one of Japan’s poorest regions of an economic lifeline. Over the years, the central government has awarded nearly US$3 billion in incentives to the prefecture, where political leaders reliably support Japan’s governing party. Even inoperative, the plant employs more than one in 10 residents in Rokkasho and accounts for more than half the town’s tax revenues.

The plant is sprawled across nearly 1,000 acres (404.686ha) of farmland, surrounded by fields of solar panels and wind turbines. Some 6,000 workers are installing steel nets to protect it against tornadoes and digging ditches for pipes to carry water from a swamp into its cooling towers. Inside a large control room, workers in turquoise jumpsuits mill about computer consoles, monitoring dormant machinery.

The final piece of the plant to come online will be a facility, now under construction, that will take a mix of plutonium and uranium and turn that into fuel. But no one knows what would happen if the government could not persuade communities to reopen and upgrade more reactors to use this type of fuel.


[photo]
A storage facility for spent fuel rods at the Japan Nuclear Fuel Ltd’s plant in Rokkasho, Japan. Japan has spent decades building the plant to turn nuclear waste into nuclear fuel, but neighbouring countries fear Japan has other plans for its plutonium.

New Straits Times, Published: September 26, 2018 - 8:09pm
Japan vows to cut its nuclear hoard
By MOTOKO RICH, NYT
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/09/415262/japan-vows-cut-its-nuclear-hoard

 原子力規制委員会は2018年9月14日、日本原燃が稼働を目指す使用済み核燃料の再処理工場=写真、青森県六ケ所村=が新規制基準に適合するかを審査する会合を開き、議論をほぼ終えた。今後、原燃の地震や事故対策が新基準に適合したことを示す審査書案をまとめる。

 再処理工場は、国の核燃料サイクル政策の中核を担う。原発の使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出し、核燃料として再利用する施設。工場の完成は当初1997年の予定だったが、設計見直しやトラブルが続いて24回にわたって延期。原燃は現時点で完成時期を、2021年度上半期としている。

 原燃は2014年1月に審査を申請。しかし、2017年夏に施設への雨水流入や長期間の点検漏れが発覚し、審査が8ヶ月間中断。今年2018年5月に再開した。
 工場が新基準に適合しても、稼働には、設備の詳細な設計をまとめた工事計画についての規制委の認可のほか、青森県と六ケ所村の同意が必要となる。
 工場が稼働した場合、年間で最大800トンの使用済み核燃料を処理できる。だが、再処理で出る高レベル放射性廃棄物の最終処分先は決まっていない。
 また、全国で原発の再稼働が進んでおらず、再処理で取り出したプルトニウムとウランを混ぜたMOX(モックス)燃料を使うあてがない。再処理だけを進めて核兵器に転用できるプルトニウムを大量に保有すれば、国際的な批判は避けられず、本格的な稼働は見通せない。


東京新聞・朝刊、2018年9月15日
核燃再処理工場「適合」へ
六ケ所村 規制委の審査終了

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018091502000136.html

 日本原子力研究開発機構は2018年8月30日、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の使用済み核燃料の取り出し作業を始め、燃料一体を「燃料池」と呼ばれる水で満たされたプールへ移送し終えた。
 燃料取り出しは30年かかるとされる廃炉作業の第一段階。
 準備段階でトラブルが相次ぎ、当初7月下旬を予定していた作業開始を延期していた。

 機構は2020年までに「燃料貯蔵設備」と原子炉に入っている計530体の取り出しを終えると説明している。
 ただ、プールへの移送は廃炉決定前の2008〜2009年に2体しか行ったことがなく、空気や水に触れると激しく燃える冷却材の液体ナトリウムの扱いも難しいため、作業が難航する可能性もある。

 機構によると、取り出し作業は操作員ら計25人が3班体制で行い、原子炉補助建屋にある「燃料取扱設備操作室」で、燃料出入機(だしいれき)や、取り出した燃料をステンレス製の缶に入れる装置などを遠隔操作して実施。

 この日は操作員ら7人が作業に当たり、出入機を使って貯蔵設備にある燃料を取り出し、付着した液体ナトリウムを洗浄した後、ステンレス製の長さ約4.5メートルの缶に収納し、水で満たされた「燃料池」に移した。
 機構の担当者は終了後、「工程に影響を及ぼすようなトラブルはなく、予定通りに進んだ」と話した。

 機構は今年2018年12月までに、貯蔵設備にある160体のうち100体を燃料池に移すことを目標とし、原子炉からの取り出しは来年2019年7月に始める計画だ。
 2047年度までに廃炉を完了するとしている。

◆ 経験不足 トラブル懸念

 取り出し準備段階から多くのトラブルに見舞われ、予定より1ヶ月遅れて廃炉作業の入り口に立った。
 ほとんど経験したことのない作業が続き、「無事故で済むとはとても思えない」(福井県幹部)と悲観的な声も上がる。

 「貯蔵設備からプールへ移送したのはこれまで2体しかない。缶に1体ずつ入れる作業はほとんど初めてだ。本当に慎重さが求められる」。

 2007〜2010年にもんじゅの所長を務めた向(むかい)和夫さん(70)は指摘する。
 現在の職員で、過去に燃料交換を経験したことがあるのは数人程度という。

 向さんによると、出入機などの大型装置は40年ほど前の設計。
 炉心の使用済み燃料を取り出す際には、高さ約8メートルの出入機を数ミリ単位の誤差の範囲で動かす必要がある。

 来年2019年7月に開始予定の原子炉からの取り出しでは、長さ約4メートルの炉心燃料が互いに支え合う形で入っているため、一体抜いたら、代わりに模擬燃料一体を入れなければならない。
 入れる場所を間違えれば引っかかって取り出せなくなる恐れもあり「神経をすり減らす作業」という。


東京新聞・朝刊、2018年8月31日
燃料1体を取り出す
もんじゅ 計530体、22年までに

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018083102000141.html

再処理工場(工事継続)ともんじゅ(廃炉).jpg

削除されていなければ記事は:
東京新聞・朝刊、2018年8月1日
原子力委、プルトニウム削減で新指針
具体的方法・数値示さず

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201808/CK2018080102000133.html

posted by fom_club at 07:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原敬

 ヤッホーくんのこのブログ、2018年9月24日付け日記「秋分の日は東京駅を徘徊」をご参照ください。

 JR盛岡駅西口から雫石川を渡って30分ほど歩くと、平民宰相として知られる原敬(1856〜1921年)の功績を伝える「原敬記念館」がある。
 今年2018年は、戊辰戦争から150年、原が初の本格的政党内閣を組織してから100年という節目の年だ。

 原は盛岡藩士の次男として生まれた。
 奥羽越列藩同盟に加わった藩は戊辰戦争で新政府軍に敗れ「賊軍」の汚名を着せられた。
 原はその屈辱を胸に秘めて15歳で上京し、勉学に励んだ。
 新聞記者、外交官などを経て政界に進出、立憲政友会の創設に関わった。
 藩閥政治と渡り合いながら政党政治の確立に努め、1918年、爵位を持たないまま首相になった。

 展示室は少年時代から年代ごとに分かれており、約350点の資料は見応えがある。
 内務大臣の辞令、筆やステッキなどの愛用品、鳩山一郎の母親が息子の後援を依頼した書簡、現職首相として暗殺された時に着ていた洋服などがある。

 中でも価値が高いのは19歳から65歳で亡くなる当日まで付けていた83冊の「原敬日記」だ。
 遺書で「最も大切なものとして永く保存すること」と記され、残された。
 学芸員の中野千恵子さんは「感情的な部分はほとんどなく、淡々と書かれている」と説明する。
 当時の政界、政情を克明に書き込んでおり、近代日本政治史の第一級史料だ。

 展示されているのは複製品で、木製キャビネットに収まった原本は催事の際、期間限定で見ることができる。

 記念館は1958年に開館し、今年開館60年。
 現在、企画展「戊辰戦争と原敬」を開いている(8月19日まで)。
 原は戊辰戦争の敗北を雪辱するかのように苦学して出世したとのイメージがあるが、企画展では違う表情が浮かんでくる。

 原が企画、出資してまとめた盛岡藩藩主、南部氏の歴史書「南部史要」では戊辰戦争に関して薩長に対する批判はない。
 一方、1917年に開催された戊辰殉難者五十年祭では「戊辰戦役は政見の異同のみ」という祭文を読み上げた。
 どちらが官軍、どちらが賊軍と言われるようなものではない、という意味で、中野さんは「公平中立の原らしさが伝わってくる」と話す。

 記念館は1850年に建てられた原の生家敷地にある。
 当時の5分の1が残っているだけだが、土日祝日などには、かやぶき屋根の家屋の中を見学することができる。
 12本の桜や池がある中庭は周囲の騒がしさが届かない。ゆっくり散策しながら、現在につながる政党政治の立役者に思いをはせてみたい。


[写真]
原敬記念館と同じ敷地にある生家。市民の散策コースにもなっている。
 
日本経済新聞・夕刊、2018/6/29付
近代政治史に思いはせ散策
生家敷地で平民宰相・原敬の功績伝える

(盛岡支局長 冨田龍一)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO32357420Y8A620C1KNTP00/

 原敬は安政3(1856)年2月9日、 現在の盛岡市に、南部藩家老加判という上級武士の家に生まれた。
 維新後に苦学をしながら西欧知識を身 に つけ た。
 原は、司法省法学校を中退するまでの2年半と、中江兆民の塾での半年で、フランス語講読やヴオルテール、モンテスキュー、ルソーなどのフランス啓蒙思想を学んだ。
 23歳で新聞記者となった原 は、26歳までの問に、フランス語を通した欧米理解と、日本の現状への考察とを合わせ、政治や人間に対する考え 方の原型を形成した。

 原の考え方の特色は第一に、「公利」という、中江兆民も使用した用語に代表される理想を基本としたことである。
 それは、原の出身地の南部藩が戊辰戦争で薩長に痛めつけられた怨念等を超越し、 国家(公共)の利益のために働こうとする意識である。
 原にとって藩閥政府も自由民権派も、「公利」を目指して動かない場合には批判の対象であった。
 第二に、原は「自由民権」は支持したが 、欧米や日本の実情を深く考察せず、すぐに欧米と同じことが日本でできると主張するような多くの民権派を、軽薄であるとして批判したことである。
 また 、藩閥政府の近代化政策にも一定の評価をした。
 第三に、原はイギリス風の立憲君主制を遠い将来の理想としたことである。
 また全国的な鉄道網の整備を、産業振興ととも に、知識や情報の広がりという意味でも、近代化の核として重視 した。
 第四に、帝国主義の時代であるが、外交を軍事力の面からのみとらえるのでなく、最終的には国際社会(列強)の承認を得られるかどうか慎重に判断して行うべき、と現代にも通じる主張をしたことである。

 その後、原は外交官、大阪毎日新聞社の社長、政党政治家として逓相・内相(三度)等の経験を積みながら 、上の価値観を深めていった。
 この間、1908年から翌年にかけて半年間の欧米周遊旅行によって、原は世界の流れを見通す確固とした国際認識を持つようになった 。
 
 1918年(大正7)年9月29日、62歳の原は、衆議院の多数党である政友会を背景に、日本で初めての本格的政党内閣を組織、軍や宮中までも首相と内閣が統制するイギリス風の立憲君主制を確立した。

 原の功績は、第一に、第一次世界大戦後に国際環境が大きく変動する状況を見きわめ、日本外交をあるべき姿にしたことだ 。
 原は、米・英諸国、とりわけ米国との国際協調の外交を確立し、前内閣下で日本陸軍が推進したシベリア出兵も、強力な指導力で撤兵させてい った。
 また中国の国内が分裂している状況に対しても、それを利用して日本が利益を得ようと図るのではなく、中国の南方派・北方派の統一を促進する政策を取ろうとした。
 原の功績は第二に、米価高騰によって起きた米騒動後の社会秩序を安定させ、全国の鉄道網形成を推進し、その計画を拡充し、さらに米国と の経済交流を深めようとしたことである。

 不幸にして原は首相在職約3年2月で暗殺される。
 そのような凶変がなかったら、日本の経済・外交や国内政治は、実際に展開したよりももっと安定したものになり、太平洋戦争への道はな かった可能性もある。

 原の伝記を書くため研究を進める中で、私はこのように確信するようになった。
 また原が党利党略のために「我田引鉄」的に鉄道を建設したとの見方は、1960年代の高度経済成長期の日本において、 自由民主党が始めた鉄道・道路政策に批判的な研究者やジ ャーナリストが、戦後日本の像を原に投 影して描いた誤った像である。
 原は日本全体の発展のため、経済状況を考慮しながら、合理的な鉄道政策を推進した。
 さらに原は、人々が鉄道を生かすべく、自立心を持って地元の産業を発展させることを求めた。

 このような原は、日本が生んだ最も偉大な政党政治家で、世界史的にもイギリスのチャーチル首相(保守党)、米国のケネディ大統領(民主党)ら に肩を並べられる政治家といえよう。


公共空間 (2013), 2013 Autumn: 22-24
【 歴史認識再考B】
原敬から読み解く歴史認識のあり方
京都大学公共政策大学院教授 伊藤之雄
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/184879/1/PS_2013A_22.pdf

 昨日は、盛岡出身の戦前の大政治家・原敬の命日ということで、菩提寺や生家跡の記念館で追悼行事がなされたとのニュースがありました。

 盛岡北RC(ロータリークラブ)の例会でも、地域史などに圧倒的な博識を誇る岩渕真幸さん(岩手日報の関連会社の社長さん)から、原敬の暗殺事件を巡るメディアの対応などをテーマに、当時の社会や報道のあり方などに関する卓話がありました。

 途中、話が高度というかマニアックすぎて、日本史には多少の心得がある私でも追いつけない展開になりましたが(余談ながら、前回の「街もりおか」の投稿の際も思ったのですが、盛岡で生まれ育った人はマニアックな話を好む方が多いような気がします)、それはさておき、今の社会を考える上でも興味深い話を多々拝聴できました。

 特に印象に残ったのは、「原敬を暗殺した少年は、無期懲役の判決を受けたが(求刑は死刑)、昭和天皇即位等の恩赦により10年強で出獄した。その際、軍国主義の影響か反政友会政治の風潮かは分からないが、暗殺者を美化するような報道が多くあった。そのことは、その後の戦前日本で広がった、浜口首相暗殺未遂事件や、5.15事件・2.26事件などのテロリズムの素地になっており、マスコミ関係者などは特に教訓としなければならない」という下りです。

 「大物政治家を暗殺した人間が美化される」という話を聞いて、現代日本人がすぐに思い浮かぶのは、韓国や中国における安重根事件の美化という話ではないかと思います。
 安重根の「動機」や伊藤博文統監の統治政策について、軽々に論評できる立場ではありませんが、少なくとも、「手段」を美化する思想は、暴力(武力)を紛争解決の主たる手段として放棄したはずの現代世界では、およそ容認されないものだと思います。

 それだけに、仮に、中韓の「美化」が手段の美化にまで突き進んでしまうのであれば、それらの国々が戦前日本が辿ったような危うい道になりかねない(ひいては、それが日本にも負の影響を及ぼしかねない)のだという認識は持ってよいのだと思いますし、そうであればこそ、「嫌韓・嫌中」の類ではなく、彼らとの間で「日本には複雑な感情があるが、貴方のことは信頼する」という内実のある関係を、各人が地道に築く努力をすべきなのだろうと思います。

 私が司法修習中に大変お世話になったクラスメートで、弁護士業の傍ら世界を股に掛けた市民ランナーとして活躍されている大阪の先生が、韓国のランナー仲間の方と親交を深めている様子をFB上で拝見しており、我々東北人も、こうした営みを学んでいかなければと思っています。

 ところで、wikiで原敬について読んでいたところ、原内閣が重点的に取り組んだ政策が、
@ 高等教育の拡充(早慶中央をはじめとする私立大の認可など)、
A 全国的な鉄道網の拡充、
B 産業・貿易の拡充、
C 国防の拡充(対英米協調を前提)
と書いてあったのですが、昨日のRCの例会で配布された月刊誌のメイン記事に、これとよく似た話が述べられており、大変驚かされました。

 すなわち、今月の「ロータリーの友」の冒頭記事は、途上国の貧困対策への造詣が深く、近著「なぜ貧しい国はなくらならいのか」が日経新聞でも取り上げられていた、大塚啓二郎教授の講演録になっていたのですが、大塚教授は、低所得国に早急な機械化を進めると非熟練労働者を活かす道がなくなり、かえって失業や貧困を悪化させるとした上で、中所得国に伸展させるために政府が果たすべき役割について、
@ 教育支援、
A インフラ投資、
B 銀行など資本部門への投資、
C 知的資本への投資と模倣(成果の普及)
による経済波及という4点を挙げていました。

 このうち@とAはほぼ重なり、Bも言わんとするところは概ね同じと言ってよいでしょう。
 民間金融を通じた地方の産業・貿易の拡充として捉えると、現代日本の「地方創生」「稼ぐインフラ」などの話と繋がってきそうです。
 そして、Cも、当時が軍事力を紛争解決の主たる手段とする帝国主義の時代であるのに対し、現代はそれに代えてグローバル人材が一体化する世界市場で大競争をしながら戦争以外の方法(統一ルールの解釈適用や交渉)で利害対立を闘う時代になっていることに照らせば、時代が違うので焦点を当てる分野が違うだけで、言わんとするところ(国際競争・紛争を勝ち抜く手段の強化)は同じと見ることができると思います。

 何より、大正期の日本は、ちょうど低所得国から中所得国への移行期ないし発展期にあったと言ってよく、その点でも、原敬の政策や光と影(政友会の利権誘導政治、藩閥勢力との抗争など)などを踏まえながら大塚教授の講義を考えてみるというのも、深みのある物の見方ができるのではないかと感じました(というわけで、盛岡圏の方でRCに関心のある方は、ぜひ当クラブにご入会下さい)。

 ところで、岩渕さんの卓話の冒頭では、「原敬は、現在の盛岡市民にとっては、あまり語られることの少ない、馴染みの薄い存在になってきており、残念である」と述べられていました。

 私が9年間在籍した青年会議所を振り替えると、盛岡JCは新渡戸稲造(の武士道)が大好きで、1年か2年に1回、新渡戸博士をテーマとする例会をやっていましたが、原敬や米内光政など先人政治家をテーマとして取り上げた例会などが行われたとの記憶が全くありません。

 戊辰の敗戦国出身で決して裕福な育ちではなく、紆余曲折を経た若年期から巧みな知謀と大物の引き立てにより身を興し、「欧米に伍していける強い国家」を構築する各種基盤の構築に邁進し、それを支える新たな権力基盤の構築にも絶大な手腕を発揮した点など、原敬は、「東の大久保利通」と言っても過言ではない、傑出した大政治家だったことは間違いないのだと思います。

 だからこそ、両者が、絶頂期かつ志半ばの状態で暗殺により歩みを中断させられたことは、織田信長しかりというか、この国の社会に不思議な力が働いているのかもしれないと感じずにはいられないところがありますし、余計に、前記の「テロリズム礼賛の思想」を根絶することの必要性を感じます。

 それだけに、地元で人気がない?(素人受けせず、通好みの存在になっている)点も、大久保利通に似ているのかもしれない、そうした意味では、対立したわけではないものの、同時代人で人気者の新渡戸博士は、いわば盛岡の西郷隆盛のようなものかもしれない、などと苦笑せずにはいられないところがあります。

 皆さんも、「古くて新しい原敬という存在」に、よりよい形で接する機会を持っていただければ幸いです。


北奥法律事務所、2015年11月5日
今も日本と世界に問い続ける「原敬」の足跡と思想
小保内義和
http://www.hokuolaw.com/2015/11/05/今も日本と世界に問い続ける「原敬」の足跡と思/

posted by fom_club at 06:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月26日

浜口雄幸

 ヤッホーくんのこのブログ、2018年9月24日付け日記「秋分の日は東京駅を徘徊」をご参照ください。

 1929年7月、首相になった浜口雄幸(おさち)は、産業合理化を進め、日本経済の競争力を高めようとした。
 武力で国益を追求するのではなく、戦後日本の原型ともなる貿易立国を目指した。
 中国を有望な輸出市場とみて前内閣の強硬姿勢を改め、ロンドン海軍軍縮会議で米英と歩調を合わせる。
 「対中政策」「国際協調」という外交課題への対応は、時に元帥東郷平八郎らの反発も受けた。
 「たとえ玉砕すとも男子の本懐ならずや」と揺るがぬ覚悟で臨んだ。

 その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた浜口は、気骨のある政治家だった。
 緊縮財政のため「明日伸びんがために、今日縮むのであります」と国民に我慢を求めた。
 同時に「政治ほど真剣なものはない、命がけでやるべきものである」と明言し、「政治をして国民道徳の最高標準たらしむること」を理想とした。

 政治家浜口の人格はどのように形成されたのか。
 著書「随感録」にある。「政治思想の最も旺盛を極めたる明治十年代の土佐の青年の雰囲気の裡(うち)に不知(しらず)不識(しらず)の間に政治家たる素質を養成せられ、政治家たる種子を植付(うえつ)けられた様に思う」

 浜口は1883年(明治16年)、高知中学校(現高知県立高知追手前高校)に進む。
 「自由は土佐の山間より」と語られ、自由民権運動が盛んな時期だった。
 後に浜口は「神様が見れば間違っていることであっても、(中略)多数の常識によりてお互いが自身によって支配することを希望する」と演説する。
 川田稔日本福祉大教授(政治思想史)は「『自分たちの運命は自分たちで決める』という民主主義の基本を、これほど明確にした政治家はこの時代にはいない」と語る。
 自由民権の思想は浜口に根付いていた。

 1930年11月14日、浜口は東京駅で右翼に狙撃され重傷を負う。
 直後に言う、「男子の本懐」。

 それから86年。
 時代は変わったが「対中政策」「国際協調」は外交課題であり続けている。
 「課題先進国」と言われてからも久しい。
 日本はどのような道を歩んでいくのか。
 政治家に、政治家を選ぶ「多数の常識」に、揺るがぬ覚悟が求められている。

浜口雄幸
 1870年(明治3年)〜1931年(昭和6年)。
 高知県出身の政治家。
 張作霖爆殺事件で昭和天皇の信任を失い辞任した政友会・田中義一の後継首相として民政党内閣発足。
 中国の関税自主権を認め、ロンドン海軍軍縮条約を締結した。
 金解禁を実施したが、世界恐慌により深刻な不況を招く。
 東京駅での狙撃直後について「随感録」に「それでも『男子の本懐』と言うた時には未だ多少の元気があり」などと記す。
 体調は回復せず、31年4月に内閣総辞職、8月死去。
 城山三郎に小説『男子の本懐』がある。


[写真]
300年以上の歴史を誇る街路市には農産品などを扱う露店が軒を連ねる。浜口の母校でもある高知追手前高校の時計台が見守る(高知市で)

読売新聞、2016年11月14日 09時30分
「ライオン宰相」の覚悟
男子の本懐(浜口雄幸の言葉)

(文・渡辺嘉久 写真・佐藤俊和)
https://www.yomiuri.co.jp/life/travel/meigen/20161114-OYT8T50000.html

 『男子の本懐』は、昭和五年一月に金輸出解禁を行った浜口雄幸と井上準之助の物語である。
 第一次世界大戦が終結されると、主要国の多くが金本位制の中止を解除したが、日本は機を逃し慢性的な通貨不安に陥った。
 そのため、金の輸出解禁は政府の最重要の課題であったが、金解禁はすぐに効果が現れないため、不景気や緊縮財政による軍事費削減の反発などに耐えなければならなかった。
 「デフレ政策を行って、命を全うした政治家はいない」と言われ、八代もの内閣が避けた金解禁を浜口と井上は決死の覚悟で断行し、銃殺さ れる。

 『男子の本懐』において最も注目すべき点は、浜口と井上の対極の人間性と共通の決意である。
 二人の生涯や性格が細かく書かれ、「静の浜口、動の井上」「物怯じしない行動力は、浜口には新鮮であったし、一方、井上は、それまで接した人々にはない重々しい迫力を、浜口の中に感じた」など比較を用いられながら書かれている。
 生まれ育った境遇も性格も対極にある二人の男の共通する点が、金解禁政策に対する命を賭けた決意である。
 経済面や国際的な問題だけでなく、当時強大な力を持っていた軍部や枢密院からの反発や世界恐慌が起こったことによる国民の不安があった。
 デフレ政策は、すぐに効果が現れず不景気をもたらすため、憎まれ役を買うことになり、常に命の危険が付きまとう。
 浜口は妻の夏子に「途中、何事か起こって中道で斃れるようなことがあっても、もとより男子として本懐である」と、井上は今回の大蔵大臣は命が危ないと妻の千代子に言い、「自分にもしものことがあったとき、後に残ったおまえが、まごつくようでは、みっともない」と覚悟を語った。
 浜口の誠実さと井上の奔放な行動力と二人の男の一心の覚悟によって数々の問題を解決し金解禁を行う。
 そして、二人は金解禁の後に銃殺される。

 近年の政治の状況を見ると、選挙のためにその場しのぎの政策を挙げ、保身のために困難な問題を避けようとする政治家の存在が目立つ。
 さらに今日では、政務活動費の不正自給や領収書の偽装など、自らの私欲のために動く政治家が多く、浜口らが行った私利私欲のない政治や信念は現代では見られない。

 投票率が減少し、政治離れが進行する次の世代を担う若者こそ読むべき一冊であり、過去に浜口と井上といった一心に思う信念を持った人間がいたからこそ、現在の私たちの生活があることを実感できる一冊である。


大賞『男子の本懐』(城山三郎、新潮社、1983年)
木口 蒼良(龍谷大学 文学部 哲学科2年)

 欧米諸国のブロック経済化どころか世界恐慌の発生前に、日本は中国における権益(ポーツマス条約でロシアから譲渡された南満州や関東州の諸利権および対華二十一カ条要求で中国に承認させた諸利権)の維持・拡大のために、すでに軍事行動を拡大していたのである。
 これは侵略以外の何物でもない(侵略の定義は 1974年12月に国連総会で決議されている。注3)。

 こうした中国侵略の経済的背景としては、第1次世界大戦終了後の戦後恐慌(1920)、関東大震災(1923)、金融恐慌(1927)と続く慢性的不況のなかで、社会不安が高まって社会主義運動が高揚していたことがある(注4)。
 この状況に対して、田中義一内閣は国内的には共産党員の一斉検挙、労働組合の抑圧、治安維持法の改正(最高刑を死刑・無期懲役に)、道府県の警察に特別高等課(特高)の設置など、強権的な思想弾圧を行なう一方、対中外交では強硬姿勢に転じたのである(注5)。

 1929年に成立した浜口雄幸内閣は井上準之助蔵相のもとで、緊縮財政による物価の引き下げと産業合理化によって国際競争力を強化し、貿易の振興によって経済の活性化をめざした。
 1930年1月の金輸出解禁(金本位制への復帰)はその一環であったが、円の実勢為替相場は100 円=46.5ドル前後であったのに対して、旧平価の100 円=49.85ドルという実勢より円高水準で金輸出を解禁したため、輸出の減少と輸入の増加を招いた。
 そこに世界恐慌が波及してきたために、景気はさらに悪化した(昭和恐慌)。

 その後は軍部や右翼を中心に軍事力に頼った強硬手段によって事態を打開しようとする動きが支配的となっていく。
 1931年の陸軍青年将校の秘密結社桜会のクーデタ未遂事件(三月事件、十月事件)、32年の血盟団事件(井上前蔵相らの暗殺)、五・一五事件などのテロ事件が相次ぎ、元老西園寺公望が斎藤実海軍大将を首相に任命し政党政治は終わりを告げる。

 満州事変以降の中国における日本の軍事行動の拡大は、それまでの軍事的侵略をさらに本格化させるものであって、欧米諸国のブロック化に対する自衛的行動と言えるものではない。
 その結果が国際連盟脱退に象徴される日本の孤立化である。

 そして1936年には陸軍青年将校らが斎藤実内大臣、高橋是清蔵相らを殺害した二・二六事件を経て、陸軍の政治的発言力はさらに強まり、ロンドン海軍軍縮条約・ワシントン軍縮条約から日本が脱退して国際的な孤立は決定的となるのである。

(注3) 総会決議 3314 第 1 条 侵略とは、国家が他国の主権、領土もしくは政治的独立に対する……武力行使。

(注4) 1928年3月に普通選挙制による初の総選挙が実施されたが、この選挙で日本共産党が公然活動を開始し、無産政党勢力が8人の当選者を出した。
 なお普通選挙法の成立は1925年で、その直前に日ソ国交樹立、直後に治安維持法が制定されている。
 総選挙後の共産党員の一斉検挙は治安維持法の初の本格的適用。

(注5) 田中内閣は不戦条約には調印したものの、批准に際しては不戦条約が「各国人民の名において」戦争を放棄すると宣言している部分については、天皇主権の帝国憲法下では適用されないと留保した。


2015年度延近ゼミOB/OG会講演原稿
戦後70年安倍談話の歴史観批判
― 歴史から未来の知恵を学ぶとは? ―
慶應義塾大学経済学部 延近充 (*)
http://web.econ.keio.ac.jp/staff/nobu/column/on_abe-statement.pdf

(*)ノブチカ ミツル

慶應義塾大学経済学部教授。1953年京都市生まれ、71年京都教育大学附属高等学校卒業、79年慶應義塾大学経済学部卒業、81年同大学大学院経済学研究科修士課程修了、84年同博士課程単位取得退学。1981年慶應義塾大学経済学部助手、91年同助教授を経て、2012年より現職。専門はマルクス経済学、現代資本主義論

posted by fom_club at 17:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

杉田水脈議員の言葉がもつ差別的効果

A prominent magazine in Japan is to close after an outcry over an allegedly homophobic article written by a rightwing MP from the ruling Liberal Democratic party.

The Shincho 45 said it would halt publication amid the continuing controversy over the views expressed by Mio Sugita. In the article the MP described LGBT people as “unproductive” and questioned the use of tax money to support them.

Sugita wrote that same-sex couples did not “produce children. In other words, they lack productivity and, therefore, do not contribute to the prosperity of the nation.”

The monthly magazine was plunged deeper into crisis after it ran a series of pieces in its latest edition under the headline: “Is Sugita’s article that outrageous”?

Its publisher, Shinchosha, apologised for the articles. “We can’t deny that we failed to scrutinise the feature package and check the articles fully because we are under-resourced for the editing process due to decreased magazine sales. We are so sorry for allowing this to happen,” it said a statement reported by the Asahi Shimbun.

The magazine’s demise follows an unusual intervention from the publisher’s president, Takanobu Sato, who said the latest edition contained expressions that were “full of prejudice and lacked understanding”.

Sugita’s article, which appeared in July, led to condemnation from politicians and LGBT rights campaigners, who demanded that she apologise.

Her party initially refused to reprimand Sugita, but later said she had been reminded that her views contradicted its support for the rights of “sexual minorities”.

Sugita, an ally of the prime minister, Shinzo Abe, has not publicly apologised for the article. Abe said last week he had not pressured her to resign because “she is still young”. Sugita is 51.

Shincho 45, which first appeared in 1982, describes itself as a “bit dangerous” and has reportedly attempted to attract new readers by providing a forum for rightwing views and criticism of what it deems to be political correctness.

As campaigners for LGBT rights demanded that Sugita apologise, the magazine sought to defend the MP, who has claimed that the use of sex slaves by Japanese soldiers before and during the second world war was a Korean fabrication.

One of the articles in its latest edition, by the literary critic Eitaro Ogawa, said guaranteeing rights for sexual minorities led him to wonder whether society should also recognise the rights of men who grope women on trains.

Shinchosha’s director of public relations, Yukihito Ito, said the magazine’s editorial team “apparently failed to conduct strict checks on its articles, going overboard in a bid to increase circulation”, according to the Mainichi Shimbun.


[photo]
Mio Sugita, 51, was not pressured to resign by Shinzo Abe because he said she was ‘still young’.

The Guardian, Last modified on Wed 26 Sep 2018 19.35 BST
Japanese magazine to close after Abe ally's 'homophobic' article

Controversy began in July with article in which MP Mio Sugita described LGBT people as ‘unproductive’
By Justin McCurry in Tokyo
https://www.theguardian.com/world/2018/sep/26/shincho-45-japan-magazine-homophobia-mio-sugita-shinzo-abe

自民党の杉田水脈・衆議院議員が雑誌の寄稿で「(LGBTは)子供を作らない、つまり『生産性』がない」と発信し批判を浴びている問題で、本人や自民党からの明確な謝罪は未だになく、決着はついていない。

抗議の声はLGBT当事者だけでなく、障害者支援団体、がん患者団体など他のマイノリティにまで広がっている。

杉田議員の言葉は何が問題で、それが放置され続けることでさらにどんな影響が考えられるのか。

障害者が直面する問題に長年取り組んできた東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授の熊谷晋一郎さんに、杉田議員の寄稿を読んでいただき、お話を伺った。


数々の論点

ーー まずは杉田議員の寄稿を読んで、率直なご感想をお願いします。

 最初に目に留まったのは、この記事の内容を批判されている多くの方と同じで、やはり、『生産性』に触れている部分です。この記事では、生産性のなかでも、子どもを産むという『生殖』の領域における再生産能力のことを指しているようです。

 誤りがあったら識者にご指摘いただきたいのですが、19世紀のヨーロッパでは、同性愛や自慰、膣外射精など、生殖に結び付かない性的指向を『性的倒錯』として次々に病理化し、趣味や嗜好といった私的問題ではなく、医療や政治が関与すべき公的問題として扱うようになりました。

 しかしその後、同性愛を病気とみなす立場は徐々に消滅し、代わりにそれを多様性の一つととらえ人権を保障するよう社会側に変化を求める方向にシフトしました。アメリカ精神医学会は1987年、WHO(世界保健機関)は1990年に、診断基準から同性愛を削除しています。

 その背景には、1970年代以後に医療的な介入に効果がないことが明らかになったことや、1969年の『ストーンウォールの反乱』をきっかけに起きた同性愛者解放運動があります。

 杉田議員の寄稿は、19世紀に起きた同性愛に対する認識の変化とは、逆向きの変化を促していると気付きます。杉田議員は同性愛を、治療が必要な病理だとも、規制や罰則が必要な罪だともみなしていません。それは、杉田議員が性同一性障害を病理化し、社会の負担の下での治療を正当化しているのとは対照的です。

 どちらかというと杉田議員は、同性愛のことを、国や社会が何らかの負担をして、サポートする必要のない、個人的な趣味嗜好の領域と考えているようです。これは、同性愛に関する様々な課題を、再び公から私へと移行させようとする身振りといえます。まず、この記事が主張するこうした理解が、現状を正しく認識しているといえるのかどうかが、一つ目に考えるべきポイントのように見えます。

―― 熊谷さんはこの杉田議員の認識についてどう評価されていますか? 杉田氏はLGBの生きづらさは公的問題でないと位置付けていますが、本当にそうでしょうか?

 私の個人的な見解では、このような理解は正しくないと考えます。なぜなら未だに同性愛は、例えば好きな食べ物が他の人と少し違っているといった一般的な趣味嗜好とは別次元の、スティグマ(差別や偏見)にさらされていると言えるからです。

 例えばNPO法人虹色ダイバーシティと国際基督教大学ジェンダー研究センターが2016年に行ったインターネット調査では、職場においてLGBの方々が多くの差別的言動に触れている実態が報告されています。

 スティグマは、個人の趣味嗜好を超えたところにある、特定の属性を割り当てられた人の価値を貶めるような認識や態度、言動が蔓延する社会現象のことです。それは、その人を社会的に孤立させ、困ったときに周囲に助けを求めることを妨げ、場合によっては住処や仕事、学業などの機会を奪い、自尊心や自己効力感、心身の健康を損なうことにつながるものです。

 ハッツェンビューラー(※1)らも、社会に蔓延するマイノリティに対するスティグマが、マイノリティとマジョリティの間の健康格差の主な原因の一つになっていると述べ、そうした因果関係をもたらす心理学的、構造的な経路を分析しています。生活のあらゆる領域に対して広範かつ破壊的な影響を与えるスティグマは、健康の社会的決定要因の一つとして世界的に認識されています。

社会の偏見が損なう性的マイノリティの健康

―― 社会の偏見が性的マイノリティの心身の健康を損なっているのですね。

 キングらは、LGBの人々の精神障害、薬物依存、自殺や自殺企図、自傷の有病率について、1966年1月から2005年4月の間に出版された13,706本の論文の解析(※2)を行いました。その結果、LGBの人々は異性愛者に比べ、一生のうちに自殺を考える頻度が2.47倍、1年または一生のうちに抑うつや不安障害、薬物依存になる頻度が1.5倍以上であることが報告されています。

 特に、レズビアン女性やバイセクシャルの女性は薬物依存のリスクが高く(年あたり発生確率が、アルコール依存で4倍、薬物依存で3.5倍)、ゲイ男性やバイセクシャルの男性では自殺企図の生涯確率が高い(4.28倍)という結果でした。

 こうしたLGBの人々の健康格差を説明するモデルの一つが、『マイノリティ・ストレス理論』です。この理論では、個人の認識や価値観、態度などの私的要因には還元することのできない、法律や政策といった国や社会の構造に埋め込まれたスティグマ(これを、構造的スティグマと呼びます)の影響を重視する理論です。

 ペラールとトッドは、アメリカの150の選挙区を対象に、同性婚への賛否をめぐる住民投票における『反対票』の割合を構造的スティグマの指標とし、この割合と、それぞれの選挙区に住むLGBの人々の人生満足度、精神的健康度、身体的健康度との関連を調べました(※3)。

 その結果、家計収入や就労状況といった要因を除いても、反対票の割合が高い地域に住むLGBの人々は、低い人生満足度や健康度を持っており、マイノリティ・ストレス理論の正しさを裏付ける結果となりました。

 また当事者が、自分は『社会的サポート』を受けていると感じている度合いが高いほど、反対票が心身の健康度に影響する度合いが緩和される傾向にあるということも分かりました。

ーー 法律や政策によって個人の健康が左右されるなら、それは社会問題ですね。

 個人の責任を超えた構造的スティグマに対しては、国や社会全体が責任を引き受けて対処していかなくてはなりません。少なくとも国政にたずさわる政治家は、日本に住む人々の機会均等と心身の健康に気を配り続け、必要な対策を講じていく責任があると私は思います。

 ゆえに、スティグマの問題には常に敏感であるべきです。ましてや、社会のスティグマを助長するような発言は、決してしてはならない。少なくとも、そのように努力し続けるべきだと思います。後ほど述べますように、この点に関しても杉田議員のこの記事は、失敗しているといわざるを得ないでしょう。

性的マイノリティの生きづらさ 親が対処するだけでいいのか

 二つ目は、LGBの生きづらさについては、国や行政が対処するのではなく、親が対処すべきだと言っていることです。親が、自分の子どもが持つマイノリティ属性に対して、スティグマ的な態度や言動で接してしまうということがあるというのは事実だと思います。障害の分野でもそれは珍しいことではありません。
 生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者と分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
(杉田水脈氏「『LGBT』支援の度が過ぎる」「新潮45」2018年8月号より)

 例えば、日本の障害者運動の草分け的な存在である横塚晃一氏は、『母よ!殺すな』というタイトルの本の中で、障害をもつ我が子を愛するがあまり、その将来を悲観して、殺害したり、心中したりする親のエゴを糾弾しました。

 しかし横塚が優れていたのは、『真犯人は親ではない、地域社会によって、権力によって殺されたのだ』と喝破した点です。親は、社会の中に蔓延している、障害者に対するスティグマを内面化し、養育責任という重荷を過剰に課せられる中で、そのスティグマを濃縮させられてしまう存在なのです。

法律や制度はスティグマを増やすことも減らすこともある

ーー 性的マイノリティも障害者と同じようなスティグマに晒されているのでしょうか。

 LGBの分野でも、おそらく類似の現象は起きているでしょう。家族のスティグマの上流には、社会のスティグマがあります。私はLGBの専門家ではないのでデータは持っていませんが、障害児の場合には、親が障害に対する周囲の差別を感じている場合、虐待の引き金になることがよく知られています(※4)。

 そのような洞察なしに、『差別してしまうあなたが悪い』と、責任を親にまるごと転嫁させることは、苦しむ親子をさらに追い込んでいくことになるでしょう。これも、公的な問題を私的な問題にすり替えることで生じる問題といえます。

 スティグマという社会の問題を、個人の趣味嗜好の問題に誤って帰属させることを『個人化』と呼ぶとすれば、それを家族の問題に切り詰めることはさしずめ『家族化』と呼べるかもしれません。

 杉田議員はこの記事の中で、同性愛をめぐる様々な困難の、個人化と家族化をおこなっています。これは、LGBT当事者とその家族を孤立させ、社会に蔓延する構造的スティグマを放置する論理といえます。

 この記事の中で杉田議員は、制度を変えることでどうにかなるものではない、と述べていますが、すでに構造的スティグマについて触れたとおり、一般に法律や制度は、スティグマを増やすこともあれば減らすこともあります。

 例えば、障害者差別解消法は、まさにスティグマを減らすための法律ですし、旧優生保護法はグロテスクな社会のスティグマを法律という形で体現させたものでした。政治家は、法制度とスティグマの密な相互依存関係を見逃してはいけないと、私は考えています。

 アメリカでは、州の政策がLGBの人々に対して与える影響を調べるために、ゴンザレスとエランフェルドが1万4687人のLGBの成人と49万71人の成人異性愛者を対象に調査を行いました(※5)。

 その結果、LGBへの包括的な支援政策を持つ州の非異性愛男性は、同じ州の異性愛男性と同程度の健康度でしたが、限定的な政策しか持たない州の非異性愛男性や、すべての州の非異性愛女性は、同じ州の異性愛者よりも健康度が低いことが分かりました。このことは、政策によってLGBの人々と異性愛者の健康格差を少なくすることができることを示唆するデータといえます。

変わり得るという誤った認識がスティグマにつながる

 三つ目に、すでに述べましたが、LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル)とT(トランスジェンダー)を分けて論じているところが目に留まりました。トランスジェンダーの生きづらさは認める一方で、LGBが抱える生きづらさは過小評価しているように見えます。

 また、『一過性』や『不幸な人』という言葉の選び方も問題で、これらは同性愛に対するスティグマの観点からみると、差別を助長する可能性があるように思います。

 『これ(同性愛)でいいんだと、不幸な人を増やす』という文が、同性愛に対するスティグマを助長させることは、説明しなくても明らかでしょう。一方で、LGBに対するスティグマが未だに根強く残っている現状にあって、LGBを一過性の疑似恋愛と地続きなものとして捉えることは、かえってスティグマを助長しうる可能性があるように思います。
 そもそもLGBTと一括りにすること自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させていくのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは、性的嗜好の話です。(中略)女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
(杉田水脈氏「『LGBT』支援の度が過ぎる」「新潮45」2018年8月号より)

 LGBに対するスティグマについての先行研究に関して、私は詳しくありません。しかしスティグマを説明する『帰属理論』によれば、本人の努力や心がけで変えることができると誤って信じられている属性は、スティグマを負いやすいということが言われています。『変えられるのに変えようとしないのは、本人の努力不足である』という偏見を、その属性が過度に負ってしまうことになるからです。

ーー 性的指向は生まれもったものであって、本人の努力で変えられるものではないし、変える必要もありません。それを変えられるものであり、変えるべきだとみなすことが、偏見や差別を強めているのですね。

 例えばウィーナーらの研究(※6)によると、身体障害という属性はその原因や表出が、本人のコントロールは不可能で、不可逆で経過も安定したものとみなされやすく、周囲の憐れみを引き起こすが怒りは引き起こさず、助けてあげようという気持ちにさせると分析されています。

 それに対し、精神障害に対してはその原因が本人によってコントロール可能で、可逆性があり経過は不安定と認識されやすく、周囲の憐れみを引き起こさない一方で怒りを引き起こし、助けようという気持ちにさせない傾向があるといいます。

 一般の人々と、一部のマイノリティとの連続性を強調することは、少数派を自分と異質なものとみなす多数派の認識を正し、共感を通じてスティグマを減らす場合もあります。しかし、そこで連続性として強調すべきは、大変さの程度が違うことは理解しているけれども、生きる上での『ままならなさ』は共有しており共感的に理解できるという点です。

 もしも同性愛を『克服すべきもの』とみなしたうえで連続性を強調すれば、発言者の意図とは無関係に、『克服すべきなのに、克服しようとしない、倫理的に劣った人』というスティグマを流布してしまうことになるでしょう。

 スティグマを減らそうとしているマスメディアの取り組みを、『普通に恋愛して結婚できる人』までもが不幸な同性愛へと向かうことを助長している、として批判する論調も、差別的な効果を発揮していると言えそうです。

 ひとまずここまでの話をまとめると、
1, 現にある同性愛に対するスティグマの過小評価、
2, 個人化と家族化、
3, 同性愛を不幸な状態とみなした上でのマジョリティとの連続性の強調
の3つが組み合わさって、杉田議員のこの寄稿は、強烈な差別的効果を発揮している、ということになるでしょう。

 すでに述べてきたように、スティグマは機会や健康の格差を増大させ、命さえも奪うことのあるものです。スティグマを増大させかねない振る舞いは、人々の命や健康の維持という再生産過程を大きく阻害するものといえるでしょう。再生産を重視するならば、スティグマに敏感になってもらう必要があります。

(続く)

【参考文献】
(※1) Hatzenbuehler, M.L., Phelan, J.C., and Link, B.G. (2013). Stigma as a fundamental cause of population health inequalities. American Journal of Public Health, 103, 813–821.

(※2) King, M., Semlyen, J., Tai, S.S., Killaspy, H., Osborn, D., Popelyuk, D., and Nazareth, I. (2008). A systematic review of mental disorder, suicide, and deliberate self harm in lesbian, gay and bisexual people. BMC Psychiatry, 8, 70.

(※3) Perales, F., and Todd, A. (2018). Structural stigma and the health and wellbeing of Australian LGB populations: Exploiting geographic variation in the results of the 2017 same-sex marriage plebiscite. Soc Sci Med. 208, 90-199.

(※4) Kaufman, K.L., Johnson, C.F., Cohn, D. & McCleery, J. (1992). Child maltreatment prevention in the health care and social service system. in D.J. Willis, E. W. Holden & M. Rosenberg (eds), Prevention of Child Maltreatment: Developmental and Ecological Perspectives. John Wiley & Sons: New York, pp.1-16.

(※5) Gonzales, G., and Ehrenfeld, J.M. (2018). The Association between State Policy Environments and Self-Rated Health Disparities for Sexual Minorities in the United States. International Journal of Environmental Research and Public Healt, 15, pii: E1136.

(※6) Weiner, B., Perry, R.P., and Magnusson, J. (1988). An attributional analysis of reactions to stigmas. Journal of personality and social psychology, 55, 738-748.


BuzzFeed News、2018/09/26 11:58
熊谷晋一郎氏(*)インタビュー(1)
杉田水脈議員の言葉がもつ差別的効果
岩永直子、BuzzFeed News Editor, Japan
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kumagaya-sugitamio-1

(*)くまがや・しんいちろう、東京大学先端科学技術研究センター准教授、小児科医

新生児仮死の後遺症で、脳性マヒに。以後車いす生活となる。大学時代は全国障害学生支援センタースタッフとして、障害をもつ人々の高等教育支援に関わる。東京大学医学部医学科卒業後、千葉西病院小児科、埼玉医科大学小児心臓科での勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究。

主な著作に、『リハビリの夜』(医学書院、2009年)、『発達障害当事者研究』(共著、医学書院、2008年)、『つながりの作法』(共著、NHK出版、2010年)、『痛みの哲学』(共著、青土社、2013年)、『みんなの当事者研究』(編著、金剛出版、2017年)、『当事者研究と専門知』(編著、金剛出版、2018年)など。

posted by fom_club at 15:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

America values 'patriotism, not globalism'

Mr Trump on Tuesday began his address by noting that this is the second time he has spoken to the UN General Assembly, and then began to tout the progress his administration has made since he took office.

“One year ago I stood before you for the first time in this grand hall. I addressed the threats facing our world, and I presented a vision to achieve a brighter future for all of humanity,” Mr Trump, who has frequently claimed the US is laughed at internationally for weak international policies, said.

“Today I stand before the United Nations General Assembly to share the extraordinary progress we’ve made”.

“In less than two years, my administration has accomplished more than almost any administration in the history of our country,” Mr Trump continued, eliciting a rumbling from the hall in New York City.” America’s… So true”.

Mr Trump smiled at the interruption, before commenting on it.

“I didn’t expect that reaction but that’s okay,” he said.

Mr Trump, in his speech, bragged about domestic achievements like tax cuts his administration pushed for, a “booming” economy, and a stock market that has reached record highs during his presidency. He said that he has pushed for and received historic levels of defence funding, and bragged that US unemployment is very low.

The president also highlighted some of his foreign priorities, noting that he had met with North Korean leader Kim Jong-un, and claimed that North Korean nuclear weapons developments has slowed.

Mr Trump also threatened military action in the Middle East and particularly in Syria, if chemical weapons are used in the conflict there.

As for trade − one of the most contentious issues between the US and the world − the president said that he has told international leaders that trade imbalances are too high. Mr Trump has implemented billions of dollars worth of tariffs on China and the European Union in the past year, sparking fears of a trade war.


[video]

The Independent, Published 4 hours ago
UN members laugh at Trump after claim his administration has 'accomplished more than almost any in US history'

The president praised his administration's work on domestic issues, and bragged about his meeting with North Korea leader Kim Jong-un
By Clark Mindock New York
https://www.independent.co.uk/news/world/americas/us-politics/trump-un-speech-laugh-video-us-president-history-achieve-administration-general-assembly-a8554506.html

What does it mean to only give foreign aid to “friends”, as Donald Trump just said in his speech to the UN?

It’s not the first time the leader of a developed country has discussed the subject, or protested that that’s the way things should be done – but it does have a distinctly un-American feel about it. After all, most of us grew up hearing that the US was the “policeman of the world”; this approach is distinctly more “giver of sweeties” than “defender of justice”.

Most worryingly, in saying that the US would only give money “to people who respect us, who frankly are our friends”, Trump betrayed that he has little understanding of how foreign aid is supposed to work.

Take the UK’s current pattern of spending. Out of the top five recipients of the £13.4bn we give per year, three are Pakistan, Syria and Afghanistan.

These are countries which partly rely on aid because of the UK’s actions: drone strikes in all of these regions have created pockets of political instability (it’s the CIA who has led drone strikes in Pakistan in the past, and the UK’s Ministry of Defence refused to say whether UK personnel were involved, but let’s pretend for one crazy second here that we probably were.) Whether or not you believe the ends justify the means, suffice to say drone strikes rarely increase government support in any region – and are often used as propaganda tools by groups like Isis to “prove” their narrative (the West wants Muslims dead, doesn’t care for civilians or soldiers, sees children in mountain villages as “collateral damage” in their war against terrorism, and so on.)

In other words, foreign aid is far more political than giving out sweeties to people who are nice to us. It is a savvy political decision as much as an exercise in compassion. It serves to strengthen governments which our actions might have inadvertently weakened, and it serves to improve the lives of people who would flee their countries if they crumbled under the pressure of our own questionable foreign policy decisions (see: the refugee crisis since 2015.)

An excellent example of this is Switzerland’s investment in an area of Tunisia earlier this year. The Swiss government spent $4m recently in helping to market the striking landscapes where Star Wars and The English Patient were filmed to European tourists. The initial aim is to make the region of Dahar into a prosperous and popular holiday destination, with all the jobs and opportunities which top vacation spots usually enjoy; the ultimate aim is to stop Tunisian people – and those from surrounding countries such as Libya – making the treacherous journey to Europe.

Because if you really want to lower immigration, you have to build up the countries which people are leaving. And you won’t do that by sticking a bright red Make America Great Again cap on your head and building a bigger wall round the border.

Right-wingers often balk at the concept of foreign aid because they see it as some sort of colonial apology, a tacit admission that their country has done wrong in the past and now has to right it financially (these are usually the same people who get all misty-eyed about the Empire, unsurprisingly.) If you take your patriotism too seriously, you can fall into the trap of taking your foreign aid strategy too personally – but the truth is that it’s often those awful bleeding-heart lefties who take a more pragmatic approach to aid costs. Step away from defending the actions of the Empire and you’re still left with an economically imbalanced world. It is in all of our interests – morally, financially, reputationally – to rectify that in the here and now, whatever your views about what came before.

In this context, it’s ironic that Trump used some of his earlier time at the UN to pull out of the UN global compact on migration, which was a plan unanimously adopted by UN members in 2016 to ensure orderly and compassionate refugee and immigration policies across the world. Other equal ironies during his speech involved boasting about his success in stopping “the bloodthirsty killers of Isis” and claiming that the UN human rights council “[shields] human rights abusers”. By giving more in foreign aid – and not restricting it to “friends” – Trump could have started solving the “problem” of high immigration and indeed the problem of providing fertile ground for Isis himself. Now he has metaphorically stuck his fingers in his ears, the effort will be that much harder.

One of the only high points of Donald Trump’s leadership was his summit with Kim Jong-un. Finally, it seemed, North Korea was going to allow the world in; perhaps Kim was only waiting for an opportunity to be taken seriously. The fact that the summit went ahead remains extraordinary. It showed the benefits of reaching out beyond established “friends” in an effort to make the world a better place. Defenders of Trump pointed to this as proof that his diplomatic efforts were more subtle and intelligent than most commentators gave him credit for; those on the other side called it accidental diplomacy achieved merely because a blundering baby came across another blundering baby on the world stage. After hearing what he had to say this week to the United Nations, it’s hard not to think that the latter was the more likely reality.

Despite having abandoned the global compact on migration, ended funding for Palestinian refugees and stamped his feet about how much the US gives to the UN in comparison to other countries, The Donald managed to end his speech on what he at least must have considered a positive note. Referring to the UN as a “beautiful constellation of nations” which succeeds in diversity and cooperation, he stated that “the passion that burns in the hearts of patriots and the souls of nations has informed reform and revolution. To unleash this incredible potential in our people, we must defend the foundations that made it possible.”

Fires, foundations, constellations, burning hearts and souls – it all felt a bit more like a vision of hellfire or the apocalypse than the US forging progressive new partnerships across the globe. But then again, I suppose, the same could be said for Trump’s entire presidency.


The Independent, Published 7 hours ago
Donald Trump's speech at the UN betrayed how little knowledge he actually has about foreign policy

The president's new approach isn't just lacking in compassion; it's lacking in any common sense
By Holly Baxter
https://www.independent.co.uk/voices/trump-un-speech-foreign-policy-knowledge-inexperience-iran-north-korea-globalism-nationalism-a8554831.html

posted by fom_club at 10:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月25日

沖縄知事選

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非が争点となっている沖縄県知事選。
 公明党は、移設を推し進める安倍政権に近い佐喜真(さきま)淳氏(54)を全面支援する。
 だが、支持母体・創価学会員の中には「移設反対」の意見もあり、党の方針に反旗を翻す人もいる。

 告示日の13日、那覇市。
 「辺野古反対」を貫いた翁長雄志(おながたけし)知事の後継候補・玉城デニー氏(58)の街頭演説を、青、黄、赤の創価学会の三色旗を手に聴き入る男性がいた。
 浦添市の会社員野原善正さん(58)。
 「おかしいと感じている学会員が自分の行動を見て声を上げられるよう、あえて三色旗を持ってきた」

 24歳で創価学会に入り、熱心に活動してきた。
 だが安倍政権が2014年7月、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、公明も容認したことに「おかしい」と感じて公明支持をやめた。
 学会員の集まりなどのたびに異議を唱え、学会にも抗議したが、相手にされなかった。

 沖縄戦の経験から、沖縄の創価学会は伝統的に反戦意識が強いと言われてきた。
 辺野古移設について、公明県本部は今も「反対」を掲げる。
 前回知事選では自民が推薦した「移設推進」の仲井真弘多氏を推さず、公明は「自主投票」とした。

 だが当選した翁長氏が政権と激しく対立すると、県本部は徐々に自民に接近する。
 2月の名護市長選では、移設を事実上容認する新顔を党として推薦し、勝利した (注)。
 今回の知事選は「自公連携」を強化。
 県本部は佐喜真氏と政策協定を結んだが、辺野古移設に触れていない。

 野原さんは言う。
 「学会も公明党も平和を希求しているはず。辺野古に基地を造ること自体がおかしいのに、学会員を集票マシンとして利用している」

 22日の玉城氏の集会では、那覇市出身の住友ヒサ子さん(65)=東京都新宿区=も三色旗を掲げ、「今の公明党は平和思想に反する。真実を見抜いて投票しましょう」と呼びかけた。
 県内に住む親戚に玉城氏支持を訴えているという。
 「辺野古反対と言っておきながら、佐喜真さんに投票するなんてあり得ない」

 ただ、公明県議はこうした反発を「ごく少数」と言う。
 「大半の学会員は、国と対立しすぎた翁長氏に疑問を持ち、党の方針を理解してくれている」
 県内の公明票は7万〜8万とされる。

 那覇市の会社員知念昌光さん(75)は10日、恩納村の学会施設で創価学会の原田稔会長の話を聞いた。
 原田会長は平和の尊さを訴えつつ「佐喜真さんを応援しよう」と話したという。
 知念さんも生活の向上を訴える佐喜真氏を支持する。

 辺野古反対。
 翁長氏の「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に共感した。
 だが「普天間が返還されれば、実質的には基地の縮小だ」と自分に言い聞かせているという。


[写真]
創価学会の三色旗を持って、玉城デニー氏の街頭演説を聴きに来た野原善正さん=2018年9月13日午後6時39分、那覇市の県庁前

朝日新聞、2018年9月24日18時28分
沖縄知事選
「自公連携」に反旗翻す創価学会員の訴えは 

(伊東聖、山下龍一、伊藤和行)
https://digital.asahi.com/articles/ASL9R4402L9RTIPE001.html

(注)名護市長選の分析〜辺野古反対派はなぜ敗北したのか?〜

2月4日の名護市長選で、普天間基地の辺野古移設に反対してきた「オール沖縄」の稲嶺現市長が敗れた。前回(2014年)選挙では、移設容認の候補を4000票以上の差をつけ圧勝したが、今回は逆に約3500票の大差をつけられ落選したのである。

昨年秋まで楽勝すると予想されていた稲嶺氏がなぜ大逆転を許したのか。本稿では、勝敗を分けた要因を考える。

まず第一に、公明党が渡具知候補を推薦し、フル回転したことが挙げられる

辺野古移設に反対の公明党沖縄県本部に配慮して、渡具知氏は「海兵隊の県外・国外移転を求める」政策協定を同党県本部と結び、公明党が渡具知氏に全面的に協力する環境が整った。前回公明票の60%前後が稲嶺氏に流れたとされるが、今回は約90%が渡具知氏に投じられたと見られる。加えて、前回は自主投票であった維新の会も、今回は渡具知候補を推薦した。名護市の公明票が2000〜3000、維新は1000〜1500と言われるので、公明・維新支持層の票の変動だけで、稲嶺氏と渡具知氏との間の差は一挙に縮まったと推測される。

第二に、名護市民の中に「辺野古疲れ」が見られることである。

辺野古への移設工事は大幅に遅れてはいるが、着々と進んでいる。反対派地元民の多くは高齢化し、徐々に運動から離れていった。移設反対運動を担ってきたリーダーたちの中にも、「そろそろ結着をつけて欲しい」と漏らす人も出てきたほどである。市長選と並行して行われた名護市議補選の結果も、1997年以来20年間に及ぶ辺野古移設反対運動に疲れ果てた市民の気分を象徴するものであった。反基地活動家として有名な安次富浩氏が、団体職員の無名の女性候補に大差で敗れたのである。

第三に、近年の観光ブームに沸く沖縄の中にあって、取り残されたと感じる名護市民の間に、「基地問題」より「生活」への取り組みを求める声が高まってきたことが挙げられる。

「生活」問題の中には、景気対策の他、生徒の給食費問題やごみ問題、上下水道の未整備、医療体制の遅れなどが含まれる。そして、渡具知後援会会長の宮里達也氏は、北部医師会副会長であり、県福祉保健部長、北部福祉保健所長を歴任し、県の医療問題だけでなく、福祉や保健衛生、飲食業などに精通しており、人望もある。宮里氏のような人物が渡具知氏陣営の中心に座ったことで、「基地問題」の稲嶺、「生活」の渡具知というイメージが作られたことも、稲嶺氏への逆風になった。

第四の要因は、「オール沖縄」のまとまりの無さである。

「保革相乗り」と言われ、多様な立場のグループが集った同陣営は、新左翼系から共産党、社民党、ローカル政党の社会大衆党、自由党、リベラル系文化人や知識人、さらには金秀、かりゆし、沖縄ハムなどの有力企業グループの経営者たちなどの寄せ集めである。それぞれの主張の隔たりは大きい。

問題は、全体を束ねる司令塔が存在しないことである。つまり、「オール沖縄」とは、ゆるいネットワークにしか過ぎず、各グループは独自に運動方針を立てる。そのため、統率の取れない場面も出てしまう。

前回より接戦になるとの情報があったため、今回の選挙運動では、共産党が全国から大量の運動員を名護市に投入した。彼らは名護市の地域事情をほとんど知らず、地元の稲嶺後援会メンバーとの意思疎通も十分でなかった。ビラまきなどのサポート役を超えて、路上での呼びかけから戸別訪問まで行った。だが、共産党運動員の「空気を読まない」選挙運動は、自分の意見を明快に述べたがらない名護市民から歓迎されなかった。余りにも頻繁に訪れる運動員たちに「帰れ、二度と来るな」と怒鳴る人も出てきたほどである。

このような異様な状況を危惧する稲嶺陣営関係者は多かった。だが、稲嶺後援会会員の高齢化と人手不足に悩む陣営は、強力な組織を持つ共産党に依存せざるを得ず、同党に強く物申すことができなかったという。

今回の名護での選挙で起きた事態に、共産党の体質が図らずも露呈している。名護市の事情に詳しい地元関係者の指示に従って動くのではなく、党中央から派遣された幹部の命令で動く中央集権型の活動は、自主的で柔軟な草の根運動とはかけ離れたものである。名護市民がしつこい選挙運動に辟易し、「この選挙は私たちの(名護の)選挙なのだ、放っといてくれ」と感じたのも無理はない。

稲嶺陣営の中で共産党が極端に目立ったため、「稲嶺=共産党」というイメージすら作られてしまい、稲嶺氏の支持者がかなり減ったのではないかと言われている。

第五に、応援弁士の質と情報拡散力の差を挙げたい。

各党の最高幹部クラスが名護入りした中で、名護市民を最も惹きつけたのは小泉進次郎自民党筆頭副幹事長である。告示後、1月31日(水)には自民党の若手スター議員を一目見ようと、3カ所の会場には溢れんばかりの人が集まった。特に若者と女性の姿が目立ち、会場すべてをタクシーで回った中年女性の「追っかけグループ」も現れたという。演説に酔いしれた聴衆の中には、演説直後、そのまま期日前投票に向かった人も多く、投票所には行列ができた。

小泉氏の演説は、名護市民を悩ますゴミ問題から入り、目の前に見える地元の高校名や中学名に触れ、さらに名護市の魅力や名産物などを列挙するなど、市民にとって聞きやすく、心地よい内容であった。一方の稲嶺陣営側の志位和夫共産党委員長や福島瑞穂元社民党党首らの話は、基地問題に終始し、安倍政権との対決を叫ぶものであり、「辺野古疲れ」が見える名護市民にとっては、さらに疲れを倍加させる内容だったのかもしれない。

1月30日までは、選挙情勢はかなり拮抗したが、1月31日の小泉演説を境に渡具知候補が優勢に転じたとの見立ては多い。自民党は駄目を押すように、選挙投票日前日の2月3日(土)に進次郎氏を再度名護入りさせている。

六つ目の要因として、若い世代の動向とSNS効果がある。

沖縄テレビ(OTV)の出口調査によれば、60歳以上は稲嶺氏、10代〜60歳までは渡具知氏と、世代によって支持層がきれいに分かれた。稲嶺氏は「基地問題」より「生活」や就職に関心のある若者に、最後まで浸透できなかった。

また、高齢者中心の稲嶺陣営は、概してSNSが苦手である。一方の渡具知氏を応援する若者たちはSNSを駆使し、訴えを拡散した。効果的だった例は、先述した小泉進次郎演説の情報拡散であった。小泉来訪の情報を得た中学生や高校生が親を連れて会場に駆けつけるケースが多かったと言われるが、それは小泉ブームを起こし、その光景をまたSNSが拡散するというサイクルを生み出した。

七つ目の要因として、稲嶺候補がパンダ誘致を公約に掲げたことがある。

沖縄本島北部の最大の観光名所「美ら海水族館」を目ざす観光客は、めぼしい観光資源がない名護市を素通りしてしまう。そこで稲嶺陣営はパンダ誘致を打ち出したのであろうが、この公約の評判は悪かった。

パンダ誘致先として候補に挙がった名護市のネオパークは、経営難に悩む貧弱な動物園である。年間計数億円とも言われる飼育料やレンタル料を、財政難の名護市がどのように準備できるか具体的な説明はなかった。誘致を呼びかけた発起人には「オール沖縄」関係者が並び、野生動物や動物園の専門家は見当たらない。稲嶺候補は、名護で多数の聴衆を集めた小泉進次郎氏を「客寄せパンダ」と皮肉り、「我々は本物のパンダを呼ぶ」と語った。しかし、「シャンシャン」ブームにあやかった、選挙目当ての「票寄せパンダ」と言われても仕方がない。「パンダより子供の給食が先だ」との声も上がった。

また、稲嶺後援会関係者たちの多くも、パンダ誘致の経緯を知らされておらず、寝耳に水だったという。まさに稲嶺陣営の「迷走」であった。

第八の要因は、稲嶺陣営の慢心である。

一昨年の県会議員、参議院議員、さらには昨年秋の総選挙などの全県レベルでの選挙では、「基地問題」が争点となり、「オール沖縄」が勝利を重ねた。その背景に、米軍属による女性殺害、オスプレイやヘリの事故、米兵の飲酒運転など、米軍がらみの事件・事故が相次いだことがあったと言える。選挙告示直前には、国会で米軍機の事故などをめぐる質問に対し松本文明内閣府副大臣(当時)が「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばして、沖縄県民があきれるというオマケまでついた。

辺野古を抱える名護市は、反基地運動の最も重要な地域である。しかも、前回選挙で稲嶺氏は圧勝している。「無名の市議でしかない渡具知ごときに、稲嶺が負けるはずはない」という雰囲気が陣営内に広がっていた。

だが、冷静に2014年の選挙を振り返ると、稲嶺氏にとって偶然好条件がそろっていたため圧勝できたと言える。まず、自民党の候補者選びが迷走し、選挙運動に大幅に乗り遅れた一方、現職の稲嶺氏は選挙体制を早くから整えることができた。また、選挙直前に、仲井眞知事(当時)の埋め立て承認が県民の怒りに火をつけたし、公明党と維新の会も自主投票であった。しかし、今回の状況は全く異なる。

稲嶺陣営が油断した理由として各種世論調査の結果を挙げる人もいる。この数年間、どのメディアの世論調査でも、辺野古移設反対が一貫して60〜70%を占めてきた。今回の選挙での出口調査でも同様の傾向が見られる。これだけ辺野古移設反対の世論があれば、辺野古という現場のある名護市の選挙では絶対勝てる、という感覚が生じてもやむを得ないかもしれない。

だが、一般に、沖縄における「基地問題」に関する世論調査や出口調査の回答拒否率はかなり高い。意見を言いにくい社会環境があるためであろう。その事実を勘案すると、得られた回答に基づく世論や情勢の分析が果たして事実を反映しているのかどうかは検討の余地がある。今回の選挙の出口調査で稲嶺氏が優勢とされたにもかかわらず、開票結果が逆になったことは、その証左である(例えば、共同通信、琉球新報、沖縄タイムス共同の投票日の出口調査では回答拒否率が49.7%に上る)。

沖縄の世論調査や出口調査の結果を分析する際に、有権者が置かれている状況を常に念頭に置く必要があるであろう。特に名護市のように、コミュニティに様々な力が作用し、激しい対立を生み、その対立が友人関係は言うに及ばず、親せき関係や家族関係まで歪めてきた地域にあっては、親しくない人間には、容易に心を開かない人が多い。それを踏まえて調査データを特別な注意を払って分析すべきである。

ここまで、今回の名護市長選挙で勝敗を分けた要因を詳しく見てきた。最後に、稲嶺氏が大敗したとはいえ、実は意外に善戦したことを指摘したい。

上に挙げたような稲嶺候補にとっての悪条件が重なれば、地滑り的大敗北(例えばダブル・スコアでの落選)を喫しても不思議ではない状況であった。にもかかわらず、稲嶺候補は45%の票を得た。その事実は、いまだに名護市民、沖縄県民の間に、「沖縄基地問題」における安倍政権と在沖縄米軍の姿勢に根強い反発があることを示している。松本文明議員のヤジに見られるように、本土の政治家と国民の沖縄理解は極めて不十分であることは、今も沖縄県民を苛立たせているのである。

いずれにせよ、今回の選挙で翁長知事は、地元の民意という大義の源を失った。知事が必ず実施すると公言してきた「埋め立て承認の撤回」という最後の抵抗手段は、その根拠を失い、宙に浮く可能性がある。今後の焦点は11月に予定される県知事選挙であるが、情勢は厳しい。自民党側がいまだに候補者を決められないでいることが、翁長氏にとって唯一の救いであるが、それがいつまでも続く保証はない。


HuffPost Japan、2018年02月09日 14時31分 JST
目黒博、ジャーナリスト
https://www.huffingtonpost.jp/hiroshi-meguro/nago-inamine-lose_a_23356638/

posted by fom_club at 17:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

総理の言う『日本を取り戻す』の中に、沖縄は入っていますか?完全に蚊帳の外で孤立し、何の展望もない状態に置かれていませんか?

 8月に亡くなった翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事は、聞く人の胸に響く、というか、ボディーブローのようにこたえる言葉を数多く残した。

 その中に一つ、こういう発言がある。

「総理の言う『日本を取り戻す』の中に、沖縄は入っていますか」

 翁長氏の著書によれば、2015年9月、安倍晋三首相と首相官邸で面会した時に発した言葉だ。首相の返事はなかったという。
   ◇    ◇
 今月中旬、沖縄に行った折に那覇市の琉球朝日放送(QAB)を訪ね、14年前のニュース映像を見せてもらった。
 2004年8月、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の軍用ヘリが、隣接する沖縄国際大の構内に墜落した時の映像である。

 ヘリは爆発、炎上して校舎の壁を焼いた。破片が付近の民家の窓を突き破り、寸前まで赤ん坊が寝ていた部屋に飛び込んだ。

 さらに驚かされたのは、周辺になだれ込んできた米兵たちの行動だった。
 米軍基地の中でもない大学や住宅地に勝手に規制線を引き、学長や警察官でさえ入れなくしたのだ。

 映像にはその様子が鮮明に記録されている。

 中に入れないQABの記者が規制線の外側からリポートしようとしても、米兵がカメラを帽子で覆い、妨害する。

「ここは公共の場だ」
「何の権利があって妨害するんだ」
と記者が英語で抗議するが、米兵は無言で記者を排除しようとする。
 住民が「ここは基地じゃないんだ」と叫んでも意に介するそぶりもない。

 私がこの映像を見ていて怒りがこみ上げてくるのは、記者という同業者であるからだろうか。日本人であるからだろうか。
   ◇    ◇
 当時、現場に一番乗りしたQABの笠間博之カメラマンは、規制線をすり抜けて校舎内に入り、煙を上げる事故機を近くから撮影した。
 それに気付いた米兵が、笠間さんと記者を構外に追い出した。

 さらに米兵は、撮影したテープを取り上げようと笠間さんを追いかけてきた。
 笠間さんは同僚にそっとテープを渡し、持っていくよう無言で指示した。
 大柄な米兵に囲まれた笠間さんは空のカメラを見せ「テープ、ノー」で押し通した。

「とにかく撮って、伝えなきゃいけないと必死だった。一番腹が立ったのは、われわれを規制する現場の上を、米軍の別のヘリが飛んで撮影していたことですね」と笠間さんは語る。

 この時の米兵の行動は、日米地位協定によって正当化され、当時の日本政府もそれを追認した。

 QABの報道部長によれば、16年12月に米軍オスプレイが名護市の海岸に不時着し大破した事故でも、現場での米軍の取材規制は同じだった。
「現場に入れない、というところを撮り続けてくれ」とカメラマンに指示したという。
   ◇    ◇
 「日本を取り戻す」という威勢のいいスローガンで政権に復帰した安倍首相は任期中、一度も日米地位協定の改定を米国側に要求していない。
 このほど自民党総裁選で勝利し、3選を決めた。

 翁長氏の「『日本を取り戻す』に沖縄は入っていますか」の問い掛けは、宙に浮いたままだ。

 その沖縄では今、翁長氏の後任を決める知事選が行われている。


西日本新聞朝刊、2018/09/23
沖縄は取り戻さないのか
(論説副委員長)
https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/reading_oblique/article/451844/

TOKYO − As North Korean leader Kim Jong Un works the diplomatic channels from Seoul to Washington, one Asian leader finds himself out in the cold.

Japanese Prime Minister Shinzo Abe has repeatedly expressed his determination to meet Kim and “break the shell of mutual distrust.” So far there is nothing on the horizon.

Just the opposite, in fact.

North Korea’s propaganda machine has gone easy on the United States this year. But it has stepped up its vilification of Japan, sparing no opportunity to remind its citizens of Korea’s suffering under Japanese colonial rule in the decades before World War II.

Japan, North Korean state media argues, is nothing less than “heinous war criminal state,” populated by “island barbarians” and led by a “kingpin of corruption” who has done only evil deeds since taking power.

The question is whether all that bluster matters. After all, the North had blasted the United States with a similar propaganda barrage for decades.

But the fast-moving events this year have highlighted Japan’s outlier status as possible deals are cut and new relationships are formed.

“There is a real danger that Abe’s Japan is going to get left behind,” said Koichi Nakano, a political-science professor at Tokyo’s Sophia University.

The Japanese news media took a similar line this week, reacting coolly to the exultant mood at the summit between Kim and South Korean President Moon Jae-in.

Nikkei, an influential financial newspaper, painted a “worst-case scenario” in which North Korea gives up its intercontinental ballistic missiles but retains the ones that can target Japan.

“Cooperation between Japan, the United States and South -Korea is essential,” a Nikkei article said.

Last year, Japan stood side by side with the United States in insisting on “maximum pressure” on North Korea until the country surrenders its nuclear weapon program.

Today, “maximum pressure” has all but disintegrated, as China and Russia ease their enforcement of sanctions and South Korea talks eagerly about economic cooperation with the North.

So, when Japanese Foreign Minister Taro Kono warned recently that sanctions should not be lifted until North Korea completely denuclearizes, Pyongyang reacted with contempt. It mocked Tokyo for trying to stand in the way of the “trend of the times.”

“It has been left alone in the region, being branded as a country of pigmy politicians -engaged in abnormal view on things and phenomena, anachronistic thought and stupid and unbecoming conduct,” the North’s official Rodong Sinmun newspaper wrote.

“Japan will be left alone forever as a lonely island country if it persistently behaves like Don Quixote,” it added.

North Korea had built a regime of fear based on the idea that a U.S. invasion is imminent, and its television news takes every opportunity to remind viewers of the terrible atrocities it says were committed by the U.S. military during the Korean War.

That is, until Kim prepared to meet with President Trump in Singapore in June.

Anti-American propaganda has largely vanished from state TV and news media, and Trump is no longer described as “mentally deranged” or a “dotard.” Instead Japan has assumed the mantle of Public Enemy No. 1.

Partly that’s because the regime needs a scapegoat for its own repressive rule, and Japan is an easy target. It is also because Pyongyang sees Tokyo as an American puppet, not worth taking seriously at this stage in the negotiating process − even if it wants Japanese cash and investment further down the line, experts say.

But there is another reason Tokyo finds itself on the sidelines: the “abductions issue.”

In the 1970s and 1980s, an unknown number of Japanese citizens were kidnapped by North Korean agents and taken to North Korea, partly to teach spies about Japanese language and culture.

The issue has inflamed public opinion ever since and become a favorite cause for conservative Japanese politicians, who still wear blue-ribbon lapel badges in solidarity with the affected families. And the man who championed that cause more than any other − and who rose to political power partly on the back of it − is Abe himself.

In 2002, Junichiro Koizumi, then Japan’s prime minister, traveled to Pyongyang and managed to get five abductees released. Japan says at least 12 more remain missing and rejects North Korea’s assertion that no more are left alive and that the case is closed. Since 2002, both sides have dug in their heels.

Such is the sensitivity of the issue that Abe could meet with Kim only if there were a strong indication that North Korea was prepared to meaningfully reopen the conversation about the abductees, said Jenny Town, a Korea specialist at the Stimson Center in Washington.

In the meantime, she said, Japan finds itself “the benchwarmers” in North Korean diplomacy, “at the end of the line, not going to be called on anytime soon.”

“In a sense, Abe has boxed himself in,” said Chris Hughes, a professor of international politics and Japanese studies at the University of Warwick in Britain. “The Japanese government have built a position that is a little hard to pull back from.”

To make matters worse, there is urgency. The father of one of the Japanese missing − Megumi Yokota, who was 13 when she was abducted − is ill. Her mother writes heartfelt letters to her long-lost daughter that are periodically published in the Sankei Shimbun newspaper.

Nevertheless, negotiations are likely to be going on behind the scenes, Hughes said. The Washington Post reported on one secret meeting between Japanese and North Korean officials in Vietnam in July.

And experts don’t rule out the possibility of progress.

Sheila Smith, a senior fellow for Japan studies at the Council on Foreign Relations, notes that Kim contacted Abe in 2014 about the abductee issue. The initiative foundered but could potentially be revived, she said.

Hitoshi Tanaka, who led secretive negotiations with Pyongyang during the Koizumi admin-istration, said Tokyo is unlikely to resolve the abductee issue straight off.

Instead, it needs to support U.S.-led efforts to get North Korea to denuclearize, he said, and then arrange a credible investigation into the abductee issue as part of a broader deal that includes Japanese investment and aid.

“To resolve this issue, we have to be very scientific, we have to be coolheaded,” he said.

In the meantime, Abe finds himself in a tough spot.

Sophia University’s Nakano argues that is largely his own fault.

“His strategy was to ally strongly with the United States and present himself as the loyal sidekick in Northeast Asia facing China and North Korea,” he said. “But when Trump decided otherwise, he was badly wrong-footed. He is still living with the consequences, trying to make himself relevant again in the geopolitics of Northeast Asia.”


[video]
The Post asked people in Seoul about their views of the summit between President Trump and North Korean leader Kim Jong Un in Singapore on June 12.

[photo-1]
Japanese Prime Minister Shinzo Abe, right, meets with Shigeo Iizuka, second from right, leader of a group of families of Japanese abducted by North Korea, and Sakie Yokota, second from left, mother of Megumi Yokota, one of the Japanese abductees and other members in Tokyo in March.

[photo-2]
North Korean leader Kim Jong Un and South Korean President Moon Jae-in visited Sept. 20 Mount Paektu, the mystical birthplace of the first ruler of Korea.

The Washington Post, Published: September 23 at 11:42 AM
Japan’s Abe finds himself on sidelines amid outreach with North Korea
By Simon Denyer, Tokyo bureau chief covering Japan, North Korea and South Korea.
https://www.washingtonpost.com/world/japans-abe-finds-himself-on-sidelines-amid-outreach-with-north-korea/2018/09/23/5dce8842-bdac-11e8-97f6-0cbdd4d9270e_story.html

posted by fom_club at 12:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Democratic socialist left in USA

As the insurgent left wing of the Democratic Party captures headlines and wins votes, many of its supporters are coalescing around a growing set of policy priorities: universal health care, higher taxes on the rich, the abolition of Immigration and Customs Enforcement. But when it comes to matters of war and peace and to America’s place in the world, the left is either silent or confused.

In the 2016 Democratic presidential primary campaign, Bernie Sanders did not make foreign policy a focus. Alexandria Ocasio-Cortez recently dismissed questions about the Israel-Palestine conflict by claiming she was “not the expert on geopolitics on this issue.” And as other candidates across the United States scramble to get votes from self-declared socialists by, say, supporting single-payer health care, few feel the need to appeal to the left on foreign policy.

To be fair, there are good reasons leftists haven’t grappled much with foreign policy. For one, there are few decision makers from whom they can learn: Since the early days of the Cold War, foreign policymaking has been dominated by a bipartisan commitment to militarism and American hegemony; those who depart from the consensus view have largely been kept out of the State Department, the Pentagon and other parts of the government. At the same time, the left itself lacks institutions dedicated to developing foreign policy ideas. While Republicans and moderate Democrats have a host of think tanks pushing interventionism, no corporation or billionaire has yet decided to fund a left-wing foreign policy think tank to which politicians could turn for advice.

But if the left wing of the Democratic Party wants to be taken seriously, it must speak convincingly about security and diplomacy. Without core, identifiable beliefs about foreign affairs, left-wing politicians will either embarrass themselves or repeat some version of the tired conventional wisdom. Moreover, there is an opportunity here: Just as many Americans are fed up with the economic status quo, so too are they fed up with business as usual in foreign policy.

A foreign policy for the left won’t emerge overnight. A conversation is just starting to take place, and it will continue as more socialists win power and shape American politics. Though a concrete agenda remains a ways off, there are five broad principles that merge the left’s commitment to egalitarianism and democracy with a sober analysis of the limits of American power.

Democracy

Left-wing politics is, at its heart, about giving power to ordinary people. Foreign policy, especially recently, has been about the opposite. Since the 1940s, unelected officials ensconced in bodies like the National Security Council have been the primary makers of foreign policy. This trend has worsened since the Sept. 11 attacks, as Congress has relinquished its oversight role and granted officials in the executive branch and the military carte blanche. Foreign policy elites have been anything but wise and have promoted several of the worst foreign policy blunders in American history, including the wars in Vietnam and Iraq.

The left should aim to bring democracy into foreign policy. This means taking some of the power away from the executive and, especially, White House institutions like the National Security Council and returning it to the hands of Congress. In particular, socialist politicians should push to reassert Congress’s long-abdicated role in declaring war, encourage more active oversight of the military and create bodies that make national security information available to the public so that Americans know exactly what their country is doing abroad.

Accountability

The American foreign policy establishment is notoriously forgiving − of itself. Rarely are policymakers held to account when they offer bad advice, such as supporting a disastrous war in Iraq or helping organize torture or assassinations. This amnesia has plagued Democrats and Republicans alike.

This unaccountability cannot continue. A system that does not punish poor foreign-policy making is a system doomed to repeat its mistakes.

Politicians on the left should make this a core tenet of their approach to foreign policy by promising that when they are elected, they will hold decision makers and advisers professionally accountable.

But professional accountability is not enough. The left should demand that those who violated domestic or international law see justice, even if that means prosecuting them. It will enable the left to demonstrate to both the American people and the international community that it is serious about the rule of law.

Anti-militarism

The United States controls roughly 800 military bases in dozens of countries around the world. This is far more than any other power. The United States also spends more on its military than China, Russia, Saudi Arabia, India, France, Britain and Japan combined. American Special Operations forces were deployed to 149 countries as of last year. Reducing this military footprint, and thus lessening the havoc the United States wreaks abroad, must be a priority for the left.

This reduction should be framed as both a foreign policy goal and an issue of domestic justice. It is unconscionable that the United States spends so much on its military while inequality grows and social programs are underfunded. Cutting military spending will also address another priority of the left: corruption. As William Hartung at the Center for International Policy has argued, almost half of the military budget goes to private corporations that squander our tax dollars “on useless overhead, fat executive salaries and startling (yet commonplace) cost overruns on weapons systems and other military hardware that, in the end, won’t even perform as promised.” A less militaristic United States is a more just United States.

Threat deflation

We can bring our troops home and cut the military budget because the United States doesn’t face any serious external challengers. North Korea, Iran, the Islamic State, Russia and China can’t challenge American sovereignty in the ways Nazi Germany or the Soviet Union once did. While there are admittedly serious global threats, none are existential and none are unmanageable. But for too long, politicians have inflated international threats to justify military adventurism, boost military spending, increase domestic surveillance and campaign on a politics of fear.

The left should change that. Candidates and policymakers alike should educate the public about the United States’ relative safety. Such education will encourage a military drawdown, engender a more honest domestic politics and protect Americans’ civil liberties.

Internationalism

None of this means the United States should retreat from the world. Rather, America should engage with other countries through peaceful diplomacy. An important first step would be to embrace international treaties and institutions endorsed by most nations, like the Paris Agreement on climate change and the International Criminal Court. Moreover, policymakers should urge disarmament talks with all major powers and reinstate the Iran nuclear deal.

The left should also commit itself to reducing global economic inequality by reordering the hierarchical relationships that benefit rich countries over poor ones. For example, the left should not allow American-led corporations to use underpaid and abused workers to produce inexpensive products. Policymakers should also prevent the wealthy from avoiding taxation by working with foreign countries to shutter tax havens.

Finally, the left should take human rights seriously. In particular, left-wing foreign-policy makers should pressure allies like Saudi Arabia and Israel to stop committing human rights abuses by withholding arms transfers and other forms of assistance.

What’s next?

A democratic socialist left is shaping the conversation in American politics right now. This makes it necessary for left-wing politicians to think beyond bread-and-butter issues and to develop new ways of approaching the United States’ world role. An explicit program may not yet exist, but the five principles discussed above can serve as the base upon which future leaders can build a left-wing foreign policy that ushers in a more just and peaceful era.

[photo-1]
Alexandria Ocasio-Cortez speaking to the media at a campaign event for Cynthia Nixon on Wednesday.

[photo-2]
President Bush meeting with his National Security Council the day after the September 11 terrorist attacks.

[photo-3]
American Special Forces at a base in the Parwan Province, Afghanistan, in 2014.

[photo-4]
Environmental activists and supporters took part in a demonstration in support of the Paris Agreement outside the United Nations last week.

The New York Times, Published: Sept. 17, 2018
What Does Alexandria Ocasio-Cortez Think About the South China Sea?

The rising left needs more foreign policy. Here’s how it can start.

By Daniel Bessner
Daniel Bessner is an assistant professor in American foreign policy at the University of Washington’s Henry M. Jackson School of International Studies and the author of “Democracy in Exile: Hans Speier and the Rise of the Defense Intellectual.”
https://www.nytimes.com/2018/09/17/opinion/democratic-party-cortez-foreign-policy.html


posted by fom_club at 10:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

保守論壇の「鉄砲玉」そして『新潮45』は休刊

若手「保守論壇」人の事件簿

2018年、若い「保守派」の論客による問題発言が、何度か批判されました。

2018年2月には、雑誌「正論」などで売り出し中の国際政治学者である三浦瑠麗が、フジテレビ系の番組「ワイドナショー」で、北朝鮮のテロリストが日本や韓国に潜んでいると発言して、それが一般の在日コリアンなどへの差別を煽るとして非難されました。
三浦 もし、アメリカが北朝鮮に核を使ったら、アメリカは大丈夫でもわれわれは反撃されそうじゃないですか。実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ。
東野 普段眠っている、暗殺部隊みたいな?
三浦 テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪やばいって言われていて。
松本 潜んでるってことですか?
三浦 潜んでます。というのは、いざと言うときに最後のバックアップなんですよ。
三浦 そうしたら、首都攻撃するよりかは、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからっていうふうに安心はできない、というのがあるので、正直われわれとしては核だろうがなんだろうが、戦争してほしくないんですよ。アメリカに。
(参照「三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は『うがった見方』と反論」)

そして2018年7月、雑誌「新潮45」8月号が、自民党の杉田水脈議員による論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」を掲載。それが性的少数者への差別を煽るとしてこれもネット上を中心に批判が起き、当初は静観していた自民党も杉田に対して注意を行いました。

しかし、同誌2018年10月号が開き直りともとれる特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を組み、特にその中でも小川榮太郎による論考が、痴漢の正当化としか思えない記述もあるとしてさらに強い批判を浴び、新潮社の出版社としての姿勢そのものが問われる事態となりました。

さらに新潮社の文芸編集部のツイッターアカウントは、2018年9月19日から多くの「新潮45」批判をリツイートし、さらに最上段に固定されるツイートに、新潮社の創業者である佐藤義亮の言葉「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」を設定するという「内部闘争」も起こっています。

三浦も小川も、雑誌「正論」が若手保守論客に対して贈る論壇賞である「正論新風賞」の受賞者であることから、元々イメージがよくなかったこの賞自体についてもさらに露骨に忌避する動きが見られ始めました。
一時期、同世代の売れ筋の国際政治学者たちに会うたびに、「『正論新風賞くれる』って言われたらどうします?」って聞いてもれなく嫌な顔されてたが、これでとにかく拒否、話きたら全速力で逃げろ、になりましたね。(池内恵氏のツイート)

このように、「保守系」の論客が次々と差別的な、または差別を煽るような言説を開陳し、批判されても周囲の論客によって擁護されることが起こるようになっています。

このような傾向は、近年になって顕著に現れています。

それは、それこそ「保守論壇」によって生み出された政治家の多い安倍晋三政権や現在の自民党が、森友学園・加計学園問題、公文書をめぐる諸問題によって信頼が揺らいでいる状況とパラレルになっているように見えます。

そしてそれは、現在の「保守論壇」を支える論理の限界が露呈していることの現れといえるのです。

被害者意識でつながる「論壇」

現在の保守論壇を支えるものとして挙げられるのは、「被害者意識による連帯」と「鉄砲玉としての女性・若者の利用」です。

『憎悪の広告』(能川元一・早川タダノリ:著、合同出版、2016年)が多数の図版を用いて示しているとおり、「正論」や「SAPIO」、あるいは廃刊した「諸君!」など、保守系のマスコミや論壇誌は、中国や韓国、北朝鮮、日本国憲法、ジェンダーフリー教育、フェミニズム、そして朝日新聞などの左派系のマスコミなどを、日本を壊す「敵」として煽るような言論を展開してきました。

我が国の保守系の言論は、「左派的なもの」への敵愾心(てきがいしん)を煽ることにより支持を集めてきたという経緯があります。

残念ながら、私が長い間展開してきた、若者論批判、ニセ科学批判もまた、そのような左派への敵愾心を煽る言説に荷担してきたと言わなければなりません。

こうした傾向は、ネット上にもしみ出してきています。

私は今年、ツイッター上における、ニュースサイト「netgeek」に言及したツイートについて調査を行いました。

このサイトは、民主党・民進党などについて多数のデマを流していることで知られています。そしてこのサイトの主要なコンテンツは、やはり左派へのバッシングなのです。

実際、このサイトに多く言及している人たちにおいては、百田尚樹や上念司といった保守論壇人や、右派、というよりは反左派・反マスコミ系のツイッターアカウントを多数リツイートしていることが観測されました。

また私が所属している同人界隈においても同様に見られます。

例えば「コミックマーケット」の3日目の前日(2日目の当日)においては、ツイッターにおいて「弱者男性」という立場からフェミニズムを攻撃しているアルファツイッタラーと、オタク区議として有名なある大田区議のトークイベントが行われ、フェミニズムについて批判が行われます。

そのほか、表現規制問題の周辺において、論敵を「まなざし村」――元々は一部の漫画・イラスト表現における女性の描き方を問題視する社会学者の事象であったが、いまやこの言葉は逆にそこで批判された表現を受容している層が相手を攻撃する際に頻繁に使われている――と「認定」するような行為も見られ、保守論壇的な憎悪による仲間内の支配はいろいろなところで行われているのです。

「新潮45」についても、2016年にいまの編集長が就任してからと現在を比べて、反左派色を鮮明にしているにもかかわらず部数が落ちていることが指摘されています(注)。

これについて、「部数が減少しているからそういう編集方針に切り替えたのだろう」と指摘する向きもありますが、私の見立てとしては逆で、むしろ部数を「減らしてでも」固定した読者をつなぎ止めておきたい、と考えているのではないでしょうか。

従って、2018年9月21日に新潮社の佐藤隆信社長名義で出された声明文の中にある、《あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現》というものについて、実際にはほとんど鑑みられていないのではないかと私は思う所存です。

なぜなら、むしろ《常識を逸脱した偏見と認識不足》であることを自覚し、なおかつそのような立ち位置を意識することで左派的な「良識」「良心」に刃向かってやるぞ、という“気概”が、「反左派」を存在意義とする保守論壇には強く存在しているからです。

※この段落に関する一部の記述について、詳しい分析は下記の私のnoteにあります。
後藤和智「【C94新刊】月刊テキストマイニングレポートVol.016 誰がnetgeekをシェアしているのか:排外主義サイトの読者の研究」
同「【みちのくコミティア4新刊】月刊テキストマイニングレポートVo.015 「性器呼び」の研究――ツイッターにおける女性差別に関する一考察」

「鉄砲玉」としての女性論客とYouTuber

もう一つは、三浦や杉田などが、保守論壇の「鉄砲玉」として使われているという可能性です。

女性や若い世代に過激な主張をさせることにより、それに対して批判が起こっているという事象を取り上げて、「保守論壇の若手による過激な主張への批判=守旧派の主張」という、世代間闘争の構図を強化する構造が見て取れるのです。

2000年代から現在に至るまで、女性のジャーナリストやライターが、保守雑誌においてメインストリームの主張をカリカチュアライズした現代社会批判などを行うようなことはいくつか見られました。

例えば「諸君!」2004年5月号の特集「ポイ捨て 日本国憲法」において、細川珠生による「日本国憲法サン、60歳定年ですよ」という論考を掲載し、細川が問題視する現代社会の風潮を「憲法」のせいにするということが展開されていました。

そのほかにもこの手の物書きとしては、大高未貴や、近年なら元官僚の山口真由などがあげられます。

また近年ではネット上で保守系の言論を展開しているYouTuberが、保守系マスコミに登場する事例も見られます。

例えば、「週刊新潮」は2017年頃から保守系の人気YouTuberのKAZUYAの連載を始めているのがそれにあたります。

さらにもう一人あげるとすれば、「古事記アーティスト」を自称する歌手・コメンテーターの吉木誉絵でしょうか。

吉木は若い世代の論客として、「朝まで生テレビ!」「ビートたけしのTVタックル」などに出ていますが、皇族の系統であることを自称することで売ってきた竹田恒泰が主催する勉強会「竹田研究会」の出身者であることを隠していません。

吉木は自衛隊の幹部学校に期限付きではありますが「客員研究員」として呼ばれるほどの「実力者」です(参照「自衛隊の危機 01―なぜ、ネトウヨの浸透を許しているのか―」)。

若い世代における自民党の支持率が高いことで、左派論客において若い世代への不信が少なからずある(私は過去に「現代ビジネス」の論考で書いたとおり、これについては少なからず過剰に煽られている側面があると思います)状況において、特に若い世代を保守論壇に「囲い込む」ことで若い世代に自分たちの論理が支持されているとする手法は今後も続くでしょう。

しかしその「成功」は、「左派=高齢者・守旧派」と規定する行為に支えられた、もろいものと言うほかありません。

「保守論壇」はこれからどうなるのか

2018年において、保守論壇をめぐる主要なトピックに、「ネトウヨ春の/夏のBAN祭り」があります。

これは、匿名掲示板「5ch」のカテゴリーの一つである「なんでも実況(ジュピター)」(通称:なんJ)の住人が、韓国や在日コリアンへの差別的な書き込みが多い「ハングル板」に突撃して主導権を乗っ取り、YouTubeのヘイトスピーチを含む動画を次々に通報してチャンネルを凍結させてしまおうとする「祭り」です。

実際、この「祭り」において、KAZUYAや竹田恒泰を含む多くの保守系チャンネルが閉鎖に追い込まれています。

またこの動きと同時期には、プリンター大手のセイコーエプソンが、利用者からの「有名なヘイトスピーチサイトである「保守速報」に貴社の広告が掲載されている」という指摘に対して、同社はすぐさま広告代理店を通じて同サイトへの広告の配信を停止するということもありました(参照「『保守速報』への広告停止 エプソン販売『社内規定に反する』と即日対応」)。

このように、YouTubeやネット広告といった収入源になっているものを断つような、いわば「兵糧攻め」の動きが見られてきています。

もちろんYouTubeの動画の規制を決めるのはYouTubeを運営しているGoogleですし、またネット広告の停止を決めるのは、最終的には広告主の判断であることを忘れてはなりません。

これらの動きは、ヘイトスピーチに荷担することがブランドイメージへの毀損につながるという考えが浸透してきたからだと言うことができます。

しかし、左派や高年齢層への敵愾心によって「つながっている」層は、そのような動きに対して、むしろ態度をこわばらせているようにも見えます。

「『リベラル』こそが守旧派、現政権こそ真のリベラルである」という主張は、現政権を支持する文化人によってよく語られます。

これらの動きは、「本当は『リベラル』という価値観は好かれているが、『日本リベラル』はその条件を満たしていない守旧派である」という考えが支持されているから、というよりも、むしろ相手の実存を攻撃することによって、敵愾心によって仲間内のつながりと支配を強化する「あがき」と言った方が正しいでしょう。

そして現政権もまた、そのような支持者――自分は「頼りになるリベラルがいないから仕方なく支持している」と言うが、実際には左派へのマウンティング欲求を満たすために支持していると見られる――によって支えられているのです。


現代ビジネス、2013.09.23
「保守論壇」はなぜ過激化するのか?「新潮45」問題から見えたこと
「被害者意識」でつながる論理

後藤 和智(*)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57621

(*)後藤 和智
1984年生まれ、宮城県仙台市出身。 東北大学工学部卒業、同大学院工学研究科博士課程前期修了、修士(工学)。2004年に若者論を検証するブログを開設。サークル「後藤和智事務所OffLine」としての活動は「コミックマーケット73」(2007年冬コミ)より。現在は若者論研究のほか、同人誌では統計学や社会学の解説書、データジャーナリズムなども扱う。

(注)新潮社、「新潮45」の休刊を発表

新潮社が9月25日、月刊誌「新潮45」の休刊を公式サイトで発表した。

同誌は、8月号に杉田水脈氏が同性愛者について「生産性がない」と記した寄稿文を掲載、さらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んで批判を浴び、社長が9月21日付けで「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったと認める声明を出す事態になっていた。

新潮社は公式サイトに掲載した「休刊のお知らせ」で、「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました」と宣言した。

また、同誌について、「ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否め」ないと認め、「その結果、『あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現』(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します」と謝罪した。

お知らせ文は「これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません。今後は社内の編集体制をいま一度見直し、信頼に値する出版活動をしていく所存です」と締めくくっている。

新潮社が発表した「休刊のお知らせ」全文は以下の通り。

--

「新潮45」休刊のお知らせ

弊社発行の「新潮45」は1985年の創刊以来、手記、日記、伝記などのノンフィクションや多様なオピニオンを掲載する総合月刊誌として、言論活動を続けてまいりました。

しかしここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します。

会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。

これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません。

今後は社内の編集体制をいま一度見直し、信頼に値する出版活動をしていく所存です。

2018年9月25日
株式会社 新潮社

--


HuffPost Japan、9/25(火) 17:33配信
新潮社、「新潮45」の休刊を発表 杉田水脈氏の寄稿文問題で批判
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180925-00010003-huffpost-soci

posted by fom_club at 06:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月24日

日蘭交流の始まり

2009年は日本とオランダの通商が始まって400年になります。

(1)リーフデ号の日本漂着

日本とオランダの400年にわたる交流は、慶長5年(1600)に始まる。
この年の3月(1600.4)、豊後国臼杵(現大分県臼杵市)の海岸に1隻の外国船が漂着した。
これが、日本に到着した最初のオランダ船リーフデ号である。
リーフデ号を含む5隻のオランダ船は、1598年6月、東洋を目指しロッテルダムを出港した。
船団は南アメリカ南端を回って太平洋に入るコースをとったが、嵐やスペイン・ポルトガル船の襲撃にあい、東洋までたどりついたのはリーフデ号のみであった。
少数の生存者の中に、船長クワケルナック、高級船員ヤン・ヨーステン、イギリス人航海士のウィリアム・アダムスらがいた。
彼らは、政治の実権を握っていた徳川家康の命で大坂に召し出され、その知識により重用されることになる。
ヤン・ヨーステンは朱印状を与えられ貿易に活躍、江戸の居住地はその名をとって「八重洲河岸」と呼ばれるようになった。
アダムスは家康に信任され、外交顧問としても活動、与えられた知行地と水先案内の職務により、「三浦按針」と称された。

(2)オランダ人への通商許可、平戸商館の設置

当時日本との交易に携わっていたのは主にポルトガル人であった。
家康は彼らに対抗する勢力として、日本との貿易を許可する朱印状をクワケルナックらに与えた。
これを受けてオランダ東インド会社の船が慶長14年(1609)九州平戸に到着、オランダ総督マウリッツからの家康への親書と献上品をもたらす。
家康は使節を駿府に迎え、書状と通航許可の朱印状を託した。
これによりオランダ商館が平戸に設立され、ここに日蘭の貿易が開始された。

当時のオランダは、1568年に新教徒がスペインへの反乱を起こし、1581年に独立を宣言したばかりの新興国であった。
スペイン船による貿易に頼れなくなったオランダは、その存立のため積極的に海外に進出した。
オランダ東インド会社(Vereenigde Oost-Indische Compagnie, 略称VOC)はいくつかの商社を統合して1602年に設立され、喜望峰以東の貿易独占権や外国との条約締結権など広範な権力行使を政府から認可されていた。
ジャワ島のバタビア(現ジャカルタ)に本拠を置き、東インド総督が駐在していた。
日本の商館もその指揮下にあった。

(3)台湾事件

日蘭貿易には当初なんら制限はなかったが、元和2年(1616)明船以外の外国船の入港が平戸と長崎に限定され、さらに貿易をめぐる紛争のため一時中断する。
オランダは、スペイン、ポルトガルに対抗し中国の生糸を入手するため、1622年台湾に拠点として商館と要塞(ゼーランディア城)を設けた。

現地での貿易独占を目指すオランダ人と日本の商人との間に紛争を生じ、バタビア政庁は台湾に赴任する長官ヌイツに解決にあたらせた。
しかし、ヌイツは1628年朱印船船長浜田弥兵衛と争い、浜田は数名のオランダ人を人質として日本に連れ去った。
浜田らの訴えにより、オランダとの貿易は全面的に停止され、ヌイツは責任者として日本側に引き渡され、人質と交換に幽閉された(1636年解放)。
これにより解決が図られ、寛永10年(1633)貿易が再開される。
貿易許可の「御礼」としての商館長の江戸参府は、このとき義務付けられ定例となった。


江戸時代の日蘭交流
第一部 歴史をたどる
1. 日蘭交流の始まり


国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/nichiran/greetings.html
オランダ王立図書館
https://www.geheugenvannederland.nl/en/geheugen/pages/collectie/Nederland+-+Japan

黒島は、大分県臼杵市の臼杵湾内に浮かぶ周囲3km標高27kmの小さな島。
佐志生海岸から約300mの距離にあり、佐志生港より渡し舟を使い、約5分程度で着きます。

環境省による「海水浴場百選」に選定されており、6月上旬から8月末までの間、海水浴やキャンプなどが楽しめます。

また、ウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステンが乗船していたリーフデ号が、慶長5年(1600年)に漂着したとされる地で、三浦按針上陸記念碑や資料館などがある「三浦按針記念公園」、ヤン・ヨーステン像のある「リーフデ号到着記念公園」が整備されています。

日本で最初に英語が話されたのは、ここ黒島という説もあります。


(公社)ツーリズムおおいた、黒島キャンプ場
https://www.visit-oita.jp/sp/spots/detail/5577

 大分県臼杵市佐志生の約200メートル沖合に浮かぶ黒島で2018年4月19日、在大阪・神戸オランダ総領事館のヘラルド・ミヘルス総領事夫妻や地元の佐志生小学校の児童ら計約80人が参加して、「デ・リーフデ『奇跡の来航』記念追悼献花式典」が開かれた。
 式は1600年4月19日にオランダ商船「デ・リーフデ号」が黒島に漂着したとされる日に合わせ、日本とオランダの友好を祈り航海で亡くなった乗組員らを追悼する目的で開かれた。

 船には後に徳川家康の外交顧問として活躍した英国人・三浦按針(ウィリアム・アダムス)も乗っていた。
 航海は過酷で、漂着した時はオランダ出発から666日が過ぎていた。
 その間に110人いた乗組員はわずか18人に減っていたという。

 式で木梨雅孝実行委員長は「リーフデ号がここに漂着した時、地元の佐志生の人たちが船員たちを手厚く保護した。歴史上の出来事に思いをはせるとともに、佐志生のまちの先人への感謝も込めて思いを新たにする日にしたい」と話した。

 ミヘルス総領事は「臼杵のみなさまに心からの感謝を伝えたい。これからも日蘭関係はますます発展すると思います」と述べた。

 式では生き残って漂着した乗組員18人の名前が一人一人読み上げられ、その後、参加者らが会場のリーフデ号記念公園内の三浦按針上陸記念碑の前に設けられた献花場にカーネーションを供えた。


朝日新聞、2018/04/21 に公開
大分・臼杵市

日蘭友好への思い新たに「デ・リーフデ『奇跡の来航』記念追悼献花式典」

https://www.youtube.com/watch?v=_2cuI3USHSY

posted by fom_club at 19:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ふるさと納税制度

 ふるさと納税を巡り、野田総務相が豪華な返礼品で寄付を集める自治体を制度の対象外とする方針を表明し、波紋が広がっている。
 自治体は返礼品の見直しなどの対応に追われ、返礼品がなくなる前の「駆け込み寄付」とみられる現象も起きている。

表明当日3倍に

 「ふるさと納税は町運営に欠かせない財源。急減すれば施策の再考も避けられない」

 佐賀県みやき町の末安伸之町長は、総務省方針に困惑する。
 タブレット型端末「iPad(アイパッド)」や掃除機などの返礼品で、2017年度には町税収入(約26億円)の3倍近い約72億円の寄付を集めた。
 これを元に、18歳以下の医療費助成や、小中学校の給食費無料化を実施した。
 今月12日付で、iPadなど地場産品でない200品目を削除し、最大50%だった寄付額に対する返礼割合も3割に抑えた。
 野田氏が記者会見で法改正の検討を表明した11日には、7億円以上の寄付金が集まったという。

 和歌山県高野町の寄付額は11日、ふるさと納税のポータルサイトで、前日の3倍の約300万円に跳ね上がった。
 約400品目の中で特に人気なのが、町内にある高野山のほか、京都、東京など空海ゆかりの地に行ける旅行券のクーポン。
 総務省は不適切としたが対応は未定で、町の担当者は「クーポンも終わると考えて、急いで寄付しようとしたのだろう」という。


読売新聞、2018/09/24 17:54
「駆け込み寄付」急増、人気は旅行券クーポン
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「駆け込み寄付」急増、人気は旅行券クーポン/ar-AAAzb7f

 今月11日、野田聖子総務大臣は記者会見で、ふるさと納税制度について「過度な返礼品を送付し、制度の主旨を歪めているような団体については、ふるさと納税の対象外にすることを検討する」と制度の見直しに言及した。
 さらに「ふるさと納税のサイトを見ると、まるでショッピングのようだが、ふるさと納税はショッピングではなく寄付なんだということをわかっていただきたい」と述べ、本来の趣旨と異なる運用をしている自治体があるため「返礼品の還元率を3割以下かつ地元産品に限る」という制度に見直すという。

 しかし、それでも現行のふるさと納税制度には大きな欠陥がある。

高額納税者優遇制度になっている

 総務省がHP上で公表している表「全額控除されるふるさと納税額の目安」をみてみよう。

【ご参照】
総務省HP「全額控除されるふるさと納税額(年間上限)の目安」

 2000円の自己負担金を除き、全額が所得税及び住民税から控除される額の上限である。
 独身または共働きで給与収入が年間300万円の場合、2万8000円以下のふるさと納税であれば、自己負担は2000円となる。つまり「2000円の自腹で2万8000円のふるさと納税に相当する返礼品を受け取ることができる」ということだ。
 これが、給与収入700万円になると10万8000円、1000万円になると17万6000円、2500万円になると控除額が84万9000円になる。

 これは言い換えると、もし返礼品の還元率が5割の場合、給与収入700万円の人は、自己負担2000円で5万4000円相当の商品が手に入るということだ。
 5万4000円の商品を2000円で買うことができるのだ。
 しかも、行政のお墨付き商品なので、偽装もなければ品質も保証されている。
 売れ残りでもなければ、わけあり商品でもない。
 こんな超お得なセールは、民間企業では到底できるわけがない。

 しかし、この税金による国の「ふるさと納税特大還元セール」は、非常に不公平なシステムになっている。
 この恩恵を受けることができる条件は、収入によってあまりにも大きな格差があるのだ。
 前出の総務省の表を見るとわかるが、たとえば夫婦(配偶者の収入0円、子どもは中学生以下)の場合、以下のようになる。

給与収入    控除額
300万円     1万9000円
500万円     4万9000円
800万円     12万円
1500万円    38万9000円
2500万円    84万9000円
 
 もし返礼品の還元率が5割の場合、収入500万円の世帯は2万4500円相当の商品しかもらえないが、2500万円収入世帯はその17倍強の42万4500円相当の商品が手に入るのだ。
 どの世帯も負担金額は2000円である。

 税金を多く払っている世帯を優遇しているという理屈なのだろうが、ふるさと納税制度は「金持ちほど得をするシステムになっている」ことは間違いない。

寄付して得する寄付は、本当の寄付なのか

 総務大臣は「ふるさと納税はショッピングではなく寄付だ」というが、普通、寄付は見返りを求めないものだ。
 ところがふるさと納税は、寄付といいながら、寄付金以上の見返りがある。
 一般的な寄付でも、寄付金控除制度はある。
 たとえば、日本赤十字社に10万円寄付をすると、申告すれば何割かが控除される。
 控除されるといっても、全額控除されるわけではない。数万円は自己負担になる。自腹を切るからこそ寄付といえるのだ。

 ところが、ふるさと納税は、寄付と言いながら自己負担は一律2000円で、数万円、数十万円の商品が手に入るのだ。
 しかも、ビール券やクーポン券といった金券もある。ビール券を金券ショップに持ち込めば現金に交換できる。
 金券でなくとも、商品を転売すれば現金収入になる。
 2500万円の収入世帯は、還元率5割とすれば40万円程度の現金収入を得ることができる可能性がある。
 これが寄付といえるのだろうか。

 さらには、ふるさと納税には、これ以外にもまだ大きな欠陥がある。


ビジネスジャーナル、2018.09.22
「もうダマされない」

ふるさと納税制度は、高額所得者ほど高額な返礼品を得られる「金持ち優遇策」である

垣田達哉/消費者問題研究所代表
https://biz-journal.jp/2018/09/post_24858_2.html

7月6日、総務省が「ふるさと納税に関する現況調査結果」を発表した。昨年度のふるさと納税受け入れ総額が3653億円と過去最高となったことなどをまとめた10ページの資料だ。

その最後のページに、@返礼割合が3割超、A地場産品以外の返礼品を送付、B2018年8月までに見直す意向がない、C昨年度10億円以上の寄付を受け入れ、の4条件に当てはまる、大阪府泉佐野市など12の市町がリストアップされていた。いわば「言うことを聞かない自治体はこの12市町です」と、総務省が公表した格好だ。

背景にはふるさと納税の過熱ぶりがある。ふるさと納税はそもそも「寄付」であるにもかかわらず、牛肉や温泉宿泊券といった高価な返礼品ばかりが独り歩きした。

こうした事態を受け、総務省は2017年に返礼品を寄付金額の3割程度に抑えることや、商品券、家電など換金性や資産性の高いものを自粛するように通知。今年4月には「地域資源を活用したものを送付するなど、良識ある対応」を求めた。それでも意向に従わない自治体として、12の市町がやり玉に挙げられた格好だ。

豪雨災害をきっかけにふるさと納税を活用

総務省が具体的な自治体名を出したのは、今回が初めて。だが、名指しされた12自治体には、それぞれの事情があるようだ。

昨年度に全国22位、21.6億円の寄付を集めた茨城県境町は、財政難を救う一助としてふるさと納税に力を入れた。本腰を入れ始めたのは、2014年に橋本正裕・現町長が38歳の若さで就任してからだ。

橋本町長が就任する前年の2013年、境町の「将来負担比率」(将来負担額の標準財政規模に占める割合)は184.1%と、茨城県内で圧倒的なワーストだった。この財政難に追い打ちをかけるように襲ったのが、2015年9月に発生した関東・東北豪雨災害だ。

床上・床下合わせて500棟以上が浸水したほか、道路や田畑、牛舎が水没し、復興のための補正予算は8億円以上に上った。激甚災害に指定されたため大部分は国や県の負担になったが、それでも1億円近い歳出は町の持ち出しとなった。そこで、ふるさと納税を活用した。

豪雨以前の寄付も含め、2015年度の1年間で全国から8.5億円の支援が集まった。前年度比27倍以上の寄付を集めたのだ。

この寄付を、災害からの復旧・復興につなげた。このときのノウハウを生かし、2016年の熊本地震や今年7月の西日本豪雨では、被災した自治体に代わってふるさと納税を受け付ける「代理受け付け」を遂行。「証明書発行などの事務手続きが職員の負担になるため、処理に慣れた自治体が代理で受け付けるのは効果的」と、地方財政に詳しい嘉悦大学の和泉徹彦教授も太鼓判を押す。

泉佐野市は初めて100億円超の寄付を集める

制度について橋本町長は「ふるさと納税と災害支援というのは、相性が良い。返礼品ではなく、地域を純粋に支援したいという気持ちが数字に出る。代理受け付けは、関東・東北豪雨災害を経験し、被災地の立場で考えてできた制度」と語る。

境町の返礼品のほとんどは、常陸牛やコシヒカリをはじめ地元産のもの。今回注意の対象になったと考えられる地場産品以外の一部の返礼品も、境町産の野菜を使ったレストランの食事券や、友好都市、歴史的つながりのある土地のものという。地場産品かどうかというよりも、返礼品が本当にその地域のためになっているかを検証していく必要もありそうだ。

ぶっちぎりの1位となる135.3億円の寄付を集めたのは、大阪府南部に位置し、関西国際空港が位置する泉佐野市。一自治体が100億円以上の寄付を集めるのは制度史上初めて。泉佐野市の一般会計歳入563億円のうち24%と約4分の1を占める。

泉佐野市は、1994年の関西国際空港の開港に伴う都市基盤や公共施設の整備に対する過剰投資が元凶となり、債務残高が膨張。2009年に財政破綻の一歩手前の「財政健全化団体」に指定された。このときの「将来負担比率」は393.5%と、茨城県境町の2倍以上。市が1年に得られる地方税収と普通交付税の合計の4倍近い負債を抱えていた。

市は翌年に「財政健全化プラン」を策定。市職員の定員および給与や議員報酬のカット、遊休資産の売却などひととおりの財政再建策に加え、市名のネーミングライツ(命名権)の売却や、犬の飼い主に課す「犬税」の導入も検討するほど必死の改革だった。その結果、19年かかる予定だったプランを5年で遂行、「財政健全化団体」を脱した。

「航空券に使えるポイント」で受け入れ拡大

こうした中、税外収入を少しでも増やすべく力を入れたのがふるさと納税だった。2008年のふるさと納税制度の創設当初、返礼品は地元産の「泉州タオル」のみだったが、2012年に地酒やカニなどを、2014年には関西国際空港を拠点とするLCC(格安航空会社)ピーチ・アビエーションの航空券に使えるポイントを追加し、受け入れ額をぐんぐん伸ばしていった。

「これまで総務省と同じ方向を向いてふるさと納税を一緒に盛り上げてきたのに、ここ2〜3年で急に総務省の方向性が変わった」。泉佐野市の担当者はそう話す。「市の厳しい財政状況を理解して一緒に頑張ってきた(返礼品を取り扱う)事業者との契約を、総務省に見直せと言われたからといって一方的に打ち切ることはできない」とため息をつく。

嘉悦大学の和泉教授は「泉佐野市は財政健全化団体の指定を脱したが、まだ土地開発公社がらみの将来負担額は大きい」と指摘する。ほかの財源の手当ては簡単ではなく、泉佐野市にとって、ふるさと納税の縮小は死活問題になりかねない。

サーティワンアイスクリームやリンガーハットの商品券が返礼品としてもらえる静岡県小山町。2017年度は前年比49.7%増の27.4億円の寄付を集めた。

これらの商品券での返礼割合は4割に及ぶ。ただ、それ以上に問題なのが「総務省がサーティワンやリンガーハットの商品を地場産品として認識しているかわからない」(担当者)ことだ。富士山麓の水が豊富に得られる環境を生かして、小山町には両社の生産工場があり、多くの町民もそこで働く。町内産業を活性化するためこうした返礼品を送るが、それがルール違反に当たるのか、総務省と意思の疎通ができていないのが現状だ。

世田谷区では40億円を超える住民税が消滅

総務省の担当者は今回の12自治体の公表について、「ほとんどの自治体はルールの範囲内でやっているが、一部の自治体が迷惑をかけている。この危機的状況を何とかしたいと思い、今回公表に踏み切った」と話す。ここでいう「迷惑」とは、制度の爆発的な拡大に伴い、都市部の自治体で本来得られるはずの住民税の流出が年を追うごとに大きくなっていることだ。

東京都世田谷区や神奈川県川崎市では昨年度、40億円を超える住民税が“消滅”した。世田谷区の保坂展人区長は「地方創生、雇用創出には賛成。地方が疲弊して東京だけが繁栄を続けられるということはありえない」と制度の趣旨に理解を示しながら、「寄付と言いながら、地方の中でも返礼品によって受け入れ額に大きな格差がついている。高額納税者ほどメリットが出る逆進性も問題だ」と指摘する。

7月17日には23区の区長で作る特別区区長会が野田聖子総務相に対し、税控除の上限額設定や地方交付税による補填の仕組みの見直しを盛り込んだ要望書を提出した。寄付に伴う住民税控除額の上限が2015年に引き上げられたことでふるさと納税が飛躍的に拡大した面があるため、それを元に戻すことを要望している。

都市部の自治体には、返礼品競争を「自粛」しているという思いもある。「もし世田谷区でも物品カタログみたいなことをやったら、本当に過疎で悩む村からも、その村に入るべき税をいただいてしまうことになる。それは泥仕合だ」(保坂区長)。

納める住民税を、お世話になったふるさとや応援したい自治体に移転するふるさと納税。簡単な手続きで寄付ができ、認知度が飛躍的に高まった反面、矛盾もあらわになっている。もう一度、制度のあり方を検討すべき時かもしれない。


[データ] 2017年度「ふるさと納税」受け入れ額ランキング

東洋経済、2018/08/17 6:00
ふるさと納税「争奪戦」が終わらない深い事情

総務省が12市町を名指し注意、従わぬ理由は?

佐々木 亮祐、東洋経済記者
https://toyokeizai.net/articles/-/233776

posted by fom_club at 19:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋分の日は東京駅を徘徊

こんばんは、秋分の日の今日、皆さまそれぞれ充実した一日だったことと思います。

山歩クラブでは8人集まって、まずは「北町奉行所跡」に遠山の金さんを想い、次いで、三浦按針と同じ漂着したリーフデ号(リーフデってオランダ語で「愛」と仲間が教えてくれました)に乗っていたヤンヨーステンを偲ぶタウンウオーキングを実施しました。

いまの八重洲の地名のもととなったオランダ人です。

映画「SHOGUN」(1980年)に詳しく、また大分県臼杵市の黒島に到着記念公園が、また長崎県のハウステンボスに船が復元展示されているそうです。

さらに東京駅構内では、原敬首相と浜口雄幸首相を襲った現場の検証までし、八重洲地下街の海産物の美味しいお店で打ち上げの乾杯をし て暑かっ た今夏を振り返り、また徘徊散策できることの喜びを皆んなで共有してまいりました。

次回は30日の桜守のお話しが上野公園で、あっ、その前に28日金曜日が神楽坂お散歩会がありました。お弁当なしです。参加者に別途集合時間、場所のご連絡をしますのでお申し込みはいますぐ!では、それまでご・き・げ・ん・よ・う、ヤッホーくんでした



「北町奉行所跡」☟

P1060256.JPG

「ヤンヨーステン」☟

P1060261.JPG

「ヤンヨーステン胸像」☟

P1060264.JPG

「リーフデ号」☟

P1060268.JPG

「原敬暗殺現場」☟

P1060265.JPG


「浜口雄幸首相襲撃現場」☟

P1060272.JPG

posted by fom_club at 08:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の政策前提は崩れてる?

日本の「世帯」の姿が大きく変化している。
 夫婦と子ども2人の家族構成は今や少数派で、もっとも多いのは単身世帯だ。
 さらに仕事の状況も合わせて分析すると、直近では「単身で無職」の世帯が2017年に最多になったとの調査もある。

 いまだ4人家族を基準にしている統計や政策は、実態との乖離(かいり)が否めない。


 家計の状況を映し出す統計としては、およそ70年間続いている総務省の「家計調査」がある。
 調査は9000世帯を「標本」として集計する。

 継続的な変化をみる統計として利用されているが、調査対象は実態と食い違っている。
 標本は夫婦と子ども2人の「標準世帯」を含む2人以上世帯が9割以上を占めており、単身は約750件で8%のみだ。

 一方、国勢調査をみると15年時点で最も多いのは1840万世帯の単身世帯で、全体の35%を占める。
 少子化で1人で生活する大学生などの数は減っている。
 晩婚化が進んで生涯独身の人も増加し、さらに高齢者の一人暮らしが増えているのが大きな要因だ。


 総務省も標本のズレは認識しているものの、調査の継続性や協力者の確保を考えると変更はしづらい。
 だが対応をためらっているうちに、単身世帯は中身もどんどん変わっていく。
 詳細を把握する姿勢は欠かせない。

 大和総研の是枝俊悟研究員は、世帯と仕事との関係を時系列で分析した。
 世帯を人数だけでなく、働いている人がいるかどうかによって分類した。
 すると17年は「単身・無職」が最多になっているという結果が出た。
 30年前には全体の7%にすぎなかったが、17年には17%まで上昇した。
 5世帯のうち1世帯は「働いていない人の一人暮らし」になったという。

 家計調査では圧倒的に少数派の単身世帯が実際の社会では大きな比重を占めているなら、調査の精度に疑問符がつく。

 例えば、4〜6月の家計調査で単身世帯をみると、働く女性の消費支出は月平均18万2千円(35〜59歳)。
 一方、総務省が単身者に絞って始めたモニター調査では35〜39歳が16万円、55〜59歳で15万3千円だ。
 実態は家計調査より節約傾向が強い可能性がある。

 家計調査は国内総生産(GDP)や景気動向指数などに幅広く使われる。
 実態との乖離が大きいと、統計を利用する人たちが消費動向を見誤ってしまう恐れが出てくる。
 政策立案や企業のマーケティング活動にも影響が出かねない。

 世帯の標準を巡るギャップで、さらに深刻な影響が懸念されるのは高齢者の社会保障だ。

 厚生労働省の年金の財政検証では、働く夫と専業主婦の世帯をモデルにして年金給付水準が試算される。
 第一生命経済研究所の星野卓也氏は「単身で収入が少ない高齢者の問題が見過ごされがちだ」と指摘する。
 単身は夫婦の世帯より年金の受取額が少ないことが多い。
 1人だと住居費などの負担も相対的に大きい。
 「必要な費用は単純にモデル世帯の半分で考えればいいわけではない」(星野氏)

 65歳以上の単身世帯では、若いころの就業期間が短いといった理由から無年金になっている人も男性で1割前後、女性で5%程度いる。
 みずほ情報総研の藤森克彦氏は「単身・無職を少数派と考えず、家族依存型の社会保障を見直さないといけない」と話す。

 35カ国が加盟する経済協力開発機構(OECD)によると、日本の単身世帯比率はOECDで10位。
 欧州連合(EU)の平均(30%)を上回り、25〜30年には北欧やドイツと並ぶ見通しだ。
 日本社会で進む「単身化」の実態に即した統計を整え、有効な手を打てるか。
 課題先進国の対応力が問われる。


日本経済新聞、2018/9/23 15:29
「単身・無職」世帯が最多、しぼむ4人家族
政策前提崩れる

(中村結)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35637780R20C18A9SHA000/

 アベノミクスは当面、ここにとどまることになりそうだ。
 安倍晋三首相は20日、自民党総裁選で3選を果たし、2021年までの長期政権も視野に入った。
 今年に入り、黒田東彦日銀総裁の2期目続投も決まっており、今回の安倍首相の勝利により、黒田・安倍両氏が過去5年に進めてきた大胆な経済政策が途切れることはまずないだろう。

 日銀による異例の金融緩和がけん引役であるアベノミクスは、現時点でプラス面がマイナス面を上回っている。
 4-6月期(第2四半期)の日本の国内総生産(GDP)は前期比0.7%増と、健全な伸びを示した。
 名目GDPは2013年1-3月期末以降、11%増えた。
 その前の20年間の景気停滞と比べれば、大幅な改善だ。

 一方、日経平均株価は、企業の収益改善が追い風となり、1990年代初頭以来の高値圏にある。
 モルガン・スタンレーによると、MSCI日本株指数の株主資本利益率(ROE)は9.8%と、2012年の4.4%から上昇した。
 安倍政権は高齢化社会など日本が抱える長期的な問題への取り組みで一定の進展を遂げてもいる。
 過去5年に日本国内の外国人居住者は3分の1近く増えた。

 こうした成功例の中で、物価は依然、大きな汚点を残す。
 8月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く、コアCPI)は前年同月比0.9%上昇と、なんとか上昇の勢いは維持したものの、日銀が目指す2%のインフレ目標から離れた水準に張り付いたままだ。
 安倍首相の発言が微妙に変化した背景には、おそらくこうした状況がある。
 首相はこれまで重要課題としてきた物価の押し上げについて、日銀にとって目標の一つにすぎないと語るようになった。
 インフレ目標達成に関する発言の微調整は、政策担当者が物価との戦いは今後何年も続くことを受け入れたことを示唆している。

 そのため、日銀はまだ相当な期間、金融緩和を維持することになりそうだ。

 日銀の超緩和策はすでに、市場にかなりのゆがみをもたらしている。
 ジャパン・マクロ・アドバイザーズによると、日銀が保有する国債は市場の50%近くに達する。
 また上場投資信託(ETF)を通じて事実上、多くの日本企業の株式も大量に保有している。


 世界的な「国家資本主義」台頭への懸念は中国に向きがちだが、こうしたデータを踏まえると、日本政府の市場支配率もゾッとするほど高い。
 安倍首相はこれまで、任期終盤に政策の「正常化」を目指す考えを示している。
 だがアベノミクスの巻き戻しの影響は、おそらく数世代に及ぶのが現実だろう。


The Wall Street Journal Japan (日本)、2018 年 9 月 22 日 09:22 JST
アベノミクスの巻き戻し、影響は数世代に
データを踏まえると日本政府の市場支配率はゾッとするほど高い
By Andrew Peaple
https://jp.wsj.com/articles/SB11409259661987013647204584486360884535256

posted by fom_club at 07:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

はるかぜちゃん

 扉を開けると快活な声が響いた。
「よろしくお願いします!」。
 声の主は、透明感のある少女。17歳の“はるかぜちゃん”だ。
 “はるかぜちゃん”とは愛称で、本名は春名風花(はるなふうか)さん。子役として活動をしながら、9歳でツイッターをはじめ、率直な鋭い意見でネットを賑わせてきた。
 特に有名なのは、2010年「青少年健全育成条例」の改正案が可決された際のツイートだろうか。当時まだ10歳だった彼女の

ぼくたちはいいまんがも、悪いまんがも、ちゃんと自分でえらべます(ω)
都条例ぷんすか(ω)

という意見に反響が集まった。

 その彼女も、もう17歳。現在は女優・声優として活躍している。
 春名さんは8月20日、『いじめているきみへ』(朝日新聞出版)という絵本を出版した。
 彼女の考える、「いじめ」とは? そして彼女を支えてくれていたものとは?
 ツイッターで見る印象そのままに、まっすぐな大きな瞳で、インタビューに応じてくれた。


誰でも「いじめ」の当事者になる

 絵本は、6年前の朝日新聞の特集「いじめと君」に掲載された「君、想像したことある?」というインタビュー記事が元になっている。この特集には多くの著名人が参加したが、春名さんの記事は特に大きな反響を呼んだ。

 絵本化のきっかけはツイッター。「あの記事が、絵本になっていたら欲しい」というツイートを、たまたま目にした。

「いいアイディアだなと思って、すぐ朝日新聞さんに連絡しました。温度感のある絵を描くみきぐちさんをイラストレーターとして推薦して、素敵な絵本に仕上げていただきました」

 たくさん寄せられた声の中には、いじめられていた人だけでなく、いじめていた人からのコメントも多く届いたそうだ。

「本当に色々なコメントがありました。中には、謝りたいと後悔している人もいました。読んでいると、完全な悪って本当になくて……。それに、すこし共感できてしまうところもあった。正直、気持ちがわかってしまうのが怖いなと思ったこともありました」

 言葉を詰まらせ、瞬きが遅くなる。彼女が丁寧に言葉を探しているのが伝わってくる。大きな瞳は机の中心を見つめ、揺れる。視線は過去をさまよい、目の前のわたしに再び向けられる。

 春名さんは以前、ツイッターで彼女をひどく批判してくる人に出会った。

「でも、その人のツイートを見に行ったら、すごく凝ったお弁当を子どものために毎朝作っていることがわかったんです」
ひどい言葉を投げかけてくる人でも、お弁当からは愛情を感じる。「本当に、絶対的な『悪人』っていない」。

 彼女は繰り返し言った。

「今回、『いじめているきみへ』を出版すると、『いじめている人は買わないと思うよ』っていう声も多くもらいました。たしかにそうかもしれない。でも、人をいじめたくなる気持ちって、誰にでもあると思うんです。もしかしたら、これから人を傷つけたくなるかもしれない。学校でも、職場でも。そういう気持ちになったときに、お守りになるような本でありたいなと思いました。嫌いな人の、その向こうにいる大事な人のことも想像してほしいです」

心ではなく「制度」を変える必要がある

「子どもなんて、自分の意思に関係なく産まれてきて生きなくちゃいけない。だからこそ選択できない時期ってすごく幸せであるべきだと思うんですよね」

 大人になればある程度の自由を手にすることができる。職場は自分の責任で変えることもできるし、お金の使い道だって自由だ。
 でも、子どものうちは選択の自由がほとんどない。転校は1人では決められない。そのうえ義務教育期間は、学校をやめることも簡単にはできない。

「大人は、『逃げろ』って簡単に言うけれど、逃げた後のことまでは考えてくれません。不登校になった後どうすればいいのか、その後どんな風に社会と関わっていけばいいのか。そこまで選択肢を提示して考えてくれる人は、ほとんどいません」

 ちくりと胸が痛んだ。中高生の自殺が最も多いのは、8月下旬から9月にかけて。今年も、ネットでは多くの大人たちが呼びかけた。「逃げていいんだよ」「学校に行かなくてもいいんだよ」。

 もちろん、救われた子もいたかもしれない。でも、その子たちは一体、その後どうするのだろう。逃げをすすめた大人は、彼らのその後まで想像できているだろうか。「逃げてもいい」。それだけでは足りない。

「今って、いじめられて死んでしまう子もたくさんいる。それなのに、『人の心』に訴えかけるようなことしかしません。『いじめはダメ』とか『みんなで仲良くしましょう』とか。どうして制度を変えようとしないんだろう? って本当に不思議です」

 具体的に彼女は二つの「制度」を考えている。一つは「クラスをなくすこと」。もう一つは「授業で演劇をすること」。

「まずはクラスをなくしたほうがいい。好きな友達とだって狭い空間で長い間一緒にいれば、ストレスがたまることもある。好きでもない人間をランダムに30人集めて教室という空間に閉じ込めていたら、いじめが起きてしまうのは容易に想像できます。今、ぼくは単位制の学校に通っていますが、ホームルームだけはクラスでやって、あとは選択した時間に選択した授業を受けているんです。そんな風にできないのかなって。
協調性が必要なら、好きなことで繋がれる部活などを自分の意思で選択したらいい。無理やりクラスを作らなくても、必ず人はどこかで誰かと関わることになります。そこで、協調性や人間関係は学べるはずです」

 これまで何度も考えてきたのだろう。ここまで一息に言い、「まあ、無理だろって言われちゃうんですけどね」と続けて笑った。
 しかしその言葉に、絶望の色はにじんでいない。世間の声を受け止めながらも、信念を曲げていない。世間が変わることを信じている、というべきか。


「もうひとつは演劇をすることです。ぼくがお芝居をしているから思うことなのですが、人間のいろいろな立場を実際に経験することによって、はじめて理解できることもあると思うんです」

 彼女自身も、いじめをする人の気持ちはわからなかった。でも「好きな人を殺してしまう役」と「好きな人が自分のものにならないから、その奥さんを処刑させる役」を演じて、その気持ちは変わった。

「傷つけることによって自分の存在を相手に刻み込むことの喜びを、垣間見たんです」

 いじめも同じだと彼女は言う。いじめている間は、いろんな人に認識されて承認欲求を満たされる、と。

「弱い人を傷つけるって、簡単にできるし、楽しいんです。ただ……」

 何かを思い出しているような、絞り出すような間があった。下唇を少しだけ噛んだあと、ややつらそうな声で言う。

「ただ……、ふと罪を自覚した時に、とてつもなく苦しくなるんですよね」

 彼女の鋭い洞察力は、演劇で培ったものも多いのだろう。「演劇じゃなくて、ディベートでもいいんですけど」と言う彼女だが、本来の自分ではない立場に立つという意味では変わらない。

「自分は絶対に正しい。だからいじめなんてするわけない、と思い込まないで」。

 いじめる気持ちも、いじめられる気持ちも、等しく理解してからでなければこの問題の解決策は出てこない。 

自分は当事者ではなかった

「学校に関して、ぼくは本当に恵まれていました。スクールカーストというものを感じてはいたけど、どのグループにも所属しなかったし、“クラゲ”みたいにふわふわと浮かんでいるかんじでした。だから、当事者ではないんです。でも、身近な子がいじめられていたことはありました。結局その子自身が解決したんですが、そのときぼくは何もできなくて、悔しかった。フォロワーさんが自殺配信をしたこともありました。ある日、ツイッターで「いろいろ言ってるけど、フォロワー死んでるじゃん」ってコメントをもらって。その子のことは知らなかったのですが、見に行ったらフォローしていたのが、ブログの管理サイトとぼくだけだったんです。『はるかぜちゃんみたいになりたい』というツイートもありました。もっと早くに気づいていたらって思って……。どうしようもなかったかもしれない。でも、気づけなかったことがつらかったんです。結局ぼくは、誰かを救えたりはしないって思いました」

 そして再び言葉を切り、彼女は語気を強める。

「でもだからと言って、何もしないのは違うと思います」

 大きな声だった。先ほどまで何度も机の上をさまよっていた瞳は、まっすぐこちらを見ていた。いや私の後ろにいる多くの人たちに呼びかけているようだった。何かを見透かされたような気もした。

「一人ひとりのところに行くことも、話をずっと聞いてあげることもできない。でも『春名風花はこう思うんだ』って伝えることはできます。関心があるよ、こういう解決策はどうかなって伝えていく。それだけしかできなくても、そうしたいと思っています」

 辛い出来事に出会ったとき、向き合い続けることもできるが、見ないふりも当然できる。多くの人はどこかで無力さを感じ「自分には変えられない」と言ってやめてしまう。なぜ、向き合い続けることができているのだろう?
 
「自分がしたいから、です。ぼくは、自我という意味での『エゴ』を大事にしています。お芝居が好きだからやる。いじめが嫌いだからなくす。そういうすごくシンプルなことなんです」

 彼女はいとも簡単に答えた。その口調は透き通った声と相まって、じつに軽やかだった。

彼女を支えてくれた人間関係

 3歳からブログ、9歳からはツイッター。幼い頃からインターネットを通じてたくさんの大人と触れ合い、炎上も経験した。彼女はそのことに対し、どんな思いを抱えていたのだろう。

「わかりあえない人間がいるって、小さい頃はわからなかった。それで何度もぶつかって、炎上することもありました。大人に失望しそうになったこともあります。たとえば、アンチの方が『死ね、クソガキ』と言うと、ぼくの味方であるフォロワーが『お前こそ死ね』って言うんです。もうなんといったらいいかわからなくて……。大人同士が喧嘩しているっていうのは、当時は結構な衝撃でした。時には殺害予告もされたし、ツイートに関しても本当は大人が書いているとか言われましたね。悔しかったです」

 しかし、彼女を支えてくれたのは両親だった。

「家族がぼく以上に怒ってくれたんです。傷ついたら、怒ってくれる人がいる。それはすごく支えになりました。ひどいことを言われても、もっと大事なひとたちが他にいるとわかっていた。だから、あんまり重要視しないでいられたと思います。今では、『わかりあえない人間がいる』って気づけたことが本当に良かったと思っています。『ある話題ではどうしてもわかりあえなくても、他の話題だと気が合うこともある。人間は見える部分だけではなく、多面的なんだ』って気づくこともできました」

 だいぶ傷ついたんじゃないかなって思いながら見ていました。私がそんな風に正直に伝えると、少しだけ目を伏せて「なんも感じなかったわけじゃないです」と小さく囁くように教えてくれた。両親について、彼女はこう語る。

「ぼくには言わなかったけれど、父は母に『大丈夫なの?』って心配して聞いていたみたいです。母は厳しいことを言う時もありましたが、基本的には『信頼しているから、細かいことは言わない』っていう姿勢だったので、信頼を裏切っちゃいけないと思っていました」

 昨今のインターネットの進化はめまぐるしい。子どもが見慣れないツールを使い出し、知らない人と簡単に関われてしまう。親としてどんな風に振る舞えばいいか、悩んでいる人も多いだろう。

「子どもの中で流行っているツールは、将来重要なツールになることもある。子どもに教えを請いて一緒に勉強して、危険性をきちんと理解してもらったあとは見守りたい。触れさせないのではなく、小さい頃から触れてもらって守れる範囲の失敗をいっぱいしてもらいたいです」

 春名さんはツイッターを使う上で、両親に「助けてと言うまで助けないで」と伝えていたそうだ。著書『少女と傷とあっためミルク』の中にもこんな一文がある。

「『親はいったい何をしているんだ』。そんなことを言われながら、下唇をかんで、こぶしを握りしめて、手を出さず、だまってぼくが転び続けるのを見ていたこと、ぼくは知ってるよ」

 インタビューをするまで、どうして彼女がここまでまっすぐでいられるのかをずっと不思議に思っていた。でも、答えは簡単だった。
 彼女の身体には愛が詰まっている。何かに簡単に負けたりしないほどの愛情を持って、彼女は社会と向きあっているのだ。
 いじめをなくすために、大人にできることはなんだ。私たちができることはなんだ。そう考えざるを得ない。

「まず当事者の親だったら、『信頼して欲しい』っていうのがあるんじゃないかと思います。たとえば『学校へ行きたくない』と言った時も、根掘り葉掘り聞かれるのは苦しいし。だからと言って放って置かれるのもつらいので難しいですが……。あなたがどういう決断をしても、あなたの決断だったらたぶん大丈夫って、見守ってくれるのは嬉しいと思いますね。それから第三者の大人は、どうしてこうなったのかっていう原因を考えて、どうしたら改善するのか解決方法を考えて提案し続けて欲しいです。『わたしはこう思う』って、発信して欲しい。もしかしたら苦しんでいる人に届くかもしれないので。変わらないだろうと思って何もしないのだけは違うんじゃないかって思います」

 最後に、将来の夢は?と聞くと「お芝居で、一山当てたいです」と明るく答えてくれた。まっすぐな性格は、彼女自身の夢にもしっかり反映されていた。
 きっと彼女は、信じる道を進むだろう。その先に何があるか、成功できるか、いつ実るのかなんて、気にも留めず。

「一回きりの人生、せっかく生きた証を残しやすい立場にいるんだし、残せるだけ残そうって思ってます。他のお仕事に関しても、これからに関しても。ぼく、運がいいから、きっとなにかやるんだろうなって思っています」

 ふふっと笑った時、深刻そうだった瞳がいたずらに揺れ、子どものようなあどけなさが一瞬戻った。
 この日彼女は、「やらないよりは、やるほうがいい」と何度も言った。
 まっすぐな心を、「年齢によるもの」と思う人もいるかもしれない。「私もあの頃はまっすぐだったな」なんて。


 でも、きっと、彼女は年を重ねてもまっすぐ進んでいくだろう。彼女は今日も声をあげる。届かないかもしれない声を上げ続ける。
 大人にできることは、何だろう。


現代ビジネス、2018.09.21
なぜ「いじめ」はなくならないのか?春名風花さんがたどり着いた結論

みんな「逃げろ」と言うけれど…

(取材・文:夏生さえり (*)/写真:飯本貴子)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57529

# 春名風花(はるなふうか)
https://lineblog.me/harukazechan/

(*) 夏生さえり、フリーライター。
山口県生まれ。青山学院大学卒。出版社勤務・Web編集者を経て2016年3月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計18万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。女性向けコンテンツの原作を多く手掛ける。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『口説き文句は決めている』(クラーケン)、『やわらかい明日をつくるノート』(大和書房)などがある。

posted by fom_club at 07:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月22日

トリクルダウン

再分配政策ではなく自発的な経済活動を通して、富める者の富が貧しい者にも渡ることを、トリクルダウンと言う。

日本アカデメイヤが2013年12月19日に主催した記者会見で、安倍総理は「大企業の業績の果実が国内の中小小規模企業のその従業員に行き渡らないようであればアベノミクスは失敗である」と語っていたので、アベノミクスはトリクルダウン狙いの政策だと、少なくない人びとが理解していた。

しかし、2018年9月14日の自民党総裁選の討論会で「私はトリクルダウンなんて言った事はない」と言ったと話題になっている
*1。

アベノミクスに再分配政策の強化が含まれるのであれば、発言に矛盾は無いが、再分配政策の強化はほぼ行なわれていない。

富める者の富に関係なくタイムラグで貧しい者にも利益が出ると言う政策であれば、再分配政策なしでもトリクルダウン政策にならないかも知れないが、「大企業の業績の果実が…行き渡らないようであれば」と言ってしまっているのでダメである。

トリクルダウンと言う言葉の意味をよく理解していなかったか、5年前の発言は覚えていないかどちらかであろう。

安倍総理は、特に自分の過去の言動をよく覚えていないときがある
*2。

*1 大企業の利益が大きく伸びる一方で、中小企業の利益はそうではないと言う指摘がある(宮嶋(2016)『大企業と中小企業の設備投資における「逆転現象」の背景』みずほインサイト)。

*2 安倍・ブッシュ会談後の記者会見の内容を忘れて国会答弁をしていたことがある。2013年3月10日日曜日付け当ブログ参照:
http://www.anlyznews.com/2013/03/blog-post_10.html

ニュースの社会科学的な裏側・インターネット上で話題になっている事件を、理論とデータをもとに社会科学的に分析
2018年9月21日金曜日
トリクルダウンが起きなければアベノミクスは失敗だが、アベノミクスはトリクルダウンの政策ではない
http://www.anlyznews.com/2018/09/blog-post_21.html

[Read more]「朝ごはんは食べたか」→「ご飯は食べてません(パンは食べたけど)」

 テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」。「激論!安倍政治〜国民の選択と覚悟〜」と題した1日放送の番組では、大田区の自民党区議が「建築板金業」と身分を隠し、安倍政権をヨイショするサクラ疑惑が発覚。「今年初のBPO入り番組」とネットで炎上中だが、同じように炎上しているのが、元総務相の竹中平蔵・慶応大教授の仰天発言だ。

 番組では、アベノミクスの「元祖3本の矢」や「新3本の矢」について是非を評価。冒頭、「アベノミクスは理論的には百%正しい」と太鼓判を押した竹中平蔵氏。アベノミクスの“キモ”であるトリクルダウンの効果が出ていない状況に対して、「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」と平然と言い放ったのである。

 トリクルダウンは、富裕層が富めば経済活動が活発になり、その富が貧しい者にも浸透するという経済論だ。2006年9月14日の朝日新聞は〈竹中平蔵・経済財政担当相(当時)が意識したのは(略)80年代の米国の税制改革だった。その背景には、企業や富裕層が豊かになれば、それが雨の滴が落ちるように社会全体に行きわたるとする『トリクルダウン政策』の考え方があった〉と報じているし、13年に出版された「ちょっと待って!竹中先生、アベノミクスは本当に間違ってませんね?」(ワニブックス)でも、竹中氏は〈企業が収益を上げ、日本の経済が上向きになったら、必ず、庶民にも恩恵が来ますよ〉と言い切っている。

 竹中平蔵氏がトリクルダウンの旗振り役を担ってきたのは、誰の目から見ても明らかだ。その張本人が今さら、手のひら返しで「あり得ない」とは二枚舌にもホドがある。埼玉大名誉教授で経済学博士の鎌倉孝夫氏はこう言う。

「国民の多くは『えっ?』と首をかしげたでしょう。ただ、以前から指摘している通り、トリクルダウンは幻想であり、資本は儲かる方向にしか進まない。竹中氏はそれを今になって、ズバリ突いただけ。つまり、安倍政権のブレーンが、これまで国民をゴマカし続けてきたことを認めたのも同然です」

 こんな男が今も政府の産業競争力会議の議員を務めているなんて、安倍政権のマヤカシがよく分かる。


日刊ゲンダイ、2016年1月4日
「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172701/


posted by fom_club at 08:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Labour’s mission is to democratise Britain: but first, it must surely democratise itself.

In any other area it Iould be called mis-selling. Given the sheer numbers of those duped, a scandal would erupt and the guilty parties would be forced to make amends. In this case, they’d include some of the most eminent politicians in Britain.

But we don’t call it mis-selling. We refer to it instead as “going to uni”. Over the next few days, about half a million people will start as full-time undergraduates. Perhaps your child will be among them, bearing matching Ikea crockery and a fleeting resolve to call home every week.

They are making one of the biggest purchases of their lives, shelling out more on tuition fees and living expenses than one might on a sleek new Mercedes, or a deposit on a London flat. Many will emerge with a costly degree that fulfils few of the promises made in those glossy prospectuses. If mis-selling is the flogging of a pricey product with not a jot of concern about its suitability for the buyer, then that is how the establishment in politics and in higher education now treat university degrees. The result is that tens of thousands of young graduates begin their careers having already been swindled as soundly as the millions whose credit card companies foisted useless payment protection insurance on them.

Rather than jumping through hoop after hoop of exams and qualifications, they’d have been better off with parents owning a home in London. That way, they’d have had somewhere to stay during internships and then a source of equity with which to buy their first home – because ours is an era that preaches social mobility, even while practising a historic concentration of wealth. Our new graduates will learn that the hard way.

To say as much amounts to whistling in the wind. With an annual income of £33bn, universities in the UK are big business, and a large lobby group. They are perhaps the only industry whose growth has been explicitly mandated by prime ministers of all stripes, from Tony Blair to Theresa May. It was Blair who fed the university sector its first steroids, by pledging that half of all young Britons would go into higher education. That sweeping target was set with little regard for the individual needs of teenagers – how could it be? Sub-prime brokers in Florida were more exacting over their clients’ circumstances. It was based instead on two promises that have turned out to be hollow.

Promise number one was that degrees mean inevitably bigger salaries. This was a way of selling tuition fees to voters. Blair’s education secretary, David Blunkett, asked: “Why should it be the woman getting up at 5 o’clock to do a cleaning job who pays for the privileges of those earning a higher income while they make no contribution towards it?” When David Cameron’s lot wanted to jack up fees, they claimed a degree was a “phenomenal investment”.

Both parties have marketed higher education as if it were some tat on a television shopping channel. Across Europe, from Germany to Greece, including Scotland, university education is considered a public good and is either free or cheap to students. Graduates in England, however, are lumbered with some of the highest student debt in the world.

Yet shove more and more students through university and into the workforce and – hey presto! – the wage premium they command will inevitably drop. Research shows that male graduates of 23 universities still earn less on average than non-graduates a whole decade after going into the workforce.

Britain manufactures graduates by the tonne, but it doesn’t produce nearly enough graduate-level jobs. Nearly half of all graduates languish in jobs that don’t require graduate skills, according to the Chartered Institute of Personnel and Development. In 1979, only 3.5% of new bank and post office clerks had a degree; today it is 35% – to do a job that often pays little more than the minimum wage.

Promise number two was that expanding higher education would break down class barriers. Wrong again. At the top universities that serve as gatekeepers to the top jobs, Oxbridge, Durham, Imperial and others, private school pupils comprise anywhere up to 40% of the intake. Yet only 7% of children go to private school. Factor in part-time and mature students, and the numbers from disadvantaged backgrounds are actually dropping. Nor does university close the class gap: Institute for Fiscal Studies research shows that even among those doing the same subject at the same university, rich students go on to earn an average of 10% more each year, every year, than those from poor families.

Far from providing opportunity for all, higher education is itself becoming a test lab for Britain’s new inequality. Consider today’s degree factory: a place where students pay dearly to be taught by some lecturer paid by the hour, commuting between three campuses, yet whose annual earnings may not amount to £9,000 a year – while a cadre of university management rake in astronomical sums.

Thus is the template set for the world of work. Can’t find an internship in politics or the media in London that pays a wage? That will cost you more than £1,000 a month in travel and rent. Want to buy your first home? In the mid-80s, 62% of adults under 35 living in the south-east owned their own home. That has now fallen to 32%. Needless to say, the best way to own your own home is to have parents rich enough to help you out.

Over the past four decades, British governments have relentlessly pushed the virtues of skilling up and getting on. Yet today wealth in Britain is so concentrated that the head of the Institute for Fiscal Studies, Paul Johnson, believes “inheritance is probably the most crucial factor in determining a person’s overall wealth since Victorian times”.

Margaret Thatcher’s acolytes promised to create a classless society, and they were quite right: Britain is instead becoming a caste society, one in which where you were born determines ever more where you end up.

For two decades, Westminster has used universities as its magic answer for social mobility. Ministers did so with the connivance of highly paid vice-chancellors, and in the process they have trashed much of what was good about British higher education. What should be sites for speculative inquiry and critical thinking have instead turned into businesses that speculate on property deals, criticise academics who aren’t publishing in the right journals – and fail spectacularly to engage with the serious social and economic problems that confront the UK right now. As for the graduates, they largely wind up taking the same place in the queue as their parents – only this time with an expensive certificate detailing their newfound expertise.

For everyone’s sake, let us declare this experiment a failure. It is high time that higher education was treated again as a public good, as Jeremy Corbyn recognises with his pledge to scrap tuition fees. But Labour also needs to expand vocational education. And if it really wants to increase social mobility and reduce unfairness, it will need to come up with tax policies fit for the age of inheritance.


The Guardian, Last modified on Thu 20 Sep 2018 17.35 BST
Mis-sold, expensive and overhyped: why our universities are a con

Politicians promised that expansion would produce jobs and social mobility. Neither has materialised

By Aditya Chakrabortty, a Guardian columnist
https://www.theguardian.com/commentisfree/2018/sep/20/university-factory-failed-tony-blair-social-mobility-jobs

Socialism is the democratisation of every level of society, or it is nothing. It is based on an understanding that the concentration of wealth and power leaves democracy hollowed out, and that simply trooping to a polling station every few years is an insufficient counterweight to the behemoths of global capital. Under the prevailing system, the same vested interests remain in power whoever is in office, which is why a transformative government must seek to democratise the workplace, the economy and all of society’s pivotal structures, from the media to local government. But if this is Labour’s mission, it must surely begin at home; and here, the noises are distinctly mixed.

Labour’s democracy review was launched with hopes of upending an era of top-down contempt for the membership. From the 1980s onwards, members were increasingly treated as out-of-touch leftwing eccentrics who had helped condemn Labour to electoral disaster. A cordon sanitaire was needed around both the activists and the trade unions who were treated “like embarrassing relatives that need to be locked in the attic”, as Ed Miliband memorably put it. Ironically, this mentality drove the Labour right to demand the abolition of the party’s electoral college for electing leaders – divided into three equal sections of members, MPs and trade unionists – and the introduction of its £3 registered supporters’ scheme.

That would allow the centre-ground public to flood into the party, went the rationale, and dilute the union and activist left. Before Jeremy Corbyn entered the 2015 leadership race, Liz Kendall’s team were boasting the Blairite candidate could win a million votes (in the end, it was fewer than 19,000). One of the greatest own goals in modern British political history helped create one of the biggest political parties in the western world, but one committed to socialism rather than rehashed Blairite triangulation.

Yet a fudge emerging from discussions of Labour’s National Executive Committee has provoked consternation. At present, Labour MPs are automatically reselected to fight the next general election, unless 50% of the party and affiliated union branches say otherwise. The Labour leadership were right to resist mandatory reselection of MPs when their position was precarious. Having presented a socialist manifesto to the electorate and won 40% of the vote, surely the party can afford to devolve more power to members. Momentum argues that all MPs should face a fresh selection battle before every election. The compromise suggestion that the NEC looks likely to back is to reduce the threshold to trigger a reselection to 30% of branches. But even this puts Labour out of kilter with other parties: Conservative MPs have to be reselected by a majority of the local party executive; Liberal Democrat and SNP MPs have to win a reselection vote in their local parties. In the US, elected representatives from both main parties face regular open primaries.

The current system breeds a particularly negative form of campaigning: activists have to single out MPs they wish to challenge. Each and every one becomes a martyred cause célèbre in the press. An open selection every few years– triggered, for example, if another candidate wins signatures of support from 5% of local members – would be far healthier. It would not cause mass deselections: MPs across the spectrum with good relationships with local members would have nothing to fear. It would simply encourage MPs to nurture closer relationships with their local members.

An obvious challenge is: if an MP has already won the confidence of local constituents, should that not be sufficient? But three-quarters of Britons don’t even know who their local MP is; and just 6% of Labour supporters voted for the party because of the local candidate.

Unions understandably fear that their power would be weakened. The Labour party was founded, after all, as the political wing of organised labour. The unions have long provided an organic relationship between the party and working-class communities, and – at times – were all that stopped Labour becoming a husk, rootless, overrun by careerist hacks and time-servers. But their levels of resources and staffing mean unions would still play a decisive role in internal contests.

Another proposed fudge is over nominations for the leadership. Candidates currently need to win the nominations of 10% of MPs to go forward to the ballot of all members. One mooted reform actually raises the bar, requiring leadership candidates to secure the support of 10% of MPs, plus 5% of local parties and at least three affiliates that cover 5% of affiliated union membership.

Leadership reforms aside, the reality that should defuse both the Labour left’s triumphalism and the right’s despondency is that there is no obvious successor to Corbyn. Corbyn’s politics are dominant among the membership, but marginal in the parliamentary party. Privately, Corbyn supporters fear an eventual succession by a “soft left” candidate who will junk policies on nationalisation and bring back the old party establishment. A future contest could feasibly feature no candidate with politics aligned with the grassroots of one of the biggest political parties in Europe. Surely a prospective candidate should make the cut if they win the backing of 5% of MPs, or of unions, or of local parties.

Genuine democracy is frequently messy, not stage-managed. But the decisions of Labour’s membership over the last three years have spared it the same fate as its European sister parties, who, in many cases, now face electoral oblivion. It doesn’t mean packing the parliamentary party with the uncritical and relentlessly on-message: Labour needs MPs committed to socialism, who are prepared to criticise the party’s failure to commit to reversing all benefits cuts, or to push for more radical tax policies, or to speak out more passionately in defence of migrants. Those future leaders exist, but the membership must be given the power to discover and support them.

Labour’s mission is to democratise Britain: but first, it must surely democratise itself.


[photo-1]
Jeremy Corbyn’s politics are dominant among the membership, but marginal in the parliamentary party.

[photo-2]
Leadership contenders in 2015 (L to R): Jeremy Corbyn, Yvette Cooper, Liz Kendall and Andy Burnham.

The Guardian, Last modified on Wed 19 Sep 2018 18.40 BST
Labour’s plans for democracy must begin at home

Too many in the party want to deny its grassroots a say over the selection of MPs. This could hold back future stars

By Owen Jones, a Guardian columnist
https://www.theguardian.com/commentisfree/2018/sep/19/labour-democracy-grassroots-selection-mps

posted by fom_club at 08:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Kidney Stones 尿路結石 腎臓結石

Kidney stones, the painful urinary deposits that affect more than 10 percent of people worldwide, are surprisingly dynamic, forming much like microscopic coral reefs, according to new research that could provide insights into how to better diagnose and treat the condition.

The findings, published last week in the journal Scientific Reports, challenge assumptions by many doctors that kidney stones are homogeneous and insoluble. Instead, they resemble nanoscale coral reefs or limestone formations: complex, calcium-rich rocks with strata that accumulate and dissolve over time, researchers found.

“When doctors find that ugly, boring lump and discard it, they are throwing away the most precise record book we have − a minute-by-minute, layered history of the kidney’s physiology,” said Bruce Fouke, a geology and microbiology professor at the University of Illinois, who led the project.

Dr. Brian Matlaga, a urologist and kidney stone surgeon at Johns Hopkins, called the study “a provocative, outside-the-box approach” to a burdensome health issue.

“When we break up kidney stones surgically, some of them are indeed quite beautiful − like a geode, like the rings on a tree, or something you’d hang on your wall,” Dr. Brian Matlaga said. “So research into this is very exciting − it’s very novel to the field.”

Dr. Fouke, whose research projects have taken him skiing through Yellowstone National Park and scuba-diving in Australia’s Great Barrier Reef, saw early connections between human kidney stones and the coral skeletons, hot spring travertine and even oil and gas migration deep below the planet’s surface: Interactions between living things, water and mineral growth occur in all three.

“The water that comes out of Yellowstone springs is hot and salty − much like seawater, and, yes, urine,” he said. As for the intricate stone deposits that these liquids help form, “You wouldn’t be able to tell them apart under a microscope.”

Dr. Fouke and his fellow researchers examined more than 50 kidney stone fragments from six Mayo Clinic patients using various light and electron microscopes. They identified organic matter and calcium crystals with ultraviolet light, which uses different wavelengths to make distinct minerals glow.

A high-resolution method, called Airyscan super-resolution microscopy, captured colorful snapshots of organic matter and crystal layers in the kidney stones, “crosscut and truncated” by newer crevices, triangles and other geometrics, Dr. Fouke said. The disruptive patterns in the stones showed that the vast majority of the material had dissolved and reformed over time.

Doctors often base patient care plans upon the chemistry and molecular components of a patient’s urine. But further research could allow doctors to take advantage of the changing composition of kidney stones themselves, boosting specific ingredients to dissolve the stones completely, without excruciating passage or invasive procedures.

“Now that we know a process by which they’re growing, the question is, how can we flip the switch the other way, and break the stones down?” said Dr. Matlaga, the surgeon. “If you can intervene at a certain time during these events, you might be able to manipulate the process by which the stones are growing.”

The study credits centuries of revolutionary geologists for inspiring its hypothesis − most importantly, Nicholas Steno, a Danish anatomist who, in 1667, proposed that layered rock could indicate a chronological history of events. (He allegedly died of kidney stones.)

[photo-1]
An extreme close-up of a very thin slice of a human kidney stone reveals the intricate patterns of its mineral layers.

[photo-2]
A slice of kidney stone, left, and a close-up on a kidney stone fragment, right.

[photo-3]
The images were formed using a variety of processes, including super-resolution nanometer-scale auto fluorescence microscopy.

[photo-4]
The researchers examined more than 50 kidney stone fragments from six Mayo Clinic patients.

The New York Times, Published: Sept. 19, 2018
Kidney Stones Are More Beautiful Than You Might Think
By Emily Baumgaertner
https://www.nytimes.com/2018/09/19/health/kidney-stones-geology.html

posted by fom_club at 07:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月21日

ある時期から日本政府は「住民を代表して米軍を説得する」という作業をほぼ完全に放棄してしまった

哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

 昨日まで辺野古、嘉手納、普天間の3カ所をめぐって沖縄の基地問題の生々しい現実に触れてきた。今回の旅で教えられたことの一つは、米軍が戦後「銃剣とブルドーザー」で暴力的に占領し基地とした土地を、その後、住民たちの粘り強い交渉によって奪還した事例がかつては読谷村を始めいくつか存在したということである。いずれも「私たちの生活の場を返せ」という住民の切実な声を日本政府がくみ上げ、官民一丸となって米軍に要求し続けたことで実現した。

 今も「住民の切実な声」は沖縄各地で叫ばれ続けているが、「日本政府がそれをくみ上げて、官民一体となって米軍と交渉する」というプロセスはもう存在しない。ある時期から日本政府は「住民を代表して米軍を説得する」という作業をほぼ完全に放棄してしまったからである。

 辺野古や高江では、逆に、日本政府が米軍の意をくんで、住民弾圧の前面に立つという倒錯した構図が出来上がっている。日本のメディアはその画像をあたかも「当たり前のこと」のように報道しているが、これは少しも「当たり前」のことではない。

 自国の国土を割き、住民の反対を押し切って、そこに外国軍を常駐させるということはどんな国の政府にとっても「不本意」な事態のはずである。もちろん、強国とはそういう「不本意なこと」を弱国に強要できるから「強国」と呼ばれるのである。強国の横暴にいちいち驚いたり、傷ついたりするほど私はナイーブではない。日本は敗戦国であり、その結果、アメリカの軍事的属国となり、沖縄を米軍に差し出して、その世界戦略に奉仕することで生き延びて来た。敗戦国日本がそれ以外の選択肢を思いつかなかったことを責める権利が自分にあると私は思わない。戦争に負けるとはそういうことだからである。

 だが、非力ゆえに沖縄を犠牲にしたことについて日本政府はつねに恥の感覚を保ち続けるべきであったとは思う。政府が沖縄住民を守り切れなかったおのれの非力を恥じ、米軍を説得するための忍耐づよい努力を今も続けていたなら、この「弱者たちの官民一体」はそれでも今よりは多くの果実を沖縄にもたらしたと信じるからである。

※AERA 2018年9月17日号


AERA、2018.9.12 07:00
沖縄を犠牲にしたことを日本政府はつねに恥と思うべき
内田樹 (*)
https://dot.asahi.com/aera/2018091100065.html

(*)うちだ・たつる/1950年、東京都生まれ。
思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

「病気になってしばらくしたころ。あの人ね、しみじみ言ったんです。『考えてみたら僕ら、家族旅行もしたことなかったな』って。本当にそう。私たち、家族全員で旅行したこと、なかったのよ」

たくさんの花に囲まれた祭壇の遺影からは、いまにも故人の笑い声が聞こえてきそうだ。ちらりとその笑顔に視線を送りながら、翁長樹子さん(62)は、静かに、かみ締めるように語り始めた

’85年に那覇市議に初当選。以来、政治家一筋、人生のすべてを地元・沖縄に捧げてきた。’14年の知事選では、「日本の国土のわずか0.6%の面積の沖縄に、70%という過剰な基地負担を強いられ続ける現状を看過できない」と訴え、名護市辺野古の新基地建設断固阻止を掲げて立候補し、圧勝した。

知事就任以降は、地元の民意に反して基地建設を推し進める政府と、激しく対立した。意に沿わない沖縄に対する政府の姿勢は、あからさまに思えた。樹子さんは怒りを隠そうとしない。

「たとえばね、米軍のオスプレイが山口県の岩国基地に何日間か駐機したことがあったの。そんなとき、安倍さんはすぐに飛んで行って『ご迷惑をかけます』と頭を下げた。『どうして?』って思いましたよ。オスプレイが来て嫌なのは山口も沖縄も一緒なのに。そして知事選で沖縄は『ノー』と民意を示したのに」(樹子さん・以下同)

基地問題では政府に強く抗議を重ね、その数日後には予算の請願に同じ相手の元に足を運ぶ……。常人ならストレスと重圧で参ってしまうだろう。それでも知事は「沖縄のためなら我慢できる」と話していたという。しかし、それはまさに命を削る日々だった。

「去年の暮れぐらいから、翁長は『体重計に乗るたびに体重が落ちている』と。初めは糖尿病を疑っていたんだけれど。それにしてはおかしいということになって。いつも診ていただいていた医師の勧めで、PET検査を受けたら、すい臓にがんが見つかったんです」

それが今年4月初旬のこと。その先に待ち受けていたのは壮絶な闘病生活だった。知事は腫瘍が見つかったことを公表した会見で「根治できる」と力強く語っていた。しかし……樹子さんは言う。

「本当はもう、そのころには彼は『おそらく僕は12月までもたないと思う』と、私にだけは言っていました。そして、知事公舎に置いてあった本や資料を、ひとりで整理し始めたんです。私が『やめて!』と何度言っても聞かなかった。『きみたちにはできないことだから、これは自分でやるから』と言って」

死期を悟った夫の姿を目の当たりにしても、樹子さんは奇跡を信じた。あなたの死に場所はここじゃない――そう、夫にも、自分にも言い続けた。

「がんとわかったときにもね、いまはいろんな治療法もあるし。私は『東京でもどこでもいいから、いい病院を探そう』と提案したの。でも本人が反対したんです。『僕の命は沖縄の人に任せたい』って」

4月21日、知事は県内の病院で腫瘍の摘出手術を受けた。翌5月半ばの退院後も、抗がん剤治療などを続けながら、公務への復帰を目指した。しかし、その後も病魔は彼の体をむしばみ続けた。

7月には、辺野古沿岸部の埋め立て承認の撤回に向け、防衛省沖縄防衛局から弁明を聞く「聴聞」の実施を通知する方針を固める。7月27日、知事はその経緯を説明するための記者会見に臨んだ。

知事室からわずかな距離の会見場に入る前、廊下のいすで休んでいる姿を報道陣に目撃された知事は「外反母趾で歩くのがきつい」と答えていた。

「本当は違うんです。前日、県庁に行って撤回に向けた最後の打ち合わせをして公舎に帰ってきて。『ただいま』と言ってから玄関にあったいすに座って3分休んで。やっと立ち上がれたと思ったら、また廊下に置いたいすで3分、またリビングで3分、寝室までの廊下でまた3分。元気なときは十数秒で歩ける距離を20分もかけないとたどり着けない、そんな状況だった。会見の日の朝、ご飯を食べながら彼はこんなことも言ってました。『こんな状況で記者会見なんかできるかな? 記者たちの質問に答えられるかな?』って」

結婚以来、夫が漏らした初めての弱音に樹子さんは、「できるに決まってるじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と言って、すっかり小さくなってしまった背中を押した。

そして、それからわずか12日後の8月8日。知事は帰らぬ人になった。


女性自身、最終更新日:2018/09/13 06:00
妻語る亡き翁長知事“死闘”の日々
「僕の命 沖縄に任せたい」

https://jisin.jp/domestic/1663927/

 樹木希林がとうとう9月15日、亡くなってしまった。数週間前から体調の悪化を報じられていたため、予感はしていたが、実際に訃報に接すると、大きな衝撃と喪失感を感じざるを得ない。
 それは彼女が役者として唯一無二の存在感を発揮していたからだけではない。日本的な同調圧力に屈せずに自分のペースをつらぬく生き様や語り口が私たちに勇気を与えてくれていたからだ。
 また、樹木は芸能界で「政治的」と忌み嫌われるジャンルに踏み込むことも厭わなかった。その典型が、2015年に東海テレビで放映された『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』だろう。
 樹木はこのドキュメンタリーでナビゲーター役を務め、残留孤児、原爆、特攻隊、沖縄戦など戦争の悲惨さについて、真剣に迫っていた。
 たとえば、残留孤児をテーマにした回では、笑福亭鶴瓶と対談。樹木が「(戦争は)人間の世界で止めることができるはずなのに、そりゃ止めなきゃいけないですよね」と言うと、鶴瓶が「当たり前ですやん。そんなこと……なんのための戦争なんですか? なんのための……意味わからんな、ほんまに」と怒りを滲ませながら、安保法制の問題に自ら切り込む一幕もあった。
「国の言うことを、この歳になって信用したらあかんと思う、60過ぎてね、全部が国の言うことこれ、大丈夫かいなって思うようになるって……」
「いま、法律を変えようとしているあの法律もそうでしょうけど、それも含めて、いまの政府がああいう方向に行ってしまうっていうね、これ、止めないと絶対いけないでしょうね」
「これ、へんな方向に行ってますよ。そら変えなあかん法律はいっぱいあってもね、戦争放棄っていうのはもうこれ謳い文句で、絶対そうなんですが9条はいろたらあかんと思うんですよね」
 また、沖縄をテーマにした回では、辺野古の新基地建設に反対する人びとが集うキャンプ・シュワブのゲート前に現れ、座り込みを続ける86歳のおばあ、島袋文子さんの手を握り、語り合った。
 このこときは、樹木が沖縄の基地反対運動の現場に現れたことが大きな話題になったが、安保法制に賛成する夫・内田裕也は、樹木を批判。ネットでは、内田に同調し、樹木のほうを非難する声も少なくなかった。
 2015年8月当時、本サイトでは、このときの経緯を記事にし、樹木の腹の据わったスタンスを高く評価する記事を書いている。追悼の意味で一部を編集して再録するので、是非読んでほしい。(編集部)

● 辺野古に出かけ反基地闘争を激励した樹木希林に、内田裕也が「ヤメロ」

 沖縄の基地問題をめぐって、ある夫婦がバトルの様相を見せた。その夫婦とは、内田裕也と樹木希林夫妻。2015年8月2日、内田がTwitterにこんな投稿をした。
〈オキナワの基地問題は本当に難しい!『安保条約』によって、米銀基地によって、日本は守られてきた。KKさん、軽々しい発言はヤメロー!JOKEではすまされない。祈る 正論!ROCK’N ROLL! 内田裕也〉(原文ママ)
 内田がイニシャルで名指ししている「KKさん」とは、明らかに樹木希林のこと。というのも、樹木は7月30日に辺野古の新基地建設を反対する人びとが集うキャンプ・シュワブのゲート前に現れ、大きなニュースになったばかり。このことに対して、夫・内田裕也は反応したのだろう。
 それにしても、「ロケンロー!」「ラブ&ピース」が決め台詞で、ジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を十八番にする内田が“日本は米軍基地によって守られてきた”と言い出すなんて、「あれ? ロックンローラーじゃなかったの?」という気がする。

 そもそも内田裕也は、若いころから“反体制”を謳ってきた人物である。
 ベトナム反戦運動の高まりから生まれた伝説のロックフェス・ウッドストックにも多大な影響を受け、1974年には日本初の大規模ロックフェスとなったワンステップフェスティバルをプロデュースしたし、反体制を貫いた映画監督・若松孝二の作品にも多数主演してきた。
 さらに、2014年の終戦記念日にはTwitterでこうもつぶやいている。

69回目の終戦記念日を迎えた!310万人の人が亡くなった!若者は戦争のあったこと、戦争の悲惨さを知らない。SMAP、嵐、関ジャニ∞、AKB48、ももいろクローバーZ、きゃりーぱみゅぱみゅ、日本の人気者達、戦争のヤバさを一回くらい歌ってくれ!

● 樹木希林は基地の前で座り込みを続けるおばあの手を握り約束した

 体制に唾を吐き、“愛と平和”を口癖にし、「民衆に力を!」と高らかに宣言する歌を歌ってきた内田が、政府に虐げられ、この地に平和をと声をあげている沖縄に“基地移設は正論”と言う……。これではロックンローラーの名が廃るというものだ。
 他方、そのロックンローラーの妻・樹木希林は、逆に夫よりもずっとロケンローしている。

 今回、樹木は東海テレビ制作のドキュメンタリー番組の収録のために辺野古を訪れたというが、彼女は事務所にマネージャーも置かず、自分自身で仕事を選び、現場に趣くのは有名な話だ。しかも、今回収録した番組と思しき『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』(6回シリーズ/沖縄をテーマにするのは8月15日放送分)のHPによれば、その番組は沖縄戦にスポットを当てたもので、平和祈念公園の「平和の礎」を訪れる予定だとある。これまでの樹木の行動力を考えると、今回、樹木は、スタッフも想定していなかった辺野古行きを自らの意志で決めた可能性も高いのではないだろうか。

 その日、辺野古のキャンプ・シュワブ前を訪れた樹木は、炎天下のなか基地移設反対を叫ぶ人びとの言葉に耳を傾けた。そして、座り込み運動をつづける86歳のおばあ、島袋文子さんの隣に座り、「沖縄戦から辺野古問題までを熱く語」った島袋さんの手を握り、「辺野古問題を俳優仲間に広める」と応えたという(「News Watch」記事より)。

 樹木が熱い握手を交わした島袋さんは、今年の春、「女性自身」(光文社)の取材にこう話している。

「もし本土の人が沖縄は米軍部隊がいるから生活できているんでしょう、という感覚をいまだに持っているとしたら、それは大きな間違いです」

 本土の人間として米軍基地は必要だと沖縄の痛みも無視して言う内田裕也と、権力に抵抗する人びとを元気づけ、表現者として沖縄の声を届けようとする樹木希林。そう考えると、樹木のほうが圧倒的に「ラブ&ピース」で「ロケンロー」だ。


Litera, 2018.09.16
樹木希林が辺野古に現れた日!
米軍基地反対の座り込みをするおばあの手を握って…

(水井多賀子)
https://lite-ra.com/2018/09/post-4258_2.html

【読谷】9月7日午後10時半ごろ、沖縄県読谷村で発生した米兵による住居侵入事件で、発生時、事件があった男性宅には男性の娘である高校2年の少女と生後5カ月の女児だけだったことが19日までに分かった。家に侵入した米兵に、少女は「殺される」と妹を抱きかかえてはだしで窓から飛び出し、近隣の知人宅に逃げ込んでいたことも明らかになった。19日、村や村議会による沖縄防衛局への抗議の場で分かった。

 住居侵入の疑いで嘉手納署に緊急逮捕された米軍嘉手納基地所属の陸軍上等兵(23)は、知人宅で直前まで数人と飲酒し、1人で外に出たという。酒に酔い、上半身は服を着ていない状態で、被害者宅の外壁や車をたたいた後、施錠されていない被害者宅に侵入。少女は近隣の知人宅に逃げ込んだが、体の震えが止まらない状態だったという。2人にけがはなかった。

 村役場によると、事件後、少女は授業に出ることができなくなるなど、動揺が続いたという。現在は落ち着きつつあるとした。

 読谷村議会(伊波篤議長)は19日の臨時会で米兵による住居侵入事件に抗議する意見書と抗議決議を全会一致で可決した。決議文は「平穏で安心な村民生活を脅かす蛮行として断じて許すことはできない」として、被害者への完全補償や日米地位協定の抜本的な改定などを求めた。

 同日、議会代表と石嶺伝実読谷村長が防衛局に中嶋浩一郎局長を訪ね、抗議した。中嶋局長は「われわれとしても遺憾に思っている。補償についても、やれることはやるのは当然だ」と述べた。

 石嶺村長は、読谷村のトリイステーションに在沖米陸軍第10地域支援群のセオドア・ホワイト司令官も訪ね、抗議した。ホワイト司令官は謝罪した上で「一部がやったことが組織全体に影響を与えている」と釈明した。


琉球新報、2018年9月20日 13:37
自宅に突然、米兵侵入
少女「殺される」
沖縄・読谷 不法侵入事件
5カ月の妹抱きかかえて逃げる

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-805568.html

posted by fom_club at 19:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐喜真氏はなぜ沖縄県知事選で日本会議との関係を隠すのか

 先週水曜日(12日)発売のこの欄で、沖縄県知事選の候補のひとりである佐喜真淳前宜野湾市長が右翼組織「日本会議」と関わりが深く、そのことは2014年に宜野湾市民会館で日本会議沖縄県本部系の団体が開催した「沖縄県祖国復帰記念大会」で彼が主催者側として「閉会あいさつ」をしたのを見ても分かると述べ、さらに「この様子を記録した動画は今も、日本会議のホームページで閲覧できる。つまり同会議として自慢の画像なのである」と指摘した。

 すると驚いたことに、日本会議のホームページの「国民運動」コーナーに確かに存在した「動画・沖縄県祖国復帰42周年大会(5月10日)」という14年6月30日付の記事は、翌木曜日のうちに跡形もなくサイトから削除されてしまった。この一事をもってしても、佐喜真も日本会議も、この忌まわしい過去に触れられるのを嫌がっていることが分かる。

 実際、佐喜真は8月24日に那覇市で行われた事務所開きで記者から日本会議との関わりを問われて、「私はメンバーでもないし、現在でもメンバーではない」と答えている。しかしこれは明白な嘘で、宜野湾市長になりたての12年6月の同市議会で「市長は2月の選挙戦当時、ご自身で日本会議あるいは親学推進議員連盟会長と名刺に載っていたが、この市長が加盟されている日本会議はどのような団体なのか、そして市長としてもこれからも活動を続けていくのか」と質問されて、こう答えている。「私も日本会議に加盟しているひとりではございますけれども、これからの行動につきましては日本会議が持つさまざまな政策あるいは施策等々について吟味しながら、私が同意できるものに対してはやっていきたいと思っております」(議事録356ページ)。

 親学推進議員連盟とは、日本会議のコアな創始者のひとりである高橋史朗の主張に沿って、安倍晋三会長、下村博文事務局長で12年に創設された運動体で、全国に先駆けて11年に沖縄県で最初の地方組織ができ、その初代会長を佐喜真が務めたのである。

 過去にあったことを「なかった」と嘘をついて逃げようとしたり、その証拠となる文書をひそかに廃棄して知らんぷりをするのは、安倍が得意とする政治手法そのものである。
 「親学」とはどうやら、親が子に上手な嘘のつき方を教える運動のようである。

[写真] 佐喜眞淳 前宜野湾市長

日刊ゲンダイ、2018年9月20日
佐喜真氏はなぜ沖縄県知事選で日本会議との関係を隠すのか
高野孟(*)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/237838/

(*)高野孟

1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。

# 日本会議:
http://www.nipponkaigi.org/

# 親学推進議員連盟:
https://ja.wikipedia.org/wiki/親学推進議員連盟

posted by fom_club at 14:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドクターMより:世界のリーダーへの書簡

 「コフィ・アナン氏の訃報に、心から哀悼の意を表する」
 マレーシアのマハティール首相(以下、マハティール氏)は8月に80歳で死去したコフィ・アナン元国連事務総長の死を受け早々に、こう弔辞を表明した。
 日本のメディアは「アナン氏は平和を愛し、紛争解決に尽力。中でも事務総長として最も高く評価されたのが、米国のイラク攻撃に対し、非難声明を発表したこと」と、その“偉業”を称えた。
 イラク戦争は、2003年3月に開戦。米国が国連安保理の同意を経ずに、戦争に単独で踏み切った。アナン氏が事務総長に就任してから6年目のことだ。
 国連への最大分担金を支出する最大支援国の大国・米国に対し、「法を破った行為であるとともに、憲章への違反行為」と非難した国連事務総長は、後にも先にもアナン氏以外、いなかったからだ、ということらしい。
 そうした一般的な評価とは一線を画して、当時のアナン氏を厳しく非難したのが小国・マレーシアのマハティール氏(当時、4代目首相)だった。
 アナン氏を名指しで、国連を無視し、イラクへの開戦に踏み切った米国を止められなかったことに対し、「辞表を突きつけ、抗議するべきだ」と直言したのはマハティール氏のみだった。
 アナン氏は回顧録の中で、「事務総長時代の最悪の経験は、イラク戦争を阻止できなかったことだ」と国際社会での評価とは裏腹に、後悔の念を深く滲ませた。
 マハティール氏の一喝は、心に深く、暗く重石となって横たわっていたに違いない。
 マハティール氏は2003年10月末に22年間のマレーシア最長となる首相職を自ら退いたが、その1か月前の国連総会での最後の演説でも、大国・米国や国連を厳しく非難した。
 「(イラク進攻は)欧州帝国主義の再来だ。経済的締め付けと金融の無力化で、新興独立国が屈服させられ、再植民地化されることはあった」
 「だが今は、外国の軍隊が、諸外国を『占領』するという事態が現実となって起きている」
 このようにジョージ・W・ブッシュ政権(当時)の一国覇権主義の対外・経済政策などを痛烈に批判した。
 さらに国連についても、「国連は、足元から崩壊している。貧困や弱者を救済できなくなっている。そういう国や人々は、無視され、脇に追いやられている。国連が創立された時の原点に戻り、信頼を取り戻す必要がある」と力説し、新興国や発展途上国の指導者から喝采を浴びた。
 あれから15年。世界最高齢(93歳)の首相として再び政界に返り咲いたマハティール氏は、今月28日に再び、ニューヨークで開催の国連総会の演壇に立つ。
 5月に政権交代を果たして以後、初の欧米への外遊となる。米国(ニューヨーク)訪問後、30日には旧宗主国・英国(ロンドン)入りする。テレサ・メイ首相とは、国連総会時に首脳会談を行う予定だ。  
 マハティール氏は国連では、新生マレーシアの外交方針を発表する(マレーシア政府筋)。
 9月11日の米国同時多発テロの追悼覚めやらぬニューヨークで、平和的解決による世界的繁栄を訴える中、国連改革の推進を訴える。
 「拒否権を誇示する国連安保理常任理事国などの大国主義の再考」
 「途上国のアフリカ諸国との連携」
 「経済貿易の保護主義を否定。トランプ政権のアメリカ・ファーストやアジア軽視を牽制」
 さらには、「中国などの新植民地主義に警笛」を鳴らし、経済で台頭するアジア的価値観の重要性についても言及するとみられる。
 実は、マハティール氏はこうした国際的な表舞台だけではなく、22年間の首相時代とともに、2003年10月の引退後も、積極的に「裏舞台」でも世界情勢への提言や苦言を世界の指導者に発信続けてきた。

 中でも世界のリーダーに向けた私信(書簡)が、影響力を強く発揮してきたといえる。
 その書簡で最も多いのが超大国の米国との指導者たちとのやりとりだ。
 『ドクターMより:世界のリーダーへの書簡』(2012年、2015年発刊。写真添付)にまとめられた書籍の中では、米国を含めた世界のリーダーとの何千通にもなる書簡から厳選されたものが紹介されている。
 象徴的な書簡のやり取りは、コフィ・アナン元事務総長が人生最大の後悔と悔やんだイラク戦争や米国のアフガン軍事介入などで、平和的解決で紛争や戦争を回避するべきと主張するマハティール氏の訴えと願いが込められたものだ。
 前任の首相時代から(1981〜2003年)核の再処理や廃棄物問題など、原子力の人類への脅威を理由に、「反原発」を長年一貫して主張し、米国による日本の原爆投下を厳しく非難。
 ハスマ夫人と何度も長崎や広島の平和記念式典に出席している同氏が、人生を通して、訴えてきたのが、恒久的な世界平和だ。
 英国の統治下で多感な少年期を過ごし、悲惨な戦争体験を身にしみて味わってきたからこそ、主権国家として平和を統治することの重要性を痛感しているからともいえる。
 実際、英国領土であった植民地下のマレーシアでは、英国人を「マスター」(雇い主、主人)に相当する「トゥアン」(マレー語)と呼ばなければならなかった。
 マレー人は常に英国人に見下されたが、「私は決して『マスター』とは呼ばなかった。自分の国では自分がマスターであるべきだからだ」と述懐する。
 とりわけ、世界の覇権を一手に掌握する米国が介入する戦争への苦言に容赦はない。
 「米国の大統領が第三世界の指導者の苦言に耳を傾けるとは思えないが・・・」と前置きしたうえでイラクへの軍事介入を示唆するジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)に書簡を送った。
 「サダム・フセインの大量化学兵器密造の国連による立証がなされなかったにもかかわらず、戦争に突入する意味は全くなく、何の解決にもならない」
 「最も重要なのは、互いの憎しみと怒りを取り払うことで、それが最大の解決策だ。軍事介入は何の解決をももたらさないどころか、新たな憎しみを助長する」
 これに対して、ブッシュ氏は「軍事介入しなければ、米国民の安全、ひいては国際社会が危険にさらされる」とマハティール氏に往簡したという。
 また、9月11日の米国同時多発テロ直後の2001年10月には、アルカイダの指導者、オサマ・ビン・ラディン容疑者の大捜索戦に銘打ったアフガンへの軍事介入に対しても、「軍事介入は悲劇をもたらすだけ」とブッシュ氏に書簡を送っている。
 マハティール氏は、ビル・クリントン大統領(当時)にもボスニア紛争で同様の書簡を送っている。
 また、バラク・オバマ大統領就任直前にも、アフガン戦争に対して「私はあなたの有権者ではないが、あなたの言動行動は、私や私の国に多大な影響を及ぼす」として、戦争を避けるよう忠告している。
 「米国人は今や世界で最も嫌われている、欧州人からもだ。世界から称賛される国は、植民地支配から撤退する国と指導者だ」
 こうした書簡の効果があったのか、のちに米国は国内からも批判が上がった泥沼の戦いに終止符を打つことになった。
 ここで、マハティール氏が小国であっても大国に物申す彼独自の世界観を描いた演説の一端を紹介したい。

「日本なかりせば」

 マハティール氏が1992年10月、香港で開催された「欧州・東アジア経済フォーラム」での演説だ。
 「日本の存在しない世界を想像してみたらいい。もし、『日本なかりせば』、欧州と米国が世界の工業国を支配していたい違いない」
 「欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか製造できない製品を買うため、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう」
 「貧しい南側諸国が輸出する原材料価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国だけなので最低水準に固定。その結果、市場での南側諸国の立場は弱まる」
「多国籍企業が安い労働力を求め南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるを得なかったからだ。日本との競争がなければ、南側・開発途上国への投資や経済発展はなかった」
 「日本と日本の成功体験がなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。欧州が開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けていただろう」
 「もし、『日本なかりせば』、世界は全く違う様相を呈していたに違いない。富める北側は淀みなく富み、貧しい南側は淀みなく貧しくなっていただろう」
 「北側の欧州が、世界を永遠に支配し、マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていたに違いない」
 冒頭のこの演説から、白人(white manとマハティール氏は記述)の政府関係者が憤慨して、プンプン顔を赤らげ、退席していったという。
 マハティール氏はアジア通貨危機でも、IMF(国際通貨基金)からの支援申し出を断り、通貨取引を規制した。
 欧米諸国やメディアは「自由市場を冒涜する無知な指導者」と批判。しかし、のちに、世銀やIMFはマハティール氏の固定相場制導入を評価した。
 その後に起こったロシア経済危機では、米国の投機家が損失を出すと、米国政府が巨額資金で救済する事態となった。
 これを見て、西側諸国は通貨取引安定化のため監督強化を図った。マハティール氏に“追随”したわけだ。
 民主選挙で選ばれながら、欧米諸国やメディアからは「独裁者」と叩かれ続けた。しかし、独自の政策でマレーシアを東南アジアの「ハリマオ(マレー語で『虎』)」に育てたマハティール氏を「鉄の女」マーガレット・サッチャー元英国首相は「アジアの歴史を最も代表する宰相」に挙げた。
 首相に返り咲いたマハティール氏は中国に続き、今回の西側への外遊で再び、大国に「耳の痛い訓示」を浴びせるだろう。

「マハティールなかりせば」

 国際社会でのアジアのプレゼンスは、今よりはるかに弱いものになっていたのではないだろうか。

[写真]
マハティール首相と世界の指導者との書簡を集大成した「ドクターMより:世界のリーダーへの書簡」

Japan Business Press、2018/09/21 06:00
平和と日本を愛するマハティール首相、国連で吠える
末永 恵 (*)
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/平和と日本を愛するマハティール首相、国連で吠える/

(*)末永 恵、ジャーナリスト

米国留学(米政府奨学金取得)後、産経新聞社入社。産経新聞東京本社外信部、経済部記者として経済産業省、外務省、農水省記者クラブ等に所属。 2001年9月11日発生の同時多発テロ直後に開催された中国・上海APEC(アジア太平洋経済協力会議、当時・小泉純一郎首相、米国のブッシュ大統領、 ロシアのプーチン大統領、中国の江沢民国家主席等が出席)首脳会議、閣僚会議等を精力的に取材。
その後、大阪大学特任准教授を務め、国家プロジェクトのサステイナビリティ研究(東大総長の小宮山宏教授《現・三菱総合研究所理事長・東大総長顧問》をトップとする)に携わり、国際交流基金(Japan Foundation, 外務省所管独立行政法人)の専門家派遣でマラヤ大学(客員教授)で教鞭、研究にも従事。
「東洋経済(雑誌、オンライン)」「週刊文春」「週刊新潮」「選択」などにも幅広く執筆。政治経済分野以外でも、タイガー・ウッズ、バリー・ボンズ、ピーター・ユベロス米大リーグコミッショナー(米国オリンピック委員会会長、ロサンゼルスオリンピック大会組織委員長歴任)、ダビ・フェレール、錦織圭などスポーツ分野の取材も行う。

posted by fom_club at 13:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マレーシア映画”Janji Zehan (2018)”

https://www.youtube.com/watch?v=O6MdNZdh8R4

https://www.youtube.com/watch?v=dLG4hDqls-I

https://www.youtube.com/watch?v=ktns9n-edM8

ヤッホー君、昨日のMH70便で雨の成田着。

機内で鑑賞していたのが、マレーシア映画”Janji Zehan (2018)”。

このロケーションがまた素晴らしい!ユネスコの世界遺産登録に納得して見入っていましたぁ〜って。

Love is the driving force behind the new Astro First Exclusive telemovie Janji Zehan.

Directed by both Bernard Chauly and Zabrina Fernandez, it tells the story of a pair of newlyweds encountering all sorts of emotional problems while on a honeymoon in Iran.

The husband is aspiring restaurateur Arman played by Iranian actor Amir Rezazadeh while Fazura takes on the role of Zehan, a TV producer. “We’ve always been intrigued by the idea of a love story between two people from different cultures. So we wanted to explore that relationship through Janji Zehan,” said co-director Fernandez during a press conference in Kuala Lumpur.

Janji Zehan was shot in Iran during a two-week production period last October. Some of the locations highlighted in the telemovie include the historical city of Persepolis, the stunning Nasir Ol Molk mosque and the sacred Tomb of Hafez.

Chauly adores Iran and couldn’t resist the opportunity to make a movie in the country.

Of course, it wasn’t hard for Chauly to get Fazura on board.

“The moment Bernard said ‘I have something for you…’, I said ‘yes’ without even looking at the script. As you all know, Bernard and I go way back. I feel that the bond we have as director-actress is really special,” she said.

The actress has starred in a number of Chauly’s productions including Gol & Gincu, Pisau Cukur and Manisnya Cinta Di Cappadocia.

But even Fazura has her doubts about filming in a strict country like Iran.

“I asked Bernard … ‘Is it safe?’ because I’m planning to get married!” she said with a laugh.

Fernandez agreed, saying she, too, was nervous about filming in Iran.

Chauly assured his cast and crew that Iran is one of the safest countries that he has been to.

Interestingly, the journey that Fazura’s character goes through in Janji Zehan coincided with a new development in the actress’ life last year. She revealed that prior to going to Iran for the shoot, her then-boyfriend actor Fattah Amin (who is now her husband) had just proposed to her.

Chauly thought the timing was perfect: “I told Fazura that she is going to get a taste of what married life is really like through her character Zehan. In Janji Zehan, there are times when the wife asks herself if she really knows her husband.”

He shared how some of the heartfelt conversations in the telemovie was inspired by his own cast.

During pre-production, Fazura and Amir spent two days getting to know each other with a bonding exercise.

“I usually prepare a script for the scene and I let my actors come up with their own lines. The scenes where Zehan talks about her favourite childhood memory and why her last relationship didn’t work out are from Fazura’s own experience,” Chauly revealed.

Ultimately, Chauly hopes viewers will give Janji Zehan a chance despite its realistic style of storytelling. Instead of giving audience the usual romantic scenes set against a love song, Janji Zehan features a lot of monologues about doubts and regrets.

The telemovie explores the many conflicts and relationship woes present in modern day society, something that is not typically showcased in local romantic offerings.

“It’s clear that our strategy for this telemovie is to tap into the young contemporary audience. We want to test our audience in hopes that they will grow and diversify their viewing habits,” Chauly concluded.


[photo-1] Zabrina Fernandez and Bernard Chauly spent two weeks in Iran for Janji Zehan.

[photo-2] Fattah Amin and Fazura attended the premiere of Janji Zehan in KL.

The Star, Published: March 1, 2018
Telemovie ‘Janji Zehan’ explores modern relationship woes
By ANGELIN YEOH
https://www.star2.com/entertainment/2018/03/01/telemovie-janji-zehan-explores-modern-relationship-woes/

It happened on my second day in Tehran. As I ambled into the National Jewellery Museum for a glimpse of Iran’s crown jewels, a woman in black started gesturing at me with a burst of angry words.

My heart just stopped. Is this the notorious Iranian morality police?

My tour guide rushed over with a tight smile.

“She says you have your sweater on wrong, it’s inside-out.”

“It’s the fashion,” I mumbled, quickly walking away.

Safety – especially from the Gasht-e Ershad, the agency enforcing Iran’s Islamic code of conduct – is a big concern for travellers to Iran. But as I learnt on my 10-day trip, tourists are more likely to be accosted by the fashion police than the morality police.

Forget the screaming negative headlines – as you will quickly -discover, the Islamic republic is not quite the scary, fanatical backwater you think.

In fact, it is easy to feel safe and welcomed there.

Its Supreme Leader may be staring coldly down at you from the rigid murals and billboards, but the people on the streets are quick to greet you warmly and ask for a selfie together or invite you for tea.

It is not to say that the strict Islamic regulations are a myth – women have to wear a hijab (headscarf) and cover their figure in public. At some holy sites, you might even be asked to don the -traditional long black veil called chador (which literally means “tent” in Persian).

But on the streets of Tehran and some of the big cities, it is common to see Iranian women strutting around in trendy tight-fitting garb with dyed tresses peeking out of their colourful headscarves as they rebelliously find fashionable interpretations of the state’s strict dress code.

And while public displays of affection between men and women are a no-no, almost no place is segregated. One of the few “places” where men and women are kept apart is the public transport, where women have a separate entrance and compartment on city buses and the Tehran Metro.

The fascinating socio-political paradoxes aside, what makes Iran remarkable is its historical heritage, and how the religious regime has staunchly protected it.

One of the oldest civilisations -in the world, Iran is home to 19 Unesco World Heritage sites with a rich legacy of art, culture and architecture dating back some three millennia.

My whirlwind exploration of this mesmerising heritage started at the Golestan Palace in Tehran. The muted façade of the 400-year-old royal complex is underwhelming, but as soon as you walk in, its grandiose opulence will hit you. Talar-i-Ayaneh (Hall of Mirrors), for one, is unforgettable with its blinding shattered-mirror mosaic walls and ceiling. One would think living with your reflections is unnerving, but apparently the mirrors served a practical purpose – they kept the assassins away.

The newer Niavaran Palace gives a different insight into Iran’s past – it exhibits the excesses of the last Shah of Iran, Reza Pahlavi, as if to justify the 1979 Islamic Revolution that sent him and his family into exile. Maybe it was the winter cold, but an eerie chill swept down my spine as I walked through the rooms showcasing the royal family’s abandoned possessions.

This mesh of the extravagant and the austere; the traditional and the modern; and the Islamic and the pre-Islamic of Iran is evident even as you move out of Tehran.

It cannot be more obvious than at the Imam Square in Esfahan, once Iran’s capital under the Safavid Dynasty. Surrounded by intricately designed palaces and mosques, the public square used to host polo matches for the ancient kings’ entertainment. Today, the Imam Square is a popular hangout for the ordinary Esfahan folks who love to picnic and read poetry on the grassy turf.

But the wintry air was biting when we were there, so we quickly popped into the labyrinthine Bazar-e Bozorg nearby to hunt for souvenirs and browse in the workshops where the traders make their wares, from traditional copper pots and glass trinkets, to miniature paintings and printed tablecloths.

While I had vowed to resist the temptation of lugging home one of the famed Persian carpets, I could not resist the calls of the carpet sellers. So, I let myself be dragged into one carpet shop and surrendered to their “1,001 tales of flying carpets” over hot tea … Leaving without buying was awkward but the experience was definitely worth it.

If the haggling is not for you, there are many chaikhaneh (teahouses) around where you can sip your spiced tea and suck on nabat (traditional rock sugar). Find, if you can in the market maze, the kooky Azadegan Teahouse. The metal pots, lanterns and other knick-knacks hanging from its ceiling give Azadegan’s tea and snacks an extra oomph.

After soothing tea, nothing is more invigorating than walking across the wondrous Si-o-seh pol bridge to the leafy Armenian Christian quarter Jolfa, where the Esfahan Music Museum makes an interesting stop with its extensive collection of traditional instruments. We even got serenaded with traditional Persian love songs after our guided tour!

As the Safavids were credited for the spread of Shia Islam, Esfahan is an ideal place to soak in the distinctive blue-tile mosaic design of Iran’s Islamic architecture.

I did wonder if blue tiles are – as magnificent as they are – all there is to Persian mosques. I found the answer in Shiraz, another former capital city.

Its Nasir al Mulk mosque is known as the pink mosque because its pink and red tiles radiate a dazzling rosy hue around the main prayer room when sunlight shines through its stained glass windows.

But despite its attractions, and Shiraz has many, most travel to the southern city to get to Persepolis, the ancient capital of the Achaemenid Empire.
It is said that the Greek conqueror Alexander (the “not Great”, from Iranians’ perspective) had torched most of Persepolis in a drunken fit, but the ruins are still breathtaking.

The tomb of Cyrus the Great at nearby Pasargadae completed my “lesson” on this ancient Persian civilisation. Cyrus is dubbed the “Father of Human Rights” and, to the current theocratic government’s chagrin, many Iranians now hold annual protests at his tomb.

I find Iran’s preservation of their pre-Islamic heritage absolutely riveting, and my intrigue only grew when I got to the desert town of Yazd, considered by many to be the “Zoroastrian HQ”.

Zoroastrianism, one of the world’s oldest monotheistic religions, is said to be founded in Iran. One of its distinct facets is its “decontamination ceremony” for the dead – their bodies are left in a simple tower known as dakhmeh or tower of silence for vultures to pick clean to the bones.

The dakhmeh at the hilly edge of Yazd will transport you back to those gory times, especially if you go there after visiting the surreal Fire Temple, where the flame allegedly has been burning for over 1,500 years.

Yazd’s old town, a pit stop during the old Silk Road days, is also captivating with its badgirs (windtowers) on sun-dried mud-brick houses set around narrow, winding lanes.

All the guidebooks say the skyline is best seen from the rooftop, something I unfortunately didn’t get to do as I had to rush to Kashan, another old town with traditional houses, gardens and hammam (bath houses) that should be explored from the rooftops. As I looked out across the quaint skyline, it struck me – I had barely scratched the surface of what this diverse country has to offer.
I guess I just have to come back.

This media trip was sponsored by Thai Airways. Thai Airways flies from Kuala Lumpur to Tehran (via Bangkok) four times a week.


[photo-1] The Amir Chakhmaq Complex in Yazd has a most scenic square.

[photo-2] The Nasir al Mulk mosque in Shiraz, also known as the Pink Mosque.

[photo-3] Golestan Palace, or the ‘Palace of flowers’, is one of the oldest historical monuments in Tehran.

[photo-4] The intricate ceiling design in the music room of the Ali Qapu Palace, at the Imam Square of Esfahan.

[photo-5] Strolling along the Si-o-seh pol Bridge, the most striking bridge in Esfahan, is a must.

[photo-6] Kick back at the Azadegan Teahouse with its kooky ceiling decor after souvenir hunting at the labyrinthine Bazar-e Bozorg in Esfahan.

[photo-7] What’s left of Persepolis, the ancient imperial ceremonial capital of Persia, which was burnt down by Alexander the Not Great.

[photo-8] The Zoroastrian Towers of Silence in Yazd where the dead were once left to be eaten by vultures before burial.

[photo-9] The bathhouses in Kashan are best explored via the rooftop, like this one at Hammam-e Sultan Amir Ahmad.

The Star, Published: April 17, 2017
Is it safe to travel to Iran?
By HARIATI AZIZAN
https://www.star2.com/travel/asia-oceania/2017/04/17/is-it-safe-to-travel-to-iran/

posted by fom_club at 09:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月20日

「友だち幻想」

今から10年前、学校での友だちづきあいに悩んでいた1人の少女に、父親が1冊の本をプレゼントした。社会学者だった父親は、娘のため、そして同じ境遇の子どもたちのために、この本を書き上げた。

つらいならクラスメートといったん距離をとってみよう
友だちと100%わかり合おうなんて思わなくていい


突き放したようにも聞こえるが、現実的な対処のしかたを優しく説いている。タイトルは「友だち幻想」。娘を気遣う父親の思いが原点だったこの本が、今、人づきあいに悩む人たちの“処方箋”として注目を集めている。

友だちは大切だけど

「みんな仲良く」
そうした発想から解放されなければならない


「友だち幻想」は、こう宣言する。違和感を感じる人もいるだろう。なぜなら、多くの人はこれまで、先生や親などから「みんな仲よく」するように繰り返し言われてきたからだ。私もその1人だった。クラスメートの誰とでも親しい間柄にならなければならないと思い、それがあるべき姿だと信じてきた。

ところが「友だち幻想」は、この“常識”をあっさり否定する。誰とも仲よくなんて無理なんだから、うまくやりすごす方策を探ろうと、まじめに主張する。

著者は、宮城教育大学の教授だった菅野仁さん。コミュニケーション論などを専門に長く教壇に立ったが、2年前、56歳の若さで他界した。

菅野さんは、当時小学生だった長女が友だちづきあいに悩んでいたことをきっかけにこの本を書き上げ、平成20年に中高生向けの新書として出版した。難解な表現を避け、イラストを交えながら、悩める子どもたちにメッセージを発している。

友だちは大切だとしながらも、「100%自分を理解してくれる友だちはいない」ため「時には距離を取ってもいい」。そして「苦手な相手ともうまくつきあっていく作法を身につけるべき」と優しく諭す。

時代が本を求めるように

「友だち幻想」は、ことしに入って著名な学者やタレントがさまざまなメディアで紹介し、売れ行きが急増。数年前までの販売数は月100冊前後だったが、春以降は月数万冊という状況が続き、発行部数は30万部を突破した。

出版元の筑摩書房によると、時代の局面を切り取る「新書」が10年の時を経てここまで売れるのは異例だという。販売担当の出町亮さんは、「もともと10代、20代の学生を中心に読まれていたが、近年はサラリーマンや主婦などを含む幅広い世代に読まれている傾向がある」と指摘。そのうえで「SNSの浸透で、人と人とがより密接につながる一方、相手との距離感覚がつかみにくく、人間関係が複雑になっている。そこにプレッシャーを感じている人の心にこの本が響くようになったのではないか」と分析する。時代が本を求めるようになったというのだ。

現代っ子たちの苦悩は

東京・新宿の成城中学校は、ことし6月、この本を課題図書に選んだ。3年生280人がこの本を読んで感想文を提出。そこには現代っ子ならではの悩みがつづられていた。
「相手に反応をすぐ返さないといけないと思い、スマホを持ってしまう」
「LINEの返信やら本当はやりたくないこともやったりしていました」

この本は、スマートフォンもSNSも普及していない10年前に書かれたが、生徒たちは著者の指摘を自分の境遇に置き換えて解釈していた。

担当の岡本拓也先生は次のように話す。「友だちに『ごめんね』をSNSでしか伝えられない子どももいて、相手に思いが届かずに自分を追い込んでしまった例もある。人とのつながりに悩んでいた子たちにメッセージがすんなり入ったようです」

取り戻した距離感

この本を読んだことで心の持ちようが変わったという生徒を取材することができた。この学校の3年生、佐々木高寛君は、SNSを介した友だちづきあいを重荷に感じていた頃の心境を感想文につづった。

佐々木君は入学当時、友だちの輪に入るため、クラスメートの間で流行していたスマホのゲームを始めた。チームを作り、オンラインで遊ぶゲームだったため、帰宅後に、約束の時間にスマホを操作しなければならないことに息苦しさを感じるようになっていった。当時の様子を次のように語ってくれた。

「ゲームをやめるとグループから外されるんじゃないかといつも不安でした。不安になった日の翌朝は、友だちにすごく優しくするんです。そうやって友だちに奉仕して、関係を無理矢理にでもうまくつなごうとしていました。いつの間にか友だちづきあいに疲れてしまっていましたね」

一時は登校するのが嫌になるほど悩んだ佐々木君だったが、「友だち幻想」の次の言葉に、はっとさせられたという。

友だちが大切、でも友だちとの関係を重苦しく感じてしまう

「『あれ、俺じゃね?』と思いました。親友というのは密接で、一緒にいてずっと楽しいものだと思っていました。でも親友にはいろんな形があってよくて、自分が思い描いていたのは幻想だとはっきり言ってくれたことに驚がくしました。自然な距離感が出来上がっているというのが本当の友だちなのかなと、今は思います」

自分が心地よいと思う距離感をとっていいと気づいたあと、佐々木君が抱えていた悩みはなくなったそうだ。

かばんの中の初版本

菅野さんが亡くなって2年。自宅の書斎は以前のままで、大量の本や趣味のギターが置かれたままになっている。

愛用のかばんには、表紙がすり切れるほど年季が入った「友だち幻想」の初版本が。強調したいメッセージには傍線が引かれ、余白の至る所にさまざまな言葉が書き留められていた。

妻の順子さんによると、菅野さんはこの初版本をいつも持ち歩き、大学の授業や一般向けの講演などで活用しながら、時代の変化に応じたメッセージを発信するために模索していたという。

「あの本を書いたから終わりではなく、何度も何度も読み返しながら、今の人たちにどう受け止められているだろうかといつも考えている感じはありました。自分の文章を通して何か力になりたいという思いが強くあったようです」

よりよい関係を築くには

菅野さんは、子どもたちに「仲よくするな」と言っているわけではない。むしろ多感な子どもたちがよりよい関係を築くために、他者との距離感や、程よいつきあい方を見つけ出すことが大切だと提案している。

私たち大人は、さまざまな経験を経て、いつの間にかこうした対処法を身につけている。しかし子どもたちは、「みんな仲よく」というかけ声のもと、必要以上に悩み、自分を追い込んでいるのではないだろうか。いや、大人でさえ無意識のうちにこの呪縛にとらわれて傷つき、生きづらさを感じていないか。この本はそんな気づきを与えてくれる。菅野さんは、人づきあいに悩むすべての人に呼びかける。
当然のことですが、気の合わない人間とも出会います。そんな時に並存できることが大切なんです。
人はどんなに親しくなっても他者なんだということを意識した上での信頼感のようなものを作っていかなくてはならないのです。

菅野さんは、「友だち幻想」が注目を集める前に亡くなった。しかし彼が残したメッセージは、つながり依存が強まりゆく社会の中で、これからも多くの人の心に響くことだろう。

NHK WEB 特集、2018年9月19日 18時30分
「みんな仲よく」の重圧にさよなら
(科学文化部記者 国枝拓)
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0919.html

posted by fom_club at 23:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

Developing a culture of critical thinking

A HISTORICAL milestone was made last night when the inaugural International Islamic University Malaysia (IIUM) Public Debate Series (PDS) was launched at The Garden of Knowledge and Virtue.

The collaborative effort between IIUM and the Youth and Sports Ministry firmly translated the aspiration that new Malaysia is more open to diversity of opinions and expressions, especially on things that matter.

The 6D formula encompassing disagreement, dissent, dialogue, discourse, debate and decorum is the rule of thumb in making this aspiration a reality.

The youth and sports minister (*), in welcoming the initiative, reiterated that it is aimed at developing a culture of critical thinking, public speaking and raising the quality of debates as well as the use of English.

All these resonate well with the Education Ministry in an attempt to shift education to take a more publicly engaged role as the nation's "think-tank" where the younger generation are accorded the all-important responsibility of interlocutor for the future.

Not only must they know how to communicate with conviction and confidence, without fear or favour, they must also know what to convey given the myriad of issues overcrowding the nation's mind, indeed the world today.

More so in the distant future. In order to accommodate this, the series will be conducted monthly involving a combination of senior and junior speakers coming from members of the community; dealing with the most pressing issues.

The event last night set the tenor of what to expect in the coming series. With no less than "bro" minister himself leading the team on one side, and the freshly minted Asian Best Overall Debater, Syarif Fakhri of IIUM on the other, the audience were given a treat of what the new breed of Malaysians are capable of.

If there are so much negative reports in the media about the younger generation, it is because we choose to focus more on those because "bad" news sells, as the media struggle to keep their heads above the water.

So the actual story is never completely told. The inaugural IIUM PDS, however, gave a somewhat rare insight into the minds of our youths.

To the surprise of many, the situation is not at all hopeless. It also means that the 6Ds should be given its rightful place in nurturing new ways in the new Malaysia.

And universities are just the place for it provided they are prepared to change in tandem with the demands of the time. That said it is time to reconsider what is called "education" today.

Over the last month, I have participated in a couple of seminars that were associated with the term "Education 4.0," instead of "Education 2030".

Answering why is hard to tell especially when the latter comes out of the 2015 World Education Forum held in Incheon, South Korea on the back of the United Nations Decade on Education for Sustainable Development (ESD), which expired the year before.

It is intended as the way forward post-2015 well into 2030, hence the name. That it is framed on ESD shows that there is every need for the 6Ds to be embraced because ESD is inherently futuristic in nature laced by uncertainties and subjected to a plethora of interpretations.

It is bound to open up many doors in order to match the expectation of the future that we want.

This is quite the opposite from the narrative of "Education 4.0", which seems to be mechanistic in its form.

As such, it is rather monolithic in its presentation within a very linear structure, like many of the processes that makes up a machine.

In other words, there is little flexibility to speak of in the context of the 6Ds. More often than not, there is an inclination to some "standardised" one-size-fits-all herd-like thinking as the more dominant approach. Consequently, the so-called "education" is not only becoming more redundant, it also tends to be dehumanising.

The people, especially youths, become more and more disengaged as they get hooked on new habits brought forth by mechanistic gadgets that push them towards the "standardised" ways of life.

Few realise that technology has the capacity to standardise and "take over" the individual involved insidiously.

The ultimate manifestation of this will be the various forms of addiction that is now associated with assembly-line, factory-like learning where the 6D rule has no place at all.

In short, while public debates, discourses and dialogues are crucial for education, in the real sense of the world, the deeper understanding of what education is all about, with all its intended meanings and philosophy, must also be given due consideration.

Education 2030 Framework for Action adopted in 2015 that provides the roadmap to achieve the 10 targets of the education goal cannot be sidelined by another illusive "target" like that of Education 4.0.

More so when it is ill-defined against that of Education 2030 as it stands today.


The SunDaily, Posted on 19 September 2018 - 09:11am
The education conundrum
By Dzulkifli Abdul Razak
With some four decades of experience in education, the writer believes that "another world is possible".
http://www.thesundaily.my/news/2018/09/19/education-conundrum

(*) Syed Saddiq Syed Abdul Rahman, Youth and Sports Minister

PETALING JAYA: Syed Saddiq Syed Abdul Rahman has become the youngest-ever minister in the country.

Syed, who will turn 26 on December 6, was sworn in as the 18th Youth and Sports Minister on Monday (July 2).

The youngest of four children, the Johor-born Syed's appointment to a full minister role under the new Pakatan Harapan government is also historic in itself, as he is the youngest ever minister in the history of the country.

His predecessor Khairy Jamaluddin was the country's youngest minister when he was appointed to the Cabinet aged 37 in 2013.

Tall and quick-witted, Syed was well-established in the debating community before he entered the political arena, having won Asia's Best Speaker award at the Asian British Parliamentary (ABP) Debating Championship three times.

His rise in the Malaysian political landscape came about after he won the Muar parliamentary constituency in the country's 14th General Election, beating Barisan Nasional's incumbent candidate Datuk Seri Razali Ibrahim.

Razali was also a former deputy youth and sports minister from 2009-2013.

Top Malaysian shuttler Lee Chong Wei earlier said he was looking forward to the appointment of the new sports minister, whom he hopes will adopt a hands-on approach.

"It is a breath of fresh air. As we know, former minister Khairy did a great job.

"Under Khairy, athletes who did well at the Rio Olympics in 2016 enjoyed great incentives.

"Malaysia also emerged as overall champions at the Kuala Lumpur Sea Games last year, and we also produced a few world champions.

"I am sure the new minister will do a good job also," said Chong Wei, who bagged his 12th Malaysia Open title on Sunday.

Khairy also congratulated the new minister on social media.

"Congrats to Syed Saddiq on his appointment as the new Youth and Sports Minister. I pray that you will bring more success to the country," he tweeted.

Datuk Seri Abdul Azim Mohd Zabidi, the chef de mission for Malaysian contingent to Asian Games and National Sports Institute chairman said Syed Saddiq's youth would prove beneficial.

"I think it's the most appropriate choice bearing in mind his age and vitality. We look forward to working with Syed Saddiq and hope to get his full support especially with the Asian Games in Indonesia just over a month away."

"He is young and will bring in new ideas for sure to the sports industry in Malaysia. I hope there will be more support for motorsports," said Nabil Jeffri, a Malaysian driver who took part in 24 Hours Le Mans race last month.

Steven Sim Chee Keong was also sworn in as the Deputy Sports Minister.

A total of 13 ministers and 23 deputy ministers received their letters of appointment from the Yang di-Pertuan Agong Sultan Muhammad V on Monday.


The Star, Published: Monday, 2 Jul 2018 12:35 PM MYT
Syed Saddiq is Youth and Sports Minister, Malaysia's youngest-ever Cabinet member
By Lim Teik Huat
https://www.thestar.com.my/news/nation/2018/07/02/syed-saddiq-is-youth-and-sports-minister-malaysias-youngest-ever-cabinet-member/

posted by fom_club at 13:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The idea of becoming a doctor

LAST month, I talked about the considerations before entering the path of a life in medicine (*).

Now that you have finally decided that this is the career for you, you will need to think about the next course of action: applying for the medical degree course.

There are a myriad of things to consider when picking a programme, and it can feel like navigating a maze. The decision to study locally or overseas is often the first confusing turn of the maze.

I am a graduate from the University of Nottingham, United Kingdom, and I pursued a five-year medical degree programme. I was lucky enough to get a full Public Service Department scholarship, without which I would never have been able to pursue my studies abroad. Financial constraints will probably be the deciding factor here, but assuming you have the ability to fund your studies both ways, you’ll also need to weigh the pros and cons of a local versus a foreign undergraduate experience.

Studying abroad has a very glamorous image, and indeed part of the attraction is the adventure and novelty of going to a foreign country, experiencing different cultures and lifestyles. The medical curriculum itself varies very little between countries, but the teaching system and exposure during your hospital attachments will be vastly different.

In the UK for example, the teaching system encourages independent study, case-based discussions and an emphasis on research and communication skills. Contrary to popular belief, hands-on learning and practical skills training are still a big part of teaching in the UK.

I can’t comment much on the medical education experience in other countries, so my advice is to speak to graduates from different countries and compare the systems. Even within the same country, universities can have different teaching styles, so read up on the university websites to find out more or contact a university representative. Do not be shy to ask, the course is going to take up five years (at least) of your life so ask 1,001 questions if you must!

Studying abroad will also equip you with the survival skills to be live independently. Living thousands of kilometres from home, you will learn to speak a new language, manage your finances in a foreign currency and deal with errant landlords.

You will learn to adjust recipes because you cannot find gula melaka (palm sugar) in your local supermarket, and you will feel excited when you hear someone speaking in a Malaysian accent on the bus. It has opened my eyes to different mindsets and viewpoints, and challenged a lot of my beliefs and principles.

It has allowed me to immerse myself in the work culture and health care system of a developed country, and hopefully be able to apply that knowledge to improve the system in Malaysia. It is more than just a medical degree, and I came back with a wealth of memories and experiences that have enriched not just my professional life, but also my personal life.

On the other hand, one advantage that local graduates have is being familiar with local diseases, hospital environments and work culture. As they would have done their placements in local hospitals, it would give them early exposure to life as doctors in Malaysia, as well as better knowledge on the management of common illnesses that foreign graduates may rarely (or never) see.

While in the UK, I never attended to a dengue fever patient. So imagine on my first day as a houseman, with three new dengue patients in the ward; I did not even know how to do a peripheral blood film! For my colleagues who graduated from local universities, this was a piece of cake. This gap in experience will eventually disappear with time and effort, but it is still a steep learning curve. Their familiarity with local hospitals and doctors during their practical attachments will also benefit them when it comes to applying for the housemanship programme, as it will be easier for them to decide on the hospitals they prefer for their training.

Another advantage of a local degree, which is often underestimated, is having a social support network which is close by. Medicine is a long and tough programme. Being alone and isolated in a foreign land, without family or close friends from similar backgrounds can take a toll on mental health. Not everyone adapts well to being far from home, and we all have different coping abilities.

I have had times when homesickness and loneliness got overwhelming, especially when I fell ill or was sitting stressful exams. Knowing that home is close enough to go back to when things get tough can make a big difference to your motivation levels. For those who wish to have the best of both worlds, one option is a twinning or an exchange programme. This will combine a taste of an overseas experience with exposure to local hospitals and diseases.

Regardless of where you choose to study, do make sure that your degree is recognised. I have a few friends unfortunate enough to have ended up with a degree that is not recognised by the Malaysian Medical Council (MMC), which means they cannot practise as a doctor here. Go to the MMC website (www.mmc.gov.my) and look up the list of recognised institutions before applying.

I hope I have been able to give a few pointers on whether to study locally or abroad. But the most important message is that wherever you graduate from, it won’t matter to patients. A positive work attitude, good patient care and professionalism are the makings of a good doctor, and that is what counts.


[photo]
The Malaysian Armed Forces mobile hospital on the grounds of Hospital Sultanah Aminah, Johor Baru.

New Straits Times, Published: February 21, 2018 - 10:39am
The makings of a good doctor
By Bessima Jamal
The writer is a doctor at Hospital Enche Besar Hajjah Khalsom, Kluang in Johor. The secondary school national champion of the inaugural Spell-it-Right competition in 2008, she is passionate about education and sharing her experiences of her journey in medicine.

(*)

I WAS a very indecisive and ambitious child. Back in primary school, the pupils’ ambitions were recorded every year.

I remember one classmate whose report card consistently had “policeman” written in the “ambition” box. Mine, on the other hand, had something different every year. But I can tell you one thing: “doctor” was never on the list.

The idea of becoming a doctor formed like a shadow: elusive and vague in the beginning, and becoming more concrete and defined as it got exposed to the light of day.

The first inklings started when I joined the Red Crescent Society, and discovered that I enjoyed first aid very much. It also helped that being a first aider meant I could skip running the yearly marathon and chill in the cool cover of the first aid tent.

Then, in my final year of secondary school, my niece had a brain tumour. She had always been such a happy-go-lucky girl, who used to laugh merrily and annoy me by singing at the top of her lungs. When I saw her on her hospital bed, cracking her usual smile, but only half her facial muscles would move, it broke me. She died a few months later, just a few days after her 10th birthday. That was when I vowed I never want to feel that helpless ever again, and I thought becoming a doctor would help me achieve that.

Deciding to become a doctor suddenly in Form Five is not for everyone. Most students who had aimed to get into medical school much earlier on would have spent many school years polishing their portfolio for the competitive applications. They would have spent holidays doing volunteer activities in healthcare-related fields, or learnt a foreign language or musical instrument, for an edge over other applicants.

If medical school is what you want, preparation is key. I did not have that advantage, but I was lucky that I already had the grades, the co-curricular activities portfolio that would give me a chance to enter medical school despite entering the game late.

In retrospect, I now realise that there were a lot of other factors that subconsciously influenced me to choose medicine. The mindset that “smart kids should be doctors, engineers or lawyers” was ingrained in me, along with the idea that any other career would be unrealistic, poorly paid or a “waste of talent”.

I also had always wanted to study abroad, and the only way I could afford that was via a full scholarship, which narrowed down the options of courses I could go for. And perhaps a part of me was just going along with what people expected of me.

I had no idea what a medical degree would involve, or the work life of a doctor. All I had were the general preconceptions of the public about doctors. I never spoke to doctors to ask about their day-to-day life. I never shadowed a doctor in hospital.

My vision stretched till the medical degree, but not further beyond to the job as a doctor, which is an extremely unwise way to make a decision that could influence my entire life. But at 17, I was too young to understand all this, and it was with blinkered eyes that I set upon the path of medicine.

It is with the benefit of hindsight that I can now offer this advice to those who wish to go on the same path: don’t just prepare for medical school, prepare for a life in medicine.

At the end of the day, you are trying to become a doctor, not a medical student. Put in all effort to find out if the career is for you.

Talk to people who are working as doctors, preferably those who are just a few years into their career, because their experience will be the most relevant to you when you graduate. Write letters to hospital directors to ask for permission to do attachments or shadow doctors in the wards. Ask other like-minded friends to join you if you’re afraid of doing it alone. Take a frank look at yourself, arm yourself with the facts and reality of the job, and be honest about your motivations for choosing medicine.

If you still think this is something you want to do, now you will be jumping in with both eyes open, and only then will you be able to swim further, even if you have to fight against the current.


[photo]
Take a frank look at yourself, arm yourself with the facts and reality of the job, and be honest about your motivations for choosing medicine.

New Straits Times, Published: January 17, 2018 - 11:36am
Prepare for a life in medicine
By BESSIMA JAMAL
https://www.nst.com.my/education/2018/01/325899/prepare-life-medicine

posted by fom_club at 13:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Malaysia's 'new reformer'

FIFTEEN years after stepping down from the job, Tun Dr Mahathir Mohamad is back with a bang. During his first tenure as premier from 1981 to 2003, he was known for his combative style. Now, Southeast Asia and the world will be hearing more from the outspoken Malaysian leader, age notwithstanding.

The return of Dr Mahathir at 93, long past when most leaders decide to call it a day, is almost surreal. It is also catapulting him to the status of a political legend in Malaysian politics. In so doing, he scored many firsts. No former prime minister had ever made a comeback to dethrone his preferred successor. The sacking of Datuk Seri Najib Razak at the ballot box on May 9 also meant that Dr Mahathir is now the world’s oldest prime minister, and still very much a man in a hurry.

What made this all possible was the stunning political reconciliation between Dr Mahathir and his fiercest nemesis: with his surprising support for the jailed politician Datuk Seri Anwar Ibrahim, and Anwar’s reciprocal backing for Dr Mahathir, their remarkable burying of the hatchet led to the opposition’s startling electoral victory.

The ruling juggernaut, the Umno-led coalition, had never been defeated since independence in 1957. The coalition finally lost power at the hands of the country’s most potent political duo: Dr Mahathir-Anwar. In the aftermath, at least three evolving scenarios are worth watching:

SCENARIO 1: A NEW ORDER?

If the newly-elected Pakatan Harapan (PH) coalition government can last at least two terms, we will see a different political order take hold. The people’s rejection of the governing Barisan Nasional (BN) coalition and Umno is a new phenomenon in Malaysian politics. Increasingly, the emerging narrative is that of a “New Malaysia”.

What this New Malaysia is, however, has yet to be clearly defined, as it seems to mean different things to different people. The popular view is that it is simply the antithesis of the old era; anything that was bad about the old must not be part of New Malaysia. Even Dr Mahathir himself has called for a break from the past: “The New Malaysia should even be an improvement on the period during which I was prime minister for 22 years.” The government should “have to go back to democracy and the rule of law and respect the wishes of the people”, he said.

Two wishes in particular: first is cleaning up the mess left behind by the Najib administration. Reformism will be the order of the day, possibly leading eventually to some form of systemic change.

Dr Mahathir, has become the “New Reformer”, embracing Anwar’s battle-cry of Reformasi.

Second, Dr Mahathir and his team will be under pressure to prove that the new government can fulfil the people’s expectations.

The previously disparate alliance will have to demonstrate that it will not be a photocopy of the old regime.

SCENARIO 2: EXISTENTIAL CRISIS

All that said, the power vehicle the PH alliance overthrew is not to be trifled with. At the core of the dethroned BN coalition is Umno, the linchpin party that won independence from the British. Once thought to be invincible, BN disintegrated as soon as it lost power.

Umno itself is facing an existential crisis. It is under threat of being deregistered for failing to hold internal party elections, in breach of political regulations. In this battle for survival, Umno is going through an internal debate over direction and its own identity.

The future of Umno now depends very much on how far the younger generation will succeed in taking over the leadership and charting a new course. Nevertheless, the introspective search for a new identity is unprecedented, reflecting the country’s new terrain.

The course taken by Umno will partly be influenced, if not defined, by the broader political landscape now dominated by the Dr Mahathir-Anwar leadership 2.0. Collectively, the duo has come to symbolise a political ethos around “post-identity”.

SCENARIO 3: BEYOND THE BORDER

The political shifts do not stop at Malaysia’s border. As one of the most developed economies in Southeast Asia, the country’s political dynamics−especially those that affect its stability and security−will be of importance to its neighbours in the region and beyond.

With neighbouring Singapore, Dr Mahathir also created some ripples when he threw a spanner in the works of a joint high-speed rail project signed by the BN government, though this has been deferred for now. Dr Mahathir also suggested renegotiating the long-standing supply of water from Malaysia’s Johor state, a strategic resource for Singapore.

Dr Mahathir’s biggest challenge is, however, further afield, in Beijing. China is at the heart of some financially troubling mega projects initiated by Najib. Dr Mahathir himself travelled to Beijing in August to re-negotiate with Chinese leaders the China-funded projects in Malaysia, part of a larger goal to cut down on the massive national debt inherited from the previous government.

What is troubling Dr Mahathir is the Chinese model of economic collaboration. At issue is Beijing’s preference for extending loans with high interest rates rather than investing directly in the projects, and for payments to Chinese contractors based on timelines rather than project deliveries.

Another is the Chinese propensity to use their own resources, workforce and expertise for the projects, instead of relying on local firms and creating jobs domestically.

Unlike in the past, the political earthquake in Malaysia this time is clearly reverberating beyond Malaysia’s border. Before he finally calls it a day − again − expect Dr Mahathir to make more waves as he brings his assertive persona to the international stage, perhaps even to the United Nations. It’s in his DNA.

[photo]
The return of Tun Dr Mahathir Mohamad at 93, long past when most leaders decide to call it a day, is almost surreal.

New Straits Times, Published: September 19, 2018 - 9:32am
Malaysia's 'new reformer'
By Yang Razali Kassim, senior fellow with the S.Rajaratnam School of International Studies, Nanyang Technological University, Singapore
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/09/412781/malaysias-new-reformer


posted by fom_club at 13:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Chinese-Russian alliance

Good work Mr. President! You have now managed to lay the groundwork for a grand Chinese-Russian alliance. The objective of intelligent diplomacy is to divide one’s foes, not to unite them.

This epic blunder comes at a time when the US appears to be getting ready for overt military action in Syria against Russian and Syrian forces operating there. The excuse, as before, will be false-flag attacks with chlorine gas, a chemical widely used in the region for water purification. It appears that the fake attacks have already been filmed.

Meanwhile, some 303,000 Russian, Chinese and Mongolian soldiers are engaged in massive maneuvers in eastern Siberia and naval exercises in the Sea of Japan and Sea of Okhotsk. The latter, an isolated region of Arctic water, is the bastion of Russia’s Pacific Fleet of nuclear-armed missile submarines.

Interestingly, President Vladimir Putin, who has attended the war games with his Chinese counterpart, Xi Jinping, just offered to end the state of war between Russia and Japan that has continued since 1945. He also offered some sort of deal to resolve the very complex problem of the Russian-occupied Kuril Islands (Northern Territories to Japan) that has bedeviled Moscow–Tokyo relations since the war. The barren Kurils control the exits and entry to the Sea of Okhotsk where Russia’s nuclear missiles shelter.

In the current war games, Russia has deployed 30,000 military vehicles and 1,000 combat aircraft. China contributed 3,200 troops, 30 warplanes and naval units. Most of the equipment deployed in Vostok-18 was state of the art. Russia’s and China’s infantry, artillery and armor appeared impressive and combat ready – or as we in the US Army used to say, ‘STRAC.’

Why were these huge exercises being held in remotest eastern Siberia? First, so China could contribute forces close to its territory. Second, as a possible warning to the United States not to invade North Korea, which is just to the south and abuts on both China and Russia. Third, as a demonstration of the improved effectiveness of Russia and China’s military and as a warning to the US and its NATO satraps not to pick a fight with Russia over Ukraine, Syria or the Black Sea.

On a grander scale, Beijing and Moscow were signaling their new ‘entente cordiale’ designed to counter-balance the reckless military ambitions of the Trump administration, which has been rumbling about a wider war in Syria and intervention in, of all places, Venezuela. The feeling in Russia and China is that the Trump White House is drunk with power and unable to understand the consequences of its military actions, a fact underlined by recent alarming exposés about it.

Russia and China appear – at least for now – to have overcome their historic mutual suspicion and animosity. In the over-heated imagination of many Russians, China often appears to be the modern incarnation of the Mongol hordes of the past that held ancient Rus in feudal thrall. Russians still call China ‘Kitai’, or Cathay.

For the Chinese, Russia is the menacing power that stole large parts of eastern Siberia in the 19th century. Today, Russia frets that China’s 1.4 billion people will one day swamp the Russian Far East which has only 6.2 million inhabitants spread over a vast, largely empty region which is one of the world’s least inhabited.

In the 1960’s, after the Soviet Union and China became ideological antagonists, the two sides frequently clashed along their border rivers, Amur and Ussuri. They almost stumbled into a full-scale war on their 4,000 km border– at a time when the US had invaded Vietnam supposedly to ‘halt Chinese-Soviet aggression.’ The CIA was as ill-informed back then as it is today.

Vladimir Putin and Xi Jinping attended the grand display, along with their senior military staffs. This week-long martial event, Russia’s largest war games in almost four decades, overshadowed the smaller military exercise being staged by NATO in Ukraine.

The message from eastern Siberia was clear: Washington’s reckless hostility and bellicosity is causing its foes to band together. A full third of the Russian Army just moved from Europe to the Far East for the war games. The Chinese dragon of which Napoleon warned is awakening.


EricMargolis.com, Posted: September 15, 2018
TRUMP’S RECKLESS HOSTILITY UNITES CHINA AND RUSSIA
By Eric Margolis
https://ericmargolis.com/2018/09/trumps-reckless-hostility-unites-china-and-russia/

Russia’s biggest military exercises since the cold war, involving China’s largest representation yet in overseas war games, coincided with a meeting between presidents Xi Jinping and Vladimir Putin on the sidelines of a regional economic forum on trade and bilateral cooperation. At any time this would attract intense military and diplomatic analysis of the regional and global implications. During a US trade war with China and tensions between Moscow and the West, it is bound to be seen in terms of Russia and China building an alliance against the West.

There is some truth in this, but the geopolitical reality is more complex. It is good for Beijing and Moscow to increase cooperation on the economic front, because they have complementary strengths and needs spanning energy, agriculture, technology and infrastructure. In that regard greater cooperation leading to improved economic security can only be good for regional stability.

When it comes to military cooperation it may be true that China and Russia both face greater pressure from the West. But it needs to be pointed out that military exercises on this scale can add to tension and suspicions, and the danger of the world slipping into a new cold war, as some observers are calling it. As with the trade war, there may be no winners and, in the end, such confrontations are bad for everyone.

The American side also needs to shoulder responsibility for rising tensions with China and Russia. That said, Moscow and Beijing need to exercise care, particularly given a fundamental change in the nature of their military cooperation. The Chinese contribution of 3,000 elite troops and advanced equipment is unprecedented. In the recent past, amid a new and shadowy threat to global security, military cooperation has been largely focused on anti-terrorism. The shift back towards rivalry involving great powers explains thevos heightened interest from defence analysts.

The rivalry is grounds enough for concern. It underlines the importance of keeping open lines of bilateral communication among the three parties – both official and backchannels – for cooperation and avoidance of any misunderstandings.

The trade war between the United States and China, and new US and European Union sanctions against Russia have pushed Beijing and Moscow closer together. This is reflected in the vow by Xi and Putin to boost bilateral ties and oppose the Donald Trump agenda of unilateralism and trade protectionism. Russia needs new markets, investment and credit, and access to new technology, and sees China as a primary source. China can help offset risks from the trade dispute with the US by expanding trade with Russia.


[photo]
Russia launches largest military drills in decades, China participates.

SCMP Editorial, UPDATED : Thursday, 13 September, 2018, 10:19pm
China, Russia have a lot more in common than just war games

It is also good for Beijing and Moscow to increase economic cooperation as the US trade war rages, because they have complementary strengths and needs

https://www.scmp.com/comment/insight-opinion/article/2164108/china-russia-have-lot-more-common-just-war-games

posted by fom_club at 12:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

First, second, third

South Korea's president and the North's leader Kim Jong Un drove together through the streets of Pyongyang on Tuesday past thousands of cheering citizens before opening a summit where Moon Jae-in will seek to reboot stalled denuclearisation talks between his hosts and the United States.

Kim and Moon embraced at Pyongyang's international airport -- where the North Korean leader had supervised missile launches last year as tensions mounted.

The North's unique brand of choreographed mass adulation was on full display as hundreds of people waved North Korean flags and another depicting an undivided peninsula -- while the South's own emblem was only visible on Moon's Boeing 747 aircraft.

Thousands of people, holding bouquets and chanting in unison "Reunification of the country!" lined the streets as Kim and Moon rode through the city in an open-topped vehicle.

"I am acutely aware of the weight that we bear," Moon told Kim as they opened two hours of formal talks at the headquarters of the ruling Workers' Party, adding that he felt a "heavy responsibility."

The talks covered "various issues arising in further accelerating the development of the north-south relations", the North's KCNA news agency said.

Kim and Moon "had a frank and candid conversation over important matters of mutual concern," it added, without providing details.

At a banquet after the first day of the summit, Moon said the "complete denuclearisation of the Korean Peninsula and the establishment of peace" were priorities.

The South Korean leader said there would be challenges ahead but that he and Kim had "trust and friendship." Kim also hailed his relationship with Moon.

The North Korean leader declared his backing for the denuclearisation of the peninsula at his Singapore summit with US President Donald Trump in June.

But no details were agreed. Washington and Pyongyang have since sparred over what that means and how it will be achieved.

The US is pressing for the North's "final, fully verified denuclearisation," while Pyongyang wants a formal declaration that the 1950-53 Korean War is over and has condemned "gangster-like" demands for it to give up its weapons unilaterally.

A commentary in the Rodong Sinmun, the mouthpiece of the North's ruling party, repeated the criticism Tuesday, saying Washington was "totally to blame" for the deadlock.

The US called the summit "a historic opportunity for Chairman Kim to follow through his commitment that he made to President Trump."

"We hope to see a meaningful verifiable step toward the denuclearisation of North Korea," State Department spokeswoman Heather Nauert said, adding that US officials were consulting closely with South Korean counterparts during the summit.

Moon will hold another round of formal talks with Kim on Wednesday, as he urges the North Korean leader to make substantive steps toward disarmament that he can present to Trump.

Moon is due to meet Trump later this month on the sidelines of the UN General Assembly in New York.

- 'Rosy headlines' -

The dovish South Korean president is looking to tie the inter-Korean process and the US-Northern talks closer together to reduce the threat of a devastating conflict on the peninsula.

At the same time Kim will look to secure closer inter-Korean cooperation as Seoul and Washington move at increasingly different speeds in their approaches to Pyongyang.

Analysts played down expectations.

The meeting "will probably generate rosy headlines but do little to accelerate efforts to denuclearise North Korea," Eurasia Group said in a note.

Kim would focus on "areas that promise economic benefits for the North," it added.

"Progressives inside and outside Moon's government will have strong incentives to inflate the summit's accomplishments, initially obscuring what will likely be a lack of major deliverables."

There have been many previous rounds of negotiations with the North, but deals have subsequently fallen apart -- Wednesday will mark 13 years to the day since Pyongyang agreed to abandon all of its nuclear weapons and return to the Nuclear Non-Proliferation Treaty.

It has since carried out six nuclear tests and launched intercontinental ballistic missiles capable of reaching anywhere on the US mainland.

- 'First, second, third' -

Moon's own parents fled the North during the Korean War that left the peninsula divided and technically in a state of conflict.

His three-day visit is the first by a South Korean president to Pyongyang in a decade. It is also the two leaders' third meeting this year.

Moon -- whose poll ratings have fallen in the face of economic difficulties -- was accompanied by business tycoons including Samsung heir Lee Jae-yong and the vice chairman of Hyundai Motor.

Moon has been pushing inter-Korean engagement, which is complicated by international sanctions against the North. South Korean media have urged caution, calling for substantial progress towards denuclearisation first.

"Quite a number of people are now fed up with the surprise events between the leaders," the conservative Chosun Ilbo newspaper said in an editorial.

"President Moon must head to Pyongyang with the resolve that the first, second, third agenda of this summit is denuclearisation."


[photo-1]
North Korean leader Kim Jong Un (R) came to Pyongyang's international airport to welcome South Korean President Moon Jae-in (C).


[photo-2]
Graphic showing previous summits between North and South Korea.

[photo-3]
South Korea's Moon (R) has been instrumental in brokering the diplomatic thaw that saw a historic summit between Kim Jong Un (L) and US President Donald Trump in Singapore in June, where Kim backed denuclearisation of the Korean peninsula.

[photo-4]
The North's unique brand of choreographed mass adulation was on full display as hundreds of people on the tarmac waved North Korean flags and unification ones depicting an undivided peninsula.

[photo-5]
President Moon Jae-in, whose own parents fled the North during the three-year Korean War, is on a three-day trip to Pyongyang.

AFP, Published: 18 SEPT 2018
S. Korean leader and North's Kim hold summit talks
https://www.afp.com/en/news/23/s-korean-leader-and-norths-kim-hold-summit-talks-doc-19708f12

South Korean President Moon Jae-in and the North's leader Kim Jong Un opened a new round of talks at a summit in Pyongyang on Wednesday with the North Korean nuclear arsenal high on the agenda, but Seoul warned they may not reach an agreement.

Moon is on a three-day trip to the North Korean capital for his third summit with Kim this year, hoping to reboot stalled denuclearisation talks between his hosts and the United States.

After the high symbolism of the two leaders' first meeting in April in the Demilitarized Zone that divides the Korean peninsula, and Kim's historic summit with US President Donald Trump in Singapore in June, pressure is mounting for substantive progress.

In Singapore, Kim declared his backing for denuclearisation of the peninsula, but no details were agreed and Washington and Pyongyang have since sparred over what that means and how it will be achieved.

Washington is pressing for the North's "final, fully verified denuclearisation", while Pyongyang wants a formal declaration that the 1950-53 Korean War is over and has condemned "gangster-like" demands for it to give up its weapons unilaterally.

Asked if any deal on denuclearisation had been struck, Moon's spokesman Yoon Young-chan said: "It's difficult to say at this moment that the two leaders have reached any agreement."

They had "frank and sincere" discussions after Moon arrived in Pyongyang on Tuesday, Yoon told reporters in Seoul, adding: "They still need a lot more talks."

"If and when" they reach an agreement, they would announce it jointly but not take questions, he said.

Wednesday's talks took place at the Paekhwawon official guesthouse on the outskirts of Pyongyang. The two leaders were shown on television walking down a long corridor talking together, followed by their wives, before entering a room where the cameras could not follow.

The summit was taking place in a "festive mood", the South's Joongang Daily said in an editorial, but warned that "Moon and his entourage must not forget why he is visiting Pyongyang:.

"Unlike the past, the success of the summit cannot be evaluated by the theatrics. The only standard is whether it contributes to creating a nuclear-free Korean peninsula. It must provide a breakthrough to revive stalled US-North Korea talks," it said.

- Mass applause -

The Rodong Sinmun newspaper, the mouthpiece of the North's ruling party, gave the summit blanket coverage, with 35 photos over the first four of its six pages.

On the front, the leaders shook hands and hugged each other upon meeting at Pyongyang International Airport, with more inside of them parading together through the streets of the city, enjoying a concert and toasting at a banquet.

Pyongyang has been keen to promote an image of modernity and togetherness, reflected in several aspects of the programme.

On Wednesday evening, Moon and his party will have dinner at the newly-opened Taedonggang fish restaurant on the banks of the eponymous river that flows through Pyongyang.

It stands opposite Mansu hill, where giant statues of Kim's predecessors, his grandfather Kim Il Sung and father Kim Jong Il, look out over the city.

The destination was chosen after Moon expressed interest in dining at a local restaurant with ordinary citizens.

But a retail shop at the complex sells North Korean caviar at $50 for a 50-gramme jar -- a luxury far beyond the reach of most North Koreans.

Afterwards, Moon will attend a performance of the "Mass Games" -- North Korea's spectacular, all-dancing propaganda display.

The show features tens of thousands of performers against an ever-changing backdrop made up of 17,490 children turning the coloured pages of books in sequence to send images rippling across one side of the May Day stadium.

They portray scenes ranging from floral landscapes to portraits of the late Kims, interspersed with slogans including "We can win if we defend socialism" and "Our motherland is the strongest because of the Marshal" -- a reference to the current leader.

The premiere of the latest version of the show, called "The Glorious Country", earlier this month featured video footage of Moon and Kim together at their first summit in Panmunjom.

North Koreans always laud their leaders when they are shown their pictures at cultural events, so the crowd instantly responded, creating the unusual sight of tens of thousands of North Koreans applauding images of the South's president.

Ahead of the summit, a diplomatic source predicted the visit would see "Kim and Moon together receiving the same sort of applause".


[photo]
South Korean President Moon Jae-in is in Pyongyang for his third summit with Kim Jong Un this year.

AFP, Published: 19 SEPT 2018
S. Korea's Moon seeks nuclear agreement with Kim at summit
https://www.afp.com/en/news/23/s-koreas-moon-seeks-nuclear-agreement-kim-summit-doc-19849s1

posted by fom_club at 12:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

73rd United Nations General Assembly (UNGA)

YESTERDAY (Sept 18), the 73rd United Nations General Assembly (UNGA) convened in New York for two weeks of deliberations.

Heads of governments are attending, including Prime Minister Tun Dr Mahathir Mohamad, who is leading the Malaysia delegation.

UNGA, a platform for member countries to articulate their foreign policy priorities and concerns, comes at a time when the world is faced with a dramatically-changed geopolitical landscape − a maverick “leader of the free world” has undermined global trade, security and environment by starting a trade war with Canada, the European Union, China and Turkey, threatening to leave the North Atlantic Treaty Organisation (Nato) and abandoning American government’s participation in the Paris Climate Change Accord.

In his foreign policy, United States President Donald Trump has just kicked out the official Palestinian representation from the US, moved the US embassy to Jerusalem and recognised the latter as the capital of Israel.

The state of the Muslim world, too, remains precarious with the civil war in Syria and Yemen and the UN-declared genocide of the Rohingya in Myanmar, which has resulted in millions of refugees across the borders in Bangladesh, Turkey, Jordan and across Europe in Germany. There is also the ongoing violence in Afghanistan, Iraq, Libya, the Sahel, Egypt and Pakistan.

The politician who has had the most street “cred” amongst millions of Muslim youngsters is none other than Dr Mahathir, who was Malaysia’s fourth prime minister for 22 years from 1981 to 2003. Malaysia’s extraordinary economic transformation during those decades, coupled with Dr Mahathir’s unwavering championing of “Muslim causes” at home or abroad, had endeared him to his millions of admirers.

Here is a no-nonsense democratically-elected Muslim leader who could take on the International Monetary Fund, George Soros and Western fund managers as during the 1998 Asian financial crisis, and Western leaders, including Margaret Thatcher, with his “Look East” policy in protest against her policy of charging foreign students studying at British universities exorbitant fees. He was extremely critical of successive US administrations for their blind support of Israel, and the autocratic and “backward” Muslim regimes who always put themselves before their people. Even Dr Mahathir’s staunchest of critics had a secret respect for him and his policies.

Malaysia’s foreign policy is generally dominated by the premier of the day. This was particularly so during Dr Mahathir’s 22-year tenure. He had three foreign ministers who served him well − the flamboyant and brilliant “King Ghaz”, Tun Ghazali Shafie, who served in the first three years of his premiership, followed by Tan Sri Syed Hamid Albar and Tun Abdullah Ahmad Badawi, all of whom I have interviewed over the years.

I remember Dr Mahathir’s unique support armed with a handsome business delegation especially for newly-liberated countries, such as the African National Congress (ANC) in South Africa − he was the first foreign leader to visit Nelson Mandela after he was released from prison after 26 years of incarceration.

Or, for President Aliya Izetbegovic of Bosnia following the collapse of Yugoslavia and the emergent Muslim central Asian republics, such as Uzbekistan and Kazakhstan. Mistakes were made, especially in the lack of oversight of the Malaysian government and private investments in these countries, but Malaysian foreign policy was riding the crest of a popular wave.

Even after he left office in 2003, Dr Mahathir was heavily involved in causes such as the Kuala Lumpur Foundation to Criminalise War, which convened a conference in London in 2009 to highlight the Israeli war in Gaza and its brutality.

It is this spirited evocation of Malaysian foreign policy that Dr Mahathir must “rediscover” in New York when he addresses UNGA.

This is the clarion call of the young Muslims in the street and among the wider ummah.

The new government has been slow in articulating its foreign policy. It took more than a month for Dr Mahathir to appoint a foreign minister, especially at a time when the Rohingya were being systematically and ethnically cleansed by the Myanmar military, Islamic extremist violence flourishing all over, and the rise of Islamophobia gaining new grounds.

The world today is a more dangerous place than it was during Dr Mahathir’s 22-year premiership, despite the collapse of the Berlin Wall, the Soviet Union and the Cold War. Today’s cornucopia of challenges are related to global security, world trade, the financial crisis, reform of international institutions especially the Security Council, the peace dividend, climate change, rising inequality and nuclear non-proliferation.

The theme for this year’s UNGA is “Focusing on People: Striving for Peace and a Decent Life for All on a Sustainable Planet” in alignment with UN’s Sustainable Development Goals by 2030.

The best way to focus onapeople-centred foreign policy is as the ex-British foreign secretary, Robin Cook, championed through his adoption of an “ethical foreign policy”.

“Our foreign policy,” he explained in 1997, “must have an ethical dimension and must support the demands of other peoples for the democratic rights on which we insist for ourselves.”

It is up to statesmen like Dr Mahathir to champion this in Malaysia’s foreign policy. For, the world has seen the chaos that is wreaked when ethics are bereft as in the global financial crisis.


[photo]
The United Nations General Assembly voted to adopt a draft resolution to deplore the use of excessive force by Israeli troops against Palestinian civilians in June in New York.

New Straits Times, Published: September 19, 2018 - 9:36am
Towards an ethical foreign policy
By Mushtak Parker, an independent London-based economist and writer
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/09/412785/towards-ethical-foreign-policy

THE 2030 Agenda for sustainable development, adopted at the 70th session of the United Nations General Assembly in 2015, set bold goals to shift the world onto a sustainable, resilient path. Here was also pledged the formation of a revitalised Global Partnership for Sustainable Development including all countries, all stakeholders and all people, such that no one would be left behind.

Despite such a pledge, Taiwan's 23 million people have been left out of this global effort. This violates the principle of universality upon which the UN was founded and deprives Taiwan as well as the international community of opportunities to work together for the common good.

Taiwan, though not being allowed to participate in the UN's meetings, activities and mechanisms, has never shirked its duties as a responsible stakeholder. In line with the agenda's recommendation, Taiwan has released its first Voluntary National Review last year, detailing our whole-of-government approach to implementing the UN Sustainable Development Goals (SDGs).

The concrete results we have achieved include alleviating poverty, zero hunger, reducing the percentage of low-income households to under 2%, cutting the maternal mortality rate to just 11.6 per 100,000 people and under-five child mortality rate to just 2.4 per 1,000, and improving our literacy rate to 98.7%. All of these are well above UN SDG standards.

Taiwan also provides development assistance to other countries. Through the International Cooperation and Development Fund (TaiwanICDF), Taiwan's official development assistance organisation, we have launched various programmes in the Pacific, Asia, Africa, Latin America and the Caribbean. These programmes aim to help countries in these regions to achieve clean energy, food security, food safety, sustainable agriculture, better education, health and well-being for all age groups, and disaster reduction and adaptation.

TaiwanICDF also works with the European Bank for Reconstruction and Development to assist countries in Central Asia and Central and Eastern Europe to develop market economies and a green economy.

While Taiwan's valuable contributions have been widely acclaimed around the globe, the UN continues to ignore what Taiwan can offer.

Taiwan's tourists, experts and professionals are denied entry into UN premises simply because the UN does not accept the Republic of China's (Taiwan) passport, which is recognised by almost every country in the world. The UN has refused to accredit Taiwan's journalists covering its meetings and activities, yet the work of such people is in the interests of the people of Taiwan and the world.

We are extremely disappointed that the UN continues to misuse 1971's General Assembly Resolution 2758 (XXVI) to justify Taiwan's exclusion and isolation.

As we have pointed out before, this resolution neither addresses the issue of representation of Taiwan and its people in the UN system, nor defines the relationship between Taiwan and China.

The so-called one-China principle has been challenged by many UN member states. It is wrong for the UN, an organisation created to serve all of humankind, to unilaterally define Taiwan's status.

Article 1 of the UN Charter proclaims that the purposes of the organisation are to "achieve international cooperation in solving international problems of an economic, social, cultural, and humanitarian character, and in promoting and encouraging respect for human rights".

At this critical juncture when humankind is facing multiple challenges, global cooperation that includes all countries, all stakeholders and all people is ever more important.

By excluding a willing and able partner like Taiwan, the UN not only violates the fundamental human rights of Taiwan's 23 million people but also greatly harms human welfare.

To ensure the UN remains relevant to all people, the organisation should stand up to external pressures and open its doors to Taiwan.


Letter to The SunDaily, Last updated on 18 September 2018 - 08:32pm
UN Global Goals - Taiwan can help
By Jaushieh Joseph Wu, Minister of Foreign Affairs, Taiwan
http://www.thesundaily.my/news/2018/09/18/un-global-goals-taiwan-can-help

posted by fom_club at 12:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Malaysia won't use nuclear power.

KUALA LUMPUR: Malaysia will not use nuclear power plants to generate energy, as science has yet to find ways to manage nuclear waste and the effects of radiation, says Tun Dr Mahathir Mohamad.

The prime minister said there have been numerous incidents related to nuclear use worldwide, such as in Chernobyl, Ukraine and the latest being Fukushima, Japan which led to people suffering from radiation.

Malaysia, he said, will continue to rely on existing fuel sources to generate electricity, such as fossil fuel, coal, hydroelectric dams and wind power, which he said is stable and environmentally-friendly.

“There are two things I am against. Smokers are not allowed to come near me and nuclear is not the solution to generating electricity," he said in his keynote address at the launch of the Conference of the Electric Power Supply Industry (CEPSI) 2018 at the Kuala Lumpur Convention Centre here on Tuesday.

Also present was Minister of Energy, Technology, Science and Environment, Yeo Bee Yin, and Tenaga Nasional Bhd chairman Tan Sri Leo Moggie.

Dr Mahathir said the country’s fifth and sixth prime ministers may have agreed to nuclear energy but “now I am back.”

He said despite advancements in science, a solution to nuclear radiation and waste has yet to be discovered. He said it is based on these factors that Malaysia is rejecting the use of nuclear energy, despite it being cheaper than fossil fuel.

Malaysia, he said, had a “bad experience” with amang, a type of irradiated ore once used to make colour televisions.

“Amang needs to be activated before being used. This however led to problems in the form of residue, which is radioactive.

“The radiation effects triggered fear among the community, we don’t want a repeat of this.

"Eventually, we agreed to bury this substance in an area which was one square kilometre large. We had to bury it under thick cement to prevent the radiation from affecting people," said Dr Mahathir.

The prime minister said Malaysia lost one square kilometre of land as the area was still not safe, which also led to losses in terms of areas meant for development.

Dr Mahathir also touched on developments in the transportation sector, and said the price of electric cars could be double that of conventional vehicles.

Among the issues in the electric car market, he said, was the durability of the batteries which as of now, can only power the vehicle for a maximum of 200 km on a full charge.

“We could perhaps merge ICE (internal combustion engine) and an electric-based engine to tackle the battery durability issue.

“These are all in the research and development phase, so I hope that it will be successful thus helping Malaysia enter a new automotive industry era,” he said.


[photo-1] Malaysia won't use nuclear power, says Dr M

[photo-2]
Prime Minister, Tun Dr Mahathir Mohamad attending Conference of the Electric Power Supply Industry (CEPSI) 2018 at Kuala Lumpur Convention Centre (KLCC) with Minister of Energy, Technology, Science and Environment, Yeo Bee Yin (right), and Tenaga Nasional Bhd chairman Tan Sri Leo Moggie.

[photo-3]
“There are two things I am against. Smokers are not allowed to come near me and nuclear is not the solution to generating electricity," he said in his keynote address at the launch of the Conference of the Electric Power Supply Industry (CEPSI) 2018 at the Kuala Lumpur Convention Centre.

New Straits Times, Published: September 18, 2018 - 7:26pm
Malaysia won't use nuclear power, says Dr M
By Manirajan Ramasamy, Hazwan Faisal Mohamed, Luqman Arif Abdul Karim
https://www.nst.com.my/news/nation/2018/09/412608/malaysia-wont-use-nuclear-power-says-dr-m-nsttv

KUALA LUMPUR: The 20 per cent target of renewable energy efficiency from the current two per cent may take longer than expected, says Energy, Science, Technology, Environment and Climate Change Minister Yeo Bee Yin.

Speaking to the media after the opening of the Conference of the Electric Power Supply Industry 2018 (CEPSI 2018), Yeo said the government was confident of achieving the 20 per cent true renewable energy efficiency in 12 years.

“Our goal is to achieve the 20 per cent target by 2025, but even if we don’t, I am confident by 2030 we are able to reach true renewable energy efficiency.

“However, I would like to stress on the importance that renewable energy target should not take priority over energy affordability. The affordability and adoption of RE should be balanced and should not be at the expense of the other.

“We are currently carrying out many talks on this at the moment and figuring out how we can get our grid prepared for this. We will make the announcement when the time comes,” she said in response to NSTP query over the feasibility and achievability of the target set for the next seven years.

The Pakatan Harapan government in its election manifesto previously pledged to increase renewable energy from the current two per cent to 20 per cent by 2025 and make renewable energy affordable and accessible in Malaysia.

It also pledged to enforce strict logging quotas to conserve the forest, implement regulations to protect wildlife and marine life, take punitive action against poachers and illegal loggers, and reduce the dependence of coal power plants.

It also pledged to reduce carbon emissions by 40 per cent by 2020.

Asked on the government’s stance on independent power producers (IPPs), Yeo said the government planned to further liberalise the generation of electricity and avoid direct tenderings of IPPs.

“On the generation side, it is already liberalised. What the previous government did not do right was that there was a lot of direct tenders and direct award of IPPs.

“If the award of the IPPs are open tenders and efficient, then our electricity generation is already considered liberalised. What we don’t have right now is rather decentralising of the electricity generation,” she added.

In July, Yeo announced that the government had cancelled four IPP contracts that were awarded under the previous administration while continuing to review the contracts of other IPPs.

She explained that many of the IPPs had been approved through direct negotiation and direct award, and that the government had decided to review the contracts especially the ones that brought no cost implications to the government.


[photo]
KUALA LUMPUR 18 SEPTEMBER 2018. Minister of Energy, Science, Technology, Environment and Climate Change (MESTECC), Yeo Bee Yin (two from left) visiting an exhibition area at Conference of the Electric Power Supply Industry (CEPSI) 2018.

New Straits Times, Published: September 18, 2018 - 5:21pm
20pc target of RE efficiency may take longer than expected
By ZARINA ZAKARIAH
https://www.nst.com.my/business/2018/09/412551/20pc-target-re-efficiency-may-take-longer-expected

KUALA LUMPUR: Natural gas and renewable energy could potentially fuel a sustainable future in the power and energy industry, the Malaysian Gas Association (MGA) and Shell Malaysia said.

Exploring potential strategies to help the nation achieve its COP21 commitments, the MGA and Shell Malaysia recently co-hosted an industry talk on Shell’s ‘Sky Scenario: Meeting the Goals of the Paris Agreement’, in the presence of Minister of Energy, Science, Technology, Environment and Climate Change Yeo Bee Yin, with close to 100 industry leaders.

As the lead advocate for the nation’s natural gas industry, MGA represented by its president, Hazli Sham Kassim, shared the global stance on natural gas being a viable complementary fuel and a perfect partner to renewable energy, co-creating a sustainable future.

The Sky Scenario, which represents what Shell believed to be a technologically, industrially, and economically possible route for society to transform to a lower-carbon energy system achieving the temperature goal of the Paris Agreement, was presented by Shell International chief political analyst Dr Cho-Oon Khong.

In a press statement, it said, Shell’s Sky Scenario relies on a complex combination of mutually reinforcing actions by society, markets and governments.

It reveals the potential for an energy system to emerge that brings modern energy to all in the world, without delivering a climate legacy that society cannot readily adapt to.

Shell has been developing scenarios for almost 50 years, helping generations of Shell leaders, academics, governments and business leaders to consider possible pathways when making decisions. Sky joins two other scenarios in Shell’s New Lens Scenarios family: Mountains and Oceans.

Elaborating further on Shell’s latest energy-focused scenario, Datuk Iain Lo, chairman of Shell Malaysia said, “Our Sky Scenario builds on earlier Shell scenarios publications and is our most optimistic scenario in terms of climate outcomes.

“Sky adopts an approach grounded in current economic and policy development mechanisms, but then progressively becomes ‘goal-driven’ to achieve society’s ambition for net-zero emissions by 2070. We hope this makes it both an ambitious scenario and a realistic tool to inform dialogue.”

Under the Sky Scenario, natural gas plays an important early role in supplanting coal in power generation and backing up renewable energy intermittency. Across the energy sector, natural gas has been identified to be a perfect partner to renewables, a view that was strongly echoed in the recent World Gas Conference (WGC2018) in Washington, DC.

Commenting on natural gas’ increasingly important role in facilitating a sustainable future, Hazli said, “As the voice of the industry, MGA has always spread awareness on the benefits of natural gas as a clean and efficient source of energy to support Malaysia’s social, environmental and economic progress.”

He added, “As the cleanest fossil fuel and coupled with the flexibility provided by gas turbine technologies, natural gas will mitigate any intermittencies in renewable power generation, thus providing a long-term energy solution for a sustainable future.


[photo]
(From left) Shell Malaysia Government Relations general manager Ir Ahmad Hadri Haris, Yeo, Hazli, and Dr Cho are seen addressing industry leaders during the panel session. Under Shell’s Sky Scenario, natural gas plays an important early role in supplanting coal in power generation and backing up renewable energy intermittency.

Borneo Post, Published: August 13, 2018, Monday
Natural gas and renewable energy to fuel a sustainable future
http://www.theborneopost.com/2018/08/13/natural-gas-and-renewable-energy-to-fuel-a-sustainable-future/

[Read more]

Yeo Bee Yin (杨美盈)
http://www.yeobeeyin.com/

posted by fom_club at 12:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月18日

九大箱崎キャンパス火災

2018年9月7日、九大・箱崎キャンパスで火災が発生し、元大学院生だった46歳の男性が遺体で発見されました。

男性は、自殺目的で放火したものと見られています。

本記事では、事件を「貧困」という切り口から検証します。

男性の46年の生涯について

 「男性」と呼びつづけるのは、あまりにも気の毒なので、本記事では「Aさん」とします。

 Aさんの過去について、報道されている事実は非常に少なく、アウトラインをつかむのも困難です。しかし、やや詳細に報道されている西日本新聞の9月16日付記事「九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署」から整理すると、Aさんの歩みは、以下のようになります。

♦ 2018年9月7日時点で46歳だった→出生は1971年または1972年(本記事では1972年とします)
♦ 15歳で自衛隊に入隊(1987年)
♦ その後自衛隊を退官し、九大法学部に入学。憲法を専攻
♦ 1998年(26歳)、同大学大学院修士課程に入学
♦ その後博士課程に進学するも、博士論文は提出せず、2010年に退学(38歳)
♦ 2015年(43歳)以後、研究室を一人で使用していたが、夜間のみ。他の院生とは接触していなかった
♦ 2017年3月、専門学校等の非常勤職を失う
♦ 2017年(45歳) 3月・4月はほぼ無給
♦ 同年5月・6月の月給は145000円
♦ 同年6月、家賃が払えなくなる。昼間、宅配便の仕分けのバイトを週4回はじめる
♦ 同年12月からは、夜間も週4回肉体労働のバイトをはじめる
♦ (2017年6月から2018年7月までの間に住居を喪失したとみられる)
♦ 2018年(46歳)7月 寝泊まりしていた研究室の移転が開始される
♦ 2018年8月「事態が悪化」と親しい人々に記す。大学から研究室退去要請を受ける
♦ 2018年9月6日 研究室に放火。遺体で発見される

「15歳で自衛隊に」が意味すること

 Aさんが中学校を卒業したと思われる1987年、高校進学率は93.9%でした。中学校の40人のクラスのうち2人は、少なくともその年には高校進学しなかったことになります。

 中卒での就職の推移に関する資料を探してみましたが、詳細が掲載されている資料は昭和40年代までしか見つけられませんでした。昭和50年代になると、若年労働に関する政府統計などにも、中卒での就職者は「いることはいる」という形でしか現れなくなります。

 1987年、新規高卒に対する有効求人倍率は0.87(政府統計による)。就職を希望する高校生のうち、少なくとも13%は就職できない計算になります。この時期、中卒の求人に関しては、それ以上に厳しい状況だったはず。有力な選択肢は「自衛隊」「病院の看護助手になり准看護師学校に行って資格を取る」のいずれかでしょう。現在なら「介護」も選択肢に入るかもしれませんが、介護保険が発足したのは2000年です。

 いずれにしても、「Aさんが中卒で自衛隊に入隊した」ということからは、高校進学が困難な家庭環境だった可能性、場合によっては社会的養護のもとで育った可能性、しかしながら人物・学力は好ましく評価されていた可能性が考えられます。

大学入学まで

 Aさんが九大法学部に入学した年次は報道されていませんが、何らかの手段で大学受験資格を獲得し、受験したのでしょう。1998年(26歳)で大学院修士課程に進学したということですから、もし学部で留年・休学などがなく、学部卒業から大学院進学までの間にブランクがなかったのなら、1994年(22歳)で大学進学したことになります。

 この間、バブル景気とともに新卒に対する求人が増加しました。高卒に対する有効求人倍率は、1989年に前年の0.9から1.47へと跳ね上がり、増加を続け、1993年には3.08に達します。しかしその後は減少し、1995年には1.35となります。この後、2000年代前半には0.5〜0.6程度を推移することになります。

 いずれにしても、Aさんが自衛隊を退官してから大学入学を果たすまでの時期は、中卒でも仕事が探しやすかったと思われます。家出などによって自活の必要に迫られている17歳の少年が、「19歳で高卒」と言い張っても、深く詮索されることなく就職できる時期でもありました。現在の「高認」にあたる「大検」に対する認知は、その5年前・10年前に比べると、好ましいものとして広まっていました。Aさんは、働きながら大検で大学受験資格を取得し、受験勉強に励み、九大法学部への入学を勝ち取ったのではないかと推察されます。

大学生活は? 大学院生活は?

 大学に進学すると、当然ながら学費が必要です。また、学業に励むための生活費も必要です。私が気になるのは、Aさんが学費や生活費をどのように工面していたのかです。

 ここから先は推測にしかなりませんが、学生支援機構(2001年度までは日本育英会)奨学金の借り入れは、避けることができなかったでしょう。学業成績は優秀だったようですから、学費は免除されていたのかもしれませんが、学費免除の対象となる学業成績を維持するためには、学修に充てる時間が必要です。すると、アルバイトは最小限にせざるを得ないはず。民間の給付型奨学金は、数年の浪人に相当する年齢から、困難だった可能性が高そうです。すると、学生支援機構奨学金しかありません。

 大学院に進学しても、事情はあまり変わりません。むしろアルバイトをする時間の余裕は、学部時代より少なくなります。学部4年間・修士課程2年間・博士課程3年間、学生支援機構奨学金の貸与を受けていたとすると、合計金額は少なくとも数百万円の桁になります。

 博士課程では、日本学術振興会特別研究員になれば生活費を受けとりながら研究に励むことが可能ですが、当時の年齢制限が「セーフ」でも、通常の院生より高い年齢が好ましく評価されることはなかったでしょう。ちなみに、年齢制限が撤廃されたのは2010年を過ぎてからのことです。

 いずれにしても、学生支援機構奨学金が借りられるのは、標準修業年限の期間だけです。修士2年間、博士3年間が経過した2003年以後は、別の手段で生計を立てる必要があります。つまり「働く」ということですが、必然的に研究の継続は困難になります。

 ともあれ、博士課程に在学していた2010年まで、奨学金の返済は猶予されていたはずです。

博士課程退学後−奨学金の返済は?

 2010年、Aさんが博士課程の学籍を失うと、奨学金の返済が始まったはずです。

 2017年6月、Aさんは月額145000円の収入がありながら、家賃を払えなくなりました。私はここで「あれっ?」と思ったのです。2018年9月現在(10月から引き下げられますが)、46歳の単身者に対する福岡市の生活保護基準は、112720円(うち36000円は住宅扶助)です。近年の福岡市は、地方都市の「住みやすさ」がほぼ感じられない大都市になってしまいましたが、それでも月あたり145000円あれば、単身者用の安めのアパートの家賃が払えなくなることは考えにくいです。もしかすると、同年3月・4月の無給状態のときに水道・電気・ガス・携帯電話などの未納があり、その支払いにお金が消えてしまったのかもしれませんが。

 もしもAさんが、奨学金を返済していたのであれば、「それは、暮らせないでしょう」ということになります。1ヶ月あたり4万円の返済があれば、Aさんの手取り収入が145000円でも、使える生活費は月あたり105000円となり生活保護基準を下回ります。

住宅喪失と悲劇の最期 − そのための生活保護なのに!

 2018年のAさんは、研究室に寝泊まりしていました。おそらく、その前の時点で住居を喪失したのでしょう。しかしその研究室も退去せざるを得なくなり、放火と自殺という結末に至りました。

 Aさんの2017年3月〜6月の状況を見ると、Aさんは生活保護の受給資格があったと考えられます。この4ヶ月のうち、収入があったのは5月と6月、月あたり145000円でした。月平均にすれば72500円。生活保護基準をはるかに下回ります。報道されている限り、血縁者を頼れた可能性は、まったく報道されていません。預貯金はほとんどなかったことでしょう。生活保護の受給資格は、少なくともこの4ヶ月間に関していえば、確実にあります。

 その後のAさんは、宅配便の仕分けや肉体労働のバイトで生活を支えていました。しかし、そこまで働いても住宅喪失に至りました。なぜでしょうか? 

 私には「奨学金の返済では?」と思われてなりません。申請すれば、低収入による返済猶予の対象となったはずの状況ですが、あまりにも不安定な生活状況の中にいると、調べ物や手続きが極めて困難になります。低く不安定な収入が人間から知力を奪うことは、数多くの研究で実証されています。

 そして結局は家賃が払えなくなり住宅喪失した成り行きを見ると、奨学金の返済猶予を受けたとしても、生活保護の対象となり得たのではないかと思われます。生活保護の対象となっている期間、奨学金の返済は猶予されます。とりあえず、一息つけます。

 Aさんに、生活保護を受けてほしかった。私は心から、そう思います。

 憲法学を専門としていたAさんが、生存権と生活保護を知らないわけはありません。もしかすると、「自分は働けるんだから対象にならないはずだ」と思い込んでいたのかもしれません。あるいは、生活保護で暮らしている人々に対する「自立支援」こと就労指導の熾烈な実態を知っていて、「生活保護になったら研究はおしまい」と思っていたのかもしれません。

 それでも生活保護を受けて、まずは落ち着いた生活を取り戻し(そうさせてくれるかどうかは福岡市と福祉事務所とケースワーカーしだいなのですが……)、バイトしたり、さまざまな能力やスキルを活かせるブラックではない仕事を探したりすること、つまり余暇時間がある職業生活を営むことはできたはずです。余暇時間に何をしようが本人の自由です。研究に打ち込むことに使うこともできます。

 しかし、今から何を言っても、失われた生命は戻りません。

 おそらくは生涯を、貧困のアリ地獄のような状況の中で過ごされ、努力にもかかわらず脱却できないまま亡くなられたAさんのご冥福を、心より祈ります。

Yahoo! Japan News、9/17(月) 3:02
九大箱崎キャンパス放火・自殺事件
〜「貧困」という切り口から見えてくるもの〜

みわよしこ (*)
https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20180917-00097130/

(*) みわよしこ
1963年福岡市生まれ。大学院修士課程(物理)修了後、半導体シミュレーションの企業内研究者を経て、2000年よりフリーランスに。当初は科学・技術を中心に活動していたが、中途障害者となり日本の社会保障に直面。特に「3.11」以後、社会保障に関する著述が激増。現在は執筆のかたわら、大学院博士課程で生活保護政策決定の政治を研究。数理的手法による研究の展開、科学コミュニケーション手法の執筆活動への活用を睨みつつ、博士号取得という課題に向き合う日々。日本外国特派員協会アソシエイト会員、調査報道記者編集者協会(IRE)・日本科学技術ジャーナリスト会議・米国サイエンスライター協会会員。

posted by fom_club at 16:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Smoking may kill 500,000 in Asean

AS the World Health Organisation focuses on “tobacco and heart disease” for this year’s World No Tobacco Day, the Southeast Asia Tobacco Control Alliance (Seatca) puts the spotlight on the heartless tobacco industry, which is responsible for more than seven million deaths a year globally, including half a million in the Asean region.

Seatca executive director Bungon Ritthiphakdee said: “At the heart of the problem is a heartless industry that profits from making, promoting, and selling addictive and lethal products that cause preventable deaths, such as from heart disease.

“We call on governments to strengthen regulatory policies and measures to stop the industry to stop the problem.”

The epidemic caused by the tobacco industry is preventable if governments deliver on their obligations to the WHO Framework Convention on Tobacco Control (FCTC).

“Business as usual” is not an option any more.

Governments must step up their efforts to align their policies with FCTC, such as imposing high taxes to make tobacco products continually less affordable; banning tobacco advertising and promotions, including at point of sale; introducing plain tobacco packaging with large graphic health warnings; and enforcing laws requiring smoke-free public places.

Preventing premature deaths from tobacco is a compelling public health imperative.

Governments should not be intimidated by the scare tactics of the tobacco industry, which employs many tactics to threaten, weaken or kill life-saving tobacco-control measures.

For example, tobacco companies use self-funded illicit trade studies to fight tobacco tax increases in many countries, such as Vietnam and the Philippines.

In Singapore and Thailand, the industry is fighting plain-packaging efforts after blocking plans in Malaysia.

Adding insult to injury, tobacco companies refuse to accept liability for the harm and deaths their cigarettes have caused.

While other industries are required to pay for damages they cause to communities and the environment, the tobacco industry pretends it should be exempted from accountability.

It is time the industry be held liable.

Ritthiphakdee said: “In terms of magnitude of harm and death, no other industry comes close to the tobacco industry.

“Requiring the tobacco industry to pay for costs of treating tobacco-related diseases is a game-changer and a step towards better public health and corporate accountability.”

Tobacco use remains one of the world’s leading causes of preventable premature death.

In the Asean region, tobacco-related diseases kill about 500,000 people per year.

Tobacco is the only legal product that kills half of its users when used exactly as intended by its manufacturers.


[photo]
Students and activists take part in an anti-tobacco campaign rally ahead of 'World No Smoking Day' in India, 27 May 2018. World No Tobacco Day is marked annually on 31 May to raise awareness of the health risks of tobacco use and to push advocacy for policies to reduce tobacco consumption.

Letter to New Straits Times, Published: May 31, 2018 - 9:58am
Let's fight back against 'heartless' tobacco industry's scare tactics
By WENDELL C. BALDERAS, Media and communications manager, Seatca
https://www.nst.com.my/opinion/letters/2018/05/375019/lets-fight-back-against-heartless-tobacco-industrys-scare-tactics

The tobacco industry undermines public health and sustainable development. Asean member nations must invest in and strengthen implementation of the WHO Framework Convention on Tobacco Control (FCTC) to reduce the devastating health, social, economic and environmental harms of tobacco, save more lives, and thereby, achieve Sustainable Development Goals (SDGs).

Southeast Asia Tobacco Control Alliance (Seatca) executive director Dr Ulysses Dorotheo said: “This 12th Asia-Pacific Conference on Tobacco or Health is an opportunity to remind governments of their obligations to protect people and planet by implementing FCTC.”

The theme of this week’s Bali conference, with more than 900 participants, is “Tobacco Control for Sustainable Development: Ensuring a Healthy Generation”.

Among Asean countries, the male adult smoking prevalence is highest in Indonesia (66 per cent) and lowest in Singapore (21.1 per cent).

This year, the region is projected to consume 548 billion cigarettes, primarily in Indonesia, the Philippines, Thailand and Vietnam as transnational tobacco companies shift from developed countries, targeting markets in poorer, less-developed countries where tobacco control policy is not as stringent.

Dorotheo said: “Tobacco negatively affects many of the 17 SDGs, so tobacco control is essential for sustainable development. The inclusion of FCTC implementation as a key target for the health goal recognises the magnitude of the smoking epidemic. SDGs cannot be achieved without a strong commitment to tobacco control.”

Seatca’s first Asian Tobacco Industry (TI) Interference Index indicates that most countries are moving at a glacial pace in protecting public policy from tobacco industry influence and interference, as recommended by the World Health Organisation’s FCTC Article 5.3 guidelines.

Corporate social responsibility (CSR) activities are one of the key strategies the tobacco industry uses to undermine bans on tobacco advertising, promotions and sponsorship.

Since governments have committed to implementing SDGs through long-term plans based on partnerships, the tobacco industry has re-aligned its CSR programmes along the lines of SDGs. Tobacco industry programmes and documents are peppered with SDGs and the word “sustainability” to win political approval.

“We call on governments to reject the tobacco industry and set up safeguards to prevent interactions with the industry, limit interactions necessary for tobacco regulation and implement transparency measures to protect public health policies from tobacco industry interference,” said Dorotheo.

FCTC provides a roadmap to tackle the tobacco epidemic and reduce the tobacco burden to help countries speed up achievement of SDGs.

Effective and inexpensive public health measures include substantial tobacco tax increases, adopting a code of conduct in dealing with the industry, comprehensive bans on tobacco advertising and promotions, such as pack displays, 100 per cent smoke-free policies and plain packaging of tobacco.

This is a crucial time for governments to consider feasible and sustainable financing mechanisms, such as dedicated tobacco and alcohol tax revenues, as part of public financing towards achieving SDGs, especially health goals.

Tobacco use remains one of the world’s leading preventable causes of premature death.

If countries do not step up efforts to implement FCTC, tobacco use will continue to kill more than 500,000 in the Asean region and more than seven million people worldwide annually.


[photo]
Among Asean countries, the male adult smoking prevalence is highest in Indonesia (66 per cent) and lowest in Singapore (21.1 per cent).


Letter to New Straits Times, Published: September 16, 2018 - 11:31am
Smoking may kill 500,000 in Asean
By Wendell C. Balderas, Media and Communications manager for Southeast Asia Tobacco Control Alliance (*)
https://www.nst.com.my/opinion/letters/2018/09/411767/smoking-may-kill-500000-asean

(*) Southeast Asia Tobacco Control Alliance
https://seatca.org/

posted by fom_club at 13:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The birth of Malaysia

“SINGAPORE was part of Malaysia according to this map but not Brunei. May I know why that’s so?” my nephew asks when I showed him a recent acquisition. The booklet issued by the Sungai Petani Town Council to commemorate the formation of Malaysia on Sept 16, 1963 was truly a lucky find.

The front cover depicts a map where the member constituents of newly-formed Malaysia in 1963 are shaded in light green. These include the 11 states in the Federation of Malaya together with their three merger partners − North Borneo (now Sabah), Sarawak and Singapore.

“Brunei faced an internal revolt and never got to join Malaysia while Singapore was with us only for a brief two-year period. The going was tough during the formation of our young nation and its path was fraught with many obstacles,” I explain to him. Instead of putting his query to bed, my fleeting answer seems to give rise to more questions as my nephew stares back at me blankly.

After making him a cup of hot Milo, I begin regaling him with the interesting tale about how Malaysia came into existence some 55 years ago. “It all began on May 27, 1961 when Malayan Prime Minister Tunku Abdul Rahman Putra made a landmark announcement to create a ‘Mighty Malaysia’ during his meeting with foreign correspondents at the Adelphi Hotel in Singapore,” I elaborate before moving on to the events that unfolded as a result of the shock statement.

While Tunku’s merger announcement came as a surprise for many, including the British, it was met with delight by Singapore’s Prime Minister, Lee Kuan Yew. It took an enthusiastic Lee less than a month to issue a response affirming his support for Tunku’s grand proposal.

Things proceeded at breakneck speed then on and by Aug 24 that same year, both Lee and Tunku issued a joint statement announcing that they had agreed in principle the merger terms between Singapore and Malaya.

On Nov 1, 1961 Tunku made his way to England and held talks with British Prime Minister Harold Macmillan. They agreed on the principle of merger and for the United Kingdom to retain military bases at Singapore for the purpose of assisting in the defence of Malaysia and the preservation of peace in South East Asia.

BORNEO’S RESPONSE

Things however were quite different in Borneo when it came to matters concerning the merger. Unlike Singapore’s open acceptance, the three territories across the South China Sea were less responsive to Tunku’s grand plan.

Sarawak’s Parti Negara wanted Sabah and Brunei to first combine with Sarawak and form a single entity before merging with Malaya and Singapore. It was perceived that the approach would give the Borneo states a much stronger political clout and with that came more bargaining power.

Tunku was undeterred and started working the ground. He met up with Sabah’s Tun Datu Mustapha Datu Harun and several leaders from Sarawak like Patinggi Tuanku Haji Bujang, Patinggi Haji Abdul Rahman and Temenggong Jugah in an attempt to shore up support for his merger plans.

After several successful meetings, Tunku managed to make the leaders see things his way. The last obstacle that would later prove to be unsurmountable for Tunku was Brunei.

In 1959, Brunei’s Sultan Omar Ali Saifuddin III established a legislature where half its members were nominated while the rest were elected. Elections were held in Sept 1962 and the left wing Brunei People’s Party won all of the contested seats.

The Brunei People’s Party was in favour of joining Malaysia under the condition that the three British crown colonies in northern Borneo first unify under Sultan Omar as the head of state. The Bruneians felt that the resultant Northern Kalimantan (Kalimantan Utara) sultanate would be strong enough to resist domination by either Malaya or Singapore.

At the same time, the Brunei People’s Party was linked to a local militia supported by Indonesia called the North Kalimantan National Army (Tentera Nasional Kalimantan Utara or TNKU). The TNKU was in favour of the independence of Brunei rather than joining the proposed Federation.

In an attempt to throw a spanner into Tunku’s plans, the TNKU launched a revolt in Brunei on Dec 8, 1962. The rebels, under its 34-year-old leader A.M. Azahari, began coordinated attacks on the oil-producing town of Seria where Royal Dutch Shell installations were targeted.

At the same time, the TNKU also launched multiple strikes on Brunei Town where police stations, government facilities as well as the Sultan’s Istana, the Prime Minister’s house and the power station became prime targets.

In response, two Gurkha infantry companies from the British Far East Headquarters in Singapore were despatched to Brunei. They took off in a Bristol Britannia and three Blackburn Beverleys military transports from the RAF airfields in Changi and Seletar.

Their initial destination was Labuan but they were diverted during flight to the Brunei airfield after British intelligence found out that it hadn’t fallen into rebel hands. With the element of surprise on their side, the Gurkhas, led by Captain Digby Willoughby, moved swiftly to rescue Sultan Omar and escorted him to the Brunei Police Headquarters.

The next day, thousands of natives from the Dayak tribes in Baram and the Kelabits from the Bario Highlands answered the call for help from the British. Capitalising on their excellent knowledge of the interior, the loyal natives helped to contain the TNKU rebels and cut off their escape route into Indonesia.

The rebellion was successfully quelled within days when more reinforcements poured into Brunei. Unfortunately, the damage had already been done. The revolt became one of the primary reasons for Sultan Omar to decide against joining the Federation of Malaysia.

MORE CHALLENGES

The greatest challenge to Tunku’s plan came in the form of Indonesia which reacted in an astoundingly hostile manner during the last days of the TNKU revolt. While issuing statements in support of the Brunei uprising, Indonesian President Soekarno charged that Malaysia was a neo-colonialist creation designed to impose on the people without reference to their expressed wishes.

That accusation culminated in a series of heated exchanges between Indonesia and Malaya. Matters finally came to a head when Dr Subandrio, the Indonesian Foreign Minister, announced a confrontational policy involving both economic and social relations against Malaya on Jan 20, 1963.

Conscious that a war would be ruinous to a newly emerging country like Malaysia, Tunku did his utmost best to make peace with Soekarno. The months that followed saw a series of intermittent attempts to cross the political divide and reach an understanding but, unfortunately, nothing concrete was resolved. This failure gave Indonesia the golden opportunity to escalate the already tensed relations.

THE CONFRONTATION

On Apr 12, 1963 the police station at Tebedu in Sarawak’s First Division was attacked and captured by aggressors who came from Kalimantan. That incident is widely recognised as the flashpoint which sparked the Confrontation.

At this juncture, I produce a stack of letters sent to a Malaysian army officer serving in Tawau, Sabah. Almost immediately, my eagle-eyed nephew points out that they were all written between 1964 and 1968, covering a span of almost five years after the formation of Malaysia.

“Did Tunku’s greatest fear come true? Did we have to do battle with one of our most important and closest neighbours?” he asks in rapid succession. I look at him and raise my index finger to my lips to advocate patience before resuming my story.

During those early days, the raids, sabotage and attempted subversions on Sabah and Sarawak relied heavily on local volunteers trained by the Indonesian Army. With the passage of time, the militia became more organised with the inclusion of a larger component of the Indonesian military.

In May 1963, Indonesia’s President Sukarno and Tunku held talks and agreed that a referendum would be held before the Federation of Malaysia was formed. In that agreement, Sukarno gave his word that Indonesia wouldn’t stand in the way if the people of Sabah, Sarawak and Brunei supported the Federation.

Confident of success, Tunku proceeded to sign the London Agreement on July 9 where it was settled that the Federation of Malaysia would be formed on Aug 31, 1963. This was then revised to a later date due to several unresolved matters, including talks with Manila regarding its territorial claim over Sabah.

On Aug 29, 1963 Tunku officially announced that the Federation of Malaysia would be formed a little more than a fortnight later. Indonesia saw the act as a breach of faith and was deeply infuriated.

Despite the unresolved problem, Tunku made his way to Stadium Merdeka on Sept 16, 1963 and joined 30,000 Malaysians in celebrating the birth of their new nation.

Exactly nine days later, President Sukarno publicly announced the beginning of a campaign which he termed ‘Ganyang Malaysia’ (Crush Malaysia). From that day onwards, the Confrontation escalated dramatically into open cross-border military attacks in Sabah and Sarawak.

INDONESIAN INFILTRATIONS

At the same time, the other parts of Malaysia across the South China Sea were also not spared. A letter in my collection sent from a member of Singapore’s 1st Malay Infantry Regiment stationed at the Ulu Pandan Camp on June 21, 1965 described in detail several landings by Indonesian troops in Johor and Singapore.

Between June and July 1964, Indonesian army units infiltrated Singapore with instructions to destroy transportation and other links between the island and Johore. Singapore was also hit by a wave of bombings with the first explosive device detonated just eight days after it joined Malaysia. The worst

incident happened when two people were killed while 33 others were injured when MacDonald House in Orchard Road was attacked on March 10, 1965.

Fortunately, the Malay Regiments, together with the British, Gurkha and other Commonwealth troops took swift action and began launching numerous successful offensives to repel the infiltrators on both sides of the South China Sea. Their actions stemmed the tide of aggression and prevented further widespread incursions.

RETURN TO NORMALITY

Hostility towards Malaysia decreased dramatically after Sept 30, 1965 when the Indonesian army crushed an attempted coup by the Indonesian Communist Party (Parti Komunis Indonesia or PKI).

The aftermath of the failed takeover saw a massive crackdown of the PKI members. By March 1966, Sukarno, whose support base lay with the PKI, was forced to transfer power to General Suharto. Suharto immediately placed the former President under house arrest and ordered an and to the Confrontation.

On Aug 11, 1966 a peace treaty signed with Kuala Lumpur paved the way for the re-establishment of normal relations with Malaysia and Singapore.

As my story draws to a close, I notice that my nephew had become visibly quieter, presumably digesting everything that he’d heard. While helping to return my precious possessions to their rightful place in the cupboard, he vows never again to take our nation’s peace for granted.

His declaration to make future Malaysia Day celebrations more meaningful and special brings a lump to my throat. It certainly augurs well for our nation if all Malaysians were to share the same thoughts like his.

Hopefully we can all join hands and work together as one to preserve the hard-fought peace and security that came at a heavy toll during the birth of our beloved nation, Malaysia.

[photo-1]
The Yang di-Pertuan Agong reading the Proclamation of Malaysia at Stadium Merdeka on September 16, 1963.

[photo-2]
The rare Malaysia Day commemorative booklet published by the Sungai Petani Town Council.

[photo-3]
Singapore Prime Minister taking his oath during the swearing-in ceremony on November 2, 1963.

[photo-4]
An Indonesian news report calling for the country to aid the remaining Brunei rebels made headlines in Malaya on December 29, 1962.


[photo-5]
The Gurkha forces played a crucial role during the Confrontation.

[photo-6]
The letter addressed to Tawau, Sabah that described Indonesian troop landings in Johor and Singapore in 1965.

[photo-7]
Members of the Kaum Ibu (Women's Organisation) preparing Hari Raya cakes for the troops during the Confrontation.

[photo-8]
Suharto watches as Tun Abdul Razak and Dr Adam Malik signs the Peace Treaty.

[photo-9]
Tun Abdul Razak acknowledging the crowd upon his return from Indonesia on August 12, 1966.

[photo-10]
The Sultan Abdul Samad Building lit up to commemorate the formation of Malaysia.

[photo-11]
Tunku greeted by thousands of supporters upon his return from London on July 25, 1963.

New Straits Times, Published: September 16, 2018 - 8:02am
The birth of Malaysia came with a heavy price and much sacrifice …
By Alan Teh Leam Seng
https://www.nst.com.my/lifestyle/sunday-vibes/2018/09/411717/birth-malaysia-came-heavy-price-and-much-sacrifice%E2%80%A6


posted by fom_club at 12:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

A new beginning

EVERY year, especially in August and September, radio stations will play patriotic songs one after another. This doesn’t come as a surprise because we celebrate National Day and Malaysia Day, both of which serve as a reminder of how far we have come as a nation.

Our forefathers fought hard for our independence. Many lives were sacrificed, many more were forced to bear the horrific consequences.

The fight wasn’t an easy one. Blood, sweat and tears were shed. Pain and suffering were endured. Yet, we never gave up hope. We never surrendered to those who assumed control over our lives. We never submitted to the demands of those who oppressed our people. We never admitted defeat to those who subjugated our nation.

I remember watching Tunku Abdul Rahman, our first prime minister, declaring independence with seven shouts of “Merdeka” on television when I was a child. Back then, I never really understood the significance of those roars of freedom.

It was only when I was much older that I began to comprehend the magnitude of it all, and how much it has changed us for the better.

When I was younger, I never really gave much thought about what it truly meant to be a Malaysian. It was only years later that I realised how lucky I am to be one, and how proud I am of the achievements we have attained.

Admittedly, it hasn’t been a smooth journey. We have had our fair share of hiccups. We have been cheated of our belongings and stripped of our dignity. We have been reduced to tears and made to feel powerless. Yet we never faltered.

We continued to fight, and we continued to believe in a better future for our nation. We kept our faith and continued to educate the generations after us.

2018 has indeed been a historic year for Malaysians. In the 14th General Election in May, we welcomed a new government to help us move forward as a nation.

Many people fondly refer to this as “Malaysia Baru”. It was a breath of fresh air.

Like the generations before us, everyone helped make a change that would go down in history.

This is exactly what I mean when I speak about the spirit of Malaysia. We look past cultural and religious backgrounds, and extend our hand to anyone who seeks help.

I have seen Malaysians coming together to donate blood to strangers who are in danger of losing their lives.

I have seen Malaysians coming together to contribute to those who deserve help most.

I have seen Malaysians coming together to offer help to those who cannot fend for themselves.

I have seen the kind, caring and compassionate nature of Malaysians, and how these wonderful qualities have made astonishing changes to the lives of those they have helped.

Never have I been prouder to call myself a Malaysian.

We may have a long way to go before we become a fully developed nation, but I know that we are on the right track.

We are a young nation and have a lot to learn from those who have been independent for centuries.

I will not throw in the towel. I will continue doing what I can to make sure that we continue this journey of being thankful for life’s little blessings.

I will continue teaching the younger generation that we can move mountains if we set our hearts and minds to it.

Happy Malaysia Day, my beloved country.


[photo]
This is Malaysia today. A young nation of multiethnic and multireligious communities living in harmony.

New Straits Times, Published: September 16, 2018 - 11:36am
A new beginning
By Ashley Greig, a lecturer at Sunway College, is a Malaysian-born Eurasian with Scottish/Japanese/Indian lineage. She believes in a tomorrow where there is no racism and hatred
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/09/411769/new-beginning

SECOND prime minister Tun Abdul Razak Hussein’s contributions to the country is much more than just Felda.

While many regard the inception of the Federal Land Development Authority as Razak’s most enduring and visible legacy, little had been said about his role in steering the economy amid a challenging socio-economic landscape.

Prominent economist Dr Jomo Kwame Sundaram said the Razak administration was among the most transformative for the country due to the many milestones and policies that put Malaysia on the path to stability.

“I appreciate what Tun Razak did for Felda, but the story of Tun Razak’s contributions is much bigger than just Felda. And the story of rural development is more complicated because of the rivalries between Umno members and other circumstances and issues,” Jomo said in an interview with the New Sunday Times.

He said among Razak’s key contribution were his decision to formulate the New Economic Policy, first announced in 1970. The policy was later incorporated into the Second Malaysia Plan (1971-1975).

Many books had been written about Razak, especially on his efforts in developing rural areas and introducing Felda, but little attention had been given to his other big contributions, until now.

Jomo is among 13 people who co-authored an upcoming book on Razak published by the University of Malaya Press, titled Driving Development: Revisiting Razak’s Role in Malaysia’s Economic Progress.

The book delves deeper into some of the vital policy decisions made during Razak’s tenure as prime minister from 1971 to 1976, which shaped the country’s economic development.

Jomo said another example of his legacy was his push for sustainable development.

He said Razak and his deputy, Tun Hussein Onn, had mooted an idea to include a chapter on environmental policy in the Third Malaysia Plan, which was unprecedented in Malaysia at that time.

“Tun Razak died in early (January) 1976, before the Third Malaysia Plan was announced.

“But the plan was the first in the country’s history to include a chapter on the environment. This was something Tun Razak and Tun Hussein decided upon.

“They were concerned with economic growth, which benefited the low-income people and the poor.

“And they were also concerned about protecting the environment and ensuring minimum damage to the environment.”

Jomo wrote one chapter in the new book that highlights Razak’s legacy on the economy.

In the chapter, titled “Growth and Redistribution During the 1970s: Tun Razak’s Economy Legacy”, he argues against the belief held by many people in the past about how progressive redistribution would weaken growth.

“Malaysia’s economy grew rapidly in the 1970s despite redistribution measures to reduce poverty and inter-ethnic disparities.

“So the 1970s proved that progressive redistribution does not necessarily weaken growth, but in fact, can actually accelerate growth.

“This is very important because the conventional view among many economists is that progressive redistribution will weaken growth.”

Jomo said efforts during the 1970s to ensure sound economic governance in key institutions, such as Bank Negara Malaysia and Petroliam Nasional Bhd, were crucial to progress in Malaysia at that time and beyond.

“Tun Razak and his successor, Tun Hussein Onn, took very firm stands against corruption”, he said, adding that such efforts were vital following the nationalisation of many foreign-owned companies.

He said nationalisation efforts, which continued into the 1980s, enabled Malaysia to accelerate growth and transition from a rubber-producing country to a major palm oil-producing country.

Other co-authors of the book are economists Tan Sri Kamal Salih and Professor Dr Rajah Rasiah, who are also the book’s editors, Institute Teknologi Mara’s (now Universiti Teknologi Mara) first director, Tan Sri Arshad Ayub, and newly-appointed Malaysian Aviation Commission executive chairman Dr Nungsari Ahmad Radhi.


[photo-1]
Former prime ministers Tunku Abdul Rahman Putra Al-Haj (left) and Tun Abdul Razak Hussein.

[photo-2]
Dr Jomo Kwame Sundaram

New Straits Times, Published: September 16, 2018 - 11:16am
'Razak's legacy not just Felda'
By Masriwanie Muhamading
https://www.nst.com.my/news/exclusive/2018/09/411763/razaks-legacy-not-just-felda


posted by fom_club at 12:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Education

EDUCATION is a process to develop modes of thinking that would enable us to fathom life’s natural and manmade phenomena.

To understand these divine and human creations, man has to use his mental and critical faculties, which refer to the thought process or in short, thinking. The thinking process involves the analysis of phenomena to develop meaningful constructs and the development of this thought process is through formal and experiential learning.

Experiential learning plays a significant part in primitive societies where knowledge is gained through experience in actual life situations. The thinking process is developed through observation and skills by way of imitation, which is embedded in the mind intuitively. Thus, critical analysis is mainly intuitive without conscious deconstruction and reconstruction. This is very much so with traditional craftsmen and artists, who create functional and spiritual crafts and objets d’art without any blueprints, but mainly from intuitive memory.

In modern society, the development of thinking is undertaken by way of formal schooling, by exposing students to various modes of knowledge through specific subjects. Each group of subjects develops a different thinking mode that ranges from computational thinking in science and mathematics, visual thinking in arts and design, conceptual thinking in history, religion and literature, verbal expressive thinking in languages and kinetic thinking in aesthetic and sporting activities. Each subject has its own merit in contributing to a holistic perception of life’s phenomena at different levels of cognition.

Different levels of schooling teach students different levels of thinking modes. For example, in kindergarten, it focuses on visual mode of thinking and expressions. Here, the thinking process is pictorial and tactile in creating and assembling pieces of materials into shapes and forms. They transit to the initial computational thinking in the primary years when visual thinking still remains the norm. It is only in secondary and tertiary schooling that students are guided into conceptual and abstract thinking while the higher level of thinking is usually taught and practiced at the upper end of the educational system, namely the university years.

Thus, the educative process is a conglomeration of modes of thinking.

However, our education system emphasises computational thinking over others, focusing on STEM subjects (Science, Technology, Engineering and Mathematics). It, nevertheless, accedes due credence to conceptual and verbal thinking. But, it neglects visual and kinetic thinking, which is grounded in the visual and performing arts. This lack of recognition for the arts is because they do not feature in the innovation of scientific products. They are intangible, sometimes obfuscate and abstract, but nevertheless, are equally important cerebral activity that promotes thinking and problem solving.

Our educative process should in fact promote the various types of thinking by ensuring that students are exposed to these thoughts process through the curriculum, which should incorporate science and arts to allow for the development of verbal, non-verbal and kinetic thinking.

Different subjects require different modes of thinking. Science, mathematics and philosophy are based on logical and rational thinking, while the arts, such as history and geography, are based on causal reasoning. The fine arts (visual and performing arts) are engaged in creative and abstract thinking as well as intuitive reflection.

The performing arts, especially, is where intuitive reflexes override conscious logical thinking. Dance and music are not based on a logical architectonic structure as in mathematics or physics, but on intuitive and creative impulses.

Drama, on the other hand, is grounded in logical progression of thoughts based on cause and effect, especially in realistic plays, which transforms reality and also engage in the illogicality of actions in play that may disregard logic but acknowledge the absurdity of existence.

Despite their educative thought process, the performing arts in schools and universities’ curriculum are dispensed as filling the void of leisure time; a distraction from the rigours of scientific and other scholarly studies.

This attitude towards the arts is the norm with educational policy makers and especially those who are scientifically oriented, simply because they do not understand visual and kinetic thinking.

It is important that we recognise the objective computational knowledge and subjective abstract knowledge augment each other in understanding natural and manmade phenomena as well as towards the development of a holistic person.

While science promotes evidence-based objective thinking, the arts allow us to move into the realm of abstraction and beyond reason. It allows emotional expression especially in language, literature and philosophy, which touch the soul and explore humanity’s harmonious and discordant behavioural pattern.

It is, therefore, imperative that we expose students to a variety of subjects that require different thought processes from the conscious mechanistic to the unconscious intuitive. This would equip students with, not only, the means of solving problems, but also in exploring manmade and natural phenomena by combining disparate elements to create new percepts as well as new tangible and intangible functional and aesthetic forms.

There is a need for a paradigm shift with respect to science and arts which are currently compartmentalised. Policy makers need to bring to confluence these two broad fields of study. The current attitude is that the twain shall not meet and the condescending stance that science is superior to the arts. In fact, the arts are as crucial as the sciences in the educative process.

Schools should, therefore, allow a free flow of the arts and science in the curriculum to allow for the inclusion of a broader spectrum of scientific and arts studies in developing holistic students.

What is important is the mode of thinking that is logical, creative and imaginative, which encompass numerical, abstract and even irrational thinking. All these will provide students with the critical and intuitive tools to understand and use the multifaceted phenomena of existence.


[photo]
Students need to be educated in the arts as it teaches them to be intuitive and have creative impulses.

New Straits Times, Published: September 16, 2018 - 11:48am
Changing educative process
By Mohamed Ghouse Nasuruddin, an emeritus professor at the Centre for Policy Research and International Studies, Universiti Sains Malaysia, Penang
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/09/411775/changing-educative-process

AS the country develops and our society becomes more affluent, courtesy, noble values and ethics take a back seat.

The family institution could be the first victim of economic progress, with children not getting attention and guidance from busy parents, leading to social ills, delinquency, drug abuse and crime among youth.

Unless we boost our social capital, no amount of economic development can strengthen our social fabric. Malaysia needs to balance rapid economic growth with moral, ethical and societal values.

Judging from the behaviour and attitude of a large number of Malaysians, I have reservations about the effectiveness of the national campaign to promote courtesy.

The negative behaviour syndrome − reflected in problems like road bullying, violating traffic rules and being disrespectful to the elderly − has shown that we are far from being courteous.

I observe that courtesy, politeness, patience, humility, tolerance and respect have yet to become our way of life.

A lot remains to be done to inculcate these virtues in Malay-sians, particularly the younger generation.

It is not unusual to see drivers obstructing yellow boxes and parking in no-parking zones, or parking in disabled lots and near fire hydrants, littering in public places, vandalism, jumping the queue and not apologising when mistakes are made.

Other discourteous behaviour includes smoking in non-smoking areas, spitting in public and not giving up seats to the elderly, disabled and pregnant women.

With the integration of digital technology in our lives, people have become more self-absorbed and indifferent.

Family members engrossed in their mobile phones or tablets over meals is a normal sight in restaurants and homes.

Spending time with the family has been overtaken by the need to check mobile devices, which is rude.

Social media is an important tool to keep families, relationships and friendships closer.

However, courtesy and respect for others go out of the window when some spread remarks, make derogatory statements, slander and insults on social media.

Having a campaign to promote courtesy and noble values is important, but what is even more vital is to include courtesy and noble values in our lives

Leadership by example is essential. The civil service, for example, should promote courtesy among frontline staff who dealwith the public. Basic civilities and courtesies, such as responding to calls and replying to letters from the public, must be practised by all.

I believe instilling good manners, moral and noble values in people should start at home and kindergarten, and reinforced in primary school.

Moral Education in school should be reinforced to emphasise the importance of learning and practising the 36 noble values.

By the time children reach secondary school, the values they have learnt should be ingrained in them.

Children learn through observation and imitation. Parents should lead by example and practise courtesy and noble values.

Courtesy is more than just saying “please” and “thank you”.

It is about how we treat each person we meet.


[photo]
Children learn noble values through observation and imitation.

Letter to New Straits Times, Published: September 16, 2018 - 11:27am
Courtesy going out the window
By Tan Sri Lee Lam Thye, a Senior vice-chairman, at the Malaysia Crime Prevention Foundation, Kuala Lumpur
https://www.nst.com.my/opinion/letters/2018/09/411765/courtesy-going-out-window


posted by fom_club at 12:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いま大学の現場で起きていること

牙を失うアフリカ象

2016年、英国の高級紙である『タイムズ』や『インディペンデント』に、相次いで衝撃的な記事が載った。それは牙を持たないアフリカ象が増えているというものだ。

アフリカ象は、オスメスともに、インド象に比べて大きな牙を持つことが特徴とされていたが、その象徴とも言える牙を失った象が、地域によってはメスの98%を占めるまでに至っているという驚きのニュースであった。

これは密猟者の影響だという。象の密猟は、象牙が目的であるため、大きな牙を持った象は狙われやすい。逆に言えば、牙を持たない象は密猟の対象とならないために、生き延びて子孫を残しやすい。

この強力な「淘汰圧」の結果、過去の調査では、2〜6%に過ぎなかった「牙を持たない象」が、優先的に増殖してしまったということらしい。また、牙を持った象でも、その平均サイズが100年前に比べて概ね半分になっていたことも、調査の結果、明らかとなった。

こんな短い期間に、アフリカ象が牙を持たない方向に「進化」してしまっているとは、なんとも悲しい。また、人為的な「淘汰圧」の凄まじさを実感できる話でもある。本稿では大学における、そんな「淘汰圧」の話をしたい。

衰退する日本の科学と淘汰圧

最近、日本発の科学論文の、世界における相対的な地位低下がよく指摘されている。2017年の『ネイチャー』誌の記事では、ネイチャー・インデックスという高品質の自然科学系学術ジャーナルを対象としたデータベースに含まれている日本人の論文数が、過去5年間で8.3%も減少したとされている。

また、科学論文をより広く網羅するスコーパス・データベースに収録されている日本人論文の割合も、2005年の7.4%から2015年には4.7%へと減少した。

実際、大学という現場にいると、この10年に限らず、2004年の国立大学法人化以降、研究環境は悪化の一途をたどっているというのが実感である。この期間に起こった変化の一つは、大学への競争原理、つまり淘汰圧の導入である。

以前の大学は、贅沢を言わなければ、大学から支給される研究費だけで、細々とではあってもなんとか研究を続けることができた。しかし、大学の法人化以降、「選択と集中」の掛け声の下に改革が進み、それが難しくなっている。運営費交付金と呼ばれる国からの基本給のようなお金がどんどん減り、営業成績に準じたボーナスのような競争的資金と言われる予算が増えた。

運営費交付金の大部分は、職員の給与やその他、大学運営に必須な部分に使われており、結局減らされたのは教員の研究費である。その代わりに競争的資金による研究費を増やすことで、やる気のある研究者は、競争に勝ち抜いて自分でお金を稼ぎなさいというのが政府の思想である。

雇用の形態も競争的になった。特に若い研究者を中心に雇用が任期付きになり、若手研究者は社会的に不安定な身分となってしまった。成果を出し続けないと、任期が切れた際に次の職がない。

そのプレッシャーの中で研究をすることで、より良い結果が早く出るようになるはずだ。研究者は、やりたいことをしているのだ。たとえば野球選手だったら、結果が出なければ、一軍には残れず、野球を諦めるしかない。それと同じ競争だ――という訳だ。成果を出さないと研究者として生き残れない。そんな「淘汰圧」である。

過度な「選択と集中」

大学に対する「ぬるま湯」「レジャーランド」といった批判はずいぶん昔からあり、大学教員の中には、一体、何をしているのだ? と、外から見た場合に、思えてしまう人たちがいるのも事実である。そこに競争原理を導入して、怠惰な研究者は淘汰する仕組みを作るべし、というのは、ある意味、正論である。

しかし、ではどうして、それを導入した日本の科学研究が衰退の方向に向かっているのだろうか?

問題点はいくつかあると思うが、ここでは二つ指摘したい。一つには「選択と集中」に代表される「淘汰圧」が行き過ぎているということである。

「選択と集中」とは、元々、対象を一部に絞って、そこに集中的に投資をしていくという方針なので、当然の結果、ということかも知れないが、使い切れないほどの予算を持つ研究者がいる一方、実質的に研究ができないという層が生じている。

一旦、何かの拍子に予算が切れると、研究ができなくなり、論文も書けなくなってしまう、するとさらに予算が取れないという悪循環に入り込むことになる。これにより、以前は一定の生産性があった研究者層の活力が削がれるようなことが起こっている。

一方、「集中」している方は、えてして予算がダブついており、年度末に予算を使い切るのに苦労するという景気の良い話もしばしば耳にする。その結果、結局はほとんど使われないことになる不急の機器を買ったり、あっちこっちの国際会議に出かけたりと、何だか無駄遣いしているようにも見えるのだ。

そしてそんな「格差」は、研究者としての実際の力量の差をはるかに拡大した形で現れている。競争原理を導入すること自体に反対するつもりはないが、費用対効果を考えると、現状は明らかに行き過ぎている。


また、若手の研究者を中心に、優秀であっても安定したポストが得られないということがしばしば起きている。研究は人間が行っており、そこで育つ人を大切にしない分野が発展などするはずはない。40歳を超えても、家族がいても、任期が来れば職がなくなってしまうのだ。

そんな業種に、若い優秀な人間が、行きたいと思うだろうか?

評価≠ェ揺るがす知の源泉

そして、もう一つの、それは科学の本質に関するかも知れない、深刻な問題は、この「淘汰圧」の導入により、研究者の選択、研究の方向性みたいなものが大きく影響を受けているということである。

「選択と集中」を行うためには色んな研究/研究者を評価して、これは良い研究だからお金を配り、これは必要ないからお金を出さない、といった判定をしなければならない。つまり評価≠ェ必須である。

研究/研究者の評価は、打率がいくらで、年間何勝を挙げた、というような誰の目にも明らかな数字で行うことはできない。では、どのように評価されているのだろうか?

たとえばガンに関する研究と地球温暖化に関する研究のどっちが大事かと言われても、即答できる人などいないように、研究内容自体の評価は、評価者の興味や価値観が大きく作用してしまい、一定レベル以上に踏み込むのは、なかなか難しい。

従ってより客観的なものとして、その研究者の業績、つまりどんな論文をどれくらい出しているのかといったことが、実際には重視されている。論文の質の評価は、それがどれくらい他の論文に引用されたかという、インパクトファクター(正確には論文が掲載された雑誌に対する評価指標であるが)と呼ばれる指標がよく用いられる。

また近年は、研究成果の社会還元が重視されており、研究成果が社会にどのように役に立つのかという点も、厳しく評価される傾向がある。

こういった評価の基準は「淘汰圧」そのものであり、必然的に研究者の側に影響を与えることになる。生き残るためには、評価される方向に適応していかなければならないからだ。

特に任期付きの教員にとっては、次のポストが得られるかどうかは死活問題であり、確実に論文を書けるテーマやインパクトファクターの高い雑誌に載る論文がかけるようなテーマを選ぶ方向にバイアスがかかってしまう。自分が本当に何を知りたいのか、興味があるのかということより、次のポジションを確保するためにはどうすれば良いかを考えて研究をやらざるを得なくなる。

はびこる「いかに他人から評価されるか」

また、任期付きでない教員であっても、評価されない研究は、現実的に予算が取れない。だから、多くの研究者が、成果がすぐに社会に還元できるようなテーマ、予算が獲得しやすいテーマへと傾いてゆく

こういった趨勢の最大の不幸は、「いかに他人から評価されるか」ということが研究者を動かす大きな関心事になってしまっていることである。もっと言えば、それに合わせて「自分の何かを売れる」人が生き残りやすい仕組みになっていることだ。

科学は本来「これを知りたい」「何が真理なのか」といった研究者の内にある純粋な興味から発する所に価値がある。個性の違った一人一人の人間が、自分の情熱を傾けることができる何か≠見つける。そこに研究のオリジナリティーの源泉があり、知的興奮が生じる所以があるのだ。

そういった内なる真実≠ナはなく、外なる評価≠ェ研究を動かすようになってしまった。それは科学の「生命力」を本質的に損なうものであり、科学者の根っこにある「自己」から発せられる情熱や活力を奪ってしまう。

昨今、話題となったデータ捏造も、外なる評価が大きな価値を持つから起こることであり、何かを本当に知りたいと思っている研究者にとっては、捏造などやってみても何の意味もないのだ

大学はこれで良いのか?

また、大学の在り方自体にも同じような問題が起きている。大学の外部評価のために、何年以内に世界大学ランキング何位を目指しますといった目標を作ったり、ランキングを上げるためにママゴトのような英語コースを作ったり、大学が「いかに他人から評価されるか」ばかりを追いかける場所になろうとしている。

日本の大学がイギリスで作られる大学ランキングで上位になることの、一体、何が重要なのだ?

昨今、毎年のように日本人のノーベル賞受賞のニュースが流れたが、それは世界に伍するだけの日本独自の研究があったことを明白に示している。日本の大学には、オリジナリティーを持った研究を育てる力が、少なくとも過去においてはあったのだ。どうしてそのことにもっと自信を持てないのか?

日本の大学における研究活力の衰退は、「研究」というものに無理解な行政(文科省)が、大学の在り方や大学における研究に対して、「淘汰圧」を使って介入するようになってきたことが、恐らく最大の原因である。

大学改革を立案する文科省の高級官僚の多くは基本的に研究生活など経験したことのない文系の秀才達であり、机上の論としては良くできていても、どこかズレたものばかりである。

以前は大学における学問を尊重し「育てる」ような意識が感じられたが、昨今は短絡的なビジョンで大学を「支配」しようとしているように見える。その結果、死屍累々とした荒野に、誰も読まない書類が積み上がっている。アカデミアの世界から「熱」が奪われ、研究者、特に若い研究者達が、夢も希望も持ちにくくなっているのだ。

これと表裏一体にあるのが大学側の頽廃(たいはい)だ。こういった世界ランクだの、ミッション再定義だの、英語コースだの、皆が意味がないと思っていることであっても、「文科省の指示だから」「逆らうと運営費交付金を減らされるから」というような理由で従っていく光景に、いつの間にか大学人が慣れっこになっている。

誰かの思い付き<激xルの指示を無批判に受け入れ、それに空しく膨大な時間や労力を費やすことを、当たり前に思うようになっている。それを知的頽廃と呼ばずして、何をそう呼べと言うのだろう。

大学の本来の姿は、「自己」というものに根付いた知性、自分が何を本当に面白いと思い、何に世界の意味を見出すのか、そういった知の源泉≠育てることではなかったのか? 

目の前の不条理に声を上げることすらできない大学人。それは「淘汰圧」により、「牙を持たない大学人」へと「進化」した姿なのだろうか? 自己に根付いた知性という「牙」を失った大学人に、果たしてその存在意義はあるのか?

そのことを自問してしまう、現在の大学である。

(なかやしき・ひとし 神戸大学大学院農学研究科教授/「本」10月号より一部改変)

現代ビジネス、2018.09.13
日本の科学研究が衰退している「2つの理由」
いま大学の現場で起きていること

中屋敷 均(*)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57264

(*) 中屋敷 均
1964(昭和39年)年、福岡県生まれ。1987年京都大学農学部農林生物学科卒業。博士(農学)。現在、神戸大学大学院農学研究科教授(細胞機能構造学)。専門分野は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子(ウイルスやトランスポゾン)の研究。趣味は、将棋、山歩き、テニス等。

posted by fom_club at 12:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする