2018年03月31日

神奈川沖浪裏と海と

#Debussy100 - Claude Debussy Best of on medici.tv
https://www.youtube.com/watch?v=di60A0BJT88

In 1862 Claude Debussy was born in Paris: the biggest musical celebrations of 2012 will mark his 150th anniversary.

Reflections on Debussy, a major new festival based at Manchester's Bridgewater Hall, promises to be one of the most unusual takes on this seminal French composer and his legacy.

It unites past and present, Europe and Asia, and a pianist and orchestra who, having been caught up in Japan's devastating earthquake, are lucky to be here.

On 11 March 2011 the Japanese pianist Noriko Ogawa(小川典子)was waiting for a train in Tokyo when the platform began to shake under her feet.

At the same moment, the BBC Philharmonic Orchestra, on tour in Japan, was travelling in a bus, which was crossing a bridge (注1).

Miraculously, they all escaped unscathed.

Now they are working together, exploring the links between Debussy and Japanese culture.

Ogawa suggests that Debussy had a natural affinity with deep underlying qualities in Japanese art, especially the ukiyo-e ("floating world") woodblock paintings by artists such as Hokusai and Hiroshige.

The cover picture on the first printed copies of his orchestral work La Mer(海-管弦楽のための3つの交響的素描、注2)– effectively a kind of sea symphony – is Hokusai's The Great Wave off Kanagawa(冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏).

Other pieces by Debussy seem to share the formality and concision of Japanese art.

"You need a strong sense of control on the keyboard to play Debussy," says Ogawa.

"You can't be overemotional or drown yourself in it; you have to be objective..."

The most Japanese of his works, she says, is "Poissons d'or"(ピアノ曲『金色の魚』、注3), the final piano piece from Images, Book II (「映像」第2集) – directly inspired by exquisitely wrought images on a lacquer cabinet depicting koi carp 漆器盆《金色の魚》.

Highlights she has devised for Reflections on Debussy include a Japanese tea ceremony before she performs the composer's Études for Piano(ピアノのための練習曲集、注4), and a flower ceremony before the Préludes(前奏曲).


The Independent, Published: Friday 20 January 2012 00:00 GMT
How Debussy keys into Japan
By Jessica Duchen
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/classical/features/how-debussy-keys-into-japan-6291796.html

(注1)【回想】BBCフィル・メンバーが語る3.11
 2011年、BBCフィルハーモニックは、3月4日の広島を皮切りに始まった日本ツアーの前半5公演を大成功の内に終えた。京都、大阪、名古屋、松本、公演各地で熱狂的に迎えられ、音楽の喜びに溢れていたことをオーケストラの誰もが記憶している。
 ソリストとして迎えたピアニスト・辻井伸行が2009年にヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝したことも手伝い、全公演のチケットが発売と同時に完売になっていたらしいと、マーティン・ウォリントン(ヴィオラ)は聞いていた。「彼は本当に驚異的なピアニストです。指揮者・佐渡裕との相性も素晴らしかった。初日の広島公演は満員のお客様からの拍手が鳴りやまず、ツアーは幸先の良いスタートを切りました」
 メンバーが気持ちよく演奏できただけでなく、事務局側も全てが順調で首尾よく進んでいると感じていた。フィオナ・マッキントッシュ(ツアー・マネージャー)は言う。「素晴らしいツアーでした。まるで時計仕掛けのように、全てのスケジュールが予定通り順調に進み、問題や不安は一切ありませんでした」
 クレア・ディクソン(ヴァイオリン)は、ツアーの幕開けとなった広島で、メンバーが特別な感情を抱いたことを思い出す。「自分たちが今、あの原爆が落とされた場所に実際に来ているということに対して、皆畏怖の念を抱きました」
 ただ、ツアー中、ちょっとした予期せぬ問題が発生したようだ。キャサリン・アンステイ(ヴィオラ)は思い返す。「開演が30分ほど遅れた会場が1箇所だけありました。こういったハプニングは日本ではとても珍しいことではないでしょうか」
 この時点では、開演の遅れなど取るに足らない出来事になろうとはメンバーの誰も思いもしなかった。

 2011年3月11日、ツアーも後半に入り、いよいよ首都圏での3日連続公演の初日を迎えた。オーケストラは横浜みなとみらいホールに向けて出発するバスに意気揚々と乗り込むと、これからのコンサートの話に夢中になっていた。
 ジュリアン・グレゴリー(ヴァイオリン)は回想する。順調に走っていたバスが横浜ベイブリッジに差しかかった時、急に動きがおかしくなり、停止した。「バスのサスペンションに何か問題が起きたのかと思いました。車体が大きく揺れ始めたからです。上下左右に大きく動き、どんどんひどくなっていったのですが、それでも私はこの時、自分が乗っている“バス”が故障を起こしている!としか思えませんでした」
 過去に経験したことがない事態に、最初は恐怖を感じたというよりは、何が起きたのかわからずに困惑している者が多かったようだ。しかし徐々に、これが地震であり、そして橋の上で足止めをくらっている自分たちが、深刻な危機に直面しているということに気づき始めたのだった。

 クレア・ディクソンが窓の外の様子を語った。「街灯が左右に大きく揺れ、海の向こう側に見えたビルからは煙がいくつも立ち昇っていました。もし橋が真っ二つに割れて、バスが海へ落ちたらどうなるだろうか? このバスが横転したら、窓を足で蹴破って脱出できるだろうか?と、とっさに考えました。さらに不安を掻き立てたのは、港に向かって航行していたいくつもの小船が、沖へ戻っていくのを見た時です。津波が来るのだと直感し、恐怖を覚えました。船は開放された海へ逃げることができますが、私達はこの橋の上で身動きが取れないのですから」
 ヘンナ・ノーラン(オーケストラマネージャー)は、表面上は平静を保ち、オーケストラを安心させようとしていたが、実際は初めて長期間離れ離れになった、イギリスに残してきた2人の小さな子ども達にまた会えるのだろうか、と心中穏やかでなかったという。
 リチャード・ヴィクリー(事務局長)は、この日たまたまオーケストラとは別行動をしており、地震発生時はまだ都内にいた。日本と同じ地震大国ニュージーランド出身の彼は、子ども頃から地震には慣れていたが、今回の揺れは何かが違うと感じていた。「私が知る限り、地震とは“揺れる”ものですが、今回の地震は嵐の中で波に揉まれて回転するような感覚でした。私はお酒を飲みませんが、ひどく酔っ払ったらこうなるのではないかと思うくらい、足元がおぼつかなかったのです。周囲の人たちも「これはただごとではない」とお互いに顔を見合わせていましたね。新宿の広場に行くと、大勢の人が街頭ビジョンで流れるニュースに注目していて、一体何が起きているのか状況を把握しようとしていました」

 オーケストラのメンバーも、バス内に設置されたテレビ画面から流れる映像によって、日本で起きているこの未曾有の災害の実態を徐々に理解していった。テレビからは、この地震と、それに続く津波の被害が次々に映し出されていた。
 ラッセル・テイラー(トロンボーン)は、この映像に恐怖を覚えた。「黒い波が海から押し寄せてくる様子を生中継で見ていました。波の前面にはゴミやガラクタが大量に浮かんでいて、とても海水には見えませんでした。それがどんどん岸に向かって押し寄せてくるのです。バスの運転手はそれまではとても落ち着いて見えましたが、その映像を見た彼の表情から、尋常ではない事が起きているということを悟りました」
 トビー・トラマズア(ヴァイオリン)の妻は日本人である。彼は、日本人は常に地震と隣り合わせの生活をしており、イギリス人よりは地震に慣れているのを知っていたので、この事態もきっと乗り越えられると確信していた。深刻な状況ではあったが同時に自分たちが日本人に守られているという感覚もあった。他のメンバーも、この危機的状況への日本人の冷静で落ち着いた対応に感銘を受けたという。

 予定よりも大幅に遅れたが、オーケストラを乗せたバスは何とか横浜みなとみらいホールに到着した。30分ほどリハーサルを行ったが、その間、何度も揺れを感じていた。ホール内が一番安全ということを頭では理解していても、メンバーは一様に緊張を解くことができず、顔面は蒼白で、楽器を弾くだけで精一杯の状態だった。
 このホールは沿岸部に建っているため、周辺の多くの店舗は津波に備えて営業を停止。メンバーの食事の確保を不安に思ったスタッフは、慌てて営業終了間際のコンビニエンスストアに買い出しに走るも、周辺の人々が殺到し、おにぎりやパンは既になく、カップラーメンくらいしか購入することはできなかったという。

 時間の経過とともに、この地震は過去のどの地震よりも深刻なものだということが次第に明らかとなり、客の来場がほぼ不可能であると判断されたため、演奏会は中止されることに決まった。そしてオーケストラは、ホールに留まるのではなく、バスで都内のホテルに戻った方が良いという結論に達した。
 都内への道のりは、車という車が道路を埋め尽くし、たった数十bの移動に1時間以上もかかった。車内では、携帯電話でイギリスに電話をかけるメンバーの姿が目立った。ワンセグ放送で、ニュースを逐一チェックしている者もいた。バスがほとんど動かないので痺れを切らし、途中からバスを降りて歩いてホテルへ向かったメンバーもいた。結局、35kmほどの距離を9時間かけて、ホテルに到着した時には日付は変わり午前3時を過ぎていた。

 バスが都心にさしかかった時の、不安をかきたてるような静けさが忘れられない、とラッセル・テイラーは回想する。「人々はショックを受けていたはずですが、パニックは起きていませんでした。ひどい渋滞で車は全く動いていませんでしたが、それでもクラクションが鳴ることもありませんでした。歩道は都心から郊外へ黙々と歩く人々で埋め尽くされていました」

 ようやくホテルにたどりつくことができたものの、まだ余震が続いてる中、高層階の部屋の上がらなければならない。クレア・ディクソンは、どこで一夜を過ごすべきか迷ったことを覚えている。「先の見えない長時間のバス移動で疲労困憊の上、これまで経験したことのない災害に直面し精神的ショックを受けていました。にもかかわらず、私達の部屋はホテルの30階にあったのです、これには参りました。余震を怖れて1階のロビーにとどまったメンバーもいましたが、私は部屋に行くことにしました。何かが剥がれて壁と壁の間を落ちていくような音や、ギシギシと何かが軋む音が聞こえてくる中で眠りました。余震でベッドは絶えず揺れていて、まるで子どもがゆりかごに揺られて眠るように、地震の揺れで無理やり寝かしつけられるような感じでした」

 この惨状を目の当たりにした佐渡裕もまた、茫然としていた。「本当にショックでした。多くの友人が被害に遭い、日本人としてとてもつらい時でした。指揮者、音楽家としての自分に、いったい何ができるのでしょうか。僕らの仕事は、温かい毛布や食事を生み出すことはできないのですから」
 心にぽっかりと穴が開いたようだったという。「楽譜を全く開くことができませんでした。開けたところで何ができるというのか? 無力感でいっぱいでした」

 それでも、地震から一夜明けた時点では残りのツアーを最後まで続けるつもりだった。未曾有の事態ではあったが、各地に音楽を届けることこそが、自分たちの使命だとすら感じていた。しかし、地震翌日、福島の原子力発電所の危機的状況が明らかになると、ツアーを続行するかどうか雲行きはあやしくなっていった。

 リチャード・ウィグリーは、3月11日の夜、イギリスのBBC本部より電話を受けた時のことを鮮明に覚えている。「それはユタカ(佐渡裕)とノブ(辻井伸行)と夕食をともにしていた時でした。帰国命令が下されたのです。メンバーの安全確保を第一に考えた時、この結論はまっとうな判断のように聞こえるかもしれません。でもいざ本国から退去の勧告を受けると、動揺を隠せませんでした。大事な仲間を置き去りにして、我々だけ日本から脱出するのですから。そして地震から二日目の朝、オーケストラは慌てて荷造りをしてホテルを出発しました。ユタカとノブも別れを言うためだけに来てくれ、近い将来、必ずもう一度日本で演奏をしようと誓い合ったのです。二人の優しさへの感謝と申し訳なさでいっぱいになりました」

 このような時に離日することを、オーケストラにメンバーも深く失望していたようだ。マーティン・クラーク(ヴァイオリン)は思い出す。「地震が起きたのが金曜日の午後。そして日曜日に、イギリスに戻るように言われました。もしかしたら、私達の音楽で傷ついた人々の心を癒やすこともできたかもしれないのに、こんなにもすぐ、日本から去らなければならないことに、深い悲しみと憤りを覚えました」

 3月13日午後、都内のホテルを出発した時、メンバーの中には、安堵感と罪悪感の入り混じった複雑な感情を持つ者もいた。「バスに乗ったときは、無事にイギリスへ帰れることになって嬉しく思いましたが、なんだか心が落ち着かない状態でした。出発の際、ホテルの全スタッフが笑顔で我々に手を振ってくれました。嫉妬している様子も、イライラしている様子も、不安に思っている様子も全く見せず、ただただいつもと同じように、完璧にふるまっていました。この光景はずっと忘れられず、よく覚えています」とクレア・ディクソンは言う。
 ジュリアン・グレゴリーもまた、オーケストラがこんなに早く離日することに、罪悪感を覚えていた。「まるで逃げ出していくような気がしたのです。ですから今回、こうして日本にまた戻ることは、私にとってとても大事なことなのです」

 日本からイギリスへ貨物便で返送されたオーケストラの楽器からは、規定値を超えた量の放射能が検出され、空港で押収された。そのため、メンバーの手元に全ての楽器が戻るには時間がかかった。事務局はしばらくの間、なぜ押収されたのか理由はメンバーに伏せていたという。

 イギリスに帰国した後、ラッセル・テイラーはすぐに故郷の村に戻り、友人らの歓迎に感動した。「地元のパブに来るように誘われ、まだ時差ボケがひどかったのですが、行くことにしました、なんと、パブの上に“Welcome Home, Russ!(ラス、お帰りなさい!)”という横断幕がかかっていたのです。本当にびっくりしました。あまりに疲れていたので涙は出ませんでしたが、心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。同時に、日本の状況がイギリスでどんなふうに報道されているか、一瞬で理解しました。自分は重大な危機を経験してきたのだと、改めて実感しました」

 時間が経つにつれて、日本で再びツアーを行うということは多くのメンバーにとって重要な意味を持つようになっていった。それは決して、ツアー半ばで帰らなければならなかったことへの負い目ではなく、必ずや日本に戻ってツアーを再開し完結させるのだ、という固い意志だった。
 キャサリン・アンステイは自身の感情をこのように言う。「マンチェスターの我が家に着いてからすぐ、また日本に戻りたくてたまらない気持ちになりました。私もまだ精神的にとても苦しかったのにもかかわらず、です。私は日本と日本人が大好きです。世界中のどこにも、日本ほど私達に良くしてくれたところはありませんから」
 スティーヴ・ヒルトン(舞台監督)は、今回、新しいツアーを作るのではなく、未完成の仕事をやり遂げるために日本に戻るのだ、と言う。「日本に戻ることで、自分自身が安心すると思います。前回出会った人たちの無事をこの目で確かめたいのです。彼らと彼らの家族は無事だろうか、といつも考えています。私達は大変な状況を経験しましたが、日本のいる彼らに比べたら取るに足らないこと。自分達の家族よりも先に、赤の他人であるイギリス人の私達の面倒を見てくれました。彼らに会って、我々がどれだけ感謝しているか、尊敬しているか、伝えなければならないのです」
 スティーブン・リンカー(レコーディング責任者)も、日本への敬意を示すために、再び日本へ行こうと決めた。「また日本に戻ることをとても楽しみにしています。日本ツアーはやり遂げなければならないことですし、皆で力を合わせて成功させたいと思っています」

 オーケストラが帰国して半年も経たない内に、佐渡・辻井・BBCで再び日本ツアーを行うことが正式に決定した。佐渡は興奮した。「同じオーケストラ。同じソリスト。同じプログラムで再びツアーを行えるなんて、奇跡だと思いました」
 彼自身、音楽に対する姿勢が変わったと感じている。「震災から2年経った今でも、毎回の演奏会を、地震と津波で犠牲になった多くの方々に捧げる気持ちで臨んでいます」

 チケットは発売と同時に全公演完売した。佐渡裕は言う。「BBCフィルが震災の影響で公演を中止し、帰国せざるを得なくなったことを、日本の聴衆は知っています。みんなが私達のことを待っていてくれていうるのです」
 マーティン・ウォリントンは、今回演奏する曲の重要な意味を教えてくれた。「コンサートを始める前に、エルガー作曲のエニグマ変奏曲より『ニムロッド』を演奏することにしました。この曲は、嘘偽りのない友情を表現しています。我々から日本の方々への、誠実な友情を示したいと思います」

 ツアーを前にメンバーは心からワクワクしていると同時に、不安があることも否めない。「あのような経験をすれば、心に傷を負ってしまうものですでも、オーケストラのメンバーから感じるのは、地震に対する不安があっても、今度こそ最後までツアーをやり遂げたい、という強い気持ちです。我々は日本に戻り、日本のために心から演奏したいと思っているのです」

 2013年4月、BBCフィルハーモニック・佐渡裕・辻井伸行による「日本の人々に捧げる」ツアーが2年余の月日を経て幕を開ける。


[写真―1]
2011年3月6日大阪・ザ・シンフォニーホール 立ち見が出るほどの盛況ぶり
[写真―2]
反対車線には横転した車両が!
[写真―3]
バスの中のTV画面に映し出されたニュース速報
[写真―4]
2011年3月11日横浜みなとみらいホール 余震が続く中、リハーサルは行われた

ニューズオプエド、2013年04月25日
衝撃のレポート!!
英国BBCフィル・メンバーが語る「3.11体験」

(玉木 正之)
https://op-ed.jp/news/衝撃のレポート%e3%80%80英国%ef%bd%82%ef%bd%82%ef%bd%83フィル・メンバーが/

(注2)Claude Debussy: La Mer (Lucerne Festival Orchestra, Claudio Abbado)
https://www.youtube.com/watch?v=SgSNgzA37To

(注3)Michelangeli plays Debussy Images 2/3 - Poissons d'or
https://www.youtube.com/watch?v=bK1R4ZSjteQ

(注4)Debussy 12 Etudes : interview Mitsuko Uchida part1 (Germany) 日本語字幕付
https://www.youtube.com/watch?v=TA1Pn_pv4Y8

(注5)小川典子/ドビュッシー「前奏曲集 第1集 第10番「沈める寺」
https://www.youtube.com/watch?v=yh0qJmiYON8

なお、この記事で取り上げられた ”Reflections on Debussy, a major new festival based at Manchester's Bridgewater Hall”(2012)は、小川典子さんが「企画担当を務め、自らもドビュッシーを中心としたプログラムでリサイタルや室内楽を行った他、BBCフィルとの共演、子どものための教育プログラム、マスタークラス、アウトリーチ、日本文化の紹介等も行い音楽祭を成功に導」きました。
https://www.japanarts.co.jp/artist/NorikoOGAWA


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ドビュッシー没後100年

ドビュッシー(1862-1918)前奏曲集第1巻((Préludes 1、1909-1910)亜麻色の髪の乙女 La fille aux cheveux de lin
https://www.youtube.com/watch?v=EW8R_-RruzY

村治佳織(1978-)/亜麻色の髪の乙女
https://www.youtube.com/watch?v=7eSPif4qtzY

中井正子(1958-、東京芸術大学ピアノ科で後進の指導も)『ドビュッシーと歩くパリ[CD付]』(アルテスパブリッシング、2012/12)

青柳いづみこ(1950-、大阪音大教授)『 ドビュッシーと散歩』(中央公論社、2012/9、2016年に文庫化)
[書評]
 ドビュッシー演奏の第一人者である著者がピアノ曲と人物像に迫ったエッセイ集。
 繊細で緻密な作曲家という印象のドビュッシー。
 実は童話好きの子供っぽい一面もあった。
 代表作である「前奏曲集第一巻」の「西風の見たもの」はアンデルセン「楽園の庭」をもとにしたもの。
 アンデルセンの童話をベースにした戯曲のための「子守唄」も書いた。
 愛に貪欲で上流階級のエンマとかけ落ちした大胆さも、そうした純粋さに起因している。
 その頃完成した「喜びの島」について彼は「この作品はピアノで演奏しうるすべての手法の集大成のように思われます」と周囲の喧騒にもかかわらず満足気だ。
 ボードレールやヴェルレーヌを好み、「月の光」など詩をタイトルに引用した。
 代表作「亜麻色の髪の乙女」のタイトルが表すように、髪フェチでもあった。
 そんな彼の魅力を最大限伝えるため、著者、青柳いづみこはトークを交えたテーマ性のあるコンサートを催している。
 今年2012年はドビュッシー生誕150年
 新たな光が当てられている。


ブック.アサヒ.コム、2012年10月19日
http://book.asahi.com/reviews/column/2012101400006.html

 今年2018年3月25日で、ドビュッシー没後100年!(注)

 クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)は、1862年8月に生まれ、1918年3月25日に没したフランス近代の大作曲家。
 この時代、ジャポニスムは、印象派の音楽家にも大きな影響を与えました。
 ドビュッシーは、ジャポニスムを採り入れた最初の西洋音楽家ということができるでしょう。
 ドビュッシーもまた日本の美術が大好きで、交響詩『海』の表紙は、葛飾北斎の「神奈川沖波裏」の図柄で飾られたし、ピアノ曲『金色の魚』は、緋鯉が泳ぐ蒔絵の箱にイメージを得て作曲されました。
 ドビュッシーの音楽は、きわめて静謐な中に点描風に置かれた音が長く余韻をひびかせ、音楽の流れもゆるやかで並列的な印象を与えるものです。
 それはまさしく日本性と呼べるものでしょう。
 そういった彼の印象主義音楽は(ドビュッシーは、自分が「印象主義者」とは認めませんでしたが)、美しい旋律やきちんとした楽曲の構造を主張とするのではなく、音の色彩が瞬間的に変化することで生じる音響効果を追い求めた旋律が大きな特徴と言えるでしょう。

 1900年代に入り「録音」という新しい技術が生まれ、ドビュッシーの晩年はその時代にありました。
 このセットに登場する全てのアーティストは、20世紀前半においてのドビュッシー演奏家としてのパイオニアでした。
 またいくつかのアーティストは、個人的にドビュッシーと接し世界初演も行いました。
 つまりドビュッシーと同時代を知り、ドビュッシーの天才的な作品を理解し、画期的な解釈が演奏に含まれているのです。
 このセットの最初は、ドビュッシーのピアノロールから始まり、ドビュッシーらのピアノ曲の初演者として歴史に名を残すリカルド・ビニェス、ドビュッシーと同時期にパリ音楽院に学んでいたアルフレッド・コルトー、ビニェスとコルトーからその教えを引き継いだマルセル・メイエらによるピアノ演奏。
 ミュンシュ、アンセルメ、トスカニーニ、モントゥーらの巨匠指揮者による演奏。
 ドビュッシーを支持し、ドビュッシーの作品の編曲なども手がけたビュッセル、当時のフランスの名歌手たちによる歌曲、デゾルミエール指揮による「ペレアスとメリザンド」全曲も収録。
 ドビュッシーから引き継いだ独特な感性による後生まで残されるべく貴重な音源が収録されています。
(ワーナーミュージック)
。。。

タワーレコードオンライン、2018年03月30日 12:00
作曲者ゆかりの演奏者たちによる『ドビュッシー:歴史的初期録音集』(10枚組)
http://tower.jp/article/feature_item/2018/03/30/1104

 今回の「たのしい音楽小話」は、今年没後100年となるドビュッシーのお話です。
 クロード・ドビュッシーは、近現代を代表する音楽家でフランスを代表する音楽家でもあります。印象派の代表として紹介されることも多いですね。
 1874年に、モネが「印象、日の出」という絵画を発表し、それ以前からフランスで起きていた芸術運動が「印象派」「印象主義」と呼ばれるようになりました。代表的な画家として、マネやルノワールなども有名です。
 ドビュッシー以前の音楽家、例えばショパンなどもそうですが、当時はサロンなどで芸術家や作家などとの交流があり、お互いに様々な影響を受けていました。今でいう異業種交流会のようなものでしょうか。ドビュッシーも、当時の詩人たちの作品に音楽を付けるなど、大いに刺激を受けたようです。

 しかし、ドビュッシーが影響を受けたのは、画家や詩人たちだけではありません。
 ドビュッシーが活躍していた当時、ワーグナーブームが起こっていて、ワーグナーの音楽に影響された音楽家がたくさんいました。ドビュッシーもその一人です。また、ロシア人で、長年チャイコフスキーのパトロンでもあったフォン・メック夫人の子供たちのレッスンをしたり、夫人の連弾相手もしていたので、ロシア音楽にも身近に接していたようです。フランスはカトリックの国なので、教会音楽も身近にあり、そして、パリ万博でジャワのガムラン音楽や日本のジャポニズムなど東洋の文化に接して大きな影響を受けました。

 このような多国籍の芸術や文化に接していたからなのか、ドビュッシーの音楽は独特です。
 ドビュッシーの音楽には、バッハのような厳格さはなく、モーツァルトやベートーヴェンのようなカチッとした形式美の音楽でもありません。また、ショパンのように人のいろいろな感情が込められたり、センチメンタルな感じの音楽でもありません。
 ドビュッシーの音楽には、独特の透明感や曖昧さがあり、記憶や想像力から引き出された自然美を表現したような作風や、ふわっと宙を漂っているような重力を感じさせない作品は、初めて弾くと、その独特の音の響きに戸惑う事もあるでしょう。
 モーツァルトやベートーヴェンの作品を練習している時は、たとえ知らない曲であっても、音の間違いが聞き取りやすく、自分で練習をしていても、「あっ、今、間違えた」と気が付きやすいものです。
しかし、ドビュッシーの場合は、元々不思議な音の響きなのか、それとも譜読みが間違っているのか、耳が音の響きに慣れるまでは判断が少々難しいところがあります。もちろん、練習していくうちに音の響きに慣れるので、モーツァルトやべートーヴェンの曲を練習している時と同じように、譜読みの間違いも気が付く事になりますが。
 私自身も、初めてドビュッシーの音楽を練習した時、その独特の音の響きに大変戸惑い、いつもよりも譜読みに時間がかかったことを覚えています。変な音の響きと思いながら弾いていたので、なかなか音が覚えられず苦戦していました。
 しかしその状態を通り過ぎますと、ドビュッシー独特の音の響きの美しさが理解でき、魅了され、フランス音楽全般に興味を持つきっかけにもなりました。
 ピアノ教室に20年も通われている生徒さんなども、ドビュッシーやその後の時代のサティなどの音楽が大変お好きな方がおられます。もちろん、好き嫌いは好みの問題でもあるので、「ドビュッシーなどの音楽は、よくわからない。だからショパン以降の音楽は聴かない」という生徒さんもいらっしゃいます。

 「戦場のメリークリスマス」などで有名な坂本龍一さんは、若かりし頃、自分はドビュッシーの生まれ変わりだと感じるくらいドビュッシーがお好きだったそうです。
 中学2年生の時に、ドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴いて衝撃を受け、半年くらい毎日聴いていて、特に好きな第3楽章は、ピアノ譜に書き起こして和声を勉強したそうです。
 「戦場のメリークリスマス」などを聴くと、坂本さんの音楽には、ゆったりとした柔らかい美しさを感じますが、ドビュッシーの音楽に通じるところがあるようにも思えます。

 ドビュッシーは、モーツァルトやベートーヴェン、ショパンと比べると、ややマイナーなイメージが否めませんが、今年はドビュッシーを取り上げたコンサートなども多くあるようですから、ドビュッシーのマイナーなイメージを払拭する機会が多いかもしれません。もしかしたら、今年一年でドビュッシーにはまる方も出てくるかもしれませんね。


はじめてのピアノレッスンBlog、2018年1月14日
2018 没後100年となるドビュッシー
http://www.convivace.jp/blog/?p=1349

 では、おまたせ、

ドビュッシー/弦楽四重奏曲 ト短調 第3楽章
https://www.youtube.com/watch?v=NlCTINEiY-c

島谷ひとみ(1980‐)/亜麻色の髪の乙女 
https://www.youtube.com/watch?v=hEu3VgCQWvY

(注)ドビュッシー・フェスティバル(16−25 March 2018)
What an amazing two weekends of music-making! We hope you enjoyed our celebreation of Debussy's musical mind.
Watch our roundup videos below(*), and don't forget to book for our performance of Debussy's Pelléas et Mélisande this summer.
(*)
https://www.youtube.com/watch?v=ynbPxsOTRvw
https://www.youtube.com/watch?v=cBCzfPaw6kE

https://cbso.co.uk/debussy-festival

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桜散る散る安倍も散れ

天童よしみ(1954-)/ ♪春が来た(2001)
https://www.youtube.com/watch?v=bGhr465OR_Q

小柳ルミ子(1952‐)/桜前線(1976)
https://www.youtube.com/watch?v=9ZgJym8rxyI

天童よしみ/花筏 -Hanaikada-(2009)
https://www.youtube.com/watch?v=374tGoEWS4U

ちあき なおみ(1947‐)/花吹雪(1975)
https://www.youtube.com/watch?v=ogYvbpbn958

 今日は、いろいろあった2017年度の最後の日。
 さくらも大分、花を落としました。
 やっほーくんの今朝の朝キンは、仙台堀川。
 朝ぼらけに浮かび上がるさくら色の並木道に思わず手を合わせていました。
来年そして再来年も、
花を開かせておくれ、
桜、咲かせておくれ、
かならず見せておくれ、
また来たい、来るから、
達者で暮らしていこう、

そんなふうにお願い、お祈りしていたそうです。

 内閣総辞職を求める緊急行動の呼びかけです
 〜桜散る散る安倍も散れ 石神井大街宣
 3月31日(土)11〜13時於石神井公園駅(雨天決行)
 短時間でもぜひ参加お願いします。
 #3000万人署名を集めます。
 『戦争法NO!ねりま集会実行委員会』呼びかけ
 
安倍も散れ.jpg

谷村新司(1948‐)/いい日旅立ち(1990)
https://www.youtube.com/watch?v=wyFSOVqXKns

 歌手谷村新司(69)が3月25日の自民党大会に登場し、代表曲の「昴(すばる)」など3曲を熱唱した。
 「朝7時のリハーサルで(星団を意味する)昴を歌ったのは初めて。とても新鮮な気持ち」と話した。
 「いい日旅立ち」では会場の約3500人と合唱し、コンサートのような異例の演出に。
 谷村と安倍晋三首相は、会食やライブを通じて交流がある。


日刊スポーツ、2018年3月26日9時26分
谷村新司、自民党大会で代表曲「昴」など3曲熱唱
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201803260000146.html

 あんときです、あんとき、山歩クラブは品川駅〜目黒駅の街歩きラリーの日でした。
 われわれは大ぜいの警官の厳重警備する傍らを足早に通りすごして抜けた日でした。
 谷村新司は支配層とそのサポーターの傍ら、ま安全地帯で歌をご披露していました。
 ポールマッカートニーは「人殺しの銃から命を守ろう」デモに参加していたんです。

ポール・マッカートニー - NEW
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=kfjndKl7lEg

 米フロリダ州の高校での銃乱射事件をきっかけに3月24日、首都ワシントンで銃の暴力に反対する大規模集会「私たちの命のための行進 March for Our Lives」が行われた。集会は全米にも広がった。
 約17万5千人が参加したニューヨークでは、歌手のポール・マッカートニーさん(Paul McCartney、1942‐)も「銃の暴力を終わらせることができる」と書いたTシャツで行進に加わった。
 CNNのインタビューで、ビートルズで一緒だったジョン・レノンさんに触れ、「私の親友もこの近くで銃で殺された。だから私にとって重要なことだ」と話した。
 レノンさんは1980年12月8日、自宅マンションの前で撃たれ、40歳で亡くなっている。

https://news.headlines.auone.jp/stories/international/international/11439988?genreid=55

Paul McCartney has remembered his former Beatles bandmate John Lennon at a march against gun violence in New York.

McCartney took part in the student-led March for Our Lives rally which started close to the Manhattan apartment building where Lennon was shot in 1980. “One of my best friends was killed in gun violence, right around here, so it’s important to me,” he told CNN.

Asked what he hoped could be accomplished by the event on Saturday, McCartney opened his jacket to show the slogan emblazoned on his black T-shirt: “We can end gun violence.”

Other celebrities who have personally been affected by gun violence also joined protests across the US. Jennifer Hudson, who performed The Times They Are a-Changin’ to cap a rally in Washington DC, alluded to the shooting deaths of her mother, brother and seven-year-old nephew in 2008.

“We’ve all lost somebody ... We’ve all got a purpose. And we want what? We want change,” she said, encouraging the vast crowd to sing along with her.

Hudson, appearing tearful as she concluded her performance, was backed by members of a Washington choir and survivors of last month’s high school shooting in Parkland, Florida.

Students from the school led rallies attended by hundreds of thousands of people in the US capital and other cities around the country.

Stars attending the Washington event included George and Amal Clooney and Kate Capshaw and Steven Spielberg, who helped fund the protests with a combined $1m (£710,000) donation. Kim Kardashian and Kanye West, Glenn Close, Cher, Jimmy Fallon and Dennis Rodman also attended.

Common, Miley Cyrus, Andra Day, Vic Mensa, Demi Lovato, Lin-Manuel Miranda, Ben Platt and Ariana Grande performed in Washington, and Rita Ora took to the stage in Los Angeles. A concert by Grande in Manchester last year was bombed, killing 22 people.

“This song is dedicated to Stephon Clark, Decynthia Clements and all the unarmed black men and women killed by police weapons,” Mensa said before performing Now We Could Be Free.

Amy Schumer, the comedian and cousin of the Senate minority leader Chuck Schumer, spoke to Parkland survivors attending the Los Angeles rally, telling them the violence they endured had to stop.

[photo-1]
Paul McCartney in a T-shirt reading ‘We can end gun violence’ at the March for Our Lives rally in New York.

[photo-2]
The actress Jennifer Hudson is embraced at the Washington DC rally by Emma González, a survivor of the high school shooting in Parkland, Florida.

[photo-3]
Ariana Grande performs at the rally in Washington DC.

The Guardian, Last modified on Mon 26 Mar 2018 16.32 BST
Paul McCartney hails John Lennon as stars join US anti-gun rallies

Ex-Beatle remembers murdered bandmate during March for Our lives protests across the country
Staff and agencies
https://www.theguardian.com/us-news/2018/mar/25/paul-mccartney-hails-john-lennon-stars-join-us-anti-gun-rallies

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2018年03月30日

江戸川の花筏

 今日は梅一声(うめのや・いっせい)さんの「古一声散歩」(いにしえ・いっせい・さんぽ)をご紹介。
 まずはご挨拶から:

 古の人の世の不思議の世界に魅せられて、日本史書をひもとき勉強することにいたしました。
 歴史学者でありませんし、それを目ざす者でもありません。
 定年退職後の自由気ままな時間を使って、勝手気ままに読書、勉強しています。
 私にとっては趣味と言うより年齢的には道楽が日本史と言えましょう。

 しかし歴史の探究は歴史学者だけでなく、一般人も参加可能と思い、文献資料を読みあさり、出来る限り歴史事実を確認しながら時代情勢を自分なりに解釈して、いくつかの歴史的重要事件(乱・戦い)や当時の社会情勢について、その究明と歴史背景の解明を試みることにしました。
 ここに2005年より今日までの間に作成しましたいくつかの論文・レポートを掲載し、日本史の同好の士に供したいと思います。
 奇抜性を求めるものではありませんが、先学に基づきながらいくらか独自性を展開したつもりです。
 それでは時間の許す限りお読み頂ければ幸いです。


 では、「江戸の河川工事」にご案内:

 徳川家康は、1590(天正8年)に江戸に入府しましたが、江戸城の増築建設と共に江戸城前の海(江戸湾)に埋め立て工事をしました。
 江戸城の前の海は、「日比谷入江」として城の南側まできておりました。
 日比谷入江の東側が前島と言われる半島(洲崎)で、その東が江戸湊と言われる入江で、さらに江戸湊の東に隅田川が流れ込みます。
(別紙「家康江戸入府頃の江戸と河川付替え工事」略図を参照下さい)

 埋め立て工事と同時に江戸府内の河川の付け替え工事を行ないました。
 先ず江戸城の周辺の河川です。
 江戸時代に江戸が再開発される以前(中世)に、江戸城の前の海に流れ込む主要な川は西から平川、石神井川と隅田川です。
 平川も石神井川も隅田川に比べれば小さく中型の河川と言って良いでしょう。
 この2河川の流路を変えたのです。
 (同じ別紙「家康江戸入府頃の江戸と河川付替え工事」略図を参照下さい)

 平川は日比谷入江に流れ込んでいましたが、この入江を埋め立てるため、最初は前島を横切って東側の江戸湾(江戸湊)にルートを変えました。
 そして更に平川は、江戸城北側の三崎橋から新設の神田川に水路変更し隅田川に流入させました。
 平川の名はなくなりました。
 後の神田川のことです。
 井之頭池(東京都武蔵野市)を源流とします。
 神田川は都心では水道橋、お茶の水を経て両国橋あたりで隅田川に流れ込みます。
 明治に入って三崎橋からの旧平川は新川の名で復活しました。
 現在、川名としての平川はないのですが、土地の名前としては現在も千代田区平河町として残っています。

 次に石神井川です。
 石神井川も隅田川に比べれば中型の河川です。
 源は小金井(東京都)、そして石神井池(東京都練馬区)で江戸前島の東側を通って、隅田川の西側の入江(江戸湊)に流れ込んでいましたが、平川と同じく流路変更し、神田川に流し込みました。
 現在の石神井川は江戸時代より上流の東京都北区堀船で隅田川に流れ込みます。

 さて、隅田川です。
 武蔵の国と下総国の境に流れ込む川で、この川は西の多摩川と共に古代より武蔵野国を流れる大河川です。
 (別紙「荒川・入間川・隅田川」略図を参照ください)
 上流は入間川と言います。
 源は現在の秩父市の大持山(埼玉県のほぼ中央)です。
 最初は東に流れ、川越辺りで南東の方向に向かい江戸湾(東京湾)に注ぎ込みます。
 入間川の下流(江戸)での名前が隅田川、上流での名前が入間川でした。
 徳川幕府は工事をして入間川より北を流れる荒川をこの入間川(隅田川の上流)に注ぎ込みました。
 この荒川と言う川は甲武信ヶ岳(こぶしがだけ、山梨県、長野県、埼玉県の県境)を源として、最初は東の埼玉県の秩父盆地へ向かい、そこから北へ向かい長瀞(ながとろ)渓谷からまた東へ向かい、久下(埼玉県熊谷辺り)から南東に向かい、途中、利根川と合流して中川(隅田川と江戸川の間)となって江戸湾に流れていました。
 (入間川・隅田川に平行して、その北および東側を流れて隅田川と江戸川の間を通って江戸湾へ)

 1661年の徳川幕府は久下(埼玉県熊谷市)で荒川を南に向かう流路を作り、入間川に注ぎ込みました。
 荒川を二つに分けたのです。
 本流は入間川へですが、元の荒川ルートも存在します。
 元荒川と言います。
 これで入間川(下流の名前が隅田川)の水量が増え、武蔵野国川越(埼玉県)への舟運が便利になりました。

 この川越は徳川幕府が武蔵野台地北辺の江戸防衛上の拠点として重要視し、小江戸と称され繁栄しました。 中世には川越氏、上杉氏、北条氏も拠点としました。
 川越藩は五代綱吉将軍の側用人柳沢吉保等譜代の大名が歴代藩主となっています。
 産業も米、まゆ、茶などの農産物や生糸、木綿織物、鋳物などの手工業が盛んです。
 江戸との流通は川越街道がありますが、多量に速く運べる水運を強化したのです。

 この外に、徳川幕府は隅田川の東側、今日の江東区に縦横に運河を作り舟運の便を図りました。
 (隅田川に平行して大横川、隅田川に直角に竪川、小名木川等)

 また、江戸の府内ではありませんが、幕府は太平洋岸の常陸(茨城県)の那珂湊、上総(千葉県)洲崎(銚子辺り)からの江戸への舟運ために内航を整備しました。
 鬼怒川、常陸川、江戸川をつなげる工事をしたのです。

 江戸府内の改造工事は江戸城の建築、堀の構築、運河の構築、神田や玉川上水道の整備、街道の整備なども行なわれましたが、ここでは主要な自然河川の整備にかかわる3河川の流路変更工事の話に止めました。

入間川・荒川・隅田川の後日談です。
 
 江戸の初期になされた入間川(隅田川)と荒川の本流との合体は逆に水量が増えすぎ、下流の隅田川が洪水の被害を及ぼすようになりました。
 この解決のために明治になって工事がなされたのです。
 隅田川の東側に並行して川を一本増設して隅田川(入間川・荒川の水)を二本に分流しました。
 これが1924年(大正3年)に完成した荒川放水路です。
 北区岩淵から東京湾まで24キロメートル、幅500メートルの人工河川です。
 現在は荒川と呼ばれています。
 隅田川の水量も減っても安定しました。

 今、東京都と千葉県の間は西から、隅田川、荒川(中川は河口あたりで荒川に合流)、江戸川を越えて往来します。

以上

2015年6月4日、梅一声
http://umenoyaissei.com/edonokasenkouji.pdf

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☝ 太田道灌江戸入城前です。古神田川といわれる平川は、現在の皇居前広場まで広がっていた日比谷入り江に流れ込んでいました。

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☝ 道灌はこの流れを隅田川に直接流すように改めます。結果、今の日本橋川とほぼ同様の流れになります

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☝ 徳川幕府の時代になると神田川は江戸城の外堀として機能するように、神田台地を掘り下げ現在の飯田橋付近から東流するように改めました
http://www.kanda-gawa.com/pp004.html

 家康の江戸入城から今日まで、発展を続けてきた東京。
 その歴史の中で、神田川は飲み水を供給する上水として、重要な役割を持っていました。
 近世江戸を支えた神田上水です。

 家康は、江戸入城にともない上水道の整備を大久保藤五郎に命じました。
 藤五郎は、小石川(現在の後楽園のあたり)の流れを利用し、この水を小さな堀割で駿河台方面へと流しました。
 これが、江戸の上水道の始まりであり神田上水の原型と言われています。
 藤五郎はこの工事の功績により、主水の名を授かりました

 徳川幕府の発展と共に、江戸の街も大きくなってきます。
 三代将軍家光の頃には、江戸は数十万の人口を抱えるようになり、上水設備の拡張工事が行われるようになります。
 当時は、いくつかの自然河川が江戸の街を流れていましたが、その中で最大の河川だった井の頭池を水源とする川(つまり神田川です)を利用して、神田上水が作られます。
 1629(寛永6)年のことです。
 江戸への供水は、目白下関口に設けられた堰で取水して、堀割を伝って小石川の水戸屋敷へ導かれます。
 その後、地中の導水管へと導かれ、現在の水道橋のあたりで掛樋となって神田川を渡り、駿河台方面へと供水されました。
 関口に設けられた堰は、大洗堰と呼ばれます。
 上水の余水は江戸川となり、船河原橋(現在の飯田橋付近)より下流は神田川と呼ばれるようになりました。
 神田上水の工事は、今でいえば一大公共工事だったわけで、多くの人間が工事に参加したのは言うまでもありません。
 松尾芭蕉のその中の一人だったと言われています。
 その当時芭蕉が寝食を行った家が関口芭蕉庵として残されています。

 江戸中期になると玉川上水が建設され、多摩川の羽村の堰で取水された水が、江戸中央部へと給水を行います。
 神田上水は、小石川地区から神田川以南の日本橋、京橋、大手町地区に供水していました。

 また、本所、青山、千川、三田の4上水が整備され江戸周辺へと給水されます。
 こうして作られた上水道も明治の時代に入ると、水質悪化などの問題が発生します。
 浄水施設を持つ近代水道の必要性が求められ、1893(明治26)年に工事着工、1899(同32)年に改良水道工事が完成。
 神田上水は、1901(明治34)年6月30日にその使命を終えることとなりました。

http://www.kanda-gawa.com/pp005.html

大洗堰あたりの桜
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江戸川の花筏
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 これが3月だというのに夏日となった昨日3月29日、ヤッホーくんの朝キンだったのでした。

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何という出来レース

 何という出来レース ──。
 本日2018年3月27日午前に参院予算委員会で開かれた前財務省理財局長・佐川宣寿(さがわ・のぶひさ、1957‐)の証人喚問だが、佐川氏は公文書改ざんについて、「刑事訴追の恐れがある」ことを理由に一切の証言を拒否。
 一方、安倍夫妻(それぞれ1954‐、1962‐)や官邸からの指示を真っ向から否定し、「理財局のなかで対応した」と言い切った。

 こうした佐川氏の証言が、完全に安倍自民党とすりあわせたものであることはあきらかだ。

 たとえば、午前の証人喚問で質問のトップバッターに立った丸川珠代議員(まるかわ・たまよ、1971‐)が「知り得る限りの事実をお話ください」と問いかけると、佐川氏はさっと手を挙げて証言に立ち、「まず、理財局でおこなわれた決裁文書の書き換えでございます。若干だけ長くなりますが、ご説明を申し上げます」と言い、理財局の国会対応についてスラスラと話しはじめると、「個別案件につきまして官房にご相談するようなことでもございませんし、報告をするようなことでもございませんし、まして官邸にご報告するようなことはございませんでしたので、まさに本当に理財局のなかでおこなった話でございます」と締めくくった。
 まるで丸川議員とのあいだに「台本」が存在するかのようなスムーズな流れだった。

 また、丸川議員は
「佐川さん、あるいは理財局に対して、安倍総理からの指示はありませんでしたね?」
「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね?」
と、「ありましたか?」ではなく「ありませんでしたね?」と質問。
 佐川氏はすべてオウム返しのように「ございませんでした」と繰り返したが、これは安倍夫妻の関与がないと印象付けたい目的があったことはミエミエだ。

 佐川氏と安倍自民党サイドの“すりあわせ”を裏付けるのは、証言だけではない。
 実際、きょうの佐川氏の補佐人を務めているのは、熊田彰英弁護士。
 熊田弁護士は小渕優子(1973‐)・元経済産業相の事務所の政治資金規正法違反事件や、甘利明(1949‐)・元経済再生担当相があっせん利得処罰法違反で刑事告発された際にも弁護を担当した人物で、安倍政権の大臣スキャンダルを引き受けてきた“御用弁護士”だ。

 さらに、佐川氏は国会入りした際、黒塗りのハイヤーで乗り付け、まわりに大勢の人を引き連れていた。
 この模様を中継していた『羽鳥慎一(1971‐)モーニングショー』(テレビ朝日)では、田崎史郎(1950‐)・時事通信社特別解説委員が
「これ、ハイヤーで来てますね。タクシーじゃないね」
「(車を)どっかが用意したんじゃないですか」
「付いてる方が多いですね。6〜7人動かれていましたでしょ?」
「通常より多い」
「(普通なら)本人と補佐人だけで動きますよね」
と指摘していたが、こうした“異例”な対応も、財務省を通じた安倍自民党のサポートがあるのだろう。

 だが、佐川氏を動かしている安倍自民党のシナリオには、すでに矛盾が出てきている。
 だいたい、刑事訴追を理由に具体的な話をすることを拒否するのに、安倍首相や官邸の関与だけははっきりと否定できるのか。
 そこには何の根拠もないのだ。
 このような証言を鵜呑みにできるほど国民はお人好しではない。

 しかも、答弁と改ざん時期の矛盾も徐々に出始めている。
 こうした問題については午後の証人喚問後に追ってお伝えしたいと思う。


リテラ、2018.03.27
佐川証人喚問は“出来レース”!
補佐人は甘利明や小渕優子の弁護担当、用意された送迎車、不自然すぎる丸川珠代の質問

http://lite-ra.com/2018/03/post-3907.html

補佐人は元検事 熊田彰英弁護士
 証人喚問で佐川前理財局長の補佐人を務めているのは元検事の熊田彰英弁護士(48)です。
 熊田弁護士は1998(平成10)年に検事に任官し、東京地検特捜部や法務省刑事局などで勤務したあと4年前に弁護士登録しました(のぞみ総合法律事務所所属、桐蔭法科大学院教授)。
 弁護士としては、脱税などの企業犯罪や企業不祥事への対応などを手がけ、
▽ 今月3月23日に大手ゼネコン4社が起訴されたリニア中央新幹線の建設をめぐる談合事件、
▽ 小渕優子元経済産業大臣の後援会の政治資金をめぐる事件
で弁護を担当しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180327/k10011380461000.html

 財務省が公文書改ざんを本格化させたのは、有名なあの一言から1ヶ月後だった。
 参院予算委員会で、小西洋之議員(こにし ひろゆき、民進、1972‐)が塚本幼稚園の教育勅語朗唱について安倍首相を追及したことが、財務省を追い込んだのである―
 「ワタクチやワタクチの妻が関わっていたら総理大臣も国会議員も辞めますよ」
(昨年2月17日衆院予算委員会)

 財務省がひっくり返るような大慌てとなった安倍首相の発言からほぼ1ヶ月後の昨年3月13日、財務省を第2波の激震が襲う。
 この日、参院予算委員会で小西洋之議員(民進)は、2013(平成25)年10月22日の衆院予算委員会の質疑応答を引き合いに出し、安倍首相を追及した。

 引き合いに出されたのは、平沼赳夫(1939‐、岡山3区)議員の質問だった。
 右翼思想で鳴る大物政治家だ。
 塚本幼稚園を訪問した平沼議員は、幼稚園児が教育勅語を暗唱していることに感銘を覚え、安倍首相に質問した。
「この幼児教育に関して総理大臣の所見をお伺いしたい」

 安倍首相は賞賛した。
「これは単に覚えるというよりも、思考力を刺激していることでもあるわけで。こういう新たな教育のアプローチについて、しっかりと我々も現場の先生たちと共に研さんを進めていくことが大切ではないか」と。

 教育勅語をめぐっては1948年、衆参両院で失効の決議がなされた。
 1983(昭和58)年には瀬戸山(三男、1904-1997)文部大臣が参院決算委員会で「現在の憲法、教育基本法のもとでは不適切」と答弁している。

 日本会議・国会議員懇談会の会長(当時)でもある平沼議員の質問を重く見た小西議員はこう質した。

「総理は教育勅語を丸暗記することが教育として許されるとお考えなんでしょうか?」
 
 やはりというべきか。
 安倍首相は教育勅語を丸暗記させる塚本幼稚園の教育方針を否定しなかったのである。
 森友疑惑で国会が騒然とし始めてほぼ1ヶ月が経っているにもかかわらず、だ。
 首相は自らの肝煎りで発足させた教育再生会議を持ち出して「輪読、反復練習」の効用を説いた。
 小西議員が教育勅語の違憲性を問うているのに、反復練習の話にすり替えたのである。

 予算委員会のもようは財務省にもれなく伝わる。

《安倍首相は森友学園の思想と共鳴し合っている。にもかかわらず「関わりはなかった」ことにしなければならない》・・・二律背反の解消という重い命題を背負った財務省は、改ざんを本格化させていった。
 きょう29日、国会内であった野党合同ヒアリングで小西議員は「皆さん(財務官僚)たちは(こうして)削除に追い込まれた」と指摘した。
 財務官僚は否定できなかった。


田中龍作ジャーナル、2018年3月29日 23:09
公文書改ざんを本格化させた「安倍首相と教育勅語」
http://tanakaryusaku.jp/2018/03/00017855

 3月29日、参院総務委員会で、 共産党・山下芳生議員が、NHK関係者からの内部告発を紹介した。

「ニュース番組の編集責任者にNHK幹部が森友問題に関し細かく指示をしている。トップでは伝えるな、放送は3分半以内、昭恵氏の写真は使うな、前川氏と連続して伝えるな」

「国際放送で安倍首相の会見を流すように(官邸から)発破をかけられている」

 官邸サイドが、NHKの報道に頻繁に圧力を加えているようだ。
 上田(良一、元三菱商事副社長、1949‐)NHK会長は、この発言に対して、否定をしなかった。
 安倍政権は、マスコミの首根っこを捕まえ、自分たちに都合の良いように報じさせている。
 放送法4条を撤廃するという安倍首相の方針は、こうした政治的な圧力を公然と行うためなのだ。
 決裁文書の改ざんを、最後まで「書き換え」と報じ続けたNHK。
 これまでも異様に安倍政権側に立った報道を続けてきた。
 その背後に、こうした政治的な圧力があったわけだ。

 この調子で、官邸は行政にも裏で圧力をかけている可能性が高い。
 だから、決裁文書改ざんについては何も語らなかった佐川氏が、官邸からの働きかけ、安倍首相の関与を「必死になって」否定するわけだ。

 安倍政権は、国の形を変えた。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2018/03/30 00:15
官邸はNHKに頻繁に圧力を加えているという内部告発
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/#entry6005

 NHKのニュース7や9などの編集責任者に局上層部の安倍政権への忖度&道の指示が飛んでいるという。
 国会に改ざんされた文書が出され、前代未聞の事件が起きたというのに何故、政権への忖度≠ェそれ程、必要なのか。
 現在、NHK上層部には、一体どこからどんな圧力≠ェきているというのか
4:53 - 2018年3月29日、望月衣塑子

 。。。
 まったく、「権力の犬」の魂ここにあり、だ。
 だが、いまは「犬HK」などと揶揄しているような場合ではない。
 きちんと問題の根深さを報じなければ、NHKだけではなくこの国のメディアも死んでしまうからだ。
 幹部から圧力を加えられる一方、NHKのニュース番組ではこれまでなかなか取り上げてこなかった市民による抗議デモの映像が流されるケースが増えている。
 どうかいまこそNHKには、公共放送としての権力の監視という役割を取り戻してほしい。
リテラ、2018.03.30
NHK森友文書改ざん報道に圧力が!
「トップで伝えるな」
「昭恵さんの映像を使うな」
「尺は3分以内」

http://lite-ra.com/2018/03/post-3916.html

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2018年03月29日

普通のひとびとが豊かになる景気拡大政策

 本当に危ないクニに成り下がってきています、じゃあ、どうする?
 次の提言を野党の政治家の皆さん、学者・専門家を交え、いっしょに真剣にお考えになって、とヤッホーくん、お願いしております。
 そうでないとですね、富めるものはますます富み、貧しい者はますます貧しくなってしまい、人身事故ばっかりになってしまいます。
 大阪から発行されている専門誌、「消費者法ニュース」をまずご紹介:

 1975(昭和50)年代以降消費者被害が多発し、その解決のあり方、公平な法制度のあり方の研究、あるいは実践の活動、また判例や論文の紹介、立法・行政などの情報を集め、これを提供するために、学者、弁護士(日本弁護士連合会消費者問題対策委員などのネットワークをベースに)、消費生活相談員・コンサルタント、消費者団体などが構成員となり、消費者被害の救済と予防を目的として、「消費者法ニュース発行会議」(代表:甲斐道太郎大阪市立大学名誉教授、清水誠東京都立大学名誉教授)を1989年8月に設立し、年4回(3ヶ月毎)「消費者法ニュース」を発行してきました。
 「消費者法ニュース発行会議」は、2014年10月1日に「一般社団法人消費者法ニュース発行会議」に法人化を致しました。

http://www.clnn.net/

 その「消費者法ニュース」第114号(2018.1)を取り上げ、特集「貧者のための経済政策 ―選択すべき経済政策とは―」をご紹介します:

 このあと27頁から収録する文章は、私たち「ひとびとの経済政策研究会」が2017年夏に民進党の議員あてに作成した政策提言文書の一部(終わりの3分の1)です。
 2017年の民進党代表選挙に際して、私たちの考える政策を掲げて代表選挙に出る人が出て欲しいと考えて、急遽書き上げて私たちの会のブログにアップし、民進党の全議員の事務所に、読んでもらえるようお願いするファックスを送りました。
 結局、どなたからも反応はありませんでしたが、候補者が前原誠司さんと枝野幸男さんに決まったあとは、プリントアウトした文書をこのお二人に郵送しました。

。。。

我々は安倍首相の景気作戦に負けている!
立命館大学経済学部経済学科教授・松尾匡

。。。
10 掲げるべき対抗政策

財政再建路線に縛られて社会保障削減


 安倍政権の経済政策の弱点は、やはり財政再建路線に縛られていることだと思います。
 しかも従来の「建設国債はOK、赤字国債はダメ」の原則に縛られています。
 このために、いつも本予算規模が抑制され、総需要拡大への重石になります。
 そのためにこのかん、中国の株暴落だのブレグジットだのといった世界経済不安のたびに景気後退の危機に見舞われ、慌てて補正予算で景気対策を組むことになります。
 ところが「建設国債はOK、赤字国債はダメ」の原則のせいで、景気対策は旧来型の公共事業に偏ることになります。
 そうすると、政府債務が増えるので、財務省としては歳出を抑えるために、社会保障の方を削減することに なります。
 かくしてまたも規模が抑制された本予算が作られて、このプロセスが毎年繰り返されることになるというのが、この数年の動きでした。
 そこで、年金カットや、生活保護減額、介護報酬や診療報酬の切り下げ、介護保険の自己負担割合の増加、後期高齢者の医療費自己負担割合引き上げの検討など、あいつぐ社会保障削減が続いてきました。

緩和マネーを社会政策につぎ込み景気拡大

 これを批判して、財政再建に縛られずに、庶民の暮らしのために大々的に政府支出することを約束すれば、私たちが安倍自民党に勝利することは容易です。
 いわゆる「プライマリー・バランス黒字化」など、新自由主義の緊縮派が唱える、タメにする議論ですから、私たちの側までそれに縛られる必要はありません。
 私たちが掲げるべき景気拡大策は、日銀の作った緩和マネーをつぎ込んで、福祉・医療・教育・子育て支援などへ大規模に政府支出しますということです。
 それによってまずこれらの部門や、これらの部門に資材などを売っている部門で雇用が拡大します。
 そしてその分賃金が支払われますので、消費需要が拡大します。
 そうすると消費財やサービスの生産が拡大し、そのための雇用が拡大します。
 そうしたらまたその分賃金が支払われますので、さらに消費需要が拡大し、以降このプロセスが波及していきます。
 私たちの研究会メンバーである橋本貴彦立命館大学准教授が産業連関分析で行なった試算によれば、同じ政府支出に対する雇用者所得の波及効果を公共事業に対する支出の場合と比べると、学校教育への支出の場合は1.45倍、医療への支出の場合は1.09倍、介護への支出の場合は1.24倍の効果がありました。
 これは、介護などの現行の貧弱な賃金で計算したものですから、もっとまっとうな賃金に上げたならば、効果はもっと大きくなります。
 そして、これがさらに消費需要に波及することになります。
 以下では、きたるべき総選挙で掲げるべき政策を、もう少し具体的に提言しましょう。

政策提言1: 医療・福祉・教育・子育て支援による景気拡大策

政策提言2: 消費税は不況下では引き下げる

政策提言3: 最低賃金、生活保護給付、基礎的な年金などの引き上げ

政策提言4: 50兆円硬貨で債務帳消し


普通のひとびとが豊かになる景気拡大政策
― 安倍自民党に野党が勝つために ―

ひとびとの経済政策研究会共同代表、立命館大学経済学部教授・松尾匡
ひとびとの経済政策研究会共同代表、関西学院大学総合政策学部教授・朴勝俊
ひとびとの経済政策研究会
※ 全文は「ひとびとの経済政策研究会」(economicpolicy. jp)からダウンロードできます。
http://www.clnn.net/number/news114.html

 では、おまたせしました、ここで洗足学園音楽大学の皆さまによる「貧者の」じゃ、ないない、元へ〜、「聖者の行進」、お聴きください:
https://www.youtube.com/watch?v=hL1QUfmhW30


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森友スキャンダルが映す日本の本当の闇

 ヤッホーくん、今日3月29日(木)、季節外れの暑さのなか、朝キンは江戸川公園、神田川、細川邸。
 なんで江戸川だったり、神田川だっりするの?と思いたち、おりたった駅は有楽町線「江戸川橋」駅。
 え〜と、そのご報告は後にして、そんなこと言ってる場合でないと思いたち、今日の日記をつけます。
 まずは過去最高の100兆円予算成立から、これって借金ですよ、借金!アベ、アソウとホント、アホ!

 政府は12月22日、一般会計総額が過去最大の97兆7128億円となる2018年度予算案を閣議決定した。
 安倍晋三首相が看板政策に掲げる少子化対策へ重点配分したのが特徴だが、2019年10月の消費税増税までは使える財源が限られ、メリットは一部の世帯にとどまりそうだ。
 高齢化で増える社会保障費の伸びは目標の範囲に抑えたものの、歳出は切り込み不足が目立ち、6年連続で膨張している。

 歳出の約3割を占める社会保障費は、2017年度当初比4997億円(1.5%)増の32兆9732億円と過去最大。
 伸びは政府目標の5000億円程度に抑えたが、診療報酬のうち医師らの人件費などにあたる「本体部分」の引き下げには切り込めず、医療を受ける人の負担は増えそうだ。
 ただ、診療報酬の「薬価」の削減で薬代はおおむね安くなる見込み。一方、介護報酬はプラス0.54%の改定で、利用者の負担は増える可能性がある。
 少子化対策は、幼児教育無償化を段階的に実施する財源として約330億円を計上。
 返済不要の給付型奨学金などの拡充に計1063億円を盛り込み、6万5000人分の保育の受け皿整備に865億円を充てる。
 ただ、財源不足で幼児教育無償化などは今のところ低所得世帯が中心。
 幅広い世帯が予算拡充を実感できるのは、対象が広がる消費税増税後になりそうだ。

 歳入面では、税収は1兆3670億円(2.4%)増の59兆790億円とバブル期の1991年度以来、27年ぶりの高水準を見込む。
 税収増を当て込み、国の借金である新規国債発行額は6776億円減の33兆6922億円と当初予算ベースでは8年連続で減らしたが、歳入の3割超を借金に頼る状況は変わらない

 同時に閣議決定した2018年度税制改正大綱は、年収850万円超の会社員を増税とする所得税改革や、出国時に徴収する「国際観光旅客税」の創設を盛り込み、家計を中心に年2800億円の増税となる。
 税・予算全体では、子育て世帯に一定の目配りをしたものの、高所得者は増税となり、世帯によって明暗が分かれる。


毎日新聞、最終更新12月23日02時11分
来年度予算案
少子化対策広がり欠く
97兆7128億円

(工藤昭久)
https://mainichi.jp/articles/20171223/k00/00m/020/165000c

 で、なんなのって思いません?政府発表の新聞購読者向け記事だけで、じゃあ、マスコミはどう考えているのっていう、ご意見が聞こえてきません・・・
 これって、支配層、富裕者、権力者を批判してはまかりならぬ、サガワのようにそれは無理です、述べられません、としか言いようがないのですよ・・・
 ですので第二弾目、情報操作をどうする?権力側の意図をどうコクミンのミナサマに浸透させるの?やはり「なんか変な空気」(NHK)だけが頼りか・・・

 政府が検討中の放送制度改革案は、政権とマスコミの関係を変えかねない。
 表向きは放送と通信の垣根をなくして魅力的な番組を作りやすくし、業界を活性化するのが目的だが、政権に批判的な報道への安倍晋三首相の不満が垣間見える。

ネット番組には好意的

「今はネットでテレビのニュース動画も流れている。同じことをやっているのにテレビだけ規制があるのはおかしい」
 首相官邸幹部は、首相の放送法4条撤廃の考えをこう代弁する。
 安倍政権下では、4条の「政治的公平」原則をテコに民放がけん制されてきた。
 2014年衆院選では自民党が民放とNHKに「要望書」を提出し、選挙報道での「公平中立、公正」を求めた。
 直前のTBS番組で、景気への厳しい声が相次ぐ街頭インタビューをスタジオで見た安倍首相が「全然(評価する)声が反映されていない。おかしいじゃありませんか」と反発していた。
 2016年2月には高市早苗総務相(当時)が、政治的公平性を欠く放送局に電波停止を命じる可能性に言及し、首相が追認した経緯もある。

 一方、首相はネット番組には好意的だ。
 昨年の衆院選の際は「Abema(アベマ)TV」に約1時間出演。
 その後、今年2018年1月31日には楽天の三木谷浩史会長兼社長が代表理事の新経済連盟の新年会であいさつ。
 ネット出演を振り返り「双方向でいろんな意見があり面白いなと思った。見ている人には地上波と全く同じだ。法体系が追い付いていない」と語った。
 内閣府の規制改革推進会議のワーキンググループで放送制度の議論が始まったのは、その直後の2月7日だった。
 官邸関係者は「今でもテレビの政治的中立なんてあってないようなもの。それなら米国みたいに視聴者が『このテレビ局はこの政党を支持している』と分かった方がいい」と話す。
 背景には、テレビ局に「公正」を求めるよりも、ネット番組の影響力を増進する方が望ましいとの政権の方針転換が透けて見える。
 ただ、財務省の決裁文書改ざん問題で政権への逆風が強まった時期と、4条撤廃検討の浮上が重なった。
 ある閣僚は「首相はマスコミが多少ひるむと思ったのではないか」と推測するが、自民党内には「国民には『ワイドショーが気に入らないから』と見えかねない」との懸念も広がる。
 放送法を所管する総務省内は「すぐやろうというムードはない」(幹部)と冷めている。
 内閣府所管の規制改革推進会議での議論に対しては「首相の意向に沿った議論になってしまう」との懸念も漏れるが、同会議の幹部は「4条の話は聞いていない」と話す。
 現状は首相周辺など一部で検討している段階のようだ。
 実際、内閣支持率が下落する中で、「批判封じ」とも映る4条撤廃の議論はハードルが高い。
 野党は「フェイクニュースが席巻する時代に放送法4条こそが重要だ」(希望の党の泉健太国対委員長)と批判。
 自民党の二階俊博幹事長は3月26日の記者会見で「問題の成り行きを慎重に見定めて対応していきたい。私から特に方向性を知らせることはできるだけしない方がいい」と述べて距離を置いた。

(遠藤修平、浜中慎哉)

民放は反対の姿勢

「放送局は、民主的な社会に必要な情報を全国にあまねく伝えている自負があり、健全な世論形成に貢献してきたと思う。単なる産業論で放送業を切り分けてほしくない」

 日本民間放送連盟の井上弘会長(TBSテレビ名誉会長)は3月15日の定例記者会見で、放送法4条撤廃などの改革案を伝える一部報道を受け、反対する姿勢を示した。
 4条は、番組作りに当たって、政治的公平性や正確な報道のほか、公序良俗、多角的意見の紹介を放送局に求めている。
 放送局にとっては自主自律の運営が前提だが、政権側が放送局に圧力をかけるために乱用もされてきた。
 その一方で、「番組の一定の『質』を保つ礎になってきた」(民放幹部)側面もある。
 また、政党が番組での有利な扱いを要望してきた場合、「『公平性原則』を盾に介入を防ぐことができた」(民放関係者)との評価もある。
 この内容規制を外し、首相官邸が狙うように、インターネット事業者などが番組制作に参入した場合、内容の多様化の一方で、視聴率目的で極端な表現をする番組やフェイク(偽)ニュースが横行する恐れがある。
 実際に米国では、1987年に放送の「公平原則」(フェアネス・ドクトリン)を廃止してから、過激な論調の放送が増え、各放送局の政治的な党派色も強まった。
 米国内には、公平原則の復活を望む声もある。
 放送設備を管理するハード事業者と、番組を制作するソフト事業者の分離の徹底も、多大な経費がかかる放送設備を持たないネット事業者などが制作に参入しやすくするのが目的だ。
 だが、災害や有事の際の報道では、現状のテレビ局のようにハード・ソフトが一体の事業者でないと、緊急時の連携で混乱が生じ、「速報できずに被災者の避難や生命に危険を及ぼす」(民放キー局報道関係者)との危惧が強い。
 分離は、2010年の放送法改正で地上波でもすでに選択可能になっている。
 ただ、実態としては進んでおらず、政府内でも分離徹底の効果やニーズに疑問の声が上がる。

 また放送局への外資規制の廃止も盛り込まれた。
 放送法のこの規定は、海外資本に国内の報道機関が支配されるのを防ぐため、外資の出資比率を20%未満(議決権ベース)に制限したもので、政府・自民党内でも「撤廃すれば中国企業などが出資を強め、安全保障にも関わる」(ベテラン議員)と反対が強い。

「NHK 1強」か

 改革案は、NHKだけに現行制度を維持し、番組のネット常時同時配信も認める方針を示した。
 民放からは「国会での予算承認など政権が影響力を行使しやすいNHKは肥大化させる一方で、
民放を事実上解体する案
で、NHKの1強状態になる」(在京キー局幹部)との不安も漏れる。
 井上民放連会長も「(民放とNHKとの)二元体制が維持できなくなる」との懸念を示している。

(犬飼直幸、屋代尚則)

毎日新聞、最終更新3月29日01時13分
放送法4条撤廃案
首相、批判報道に不満か

https://mainichi.jp/articles/20180329/k00/00m/010/136000c

 こんなふうに自公独裁政権は国会無視しての「閣議決定」でどんどんこの国を壊す方向にすすめてきています。
 イマ、ここで踏ん張らないとホント、大変なことになってしまいますね。
 そんなことを他国フランスのメディア、フィガロから警告されています。

 日本のメディアはここのところ、森友学園スキャンダルが世界における日本のイメージに影響を与えるのではないかと懸念している。
 テレビの政治番組では、海外の新聞数紙に掲載された記事を引用しており、そこには仏ル・フィガロ紙に掲載された筆者の記事も含まれていた。
 だが実のところ、森友スキャンダルは外国の報道機関ではほとんど取り上げられていない。
 この事件を特に取り上げた記事は昨年1年で12本というところだろうか。
 筆者が見つけた記事では、米ニューヨーク・タイムズ紙で1年に2本、ワシントンポスト紙で1本だった。

日本の国会は「老人ホーム」さながら

 自分に関して言うと、ル・フィガロの編集者になぜこの事件に関する記事が重要なのかを丁寧に説明したうえで、掲載してくれないかと頼み込まなければならなかったくらいだ。
 今日、もしニューヨークやパリの街頭で森友に関するアンケートを行ったとしても、99%の人が、それが何なのか知らないと答えるだろう。
 なぜこの事件に無関心なのか、理由は2、3ある。
 1つには、外国の報道機関における日本関係のニュースがかつてにくらべてかなり少なくなっている、ということがある。
 日本駐在の外国特派員の数もだんだん減ってきている。
 森友スキャンダルは、世界のニュースで見出しを飾るほど「面白い」ニュースではない。
 また、日本の政治をニュースで扱うのは容易なことではない。
 これは昔も今も変わっていない。
 日本の政治家のほとんどが50歳以上の男性で、英語が話せないうえ、外国の要人ともつながりが薄いため、国際的なレーダーにひっかかることがほとんどないのだ。
 政治家たちのもめごとの多くが個人的なものであり、知的なものではない。
 外から見ると、日本の国会はまるで老人ホームのようだ。
 そこにいる老人たちが時折けんかをするところも似ている。

 日本の政治家がイデオロギーを戦わせることはまずない。
 政権交代によって突然、政策が変わることはない。
 仮に安倍晋三首相に変わって、石破茂氏が首相になったとして、何か変わることがあるだろうか。
 はっきり言ってないだろう。
 こうした中、数少ない報道が、日本にぶざまなイメージを与えている。
 政府は、対外的には、日本では「法の支配」が貫徹していると説明し、これを誇ってきたが、森友スキャンダルは日本の官僚が文書を改ざんする根性を持っているというだけでなく、(これまでのところ)処罰からも逃れられる、ということを示しているのだ。

スキャンダルそのものより「悪い」のは

 こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなる。
 「もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない」と、フランスの上級外交官は話す。
 また、改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている政権が崩壊することは避けられない。
 しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。
 麻生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。


 日本の政治について報道することもある外国人ジャーナリストにとって、森友スキャンダルは結局のところはささいなケースにすぎない。
 関与した金額もそれほど大きくはないし、関係した人物の中に私腹を肥やした人物もいないようだ。

 しかし、スキャンダルそのものより悪いのは、政府と官僚がスキャンダルを隠蔽しようとしたことだ。
 だがその隠蔽よりさらに悪いのは、隠蔽に対する国民の反応だ。
 ほかの国々から見ると、森友問題によって日本社会がどれほど政治に無関心になったかが示されたことになる。

 「今の政府がこの事件を乗り切ることができたとしたら、もう日本の民主主義は終わりだね」と、日本に住むベテラン外国人ロビイストは嘆く。
 そして政府は実際に乗り切るかもしれないのだ。
 森友スキャンダルでは、首相官邸と国会周辺に小規模なデモが起こっただけだ。
 集会にわざわざ出掛けて怒りを口にしようという人の数は、多くてもせいぜい数千人だ。
 数多くのニュース動画に映っている人を見ると、デモの参加者よりも警察官のほうが多い。
 仕事場での会話でも、日本人はスキャンダル全体に関し嫌悪感を抱いているというより、むしろ無関心のように見える。

日韓の政治問題に対する差は驚異的

 日本の状況は、2016年と2017年のデモによって昨年朴槿恵(パク・クネ)政権を倒すことに成功した韓国とはひどく対照的だ。
 北東アジアの外国通信特派員はみな、韓国の民主主義が、いかに活気があるか、そして日本の民主主義がいかに意気地なしになっていたかに気がついた。
 たとえば、昨年の韓国朴デモを担当したレゼコー(Les Échos、フランスで日本経済新聞に相当する報道機関) の日本特派員、ヤン・ルソー記者はこう話す。

「驚くべきことは、森友問題に対する日本の世論の結集力が非常に低いことだ。もちろん抗議行動の形は国によってそれぞれだが、私は昨年冬、韓国で毎週100万もの人がマイナス15度の寒さもものともせずに集まり、朴大統領の辞任を要求していたのをこの目で見た。朴氏のほうが安倍首相より重い刑事処分の対象となっていたのは確かだが、それでもこの日韓の格差は驚異的だ」

 20世紀の初めに民主主義の道を開いた人口1億2000万人の国、日本は、今では休止状態だ。
 一方、民主主義を発見したのがわずか30年前にすぎない人口5100万人の国、韓国は、デモ活動をする権利を、総力を挙げて守っている。
 この状況を日本人は心配したほうがいい。

 米国のドナルド・トランプ大統領、中国の習近平国家主席、フィリピンのロドリゴ・デゥテルテ大統領……。
 世界には、次々と「強い」リーダーが現れている。
 そして、強いリーダーが意味するのは、弱い民衆である。
 メキシコで活躍した農民出身の革命家エミリアーノ・サパタの半生を描いた『革命児サパタ』では、マーロン・ブランド扮するサパタがこう言っている。

強い民衆だけが、不変の強さだ

 日本人もこの精神を思い出し、政治的無関心から脱却してもらいたい。


東洋経済 OnLine、2018年03月23日
外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ
森友スキャンダルが映す日本の本当の闇

レジス・アルノー、『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員
http://toyokeizai.net/articles/-/213722

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2018年03月28日

どんどん動く国外、どんどん腐る国内

 誰もが予想しなかった金正恩の電撃的な訪中だ。
 一体、その背景には何があったのか。
 メディアに流される解説はこうだ。
 すなわち米朝首脳会談が不調に終われば米国の北朝鮮攻撃が一気に高まる。
 その時に備えて金正恩は中国との関係改善を図り、中国を味方につけるためだ、と。
 つまり米朝首脳会談を有利に運ぶための保険であり、米国けん制のための訪中であるというわけだ。
 もっともらしい解説だ。
 しかし、この見方は、あくまでも北朝鮮の融和外交が見せかけであり、非核化をめぐる米朝首脳会談が失敗することを前提にしたものだ。
 私のように、金正恩は本気で非核化に舵を切ったと見る立場からすれば、まったく違った光景が見えてくる。
 私は、今度の電撃的な金正恩の訪中は、文在寅大統領が口に出した、「米朝首脳会談は米朝韓三か国首脳会談となることもあり得る」という発言によって急きょ実現したものであると考える。
 習近平が金正恩を呼びつけたのか、あるいは金正恩が習近平に仁義を切ったのか、いずれにしても二人は、米朝首脳会談の前に、どうしても会う必要があったのだ。
 つまり、中国にとってはこれ以上中国抜きで南北融和や朝鮮半島の非核化について米国と韓国の仲介で合意されてはたまらない。
 その前にどうしても金正恩と会って中国の立場を伝えなければいけないのだ。
 金正恩もまた、中国との関係をこれ以上悪化させるのは得策ではない。
 もし米国との首脳会談で非核化どころか朝鮮戦争の終結にまで発展させるつもりなら、その前に、朝鮮戦争の同志である中国に、自らの決意を話して理解を得ておく必要があるのだ。
 はたしてどちらの見方が正しいのか。
 それはわからない。
 しかし、どっちに転んでもはっきりしていることは、韓国、北朝鮮、米国、中国の首脳が、文字通り国運を賭けた外交をみずから懸命に行っているということだ。
 これこそが首脳外交の真骨頂であり醍醐味だ。
 しかも、戦後の北東アジアの安全保障体制を根本的に変える歴史的外交を首脳自らが行おうとしている。
 外交に携わってきた一人として、これ以上興奮する光景はない。
 しかし、その首脳外交には北東アジアのもう一人の首脳の姿が見えない。
 その通りだ。
 日本の首相である安倍首相は、いま自ら招いた疑惑の追及から逃れる事に精一杯で外交どころではない。
 そして、やっている外交といえば、日本の国運とは無関係の、自分の支持率を上げる為のパフォーマンス外交である。
 いまはもっぱら疑惑追及逃れの逃避外交になり下がっている。
 このまま安倍首相が日本の首相である限り、日本はますます激動する国際政治の波に翻弄され、日本丸は沈没する。

 森友文書改ざん疑惑をごまかすことは出来ても、国際政治の荒波はもはや安倍首相では乗り切れない。
 一刻も早い安倍首相の辞任が日本と日本国民のためである。


天木直人のブログ、2018-03-28
電撃的な金正恩の訪中が教えてくれる首脳外交の醍醐味
http://kenpo9.com/archives/3478

 自由党の山本太郎共同代表は3月28日の参院予算委員会で、安倍晋三首相に対し、森友学園の問題をめぐる一連の経緯の責任を取って、「一刻も早く責任を取ってもらい、辞めていただきたい」と辞職を要求した。
 「あなたのもとで起きた不祥事だ。(首相が意欲を示す)真相究明や再発防止は、次のリーダーのお仕事です」と、主張した。

 山本氏は、「行政で公文書の改ざんが行われ、うそをベースに(昨年2017年2月から)1年も国会が続けられた。国会も国民が欺かれ続けた。その責任を誰が取れるのか。トップですよ、あなたですよ」と指摘。
 「いつ辞めていただけるんですか」と迫った。

 首相は「国民の信頼を揺るがす事態になっていることは、行政の長として責任を痛感している。行政の最終的な責任は、内閣総理大臣たる私にあるのは事実だ」とした上で、「なぜこのような問題が起きたか、徹底的に明らかにする責任を果たしていかなければならない。私に責任、辞職を求められているので、しっかり説明させていただかなければならないが、その上で責任をどう果たすかは、私の中で判断することだ」と述べた。
 山本氏は「往生際の悪い、地位に恋々としがみつく。そんなみっともないリーダーなんてやめてくださいよ」と主張。
 ロッキード事件では衆議院で24人の証人喚問が行われたとして、「『アッキード事件』ではまだ籠池(泰典被告)さんしか出てきていない。自民党の皆さん、真相究明にはこれからガンガン証人を呼ばないといけないので、逃げないでほしい」と述べ、昭恵夫人や夫人付き職員だった谷査恵子氏らの証人喚問を求めた。


日刊スポーツ、2018年3月28日14時10分
山本太郎氏「みっともないリーダー」首相に辞職迫る
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201803280000427.html

子どもの未来を守る、その一心で
 2018年1月10日、筆者は神奈川県の公園を訪れた。風が緑地を吹き抜け、ササや下草を揺らす。サクラやタケなど多種多様な木々が茂る雑木林。ドングリや落ち葉の中で、二股に分かれ、遊歩道を覆うように空に伸びるコナラが茶色の木肌をさらす。
 54歳になる一人の母親が2017年5月、この木に洗濯物用ロープをかけ、首を吊った。子どもたちと福島県から東京に避難していた。
 彼女は、2つ3つと仕事を掛け持ちし、必死に子供の学費を捻出した。しかし心身共に追い詰められてしまった。どのように支援が打ち切られてきたか、どう絶望していったかを克明に書き残している。学費の悩みが多く残されており、なにより住む場所に困っていた。
 震災から7年。事態は深刻化している。
 立ち直っていく人が増える一方で、支援が次々打ち切られるなかに取り残される人が孤立している。震災関連自殺は2016年の21人から17年には25人に増加した(2018年3月12日時点)。
 特に県外避難者の生活は苦しく、福島県の調査では避難指示などが出た1万人以上がうつ病や不安障害の傾向が高いと推計され、特に県外避難者は9.7%と、全国平均の3倍以上の割合だった。世間の無関心のため、助けを求める人たちが声を上げられなくなったことが背景の一つにある。
 首を吊ったこの女性は、震災前は夫と中学生の長男、小学生長女の4人で一軒家で暮らしていた。カレーや肉じゃが、手料理が得意で、子どもたちを励ますときにはチーズハンバーグをつくった。たまに家族旅行に行くのが楽しみだった。

 「あの日」までは普通だった。
 一家が住んでいた福島県郡山市は、原発事故で線量が上がった。放射線量は2011年4月1日午前0時時点で郡山合同庁舎東側入口が2.52マイクロシーベルト毎時。平常時(0.04〜0.06マイクロシーベルト毎時)の40〜60倍だった。
 女性が線量計を借りて測った。学校の近くは1マイクロシーベルト毎時あった。国が年1ミリシーベルトとする0.23マイクロ毎時の4倍だ。

 政府は4月19日になって、「年20ミリシーベルト」という、福島県内の小中学校や幼稚園などの暫定的な利用基準を公表した。どうして平常時の20倍なのかと、県民や有識者から批判が相次いだ。
 内閣官房参与の小佐古敏荘・東京大学大学院教授は、4月29日に記者会見を開き、「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と涙を流しながら訴え、辞任した。

 20ミリシーベルトという基準に、女性も絶望感を覚えた。
 「ああ、見捨てられるんだ

 郡山市では「肌を露出するプールは断念せざるを得ない」として、屋外プールのある小学校、中学校で屋外プールでの授業を中止し、全校で屋外の活動時間を独自に一日3時間までとした。1学期の運動会も延期した。
異常な世界。どうやって子どもたちを守ればいいのか。避難しようと訴えたが、夫は受け付けない。

「100ミリシーベルトまでは大丈夫だと言っているだろう。おかしくなったのか。家のローンは20年以上あるんだ」
 自分がおかしいと言われる始末だった。

 そこで、厚労省の白血病の労災基準は年5ミリシーベルトだ。低線量被曝でも労災認定が出る、という労災基準を記した紙を示して訴えた。しかし、びりびりと破かれてしまった。
 女性は決意した。
 「娘は将来、子どもを産むかもしれないのに、被曝で何かがあったら困る」
 8月に仕事を辞め、娘だけを連れて避難することにした。女性は当時49歳。行き先はかつて女性が住んだことがあり、子どもを出産した場所でもある東京にした。土地勘があり、かつ息子のために、戻ってこられる距離にいたいと思った。
 避難者には、都営住宅や国家公務員住宅、雇用促進住宅、民間借り上げ住宅などが提供された。母子が提供されたのは、東京都内の雇用促進住宅の一室だった。
 こうして家族は200キロ離れて暮らすことになった。

何もかも不安定のまま東京へ

 女性のように母子だけが避難するケースが続出した。夫の理解を得られず、または仕事があるため夫が離れられず。いわゆる「母子避難」だった。
 100ミリシーベルト以下の「低線量被曝」についての見解が定まらないことが、人々を混乱させ、苦しめている。
 各国の放射線防護対策は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告にならっている。ICRPは、広島・長崎の原爆被爆者の追跡調査などをもとに全身への被曝が100ミリシーベルトでがんの死亡リスクが約0.5%増えるとみており、100ミリシーベルトより低い線量の影響については、「線量の増加に正比例して発がんや遺伝性の影響が起きる確率が増える」との考え方を採用している。
 放射線被曝による労災認定基準は、白血病で年5ミリシーベルト。悪性リンパ腫が年25ミリシーベルト以上、多発性骨髄腫が累積50ミリ以上、肺がん、胃がん、大腸がん、甲状腺がんなどは累積100ミリ以上だ。

 筆者は、5.2ミリシーベルトを浴び、白血病の労災認定を受けた50代の男性を訪ねた。アパートの一室に住んでいた。
 男性は、玄海原発(佐賀県)と川内原発(鹿児島県)で配線修理を担い、計約3ヵ月で5.2ミリシーベルトを被曝。それから他業種で20年以上働いたのち、健康診断で白血病と診断された。

「『100ミリまで浴びても大丈夫だ』と聞いていた。同僚が白血病になったが、自分も20年後に白血病になるとは思いもしなかった。労災認定がなければ薬代で年50万円を負担しなければならないところだった。年5ミリを超えている住民の人たちはどうなるのか……」と心配していた。

 福島県民約46万人を調べた外部被曝の推計調査では、事故後4ヵ月間で5ミリシーベルト以上被曝した住民は、原発作業員ら以外に966人にのぼった(2017年6月末現在)。最大は、福島第一原発がある相双地区で25ミリだった。

 長女と東京に避難してきた女性は、子どもの学費の捻出に追われ続けた。
 ハローワークや民間の求職サイトで職を探し、秋になってようやく派遣社員として事務職についた。平日と週末のダブルワークをして貯金。月20万円を稼ぎ、そのうち7万円を貯金に回した。疲れて体調を崩したときも、「一日出勤すれば1週間分の食費になる」と、体に鞭打って出勤した。
 公的な学費支援は、夫の収入を含む世帯収入があるとして打ち切られてしまった。

 住まいが不安定だという問題が常に重くのしかかった。というのは、住宅提供は最大2年間で、1年ごとの延長を可能とする災害救助法に基づいている。そのため、1年ごとに延長するかどうかが判断されるからだ。
 期限が迫るたびに家を探し、「1年の延長が決まりました」と言われてホッとすることの繰り返し。福島第一原発事故を受けて超党派の議員立法で全会一致でできた「子ども・被災者支援法」(2012年6月施行)は、「被災者一人一人が居住、移動、帰還の選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない」と定め、国が移動先の住宅確保の施策を講じるとある。
 法に期待し、公的住宅に安定して住みたいとも望んだが、「できません」と断られ続けた。

「東京は日本一豊かなまちのはずなのに、こんなに冷たいなんて。前に住んでいたというだけで東京に来てしまった。どうして北海道や新潟に避難しなかったんだろう」

 東電の賠償金も手元には来なかった。避難指示区域外からの避難の場合は、区域内と違って東電からの賠償が毎月支払われることはなく、母親と子ども一人で合計80万円程度だった。だが、それも夫が「郡山に残る自分たちに将来、治療の必要が出るかもしれない。治療費に充てる」とほとんど渡してくれなかった。

夫の罵倒と暴力、自分を責める日々

 月に数度、家事や息子のために郡山の自宅に戻った。節約のために常にバスを使った。2012年春、息子を東京に呼び、自費で子どもたちに内部被曝を測るホールボディカウンター検査を受けさせた。娘からはセシウムが検出されなかったが、郡山に残っていた息子からはわずかだが検出された。息子はこのとき、14歳だった。

「ちょっとぐらい(セシウムが)あっても、大丈夫なんだってよ」

 強がりのように聞こえた。元気がなかった。
 息子が郡山に帰る別れの際には、バスの席を確かめてから降りてきて、一緒にたまたまそこにいた野良猫を見たり、たわいもない話をした。息子は「楽しかった」と妹に言って、戻っていった。
 息子を早く東京に連れてこなければ、と思った。
 息子は中学3年生の3学期に、「お母さんと妹と暮らす」と女性のもとにやってきた。だが、夫とは折り合わなかった。

「放射能の心配をしているのはマイノリティ。民主主義の世の中では、10人のうち9人が『影響なし』と思っていれば、それが正しいんだ。『危険だ』という意見だけを取り上げてワーワー言ってるおまえは反社会的な存在だ」
「おまえは逃げたんだ。家庭をめちゃくちゃにした。訴える。離婚する」
「国を信じられないなら日本には住めない。海外でも宇宙でもどこにでも行ってください」

 事故前は、それなりにうまくやってきたつもりだった。
 夫も、子どもたちと暮らせずに寂しい思いを私にぶつけているんだ、と思った。時に殴られることもあったが耐えた。私が間違っているのかもしれない。我慢すればよかったのかもしれない……。

 何度も悩む。毎晩涙が出る。夫にも子どもにも、ことあるごとに「ごめんなさい」と言うようになった。
 それでも、地震があるたびに「福島第一原発は大丈夫かな」と恐怖に怯える。燃料取り出しの目途も立っていないのに戻れない、と貫いた。
 やがて、夫に生活費を止められた。兵糧攻め……。

 女性は、平日、週末の2つの仕事に加え、週末の仕事をさらに増やした。
 いつしか眠れずに心療内科に通うようになった。「お守りに」と睡眠導入剤を処方された。夫に悲しい言葉を投げかけられた夜、薬を飲むようになった。通院も、節約のためバスではなく自転車で行くようにした。

追い打ちをかけた「行政の矛盾」

 女性は、自分に呪文のように言い聞かせていることがあった。

「子どもたちを避難前より不幸にしてはいけない」

 自分のせいで不幸にしてしまったのではないか、という負い目があった。子どもたちには「自分の好きな道を追い求めるように」と言い聞かせた。
 子どもの学費のため、「息子の分」「娘の分」と通帳をつくった。住民票を東京に移した。奨学金を使えないかどうかも考えた。東京都育英資金は親以外に第二連帯保証人が必要でダメだった。日本学生支援機構の奨学金は、離れて暮らす夫の収入のために世帯収入限度を超えてしまい、こちらもダメだった。

 収入の他に、精神的なつらさもあった。
 避難指示区域以外からの避難者は「自主避難者」と呼ばれ、「勝手に逃げてきた」という扱いを受ける。放射能の脅威を誇張していると揶揄する、「放射“脳”」という言葉も投げかけられた。特に、事故後も自宅に住み続けている福島県民からのインターネット上の批判が激しかった。
 女性は、批判を受けるたびに、「安心と思っていないと住み続けていられないという気持ちもわかる」と、悲しく思った。
 残るも地獄、避難するも地獄
 原発事故さえなければ、みんな一緒に暮らせていたはずなのに。つらく、苦しかった。女性は、なるべく「避難者」という言葉を使わないようにし、近所づきあいを避けてきた。一人っ子で、周りに相談相手もいなかった。
 2015年6月、ついに福島県が住宅提供を打ち切ると発表した。「除染が進み、生活環境が整ってきている」という判断だった。対象は1万2000世帯以上に及んだ。
 いつまでもお世話になるわけにいかないのはわかっている。
 そう覚悟していた女性にも影響は大きかった。
 夏ごろ、女性は突然左手がしびれ、左半身が言うことを聞かなくなった。病院に行くと心因性ジストニアと診断され、抗うつ剤を処方された。ストレスなどが原因で体の一部にまひや硬直が出る病気だ。以来、家事をするにも3倍の時間がかかるようになった。

 2016年になって、息子が大学に進学し、家を出て下宿に入った。費用は学資保険と女性の実の両親の支援、貯金で賄った。
 この間、女性の支えになったのは福島県の実父と実母だった。
 当初は実父も、「福島の伝統校に行かせるべきだ」と、孫である息子を避難させることに反対していたが、置かれた状況の困難さを訴えると理解してくれ、夫のことを「ははは、そんなやつ」と笑い飛ばし励ましてくれるようになった。
 だが、実母が2016年に亡くなった。娘の大学入学が控えている中で、女性の心因性ジストニアの症状は深刻になり、手の強張りが頻繁に出るようになって働けなくなってしまった。
 ますます誰とも話さない日々になった。たまに娘と好きな「勇者ヨシヒコ」シリーズ「スーパーサラリーマン左江内氏」などのテレビドラマを見て俳優について語り合うのが気晴らしになった。

 避難者からの要望があり、公営住宅によっては、そのまま有償で一定期間、住み続ける事が出来る仕組みができた。しかし条件がそれぞれ設けられ、女性が避難していた雇用促進住宅に入居を続けるためには、「申請者の収入が家賃・共益費の3倍以上あること」という避難者の立場として厳しい条件があった。雇用促進住宅は働く人のための公営住宅で、「3倍」という収入基準は平常時の入居条件と同じだった。
 療養中となった女性には、収入がない。家賃は共益費込みで6万3000円。この3倍の収入は18万9000円になる。住み続けられないのでは……、子どもを大学に通わせられなくなるのでは……と、女性は大きな不安に陥った。
 同時に使えるはずの福島県の家賃補助(1年目は月3万円、2年目は月2万円)については、「低所得世帯であること」という、雇用促進住宅の入居条件とは相反する条件がつけられた。つまり、申請者である女性個人に家賃・共益費の3倍以上の収入がなければ住み続けることができず、補助は女性と夫の収入を合わせて低所得世帯と認定されなければ受けられない。
 住宅の確保を講じる役割の復興庁が調整せず、こうした矛盾のしわ寄せが避難者に行った格好だ。
 女性が2人分の大学の授業料を自分一人で賄うと、2年で貯金が尽きる。現在の住宅に住み続けられなくなると、引っ越し費用も家賃もかかる。悩んだ末、2016年末に、避難者の相談を受けていた支援団体の男性に助けを求めた。

 女性はすっかり食欲をなくしていた。男性はファミリーレストランなどに3回、連れて行って話を聞いたりしたが、女性はほとんど食べなかった。
 いろいろと相談した結果、結局はその2年前、女性がダブルワークしていたころの収入で要件を満たせる、という管理側の判断になった。男性はほかのスタッフと一緒に女性の家に行ったり、親身になって相談に乗ったりした。どんな書類があれば可能なのかを確認するなど、補助を受けながら住み続けるための手続きには時間がかかった。
 その間、徐々に打ち解け、プライベートの話をするようにもなった。女性は男性に、楽しかった家族旅行の話などをするようになった。同い年であるこの男性の車に乗っているときに浜田省吾の歌がかかり、「私もこの曲、聞いてた」と同世代ならではの会話で盛り上がった。ラーメンが好き、ミュージカルや映画が好きだということなど、何でも話をした。

とにかく、生きて行こうね

 2017年3月末、家賃補助がもらえないまま住宅提供が打ち切りになった。女性には、月6万3000円の家賃がかかるようになった。今後は元気だったころの自分の貯金を取り崩しながら2人分の大学授業料と家賃、生活費を支払っていかなくてはならない。
 そんなとき、ちょうど実母の一周忌の直後に突然、最後の心の支えだった実父が脳梗塞で倒れた。85歳だった。2日間徹夜して入院手続きをしたところ、女性の精神状態が悪化した。へとへとの体で横になっても眠れない。やっと眠っても、大量の寝汗ですぐ目が覚めてしまう。薬が合わない。自分でも自分が壊れていくのを感じる。女性自身も入院となった。

「入院費がかさむと、大学に通う子どもたちを退学させなければならなくなる」

 自分の治療費の負担を恐れ、女性は何度も周囲に不安をもらした。
 入院治療を拒否して退院。一時的に、神奈川県の集合住宅の一室で過ごした。女性は生きていく自信をなくし、相談に乗ってくれていた支援団体の男性に打ち明けた。

「ここにいるとお金がかかる。子どもたちに大学をやめてもらわなければならなくなる」

 「少しずつよくなればいいから」と男性は励ましたが、彼女は次第に「死」を口にするようになっていった。

「私が死んでも、子どもたちにお金が渡るようにお願いします」

 ためてきた学費のことを話していた。男性は精一杯の気持ちを込めて言った。
 「とにかく、生きて行こうね」
 同世代の女性の友人が心配して女性のところに宿泊した。友人は一緒に買い物に行くなどサポートし、「外に出られるほど回復した」と、この女性が感じるまでになった。
 買い物の際、女性は、身を寄せている集合住宅は外に洗濯物を干せないからと、洗濯物を干すためのロープを買った。
* * *
 2017年5月のある日。女性は男性らに会う約束をしていた。女性の不安をやわらげ、福島県の家賃補助をどうやったら受けられるか話をするはずだった。
 暖かい日だった。
 女性は身を寄せていた集合住宅から500メートルほど離れた公園で、木に洗濯用ロープを張り、首をかけ、体重を預けた。
 使ったのは最後に買ったあのロープだった。
 女性と会う約束をしていた男性は、「女性が救急搬送された」との連絡を受け、病院に駆けつけた。
 女性が自殺を図った公園は、緑豊かで散歩する人が多いところで、ジョギング中の男性が発見した。
 「窒息状態になってから数分で蘇生措置がほどこされ、一命は取り留めた」と聞いた。
 彼女との思い出がよぎる。同じ時代を生きてきた人だと親しみを感じていて、なんとか助けたかった。

 男性が病院に着いたときには昼になっていた。ベッドには、いくつもの管につながれた小柄な体が横たわっていた。体は、ガリガリだった。最近も食事をほとんど摂っていなかったのだろう、と男性は思った。
 駆けつけた女性の家族や男性の前で、医師が告げた。
 「脳死状態です」
 女性の娘が、悲痛な声を上げて泣いた。

 福島県や神奈川県が住宅提供を打ち切られた避難者を避難者数から外しており、避難者数は住宅提供打ち切りの4ヵ月で3万人減った。
 避難者らの自殺は避難の現状を示す数字として厚労省で発表しているが、彼女の死は、それにすら数えられていない。取材の中の指摘で、今後加えると回答があっただけだ。
 統計がくずれ、本当の苦しみは見えなくなっていく。


[写真]女性が自殺を図った公園

現代ビジネス、2018.3.27
国から見捨てられ命を絶った、とある「母子避難者」の悲劇
あの日までは、普通の家族だったのに

(青木美希・朝日新聞記者)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54918

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サガワが、サガワが

 予想した手前、私は9時半から始まった佐川証人喚問を注視して見ていたが、始まった途端、たちまち失望して見る気をなくした。
 自民党の丸川珠代議員から始まった質問が民進党の小川議員の番になっていまこれを書いている。
 書き終わったら中継を見るのをやめる。意味がないからだ。
 結論から言えば私の予想は見事に外れ、この上なくつまらないものになりそうだ。
 いや間違いなくそうなる。
 なんといっても私が間違っていたのは、検察の捜査が入った時点で肝心なところについて話せないのは当然だということだ。
 それは格好の逃げ答弁の口実になる。
 しかしそれだけではない。
 もし佐川氏が検察に何もかも正直にしゃべっているとしても、それを他のところでしゃべれないのは当然だ。
 そんな事をすれば検察の立場がなくなる。
 訴追を免れるためだけではなく、検察との信義の関係でそれは出来ない。
 そして質問者も、たとえ、野党議員でも、訴追の恐れのある者の権利を奪ってまで答弁を強要することは出来ない。
 検察に取り調べられている者に対する証人喚問には限界があるのだ。
 その基本的な問題を脇においても、佐川氏の答弁は失望的だった。
 確かに彼は自らの責任を認め、謝罪はした。
 自らの答弁の不適切さを認めた。
 おそらく検察に対しては正直にしゃべっているだろうし、訴追も覚悟しているかもしれない。
 しかし、それならもっとはっきり答弁のウソを認める事が出来たはずだ。
 しかし、歯切れが悪かった。
 国会答弁の繰り返しだ。
 ひょっとして、この期に及んでも自らの責任を最小限にとどめようとしているのではないかという歯切れの悪さだった。
 私の予想が的中したのはただ一つ。
 安倍夫妻その他官邸、財務大臣などの指示、影響を聞かれて、一貫してこれを否定し続けた事だ。
 それを聞いた自民党の丸川議員の質問は、「証人喚問ではっきりしたことは安倍夫妻の関わりは一切なかったことがわかりましたと」いって終わった。
 まさしく不毛な証人喚問を象徴する言葉だ。
 因みに、書いているうちにいつしか質問者が共産党の小池氏にうつっていた。
 何が気に障ったのか知らないが、佐川氏の答弁に不満だったらしく大声をあげてこんな証人喚問は無意味だと大騒ぎをした。
 速記を止める事態に発展した。
 こんな証人喚問は見た事がない。
 国会の質疑応答と全く同じだ。
 佐川氏に八つ当たりしてどうするというのだ。
 こんな証人喚問だけで終わりにするわけにはいかない、安倍昭恵夫人を含めすべての関係者の証人喚問を求めると大見得を切って小池氏は質問を終えた。
 これまた不毛な証人喚問を象徴する光景だ。
 残念ながら証人喚問は不発に終わる。


天木直人のブログ、2018-03-27
不毛に終わる佐川証人喚問
http://kenpo9.com/archives/3476

 同じく元官僚の評価、コメントを読んでみましょう(注):

 森友学園への国有地貸与と払い下げに関する財務省の「決済文書」改ざん問題。
 「首相官邸の指示はなかった」と最後まで“忖度”した格好の当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官(60)。
 3月27日に行われた“忖度”証人喚問に何を感じたか、元経産官僚の古賀茂明氏に聞いた。
◇ ◇ ◇
 予想されたことですが、自民党側はうまく佐川氏の証言を使って、安倍夫妻や官邸の関与はなかったという印象づくりに成功したと思います。
 自民党の丸川珠代参院議員が総理、官房長官、財務相の指示がなかったかと畳み掛け、否定答弁を引き出すという“あうんの呼吸”でうまくやりました。

 一方で追及する野党は質問時間が短すぎるのに、バラバラにやったのが印象的でした。

 今の政治状況は完全に事実上の独裁が成立しています。
 独裁の意味とは民意のチェックを受けない独裁者がやりたい放題をやる、悪いことでも平気でやってしまうという意味もあるのですが、もっと問題なのは独裁者が指示をしなくても周りが意をくんで、忖度し、勝手に現場が悪いことをしてしまうことです。
 独裁者は何も手を染めていない。だから真相が見えてこない。
 もし、佐川氏の証言がすべて本当なら、まさに今がそういう状況であるということの証しになるのではないでしょうか。

 安倍政権の倫理観はものすごくて、直接的な指示のような、決定的な有罪の証拠がない限り何をやってもいいという感覚になっている。
 だから、どんなに行政の信頼を損ねても悪びれもしないのです。
 これではいくら証人喚問をやっても値引きや文書改ざんの真相、責任の所在は明らかにならない。

 今の政治の仕組みは安倍首相が何を言おうが言うまいが、安倍一強で下の者は逃げ道がない。
 安倍首相の意向に沿って動くしかない。
 恐怖政治のような状況です。

 その仕組みを変えるためにはマスコミの力が大きいのですが、そのマスコミ、特にテレビ局が権力に抑えられています。

 私が2010年に現職の官僚として国会に呼ばれて当時の政権の政策について質問されました。
 その時、思いっきり政権を批判し、その後に、仙谷官房長官(当時)に“恫喝”されたのですが、官房長官が逆に陳謝に追い込まれました。
 この時はマスコミが特集を組んだりしてくれて徹底的に支援してくれたからです。

 しかし今は、こんなことは起きません。
 官僚が自分が正しいことをすれば勝つ状況ではありません。
 それどころか、役人人生が終わり、さらに退職後も個人攻撃などで潰される。
 だから安倍首相に逆らえない。
 それなら、いっそのことすり寄った方が得だとなってしまう。
 官僚にはそれ以外に逃げ道がありません。

 安倍首相は官僚には「情報公開や文書の管理はしっかりやってください」と言いますが、要は「俺に迷惑かけるなよ」と言っているようなものです。

 今回、安倍政権が逃げ切ったとしたら、いくら綱紀粛正、官僚の襟を正すと言っても絶対にできません。
 安倍忖度が蔓延、加速化し、安倍すり寄り政策、行動が増えるでしょう。
 それを変えるためには一回リセットして、政権を変えるしかない。
 恐怖政治を葬り去らない限り、行政の崩壊は止まらないと思います。


日刊ゲンダイ、2018年3月28日
古賀茂明氏が見た佐川喚問
「証言が本当なら独裁の証し」

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225956/

 やっほーくん、お慕い申し上げておる小児科の先生は、と言いますと:

 佐川前国税庁長官の証人喚問。不思議な議論が展開された。

 佐川氏は、決裁文書改ざんの経緯、指示を出した人物、改ざんされた時期等については、刑事訴追の恐れがあるからと一切語らなかった。

 しかし、安倍首相夫妻等の関与はきっぱりと否定した。

 安倍首相夫妻の関与の有無を明言している時点で、決裁文書改ざんに自分が関与していることを述べていることになる。

 佐川氏は、自らの刑事訴追と引き換えに、安倍首相夫妻の関与がなかったことを証言したのだ。

 それは、国会で堂々と虚偽答弁を繰り返した姿と同じであった。

 何故、彼は安倍首相夫妻をこのように庇うのか。

 改ざんを命じられた近畿財務局のノンキャリの方が自殺している。
 それなのに、この権力だけを庇う論陣を彼は何故張ったのか。
 人間として、理解しがたい。

立憲民主党福山哲郎議員のfacebookでの発言を引用〜〜〜


 こんばんは。
 昨日は参議院予算委員会で集中質疑が、今日は衆・参の予算委員会で佐川前国税庁長官の証人喚問が行われました。
 2日間とも質問に立ちました。

 太田理財局長は、答弁書は改ざん前の決裁文書をもとに作成されると答弁していたのに、佐川氏が昨年3月2日の時点で改ざん前の文書の記載と異なる答弁をしていたことを指摘したところ、太田理財局長も、これらの答弁が事実に反していたことを認め、謝罪されました。
 当日の映像を改めて確認しても、佐川氏は答弁書を見ながら発言しており、昨年3月2日の時点で既に「改ざん後」の決裁文書を基に虚偽答弁していたことが明らかになりました。
 他方で、なぜ佐川氏は事実と異なる答弁をしたのかについては、太田局長は「私にはお答えしかねる」とのことだったので、今日の証人喚問で改めて確認するつもりでした。

 しかし、佐川氏は、改ざんの経緯については「刑事訴追のおそれがある」の一点張りで、証言を拒否し続けました。
 一方で、根拠を示さず、総理や総理夫人を含む官邸や財務大臣の関与だけは明確に否定し、自らの関与を認めないのに、理財局内部のことだと強調するという、不可思議な答弁を繰り返すばかりでした。
 残念ながら、いつ、誰が、何のために文書を改ざんをしたのかは全く明らかになりませんでした。
 しかし、何の関与もないなら否定すればいいものを、刑事訴追を盾に証言拒否を連発する姿に、かえって疑惑が深まりました。

 昨日の集中質疑で、最後に次のような発言をしました。

「私、去年、総理にそんたく質問をしたときにこう申し上げました。安倍昭恵夫人は名誉校長に就任している。三回も講演されている。安倍総理の講演はキャンセルされたが、予定はあった。そういう状況で、手続ができないから開校を延期するとか、昭恵夫人に恥をかかせたのか、安倍総理に恥をかかせたのか、近畿財務局だって財務省だってそんたくするでしょうと。そういう状況をつくったことが問題じゃないですかと。だからこそ、こういう不透明な手続が積み重なるんですと。今も全く考えは変わっていません。それどころか、近財の職員が犠牲になり、決裁文書が改ざんされ、あなたたちを守ろうとした佐川さんはあした証人喚問です。佐川さんも太田局長も財務省も、私は気の毒過ぎると思いますよ。こういう環境、状況をつくった総理と安倍昭恵夫人に、私、責任があると思います」

 フェイクにフェイクを重ねても真実は出てきません。
 国会の中でしっかりと追及していきたいと思います。

 質疑の様子は、以下のURL(参議院HP内)からご覧いただけます。
3/26 集中質疑 → goo.gl/4YuLuK
3/27 証人喚問 → goo.gl/BVk5E7


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2018/03/28 01:29
不思議な証人喚問
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/#entry5999

 有権者の皆さま、主権者の皆さま、そしてコクミンの皆さま、
 このまま国会無視、コクミン無視の自公政権にお任せで進めて行くと、
 この美しい国、日本は再び何百万もの死者、犠牲者がでて滅びてしまいます。

(注)以下もぜひお読みになってください:
・ 国民や部下守らぬ姿勢 有川博・日本大教授(元会計検査院局長)
・ 公務員魂まったく見られず 寺脇研・京都造形芸術大教授(元文部科学省大臣官房審議官)
・ 証人喚問より党首討論を 竹中治堅・政策研究大学院大教授(元旧大蔵省官僚)
毎日新聞・東京朝刊、2018年3月28日
森友学園
国有地売却問題
文書改ざん
佐川氏証人喚問
霞が関OBこう見る

https://mainichi.jp/articles/20180328/ddm/041/040/112000c

 
posted by fom_club at 09:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐川喚問

 「佐川喚問」・・・
 これからどんどんコメントが発っせられることでしょう。
 山歩きや街歩きを通すまでもなくこの美しい国、日本がだい、だい大好きなヤッホーくん、
 やはり、あのサガワには違和感を覚えてしまいますって。
 よくぞこらえて上司をかばった、忠義なやつよのう、これで一件落着できたのだからのぉ
 武士道、官僚道の鑑(かがみ)じゃわい、退職金か手切金やってもおつりがくるわいのぉ
 ヤッホーくんの退職金、いくらだっけ?サガワは5000万円がわれわれの税金から(注)!
 だから訳のわかったふりして一知半解の「道」をもちだしてサガワを理解しようとする?
 そんなの邪道、
 そんなのいや!

 今回はヤッホーくん、新渡戸稲造の『武士道』からまいります。

主君の命令は絶対だったが武士は主君の奴隷ではなかった。

Bushido did not require us to make our conscience the slave of any lord or king.

Thomas Mowbray was a veritable spokesman for us when he said:
"Myself I throw, dread sovereign, at thy foot.
My life thou shall command, but not my shame.
The one my duty owes; but my fair name,
Despite of death, that lives upon my grave,
To dark dishonour's use, thou shall not have."

A man who sacrificed his own conscience to the capricious will or freak or fancy of a sovereign was accorded a low place in the estimate of the Precepts.

Such an one was despised as nei-shin, a cringeling, who makes court by unscrupulous fawning, or as chō-shin, a favourite who steals his master's affections by means of servile compliance; these two species of subjects corresponding exactly to those which Iago describes,--
the one, a duteous and knee-crooking knave, doting on his own obsequious bondage, wearing out his time much like his master's ass;
the other trimming in forms and visages of duty, keeping yet his heart attending on himself.

When a subject differed from his master, the loyal path for him to pursue was to use every available means to persuade him of his error, as Kent did to King Lear.

Failing in this, let the master deal with him as he wills.

In cases of this kind, it was quite a usual course for the samurai to make the last appeal to the intelligence and conscience of his lord by demonstrating the sincerity of his words with the shedding of his own blood.


 主君と意見が分かれるときに家臣のとるべき忠節の道は、あくまで主君のいうところが非であることを説くことであったのです。
 もしそのことが容れられないとき、武士は自己の血をもって自分の言説の誠であることを示し、その主君の叡智と良心に対して最後の訴えをすることはごく普通のことであったのです。

 ですので、主君・上位者の命令や彼らへの忠義は絶対的ではありますが、同時に主君の気まぐれな意志、もしくは妄念邪想のために自己の良心を犠牲にする者になれとは武士道は決して言ってはいないのです。
 むしろそういう輩に対しては、武士道は低い評価を与えています。
 佞臣(ねいしん:無節操なへつらいをもって気に入られる事を求める者)
 寵臣(ちょうしん:奴隷のごとき追従の手段を持って気に入られようとする臣下)です。
 賤しめています。

武士にとって嘘をつくことやごまかしは臆病な行為とみなされた。

 ここで思い出すのは、戦地にはけっして行くことのない主君・上位者の「命令」で、海外に派遣された自衛隊のことです。

 新渡戸文化短期大学(東京都中野区)で初代校長を務めた教育思想家の新渡戸稲造(1862-1933)の人物像について、長く研究を重ねてきた佐藤全弘(まさひろ)・大阪市立大名誉教授(哲学)に大阪市内の自宅でインタビューした。
 今年度2016年度、同短大で提携講座を開設している毎日新聞社にとって新渡戸は、編集顧問を務めるなど関係が深く、その功績に新たな光を当てる作業を始めている。
 佐藤名誉教授は「新渡戸が説いた『武士道』の本質は現代にも生き続け、世界でも通用するものだ」と力説した。

−−新渡戸稲造とはどのような人物だったのですか。

 活動の範囲が非常に広い。
 英語が堪能で敬虔(けいけん)なクリスチャンとしてしっかりした思想を持ち、国際連盟事務次長として国際政治の舞台で外交手腕を発揮したほか、京大や東大の教授、東京女子大の学長、大阪毎日新聞と東京日日新聞の編集顧問などを務めました。
 一人でよくあれだけのことができたと思います。
 新渡戸の思想や信仰を理解するには英文による論考が重要で、亡くなる前日まで英文毎日に執筆した連載コラム「Editorial Jottings(編集余話)」は大変貴重です。

−−特筆すべき功績は?
 
 数多くあるなかの一例ですが、フィンランドとスウェーデンの間のオーランド諸島の帰属を巡る紛争を解決させました。
 国際連盟がロンドンに仮事務所を置いて仕事を始めた1920年ごろのことです。
 国際連盟の事務次長で国際部長だった新渡戸は現地で調べ、それぞれの立場をよく考慮し領土問題を1年でピタッと抑えたのです。
 領有しているのは90年以上たつ今もフィンランドですが、住んでいる人はスウェーデン系が多く、フィンランドの領土にするからには島の住民に特典を与えることにしました。
 外交官としても識見があり、戦争を避けたのは大きな貢献です。

−−新渡戸の名著「武士道」にはどういうことが書かれていますか。

 日本人の精神形成の大切な部分が英文で鮮やかに紹介されています。
 アメリカで1900(明治33)年に出版されました。
 いくつも翻訳された本が出ていますが、新渡戸のことをわかっていない人が出したものがあり、手抜きが多い印象です。
 私が翻訳して2000年に刊行した「武士道」(教文館)では序文に「日本人の自己認識の書であり、東西融和の基礎を示す書であり、西洋近代文明批判の書であり、キリスト教の心の新しい発見へと促す書である」と書きました。

−−現代によみがえる「武士道」とは?

 徳目を今の世の中に生かすということが大事だと思いますね。
 自分の行動を厳しく律するということ。
 今はそういうことが官僚、政治家から抜けてしまっています。
 ある国会議員が自衛隊の海外派遣に際し「武士道の精神で」などと発言しましたが、本質をまったく理解していません。
 決して進軍ラッパのように勇ましく、というものではありません。
 新渡戸は将来のことを書いています。
 「武士道」という独立した倫理は消えるかもしれないが、本質はなくなることはないと。
 世界のどこに持って行っても通用することだと思います。
 日本で若い世代に読み継がれ、その精神が実行に移されることを願っています。

−−新渡戸文化短期大学の学生たちへのメッセージをお願いします。

 学校へ招かれて講演した時にも話しましたが、新渡戸文化短大が教育の方針として掲げる「いのち、やさしさ、おもいやり」は分かりやすくて良いと思います。
 これが新渡戸の札幌農学校時代の教え子である森本厚吉が1927(昭和2)年、現在の新渡戸文化学園である女子文化高等学院を創設した時の発想で、新渡戸の精神にもかなうものです。
 3H精神(Head、Hands、Heart)と称し、「活く頭(はたらくあたま)」「勤しむ双手(いそしむもろて)」「寛き心(ひろきこころ)」です。
 新渡戸文化学園では森本厚吉が生きているころから新渡戸に関する資料を集めていて、他の学校にないような資料があり、新渡戸稲造を学ぶには大変恵まれた環境です。
 ぜひ勉強してみてほしいと思います。
◆ ◆
 新渡戸の「武士道」が21世紀に持つ意味について、佐藤名誉教授は自ら翻訳した「武士道」の序文で次の3点を挙げている。

(1)新渡戸は世界のあらゆる民族の伝統文化の中に、それぞれの精神的価値があると見ている。
 今や世界が多元化し、各民族・国家が他の民族・国家の存在と価値を認めつつ、平和に共存し、互いの必要に奉仕し合わなければ、人類の未来はもはやない時に来ている。
 このことはいくら強調しても強調しすぎではない。
 とりわけ宗教についてもそのことが言えることを忘れてはならない。
 イデオロギーや人種的偏見は、新渡戸においてはすでに超克されている。

(2)各文化が表面上どんなに違っていても、人間としてその魂の底の底では相通じるものがある、と新渡戸は見ている。
 このことは本書ではとくに日本の武士道と西洋の騎士道について論じられているが、他のどの点についても言えよう。
 人類の魂の通有、これこそ平和の確かな礎である。

(3)日本の魂は、形こそ変わり、表現こそ違ってきても、決して失われることはない、と新渡戸は信じている。
 武士道はキリストの心(キリスト教ではなく)に結ぶことによって、その世界史的役割を果たすと見ている。
 日本の心がそうあってほしいと私も心から願い、そうあるように一隅で努めている。


「写真」
新渡戸稲造の肖像画が飾られた部屋で関連著作を手にする佐藤全弘・大阪市立大名誉教授=大阪市内の自宅で

毎日新聞、2016年8月15日
新渡戸稲造の「武士道」とは
研究者にインタビュー

(城島徹、写真も)
https://mainichi.jp/articles/20160815/org/00m/100/010000c

(注)
朝日新聞、2018年3月20日21時15分
佐川氏、退職金は4999万円 懲戒処分66万円は減額
https://www.asahi.com/articles/ASL3N6227L3NULFA029.html

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2018年03月27日

オウム真理教

 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案が国会で議論されている。
 政府は「テロ対策に必要」との立場だが、捜査当局による乱用や「表現の自由」などの侵害を危惧する声もある。

 猛毒のサリンを使った凶悪事件などを次々に起こし、社会に混乱を招いたオウム真理教を長く取材してきたジャーナリストの江川紹子さん(58)は、この法律についてどう考えているのか。

《オウム真理教の暴走は共謀罪では防げなかった。》

 共謀罪の適用対象とされる「組織的犯罪集団」について、安倍首相は地下鉄サリン事件(1995年)を起こしたオウム真理教を例に、「当初は宗教法人として認められた団体だったが、犯罪集団に一変した」と説明した。
 最近、「共謀罪があれば、地下鉄サリン事件は防げた」という声を耳にするが、それは間違いだ。
 教団の関与が疑われる事件は数年前から各地で起きていた。
 既遂事件がいくつもあったのに、それらを真摯(しんし)に捜査しなかった警察の姿勢こそが問題だった。

 1989年の坂本堤弁護士一家殺害事件も、当時の警察幹部は「失踪」との見立てにこだわった。
 家族が警察に届けた時点では実行犯は車で移動中だった。
 ここで着手できていたらと思うと、今も無念でならない。

 1994年の松本サリン事件の後、教団幹部らに私の自宅室内に毒ガスを噴出され、命を狙われた。
 当時、宮崎県の旅館経営者の拉致事件に教団が関与したとの記事を週刊誌に書いていた。
 直後にガスが吹き込まれた現場を保存したのに、警察は鑑識活動をしてくれなかった。
 今も一連の捜査の失敗が教訓として生かされているのかも疑問だ。

 たしかにテロ対策は必要だ。
 ただ、共謀罪がなぜテロを未然に封じるのに有効か、政府の説明が不十分だ。
 政府が確信しているなら、こんな場合に、こう役立つと説明すべきなのに、聞こえてくるのは、「一般人に影響はない」という話ばかり。

 法務委員会で民進党議員が「オウム真理教の信者の多くは、教団がサリンで人を殺傷しようとしていたことは知らなかった」と質問すると、法務省は「目的を共有していなければ、組織的犯罪集団の構成員ではない」と説明していた。
 となると、信者の多くは対象から外れてしまう。
 「オウム真理教=組織的犯罪集団」ではない、という説明には驚いた。
 信者が組織的犯罪集団の目的を共有しているかどうか、どうやって見分けるのか。

 問題点は他にもある。
 目的を共有していたかどうかは内心の問題。
 どう見極めるのか。
 身柄を拘束し、無理な取り調べで自白を強いるしかないのではないか。
 現時点で取り調べの可視化が義務づけられていないのもおかしい。

 テロ対策というなら、司法取引の方がまだ効果的ではないか。
 坂本弁護士事件では、実行犯の1人が組織を離脱し、警察に遺体の場所を記した地図を送り付けてきた。
 刑罰が確実に減免されれば、彼は自供し、その後の事件は防げたように思う。

 ただ、司法取引には、実際には犯罪に関係のない第三者の関与を容疑者が供述し、無実の人が起訴されるという「引き込み型」の冤罪を生む危険性がある。
 導入するなら事件を組織的なテロに限定し、慎重な運用が必要なのは言うまでもない。

 街のあちこちに監視カメラが取り付けられ、メールやSNSで個人情報を頻繁にやりとりする時代。
 監視そのものに抵抗がない人が増えたのかもしれない。
 政府や、グーグルなどの情報のプラットフォームからの情報収集には慣れてしまっている。

 「テロ対策」や「安全安心」は一種の「思考停止ワード」。
 それに「五輪」が加わって、「ちょっとくらい問題があっても、仕方ないんじゃない」と、みんながあきらめてしまっている雰囲気を感じる。
 政府はそんなワードをてんこ盛りにして、国民に考えることをやめさせようとしている。
 本当にそれでいいのだろうか。


[写真]共謀罪の問題点について語る江川紹子(えがわ・しょうこ)さん
 神奈川新聞記者を経てフリー。坂本堤弁護士一家事件を機にオウム真理教問題に取り組む。「検察の在り方検討会議」委員も務めた。

朝日新聞、2017年5月12日21時00分
オウムのテロ、「共謀罪」では防げなかった 江川紹子氏
(聞き手・山本亮介)
https://www.asahi.com/articles/ASK575J3WK57UTIL00P.html

 地下鉄サリン事件や関連事件の凶行に加わり死刑が確定しているオウム真理教幹部ら13人は、逃亡の後、出頭した2人の裁判が終結したことにより、いつ死刑を執行されてもおかしくない状況となった。

 1995年、オウム真理教は、地下鉄サリン事件のほか松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件などの凶悪事件を引き起こした。
 それらの実行犯13人は、2006年から2011年にかけて別々の裁判で死刑判決を受けた。
 13人の判決はすでに確定していたが、他の被告の裁判が結審していなかったため、刑事訴訟法第475条に従い、これまで死刑執行が行われなかった。

 2012年、一連の凶悪事件に関わったとされていた2人が、17年に及ぶ逃亡の末に出頭し逮捕された。
 2017年12月25日、うち1人は計画について知らなかったとして無罪判決が確定した。
 2018年1月25日には最高裁が残り1人の上告を棄却して無期懲役を言い渡した。
 これにより、起訴されていた信徒192人全員の判決が確定し、死刑確定者が証人として出廷することもなくなり、当局はいつでも彼らに死刑の執行ができるようになった。

 死刑確定者のうち数人は再審を請求しているが、その審査が終わる前に死刑が執行される可能性がある。
 これは、国連の「死刑に直面している者の権利の保護を確保する保障規定」に違反する。



 さらに刑事訴訟法第475条2項は、上訴権回復や再審の請求をしている者に対して、その手続きが終了するまで、死刑の執行命令は出すことができないとしている。
 しかし、1999年から2016年まではなかったが、昨年は再審請求者の執行が3件あった。
 死刑の執行命令をだした金田勝年元法務大臣及び上川陽子法務大臣は、再審請求中の者も死刑の執行対象から除外しない見解を発表している。

 死刑が確定しているオウム真理教団幹部13人は、井上嘉浩、遠藤誠一、土谷正実、豊田亨、中川智正、新実智光、端本悟、早川紀代秀、林康男、広瀬健一、松本智津夫(麻原彰晃)、宮前一明、横山真人 (敬称略、あいうえお順)。
 彼らが犯した罪は、サリンの兵器実験、散布による殺人、殺人未遂、誘拐などだ。

 日本の刑事訴訟法第475条2項は、「前項の命令は、判決確定の日から6ヶ月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」としている。

 日本は、過去30年、死刑の執行がなされなかった2011年を除いて、年間1人から15人に死刑の執行を行ってきた。
 日本では、死刑の執行が秘密裏に行われるが、これは死刑に関する国際法および国際基準に違反する。
 死刑確定者に対する法的保護措置が不十分であることも、国連機関や専門家から頻繁に非難されてきた。
 不十分な法的保護措置には、弁護人との接触の制限、死刑判決に対する強制的上訴制度を欠くことなどがある。


 また、日本は精神障がいや知的障がいの死刑確定者に対しても死刑の執行を行っているが、これも国際法や心神喪失の状態にある者に対する執行の停止を定める刑事訴訟法479条1項に違反している。
 13人の死刑確定者の中には、拘禁症などにより、「昏迷(感情や言語の表出や行動がまったくない)」状態になるまで症状が悪化し、複数の精神科医から心神喪失の状態にあると判断された者も含まれている。
 死刑確定者・松本智津夫もその一人で、2005年と2006年には精神科医によって、続いて2007年には日本弁護士連合会が彼の拘禁症による健康状態の悪化について懸念の声を上げた。
 彼の娘によると、過去10年、家族や弁護人を含め外部の者が父親と面会することができていない。
 故に、彼の精神状態を正確に把握することが難しいという。

 死刑は、世界人権宣言が定める生存権を侵害し、残虐、非人道的かつ品位をおとしめる究極の刑罰である。
 したがって、アムネスティは、犯罪の性質や状況、有罪・無罪、個人の特質、執行手段などにかかわりなく、すべての死刑に例外なく反対する。
 昨年4月11日時点で、141カ国が死刑を法律上、または事実上廃止している。


アクションしてください。
 日本語で以下の当局への要請要旨を盛り込んだ要請文を作成し、メール、ファックス、郵送のいずれかで、できるだけ早く送ってください。
。。。

アムネスティ日本、最新更新2018年2月28日
日本で13人に死刑執行が迫る
http://www.amnesty.or.jp/get-involved/ua/ua/2016ua213.html

 1995年3月20日に「地下鉄サリン事件」が起きてから、23年もの月日がたった。
 12人の死者と数千人の負傷者が発生し、いまもなお多くの人たちが神経を侵すサリンの後遺症に苦しんでいる。

 この事件を計画し実行したのは、オウム真理教という宗教の教祖や信者だった。
 宗教といえば一般的には「命を大切にする」というイメージだが、この宗教では自分たちが攻撃を受けているといった誤った考えのもと、凶悪な犯罪が次々、行われたのだ。
 もちろんこれは許されるものではない。

 この教団には大勢の若者が入っており、社会的な注目が集まった。
 その中には、いわゆる一流大学を卒業している人もいれば、まだ10代なのに“出家”して教団の人たちと集団生活をする人もいた。
 彼らがなぜ、これほどねじ曲がった考えを持つ宗教にのめり込み、ついには犯罪にまで手を染めることになったのか。

 ある信者は当時、大学を出て企業に勤めても自分が“歯車”の一つでしかなかったこと、それがこの教団では特別な名前や役割を与えられ、自分の存在価値を確認することができたことなどを語っていた。

 どこかに居場所がほしい;
 自分を歓迎してくれる仲間がほしい;
 だれとも替えのきかない自分でいたい;
こう望んでいる若い人たちは、いまも多くいるはずだ。
 「輝こう」と言われても、なかなかそのチャンスはめぐってこない。
 「自分なんかいなくなっても誰も気づかないかもしれない」と思うほど、恐ろしいことはない。

 日本では自殺者数が8年連続で減少しているが、未成年者では逆に増加しつつある。

 34歳までの若年者で見ると、その死因の第1位は自殺という事態も続いている。

 生きることに絶望して、誰にも助けを求められない子どもや若者は、いまも決していなくなってはいないのだ。

 だからといって、もちろんオウム真理教のような人の命までを平気で奪う宗教や集団に入ることは許されない。
 その人たちが誰かに受け入れられ、「ここなら自分にもできることがある」と自分の価値や意味を確認できる場は、どこにあるのだろう。
 あの地下鉄サリン事件から20年以上がたっても、私たちおとなは子どもや若者にそんな場を提供できずにいるのではないだろうか。

 もうすぐ4月がやって来る。
 すべての子どもや若者の気持ちがポカポカとあたたまる春であってほしい、と思う。


毎日新聞・地方版、2018年3月27日
精神科医・香山リカのココロの万華鏡
居場所を求める若者たち/東京

http://mainichi.jp/articles/20180327/ddl/k13/070/002000c

 
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北の桜守

 やっほーくんのこのブログ、次の日記をぜひご参照あれ:
2010年05月03日付け日記「父と子」
2013年04月01日付け日記「櫻川事蹟考」
2013年04月02日付け日記「佐野桜」

 昨日の2018年3月26日、「桜守」の佐野藤右衛門が登場しましたのでご紹介:

 今年も桜前線が日本列島を北上し始めた。
 すでに各地から満開の便りが届き始めている。
 別れと出会いの季節を彩る桜。
 その姿を長年、見守ってきた人がいる。
 京都で造園業を営み、祖父の代から3代続いて「桜守」と呼ばれる佐野藤右衛門さん(89)だ。
 今年の桜をどんな思いで見ているのだろうか。

−−今年の桜の状態はいかがですか?

 京都では花の付き方が少ないですな。
 去年の夏が蒸し暑かったんと、春先が雨ばっかりやったからかねえ。
 つぼみも膨らみも小さいですな。
 この10年くらい、そういう傾向がありますな。
 冬がない、言うたらええんやろか。
 地球温暖化とか異常気象とかいいますけど、理由はわかりまへんが、「何やおかしい」んですわ。
 わしが子供んころと比べても、冬がなくなってしもうた。
 冬がなくなったいうことは、本来は植物が寒い冬の間にせんといかん営みが、できていまへんのや。
 それがないと花も少ない。
 どこか自然が狂うてるのかもしれまへん。

 それでも自然界は何億年という時間の中で緩やかな変化を続け、適応する植物や動物だけが生き抜いてきたわけですけど、一番、適応力がなくなってきているのが人間ですな。
 物が豊かになったおかげで、なんもかんもが単一化してしもうた。
 本来、亜寒帯から亜熱帯まで、幅広い国土の中でそれぞれの気候風土に合った衣食住の文化があったはずなのが、みんな同じになってしもうて。

 桜の世界でもそうです。
 日本の桜で、自分で種から生える「実生(みしょう)」で育つのはヤマザクラとヒガンザクラ、オオシマザクラの3種類だけなんです。
 この種の桜の中には、地域の人たちから大切に守られて300年も500年も、中には1000年以上も長く生きとるのまであります。
 どれ一つとって同じ花、顔はありまへん。
 それぞれがその土地にあった生え方をしとるんですわ。
 実に美しい、日本古来の桜ですわ。

 それに比べて、人間が作ったのが「ソメイヨシノ」(注1)。
 どれも同じ顔をして、面白い桜ではありまへんな。

−−しかし、今や町の桜といえばソメイヨシノです。多くの日本人を魅了している桜は、もはやソメイヨシノでしょう。なぜこれまで広がったのですか?

 150年ほど前に江戸で生まれ、接ぎ木が簡単で、成長も早く、花もパアっと咲くものやから人気が出たんですな。
 最初に広がったのが日露戦争の戦勝記念の際で、各地で大量に植えられました。
 特に連隊本部がある所や神社の参道などですな。
 次に1928(昭和3)年の天皇御大典記念や1940(昭和15)年の皇紀2600年記念。
 開戦後も戦闘勝利のたびに、あちこちに植えられました。
 今残っている並木はだいたい、あの頃のものです。

 つまり、ソメイヨシノは軍政下で国威発揚のお祝いとして国民的行事のたびに増えていったわけです。
 予科練(海軍飛行予科練習生)のシンボルも桜。
 「同期の桜」ですな。
 あのころの仲間の何人かは死んでしまいました。
 敗戦の日に飛行機で飛び立ったまま行方不明のヤツもおる。

 どんなに桜がきれいでも、戦争だけは二度とやらかしちゃああきまへん。

 ともかく、そんなわけで桜といえば、軍国主義のイメージとなってしもうたわけですわ。

 ただ、戦争末期になるとマキ不足になって、桜の木もだいぶ切られました。
 花よりも人間の生活の方が大事ですからな。
 ぜんぶイモ畑やカボチャ畑に変わってしもうて。
 京都でも御所や仁和寺の御室(おむろ)桜(注2)の横も畑になって。
 でも、そのお陰で土地の好転ができて、残った桜はようなった。
 ま、世の中、善と悪はうまく回ってますな。
 はっはは……。

 戦後は高度経済成長の頃になると、人間が自然界のことを忘れてしまうようになりました。
 車が増えて道路拡張であちこちの並木が切られ、それまで地域で守ってきていた桜の世話がされんようになってしもうた。
 昔は在所の人が草刈りや世話をしてたから、きれいな花が咲いとったんです。
 それがいつからか、自然の世話は自治体がするもん、というようになってしもうた。
 もっと地元に負担させたらええんです。
 何百年も生きてきた桜の木はな、昔の人たちが農耕作業の目安にするために、大事に大事に育ててきたから残ってきたんですわ。

−−その戦争前後に植えられたソメイヨシノが、各地で老木化しています。どう対応すればいいのでしょうか。

 実生の桜と比べてソメイヨシノは寿命が短いんです。
 長くて100年、今のは50年くらいですわね。
 若木のように見えても基本は接ぎ木しているんで、実は年がいっているんですわ。
 忌地(いやじ)性(連作障害)が高いため、枯れたとしても同じ場所に植えると育ちにくい。
 場所を少し変えてあげるといいでしょうな。
 桜の自生に理想的な場所は、がれき混じりの肥沃(ひよく)土で、地下水が低いところ。
 南東か南西向きがええですね。
 基本的には陽の木やから。

 成長が早いので枝を切ることがありますが、桜はちょっとでも傷つくとなかなか傷口がふさがらず、腐ることが多いんです。
 でも、もう寿命がきた木なら、枯れるもんは美しく枯らしてやればええ。
 どうしても切らないかん時は、冬場にこっそりやなくて、満開の時にみんな集めて「お別れ会」を開いてあげたほうがええ。
 その方が、桜も喜びますやろ。

−−満開が間もなくです。花見の仕方を教えてもらえますか?

 普通の花は太陽の方を向いて咲きますが、桜だけは不思議なことに下に向いて咲くんです。
 なぜかはわかりまへん。
 せやから、一番いいのは桜の下であおむけになって花見したらええ。
 ゴザかムシロを敷いてね。
 ビニールシートは人間はええかもしれんけど、桜は息ができまへんわ。
 不思議なもんで花が咲いとる間は悪い虫は出てきまへん。
 これは神様が人間に自然を楽しむようにしてくれとんのでしょうな。
 でも、近ごろは柵に囲って近寄れん、横からしか見れんところが増えました。
 ほんに、世知辛い世の中です。
 もっと、おおらかに桜を楽しみたいですなあ。

聞いて一言

 桜と月には密接な関係があるという。
 月の引力に引かれ、3月の新月(今年は3月17日)から満月(31日)に向けて一斉に咲き出すという。

「特にヤマザクラは凜(りん)とした武士道の趣がありますな。舞うように散ります」

 現在公開中の映画「北の桜守」でも、満月の下の満開の桜の最後のシーンが印象的だ。
 「桜守」という仕事があるわけではない。
 藤右衛門さんは「植木屋の道楽ですわ」と笑うが、3代続く花咲かじいさんを「桜守」と呼ばずして、何と呼ぼうか。

ことば

(注1)ソメイヨシノ
 江戸末期から明治の初めにかけて、江戸の染井村(現在の東京都豊島区)あたりの造園業者によってエドヒガンとオオシマザクラの間の雑種として生まれたとされる。
 実生ではなく、すべて接ぎ木で育ち、大量生産が可能となった。
 他種と比べて成長が早く、若い木から花を咲かせるため、街路などに植えられている。

(注2)御室桜
 京都の古刹(こさつ)・仁和寺(御室)にある桜畑。
 丈が低く、根本から枝を張る遅咲きの桜(今年は4月10日ごろが満開か)で、江戸中期には桜の名所として知られていた。
 藤右衛門さんが住む右京区山越はもとは仁和寺領で、「そこで庭の係を手伝うていた」という。

人物略歴

「桜守」の佐野藤右衛門(さの・とうえもん)
 1928年京都生まれ。
 「藤右衛門」を代々、襲名する造園業家・植藤の16代目。
 祖父の代から3代にわたって全国の桜とかかわり、「桜守」と呼ばれる。
 4月1日、満開の桜の中で90歳を迎える。


毎日新聞・東京朝刊、2018年3月26日
そこが聞きたい
桜の季節と日本人 地域が育て、めでてこそ 3代にわたる「桜守」 佐野藤右衛門氏

(聞き手・森忠彦)
https://mainichi.jp/articles/20180326/ddm/004/070/041000c

 ではお待たせしました、吉永小百合の「北の桜守」!

 現在公開中の『北の桜守』(滝田洋二郎監督)で、映画主演作が120本という節目を迎えた吉永小百合さん(73)。
 この作品は、『北の零年』(2005年)、『北のカナリアたち』(2012年)に続き壮大な北海道を舞台に描かれる“北の三部作”の完結編でもある。

 吉永さん演じる“江蓮てつ”は、出征した夫の形見のようにして庭の桜を守っていた。
 太平洋戦争末期には樺太から息子と共に北海道に引き揚げる。
 戦後は極貧の生活を送りながらもたくましく生きていく。
 息子役で堺雅人、その妻に篠原涼子、夫役で阿部寛らが共演している。

 吉永さんが『北の桜守』に込めた亡き母と祖母への思いを語ってくれた。
 『北の零年』や『母べえ』(2008年)など、母親役を演じることも多い吉永さん。

「前作『母と暮せば』(2015年)は嵐の二宮和也さん(34)と共演しました。亡霊となって出てきた息子に、『母さん、だめじゃないか』と叱られるような、いわば、はかないお母さんでした。今度のてつは、息子がいじめられていたら『殴り返してやれ』ときっぱり言います。成長したあとも『一人で生きていきなさい』と、突き放す母親なのでその強さをしっかり演じたいと心がけました。私は実生活では母親にはなりませんでしたから、母親役を演じるときは、自分の母のことを思い出すこともあります。私の母親も、やっぱり強い人でした」
(吉永さん・以下同)

 東京都渋谷区に終戦の年の1945(昭和20)年3月13日に生まれた吉永さん。
 直前には東京大空襲もあった大変な時代だったが、病弱な父に代わり、母・和枝さんが3姉妹を守り育ててくれたという。

「私は自宅で生まれましたが、東京大空襲の3日後ですから、ほとんど防空壕で生まれたようなもんじゃないかと。わが家の地域は5月の空襲のほうが激しかったそうですから、乳飲み子を抱えての苦労も相当なものだったはずです。母は次女の私をおぶって神奈川の農家まで行き、自分の着物と食べ物を交換していました。幼い子どもが一緒だと少し分けてもらいやすくなると、後年語っていました」

 母親の和枝さんは才能豊かな女性で、もともとはピアニスト志望だった。
 しかし、父親から音楽学校入学を許されずに、夢を断念していた。

「だから余計に、ぜんぶ、娘の私のほうにいろんな期待がかかったということもあったんでしょうね。母は2005年に亡くなりましたが、まだ自分の中には整理がついていない部分もあります。うちの庭には、桜の木が1本あって、その下で妹とままごとをしたり。それを思うと、桜には不思議な縁を感じます」

 そして、『北の桜守』にはこんなエピソードが。

「もう一つ、ご縁という話では、“てつ”というのは、私の母方の祖母の名前と同じです。てつという名前は、激しい性格が出せるんじゃないかと思って、私からこの役名を提案させていただきました。実際の祖母は映画のてつさんとは違い、やさしいおばあちゃんでした。祖父が議員をやったり会社も経営したりして、祖母は苦労していたようです。だから、あの役をやらせていただくのは、天国の祖母へのレクイエムにもなるとの思いもありましたね」


ウーマンエキサイト、2018年3月16日 11:00
吉永小百合さんが『北の桜守』に込めた亡き母と祖母への思い
https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Jisin_33398/

映画『北の桜守』本予告
https://www.youtube.com/watch?v=4XOMwnlyQmQ

映画『北の桜守』桜守紹介映像
https://www.youtube.com/watch?v=v2joL8HCq_w

映画『北の桜守』超特報
https://www.youtube.com/watch?v=zCTsZ102pxU

映画『北の桜守』主題歌「花、闌の時」30秒特別映像
https://www.youtube.com/watch?v=UTKZl6RXFmY

花、闌の時 小椋佳〜「北の桜守」の主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=Pubt2G5CnS4

『北の桜守』PR映像
https://www.youtube.com/watch?v=Dw-L8PSkvu8

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昭恵夫人の「男尊女子」的言動

TOKYO (Reuters) - Japan’s first lady, Akie Abe, once known mainly for embracing progressive causes that put her at odds with her conservative spouse, is now in the hot seat as doubts revive about a murky land sale to a nationalist school to which she had ties.

The daughter of a confectionary magnate, Abe has tried to carve out a U.S.-style public “First Lady” role in a land where political wives typically stay in the shadows.

But that approach comes with risks, acquaintances and experts say.

“Her ideas and those of other wives of prime ministers are different,” said Yu Toyonaga, head of a non-profit organization promoting organic rice, who has done volunteer work with Akie Abe. “Rather than being a woman who is ‘useful’ within a male-dominated society, she wants to interact ... as an autonomous person.”

Opposition parties are demanding she testify in parliament about her ties to Moritomo Gakuen, the nationalist school operator whose deeply discounted purchase of state-owned land is at the heart of a suspected cronyism scandal and possible cover-up that has sliced Prime Minister Shinzo Abe’s support ratings.

The finance ministry admitted on March 12 that it had altered documents about the deal, including removing references to Akie Abe. Her husband has denied he or his wife intervened in the sale or that he ordered a cover-up.

The prime minister is opposed to her testifying, but 62 percent of respondents to a Nikkei business daily poll published on Monday said she should answer questions in parliament. The survey showed Abe’s support sank to 42 percent while those opposed to his cabinet jumped to 49 percent.

Akie Abe, 55, has made waves since her husband returned to office in 2012 for a second term with activities that include taking part in an LGBT rights parade, opposing nuclear power, and visiting protesters against a planned U.S. military facility on Okinawa - all positions that resonate with liberals.

She also runs a tiny organic restaurant and has spoken in favor of legalizing marijuana for medical use.

PARADOXICAL VIEWS

Such progressive views won her the nickname “domestic opposition,” and helped soften Shinzo Abe’s own hawkish image.

Akie Abe has also, however, at times publicly aligned more closely with her husband’s conservative views.

She has visited Tokyo’s Yasukuni Shrine for war dead, seen by China and South Korea as a symbol of Japan’s past militarism because it also honors World War Two leaders convicted as war criminals by an Allied tribunal.

Abe visited Yasukuni once in December 2013 but has since stayed away to avoid angering Beijing and Seoul.

Until the scandal broke last year, Akie Abe was set to become honorary principal of an elementary school that Moritomo Gakuen planned to open in western Japan on the discounted land. She also visited a kindergarten run by Moritomo whose curriculum had echoes of pre-war nationalist education centered on the emperor.

Those who know Abe see nothing surprising in her holding seemingly paradoxical views. “She doesn’t act based on theory or logic, but from the heart,” said non-profit president Toyonaga.

Since the Moritomo scandal burst onto the political scene this month, she has not commented directly on the matter.

Akie Abe has been criticized for her seeming clueless about the situation in which she finds herself.

On the evening of March 9 - the day media reported police were investigating as a possible suicide the death of a finance official at the local bureau handling the land deal - Akie Abe attended a party hosted by a Japanese celebrity, according to a photo posted on the celebrity’s Instagram account, local media reported. The photo does not now appear on that Instagram feed.

Also on March 9, she posted on Facebook photos of herself smiling at an International Women’s Day art fair the previous day. Some comments posted in response called her “thoughtless” and a “murderer,” while other expressed support.

Some critics have suggested she should lay low now.

“Many people are fascinated by Mrs. Akie’s free-style life that doesn’t fit the mold of previous first ladies,” reporter Makiko Takita, a woman, wrote in the conservative Sankei newspaper.

“But now the administration is in a tight spot and her inappropriate words and actions are ... pulling the rug out from under it,” Takita added. “This is overstepping the bounds towards the prime minister’s wife, but wouldn’t it be a good idea to restrain your activities?”


Reuters, Published: March 26, 2018 - 2:08 PM
Japan's Akie Abe 'First Lady' role now puts her in scandal's spotlight
By Linda Sieg
https://www.reuters.com/article/us-japan-politics-firstlady/japans-akie-abe-first-lady-role-now-puts-her-in-scandals-spotlight-idUSKBN1H20EI

 佐川前国税庁長官の証人喚問が3月27日、衆参両院で行われるが、森友疑惑の“本丸”である安倍首相夫人の昭恵氏はどうやら「軟禁」状態にあるようだ。

 散々“ゆるふわ”ライフをつづってきたフェイスブック(FB)の更新を今月3月11日から中断。17日に愛知県で開かれた福祉イベントに参加したのを最後に、公の場に姿を現していない。

 「週刊現代」によると、渋谷区富ケ谷の自宅にも帰らず、都内の高級ホテルの高層階に宿泊を続け、事実上の外出禁止生活。ルームサービスの赤ワインを飲みながら、落ちくぼんだまぶたから夜景を見つめているという。安倍首相が離婚して、昭恵氏を総理夫人の座から降ろす手段を真剣に検討しているとも書かれている。

 昨年2017年2月に森友疑惑が持ち上がってからも昭恵氏は「どこ吹く風?」とばかり自由奔放に活動してきた。近畿財務局職員の自殺のニュースが流れた今月2018年3月9日の夜もパーティーに参加、人気タレントと一緒に写真に納まった。11日に投稿された「野党のバカげた質問」というFBの書き込みに「いいね」を押して顰蹙を買っている。

 こうしたやりたい放題に保守系新聞や自民党からも「自粛」を求める声が上がっていた。昭恵氏の好き勝手な言動はどこからくるのか。

 「彼女は一種の演技型パーソナリティー障害でしょう」とは明大講師の関修氏(心理学)だ。

「物事の因果関係を考えられない性格だから、近畿財務局職員の自殺が自分に遠因があると発想できないのです。ご本人は『私が手を下したわけではない』という考えでしょう。加えてイベントなどに出席してチヤホヤされるのが好き。夫などから制約を受けない自由奔放な女を演じないと満足できない。どんなイベントにも参加してきたのは自分のイメージを壊さないためでしょう」

 森友疑惑で諸悪の根源と見なされていることも、昭恵氏にとっては迷惑な話。
 
 「私に責任はない。私は被害者」が、本音だそうだ。

「ホテルに閉じ込められ、出掛けたくてウズウズしているでしょう。だけど今はじっと我慢するしかないので、ルームサービスで酒浸りになるかもしれません。離婚問題は、首相夫人の肩書を失ってもチヤホヤされるセレブであり続ける見込みがついたら、あっさりハンコをつくのではないか」
(関修氏)

 離婚の前にホテルの檻を破って脱走するのではないかと心配になる。


日刊ゲンダイ、2018年3月27日
夫は離婚検討
安倍昭恵夫人はホテル軟禁に堪え切れるのか

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225842/1

 筆者は結婚をしたことがないので、「○○夫人」とか「○○さんの妻」として振る舞う、あるいは遇される感じがよく分からない。うれしいのか、変な感じなのか……。
 そこで、安倍晋三首相の妻、昭恵氏(55)である。
 毎日新聞2018年3月14日夕刊1面は「『昭恵氏』は拒否」との見出しで、森友学園を巡る文書改ざん問題を巡り、自民党が昭恵氏の国会招致を拒否したと伝えた。
 朝日新聞20日朝刊1面のトップ記事は「昭恵氏記述巡り論戦」だった。
 新聞の1面にこんなに大きく名前が載った首相夫人は昭恵氏が初めてだろう。

 1962年6月、森永製菓の創業者一族、松崎昭雄氏の長女として生まれ、聖心女子専門学校卒業後に電通に入社。安倍氏とは上司の紹介で知り合い、1987年6月に結婚した。
 2012年、2度目のファーストレディーとなってからは夫に多様な意見を伝える「家庭内野党」を掲げ、反原発、巨大防潮堤反対などを訴え注目される。そんな中で、森友学園への国有地売却問題への関与が浮上した。

「私人」の政府見解には無理が……

 昭恵氏は公人か私人か。
 政府は「公人ではなく私人であると認識している」との答弁書を閣議決定した。
 官僚の秘書5人をつけているのだから、この見解には少々無理がある。
 ただ、同世代の筆者としては、昭恵氏は「ファーストレディー」という職業に再就職したと考えているのではないかと想像する。
 1986年に施行された男女雇用機会均等法の第1世代。
 結婚して仕事を辞めて家庭に入ったが、「ファーストレディー」として再び働く。
 そう考えると秘書を連れ回すのも分かる。

 昭恵氏は国会の騒がしさや問題の深刻化をよそに華やかなイベントに顔を出す一方、森友問題に関する公式な言及は一切ない。
 3月15日発売の週刊文春は、メール取材に対して昭恵氏が「私がお話しすることはほんとうにないんです。私も真実を知りたいです」と答えたと書いている。
 こうした昭恵さんの姿勢が「肝心のことから逃げている」と批判を浴びている。私もいらだちをおぼえる。その理由は、昭恵氏が都合のいいときだけ夫である安倍首相の陰に隠れているようにみえるからだ。

「男尊女子」に重なる昭恵氏の振る舞い

 「男尊女子」という言葉が浮かんだ。
 コラムニストの酒井順子さんの造語。
 同名の著書(集英社、2017年5月)は、
 「女性を下に見る心を隠し持っているのは、男性ばかりでもないのでした。女性を下に見る気持ちを意識的にであれ無意識にであれ持っている『女性』もまた、世の中にはたくさん存在するのです」
として、水面下に潜った男尊女卑意識をほじくり出す。
 酒井さんは日本女性について、
 「家庭でも仕事でも、責任ある立場になるのは嫌だし、男女の立場をまったく平等にするなんていうのも面倒。だったら、男に従うということにしておいた方がラクだわという感覚」
を持っていると指摘する。
 昭恵氏の振る舞いが、「男尊女子」に重なってみえて仕方ない。

 昭恵氏は3月8日の国際女性デーのイベントに参加した。
 主催の国連機関「UN WOMEN日本事務所」のホームページによると、今年は「世界が注目するセクシュアルハラスメント問題や女性に対する暴力や差別撤廃への機運の高まりの中でその日(国連女性デー)を迎えます」と書かれている。
 国際女性デーの統一テーマは
 「今こそ行動を:女性の生活を向上させるために農山漁村及び都市部で活躍する活動家たち」。

 「男尊女子」的な逃げの姿勢との違いを強烈に感じる。
 昭恵さんは、テーマに共鳴してイベントに出ているだろうに。

 産経新聞は3月21日朝刊で、「拝啓 安倍昭恵さま 僭越ながら、今は行動自粛されては」という見出しのコラムを掲載した。
 最近の昭恵氏のフェイスブック発信を取りあげ、第2次安倍政権は昭恵氏の貢献なしに実現しなかったが、今、その不適切な言動は政権の足を引っ張りつつあるとして、行動の自粛を求めた。

 私はこう言いたい。
 まずは記者会見を開いては、と。
 夫と同じような、メディアを選んでの単独インタビューではなく。


毎日新聞「メディア万華鏡」、2018年3月26日
森友問題で無言を貫く昭恵夫人の「男尊女子」的言動
(山田道子)
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20180323/biz/00m/010/008000c

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狂った職場

文書改ざんの指示者、特定できず 財務省「今後の調査、捜査待つ」(2018/3/26-共同通信)👀

 いやいや、ありえない。
 改ざんを官邸と財務省トップなしでやってたら、下級将校のクーデターだよ。
 いつまでもウソついて、国民をバカにするのもいい加減にしろって。
20:02 - 2018年3月25日、中野晃一

官邸からの指示の有無は調査中と財務省(2018/3/26-共同通信)👀

 バレないなら逃げ切りたいけど、バレる可能性が否めないから調査中としておく、と。
 せっかく東大出て財務省入って、やる仕事か、これが。
 情けないねえ。
1:26 - 2018年3月26日、中野晃一

 今日2018年3月27日(火)は、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省決裁文書の改ざんで、当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行なわれる。
 「ちゃんと行なわれるのか? 大丈夫なのか?」と、原稿を書きながら心配している(現在、24日土曜日)。
 私だったらムリ。あそこまで露骨に“佐川事件”(by 自民党の西田昌司・参院議員)などと責任を押し付けられたら、参ってしまう。
 「ナニ善人ぶっているんだ! 財務省が悪いんだろう!」
とお叱りを受けるかもしれない。
 でも、自民党の和田政宗・参院議員が太田充・理財局長に対して、「安倍政権をおとしめるため意図的に変な答弁をしているのか」と問い詰めた(太田氏は民主党政権時に野田佳彦元首相の秘書官を務めていた)ことに対し太田氏が

「いくら何でも、いくら何でも、……いくら何でも。……私は、公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが、仕事なんで。それをやられるとさすがに。いくら何でも、それはいくら何でも、それはいくら何でもご容赦ください」

と抑え続けられた憤りを噴出させていたのを国会中継で見て、ナニかを感じずにはいられなかった(和田氏は批判を受けて後に発言を撤回)。
 公文書改ざんという問題の本質はさておき、彼ら官僚たちをあそこまでたらしめる“目に見えないパワー”とはナンなのか? 恐ろしくなってしまったのだ。
 先週(3月22日)、「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事がSNS(交流サイト)上で話題になった。
 詳細は、

官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される
(木許はるみ)
Business Insider Japan、Mar. 22, 2018, 05:00 AM
https://www.businessinsider.jp/post-163990

 内容をざっと紹介すると、
・メンタルヘルスで1ヶ月以上休職している国家公務員(精神及び行動の障害による長期病休者数調査、非常勤職員除く)が全職員の1.26%(全産業の同様の休職者の割合は0.4%)
・自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む)
・年間の超過勤務の平均時間は全体で235時間、霞が関本省は366時間(人事院による)
など、官僚たちの過酷な職場状況を報じた。
。。。
 彼らに長時間労働を強いる要因は何なのか?
 何のために彼らはそこまで身を捧げるのか?
 ポジティブとネガティブな感情に翻弄され、心身を蝕むほど仕事にコミットさせる“パワーの正体”を、今回は考えてみようと思った次第だ。

 まずは、その手がかりになりそうな一本の論考を紹介する。
 タイトルは『病める官僚たちー長時間労働・過労死・過労自殺』。
 執筆者は明治大学大学院政治経済学研究科長の西川伸一氏で、1999年12月刊行の『政経論叢』に掲載された。
 1997年の2〜3月に、西田氏は内閣法制局参事官経験者の履歴を調べるために、国会図書館の資料室で毎日、『官報』を閲覧。
 そんなある日、「官史死亡」なるものを見つけ、驚愕する(以下、論考より)。

「総理府○官吏死亡 社会保障制度審議会事務局総務課長永瀬誠は、4月8日死亡
 敬称も付けずくやみの言葉もなく、死亡月日と死亡の事実だけを伝える冷たく乾いた活字が並ぶ。
 永瀬誠氏は1968年に厚生省に入省し、84年9月から88年6月まで内閣法制局第四部参事官を務め、それ以降、総理府(現内閣府)に出向していた。
 享年46歳。
 内閣法制局参事官といえば、主要官庁の同期入社組のなかでも一番手、二番手が出向する「昇任」ポストである。
 その経験者、えり抜きのキャリア官僚の在職中の急逝。
 死の背後に何があったのか。
 彼らに無念さや残された遺族のことが私の頭をよぎった」
(本文より)

 そこで西田氏は、大蔵省(現財務省)キャリア出身で京都大学経済学部教授の吉田和男氏の著書『官僚崩壊』(日本評論社、1997年8月)に書かかれていた次の一節を検証すべく、中央省庁の職場環境にメスを入れることになる。

「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。
 私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。
 この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、1割とはきわめて高い死亡率である」
(by 吉田和男)

 論考は、「不夜城・大蔵省のうめき」「長時間労働の内実」「官僚たちの墓標」と3つの“カルテ”で構成。
 “数字”から浮かびあがるショッキングな実態、働く人たちの証言、さらには元官僚の小説などが記述されている(抜粋し要約)。
【カルテ1 不夜城・大蔵省のうめき】
・(査定案は)期限が切られているから、睡眠時間を犠牲にするしかない。一日の残業時間は7時間、月200時間超。退庁は1時、2時、徹夜もざら。土日も100%出勤。11月、12月はひと月の残業は300時間超。
・“バカ殿教育”と批判される地方の税務署長勤務から戻ってきた30代の課長補佐は、出世競争にしのぎを削る。認められるためには、仕事ぶりで自らをアピールするしかない。
・1985年6月、30歳の課長補佐が庁舎から飛び降り自殺。92年に11月、33歳の課長補佐が横須賀の観音崎灯台から飛び込み自殺。97年8月、28歳の係長が省内のトイレで自殺。98年5月、28歳係長が大蔵省の寮で自殺。
・98年には、金融機関をめぐる接待汚職事件の調査にからんだノンキャリの職員2名が自殺。

【カルテ2 長時間労働の内実】
・若手は「無定量、無制限」で使われる。「国会待機」中、質問内容を教えてくれない新人議員に「あなた1人のために、3000人が待機している」と苦言を呈したとの逸話あり。
・残業手当ては実際の残業時間の4分の1程度。残りはサービス残業(予算で決められているため)。サービス残業を厭わない理由は「国家官僚としての使命感」と口を揃える。
・より多く仕事して認められたい、目立ちたい。エリート意識に支えられた強い出世欲がある。
・同期入社との出世競争に勝つために「入社後10年は朝帰り」
。。。
……さて、いかがだろうか。
 この論考が発表された1999年から20年近くの歳月を経て、“狂った職場”は正気に戻ったのだろうか。
 「戻ってない」というのが私の見解である。
 むしろもっと“狂った”職場になっているのではあるまいか? 
 そもそもサービス残業が日常茶飯事であるなら正確な労働時間など分かるわけがないし、国家公務員の数は、人口比で見ると1960年代以降横ばいで、職員数の適正化が行なわれているのかどうかも疑問である。
。。。
 官僚たちの「死」は、本人のエリート意識や出世欲と関係しているのだろうか?
 「官僚は政治家に仕えて当然」という政治家の傲慢さが関係しているのではないか?
 はたまた一部のジャーナリストたちが指摘するように「官僚の質が低下」していることが関係しているのか?
 いずれにせよ「公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えする」ことと、言いなりになることは全く別だ。
 誰もが例外なく「認められたい」という欲求を持ち、権力(=パワー)ある人が、自分に利益をもたらしてくれることを知っているけど、その先あるのは……死。
 パワーなき末端の人たちの命が危険にさらされるのだ。

 そういえば文部科学省の事務次官だった前川喜平氏が、加計学園問題を巡り記者会見を行なったとき、某政治コメンテーターが、

 「政治家は国民に選ばれている、官僚は試験に受かっただけ。政治家の言うなりになって当然
といった趣旨のコメントをしたことがあったが、こういった欺瞞を振りかざす限り、“病い”は治らない。
 むしろ、官僚たちを狂わせるパワーになる。
 もし、予定どおり証人喚問が行なわれたなら、佐川氏には“狂った職場”の内実を語ってもらいたい、と個人的には思っているが(……ムリか?)。


日経ビジネス、2018年3月27日(火)
森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する
同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー

河合 薫
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/032600152/

 醜い時間配分と思いませんか。
 国民の皆様、27日 衆議院予算委員会
 証人佐川尋問者14:00〜河村委員長尋問
 14:10〜石田(自民)35分
 14:45〜竹内(公明党)25分
 15:10〜逢坂(立憲民主党)22分
 15:32〜今井(希望の党)21分
 15:53〜江田(無所属の会)6分
 15:59〜宮本(共産党)6分
 you-tube
 悪いは国民?
7:05 - 2018年3月26日、孫崎享

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2018年03月26日

安倍さん、勉強してくれ!

 「幸せ」って何だろう?
 健康であることだろうか?
 大好きな人と過ごせることだろうか?
 「答え」は幾つもある。

 経済協力開発機構(OECD)が47ヶ国・地域の「15歳の生徒」に尋ねた「幸福度調査」(2015年)。
 「生活に十分、満足している」と答えた割合は、カリブ海の島国ドミニカ共和国が67.8%で断トツ。
 日本は23.8%で「ワースト5位」だった。
 日本と同じように、韓国、台湾など東アジアが下位に並んだのは、厳しい「受験戦争」の影響?
 彼らには受験勉強は「反幸福」なのだ。
 何が「幸せ」なのか?は時代により、地域により、年齢により、「生きる哲学」によって、全く違う。

 「不幸せ」って、何だろう?
 「答え」は幾つもある。

 が、多くの人が「貧困=不幸せ」と考えているのも事実。
 「おにぎりが食べたい」と書き残し、孤独死した人がいた。
 貧しいことが「不幸せ」なのだ。

 昨年2017年の年末、来日した国連児童基金(ユニセフ)のレーク前事務局長がNHKの取材に対し「日本のおよそ16%の子供が貧困状態にある」と警告を鳴らした。
 確かに昨年2017年10月に生活保護を受けた世帯は過去最高。
 6ヶ月連続の増加である。
 生活保護を受けた母子家庭は9万2655世帯にも上る。
 「子供の貧困」は深刻だ。
 下手をすると、子供が「おにぎり」が食べられないで死ぬかもしれない。

 安倍晋三内閣は2018年度予算案で、貧困対策を進める自治体に対し「地域子供の未来応援交付金」として1億5000万円を計上した。
 「子供の貧困」対策?
 しかし、その一方で、生活保護の「母子加算」を減額する。
 トランプ米大統領の命令?でミサイルや戦闘機を買うのに何百億円も使うのに……。

 どうして、こんな「(義理人情の欠けた)あこぎな政治」がまかり通るのか?
 「答え」は簡単である。
 閣僚の大半が2世、3世の世襲議員に占められているからである。
 首相も、副総理も、外相も、次を狙う元自民党幹事長も…… 経済的に恵まれた青春時代を送って、彼らは「幸せと不幸せの格差」を知らない。
 「貧乏人をなくす政治」を取り戻すためには、世襲組に「国政選挙への立候補」を遠慮してもらいたい気分だ。


毎日新聞・東京夕刊、2018年1月30日
牧太郎の大きな声では言えないが…
「世襲」は貧乏人の敵?

https://mainichi.jp/articles/20180130/dde/012/070/006000c

 安倍1強独裁政治を徹底批判する「安倍首相に読ませたい」シリーズの第5弾は、「民権数え唄」。
 千葉県は銚子の民謡「大漁節」の「一つとせ〜」のメロディで、スタートする。

 一つとせ〜 人の上には人ぞなき 権利に変わりがないからは コノ人じゃもの
 二つとせ〜 ふたつとない我が命 捨てても自由の為(ため)ならば コノ厭(いと)やせぬ
 三つとせ〜 民権自由の世の中に まだ目のさめない人がある コノ哀れさよ
 四つとせ〜 世の開けゆくその速さ 親が子供におしえられ コノかなしさよ
 五つとせ〜 五つに分かれし 五大洲(しゅう) 中にも亜細亜は半開化 コノ悲しさよ
 六つとせ〜 昔思えば亜米利加の 独立したのもむしろ旗 コノ勇ましや

 「数え唄」の作者は明治初期の民権壮士・植木枝盛(えもり)(1857〜1892)。
 この「数え唄」が主張するのは自由平等、主権在民......極めて政治的だが「何か」に似ていないか?
 そう、これは戦後誕生した「日本国憲法」にそっくりなのだ。
×  ×  ×
「植木枝盛」とは、どんな人物だったのか?
 土佐藩士・植木直枝(小姓組格、4人扶持(ぶち)24石)の嫡男として1857(安政4)年、土佐(現在の高知市)に生まれた。
 8歳から習字を学んだ頭脳明晰(めいせき)。
 征韓論政変に触発されて、明治8(1875)年、19歳で上京。
 慶應義塾の「三田演説会」に頻繁に通い、福澤諭吉に師事した。
 筆が立つ。
 『東京日日新聞』(現在の『毎日新聞』)などを舞台に、「自由民権」運動を展開。
 国会開設を要求し、民権理論の普及に生涯を懸けたが、なぜか36歳の若さで病没してしまった。
 言うなれば「明治初期のリベラル派ジャーナリスト」ということか。

 彼にはもう一つ「歴史的文書」が残されている。
 「東洋大日本國國憲按(とうようだいにほんこくこっけんあん)」である。
 「大日本帝国憲法」が発布(1889年2月11日)されたより早く、彼は「憲法」を作っていた。
 調べてみると福澤諭吉の日本最初の実業家社交クラブ「交詢社(こうじゅんしゃ)」などが68の「私擬憲法案」(私的に考える憲法案)を作っているが、その中で、植木枝盛が起草した220条の「國憲按」(1881年)が最も民主、急進的。
 自由平等だけでなく、国民の抵抗権や革命権などを定めていた。
 150年近く前に、市民の側に立った憲法案が存在した。
 意外だった。

 「天皇主権」を目指す明治政府からすれば、「人民主権」の思想は邪魔だったのだろう。
 1887年に発布・施行された保安条例で、私擬憲法を作成することは禁じられ、政府主導でプロイセン憲法をもとに大日本帝国憲法が誕生した。
×  ×  ×
 安倍さんに、歴史から消された「民権数え唄」「東洋大日本國國憲按」を読んでもらいたいのは、彼が「日本国憲法はアメリカの押し付け!」と主張するからである。
 本当に日本国憲法はアメリカ人が作ったものなのか?
 大日本帝国が第二次大戦で連合国に降伏。
 連合国軍総司令部(GHQ)は大日本帝国憲法の改正を日本に求めた。
 幣原喜重郎内閣は意図的に改憲作業をサボっていたが、マッカーサーは「このままではソ連の横槍(よこやり)が入る」と心配して、「天皇を権力のない象徴にする方針」を示し、極秘にGHQ案を作成した。
 そこまでは間違いない。

 しかし、そのベースとなったのは、この「東洋大日本國國憲按」を参考にした日本人作成の憲法草案だといわれている。
 そこにある「日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス」「日本人民ハ如何ナル宗教ヲ信スルモ自由ナリ」などは、そのまま、日本国憲法に採用された。
 そればかりか、「選挙権の男女平等」「不服従の権利」「死刑廃止」まで明記していたのだ。
×  ×  ×
 安倍さん、勉強してくれ!
 日本国憲法はアメリカ人だけの発想ではない。「天皇主権ではなく人民主権!」と主張したのは、「民権数え唄」「東洋大日本國國憲按」の明治人だった。
 そうそう、植木枝盛は、明治25年、第2回衆院選を前に胃潰瘍の悪化により36歳で死去しているが、いまだに毒殺説がある。
 権力者を徹底批判するには「覚悟」が必要なのだろう。


サンデー毎日、2017年12月3日号
牧太郎の青い空白い雲
安倍首相に読ませたい「日本国憲法の手本・民権数え唄」

http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2017/12/03/post-1835.html

 では、ここで銚子の大漁節の踊りを体験したときの動画をご紹介:
https://www.youtube.com/watch?v=qoMeptOqjkA

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2018年03月25日

声をあげた日本の市民たち

Emma Gonzalez's powerful March for Our Lives speech in full
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=u46HzTGVQhg

For four minutes and 25 seconds, 18-year-old Emma Gonzalez held a crowd of hundreds of thousands in the nation’s capital in near total silence. With tears rolling down her cheeks, intermittently closing her eyes, the teenager’s stillness told its own story.

In the moments before, she had called out the name of each of her fellow students and teachers gunned down five weeks ago. By the time she broke her silence Gonzalez had been on stage for six minutes and 20 seconds, the same time it took a gunman to claim 17 lives at her school, Marjory Stoneman Douglas High, in Parkland, Florida.

“No one could comprehend the devastating aftermath or how far this would reach or where this would go,” she said. “For those who still can’t comprehend because they refuse to, I’ll tell you where it went: right into the ground, six feet deep.”

That a teenager unknown to the country until a little over a month ago could command such quiet respect and deep introspection among a rally of this size illustrates just how powerful the student-led movement to rise from the Parkland massacre has become.

Marchers from all over the United States had filled Pennsylvania Avenue from front to back, spilling over into walkways and holding signs aloft that decried endemic American gun violence, hapless politicians and the extremist gun rights movement that holds them captive.

One-by-one students from Parkland took to the stage to offer a series of combative, direct and emotionally raw speeches to the throngs on the street in front of them.

“When politicians send thoughts and prayers we say no more!” said 17 year-old David Hogg. “I say to politicians: get your resumes ready!”

“Welcome to the revolution,” said Cameron Kasky, also 17. “Either represent the people or get out.”

“We are done hiding,” said 18 year-old Ryan Deitsch. “We are done being full of fear. This is the beginning of the end. From here, we fight.”

The crowd responded with intermittent chants of “Vote them out!” and at one point sang happy birthday to Nicholas Dworet, one of the students murdered on 14 February who would have turned 18 on Saturday.

Thousands more rallied in cities and municipalities around the United States, including New York, Phoenix, Atlanta, Oakland and Parkland itself, with over 800 March for Our Lives events planned at locations spanning every continent in the world.

But organizers in Washington were keen to make this centrepiece rally an inclusive event, with many of the most impassioned speeches made by young gun violence victims from other areas of the US.

Seventeen-year-old Edna Chavez, from Manual Arts High in south Los Angeles, walked onto to stage with her right hand clenched in a first held above her head. With poise and indignation, she told the story of how her older brother was shot dead when she was a young child.

“I have lived in south Los Angeles my entire life and have lost many loved ones to gun violence. This is normal. It’s normal to the point that I learned to duck from bullets before I learned how to read,” she said, asking the crowd to chant her brother’s name: Ricardo.

“It was a day like any other day. The sunset was going down on south central. You hear pops thinking they were fireworks. They weren’t pops. You see the melanin on your brother’s skin turn grey.”

Naomi Wadler, from Alexandria, Virginia, spoke with a fluency and eloquence that seemed beyond her 11 years of age. Wadler told the marchers she was present to “acknowledge the African-American girls whose stories don’t make the front page of every national newspaper, whose stories don’t lead on the evening news. The African-American women who are simply statistics instead of vibrant, beautiful girls full of potential.”

Teenagers from Chicago, New York as well as victims of school shooting massacres in Sandy Hook also addressed the rally.

“I’m here to speak for those Chicago youth who feel their voices have been silenced for far too long,” said Trevon Bosley, 19. “And I’m here to speak on behalf of everyone who believes a child getting shot and killed in Chicago or any other city is still a not-acceptable norm.”

It was not just Emma Gonzalez who observed silence on the day that hundreds of thousands descended on Washington. Donald Trump, spending the weekend at his members’ club in South Florida, offered no comment or tweet on the marchers.

Instead, the White House issued a short statement before the rally began applauding the “courageous young Americans exercising their first amendment rights”, the right to free speech.

Trump, who had once seemed amenable to some of the demands for gun control echoing from the Parkland tragedy, has since reneged under pressure from the NRA. The president has instead pushed arming teachers with firearms to fend off attackers.

That proposal was repeatedly booed by those assembled in Washington.

“Arming teachers will not work,” 17 year-old Chavez. “More security in our schools does not work. Zero tolerance police do not work. They make us feel like criminals. We should feel supported & empowered in our schools.”

As the rally closed, marchers melted onto the streets of downtown DC, still chanting what had become one of the major themes of the rally, one that seems likely to rattle nerves a short distance away on Capitol Hill: “Vote them out.”

[photo-1]
Hundreds of thousands of people attend the March for Our Lives rally in Washington DC Saturday.

[photo-2]
Alexandria, Virginia student Naomi Wadler, speaks during the March For Our Lives rally in Washington DC.

[photo-3]
Demonstrators participate in the March for Our Lives rally on Saturday in Los Angeles, California.

The Guardian, Last modified on Sun 25 Mar 2018 00.37 GMT
Marchers across the US united in plan for pro-gun politicians: 'Vote them out'

Thousands of people rallied in Washington DC and other US cities on Saturday, expressing clear outlines for action on gun reform
Oliver Laughland in Washington
https://www.theguardian.com/us-news/2018/mar/24/marchers-across-the-us-united-in-plan-for-pro-gun-politicians-vote-them-out

 日本だって、市民がようやく声をあげたようです:

大学生の安部さくらさん
「自分の言葉に責任を持たず、他人が傷付いても気にしない。本当の話をさせなければならない。彼らが態度を改めないのなら、彼らの言葉ではなく、私たちの言葉を残していかなければなりません。今日ここにいること、怒ってるという一言にも力があります」
23:20 - 2018年3月24日 未来のための公共

社民党 佐藤あずささん
「安倍政権になってからよく聞く言葉がある。『自己責任』、『自助』自分たちで何とかしてくださいって、おかしいでしょう。何のために税金はらっているんですか。こんな政権のどこを信じて税金払ったり、選挙に行けばいいんですか。皆もっと怒っていい!」
23:57 - 2018年3月24日 未来のための公共

通りすがりの会社員の方から
「家賃、食費、奨学金、ただ生きていくだけで月20万、一年間200万かかる。税金、年金高いですよね。安倍首相万歳って幼稚園児に言わせてる人はなんでタダで土地もらえるんだ。8億あったらもっと保育園作れるし住みよい国にできるのに」
0:12 - 2018年3月25日 未来のための公共

大学院生の諏訪原健さん
「この社会、この政府は、なんでこんなに冷酷なんだろうと思う。人が死んでるんだよ。国民を代表してるんじゃないのかよ。嘘をつくなよ。責任とれよ。そしてこの政府を選んだ私たちにも政府を止める責任がある。あなたが変わった瞬間から社会も変わってる」
0:19 - 2018年3月25日 未来のための公共

森友文書:
「改憲より真相究明が先」
新宿で市民が集会

2018年03月25日 20:26
https://mainichi.jp/movie/video/?id=5757839500001

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品川駅から目黒駅まで山歩クラブ街歩き

 今日2018年3月25日日曜日は山歩クラブのお散歩会!
 12名の仲間で、さくら満開、春らんまんの陽気のなかを品川駅から目黒駅まで歩いてきました。
 ヤッホーくんから報告の一斉メールが発信されました:

 今日参加された皆さん、お疲れ様でした。
 自民党大会で騒然としていた品川駅を抜けてホテル内の庭に入るとそこは別世界、満開になったばかりの旬のさくらがわれわれを迎えてくれていました。
 それから「ゆうれい地蔵」に手を合わせました。
 道迷いがありましたが、そこはイマのスマホが、きちんと細い路地まで、道案内してくれました。
 「NTT東日本関東病院」(品川区東五反田5-9-22 Tel 3448-6111)が目の前に、もうびっくり。
 無事、「福沢諭吉永眠の碑」と面会することができました。
 それから「池田山公園」、そして旧正田邸の跡地に整備した公園「ねむの木の庭」へ。
 いよいよ、「都庭園美術館」です。
 「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」の展示があります。
 ヤッホー君はさっそくお客様のフランスの方に、ボンジュールって挨拶をしておりました。
 一部の仲間は待ちきれなくってもうお花見弁当を広げておりました。
 もうゆっくり、まったり、さくら、こぶし、もくれんを観ながらの宴はサイコウです。
 そのあと腹ごなしに入った国立自然教育園ものんびり散策。
 足許にはカタクリ、そして狸も白鷺もゆうゆうとえさを探しています。
 また来春も、と声があがったほど。
 風もなくおだやか、陽春の日差しをあびて相変わらずのわいわいがやがや。
 大いに楽しんだ山歩クラブ今年度最後の街歩きでした!


ホテルのお庭もさくらが満開!:
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福沢諭吉永眠の碑を前にして:
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池田山公園でスクラムを組んで:
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白鷺がえさをついばんでいます:
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国立自然教育園にはカタクリが:
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国立自然教育園の散策を終えて:
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深呼吸

柳田邦男、深呼吸

「え?」「なぜだ」と疑念を抱く問題が生じた時、立ち止まり、深呼吸をして、そこに潜む問題の本質を考えようというこの「深呼吸」が3月で閉じる。
 そこで、今回と最終回で全体を総括する議論を書こうと考える。

毎日新聞・東京朝刊、2018年2月24日

 問題の一つは、政治権力を持つ政権内政治家の相次ぐ暴言についてだ。
 その根底を総括することは、今という時代がはらむ危機を明確にするため欠かせないことだと考えてきた。
 その矢先に、松本文明副内閣相(当時)が、沖縄における米軍ヘリからの部品落下や不時着をめぐり、衆院本会議での野党側質問中に「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばす事件が起きた。

 こうした暴言やメディアで「失言」と称される発言は、本人が「誤解を招いたが本意はこうだった」と弁明し、発言を取り消すと、政治的に一件落着となる。
 しかし、発言者の政治思想やそれまでの言動を調べると、批判された発言は「失言」や「誤解」という次元のものではなく、まさに「本音」だと分かる。
 にもかかわらず、発言取り消しで幕を閉じる形式的な決着のつけ方をするから、発言の重大性が政治家に認識されず、他の政治家から暴言が飛び出す事件が繰り返されることになる。

 人は、心の中に思ってもいないことをしゃべることはない。
 選挙で選ばれた公的な人物が、思ってもいないことを公的な場で発言するとなれば、そもそも重要な職務を担う公人の地位に就いていいのか、と人格が問われよう。
 また、重要な案件について、被害者が傷つくような発言をした政治家が、「誤解だ」と主張するなら、言語表現力や実態の把握力・理解力が政治家として不十分ではないか、という問題が生じるはずだ。

 最近の政権内政治家の問題発言の3例について、筆者なりに分析した結果を記してみよう。

(1)2014年の石原伸晃環境相(当時)の記者団への発言。
 原発事故による汚染土保管の中間貯蔵施設の設置をめぐり、難航する被災地との交渉について、「最後は金目でしょ」と発言。
 石原氏は「(補償額など)最後はお金の話になるが、今は示すことができないという話だ」と弁明したが、環境省内の同様の発想パターンは、公害病の被害者救済をめぐって何度も見られたものだ。
 06年の水俣病公式確認50年の年、私も委員として参加した「水俣病問題に係る懇談会(大臣懇談会)」が提言書をまとめる際、環境省の事務局側は非公開の場で、訴訟の勝訴で得られる金額より政治解決にした方が得だという数字を示し、患者側の権利要求である訴訟を取り下げる方向に誘導しようとした。
 懇談会側はそれを受け入れなかった。
 石原氏の発言は環境省のこうした発想パターンをポロリともらしたもので、その意味で「本音」そのものだった。

(2)13年の高市早苗・自民党政調会長(当時)の講演での発言。
 原発事故から2年後、「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」と発言。その年の3月末までに福島県内で避難生活によるストレスなどで、1400人近くが災害関連死(自死を含む)と認定されていた。
 高市氏の発言は、事故被害者への驚くべき無関心・無知か、それとも原発推進のための虚言としかいいようがない。

(3)17年の今村雅弘復興相(当時)の記者会見での発言。
 福島県民の自主避難者への家賃補助などの打ち切りに関して、「(帰れないのは)本人の責任」「(不服なら)裁判でも何でもやればいい」と発言。
 批判を受けた今村氏は「自己責任」発言を取り消したが、「裁判でも……」は「一般論を述べただけ」として取り消さなかった。
 これも「本音」発言であることは明らかだ。

 列挙するときりがないが、なぜこのような暴言が続発するのか。
 第1の根源は、被害者・犠牲者に対する人間の意識・感情を左右する「いのち(生と死)の人称性」という問題だ。
 「一人称のいのち」は自分のこと。
 中でも不条理な「死」は、絶対に受容できない。
 「二人称のいのち」は家族、恋人、無二の親友らの「生と死」であり、死別では残された人が、愛する人の喪失という衝撃の中でどう生きるかという困難を背負う。

 これに対し、「三人称のいのち」は、身近な親類、友人、知人から全くの他人まで幅広い。
 戦争や民族紛争になると、敵対する国や民族の人たち一人一人が、家族や恋人や友人のいる人生を歩む人間だという意識など全く抱かず、平然と殺すという行為になる。
 そういう状況下では、相手への見方が「無人称化」するとさえ言える。

 政治家や官僚にとって、犠牲者や被害者を見る目は「三人称のいのち」の視点になるのが現実だ。
 財源をにらみながら法律や制度の枠に当てはめるだけ。
 犠牲者の家族や被害者個別の悲惨さを思いやる想像力はまるで欠落している。
 そこに暴言登場の第2の根源としてからんでくるのが、政治家・官僚の、時の政治権力者の政治思想と政権維持の政策になびく姿勢と、地位にまつわるおごりだ。

 この難問を克服するには、政治家・官僚が人間のいのちに対する冷たい「三人称の視点」を脱却し、「一人称・二人称のいのち」を理解して寄り添う姿勢を普遍化する以外に道はない。
 具体的には、事故、災害、事件の現場を訪れて、状況を肌で感じ、犠牲者の遺族や被害者の話をじっくりと聞き、被害の全体像の調査分析をするという取り組みが必要だ。
 そういう政治・行政の成熟した体質が根付くには大変な歳月がかかるだろう。
 しかし、それなくして国民のいのちを守る政治などとうたっても、虚構でしかない。

想像力欠落の政治家
冷たい「三人称の視点」脱却を

https://mainichi.jp/articles/20180224/ddm/005/070/006000c

毎日新聞・東京朝刊、2018年3月24日

 戦後俳句に新境地をひらいた俳人、金子兜太(とうた)さんが今年2月に98歳で亡くなられた。
 戦争末期にトラック島の部隊で海軍中尉だった。
 爆撃や飢えで部下が死んでいく悲惨さは、生涯消えないほど深く全身に刻まれ、反戦平和の俳句を折々に詠み続けた。
 私の心に鋭く刺さるその代表的な一句。

水脈(みお)の果て 炎天の墓碑を 置きて去る

 敗戦によって島を去る船から振り返れば、戦友たちの墓碑の数々を己は見捨てるようにして、祖国へ帰る。
 生き残った者(サバイバー)の罪責感が伝わってくる。

 私は、戦争体験者、災害・公害・事故の被害者、ハンセン病患者らの手記などを長年にわたって読んできた。
 いのちも心も危機に陥れる不条理な被災、被害、罹患(りかん)の中で、なぜ体験記を書くのか、その意味は何か、と問いかけながら。
 共通するのは、書かないではいられないという内的衝動、この苦しみを多くの人に知ってほしいという思い、こんなことは二度と繰り返さないでという願望などがエネルギー源になっていることだ。

 書く本人にとって重要なのは、表現することで、受傷したトラウマ(心的外傷)に際限なく引きずり込まれないで、生き直そうとする力と日常性を取り戻すことができるようになるという点だ。

 金子さんの場合、南方の島での体験が、強烈なトラウマとなったことは想像にかたくない。
 だが、俳句という表現活動で、トラウマを超えた自分の新しい人生をひらいていった。

 だが、表現の手段を持つということは、庶民の暮らしの中ではたやすいことではない。

 一昨年秋、熊本県内のハンセン病患者の療養所で100歳を迎えた男性が県からの長寿祝いを拒否し、絶食に入った。
 人権も人生も剥奪した国家からの祝福など、どうして受けられるかと、自らのいのちを自分で決着させたのだ。
 生を根底から揺るがすトラウマは、100歳になっても消えないのだ。

 金子さんが亡くなった2月20日、福島地裁は東京電力福島第1原発事故に関する一つの判決を下した。
 2011年4月、福島県飯舘村が全村避難の対象になるとのニュースを聞いた同村の102歳になる大久保文雄さんが「故郷を離れたくない」と自殺した。
 遺族が東電に求めた損害賠償請求を裁判所が認めたのだ。
 「高齢の大久保さんは村に帰還できずに最期を迎える可能性が高く、耐え難い苦痛を与えた」と、判決は論述した。

 戦争や災害などの体験記から、惨禍の実相をとらえようとする私の作業は、精神医学の視点からのトラウマ研究に関心を広げさせた。
 その問題意識から、私が疑問を抱いていたことがある。
 なぜ日本では、苛烈な戦場体験や往年の大災害の中で発生した深刻なトラウマや精神障害についての精神医学的な取り組みや記録がほとんどないに等しいのかということだ。

 米国では、第二次世界大戦中の前線で、精神科医が臨床研究と診療に従事し、当時既に精神医学者、A・カーディナーが「戦争ストレスと神経症」を出版していた。
 私は最近、中井久夫・神戸大名誉教授の翻訳本(みすず書房刊)を読み、異常な体験によるトラウマへの日本の対応の遅れを痛感した。

 この問題に光を当てる研究書が、最近、やっと刊行されるようになった。
 筆頭は、戦時中の陸軍病院などの診療記録や日誌を分析して、日本軍兵士のトラウマと精神障害について研究を進めてきた中村江里・一橋大特任講師の「戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症」(吉川弘文館)だ。

 なぜこの国で戦争神経症がなかったかのように不可視化されてきたのかという理由について、この本が挙げる理由は次の通りだ。

(1)実態を記録すべき精神科医が前線に送られなかった
(2)精神に変調をきたした兵士の大部分は前線に置き去りにされ、多くが亡くなり、生き残って帰国しても生存者としての罪責感もあって話せなかった
(3)兵役の半ばで傷病により兵役免除になるのは「立派な男」としてのアイデンティティーを失うことだった
(4)銃後の人々のまなざしは「立派な死に様」(軍国美談)を求め、傷病兵には価値を置かなかった
−−などだ。
 今、この国は、こうした社会と人間のゆがみを払拭(ふっしょく)しているだろうかという思いが去来する。

 さらに、沖縄戦が沖縄の住民に与えた心の傷について、戦後半世紀以上を経ての診療活動から明らかにした精神科医・蟻塚亮二氏がまとめた「沖縄戦と心の傷トラウマ診療の現場から」(大月書店)と、沖縄戦によって受けた被害の国家賠償を求める住民訴訟の裁判記録「法廷で裁かれる沖縄戦 訴状編」「同被害編」(高文研)がある。

 蟻塚氏は、沖縄の住民で戦争体験のある高齢者の中に、明らかに沖縄戦のトラウマの後遺症と見られる特異な症状を示す人たちがいることを発見した。
 その数は100人を超えた。
 症状は、アウシュビッツからの生還者の精神症状に酷似する過覚醒型不眠をはじめ、戦時記憶の増大、不安発作などだ。
 これらの症状は、その後も確認され、戦後70年以上たった今も、現在進行形で続いているという。

 戦争や災害やハンセン病などの被害とは何かについて、半世紀以上取材してきて見えてきたのは、災厄は発生時の死傷だけで終わるものではなく、60年、70年たっても続くということだ。
 その全体像を俯瞰(ふかん)してはじめて、非戦を誓う平和国家の建設や、災害、公害、事故の惨事、病気への偏見・差別を繰り返さない安全・安心な社会の構築のために何をなすべきか、その条件が見えてこよう。

戦争、災害、ハンセン病
トラウマとこの国のかたち

https://mainichi.jp/articles/20180324/ddm/005/070/023000c

※ 日本の閣僚達、どこか狂っていないか。
「政府は23日、麻生財務相が佐川前国税庁長官に言及する際、度々「佐川」と呼び捨てにしたことについて、「麻生氏が財務省職員の名前を敬称を付けずに呼ぶことは通常」とする答弁書を閣議決定した」
 今時どこの組織で呼び捨てにする。
 それを閣議で追認!!!

7:12 - 2018年3月24日 孫崎享

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2018年03月24日

10月14日は「鉄道の日」

品川駅創業記念碑

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 品川駅では、1872(明治5)年5月7日(新暦6月12日)をこの開業日にしています。
 何故かというと、新橋・品川間の工事が遅れたため、この日に品川・横浜間で仮開業したからです。
 新橋・横浜間で本営業を開始したのは仮営業から4ヶ月後の1872(明治5)年9月12日(新暦10月14日)でした。
 それを記念して、今日では10月14日を「鉄道の日」としています。
 品川駅は日本で一番古い鉄道の駅といえます。

 この記念碑は鉄道開通80周年及び駅舎改築を記念して、1953(昭和28)年4月に建之されたもので、揮毫者は衆議院議長をつとめた大野伴睦氏です。
 記念碑の裏面には仮開業当時の時刻表と運賃が記載されており、当時の様子を偲ぶことができます。
2006(平成18)年10月 JR東日本・品川駅


 ではここで大和田建樹(おおわだたけき、1857-1910)が作詞、多梅雅(おおのうめわか、1867-1920)が作曲した1900(明治33)年の「鉄道唱歌、第1集、東海道篇(1〜16番)」をどうぞ:
https://www.youtube.com/watch?v=y08fuEbIgAk

 JR東日本品川駅は我が国発の鉄道開業路線である新橋〜横浜間の駅として 1872(明治5)年6月12日に開業している。
 つまり、新橋〜横浜間の正式開業は10月15日なのに対して新橋〜品川間の工事の遅れにより、当駅〜横浜間が先行して仮開業していたのである。

 ちなみに、有名な話ではあるが同駅は品川区ではなく港区に位置している。
 現在では駅名がほぼ地名のように使われている場合が多いが、本来の品川とは京浜急行電鉄の北品川の少し南側である。
 いわゆる品川宿で有名な地域である。

 実際品川駅は高輪と呼ばれる地域にある。
 何故品川と名付けられたか理由は把握していないが、やはり天下の東海道の最初の宿場町として知名度の高い地名を微妙に位置がずれているとは言え採用することによりこれまでの『宿』に代わる『ステーション』の存在を知らしめたかったのではないだろうか。

 ここで、開業当時を少々偲んでみたい。

 品川駅周辺は当時鉄道建設に反対であった兵部省の軍用地等を避けるため(測量のための立ち入りも拒否したという)当初の計画を変更し、陸地ではなく海上に築堤を設け線路を敷設したのである。
 以下のURLより当時の様子を地図でご覧頂きたい。
 中央に『停車場』とあるのが現在の品川駅であり、ドラッグにより北に移動すると海上の築堤の様子を確認することが可能である:
goo 古地図(明治時代:品川駅周辺)

 つまり、うるさい連中を華麗にスルーして線路を敷いたということになる。
 また、その海上築堤の建設途中と思われる写真が以下のものである。

品川駅周辺の工事.jpg
出展:交通博物館『図説 駅の歴史―東京のターミナル (ふくろうの本)』(河出書房新社、2006年2月)

 この築堤に必要な土砂は鉄道敷設により掘削された八ツ山及び御殿山のものを用い、幅約6mで法面は石板で覆われていたという。
 そして、初代の品川駅は上述の「goo古地図」で確認できる通り、海岸ぎりぎりに設けられ以下のようなものであった。

品川駅.jpg
出展:交通博物館『図説 駅の歴史―東京のターミナル (ふくろうの本)』(河出書房新社、2006年2月)

 ここで個人的には既に跨線橋が備わっていることが個人的に驚くべき点である。
 我が国の鉄道黎明期は鉄道先進国であるイギリスより指導を受けており、かの国では既に跨線橋の概念があってそれが持ち込まれたのだろうが、現在でも閑散路線では構内踏切で済ませられる場合もあるのに、明治初期しかも我が国初の鉄道の駅において既に跨線橋を設けた理由は何であったのだろうか。

 現在の品川駅やその周辺を見るとき、開業当時の様子を想像するのは困難な状況となっているが我が国における最古参の駅の一つでありながら、新幹線ですら停車するほどの駅として発展を遂げた原点を少しでも知ってもらえれば幸いである。

 そして、この品川駅では開業80周年を迎え五代目となる駅舎の改築にあわせ記念碑が建立された。
 それが今回紹介する『品川駅創業記念碑』である。


Golgodenka Nanchatte Research、2010/06/08
我が国最古の駅のひとつ。
品川駅創業記念碑

http://www.golgodenka.com/reports/railway/monument/shinagawa-establishment01/shinagawa-establishment01.html

 で、この「品川駅創業記念碑」を揮毫したのが、あの大野伴睦(1890-1964)!
 向田邦子(1929-1981)が岐阜の味噌カツについて語ったエッセー『霊長類ヒト科動物図鑑』(文春文庫)は有名ですが、その書き出しで、「東海道新幹線で岐阜羽島駅をおりると、嫌でも駅前広場の某政治家夫妻の銅像が目に入ってくる」とあります。

 岐阜羽島駅に到着した列車の車内やホームから駅の周囲を眺めると、低い位置に、やたらと大きな看板が目につく。
 健康食品に海洋深層水、そして駅前のカフェ。どこも、高さ3mはあろうかという巨大な看板を掲げている。文字も巨大だ。

 駅を利用する人に向けた看板なら、これほど大きな看板は必要ない。
 これは、東海道新幹線の乗客に向けた看板と言える。
 岐阜羽島駅は、1日の平均乗車人数が2800人(2014年羽島市統計、乗車のみ)と、17ある東海道新幹線の駅の中でもっとも利用者が少なく、在来線との接続も名鉄羽島線があるだけだ。
 そのため、駅の利用者よりも、駅の通過者にアピールしているのである。

 現在でもこれだけのどかな岐阜羽島駅。
 昭和30年代に駅の設置が決まった時は、「政治駅」であるとして批判された。

「羽島に新駅を」提言の理由

 東海道新幹線が関ケ原を経由することになった際、岐阜県の政財界は岐阜市内の経由を強く要望した。
 国鉄は、名古屋駅が2面4線しか確保できなかったため、関ケ原でトラブルが発生した際の中継基地となる駅を岐阜県内に設置する方針だったが、岐阜市内を経由することには終始否定的だった。
 地図を見てもわかるように、岐阜駅を経由すれば、新幹線はさらに大きく迂回することになり、建設費も高騰するからだ。

 そこで、国鉄は自民党の実力者である大野伴睦(ばんぼく)に仲介を依頼。
 大野は岐阜県の実力者を集めて意見をすりあわせ、羽島市内への新駅設置を提言したのである。
 この調整がマスコミに誤解され、「政治駅」と批判を浴びることになった。

 こうして開業した岐阜羽島駅だが、東海道新幹線が関ケ原の雪に思いのほか弱いことが明らかになると、その存在意義を強めた。
 現在は、渋滞が少なく名神高速道路の岐阜羽島ICも近いことから、高山・信州方面へのツアーの中継点としても機能している。

 岐阜羽島駅前には、岐阜羽島駅設置に尽力した人物として、大野伴睦夫妻の銅像が立っている。
 大野が岐阜羽島駅を指さし、夫人に語りかけている銅像だ。
 右手に火の付いたタバコを持っているところが、時代を感じさせる。


東洋経済 OnLine、2016年10月29日
新幹線「利用者数最少駅」は、なぜできたのか
岐阜羽島駅は本当に「政治駅」?

(栗原景、ジャーナリスト)
http://toyokeizai.net/articles/-/141928

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2018年03月23日

脱原発国家ドイツに学ぶ

 ドイツのヘンドリクス環境・建設・原子力安全相(65)が本紙に寄稿し、トランプ米大統領が地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」から離脱表明したことを受け、離脱に反対する米国の州による「米国気候同盟」と連携して引き続き米国を取り込み、温暖化対策での国際協力を進めていく考えを表明した。
 パリ協定履行に向け、トランプ政権との対立も辞さない決意を示した形だ。

◇  ◇  ◇ 
 1年あまり前に福島第一原発と周辺地域を訪れ、原子力の利用はいかに甚大なリスクを伴うのかを目の当たりにしました。2011年3月11日、海底地震が引き起こした津波は日本沿岸を襲い、広い地域が荒野と化し、2万人近い住民の方々が亡くなったり、行方不明になったりしました。
 その後の数日間に福島第一で起きた原発事故は大惨事となり、当時のドイツで、政治における考え方を根本的に改める契機となりました。ドイツ政府は、国内の原発の運転期間延長を決定したばかりでしたが、政策転換に踏み切り、原発8基の運転を停止し、残り9基も段階的に稼働停止することを決めました。これにより遅くとも2022年末にはドイツの全ての原発が停止することになります。
 この決定でドイツでは再生可能エネルギーが大幅に拡大しただけでなく、国内の政治論争が納得いく形で収束し、エネルギー政策、気候変動政策の将来のあり方が示されました。ドイツのエネルギーシフトは、同様の計画を進める他国にとってモデルケースとなるだけではなく、むしろドイツ自身が他の部門や業種で構造改革を行う際に役立つ多くのことを学んでいます。
 ドイツは2050年までに温室効果ガスニュートラル(排出量と吸収量を相殺)を広範囲で実現しなければなりません。そのために必要な変革を社会とともに形づくり、新たなチャンスが生まれ、皆が社会的、経済的、そして環境的に持続可能な行動をとるようになることを目指しています。
 この枠組みを定めるのが、2016年末に、パリ協定履行のため長期戦略として策定された「地球温暖化対策計画2050」です。この計画は、経験から学ぶ過程を打ち立て、定めた道筋が削減目標達成のために適切かどうかを定期的に検証することを盛り込んでいます。また、計画は欧州連合(EU)の気候変動政策にも合致しています。ドイツの2030年温室効果ガス排出削減目標の「1990年比で少なくとも55%削減」も、EUの2030年目標のドイツ分担分に相当します。
 エネルギー需要を再生可能エネルギー源で全て賄うまでは、エネルギー部門で脱炭素化を推進するため、特にエネルギー効率を大幅に高める必要があります。
 これに関してドイツはこれまで日本から学び、今でも活発な交流を続けています。資源効率性の向上もまた、日本とドイツが協力して国際的に取り組んでいるテーマの一つです。日本との協力関係が、二国間でも、また先進7ヶ国(G7)20ヶ国・地域(G20)といった多国間の枠組みでも築けていることは非常にうれしいことです。昨年の「脱炭素社会に向けた低炭素技術普及を推進するための二国間協力に関する日独共同声明」は、長期的課題や温暖化対策のさらなる局面において、両国が共に進むべき道を示しています。
 米国政府がパリ協定からの離脱を決定したにもかかわらず、もしくは離脱決定があったからこそ、新たな協力関係が生まれています。ジェリー・ブラウン米カリフォルニア州知事とはつい最近、共同声明に署名を交わしました。知事は、パリ協定を順守するための州の組織「米国気候同盟」で主導的な役割を担っています。パリ協定は現米国大統領の在任期間を物ともせず存続し続けていくと、確信しています。
 ドイツは、特にフランスをはじめEU内で、そして日本、中国、インドとも協力し、地球温暖化対策をさらに推進したいと考えています。G7ボローニャ環境相会合の共同声明は、協力関係を国際的にどう展開していくのかを示しています。ドイツが議長国を担うG20でも必ずや野心的な成果が得られることでしょう。
 今年2017年9月にドイツでは連邦議会選挙が行われます。どの政党が政権を担うことになっても、ドイツの温暖化対策の取り組みは変わることなく、場合によってはより野心的目標を掲げ継続されるのは間違いありません。ドイツの経済産業界も確固たる意志でこの政策を受け入れています。日本とドイツは将来も必ず、両国の温暖化対策技術をさらに進展させていくでしょう。
(バルバラ・ヘンドリクス Barbara Hendricks=ドイツ環境・建設・原子力安全相)


東京新聞朝刊、2017年7月6日
ドイツ環境相の寄稿全文
「脱原発通じて独は多くを学んだ」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201707/CK2017070602000136.html

 東日本大震災、これに続いた福島第一原発の過酷事故を教訓に、ドイツはただちに稼働中の原発のうち7基を停止し、2022年末までに17基すべての原発を廃止することを決めた。一方、日本は昨年暮れの政権交代以来、「国益」をキーワードに原発再稼働の動きが強まっているように見える。ドイツ・ミュンヘンに住んで23年になるジャーナリスト熊谷徹さんに、日本同様「ものつくり大国」であるドイツが脱原発を決断した背景について語ってもらい、福島特別支局・井上能行編集委員と原発、再生可能エネルギーについて意見交換した。
◇  ◇  ◇    
 このフォーラムは「日本のエネルギーの未来図」をテーマに、2013年5月16日に東京都港区のドイツ文化会館で開催した。
【基調講演】ジャーナリスト・熊谷徹さん


 ドイツは福島第一原発事故からわずか4ヶ月で、原発廃止を決定しました。このスピードに皆さんも驚いたのではないでしょうか。
 メルケル首相は福島事故を知ると、2つの委員会から意見を聞きました。一つは原子炉安全委員会。原子力の専門家に原子炉のストレステストを命じました。もうひとつは、安全なエネルギー供給に関する倫理委員会。この委員会には哲学者、教会関係者らが名を連ね、原子力の専門家は入っていませんでした。

 安全委の鑑定書を読んでみましたが、「ドイツの原発は停電、洪水などについて福島第一原発より高い措置が講じられている」と結論付けて、「原子炉を直ちに廃止するべきだ」とは一行も書かれていませんでした。
 倫理委の提言書は、事故がハイテク大国日本で起きたことへの衝撃とともに「原子力のリスク評価は、技術者、専門家だけに任せるべきでない」とした上で、社会的、文明論的な見地からも判断が必要だと、訴えていました。メルケル首相は、この意見を尊重したのです。
 物理学者でもあり、原子力を安全に使うことは可能と考えていたメルケル首相でしたが、福島事故の後、考え方を変えて原子力批判派になりました。
 その理由の一つは物理学者としての判断であり、もうひとつは政治家としてのサバイバル本能だったのではないでしょうか。
 福島事故の半年前、ドイツの公共放送が行なったアンケートで回答者の半数以上が原子力はやめるべきだとしていましたが、事故直後の調査では、それが71%に増えました。それに福島事故後の2011年3月末、それまで保守色の強かった南西部のバーデン・ビュルテンベルク州議会選挙で、連邦議会では野党の緑の党が大躍進しました。

 福島事故に関するニュースは、ドイツでは日本よりもセンセーショナルに扱われていました。メルケル首相は「原子力支持を続けていたら緑の党、社会民主党の支持率がさらに上がってしまう」と瞬間的に理解したわけです。
 「私は日本ほど技術水準の高い国でも、原子力の高いリスクをコントロールできないと理解した」。原子力批判派に「転向」した彼女が6月、連邦議会で行った演説が深く印象に残っています。

 私が日本で講演を行うたびによく受ける質問があります。「ドイツは自国では原子力をやめるというが、原発で作られた電力をフランスから輸入している。矛盾ではないか」と。
 欧州では各国で、需要と供給の原則にのっとり電力をやりとり(輸出入)しています。したがってドイツはフランスからの電力に原子力が使われていることを理由に「輸入したくありません」ということはできないし、物理的に原子力と再生可能エネルギーで作られた電力を分けることは不可能です。さらに、国家安全保障との絡みもあり、原子力の比率を下げろとフランスに言うのも内政干渉にあたり難しいわけで、ドイツは自国の原発からまず始めたわけです。7基の原発を止めたため、一時的にドイツの電力輸入量が増えましたが、通年では輸出量が輸入量を超え、2012年の輸出超過量は前年の4倍に増えました。

 ドイツでは原子力をめぐる論争は1970年代に始まり、脱原子力などを求める市民らが集まり1980年に緑の党が結成されました。ドイツではこれまで少なくとも10ヶ所の原発、高速増殖炉などの核関連施設が建設中止、計画放棄されました。1986年のチェルノブイリ事故では、連邦政府の情報開示が遅いと批判が高まりました。原子力事故について、政府への根強い不信感があるのも確かなようです。

 エネルギー革命の柱は
(1)脱原子力
(2)温室効果ガス、特に二酸化炭素の大幅な削減
(3)再生可能エネルギーの拡大
(4)省エネ
の4つです。
 今、ドイツでは、再生可能エネルギーの助成制度を見直せという声が強まっています。消費者が毎月支払う電力料金に上乗せされる再エネ助成金がここ数年間、大幅に増えているからです。
 エネルギー革命を達成するため必要とされる送電網の建設も住民の反対で、大幅に遅れています。
 また再生可能エネルギーをバックアップする化石燃料の発電所が、電力の卸売価格が安くなったために、稼働率と収益性が悪化しているという現実もあります。

 ドイツでのエネルギー革命ですが、2050年までに80%を再生可能エネルギーにする目標は、遅れる可能性もあると思います。しかし脱原子力、再生可能エネルギーの拡大という方針は変更されないと思います。脱原子力は、国民的な合意です。これを見直そうとする党は、選挙で負ける可能性があるのです。ドイツの政治家は経済団体よりも国民の意見を重視する傾向があります。
 ドイツは先進工業国としてエネルギーの消費を減らしても経済成長が可能であることを世界中に示そうとしているのです。
 本日はありがとうございました。

◇  ◇  ◇
熊谷徹(くまがい・とおる)
 1959年東京生まれ。早大政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中にベルリンの壁崩壊。米ソ首脳会談などを取材。1990年からはフリージャーナリストとしてミュンヘン市に在住。統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題などを取材している。
 著書に「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」「脱原発を決めたドイツの挑戦・再生可能エネルギー大国への道」など多数。
 2007年度平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。

[対談]熊谷さん × 福島特別支局・井上編集委員
井上 ドイツには日本の電源三法のような地元への補助金政策がないが、どうして原発が設置できたのですか。

熊谷 雇用が生まれ、営業税の税収が地方自治体に入るととらえられているからです。ただ10を超す核関連施設が反対運動などのため建設されませんでした。カルカーに高速増殖炉を造ろうとしたが、激しい反対で建設できず、この跡地は今は遊園地。ドイツの原子力文明が終わったことの象徴だと思います。

井上 ドイツで秋に総選挙があります。野党は脱原発を訴え、与党はこの間まで原発推進だった。選挙はどうなりますか。

熊谷 与野党ともに単独で過半数を取れない可能性が強い。エネルギー政策におけるメルケル政権の目標は2050年までに再生可能エネルギーの比率を80%に増やすこと。今春に緑の党が発表したマニフェストでは、2030年までに100%に、社会民主党も2050年までに100%にすることを目標にしています。

井上 再生可能エネルギーはあんなに金がかかるのかと批判も出ている。ドイツでも電気料金が上がっている。再生可能エネルギーに価格競争力はあるのでしょうか。

熊谷 日本の太陽光による電力の買い取り価格は高いといわれますが、ドイツでも初期には今よりも高い水準でした。しかし価格は漸減しています。料金だけを見ると、ドイツで再生可能エネルギーだけを売る販売会社の電気料金は、それ以外の電力に比べ大幅に高いとはいえない。特に水力を多く使っている会社は価格競争力がある。

井上 再生可能エネルギーが始まったばかりの日本は、高くても仕方がないくらいの気持ちでいいと。

熊谷 緑の党の哲学は、エネルギーのコストをわざと高くすることで消費量を減らす考え。これが日本ではあまり理解されていません。ドイツは経済的な理由から再生可能エネルギーを増やそうとしているという見方がありますが、そうではなく、政治的イデオロギーから拡大させているのです。

井上 日本では使用済み核燃料の最終処分場が決まらないまま何十年も過ぎています。ドイツはどうですか。

熊谷 市民の半数以上が反原子力である理由の一つが、高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていないことです。1970年代にニーダーザクセン州のゴアレーベンが候補地として発表され、その後凍結されました。メルケル政権は2015年までに候補地の要件を決め、2032年ごろまでに候補地を決定するつもりです。ただ、候補地が決まれば反対運動が強まることが予想されます。

井上 技術者の倫理という問題があります。メルケル首相の倫理委は衝撃的です。日本で原発を止めるとなると科学者、技術者の判断で倫理は出てこない。なぜドイツは倫理を選んだのですか。

熊谷 福島事故より前から倫理委はありましたが、テーマは遺伝子操作、生命科学、医学の問題が中心でした。政府内には、原子力、脱原子力を倫理委で議論することに反対意見もありましたが、「原子力の問題は国民の健康と安全にかかわる問題」というメルケル首相の意見が通りました。

井上 福島特別支局に着任し、飯舘村の菅野典雄村長と話をしていて、これは福島以外の日本人へのメッセージだと思ったことがありました。「東日本大震災から何を学ぶべきか忘れているのではないか。経済第一、成長第一の発想からの転換が必要だとあの時思ったのではなかったのか」(菅野村長)と。ドイツから見て(今の日本は)どうですか。

熊谷 日本人は勤勉な民族です。しかし経済的効率性を追求するあまり、もっと大事な自分の人生や健康といったものを無視してまで頑張ってしまいます。私はその姿を「木を見て森を見ない」国民性だと思います。一方ドイツ人は、自分や家族の健康と安全を第一に考える。エネルギー問題に関しても、経済的利益や効率性だけではなく、自分の健康と安全にどんなリスクがあるかを優先して考える。そんなふうに感じています。


◆ 参加者との質疑応答
Q=脱原発は冷戦終結(東西統一)と関係がありますか?
A=関係ありません。緑の党と社会民主党の左派連立政権(シュレーダー政権)が1998年に生まれたことが、最大の原因です。緑の党は2000年に電力会社との間で初の「脱原子力合意」を達成し、再生可能エネルギーの本格的助成を始めました。

Q=原発を停止することで電気料金が上がり企業の国際競争力が落ちるということが現実にあるのでしょうか?
A=ドイツの電力販売会社は今年2013年1月に約10%電気料金を引き上げましたが、この原因は再生可能エネルギーに対する助成金が大幅に増えたことです。原子炉7基の停止が直接の原因ではありません。

Q=日本では発送電分離が取り沙汰されているが、ドイツでは?
A=大手電力会社4社のうち、3社が送電部門を完全に売却して「所有権分離」を行いました。それでも英国や北欧に比べて発送電分離が遅れました。欧州委員会は発送電の分離を促進するよう、ドイツに対し強く勧告しています。

東京新聞、2013年6月13日
東京新聞フォーラム
「日本のエネルギーの未来図 脱原発国家ドイツに学ぶ」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/forum/list/CK2013061302000278.html

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新しいものさし

 世界水の日・・・、・・・水と空気はただ、というのがわれわれの感覚ですがどっこい、この地球をみて見ますと、そうとばかりは言えません。
 世界水の日にちなんでちょっとばかり「新しいものさし」をとりだしてみませんか?

THE ANSWER IS IN NATURE
How can we reduce floods, droughts and water pollution?
By using the solutions we already find in nature.
World Water Day 2018

http://worldwaterday.org/

「新しいものさし」で考えよう
 気候変動やグローバル化などで深刻化する問題に対応するため、国連が採択した持続可能な開発目標(SDGs)。
 キャスターの国谷裕子さんをナビゲーター役に、私たちと地球の未来を考えていきます。

http://www.asahi.com/special/sdgs/?iref=pc_extlink

 SDGs(Sustainable Development Goals).
 地球環境や経済活動、人びとの暮らしなどを持続可能とするために、すべての国連加盟国が2030年までに取り組む行動計画。2015年の国連総会で全会一致で採択された。
 「誰も置き去りにしない(leaving no one left behind)」を共通の理念に、平等な教育、気候変動への対策など17分野からなる。
 「各国の所得下位40%の人びとに国内平均より高い所得の伸びを実現」といった具体的な目標は、169項目に及ぶ。
 国連は2001年にも、貧困の削減などを目指す開発指針「ミレニアム開発目標」(MDGs)を策定。乳幼児死亡率の削減など、発展途上国が抱える問題を挙げ、解決策を探った。だが、その内容は先進国が決めており、途上国からは反発もあった。進展には地域の偏りなどの「見落とし」があったとも指摘された。
 その後継として策定されたSDGsは、目標作りから途上国が参画。
 グローバル化した世界では途上国への開発支援だけでは問題が解決しないとの認識のもと、先進国が国内で取り組む課題を新たに盛り込んだ。
 ジェンダー平等の達成や、国内の不平等を減らすこと、効果的で責任ある包摂的な制度を構築すること、安全で働きがいのある仕事の提供など、日本も取り組むべき課題が入っている。
 日本政府は昨年2016年5月、安倍晋三首相を本部長とする「SDGs推進本部」を発足。企業やNGO、有識者を招いた「円卓会議」の意見を集約した上で、昨年2016年末に、実施計画を発表した。

地球は人間なしで存続できても、私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは、私たちなのです

 SDGsのとりまとめに奔走したナイジェリア出身のアミーナ・モハメッドさんから聞いたことばが忘れられません。
 先ごろ国連の副事務総長に抜擢(ばってき)されたアミーナさんは、故郷でチャド湖を見ながら育ちました。けれども、彼女が子どものころ海だと思っていた琵琶湖の40倍もある大きな湖は、今は温暖化と灌漑(かんがい)の影響で消滅の危機にあります。
 このままだと地球がもたない。その危機感から各国が共同で変革に取り組んでいくために産み出されたのが、SDGsです。
 2年半に及ぶ多国間交渉でようやくまとまった国際合意なのですが、私は2015年9月に国連総会で採択される直前まで知りませんでした。番組作りのためいろいろなアンテナを張って情報収集をしていたというのに、動きがあることすら知らなかった。とても恥ずかしく思いました。
 採択目前に取材に入ったニューヨーク。SDGsの合意形成に関わった人たちの間には、地球の限界が見えてしまっているという危機感が共有されていて、SDGsを手がかりに、世界を変えていくのだという強い思いを感じました。

 けれども日本では、SDGsは積極的に取り上げられませんでした。
 1年以上たった今も、よく知られていません。
 どこまでできるかわかりませんが、SDGsを伝えていく使命を感じています。


 ニュースキャスターとして2016年3月まで23年間、日本社会の課題と世界の変化を追いながら、ありとあらゆるテーマに切り込みました。そうしたなかで、ひとつの問題に向き合って解決策だと思ったことが、別の問題を引き起こすことがあり、課題解決の難しさを実感することが多くなっていました。
 そんな私にとって、SDGsとの出会いは、とても新鮮でした。
 地球を維持していくための17の目標から逆算して、必要な行動を考える発想。互いに深いところでつながっている課題を解決するために、経済、社会、環境などをつなげてとらえ、統合的に解決していく手法。かつてない意欲的な取り組みに、大きな可能性を感じています。
 SDGsに合致しているかどうかを問うことが、政治や経済、生活のありようを変えていく糸口になります。私たちは「新しいものさし」を、手に入れたのです。それを使いこなしていくことは、政府だけでなく、企業や市民にも求められています。

 目標の達成に向けて、日本が弱いと指摘されている分野があります。
 貧困やジェンダー、エネルギー、気候変動などです。
 一人ひとりの認識が変わらなければ、達成は遠のくばかりではないでしょうか。

 情報の発信と共有が必要です。私もメディアの一員として、SDGsを広めていくお手伝いができたらと思っています。


朝日新聞、2017年1月31日01時38分
地球維持する取り組み、伝えたい 国谷裕子さん
https://www.asahi.com/articles/ASK1S7GH1K1SUPQJ00Q.html?iref=spe_sdgs_top

 国際社会がSDGs(エスディージーズ)(持続可能な開発目標)に合意して2年。私たちは「新しいものさし」をどのように生かしていけばいいのか。2017年10月2日の「朝日地球会議」(2日目)で、設計段階からSDGsにかかわる国連副事務総長のアミーナ・モハメッドさんに、キャスターの国谷裕子さんが聞いた。

国谷 SDGsの実現に向けて進もうとしているのに、世界では悪循環が起きています。飢餓人口が増加に転じ、8億1500万人もいると国連が発表したばかりです。気候変動と紛争が主な要因とされています。

モハメッド かつてないレベルの教育と技術、資源を手にしている世界で、8億人以上が飢えや栄養不足の状態であってよいはずがありません。
 SDGsは問題を根っこから解決するもので、応急措置的な従来の援助とは異なります。けれども、慣れた方法でやっている人が多く、新しい枠組みにまだ移行できていません。

国谷 野心的な世界共通の目標をどうやって実現するのか。国や企業、私たち自身も考えなくてはいけません。

モハメッド 私たちは「地球村」の住人であり、つながっています。「誰も置き去りにしない」ために、自分たちの社会で誰が取り残されようとしているのか、明確にすることから始めて下さい。
 教育の不平等は先進国にもあり、とりわけ女性と若者では深刻です。第4次産業革命といわれる技術革新が進むなか、人びとのスキルが追いついていけるかという課題もあります。

国谷 技術革新によって持てる者と持たざる者との差が広がり、将来に期待を持てない人が増えかねません。だからこそ、社会的な対話がかぎになると思います。

モハメッド SDGsはいわばガイドです。貧困をなくし仕事を増やすことに反対する人はいません。問題はどうやってアプローチするかで、社会のなかで対話を重ねる必要があります、今回の集まりもその一つだと思います。
 何が間違っていて、どうすれば改善できるのか。人々の優先課題は何か。多様な人たちの参加を確保しながら、厳しく問いかけるのです。例えば、気候変動に影響を与える生産と消費について。必要なものなら持つべきですが、欲しいものには際限がなく、しばしば紛争の引き金にもなります。話し合って下さい。
 それから、若者たちが2030年までに何を見たいのか、そのために私たちは何をする必要があるか、対話が必要です。そうした議論がないと、人びとは失望して、通常なら思い描かない指導者が政権の座につく恐れもあります。

国谷 イノベーションを起こしながらの実施には、年に2兆5千億〜5兆ドルが必要だと言われています。資金をどうやって引き出していきますか。

モハメッド 使われていない何兆ドルもの資金があります。金融手法の導入など、政府や企業、多国間システムが協力してあたってほしい。すでに合意されている資金の枠組みもあるのですが、実施に向けた意志とリーダーシップが弱いままです。

国谷 大量生産、大量消費、大量廃棄の状況も変えなくてはいけません。SDGsは、痛みを伴うと指摘していますね。

モハメッド ええ、困難な道のりだからです。持続性を高めるために持っているものを手放せと言われたら、誰でも惜しくなるものです。それでも、私たちは繁栄を分かち合うすべを見つけなくては。栄養がぜいたくであってはならないからです。
 地球村を見渡し、これまで以上のことをする。結局は、それが皆んなのためになります。繁栄を分け合うことで、平和を手にできるからです。この効果を無視すれば、とても高くつきます。
 生まれながらのテロリストはいません。排除にあった人が過激になるのです。人々がトンネルの先の光のような希望を持つことができるように、なんとか努力する。それがSDGsだと思います。

国谷 自分たちの行動が地球に与える影響を理解し、不都合なことから目をそむけない。「はいつくばって」と表現していますが、そうすれば目標の達成を……。

モハメッド できます。

国谷 達成できるのだと。何が決め手になりますか。

モハメッド 正直に誠実にひっぱる人たちの存在です。私が日本に来たのは、みなさんが良い例を示して世界を変えられると思っているからです。
 「害を与えない」ということを、常に考えるべきだと思います。自分の生活が誰かに害を及ぼしていないか、と。どこかの二酸化炭素の排出が、別の場所のハリケーンになっているのですから。
 良いニュースはSDGsという解決策を手にしていること、悪いニュースは取り組みがまだ足りないことです。
◇ ◇ ◇ 
 モハメッドさんの希望で、東京都内の8校の女子生徒約300人も対談を聞いた。対談後には、高校生と大学院生の4人が英語でモハメッドさんに質問した。
 桜蔭高校2年の小田切文(あや)さんは「どうすれば途上国は経済的に自立できるか」と尋ねた。
 モハメッドさんは、海外からの直接投資の必要性を説いたうえで、「ガバナンスが弱く、プロジェクトを推進する能力も不足している国が多い」と指摘。教育制度を発達させ、人材育成の仕組みを作ることが重要と訴えた。

 豊島岡女子学園高校3年の小柳菜生子(なおこ)さんは、SDGsを達成するために必要なリーダーの資質について質問した。
 「まずは誠実さと、自分の信念に従って行動すること。それをやり通すには大変な勇気が必要です」とモハメッドさん。
 そして「誰も置き去りにしないこと」と付け加えた。「困っている人の横を通り過ぎることができない、という思いが行動の源泉であるべきです」
 モハメッドさんからは「あなたがリーダーになったら、何を変えたい?」。
 小柳さんが「日本を誰もが幸せに暮らせる国にしたい」と答えると、「そういう目標があれば、必ず人のために何かをする場にいるでしょう」と語りかけた。

 国際基督教大院生の秋山肇さんは、「日本で女性の国会議員を増やすためにできること」を聞いた。
 モハメッドさんは「18歳以上の若い方々は投票所へ出かけ、女性候補に票を投じて」と呼びかけ、「男性とともに女性も意思決定に関われば、男性のみの場合より間違いなく良い結果を生むでしょう」と話した。

 マレーシア出身の慶応大院生、アリザン・マハディさんは国連改革について尋ねた。責任者の一人であるモハメッドさんは「国レベルで恩恵をもたらし、SDGsを後押しするものにしたい」と述べた。

対談を聞いて
〈聖心女子学院中2年 松井莉恵子さん〉
「誰も置き去りにしない」という言葉が印象的だった。SDGsを水先案内人に、多様性にどう向き合うか、学校生活でも考えたい。

〈吉祥女子高2年 松下来未さん〉
先進国の私たちの不自由ない生活は、誰かの負担の上に成り立っている。「この場に来ていない人たちにこそ聞いてほしい」という言葉に、情報発信を通じて少しでも貢献したいと思った。

〈普連土学園高1年・土田有華さん〉
「自分にできないことではなく、できることを考えながら会場を後にして」という言葉に、私たち一人一人の人生を変えることができると感じた。

〈桜蔭中3年 長田桜子さん〉
未来の子どもたちへの投資が必要だという話が心に残った。将来の夢は小児科医。「未来を担う人」の命をつなぐ重要な仕事なんだと実感した。

〈田園調布雙葉高1年 松原未来さん〉
女性が最前線に立つべきだ、という言葉が印象に残った。女性だからといってあきらめず、自分で現状を変えられるよう努めたい。
◇ ◇ ◇
SDGs
 2015年に国連で全会一致で採択された「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」。
 貧困の根絶や格差是正、働きがい、環境保護など17分野の目標を2030年までに達成することを目指す。具体的な行動の目安となる169のターゲットがある。
 途上国支援のため2000年〜2015年に取り組んだ「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)」も引き継いだ。
 日本は、性による差別や機会の不平等をなくす「ジェンダー平等」、食品廃棄の半減が入る「責任ある生産と消費」などで達成が困難とされている。


朝日新聞、2017年10月22日07時17分
私たちは「地球村」の住人、豊かさ分け合う道を探そう
(構成・北郷美由紀 藤田さつき、仲村和代)
https://www.asahi.com/articles/ASKBB6KMZKBBULZU01S.html

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世界水の日 World Water Day

 3月22日は国連の定める「世界水の日 World Water Day」!
 でもニュース性がないのか国内のメディアってとりあげてくれません。
 そんなわけで今日は市民団体からこんな記事を引用することから始めます:

◆ 世界の水はたったこれだけ

 地球は水の惑星といわれていますが、飲み水として利用できる水はどのくらいあるのでしょうか。
 実は98%が海水で、淡水は2%、その大部分は南極や北極の氷山などで、私たち陸上生物が利用できる水は全体の0.01%にも満たないのです。
 地球上の水すべてが風呂桶一杯の水だったとすると、私たちが使える水はわずかに一滴。
 この一滴の水をすべての陸上生物が分かち合って生きているのです。
 この水が枯渇したり汚染されると、すべての生物が絶滅してしまうのです。

◆ 水危機の現状

 現在、世界の約7億人が、水不足の状況で生活しています。
 不衛生な水しか得られないために毎日4900人(年間約180万人)の子どもたちが亡くなっています(国連水資源報告書,人間開発報告書)。
 水不足の地域では、干ばつや地下水の減少、湖沼が小さくなるなど、食糧を作るための農業用水や飲み水さえ十分に得られなくなっています。
・ 黄河:
 中国第2の大河の取水が増えたために、1年の半分以上は河口まで水が流れなくなり、流域の人びとが飲料水にも困り、工場の操業停止、公衆浴場、公衆便所も使えなくなった。
・ アラル海
 世界第4の湖(びわ湖の100倍)が近代農業(綿の栽培、灌漑農業)のために水量が激減。
 面積は半分、水量は1/3、塩分濃度が上がり、漁獲量がゼロになってしまった。
 干上がった湖底の塩分が風で周囲に飛散し、塩害で農業は壊滅的打撃を受けている。

◆ 水不足から食糧危機を招く
 小麦などの穀物の栽培には大量の水が必要です。
 1キログラムの穀物の生産にはその1000倍以上、つまり1トン以上の水が必要です。
 水不足になることは食糧の不足へとつながるのです。
 特に人口増加に伴って、食糧を増産する必要が出てきたため、これまで農地にしていなかった乾燥地帯で灌漑農業が行われるようになりました。
 このことにより、さらに大量の水が必要となりました。
 黄河やアラル海が干上がった原因は、大規模な灌漑農業を行うために、上流域で大量の水を河川から汲み出したため引き起こされたのです。
 アメリカやインドでは地下水が枯れて農業用水が十分に得られなくなり、農地が減り始めています。
 世界の食糧生産の4割以上を支えている灌漑農業は、その生産量を維持することが難しくなっています。
 このままでは大規模な食糧不足は避けられないのです。

◆ 水をめぐって国際紛争も

 いくつかの国際河川(国境をまたがる河川)では、河川の水量よりも上流での水需要が多くなり、下流で水が枯渇し始めたことによる国家間の紛争さえ起きています。
 こうした地域は今後、人口が増加するにつれてさらに増えると予測されています。

[世界の水紛争]
☆ すでに紛争が起きた地域
・ リオグランデ川 ( アメリカとメキシコ)
・ インダス川 (インドとパキスタン) など
☆ 今後紛争が予測される地域
・ ナイル川( エジプト、エチオピアなど)
・ ガンジス川 (インド、ネパールなど)
・ チグリス・ユーフラテス川(トルコ、シリア、イラクなど)

◆ 水不足の原因は?

 どうしてこのような水不足がおきているのでしょうか?
 私たちの豊かな生活を支えるために水の使用量が急増したことが、最も大きな要因なのです。
 特に食糧を増産する為の水消費は50年前に比べて3倍増加しています。
 さらに途上国での工業化や生活の物質的な向上によって、水需要全体も50年前の3倍になっています。人口増加の2倍の割合で水消費が増えているのです。

◆ 今後の予測
 2050年に人口は90億人になると言われています。食糧生産や途上国の経済発展に伴ってますます水需要が増加します。
 さらに温暖化により、世界各地の雨の降り方も大きく変化し、乾燥化が進むところや洪水により、かえって飲み水などが不足する地域も出てくるのです。
 2025年には世界人口の2/3が水不足になると予測されています(第4次地球環境概況など)。

◆ 世界から水をかき集める日本!(下グラフ)

 こうした水不足を引き起こしている原因の大部分は、アメリカやEU、日本などの先進国の水の大量消費 です。
 近年では、インドなどの発展途上国が近代化したことも原因に含まれます。
 さらに大きな問題として、輸入に頼っている日本は、その生産に必要な水を間接的に消費していることになります(これを仮想水と呼びます)。
 日本が輸入している大豆や小麦は100億トン、牛肉は150億トンの仮想水を輸入しているのと同じなのです。
 日本の輸入品(農産物や工業製品)のために使われている仮想水は全部で約800億トンになり、日本の水使用量全体(約830億トン)とほぼ同じ量の水を海外で消費していることになります。
 例えば、輸入された米、輸入された牛肉で作られた牛丼を一杯食べるということは、海外で使われた数トンの水を消費していることと同じです。
 私たちの普通の生活のために、想像以上に途上国の生活を破壊しているのです。

◆ できることからはじめよう

 水は私たちが生きていく上で欠かすことができません。
 水が豊富な日本では、昔は自然が浄化できる範囲の活動でしたが、今はその範囲を超えてしまっています。
 私たち一人ひとりが水の使い方を見直すことが必要です。
・ 水の危機(水を汚染し、ムダ使いしているのが自分であること)を知ること
・ 徹底した節水、4R(リフューズ(refuse やめる)、リデュース(reduce 減らす)、リユース(reuse 再使用)、リサイクル(recycle 水資源を再利用する)が基本。
 * 風呂、洗たく、水洗トイレ、洗面、炊事、洗車、庭の水まき、など
・ できるだけ国産品を利用する(仮想水を減らすことにつながる)
・ 台所などから油などを流さない(生活排水は海へと流れていく)


ネットワーク「地球村」
5分で分かる水資源の危機
http://www.chikyumura.org/environmental/earth_problem/water_resource.html

 マレーシアでのキャンペーン記事をお読みください:

THIS year, World Water Day, celebrated annually on March 22, is themed “Nature for Water”, examining nature-based solutions (NBS) to the world’s water problems.

The campaign − “The Answer is in Nature” − promotes a sustainable way to normalise the cycle of water, reduce harms of climate change and improve human health through planting trees to replenish forests, reconnecting rivers to floodplains and restoring wetlands.

An estimated 2.1 billion people have no access to drinkable water because of the polluted ecosystems affecting quantity and quality of water available for human consumption. At the same time, the number of individuals living in water-scarce areas equals 1.9 billion and may reach 3 billion by 2050, while about 1.8 billion people drink water coming from an unimproved source, which puts them at risk of water-borne diseases. All of these negatively influence human health, education and livelihoods.

The most water-scarce region in the world is the Middle East and North Africa (Mena) where more than 60 per cent of the population has little or no access to drinkable water, and more than 70 per cent of the region’s gross domestic product (GDP) is exposed to high or very high water stress.

Water scarcity in Mena involves multiple factors, such as climate change leading to droughts and floods, low water quality and poor water management in the context of fragility, conflict and violence. This is one of the reasons why at the World Economic Forum 2015, experts on the Mena region stated that water crisis is “the greatest threat to the region − greater even than political instability or unemployment”.

Poor water quality in the region is caused by unsustainable water consumption, pollution and untreated wastewater. The cost of these in the region represents 0.5-2.5 per cent of the GDP annually. This causes multiple problems, ranging from waterborne diseases to the pollution of fresh water necessary for ecosystem services, such as fisheries. For this reason, according to the International Union for Conservation of Nature, 17 per cent of freshwater species in the region are on the brink of extinction.

Globally, Mena reports to have the highest loss of freshwater in its food supply chain. Some Mena countries lose from 80 to 177 cubic metres per capita of freshwater resources in food supply annually. At the same time, Mena returns 57 per cent of the collected wastewater to the environment untreated, causing health problems.

Climate change is one of the main factors leading to the increased water stress. It causes decreased rainfalls (in some parts of the world) and an increase in temperatures, which influence water supply and demand. Climate change also increases surface water stress in the countries with political and environmental problems.

For this reason, regarding Mena, scientists predict that Iraq, Lebanon, Jordan, Morocco, and Syria will experience high “surface water stress” in the following years. At the same time, climate change leads to the sea level rise that increases possibility of floods, the most frequent natural disasters in Mena. It should also be recognised that the most vulnerable group of people to the “weather-related shocks” is the poor.

Precisely planned water management is needed to sustainably solve water problems and to propose water services affordable for both consumers and governments. At the same time, water management is necessary to reduce costs and social instability after floods, droughts and water scarcity, as water problems can contribute to the economic, social and political unrest in the countries. In 2016, World Bank estimated that Mena will lose six to 14 per cent of its GDP because of water scarcity caused by climate change by 2050.

As climate change and damaged ecosystems play an important role in water-related problems, NBS would represent a sustainable way for solving the challenges. The main goals of NBS are: increasing water supply and availability, improving water quality and managing risks.

Hence, it follows that NBS can contribute to the following sustainable development goals: zero poverty and hunger, good health, increased employment, affordable and clean energy, industry, infrastructure and innovation, sustainable cities and communities, and responsible consumption and production.

One of the main contributors to the solution of water-related problems is the World Water Council, an international organisation which leads World Water forums every three years. On March 18 to 23, WWC organises the 8th World Water Forum in Brazil to lead the decision-making process on water to achieve sustainable management of the resource.

The organisation’s political and institutional scope transforms the forum into democratic dialogue between people from different sectors of international community.


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Water in Judean Desert in Israel. The most water-scarce region in the world is the Middle East and North Africa where more than 60 per cent of the population has little or no access to drinkable water. IPS

New Straits Times, Published: March 21, 2018 - 8:26am
The threat of water crisis
By Sopho Kharazi − IPS
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/03/347519/threat-water-crisis

FRESHWATER makes up only 2.5 per cent of all water on earth. Readily accessible freshwater, which is found in rivers, lakes, wetlands and aquifers, accounts for less than one per cent of the world’s water supply.

It is vital for the existence of nearly every species.

We use it for drinking, bathing, growing our food and sustaining our livestock, and to keep our industries running. Yet when we turn on our taps or take a hot shower, most of us don’t realise just how precious the water that comes out is.

We are seeing global water supply dwindle to critical lows. Today, around 1.9 billion people live in severely water-scarce areas. By 2050, this could increase to around three billion people.

Some of the world’s biggest cities, like Sao Paolo, Jakarta and Mexico City, are facing water challenges. In Cape Town, threatened freshwater supplies could force the government to shut down the water supply, leaving citizens to collect water at ration points.

We cannot afford to be careless with this resource. So how did we get here? And, more importantly, how can we get back to a stable water situation?

As the global population grows, freshwater supplies are threatened by industrial development, demand for more agricultural and meat production, pollution and climate change.

Consecutive years of drought have reduced water reservoirs to critical lows, sparking water emergencies.

Now, water scientists are looking to nature for the answer.

Liquiñe, a rural town in the Los Ríos region of Chile, had a once lush, natural environment with abundant vegetation and fast flowing rivers. A combination of climate change and deforestation depleted the region’s natural watercourses.

But when Chile’s National Forest Corporation intervened with the support of the United Nations Programme on Reducing Emissions from Deforestation and Forest Degradation, part of the native forest around the town has since been restored.

The reforestation of Liquiñe illustrates how balancing nature-based solutions with urban development can stabilise water supplies and protect ecosystems.

As Fabián Carrasco, president of Liquiñe’s Rural Drinking Water Committee, said: “If there are no forests, there is no water. Sometimes people understand it backwards, so that is why it is necessary to make the population understand that Earth is in a tight balance and we must protect it.”

Reforestation is just one example of how protecting natural resources can be a powerful solution to address global water challenges. Of course, nature-based solutions cannot solve every water problem, but they can provide innovative and cost-effective options to supplement insufficient or ageing water infrastructure.

Smartly-managed natural landscapes can improve water availability, supply and quality, while managing future risks.

For example, there is ample evidence that natural wetlands and green groundwater reservoirs, can be more sustainable and cost-effective than building grey infrastructure, like dams and canals.

Forests and sustainably-managed fields can regulate and improve water quality.

Green infrastructure, such as strips of land along watercourses planted with native trees, can help buffer pollution from agriculture.

Cities can be made more resilient against extreme weather events and the effects of climate change, averting future risks to freshwater supplies, by connecting rivers to floodplains, or by planting vegetation along riverways.

On World Water Day March 22, the United Nations Educational, Scientific and Cultural Organisation, the Convention on Biological Diversity and UN Environment will celebrate nature-based solutions and how they can help us manage threats to our freshwater ecosystems.

The commemoration is meant to inspire people to take actions, and share their personal connection to water and nature around the world, as well as to encourage research on nature-based solutions among academia and the business sector.

Nature-Based solutions don’t solve every water problem. Sometimes grey infrastructure, such as dams and concrete reservoirs, provide relief for overstretched water sources.

But incorporating solutions that nature can offer is vital for long-term freshwater sustainability, and averting future threats.

There is no question that freshwater is one of the earth’s most vital resources.

And as we look to protect our communities from droughts and floods, and ensure that we have enough water to keep us thriving for generations to come, the answer is in nature.


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Smartly-managed natural landscapes can improve water availability, supply and quality. IPS PIC

New Straits Times, Published: March 22, 2018 - 9:23am
How nature can bring water back to ecosystems
By YEONJU JEONG− IPS
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2018/03/347906/how-nature-can-bring-water-back-ecosystems

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2018年03月22日

2月7日は「北方領土の日」

 ヤッホーくんのこのブログ、2018年3月19日付け日記「常圓寺」を」ご参照ください。
 その日記でやっほーくん、筒井政憲の墓まいりをしたと書きました。
 そして、1855(安政2)年2月7日、日本とロシアは伊豆下田の長楽寺で日ロ通好条約に署名し、日本とロシアの国境を確定したことから、この日が『北方領土の日』となったのでしたよね・・・復習でした。
 でもロシアとはいまだに領土問題が未解決となっています。
 まずは昨年2017年の段階で:
 
 ロシアのプーチン大統領は2017年6月1日、北方四島について「日本の主権下に入れば、これらの島に米軍の基地が置かれる可能性がある」と述べ、日米安保条約が適用される現状では日本への返還は難しいとの認識を示した。
 プーチン氏が、北方領土への米軍の展開に対して公に懸念を示したのは初めて。
 日本政府は北方四島での「共同経済活動」を領土交渉の糸口にしたい考えだが、安全保障が障壁となり、極めて厳しい状況だ。

 プーチン氏はこの日、経済フォーラムが開かれているサンクトペテルブルクで世界の主要通信社の代表と会見。
 北方四島の非武装化の可能性についての質問に答えた。
 プーチン氏は、北方四島でのロシアの軍備増強について、米軍への「必要な対抗措置だ」との考えを示した。
 また「米国のミサイル防衛システムが配備されるかもしれない。ロシアとしては受け入れられない」とも述べた。

 プーチン氏はカムチャツカ半島と千島列島をアジア太平洋の国境防衛の拠点と位置づける。
 朝日新聞の取材では、これまでも首脳会談などの場で、北方四島への米軍の展開に懸念を示してきた。
 昨年2016年12月の訪日時、首脳会談後の共同会見でも日米安保条約に触れ、北方四島の軍事的な重要性を述べたが、より強い姿勢を示した格好だ。


朝日新聞 2017年6月2日01時22分
プーチン氏
北方四島返還なら「米軍展開の可能性」

(ウラジオストク=中川仁樹)
https://www.asahi.com/articles/ASK616GN7K61UHBI02R.html

 ね、「日本の主権下に入れば、これらの島に米軍の基地が置かれる可能性がある」んです。
 それだけね、日本は米軍の✋のなかにある、とイマも世界の常識になっているんですねぇ。
 今年2018年になっても:

 北方四島の共同経済活動をてこに領土問題を前進させる―。安倍晋三首相の路線を帰属の確認にどうつなげるか。そこが問われる。
 きょう2月7日は「北方領土の日」。1855年2月7日の日露通好条約で、四島が平和的に日本領となった史実を踏まえた記念日だ。
 戦後72年を経て、元島民の平均年齢は82歳を超えた。返還への思いは切実さを増している。
 だがきのう2018年2月6日の日ロ外務次官級協議でロシア側は、共同経済活動と領土交渉を切り離す意向を示唆。返還への道筋は見えない。
 日本政府は、ロシア主導となった交渉を建て直し、帰属確認の原則に立ち返らねばならない。
 共同経済活動について日本側は、首相が5月にロシアを訪問し、プーチン大統領との首脳会談の場で具体化に導く青写真を描く。
 その前さばきとなるきのうの協議では、海産物増養殖や観光ツアーなど5項目の候補について「建設的」な議論が行われたという。
 ただ具体的な事業内容や、大前提となる「双方の法的立場を害さない特別な制度」を巡る交渉は、今後の局長級作業部会や再度の次官級協議に持ち越された。
 日本側は、まず事業項目を絞った上で法的枠組みを探る手順を描いてきたが、交渉は難航しているようだ。
 さらにロシア側は協議の冒頭、「交渉を政治的な影響から守る」と述べた。共同経済活動と領土問題に一線を引く狙いだろう。
 これでは本末転倒である。法的原則の上に事業計画を築く、本来の姿を取り戻さねばならない。
 ロシア側は近年、四島への実効支配を強める。国防省は今月2月、民間空港だった択捉島のヤースヌイ空港を軍民共用空港とした。択捉にはほかにも軍用空港があるが、空軍の運用を強化する。
 ショイグ国防相は昨年、北方領土を想定した新たな師団配備を表明。一昨年は択捉、国後両島に新型地対艦ミサイルが配備された。
 首相はこれまでプーチン氏と20回もの会談を重ね、信頼関係の構築を誇ってきた。その一方でロシアによる島の「軍事化」が進んでは帰属確認には足かせとなろう。
 根室市など北方領土の隣接地域は貴重な漁場を奪われて経済的に疲弊し、共同経済活動の成果に期待が高まっている。元島民にも、経済活動を通じて島への往来がより自由になるとの思いがある。
 だがその先に、島の返還という変わらぬ願いがあることを、日本政府は忘れてはならない。


北海道新聞・社説、2018年2月7日
北方領土の日
帰属につながる交渉を
http://editorial.x-winz.net/ed-86667

 きのう2月7日は「北方領土の日」だった。1855年に択捉島の北を日露間の国境と定めた日露和親条約の締結日にあたる。
 東京都内で開かれた返還要求全国大会で、安倍晋三首相はプーチン露大統領と20回の会談を重ねてきた実績を踏まえ、領土交渉を「一歩一歩着実に前へ進める」と約束した。
 戦後73年となり、元島民の3分の2はすでに他界し、残る約6000人の平均年齢は83歳になった。一刻も早く解決しなければならない。
 2016年12月に山口県で行われた日露首脳会談は、領土交渉をいったん棚上げし、北方領土での共同経済活動などを通じて信頼関係を高め、平和条約締結につなげていく「新しいアプローチ」に合意した。交渉方針の大転換だった。
 それでも日本には、解決に意欲を見せるプーチン氏が今年2018年3月の大統領選で再選されれば、打開へ動き出すのではという期待があった。
 ところが情勢は大きく変わった。
 昨年2017年1月、対露改善を唱えて就任したトランプ米大統領だったが、この1年で米露関係はむしろ悪化した。さらに3月2日公表された米国の「核態勢見直し(NPR)」は、ロシアへの対抗措置を強く打ち出した。
 この中で米政権は、ロシアが局地戦で小型核兵器を使用する可能性に対抗するため、小型核弾頭や核巡航ミサイルの開発による核戦力強化へかじを切ると宣言した。ロシアも対抗しようとするだろう。
 アジアでは、北朝鮮の核・ミサイルに対するミサイル防衛システムなど米国の軍事プレゼンスが高まっている。警戒するロシアは択捉空港の軍民共用化を決めるなど、北方領土を含む千島列島で軍備を強化している。ロシアにとって北方領土の軍事的価値は高まっている。
 こうした状況では、ロシアが北方領土を手放すことはないだろう。交渉環境は厳しさを増している。
 日露間では「新しいアプローチ」の実績として昨年2017年、北方領土の元島民らによる墓参に初めて空路が使われた。共同経済活動の協議も続いている。だがこうした積み重ねの延長線上には、領土問題を打開する出口は見えてこない。
 対露政策全般の見直しも検討すべき段階にきているのではないか。


毎日新聞・社説、2018年2月8日
戦後73年の「北方領土の日」
厳しさがつのる交渉環境

https://mainichi.jp/articles/20180208/ddm/005/070/081000c

 首相が5月にロシアを訪問、だって・・・
 コクミンを"cronyism"の追及から目をそらすため、またわれわれの税金を「外遊」に使って、ゴルフでトランプ遊びしたときのように、ミゾユウのウソまみれの官邸発表にしちゃうのかな・・・

 きょう2018年3月21日の読売が教えてくれた。
 安倍首相は4月下旬から5月にかけてサウジアラビアなど中東3ヶ国を歴訪すると。
 さらにまたイランもあわせて訪問したい意向だと。
 もちろん、その前には延期された訪米が4月中旬に行われる。
 そして5月には日ロ首脳会談が予定され、きのう3月20日、ついに日中韓3ヶ国首脳会議を東京で行う見通しになったと報じられた。
 狂ったような外交日程だ。
 それらが意味ある外交であるならまだわかる。
 しかし、すべて成果の見通しがないものばかりだ。
 まるで森友疑惑の追及から逃げるだけのアリバイ作り外交のごとくだ。
 これまでは、単なる無駄な外遊だと笑いとばして見過ごせたが、今度ばかりはこんな高飛びを許してはいけない。
 証人喚問の必要性は、何も森友疑惑がらみだけではない。
 安倍外交の中身を検証するため、その最大の責任者である谷内正太郎NSC局長を国会に呼び出して、何をやって来たのか、そのすべてを語らせる必要がある。
 彼ほど、安倍首相の失敗外交の最大の責任者でありながら、メディアが一切批判しない、それどころか持ち上げてばかりいる、秘密のベールに包まれた官僚はいないからだ。
 国会に招致して語らせれば、その正体は、驚くほど空疎であることが白日の下に明かされるだろう。


天木直人のブログ、2018-03-21
狂ったように外交に逃げ込む安倍首相と谷内正太郎の責任

 こんな情けない日ロ外相会談がかつてあっただろうか。
 そう思わせるきのう3月21日に行われた河野・ラブロフ外相会談だった。
 なぜ私がそう思ったか。
 それは、会談後の共同記者会見で、ラブロフ外相が日本のミサイル配備はロシアの安全保障に直接かかわる問題だと明言したからだ。
 2016年12月に行われプーチン大統領の来日の地ならしで訪ロした谷内正太郎NSC局長に、ロシア側が、北方領土を返還した後、北方領土に在日米軍基地を配備しないと約束できるかと、鎌をかけて来たことがあった。
 その時、「そんなことを俺に聞いても答えられるはずがない、それはプーチン大統領が安倍首相に直接聞くべきことだ」とうまくかわしておけばよかったものの、対米従属の外務官僚の悲しい習癖として、谷内正太郎局長は、「それは無理」と答えてしまい、ロシアの態度が硬化した。

 それ以来、北方領土返還の最大の妨げは日米同盟であることが周知の事実となった
 そして、その事を、プーチン大統領やラブロフ外相が、その後もさまざまな機会に表明してきた。
 しかし、その表明は、公表されない外交交渉の場であったり、メディアを通じて行う間接的なものにとどまっていたはずだ。
 しかし、今度は外相会談直後の記者会見で、しかも二人そろって臨んだ共同記者会見で、ラブロフ外相はこの外相の面前ではっきりとそう語った。
 これは河野外相がラブロフ外相に完全に舐められ切ったということだ。

 おりからプーチンのロシアとトランプの米国の関係は安全保障問題、スパイ毒殺問題で冷え切っている。

 メディアは、「北方領土交渉 先行き不透明」などという曖昧な言葉でお茶を濁してるが、もはや安倍政権の下での北方領土返還は100%無くなったということだ。
 それでも安倍首相は5月下旬に訪ロし、プーチン大統領との20何回めの首脳会談に臨むつもりらしい。

 いくら森友文書改ざん問題から高飛びしたいからといって、今度の訪ロは止めた方がいい。
 首脳会談後の共同記者会見でプーチン大統領の口から日米同盟を取るか北方領土を取るかと明言されたら、それこそ終わりだ。
 もっとも5月の訪ロ前に首相を辞めれば訪ロすべきかどうか悩まなくて済む。
 これ以上、行き詰まった安倍外交を続けなくて済む。
 行き詰まっているのに成果を上げているとウソをつかなくて済む。
 それが安倍首相にとって最善の判断である。


天木直人のブログ、2018-03-22
ラブロフ外相になめられた河野外相と安倍対ロ外交の終焉

http://kenpo9.com/archives/3450

 
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バッハ333歳の誕生日

 バッハ、333歳のハッピーバースデー!

J. S. Bach - Cantata "Eine Feste Burg Ist Unser Gott" BWV 80
https://www.youtube.com/watch?v=kNo79VGRaXs

 偉大なバッハも、生存中はあまり人気がなかった?

 “音楽の父”J・S・バッハ。
 バッハの音楽は、現在でも人類共通の財産として広く演奏されています。
 彼の音楽には無駄なところが一切無く、メロディにもリズムにも「音楽する喜び」が溢れています。
 シンセサイザーや尺八で演奏してもよく似合い、ジャズ界やロック界の人々にも、インスピレーションを与え続けているのです。
 “バッハ”はドイツ語で“小川”という意味ですが、あのベートーヴェンも「バッハは、小川ではなく、大海である」と尊敬していたそうです。

 バッハが生まれたドイツのチューリンゲン地方のアイゼナッハという町では、バッハ一族といえば音楽家、逆に音楽家はほとんどバッハの血縁者でした。
 バッハには兄が5人おり、若くして亡くなった2人を除く3人は全て音楽家になりました。
 またバッハ自身は2度の結婚で20人の子供をもうけ(ヨハン・子だくさん・バッハ!)、その中の4人は今もその作品が聴ける作曲家です。

 バッハは、主に教会のオルガン奏者をつとめながら、生涯に1,000を超える作品を残しました。
 まじめで勤勉でしたが、自説を曲げない頑固なところもあり、そのために何度か職場を変わっています。
 いわゆる聖人君子ではなく、人間味の豊かな人だったようです。
 ただし派手なことは一切行わず、一般受けのするオペラや恋愛の歌は生涯に1曲も書いていません。
 そのためか生存中にはあまり人気が出ず、当時のライプチッヒの新聞による作曲家の人気投票では、1位はテレマン、2位がヘンデルで、バッハは7位だったそうです。


YAMAHAおんがく日めくり、3月21日
“音楽の父”ヨハン・セバスティアン・バッハ誕生(1685〜1750)
www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=19990321

 鍵盤楽器奏者で指揮者の鈴木優人(まさと、1981-)氏がルター宗教改革500周年とモンテヴェルディ生誕450周年という2つの記念年公演に挑んでいる。
 父の鈴木雅明(1954-)氏が音楽監督の古楽合奏・合唱団バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)による「ルター500」シリーズ公演が10月31日に完結。11月にはモンテヴェルディのバロックオペラ「ポッペアの戴冠」を演奏会形式で上演する。優人氏は2公演でそれぞれオルガンと指揮を担当。西洋古楽にとって2つの記念年はなぜ重要か。リハーサルの場で聞いた。

■ ルター宗教改革500年とモンテヴェルディ生誕450年

 「今年は聖と俗の音楽の記念年だ」。
 2017年10月26日、優人氏は彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市)でのリハーサルを前に語り始めた。  
 「聖」とはルター宗教改革500周年、「俗」とはモンテヴェルディ生誕450周年のこと。
 この日、優人氏はBCJによる「ルター500」シリーズの最終公演に向けたリハーサルに参加した。
 父・雅明氏の指揮でJ・S・バッハの「カンタータ」3曲を練習し、優人氏はオルガンを弾いた。
 まずは「聖」のほうから話を聞いた。

 500年前の1517年10月31日、神聖ローマ帝国(現・ドイツ)のヴィッテンベルク大学神学教授だったマルティン・ルター(1483〜1546年)が、ヴィッテンベルクの城教会の門に「95ヶ条の論題」を掲出した。
 ローマカトリック教会はサン・ピエトロ大聖堂の再建費を賄うため、人々の罪に対する罰を金銭で免じる「贖宥(しょくゆう)状」を売っていた。これを公然と批判したのだ。
 欧州キリスト教社会を動乱の渦に巻き込むことになる宗教改革の始まりである。
 
 10月31日といえばハロウィーン。
 この日、東京オペラシティコンサートホール(東京・新宿)でBCJの「J.S.バッハ:教会カンタータ全曲シリーズvol.73 ルター500プロジェクト5(シリーズ最終回)1517〜2017――宗教改革500周年を記念して――」という長い題名のコンサートが開かれた。
 公演前に音楽監督で指揮者の雅明氏がステージに一人で登場し、「ハロウィーンとは聖者の祝日前夜という意味。コンサートの帰りに、ハロウィーンで盛り上がっている渋谷の街で、我々が演奏する曲を歌うのもいいかもしれない」と冗談めかして語った。
 ルター宗教改革の発端になった日と宗教改革にちなんだ音楽をハロウィーンと結び付けて聴衆の笑いを誘った。
 BCJは雅明氏が1990年に創設した古楽器によるオーケストラと合唱団。
 バッハらが作曲していた18世紀前半当時の仕様の古楽器を使って演奏する。
 それらはオリジナル楽器ともピリオド楽器(時代楽器)とも呼ばれ、バロック時代の作品がBCJのレパートリーの中心だ。
 とりわけCDで全55巻にもなるバッハの「教会カンタータ」全曲演奏・録音で世界的に高い評価を受けている。
 今年はバッハの「世俗カンタータ」全曲演奏・録音も完結させ、モーツァルトの「ミサ曲ハ短調」の録音で英国の権威ある音楽賞「グラモフォン賞」も受賞した。

 優人氏はオランダを音楽活動の拠点にしつつ、BCJにも参加し、チェンバロとオルガンの奏者を務める。父・雅明氏にかわって指揮を務めることもある。「ルター500」公演の最終回ではオルガンを弾いた。
 今回の映像に収めたリハーサルでもオルガンを弾いている。雅明氏の正面に位置してオルガンを弾くので、父子が常に向き合って音楽を作っている雰囲気がある。

 もっとも、BCJは世界一流の古楽器奏者がそろい踏みという集団だ。
 バロックバイオリン奏者でコンサートマスターの若松夏美さんは、ベルギー古楽界の大御所ジギスヴァルト・クイケン氏に師事し、彼が率いた古楽器オーケストラ「ラ・プティット・バンド」にも参加した実績がある。
 今年はバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲を録音した初のソロCD2枚組を出した。
 こうした第一線の演奏家たちに囲まれて育ったのが優人氏だ。
 「僕が9歳の時に父がBCJを創設した。僕の人生の大半を占める重要なオーケストラと合唱団」と優人氏は言う。

■ 父が創設したバッハ・コレギウム・ジャパンで演奏

 今回の映像に収めた10月26日のリハーサル、そして同31日の本公演で演奏したバッハの「カンタータ第80番『我らの神こそ、堅き砦(とりで)』」は優人氏にとって特別の作品だ。
 「僕がBCJに演奏家として初めて加わってオルガンを弾いたのが『カンタータ第80番』。宗教改革500周年の記念日にまた弾けてうれしい」と話す。
 リハーサルでは雅明氏が「このカンタータはイエス・キリストの闘いなんだよ」と楽団員を鼓舞し、楽曲の持つ激しい情熱を引き出そうとしていた。

 ルターは宗教家ながら作詞作曲も手掛けるなど、音楽家の側面も持っていた。
 現代ドイツ語につながるドイツ語訳聖書を残したルターだが、自作の曲の歌詞もドイツ語だった。
 一部の聖職者しか精通していないラテン語ではなく、多くの民衆が歌えるドイツ語の音楽によってプロテスタント教会は満たされていく。
 「カンタータ第80番」は、ルターが1529年に作詞作曲したコラール「我らの神こそ、堅き砦」を下敷きにし、約200年後にバッハが作曲した。
 歌詞は聖書の「詩編第46編」を土台にしている。
 ルターという先人がいたからこそ、バロック期にバッハらの宗教音楽が花開いた。
 そうした歴史の流れを再認識させるのもBCJの「ルター500」シリーズの特徴だ。

 10月31日の公演を聴いた。まずはルターのコラール「我らの神こそ、堅き砦」の斉唱から始まった。続いてマルティン・アグリコラやミハエル・プレトリウスといったルターからバッハに至る約200年間の各時期を生きた作曲家の同じ「我らの神こそ、堅き砦」という曲名の作品を次々と歌い、演奏していく。コンサートではめったに演奏されない作曲家の作品のようだ。BCJの古楽器奏者たちはまだ登場せず、雅明氏の指揮で合唱隊が優人氏のオルガン伴奏によって歌った。合間に優人氏のオルガン独奏を入れているのが特徴だ。彼が独奏したディートリヒ・ブクステフーデ(1637〜1707年)やバッハのオルガン曲を含め、すべて同名の作品。
 優人氏のオルガン演奏は、なじみのない宗教曲でも自然に耳に入ってくるような、親しみやすく、バランスが取れた響きだ。こうして「我らの神こそ、堅き砦」はなんと10作品に達した。同じ曲名の作品をこれほどまでに連続演奏したコンサートは珍しい。

 その後、BCJのメンバーが加わり、この日の中心演目となるバッハの「カンタータ」を3曲演奏した。
 第79番「主なる神は、太陽にして盾なり」と第192番「いざ、すべての者よ、神に感謝せよ」、そして大トリが第80番「我らの神こそ、堅き砦」だった。
 雅明氏の情熱的な指揮が、各曲の持つ旋律とリズムの大きな生命力を引き出す秀演だ。
 ソプラノのハナ・ブラシコヴァさん、バスのドミニク・ヴェルナー氏の歌唱が、宗教音楽であることを忘れるほどの奔放な伸びやかさを表出していた。
。。。
■ モンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」

 「聖」の次は「俗」。
 ルネサンス期からバロック期にかけて活躍したイタリア・ヴェネチアの作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ(1567〜1643年)の生誕450周年。
 近代オペラの創始者と目される作曲家だ。
 教会で演奏される宗教音楽ではなく、大衆の楽しみのために上演されるオペラや世俗音楽を作曲したから「俗」なのだ。
 彼の主なオペラ作品は「オルフェオ」「ウリッセの帰郷」、そして11月23日に東京オペラシティコンサートホール、同25日に神奈川県立音楽堂(横浜市)で鈴木優人氏の指揮によるBCJが演奏会形式で上演する「ポッペアの戴冠」だ。
。。。

NIKKEI STYLE、2017/11/11
ビジュアル音楽堂
鈴木優人、宗教音楽と近代オペラの2大先駆者に挑む

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO23227420X01C17A1000000?channel=DF280120166611

 そしてやっほーくん、尊敬申し上げている小児科の先生はなんと、いたましいバッハ研究者、礒山雅教授(1946年東京に生まれ長野県で育つ。松本深志高校卒業後、東京大学文学部で美学芸術学を専攻)の逝去について記されておられました:

 礒山雅氏、というよりも礒山雅教授と呼ぶ方がしっくりくる・・・彼は、バッハ等の研究者で、多くの優れた著作、翻訳書を記している。
 長く国立音大の教授を務め、数年前には音楽学会の会長でもあられた。音楽を専攻する学生、そして音楽愛好家に対して、教育・啓蒙活動を続けた来られた方でもある。

 彼が、昨年夏に、ブログで学位論文について言及なさっていたので、学生を指導して学位を取らせるのかと思っていた。が、ご本人の学位論文であることが分かり驚いたことだった。2月6日が、その審査の日であることを、ブログに記しておられた。

 ところが1月下旬以降、ブログがパタッと更新されなくなった。ブログのコメント欄で、彼のことを良く知る方が、彼がどこかで転倒し入院なさったという情報を上げられた。事故に遭われた日が、学位審査の翌日2月7日であったという。情報はそれだけしかないので、ただただ彼の快癒を祈るばかりである。

 以前にも紹介したと思うが、彼はブログにおいて、平易な言葉で音楽の奥深い消息を語り、また日常のありふれたことを軽妙洒脱に記されていた。
I招聘教授の談話室
http://prof-i.asablo.jp/blog/

 彼のブログを、私は以前から定期的に訪れていた。
 3年前だったか、富山で地域のオケ、合唱団がマタイを演奏する、そして彼がその演奏会に関わっているということを知り、その音楽会に駆けつけたのも、そのブログで情報を得たからであった。
 その旅行、音楽会については以前このブログに記した:
ステトスコープ・チェロ・電鍵、2015/02/24 16:51
バッハアンサンブル富山演奏会

 今回の出来事に接して感じたこと・・・

 彼は、学位論文をものにしようと思えば、以前から、論文を上梓し学位をとるだけの学識は十分持ち合わせていた。
 今回の論文は「ヨハネ受難曲」についてのものらしいが、本来その仕事は、単行本として出版することを企画しておられたのではないかと思う。仕事も一段落し、単行本以外に学位論文として提出することも併せて考えられたのだろう。
 恐らく、彼の名作『マタイ受難曲』(東京書籍、1994年10月、注)と双璧をなす書物になるはずである。
 そうした事情であったとしても、70歳台半ばで学位論文を上梓しようという気力には脱帽だ。
 学位審査を担当するのは、きっと彼の教え子、または教え子と同じ年代の方々だったのではないか、と思う。

 もう一つ、学位審査の翌日、この事故にお遭いになったということも強い印象に残る。
 まさに「神与え、奪い給う」という厳粛な事実なのではないだろうか。
 彼には是非回復して頂き、また活発な評論活動を続けて頂きたいものだと思うが、人生の一つの集大成を成し遂げた直後にこうした大きな事故に見舞われたという事実の厳粛さに、身が引き締まる思いだ。
 自分自身と、彼のような碩学の学者と比べるのもおこがましいが、私自身にもいつ同じような運命が訪れるかも分からない。
 それを自覚せよ、ということなのではないかと思った。

 バロック、バッハ、そして宗教音楽、否、音楽そのものに関心を持たれる方には、彼の『マタイ受難曲』(東京書籍、1994年10月)はお勧めだ。


礒山雅教授が事故に遭われた、2018/02/10 19:11

 2月10日にポストした礒山雅教授のその後、を心配していた。
 今夕、彼のブログを訪れると、彼の逝去を知らせるポストがあった。
 10日のポストに記した内容に訂正がある。彼が博士論文の口頭試問を受けたのは1月26日。そして事故に遭われたのは2月7日ということのようだ。

 著書、そして音楽会(富山での「マタイ受難曲」の演奏会)でのスピーチだけが彼との接点だった。
 該博な知識でバッハとその周辺について教えてくださった。
 ただただ、惜しい方を失くしたと哀惜の念で一杯だ。

 10日のポストにも記した通り『マタイ受難曲』の後のライフワークとなさっていた「ヨハネ受難曲」の研究を博士論文としてまとめ、その試験を受けられた直後の急逝であった。
 何か大きな人知の及ばぬ計画のもとに人生を締めくくられたように思えてならない。

 残された著書、翻訳書をこれからも繰り返し読み、彼の仕事をしのび、また音楽の理解を深めてゆきたい。
 くしくも、今日2月22日は、武満徹の22回忌でもある。
 礒山教授の冥福を祈りたい。

マタイ受難曲 第67、68曲:
Bach - St. Matthew Passion BWV 244 (Karl Richter, 1971)
https://www.youtube.com/watch?v=CXPpiXdpIq4&feature=youtu.be


礒山雅教授逝去 2018/02/22 22:37

ステトスコープ・チェロ・電鍵
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/

(注)著者、礒山雅(いそやまただし)については出版社のサイトを参照:
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/79100/

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2018年03月21日

バッハ・イン・ザ・サブウェイズ2018

 3月21日水曜日は春分の日、彼岸中日。
 でも寒かったですぅ、そうヤッホーくん、おでかけ。
 クラシックの音色に染まりたいって言ってましたぁ。
 だって、今日は特別な日、お誕生日だったんですよ。

Bach: Brandenburg Concerto No. 4 in G major, BWV 1049
(Freiburger Barockorchester)
https://www.youtube.com/watch?v=G6hQvvhqfJo

Discovering Masterpieces of Classical Music
Bach, Brandenburg Concertos
https://www.youtube.com/watch?v=aMWbN3nQg0A

 ドイツの作曲家、J・S・バッハ(1685〜1750)の誕生日(注1)を祝う演奏会が3月21日、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野の丹生都比売(にうつひめ)神社境内で開かれる。
 バッハの誕生日(3月21日)にちなむ音楽イベント「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ2018」(実行委員会主催、注1)の一環。
 2010年のこの日、米ニューヨークの駅で一人のチェロ奏者がバッハの曲を弾いたことに始まり(注3)、国内外で毎年開催されている。
 日本では2015年に初めて開かれ、日本アコーディオン協会理事の西辻善則さん(48)=橋本市・写真=が高野山で企画した。
 同神社では2016年から開催し、3回目。
 演奏は午後2時半から約1時間の予定。
 西辻さんと、横山亜美さん(バイオリン)、兵藤眞規子さん(フルート、アコーディオン)が「無伴奏バイオリンソナタ第1番」の一部や「G線上のアリア」「メヌエット」などを披露する。
 入場無料で、雨天実施。
 問い合わせは実行委(090・2100・3258)


毎日新聞・地方版/和歌山、2018年3月11日 
バッハの世界へ誘う 誕生を祝い演奏会
21日、かつらぎ・丹生都比売神社

(松野和生)
https://mainichi.jp/articles/20180311/ddl/k30/200/232000c

(注1)バッハの誕生日であると同時に弘法大師空海の入滅の日。

 春分の日の21日、徳島市では砂に付けた足跡にお灸をすえて無病息災を願う伝統行事「砂灸」が行われています。
 「砂灸」は約250年前、この地を訪れた旅の修行僧が一夜のもてなしのお礼にと、「弘法大師の秘法」として伝えたのが始まりといわれています。春分と秋分の日にだけ効き目があるとされ、砂灸を施す一軒の農家には朝早くから大勢の人たちが次々と訪れ、砂が入った箱に足跡を付けていました。
「15回くらい来ているかもしれません」(男性)
「ご利益ある?」
「あると思います」
 病気などで来られない人も、普段身につけている靴下などで足跡を付けてお灸をすえると効き目があるとされています。この砂灸は午後5時すぎまで行われます。


Yahoo!Japanニュース、3/21(水) 11:52配信
砂に付けた足跡にお灸すえ無病息災を願う「砂灸」
徳島市

[出処]MBS
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180321-00000021-mbsnews-l36

(注2)バッハ・イン・ザ・サブウェイズ2018
https://www.facebook.com/BachInTheSubwaysJapan/

(注3)ニューヨークの地下鉄駅構内で、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾いていたデール・ヘンダーソンというチェリストが始めた。

[写真]デール・ヘンダーソン
バッハ.jpg

Bach in the Subway by Dale Henderson
https://www.youtube.com/watch?v=x_XlQEzXPuI

Bach in the Subways takes commuters by storm
https://www.youtube.com/watch?v=mfhxVDziyQA

A musician of world class calibre decides to start playing unaccompanied Bach in the subways of New York city. Watch what happens!

Featuring Bach in the Subways founder Dale Henderson and conductor Harold Rosenbaum.

http://bachinthesubways.com

http://www.haroldrosenbaum.com

The solo Bach Suites performances that grew an international music movement.

In 2010 Dale Henderson began frequent performances of the Bach Cello Suites in the subways of New York City.

Convinced the decline in classical audiences was largely because many people never get a chance to experience this music live and up close, he believed Bach to be the perfect ambassador for his art form.

Feeling the experience was infinitely more powerful with money removed from the equation,

Henderson declined donations and instead offered audiences free postcards explaining that his intentions were to sow the seeds for future generations of classical music lovers.

His efforts, which he called “Bach in the Subways,” attracted appreciative attention from fans, other musicians, and the media.

On Bach’s 330th birthday in 2015 thousands of musicians in 150 cities in 40 countries offered Bach’s music freely to the public.

In celebration of Bach’s 326th birthday on March 21, 2011 Henderson invited other musicians to join him. Two cellists responded, offering Bach to New York City subway passengers in various stations throughout the day.

The Bach in the Subways movement was born.

The following year, 13 musicians in New York participated; in 2013, 40 musicians in New York, three other U.S. cities, and Montreal joined the cause.

For Bach’s 329th birthday in 2014, 77 musicians in 8 U.S. cities along with cities in Canada, Germany, and Taiwan offered their gift of Bach to the world.

Over the following year Bach in the Subways caught fire around the world.

Henderson’s initiative sparked the work of similarly impassioned people everywhere and on Bach’s 330th birthday in 2015 thousands of musicians in 150 cities in 40 countries offered Bach’s music freely to the public in subway stations, in train stations, on moving trains, on street corners, in cafés, malls, restaurants, zoos, and concerts open to all.

More Bach was played and heard in a single day than ever before in history.

For 2016 Bach in the Subways was extended over multiple days to again allow musicians to participate on a weekend, and now every year for Bach’s birthday musicians around the world unite to connect countless multitudes with this incredible music.


http://dalehendersonmusic.com/bach-in-the-subways/


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香山リカ

 香山リカにNHKラジオ番組「ココロの美容液」があっていつも聞いておりましたがもう、ありません。
 影響力のある政治家から直接的な圧力や「照会」がNHKにあったのかと訝ってしまう今日この頃です:

最終回のお知らせ
3月16日(金)午後9時30分〜9時55分
長い間御愛顧いただきありがとうございました。

www4.nhk.or.jp/kokorobeauty/

 香山リカに著作『リベラルですが、何か? 』(イースト新書、2016年2月)があり、読ませてくれます。
 山歩きでカラダの老化を初めて意識したヤッホーくん、アタマももうすっかり錆びているはずですが、
 「ココロの美容液」がすいすいと入っては落ちていき、ヤング@ハートの保守点検になったのでした。
 フ・シ・ギ・・・さて、一気読みしたこの本ですが、ヤッホーくんの書評はいずれまたの機会にして:

 2015年の夏、安保法制反対の抗議行動で人々があふれる国会前の路上で、香山さんは声をかけた私にこう言った。
 「マガジン9? ああ、私しばらく何もご協力してませんでしたよね。なんでもやりますから! また、何かやりましょう!」
 正直言って、少し驚いた。著者の方から「なんでもやる」と申し出を受けることは、そんなにあることではない。加えて、マガジン9は潤沢に謝礼をお支払いしているわけではないからだ。
 その出来事の少し前あたりから、香山リカ、どうしたんだろう? と思っていた。保守の論陣をはる某漫画家とアイヌ民族問題で論争となりネット上で炎上、ある意味こてんぱんにやられてしまったのだが、ひるむ間もなく彼女はたちあがった。国会前での安保法制反対の活動のみならず、反原発や改憲反対、女性やマイノリティーによりそうイベント等で積極的に登壇しスピーチする姿もよく見かける。さらには、ヘイトスピーチをまき散らす団体のデモに対し、一人で立ち向かい声をあげ顔をゆがめて非難する姿がSNSで拡散され、賞賛とひどい言いがかりをたくさんその身に受けてもいた。
 あの、80年代から活躍してきたサブカルのクール・ビューティ。どうしたんだ? 何があった? と私は注目していた。もちろん、尊敬の念をこめて。
 近著『リベラルですが、何か?』(イースト新書)は、その彼女が自身の変化の理由と、現在の状況に対する危機感を正直につづっている。分析と自戒、そして今後への決意表明ともいえる内容だ。
 新自由主義と弱者切り捨てがデフォルトとなり、差別がまかりとおり、平和主義が風前のともしびとなっているこの状況にリベラル勢力が抗しきれていないことについて、香山さんは

〈いまの日本の政治の場でも社会においてもリベラル派あるいはリベラル的世論が著しく勢いを失っている決定的な要因は、「湾岸戦争反対声明」の後のリベラル知識人たちの沈黙にあったのではないだろうか〉

〈「ポストモダンの時代」「物語も歴史も終わった」などと言い、(中略)浮かれていたリベラル派たちの読み間違いに大きな責任がある〉

と、自身を含めたリベラル知識人たちが冷笑系のスタンスを崩さず何もしてこなかったことを理由にあげる。 その一方で、反対側の人たちは着々と「新しい物語」を提供し、足場を固めてきたのだと。


 香山さんと同世代の私には、この忸怩たる気持ちがよくわかる。
 私は、彼女のように発表の場を持ち、影響力を持てる「知識人」ではなかったけれど、平和と人権は守ることが当然だと教えられ信じてきた世代だ。
 戦争もなく、右肩あがりの時代を生き、男女平等であり、差別はいけないことと思ってきた。
 別に冷笑系で来たとは思っていないけれど、気が付いてみたら、世の中、大変なことになっていた。
 こうなってしまったのは、現在大人である私たちがどこかで間違ってしまったのではないだろうか?
 いや、何もしてこなかったから、何も見てこなかったから、こうなったのではないか? と感じている。
 何をすればよかったのか? これから何をしていけばいいのか? と自問自答しながら、国会前や反原発集会へと足を運んでいるからだ。
 香山さんは、そんな私たちのSTRUGGLE(奮闘努力)の象徴のように思える。

 本書の後半、香山さんは野間易道氏と湯浅誠氏という(彼女よりも年下で、サブカル世代ではない)実践的な活動家二人と、対談をしている。反省と危機感、そして今後の展望を探る香山さんに対して語る二人の言葉は、興味深く示唆に富む。
 通読して思う。
 安保法制反対だったり、反原発だったり、ヘイトスピーチ反対だったり、辺野古基地建設反対だったり、反貧困だったり、男女平等やLGBTの権利の尊重だったり、保育園や介護施設充実だったり、自然保護だったり、「最低賃金をあげろ」だったり、被災地復興だったり……
 一人ひとりがあきらめずにSTRUGGLEしていくしかないんじゃないか。できることを、できる場所で。

〈私はもう誰にも遠慮せず、何にも忖度せず、自由と平和と民主主義のためにジブンができるあらゆることをやっていこう〉
――香山さんは、2015年にこう結論を出したという。
 香山さん、STRUGGLE! 一緒にもがきながら、戦っていきましょう。


マガ9レヴュー、2016年3月16日up
[評者]気仙沼 椿
www.magazine9.jp/article/rev/26546/

 社会と政治が揺れ動いている今、リベラルの立場から行動し、発言を続けている女性二人。
 香山リカさんの新刊『リベラルですが、何か?』(イースト新書)刊行記念として、辻元清美さんをゲストに迎えトークイベント「怒れる大女子会」(2016年3月7日開催@下北沢 主催:本屋B&B)が開催されました。
 社会運動の現場、国会の現場はどうなっているのか?
 この国の社会と政治を変えていくには、一人ひとりがどう動いて何をすべきなのか?
 同じ年で、同時代の空気を共有してきたお二人の対話をお届けします。

社会や政治を大きく変えようとしても、すぐに結果は出ない?


香山 私はこの10年くらい、憲法改正、アイヌ民族差別、ヘイトスピーチや排外主義、安保法制などへの反対といった、いろいろな社会運動に参加してきました。新刊の『リベラルですが、何か?』は、私が関わった活動を通して見えてきたリベラルのこれまでの歩みと、これからのゆくえを考察している本なんです。
 この本には二つの対談も収録されていて、一人は、貧困問題に取り組んでいる湯浅誠さん。もう一人は、ヘイトデモに対抗するカウンター行動を実践してきた野間易通さん。その中で二人から共通して言われたのは、「香山さんはどうしてそんなに焦っているの?」と。リベラルサイドの主張がなかなか広がらないことに対して、野間さんからは「そんなに慌てなくても、20年後に社会が良くなっていればいいじゃない」と言われたんです。これって、年齢も関係していると思うんですけど…、辻元さんと私、同じ年ですよね?


辻元 そう、同い年。政治家でいうと、長妻昭さんも、野田聖子さんも同じ。高市早苗さんも…(笑)同じ学年だったはず。

香山 佐藤優さんも同じ年なんだけど、私が焦っているのは、佐藤優さんに「僕たちの頭が正常に動くのはあと10年だ」って言われたんですよ。「この10年に何をやるかが大事で、香山さんは、何でもかんでも脈絡なくやり過ぎている。10年で何と何をきっちりやるか考えなさい」って言われた。そのときに確かに「そうか」と思ったの。だって、10年前から今までってあっという間じゃないですか。

辻元 あっという間ですよ。でも私の場合は、仕事がその日暮らしなんです。だから10年、20年の長期計画は立てられない。今は安倍政権を何とかしたいと思うから、その日、その日が精いっぱいなんですね。とにかく目の前の仕事にエネルギーを使っているので、焦るというより開き直っている感じ。
 私は1983年に23歳で国際交流NGO「ピースボート」を設立して、ピースボートの活動をしていたときも、「明日死んでもいい」というくらいの気持ちでやっていた。そのときそのときを精いっぱいやるのは、すぐに結果は出ないかもしれないけれど、この先で結果が出るかしら、という希望につながるような気がする。


香山 でもね、この年になると、10年、20年、30年先になって結果が出るまで生きていられないかもしれないじゃない。だから焦ってしまうんだけど。

辻元 本(『リベラルですが、何か?』)には、香山さんの苦悩も書かれていて、読んでいて「ああ、香山リカも悩んでいるわ…」というのが感想だったのね。
 私も、国会では安倍さんや自民党の議員からヤジられて、選挙のときには自民とおおさか維新の両方からバッシングされて、ものすごくへこむこともあるわけですよ。だけど私は私を批判する人たち、それこそ「おまえは何で靖国参拝しないんだー!」と言ってくるような、ネトウヨみたいな人たちに対しても責任がある、私の仕事はその人たちを守らなければいけない仕事なんです。
 だから本当にしんどいんだけれど、迷ったときは、土日に大阪の地元の駅前に立って街頭演説をするんですね。あれはまあ、路上ライブみたいなもので。一方的にこちらが言いたいことをいうのが目的ではないんです。子連れのお母さんとか、杖をついた老夫婦が歩いているでしょ。普通に生活している人たちの息遣いを感じるためにやっている。自分の立ち位置をどこに置いて、誰とつながって何をしなきゃいけないのか、教えてくれる気がして、落ち込んだときはいつもそれをやっている。


香山 えらいな。私は、ヘイトデモへのカウンター行動なんかをネット上で叩かれると腹立つし、落ち込むけど、どこかで「これは本業じゃないし」と思っている。逃避しているのかもしれない。

デモや集会に参加することと、地域でつながることはどちらも必要

辻元 私は、自分が暮らしている地域の人たちとつながるとか、話をするということをしないと、社会は変わらないと思っているわけ。国会前で声を上げることももちろん大切なんだけど、国会前には来ても、それぞれの人が住んでいる市区町村の行政がどうなっているのか、議員がどんな人なのか、関心がない場合がある。市民運動をやっている私の知り合いも、隣に住んでいるおばちゃんとは話をしない。香山さんが「リベラルサイドの主張が広がらない」と言っていたのは、そこが弱いような気がするのね。
 だって、いまや全国の自治体で草の根保守が広がり、ネトウヨと同じような主張を議会で叫び倒す地方議員がどんどん増えているんだから。こちらも生活と密着したところで、水が土に沁み渡るように広げていかないとだめだと思う。


香山 だけど、それで間に合う? リベラルな集会に行くと、よく「これから一人が一人に広めていきましょう」とか言うんだけど、「それやっていたら千年かかるわ」と思ってしまうんですよ。
 私は最近、社会的地位の高い人たちにも発言してほしいと思って話してみたら、何人もの人から「政治的なことはちょっと」とか言われたんだすね。それでガッカリして撃沈しちゃって。でも、同じ考えの人が集まっている集会に行くと楽しくて、意義のあることをやっている気持ちになるじゃない(笑)。地元で身近な人に広げることと、大きなデモや集会に参加することと、どちらも必要だと思うのね。


辻元 この前、福岡の博多でタクシーに乗ったら、運転手さんが私の顔を見て、いきなりこう言うわけ。「北朝鮮、あんなに経済制裁して追い詰めたら、昔の日本みたいに暴発するんじゃないかな。追い詰めればいいってものじゃないと思いますよ」って。今の政権の人たちより、しっかり見ている。だからね、地に足の着いた生活者にもっと広げていくことをしないと。社会的地位の高い人、文化人といわれる人、本をいっぱい出している人、テレビに出ている人… 政治的な発言をしたがらないのなら、いくらあの人らに言ってもアカン(笑)。

香山 一人が一人に広めるだけでは、右傾化していくのを止められないと思って、影響力のある人に動いてほしかったんですよ。

辻元 私も今までさんざんいろいろな人に働きかけて、「政治的なことはちょっと」みたいなことを言われ続けてきた。でも絶望はしないようにしようと思っている。
 今は社会の中に、リベラルな女とか、行動する女とか、そういう女性に対して、集中砲火のような攻撃をしてくる風潮があるでしょう。国会で質問をしても、明らかに女性の議員を蔑視して、相手を尊重しようとしない人のヤジを浴びると、精神的なDVを受けているような感じになる。でも、それでいちいち悩んでいたら、こちらが損するだけだから。


香山 リベラル系の女性に対して、昔はこれほど差別的なひどい言葉で攻撃することはなかったですよね。たとえば土井たか子さんなんかも、「独身だ」なんて叩かれることはなかった。「あの人は憲法と結婚した」と言われて尊重されていたじゃない。土井さんも、一部の保守派からはいろいろ批判されていたけれど、辻元さんたちに対する今のバッシングとは全然違うよね。

右に振れ過ぎている政治の軸を、真ん中に戻したい

辻元 アメリカの大統領選でも、ドナルド・トランプのような人が出てきて少数者に差別的な発言をしている。一方、民主社会主義者を自称するバーニー・サンダースも健闘している。

香山 両極端ですよね。

辻元 経済が右肩上がりできた時代に、自民党はずっと与党だった。そうすると、かつては自民党の中のセンターライトかセンターレフトか、みたいな狭い振り幅の間で富の分配の方法があったわけ。野党も社会党は政権をとらない、議席は3分の1にとどまって、政治的に安定期が続いてきたのね。
 ところが経済が低迷して、政権交代も起きて、今は富の分配が政治の役割ではなくなっている。分配というより、とり合いになっている。それに合わせて、振り幅がばーっと右に振れたり、左に振れたりということが日本でも世界でも起きていると思うんです。安倍政権になって右に振れている振り子を真ん中に戻すためには、左の方だけで頑張ればいいかというと、そうではないと私は思うのね。
 安保法制の問題では、右の方、保守派といわれている人も反対の声を上げた。中曽根さんの子分だった山崎拓さんや、亀井静香さん、武村正義さん、藤井裕久さんは、日本記者クラブで「国民は納得しておらず、大きな禍根を残す」と反対の姿勢をアピールする会見をしたでしょう。


香山 自民党を出た人や、政治から離れた人は、安倍政権の政策に異を唱えていますよね。元首相の小泉純一郎さんも、脱原発を訴えているし。

辻元 官僚でもそう。私は、1年生議員のときから安全保障委員会にいるんだけど、イラク戦争や辺野古新基地の審議で、防衛官僚とは論戦をやってきたわけですよ。ところが集団的自衛権行使反対のシンポジウムに出たら、隣に柳澤協二さんがいる。ひょっとしたらと思って「あなた、防衛庁にいた柳澤さん?」って言ったら、「そうです」って(笑)。
 保守派の人でも、安倍政権はあまりに右に振れ過ぎている、このままいったら危ない、真ん中に戻したいという人たちが出てきている。そう思うと、ただ振り子を左に引っ張ればいいというものでもない。


香山 教えてほしいんだけど、真ん中に戻すってどういうこと?

辻元 真ん中に戻すというのは、いろいろな考え方の人を包摂していくということ。安倍さんがよく、野党の発言に「レッテル貼りだ」って言うじゃないですか。彼にとっては敵か味方かだけで、つまり分断と排除なんです。政治というのはそうではなくて、どんな意見にも聞く耳をもって、包摂していかなくちゃいけないわけ。だからもう一度、政治の軸を真ん中に戻さなきゃいけないと思っている。

香山 ここまで右に振れているのに、それは可能なの? 包摂、あるいは中立って、もちろん理想はそうだと思うんだけど、いまやそんな余裕はないような気がする。「右も左もおたがいの声を聞いて、一緒にやれるようなプラットホームをつくろうよ」という、社会的な懐の深さがなくなっているように、私なんかは見えちゃうんですね。そうしたら極端に左に引っ張っていくしかないのかなと、つい思ってしまうんだけど。

辻元 そういう空気を変えるのが、選挙なんですよ。4月24日に補欠選挙が二つあるんですね。ひとつは辞職した宮崎謙介元議員の京都3区(注1)。それと町村信孝元衆議院議長が亡くなった後の北海道5区(注2)。この二つの補選で野党が勝てば、「何か動いているのかな」という雰囲気が有権者の中に生まれて、変わってくる。そうすれば右に振り切れそうになっているのが、少し真ん中に寄せてくる。参院選でも、希望が見えてくると思う。

市民が声を上げれば、野党の議員は勇気づけられる

香山 参院選は、衆参同日選挙になるかもしれないといわれていますよね。参院選に向けて今、各地で市民連合ができて、一人区での野党統一候補が次々決まっているんだけど、もし同日選挙になったら野党共闘がうまくいかなくなるってことはないの?

辻元 いや、そんなことはないと思う。同日選挙になった場合も想定して、野党間の調整をやっているはず。統一候補を決めるのも、水面下ではさんざん話し合いをしてきたんです。市民運動の側の人たちからは、「何で共闘できないんだ!」とか「どないなってんねん!」とか責められたんだけど、政治は技術も必要で、いろいろ調整をしてから出さないとだめになることもある。そこはわかってほしいと思うんだけれど。

香山 じゃあ私たち市民はどうすればいいの? 選挙まで調整がうまくいくのを祈ってじっと待っていればいい?

辻元 ううん、市民運動をどんどんやってほしい。市民運動と政治の関係を私はずっと考えてきた。ピースボートを運営して、政治の外側から「こういう政策を実現してほしい」という市民運動をやり、その後政治の世界に入って、国会の中に入って、総理大臣補佐官になってからは、官邸の中で市民の声を受ける側も経験している。3.11をきっかけに原発反対のデモの声が大きくなっていったときも、私たちは官邸の中でその声を聞いていて「どんどんやって!」みたいな思いだったんですよ。当時の民主党政権、内閣は、脱原発の方向をめざそうとしていたから。
 政権の側にいるからといって、すぐに全部の原発を廃止することは難しい。たとえば原発立地県である福井県の県議会では「再稼働しろ」という声が圧倒的に強いわけでしょう。でも、原発反対の市民の声が大きくなれば、「ほら、反対している人がこんなにたくさんいるじゃないですか」と言えるわけですね。
 市民が「改憲反対」「安保法制を廃止しろ」「私たちは忘れていないぞ」と声を上げることは、同じ思いの議員を動きやすくするのです。選挙で野党が勝つためには、市民と野党の議員が協力しながら、それぞれの場所で声を上げていくことが大事なんじゃないかな。


香山 最近の市民の動きでいうと、待機児童の問題がありますよね。「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名のブログが国会で取り上げられて、子育てをしている人たちが抗議行動をしている。これは右とか左とか関係なく、普通の母親たちが立ち上がって、急速に広がっていくように見えるんだけど、政治家はどう見ているの?

辻元 ああいうのが、今の政権は嫌なんですよ。どこからわき起こってきたのかわからないけど、普通の人が集まって、どんどん声が大きくなりそうな現象はものすごく気になっていると思う。
 湯浅誠さんが「年越し派遣村」の村長をやったときも、日比谷公園という厚生労働省のすぐ隣で行ったことによって、それまで世の中に隠れていた貧困問題が、あれで一気に見えてしまったわけ。同じように待機児童の問題も、国会前で「保育園落ちたの私だ」っていうプラカードを掲げて可視化した。ああいう動きを、今の政権は警戒していると思いますね。


香山 「保育園落ちた日本死ね!!!」みたいなインパクトのあるメッセージで問題を可視化すれば、社会を変えられる?

辻元 自分たちが思い描くような世の中にするには、いろいろな方法がありますよね。あちこちでいろいろな形の市民の動きがガスのようにブクブク出てきている。今度の選挙は、たぶん厳しい選挙になる。でも、この国が抱えているさまざまな問題に向き合って、同じ思いで行動している市民の姿が見えれば見えるほど、私たち野党は勇気づけられる。元気づけられるんですよ。

イベント参加者との質疑応答(一部を抜粋):

―― 安倍政権はメディアコントロールが長けているといわれています。支持率が落ちないのは、安倍政権の思惑に誘導されている人が多いからでしょうか?


辻元 安倍政権は株価に支えられていて、生活が苦しくても株価が下がらなければ、いつか経済は良くなっていくんじゃないかという国民の願望に引っ張られているフシがありますよね。
 それと安倍さんたちは、ことあるごとに民主党政権をバッシングするでしょう。安倍さんは「リーマンショックや大震災のような危機的な事態が起きれば、消費税を10%に増税できない」と言っている。だけど、その二つは民主党政権で起きているんです。リーマンショックの直後に民主党政権が誕生して、1年半後に東日本大震災があった。そんな状況で政権を担って、経済もゼロからちょっと上向きにしたのに、「民主党政権の経済政策はどうだった、こうだった」と言う。
 そういうネガティブキャンペーンがネット上でもさかんに行われていて、「自民党政権は民主党政権よりはマシ」みたいな気分が蔓延しているために、支持率が保たれているのかなと思ったりします。


香山 私は、安倍政権は幅広く支持されているなと思っています。
 たとえば、熱烈に支持しているネトウヨ的な人たちがいますよね。敵を見つけて、朝日新聞であったり、民主党であったり、中国や韓国であったり、「この人たちのせいで、みなさんの名誉が傷ついているんですよ」みたいな安倍さんたちの主張に共感している層ですね。
 かと思えば、政権がやっていることにはほとんど関心がないけれど、なんとなく支持している人たちもいる。安倍さんって、見た目が「強面のオヤジ」ではないじゃない? だから安倍さんの薄っぺらな発言を聞いても、「育ちがよさそうじゃない」「感じ悪くないじゃない」というように、ふわっと支持している。
 それこそ包摂じゃないけれど、自民党はいろいろな層の人たちを、取り込んでいますよね。熱烈支持の人から、なんとなく支持している人から、その日の生活で精いっぱいで深くものごとを考えるゆとりのない人まで。不幸なことだと思いますけど。


―― 香山さんがヘイトスピーチに対して、カウンター行動をされている動画をネットで見ました。ビックリしたんですけど、実際の現場はどのようなものなのでしょうか?

香山 カウンターは、その場に行ってヘイトスピーチをしている人たちを激しく叱るというのが役割なんですね。だって「朝鮮人死ねー!」とか、「いい朝鮮人も悪い朝鮮人もみんな殺せー!」とか言いながら歩いているんですから。実際に初めて見たときは、私の人生で、直接目撃したものの中では最悪の光景でした。
 現場では彼らと話し合うなんて余地はまったくなくて、とにかく叱るしかない。そうすると今度はヘイトスピーチがカウンター側に向けられて、「香山リカ死ねー!」と言われる。そうやって罵詈雑言をカウンター側に向けさせて、彼らのひどい言葉が路上に垂れ流されるのを防ぐしかない状態になっているんです。ヘイトスピーチの現場は、ぜひ一度行って見てみるといいと思いますよ。


辻元 日本の国内で行われているヘイトスピーチは、国連の人種差別撤廃委員会から法規制するように勧告されて問題になっているんです。
 昨年、民主党や社民党は、差別の規制を立法化するための法案(人種差別撤廃施策推進法案)を参院に提出したんですね。ところが自民党が反対した。「表現の自由との兼ね合いがある」といって採決が見送られたんです。私たちは、選択的夫婦別姓を含む民法改正案とか、LGBTの差別禁止法案とか、人権関係の法案をいくつか出しているので、何とか法律をつくって解決していきたいと思っています。


―― 難民問題は今、世界中で重要な問題になっています。日本は、難民・移民問題にどう対応したらいいのでしょうか? 辻元さんは、イスラム教徒の受け入れについては、どのように考えますか?

辻元 日本の難民・移民の受け入れは進んでいなくて、私はまず難民を受け入れない国というのは国際的に恥ずかしいと思っているわけですね。現政権は、排他的なルールを敷いているので、国際的なスタンダードにのっとって受け入れる方向にしなくてはいけないと考えています。
 イスラム教徒の難民についていえば、現地のNGOの人の話を聞くと、「日本に来たい」と希望する人はそんなに多くないという現実がある。それはやはり文化とか、慣習とか、言葉の壁があるから。一方で「日本で病気の治療をしたい」という要望は多いそうです。だから、そういう要望があるなら、人道支援として受け入れていくべきだと私は思っているんです。
 それから移民については、これも受け入れる制度をつくろうという議論はしているけれど進んでいない。ただし、移民の問題は、かりに政治が国を開こうとしても、移民を受け入れる土壌がないとだめなんです。いきなり受け入れても、社会の中に共生していく空気がなければ、来た人が幸せになれるかどうわからない。移民に関しては、日本はヘイトスピーチなんかを許している国だから、政治と社会が並行して土壌から変えていかなあかんな、と思っています。


―― 精神科の医師としての香山さんにお聞きしたいのですが、安倍さんの発言はあまりにもおかしい。専門家の間では、どのようにとらえられているのでしょうか?

香山 精神科医の研究会などでは、面白い活発な議論があって「私から見たらこういう状況だ」ということも話します。だけど外では言いづらいんですね。従来は、政治家のような公人がどういう状況にあるのか、社会病理学的な見地から批評する方法論があったんです。それが今は、すごくやりにくくなっている。
 それは私の個人の経験では、橋下徹・前大阪市長からですね。橋下さんの態度に対して、専門的な視点で論述したら、ものすごく攻撃された。「病気呼ばわりするとは何とかだ」と言われて、いろいろな人たちから叩かれたんです。
 イギリスの精神科医のデービッド・オーエンという人は、ヒュブリス・シンドローム(傲慢症候群)という概念を提唱していて、ブッシュ元大統領やブレア元首相を分析しているんですね。私もそれを使って、安倍さんの状況を本に書きましたけど、公人が分析の対象になるのは当たり前のこと。それが自由にできないのは異常だと思います。


マガ9対談、2016年3月30日up
http://www.magazine9.jp/article/taidan/26875/

(注1)
 衆院京都3区補欠選挙は2016年4月24日午後8時に投票が締め切られ、「民進党」前衆院議員の泉健太氏(41)(社民党推薦)が、おおさか維新の会の森夏枝氏(34)、日本のこころを大切にする党の小野由紀子氏(37)(新党改革推薦)ら新人5人を抑え、6度目の当選を確実にした。現在、「希望の党」国会対策委員長。
(注2)
 第48回衆院選北海道5区(札幌市厚別区、千歳市、恵庭市など石狩管内)は2017年10月22日投票、即日開票され、自民前職の和田義明氏(46)=公明、新党大地推薦=が14万2687票を獲得して2回目の当選を果たした。立憲民主新人の池田真紀氏(45)は約6700票差に迫って敗れたものの、比例で復活し初当選した。道5区の投票率は前回補選の57.63%を大きく上回る62.55%。和田氏は義理の父で衆院議長を務めた町村信孝氏の死去に伴う昨年2016年4月の5区補欠選挙で初当選。

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2018年03月20日

ソンミ村虐殺から50年

My Lai Massacre
https://www.youtube.com/watch?v=VWchy6ykNnQ

 ベトナム戦争の最中、1968年3月16日に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において住民がアメリカ軍の部隊によって虐殺されるという出来事があった。
 アメリカ軍によると、犠牲になった村民の数はミライだけで347人、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504人だされている。
 それから50年が経つが、同じことをアメリカは今でも繰り返している。

 ソンミ村での虐殺を実行したのは、アメリカ陸軍第23歩兵師団の第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の第1小隊。
 その小隊を率いていた人物がウィリアム・カリー中尉だ。

 このケースが発覚した一因は、作戦に無関係なアメリカ兵に目撃されたことにある。
 虐殺の最中、現場近くを通りかかった偵察ヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉が村民の殺害を止めたのである。
 トンプソンは同僚に対し、カリーの部隊が住民を傷つけるようなことがあったら、銃撃するように命令していたと言われている。
 第11軽歩兵旅団のロナルド・ライデンアワーのように告発した兵士もいたが、議員の反応は鈍い。
 虐殺を目にしたはずの従軍記者、従軍カメラマンは報道していない。

 しかし、兵士による告発もあって虐殺の話はアメリカ本国で流れ、1969年3月には記事になるが、これは話題にならなかった。
 人びとが注目したのはその年の11月にシーモア・ハーシュの記事をAPが配信してからだ。

ソンミ村での虐殺はCIAが特殊部隊と組んで展開していた秘密作戦、フェニックス・プログラムの一環だった。
 このプログラムはリンドン・ジョンソン大統領の特別補佐官だったロバート・コマーが1967年に発案したCIAとMACV(ベトナム軍事支援司令部)の統合プログラムICEEXとして始まる。
 すぐ名称はフェニックスへ変更された。

 この作戦を現場で指揮した経験のあるウィリアム・コルビーはCIA長官時代に議会でこれについて証言、自身が指揮していた「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と明らかにしている。
 それに対し、解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人だとする推測もある。

 ソンミ村での虐殺から10日後、ウィリアム・ウエストモーランド陸軍参謀総長は事件の調査をウィリアム・ピアーズ将軍に命令した。
 ピアーズに白羽の矢が立ったのは彼が陸軍士官学校出身ではなかったからだとする話が流されているが、真の理由は彼がCIAと緊密な関係にあったからだと推測する人も少なくない。

 ピアーズは第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIAの台湾支局長を務めていた。
 要するにピアーズは軍事というよりCIAの人間。
 彼の調査で事件とCIAとの関係が浮上するはずはなかった。

 それでも報告書には事件の容疑者として30人の名前があがっていたのだが、告発されたのは16人、裁判を受けたのは4人、そして有罪判決を受けたのはカリー大尉だけだった。
 そのカリーもすぐに減刑されている。

 ジョージ・W・ブッシュ政権の国務大臣、コリン・パウエルは1968年に第23歩兵師団の将校として南ベトナムへ入っている。
 2004年5月4日にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、自分が所属した第23歩兵師団がソンミ村での虐殺、その後で現場へ自分も入ったことを明らかにし、戦争でそうしたことは珍しくないと弁明している。
 確かに、フェニックス・プログラムでは珍しくないだろうが、虐殺を止めたり告発した兵士はそう考えなかった。
 ジャーナリストのロバート・パリーらによると、パウエルはこうした兵士の告発を握りつぶし、上官が聞きくない話は削除する仕事をしていたという。
 その仕事ぶりが評価され、「異例の出世」をしたのだろう。

 フェニックス・プログラムに参加していた人びとは1980年代にイラン・コントラ事件で名前が浮上する。
 そのひとりがリチャード・アーミテージ。
 パウエルの友人だという。

 ところで、第2次世界大戦中、アメリカ政府はホー・チミンが率いるベトミン(ベトナム独立同盟会)と手を組んでいた。
 当時のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトが植民地に反対するという政策を抱えていたからだ。

 アメリカから支援を受けていたベトミンは日本降伏後に独立を宣言するが、イギリス軍は日本軍を再編成してサイゴン(現在のホー・チミン市)を制圧する。
 ルーズベルトは1945年4月に急死していた。

 その後、インドシナを再植民地化する目的でフランスは戦争をはじめるものの、1954年5月にフランス軍はディエンビエンフーの戦いで敗北、7月に休戦が成立してフランスは撤退する。

 フランス軍がディエンビエンフーで包囲されて2ヶ月後の1954年1月にアメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。

 1950年6月から朝鮮半島でアメリカは戦争していたが、半島全域を制圧できないまま1953年7月に休戦している。
 その間、1951年4月にCIAは約2000名の国民党軍を率いて中国領内に侵入、一時は片馬を占領したが、人民解放軍に追い出された。
 翌年1952年の8月にもCIAと国民党軍は中国へ軍事侵攻したが、この時も失敗に終わる。
 アメリカにとっても中国にとっても朝鮮戦争は自分たちの戦い。
 朝鮮半島を舞台にした米中戦争にほかならない。
 朝鮮半島の後、アメリカ支配層の選んだ戦場はベトナムだった。
 1953年2月からCIA長官はジョン・フォスターの弟、アレン・ダレスが務めている。


櫻井ジャーナル、2018.03.19
ベトナム戦争で米軍はソンミ村の住民を虐殺、それから50年になるが、同じことを繰り返している
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201803180000/

 ベトナム戦争中の1968年、ベトナム中部の旧ソンミ(現ティンケ)村で、多くの子どもを含む無抵抗の住民504人が米軍に殺害された「ソンミ村虐殺事件」から50年となった2018年3月16日、現場跡地の記念碑前で追悼式典が開かれた。

 50年前の同事件は、米軍部隊が南ベトナム解放民族戦線のゲリラに対抗するとの理由でソンミ村にヘリコプターで降り立ち、村民504人を殺害したとされる。ベトナム反戦運動が拡大するきっかけになった。

 現場跡地で開かれた式典には遺族や元米兵らが参加。事件で姉など親類8人を亡くし、遺体の下に隠れて生きのびた当時5歳のドー・タン・ズンさん(55)は取材に、「今でも血のにおいがよみがえる時がある。でも、憎み続けるのではなく、二度と起きないよう願いながら前に進みたい」と話した。

 式典では、原爆被害を受けた広島・長崎の取り組みを参考に、跡地周辺に平和公園をつくる構想も発表された。構想づくりを率いた財団代表のチュオン・ゴック・トゥイさんは、「平和の尊さを若者に伝え、世界に発信する場にしたい」とし、建設費約16億円を寄付などで集めるという。


【写真】慰霊碑にハスの花を手向ける米国からの参加者=16日、旧ソンミ村

朝日新聞、3/17(土)5:34配信
ソンミ村504人虐殺50年、平和公園構想も
ベトナム中部旧ソンミ村

(鈴木暁子)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180317-00000005-asahi-int

posted by fom_club at 19:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スティーヴン・ホーキング博士の最後の闘い

 イギリスがEU離脱を決め、アメリカではトランプ大統領が誕生。
 昨年2017年のフランス大統領選、ドイツ連邦議会選など重要な選挙が行われた欧州では、「さらにヤバいことが起きる」との予測がまことしやかに囁かれる。
 はたして分断はより深刻化し、格差はさらに広がるのか?
 勢力を拡大する右派に対し「レフト」の再生はあるのか?
 在英歴20年、グラスルーツのパンク保育士が、EU離脱のプロセスが進むイギリス国内の状況を中心に、ヨーロッパの政治状況を地べたの視点からレポートする連載、その第12回。
 2018年3月14日に76歳で亡くなった天才宇宙物理学者スティーヴン・ホーキング博士。
 宇宙の真理を探究し続ける一方で、政治・経済の問題にも積極的にコミットする闘士だったことは、日本ではあまり知られていない。
 緊縮財政からNHS(無料国家医療制度)を守るために闘った最後の姿を伝える貴重なレポート。


 「車いすの天才物理学者」スティーヴン・ホーキング博士がこの世を去った。
 宇宙創成の謎に挑み続けたホーキング博士は、「自分の病のために隔離された生活を送っているので、わたしの象牙の塔はどんどん高くなるように感じられます」と話したことがあった。

 だが、彼は象牙の塔に閉じこもる学者ではなかった。
 ベトナム戦争に反対し、パレスチナ問題でも果敢に声を上げた。
 そして、2016年のEU離脱投票では、英国の科学の進歩のためにEUに留まるべきだと残留派としてキャンペーンに加わった。
 が、離脱派の勝利が確定したときには、「排外主義のせい」「レイシズムと右傾化が原因」とパニックする論調の中で、「ブレグジットを決めたクルーシャルな要因は経済だった」と冷静に分析した数少ない知識人の一人だった。

 離脱投票の結果が出た5日後にホーキング博士はガーディアン紙に論考を寄稿していた。

国民投票に向けたキャンペーンで、わたしは英国がEUを離脱するのは過ちであると主張した。だからその結果には悲しみを感じている。だが、わたしが自分の人生から得た教訓は、自分の置かれた状況で精いっぱいやるということだ。我々はEUを離脱するのだ。だが、それを成功させるには、我々はなぜ英国の人々がその選択をしたのかということを理解しなければならない。わたしは、人々の選択において決定的な役割を果たしたのは、富の問題、つまり富をどう理解するかということ、そして富をいかに分配するかということだと確信している。

https://www.theguardian.com/

 宇宙の真理を探究し続けたホーキング博士は、しかし足元にある経済問題を卑小な問題とは思っていなかった。
 むしろ、お金は彼にとって非常にたいせつなものだと言っていた。
 最先端の医療技術の助けを借りて研究を続けたホーキング博士は「僕の場合には、マネーは僕のキャリアを可能にしただけでなく、文字通り、生存させてくれている」と書いていた。
 ホーキング博士にとって、お金は人間を解放し、自由にして、人生の選択肢を広げる「ファシリテーター」であり、何かを所有したり、資産を増やしたりするための「目的」ではなかった。

重度の障碍を持つ人間として、自分のケアのために支払いをすることや仕事はとても重要だ。しかし、マネーで所有物を獲得することは重要ではない。例えば、もし買う余裕があったとして、サラブレッドの馬を手に入れても僕はそれで何をしたらいいかわからないし、フェラーリを買っても乗れない。

https://www.theguardian.com/

 マネーを生きるための「ファシリテーター」と認識していたホーキング博士だからこそ、「ファシリテーター」の助けを借りることのできない貧しい人々が、人生の選択肢を制限され、そのために感じているフラストレーションに敏感だった。
 ブレグジットの原因となったものは、不平等が引き起こす嫉妬や孤立主義であると彼は書いていた。
 富の狭い定義に基づく文化と、富を公平に分配できていない現実は、英国だけでなく、人類に深刻な危機をもたらすとホーキング博士は警告した。
 彼は、ブレグジット後の世界の鍵を握るのは経済だと認識していた。

我々は「富」や「所有物」、「私のものとあなたのもの」といった事柄が何を意味するのかというファンダメンタルな定義を適用しなおし、その問題に再び焦点をあてて、変化させる必要がある。子どもたちと同じように、我々はシェアすることを学ばなければならないのだ。

https://www.theguardian.com/
* * *
 死の前の半年間、ホーキング博士は、英国の無料国家医療制度NHSを守るために闘っていた。
 ガーディアン紙への最後の博士の寄稿記事になったのは、昨年2017年8月の「ジェレミー・ハント保健大臣はいくらでも僕を攻撃するがいい、だが、NHSが機能しているという彼は間違っている」という題名の記事だった。
 保守党政権の緊縮財政による「資金不足と削減、サービスの民営化、公共セクターの賃金上限の設定、研修医の待遇の改悪、看護学生への奨学金の廃止」などがNHSを機能不全にしているとホーキング博士は記事中で痛烈に訴えた。
 そして、「NHSは緊縮でも正常に機能している」と主張する保守党が、その主張の根拠に使っているデータが自分たちに都合のよいものばかりで、巧妙に選ばれた数字であることを指摘し、「科学者として、エビデンスを作為的に選ぶことは許容できない」と書いた。

 地球を代表する頭脳と呼ばれたホーキング博士は、惑星レベルで物事を考える必要性を説き続けた。
 その彼が、NHSのような国家の医療制度に強い思い入れを持っていたのは不思議かもしれない。
 だが、ホーキング博士は、病にかかったすべての人々を平等に無料で治療するNHSに人類の未来を見ていた。
 そして、彼自身、NHSがある英国でなければ存在できなかったということを繰り返し主張していた。

多くの人々のように、わたしも個人的なNHS体験がある。僕の場合、医療ケアと私生活、科学者としての生活はすべて繋がっている。わたしはNHSから質の高い治療を受けてきた。NHSのサービスがなければ、今日の僕はいなかった。

https://www.theguardian.com/

 ホーキング博士は、NHSが民営化で解体されて、グローバル企業が利潤追求目的でそれを買収し、米国のような医療システムに変えてしまうのを怖れていた。
 昨年2017年12月には、NHSの分割民営化をさらに進めるための改革案を違法として法的な訴えを起こすと発表し、NHS民営化反対運動の活動家たちとともに闘っていた。
 この提訴には、ケン・ローチやジョナサン・プライス、リチャード・エアーらも賛同の意を示す手紙を発表していた。
* * *
 ガーディアン紙のコラムニスト、ゾーイ・ウィリアムズは、ホーキング博士が緊縮財政の時代に若者だったとしたら、ぜったいに芽を出すことはできなかったと書いている。

 もしも2018年の現在に、22歳の学生としてホーキング博士が筋萎縮性側索硬化症(ALS)の診断を受けたら、まず悪名高きパーソナル・インディペンデント・ペイメント(PIP)検査を受けることになる。
 約100万人の障碍者生活手当受給者がPIP検査を受けさせられ、そのうち約半数が手当を減額または停止されている。
 この検査には間違いが多く、然るべき手続きを踏んで公式に抗議した人々の69%が、不当な判断を下されていたという結果が出ている。
 よしんば検査をパスして生活手当の受給を受けたとしても、現在のように極限まで減額されている状況では、コンピューターどころか本を買うのも難しいだろう。

 さらに、介護の問題がある。
 地方自治体が障碍者や老人の介護予算を削りまくっている現在、複数の障碍者が一人の介護者をシェアしているという状況も珍しくなく、現代なら一対一でケアを受けながら研究に没頭することはできなかったろう。
 また、現在ではNHSの医師から車椅子が必要と診断された人々の四分の一が、それすら与えられずに待たされている状態だという。
 ホーキング博士の研究作業を可能にした他の機器も、現在の状況ではとても手配をNHSに期待することはできない。

 つまり、いま天才的頭脳を持つ若者が英国のどこかにいたとしても、もし彼か彼女が障碍を持っていれば、これだけの難関を乗り越えなければ第二のホーキング博士にはなれない。

 ホーキング博士は、英国が「ゆりかごから墓場まで」の福祉社会だった時代に育った自分の幸運を身を持って知っていた。
 だからこそ、その名残りであるNHSを「社会の礎石」と呼んでいたのだろうし、それを切り刻んで行く緊縮政治を許さなかったのだ。

 不平等な社会で人々が未来の可能性を制限されれば、それは他者への憎悪や分断を作り出し、ネガティブなエネルギーを生み出す。
 富の分配の問題が解決されなければ、それは強まるばかりだろうとホーキング博士は警告した。

 だが、彼は「時代の終焉」や「システムの滅亡」を提唱して末法思想的な論調を煽る識者ではなかった。
 ホーキング博士はオプティミストだったのである。
 ブレグジット投票の直後でさえ、彼は人類の未来についてこう力強く語っていた。

しかし、我々は成功できるし、成功するだろう。人類は困難解決能力に優れ、オプティミスティックで、順応性が高い。我々は富の定義に、知識、天然資源、人的能力を含めてより広義に拡大し、同時に、それら一つ一つをもっと公平にシェアしなければならない。そうすれば、我々人類が共に達成できることは無限である。

https://www.theguardian.com/

UK地べた外電、第12回、Posted on 2018-03-19
「ブレグジットは富の配分の問題」と言った天才物理学者、ホーキング博士の最後の闘い
ブレイディみかこ
http://s-scrap.com/2319

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辰野隆の墓参り

 ヤッホーくん、次いで向かった常圓寺のお墓とは・・・

三代の天皇の成育に関わった女性、伏屋美濃(深入院) 
1829(文政12)年〜1906(明治39)年

 1852(嘉永5)年に誕生した孝明天皇の第2皇子、祐宮(さちのみや、明治天皇)の乳人(実母に代わって乳を与える者)となり、その貢献から、明宮(はるのみや、大正天皇)の養育掛詰として、影ながら中宮を支えた、また、迪宮(みちのみや、昭和天皇)が誕生した際には、その御七夜に抱き上げたという。


 このお美濃さんのお話しとかは活字になっていないんですね。
 もしなっていたらヤッホーくんまで情報をお寄せくださいね。
 次いで向かったのが日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾(1854-1919)、その息子でフランス文学者の辰野隆(1888-1964)先生のお墓です。
 ヤッホーくん、先生のお墓がここにあるとは、とまたまたお墓の前でへなへなと崩れ落ち、両手を合わせて合掌しておりました。

 古(いにしへ)は渇して盗泉の水を飲まず、今は盗泉の名を改めて飲む。といふのは、今から25、6年前に、長谷川如是閑氏の吐いた警句であるが、氏は近頃再(ま)た、悉く書を信ぜば書なきに如かずといふ怠け者の格言を、悉く書を信ぜざれば書あるに如かず、と訂正した。
 蓋し真に書を読む人の体験でもあり、達人の至言でもある。

 元来、書物などは実生活には無用の長物であるから、読まぬ奴は読まぬし、信ぜぬ輩は信ぜぬのだから、少(すくな)きを患ひともせず、多きを妨げずと悟つた方が温くて涼しからう。
 ところが、同じく書物でも珍本、稀覯書、豪華版と来ると、こいつは多きを惧れ、少なければ少ないほど所有者は鼻を高くする。
 斯ういふ病が高じると、世界に二冊しかない珍本を二冊とも買取つて一冊は焼捨ててしまはねば気がすまなくなつて来る。
 親友山田珠樹、鈴木信太郎の両君が正に此種の天狗のカテゴリイに属する豪の者である。
 彼等の言ひ草に依ると、『あれほど味の佳い秋刀魚や鰯が、あり余るほど漁(と)れて、安価(やす)いのが、そもそも怪しからん』のださうである。
 なるほど秋刀魚や鰯も、若し尠ければ、たしかに、豪華版になる価値がある。

 鈴木信太郎君は嘗て僕を『豪華版の醍醐味を解せぬ東夷西戎南蛮北狄の如き奴』と極めつけた。
 山田珠樹君は先頃たまたま、『彼は本は読めればよし酒は飲めればよし、といつた外道である』と、全(まる)で僕を年中濁酒(どぶろく)を飲みながら、普及版ばかり読んでゐる書狼(ビブリオ・ルウ)扱ひにした。
 寔に心外の事どもである。
 然しながら、つらつら往時を顧み、二昔以前に溯つて、未だ両君が型のくづれぬ角帽を頂いてゐた秀才時代から、次第に書癖が高じて、やがて書痴となり書狂となり遂に今日の書豚(ビブリオ・コッション)と成り果てた因果に想ひ到ると、僕にも多少の責任が無くはない。
 そもそも両君が物心がついて、書物を恋するやうになつた狎れそめは、当時、両君が一日僕を訪れて、書斎の書架に気を付けの姿で列んでゐた仏蘭西の群書を一目見てからの事で、その時から、二人ながら手を携へて、ふらふらと病みついたのであつた。
 その後僅か数年の間に、僕の蔵書数は山田君に追越され、鈴木君に追抜かれ、今では僕もつくづく、後の雁が先になる悲哀を楽しむ境に残された。
 病雁の夜寒に落ちて旅寝哉、といふと如何にもしほらしく聞えるが、雁過ぎていよいよ旨き夕餉哉、では洵に疏懶恥多しである。

 僕は山田君から、『酒は飲めればよし、本(ほん)は読めればよし、』と評せられたが、此の酒に関する山田君の評は全く当つてゐない。
 葡萄酒にかけては山田君に甲を脱ぐが、日本酒なら、僕にも一家言がある。
 僕は年来、菊正宗の信者(フイデエル)なのである。
 これ以上の酒は、日本は愚か、朝鮮中国、欧米にも断じてある事なしと信じてゐる。ウイスキイなどは無論酒の数にもはいらぬが、如何に優良な葡萄酒、シャルトルウズ、フィイヌ・シャンパアニュと雖も、一献の菊正宗には遠く及ばぬ。
 唯僅かに菊正宗に雁行するものは、辛口(セツク)な最上の白葡萄酒の中に罕に存するのみである。
 されば、僕の『飲めればよし』の『飲めれば』は『此酒(こいつ)は飲める』といふ意味の『飲めればよし』なのである。
 僕は山田君の所謂酒狼では、断じてない。

 然しながら、書物に至つては之は、全く文義通りの『読めればよし』で、紙質、印刷、装幀、新旧版、何でもよし。
 珍本、稀覯書、豪華版に対しては頗る冷淡であると言ふよりも寧ろ昔日の熱がさめてしまつたのである。
 それでは、ラリッシイムやリュックスの所有慾が全くないかと言ふにさうではない。
 所有慾は充分にありながら、保存慾が殆どないのである。
 どうも、僕の珍・稀・豪書趣味は小児の翫具に対する興味と酷似してゐる。
 買つたり貰つたりすると、二三日は撫でたり擦つたりして悦に入るのだが、それが過ぎると、如何なる豪華版でも普通版扱ひになつてしまう。
 斯うなると、僕の珍・稀・豪書興味は、羅馬法に所謂、所有(ポゼッショ)や占有(オクパチョ)の慾ではなく、寧ろ単なる握持(テテンチョ)の興趣にすぎぬのだらう。
 つまり、豪邁な平賀元義の、五番町石橋の上にわが××を手草にとりし吾妹子あはれ、といふあのラブレエ風の名歌の、『手草にとる』程度の逸興で、興去れば路傍の花の如く顧みなくなる。
 これでは、豪華版が泣くばかりであらう。
。。。
 十年前、僕は里昂で、マラルメの神話解説『昔の神々』と題する、稀覯といふ程ではないが、先づ相当な珍本の初版を手に入れた。
 帰朝の後、僕は該書をマラルメ専門の鈴木君に与へる約束をしたのだが、一旦約束してから後で少し惜しくなつた。
 丁度、その頃、鈴木君は『仏蘭西象徴詩抄』を訳し、僕が、その跋を書く事になつたので、僕は跋文の中でその本は誰にも与り度くない。自分の本箱の中で何時までも寝てゐろといふ心持を匂はせて、

神々をして安らけき眠りを眠らしめよ

 と特に書いたのであつた。
 然るに、鈴木君の『訳詩抄』が出来上つてから、改めて跋を読んで見ると、安らけき眠り、の上に、「最も」といふ二字がいつの間にやら加はつてゐるではないか。
 鈴木君の方が僕よりも遥に立派な書斎を持つてゐる以上、「最も安らけき眠り」の落ちつく先は知れ切つてゐる。
 此の二字のいきさつで、僕は遂に『昔の神々』から見放されてしまつたのである。

 若し火事が起つて君の蔵書を悉く焼き尽したら君は一体どうする、と僕は嘗て鈴木君に冗談半分に訊ねて見た。
 すると鈴木君は、その時弁慶すこしも騒がず、泰然自若として答へた。
―― 必ず発狂して見せる。


青空文庫
辰野隆『書狼書豚』
www.aozora.gr.jp/cards/001796/files/56830_55631.html

 僕の書斎の生活は極めて簡単です。
 春と夏と秋は腰をかけながら、冬は同じ書斎の一隅の一段高い三畳に胡座をかいて、いくら読んでもあまり利巧にならない書物を、畢竟、忘れる為に読みます。
 不精で寒がりな僕は、冬は机の下に炉を切って、炬燵を据える工夫をしました。
 口の悪い友達に云わせると、こんな眠気を催す書斎を造ったのは大失敗だそうです。

 然しながら、睡眠を誘発しない書斎が、古来、如何に多くの主人公を発狂せしめ、殺戮した事か。
 僕は深く省みて、最も危険の鮮い道場を建立したつもりなのです。
 で兎に角、春夏秋に、椅子に凭れて居ねむりしながら、冬は、炬燵の上の机に靠れて、うつらうつらしながら、下手の横好きの僕のフランス文学玩弄を、のらりくらり、とやっているわけです。

 僕の書斎は、大成功だと思います。


「あ・ら・かると」昭和11年6月1日
辰野隆『僕の書斎』
http://blog.sunshindo.com/辰野隆「僕の書斎」

 加藤周一『「羊の歌」余聞』(ちくま文庫、2011年)を読んだ。そしてついでに『羊の歌』(岩波新書、1968年)も引っ張り出した。

 太平洋戦争が始まったころ、加藤周一は東京帝国大学医学部の学生だった。彼は医学部でありながら、仏文学の講義を聴いたり仏文研究室にも出入りしていた。
 加藤の父が渋谷の開業医で、仏文研究室の主任教授辰野隆の主治医だったことから、父を通じてお願いしたものだ。授業が終わったあと、大学の向かいにある喫茶店「白十字」に辰野教授をはじめ、鈴木信太郎教授、渡辺一夫助教授、中島健蔵講師、助手2名、学生数人、ときには英文学の中野好夫助教授らもつどって一種の文化サロンになっていたという。そのなかに加藤周一も加わっていた。
 面白いのは、白十字での会話は外に漏らさないという約束があったわけではないが漏れたことがないという、確実に信頼できる関係があったという点である。

 当時の話題の中心は戦争であって、必ずしも全員が戦争に批判的だったわけではない。辰野隆をはじめ、個性的なそれぞれがどんな発言をしていたのかなかなか面白い場面なので、ぜひお読みいただきたい。

 加藤周一は戦争や権力に対する態度に関してもっとも強い影響を受けたのが渡辺一夫だという。
 渡辺は戦争の嫌いな学生を集めて話をしていたというが、のちに加藤も加わった。
 加藤は渡辺について記す。
 「戦争中の日本に天国から降ってきたような」ひとで、それは「軍国主義的な周囲に反発して、遠いフランスに精神的な逃避の場をもとめていた」わけではない。

日本社会の、そのみにくさの一切のさらけ出された中で、生きながら、同時にそのことの意味を、より大きな世界と歴史のなかで、見定めようとしていたのであり、自分自身と周囲を、内側と同時に外側から、天狼星の高みからさえも、眺めようとしていたのであろう


島燈社、いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜、2016.2.12
第40回/工藤茂「戦争反対のひと
http://www.a-totosha.com/cn44/imaomou40.html

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2018年03月19日

お隣りのイスラーム

 昔、あき地がたくさんあった。
 なんにも使われていないその土地を、子どもたちが遊び場に変える。
 整備された公園よりも、石ころやビンが転がっているあき地のほうがいい。
 エロ本をもちこんではしゃいだり、家を抜けだして花火をする。
 子どもたちの自由奔放さが全開になる。
 それがあき地だ。

 本書で、著者が伝えたいのもそういうことだ。
 バブルのころ、やれビルを建てろ、再開発だとあおって、地価をあげてボロもうけ。
 それであき地がなくなって、やがてバブルもはじけて、使わない土地が増えたとおもったら、こんどはオリンピックだ。
 国民一丸となって、街をきれいに、おしゃれにしよう。地価をあげろ、文化的な街づくり。芸術家や建築家、研究者が動員される。
 その分、街をきたなくすると見られがちなホームレスや喫煙者、ゴロツキは排除されるが、しかたないの一言でおしきられる。
 みんなのために、仕事のために、空気をよめよ、非国民と。
 そうしてなんにもいえなくなる。

 本書は、そんな暗い時代に少しでも光をみいだそうと、1930年代、1940年代の人びとをとりあげる。
 権力批判をすれば、食いぶちをうしなう、そんな時代。
 さらには投獄、虐殺、暗殺だ。
 しかしそれでも戦争協力をせず、軍部ふざけんなとか、天皇制はいらないとか声をあげたひとはいた。
 斎藤隆夫、山川菊栄、山本宣治、竹久夢二、九津見房子、斎藤雷太郎、立野正一、古在由重、西村伊作。
 それこそ政治家から社会主義者、教員、画家、建築家、俳優まで、ど根性で抵抗だ。

 先人たちの声がきこえてくる。
 戦争動員を拒否しよう。再開発はもうたくさんだ。使わなくなった土地は放っておけばいいのである。
 大人たちが子どもにかえっていく。
 暮らせる、遊べる、生きられる。精神のあき地をとりもどせ。
 あたり前のことをちゃんといおう。
 戦争はいやだ、排除もいやだ。わがまま上等。くたばれ、オリンピック。ちょっといまから仕事やめてくる。

◆もう1冊 
 ハンナ・アレント著『暗い時代の人々』(阿部齊訳、ちくま学芸文庫)。ブレヒトなど、全体主義の時代に抵抗して生きた思想家列伝。


東京新聞、2017年6月4日
声を上げる生き方に倣う
【書評】森まゆみ(1954年-)『暗い時代の人々』(亜紀書房、2017年)
[評者]栗原康(1979年-)アナキズム研究家
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2017060402000180.html

 1984年に地域情報雑誌『谷中・根津・千駄木』(通称『谷根千』)を創刊。
 現在の街歩きブームの火付け役ともなった森まゆみさん。
 今年2017年上梓された『暗い時代の人々』(亜紀書房)では、軍事政権下で弾圧を受けながらも「精神の自由」を求め闘った人々を描かれました。
 今回は、森さんにお話を伺いながら「暗い時代」を生き抜く術とは何か、を見つけようと思います。

他人事ではない「共謀罪」

中島 森さんがお書きになった『暗い時代の人々』を拝読しました。いまこの暗い時代をどう生きようかと暗中模索しているさなかの私たち日本国民にとって、必読の書だと思います。私ものめり込むようにして読みました。
森 ハンナ・アレントの歴史的名著 “Men in Dark Times”と同じ名前にするのはおこがましいからやめましょうと、編集者には言ったのですが……。

中島 いえ、すごくいいタイトルだと思います。この本の中に書かれているのは、満州事変勃発から太平洋戦争敗戦までの十数年間、日本が最も抑圧された「暗い時代」を生き、「精神の自由」を掲げて闘った人々の話です。なぜ、今このテーマで書こうと思われたのですか?
森 大正デモクラシーが花開き、昭和に入って左翼的な運動も盛んになっていた日本が、なぜ一転戦争へと突き進んだのか? 学生時代から、そのことが気になっていたんです。これまでも戦前と似ていると言われた時代はありましたが、2015年の「安保法改正」から着々と戦える国に向かっているような気がします。いまこそ、あの暗い時代に立ち向かった日本人のことを正面から考えるべきではないかと思い、筆をとりました。

中島 6月15日に、「共謀罪(テロ等準備罪)法案」が法務委員会での採決を飛ばして、参議院本会議での強行採決によって国会を通過しました。唖然とするような事態でした。監視社会の到来も恐ろしいし、議会制民主主義の軽視にも怒りを覚えます。
森 学生時代にマルティン・ニーメラーの『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という詩を教えてもらったんです。ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は何もしなかった。ナチスが社会主義者を襲ったとき、自分は何もしなかった。自分がナチスに攻撃されたとき、私のために声を上げるものは誰も残っていなかった。そんな内容の詩なのですが、当時の私にはその恐怖を理解することはできませんでした。

中島 それがぴんとくる時代になってしまった。
森 そうなんです。知らないうちに外堀が埋められていく。気がついたときにはもう手遅れ。

中島 「共謀罪」なんて自分とは関係ないと思っていると、ある日突然逮捕されるかもしれない。
森 いまはまだ冗談に聞こえるかもしれません。共謀罪は実行しなくても、夢想や計画しただけで捕まるという恐ろしい法律です。

中島 森さんが取り上げた人物の中で、もっとも有名なのは竹久夢二ですね。
森 夢二といえば儚げな美人画。しかも女癖が悪くて、肺病で死んでしまう。よく知られているのはそういう夢二像です。でも、じつは幸徳秋水らが逮捕された「大逆事件」で、夢二も疑われて尾行がついたりしています。

中島 「大逆事件」といえば、日本近代史最大のフレームアップ事件ですね。「平民新聞」で社会主義運動を呼びかけていた人たちが、天皇を襲う計画を立てている(大逆罪)という政府のでっち上げによって逮捕、処刑されました。
森 夢二自身は社会主義から出発しながら革命家にはなりきれなかった。みなさんのイメージをなぞるような暮らしをします。しかし関東大震災後には、被災地の風景をスケッチしてまわる。その画風は、美人画の夢二しか知らない人にとってはショッキングかもしれません。さらに上野の不忍池を埋め立てたり、二重橋の空き地にビルを建てたりしなくてよかっただろう。それらがどれだけ火事を防いでくれたか。という内容の文章を残したりしています。

中島 東京に空き地を残せ、という主張は、いまの時代にも心に響きますね。夢二のイメージが変わりました。
森 そして、夢二はナチスが政権をとる、まさにその時代のベルリンに居合わせたんですね。翌年、帰国後に夢二はなくなってしまうので、その体験が夢二にどんな影響を与えたのか、詳しくはわかりません。しかし、夢二の人生を調べているときに、非常に魅力的な人物に出会ったんです。

中島 山宣ですね!
森 そうです。山宣こと山本宣治。竹久夢二とは神戸一中の同窓で、夢二が京都で個展を開いたり、愛人だったお葉さんと隠れ住む場所を探してあげるなどの世話をしていました。山宣ほど誠実で他人に対して優しくできる人はいません。性科学者として子沢山の家庭の苦しみを見て、「産児制限運動」に関わっているうちにどんどん前に押し出されて、1928年に労農党から国会議員に選出される。議員になってからもその実直さは変わらず、小作争議の指導や弾圧を受けた人の救済などに奔走します。

中島 共産主義者に対する弾圧が激化してきた頃です。
森 無産階級つまり普通の人々の自由を守るために治安維持法改悪に反対し、帝国主義戦争反対を掲げます。右翼にとっては、目障りな政治家です。本人も身の危険を感じていたといいます。そして、国会から神田の定宿に戻って食事をとろうとしたときに、面会に来た男に刺殺されます。

中島 なぜ、危険だと察知していながら周りの人は、山宣を独りで旅館に帰したのでしょうね。
森 そこが、謎なんですね。でも暗殺の危険を背負っていたのは、保守政党の政治家でも同じです。原敬や犬養毅、高橋是清など暗殺された政治家たちは、政治家としてある種の覚悟を持って闘っていたのでしょう。まさにテロの時代です。

暗い時代を生き抜く魅力的な女性たち

中島 『暗い時代の人々』には魅力的な女性たちも登場します。森さんが取り上げたのは、『「青鞜」の冒険』(集英社文庫)でもお書きになられた平塚らいてうや、市川房枝などよく知られた社会運動のリーダー的な人物ではなく、山川菊栄と九津見房子でした。

森 山川菊栄は平塚らいてうの『青鞜』誌上で伊藤野枝らと大論争を繰り広げた論客です。太平洋戦争のときも、平塚らいてうや市川房枝など女性のリーダーたちがほとんどみんな戦争に加担していく中で、ただひとり戦争協力をしないまま終戦を迎えます。しかも夫は社会主義者の山川均です。よく軍国主義政府に捕まらずに、無事でいたと思います。そして戦後、GHQによって労働省の初代婦人少年局長に突然抜擢される。

中島 翼賛しなかった女性運動家がほかにいなかったということなんですね。しかも彼女は有能だった。山川菊栄のエピソードでは、鶉の卵を売って暮らしていた話がおもしろくて……。
森 まさに戦時中の話ですよね。糊口を凌ぐために、三越で鶉の卵を売っていたんですね。ところが掛売りで買ったのに、集金に行ってもお金を払わないおじさんがいた。そのときの腹立ちを自著『おんな二代の記』にこう記しています。「私のように高利貸や特高のおかげで百パーセント忍従の美徳を身に着けている人間でなかったら、その辺におきちらしてある鶏の包丁であの男をひとつきにしたでしょう」

中島 皮肉がたっぷりとこもった、ユーモアのセンスが抜群ですよね。
森 やっぱりユーモアは、闘う武器ですね。「Let's whistle under any circumstances」。丸山眞男の言葉だそうですが、どんな状況におかれても口笛を吹こうぜ、という気概が素敵じゃないですか。いまのようにちょっと怖い方向に動いている時代には、すごくいい言葉だなと思いますね。

中島 丸山眞男が口笛を吹いている姿はあんまり想像できませんけれど……(笑)。
森 たしかに、似合わないわね。

中島 山川菊栄は『青鞜』で知っていましたが、九津見房子の名前はこの本で初めて知りました。あまりに気の毒すぎて、読んでいてつらくなりました。
森 暗い時代を生き抜くため、みなさん非常な苦労をされていますが、なかでも光が当たらない貧乏くじを引き続けたような人もひとり書きたかった。それで山川菊栄と同い年の九津見房子を思い出したんです。反共主義に転じ、かつての仲間たちを弾圧した夫と別れずに献身し続けたため、戦後活躍することもなくあまり評価されていない人です。

中島 「ソ連のスパイ」だというレッテルを貼られ、十年以上獄中で過ごしています。
森 いわゆる「ゾルゲ事件」ですね。それ以前にも、房子は逮捕され5年3ヶ月の間投獄されています。じつは治安維持法による、女性逮捕者第1号でもあるんですね。当時の警察の取り調べは、それは酷いものです。裸にして竹刀で乱打し、性的暴力も行います。しかし房子は、ひたすら耐え忍びます。そういう精神的な強さがある。「ゾルゲ事件」は今のテロと同じ、スパイへの恐怖を煽るために絶好のタイミングで摘発されました。だから、私は「ゾルゲ事件」がでっち上げられたのではないかと考えています。

中島 ゾルゲとは、ドイツ人ジャーナリストで、実はドイツ共産党員だったリヒャルト・ゾルゲですね。
森 ゾルゲは、ドイツ共産党員でソ連のコミンテルンの諜報部員でした。房子は知人の紹介でゾルゲの仕事を手伝います。ゾルゲは、ドイツ大使から厚い信任を受けていました。しかもゾルゲとつながっていた元朝日新聞記者の尾崎秀実は、近衛文麿のブレーンでした。そういう人たちがソ連のスパイだったというので、大騒ぎになります。調べてみると、犬養毅や吉田茂、西園寺公望の子どもたちも、「ゾルゲ事件」に絡んでいたのではないかと、尋問されたという記録が残っていました。

中島 それはすごい。いまでいえば安倍首相や菅官房長官の家族を取り調べるようなことですよね。
森 房子は、後になってソ連には国家的エゴイズムがあると批判の目を向けています。しかしそのときには「とにかくソビエトは世界唯一の社会主義国だから、これはまもらなければならん」という思いが強かった。そちらに身を投ずるのが大義だと思ったんでしょうね。ソ連のスパイだという汚名を着せられて、恐ろしいことをした人のように思われている。でも、日本にはアメリカやイギリスのスパイもたくさんいたんですよね。「清里の父」といわれるいかにも平和的なラッシュ牧師もCIS(民間情報局)所属で、戦犯や共産党に関する情報を集めていた工作員です。

中島 そうなんですか。
森 ただ、アメリカのスパイの場合は、終戦つまり平和のために努力した人という評価になったりもしますから、評価が難しいところもあるんですけれどね。

震災、戦争、オリンピックが街を壊す

中島「共謀罪」といえば、安倍政権は日本が国際組織犯罪防止条約を締結できなければ、東京オリンピック・パラリンピックを開催できない。そのためには絶対に「共謀罪」を成立させなければならない、と言い続けました。
森 どうしても「共謀罪」を成立させたいから、みんなが反対しにくいオリンピックを持ち出すんですね。なら、オリンピックをやめればいいのに。こういう論理のすり替えをやること自体「共謀罪」にうしろめたい何かがあるんじゃないかな。

中島 森さんは、新国立競技場の建設反対運動にも参加していましたね。
森 はい。「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の共同代表をしています。最初の巨大なスタジアムの計画が出されたとき、これではまたオリンピックで東京が壊されてしまうと思いました。

中島 オリンピックで東京が壊される、ってどういうことですか。
森 1964年の東京オリンピックのときには、国立競技場が建設された神宮外苑から、青山、原宿などはもちろん、東京のいたるところで街の改造が行われました。それは文化の破壊でもあったんです。スタジアムの建設反対に関連していろんなことを調べたんです。たとえば明治時代に「違式詿違条例」という軽犯罪法がありました。開国して、外国の人がたくさん入ってくるでしょう。外国の人に恥ずかしいものを見せないようにしようと、立ち小便や銭湯の混浴、刺青などを禁止しました。東京オリンピックのときにも、同じことが起こります。戦争の罹災者が暮らしていたバラックなど、ぜんぶ排除した。戦争で負傷して四肢が不自由になった傷痍軍人たちをも、オリンピックを理由に排除したんです。

中島 街を「浄化する」という名目で。
森 どこの国も同じなんです。ワールドカップやオリンピックを開催するたびに貧しい人を追い出す。リオデジャネイロのオリンピックのときも、ファベーラと呼ばれる不良住宅地区の人々は強制的に排除されました。ところがこれには後日談があって、富裕層が雇っている運転手やメイドさんは、ファベーラの人たち。ファベーラがなくなったとたん彼らの生活が成り立たなくなっちゃった。2020年の東京オリンピックにむけても、都営住宅から立ち退きさせたり、ホームレスの人たちをどんどん追い出したりしています。

中島 いま、次々と新しいビルが都心にオープンしますが、気持ち悪いほど個性がない。どこを見ても同じような風景しか見えない街なんてつまらないですよね。いま外国から東京に友人が訪ねてきても、案内したいと思うところがほんとうに少ないですね。東京の文化の香るところといえば、森さんの地元である「谷根千」あたりは海外の方にとっても魅力的な街でしょうね。
森 谷根千は、震災にも戦災にもほとんど焼けなかった街。被害が少なかった街なんです。しかも、オリンピックの乱開発のときにも、その区画外だったからほとんど影響を受けていないんです。だから古いものがまだ残っているんですね。

中島 最近は、老若男女問わず人気の街になっていますものね。森さんが主宰されていた雑誌『谷中・根津・千駄木』の影響も大きいと思います。海外のお客さまを案内することも多いんじゃないですか?
森 この間ハーバード大学のゴードン先生が20数人のお客さまを連れてみえたので、地元からは少し離れますが、上野の不忍池まで散歩して、上野戦争の実況中継をしたんです。

中島 幕府側の部隊である彰義隊が上野戦争で明治維新政府軍と戦ったのは、まさにここだったんだ、と。
森 不忍池を「官軍」は泳いで渡っていったとか、使われた銃が南北戦争のセコハンだったとか。そういうエピソードを混ぜながら話したら、すごくウケました。

中島 面白そう! 私もお聞きしたかった。
森 上野公園には、アメリカ南北戦争の英雄で後の大統領グラント将軍が来日した時に植樹した松もあります。そういうものも紹介しながらぐるっとまわる。古いものになると樹齢600年ぐらいの木もたくさんあるんです。でもね、そういう木を簡単に切っちゃうんです。以前は、よくパトロールしていたんです。切っちゃったものは仕方ないから、ベンチにして公園に置いてもらったりしています。

中島 パトロールって、街を点検しながら歩いているんですか。
森 そう。誰かが見張っていないと、どんどん破壊されてしまうから。この間も、巡回調査の途中でオーストラリアの人に出会ったので、谷中の街を案内してあげたんですよ。お礼にカンガルーのぬいぐるみを頂いちゃいました(笑)。

中島 谷根千をぶらぶらしていると、森さんに解説付きで案内してもらえるんですか。ぜいたくですよね。
森 私は、軍事大国とか原発輸出大国とかより、観光立国のほうがまだしも平和でいいと思っています。いろんな人と交流して、いろんな国に友だちができる。友だちがいる国とは喧嘩したくないですもの。ただ、町の暮らしを乱さないように歩いてほしいと思います。

中島 東京が、オリンピックで知られるよりも、オープンで文化のある街と思ってもらえるといいな。そこには「暗い時代」を終わらせる光が射しこみそうです。


本と人をつなぐウエブマガジン月刊『本の窓』(小学館)、2017.8
連載対談、中島京子(1964年-)の「扉をあけたら」
第14回「暗い時代」だからこそ、明るく生きる
ゲスト 森まゆみ(作家)

http://bp.shogakukan.co.jp/mado/1708/interview.html

 谷根千の森まゆみさんと、不忍ブックストリートの南陀楼綾繁さんの新刊を仲良く並べてご紹介。
 春風のような2冊です。

 森さんが日本に暮らすイスラームの人たちに次々会って、その生活や考えを、聞き、書くことは、はるかな時空の中のひとつの点を掬い上げて伝えてくれるようなぬくもりがあります。
 森さんの本はいつも、大切なメッセージと一緒にポワンとまるいあたたかいものを届けてくれるのです。
 震災のときの大塚モスクのことは、
『震災日録―記憶を記録する』森まゆみ著/岩波新書/820円+税
で読んでいました。

 以前、大塚に暮らしていたので「あ、あのモスクだ」と思いました。
 そこには人がいつも集まっていて、いろんなイベントをしているようでした。
 遠くからなんとなく親しみを感じていましたが、9.11のあと、住みにくくなってしまったのではないかと前を通るたび思っていました。
 そして3.11のときの被災地へのボランティアのことを森さんの本で知りました。

 『お隣りのイスラーム』を読むと、イスラームの人(ムスリム)にとって、国とか人種などはちっぽけなことで、私たちの隣人として日本で暮らしていることがわかり、恥ずかしくなります。
 イスラームの人を通して、日本が見えてきて、私自身の頭の中が見えてきます。
 今、もしかしたら、皆さんがぼんやりハテナマークのまま頭の隅っこで考えている日本人の働き方や暮らし方のこと、この本のなかにヒントがあるみたい。

 南陀楼(なんだろう)さんは、本好き女子に個人的な悩みとか毎日とか人となりを聞き、その背景(これまでの人生や今)を手繰り寄せながら、女子たちに本を3冊ずつ処方しています。
 ほんとうにまるでお医者さん。町医者の南陀楼さんが本好き女子たちを回診し、そこでの談笑の様子も目にに浮かびます。
 そして、一人ひとりの本好き女子に共感し、優しい気持ちになります。
 この本を読んだら、忙しさでごまかしている自分の悩みにふと向き合い、女子たちの悩みにうなづき、すでに心は軽い。
 あとは処方された本を読もう。
 悩みや病気を治すことって、ただ出すことなのかもしれないな。
 これ、もっとシリーズとして続いて欲しいな。じわじわ効きます。

森まゆみ『お隣りのイスラーム』(紀伊国屋書店、2018年2月)
南陀楼綾繁『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫、2018年2月)


千駄木往来堂書店(文京区千駄木2-47-11 Tel 5685-0807)、2018/2/23
森まゆみさん&南陀楼綾繁さん
http://www.ohraido.com/archives/6911

 「scripta」好評連載「お隣りのイスラーム」待望の単行本化!

 現在日本に暮らすイスラム教徒は10万人以上、モスクは80ヵ所以上、
 20以上の大学でハラルフードが提供されるようになった。
 それでも、世界に16億人近くいるといわれるムスリムは、日本ではまだまだ少数派。

 3・11の震災のあとすぐに、被災地支援に向かった大塚モスクの活動を手伝ったのをきっかけに、その世界の扉を開いた聞き書きの名手が、日本に移り住み、働くムスリムたちの声を拾い集めた。

 インドネシア人の舞踏家、バングラデシュ人のハラルフード店店主、
 シリア人のアレッポ石鹸販売会社代表、ウイグル料理店オーナー……
 故郷を想い、日本との懸け橋をめざす人たちの言葉から、多様で豊かなイスラムが見えてくる。


紀伊国屋書店
『お隣りのイスラーム―日本に暮らすムスリムに会いにいく』
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314011556

 いえ、ね、ヤッホーくん、実は…
 昨夜のNHKラジオ深夜便「ないとガイド・やっぱり本が好き」で、書評家の永江朗(1958年-)さんが、森まゆみ『お隣りのイスラーム』を紹介してくれていたのです。

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外国人特派員らはこう見る

「ショッキングなほどの悪」
「日本特殊論がぶり返しそう」−−。
 日本の政治、社会を長年見つめてきた外国人特派員や大学教授は、森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざん問題をどう見ているのか。

 「改ざん」は英語の動詞では「falsify」などと訳される。
 英タイムズ紙の東京支局長、リチャード・ロイド・パリーさんは「これは単なる書き換え(aⅼter)ではない。改ざん以外の言葉では語れない」と判断し、財務省が調査結果を国会に報告した3月12日の第一報からこの言葉を使った。
 英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙の東京支局長、ロビン・ハーディングさんも「動詞のdoctor(不正に変える)を使った特派員もいたが、それだと、ちょこちょこいじったという感じ。公文書をあれほど大きく変えるのは『改ざん』以外の言葉では語れない」と言う。

 改ざんは犯罪用語ではないし、今回の件も訴追される可能性は不明だが、その言葉から犯罪を連想した人もいる。
 明治学院大教授でニューズウィーク誌日本語版などに寄稿してきたマイケル・プロンコさんは「官僚の改ざんと聞いて、ショッキングなほど悪い印象を受けた。普段は真面目な人が、実は盗みを働いていたような、裁判で偽証したような重さがある」と言う。

 一方、政治家と新聞・テレビ、またメディア同士でも「『改ざん』か『書き換え』かで闘っているところがいかにも日本的」と話すのは、仏フィガロ紙の東京特派員、レジス・アルノーさんだ。

「別の話だけど、パリの同時多発テロで、メディアがテロリストを『カミカゼ』と表現したら、外務省から『カミカゼは使わないで』と電話がかかってきた。そんなに暇なのかと思った」

 事の真相より用語、実よりも映りにこだわるのが日本的というのだ。

「日本特殊論」復活の恐れ

 事件から受けた印象はいろいろだ。
 FTのハーディングさんは「投資家や企業の幹部を主な読者と想定しているので、事件を機に、かつての良くない日本観がぶり返す不安を感じた」と言う。「役所の規制も企業の系列も日本には独特のルールがあり、外国のビジネスマンは入り込みにくいと長く思われてきた。日本人同士、政財官が裏でつながっているという一種の陰謀論です。でも、1990年代からのルール改正などでじわじわと環境は良くなり、日本特殊論はなくなりつつあった。それなのに、公文書改ざんを財務省がやったとなると、やっぱりまだ日本と付き合うのは難しい、独特のルールがあると思わざるを得ないと思う」

 プロンコさんも「他の省庁でなく財務省が改ざんしたという衝撃が大きい。効率や管理、規律の高さ、良きロボットのような正確さが日本政府のイメージだったが、その中心とも言える財務省があれほど恥ずかしいことをしたとなると、『あれ、大丈夫?』となる。この先、信用できるのかと」。

 フィガロ紙のアルノーさんも官僚の信用失墜がじわじわ響いてくるとみる。

「僕が確定申告で新宿の税務署に行った時のことだけど、職員の人たちを見て『本当にきちんと手続きをしてくれるのか』と思ってしまった。僕は日本の公務員をずっと尊敬してきた。フランスより礼儀正しく、遅くまで真面目によく働く。僕の下手な日本語をちゃんと聞いてくれる。そういう人たちが、森友問題に絡んで自殺するというのは本当にひどい。悲劇的で理不尽、不条理だ」

 自殺者まで出たことについて、それぞれの国で同様の事例がないか聞くと「ちょっと思い浮かばない」と口をそろえた。強いて言えば、2003年、ブレア英政権がイラクの大量破壊兵器の能力を誇張する文書を作成した疑いがもたれた時、その疑いを指摘した国防省顧問が自殺したケースがある。
 「その文書で英国の議会はミスリードされ、ブレア政権は米国が起こしたイラク戦争に参戦した。日本の場合、国会がミスリードされた点は同じだけど、テーマは戦争ではなく、首相の妻に絡んだ政治的体面の問題だから、比較すると小さいと言えば小さいですけど」とタイムズ紙のロイド・パリーさん。
 ただそんな「比較的小さな問題」のために財務官僚がこれほど必死に改ざんに手を染めたとなれば、昨年発覚した南スーダン派遣の自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)問題に見られるように、安全保障問題などでより深刻な情報を隠すだけでなく、都合のいいように変える可能性がゼロとは言えないだろう。

「官僚がウソ」の方が衝撃

 そんな官僚の「劣化」についてフィガロ紙のアルノーさんはこう説く。

22年間、日本政治を見てきたけど、安倍政権になって官邸の力が強くなったのが大きい。でもそれだけじゃない。官僚が国会でウソを語るのは、今の日本では個の独立が確立されていないからではないのかな。日本人は法より人間関係や仲間内のモラルで動く。対してフランスではルールが最も強い。仮に不当な圧力があったとしても公務員は『法律にこう書いてあるから』と拒否できる

 改ざん当時の財務省理財局長、佐川宣寿前国税庁長官ら官僚の自主的な改ざんなのか、政治的な圧力があったのか。
 調査が待たれるが、前者の方が「日本の信用失墜」は大きいという見方もある。
 「政治家がウソをつくというのは世界共通の『常識』で、誰も驚かないが、官僚が自主的にウソをついたとなると、理解されにくい。日本はやはり奇妙な国だと見られ、ダメージは大きい」とFTのハーディングさん。
 タイムズ紙のロイド・パリーさんは英国と日本の官僚の共通性を挙げ、こう語る。

「両国とも官僚の給与は、金融・ビジネス界に比べさほど良くはない。ではなぜ人は官僚になるのか。汚職国家では賄賂や権力を得るために官僚になる。でも日英の場合、官僚にはお金より大事な価値、つまり自尊心というものがある。だから両国の官僚は足元のしっかりしたプロ集団になり得た。戦後復興の担い手だった日本の官僚は、世界的に見てもユニークで非常に高い名声を得ていた。でも1990年ごろから、目標もたどるべきコースもはっきりしなくなり、誇りと倫理観を失っていったのかなとも思う」

 アルノーさんは「官僚の劣化ではあるけど、日本の国民性の問題だとは思っていない」と言う。
 滞日歴が長い分、日本はさほど特殊ではないと皆わかっている。
 問題は日本を知らない海外の人がどう見るかだ。

[写真―1]
財務省の決裁文書改ざん問題について報じる英フィナンシャル・タイムズの紙面。左下の小見出しには「改ざん(falsifying)」の文字も=2018年3月16日撮影

[写真―2]
英タイムズ紙ロイド・パリーさん=2018年3月14日撮影

[写真―3]
英フィナンシャル・タイムズ紙ハーディングさん=2018年3月14日午前11時47分撮影

[写真―4]
明治学院大学のプロンコさん=2017年12月19日午後5時10分撮影

[写真―5]
国税庁長官を辞任、財務省内で記者団の取材に応じ、質問に答える佐川宣寿氏(中央)=財務省で2018年(平成30年)3月9日撮影

[写真―6]
仏フィガロ紙の特派員、レジス・アルノーさん=東京都新宿区で2018年3月15日撮影

毎日新聞・東京夕刊、2018年3月19日
特集ワイド
森友文書改ざん問題 私たちはこう見る 外国人特派員らに聞く

(藤原章生、小林祥晃)
https://mainichi.jp/articles/20180319/dde/012/040/006000c

TOKYO:
Japan’s embattled prime minister hit back on Monday at critics over a favouritism and cover-up scandal that has seen his popularity plunge and loosened his iron grip on power.

In a hotly awaited statement in parliament, Shinzo Abe stressed he had not ordered bureaucrats to alter documents relating to a controversial land sale as he comes under mounting pressure over the scandal.

“I have never ordered changes,” he said.

The scandal surrounds the 2016 sale of state-owned land to a nationalist operator of schools who claims ties to Abe and his wife Akie.

The sale was clinched at a price well below market value amid allegations that the high-level connections helped grease the deal.

The affair first emerged early last year, but resurfaced after the revelation that official documents related to the sale had been changed.

Versions of the original and doctored documents made public by opposition lawmakers appeared to show passing references to Abe were scrubbed, along with several references to his wife Akie and Finance Minister Taro Aso.

Aso has blamed the alterations on “some staff members” at the ministry.

But Jiro Yamaguchi, a politics professor at Hosei University in Tokyo, said the public was “not at all convinced” by this explanation.

“Why was the land sold at a discount price? Without any political pressure, this could never happen, and voters are angry about it,” said Yamaguchi.

The prime minister repeated an apology, saying he “keenly felt” his responsibility over the scandal that has “shaken people’s confidence in government administration.”

The affair is hitting Abe’s ratings hard, with a new poll in the Asahi Shimbun showing public support nosediving by 13 percentage points from the previous month to 31 percent.

The figure is the lowest approval rating for Abe in the poll since his return to power at the end of 2012.

Another survey suggested that for the first time since before a general election in October, more people disapproved of the cabinet’s performance than approved.

The scandal is harming Abe’s hopes of winning re-election as head of his Liberal Democratic Party (LDP) in September, which would make him Japan’s longest-serving prime minister.

Political analyst Yamaguchi said that if support continues to tumble, LDP members might begin to feel Abe is a liability ahead of upper house elections next year.

Abe insisted that, even before the alterations, the documents showed that his hands were clean.

“If you look at the documents before the alterations, it is clear there is no evidence that I or my wife was involved in the sale of the national land or approval of the school.”

But the opposition is demanding that Abe fall on his sword over the issue.

“This is a problem that is worthy of the resignation of the whole of the cabinet,” opposition upper house member Shoji Namba demanded as he questioned Abe over the scandal.

Masayuki Kubota, chief strategist at Rakuten Securities, noted there were “growing voices” calling for Abe and Aso to be held responsible.

“Various polls have shown his cabinet approval rating plunging and the stable base of the Abe administration is wobbling,” he said in a commentary.


[photo-1]
Japan's Prime Minister Shinzo Abe answers questions during a budget committee session of the upper house in Tokyo on March 19, 2018. Japan's embattled prime minister hit back on March 19 at critics over a favouritism and cover-up scandal that has seen his popularity plunge and loosened his iron grip on power.

[photo-2]
Japan's Prime Minister Shinzo Abe attends an upper house parliamentary session in Tokyo, Japan March 19, 2018.

New Straits Times, Published: March 19, 2018 - 12:05pm
Defiant Abe hits back over scandal as support plunges
By AFP
https://www.nst.com.my/world/2018/03/346847/defiant-abe-hits-back-over-scandal-support-plunges

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常圓寺

 常圓寺、じょうえんじ、・・・
http://www.joenji.jp/
http://www.joenji.jp/sp/ 

 日蓮宗の寺院で、福聚山常圓寺という。
 1585(天正13)年、日立上人により創建された。
 本堂に向かって右側にしだれ桜がある。
 これはもと、小石川伝通院、広尾光林寺のものとならんで 「江戸三木」といわれ、また「江戸百本桜」の一とされた桜の三代目として、1970(昭和45)年に植えられたものであって、近くに天明期(1781-1789)の俳人冬暎の「うれしさや命をたねの初さくら」という句を刻んだ碑がある。

 寺の広い中庭、左奥の植込みの間に見える便々館湖鯉鮒狂歌碑は、狂歌師便々館湖鯉鮒の 「三度たく米さへこはし柔かし おもふままにはならぬ世の中」という狂歌を刻んであるが、大田南畝(1749-1823)の筆になるものである。
 南畝は蜀山人・四方赤良・寝惣先生・山手馬鹿人など、二十もの号をもち、狂歌・酒落本・滑稽本の作者として知られた人で、牛込に生まれた。
 性質が明るく世の人に好かれた南畝のもとへは、名筆を乞う者が続々とつめかけたという。
 この石碑が建てられた1819(文政2)年は湖鯉鮒の死んだ翌年でもあるので、ことによると追善のためのものかも知れない。

 本堂には顔を徳川11代将軍家斉に似せたという変った日蓮像がある。
 これは、法華信仰に厚い側室お美代の方の勧めによって、家斉が江戸城の鬼門を守護するための感応寺建立を発願した際、そこに祀られる予定だった像である。
 感応寺は伊勢忠敬の設計による規模壮大なものであったが、幕府の財政ひきしめ方針によって実現を見ずにおわり、日蓮像だけが今日に伝えられることとなった。
 この像は、胎内にお美代の方が日ごろ礼拝していた日蓮像(戦災で焼失)を納めたところから「はらごもりの祖師」と呼ばれて信仰を集めていた。

 本堂右の墓地に入って直進すると一番奥に2mをこえる五輪塔の墓石が目につく。
 これは江戸南町奉行や幕末の対ロシア外交にあたった筒井政憲の墓である。
 1859(安政6)年に没した政憲は、儒学にも書にも秀れていた。

 本堂のわきに並んだ七体の地蔵尊は、1930(昭和5)年6月に発覚した大久保町の七乳児絞殺トランク詰死体の被害者の冥福を祈って建てられたものであるが、今日では無縁行路死亡者および水子霊をあわせて供養する法要が、区の医師会や助産婦会、それに町会の人びとによっていとなまれている。

 本堂裏から細い道路を隔てた北側の墓地へ入って左へ行くと、辰野金吾・秀子夫妻と辰野隆・久子夫妻の名を刻んだ墓石が隣接して建っている。
 大正から昭和期にかけて活躍した著名な建築学者(東京駅丸ノ内駅舎等を設計)とフランス文学者父子のものである。

(新宿区の文化財より)

 ヤッホーくん、まずはご不浄をお借りし、身軽になったところで大田南畝の歌の説明板のところへ。

 江戸時代中期の狂歌師、便々館湖鯉鮒(べんべんかん こりふ、1749-1818)は本名を大久保正武といい牛込山伏町に住み、始めは福隣堂巨立と号し、のちに便々館と改めた。
 この狂歌碑は自然の青石に彼の代表作、

三度たく 米のこはし やはらかし
おもふままにはならぬ 世の中

一日に三度炊く飯さえ、固さ、柔らかさを思うように炊くことは難しい。まして、世の中は自分の思うようにはならない(米とままの縁語)

が刻まれている。
 書は狂歌中興の祖、大田南畝(蜀山人)(おおた・なんぽ(しょくさんじん)、1749-1823)の揮毫で、1819(文政2)年に建立された狂歌史上貴重なものである。

https://ameblo.jp/key-sb-bridge/entry-10921156886.html

 そうだね、そうだそうだとヤッホーくん、この大田南畝って面白いよね、調べる価値があるんだな、と頷いていましたが二つほど追加:

世の中に 蕎麦ほどうまきものはなし
もり かけ といひて 夜もねられず

永代と 夢のかけ橋 落ちにけり
きょうは祭礼 あすは葬礼

 そして目指すは「筒井政憲の墓」へ。

 今日2005年2月7日で日本(当時は江戸幕府)とロシア(当時は帝政ロシア)の間に初めて結ばれた日魯通好条約に署名してから150年を迎える。
 1855(安政2)年2月7日、日本とロシアは伊豆下田の長楽寺というお寺(注)で日魯通好条約に署名した。
 これは前年の3月31日に結ばれた日米和親条約につづく二ヶ国めの開国を意味する。
 この条約で日本とロシアの国境を確定したことから『北方領土の日』となっているのであろう。

 実は、その時にロシアのプチャーチン提督と日本側の責任者として交渉したのが大目付・筒井政憲と勘定奉行・川路聖謨なのです。
 そして、その筒井政憲は常円寺に葬られているのです。
 残念ながら直系の子孫はないが稲葉博さんという方が熱心にお墓参りをされ、かつ外務省や新宿区に陳情し、史跡として墓所を保存するよう働き掛けている。
 その結果、現在は新宿区の指定文化財となっている。

 今日は特に新宿の街に街宣車の大きな声が響き渡っていたが、残念ながらその方々からお参りをしていただいた記憶はない。
 先人の労苦が如何なるものか?
 「国士」という言葉があるが、本当の国士には古きを温め新しきを知るという態度が必要ではないか。

著者 及川一晋、常圓寺執事長
 アメリカにある別院や国内の関係深い寺院との宗教活動と、埼玉の幼稚園を経営しています。八王子の里山墓苑やロータスプロジェクトなど、私はそれらの総合企画担当で、このブログを通じて徒然に活動を紹介しています。

http://www.joenji.jp/sp/blog/zakkan/北方領土の日/

 この筒井政憲(つつい まさのり、1778-1859)、江戸の南町奉行を1821(文政4)年から1841(天保12)年まで20年間、勤めております。
 したがって、あの遠山の金さんは1840(天保11)年から1843(天保14)年までが江戸の北町奉行でしたから北が遠山の金さんで南が筒井さんってときもあったということですよね。
 ところで蚊がぶんぶ、ぶんぶと飛んでうるさかったのが松平定信の寛政の改革。
 1787(天明7)年から1793(寛政5)年まで。

白河の 清きに魚も 住みかねて
もとの濁りの 田沼恋しき

 天保年間は水野忠邦の天保の改革。
 1841(天保12)年から1843(天保14)年まで。

 どうしてつついさんが奉行を辞めるはめに陥るのか、その後任の奉行、矢部定兼って誰、そして失脚し獄死した仁杉五郎佐衛門、その子たちの島流しって興味しんしん。
 さ、eチャリで図書館行こうとヤッホーくん、一瞬アタマをよぎったそうです。
 が、外は寒そうなので、またの機会にってこたつに潜り込んでしまいましたぁ〜
 このあたりでお開きにしますか、ね!

 あっ、補足!

(注)下田の長楽寺:
http://shimoda.izuneyland.com/chorakuji.html

駕籠で行くのは
お吉じゃないか
下田港の春の雨
泣けば椿の花が散る
逢うてゆきたや鶴松さんに
幼馴染みのあの人に
忘れられよか筒井筒
 
https://www.youtube.com/watch?v=XoxgTYqkpS0

 こうして駕篭に乗せられた唐人お吉、どのお寺さんに行くのでしたか?
 あの駕篭がひさしから吊り下げられていたお寺さんは、どこでしたか?

  
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2018年03月18日

今日は彼岸の入り

 あふれかえる人波の中、歌舞伎町から大ガードをくぐり新宿駅の西側へ出る。歩いている青梅街道は、新宿副都心の周縁にあたる。
 超高層ビルの列を背に、路地に入ると深い闇を感じた。日蓮宗の名刹(めいさつ)・常円寺(注1)の広大な墓地。
 辺りは年季を感じさせる雑居ビルが立ち並ぶ。そんな時が止まったような一角に、目指す店の看板が見えた。
 「入ってけらっしぁい(いらっしゃい)」
 扉を開けると、明るい声で出迎えられた。ママの文子(あやこ)さんは山形県尾花沢市の出身。西新宿に店を構えて40周年を迎えた昨年は、京王プラザホテルで、常連客が盛大な祝賀パーティーを開いてくれたという。
 花がさの飾られた店内で、郷土料理の芋煮をつつきながら、文子さんの話に耳を傾ける。
 学校を卒業して地元の売店に勤めていたが、あるとき「ホステス募集中」の新聞広告が目に留まった。場所は銀座のクラブだ。そのころ、高峰秀子主演の名作映画をリメークした人気ドラマ「女が階段を上(あが)る時」(注2)を見て、華やかな銀座のマダムに憧れていた。家族の反対を押し切り、夜行列車に飛び乗った。
 銀座で働くうち、自分の店を持ちたくなった。夢を果たしたのは1977年、副都心建設で働く人たちが集まっていた西新宿を独立の場所に選んだ。店名は山形県の県花にちなんだ。
 最初の店は、今と500メートルほど離れていた。青梅街道が、ゆるやかな起伏になっている通称・成子坂(注3)の近く。住宅街の一角が飲食店の密集地になっていた。文子さんは、当時の異様な活気が忘れられない。

「建設作業員や自営業の社長さん。通りは酔っぱらいばかり。『けもの道』でしたよ」

 歌舞伎町で飲んでから流れてくる客が多かったから、当時は午前一時に開店して昼近くまで営業していた。

「入れ歯や靴を忘れて帰る客、メガネがないと騒ぐ客、勘定を踏み倒す客を裸同然にして追い出したこともあったわね。面白かった」

 再開発で立ち退きを強いられ、常連客から惜しまれながら2007年に移転した。今は店の雰囲気も落ち着いてきた。メーカー、金融、商社関係のビジネスマン、公務員ら西新宿で働く人たちが集まっては、とりとめのない会話を交わし、かっぽう着姿の文子さんに「ありがどさま〜」と見送られて帰途に就く。そんな変わらないお国言葉の接客が、同郷の山形出身者ばかりでなく、故郷と離れて暮らす東京のサラリーマンの心を温める。 

<紅花>
新宿区西新宿7−12−12。営業は午後8時〜午前2時。定休日は日曜。電03(3361)9219。
<地方とスナック>
 幅広い分野の第一線の学者たちで結成した「スナック研究会」は、スナックの地域的分布について調査した。都道府県で人口あたりのスナック数が最も多いのは宮崎県。2位は青森、3位は沖縄、4位が長崎、5位は高知県−と続いた。
 市区町村別(政令市の行政区を含む)では、京都市東山区がトップ。2位は名古屋市中区、3位は大阪市中央区と、巨大歓楽街を抱える都会の街が上位を占めたものの、高知県奈半利町(5位)、沖縄県北大東村(8位)、北海道岩内町(11位)など規模の小さな自治体も目立つ。
 地方にスナックが多い理由について、研究会メンバーの荒井紀一郎・首都大学東京准教授(政治学)は「公民館、図書館などが少ない地方都市では、スナックが『社交場』として大きな役割を果たしているため」と分析している。


東京新聞、2018年1月3日
スナック再考
紅花(べにばな)(西新宿)
望郷の念 受け止めて

(梅村武史)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201801/CK2018010302000099.html

 3月18日(日)彼岸入り。
 ヤッホーくん、あふれかえる人波の中を歌舞伎町から大ガードをくぐり、新宿駅の西側へ出ます。歩いている青梅街道は、新宿副都心の周縁にあたります。
 懐かしい全労済西部支所への路地をちらっと横目に、なおも歩をすすめますと、日蓮宗の名刹(めいさつ)・常円寺の広大な墓地があります。
 ヤッホーくんのお墓参りです。

(注1)西新宿発こころと暮らしを調える情報季刊誌”LO+”のVol.13(2018 Spring)をいただいてきました:
 とうとうフリーペーパーが印刷アップしました。
 季刊ロータスは、西新宿発の「こころと暮らしを調える情報誌」です。
 ソーシャル、サスティナブルな活動をしている人物へのインタビュー、
 スープという切り口で精進料理にアプローチする「スープ精進」、
 小さな動きで体を調える「ボディコンディショ二ング」、
 地域のお店紹介や発行元であるNPOの活動紹介など、
 もっといい毎日への気持ちをA5サイズの小さな冊子に込めました。
 来週頭から配布になります。
 西新宿のお店や日蓮宗のお寺「福聚山 常円寺」でお手に取っていただけます。
 別の地域でも、配布協力いただけるお店がありましたらぜひともご紹介ください。
 発行はNPO法人ロータスプロジェクト。
 ヒト・モノ・コトが有機的につながるお寺を起点としたプロジェクトです。
 このフリーペーパーは、西新宿の常円寺に全面的にご協力いただいています。

https://www.facebook.com/NPOLotusProject/posts/392802157542794

(注2)When a Woman Ascends the Stairs Trailer:
https://www.youtube.com/watch?v=ooW3aSKfsVA

(注3)成子坂
成子坂.jpg

 水たまりが目立つほこりっぽい道路を大型トラックが走り抜けています。
 この道路、撮影された1962(昭和37)年当時も、今と変わらず都心と郊外を結ぶ重要な幹線道路です。
 橋はもう掛け替えられていますが、印象的な石造りの親柱は今も健在です。
 さあ、ここはどこでしょう?ちなみに、橋の下を流れているのは「神田川」です。
(A)飯田橋(B)新宿
 答えは「新宿」です。
 橋は青梅街道の「淀橋」でちょうど新宿区と中野区の境界にあります。
 目を凝らすと、親柱に「よどはし」と書いてあります。
 現在の住所は新宿区西新宿ですが、元々この周辺は「淀橋」という地名で、1947(昭和22)年までは淀橋区でした。
 家電量販店「ヨドバシカメラ」や、跡地に都庁が建った「淀橋浄水場」などの名前の由来になっています。
 橋は2005年2月に掛け替えられていますが、「大正十三年」の文字が残る立派な親柱は再利用され、行き交う人や車を見守り続けています。


[この場所の当時の地図をみる]

[コメント]
 淀橋、三光町、旭町、角筈、花園町、番衆町、十二社、百人町、柏木、戸塚、諏訪町…
 風情のある町名が、みんななくなってしまいましたね。
 高校時代、後輩の女性に書いた手紙を逡巡しながらポストに入れた諏訪郵便局も、学生運動で放り込まれた淀橋警察も、もう名前はなくなっていると思うと寂しい。
 6代目の圓生師匠の別名「柏木」なんぞは、「北新宿○丁目」という無粋な呼び名になってしまうのでしょうか。
 同じ新宿区でも、牛込側は、納戸町や箪笥町、二十騎町、払方町と江戸の匂いを伝える名が残されているのに…。
 名前が文化なのだと思えない田舎役人の罪は重いように思います。
投稿:久堅町の住民、2009年3月11日 (水) 23:05

毎日新聞・クイズ「昭和の記憶」
(乗峯滋人)
http://showa.mainichi.jp/memory/2008/07/post-75fe.html#B

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落ち目の小池知事が失地回復に

 拡散希望のこんなメールが届いてヤッホーくん、びっくり:

みなさん、お忙しいところ失礼します。
 森友の公文書改ざんの騒ぎの影で、厄介なことが都議会で起きているそうです。
 東京都の迷惑防止条例の改定案が、近々、都議会で成立しそうとのこと。
 批判や抗議活動などが犯罪にされてしまう恐れがあります!
 国会前も都内なので、当然ここでのデモもできなくなります。
 3月19日(月)も審議があるそう。今のままだと19日の警察消防委員会で審議が予定され、今定例会で成立の見込みらしいです。
 都議会にはファクス(コンビニから送ればご自分のファクス番号は相手にわかりません)。
 新聞に投書や、フェイスブック、ツイッターなどでの拡散も良いそう。
 審議の傍聴も良いそうです。
 来週、都議会前で抗議しようという呼びかけもあります。19日は夕方5時半から。詳細はこちら↓
https://twitter.com/chikapin1/status/974804651861196801?s=21
https://twitter.com/chikapin1/status/974804829699588096?s=21
 私は、ファクスを出し、都議会前抗議に少しでも行きます。
 条例改定案の中身の説明と要請や抗議の呼びかけが、フェイスブックに投稿されていたので、2つほどご紹介します。
------------
1) 【拡散希望】東京の方へ!
都の迷惑防止条例改悪に反対!ファクス要請アクションへの参加の呼びかけ:
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1795297513843311&id=100000892402377
2) こちらは、迷惑防止条例改定案に関して、
自由法曹団の動きや、反対、拡散の仕方なども、載せています:
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=600096743689675&id=00010680645349

みなさん、ファクス番号などお知らせします。
 迷惑防止条例改定案の委員会である、警察・消防委員会の審議予定:
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/schedule/police-fire-fighting.html
 このままでは3月19日(月)の警察・消防委員会で審議された後、3月22日(木)に採決、月末の本会議で成立する見通しだそうです。
 こちらのリンクに付いている画像に、各党のファクス番号あり:
https://twitter.com/yoko_counter/status/974992552540626944?s=21
 こちらは、委員会のメンバーのファクス番号:
https://twitter.com/m4uvaq7xwkxstatus/974979837898080258?s=21vrvl/
 よろしくお願いします。

 へえ〜、どれどれ、メディアはどんな報道してんのかな?:

「ホントのこと言え」
「サガワじゃなくて、アベーがヤメロ」――。
 3月16日夜も、そぼ降る雨の中、抗議の叫び声が鳴り響いた。
 官邸前には連日、公文書改ざんの真相究明と政権退陣を求めるデモに、数千人規模の国民が押しかけているが、数カ月後にはこの光景も見られなくなるかも知れない。

 理由は小池都知事が急ぎ足でこっそり成立をもくろむ東京都迷惑防止条例の「改悪」だ。

「盗聴防止強化の改正と言われていましたが、2月に公開された案は、トンでもない代物で驚きました」
(都議会関係者)

 不意打ちの改悪は“デモ封じ”の仕掛けが満載だ。
 まず、条例案では、つきまといの規制強化が、現行のストーカー規制とは次元が異なる。
 今月、条例案への反対声明を出した「自由法曹団」の船尾遼弁護士が言う。

「ストーカー規制法は『恋愛感情』でのつきまといが対象で、交際や復縁を迫るなど行為の態様からその感情を推認できます。ところが、条例案の要件の『ねたみ、恨みその他悪意の感情』はあいまいで、『安倍ヤメロ』というデモの掛け声だって“悪意”とみなされる恐れもある。他にも、拡大解釈可能で恣意的運用につながる規定が多い“ザル法”です」

 名誉毀損の成立もハードルが大きく下がる。
 現行刑法の名誉毀損罪は「公然と人の社会的評価を低下させること」が要件な上、被害者の告訴が必要だが、今度の条例案は、告訴が不要で「公然と」は抜け落ち、単に「名誉を害する」だけで成立。
 国会前や路上での抗議行動もSNSの発信も、捜査機関が「名誉を害した」と判断すれば即、逮捕だ。

3月29日(木)にスピード採決

 さらに「監視していることを告げること」も処罰の対象となり、張り込み取材やオンブズマンの監視活動も制約される。

 こんな危険な条例案を3月19日(月)の都議会「警察・消防委」で、たった1回だけ審議し、3月29日(木)の定例会最終日には採決する段取り。
 施行は7月の予定だ。

「現状、規制強化が必要な事態は生じていないのに、なぜ条例を改めるのか。立法事実が明らかではない。それでも成立を急ぐのは、今後の改憲に向け、『反対』世論の盛り上がりへの警戒ではないでしょうか。例えば、デモ参加者に『条例違反になりますよ』と注意するだけで、萎縮しますからね」
(船尾遼弁護士)

 落ち目の小池知事が失地回復に向け、連日のデモに戦々恐々の安倍首相をアシスト。
 「デモ封じ」で政権に恩を押し売りしているようにも見える。
 こんな“希代の悪法”を本当に成立させるのか。
 都議全員の良識が問われる。


[写真]“デモ封じ”の条例成立を急ぐ小池都知事

日刊ゲンダイ、2018年3月18日
審議は1回 小池都知事が密かに急ぐ“デモ封じ条例”の中身
https://www.nikkan-gendai.com/articles/image/news/225379/90429

 安倍首相の退陣を求めるデモが16日夜も、首相官邸前であった。
 デモの “常設会場” となっている官邸前だが、これまでと違うのは、警察が地下鉄出口を封鎖し、歩道をブロックしていることだ。
 東京メトロ「国会議事堂駅前」。
 官邸前に出る「3番出口」と「1番出口」は、制服警察官がバリケードを置いて立ちはだかった。
 「どうして行けないんだ」と詰め寄る男性に警察官は「混雑による事故防止のためです」と教科書通りに答えた。
 別の警察官が「2番出口を使って下さい」と誘導するので、一応その通りにした。
 案の上、屈強な機動隊員たちが歩道をブロックしている。
 蟻の這い出る隙間もない。
 メインステージのある官邸の真ん前に近づくのは不可能だ。
 官邸に一番近い「3番出口」に戻って、もう一度トライすることにした。
「通せ」
「ダメです」
 田中が警察官と押し問答をしていると、官邸前に出ようとしている男性(60代)が警察官を説得してくれた。
「この人は報道の人です。報道の自由のために通してやって下さい」
 警察は不承不承、田中を通した。
 ようやく官邸前に出ることができた。
「みんなの政治を私物化するな」
「安倍晋三から命を守れ」
・・・これまでのデモにない凄まじいまでの怒気が、ドラムの音とともに官邸に突き刺さっていた。
 田中はカダフィのリビア、ムバラクのエジプトなど独裁政権が倒れる革命の現場を見てきたが、官邸前に響くシュプレヒコールのフレーズは、ムバラク、カダフィの末期と似てきた。
 アベ晋三を模した絞首人形が登場すれば本物になる。
 参加者の人数は日を追うごとに増えているようだが、この勢いがどこまで続くか。
 懸念材料ではある。
 「帰る人」は通すが、「来る人」はダメ。
 駅のトイレに行こうものなら、二度と官邸前に戻れない。
 官邸前のデモ参加者を増やさないようにする一方で減らしていく。
 これが警察の戦術だ。
 官邸の中枢を占める警察庁関係者からそうした指示が出ているのだろう。
 過剰警備は、アベ官邸が民衆の怒りに怯えている証拠だ。


[写真―1]
「安倍内閣は総辞職しろ」「独裁許すな」・・・冷たい雨のなか女性は声をかぎりに叫んでいた。=16日夜、官邸前
[写真―2]
警察は歩道をブロックしたために、デモ隊から押されるハメに。防戦一方だった。
=16日夜、官邸前
[写真―3]
「行かせろ」。男性がいくら言っても警察は頑として通さなかった。
=16日夜、東京メトロ「国会議事堂前」駅

田中龍作ジャーナル、2018年3月17日06:02
森友・公文書改ざん
歩道、地下鉄出口ブロック
http://tanakaryusaku.jp/2018/03/00017786

 へえ〜、尊敬してしまいます、実際に体験された方の投稿です:

 昨16日の夕方、夕食の支度を終え、東京に向かった。行き先は、官邸前。そう、政府への抗議行動に参加するためだ。行こう行こうと思いつつ、実現できなかった。昨日は天候も良くなく、もしかすると参加人数が減ってしまうのではないかと思い、少しでも足しになればと思ったのだ。

 丸ノ内線の国会議事堂前駅を出ようとすると、出口が一つ封鎖されており、警官に特定の出口に誘導された。出ると、人の波。全体はよく分からない。警官、警察車両の数が半端ではない。道の両脇を警官・警察車両が占めている。シュプレヒコールに合わせて声を出しながら、官庁街をしばらく歩く・・・と言っても、ほとんど前に進めなかった。若い人の参加者が結構多い。

 警察は、この抗議行動を一か所に限局化すべく、駅の出口を閉鎖、道も実質閉鎖していた。現在、東京都では、こうした集まりを禁止できるようにする条例を審議中だと言う。それが本当だとすると、憲法違反の疑いが強いが、この警察の抗議行動への対応を見ると、当然の国民の権利を彼らが制限しようとしていることが分かる。

 9時過ぎには、帰路についた。それでも帰宅したのは11時半近く。足はふらつき、わずかだが痛みがある。もう上京もままならぬことになるかと思うが、また重要な局面になったら参加してみたい。あの行動は自己満足なのかもしれないが、集まる見知らぬ人々と連帯しているという思いを共有することができる。若い人々には、これからの世の中を左右する大きな出来事なので、参加できる時にはそうしてもらいたいものだ。

 行き帰りの車中で、高名な憲法学者の長谷部恭男教授と、歴史学者の石田勇治教授の対談『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書、2017年8月)を読了。世界恐慌で社会が不穏になるなか、ナチスは大統領緊急令と緊急事態条項を利用して権力を奪取した。保守派はヒットラーを利用する程度にかるく見ていたが、ヒットラーは狡猾に全権を掌握した。戦後、ドイツではナチスの戦争犯罪に対する反省はなかなか生まれなかったが、1960年代になり、若手司法関係者、学生などが中心になり、戦争犯罪の追及とそれへの反省の動きが高まった。ブラント首相が率先して戦争犯罪への反省、被害者への補償を進めた。保守派からの反動もあったが、ワイツゼッカー大統領等の努力もあり、ナチスへの反省は国民的なコンセンサスを得た。自民党改憲案にある緊急事態条項は、ドイツのように司法によるコントロールもなく、またフランスのように対象を選択的に限定する立法でもなく、時の政権に三権の全権を手渡す、きわめて危険な条項である。過去の歴史を反省することから、憲法の精神を大切にする態度が生まれてくるはずだ、といった内容だった。ドイツでのナチス戦争犯罪への反省が国民的な共通認識になるという過程、それをわが国は経験していない。

 改憲運動にどのように対処するべきかということは、過去の歴史を見つめなおす作業と同時に進めるべきなのではないか、と改めて思った。繰り返し述べている通り、我が国はこれから困窮の時代に向かう。それを乗り越えるときに、戦前の体制に戻そうとする勢力が暗躍する可能性がある。名古屋の中学校で前川喜平氏が講演をした。その内容を知らせろと文科省初等中等局長が中学校に命じた。その文面を読むと、根拠がない前川氏への個人的な誹謗をまだ述べている。嘘で塗り固めた現政権こそが批判されるべきなのにである。こうした教育への政権の干渉は、国民を戦前の思想に向かわせ、個別の思想を持つことを許さぬ現政権の意図、それへの官僚の忖度を感じる。基本的人権が侵される。それで良いのかと今問われている。

そんなことを考えながら、冷たい空気に再び覆われた最寄りの駅に降り立った。

昨日16日、国会議事堂・官邸前へ
2018/03/17 09:46

 東京都迷惑防止条例「改正」は、緊急事態条例の先駆けだ。

 ストーカー等に対する対応という衣の外見をした鎧である。適用対象が拡大されうる曖昧な適用要件、現場の判断でいかようにもできる、また電子メール、SNSを用いた勧誘を処罰する等々、憲法違反である可能性が極めて高い。警視庁が要望した条令とのこと。

 先日の政府への抗議活動に参加して、警察の「警備」が異様に増大していることに驚いた。参加者を一か所に押し込め、一部は参加できないようにする魂胆が見え透いていた。言葉遣いは丁寧だが、自由に動こうとすると、人のバリケードでそれをさせない。

 恐らく、政権にとっては、国会議事堂前や、官邸前に大勢の人々が抗議に訪れるのは、脅威なのだろう。その抗議の様子がマスコミや、SNSで伝えられるからだ。こうした抗議は、国民の権利のはずだが、政府は潰しにかかっている。SNSでのこうした運動への参加呼びかけも問題にされるかもしれない、という。

 安倍首相は、放送法を改正し、政治的な中立性を放送事業者に要求する条項を廃止する意向だと伝えられている。「自らへの批判的な(と彼が思う)放送」を行う事業者を潰す目的だろう。今でも、官邸は財界と政治資金でつながり、財界は電通を通じて、民間放送を支配している。NHKは残念ながら、人事と予算の承認権で簡単に政府になびくことが、安倍政権下で明らかになった。政府に対して批判的な、なおかつ適正な報道を行う放送事業者は、簡単に「干される」ことになる。これは、マスコミを大政翼賛会化する前段階である。

 こうして、国民の基本的人権、国民主権は蔑ろにされてゆくのだ。森友学園疑惑、それに関連した決裁文書改ざんへの安倍政権の対応を見ていると、良識なり、歴史に学ぼうとする姿勢なりを彼らに期待することは無理であることが判明した。

 当局は、この条例制定を、明日委員会で審議、一回だけ本会議にかけて成立させるつもりでいる。悪法はこそこそと成立させる積りなのだ。


東京都迷惑防止条例「改正」は、緊急事態条例の先駆け
2018/03/18 07:33

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2018年03月17日

明日は彼岸の入り

 今日3月17日(土)は春の日差しがたっぷり。
 ヤッホーくん、桜もほころびかけた下町のいつもの朝キン!
 テーマを設けました。空襲で亡くなった下町の大ぜいの犠牲者を弔い、戦争する国づくりなんてまっぴらごめん、と誓ってくることです。


(1)白河戦災地蔵尊

 昭和二十年三月九日夜の大空襲により首都東京は一瞬にして火の海と化し 我白河二丁目もまた灰燼となる
 その夜の焼死者実に七百余名の多きに及ぶ
 其惨状は筆舌につくし難い
 同年八月十五日終戦となる
 我々町民は全くの無一物焦土の中より起上り復興の為凡ゆる困苦と闘ひ 欠乏に耐えて 廿六年今日戦前にもました未曾有の繁栄を遂ぐるに至る
 顧みて幾多の尊き犠牲者の冥福を祈り 今後 戦争の絶滅を期すると共に 我町会の復興を記念して 茲に相計り 記念碑を建立する
昭和四十六年八月十五日 町会長 平谷章 記
在日五十四年帰国記念為建之

総務省公式サイト
一般戦災死没者の追悼、追悼施設、戦災犠牲者慰霊碑
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_koto_city001/index.html

(2) 延命地蔵尊由来

 当地蔵は、1821(文政4)年、永代の上流大川浚渫の際、出現した多くの無縁仏の人骨を元真光寺境内で安置し供養する際に建立された。
 その後、泰耀寺と合併、品川大龍寺への墓地移転があったが尊像は町内有志の懇情により1927(昭和2)年、現地に祀られる。
 向かって右側の地蔵尊は、1960(昭和35)年3月戦災死者供養のため李仁洙さんによって建立された。
(泰耀寺 ご住職の証言をもとに構成) 

総務省公式サイト
一般戦災死没者の追悼、追悼施設、延命地蔵尊
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_koto_city012/index.html

(3) 八百霊地蔵尊

由来記碑

 昭和二十年三月十日大東亜戦争による米軍東京大空襲により一朝にして犠牲となった当時の深川高橋五丁目の町民八百余名の霊を慰めるため昭和二十一年生存者町民有志によりこの地蔵尊が建立された
 この由来を後世に伝へ併せて恒久の平和を祈るため三十周忌を記念してこの碑を建てた
昭和四十九年三月十日 江東区森下五丁目町民有志

総務省公式サイト
一般戦災死没者の追悼、追悼施設、八百霊地蔵尊
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_koto_city011/index.html

(4)夢違地蔵尊

夢違地蔵尊縁起

 一九二三年(大正十二年)関東大震災に於ける下町の惨禍は遭難死者五万八千名に及びその遺骨を収納し、東京都慰霊堂が建立され、その加護と平安を願い毎年九月一日を記念日と定め 官民あげて法要が営まれているが、この地も焦土と化し、その物故者も多いため、毎年その慰霊法要を行うに至った。
 一九四一年(昭和十六年)太平洋戦争勃発し、戦局利にあらず、殊に一九四五年(昭和二十年)三月九日
より十日にかけての米戦略爆撃機B29による東京空襲は最も熾烈を極め、僅か数時間で下町を中心に二十七万八千余戸を焼失し無慮七万八千余の殉難者を出した。
 広島 長崎の原爆の戦史に比類する永遠に忘れ得ぬ悲惨な史実である。

 まだ春浅き三月九日夜半 雨あられの如く投下された焼夷弾は、いとまなき出火となり、立ち向かう術もなく、劫火の中を、親は子を子は親を、呼び合い叫び、逃げまどい 或は壕に入り、水面に飛込み、或は公園、校舎に走り、ついに力尽きてその声も消え果て、やがて倒れ重なりまっ黒な焼身と化し、水に入りては沈泥に骸と果て、翌朝光の中の惨状は眼を覆うばかりであった。
 生き残れる者僅かにして、そのさまは亡者のようであった。
 この地の殉難者数約三千余名といわれている。
 この地蔵尊の在わします菊川橋周辺の惨禍は、東京大空襲を語るとき後世まで残るもので霊地として守らねばならない聖域である。
 而して復興なり一九八三年(昭和五十八年)三月十日、誠心集い浄財を集め仏縁深き弥勒寺住職の教示を得て、これか悪夢の消滅を願い、これを善夢に導き、再びこの悲史をくり返さないようにと、夢違之地蔵尊と命名され、開眼法要、殉難者追悼供養を施行した。


 時移り再び多大なる協賛を得て夢違之地蔵尊縁起の史碑建立となり 地蔵講が生まれた。
 願わくば子々孫々への加護と人類の平和を祈念して、本日此処に慰霊法要を謹んで行うものである。
合掌
一九八五年三月十日
弥勒寺第五十七代住職 岩堀真至謹書
夢違之地蔵尊縁起史碑建立 協賛者一同

総務省公式サイト
一般戦災死没者の追悼、追悼施設、夢違地蔵尊
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_sumida_city003/index.html

(5)堅川地蔵尊

 大東亜戦争中昭和20年3月10日未明、敵空軍爆撃機の焼夷弾による大空襲をうけ下町一帯は崩壊状態となり尊い人命を数多く亡し其の数実に10万人と言います。
 攻撃に参加した敵爆撃機298機、投下焼夷弾1783トン、被災者数100万人、焼失家屋27万戸、負傷者数14万人、当菊川公園に埋めた人4515人に達し当町の住民の中からも多数の焼死者を出し、無人の町に等しくなるも終戦により町に復帰する人も日毎に多くなり、其の生存者の間から犠牲者の冥福と恒久平和を念じて地蔵尊建立の運動が起き、当時この町の住民で菊川小学校で奇跡的に難を免れ、船橋市に疎開中の石黒善次氏に話が伝わり、同氏の浄財により昭和21年5月地蔵尊を菊川公園に建立し町に寄贈され昭和40年菊川公園改修のため現在地に移転、今日に至り以来、毎年3月10日の戦災記念日には盛大に犠牲者の霊を弔うと共に、人が人を愛し、世界の国々が平和で、人類が何時迄も仲良く幸であることを祈るものである。
昭和五十九年三月十日 立川四丁目町会

空襲日記、February 11th, 2006
竪川地蔵尊と焼けた榎(榎稲荷神社)
http://airraiddiaries.com/?p=35

 ね、ヤッホーくんの東京大空襲の跡を尋ねる朝キン。
 5ヶ所を巡って手を合わせ、

 いまのアホの政権の戦争する国づくりは許しません、

 アメリカといっしょになって戦争するために平和憲法を改悪するなんて許しません、

 いのちを奪い、暮らしも壊す今の政策は許しません、
と誓ってきました。
 菊川橋のふもとの「悪夢の消滅を願い、これを善夢に導き、再びこの悲史をくり返さないよう」人類の恒久平和を願う夢違地蔵尊、
 そして「人が人を愛し世界の国々が平和で人類が何時迄も仲良く幸であることを祈る」堅川地蔵尊からは、下町の犠牲者の無念の魂の声を聞いてきました。
 また散歩に歩いてきた地域住民の方からは子どものころ経験した戦争被害を事細かに説明してくださり、その一生懸命にお話しする姿勢には感動すら覚えて、またまた、この三つの誓いを新たにして、流れ落ちる涙を拭こうともせず、足早に戻ってきた、とこういう一日でしたぁ


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神社本庁、神道政治連盟、日本会議

 神道系最大の宗教法人「神社本庁」(東京都渋谷区、田中恆清(つねきよ)総長)の不動産売却をめぐり、上層部と業者による癒着の疑いを指摘して懲戒処分を受けた元幹部職員2人が「正当な内部告発への報復的な措置であり違法」として近く本庁に処分の無効確認を求める訴えを東京地裁に起こす。
 元幹部は懲戒解雇された前総合研究部長(57)と降格・減給処分を受けた前教化広報部長(57)。
 川崎市内の本庁職員宿舎が新宿区の不動産会社に売却されたことをめぐり、「上層部と社長が知り合いのため相場より安く売却し、本庁に損害を与えた疑いがある」として昨年2016年12月、真相解明を求める告発文を本庁の役員2人に手渡すなどした。
 新宿区の不動産会社はこの本庁宿舎を2015年11月に随意契約で1億8千万円で購入すると、2億1千万円で即日転売し、3千万円近い利益を得た。
 その半年後には、転売先の会社と別の会社との間で取引され、本庁の売却額の1.7倍を超える3億1千万円で売買されていた。
 告発文などの内容が神社関係者に知られるようになり、本庁は今年2017年3月、弁護士を交えた調査委員会を発足。
 調査委は7月、宿舎売却が本庁の評議員会で議決されるなど手続き上の問題はなく「適法」と判断。
 本庁は8月下旬、元幹部2人を「事実に反した疑惑を唱えて本庁と神社界の信用を失わせ、混乱させた」と懲戒処分にした。
 前総合研究部長は「本庁に内部通報制度がないため役員に告発文を渡して疑惑解明の必要性を訴えた。懲戒処分は納得できない」と話す。
 この問題では調査委設置を提案した副総長が、調査終了後に辞職する異例の展開となった。
 本庁の担当者は取材に「提訴の動きは承知しておらず、顧問弁護士と相談して対応する」とした。

同一業者と3件 特例の随意契約

 神社本庁から職員宿舎を購入した東京都新宿区の不動産会社は、5年前にも本庁が所有した港区のマンション一室と中野区の3階建て職員宿舎を随意契約で購入し、即日転売していた。
 本庁の規則は基本財産の処分を競争入札で行い、無理な場合は三者以上の指名競争入札を行うと定める。
 随意契約は競争入札が不可能な事情があるときや軽微な取引に限られるとする。
 神社本庁関係者によると、同社はビルの一室にあり、社長は本庁を母体とする神道政治連盟の幹部や本庁上層部と交友関係にあるとされる。
 これに加え、川崎の職員宿舎を含めた3件の不動産売買がいずれも随意契約だったため、元幹部らは「神社本庁上層部との癒着の疑いがある」と話している。

東京新聞・夕刊、2017年10月6日
神社本庁を元幹部提訴へ
癒着疑い告発で懲戒「違法」

(吉原康和、阿部博行)
www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201710/CK2017100602000317.html

有名神社で起こった騒動

 平安時代から宇佐神宮(大分県宇佐市)の宮司職を世襲で務めてきた到津家の末裔・到津克子氏(49)が、ナンバー2の権宮司を解任されたのは無効だとして神社本庁と宇佐神宮などを相手取り、地位確認と損害賠償などを求めた訴訟で、大分地裁は2月13日、解雇を有効とする判決を言い渡した。
 一方で地裁は、到津氏が宮司などから受けたパワハラ行為を認定、未払い賃金なども合わせて約137万円の支払いを命じた。解任の手続きに不備はないとし、宮司の業務命令に従わないなど到津氏の勤務態度を問題にしての解雇有効判決だが、追い詰めた宇佐神宮側の責任も認めており、玉虫色の判決。控訴して高裁で争われることになる。
 全国の神社数は約8万。八幡神を祭る八旛宮は約4万社で半分を占めるが、宇佐神宮はその総本宮として歴史と社格を誇る。世襲の宮司家を「社家」と呼び、自動的に承継されるのが一般的だが、宇佐神宮では
神社本庁
が任免権を行使、到津克子氏の宮司就任を認めなかった。
 それどころか、2016年2月、田中恆清総長が強権で子飼いの小野崇之・神社本庁前総務部長を送り込み、支配体制を確立した。小野宮司は、挨拶に訪れた宇佐の神職たちに「謝罪文」への署名を要求、しかも神宮内にあった大分県神社庁宇佐支部の退去を求めるなど対決姿勢を露わにした。
 田中総長はこれを支援。総長は宇佐、鶴岡八旛宮(鎌倉)と並ぶ三大八幡宮・石清水八旛宮(京都)の宮司なのだが、そこから大久保博範氏を権宮司に送りこんだ。外部支配体制の確立である。

 宇佐市では、到津克子氏の裁判と並行する形で「宇佐神宮を守る会」が結成され、小野宮司と大久保権宮司の退陣を求める署名活動が展開されている。
 宮司の罷免を氏子の市民が要求する署名活動など前代未聞だが、請願理由の第一に「(両氏が)宇佐氏から続く社家である到津家をないがしろにしている」という点があげられており、宇佐市民の宇佐神宮と社家への崇敬の念がうかがえる。

 この宇佐神宮騒動と、昨年末、国民を驚愕させた富岡八幡宮の宮司刺殺事件は同根であると考えられるだろう。
 富岡八幡宮は、創設390年を誇る東京・下町の神社だが、一度、富岡家の長男・茂永氏が宮司職を継いだものの、素行の悪さなどによって解職となり、2010年10月からは長女・長子氏が神職の資格を取り、宮司代務者として取り仕切ってきた。
 「代務」はいかにも不安定。宮司を選任、任命権のある神社本庁の、任命具申する責任役員会に何度も「長子氏を宮司に」と、具申するが「経験不足」を理由に拒否回答が続いた。それに焦れた長子氏と総代会は、2017年9月、宗教法人神社本庁を離れ、単立の宗教法人となって宮司に就任。それが、「自分か息子を宮司に」と、一縷の望みをかけていた茂永氏の絶望感につながり、長子氏への骨肉の憎しみもあり、刺殺に至ったという。

 宇佐神宮でも、責任役員会の「到津克子氏を宮司に」という任命具申を、神社本庁は「経験不足」を理由に蹴った。そこが紛争の始まりなのだが、「経験不足」は、社格の高い神社の宮司に女性を就けたくないという神社本庁執行部の空気があるのだろう。

「日本会議」との距離感
 約8万社の神社を約2万人の宮司が見ており、そのうちの1割が女性である。
 そこに差別はないのだが、全国約350社の宇佐、鶴岡、石清水、富岡など誰もが知っているような大きな、神社本庁が特別な扱いをする神社を「別表神社」と呼んでおり、ここに女性宮司はいない。制度化はしていないものの、言外の女性差別である。
 別表神社の宮司は、総長、副総長、2人の常務理事、3人の一般宮司で構成される人事委員会で審査される。といっても、委員会メンバーが350名もの履歴や人柄を知りうるものではなく、責任役員会で任命具申されたものは、自動的に追認される。
 それがはねられるのは、執行部で「見送り」が決まっている時であり、到津克子氏も富岡長子氏も「経験不足」は言い訳で、女性宮司にするぐらいならこれを認めず、「本庁預り」にして本庁の支配体制を強固にするというのが現執行部の姿勢であろう。

 今の神社本庁を支配しているのは、3期目に入って地位を固めた田中総長と、元神社本庁幹部で対外的な政治活動を行う神道政治連盟の打田文博会長である。
 田中総長は、今、政治的な影響力が最もある右派集団・日本会議副会長を務め、靖国神社総代でもある。
 そして神道政治連盟は、1974年誕生の日本を守る会と、1981年発足の日本を守る国民会議が合体、1997年、日本会議としてスタートする際、「人」と「カネ」の両面で同会議を支えた。
 今年2018年、安倍晋三政権は改憲発議を目指して各方面への働き掛けを行っている。
 安倍首相悲願の憲法改正だが、それを支える日本会議の中核を担うのが
神社本庁
であり、2016年の正月には、全国の神社に日本会議系の「美しい日本の憲法を作る国民の会」の改憲を求める署名用紙を置くなど、政権と一体となった活動を行った。
 神社は、八百万の神を祭り、先祖を敬い、地域コミュニティの中核となる場所であり、それを支える神職の多くは保守である。そこは自民党政権と重なるが、元号法制化、自主憲法、靖国参拝、皇室の尊厳護持などをゴリゴリと進める神道政治連盟と一体化しているわけではなく、その戦う保守的な言動に違和感を覚える神職は少なくないという。
 そういう意味で女性宮司を認めないアナクロな「女性差別」は、神社界総体のものではあるまい。
 現実に、神社本庁の総裁は名誉職だが、そこに就いているのは、昭和天皇の第四皇女の池田厚子さん(旧名・厚子内親王)。
 また、伊勢神宮の臨時神宮祭主を務めるのは今上天皇の長女の黒川清子さん(清子内親王)であり、なにより伊勢神宮が内宮に祭っているのは伊那那岐神(いざなきのかみ)の女(むすめ)天照大御神である。
 日本会議にあるのは、男女平等のジェンダーフリーや選択的夫婦別姓制度を認めず、良妻賢母を求めるような家族観であり、それを憲法に書き込もうとしている。
 日本会議が、そうした「右派集団」であるのは構わない。
 ただそれは神社界総体のものなのか。
 宇佐神宮騒動や凄惨な富岡神宮事件の根っこに、田中―打田体制の強権支配があり、さらにそれが女性蔑視の発想から生まれたものだとするならば、神社本庁の在り方そのものを見直す時期にきている。


現代ビジネス、2018.02.22
女性宮司は認めない?有名神社の跡継ぎ騒動で見えた日本の大きな課題
いまこそ議論の時では

伊藤博敏
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54565

 神社界の機関紙を発行している東京の新聞社「神社新報社」が創刊70周年を記念して全国の神社などから集めた協賛金を税務申告せず、税務署から4000万円余りの所得隠しを指摘されたことがわかりました。
 所得隠しを指摘されたのは神社本庁や全国の主要な神社が株主になり、神社界の機関紙を発行している東京・渋谷区の新聞社「神社新報社」です。
 神社新報社はおととし2016年、創刊70周年に合わせて記念の出版事業などを行いましたが、関係者によりますと、全国の神社などから集めたおよそ9000万円の協賛金について、経費を支払った残金を別の口座に移して税務申告していなかったということです。
 これについて渋谷税務署は4100万円余りの所得隠しを指摘し、神社新報社は3月15日、修正申告しました。
 重加算税を含むおよそ1500万円を追徴課税される見通しだということです。

 残金は、次の記念事業のほか憲法改正や皇室制度に関する研究費用として貯めていたということです。

 神社新報社は「私的な流用はなく神社界の発展のために資金をためていたが、寄付を頂いた全国の神社にご迷惑をおかけし申し訳なく思っている」と話しています。


NHK、3月17日0時00分
「神社界の機関紙」新聞社 4000万円余の所得隠し
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180317/k10011368621000.html

 昨年2017年12月、凄惨な事件が起きた。
 週刊ダイヤモンド編集部が「ダイヤモンド・オンライン」の記事『神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も』で神社本庁からの離脱をスクープしていた富岡八幡宮(東京都江東区)で、宮司の富岡長子氏が惨殺された。
 編集部では事件の直前、長子氏に取材を敢行していた。
 「対面取材は初めて」という長子氏の話のうち、書かないように指示された部分を除いた内容を週刊ダイヤモンド特集「神社・仏教 大騒乱」で掲載するが、その一部を抜粋して初公開する。
 そこには神社界が抱える闇が凝縮されている。

── 宮司人事をめぐって騒動が勃発している大分県の宇佐神宮の取材をしている過程で、宇佐と同じく女性が宮司後継者となっている富岡八幡宮でも、神社本庁(全国の神社8万社を包括する宗教法人組織)を離脱したと聞きました。

富岡 まず、宇佐神宮については、後継者が同じ女性ということで同じように扱われることが多いのですが、それは間違っています。あちらは(後継ぎの女性が懲戒解雇され、神社本庁の元幹部が新宮司に就任したという意味で)神社本庁による乗っ取りだと思っています。
 女性というだけで宇佐の方(到津克子氏)と、ひとくくりにされてしまいますね。神社界は男性ばかりなので。辛辣にはなりますが、能力がなくて男性ということにだけしか自分の価値を見いだせない方ほどそうしたことを言います。

── 神社界では、女性差別が根強いのですか。

富岡 相当ひどいですよ。私たちは、神社本庁と雇用関係などは一切結んでいない。つまり、彼らは上司でも何でもない。それにもかかわらず、パワハラとセクハラが横行しているんです。
 一部の男性神職が、どれだけ女性神職や巫女を性的対象にして、卑しめてお酒を飲み、高圧的な態度で接してくるか──。お金と女、お酒しか考えていない人もいて。
 神社本庁の一部の職員もひどいですね。あの方々は、国民に選ばれたわけでも何でもなく、私たちの上納金で食べているのですが。幹部(実際の役職名)の某氏(実名)などは最低の人間でした。
 神職の研修などに行くと、神社本庁の職員も来るのですが、あたかも自分たちが国家試験を通った人間であるかのように、上から物を言うわけですね。これは私だけではなく、他の多くの神職も同じ不満を持っています。
 そもそも、うちのような氏子・崇敬神社(神社の慣習的な祭祀圏の居住者を氏子、圏外の信者を崇敬者と呼ぶ)は、氏子の方々がお金を出して建てているわけですから、氏子の総意で宮司が決められるべきだと思うのです。

── 神社本庁からの離脱を決めた理由ですが、宮司就任が氏子の意思であるにもかかわらず、神社本庁が首を縦に振らなかったから、ということでしょうか。

富岡 (2013年以降)これまで4回、私の宮司就任を認めるよう神社本庁に具申しましたが、認められませんでした。(昨年)3月の4回目の具申のときは、責任役員もうちの職員も、さらに氏子の代表である72町会の各町会の部会長さんも署名した請願書を提出しました。でも、これも握りつぶされました。(編注:神社本庁によれば、具申は2回でそのほかの富岡側の言う具申は「お願い文書」という認識)
 神社本庁はもともと、国家神道が解体されて弱体化した神社界を、みんなで助け合っていこうという神社連合会でした。その創設に関わったのが、うちの祖父(富岡盛彦氏)です。祖父は(神社本庁の)事務総長(現在の総長)でした。
 そんな組織が、ここにきて急激におかしくなってきたと感じます。
 ちょうど田中恆清さん(現在の神社本庁総長で京都・石清水八幡宮宮司)が総長になったころからですね。
 ある研修で講師の方に、明治憲法がいかに完璧だったかを説かれた上で、「内容は絶対にネットに上げるな」と署名用紙を渡されました。憲法改正を求める内容で「200人分、集めなさい」と言われた瞬間、気持ちが悪いと。

 (神社本庁だけでなく)神道政治連盟(神社本庁が母体の政治団体でその理念に賛同する議員連盟の現会長は安倍晋三首相)も、各神社から莫大な上納金を吸い上げているわけです。
 こんなこともありました。神政連の幹部(実際の役職名)をしているA神社の宮司にBさんという方がおられるのですが、こちらの方が、見るからに強面の方をお連れになって、(富岡八幡宮に)やって来られたんです――。
(『週刊ダイヤモンド』3月24日号より一部抜粋。続きは同号で)

神社界と仏教界の他では読めない裏事情を満載!

 『週刊ダイヤモンド』3月24日号の特集では、神社編において、故・富岡長子宮司インタビューの全文のほか、週刊ダイヤモンドがスクープした「神社界の森友問題」とされる神社本庁の不動産取引疑惑をめぐる、出雲大社(島根県)や熱田神宮(愛知県)など有名神社の反旗の動き、さらにはパワハラ問題で揺れる日本レスリング協会会長、福田富昭氏の関連会社による神社界ぶら下がりビジネスの実態なども追及しています。
 一方、仏教編では、全日本仏教会があれほど反発していた「アマゾンお坊さん便」にとうとう膝を折った裏事情に加え、アマゾンお坊さん便のぼったくり契約の中身を公開。
 また、東京23区に限っても2年間で数十万人分の墓を誕生させた「機械式納骨堂」に、ゴールドマン・サックスまでも群がる利益構造などを明らかにします。
 神社界、仏教界関係者のみならず、近いようで遠い存在、神社と仏教の他で知ることができない裏事情を知りたい方も必読の特集です。


『週刊ダイヤモンド』、2018.3.17
富岡八幡宮の故・富岡長子宮司、最後のインタビューを初公開
(編集部「神社・仏教 大騒乱」取材班)
http://diamond.jp/articles/-/163643

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国の言うことを聞け

 文部科学省の前川喜平・前事務次官が名古屋市立八王子中の授業で講師を務めた経緯の報告と録音データの提供を文科省が市教育委員会に求めた問題で、市教委は3月16日、文科省とのメールのやりとりを公開し、記者会見して内容を説明した。
 文科省のメールは、天下り問題で次官を辞した前川氏の経歴などに触れ、講師を頼んだ理由を繰り返し聞くもので、市教委は「講師に適格ではないと文科省が考えている」と受け取れる文面だったと明かした。

 文科省からの質問と追加質問、市教委からそれぞれへの返信のメール計4本などA4判22ページが公開された。
 市教委によると前川氏は2月16日、八王子中の総合学習の公開授業で講演した。
 文科省から3月1日に最初のメールが届いた。
 15項目にわたり、前川氏を招いた経緯や目的、保護者の反応などを尋ね、録音データの提供も求めるものだった。
 前川氏が次官を辞職した経歴に加え、「いわゆる出会い系バーの店を利用」と言及し、「道徳教育が行われる学校の場」に前川氏を招いた理由を「具体的かつ詳細に」示すよう求めた。

 授業の狙いについて、市教委は「前川さんの中学生時代、文科省時代、退官後の生き方をキャリアの参考にしてほしかった」との旨を3月5日夕に返信すると、追加質問が翌朝に届いた。
 再び経歴などを持ち出し「前川氏が、停職相当となった事実を校長は認識していたのか」と問うた。

 八王子中の上井(うわい)靖校長は、前川氏を選んだ理由を再三問われたことから「そこを詳しく知りたいんだと感じた」と会見で述べた。
 また、「3年ほど前に聞いた前川氏の講演が非常に分かりやすく、聞き手にも考えさせる内容だった」ことから講師に選んだと説明した。
 同席した市教委の藤井昌也指導室長によると、個別の授業内容について文科省からの問い合わせは異例。
 追加質問がすぐに届いたことで「あまりに早くて驚いた。すごい関心を持っている」と感じたという。一方で「我々は多様な観点を大切にしており、人選が間違っていたとは考えていない。今回のことが外部から人を招く障壁にならないように注意していきたい」と述べた。
 録音データは前川氏の許諾がなかったため、文科省には渡していないという。
 河村たかし市長も3月16日、報道陣の取材に応じ、「ちょっとやり過ぎだと思う。『国の言うことを聞け』ということでしょう。教育委員会も(文科省に)ちょっとは反発して、対応を議論してもらわんといかん」と文科省を批判した。


毎日新聞、最終更新3月17日01時02分
前川講師問題
文科省とのメール公開
名古屋市教委

(三上剛輝、山衛守剛)
https://mainichi.jp/articles/20180317/k00/00m/040/121000c

 地域の方々は、この校長先生を守ってほしい、守ってください。
 我々も声を上げる。
5:06 - 2018年3月16日、大下賢一郎

 国が学校に授業の内容を問いただす異例の事態です。
 愛知県の公立中学校が文部科学省の前川前事務次官を先月、授業の講師に呼んだところ、文部科学省から教育委員会を通じて授業の内容や録音の提出を求められたことがわかりました。
 いじめなどの問題を除き、国が学校の個別の授業内容を調査することは原則、認められておらず、今後、議論を呼びそうです。

 愛知県内の公立中学校で、先月、文部科学省の前川前事務次官が総合学習の時間の講師に招かれ、不登校や夜間中学校などをテーマに授業を行い、全校生徒のほか地元の住民らも出席しました。
 この授業について今月3月1日、文部科学省の課長補佐からこの学校を所管する教育委員会宛てに内容を問いただすメールが届いていたことがわかりました。
 メールでは、前川氏が天下り問題で辞任したことや、出会い系バーの店を利用していたと指摘したうえで、「道徳教育が行われる学校にこうした背景のある氏をどのような判断で授業を依頼したのか」と具体的に答えるよう記しています。
 さらに、録音があれば提供することなど15項目について文書で回答するよう求めています。

 関係者によりますと、中学校には教育委員会からこれらの内容が伝えられ、録音の提出については拒んだということです。
 教育委員会も授業内容は事前に了承していたということです。

 今の法律では、いじめによる自殺を防ぐなど、緊急の必要がある場合は文部科学大臣が教育委員会に是正の指示を出すことが認められていますが、今回のように個別の学校の授業内容を調査することは原則、認められていません。

教育行政上の国の役割とは

 戦前の愛国主義的な教育の反省に立ち、国による学校教育への関与は法律で制限されています。教育基本法16条にも「教育は不当な支配に服することなく」と記されています。
 地方教育行政について定めた法律では、学校教育に対して、指導や助言などができるのは原則として教育委員会です。
 国は学習指導要領の作成など全国的な基準の設定や、教員給与の一部負担など教育条件の整備が主な役割です。
 一方、いじめ自殺など子どもたちの命に関わる問題が相次ぐ中で、国による関与が必要だとする声も強まり、2007(平成19)年に文部科学大臣が教育委員会の対応が不適切だった場合、是正の指示ができるようになりました。
 しかし、これも法令違反や子どもの命や身体の保護のため、緊急の必要がある場合に限定されていて、今回のように個別の授業内容を調査できる権限は原則、認められていません。

話聞いた主婦「とても勉強になりました」

 講演で、前川氏が語ったのは中学時代の不登校体験や今、みずからも関わっている夜間中学校の必要性などについてでした。
 終了後は教員や生徒、さらに住民と一緒に記念撮影するなど、好評だったということです。
 話を聞いた50代の主婦は「夜間中学校について、熱く語られたのが印象残っています。とても勉強になりました」と話していました。
 また、別の男性は「政治的な話は全くなく、和やかな雰囲気でした」と話していました。

日本教育学会会長「国の行き過ぎた行為」

 日本教育学会の会長で教育行政に詳しい日本大学の広田照幸教授は、「国の地方の教育行政への関わりは、基本的に抑制的であまり口を出さないのが基本だ。学校の教育内容は教育委員会の管轄であり、何より個々の学校が責任を持って行うものだ。それに対し、明確な法律違反の疑いもないまま授業内容にここまで質問するのは明らかに行き過ぎだ」と指摘しています。
 そのうえで、「行政が必要以上に学校をコントロールすることになりかねず、現場は国からの指摘をおそれて萎縮し、窮屈になってしまうのではないか。国があら探しするような調査をかけることは教育の不当な支配にあたると解釈されてもおかしくない」と話しています。

文部科学省「問題ない」

 文部科学省は「前川氏が文部科学省の事務方トップだったことや、天下り問題で辞任したことを踏まえ、講師として公教育の場で発言した内容や経緯を確認する必要があると判断した。正確性を期すために文書での確認を行った。問題があるとは思っていない」と話しています。


NHK、3月15日19時15分
文科省が授業内容などの提出要求
前川前次官の中学校での授業で

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180315/k10011366661000.html

 かつての教育基本法は「教育の憲法」と評され、戦後社会の民主的な発展を支えました。
 第一次安倍政権下の2006年に改正されてから10年が過ぎ、教育行政にどんな影響をもたらしてきたのか。文部科学省の中枢を歩み、官僚トップの次官を務めた前川喜平氏は「日本ファースト的な風潮が強まり、危うい」と警鐘を鳴らしています。

今こそ主権者教育を 前文科事務次官・前川喜平さん
大西 旧教基法は、国民の学ぶ権利を守るために国家を縛る法律といわれた。新法は愛国心を養うといった徳目を「教育の目標」として列挙し、国民を縛る傾向が強くなりました。

前川 旧法の前文にはこう書いてありました。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」。基本的人権の尊重、国民主権、平和主義という憲法の理想を実現することが教育の基本だとうたっていた。軍国主義を植え付けた戦前の教育への反省からです。大事なことだと思って仕事をしてきたので、書き換えられたのは残念でした。
 「教育行政」条項が変わった意味は大きい。改正前は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」でした。改正後は「不当な支配に服することなく」は残りましたが、続いて「この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきもの」となった。旧法の「不当な支配」は国家権力も想定されていたわけだけれど、新法では法律に基づいていれば、国家が教育内容を決めるのは問題ないとされたのです。

大西 政権の性格によって教育は大きく左右されうると。

前川 その背景には、旭川学力テスト事件の最高裁判決があります。旧法の「教育行政」条項を巡り、「国家の教育権」説と「国民の教育権」説がぶつかり合った。政治過程を経て国会で法律を作り、国民の信託の下に教育をする権限が国家にはあるというのが前者の考え方。国民に直接責任を負う形で、教育者が学問の自由に基づき真理を求めつつ教えるべきだというのが後者の考え方。例えば日本は中国を侵略しなかったと国会で決議したとしても、それは真理ではない。政治は真理を決められないし、政治過程を経て間接にしか国民に責任を負えない。だから教育には介在するなと。
 判決はけんか両成敗のように双方の権限を認めました。ただ、教科書検定などを巡る教育裁判でよくよりどころとされたこの条文は、保守派にとって目障りだったので意図的に変えられてしまった。国家教育権的な立場を鮮明にしたわけです。政治は教育に介入するなと、国民の教育権を主張する声が少なくなったのは懸念されますね。

大西 今や経済界による「不当な支配」が強まっているように見えます。稼ぐ力を磨くことは否定しませんが、教育はそんなに薄っぺらいものかと。

前川 稼ぐ力がないと確かに生きていけないけれど、それだけでは生きる意味がないでしょう。個人として自分なりの考えを持ち、市民社会を一緒につくる力、競争ではなく共生する力が重要です。近年盛んに「グローバル人材の育成」が叫ばれますが、それは「世界に勝つ人材」だといわれます。自分たちさえ勝てれば、他の世界は負けてもいいと。「日本ファースト」の発想には違和感を覚えますね。日本人は集団への帰属を重視しがちですが、国籍や民族、人種などで優劣をつけようとするのなら問題です。
 例えば、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が提唱してきたESD(持続可能な開発のための教育)やGCED(地球市民教育)の考え方は大事です。人権とか平和とかエネルギーとか、地球環境や世界遺産の保護といった皆で力を合わせないと解決しない問題がある。国際市場競争に勝つことばかりを目指すのではなく、グローバルな共生社会をどう構築するのかを学び、考えなくてはいけない。

大西 新法には「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」という「家庭教育」条項が新設された。自民党は家庭教育支援法案を用意している。私的領域に干渉するのかと気になります。

前川 自民党の2012年の憲法改正草案には、家族は社会の単位と記されています。天皇家という本家があって家族はすべてその分家。日本国は血でつながったでっかい共同体。そんな家族国家観が根底にあるのでしょう。家族は国家の一単位という考え方はもともと国体思想にあった。教育勅語の世界です。国家が統制するのは当然と考えているのだと思う。法案のベースは親学(おやがく)(伝統的な子育てのために親が学ぶべきだとされる考え)ですが、いじめとか不登校とか非行、自殺といった子どもの問題の責任を親に転嫁する発想がある。ひとり親の増加や子どもの貧困の広がりという子どもを取り巻く状況の変容を踏まえると親を責めても仕方がない。貧困や虐待、孤立に苦しむ子どもを放置し、社会で支えることから逃げることにつながります。
 もっとも、子どもの健やかな成長は親の関心事です。歓迎したいのは、血縁も地縁もない自由な個人と個人が結びついて教育に関わろうとする動きが増えていることです。子どもの学習を支援したり、子ども食堂を開いたりしている。子どもにとって親でも教師でもない大人の存在は貴重です。親がその輪に自発的に加わればいい。

大西 第一次安倍政権下での教基法改正は、憲法改正の露払いだったともいわれます。

前川 教育の自律性を決定的に奪う結果にはならず、我慢できる範囲内にとどまったと感じます。でも、国を愛する態度を教育目標に盛り込み、国家の権限を強め、家庭の役割を強調する。政治権力が改憲を見据え、教基法の名の下に教育に介入する危険性はあります。外国人がどんどん日本に入ってくるこの時代に、日本民族の憲法を作ると言っている人たちに改憲はさせたくない。日本人としての誇りなどというものより、個人の尊厳に立脚し、一人一人の人権を尊重することの方がずっと大事です。日本国憲法は人類の歴史の成果だと考えています。
 やはり主権者意識を備えた人たちが育ってもらわなくてはいけない。憲法が掲げる人権や平和や民主主義という人類共通の価値が、どうやって発展してきたのかを学んでほしい。その意味で、近現代の日本史と世界史を併せて勉強する高校の「歴史総合」(2022年度導入)には期待したい。二度の世界大戦に負けて今の民主主義を手に入れたドイツの歴史は、特に学ぶべきです。当時最先端といわれた民主的なワイマール憲法を持ちながらヒトラーを生み出した。民主主義が独裁を生んだという痛恨の歴史がある。日本は大正デモクラシーが消えて軍部独裁に陥ったことへの反省が足りないし、戦後は「一億総ざんげ」で済ませてしまった。自由や民主主義を根付かせ、戦争を再び繰り返さないためにはどうするべきか。立憲主義や戦争違法化の人類史に学び、自ら考える主権者を育てる教育が今こそ必要だと思うのです。

大西 前川さんは、義務教育を終えていない人々が学び直す自主夜間中学で、学習支援のボランティアをしていますね。国家が決めた教育の枠組みにとらわれず、市民が自由に学び合う場を大切にしたいものです。


東京新聞・考える広場、2017年10月28日
「教育の憲法」改正…あれから
大西隆・論説委員が聞く

http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017102802000215.html

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決して死んではダメだ

「Aから『心療内科に通い出したんだ』と聞いたのは去年8月のことです。年末にも、『まだ体調はよくないけど、年明けから仕事に復帰しようかと思っている』と話していました。無理はしないほうがいいんじゃないかと言ったんですが……。彼は真面目で、途中で投げ出さない人間でした。私が思うに、今回はそれが裏目に出てしまったのかなと思います」
 そう話すのは、財務省近畿財務局の職員だったAさんの親族の一人。Aさんは50代の男性で、3月7日に自殺したと見られている。’16年、森友学園への国有地売却の際、Aさんは上席国有財産管理官として交渉、契約に携わっていたと見られる。ノンフィクション作家の菅野完氏が話す。

「’17年2月、私が森友学園についての取材の一環として近畿財務局に行った際に対応されたのがAさんだったんです。物静かというか、必要最小限のことしか言わない人というイメージです。おそらくAさんのことを指しているのだと思いますが、籠池(泰典)前理事長の妻の諄子さんが『あの人、いつも理屈しか言わへんねん。私、あの人のこと嫌いやねん!』と言っていました。諄子さんからすれば、記念小学校設立の流れに逆らう人、という印象だったのかもしれません」
 Aさんの自宅からは「文書の書き換えを命じられた」という趣旨のメモが発見されたという報道もある。

 実は、第二次安倍政権発足以降、自ら命を絶った、あるいは不審な死を遂げた官僚や職員は実はAさん以外にも多数存在する。

「’76年のロッキード事件など、これまでの疑獄事件でも、確かに自殺者が出ることはありました。しかし、それらは政治家本人やその秘書で、公務員が詰め腹を切らされるというケースは、聞いたことがありません。安倍政権が長期にわたって続いていることに加え、内閣人事局制度で局長以上の生殺与奪権を握っていることなどの弊害でしょう。官僚の中に、安倍政権を絶対的なものとして見るという習性が生まれてしまっているのではないでしょうか」(前出・菅野氏)
 Aさんの親族の一人は「死人に口なしではなく、すべてを明らかにしてほしい」と話している。

 3月16日発売のFRIDAY最新号では、自殺したAさんの写真を掲載すると同時に、亡くなる数日前の様子を詳しく報じている。また、第二次安倍政権以降に起きた官僚や職員の「自殺&不審死」リストを掲載している。

Yahoo! Japanニュース、3/16(金)7:03配信
第二次安倍政権以降の「自殺&不審死」リストを公表する
[出処]Friday
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180316-00010001-friday-pol

 20年前、1998年の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」を超えるかもしれない。森友問題で決裁文書の改ざんが判明し、大揺れとなっている財務省。今月、近畿財務局の国有財産担当の男性職員が神戸市内の自宅で自殺していたことが発覚して衝撃が走ったが、ナント! 本省理財局でも自殺者が出ていたというのだ。

「1月29日、国有財産業務課のA氏がお亡くなりになっている」
「自死をしているかもしれない」
「事実でしょうか」
 2018年3月15日、衆議院本館で開かれた野党6党による森友問題の合同ヒアリング。希望の党の柚木道義議員が財務省側にこう詰め寄った。

「個人のことなのでコメントを差し控えたい」
 富山一成理財局次長は暗い表情のまま否定せず、そのまま沈黙を貫いていたが、柚木議員の指摘が事実であれば森友絡みの自殺者は2人目だ。
 財務省に事実関係を確認すると、理財局は「広報室を通して」といい、広報室は「こちらでは把握していません」と回答したが、3月16日朝の読売新聞は業務課の30代の係長が寮で死亡していたと報じた。
■ 女性職員も自殺未遂か
「亡くなったのは、改ざん後の決裁文書を引き継いでいた人物といわれています。実は近財の男性職員が自殺した時にすでに『2人目だ』との声が財務省内から漏れていました。他にも管理課の女性職員の自殺未遂の話が流れています」(野党議員秘書)
 森友問題で自殺者が続々……。
 背筋が凍るような恐ろしい話ではないか。
 ノーパンしゃぶしゃぶ事件では、舞台となった旧大蔵省銀行局の職員ら関係者3人が自殺に追い込まれた(注)が、これ以上の犠牲者が出ないことを祈るばかりだ。

 安倍首相も麻生財務相も、ついこの間まで、国会で佐川宣寿前国税庁長官を「適材適所」と持ち上げていたのに、改ざんが発覚して長官を辞任した途端、手のひら返しで「佐川が、佐川が」と責任を押し付けている。
 こんな血も涙もない悪辣政権のために財務官僚が命を落とす必要は全くない。
 今からでも遅くはない。
 極悪非道の限りを尽くす独裁政権を放逐するため、今こそ、どんどん内部告発するべき。
 決して死んではダメだ。

日刊ゲンダイ、2018年3月16日
今度は財務省理財局係長 森友問題で“2人目”の自殺者か?
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225270/2

(注)自殺者(出処:ウイキ)
大蔵省 銀行局 金融取引管理官
日本銀行理事(1998年5月2日)
第一勧業銀行元頭取(元会長)

 亡くなった官僚の皆さま、合掌・・・
 しかしま、初春だというのにこんなうんざりするようなニュースが飛び交っていますが・・・
 今朝3月17日土曜日の早朝のことなんですが、ヤッホー君じっ〜と聞き惚れていました。
 NHKラジオ深夜便「明日へのことば」で昨年の2月18日放送した番組のアンコール放送!
 官僚がよく呑み屋でも口にするあの「国民の皆様の!ため」でなく「お客様目線で」に:

 開園から100年超の歴史をもつ大阪市立天王寺動物園。
 お客さん目線に立った取り組みがヒットし、昨年度2015年度の入園者数は前年度から約30%も増加した。
 園長の牧慎一郎さんは、基礎工学研究科出身。
 科学技術庁(現・文部科学省)などのキャリアを経て、園長に就任した異色の経歴の持ち主。

公募を見て感じた運命
 「これは自分がやる仕事、二度とないチャンスだと、思い切ってチャレンジしました」

 2013年、大阪市は天王寺動物園の改善、改革を推し進めるために動物園改革担当部長を公募すると発表。
 それを知った牧さんは、運命的なものを感じたという。
 大阪大学で研究した生物工学、官僚として培ってきた行政経験、さらに幼い頃からの動物好きが原点となった「動物園マニア」。
 そのどれもが後押しをして応募したところ選任され、2014年7月に動物園改革担当部長に就任、昨年2015年4月より園長を兼務した。

大学では生物の脳のメカニズムを研究
 高校時代から理系を志望していた。

「なかでも生物を学ぶのがおもしろそうだなと。最初は理学部の生物学科を目指していたのですが、基礎工学部に生物工学科があるのを知って、募集要項を読んでみると魅力的に思え、第1志望に変わりました。広い視野で生物を研究することができて、自分にはとても合っていたと思います」

 大学では、生物が意識を持って運動(随意運動)する時に、脳がどのように働いているかという研究に取り組んだ。
 当時、神経生理学の村上富士夫教授のゼミで学ぶと同時に、健康体育部の木村實教授の研究室で、実験に励んだ。

なんでも屋で怖いものなしに
「助手と僕を含めた学生2人の3人で動物の世話をしなければならず、なかなか休めませんでしたね。実験機器が揃っていたわけではなかったので、研究に使う電極やデータ収集のためのプログラム、新しいシステムも全部自分で作りました。基礎工学部はある意味なんでも屋。あらゆることをやったおかげで、何をするのも怖くなくなりました」と笑う。

 勉強のかたわら、趣味のトランペットを手に、軽音楽部のビッグバンドでジャズを演奏したり、4年〜大学院2年では少人数でジャズバンドを結成し、地域のイベントで演奏するなど、充実した大学生活を送った。

東日本大震災では後方支援も
 大学院の博士課程に進もうかと考えていたある日、国家公務員の採用案内を見て、試験科目に生物学があるのを知り受験、見事合格。
 俗に言うキャリア官僚として科学技術庁に入庁し、科学技術政策を担当した。
 出向も多く、原子力安全・保安院や内閣官房知的財産戦略推進事務局などさまざまな省庁で業務をこなした。

「東日本大震災では、文科省の原子力支援本部のメンバーとして発生3日後に福島県に入り、県庁の後方支援にあたりました。その後、原子力発電所再稼働の基準づくりなども担当しました」

■ 「動物園マニア」
 「動物園マニア」になったのは「結婚したばかりの頃、妻がペンギンにはまったのがきっかけ。動物園や水族館を巡るうちに、マニアが集まるペンギン会議や動物園のあり方を考えるNPOの市民ZOOネットワークなどに関わるようになりました」
 さらに、2006年には動物園マニアで競うバラエティ番組「TVチャンピオン全国動物園王選手権」(テレビ東京)に出場。見事チャンピオンに輝いた。

お客さん目線での動物園改革
 天王寺動物園に転職後は、精力的に動物園改革に乗り出した。

「人気の高いホッキョクグマのメスを導入したり、動物とのふれあい広場を設けました。また、近年来園の多い外国人観光客向けに、英語や中国語、韓国語での案内板も増やしています」と語る牧さんのユニフォームにも“ENGLISH a little”の缶バッジが。

 さらに昨夏、新たに照明設備を完備、開園時間を延長して実施した100周年記念イベント「ナイトZOO」は、9日間で13万人が来場する人気イベントとなった。
 また、中・長期的な改革にも取り組む。

「タヌキやキツネ、モグラなどの日本の固有種が飼えないかと思っています。都会に住む人には見たことがない動物で、教育といった面からも動物園として展示する意味があると思っています」

どんな勉強も役に立つ
 昨年2015年7月には大阪大学と連携して、動物園を楽しくするシカケのアイデアを集めた「シカケコンテスト2015」を開催。

「大学は自由な発想ができる場。コラボすることによっておもしろいことやイノベーションが生まれると思っています。動物園にはいろいろな研究材料があるので、学術的な部分で、今後も大学とジョイントできればいいなと期待しています」

 座右の銘は「どんな勉強も役に立つ」。
 大阪大学の後輩には、

「どんな分野でも、取り組んでいくためには、それを支える知識を蓄えて更新していくことが大切。私の場合、就職してから学生時代には全く触れてこなかった法律や経済、財政、民法なども勉強しましたが、今になるとそれが全て生きています。勉強マインドは、大学時代に身につけておいたほうがいいですね」とエールを送った。

● 牧 慎一郎(まき しんいちろう)氏
 1993年大阪大学基礎工学部生物工学科卒業。95年同基礎工学研究科物理系生物工学専攻修了。同年科学技術庁(現・文部科学省)入庁。環境庁、経済産業省原子力安全・保安院、内閣官房知的財産戦略推進事務局などを経て、2014年大阪市建設局動物園改革担当部長兼経済戦略局天王寺魅力担当部長、15年4月から現職。

● 大阪市立天王寺動物園(大阪市天王寺区茶臼山町1-108)
 1915年、上野動物園、京都市動物園に次いで日本3番目の動物園として開園。11ヘクタールの敷地に、約200種1000点の動物が飼育されており、動物の生息地の景観を可能な限り再現した展示や、おやつタイムの実施などを取り入れている。昨年度の入園者は約173万人。
ホームページ http://www.jazga.or.jp/tennoji/index.html


大阪大学公式サイト、大阪市立天王寺動物園園長 牧慎一郎
「お客さん目線を心がけて、もっと親しみやすい動物園に」
動物園改革にかける熱い思いを聞いた。
どんな勉強も役に立つ。どんな分野でも、それを支える知識を蓄え、更新していくことが大切です

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/storyz/ou_ogob/201606_maki

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2018年03月16日

貧乏人攻撃

 昨日提訴した明治公園野宿者排除国賠の原告ら代理人のひとりなんですが「公園にいる野宿者、ホームレスは不法占拠者なんだから強制的に排除されて当然」という巷にあふれる「常識」「素朴な感覚」をひっくり返すところからのたたかいだと思ってます。
 まさに人権論、憲法上の権利論の出番かなと。
21:21 - 2018年3月14日、弁護士 戸舘圭之

 アパレル通販サイト「ZOZOTOWN」が現在大炎上している。ツイッターでは一時「#ZOZOTOWN退会祭り」なるハッシュタグがトレンドに上がったほどだ。
 事の発端は、田端信太郎氏がツイッター上で行った発言。田端氏はLINEの元上級執行役員として知られてきたが、今年2月にLINEを退社し「ZOZOTOWN」の運営会社である株式会社スタートトゥデイのコミュニケーションデザイン室長に就任している。
〈誰か、高額納税者党を作ってほしい。少数派を多数派が弾圧する衆愚主義じゃないか〉(2018年3月10日のツイート)
 この田端氏のツイートは、今月8日に日本経済新聞の「日経ビジュアルデータ」というアカウントがツイートした〈2016年に源泉徴収で所得税を納めた給与所得者は4112万人で、納税額は9兆418億円になります。このうち49.9%にあたる4兆5167億円分を、給与所得者全体の4.2%に過ぎない「1000万円超」の人たちが負担しています〉という文を引用リツイートするかたちでなされたもの。
 ようするに、田端氏は、「ほんの一部の高額納税者が全体税収の半分も払っているのは不平等だ。もっと貧乏人から金を取れ」とでも言いたいのだろうが、それならばまず、ひと握りの高額所得者に富が集中し、ここまで格差が広がってしまっている社会状況にこそ問題の目を向けるべきで、そこを〈少数派を多数派が弾圧する〉などというのは言語道断。自己中心的発想にも程がある。
 しかし、彼のこのような「自己責任論」的な発言はいまに始まったことではない。
 たとえば、17年5月にはこのような発言が炎上している。
〈テレビって見てる視聴者は、常に善良で勤勉な市民で被害者という仮定を置いてるよね。そんなにバーキン欲しいなら視聴者どもよ、自分が金稼げ!って思うけどなー〉
 また、こんなツイートもしている。あろうことか彼は「貧乏人はさっさと死ね」とでも言わんばかりの、こんな言葉を放っているのだ。
〈まず生命保険に入りましょう。そして洗面器を用意し水を張ります。水に顔をつけて10分もすれば!凄い時給でお金が貰えます!!〉(17年5月のツイート)
 そもそも、保険金目的の自殺は免責事由になるので、洗面器の水で意図的に溺死したとしても〈凄い時給でお金〉はもらえないと思うのだが、それはともかく、大の大人が自らの名前と所属する会社を明かしたうえで発言しているものとはちょっと信じたくないグロテスクな文章である。

田端信太郎が移籍したZOZOTOWNの問題あるツケ払い制度

 弱い者はどこまでも虐げられ、強い者はさらに富んでいく──そのような社会を是とする考えは、田端氏の根幹を成しているものなのだろう。彼はこんなツイートもしている。
〈本人がコントロール可能な要素が1%でもあれば、他人のせいにしてるヒマがあれば、Focus on what you can control!はいつだって間違いではない。生活苦で自殺するくらいなら、役所の窓口に行くのも本人の自己責任だし〉
 田端氏はありとあらゆる「持たざる者」たちに軽蔑の目を向けるが、彼が手にしている多額の報酬はどこから来るかわかっているのだろうか? それは、彼が「金が欲しけりゃ自殺して保険金でも稼げ」とコケにした人々から搾取し、収奪した果てに手にしたものである。
 そもそも、「ZOZOTOWN」というサイト自体、そういった構造をもつものだ。それを端的に示すものが「ツケ払い」の制度である。

 この「ツケ払い」は、16年11月から始まったサービス。この制度を使って商品を購入したユーザーは先に商品を受け取ることができ、限度額5万4千円以内であれば、支払いは最大2カ月後まで先延ばしにすることができる。
 このシステムの問題点は、会員であれば誰でも使用することができるという点。つまり、クレジットカードを所有していない未成年の子どもでも、保護者の目の届かないところでツケ払いの買い物をすることができる。
 このシステムには上記のような理由で批判が集まったことから、サイト側は17年4月より、未成年者が購入する際には保護者の許諾を受けたかどうかを確認するチェックボックスを画面に表示する措置を行ったが、あくまで形式的なものであり、抜本的な問題解決にはなっていない。
 根本的な問題解決を図るならば、未成年者が利用する場合は保護者の同意書なしにはツケ払いできないようなシステムなどにすればいいのにも関わらずそれをしない。それは、ツケ払いというものが、ファッションへの欲求の一番強い年代である子どもたちの財布を狙い撃ちするために考えだされたシステムだからだろう。
 5万4千円というのは、未成年者にとってはなかなかの大金である。これによって困ったことになる子どもが出てくることも当然予想されるが、しかし、その後、彼らがどんなに困ろうと、会社としては知ったことではないという態度だ。
 そういう意味では、ZOZOTOWNがグロテスクな優勝劣敗思想をもつ田端信太郎という人物を要職に迎え入れたのは偶然ではないだろう。
 それにしても、ベンチャー経営者やIT長者というのは、なぜこういった人たちばかりなのだろうか。
 自己責任論をわめく前に「ノブレス・オブリージュ」という言葉の存在を思い出すべきだろう。


リテラ、2018.03.16
炎上したZOZOTOWN田端信太郎の自己責任論、貧乏人攻撃がヒドい!
「生命保険に入って自殺」薦めるツイートも

http://lite-ra.com/2018/03/post-3876.html

 精神障がい者を自宅の一室や敷地内の小屋などに閉じ込める「私宅監置」の跡が、沖縄本島北部に現存していることが分かった。社会防衛の名目で、沖縄では1972年の日本復帰まで公認された制度で、狭い「座敷牢(ざしきろう)」に長年にわたって追いやられ、人権を踏みにじられた人々が大勢いた。
 精神科医の呉秀三(1865-1932)が、私宅監置の悲惨な状況を調べ「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」との言葉を残してから、今年は100年の節目に当たる。県内で精神医療・福祉に携わる関係者らが、タブー視されてきた闇の歴史を掘り起こすとともに、小屋の保存や当事者たちの尊厳回復を求め動いている。

コンクリート小屋、外から鍵

 本島北部の集落に残っている「私宅監置」跡は、1.5坪(4.95平方メートル)ほどのコンクリート造りの小屋だ。地域関係者らによると、食事の出し入れや通気と採光のための小窓のほかは、排せつなどのスペースがあるだけで出入り口の鉄の扉は当時、外から鍵をかけていた。
 監置されていたのは、昨年2017年7月に89歳で亡くなった男性。戦後に精神疾患を発症し1952年暮れから1966年1月まで、ほぼ監置が続いたとみられる。敷地内には家族が住んでいた母屋があるが、現在は空き家になっている。
 私宅監置は、1900年に制定された精神病者監護法に基づく。1950年施行の精神衛生法で本土では禁止されたが、米軍統治下の沖縄では残った。精神医療施設の絶対的不足を背景に、1960年にできた琉球精神衛生法でも認められ、病院以外での保護拘束の手段として日本復帰するまで続いた。

劣悪な福祉、家族も苦悩

 1970年代、名護保健所の職員として北部地域を回った安富祖朝正さん(76)=金武町=は「外から五寸くぎを打って閉じ込めたケースもあり、まるでヤギや豚のような扱いだった」と証言する。狭い空間に長年追いやられたため、膝が硬直し立てない人もいたという。
 琉球精神衛生法は精神科医療の公費負担も定めたが、実際には急増する入院希望者に琉球政府予算が全く追い付かない状況だった。「高額な医療費は自己負担となり、入院させようにも病床がない。ないない尽くしの時代に、監置する側の家族も追い詰められていた」と安富祖さんは続けた。
 監置小屋の保存や歴史継承に取り組む県精神保健福祉会連合会の高橋年男事務局長(65)は、離島を含め県内各地で監置があったと説明。大阪府寝屋川市の民家で昨年2017年末、精神疾患を理由に女性が両親に監禁され凍死した事件を挙げ、「復帰前だけの話ではなく、精神保健の今に続く問題。モノを残すことで歴史を振り返り、今後を考えるきっかけにしたい」と願う。
 同連合会などは4月17-22日、那覇市の県立博物館・美術館で私宅監置をテーマに写真展とシンポジウム(22日)を開く。入場無料。
 問い合わせは同連合会、電話098(889)4011。


沖縄タイムス、2018年3月16日05:00
「外から五寸釘、ヤギや豚のような扱い」
1.5坪の小屋が物語る闇の歴史
沖縄に残る私宅監置跡

(社会部・新垣綾子)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/222523

 法政大学の上西です。
 「データ問題」について、安倍首相の国会答弁にヤフーの記事で疑義を呈した者です。その疑問点を引き継いで、国会で野党の皆さんが追及を深めてくれました。
 それによって、働き方改革関連法案において言及が避けられてきた裁量労働制の拡大に世の中の注目があつまり、報道によって、裁量労働制が「みなし労働時間」分だけ残業代を払えばよい制度であること、そのため長時間労働を助長する危険があることを、多くの方が知るところとなり、法案から裁量労働制の拡大を削除させることができました。
 「データ問題」が明るみに出したのは、事実をねじまげて国会議員をだまし、国民をだましてでも、労働時間法制の規制緩和を推し進めようとした安倍政権の姿勢です。
 厚生労働省の調査によれば、裁量労働制のもとで働く労働者は一般の労働者よりも労働時間が短いと受け取れる答弁を、1月29日に安倍首相は行いましたが、野党の追及の結果、2月19日になって判明した事実は、一般労働者については「最長」の一日のデータを使い、裁量労働制の労働者についてはただの一日のデータを使うなど、ねつ造と言える操作を施し、比較してはいけないものを比較した答弁だったというものでした(※1)。

(※1)データ比較問題からみた政策決定プロセスのゆがみ:裁量労働制の拡大は撤回を(公述人意見陳述)(上西充子)- Y!ニュース(2018年2月21日)

 安倍首相は答弁を撤回しましたが、データを撤回する姿勢はいまだ見せていません。
 加藤大臣も、なぜこのような問題だらけの比較データが答弁のために用意されたのか、真相究明に乗り出す姿勢を見せていません。
 なぜ、そのように安倍政権が非を認めずに頑なであるかといえば、裁量労働制よりもさらに極端に労働時間の規制をはずしてしまう高度プロフェッショナル制度の導入を、まだあきらめていないからです。
 「データ問題」の追及によって、もとの調査結果に様々な異常値が含まれていたことが明らかになり、この調査結果を示しながら行われた労働政策審議会の検討プロセスそのものの正当性が問われる事態になっているのですが、その検討プロセスが否定されて高プロの導入もできなくなることを、安倍政権は恐れているのです。
 しかしながら、国会議員をだまし、国民をだまして裁量労働制を拡大しようとした政権が、より過激な規制緩和である高プロの導入を行うことを、認めることはできません
 高プロは、労働基準法の労働時間規制をすべてはずしてしまうものであるため、24時間連続勤務を何日も続けさせることも可能な制度であるにもかかわらず(※2)、そしてそのことは既に国会質疑でも明らかになっているにもかかわらず(※3)、安倍首相や加藤大臣は、健康確保措置を取っているという空疎な答弁を繰り返しています。

(※2)「働き方改革」一括法案、連日24時間勤務の命令も可能に。制度の欠陥では、との問いに厚労省担当者は沈黙(上西充子)- Y!ニュース(2017年12月18日)
(※3)2018年3月2日 参院予算委員会 速記録(小池晃議員の質疑部分)

 今、国会は、森友問題に関する決裁文書の改ざんをめぐって大荒れの状態ですが、その混乱の中でも3月13日に与党は参議院予算委員会において公聴会を強行しました。
 そして東京過労死を考える家族の会の代表の中原のり子さんが公述人として意見陳述したのに対し、自民党からはワタミの創業者である渡邉美樹議員が質問に立ち、「国をあげて『働くな、働くな』でよいのか」といった無神経な問いかけを行った上で、高プロでは、仕事が時間とお金のやりとりだけではなく、働く人ひとりひとりの自己実現や成長につながるかのように持ち上げてみせました。
 自ら創業した会社の従業員の若者を、過大な業務量によって過労死に追いやった、その経営者としての責任を忘れ去ったかのような渡邉議員の質疑は、聞くに堪えないものでしたが、その渡邉議員を質問者に立たせた自民党の姿勢から、私たちは改めて認識しなおさなければいけません。
 安倍政権は、続発する過労死の事案からも、裁量労働制のデータ問題からも、何も学ばないまま、働き方改革関連法案の成立を強行しようとしているということを。

 改めて、高プロの危険性を広く周知し、高プロの導入を断念させましょう。
 共にがんばりましょう。


Yahoo! Japanニュース、3/16(金) 13:00
裁量労働制の拡大だけでなく、高度プロフェッショナル制度の導入も断念を(#0316働き方 院内集会)
上西充子、法政大学キャリアデザイン学部教授
https://news.yahoo.co.jp/byline/uenishimitsuko/20180316-00082776/

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引きこもり

 いやはや、今日もびっくり。
 今朝のマレーシア紙「ニューストレイツタイムス」がこの国の「引きこもり hikikomori」をとりあげています(出処:AFP):

TOKYO: Ikeida leaves the house once every three days to buy food, shuns deliveries to avoid human interaction and has not seen his parents or younger brother for 20 years.

The 55-year-old has chosen to shut himself completely away from society – such a commonplace phenomenon in high-pressure, conformist and workaholic Japan that there is a word to describe it: “hikikomori.”

Until recently it was thought to be an issue mainly afflicting those in their teens and 20s, but ageing Japan is seeing a growing number of older hikikomori cloistering themselves away for longer periods of time.

There are more than half a million hikikomori in Japan – according to the latest government survey published in 2016 – defined as people who have stayed home for more than six months without going to school or work and interacting with no one other than family members.

However, this underestimates the scale of the issue as it only counts people under the age of 39 and the government has now decided to conduct the country’s first survey of hikikomori aged between 40 and 59.

Ikeida (not his real name) told AFP he graduated from a prestigious Tokyo university and received several lucrative job offers from major firms during Japan’s “bubble economy” period in the 1980s.

But he quickly realised he could not follow his university colleagues into the massed ranks of Japanese salarymen.

“I went to a good university my parents wished me to go to and tried hard to conform,” he said in a rare interview arranged through a non-profit trying to help those isolated from society and their parents.

“But I realised I had to conform forever when I got those job offers. I felt hopeless. I couldn’t wear a suit. I felt like my heart had broken,” he added, speaking on condition on anonymity.

Feeling under unbearable pressure, he took the decision to shut himself away in his room, shunning all forms of human contact – a pattern that was to continue for the next three decades.

What drives people to shut themselves away is not entirely clear, but many featured in the survey said they stopped interacting with society after struggling with relationships at work or school, or failing at job hunting.

“Some people who suffer from schizophrenia become hikikomori. But it’s often hard to know as they don’t go out to see a doctor,” said Kayo Ikeda, a clinical psychologist who heads a non-profit offering advice to elderly parents with hikikomori children.

“What we know is that they have been hurt. They were bullied or experienced interpersonal trouble at work,” she said.

Ikeida describes in his blog how his mother would hit him if he did not study hard enough and also subjected him to psychological pressure.

Statistics suggest they also find it harder to reintegrate into society after turning away.

In the 2016 survey, more than one third of hikikomori said they had withdrawn from society for more than seven years, up from 16.9 percent of such cases in a previous survey in 2009.

As the hikikomori age and shut themselves away for longer periods of time, this places more pressure on elderly parents, both financially and emotionally.

“Maybe it’s common overseas that grown-up children leave their parents’ home, but in Japan, parents let them stay,” said Ikeda, the clinical psychologist.

Rika Ueda, who works for the non-profit that supports parents of hikikomori children, says social stigma can make the situation worse.

“Families with hikikomori children are very ashamed of themselves.... They hide their situation from their community and become isolated” without being able to seek help, Ueda told AFP.

“I think such circumstances contribute to the problem of prolonged cases,” she added.

Recognising the growing problem, the health ministry has requested 2.53 billion yen (US$24 million) to support hikikomori people from the next fiscal year starting in April.

The government also aims to help such people find employment that suits their condition.

Ikeida lives mainly on social benefits but also makes a little money by writing online articles from his room.

He desperately wants to recover and has asked his parents several times to accompany him to a psychiatrist but they refused.

“I want society to understand that we are not crazy people,” said Ikeida.

He also worries about dying alone, another common fear in ageing Japan.

“I think about a lonely death. I don’t want to die that way. I don’t want to be found rotten. So maybe I can ask for more visits by welfare officials, but I don’t want that either,” he said.

“It’s such a contradictory feeling.”

[photo-1]
This picture taken on March 8, 2018 shows Ikeida (not his real name), a 55-year Japanese man who has chosen to shut himself completely away from society, posing for a picture in Tokyo. Ikeida leaves the house once every three days to buy food, shuns deliveries to avoid human interaction and has not seen his parents or younger brother for 20 years.

[photo-2]
Such a commonplace phenomenon in high-pressure, conformist and workaholic Japan that there is a word to describe it: "hikikomori".

New Straits Times, Published: March 16, 2018 - 12:52pm
Japan's isolated older 'hikikomori' shun society for years
By AFP
https://www.nst.com.my/lifestyle/pulse/2018/03/345796/japans-isolated-older-hikikomori-shun-society-years

 生きづらさを抱えた自分がものすごくイヤで、なかなか外に出られなかった。そんなつらかった心の病などの経験をカミングアウトし、「自慢話」やアートに置き換える活動を続けることで、収入を得る経済生活への第1歩を踏み出せた人たちもいる。
“いま”という空気を感じた『こわれ者の祭典』の熱気
 少し古い話になるが、2011年1月9日の日曜日、新宿ロフトプラスワン(新宿区)で開かれた『こわれ者の祭典〜「病気」から回復した僕たちのメッセージ〜』というライブに誘われた。
 出演するのは、「引きこもり」や「アダルトチルドレン」「強迫行為」「脳性マヒ」などの当事者たち。それぞれが「生きづらさから、どのようにして回復していったのか」を朗読やコント、パフォーマンスなどで披露する。また、精神科医の香山リカさん、作家の雨宮処凛さんらも交えて、トークを行うイベントだ。
 休日にそんな集まらないだろうと、タカをくくって、ぶらりと開演直前くらいに出かけてみれば、すでに会場の入り口は満員の観客で入りきらない。中に入って見渡してみると、客席は立ち見までギッシリ埋まって、熱気に溢れている。
 意外に、若い世代の人たちが多いことにも驚かされた。いや、むしろ中高年以上の世代の姿が少ない…というべきなのか。すでにイベントは9年くらい続いていて、リピーターもいるそうだ。これが、“いま”という時代の空気なのだろう。そう思うと、かすかな希望が見えるような気もしてくる。
引きこもりへの自己嫌悪を拭った「くたばれ、自己責任!」という言葉
 中でも、こうして詰めかけた若い世代の魂を揺さぶるようなストレートな訴えを披露し、会場を笑わせていたのは、「引きこもり」経験者で、イベントの主催者でもある月乃光司さん(45歳)の叫ぶ朗読だ。
 月乃さんは、「引きこもり」時代に着ていたというパジャマ姿で舞台に登場。そして、こう叫ぶ。
「くたばれ、自己責任!」
 先頭に立って何か行動を起こそうとして、1人だけ突出したように目立ってしまうと、匿名性の保たれた「安全」なところにいる人たちから叩かれ、足を引っ張られる。結果的に、親や社会、国に対して迷惑をかけてしまった人たちも、また同じだ。
「僕らは、社会で、いわれ続ける。自分の尻を、自分で拭ける人間になれよ!」
 誰もが、自分で自分の責任をとれる人間を目指している。でも、社会で自立したくても、外に出られない。そうしたくてもできない自分に悩み続け、罪悪感を抱えている「引きこもり」当事者の中にも、実体のない中傷や批判に傷つき、怯え、萎縮しながら生きている人たちは少なくない。
 月乃さんは舞台で、こう続ける。
「自分で自分の尻を拭けない僕は、ビミョ〜に迷惑な垂れ流し男となった。そんな現実に、僕は自己嫌悪を抱き続けていた…」
 でも、45歳になって悟った。そして、「くたばれ、自己責任!」と、繰り返す。
「なぜ、自分で自分の尻を拭かなければいけないのか! 時代はもう、ウォシュレットの時代です。私の罪も、迷惑も、負い目も、水に流してください! 誰か私の罪を、拭いてください!」
 そう叫び続ける月乃さんも、実は現在、会社員だ。ただ、自宅や勤務先が新潟市にあり、有給休暇を使って行う、こうしたライブ活動のコストはほぼ「持ち出しに近い」という。
引きこもり、アルコール依存症から見事脱出!仕事を13年続けられた「先輩の言葉」
 月乃さんは高校時代、醜形恐怖症と対人恐怖症がきっかけで、不登校になった。以来、「引きこもり」の生活を続け、アルコール依存症にも陥った。
「引きこもり」を脱することができた理由は、病院に入院して、当事者グループにつながったこと。そして、いまはビルメンテナンス業の会社に、約13年間勤務を続けられるまでになった。
 どうして仕事を長続きさせられたのか。月乃さんは、当事者グループのスタッフから「君は長い間働いていないから、すぐに働きに出ても挫折しちゃうよ」とアドバイスされたという。
 そこで、まずメガネを製作する会社や清掃会社で、1日1〜2時間のバイトからスタート。何度も辞めたいと思ったときの支えは、相談相手である同じ経験をしてきた当事者の先輩からの「もう少しだけ、頑張ってみたら」という言葉だった。
 居場所での仲間の支えが大事だというのは、まさにこのことなのだろう。
 こうして月乃さんは、1年かけて少しずつ仕事の時間を増やし、フルタイムでも働けるようになった。
 ちょっと元気になると、すぐに働きたがったり、家族も本人を働かせたがったりする。でも、そうではない。
 まず当事者の仲間がいる居場所に通えることや、バスなどの公共機関に乗れること、カフェなどでお茶を飲んで話すことができるようになってから、その次に1時間くらいの仕事に就くことができる。1年くらいの時間をかけないと、また戻ってしまうと、月乃さんはいう。
 大切なのは、無理をしないで、できる範囲でトレーニングしていくことだ。
 別のグループでは、仲間から「ただ、ひたすら弁当を食べていればいい」といわれた。
 皆の前で、お弁当を食べながら、面白いことや洒落たことをいわなければいけないと思うと、それが理由でもがき苦しみ、疲れてしまう。それが最後まで弁当を食べられるようになれば、第1段階は終了というわけだ。
「当事者の先輩の言葉がすべてだった」
 と、月乃さんは振り返る。
つらかった過去を気にするより“いま”をどうするかのほうが大切だ
 9年前2002年、この「こわれ者の祭典」を始めたのも、様々な自助グループの体験発表をエンターテインメントによって笑えるようにすれば、イベントに来て、何かのきっかけにつながる人たちもいるのではないかと思ったからだ。「先輩からもらったものをエンターテインメント化して面白くした」という。
 昔、つらかったことでも、人前で繰り返し話すことによって、「生きづらくても大丈夫!」と、思えるようになるかもしれない。
 かつて、どうだったのかという過去をどうこう気にするよりも、いまはどうなのか。どうすれば、これからもっと良くなるのかを皆で考え合うほうが大切だ。
 ただ、月乃さんがこうした公演を主催してこられたのも、本業である会社員としての収入があったからでもある。
 今回の祭典には、当連載でも紹介した「引きこもり」や摂食障害などの経験者である、『K−BOX』代表のKaccoさん、強迫行為に悩まされてきたアイコさん、お互いに脳性マヒと診断されながら、映画や舞台などで活躍を続ける、お笑いコンビ「脳性マヒブラザーズ」など出演者たちが、それぞれの歌やパフォーマンスを披露した。
 月乃さんは、最後にこう叫ぶ。
「お互いにビミョ〜に迷惑をかけ合って、ビミョ〜にお互いの尻を拭き合って、生きていこう。責任は、お互いにとり合おう。これが、福祉ってやつじゃ、ないですかね〜! 皆さま〜!」
 次回の『こわれ者の祭典(http://koware.moo.jp/wp/)』は2011年5月頃、東京と新潟で公演される予定。
※ 発売中の拙著『ドキュメント ひきこもり〜「長期化」と「高年齢化」の実態〜』(池上正樹、宝島社新書、2010年7月)では、このように、いまの日本という国が、膨大な数の「引きこもり」を輩出し続ける根源的な問いを追い求め、当事者や家族らの語る“壮絶な現場”をリポートしています。ぜひご一読ください。


ダイヤモンドオンライン、2011年02月03日
引きこもりから勤続年数13年の会社員へ
自己嫌悪に陥った当事者はどう心の闇を脱したのか

池上正樹
http://diamond.jp/articles/-/10994

 東京都世田谷区の住宅地で、80代の男性が60代の女性を殺害したとされる事件が起きた。男性は自殺したためくわしいことはわかっていないが、植木やネコの扱いをめぐってのいわゆる“近隣トラブル”が関係していたと言われる。
 診察室にも、近隣に住む人たちとの問題で頭を悩ませ、不眠などに陥って相談に来る人がときどきいる。激しく苦情を言ってきたり、いやがらせを仕掛けてきたりする“加害者”の多くは、60代以降の人たちだ。
 おそらくこの中には、老人性の認知症によって怒りっぽくなっていたり妄想を抱いていたりするケースもあると思う。
 ただ、より広く考えれば、そこには日本特有の高齢者事情も関係していそうだ。仕事を引退したり子どもを育て上げたりした人たちは、それから何をして老後を暮らすのか。カルチャー教室や家庭菜園などを楽しみにする人もいるだろうが、日ごろから社交的ではない、あるいは家に菜園を作るほどの庭はない、という場合は、どうしても家にこもりがちとなる。
 とくに日本の場合、高齢の人たちがバーでお酒を傾けながらおしゃべりに興じたり、ドレスアップしてコンサートに出かけたり、といった文化は育っていない。
 知人の内科医も、訪問診療に出かけると都心の一等地の住宅でひとり、テレビを友だちに生活する高齢者が多いのに驚かされる、と話していた。

「食事は宅配サービスを利用して、あとは誰にも会わずに話すこともなく、いちにちじーっとしているんだよね」

 そういう引きこもりの高齢者にとっては、近隣とのささいな問題も見逃しがたい重大事に感じられる。生活雑音や玄関先の植木鉢、裏庭の洗濯物なども気になり、がまんできなくなってつい怒鳴りこんで行ってしまったり、いきなり過激な行動に出てしまったりする場合もある。
 そこから思わぬトラブルに発展したり、相手もしくは自分に心身の不調が生じたりすることになるのだ。

 「書を捨てよ、町へ出よう」と若者に呼びかけたのはかの寺山修司だが、高齢者にこそ「町へ出ようよ」と誘い出してみてはどうだろう。


毎日新聞、2012/10/17(水)配信
香山リカのココロの万華鏡
高齢者こそ町へ出よう


 大阪市で30年間、引きこもりを続けた40代の男性が、生活を支えてくれた姉を逆恨みして刺殺するという事件があった。
 地裁は、男性が発達障害であることを理由に「社会に受け皿がない」として、求刑の懲役16年を上回る懲役20年の判決を宣告した。
 しかし控訴審では一転、「出所後は公的機関の支援があり受け皿はある。量刑は重すぎて不当」と求刑を下回る懲役14年が言い渡された。

 発達障害があることで刑を重くしたり減刑したりしてよいのかという問題もあるが、10代の息子が引きこもりぎみと相談に来た女性は、「30年間の引きこもりですか。ウチもそうなるのでしょうか」と暗い顔をした。
 実際、診察室には、引きこもり歴35年とか40年の子どもを持つ親も来ている。
 “子ども”とはいってもすでに50代、両親は80代というケースもある。
 しかも、「いつか立ち直るはず」と見守り続け、つい最近になってからいよいよ自分たちも高齢になったので、とはじめて相談に来るという例もしばしばだ。

 そんな“引きこもりのベテラン”たちと実際に会ったり、メールのやり取りをしたりする機会もある。
 そこで感じるのは、「親が心配しているほど社会性がないわけではない」ということだ。
 多くの人はたくさんの本を読み、テレビやラジオ、インターネットからいろいろな情報や知識を得ている。
 小説を書いている人もいれば、抜群のユーモア感覚を持っている人もいる。
 無責任な意見かもしれないが、「この人の30年はムダじゃなかったんだ」と思うことも多い。

 ただ、この人たちの能力や知識は、すぐに職業や収入に結びつくものではない。
 仕事となると毎日、同じ時間に同じ場所に通う体力や、気の合わない同僚ともうまくつき合う要領の良さなども必要となるからだ。
 自分の世界で好きなことをやり続けてきた人にとって、満員電車での通勤や職場での作り笑顔は意味がなく、不純なことのように見えてしまう。
 つまり、彼らはピュアすぎるのだ。
 10代のピュアな心のまま、40代、50代になった引きこもりの人たち。

 社会は彼らがそのまま自分の能力を生かせる場を用意すべきなのか、それとも彼ら自身に「もっと世俗的になれ」と指導すべきなのか。
 診察室でいつも頭を抱えてしまうが、高齢の両親には「これがただの気休めに終わりませんように」と祈りながら、こう伝える。

「息子さんには見どころはあるのです。それをうまく生かしきれないまま、ここに至ったのです」


毎日新聞、2013年3月5日(火)
香山リカのココロの万華鏡
ピュアすぎる引きこもり


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格差社会から階級社会へ、無間地獄

「今の若者には結婚も『ぜいたく』」
若者は身の置き場がない
 雇用、子育て環境、家族のシステム、地域などさまざまなものが、若者にとっては相当に厳しくなっています。所在のなさというか、身の置き所がないという若者が増えている。正社員になれなかったりとか、結婚したくてもできるような状況が整っていなかったりとか。自治会組織も若者を受け入れるような状況ではない。家族自体も縮小している。孤独化というか、孤立していますね。政策的に生きにくくされています。
 一番大きいのは雇用です。雇用の激変というか、若者が日本型正社員からこぼれ落ちてしまっている。端的にいえば、男性稼ぎ手モデルが良くも悪くも崩壊して、社会全体がモデルを模索している。ブラック企業も広がり、非正規雇用も広がっている。それに伴って、賃金も下がっている。だからこそ、結婚できる環境にない。普通に結婚して、子育てして、子どもに大学まで教育を受けさせて、年老いていく。そういうライフコースを歩めない人たちが相当多くなっています。日本の歴史上、若者が先輩たちが普通に歩んできたライフコースを歩めないというのは、今を除いて、ほかにはなかったと思う。そういう意味では今の若者は特殊な世代でしょう。特にこの20年間はそうで、今の40代ぐらいまではそのまっただ中にいる。僕の同期でも非正規雇用で、未婚という人はいます。
 さいたまで活動し始めたのは2004年です。以前は年金をもらう前の50代を中心にした相談が多かった。リストラや失業、派遣切り。いずれも雇用によって起こる問題なんですけど、年配が中心だった。最近は、10代から80代まで全世代に広がっているし、所得階層もあまり関係がなくなってきています。まったく預貯金がないという人から、貯蓄はあるが将来どうなるかと不安を抱えている人まで。どういう制度があるのかとか、未然の相談も増えている。年配の人で、預貯金が2000万円ぐらいあって、「老後の生活もちますかね」とか。息子が引きこもっていて、自分の死後はどうですかねとか。
 働いている層からの相談が多いです。非正規雇用で働いていても家族を養えないとか、3人暮らしで手取り16万円でボーナスなしとか、長時間労働で鬱病になったとか。普通に働いて、社会福祉の領域に相談に来なかった人たちが、雇用の状況がここまで悪くなると、社会福祉と雇用が密接につながる。労働組合と私たちの関係性が強くなってきたのが、(2008年の)リーマンショック以降ですね。2000年代前半もフリーター労組などがあったが、働けばなんとかなったし、家族も支えることができた。ぎりぎりごまかし、ごまかしやってこられた。
 相談に訪れるのは、失業している人や非正規で働いている人が多いけど、若い人は正社員でも労働問題を抱えているという人が多い。雇用形態というより、大企業のような日本型雇用がなくなっているので、5年、10年で転職を繰り返す人、身分は正社員だが転職を繰り返したり、長時間酷使されたりとか、そういう働き方が多い。私たちは周辺的正社員と呼んでいます。IT、飲食、保育、サービス業、介護、建設・不動産の営業職とかノルマがある仕事など職種は多岐に渡る。残業代未払いとか、長時間労働で鬱病になり不当解雇させられたなどの相談が次々に舞い込む。労働基準法に抵触するものがたくさんある。企業は、病気になったりとか、ノルマを達成できない人だったりを置いておく余裕がない。いくらでも次の労働者を受け入れる体制があるので、常に使い回しです。IT技術も整備され、マニュアルがあれば誰でもできる仕事というのがあるので、そういう職種はかなり入れ替わりが激しくなっている。

若者に公共住宅提供を
 社会が持続しないという懸念があります。人口が減り、経済が衰退している。日本の経済成長を支えたのは、ある程度の教育水準を提供して、戦後復興にかかわるような教育投資をしたからだと思います。何もせずに高度成長を果たしたわけではありません。家族や企業なりが教育や奨学金に投資して、若者を支えて成し遂げたと思う。今も経済成長を掲げているが、思いの外成果が上がっていない。若者を支援対象にしなければ、経済成長や日本の復興はないと思います。このままゆるやかに経済を維持していくのか、低成長か、マイナス成長を続けるか、後進国に戻ってしまうのか。インフラが維持できないので、地方の自治体は消滅していく。豊かな地域文化を維持継承する人はいなくなってしまうのではないでしょうか。
 若者向けの政策は現状では本当に何もない。政策の中身をみても、本腰をいれたものは何一つないですよ。特に15〜64歳までが助かる政策は社会福祉に位置づけられていない。「働けばいいでしょ」とそれだけになっている。働く環境の整備といっても、企業に対して、新卒を雇ってくださいよとか、そうでない人も雇ってくださいよとか、お願いレベルでしかない。僕はずっと現物給付が必要だと提唱している。企業にお願いしたところで、企業にゆとりや余裕がない。再分配して、住宅、医療、教育、介護という生活基盤に絶対必要な部分を最低限保障すべきだと思います。
 今のうちに支援をすれば、その分つけを払わずに済む。経済成長率も上がるはずだが、投資の対象になっていません。家賃を補助すれば助かるという声が多い。それと、子どもの教育費。教育費が高すぎて、大学に行かせない。子育て世代もかつかつです。無計画とか怠惰で苦しいのではないんですよ。生活にお金が掛かりすぎるんです。
 出生率が低い自治体ほど家賃が高いといわれている。沖縄は貧困なのに子どもが多いのかというと、生活にお金がかからないからですよ。可処分所得を増やすという政策が必要だ。一番負担で重たいのが住宅費と教育費。都内なんか手取り16万円で家賃がワンルームで10万円なんて普通にありますよね。上の世代は賃金上がるまでの辛抱とか言うけれど、賃金は10年間上がっていない。上がっても年間1000円、2000円。手取り20万円に達していない30代はたくさんいる。ボーナスで埋めても、年収200〜300万円。貯金は厳しい。結婚式は悲惨ですよ、ご祝儀が払えない人が多い。僕の結婚式に友人を呼んでも、「3万円、5万円払えないから行けない」と断られたりもした。結婚式ラッシュなんかあると、赤字ですよ。結婚したり、子どもを持ったりしたら、「ブルジョワ」と言われましたからね。普通に暮らすことが「ぜいたく」になっているんですよ。夢というか、目指すべき理想にはなっているが、そこに達せない人たちが大半を占めてくる。
 一番必要なのは、給付型奨学金の導入か、大学の無償化のどちらかですよね。さらにプラスで、家賃補助制度か公共住宅の提供。現金か現物で必要なものを提供していくことが急務です。教育費と住宅費を支給するというのは、経済成長を達成したOECD諸国ではどちらもある。生活に必要なベーシックニーズに予算が投入されてきた。日本、アメリカ、韓国は経済成長した恩恵や果実を生かしていない。若者や社会的に弱い立場におかれた人もそうだが、中間層を含めて生活を良くしていくことに使われていない。生活インフラや道路、下水なんかはどこいっても整備されている日本はすごいことだと思います。建設業界、不動産業界、銀行を助けるための経済成長をしたといってもいいぐらいだと思う。既存のそういった領域に入れなかった人は生活が大変ですよ。単純に言って、分配がうまくいっていない。生活に必要なところに予算が使われていない。

社会の「出血」止めないと
 これまでのように、サラリーマンの人たちを減税して助けてあげれば、自然と何も考えることなく豊かになったという時代ではありません。増税してでも分配をしないと、社会が維持できない。そもそも高齢化に伴い、分配しなきゃいけない人たちが増えている。頑張って働いて稼げば報われるという原理的な資本主義の思想からは抜け出さないと、もう立ちゆかないと思う。
 僕は比較的、もう絶望的というか、結構厳しい局面に立たされていると思っています。10年、20年で転換できなければ、日本経済全体が沈んでいくと思う。傷口が広がりすぎている。早く出血を止めないといけないんですけどね。社会を持続可能なものにしていかないといけないよね、と世論形成なり、現状を伝える努力なりを今、必死にしています。
 国の舵取りをしているのはエリート層なんですよね。いろんな階層の出身者がいない。勉強すれば豊かになれるとか、勉強すればその階層に位置づけられるとかが、この20年、30年なくなっている。開成、灘とかある一定の学校出身者がエリート層を占めている。国民生活や市民生活が基本的によく分かってない。実体験が伴わないから、具体的な政策立案が出てこない。海外でなぜエリート層を含めて住宅政策や教育政策が出てきて、国民に支持され実現するのかということが、本質的に分からないと思う。エリート層は必要としていませんからね、そういう政策を。言葉の伝わらなさというのは本当に厳しい、この10年ぐらいですね。審議会の年上の人たちでも「本当に伝わらない」と言っています。だから分断という言葉が出てきている。日本の高度成長を支えたのは、いろいろな階層が活躍したからだと思う。一億総中流ってかなり分厚かった。下に落ちることもあったが、多くは中流維持でき、努力したら上に行けた。家族や企業のサポートがしっかりしていたから。戦争経験も大きかったと思う。上の世代が苦しい生活をしたから、下の世代には同じ思いをさせないようにとか。ある程度安定してきて、頑張ればなんとかなるよねという社会になってからは、頑張れ頑張れというだけになっています。
 若い有権者が一票を投じるときに見てほしいのは、公約に、実現するかしないかは別にして、これがあれば生活が助かるという政策があるかどうかですね。実現するかしないかは政治的に難しいところもあるが、それを支持するってことは重要です。例えば、家賃や大学までの教育費がなくなると助かると思ったら、それはどの政党言っているのかとか。あとは過去の実績ですが、どの政党も若者政策についてはないですけどね。

みんなで税払い、みんなに還元を
 問題はやはり税なんだと思います。分配がうまくいっていないから問題があると思っていましたが、今は少子高齢社会で必要な人たちが山のようにいる。どこに水をいれても枯れてしまうような状態で、絶対的に税が足りない。それははっきりしている。分配をするという議論から、ちゃんと税を取りながら再分配していくのかということを考えていかないといけない。財源が限られているという前提での議論は、争いが起きます。子どもが大事、若者が大事とか。あっち削れ、こっち削れと足の引っ張り合いをしてしまう。内戦状態になる。これは不毛です。みんなが必要なら、どれぐらい税金必要なのか。じゃあどの層に働きかけようかねという順番になる。子育てに必要なら、高齢者の予算を削れ、となりがち。若者の方が価値的に大事とか、まったく根拠なく言ってしまう。教養のなさというか、全体像の見えなさには絶望しかない。支援の現場にいると、どの層にも分配が必要だということが分かる。感情論で動いたり、利権も含めて、ある一定の層にしか税をつぎ込んでいないのは問題です。
 福祉や労働関係者が集まって、税のことを議論し始めています。財政学者から社会福祉のことを教えてくれとか、その逆もありますね。そういう場が増えてきた。このまま、それぞれが単独でやっていてもまったく意味がないということが急速に広がってきた。特にこの5年、民主党政権が終わってからですね。タックスヘイブンの問題にも取り組み始めましたし。
 大企業や富裕層から取れみたいな、手あかのつきまくった議論が意味がないということも分かってきた。低所得者層、中間層も含めて税をみんなが払って、みんなに返ってくるという仕組みが必要ということもわかってきた。そういう層が払って圧力をかけていく、あなたも払いなさいよと。その方が合理性がある。国民全体が税を払っても意味がないという社会ではダメですし、社会が持続しない。低所得であればあるほど税を取ってくれといって、還元してくれと言わないと。低所得、中間層の投票行動、税の意識がめちゃくちゃだと思います。最終的には大企業、富裕層が払っていくしかありませんが、下の人も含めて税を払わないと。
 消費税は最後の議論にしたいですよね。まずは所得税の累進性を高めたいです。あとは資産課税を含めて、みんなが払う仕組み。非課税世帯はたくさんいるが、みんなが税金を払っているから返ってくるという印象を植え付けないといけない。日本社会で不思議なのは、公営住宅に入っている高齢者、障害者、母子家庭ですら税金払っても意味が無いという。公営住宅というかたちで税金を受けているのに。水道などのインフラも税金で維持されているが、なぜか払っても意味が無いというのが蔓延している。税金をなぜ取っているのかというそもそもの原理が理解されていないんでしょうね。節税というのがまかり通るし。一回出したら何に使われてもしょうがない、という感覚が強い。こんなに税金の使い道を知らない人が多い国ってのは、珍しいのではないでしょうか。

<藤田孝典(ふじた・たかのり)>
 1982年生まれ。20歳のころからホームレス支援を始め、現在、さいたま市を拠点に生活困窮者の相談業務にあたるNPO法人ほっとプラスの代表理事を務める。
 著書に「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」「貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち」などがある。「下流老人」は20万部を突破するベストセラーになり、2015年のユーキャン新語・流行語大賞のノミネート50語に選ばれた。


毎日新聞、2016年6月22日
<ロングインタビュー>
【雇用】
藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事

http://www.tokyo-np.co.jp/senkyo/kokusei201607/ren/CK2016061902100029.html

「格差」は隠蔽されたか
 格差拡大が話題になり始めたころ、政府、財界、そして一部のマスコミは、躍起になって格差拡大の事実を否定しようとした。
 最初の段階では、都合のいい統計データを示しながら、「格差は拡大していない」と言い張った。いくつもの指標が格差拡大を示していることを否定できなくなると、「格差拡大は見せかけだ」と言いだした。
 OECDが、日本の貧困率は先進国のなかで米国に次いで高いと発表すると、「この貧困率の計算方法は日本にはあてはまらない」などと言い張った。さらに統計的な証拠が集まって、格差が実質的にも拡大していることが否定できなくなると、「格差があるのは当然だ」と開き直った。
 こうして政府が、格差拡大と貧困の増大という事実から目を背け、開き直り、対策を怠っているうちに、日本社会は取り返しがつかないほどに変質してしまった。その結果が、前回の記事(平均年収186万円…日本に現れた新たな「下層階級」の実情:これがニッポン「階級社会」だ)で書いた、新しい階級社会と巨大な下層階級(アンダークラス=パート主婦を除く非正規労働者たち)の出現である。
 ここから明らかなように、格差は政治的な争点である。しかも、それは階級的な利害と密接な関係にある。
人には日本国憲法で認められた生存権と平等権がある。だから生存権を脅かすような貧困の存在が明らかになれば、政府は対策を取らなければならない。
 平等権が侵されるほどに格差が拡大していることが明らかになれば、やはり政府は対策を取らなければならない。しかしそのためには、富を特権階級から下層階級へと移転させなければならない。特権階級の利害は脅かされることになる。
 だから特権階級は、貧困の存在も、また格差拡大の事実も認めたくない。特権階級は、自分たちが恵まれた立場にあることを隠すため、いまの社会では格差が小さいと主張する。そうでなくても、格差は許容範囲であり、縮小させる必要はないと主張する。
 このように貧困が存在するか否か、格差は拡大しているか否かといった、社会に対する認識自体が、階級間の対立の争点なのである。

「一億総中流」は幻想
 そして高度経済成長が終わって以降の日本において、格差をめぐる階級間の対立で勝利を収め続けてきたのは特権階級の側だった。そしてこの間、日本政府が格差は深刻ではないと言い続けてきたということは、日本政府が特権階級の代弁者であり続けてきたことの、何よりの証拠である。
 1970年代の終わりには、「一億総中流」という言説が流布し、あたかも格差や貧困の問題は日本からなくなったかのような幻想が振りまかれた。たしかに当時、現在に比べれば日本の格差は小さかったが、中小零細企業や零細な農家には依然として深刻な貧困があった。
 そしてまもなく、1980年代に入ったころには格差は拡大し始めていた。しかし「一億総中流」という幻想のもと、格差拡大は放置され続けた。そればかりか、消費税の導入、高所得層の所得説率の引き下げなど、格差拡大を助長する税制の改変が行なわれた。
 1990年代に入ると、一部の経済学者や社会学者が、格差は拡大していると指摘し始めた。しかし、これらはほとんど無視され、政府は逆に格差拡大を積極的に促進するような政策をとり始めた。財界人を中心とするメンバーで構成された経済戦略会議は、日本の社会は、「行き過ぎた平等社会」だと根拠もなく断じ、富裕層減税と低所得者の増税を提言し、これが実行に移された。
 反面、非正規労働者の低賃金と不安定な身分は放置された。そのうえ規制緩和によって、非正規労働者は激増し、巨大なアンダークラスの出現へと至るのである。
 2009年から3年だけ続いた民主党政権が、遅まきながら格差が拡大し、貧困率が上昇しているという事実を認め、対策を取ると明言したこともあり、こうした事実自体は、広く認められるようになった。
 代わって格差を正当化するイデオロギーとして流布し始めたのが自己責任論、つまり収入が低いのは自己責任だから放っておけばよいとする主張である。いまのところ自己責任論の影響力は強く、これが格差縮小に向けた合意形成の最大の障害になっている。

紋切型の「自己責任論」
 格差拡大の事実を認めるか否か。格差拡大を是正すべきと考えるか否か。貧困を自己責任として切り捨てるか否か。これらは、現代日本における階級対立の主要な争点である。
 一方に、格差拡大は事実であり、これは是正される必要があり、貧困は自己責任ではなく社会の問題だと考える立場がある。これは下層階級の、そして下層階級の人々に共感と同情を抱く人々の政治的立場の表明である。
 反対に、格差拡大と深刻ではなく、是正の必要はなく、貧困は自己責任だと切り捨てる立場がある。これは特権階級の人々の、そして格差拡大を放置し拡大させてきた政府や企業を擁護する人々の政治的立場の表明にほかならない。
 さらに重要な争点を一つ付け加えよう。
 それは、現代の日本社会が階級社会であることを認めるか否かである。
 2015年に全国の1万6000人、2016年に首都圏に住む6000人を対象に行なった調査の結果にもとづいて、現代日本の危機的な状況について論じた『日本の新・階級社会』(講談社現代新書)に示したように、今日の日本は「格差社会」などという生ぬるい言葉で表現すべき段階にはない。
 明らかな「階級社会」、しかも900万人にも及ぶ新しい下層階級(アンダークラス)を底辺におき、これに犠牲を強いる、新しい階級社会だと考えるべきである。
 かつてフランスの社会学者ピエール・ブルデューは、「階級が存在するかしないかということは、政治闘争の主要な争点のひとつである」と指摘した。現実には格差や貧困があるに「日本には階級がない」と考えるのは、格差と貧困の深刻さから目を背けることであり、人々の間に対立関係はないと言い張ることにほかならない。
 今日の日本社会が、アンダークラスに苛烈な境遇を押しつける階級社会だという現実を認めることこそが、貧困のない、より平等な実現するための一歩になるだろう。

[参考図書]『新・日本の階級社会』(橋本健二、講談社現代新書、2018年1月)

現代ビジネス、2018.2.3
格差・貧困に背を向けた結果、日本は「階級社会」に突入していた
これは、極めて政治的問題だ

橋本健二、早稲田大学教授、格差社会研究
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54265

毎日新聞・東京夕刊、2018年3月15日
今や日本は階級社会
働く人の15%「アンダークラス」

(田村彰子)
https://mainichi.jp/articles/20180315/dde/012/040/002000c

 橋本健二早稲田大学教授も指摘するように、膨大な数に及ぶ働く貧困層としての「アンダークラス」「ワーキングプア」問題を労働市場が解消しない限り、福祉的な就労支援も自立支援も困難であり、その効果も極めて限定的である。
17:59 - 2018年3月15日、藤田孝典

 newsweekjapan.jp/stories/world/2018/03/post-9747.php?t=0 …
「ロボットの所有者が富の再分配に反対して政治家を動かせば、大半の人が惨めで貧しい生活を送ることになる。今のところ後者の傾向が強い。技術革新で富の不平等は拡大する一方だ」(ホーキング博士の遺言)
18:03 - 2018年3月15日、本田由紀

働きたい人がいて、働いてほしい人がいる
何が「就労自立」を阻んでいるのか

 本記事では、生活保護と就労支援に焦点を当てる。
 働くこと自体の多様な価値は、現在の日本では、ほとんど疑われていないだろう。まず、労働の対価として収入が得られる。その収入によって、自分と家族の生活を支えることができる。収入は、自分の労働が生み出した価値に対する評価でもある。
 労働は、人間が社会とつながり、関わる方法の一つだ。ちなみに日本国憲法において、労働はまず基本的人権の一つである。労働の義務は「権利および義務」。労働する権利を行使できなければ、労働の義務は果たしようがないからだ。
 生活保護で暮らしており、就労していない人々からは、「働かずに済んでラッキー」という言葉も稀に聞かれるが、むしろその数百倍、「働きたい」という言葉が語られる。しかし、働こうとしても、働き続けることを妨げる数多くの障壁がある。
 Aさんにとっては、生活保護費と就労収入の関係を理解できないことかもしれない。
 Bさんにとっては、障害者手帳の対象にはならない程度の軽度障害の数々かもしれない。
 軽度の身体障害・知的障害・精神障害が重複しているものの、いずれも障害者手帳の対象にならない場合、一人の人間としてのBさんの「障害」は公的に認知されず、もちろん、どのような障害者福祉の対象にもならない。
 地方に住むCさんは、生活保護開始とともに手放した自動車が障壁となって、就労活動がままならないのかもしれない。
 いずれにしても、彼ら彼女らの「働きたい」は、「働けるのなら……」という嘆きとセットになってしまう。
 なぜ働きたいのか?
 「自分は社会にとって必要な存在である」ということを確信するために、最も容易な方法は、就労して収入を得ることだからではないだろうか?

 とにもかくにも、近年の日本政府は、公的扶助や公的福祉を「なるべく使わせない」という方針で動きつづけている。
 しかし生活保護で暮らす人びとも、可能なら就労して生活保護を脱却したいと考えていることが多い。
 需要と供給のマッチングには、大きな問題はなさそうだ。
 実のところ、生活保護と就労支援の「いま」は、どうなのだろうか?

「働けるのに働かない人」は、どこにいる?
データが語る壮絶な自助努力

 生活保護に関する主要な公的統計データは、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)がまとめて公開している。
 就労による生活保護脱却を、厚労省用語で言い換えると、「働きによる収入の増加・取得」を理由とした「生活保護廃止」だ。
 それらのデータは、社人研の上記Webページにある表のうち、第13表「保護の廃止理由別被保護者世帯数の年次推移」、および第14表「保護廃止世帯数(理由、世帯類型、構造別)」に含まれている。
 ここには1956年〜2014年のデータが含まれているのだが、とりあえず2000年以後に限って全世帯・その他の世帯・母子世帯の就労による生活保護脱却のようすをグラフ化してみると、以下のようになる。
。。。
 「その他の世帯」(世帯主が働ける年齢層で、傷病者や障害者ではない世帯)と母子世帯は、「働けるのに働かずに生活保護に甘えている」とされがちだ。
 しかしデータを見る限り、一年間あたりの就労による生活保護脱却は、「右肩上がり」で毎年増加し続けている。「派遣切り」とリーマンショックの前後(2007年〜2009年)に若干の落ち込みが見られる程度だ。
 そうはいっても、「その他の世帯」の生活保護脱却増加が大きい一方で、母子世帯ではそれほどの増加は見られない。
 この背景としては、母子世帯の世帯主(主に母親)が障害者または傷病者である可能性が考えられる。
 母子世帯の世帯主がどのような状況にあっても、生活保護では「障害者世帯」「傷病者世帯」ではなく「母子世帯」と分類する。
 「障害も病気もない働ける母親のほとんどは、既に、既に充分すぎるほど働いており、にもかかわらず収入が低いため生活保護を脱却できない」というのが実態ではないだろうか。
 いずれにしても、「就労したい」と本人が考え、「就労すべきだ」と周囲も考えている状況下で、就労によって生活保護を脱却できるのであれば、そのこと自体は歓迎すべきなのかもしれない。
 では、その人々は、どのような就労に成功したのだろうか?

生活保護以下なのに「就労自立」?
ワーキングプアを生み出している就労支援

 社会福祉学の研究者である桜井啓太氏(名古屋市立大学講師)は、研究者に転身するまでは生活保護ケースワーカーだった。毎日の業務を通して、生活保護と「自立」の関係に深い問題意識を抱くようになった桜井氏は、「私たちの働きかけは、誰を、どのような目的で、どのような場所へ移動させているのか」を明らかにしようと考え、大阪府内のP市における2006年〜2008年のデータをもとに、就労による生活保護脱却の実態を検討した。なおP市は、桜井氏が勤務していた自治体ではない。
 この種の研究を紹介すると、しばしば「データが古すぎる」という批判を受ける。
 しかし、「誰が生活保護で暮らしているのか」を含め、数多くのプライバシーの制約の中で調査を行うこと自体が困難なのだ。
 その制約は、生活保護で暮らす人びとを傷つけないために必要なものでもある。
 このため、重要な調査でありながら「同様の調査の最新データは2005年」といったことが、しばしばある。
 今回も、10年以上前のデータであることについてはご理解をいただきたい。

 生活保護を脱却した時点で、生活保護よりどの程度「マシ」だったのかを整理したのが、下のグラフだ。
。。。
 横軸は、その世帯の一家の所得(等価所得)と生活保護基準の比である。グラフにガタつきが見られるのは、サンプル数が「約100」と少ないことによっている。
 横軸が1.00なら「生活保護と同じ」ということになるが、一家には新規に社会保険料・医療費の自費負担・所得税などの負担が発生している。
 このことを考えると、1.40が「生活保護より少し上」といえる所得であろう。
 ところが実際には、1.00以下、すなわち生活保護以下の所得しかないにもかかわらず「就労によって脱却した」とされている世帯が、全体の25%を占めている。
 1.20ならば、「医療費が必要ない」などの好条件が揃えば「生活保護並み」と言えなくはないが、1.20以下が約50%。
 医療費自費負担などを考慮した上で「生活保護と同等」と言えるのは1.40と考えられるが、実際にはそれ以下で生活保護脱却となった世帯が全体の約73%となっている。

 「生活保護だったけれども努力して就労し、生活保護を脱却した」という成り行きは、本人も周囲も望んでいたものなのかもしれない。
 しかし実際に起こっていることは、「努力して就労して、生活保護を脱却し、生活保護以下の暮らしになった」という、まことに救いのない事態なのだ。

「無間地獄」化する日本のワーキングプア
 生活保護で暮らす人びとが、就労のために努力しても、「充分な収入が得られるようになったので生活保護を脱却した」という結果を手にすることは難しい。
 このことには、数多くの背景があるだろう。しかし、ここではっきりしていることは、就労はしたけれども「生活保護以下の暮らしにしかなれない」という状況で、生活保護から脱却したことにされている人々が少なからずいることだ。
 「生活保護スレスレ」「生活保護が羨ましい」というワーキングプア状態には、多くの人々が陥りうる。
 そこに負傷や病気などのトラブルが重なれば、「生活保護しかない」ということになる。
 しかし、生活保護によって落ち着いた生活を取り戻し、就労によって生活保護から脱却しようとしても、戻っていく先はワーキングプア状態だ。何らかのトラブルが発生すれば、また「生活保護しかない」ということになるのは必然だろう。
 私は「ワーキングプア無間地獄」という言葉を使いたくなる。
 いったんワーキングプアになったら、その後は、生活保護またはワーキングプアの世界に閉じ込められてしまうしかない。抜け出せる可能性はあるのかもしれないが、確率は低い。

 さらに2018年現在、状況はさらに悪化している。
 2013年以後、生活保護基準が引き下げられているからだ。
 引き下げられた生活保護基準に連動する形で、ワーキングプア状態の困難は大きくなった。
 このことが意味するのは、生活保護からの脱却も、ワーキングプア状態からの脱却も、共に困難になったということではないだろうか。


 それでも、アウシュビッツ収容所の「労働は自由への道」よりは救いのある状況なのかもしれない。「就労が困難になったらガス室で殺される」というわけではないからだ。
 しかし、就労や就労維持のために努力を重ねたからといって幸せになれるわけではなく、ただ「生活保護じゃないけど、生きている」という状態が続くだけだ。
 もしも生活保護を利用しはじめたら、針のむしろのように「就労! 収入増加!」というプレッシャーが加えられる。
 さらに2013年以後、生活保護の廃止(打ち切り)は、福祉事務所にとって、より容易になった。
 取り扱い原則が変更され、慎重に「生活保護がなくなっても大丈夫」と見極める必要がなくなったのだ。
 今、生活保護基準の引き下げと生活保護法改正が進められようとしている。
 私はこの状況に対して、語るべき言葉が思い浮かばない。
 誰が何を起こそうとしているのか。
 結果が誰の何に結びつくのか。
 政治スキャンダルに関心を奪われず、ただ見つめ、伝え続けることしかできそうにない。


ダイアモンドオンライン、2018.3.16
生活保護とワープアを行き来する「無間地獄」を就労支援が生む皮肉
(フリーランス・ライター みわよしこ)
http://diamond.jp/articles/-/163638

posted by fom_club at 18:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ニール・ヤング

 現職のニクソン大統領を名指しで批判するこの歌をニール・ヤングが発表したのは1970年。
 オハイオで4人が死んだ。
 ニクソンと操られた兵隊たちがやってくる。
 本気になれ。
 彼らは僕たちを切り崩す。
 今こそ立ち上がれ。
 走るんだ。
8:08 - 2018年3月15日、森達也

Ohio/Neil Young
https://www.youtube.com/watch?v=hkg-bzTHeAk

Perhaps the most famous and effective example of Young’s anger giving birth to a song came in 1970, after he saw photos in Life magazine of the fatal shootings by the Ohio National Guard of four unarmed students at Kent State University, during a protest against US involvement in Cambodia.

That same evening, Young entered Record Plant Studio 3 in Hollywood and recorded one of the all-time great protest songs, Ohio, in just a few takes.

Musically more sad than angry but lyrically ferocious even by his standards, the hit for Crosby, Stills, Nash and Young began:

“Tin soldiers and Nixon coming
We’re finally on our own
This summer I hear the drumming
Four dead in Ohio.”


Crosby, who reportedly cried at the recording, later described Young’s deliberate, withering reference of the president of the world’s most powerful nation by name as the “the bravest thing I ever heard”.
Presumably Shakey wasn’t so angry at Croz in those days.


The Guardian, Last modified on Wed 31 May 2017 16.57 BST
Raging in the free world: the many furies of Neil Young

The rocker’s latest album – The Monsanto Years – rails against the GM food giant and Starbucks. But what else has he been angry about in his long career?
By Dave Simpson
https://www.theguardian.com/music/2015/jun/23/raging-in-the-free-world-neil-young-monsanto-years-starbucks-geffen

 ニール・ヤング(1945年カナダのトロント生まれ)、そうヤング・アット・ハート♡なヤッホーくん、朝から頷いています: 

Neil Young - Rockin' In The Free World
https://www.youtube.com/watch?time_continue=11&v=TnAgc1kgvLc

Neil Young - Hitchhiker
https://www.youtube.com/watch?v=uOq93UqN9vU

Neil Young + Promise Of The Real - Wolf Moon
https://www.youtube.com/watch?v=yjEee3sjdBE

 昨年2016年の秋、ニール・ヤングは、カリフォルニア州で開催された巨大フェスティバル「デザート・トリップ」に参加し、70代現役ロック・アーティストの一人として、あらためて強い存在感を示している。
 直後には、30年以上に渡って取り組んできた「ブリッジ・スクール・ベネフィット・コンサート」を主催しているのだが、しかしそれ以降、公式な形ではまったくステージに立っていなかった。

 今年2017年はアーカイヴ作品の制作に集中するという話ではあったものの、4月には「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム」授賞式への出席が突然キャンセルされ(パール・ジャムの音楽と功績について語る予定だった)、また、ブリッジ・コンサートも開催されず、「ひょっとすると健康に……」と心配していた人も少なくなかったようだ。

 アメリカ時間9月16日、そのニール・ヤングがひさびさに大きなステージに立ち、力強くギターを弾き、歌う姿をYouTubeで観ることができた。それは、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外で開催された「ファーム・エイド・ベネフィット・コンサート」でのこと。。。あらためて紹介しておくと「ファーム・エイド」は、ウィリー、ニール、ジョンの3人が、1985年、アメリカの小規模農場を支援することを目的にスタートさせた組織。毎年秋に賛同するアーティストたちとともに大規模なコンサートを行ない、そこで得た収益によってさまざまな成果をあげてきた。その理念は、たとえば遺伝子組み換え作物を使用する大手コーヒー・チェーンへの痛烈な皮肉や石油パイプラインへの強い抗議など、ニールが音楽を通じて訴えてきたことと直接的につながるものでもあるのだ。

 ニール・ヤングはそのコンサートの終盤、ウィリーの息子ルーカス・ネルソンを中心にしたプロミス・オブ・ザ・リアルと登場。「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」「コルテス・ザ・キラー」「ライク・ア・ハリケーン」などを中心にした45分のステージで、途中、「ハート・オブ・ゴールド/孤独の旅路」を含むアコースティック・セットも聞かせている。ヴォーカルに関しては高音部がやや辛そうだったが、愛器オールド・ブラック(レスポール)とマーティンD-28を抱えてステージに立つその姿、そしてそこから響いてくる音は、健在ぶりを示すものだった。要らぬ心配だったということか。ツアーを再開し、2003年以来ということになる日本公演を実現させてくれることを願うばかりだ。

 9月にニールはまた、『ヒッチハイカー』というタイトルのアルバムを発表してもいる。
 集中して取り組んでいるという過去音源の発掘・再編集の成果の一つで、1976年8月11日に録音されながら、レコード会社側の反対もあって発売には至らなかった、いわゆる「幻のアルバム」を正式に作品化したものだ。

 カリフォルニア州マリブのスタジオでレコーディングが行なわれたその日、そこにはニールと、彼の多くの作品を手がけたプロデューサー、デイヴィッド・ブリッグスと、親友でもある俳優ディーン・ストックウェルしかいなかったという。周囲からの雑音はもちろん、余分な要素はまったくなかったということだ。ニールはそこで、ほとんど休むこともなく、完全なアコースティック・ソロ・パフォーマンスのスタイルでアルバム一枚分の音をテープに残した。メロディや言葉が、それこそ自然に湧き出るような状態だったのだろう。

 40年以上の時を超えて、ようやくきちんとした形で届けられた『ヒッチハイカー』には、「ポカホンタス」「パウダーフィンガー」「キャンペイナー」「ヒューマン・ハイウェイ」など、その後の活動の核となっていく曲のいわば原型が収められている。
 ビジネス・サイドの人たちは「シンプルすぎる」という理由で却下してしまったのかもしれないが、ニールにとってそれは、セールス・ポイントなどという概念とは離れたところに身を置き、信頼する友人たちと真正面から音楽と向きあった、その結果として手にした、とても大切なものだったのだ。だからこそ、「きちんとした形で聴いてほしい」と、ずっと思いつづけてきたのだろう。夜明けのマリブ海岸で撮影されたものと思われる美しいジャケット写真からも、そういった想いのようなものが静かに伝わってくる。
* * *
 若いころからもっとも熱心に追いかけてきたアーティスト、ニール・ヤングを第1回目に取り上げたこのロック・コラム、タイトルはたいへん僭越ながら、尊敬する永井荷風の、今年が起筆百年にあたる『断腸亭日乗』からヒントをいただいた。ちなみに「六九」は、いつまでたってもまったく上達しないのだが、時おり五七五をひねる際の俳号です。


AERA.dot、2017.10.1 16:00
ニール・ヤングから届けられた“幻のアルバム”
連載「六九亭日乗」 
大友博(1953年東京都生まれ)
https://dot.asahi.com/dot/2017092900066.html

 2015年7月のアクセスランキングは、2013年に広島で開催された原水爆禁止世界大会でのオリバー・ストーン監督によるスピーチを紹介した記事が、7月16日の安保法案の衆議院可決にともないFacebook経由で再び読まれ1位になりました。
 2位は、7月29日に日本発売となったニール・ヤングによる反モンサントをテーマにした新作アルバム『ザ・モンサント・イヤーズ』の歌詞対訳掲載記事が2位に、
 そしてライターの平井有太氏が『福島 未来を切り拓く』刊行記念で行った小出裕章先生へのインタビュー記事が3位となりました。


webDICE、2015-08-03 17:22
1位オリバー・ストーン監督広島でのスピーチ、2位ニール・ヤング反モンサントの中身、3位小出裕章先生語る
2015年7月webDICE全体のアクセス数を集計してランキング発表!

http://www.webdice.jp/dice/detail/4812/

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2018年03月15日

民営機械製粉業発祥の地

 あっ、昨日3月14日の朝キンの報告をすっかり忘れていましたとヤッホーくん。
 あ〜あ、やっぱり、老化のはじまりなの?もう、すぐ忘れるんだから、めっ!
 昨日は春の陽気に浮かれてひさびさの水彩都市、江東区「水辺の散策」でした。
 コースは、萬年橋―小名木川―高森公園トイレ―大横川―-仙台堀公園トイレ―仙台堀川―清澄庭園です。
 そこで実はヤッホーくん、もうびっくりぎょうてん、腰をぬかしてしまったのでした。
 それは、小名木川に架かる新扇橋の南端で出会った「民営機械製粉業発祥の地」碑:

 1879(明治12)年、明治を代表する実業家 雨宮敬次郎は、水運の便のよい小名木川に着目して、この地に それまでの水車動力に代わる蒸気機関を動力源とした、民営では最初の近代機械製粉所「泰晴社(たいせいしゃ)」を創設しました。
 欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は、蒸気機関のほか石臼製粉器、篩器(ふるいき)などの製粉装置を米国から輸入して、製粉事業の経営に成功をおさめました。
 雨宮の製粉事業は 東京製粉合資会社に受け継がれ、1896(明治29)年に日本製粉株式会社に改組されました。
 また、小名木川沿岸には明治30年台に製粉会社が次々と設立され、全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。
 こうして泰晴社は、小名木川沿岸にさまざまな近代的工場が進出してくるさきがけともなったのです。
 なお、明治初期の機械製粉所には、開拓使により札幌に設立された磨粉機械所(明治9年)、大蔵省による浅草蔵前の製粉所(同12年)の2つがありましたが、これらの官営製粉所はともに日本製粉株式会社がその事業を継承しました。
江東区

http://hamadayori.com/hass-col/tech/seifun.htm
 どれどれ・・・

 明治を代表する企業家・雨宮敬次郎は商売を兼ねて欧米を旅行した際、米国の製粉事業と出会い同事業への進出を決意する。
 「国を富ますには農を興すにあり、農を興すには製粉事業を盛んならしめざるべからず」
 そして、1879年(明治12年)東京府南葛飾郡八右衛門新田(現在の江東区扇橋)に1,232坪余りの用地を購入して製粉工場を建設、民間人として初めて近代的な機械製粉事業に進出した。
 『東京府統計書』によれば、社名は「泰靖社」で、1883年(明治16年)における資本金は5万円、職工延人員は1,800人(年間300日操業なら職工数6名)とある。
 その後1886年(明治19年)には、泰靖社とほぼ同時期に創業した官営浅草製粉所の設備払下げを受けて製粉事業を拡大した。


日本製粉(株)、ニップンの歴史
http://www.nippn.co.jp/company/history/index.html

 でね、びっくりしたのは雨宮敬次郎って名前。
 これって聞いたことあるよね、たしか、山歩クラブ湯河原散策の時?
 墨田区にも自転車飛ばしてeチャリ!って訪れたことあったな〜、と。
 ヤッホーくんのこのブログから、雨宮敬次郎を探すことにしました:

★ 「根津嘉一郎、小林一三、雨宮敬次郎、小林中、徳田昴平、赤尾好夫… 山梨県は偉大な実業家・創業者をたくさん輩出しています」(一宮町を考える会』の雨宮会長)
2015年04月18日付け日記「いちのみや桃の里」
http://fom-club.seesaa.net/article/417487826.html

※ 根津嘉一郎(1860‐1940):「根津記念館」は「鉄道王」と呼ばれた初代根津嘉一郎の実家「根津家」の邸宅を保存・公開する施設です。嘉一郎は東武鉄道の社長など鉄道会社24社、その他多くの会社経営にかかわった実業家です。
http://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/gover/public/park-spa/nezu-kinenkan/
※ 小林一三(1873-1957):阪急電鉄の創業者。商工大臣、国務大臣を歴任し、『今様太閤』とよばれたそうです。
http://www.city.nirasaki.lg.jp/_common/themes/joruri/top/images/kobayashi.pdf
※ 小林中(1899-1981):1946年東急電鉄社長。 51年、日本開発銀行創設とともに初代総裁。戦後の保守本流を支える「財界四天王」のひとり。
※ 徳田昴平(1878-1951):日本証券取引所総裁、貴族院議員、大蔵省証券取引委員会委員長等を務めた実業家。
※ 赤尾好夫(1907–1985):1931年欧文社(後に旺文社)創設。「赤尾の豆単」 は空前のロングセラーとなります。「螢雪時代」創刊80周年は2011年のこと。

★ 「人車鉄道で特に有名な豆相人車鉄道(軌間610mm、熱海−小田原間)は、明治時代の鉄道資本家で<軽便鉄道王>と言われた雨宮敬次郎の発案であった
2017年04月25日付け日記「豆相人車鉄道」
http://fom-club.seesaa.net/article/449315241.html

★ 「<事業>の裏には、いつも<人のため>があった。
 自分のやった事業が末代まで続けば、魂がとどまるから、自分は永久に死なない≠ニ(小林和夫『鉄道王 雨宮敬次郎 ど根性一代』東洋出版、2010年)。
 今日も明日も、雨宮鉄道は、日本全国を走る

2017年04月25日付け日記「西室泰三」
http://fom-club.seesaa.net/article/449335576.html

★「ヤッホー君、先の大型連休を連休して、木母寺まで行って、雨敬の無二の親友といわれる田中平八(通称、天下の糸平)の石碑をわざわざ目視確認にeチャリしたんです
2017年05月16日付け日記「ゆうちょ老害」
http://fom-club.seesaa.net/article/449946451.html

 ころは幕末、横浜開港が近づくと近在から一騎当千の猛者たちが“貿易立身”を狙って横浜に集結する。
 その時一番最初に生糸輸出を手掛けた男、それが篠原忠右衛門である。
 1859(安政6)年開港と同時に、本町2丁目に間口15間の甲州屋を開店、甲州特産の生糸、甲斐絹(絹織物)、綿布、紙などの貿易に乗り出した。
 時に50歳。
 天下の糸平(田中平八)や雨敬(雨宮敬次郎)ら20歳以上も年下の血気盛んな若者たちと丁々発止商戦に臨むことになる。
 歳は取っていても篠原の戦闘意欲は若輩たちに引けをとらない。
。。。


日本経済新聞、2015/7/25 5:30
相場師列伝
篠原忠右衛門氏 普仏戦争の勃発で倒産

市場経済研究所代表 鍋島高明
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO89291110U5A710C1000000/

 イマ「雨宮敬次郎記念会」を立ち上げ、横浜市関内駅そばに記念館の設立準備中です。

 明治の実業家。甲州財閥の中心人物の一人。12歳で商売を始め、24歳で横浜に移住。数年のうちに相場師として一財産を築き「投機界の魔王」などと呼ばれる。
 しかし、40歳を過ぎた頃から、私財よりも社会貢献を重視するようになり、数々の公共事業をライフワークとした。特に力を注いだのが鉄道事業であり、現在の京浜急行やJR中央線をはじめ、東北から九州まで全国にさまざまな鉄路を敷くとともに、鉄道国有化論や広軌論などを早くから提唱。その慧眼は他に類を見ない。明治24年、44歳で藍綬褒章(らんじゅほうしょう)受賞している。


NPO法人 雨宮敬次郎記念会
http://amekei.com/works.html

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佐川宣寿の証人喚問

 昨晩のこと、ウソつくとエンマさまから舌を抜き取られるよ、ってヤッホー君、じいちゃん、ばあちゃんからアタマに叩き込まれていたな、と思いだしていたヤッホーくん。
 昨晩のこと、どうもイマの支配層はウソばっかり、ウソをつくのが当たり前になってきているね、じゃあ、一般大衆は何を信じればいいの、と悩んでいたのがヤッホーくん。
 昨晩のこと、イマのこのざま、醜態、ウソ八百八丁は、どっかで見たことあるなとデジャヴュー déjà-vu 感を覚えて調べたのがNHK番組「女性国際戦犯法廷」改ざん事件。
 今日、「リテラ」がヤッホーくんと同んなじことを記事にしてくれています:

 ようやく佐川宣寿・前国税庁長官の証人喚問を与党がしぶしぶ認めた。辞任させたことをいいことに、つい先日まで「いまは民間人」として国会招致を拒否していたが、今回の佐川氏証人喚問の容認は、高まる世論の反発に自民党が耐えきれなくなった証拠だ。
 しかし、佐川氏が国会に出てきても、安倍首相や麻生太郎財務相は「佐川氏が自分の答弁と整合性をとるために文書を書き換えた」というシナリオを徹底して貫き、財務省に「改ざんを指示したのは佐川前理財局長」「政治家からの指示はまったくなかった」「勝手に忖度した」と主張させ、責任をすべて財務省にとらせるつもりなのだろう。
 実際、安倍首相は、本日3月14日、野党が欠席するなかおこなわれた参院予算委員会の集中審議で、こう言い放った。

「書き換え前の文書を見ていただければ、私も妻も一切かかわっていないということは、むしろ明白になっている」

 むしろ明白になった──って、どこをどう見ればそんなことになるのだろう。既報の通り
http://lite-ra.com/2018/03/post-3869.html】、書き換え前の文書は、「むしろ」昭恵夫人が森友学園と近畿財務局の取引に深く関与していたことを裏付けるものだ。
 ところが、安倍首相は「私や妻がかかわっていたら総理も国会議員も辞める」という答弁してしまっており、だからこそ、昭恵夫人の名前を削除せざるをえなかったのだ。
 しかも、この改ざんの指示も安倍官邸がおこなっている可能性が高い。財務省をはじめとする官僚経験者らも、もっと上の政治家の指示もなく公文書を大幅に改ざんすることは考えられないといっているし、実際、加計学園問題では、萩生田光一官房副長官(当時)や和泉洋人首相補佐官ら、安倍首相の名代とも言える官邸幹部が文部科学省に圧力をかけていたことがわかった。

 さらに、安倍首相自身にも、公的な組織に直接、圧力をかけて改ざんをさせた“前科”があるのだ。
 その手口をみれば、安倍晋三という男がいかに真実をねじ曲げる改ざんという行為に躊躇がないか。
 そして、政治権力を使いながらも自分に責任がおよばないよう、いかに狡猾に圧力をかけているのかがよくわかるだろう。
 それはいまから17年前、当時、内閣官房副長官だった安倍氏が、放送前のNHKのドキュメンタリー番組に政治的圧力をかけて介入、放送内容を改ざんさせた問題。俗にいう「NHK番組改変問題」である。
。。。
 この安倍の忖度圧力は裁判でも事実認定されている。NHK番組改変問題は、同番組の取材を受けた市民団体が NHKを相手取って訴訟を起こしているのだが、その控訴審判決文ではこんな事実認定が書かれているのだ。

「制作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度し、当たり障りのないよう番組を改変した」

 いずれにしても、安倍首相が、この頃から政治権力を盾に「忖度」を促す言葉で圧力をかけ、いろんなものを捻じ曲げていたことは間違いない。そして、こうした手法が、後の加計学園問題における「総理のご意向」という言葉を生み出し、森友決裁文書改ざんでは、当時の佐川理財局長に犯罪をはたらかせたということなのだろう。
 NHK放送総局長に迫ったときと同じように「勘ぐれ」と一言言えば、人事権を握られている佐川局長はその言葉の意味を瞬時に理解したはずだ。あるいは加計学園問題であきらかになったように、官邸の人間を動かして改ざんを指示した可能性もある。
 だからこそ、佐川氏には真実を語ってもらわなくてはならない。
。。。
 ちなみに、NHK番組改変問題では、告発に踏み切った長井氏につづき、裁判では前述した番組の統括プロデューサーだった永田浩三氏も事実を語るなど、番組を改変せざるを得ない状況に追い込まれた現場スタッフが声をあげたが、彼らはその後の人事で現場を外され、NHK放送文化研究所とNHKアーカイブスへの異動を命じられている(前掲、岩波現代文庫『NHKと政治権力』より)。
 何の得もしない、汚い仕事を押し付けられた現場の人間だけに責任を負わせ、幕引きをはかる。──犠牲者が出ている以上、そんな決着のつけ方は絶対に許されない。永田氏は、今回の改ざん事件を受けて、Facebookにこんな文書を寄せている。

〈とても他人事とは思えない。だれが好き好んで、現場が自主的に改ざんに手を染めたりするものか〉


リテラ、2018.03.14
財務省にも同じ手法を?
安倍首相が17年前、NHKに「忖度による改ざん」をやらせたときの狡猾な手口

http://lite-ra.com/2018/03/post-3870.html

 第二次安倍政権は、2012年12月16日に行われた総選挙で自民党が大勝したのを受けてスタートしました。
 それに先立つ同年11月24日に日比谷野音では「安倍救国内閣樹立!国民総決起集会」が開催。
 田母神氏らがスピーチする集会での安倍氏の高揚ぶりが、極右政権の始まりを告げていました。
17:55 - 2018年3月13日、香山リカ

 財務省は2015年6月にも関連文書を削除していたと国会に報告しました。
 ウソはひとつつくとどこまでもつかなければなりません。
 ウソの無間地獄です。
 「ウソはつくな」とよく親に言われましたが、それは道徳や倫理だけでなく、生きる上の知恵でもあったとわかりました。
13:48 - 2018年3月14日、小川一

 安倍首相とも近い関係 迫田英典氏こそ森友問題のキーマン https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225091 … #日刊ゲンダイDIGITAL
 「2015年7月に迫田氏が理財局長に就任すると流れが一変する。籠池氏が「神風が吹いた」と驚いたほど、近畿財務局は森友学園寄りにスタンスを変えているのだ」
16:59 - 2018年3月14日、本田由紀

日本社会:
 警察がある疑惑が妻にかけたとする。
 夫が「妻に確認した。そのようなことはしていないという事だった」と警察にいった時に、警察はこれでこの女性の無実が証明されたと調査を打ち切りますか。
 国会、しっかりして下さいよ。
17:25 - 2018年3月14日、孫崎享

 これには驚いた。
 知らない間に佐川の証人喚問で手を打って、来週から国会審議が始まるという。
 これは絶対にダメだ。
 物事には勢いというものがある。
 窮地に陥った安倍の息の根を止めるのは今を置いてない。
 一気に攻めなくてはいけない。
 音を上げて投げ出すまで、すべての国会審議をボイコットする覚悟がなくてはいけない。
 折から安倍昭恵がフェイスブックで国民を逆なでする事をやった。
 「野党の馬鹿げた質問ばかりで、旦那さんは毎日大変ですね」という投稿に、「いいね!」ボタンを押していた事が明らかになったというのだ。
 もはや安倍昭恵の証人喚問なくして森友疑惑は終わらせてはいけない。
 そして安倍昭恵の喚問こそ安倍を辞任させる最後の切り札だ。
 昭恵を出席させるぐらいなら首相を辞した方がいい、という事になる。
 その最後の切り札をあっさり放棄したのだ。

 佐川の喚問が安倍昭恵喚問の第一歩だなどと馬鹿な言い訳をしているが、逆だ。
 佐川の喚問に応じて大譲歩した振りをして、安倍昭恵の喚問を潰す。
 それこそが自公政権の悪だくみなのだ。
 いまや佐川を喚問しても何の成果もない事は明らかだ。
 のらりくらりでごまかされて終わる。
 そしてたとえ佐川を犯罪人に仕立てても、安倍政権にとって痛くも痒くもない。
 まさしく財務官僚を悪者にして逃げるシナリオの完結だ。
 繰り返して問う。
 佐川喚問の取引は野党の総意なのか。
 共産党は了承しているのか。
 共産党もまた審議に応じるというのか。

 今朝の新聞を見ると福山哲郎幹事長が二階幹事長と電話で協議して容認したとなっている。
 辻元清美国対委員長が森山裕国対委員長と電話協議し週明けの集中審議で合意したという。
 こんな重要な取引を電話で済ませどうする。
 二階や森山の誘いに乗ってどうする。
 たったひとつの判断ミスが流れを一変させ、窮地に追い込まれていた巨悪が息を吹き返す事がある。
 そして、その時は、手のつけられないほどの巨悪の逆襲になる。

 こんな事では4月初めの安倍訪米を阻止することなど夢のまた夢だ。
 安倍訪米を許せば、安倍は日米同盟強化を引っ提げて凱旋、帰国し、蘇生する。
 99%追いつめたはずが99%追いつめられる事になる。

 私の懸念が見事に的中した。
 そもそも立憲民主党が野党第一党になった時点で、自民党に丸め込まれる事は目に見えていた。
 顔ぶれが悪過ぎる。
 立憲民主党はその名と裏腹に反共であり、自民党の補完勢力なのだ。
 権力にすり寄り、世論に迎合する連中ばかりなのだ。
 私の懸念が外れる事を願うばかりだ。
 私が間違っている事を祈るばかりだ。
 立憲民主党が安倍自公政権を倒してくれるならもはや私の出る幕はない。
 消え去るのみである。


天木直人のブログ、2018-03-15
安倍の窮地を救う事になる立憲民主の裏切り
http://kenpo9.com/archives/3416

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2018年03月14日

NHKの番組に放送前に介入し、改変

 ときの政権の座にいる自民党議員がNHKの番組に放送前に介入し、改変させた事件が大きな政治問題に浮上しています。
 NHKの番組「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放送)に、安倍晋三幹事長代理(当時・内閣官房副長官)、中川昭一経済産業相が事前に介入し、番組の内容が大きく変更されたと告発されています。
 いったいなにがおこり、なにが問題なのでしょうか。

「永田浩三と言います。
 NHKのプロデューサー、ディレクターでした。衛星ハイビジョンの編集長もやっていました。そんな人間が、この場に立って、NHKに向かって叫ばなければならない。不幸で、恥ずかしいことです。
 少し、昔の話をします。1977年、私がNHKに入社した時は、受信料不払いの嵐が吹き荒れていました。世間の目は冷たくて、NHKは今にもつぶれてしまうのではないか、そんな怖さを感じました。
 居酒屋でNHKの職員だと分かると罵倒され、議論をふっかけられ、冷笑され、泣きました。悪酔いを繰り返しました。今の職員も、そんな情けなく、悲しい経験をいっぱいしていると想像します。
 なぜ、そのころ不払いが燃え盛ったのか。
 私が入社する前年、1976年、ロッキード事件の刑事被告人だった田中角栄元総理の家を、NHKの会長が公用車でご機嫌伺いに行き、それが世間の知るところになりました。
 その時、NHKの組合は、視聴者とともに闘い、会長を辞任させ、初めてのNHK生え抜き会長を誕生させました。全国で始まった署名はわずか3日で136万人にのぼりました。
 あれから38年が経ちました。

 その時に比べて、NHKは良くなったのか?そんなことはありません。
 視聴者に向かって仕事をする、当たり前のことです。
 権力の監視としてのニュース、公共放送の一番大事な使命です。
 しかし、この当たり前のことが、今のNHK、特にNHKの政治ニュースでは全くなされていないのです。
 安倍さんがそんなに恐いんでしょうか。ひれ伏さなければならないんでしょうか。

 今から14年前、NHKで番組改変事件が起きました。日本軍の元慰安婦の被害女性の問題を取り上げた『ETV2001』が、放送直前に劇的に変わってしまいました。
 NHKの幹部が、当時、官房副長官だった安倍晋三さんたちに会い、そのあと番組がすっかり変わりました。その時、NHKの幹部から指示を受けたのが、プロデューサーだった私です。
 NHKが安倍さんの言うことを聞いて、番組をねじ曲げたことは、断じて間違いです。あってはならないことでした。私が一生背負っていかなければならない、痛恨の出来事です。
 3年前、安倍さんは、NHKの最高意思決定機関である経営委員会に、安倍さんのお友達の百田尚樹、長谷川三千子といった人を送り込みました。
 先日、百田氏は『沖縄のふたつの新聞は潰さなければいけない』と暴言を吐きました。百田氏は経営委員を一期で退きましたが、そうしたとんでもない経営委員に選ばれたのが、籾井勝人氏です。
 この夏は戦後70年、NHKの特集番組はとても健闘しています。良い番組がいっぱい出ています。

 それに比べて、ニュースは異常です。悲惨です。
 戦後70年、安倍談話が出された夜のことを思い出して下さい。8月14日、まず夕方6時に安倍総理の記者会見が延々と流されました。そして7時のニュース。ここで、安倍総理のおぼえがめでたい、政治部・岩田明子記者が、これ以上ないぐらいの「よいしょ」解説をしました。
 そして『ニュースウォッチ9』は、なんとスタジオに安倍総理を呼び、42分間、厳しい質問もないわけではありませんでしたが、安倍総理の言いたい放題でした。
 あの人が、スタジオでコミュニケーションがとれないなんていうのは、誰でも知っていることです。
 それでもやらせたんです。
 安倍さんに、ただただ奉仕する、それが今のNHKニュースです。

 NHKニュースを見ても、『戦争法案』の問題点がわからない。
 NHKニュースを見ても、国会の中でいかに政府がいい加減かが分からない。
 NHKニュースを見ても、日本の様々な場所で反対の声が上がっていることが分からない。
 NHKニュースがたまにきちんと取り上げると、それが大きなニュースになる。

 おかしいじゃありませんか。いいわけはありません。
 10年後、安倍さんが総理の座にあるとは絶対思えません。来年夏までという話もあります。
 しかしNHKは、10年先も必ずあります。NHKは、視聴者の受信料で育てた大事な宝物です。安倍さんの私有物では、断じてないのです。安倍さんに義理立てしたり、恐がる必要などないのです。
 王様は裸です。
 若者たちは、すでにそれに気づいています。王様は裸だと。
 NHKは、安倍さんと一緒に心中などしてほしくはありません。安倍さんと一緒に心中などしてほしくはないのです。
 NHKはみんなのもの、みんなの宝です。このまま朽ち果てるのは、あまりにもったいない。NHKを、市民の手に取り戻す。
 安倍さんの言うとおりの『取り戻す』ではありません。

 取り戻すのです、市民の手に。
 みんなのものに、NHKを取り戻していきましょう。
 ありがとうございました」


IWJ Independent Web Journal、2015.8.27
永田浩三氏スピーチ全文
「NHKよ、安倍さんがそんなに怖いのか!」――元NHKプロデューサー永田浩三氏が渋谷・NHK前で魂の訴え!
かつて安倍総理の介入で慰安婦番組をねじ曲げられた過去を暴露!

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/259892

■■ 番組はどう改ざんされたか ■■
 
 放送日の前日、安倍官房副長官と面会したNHK幹部はスタジオへ取って返し、作り直しを指示。編集作業は深夜に及び、44分ものだったのが43分になって完成しました。さらに放送日当日の夕方、幹部から再度「カット」の指示が出て、編集は夜10時の放送まぎわまで続きました。放送されたのは40分のものでした。何が消され、何が加えられたのか。実際に放送された番組と、44分版の修正台本を比較し、番組改変のありさまを見ました。

長井暁チーフ・プロデューサーが証言した改変内容
2001年1月29日
(1)「女性国際戦犯法廷」が、日本軍による強姦や慰安婦制度が「人道に対する罪」を構成すると認定し、日本国と昭和天皇に責任があるとした部分を全面的にカットする。
(2) スタジオの出演者であるカルフォルニア大学の米山リサ準教授の話を数カ所でカットする。
(3)「女性国際戦犯法廷」に反対の立場をとる日本大学の秦郁彦教授のインタビューを大幅に追加する。

2001年1月30日(放送当日)
(1) 中国人被害者の紹介と証言。
(2) 東チモールの慰安所の紹介と、元慰安婦の証言。
(3) 自らが体験した慰安所や強姦についての元日本軍兵士の証言。

■■ 隠せない介入の事実――安倍氏の弁解を検証 ■■
 「圧力をかけていない」「公正・中立にといっただけ」――。
 自民党の安倍晋三幹事長代理が、NHKの「従軍慰安婦」番組改ざん問題で、あれこれ弁明しています。介入を明白に認めた当初の発言を変えるなど否定に躍起。しかし、この間の経過や安倍氏自身の発言をみても、圧力・介入の事実は隠しようがありません。
● 具体的注文こそが圧力
● 面会後に内容が改変されたのは事実
● なぜ特定の番組を説明したのか
くわしくは→
NHK番組介入問題の経過
 2000年12月8〜12日「女性国際戦犯法廷」開催
 2001年1月29日午後 NHK総合企画室の野島直樹担当局長と松尾武放送総局長が安倍、中川両氏を議員会館に訪ね番組への理解を求める。了解を得られず、番組を変更するので放送させてほしいと説明。(安倍氏「NHK幹部が予算の説明できた。NHK側が自主的に番組内容を説明」、中川氏「会ったのは2月2日」)
 同日1月29日午後6時すぎ 松尾総局長と野島担当局長、伊東律子番組制作局長が完成済みの番組を試写し、内容の変更を制作現場に指示
 同日深夜 制作現場が手直し作業し、44分の番組は43分に
 1月30日夕 松尾総局長が番組の改変を3点にわたり指示。番組は最終的に40分に短縮
 同日1月30日午後10時 番組放送
(注)長井NHKチーフ・プロデューサー(当時番組デスク)の証言にもとづく。かっこ内は安倍、中川氏の主張
▼「朝日」が検証特集(NHK2005年1月19日付)

■■ なにが問題か ■■
放送法に反する介入、憲法に反する検閲
 憲法21条は、言論・表現・報道の自由を保障し、検閲を禁止しています。
 また放送法第3条は、放送内容についての外部からの介入を禁止しています。
 政権・与党の政治家が、テレビ番組の内容について、事前に放送中止や、内容の変更を求めるということは、憲法や放送法に反する民主主義破壊の行為です。
 こうした行為をおこなった政治家と、その圧力に屈して番組の改ざんをおこなったNHK関係者は、それぞれがその責任をきびしく問われなければなりません。
 安倍氏は当時内閣官房副長官、中川氏は現職の閣僚です。
 一政治家による放送内容への政治介入問題にとどまらず、政府の要職にあるものの政治介入として、小泉内閣の責任が問われる問題です。

「慰安婦」問題で歴史そのものの改ざんをねらう
 安倍氏は放送前日に、NHKの放送総局長に会い「意見」をいったことを認めつつ、番組が「ひどい内容」と攻撃してみずからの行為の正当化を図っています。
 「読売」「産経」の社説も制作現場や番組に矛先を向け、安倍氏の発言の後押しをしています。
 安倍氏やこれらのメディアが問題にしているのは、歴史の事実として従軍慰安婦問題をとりあげ、旧日本軍の関与や昭和天皇の戦争責任を明らかにすることそのものです。
 政府は1993年に発表した見解でも、従軍慰安婦問題での旧日本軍の関与を認め、国際的に「お詫(わ)びと反省の気持ち」を明らかにしています。
 それを否定するような番組の改ざんは、まさに歴史そのものを改ざんしようとするものです。

 「日本は過去の歴史の隠ぺいを中断し、今回の事件を自己反省のきっかけとすべきだ」(韓国・ソウル新聞1月13日付)、
 「日本で政治家が、慰安婦模擬裁判に関する報道でNHKに圧力」(マレーシア・華字紙星州日報1月14日付)など、アジア各国から批判の声があがるのは当然です。


「しんぶん赤旗」2005年1月16日付
NHK 「従軍慰安婦」番組への政治介入 なにが問題なのか
http://www.jcp.or.jp/tokusyu-04/nhk/

 皆さんこんにちは、永田浩三です。
 今は大学の教員、その前はNHKのプロデューサーでした。
 国会前のたくさんの人達の中に、木村まきさんが来られています。先程まで、学生達と一緒に木村さんのドキュメンタリーの撮影をさせていただいていました。横浜事件という、戦前戦中、最大の言論弾圧事件をご存知だと思います。治安維持法という悪法によって、木村さんの連れ合い、木村亨さんをはじめ、たくさんのジャーナリストが、拷問を受け、獄死し、でっちあげによって、有罪となりました。それから、72年、木村さんは再審の無罪の声を聴くことなく亡くなりました。

 妻のまきさんが夫の遺志を引き継いで、国を相手に、裁判を続けておられます。
 再審の扉が開かれなかったのは、国が、裁判資料を故意に燃やしてしまったからです。
 なぜ、文書を燃やしてしまったのか。
 その事をめぐって、木村さんは、今闘っています。
 国の主張はこうです、国が間違うことはないのだと、国がやることに、間違いはない。
 しかし、本当にそうでしょうか?
 最近の安倍政権を見ても、間違いだらけではありませんか。
 森友学園、加計学園、高江や辺野古の基地建設強行、文書は隠され、疑惑だらけであるにも関わらず、昨晩は、獣医学部の認可のニュースが、流されました。
 なんという、不公正がまかり通っているのでしょうか。

 どうしても、ここでお話したいことがあります。
 伊藤詩織さんが受けた、レイプ事件です。
 先日、詩織さん自身が、外国人記者クラブで、記者会見をしました。
 どれほどの、勇気がいったことでしょうか。
 レイプの容疑がかけられているのは、元TBSワシントン支局長の山口敬之氏です。

 山口氏は、『総理』という著書を著し、安倍総理の覚えがめでたい人物です。
 その山口氏に対して、高輪警察署が取り調べをし、裁判所が逮捕状の請求を認め、空港で山口氏の逮捕がなされる寸前、警察官の携帯電話が鳴り、逮捕は見送られました。
 待ったをかけたのは、当時の警視庁刑事部長の中村格氏でした。

 中村氏は、こう語ったと言われています。
 「TBSの幹部記者だったから守った」と。
 つまり、大手メディアの主要ポストの人間は、自分達警察の仲間であり、詩織さんという女性よりも、大切なのだと中村氏は考えたのです。
 中村氏は、以前は菅官房長官の秘書官でした。

 3年前、「クローズアップ現代」のスタジオで、集団的自衛権の閣議決定をめぐって、菅氏に国谷キャスターが何度も質問したことに対して、放送後、脅しをかけたのも、中村氏だと言われています。

 ジャーナリズムの基本は、暴走する権力の監視です。
 そうしたジャーナリズムが、権力と癒着し、レイプをもみ消してもらって、いいのでしょうか。
 安倍政権は、間違います。
 国の最高法規である憲法を間違いだらけで、権力を私物化する、安倍政権の好き勝手にすることは、断じてなりません。

 立憲主義とは、憲法によって、国家の暴走に歯止めをかけることを言います。
 ジャーナリズムとは、人びとの知る権利に奉仕し、国家の悪をあばき、暴走を食い止め、声をあげられない人達のために、小さな声をすくいあげ、弱い人の側に立ち、より良き世の中を作っていくことに貢献することです。

 ジャーナリストが、安倍政権のご機嫌を窺ったり、嫌疑をもみ消してもらったり、すり寄ったりしては、断じてなりません。

 ジャーナリズムが奉仕すべきは、市民、視聴者、読者です。
 どうか、心あるジャーナリストを、守り育てましょう。
 よきジャーナリズムを応援していきましょう。
 そして、この、傲慢で、聞く耳をもたない安倍政権を、今度こそ、倒しましょう。


伊達直人ブログ、2017.11.03
「安倍9条改憲 NO!…11.3 国会包囲大行動」: 永田浩三さん (元NHKプロデューサー・武蔵大学教授)
<永田浩三氏、国会包囲大行動で糾弾!>
「詩織さんレイプ事件は中村格氏にもみ消された!今度こそ、傲慢な安倍政権を倒そう!」

https://ameblo.jp/tiger-mask-fighter/entry-12326543663.html

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遺書まで改ざんなんてあり得ませんよね

 官邸と財務省は、近畿財務局職員の死をはじめ事件の真相を闇に葬る構えだ。
 改ざんが指摘される森友学園への国有地売却の決裁文書をめぐって、財務省はきょう、「書き換え前」と「書き換え後」と称する報告書を国会に提出した。
 報告書はA4版78ページ、小さな文字でビッシリと書かれている。情報量は豊かなように見えるが、通常の事務手続きばかりで、安倍政権にとって痛打となる箇所はひとつもない。
 昭恵夫人の名前も5ヵ所にわたって登場するが、いずれも、すでに報道された事柄ばかりだ。
 野党は合同で財務省や警察庁などから事情を聴いた。杉尾秀哉議員(民進)が厳しい口調で迫った ―
 「安倍昭恵夫人の直接的な関与を示す物がまだ残っているんじゃないんですか? 朝日がまだ書いていない情報がある。政府与党といちいち相談しながら進めているから、向こう(安倍首相とその周辺)にとって都合のいい所だけ出て、決定的な物は出ていないんじゃないんですか?」
 財務省理財局の富山一成・局次長は、恐ろしく長くて、常人には理解不能な前置きの後「捜査当局の協力を得て最終確認したものを出している」と答弁した。
 報告書には、経産省から官邸に出向していた谷査恵子氏を伴って昭恵夫人が森友学園を訪問した記録は出てこない。谷氏のタの字もないのだ。
 谷氏は森友学園に便宜を計らうよう官邸に要請していたのである。ファックス記録も残っている。だが報告書には昭恵氏の関与を示す濃厚な事実は出てこない。

 改ざんの実行役をさせられていた近畿財務局の赤木俊夫・上席国有財産管理官の死は、真相解明にフタをした。
 福島瑞穂議員(社民)が警察庁を追及した。「遺書も含めて兵庫県警が押収したんだと思う。家族が遺書の写しを見せてほしいと言ったら(どう対応するか)?」
 警察庁捜査一課の阿波拓洋・検視指導室長は「個別の事案についてのお答えは差し控えさせて頂く」と突っぱねた。
 遺書には、改ざんが誰の指示だったのかなど事件の核心に触れる事柄が綴られているようだ。親族が「遺書を見ていない」との情報もある。
 真相を知る人間は官邸にとって目障りな存在である。
 何よりの証拠は、近畿財務局で国有地の払い下げに関わっていた職員がことごとく 異動させられていることだ。
 アベ友記者によるレイプ事件の捜査に関わった高輪警察署の捜査員が皆飛ばされているのと同じである。
 この国は暗黒国家に片足を踏み入れた。


[写真―1]
「先週と何も変わってないじゃない?」。事実を隠ぺいしたままの財務省を厳しく追及する森ゆう子議員(自由)。=12日、衆院第16控室
[写真―2]
昭恵夫人の名前が出てくる部分。=財務省報告書=
[写真―3]
森友学園小学校。国に返却させられたが、契約通り更地にする財力は籠池前理事長にない。=大阪府豊中市

田中龍作ジャーナル、2018年3月12日 21:49
森友・公文書改ざん報告書
昭恵の名前は出たけれど
真相を闇に葬る官邸と財務省

http://tanakaryusaku.jp/2018/03/00017737

 まったくどこまで無神経で、どこまで国民の感情を逆撫でするつもりなのか。
 財務省が公文書改ざんの事実を認めた翌日にあたる11日夜以降、昭恵夫人が信じられない行動に出ていた。
 11日夜、昭恵夫人のFacebookに「野党のバカげた質問ばかりで、旦那さんは毎日大変ですね。国会には、世間には先を読めない人間が多すぎますね」と投稿されたのだが、なんと昭恵夫人はこれに「いいね!」したというのだ。
 改ざん前文書に自分の名前が記され、それが削除されていたということは、すでに安倍首相が昭恵夫人に伝えていた可能性は高い。そもそも、森友問題の最重要人物は昭恵夫人であり、問題は公文書改ざんという国家的犯罪にまで発展。野党の追及はこれによって前提が崩れ、これまでの審議はすべて無駄になった。にもかかわらず、昭恵夫人は野党批判と夫をいたわる投稿に「いいね!」していたというのである。
 このような当事者意識のない人間を庇うために公文書が改ざんされ、先週には犠牲者まで出してしまったのかと思うと腹立たしくて仕方がない。しかも、今回の改ざん問題では、森友問題にいかに昭恵夫人が大きな役割を果たしてきたのか、これまでよりもさらにはっきりとしたのだ。
 そのことを追及したのは、本日放送された『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でのこと。同番組ではコメンテーターの玉川徹氏が、昭恵夫人の名前が削除されていた「特例承認の決裁文書」のなかの「これまでの経緯」という項目に注目。そして、これはたんに昭恵氏の名前が消えていただけではないとし、重要な指摘をおこなったのだ。
 まず、この「これまでの経緯」のなかに昭恵夫人の名前が出てくるのは2箇所。玉川氏は、そもそも当初は「そんなに乗り気じゃなかった」近畿財務局側が、昭恵夫人の名前が出てきたことで「急にアクセルが踏まれている」「(2度目に昭恵夫人の名前が出てくる部分で)またアクセルが踏まれている」と解読。「特例的なことが、いかに昭恵夫人の登場によっておこなわれたのかというストーリーが、このなかに書いてある」と述べた。
 実際はどうなのか。昨日、財務省が公開した該当項目の書き換え前の文書を確認してみよう。
...
通常ありえない詳細な経緯説明の裏に、近畿財務局職員の“叫び”が

 たしかに、これは玉川氏の指摘通り、「特例的なことが、いかに昭恵夫人の登場によっておこなわれたのか」を指し示す文書と言えるだろう。
 では、なぜ近畿財務局の担当者は、このような赤裸々な経緯を書き記したのだろうか。実際、番組ゲストの元財務官僚・山口真由氏は、「もともとの文章の異常な詳細さ」に驚いたと言い、「経験上なかなかない文書」と指摘した。
 すると、番組コメンテーターの青木理氏は、その背景に何があったのか、このように感想を述べた。
「逆に言うと、それが本件の特殊性を非常に表している感じがしててね。つまり、官僚の人たちって基本的に保身の気持ちもあるから、『こんなにいろいろあったから今回こういう特別なことをしたんですよ』というような。(中略)ある種、叫びが聞こえてくるような文書なんですよ。その叫びの部分を『まずい、まずい』と消しているっていう」
 さらに、玉川氏も青木氏の意見に呼応するように、こう語った。
「なんでこんな特例的な文書を残したのかっていうことになると、さっき『叫び』というような言葉がありましたけど、自殺されたノンキャリのこれを担当していた方が『汚い仕事(をやらされた)』と言っているわけですよ。その『叫び』ということと『汚い仕事』というようなことが、どうにもぼくには結びついて感じられるんですよね。じゃなかったら、書きませんでしょ? こんなこと。何のために書くんですか。『私はこんなことをやらされました』と、通常あり得ないこと、常識的じゃないことを、というような叫びなのかなとぼくが見ます」
 普通ならば絶対におこなわない「汚い」取引を推し進めざるを得なくなってしまった理由。そのターニングポイントの直前に2度も記された昭恵夫人の名前──。こうした指摘に対し、「籠池理事長が昭恵夫人を勝手に利用しただけ」「近畿財務局が勝手に忖度しただけ」と安倍支持者は言うが、それはまったく通用しない。
 この「これまでの経緯」が記された「特例承認の決裁文書」は2015年2月と4月につくられたもののため登場しないが、同年11月には総理夫人付け職員の谷査恵子氏が財務省に「口利きFAX」を送付。籠池理事長はこのFAX以降、「非常に瞬間風速の速い神風が吹いた」と証言しており、事実、FAXに記された森友側の要望は、結果としてすべて叶えられるという「満額回答」となっている。籠池理事長が昭恵夫人との関係を誇示して近畿財務局から忖度を引き出しただけではなく、昭恵夫人は自ら右腕の秘書を通じて、近畿財務局の上にいる本省に働きかけていたのである。
 これは本省への働きかけのため、近畿財務局の決裁文書には出てこないが、昭恵夫人の財務省への働きかけはもう一度、徹底的に追及する必要がある。
 あらためて言うが、昭恵夫人が取引に影響を与えていたことを証明する決裁文書が表沙汰になることによってもっとも不利益を被る人物は、間違いなく安倍首相だったのだ。
 2月17日の衆院予算委員会で、追及する野党の質問に逆ギレした安倍首相が言い放った「私や妻が関係していたということになれば、これは、まさに私は間違いなく、総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」という答弁。これこそが、公文書改ざんの引き金になったのではないかという指摘は、野党からもメディアからも相次いでいる。
 本日の『モーニングショー』では青木氏が「大袈裟でもなんでもなく、戦後有数の、極めて特異な権力犯罪」と断罪したが、その国家的犯罪の戦犯を、はっきりさせなければならないだろう。


リテラ、2018.03.13
決裁文書の削除部分は近畿財務局職員のひそかな告発だった?
「特例の原因は安倍昭恵夫人」の隠されたメッセージ

http://lite-ra.com/2018/03/post-3869.html

 自殺した近畿財務局の赤木俊夫・上席国有管理官が「決裁文書を書き換えさせられた」と記したメモ(遺書)が見つかったことを、マスコミも報じ始めた。
 だが現実はさらに深刻さを増しているようだ。
 遺族が赤木さんの妻と連絡が取れなくなっているというのだ。

 今日あった野党合同ヒアリングで柚木道義議員(希望)が指摘した。
 柚木議員は「遺書までが改ざんされたなんてことはあり得ませんよね。奥様が遺書と共にどこかに匿われているのではないかと。近畿財務局との関連も含めてそんな見方が出ていますけど、そんなことあり得ませんよね」と、財務省と警察庁を追及した。
 財務省理財局の富山一成・局次長は「私自身、承知していませんし、今ご指摘のことについてもたくさんの情報を持ち合わせていない」。
 富山次長はいつものように木で鼻をくくったような口調で否定してみせた。
 警察庁刑事局捜査一課の阿波拓洋・検視指導室長の答弁は、ひっかかるものがあった。
 「一般的に警察においては(柚木)議員が仰ったような、匿ったりすることはありません」。
 
 『警察において』匿うことはない。
 だが他(たとえば財務省)については知らないよ、ということなのだろうか。
 赤木氏が自殺した神戸市のマンションの異常な警備は、どう説明をつけるのか。
 私服刑事とおぼしき男は、何のためにそこにいるのか。
 日本の警察、司法は国民でなくアベのために存在する。
 もはや定説化しつつある。


[写真―1]
「あべメディア」の読売新聞までが報じ始めた。さまざまな憶測を生んでいる。=13日、衆院第16控室

[写真―2]
警察庁の阿波検視室長(手前)はヒアリング後、田中が質問すると「個別の案件にはお答えできない」と判で捺したように答えた。=13日、衆院第16控室

田中龍作ジャーナル、2018年3月13日 23:12
遺族、妻と連絡取れず
野党議員「遺書まで改ざんなんてあり得ませんよね」

http://tanakaryusaku.jp/2018/03/00017748

 ここがポイントになりそうですね。
 まだ隠されている文書がある可能性も。
 官邸が政権維持のために握り潰そうとすれば、防衛省の日報隠蔽の時のようにリークがあるかも。
 まだ隠していたということになれば間違いなく「政権崩壊」でしょう。
布施祐仁さんが追加>
改ざん文書には、平沼事務所や、鴻池事務所からの働きかけなどが、詳細に書かれているのに、まだ、昭恵夫人付き秘書官による財務省本省への働きかけを書いた部分が出て来ていない。参議院議員森ゆうこ
7:04 - 2018年3月13日、布施祐仁、2月26日発売『日報隠蔽〜南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(集英社、三浦英之さんとの共著)

 自分に危険が及びそうになったら間違いなく自衛隊も国民も見捨てて逃げる。
 そして戦争が終わったら戻ってきて、「二度とこのような惨禍を繰り返さないようにするのが私の責任だ」と言って首相の椅子にしがみつくだろう。
布施祐仁さんが追加>
 それにしても、この期に及んで佐川氏一人に罪を押っ被せようという魂胆もすごい。彼の面の皮も大したもんだが、同意してる話なんだろうか? 何なら北朝鮮との戦争も辞さないという威勢のいい人達は、こんな政府の下での有事を想像して、恐くないのか。平野啓一郎
9:52 - 2018年3月13日、布施祐仁

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2018年03月13日

国際山岳医、大野和恵先生

 一昨日のヤッホーくんの大高取山への山路での途中退場の件、山歩クラブのなかにおもいもかけぬ波紋を投げかけてしまったようで、本日3月13日火曜日夜、またしても一斉メールが発信されたようです:

 さて、小生の3月定例山行ギブアップの件、ご心配やら、ご迷惑をおかけしまことに申し訳ございません。
 これは、ですね、ぜひ、2016年3月号のかわらばん「国際山岳医でも骨折」という記事をお読みください。
 そこで大野和恵先生のことば、
「中高年というのはうまくいかないことがあって初めて自分は年を取ったと実感できるものです」
「からだの動きも体力も昔と違うことを少しづつ感じています」を紹介しました。
 一昨日はその不如意を自分がはじめて実感できた日でもありました。
 かかりつけの医師とのほうれん草(報告、連絡、相談)はもとより、生活習慣の見直し、そしてますますゆるゆる人生を謳歌し、目指せ80歳現役で健康寿命を一年でも長くして、皆様とお付き合いいたしたく、ご交誼のほどよろしくお願い申しあげます。ヤッホ−!


 大野和恵先生のことば、ってこれでした:

 いつの間にか中高年入りしてしまった「登山外来の現場から」執筆者の大城和恵です。
 体の動きも体力も昔と違うことを少しずつ感じています。最近は、ちょっと臆病に、ちょっと慎重に、自分を戒めながら山に登っています。そう言いつつも先日、登山中に骨折してしまいました。「救助は呼びたくないなー。『国際山岳医救助される!』なんて書かれたくないなー。勝手に登ったのに、自力で下りないのは嫌だなー」と思いながら、なんとか1人で下山。靴の選択が悪かった、と反省しました。
 「不注意だ」と言われたら、まったくその通り。気にはなっていたんです……と心の中で言い訳する始末で、弱い立場を思い知るのでした。
 小さなミス一つは、条件がよければ対応できる。小さなミス一つでも、条件が悪ければ1人ではどうにもならない。小さなミスが二つになると、死にさえする。幸い、若い頃は小さなミスで済んできたが、年をとると小さなミスで終わらなくなるし、今までミスなんてしなかったところでミスをする。
 中高年というのは、うまくいかないことがあって初めて「自分は年をとった」と実感できるものです。登山の際、「山をなめていた」というより、「老いがこんなものとは知らなかった」と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 「私は大丈夫!」と思った方、そういうあなたこそ、要注意ですよ!
 「では、何に注意をしたらよいのか」を、この連載を通してお話ししていきます。
 山を愛する人を応援する、山の医療コラムが今日からスタート!
 遭難しない登山者を目指す皆さんのお役に立ちますように……。

「遭難」ってどういうこと?

 遭難は書いて字のごとく、「難に遭う」ことです。ひどく大げさに響きますね。当事者としては「ちょっとけがした」「道を間違えた」「事故った」と表現したいものです。しかし、自力で下山が困難となった状態、連絡もとれず周囲に心配をかけた状態は、まさしく難に遭う、そう「遭難」なのです。私の知り合いも、さんざん救助隊にお世話になりながら、「事故報告書」という言い訳ばかりの報告書を書いていました。自分も、当事者になるとこうなってしまうのかな、と省みるのでした……。

山岳遭難者の7割が40歳以上の中高年

 2014年に発表された警察庁の調査(※)によると、13年中の山岳遭難者は2713人。一年を通して、遭難者の年齢は40歳以上の中高年が1996人と全体の約4分の3(73.6%)、うち60歳以上が1258人と全体の約2分の1(46.4%)を占めています。さらに遭難者のうち死亡または行方不明となった方320人のうち、実に6割以上となる204人(63.8%)が60歳以上。年を重ねるほど遭難の割合が高くなり、遭難後の生存率は低くなっているのです。しかし、雪の降る時期では、バックカントリースキーヤーやスノーボーダーが増え、冬の遭難だけをみると、比較的若い30代、40代の遭難者が目立ちます。これについては、初冬のコラムで取り上げます。

※ 警察庁生活安全局地域課「平成25年中における山岳遭難の概況」(14年6月12日警察庁発表)

遭難の理由No.1は「道迷い」

 遭難件数の多い県は順に、1.長野県、2.静岡県、3.北海道、4.富山県。救助を要請した理由で最も多いのは、「道迷い」で4割強(41.8%)です。それに滑落(17.0%)と転倒(14.5%)が続きます。病気が1割弱(8.1%)で、その他に、疲労(5.0%)、悪天候(2.4%)、雪崩(0.7%)などがあります。
 「道迷い」は医療とはあまり関係ないようですが、うろうろと探しているうちにエネルギーが枯渇し、まだ寒い春山で緊急的に野営した結果、低体温症になってしまうなど、救助を要請した理由には生死に関わる医療的問題が隠れているのです。「滑落と転倒」には、捻挫や骨折で動けないというものから、多発外傷や頭部外傷により死を招くものまで幅広く含まれています。「病気」はわずか8.1%ですが、重症が多く死亡率が高いのが特徴です。心臓発作による救助要請が目立っています。

 死者および行方不明者は全遭難者数の11.8%です。死者数の順では、1.長野県、2.富山県、3.北海道、4.山梨県と、遭難件数の多い県の順位とは異なります。13年の死亡が多い3県の死因(図1、図2、図3)を見ると、山域ごとに死因には違いがあることがわかります。

 なお、長野県(図1)、富山県(図2)は13年度の統計のため、その年度に大きな遭難事案が発生した場合、それに影響を受けた統計になります。北海道(図3)は過去12年分の統計です。

 死因は、外傷、寒冷傷害(低体温症、雪崩埋没)、心臓発作が圧倒的に多い点で共通しています。外傷と雪崩埋没は地域差が大きく、心臓発作は山域に関わらず、一定の割合で起きています(図4)。

登山Q&A
Q1: 登山中に 1人で手に負えない状況になったら?

A1: 速やかに110番、あるいは119番に電話しましょう。どちらでも構いません。ためらって救助要請が遅れ、日没になると、救助に来られなくなることもあります。救助要請時に大事なのは以下の3点です。

(1)「山岳遭難です」と言いましょう。電話に出る人は、街の交通事故や事件や病気を扱うことがほとんどですので、最初に趣旨を伝えてしまいましょう。

(2)「場所」を伝えます。途中で電波状況が悪いと通信ができなくなりますが、場所さえ伝えておけば、より早く捜してもらえます。

(3)携帯電話などは、バッテリーを温存するため、余計な電話はかけないようにしましょう。冷えるとバッテリーが消耗するので、懐で温めておきます。

Q2: 万一の場合に備える登山の必携アイテムと言えば?

A2:
(1)カッパ:雨風をしのげます。冷えたら一気に低体温症になりますよ。

(2)ヘッドライト:光があるとより安全に行動できます。

(3)通信手段:携帯電話は通信圏外もまだ多くあります。アマチュア無線、衛星電話も有効です。


毎日新聞、登山外来の現場から、2015年6月1日
ちょっとけがをした−それは「遭難」ですか?
大城和恵(おおしろ・かずえ)、北海道大野記念病院医師、国際山岳医
 1967年長野県生まれ。医学博士、山岳医療修士。日本大学医学部卒業後、循環器内科医として約10年間の付属病院勤務を経て、「山での遭難者を助けたい」という思いを募らせて本格的に山岳医療の勉強を始める。
 98年、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5895m)に登頂。心臓血管センター大野病院(現・北海道大野記念病院)を拠点に診療を続けるが、09年に退職し渡英。
 1年をかけて日本人として初めて「UIAA(国際山岳連盟)/ICAR(国際山岳救助協議会)/ISMM(国際登山医学会)認定国際山岳医」の資格を取得した。
 現在は同病院の循環器内科・内科および登山外来で勤務するかたわら、北海道警察山岳遭難救助隊のアドバイザーも務める。
 遭難実態を知り、現在遭難しないための医療情報、心臓死の予防、高所登山のアドバイス、ファーストエイド技術の講習会主宰など、山と登山に関する多方面で活躍する。
 13年には三浦雄一郎さんのエベレスト遠征隊にチームドクターとして参加した。自身もマッキンリー、マッターホルン、マナスル(世界第8位)登頂など海外を含む豊富な登山歴を持つ。
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20150529/med/00m/010/032000c

 8月11日は山の日。
 中高年を中心とした登山人気で頻発する事故を背景に、山で起きるけがや病気の専門知識を持った「山岳医」のニーズが高まっている。日本登山医学会が2010年から導入した「認定国際山岳医」を取得する医師は年々増加。体調管理などの助言を受けられ、登山者に好評だ。
 7月上旬、札幌市西区の北海道大野記念病院の登山外来診察室。
 大城和恵医師(50)は「ゆっくりとしたペースで登れば問題ないですよ」と、狭心症を患う男性(73)にアドバイスした。
 大城医師が手にするのは、運動時の心臓への負担を分析した検査結果。男性は「普通の先生からは、こんな具体的な話は聞けない。登山を続けたいのでありがたい」と不安を拭えた様子だった。
 大城医師は長野出身で、趣味で世界の山を巡っていた40歳のころに山岳医を志した。ネパールでの登山中に高山病患者に出会ったが、自信を持って治療できず悔しい思いをしたのがきっかけだ。
 専門的に山岳医療を学ぼうと、09年に単身渡英。10年に日本人初の認定国際山岳医となり、13年には史上最高齢の80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんのチームドクターも務めた。
 15年の山岳遭難は過去最悪の2508件で、16年も2495件と高水準が続く。06年は1417件で、10年間で1.7倍以上に増えた。16年の死者・行方不明者は319人で、約7割が60歳以上だった。
 認定国際山岳医は欧州で始まった制度で、講義や登山実技を通して10年から国内でも認定を受けられるようになった。取得者は7月末現在で35人。低体温症を予防するために糖分の小まめな摂取を心掛けることや、余裕のあるコース設定で遭難を防ぐことなどの注意点を指導。富士山や北アルプスなどにある山岳診療所の運営にも関わり、活躍の場を広げる。
 大城医師は講演や高校生向けのテキスト作成を手がけるほか、全国から集まる患者に対し高血圧や持病のチェック、登山時の定期的な水分補給などをアドバイスしている。「山岳医療は経験論に頼りがち。きちんとした分析に基づく治療や啓発活動が大切だ」と語る。
 国際山岳連盟委員で、山岳遭難に詳しい関西大の青山千彰名誉教授は「山岳医療で先進的な欧米と比べて日本は山での治療の機会が少なく、経験を積むのが難しい。実践的な研修に重点を置き、より高い技術を持った専門家を育てる必要がある」と指摘している。


日本経済新聞、2017/8/8 12:00
ニーズ高まる「山岳医」
中高年の登山事故増背景に

〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H12_Y7A800C1000000/

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山梨の健康理由

 杓子山、杓子定規、杓子山、どっかで書いたような ……
 ヤッホー君のこのブログ、2016年05月06日付け日記「扇山1138m」をお読みください。
 この山に先月2月に登った方から、今日は出発進行!

 甲府市の保育園児、伴野嶺(ばんのれい)ちゃん(6)が2月12日に「山梨百名山」を踏破した。
 最後に残った杓子(しゃくし)山(1598メートル)に登頂すると、「着いた!」と歓声をあげて跳びはねた。
 この日は快晴。富士山を望む見晴らしに「やった、家も見える」と喜んだ。

 急斜面や岩場を越えて約3時間かけて山頂へ。
 同行した10人余りの登山仲間が「おめでとう」と祝福し、今春、小学校に上がる嶺ちゃんにランドセルの目録を贈った。

 4歳の時、母の直美さん(43)とともに挑戦を始めた。
 行きつけの飲食店ナチュラルグレース(甲府市)のイベント「山頂パスタ会」で、小楢山(1713メートル)に登ったのがきっかけだ。
 山梨県が選定した山梨百名山があることを知り、興味を持った。
 100座目に同行した店のオーナー三村正治さん(60)は「かわいい孫のように思っている。短期間でここまでよく頑張った」と目を細めた。

 山梨百名山は、ほぼ垂直にそびえる鎖場をよじ登る鶏冠(とさか)山(2115メートル)など「四天王」(ほかに笹山2733m、鋸岳2685m、笊ヶ岳2629m)呼ばれる難ルートを含む。
 登山ガイドが同行し、安全確保のロープを体に結わいたが、登り下りは自力だ。

 直美さんは足がすくわれるような川の渡渉などがない限り、おぶったり手を引いたりはしない。
「足元をよく見なさい」、
「凍ってるよ」と要所で声をかけ、その都度、
「はい!」と元気な声が返ってくる。
 この日は嶺ちゃんも、木が横倒しになっている箇所で
「ここ要注意!」、
「きつい? 大丈夫?」と、同行した大人たちに注意喚起やいたわりの言葉をかけていた。

 昨夏から計4回同行した植物ガイドの女性(46)は「中高生を含めた子ども登山のガイドを長年しているが、こんなに根性がある子どもは初めて。四季を通じた登山で、危険箇所を自分で見極められるまでに成長した」と振り返る。

 鋸岳(2685メートル)などに同行した登山ガイドの三上浩文さん(57、注1)も「自分の体よりも巨大な岩や木の根を乗り越えなければいけないのに、『もう帰る』と言い出さない」と驚く。
 鳳凰山(2840メートル)に挑み、直美さんが疲労でへたり込んだ時も嶺ちゃんは「行きたい」と、三上さんと一緒に山頂を目指したという。

「嶺ちゃんは自然の中に身を置くのが好きで山に向き合う姿勢もある」

 100座目の杓子山の山頂で、嶺ちゃんに感想を聞いた。
「楽しかったけど、まだまだだと思っている」と答えた。
 もっと先を見つめているようだ。
 次の目標に「日本百名山、二百名山、三百名山」を掲げた。


朝日新聞 2018年2月16日07時57分
6歳の保育園児、山梨百名山を踏破
「次は日本百名山」

(平畑玄洋)
https://www.asahi.com/articles/ASL2F5S31L2FUZOB029.html

(注1)ひげの三村のブログ
https://ameblo.jp/natugura/
https://naturalgrace.com/

 はぁ、さすが嶺ちゃん、それに、それに今日の「日刊ゲンダイ」によりますと、山梨県は男性の健康寿命で日本一!なんですって。

 男は山梨、女は愛知――。
 厚労省が発表した健康寿命が話題になっている。
 健康寿命は介護を受けたり病気で寝たきりになることなく、自立して生活できる期間のこと。
 2016年度の男性の1位は山梨県で73.21歳。女性は愛知県で76.32歳だった。

 この結果について厚労省や自治体は理由に関するコメントを出した。
 男性トップの山梨県については県民が野菜のほかアジ、イワシなどの魚をよく食べ、がん検診をちゃんと受けるなど健康意識が高いこと。
 山梨県の日照時間が長いことや、地域ごとにお金を出し合って旅行や飲み会をする「無尽」という活動が盛んなことも健康の理由という。

 医学博士の米山公啓氏(注2)によると、健康寿命は主にがんによる入院や脳梗塞などでの半身不随、骨折で短くなるそうだ。
 山梨の健康理由を解説してもらった。

「野菜に含まれる葉酸は認知症を防ぐ効果があり、アジなどの光り魚は動脈硬化を予防します。長時間日光を浴びると体内のビタミンDが活性化して骨が強くなる上に気分を前向きにするセロトニンの分泌が増える。自然に恵まれた田舎暮らしはストレスをためこまない生活ができるので健康維持が可能。無尽は仲間と交流することで認知症を予防し、健康情報の交換もできるメリットがあります」

 一方、愛知県は県の東部でミカンづくりが盛んなことと温暖な気候が理由に挙がっている。
 スポーツ教室に参加するとポイントがたまって飲食店などで使える「あいち健康マイレージ」の存在も大きい。

「ミカンに含まれるビタミンCは認知症予防効果があります。スポーツは長生きの秘訣ですが、健康が目的の人は三日坊主に終わりがち。ポイントがつくとモチベーションが上がるので続けられます。温暖な気候は体を冷やさずにいられるということ。他の地域の人は冬場などに厚着をして体温を維持するよう心がけてください」(米山公啓氏)

 元気に生きるために山梨と愛知の両県民に学びたい。


日刊ゲンダイ、2018年03月13日
健康寿命トップ
山梨と愛知が元気な理由を医学博士が分析

https://hc.nikkan-gendai.com/articles/224938

(注2)米山公啓オフィシャルサイト
http://yoneyamakimihiro.main.jp/index.html

Q 歩くことは"脳"の活性化に効果的であると先生の著書にもありますが、なぜ、歩くことが"脳"にいいのでしょうか?
A 脳活性の方法として、新しいことを始めたり、旅行に行ったりするということもありますが、やはり日常生活の中で継続してできることが大切です。
 その中でも"歩く"ということが一番始めやすいのではないかと思います。
 歩くという運動は、太い筋肉を動かしているため脳への血流量が増えます。
 脳への血流量が増えれば、血液と一緒に酸素とエネルギーの元になっているブドウ糖がたくさん運ばれるので、脳細胞が活性化していきます。
 また、歩くことによって神経細胞のネットワークの回路を作る時に必要な物質(神経成長因子)が出てくるので、さらに脳へ良い刺激を送ることができるんですよ。

Q "歩く"を習慣づけるためのコツはありますか?
A 継続させるためには、楽しいという感覚がないと難しいですね。
 これはリハビリでも言えることで、歩くことが楽しくなければ続かないかもしれません。
 「リハビリのために歩かなきゃ、外に出なきゃ」という感覚ではなく、友達の家まで歩いてみる、公園のお花を見に行くなどの気持ちで歩いてみたらどうでしょうか。
 そういった小さな目標を立て、達成した時の達成感、満足感を得ればドーパミンも出て、もっとやってみようという意欲が出てきます、そうなれば自然と継続して歩けるようになっていくんじゃないかな。


ユニ・チャーム、米山公啓先生
http://www.unicharm.co.jp/lifree/healthy_life/advice/advice02/index.html


 
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2018年03月12日

Jazz in Penang

The soft notes of Edelweiss echo gently through the spacious corridor, catching my attention as I make my way towards the lobby area. Looking at my watch and realising that there’s still time to spare before my appointment, I make a quick detour and trace the source of this hauntingly beautiful music.

My search ends at an elegantly-decorated fine dining outlet called ‘1885’. Standing to the side of the entrance and craning my neck as far as possible, I finally catch sight of the lone pianist playing at the end of the dimly-lit room filled with diners enjoying their evening meal.

An approaching waitress gives me an understanding smile when I gesture towards the performing musician. Judging from her reaction, there must have been countless others before me whose presence had been the result of curiosity. Rooted to the ground as I listen to the show tune from the 1959 Rodgers and Hammerstein musical production, I suddenly feel a gentle tap on my right shoulder.

It’s my long-time acquaintance, Eileen Chong who happens to be the Eastern and Oriental Hotel’s communications manager. Stepping out into the corridor so we can chat, I compliment Chong and the hotel, affectionately known as the E&O, for having a resident pianist who not only plays well but also selects tunes that evoke nostalgia.

“Apart from tunes from the The Sound of Music, Philip Yeoh plays a wide repertoire of evergreens too. His parents, Albert Yeoh Keng Teik and Nancy Lim Siew Har, were the undisputed monarchs of the E&O lounges from 1948 to 1996,” explains Chong before she excuses herself to attend to some guests.

Intrigued, I decide to extend my Penang visit by a few more hours and return to the hotel after dinner. I’m fervently hoping that I’ll be able to cross paths with Philip after his performance.

My dinner conversation with friends in nearby Penang Road inevitably skews towards Yeoh and Nancy. I listen in awe as the Penangites start speaking affectionately about Yeoh’s music and Nancy’s vocal prowess when they attended wedding functions, company events and dinners at the E&O. Most of them turned green with envy when I tell them of my plan to meet up with Philip later that evening.

How it began

I time my return perfectly and manage to catch up with Philip just as he’s packing up for the day. Much to my elation, he accedes to my request to learn more about Yeoh’s passion for music and how it has impacted his own life.

We’re lucky to find a quiet corner at Sarkies Corner, E&O’s colonial-styled coffee shop.

Within minutes, Philip starts weaving a most interesting tale about his illustrious parents. “My father started playing the guitar in 1941 as a 14-year-old boy. He immediately fell in love with music, practising daily and performing for friends whenever he could. Even the onset of the Japanese Occupation, a year later, failed to dampen his passion. Despite that difficult period in our history, my father managed to form a five-piece band, playing regularly at an amusement park restaurant in George Town,” recalls Philip.

His eyes twinkling, he continues: “Ordinary teenagers would have been preoccupied with other activities such as going to social events, falling in love and joining friends for picnics and outings. But my father was very different. He was already performing gigs and earning his keep!”

The Second World War ended in 1945 and Penang, like the rest of Malaya, underwent a period of consolidation and rebuilding. The E&O, which was used by the Japanese Army and later by the returning British forces, slowly began opening its doors to guests again.

In 1948, Yeoh secured his first performance at the E&O. Despite his tender age of 21, Yeoh felt confident enough to expand his band, turning it into a seven-piece set up.

Named simply as Albert Yeoh and His Band, it consisted of two trumpets, a double bass, guitar, drums and piano.

Word began to spread about Yeoh’s new performing venue and within a short period of time, the E&O ballroom was packed to capacity every night as hundreds of patrons turned up to listen to his music. Back then, most guests were either Europeans or locals with high standing in society. Stiff colonial protocol meant that the E&O was no place for the ordinary man.

“In those days, my father and his band were obligated to play the British national anthem God Save the Queen each time the Penang British Resident Councillor entered the ballroom,” adds Philip as he recalls the stories told by his parents.

While admitting that he doesn’t have details about Yeoh’s and Nancy’s courtship, Philip volunteers an image from his smart phone. It shows a youthful Yeoh serenading his bride on their momentous day. “My parents’ wedding must have been a big event as this photograph was published on March 26, 1957 in the Straits Times!” exclaims Philip, his eyes lighting up with pride.

Power couple

Their wedding reception, adds Philip, was held here in the E&O ballroom. “If only my mother knew then that nine years later her fate would also be intertwined with this hotel!” Nancy, I duly learn, became a part of Yeoh’s ensemble by pure chance. Sometime in 1966, the hotel’s regular singer failed to turn up for a gala birthday celebration dedicated to a local tycoon.

“The hotel manager at that time hit the panic button. He didn’t know where he was going to find a replacement to sing Happy Birthday at such short notice. As a last resort, he turned to my mother who happened to visit my father. Her ad hoc audition revealed a warm contralto voice which even caught my father by surprise,” says Philip, chuckling.

That incident marked the beginning of Nancy’s illustrious singing career at the E&O.

While still maintaining her teaching position at the St George Girl’s Branch School (now Sekolah Menengah Kebangsaan Tunku Puan Habsah) in Sepoy Lines, Nancy juggled between her new found passion and taking care of her two boys, Philip and his brother, Kenneth Yeoh.

“At that time, Kenneth and I were still very young. We were living in our first family home, a double storey terrace house in Tanjong Tokong’s Fettes Lane. Our father regularly invited his musician friends over to practice and we were exposed to music at a tender age,” explains Philip.

Although he started taking piano lessons at the age of six from his aunt who lived in Pulau Tikus, Philip confides that he didn’t find music appealing at the beginning. “My father was very strict and kept on insisting that I should not give up. After some time, my love for music blossomed and I’ve not looked back since,” confides Philip who’s now a private piano teacher in addition to his work at the E&O.

Inspired by their father, the two brothers formed their own band during their secondary school days. The group was called Flinkstones after drawing inspiration from the popular Hanna-Barbera animated Stone Age series.

“With me on keyboard and Kenneth playing bass guitar, our five-piece band helped out regularly at the E&O while performing at other venues as well. In the 1970s, the E&O was the most popular venue for wedding functions in Penang. Each group member was paid $50 for each session and as students, that was a large sum of money,” recalls Philip, adding that the money was used primarily to upgrade their musical instruments.

In order to improve further, Philip and his band members would regularly watch Yeoh perform. I listen intently as he walks down memory lane and describes guests dancing the tango, waltz or foxtrot to tunes like When Irish Eyes Are Smiling, You’ll Never Know or even Rose, Rose I Love You. Towards the end of his career, Yeoh was said to have no less than 3,000 songs in his repertoire.

“Prior to his retirement, a typical day would start with his 9 to 5 job at the Mercantile Bank (now Hong Kong and Shanghai Banking Corporation). Then, he’d come home for a quick dinner before heading to the E&O where he’d play continuously from 8pm to 12 midnight without any breaks in between,” adds Philip, awe in his voice.

Yeoh only started taking breaks after Philip raised his concerns in the late 1970s. “I told him that he couldn’t continue at that pace. But, even then, his breaks were very short,” says Philip, as he compares his father’s breathers to his school day canteen breaks. “They were so short that I doubt he had any rest at all.”

After retiring from the bank in 1987, Yeoh maintained a hectic lifestyle by selling insurance during the day and tinkling the ivories of the grand piano at the E&O during his nightly gigs.

Curtain call

Finally it was curtains down for Yeoh and Nancy when the hotel closed temporarily for restoration and refurbishment in 1996. The duo were celebrated with honour and dignity befitting a deserving historical institution. They played at all the grand farewell parties at the E&O that year, each time signing off with mournfully nostalgic wartime songs like Vera Lynn’s classic We’ll Meet Again.

With a slight choke in his voice, Philip recounts the events leading to Yeoh’s demise on Aug 4, 2007. “Prior to the massive embolic stroke that happened a month before his death, my father suffered a milder one in 2005 which he recovered from admirably. Unfortunately, this second bout was very devastating. The right side of his body was completely paralysed and his speech impaired,” recalls Philip.

“Towards the end, his breathing became laboured and his heart rate increased. On the day of his passing, I received an urgent phone call from the hospital and hastily rushed over. Unfortunately, he died before I arrived. Several of my relatives who were by his side said he opened his eyes briefly to look at them. I’m convinced that he was happy to see their familiar faces,” says Philip, his voice low. His mother, Nancy, passed away on Sept 8, 2012.

Yeoh’s final funeral farewell at the Wesley Methodist Church was a stylish affair, lavishly adorned with bouquets from grateful admirers, including an enormous wreath with a touching message from the hotel, thanking Yeoh for ‘... all the beautiful musical memories over the years that we all share in our hearts. Your music will live with us forever at the E&O.”

On my drive back home that evening, a question played in my mind: will Penang ever produce such a dedicated musical maestro like Albert Yeoh again? Until that’s answered, adoring fans can rest assured that Philip will continue his father’s legacy by filling the corridors of the E&O with melodies of yesteryears.

New Straits Times, Published: March 11, 2018 - 2:00pm
For the love of music
By Alan Teh Leam Seng
https://www1.nst.com.my/lifestyle/sunday-vibes/2018/03/343948/love-music

See more:
Penang Island Jazz Festival 2016
https://www.youtube.com/watch?v=0WjVT9smGvI

Read more:
ヤッホー君のこのブログ、2015年09月01日付け日記「Jazz in Penang」
http://fom-club.seesaa.net/article/425157846.html




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柳美里

 福島第一原発事故により、2015年まで立ち入りが制限されていた福島県南相馬市小高区。
 2年前に避難指示が解除され、新たなまちづくりが進むこの町に、ただひとつの本屋「フルハウス」がオープンする。店主は、芥川賞作家の柳美里さん(49)だ。
 鎌倉から南相馬に、息子とパートナーとともに移り住んで3年。どうして本屋を開こうと思ったのだろうか。そこは、どんな場所になろうとしているのだろうか。

「ふらり」と立ち寄れる場づくり
 小高区は、南相馬市のなかでもっとも、福島第一原発に近い区域だ。
 事故後は避難指示区域になっていたために立ち入りが制限されていたが、除染が終わり、2016年7月に一部をのぞき解除された。
 人口は約2400人。事故前の人口が約1万2800人だったことを考えれば、決して多い数字ではない。
 もともと小高にあった商業高校と工業高校が統合してできた小高産業高校には、約500人の生徒が通う。商店やコンビニ、飲食店も少しずつ開き始めた。
 それでも。5年にわたって閉ざされていた街にはまだ、活気があるとは言えない。
 柳さんは、BuzzFeed Newsにゆっくりと、思いの丈を語り始めた。


 私、避難指示が解除される前に小高や浪江の住民説明会に出ていたんです。
 みなさんが、「必要最低限なものすらない」と声をあげられていました。そこで出る要望というのは、病院だったりスーパーだったり、生活に必要な最低限のものだったんです。
 けれども、まちというものを考えたときに、必要最低限なものだけしかないまちは、本当に復興したことになるのでしょうか。
 本屋って、用がなくてもふらりと立ち寄れる場所ですよね。魚屋さんや商店のように、何も買わないで出て行ってもいいじゃないですか。
 ゆとりだったり、生活の中の伸びしろだったりするもの。そこからは、暮らしの潤いや、豊かさが生まれるはずですよね。

かなしみの沈んだ町
 それにしてもなぜ、小高に本屋だったのだろう。
 そもそも柳さんが福島に足を運ぶようになったのは、事故が起きたあとの2011年4月からのことだ。
 母親のルーツがあったことが、そのきっかけになっているという。


 母は福島県南会津郡の只見町で中高を過ごしたんですが、こちらが原発銀座なら向こうはダム銀座なんですね。
 高度経済成長期に首都圏に送電するためにつくられた発電ダムがいくつもある。その話をずっと、母から聞いていた。
 小さい頃はよく只見町に連れて行かれていたんですが、母がダムサイトの縁で説明してくれた。「沈んだ。すべて沈んだ」と。
 母にとっての原風景は、水の底にあった。私には見えないその光景を、「家があって、墓地があって、小高い丘があって、大きな桜の木があって、川が流れていて」と説明してくれたんです。
 母が「この底にはかなしみが沈んでいるので、あまり見つめすぎない方がいい。かなしみに引っ張られてしまう」と言っていたことを覚えています。
 母が言う「かなしみ」は悲哀の哀。抱え込むほうなんです。でも、原発事故の悲しみは悲のほうですね。引き裂かれるという、語源からするとそういう意味があるそうです。
 「半径20kmが警戒区域として閉ざされる」という発表を当時の官房長官がしたときに、自分の中ではダムの光景が頭に浮かびました。
 いま、見ておかなければもう入れなくなってしまうと思い、足を運んだのです。

苦楽を知るための”距離”
 そうした様子をTwitterでアップしているうちに、震災後に住民に情報を伝えるために立ち上がった臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」から出演のオファーがあった。
 どうせやるのならば、住民の話を収録する番組をやりたい、と発案したのが「ふたりとひとり」という番組だ。
 南相馬に縁がある、家族や恋人、友人などの親しい「ふたり」と、柳さんが話をする。報酬はなし。交通費や宿泊費も自分持ちだ。


 最初のうちは、鎌倉から通って収録をしていたんです。
 でも、住民の方達のその苦楽というのが生活の中にあるわけですよね。通っていたら、「本当のところ」がわからないと思って、鎌倉の家を売って移住することにしました。
 人の痛みやかなしみ、楽しみの部分に触れるためには、距離が重要なんです。寄り添いたいんです、と近づくのではなく、適切な距離というか。
 番組のタイトルも、距離を表したんです。2人と私の間には距離がある。3人にはなり得ない、その距離を大事にしようと。
 そうして南相馬の中心部、原町に住むようになって、母親の家族が実は、只見町から原町に越して、そこでパチンコ屋をしていたと知りました。
 たまたま借りた家と、もともと母たちが暮らしていた場所があるいて5分かからない場所だった。不思議な人との縁だったり、土地との縁だったりを感じてしまいましたね。

現実から逃げ込む先は本だった
 これまで、南相馬に住んでいたり、生まれ育ったりする約600人の声を聞いてきた柳さん。
 小高産業技術高校の設立に携わる教師が出演したことをきっかけに、校歌の作詞を任された。授業も受け持ち、20回ほど自己表現や作文などを教え、生徒たちとも交流してきた。
 そんな学校に通う生徒たちの居場所をつくろうと、思いついたのが本屋だった。
 小説家であるということもさることながら、柳さんは本に対して、特別な思い入れがあるという。


 私、本を一番読んだのは小、中学校のときだった。なぜ読んだかというと、現実が辛かったからなんですよ。
 学校では全裸にされたり、バイキンと呼ばれて周りが給食をボイコットするような、かなり激しいいじめにあっていたんです。一方の家では両親が不仲で、別れるようなこともあった。
 本の名前などを記すところを「扉」というんですよね。めくることができるその扉の中は、異世界。私にとって、現実から逃げ込む場所だったんです。
 南相馬に住む知人やご住職からも聞くんですけれど、ここでは自殺が増えている。福島は、岩手や宮城と比べても突出して多いんですよね。
 小高におられた知り合いのお兄さんも、避難先で自殺してしまった。70代のその方は農業をやっていて、田んぼの隣が汚染土の仮置き場になってしまって。
 一時帰宅をしたときにそれを見て、「もうできないんだ」と亡くなられてしまった。
 小高の現実があって、避難先での現実があって。そのどちらも辛かったら、かなり生きているのが辛くなってしまうと思うんですね。
 自分の子供時代だって、学校も家も辛かったから、死はリアルなものとして目の前にやってきていた。
 そういうときに、本という異世界への扉があれば、違うのではないんじゃないか、という気持ちが強いんです。

また、自分の家に本を並べたい
 そして、小高駅の近くでの物件探しが始まった。
 先祖代々からの土地を譲りたくないという人、避難先から小高に戻るのかを決めきれていない人も多く、当初は難航していた。
 そんな中、南相馬出身の大学生が「母方の実家を手放すことになった」とTwitterで連絡をくれたのだ。「せめて知っている人に買ってもらいたい」ということで、ローンを組み購入することになった。
 また、小規模店だと条件的にも厳しい出版取次業者との契約の問題も、偶然が解決した。岩手県宮古市を訪れていたさなか、旅先のホテルで出会った関係者が、二つ返事で応援してくれることになった。
 まさに、縁の連続だった。


 ここで本屋をやると宣言してから、毎日のようにチャイムが鳴るんです。
 「まだやらないんですか」というご近所の方や、浪江や双葉などへの一時帰宅の帰りに立ち寄られる方も多い。
 本ひとつにとっても、いろいろな思いがあるんですよね。
 避難指示が出ていたあいだ、動物や雨漏りのせいで本が手に取れないくらい傷んでしまったという方は、また手にとって一冊一冊、自分の本棚に置けると喜んでおられました。
 津波で本も全て流されてしまったという方もいます。震災前は家の本の好きな箇所を手紙に書いていたけれど、家に本がなくなって、手紙が書けなくなったというお年寄りも。
 もともと一緒に暮らしていたのに、自分だけが小高に戻ってきたので、孫に絵本を送りたいという方や、ラノベも置いてくださいという高校生もいる。
 本当、それぞれなんです。

かなしみを「手当て」できるように
 クラウドファンディングによる資金集めなどを経て、本屋「フルハウス」は今年2018年4月にオープンする。
 柳さんはいま、友人たちに選書をお願いしている。小説家や演出家、写真家など16人が、それぞれ1つのテーマについて、20冊ずつ選ぶ。
 たとえば、歌人の俵万智さんは「ことばについて考える20冊」。
 小説家の山崎ナオコーラさんは「大人になっても読みたい少年少女小説20冊」。
 村山由佳さんは「生きるって悪くない、としみじみ思える20冊」。
 そんなセレクションが、本棚に並ぶことになる。
 今後は、本を借りられるブックカフェ・スペースも整える。小劇場も併設し、ゆくゆくは食事やお酒を提供する場もつくりたいと考えている。
 様々なイベントを開いて、地域外からも人を呼び込むつもりだ。


 処方せんのように、本を手に取ってもらいたい。深いかなしみを治癒する場になってほしいんです。本って、そういう作用があると思いますね。
 かなしみはなくすのではなく、かなしみとして、抱え込む「哀」のほうに、大事にするべきものだと思うんです。
 私は伴侶を亡くしているんですけれども、引き裂かれているときには、「やめなよ」「そろそろ前を向きなよと」「生きていればいいこともある」といった先回りする言葉って、響かないんですよね。
 みんな、その人にとって大事なものを失ったから、かなしんでいる。だから、かなしみごと大事に抱えていくといい。
 日本語の美しい言葉で、「手当て」っていいますよね。そこに触れない、なかったことにするわけではなく、そこに触れる。
 「フルハウス」が、かなしみに手を当てる、あやす、そんな作業ができる場になればいいと思っています。

Buzz Feed Japan News、2018/03/10 07:01
原発事故で傷ついた町にできる、ひとつだけの本屋さん 芥川賞作家が込めた思いとは

「ねこのおうち」などで知られる柳美里さん。原発事故後に福島に移住し、なぜ本屋「フルハウス」をオープンさせることになったのでしょうか。
籏智広太
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/fullhouse?utm_term=.guJPNrOAD#.keER3NdZD

TOKYO: Prime Minister Shinzo Abe led a sombre ceremony Sunday as Japan marked the seventh anniversary of a deadly earthquake, tsunami and nuclear disaster that devastated its northeastern coast and left around 18,500 people dead or missing.

The magnitude 9.0 quake – which struck under the Pacific Ocean on March 11, 2011 – and the resulting tsunami caused widespread damage and took the lives of thousands of people.

The killer tsunami also swamped the emergency power supply at the Fukushima Daiichi power plant, sending its reactors into meltdown as cooling systems failed in what was the worst nuclear disaster since Chernobyl in 1986.

Abe, lawmakers and family members who lost their loved ones in the disaster bowed their heads in silent prayer at a ceremony in Tokyo at 2.46pm (local time) – the exact moment the quake struck.

Japanese private broadcasters also showed residents in the affected areas offering a moment of silence.

"I offer my condolences to those who lost their beloved family members and friends," said Abe, dressed in formal mourning attire.

Hideko Igarashi, one of the three residents from the disaster-hit region who spoke at the ceremony, said Japan should "never forget what we learned from the disaster".

The 70-year-old woman from Fukushima was hit by tsunami waves right after she began preparing to leave the area with her husband and uncle.

"I grabbed a pine tree but I was swamped by the tsunami... My husband got away from me and he shouted 'Hideko' three times," she said.

Igarashi survived and was later rescued by an emergency team.

"I wish I had told him to run away much earlier."

Japan's ageing Emperor Akihito and Empress Michiko did not attend the ceremony this year again, but were represented by their son Prince Akishino and his wife Princess Kiko.

The total of dead or missing from the earthquake and the tsunami stood at 18,434 people, according to the National Police Agency.

In addition, more than 3,600 people – most of them from Fukushima – died from causes such as illness and suicide linked to the aftermath of the tragedy, government data shows.

More than 73,000 people still remain displaced, while no one is officially recorded as having died as a direct result of the nuclear catastrophe.

The government lifted evacuation orders of some areas in villages and the towns of Namie, Kawamata and Tomioka last spring, except for no-go zones with high radiation levels.

Authorities are encouraging evacuees to return, but a government survey released earlier this month showed that about half the residents of Namie and Tomioka are not willing to return.

Around 12,000 people who fled their homes for fear of radiation have filed dozens of lawsuits against the government and the Tokyo Electric Power Company (TEPCO), the operator of the stricken nuclear plant.


[photo-1]
Japan's Prime Minister Shinzo Abe walks after offer in front of an altar for the victims of the March 11, 2011 earthquake and tsunami at the seventh national memorial service in Tokyo, Japan, March 11, 2018.

[photo-2]
Japanese Prime Minister Shinzo Abe (L) bows to Prince Akishino (2nd R) and Princess Kiko (R) during the seventh national memorial service for victims of the 2011 earthquake and tsunami disaster in Tokyo March 11, 2018. Japan marked on March 11 the seventh anniversary of a deadly earthquake, tsunami and nuclear disaster which devastated its northeastern coast and left about 18,500 people dead or missing.

New Straits Times, Published: March 11, 2018 - 5:21pm
Japan tsunami, nuclear tragedy remembered 7 years on
By AFP
https://www1.nst.com.my/world/2018/03/344001/japan-tsunami-nuclear-tragedy-remembered-7-years

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