2017年10月31日

『みすゞと雅輔』

 ちいさい秋、ねぇ、でも今年は今日で10月も終わり、ということは明日から11月、もう晩秋でしょうか。
 もう昨日の30日には「木枯らし1号」が吹いたって、昨年よりは10日早いって台風が呼び込んだのかな。
 で今朝のお話しは、はいだしょうこさんが今月、金子みすゞの詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」を
 リリースしたって話でしたよね。ぜひお買い求めのうえ、聴いてください!皆んなで歌ってください。
 金子みすゞがヤッホ−君のこのブログに登場する、例えば2015年10月05日付け日記「コカ・コーラ」を
 ご参照ください(注1)。不思議なほど多くありません、敬って遠ざけていたのかな… いいえ、いいえ
 あのね、あの2011年。テレビからわんさかと流れていましたね、あれですっかり食傷気味だったのです。
 ところが松本侑子(1963年出雲市生まれ、注2)『みすゞと雅輔』(新潮社、2017年3月)を読んでます。
 この本「みんなちがって、みんないい」の金子みすゞ(1903‐1930)を知る上では必読の文芸作品です!

 一通の電報から始まります。

「テルコキュシス スグカエレ」
 電報を持つ雅輔の手が、震え始めた。
(略)
 受取人は、上山雅輔。差出人は、父の上山松蔵。「映画時代」の編集部で働く雅輔に宛てて、下関の実家から届いた通信だった。
 それは童謡詩人、金子みすゞ、本名、金子テルの死を告げていた。


 1930(昭和5)年のことでした。電報を受け取って翌日郷里に帰ります。その車中、

 彼は、テルを死なせた悔恨から、しきりに溜息をつき、狭い寝台に横たわる体を苦しげに捩った。夜の闇に響く汽笛の音さえ、泣き叫ぶ女の声に聞こえる。
 目を閉じると、瞼の裏に流れるように、かつて正祐という名だった少年時代の思い出が蘇っていった。


 物語は、1915(大正4)年に遡ります。そして、その3年後の1918(大正7)年。母(金子フジ)を喪った上山正祐(うえやま まさすけ、雅輔の少年時代の名)は、亡くなった母の実家で久しぶりに金子テルと再会します。

 フジは、町はずれの焼場で荼毘にふされた。煙が、晩秋の曇り空へ昇っていく。淡い煙の行方を、正祐はテルと見上げた。
 泣いている正祐の手を、テルの小さな手が握りしめた。テルが言った。フジの最期の言葉は「正祐を、どうか、頼みます」だった。


 時は大正中期。前年「赤い鳥」が創刊され、新しい児童文学の流れが起ころうとしていました。正祐もテルも稼業は本屋。二人は「赤い鳥」に収載された作品を読み耽ります。

 テルは「私は、西條八十先生の童謡が一番好きよ。『かなりあ』は、ほんとによかった」

 正祐もすでに読んで知っている『かなりあ』。しかし、テルの語る感想は、自分の知っている『かなりあ』よりも広く深いものでした。
 音楽・映画・演劇に興味を抱く正祐。童謡に共感し、自ら表現を始めるテル。

 正祐が去った二階で、文机に向かった。何を見ても童謡の着想が浮かぶ。商品館で店番をする時も、頬を火照らせ、小さな帳面に鉛筆を走らせ、テルは複数の雑誌に投稿した。
「小さな葉書よ、私の詩の魂を乗せる天使の翼となって、東京へ翔びたて。活字となって全国の読者の胸に届け」
 テルは念じて投函した。
(略)
 筆名のみすゞとは、信濃にかかる枕詞の「みすず刈る」にちなんで付けた。みすずは、ズズタケ、ミスズタケという笹で、木もれ日のさすブナの森の下草として茂る。


 このように始まった投稿生活ですが、

 テルは投稿を続け、1929(昭和4)年までに512篇の童謡を書く。そのうち約90篇が雑誌に載り、1930(昭和5)年3月に自ら命を絶つ。それまであと6年半である。だがテルがもし金子みすゞにならなかったら、死ぬことはなかったかもしれない。

 帯に「しられざる光と影、自殺の謎とは?」と書いてあります。
 帯に書いてあることは、無視しています。あてにならないことが多いです。
 「テルが金子みすゞになったから、死んでしまったかもしれない」としたら、なぜ金子みすゞが金子テルを死に追いやったのか、というのが大きな主題になります。
 この主題に本書がどう応えているのか、それは実際にお読みなってご確認ください。
 書簡や日記を丹念に読み、当時の交友関係まで広げて文献を求めて調べ上げた労作です。
 才能溢れる女と、それを認めながら、一方で嫉妬してしまう男。愛憎や葛藤が綴られていきます。
 金子みすゞ 26歳の写真が掲載されています。1930(昭和5)年3月9日。死の前日撮られたものでした。

 テルの死から半世紀以上たち、みすゞの詩を探し続けていた児童文学者の矢崎節夫が雅輔から三冊の手帳を受け取り、1984(昭和59)年『金子みすゞ全集』が刊行されることになった。
(略)
 やがて全集は大きな反響を呼び起こした。


 3冊の手帳に清書された512篇の童謡。そして死の前日に撮られたポートレート。
 「詩集を出して欲しい」という遺志を読み取った雅輔でしたが、それが実現するのに50余年の歳月を待たねばならぬのでした。


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 松本侑子氏の『みすゞと雅輔』は、金子みすゞの弟上山雅輔を主人公にして、二人の関係を描いた小説である。
 大正から昭和にかけての時代背景も、巧みに盛り込まれている。文学、音楽、演劇、映画など、この時期の文化的雰囲気がよくわかる。文章が非常に読みやすく、会話には方言も生かされている。

 「事実を基に創作したフィクション」とされているが、史実から大きく逸脱することはない。
 作者は、2014年に発見された上山正祐(筆名・上山雅輔)の日記を丁寧に読み込んだ上で執筆したという。特に注目したいのは、金子みすゞの自殺をめぐる解釈の見事さである。

 金子みすゞの人気は、1980年代に火がついた。
 火をつけたのは矢崎節夫氏である。しかし、矢崎氏のみすゞ論には、昭和末年から平成にかけて流行した個性尊重の価値観が、過剰に投影されている。「あなたはあなたでいいの」「いのちに対する深いまなざし」を語ったとする詩の読み方にせよ、自殺したのは娘を守るためとする説明にせよ、かなり強引な牽強付会が見られる。事実から遊離した、一種の伝説化が行われたのである。

 多くのファンは、美しいみすゞ伝説に気楽に便乗し、自分の思い入れをこの夭折詩人に託し続けてきた。
 あらゆる分野の著名人が、「みすゞさん」への主観的な思いを語っている。しかし、現代人の耳に甘く作られた金子みすゞ伝説は、今後急速に修正されてゆくだろう。小説『みすゞと雅輔』も、この大きな流れの中に位置づけることができる。

 本の帯には、「詩人・金子みすゞはなぜ命を絶ったのか?」とあり、自死が小説の山場であることが示唆されている。
 また、作品の結末の一つ、みすゞのカルモチン自殺が、冒頭部の「序章 電報」に据えられている。

 娘を守るための自死という矢崎節夫説に対しては、既に批判があった。
 本当に幼い娘のことを思う母親なら、何としても生きようとするはずである。「いのちに対する深いまなざし」を詩で語ったとする解釈と、自らの命を絶った行為との矛盾を、矢崎氏はいったいどう説明するつもりだったのだろうか。

 これに対し松本侑子氏は、金子みすゞ自殺の原因を、複合的な環境に求めてゆく。
 敬愛する西條八十が雑誌『愛誦』を辞め、詩を発表する場を失った。創作意欲も減退した。懸隔が生じた夫とは離婚になった。淋病で体調が悪く、健康不安を抱えたまま。育児の重圧。生活苦。そして、唯一の生きる望みだった娘を、元夫に取り上げられることになった。これが最後の一撃となり、夢も希望も尽き果てたみすゞは、幼い子供を残して自ら死を選んだ。作者はこのように解釈している。

 実に真っ当な説明だと思う。
 みすゞの自殺を適切に説明した本が、ようやく現れたのである。矢崎節夫氏が「みすゞのまなざしとは遠い人」として悪く扱った夫についても、先入観なく等身大に描いている。私は、松本侑子氏の解釈が一般化することを心から願ってやまない。

 小説の後半では、東京で華やかな道を歩む弟上山雅輔と、地方で夢破れて死んでゆく姉金子みすゞが、見事な対比を見せている。
 雅輔が身を置いているのは、輝かしく刺激的な、映画や演劇や出版の世界である。古川ロッパ、菊池寛、才能ある俳優や女優たち。姉みすゞの苦境と好対照をなしている。

 方言が生かされていることも、『みすゞと雅輔』の特徴だろう。
 私は広島在住だが、隣の山口県のお国言葉の会話は、極めて自然なものに感じられた。


週刊読書人ウエブ、2017年4月17日
みすゞ伝説の修正を迫る 
夭折詩人とその弟の関係を描いた小説

[書評・評者]西原大輔(広島大学教授、詩人)
http://dokushojin.com/article.html?i=1183

 みすゞの詩は、東日本大震災の後、テレビで流れた「こだまでしょうか」、そして平成に入って教科書に載るようになった「私と小鳥と鈴と」、「大漁」などが知られている。
 拙作『みすゞと雅輔』は、弟の上山雅輔(かみやまがすけ)(本名・上山正祐(うえやままさすけ))から見た、みすゞとその生涯、詩作の背景と情熱を、伝記小説として書いたものだ。
 雅輔は、幼い頃に、金子家から上山家へ養子に出たため、みすゞを姉とは知らず、十代で親しくなる。二人は共に本屋の子であり、文学を語り、愛憎入り混った友となる。
 みすゞが妻となり母となると、雅輔は菊池寛の文藝春秋社に入り、古川ロッパの下で編集者として働きながら、みすゞと文通を続けるが、姉は26歳で自殺する。
 ロッパが役者に転身すると、戦前から戦中は脚本家として「昭和の喜劇王」の舞台を支え、戦後、ロッパ一座が解散すると、劇団若草を主宰し、坂上忍、吉岡秀隆など、5000人の俳優を育てる。

 その雅輔の直筆資料が、彼の没後から25年たった2014年、四国で見つかった。
 現地で調査したところ、みすゞと交遊した1921(大正10)年から最晩年の1989(平成元)年まで、約70年にわたる膨大な日記と回想録があり、3年かけて読解した。
 みすゞの自殺の背景(芥川の自死に影響を受け、結婚前から死に憧れていた)など、多くの新事実が判明した。みすゞの夫の親族、みすゞの娘に会い、知られざる実像もうかがった。
 もっとも雅輔の日記は、一日の細かな行動記録で、心情の記載はない。
 日記は小説にはならず、一つの大きな物語として構築し直し、一人ひとりの心理に思いをはせながら、各場面を小説として立ち上げる作業が必要だった。その過程で意識したことは、新しい角度からみすゞを描く、みすゞと童謡を大正デモクラシーという時代の潮流から捉えることだった。

 みすゞは、作品のイメージから、愛らしい天使のように神格化されがちだが、血の通った一人の女性表現者として捉え直し、人間的な内面に寄り添うよう心がけた。
 そもそも伝記小説を書く意義とは、その人に、今までとは異なる角度から光を当て、その光がもたらす新たな輝きと深い陰影の両方を描き出そうとする試みの中に、あるのではないだろうか。

 もう一点の大正デモクラシー......。
 みすゞと雅輔が多感な十代を過ごした大正中期は、労働者、女性、子どもの権利が謳われ、民主的な思想を背景にして、子どもの個性と感性を自由に伸ばす教育運動が巻き起こっていた。その気運の中で、1918(大正7)年、鈴木三重吉が子どものための芸術的な文芸誌「赤い鳥」を創刊、北原白秋と西條八十が童謡を発表して、大人気となる。

 ちなみに童謡は、わらべ唄とも、唱歌とも違う。
 たとえば「かごめかごめ」はわらべ唄、「蛍の光」は唱歌だ。
 わらべ唄は、口承の古い謡(うた)であり、作詞家も作曲家も不詳だ。
 そして唱歌は、明治以降の政府が、音楽教育のために作った官製の歌だ。「故郷」などの名曲もある一方、国家主義、軍国主義、勧善懲悪の教訓的な歌も少なくない。また「故郷の空」のように、子どもの心ではなく、大人の郷愁と感慨を描くものもある。

 こうした唱歌への批判から、童謡は生まれた。
 国策から離れて、子どもの自由な心と幻想を芸術的に描く詩歌として、早稲田大学出身の文学者たちが中心となり、創作した。
 童謡を載せる雑誌は次々と創刊され、野口雨情、与謝野晶子、若山牧水、島木赤彦、竹久夢二なども童謡を発表する。
 そこに中山晋平、山田耕筰らが曲をつけて美しい歌となり、ますます人気を集めた。今も唄われる童謡のほとんどは、大正時代に、文学者、音楽家、読者、親、教師を巻きこんだ国民的な童謡運動の中で作られたものだ。この芸術としての童謡に夢中になった十代が、みすゞと雅輔だった。

 各雑誌には、童謡の懸賞欄がもうけられ、全国の若い読者が投稿し、白秋、八十、雨情が選にあたった。そこに20歳のみすゞは童謡を送って活字になり、投稿詩人となる。
 だがレコードとラジオの普及により、童謡は読む文芸から唄う音楽となり、雑誌は廃刊、みすゞは発表の場を失う。
 昭和に入ると、戦争へむかう時代と言論統制のために、小さな命の愛しさと哀しみ、子どもの夢や憧れ、空想を描く童謡の精神そのものが色あせ、童謡運動は終焉を迎える。

 みすゞの詩は、1923(大正12)年の初投稿から、亡くなる前年の1929(昭和4)年までに、約90作が懸賞欄に載った。
 落選もあるだろうから、百通以上の葉書を毎月のように出版社に送ったのだ。その燃えるような創作欲、みすゞの詩の深さ、大正の熱い童謡運動、そして自死遺族となった雅輔の再起を、お読み頂けたら幸いである。

 
新潮社、波-E magazine Nami-、書評・エッセイ、2017年3月号
大正デモクラシーに咲いた一輪の花、金子みすゞ
(松本侑子まつもと・ゆうこ、作家・翻訳家)
http://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2017/03/201703_08.php

(注1)映画論では、以下をご参照ください。
岐阜大学公開講座/地域科学部企画「戦争と平和を考えるIV」講義テキスト、2012年9月15日(土)13:00〜14:30
明るい銃後のミュージカル映画――マキノ正博『ハナ子さん』について
内田勝(岐阜大学教授)
https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/uchida/hanako12.html

(注2)松本侑子について、ヤッホ−君のこのブログ、以下の日付けの日記をご参照ください:
★ 2010年04月27日「Anne of Green Gables
★ 2010年04月28日「Parc des Champs de Bataille
★ 2010年06月17日「御殿場、二の岡

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ちいさい秋みつけた

 父、灰田正機はピアニスト、母、灰田由見子は声楽家です。その両親の間に生まれ育った歌手というと、「幼少から音楽の英才教育を受けていたに違いない」と思われがちですが、音楽を強制されたことは全然なかったです。
 小さいころ、父とお風呂に入ると、タイルの溝を五線譜に見立て、お風呂でも使えるクレヨンで音符を描いて歌っていました。その時に音符を教えてもらったくらいです。
 父が教えるピアノの生徒さんが家に来る。演奏会に向けて父が夜中まで練習している。一日中クラシックが家に流れている。自然と私の中にもしみいったのかもしれません。クリスマスや家族のお誕生日は、ちょっとしたミニコンサート。父のピアノの伴奏で私も母も姉も歌うんです。
 もともと、私は引っ込み思案でした。そこで、両親は考えました。何かこの子に表現できるものはないかと。私をよく観察して、歌を歌っている時だけは前に出るということを発見したらしいのです。「この子に歌わせてみたら自分を表現できるんじゃないか」と思ってくれたのがきっかけで、両親は全国童謡歌唱コンクールに応募したのです。その時に舞台の上で歌って、皆が拍手してくれ、喜んでくれる。それが本当にうれしかったと感じたのです。
 もう歌うことしか考えられなくなりました。夢は宝塚に入って歌うこと、NHKのうたのおねえさんになること。そして幼稚園の先生になること。その時に夢が決まり、それ以外に目が行かなかった。
 その頃から作曲家の故・中田喜直先生(注1)に教えていただくようになりました。先生の奥さまからも発声法のレッスンを受けました。「波浮の港」や「夏の思い出」「早春賦」などを歌いました。
 その後は宝塚音楽学校で音大出身の先生について、クラシックの発声を習いました。その時から、子どもの歌からオペラまでと発声の幅が増えたなと感じました。母も声楽家ですのでアドバイスをもらったりもしました。今でも指導を受けています。「のどに力が入っている」とか、「ここはこういうふうに持っていった方がいい」など、いろいろと教えてもらっています。
 たまに私の意見を言ってぶつかることもありますが、やはり母は私をよく知っているので、母の言っていることは全部当たっていますね。
 先日、念願だったCDを出しました。金子みすゞさんの詩に作曲された中田先生は、生前「大人になったら全曲歌ってね。しょうこちゃんの声にとても合っていると思うよ」とおっしゃっていました。それが中田先生と私との最後の約束です。父が弾くピアノの音色と共に、私の歌声が天国にいる先生に届くようにと願っています。
  
<はいだ・しょうこ(注2)>
 1979年東京都生まれ。98年、宝塚歌劇団入団。退団後、NHK「おかあさんといっしょ」で第19代「うたのおねえさん」に就任。今年10月、金子みすゞの詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」をリリース。12月21日にはキリスト品川教会グローリア・チャペル(東京都品川区)でコンサートを開く。個性的なイラストを描くことでも知られる。


東京新聞、2017年10月29日
<家族のこと話そう>
家族ぐるみ歌楽しむ
歌手・はいだしょうこさん

(聞き手・三浦耕喜/写真・高嶋ちぐさ)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201710/CK2017102902000188.html

(注1)中田喜直(1923-2000):

 「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」など誰にでも愛される多くの名曲を残した、作曲家の中田喜直。
 「早春賦」の作曲家・中田章を父にもち、自然に音楽に親しんで育ちました。小学2年生のときからピアノを正式に習い、まもなく作曲を始めます。小学生時代の記念すべき第一作は、西条八十の詩「怪我」に曲をつけたものでした。その後、東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科に進学。終戦後、1947年に歌曲集「六つの子どもの歌」を発表し、本格的に作曲の道に。20代後半には「夏の思い出」「雪の降るまちを」「めだかの学校」といった今なお愛唱される名曲を次々に生み出します。

 中田作品の素晴らしさは、日本語のニュアンスを生かした叙情的なメロディと、ハーモニーを重視した曲づくりにありました。「夏の思い出」も、尾瀬の美しい景色が目に浮かんでくる名曲ですが、彼は尾瀬を見たことがなかったのにスラスラと作曲できたそうです。ところが、そばで聴いていた母親に「ちょっとお粗末なんじゃないの?」と注意され、メロディを大幅に書き直した、というエピソードがあります。数ある作品の中で母親から注意されたのはこの1曲だけ。彼にとっては「母の思い出」とも言える、特別な曲だったのです。

 作曲活動以外に、日本童謡協会会長としても童謡の振興につとめ、またフェリス女学院大教授として長年教鞭をとりました。他に、手の小さい日本人や子供向けの、鍵盤の幅が狭いピアノの普及に尽力。大のたばこ嫌いで嫌煙運動にも精力的でした。彼の旺盛な創作意欲は生涯衰えることがなく、病床でもなお五線紙に向かい童謡を作りつづけたそうです。童謡や歌曲、合唱曲からピアノ曲まで1,000曲以上も作り、親しみやすい名曲を数多く残した中田喜直は、“日本のシューベルト”と言うにふさわしい作曲家でした。


おんがく日めくり
8月1日 作曲家、中田喜直誕生
1,000曲以上も作った、日本のシューベルト

http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20000801

 1本のハゼの木が、東京都文京区の礫川公園に立っています。中央の幹は切り株となって、その周囲から5本の枝が天に伸びています。
 この木は8年前まで、約2キロ離れた同区弥生のある家の庭にありました。家の主は詩人のサトウハチロー(1903〜73)でした。
 1955(昭和30)年の秋、ハチローは1階の書斎の床に敷いた万年床に寝そべったまま、西向きの窓を見上げました。目に映ったのは、夕日を浴びて深紅に染まるハゼの木の葉でした。この年の秋は寒気の訪れが早く、陽光に透けた葉の赤色が鮮やかだったといいます。
 ハチローはNHKから11月3日の放送芸能祭に発表する歌の作詞を依頼され、「大人も子どもも歌える叙情歌を書きたい」と考えていました。「全山紅葉の秋でなく、我が家の小さな庭にしのびよる秋を書こう」とも思っていました。このハゼを見たのは、そんな時でした。
 そして作ったのが「ちいさい秋みつけた」です。中田喜直(1923〜2000)が曲をつけました。「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた/ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた」という、あの曲です。その年の文化の日、13歳の少女歌手伴久美子の声でこの曲はNHKラジオで流れました。放送はこの1回きりでした。
 ところが、ラジオを聴いて「背筋に電流が走った」ほど感激した人がいました。キングレコードのディレクターだった長田暁二さん(79)です。ライバル社のコロムビアの専属だったハチローがフリーになるのを待って、長田さんは62年にレコード化の話を持ちかけました。
 LP向けに長田さんが声をかけたのは、早稲田大学グリークラブから生まれた4人組ボニージャックスでした。ソロをつなげる形で歌うボニーの「ちいさい秋みつけた」は、62年のレコード大賞童謡賞を受賞しました。この半世紀以上、ボニーがこの歌を歌わなかったステージはないといいます。
 ハチローが住んだ弥生の旧宅は、大通りから100メートルほど入った静かな住宅地にありました。近くに東大農学部の林があり、かつてはモズなど鳥の鳴き声が響いたそうです。今、旧宅跡の半分は別の家が立ち、残る半分は駐車場になっています。旧居と小路を挟んだ隣家を訪ねると、出てきた男性が、こんな思いがけない言葉を口にしました。
「あの歌の『誰かさん』って、私のことですよ」

 
朝日新聞、2009年12月4日
誰かさんって誰? 「ちいさい秋みつけた」
サトウハチロー作詞、東京都文京区

http://www.asahi.com/shopping/tabibito/TKY200912040297.html

(注2)はいだ しょうこ(1979年生まれ)

公式ブログ:
https://ameblo.jp/haidashoko/
ありのままで:
https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=DYYLJlV9beg
われは海の子 夏は来ぬ他:
https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=n-JjOJZ-CVo

https://www.youtube.com/watch?v=ps6_WpOVX7Y

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2017年10月30日

"#Metoo" hashtag

Thousands of people took the "Me too" online campaign against sexual harassment and assault started by the Harvey Weinstein affair onto the streets of France Sunday.

In Paris, the mostly female demonstrators in Republique square waved placards bearing the "#Metoo" hashtag used by tens of thousands of women in the past two weeks to share accounts of being pestered or abused.

"Metoo by a colleague", read a sign carried by one woman. "Metoo by a fellow activist" read another.

Similar gatherings were also held in Marseille, Bordeaux and Lille, among other cities.

According to Paris police, 2,500 people turned out for the rally in the French capital.

Elsewhere the numbers were smaller, with one or two hundred turning up for each march.

The rallies were organised by freelance journalist Carol Galand, who said she wanted to ensure the campaign to end sexual violence and harassment of women went "beyond social media buzz."

Margot, an 18-year-old waitress demonstrating in Paris, told AFP that she had been molested by a male colleague in work.

When she brought it up with a superior she was told it was simply "his way of communicating".

In Bordeaux, a young woman said she had remained silent about being drugged and raped at a party at the age of 15.

"You don't talk about it because you don't want it to cause a ruckus in your family," she said.

French feminists have said they believe the #metoo campaign could mark a turning point on attitudes towards sexual predation in a country long seen as soft on the issue.

Polanski back in spotlight

The campaign began in the US in response to the plethora of abuse allegations against film mogul Harvey Weinstein and was quickly copied in France, where many women used the #balancetonporc (expose your pig) hashtag to share tales of harassment.

Since it started, several prominent figures have been targeted in French assault claims, including a lawmaker in President Emmanuel Macron's party, a judge on France's equivalent of "America's Got Talent" and renowned Oxford professor Tariq Ramadan, a leading lecturer in Islamic studies.

Franco-Polish filmmaker Roman Polanski, who is wanted in the US for the statutory rape of a 13-year-old in the 1970s, has also been hit with new abuse claims.

Swiss prosecutors are investigating new rape allegations against Polanski made by a Swiss woman -- bringing to at least four the number of people who have publicly accused him of assault.

Feminist groups plan protests on Monday outside a Paris-based film archive where is scheduled to attend the launch of a retrospective of his work.


[photo] A protester at a demonstration against sexual harassment in Paris on Sunday October 29, 2017.

[video] by AFP

France 24, Latest update : 2017-10-30
Thousands take to the streets of France against harassment
(AFP)
http://www.france24.com/en/20171030-me-thousands-take-streets-france-paris-protest-sexual-harassment-weinstein

THE #MeToo campaign has seen an unprecedented outpour of personal statements and uncomfortable confessions on social media. While this movement is growing to stratospheric proportions, what will it achieve, and for whom?

Sexual harassment and abuse, a horrible notion. Nobody should have to endure it, nobody should be allowed to inflict it, nobody should stand by in silence. Yet, the reality is different, we all knew this long before Harvey Weinstein and his casting couch got called out.

The #MeToo movement has certainly been an eye-opener for many, men and women, young and old, internationally and in Malaysia, too. It is the power of social media at its best.

However, as commendable as social media platforms may be, they are flawed. For one, this medium of global communication is very fast paced. The next scandal is waiting to erupt and flood our timelines, and while we all agree that something, many things need to change, we are one step away from being swept up by a wave of indignation at yet another social injustice and outrage.

Also, social media movements, and #MeToo is no exception, present themselves without a codified manifesto, without parameters or mandate. They risk missing the mark entirely and, therefore, render the whole exercise frivolous.

How do we classify sexual harassment and abuse? Who has a rightful claim to the #MeToo sisterhood? Does the lady who got catcalled while passing a construction site in broad daylight have the same due, the same weight, for lack of a better word, as the girl who was gang raped for hours by five men in a dark alley? Is the telling of a joke of poor taste as predatory as the gruesome groping by a trusted uncle?

The fact that millions came forward to join the movement worldwide certainly shows the magnitude of the issue. The nobility of the people posting the hashtag is not to be questioned, what it will achieve on the other hand, is.

Many groups, reputable and otherwise, have taken up that torch to make it their own, to imply that every woman has been sexually harassed, or worse, at least once in her life. To declare that everyone who states otherwise is either in denial or too scared to come forward, a traitor of sorts to the noble cause. They also imply that every man is a potential or active perpetrator.

When a movement like this takes a life of its own, when it serves many masters and none, it risks ending up doing more harm than good, as well-meaning as it may have been at its start. It risks putting rape on the same level as catcalling, trivialising certain experiences and alienating the very people it was supposed to legitimise.

There are far too many victims of sexual harassment and assault for this outcry to be hijacked by some who follow a different agenda, and ultimately, wilfully or not, dilute the issue in a bid to promote a culture of victim-hood, helpful to no one at all.

The short-lived nature of social media attention is kept alive for a fleeting moment more
with spinoffs like #ihave or #HowIWillChange, posted by men confessing some inappropriate behaviour. Again, certainly a well-meaning effort to be part of a solution, but also a counterproductive one, adulterating the gravity of the issue. The raw emotions set free by this campaign only resonate with minor offenders and those who were already appalled before, leaving the monsters unrepentant and unapologetic.

Can we mend a broken past? No. Can we make sense of a broken present? Maybe. Hopefully.

Can we work towards a better future, a society less hostile to women? Or better yet, a culture of protection and encouragement of anyone at the wrong end of a power imbalance?

As with so many scourges of society, a better future starts with parenting. No one wants to raise the next generation of #MeToo’s. Cultures based on strict hierarchy, as, I am sorry to say, my beloved host country Malaysia, are at particular risk.

Parents need to lead by example, cultivate meaningful and respectful relationships with both genders, with their seniors and their juniors, with superiors and employees, staff and maids.

Instead of competitiveness, parents can choose to prioritise empathy among siblings at home, among friends on the playground.

They may demonstrate and discuss consent within the family. Children, both boys and girls, need to be empowered, granted the right to refuse a kiss or a hug from a relative with impunity.

Parents can choose to be silent bystanders or engaged members of society.

If nothing else, the next generation needs to be taught respect for their fellow humans. For all their fellow humans.


New Straits Times, Published: October 30, 2017 - 11:06am
What will #MeToo achieve?
By FANNY BUCHELI-ROTTER
fannybucheli.rotter@gmail.com
The writer is a long-term expatriate, a restless traveller, an observer of the human condition, and unapologetically insubordinate
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2017/10/296948/what-will-metoo-achieve

IN the past few weeks social media has been abuzz with allegations of sexual misconduct by disgraced Hollywood film producer Harvey Weinstein.

More than 40 women have accused him of sexual harassment and assault, and rape, including actresses Rose McGowan, Gwyneth Paltrow and Cara Delevingne, and ex-Weinstein Co production assistant Mimi Haleyi.

In the wake of these accusations, actress Alyssa Milano popularised the hashtag #MeToo on Twitter and encouraged women across the world to talk about their experiences of sexual harassment and assault to boost awareness and bring attention to the scale of the problem.

Millions of women all over the world responded, and the hashtag started trending and going viral on social media platforms.

I must admit that it broke my heart to see so many status updates from family and friends on my newsfeed, all with the hashtags and accompanying stories of their horrible experiences. It was awful knowing that so many women had been put through such trauma.

It took me a while to decide to share my story. I knew I had to do it because I want it to be a lesson for other women. I don’t want anyone else to experience what I went through all those years ago.

I was 17 at the time and I needed to have a traditional costume tailor-made for a cousin’s wedding. My mother and I headed for a small shopping mall in Kuala Lumpur, as a friend had recommended a tailor who was working there. But, when we got there we found out that she was no longer there. So, we were forced to look for another tailor.

We went into a shop and a man welcomed us. After looking at the material that we had brought, he told my mother to head to another shop down the corridor to buy extra cloth.

He said he would take my measurements in the meantime. We didn’t suspect anything amiss as he seemed pleasant and the shop was out in the open where there was a steady stream of passersby.

The moment my mother was out of sight, he took out his measuring tape and started taking my measurements. A short while later, I realised that his hands were hovering over my inner thighs a little longer than necessary. Then, he placed his hands on my privates and also fondled my breasts. No measurements were taken, because I suppose that wasn’t what he had planned on doing. As embarrassed as I am to admit this, I was too stunned to move or say anything. I felt a strange terror envelop me and suddenly I couldn’t utter a single word. I simply stood there frozen in fear.

When my mother returned, he started taking measurements for real and made notes in his book. I didn’t dare to look at my mother as I was afraid that I’d burst into tears.

After we left the shop, my mother realised that I was silent, which was quite abnormal.

She knew something was wrong, and forced me to spill the beans. I started crying and told her what happened. I could see the rage in her eyes. I had never seen her that livid before. She called my father and brother, who were in the area, and told my father to take my brother and I to a cafe nearby. She said she would meet us there later.

When she showed up about 20 minutes later, her hands were heavily bruised but she didn’t utter a word about what had happened. It was years later that I realised she had gone back to the man’s shop. My mother had stood up for me when I wasn’t able to do it myself. I was too ashamed to talk about it before, but not anymore. To all the women out there who have been or are being sexually harassed, do not live in fear. Speak up. Tell your story to the world. Maybe it will help someone out there who is too afraid.


New Straits Times, Published: October 29, 2017 - 9:35am
Global problem: Me, too, and it is not okay
By ASHLEY GREIG
ASHLEY GREIG , a lecturer at Sunway College, is a Malaysian-born Eurasian with Scottish/Japanese/ Indian lineage who believes in a tomorrow where there is no racism and hatred
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2017/10/296494/global-problem-me-too-and-it-not-okay

The hashtag #MeToo might draw attention to sexual violence, but will it make men stop?

#MeToo, of course. But more like; #metooandeveryoneIknowonadailybasis.

Last week, #MeToo posts blew up all over Twitter as actor Alyssa Milano encouraged women to share their personal stories of sexual harassment and more women accused US producer Harvey Weinstein of sexual assault and harassment.

To witness a global community of female solidarity take place online was empowering and goosepimple-inducing, but it is important to continue this conversation in real life, with each and every man we know, in order to initiate the kind of change all women have been hoping for.

Women, after all, have been making a fuss about sexual assault for years. Activist Tarana Burke coined the “me too” phrase more than a decade ago to support women of colour surviving sexual abuse, and, in the UK, Reclaim the Night marches were started in 1977 by the Leeds Revolutionary Feminist Group, four years after Rape Crisis organisations were set up in England and Wales.

But if we had all been listened to and if there was no work left to do, the 2017 campaign would have fizzled out after a few celebrity-led tweets. Instead, Twitter reported that the hashtag was shared nearly a million times in 48 hours. On Facebook, the comments and reactions totalled more than 12m in 24 hours.

The campaign took off because it is real. It draws attention to sexual harassment at every level. It is not just glamorous women and Hollywood stars, it is your sister’s teenage mate, your co-worker, your best friend. It is happening every day and now. And no, we are not always referring to incidents so horrendous that women are rendered incapable of ever leaving the house again (although sexual harassment is often dangerously perceived as existing within a hierarchy of seriousness), but we are pinpointing a culture in which to verbally or physically sexualise a woman – as she is going about her daily business, when she is with children or friends, or when she is alone – is entirely normal.

Because of this online campaign I will be asking my younger brother and my male friends and colleagues how they really behave on nights out, what they would do if they saw something inappropriate, and what they think constitutes sexual harassment. You should, too. Because women know that this kind of stuff has been going on for years, and it is time that the men closest to us understood the extent of it, so our collective anger can be used to force a shift in the gender paradigm.

I don’t have the space to rattle off the countless instances of sexual harassment that have involved me and the women I know, so I will limit myself to some of the most terrifying ones, in which I remember being fully terrified of the uneven power dynamics at play when we have been backed into a (literal or metaphorical) corner.

The time in a bar in which I was shoved in the chest by a guy who was incensed I hadn’t told him my name after he’d come over to talk to me “in front of his friends” (he grew so aggressive I had to ask the manager to help me and my friend escape out the back exit).

The friend who was recently touched up by a manager at work and is still too terrified to report it. Another, who was asked out repeatedly by a married colleague while she was training him at work. The food delivery man who, each time he comes to my house, manages to elevate his once tolerably sleazy compliments to those that are now just creepy.

And no, it is not “all men” – not the ones we know, who are kind and empathetic, and who listen to us. But the ones who frown and flinch with anger when we recount what has happened. Those who try to silence or shush us with comments about our overactive imaginations or so-called provocative behaviour.

Sexual harassment percolates like a poison into my life and into the lives of all the women I know; it is an insidious encroachment into our existence. It is the white noise we cannot drown out. And it won’t stop until men pledge to change a global culture of sexual entitlement, alongside us.


[photo] #MeToo posts blew up all over Twitter as actor Alyssa Milano encouraged women to share their personal stories of sexual harassment.

The Guardian, Published: Saturday 28 October 2017 06.45 BST
#MeToo is here to stay. We must challenge all men about sexual harassment

The hashtag campaign against sexual violence demands all women tackle men they know – brothers, friends, colleagues – about their attitudes and behaviour

By Georgina Lawton
https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2017/oct/28/metoo-hashtag-sexual-harassment-violence-challenge-campaign-women-men


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Hashtag

OVER the past few days, social media, and in particular Facebook, has been flooded with the MeToo hashtag or #MeToo.

For those not in the know, #MeToo is an avenue for women all over the world to show that they have experienced some form of sexual harassment or assault. This followed the news that Harvey Weinstein, a powerful Hollywood mogul, had been expelled from the Academy of Motion Picture Arts and Sciences over multiple abuse allegations.

Social media then came alive with #MeToo to show that sexual abuse is far more common than we think or know.

For me, it has been extremely disturbing, alarming and shocking to see many people I know sharing their stories at #MeToo. These people include former colleagues, close friends, cousins and acquaintances from various countries. These are people who have not given any thought to the fact that they have been sexually abused or assaulted. They have kept their silence – until now.

What is even more shocking, however, is the sheer number of people linking up with the #MeToo hashtag. One has to wonder as well how many women have been sexually abused or harassed who still don’t want to talk about their ordeal.

I applaud all the women who are standing up and breaking their silence through the #MeToo hashtag. I applaud even more the women who are giving examples of how they have been harassed and assaulted so that other women, and men too, will know it is not right.

There are many forms of sexual harassment. Even leering at women and making unwanted suggestive comments can be considered harassment. Catcalls and lewd language directed at women are the simplest forms of harassment.

While the common understanding of sexual assault is rape or molest or unwanted touches, it doesn’t always have to be physical. It can sometimes be mental and emotional, such as when the woman is made to feel inferior or subservient to the man. Even something as simple as an unwanted kiss among friends can be a form of sexual harassment or assault.

The accounts I read on the #MeToo hashtag include girls/ women being touched on trains or public transport, groped by boys at school (there is one of boys who kept snapping a girl’s bra), and fathers, uncles and other family members touching their daughters, nieces and even sisters.

It is very easy to ask why these girls or women didn’t say anything before. It could be because they didn’t know any better and thought that it was normal.

I am reminded of American talk show host, actress, producer and philanthropist Oprah Winfrey who said she was raped when she was nine. She said she didn’t know it was wrong and thought that was the way it was. Sadly, many women and girls go through life thinking that their abuse, assault or harassment is normal.

I admit that after looking at the broad picture, I too am guilty. While I have always prided myself in being a man who respects women, I too have had instances when I have made lewd comments and used suggestive language at women and excused it as being part of good fun.

There are times when a bunch of male friends gather together and talk suggestively about female friends. Again, we think it is in good fun. Now that I realise this could be taken the wrong way, I think I could have unknowingly harassed someone. For this, I apologise unreservedly and will try to be more sensitive. There is really no excuse for this behaviour.

For those of us who have daughters, we must teach them to be strong, resilient, and to know what is good and right and what is wrong. We must teach them to stand up to boys and to say no to protect their chastity and their sexuality, and to be comfortable with their sexuality as well.

We also need to teach our boys to respect and value women, and not to treat them as a plaything or object. We must teach our sons that women are equal to men and should be treated well at all times. If men respect women and always treat them well, there would be less harassment and abuse.

Let’s start today to make a difference. Let’s teach our sons to value, respect, honour and cherish women. Today, I stand with all the women who shared their experience in the #MeToo hashtag and pray that harassment and abuse will one day be a thing of the past.


Letter to The Star, Published: Thursday, 19 Oct 2017
MeToo hashtag an eye-opener
By DHARM NAVARATNAM
Kuala Lumpur
http://www.thestar.com.my/opinion/letters/2017/10/19/metoo-hashtag-an-eyeopener/

 ハッシュタグって知ってますよね、あれ、あれ、#
 10年前なんだって、あれは、何がって、あれ、#
 マレーシア紙からニューヨークタイムズ紙へ飛んで:

In March 2007, Chris Messina was among the many in Austin, Tex., sending tweets from what was then a relatively obscure conference called South by Southwest.

At the same time, his friends in San Francisco were getting annoyed as their Twitter feeds filled with messages about a gathering they had deliberately chosen not to attend.

So in the months that followed, Mr. Messina and others tried to figure out how to make the emerging social media platform more useful. How, they wondered, could they create a signal so that users could see only the tweets they were interested in?

Some advocated the creation of a Twitter forum. But Mr. Messina wanted to create something even simpler. Another chat platform was using pound signs to denote channels, and that gave him an idea.

On Aug. 23, 2007 − 10 years ago today − he sent a tweet asking Twitter users what they thought about adding a pound sign before a topic like “#barcamp” − another event popular among people in the technology industry.

It was “the simplest idea that could work,” Mr. Messina, 36, a product designer from San Francisco, said in a telephone interview on Tuesday. It gave people a tool, he added, that would enable them “to participate in a powerful way on social media.”

A decade later, an average of 125 million hashtags − as those pound signs came to be known − are shared every day around the world on Twitter, the company said. Indeed, Mr. Messina had given birth to a tool that would infiltrate our vernacular, aggregate conversations and, yes, fill screens with unnecessary, meaningless garble.

Hashtags have proven most useful for filtering conversations about events exactly like South by Southwest. Take the Super Bowl, for instance, which Twitter said is the most tweeted sporting event hashtag in the United States; or consider how hashtags help you find photos from your friend’s wedding − or even let you see the best shots of a hugely hyped eclipse.

To be clear, you don’t need to use hashtags to conduct a filtering search on Twitter. And if millions of people are tweeting about a new Star Wars trailer, all at the same time, the odds that your tweet will surface and find a huge audience are minuscule.

But Robert Hernandez, a digital journalism professor at the University of Southern California, said “there is still something wonderful” about watching a community come together in real time “only because of a hashtag.”

Mr. Hernandez pointed to #yesallwomen, which allowed hundreds of thousands of strangers to discuss violence against women and reveal their anger and horror about abuse and sexism.

Mr. Messina cited #blacklivesmatter as an example of a hashtag that is “powerful and necessary.”

He doesn’t think badly of people who use #ROFL to denote “rolling on the floor laughing.” That person is “trying to express something,” he said, and you have to take the good with the bad.

Mr. Hernandez is also a fan of hashtags; he’s a co-founder of a weekly Twitter forum about online journalism called #wjchat. But he acknowledged that they can grate and irritate.

“Like anything that becomes popular − especially if it was organic and grass roots − corporations take it over and incorporate it into marketing,” Mr. Hernandez said. People are unlikely to use hashtags created by brands, he added, no matter how much they are promoted.

He pointed out another issue too. “I’m sure there are countless hashtags that only one person has tweeted on,” he said, which creates a sort of “hashtag pollution.”

Getting a large group of people to do the extra work of adding a hashtag was hard at first, Mr. Messina said. But sometime around 2010, grass-roots organizers with the Tea Party movement began using hashtags to streamline their messages, which he credited with helping the form take off.

Some time later, Instagram took on the hashtag and gave it additional utility. Today, hashtags are used widely on the platform to label photos so that more people see − and like − them.

It’s quite the shift from the days when Mr. Messina − Twitter user #1186 − considered the possibility of what he called “tag channels” demarcated by “the hash (#) character.”

“I’m super gratified at how many people actually use it for all kinds of purposes,” said Mr. Messina. “It’s giving humanity a way to express themselves − as incoherent as it may be.”


The New York Times, Published: AUG. 23, 2017
As the Hashtag Celebrates Its 10th Birthday, Are We #Blessed?
By MATT STEVENS
https://www.nytimes.com/2017/08/23/business/hashtag-anniversary-twitter.html

 ツイッターは2017年10月27日、日本国内の月間アクティブユーザー数(MAU)が10月に4500万人を突破したと発表した。昨年9月(4000万人)から1年1カ月で500万人増えた。

 アクティブユーザーとは、サービスを実際に使っている人の数。

 ツイッターは2011年3月に日本にオフィスを開設。当時の国内MAUは670万人だった。東日本大震災など自然災害の際の安否確認や、新年の「あけおめ(明けましておめでとう)ツイート」に使われるなど、日本人の生活に定着している。利用者の規模が大きくなったが、今年初めてJRの電車内広告やテレビ広告を打つなどさらなる成長を目指している。

 他の主要なソーシャルサービスの国内MAUは、LINEが7100万人(17年9月末)。フェイスブックが2700万人(同3月)、インスタグラムが2000万人(同10月)。


毎日新聞、2017年10月27日14時51分
ツイッター
国内利用者4500万人に

(尾村洋介/統合デジタル取材センター)
https://mainichi.jp/articles/20171027/k00/00e/040/370000c


 
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お〜いお茶

A British schoolgirl inspired by an autumnal stroll across a newly mown lawn has become the first non-Japanese person to win a prestigious haiku competition.

Gracie Starkey, 14, from Gloucestershire, beat more than 18,000 entries to take the prize in the English-language section of the contest organised annually by a Japanese tea company.

Starkey flew to Tokyo to pick up her prize, telling friends she was off on holiday to a remote spot in Wales because she had to keep her win secret.

The teenager was given the task of writing a haiku after a poet led a Saturday morning workshop at her school, Wycliffe College in Stonehouse, Gloucestershire, where she had been learning Japanese.

As she and a friend took a walk after the workshop, grass cuttings stuck to her footwear and the haiku came to her:

Freshly mown grass
clinging to my shoes
my muddled thoughts
(直訳)刈りたての芝生が
靴にくっつく
まとまらない私の考え


Her poem – a non-traditional form that does not follow the classic five-seven-five syllable pattern – was entered into the competition organised by the multinational Ito En, first held in 1989. For the first 27 years the English-language section was won by Japanese people.

Two million people take part in the competition and this year there were 18,248 entries in English. The English category was judged by the haiku poet Tsunehiko Hoshino and Adrian Pinnington, an expert in Japanese literature based at Waseda University in Tokyo.

Pinnington said of Gracie’s entry: “This is a very unique and fresh poem. The author is walking across a freshly cut lawn and some grass gets on to the bottom of their shoes.

“The subtly differently coloured blades of grass create a random pattern. Thinking about life while walking across the lawn, the author comes to think of it as reflecting their own complicated thinking. The expression ‘muddled thoughts’ is especially skilfully used.”

Gracie said she was amazed when she heard she had won and had been invited to Tokyo.

“I could only tell my mum and dad and sister and my Japanese teacher at Wycliffe College,” said Gracie. “I told my friends that I was going to Wales for a week and that I wouldn’t have any phone reception.”

When she arrived at the Imperial Palace Hotel for the ceremony, Gracie was swamped by press photographers and camera crews. “Everyone was taking pictures and there were at least 20 camera crews and photographers. It was amazing.”

As well as winning the trip, Gracie’s poem was rendered by a famous calligrapher, and she received a cash prize. Most thrillingly, her poem is being reproduced on thousands of bottles of green tea.

Gracie and her Japanese teacher at Wycliffe, Satoko Suzui, gave a speech at the ceremony explaining the inspiration for her haiku. “I spoke a little in Japanese explaining who I was, my age and about my school and friends, then I spoke in English with my teacher translating,” Gracie said.

Previously she had little interest in poetry. “This has certainly made me more interested in poetry and in Japanese culture.”


[photo] Gracie’s haiku on a bottle of green tea.

The Guardian, Last modified on Saturday 2 September 2017 08.59 BST

British schoolgirl named first non-Japanese winner of haiku contest

Gracie Starkey collects prize in Tokyo after her grass poem is chosen from more than 18,000 English-language entries

By Steven Morris
https://www.theguardian.com/uk-news/2017/sep/01/british-schoolgirl-named-first-non-japanese-winner-of-haiku-contest

(作者、Gracie Starkey 13歳より)
 日本語学習の時間に英国人の俳人の方が来られ、ワークショップを開催しました。
 俳句のテーマを探すために皆で外に行き校庭を散策することになりました。
 俳句づくりは初めてで、どんなことを書いてよいかも分からず、どうしようかと友だちと話しながら芝生を歩いていた時、ちょうど靴に芝が付いていたので、そんな状況を俳句にしました。

(選評)
 とても斬新で鮮やかな句です。
 通り雨が降ったあとに、刈られたばかりの芝生の上を歩くと、芝が靴底に貼りついてくる。
 一本一本微妙に異なる緑色をした芝は、靴底でランダムなパターンを描く。
 芝生の上を歩きながら人生の出来事について考えていた作者は、ふと、靴底のパターンに気づき、それが自分の複雑な考えを反映しているように思えてくる。
 “muddled thoughts”(まとまらない私の考え)という表現はとりわけ巧みです。

第二十八回 お〜いお茶、新俳句大賞
英語俳句の部

https://www.itoen.co.jp/new-haiku/28/gaikokugo.php

 ティーンエイジャーについての9月のイギリス・ガーディアン紙の記事でした。
 これが今月に入ってこんなのが飛び込んできました。
 例の「選別と排除」の論理で、みんな違ってみんないいが消えかけている日本、
 政治団体から頑丈なタテ社会である組織までもうそんなん、仕事する会社でも、
 合わない人は不適格者、不適合者の烙印押されて、周りからはいじめられたり、
 バッシング受けて、うつ病だのなんだのってココロの病を発症するはめになる、
 そうはうすうす思っていましたが、今や学校生活にまで入り込んできています:

A teenager in Japan has taken local authorities to court after her school told her to dye her hair black or face exclusion.

The 18-year-old, who has naturally brown hair, is seeking 2.2m yen (£14,700) in damages from the Osaka prefectural government in western Japan due to anguish caused by repeated commands to colour her hair black.

The student, who has not been named because she is considered a minor, says multiple applications of dye have damaged her hair and caused rashes on her scalp.

Her mother told teachers before she started attending Kaifukan high school that her daughter had been born with naturally brown hair and so was not breaking a school rule requiring all students to have black hair.

However, teachers instructed the student to dye her hair black or face expulsion, and made her colour it again when it still contained brown tinges, according to Japanese media reports.

School staff told her mother they would even ask foreign exchange students with blond hair to comply, according to Kyodo News.

The student has not attended classes since September last year and says she is suffering from pain and irritation caused by the hair dye.

The prefectural government has asked the court to reject the claim.

The case has drawn attention to the strict dress codes imposed by many schools in Japan, from directions on hair colour to bans on makeup and jewellery and the requirement that students’ skirts be of a certain length.

This year a survey of high schools in Tokyo found that almost 60% asked students with lighter hair for proof that it was naturally that colour. Ninety of the 170 schools surveyed by the Asahi newspaper said they asked students to provide photographs of themselves taken when they were infants or attending junior school to prove they had not coloured their hair.

Masahiko Takahashi, Kaifukan’s headteacher, declined to comment on the case but acknowledged that the school also prohibited students from colouring or bleaching their hair. He did not say whether dyeing brown hair black was a breach of that rule.


[photo] The 18-year-old complainant, who has not been named, has naturally brown hair.

The Guardian, Last modified on Friday 27 October 2017 22.00 BST

Japanese student sues over school's order to dye hair black

Teenager says multiple applications of dye to her naturally brown hair have caused rashes on her scalp

By Justin McCurry in Tokyo
https://www.theguardian.com/world/2017/oct/27/japanese-student-sues-over-schools-order-to-dye-hair-black

渡部真
女子高生の地毛を黒髪に染めさせた高校の教頭が、癖っ毛かパーマか知らんがクルッとした髪型で、白髪で、ハゲかかってるんだが、学生に強要する前に、この教頭の髪にストパーかけて、毛を黒く染めて、増毛させなくて良いのか?
7:13 - 2017年10月27日

江川紹子
地毛が茶色い生徒の髪を無理矢理染めさせたり、修学旅行に参加させないという行為はよくなかった、くらいのことを、自分の頭で判断できないのか……
19:08 - 2017年10月27日

「頭髪生まれつき茶色」
 頭髪が生まれつき茶色いのに、学校から黒く染めるよう強要され精神的苦痛を受けたとして、大阪府羽曳野市の府立懐風館(かいふうかん)高校3年の女子生徒(18)が約220万円の損害賠償を府に求める訴えを大阪地裁に起こした。27日に第1回口頭弁論があり、府側は請求棄却を求めた。生徒は昨年9月から不登校になっており、「指導の名の下に行われたいじめだ」と訴えている。
 訴状などによると、生徒は2015年4月に入学。中学時代に黒染めを強要されて嫌な思いをしたため、母親は「高校では同じことがないよう配慮してほしい」と伝えていた。
 しかし、学校側は生徒の入学後、1、2週間ごとに黒染めを指導し、2年の2学期からは4日ごとに指導。度重なる染色で生徒の頭皮はかぶれ、髪はぼろぼろになった。教諭から「母子家庭だから茶髪にしているのか」と中傷されたり、指導の際に過呼吸で倒れ、救急車で運ばれたりしたこともあった。文化祭や修学旅行には茶髪を理由に参加させてもらえなかった。
 生徒は昨年9月、教諭から「黒染めしないなら学校に来る必要はない」と言われ、それ以降は登校していない。高校は今年4月、生徒の名前を名簿から削除。他の生徒や保護者には、退学したと虚偽の説明をしたという。
 学校側は生徒の代理人弁護士に「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」と説明している。

 府教委高等学校課と同校は取材に、「係争中なので答えられない」と話している。【遠藤浩二】

地毛登録制度導入の学校も
 複数の大阪府立高校では、頭髪が生まれつき茶色い生徒に誤った指導をしないように、「地毛登録」と称する制度を導入している。登録自体を問題視する声もあるが、府教委は「導入は各校に任せており、実態は把握していない」としている。
 ある府立高では、約10年前から制度を始めた。地毛が茶色い生徒は入学時に色合いを計測し、数値化して登録し、色の変化がなければ指導しないという。1学年に10人ほど登録する生徒がおり、校長は「生徒の人権を守るためにも制度を続けている」と話す。
 訴訟を起こした女子生徒の母親は入学時、「地毛登録制度があるなら申請したい」と訴えたが、懐風館高校は導入していなかった。
 東京都でも、都立高校の一部が「地毛証明書」を提出させ、頭髪の色が生まれつきかどうかを確認している。幼少期の写真を求める学校もあるといい、都教委は7月、「届け出が任意であることを、生徒保護者に明確に伝える」ことを全191校に通知した。


毎日新聞、最終更新10月27日11時41分
損賠訴訟
「髪染め強要で不登校」高3、大阪府を提訴
(遠藤浩二)
https://mainichi.jp/articles/20171027/k00/00e/040/327000c

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2017年10月29日

衆院選と台風一過のあと、いろいろ雑感

 さて、橘和希の次にヤッホー君、ご登場願いたかった歌い手さんがおります。
 八木啓代(やぎ・のぶよ、1962年生まれ)!
https://www.youtube.com/watch?v=fjlqsaKHedM
https://www.youtube.com/watch?v=00VHw7_tmxw

 八木啓代は、ツイッターのプロフィルで自身を次のように記しています:
 立てば歌い手、座れば作家、歩く姿は放浪者。
 座右の銘は「敵もできないような無難な人間になってはいけない」 Cantando se recrea esta mujer.
 この人何なの?と思われた場合は、とりあえず名前をググってください。Wikipediaなどに項目があります。


 次のようにつぶやいていました(19:15-2017年10月28日):
 ありゃまあ、2015年の記事を読んだら、今回の民進党分裂騒ぎがなぜ起こったのか、クリアにわかってしもたわ。
 リテラ、軽く見ててごめん。

(2015.11.22付けリテラ「民主解党を画策の前原、細野、長島の本音は安保法制推進! 背後に米国ジャパンハンドラーとの癒着」、後記) 

 また公式サイトは「Nobuyo Yagi」:
http://nobuyoyagi.com/

 公式ブログは「八木啓代のひとりごと、ラテンアメリカと日本を拠点に活動する音楽家・作家 八木啓代の独り言〜今日の料理から政治まで」:
http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/

 このブログで1週間前の衆院選投票日の出来事をこんなふうに振り返っていましたぁ〜:
 台風一過。
 で、東京には青空が広がって、私はお洗濯です。

 今回の選挙、投票率は低かったと報じられましたが、台風と重なったということを考えたら、それほどでもなかったのではないでしょうか。
 期日前投票は最高を記録したようですし。
 ちなみに、私も期日前投票に行ってきました。

 で、蓋を開けたら、それは開票前の予測で、ある程度わかっていたことですが、自民がほぼ同数を維持し、希望の党が大苦戦、立憲民主が野党第一党という結果になりました。
 この結果については、すでに多くの方が論評されておりますので、あえて私も、論評めいたことは長々書きません。

 ただ、かなり早い段階でツイートもしていましたように、希望の党は、本質的な意味での野党ではなく、小池さんははじめから自民と連立するつもりだったと思います。
 参議院が自公多数なので、たとえ衆院で圧勝したところで、今回で政権交代になるわけがないのですから、そういう意味では、若狭氏が馬鹿正直に漏らした「次の次」というのは、そのとおりなわけです。

 ただ、大勝した希望の党が自民と連立を持ちかければ、連立政権での小池百合子総理誕生は可能だったわけで、しかも、安倍氏と小池氏の新自由主義(格差容認)+改憲(国民の管理強化)という本質的な政治志向は同じなわけですから、小池さんは、ぎりぎりまで都知事という権力の座を保持しつつ、土壇場で風向きを見て、待望論を受けての出馬という形での、その可能性は狙っていたと思います。

 だからこそ、民進党リベラル系は排除されなければならなかったわけですね。
 とはいえ、そのやり方があまりに露骨かつ傲慢であったがゆえに、逆風にしてしまったわけですが。

 そういう意味では、私は希望の党を、本来の意味での野党とはみなしていなかったし、仮に野党であるとしても、その独裁色と秘密主義ゆえに、自民党よりさらに右に位置しうる可能性の高かった小池百合子希望の党による、極右政党+さらなる極右政党による二大政党政治(しかも、中道右派より左は壊滅)なんてものが出現したら、もう日本を逃げるしかないと思っておりましたので、この選挙結果は、そう悪くなかったと思っています。

 希望と維新という「自民よりえぐい」ものが席巻するような事態にならず、立憲民主党という、以前の自民党ハト派に近い(国際標準で見れば、中道右派的な)穏健保守政党が誕生し、社民党や共産党との共闘の道筋がきちんとできた、という点で。

 そもそも、この選挙は、安倍さんが北朝鮮のミサイルや教育無償化を持ち出した解散であって、モリカケ問題の信任を正面から問う選挙ではなかったわけですから、今後の国会で、立憲民主や社民、共産の議員さん、さらには希望の中の元民進の議員さんが追求を続けていってくださるでしょう(追求してるのは、もちろん、議員さんだけじゃないですけど)。

 それにしても、まさか21世紀の日本で、それも投票日前日に、ファシズム VS 民主主義、みたいな光景を見ることになるとは思いませんでした。

 新宿駅前の立憲民主党の演説は、雨の中、傘をさす人はおらず、候補者も応援演説の方も聴衆も、皆、濡れながら聞いていました。
 いわゆるアジテーションではなく、
「まっとうな政治を取り戻したい」
「民主主義とは、当選した議員に白紙委任することではない」
「政治は国民のためにある」

 まあ、色んな意味で普通といえば普通のことなんですが、それが新鮮に響くというのは、この国、いまどういう状態なんだ、ということですね。
 集まっている人たちの問題意識は。いや、これが「左」と言われるのは、相当に外しちゃってるんですよ、中心を。
 軸が極右によりすぎてるから、「中央やや右」が左に見えてしまってる。

 で、一方の秋葉原は、傘と日の丸が乱立し、「反日うんぬん」というプラカードや垂れ幕に、抗議する人は「朝鮮人」と罵倒され、さすがの産経新聞さんも掲載をためらうような光景であったようです。
 で、安倍総理は、その光景をごらんになって、「熱気すごかった」とご満悦だったあたり、さすがに、園児に「安倍総理バンザイ」と言わせる幼稚園の教育方針に感動されるだけのことはあります。

 この秋葉原の風景をセピア加工したら、まんま、太平洋戦争時の大日本帝国の提灯行列みたいです。

 今回、日本共産党は選挙協力に徹して、議席を減らしました。
 私はいわゆる日本共産党支持者ではないのですが、それでも、あの戦争時、徹底して戦争反対を貫き、治安維持法下でもっとも弾圧されたのが同党であり、壊滅状態になるほど、たくさんの逮捕者や死者を出されたことぐらいは知っています。

 その記憶があるからこそ、いまの気持ち悪い国粋主義や軍靴の音が聞こえてきそうな改憲への動きに危機感を持ち、そのためなら、自らの身を切って、議席を減らしてでも、改憲極右勢力を削ごうとしたのだろう、と思っています。まさに肉を切らせて骨を断つ。
 そういう意味では、お見事でした。

 ちなみに、この戦時中、やはり激烈に弾圧されたのは、いわゆる新宗教、創価学会です。
 その記憶から、いまは徹底して権力に擦り寄り、その一部となることで、保身をはかるというのが、いまの創価学会=公明党の立ち位置です。

 同じ弾圧体験を受けて、180度違う対応というのは興味深いことですが、イジメを受けたから、それをなくそうとする人もいれば、自分がイジメる側になることでイジメられないようにしようとする人だっているので、歴史的には珍しいことではありません。

 ただ、この21世紀のこの日に、提灯行列みたいなものが東京に出現したということ、そして、それに対して、かつて同じく激しく弾圧されたふたつの組織による政党、共産党と公明党が、まさに真逆のアプローチをしているその姿と、そして、その一方で、新宿駅前で繰り広げられた、雨の中の群衆の姿。

 これを、目のあたりにしたことに、なんとなく歴史の重要な一シーンに立ち会ったような感慨があったということです。


(10/23)
衆院選と台風一過のあと、いろいろ雑感

 このブログには、9月17日付けで「告発受理。でも、別に期待してませんし(笑)」も載っております。
 他国での生活経験が豊かな芸術家は、事象を観るにどんな視点があるのかな、と国際人を選別排除せず、
 また国際人がこの国で実際に自分のアタマとカラダを使って動いたときにどんな<雑感>が沸くのかな、
ですよね、皆の衆、ぜひご参考になさってください。

 では、も一度歌声を聴いてみましょう。
 いや、それは次回に回してそのリテラの2015年11月22日付け記事が削除される前に日記に残しておいた方がよいな、と:
 ここにきて、急速に民主党解党論が再燃している。発端は、11月12日に前原誠司(京都2区、無所属、当選)元外相が岡田克也(三重3区、無所属、当選)代表に民主党を解党して新党結成で維新の党と合流すべきだと進言したことだ。その前日の11日には、前原氏と細野豪志(静岡5区、希望、当選)政調会長が維新の党の江田憲司(神奈川8区、無所属、当選)前代表と会談し、双方の党を解党して新党をつくる方向で意見が一致したという。
 その後、岡田執行部が解党要請を拒否して表面上は収まったかのように見えているが、火種はまだくすぶっている。
 今月16日、都内のホテル(ルポール麹町)で「これが我々の野党再編・政権奪還戦略だ!」と題するセミナーが行われた。主催は今回の騒動の黒幕といわれる長島昭久(東京21区、希望、当選)元防衛副大臣で、ゲストには細野氏のほか馬淵澄夫(奈良1区、希望、落選)元国交相が顔を揃えた。
 その詳報が翌日の「産経ニュース」で配信された。これを読むと、解党騒動の背景がよくわかる。この3人(とくに細野氏と長島氏)が強く主張しているのが、要するに安全保障政策については「現実的対応」をすべきだ(つまり集団的自衛権行使容認)ということと、共産党との協力はいかなるケースも「ありえない」という2点なのだ。
 発言のいくつかを拾ってみると──。

「SEALDsのデモの先頭に立つなんて論外だ」
「国家の基本問題に対して、彼らが言っているような『戦争反対』で通用するはずがない」
「そんなものは共産党にまかせておけばいい」
「万年野党をやらせるなら共産党の右、いや“左”に出る政党はない」
「ここを脱却しなければ、政権復帰は難しい」
「国際的にみると、共産主義を掲げる政党がこれだけの議席を持っている先進国は珍しい」
「共産党と民主党が組むという選択は明確にない」
「とくに安保の問題については一線を引いていく」
「共産党とは一緒にできない」
「『選挙協力』はいかんと思う」

 細野氏が、民主党が掲げるべき柱として(1)内政はリベラル(2)安全保障は現実対応(3)そして改革、──をあげ、「この3つの旗であれば、きょうは(維新の党の)石関(貴史、群馬2区、希望、落選)さんも来られているし、柿沢(未途、東京比例ブロック、希望、当選)さんも来られていますけれども、お二人も乗れるんじゃないかと思うんです」と発言し、会場にいた柿沢氏が手で「マル」のサインを送る場面もあったという。
 表向きは「リベラルと改革」の旗を掲げて野党再編をして政権を狙うと言っているが、発言内容を見ればおわかりのとおりホンネは真逆と言っていいだろう。冒頭のニュースも解党要請というよりは、現執行部への叛旗であり、共産党との連携や安保法制廃止の動きに対する牽制なのだ。大手紙政治部記者が解説する。

「まさに民主党内のイデオロギー闘争と言っていいでしょう。主役は前原、細野、長島の3人です。彼らが恐れているのは共産党が提唱する『国民連合政府』構想が実現して、安保法制が廃止になること。岡田代表も『連合政府』には躊躇があるが、候補者調整などの選挙協力なら歓迎との姿勢を見せたことがあった。たとえ選挙協力だけでも共産党と手を組めば、安保法制廃止、辺野古反対に舵を切らざるを得ないので、それをさせないためにも、あの手この手で揺さぶりをかけているんです」

 要は、前原氏らが目指しているのは、反共産の“安保法制推進党”ということなのだ。
 前原氏自身もそのことは隠していない。今月14日の読売テレビの番組で「政権を取りに行くのであれば(安全保障政策は)現実対応すべきだ」と述べ、安保法制の廃止や撤回を考えていないことを明言している。また、共産党との連携についても「(共産党は)シロアリみたいなもの。協力したら(民主党の)土台が崩れる」と端から否定の立場なのだ。
 なぜ、そうなのか。
 そもそも前原氏は京大で親米現実主義保守派の理論的支柱とされた高坂正堯教授の薫陶を受け、松下政経塾を経て政治家になった人物だ。安倍晋三(山口4区、自民、当選)首相とは同期当選で議員会館も隣の部屋だったことから、安保政策では気心の知れる仲になった。2000年代の初めには自民党防衛族の石破茂(鳥取1区、自民、当選)氏らとも気脈を通じ、勉強会を開いて、集団的自衛権行使容認はもとより、徴兵制や核武装論にまで言及していたという。その石破氏に、やはり自民党の米田建三(2014年まで議員)氏らを加えて「新世紀の安全保障を確立する若手議員の会」(新世紀安保議連)の世話人をやっていたこともある。

 彼らに共通するのは、若手議員のころからCSIS(米戦略国際問題研究所)などの在米シンクタンクを頻繁に訪れ、アメリカの超党派知日派(ジャパンハンドラー)との交流に熱心だったことだ。
 リチャード・アーミテージやジョセフ・ナイ、マイケル・グリーンといった連中だ。
 集団的自衛権行使容認は彼らジャパンハンドラーの悲願だった。

 この日米ネオコンの橋渡し役を長く担っていたのが、2007年に発覚した防衛庁汚職に絡んで所得税法違反などで逮捕された秋山直紀氏だ。日米防衛人脈のフィクサーとして永田町では知る人ぞ知る存在だった。その秋山氏が専務理事を務めた社団法人「日米平和・文化交流協会」が親米ネオコン議員の溜まり場になっていたという。当時の登記簿を見ると、その一端が垣間見られる。錚々たるメンバーが理事に名を連ねているのだ。
 自民党からは安倍氏、石破氏、中谷元氏、額賀福志郎氏、久間章生氏ら、財界からは葛西敬之・JR東海会長のほか、三菱系の重役たち。米政府関係者では元国防長官のウィリアム・コーエン氏、元国務次官のウィリアム・シュナイダー氏、元駐日大使のマイケル・アマコスト氏……と、いずれも大物ぞろいだ。そして、こんな面々の中に民主党ネオコン議員筆頭の前原氏もしっかり名前を刻んでいた。当時を知る関係者は言う。

「協会が主催するフォーラムが年に2回、5月はアメリカ、11月は日本で開催されます。アメリカでの開催時にはネオコン派を中心とする日本の国会議員が大挙してワシントンを訪れ、秋山さんの手引きでシンクタンクや軍需関係企業を回ってジャパンハンドラーや安保ロビイストにコネクションをつけるんです。アメリカの側からすると、アメリカの国益を代弁させる親米派議員をつくるツールでした。その意味で、前原氏は早くから野党の親米派として取り込まれていったというわけです」

 民主党解党騒動の背後にも、やはりジャパンハンドラーの影がチラついている。
 前原氏と並ぶキーマンが長島昭久氏だ。
 党内右派の筆頭格で、今年6月には櫻井よしこ氏が理事長を務める極右シンクタンク「国家基本問題研究所」のホームページに「目を覚ませ、民主党!」と題した痛烈な執行部批判の寄稿を掲載した(ちなみに、前出の長島氏主催のセミナーには、過去に櫻井氏が講師として登壇している)。前原氏と同い年だが政治家としては弟分に当たる。元は自民党の石原伸晃議員の公設第一秘書で、その後、アメリカに渡りワシントンD.C.のジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で国際関係論を学び修士号を取得する。

 1997年には日本人として初の米外交問題評議会の研究員に選ばれている。米外交問題評議会は米ロックフェラー財団に支配されるシンクタンクを含む超党派組織で、アメリカの外交政策決定に強い影響力をもつと言われる。外交誌「フォーリン・アフェアーズ」の刊行元としても知られている。長島氏は、この日本人初の米外交問題評議会研究員の肩書きをウリに2003年に初当選する。その意味では、長島氏は日本の政治家というよりは、アメリカの国益のために日本の政界に送り込まれた親米派リーダー候補のひとりと言っていいだろう。
 安倍首相と同じくアーミテージ・ナイリポートの忠実な信奉者で、野党議員であるにもかかわらず安保法制の成立を喜んでいた。9月20日付のツイッターではこうつぶやいている。

〈抑止力の維持強化とともに、平和外交に徹し、この安保法制が文字通り「戦争法」でないことを天下に示さねばならない。それは、発足当時多くの憲法学者から「違憲」と断定され、国民の多くから税金の無駄遣いと罵られた自衛隊が、数十年かけて合憲の存在として国民の信頼を勝ち得たように…〉

 万一、民主党が共産党と組んで安保法制廃止や辺野古反対を言い出したら、アメリカにどんな報復をされるかわからない。だから必死にならざるを得ないのだ。
 民主党の“隠れ安保法制賛成派”には、前原氏、長島氏のようなジャパンハンドラーの手先となって動く親米ネオコン議員のほか、野田佳彦元首相(父親が自衛官、千葉4区、無所属、当選)、松本剛明元外相(父親が元防衛相、兵庫11区、自民、当選)のような自衛隊の利害関係者、そして極右の日本会議メンバーと大きく3つの流れがあり、多くが重なり合っている。
 本サイトの読者ならいまさら説明の必要もないと思うが、日本会議は神社本庁などの復古的歴史観を持つ宗教団体を背景とした右翼組織で、改憲や愛国心を盛り込んだ教育の実施、首相の靖国神社公式参拝の実現などを目標に掲げている。日本会議国会議員懇談会という組織を持ち、「FRIDAY」(講談社)の報道によれば安倍内閣の閣僚の19人のうち13人が名を連ねているという。
 民主党内では前原氏のほか、松原仁(東京比例、希望、当選)氏、原口一博(佐賀1区、無所属、当選)氏、鷲尾英一郎(新潟2区、無所属、当選)氏、笠浩史(神奈川9区、希望、当選)氏、芝博一(三重選挙区、民進党参院議員)氏、金子洋一(神奈川選挙区、参院議員)氏、渡辺周(静岡6区、希望、当選)氏らが参加しているといわれる。長島氏はかつてメンバーだったが本人が「退会した」と明言している。ほぼ全員が憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認に賛成で、前原氏が主宰する党内の「防衛研究会」に名を連ねる。ちなみに、細野豪志氏も防衛研究会のメンバーだ。

 もうおわかりだろう。これが民主党の“解党”を仕掛ける連中の正体だ。彼らが党内のリベラル派を切って、「改憲・安保法制賛成」で一致する維新の党(おおさかを含む)と手を握ろうという話なのだ。
 一方、岡田代表も枝野幹事長もけっしてリベラルというわけではない。とくに岡田代表は辺野古については自身が鳩山政権の外相だった手前もあって「いまさら反対とは言えない」立場だ。TPPも賛成で、原発も一部再稼働は黙認という。党を割りたくないと言っているのは、政党助成金の内部留保の200億円にしがみついているからだ。結局、誰が残って誰が出て行っても、この支離滅裂さは変わりそうもない。
 民主党の最大の欠点は政権を担っていた時から求心力がないことだ。むしろ遠心力が働いてどんどんバラバラになっていく。しかも、党内には国民に対する裏切り者といえる“隠れ安保法制賛成派”がウジャウジャいる。だったら、いったんバラバラに解党して、リベラル派が理念の下に再結集すべきだろう。
 前原一派には自民党とくっつくなり、親米ネオコン路線を標榜する新党をつくるなりしてもらい、そうではないリベラル派は、まずは安保法制廃止と、辺野古、TPP、原発再稼働の「反対3点セット」の旗を掲げ、社民、共産、生活などと「オリーブの木」方式でしっかり選挙区調整をしてくれたほうが、有権者としてはわかりやすい。
 現実的な選挙戦への対応を考えても、サポーターが激減し、地方組織がガタガタの民主党議員にとって共産党の集票力は魅力だ。10月25日に投開票された宮城県議選で、共産党は前回の4議席から倍増となる8議席を獲得し、2議席減の5議席となった民主党を抜いて野党第1党になった。国政選挙では、2012年の衆院選で小選挙区470万票、比例区370万票だったのが、2013年の参院選は選挙区560万票、比例区520万票になり、2014年の衆院選では小選挙区700万票、比例区600万票にまで伸びている。

(2017年衆院選では67小選挙区で党が候補者を取り下げて市民と野党の共闘に注力した結果、単独では小選挙区500万票、比例区440万票、立憲民主党、社民党と合わせると、小選挙区1040万票、比例区1640万票。ちなみに自民党は小選挙区2650万票、比例区1860万票、注)

 自民党にかわる「受け皿」として、安保法制廃止を訴える「リベラル連合」と、ジャパンハンドラーに操られた安保法制推進(集団的自衛権行使容認)の「親米ネオコン&極右連合」のどちらがふさわしいか。選ぶのは有権者だ。

(野尻民夫)
http://lite-ra.com/2015/11/post-1706.html

(注)また同じように、名前の次のかっこ内は2017衆院選の結果でヤッホー君が調べました。


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日本を今一度せんたくいたし申候

 さて、江東区民まつりは噴水広場での歌謡ショー、つかさ学のあとに登場したのは橘和希(たちばな・かずき)!
 1時、木場公園の南北エリアを結ぶ大橋の橋の上で山歩クラブの仲間、カッシーと待ち合わせ、そこから清洲城に登城し、小田柿さんと3人で秋の宴を催すのが10月28日土曜日のお仕事。
 木場公園かぁ〜、そういえばあんなことやこんなことあったなぁ〜と思いだされます。
 ヤッホ−君のこのブログに「ブログ内検索」というコーナーがあります。
 そこへ「江東区民まつり」と入力すると何個が日記が読めます。ぜひお試しください。
 まだ雨は降ってきていません。
 そんなこんなのとき、ふっと橘和希が竜馬のことば、日本をもう一度洗濯いたしたく候が好きですってぽろっと漏らしたのをヤッホー君、聞き逃すことはありませんでした。

 是皆姦吏(カンリ)の夷人(イジン)と内通(ナイツウ)いたし候ものニて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二三家の大名とやくそく(約束)をかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本(タイホン)をたて、夫より江戸の同志(はたもと大名其余段々)と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本ニツポンを今一度せんたく(洗濯)いたし申候事ニいたすべくとの神願(ガン[#「願」の左に「ネガイ」のルビ])ニて候。

手紙、1863(文久三)年六月二十九日、坂本乙女あて坂本龍馬
http://www.aozora.gr.jp/cards/000908/files/51396_39894.html

 そういえば、橘和希の持ち歌は『おりょうの恋』(作詞:紺野あずさ、作曲:岡千秋)!
https://www.youtube.com/watch?v=e7ntsMPGY5M

 ヤッホー君、歌うときの声量はもとより、この演歌歌手についてとても関心を持ち始めたのです。

★ 九州女子大学国文科にて国語、書道の教職免許取得。高等学校で教鞭を執る(国語)。
★ 1893(平成5)年上京し、岡千秋氏の唯一の内弟子となる。
★ <書歴>毎日新聞社主催「毎日女流展毎日賞」2回、毎日新聞社主催「毎日展」入選3回
★ 草加有澤ジム・トレーナーのカズ有澤の嫁の和希です。ジムを手伝いつつ、演歌歌手・橘和希として活動しています。YOUTUBEでも見れます。作曲家・岡千秋(浪花恋しぐれ、など)の内弟子で5年修行後、現在デビュー14年目となりました。坂本龍馬の妻の歌「おりょうの恋」「高知でのものも」を歌っております。
 書道も師範です。さまざまなタイトルを書いたり、依頼を受けて看板や暖簾を書いたりしています。
 有澤ジムのチャンピオン、S・ライト級チャンピオン、岩渕真也の応援よろしくお願い致します(引退セレモニーは11月11日土曜日後楽園ホールにて)。

 『高知でのものも』は橘和希、そして出身地は九州の歌『無法松の一生』、この二曲を続けてどうぞ:

https://www.youtube.com/watch?v=PcdcloOcrDA
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=a3K32Tk8fYo

 それにしても竜馬、彼は司馬遼太郎、そしてそのNHK大河ドラマによって、国民的英雄になりました。

 作家の司馬遼太郎(1923〜96)の代表作「竜馬がゆく」最終回と「坂の上の雲」第1回の自筆原稿が見つかった。
 司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)が2017年6月23日、発表した。
 どちらも存在しないと思われていた原稿で、推敲の跡から司馬の作品への思いが伝わってくる貴重な発見だ。

 「竜馬がゆく」は62〜66年、「坂の上の雲」は68〜72年、いずれも産経新聞に連載された司馬の代表作。
 「竜馬」は連載5回分23枚、「坂の上」は連載6回分24枚、400字詰め原稿用紙で計47枚が見つかった。
 東京の古書店から連絡を受けた記念館が鑑定し、今月はじめに買い取った。

 「竜馬」の自筆原稿が見つかったのは初めて。
 ラストシーンの「天が、(略)その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」という、作品の坂本竜馬像を象徴する部分が含まれている。
 激しく手を入れた跡が残っており、最初に「天はその若者を惜しむように召しかえした」と書いた後、「惜しげもなく」と、竜馬像がより印象的に伝わるような修正がされていた。

 「坂の上」の原稿には有名な書き出しの「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」が記されている。
 自筆原稿の大半は日本近代文学館に寄贈されているが、欠落があり、冒頭は失われたと思われていた。
 加えて、文学館にも保存されている第28回(4枚)の別原稿が見つかった。
 表紙に「ボツ」と書き込みがあり、軍艦の名前を間違えたことから、書き直して差し替えたと見られる。

 司馬の義弟で記念館館長の上村洋行(うえむら・ようこう)さんは「全くないと思っていた原稿で、見たときに心臓が拍動した。竜馬の最期を書くにあたっての思いを感じる」と話している。
 原稿は2017年7月1日〜8月31日、記念館(06・6726・3860)で特別展示される。


朝日新聞、2017年6月23日18時33分
司馬遼太郎の自筆原稿見つかる
「竜馬がゆく」最終回も

(野波健祐)
http://www.asahi.com/articles/ASK6Q5CMTK6QPTFC00M.html

 坂本龍馬33年の生涯を、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の視点で描いたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が反響を呼んでいる。
 シンガー・ソングライターで俳優の福山雅治が演じる龍馬は、軽やかで可愛さがあり、新たな龍馬ファンを増やしているにちがいない。

 江戸東京博物館の「特別展 龍馬伝」は、そんな話題のドラマの放送と連動して行われるもので、龍馬の出身地、高知や終焉の地、京都などに伝わる遺品や書簡類、幕末の動乱を伝える歴史資料などが一堂に公開される。

 展覧会の見どころのひとつは、無類の筆まめ として知られる龍馬直筆の手紙類だ。
 「日本を今一度せんたくいたし申候」という文言で有名な、姉の乙女に宛てた手紙には、幕府の腐敗を嘆き、理想の国家を創ろうとした龍馬の高い志がしたためられている。

 書や文章には人となりが表れるというが、彼の手紙には大らかさや茶目っ気、人を説得する力や、周りの人々への気遣いなどが溢れていて、とても魅力的だ。

 会場には、龍馬と中岡慎太郎が殺害された、京都河原町「近江屋」の客室も実物大で再現されている。
 歴史に「もしも」はあり得ないが、この部屋の前に立つと、「龍馬が生きていたら日本はどうなっていただろう」と思わずにはいられない。
 
2010年NHK大河ドラマ特別展 龍馬伝
〈会期〉2010年4月27日〜6月6日
〈会場〉東京都墨田区・江戸東京博物館(総武線両国駅下車)
〈問〉03(3626)9974
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/


WEDGE Infinity、2010年3月29日
日本を今一度 せんたくいたし申候
2010年4月27日〜6月6日 江戸東京博物館
辻 一子
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/830

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松尾匡

 それはリーマンショックが起きた直後、2008年秋のことだった。
 当時、毎日新聞の岡山支局に勤めていた私は、雇用を打ち切られる「派遣切り」の取材をしていた。
 夜、コンビニの前を歩いていると電話が鳴った。画面には「公衆電話」と表示されていた。
「もしもし。×××なんだけど、覚えてる?」
 随分と久しぶりに聞いた、同級生の名前だった。ある大手製造業の名前をあげ、その工場に勤めているのだ、と彼は言う。
「でもさ、契約切られちゃった。携帯も切られちゃって、もうどうしていいかわかんないよ。お前、新聞記者なんだろ。どうしたらいいか教えてくれよ。どうしていいか、わからな…………」
 そこで電話は切れた。
 唯一わかっていた連絡先の携帯電話に、時間を置いて何度かかけたがつながることはなく、その後、彼から電話がかかってくることもなかった。
 政治は混迷を極め、熱狂とともに誕生した民主党政権でも、雇用状況は劇的な改善は見せなかった。

若い世代の安倍政権支持は当然


若い世代ほど安倍政権を評価するのは当然のことです。理由は明快で、要するに就職が安定しているからです。
 もうリーマンショックの後のような思いはしたくないでしょう。
 彼らが重視しているのは、やはり雇用、景気の問題です。
 少なくとも就職市場は数値的には安定しています。
 政権が変わっても状況はどうなるかわからない。
 だったら、今の政権が続いてほしいというのは理解できます。
 保守化している、と若者を批判するのは的外れだと思うんです


 こう語るのは立命館大の松尾匡教授(理論経済学、1964年生まれ)だ。
 松尾さん自身の立場は「立場の弱い民衆のための経済政策が必要」というもの。
 直近でも、若い世代ほど安倍政権の評価は高い、という調査結果が出ている。
 例えば朝日新聞が2017年10月12日に発表した調査では、全体では43%が安倍政権を評価。
 18〜29歳で53%、30代では49%に達しており、若い年代ほど「評価する」が多い。
 そして昨年の参院選、18歳、19歳が投票の際に重視したのは雇用・景気対策という調査結果もある。

 2つの結果から「景気と雇用こそ、若年層の安倍政権支持の大きな要因だと考えられる」と松尾さんは語る。
しかし、と続ける。


私からみると、雇用はいつ不安定になってもおかしくはないし、このままいくと、若い世代を中心にますます貧しくなっていく未来が見えています。
 本当に若い人たちのことを考えているのでしょうか。
 安倍政権も、野党もリーマンショック前から続いている長期不況をまた再来させたいのか、と問いたいです。 私は強い危機感を持っています


 どういうことか。

雇用は回復しているのか?

 松尾さんの分析では、安倍政権下になってから、雇用は絶対数として増加に転じている。
 非正規の雇用だけでなく、正規の雇用も増加に転じている。

アベノミクスはアクセルとブレーキを同時に踏んでいる

 民主党政権でも続いていた不況で、高かった失業率も低下に転じ、逆に新卒の就職率は上がった。
 売り手市場が続く、と言われている。
 これは社会的にもいい影響が出ている。
 例えば、歩調をあわせるように自殺者も減少傾向にある。
 アベノミクス効果で万々歳ではないか。


はい。効果があったのは事実です。
 就職市場は団塊の世代の退職などの影響もあるとは思いますが、民主党政権と比較して好転したのは間違いない。
 しかし、私が問題だと思っているのは、本当はもっと好景気になるはずだったのに、安倍さんはそれを実現していないということです。
 いまのアベノミクスはアクセルとブレーキを同時に踏むようなことをしている。矛盾した政策を続けているんです


 アベノミクスが掲げたはずの政策は、デフレ不況を脱するために、異次元の金融緩和で日銀がお金を市場に流し、政府がお金を出して公共事業で雇用を生み出すというもの。
 この政策は「イギリス労働党など欧州ではリベラル派、左派が掲げる常識的な政策」(松尾さん)だ。


大切なのは、金融緩和でただ市場にお金を流すだけじゃなくて、政府が財政出動を通じて「デフレを脱却するまで、お金を出し惜しみしない」というメッセージを発信し続けることです。
 安倍さんは最初の1年足らずはこれをやったけど、あとは中途半端で、メッセージとして弱いんです。
 安倍さんはメディアで報じられているほど、積極財政ではなく、私からみると政府支出を抑えめで緊縮財政に舵を切っていた。
 結果、何が起きているかというと、市場に回ったお金が銀行に残っているだけで、みんなは消費につかっていない。お金は出回っても、使われないんですよね


そして、貯蓄が増えている

消費に回っていかないから、おカネが循環しない。
 おカネが循環しないから、経済成長は弱い。
 成長しないから、不況から完全に脱したとはいえない。
 アベノミクスの恩恵がないという人たちが出てくるのも、彼らが置き去りにされるのも当然のことです。
 だから、雇用の数値は良くなったのに、格差是正の動きも弱ければ、貧困率の改善の動きも弱いんです。
 そして、決定打が消費増税ですよ


 国の財政が本当に心配なら、好景気が必要です。
 松尾さんは増税を論理で考えてみればいい、という。


 《財政再建のために消費増税が必要だという主張があります。
 しかし、それって「未来の国民のため」と称して、いま生きている国民は悪い景気で我慢してくれって言ってるようなものです。
 増税というのは、物価の上昇を抑制してほしいときにするものなんです。
 消費税なら、物の価格が上がり続けているときに、人々に物を買うのを抑えてくださいね、というメッセージを発するものなんです。
 それで物が売れなくなって価格の上昇が抑えられる。
 でも、いまの状況はどうですか?
 消費が必要な局面なのに、それを喚起するような政策をとらずに、抑制しろという。
 みんなでまだ貧しくなろう、というメッセージになりかねない。
 不況は確実に損を呼びます。
 特に小泉政権以降、立場が不安定になった若年層ほど不況のダメージが大きい。
 いまの状況で、消費増税したらまた不況がやってくるでしょう。
 お金持ちはいいですよ。ちょっとした増税では不安にはならないでしょう。
 しかし、不況が直撃するのも、増税のダメージが直撃するのも中間層、弱い立場の人たちなんですよ。
 若い人はお金もないし、不景気になった瞬間に仕事がなくなる。
 国の財政が本当に心配なら、好景気が必要です。
 こういう層に、いっぱい税金を払えるような納税者になってもらって、国の税収を上げていくことの方が大事ですから。
 それが、未来の日本社会のために重要なんです。財政再建よりも先に議論すべきことがあるんですよ


とはいえ、1000兆円超の「借金」は?

 議論されるのは1000兆円超といわれる「国の借金」ばかりだ。


私は、政府の借金は一般に思われているよりはずっと少ないと言っています。
 借金というのは本当に返さないといけないお金のことです。
 量的金融緩和でお金を出すときに日銀が買った国債は、全部が返済する必要があるわけではありません。
 日銀が買ったまま、金庫に入れっぱなしする国債があります。
 日銀が持っている国債は、満期がきたら借り換えができますので、本当に返済が必要な「借金」と呼ぶのは適切ではありません。
 本当に返す必要があるのは、民間にある国債、日銀が一部売りに出す国債ですね。
 返済のための財源というのは、将来的には必要でしょう。
 そのために増税をするなら消費税ではなく、完全雇用が実現して、インフレ気味になってきたときに富裕層や大企業を中心に課税が強化される仕組みにすべきだと考えます。
 景気が過熱気味のときに、インフレを抑制するために増税をするというのは理にかなっています。
 そこで税金をしっかりとって、賄えばいいのです。
 いずれにせよ、もう少し先の課題です。
 いま、財政再建よりも先に議論すべき課題があるんです


損をするのは若者

 このまま行けば、雇用の安定を求める若者が損をしてしまう。
 松尾さんは与野党双方に不満を隠さない。


消費税の議論も賛否止まりで、大事な「なぜ?」がない。
 リベラル派も経済政策には弱いと思います。
 金融緩和に批判的な議員も多いですね


不況は確実に損を呼びます

 「少子高齢化で経済成長はもうできないんだから、小さな日本でいいじゃない」「消費、消費といっても物がなくても生きている」という声は、リベラル派と呼ばれる人たちからもあがる。


それなりに住む場所に困らず、貯金もあってというような資産がある人は物がなくていいって言えると思います。
 でも、世の中は買いたい物があって、普通の生活がしたいのにできないという人もいるんです。
 あと「経済成長」というのものちょっと誤解されているんですよね


 誤解?

経済成長には2種類あるんです。
 わかりやすく例えます。
 器とその中に入っている水を思い浮かべてください


経済成長不要論は正しいのか?

一つ目の経済成長は労働人口が増える、あるいは労働生産性を上げていくという意味での成長。
 これを長期の成長と呼びます。
 器そのものを大きくしていきましょうという成長です。
 もう一つの成長は短期の成長、つまり需要=物を買う力を拡大していきましょうというもの。
 消費や設備投資など、物を買う力を拡大することで、それに応じて生産も雇用も増やしましょうというものです。
 とりわけて消費が必要だという話です。
 これは器のなかの水を増やしていこうという話なんですね


少子高齢化の影響がでるのは、長期なんです。
 私がさっきから主張しているのは、短期のほうの話です。
 企業なら設備投資、人材の雇用、個人なら何かを買い替えたり、欲しかったものを買ったり、出かけたり……。
 お金をつかいやすい状況をつくって、循環させて、短期の成長を実現していく。
 金融緩和も、財政出動もそのために必要な手段なんですね。
 短期の成長もいらない、というならみんなで不景気になって、格差も貧困も放置して、自殺者が増えても問題ないと言っているのと同じことです


反緊縮、積極財政のコービン路線を見習え

 では、松尾さんだったら若者に向けて、どんな経済政策を打ち出すか。


例えば、いまのイギリスの労働党、コービンの反緊縮、積極財政路線を支持しています。
 20代で安倍政権の支持が高い、と言われているのと同じように、イギリスでも若い人ほどコービンを支持しているんですね。
 安倍さんが強固な保守、コービンがガチ左翼という政治的な立場に注目すると、イギリスの若者は左翼だ、日本の若者は保守化しているという議論になると思うんですけど、私は関係ないと思っているんです。
 政治的な右派、左派を超えて、良い景気にしてほしい、良い就職をしたいという願いだと思うんです。
 私なら、アベノミクスの金融緩和をもっと拡大して、タダみたいな資金で政府支出もガンガン増やして人に投資をする−−具体的には、介護や看護といった職種に投資−といった政策をとります。
 もちろん消費増税は凍結、あるいは消費「減税」も大いにありだと思います。
 そして、もう不況を繰り返さない、就職できない若者を減らし、もっと豊かになろうと訴えるのが大事だと思います


イギリスで指摘される不平等の正当化

 日本ではアベノミクスは道半ば、批判する野党の中でも、イギリスなら労働党が打ち出すような「不況の時こそ、積極財政」という声はまだ弱い。
 20代の著者オーウェン・ジョーンズが分断されるイギリス社会を描き、エコノミスト誌やニューヨーク・タイムズの書評で高評価を得たベストセラー『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社)のなかに、こんな一節がある。
最下層の人々を劣等視することは、いつの時代でも、不平等社会を正当化する便利な手段だった。論理的に考えれば、偶然の生まれで社会の頂点に立ったり、底辺から抜け出せなかったりする人がいるのはおかしい。
だが、頂点に立つべき資質があるからこそ、そこにいるのだとしたら?技術や才能、決意が足りないから底辺にとどまっているのだとしたら? これが不平等の正当化だ。

 貧困や格差の底辺を蔑視し、ヘイトが蔓延していく社会−−これはイギリスだけの出来事か?
 思えば、リーマンショックのときだって、努力幻想はあった。
 いわく「努力すれば就職はできる。それなのに、派遣を選んだのだから自己責任だろう」「どんな時代でも努力すれば食ってはいける」−−そんな声も取材していると聞こえてきた。
 好景気なら問題なくあったはずの椅子が、不景気で消えたというのが現実なのに、だ。
 彼らにあるはずの職を用意できなかったのは、やはり政治の責任だろう。

 松尾さんは、若い人が損をしない社会になるために、議論はまだまだ必要だという。


不況を繰り返さず、いま生きている人たちがもっといい思いができる社会になってほしいんです。
 与党も野党もその発信が足りません


BuzzFeed News、2017/10/17 11:01
「損している若い人たちを救えない政治」
どう変えていくのか?

衆院選の投開票日が迫ってきた。世論調査を見ていると若い人ほど安倍政権の評価が高い。これは若者の保守化なのか、別の願いのあらわれなのか?キーワードは雇用と景気だ

石戸諭、BuzzFeed News Reporter, Japan
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/matsuo

ishtarist「人権の経済システムへ」(オンデマンド (ペーパーバック)、2017年10月)レビュー
[評者] 松尾匡

 評者もしばしば強調してきたことだが、経済学には供給サイドを重視するものと、需要サイドを重視するものがある。新自由主義政策のバックボーンになっている新しい古典派経済学は、前者の供給サイドを重視するものである。それに対して、欧米反緊縮派の政策のバックボーンのひとつになっているケインズ派経済学は、後者の需要サイドを重視するものである。
 新しい古典派が供給サイドを重視するのは、市場メカニズムがスムーズに働いて需要不足は速やかに解消され、供給能力どおりの生産が行われるとみなしているからである。この場合経済成長とは、生産性を高めて供給能力を増やしていくことを指す。規制緩和などはそのために主張されているものである。
 しかしケインズ派経済学からは、それに対して、いくら生産能力を高めても、世の中全体の財やサービスを買おうとする力=「総需要」が少なかったなら、実際の生産はそれに合わせて少ないまま、雇用も少ないままだとする批判がなされる。むしろ、生産性を高めたら、なけなしの需要に合わせた生産に必要な労働がさらに少なくてすむのだから、雇用は減ってしまう。この立場からの経済成長とは、総需要を拡大することによって、それに合わせて財やサービスの生産を増やし、失業者を減らしていくことを指す。
 前者の、供給能力の拡大を掲げる「成長戦略」は、小泉構造改革のスローガンからアベノミクス「第三の矢」に流れ、「希望の党」「維新の会」の看板政策(「規制緩和」「規制改革」)にも生き続けている。「第三の矢」の「成長戦略」など、労働規制緩和にせよ特区にせよ、庶民の立場からは「もうたくさん」というものばかりなのに、マスコミの論調はもっぱら、この意味での「成長戦略」が足らないと言うものばかりである。まだ消費需要の拡大が弱く、十分にデフレ傾向を抜けていない中では、人々の雇用不安を解消するためにも、むしろ総需要を成長させる政策こそが必要なのに、それに対しては、近視眼的な小手先の政策であるかのような扱いが目立つ。むしろ、あきらかに消費需要を抑制するはずの消費税率の引き上げを支持する社説ばかりである。
 これはマスコミばかりではない。マルクスの『資本論』の失業分析がもっぱら、正常に稼働された資本の、労働節約的技術変化や蓄積減退に帰因させるもので、総需要不足による過小稼働にともなう失業が考察されていないことは、この本の分析目的が資本主義経済システムの長期的な再生産構造とその持続可能性の検討にあることを考えれば適切だろう。しかしマルクス経済学者がその前提を忘れ、生産能力どおりの生産を前提した『資本論』の議論のまま経済停滞を論じていては、総需要拡大政策が提唱できないのも当然である。また、エコロジー系論客にとっては、供給制約こそ問題意識の焦点だから、やはり総需要の方が過小で生産の制約となる事態は認識しにくい。
 このような知的背景のもとで、日本の左派、リベラル派の世界では、総需要拡大政策への言及が弱く、語るとすれば長期の産業支援政策などの話が中心になりがちである。むしろ、日本の長期不況を、少子化などによる供給能力の停滞がもたらした必然とみなし、総需要の拡大によって解消できるものとみなさない論調が力を持ち、若者をはじめ雇用不安に怯えるおおくの人々を安倍自民党の支持へと追いやっている。
 すなわち、左右の主要な経済論調がともに、供給能力サイドの視点にのみ偏重して、需要サイドの視点を欠落させてきたために、雇用の不安と低賃金に苦しむ多くの人々のニーズを汲み取れなくなっていたと言える。
 評者は以上のような認識から、日本の左派の中に、総需要サイドを重視した経済政策体系を提唱する論者の影響がもっと強まることを期待してきた。左派系の運動の中でも特に、最低賃金引き上げを主張する運動「エキタス」については、その社会的意義は大きいと考え、評者が提唱する認識に立つように願ってきた。
 この論考「人権の経済システムへ」は、以上に述べたような日本の主要な経済論壇の状況をするどく批判し、総需要サイドの視点からの対案を提起するものである。著者は、「エキタス京都」の関係者である。この運動体の中から、このような論調の議論が世に出てきたことを、心から歓迎したい。
 「エキタス」関係者の議論だから、当然最低賃金引き上げが処方箋である。しかしこの論考で重要なのは、それが、いわゆる「サービス残業」の廃絶および消費税率の引き下げとセットにして提唱されていることである。この三者がセットになっていることには必然性がある。それが、日本経済衰退と労働者の貧困・疲弊の原因が総需要不足にあるという著者の認識から導かれるのである。総需要不足なのに、供給サイドばかり見る左右の経済政策が、事態の悪化を促進させているとされていて、著者の提言はその構造を断ち切る対案となっている。
 著者は、上野千鶴子の議論に典型的に見られ、民進党のブレーン(だった?)井手英策にも見られる傾向の論調を、「みんなで痛みを分かち合って衰退を受け入れる」社会モデルと呼んで批判する。そして、民進党のオール・フォー・オールの考え方について、「年収2000万円の人間から400万円を徴税するということと、年収200万円の人間から40万円徴税することとは、命の重みという観点では決定的に異なる」と指摘し、「民進党が言っていることは、三食ろくに食べられない独身派遣社員の口から食べかけのカップラーメンを奪いつつ、「将来あなたに子どもができたら教育費を無償にしてあげるから安心でしょ」と言いくるめるようなことではなかろうか」と言う。
 著者は、リベラル系に見られがちなこのような議論に対して、「経済を救うことは、ひとの生命を救うことである。それを非現実的だと言って簡単に諦めるとすれば、そのような政治に存在意義はない」と評しているが、全くそのとおりである。
 他方で著者は、安倍政権が推進する「人づくり革命」と「残業代ゼロ法案」を、「ブラック経済」の推進と合法化の企みとして批判する。
 そしてこうしたリベラル側の経済衰退論と安倍政権の労働政策には、「深い共通点」があると指摘する。それは、「働けば働くほど、経済が発展する」というパラダイムだと言う。労働強化して経済発展しようとするのか、労働生産性上昇も労働力人口増大も無理だから衰退を受け入れようとするのかの違いで、前提は同じだというのである。
 これを著者は批判し、本当の因果関係は、「日本人は働き過ぎだから経済衰退している」のだと言う。鍵は「有効需要不足」である。総生産が需要不足の制約を受けて増やすことができないところに、労働投入を増やしたならば、当然労働生産性は低下する。働けば働くほど日本経済は貧しくなる。
 そして曰く。「なぜ日本人は消費しなくなったのか。若者が無欲になったためだとか、将来不安のためだとか言われているが、それが的外れな指摘であることは当の若者が一番よくわかっている。ごく単純に、手持ちのお金がないからだ。」その通り!
 著者は給与総額と名目GDPの極めて高い相関を示し、賃金が上がれば消費需要が拡大して日本経済は復活すると言う。これは、逆因果を計測している可能性も高いのだが、それはこの際重要なことではない。賃金分配率が抑制されていることが消費停滞の原因であることは誰も否定できないだろう。
 こんなふうになっている主要な要因として、世上よく言われる「格差社会」という問題についても、それが正規・非正規の格差を指すものとしては、著者は疑問を呈している。非正規の低賃金や労働条件ももちろんひどいが、著者は、日本の正社員がいかに過酷に働かされているかを詳細なデータで示す。サービス残業による労働者の損失は、年26.8兆円にのぼると言う。
 それに対して著者が示す要因は、1997年から98年にかけて起こった、本格的デフレ不況への突入である。これ以降、デフレ不況の深化と、非正規化・賃金低下・労働のブラック化との双方が、相互に因果スパイラルを起こして深刻化していったことが論証されている。「サービス残業がサービス残業を生み、給与低下がさらなるリストラを生む。そうして個人消費がどんどん低迷して経済が低迷する、この地獄の「過労デフレスパイラル」に日本は20年間とらえられている」と言う。著者の指摘どおり、このデフレ不況への突入の重要な一因が、消費税の3%から5%への引き上げにあったことは言うまでもない。
 このような状況に対して、安倍政権が企てる労働強化政策は、事態を悪化させるだけだとする。また、民進党が企てた消費税の引き上げも、「可処分所得を目減りさせる消費税増税によって、個人消費低迷と給与カットのデフレスパイラルが加速することは疑いない」と斬って捨てる。「経済をこれ以上崩壊させて、どうやって社会保障制度を維持することが可能となるのだろう」と。全くそのとおりである。
 著者による、最低賃金大幅引き上げ・サービス残業廃絶・消費税率引き下げの三点セットは、以上のような現実認識をふまえ、この負のスパイラルを逆回ししたプラスのスパイラルをもたらすものとして構想されている。最低賃金引き上げの結果、「賃金が底上げされた分、個人消費が増えて、全体としては企業の売上げが上がる。そうしてまた雇用が増え、給料が上がる」とされているのだが、それはサービス残業廃絶と組み合わせなければならない。
 というのは、サービス残業廃絶なしの最低賃金引き上げは、ブラック正社員化を進めるだけとされる。逆に、最低賃金引き上げなしのサービス残業廃絶は、正規雇用の非正規への取り換えを進めるだけで、ともに消費需要の拡大にはつながらないと言う。
 また、最低賃金引き上げを法的に強制するだけでは筋が悪く、「労働力の需給を逼迫させれば、自ずと賃金水準は全体に上がるはずだ。」サービス残業を廃絶すれば、大量に労働需要が増える。残業代の増加から消費需要が増えるので、やはり景気がよくなって労働需要が増える。このことから、労働市場が逼迫して賃金が上昇する。正社員数が増えるので、非正規の労働市場の労働供給が減ってそこでも賃金が上がる。このように言う。
 しかし、現在急進的にこれらの改革をしても、「企業の資金繰りが悪化し、連鎖倒産する危険性がある。」そこで著者がセットで提唱するのが、消費税率の3%への引き下げである。消費需要が拡大して企業業績が上がる。さらに一定規模以下の企業への消費税支払い免除、「社会保障費の負担軽減や、人件費の融資・立替払いなど、さまざまな政策パッケージが考えられる」とするが、いずれも、最低賃金引き上げ・サービス残業廃絶とセットにしてこそ意味があり、それなしには企業支援が景気一般の底上げにつながることはないとする。
 以上がこの論考の主張の概説である。評者は以上示した議論の筋について、何も異論がない。全くそのとおりであり、心強く思う次第である。実際に示されている消費税率や最低賃金の目標数値や実現スピードについては、今後データを精査して少しでも正確な算定をすることをお互いの課題としたい。
 以下では、いくつか補足の説明と提案をしたい。
 まず、最低賃金引き上げがなぜ景気拡大に貢献するかということについて、一言補足したい。
 現在行われている「インフレ目標政策」が目指しているのは、借金が将来目減りする予想を人々につけることで、設備投資や住宅投資、耐久消費財購入を促し、総需要を拡大することである。しかし、設備投資の主体である企業にとっては、売値が上がれば借金が目減りするかもしれないが、住宅投資や耐久消費財購入の主体たる一般労働者にとっては、賃金が上がらないと借金は目減りしない。今、多くの人は、将来賃金が上がる予想をあまりしていないと思うが、一般物価が上がる予想だけして、賃金が上がる予想をしなければ、一般労働者は将来に備えてかえって貯蓄を増やして消費を抑えてしまい、総需要拡大の足がひっぱられてしまう。
 だから、住宅投資や耐久消費財投資にもこの効果が及ぶためには、将来賃金が上がっていく予想を人々が抱かなければならない。最低賃金は法定すればいいのだから簡単である。将来に向けて一定率で上がっていくスケジュールを公定すればいいのである。
 最低賃金が上がれば、企業は同じことをさせるのに非正社員を雇うメリットが減るので、正社員化が促進される。そうすると、正社員の労働需要が増えるので、正社員の賃金も上がっていくことが予想されることになる。
 それから、当面まだ景気拡大が十分でない間、最低賃金を大幅に上げたときの、中小企業の資金繰り支援の問題であるが、著者の示唆した「人件費の融資・立替払い」については、政策金融公庫債を日銀がほとんどゼロ金利で買い入れた資金を使って、政策金融公庫が中小企業に超低金利で融資するスキームを提案したい。なおこれはサービス残業廃絶でかかる残業代の支援のためには使うべきではない。残業代を払うことよりも、残業をなくす方が促進されるべきだからである。
 一般に、賃金が上昇したら、企業が同じプロジェクトへの投資をするために借りるべき資金額が増える。すると、日銀が十分な金融緩和をしていないと、金利が上昇して断念される設備投資が発生する。そうなると、総需要拡大の足が引っ張られる。だから、最低賃金の大幅引き上げは、十分な金融緩和とセットで行わなければならない。
 

Space of ishtarist、2017年10月27日金曜日18:35
松尾匡氏による書評:『人権の経済システムへ』
http://ishtarist.blogspot.jp/2017/10/blog-post.html#more

posted by fom_club at 11:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011震災で2020東京五輪

 この国では当時、「パリの空の下」ではなく、「若い東京の屋根の下」が大流行り:
https://www.youtube.com/watch?v=eu4i4UJ36VY

 つかさ学は、高校三年生を歌ってきかせてくれました:
https://www.youtube.com/watch?v=jnNvTTDZJvc

 1964年東京五輪の聖火はギリシャのオリンピアで採火され、アジアでのリレーを経て当時はまだ米国統治下の沖縄に到着した。その後は4コースに分かれて全都道府県を駆け巡った。
 聖火は五輪の象徴というだけでなく「平和」の象徴として各地で熱狂的に迎えられた。
 アジアから最初の到着地、沖縄の那覇市では聖火歓迎式が開かれた会場とリレーコースの沿道に、市民の半数にあたる15万人が詰めかけた。
 その後聖火は5日間をかけて島内を1周した。
 沖縄からは国産機のYS11「聖火号」で、鹿児島、宮崎、北海道の千歳に空輸され、3カ所を起点として聖火リレーがスタートした。

[写真] 採火式(非公開)の前日に公開されたリハーサル。凹面鏡からたいまつに採火された聖火=ギリシャ・オリンピアのヘラ神殿跡で1964年8月20日、橋本紀一撮影

[写真] リハーサルで、採火された聖火のトーチを掲げ、随走者を従えて走る聖火リレー第1走者のマルセロス選手=ギリシャ・オリンピアで1964年8月20日、橋本紀一撮影

[写真] 聖火歓迎式に詰めかけた3万5000人が見守る中、聖火台に点火する宮城康次さん=沖縄・那覇市の奥武山陸上競技場で 1964年9月7日、鈴木久俊撮影

[写真] 聖火は10万人以上の走者にリレーされ旧東京都庁(丸の内)に到着、職員は窓から各国旗を掲げて歓迎した=東京都千代田区で1964年10月8日、川辺信一撮影

[写真] 東京五輪開会式で国立競技場の聖火台に点火した聖火リレー最終走者の坂井義則さん=東京都新宿区で1964年10月10日


毎日新聞東京夕刊、2017年10月28日
64年の五輪聖火リレー
東京へ、熱狂とともに

http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20171028/dde/012/050/005000c

 その東京に再び2020年、オリンピックが。
 東京五輪まで千日前とかうんぬんかんぬんしましたが、このダシに使われたのは「東京」でなく、「東北」だったのです。

 2020年東京五輪は10月28日、同年2020年7月24日の開幕まであと1000日となった。
 大会誘致時に掲げられた「復興五輪」は具体像が見えず、東日本大震災からの復興途上にある東北の被災地は大会への関心が盛り上がらない。
 政府、組織委員会、東京都は成功の道筋をどう描き、被災地は祭典に何を求めるのか。
 風化する復興五輪の意味を問う。

 輝く水面を秋風が吹き抜ける。
 登米市の宮城県長沼ボート場。
 小池百合子都知事が視察に訪れたのは1年前だった。
 「歓迎」県道からボート場に下る道沿いには、その時に掲げられた看板が今も残る。

[写真] 登米市の宮城県長沼ボート場の入り口に掲げられた看板。政府、組織委、東京都が描く「復興五輪」の姿は見えていない

 「『復興五輪』の名にふさわしい」
 2020年東京五輪のボート、カヌー・スプリント会場候補地に突如、長沼が浮上した。
 ホテル建設や道路の整備、観光産業への経済効果に期待が膨らみ、地元は沸いた。
 
 2カ月ほど続いた騒動の末、会場は当初案の「海の森水上競技場」(東京)に落ち着いた。
 長沼は経費圧縮の踏み台に使われただけではないか。
 地元には不信感が漂った。

 登米市の寺沢豊志さん(68)は、地元の機運を高めるために「市民の会」を結成した。
 子どもの国際性を育む場にしようと、地元の小中学校に応援担当国を割り当てる青写真も描いた。

 「子どもたちが外国人に接して英語の必要性を肌で感じるチャンスだった」

 期待した復興五輪のレガシー(遺産)があっけなく消え去ったことを悔しがる。

支持獲得に利用

 震災は、五輪の招致活動に深く関わっていた。

 都が2016年五輪の招致に失敗した原因の一つは、国内支持率の低さだった。
 「一極集中」「独り勝ち」と地方から批判を浴びた。
 「復興五輪」は、東京だけでなく日本全体のイベントに変える絶好の掛け声になると考えられた。
 当時の都知事猪瀬直樹氏は「震災で打ちのめされた日本国民を立ち直らせる希望をつくる必要があった」と明かす。
 復興五輪は被災地に限ったメッセージではなかった。
 招致委員会の狙いは当たり、50%に低迷していた国内支持率は70%の合格ラインに到達した。
 東京開催の意義付けとも密接に絡んだ。
 開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終プレゼンテーションがそれを象徴する。
 強調されたのは「スポーツの力」。
 原点は被災地を訪れたアスリートの実体験だった。
 スポーツが笑顔を育み、希望をもたらし、人々を結び付ける−−。登壇者たちは口々に訴えた。

 IOCは東京五輪に何を期待するのか。
 内閣府の大会推進本部の芦立訓(さとし)総括調整統括官は「スポーツの力のすごさ、無限の価値を端的に語り継いでいるかどうかに関心があるのではないか」と語り、被災地の関わり方が大会の成否を左右すると推測する。
 政府、組織委、都にとって、被災地は単なる踏み台か。それとも五輪を成功に導くパートナーか。

 「長沼騒動」で抱いた被災者の思いを寺沢さんが代弁する。
 「スポーツの力のすごさを身をもって伝えられるのは被災地の人間だ」
 2020年夏、被災地にも当然、世界の目は注がれる。


河北新報、2017年10月28日土曜日
<五輪霧中 大会理念を問う>(1)=5回続き
復興の看板/被災地 踏み台なのか
(震災取材班)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201710/20171028_11019.html

The operator of Japan’s stricken Fukushima Daiichi nuclear power plant has been given initial approval to restart reactors at another atomic facility, marking the first step towards the firm’s return to nuclear power generation more than six years after the March 2011 triple meltdown.

Japan’s nuclear regulator on Wednesday approved an application from Tokyo Electric Power (Tepco) to restart two reactors at Kashiwazaki-Kariwa – the world’s biggest nuclear power plant – even as the utility struggles to decommission Fukushima Daiichi.

The process will involve reviews and consultations with the public, and the restart is also expected to encounter strong opposition from people living near the plant on the Japan Sea coast of Niigata prefecture.

The Nuclear Regulation Authority (NRA) ruled that the No 6 and No 7 reactors, each with a capacity of 1,356 megawatts, met stringent new safety standards introduced after the Fukushima disaster. The authority’s five commissioners voted unanimously to approve the restarts at a meeting on Wednesday.

The decision drew criticism from anti-nuclear campaigners.

Shaun Burnie, a senior nuclear specialist with Greenpeace Germany, accused the NRA of being reckless.

He added: “It is the same disregard for nuclear risks that resulted in Tepco’s 2011 triple reactor meltdowns at the Fukushima Daiichi site. Approving the safety of reactors at the world’s largest nuclear plant when it is at extreme risk from major earthquakes completely exposes the weakness of Japan’s nuclear regulator.”

Greenpeace said 23 seismic faultlines ran through the Kashiwazaki-Kariwa site.

Tepco said in a statement that it took the regulatory authority’s decision seriously and would continue making safety improvements at its plants while it attempted to decommission Fukushima Daiichi and compensate evacuees.

Despite the NRA’s approval, it could take years for the Kashiwazaki-Kariwa reactors to go back into operation.

The governor of Niigata, Ryuichi Yoneyama, has said he will not decide on whether to agree to the restarts until Tepco completes its review of the Fukushima accident – a process that is expected to take at least another three years.

Fukushima evacuees voiced anger at the regulator’s decision.

“It looks like things are moving forward as if the Fukushima nuclear crisis is over,”
Hiroko Matsumoto, who lives in temporary housing, told Kyodo news. Matsumoto, whose home was close to Fukushima Daiichi, said Tepco should “never forget that a serious nuclear accident can cause enormous damage”.

Tepco has been seeking permission to restart the idled reactors to help it reduce spending on fossil fuel imports, which have soared since the disaster, triggered by a huge earthquake and tsunami, forced the closure of all of Japan’s nuclear reactors. Four have since gone back online after passing safety inspections.

The utility faces huge compensation claims from people who were evacuated after three of Fukushima Daiichi’s six reactors went into meltdown on 11 March 2011, as well as a rising decommissioning bill.

Earlier this year, the Japan Centre for Economic Research said the total cost of the Fukushima cleanup – which is expected to take up to 40 years – could soar to between 50-70tn yen (£330bn-£470bn). Earlier estimates put the cost at about 22tn yen.

Nuclear power is expected to become a key issue in the election later this month.

The prime minister, Shinzo Abe, has argued that reactor restarts are necessary for economic growth and to enable Japan to meet its climate change commitments. The government wants nuclear to provide about 20% of Japan’s energy by 2030.

But the newly formed Party of Hope, which has emerged as the main opposition to Abe’s Liberal Democratic party, wants to phase out nuclear power by 2030.

Opinion polls show that most Japanese people oppose nuclear restarts.

The Guardian, Last modified on Wednesday 4 October 2017 10.51 BST
Fukushima operator can restart nuclear reactors at world's biggest plant

Tepco, still struggling to decommission Fukushima Daiichi, gets initial approval to start two reactors at Kashiwazaki-Kariwa

By Justin McCurry in Tokyo
https://www.theguardian.com/environment/2017/oct/04/fukushima-operator-tepco-restart-nuclear-reactors-kashiwazaki-kariwa

 被災地が踏み台でぴょう〜と軽やかに空中を飛んで原発再稼働に着地。
 もう、いまの権力側、それにひっついている官僚、富裕層、大企業の好き勝手、やりたい放題!
 メディアもオピニオンリーダーも「とんでもない」と抵抗したリ、コクミンに積極的に呼びかけるなんてことしないでだんまり決め込んでるし、ね。
 被災地を踏み台にして、今度は何を誘致するのかな?やっぱり、米軍基地かな…


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2017年10月28日

つかさ学

 あっごめん、日記の内容に齟齬あり!
 そうなんです、雨の千日前って大阪は難波の「千日前」で、2020年の東京五輪まであと1000日、の意ではありませんでした。

 歌手は「つかさ学」!

 ♪ ネオン灯る総曲輪逃れ 上りかがやきに飛び乗ったわ−。
 富山県魚津市出身で東京を拠点に活動する演歌歌手つかさ学さん(36)は、故郷への思いを歌声に乗せる。
 上京して歌手になる夢をかなえたが、一度は挫折。
 大好きな歌を諦めず、再デビューを果たした。

「ヒット曲を出して、いつかは地元魚津の曲を歌いたい」

 幼少期から演歌や歌謡曲は身近だった。
 母の運転する車の中で聴き、自分も家族の前で歌を披露するうち、漠然と歌手になりたいと思うようになった。

 夢をかなえるため富山第一高校を卒業後、上京。
 明治学院大に通いながら芸能事務所に所属し、2001年、20歳の時にCDデビューを果たした。

 「歌一本で頑張る」と決意。
 「学生歌手」を続け、就職活動もしなかった。
 しかし、思うような結果は出ず、大学卒業を区切りに活動を休止。
 デビューからわずか一年半だった。

 「この先どうなるんだろう」

 不安に襲われたが、飲食店でアルバイトをしながらボイストレーニングを続けた。
 2006年、再びマイクを握りたい、との思いが募り、石原裕次郎さんや大月みやこさんらに曲を提供していた作曲家伊藤雪彦さんの音楽事務所に電話し、弟子入りを志願。
 レッスンを受け、歌声が認められた。
 アルバイト生活から4年ほどが過ぎていた。

 先輩歌手の付き人をしながら歌のレッスンを受け、2010年に「雨の千日前」で再デビュー。
 「富山夢慕情」や「宇奈月の夜」など、リリースしたCD3枚のうち、2曲は故郷を歌う。

 「富山夢慕情」は、幼少期に母とデパートに行った「総曲輪」が登場する。
 高校時代は洋服を選び、友達とファストフード店に行った青春の地だ。
 歌詞にある北陸新幹線「かがやき」は、初めて上京した時代では考えられず、長い年月を感じさせる。

「育ててもらった故郷を歌うのは夢のひとつだった」

 地元の温かい応援を受けながら、幸せをかみしめている。


北陸中日新聞、2017年10月25日
夢諦めず 故郷思い歌う 魚津出身のつかさ学さん(36)
「学生歌手」引退 再デビュー7年

(山本拓海)
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2017102502100010.html

 幼い頃から、母親が営む飲食店で流れていた演歌・歌謡曲を聴き、自然と口ずさみ、親しみを持つようになる。
 親戚や近所の集まりなどで唄うようになり、人前で唄うことや、聞いてくれる人が拍手をして喜んでくれる姿に喜びを感じるようになる。

 小学生の頃には歌手になる夢を抱き、中学生の頃に、高校卒業後は上京し、歌の勉強をすることを決意する。
 大学進学と共に上京、ボイストレーニングに通い、芸能事務所に所属、20歳の時に演歌歌手としてCDデビューするも約一年半の活動の後に歌手活動を休止する。
 その後、歌の道から離れるが、歌への想いがどうしても捨て切れず、2006年、作曲家伊藤雪彦先生の下を訪れ弟子入りを志願するも、既に弟子がいたため一旦断られるが、声の響きの良さを褒められ、弟子入りを認められる。
 約4年間のレッスンを受け、2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズより「雨の千日前 / 男のララバイ」でデビューする。
 現在は各地でのイベント・ラジオ等に出演、精力的にキャンペーンを重ねる。
 2016年2月3日に日本クラウンより移籍第一弾となる2ndシングル「あの人を追いかけて / 富山夢慕情」をリリース。
 2016年11月2日に日本クラウンより移籍第二弾となる3rdシングル「宇奈月の夜 / 泣かせて」がリリースされる。

 自分の歌でひとりでも多くの方にほんのひとときでも日頃の憂さが晴れ笑顔になれたり、心癒やされたり、懐かしい昔を思い出し郷愁に浸ったり、楽しんでもらえるよう、喜んでもらえるようにこれからも歌の道を精進していきます。


つかさ学公式サイト、プロフィル
http://tsukasamanabu.com/profile/

 どうしてつかさ学、なのっていうと実はヤッホー君、「江東区民まつり」、木場公園は噴水広場で開かれていた「歌謡ショー」で聞き惚れていたのです!

 今週末も台風の影響でお天気が悪いですね。これ以上大きな被害が出ませんよう祈っています。

 さて、本日は毎年恒例にしていただきました、東京・木場公園での江東区民まつりのステージで唄わせていただきました。
 もう5年連続でお声かけていただいてます‼︎
 
 肌寒い中にも関わらず、多くのみなさんに温かいご声援をいただき、とても嬉しかったです♬
 みなさま、本当にありがとうございました。どうぞ風邪などひかれませんように‼︎

 あいにくの空模様でしたが、僕のお時間幸いなことに雨が降りませんで、沢山のみなさまの前で今年も唄わせていただきました‼︎

[写真] 今年も運営と司会をしてくださった、同じ1月7日生まれのTetsuさんと… Tetsuさんはアーティストでもあり、実業家でもあるんです。凄いです‼︎ つかさも少しは見習わないと、、苦笑。

 ご縁に感謝して… また来年もお会いできますように‼︎


つかさ学公式ブログ、2017年10月28日
江東区民まつりにて…
https://ameblo.jp/tsukasamanabu

 つかさ学、観客をこの前の東京五輪、昭和39年、1964年にプレイバック、プレイバック…

 戦後日本の復興の象徴となるアジアで初めてのオリンピックが10月10日、東京で開催された。
 オリンピックの開催にあわせるように、東海道新幹線(東京〜新大阪)や東京モノレールが開通し、首都高速の拡張工事やホテルの建設ラッシュなど、首都圏はインフラ整備によって急速に近代化してゆく。
 ちなみにミュージシャンの聖地となる日本武道館は、五輪の柔道会場として建設されたものだ。
 また、海外旅行が誰でも自由に行けるようになったのもこの年からである。
 若者の間ではアイビールックが流行り、銀座では"みゆき族"なるものが出現し社会現象となる。一方で、純愛・悲恋の実話本「愛と死をみつめて」がベストセラーとなり、テレビドラマや映画化とともにレコード化された。
 同名の歌は、青山和子の歌唱でこの年の日本レコード大賞を受賞。
 トピックとしては、坂本九の「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」というタイトルで全米レコード協会のゴールデンディスクに認定される。日本の歌で同協会に認定されたものは現在もこの曲が唯一無二だ。
 この年のヒット曲は、坂本九の「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」のほかに、小林旭「恋の山手線」「自動車ショー歌」、井沢八郎「あゝ上野駅」、三田明「ごめんねチコちゃん」、橋幸夫「恋をするなら」、梶光夫「青春の城下町」、越路吹雪「サン・トワ・マミー」、和田弘とマヒナスターズ&松尾和子「お座敷小唄」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、岸洋子「夜明けの歌」、ペギー葉山「学生時代」、舟木一夫「花咲く乙女たち」、一節太郎「浪曲子守唄」など。
 この年のデビュー歌手は、西郷輝彦「君だけを」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」、水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」などが挙げられる。
 洋楽では、ビートルズが「抱きしめたい」などで米国のヒットチャート上位の常連となり、日本でもビートルズ旋風がやって来る。
 また、キングストン・トリオ「花はどこへ行った」、シルヴィ・バルタン「アイドルを探せ」、エルヴィス・プレスリー「ラスベガス万才」や、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のミュージカル映画「シェルブールの雨傘」から同名主題歌が日本でもヒットした。
 テレビ番組では、ワイドショーの草分け「木島則夫モーニング・ショー」(旧NET.現テレビ朝日)が始まり、NHKの朝の連続ドラマ「うず潮」(林芙美子原作)や人形活劇「ひょっこりひょうたん島」が人気番組となる。アメリカのドラマでは「逃亡者」(TBS系)が人気を得た。
 そして、戦時下の東京を舞台にした映画「君の名は」に主演した二枚目俳優の佐田啓二が交通事故で亡くなったのはこの年の8月。享年37歳であった。


昭和の青春ポップス〜iuta.jp〜大人のための懐メロ着うたフルサイト♪
昭和39年のヒット曲と出来事
http://iutajp.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/39-f3a7.html

 ではここで、今日つかさ学がカバーした新川二郎「東京の灯よいつまでも」とイマ、つかさ学ががんばっているオリジナル曲「宇奈月の夜」、2曲つづけてどうぞ:

https://www.youtube.com/watch?v=mZpLP8-zxMI
https://www.youtube.com/watch?v=Hwh71echBts

 つかさ学を応援してあげましょう!

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雨の千日前

 2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの選手村で必要な食材量の概算が発表された。
 約1万人の選手・関係者たちに必要な食材は約600トンに及ぶという。

 この数字は、「味の素ナショナルトレーニングセンターにおける使用食材量のデータを、オリンピック選手村規模に拡大することにより算出しました」(東京オリンピック・ パラリンピック大会組織委員会担当者)とのこと。
 具体的には主食135トン、野菜類215トン、果実類78トン、肉類128トン、魚介類38トン……となる。

 この大量の食材を、どう調達・輸送し、大会期間中、保管するのか。

「今後決定される飲食の委託事業者が調達します。食材の移動等のオペレーションに関しても、委託事業者が有するノウハウや設備等も考慮しながら今後検討していきます」(同上)

 いまのところ、ほとんど具体的には何も決まっていないようだが、こうした背景には、過去に選手村での軽食提供を行ってきたマクドナルドのスポンサー撤退が大きく影響している。
 マクドナルドは、1976年から40年ほど続けてきたオリンピックへのスポンサードを終了したと6月に発表。
 理由は「経営の優先事項に注力するため」と述べているが、オリンピック協賛費の高騰が主な理由でないかと報じられている。
 
 東京オリンピック・パラリンピックの食材調達に関しては、組織委員会の飲食戦略検討会議で決められている。
 会議にはオリンピック委員をはじめ、内閣官房、東京都、農水省、厚労省、日本給食サービス協会、日本ホテル協会などが参加。官民一体となってオリンピックの飲食を検討している。
 2017年3月に行われた第一回会合では、過去のオリンピックでの事例を取り入れようと、ロンドン五輪での運営実態が紹介されている。
 資料によれば、ロンドン大会で提供された食事は1500万食以上。
 選手村だけでも200万食必要となったという。
 選手村のピーク時には30分で1万食必要というから驚く。
 
 ロンドン五輪の例を見ても、2020年、東京五輪の食材調達は容易ではないだろう。
 実は、膨大な量以外にも問題がある。
 近年IOCは「オリンピック競技大会のすべての側面に持続可能性を導入する」という提言を行っており、この原則が選手に提供される食材に関しても適用される。

「IOCの提言に従い、オリンピックで提供される食材に関して『食の安全を確保する』『周辺環境や生態系と調和の取れた生産に配慮する』『生産者の労働安全を確保する』などの要件を決めています」(農水省担当者)

 これらを満たすものとして、JGAP、GLOBAL G.A.Pなどの認証を受けた食材の採用が義務づけられるのだ。聞きなれない言葉だが、いったい認証システムとはなんなのか。

「農産物の安全性や環境について、それぞれの認定団体が定める基準を満たしたときに取得できます。たとえば、農薬の散布状況や誰が撒いたかなどを記録し管理する。出荷物への異物混入に対する対策を行うなど、基本的なルールに乗っ取っています。大手スーパーなどでは、GAPを取得済みの農家からしか商品を仕入れていないケースもあります」(農水省担当者)

 こうした認証を得るためには何十万円という経費がかかってしまう。
 現時点で取得済みの農家は全体の1%に満たないとされるが、オリンピックの食材として採用されることを考えれば、取っておいても損はないと担当者は続けた。
 東京オリンピックはアスリートだけでなく、農業生産者たちにとっても大きなチャンスになりそうだ。


2017年8月14日 2時0分
マクドナルド撤退で「東京五輪」食材600トン確保の難易度
http://news.livedoor.com/article/detail/13470697/

 2020年東京五輪の選手村用地として、臨海部の中央区晴海の都有地を不当な廉価で売却したとして、都民ら33人が小池百合子都知事を相手に8月17日、東京地裁に提訴した。
 舛添要一前都知事と買い取った業者11社に対して、適正価格との差額分を請求することなどを求めている。
 原告らによると、差額は1000億円はくだらないという。

 訴状などによると、問題になっているのは、東京駅から3〜4kmのところにある晴海5丁目の都有地約13.4万平方メートル。
 東京都は2016年、公募で唯一手をあげた大手デベロッパー11社のグループに129億6000万円で実質売却する契約を結んだ。

 1平方メートルあたりの金額は9万6784円。
 原告によると、隣接エリアの地価は60万〜108万円、2012年には1キロほど離れた都有地が103万円で売られており、適正価格の10分の1程度だと主張している。
 原告らは都に対し、価格の根拠を示すよう情報開示も求めたが、肝心な部分が墨塗りされていたという。

議会に通さなくて良い「裏道」を利用?

 公有地の売却には本来、「地方自治法」で議会の議決か条例が必要とされる(同法237条2項)。
 しかし、都は売却に当たって、これらの適用が除外される「都市再開発法」の規定を利用。
 「個人施行」という区分を使い、議会や条例で定められた審議会を通さずに契約を結んでいる。

 弁護団長の淵脇みどり弁護士は、「公正な価格評価を逃れるため、脱法的な行為が巧妙に行われている。官製談合の疑いがあり、小池都知事は公約通り、情報を開示し、適正価格での取り引きをやり直してほしい」と話している。

 選手村の施設は、大手デベロッパー11社が費用を出して建てる。
 五輪期間中は、大会組織委員会からの賃料収入が発生。
 終了後は、施設の改修や建設によりマンション化して、販売する予定。
 都はこのエリアの道路など基盤整備に510億円を負担する計画だという。


[写真] 東京地裁に入る原告ら

弁護士ドットコムニュース、2017年08月17日 13時57分
「東京五輪」選手村に都有地を9割引で売却?
「舛添前知事に差額払わせろ」と提訴

https://www.bengo4.com/gyosei/n_6523/

 2020年の東京五輪・パラリンピックまで、10月28日であと1千日。
 各地でイベントが予定されている。

 大会組織委員会と東京都は28日午後、東京都中央区の日本橋中央通りでカウントダウンイベントを開く。
 競泳の入江陵介選手や重量挙げの三宅宏実選手らオリンピアン4人を招き、トークセッションを行う。
 これに先立ち、歌舞伎役者の市川海老蔵さんらとともに、「1」と3つの「0」の文字を載せた山車が、日本橋三越本館前付近から約100メートルにわたって練り歩く。

 東京都新宿区の明治神宮外苑総合球技場周辺では28、29日、五輪とパラリンピックの競技の一部を体験できる「青山スポーツフェス2017」が開かれる。
 朝日新聞社と大日本印刷、特定非営利活動法人アップタウン青山コンシェルジェの主催。
 2020年東京五輪から正式競技となったスポーツクライミングや、パラリンピック競技のブラインドサッカーなどが気軽に楽しめる。
 競泳の松田丈志さんらアスリートのトークショーもある。

 東京タワーは27、28日、五輪カラーにライトアップされる。
 黄、赤、緑、青に点灯させ、大展望台部分に「1000」の文字照明も。
 両日とも午後11時まで。

 五輪で野球・ソフトボールの開幕戦がある福島市では28日午前11時から、9団体出演の音楽イベントがある。
 1964年東京五輪で流れた「オリンピックマーチ」を福島県立福島商業高校の吹奏楽部が演奏。
 トークショーではスピードスケート長野五輪金メダリストの清水宏保さんや元プロ野球の岩村明憲さんらが登壇する。

 千葉県成田市の成田空港やさいたま新都心、横浜市の赤レンガ倉庫でも、28日に記念イベントが開かれる。
 仮想現実(VR)を活用したサーフィンなどの競技体験、ソフトボール選手らによるトークショーなどが予定されている。


[写真] 東京タワー特別ライトアップのイメージ(合成写真)。大展望台部分に「1000」の文字が浮かぶ。

朝日新聞、2017年10月27日14時50分
東京五輪あす1000日前
選手ら参加、各地で催し

(中田絢子、高浜行人)
http://www.asahi.com/articles/ASKBV65CGKBVUTIL04B.html

 では、ここでつかさ学(1981年1月7日生まれ)で『雨の千日前』をじっくり聴いてみましょう:

https://www.youtube.com/watch?v=GZtGPZyCTho

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マレーシア輝き色とりどり

 マレーシア… 最近の紹介記事をご紹介しましょう。

 「泥の川が交わる場所」という意味の名を持つ、マレーシアの首都、クアラルンプール。
 中華街やインド人街、マレー人街と独自のコミュニティーが作られ、イスラム教のモスク、ヒンズー教や仏教の寺院が多いのが魅力だ。
「手軽に世界一周できるよ」
 ガイドからそう聞かされ、市内の観光地を回ってみた。

 まず向かったのは「国立モスク」。
 マレーシアはイスラム教を国教と定め、人口の約6割が信仰する。
 国立モスクはステンドグラスが美しいことで有名だ。
 礼拝所に入ると、青や黄色の幾何学模様が目に入ってくる。
 床に頭をこすりつけて祈りをささげる市民たち。
 柱にもたれてゆったりとくつろぐ人の姿もあり、憩いの場にもなっているようだ。
「モスクは私たちにとって心安らぐ場所です」
 係員の信者が説明してくれた。

 現地の食事は中国やインド、マレーなどの民族料理。
 昼食は中華街へ向かった。観光客でにぎわうアーケードを抜けると、店の軒先に丸鶏がつるされているレトロな食堂「南香」が目に付いた。
 1938年創業。看板メニューは、ご飯の上に蒸した鶏を載せたチキンライス。
 ジューシーな鶏肉をほおばりながら、店内を見渡すと、ほとんどが海外の観光客のようだ。

 中華街すぐ近くに、ひときわ派手な門を見つけた。門の屋根に、極彩色の神々の彫像が設置されている。
 マレーシア最大のヒンズー教寺院「スリ・マハ・マリアマン」だ。
 入り口で靴を脱いで入ると、みけんにビンディーと呼ばれる丸い印を付けた女性が祈りをささげていた。
 まるでインドに来た雰囲気だ。

 「中華系の寺院も面白いですよ」とガイドに案内されてやって来たのが、東南アジア最大の中国寺院「天后宮」。
 中華街から南に約4・5キロ離れたところにある。赤いランタンに彩られ、赤、金、青、白と、色とりどりに塗られた建物は鮮やかだ。
 ウエディングドレス姿の女性とスーツ姿の男性のカップルがいた。
 聞くと、中華系のマレーシア人の場合、寺院に婚姻届を出すという。
 婚姻届を受け付ける窓口もあり、待合室はカップルでいっぱいだ。

 最後は、屋台街「アロー通り」へ。
 幅200メートルの道の両脇には屋台とテーブルで埋め尽くされ、その間を縫うように観光客が行き来している。平日でも夜更けまでにぎわう。
 いろんな国の料理が並んでおり、香ばしいにおいにつられ、マレー料理の屋台で足を止め、串焼きのサテを注文。
 続いて中国系の店をはしごし、漢方で豚肉を煮込んだスープ料理バクテーを食べた。
 ビールで喉を潤していると、周りには英語や中国語、マレー語などの会話が飛び交っていた。
 さすが多民族国家。
 いろいろな民族の人が溶け合う街は、陽気で躍動感に包まれていた。

● メモ
 クアラルンプールの観光スポットを乗降自由に楽しめるのがツアーバス「ホップオンホップオフ」だ。市内23カ所の観光スポットを約2時間で回ることができる。チケットは24時間有効と48時間有効の2種類。バス内には、日本語の自動案内も置いてある。インターネットや旅行代理店、バス乗車時に購入することが可能。HP=http://www.myhoponhopoff.com/index.php
××
● 寄り道=かぐわしいドリアン屋台
 アロー通りの入口付近では、ドリアンを売る屋台が並んでおり、辺りは独特のにおいに包まれている。
 屋台では、店員がドリアンを切ってくれ、その場で食べられる。ドリアンにも多くの品種があり、最も高級とされるのは「ムサンキング」という種類だ。試しにドリアンを食べてみると、黄色い実は柔らかく、甘いチーズのような味だった。においはそこまで気にならない。だが、においを理由に持ち込みを禁止するホテルは多いという。
 地元ではドリアンを食べた後に、酒を飲んではいけないと言い伝えられている。発酵しやすい果物のため、胃の中で酒と発酵し、胃が破裂すると信じられているのだ。
 においがある上に、ちょっと危険?な果物の王様。それでも地元住民に愛されるのか、屋台ではどの果物より目立っていた。


西日本新聞、2017/09/18付け
クアラルンプール(マレーシア)(上)
民族が溶け合う街

https://www.nishinippon.co.jp/nlp/travel_report/article/359544/

 マレーシアはかつて、マハティール首相が「ルックイースト政策」を掲げ、日本の経済発展に学んで成長を続けてきた。
 今年は日本と外交を樹立して60周年の節目に当たる。
 首都クアラルンプールで、この国に根付く「日本」を探した。

 車は右ハンドルが多く、左側を走っている。
 通りでは、見慣れたコンビニやファッションブランドの看板が目につく。
 交通体系も街並みも、驚くほど日本に似ている。
 市内中心部に入ると、眼前に「ペトロナス・ツインタワー」(452メートル)が飛び込んできた。1998年に完成したマレーシアのランドマークで、天を突く巨大な2本の光の塔は、経済成長の象徴だ。
 タワー1は、日本のゼネコン「ハザマ」(現安藤ハザマ)が施工したという。
 ツインタワーと直結する複合ショッピングモール「スリアKLCC」には、約270のテナントが入り、紀伊国屋や伊勢丹といった日本企業も名を連ねている。

 この国の歴史を知ろうと、シティーギャラリーへ。
 マレーシアが他国に統治された時代や、1957年に独立した経緯などを写真パネルで詳しく紹介している。

 マレーシアは1941〜1942年の2年間、日本に統治された。
 太平洋戦争の開戦日の1941年12月8日、日本軍はマレー半島コタバルに上陸。
 各地の連合軍と戦いながら半島を南下し、翌年1942年2月15日にシンガポールを陥落させた。
 マレーシアの国民も戦争の犠牲者になった。
 ただ、こうした戦争の歴史について、マレーシアの学校ではあまり詳しくは習わないという。
「植民地時代や戦争について語る人は、ほとんどいません。過去を振り返るより前を向くことの方が大事だからです」
 案内してくれたマレーシア人の曾永興(チャンエンヘン)さんが語った。

 親日的な国民が多いというマレーシア。
 クアラルンプール一の繁華街、ブキッ・ビンタンにある「パビリオンクアラルンプール」には、親日ぶりをよく表すフロアがある。その名も「東京ストリート」だ。
 2011年にオープンし、ラーメン店や貴金属店、100円ショップまで軒を連ねる。
 通路にはサクラの造花や、大きなちょうちんが飾られている。
 訪ねた日は、特設会場で華道池坊の会員による生け花教室も開かれていた。
 近年、生け花をたしなむマレーシア人が増えているという。
「日本人もよく行くエビそばの食堂があるんです」
 マレーシア政府観光局の職員に言われ、最後の夜の食事は、インビー通りの「ソーキーミー」へ行った。
 店の名物は、20センチを超える大きなエビをのせたあんかけそば。パリパリした揚げ麺に濃厚なエビみそのソースが絡んで、癖になる味だった。
 調理するホン・ジェシカさんによると、店は父親の代からで、1940年ごろの創業。
 ホンさんは日本が好きで毎年、遊びに行っている。日本人の観光客も来店する。
「でも日本のお客さんは減っている。私は日本語が好きなので、もっと話したい」
 ホンさんが日本語で一生懸命に話してくれた。

● メモ
 炎熱の暑さのクアラルンプールでは、外を歩いて巡るのは大変。かといって、タクシーではひどい渋滞に巻き込まれることも。そんな時、中心部のブキッ・ビンタンで便利なのがペトロナス・ツインタワーとパビリオンやホテルを結ぶ「ブキッ・ビンタン歩道橋」だ。
 この歩道橋は室内型で冷房が効いており、暑さをしのぐことができる。警備員もおり安全性も確保されている。無料で、通行は午前6時〜午後11時。
××
● 福岡−クアラルンプールが9〜10時間 タイ国際航空
 現在、福岡空港からマレーシア・クアラルンプールへの直行便はない。福岡空港から出発したい旅行客にお勧めしたいのが、タイ国際航空のタイ・バンコク経由便だ。
 創立57周年を迎えたタイ国際航空は、1992年からバンコクと福岡を結ぶ便を就航し、現在は毎日運航している。バンコク経由でクアラルンプールまでの所要時間は9〜10時間。週末に出発し、月曜の朝に福岡空港に戻ることができる便があり、金曜の夜に旅行に出て、月曜にそのまま出勤ということも可能だ。
 タイ国際航空は、英国の航空業界専門の調査会社である「スカイトラックス社」が行った調査「ワールド・エアライン・アワード2017」で機内サービス、機内食など3部門で世界一に選ばれた。


西日本新聞、2017/10/02付け
クアラルンプール(マレーシア)(下)
歩けば なるほど 親日の国

https://www.nishinippon.co.jp/nlp/travel_report/article/362995/

 西日本新聞の次に、東北の河北新報でも:

 日本とマレーシアの国交樹立から今年で60周年を迎えたのを受け、定期便を運航する全日空(ANA)とマレーシア政府観光局が9月上旬、報道機関向けに同国の魅力を紹介するツアーを実施した。

 アジア有数の都市、首都クアラルンプールはビルや鉄道の建設が盛んで、活力に満ちている。

[写真] <歴史>
 クアラ(泥川)・ルンプール(交わる場所)という都市名の語源となったゴンバック川とクラン川の合流地点。正面には市内最古のモスク「マスジット・ジャメ」が見える。

[写真] <文化>
 クアラルンプールから車で40分ほどの新興都市、プトラジャヤにあるプトラモスク。その色から「ピンクモスク」とも呼ばれる。イスラム教の礼拝所のため、女性は見学時に髪や肌を隠すことが求められる。

 世界遺産になっている南部の街・マラッカの旧市街には、オランダやイギリスの植民地時代の建築物や仏教の寺院、イスラム教のモスクが並ぶ。

 同国は日本人の移住先として人気が高く、現在2万2000人が長期滞在する。
 温暖な気候や高過ぎない物価、安定した治安が魅力。さまざまな文化が入り交じり、多民族国家ならではの寛容な国民性も移住先に選ばれる理由のようだ。

 仙台空港からANAネットワークの乗り継ぎサービスが向上し、成田経由でクアラルンプール線の利便性も高まった。


河北新報、2017年10月27日金曜日
日本と国交60年
マレーシア輝き色とりどり

(報道部・関川洋平)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201710/20171027_73052.html

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2017年10月27日

Britain’s National Health Service

 憲法9条もそうだけど、皆保険もそう。
 国民健康保険、「その実現により、世界最高水準の保健医療を実現。国際的にも高い評価を受けてきました」ってホントの話し。
 マレーシア紙の論評では、来たるべき総選挙では、予算審議では「ていねいな議論を」と:

IT is an open secret that the next general election (GE14) is around the corner.

Unfortunately, personality cults tend to be the main course for election campaigns, alongside a dash of gossip and a sprinkle of scare-mongering. We generally shy away from discussing and debating matters along ideological and policy lines.

Contrast this with the recent United States presidential election. Healthcare was a major point of discussion, and indeed, of contention. Obama’s Affordable Care Act was either loved or loathed. Many a media coverage focused on both its positive and negative impacts on society. Discussions extended to payment of premiums of insurance coverage, escalating cost of medication and growing inaccessibility to services. The differences between candidates were spelt out, with voters getting insight into policies that can be expected should a candidate be elected.

In the United Kingdom, the National Health Service (NHS) is close to the heart of her electorate. Governments in the UK rise and fall on the manner which NHS is handled.
NHS was established by Aneurin Bevan in the aftermath of World War 2, with a philosophy of providing healthcare that is free at the point of delivery.

Debates are ongoing about the long-term sustainability of this philosophy, including the need to rein in costs, the possibility of outsourcing services to private sector entities and the latest: making foreigners pay for use of services.

It would be to everyone’s benefit if GE14 sees a similar level of passion and intensity when discussing policies that involve the health of the rakyat. Malaysia spends less than 5 per cent of her GDP on healthcare, compared with more developed countries, where healthcare expenditure is more than 10 per cent.

As we progress as a nation, there is no doubt that we will have to spend more on healthcare.

This is especially true as the population grows and life expectancy lengthens. The healthcare system will also strain as it attempts to cope with a growing elderly demographic and the need to keep up with advances in science and technology.

When one considers the “non-medical” issues of increasing urbanisation, climate change and the difficulties we face as a commodity-dependent economy, it is clear that we will be facing a challenging time moving forward.

However, it is important to note that just spending more will not automatically lead to better healthcare outcomes, as seen by the relatively poor outcomes in the US. Funds that are available should be used efficiently and effectively.

It is a reflection of the Health Ministry’s industriousness that the public is able to get quality healthcare services for as little as RM1, at times. But overcrowding in public hospitals is a major issue, and the costs will catch up with the government.

What should be done to improve matters? Should the government introduce a single entry insurance scheme that allows access to both public and private hospitals? Should the government cease being a healthcare provider and be a purchaser only? How can we introduce greater transparency to the procurement system to avoid unnecessary leakages of funding? Is there a role for telemedicine to cut down waiting times and queues in hospitals?

All these, and many more, are questions that need to be discussed in an open and frank manner. By virtue of being in power, the ruling coalition has the advantage of frequently updating us on matters of policy through their acts. It would be nice if the opposition coalition had a shadow cabinet, as it would give us insight into the policies that they would introduce if they were in power. As it stands, most voters are familiar with what they are against but not what they stand for.

As a country striving to achieve developed status, it is high time that we focus our election debates and campaigns on issues of substance and move away from the personality cults that have been plaguing our progress. Politicians are tuned in to the frequency of voter sentiment and if we make the future of our healthcare system a priority, more attention will be paid to it.


New Straits Times, Published: February 14, 2017 - 0:09am
Healthy discourse needed on Malaysian healthcare
By Dr Helmy Haja Mydin
Dr Helmy Haja Mydin is a respiratory physician at Pantai Hospital Kuala Lumpur and a founding associate of the Institute for Democracy and Social Affairs (IDEAS).
https://www.nst.com.my/news/2017/02/212227/healthy-discourse-needed-malaysian-healthcare

WITH all eyes focused on the tabling of the 2018 Budget tomorrow, the Health Ministry in particular would be crossing their fingers in hopes of getting a bigger share of the pie.

With RM25bil originally allocated in 2017, representing close to 10% of the overall budget, healthcare is a major appreciating cost.

Incidence of non-communicable diseases (NCDs) such as hypertension, heart disease and diabetes has been on the rise. These diseases currently account for three- quarters of all deaths in Malaysia.

Gains in life expectancy also translate to increased health burden as the population both grows and ages (15% of Malaysians will be over the age of 60 by 2030).

There have been many recommendations which the Government can implement as cost-costing measures to better manage spending and to get the national deficit under control. Reducing the size of the public service and placing more emphasis on increasing efficiency through increased computerisation are examples which easily come to mind. It has been estimated that over 40% of government revenue will need to be used to support the public sector emoluments alone.

However, reducing the allocation for healthcare cannot be one of those options to consider for cost-cutting. Provide less in 2018 than what was allocated in 2017 and there would be severe consequences, including shortage of essential drugs needed to treat NCDs particularly for senior citizens and those from the lower income bracket; disruption of public health programmes such as dengue prevention and control; loss of skilled and trained personnel to the private sector; and, most worrying of all, increased out-of-pocket expenditure by patients and their families.

But I think health will get a boost this time around. It won’t be as much as the Health Ministry would like but certainly more than what they received this year.

However, a more sustainable solution to financing the national healthcare system must be found. We cannot depend on maintaining what we have today based on a “living from national budget to national budget” mindset, facing almost existential questions each time September and October approach.

We are fortunate that the Government is steadfast in its commitment to ensuring that Malaysians have access to high quality healthcare. When we look at the battles being waged in the United States and Britain over this issue, we can count ourselves fortunate.

But that day is soon coming.

Back in May, Health Minister Datuk Seri Dr S. Subramaniam boldly announced that the Government would introduce a voluntary national health insurance system in 2018. That took guts. The unpleasant experience with 1Care has demonstrated how finding a publicly and politically acceptable approach can be incredibly difficult and tricky, particularly when it involves the public purse. Ensuring and maintaining high quality healthcare is neither free nor cheap, regardless of whether it is in the public or private sector. How we pay for it has been the question that planners and boffins of the Health Ministry have struggled to answer for the past 15 years.

The fact is that with the constraints and ever-increasing demands made on the government, the national budget allocation can never really commensurate with the medical cost, hence the need for a separate financing mechanism specifically for healthcare and to complement the existing framework.

So what would this national health insurance look like if implemented next year? How much do we have to pay and who needs to be enrolled? We don’t know yet. All we have been told so far is that it would be voluntary and not profit-driven, and that it would be managed by non-profit organisations under the Health Ministry. Members of the national insurance scheme might also have access to private healthcare.

I believe that similar to the system in Germany and Australia, people should be able to opt out if they wish to retain their own private insurance or pay for their own private healthcare.

A national health insurance could save the public healthcare system as we know it today, and enable Malaysians to have access and maintain coverage for better care and treatment.

It would also act as a social safety net, particularly in ensuring quality medical treatment for the elderly and those with lower incomes.

A national health insurance scheme could be a game changer to catapult the Malaysian healthcare system into the 21st century.

Selling the idea of a national health insurance scheme to the Malaysian public is going to be tough and unpopular even if it is voluntary. But it must be done and cannot be delayed any longer.

Budget 2018 will give us a clue of where the Government wants to go with this. What I do know is that the commitment to implement it must be announced with a definitive timetable of implementation. The details must be shared with the public as soon as possible for us to better understand and support it.

It will be a bitter pill to swallow, especially with the GST, reduction of various subsidies and a trust deficit in the background. But there will never be a right moment or perfect conditions to introduce such an initiative.

Consider the fact that Britain’s National Health Service was founded in 1948 shortly after the end of the Second World War. This was the worse condition possible and yet it was done and exists to this day. The NHS’ founding principles are very like our own: the provision of healthcare services that are comprehensive, universal and free at the point of delivery.


Letter to The Star, Published: Thursday, 26 Oct 2017
Time for health insurance
By AZRUL MOHD KHALIB, Kuala Lumpur
http://www.thestar.com.my/opinion/letters/2017/10/26/time-for-health-insurance/

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高すぎる国保料

 1961年に市町村で国民健康保険制度が実施されました。
 これにより、国民だれもが医療制度に加入する国民皆保険が達成されました。
 実施から50年。
 高齢化の影響などで国民医療費は増加する一方、国民健康保険料の滞納世帯も増加するなど、制度が揺らいでいます。

 医療制度の歴史は、明治に鐘紡、八幡製鉄所での共済組合設立などから始まったとされます。
 その後、工場労働者を対象とした健康保険法が制定されました。
 改正を経てサラリーマンとその家族が対象となる健康保険へと発展しました。

 国民健康保険は当初、任意組合から始まりました。
 その後、サラリーマンの健康保険に加入していない場合、市町村が運営する国保へ強制加入することになりました。
 この結果、1961年に国民皆保険が実現しました。

 皆保険の実現により、世界最高水準の保健医療を実現。国際的にも高い評価を受けてきました。

受診できず重症化
 皆保険は揺らいでいます。
 居住していれば加入できる国保は、皆保険で重要な役割を果たしてきました。
しかし、国保の保険料の収納率は1973年度をピークに低下、2008年度は90%を割り込みました。
 保険料を滞納する世帯数も2009年で445万世帯、加入世帯の20・8%と、5世帯に1世帯が滞納している深刻な状況に陥っています。
 滞納すれば、保険診療を満足に受けられず、なかには受診を見合わせ、重症化や生命を落とすケースも出ています。
 また、経済協力開発機構(OECD)によると、日本の人口千人あたりの医師数は2.2人で、加盟国中、下位グループに位置しています。
 医師不足は、救急や産科、小児科などで深刻です。
 救急患者のたらい回しが社会問題化しました。

医療の地域格差も
 地域による医師、病院などの偏在もあり、受けられる医療サービスの地域格差も指摘されています。
 高齢化や医療の高度化などの影響を受け、医療費は年々増加しています。
 また、各保険者の財政も厳しい状況です。
 医療費の増大を防ぐため、保険料や自己負担の引き上げなど給付と負担の見直しが続いています。
 医療制度も変遷してきました。
 とくに高齢者医療は、自己負担の無料化から老人保健制度、後期高齢者医療制度へと変わっていきました。
 さらに、後期高齢者医療制度を廃止し、新高齢者医療制度へ移行する案も決定されました。
 しかし、皆保険を維持するには、医療体制の地域格差や診療報酬、厳しい財政と負担のあり方など、さまざまな問題が山積しています。


東京新聞、2011年1月16日
皆保険施行50年(No.343)
国保滞納、医療費は増…問題山積

http://www.tokyo-np.co.jp/article/seikatuzukan/2011/CK2011011602000089.html

 1961年に市町村で国民健康保険制度が実施、ですか、それから56年後の状況は、と言いますと、コクミンに背を向けている国は、惨状を見て見ぬふりを決め込んでいるのではないか、と。
 税金の使い道はどうも怪しい、とヤッホー君、どんどこ造幣局でお金を刷ってるって話しを聞くので、口をぽかんと開けて滴り落ちてくるのを待ってるんだけど、カジノですっちゃったのかな…
 皆保険とは聞いてあきれる、資本主義じゃない、これは私企業に任せるべき、外資系保険会社の市場参入を防ぐけしからんやつだ、けしからん、あほらっくあほらっくってせまれれてんのかも:

 受け取る年金が少ない「年金プア」の高齢者は日々、苦しいやりくりを強いられる。
 そうした中で重い病気にかかると、深刻な事態になりやすい。
 医療費がかさむことを懸念して受診を控え、病状の悪化が進んでしまうケースだ。
 皮膚がんの治療が遅れて今年春に亡くなった東海地方の女性の事例から考えてみた。

 女性は昨年2016年10月下旬、大学病院に救急搬送され、そのまま入院した。
 膝の下の部分が大きなこぶのように膨らんで何かに触れると激しく痛み、自ら救急車を呼んだという。
 がんの転移が進み、全身がだるく歩行も困難に。
 救急隊員に「どうしてここまで放っておいたのですか」と尋ねられたが、何も答えられなかった。

 女性は平屋の古い借家で事実婚の夫と約30年間暮らしていた。
 救急搬送されたときは女性が65歳、男性が64歳。
 男性によると、女性の体の異変は5年前に出始めた。
 膝の下の部分が膨らみ、こぶ状になっていた。

 女性は診察してもらった病院で検査や入院を勧められたが、断った。
 経済状況が厳しかったからだ。
 運送関連の会社で運転手として働く男性と清掃員のアルバイトをしていた女性の収入は合わせて月20数万円。
 女性の月収は6万〜7万円で、二人の支援者らは「働けなくなることを心配したようだ」と話す。
 その後、膝の下のこぶは徐々に大きくなったが、女性はこぶを覆い隠して仕事を続けた。

 国民年金の受給は、原則は65歳からだが、希望すれば60歳からの繰り上げ受給も可能だ。
 しかし、二人は国民年金の保険料の滞納期間が長く、受給資格はいずれもなかった。

 50代後半まで建設関係の「一人親方」として働いていた男性と、ホテルの清掃などアルバイト勤務が長い女性。
 収入が少なく長年、年金保険料を支払えなかったという。
 年金受給に必要な加入期間は2017年8月、25年から10年に短縮されたが、男性は「それでも受給資格は得られない」と話す。

 女性の病状は徐々に悪化し、2015年冬には働けなくなった。歩くのにも支障が出るようになったが、それでも、女性が病院へ行くことはなかった。

 女性は国民健康保険の保険料も滞納していたため、公的医療保険も受けられなかった。
 一時期は滞納分の分割返済を進めていたが、仕事をやめた後、返済できなくなったのだ。
 持っていた保険証は、自治体が国保料の滞納者向けに発行する「短期被保険者証」に切り替えられ、その有効期間も過ぎていたという。

 入院して間もなく手術を受けた女性は、知人女性らの助けで生活保護を受給。
 女性は医療費負担の心配をしなくてすむようになった。
 しかし、もう時は既に遅かった。病状は進行し、それから半年もたたない今年2017年4月、女性は入院先の病院で息を引き取った。

「受診控え」全国で多発
 経済的な理由で治療が遅れて死亡した事例の調査報告を毎年、全日本民主医療機関連合会(民医連、東京都文京区)が発表している。
 2016年分の事例数は58。
 民医連に加盟している医療機関だけを対象にした調査なので、現実の氷山の一角にすぎないが、こうした事例の傾向は分かる。
 死亡原因は、がんがトップで全体の約7割。
 死亡した人の雇用形態は、無職(45%)、年金受給者(22%)、非正規雇用(21%)の順に多い。
 国民健康保険の保険料を滞納し、医療保険をスムーズに受けられなかったケースが大半だ。
 年金受給者は受給額が少ない事例が目立ち、民医連国民運動部は「受給額が低いため、病院での受診を控えることが、治療が手遅れになる要因の一つになっている」と指摘する。


東京新聞、2017年8月3日
年金プア 不安の中で
滞納で受給資格なく生活苦 治療できず手遅れに
(白井康彦)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201708/CK2017080302000194.html

 で、どうするのか見てたら、運営主体を市町村から都道府県に変え、まずはいきなり碍子ではまずいから、できるところからアウトソーシング!
 これって公立図書館のアウトソーシングと同んなじ流れ?なのかな…
 いやいや世論操作ははじまってるよ、「いつまで生きるつもりだ」…

 来年4月に国民健康保険(国保)の運営主体が市区町村から都道府県に移る制度変更に伴い、市区町村の35%は来年度、加入者の支払う保険料が上がると予想していることが共同通信の調査で分かった。
 保険料の急激な上昇抑制などを目的にした国の財政支援の配分が決まっていないため、半数近くは保険料の変化を「分からない」と回答。
 保険料の変動幅もはっきりしていない。
 配分額によっては保険料が上がる自治体がさらに増える可能性もあり、国の支援に対する不安の声も上がった。
 高齢者や低所得者が多い国保加入者の負担増が懸念される。

 都道府県への移管は、慢性的な赤字を抱える国保を広域化することで、財政基盤を安定させるのが狙い。
 現在は市区町村の判断で保険料を決めているが、来年度からは、都道府県が各市区町村の医療費や所得水準などを基に保険料水準の目安を示す。
 市区町村はそれを参考に保険料を決める方式に変わる。

 調査は6〜8月、全1741市区町村を対象に実施。
 回答した1572市区町村のうち、保険料が「上がる」と予想したのは34・8%に当たる547市町村。
 「下がる」は3・5%で「変わらない」が13・5%、「分からない」が48・2%だった。

 上がる理由(自由記述)は「他の市町村に比べて医療費水準が高い」「保険料を低くするための一般会計からの繰り入れがしづらくなる」「国の財政支援があまり期待できない」などだった。

 運営移管で懸念すること(複数回答)は「保険料の大幅変動」が38・0%と圧倒的に多く、「事務上の負担増やミス」の18・3%、「システムトラブル」の15・5%が続いた。

 期待することは「国保財政の安定化」が29・8%でトップ。
 「国の財政支援の拡充」が23・2%、「市区町村の財政、事務負担の軽減」が21・7%だった。

 来年4月以降も、住民の手続きの窓口は市区町村で変わらない。
 国は、都道府県内は同じ保険料に統一することを目指している。

 同時に実施した都道府県に対する調査では、22道府県が将来、統一する方向で検討していると回答した。

22道府県「将来統一へ」 国保料の市町村間格差
 国保の運営移管をめぐり、市区町村とは別に、都道府県に対し共同通信が実施した調査では、22道府県が将来、市区町村の保険料を統一する方向で検討していることが分かった。

 現在は医療費などの状況によって市区町村の判断で保険料を決めているため、同じ都道府県内でも差がある。
 来年度からは都道府県が各市区町村の保険料水準の目安を示す。
 将来統一することになれば負担は公平になるが、市区町村間の保険料や医療費の格差が大きい地域を中心に慎重な姿勢もみられる。
 7県は一本化しない方向で検討中だ。

 調査では、回答がなかった京都と福岡を除く45都道府県のうち滋賀、和歌山、広島の3県が一本化する方針を明言。北海道など19道府県は「一本化に向けて検討する」と答えた。

 「しない方針」「しない方向で検討」は埼玉、高知など7県。残りの16都県は「未定・分からない」だった。理由として「医療費水準の差が大きい」「市町村の意見が分かれている」といった回答が目立った。

高所得者多い村は値上げ 高齢化進む島は負担軽減
 国保制度創設以来の大改革を迎え国は財政支援を拡充し加入者への影響を抑える方針だが、自治体によっては保険料上昇が避けられない見通しで、住民の反発も予想される。
 半数近い都道府県は負担の公平化に向け、それぞれ将来の保険料一本化を検討しているが市区町村間の利害調整など課題は山積だ。

 小麦などの畑作が盛んな北海道更別(さらべつ)村。
 来年度からは都道府県が市区町村ごとの医療費や所得の水準をもとに、目安となる「標準保険料率」を示す仕組みに変わるため、所得の高い大規模農家が多い村の保険料は現在よりも上がる見込みだ。
 村の担当者は「医療環境が改善されるわけでもないのに、突然保険料が上がったら住民の理解は得られない。村だけでも運営できるのに」とため息をつく。

 兵庫県朝来(あさご)市も来年度から保険料が上がる見通しだ。
 国保の赤字を穴埋めし、保険料を低く抑えてきた市の国保財政調整基金は残り約100万円となり、底を突きかけている。
 「国の財政支援にどこまで期待していいものか……」と市の担当者。
 今後、医療費削減の取り組みに力を入れるが、「職員が限られている中で努力には限界もある」と頭を抱える。

 瀬戸内海に浮かぶ人口約1万7000人の島・山口県周防大島町。
 高齢化率が高く、所得水準が低いことが考慮され、来年度に県が国保の運営を始めると、保険料は今より少し下がると予想する。
 現在は一般会計から繰り入れをしながらなんとか国保を運営している。
 町の担当者は「国保財政がうまくいっていない市町村は都道府県への移管によって助かるかもしれない」と話す。

 ただ、例えば住民の健康づくりに熱心で医療費を低く抑えていた市区町村が、医療費の高い他の市区町村に引きずられて保険料が上がるといったことが起きる可能性もあり、自治体からは「むしろ不公平だ」との声も。
 このため、都道府県の対応方針は割れている。

 広島県は「市町の垣根を越え、所得に応じた負担にする公平な仕組みを目指す」として、2024年度に保険料を原則、統一する考えだ。
 同様の方針を掲げる滋賀県は、市町間の医療費の格差が約1.2倍と小さく、管内市町の理解が得やすかったという。

 一方、高知県は市町村の医療費水準や受けられる医療サービスに差があることなどを理由に、当面は一本化しない方針を示す。
 鳥取県も一部の首長から一本化に消極的な声が出て、方針がまとまっていない。同県は「一本化のメリット、デメリットを慎重に考えなければならない」としている。

 厚生労働省が理想とするのは、都道府県が主導して、医療費がかかっている市区町村に削減努力を促し、医療費水準をそろえたうえで保険料も一本化するという流れだ。
 同省は「市区町村の意向も踏まえながら、医療費の適正化や医療サービスの均等化を進めてほしい」としている。


毎日新聞東京朝刊、2017年9月10日
国保料
上昇予想35%
市区町村、都道府県移管で来年度
 
https://mainichi.jp/articles/20170910/ddm/016/010/056000c

 もうすでに西の方からは、こんな動きもでてきているということ、目が離せません。

(ドリームニュース プレスリリース) -
 株式会社アイティフォー(東京都千代田区、代表取締役社長:東川 清)は北九州市様から「市税」「国民健康保険料」「介護保険料」「保育料」の納付勧奨など税務関連業務の民間委託を受注し、2016年10月から本格稼働したことを本日発表します。

 民間委託のサービス名は「自治体向け business process outsourcing(BPO)サービス」。
 多くの自治体において、電話や文書による納付勧奨や窓口一次受け業務の民間委託は進んでいますが、本案件は納付勧奨などの徴収業務に加えて、「市税口座振替・納税貯蓄組合業務」「市税還付・充当業務」「市税収納消込業務」などの“収納管理業務”までを受託する先進的な事例です。
 同市は本BPOサービスを、職員の事務作業を軽減し、専門的な業務に専念できることを目的として導入したものです。


配信元:ドリームニュース プレスリリース、2017年6月7日
北九州市様から市税、国民健康保険料の納付勧奨など税務関連業務の民間委託を受注
〜口座振替、還付・充当、消し込み業務などの収納管理業務も受託〜

http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/Cdpress000154247.html

 こんなからだの大事なケアのことって、この間、選挙が終わりましたが、どんな話しがでたのでしょうか。
 選挙が終われば「みそぎ」が済んだと、国会審議もなく、というか国会だって開かれるのか、どうか。
 国会の議席が確定した時点で、主権者の国民は権力者にすべて一任したんですかね…、
 受任した権力者や官僚は、待ってましたとばかりにやりたい放題なんでしょうかね…、
 この国の危ないミンシュシュギ!

posted by fom_club at 16:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホセ・カレーラス

 カザルスと国連…、はい、もう一度復習!

 昨日2010年の10月24日は「国連デー」でした。
 1945年10月24日に国連憲章が発効したのを記念して制定された記念日なのですが、今日の話は国連の話ではなく、今から40年近く前に「国連デー」の記念コンサートに招かれて「鳥の歌」を演奏したパブロ(パウ)・カザルスという人についての話です。

 カザルスはスペインのカタロニア(カタルーニャ)地方出身で、20世紀最高のチェリストです。
 カタロニア地方は地中海とピレネー山脈に囲まれた地域で、ダリ、ミロ、ガウディといった錚々たる芸術家を輩出した地域でもあります。
。。。
 カザルスは当時のヨーロッパ随一の演奏家とトリオを組んでさかんに演奏活動をおこなうようになりますが、やがてスペインに悲劇が訪れます。
 1936年に右派のフランコ将軍がモロッコで反乱をおこし、スペイン内戦が始まったのです。
 1930年代というと、ファシスト党を率いるイタリアのムッソリーニ独裁政権に続いて、ドイツではナチスを率いるヒトラーが政権を獲得するなど、ファシズム旋風が吹き荒れた時代でした。
 ファシズムに対抗するため各国で人民戦線が結成され、スペインでも人民戦線政府が成立しましたが、フランコは右派の支援を得て反乱を起こしたわけです。

 カザルスは人民戦線の共和国政府を支援し、演奏活動で得た収入の大部分を人民戦線軍に寄付したそうですが、戦局はしだいに不利になっていきます。
 フランコ側にはイタリアやドイツが積極的に援助します。
 特にこの時、ドイツがおこなったゲルニカ爆撃はひどいものでした。
 ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を始めたドイツは、新しい空軍の威力を試すためもあってかスペインのバスク地方の小都市ゲルニカを空爆します。
 ゲルニカは、戦略的には何の重要性もない人口7,000人ほどの小さな町ですが、ドイツ空軍はこの町を無差別爆撃し、この結果1,600名以上を超える死者を出す惨劇となりました。
 この爆撃に衝撃を受けたピカソは、この直後に『ゲルニカ』という画を描き上げ、パリ万博に出展しドイツの蛮行を世に訴えたのです(注)。

 カザルスらの支援もむなしく、カタロニアの州都バルセロナは陥落し、やがてマドリードも陥落して共和国は瓦解し、以後スペインではフランコの独裁が30年以上続くことになります。
 カザルスはバルセロナ陥落の直前にフランスに亡命し、スペインとの国境に近いプラードという町に住居を構え、フランコが倒れるまでスペインには帰らないことを心に決め、この町を拠点にフランコ独裁政権に反対し、人権抑圧からの解放を世界に訴えていきます。
 第二次世界大戦後でもフランコを支持する国に対しては、もらった勲章を辞退したり、レコーディング契約を破棄したりします。

 そのような活動してきたカザルスに、1971年国連が作曲を依頼してきました。
 このときカザルスは94歳でしたが、委嘱を受けて国連讃歌を作曲してこの日に披露し、また同時にベートーヴェンやストラヴィンスキーの曲を指揮しました。
 プログラムがすべて終わった後、指揮台を降りたカザルスは自分のチェロを持ってこさせて、聴衆に語りかけます。

“これから自分は14年ぶりに公開でチェロを弾いてみようと思います。曲はカタロニア地方の民謡で、『鳥の歌』といいます。カタロニアの鳥は、「ピース、ピース、ピース」と鳴きながら飛ぶのです。『鳥の歌』はカタロニアの魂です”

 カザルスはこう言ってから『鳥の歌』を演奏しました。
 今でも録音が残っていますが、ゆっくりとしたテンポで故郷のカタロニアへの想い、平和への思いを込めた切々とした演奏は本当に感動的で、カザルスの活動を知らない人でも心を打たれるそれこそ“魂の演奏”だと思います。
 
 カザルスはフランコの死を見ることなく、1973年96歳で亡くなります。
 遺体はフランコの死後、カタロニアに戻り故郷のヴェンドレルに埋葬されました。

 カザルスは偉大な芸術家であり、かつ平和を希求する魂の人でもありました。
 君たちの生き方の参考にしてもらいたく、紹介しました。
 これを機会にカザルスの音楽を聴いてみるのもよいでしょう。
 また、カザルスについての本も色々出ていますから、興味があればぜひ読んでみてほしいと思います。
(今回の話は、井上ョ豊『カザルスの心、平和をチェロにのせて』岩波ブックレット、1991年、安野光雅『カザルスの海へ』NHK出版、1996年を参考にしました。)


学校法人上智学院、六甲学院中学校・高等学校
校長先生のお話、2010年10月25日のお知らせ
鳥の歌
http://www.rokkogakuin.ed.jp/public_html/diarymt/2010/10/post_25.html

 それと、もう一人、チェロ奏者でなく今度は声楽家をご紹介します。
 彼の名はホセ・カレーライス、じゃなくってホセ・カレーラス(1946年バルセロナ生まれ)!

【2009年5月8日 AFP】
 故ルチアーノ・パバロッティ(Luciano Pavarotti)、プラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)とともに「世界3大テノール」と呼ばれるスペインのオペラ歌手ホセ・カレーラス(Jose Carreras)が5月8日、英タイムズ(Times)紙のインタビューで、オペラから引退すると宣言した。

 白血病を患ったこともあるカレーラスは62歳。
 オペラの役に求められる過酷な要求にもはや応えることができなくなったと語った。
 「自分に合ったレパートリーでのコンサートができればそれで十分。オペラのキャリアは終わった」

 パバロッティは2007年9月にすい臓がんで死去しているため、カレーラスが引退すれば、「3大テノール」は71歳のドミンゴ1人となる。

 カレーラスは、インタビューの中で、「うぬぼれているわけではないが、我々は当代で最も人気のあるテノール歌手だった」と回想した。


2009年5月8日16:10発信地:ロンドン/英国
「3大テノール」のホセ・カレーラス、オペラからの引退を宣言
http://www.afpbb.com/articles/-/2600318

 1992年のバルセロナ五輪でも歌っています:

AMIGOS PARA SIEMPRE(Friends for Life, for the 1992 Summer Olympics in Barcelona)
https://www.youtube.com/watch?v=DNSVGMfzZEQ
https://www.youtube.com/watch?v=Lj4NUOcf6iU

 そして、「Josep Carreras Leukaemia Foundation(ホセ・カレーラス国際白血病財団)」も創設しました:

Dear friends,

In 1988, when I recovered from leukaemia, I set myself an objective: help the people who are in the same situation as I was, have more opportunities.

Since the creation of the Foundation we have not stopped promoting and carrying out projects with one goal: that leukaemia becomes a curable disease in all cases. 

During the last decades cure rates have improved a lot but still today, one out of five children and one out of two adult patients remain unable to overcome the disease.

Often, as you know, due to the serious side effects of treatments.

As you can see in our activities, we are attacking the disease on many fronts.

Our success depends in large part on the support of lots of people who work with us, UNSTOPPABLE people against leukaemia.

On behalf of all those who are a part of this organisation, I want to express my upmost gratitude to all the people who support us, both financially and by other means, such as donating bone marrow or umbilical cord blood.

With each research project, each small charitable contribution, and each cured patient we are expanding the opportunities for those who, sadly, suffer and will suffer through this terrible ordeal.

WE WILL NOT GIVE UP UNTIL WE CURE IT.

With warmest regards,
José Carreras

http://www.fcarreras.org/en

https://www.youtube.com/watch?v=n0JWr5wAagM

(注)
ヤツホー君のこのブログ、2010年08月09日付け日記「〇〇広場」を参照。

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カタロニア讃歌

戦う作家の貧困への思い

 英国の作家ジョージ・オーウェル(1903〜50)と聞いて記者が思い出すのは、スペイン内戦を描いた『カタロニア讃歌』だ。
 ファシズムと戦うため志願して民兵となった彼は、バルセロナで映画館の屋上に立てこもり、向かいのカフェの警備隊を見張った。
 そのすぐそばに1991年、朝日新聞バルセロナ支局が新設された。
 支局長として赴任した私は、かつてオーウェルが銃口を向けたカフェに通っては彼がいた屋上を見上げ「戦う作家」に思いをはせた。
 そのオーウェルが30代で書いた小説がこれ、『カタロニア讃歌』だ。

 詩人は経済的に貧しくあるべきだと信じた若者が、会社を辞めて自ら困窮生活に入る。
 だが、窓辺に葉蘭(はらん)を置く心のゆとりや経済的余裕がなければ品性ある人間として生きられないことに気づく、という内容だ。

 オーウェルは、ミャンマーで警察官として植民地政策を支えた反省から、抑圧された者の味方になろうと考えた。
 スペインから帰った後、台頭する全体主義に警鐘を鳴らす目的で『1984年』を書いた。
 彼が重視したのは「正義、自由、人間の品性」だ。
 貧困と管理主義がはびこる現代に、彼の作品を読み直す意義は大きい。


もっとはまりたい人へ 書店員のおすすめ

 ● 丸善丸の内本店(ブックアドバイザー)小松原俊博さん
〈1〉『動物農場』ジョージ・オーウェル、1972年(角川文庫、500円)
〈2〉『日陰者ジュード』上下 トマス・ハーディ、2007年(中公文庫、1200・1400円)

 ● ジュンク堂池袋本店(文芸書担当) 山本千秋さん
〈3〉『パブロ・カザルス』A・カーン編、1991年(朝日選書、1470円)
〈4〉『ガリヴァー旅行記』スウィフト、1980年(岩波文庫、840円)
〈5〉『戦争が遺したもの』鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二、2004年(新曜社、2940円)

 「オーウェルと言えば、これぞ代表作。いっしょに読んでほしい」と小松原俊博さんが薦めるのが〈1〉だ。農場の動物たちが人間に反乱を起こすが、やがて豚が権力を握って恐怖政治と化す。スターリン主義など全体主義を風刺した名作だ。
 オーウェルは「行動する作家」とも呼ばれた。彼を知る上で、スペイン内戦の知識は欠かせない。

〈3〉は「音楽の詩人」と呼ばれたスペインのチェロ奏者カザルスがつづった。
 バルセロナでベートーベンの「第九」の指揮をしていたとき、内戦が始まった。
 「涙で譜面が見えない状態で」最後の演奏をし、平和が戻ったとき再び「第九」を演奏しよう、と誓って楽団員は別れる。
 だが、共和派が敗北して軍事独裁政権が生まれたため、カザルスは亡命し、遠くカリブ海のプエルトリコで客死した。

 「貧乏で悲惨な感じの小説で、海外ものではこれ」と小松原さんの言う〈2〉。
 貧困と結婚生活の失敗で挫折する若者を描いた。あまりに非難を浴びたためハーディが以後、小説の執筆を断念した因縁の作品である。

 〈4〉は、「社会状況を風刺した英国文学といえば、これ」と山本千秋さん。
 子どものころ多くの人が童話や絵本で読んだろうが、大人の目で改めて原作を読むと、鋭い感覚に目を見張る。
 意外なのが〈5〉。「オーウェルと鶴見俊輔さんには接点がある」(山本さん)。
 第2次世界大戦中、鶴見さんはインドネシアで海軍の新聞を作っていた。
 だが大本営発表はうそばかりで信じられない。
 参考にしたのがインド発の英国BBC放送だ。
 教養が感じられるその番組を作っていたのが、実はオーウェルだった。


BookAsahi.com、2009年05月16日
『葉蘭を窓辺に飾れ』[著]オーウェル(彩流社、2009年)
(伊藤千尋)
http://book.asahi.com/reviews/column/2011071701297.html

 パブロ・カザルス、カザルス、鳥の歌。。。
 何か思いだしません?このヤツホー君のブログの読者でしたら。。。
 そう、2016年02月21日付け日記、「The Song of the Birds」をご参照くださいな。
 いま、たいへん。どうなるのか目が離せません:

 スペインからの独立を目指す同国北東部カタルーニャ自治州の Carles Puigdemont プッチダモン首相は26日のテレビ演説で、中央政府による自治権の停止を回避する方策とみられていた州議会の解散・選挙の実施を否定した。
 中央政府側の対応が保証されていないためという。
 州側の判断は州議会に委ねるというが、一方的な独立宣言へと動けば、中央政府との全面対決になる。

 スペインの Mariano Rajoy、ラホイ政権は、州政府幹部の職務を停止し、中央政府の権限で議会を解散・選挙をさせ、人心を一新する考えを示していた。
 これについてプッチダモン氏は「(自ら)州議会の選挙を検討したが、(国政の与党)国民党から責任ある答えが得られなかった」とし、州議会の解散という選択肢はとらないと表明した。
 そのうえで、「州議会が今後の対応を決めるべき時だ」とした。州議会は26日夕に本会議を予定している。


朝日新聞、2017年10月27日05時00分
カタルーニャ議会、解散・選挙を否定
プッチダモン州首相、演説

(バルセロナ=青田秀樹)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13200377.html

Hopes of a possible solution to the Catalan independence crisis have been dashed after the regional president, Carles Puigdemont, ruled out a snap election, saying he could not offer fresh polls without a guarantee that the Spanish government would suspend its threat to impose direct rule.

Despite intense speculation that he was planning to defuse the situation by announcing elections in return for a similar show of good faith from Spain’s ruling People’s party (PP), Puigdemont said it would be up to the Catalan parliament to decide how to respond to Madrid’s unprecedented actions.

“We have not received the necessary guarantees to justify holding elections,” he said in an address at the regional government palace in Barcelona on Thursday afternoon.

“We have tried to get them but we have not had a responsible response from the PP and they have chosen to increase the tension. I have run out of options.”

Puigdemont was speaking a day before the Spanish senate is due to approve a series of measures to strip his administration of its powers and call new elections within the next six months, under article 155 of the Spanish constitution.

The Catalan government will debate its response to the invocation of 155 in a plenary session on Thursday and Friday at which regional MPs could vote in favour of a unilateral declaration of independence.

Puigdemont said that although Catalan society had done its best to remain calm in the face of the Spanish government’s threats, he would not tolerate its efforts to take control of the region.

“The measures under 155 are illegal and unjust and I am not prepared to accept them,” he said. “No one can accuse me of not being willing to make sacrifices.”

In a letter to the senate earlier on Thursday, Puigdemont had argued that 155 did not give the central government a “blank cheque”, adding that its use would create “an even more serious, extraordinary situation” if it seized Catalonia’s political autonomy.

The Catalan leader has been under pressure from different factions within the region. Some had been urging him to cool tempers by announcing elections while the main independence civil society groups and some of his coalition partners have called for an unambiguous declaration of independence.

Reports earlier on Thursday that he was preparing to hold elections and abandon his pledge to declare independence brought a swift and angry response from many of his allies.

The Catalan Republican Left (ERC) party, part of Puigdemont’s ruling coalition, said it would abandon the government if the president called elections.

Gabriel Rufián, an ERC MP in Madrid, implied that Puigdemont had betrayed the independence movement, tweeting: “155 pieces of silver,” while Adrià Alsina, the press secretary of the grassroots Catalan National Assembly, tweeted: “Frau, Fraude, Fraud.”

Meanwhile, the far-left CUP party said it would not support elections, adding that the unilateral independence referendum held on 1 October had yielded a popular mandate.

The uncertainty brought thousands of people, many of them students, into Plaça de Sant Jaume in central Barcelona to protest outside the government palace.

Manel Llado, a 56-year-old administrator, came to the rally after work as he was concerned that a unilateral declaration of independence was no longer a done deal.

“A lot of people said Puigdemont betrayed us,” he said. “But it seems to me like a perfect government. I think this is a strategy to see what the central government will do: if they stop 155, they’ll call an election.”

Marta Homs, who was attending her first demonstration, said she wanted to ensure her voice was heard. “It’s a bit confusing,” said the 19-year-old student. “I like to think Puigdemont knows what he’s doing. It’s the first time I’ve tried to believe a politician; usually I don’t trust them.”

A fellow student, 18-year-old Jaume Cortasa, said the Madrid government and other opponents of independence had a clear strategy when it came to dealing with the Catalan question: “Whatever arguments you present them with, they’re going to continue rejecting them until they have something that suits them; until the independence-supporting parties are shut down.”

Miquel Berga, a professor of English literature at Barcelona’s Pompeu Fabra University, said images of Catalans being beaten by Spanish police as they tried to vote in the unilateral independence referendum held on 1 October had been “a great asset for the fight to obtain a legal referendum on the issue”.

But, he added: “A unilateral declaration of independence, although it would bring an emotional release for many supporters, would supersede those powerful images, cause them to fade, and create more uncertainties and division in Catalonia.”

On Thursday, Spain’s economy minister, Luis de Guindos, said officials dispatched from Madrid to oversee the implementation of 155 could face resistance. He told Spanish radio: “I hope that [Catalan] civil servants, who are highly professional … will be conscious that any act against Catalan society will be negative.”

Tensions between the governments in Madrid and Barcelona have risen to new heights following Puigdemont’s decision to defy Spain’s constitutional court by holding the referendum earlier this month.

Although Puigdemont signed a declaration of independence two weeks ago, he has proposed that its effects be suspended for two months to allow for talks.

Spain’s prime minister, Mariano Rajoy, has refused to engage in dialogue with Puigdemont until he abandons his independence plans and has said there can be no international mediation on a domestic, constitutional issue.

On Wednesday, Rajoy said Puigdemont’s disregard for the constitution had left him with no choice but to invoke article 155.

According to the regional government, 43% of Catalonia’s 5.3 million registered voters took part in the referendum on 1 October, but a further 770,000 votes were lost after Spanish police tried to halt the vote. The Catalan government said it was not including those votes in its final turnout tally.


The Guardian、Last modified on Thursday 26 October 2017 22.00 BST
Catalonia crisis deepens as region's president rules out snap election

Carles Puigdemont says he cannot offer fresh polls without a guarantee that Madrid will suspend its threat to impose direct rule

By Sam Jones, Emma Graham-Harrison and Stephen Burgen in Barcelona
https://www.theguardian.com/world/2017/oct/26/catalonia-crisis-deepens-president-carles-puigdemont-rules-out-snap-election

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2017年10月26日

HEIWAの鐘

HEIWAの鐘(洗足学園音楽大学)
https://www.youtube.com/watch?v=SXpQE_ouVLo

HEIWAの鐘(仲里幸弘)
https://www.youtube.com/watch?v=Pz-Byf9cIlM

よみがえれ あの時代へ
武器を持たぬことを伝えた
先人たちの声を
永遠に語り継ぐのさ

脅かすことでしか 守ることができないと
くり返す戦争(つみ) 忘れゆく 愚かな権力(ちから)よ

いつか(自由な空が)
虹かかる(翼ひろげゆく)
風に(高く大きな) 幸せ贈るだろう

ぼくらの生まれたこの地球に
奇跡を起こしてみないか
拳をひろげてつなぎゆく
心はひとつになれるさ
平和の鐘は 君の胸に響くよ

唄い踊り助け合った
振り向かず 笑い続けた
誇る島の魂を 永遠に守り抜くのさ

銃声が鳴り響き 海や大地が砕け散る
正義の叫び こだまする フェンスを飛び越えて

君が(一人立てば)
変わるのさ(明日へ輝いて)
ずっと(未来の夢を)ここに残してゆこう

ぼくらの生まれたこの地球に
奇跡を起こしてみないか
拳をひろげてつなぎゆく
心はひとつになれるさ
平和の鐘は 君の胸に響くよ


 先日新聞のコラムで紹介された月長海詩さん(つきながみうた、本名・久場勝未、日本児童文学者協会)の記事を紹介します(文字数が多いため一部省略しました)〜

 さわやかな風がかけ抜けていくような爽快感を覚えた。
 J小学校6年生の合唱「HEIWAの鐘」(詩・曲 仲里幸広)だ。
 沖縄サミットでも紹介されたこの曲は白石哲也氏によって合唱曲に編曲され今では全国の合唱コンクールなどでも盛んに歌われている。

 子供達の歌声のなんと説得力のあることか。
 歌声が空に舞い上がり
 大風を巻き起こし
 戦争も基地も武器もみんな吹き飛ばしてしまえばいい
 平和を願う心だけが雑草のように逞しく残ればいい、
そんなことさえ考えてしまうのだ。

 平和の歌は今までにもたくさんあった。
 だが歌詞が暗すぎる。
 戦争の悲惨さ、悲しみは伝わっては来たが、大きすぎて受け止めるにはどうしたらいいのか。
 そんな思いがつきまとっていた。
 しかし、この歌は今までとはひと味もふた味も違う。
 戦争を「つみ」、権力を「ちから」と読ませ、それらを愚かだというストレートな表現。
 訴えかけるような力強い歌詞と勢いのあるメロディーは吹き抜けていく南風のにおい。
 「HEIWAの鐘」はそんな歌である。

 曲中の「僕らの生まれたこの地球(ほし)に奇跡を起こしてみないか」という強烈な誘いに思わず「乗った!」と叫びたくなる。
 声を合わせて歌いたくなる。
 昨日を悔やむのではなく、今を見つめ、明日を変えるのだと。
 平和の問題は、米軍基地や、はるか遠くの国だけのものなのだろうか。
 もっと身近な足元の問題なのではないか。
 そして人類だけではなく、もっと地球規模で考えるべきではないか。
 J小のピュアな歌声が、そう私に挑みかかってくるのである。
 この曲をまだお聞きでない方はぜひ一度子供達の声で聴いて頂きたい。
 つい口づさんでしまったら、あなたも奇跡を起こす仲間入りだ。


ユキヒロ、2007年02月21日14:13
HEIWAの鐘
http://blog.livedoor.jp/yukihiro_okinawa/archives/52489037.html

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Global Peace Index, GPI

 えっ、GPIって何?
 「世界平和度指数」!

The think tank Institute for Economics and Peace recently published the Global Peace Index 2017, which reveals the safest − as well as the most dangerous − countries in the world.

The report ranked 163 countries based on how peaceful they are. The rankings were determined by 23 factors, which included homicide rate, political terror, and deaths from internal conflict.

Overall, the report found that 93 countries have become more peaceful since last year, and that 68 countries have become less peaceful. Therefore, the world has become a marginally better place since 2016.

Of the 12 safest countries, eight are in Europe, with New Zealand (2nd), Canada (8th), Japan (11th), and Australia (12th) also making the list. The United Kingdom ranked 41st, while the United States ranked 114th, dropping 11 spots since last year.

Among the most dangerous countries were Syria, Afghanistan, and Iraq.

Here are the 12 safest countries in the world, along with their respective peace scores:

12. Australia - 1.425
11. Japan - 1.408
10. Ireland - 1.408
9. Switzerland - 1.373
8. Canada - 1.371
7. Slovenia - 1.364
6. Czech Republic - 1.360
5. Denmark - 1.337
4. Austria - 1.265
3. Portugal - 1.258
2. New Zealand - 1.241
1. Iceland - 1.111


[photo] The picturesque landscape of Ireland, one of the safest countries in the world.

Business Insider, Published: Jun. 4, 2017, 3:58 AM
The 12 safest countries in the world
By Ciara Appelbaum, INSIDER
http://www.businessinsider.com/worlds-safest-countries-global-peace-index-2017-6

PETALING JAYA:
Malaysia retains its position as the third most peaceful Asian country after Japan and Singapore in the 2017 Global Peace Index (GPI). Malaysia is ranked No. 29 globally, while Japan is in joint 10th spot with Ireland. Singapore ranks 21st globally.

The 11th annual study published on Thursday by the Institute for Economics and Peace scored 163 independent states and territories according to their levels of peacefulness.

It found the world became 0.28% more peaceful than last year, with 93 countries improving in peacefulness and only 68 deteriorating.

Iceland topped the list with the lowest score, or peace index, making it the most peaceful country – a title it has held since 2008. New Zealand is ranked second.

Denmark fell from second position to fifth due to increases in the impact of terrorism and a deterioration in the neighbouring country relations indicators.

Syria remains the world's least peaceful country for the second successive year, and has been ranked among the world's five least peaceful countries since the start of the civil war in 2013.

It has fallen 64 places in the rankings since the inception of the index and has had the largest fall in score of any country in the last decade. Iraq and Afghanistan have also remained among the bottom five countries of the index for the past five years.

The US ranked 114th out of 163 in the global assessment, falling from 103rd and 94th in the 2016 and 2015 Global Peace Indexes, respectively.

"The past year has been a deeply worrying one for the US, with the presidential campaign highlighting the deep divisions within American society," according to the study.

Researchers considered 23 peace indicators to determine scores, including the number of casualties from terrorism and conflicts in that country, the number of murders per capita and the ratio of military spending to gross domestic product.


The Sun Daily, Last updated on 4 June 2017 - 02:41pm
M’sia ranked third most peaceful Asian country
http://www.thesundaily.my/news/2017/06/04/m%E2%80%99sia-ranked-third-most-peaceful-asian-country

 じゃ、こんなんは、どう?
 GPIでなくってGVI!

ISLAND nations and countries with long coastlines dominate a new Global Vegetarian Index, created as a guide to help meat-free travelers choose vegetarian-friendly destinations.

After looking at the number of vegetarian restaurants, the ratio to population size, and the annual meat consumption per capita in countries around the world, online villa booking website Oliver's Travels named the Seychelles the most vegetarian-friendly country in the world.

It's not hard to see how the archipelago in the Indian Ocean would take the top spot, given its remote island location and modest meat production.

Food staples include fish, seafood, shellfish, rice, coconut, breadfruit, mangoes, plantains and sweet potatoes.

In the Seychelles, the per capita meat consumption is 35.6kg – for perspective, the US consumes 120kg per person annually.

While the US may have the highest annual consumption of meat on the list, it redeems itself by ranking highest for the number of vegetarian-friendly restaurants (18,975).
Here are the top ranked countries per continent:

Africa: Seychelles
Asia: Thailand
Europe: United Kingdom
North America: Canada
Central America: Belize
South America: Peru
Oceania: Solomon Islands

Here are the top 10 countries on the Global Vegetarian Index:
1. Seychelles
2. Thailand
3. Malaysia
4. Sao Tome & Principe
5. Peru
6. Singapore
7. Cambodia
8. Solomon Islands
9. United Kingdom
10. Botswana


The Sun Daily, Posted on 25 October 2017 - 02:26pm
M’sia ranked third most peaceful Asian country
[source] AFP Relaxnews
http://www.thesundaily.my/news/2017/10/25/new-index-names-most-vegetarian-friendly-countries-world

 うん、平和ってね、一人ひとりがつかみ取っていくもんかもしれないね。
 北村西望にこんな句があります(注):

たゆまざる
歩みおそろし
かたつむり


(注)
★ ヤッホー君のこのブログ、2012年6月20日付け日記「山本有三記念館」、2016年2月3日「高齢者の登場」、2016年2月4日「若き日の母親像」参照

★ Jinmas chips、2015/01/05
激しく変化する世の中に、逆らわずさりとて自失せず、カタツムリの如くたゆまぬ歩みを刻むこと。希望への道筋というのはそういうものなのかもしれません。
http://jinmas.chips.jp/archives/852

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60 years of friendship

 ヤッホー君のこのブログ、2017年09月06日付け日記「Marking 60 years of ties」ご参照あれ。
 TPOについて触れました。
 あのぉ Time(時間)、Place(場所)、Opportunity (機会)のTPOじゃないんですよねぇ〜
 Thailand Philharmonic Orchestra のTPOなんですぅ。
 ペナンにいたとき、見にいったんですよ、こんなん、迫力満点のジャズシンガーもいましたよぅ〜
 南の暑い島で熱いジャズに酔いしれるのもこれまた、おつなもんです:

A PACKED crowd enjoyed spellbinding music during a concert in Penang to celebrate the 60th anniversary of Thailand-Malaysia diplomatic relations.

The two-hour concert at Dewan Sri Pinang was filled with Thai and international classics performed by the Thailand Philharmonic Orchestra (TPO) and conducted by famed American conductor Delta David Gier.

Renowned singer Cherryl Hayes delivered songs including George Gershwin’s ‘The Man I Love’.
A painting by Thai artist Dr Suchart Vongthong was auctioned off for RM30,000 at the concert, with the funds going to Penang Philharmonic Orchestra.

Thai Consul-General Ekajit Kraivichien said she was pleased to experience the concert with everyone.

“I am certain this concert will not only enhance our diplomatic relations but also show how important Penang is to us as this is the first destination in Malaysia for TPO,” she said.

State Tourism Development Committee chairman Danny Law Heng Kiang said Penang was privileged to witness TPO’s stunning performance.

“This is extra special as Malaysia just celebrated its 60th National Day,” he said.


[photo] Hayes belting out a number, accompanied by the Thailand Philharmonic Orchestra, at the concert celebrating the 60th anniversary of Thailand-Malaysia diplomatic relations.

The Star, Published: Thursday, 14 Sep 2017
Concert marking ties with Thailand a triumph
http://www.thestar.com.my/metro/metro-news/2017/09/14/concert-marking-ties-with-thailand-a-triumph/

Ms. Hayes performed in front of US President Barack Obama at his visit to Thailand - November 2012;
Video Gallery:
http://cherrylhayes.com/index2.html

 でね、今日はアジアでのジャズのお話しはいずれまた日記につけることにして、と。
 今朝一番で綴った日記の数字は年齢の60歳!
 今度はね、二国間の外交関係樹立から60年! 
 うわさのニュージーランド!

HE has not had any bad experiences studying in New Zealand, saying it is one of the safest and friendliest nations in the world.

Affandy Faiz, an alumni of Victoria University of Wellington, is quick to point out that if you don’t go looking for trouble, you would have nothing to worry about in New Zealand.

And, getting around is easy too. The cab drivers are wonderful. They’ll never ask you for directions because they know the streets like the back of their hand, he said, sharing his experience as a government scholar there in the 1980s.

“I travelled a lot. I hitch-hiked and rented caravans. The Kiwis are very welcoming but don’t expect to see mamak stalls open at 2am. At 5pm you can play badminton in the streets. It’s that deserted,” he recalled laughing.

Affandy, who is also president/CEO of Francorp Malaysia, was speaking at the Education New Zealand (ENZ) roundtable discussion in Kuala Lumpur recently.

New Zealand, ranked second on the 2017 Global Peace Index (GPI), is very safe, Education New Zealand (ENZ) regional director (South, South East Asia and the Middle East) John Laxon quipped.

International students feel safe studying in the country that has consistently been recognised as among the top five most peaceful nations in the world.

“The police here don’t carry weapons, which says a lot about the culture. It’s something that surprises many of our foreign students because things are different back home.”

And, the New Zealand government, he added, recognises the need to support international students by helping them integrate into a new environment.

Foreign students, he said, naturally worry about adapting to life in a foreign country. This, he said, can be stressful especially when they’re trying to juggle their studies at the same time.

“Since 2002, we’ve had a strict code for pastoral care in place. The code, which covers needs like accommodation, foster family and transportation, must be adopted by all educational institutions from primary to doctorate levels. The code was revised last year to keep up with the times and changing student needs,” he said, adding that all international PhD students pay domestic fees and can bring their families along to stay while they complete their doctorate.

Describing New Zealand as a multi-cultural nation where 10% of citizens are of Asian descent, and 15% Maori, he said it has a vibrant international student community.

“Foreign students have been coming to study here since the 1950s. There are some 2,000 Malaysian students in New Zealand currently. Last year, we saw a 10% rise in students coming from Malaysia. That’s three years in a row we’ve seen growth.”

New Zealand, he pointed out, is the only country in the world to have all its universities listed among the top 450 in the latest QS World University Rankings.

Said Affandy: “It’s not just about exams there. You learn critical thinking because the system and teaching methods are flexible. Students aren’t spoon-fed. You have to do presentations and rationalise your arguments in class and tutorials.”

As a student, he lived with a foster family, helping with chores like mowing the lawn and doing the laundry, to earn his keep.

Sourcing for halal food wasn’t a problem even way back then, Affandy remembered fondly.

“I was in a small town but had no problems with food. Of course I had to be considerate when making sambal belacan because of the strong smell,” he said.

New Zealand’s High Commissioner to Malaysia, Dr John Subritzky said the halal certification is common as the country exports many of its food items to Muslim countries.

“Malaysia and New Zealand’s diplomatic relationship was forged almost immediately after Merdeka in 1957, with some of our ties in defence and education going back even further in time.

“But our relationship isn’t just between two governments. It’s a bond between two nationalities. Malaysians bring a part of their culture here when they come to study and travel, and take a part of New Zealand back home when they leave.”


[photo] Dr Subritzky (centre ) with Laxon and Affandy (right). The high commissioner sees the need for both nations to tap and continue the excellent friendship that has been in existence for over six decades.

The Star, Published: Sunday, 30 Jul 2017
Forging ties the Kiwi way
By Christina Chin
http://www.thestar.com.my/news/education/2017/07/30/forging-ties-the-kiwi-way/

2017 marks a significant milestone in the Malaysia-New Zealand relationship.

During a time we are celebrating 60 years of enduring diplomatic ties, we are seeing strong growth in trade between our two countries, as well as a steady increase in the number of Malaysian students and tourists visiting New Zealand.

To date, Malaysia is New Zealand’s ninth largest trading partner, while more than 2,000 Malaysian students are pursuing their education in New Zealand.

More than 55,000 Malaysians visited New Zealand last year and stayed an average of 21 days. This is a 36 per cent increase from the previous year, thus making it one of the highest percentage increases in holiday arrivals from Asia to New Zealand.

These highlight the success of our countries’ diplomatic ties over the last six decades; and the fabric of this strong relationship is our people. Our biggest areas of collaboration have undoubtedly been focused on bringing the very best to our people, especially in key areas like trade, education and tourism.

New Zealand has been fortunate to have a trading partner like Malaysia, one which has worked collaboratively to ensure strong trade ties between our countries.

With the Malaysia-New Zealand Free Trade Agreement (MNZFTA) and the Asean Australia New Zealand Free Trade Agreement, we have been given the opportunity to not only develop our own national economies, but also help one another grow. Since the inception of MNZFTA in 2010, two-way trade has increased by 57 per cent.

Last year, New Zealand imported NZ$1.5 billion (RM4.4 billion) worth of goods from Malaysia, including crude petroleum oil, electrical and electronic products.

Meanwhile, exports of key products, such as dairy, meat products and wood to Malaysia amounted to nearly NZ$800 million last year.

What has been even more encouraging to see is the way our relationship has evolved through the years, moving from the exchange of goods to a more holistic one built around the exchange of services, ideas and cultures.

Another key pillar that has supported our longstanding ties is education. Initially conceived through the Colombo Plan in 1951, educational partnerships have become a key avenue through which we have not only deepened our bilateral ties, but also allowed our youth to learn with, and from, one another.

It is significant to note that successful partnerships are the product of two-way collaboration and that it has been equally important to ensure that our youth are exposed to the learning experiences that Malaysia has to offer. One key initiative has been the Prime Minister’s Scholarship for Asia, which offers New Zealand students the chance to embark on diverse and innovative student exchange or internship programmes in Malaysia.

While our relationship across trade and education saw rapid growth from the outset, tourism between both countries was almost non-existent in the late 1950s. However, this has changed drastically in recent years.

New Zealand is a land of open spaces and open hearts, and today, its diverse landscapes and welcoming culture have drawn many Malaysian visitors to its shores.

We’ve seen more Malaysians immersing themselves in New Zealand’s culture − be it through self-drives to Lake Tekapo, in the heart of the Southern Alps, or exploring less-travelled regions such as Nelson and Hawke’s Bay.

Similarly, we have worked to embrace the culture and traditions of our Malaysian counterparts. Our shared love of food has resulted in the development of the Halal Food Guide, a collaboration between Tourism New Zealand, the Kiwi Muslim Directory and Federation of the Islamic Associations of New Zealand.

The Halal Food Guide is just one example of the efforts we have undertaken to open New Zealand to Malaysian travellers. Malaysians do not require a visa to visit New Zealand, and seamless travel between our countries has never been easier with new flight launches bringing us closer than ever before.

While our joint efforts in various sectors have been a crucial link between our countries, it has also been our mutual commitment towards understanding the demands and needs of our people, which has led to an enduring friendship over the past 60 years.

We have been fortunate to have nurtured a special relationship with Malaysia over the years, one built on trust and friendship, and we look forward to deepening these ties over the coming years.

In celebrating this 60th anniversary, the New Zealand High Commission is launching the five-day Discover Aotearoa New Zealand Festival at Pavilion Kuala Lumpur from today to Sunday.

The festival will bring the best of New Zealand’s culture to Malaysia.


[photo] A performer doing a New Zealand traditional welcoming dance at the Malaysia New Zealand Chamber of Commerce Annual Dinner and Dance last year. New Zealand and Malaysia have worked collaboratively to build strong trade ties.

New Straits Times, Published: October 25, 2017 - 12:34pm
Milestone in diplomacy: 60 years of friendship
By DR JOHN SUBRITZKY
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2017/10/294835/milestone-diplomacy-60-years-friendship

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Enjoy the golden years

While ageing is part and parcel of life, it's never too late to practise a healthy lifestyle, writes Nadia Badarudin.

IT is 7am and the sun is slowly rising on a serene Thursday morning.

I have just arrived at the Bukit Gasing recreational park in Petaling Jaya, Selangor, a popular spot for exercise and recreational activities, particularly trail-running and jungle trekking.

While I am observing a group of elderly folks doing tai-chi not far from the entrance of the park, a small-built but muscular man approaches me.

"Are you Nadia? I'm Uncle Khuzae," says the man with a smile. He has jogged from his house 10 minutes away to the entrance.

Khuzae Mohamed is among the regular trail runners at Bukit Gasing. If you meet him for the first time, you will never have thought that he is 62.

Khuzae, or Uncle as he is fondly known among runners at the park, looks fit and healthy and does not look his age at all.

The father of three is from Kubang Kerian, Kelantan. He moved to Kuala Lumpur in 1977 to work as an illustrator for Media Seni which published comic books.

"Bukit Gasing has become my neighbourhood since 1984. And this park is like a playground to me. I run here every weekend," says Khuzae, now a freelance illustrator.

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Khuzae believes in exercising and keeping a positive mind in the golden years.

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At 62, trail runner Khuzae is full of energy and fit as a fiddle.

FITNESS ROUTINE

Ageing is part and parcel of life. Every individual ages differently, depending on how they take care of themselves emotionally and physically. And taking care of health from young makes a difference.

Khuzae started to be serious in maintaining his health at 34.

"I love food and my weight fluctuated depending on my diet. I didn't like that and that's how my routine started," he says.

Looking at his toned body, I think Khuzae loves to hit the gym too. But I am wrong.

"I don't like going to the gym because it requires commitment and I may have to consider taking supplements.

"I mostly run to keep fit. And my simple exercise routine works well because other than fever or headache, I seldom get sick," he says.

Khuzae runs the trail at Bukit Gasing for two loops (14km) during weekends and public holidays.

Recently, he started dumbbell-lifting (50 times per set), push-ups (50 times per set) and doing pull-ups (20 times per set) three times a day.

"I've just started these three exercises because I like a toned body. I don't like to look too skinny."

He participates in trail runs and marathons throughout the country. His first full-marathon was at the Standard Chartered Kuala Lumpur Marathon in 2011.

"I like to test my limits at these events. Performing better than the young ones is exhilarating.

"I participate in these events for the thrill and fun, and to make friends.

"Exercise should be fun. When it's fun, you'll stick to it," he says.

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Khuzae says exercise gives him the opportunity to make friends.

HAPPY-GO-LUCKY

When it comes to food, nothing is off-limits to Khuzae.

"I eat four or five times a day but in moderation," says the grandfather of two.

To keep his mind alert, he paints and reads during his free time. He also loves photography.

What is his biggest achievement in maintaining his health so far?

"I managed to quit smoking several years ago." Khuzae says his secret to looking young and healthy is simple: Stay happy-go-lucky.

"I'm a happy-go-lucky person. I like to think positive and go with the flow.

"I also don't overthink or stress over things beyond my control," he says.

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“I mostly run to keep fit. And my simple exercise routine works well because other than a fever or headache, I am seldom sick,” says Khuzae Mohamed.

KEEP HEALTH IN CHECK

Last year, the New Straits Times highlighted a forecast by the Statistics Department stating that Malaysia will be an ageing nation by 2035, when 15 per cent of the population are classified as senior citizens.

It revealed that in 2015, there were 2.8 million or nine per cent of senior citizens (aged 60 and above) in the country and the number will rise to 5.6 million in 2035.

The statistics clearly reflect that the nation has to face health-related issues of senior citizens.

Dr K. Sashetheran Nadaraja, a resident medical officer at Sri Kota Specialist Medical Centre, says people aged 60 and above can face health and cognitive health problems like dementia as well as those affecting emotional well-being like depression, anxiety and mood disorders.

"Besides that, ageing causes bones to shrink, and muscles to lose strength and flexibility, making the elderly more susceptible to falls and fractures.

"And underlying osteoporosis (a common condition in the elderly) can worsen the extent of the injuries sustained due to the fall," says Dr Sashetheran who also heads the medical centre emergency department and mortuary services.

Other problems include vision and hearing impairments, incontinence, constipation, muscle weakness due to malnutrition and substance abuse.

"Oral health issues like cavities, dry mouth, tooth decay, gum disease and oral ulcers are also common but usually overlooked by senior citizens," he adds.

However, these issues can be overcome by practising a healthy lifestyle and going for regular health screening, he adds.

For both active and sedentary senior citizens aged 60 and above, he recommends the following health screenings:

* Monthly
- blood pressure monitoring and blood sugar monitoring;

* Yearly
- Blood tests which include a full blood count, kidney profile, liver profile, cholesterol and cancer markers;
- Stress test for the heart;
- Pap smear and mammogram (for female)
- Colonoscopy, gastroscopy, ultrasound, X-ray and other specific blood tests if the person has signs or symptoms of a disease.

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“Enjoy the golden years, be stress-free and happy,” says Dr K Sashetheran Nadaraja.

BE HAPPY, HAVE A HOBBY

Not all senior citizens can be as fit and work out consistently as Khuzae.

But it's never too late to practise a healthy lifestyle although you are over 60, says Dr Sashetheran.

His recommendations: "Eat a balanced diet, go for regular and simple exercises like walking and take up a hobby like reading or sewing to keep your mind active.

"Socialising or travelling – if your health condition allows it – can also make a big difference in maintaining a healthy body and mind."

He adds: "Always try to stay healthy and active. It can be anything from being able to do chores or minimise complications from illness to something as simple as avoiding obesity and having better hygiene.

"Most importantly, just enjoy the golden years. Be stress-free and happy."

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Keep moving. Exercise is essential to maintain good health in the golden years.

DIET TIPS

HERE are some tips from Dr K. Sashetheran Nadaraja for people aged 60 and above:

EAT:
1. Proteins such as fish, chicken and beans (to help prevent loss of muscle mass)
2. Fruit and vegetables (to improve immunity and fight inflammation)
3. High-fibre food (to help prevent constipation)

AVOID:
1. Processed food
2. Fatty food
3. Foods which are high in salt and sugar
4. Alcohol and caffeinated drinks

Note: Elderly patients with medical conditions should adhere to a diet as recommended by their doctors.

New Straits Times, Published: October 24, 2017 - 12:23pm
Keeping fit at 60
By Nadia Badarudin
https://www.nst.com.my/lifestyle/heal/2017/10/294476/keeping-fit-60

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2017年10月25日

日経平均の連騰記録

 あのぉ〜、何日間連続、何年ぶりとかの表現ってなにもお天気に限ったことじゃないこと、ご承知だと思います。
 それは、日本の株価上昇なんですがヤッホー君、実体経済がその上昇を押し上げているの?とだいぶ疑問なんです。
 アベノミクスの効果がその上昇要因となっているんじゃなく、バブルなんじゃない、シャボン玉なんじゃない、と。

 日経平均株価が上がり続けている。前回の記事(10月11日)では「日本株の上積みは限定的」と見立てていたが想定以上だった。
 過去最長の14連騰超えに成功、10月24日でついに16連騰となった
 そこで、過去の連騰後の動きを比較したうえで、テクニカル面から今後の見通しを探ってみた。
。。。
 過去の長期連騰ではその後も高値が続いたと書いたが、実際のところはどうなのか。
 日経平均株価の連騰終了日を100として、30営業日後の動きを調べてみた(ただし、戦後の勃興期や高度経済成長期は除外)。
 1986年や1988年(バブル経済)の連騰後は4.8〜7.1%高となっている。仮に2017年10月24日終値(2万1805円)に当てはめると、2万2800〜2万3300円までの上昇も想定される。この価格は、1996年6月につけた平成バブル崩壊後の戻り高値2万2666円を上回る。

安倍政権の政策の新鮮味は乏しい

 その一方で、2015年(アベノミクス相場)の連騰後は2.3%安となったうえ、その後に中国の人民元切り下げをきっかけに下げが加速した。
 2017年の連騰後の動きはどうか。
 足元は衆院選の結果から現政権への期待感が根強いものの、政策の新鮮味は乏しい。
 「アベノミクスの継続」というだけでは上値は買いにくい。
。。。
 さて、このあとは10月末から11月初旬にかけて日銀金融政策決定会合、米FOMC(公開市場委員会)が控えている。
 さらに、11月3日からドナルド・トランプ米大統領のアジア歴訪が始まり、同6日には日米首脳会談が開催される。北朝鮮情勢の緊迫化も想定されており、連騰後の反動安になる局面もあるかもしれない。
 この間、10月31日には、もともとは秋の収穫を祝う宗教的な行事であるハロウインが米国を中心に世界各地で行われる。
 その合言葉は『Trick or treat』で、お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ、といった意味だ。
 今年の10月の株式市場では、相場の神様なら『Trick or trade』というだろうか。
 奇妙な連騰相場に目を奪われる前に、いったん利益確定が必要な局面が近づいていると思われる。


東洋経済 On Line、2017年10月25日
日経平均の連騰記録が途切れたらどうなるか
過去の「上昇ストップ後」の相場を調べてみた

中村克彦、みずほ証券シニアテクニカルアナリスト
http://toyokeizai.net/articles/-/194560

 台風の進路予想よりも難しい「奇妙な連騰相場」ですかぁ、でもこれって富裕層、株を売ったり買ったりできる人や会社のお話しで、庶民の側では株価があがったのはアベノミクスってホントに関係あるのかなあ、といったところでしょう。
 われらが経済アナリスト、植草一秀氏に登場願います:
。。。
 株価も大幅に上昇している。
 これも事実だ。
 しかし、一番重要な経済指標は実質経済成長率であり、実質経済成長率の実績を見ると、民主党政権時代の実質GDP成長率(四半期毎、前期比年率)平均値は+1.8%だったが、第2次安倍政権発足後の成長率平均値は+1.4%である。
 民主党時代も経済はあまり良くなかったが、2012年の第2次安倍政権発足後の5年間の平均は、民主党政権時代よりかなり悪い。
 これが、日本経済が良くなったか悪くなったかの、一番基礎の、基準になるデータだ。
 この比較を示さないで、細かな部分で、「良くなったと言える部分」だけを強調するのは「イカサマ」そのものだ。
。。。
 経済全体が悪くなるなかで、大企業の利益だけが史上最高を更新していることは、それ以外の所得、つまり、労働者の所得と中小企業の所得が悪化していることを意味しているにすぎない。
 株価が上がっているのは事実だが、日本の上場企業数は4000社弱。
 日本の法人企業数400万社の0.1%にも満たない。
 その0.1%の企業収益が史上最高を更新して、0.1%の企業の株価が上がっているだけなのだ。


 労働者にとっての最重要の経済指標は、実質賃金指数だ。
。。。
 厚生労働省が発表している実質賃金指数のなかで、従業人5人以上の企業すべて、固定給だけでなく時間外賃金、ボーナスを含めた現金給与総額統計を見るのが一番公正である。
 この推移を見ると、民主党政権時代にはほぼ横ばいで推移したものが、第2次安倍政権発足後は5%も落ちている。
 雇用者は増えたが、それ以上に一人当たりの実質賃金が落ちているのだ。
 労働者全体の所得が減ったなかで、それを分け合う人数だけが増えた。
 これをアベノミクスの成果だとする感覚は正常とは言えない。
 全体として、日本経済は安倍政権下で悪くなった。
 良くなったのは0.1%の大企業だけだ。
 一般労働者の賃金は減り、いままで労働しないで済んでいた人たちが労働に駆り出されただけである。
 生産年齢のすべての国民を低賃金労働に駆り出す。
 これが安倍政権の「一億総活躍社会」であるが、その実態は「一億総低賃金強制労働」なのである。


植草一秀の『知られざる真実』2017年10月19日(木)
テレ朝報ステも偏向報道アベノミクス絶望の素顔
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-ba5e.html

世界各国の横並びがもたらす国内の縦並び現象

浜: このところ、世の中の諸問題が持つ方向性が少しより顕著に見えるようになったような気がします。2005年辺りから、私はグローバル時代には「横並びがもたらす縦並び現象」というものがあるように思ってきました。その辺を、どうもかの『21世紀の資本』のピケティ氏も感じていそうだということを発見して、おおいに気を良くしている次第です。
 グローバル時代の資本は最適・最効率を求めて地球をまたいで動く。資本が行った先は繁栄します。例えば、インドには海外からの問い合わせを受けるコールセンターが設立されて企業が繁栄している。これが、グローバル時代がもたらす横並び。一方、国境の内側では繁栄の流れに乗れた人と乗れなかった人の所得格差が開いている。内なる縦並び現象です。こういう問題に賢く対処できてこそ、国家・政府・政策の存在意義が評価されるのだと思います。
 ところが、現実には、国々は逆の方向で存在感を示そうとしている。つまり、強い者をより強くすることで生き残ろうという傾向を強めています。そのことが経済の基盤を崩すことになるのですが、それにまったく気がついていない。典型的なケースが、今の日本です。身も蓋もなく典型的。それが「アベノミクス」ならぬ「アホノミクス」です。

水野: かつては南北問題という格差がありました。その時代は南側を見て見ない振りをしていれば良かった。ところが、オイルショックが起こって先進国の成長率がスローダウンするようになると、南側の所得水準を上げて市場をつくるようになると、その反動で国内に周辺をつくるようになった。それがグローバル化の正体です。
資本主義であれ、封建時代であれ、古代も含めていつの時代でも、搾取する側の帝国と搾取される周辺国が存在しないと成り立たない。ローマ時代は北アフリカから奴隷を連れて来て、周辺国を占領して「すべての道はローマに通ず」とばかり、すべての富をローマに集めた。さすがに近代化後は目に見える奴隷制度は廃止されましたが、西側先進国はセブン・シスターズと呼ばれる国際石油資本の手で原油を抑えることで富を独占した。そして近年では、数十億人の市場であるBRICsに目を付けたり、金融資本市場では「世界の富はウォール街に通ずる」という仕組みをつくったりしている。
 国内でも「努力すれば報われる」というおかしな標語を持ち出して格差を正当化しようとしています。労働の規制緩和という口実によって非正規雇用を増やし、意図的に落ちこぼれをつくろうとしている。労働者を永久に低賃金で固定化しようという企みです。資本主義は全員を豊かにする仕組みでは無いということに気がつかなければなりません。

浜: 実にその通りですね。だからこそ、全員を豊かにする資本主義というものを生み出さないと、グローバル時代の向こう側には何も無いという恐ろしい終焉を迎えることになってしまうのだと思います。「資本主義の進化」こそ、大きなテーマになり得ると思います。
 ところが、「アホノミクス」が行っていること、アメリカやイギリスで行われていることを見ると、明らかな資本主義の後退現象が起こっている。マルクスが発見した「資本主義の再生産表式」は、モノを生産するメカニズムの中に資本が取り込まれていた。その過程で資本のメカニズムを順当に動かすためだというので、労働に対する搾取が起こった。そこに問題があったわけですが、少なくとも、マルクスが分析対象とした状況の中では、資本は一定の生産体制の中に組み込まれていた。
 ところが、現代の資本は資本主義的再生産メカニズムから飛び出て「野生化」しています。あるいは資本の「先祖返り」。この調子で行くと経済の基盤は破壊され、社会保障がズタズタになる。だが、それが成長戦略につながるのだという。
 ところが、実をいえば、今の時代において成長実績を上げているのは、むしろ、社会保障が手厚い北欧諸国です。成長率が高い国々は、手間を掛けて落ちこぼれを作らないように努力しています。「アホノミクス」のやり方とは全く正反対のアプローチが成長をもたらしている。そのことにチーム・アホノミクスは気がついているのでしょうか。

報われない人は努力していないという方便

水野: 「努力した人が報われる」というおかしな標語がさかんに使われています。しかも上位10%の支配階級の人々は、報われた者しか努力していないと逆転の解釈をする。文句をいえば「努力をしていないから報われないのだ」と言う。因果関係を平気で逆転させる。
 イギリスの大航海時代の資本主義は海賊資本主義でした。イギリスの海賊が、宗派が違うポルトガルやスペインの船を襲って富を奪っても、その一部を国王に拠出すれば「合法」でした。資本主義の初期では、そのように超法規的な方法で資本を蓄積した者が支配階級となった。近代資本主義では、その時点で何も持っていない人は、支配階級には入れない。入り口の部分で選別が行われるからです。
 13世紀のローマ法では利子の上限を33.5%と定めた。しかし、ローマの外では暴利が幅をきかせた。借りた人は財産を取られて放り出させるだけ。剰余価値は資本家が持ち去り、労働者は生活に必要な分だけしか手にできなかったのです。

浜: 資本主義の黎明期は、そうやってどんどん勢いが蓄積される時代で、労働者もそのおこぼれに預かることがさしあたり生活基盤の向上につながった。それこそ、唯一、「トリクルダウン」効果が多少とも実現した時代だったといえるかもしれませんね。
 資本主義が成熟してくると、黎明期と同じ論理では自己破壊的な方向へ向かうだけだということにチーム・アホノミクスは気がついていない。だから、ものすごく時代錯誤的なことを行っている。彼らのやっていることに比べれば、海賊資本主義のほうがまだましです(笑)。「弱きを助け強きをくじく」という考え方に基づいていたのですから。

水野: 海賊を肯定するつもりはありませんが、彼らは彼らの中では富を平等に分けていた。平等社会を築いていました。

浜: 海賊社会は共産主義社会と言ってもいいかもしれない(笑)。

税金逃れをする企業がもてはやされる

水野: グーグル、アマゾン、マイクロソフト、スターバックスといったグローバル企業がタックスヘイブンや軽課税国などを用いて過度の節税対策を行っていると批判されました。これらの企業が海賊なのか山賊なのかわかりませんが、各国のインフラを使って経済活動を行って利益を得たのだから、インフラの利用料として税金を納めるべきなのに踏み倒した。
 一方でアメリカ財務省は、米国発のグローバル企業から税金を取れないため、商務省が表に出て行って、外国企業から巨額な課徴金を取っている。アメリカ国内では商務省が山賊まがいのことをしています。

浜: まるで追いはぎですね(笑)。ピケティ本のタイトルで面白いところは、21世紀の「資本」であり「資本主義」ではないところ。彼も資本の野生化という感覚を持っているのかも知れない。
 本の最後のほうで「国家はその社会性を復元すべし」ということを言っていて、それが重要なポイントと思います。資本の野生化を懸念する感覚があるからこそ、彼は幅広い資産課税の導入を提唱したのではないでしょうか。
 納税と受益は決して一対一の対応関係にあるのではない。だからこそ、「社会性」に関する認識が必要なわけです。いわんや、受益しているのに税金を払わないで済む道を追求する企業や人々がもてはやされる社会は間違っています。

技術の進歩とは逆に人間の精神は退化する

水野: 恐らく人間はどんどん劣化しているのでしょう。技術は進化しているのに精神は退化している。だから、善悪の判断ができなくなっている。

浜: 知性と精神性が退化すれば、要は野蛮になっていくわけですよね。公益性・公共性とはどういうものであるかが考えられなくなっている。人はなぜ税金を払わなければならないのかという常識すら失いつつある。その好例が本にも書いたことですが「ガバナンス」という言葉の意味の曲解です。ガバナンスとは、短期的に稼ぐ力を顕在化させることだということになっている。

水野: それって企業でいえば経営会議のテーマですよ。

浜: ガバナンスは、過度に収益ばかりを追求する企業経営に歯止めを掛けるために必要なことも、いつの間にか「稼ぐ力」を強化するためにガバナンスがあると解釈されてしまった。国も企業も公益性・公共性を忘れている。その先には人類の滅亡しかありません。「アホノミクス」の出現は、人類滅亡の時が迫っていることを告げているのかも知れない。
 だからこそ、私たちは資本主義の進化、資本主義の新たな夜明けというテーマを負い続けなければなりません。そこで水野先生、「資本主義の新たな夜明け」という本をお書きいただけませんか?

水野: とても興味深いテーマですよね(笑)。

浜: 精神性を復権させることと、安倍政権が唱える「道徳教育」ほど、かけ離れている相互関係はありませんね。道徳心という概念が、今日において何と汚されているか。
 だからこそ、『国民なき経済成長 脱・アホノミクスのすすめ』(浜矩子、角川新書、2015)の超続編ともなる『資本主義の新たな夜明け』が必要なのです。水野先生(著書に『資本主義の終焉と歴史の危機 』(集英社新書、2014)、よろしくお願いいたします!


現代ビジネス、2015.06.21
『国民なき経済成長 脱・アホノミクスのすすめ』刊行記念対談
浜矩子×水野和夫 「野生化」する資本主義

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43815

 ヤッホー君もちっとも評価していないアホノミクス、それなのになんで大勝、圧勝、地すべり的勝利なんて活字が躍るのか世界七フシギのひとつじゃあござんせんか。

 自民党は今回の衆院選で、全289小選挙区のうち、75.4%(議席占有率)に当たる218議席を獲得した。
 得票率は48.2%。占有率、得票率とも2014年の前回衆院選とほぼ同じで、第1党に得票率以上の議席を与える小選挙区制の特性が示されるケースが続いている。


2017衆院選.jpg

JIJI.com、2017/10/24-00:17
自民、得票率48%で議席75%
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102400019&g=pol

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時雨の記

 ヤッホー君がマレーシア滞在中だった2017年8月のことです:

 関東地方は2017年8月16日、朝から各地で雨雲が広がった。東京都心では1日から連日雨を観測しており、8月としては1977年に記録した22日(6〜27日)に次ぐ長さになっている。今後も1週間程度は雨が降りやすい状況が続くとみられる(東京都心は22日、8月に入って 初めて雨が降らず、連続降水日数は21日間で途切れた)。
 気象庁によると、北海道の北にあるオホーツク海高気圧が発達している一方、南の海上にある太平洋高気圧の張り出しが弱くなっている。このため、東日本の太平洋側に湿った空気が流れ込み、天候を崩しているとみられる。
 都心では日照時間も平均で2時間あまりと短く、10〜15日の平均気温も25度を下回っている。

 雨雲に覆われ、肌寒く感じる神奈川県鎌倉市の由比ガ浜海水浴場は人影まばら。海の家の前で、浮輪やボートが出番を待っていた。オーナーの男性(52)は「8年やっているけど、人出も売り上げもこの夏が一番悪い」と肩を落とす。サークル仲間8人で訪れた大学生(20)は「寒すぎるけど、人が少ない分、ゆっくりできた」と話していた。


朝日新聞、2017年8月16日20時11分
8月の東京は連日雨…40年ぶり、歴代2位の長さ
http://www.asahi.com/articles/ASK8J4TKMK8JUTIL01G.html

 で、こんな影響が。。。

 日本チェーンストア協会(東京・港)が9月21日発表した8月の全国スーパー売上高は1兆779億円だった。
 既存店の販売実績は前年同月比0.5%減で、2カ月ぶりにマイナスとなった。
 東日本を中心に雨の日が多く気温も低めで推移したことから、アイスクリームなどの夏物商材の販売も振るわなかった。
 売上高の約7割を占める食料品は0.33%のマイナス。
 昨年が台風などの影響で相場高だった農産品が2.4%減。衣料品は4.4%の減収、日用雑貨などの住関連品は0.5%減だった。
 日本チェーンストア協会には総合スーパー(GMS)や食品スーパーのほか、100円ショップや衣料品・家具の専門店など小売業56社が加盟する。


日本経済新聞、2017/9/21 19:26
スーパー売上高、8月0.5%減
長雨で夏物商材振るわず

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ21HN2_R20C17A9TI1000/

 イマ頃、各地の紅葉便りでにぎわっていいはずなのに、今年はそうもいきそうにありません。
 また台風のニュースが飛び込んできました。
 10月22日は山歩クラブ月例のお散歩会、台風21号の影響で10月29日に一週間順延してもらったのに、また台風?
 
 列島に大きな爪痕を残した台風21号に続き、10月24日、台風22号が発生した。
 本州は、2週連続して台風の影響を受けるとみられる。
 台風22号は、発達しながら北上し、27日には沖縄地方に接近、その後、週末には進路を東寄りに変えて本州付近に進む見込み。
 予報円がまだ大きく、進路が定まらないが、台風21号で大雨の被害を受けたところでも、また大雨の可能性があり、今後の台風情報に注意が必要となる。
 一方、台風21号や秋雨前線などの影響で、東京では25日も降水を観測し、15日連続の雨となった。
 これは、10月としては1890年の18日連続以来、127年ぶりのこと。

 東京の雨は25日までで、26日は安定した秋晴れになるとみられる。


フジテレビ系(FNN)最終更新:10/25(水) 12:11
台風22号 再び大雨のおそれも
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20171025-00000453-fnn-soci

 8月の21日間連続して雨が降ったのは40年ぶりとか、10月は15日連続の雨は127年ぶりとか、ホント、常にあらず、異常ですよね。
 沖縄は統計史上初めてだって…:
 
 沖縄は高温状態が続いていて、那覇は今月に入ってから19日連続で30度以上の真夏日に。
 10月にここまで真夏日が続くのは統計史上初めてのことです。


チーム森田の“天気で斬る!”2017年10月19日
台風21号 週明けにかけて広範囲で大荒れのおそれ
福岡良子
https://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/archive/2017/10/19

 で、こんな影響が。。。

 秋の長雨が首都圏の観光地の明暗を分けている。
 かき入れ時の週末ごとに天候が崩れる間の悪さもあり、屋外の観光施設や伝統行事で集客が大きく減った。天候不順に見舞われた8月の苦戦に追い打ちがかかった。今週末も台風の接近で雨となりそうで、各地では来週以降、イベントなどで巻き返しをめざす。一方、屋内型では急な寒さで温浴施設の利用客が伸びるなど好調ぶりが目立つ。

 観光牧場のマザー牧場(千葉県富津市)は10月の来場者数が前年比8%減った。
 8月と同様、交流サイト(SNS)による屋内イベントの宣伝を強化している。羊毛を使った工作体験や観覧車から眺めるイルミネーションで巻き返しを狙う。

 埼玉県川越市で14〜15日に開いた伝統行事の川越氷川祭も、あいにくの雨で人出が約73万人と昨年(約98万人)より26%減った。
 今年は山車行事が国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に登録後初の開催で例年以上の盛況を見込んでいただけに、関係者からは天候への恨み節も漏れた。11月上旬のライトアップや音楽イベントなどでの集客に期待をかける。

 週末ごとの雨や寒さで10月の入園者数が前年同期より約2割減った遊園地のとしまえん(東京・練馬)では、夏も天候不順で緊急のプール割引キャンペーンを展開するなど対応に追われた経緯があり、思わぬ長雨の再来に担当者は頭を抱える。
 10月末からのイルミネーションや12月に予定するアイススケートリンクの開業などで集客の勢いを取り戻す方針だ。

 一方、屋内型の施設は比較的堅調だ。
 埼玉種畜牧場・サイボクハム(埼玉県日高市)は、ソーセージなどを販売する店舗の客数が10月1日から19日までに5万1353人と前年同期より約2000人増えた。
 気温の低下に伴い敷地内の温浴施設の客足も伸び、同期間の累計は前年同期を13%上回った。

 神奈川県海老名市の屋内型遊園地施設「ファンタジーキッズリゾート海老名」も休日は来客数が通常の2倍に上る日もあった。
 ハロウィーンなど季節のイベントを充実させ、天候不順で外遊びができない子どもの取り込みに力を入れる。

 東京スカイツリータウンにあるすみだ水族館(東京・墨田)では雨など天候に恵まれなかった14、15の両日に一時は入場待ちの行列ができるほどの盛況ぶりだった。
 広報担当者は「想定以上で繁忙期並みの来場客。全体としても好調を保っている」と話す。


日本経済新聞、2017/10/20 21:50
秋の長雨、週末直撃で首都圏の観光地明暗
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22512770Q7A021C1L83000/

川越氷川祭
https://www.youtube.com/watch?v=k_WszHgGM58

京都時代祭(秋雨前線による長雨と 台風21号接近のため、2017年は中止)
https://www.youtube.com/watch?v=HiYb_TkQ3nY

 では気を取り直して映画『時雨の記』を:
https://www.youtube.com/watch?v=79HzQV5wluk

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新宿区ウオーキング協会

 ヤッホー君のこのブログ、2013年10月23日付け日記「東海道品川宿」をご参照ください。
 ヤッホー君の歯医者さんは鯉渕隆文先生といって、小田急線豪徳寺駅前、こいぶち歯科でしょ。
 豪徳寺がどうして新大久保駅なのよ、って言いますと実は、昨日、5.3Km歩いた後、大久保スポーツプラザにて早稲田大学スポーツ科学学院講師・荒木邦子先生による「転倒予防リフレッシュ体操」があったのです。
 それに出ようか、と。

 でね、荒木先生の教え子のなかには、いっぺいくんもいるんですよ:

 早稲田のワタナベといえば世界水泳2017で渡辺一平選手(水泳部・スポーツ科学部3年)が銅メダルを獲得したばかりですが、その活躍にも刺激され、ユニバーシアード競技大会(2017/台北)の競泳女子100m平泳ぎでも200m平泳ぎでも渡部香生子選手(水泳部・スポーツ科学部3年)が金メダルを獲得し、2冠達成の快挙となりました。
 早稲田の2人のワタナベが日本競泳界を熱く盛り上げました。

https://www.waseda.jp/inst/athletic/news/2017/08/25/11191/

 そして、荒木先生は、「新宿いきいき体操」の考案者でもあったのです。
 どんなのかって言いますと、

 「新宿いきいき体操」は、公募の区民の方と早稲田大学スポーツ科学学術院と新宿区が一緒に作った介護予防のための体操です。
 「平成新宿音頭」(作詞・山添花秋/作曲・曽根幸明)を体操用にアレンジした曲に合わせ、区の花つつじや歌舞伎など新宿区に縁のあるものがストレッチや筋力アップ、バランス能力アップの動作として盛り込まれ、介護予防のために必要な体力要素を楽しく刺激することができます。
 また、「新宿いきいき体操」は立って行う体操と座って行う体操の2種類あります。体力や体調に合わせて選んでいただけますので、少し足腰に不安がある方でも取り組んでいただけます。

http://www.city.shinjuku.lg.jp/fukushi/file05_00002.html

https://www.youtube.com/watch?v=i_120-fKIlY

 で、荒木先生は日経新聞プラス1でフィットネスを担当されており、デジタルでも読めます。
 最近の記事はこちら:

 いずれの運動も、体軸をまっすぐに保ちながらひねるとより効果的だ。
 背中の筋からお尻の筋まで、腰部にある筋膜を通って対角線上につながっているからだ。
 1つの筋肉を単一的に鍛えるだけでなく、複数の筋肉の連鎖を活用した機能的な運動を取り入れて、美しくしなやかな身のこなしを目指そう。


2017/10/7付
ひねり」で眠れる筋肉呼び覚まし 競技力向上
動作しなやかに、シェイプアップも

https://style.nikkei.com/article/DGXKZO21931360V01C17A0W10601

 ぜひ、皆の衆も試してみなはれ。
 「体軸」を教わりましたが、昨日の催し、新宿区スポーツ課と新宿区体育協会、それに市民団体(NPO新宿区ウオーキング協会)との「協働」です。
 この市民団体の会長さんである、あしながのこばやしさんのまっすぐ、すらっと、しゃきっとした「体軸」、体幹の見事さにははい、野武士派、無頼派をもって任じてきたヤッホー君は、恐れ入谷の鬼子母神、ただ口をポカンと開けたまんま、へぇ〜
 この市民団体、「新宿区ウオーキング協会」には公式サイトもあります。

http://genki365.net/gnks12/mypage/index.php


 また機会を見つけて体軸を意識して歩いてみたいな、それまでお達者で。

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重光武雄物語

 ヤッホー君のこのブログ、2015年03月27日付け日記「JR新大久保駅」をご参照あれ。
 昨日は歯医者に行き治療を受ける日。
 もうマレーシアから戻って1ヶ月は経ちましたが、5本目の治療!
 その前に歩いたところがあります。
 それが「ロッテ新宿工場」。
 解体がはじまっていて、もう建物は見えませんでした。

 今朝の日経新聞を見て驚かれた方も多いと思います。
 ロッテは1950年に操業を開始した新宿工場(延べ床面積7500平方メートル)を閉鎖し、ガムの生産を狭山工場へ移管することを発表しました。

 定番商品の「グリーンガム」など板ガムの生産を手がけてきた新宿工場はロッテの成長の原動力となり、一時は本社機能もおかれていました。
 最近は環境に配慮して全くガムの香りはしなくなりましたが、20年ぐらい前まではツーンとしたミントの香りの中を海城生が通学したものでした。

 昭和の終わりにはロッテオリオンズの選手たちの年俸更改の場所となり「オレ、落合見ちゃったよ!」というラッキーな海城生が出現。昭和30年代には勤めていた女工さんと付き合った猛者もいたとかいないとか…。

 今回の工場閉鎖報道は、ガム工場の看板が取り外されたことに気づいた人たちの間で「どうしちゃったんだろうね」と話し合っていた矢先の出来事でした。
 ロッテ工場の跡地の利用法については検討中とのことです。


画像:ロッテ工場(2012年)

海城学園同窓会、海原会ニュース、2013年7月24日(水)
ロッテ工場閉鎖
http://www.unabarakai.jp/news/?id=news51efdadc11e3d

 何かがあって動いたんでしょうかね、きっと。
 何かあっちゃこっちゃロッテの動きがアジアでは注目されていました。
 以下は、シンガポール紙「Straits Times」紙です:

Published: Mar 5, 2017, 6:14 pm SGT
Chinese protest against South Korea’s Lotte

Published March 21, 2017
Lotte founder's family reunites - in the dock

Updated: Apr 17, 2017, 4:58 pm
South Korea prosecutors charge ousted leader Park Geun Hye and Lotte chief Shin Dong Bin with bribery

 マレーシア紙「The New Straits Times」紙見ても:

Published: October 6, 2017 - 3:28pm
DOE lifts stop-work order on Lotte Chemical Titan's project

SEOUL --
The 94-year-old founder of the Lotte group has stepped down from the board of the sole member company in which he still held an oversight role as a director.

Shin Kyuk-ho, known in Japan as Takeo Shigemitsu, was not permitted to continue serving on the board of Lotte Aluminum after completing his term. He previously resigned as a director at Lotte Holdings, the Tokyo-based holding company of the South Korean-Japanese conglomerate.

Shin retains the group title of general chairman, but is seen holding virtually no influence on business activities after withdrawing from his final Lotte board seat.

The founder's second son, Shin Dong-bin -- known as Akio Shigemitsu in Japan -- has taken over as the controlling chairman of the Lotte group.

South Korean courts have assigned a nonprofit subsidiary of a law firm as the guardian for the elder Shin, effectively ruling him incompetent to make business decisions due to his age. That entity had a hand in deciding the recent personnel changes.

Shin founded Lotte in Japan in 1948, later establishing a confectionery affiliate in South Korea in 1967. The family-controlled group has since expanded its retail-focused empire in both countries.


Nikkei Asian Review, August 16, 2017 12:59 am JST
Lotte founder retires from final board perch
Shin Kyuk-ho relinquishes almost all influence over conglomerate

By KENICHI YAMADA, Nikkei staff writer
https://asia.nikkei.com/Business/Companies/Lotte-founder-retires-from-final-board-perch

 ではここで「重光武雄(1922年生まれ)物語」をどうぞ:

A bitter family squabble over control of retail behemoth Lotte is the latest in a series of second- and third-generation scions sparring to cement their grips on lucrative corporate empires built by their fathers or grandfathers.
  
Lotte, the country's fifth-largest conglomerate, is mired in a leadership dispute among founder Shin Kyuk-ho, 93, and his two sons, Dong-ju and Dong-bin, who had each controlled the company's operations in Japan and Korea until early this year. While Dong-ju was ousted from key positions at Japanese units, Dong-bin took the helm at Tokyo-based Lotte Holdings, the group's holding firm.
  
The seemingly smooth power transition took a nasty twist late last month when Kyuk-ho and Dong-ju tried to dethrone Dong-bin from Lotte Holdings. In turn, Dong-bin demoted his father from general chairman to honorary chairman, claiming that his mental capacity has blurred due to age.
  
The Lotte drama rings a bell. It involves a fraternal rivalry with a younger but more ambitious sibling and the hardy founder who built a corporate giant from scratch, bearing the typical elements of succession feuds that erupted at such Korean conglomerates as Hyundai and Kumho.
  
But what sets Lotte apart from other family-controlled businesses, known as chaebol in South Korea, is its roots that trace back to postwar Japan and still remain an integral part of its corporate identity, an Achilles' heel that could seriously sour public sentiment amid frayed ties between Seoul and Tokyo.
  
Unlike its peers that were mostly established in the 1930s and 1940s when the country was still under Japan colonial rule or starting to recover from the atrocious period, Lotte was built on Japanese soil.

At the age of 20, Kyuk-ho, born in the southern port city of Ulsan, left for imperial Japan which ruled Korea from 1910. Lacking financial means, the future founder delivered papers and milk to support himself, according to Lotte Group's website.
  
He started as an entrepreneur in 1944 by building a cutting oil factory with seed money from a Japanese investor. The factory was soon destroyed by a fire, leaving Kyuk-ho with hefty debts.
  
Four years later, Kyuk-ho, who also goes by his Japanese name Takeo Shigemitsu, launched the confectionery Lotte that would later evolve into today's multinational corporate giant with more than 70 affiliates under its wings.
  
On the back of the huge popularity of bubble gum in postwar Japan, Kyuk-ho tapped into different food categories, ranging from chocolates to ice cream. In 1967, he expanded into his home country after diplomatic ties between Seoul and Tokyo were normalized.
  
The company soon became a household name here, known for its gum advertisements with catchy tunes and the immensely popular Lotte World amusement park, which helped the company build a friendly corporate image that overshadowed its Japanese roots.
  
Despite its continued ties with Japan, such as having its holding firm in Tokyo and acting as the retailer of Japanese brands such as Asahi Beer and Uniqlo, its Japanese roots were rarely discussed until an interview with the Shin family speaking in Japanese triggered a debate on their nationality and Lotte's corporate identity.
  
Dong-ju and Dong-bin, who use the Japanese names Hiroyuki and Akio, were both born and raised in Japan by their Japanese mother.

They both solely hold Korean passports after renouncing their Japanese nationality.
  
After the interview aired with Kyuk-ho and Dong-ju speaking in Japanese and using their Japanese names, viewers heaped criticism on their lack of Korean skills, considering the size and importance of Lotte in the Korean economy. It even led to suspicions that the company is shuttling profit from Korea to Japanese shareholders.
  
Lotte's 16 Japanese units under Lotte Holdings bagged 139.8 billion won ($119.9 million) in dividend payouts from Korean firms between 2012 and 2014, according to data by market tracker Chaebul.com. The amount also includes payouts from non-Lotte companies.
  
For now, Lotte seems to be focused on allaying public discontent over its historic links to Japan as it could deal a harsh blow to the group that heavily relies on the retail, food and travel industries.
  
"The group's countermeasure for this crisis can be summarized into two (parts). The first is cooperating with the government, and the second is untangling the misconception that Lotte is a Japanese firm," a high-ranking Lotte official was quoted saying.
  
On July 31, the group even released a statement, denying rumors that the Shigemitsu family is related to Mamoru Shigemitsu, a diplomat who served for imperial Japan and later was classified as a class-A war criminal.
  
The two brothers, despite their bout, seem to agree on the need to rub off their Japanese link for now.
  
In an Aug. 2 interview with broadcaster SBS, Dong-ju, who was criticized for only speaking in Japanese in previous interviews apologized with his wife in Korean.
  
The next day, Dong-bin stressed that Lotte is "a Korean company," saying that 95 percent of the company's sales are generated in the country.


Korean Herald, Published : Aug 7, 2015 - 09:26
Lotte row highlights family saga with Japanese roots
By 디지털
http://www.koreaherald.com/view.php?ud=20150807000192

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2017年10月24日

What now for Japan?

After Shinzo Abe’s crushing defeat of the opposition in Sunday’s election five Japan experts give their views on what lies ahead for the country – and the region.

We need to talk about pacifism

A mature debate about constitutional reform is exactly what Japan needs right now. It’s extremely important, but it’s been largely sidetracked by ideological disagreements from both the left and right. The left insists that the pacifist Article 9 must remain untouched. That’s not a realistic proposition because the world has changed and Article 9 is now something of an anachronism. It’s not realistic to keep it in the current environment, with Chinese ambitions and uncertainty over the US’s willingness to continue contributing to regional security in the way it has done before.

It’s unavoidable that countries like Japan and Australia need to contribute more to help keep the status quo in place. I can’t see any country in the region, with the exceptions of China and North Korea, opposing a more normal security stance by Japan. Gone are the days when south-east Asia and Australia were concerned about a revival of Japanese militarism.

In terms of Japan’s relations with the US, if Japan wants to maintain its alliance with the US and build security relations with others then the benefits have to go both ways. As we know, these days Washington has no time for freeloaders on security.

Michael Heazle, associate professor at Griffith University in Brisbane

Abe’s dream of change is within his grasp

Liberalism is on life-support in 21st century Japan as the political centre has shifted rightward, but Yukio Edano’s Constitutional Democratic party caught fire and is the Cinderella story of his election.

Edano represents principled uncompromising resistance to constitutional revision and favours repeal of the 2015 security legislation that most of the public also oppose.

He will also tap into public perceptions that Abenomics is welfare for the wealthy and has caused growing disparities in Japanese society. Edano is now the torchbearer of liberalism in Japan, and even if the flame now seems flickering, his party is well positioned to expose Abe’s shortcomings and flaws.

Abe sees that his dream (of constitutional revision) is within his grasp. Although public opinion now is not in favour of revision, if he pushes revisions through the Diet and holds a national referendum there will be a massive PR campaign to persuade the public to back the proposals. With a little help from Pyongyang and Beijing, I wager the chances are fairly good Abe can prevail.

Jeff Kingston, director of Asian studies at Temple University in Tokyo

Don’t expect major changes

Abe’s retention of a small supermajority makes it easier to pass a constitutional amendment bill in the lower house.

But there will be no major shifts in economic policy. On security, it will remain the case that the Japan-US alliance equals good, and North Korea bad.

The Party of Hope briefly emerged as a viable alternative to the ruling coalition. Suffice it to say that the Tokyo governor, Yuriko Koike, again displayed her worst traits – an inability to take counsel and a penchant for secretive decision-making - that made a disaster out of the deal that she cut with the then biggest opposition party, the Democrats.

Meanwhile, Japan looks likely to limp through its early 21st century Indian summer, at least through the 2020 Tokyo Olympics. Considering what is happening in some countries in the west – of which Japan is arguably a part – it could be worse.

Jun Okumura, visiting scholar at the Meiji Institute for Global Affairs

Abe has no mandate - despite his landslide

Because of faults in Japan’s first past the post electoral system there is a huge gap between public opinion on key issues and the distribution of seats in the Diet. It’s hard to say that Abe has a real mandate for constitutional reform, even though the LDP won by a landslide.

With such a low turnout, it isn’t as if the LDP and Abe enjoy huge public support. It is yet another case of the LDP benefiting from electoral system dysfunction and a divided opposition.

The constitution is the most divisive issue – it’s like Brexit in the UK. It’s part of a global shift from interest-based politics – who gets what – to identity politics. In America, it’s immigration and abortion, in Britain it’s the EU and in Japan it’s the constitution. Japanese people are being asked if they are happy with postwar liberal democracy or whether they want to revive an older Japan and its values.

It’s a deeply emotional issue, particularly for Abe. That’s why he is talking about it, even though he already pushed through a law allowing Japan to engage in collective self-defence. Why else would he bother with the constitution, especially when there are more pressing issues such as the economy and ageing society?

The coalition has the numbers in parliament, but it’s safe to say that the public is at least very divided on constitutional reform. It is not clear at all that Abe would win a simple majority in a national referendum (a requirement to revise the constitution). As Brexit proved, incumbent governments don’t necessarily get their way in referendums.

Koichi Nakano, professor of political science at Sophia University in Tokyo

No progress for women in this election

The election caused a lot of excitement, with the main opposition Democratic Party effectively disbanding and the emergence of two new political parties.

The other story, unfortunately common but one mostly unremarked upon, is the lack of progress for women’s political representation. Male domination of politics in Japan is so normative and so long-standing that it is almost unremarkable.

Yet, the fact that one of the world’s most economically advanced countries with a relatively strong record on human rights and women’s empowerment in health and education, comes last amongst OECD countries when it comes to political and economic empowerment, raises questions about democracy and equality.

The long-ruling Liberal Democratic party’s enduring grip on power and the low level of female political representation are not unrelated. A mere 8% of LDP candidates in Sunday’s election were women. Women’s groups have been campaigning for the introduction of gender quotas as a way of addressing the gender imbalance in politics for more than 20 years, and the LDP is more consistent than any other major party in its opposition to such measures.

Indeed, a bill to encourage parties to implement internal gender quotas was effectively quashed, before having a chance to be voted on, when Shinzo Abe called the snap election.

With the LDP in power again, increased attention to addressing this problem seems unlikely.

Dr Emma Dalton, lecturer in Japanese at RMIT University in Melbourne

The Guardian, Last modified on Monday 23 October 2017 08.16 BST
What now for Japan after Abe's landslide election victory?

Experts give their views on where Japan is headed after a sweeping win for the incumbent prime minister

By Justin McCurry in Tokyo
https://www.theguardian.com/world/2017/oct/23/what-now-for-japan-after-abes-landslide-election-victory


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選挙を終えての感想

 総選挙は、自民・公明で3分の2を超える圧勝に終わった。
 安保法制、共謀罪をはじめ度重なる強行採決、森友・加計問題に象徴されるお友だち優遇の国家の私物化……
 こんなひどい政治をやってきたあげく、600億円以上の費用もかけてまったく大義のない解散をした安倍政権が、ここまで勝ってしまうとは、まさに信じがたい。

 ただ、国民は安倍政権の横暴を忘れたわけではなかった。
 実際、テレビ朝日の調査では政権交代をのぞむ声は50%を超えていたし、近々の各社の世論調査でも軒並み不支持率が支持率を上回っていた。
 にもかかわらず、自民単独でも過半数を超えるどころか280も超えほぼ公示前に迫る大勝。
 まったく民意を反映していない選挙結果になってしまっている。
...
 今回の立憲民主党躍進の立役者は、元SEALDsメンバーを含む市民連合であり、さすがに彼らを裏切ることはしないだろう。
 選挙戦途中、枝野幸男代表が二大政党制を肯定するような発言をしたり、野党共闘を組む共産党をないがしろにするような態度をとった際などは、市民たちが批判の声をあげ、枝野代表もそうした声を受け軌道修正してきた。
 消費税増税については、民進党時代よりも市民に寄り添った政策を打ち出した。
 沖縄の辺野古新基地についても、基本的に民進党時代は是としつづけていたが、立憲民主党は辺野古新基地建設は立ち止まり、辺野古以外の選択肢も検討するとした。
 枝野代表は昨晩も、これまでの拙速な政権交代を目指しての数合わせの権力ゲームに対する反省を語ったり、憲法改正、対米従属に関連して、日米関係は重視するとしながらも、これまでの親米タカ派の人脈とはちがう、ハト派のアメリカとの人脈形成を模索したいと発言するなど、対米・外交においてもオルタナティブな路線を志向しているようだった。
...
 立憲民主党は、希望の党に寝返った連中や無所属の保守派ともう一度野合してはならない。
 むしろ、いまこそ連中を“排除”し、山本太郎や共産党など、発信力をもったリベラルと強く連携し、具体的な政権構想を打ち出すべきだろう。
 たとえば、枝野総理、小池晃官房長官、山本太郎財務相という布陣のシャドーキャビネットを立てたっていい。
 これはギャグで言っているわけではない。共産党らしからぬ柔軟性と高い説明能力をもった小池を官房長官に、マクロ経済を懸命に勉強して国民への再分配の方法を模索している山本を財務相に立ててリベラルな政策を打ち出していけば、“旧民進党の仲間”といった内輪で固まっているより、はるかに強度と影響力をもてるはずだ。
 それは、国会という枠のなかでのことだけではない。
 自民党が下野時代にネトウヨを組織化し、たんに自民支持を広げるだけでなく、嫌韓ヘイト、弱者叩き、ミソジニーといった反人権・反民主主義的な価値観を煽っていったが、こうした動きに対抗して、草の根でリベラルな価値そのものを広めていくような戦いが求められる。
 民進党時代のように極右勢力の左派叩きに過剰反応して、ネトウヨ的世論に迎合して保守ぶるのではなく、正面からリベラルな価値を訴え、裾野を広げる戦いをすべきなのだ。
 海外でも移民排斥やトランプ現象が盛り上がる一方で、サンダース(アメリカ・民主党)やコービン(イギリス・労働党)が高い支持を集めている。世界的に見れば、これもひとつの大きな潮流なのだ。

 従来、その頭の良さ、能力の高さの割に政治勘がないと言われていた枝野代表だが、今回の選挙を機に、本当に大事なものは何か、もっとも頼りになる味方が誰か、ということを強く認識してほしい。


リテラ、2017.10.23
衆院選結果を受けてリテラが悲嘆にくれながらも社説を書きました!
自民圧勝でも光はある!
立憲民主党は共産党や山本太郎と連携してネトウヨに対抗する草の根リベラルを育てよ

http://lite-ra.com/2017/10/post-3534_3.html

 選挙も終わりました。台風も行っちゃいました。
 結果、いろいろと思うところはあると思います。
 いろいろと。。。
 

 改めて小選挙区制が極めて非民主的な選挙制度であることと、メディアがそのことを問題視しないで「野党分裂で自民漁夫の利」とか報じてことにうんざりするな。
 野党側が共産党から希望の党まで一緒にならないと、創価学会と日本会議が一緒になってる与党に勝てない選挙のあり方っておかしいだろ。
@knakano1970、17:29 - 2017年10月22日


 選挙:
 23日配信の朝日デジタルは、「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転」で自民は284ではなくて、221議席となる。
 毎日は「野党候補一本化なら−84選挙区で逆転可能性」、如何に前原氏の罪が深いか。
 これは前原単独の動きではない。最低、連合会長に相談。彼は経営陣、自民党とつながる。
@magosaki_ukeru、16:13 - 2017年10月23日


 昨日10月22日のUIチャンネルで高野孟さんが明らかにしたことだが、安倍首相はモリカケ問題を逃げるために、実質来年の1月まで国会を開かないでいるつもりのようだ。
 特別国会は首班指名だけで閉じようとしていて、臨時国会も開かないのではないかと。
 7ヶ月も国会を休むとは税金ドロボウではないか。
@hatoyamayukio、18:53 - 2017年10月23日


 「赤旗」の電話取材。
 今回の選挙で「いいこと」があったとすれば、枝野、志位の両党首が一貫して「紳士的」であったこと。
 「言いたいこと、したいこと」はいろいろあるけれど、それを自制して、「今言うべきこと、なすべきこと」に譲ったこと。
 「抑制のきいた大人」を見る久しぶりの経験でした。
@levinassien、21:03 - 2017年10月23日

 ツイッターって、「言ったっつう」こと?
 SNSって何?というくらいに、できの悪い、できそこないのヤッホー君ですが、皆の衆、許してやってね。 ブログがいいね、やっぱり。二つほどご紹介:

選挙を終えての感想
低い投票率
 台風が来ていたとはいえ、あまりに低い投票率。
 ドイツ・フランス等では、投票率が70%を超えるのが普通らしい。
 政治への無関心、絶望等いろいろ理由はあるだろうが、理由の一つは、戦後民主主義がまだ根づいていない、それを戦い取ったという経験がなく、与えられたものだったということ、その歴史感覚が受け継がれてきたということがあるのかもしれない。
 もう一つは、徐々に投票率が下がり続けてきたのは、政治にコミットしても何も変わらないというニヒリズムがあるような気がする。
 民主党政権の「失敗」を経て、安倍第二次政権になってから、その傾向が強まっている。

選挙制度改革・野党共闘の必要性
 選挙制度が民意を反映し難いということもある。
 二大政党制の成立を前提として作られた制度だが、野党乱立状況下では、政権与党が絶対多数を取ることになってしまう。
 小選挙区で自民党が勝ったところでも、野党の得票全部を合わせると、自民党候補の得票を大幅に超えた選挙区が多くある。
 政党別得票率について詳細に検討されるのを待ちたい。
 保守二大政党制というのは存在しえない。
 二大政党が相対する政治理念、公約を提示し、国民に選択させる状況にはなりえない。
 比例部分を増やす等の対策が必要になることだろう(だが、現政権下でそれを行えるとは思えない)。
 この選挙制度がすぐには変わらないことを見据えて、野党共闘を進めることが絶対必要だ。
 民進党が、分裂して、立憲主義政党が成立したことは、そのためには大変良いことだった。
 希望の党ができて、野党共闘の枠組みが崩れても、共産党が、自らの候補者を取り下げて、共闘を進めたことは賞賛されてよい。
 国会質疑でも共産党の議員のそれはいつも真剣勝負で、すばらしいことが多い。
 立憲民主党、共産党を核として、野党共闘を是非実現してもらいたいものだ


ここでも政治の私物化
 安倍政権の内閣の人事は、前の人事の踏襲だそうだ。
 この選挙は「国難」に対処するためだったらしいので、であれば、内閣人事にもそれが反映されるべきなのではないか。
 「国難」というのは、安倍首相自身の「国難」でしかなかったのか。
 この選挙に打って出れば、モリカケ問題を無かったものにし、禊を済ませたということになるのか。
 そのために、600億円の国費を使ったのか。

権威主義的国家主義との闘い
 現在の政治状況は、保守・リベラルの対決ではなく、権威主義的国家主義と、草の根民主主義の対立だ。
 立憲民主党の躍進は、後者の必要性を認識した国民が一定程度いたということだろう。
 安倍首相への信認は低い(支持しないが支持するを上回っている)が、安倍首相は「丁寧な言葉」を使って、憲法改正へ突き進む。
 おそらく、北朝鮮での武力衝突、その直前まで突き進むトランプの瀬戸際外交を利用して、憲法改正を実現しようとする。
 憲法改正して、北朝鮮問題が解決するのだろうか。
 さらに、安倍首相の究極の目的は、緊急事態条項を憲法に書き込むことだ。
 独裁体制がそれで確立することになる。
 国民は、そうした体制になり痛みが直接及ばないと、覚醒しないのかもしれない。

政党の財政基盤
 内田樹氏がtwitterで述べていたが、政党助成金によって、政権与党は国民の側に向くことを止めた。
 そして、莫大な企業献金も、政党が国民から顔をそむける要因になっている。
 政党の財政基盤を変えないと、こうした政権与党の暴走は変わらない。

 以上、やや negative な見解ばかり並べたが、これからも政治への関与は続ける。
 絶望していては始まらない。
 より良い国を次の世代に残すために、政治の改革に関与してゆく。
 困難であればあるほど、やりがいがあるというものだ。


ステトスコープ・チェロ・電鍵、2017/10/23 09:42
衆議院選挙 
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/#entry5433

◎ 発音できない〈悪〉
 ポール・オースターは「白い空間」で書いた(注)。
 未来形で。
 「なにかがおきる、そしておきたとたん、もとにはもどれなくなる」

 しかし、なにかは、とっくの昔におきた、そしてもうもとにはもどれなくなっている。

 犯罪者が、じぶんの犯罪を帳消しにするために、国会を解散し、勝つのをみこして総選挙にうってでた。
 そして勝った。
 このプロセスぜんたいが犯罪を構成していることを、あのおとこは知っている。
 政治とは人民をまきこんだ犯罪そのもの、またはその変形であることを、あのおとこは熟知している。

 目には見えないヘブライの〈神〉は、発音不能の名前だったらしい。
 じっさいは100近くの名前があったのだが、どれをとっても

「理解できないもの」「語りえないもの」「目視できないもの」

だった。それはわたしたちがいま眼前にしていながら、発音できないでいる〈悪〉とかぎりなく似ている。

 この結果は、けっして狂気の産物ではない。
 戦争が、おどろくべきことに、狂気の産物ではないように。
 これはむしろ知性と理性と文化の結合である。
 暴力と知性と政治(的な意思)は三位一体となって、ますます戦争を生成するだろう。
 ことばは、戦争の生成にまったく追いついていない。


辺見庸ブログ Yo Hemmi Weblog、2017年10月24日
戦争の生成
http://yo-hemmi.net/

(注)
参考までに:『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク、2004年3月)
現在、品切れ。入荷は2017/11/27予定。
https://ec.alc.co.jp/book/7002641/

大賞に柴田元幸氏、奨励賞にアーサー・ビナード氏が決定(第6回早稲田大学坪内逍遙大賞)
https://www.waseda.jp/culture/news/2017/10/03/3543/


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パリの空の下

 10月24日火曜日「国連の日」。
 昨日のヤッホー君のブログ、「緑のたぬき」で思い出したんですが、そう、パリ!
 ジュリエット・グレコ Juliette Gréco (1927年生まれ)「パリの空の下」ほかを聴いてみませんか:

https://www.youtube.com/watch?v=MQ6s4eOpUFk
https://www.youtube.com/watch?v=n9Sfx3c7fR0
https://www.youtube.com/watch?v=-bxjMs3UboM

 台風がいっちゃった後、やっぱり穏やかな秋がいいですね。
 秋と言えば、シャンソン!
 。。。なんですが、”ジュリエットグレコ物語”を秋の夜長、辞書を引き引き、ちょっと読んでみましょうよって:

Juliette Gréco, looking fabulous in her trademark black trousers and slender cashmere polo neck, is remembering the first time she sang in Rio de Janeiro. It was the 1950s, and she was far from famous, even in her native France. "Thousands of tickets sold out in a day," she laughs. "I found it extraordinary – until I realised a local newspaper had said I'd be singing naked! They all wanted to see that French woman singing in the nude."

We're at Gréco's house on the Côte d'Azur, sitting by a huge open fire crackling away in the middle of a vast whitewashed room with African masks on the walls and two big sofas. I was hoping we'd chat beneath the lemon trees on her sun terrace, but today the Côte d'Azur is buried in mist and drizzle, which lent the lush landscape a strange melancholy as I ascended the winding roads to Gréco's den in the hills above St Tropez.

The icon of French chanson shares this place with her third husband, Gérard Jouannest, the pianist and composer who co-wrote the music and lyrics for 35 of Jacques Brel's greatest songs, including Ne Me Quitte Pas. Gréco still looks astonishingly youthful, even though she wears no makeup, apart from her signature kohl eyeliner. This may be because she has never taken life seriously. Despite her astonishing, deep voice, she is prone to giggling like a teenager. Next to her, one can't help feeling ancient and slow, not least because she has just released a new album – at the age of 86.

In Gréco Chante Brel, she delivers 12 songs by the Belgian legend. One of the most striking is Amsterdam, which Gréco has turned into a kind of psychedelic oratorio, evoking the Dutch capital's prostitutes and sailors drinking themselves into oblivion. It certainly captures Brel's dark inner world. "I met Brel in 1954," she says. "He was a gentle genius. His world, unlike mine, is violent and coarse, but the great thing about being a woman is I don't have to imitate him. I can be myself."

This, besides her singing, has always been Gréco's great talent: being herself, a survivor, unique and untamed. Gréco was just 16 when the Gestapo arrested her and her older sister in Paris in 1943. Their mother, a résistante, had vanished shortly before.

Gréco was released, alone, a few months later. Wearing just the blue cotton dress she'd had on when she was arrested, and with no home to return to, she stepped out of the notorious Fresnes prison into one of the coldest winters on record – and walked the eight miles back into town.

She turned to her mother's friend Hélène Duc, an actor and fellow résistante who lived in a shabby little hotel. Duc found her a room and some food, but Gréco had nothing to wear apart from that blue dress and raffia sandals. "I was so cold and so hungry," she says, "that I stayed in bed for two years." Male friends, aspiring actors and art students, gave her clothes. Except they were far too big, so she rolled them up: shirts, jumpers, jackets, trousers, the lot. In the streets and cafes, heads turned – and a new fashion was born. And a star, too. Gréco's look and intense gaze would soon be immortalised by the giants of photography: Willy Ronis, Henri Cartier-Bresson and Robert Doisneau all shot Gréco.

Postwar life was harsh: food was scarce, housing shabby, but the feeling of freedom was a joy. "We were poor," she says. "But it didn't matter, for we were free at last, and we all shared the little we had." Gréco, like all the artists and intellectuals of the time, lived on the left bank, renting a room with a bath tub. She never locked it, so other people could use it. "The room wasn't great for sleeping: there were always a few friends who needed a shower in the middle of the night. I'd find some of them asleep in the corridor – they'd passed out before reaching the door."

With her long black hair and fringe, her penetrating stare and her oversized clothes, Gréco became the left bank's muse, its existentialist mascot, the gamine girl photographers never tired of. She was keen on acting, but when she started singing, things took off in that direction. "I wanted to be a tragedian, but a friend suggested I use my voice differently. I loved poetry and literature, so why not voice poems?" Voicing is a good way of describing Gréco's singing style. "I am no Maria Callas, that's for sure," she laughs, "but I have had this truly astonishing career, touring the world, singing all those wonderful things in front of large crowds."

She chose poems by the likes of Jacques Prévert and asked composers to set them to music. One was Joseph Kosma, who wrote soundtracks for Jean Renoir. When she sang Parlez-Moi d'Amour, it was a sign that her days of earning a paltry five francs per show were over.

This 1930s classic, now recorded in 37 languages, is one of those inimitable chansons about love and kissing that made French singers – from Charles Trenet to Georges Brassens to Serge Gainsbourg – famous the world over. Gréco joined their ranks, and now Prévert was writing songs for her. And Jean-Paul Sartre, too.

Yes, Sartre penned songs for Gréco. Ah, those were the days. "Gréco has a million poems in her voice," wrote the world's most famous intellectual. "It is like a warm light that revives the embers burning inside of us all. It is thanks to  her, and for her, that I have written songs. In her mouth, my words become precious stones."

Men were drawn to her. Women, too. Maurice Merleau-Ponty, the phenomenological philosopher, fell in love with her; Simone de Beauvoir, acting as chaperone, introduced her to Truman Capote and William Faulkner (who looked the other way when, starving, she stuffed her bag with petits fours at a famous publisher's cocktail party). Miles Davis, playing in Paris with Dizzy Gillespie, fell madly in love with her. "Sartre asked Miles why we didn't get married, but Miles loved me too much, he said, to marry me. You'd be seen as a 'negro's whore' in the US, he told me, and this would destroy your career. We saw each other regularly until his death. He was one of the most elegant men I have known."
Davis was just one in a long list of suitors: Gréco has left dozens of heartbroken men in her wake. Two committed suicide, and a few others made failed attempts. The press tried to make her feel responsible. "I don't care what they say," she wrote in Jujube, her 1982 autobiography. "I don't believe I can inspire such passion." Other men who fell for her included the Hollywood tycoon Darryl F Zanuck, who gave her starring roles in John Huston's Roots of Heaven and Richard Fleischer's Crack in the Mirror.

"I played alongside Orson Welles in both," she recalls. "I don't think I have ever laughed as much in my life as during those years. The writer Françoise Sagan was always visiting me then, too – she was barely 20 and really wicked, in the nicest way. We were like children. Orson was a genius and a gentle ogre, Françoise was extraordinarily witty. We loved eating, drinking and being merry. You should have seen us all after a dinner, roaring with laughter in St Tropez's deserted streets at night. We  were very naughty."

The movie mogul David O Selznick once sent Gréco his private plane so she could join him for dinner in London. He offered her a seven-year contract in Hollywood. "I declined politely, trying not to laugh," she says  "It felt too inappropriate. Hollywood was definitely not for me." There was also the great French actor Michel Piccoli, who won her over during a dinner by making her laugh for the whole evening. "A few weeks later, we were married. And then, after a while, we both stopped laughing."

Our conversation returns to Paris in 1943. She lived off Viandox – a cheap meat broth much like Bovril, served hot in cafes – and earned scraps here and there, working in theatre and films as an extra, always trying to get more parts. When Paris was liberated in August 1944, she went every day to the Lutétia hotel, where survivors from concentration camps were arriving. One day, among a crowd of skeletal, liberated prisoners, she spotted her sister and mother. "What I endured in occupied Paris was nothing compared to their two years in Ravensbrück," she says. "We held each other tight, in silence. There were no words for what I felt at that instant."

Gréco is still in constant demand, and France's fascination with her shows little sign of dwindling. Hedi Slimane, the fashion designer and creative director for Yves Saint Laurent, recently photographed Gréco and asked her to be YSL's brand ambassador. And today, when she walks the streets of Paris, women of all ages stop her and tell her she's been an inspiration to them. "Phew," she says, roaring with laugher. "I have been useful after all."

Some even ask if they can give her a kiss. What does she say? "Please do!"


[photo]
'I'm no Maria Callas' … Juliette Gréco in the gardens of her house near St Tropez.

The Guardian, Published: Monday 17 February 2014 18.23 GMT
Juliette Gréco: 'We were very naughty'

She was Miles Davis's lover, Orson Welles's drinking partner and Jean-Paul Sartre's muse. But Juliette Gréco is still going strong at 86 – and still singing chanson. Agnès Poirier meets the French icon

By Agnès Poirier
https://www.theguardian.com/music/2014/feb/17/juliette-greco-miles-davis-orson-welles-sartre

 あっ、フランス語の辞書をお持ちの方は、昨年2016年のことですけど、次の記事も補足としてぜひ読んでみてくださいね:

La chanteuse française Juliette Gréco, qui a fêté début février ses 89 ans, va devoir faire une pause dans sa tournée d'adieux: victime d'un malaise à Lyon, elle a été hospitalisée et opérée jeudi, une intervention qui s'est "bien passée" selon son entourage.

La chanteuse, qui séjournait dans un grand hôtel du centre de Lyon, a été conduite en urgence jeudi matin dans un hôpital neurologique de la ville en raison d'une "suspicion d'accident vasculaire cérébral" (AVC), ont indiqué les pompiers.
...
La "Muse de Saint-Germain des Prés" enchaîne les concerts depuis le printemps 2015 avec le désir de repasser par tous les lieux emblématiques de sa carrière démarrée en 1949.

Cette tournée d'adieux à la scène, baptisée "Merci", qui doit repasser par Paris en avril et en décembre, doit aussi la mener au Japon et au Royaume-Uni en juin.

"Je dis non à ce qui m'est le plus cher, à quelque chose d'essentiel pour moi, mais je veux partir debout, avec le plus d'élégance possible", avait confié l'an dernier la chanteuse à la robe noire et au célèbre regard en "oeil de biche" pour justifier sa décision de faire ses adieux.

"Il y a 65 ans que je chante, c'est une longue vie de travail, il faut savoir s'arrêter avant de ne plus pouvoir. Je ne veux pas partir amoindrie. Et puis je suis une femme... On pardonne à un homme de vieillir, pas à une femme", avait-elle ajouté, quand on lui rappelait que Charles Aznavour, de trois ans son aîné, continuait à se produire.


HuffPost, Published: 24/03/2016 09:59 EDT
La chanteuse Juliette Gréco hospitalisée après un malaise
By Agence France-Presse
http://quebec.huffingtonpost.ca/2016/03/24/juliette-greco-hospitalisee_n_9539356.html

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2017年10月23日

「緑の党」の沈没

 世界のローマ・カトリック教会の司教会議はローマ法王フランシスコの要請を受け、「家庭と教会の性モラル」(避妊、同性婚、離婚などの諸問題)に関して信者たちにアンケート調査を実施したが、日本のカトリック信者を対象に同様の調査が行われ、このほどその結果が明らかになった(世界各国司教会議が実施した信者へのアンケート結果は今年10月5日からバチカンで開催予定の世界代表司教会議で協議される)。

 バチカン放送独語電子版が20日に掲載した日本司教会議の報告によると、「日本のカトリック信者はモラルに関する教会の教義を知らない」というのだ。婚姻前の性生活や避妊道具の使用などについて、日本のカトリック信者は「まったく罪意識がない」という。カトリック教義では、避妊ピルやコンドームの使用は禁止されている。教会の聖体拝領に対しても多くの信者は「まったく無関心だ」という。

 日本司教会議関係者は「教会の教えと信者の現実の間には大きな亀裂がある」という。信者たちは教会の性モラルについて教会関係者と話し合うということもない。若い信者の場合、両親の願いで幼少時代に洗礼を受けたが、信仰に対する確信はまったくないというのだ。最近は、信者の間で同性愛者への寛容が広がり、カトリック信者と非信者間の結婚が増加してきている。

 日本司教会議の真摯な分析には感動するが、日本の信者を対象とした調査結果をみて、驚くというより、「それではなぜ、教会に留まっているのか」という素朴な疑問が湧いてきた。教会の教えを無視、関心も持たないというならば、通常の概念からいえば、信者とはとても言えない(日本司教会議によると、同国では約44万人の信者がいる。全人口で0・5%にもならない)。

 司教会議の調査結果は特別驚くべきことではないが、それにしても、日本ではキリスト教が根を張らないのはどうしてだろうか。「日本の風土にはキリスト教のような唯一神教は合わない」という声をよく聞く。森羅万象から神性を感じ、それを拝する日本人は、遠藤周作が主張していたように、父親のような厳格な宗教(砂漠の宗教)ではなく、母親のような包容力のある宗教を求めているからだろうか。

 蛇足だが、キリスト者だった日本の政治家は、良く知られている処では現職中に病死した大平正芳元首相(聖公会)、そしてカトリック信者で初の首相となったのが麻生太郎現副首相兼財務・金融相だろう。
 その麻生氏はホテルのバーで酒を飲むことが日曜日の礼拝参加よりも好きというから、教会の教義には関心の薄い平均的な日本のカトリック信者の一人なわけだ。


ウィーン発『コンフィデンシャル』2014年02月23日06:00
日本の信者は教会の教えに無関心
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52062801.html

 えっ、あの「あ、そう」がカトリック?何かのまちがいじゃあ、ござんせんか?と:

内閣総理大臣 麻生太郎殿

麻生太郎首相の伊勢神宮参拝に抗議します

 佐藤栄作元首相が伊勢神宮に参拝して以来、首相による年初の伊勢神宮参拝が慣例のように続けられています。そして、2009年1月4日、麻生太郎首相は閣僚を同行して伊勢神宮に参拝しました。
 行政の長にある内閣総理大臣や閣僚が伊勢神宮に参拝することは靖国神社に参拝するのと同様に、憲法20条に定められた「政教分離」の原則に違反する行為です。また、憲法99条にも国務大臣などが憲法を遵守する義務を負うことが明記されています。
 首相及び閣僚による年初の伊勢神宮参拝は政府と一宗教施設が深い結びつきを持つ印象を国民に与えることになります。このことは「国家神道」復活への意図があると感じざるをえません。
 昨年、11月に日本の百八十八殉教者が列福されました。
 この殉教者たちは信教の自由、政教分離の大切さを現代のわたしたちに今も叫び続けています。
 わたしたちはこの殉教者の声に合わせて、首相及び閣僚の伊勢神宮参拝に強く抗議するとともに、憲法遵守の精神、基本的人権を守るよう麻生首相に強く要請します。


2009年1月9日
日本カトリック正義と平和協議会
カトリック20条の部会
部会長 谷大二

 へぇ、「日本カトリック正義と平和協議会」は江東区にあるんだ、いつかおじゃましたいな:

日本カトリック正義と平和協議会
〒135-8585 東京都江東区潮見2-10-10 日本カトリック会館 電話: 03-5632-4444

ネトウヨと教育勅語 
 私は大学で、新入生向けの「キリスト教の人間観と現代社会の諸問題」という科目を担当しています。
 歴史認識や憲法、人権について、現政権に批判的な題材も扱うのですが、そうすると学生の中に一定数いる「ネット右翼的」考えの持ち主、すなわち歴史修正主義の言説に縛られた者がとげとげしい言葉で反論してくることがあります。
 北朝鮮のミサイルや中国の軍事的脅威、世界中で起こるテロの前で、愛とか自由とか平和とか、甘いことを言ってるんじゃない、力には力で向かうのが世界の現実だ、などと…。
 そういう学生は、社会や歴史について、狭い経験と自己中心的な知見しか持っていないのですが、家庭で話されることやネットで見聞きしたことを信じて自国への批判を固く拒むその姿勢は、ある種「宗教的な信仰」であるかのようです。
 しかしそれは、キリスト教におけるような人格的な交わりを通して得られたものというより、限られた知識に頑なに凝り固まる「信仰」なので厄介です。
 憲法学者の水島朝穂氏は「歴史修正主義者は、枝葉を否定して全体をも否定しようとします。…教育勅語では、枝葉を肯定することで全体をも肯定する。勅語肯定論と歴史修正主義は裏表の関係なのかもしれません」と言っています。
 ネトウヨ的学生の意見を読んでいると、日本の社会に浸透している、内には権威的、外には居丈高な国家・共同体を良しとするエモーションをあらためて感じさせられます。
 そして、そのもとにある、長年、教育勅語が日本人に与え続けた影響の根深さを感じざるをえません。

 「教育に関する勅語」(教育勅語)が出された のは1890(明治23)年ですが、そのねらいは、当時展開されつつあった自由民権運動・主権在民思想をつぶすことだったでしょう。
 現在、森友学園の事件などから教育勅語が話題になり、保守政治家は「一面良いところもある…。今日でも通用する普遍的な内容を含んでいる」などの答弁を繰り返しています。
 しかし、教育勅語が言う親子や兄弟、夫婦、友人の間の関係についての徳目は、結局「一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ」、つまり「国家に事変があれば、一身をささげて皇室国家のために命を捧げよ」に向けられ、皇室を支える臣民の道徳に収れんします。
 核心を見落とした一部を切り出して、全体を肯定することはできません。

 勅語の核心は「天皇主権」であり、現憲法の国民主権、基本的人権の尊重と正反対の内容です。
 この天皇制社会の秩序を子どもたちに刷り込むために、教育勅語は祝祭日の儀式で、日の丸掲揚、君が代斉唱のもとで奉読され、また子どもたちは日々「奉安殿」に安置された天皇・皇后の写真(「御真影」)と教育勅語謄本に拝礼し、修身を中心とした授業によってその信条を叩き込まれました。
 儀式、また文言の暗記ができない者は罰を受けるなど、強制と脅しによる身体的動作反覆で刷り込まれた天皇への畏敬の念は、真面目で責任感が強い人ほど深く浸透し、その宗教的効果(マインドコントロール)は絶大でした。
 学校は、社会認識がまだ白紙状態の子どもたちに、教育勅語により天皇絶対の「忠君愛国」をうえつけ、「国体」を支える国民を養成する最強の国家機関となりました。
 空襲などに対して「御真影」を「守護」するために死亡した教師や生徒が多数いたといいます。
 そして自由を否定し、すべてを「忠君愛国」の型に押し込む教育が、結果として昭和の戦争の大惨事を招いたわけでしょう。
。。。
教育勅語支配に対するキリスト教
 ある外国人神父は「教育勅語は『カトリックの倫理綱領と同じ』であり、『日本人としての根本倫理』を表したものだ」と言ったそうです。
 もちろんこれは誤りです。
 しかし、長年日本で宣教し、日本人の心情に寄り添おうと努めてきた宣教師が、いつしかこう考えざるをえなくなっていったという事情も理解できます。
 教育勅語の影響はそれほどまでに日本人の中に深く浸透し、その時代を生きた者にとっては、この枠を越えることは不可能だったのでしょう。おそらく明治以来の多くの日本人は、自身の内面が国家神道によって支配されているなどということすら、みじんも意識してこなかったのではないでしょうか。
 宣教師たちは、日本のカトリック信仰には「感受性のまさった、理屈の少ない、神的なものを感得して自我を完全に没却し讃仰一途に没入する」独自の姿があり、「祈りの中に身を置く」という宗教的実在に対する深さと霊感が、修道院、家庭において容易に感じられると言っていました(ロゲンドルフ編『現代日本とカトリシズム』1958年)。
 人間の内面への超越、すなわち自己否定を修養することによって自らの無を自覚し、その根底で「絶対無」なる超越者と出会うことにこそ、日本人の宗教性の特徴が見出されるという哲学者や宗教家も多くいます。
 こうした生来の深い祈りの精神は、日本の土壌で培われた貴重な遺産ではあるでしょう。
 しかしながら、そうした静かな内面的沈潜は、単なる現状維持や社会状況への忍従という受動性だけに留まってはいなかったか、とも問われねばなりません。
 日本の政治権力は、人々のそうした穏やかで内向きな性質を利用して、絶えず宗教とその救い、自由を抑圧し、偏向させ、自らの政治目的のための道具としてきたのですから。
 その点で、民衆の心の灯(ロウソク)が平和的に指導者を交代させ、今、カトリックの大統領が指導する隣国韓国から、私たちが学ぶことは多くあると思います。韓国のキリスト教は、長年、政治的な受難の状況に目を閉ざさず、不当に対して立ち上がり、民主化を勝ちとり、また疎外される社会的弱者の側に立つ運動を進める霊性を磨いてきました。

 それは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とのイエスの歩みにおいて、復讐の連鎖を断ち切り、より普遍的な価値をつかみ取ることで、被害者ばかりでなく加害者をも共に救う道を開こうとする歩みだったと思います。
 イエスが示した「神の国」は、単に「霊的」なものではなく、神の愛が生きる場をこの世界に拓くことでもありました。
 私たち日本のカトリック者は、いまだに国民を無意識のうちに縛っている国家神道、その核心を語る教育勅語の影響、すなわち神でなく人間のエゴが絶対化する体制の本質とその権力の欺瞞性とをはっきり自覚することがきわめて重要な課題だと認めねばならぬと思います。


JP通信 VOL.206 2017 OCT.
特集 よみがえる教育勅語 教育の右傾化
教育勅語と使徒信条?

光延一郎(イエズス会、上智大学神学部)
http://www.jccjp.org/jccjp/home_files/206%20osusume%20.pdf

 日本のクリスチャンには、はっとさせられる鋭い指摘をされる方々もおいでなんですね。
 ところでこのことを心におさめておいて、圧倒的にクリスチャンの多いヨーロッパ、しかもオーストリアで、「緑の党」が絶滅危機品種になっていたって、知りませんでした。
 もう一度、ウィーン発『コンフィデンシャル』に戻ってみましょう:

 当方はオーストリアの「緑の党」の党員ではないが、同党が10月15日実施された国民議会選(下院、定数183)で議席獲得に不可欠な得票率4%の壁をクリアできず敗北したことが明確になった時、少々、感傷的になってしまった。
 31年間、国民議会に議席を有し、野党として活動してきた同党が連邦政治で議席を失ったというニュースは、国民党 Austrian People’s party (ÖVP) が勝利し、次期首相に31歳のセバスティアン・クルツ Sebastian Kurz 党首が最有力となったという選挙結果と共に、大きな出来事だった。
 全ての出来事には必ず何らかの原因がある。「緑の党」の場合も例外ではない。原因として、党内問題とそれ以外の2点に分けて考えるべきだろう。

 前者としては、
@「緑の党」党首として久しく活躍してきたエヴァ・グラヴィシュニク(Eva Glawischnig)党首が今春、突然辞任した。
A「緑の党」青年部指導者が党本部の決定に反発して蜂起、最終的には脱党したこと、
B「緑の党」初期メンバーで政界の御意見番的な存在だったペーター・ピルツ議員が党の比例代表リスト作成で落選したことを不満として脱党し、新党「リスト・ピルツ Peter Pilz List」を結成したこと、等が考えられる。
 後者としては、国民議会選が与党社会民主党、クルツ国民党、そして野党第1党の極右政党「自由党」の3党争いに焦点が集まり、それ以外の政党の活動に有権者の関心がいかなくなったことだ。
 換言すれば、オーストリア国民議会選の関心はクルツ党首が勝利するか、社民党のケルン首相がそれを阻止するか、自由党が漁夫の利を得るかだけだったわけだ。

 「緑の党」はオーストリアの国民議会に24人の議員を抱える中政党であり、議会討論でも存在感はあった。
 昨年2016年の大統領選では、「緑の党」元党首アレキサンダー・バン・デア・ベレン氏(73)が極右政党「自由党」の候補者ノルベルト・ホーファー氏(46)を破り、欧州政界で初めて「緑の党」出身の大統領に選出されるなど、同党は野党としてそれなりの勢いがあったのだ。

 党首の突然の辞任、党内紛争などで勢いを失った「緑の党」は、選挙戦では、党首と党筆頭候補者を別々に擁立し、ウルリケ・ルナチェク(Ulrike・Lunacek)欧州議員が党筆頭候補者に、イングリット・フェリーネ(Ingrid Feline)女史が党首の2頭体制で臨んだ。
 しかし、選挙戦では3大政党の主導権争いの影に隠れ、その存在感を最後まで誇示できずに終わった。
 ピルツ氏が新党を結成したことも、「緑の党」には大きな痛手となったことは明らかだ。

 「緑の党」は郵送分の集計に期待し、4%の壁を超えることを最後まで期待したが、ダメだった。
 得票率約3.76%に終わった。
 その瞬間、「緑の党」の全議員は失職だ。
 議会の同党関係者、職員約110人は職を失う。
 バン・デア・ベレン大統領の夫人は「緑の党」議会本部の職員だから、他の職員と同様、職を失う。
 メトロ新聞「ホイテ」は「大統領のファースト・レディーも失業」という見出しで報じていた。

 問題は5年後の次回国民議会選を目指し、党の再生を図ることだ。
 党幹部は敗戦が明らかになった後、連日、幹部会を開き、対策を協議している。
 敗戦の原因解明と党の財政問題だ。国からの党補助金は止まるから、財政的に党の運営は厳しくなる。
 もちろん、州レベルでは議員がいるが、州党の場合、自活が精いっぱいで連邦レベルの党活動を財政的に支援することは難しい。ちなみに、連邦「緑の党」は約500万ユーロの負債を抱えている。

 ルナチェク議員は10月17日、連邦党幹部会後の記者会見で全ての職務から辞任を表明する一方、「わが党は新しいスタートが必要だ。『緑の党』が再び国民議会に議席を獲得できることを確信している」と述べた。
 フェリーネ党首も辞任し、ベルナー・コーグラー(Werner Kogler)氏が暫定党首に就任した。

 環境問題の対応が急務であり、地球温暖化の対策が叫ばれている時、「緑の党」は連邦政治の舞台から姿を消すことになったわけだ。
 政治学者は、
「環境問題は『緑の党』の専売特許ではなくなった。全ての政党が取り組む議題だ。『緑の党』は有権者にアピールできる独自議題が必要だ」と分析する。

 オーストリアの「緑の党」が国民議会入りして今年で31年目。
 一方、同国の希望のホープ、国民党のクルツ党首(外相)は今年8月に31歳になったばかりだ。
 両者とも「31」という数字が出てくるが、前者は凶数、後者は吉数となったわけだ。


ウィーン発『コンフィデンシャル』2017年10月19日06:00
「緑の党」はなぜ沈没したか
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52189531.html

The Guardian, Published: Sunday 15 October 2017 20.18 BST
Conservative Sebastian Kurz on track to become Austria’s next leader

Centre of political gravity shifts right as projections put 31-year-old Kurz’s Austrian People’s party ahead in election with 31.7%

By Philip Oltermann
https://www.theguardian.com/world/2017/oct/15/sebastian-kurz-on-track-to-become-austrias-next-leader-projections-show

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緑のたぬき

 選挙も終わりました。台風も行っちゃいました。
 ヤツホー君、久々にお家のなか、掃除機をかけてきれい、きれいに。
 でも、どうでした皆の衆、ご感想をお寄せください、選挙結果について。
 ヤツホー君、言い続けてきましたように、選挙に行こう、一人ひとりの未来のために、だったんですが、下々のモノ潜在意識がつよすぎて、やっぱり首を垂れて、とぼとぼふらふら歩いているタミが多すぎるってことかな……
 でもね、周りにはヤッホー君の信頼できる人の輪が今回、たくさんできたので良かったよ。
 まずは:

 「私の驕りもあった」――。出張先のパリからテレビ各局の選挙特番に出演した希望の党代表の小池百合子都知事は疲れ切った表情で目はうつろ。「日本をリセットする」と宣言した結党時の高揚感は見る影もなく、もはや彼女の政治生命は終わったも同然だ。

■ 有権者にもハッキリ露呈した排除の独裁者の正体

 わずか1カ月前。メディアは新党結成を電撃発表した小池知事の話題で持ちきりだった。衆院選に出るのか、後任知事は誰か。あえて自身の出馬を曖昧にしたことで報道は過熱。周囲に「電波ジャックね」と笑みを浮かべ、希望から九州比例単独で出馬した中山成彬(なりあき、74歳、当選)氏には「選挙はテレビがやってくれるのよ」と軽口を叩いていたという。

 揚げ句に「カネと組織」をぶら下げて野党第1党の民進党が合流。女性初の総理の目が見えてきた先月29日、得意絶頂の時に飛び出したのが、例の「排除」発言である。この日の会見で排除発言を引き出す質問をしたジャーナリストの横田一氏はこう言う。

「いつも厳しい質問で困らせるためか、小池知事は私が会見で挙手しても絶対に当てず、囲み取材で質問してもプイと横向き、知らんぷりの連続でした。会見で指名されたのは、あの日で実に半年ぶり。小池知事は“天敵”にも余裕の態度を示し、度量の広さを見せつけたかったのかも知れませんが、その発想自体が『驕り』の表れ。結果的に彼女は本性をさらけ出してしまった」

 民進出身のリベラル派を「排除いたします」と宣言し、にっこり満面の笑み。手玉に取ったつもりでいたメディアにその姿を繰り返され、風向きは一変した。安倍首相に劣らぬ独裁的な「ヤバい女」という正体を露呈し、小池知事が選挙戦の前面に立つほど票を失う悪循環で、そもそも薄っぺらな“仮面野党”は大失速。皮肉なことに野党第1党の座を、排除したリベラル派による立憲民主に明け渡し、お膝元の東京でさえ死屍累々で、小選挙区で勝ったのは長島昭久氏(55歳、東京21区当選)のみ。小池知事の地盤を引き継いだ若狭勝氏(東京10区)は比例復活すらかなわぬ惨敗で、小池知事の“神通力”の消滅を象徴した。

 長島氏は「都知事には都の仕事に専念してもらい、国政は我々に任せてもらいたい」と小池知事を突き離し、若狭氏は「『排除』という言葉は過激だった」と恨み節だ。

 それでも小池知事は開票後も「排除という言葉が独り歩きした」「最初から衆院選に出馬するつもりはなかった」「総理を目指すために結党したわけではない」と負け惜しみの連発だから、懲りていない。

 新党結成後の1週間で、都には「都政に専念して」との苦情の電話が延べ約750件、メールなどは約1000件寄せられた。都知事としての支持率もつるべ落としで、産経・FNN調査によると、9月の66.4%から10月は39.2%に急落。目も当てられない嫌われっぷりだ。

「地盤の東京で大敗したということは都民からも支持されなかったということです。まさに『信なくば立たず』で、この選挙結果では都政運営も厳しくなるでしょう。あれだけ選挙中に安倍政権を批判した以上、五輪の準備で国の協力を得るのも難しい。今は都議会で都民ファーストと連携する公明党だって、小池知事の利用価値がなくなれば、いつでも手のひらを返すに違いない。前途多難ですが、すべては小池知事の自業自得です」(横田一氏)

 都民ファの53人のうち、自民出身者は11人もいる。都議会自民が手を突っ込めば次々寝返り、都民ファも「馬糞の川流れ」だ。早晩、小池知事が追い込まれて無責任に都知事の座をブン投げても、おかしくないのだ。


日刊ゲンダイ、2017年10月23日
東京でも死屍累々…
完全に終わった小池都知事の政治生命

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/216122/1

 「小選挙区で勝ったのは長島昭久氏」かぁ、得票数は92,356票。
 ここで戦って負けたのがわれらが天木直人6,655票!

 選挙結果を朝まで見届けて、いまこのブログを書いています。
 私は数字の上では惨敗しました。
 今度のような、安倍自民党も公明党も、そして野党も、いわゆる既存の政党、政治家が、文字通り生き残りをかけた歴史的な選挙において、すべて敵に回し、文字通り無所属で、小選挙で立候補した時点で、厳しい選挙になることは覚悟していました。
 しかし、私の立候補の目的は、議席を得ることではありませんでした。
 私が今度の選挙に出馬した唯一、最大の目的は、次の事を東京21区の有権者に、そして全国の国民に、訴える事でした。
 すなわち、このままでは日米同盟という名の従属的な日米軍事関係が固定されてしまう。
 そんなことになれば、いくら憲法9条を守ろうと叫んでも、それは茶番でしかなくなる。
 いまこそ憲法9条違反である日米安保条約(つまり日米地位協定)の改定をこの国の政治の最大の問題としなくてはいけない。
 そのためには、共産党や社民党が憲法9条を叫んでいるだけではいけない。
 共産党や野党が主導する野党連合などと、のんきな事をいっている場合ではない。
 良識ある自民党議員を巻き込み、保守的な有識者を巻き込み、そして何よりも、一般市民を覚醒させて、文字通り新党憲法9条なるものをつくる必要がある。
 そのような新党をつくらない限り、日米同盟を党是とする対米従属の自民党政権には勝てない。
 そういう政党をつくってはじめて、自民党に代わる受け皿を国民に提供する事が出来る、本当の政権選択の選挙になる。
 これです。
 私はそれを連日街頭で訴えました。
 そしてそれを動画にしてインターネットで全国に配信しました。
 その動画は永久に生き続けます。
 そして、今度の選挙の結果が、私の正しさを見事に証明してくれました。
 もはや今の野党ではどうにもなりません。
 社民党は消え、共産党と選挙協力しようとした民進党は解体し、野党統一を叫んだ共産党はその本性を国民から見破られました。
 この国の中には護憲政党がなくなるのです。
 いや、そもそも護憲政党という名前がおかしいのです。
 安保反対政党でなければ意味がないのです。
 そして、これからの安保反対は、全学連や全共闘の叫んだ安保反対にとどまらず、良識ある保守層が立ち上がって、かつての安保反対派や戦争を知らない若者たちを引っ張っていく形で、そして、デモのような直接的な行動ではなく、選挙の一票で、これ以上、日米同盟強化を許さない、という形の安保反対なのです。
 私はそれを真っ先に訴え行動に移しました。
 その時点で私は勝者です。
 私は、今度の選挙の後に、すぐに自ら動くつもりはありません。
 今度の選挙の後で、敗北した野党がどう動くかを見極めたいからです。
 今まで通りの動きをするなら展望はありません。
 特に野党第一党になった立憲民主党の動きを注視しようと思っています。
 なぜならば、その顔ぶれを見る限り、とても本物の政治家たちとは思えないからです。
 小池百合子に排除された者たちが集まった事に対する同情票で第一党になっただけだと思うからです。
 詳しくは後で報告させていただきますが、選挙前にいただいた皆さんの寄付金は約1600万円であり、今度の選挙で使ったのはそのおよそ半分でした。
 供託金300万円の他、街宣車借り上げ70万円、ポスター、チラシ作成、貼り付け費50万円、動画作成、インターネット関連経費約100万円、事務所借り上げ、ウグイス嬢、そのた人件費、交通費などです。
 この金額は私が12年前に神奈川11区で小泉首相に挑戦した時とほぼ同じ額です。
 あの時は全額自己負担でしたが、今度は皆さんの寄付で選挙が出来ました。
 まだ800万円ほど残っています。
 この資金を大切にして、2年後の衆参同日選に備えようと思います。
 この次こそ、最後の選挙になります。
 この次は、私一人が動く選挙にはしません。
 皆が、これしかない、という思いで、新党憲法9条の下に集まって来る、そういう事になってはじめて動きます。
 その時こそ皆さんの寄付が生きる時です。
 既存の、政党、政治家が、あるいは有力な人たちが動かなければいけないのです。
 その時が来なければ日本に未来はないのです。
 そういう思いで私は、既存の政党、政治家、有識者たちの動きをしばし見守る事にします。
 安倍自民党も、野党も、つまり、既存の政党、政治家は、そして彼らを応援した者たちは、皆今度の選挙で敗者です。
 あたらしい顔ぶれで、あたらしい政治が始まらないと、日本は変わらない。
 私は本気でそう思っています。
 私は寄付をいただいた皆さんと共に、きょうからまた、希望に向けて歩み始めます。


天木直人のブログ、2017-10-23
寄付をいただいた皆さんと共に私は希望に向けて歩み始めます
http://kenpo9.com/archives/2735

 そうですよ〜ん、
 日本を占領しているアメリカからの自立、独立のため、
 日本国憲法を世界に広める役割を自覚している平和なクニ、日本のため、
 その国に住む人びとの幸せのため、
これからも働きましょう、真面目に、真剣に、汗を流して、仲間を増やして!
 
 日本国憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


 ところで、この「ヤバい女」のことですけどぉ〜
 アベ、マエハラ、とかヤミの世界でハイタッチしていたかも、だってぇ:

 私は選挙戦当初から各紙論説で、希望の党は「第三自民党」「自民ファーストの会」に過ぎず、今回は3極ではなく2極対立だと主張してきた。
 とまれあの賢明な前原民進党代表ですら緑のたぬきに化かされたのだから、一般の有権者が化かされたのは致し方ないと思う。
 肝心なのは次こそ化かされないことだ。

Ikuo Gonoïさんが追加

 小池百合子都知事がNHKに「憲法についての議論を進めるという意味では今回の総選挙、意義があったと思います」と本音を吐いた。
 実は結党直後、小池氏は周囲に「当初から民進を割る気があった」と洩らしていた。
 勝てればラッキー、負けても野党共闘に歯止め、改憲は進む。
 諸君、まあそういうことだ。

Ikuo Gonoï @gonoi 7:45 - 2017年10月22日

 皆の衆、もうそろそろ、お目覚めの時間のようですよ、
 だってこれじゃ、騙されて、アメリカさんの傭兵として戦しに行くことになるだけだよ〜ん

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2017年10月22日

Safety inspections

THE time has come for the government to strongly consider setting up a special committee or task force to evaluate the safety level of all construction sites in the country. This call comes after the latest landslide tragedy which happened at a construction site in Lengkok Lembah Permai, Tanjung Bungah, George Town, Penang which resulted in the death of three workers and a total number of 11 workers buried alive.

Though the matter is still under investigation, inspection and evaluation of all existing construction sites in the country must be done immediately through a special committee or task force before something similar or a worse tragedy happens.

For the record, tragedies at construction sites are not something uncommon to us as it has happened numerous times over many years in our country, resulting in many deaths and injuries not only to the construction workers but also innocent passers-by close to the site.

If we still remember, last year, two people were killed when a static crane at a construction site in Jalan Astana, Meru, Klang, Selangor suddently collapsed and fell onto their car. This tragic incident saw both victims, a man and a woman, killed on spot due to serious head injuries. A similar case also occurred last year when a crane hook at a construction site fell on a Perodua Kelisa at Jalan Raja Chulan, Bukit Nanas, Kuala Lumpur during the evening rush hour, killing a person on spot inside the car.

All these incidents including the latest tragedy in Penang require immediate and proactive response by the relevant authorities in the country to ensure the safety level at construction sites itself is in line with the existing rules, regulations, and standards provided by the nation's safety laws. As such, it is very important for the government to set up such special committee or task force to evaluate the safety level at all construction sites in the country.

Such inspections and evaluations need to be carried out at all construction sites in the country especially at high-risk sites which are located near to hill sides, close to lakes, rivers or the sea, located at highly or densely populated area, close to road sites and others. Necessary action - including closing down the sites entirely - must be taken if the particular construction sites have proven to pose a risk of danger to the workers and surrounding people.

It is crucial to note that of all people in the construction industry, the employers in particular play a very important role in ensuring the safety level at their construction site is at the highest level. Employers must ensure the safety level is observed not only within the workplace but also the surrounding areas which are connected to their workplace.

Both employer and employee also must observe their responsibility and duty in ensuring that safety levels at their workplace are maintained. Stern legal action should be taken against any person either employer or employee who takes safety issue lightly or for granted under the Malaysian Penal Code (Act 574) and the Occupational Safety and Health Act 1994 (OSHA) (Act 514).

Having laws governing safety is one thing, but doing safety inspections is another. It is crucial for the enforcement agencies to carry out constant safety inspections at all construction sites in the country in order to ensure the safety levels at their sites are at high.

The issue concerning safety should be given top priority at all construction sites as it will not only affect the working people at the site but also innocent third parties.

[photo-1] The time has come for the government to strongly consider setting up a special committee or task force to evaluate the safety level of all construction sites in the country.

[phot0-2] The accident yesterday buried 11 workers, including a Malaysian site supervisor.

New Straits Times, Published: October 22, 2017 - 12:11pm
Special task force needed to check safety level at all construction sites
By DR MUZAFFAR SYAH MALLOW
DR MUZAFFAR SYAH MALLOW is a Senior Lecturer at the Faculty of Syariah & Law (FSU), Universiti Sains Islam Malaysia (USIM)
https://www.nst.com.my/opinion/columnists/2017/10/293650/special-task-force-needed-check-safety-level-all-construction
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三浦綾子

 1933年2月20日、小林多喜二は特高警察に逮捕され、拷問によって即日惨殺された。

 この多喜二を産み育てた母親セキを、小説に書いてほしいと三浦がいい出したのは十数年も前のことであった。
 が、共産主義にうとい私は、容易に着手できなかった。
 何をどのように書けばよいのか、私には見当もつかなかったのである。

 だがその後、取材を始めるに及んで心とらえられたのは、母親セキを中心とするその一家の明るさ、やさしさ、温かさであった。

 こうして遂に小説『母』の刊行を見たのは、1992年2月のことであった。
 ついで同年1992年7月、前進座より舞台化の申し込みを受けた。
 初演は翌年1993年10月東京吉祥寺前進座劇場において実現された。

 初日の夜、成功をひたすら祈っていた私の元に、脚本の田島栄氏(注1)より電話が入った。

「たった今幕が下がりました。しかし感動のあまり、観客は席を立ちません。。。」

 途端に私の目から涙が吹き出た。

 そして遂に1994年6月2日、その日が到来した。
 難病パーキンソン病(注2)を病む私は、三浦(夫の三浦光世さん)に支えられながら、会場の旭川市公会堂に赴いた。

 公演は大成功に終わった。
 何もかもが想像以上であった。
 近代的で品格のある舞台装備、気の遠くなるような長い台詞を、豊かな表情を見せつつ演ずる母親セキ役のいまむらいづみさん(注3)の熱演、舞台と一体化して時に泣き時に笑う観客席の対応、何れも見事という以外はなかった。
 脇役の方々もそれぞれ心をこめた密度の濃い演技であった。
 私は自分が小説の原作者であることも忘れて、感動に浸り切った。

 今後、公演は全国くまなく押し広げられていくと聞く。
 時代に語り継ぐべき多喜二の死、そして母親セキの切なる思いが、毎回舞台を見る一人ひとりの胸に深く植え付けられて行くことを、私は祈ってやまない。


……三浦綾子『ごめんなさいといえる。』(小学館、2014年)所収「小説『母』の作者として」137-138頁。

 初出は、前進座「月刊前進座」1994年9月1日。
 「難病パーキンソン」の診断が下ったのはちょうど『母』が刊行される前々月の1992年だった。
 前進座はのちに『銃口』(小学館、1994年3月の作)も演劇化し、『母』の脚本を書いた田島栄が脚色を担当した。

(注1)脚本家、田島栄
 1932年生まれ(横浜市出身)、1956年前進座に入る。
 主な作品・創作「法然」(1982年)、脚色「青べか物語」山本周五郎(1990年)、「怒る富士」新田次郎(1980年)

(注2)難病パーキンソン病

■ 読者を助け、戦う新聞をつくりたい
 「俺ってストレス耐性が強い」と自任し、周囲からは「使い減りしない」とも言われていた。
 期待に応える猛烈な働きぶり。
 中日・東京新聞でベルリン特派員や政治部官邸キャップを歴任した記者。
 そのキャリアが、2012年、突然途切れた。

 年明けから動悸(どうき)が収まらず、不眠が続いた。
 抑うつ状態と診断され、5ヶ月休職した。
 復帰後に政治部を去り、生活部に異動した。

 本作『わけあり記者』(高文研、2017年)では、過剰な働きぶりを強いて部下を追い込む「クラッシャー上司」の存在や長時間労働など、原因をさらけ出した。
 現実の人間関係にも絡むテーマだが、地雷原に踏み込む覚悟で書いた。
 病を得て「誰かがどこかで指摘しなくてはならない病巣。組織に波風立てないことよりも大切なことがあると信じるようになった」からだ。
 そして、今は誰も責めない。
 「政治部時代、私も部下をどなり上げた。振り返れば自分にもクラッシャー上司の面があったから」

 復職後、入れ替わるように両親の介護がのしかかった。
 足の弱った父が特養に入居。
 認知症が進行した母は病院に移った。
 2014年に実家近くでの勤務を希望し実現。
 週末名古屋市の自宅から故郷岐阜県の施設まで1時間かけて介護に赴く。
 その様子を、中日・東京新聞で連載し始めた。
 20回を超えた。
 「親のなれそめなどファミリーヒストリーを探り驚くことも多い。まさに介護民俗学。人への興味で介護にも前向きになれる」

 昨年2016年、パーキンソン病と診断された。
 三つめの「わけあり」だ。

 今は介護に支障はないが、メモを取る手は震え、パソコンは右手の指一本。
 自立して自由に取材活動ができるのはあと10年と見積もる。
 結婚する前に、妻からもらったモンブランのボールペンを手に「最後の血の一滴まで、三浦は記者でありたい」という。

 「わけあり人材」として、つらい人たちや、けなげに生きているのに報われない人たちに寄り添いたい。最近世話になった人へメールを出した。
 「読者を助ける知恵がある。暮らしの中で戦う勇気がある。そんな新聞を作りたい」とつづった。


BookAsahi.com、2017年08月27日
わけあり記者 ―
過労でウツ、両親のダブル介護、パーキンソン病に罹った私
三浦耕喜さん

(文・写真 木村尚貴)
http://book.asahi.com/reviews/column/2017082700010.html?ref=rss2

(注3)女優いまむらいづみ
 1933年東京都生まれ、1949年5月入座。父は前進座の名脇役の藤川八蔵。
 1984(昭和59)年『エリザベス・サンダースホーム物語』の沢田美喜役で第9回菊田一夫演劇賞をうける。
 息子小林多喜二への思いを一人語りする三浦綾子原作『母』の小林セキを演じ、初演の1993(平成5)年からロングランを続けた。

 なお、映画『母』で小林セキを演じるのは、寺島しのぶ(1972年生まれ):

 俳優の塩谷瞬が8月23日、都内で行われた劇映画『母 小林多喜二の母の物語』製作発表記者会見に出席。
 労働環境の改善を説き『蟹工船』などを著しながらも、拷問によって非業の最期を迎えた小林多喜二役に抜てきされた思いを聞かれ
「多喜二は常に前を向いて、底なしの明るさで文章を書いていたと思うと……」
と約20秒間にわたって涙で声をつまらせた。

 多喜二に関する資料を読み、役作りに励んでいるという塩谷は
「すごく大きな人間で、とてもやさしい人。小林多喜二という人間を考えれば考えるほど、思いが込みあげてしまいます」としみじみ。

 「僕は幼いころから母親がいないので、自分の人生のテーマとして“母”というものを求めている」と作品との共通点を明かし「彼が遺した魂を役者として演じることが幸せだと思うので、言葉だけじゃなくて表現できるように演じたい」と力を込めた。

 多喜二の母・セキを演じる寺島しのぶは
「20代から80代まで演じることになるのですが、メイクでごまかすのか演技でごまかすのかわかりませんが、表面上のものにとらわれずに中身を重視していきたい」と意気込み。
 また、年内での解散を発表したSMAPについて質問されると「ショックでした、大好きですもん」と残念がったが、さらに追求されると「私は和田アキ子さんじゃないので、偉そうなことは言えないですよ」と冗談交じりに切り返して笑いを誘っていた。

 同作は、三浦綾子氏原作の小説『母』を映画化。
 おおらかな心で、多喜二の理想を見守り、人を信じ、懸命に生き抜いた母・セキの波乱に富んだ一生を描く。
 会見にはそのほか、渡辺いっけい、山口馬木也、水石亜飛夢、山田火砂子監督も出席。
 2017年1月中旬に公開される。


ORICON News、2016-08-23 16:07
塩谷瞬、小林多喜二役抜てきに涙
「彼が遺した魂を演じる」

http://www.oricon.co.jp/news/2077205/full/

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讃美歌404番「山路越えて」

讃美歌404番「山路越えて」
https://www.youtube.com/watch?time_continue=57&v=1oOQUkEfalQ

 三浦綾子原作の映画「母―小林多喜二の母の物語」が2017年2月から、いよいよ全国で公開される。
 同作は、『蟹工船』で有名な小説家、小林多喜二の母セキの生涯を描いた作品だ。

 貧しいながらも、セキの強い信念と愛に支えられ、多喜二は成長した。
 苦学が実り、銀行員という立派な職業に就いた。
 心優しい多喜二は、弟に高価なバイオリンを買ってやったこともあった。

 しかし、日本は軍国主義へと時代が移り変わり、徐々に反戦、反政府活動への弾圧が厳しくなった。
 もともと、貧しい農家の出身であった多喜二は、権力者に対して反抗心を持っていた。
 ペンを持って、徹底抗戦することを心に誓うが、政府からの弾圧はさらに激しさを増し、多喜二も特高警察から目を付けられる存在になった。
 
 銀行はこれらの活動が発端となり、解雇されてしまうが、小説は書き続けていた。潜伏生活などを経て、ついに1933年2月20日、特高警察からの拷問によって、せっかん死を遂げたのだ。
 理不尽な死を遂げた多喜二を、母セキは受け止められずにいた。
 しかし、後にキリスト教と出会い、その信仰によって「赦(ゆる)す心」を抱くようになる。
 文字の読めないセキであったが、晩年は賛美歌を歌い、教会にも通っていた。

 現在でも、多喜二の命日を記念して「多喜二祭」が、全国各地で行われている。
 「この多喜二の命日に合わせて、2月に映画を公開することにした」と山田火砂子監督は言う。

 今回、小林家に乗り込む棒頭役で登場する進藤龍也牧師を推薦したという現代ぷろだくしょんの林秀樹さんは、「長い獄中生活の後に大伝道者になった明治・大正時代のクリスチャン好地由太郎になぞらえて、私は進藤先生を『平成の好地由太郎』とお呼びしています。今回、映画にご出演いただき、感謝しています。ぜひ、先生の登場シーンもお楽しみに」と話している。

 2月10日には、東京の大江戸博物館大ホールで完成披露舞台あいさつが行われる。
 現在までに決定している公開映画館、自主上映の会場は次の通り。今後も、上映会場は増える予定だ。
 「製作協力券」はどこの会場でも使用可能。
 詳しくは、現代ぷろだくしょん(03・5332・3991)。


クリスチャントゥデイ、2017年1月11日00時09分
三浦綾子原作の映画「母―小林多喜二の母の物語」いよいよ2月から全国で公開
(動画あり)
記者:守田早生里
http://www.christiantoday.co.jp/articles/23005/20170111/kobayashi-takiji-haha.htm

 ヤッホー君、亀戸で観た『母―小林多喜二の母の物語』、どうしてクリスチャンの団体が主催者なの?って思っていましたが、謎が解けました:

 まず、小林多喜二の母タキはクリスチャンになっていたのです。
 そして、原作者の三浦綾子はクリスチャン。
 監督の山田火砂子もクリスチャンでした。

 小林セキ述『母の語る小林多喜二』が発売された。
 本日2011年7月15日の「朝日」北海道版に「母が語る 多喜二の歩み 書庫で見つかる」という記事が掲載されている。
 また、「潮流」にも小林セキさんと多喜二のことと本書のことが書かれていた。

★ 「母が語る 多喜二の歩み 書庫で見つかる」
 asahi.com> マイタウン> 北海道> 記事>2011年07月15日
 http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001107150005

 プロレタリア作家小林多喜二(1903〜33)の母セキ(1873-1961)から聞き書きした原稿が、小樽商大の荻野富士夫教授=日本近代史=によって小樽文学館の書庫で見つかった。
 多喜二の生い立ちなどが記されており、「母の語る小林多喜二」(新日本出版社、1470円)として出版された。
■ 埋もれた聞き書き 本に
■ 小樽文学館の書庫で見つかる
 セキについては、作家三浦綾子の小説「母」で知られ、秋田弁でとつとつと話す姿は演劇にもなった。
 荻野教授が聞き書きの存在に気付いたのは、小樽商大の歴史を調べる中で、戦後に創刊された学術雑誌に目を通していた時。
 札幌市の出版社の「母の語る小林多喜二」という本の発刊予告広告を見つけた。
 しかし、予告と符合する文章は多喜二の全集にも収録されておらず、出版されなかった可能性が高いという。

 聞き書きをしたのは、小樽市朝里地区に住んでいた郷土史家小林廣氏(1895-1955)。
 多喜二の死後、近所に引っ越してきたセキと親しくなり、1946年2月ごろに聞き取りをしたらしい。
 小林氏の死後、同氏の資料は小樽市総合博物館や小樽文学館に寄贈された。
 聞き書き原稿は一般向けに展示されず、文学館の書庫に保存されていた。

 荻野教授によると、聞き書きからは、セキの実家のパン店はまずまず繁盛し、3人の子どもを上級学校へ進学させたことや、セキが小樽の龍徳寺に頼み、多喜二に「物学荘厳信士」という戒名をもらったことなどが分かったという。
 荻野教授は「多喜二の母の証言というだけでなく、当時の庶民の女性の個人史でもある。三浦綾子が書いたセキと違う姿も随所に見える」と話している。

★ 「きょうの潮流」2011年7月15日(金)「しんぶん赤旗」
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-15/2011071501_06_0.html

 作家・小林多喜二の母セキさんは、1961年5月、87歳で亡くなりました。ちょうど50年前です。

 前年の10月、日本共産党に入党しています。
 また晩年、キリスト教信仰の道も歩んでいました。
 セキさんは、志半ばで命を奪われた多喜二の遺志をつぐとともに、「貧しい人々のために生きる」気持ちを人一倍強くしていたようです。

 先ごろ出た『母の語る小林多喜二』(新日本出版社)を読み、弾圧下の多喜二の身を案じるセキさんのいちずな母性愛に打たれました。
 と同時に、行間から伝わってきました。
 セキさんは、死も覚悟して信念に生きる多喜二を誇らしく見守っていたのだ、と。

 戦後間もないころの聞き書きです。
 軍国日本は倒れ、ひとまずセキさんも胸のつかえが下りていたのでしょう。

「いつか多喜二は、屹度(きっと)我々の主張することが、必ず実現される時代がくると思うと言ったことがありますが、丁度それは今の世のことを予言したようなもので…それが時の政府の反感を買ったのですから、今思えば変なものです」

 日本共産党はきょう2011年7月15日、創立89周年を迎えました。
「貧しい人々のために」
「すべての困っている人とともに」
 多喜二やセキさんから受け継いだ立党の精神を、東日本大震災の被災者を支援する仕事で発揮している最中です。

 創立90周年をめざし、党を大きくする大運動も始まりました。
 綱領の実現へ“2010年代を党躍進の歴史的時期に”。
 25回大会の提案の先には、創立100周年の日が視野に入ってきます。


未来― 私達の力で歴史を動かそう!2011/07/15 21:03
小林セキ述『母の語る小林多喜二』
http://f-mirai.at.webry.info/201107/article_4.html

 来年2017年1月公開予定の三浦綾子原作映画「母―小林多喜二の母の物語」(主演:寺島しのぶ)の撮影が今秋、いよいよ本格的に始まる。
 メガホンを握るのは、クリスチャンの山田火砂子(ひさこ)監督(現代ぷろだくしょん)。
 これまで数々の名作を手掛け、世に送り出してきた。

 「現代ぷろだくしょん」では、1953(昭和28)年に小林多喜二の『蟹工船』を映画化。
 山田監督の夫、山田典吾が製作した。
 それ以来、多喜二の母を描いたこの作品の映画化は、山田監督の悲願でもあり、メガホンを握る手にも力が入る。
 主演の寺島しのぶをはじめ、多喜二の父、末松役には渡辺いっけい、多喜二役に塩谷瞬などの実力派俳優陣を迎え、今月、静岡、神奈川、北海道などの各地で撮影を開始する。

 撮影開始直前の山田監督に話を聞いた。

 山田監督は、1932年生まれの84歳。
 戦前生まれの山田監督は、戦中に経験した多くのつらい経験の中で、社会や政府への不信感を高めていった。

 「『日本は戦争に勝つ』と聞かされていた。『神風』が必ず吹くのだと・・・」

 しかし、第2次世界大戦末期には、全国各地で空襲が相次いだ。
 山田監督の住む東京も大空襲に見舞われ、辺り一面、焼け野原になった。

 「全部大ウソだったわ・・・」

 山田監督は、眉間にしわを寄せて話した。

 終戦後は、さらに悲惨だった。物もお金も、食べるものさえなかった。
 戦後、16歳で進駐軍相手のバンド活動などを始めた。
 その後は舞台女優を経て、映画の世界へ。
 プライベートでは、同じく映画監督の故山田典吾と結婚。
 30代で長女を出産するが、重度の知的障がいがあることが分かった。

「この世は、科学では解明できないことばかり」だと感じたという。

 その頃、近所の教会へ「束の間の休息」と、音楽を聞きに通っていた。
 「人生いいことばかりじゃないな・・・」と感じながらも、教会の音楽を聞くと、どこか安らぎ、楽しい気分になった。

 50代に突入した頃、山田監督の乗る車が正面衝突する大事故を起こした。
 生死をさまよったが、奇跡的に回復。
 何かに守られているような気がしたという。
 この事故がきっかけとなり、受洗に導かれた。

 山田監督が代表を務める「現代ぷろだくしょん」のオフィスには、十字架が掲げられている。

「天から、たくさんの賜物を私たちは日々頂いている。私の場合は、映画を作るという賜物を与えられた。その賜物に磨きをかけるのが私の務め」と、84歳になった今も、日々の感謝とともに映画への情熱は途絶えることがない。

 「映画は楽しいですか?」と尋ねると、インタビュー中、一番の笑みを見せて「そりゃ、楽しいわよ。作るのが楽しいのよ。私はね、原作を読んでいると、ワンシーン、ワンシーンが頭の中に見えてくるの。これは、こんな場所で撮りたいな・・・なんて、想像できるのね。これは、神様から頂いたものだと思うの。でも、本当に楽しいのよ」と語った。

 映画には、クリスチャンも数人起用されている。
 女優で落語家の露のききょうさん、罪人の友主イエス・キリスト教会の進藤龍也牧師をはじめ、家庭礼拝のシーンでは、監督の強い希望でクリスチャンのエキストラを募集している。
 露のききょうさんは、多喜二の作家仲間の宮本百合子役で出演、進藤牧師は、小林一家を脅す棒頭役で出演する。

 「私は、この映画を伝道映画だと思っているの。伝道映画を作るには、クリスチャンの助けが必要。神様への信仰を映画で表現したい」と山田監督。
 「この映画のテーマは、キリストの愛そのもの。キリストの痛ましい十字架上の死と多喜二の無残な虐殺を重ねているのよ」と語った。

 映画のクライマックスは、教会のシーンと賛美歌で締めくくる予定だという。

 「現代ぷろだくしょん」では、この映画の「製作協力券」を販売している。
 1枚千円の映画鑑賞チケットを購入すると、その一部が映画製作のための協力金になるというもの。
 100枚以上の購入で、希望者には団体名、もしくは個人名がエンドクレジットに記載される。
 申し込みは、現代ぷろだくしょん(電話:03・5332・3991、ファクス:03・5332・3992、メール:gendaipro@gendaipro.com)。詳しくは、ホームページ。


クリスチャントゥデイ、2016年9月18日20時51分
三浦綾子原作映画「母―小林多喜二の母の物語」
山田火砂子監督インタビュー

記者:守田早生里
http://www.christiantoday.co.jp/articles/22075/20160918/ayako-miura-takiji-kobayashi-hisako-yamada.htm

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選挙戦最終日

 10月22日日曜日の朝。今日も雨。
 ラジオのスイッチを入れたらラジオ第一で流れていたのが、これ↓

著者からの手紙『FAKEな平成史』(森達也、KADOKAWA、2017年)

 森達也(1956年呉市生まれ)は、いきなりピーターバラカン(1951年ロンドン生まれ)との対話の話しをはじめていました。
 ピーターバラカンってこんなこと呟く方です: 
 
 日本人は政治に無関心な人が多いですね。
 民主主義って一人ひとりが勝ち取ったものでなければ、価値がない。
 自分たちの民主主義を勝ち取ろう! という気持ちがどうして起きないんでしょうね?
 ときどき不思議なんです。
 原発の問題にしても、こんなにも騙されて、馬鹿にされて、もうプッツンしてもいいはずなのに、しない。
 諦めちゃってるのかな?
 どうせあがいても無理なんだからと思っているのかな?


 ヤッホー君もときどきそんなこと思って、ふらふらっと倒れこむことがあります。
 たしかに:

 KADOKAWAのPR誌『本の旅人』2月号で森達也の新連載「FAKEな平成史」が始まりました。
 第1回は「擬似的民主主義国家ニッポン」−−ピーター・バラカンさんとの対談、そして放送禁止歌から平成を考察します。

森達也情報室‏ @MoriTatsuyaInfo 1月31日

 昨日が衆院選最終日。
 今日が日本にミンシュシュギってあるのか、問われる大事な日です。
 だってぇ、こんな写真にびっくりしません?皆の衆。。。

 「最後の訴え」に聞き入る聴衆ら=21日、東京都新宿区…、これは産経新聞に掲載された写真です。
 どうして秋葉原の写真を載せなかったのかな?

【自民・安倍総裁@秋葉原・3極リーダー最後の訴え】
 選挙戦最終日の10月21日夜、自民・安倍晋三総裁は東京・秋葉原駅で最後の訴え。
 「安倍辞めろ」コールが起きた都議選のような批判ヤジは少なく、支援者らが日の丸を掲げ声援を送った。

 東京新聞編集局

秋葉原.jpg

 ネットで各紙の報道ぶりを見ているが、この異常な光景を写真入りで示しているのは見当たらない。
 首相演説という表舞台に右翼的人びとが市民権を勝ち取って占拠するという光景はこれまであっただろうか。

 孫崎亨

 お〜こわこわ、でね、この「ウヨク的人びと」にはおまわりさんまで入っているって。
 ヤッホー君は、拷問虐殺死した小林多喜二の遺体の写真を想い出しておりましたぁ〜。
 (「拷問の跡が生々しい多喜二の遺体、1933年2月21日、馬橋の家で」ノーマ・フィールド『小林多喜二』岩波新書、241頁)

 都議選のリベンジを果たすと豪語していた安倍首相 ―
 大型選挙・最終日恒例となった自民党総裁の秋葉原演説が21日夕、雨の降りしきるなか、あった。
 独裁者の意を汲んだ自民党と警察が「反安倍」をほぼ完ぺきに封じ込めた。
 警備は蟻の這い出る隙間もないほどびっしりと敷かれていた。
 警官を兵士に置き換えれば、戒厳令の予行演習となるだろうか。

 7月の都議選最終日に同じ場所で沸き起こった「アベ辞めろ」コールは、「アベシンゾー、安倍総理ガンバレ」にかき消された。
 「こんな人たち」や「普通の聴衆」がいたスペースは、自民党が警察権力を動員して占拠した。
 柵の入り口を固めた自民党スタッフが、お身内しか入場させなかった。
 日の丸の小旗を手にしたネトウヨたちの指定席となった。
 メディアは息が詰まるほど狭い空間に押し込められた。
 記者クラブが仕切っているのかと思っていたら、そうではなかった。
 自民党機関誌のカメラマンである。


[写真] 警察官とネトウヨに排除される男性。この後、駅まで持って行かれた。池袋では腕をつかまれ引きずられたという。

 「それでも声を上げなくては」という人が、極々少数だが会場に現れた。
 世田谷区から訪れた男性(60代・会社員)は、池袋(18日)と三軒茶屋(20日)の安倍演説でもプラカードを手に抗議した。
 プラカードには「森友疑惑徹底究明を」と書かれていた。
 男性は警察とネトウヨに囲まれた。
 ネトウヨは男性に激しい罵声を浴びせた。
 私服刑事は「●●さん行きますよ」と男性の名前を呼んで肩と腕を持ち、駅に向けて押し出そうとした。
 男性は「どうして俺の名前を知ってるんだ? 」
 刑事「(名前を)知ってますよ」
 男性「調べたな」

 安倍首相を批判すれば警察に連行される・・・戦前・戦中の特高警察が復活したのだろうか。背筋が寒くなった。
 男性は9月28日、冒頭解散の国会を傍聴した。
 「憲法53条に基づいて野党議員が要求した臨時国会は開かなかった。開いたと思ったら何の議論もせずに解散した。違憲なことをやっている。(国民は)納得がいかなかったら声をあげるべきだ」。
 男性は憤った。


[写真] 「頑張れ安倍総理」の横断幕と警官隊。力で「アベバンザイ」を唱えさせる社会が到来する予感がした。

 駅の改札口で同志を待っていた男性(60代・台東区)は「安倍さんに届く所で声をあげたい。そのためにもバラバラじゃダメ。かたまりになる必要がある」。
 横浜から足を運んだ男性(70代)は私服刑事に制止されながらも「私は安倍晋三が大嫌いです」と赤く染め抜いたノボリ旗を立てた。
 安倍首相が会場に到着すると自民党スタッフが傘で旗を隠そうとした。
 ネトウヨたちが寄ってたかってノボリを倒そうとしたが、「反安倍」の同志3〜4人で守った。

 日の丸の小旗を打ち振る数千人に対して、安倍批判のプラカードはわずか数枚。
 田中はこれまで幾度も幾度も秋葉原の自民党総裁演説を経験しているが、今回のような異論封殺は初めてだ。
 アベノミクスの成果を強調した演説が終わると、会場は「アベシンゾー」コールに包まれた。
 首相のリベンジが叶った瞬間だった。


[写真] 「リベンジをやり遂げた・・・」。満面の笑みを浮かべる安倍首相。

[写真] オタクの聖地アキバは、ネトウヨの聖地と化した。ベテランカメラマンは「最近の自民党、品が悪いね」。

田中龍作ジャーナル、2017年10月21日23:56
戒厳令下のアキバ
「安倍辞めろ」を完全封殺

http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016829


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2017年10月21日

シューベルト物語

 広島への原爆投下から約半年後の1946年2月。
 焼け野原となった夕暮れの街にシューベルトの交響曲第7番「未完成」が響き渡った。
 会場の旧制広島高(現・広島大)の講堂は、爆風で窓ガラスが吹き飛んだまま。
 誰が演奏していたのか、どうしてこの曲が選ばれたのか、記録は一切見つかっていない。

 演奏を聴いた松尾康二(こうじ)さん(80)=東京都杉並区=は、全容を明らかにしようと、当時の観客らの証言を集めている。
 松尾さんは8歳だった1945年8月、爆心地から約1.6キロの寺で被爆した。
 街のあちこちで上がる火の手。建物の下敷きになった子どもの傍らで助けを呼ぶ母親。目の前に広がった惨状は、幼い松尾さんの心に深い傷痕を残した。
 終戦後は生き残った家族と共に、必死に生活を再建した。
 学校が終わると家業を手伝い、草団子作りにいそしむ日々。
 そんな折、兄から誘いを受けた。「一緒に演奏会に行かないか」
 「戦時中は音楽といえば、ラジオから聞こえてくる軍歌のイメージしかなかった」と振り返る。
 会場は人であふれかえっていた。バイオリンなどを手にした約30人による演奏は、お世辞にもうまいとは言えなかった。
 しかし悲哀を含んだ短調から希望を感じさせる長調に変わっていくメロディーに心を打たれた。

「苦しみや悲しみから立ち上がり、復興に向かって歩きだそうとしている広島の人びとを曲に重ね合わせた」

 他にも演奏会に足を運んだ人がいるかもしれないと思い、松尾さんは今年2017年2月、情報提供を呼び掛ける広告を新聞に掲載。
 すると「自分も演奏会に行った」との証言が次々に集まった。
 証言者の記憶はあいまいで、食い違っている点も多い。
 それでも、松尾さんは「確かにあの演奏会は存在し、多くの人に感動を与えた」と話す。
 松尾さんは現在、NPO法人「音楽は平和を運ぶ」(注1)の理事長を務める。
 来年2018年7月、あの日聴いた「未完成」(注2)の演奏会を広島市で開く予定だ。

「音楽の持つ力が世界に平和をもたらすと信じている」


東京新聞、2017年8月5日夕刊
焼け野原に響いたシューベルト
広島原爆半年後に平和の祈り?

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017080502000244.html

(注1)
 米国の現職大統領として初めて、オバマ氏が広島を訪問して1年となった27日、広島出身の被爆3世でピアニストの萩原麻未さんらが出演した「平和発信コンサート」が原爆ドーム前で開かれた。
 NPO法人「音楽は平和を運ぶ」が主催。萩原さんが「アベ・マリア」など4曲を演奏した後、萩原さんの伴奏で広島インターナショナルスクールの生徒ら26人が合唱した。
 萩原さんはジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝し、現在は日本とフランスを中心に活躍。「原爆ドームの前にいると厳かな気持ちになる」と語り、1年前の訪問に「心が震えた」と話した。


朝日新聞(広島)、2017年5月28日03時00分
原爆ドーム前で演奏会
世界へ平和のメッセージ

(宮川純一)
http://www.asahi.com/articles/ASK5W466HK5WPITB008.html

(注2)Franz Schubert- Symphony No.8 in B minor Unfinished
https://www.youtube.com/watch?v=KOqmzFDUuTw

 いえ、今日のヤッホー君の朝キンは渋谷区立中央図書館で開かれた映画会「シューベルト物語」(1970年イタリア映画、注3)を観てこようと。

(注3)ストーリー
 ウィーンでしがない小学校教師をしているシューベルート(アル・バーノ)は、質屋通いの細々とした生活を送っていた。
 その質屋で働くマルタ(アゴスティーナ・ベリ)はシューベルトに思いを寄せ、何かと便宜を計ってくれた。
 ある日、ヴォロキン王女の夜会での演奏を依頼されたシューベルトは、突然訪れたチャンスに胸をふるわせ、マルタが調達してくれた礼服に身につつんで宮廷に向った。
 集まった貴族の前で弾いた〈未完成交響曲〉は、感動的な旋律であった。
 ところが突然入ってきた一人の剣士と若い娘の哄笑によって、演奏は妨げられ、この侮辱に怒ったシューベルトは演奏を中断して部屋を退出した。
 翌朝シューベルトは校長からクビを宜言された。
 収入を断たれたシューベルトは専念すべき作曲にも自信がもてず憂鬱な毎日を送るようになった。
 ある日突然、ハンガリア貴族の名門ロスコフ伯爵が、二人の娘の家庭教師を依頼してきた。
 ロスコフ伯爵邸を訪れたシューベルトは、姉娘アンナ(ロミナ・パワー)を見て驚いた。
 あのヴォロキン王女の夜会の席で高笑いをした、娘だったのだ。
 アンナはあのことが気にかかり、お詫びのためにピアノのレッスンを受けることにしたといった。
 翌日からのレッスンでシューベルトはアンナがみかけ程高慢ではなく、むしろ淋しげな女だと思い直した。
 そのうちアンナもシューベルトにほのかな愛を感じるようになったが、アンナにはハンガリア一の剣士ルードイッヒ(ポール・ミュラー)という婚約者がいた。
 しかしルードイッヒにとってその結婚は財産目あてにすぎなかった。
 しかも上司である大尉の妻と密通まで重ねていたのだ。
 ある日、お互いの思いを打ら明けたアンナとシューベルトの抱擁をルードイッヒの従僕が盗みみて、ルードイッヒに上申した。
 一方、密通が露見して決闘に及んだルードイッヒは大尉を一突きで倒すと、急ぎシューベルトを追って決闘を申し入れた。
 アンナの結婚とひきかえの命乞いに助かったシューベルトは、アンナが取りつけてくれたヴォロキン王女の夜会演奏会で再びピアノを弾いた。
 その反響は大きく、遂に大作曲家シューベルトが誕生した。
 成功を喜ぶシューベルトにアンナの別れの手紙が舞いこんだ。
 シューベルトは急いで駈けつけたが、すでに結婚式は終っていた。
 見つめあうシューベルトとアンナの目には涙があふれた。
 一人馬車で帰りゆくシューベルトの後姿をアンナはじっと見送っていた。...

https://movie.walkerplus.com/mv12230/

 では、ここで予告編を動画で!
https://www.vidimovie.com/videos/watch/angeli-senza-paradiso-trailer-1508186645/

 ナナ・ムスクーリ(1934年生まれ)の歌声で、どうぞ:
Nana Mouskouri, Serenade de Shubert
https://www.youtube.com/watch?v=G-eFA_dBczY
https://www.youtube.com/watch?v=5mLh-du29Oc

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選挙最終日!

 いよいよ総選挙の投票日が明日の日曜日となりました。
 マスゴミ各社は政権与党の自公が300議席を超えると圧勝を予想したれ流し。
 「情報操作」を展開していますが、ヤッホー君のこのブログで何度も取り上げていますように、下々のモノが声をあげれば変わります。
 期日前投票、不在投票もお済みになっているとは思いますが、まだの方、傘をさしてでも投票所へ行きましょう、われわれ貧乏が染みついてモノの権利であり、義務でもあるんだもん。
 ヤッホー君のお慕い申しあげている小児科の先生の今朝のブログです。
 拡散しますのでぜひご参考になさってくださいね:

 安倍政権の5年間、安倍首相は嘘を積み重ねてきた。
 それを追及しないマスコミ。
 本来なら、マスコミは政治権力と緊張関係を保ち、政治権力の嘘を暴くことが、その役目だったはずだ。
 だが、嘘をつきとおす安倍首相と、それに対処しないマスコミは、共同して「ポスト真実」の暗闇にこの国を陥れている。
 それは、何時かは破綻する。
 経済財政問題なのか、集団的自衛権に基づく戦争への加担とそれによる被害によるのかは分からない。
 だが、その破綻までに時間は残されていない。

 山崎雅弘氏の論考「ポスト真実の時代」はこちら:


ポリタス、2017年10月20日
日本社会が「ウソの氾濫」を許すか否かを問う選挙
山崎雅弘(戦史・紛争史研究家、1967年大阪生まれ)
http://politas.jp/features/13/article/597


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JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)

 映画『小林多喜二の母の物語』を亀戸「カメリアホール」で見たヤッホー君。
 この会の主催者は、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)! 
 
 JOCSのルーツは、1938年に行われた中国大陸での医療活動にさかのぼります。
 当時、日本軍の侵攻によって難民が多数出るなど、中国の人々は苦難を強いられていました。
 その窮状を見かねた日本人牧師の呼びかけに応じて、医師や医学生、看護師等による医療チームが大陸に渡り、協力活動を行いました。

 戦後、その人びとも含めたクリスチャンの医療従事者が日本各地から集まり「日本キリスト者医科連盟」を結成し、医療奉仕活動を始めます。
 1958年、日本キリスト者医科連盟の代表が香港で行われた東アジアキリスト者医療従事者会議に出席し、アジアの医療従事者を研修のため日本に受け入れることを表明したことに端を発して、海外から保健医療従事者の派遣や研修支援の要請が続きました。
 
 それらの要請に応えるため、JOCSは1960年に設立されました。
 JOCSは、日本がアジアの人びとに対して犯した戦争への深い反省に立ち、和解と平和の実現を願って設立されたのです。

http://www.jocs.or.jp/about

 そういえば「使用済み切手」を集めていた方がたがヤッホー君の周りにもいらしゃったような:

 使用済み切手、外国コイン、書き損じはがきの送り先住所が変わりました。
 〒169-0051新宿区西早稲田2-3-18-51
 JOCS切手部

 https://www.youtube.com/watch?v=x06KAmppYDI

 JOCSのホームページにようこそおいで下さいました。世界の貧しく困難な中で生活しておられる方と私たちの働きに注意を傾けてくださいましたこと、感謝申し上げます。

 日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)は、1960年に活動を開始した日本で最初の海外協力団体です。
 その時代の日本は、戦争の傷跡が街中に残っていたことを、小学生であった私も覚えています。
 私達は日本が豊かになったから海外協力を始めたのではありません。

 それでは、JOCSを創設した先輩達は、なぜJOCSの活動を始めたのでしょうか。

 第一に、日本がおこなった戦争による惨禍への贖罪の気持ちからでした。
 当時、軍医や兵隊として中国や東南アジアに召集された多くの方々がおられました。
 戦争が現地の人々に与えた苦しみに対する申しわけない思いに突き動かされたのです。
 戦争を始めたこと、戦争を止められなかったことを、自らの罪と認めて、迷惑をかけた人々のために働きたいと、心から思う行為としてJOCSは始められました。

 第二に、日本は1956年に国連への加盟が認められ、一部の国を除き世界の国々と国交を回復しました。
 しかし、実際にはまだ世界の中で信頼されていないばかりか憎悪の対象ですらありました。
 日本人が、まだ国際的には友人と認められない時代が続いていたにもかかわらず、1958年、アジアの方々から共に生きる仲間に加わるようにとの呼びかけがなされました。
 「東アジアキリスト教医療従事者会議」の企画委員として、日野原重明氏が準備会議に招待され、次いで開催された会議に代表を送り、「4人の途上国の医療従事者を日本に招き研修の機会を提供する」という提案をしました。
 当時のアジアは、医師数が人口十万人に1人と言われていた時代でした。
 この活動がJOCS発足の具体的なきっかけとなりました。

 発足にはこのように、「アジアの人々からの許しと呼びかけ」があったのです。

 こうして始まったJOCSの小さな歩みですが、日本における海外医療協力のパイオニアとして歩んできました。
 短く歩みをご紹介すると、最初の10年間は求めに応じて医療従事者を現地病院に派遣する働きが主でした。
 その中からも、コミュニティ・ヘルス(地域保健)の重要性に気づき、活動を病院外へと拡げるワーカーが生まれてきました。
 20年がたち、私たちの働きは「コミュニティ・ヘルスの視点に立って行う」ということが確認されました。
 30年・40年と、その時代にもっとも放置されている分野を求めて、村の栄養改善や、結核やハンセン病が中心となった時代もありました。
 その分野に光があたり、国際的な対策が進められるようになりますと、私達はさらに必要とされている分野を求めて進むよう心がけてきました。
 現在は、私たちの活動の焦点を「女性と子ども、障がい者、少数民族、HIV感染者、医療に恵まれない人々」に置いています。

 この間、私たちの手段・方法も多様化しました。
 ワーカー派遣、奨学金支援、協力プロジェクトです。
 これらの働きについては、このHPの記事をご覧ください。

 JOCSの歩みは、アジアの人々からの呼びかけに答えることで始まりました。
 それは、神様からの呼びかけでもあります。
 神様は最も小さくされた人々と共におられると信じます。
 その声に耳をすませ、呼びかけに答え、召命に従って歩みたいのです。
 JOCSは、働きを通じて「平和を実現するもの」であり続けたいと願っています。
 皆様のお祈り・ご支援をよろしくお願いいたします。
日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)会長 畑野研太郎

http://www.jocs.or.jp/about/message

 映画会の前にJOCSのプロモーションビデオとこの会長さんのご挨拶がり、この団体の活動にヤッホー君、とても胸うたれましたって。
 ではJOCSからアフリカのタンザニアに2015年4月から派遣されている医師、弓野綾さんをご紹介したいと思います:

 Happy Easter! Heri ya siku ya Pasaka!
 日本では日付が変わりましたが、イースターおめでとうございます!タンザニアは金曜からの4連休です。土曜夜のイースターの前夜ミサに参加したら、最初に広い教会堂全体の照明が落とされて、暗闇の中、1年前のイースターのことが思い出されました。
 タンザニアに来た直後なのに、ネットカフェも語学学校も連休なので、何もわからず不安だったっけ…なんて思っていたら、入場してくる神父様達が持っているろうそくの光で十字架が浮かびあがり、今年、タボラの人と一緒に御復活をお祝い出来ることに感謝しました。
 前夜ミサでは数十人の洗礼式と、二組の結婚式が行われ、夜中でしたが歓声と鐘の音が響いていました。
 一夜明けてイースターの日曜の朝は救世軍の教会に行き、礼拝の後、こちらも二組の結婚式に参列しました。この時期は救世軍の教会での結婚式が無料だそうで、式を挙げられて喜ぶカップルが印象的でした。

 このように人の集まりの多い連休中なのですが、タンザニア全土で流行っていたコレラが遂にタボラの町でも報告されました。
 私達の勤める病院でも、激しい下痢のため救急外来で大量に輸液していた人が、後に診断されたそうです。
 政府から、輸液や経口保水液や抗生物質の支給と一緒に、「挨拶の握手を出来るだけしないように」「人の集まるところでの接触や食事に注意」などの注意が回ってきましたが、この時期に、なかなか文化的に難しいよなあ…と思っています。
 仕事でも、最近はうちの病院の救急外来が稼働し始めたので、下痢の患者さんに(最初は知らずに)接触する機会も増えています。問診や手袋や手洗いなど、リソースは限られているけど出来る限りの予防策をとろう、とスタッフと話しているところです。
 コレラのワクチン、こんなことなら(効果は短くても)再接種しておくんだったなあ…と思っています。
 あまり患者さんが増えないことを祈りつつ、何かご経験からアドバイスのある方がいらしたら、ぜひご連絡ください。


弓野綾、2016-3-28
AYAの活動
http://dyumiken.com/MID/institute/yumiF/ayaYUMINO.html

http://www.jocs.or.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/tanzania-study-tour.pdf

 タンザニア、タボラ州において、炭水化物中心の食生活や生活習慣の変化によって、糖尿病や高血圧などの慢性疾患が増えており、これらの病気の治療や病院スタッフのケア能力向上が求められています。
 弓野ワーカーは聖アンナ・ミッション病院での診療を通じて、現地スタッフへの技術移転などを行っています。
 2016年4月から週1回病院で慢性疾患外来を開始し、タボラで慢性疾患の治療を受けられる患者が増えることを目指して活動しています。
 また、タボラ大司教区保健事務所(TAHO)に対して診療統計データ分析や巡回視察、講座開講などに協力しています。
<2016年度の活動成果>
 慢性疾患外来を開始したことにより、慢性疾患の治療を適切に受けられる患者が増加しました。
 患者数の増加に伴い、2017年3月から慢性疾患外来が週1回から2回に増やされました。
 受診する患者の数が増加しただけでなく、継続して通院している患者の血圧にも改善が見られています。

<弓野ワーカー派遣先:タボラ大司教区保健事務所>
 タンザニア国内にあるカトリックの6つの大司教区のうちのひとつであるタボラ大司教区は、教育、保健、職業訓練などの部門を有しており、保健事務所はタボラ州にある10の保健医療施設(病院や診療所など)を管轄しています。
 JOCSではこれまでに清水範子助産師、宮尾陽一医師、倉辻忠俊医師をタボラ大司教区に派遣しました。


JOCS海外派遣ワーカーの紹介
http://www.jocs.or.jp/active/worker/staff#yumino



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亀戸事件

 えっ、映画『小林多喜二の母の物語』?
 そうなんだって、昨日の10月20日(金)、バスで門仲から亀戸に行って「カメリアホール」(江東区亀戸2-19-1 カメリアプラザ3F)で見てきたんだそうです。
 亀戸…、ヤッホー君、どうしても朝キンしてみたかったのが亀戸事件の跡だったんですけど、いつかぜひに!
 え〜と、小林多喜二がトッコウという国家権力の手により捕まったのが1933年2月20日の正午過ぎ。
 そしてその日の夕方にはもう見るに堪えない姿に変わり果てて、「虐殺」されてしまっています!
 亀戸事件というのは、関東大震災のときだから、それよりさらに10年ほど前になります。
 ということはですね、この国の下々のモノはもう100年ほど前から、モノ申すと危ない、イノチに差しさわりがあるからウエにはさからわない、という下卑た心根が植え付けられていたんですね。
 でも、下々のモノも平和憲法のもとで主権者となっているから、やっぱり憲法を大事にして、どんどんモノ申さないと、ね。

 1923年9月1日午前11時58分、死者9万1千人をこえた関東大震災が起きました。
 2日成立したばかりの山本権兵衛内閣は翌3日、東京府と神奈川県に戒厳令をしき、軍隊を動員しました。
 混乱の中で、朝鮮人や社会主義者が暴動をたくらんでいるというデマが流れ、当局も「震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ…」(内務省警保局長から各地方長官あての電報)としたことなどで、流言は広がり、多くの町内で在郷軍人や青年団が「自警団」を組織し、朝鮮人に襲いかかりました。
 軍隊も、とくに江東方面では朝鮮人を「敵」として追いたて殺害しました。
 虐殺された総数は正確にはわかっていませんが、6千人を超えるという調査もあります。

 前年の1922年創立の日本共産党にたいして、警察は、震災3ヶ月前の6月5日、いっせい弾圧を加え、30余人を検挙しました。
 しかし、南葛(現在の江東、墨田)を中心に労働運動はなお活発でした。
 このため、軍と警察は一体になって、震災の混乱に乗じて、社会主義者を一挙に根絶やしにしようとします。

 9月3日、被災者救援のため活動中の南葛労働会の本部から、川合義虎(21)=民青同盟の前身である日本共産青年同盟初代委員長=と、居合わせた労働者、山岸実司(20)、鈴木直一(23)、近藤広造(19)、加藤高寿(26)、北島吉蔵(19)、さらに同会の吉村光治(23)、佐藤欣治(21)、純労働組合の平沢計七(34)、中筋宇八(24)らが相次ぎ亀戸署に留置されました。

 同署では、その夜から翌日にかけて、多数の朝鮮人が虐殺されました。
 川合ら10人は軍に引き渡され、5日未明、近衛師団の騎兵第13連隊の兵士によって刺殺されました。
 これがいわゆる「亀戸事件」です。

 「社会主義者狩り」は、亀戸ばかりではありませんでした。
 9日ごろには、共産党の合法部隊だった農民運動社を近衛騎兵連隊の一隊が襲い、浅沼稲次郎夫妻ら8人をとらえ重営倉にいれ、後手にしばったまま梁(はり)につりさげました。
 堺利彦ら第1次共産党弾圧の被告が収容されていた市ケ谷刑務所にも軍隊がおしかけ、被告たちの引き渡しを迫りました(刑務所長が拒否したため、被告たちは命びろいした)。
 獄外にいた山川均も追われますが、友人宅を転々と逃げ、助かりました。
 士官たちは、吉野作造や大山郁夫ら民本主義のリーダーもねらい、大山は拘引されましたが、新聞社が行方をさがしたので、釈放されたのでした。

 16日には、アナーキスト・大杉栄夫妻と6歳になる甥(おい)が甘粕憲兵大尉によって絞殺される甘粕事件が起きます。
 このように大震災時に、驚くべき野蛮なテロリズムに支配勢力が走ったことは、国民にはけっして忘れることのできない教訓です。

〈参考〉
『亀戸事件〜隠された権力犯罪』(加藤文三著、大月書店、1991年)
『物語・日本近代史3』(犬丸義一・中村新太郎著、新日本出版社、新日本選書)


しんぶん赤旗、2007.9.1(土)
関東大震災直後の亀戸事件とは?
(喜)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-01/2007090112_01faq_0.html

東京はそのとき……ジェノサイドの街だった。

「1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」という副題通り、加藤直樹『9月、東京の路上で』(ころから、2014年3月)は関東大震災時の朝鮮人虐殺を当時の記録や当事者の証言からドキュメンタリー風に描き直したレポートである。

 地震の襲来は9月1日正午前。
 その日の午後にはもう「朝鮮人を殺せ」という声があがり、自警団や消防団が動きはじめていた。

 警察署前でひとりの男の頭に鳶口(くちばし状の鉄製の刃がついた道具)が振り下ろされる。
 誰も止めない。

<大ぜいの人間がますます狂乱状態になって、ぐったりした男をなぐる、ける、大あばれをしながら警察の玄関の中に投げ入れた>(9月2日、昼。神楽坂下)

 「朝鮮人の暴動」というデマを警察が信じ、ついには軍が出動する。
 駅に到着した超満員の列車。

<その中にまじっている朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして直ちに白刃と銃剣下に次々と倒れていった。日本人避難民のなかからは嵐のように沸きおこる万歳歓呼の声──国賊!朝鮮人は皆殺しにしろ!>(9月2日、午後2時。亀戸駅付近

 虐殺は各地に広がる。
 公園出口の広場に人だかりができ、ひとりの男を大勢が殴っている。

<群集の口から朝鮮人だと云う声が聞えた。巡査に渡さずになぐり殺してしまえ、という激昂した声も聞こえた>(9月3日、午前。上野公園)

 吉村昭『関東大震災』(文春文庫)ほかで、それなりに知っていたつもりの虐殺事件だったけれど、その実態は想像以上。
 <東京はそのとき、かつてのユーゴスラビアやルワンダのようなジェノサイドの街だった>という表現は誇張でも修辞でもない。

 ヘイトスピーチの現場で<「不逞朝鮮人」の文字を彼らのプラカードに見つけたとき、私は1923年関東大震災時の朝鮮人虐殺を思い出してぞっとした>と書く著者は東京・新大久保の生まれ(1967年生まれ)。
 流言を侮るなかれ。
 東京は<かつてレイシズムによって多くの隣人を虐殺したという特殊な歴史をもつ都市>なのだ!


2014.6.11 18:07書評《今週の名言奇言 (週刊朝日2014年6月20日号)》
『9月、東京の路上で』加藤直樹著
(斎藤美奈子)
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2014061100142.html

 関東大震災(1923年9月1日)直後の混乱期に虐殺された朝鮮人の慰霊祭が2017年9月10日、八千代市高津の観音寺で営まれた。
 当時の出来事を知る学習会もあった。
 朝鮮人の虐殺を巡っては、公的な記録がほとんどなく、数少ない関係者の日記や証言などが残っているだけ。
 このため参列者たちは「当時起きたことを知り、『負の歴史』を後世に伝えていくことが、過ちを繰り返さないことになる」と誓いを新たにした。
 
 大震災では「朝鮮人が井戸に毒を投入した」などのデマが関東各地で広がり、県内でも住民による自警団や軍人らが朝鮮人を殺害した。
 八千代市や船橋市、市川市、習志野市などで虐殺があったと伝えられている。

 このため1978年に教員や市職員、主婦ら有志が「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」を結成。
 記録や証言を集めるなどしてきた。
 観音寺境内には1999年、虐殺された6人らを弔う「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」が建立されている。

 この日の慰霊祭を主催したのは、同委員会と地元の高津区特別委員会、観音寺の三者。
 関係者ら約80人が参列し、住民が鐘をついて黙とう。
 住職の読経が流れる中、順番に焼香するなどした。

 慰霊祭前に本堂であった学習会では、東京成徳大学の小薗崇明(たかあき)助教が当時の様子を講演。
 市川市に駐留していた陸軍軍人の日記や、船橋市で発生した自警団による虐殺を報告した住民の日記を、スライドを交えながら紹介した。

 習志野市に開設された収容所では、保護した朝鮮人が近隣住民に引き渡された後、殺害されたことなども説明。
 小薗助教は「(現在では)こうした過去をなくそうとする人もいる。私たちは過去を知らねばならない」と強調した。

 参列者の間からは、東京都の小池百合子知事が、関東大震災での朝鮮人犠牲者を弔う追悼文を出さなかったことを残念がる声が相次いだ。
 同委員会の中心メンバーの一人、平形千恵子さん(76)=船橋市=は「あったことを、なかったことにする勢力に加担することになる」と声を落とした。


[写真] 当時の軍人の日記を説明する小薗崇明助教。日記には「鮮人と見るやものも云(い)わず、大道であろうが何処(どこ)であろうが斬殺してしまうた」などと記されていた=八千代市で

東京新聞[千葉]2017年9月12日
関東大震災直後の朝鮮人虐殺
「負の歴史」後世に、慰霊祭に80人

(保母哲)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201709/CK2017091202000181.html

 関東大震災の翌3日には内閣は、東京府と神奈川県に戒厳令をしき、軍隊を動員したんだって。
 いまの改憲の動き、つまり緊急事態条項を盛り込む、つまり”改憲”でなく”加憲”だなんて、言葉巧みに下々のモノたちをあざむこうとしている特権支配階級の陰謀はまっぴらごめんです:

しんぶん赤旗[主張]、2016年1月6日(水)
憲法緊急事態条項
危険性直視し明文改憲許さぬ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-01-06/2016010601_05_1.html

WEBRONZA、2016年03月14日
緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である
自民党草案の問題点を考える

木村草太・首都大学東京教授(憲法学)
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016030100008.html/

 それになんだって、嘘っぱちの笑顔をふりまいて、緑色を着て選別と排除を叫ぶあの独裁者:

朝日新聞、2017年8月24日12時45分
関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ
小池知事

http://www.asahi.com/articles/ASK8S3K4NK8SUTIL00P.html

毎日新聞、2017年9月1日13時32分
小池知事
朝鮮人追悼文見送りで波紋
虐殺犠牲者慰霊

https://mainichi.jp/articles/20170901/k00/00m/040/182000c

毎日新聞・東京朝刊、2017年9月2日
関東大震災
朝鮮人犠牲者を慰霊
追悼式典に500人

https://mainichi.jp/articles/20170902/ddm/041/040/154000c

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2017年10月20日

小林多喜二の母

 ヤッホー君のこのブログ、2017年2月20日付け日記「山尾志桜里バッシング」を再度ご参照ください。
 そのとき北海道小樽では「多喜二祭」が催されておりました、没後84年目ですって、そうでしたかぁ:

 小林多喜二祭実行委員会(寺井勝夫実行委員長)は、小樽が生んだ日本プロレタリア文学の代表作家・小林多喜二の命日2月20日(月)13:00から、奥沢墓地で没後84年目の墓前祭を実施した。
 同委員会が主催して1988年から命日の2月20日に毎年開かれ、今年で29回目となる。
 今日のために、前日に付けられた雪深い墓地へ続く1本道を、多喜二ファン90名が歩いて墓前に到着。
 参加者は、多喜二が父親のために建てた自らも眠る墓前で、多喜二の生きた時代に思いを馳せ偲んだ。

 小林多喜二(1903.10〜1933.2)は、秋田生まれの小樽育ち。
 小樽高商(現小樽商科大学)で学ぶ。
 文芸雑誌に数多くの作品を投稿し文壇デビューを果たし、『蟹工船』(1929年)などの名作を生んだ。
 当時の治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕されても、信念や思想・政治的立場を変えなかったため、29歳という若さで拷問によって虐殺された(注1)。

 奥沢墓地の墓は、上京して最初の原稿料を母に送り父のために建てた。
 墓石の裏には1930(昭和5)年6月2日小林多喜二建立と刻まれ、その3年後に亡くなった。

 比較的穏かな天候に恵まれ、多喜二の墓前に大ぜいの人びとが集まった。
 寺井実行委員長は、健康上の理由から墓前祭は欠席。
 琴坂貞子さんが挨拶文を代読した。

「小林多喜二の不屈の生涯は、今を生きる私達に大きな励ましと勇気を与えてくれている。それはまた、不当な格差と貧しさを改め、平和を求めて明日に向かう国民的共同の塊の中に生きていると思う。共に手を取り合って足並みを揃えて、前に進む意思を込めて、多喜二の墓前にカーネーションを捧げてください」と読み上げた。

 また、2月18日(土)からイオンシネマ小樽で上映されている、三浦綾子(1922-1999)原作「母 小林多喜二の母の物語」(注2)で多喜二役の俳優・塩谷瞬氏(1982年生まれ)も駆けつけ、

「多喜二さんは、貧乏人を無くしたい、沢山の人が平等に幸せになる社会を作りたいとの思いが、僕達の胸に届き、その魂を今回演じた。役者として素晴らしい魂を得た。彼の生き様を通してしっかりと受け継ぎ、次の世代へ伝えていきたい」と涙ながらに述べた。

 参加者は、順番に赤いカーネーションを墓前に捧げ、多喜二を偲んだ。
 15:00から小樽経済センタービル(稲穂2)4階ホールで、「記念のつどい」が開かれた。
 実行員会メンバーの大地巌氏が書き下ろした「多喜二と小樽」を市民5人による群読が行われ、特別出演として、福島県から琴古流橘梁盟氏による多喜二追悼の尺八独奏を披露した。

 記念講演は、治安維持国賠同盟北海道本部・宮田汎会長が「多喜二の火を継ぐ小樽の人々」と題して講演。
 引き続き、寺井実行委員長が、1965(昭和40)年旭展望台に建立した碑(注3)にまつわるエピソードを交えて、多喜二への思い「私と多喜二・文学碑のこと」を語った。


小樽ジャーナル、2017/02/20
赤いカーネーションで追悼!
多喜二84年目の命日

http://otaru-journal.com/2017/02/0220-3.php

https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=mqqivWhyjBM

(注1)2017衆院選
■ 対米自立か従属か、真の焦点 
 「保守」という考え方は、フランス革命への反動から出てきたもので、理性によって急進的に社会を変革することへの懐疑や、慣習と制度化による漸進的な変化の重要性を説く政治思想でした。
 大切なのは、そこに、社会全体に共通の目標が前提とされていることです。
 つまり、保守と革新はその目標に近づく方法をめぐる手法の対立でした。

 その意味では、安倍政権はもはや保守ではありません。
 戦後の第一の目標として従来の保守政治が堅持してきた国の独立という大前提、つまり対米自立の目標を、自分の政権維持のため事実上放棄しているからです。


 戦後保守政治は、敗戦、占領を経て、独立をどうやって確保するかという問題と常に向き合ってきました。
 そして、保守本流と言われる、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作首相の時代の戦略は、不平等な地位協定を含む日米安保条約の制約のもと、できる限りの自立をめざしつつ、もっぱら経済的繁栄によって国民の自尊心を満足させる「親米・軽武装・経済ナショナリズム」路線でした。
 その後も、米国の要求を最小限に受け入れる妥協をしながらも、したたかに独自の外交や政治決定権を回復して日本の国益を追求するという政治目標が、保守政権の中では共有されてきました。

 ところが、少なくとも第2次安倍政権以降は、これまで堅持されてきた、そうした国益保全のための対米自立に向けた努力が全く見られません。
 沖縄の普天間飛行場の辺野古移設での米国べったりの姿勢、県民への非情さもそうですが、自衛隊員の使命感と安全を考えたら、米軍に指揮権を委ねたままでの集団的自衛権の行使容認は無責任で、国益に反します。
 また、米国を忖度(そんたく)し、国連の核兵器禁止条約に参加しなかったのも、原爆の犠牲者の尊厳を守るという国の義務の放棄でした。
 安倍政権が掲げる憲法9条に自衛隊を明記する改正も、「自主憲法制定」という言葉によって、あたかも対米自立をめざしているかのように装っていますが、その実態は対米軍事協力のための改正でしかありません。

 なぜ、安倍政権がこれだけ長く続いているのかと考えると、歴史的な視点が欠かせません。
 というのは、近代日本では「国難」を機に排外思想の高まりが80年周期で繰り返されているからです。
 最初はペリー来航を契機に盛り上がった1850年代の尊皇攘夷(じょうい)思想。
 次が1930年代の皇国思想の席巻。
 そして2010年代の嫌中嫌韓のヘイトスピーチ。
 安倍政権がこの近年の排外的な空気に乗っていることは否定できません。

 特に1930年代に皇国思想が噴出してきた時、なぜ、大正デモクラシーに育まれた政党やメディア、文化がこれに対抗できなかったか。現在と重なるその理由を、今こそ改めて考究すべきです。
 治安維持法の適用範囲拡大の歴史は、その点で示唆的です。同法の取り締まり対象は当初、共産主義でしたが、それが、社会主義、最終的には自由主義(リベラリズム)へと広がっていきました。

 今回の選挙で立憲民主党の枝野幸男代表は、当初「私はリベラルであり、保守です」と言っていましたが、その後の毎日新聞のインタビューでは、「保守と対立するのがリベラルと位置付けるなら、我々はリベラルではない」と発言しています。
 しかしここは踏ん張らないといけない。社会の空気がなんとなく、「リベラル」に対して否定的になってきたからといって、「リベラル」の旗を掲げる党がなくなってしまえば、80年前の繰り返しになってしまいます。
 今回の選挙で気づかなければならないのは、本当の選択肢が、保守かリベラルかではなく、対米従属による国益追求か、対米自立による国益追求か、の間にあるということです。


朝日新聞(聞き手・山口栄二)、2017年10月20日05時00分
保守?リベラル?
加藤典洋さん(文芸評論家)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13188497.html?rm=150

(注2)
 三浦綾子の作品「母」はここで終えている。
 数えで90歳を迎えると語っていたセキは、無念な死を遂げた息子を送ってから32年後、賛美歌「山路越えて」を大ぜいの人に歌ってもらいながら、多喜二と共なる憩いを取れたのである。
 前日一人で「山路越えて」を元気に歌っていたが、急変したという。
 1961年5月10日新緑の季節であった。

 母セキの一人語りには作家自身がセキになりきるように書き、歓びも悲しみも辛さもそして怒りも含めて社会の人びとの中で平気で人間をあしざまにする非道な人びとに戒めを与えているように、ぼくには思えた。
 そして感動のうちに終えたと作家三浦綾子は語っている。

 久保田暁一氏(1929-2016)は、あとがきで「徹底的な思想統制によって、国民を戦争へと駆り立てた権力犯罪の犠牲者だ」と指摘され、「普通生誕何年と言いたいところだが、多喜二の虐殺死を思うに付け生誕103年ではなく、没後73年という表現の方が重い」と述べている。

 現代の緊迫した社会の行く末を想定するとき、73年という歳月は忘却の彼方に置いてくるほど遠い昔の話ではない。
 すでに私たちはその延長線上に生きているのかもしれない。


苫小牧駒澤大学、心のビタミン・コラム
「限りなき母の慈しみは深く」母が語る多喜二の追憶(後編)
阪崎健治朗(1935年生まれ)
http://www.t-komazawa.ac.jp/column/vitamin/backnumber/sakazaki_02/07_2/index.html

(注3)1965年10月9日、小林多喜二文学碑の除幕式が、小樽市内を一望する旭展望台で行なわれています。

 旭展望台に建てられた小林多喜二の文学碑には、次のような文章が刻まれています。
 
 「冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋(さんばし)がある そこでは 人は重つ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている ぼくは何(どこ)を歩いていようが どの人をも知っている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上っている街を ぼくはどんなに愛しているか分からない」
 
 これは、昭和5年8月、治安維持法などの容疑で起訴され、豊多摩(とよたま)刑務所に収容された小林多喜二が、村山籌子(むらやまかずこ)にあてた手紙の一部で、日付は11月11日となっています。
 
 その手紙は「東京の秋は何処まで深くなるのですか」と始まっています。獄窓からわずかに見える東京の青空がどんどん深みを増していくことに多喜二は驚き、そろそろ雪も降ろうかという故郷の街に、思いをはせているのです。
 
 ところでこの手紙を受けとった村山籌子とは、どんな女性だったのでしょう。
 
 村山籌子の夫、村山知義(ともよし)は劇作家、演出家、小説家で、前衛美術家としても知られています。社会主義活動に関わった時期があり、そのころ妻の籌子は、夫だけでなく、小林多喜二や中野重治(なかのしげはる)など獄中にあった作家を、心身ともに支え続けました。
 
 籌子自身は童話・童謡作家で、明るくリズミカル、ユーモア溢れた作品が最近続けて復刻され、時代を超えたその魅力が見直されています。「あめやさん」と題する童謡は次のようなものです。
 
 「きみには ボンボン、/きみには チョコレート、/きみには キャンディ、/きみには キャラメルを あげよう、/さあ/いくらでも/もってゆきたまえ。/すっかり、/もってゆきたまえ。/ぼくは、まだ、/やまほど/ようふくの したに/かくしているからね、きみ。」
 
 昭和8年2月、小林多喜二が拷問死したとき、籌子は「タキジ コロサレタ」とハンドバッグに白墨で書きつけ、危険をかえりみず、獄中の夫に秘かに知らせたそうです。


おたる文学散歩、第6話
小林多喜二文学碑 刻まれた手紙
(広報おたる平成18年12月号掲載)
https://www.city.otaru.lg.jp/simin/koho/bungaku/1812.html

 では、ここで映画『小林多喜二の母の物語』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=0NGBcJ9aZe0

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UN's World Food Day

Pope Francis demanded on Monday that world governments collectively commit to end rising world hunger by resolving the conflicts and climate change-related disasters that force people to leave their homes in search of food.

Francis drew a standing ovation on Monday at the UN Food and Agriculture Organisation, where he marked the UN's World Food Day by calling for governments to work together to tackle the interconnected problems of hunger, global warming and migration.

He cited the Paris climate accord, in which governments committed to capping heat-trapping emissions, as an example of taking action to fight global warming based on scientific evidence.

But in what appeared to be a dig at the United States, which has announced it is withdrawing from the accord, Francis lamented that "unfortunately some are distancing themselves from it".

Francis said negligence and greed over the world's limited resources are harming the planet and its most vulnerable people, forcing many to abandon their homes in search of work and food.

"We are called to propose a change in lifestyle and the use of resources," Francis told the audience, which included agriculture ministers from the Group of Seven nations.

"We cannot make do by saying 'someone else will do it'."

Last month, the UN reported that the number of chronically hungry people in the world was rising again after a decade of declines thanks to prolonged conflicts and climate change-related floods and droughts.

While the 815 million chronically undernourished people last year is still below the 900 million registered in 2000, the UN warned the increase "is cause for great concern".

Francis said the answer was not to reduce the world's population but rather to better manage the planet's abundant resources and prevent waste.

Francis called the population control argument, which the Catholic Church has long opposed, a "false solution".

Rather, he called for a new model of international cooperation that incorporates love, fraternity and solidarity into responding to the needs of the poorest.

Francis said it was not enough to respond with pity, "because pity is limited to emergency aid".

Love, he said, "inspires justice and is essential to bring about a just social order".

In a tangible sign of his message, Francis' gift to the UN food agency to commemorate his visit was a marble sculpture of Alan, the toddler who washed up on a Turkish beach in October 2015.

The sculpture, which features a wailing angel over the little boy's corpse, symbolises the tragedy of migration, the Vatican said.


Premier. Published: Mon 16 Oct 2017
Pope Francis calls for 'change in lifestyle' in speech to mark World Food Day
By Press Association
https://www.premier.org.uk/News/World/Pope-Francis-calls-for-change-in-lifestyle-in-speech-to-mark-World-Food-Day

TEHRAN −
A national conference is planned to be held on the occasion of the World Food Day 2017 on October 15 in Tehran.

Health Minister Hassan Qazizadeh-Hashemi, Food and Drug Administration Director Gholamreza Asghari, some parliament members, and a number of officials active in the food industry will attend the event. 

Food and beverage companies that comply with and live up to standard manufacturing practices and have improved food safety will be honored over the conference. 

Change the future of migration

World Food Day 2017, October 16, will be observed under the theme “change the future of migration; invest in food security and rural development.”

According to Food and Agriculture Organization (FAO) official website in 2015, there were 244 million international migrants, 40% more than in 2000. 

Large movements of people today are presenting complex challenges, which call for global action. Many migrants arrive in developing countries, creating tensions where resources are already scarce, but the majority, about 763 million, move within their own countries rather than abroad.

Three-quarters of the extreme poor base their livelihoods on agriculture or other rural activities. Creating conditions that allow rural people, especially youth, to stay at home when they feel it is safe to do so, and to have more resilient livelihoods, is a crucial component of any plan to tackle the migration challenge.

By investing in rural development, the international community can also harness migration’s potential to support development and build the resilience of displaced and host communities, thereby laying the ground for long-term recovery and inclusive and sustainable growth.

What FAO is doing?

FAO is working with governments, UN agencies, the private sector, civil society and local communities, to generate evidence on migration patterns and is building countries’ capacities to address migration through rural development policies. 

FAO supports governments and partners as they explore the developmental potential of migration, especially in terms of food security and poverty reduction.


Tehran Times, Published: October 5, 2017
Iran to observe World Food Day 2017
http://www.tehrantimes.com/news/417302/Iran-to-observe-World-Food-Day-2017

Food is something most of us take for granted. We wake up knowing breakfast will boost our day. A couple of hours later, we might start clock-watching, eager for a lunch to break the monotony of work. The end of the day might be spent having dinner with loved ones sharing special moments and discussing important details of the day. Even religious holidays are intricately intertwined with eating (or not eating).

Clearly, food is a focal point of all our lives, every day of the week.
So why do we need a day to be dedicated to food?

The Importance Of World Food Day

The UN World Food Day was set up to commemorate the establishment of the World Food Organisation (FAO) in 1945 after World War II. Understanding the precious nature of food, and a country’s ability to be self-sufficient (called food security) is best felt during times of conflict.

[photo] Workers sleep on top of vegetables on a wooden cart in Divisoria market in Manila. The vast majority – 98% – of the world’s hungry people live in Asia.

We should not take food for granted, and remember there are millions living in poverty and hunger. The FAO’s goals are to fight hunger and achieve food security, reduce rural poverty and promote the sustainable use of natural resources.

I believe we all need to be reminded of the real essence and purpose of food. I don’t just mean the gastronomy of how to improve your beef rendang or how to make a low-fat char kway teow so you can fit into your skinny jeans.

Food is not only essential to sustain life but is also fundamental in providing the nourishment and energy necessary for learning and growth.

Without a nourished body, you lack a nourished brain and you simply can’t learn or thrive.

This results in a mammoth risk to a country’s development.

Over generations, we have developed from the hunter-gatherers of our forefathers, and slowly moved to cities to work. In this transition so many of us have lost touch with nature.

How food grows, how it is farmed, is lost to many of us – we don’t even know how to cook.

Maybe it doesn’t matter because street food, coffee shops and convenience stores selling quick and cheap meals are everywhere. Should we even care?

The simple answer is yes.

We are what we eat. Many people are becoming overweight and even obese – which is a huge health problem just waiting around the corner.

At the same time, almost 800 million people (just under 10% of the population) are undernourished, some of whom are starving to death.

Through A Child’s Eyes

As a child I remember the terrible droughts in Ethiopia of the 1980s. I bought the Band Aid single which so many global artists recorded, and donated money to alleviate the hunger that entered our living room every night in the form of BBC news reports.

[photo] Mooney (right) with DBKL Licence and Petty Traders Management director Zaharuddin Basiron loading surplus food from the Kuala Lumpur Wholesale Market in Selayang into the back of a truck bound for various charity homes. Lost food can be diverted to feed all of the world’s hungry and Malaysia is among the leaders in South-East Asia in this effort.

I remember crying when I saw an emaciated baby with big brown eyes looking at the camera with no hope in her eyes. She did not even have the energy to bat away insects and flies landing on her face. A few hours later, came the news that the child had died.

I could not understand why this was happening. “Can’t we just send food to these people, Mum?” I would plead. She explained that the world didn’t quite work like that – but we could send some money and hopefully aid agencies and governments could provide long-term help.

Children are often the most practical problem solvers – and I did not like this solution.

I knew all the shops and supermarkets were filled to the brim with food – so why were so many people walking around like skeletons, days away from death?

Just because they happened to be born in a particular country? It felt very wrong. And why were we not doing more about this?

This was the first time I actively remember realising what the word “inhumane” really meant.

That’s Cricket

I was not alone in my despair. Bob Geldoff, a mediocre Irish singer from a forgettable band called The Boomtown Rats, raised this issue with many governments and policy makers in the world. He highlighted the excesses of food such as the infamous “EU butter mountain” of which politicians finally acknowledged.

There was slight embarrassment, but that did not change the fact that there would continue to be excess food produced that was not allowed to be sold, or given away due to fiscal policies of food trade.

In Britain, there is a very unsatisfactory explanation given to behaviour that is perhaps unsavoury, but cannot be changed – “that’s cricket”.

Making Sense Of The Senseless

So at the tender age of eight, I devised my own understanding of “lost food” – food which is good to eat, but for a number of reasons, is simply thrown away.

I learnt that many reasons can leave millions of people to die unnecessarily: regulations, trade deals, politics, logistics, or sometimes it can be because it’s cheaper to throw away food than it is to go through the bureaucracy to give it to the poor.

Like most other people, I got on with my life and did not focus on the politics of food, as I was busy trying to carve out a career as a journalist.

However, I did spend some time travelling across Africa, and spent several months waitressing in a restaurant in Cape Town.

The Ferrymans Experience

It was here at The Ferrymans my eyes were truly exposed to the levels of food waste disposed of every day. Not just the excess of everyone’s plate, but the food that had to be ready in case someone ordered (our menu was far too varied). So inevitably there was a very large binload of perfect food being trashed every single day.

It would not have been so bad, but the kitchen staff (who were the worst paid of the restaurant staff) were often underfed themselves. Most lived in shanty towns on the edge of the city. Many had families to support with absent husbands, leaky roofs and the constant need to provide food.

[photo] People slurping soup during La Porciuncula, a religious event where Franciscan monks serve food to the poor, at the Los Descalzos Convent in Lima, Peru. Poverty is a main cause of world hunger affecting 800 million people.

I suggested to the restaurant owners to donate some of this top class “lost food” to these women. The answer was a resounding no.

On reflection, it was for obvious reasons; this would lead to the staff over ordering, over cooking, and et cetera, to create a large pile of leftover food which they could then bring home to feed their families.

I understood that argument – but it still lay uneasy. How could we be throwing away so much food in a country where many people were so desperately under nourished? Something had to be done.

So I did some research and contacted a local soup kitchen in Cape Town. They said they would be delighted to take the food. My bosses at the restaurant agreed to donate the lost food on the following conditions: the soup kitchen should come at the same time every night, they had to bring the boxes to pack the food, and no way was any homeless person could ever be allowed to come near our restaurant looking for food.

So we started this daily collection at 10pm every night – and it worked very well – for several months. Then I left to continue my travels. With no-one pursuing the management to donate the food – they slipped back into most restaurants’ default mode. Throw away lost food. It’s less hassle.

We Are All To Blame

That was 20 years ago and thankfully the world has changed. People realise that our way of life is unsustainable – our resources are running out and the population is growing. We cannot feed more people. Climate change will create climate refugees and add more pressure to global governments. South-East Asia is one of the most food insecure regions of the world. So what is the solution?

Since we throw away 33% of all food produced, there is an easy solution. We can produce less and just be clever and use the food we are currently throwing away.

It costs the Malaysian government billions of ringgit just to dispose of the “lost food” into landfills. This is money that could be spent on health-care and education. Food products are more expensive to the customer, because companies include the cost of “lost food” in the price.

The damage to the environment is enormous. Food in packaging which is crammed into landfills creates a methane soup that damages the land, water and surrounding air. It is 20 times more damaging than the greenhouse gas carbon dioxide.

We spend much time complaining about the haze caused by the logging in Sumatra, but we are quite happy to contribute to this environmental hazard ourselves.

[photo] Malaysian soup kitchens such as Kechara feed the poor and hungry regardless of race and creed – and lost food can be diverted here to great effect.

If we are honest, we are all to blame – global governments, regulators, food manufacturers, and consumers. However, the good news is that if we all decide to change our behaviour just a little, we can make a huge difference.

Currently there is enough “lost food” thrown away to feed all the hungry on the planet four times over. Maybe if we divert some of the lost food their way, it would be a good start.

Happy World Food Day.


The Lost Food Project is the first food bank in Malaysia to have professional contracts with a number of supermarkets, manufacturers and a wholesale market. They distribute 50,000 meals a month to over 40 charities, composting any donated food unfit for human consumption. Suzanne Mooney lives in Kuala Lumpur with her husband and children. To get involved, email info@thelostfoodproject.org

To check out some facts on world hunger, click here:
http://www.star2.com/food/2017/10/16/world-hunger-facts/

To see facts on hunger in Malaysia, click here:
http://www.star2.com/food/2017/10/16/malaysian-food-waste-facts/

The Star2, Published: October 16, 2017
Why World Food Day matters
By Suzanne Mooney
http://www.star2.com/food/2017/10/16/world-food-day-matters/

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安倍農政はすでに完敗

 餓鬼道をまっしぐらに歩いている、ヤッホー君。
 食べ物の話しになるともう、目がきょろきょろ。

安倍農政はすでに完敗
 さて、内閣支持率より一足早く、安倍農政の支持率も危険水域にある。
 日本農業新聞(5月30日)は、同紙購読の専業農家を対象に行った、JAグループの自己改革に関するアンケート調査結果を掲載した(専業農家1605人に郵送法で4月中旬から下旬実施。回答率70.5%)。
 「安倍内閣の農業政策を評価しますか」という問いに、「大いに評価する」が2.1%、「どちらかといえば評価する」が19.1%、「どちらかといえば評価しない」が39.4%、「全く評価しない」が28.3%、「分からない」が11.0%。大別すれば、「評価する」のが2割、「評価しない」のが7割。
 専業農家にここまで評価されない安倍農政は完敗。
 「あなたがJAグループの自己改革で、特に期待する取り組みを三つ選んでください」という問いに対して、一番多いのが、「生産資材(肥料、農薬、農機など)の価格引き下げ」の27.7%。これに「生産コスト削減や省力化などの営農技術指導の強化」の17.0%が続いている。そのもっとも期待されている購買事業に関して、「購買事業の改革への期待度について、どう考えますか」という問いに対しては、「これまでも良くやっていると思うが、さらなる改革を期待したい」が52.1%、「現在の内容が不十分であり、今後見直してほしい」が39.4%、「期待していない」は6.2%。改善の余地は少なくないものの、期待度は高く、決して全否定される状況にはないことがわかる。

◆ 農業参入甘くない≠チて、日経でも言うわけ!?  
 日本経済新聞(6月17日)は、農業参入甘くない 吉野家、神奈川で撤退≠ニいう見出しで、吉野家ホールディングスが2009年に設立した吉野家ファーム神奈川(横浜市)を畳み、農業事業を縮小することを伝えている。神奈川と山梨で借りていた合計約9haの農地は、3月末までに地主に返し、横浜市の事務所も6月いっぱいで返却するとのこと。
 事業継続を諦めた一因として、「農地が分散していて経営効率が低かった」ことをあげている。これに、売り上げ増をねらった規模拡大が効率向上の足かせになった、とのこと。また、ピーク時に30種類もの野菜を作っていたが、グループ企業の品質基準を満たして出荷できたのはわずかで、栽培技術を高めることができなかった。山梨で借りた水田も、2年目は収量増だったが、目標未達。神奈川にあわせて、ここも畳むことにした。
 吉野家の撤退に加えて、「オムロンはオランダから最先端の栽培施設を輸入してトマトの生産を始めたが、約3年で撤退」、「ニチレイは野菜の貯蔵と加工を手がける6次化事業に参入し、16年3月に撤退」、「東芝も16年末に植物工場を閉鎖」など、撤退事例を紹介している。
 それらから、「多くのケースで共通なのは、本業のノウハウを生かそうとして参入し、農業の収益性の低さに直面して黒字化に見切りをつける戦略の『甘さ』だ」と、厳しい指摘。さらに、「制度以前の問題。事業を拡大できるビジネスかどうかの判断が十分ではなかった」という当事者の説明を受け、「規制が企業の農業ビジネスの障壁になっているわけでもない」と、およそ日経らしからぬ書きぶりには戸惑いを禁じ得ないが、当コラムとしては納得の展開。最後は、「農業に参入する企業も農業の収益性の低さを踏まえたうえで、競争に打ち勝つ新たな戦略が必要になっている」と、同紙らしい締め。

拙速な卸売市場改革の予兆
 日本農業新聞(19日)は、担い手 市場を重視 農水省農家調査 最大出荷先は農協≠ニいう見出しで、農水省が2015年に、国内のすべての家族経営の販売農家を対象に行った調査結果を紹介している。
 最大の販売先についての回答を販売金額規模別で集計し、すべての規模で「農協」をあげる割合が最も多かったことを示している。1億円未満では65%から72%。1億円以上5億円未満が50%前後。5億円以上でも44%。これらより、「農協が農家の農産物販売を支えていることが明らかになった」としている。また、販売金額3億円以上では、農協に次いで「卸売市場」が20%を超えていることから、「大規模農家にとって、大量の農産物の売り先確保は大きな課題だが、卸売市場が重要な受け皿になっている」とする。他方、小売業者や食品製造業・外食産業が数%にとどまっていることから、実需者への直接販売の伸び悩みを指摘している。
 このような分析に基づき、政府や規制改革推進会議における卸売市場法の抜本的な見直しの動きに対して、「いたずらに機能を弱体化させ、担い手の経営に水を差すことがないよう、丁寧な議論が欠かせない」と、釘を刺している。
 ところが、本日(21日)の同紙一面で政府 市場法の廃止検討 受託拒否なら産地混乱≠フ大見出しで、政府が市場法の規制を抜本的に自由化し、市場関係者の競争を促す考えであることを伝えている。焦点の一つが受託拒否禁止規定=B政府内に「JAに市場への丸投げを許し、高値販売の努力を阻害している」ので廃止、といった声があるとのこと。規制の趣旨は、生産者に安定的な販路を提供するとともに、卸売業者の恣意的需給操作(入荷制限)を排除し、適切な価格形成をはかる≠アとにある。
 「規制は悪、自由競争は善」という岩盤思考で破壊すべきものではない。安倍農政の悪あがきでしかない。
 嫌なニュースは重なる。同紙は、奥原農水事務次官の留任が有力であることも伝えている。暗澹たる思い。悪くはなっても良くなることはない。

「牛窓+(プラス)」が小声で語るここだけ話
 日本経済新聞(15日)は、JA、農業生産法人に歩み寄り 資材価格下げで連携 対メーカーで交渉力強める≠ニいう見出しの記事で、「全農は今後、約400の肥料銘柄を10程度に絞り込み、ジェネリック農薬の普及をめざす」ことを紹介している。
 肥料銘柄の絞り込みによるコスト削減というシナリオが、生産現場の目指している方向を必ずしも反映していないことを、日本農業新聞(5月30日中国版)の「牛窓+」 独自開発肥料 講習会で紹介≠ニいう記事がそっと教えている。JA岡山瀬戸内営農センターが開いた夏野菜講習会で、生産者に牛窓地区に合わせて開発した肥料「牛窓+(プラス)」を紹介し、参加した生産者は既存のコーティング肥料との溶け方の違いを確認したそうである。同営農センター長は「栽培も出荷も、JA・生産部会が手を取り合ってオール牛窓≠ナ取り組みたい。講習会もその取り組みの一つ」と、語っている。
 全国各地に多数存在するこのような小規模産地の、より良き農産物づくりをめざす姿勢こそ尊く、大切に守っていくべきものである。お久しぶりだな進次カ、わかるか、わかんねぇだろうな。
 「地方の眼力」なめんなよ


JAcom農業協同組合新聞、2017.06.21
完敗安倍農政の悪あがき
http://www.jacom.or.jp/column/2017/06/170621-32961.php

 それから4ヶ月後、政権与党からは選挙戦で主権者に対する「ていねいな説明」なんて聞いたこともありません。
 それほど下々の者はなめられてしまい、たべられないとばかりに選別と排除でのけられてしまっています。
 が、ホントにそんなことを許してしまうのかな。
 九州と東北からのリポートです:

 コメの減反政策が来年産から廃止され、農政は転換期を迎える。
 競争力強化へかじを切る安倍晋三政権は農産物の貿易自由化も進め、1次産業が盛んな佐賀の農業者の間には影響を懸念する声が広がる。県内12万人超の准・正会員を抱えるJAグループ佐賀は、衆院選ではどの候補も推薦しない「自主投票」を決めた。
 高齢化や後継者不足に悩む中、農業者は1票をどこへ投じるか、揺れている。

 佐賀平野の田んぼをコンバインが進む。減反政策下では最後のコメの収穫。来年産から、国は都道府県ごとの生産数量を示さず、農家はそれぞれの判断で作付けできる。農家のやる気を引き出す狙いだが、コメの消費量が減る中、生産が増えればコメ余りで価格が下落する恐れもある。
 佐賀市内の6ヘクタールでコメを生産する60代男性は「(来年産から)値段が下がるんじゃないか」と不安を漏らした。減反政策では国の生産数量を守れば、10アール当たり7500円の補助金があった。男性は「農業を続けるには所得を確保する政策が必要。(大豆や飼料用米への)転作制度を手厚くしてほしい」と注文した。

 減反廃止後は、コメは野菜のように市場の需給バランスで価格が決まる。
 値が崩れれば、廃業にもつながりかねない。同市内で大根など野菜10品目を栽培していた50代男性は2年前、価格低迷にあえぎ「農業だけじゃ食えない」と廃業した。今は飼料用の稲わらを梱包(こんぽう)する仕事に就いている。
 県内の農業就業人口は減少している。
 農林水産省によると、2015年は2万6244人で05年から半減。減少率は、同時期の全国平均(37・4%減)を上回る。平均年齢も15年は64・9歳で、05年から3・3歳高齢化が進んだ。

 JAグループ佐賀の政治団体「県農政協議会」は公示前日の10月9日、自主投票を決めた。
 昨夏の参院選に続く判断で、金原寿秀会長は「自由貿易や農協改革を(農業団体との)議論なしに進める官邸政治に批判がくすぶっている」とした。

 ただ、自由化を好機と捉える農業者もいる。農事組合法人の設立も進み、「生産規模を拡大し、運搬や貯蔵を協業して合理化を図れば所得も確保できる」(60代男性)との声もある。
 県内小選挙区には計6人が立候補し、公示日の第一声では「佐賀の農業を守っていきたい」「戸別所得補償制度を訴えてきたが、所得は守られていない」などと主張したが、具体的な農政はほとんど語られなかった。
 同市でレタスを栽培する70代女性は「どんな農政を進めていくのか、候補者にはもっと語ってほしい」と話した。


西日本新聞朝刊、2017/10/20
農業者の1票どこへ?
自主投票のJA佐賀、減反廃止に揺れ
「農政もっと語って」

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/representatives_election_2017_saga/article/367130

 2018年に大きな転機を迎えるコメ政策が、衆院選で埋没している。40年以上続いた国の生産調整(減反)が18年産から廃止されるが、経済政策や安全保障などの陰に隠れ、各候補者が積極的に訴える姿は見られない。
 来秋の論戦は実入りが乏しいまま、10月22日の投票日を迎えつつある。

歯切れ悪く> 
 宮城3区の自民党前議員が16日、宮城県柴田町の農協で開いた演説会。候補者は仙台空港民営化の関連法取りまとめに力を尽くしたことや、地元の道路網整備を進めた実績のアピールに大半の時間を割いた。
 「ひとめぼれが中国で2キロ3000円で売れた。海外をターゲットに国が販路をつくる」。
 コメは、国が進める農産品輸出に絡めて触れただけだった。

 15日に山形3区の自民前議員の応援に駆け付けた斎藤健農相は、酒田市の農協で真っ先に農業基盤整備の必要性を説いた。
 「土地改良をないがしろにして、お金を配れば良いという政策の先に国内農業の未来はない」と力を込めた。
 演説の中盤でコメ政策に言及したが、減反廃止後の需給調整に関しては「過程でいろいろな問題が生じるかもしれないが、一緒になって乗り越えないといけない」と歯切れが悪かった。

具体性なく
 産地では稲刈りが終盤に入り、間もなく18年産の生産計画を立てる時期を迎える。国の生産数量目標配分に代わり、当面は各県の農業再生協議会が「目安」を示すが、国の関与がほぼなくなることで過剰作付けや値崩れへの懸念が強い。
 山形3区の希望の党元議員は16日に酒田市内で開いた演説会で「現場感覚のない改革を政府が進めようしている。止めないと農家は干上がる」と減反廃止への攻撃を強めた。
 宮城3区の希望新人も12日、県南の穀倉地帯とされる角田市の街頭に立ち「農業が危機にひんしている」と訴えた。
 両候補が共に主張するのは旧民主党政権時代に導入された戸別所得補償制度の復活だ。
 希望は公約に既存の農業関係補助金を「大胆に廃止」すると盛り込んだが、具体性はなく、候補者は旧民主の看板政策に頼らざるを得ない状況がある。

向き合わず
 東北6県で与党が1勝5敗に沈んだ昨年夏の参院選で、5県の農協系政治団体は自主投票とした。
 今回は多くの選挙区で自民候補の推薦に回ったのは、農政に対する野党の政策がはっきりしないことも大きい(*)。
 宮城県内の農協関係者は「政党の組み合わせに話題が集中し、コメ政策に関心が向いていない。各党の準備不足もあり、生産者の不安に正面から向き合おうという政党は見当たらない」と冷ややかにみる。


河北新報、2017年10月20日金曜日
<衆院選>
迫る減反廃止、それなのに…
コメ論戦乏しい実入り

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201710/20171020_11003.html

(*)無視され続けの日本共産党は、次のように主張していました(ホッ):

 民意踏みつけ、国政私物化、憲法破壊を重ねた安倍晋三政権は、農業分野でもTPP(環太平洋連携協定)の国会批准強行、コメ政策からの撤退、農協「解体」、種子法廃止など農業つぶしの暴走を繰り返してきました。農業と農村の崩壊の危機が広がるなか、「もう我慢も限界」との声が広がっています。今度の総選挙は、安倍農政に「ノー」の審判を下し、政治と農政を大本から変えるチャンスです。

異常な市場まかせ転換を

 安倍政権は「企業がもっとも活躍できる国」を公言し、大企業の利益第一で農業つぶしに突き進んできました。農業破壊のTPPを強行し、日欧EPA(経済連携協定)でもTPPを上回る譲歩を受け入れるなど農産物の際限のない自由化を推進しているのは、その最たるものです。
 国内農政でも、「競争力強化」を叫び、農業に画一的な大規模化やコスト低下を押し付け、中小の家族経営を「非効率」と切り捨ててきました。企業参入を広げるために、農地・農協など戦後の家族農業を支えてきた諸制度を次々に壊しているのも、その一環です。
 コメ政策では、コメの直接支払交付金(10アール7500円)を2018年産から廃止し、生産調整の配分からも撤退してコメの需給や価格を全面的に市場にゆだねようとしています。
 「競争力のない農業はつぶれてもかまわない」という無責任な農政にほかなりません。

 重大なのは、このような農政が、農業者や農村の声にまったく耳を貸さず、規制改革推進会議の財界側の委員などの主張そのままに繰り返されていることです。
 安倍首相が執念を燃やす農協「改革」は、今日の農業危機の責任を農協に転嫁し、農業破壊の悪政から国民の目をそらす狙いがあると言わざるをえません。安倍政権が続く限り、日本の農業と農村の崩壊がいっそう進み食料自給率がさらに低下するのは必至です。
 農業と農村は食料と国土・環境・文化を支える社会の基盤です。
 だからこそ、先進諸国の多くは、政府がそれぞれの条件に応じて手厚い保護を行っています。
 国際的にも異常な市場まかせの農政を根本から転換し、国の責任で再生に踏み出すことはまったなしです。


 日本農業新聞の調査では、農政モニターの68%が「安倍農政を評価しない」と答え、官邸主導の農政の在り方に約8割が反対しています。国政私物化や憲法破壊の暴走には農村からも厳しい批判が上がっています。農業者の積年の思いを晴らすためにも、いまこそ農村から安倍政治「ノー」の声を結集しようではありませんか。
基幹的な生産部門として
 日本共産党は、TPPでも、農業つぶしの農政「改革」でも、安倍政権の暴走にきっぱりと対決し、農業の将来を真剣に考える多くの農業・農村関係者との共同の発展に力を尽くしています。農業を国の基幹的な生産部門に位置づけ、38%に低下した食料自給率の50%早期回復を国政の柱にすえて、再生に全力を挙げている党です。
 政策を投げ捨て議員バッジにしがみつく動きが横行する中、「安倍政治と対決し、ぶれずに共闘を追求する共産党」と期待も寄せられています。
 日本共産党を大きく伸ばし、市民と野党の共闘をさらに発展させることが、農業と農村の再生に向けた確かな道です。

しんぶん赤旗、2017年10月14日(土)
主張
総選挙と農業・農村
安倍農政ストップのチャンス

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-10-14/2017101401_05_1.html

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World Hunger Day

[photo] Indian schoolchildren eat a free midday meal, provided on all working days at a government school on the outskirts of Jammu, in 2009. Asia is the continent with the highest number of hungry people − about 526 million.

The United Nations has set a goal of eradicating hunger and malnutrition by 2030. Although the prevalence of hunger has declined in recent years, the lack of access to adequate and nutritious food remains an insatiable challenge across the globe.

As World Hunger Day is observed on Sunday, here’s a look at what’s behind the continuing prevalence of hunger around the world.

[photo] A woman holds her malnourished baby at a public health facility in the Dalaram district of Maiduguri, northeast Nigeria, in 2016.

1 in 9 people go to bed hungry each night

That’s 795 million people on the planet who suffer from chronic hunger, according to the United Nations World Food Program The U.N. forecasts that an additional 2 billion people will be lacking food by 2050.

In addition, 1 in 3 people suffer from some form of malnutrition, which means they lack sufficient vitamins and minerals in their diet, which can lead to health issues such as stunted growth in children. Most of the world’s hungry people live in developing countries, with Asia as the continent with the most hungry people − about 526 million − according to U.N. data. Each year, poor nutrition kills 3.1 million children under the age of 5.

[photo] A woman walks along a city canal as new office and apartment buildings rise over a slum in Jakarta, Indonesia, in 2014.

Hunger is not merely due to a lack of food

The world produces enough food to feed the planet’s 7 billion-plus people, so why are so many going hungry? It’s mainly because most hungry people don’t have the resources to grow or buy food, according to experts.

Chronic hunger goes hand in hand with poverty. It occurs “when people lack the opportunity to earn enough income, to be educated and gain skills, to meet basic health needs and have a voice in the decisions that affect their community,” according to the Hunger Project, a global nonprofit committed to the sustainable end of world hunger.

But there are several “hidden” causes of hunger, the group said. They include climate change, with severe drought and flooding having devastated crop yields and decimated livestock; the lack of education, which prevents people from getting good jobs; and child marriage and gender inequality, which keep females suppressed and poor. Conflict has also displaced millions of people, preventing them from cultivating their land.

In addition, 1.4 billion people have no access to electricity worldwide, and this “energy poverty … is a fundamental barrier to reducing hunger and ensuring that the world can produce enough food to meet future demand,” according to the U.N.

[photo] About 1.3 billion tons of the food produced around the world never gets eaten, according to the United Nations Food and Agriculture Organization.

1.3 billion tons of the food produced worldwide never gets eaten

The figure equates to about one-third of the food produced in the world for human consumption, according to the U.N. Food and Agriculture Organization.

Sometimes the food is simply lost or wasted. According to the global humanitarian aid agency Mercy Corps, factors responsible for food loss include inefficient farming techniques, lack of storage for crops after they have been harvested, and poor management and market connections.

Food loss and waste amounts to about $680 billion in industrialized countries and $310 billion in developing countries, according to the U.N. Every year, consumers in wealthy nations waste almost as much food (222 million tons) as the entire net food production of sub-Saharan Africa (230 million tons), the agency reported. And food wasted in Europe could feed 200 million people.

Volunteers serve an evening meal at the Food Bank for New York City community kitchen on May 15, 2017.

Hunger bites − even in the world’s largest economy

At $18 trillion, America’s economy represents close to a quarter of the entire global economy, according to World Bank data. But that hasn’t kept a substantial portion of the nation − where an estimated 72 billion pounds of food goes to waste each year – from going hungry,

More than 42 million people in the United States face hunger, including nearly 13 million children and more than 5 million seniors, according to Feeding America, a nationwide nonprofit organization that feeds more than 46 million Americans through pantries, soup kitchens, shelters, and other community outlets.

Mississippi, Arkansas, Louisiana, Alabama and Kentucky are the states with the highest rates of food insecurity in households − meaning people do not have reliable access to enough affordable and nutritious food − according to Feeding America.

[photo] Part of a program in India's southern Kerala state, pictured in 2013, teaches women farming and other work skills. Experts say, given the opportunity, women could slash the number of hungry people in the world by up to 150 million people.

Women are a key ingredient to eliminating hunger

As mothers, farmers, teachers and entrepreneurs, women can play a crucial role in defeating hunger, experts say.

According to the U.N. World Food Program, women and girls comprise more than 50% of the world’s agricultural workers and “serve as the backbone of food production systems in many low-income countries.”

Evidence has shown that when women are empowered with financing, access to land and resources for farming, their yields increase, they earn more money and they are able to improve the level of their family’s nutrition, according the U.N. Food and Agriculture Organization.

Given the opportunity, women could slash the number of hungry people in the world by up to 150 million people, U.N. experts say.

Los Angeles Times, Published: May 28, 2017. 3:00 AM
On World Hunger Day, a look at why so many people don't get enough food
By Ann M. Simmons, contact reporter
http://www.latimes.com/world/la-fg-global-world-hunger-day-20170528-story.html

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2017年10月19日

Who is New Zealand's new prime minister?

Full name: Jacinda Kate Laurell Ardern.

Position: Prime minister of New Zealand.

Age: 37.

Party: Labour

Family life: Lives with her partner TV presenter Clarke Gayford. Has a cat.

Religion: Agnostic.

Political credentials: Ardern joined the Labour party at 17. She worked in Tony Blair’s cabinet office and was a staffer for former New Zealand prime minister Helen Clarke. Elected to parliament in 2008.

Campaigned on:
Making tertiary education free,
Decriminalising abortion,
Cutting immigration and
Lifting children out of poverty.

What voters liked about her: Youthful, confident and credited with having the X-factor that was desperately needed to turn the Labour party into a real contender for power after nine years of a National government.

What they didn’t: Inexperienced and untested.

Potential problems: Australia’s foreign minister, Julie Bishop, has said it would be “very difficult to build trust” with a Labour government in New Zealand, accusing the party of collaborating in a plot to destabilise the Australian government after it emerged that the Australian deputy prime minister held dual Australian/New Zealand citizenship.

Made international headlines when ... Ardern called out sexist questions – about any plans to have a baby – that emerged just hours after she became Labour leader. She said such treatment of women was “unacceptable”.

In her spare time: Likes to DJ.

Interestingly ... Was brought up as a Mormon but left the church over its anti-homosexual stance. Doesn’t drink coffee.

The Guardian, Published: Thursday 19 October 2017 07.16 BST
Who is New Zealand's new prime minister? A profile of Jacinda Ardern

The former Mormon and Helen Clark staffer is the youngest woman in history to lead New Zealand
By Guardian staff
https://www.theguardian.com/world/2017/oct/19/who-is-new-zealands-new-prime-minister-a-profile-of-jacinda-ardern

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世界食料デー

 へんなお天気が続いていますね。
 秋の長雨に加えて、この冷え冷えとした外気温!
 東京で「もし10月19日中に最高気温が13度に届かなければ、10月中旬としては1957年10月20日以来、60年ぶりの寒さとなります。明日の20日(金)もこの寒さは続くのでしょうか」って気象予報士の小野聡子さん。
http://www.tenki.jp/forecaster/diary/s_ono/2017/10/19/84851.html

 そんなんなか、下々の者のさらに最下層、貧民、窮民、難民のヤッホー君、買い物にも出られず、炊飯器に残っていた米粒を大事に手につかんで食べております。
 「世界食料デー」というのがありましたね。
 マレーシアでは、ラマダンを経験しました。
 そうですよ、一食や二食抜くのは体の健康にも良い、と真逆の発想で、飢えている日本も含めた世界の子どもたちに想いを寄せていたのです。

 印西市の大学では18日、世界の食糧問題を考えてもらおうと、一風変わったランチが振る舞われました。
 東京基督教大学(印西市)の食堂には約150人の学生や教職員が昼食を食べに訪れました。
 が、この日のメニューはごはんとみそ汁だけの“節食ランチ”。
 この節食ランチは、10月の「世界食糧デー月間」に少量の食事を通して世界の食糧問題を考えてもらおうと20年以上行われている取り組みだそうです。
 学生たちはお昼のひと時を楽しみながらも、世界に広がる食糧問題に思いを寄せていました。
 学生「良い経験になった」
 「食は身近なこと。そういうことから世界を変えられるということや、世界の食糧難、飢餓のことをもっと知ってほしい
 なお、生徒たちが支払った昼食代と節食ランチの実費との差額は、世界の食糧問題の解決に取り組む国際飢餓対策機構に寄付されるということです。


チバテレ(千葉テレビ放送)、2017.10.18
食を通して世界の問題を“胃”識
http://www.chiba-tv.com/info/detail/13600

 「わたしから始める 世界が変わる 考えてみよう、共に生きること」をテーマに第26回世界食料デー八重山大会(第31回世界食料デー沖縄大会実行委員会主催)が17日夜、石垣市健康福祉センターで開かれ、世界の飢餓や貧困に対して理解を深めた。
 同大会は、国際連合が1981年に10月16日を「世界食料デー」と制定したことにちなみ、世界に広がる飢餓や栄養不足、貧困の克服を呼び掛けて毎年開かれている。
 国連によると現在、世界では約8億1500万人が飢餓状態にあり、武力紛争の拡大などで増加している。
 大会には、歌手で日本国際飢餓対策機構親善大使のManamiさん(*)が登場。
 海外の貧困地域を訪ねた際の経験を交えながら「もっと世界に向かって自分の立ち位置を知らなければ」と話し、今大会のPRに使用されている「Living with you」など、数曲を歌い上げた。
 ステージ後は同機構啓発事業部総主事の田村治郎氏が世界の飢餓や貧困の実情について講演した。


八重山毎日新聞、2017年10月18日
世界食料デー八重山大会
http://www.y-mainichi.co.jp/news/32418/

(*)「愛の輪」Manami
https://www.youtube.com/watch?v=tQTuJ1HbBXQ

世界食料デーキャンペーンとは
 世界の食料問題について考える日として制定された日、それが10月16日「世界食料デー」です。
 世界の飢餓や貧困、栄養問題についての関心と理解を深め、解決していくことを目的としています。
 国連WFPは、世界食料デーに合わせ、10月からの3ヵ月間「世界食料デーキャンペーン」を開催し、『1万人の子どもたちに1年間学校給食を届けること』を目指しています。

なぜ、学校給食が必要なのでしょう?
 世界では、学校に通うことのできない子どもたちが6,100万人(**)もいるということを知っていますか?
 紛争や児童労働、そして貧困が障壁となり、子どもたちが教育を受ける機会が奪われてしまっているのです。
 そのような状況下では、国連WFPの学校給食プログラムが重要な役割を果たします。
 学校で給食が提供されると、親は子どもを働かせるよりも学校に通わせるようになります。
 家庭で十分な栄養が摂れない子どもたちにとって、栄養たっぷりの給食は重要な栄養源となり、健全な発育を助けます。
 子どもたちは空腹が満たされ、学習に集中できるようになり、出席率も向上します。
 教育を受けた子どもたちは将来への夢や希望をもつようになり、教育の普及は社会や国の発展につながります。
 一杯の給食は、子どもたちの未来へとつながっているのです。


**出典:UNESCO
http://www.jawfp.org/worldfoodday2017/

 明日の朝には雨もあがり、澄んだ秋の空が広がっていますように。

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2017年10月18日

国策企業・神戸製鋼と安倍首相

 次から次へと偽装や捏造の事実が発覚している神戸製鋼所のデータ改竄問題。

 グループ会社も含め、主力の鉄鋼製品やアルミなどで強度や寸法などを偽って出荷、数十年前から偽装を続けていたケースもあり、組織ぐるみの隠蔽が行われていたという。今朝の毎日新聞朝刊でも、元社員が少なくとも40年前から「トクサイ(特別採用)」なる言葉が常態化し、基準から外れたアルミ板を「顧客の了解を得ないまま出荷していた」と証言している。

 しかも、今回の偽装で問題なのは、データ等を改竄した部品が、自動車や航空機、鉄道、宇宙開発事業、さらには防衛(軍事)産業などに使われているからだ。問題の製品を出荷したのは国内外で500社以上に及ぶとみられているが、いずれも、人々の安全に直結する重大な不祥事だ。

 なかでも気になるのが原子力関係だ。現時点で東京電力福島第二原発に納入されたアルミ・銅合金製の配管をめぐって寸法の記録が改竄されていたことがわかっている。同社の川崎博也会長兼社長は連日のように会見を行なっているが、この様子だとまだまだ隠された不正や問題が浮上してくるだろう。

 ところで神戸製鋼といえば、安倍晋三首相の出身企業として有名だ。神戸製鉄は山口県下関に長府製造所を持っており、安倍家の選挙区で有数の大企業である。安倍はいまから40年前の1977年に成蹊大学法学部政治学科を卒業後、アメリカに“語学留学”(なお、その時に加計学園の加計孝太郎理事長と知り合ったといわれる、注)し、79年春に帰国してすぐ神戸製鉄所に入社した。

 安倍の神戸製鋼入りは、まさしく“コネと政略”だったらしい。祖父・寛、父・晋太郎、そして晋三の系譜を丹念な取材で探ったノンフィクション『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)のなかで、神戸製鋼で晋三の直属の上司となり、のちに元副社長に就いた人物が、「(安倍は)みんなに好かれていましたよ」としながらも、こう当時を振り返っている。

「ただ、率直に言って“政略入社”ですからね。当時の製鉄会社は、神戸製鋼に限らず、政治関係の“政略入社”が多かったんですよ」

 この“政略入社”の背景には、晋太郎が中選挙区でのライバル・林義郎(元大蔵相)に対抗して選挙基盤を広げようとの思惑があったとされるが、入社した晋三は、まずニューヨークに赴任したと思ったら、兵庫県の加古川製鉄所、東京本社の鋼板輸出課と短期間で異動。わずか3年ほどで退職し、晋太郎の秘書官として政治の道へ進むことになった。

安倍首相が自ら告白した神戸製鋼社員時代の「寸法違い発注事件」

 その神戸製鋼社員時代の安倍をめぐり、いま、ちょっと話題になっているエピソードがある。2016年3月30日放送の自民党のインターネット番組「カフェスタ」で、安倍首相が新社会人に向けて送ったメッセージだ。安倍首相は神戸製鋼加古川製鉄所で工程管理を担当した際の話を振り返りながら、山本一太参院議員とこんな興味深いやりとりをしている。

安倍「新入社員っていうのは失敗するんですよね。私もね、最初、長さを間違って入力してね。それ(間違った製品が)、できちゃったもんですからね! 大変なことになってしまったんですが(笑)。まあ、ギリギリ誤差の範囲内でね」

山本「国会だったら完全に追及されているとこですね〜」

安倍「(笑)。ギリギリ範囲内で。ラインパイプだったんですが、今も覚えてますけど。これもう『クビになるかな』と思いましたねえ。結構大量に製品ができあがってですね、みんな集まって『どうしようか』って。まあ、しかし、事なきをえて、あの……。だから、あー、えー、多少の失敗にもめげずにがんばってもらいたいと思います」

 ようするに、神戸製鋼・ヤング安倍晋三は、本来の長さと異なるパイプを大量に作ってしまうという大失態を犯したらしい。

 しかも、気になるのは、「クビ」を覚悟したほどのとりかえしのつかないミスであったにもかかわらず、なぜかその後「事なきを得た」ことだ。

 これが約40年前のこと。前述の通り、神戸製鋼の不正は元社員の証言で少なくとも40年以上前から行われていたことが明らかになっているが、安倍首相のつくりだした寸法違いのパイプももしかしたら「誤差の範囲内」あるいは「トクサイ」などという理屈で、そのまま偽装されて出荷されたのではないのか。

 まあ、いまとなってはたしかめようもないが、しかし、社員時代の失態とは別次元で、神戸製鋼グループの今回の不祥事は安倍首相とけっして無関係ではない。

 神戸製鋼は以前から同様のデータ改竄をはじめ、様々な不祥事を連発し、長年の組織的隠蔽体質が問題視されてきた。1999年には総会屋への利益供与で元役員が有罪判決を受け、2006年には測定データを改竄して環境基準を超える煤煙を排出、09年には山口県の地方議員に違法な寄付をし、昨年にも試験値の改竄が発覚したばかり。しかし、神戸製鋼はこうした不祥事が表沙汰になっても、企業としての責任を深く追及されることもなければ、マスコミに徹底的に叩かれることもなかった。

 その理由は、神戸製鋼が“国策企業”だからにほかならない。
 安倍首相がコネ入社したことからもわかるように、神戸製鋼は政治権力とがっつり癒着し、さまざまな公共事業に食い込み、その力で批判報道や不祥事の発覚をおさえ込んできた。その結果、不正体質は温存され、日本だけでなく世界全体の安全に影響を与えかねないところまで不祥事は拡大してしまったのだ。当然、神戸製鋼を庇護してきた政治にも責任は大いにある。

神戸製鋼は安倍政権の軍拡、武器輸出・原発推進政策で甘い汁

 そして、歴代の政権のなかでも、神戸製鋼ともっとも癒着し、利益誘導を行ってきたのが“元社員”の安倍晋三首相率いる安倍政権だった。

 たとえば、安倍政権が進めてきた軍拡・武器輸出政策。武器輸出というと、戦闘機や戦車、重火器、ミサイル防衛システム等の分野が注目され、三菱重工や川崎重工、IHI、富士通などのイメージが強いが、神戸製鋼はこうした企業に製品を出荷しており、すでにマスコミ報道で一部の改竄製品が使用されていたとも報じられている。
 また、防衛省も自衛隊の航空機や誘導兵器、魚雷など一部での神戸製鋼のアルミ製品の使用を確認したと発表しているが、「週刊東洋経済」(東洋経済新報社)2012年1月21月号によれば、神戸製鋼は自衛隊で配備・使用される「需品、科学関連、衛生機材など」も受注している。

 周知の通り、第二次安倍政権では防衛予算が過去最大を記録し続けているほか、「武器輸出三原則」を撤廃し、新たに防衛装備庁を発足するなど、武器の輸出入ビジネスを国策化してきた。
 そして、神戸製鋼もまた、軍需産業の一翼として、こうした政策を後押ししてきたのだ。

 実際、安倍政権の武器輸出3原則の見直しは、防衛省よりも、経産省と経団連の要請が大きかったといわれているが、実はその経産省の安全保障貿易に関する制度改革ワーキンググループに、当時の神戸製鋼の専務取締役が参加していたこともある。
 また防衛省の記録を調べてみると、複数の自衛隊陸将の神戸製鋼への再就職を認める議決文書が存在している他、近年の退官自衛官の再就職先を記す書類にも、やはり一等海佐や一等陸佐が神戸製鋼へ「顧問」として迎えられた事実が記されていた。

 神戸製鋼は安倍政権の進める原子力ビジネスの利権にもがっつり食い込んでいる。
 たとえば2013年、神戸製鋼は福島第一原発をめぐって、使用済み核燃料の貯蔵容器(キャスク)や汚染された備品等の焼却施設の建設を東電から受注している。公表されていないが、受注額はあわせて100億円以上とも報じられた。
 とりわけ神戸製鋼グループは、キャスクなどの中間貯蔵施設では世界トップの出荷実績があるとPRしており、原子炉、核再処理、放射性廃棄物処分の分野等と合わせて、公開しているパンフレットでは「原子力産業に貢献する神戸製鋼グループの『オンリーワン』」などと謳いながら、国内外で原子力関連の事業を展開しているのだ。

神戸製鋼幹部と頻繁に会っている安倍首相、「政治とカネ」疑惑も

 いずれにしても、神戸製鋼は安倍政権による武器輸出・原発推進政策で甘い汁を吸ってきたことは間違いない。そして、一方で、安倍首相と神戸製鋼は一国の首相と企業の関係をはるかに超えた付き合いを築いてきた。
 それは首相動静を調べてみても、明らかだ。安倍首相と神戸製鋼幹部との面会の数は歴代総理と比べて突出している。
 たとえば、安倍首相は第一次政権の07年3月10日に神戸製鋼所加古川製鉄所を視察、当時の犬伏泰夫社長らが同行したが、視察は首相たっての希望であり、現場では「工程課厚板係の安倍晋三です」と社員時代の肩書きで挨拶したという(日本鉄鋼連盟ホームページより)。
 第二次政権では13年8月23日に佐藤広士会長(現相談役)および川崎社長と、14年7月1日にやはり川崎社長らと会食している。
 今年2017年6月23日にも、神戸市の神戸製鉄所・石炭火力発電所を視察後、川崎社長と食事を行なっていた。

 誰がどうみても、“特別扱い”は明らかだろう。しかも、こうした関係は表のものだけではない。

 たとえば、2000年以降、神戸製鋼は下関市のゴミ処理施設関の焼却炉施設とリサイクル施設を次々に高額(それぞれ約110億円と約60億円)で受注。焼却炉の維持管理事業も神戸製鋼と関連会社が担っており、当時の江島潔・下関市長(現自民党参院議員)と安倍首相がつながる官製談合疑惑が浮上した。

 また2003年には、福岡県の苅田港沖で見つかった遺棄毒ガス弾の処理事業を神戸製鋼が約80億円で落札し、その後、数百億単位の税金が投入されたが、そこでも2007年の防衛省汚職事件(いわゆる山田洋行事件)で収監されたフィクサーのA氏の関与と、A氏が仕切る社団法人の理事を務めていた安倍、そして神戸製鋼のラインが疑われた。
 さらに2007年には、安倍首相の事務所の大家が神戸製鋼の関連不動産会社であり、敷金を免除していたとの疑惑が持ち上がったこともある(安倍事務所は一部報道後に政治資金収支報告書を訂正)。

 こうした数々の疑惑はおそらく氷山の一角にすぎない。
 「自民党が圧勝」「安倍政権は盤石」との情勢が伝えられる解散総選挙だが、もしかすると、選挙後、神戸製鋼問題は安倍政権にとって大きな火種になるかもしれない。


リテラ、2017.10.18
安倍首相もコネ入社時代に不正に関与? 国策企業・神戸製鋼と安倍首相のただならぬ関係
http://lite-ra.com/2017/10/post-3519.html

(注)ヤッホー君がお慕い申し上げている小児科の先生は、ブログのなかでこんなふうにおっしゃっています:

 『加計学園獣医学部の新設は、今月23日に認可されるらしい。そうだ、総選挙の翌日だ。
 安倍首相は、森友・加計疑惑について議論するはずだった臨時国会を冒頭解散し、選挙運動中に同疑惑について説明すると述べていたが、殆ど説明せず、そして総選挙直後に加計学園獣医学部の新設認可する。
 安倍首相が丁寧に説明すると言っていたのは、一体何だったのだろうか。
 これは、小さなスキャンダルではない。
 国の形を左右する問題なのだ。
 この選挙で、こうした人治主義、憲法否定に対して否を言わなければ、あとは、安倍首相のやりたい放題となる。
 自公政権に否を言うのは、今しかない


 ”田中龍作ジャーナル”を参照ください。
☆ 2017年10月16日17:07「【速報】加計学園獣医学部、23日にも認可 同日に孝太郎理事長が記者会見
☆ 2017年10月17日19:53「霞が関<かけかくし>加計文書の開示は選挙翌日の23日
http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016807

 主権者がこれほどまでに無視されているとはね。いやぁ、ニッポンの未来に希望はあるのでしょうか。
 「自公政権に否を言うのは、今しかない」のです、投票所に行きましょうね、皆の衆、だって主権者!

―― 今でも安倍首相は「岩盤規制にドリルで穴を開ける」と、加計獣医学部新設を進めようとしています。

岡本名誉教授 加計問題で不思議なのは、日本の獣医学部が国際的レベルに達していないことと、文科省が共同獣医学部の構想をここ最近進めていることが報道されていないことです。まず知っておくべきは「日本には国際的な獣医学部が一つもない」ということ。欧米に比べてレベルが低く、国際機関の基準を満たしていないことが問題になっていたのです。一昔前までは大学独自で再編整備を進めてきましたが、国会議員から「地元から(獣医学部が)出て行ったらダメ」と文句が出たりして進まなかった。そうなると、今度は文科省の責任になるから、6年くらい前から「共同獣医学部」という構想を提案したのです。北海道大学と帯広畜産大学、鹿児島大学と山口大学というように二つの大学の獣医学科を一大学の体裁にしてレベルアップをはかるものです。ようやく文科省は予算と人をつけ始め、いま進行している最中なのです。
 そういうところに昔ながらの獣医学部を作るというのが、加計学園新獣医学部新設です。規模は大きいが、昔と同じように学生数に対して教員が少ない。獣医学科160名で獣医保健看護科60名で合計220名の学生に対して、70名の教員だから、3対1。これまでは学生と教員がほぼ1対1だから、国内でも最低レベル。レベルが下がるのは当り前。実習さえまともにできず、国家試験に合格しない学生が続出するのではないか。とても国際的なレベルの獣医学部とは言いがたい。文科省の設置認可を通るかが問題だが、その審査メンバーも獣医学の素人ばかりだから、きちんとチェックができるのかを心配している。

―― 文科省が獣医学部のレベルアップのために大学再編による「共同獣医学部」を進めようとしている時に、「国家戦略特区で獣医学部新設をする」という横槍が入ったと。

岡本名誉教授 安倍首相主導で官邸が進めたわけです。だから文科省が怒った。前川喜平・前事務次官が怒りの告発をしたのです。総理大臣は「国際的なレベルの獣医学部を作りましょう」と言うのが重要なのに、逆行することを進めたのです。

―― 安倍首相は「行政の獣医師不足」を獣医学部新設の理由にしていますが、先生の論文で「獣医学部新設ではなく、行政の獣医師の待遇改善が最も有効だ」と指摘しています。

岡本名誉教授 鹿児島大学では獣医学部に入る地元出身者が数人程度なので、鹿児島県の獣医師の募集定員を満たせなかった。そこで数年前に給与をアップしたところ、充足できました。獣医学部をつくる資金があるなら獣医師の待遇改善に回せばいい。すぐに解決できます。獣医師の需給データを持っている農水省は『獣医師は足りている』という見解を出した。それに文句を言っているのが、何も事情がわからない素人の内閣府の役人たちです。内閣府が集めた諮問委員会のメンバーもみんな素人で、獣医学に詳しい専門家は入っていない。『国がやるべき課題は獣医学部のレベルアップ』という基本すら知らない。

―― 安倍首相や加戸守行・前愛媛県知事は「口蹄疫や鳥インフルエンザ対策で四国に獣医学部が必要だ」と言っています。

岡本名誉教授 ピントはずれの主張です。獣医学部があれば、口蹄疫や鳥インフルエンザ対策になるというのは素人の戯言です。獣医学部が水際対策の先頭に立つわけではない。宮崎大学に獣医学科があっても、口蹄疫や鳥インフルエンザの感染拡大を防げたわけではない。家畜伝染病の拡大阻止は、国や地方自治体が主体です。行政獣医師の待遇改善をするなどで十分な人員を確保、感染拡大を防ぐ体制作りをいかに進めるのかが重要です。その地域に獣医学部があるのかないのかはほとんど関係がないのです。
 だから地域振興のために大学教育を利用してはダメなのです。「国として獣医学部のレベルアップをどうするのか」という話をしないといけない時に、地域振興の話を先行させている。「日本は国際レベルの獣医学部を作ることはしませんよ」と言っているのと同じです。獣医学のことが何も分からない素人連中がゴッコ遊びをやっているようなもので、日本のために何らプラスにならないのです。

 今でも“岩盤規制改革派”と思い込んでいるようにみえる安倍首相だが、獣医学の専門家である岡本名誉教授の話に耳を傾け、自らが裸の王様であったことに気がつくのだろうか。それとも、正確な情報を伝えない忖度役人や素人専門家集団に頼り切り、国益を損ねる“国賊”紛いの指導者に無自覚なままなのであろうか。


リテラ、2017.08.05
獣医学の重鎮が加計問題で安倍首相を一刀両断!
過剰な獣医師養成は税金の無駄遣い、地域振興のために獣医学レベル低下…

(横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」19)
http://lite-ra.com/2017/08/post-3364.html

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‘Made-in-Japan’ Scandal

 ヤッホー君、週一で日本語を教えていたんですよ、マレーシアの国立大学を出て多国籍企業の化学会社に就職が決まった22歳の大学4年生に。
 ヤッホー君、現地でマレーシア人に聞かれたのは<アベ、戦争したいの?>って言うのと、「日本の評判良くないね、大丈夫?」って。
 何度も聞かれましたぁ
 がんばれ、ニッポン!
 でもこんなニュースが・・・
 まずはアメリカのニューヨークタイムズ紙です:
 
TOKYO −
Big manufacturers of cars, aircraft and bullet trains have long relied on Kobe Steel to provide raw materials for their products, making the steel maker a crucial, if largely invisible, pillar of the Japanese economy.

Now, Kobe Steel has acknowledged falsifying data about the quality of aluminum and copper it sold, setting off a scandal that is reverberating through the global supply chain and casting a new shadow over the country’s reputation for precision manufacturing.

The fallout has the potential to spread to hundreds of companies. Big multinationals, including automakers like Toyota Motor, General Motors and Ford, as well as aircraft manufacturers like Boeing and Mitsubishi Heavy Industries, are investigating.

The companies are trying to determine if substandard materials were used in their products and, if so, whether they present safety hazards. It is a daunting task, since multinationals source from various suppliers and producers.

The scandal hits a tender spot for Japan. The country relies on its reputation for quality manufacturing as a selling point over China and other countries that offer cheaper alternatives. But its reputation has been marred by a series of problems at some of Japan’s biggest manufacturers.

Last week, Nissan Motor said unqualified staff members had carried out inspections at its factories, prompting the carmaker to recall 1.2 million vehicles, though it was not clear if the quality of the vehicles had been affected. Mitsubishi Motors and Suzuki Motor both admitted last year that they had been exaggerating the fuel economy of their vehicles by cheating on tests.

Perhaps the biggest blow to Japan’s reputation for quality has come from Takata, the airbag maker that was at the center of the largest auto safety recall in history, involving tens of millions of vehicles. Its faulty airbags have been blamed for more than a dozen deaths. Takata declared bankruptcy in June.

Toshiaki Oguchi, director of Governance for Owners Japan, a corporate watchdog, said that Japanese companies were generally diligent about quality, but that when cheating occurred − because of competitive pressure or other factors − it could too easily go unchecked.

Japanese companies, he said, tend to discourage thorough examination or criticism, either from employees or from independent outsiders.

“When something goes wrong, companies always hire a committee of outsiders to examine what happened,” Mr. Oguchi said. “But why not be proactive? Why not have people reviewing procedures all the time?”

The extent of the problems at Kobe Steel are still unfolding.

Kobe Steel said on Sunday that employees at four of its factories had altered inspection certificates on aluminum and copper products from September 2016 to August this year. The changes, it said, made it look as if the products met manufacturing specifications required by customers − including for vital qualities like tensile strength, a measure of material’s ability to withstand a load without breaking when being stretched − when they did not.

On Wednesday, the company said it was investigating possible data falsification involving another product, powdered steel, which is used mostly to make gears. The company said the powdered steel it was examining had been sold to one customer it did not name.

Kobe Steel added that it was examining other possible episodes of data falsification going back 10 years. The company did not provide significant details on the discrepancies, making it difficult to immediately determine if they posed a safety threat. No deaths or safety incidents have been attributed to Kobe Steel.

The company’s share price dropped sharply on Tuesday, the first day of trading after a holiday, and as of Wednesday morning in Tokyo had lost about one-third of its value since last week.

“The falsification problem has become an issue that could destroy international faith in Japanese manufacturing,” the Japanese financial newspaper Nikkei said in an article on Tuesday.

Even as Japan has given up its lead in technologies like televisions, cellphones and computers, it still excels in highly valued products used behind the scenes, including precision machinery, specialty chemicals, sensors and cameras.

Quality helps Japan preserve its markets overseas despite intense competition. Although China is the world’s largest steel maker, Japan still exports large amounts of iron and steel there.

One of the products at the center of the scandal, rolled aluminum, is widely used in the transportation industry because it is light. The lighter a car, train or airplane, the less fuel required to propel it.

Global manufacturers are now trying to assess their exposure, as they dig through an extensive supply chain.

A big car company like G.M. buys millions of tons of steel a year from a dozen or two dozen producers, in a variety of grades and forms. Steel can be sourced from different mills and shipped to any number of plants worldwide. G.M., for example, has 12 vehicle assembly plants and six stamping plants in the United States alone, all of which take deliveries of steel from many different producers.

All of Japan’s major carmakers − Honda, Mazda, Mitsubishi, Nissan, Subaru, Suzuki and Toyota − are looking into their use of Kobe Steel materials. Toyota called the data falsification a “grave issue” and said it was looking into the problem and considering how best to respond, a statement echoed by other carmakers. Ford and General Motors are trying to determine whether they have used the company’s products.

Kawasaki Heavy Industries, which makes equipment for Shinkansen high-speed trains in Japan, said it was investigating. JR Tokai, a railway company that operates the busiest Shinkansen route in Japan, between Tokyo and Osaka, said that the data discrepancies “do not present a problem in terms of design standards,” but that it was nonetheless considering whether to replace certain train components.

Mitsubishi Heavy Industries uses aluminum from Kobe Steel in a midsize aircraft it is developing, the Mitsubishi Regional Jet, as well as aircraft components it supplies to Boeing. Mitsubishi Heavy said it was investigating. Boeing said in a statement, “Nothing in our review to date leads us to conclude that this issue presents a safety concern, and we will continue to work diligently with our suppliers to complete our investigation.”

Kobe Steel’s problem points to “a common organization issue,” said Shin Ushijima, a lawyer who serves as president of the Japan Corporate Governance Network. He drew parallels between Kobe Steel and Takata and Mitsubishi, as well as with financial-reporting improprieties at Toshiba, which admitted to overstating profit in 2015.

“Boards aren’t doing their jobs,” he said. “This isn’t an issue that can be solved by the president resigning. There needs to be wholesale change.”

He added, “The Kobe Steel case is a test of whether we’ve learned anything from Toshiba and these other issues.”

Kobe Steel said it had confirmed data falsification affecting roughly 19,300 tons of flat-rolled and extruded aluminum products, 19,400 units of aluminum casting and forgings, and 2,200 tons of copper products. The amount was about 4 percent of the company’s output of those products from September 2016 to August.

The company said that it had received no reports from customers of problems with the affected products, and that the falsification had been discovered during an internal review. The improperly certified metals had been shipped to about 200 companies, but Kobe Steel declined to reveal their names.

It said “tens” of employees and managers had been directly involved in the falsification, although no penalties against the employees were immediately announced. The company is still investigating.

Correction: October 12, 2017
An article on Wednesday about an admission by the Japanese company Kobe Steel that it had falsified data about the quality of metals it sold described incorrectly one way that quality is measured. A metal’s “tensile strength” is its ability to withstand a load without breaking when being stretched; it is not a measure of the metal’s stiffness.


The New York Times, Published: OCT. 10, 2017
Kobe Steel’s Falsified Data Is Another Blow to Japan’s Reputation
By JONATHAN SOBLE and NEAL E. BOUDETTE
https://www.nytimes.com/2017/10/10/business/kobe-steel-japan.html

 また、評判落としてしまったようで、これじゃあね。
 やっぱり、現地紙のスター紙もとりあげていますね:

UNDER the once-vaunted keiretsu system of close, trust-based ties between manufacturers and suppliers, “Made-in-Japan” became a byword for industrial quality and reliability.
That reputation has eroded over recent years.

Kobe Steel is just the latest in a string of corporate scandals involving data tampering and other methods of cheating to tarnish the Japan Inc quality stamp.

It may be a sign that the Government’s push to improve corporate governance is seeing greater disclosure of wrongdoing.

But the root cause is more likely that Japanese manufacturers are failing modern compliance standards as they grapple with a shrinking domestic market and increased global competition.

As the focus has shifted to market mechanisms instead of cosy relationship-based arrangements, Japanese manufacturers have had to compete on price and expand their client base.

“Growing global competition has forced Japanese manufacturers to cut costs to be more efficient, while fulfilling a production quota which is often difficult to achieve,” said Motokazu Endo, a lawyer at Tokyo Kasumigaseki law office.

The keiretsu system was the bedrock of Japan’s automotive industry. As the market has become more competition based, those automakers now invest less money in their suppliers and spend less time checking what those suppliers’ factories are producing, says Hitoshi Kaise, an auto industry consultant and partner at Roland Berger.

Beyond that, Japan’s economy has suffered decades of anaemic growth, bogged down in deflation with its population shrinking and with growing competition from its Asian neighbours.

Those pressures have potentially whittled away at Japanese firms’ ability to compete, says Hideaki Miyajima, a Waseda University professor and corporate governance expert.

The list of manufacturer miscreants is long, and growing.

Nissan Motor Co has had to recall every new car it sold in Japan in the last three years after it falsified safety checks.

Both Suzuki Motor Corp and Mitsubishi Motors Corp have faced scandals over fuel economy tests on their vehicles, and there was wrongdoing by the now bankrupt air bag maker Takata, Toyo Tire & Rubber Co and Asahi Kasei Corp.

“While focusing on targets was right in the beginning it has gone too far, with companies that can’t hit their targets resorting to deception,” says Hiroshi Osada, a production quality expert and Bunkyo University professor.

Over the last 15 years compliance rules have become stricter but many Japanese companies have carried on with practices common in the past, says Nobuo Gohara, a lawyer specialising in compliance, who took part in an audit of Olympus Corp after its accounting scandal in 2011.“There are many of these problems lying dormant on the factory floor,” he said.

Japan runs the risk it will ”lose out as other Asian economies, including China, progressively raise their standards of quality and reliability,” said Prof Thomas Clarke, a corporate governance expert at the University of Technology in Sydney.

And it’s not just dodgy data.

Conglomerate Toshiba Corp is still battling an accounting scandal, and there is a litany of wrongdoing at Tokyo Electric Power Co, the operator of the stricken Fukushima Daiichi nuclear complex.

Just last week, Japan’s nuclear regulator said Japan Nuclear Fuel had violated safety rules at its Rokkasho site by fabricating records to say safety checks had been carried out. The plant’s start data has been delayed 23 times.

Even when moves are taken to strengthen external monitoring of companies, “it’s not possible to conduct checks day in, day out”, said Osada at Bunkyo University, who sat on an external panel that audited Toyota during its 2010 recall crisis.

Companies must do more to develop a culture in which workers are able to raise concerns and say “no” to their bosses, and in which teamwork is used to catch wrongdoing by other employees, Osada added.

More attention should be focused on Japan’s board members, who are not active enough in engaging with scandals when they occur, says Shin Ushijima, lawyer and president of the Japan Corporate Governance Network, noting a tendency for companies to be over-reliant on appointing outside panels that are not truly independent.

Corporate governance reforms are having some impact, says Ushijima. At Toshiba, he said, ”the board, while not perfect, was improved after it was reshuffled.”


The Star, Published: Sunday, 15 Oct 2017
Kobe Steel scandal latest to expose ‘Made-in-Japan’ fault-lines
(Source: Reuters)
http://www.thestar.com.my/news/nation/2017/10/15/kobe-steel-scandal-latest-to-expose-madeinjapan-faultlines/


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島袋陽子

 今朝、起きたら久しぶりの青空が空いっぱい。
 歩きたくって、ヤッホー君、うずうず、むずむず、ぐずぐず。
 昨日の続きだって:
 
 私は東京で暮らす島袋陽子さんから、人間として大切なことをどれだけたくさん学ばせてもらったかわからない。
 彼女の肉体は琉球沖縄にはない。
 しかし、これほど琉球沖縄を愛している人を私は他に知らない。

 陽子さんは琉球沖縄人の両親を持つ二世。
 仕事や子育てに追われつつも、長年「東京の沖縄闘争」の真ん中で、いつも粉骨砕身(ふんこつさいしん)を続けてきた。
 やさしく穏やかな人柄で、来る者を温かく包む。
 そして国家の非道に対しては、しなやかに行動をもって立ち向かう勇気ある人だ。

 陽子さんは命どぅ宝ネットワークの仲間たちと、1995年10月4日以来、毎月4日に首相官邸・米国大使館などを回り、在沖米軍基地の即時撤去などを要求する署名簿を手渡す行動を、現在も続けている。
 17年間毎月欠かさずに。これがどれほど大変な活動か、どうか想像してみてほしい。

 なぜ4日なのか。
 1995年9月4日。
 小学生の少女が米兵に暴行されたこの日を決して忘れないために。
 その後、この米軍犯罪を告発した少女の勇気と痛みを決して無駄にしないために。

 1990年代後半、陽子さんがある集会の席上、「在日琉球人の島袋です」と自己紹介をした時、私は彼女の決意の強さを感じた。
 愛する故郷を踏みにじり、なお米国の奴隷たらんとする日本という異国の首都で、あえて被差別少数者としての困難を背負って生き抜こうとする決意。
 それは、母国の政治を変えられずにもがく日本人の私の心には、実に重く、だが美しく映(は)えた。

 陽子さんは職場を早期退職し、今は駒込の琉球センター・どぅたっち(東京琉球館)の「店番」をしている。
 赤字経営のどぅたっちを盛り上げるために。
 今日も陽子さんは、来客を笑顔で迎えながら、いとおしくてならない琉球沖縄の平和と独立を、ひたむきに願い続けているだろう。


琉球新報、2012年10月9日09:35
コラム「南風」
島袋陽子さんの決意
柴崎成実(しばざきなるみ)、編集者
https://ryukyushimpo.jp/hae/prentry-197840.html

 やっぱりヤッホー君、朝キンに出かけるそうな。
 この続きは戻ってから。。。


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2017年10月17日

三上智恵

 映画『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年公開)で、寅さんは初めて沖縄を訪れた。心の友リリーが病に倒れ、空港からすぐに病院へ。バスは嘉手納基地前を通る。広大な敷地とフェンス、戦闘機の爆音。寅さんは座席でただ眠る。

 山田洋次監督は演出で悩んだらしい。
 「寅に『広いね〜』と言わせても…。ここは何も語らず、その現実を映像で見せようと思った」と、あるインタビューで話している。
 あれから37年。あのバスには本土のわれわれも無言のまま乗っていたのかもしれないとふと思う。

 またも米軍機の事故が起きた。
 沖縄県東村(ひがしそん)の牧草地で、普天間飛行場所属の大型輸送ヘリが炎上、大破した。現場は民家から約300メートル地点だった。同じ沖縄本島北部では昨年12月、オスプレイが不時着したばかりである。

 沖縄県の統計によると、米軍機の墜落事故は本土返還の72年から昨年末まで47件。
 年に1件以上のペースである。
 米軍三沢基地を抱え、F16の訓練飛行が行われる青森県内でさえ平成以降2件。
 沖縄県民は信じがたい環境の中にいる。

 寅さんは映画でずっと眠っていたわけではない。
 人と語り、笑い、三線(さんしん)を聞きながらしみじみ言う。
 「ホントいい所だね〜」
 危険と隣り合わせの生活に目をつむっていてはならない。


河北新報、2017.10.13付<河北春秋>
http://www.kahoku.co.jp/column/kahokusyunju/20171013_01.html

寅次郎ハイビスカスの花:
https://www.youtube.com/watch?v=U44o_YQmK-I

 イマのオキナワを舞台にした映像づくり、と言えば、三上智恵(1964年生まれ)。
 ヤッホー君のこのブログにもこれまで何度も登場したと思います:
 ☆ 2013年10月01日「74%」
 ☆ 2013年10月09日「標的の村」
 ☆ 2014年10月23日「何とか実情を多くの人に伝えたい」
 ☆ 2017年03月14日「辺野古埋め立て」。。。等々

 2017年9月12日の昼前、携帯が鳴った。近所に住む反戦彫刻家・金城実さんだった。いつも少し酒が入る夜にしか連絡して来ないのに、ちょっと胸騒ぎがして電話をとる。

 「チビチリガマが荒らされた。すぐ記録して欲しい」

 鏡も見ないでビデオカメラをひったくって車に飛び乗った。沖縄戦最大の悲劇「集団自決」があったその洞窟は、家から数分のところにある。72年前、沖縄戦で米軍が続々と上陸してきたのが、この読谷村と北谷町。139人が逃げ込んでいた「チビチリ」と呼ばれる自然壕では、敵兵の姿を間近に見てパニックが起きた。
 日本軍の「軍民共生共死」、「生きて虜囚の辱めを受けず」という徹底した教育と、米兵は男を八つ裂きにし、女を強姦するという脅しが浸透していたために、住民は、家族同士お互いに手をかける集団死に追い込まれた。ここ一ケ所だけで、82人の命が切り裂かれてしまった。あまりのことで、遺族も戦後長い間、語るに語れなかった壮絶な出来事だ。
 そんな場所を「荒らす」とはどういうことなのか。何のつもりなのか。私でさえ、胸の奥にある大事で壊れやすいものを土足で粉々に砕かれたような痛みを覚えた。遺族は、波平の人たちはどんな気持ちでいるだろうと思うとハンドルが重かった。

 「中まで荒らされたよ。骨のあるところ、あの奥まで」

 第一発見者である地元・読谷村波平の知花昌一さんが、チビチリの入り口に呆然と立っていた。波平の若者としてこの惨劇にがっぷり四つに向き合い、丁寧に証言を集めて、平和学習の場にするまで大変な道のりを歩んできたのが知花さんだった。間もなく遺族会会長の与那覇徳雄さんが駆け付けた。様相が一変した現場を見て、絶句していた。
 まず目に飛び込んできたのは、引き抜かれて「平和の像」に叩きつけられた歌碑。金城実さんの作詞で小室等さんが歌った「チビチリガマの歌」の歌詞が書かれていた。そして侵入を防ぐように壕の入り口に置かれていた「墓地だから入らないで下さい」という趣旨の遺族会が書いた看板は、一部の千羽鶴と共に川向こうまですごいエネルギーでぶん投げられたのか、変形していた。
 犯人は腰をかがめ、死者たちの聖域にまで入っていた。そして洞窟内の遺品・遺骨が置かれた場所、奥の一角に残されていた瓶や甕を割ったのだろう。犠牲者の歯などが散乱していた。与那覇さんは「なぜ何度も殺されなければならないのか」と唇を噛んだ。暗い中で入れ歯や歯などを踏まれたくないから元の位置に戻したかったが、現場検証までは現状を保存しなければならないから、そっと踏まないように後ずさりして出てきた。冷静に撮影したかったが、映像にはかなりの動揺が現れている。
 チビチリガマというのは、ただの戦跡とは違う。戦後、「集団死」に追い込まれた人々の絶叫を、勇気を振り絞って聞き取った知花さんや金城さんのような人々がいて、徐々に開かれていった場所である。決して過去になっていかない出来事に向き合い、歯を食いしばって自分たちの世代で引き受けることで、それでようやく嘆き狂う魂を鎮める方向が見えてきたのであった。かろうじて語れるようになり、祈れるようになり、ずいぶんたってから修学旅行生も迎えられる場所になった。平和を考える聖地になっていくことをみんなが願っていて、たくさんの折り鶴とともに浄化の道をたどる途上にあった空間である。
 それを、誰かが破った。血を吸った土から祈りの言葉は引き抜かれ、平和の像に叩きつけられた。かさぶたを取れば血が流れ出すように、封印は解かれ、本来は鎮まりようもないのに子や孫の祈りに免じて留めていた悲しみや怒りが叩き起こされてしまった。嗚咽をあげながら、再び地中の奥からマグマのように湧き上がって溢れ出して来たのを目の当たりにしたような錯覚を覚えた。とてもじゃないが受け止められない。地場の波動を受けて動揺は止まらなかった。
 沖縄が受けた衝撃は大きい。全国でも多くの人がこの蛮行を嘆きながら何故? という疑問を持て余しているだろう。誰が? 何のために充分苦しんだ犠牲者を冒涜できるのか? TBSの金平茂紀さんが、「クリスタルナハトだ」とつぶやいた。それは不謹慎だ、と私は一瞬顔をしかめた。クリスタルナハトというのは、ユダヤ人迫害がドイツ全土に拡がる契機になった1938年の暴動をさす。でも実は、なにか社会の膿のようなものが沸点を超えて雪崩のように押し寄せてくる、そのきっかけになりはしないかという恐怖を私も感じていた。動揺が収まらない理由はそこにもあった。
 10年前にはなかった「沖縄バッシング」は、今年々顕在化している。確実に増殖している。中国が怖い、北朝鮮が怖いと騒ぐ大衆は米軍という頼もしい存在にすがっていく。強い国を夢想するあまり、国防に「いちゃもん」を付ける沖縄の基地反対運動を疎むようになってきた。沖縄戦からの歴史的な告発は、勇ましく国を守った日本軍のイメージを著しく傷つける行為だとしてあからさまに憎むようになった。
 「北朝鮮の脅威が迫っているんだ。これから強い国になろうって時に、沖縄はいつまでもグダグダ言うな。お前らスパイか?」。こんな考えがネットにあふれている。これこそが戦前戦中の集団狂気の再来ではないか。強いものに巻かれたい。強い力に守られたい。その強くて頼もしいものにみんなで陶酔して不安を払しょくしたいのに、沖縄の言説はそれを邪魔する。人をしょんぼりさせる。

 「日本軍は住民を守らなかった」
 「軍隊の論理が集団死を強制した」
 「軍隊には慰安婦制度を生み出すような闇がある」
 「少なくても数百人が友軍の手で殺された」……

 沖縄という、唯一地上戦を体験した地域にいたからこそ、住民は輝かしい皇軍の進駐からそのなれの果てまで、非軍人の目でその落差を目撃し、戦争の実態を体に焼き付けた。私たちは、そこからしか証言できない大事な戦争の狂気をとことん学び取り、知らせることでしか次の悲劇を止められないと信じて報道に邁進して来たわけだが、そんな仕事は今の日本には邪魔になってきているのかもしれない。しかし、文科省が教科書から削除するよりも、大衆の「不都合な言説を圧殺する」力が暴走する段階の方がもっと恐ろしい。そんな地平にまでこの社会は急速に進んでしまったのか?

 しかし数日後、チビチリガマを荒らした犯人は地元の少年らで、理由は肝試しだという報道があった。私が心配した外部からの沖縄バッシングのようなものでなかったことに少しホッとした。しかしながら心は晴れない。もちろん、少年らに破壊行為を指示した別の存在がいないかどうかも、まだ考えないといけないと思う。そうではないとしたら、もっと深くこの島の中に沈殿したもの、澱のように溜まってきたもの、つまり、今の若年層が抱える閉塞感のようなものに目を向けなければならないのではないか。

 大人たちが目の色変えて頑張っても実らない基地反対運動への苛立ち。
 そこからくる無力感。
 反戦平和活動への冷めた目線、弱者ぶることへの拒否感。

 今の若い人たちは、過酷ないじめ社会の中でどうやったら標的にならないか、勝ち馬に乗る側にいられるかに、かなりのエネルギーを使っている。
 自分を守るためにも日本の中の嫌われ者になるのは避けたい。
 「反戦沖縄」という看板をしょっていては明るい未来が見えてこないじゃないか。負けてばかりの沖縄とは決別したいという願望が醸成されてきても、不思議ではないのだろう。
 最近、基地反対運動の話を始めると、若い人たちが瞬時に見せる冷めた態度が気になっている。
 平和教育はどうなっているんだ、と叫ぶ視点だけでは救い上げられない地割れが起きているのかもしれない。

 そうだとしても、残念ながら私たちは、彼らに届く新たな言葉をすぐに編み出せるわけではない。
 戦争体験者と遺族の苦しみを請け負った知花昌一さんたちの世代を見ていながら、その下の私たち世代が不甲斐ないから、さらに下の今の若者たちに、この島が命と引き換えに得た教訓さえ伝えきれていないのだ。
 その私たちにできることは、やはり先輩たちの足跡を見つめなおし、それをさらにまた引き受けていくためにジタバタしている姿を後輩たちに見せる。
 そんな地道なことでしかないのだとあらためて思う。


 チビチリガマの歌
 あの板に書かれていた歌詞は、遺族の話を聞き、寄り添いながらともに平和の彫刻を作り上げるという時間を過ごしてきた金城実さんたちの編み出した言葉だ。
 歌詞というより、この場所で、戦争という惨禍に向き合うことから逃げずに生きる覚悟と祈りを文字にして置いた、そんな言霊たちなのだと思う。まずは投げ捨てられた板に書かれていたこの言葉を、私たちは噛みしめたい(訳は三上流ですので参考までに)。


チビチリガマの歌」(作曲 小室等/作詞 金城実)
イクサユヌアワリ
ムヌガタティタボリ

 (戦争の悲劇を 語って聞かせて下さい)

ワラビウマガユーニ
カタティタボリ

 (子や孫の世代まで どうか 語り継いで下さい)

ハンザチビチリヤ
ワシタウチナーユヌ

 (波平のチビチリガマは 私たちの沖縄に生きる者の)

ククルチムヤマチ
ナチュサウチナー

 (心肝を苦しめています 沖縄は泣いています)

ナチュナチビチリヨ
ミルクユニガティ

 (泣くなチビチリよ 弥勒の世 平和の世を願って)

ムヌシラシドゥクル
チビチリガマ

 (戦争の哀れを世に知らせる 聖地になってください チビチリガマよ)


三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌、2017年10月11日
第74回:泣くなチビチリガマよ
〜クリスタルナハトにはさせない〜

By 三上智恵
http://maga9.jp/mikami171011/

 では、ここで動画を:
https://www.youtube.com/watch?v=vXEu9AIsiBQ

https://www.youtube.com/watch?v=UebVO4aPRL0

https://www.youtube.com/watch?v=vNsQ3IFQ39Y


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野添文彬

 あのぉ〜、「野添文彬」ってさ、なんとお読みすればいいのかしらん、日本語は難しくってぇ:
 のぞえ・ふみあき。1984年滋賀県生まれ。2012年一橋大大学院博士課程修了。沖縄国際大准教授。

 ところでアメリカさま、沖縄に基地を置いてていいよってこの国が言っていたってことの復習:

 本土復帰後の1972年10月、米国防総省が沖縄の米海兵隊基地を米本国に統合する案を検討していたことが、オーストラリア外務省の公文書で9日までに明らかとなった。米国務省も1973年1月に「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示している。
 一方で、直後の日米安全保障条約運用会議(1973年7月)で防衛庁は海兵隊の維持を米側に要求。
 米側の海兵隊撤退の動きを日本政府が引き留めたことで、在沖海兵隊基地返還の機会を逸していた可能性が高まった。

 豪外務省の公文書は沖縄国際大の野添文彬講師(国際政治学)が現地で発見した。

 1972年10月の公電で米国防総省政治軍事問題局のロバート・マクロム氏は同省専門官らの分析を基に「沖縄の二つの海兵旅団に加え、ハワイや日本など太平洋のすべての海兵隊をカリフォルニア州サンディエゴに統合することが相当安く、有効だろう」と考察している。
 米国民間団体「国家安全保障文書館」が情報公開請求で得た1973年1月のメモで米国務省は在沖海兵隊について「使用される航空機が人の多く住む地域を低く飛び、目立った騒動を引き起こす」として「普天間は明らかに政治的負債だ」と断じている。5月には米国務省が在沖海兵隊の韓国移転案を構想し、豪州のほか韓国や日本に送付していることも明らかになった。

 2013年11月9日の沖縄法政学会で講演した野添氏は、復帰後の米側による海兵隊撤退論について、(1)沖縄での基地への不満
(2)ベトナム戦争の財政負担拡大
(3)東アジアの緊張緩和―が背景にあったことを説明。

「緊張緩和が進展した時期でも、日本政府は米国に依存せざるを得ないという極めて硬直的な思考しかなかった。米国に頼る以外に安全保障上のオルタナティブ(代案)を模索する動きがなかったことが米軍基地が縮小がしなかった大きな原因だ」と指摘した。


琉球新報、2013年11月10日付
米政府、72年に在沖海兵隊撤退を検討
日本が慰留


 本土でも新聞にとりあげられていたようで:


 1972年の沖縄返還直後、米国防総省が沖縄を含む太平洋地域から海兵隊の撤退を検討していたことを示すオーストラリア外務省の公文書があることが分かった。
 当時の日米双方の動きから、在日米軍をめぐる1つの構図が浮かび上がる。文書を発見した沖縄国際大の野添文彬講師(29)に聞いた。

−文書の内容は。
 1972年10月9日付の在米豪大使館に本国の外務省に送った秘密公電。
 豪大使館員が、米国務省政治軍事問題局のロバート・マクロム氏(アジア担当)から、海兵隊撤退に関する国防総省内での検討結果について説明を受けた。

 国防総省の分析専門家らは
「沖縄やハワイなど、すべての太平洋地域の海兵隊をカリフォルニア州に統合することが、かなり安上がりで、より効果的」と結論付けていた。
 翌1973年5月にも、沖縄の海兵隊を韓国に移転させる構想が説明されていた。

−当時の米国の状況は
 米国は、泥沼化するベトナム戦争への巨額戦費の支出で財政負担に苦しみ、基地機能の見直しを進めていた。
 海兵隊のあり方について米政府内で真剣に検討されていたことが分かる。

−米国が豪側に説明した理由は。
 豪はベトナム戦争にも参戦していたので、戦後の情勢に関心があった。
 米国は海兵隊の駐留先の1つとして、豪側に説明した可能性もある。

−当時、日米間では。
 米政府側の資料を見ると、1973年7月の日米安保条約運用協議会で、防衛省(当時)の久保卓也防衛局長は、第7艦隊、空軍、海兵隊はアジアにおける「機動戦力」であり、「目に見える証拠」として「海兵隊は維持されるべきだ」と主張した。
 これに対し、米国務省の文書では、同年1973年11月、シュースミス駐日公使が、外務官僚との会談を踏まえ、スナイダー国務副次官補に打電し、日本側の海兵隊重視は日本に対する「交渉上のてこ」になると伝えた。

−一連の文書から浮かび上がるものとは。
 それまでの米国務省内では、沖縄の海兵隊基地縮小の議論がなされていたが、基地を維持してやるから協力しろということに議論の転換が行われたといえる。
 この時期すでに米政府内では、いかに日本から基地駐留費を引き出すかという議論になっている。

 日本本土の米軍基地が大幅に削減される一方、沖縄に基地が集中することになったのは沖縄返還前後の時期。
 返還直後に沖縄の基地がもっと減る可能性があった。
 しかし、基地縮小の機会は失われ、日本政府の協力によって基地が維持されるという構図が、今日まで続いているといえる。


東京新聞、2014.1.15付夕刊
72年 米が海兵隊撤退検討
「日本が維持主張 縮小機会失った」(沖縄国際大・野添文彬)

近藤晶

 そうでしたかぁ、あの頃、羽田闘争が1968年で、沖縄返還が1972年。

 政府は、いつまで国民にうそをつき、だまし続けるつもりなのだろうか。
 沖縄返還交渉の際に、日米が交わした財政負担に関する秘密文書のことだ。沖縄返還「密約」とも呼ばれている。
 本来、協定上も米国が負担すべき返還軍用地の原状回復費用400万ドルを日本側が肩代わりした事実を示す文書をはじめ、支払うべき根拠のない米施設の移設費用の負担など、国民の血税を不当に支出した「犯罪的行為」を裏付ける文書などだ。
 「密約」の存在は1972年の沖縄返還時に毎日新聞記者の西山太吉さんが情報を入手し、国会でも取り上げられた。しかし、当時、政府は密約の存在を否定。その後も、情報開示を求める市民の要請を拒み続けてきた。
 だが、そんな日本政府の対応とは裏腹に、密約を結んだ相手国である米国は1994年に大統領令で秘密指定を解除し、すでに当該文書を情報公開している。
 開示された文書の一部は沖縄県公文書館でも開示されている。
 もっと言えば、密約を結んだ当事者である元外務省高官の吉野文六氏が、2006年に自ら報道機関や研究者に事実を告白し、密約の存在も認めている。
 それでも、日本政府は当該文書の開示請求に「保有していない」「不存在」として拒み続けている。
 日本は、いまも国内に駐留する米軍の駐留経費を負担し、日米地位協定上も米軍が負担すべき経費を「思いやり予算」として肩代わりを続けている。
 普天間基地の名護市辺野古への移転、米海兵隊の一部のグアム移転など、米軍再編のための費用も負担することになっている。

 「この巨額の財政負担の源流は、沖縄返還交渉中に日米間で交わされた密約にある」との指摘もある。

「国民にうそをつく政府は、憲法の否定、いつか滅びる」
 「国民が主権者であることを確認するために」と2009年3月16日、市民や研究者、ジャーナリストらが「沖縄返還密約」の開示を国に求め、東京地裁に提訴した。

「うそつきは泥棒の始まり」という。
 政府が「密約」を否定する理由は何か。
 よもや国民の血税を盗み、米国に貢いだ事実を隠ぺいし続けるためではないだろう。
 裁判は日本の民主主義の「実相」を問うものだ。
 政府は事実を開示し、きっちりと説明してほしい。


琉球新報、2009年3月18日付
沖縄返還密約
政府がついたうそと犯罪


 へぇ〜、裁判ですかぁ、2009年3月にね。
 結果は?と言いますと、2014年7月にね。
 これがま、司法の独立ってあるのかな、
 5年間もの時間をかけたわりには、ねぇ。
 ま、この国にミンシュシュギはあんのかしらん:

 1972年の沖縄返還時に日米両政府が交わしたとされる「密約文書」を巡り、元新聞記者らが国に情報公開法に基づく開示などを求めた訴訟の上告審判決が7月14日、最高裁であった。
 第2小法廷(千葉勝美裁判長)は、開示を認めなかった二審・東京高裁判決を支持し、原告側の上告を棄却。原告側の敗訴が確定した。

 一、二審とも過去に密約文書が作成されたことは認めたが、二審判決は「国が文書を保有していると認めるに足りる証拠はない」として原告側の請求を退けていた。
 同小法廷は、行政機関が文書を保有していないことを理由に不開示を決定した場合、「(決定に反して)行政機関が文書を保有していたことの立証責任は原告側が負う」との初判断を示した。

 過去に作成されたことが立証された文書についても、不開示決定の時点で行政機関が保有していたと推認できるかどうかは「文書の性質、作成の経緯、保管状況などに応じて個別具体的に検討すべきだ」とした。

 他国との信頼関係などに関わる外交文書の特殊性も踏まえたうえで、今回の密約文書については「沖縄返還の交渉過程で文書が作成されたとしても、不開示決定時点で国が保有していたとは推認できない」と結論付けた。4人の裁判官の全員一致の判断。

 原告側が開示請求していたのは、米軍用地の原状回復費の肩代わりを示す外務省文書や、返還協定を上回る日本側の財政負担の合意を示す財務省文書など7点。
 2010年4月の一審・東京地裁判決は「文書は極めて重要性が高く、国が保有していると認定できる」とし、開示と賠償金支払いを命じた。
 11年9月の二審・東京高裁判決は、密約文書がかつて作られたことは認定しながらも「秘密裏に廃棄された可能性がある」とし、不開示は妥当と判断していた。
 外務省北米第1課の話。
 
「国の主張を認めた高裁判決が是認された。公文書管理法の施行を踏まえ、国民が重要な歴史事実を検証できるよう、適切な行政文書の保存、管理に努めていく」


▼ 沖縄返還時の日米密約
 1972年の沖縄返還の際、軍用地の原状回復費400万ドルを日本側が肩代わりするなどの内容で日米両政府が交わしたとされる密約。
 毎日新聞記者だった西山太吉氏が外務省の機密公電を入手して密約を示唆する記事を書き、国家公務員法違反罪で有罪が確定した。
 米国立公文書館では密約を示す文書が公開されており、外務省の有識者委員会は2010年、文書は見つからなかったが、「広義の密約」があったとする調査結果を公表した。


日本経済新聞2014/7/14付
沖縄密約訴訟、文書の不開示確定 最高裁判決

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総選挙、沖縄も問うてほしい

 選挙を意識した歩み寄りだとしても、県議会が全会一致で決議した意義は、決して小さくない。幅広い県民の声をくみとった新たな取り組みの第一歩として評価したい。
 東村高江の民間の牧草地で米軍の大型輸送ヘリCH53Eが炎上・大破した事故で、県議会は抗議決議を全会一致で可決した。
 決議は「民間地上空及び水源地上空での米軍機の飛行訓練を中止すること」「東村高江周辺6カ所のヘリパッドの使用を禁止すること」の2点を求めている。
 翁長雄志知事を支える社民、共産などの県政与党だけでなく、国政与党の自民、公明も加えた全会一致の決議となったのは、相次ぐ米軍ヘリ事故に対する県議会の危機感の表れといえる。
 最近の米軍ヘリの重大事故や民間空港への相次ぐ緊急着陸は異常としかいいようがない。単に多発しているというだけではない。深刻なのは民家からそれほど離れていない民間地域で事故が相次いでいることだ。
 演習場と飛行場と住宅地域が、住民への影響を防ぐ十分な緩衝地帯もないまま隣接し、本島の周りが訓練空域、海域に囲まれている現状の深刻さは、もはや放置できない。
 米軍機による事故はどこでも起こり得る−という深刻な現実が突きつけられているのである。北部の演習場は水源地にも近い。
 これまでのようなその場しのぎの対応では事故の再発を防止することはできない。事故慣れは事故への鈍感さを生み、真剣な対応を妨げる。
■    ■
 米軍はいずれ、「安全性が確認された」と称して訓練を再開し、政府も追認するだろう。だが、何をもって安全性が確認されたと結論づけるのか。それが問題だ。
 高江区は緊急の代議員会を開き、ヘリパッドの全面使用禁止を求める方針を初めて承認した。
 地元高江区の要求をくみとる形で県議会が高江の6カ所のヘリパッドの使用禁止を決議したことは、極めて重要である。
 県議会は、キャンプ・ハンセンにある宜野座村城原の集落に近いヘリ着陸帯「ファルコン」の使用禁止にも合わせて取り組んでもらいたい。
 「ファルコン」について米軍は「乗員の練度を達成するために不可欠」だと指摘しているが、住民は、昼夜を問わないオスプレイやヘリの飛行訓練に悩まされ続けている。
 高江や城原のような「目に見える被害」を放置するのは政府や米軍の怠慢である。
■    ■
 県議会の抗議決議は民意のありかを示す重要な意思表示だ。今回のようにヘリパッドの使用禁止を全会一致で決議したことは政府や米軍を動かす大きな力になり得る。
 議会の本気度が試されるのは選挙後である。議会として選挙後に何をやるのか。決議文を手渡すだけでは大きな壁を突き崩すことはできない。
 北部訓練場の約半分の返還のため高江区周辺に6カ所のヘリパッドを建設したのは、日本政府の調整の失敗以外の何物でもない。
 見直しが必要だ。


沖縄タイムス、2017年10月17日08:43
社説
[ヘリ事故抗議決議]今こそ抜本的な対策を

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/157227

 沖縄から、日本の「国のかたち」がよく見えるとしばしばいわれる。
 戦後日本の「国のかたち」の主要な柱になってきたのが、日米安保条約だ。
 日本が米国に基地を提供する一方で、米軍が駐留して日本を防衛するという非対称な関係から「物と人との協力」と評されてきた。
 しかし提供する米軍基地のほとんどが沖縄に集中し、負担の多くを沖縄が引き受けてきた。
 逆に、米軍基地がほぼ不可視化された日本本土では、沖縄の負担の上に日本の安全保障が成り立っていることが見えづらくなっている。

 9月21日、米軍は、地元や日本政府が中止要請をしている中、沖縄本島の嘉手納基地でパラシュート降下訓練を実施した。
 本島での降下訓練によって、本土復帰前には女児が死亡し、復帰後も40件以上の事故が起きている。
 そのため、1996年に日米両政府は、降下訓練を離島の伊江島補助飛行場(伊江村)で実施することで合意した(毎日新聞9月21日夕刊)。

 米軍がこれらの経緯を無視して訓練を強行したことに沖縄では反発の声があがった。
 かつて翁長雄志沖縄県知事は、96年の合意を無視して嘉手納基地を運用すれば、「今後の嘉手納基地の使用、ひいては日米安保体制に影響を与える恐れがある」と述べた。
 日米両政府はこの警告を重く受け止めるべきだ。

 衆院が解散され、10月22日に総選挙が行われる。
 毎日新聞9月26日朝刊社説は、「改めて問われるのは『安倍政治』である」と指摘し、今回の総選挙は、「さまざまな重要課題をどうしていくのか、日本の大きな岐路となる」と論じた。
 問われるべき安倍政治は沖縄政策もあてはまる。
 特に安倍政権が沖縄県内の多くの反対にもかかわらず辺野古での新基地建設を強行しており、近年、これまでにないほど本土と沖縄の溝が深まっている。
 今回の選挙が、憲法や安全保障など「日本の岐路」を問うものであるならば、安全保障の土台となってきた沖縄をどう考えるかもまた問われるべきだ。
 メディアも沖縄を含めた「国のかたち」を問うてほしい。


毎日新聞2017年10月12日付け東京朝刊
メディア時評
総選挙、沖縄も問うてほしい
野添文彬・沖縄国際大准教授
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171012/ddm/005/070/016000c

なぜ思い続けるのか
 今年2017年の2月と4月、元沖縄県知事の大田昌秀さんを那覇市に訪ねた。天皇陛下の歩みをたどる連載「象徴として・第1部『沖縄への思い』」(8月31日〜9月5日朝刊)の取材が目的だった。戦没者を慰霊し、歴史や文化を学び続けてこられた陛下の姿を、県民との交流を通して紹介したい、という取材依頼に、大田さんは思わしくない体調の中で「大事なテーマだから」と応じてくれた。あの戦争は何だったのか、天皇とは何なのか、考え続けてきたという。「平和な時ほど天皇とは何なのか、考えなければいけない」。
 6月に92歳で亡くなった大田さんの残した言葉が強く心に残る。

人々の心動かす深い造詣と熱意
 太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛のための「捨て石」のような地上戦で、県民の4分の1が犠牲になった。
 戦後は米軍占領下となり、基地が置かれた。天皇制に対し、戦争責任論を含むさまざまな意見があり、本土復帰後も昭和天皇の訪問は実現しなかった。

 こうした経緯から、「天皇陛下と沖縄」がテーマになる時、有識者らの解説では「贖罪(しょくざい)」や「責任感」という言葉が用いられる場合が多い。「陛下が沖縄訪問に熱心なのは、昭和天皇の名の下で起きた戦争で犠牲者を出した贖罪の念からだ」「父が果たせなかった訪問を成し遂げたい責任感がある」などの論評だ。今回の連載は、こうした論評の引用を避け、陛下と直接交流した人々の証言を中心に記事を構成した。安易な引用は、陛下が模索してきた象徴の姿や、接した人々が抱いた天皇像について、私たちが考えを巡らせるきっかけにならないと思ったからだ。

 1993年、陛下は歴代天皇で初めて沖縄を訪問した。
 知事として陛下を迎えた大田さんは、県民の世論をこう解説した。

「『天皇のために死ね』と教えられた時代の沖縄戦で、あまりに凄惨(せいさん)な結果が目の前に広がった。皇民化教育で統制された考え方に対する疑問や反動が、戦後、天皇へのさまざまな意見や感情となって表れた」

 実現しなかった昭和天皇の訪問については「戦後の日本政府の対沖縄政策、アメリカの対沖縄政策に不満を持つ県民が多かった時期でもあり、訪問しても県民の反発をかうだけだっただろう」との見解だった。
 そんな大田さんは、今の天皇陛下の訪問を「平和の国の象徴なのだから」と歓迎の思いで迎えた。それは、陛下が皇太子のころから沖縄の歴史や文化を学び、戦没者慰霊を続けてきたからだった。国内外で慰霊を続ける姿に胸を打たれたからでもあった。

 大田さんを取材したのは本や資料が積み重なる仕事部屋。私がこれまで読んだ本や会った人について次々と問われ、戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を作り上げた思いを聞かせてくれた。表情も言葉も優しいのに、私は緊張がとけなかった。やせた体とは不釣り合いに思えるほどの考え続ける情熱に触れ、沖縄を記事にする心構えを問われているように感じた。

 沖縄戦の体験者、戦没者遺族、行政関係者、地元の文化人らから話を聞くと、陛下の沖縄への造詣の深さを示すエピソードは次々と出てきた。

「沖縄に生息する蛇の毒の有無を説明した時、陛下に誤りを正していただいた」
「琉球王朝の話をしていたら、陛下からすらすらと王の名前が出てきた」−−。

 記事で紹介しきれなかった逸話は多い。沖縄に向き合う陛下の熱意は、多くの人々の心を動かしたのだと感じた。

米大統領に対しギリギリの発言
 2014年6月、陛下は皇后さまとともに、米潜水艦に撃沈された学童疎開船の悲劇を伝える対馬丸記念館を訪問された。
 この年、記念館の入館者は急増し、前年の倍近くになった。
 だが、その増加傾向は長く続かなかった。
 両陛下の訪問によってようやく集まる史実への関心も、一過性で終わることに、戦争の記憶の風化を感じる。
 そして、沖縄に対する陛下の変わらない勤勉な姿勢が、戦争の歴史が遠ざかる今、一層際立ってきたように思われる。
 陛下はかつて、沖縄の情勢に踏み込んだ発言をした。
 1996年4月、国賓として来日中のクリントン米大統領と面会した際、「沖縄の人たちの気持ちに配慮しながら両国政府の間で十分協力して解決の方向に向かっていくことを願います」と話したのだ。

 日米間で普天間飛行場など基地の整理・縮小が議論されていた時期で、陛下が政治性のある話題に触れるのは異例だった。

 元側近は「ギリギリの発言だった」と振り返る。
 歴史を振り返るだけではなく、今を生きる県民にも寄り添いたいという陛下の気持ちが表れていると思う。

 陛下は毎年、沖縄の慰霊の日(6月23日)に黙とうをささげる。
 なぜ戦没者の慰霊を続けるのか。なぜ沖縄の文化や歴史、情勢に関心を寄せ続けるのか−−。
 これらを考え、陛下が大切にしている思いを知ることは、「天皇とは何か」を考える第一歩でもある。
 それは、この国がどんな国を目指しているのかという大きな問題にもつながっていくのではないだろうか。


毎日新聞2017年10月13日付け東京朝刊
記者の目
天皇陛下の沖縄
山田奈緒(東京社会部)
https://mainichi.jp/articles/20171013/ddm/005/070/015000c

新 天皇メッセージ!
野添文彬 @FumiNozoe 17:24 - 2017年10月12日


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武蔵野市長選挙、鶴岡市長選挙

 ヤッホー君のこのブログでこれまでに何度か引用させてもらいました天木直人(1947年生まれ)ですが、昨日の動画で彼の思いを聴いてみませんか。
 今朝、見つけました、ハイ:
https://www.youtube.com/watch?v=oKT9FiKv0VY

 そして今朝の新聞記事からです。
 マスゴミの新聞辞令、じゃなくって「情勢調査結果」で、もうセンキョなんてぇ〜って「気分」にさせられてしまいます。
 ま、それが権力側の意図なんでしょうね、え〜〜い、無礼者!下々のものはひかえオロウ〜!下々のものは政治に嘴を挟むな。

 自民、公明両党で300議席をうかがう――朝日新聞をはじめ報道各社が実施した衆院選の情勢調査結果が出た。自民党内では結果を受け、秋に臨時国会を召集し、党として憲法9条の改正原案を示す案が早くも浮上。安倍晋三首相も選挙後の改憲議論を見据え、布石を打ち始めた。

 情勢調査で自民党の堅調ぶりが伝わって以降、党憲法改正推進本部の幹部の間では、選挙後に首相指名を行う特別国会の閉幕後、改めて臨時国会を召集し、自民党の9条改正原案を示す案が浮上。幹部の一人は「我々の考え方、議論の方向性を示せるかどうかだ」と語る。

 安倍首相は憲法改正について、街頭演説でほとんど触れていない。だが、今回は自らが提案した「自衛隊明記」など改憲4項目を公約に盛り込み、テレビ出演では自衛隊を明記することについて党内の意見は「まとまっている」と強調。衆院選公示翌日には、テレビ番組で自民党の高村正彦副総裁について、「任期の間は務めてもらう」と表明した。衆院選に立候補しなかった高村氏を来年9月の任期まで引き続き副総裁として遇し、改憲に向けた党内外の調整役として、議論を加速させる考えだ。

 これに対し、公明党の山口那津男代表は「国民の理解の成熟がなければ、発議して信を問うのは時期尚早になる」と慎重姿勢だ。
 希望の党の小池百合子代表も首相提案に基づく自衛隊明記は「大いに疑問がある」としている。
 立憲民主党や共産党、社民党は首相提案を批判しており、各党の獲得議席によって、9条改正をめぐる議論の展開は大きく変わる可能性がある。


朝日新聞、2017年10月17日07時45分
自民「9条改正」案、秋に提示か
衆院選の堅調報道受け

http://www.asahi.com/articles/ASKBJ4G7LKBJUTFK002.html

 でも、さ、世論調査でこの国は動くのかな?

 10月1日投開票の武蔵野市長選は、無所属新人の松下玲子さん(47)=民進、共産、自由、社民、ネット支持=が、無所属新人の元市議高野恒一郎さん(45)=自民推薦=との一騎打ちを制し、初当選した。
 同市の女性市長誕生は初めて。投票率は44.26%で、過去最低だった前回41.29%を上回った。当日有権者数は12万11人。 

 深夜に当選が決まると、吉祥寺北町の選挙事務所では支持者やスタッフから歓声がわき起こった。祝福を受けた松下さんは「皆さんのおかげで当選することができた。市民主体の選挙で戦えたことは大変うれしい」と喜び、「邑上(むらかみ)(守正)市長が十二年間進めてきた市民参加の市政を継承し、安心して子育てができ、住み続けられるまちへ発展させていく」と抱負を述べた。

 これまで同市長選は、同市が属する衆院東京18区で争ってきた土屋正忠、菅直人両衆院議員の「代理戦争」などと称されてきた。今回は告示後に衆院が解散され、総選挙が事実上始まる中での市長選となったが、土屋氏が高野さんの街頭演説で何度もマイクを握ったのに対し、7月の都議選で松下さんを応援した菅氏は姿を見せず、従来とは様相の異なる展開となった。

 松下さんはサッポロビール勤務を経て、松下政経塾や早大大学院で政治や経済を学んだ。民主党都議2期を務めた後、2013年と今年2017年7月の都議選で次点。邑上市長の引退表明を受けて、同市長を支えた市民グループが8月に擁立。オール野党の支持を背景に初当選
を果たした。

 高野さんは自民党市議2期目途中での出馬。「市政の改革」を訴えたが、及ばなかった。
 前回は自民系候補を推薦した公明党が自主投票になったことも影響したとみられる。

東京新聞、2017年10月2日付
<武蔵野市長選>
初の女性市長誕生 松下さん、市政継承訴え初当選

(鈴木貴彦)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201710/CK2017100202000134.html

 さらに、

 10月8日告示、15日投開票の山形県鶴岡市長選が、次期衆院選山形3区の立候補予定者による代理戦争の様相を呈している。自民党の加藤鮎子衆院議員(38)は現職の榎本政規氏(67)を、民進党の推薦を受け無所属で立候補予定の阿部寿一元衆院議員(57)は新人で元農林水産省職員の皆川治氏(42)を支援する。保守市政の安定性を訴える加藤、榎本両氏と、安倍政権の支持率低下を追い風にしたい阿部、皆川両氏。それぞれの思惑が前哨戦に交錯する。

 鶴岡市で7月22日夜に開かれた阿部氏後援会の集い。保守層の多い阿部氏の支持者を前に、皆川氏は「阿部先生の力を借りて必ず勝ち抜く」と決意を述べた。阿部氏も「鶴岡にとって皆川さんの力は大事だ」と支援を呼び掛けた。
 皆川氏は既に民進、共産両党に加え、無所属の舟山康江参院議員(山形選挙区)の支援を取り付けた。建設費の増額が相次いだ市の新文化会館問題や安倍晋三首相の政権運営に不満を強める一部の自民支持層の取り込みを狙う。

 一方、加藤氏が23日夜に鶴岡市内で開いた集会では、榎本氏が「市政、県政、国政が太いパイプでつながってこそ大きな事業が完遂できる」と訴え、加藤氏も「現市政で鶴岡の食文化が世界に認められ、松ケ岡開墾場が日本遺産に登録された」と実績を強調した。
 鶴岡市は、加藤氏の祖父で市長を務めた故加藤精三氏と、父の故加藤紘一元自民党幹事長を支え続けた保守王国。前回衆院選(2014年12月)では、加藤氏の市内での得票数が元酒田市長でもある阿部氏の約2.5倍を超え、加藤氏を初当選へと導いた。
 だが、昨年夏の参院選山形選挙区では、民進党の推薦を受けた野党統一候補の舟山氏が圧勝。鶴岡市でも農業政策などに不満を抱いていた保守層が流れ、自民党候補は大敗した。

 皆川氏陣営の選対幹部は「文化会館問題に象徴される今の強引な市政運営は安倍政権とそっくり。心ある保守層と昨夏の参院選を再現したい」と思い描く。

 加藤氏にとっても、本丸の鶴岡市トップの座を失うわけにはいかない。榎本氏も「加藤氏に迷惑を掛けないよう、しっかりと取り組む」と自身の責任を感じ取っている様子だ。


河北新報、2017年08月01日火曜日付
<鶴岡市長選>
まるで「山形3区」代理戦争の様相

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170801_51003.html

 そして、結果は?

 10月15日に投開票が行われた鶴岡市長選は、農林水産省出身で連合山形推薦の新人皆川治氏(43)が初当選した。厚い保守地盤にあって、「市民党」を掲げた戦いを繰り広げ、特定政党に偏らない、幅広い支持の獲得に成功した。有権者は市政の刷新を選んだ。

 皆川氏は17年間の農水省勤務で培った経験を故郷で生かすため、市長選出馬を決意。友人知人を中心とした後援会組織を立ち上げた。実質的な支援態勢は衆院県3区で再起を目指す阿部寿一氏(希元)の支援者をはじめ、民進や共産、社民が担ったものの、現職榎本政規氏(68)と連動した運動を強める加藤鮎子氏(自前)への対抗心は表に出さず、「国政と市政は別」との立場を貫いた。

 阿部氏本人から目に見える支援を受ければ、加藤鮎子氏との対立が鮮明になる。3度の入札不調、議会に対する説明がないままの建設費増額提示など、文化会館を巡る市政の混乱で不信感を抱く保守層の取り込みを狙う上でマイナスに働くと判断した。衆院選で県3区を駆け回る阿部氏も、市長選・市議選が行われている鶴岡市に選挙カーを走らせることはなく静観した。今回の勝利で今後、鶴岡に攻勢をかけることは必至だ。

 昨夏の参院選で野党統一候補として自民候補に圧勝した舟山康江参院議員は、皆川氏と同じ農水省出身であることに加え、支援者の顔触れが共通することから積極支援に動いた。農家、女性票の取り込みにつながり、知名度不足の後輩を力強く押し上げた。

 現行市政の継続か、刷新かが問われた選挙だが、双方が公約として示した最優先課題は、人口減少対策など重なる部分が多かった。皆川氏は市民と膝を突き合わせた対話を重ねる中で政策をまとめた。対話重視の姿勢が支持されたわけだが、加速度的に進む人口減少問題、基盤産業である農林水産業の振興などスピード感を持って取り組まなければならない課題は多い。国や県との連携をどう強めるか。議会内の大勢を占める保守系議員とどう向き合うか。13万都市のリーダーとしての手腕はすぐに問われることになる。


山形新聞、2017年10月16日07:33
<鶴岡市長選>
市政の刷新を選択 皆川氏が初当選

(鶴岡支社・佐々木亨)
http://yamagata-np.jp/news/201710/16/kj_2017101600347.php

 下々のもの、そのひとり、ひとりが主権者です。
 主権者が、その力で国政に自分たちの意見を聞いてもらえる権利を持っているのです。
 世論調査だったり、台風接近だったり、力で投票所から足を遠ざけようとしています。
 そのためにも、投票所に足を運びましょう。
 殺し殺される戦争なんていや、格差社会なんていや、こんなに悪いイマの政治っていや、自分の国に誇りをもって語れないなんていや、ヤッホー君、大きな伸びをしました。
 もう縮こまったり、うなだれているのをよそうかなって。

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