2013年11月30日

風下の国

 11月29日金曜日の豪徳寺…、商店街のなかの古本屋さんでヤッホー君が一瞬身を強張らせたのは、「サンダカンの8月15日」という原稿を認めていたからなのです(ヤッホー君のこのブログ、11月12日付けの日記をご参照下さい)。
 知らなかった…、これまで知らずに生きてこれた…、でもいろんなことを知った喜び、隠されていたことを見つけたうれしさ、なのでしょうかね。
 書物、本、書籍はすばらしいですね。
 「時空」を越える、というのは本当ですね。

 まず、「風下の国」というのは、というのはですね、マレーシア国立サバ大学専任講師のグレース・パン・イン先生の言葉に耳を傾けてみましょうか:

 ボルネオ島の北部を占めるサバ州は、犬の頭のような形をしています。
 このサバ州は「心地よい風が吹く土地」とも呼ばれています。
 長くサバ州で暮らしたイギリス人の女性作家 Agnes Newton Keith が"Land Below the Wind"(注)という本を書いています。
 キナバル山という、東南アジアで一番高い山がサバ州にあります。
 冨士山から1000m以上高い山で、この山から吹き降ろす心地よい風が吹く土地と呼ばれているわけです。

 サバ州は、マレーシアの他の州と同じように、多くの民族が仲良く暮らしている場所です。
 この州には約290万人が住んでいます。
 つまり、全人口の10%程度がこの州に住んでいることになります。
 サバ州だけで30以上の異なった民族が暮らしていて、彼らはそれぞれの言語をしゃべります。
 サバ州には70もの言語があるといわれています。
(注)邦訳本は、アグネス・キース著、野原達夫訳『ボルネオ−風下の国』(三省堂、1940年、絶版)

(ヤッホー君の注) サラワク州クチンに住んでいる、はっちゃんのお姉さんのご主人はイバン族の人です。マレーシア航空を定年退職したのですが甲状腺ガンになり、心配していたのですが寛解したとのことです。
(和光大学和光大学リポジトリ、国際シンポジウム「マレーシアにおける大学の社会貢献」)
…wako.repo.nii.ac.jp/index.php

 アグネスキースが住んでいた洋館って、いまはサバ州サンダカンに記念館になっているらしいのです。
 来年お邪魔して報告します。

 英国領時代、英領北ボルネオ会社 森林管理調査長官職、ヘンリー キースがサバ州サンダカンに駐在した時、同行した妻アグネスキース(アメリカ人)の自叙伝の初著書の題名です。
 当時の様子が良くわかります。
 1939年にアメリカの月間文芸誌ノンフィクション賞を受賞しました。

 サバ州は、東アジアの台風ベルト下、モンスーン気候に位置し、常に風が吹き渡っています。
 この本の題名から、この地にふさわしい呼称となり、欧米の人々にサバ州の別名として親しみを持たれています。
 アグネス キースは、アメリカ・イリノイ出身、1982年3月30日生−1901年7月4日没、彼女が著した7冊中の3冊は、サバ、サラワク州に関する著書です。
 初著書は日本語に訳されていますので、是非読んで見てください。
 ちなみに、サバ州には台風と地震がありません。

(安達真澄のマレーシア・コタキナバル便り)
http://adachimasumi.blog109.fc2.com/blog-entry-12.html

 このブログをつけている安達真澄は、ご主人の海外赴任がきっかけで、コタキナバルには1979年から居住しており、思えばもう30年以上のマレーシア生活だそうです。

 そしてアグネス・キースの別の著書『Three Came Home 三人は帰った』(山崎晴一訳、岡倉書房新社、1952年)を読まれた方がこんな読書感想文を綴っています。

 私の父は、東京外国語学校(現東京外語大)マレー語部貿易科を卒業後、協和鉱業(のちに帝国石油へ吸収合併)へ入社、1940年にボルネオへ赴任し、戦争が始まった翌年に強制収容所に収容された経験を持っている。
 『三人は帰った』の著者アグネス・キースは、森林監督指導官として英国から派遣された夫に伴い、北ボルネオに居住、日本軍に拘束され1942年から3年半を強制収容所に収容された
 奇しくも同じ時期に、父はボルネオのオランダ領で、著者はボルネオの英国領で、捕虜として拘束されたわけである。
 1950年にこの「THREE CAME HOME」は映画化され、父は同じ経験をした者として興味を持ったのだが、日本では公開されず、作品を見る機会は得られなかった。
 歳月は流れ、今年の春、老父は偶然、ある講演会でこの『三人が帰った』の話題を耳にし、映画の原作となった本があることを初めて知ったそうだ。
 調べてみると全国に三つの古書店に在庫があった。
 やがて名古屋の古本屋から老父の元に黄ばんだ本が届いた。
 前置きが長くなってしまったが、この物語は、1942年から北ボルネオの母子捕虜収容所で3年半の年月を生き抜いた著者アグネス・キースの体験談である。
 まず、驚いたのは、収容所生活の記録の克明さ。
 天候、衣食住、人間関係などが詳細に綴られている。
 筆記用具を没収され、書いたものが見つかれば罰せられる環境の中で、長男のぬいぐるみの中にまで隠した膨大なメモ類をまとめたのがこの本。
 ボルネオの生活を描いた『風下の国』の著書があり、新聞記者の経歴も持つ著者のジャーナリスト魂に敬服した。
 戦争が長引くに連れ、過酷さを増す収容所での暮らし、食べられるものすべてを口に入れ、密輸、盗みあらゆることをして子供と生き延びる
 収容所生活に耐えていく唯一の道は泣かないで笑うこと、と自分に言い聞かす彼女の快活さと勇気が際立っている。
 そして、著者は、愛国心や日本軍への憎しみによってではなく、「戦争こそが罪」という視点で本を書いている。
 「戦争それ自身が人道に対する罪」であると。
 上梓されたのが1946年ということを考えると驚くほど冷静で公平な視点だと思う。
 今回、父が本と一緒に入手したビデオ「THREE CAME HOME」も見た。
 主演はクローデット・コルベール、収容所司令官役で早川雪洲が出演している。
 最後に男性捕虜収容所から解放された夫と家族三人が再会する場面では涙が出た。
 このラスト・シーンが、帰って来なかった夫達、息子達、二度と再会を果たすことが出来なかったたくさんの家族のことを連想させずにはおかなかったからである。
 戦争が終り、自由の身となっても、ほとんど死ぬくらいの目にあってきた自分達には肉体的にも精神的にももう楽しむという感情が残っていなかった、というくだりには胸が塞がれる思いだった。
 戦争とは食べるものがなくなること、清潔が保てなくなること、病気になっても医者にかかれないこと、本が読めないこと、ものが言えないこと、そして弱い者から順番に死んで行くこと… この命の記録を読んでの切実な感想だった。
 私の父は、ボルネオからオーストラリアへ抑留され終戦と同時に引揚げ船で帰国。
 この秋、90歳になった父の若かりし姿も思い浮かべながら、びっしり細かい字が並んだ黄ばんで紙質の悪い本を読み終えました。
(2006年11月22日22:28投稿、「気ままな読書ノート、絵手紙with都々逸」)
…cuckoo2006.exblog.jp

 サンダカンのこの捕虜収容所、強制収容所の所長については、こんな投稿も:

 菅辰次中佐(19期)、広島出身。
 少佐のときに予備役となり、アメリカに滞在。
 二度目の召集でボルネオの俘虜収容所長となる。
 俘虜のなかに『風下の国』の著者アグネス・キース女史とその夫、子供がいた。
 ボルネオ赴任前にこの本を熟読していた菅は驚き、女史に紙と鉛筆を与え、収容所の出来事や感想を書いてくれるように頼んだ。
 喜んだ女史は、提出用の他に、収容所の日本人に対する赤裸々な感想を綴った自分用の手記もひそかに書き溜めた。
 しかしその中でも、菅だけは、典型的な日本武士道にかなった人物として描かれていた。
 戦局の悪化に伴い、俘虜の処遇についてもいろいろな討議がなされた。
 軍司令部は収容所にも重機の一挺ぐらい必要だろうといってきたが、菅は受け取りを拒否した。
 東京に於ける収容所長会議でも「如何なる場合があるとも、俘虜を敵手に委してはならぬ」という当局に対し、彼は「私は、俘虜を殺す相談にきたのではない」と冷然として言い放ったという。

 敗戦と同時に菅は戦犯としてラブアン島に護送された。
 連合軍の計らいで、台湾人の当番兵が付き添っていた。
 ラブアン島に着いた菅を、原住民の石礫が襲った。
 携行したトランクで防いだが防ぎきれず、血達磨となった。
 この惨めな仕打ちを受けて菅は、自決を決意した。
 しかし身に寸鉄も帯びておらず、辛うじて食事用の丸いナイフがあるのみであった。
 彼はこのナイフを頚動脈につきたて何とかこれを切ろうとしたが果たさなかった。
 そこで水筒に砂を詰め、当番兵を呼んで、これで自分を殴るように命じた。
 菅の人柄を愛し付いて来ていた当番兵は、ためらってなかなか撃てない。
 菅はこれを大喝して励まし、彼の心中を察した当番兵も意を決して、菅の後頭部に一撃を加えた。
 しかし菅は一時的に昏倒しただけで、死に切れなかった。
 息を吹き返した菅は、もう一度ナイフを首に当て、これを水筒で撃つようにいった。
 当番兵がナイフの柄頭を強く水筒で撃つと、ナイフは深く突き刺さり、ようやく致命傷となった。
 享年59歳。
 解放されたキース女史は、この収容所での体験を元に、『三人は帰った』という本を書いた。
 これは映画化もされ、菅は早川雪洲が演じた。

http://imperialarmy.blog3.fc2.com/blog-entry-306.html

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2013年11月29日

西風の島

 そもそもなぜ私はスマトラを車で横断するかといえば、林芙美子の作品「スマトラ−西風の島−」を巡るためであるのです。
 この作品はパレンバンから途中の村々をまわって、ジャンビーへ、そして村々をまわってパダンへ向かう≪スマトラ紀行≫なのですが、未完に終わっています。
 芙美子は実際にはアチェまで、スマトラ3,000キロを移動したらしいのですが、詳細が不明なので、今回は、「スマトラ−西風の島−」に描かれるパダンまでのスマトラ横断を追ってみたいと思っています。

(2012年8月22日、山下聖美(やました きよみ)日本大学芸術学部文芸学科准教授「スマトラ−西風の島−」)
http://yamashita-kiyomi.net/?p=686

 急にどうしたのかな、ヤッホー君。
 あのね、今日11月29日金曜日11時に、はっちゃんといっしょに予約した豪徳寺駅前「こいぶち歯科」にでかけたわけです。
 で、歯の治療が終ってから、歯医者さんのちょっと先にある古本屋さんに寄ったんですね。
 で、ついついある本を一冊、買い求めてしまったからなのです:

ボルネオ軍飛行班長、山田誠治『風下の国、ボルネオ戦記』(1969年、非売品)

 帰りの電車のなかでは読書に没頭!
 で、帰宅してからまずは≪風下の国≫に行く前に、まずは≪西風の島≫だろうな、と考えたからなんだそうです。

 スマトラはインドネシアの島だし、ボルネオも東半分はインドネシア領だけど、バレンバンってどこ?

 今回、塚平さんとの出会いは、文芸研究家の山下聖美さんがパレンバンに来られた時のブログ記事
http://www.yamashita-kiyomi.net/archives/2011/09/post_780.html
を拝見したことがきっかけで、山下さんにご連絡し、ご紹介していただくにいたりました。
 日本とパレンバンは戦前から関わりがあります。
 パレンバンは太平洋戦争時代、油田開発が盛んでした。
 そのため、日本軍の蘭印作戦では最重要攻略目標地となりました。
 戦後、パレンバンには日本軍の戦後賠償によってアンペラ橋が建設され、今ではその橋が街のシンボルになっています。
 私(注)もこのパレンバンにいる間に日本人墓地へ一度参らせていただこうと思っています…
 食事後、この日シンガポールへ旅立たれる塚平さんとは握手をしてお別れしました。
 日本人会としての活動は現在パレンバンでは行われていませんが、私がパレンバンにいる間、日本人墓地の清掃などお手伝いできることがあればお手伝いさせてもらえればと思っています。
 塚平さん、今回は貴重なお時間を作って頂きありがとうございました。

(公開日:2013/11/17 インドネシア、パレンバン日本人会を尋ねて)
http://zenryokukankou.com/nihonjinkai-palembang/

 じゃあ、ジャンビーって?

 みなさん、こんにちは。
 インドネシアはスマトラ島メダンにある北スマトラ大学に派遣されている松本剛次と申します。
 2004年末にスマトラ沖で発生した巨大地震と津波の際には、日本から多くの支援と励ましをいただきました。
 スマトラに住むものを代表いたしまして、深く感謝いたします。
 日本語教育関係では、やはり壊滅的な被害を受けたアチェ州はバンダアチェで、高校の日本語の先生が亡くなられたり、校舎が破壊されたりという被害を聞いております。
 ご冥福をお祈りするとともに、こちらでの日本語教育が、被災地の復興に少しでも貢献できればと考えています…
 それでは、私の当地での業務についてお話させていただきたいと思います。
 こちらでは、通常の大学での授業に加え、北スマトラ地区、西スマトラ地区

(スマトラ島は日本よりちょっと大きいくらいの島で、北スマトラが「関東」、西スマトラが「関西」というようなイメージでお考えください。それぞれメダン、パダンという都市が中心になっています)

での高等教育支援と中等教育支援を担当しています。
 私が当地に派遣されてきてから2年になりますが、その間、特に「日本語教育ネットワーク」の形成に力を入れ、その成果がだいぶ形になってきたと自負しております。

(国際交流基金、2005年度、北スマトラ大学・松本剛次「広がる≪日本語教育ネットワーク≫)
http://www.jpf.go.jp/j/japanese/dispatch/voice/tounan_asia/indonesia/2005/report11.html

 林芙美子は1942(昭和17)年10月末から1943(昭和18)年5月まで、陸軍省報道部より派遣され、南方へと赴いた。
 軍の目的は、南方での軍政の浸透度を見聞させ、日本国内に向けて発信していくというもので、要するに芙美子はプロパガンダの役割をまかされたのである…
 ジャワでの村落体験を終えた芙美子は、スマトラ3000Km縦断の旅へと出立する。
 スマトラと言えば、日本軍が欲しくてたまらない資源の宝庫。
 芙美子は「スマトラ−西風の島−」(「改造」1943(昭和18)年6月、7月)に石油などの資源状況をレポートしつつ、人びとに対して深いまなざしをそそいでいく。
 日本国内で当時書かれた多くのスマトラ紀行文の中で、旅を共にするインドネシア人ドライバーの名前や家族構成を記すのは芙美子くらいであるのではないか。
 スマトラにおいても、人間を描く、という彼女の作家魂は健在であった。

(山下聖美「林芙美子と南方視察」(『生誕110年林芙美子展』−風も吹くなり、雲も光るなり−所収)

 やっぱり見てきたいな、展覧会。
 やっぱり行ってみたいな、新宿区立新宿歴史博物館(新宿区三栄町22 Tel 3359-2131)。


(注)
 「私」は、「たんこま(@zenryokukankou)」さんのようです。
 「たんこま」さんは現在、インドネシア政府による奨学金「ダルマシスワ初学金」によってインドネシアのスマトラ島にある大学で1年間のインドネシア語留学中です。
 20代後半にさしかかった(一応)女子です。
 日本の大学を卒業後、日本の会社で5年働いていました。
 それまで自分が海外に行くイメージはまったくわかなかったもののインドネシアと出会い、会社を辞めインドネシア留学をする決意をし今にいたります。
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2013年11月28日

GST

 今日ははっちゃんと連れ立って、大江戸線「大門」駅乗り換えで東京モノレールに乗って「天王洲アイル」駅へ。
 法務省入国管理局に出向いて、「在留期間更新許可」の申請をしてきたわけです。
 そのときはっちゃんが、砂糖への補助金がなくなって、GSTが2015年から新規導入するんだよって、ぽつり言ったので、なに、そのGSTって? と聞き返しました。
 これは、Goods and Services Tax のことでした。
  
 10月25日、マレーシアのナジブ首相は、2015年4月からGSTを導入すると発表しました。
 GSTの税率は6%です。
 低所得者への配慮などから、基礎的な食料品(米、小麦粉、砂糖、塩、調味油など)や、政府が提供するサービス(電気、水道、公共交通機関など)には課税しない計画となっています。
 また、所得税、法人税の税率を引き下げるほか、低所得層には一時金の支給を行なう予定です。
 マレーシアがGSTの導入に動く背景には、政府債務の膨張があります。
 政府によると、2013年の政府債務の対GDP比率は54.8%に上昇する見込みであり(2012年は53.3%)、対策を採らない場合、2015年までに同比率を55%以下とする政府目標を達成できなくなります。
 また、ASEAN主要国のインドネシア、タイ、フィリピンと比べて同比率が高水準にあることからも、マレーシアは財政規律を重視する必要に迫られていると言えます。
 なお、ASEAN全10カ国の中でGSTを導入していないのは、マレーシア、ブルネイ、ミャンマーの3カ国です。
 また、マレーシアが計画している6%の税率は、インドネシアやベトナムの10%、シンガポールやタイの7%に比べて低水準となっています。
 マレーシアは、2011年に一人当たりGDPが1万ドルを超えるなど、ASEANの中では成長が進んでいる国と言えます。
 一方、政府支出により内需を支えてきた面もあり、財政は悪化傾向にありました。
 GSTの導入で財政の悪化に歯止めを掛けようとする政府の姿勢は、通貨や国債利回りの安定化に資すると思われます。

(2013年11月13日三井住友アセットマネジメント「マレーシアが≪消費税≫を導入へ」)
http://www.smam-jp.com/market/report/keyword/__icsFiles/afieldfile/2013/11/12/131113mk.pdf

 そうでしたか、2014年度予算案審議のなかで政府提案があって、本決まり。いよいよってお話しでした。
 砂糖への補助金の廃止の理由が面白くって、はっちゃんと笑い転げていました:

KUALA LUMPUR: A 6% Goods and Services Tax (GST) rate and a new income tax structure, abolition of the 34 sen sugar subsidy and increased BR1M (注) payments were the highlights of the 2014 Budget presented by Datuk Seri Najib Tun Razak in Parliament on Friday.

He said a one-off cash assistance of RM300 to households who are BR1M recipients would be given when GST is implemented on April 1 2015.

He said to lessen the burden of the people, individual income tax rates would be reduced by 1 to 3 percentage points for all tax payers to increase disposable income.

Sale, purchase and rental of residential properties as well as selected financial services were exempted from GST. Similarly, GST would be excluded in transportation services such as bus, train, LRT, taxi, ferry, boat, highway toll and education & health services.

Najib said the 6% GST rate would be among the lowest in Asean countries, with Indonesia, Vietnam, Cambodia, the Philipines and Laos capping theirs at 10% and Singapore 7%.

On the abolition of sugar subsidy, Najib said it was due to the high diabetic rate among Malaysians under the age of 30.

“Statistics indicate that 2.6 million Malaysians under the age of 30 are diabetic. If left untreated, patients will face various complications such as heart disease, kidney failure, blindness and amputation,” he said.


Updated: Monday October 28, 2013 MYT 8:30:44 AM
Budget 2014: 6% GST, sugar subsidy cut, more BR1M the highlights
http://www.thestar.com.my/News/Nation/2013/10/25/budget-2014-highlights-PM-speech.aspx

 このGST導入が経済発展の足をひっぱったり、多民族国家、多文化の共生する国の姿に混乱の風を吹き込まないよう願うばかりです:

PETALING JAYA: The abolition of sugar subsidies and the impending implementation of goods and services tax (GST) in April 2015 are the main concerns of the Malaysian public following the Budget 2014 announcement by Prime Minster Datuk Seri Najib Tun Razak on Friday.

The current price of sugar is RM2.50 per kg, and will rise to RM2.84 on Saturday.

With many saying there were already struggling with the high cost of living, further tightening of their belts were needed with the subsidy cut.

Insurance agent Jason Tan, 24, said day-to-day survival was already a struggle - especially those just starting their careers - and he expected things to be more difficult now.

"Shops are going to increase the price of drinks by at least 10 sen per glass. Other prices will go up as well and we will feel the pinch," he said.

Lecturer Sudhashini Nair hoped that the latest budget could help lessen the burden of the lower- and middle-income group.

"The cost of living is so high now that we cannot think of having more than one child. It is just crazy," she said.

PhD student Nithiya Arumugam, who recently returned from Japan, said the subsidy cut was going to affect her the most.

"When I came back home after three years in Japan, I was astonished by how much food prices had increased. This is just going to make things worse," she said.

However, she felt that the allocation to improve the public transportation system was a move in the right direction.

"Right now, the focus of public transportation is in the city centre. I hope to see it extended," she said.

Engineer S. Kulendran was sceptical about the GST, as he felt the countries applying it had high per capita income.

"They have reliable transportation systems and affordable goods (relative) to its income per capita. We do not have that," he said.

However, he did see some positives to the budget.

"The outcome-based budgeting (OBB) which will be implemented seems promising, especially for healthcare," he opined.

Aircraft engineer Nazir Maslan said the effect of GST implementation had yet to be seen.

"The Government has been saying that it will bring a positive impact, I'm eager to see what it would be," he said.

Nazir also commented that the 6% rate was a reasonable amount, and the tax rate in Malaysia remained one of the lowest.

"In countries like UK, they pay more tax but they also get back more. For example, the public transportation there is so good that it is a hassle to own cars.
"We need to get there but I only seeing it happening in the next 10 years," he said.


Updated: Friday October 25, 2013 MYT 9:50:31 PM
Budget 2014: GST, sugar subsidy removal foremost on Malaysians' minds
by l. suganya
http://www.thestar.com.my/News/Nation/2013/10/25/Budget-2014-reax-GST-sugar.aspx


(注)
低所得世帯向け一時金「1マレーシア・ピープルズ・エイド(BR1M)」

The 1 Malaysia People's Aid (BR1M)to households with monthly income of RM3,000 and below will be increased from RM500 to RM650, while for single individuals aged 21 and above and with a monthly income not exceeding RM2,000, the amount will be increased from RM250 to RM300.

Read more: 2014 Budget: BR1M RM650 for household with below RM3,000 income - Latest - New Straits Times http://www.nst.com.my/latest/font-color-red-2014-budget-font-br1m-rm650-for-household-with-below-rm3-000-income-1.384960#ixzz2lwWEWbAJ
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2013年11月27日

クールジャパン機構

 はっちゃんがシンガポール回りの夜行便で飛来してきた関係で、昨11月26日付けシンガポール紙 The Straits Times を見たヤッホー君、この国と近隣地域の記事が満載されているのにびっくり!

 ○ China-Japan spat hots up
 ○ Air zone: China, Japan summon envoys
 ○ Beijing's move creates choppy waters in region
 ○ Asian airlines agree to reporting conditions
 ○ Review of nuclear plant shutdown
 ○ 'Abenomics' in line for buzzword of the year
 ○ No bullet-train ride for Abenomics
 ○ Island hopping in Okinawa

 そのなかでも、"Japan seeks to be 'cool' again with $1.25b fund" をご紹介。

Japan's industry bureaucrats once guided the nation's world-beating drive to export cars and electronics.

Now that Toyota and Sony have been household names worldwide for decades, the government wants to make sure the rest of the world buys Japanese sake, sashimi and anime.

The "Cool Japan Fund," to launch on Monday, aims eventually to use about $1 billion of mostly public funds to boost distinctive food and drink, fashion, animated and live-action movies and other such "soft" exports.

Although conceived before Prime Minister Shinzo Abe took office last December, it fits his theme that "Japan is back".

Some experts question the need for taxpayers to pump money into private companies. But Nobuyuki Ota, chief executive of Cool Japan Fund Inc, said it made sense for the government-dominated effort to pick winners among companies keen to expand abroad.

"A state-backed fund can do what private investors cannot," Ota, a former fashion executive who brought Issey Miyake designs to the world, told Reuters.

The Cool Japan Fund starts with 37.5 billion yen ($371 million)- 30 billion yen from the government and 7.5 billion yen from 15 companies, such as airline ANA Holdings Inc and advertising giant Dentsu Inc.

(Bureaucrats seek to pick winners with $1 billion 'Cool Japan' Fund, TOKYO, Sun Nov 24, 2013 4:05pm EST, Reuters-By Junko Fujita)
http://www.reuters.com/article/2013/11/24/us-japan-cool-idUSBRE9AN0JB20131124

 民がやれることは民に、とかおっしゃっていた舌の根も乾かないうちにこれじゃあ、消費税を10%にしたって足りやしません。
 この「クールジャパン」って何?

なるほどヒヨコ: 安倍晋三総理大臣(首相)がよく「クールジャパン」って言っているね。何のこと?
記者: クールは英語の cool で、格好いいという意味です。クールジャパンは、海外の人があこがれるような日本の商品や文化を指す言葉として使われています。
ヒヨコ: 例えば、どんなもの?
記者: マンガやアニメ、日本食、伝統工芸や観光名所など、海外から「日本らしい」と評価されるものです。「おもてなし」の精神が根づくきめ細かなサービスもふくまれます。
ヒヨコ: 日本文化を海外に広めようってこと?
記者: ただ広めるだけではなく、政府はそうした文化産業を海外でのビジネスにつなげたいと考えています。2011年で約2兆円の海外での文化産業の売り上げを、2020年に8兆〜11兆円にする目標です。2013年5月下旬には、そのための具体的な計画がまとまりました。
 ▽ 日本食の料理人を「食の伝道師」として育てる
 ▽ 世界遺産ではない文化財を「日本遺産」としてアピール
 ▽ 国際的ななインターネット投票を行ない、マンガやアニメなど上位だったキャラクターをキャンペーンに利用する
−−など19項目です。6月12日には、戦略につながるビジネスを展開する企業を、民間と行政機関が協力して支援する組織「クールジャパン推進機構」を設立するための法律が成立しました
ヒヨコ: 新しい取り組みだから、安倍首相がアピールしてるってこと?
記者: クールジャパン構想は3年前、当時の民主党政権で始まり、経済産業省(国の役所)に戦略を練る部門が置かれました。安倍政権では、経済政策「アベノミクス」の成長戦略の一つになっています。日本は少子化で、国内だけで物がたくさん売れることは期待できません。そこで、経済成長が続く東南・東アジアを中心に、市場を海外に広げようとしています。イギリスでは1997年に「クールブリタニア」、韓国では98年に「クールコリア」とすでに同様の戦略を進めており、日本は、やや出遅れているといえそうです。

(2013年06月24日付け毎日小学生新聞【小丸朋恵】「なるほどヒヨコ:クールジャパン戦略って?」)
http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20130624kei00s00s011000c.html

 そういえば国内紙でも記事が:

 日本の魅力ある文化や商品を海外に売り込む官民出資の「クールジャパン機構」が11月25日、本格稼働した。
 六本木ヒルズで開かれた記念式典には、茂木経済産業相や甘利経済再生担当相らが出席。
 東南アジアなどで拡大する海外の成長市場の獲得を狙う。
 茂木経産相は「日本のブランド力を向上させて、経済成長や産業競争力の強化につなげたい」とあいさつした。
 機構は6月に成立した海外需要開拓支援機構法に基づいて創設、今後20年間事業を展開する
 海外で放送枠を買い取り、「ジャパン・チャンネル」のような形でアニメなどを配信。

(2013年11月25日 20時35分(共同)「日本の魅力売り込め」記念式典 クールジャパン機構稼働)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013112501002431.html

 お台場には経済特区として国際賭博場か国際パチンコ場、カジノもアベノリスクでご開帳するらしいので、「クールジャパン」は「ホットジャパン」に成長していくんでしょうねグッド(上向き矢印)
 あ、そう、そう、パリでの「クールジャパン」は閑散としていて寒かったらしいですねバッド(下向き矢印)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ohmototakashi/20130925-00028396/

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2013年11月26日

怒れない主権者

 11月26日火曜日、こんなニュースが飛び込んできました。

 自民、公明両党は26日午前、特定秘密保護法案の同日中の衆院通過を目指し、衆院国家安全保障特別委員会理事会で委員会質疑後の採決を提案する…
 国会会期末を見据え、政府、与党は参院での審議入りを急ぐ。
(共同)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013112601001396.html
 
 民意が届きません。
 国会議事堂という建物には、アベノリスクの暴走を止める力がありませんでしたね。
 選挙の結果も、内閣支持率もアベノリスクを、自民、公明両党を支持している「民意」の結果が示す事象なのでしょうか。

 ヤッホー君は朝から考え込んでいます。
 ヤッホー君のこのブログ、2013年11月5日付け日記「立候補」以来、「民意」の解釈変更でとんでもない方向に歩んで行かないと良いな、と思いつつ。
 北の青森県からのニュースも、どうなっていくんだろうなって心配:

 青森県内の主要選挙で、低投票率が深刻化している。
 7月の参院選青森選挙区の県平均投票率は46.25%で全国最低を記録、昨年12月の衆院選小選挙区は54.20%で全国ワースト2位だった(ワースト1位は高知の53.89%)。
 10月の八戸市長選は28.48%にとどまり、県内市長選で戦後初めて30%台を割り込んだ。
 若年層の無関心が全体の投票率を押し下げており、専門家は「深刻な事態で民主主義の危機だ」と警鐘を鳴らす。

(2013年11月26日火曜日河北新報、青森総局・狭間優作「青森県、低投票率深刻 関係者危機感、あの手この手、注)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/11/20131126t21013.htm

 この国の選挙制度についてここでおさらいしてみるのも良いかもしれませんね:

 1925(大正14)年、加藤高明内閣は、普通選挙法を成立させた。
 これまでの納税額の制限がなくされたが、選挙権所有者の年齢は下がらず、満25歳以上の男子に衆議院議員選挙権が、満30歳以上の男子に被選挙権が与えられた。
 有権者の割合は全体の約20%となり、今までの約4倍に増加したが、女性には参政権が与えられなかった。
 普通選挙法により労働者らの力が大きくなり、社会運動がはげしくなることをおそれた政府は、普通選挙法の公布の直前に治安維持法を公布した。
 治安維持法は、天皇主権の国家体制を変えることや社会主義の動きを取りしまるために制定され、日本の軍国主義が進むと治安維持法により自由主義者まで弾圧され、思想の自由をうばった「天下の悪法」と呼ばれた。
 1928(昭和3)年の普通選挙法第1回総選挙で日本共産党の活動が目立ったため、衝撃をうけた田中義一内閣は、選挙直後の3月15日にいっせい検挙などをおこなった(三・一五事件)。
 さらに治安維持法の改正を行い、ふたたび大規模な検挙をおこなった。
 その結果、日本共産党は大きな打撃を受けた。
 不況下で労農運動は高まったが、社会主義政党は弾圧と分裂とによって、それを政治的な力にしていくことはできなかった。

(埼玉県入間郡毛呂山町公式サイト、歴史事象 普通選挙法と治安維持法)
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1289795699552/ 

 敗戦後:

 つまり憲法では「成人」で「普通選挙」をする権利を認めているが、普通選挙の定義は法律に任されている。
 かつて「高額納税者」に限定されていたが、最近では収入には制限がないが、立候補するときに高額の供託金を求められるので、「お金持ちしか立候補できない」という状態にあり、普通選挙というのは若干の問題がある。

(2013(平成25)年11月23日付け武田邦彦「一票の格差と日本の民主主義」)
http://takedanet.com/2013/11/post_3159.html

 民意を国の方向性を決めるのに、どう反映させていけば良いのか、それをアタマの良い人たちは真剣に皆んなの前で公論(オープンディスカッション、パブリックディスカッション)をしていけばいいんです。
 ヤッホー君は、選挙権ばかりでなく、被選挙権についても、と提案してきましたけど、やっとイマの制度のままでいいのか、「若干の問題がある」とご指摘があり、ホッとしているところでございます。

 しかし最高裁の判決は、主権者国民よりは国会議員の顔色ばかりうかがっています:

 格差が2倍までならOKというメッセージを、判決文の中で繰り返し発している。
 そのメッセージを受け取った政権与党は満足げだ。
 自民党の細田博之幹事長代行は、判決言い渡しの夕方、「読めば読むほど味の出る良い判決だ」と記者団に笑みを浮かべてみせ、次のように判決を解説してみせた。
 「憲法違反ではないが、一票の格差が2倍を超えないように注意しろということだ」
 2倍までならOKということは、ある選挙区に比べて半分の投票価値しかない地域に住んでいる人たちは、半人前の権利しかなくてもガマンしろということだ…
 主権者としての国民の権利がないがしろにされている。
 それを最高裁が許している。
 このことに、私たち国民はもっと怒るべきなのではないだろうか。

(2013年11月21日 20時3分 江川紹子、ジャーナリスト「国民の主権者意識が問われている」)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20131121-00029991/

 「怒らない」主権者国民だって…、だって、愚民を「怒れないよう」、愚のままにさせておく「秘密法」ができる前から、なんか大事なことはすべて「秘密」になってもれないようになっているんだもん。
 そして、主権が国民にあるという憲法もいまや風前の灯、その灯に息を吹きかける不逞のやからもおられることですし:

 …問題は、メディアの報道が生ぬるいこと。
 なぜ、「裏金受領疑惑」の見出しで報道しないのか。
 また、元東京地検特捜部検事で、本年の参議院選挙に自民党公認で立候補して落選した若狭勝氏のコメントを報じている。
 若狭氏は、刑事事件として立件するためのハードルは高いことを強調し、猪瀬氏の刑事責任追及が難しいとの見解を示した。
 まだ、事実関係も明らかでない時点で、猪瀬氏の刑事責任追及が難しいとするコメントは、あまりに時期尚早である。
 また、自民党公認で参院選に出馬したばかりの人物にコメントを求めること自体が適正でない…

(2013年11月24日(日)植草一秀の『知られざる真実』「猪瀬氏裏金受領疑惑事案を借入金事案に偽装報道」)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-723f.html

 徳洲会からの政治献金疑惑に関する猪瀬知事たたきがメディアを賑わせている。
 私は猪瀬知事を批判する一人だ。
 今回の事件でも擁護するつもりはない。
 しかし猪瀬知事叩きに誤魔化されて重要なことから目をそらすようなことがあってはならない。

 特定秘密保護法案を忘れるな。
 原発事故処理を忘れるな。
 TPPを忘れるな。
 中国・韓国との関係悪化は危機的だ。

 徳州会の政治献金に限ってみても金を貰っているのは猪瀬知事だけではない。
 この際徹底的に調べ上げて、金を貰った与野党の政治家をすべて追及しなければウソだ。
 猪瀬たたきは権力側のめくらましだ。
 その裏で悪い政治家は逃げ、安倍政権の不都合はやり過ごされる。
 そんな権力側の思惑に乗って騒ぎ立てる国民はおめでたい。

(2013年11月26日天木直人のブログ「猪瀬知事の徳洲会政治献金問題ばかりを騒ぎ立てる愚」)
http://www.amakiblog.com/archives/2013/11/26/


(注) 江東区の場合:
衆議院選 小選挙区選出64.05% 比例代表選出64.04%
参議院選 都選出   55.17% 比例代表選出55.16%
都知事選       64.42%
都議選        46.82%
(江東区公式サイトより、選挙・監査)
http://www.city.koto.lg.jp/ac/senkyo/index.html
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2013年11月25日

映画『天心』

 11月23日土曜日朝8時半に10人で「さかえ通り」を歩き出し、最初に目指したのは「おとめ山公園」でした。

 おとめ山公園は落合崖線に残された斜面緑地です。
 江戸時代、おとめ山公園の敷地周辺は、将軍家の鷹狩や猪狩などの狩猟場でした。
 一帯を立ち入り禁止として「おとめ山(御留山、御禁止山)」と呼ばれ、現在の公園の名称の由来となっています。
 大正期に入り、相馬家が広大な庭園をもつ屋敷を造成しました。
 のちに売却され、森林の喪失を憂えた地元の人たちが「落合の秘境」を保存する運動を起こし、1969(昭和44)年にその一部が公園として開園しました。
 湧水・流れ・池・斜面樹林地からなる自然豊かな風致公園となっています。
 現在、隣接地を取得し「区民ふれあいの森」として拡張整備事業を進めています。

(新宿区公式サイト、おとめ山公園)
http://www.city.shinjuku.lg.jp/seikatsu/midori02_001013.html

 その公園の管理をなさっているスタッフより、新宿西口の高層ビル群が展望できる地点があると聞き及んだ山歩クラブ、さっそく手すりのついた急坂を登って向かいましたが、木々やビル群で判然としませんでした。
 では、ココから見えるのであれば、ムコウからも見えるはず、そうだ、都庁から見下ろしてみようと、翌日の11月24日日曜日、タウンウオーク・パート2を企画実施したのです。

 アッ、その前に、と。ヤッホー君のこのブログ、2013年9月28日付け日記「三渓園」をご参照ください。
 山歩クラブ「岡倉天心生誕150年没後100年企画」にあわせ、歩く前に、映画鑑賞をしてきたのでございます。
 この日、朝の9時に新宿東口紀伊国屋書店1階エスカレーター前にお集まりくださいましたのは、総勢5人。
 映画観賞後は、花園神社、芸能浅間神社にお参りし、高層ビル街を徘徊、新宿西口公園、都庁から冨士山を拝み、歩き通したその後、第二回目忘年会。
 え〜と、一昨日の土曜日が10人でタウンウオークした後、第一回目忘年会を「新井薬師のひもの屋」(中野区上高田3-40-10ファーストギアビル1F Tel 3388-8884)で。
 ですので昨日は二日続けての第二回目なのです。場所は魚盛新宿三(Tel 0120-69-9661)。
 乾杯の話じゃぁ、ないでっしょ、どこで何を見たのか、でっしょ!(ぷんぷん!ヤッホー君はうれしそうな顔をして飲んでばかり…)
 そこらへんはしっかり者の仲間が記録を送ってくれていますので、また必要に応じて注釈をつけ、ご報告をしておきます:

 岡倉天心。
 日本美術に西洋美術にはない新しいイデアを吹き込ませ、廃仏希釈を通して脱亜入欧を急ぎすぎる日本を憂えているフェノロサに同行し、埋もれている重鎮・狩野芳崖(温水洋一)を訪れる若き日の天心から、物語は始まる。
 しかし、その前に実は、この映画の推進力となる一枚のセピア色の写真が全面、映画館の銀幕に写しだされており、われわれ観客はこれからはじまる二時間の暗闇の映像世界のなかで、その謎解きをするよう誘われ、われわれ自身の物語となって、映画が始っていたのだ。
 主人公であるはずの天心(竹中直人)は単なる導線に後退し、徐々に、天心が愛している才能ある弟子達(横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山)に物語の主導権を移していく。
 日本美術院を興し、北茨城の五浦海岸に、貧しいながらも集団で絵の研鑽の日々を過ごし、天心は崖の突先に建造した六角堂で修練し、舟を大海原に浮かべ、漁師と魚釣りをしながら禅問答を交わす。
 物語は、静溢ながらも己の鍛錬から切磋琢磨する、後の画壇の大家達の姿が真摯に描かれた人間ドラマに仕上がっていた。

 観る前までは、あまり得意のジャンルでないので、やや腰が引けていたのですが、群像劇として芸術家かつ人間、岡倉天心の心根と、どちらかと言うと4人の弟子達、特に38歳の前途洋々の途上で病死した菱田春草(平山浩行)に焦点を絞ったことで分かり易い作品にしたのが好結果を生み出したと私は感じました。

 山歩クラブの皆さん、皆さんとまた一緒に映画を観ましょう。
 今回感じたのですが、山歩きではなかなか個人的に突っ込んだ話がしづらいのですが、昨日のタウン・ウォークや今日の映画会での集まりでは、山歩きと違った側面から、仲間の皆さん達の素顔が見えるので、話をしていても楽しかったです。
 今日は、そんな仲間のひとりから日頃、観ている映画や映画論を聴けて、とても新鮮でした。
 同好の志を得てより一層親しくなったような心持ちになりました。
 自分の居場所を見つけた気になり、今後、お会いするのが楽しみになりました。
 山歩クラブでは、得るものが多く、私の励みになります。
 今日は、楽しいひと時でした。
(Sun, 24 Nov 2013 22:20:33 +0900(JST)受信)

 あら、なにも注釈なんかつける必要がございませんでした。
 
 観た映画については公式サイトもあります。
 ヤッホー君なんか、あの日3.11、流された六角堂の再建にたずさわった茨城大学の皆さま、映画を作ろうとして劇場公開までこぎつけた地元、北茨城の志の高い皆さま、北茨城のあんこう鍋のこと、そして映画で言えば、天心と赤倉、天心と九鬼周造、天心と谷中の六角堂、天心とタゴール、天心とインドで出会った憧れの人びと等々、言いたいことがたくさんあったようですよ。
 どうぞ、これまでのヤッホー君のブログから、あるいはグーグルでも<山歩クラブ 天心>で検索してご参照ください!
 それほど、この映画は、観るものを主人公にしてしまう力があります!
 山歩クラブの仲間が指摘くださったように、始まりの前に始まりがあり、物語の銅線に多数の多元的なエピソードの枝葉が茂り、ハッピーエンドにもならないエンドレスの劇場外の日常の世界に舞い戻っていくと、何よりも海の怒り狂うような怒涛の響きが、観客の耳に残っている…

 ☆ 復興支援映画「天心」
http://eiga-tenshin.com/official/
 ☆ 映画『天心』公式サイト
http://eiga-tenshin.com/

 ぜひ、劇場に足を運んで明治初期の日本人、東アジアにすら、未だ共栄圏を築き得ない今日の日本人に思いを馳せてみてください!
 劇場「シネマート新宿」といえば、ヤッホー君、びっくりしました。
 だってぇ〜、ここはムカシ、ATG、「アートシアター新宿文化」だったんじゃない? 思わず、ヤッホー君、しばし口をぽかんと開けたまんま。
 ここには、ムカシの時間が息づいている土地でもありました。

 1962年から70年代半ばにかけ〈アートシアター新宿文化〉の支配人をつとめた葛井欣士郎のインタビュー集。幼少期から〈新宿文化〉を離れるころまでが語られる。
 実験的な邦画を多数制作したATGの上映館として、またその地下にあった〈蝎座〉と共にアンダーグラウンドな演劇を多く公演した劇場として熱狂的に支持された〈新宿文化〉は、葛井の存在があったことで成立していたことが、本書を読むとよく分かる。
 そこに行き交うのは大島渚や三島由紀夫、蜷川幸雄…。挙げれば切りがないが、そんな文化ヒーローが活躍できる舞台をつくったのは葛井だった。劇場の企画だけでなく、ATG映画の製作にも携わっていた彼は、無謀ともいえる斬新な発想を次々と実現していく。ときに大失敗もするが、その活力に圧倒される。
〈新宿文化〉を知っている人も知らない人も、全く新しい文化が試行錯誤のすえ生まれる躍動と感動を、本書から感じることができるだろう

(2008年10月13日付け47ニュース、一色こうき「新しい文化が生まれる躍動と感動『遺言 アートシアター新宿文化』(葛井欣士郎、平沢剛著 河出書房新社2800円+税)
http://www.47news.jp/topics/entertainment/2008/10/post_1685.php

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2013年11月24日

放浪記、もしくは浮雲

 ただいま戻りました。

「林芙美子作『放浪記』(注1)や『浮雲』(注2)での原作を深く噛み砕いて、高峰秀子は自分の終生の代表作にしました(注3)」

(注1) 1928年と言いますと、林芙美子25歳のときです。
 
 『放浪記』は1928(昭和3)年10月1日発行の『女人芸術』第一巻第四号に「秋が来たんだ−放浪記−」が掲載され、以後20回にわたって、1930(昭和5)年に至るまで掲載される。
 『放浪記』は1930(昭和5)年の7月に改造社から「新鋭文学叢書」の一冊として刊行され、わずか2ヶ月で40版を重ねる大ベストセラーとなった。
 同じ年の11月には『続放浪記』が刊行された。
 さらに『放浪記決定版』が1939(昭和14)年11月に大幅な修正が加えられ新潮社から刊行された。
 1947(昭和22)年の5月から『放浪記・第3部』が「日本小説」に連載され、1949(昭和24)年に、『放浪記・第3部』が単行本として刊行された。
 1950(昭和25)年の6月、中央公論社から全三部を収めた『放浪記』が刊行され、現在の形が整えることになった。

(愛知教育大学大学院呉暁燕「林芙美子−自立した女性の姿の研究」)
http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/3952/1/tetsugaku587768.pdf

(注2) 『浮雲』は1949年、林芙美子46歳の11月から連載(「風雪」〜1950.8、「文学界」1950.9〜1951.4)。なくなる年の1951年の4月に六興出版社から刊行。

 小説『放浪記』で知られる作家、林芙美子(1903〜51年)が戦前、カナダ・バンクーバーで発行された日本語新聞「大陸日報」に、晩年の代表作で映画にもなった「浮雲」の原型ともいえる短編小説を寄稿していたことが今年、2013年5月11日、分かった。
 1931年8月12日付の大陸日報に掲載された『外交官と女』という約2000字の小品で、移民史や日本近代史の研究者、広畑研二さんが、横浜市中央図書館所蔵のマイクロフィルムから見つけた。1951年の『浮雲』刊行から20年さかのぼる作品
 林芙美子の作品に詳しい北九州市立文学館の今川英子館長は、「研究者の間でも全く知られていない作品で、正直驚いている。『浮雲』は芙美子が戦争と敗戦を経験したからこそ書けた小説だが、その萌芽(ほうが)が人物造形などに見られ、非常に興味深い」と話す。
 『外交官と女』は、林業分野の仕事に携わる男性外交官が、中国アモイ赴任時代に知り合った熊本・天草出身の女性を回想する独白体。『浮雲』は、旧農林省の技師が戦時中、日本軍が進駐するベトナムで日本人女性と出会う恋愛小説で、女性に対するニヒルな態度や、外地で同胞女性に向ける視線など、設定や描写が似通っている。
 『外交官と女』が発表されたのは、実体験を色濃く反映した『放浪記』(1930年刊行)がベストセラーとなった翌年。今川館長は「成功した芙美子が、自伝的作品から脱却しようともがいていた時期に当たり、彼女の文学の軌跡を知る上でも貴重な資料」と指摘する。
 広畑さんによると、大陸日報は1907年創刊で、バンクーバーの日本人移住者向けに1941年の日米開戦まで発行された。
 『浮雲』は成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演で55年、映画化された。

(2013/5/12 2:00〔共同〕林芙美子『浮雲』の原型か 戦前、加の邦字紙に寄稿)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1102T_R10C13A5CC1000/

(注3) 映画『浮雲』の脚本はヤッホー君が市川市に水木洋子邸を訪れたことのある件の脚本家。映画論を2本ご紹介:
 
W. 東京と南洋 ―引き裂かれた郷愁の空間―
   暗い東京と成瀬巳喜男『浮雲』

 『ゴジラ』(1954年)は、成瀬組によって作られた映画である。本多猪四郎と円谷英二の二人の大きな名前に隠れてはいるが、撮影の玉井正夫、美術の中古智、照明の石井長四郎、録音の下永尚ら、東宝の成瀬組が撮ったものであり、『浮雲』(1955年)の映像と似ていて、同じ感覚を呼び起こしたとしても不思議ではない。
 『ゴジラ』と『浮雲』は、表裏一体の関係にあり、同じ戦後日本の歴史と歴史観を描いている、という感覚に襲われる。片や怪獣が主人公、片や女優高峰秀子が主人公という差はあれ、敗戦国日本の現実を映し出しているという点で、陽画と陰画の差でしかない。
 『浮雲』と『ゴジラ』は、何処が似ていると感じさせるのであろうか。
 成瀬巳喜男の名作『浮雲』は、林芙美子(1903-1951)の小説『浮雲』(映画は、新潮社版に拠る)を原作とし、当然のことながら論考も数多いが、海で始まり、海で終わる、ということが強い印象として脳裡に残る映画でもある。
 南方から海を渡って日本へ帰り、そして、海の向こうへと日本を去ってゆく。
 『ゴジラ』では、「母を想い、故郷をしのんで、元気に話合っていた多くの人をのせて」沖縄から横浜に向かう南海汽船の貨物船栄光丸(ゴジラにより途中、沈没)とゴジラ、そして,『浮雲』では,幸田ゆき子(高峰秀子)が、南方と東京の「海」を「往復」する存在であり、戦前の「南方進出」と戦後の「引揚者」を表していることは言うまでもない。
 しかし,南方と東京を結んでいる海は、隔てる海でもあり、そう簡単に、自由に、往復できる海ではないのだ。
 ゴジラは、太平洋の水爆実験によって静かな眠りを覚まされ、南海の安住の地を奪われた怪獣でもあり、また、一方では、大東亜戦争で南の海に沈む日本人の戦死者の魂の化身でもあり、抑も、ゴジラの帰属する「祖国」については、両義性を持っている存在ではあるのだが、外地仏印での甘い思い出と、祖国東京での厳しい現実との狭間に漂い、国境の島・屋久島で絶命する『浮雲』の高峰秀子と同じように、南洋と東京のどちらにも、結局のところ「帰国」できず、狭間の海に沈むしかなかったのである…
 『ゴジラ』と『浮雲』には、憧憬もし、進出もした南洋と、祖国日本との間で引き裂かれた、敗戦国の国民がそこにいるのである。
 幸田ゆき子が、本人にとって掛け替えのない、その時「確かに生きた」証しでもある夢のような1943(昭和18)年当時の仏印(佛領印度支那)は、言うまでもなく、コーチシナ(Cochinchine、交趾支那)を直轄地として、1887年に組織されたフランス領インドシナ連邦(総督府ハノイ)のことであり、植民
地フランスの香り漂う南洋であった。
 安南語と佛蘭西語が飛び交い、ゆき子が、農林省のタイピストとして赴任した、殊にダラット(Da Lat)は、標高1500mの高原に広がる、フランス植民地時代に開かれた避暑地であり、グラスでフランス産リキュール「コアントロウ」(Cointreau)を飲み、戦時下の内地では想像も出来ぬ、泡沫の優雅な戦時下を過ごしたことは、南国の微風に揺らめく高峰秀子の淡いワンピース(「白絹のワンピース」と、富岡兼吾(森雅之)との甘い抱擁が、そのことを象徴している。

(猪俣賢司「東京遊覧と南洋の反照としてのゴジラ映画史」 -瀬巳喜男の『浮雲』とゴジラの歩いた戦後の東京-)
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/13459/1/127_113-151.pdf

 高峰秀子(1924-2010)… 

 86歳で亡くなった女優、高峰秀子さんは5歳で子役デビューし、戦前・戦中・戦後一貫してスターの座にあった。
 仕事に追われ、学校とはほとんど縁がなかったが、撮影所の多彩な人間や台本が学校であり教材だった。親族の生活を支える苦労も負った。こうして養われた人間観察の目が演技や文筆ににじむ。
 日本エッセイスト・クラブ賞の『わたしの渡世日記』(朝日新聞社)に、敗戦直後の浮薄な男たちをこう記す:


 撮影所の男たちもまた同じであった。
 が、焼け跡にほうり出されて放心しているほとんどの男たちと違うところは、彼らには活気に満ちた、というよりも追われるほど忙しい仕事があったことである。
 変節や、回れ右など問うヒマなどあらばこそ、昨日まで花火の爆弾や鉄砲玉を使って戦闘場面の再現に夢中になっていた男たちは、今度は一夜勉強の、主権在民、自由や解放を主題とする映画を作らなければならない

 とりあえずと、にわか普請のように戦後日本は組み立てられるが、このくだりは見事にその一小景を描く。
 林芙美子原作の『浮雲』は1954年に成瀬巳喜男のメガホンで撮影、1955年正月公開された。高峰さんの訃報記事でメディアはこれを代表作に数えたが、邦画史に特筆されるべき名演だと思う。
 戦争中、日本軍占領のインドシナに派遣された農林省タイピストのゆき子が高峰さんだ。皮肉屋の技官富岡と恋に落ちる。敗戦。先に帰還した富岡の家を訪ねると、彼はうって変わって落ちぶれた風情で、狼狽(ろうばい)の色を浮かべた。別れたはずの妻は家にいた。
 熱もないままずるずると関係が続くが、ゆき子は生きるため物資豊かな米兵のオンリーになったり、いんちき宗教で金もうけに走るえせ教祖の囲われ者になったりする。
 やがて無気力な富岡が九州の屋久島の営林で一から出直す決意をし、ゆき子が随行するが、そこに悲劇が−−。

 占領地での甘美な体験。
 戦後の落魄(らくはく)と自信喪失。
 対米依存。
 拝金主義。
 登場者たちの流転が、日本という国の流転に重なる。
 ゆき子が富岡らに向ける目に変転する不信、警戒、怒り、軽蔑、おびえの色が、それを静かに告発するようだ。それは時勢に流される人間の奥底を悲しく見るような目でもある。
 引退後の高峰さんに『浮雲』の思い出を聞いたことがある。「ワンシーンでゆき子は人が変わったようになる。矛盾しているようで、それが現実の人間でしょう」とおっしゃったのを忘れない。積み重ねた人間観察から生まれた目だと思う。

(2011年01月04日毎日新聞東京朝刊火論:『浮雲』に宿る戦後=専門編集委員、玉木研二)
http://mainichi.jp/opinion/news/20110104ddm003070115000c.html

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林芙美子

 ヤッホー!とおなかの底から声をだすと、返ってきますのが山歩クラブの仲間からのこだま。
 山歩きでなく街歩き!
 今朝は昨日の「勤労感謝の日」の駅から駅へお散歩会の感想を第一報でご紹介しましょう:

 おつかれさまでした。
 タウン・ウォークに初参加して秋晴れの紅葉の中、みんなでワイワイガヤガヤ、言いあいながらの街歩きも楽しいかったです。
 久し振りの小学生の遠足気分でした。
 やはり映画好きには、「林芙美子記念館」が印象深く、全館、鑑賞しながら楽しんでまいりました。
 『放浪記』(注1)や『浮雲』(注2)での原作を深く噛み砕いて、高峰秀子は自分の終生の代表作にしました(注3)。
 名女優の高峰秀子の、『浮雲』での富岡:森雅之演じる男とのしがらみとも言える男女関係を全うした彼女の切なくも贖いきれない女の性とも言える演技は絶品です!
 高峰秀子の頂点、とも言える最高傑作です。
 機会があったらレンタル店でかりて観て下さい。
 24日日曜日は、紀伊国屋書店の前に行きます。

…2013年11月23日23:01受信

 注記とか書いておきながら、今朝も大忙しのヤッホー君。
 昨日買い求めてきた『生誕110年、林芙美子展 - 風も吹くなり 雲も光るなり -』を昨夜から読んできて、書き足さなくっちゃと思っていたそうですが、どうやら今朝もヤッホー君はあわただしくお出かけの様子。
 なにやら、帰ってから増補するようですよ。
 どこへ?
 新宿の「紀伊国屋書店」を目指すようですよ。
 行ってらっしゃい!

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2013年11月23日

花のいのちはみじかくて

 ただいま戻りました。
 山歩クラブのタウンウオークは10人で、高田馬場駅から新井薬師前駅まで、駅から駅へお散歩会。

P1017887.jpg

 今日の大収穫は、「林芙美子記念館」でのガイドボランティア渡辺さまの丁寧なご説明、解説。

 森光子さんの舞台『放浪記』の原作者で、「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」と好んで色紙に書いた作家林芙美子の直筆の詩稿が2009年9月5日までに見つかった。
 書かれた時期は不明だが、
  
花のいのちはみじかくて
  苦しきことのみ多かれど
  風も吹くなり
  雲も光るなり

とのくだりがある…
 林芙美子と親交があった『赤毛のアン』の翻訳者村岡花子さんの遺族宅に保管されていたもの…

(2009/09/05 20:00【共同通信】「林芙美子の直筆詩稿発見」、注)
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090501000667.html

 この建物は『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、1941(昭和16)年8月から1951(昭和26)年6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
 1922(大正11)年に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、1930(昭和5)年に落合の地に移り住み、1939(昭和14)年12月にはこの土地を購入し、新居を建設しはじめました。
 新居建設当時、建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、画家であった夫・緑敏名義のアトリエ棟をそれぞれ建て、その後すぐにつなぎ合わせました。
 芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別でした。
 このため、山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。
 芙美子は客間よりも茶の間や風呂や厠や台所に十二分に金をかけるように考え、そのこだわりはこの家のあちらこちらに見ることができます。
 ガイドボランティアによる館内の解説があります(10時〜16時)。
 「林芙美子記念館」は、公益財団法人「新宿未来創造財団」が指定管理者として管理・運営を行なっています。

(新宿区立林芙美子記念館)
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/?p=12#volunteer

P1017903.jpg 

林芙美子記念館.jpg

 なんと今日付けの東京新聞でも、「林芙美子記念館」が載っていました、びっくり!:

 故森光子さんの2000回を超す舞台となった自伝的小説『放浪記』の作者、林芙美子(1903-1951)は、広島県尾道市で十代の多くを過ごした。
 放浪記の≪海が見えた。海が見える。5年振りに見る、尾道の海はなつかしい≫の一節は有名だ。
 生まれは北九州市門司区(山口県下関市との説も)だが、下関市や長崎市、鹿児島市などを転々として12歳になって尾道に落ち着く。
 尋常小学校の教師に作文と絵画の才能を認められて高等女学校に進み、地元新聞に投稿を始めたのが作家となる一歩となった。
 卒業後、恋人を頼って上京。
 カフェー店員などさまざまな職業や、いくつかの恋を重ねながら、作家の夢を果たしていく姿は放浪記に重なる。
 …2013年11月17日から新宿歴史博物館で≪生誕110年 林芙美子展≫を開催している。
 芙美子ゆかりの北九州市立文学館、尾道市、かごしま近代文学館との協働企画展となった。
 会場には自筆原稿や自筆肖像画、交友のあった川端康成、壺井栄、画家の中川一政らとの書簡、半年に及んだパリでの生活、戦時中の従軍記者の写真なども展示されている。
 同展は来年2014年1月26日まで。
 新宿歴史博物館学芸員、佐藤泉さんは「放浪記があまりに強調されているが、芙美子の真価はその後の『骨』『浮雲』などの作品にあると思う。そんな芙美子の姿を見てほしい」と言う。

(2013年11月23日付け東京新聞 編集委員・朽木直文【TOKYOのわがふるさと】広島県<3>居宅に見る こまやかさ『放浪記』作者林芙美子)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/info/furusato/news/201311/CK2013112302000191.html

 芙美子は、マッチの燃えさしで眉を描き、木賃宿から出撃するのである。
 へこたれることがあっても、意気は軒昂(けんこう)だった。
 「
古ぼけたバスケットひとつ。
  骨の折れた日傘。
  煙草(たばこ)の吸殻よりも味気ない女。

  私の捨身(すてみ)の戦闘準備はたったこれだけなのでございます」
 と書く。
 失恋した時は、「地球よパンパンとまっぷたつに割れてしまえ」と。
 威勢の良さの陰に仄(ほの)見えるのは、自棄(やけ)や絶望などでは決してない。
 言葉の世界に生きる者の、冷徹な眼差(まなざ)しなのである。
 今、若い人に『蟹工船』が読まれているという。
 『放浪記』も受け入れられるだろう。
 いや、ぜひ読んでもらいたい。

(2008年6月15日掲載、桐野夏生(上)林芙美子『放浪記』)
http://book.asahi.com/mybook/TKY200806180180.html


(注)

 原作者・林芙美子の言葉としてあまりに有名だが、映画『浮雲』の印象が強いため、この原作が出典と思われることも多いようだ。しかし、小説には出てこない。林が色紙などによく書いた言葉である。成瀬巳喜男監督は、淪落(りんらく)の果てに客死するゆき子に、林の好んだ名言を、鎮魂の意味を込めて重ね合わせたのだろう。
 一文は、同じ林原作で昨年亡くなった森光子さん主演の舞台『放浪記』(1961年初演)でも、芝居が始まる前のナレーションとして流された。成瀬監督は、その映画化(1962年)にあたっても、ラストにくだんの言葉を引用した。『放浪記』は言わば林の一代記。小説『浮雲』の完結後間もなく、1951年6月に47歳で急逝した彼女を表すのに、これ以上ぴったりのせりふはない。
(花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき−映画『浮雲』1955年)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/trip/meigen/20130121-OYT8T00383.htm

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宙ガール

 石和宿にて夜景を見にでかけた折り、コメットショーがあるとお聞きして、びっくり!
 アイちゃん、こと「アイソン彗星」でございました。
 以下に報告しおきます:

 2012年9月21日(世界時)、ベラルーシのヴィタリー・ネフスキー Vitali Nevski とロシアのアルチョム・ノヴィチョノク Artyom Novichonok は、国際科学光学ネットワークの40cm反射望遠鏡を用いた観測で、かに座方向におよそ19等の彗星状の天体を捉えました。
 発見時、この天体にはわずかに拡散したコマが認められましたが、その後の複数の確認観測により彗星と確定され、「アイソン彗星 C/2012 S1(ISON)」と命名されました。
 アイソン ISON は、発見者が所属する国際科学光学ネットワーク International Scientific Optical Network の略称です…
 近日点通過の11月29日の前後4日(11月25日頃から12月2日頃まで)は、アイソン彗星と太陽との見かけの距離は10度を切り、彗星は太陽にきわめて近くなります。
 双眼鏡や望遠鏡を使って観察する際は誤って太陽を見てしまうことがないように、十分に気をつけてください。

(自然科学研究機構 国立天文台)
http://www.nao.ac.jp/astro/sky/2013/ison.html

 そして、昨日の11月22日金曜日夕方には、FM東京でもご案内があって、またびっくり!:

 今週もまちかど天文台をお聞き頂きましてありがとうございます。
 まずは、まちかど天文台から素敵なお知らせ。
 まもなく地球に大接近する「アイソン彗星」
 宙ガール・宙ボーイなら絶対に見たいですよね。

 そんなアナタに素敵なプレゼントを2つ。
 天文学普及プロジェクト「天プラ」さん主催による、アイソン彗星と冬の星空の観望会が、六本木ヒルズ屋上にて開催されます。
 日時は12月6日、7日、8日の3日間、朝4時から日の出まで。
 費用は3,500円。参加には事前に予約が必要となり、3回ともチケットSOLD OUTの中、まちかど天文台は12月6日回 3組6名様分のチケットを確保しました。

 そして、女子限定でもうひとつ。
 三宅島でアイソン彗星を楽しもうという企画
 Vixen「宙ガール」×東海汽船「島ガール」のコラボ企画。
 三宅島を旅して星空を楽しもうという企画
 題して「宙ガール×島ガールツアーin三宅島」
 日程は12月6日(金)から12月8日(日)。
 昼は島内ネイチャーガイドツアーや野鳥観察で、豊かな三宅島の自然を体験。
 夜は満天の星のもと、ビクセンの天体望遠鏡や双眼鏡を使って星空観望会を行ないます。
 参加者には、ビクセン×東海汽船オリジナルカラーの双眼鏡をプレゼントします。
 このツアーに女性限定で1組2名様を番組からご招待。

(17:30〜17:55 2013年11月22日 オンエアレポート、篠原ともえ、Vixen presents 東京まちかど☆天文台)
http://www.tfm.co.jp/hoshi/

 そうしたら、新聞でも報道されておりました、いやはや、またまたびっくり!:

<アイソン彗星>「あの長い尾」輝き増し肉眼で 燃える商戦
毎日新聞 11月22日(金)10時38分配信

 今年最高の天体ショー、アイソン彗星(すいせい)が3等ほどに輝きを増し、肉眼でも見られるようになってきた。
 今月下旬から12月中旬にかけて、さらに明るくなり、明け方の東の空に長い尾が見られるとの期待が高まっている。
 チャーター機の高額観察ツアーは即完売、星好き女子「宙(そら)ガール」を狙う商品が店頭に並ぶなど、彗星商戦も燃えている。【渡辺諒】

 …明るさや尾の長さが実際にどうなるかは近付くまで分からない。
 予測では明るさは最大でマイナス6等。金星(マイナス4等)よりも明るく、近年まれな「大彗星」の呼び声が高い。
 国立天文台の渡部潤一副台長は「着実に明るさが増しており、太陽に最接近後の12月は特に期待できる」と説明する。
 11月29日の最接近の前後数日間は太陽に近すぎて見えなくなるものの、肉眼なら12月中旬まで、双眼鏡なら同下旬まで、明け方の東の空に見ることができそうだ。
 今月下旬には、
   ▽ アイソン
   ▽ ラブジョイ
   ▽ エンケ
   ▽ リニア
の4彗星が東の空に集結する。
 肉眼では難しいものもあるが、望遠鏡や双眼鏡を使い「ほうき星のパーティー」をのぞき見たい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131122-00000013-mai-soci

 では行ってきま〜す。
 えっ、イーチャリ?イードラ?朝キン?
 いいえ、今日は山歩クラブの「霜月タウンウオーク」の公式行事の日なんですぅ。
 8時半、高田馬場駅「さかえ通り」(東京富士大学)入り口集合なんですぅ。

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2013年11月22日

山の上ホテル

 11月21日木曜日朝、ヤッホー君はイーチャリで有楽町へ。
 さらに夕方、二度目のおでかけ、今度はネクタイしめて。
 山の上ホテル(千代田区神田駿河台1-1 Tel 3293-2311)で、あるパーティが開かれていました。
 それは、なかしま のぶこ『東京の図書館で働いて』(東京シューレ出版、2013年)出版記念パーティ:

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 ヤッホー君のこのブログ、2013年10月11日付け日記「書くことの重さ」をご参照ください。
 作家、佐藤泰志(1949-1990)が何度も候補に選ばれながら、ついぞ受賞に至らなかった芥川賞選考会も、きっとここで開かれたんだろうなって、ヤッホー君、秋の夜空を見上げちょっと涙ぐんでおりました。

 去る2013年8月19日(月)、山の上ホテルにて、選考委員・角田光代氏、高橋源一郎氏、星野智幸氏、山田詠美氏により、第50回文藝賞の選考会がおこなわれました。
 その結果、受賞作は桜井晴也氏の『世界泥棒』に決定いたしました。
 受賞作・選評・受賞の言葉は、10月7日(月)発売の『文藝』冬号に掲載されますので、ぜひご一読ください…。
 詩的文体と圧倒的な強度で描かれた、1985年生まれの新鋭が贈る全く新しい〈戦争文学〉の誕生!

(2013.08.28付け河出書房新社トピックス「第50回文藝賞が決定」)
http://www.kawade.co.jp/news/2013/08/

 ヤッホー君が出席した出版記念パーティには、それこそ和やかな、穏やかな、笑顔の飛び交う空間が生れました。それこそ作者の人徳ですね。
 ヤッホー君からはさっそく今朝になってお礼のメールが出されたそうでございます:

 とても華やいだ中嶋さまを中心に美味しい料理にヌーヴォーワイン、美しい音色と、そして中嶋さまを称えるスピーチと実に愉快な出版記念会になりました。
 名司会さまはじめ皆さま、大変おつかれさまでした。
 写真はなんと141枚撮ってありました。
 では今日も良き一日を!


 「141枚」…、そうなんです、このパーティにあわせ、なんとか皆さまのお役に立てれば、と前もって購入予約をしておいたのです。
 パナソニック コンシューマーマーケティング(株)の商品アドバイザー、野呂禎さまにはとてもお世話になりました。
 そして昨日の21日(木)に発売になったばかり、お店の開店時間に合わせてついにゲットダッシュ(走り出すさま)
 何って…、パナソニックのミラーレス(オレンジ色)。
 帰宅後ヤッホー君、バッテリーを充電させるなどして準備も怠らなかったそうでございます。
 夕方、満を持して、愛用のオリンパス機とパナソニックのミラーレス、とカメラを何と2台も首からぶらさげてお伺いしたわけです:

 ついに発売となりました新商品 LUMIX GM。
 この日を無事に迎えることができ、スタッフ一同大変喜んでいます。
 発売に合わせて商品サイトでは、綾瀬はるかさん出演のテレビCMやショート・フィルム映像のほか、写真家 田川梨絵さんが撮りおろした綾瀬はるかさんの貴重な写真など多数のスペシャル・コンテンツを追加しています。
 ぜひ LUMIX GM の世界をお楽しみください。

(待望の新商品 LUMIX GM 発売!)
http://panasonic.jp/dc/gm1/?utm_source=lcmg&utm_medium=mail&utm_campaign=20131121

 そして「美しい音色」…、そうなんです、プチコンサートが場を一層もりあげてくれました:

出版記念パーティ.jpg

 「図書館」…、人だけでなく、何十万冊もの図書も二度と「疎開」する、なんてことがないよう、平和で美しい日本を守って、次世代に引き継いでいかなくっちゃ、と密かにヤッホー君、昨夜は固く誓って帰路についたのでした。

 本というのは本当にすばらしいものだと思います。
 あの、古今東西と言ってしまえばそれまでですけど、あの、時空を超えていますから、ただ目で見るとか、そういうものでもありませんし、ものすごく広い世界のものだと思います。
 で、自分を作り上げてくれる、私にとってはね、そういうものであったと思います。
 本当にありがたい、ありがたいものだったですね。
 今でもありがたいものだと思っています。

(長谷みどり、元日比谷図書館員)
…映画『疎開した40万冊の図書』パンフレット「時の証言者たち」

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2013年11月21日

大蔵経寺山716m

 かくして11月18日月曜日、石和宿に入ったヤッホー君たちご一行様、そうなんですよ、ここは五街道のひとつ、甲州街道なんですよ。
 石和とは漢字、これを読むに【いさわ】とはこれ如何に?

 石和の地名は多くの川が流れる荒地で、藺(い)が一面生えていたので藺の沢からとか、陽成天皇の時代、見事な栗が献上され石禾(いさわ)の字を賜ったなどの由来がある。
 また武田武田信玄の父信虎が躑躅ケ崎(つつじがさき)に城を築くまでは、ここ石和が武田氏の本拠地であり甲斐国の政治の中心地でもあった。
 本陣1 脇本陣2 旅籠18

 2008年1月20日栗原宿よりの続き、12:50。
 ● 市部本通り(石和宿入口)
 石和は1961(昭和36)年1月、突然大量高温のお湯が湧き出し、新興の温泉地として賑わい始めた。
 宿としての石和はこの市部本通りへ曲がったあたりから始まる。
 現在の石和は2014(平成16)年10月、周辺の町村を併せて笛吹市という市に変わっている。
 なかなかしゃれた市名だとはおもうけど。
 市役所は石和に置かれている。
 電線が地中に埋められてすっきりしている。

(アンドーさんの甲州街道歩き旅)
http://kaidouarukitabi.com/index.html

 こんふうに旧街道をせっせと歩いて、その都度、ブログとして広く情報を公開し、旅の経験を共有してもらって、あなたも歩いてみたら、と旅に誘おうとする姿勢はたいへん見上げたもんですよね。
 尊敬します。
 温泉の由来については、そうなんです、こちら:

 石和温泉が全国的に有名になったのは、1961(昭和36)年に「いずみ荘」で源泉掘削を行った際、高温多量の温泉が周辺の川や畑に流れ込み、自然の温泉浴場としてマスコミに取り上げられた事がきっかけです。
 県では、源泉保護と観光地振興の見地から5本の源泉掘削を行い、1963(昭和38)年から給湯業務を開始しました。
 1972(昭和47)年には、流しっ放しの定流方式から従量循環方式にあらため、資源の有効利用に努めています。
 2002(平成14)年には、温度67度、湧出量毎分340リットルを有する新規源泉(6号源泉)の掘削に成功し、以降、他の源泉とあわせて給湯を行っています。

(山梨県公式サイト、石和温泉管理事務所、県営温泉事業について)
http://www.pref.yamanashi.jp/isawa-on/isawa-onsen-kanri.html

 また、行政当局の公式サイトとちょっと違った味付けで街を紹介していただけるのも味わい深いものがございます。
 石和宿については、これもご参照下さい:
(”新甲州人”が探訪する山梨の魅力再発見!、東京から移住して”新甲州人になった観光のプロ”が探訪する「山梨の魅力再発見!」特選記事を抜粋してご紹介します!)
http://yssoho.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/05/post_182e.html

 宿に入ったあと、飲んでばったんきゅうと寝てしまう山歩クラブではございません。
 いそいそと「新日本三大夜景」見物にでかけたのでございます。
 もともと北海道の仲間の上京にあわせた今回の「特選秋の山旅」企画。
 函館の夜、函館山からの絶景を見て感動を覚えたものですから、ぜひ北海道の人にお見せしたく、ご案内したかったのですぅ〜

 日本三大夜景は:
  ☆ 函館山から望む、北海道函館市の夜景
  ☆ 摩耶山掬星台から望む、兵庫県神戸市や大阪府大阪市の夜景
  ☆ 稲佐山から望む、長崎県長崎市の夜景

 新日本三大夜景は:
  ☆ 皿倉山(福岡県北九州市八幡東区)
  ☆ 若草山(奈良県奈良市)
  ☆ 笛吹川フルーツ公園(山梨県山梨市)
の3地域になります。

(新日本三大夜景@笛吹川フルーツ公園/山梨県)
http://www.fruit-park.jp/sandai/post.html

 満月とその月光に照らされてほの白く浮かび上がる冨士の幻想的な姿を拝むことができました。
 視線を下げると真下に石和温泉から甲府盆地がひろがり、街明かりが見えます。
 そして前に視線をこらすと、「恋人の聖地」が、そして後ろには、いきなり<横溝正史記念館>。
 やや、これは何?とあたまをぼりぼりかいたヤッホー君、あたり一面にふけを飛ばしていたというから始末に困ってしまいます。
 さ、これでようやく温泉、寝る前にひと風呂あびて、きれいにふけ落とししようっと。
 二日目の早朝、目覚めてはっと気づいた笛吹市に笛吹川。
 ヤッホー君の世界は笛吹童子!
http://www.youtube.com/watch?v=HM50KyM1X0Q

 笛吹川は最上川(山形県)、球磨川(九州)とともに日本三大急流のひとつである富士川水系にあり、源流は、あの甲武信ヶ岳!
 NHK「にっぽん山歩き」で確認しましょうか、なお音声付きの動画ですので、周囲でお仕事をしている上司や同僚にはくれぐれも、お気をつけあそばせ:

 奥秩父の山々には、花崗岩(かこうがん)が削られてできた美しい渓谷が数多くあります。
 そんな奥秩父を代表する山の一つ、甲武信ヶ岳(こぶしがたけ・2475m)の山頂を目指します。
 ルートは、「魚留ノ滝」「千丈滑(せんじょうなめ)」「両門ノ滝」を経て天然のカラマツの森へ。
 さらに笛吹川源流の水場へと至る沢登りのルートです。
  報告:米山悟カメラマン(甲府局)
  放送番組:NEWSまるごと山梨「山梨ふるさとの名峰」

(2012年9月27日放送、甲武信ヶ岳 〜笛吹川源流ルートを登る〜 )
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_kofu_20120927_2276

 出で湯でからだの疲れをとりはらい、笛吹川から吹く古都、甲斐国千年のみやこ (注) 風にこころまで癒されました。
 「特選秋の山旅」二日目の11月19日火曜日。
 今日も向かうは、yama 山 やま!
 山梨百名山の二山目、秋色に輝く大蔵経寺山716m。
 素晴らしい富士見山行となったのです。

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(注)
2009(平成21)年10月12日、合併五周年を記念し開催された「合併五周年記念式典」において、歴史的に豊富な資産をもち、特に古代から中世にかけては甲斐国の政治・文化の中心として大きな役割を演じたと言われていることから、「甲斐国千年の都笛吹市」の宣言を行ないました。
http://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/file/4/4ad58c86cc3a4.pdf
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2013年11月20日

マルスワイン

 11月18日月曜日二の巻。
 高川山を下って、もうひとつの「山梨百名山」、滝子山1610mにも向かおうかな、なんてつゆほどもおもわず、初狩駅発1時21分の小淵沢駅行きに乗ったのです。
 しかし、いい山でございました:

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 こんな秋の山路を歩けたのは、健康な証拠です。
 今日のお天気にお礼を申し述べ、健康を保ってきた日頃の生活習慣の管理を貫いた自分を褒めてあげ、そして健康体を生んでくれた親に感謝することを忘れませんでした。
 そして、赤く黄色く染まった木々の色艶にヤッホー君まで染めあげられ、ポッとほんのり赤みが差した顔のほてりを冷ますには逆療法、と目指すは、「山梨マルスワイナリー」さま(笛吹市石和町山崎126 Tel 055-262-4121)。
 それにぃ〜、ヤッホー君の第一番の気がかりは、JPタワーでお目にかかった東大ワインの「マスカットベーリーA」だったんですから。
 ヤッホー君のこのブログ、11月16日付け日記「JPタワー」をご参照ください。

 はてさて、このワイナリーで出会ったのは、「マスカットベーリーA」ではなく、「マスカット・ベリーA種」でしたから、困ってしまってわんわん、にゃんにゃん!

 四季豊かな日本風土を活かしたワイン造りを求め、鹿児島に本社を持つ本坊酒造が、洋酒生産の拠点として山梨県笛吹市石和町に山梨マルスワイナリーを設立したのが1960年。
 以来、この地の土壌と気候に謙虚に耳を傾け続け、世界に通じるワイン造りをめざし、「芳醇な味わいと優雅な薫りのハーモニー」をテーマに、「日本人のための日本のワイン」として、山梨の土壌が育む葡萄からCh.Mars (シャトーマルス)シリーズに代表される、自然が豊かに薫る格調高いワイン造りに尽力しています。

【主要赤ワイン用品種】
【マスカット・ベリーA種】
 1927(昭和2)年に日本で交配された品種で、国産赤ワインの主要品種。キャンディーを思わせるような甘い香りが特徴の、やや軽めのワインとなります。
 マスカット・ベリーA コールドマセレーション 御坂 マスカット・ベリーA など

(マルスワインの生い立ちと特徴)
http://www.hombo.co.jp/marswine/

 東大ワインとマルスワイン、どこがどう違うのか、さっそく調査活動にはいりました:

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 いくら試飲してもですねぇ、分析するまえに総合、とか言い始めたヤッホー君、顔のほてりを冷ますどころかますます顔が紅葉、ちゃう、ちゃう紅潮させる始末と相成り、調査・研究の続きは自宅でじっくりしよう、と決断(今宵はこの地に宿をとろうと、これもファイナルデシジョン)。
 自宅に戻って、買い求めたワインを検分したところ、それは赤でなく白! 
 かくして、もう一度、分析・調査に行こうとイマ、決意を新たにしているところでございます。

 ここでヤッホー君のワインセラーをリストアップしときます:

【白ワイン】
 甲州(マルスワイン)、甲州おもしろ湯の街いさわ温泉通り(マルスワイン)
【赤ワイン】
 ボジョレーヌーヴォー2011、山梨のわいん(江井ヶ嶋酒造)

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2013年11月19日

高川山976m

 11月18日月曜日。
 ヤッホー君は、仲間と連れ立って、新宿-北野-高尾-初狩で高川山976mを歩いてきました。
 北海道の仲間の上京にあわせ、日頃お世話になっている御礼の意味を込めての番外編企画でしたが、急遽、北海道の仲間は参加できないことになりましたが、われわれは逆に当初の予定通り、実施しようと相成った次第。
 日頃から行いの良い仲間の皆さま、それにヤッホー君の禊の相乗効果で、お天気に恵まれ、山歩クラブの2013年最後の「紅葉狩り」、そして絶好の「富士見山行」ができたのでございます。

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 登りは沢コースから玉子石を見て頂上をつめていくルートを選択しました。
 帰りは男坂コースを下るルートを選択しました。

 なによりもかによりも、頂上にてお会いしたかったのはビッキー君でしたが、もう大分前にお亡くなりになっておりました。
 しかし、その記憶は途絶えることなく、高川山ファンのハイカーは、思い出話や写真を大事に記録にして、頂上の小さな祠に収められており、いまでも「ありがとう」で頂上は、満ち溢れているのでございます。
 下の写真は、ヤッホー君が「ありがとうね」の意味を込めて静かに祠を開けまして、雨風に濡れないようビニールの袋に収められている記録集を大事に開けて写真に収め、また、元通りにお返ししてきた想い出の品々です。
 そして、われわれも手を合わせてご冥福を祈ってきました。

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 大月市と都留市にまたがる高川山(標高975.7メートル)の頂上に、雑種の犬が約3年にわたりすみ着いている。登山者たちからは「ビッキー」と呼ばれ、“人気者”になっている。
 登山者らの話を総合すると、ビッキーが山頂で目撃されるようになったのは2001年9月ごろ。山頂に置かれた登山者たちのノートにはビッキーについての書き込みが目立つ。
 鎖でつながれていないが、首輪をしていることから、登山者からは「飼い主を待ち続けているのでは」「飼い主のもとを飛び出してきたのかも」といった声も。
 昨年の秋ごろからは、都留市役所や大月保健所に「飼いたいので捕獲してほしい」との要請が何件も寄せられるようになった。中には「連れて帰りたい」と、千葉、愛知県から訪れる登山者もいたという。
 その一方で、「山頂に犬がいるのは迷惑」という苦情も。同保健所と両市は昨年11月ごろ、希望者に引き渡そうと、数回にわたって捕獲を試みたが、いずれも失敗した。
 ビッキーは登山者から食べ物を分け与えてもらい腹を満たしているようで、弱っている様子は見られない。
 山頂付近には水場がないことから、しばしば下山もしているようだ。
 高川山へ向かう多くの登山者が利用する富士急行線禾生駅の川口若枝駅長は「かわいがってくれる人に飼ってもらうのが一番良いのだろうが…」と気遣っている。

(2004年8月6日付け山梨日日新聞「犬のビッキー登山者に人気、飼い主待ち続ける?」)
http://www.fujisan-net.jp/news_main.php?news_num=2455

 2010年10月6日、市に「山頂付近でビッキーが死んでいる」と、登山者から連絡が入った。遺体は市が引き取り、市内の墓地の片隅に埋葬した。市職員は「高齢による老衰ではないか」と話す。
 10年ほど前から年に数回登るという埼玉県所沢市の愛沢和弘さん(65)は「1年ほど前から姿を見かけることが少なくなり、心配していたのですごく寂しい。山頂の岩場に横たわりながら富士山の方角を眺める姿が今でも目に焼き付いている」と話している。

(2010年10月9日付け山梨日日新聞「人気ガイド犬≪ビッキー≫天国へ、大月・都留高川山 登山者から惜しむ声)
http://www.fujisan-net.jp/news/2010/10/09/4.html

 その後、JR初狩駅に戻ったわれわれ、なんと、東京は下町に戻ることなく、甲府方面の電車に乗り込んでいたのでびっくり、ほんとに間違ってない?いいの?

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2013年11月18日

音楽の秋

 まずは、シューベルト(1797-1828)の交響曲『ザ・グレート』をジュリーニ&ベルリンフィルでお聴きください:
http://www.youtube.com/watch?v=urPYwaoGuWA

 長い曲ですよね、シューベルトの交響曲!
 ヤッホー君の日曜日、日記「吉田松陰」をつけ終わるといそいそと江東区猿江恩賜公園へ。
 紅葉、黄葉がとても綺麗で、枯れ葉が敷き詰められた散歩道を音を立てながら歩いていきます。
 公園内にある「ティアラこうとう」(江東公会堂)で演奏会があるのです。
 以前、ヤッホー君は、「友の会」にも入っていました!
 「天童よしみ」歌謡ショーに行った覚えがあります、大分ムカシ。

 脱線してはいけません、このシューベルトの曲でしたね:

 シューベルト、と言えば、一般的なイメージは、「歌曲の王」でしょう。
 学校の音楽の時間に“野ばら”や“菩提樹”や“ます”を歌った記憶があるはずです。
 その美しい旋律には現代に通じるポップな感覚と同時に、ちょっと悪魔的な毒も含んでいます。
 とても200年も前の音楽とは思えません。
 しかもシューベルトは、31歳と10ヵ月という非常に短い生涯で600曲以上の歌曲を作曲しました。
 天才以外の何者でもありません。
 あのベートーヴェンも「本当にシューベルトには神の火花が宿っている!」と述べています。
 ですが、シューベルトの最高傑作は、交響曲第9番ハ長調ザ・グレイトだと断言します。
 しかも、歴史上の全ての交響曲の中でもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスらの傑作に勝るとも劣らない屈指の名曲です。

(2012年8月30日『ダイアモンド』小栗勘太郎、心のビタミン ビジネス・パーソンのための音楽案内)
http://diamond.jp/articles/-/23986

 シューベルトがこの世を去ってから11年後に初めて演奏されたエピソードは、シューマン『音楽と音楽家』(岩波文庫)を読んでみてみましょうか。

 今日のシューベルトの演奏会は、「江東シティオーケストラ」(和田一樹指揮)によるものです。

 第一楽章から第四楽章までほぼ1時間の演奏です。
 終わると、大ホールに詰め掛けた満員の聴衆から割れんばかりの大拍手、止むことがありません。
 指揮者とコンサートマスターに、壇上にのぼった小さな女の子から花束も贈呈されました。
 拍手が鳴り止みません。
 「ブラボー」の声も!
 思わず指揮者が聴衆に壇上から演説…「シューベルトはとても長いので、せっかくの温かい拍手ですがアンコールはございません!」
 ホールがとっても和やかな雰囲気になりました。

 チームワークの技、弦も管も笛も打楽器もからだを使って音をだそうとしている意気込み、それらの音がハーモニーとなって響きあう相乗効果…
 ヤッホー君の頬には、知らず知らずに熱いものが流れてきました。
 口をあけて呼吸しないと、むせび泣きそうになるのです。 

 「江東シティオーケストラ」は設立20周年を迎えました。
 20年前に江東区が主催した「青少年センター管弦楽講座」を受講した仲間が母体です。
 設立当時は20名程度の団員が、現在では70名を越える団体へと成長しました。
 発足当時から江東区のご支援をいただき、年2回の定期演奏会を「ティアラ江東」にて開催。
 練習も原則「江東区青少年センター」にて行なうなど、地元に根ざした活動を行なっています。
 設立当初からオープンで自由闊達なオーケストラをめざし、運営もすべて自主的かつ皆の話し合いで進めています。
 団員の共通点は「いい仲間といい音楽を作ろう」という姿勢です。
 会社員や主婦、学校の先生や学生など幅広い音楽好きがこの一点でつながっています。
 レベルの差、姿勢の差、立場の差、性格の差、いろいろな人が集まって江東シティオーケストラなのです。
 おかげさまで、定期演奏会のお客様も1000人を越えるレベルになってきました。
 江東区民の皆さまやいつもご来場いただいているお客さまのおかげと心から感謝しております。
 今後も皆様から愛される市民オーケストラを目指して頑張っていきたいと思っています。
     (2012年7月1日江東シティオーケストラ団長、杉本素信)

 練習が5時に終了すると、ほぼ毎週有志で飲みに行ってます(亀戸駅周辺の飲み屋さん、いつもお世話になってます〜)。
 季節ごとに定例イベントもあり、春は花見、夏は花火、秋は月見…? というかんじです。
 でも単に楽しんでいるだけではなく、お店に演奏会のポスターを貼ってもらったりしっかり大事な広報活動も行なっているのです。
 なかには「楽器を始めませんか?」と飲み屋のお姉さんを口説く強者も…
 ある年のお花見では、多数の楽器を見つけ不思議そうに近づいて来られた花見客に、数名が簡単な曲を披露し、演奏会の宣伝をした上、ちゃっかりお酒まで差し入れていただいたというハプニングも…

http://kameoke.net/orchestra/index.html

 「江東シティオーケストラ」は、区民皆んなの至宝です!
 ヤッホー君、思わずアンケートの感想に、「わたしたちの楽団を、皆んなで支えあわなくっちゃ」と書いていたそうですよ。

 ヤッホー君も亡き父にならい、ムカシ、クラシックが大好きでしたね。
 亡き父が買った田舎のステレオに音盤を置いては針を載せ、よく聴いておりました、懐かしきふるさとよ!
 その折り、N響の指揮者、岩城宏之さんが一番、大好きでしたね。
 岩城さんも、もう亡くなっていましたねたらーっ(汗) 

 NHK交響楽団正指揮者で世界的に活躍した指揮者、岩城宏之さんが2006年6月13日午前0時20分、心不全のため都内の病院で死去した。73歳。東京都出身…。
 岩城さんは5月末に東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートのリハーサル後に体調不良を訴え入院していた。当初、「(同オケの)7月6日の定期演奏会に合わせて現場復帰したい」と伝えられたが、かなわなかった。
 岩城さんは戦後、学習院から東京芸大に進み、同大音楽学部打楽器科(中退)に在学中の1956年、NHK交響楽団を指揮してデビュー。
 1960年には27歳でN響初の世界演奏旅行の指揮者となった。
 その2年後、チェコ国立放送管弦楽団を指揮して欧州デビューを飾った。
 60年代にはN響のほか、ウィーン・フィルやベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団など、名だたるオーケストラを指揮し、海外でも高い評価を得た…

(指揮者の岩城宏之氏死去…73歳、心不全)
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_06/g2006061312.html

 秋の夜長、ここで岩城宏之指揮による「オーケストラ・アンサンブル金沢」の皆さんの演奏になる『プロコフィエフ-交響曲第1番「古典」』を聴いてみましょうか。
 亡くなる10年前ですかぁ、そうすると63歳、晩年の指揮者ですね。
(1996/11/12録音 於セントジョーンズ・スミス・スクエア教会、ロンドン)
http://www.youtube.com/watch?v=tBueZ7Qfp18

 今日の指揮者、和田一樹さんのすばらしい動き、情熱、リードについてはぜひこちらで:
http://www.youtube.com/watch?v=O2pcoGmy274
http://www.youtube.com/watch?v=6eVIIjiW8X4

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2013年11月17日

吉田松陰

 JPタワーに登ったヤッホー君、その後もタウンウオークは続きます。
 まずは腹ごしらえ、と思いまして、丸の内ブリックスクエアで例のドカ弁を開けました。
 通りすがりの外人のカップルが、ヤッホー君のおいしそうな弁当を覗き込んで、にこにこ笑っていきました。
 晩秋の日がさんさんと差し込んできまして風もなく、とても気持ちの良いランチタイムでした。
 その後は、東京商工会議所ホールへ。
 1時〜4時まで、第11回上廣歴史・文化フォーラムで『幕末・明治の日本人』のお勉強!

 今日11月17日日曜日、そのなかの講師、一坂太郎先生をご紹介。
 だって、とってもビックリしたのです!
 先生は、山口県萩市の市立小学校では、小学生の1年生から6年生まで、学期ごとに言葉を変えて、吉田松陰(1830―1859、注1)のことばを「朗唱」しているというんです、へえぇ〜

「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人と成りにし 道を踏めかし」

「志を立ててもって万事の源となす」

 萩藩校明倫館の跡地に建つ萩市立明倫小学校では、毎朝、各教室で子どもたち全員が「松陰先生のことば」を朗唱している。
 松陰が志を託した数々の言葉には、日本再生のヒントが隠されている。

(萩博物館ミュージアムショップ『松陰先生のことば』500円)
http://www.npomachihaku.com/shop/books/pages/shouinnokotoba.html

 最初の「ことば」は”1年生”の1学期で暗唱します。意味は「今までは、親にすがり甘えていたが、小学生となった今日からは、自分のことは自分でし、友だちと仲よくしよう」です、へえぇ〜
 次の「ことば」は”3年生”の2学期で暗唱します。意味は「何事をするにも志(こころが目指す方向)がなければ、なんにもならない」です。3学期になるとさらに、

「人賢愚ありと雖も 各々一二の才能なきはなし 湊合して大成する時は必ず全備する所あらん」

を暗唱することになります。意味は「人には、それぞれ能力に違いはあるけれども、誰しも一つや二つの長所をもっているものである。その長所を伸ばせば、必ず、立派な人になれるであろう」です、へえぇ〜
 
 (小泉)首相は松陰ファンで知られ、今年(2006年)1月の施政方針演説でも松陰が使った孔子の言葉

「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」

を引用しました。
 これを受けて、松陰の生誕地の萩市からブロンズ像の贈呈を申し出たものです。
 この像は高さ約60pで、約30年前から市役所に飾られていました。
 首相は95年に総裁選に挑んで敗れた際も

「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」

という松陰の言葉を引用しました。
 贈呈後、首相は
「松陰や高杉晋作は現代の我々が学ぶべき教訓、生き方を示している。維新にかける志を学んでほしい」と集まった記者団に語りました。
 また、野村市長が、明倫小学校では毎朝始業時に「松陰の言葉」を朗唱していることを伝えると、首相は「それこそ、地域の特色ある教育だね」と述べました。
 明倫小学校では、1981(昭和56)年から「松陰先生のことば」を教育に取り入れ、20年以上になります。
 普段は、各教室で行いますが、学期末には体育館で学年ごとに朗唱します。
 卒業式では、6年生が3学期に朗唱してきた「恩に報いるまでは少しの時間も無駄にせず、一生懸命励まなければならない」という趣旨の言葉を、卒業生と在校生によるお別れの言葉の中で披露しました。

(『萩ネットワーク』第69号、2006年5月、発行:萩ネットワーク協会、萩市大字江向510 萩市役所広報課内)
http://www.city.hagi.lg.jp/furusato/network/pdf/200605.pdf

 ぜひこのサイトをクリックして写真をじっくり眺めていただければ、と思います。
 お偉いさんが、けっして吉田松陰を慕うのがパフォーマンスでないよう、吉田松陰に恥じることなく、日本を売り渡すことのないよう、『アメリカからの独立が日本人を幸福にする』(カレル・V・ウォルフレン、実業之日本社、2003年)ことに努めていただけますように。けっして宗主国の戦争して儲けたい1%の顔色をうかがうのでなく、自国民を騙して、危険な場所に追い込むのだけは避けていただきたい、と訴求したいものでございます。

 そして本日の講師、一坂太郎先生はこんなことをおっしゃっております:

 最も不愉快だったのは2003(平成15)年2月、当時学芸員として勤務していた宗教法人(注2)が運営する東行記念館(下関市吉田町)が閉館したことだ。
 およそ13年にわたり記念館で史料の保存、展示に携わり、そこを活動の拠点として来た私としては、こんなに無念なことはなかった。
 宗教法人の理事会も経ずに、突然、閉館を理由にした解雇通知が届き、唖然とし、また途方に暮れた。

 …ただ、どういうご関係なのかは知らぬが、ご高名な政治家や商売人、下関市幹部、郷土作家をはじめ文化人気取り、ゴロツキジャーリズムなど有象無象が、べったりとくっついているので実に悪質である。
 当時の下関市教育長も山口県教育次長も、表面化する以前から閉館や史料返却についてはよくご存じであり、見て見ぬふりを決め込むどころか、むしろ追従、賛同されていたように私には見えたが…。
 教育行政がこの程度の認識なのだから、他は推して知るべしである。
 しかし結局私は裁判のすえ勝訴し…名誉棄損として賠償金を取った。

(一坂太郎のホームページ「負の資料集解説-あとがきにかえて」)
http://www.h2.dion.ne.jp/~syunpuu/

 へえぇ〜


(注1) ヤッホー君のタウンウオークではよく小伝馬町牢屋屋敷跡、吉田松陰終焉の地石碑など訪れております。このブログでも、2011年6月10日付け日記「松陰神社」、2012年12月23日付け日記「引揚げ」、2013年3月6日付け日記「徳富蘇峰」などご参照ください。

(注2)
幕末の志士、高杉晋作の墓所として知られる山口県下関市吉田の東行庵は2003年1月31日、庵内にある晋作の遺品などを収蔵する「東行記念館」を、収益悪化などを理由に2月15日付で閉館する、と発表した。 東行庵の神田英雄責任役員(81)は「高杉家側から遺品を戻してほしいとの申し入れがあり、やむなく判断した」としているが、晋作のひ孫に当たる高杉勝さん(70)=東京都三鷹市=は「資料の展示、保存方法や空調設備などの改善を再三にわたり要望したが、受け入れられなかった」と反発している。 高杉晋作は1839年、現在の山口県萩市に生まれ、松下村塾で吉田松陰に師事。奇兵隊を組織するなど明治維新の原動力となったが、1867年4月14日、結核のため27歳で没した。
(2003/01/31 12:46【共同通信】高杉晋作の記念館閉館へ 保存めぐり遺族と対立)
http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003013101000465.html
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2013年11月16日

JPタワー

 今日のヤッホー君のタウンウオークは、昨日そういえば見過ごしたJPタワー!
 今春にはグランドオープンしていたそうですが、もちろんヤッホー君は今日がはじめてです。

東京駅舎.jpg

東京駅.jpg

 これはJPタワーの6階展望テラスから見下ろした東京駅と構内を走る電車風景です。
 修学旅行の子どもたちで館内はいっぱい。
 そうそう、見下ろさなくっとも、館内に「日本郵政(株)と東大総合研究博物館が協働で運営をおこなう公共貢献施設」JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」もあって、子どもたちを楽しませてあげられるところがあります。
 売店には、なんと学術の成果、東大研究室の「お酒の博士」故坂口謹一郎博士の教え子たちによる東大オリジナルワイン、「リースリングフォルテ」(白)、「マスカットベーリーA」も購入できます!

 ヤッホー君が深夜、エアーメールを出しに、あの丸の内南口にあった郵便局に何度か足を運んだこともあるあの場所に、サイキンでは、足がだんだん遠のき、見ることも避けるようになったのは、あんなこと、こんなことがあったあの頃からですかねぇ〜

 東京中央郵便局を重要文化財にするようにと東京芸大の前野名誉教授らが2009年3月4日、鳩山総務大臣に要望書を手渡した。
 現場を視察したこともある鳩山大臣は3月6日に解体工事の一時中断を電話で申し入れた。
 「世論に問いたい」と叫んだ大臣の英断である。
 この問題は今が正念場だ。
 アメリカ流カジノ資本主義が、100年に一度と言われる金融危機を招来したのではないか。
 私たちは郵政民営化を方便にした文化の破壊を許してはならない。

(2009/03/07佐藤弘弥「鳩山の邦さんのひと声で解体工事がストップ」)
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0903/0903068839/1.php

 本当は日記の初めに、アメリカから駐日大使が着任するっていうので、お出迎えに行ったのです、と書きたかったのですが、一足違い、じゃあないない、一日違いで、おられませんでした。

Caroline Kennedy arrived in Japan on Friday to take up her position as American ambassador bringing an assurance that she has the ear of the president.

"I bring greetings from President Obama," she said in a short statement after getting off the plane with her husband, Edwin Schlossberg, at Narita airport.

Japan hopes the 55-year-old daughter of President John F Kennedy will work closely with Barack Obama to tackle some urgent US-Japan matters, analysts said.

Her close ties to Obama were formed in her pivotal role in the 2008 Democratic presidential primaries, when she endorsed him over then-favourite Hillary Clinton.

"What's important here is her strong pipeline with Obama and an ability to be able to pick up the phone and speak with Obama directly in the middle of the night for consultation on urgent matters," said Ryuichi Teshima, professor of diplomacy at Keio University in Tokyo.

As the first woman to serve as US ambassador to Japan, Kennedy may also be a role model in a country that traditionally has restricted the role of women, said Toshihiro Nakayama, professor of international politics at Aoyama Gakuin University.

"I am also proud to carry forward my father's legacy of public service," Kennedy said. "He had hoped to be the first US president to visit Japan. So it is a special honour for me to be able to work to strengthen the close ties between our two great countries."

US-Japanese relations are generally on an even keel, but Obama and the Japanese prime minister, Shinzo Abe, are not as close as some would like. "The chemistry is off, possibly because Obama does not support the rightwing views Abe holds," Teshima said.

Major bilateral issues include the Trans-Pacific Partnership trade talks, the relocation of a US military base on Okinawa and a rethink of defence co-operation guidelines between the two countries.


Caroline Kennedy takes up post as US ambassador to Japan
JFK's daughter, the first woman to serve as US ambassador in Tokyo, will hope to improve Obama's relations with Shinzo Abe
http://www.theguardian.com/world/2013/nov/15/caroline-kennedy-us-ambassador-japan

 そりゃあ、映画『立候補』の映像の一こま、あの池袋のアベノリスク選挙応援演説で翻っていた日の丸を見て、与党候補陣営がマック赤坂に投げつける<へたれ>という蔑みの言葉を聴いたら、オバマくんでなくっても、ヤッホー君も反吐がでそうでしたもん。
 そしてびっくりした地下鉄の中吊り広告:

  もう我慢の限界だ、安倍側近からは征韓論まで。
  韓国の「急所」を突く!
  ▼ 安倍首相
  「中国は嫌な国だが外交はできる。韓国は交渉もできない愚かな国だ」

(2013年11月14日発売週刊文春11月21日号)

【ソウル=共同】安倍晋三首相が「韓国はただの愚かな国」と発言したとの週刊文春最新号の記事が11月15日、韓国のメディアで大きく取り上げられた。
 菅義偉(すがよしひで)官房長官は同日の記者会見で、「(首相が)そんなこと言うわけはない」と否定したが、今後反発が広がる可能性もある。
 韓国与党セヌリ党は「安倍首相や側近が韓国政府をおとしめる発言を続ければ、韓日関係は困難に直面する」と指摘。
 最大野党、民主党も「政府は迅速に事実関係を確認し、断固とした対応を取るべきだ」と主張した。
 韓国外務省によると、日本外務省は外交ルートを通じ、記事の内容は事実ではないと説明、「無責任な週刊誌ではあるが、そのような記事が出たのは遺憾だ」と韓国側に伝えた。

(2013年11月16日 東京新聞朝刊「首相『愚かな国』韓国反発 週刊誌報道政府否定」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013111602000119.html

 とにかくキャロライン・ケネディ新駐日アメリカ大使が赴任したあとは、ますますワシントンがらのメッセージを上手に投げて、ますますこの国を使い勝手のいいように変えていくのでしょうかね。
 お父さんのJFKが暗殺されるのは、50年前の1963年11月22日でした。

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2013年11月15日

石川啄木

 今日、11月15日は七五三。
 秋の日はつるべ落とし、まして雨交じりだと余計に日の短さが淋しさを呼び、懐の寒さがこたえます。
 ヤッホー君の今日のタウンウオークは日比谷公園でした。

KC4A0058.jpg

 398円で買ったネックウオーマーをしてベンチに座り、短い足ですが、さすがに寒いので足を組んでこんなにも秋模様に色づいた木々を見ていますと、石川啄木(1886―1912、注)が思い出されます。

 岩手県盛岡市玉山区出身の歌人石川啄木の没後100年を記念する歌碑が11月14日、陸前高田市の旧道の駅陸前高田「タピック45」前に設置された。
 高さ1.8メートル、幅2.2メートル。歌集『一握の砂』から

頬につたふ なみだのごはず

一握の砂を示しし人を忘れず


が刻まれた。啄木のひ孫で、東京に住む石川真一さんが揮毫した。
 同市の名勝・高田松原にあった啄木の歌碑は東日本大震災の津波で流失。没後百年実行委員会が募金をし、新たな歌碑を建立することになった。
 高田松原一帯は「国営防災メモリアル公園」が開設される予定で、歌碑は公園内に移設する。
 流された歌碑は2代目で、最初の碑も1960年のチリ地震津波で流されたが奇跡的に見つかり、今は高台に移設されている。

(2013年11月15日金曜日付け河北新報「流失啄木歌碑忘れず 没後100年、新たに建立 陸前高田)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/11/20131115t33024.htm

 ヤッホー君、そういえば昨日、メタボにならぬように<手作りの食事>とか言っていました。
 ヤッホー山荘で秋の収穫祭をしたときのヤッホー君からのおもてなし、おふるまいだそうです。
 「道の駅はくしゅう」で仕入れた大根1本80円と山芋2本で450円をすったのが大好評!

KC4A0053.jpg

 啄木の『一握の砂』にも食材が詠まれているのでついつい、うれしくなるヤッホー君です:

ひとしきり静かになれる ゆふぐれの

厨(くりや)にのこるハムのにほいかな

 
 給食で味わう石川啄木 うたの世界 渋民小学校
 2012年2月22日に渋民小学校6年生が、石川啄木の歌にちなんだ食材を使った給食を谷藤裕明市長と一緒に食べました。
 啄木の『一握の砂』の中で詠まれた「サラド」、「馬鈴薯」や「ハム」などを使ったメニューが出され、児童たちは給食を通じて、同校先輩・啄木の歌に親しみました。
 2012年は啄木没後百年目にあたり、啄木関連の各種イベントなどが予定されています。

(ひめかみ 春号 編集/発行 盛岡市玉山区地域協議会・玉山総合事務所)
http://www.city.morioka.iwate.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/012/162/himekami22.pdf

 日比谷公園。自然と啄木の詩句が口をついてでました。
ふるさとの山に向ひて言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな


 ふるさとの山に向かひて…とっても良い歌がありますのでご紹介:

 石川啄木の望郷を歌った短歌に新井満が曲を付けNHK深夜便で当人が唄った歌ですが、-ここでは啄木が教員時代に実際に弾いていたオルガン(石川啄木記念館に保存)を使い啄-木ゆかりの渋民小学校の土橋理佳先生が伴奏し生徒達が斉唱しています。
http://www.youtube.com/watch?v=qGsjtLaG48M

 石川啄木と新井満…先月のヤッホー君の函館行で実はかなわなかった企画がありました。
 もういちど石川啄木の足跡を辿る旅をしてみたい、と願っているヤッホー君でした。

 この大森浜は石川啄木が函館で最も好んだ場所ともいわれ、歌の題材にもなっています。
 また、展示室には、バルコニーに出られる「絶景の扉」もあり、扉を開けて外に出てみると、大森浜の砂浜の様子やさざなみの音、潮風を感じることができます。
 さらに遠くには、啄木一族の墓がある住吉町、立待岬周辺や函館山全景なども見渡せます。
 館内見学の後にゆっくりとバルコニーに出てみると、啄木が函館をこよなく愛した理由が伝わってくることと思います。

 函館にはこのほか、函館市文学館や函館市中央図書館など、石川啄木に関する資料が充実した施設があります。
 場所は離れていますが、あわせて見てまわると、より立体的に啄木と函館のことが理解できると思います。

「石川啄木函館記念館(土方・啄木浪漫館)」
http://www.hakobura.jp/db/db-view/2012/11/post-223.html

 新井満も。
 ヤッホー君が歩いた北海道駒ケ岳の近くに別荘があったのですが、別荘でなく大沼公園近くの森にもう転居しましたって…

 作家の新井満さんは去年の夏、北海道大沼国定公園・駒ヶ岳のふもとにある森の中に居を移し、妻の紀子さんとともに、ヤギと羊と豚を飼う暮らしをしています。
 大沼の自宅で初めての冬を迎えている新井さんは、雪の生活にとまどうことが多く、また、家畜との暮らしや、時々訪れる野生の動物たちに、自然の命を考えさせられることも多いと言います。
 “いのち”をテーマに、さまざまな仕事を成し遂げてきた新井満さんと、妻でエッセイストの紀子さんに、冬の北海道の自然の中で暮らしてみて思うことをお聞きします。

(投稿時間:2011/02/05(土)01:00、投稿者:ラジオ第1スタッフ<ラジオ深夜便列島インタビュースペシャル「北海道・大沼からのたより〜冬」>)
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/71216.html
 
 ――「千の風になって」が、ここ大沼で誕生したいきさつから聞かせてください。
 ふるさと新潟市の幼友達に川上君という弁護士がいて、奥さんの桂子さんが48歳でがんで亡くなった。送られてきた追悼文集に不思議な詩が紹介されていて、そのルーツをたどると作者不詳の12行の英語詩に出会ったのがきっかけです。「死者が生者を慰める」という発想に驚き、追悼の曲にして贈ろうと考えた。ところが、どうしてもうまく翻訳できません。
 3年たった2000年の夏、大沼の別荘を出て森を散歩しながらその英語詩を朗読していたら、ゴーッと大風が吹いてきた。森の中を風が通り、木々が揺れることで、風の姿を見ることができた。その瞬間、ああそうか、あの詩は風を主人公に自由訳をすればいいんだ、とわかったんです。
 その後、作曲し歌唱したCDの私家盤を30枚だけ作りました。そのうちの1枚が2003年8月、朝日新聞の天声人語に紹介されて、この歌は全国に広がりました。
(【新井 満インタビュー】ミリオンセラーとなった「千の風になって」の訳詞・作曲者…新井満さん(63)に、曲が生まれたゆかりの地の大沼国定公園(北海道七飯町)で話を聞いた(朝日新聞・小西淳一)
http://www.asahi.com/shimbun/senkaze/interview.html
 
 新井満ご自身が歌っている「千の風になって」を聴いてみましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=Lt43pjM80Hc


(注) 石川啄木についてはヤッホー君のこのブログ、以下の日記をぜひご参照下さい:

 2010年4月25日付け日記「ちばりょ〜沖縄」
 2010年5月12日付け日記「本郷弓町」
 2010年6月14日付け日記「婦人矯風会」
 2011年12月6日付け日記「戸田郁子」…など。

 石川啄木はまた韓国併合に抗して、唯一批判した日本人の歌人でもありました:
 
地図の上 朝鮮国に黒々と

 
墨をぬりつつ 秋風を聞く

     (1910年9月9日作)
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2013年11月14日

世界糖尿病デー

 今日11月14日木曜日は「世界糖尿病デー World Diabetes Day」です。

 はっちゃんがさっそく記者会見用プレスリリースをしましたのでご報告:

Diabetes Epidemic: Nip it in the Bud

The Consumers Association of Penang (CAP) calls on the relevant authorities to take immediate steps to control the growing number of obese children in the country to control the diabetes epidemic that Malaysia is facing.

Studies have showed that childhood obesity levels in Malaysia are among the highest in Asian countries. Data from various research groups have indicated that as many as 15% of toddlers and preschool children in the country could be overweight and obese. Among primary school children, 30% of them could be overweight and obese. These statistics are not surprising as overweight children and youngsters are a common sight at public places.

Children who are overweight or obese face an increased risk of developing serious health conditions like type 2 diabetes, high blood pressure, and high cholesterol – all considered to be exclusively adult diseases in the past.

Overweight and obese children are also more likely to turn into overweight adults, and obesity in adulthood is more severe, in terms of consequences. Children who are obese are also more likely to have impaired glucose tolerance, decreased insulin resistance, suffer liver or gall bladder disease, gastro-esophageal reflux (GERD), sleep apnoea, breathing difficulties like asthma, joint problems, and musculo-skeletal problems.

According to the Malaysian Mental Health Association, in addition to medical problems, overweight children may also suffer psychological problems such as low self-esteem that stems from being teased or bullied by peers, develop unhealthy dieting habits and eating disorders such as anorexia nervosa and bulimia, be more prone to depression or are at risk for substance abuse.

According to experts, the “fat phenomenon” in our country can be attributed to a combination of poor eating habits, a diet high in calories, and a decline in physical activity, resulting in more caloric intake than is required by the body.

In addition, more meals eaten away from home, fewer family meals, and greater portion sizes may also have contributed to childhood overweight.

Furthermore, the boom in mobile entertainment devices and too much screen time has also contributed to children’s sedentary lifestyles. Children are now less physically active as children’s entertainment has changed from physical or outdoor activities to indoor video games and television. To further compound this problem, there is a lack of safe or conducive outdoor play areas, especially in urban areas.

The easily availability of food around the clock in the country also indirectly cultivates the unhealthy Malaysian habit of taking supper. Eating at night has been linked to weight gain.

Together with the mushrooming of fast food outlets which serve unhealthy foods also contributes to obesity. Fast foods which are high in fats and salt together with high-sugar soft drinks appeal to children. Continuous consumption of such foods increases their chances of getting diabetes.

Diabetes is one of the most common chronic conditions to affect children. It can strike children of any age even toddlers and babies. If not detected early in a child, diabetes can be fatal or it may cause serious brain damage. Yet diabetes in a child is often completely overlooked it is often misdiagnosed as the flu or not diagnosed at all.

The WHO estimated that more than 200 million people worldwide are living with diabetes and each year another seven million develop it.

In Malaysia, in spite of many campaigns against diabetes, its prevalence especially that of Type 2 diabetes has increased to epidemic proportions. At the current population of 28 million and at the prevalence rate of 15 percent it is estimated that there are 4.2 million diabetics in Malaysia.

The diabetes prevalence rate in Malaysia has risen much faster than expected, almost doubling in magnitude over the last decade. Diabetes does not only take a toll on the country’s resources, but also on the limbs (amputation), eyesight (blindness), kidney (failure), heart (failure) and nerve (damage) of its sufferers.

Surveys have shown that for every two known diabetics, there is at least one more that is undiagnosed and untreated until irreversible complications set in. Worse still, Type 2 diabetes is no longer seen as a disease of middle or old age − children as young as 10 years old suffering from diabetes (both Type 1 and Type 2) are not uncommon nowadays.

According to the World Health Organization (WHO), globally, obesity and overweight has more than doubled since 1980. Nearly 43 million children under the age of five were overweight in 2010. Close to 35 million of them live in developing countries while eight million in developed countries.

As November 14 is World Diabetes Day, CAP would like to call on the relevant authorities to take immediate action to address the growing obesity problem among the young as obesity will lead to diabetes in their adulthood. These measures should include:


☆ Impose a levy of taxes on unhealthy foods that has high sugar, sodium and fat content to discourage consumption of such foods.

☆ Food which are high in sugar, sodium and fat should carry health warning labels

☆ Have the traffic light system of food labels to indicate the unhealthy levels of sugar, salt and fats

☆ Prohibit the sale of supersized soft drinks

☆ Remove vending machines selling soft drinks, sweets and junk foods at public places such as schools and hospitals

☆ Educate Malaysians especially children the dangers of obesity and diabetes

☆ Provide adequate recreational amenities in all residential areas.


 糖尿病にならないよう、生活習慣を変えましょう。
 な〜に、贅沢をしない(できないのですが)つましく暮らす、うん、質素な生活を続けるだけでいいんです。
 ヤッホー君がメタボにならないのは、次の三っつ(だけ)を守ってるから:

@ 食事: 美味しい手作りのご馳走をゆっくりかんで腹八分目。
A 有酸素運動: 山に入って新鮮な空気を吸って、鳥の囀り、川のせせらぎ、風の音に耳をそばだてて、歩いた後は山の出で湯につかり、地酒をいただく。山に行けないときは、街歩き(タウンウオーク)。
B 睡眠: 夜は熟睡(ヤッホー君は寝室に本を持っていきます)。

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2013年11月13日

ふるさと叙景

The children stand in clusters with wooden signs at the side of the highway, their palms outstretched. "Please help us," reads one sign, scrawled in permanent ink on a broken board. "We need food & water," reads another.

As our car weaves its way through the sugarcane-covered hills of northern Cebu – a region where typhoon Haiyan made two devastating landfalls last Friday – we pass family after family begging for help from the buses and trucks that drive past. One boy, agitated at the lack of drivers who have slowed down or stopped, screams out: "We need help!"


フィリピン.bmp

Read more: Typhoon Haiyan: in village after village the plea is the same – please help us!

In northern Cebu, where the typhoon made two devastating landfalls last Friday, families line the road begging for supplies

By Kate Hodal in Bogo, The Guardian, Tuesday 12 November 2013 18.24 GMT

http://www.theguardian.com/world/2013/nov/12/typhoon-haiyan-please-help-us

 11月13日の水曜日、天候晴れ。
 今日も朝一番にヤッホー君、暑かった夏を振り返り、依頼された原稿を送りました:

『ふるさと叙景』

過去が搾り出すひとしずく
滂沱に流れる涙となり頬を伝う
頭から噴出す汗でもなく
天から降る驟雨でもない

べんべこたろうの眠る社
妙見神社を回りこむように流れる小川
川向こうには鴨が羽を休める原崎沼

そんな遠い記憶がとびかった

南国の島、ペナンよりも暑い東京の下町
大川の流れにかかる清洲橋から川面を見下ろす
屋形船が行き交い、くつろぐ都鳥

はるかな時間が流れた

前に水晶山、うしろに月山
扇状地の田んぼに蛙なき、蛍飛び
満天の夜空に銀河が流れる

あの小さな学び舎から夢や想いが育んだ

東日本大震災を耐え抜いた住まいの古いアパート
あの日、帰宅難民となり5時間徒歩帰宅
お前もがんばったんだ、と一階玄関の壁を叩いてねぎらう

あの木造の校舎では、民主主義の種が撒かれていた

鯉に餌やり、鳥をさばき、山羊に草刈る祖父
将棋を教えてくれた祖父
普照院釈慈雲、これが死後の名と仏壇で語る祖父

絆、絆と騒がれるも、縁は確実に断ち切られ

廊下で温めた弁当
味噌を塗った大きなおにぎりに胡瓜漬け
バイクの後ろで父にしがみつき、買った尾花沢西瓜

学校の芋煮会が開かれたあの乱川
煙を出して走る蒸気機関車を見に行ったあの乱川
かっこうが鳴いた乱川近く、学校裏の畑

ああ、心乱れ、枕濡れる懐かしきふるさとよ
こころに息づくふるさとよ
永遠に、未来に、そのままにあれかし
わがふるさとよ、わが学びの友よ

…2013年8月31日、中野区若宮の食堂「こぐまや」にて

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2013年11月12日

サンダカンの8月15日

 気象庁は11月11日、東京地方に「木枯らし1号」が吹いたと発表した。
 同日午後2時55分ごろ、東京都心で最大瞬間風速17.9メートルの北西の風を記録した。
 昨年より7日早い。
 木枯らし1号は、10月半ば〜11月に西高東低の冬型の気圧配置で初めて吹く最大風速8メートル以上の北寄りの風。
 気象庁によると、11月12日の東京は最高気温12度、最低気温6度といずれも平年を下回る予想。
 寒気が南下し、全国的にも今年一番の寒さになりそうだ。

(2013年11月11日23時13分毎日新聞「木枯らし1号:ピューと風速17.9メートル、東京都心で」)
http://mainichi.jp/select/news/20131112k0000m040097000c.html

 紅葉狩りが済んだと思ったら、もう木枯らしが吹き渡る季節となってしまいましたが皆さま、いかがお過ごしでしたでしょうか。
 今日11月12日は、「世界平和記念日」!

 100年前の世界情勢に思いを馳せ、ヤッホー君は今日も静かに、我が身と山歩クラブの仲間一人ひとりの平穏、平和、平安を感謝し、これがあと100年続きますようにと、お祈りを捧げた日でもありました:

 1918(大正7)年、ドイツとアメリカ合衆国が停戦協定に調印し、4年あまり続いた第1次世界大戦が終結し、主戦場となったヨーロッパの各国では、この日は祝日とされています。

 朝一番にヤッホー君、暑かった夏を振り返り、依頼された原稿を送りました(注);

『サンダカンの8月15日』
 

  『第11回第二次世界大戦中の戦争捕虜を追悼する式典(サンダカン・ディ)が昨日午前7時より記念公園ではじまった。マレーシアとオーストラリアから200余名の人びとが参列した。サンダカン・ディは毎年8月15日に開催されており、場所は当時捕虜収容のためのキャンプ地だったところで、いまはオーストラリア人、イギリス人の2,434人の捕虜たち、そして彼らの力になって助けたマレーシア人たちの誇りを記憶にとどめておくための記念公園となったところで開かれている』
  (2013年8月16日付け『ボルネオポスト』紙)

 8月15日は日本では全国戦没者追悼式。
 そしてマレーシア・サンダカンでも。
 実は、State Minister of Special Taskが州政府首相のメッセージを代読し、オーストラリアからはAustralian High Commissioner、イギリスからは Deputy British High Commissioner to Malaysiaが出席した追悼式があって、亡くなった戦争捕虜の家族と共に祈っていたのです。
 前号で報告しました『ペナン図書館』。
 ここで読んで強烈な衝撃を受けた本がありました。
 オーストラリア人の著者が、オーストラリアの戦争捕虜(Prisoner of War. PoW)の<死の行進>を記録した本でした。
 たった6人のオーストラリア人しか生き延びえなかったというのです:

  Lynette Ramsay Silver ≪SANDAKAN, A conspiracy of Silence, Dedication For 6 who came home and 2428 who did not≫, 1998, Sally Milner Publishing Pty Ltd

 わが国でサンダカンというと、山崎朋子(1932年、昭和7年生まれ)の『サンダカン八番娼館』です。

  『わたしが天草下島でかつてからゆきさんだった老婦人と3週間あまりの共同生活をおこなったのは、1968(昭和43)年−今から4年前のことであり、その体験を綴った本書の原稿を書き上げたのは、それから2年後の1970(昭和45)年のことでした』
  (『サンダカン八番娼館』あとがき、文春文庫、267頁)

 本が出版されて間もない1973(昭和48)年6月に、作者山崎朋子と出会ったひとりの映画監督がいました。
 熊井啓(1930-2007)です。
 監督は翌年さっそく映画化をすすめました。

  『サンダカン八番娼館 望郷』ができます。キャストとして研究者の三谷圭子(29才と32才)に栗原小巻、北川サキ(その若いとき、13、14、18、27、30、31才に高橋洋子、その晩年、年齢不詳だがおよそ74才に田中絹代と豪華俳優陣を配して、劇場公開されます。
『そして今、圭子はジャングルのなかで、おキク(水の江滝子)やからゆきさんたちの墓を発見した。望郷にかりたてられて死んでいった日本人たち。だが、それらの墓は祖国日本に背を向けて建てられていた』
  (熊井啓『映画の深い河』1996年3月、近代文芸社、302頁)。

 10数年前、はじめてサンダカンを訪れたヤッホー君、すぐ飛んで行って「からゆきさん」たちの眠る墓に線香をあげてきました。
 しかし、次にサンダカン再訪するときは、サンダカンの捕虜収容キャンプ跡地の≪記念公園≫もいっしょに行かないといけないな、とこの夏、暑い南の国の島ペナンの図書館で思っていました。
 そして不戦の誓いと平和への祈りをささげる、私だけの戦没者追悼式を行なってこなくっちゃ、と決意を新たにしてきたのです。


(注)
ヤッホー君のこのブログ、2013年9月17日付け日記「山崎朋子」、2013年07月04日付け日記「Sandakan」、2013年08月16日付け日記「supplement」参照
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2013年11月11日

紅葉狩り

 山歩クラブの21名の仲間と歩いた尾白川渓谷への紅葉狩り。
 ヤッホーと叫んだら、こだまがまだまだ返ってきます;

 尾白川渓谷の紅葉黄葉は雨と共にたゆまなく舞散る様は幻想的でした。

P1017793.jpg

 昨日は有り難うございました。
 久しぶりの登山でしたが楽しかったです。
 これからもよろしくお願いいたします。


P1017787.jpg

 雨でしたが、渓谷の自然の美しさと木々の紅葉に癒されました。
 もう一度行ってみたい所です。


 P1017789.jpg

 初めての山歩き、登って楽しかったです!
 怖さも知りました。
 これからもっと楽しくなると思います!


P1017794.jpg

 えっ、写真が。
 そうなんです、ヤッホー君、朝から、昨日の雨にたたられた愛用機のオリンパスからの大救出作戦を実行して、なんとか8枚だけは再生、蘇生、復活させることができたのです、ホッ

 もう、ミラーレスに切り替えようかなって。

 2012年10月6日土曜日のことでした。

 ヤッホー君より20歳も年下の事務所の友 office mate より「筑波山にでも登ってみませんか」って、誘われ出向いたわけです。
…ヤッホー君のこのブログ、その日の日記「筑波山、女体山877m」をご参照下さい。

 10月6日にその若い友が手に持って、ヤッホー君の遺影まで撮っていたのがオリンパスのミラーレスでした。思い出します。

 オリンパスが11月8日に行った決算発表は、デジタルカメラ市況の厳しさをあらためて感じさせる内容となった。
 2013年3月期までデジカメ関連事業の3期連続赤字に苦しんできたオリンパスは、足元で抜本的な構造改革を進めている。
 コンパクトデジカメは機種数を大幅縮小し、一眼レフの新製品開発からも撤退。
 製品ラインナップは比較的収益性が高いミラーレスと高級コンパクトだけに絞り込んだ。
 さらに、製造拠点は5拠点から2拠点へ統廃合。
 部門人員も前期末から3割削減している。
 製造原価・販管費の削減もすすめ、今期は前期比で230億円のコスト改善効果が出る見込みだ。

(2013年11月9日付け東洋経済 「懸案のデジカメが今期も赤字に転落する」)
http://toyokeizai.net/articles/-/23749

 昨日の渓谷散策では、手の平サイズのケイタイの大きな機械をもって、撮ってって言われたヤッホー君、まるで機械音痴で無学文盲なので、ボタンは?って聞いたら、ないんだって…、動画撮影もできるんだって…ふ〜…これってウワサの須磨歩exclamation&question

 カメラメーカー各社は、小型ながら一眼レフカメラ並みの高画質の写真が撮れる「ミラーレス」と呼ばれるカメラの売れ行きが好調なことから、さらに軽量化を進めるなど年末商戦向けの新製品を相次いで投入しています。
 ミラーレスカメラは、小型ながら一眼レフカメラ並みの高画質の写真が撮れることから、スマートフォンの普及で売れ行きが伸び悩む小型デジタルカメラと対照的に、メーカー各社とも販売を伸ばしています。
 こうしたなか各社は、ことしの年末商戦向けにミラーレスカメラの新製品を相次いで投入していて、このうち「ソニー」は、従来のミラーレスカメラよりも画質を向上させるとともに、重さを半分程度にした新製品を来週から販売します。
 また、「オリンパス」は、オートフォーカスの機能を、従来よりも高めた新製品を先月から販売しているほか、「パナソニック」も、小型化をさらに進めたミラーレスカメラの販売を予定しています。
 カメラメーカー大手6社の今年度のカメラの販売計画は、スマートフォンの普及などで前の年度の実績を20%余り下回っていますが、各社とも小型で撮影機能が高いことをうたったミラーレスカメラの品ぞろえを増やすことで、事業のてこ入れをねらっています。

(11月9日12時13分付けNHKニュース「ミラーレスカメラ新製品相次ぐ」)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131109/k10015928271000.html

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2013年11月10日

尾白川渓谷

 山歩クラブの皆さん、今日は大変お疲れさまでした。
 雨合羽をつけて予定の歩程表通りに、歩き通しました。
 本当にお疲れさまでした、11月10日日曜日の山梨県北杜市白州町!、
 午前中、お天気はもつ、と強気の姿勢で思い切って、予定通り竹宇駒ケ岳神社から不動滝まで、尾白川渓谷(山梨県北杜市白州町)周遊トレッキングでした。
 いかがでしたでしょうか。
 雨だれがぽつぽつと落ちてきてしまいました。
 途中で晴れ、日差しが射すほど。
 しかしまた弱い雨。
 お昼は不動大橋を渡ったところ。
 ヤッホー君はしかし、立ったまんまでドカ弁を開け、しかも半分しか食べられませんでした。
 帰り道のルートが気になっておりました。

 そう、そう、あれは2002年のこと、不動滝からさらに錦滝を経て、日向山へと向かったことがあったのです(ヤッホー君は体調絶不良で、アシが少しも前に進みませんでしたね、あん時ゃ〜往生しました…)。
 イマは山が荒れ、不動滝の先は通行禁止だそうです。
 ところが山歩クラブがお昼をとっていたころやってきた山ガールに山ボーイたち。
 さらに先へとアシを伸ばしていくではありませんか、もうびっくりexclamation&question

 ヤッホー君の山のお師匠さまである岩崎元郎先生は、
「雨が降ったら濡れればいいか」
という名言を教えてくれました。
 自然には勝てない、いや勝とうとしたら、人間のほうが傲慢なのかもしれない、ということですよね。
 今日はハルちゃんがいみじくもおっしゃっていましたが、来週来たら、木の葉はみんな、落ちているんだ、今日だけだ、こんな美しい最後の紅葉、黄葉を見せてくれるのは、って。
 どうでしたか?楽しんでいただけたでしょうか。

 朝一番で、「道の駅はくしゅう」(北杜市白州町白須1308 Tel 0551-20-4711)で青物の買い出しもすませたし、帰りには超高濃度温泉、尾白の湯(北杜市白州町白須8077-1 Tel 0551-35-2800)での出で湯も味わってきました。
 また、オリジナル企画にあった『七賢』さん(山梨銘醸、北杜市白州町台ヶ原2287 Tel 0551-35-2236)訪問予定。時間があれば帰りに寄りたかったのですが、なんと、なんとはるちゃんがその『七賢』を仕入れてきてくれたではありませんか。
 帰路の車中は、車内販売。
 車内に流れた島倉千代子『全曲集2000』CDをBGMに聴きながら、島倉千代子を偲びながら飲んだ銘酒は、格別な秋味がいたしました。

 山歩クラブの紅葉狩り、楽しんでいただけだでしょうか。
 今日初参加されたお三方が、新しく山歩クラブの会員になっていただき、これからはお仲間です、どうぞよろしくお願いいたします。

 なお、ヤッホー君のデジカメは全部失敗でした。
 皆さま、これぞという写真がお手元にありましたら、ぜひこのメルアドまで送ってくださるようお願い申しあげます。

 では、今晩、お疲れになったことでしょう、ぐっすりお休みください。次回までごきげんよう!

 お天気がイマイチ、朝の地震も驚きでした。良い山行を!

11月10日午前7時38分ごろ、茨城県筑西市で震度5弱を観測する地震があった。
 気象庁によると、震源地は同県南部で、震源の深さは約70キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.5
 震度4=墨田区、江東区

(2013年11月10日最終更新11時10分毎日新聞「地震:茨城・筑西で震度5弱=午前7時38分」)
http://mainichi.jp/select/news/20131110k0000e040117000c.html

 さっそくのメールありがとうございます。
 雨のため、私は写真とらなかったのですが、見事な景観でしたね。
 それから…、毎度の忘れ物で恐縮ですが、バスの中…


 それとポールをバスの中に忘れた方がいます。
 会長さんではないかとおっしゃっていた方がいましたが、忘れていませんか?
 今日のトレッキングは、雨の中に紅葉が彩り、味わい深い山歩きでした。
 往復約5時間の歩きはやはり疲労感がありますが、こういう疲れは心地良いです。
 来月のお山歩会も楽しみにしています。


 大変お疲れさまでしたね。
 全山紅葉の中、秋を十分満喫しました。
 雨は天の恵みだから仕方ありません。
 印象深い一日でした。

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2013年11月09日

島倉千代子

 11月9日土曜日、なかなかたどり着けないマレーシア。
 と言いますのも、台風の通り道となっているフィリピンをまたまた強烈な台風が襲ったらしいのです:
 
台風.bmp

 どれどれとマレーシア紙を広げてみますと、たしかに:

Weather officials said Haiyan had sustained winds of 235 kph (147 mph) with gusts of 275 kph (170 mph) when it made landfall. That makes it the strongest typhoon this year, said Aldczar Aurelio of the government’s weather bureau.

The U.S. Navy’s Joint Typhoon Warning Center said shortly before the typhoon made landfall that its maximum sustained winds were 314 kph (195 mph), with gusts up to 379 kph (235 mph).


 文盲ヤッホー君、この kph mph ってなんだろうな?酸性?中性?アルカリ性?と首を傾げて、一向に前にすすみません、突然停滞してしまった台風のよう。
 これはね、kilometer per hour とか mile per hour っていう意味なんだよって教えてあげたら、うそお〜って、新幹線より早いよって。

からすけ 新幹線のスピードはどのくらいなのかな。

イチ子 利用するお客さんが一番多い東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線は最高時速270キロメートルで走ってるわ。カーブが少ない東北新幹線は300キロメートルだけど、3月16日から320キロメートルにスピードアップするの。

からすけ すごく速いね。

イチ子 東海道新幹線が開通したのは1964年なんだけど、その時もう最高時速210キロメートルで走ってたんだって。

からすけ 約50年前から! 日本の技術は優秀(ゆうしゅう)なんだ。

(2013/3/2付日本経済新聞「最高時速320キロに、新幹線、どこが優れてる?)
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO52303450R00C13A3TY1P01/

 だから「カテゴリー5」に相当するスーパー台風になるんだね。
 gust の意味、命名の仕方も含めて、以下も参照のこと:
http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/help/unit.html.ja

 で、なぜ、数字がことなるのかって言うとマレーシア紙 The New Straits Times によりますと:

Those measurements are different than local weather data because the U.S. Navy center measures the average wind speed for 1 minute while local forecasters measure the average for 10 minutes.

Hurricane Camille, a powerful 1969 storm, had wind speeds that reached 305 kph (190 mph) at landfall in the United States, Masters said.

President Benigno Aquino III assured the public of war-like preparations, with three C-130 air force cargo planes and 32 military helicopters and planes on standby, along with 20 navy ships.

Read more: Super Typhoon Haiyan: Four dead as intense typhoon pounds Philippines
http://www.nst.com.my/latest/font-color-red-super-typhoon-haiyan-font-four-dead-as-intense-typhoon-pounds-philippines-1.395149#ixzz2k6NZp1WF

 新聞でお勉強ができますね。

The Philippines, which is hit by about 20 typhoons and storms a year, has in recent years become more serious about preparations to reduce deaths.

Public service announcements are more frequent as are warnings issued by the president and high-ranking officials, regularly carried on radio and TV and social networking sites.

Provincial governors and mayors have taken a hands-on approach during crises, supervising evacuations, inspecting shelters and efforts to stockpile food and relief supplies.

By 5 p.m. Friday, the typhoon − one of the strongest storms ever − was centered to the west of Aklan province on Panay Island, 320 kilometers (200 miles) south of Manila, after blasting the island resort of Boracay.

Forecasters said it was expected to move out over water south of Mindoro island Friday evening and into the South China Sea on Saturday, heading toward Vietnam.


 ところがこの国では、m/s あのう、medium or small ではありません。ま、これもTPP交渉でいずれ、グローバルスタンダードでアメリカ規準に変更されるのでしょうけど。
 
 台風の大きさは、風速15m/s 以上の強い風が吹くおそれがある範囲を台風の中心からの半径で表して定義しています。
 台風の強さは、最大風速の大きさで分類しています。最大風速が約33m/s 以上約44m/s 未満の台風を「強い」と表現します…

(気象庁公式サイト>気象等の知識>よくある質問集>台風について)
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq14.html
 
 それにしても11月になっても台風が生れれるのですね、南の海では。
 この国にも先月、たくさんの台風が押し寄せてきてましたけど:

 台風の接近数が多かったこと。
 10月に接近した台風の数と1951年の統計開始以来の順位は、日本への接近数6個で1位、沖縄・奄美への接近数4個で1位、本土(北海道、本州、四国、九州)への接近数3個で2位タイ。
 秋雨前線の影響で、全国的に降水量が多く、日照時間は少なかった。

(平成25年11月1日報道発表「10月の天候」)
http://www.jma.go.jp/jma/press/1311/01b/tenko1310.html

 昨日のミヤコジマと言い、今日のフィリピンと言い、なぜ、長々とマレーシアの新聞記事を引用しているかと言いますと、マレーシア紙は、国内ニュースと国際ニュースのあいだに、「地域」ニュースがあるんですねぇ〜、アセアン地域の。

 この国のマスゴミも、アメリカ発のニュースばっかりでなく、「地域」ニュースとして裏に映像をはりつけてそのスクリーンで特派員がおしゃべりするスタイルをやめて、日韓中の人びとをもっと登場させ、出来事、解説、感想を報道してもらいたいんですぅ。
 でもなにが特定秘密かも秘密なそんなアベノリスク法律の締め付けで、顔に刷けがぬられ、声がわりさせられ、腰しか写らないとか、もっとひどいのは、政府圧力で全消去、あるいは局のえらいさんの自主検閲といった具合で、ジユウミンシュシュシュギが破綻しているので無理かも〜。

 参院は11月8日午前の本会議で、NHK経営委員会委員に小説家の百田尚樹氏ら4人を新たに充てるなど12機関29人の政府人事案を自民、公明両党などの賛成多数で可決した。
 衆院も午後の本会議で同意し、正式承認された。
 百田氏ら4人は、いずれも安倍晋三首相に近い人脈とされ、首相とNHKとの距離感が問われそうだ…
 民主党は百田氏ら4人について、公共放送の中立性を損なう可能性があるとして反対。

(2013年11月8日13時51分東京新聞「百田尚樹氏らを国会承認 NHK経営委に首相人脈」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013110801001460.html

 しようがないな、と島倉千代子の歌を聴いて慰めることにしました:
http://www.youtube.com/watch?v=duZIoTPcMhY
 
 あっと、レコード盤に針を下すとき、場所を間違えたようでして、ひばりさまの「角兵衛獅子の唄」になってしました、クシュン。

 島倉さんの最後のステージは今年6月21日、入院先から向かった宮崎県延岡市で開かれた競演コンサート。
 島倉さんは「最後の1曲」と言うと、ギター1本の伴奏でひばりさんの「越後獅子の唄」を歌った。
 歌手を目指すきっかけとなった曲。
 競演した黛ジュン(65)によると「体調が良くなかったのに、最後まで全力で歌っていた」という。
 関係者は「お千代さんにとって、めったに歌うことのない大切な一曲。そんな原点の歌で、歌手人生の最期を終えるなんて」と声を震わせた。

(2013年11月9日 08:30 スポニチ 島倉千代子さん「最後の1曲」は憧れひばりさん名曲だった…)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/11/09/kiji/K20131109006977600.html

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2013年11月08日

希望のない暗さ

 フクシマからミヤコジマ(Pacific gateway island)へ。
 まずはフクシマから:

Fuel removal is not the only challenge facing the 6,000 workers battling to make Fukushima Daiichi safe. Large areas of the plant are still a chaotic network of pipes and cables – reminders that this was the world's worst nuclear crisis in over a quarter of a century.

The pipes carry water from the damaged reactors to a hanger-like decontamination facility, where dozens of radionuclides, including caesium, are removed. The 860-acre site is now home to more than 1,000 storage tanks, holding a combined 350,000 tons of contaminated water. Wooded areas are being cleared to make room for more tanks.

Tokyo Electric Power to begin removing more than 1,500 fuel assemblies from spent fuel pool in unprecedented operation…

(Justin McCurry in Fukushima, The Guardian, Thursday 7 November 2013 19.09 GMT)
http://www.theguardian.com/environment/2013/nov/07/fukushima-nuclear-cleanup-spent-fuel

 南に行く前に、横っ飛び、カナダまで。
 この記事に、これを読んだらってコメントが…

A view rather less sanguine than Tepco's can be found here:
http://www.huffingtonpost.ca/2013/11/04/david-suzuki-fukushima-warning_n_4213061.html

 David Suzukiさんの動画です。関連してこんなふうにフクシマは太平洋を渡って西海岸にまで到達しているのでは、と思うとぞっとします。
 そんなふうにならないようどうするのか、Tepco救援策、温存策、防御策で、国民の税金を投入して、一方では、さらに森林を買い上げ、平地にして今度こそ漏れない汚染水タンクを増設し、また他方ではアベノリスクが「放射性物質の影響は、発電所の港湾内の0.3平方キロメートル内にブロックされている」(10月16日の国会答弁)そうですから、また辻褄あわせにおたおたするのでしょうが…

Radiation in Alaskan waters could reach Cold War levels, said Douglas Dasher, a researcher at the University of Alaska Fairbanks, although John Kelley, a professor emeritus at the same university, doesn't seem as certain that it will reach dangerous levels for humans.

"The data they will need is not only past data but current data, and if no one is sampling anything then we won't really know it, will we," he told the network.


 南に行く前に、ミヤコジマ!
 これじゃあ、法人は減税しているんで、消費税でもあげないとお金はなんぼあって足らんで〜:

TOKYO: Japan's military is to station four unarmed missiles on an island that sits on the gateway to the Pacific, officials said Thursday, for a major drill that has made China nervous.

The exercise, aimed at bolstering defence of Japan's southern islands, has already seen a launching system and a loader for Type-88 surface-to-ship missiles installed on Miyako island.

"This is the first time" that missile systems have been taken to Miyako, said a spokesman for the Joint Staff of the Self Defence Forces, adding that the missiles could not be fired in their present state.

"The drill is designed for the defence of islands," he said.

While the Japanese military makes no secret of the fact these missiles are not operable, observers say their deployment serves to remind anyone watching of Japan's capabilities.

The missiles were expected to arrive later Thursday and it was not clear how long they would stay for.

The Self Defense Forces began their 18 days of war games on November 1, with 34,000 military personnel, six vessels and 360 aircraft.

The exercise comes amid growing nervousness in Japan and other parts of Asia over China's surging military might, which has seen it expand its naval reach into the Pacific Ocean as it squabbles with Tokyo over the ownership of islands in the East China Sea.

It also has separate disputes with numerous countries over competing claims to territories in the South China Sea, which China claims as virtually all its own.
Chinese naval assets stationed in the north of the country are somewhat hemmed in by the chain of Japanese islands that separate the East China Sea and the Pacific. The strait between Miyako and the main island of Okinawa offers one of the few direct access points.

Tokyo has officially said the drill is not aimed at any specific nation, but Japanese leaders have openly expressed their disquiet as China escalates its territorial claims.

The Self Defence Force is also preparing to form a special amphibious unit, much like the US Marine Corps, whose remit would be to defend small islands and to take them back in case of enemy attacks.

Beijing has routinely sent government vessels to disputed islands in the East China Sea, staging dangerous face-offs between the two nations' coastguards.

The ongoing Japanese drill has irritated Beijing, where local media said there was no doubt it was targeting China.

The Global Times newspaper, which is close to the ruling Communist Party, reported on its front page Thursday that Japan's decision to bring the missiles to Miyako was "an unprecedented move that experts say is targeted at blocking the Chinese navy".

"The missile deployment is mainly set against China and it can pose real threats to the Chinese navy," Li Jie, an expert on China's navy, told the paper.
Beijing's military, through state media, has accused Tokyo of interfering in Chinese live-fire drills in the Pacific last month, an allegation that Japan denied.
Ties between Japan and China, which are routinely strained by unresolved historical grievances, have deteriorated in recent years, with emotional nationalism fanning the flames of the territorial dispute. -AFP

(Updated: Thursday November 7, 2013 MYT 4:14:34 PM The Star: Japan putting missiles on Pacific gateway island)
http://www.thestar.com.my/News/Regional/2013/11/07/Japan-putting-missiles-on-Pacific-gateway-island.aspx

 いやあ、これをAFP電を伝えたマレーシア紙の「ザ・スター」からですが、日本語ではローカル紙の琉球新報とか宮古毎日新聞の記事で内容を知ることができます:

 陸海空3自衛隊による離島奪還訓練(実働演習)のため、第3地対艦ミサイル連隊と第8高射特科群が11月6日朝、民間船舶で宮古島市に到着し、ミサイル発射機などを搭載した車両22台を上野野原の宮古島分屯基地に運び込んだ。
 自衛隊によると、地対艦ミサイルと高射特科群が宮古島に配備されるのは初めて。
 同日、石垣にも発射機を除く通信部隊などの車両30台が運び込まれた。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-214935-storytopic-3.html

「ミサイル配備やめろ」
「戦争準備の訓練やめろ」
−宮古島に初めて陸自の地対艦ミサイルが陸揚げされた11月6日午前、平良港下崎埠頭には市民団体や労組のメンバーのシュプレヒコールが響いた。
 車両の前に座り込む市民。強制排除する警察官。
「やめろ」。
「触るな」。
 怒声が飛び交い両者がもみ合う中、ミサイルの発射機などを積んだ車両が野原基地向け進んだ。
 抗議集会は午前7時すぎから、訓練に反対する市民団体など約30人が集まって港の出入口前で行われた。

http://www.miyakomainichi.com/2013/11/56414/

 ミヤコジマ(Pacific gateway island)から、さらに南に飛びたいですね。
 そう、マレーシアへ。

 今回のもっとも刺激的で楽しい経験は、まだこれからだった。
 日本の南方、中国の南方に位置する、無数の猿、象、夜中にギャアギャアと鳴いている不思議な生きものに満ちた赤道直下の国、マレー半島がイザベラを待っていた。

…パット・バー『イザベラ・バード−旅に生きた英国婦人−』(小野崎品裕訳、講談社学術文庫、2013年10月)、185-186頁

 1878(明治11)年に来日したイザベラは、いったいどんな印象をニッポン人に抱いたのか?って…

 後年、朝鮮や中国に旅したときにも感じたのだが、この日本の旅でも無知蒙昧で迷信深く、頑固で悪賢く、支配者に従い、慣習にがんじがらめに縛りつけらている東洋の農民の「希望のない暗さ」に彼女は心を痛めた。
(前掲書156頁)

 そして、「強情で騒々しく、好奇心の強い」ニッポン人よりも、北海道で会った「穏やかで天真爛漫な」アイヌ人に親近感を覚えるのでした:

 彼らはイザベラの質問にとまどいながら忍耐強く真摯に答えてくれ、それによって彼らが拝んでいる神々はあらゆる木、岩、川、山に宿っており、成文化された歴史も法律も持たず、日本人を憎んでいるが冷淡な嫌悪感をもってあきらめているということが分かった。
 というのは、彼らはまったくかけ隔たった新生日本に対して、なにほどの期待も抱いていないからである。

(前掲書180-181頁)

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2013年11月07日

Bon appétit

Food-waste-008[1].jpg

 いきなり写真ですかぁ…、イギリス紙『ガーディアン』の記事からです。
 写真の説明にはこう:

The top three foods being thrown away uneaten in British homes are bread, potatoes and milk

 そして本文、ぜひ以下をクリックして参照して辞書を引き引き読んでください:

The average UK family is wasting nearly £60 a month by throwing away almost an entire meal a day, according to a new report that reveals the scale of the ongoing challenge to reduce household food waste.
(Rebecca Smithers, consumer affairs correspondent, The Guardian, Thursday 7 November 2013: Report finds Britons are chucking out 4.2m tonnes of food and drink every year that could have been consumed)
http://www.theguardian.com/environment/2013/nov/07/uk-households-food-waste

 そうしたら今度は、マレーシアのCAP(ペナン消費者協会)のはっちゃんからは、記者会見用ですって次の原稿を送ってきましたので、ご紹介:

Food plays an important role in an individual’s life, as it is required for the survival of a human being and the nourishment of the body and mind.

Food to a large extent is what holds a society together, and eating is closely linked to deep spiritual experiences. Most religions and spiritual paths throughout history have some kind of ritual or rule related to food and eating.

However, in modern times, people have developed an unhealthy relationship with food, in that they use (or abuse) it as a means of entertainment and comfort, to ward off boredom or to combat a feeling of emptiness in their lives.

Consequently, most people are engaged in perpetual warfare against their bodies by binging on food or by resorting to extreme diets, leading to health problems like obesity, on one hand and eating disorders like anorexia and bulimia on the other.

Nowadays, eating is not an act of giving our bodies nourishment, but something to make us feel full as fast as possible. Mindless eating has led to the development of a fast food culture that makes it impossible for us to keep track of how much we eat.

Modern research has proven that excessive eating and improper diet can increase the chance of diseases such as obesity, high cholesterol, heart diseases and diabetes.

Modern diet counselors and therapists advocate a technique called "mindful eating", which makes the act of nourishing the body a contemplative practice. Mindfulness changes one's attitude towards food and transforms the way one nourishes and cares for the body.

However the present food system does not provide the avenue for mindful eating for example we do not know what really goes into the food we take. Due to high powered advertisement and aggressive sales campaign by multinational companies the traditional lifestyles and culture of the local people are replaced by foreign culture and taste.

Junk food and fast food culture flourish at the expense of locally wholesome foods. These commercialized meals pose serious health problems for consumers for they are often high in fat, sugar and salt.

A can of soft drink for example contains 5-8 teaspoonfuls of sugar and it is one of the reasons why Malaysians consume extremely high levels of sugar, averaging 26 teaspoonfuls a day, making us the eighth largest consumers of sugar in the world.

Besides obesity and diabetes, soft drinks are linked to many other health problems. Sodium benzoate, a preservative used in soft drinks, is linked to asthma. Colas with high phosphoric acid are linked to tooth decay, osteoporosis, kidney stones and other kidney problems. BPA or Bisphenol-A used in the lining of soft drink cans and it can cause reproductive abnormalities.

Instant noodles in spite of it being harmful to health is increasingly becoming a staple food among Malaysians. In 2004, we consumed 870 million packets but by 2008 it had increased to more than 1.2 billion packets, which is an increase of nearly 40 percent during the period of 4 years.

Instant noodles contain high amount of sodium, as twenty-four of the 136 listed food additives used in instant noodles are sodium salts. And the use of sodium additives is the main reason why instant noodles are high in sodium. Consumption of food high in sodium can cause hypertension, heart disease, stroke kidney damage and other health problems.

The high sodium consumption is linked to stroke or cause kidney damage. In Malaysia, there are an estimated 13,000 kidney patients undergoing dialysis. Every year 2,500 people join the ranks of end-stage renal failure patients, with six new cases of stroke occur every hour.

In Malaysia, food is plentiful, cheap and easily available. There are the night markets, hawkers, a fast-food restaurants and 24-hour eateries around residential areas, making eating a favourite past time even in the wee hours of the day.

Where processed food are concern, food producers are adding all kinds of food additives to their products to increase profits. The advance in food science and technology allows food producers to make expensive ingredients go further by mixing them with cheaper ones and disguising the adulteration with sophisticated processing methods and a vast array of chemical additives. It also allows unscrupulous producers to add chemicals to food to mask the poor quality, or to pass off cheap substitutes or synthetics as real food.

A cheap alternative is wastes from the slaughter houses which are being used in food, as food additives and ingredients in processed food. Sometimes it is being used to adulterate food materials which are of plant origin.

For example gelatin an important ingredient derived from the waste of slaughter houses. The waste product, after being processed, is transformed into a white odourless powder, which has many purposes in the food industry. Due to its special qualities, gelatin has many functions and is widely used in the food and pharmaceutical industries. It is a popular stabiliser for the food industry and is used in foods such as ice cream and desserts.

Gelatin is also being added to agar-agar (seaweed) and gum Arabic. The presence of gelatin is to improve the aesthetic value of the final product and at the same time increase the weight of these commodities

Animal blood is another waste substance from the slaughter house. However, the use of blood in meat processing may mean that the final product is dark in colour and unpalatable. To overcome the problem, plasma the portion of blood that lacks colour but has functional properties is used in the meat industry Blood plasma powder is used in the making of fabricated food products such as fish balls, fish cake and artificial crabsticks and shrimp.

Another waste product which is popularly used is whey. Whey is the liquid by-product of cheese production and is supposed to be discarded.. Every 10 units of full cream milk will yield about 1 unit of cheese and 9 units of whey. Fluid whey is more than 93 percent water but includes approximately half of the original nutrient.

Whey is widely used in many processed foods because it is cheap. For example in biscuits manufacturing, companies which use whey instead of skim milk or full cream milk,“get a tremendous saving”since whey is much cheaper than the real ingredients.

Most infant formulas are made with a large quantity of whey (which has been demineralised) to lower the milk’s mineral content to prevent loading the delicate kidneys of young infants.

According to a milk company, cheese and beverages also contain large quantities of whey. Whey is used to give it that“cheesy”taste. It is also used extensively as a flavour enhancer (in biscuits) and in flavour blends which go into the making of seasoned flour mixes, dressings soups, sauces, etc.

Even salmon fish which is rich in omega 3 and considered a healthy food is not what it appears to be. According to studies done in New Zealand, abattoir waste form a major part of farmed salmon diet and they are being fed with pellets which are being incorporated with fish oil.

Food addiction is another problem that is faced by the present consumers. Food made of sugar, fat, and salt can be addictive, especially when combined in secret ways the food industry will not share or make public. We have been biologically wired to crave these foods and eat as much of them as possible.

Food manufacturers have refused to release any internal data on the ingredient mix despite requests from consumers.

The problem is further compounded when our labeling law does not require food producers to provide detail the food additives used. Thus consumers are unable to avoid the food additives which are hazardous or which they are allergic to.

The present eating habits has made, Malaysia to have the highest rates of diabetes, strokes and heart disease in South-East Asia. According to government statistics more than two-thirds of Malaysians aged more than 18 do not exercise. 54% of the adult population is either obese or overweight, compared to only 24.1% 10 years ago. As a result 7 out of 10 Malaysian adults suffer from chronic diseases. Another major health concern is that 4 out of 5 people with diabetes will die of heart disease (the number 1 killer in the country). Six new cases of stroke occur every hour in Malaysia.

Experts blame rising affluence, a sedentary lifestyle and a growing trend of working mothers for the rise in health problems. Generally Malaysians are eating more and eating higher-calorie food and most are un aware of what is in their food.

Given the above situation, eating should not only be mindful, we need to know what we are eating and change our food production system.

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2013年11月06日

先祖になる

 11月3日の池袋・新文芸座は、いまカップリング上映って言うんですか、2本立てでした。
 映画『立候補』が終わると、撮影・製作を担当した木野内哲也さんが舞台挨拶、そしてそれが大きな拍手で締められると短い幕間。
 ヤッホー君、売店でプログラムを買い求めに廊下にでました。
 薄い財布のなか、それでもたねつすがめつ、もちろん品代をお支払い申し上げ、よし買えたな、と喜んで廊下を歩いていたとき、後ろから売店のお姉さまに『もし、もし』と呼びかけられてしまったのです、あっいけねえ、足りなかったのかぁと後ろを振り返ったら、『あのぉ、これ、お品ですぅ』と言われてショック、もう人生も長いことないね、と照れ隠しに、もう髪の毛のない頭をかきかき、H列、H列と自分の席を間違えないように座わったら、もうはじまりました2本目、ドキュメンタリー映画『先祖になる』(注)。

 佐藤泰志(1949‐1990)から佐藤直志(1934年生まれ)へ。

 映画の舞台は3.11に見舞われた陸前高田市気仙町。

 あれから2年後、2013年3月27日に撮影された街の様子が映像で見られますので、まずは、どうぞ:
http://www.youtube.com/watch?v=WkDy1KlTsMY

 映画が終って、監督をなさった池谷薫さん(1958年東京生まれ)のトークがございました。

 明日、つまり11月4日は映画会がやっと東北でもはじまるんだ、と。
 ただ陸前高田市のホールは流されたんでもうない、大船渡市のホールで開きますって、無料、って。
 上映終了後は、主人公、佐藤直志さんといっしょに、主人公をず〜っと助けて、阿弥陀堂に暮らしてお堂を守りながら生き延びてきて、イマや人気急上昇中、岩手の渡哲也、って呼び声の高い菅野剛(1949年生まれ、学生紛争に明け暮れる東北大学工学部を2年で中退)さんも、舞台に上がるんですよって。

 はたして、大船渡市では…:

 陸前高田市で被災した男性の震災後の姿を追ったドキュメンタリー映画『先祖になる』が11月4日、地元の気仙地区で初めて公開された。4日は大船渡市のリアスホールで上映会が開かれた。
 『先祖になる』は、津波で自宅が被災し、長男も亡くした陸前高田市の佐藤直志さん77歳が、あきらめることなく、元の場所に家を建て直すまでの1年半を描いたドキュメンタリー映画で、香港国際映画祭グランプリなどを受賞している。
 佐藤さんは舞台挨拶で
「どうぞ皆さんも、自分の夢に向かって一歩一歩前に進んでもらいたいと思う」
と話した。
 映画『先祖になる』は、盛岡市の中央映画劇場で、今月8日まで上映されている。

(11/05 12:21更新テレビ岩手、映画『先祖になる』地元気仙で初公開)
http://news.tvi.jp/index_78911437.html

 動画付きでした。
 皆さんも、ぜひ映画の公式サイトを開いてお近くの劇場で上映しているか、上映していなければ自主上映会を開いて皆んなでいっしょにぜひご覧くださいな。

 こうして、建築確認の申請をし、裏山の木を伐り出して建築材とし、地元の大工さんにお願いして、とうとう地産地消の家を建ててしまったのです。
 もしも家を建てたなら、開けっ放した縁側の向こうに、三陸沖から昇る朝日を毎朝おがみたい、そんな寝室をつくって、そしてその部屋からすぐ息子に線香を手向けられるよう仏間を次の間にしてほしい、そして家を建てたなら、よし俺も、俺もと長い時間かけて戻ってくる地域の人がいる、そうしたら街がまた、よみがえるんだ、と地域の『先祖になる』って避難所にも行かず、母屋の2階にビールケースを拾ってきて、その上に奥さん、息子の嫁さんと3人で寝て、母屋の解体後は寒い冬を、雪の吹き込む納屋で頑固一徹に過ごしてきました。
 
 そんな新築の家で歌った方がおられます。
 宝塚ではなく、劇団四季を退団した沼尾みゆきさん。
 沼尾さんは、1974年栃木県生まれで、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業しています。

 では、その歌声をお聞きしましょう、どうぞ:
http://www.theguardian.com/music/musicblog/2013/nov/05/yoko-ono-bad-dancer-video

 あれっ、間違いました。オノヨウコ(1933年生まれ)!? or Y/O?!

 『先祖になる』の佐藤直志さん宅訪問!東北癒し隊
http://www.youtube.com/watch?v=UZDte6wVs6A

 沼尾みゆき『先祖になる』の佐藤直志さん宅にて歌う
http://www.youtube.com/watch?v=piyRwrlZhkA

 そういえば、音楽!映画のBGMを2本、ここで聴いてみましょう。
 まずは、映画『書くことの重さ−佐藤泰志−』で流れたシューマンの『子供の情景』から「トロイメライ」を、ホロヴィッツ(1903-1989)で:  
http://youtubeclassic.seesaa.net/article/33613430.html

 そして、映画『疎開した40万冊の図書』では、プッチーニの歌劇『ジャンニ・スキッキ』より「私のお父さん」。
 『ジャンニ・スキッキ』は1918年4月20日完成(日本での初演は1954年4月29日)したプッチーニ唯一の喜歌劇です。
 原作はダンテの 『神曲』「地獄編、第30歌」といいますから象徴的ですよね:
http://www.youtube.com/watch?v=QCqDkiKd8Uo


(注) ヤッホー君のこのブログ、2013年5月29日付け日記「先祖になる」も併せてご参照ください!


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2013年11月05日

立候補

 11月2日土曜日、神保町シアターで映画『疎開した40万冊の図書』を見終えたあと、お茶ノ水駅聖橋口までまた戻り、駅すぐそばの「キッチンカロリー」へ。
 「アテネフランセ」学生時代にはよく立ち寄ったものですが、このレストランもいまだ健在。
 うれしくなりました。
 無事、社会人になりましたので、今宵は豪勢に缶ビールの食券まで買い求め、お腹いっぱい食べてきました。
 そして迎えた11月3日日曜日、文化の日。
 ヤッホー君は池袋・新文芸座にいました。
 ここも学生時代、朝起きてすぐ学校ではなく、3本立てとかの映画を観に良く入り、映画が引けた後は東口のジャズ喫茶で読書をして、学生寮に戻ったもんでございます。
 今日は、映画『立候補』。

 このクライマックスは、この場面の映像化でしょう。
 まずは YouyTube に投稿なされた次の2本を観てみましょうか。

☆ マック赤坂、自民党の車に埋まる 【映像おまけ】
http://www.youtube.com/watch?v=LDBOILgG-Vw

☆ 参院選 安倍総理がマック赤坂に演説の邪魔をされてました
http://www.youtube.com/watch?v=bnxZaHW3908

 そしてこの日、「参院選大反省会」と銘打った本トークショーに出席したマックは、選挙の敗北を踏まえ、「もう選挙には出ません!」と宣言。
 会場からは「えー!」と引退を惜しむ声が上がった。
 その声を受けたマックは、
「明日(8月2日)の8時からは市民運動家として、国会議事堂前で、わたしがなれなかった参議院議員になった人たちの前で演説をします。ぜひ来てください!」
と観客に呼び掛けた。
 その後、今年6月、広島と長崎、鹿児島県知覧町に足を運んだというマックは、涙を浮かべながら、戦争の悲惨さを切々と語りだす。
 そして
「今まで何で選挙に出るの?と聞かれてきましたが、答えが出ました!平和運動です」
と断言。
 今回の参院選の政見放送では、インドの政治指導者マハトマ・ガンディーの恰好をしていたことに触れ、
「わたしが訴えたいのは、非暴力、恒久平和、武器よさらばです!自民党と公明党は、憲法を改正して戦力を持ち、(日本を)戦争の時間に戻そうとしている。俺は右でも左でもない。平和に右も左もない!わたしは政治家としては引退しますが、運動家としては永遠にやります」
と宣言し、大きな拍手を受けた。
 そして去り際、劇場に詰め掛けた観客を見たマックは
「今まで一人で戦ってきたけど、限界がある。今は皆さんがいるのかな…」
とポツリつぶやいた。

(2013年8月2日3時45分[シネマトゥデイ映画ニュース]「ときに涙を浮かべながら、平和運動について語ったマック赤坂」)
http://www.cinematoday.jp/page/N0055214

 YouTube 以上に衝撃的な映画『立候補』、だってぇ〜秋葉原でのアベノリスク演説では夜、日が沈んだというのに大きな日の丸がたくさん林立しはためき、小さな日の丸が振られ踊っていたのです。
 動員されていたのです。駅の乗降客や通行人に呼びかけるというのでなく、組織的な集会でした。
 マックに「へたれ」「消えろ」「帰れ」コールが浴びせかけられます。
 「へたれ」ってどういう意味かって自宅に戻ったヤッホー君、さっそく岩波国語辞典第4版をひいたのですがありませんでした。関西弁?

 大坂では橋下陣営のコワモテSPたちの映像も衝撃的でした。
 そして、選挙後の会見で橋本は、いま教師やサラリーマンを苦しめている成果主義の典型的な台詞、結果が出なければジ・エンドです、つまり「候補者自体は、もう負けたらジ・エンドです」って明言していらっしゃいました。
 だから何事も勝つか負けるか、勝てば官軍なんですね、あのヒトたちは…

 ジユウミンシュシュギを取り戻す、そのためには投票率ではなくイマの「供託金」制度を見直してください(テーマその1):

 諸外国での供託金比較 (Wikipedia調べ)
  イギリス: 約9万円、小選挙区制で5%以上の得票で没収免除
  カナダ: 約7万円、小選挙区制で10%以上の得票で没収免除
  韓国: 約150万円
  中国: 0円。ただし立候補には共産党の推薦を必要とする(中国大使館調べ)
  シンガポール: 約79万円
  フランス: 約2万円(1995年に廃止)
  アメリカ: なし
  ドイツ: なし
  イタリア: なし

…映画『立候補』パンフレットより(注)
 
 泡沫候補といえど、リッチで無いと立候補できないんです、と相変わらず「なんか変な感じ」NHKな気分です、とヤッホー君、はい。

 最後のクライマックス、大群衆の「へたれ」コールにただ一人、素手で立ち向かったのは、マックの息子でした!「なんか言いたいことがあれば、ココに来て言ってみろ」、と「群れ」の否定(テーマその2)。

 以下に2本、映画を観ての感想を載せてお仕舞いにします。
 まだ観ておられない読者の皆さん、先に紹介した映画『立候補』の公式サイトを開いて、お近くの映画館に足を運んでご覧くださいますように:

 秘書の櫻井武さんや、息子の戸並健太郎さんは、「笑うしかない」とか「真面目にやれば良いのに」とか呆れつつも、そんなことはすでに通過済みであって、マック赤坂さん自身は真剣だからさ、いざという時はちゃんと前面に立って守ろうとするんです。
 この映画の白眉は「敵対する陣営の選挙演説に乗り込む」シーンであり、大阪府知事選での「vs 橋下徹」と、2012年の東京都知事選での「vs 安倍晋三」という2つの場面は超緊迫感に溢れているんですが…。
 2人ともマック赤坂さんのためにまったく引かなくて、その姿勢がスゲー胸を打つ。
 特に秋葉原での“醜悪すぎる「帰れ!」コールに抗う戸並さんの姿”には涙が止まりませんでしたよ…
 (とは言え、他の人たちの立場になって考えると、選挙演説に無理矢理乗り込んで来るマック赤坂さんは相当迷惑なんですがー)。

(2013年7月20日付け『三角絞めでつかまえて』「立候補(ネタバレ)」)
http://ameblo.jp/kamiyamaz/entry-11569095946.html

 そんなマック氏の舞台裏を見れただけでも、この映画を見たかいがありました。
 でも実は僕は、この映画『立候補』の主役は、別にいたんじゃないかと思うんです(テーマその3)。
 それは、マック氏の運転手の櫻井武さんと、息子の戸並健太郎さんです。
 候補者とともに戦う彼らの姿と言葉は、時折、候補者自身の言葉よりも痛烈に僕のハートに刺さりました。
 ネタバレするので詳しく書きませんが、負けるとわかっている戦いに出ている人をそれでも応援する人、応援する側の人というある種の白虎隊というか、なんというかすごく男気を感じました。

(2013年7月31日付け『ながれ旅てれび』「選挙おわってからの『立候補』」)
http://hirupino.blog.so-net.ne.jp/2013-07-31

 ≪テーマその3≫、主役は実はこの映画を観てしまって、何かに気づいたあなた、なのでは、と。


(注) ヤッホー君のこのブログ、8月6日付け日記「Hmm …」をぜひお読みくださいね。
日本人と結婚したマレーシア人が日本の選挙運動を見てビックリしたことが素直に表現されています:

Sarah Mori, a Malaysian married to a Japanese, resides in Japan.
Read more: The Star of Monday August 5, 2013 MYT 6:11:21 PM

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2013年11月04日

疎開した40万冊の図書、続編

 神保町シアターで見た映画『疎開した40万冊の図書』、その続編です。
 まずは、早乙女勝元、山歩クラブで東京大空襲・戦災資料センターあたりをぶらぶら、タウンウオークして砂町銀座商店街では5人もまったく同じ服を買ったりして遊んだあのとき、ドイツはドレスデンでも同じような平和活動をなさっている方のお話しをお聞きし、お会いしたあの早乙女勝元さんも映画にでております。
 ヤッホー君のこのブログ、2013年3月9日付け日記「東京大空襲・戦災資料センター」をご参照ください。

 東京大空襲戦災資料センター館長も務め、当時を知る証言者として本編にも登場した早乙女は、
「この映画のお話を聞いてまず頭に浮かんだのは、ヒトラーの焚書。本は心を豊かにするもの。それを焼いてしまうという行為は心を焼いてしまうことと同じ。これを心に留めておく必要がある」
と本の大切さを強調。
 さらに、
「本編の冒頭に“真理はわれわれを自由にする“という言葉が出てくるが、本をはじめ日本の文化を残していくためには、真理を守る側がこれを貫いていかなければならない」と将来への希望を言葉に託した。
(2013年8月15日20時11分付け[シネマトゥデイ映画ニュース]戦時下で本を守った人びとに迫る『疎開した40万冊の図書』が終戦記念日に上映)
http://www.cinematoday.jp/page/N0055551
 
 この文章はとても大事です。
 以前、バルト3国と言われ、まだソ連からの独立を目指していたころのことでした。
 早乙女勝元さんがいみじくも語っていますように、エストニア・タリンの町では、ヒトラーだけでなく、その後のソ連のロシア人も、エストニア語で書かれた文書、エストニアの歴史書の徹底的な「焚書」、大量破棄をしたのです。
 つまり占領者たちは、自分たちのアイデンティティ、つまり自分たちは何ものなのか、何処から来て、何処へ向かおうとしているのか、という文化、歴史、言語を徹底的に消し去る、葬り去る、抹殺しようとしたわけです。
 ヤッホー君があったエストニアの市民たちは、必死に街の祖父母、長老からの聞き取りをして文字起こしすることに相当の時間を費やしていました。
 学者・知識人というのは空気を読み取るのがうまいから、すぐ本流、主流、権力に擦り寄って身の保全を図るから当てにならない、とぼやきながら。

 またムカシの都立日比谷図書館のカウンターの上にあったという“真理はわれわれを自由にする“も大事な文章(もともとはギリシャ語)です。
 サッコン、秘密シュギ、閉鎖シュギ、監視社会型ムラ社会の復活を目論むジユウミンシュシュギが跋扈していますが、「市民」それぞれが、群れない、なびかない、騙されない「自学自習」、それが可能となる“知の空間“がますます重要になってきます(注)。
 大本営発表だけでこと済ませようとする、きな臭い動きに抗して。

 ところで、映画の最後は、次の言葉が画面いっぱいに表現されて終ります:

 戦禍から文化や貴重な文献を守るということは、図書館員だけがいくら一生懸命やってみても、また図書館がどんなに力を入れても結局はだめで、文化財を完全に戦禍から守るためには、戦争をやめる以外にはないでしょうか
…映画『疎開した40万冊の図書』「時の証言者たち」秋岡梧郎

 1944(昭和19)年7月、東京帝大附属図書館から館長に就任した中田邦造の陣頭指揮の下、さらに民間貴重図書の買い上げ、そしてその疎開も行なった。
 買い上げの責任者は中田邦造。
 それを疎開先に運ぶ責任者に秋岡梧郎
 買い上げ書籍の評価は、古書籍商に委嘱された。
 その評価主任は弘文荘の反町茂雄。

…東條文規『図書館の近代−私論・図書館はこうして大きくなった−』(ポート出版、1999年)

 この秋岡梧郎さん(1895-1982)は根っからの図書館員。
 最後に深川図書館長もおやりになりました:

 秋岡梧郎の功績で知られることは、当時閉架制が全盛であった図書館で、1929(昭和4)年から京橋図書館で開架式(安全開架)を実践したことであろう。
 安全開架式とは、開架式(接架式)の一種で、書庫と閲覧室を区画し、利用者は書庫には自由に出入でき本を選択できるが、閲覧室で本を読むとき、あるいは、貸出をうけるとき書庫・入口カウンターで館員のチェックをうける。
 館員のチェックをうけず自由に書架から図書を出し入れできる閲覧方式が自由開架式といわれている。

 秋岡梧郎の図書館人生で学ぶことは生涯実践者であることであろう。
 ともすれば図書館界においては図書館学の研究論文や著書の膨大さを誇る傾向があるが、何らの現場実践なく海外の文献を翻訳して図書館学者として事足れりとする弊風が見受けられる。
 最近でも若い図書館研究者が海外調査に行き外国の図書館事情の報告をして一定の成果を拝聴したが、大学では研究者は養成するが、実践者は養成できない。
 87歳にわたる秋岡梧郎の人生は文庫に始まり文庫で終っている。
 晩年、邸内に私設図書館を開設していることなど実にほほえましいものである(参考:「秋岡梧郎著作集」日本図書館協会)。

(2009年8月31日(月)付けケペル先生のブログ「秋岡梧郎と安全開架」)
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1da0.html

 同時に実施した下足廃止のほうも彼の新鮮さを示すものでした。
 隔世の感ですが、当時は新しかったのです。
 1933年京橋図書館閲覧者会を組織し、その下部に法律研究会を設け、高文受検者の勉学を助成、30余名の合格者を出したことも自慢でした。
 1939年市立八王子図書館長、42年同駿河台図書館長を歴任、43年日比谷図書館管理掛長となって都立全館の面倒を見、日本図書館協会常任理事(40〜45年)も兼ね、戦時統制下、全国図書館への新刊図書優先配給を日本出版配給会社と交渉して実現に奮闘された。
 終戦間近の1944年には空席の日比谷図書館長の事務代理を務め、東京誌料など貴重書の疎開、更に民間重要集書買い上げ・疎開事業を開始、中田邦造氏を館長に迎えるのに尽力した。
 1948年都立深川図書館長に転出、52年ご退職
 自宅に学校図書館研究所を開設。

(2004年11月3日発行『図書館サポートフォーラム』第1号)
http://www.nichigai.co.jp/lib_support/forum/forum1.html

 この映画には大ぜいの図書館員がでてきますが、最後にヤッホー君のこころをうった一言を紹介して映画『疎開した40万冊の図書』の日記を終えたいと思います。
 ぜひ、未見の方は、どこかに行かれてご覧になってください。あるいは自主上映会を組織してみてください:

 戦争の大変な時代にこういう物を残そうという、疎開までしていたということが凄い。
 図書館員として、やっぱり凄いなというか、私は直していますけども、それって生き延びてきた資料ですので、変な修理をして、例えばここで変な修理をしたがために、100年しか持たないようなことになってしまったらとんでもないことなので、ずっと残っていくもの、たとえ技術的にちょっとくらい下手でも残っていくような修理をしたいなと思っています。

…映画『疎開した40万冊の図書』「時の証言者たち」真野節雄(都立中央図書館員、本の修繕をする人)


(注)
 那覇市の情報公開制度が始まったのは1988年で、国より10年以上早い。その根底には、情報こそが命や平和を守る礎との思いがある。情報公開条例策定の中心となり、裁判に証人出廷した真栄里泰山(まえざとたいざん)(69)は「戦時中は軍機保護法の下、住民は何も知らされず、多くが命を失った。米軍の占領下に置かれるときも、本土復帰のときも何も知らされないまま物事が決まった」と話す。

 市はかつて那覇軍港に出入りする米艦船を数え、市民から請求があれば情報を開示していた(現在、軍港は休止状態)。嘉手納基地や普天間飛行場でも地元自治体は米軍機の飛行状況を調べている。「自治体は住民の安全を守るため、基地を監視する必要がある。秘密保護法でそれができなくなるようなことがあれば、もう基地行政はできない」。真栄里は危機感を募らす。

 まもなく国会で審議が始まる特定秘密保護法案では、国が決めた「秘密」を漏らした公務員だけでなく、それを知ろうとした市民が罰せられる可能性もある。今でも国の秘密の取り扱い方には危うさがある。監視してきた市民の目で法案の問題点を見た。
(2013年11月4日 東京新聞朝刊「家のヒミツ<1>情報公開 国と対決 何も知らされず命失った」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013110402000133.html
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疎開した40万冊の図書

 世界的に有名な従軍記者、アーニーパイルは1945年4月18日、伊江島に上陸した米第305連隊と行動を共にし戦場を取材中、日本軍の機関銃弾に倒れた。
 同記者は、戦場にあっても一般の兵士の不安や怒り、喜びや悲しみを愛情をもって報道しつづけた。
 遺体は粗末な木製の十字架之したに埋葬されていたら、後に沖縄本島の陸軍墓地、そして、ホノルルの国立墓地へ移された。
 彼の戦死の地には、米軍の手によってこのアーニーパイル記念碑が建てられた。

(伊江村公式サイト、観光名所「アーニーパイルの碑」)
http://www.iejima.org/ieson/index.php?oid=29&dtype=1000&pid=99
 
 アキノ隊員と出会ってなおさらオキナワのことが気になって、気になってしかたがないヤッホー君。
 このアーニーパイルの名をとった劇場が日本にありました、ふたつも:

 ひとつは、東京宝塚劇場! (エピソードその1)
 え〜っ、この間の10月31日水曜日夜「日比谷カレッジ」で東京宝塚劇場総支配人久保孝満先生が教えてくれました。
 東京宝塚劇場は、1945(昭和20)年のクリスマス・イヴ、12月24日から1955(昭和30)年1月27日まで10年間、アメリカ軍により接収され、その支配下にあり、その間は「アーニー・パイル劇場」と呼ばれていたって(日本人は観ることができませんでした)。

 もうひとつは、いまの「国際通り」に建てられた「アーニーパイル国際劇場」という映画館!(現・那覇市ぶんかテンブス館前)。1948年1月21日に開館。米国軍政府から正式に認可された沖縄戦後初の常設映画館だと言います。

 オキナワってどうなっていたのでしょうか? 

 1952(昭和27)年4月28日、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、太平洋戦争で敗戦した日本は独立国として主権を回復しました。
 その一方で、沖縄・奄美は日本から切り離され、米軍の施政権下に置かれました…

 同条約が発効される以前、アメリカは戦時国際法『ヘーグ陸戦法規』を根拠に沖縄を占領してきましたが、サンフランシスコ平和条約と同日に『日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』(安保条約)も発効し、それによってアメリカ軍の日本駐留が認められました…

 また、1960(昭和35)年6月23日には『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定』(日米地位協定)の発効により、アメリカ軍の日本における施設・区域や地位に関する便宜も図られました。

 沖縄はアメリカのアジアにおける戦略基地としての役割が一層強化されていきました。

 沖縄では講和条約発効の4月28日は「屈辱の日」として、沖縄返還運動の象徴の日となりました。

(沖縄県古文書館公式サイト、公文書館通信、あの日の沖縄「4月28日」)
http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/04/post-190.html
 
 いや、オキナワだけではありません。本土でも、いや都内でも:

要望事項
4. 基地運用に関し、安全確保を徹底するとともに、適切な措置を講じること。
(4) 米軍機の飛行(低空飛行訓練を含む。)については、航空法第81条の最低安全高度を順守すること。

(平成24年11月横田基地周辺市町基地対策連絡会「横田基地対策に関する要望書−在日米軍第374空輸航空団司令部への要望事項−)」
http://www.city.hamura.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000005/5176/H24.sougouyousei-374.pdf

 要望するってことは、「航空法第81条の最低安全高度を順守」しないで飛んでいるってことですよね。
 これは2012(平成24)年の要望ですが、米軍は市町村、自治体の要望になんか聴く耳を持たないって感じですね、だって…
 実際、山歩クラブが2013年9月18日に本仁田山1225mを歩いていたときに、山頂から山の麓に輸送機が2機も編隊を組んで飛んでいたのを目撃しております。 (エピソードその2)

 あれは、…ひょっとして航空機が操縦不能になって墜落するところ?
 でもダッチロールしていないよね…
 オスプレイ?
 いや、格好からしてオスプレイでないね…
 あんな低いところって飛行機が飛んでいいのかな?

 この米軍輸送機の飛行に関しては、日本の航空法が適用除外、つまり自由に飛べるんだって…

 なんか変な空気(NHK)的気分が、そうだったのかぁ〜とヤッホー君が分かったのは、つい先日のこと、10月29日午前1時台の「NHKラジオ深夜便」での【インタビュー、日本のあす、私の提言】からでした (エピソードその3):

  沖縄の現状から見えてくるもの
  沖縄国際大学・大学院教授 前泊博盛
  (H25.6.25放送のアンコール)

 前泊博盛先生は1960年生まれ、駒澤大学、明治大学から1984年、琉球新報社入社。記者、編集委員を経て、2011年4月から現職。
 文化の日の昨日、11月3日、さっそく先生の本を求め、いま読んでいる最中なのです!
  『沖縄と米軍基地』(角川oneテーマ21、角川書店、2011年9月)
  『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社「戦後再発見」双書2、2013年2月)

 もうひとつのエピソード (その4):

 日本の警察が案内をして、MPが先導してトラックが何台か来た、とそういう記憶があります。
 家族をね、いる人間は一ヶ所に集まれって、この部屋に全部集めさせられ、私は学校に、小学校に1年だったものだからね、学校に行かなくっちゃいけないっていうんで、ランドセル背負って、家を出ようとしたときに、そのMPが、私のこめかみにピストルを突きつけた。
 そのとき割ってはいった祖母のぬくもりと、こめかみにつきつけられた銃口のぞっとするような冷たさは今でも覚えています。

…映画『疎開した40万冊の図書』「時の証言者たち」から西川武重郎さん、当時小学校1年生/志木町

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2013年11月03日

秋はマロニエ通りからすずらん通り

 昨日11月2日土曜日、ドカベンを持ってお茶の水駅へ。

 「聖橋」交差点にあった旧日立本社ビルってもうとっくのムカシになくなっていて、いまは「お茶ノ水ソラシティ」になっておりました。
 あっ、向こうに見える Sola City Academia ってありますがあれは何ですか?と守衛さんにお聞きしましたら、「デジタルハリウッド」の学校ですって:

 1994年10月、まだパソコンでホームページを見ることが本格的に始まる2ヶ月前、専門スクール「デジタルハリウッド」は設立されました。
 時代に先駆けたデジタルコンテンツ制作専門スクールは、大手電機メーカー、テレビ局、ゲームソフトメーカーなど数多くの企業や団体から賛同を得て、日本初の「産学協同型実践的クリエイター養成スクール」を実現したのです。

http://school.dhw.co.jp/about/
http://www.dhw.co.jp/company/access/

 CGとか言われてもせいぜいCDまでで成長が止まってしまったヤッホー君、シゲシゲとビルを見上げて、ニコライ堂へ。

 ニコライ堂は聖ニコライの依頼を受けたロシア工科大学教授で建築家のミハイル・シチュールポフが原設計をし、ロシア人建築家シチュールポフの設計図面を基に、ジョサイア・コンドルが実施設計・監督を行いました。
 コンドルは大変な親日家で、工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として辰野金吾ら、創生期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築きました。

https://www.gotokyo.org/jp/tourists/guideservice/volunteer/course_04/course_04_02.html

 ちょうど金、土とバザーでたいへん賑わっておりました。
 お汁粉とケーキをいただき、シャツを一枚だけ購入してきました。

KC4A0045.jpg

 それから雁木坂から、ヒゲの殿下も患者だった「杏雲堂病院」(注)へ。
http://www.kyoundo.jp/

 雁木坂、明治大学、から「マロニエ通り」へ。
 「BS11」の入っているビルがありました。
 土曜日でしたが守衛さんから「番組ガイド」をいただきました。
http://www.bs11.jp/

 そのお隣りは「中央労働金庫本店」。

〈ろうきん〉は、労働組合や生協などのはたらくなかまがお互いを助け合うために資金を出し合ってつくった、協同組織の金融機関です。 
  全国に13の〈ろうきん〉があり、〈中央ろうきん〉は、茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨の関東1都7県を営業エリアにしています。

http://chuo.rokin.com/index.html?cid=akov90039
 
 さらに、ヤッホー君が卒業した「アテネフランセ」がいまだ健在、うれしかったそうです。
 2013年1月21日には、創立100周年記念日を迎えておりました。
 宝塚と同じくらいの歴史をもっている学校なのです。

 1913年1月21日、東京帝国大学文学部講師 agrégé des Lettres, Joseph Cotte 先生が神田区東京外国語学校内で「高等仏語」(Cours Supérieur)の名でフランス文学の講義を始めた。
 入学申込書は全部フランス語で記入することになっていた。

http://www.athenee.jp/introduction/history.html

 「女坂」をくだっていくと、YMCAがあります。

 在日本韓国YMCAは、ソウルYMCAに続いて2番目の韓国YMCAとして1906年、東京に誕生しました。
 祖国の受難期に当たり、キリスト教信仰に立脚した明日の指導者を養成することを目的に、前年に閉鎖された在日公使館に代わり、韓国からの留学生の保護、日本語教育、下宿の世話、進路相談等の活動を始めました。

http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/

 ここに掲載するのは、1923年9月1日に発生した関東大震災で焼失してしまった東京朝鮮YMCA(現在の在日本韓国YMCA)会館の跡地に集まった当時のYMCA会員たちの写真です。
 よく知られている通り、関東大震災発生後、朝鮮人たちが放火、襲撃、井戸への毒薬投下を行なったなどの流言飛語(デマ)が拡散し、それを信じた軍や日本人民衆によって何の罪も無い朝鮮人が数多く虐殺されましたが、ここに写る人たちも危ういところで命拾いをしています…
 地域ごとの詳細な調査結果を積み重ね合計で約6600名という被虐殺者数をはじきだした最終報告は、政府等による正式な調査が当時もその後も行なわれていないため、ほぼ唯一の調査報告としてたいへん貴重なものとなっています…
 大久保や鶴橋など各地においてヘイトスピーチが公然と行なわれている状況を見るとき、不安を感じずにはいられません。
 関東大震災の惨劇を二度と繰り返さないために、私たちは過去に起きた事実をしっかりと学び、その反省に立ち、それを次の世代にも正しく伝えていかなくてはなりません…
(2013年9月発行『かけはし』第12号)

 そして「錦華公園」でドカ弁をあけました。

 大名屋敷の庭園であった歴史ある公園です。水と緑と砂場複合遊具があり、都会の中のオアシスです。
 公園に隣接する錦華小学校は、明治6年開校の夏目漱石も学んだ歴史のある学校で、現在はお茶の水
小学校となっています。
 校庭の外に夏目漱石記念碑があります。昼間は学生やビジネスマンがお昼をとったり、神保町古本屋街に訪れた人が休んでいたりします。

http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/738/Default.aspx

 錦華公園…、ヤッホー君がアテネフランセに通っていたころ良く休憩した懐かしい場所、ムカシはもっと樹木がうっそうと生い茂っていて、幼稚園も遊具もなく、もっと広かったような気がしますが、気のせいかな?

 そして「駿河台下」交差点から「すずらん通り」へ。

 年に一度の古書の大バーゲン「第54回東京名物神田古本まつり」が10月26日から11月4日までの10日間、千代田区神田神保町の古書店街で開かれる。
 神田古書店連盟の主催で、区が共催。
 年々盛大となり、期間中、日本全国や、海外からも多くの読書人が神田を訪れる。台風の接近に伴い、初日恒例の開幕セレモニーは行わない。
 まつりには、約百店舗の古書店が参加。神保町交差点近くの靖国通りに約500mにわたって書棚が並ぶ「青空掘り出し市」(午前10時から午後7時、最終日は同6時、雨天中止)では、約100万冊が通常価格より割り引いて販売される…
 神保町シアターでは、旧日比谷図書館が舞台のドキュメンタリー映画『疎開した40万冊の図書』の上映会(11月2日)があり、ナレーションを担当した俳優の長塚京三さんらのトークショーも

(2013年10月24日付け東京新聞、井上幸一「書に会いに神田へ行こう 26日から古本まつり 2日からブックフェス」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20131024/CK2013102402000115.html

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 キャナル・ストリート・ジャズバンドによるジャズ演奏も(ニューオリンズ)まで:

KC4A0048.jpg

 今日はご参加いただけるのですか? 何人かで待ち合わせしました 「とらや」は赤坂見附A4 出口から徒歩7分。2:45に待ち合わせしましょう。よろしくお願いいたしますm(__)m

 こんばんは、今日はごめんなさいになってしまいました。神田の古本まつりと神保町シアターで映画『疎開した40万冊の図書』の日となり、映画の後、金高謙二監督、ナレーションの俳優長塚京三、神田古書店連盟顧問によるトークがあって感動して、たったいま、帰ったところです。そちらさまの方でも、どうぞお楽しみあれ。次回お会いするときまで、ごきげんよう!

 「とらや」菓子資料室虎屋文庫では歴史秘話20「和菓子の贈りもの」展が2013年11月1日(金)から30日(土)まであったのでした!
http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat_index.html

 ヤッホー君は結局、食欲の秋だと言うのに、お菓子より本(ま、こういう時もあっても良いのでは、ぽっこり膨らんだ下腹部を凹ませるためにも、しかしエライよ、ヤッホー君!)、「とらや」より神田古本まつりを選んで「ごめんなさい」メールをうつはめに陥ったと、こういう次第。


(注)
 杏雲堂醫院(後の杏雲堂病院)は、明治15年(1882年)6月1日、佐々木東洋(玄関右手左側の銅像)により「医学の進歩に寄与し、医業をもって社会に貢献する」という理念のもとに創立されました。佐々木東洋は大学東校(東大医学部の前身)、杏雲堂醫院などで、特に脚気の診断治療に意を注ぎ、同時に多くの人材を育成しました。
 第2代の佐々木政吉(玄関右手右側の銅像)は、日本人教授第1号として大学東校(東大医学部の前身)教授となり、杏雲堂醫院においては結核の名医として多くの患者を集め病院を拡張し、さらに明治29年(1896)には結核療養所として杏雲堂平塚病院(分院)を設立しました。
 第3代佐々木隆興(研究所入り口の銅像)は、ドイツに5年間遊学後、京都帝国大学医学部教授を経て、杏雲堂醫院院長となり内科医として活躍すると同時に、関東大震災で消失した病院と研究所の本建築を復帰完成させました。
http://www.kyoundo.jp/touin/enkaku.html

 明治15 年(1882 年)から数えて平成19 年(2007 年)は、丁度創立125周年に当たります(なお、御茶の水界隈の病院としては、創立168年の順天堂医院、創立126年の井上眼科に次ぐ古い歴史を持つ病院です)。
http://www.sasaki-foundation.jp/foundation/KyoundoRekisi-2.pdf
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2013年11月02日

純名里沙

 日比谷カレッジ「宝塚今昔物語」。
 最後のミニライブは、「純名里沙・笹子重治・佐藤芳明による」とあります。

 笹子重治(1958年神戸市生まれ)はギタリストです。

 ブラジリアン・スタイルのギタリストとして、パウリーニョ・ダ・ヴィオーラやナラ・レオン等多くの来日ブラジル人アーティストとセッションを重ねた後、1986〜87年にかけてブラジルで活動。
 帰国後ショーロクラブを結成し、ビデオアーツ、キングレコード、ソニーミュージック、オーマガトキ、ファンハウス(BMG)から90年以降、22枚のCDをリリースする一方、中南米6ヶ国でのコンサート、1994年、33作目のNHK大河ドラマ「花の乱」エンディングテーマをはじめとするNHKや民放番組の音楽担当等の活動を行なう。
 2005年には、新たにユニット「コーコーヤ」を結成。
 2008年にアルバムデビューを果たしている。
 2010年8月、初のソロアルバム「onaka-ippai」をジェマティカレコーズよりリリース。

http://www.sasa-g.com/profile.html

 では、名ギタリストの爪弾く名演奏を聴いてみましょう。
 今日は週末の土曜日だし、遠慮しないでボリュームいっぱいにして。
 『一本の鉛筆 大島花子×笹子重治』
http://www.youtube.com/watch?v=eYfotdNqYnE&list=PL830D9000AC0E26C3&index=2

 《一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く》

 『一本の鉛筆』って、美空ひばり(1937-1989)が、1974年8月、第1回広島平和音楽祭で発表した平和を希求する曲でした。

 次がまたヤッホー君、ひさびさのアコーディオンの音色にこころ打たれたのです、佐藤芳明。

 国立音楽大学在学中に独学でアコーディオンを始める。
 1995年〜96年、パリの C.I.M.Ecole de Jazz に留学、アコーディオニスト Daniel Mille に師事。
 ライブ、レコーディング、舞台音楽など、様々な現場で数多くの仕事をこなし、国内外を問わず、ジャンルを越えて幅広く活動。
 既存のアコーディオンのイメージにとらわれない独自のサウンドを目指す。

http://www.geocities.jp/acc_sssaaatttooo/schedule/index.html

 件のアコーディオニスト、あまちゃんで流れた音楽でも演奏を担当なさっていました。
 ひさびさの『あまちゃん』音楽、聴いてみませんか?

 2013年6月19日発売、『連続テレビ小説「あまちゃん」オリジナル・サウンドトラック』(あまちゃんスペシャル・ビッグバンド)
 あまちゃんOPテーマ&行動のマーチ:
http://www.youtube.com/watch?v=PicuCDTlVXw

 連続テレビ小説といえば、はい、おまたせしました、純名里沙さん(1971年生まれ)。
 純名さんは宝塚に所属している現役のタカラジェンヌで、番組の主人公に起用され、かつ主題歌まで歌っておられました。
 テレビをめったに観ないヤッホー君、全然知りませんでした、失礼! 

 1994(平成6)年4月4日〜10月1日まで前期[第51作]の『ぴあの』だったのです。純名理沙ミニライブの2曲目に歌ってくださいました。
 「日比谷カレッジ」ですので、歌とか楽器などの音響を想定していない部屋で歌います。
 リハーサルで何度か何通りもテストして、ヤッホー君、びっくり、マイクなしで歌ったのですよ、でも綺麗な声は会場いっぱいに響きわたり、受講生すべての人のこころに感動を届けさせてくれました:

 童話作家を目指す4人姉妹の末っ娘、四女・ぴあの(純名里沙)がヒロイン。
 父役は宇津井健、長姉役は竹下景子など。
 現役タカラジェンヌの起用で話題に。
 純名は主題歌で歌唱力も披露。

http://www9.nhk.or.jp/asadora/info/051.html?TB_iframe=true
http://www.youtube.com/watch?v=bEJGGSJtFlA

 じゃあ、一曲目は?と言いますと、『虞美人』から「赤いけしの花」。
 そして3曲目は『レミゼラブル』から。
 4曲目は受講生すべての人とこころ合わせて「おお宝塚、すみれの咲く頃」!

 下は、純名里沙がなんと大先輩の有馬稲子(1932年大阪生まれ)と並んで一緒に歌っている、大変貴重な映像となっております:
http://www.youtube.com/watch?v=n0-Hbzy190c

 最後に純名里沙「慕情」「ムーンリバー」を聴いて終わります。
 どなたさまも良い週末を!Bonne semaine, Bon week-end!

 『慕情』
http://www.youtube.com/watch?v=U2cWKIByrgM
 『ムーンリバー』
http://www.youtube.com/watch?v=TptxGVMBa-0

 なお、純名里沙さんは公式のサイトをお持ちです。どうぞ:
http://www.risajunna.com/

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2013年11月01日

秋は、takarazuka!

 行ってきました、ヤッホー君。自転車で深川図書館と日比谷図書文化館へ。
 ひさびさのイーチャリだったって。
 日比谷図書文化館では、夜の7時から8時半まで「日比谷カレッジ」に出席、『宝塚今昔物語』を受講してきたのです。

 宝塚歌劇は、1914(大正3)年に現在の兵庫県宝塚市で産声を上げ、少女らのあどけない歌と踊りを洋楽の演奏に合わせて上演するスタイルを確立していきました。
 1934(昭和9)年には、東京での上演拠点として、日比谷の地に東京宝塚劇場を開場しました。そして来年、開場80年を迎えるのを記念し、イベントを開催します。
宝塚今昔物語
 宝塚歌劇の今と昔を比較しながら、変遷をたどります。講師は久保孝満さん(東京宝塚劇場総支配人)。また、ゲストに元花組のトップ娘役純名里沙さんを迎えミニライブも行ないます。

…広報千代田 No.1361(2013年10月5日号)

 講師の久保孝満さんは、運転手になりたくって阪急電車に入られた方だそうで満員の受講生を沸かせて、会場をすぐ和やかな雰囲気にもっていってくれました。

 1982(昭和57)年、阪急電鉄鞄社。
 1992(平成4)年から宝塚歌劇団。花組・月組・宙組などを中心にプロデューサーとして10年以上にわたり100本以上の作品・公演を制作する傍ら、海外公演にも携わる。
 2004(平成16)年から潟Rマ・スタジアムと潟Vアター・ドラマシティの経営再建に取組み、同年株~田芸術劇場の常務取締役総支配人に就任して、新会社の経営を黒字軌道に乗せる。
 2009(平成21)年から現職に。

http://hibiyal.jp/data/card.html?s=1&cno=1940

 そして、DVDとスライドを駆使して宝塚100年の歴史を語ってくれました。
 最後に、世間を騒がせた最近の事例をお詫び申上げますってご挨拶。
 阪急電鉄且ミ員の≪五つの戒め≫というのがあるそうでして、そのひとつ、<われわれの送る幸福は、ご乗客の賜物なり>、つまりサービス業に携わるものは絶えず、<お客様目線>ですすめていかなければならないと何時も肝に銘じております、と講義を締めくくりました。

 「世間を騒がせた最近の事例」って、あれ、あれ:

 「ダマされた!」と思った人もいるだろう。
 阪急阪神ホテルズが運営する8ホテルの計23店舗で“ニセ食材”を使っていた問題だ。
 「鮮魚のムニエル」とうたいながら実は冷凍保存の魚を使ったり、「九条ネギ」の正体が普通の青ネギだったりと、表示と異なる食材の提供例は47件。
 2006年3月から2013年9月までの利用客は7万8775人に上るというから、凄い数字だ…。
 「消費者問題研究所」代表の垣田達哉氏によると、現行のJAS法も景品表示法も、ホテルやレストランを取り締まる条文はないという。スーパーなどでは農水省や厚労省のGメンがニセ表示をチェックしているが、飲食店は“治外法権”なのだ。
 「そのため店側は“内部告発がないかぎりバレない”と高をくくっています。しかもニセ表示は簡単に見破られるものではない。たとえば、阪急阪神ホテルズもやっていた牛肉に牛脂を注入する方法。安い肉を重ね合わせた成型肉でも和肉の牛脂が入ると、焼くときに和肉特有の香ばしい香りが漂う。和牛のことを知っている人ほどこの匂いにダマされてしまいます。無農薬の野菜や産地をごまかした地鶏など、食品の多くは見分けるのが困難です」(垣田達哉氏)
 阪急阪神ホテルズが出していた「キャビア」は本物の20分の1の値段で買えるとびこ(トビウオの卵)だった。
 経費を浮かせようとしたと勘ぐられても仕方がない。

(10月25日(金)10時26分配信日刊ゲンダイ「阪急阪神ホテルズは氷山の一角 “ニセ食材”がなくならない背景」)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131025-00000015-nkgendai-life

 しかし、ほかにもまだ、まだ、「黒い画集」があるようで…

 阪急阪神ホテルズの出崎弘社長は10月28日に緊急記者会見を開き、社長職および阪急電鉄取締役を辞任することを発表した。
 これに対して、みずほ銀行の佐藤康博頭取は、銀行会長の塚本隆史氏の辞任と自身の半年間の報酬カットを表明した。
 塚本隆史氏はみずほ銀行会長を辞任するが、みずほファイナンシャルグループ会長職には留まる見通しである。
 みずほ銀行の危機意識の欠如は驚くばかりのものである。
 そもそも暴対法自身が、違憲立法の疑いの濃いものであり、反社勢力との取引問題については、根本からの再検討が必要である。

(2013年10月29日(火)植草一秀ブログ「阪急ホテル社長が辞任でみずほ頭取が居座る矛盾」)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-fe8e.html

 ま、企業の倫理観、正義感、使命感、モラルといった社会的存在価値の問題なんでしょうけど…。
 ここでご紹介したいのが<ゆかり>さんのホームページです。

 このホームページは、いろんな所から元気の出るお話を集めて作りました。
 一生懸命がんばれば必ず報われるんだ、ということをわかってもらいたくて。
 製作にあたって、ゆかりも会員になっている 浄土真宗 親鸞会 の皆さんにお世話になりました。
 いろいろ調べてくれたり、文章を直してくれたり、パソコンやインターネットのことも教えてもらいました。

http://success.hoyu.net/profile.htm

 昨日の講師、久保孝満さん(東京宝塚劇場総支配人)が何度も言及なさっていた阪急電鉄の社長、小林一三氏(1873-1957)(注)について、<ゆかり>さんは次のように名台詞を紹介してくれています:

 梅田阪急の食堂で、カレーライスが大ヒットとなった。
 厨房の20の一斗釜が四六時中ご飯を炊くのに追われている盛況であったが、当時、学生はカレーライスを買って食べるほどのお金がなかったので、ライスだけ注文し、福神漬を菜にソースをライスにかけて食べるのが流行した。
 なかには、弁当持参でタダでソースをかけて、福神漬で食べる人まで出てきた。
 食堂の係りは困り果て、カレーライスの客が食事を終えたあと、一回一回福神漬とソースを引き上げてはどうかと提案する。
 それが一三の耳に入った。
 係りの意見に、一三は、
「そんなケチなことをするな。学生がお金がないのは当たり前だ。そんな学生が遠慮せず食べられるよう、ライスの値段を下げて、福神漬でもソースでもどんどん出してやれ。彼らはいつまでも学生ではないぞ」
と指示した。

http://success.hoyu.net/kobayashi.htm


(注) プロテニスプレーヤーで現スポーツキャスターの松岡修造は、小林一三の孫。 
 1967年11月6日、3人兄姉の末っ子として生まれた。
 曽祖父の小林一三(いちぞう)は阪急、東宝グループの創始者。
 父の功(いさお)は現在の東宝名誉会長。
 母のしげ子はかつて宝塚のスターだった…
(日テレ「DON!」)
http://www.ntv.co.jp/don/contents03/2010/04/1998419.html
posted by fom_club at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする