2013年01月31日

官僚専用タワーマンション

墨田区が建設を予定している建設費24億円の「すみだ葛飾北斎美術館」(北斎館)は、計画段階から毎年3億円の維持管理費がかかり更に人件費やイベント宣伝費等を合計すると年間約5億円の赤字が予想されます。
 赤字は墨田区民の負担になりますので、墨田区の人口約25万人で割ると1人当たり毎年2000円の負担になります。
 5億円もあれば区内の全小中学校の給食費をタダに出来ます。
 また、建築費24億円は地方交付金目当てであり、交付金も税金であることに変わりがありません

(墨田区議会議員大瀬康介・墨田オンブズマン、すみだ葛飾北斎美術館(北斎館)問題)
http://www.ohse-kousuke.com/page/sumida/hokusaikan/index.html

 ヤッホー君のこのブログでも何度か登壇願っている区議会議員ですが、時流はいまや潮目が変わり、「人からコンクリートへ」と逆流するわけですから、変てこで派手な建物ができて、中は人がいない、がらがら、運営費、維持経費は税金からの持ち出し、箱モノという赤字垂れ流し、そうした箱モノがまたぞろ早晩出来上がるのでしょう。
 財政赤字の折りですが、借金してでも工事費を発注することで当座、景気を刺激するから、回りまわって区民に還元されるに「違いない」、なんて何のリアリティもない、漫画の世界がまかり通ってしまうのはなぜなんでしょうか… フシギでしようがないのです、首をかしげているお正月最後の日のヤッホー君!

 こんなフシギな光景は、あのお正月の初詣での地、回向院そばの土俵跡にもありました。

 なんか区民の財産、都民の財産が、民の活性化とかいう名の官僚ビジネスによって、官僚どもの定年後の再任用先に、と無責任な経営、運営がなされているんじゃないかい、と。

 お正月、東京に雪が積もって解けないうちから東大キャンパスを散歩して滑って転んでしまったヤッホー君ですから、なんとも意味がわからないのですが、こんな2012年東京都財政委員会での速記録第11号なんてのもありますので、ぜひお読みになってコメントをお寄せ下さいまし:
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/zaisei/d3020218.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031913_01_1.html

井上徹二氏(公認会計士)の話 両国シティコアの土地信託事業は大失敗だ。土地を提供した都の信託配当は6億円しかないのに、信託銀行は利息収入と信託報酬で59億円の収入を得ている。銀行にうまく乗せられた東京都の責任は大きい
 
 こんなコメントを載せたのは2012年3月19日付け共産党機関紙「しんぶん赤旗」ですが、この党も総選挙で議席が増えたのでしょうか、勝てませんね、固まって纏まって縮こまって、でも「一貫してえ〜、我が党は」とか言うから、有権者との対話がない、困ったもんです。
 でも誰も何も言わない、長いものに巻かれろ、とばかり口を閉ざしてしまったらやりたい放題、食べ放題、飲み放題ですよね。

 こんなフシギな光景は、下町だけではありません。
PFI(Private Finance Initiative)とは、民間主体に公共施設等の設計・建設・管理運営・資金調達を一体的に委ねることにより、民間主体のノウハウ・技術・経営能力・資金等を活用し、少ない財政負担で質の高い公共サービスを実現すること(=VFMの実現)を目指す手法である。
 わが国においては、学校(小学校・中学校・高等学校・大学等)、庁舎、公務員宿舎など、施設の整備と維持管理等を民間主体に委ねる「ハコモノ PFI」を中心に導入が進んできたが、病院の整備・管理運営等に PFI を活用する「病院 PFI」は、施設の整備・維持管理にとどまらず、検体検査、減菌消毒、食事提供、患者等の搬送、医療機器等の保守点検、洗濯、清掃、医療事務など多岐にわたる運営業務を幅広く民間主体に委ねる「運営重視型 PFI」の代表的存在であり、専門性をもつ多様な主体が携わりつつ、民間主体のノウハウ・技術・経営能力等を存分に発揮することのできるものとして、注目を集めてきた。
 地方自治体(地方独立行政法人を含む)の実施する病院 PFI は、これまでに14件の実施方針が策定・公表され、このうち5件の供用が開始されている。
 しかしながら、最も早い段階で実施方針を策定・公表し本格的な病院 PFI 事業に取り組んだ、高知県・高知市病院組合の「高知医療センター整備運営事業」、近江八幡市の「近江八幡市民病院整備運営事業」の 2 事業は、いずれも契約期間の満了を待たずして PFI 事業契約が解除され、自治体による直営事業への転換を余儀なくされている

(香川大学大学院地域マネジメント研究科教授 佐野修久 「契約解除事例からみた病院 PFI 事業の課題」)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/47751/1/APPS5_007.pdf

 新聞記事風になるとこんなふうに…

民間資金を活用するPFI方式を導入した全国初の公立病院、高知医療センターの民間委託契約が事実上、頓挫した。
 行政側が、オリックスを中心に構成する特定目的会社と契約を解消する方向で協議入りを決定。
 契約解消となれば、滋賀県近江八幡市の病院に次いで二例目となる。
 小泉内閣が「病院の株式会社化」を進める中で誕生したPFI病院。構造改革は、「郵政民営化」だけでなく、「医療改革」でもほころびをみせはじめた

(2009年6月26日付け東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2009062602000053.html

 いえ、いえ、蓄財家や区民・都民の財産を隙あらば切り売りして儲けて、儲けたお金を外資に換えて外国暮らしをする輩が増えてきていますよ!民主党の事業仕分けも沙汰止みですから。

 ほかにも…、もう一度、下町に戻ってみましょうか:

週刊ポスト5/29号で国家公務員宿舎問題を告発している。以下、関連記事から一部抜粋して紹介します
(2010/2/15(月)午前0:32投函「官僚達の夏その2」)
http://blogs.yahoo.co.jp/tax141tower/folder/732654.html?m=lc&p=3
 家賃はというと、3LDKで4万3610円、1DKで1万8760円、1Kで1万3400円、駐車場代は6000円ほどだって(溜め息、ふう〜)。
 いえね、この36階建ての官僚専用タワーマンション(! 公務員宿舎 東雲住宅)で、孤独死が:

東京電力福島第一原発事故で、東京都江東区の国家公務員宿舎「東雲(しののめ)住宅」に避難していた福島県郡山市の無職男性(49)が孤独死していたことが、都などへの取材でわかった。
 今月5日に見つかったが、死後約1か月経過していた。同住宅では2011年5月にも避難者の40歳代男性が孤独死しており、自治会は見回りなどの対策をとる。
 同住宅には約500世帯1200人が避難している

(2013年1月31日07時46分更新読売新聞「原発避難の男性、都内で孤独死…死後1か月」)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130131-OYT1T00013.htm

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2013年01月30日

大鵬とのお別れ会

 今日はお仕事を休んで、家の用事の片付けの日でした。

 まず、イーチャリで、愛車の置き場代の支払いに。そこでおじさんとすっかり話し込んできました、また、おいおい話しの内容を物語っていきます。
 かいつまんで言えば、すぐ前のアパートに一人暮らしのおじいちゃんからケイタイあり、駆けつけたら脳梗塞。でも死なずによだれをたれながしたまんま生き残り、身よりも知らん振り、アパートを解約して、生活保護をそっくり入院代にあてています。しかし、病院にも長くて3ヶ月しか入っておられず、転院、転院の繰り返し、おまけに生活保護の打ち切りを宣告されたって実話!
 明日は我が身か、けっして他人事とは思えなかったとのことです、ヤッホー君!
 選民の皆さま、貧民をお見捨てなきよう、ぜひとも「成長戦略ではない成熟戦略」にイマ、ブームの言葉を使えば≪潮目≫を換えてくださいますよう、困民党一同、伏してお願いいたします。

 それから、イーチャリで、ズボンのクリーニングを出しに行きました。
 そしていよいよイーチャリでの4店舗回って、一番安い、底値の10Kg一袋の価格調査。
 今日も走り回っていますよ、ヤッホー君!
 決定はやはりヤッホー君、御用達のお店、墨田区千歳にある「エンゼルファミリー両国店」(墨田区千歳1-4-8 Tel 3633-5846)でございました。3480円!
 
 午後は、ヤッホー君のこのブログ、1月25日付け日記「大鵬」で記しましたように、お通夜に行く前の大鵬とのお別れ会がございました:

お別れ.jpg

> するってえと、行けますかね?

 大鵬が行きました。あっという間に。
 町内会は黒装束で身を包み、両手を合わせ、お見送りしました。
 仕事を休んで、参列してきました。たった今しがた2時半のことでした!

> そうでした。山歩クラブ「かわらばん」2月号に書いてありましたね。昭和の象徴がまた1つ消えましたね。

 「かわらばん」を読んでくださってありがとうございました。
 「昭和の象徴」ですか…
 なぜ仕事を休んでまでもお見送りしたかったのかと言いますと、きわめて個人的な出来事ですが、自分の幼少期の時分ともこれでお別れなんだな、とそんな想いで両手をあわせていました。
 しかし、黒塗りのクルマの速いこと、速いこと、あっという間に前を通り過ぎていきました(そのように感じとっていました…まるで光陰矢の如しのよう)。
 いろんな思い出もこれで、いっしょに送り出したように思っていました。
 これからやっと大人の仲間入りですかね。
 こんなことって、若い方には通じないお話しかも知れませんが、すみません、お仕事中に。
 …これより深川図書館で本読みに出かけてこようかな、と、5時まで…

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2013年01月29日

浦島太郎の経済学

 あ、そう…軽口の反響は世界中を駆け巡っていますが、この国に住んでいる人のところまで届いてこないようで、知っているのでしょうかねぇ〜。
 今日はこの朝チェッから:

Abe’s LDP spent almost 20 years building bridges, roads, tunnels, dams and airports to nowhere and forcing the central bank to add liquidity to the banking system to end deflation. And what did those unimaginative policies leave Japan’s 126 million people with? The easy answer is the world’s highest ratio of debt to gross domestic product. The harder one: Japan has become a nation that can’t proceed without the economic equivalent of a walker.

That image takes on a deeper meaning when you consider Japan’s awful demographics and the dearth of ideas to cope with them. Take Finance Minister Taro Aso, who this week said elderly people should “hurry up and die” to relieve pressure on the government to pay for health care.

So is it really plausible that with just one more try of the same old remedies, Abe’s team will get the economy to walk on its own and then sprint ahead? Seriously?
(William Pesek, Jan 25, 2013 7:00 AM GMT+0900, Paul Krugman’s Worn-Out Ideas for Japan)
http://www.bloomberg.com/news/2013-01-24/paul-krugman-s-worn-out-ideas-for-japan.html

 このブルームバーグのニュースを引き合いに小児科のお医者さま、風邪よりも重症なこの国の行く末を案じらておられまする:

安倍政権の経済財政政策をアベノミクス等と持ち上げる向きもあるが、結局は、公共事業を主体としたバラマキである。
 財政規律を守ると政府は述べているが、国債発行限度は明らかにしておらず、本質は、財政出動政策である。
 生保への給付を減らす、そして恐らくは医療介護への予算も減らす方向になるようだ。
 緊縮政策は、もっぱら社会保障面に限られる。

 一時の表面的な経済指標の改善に騙されてはいけない。
 これを繰り返したことによって、現在の日本の財政状況があるのだ

(2013/01/27 01:00更新)

 経済学者とか日銀から強い批判とか警戒心とか、お年寄りの怒りの声とか、メディアを通じては、聞こえてきていませんよね。お上の言う通り、ましてや封建社会とは大違い、ミンシュシュギの世の中、国民の清き一票で選ばれた人たちが決めたのだから従うように、我慢せい、辛抱が肝心、という風潮、空気、世論を醸し出すことに熱心なんでしょうね、きっと。

 ところがありました!

 「ビデオニュース・ドットコム」でしたね。ぜひサポーターになって応援していきませんか… どんなものか、と言いますと、

日本人ビデオジャーナリストの草分けとしてテレビ朝日ニュースステーションやTBSニュース23などで精力的なジャーナリスト活動を行ってきた神保哲生(1961年生まれ)が、「日本にも広告に依存しない独立系の民間放送局が必要」との考えのもとで1999年11月に立ち上げた日本初のニュース専門のインターネット放送局です。

 既存のメディアは年々広告への依存度を増すばかりです。
 そのため有り余るほどの制作費や大量のスタッフを抱えながら、大手スポンサーに対する遠慮や、常に高い視聴率を取らなければならないという縛りなどから、その報道内容は日に日に貧弱化し、もはやジャーナリズム本来の役割を全うすることが困難な状態になっています。

 既存の大手メディアは、たとえそれが重要な問題であっても、複雑で分かりにくいテーマは極力避ける一方で、興味本位なニュースはその重要性にかかわらずセンセーショナルに取り上げる傾向が、近年ますます強くなっています。

 ビデオニュース・ドットコムは、既存のメディアが取り上げようとしない市民性の高い大切な情報やニュースを、時間を惜しまずにとことん掘り下げることこそが、広告に依存しない放送局の使命だと考えています

http://www.videonews.com/explanation.php

☆ 2013年01月26日
金融緩和で日本経済は復活するか
ゲスト:浜田宏一氏(イェール大学名誉教授)、小幡績氏(慶應義塾大学准教授)
 イェール大学名誉教授で安倍政権のアドバイザーを務める浜田宏一氏は今回の日銀の決定について「内容としては70〜80点」と一定の評価を与える一方で、これまでの日銀の不作為が日本のデフレをここまで悪化させたと、過去の日銀の政策を厳しく指弾する。金融政策が物価上昇に効果があると話す浜田氏は「それが(世界の)標準的な考え方だ」とも言う。
 たしかに安倍政権の発足後、株価が上昇し、為替相場は円安に振れている。これについて浜田氏は「(アベノミクスは)効いている」と評価する。
 しかし、慶應大学大学院の小幡績准教授は「今回の市場の動きはアベノミクスとはあまり関係ない。安倍発言が取引を後押しした側面はあるが、あくまでも市場が上昇局面だったことが主な要因」としたうえで、日銀の無理な金融緩和によって「今後、物価は上がらず、資産インフレだけ起きる可能性がある」と警鐘を鳴らす。

インフレ目標2%は達成不可能
インタビュー:野口悠紀雄氏(早稲田大学大学院ファイナンス研究科顧問)
 野口氏は過去10年の日本の金融緩和策がインフレにはつながらなかったことを指摘した上で、日銀が2%のインフレが達成されるまで国債を買い続けることになれば、日銀による財政ファイナンスによって公共事業などのばらまきが横行する危険性があるとの懸念を表明する。

アベノミクスは浦島太郎の経済学だ
インタビュー:浜矩子氏(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)
 「浦島太郎の経済学」。同志社大学大学院の浜矩子教授はアベノミクスをそう評する。
 アベノミクスではインフレターゲットなどの金融政策が前面に出てきているが、その実態はばらまき型公共事業や円安による輸出企業の救済であり、これは50〜60年前の「浦島太郎」の経済戦略だと浜氏は言う。
 その上で浜氏は、既に成熟している日本経済に今必要なのは、インフレターゲットでも成長戦略でもなく成熟戦略であるとして、今日本は既に積み上げた国富を国民全体でどう分かち合っていくのか考えなければならない段階にあるとの考えを示す。
…今はまだ竜宮城のお姫様からもらった玉手箱を開けていない状態で、日本経済が回復したかのように錯覚している人も多いが、玉手箱を空けたとたん、落胆するような結果が待っているということか。

小泉政権の構造改革でしょう。これによって新自由主義的な規制緩和が進められ、非正規労働者が増大して貧困化と格差の拡大が生じました。
 このようにして日本の経済と社会をぶっ壊した責任者は、構造改革の旗を振った小泉元首相であり、ブレーンとしてそれを支えた竹中平蔵さんです。秘書として辣腕を振るった飯島勲さんも、そのような責任を問われるべき一人でしょう。
 ところが、この竹中さんは経済再生本部の下に設置された産業競争力会議のメンバーとして、飯島さんは内閣官房参与として、安倍政権で復活しました。またもや「経済成長」の旗を掲げ、すでに破綻した「トリクルダウン」理論を唱えて規制緩和に邁進しようとしています

(五十嵐仁の転成仁語、1月29日火曜日付け「誤った政策にはそれ相応の報いがやってくるものだ」)
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2013-01-29

 ヤッホー君は、一体誰がアベベェ〜のなんとかミックスのブレーンなのか、とどうもデジャヴュウ的な気味の悪さで、不審がっていましたが、謎解きはおしまい。またぞろ、あ、そう、幽霊どもの復権だったのですね。
 困民党はスパゲッティミックスは大好きですが、このアベのミックスだけはいただけません!税金払うのをやめようかな…入ってくる収入が伴わないのに、勝手に、税金あげられたり、物価あげられたりして、困ります!
 これで、少しでもお米が買いやすくなればいいのですが、明日の朝は米10Kg袋の買出しなんです、また報告します!

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2013年01月28日

北アフリカ

 1月28日月曜日のヤッホー君、朝の6時から終日、山歩クラブ月刊会報誌「かわらばん」2月号の作成、発送作業に追われていました。
 夕方5時過ぎにクロネコメール便で発送のために最寄りの取り扱いコンビニ店に持ち込んだあと、やれやれ、一日がかりの作業がようやく終わったな、という安堵感で、日記をつける気力が消え失せてしまいました。
 寄る年波には勝てないようで、もう逆らわない、逆らわない、波間に揺られてどんぶらこ、どんぶらこぉ〜っと…

 あの、ですね、多分、もう少し経って気力が回復したら、少しは落ち着いて今回のアルジェリアでの出来事を記してみたいな、という気持ちはあるんです。
 だって、そんな出来事とは無関係にこんな本を読んでいたんですぅ:

ムスタファ・シェリフ『イスラームと西洋』
(小幡谷友二訳、駿河台出版社、2007年10月)
副題:ジャック・デリダとの出会い、対話


アルジェリアがデリダが受け継いだ「遺産」について、デリダはこう語る。
 自分はヨーロッパの思想にたいして「ある種の周縁から、ある種の外部から投げかけるように数々の問いを提示してきた」(p.45)が、それができたのは自分が「単なるフランス人でもなく単なるアフリカ人でもない、言うなれば地中海の子供」だったことが大きく影響していると想起する。

 デリダは「グローバリゼーションなるものは生じていない」(p.82)と断定する。
 帝国であろうとするアメリカにたいして、地球的な抵抗が生じているからであり、「ヨーロッパは、自らを作り直し、アメリカ合衆国の覇権主義的な一方通行主義(ユニラテラリズム)とは一線を画し、そこから袂を分かつと同時に、世界にあって、アラブ・イスラーム世界同様にいつ何時でも、<来たるべき民主主義>を達成する用意がある勢力とともに、新たな責任を担おうとしている」(p.83)と判断するからである。

 デリダがグローバリゼーションが「生じていない」と主張するのは、文明はあくまでも多元的なものであり、多元的なものでありつづけるべきだと考えるからである。
 「多元性といっていも私は他者性という意味て使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらのは文明の根源とも言えます。だから私は、均質て普遍的な文明というものは想像できません」(p.108)と語るのである

(2010年05月24日哲学者・翻訳家中山元「書評」)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/archives/2010/05/post_88.html

 そして、映画『最初の人間』がいま、岩波ホールで2月15日金曜日まで上映中なのです(2月3日日曜日は休館):
http://www.zaziefilms.com/ningen/

『「異邦人」「ペスト」などのフランスが世界に誇る作家、アルベール・カミュの未完の遺作であり自伝的小説を映画化したヒューマン・ドラマ。
 成功した作家が母のいる故郷アルジェリアを訪れ、フランスからの独立を懸けて戦争を繰り広げる故郷の現状を憂い模索する姿を描く。
 監督は、「家の鍵」などのジャンニ・アメリオ。
 主人公の作家を、今村昌平の「カンゾー先生」に出演したジャック・ガンブランが好演。
 カミュの家族の歴史と思想が、現代もなおくすぶる国際的な問題や自由と平等の定義と呼応する』

(シネマトゥデイ)
http://www.cinematoday.jp/movie/T0016141

 さらに、ヤッホー君の先生、小児科のお医者さまのこんな呟きも:

北アフリカの政情について少し調べてみると、石油ガス・ウラン等の資源をめぐる利権を求める欧米先進国(日本も例外ではない)、トゥアレグ族というマリ北部の原住民、それに北アフリカ一帯をイスラム圏として宗教国家化しようとする急進派・穏健派勢力、それに現在の各国政権が複雑に入り組んで、覇権を争っている構図が見えてくる。
 フランスのマリ侵攻は、現政権から依頼され、テロリストを抑え込むためとされているが、決してそれだけではない。

 日本人技術者が犠牲になったことは痛恨の極みだ。
 彼らを殺害した一派は許されざることだと思うが、この事件を単にテロリストによる残虐な人質殺害事件として「だけ」捉えると、それへの対処を誤るように思える。
 エネルギー資源の利権を求めるメージャーとその背後の国家が一方的に流す報道・図式には一応疑問符をつけてみるべきではないかと感じる。
 わが国の政府は、この事件から、自衛隊の国外派遣と、対テロ戦争への関与を導き出そうとしているように見える。
 「テロとの戦い」というと、あのブッシュの言葉を思い出す。
 その戦いを口実にして、中東に軍事的な侵攻を行い、イラクやアフガンで絶望的な泥沼状態を作り出したのが、ブッシュだった。
 勿論、9.11への報復という理由はあったのだろうが、侵攻には、それだけではなく、石油利権等が絡んでいることは明白だ。
 そうした戦争に積極的にかかわるべきではない。

 むしろ、北アフリカ情勢のしっかりした現状認識と、フランス軍のマリ侵攻をきっかけにして情勢が流動化するだろうことを読み解く能力が、国と当該民間企業に欠けていたのではなかっただろうか…
 北アフリカが遥かかなたの地のことと考えるべきではないのだろう

(2013/01/28 01:00更新)

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2013年01月27日

岩井の水仙街道

早春の花のイメージが広がる南房総。
 岩井の水仙街道は、可憐な白い花が咲き誇る水仙の道です。水仙の見頃は、12月下旬頃から2月上旬で、特に1月中旬が見ごたえがあります。
 JR内房線岩井駅から水仙街道入口までは徒歩40分程度で、水仙街道から逸れて福満寺から富山にかけての遊歩道を行くと水仙の栽培農家が点在しています。こちらでも水仙を観賞することができますが、出荷するためのものなので注意して観賞してください

(千葉日報「水仙遊歩道/水仙(南房総市)
http://www.chibanippo.co.jp/c/siteseeing/2013/01/116755

 花情報に誘われてヤッホー君、今日1月27日日曜日行ってまいりました、「岩井の水仙街道」!

スイセン.jpg

 1月の美空と水仙の匂いに包まれて、優雅な日曜日となりました。ありがとう、房総のふくいくとして、たおやかな山々よ!ヤッホー!!

 そこで出会ったのが、南房総市観光協会岩井支部案内所の方。
 今年は寒かったから、スイセンはまだ5分咲きだよって教えてくださいました!
 ボランティアでハイキングのガイドさんも引き受けてくださっています。
 「山域での地元に暮らしている方との交流」、つまり都会に住んでいる人が、動物園の動物を見るように息抜きにクルマで山域にでかけて、見終わったら、また都会に戻ってきて、「はい、お仕舞いよお〜」だけでなく、そこに都市に暮らす人と田舎暮らしをしている人との交流をしようよ、という山歩クラブの趣旨にも適います。
 いっしょに山歩きをお願いしようかなぁ〜、ホームページはこちら!
http://www.awa.or.jp/home/tomiyama/index.html

 どこで出会ったかいって、それは、「岩井の水仙街道」の先の「展望台」!

岩井の海.jpg

とみやま水仙遊歩道の展望台から望む富山地区です。
 遊歩道散策の疲れが吹き飛ぶような景色です

(南房総市公式サイト「とみやま水仙遊歩道」)
http://www.city.minamiboso.chiba.jp/0000000505.html

 ヤッホー君が出会ったのは、南房総市観光協会岩井支部ガイドの方ばかりではありません。
 首に輪をしていましたので、飼い猫なんでしょうね、きっと。
 でもさすがに地元の猫はよく知っています、お昼の弁当のおねだりをしに山歩きに来るんですから。
 ヤッホー君の無国籍「どかた」弁当、山歩クラブの仲間のどなたからも、「それって食べれるんですかぁ〜」と不評をこうむること甚だしいのですが、その香ばしい匂いは、猫ちゃんには通じていました!
 離れようとしないのです。
 仕方なくヤッホー君、猫とふたり、猫におすそ分けしながら、日向ぼっこして昼食をすませていました。
 こんなのめったにないィゐぃ〜、びっくりしました! 

 添付の写真に写っているでしょうか、岩井海岸の先、東京湾の先には、右から丹沢の山並み、三浦半島、そして伊豆大島、その左に利島までくっきりと見えています。

 猫と二人、極上のランチタイムでございました。
 夜、車窓からは満月のでっかいお月さま! 月、好き、好き、月!!
今年は正月からついていますね、きっとどちらさまにも良いことがありまする!
 山はホント、良いですねえ〜、ヤッホー。

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2013年01月26日

米良山系・村所の夜神楽

神楽.jpg

 1月26日土曜日、寄る年波には勝てず、サイキンとみに涙腺が弱くなり、泣き虫となっているヤッホー君、またしても泣いていました。

 だって、600年の伝統の舞いを絶やしてはいけない、ってムラの人びとが懸命に守っているわれわれ日本人の美しい神楽に接したからなのです。

 ヤッホー君は17:00〜18:30、イナックスのギャラリー1(東京)におりました。

「山と森の精霊 高千穂・椎葉・米良の神楽」
講師:高見乾司(九州民俗仮面美術館館長)
出演者:村所神楽保存会(宮崎県西米良村)

宮崎で神楽の宝庫といわれる地域の一つ、米良山系。この地域には12座の神楽が伝えられています。今回は、その一つである「村所の夜神楽」をトークと神楽の実演でご紹介します。

20年以上にわたり宮崎で神楽の調査・研究をされている高見氏には、宮崎の神楽と、米良山系の神楽の源流とされる村所神楽の特徴と南北朝伝承との関わりを中心にお話していただきます(前半約30分)。

そして、いよいよ村所の夜神楽33番(演目)からいくつかの演目を、村所神楽保存会の皆さんに公演していただきます。夜を徹して奉納される夜神楽では、村所に流入した宮中舞の名残をとどめながら、この地に入山した南朝の皇子の悲憤と菊池一族の悲劇が演じられます。笛・太鼓の響きとともに静かに、また激しく舞う神聖な宮崎の神楽をご鑑賞ください(後半約40分〜1時間)。

※定員に達しましたのでお申込は締め切らせていただきました。
※キャンセル待ちは行っておりません。当日受付は会場状況によってのご案内となりますので、ご参加いただけない場合もございます。ご了承下さい。

(トーク&神楽公演「米良山系・村所の夜神楽」)
http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_002192.html

【補足】
 山歩クラブで行きたい東北の山、泊まってじっくり歩きたい町、それが岩手県の花巻市だったり高遠市だったりするわけです。

北上高地の主峰である早池峰山は、遠野市、花巻市、川井村にまたがる連山です。
 県内では岩手山に次ぐ高さで、標高は1917m。
 また、標高1300m以上の高山植物帯は、特別天然記念物に指定される国定公園。
 ハヤチネウスユキソウやナンブトラノオなど特産種が多く、600種を超える高山植物を楽しむことができます

http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/25,10403,122,147,html

 早池峰山の登山基地は柳田国男と縁のある高遠市ですが、ここは、宮崎県西米良村と友好都市の関係にあったのですね。下↓は今日、2013年1月25日放送された「西米良村と読谷村の一行が遠野市を視察研修」より:

宮崎県西米良村と沖縄県読谷村の一行がきょう(25日)とぴあ庁舎を訪れ及川副市長から遠野市における被災地支援活動の視察研修を行ないました。
 はじめにとぴあ庁舎を訪れたのは宮崎県西米良村交流団の一行で西米良村は遠野市の友好都市です。
 今回は、9月と11月に行われた「遠野市へ西米良の元気を届ける事業」の3回目として献本ボランティアや26日・27日に行われる遠野昔ばなし祭り出演のため13人が遠野市を訪れました。
 とぴあ庁舎で職員に迎えられた交流団は、及川副市長から「震災時は、義援金や物資をいただき感謝しています。またその後も、遠野市に来てくださり歓迎いたします」とあいさつが述べられました。
 そして、交流団の黒木慶男団長のあいさつと団員の紹介が行われた後、場所を会議室に移し及川副市長から震災が発生した時からこれまでの状況が説明されました

http://www.tonotv.com/index.html

 西米良村ってどんな村?
人口約1300人。西米良村は県内で最も規模が小さい自治体だ。65歳以上の高齢者は526人(2012年2月1日現在)で、約42%を占める。村の調査では、このうち約110人が一人暮らし。元気な人も多いが、認知症などで介護を必要とする人や、近隣に身よりがいない人もいる
(2012年2月19日付け宮崎日日新聞「西米良村 住民の支え合い必要」)

 そんな西米良村の神楽って… 
西米良神楽は、米良西部山系に分布する夜神楽であり、現在、村所(狭上稲荷、横野、板屋を含む)神楽、小川神楽、越野尾神楽が継承されている。
 これらの神楽は、厳粛な雰囲気のうちに舞われる土地守護の神々が出現する「神かぐら」と民衆合一の神楽ばやしを伴う賑やかな舞の「民かぐら」並びに狩猟神事としてのシシトギリ(ヤマクロ)によって構成されている。
 演目や芸能、神面等の保存がよくなされ、鎮魂・供養、猟祈願の特色ある内容が盛り込まれ、伝承されている。
 保存会は後継者育成に力を傾ける一方、シシトギリの復活を行い、村内外の支援を含めて力強い保存活動がみられる

(みやざき文化財情報「西米良神楽」)
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/2240

 綾ユネスコエコパークの宮崎県綾町はとなりの自治体、ヤッホー君、今日出演者にお聞きしたら、l時間の距離だそうです。山歩クラブの公式行事として提案しようかな…
 岩手・遠野ものがたり
 宮崎・「奥みやざき」の旅


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2013年01月25日

大鵬

 朝キンならぬ花金、花の金曜日の今日1月25日。
 しかし、夜になってもタクシーで駆けつける弔問客は絶えません。玄関の前には、喪主となられました奥様の芳子夫人(65)のお名前でどうぞ焼香を!のテーブル、焼香台が。
 それもそのはず、今晩は、大嶽部屋で初七日の法要が営まれているんです。

 そうなんです、史上最多32回の優勝を誇る元横綱(享年72)が19日の土曜日に、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 場面が転換し、白黒のモノトーンの世界に入ります。
 ヤッホー君の家の前の道路を挟んで向こう側に小さな小川が流れていて、その向こう側には畑地がひろがっていました。
 畑地では、すいか、とまと、きゅうり、ながいも、さといも、じゃがいも、はくさいなどとれました。収穫は家族総出で汗を流しました。その畑地には小屋があって、薪だの枯れ枝などが積まれていました。
 また枯れた古井戸もありました。どくだみ、といった花も名前も祖母から知り、そのおどろおどろした響きがいまでも耳に残っています。
 その小川を引き込んだ池があって、池の端には松の木が植えてありました。
 この松の木が幼いころのヤッホー君の遊び場でした。

 母は農作業が一段落すると休暇をとりに実家に帰ります。
 ヤッホー君は、松の木の枝に腰掛けて、母の帰りを待っていました。
 遠くから両手に大きな風呂敷包みを提げて歩いてくる母の姿が見えると、足をばたばたさせて喜びの表情を表しました。
ヤッホー君の膝のうえにはいつの間に後を追ってきたのか、猫のチャぺまで喉を鳴らして、「早くぅ〜、早くぅ〜」と喜んでいます。
 
 早く母にまとわりついて母の匂いをくんくん鼻を鳴らして嗅いでみたいというのと、もうひとつ楽しみにしていたことがありました!
 母の実家はいったん市街地にでて、駅前でバスを乗り継いで行きます。この「市街地にでる」ということは、小さいヤッホー君でも「本屋さんがある」ことを意味しておりました。
 頼んであるのです。『小学○年生』とか『少年サンデー』とか『野口英世』とか…。
 そんな思い出がぎっしりつまった田舎の風景。

 なんでそんな大ムカシの記憶がよみがえってきたのかと言いますと、ヤッホー山荘の入っている建物の掲示板に町内会の案内で「訃報」が出ていたんです。
 故納谷幸喜さまのお通夜1月30日、告別式1月31日、場所は東京都青山葬儀所で、と。

 お通夜の前は、大嶽部屋から北の湖部屋まで地元町内会とのお別れ会です。
 葬儀委員長には日本相撲協会 北の湖理事長(59)が引き受けてくださっています。
 弔辞は横綱白鵬(27)と女優黒柳徹子(79)が読まれます。

http://number.bunshun.jp/articles/-/331271
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130123-00000029-spnannex-spo

 ふいと幼き頃の可愛らしいヤッホー君が、目の前に飛び出してきたのですからびっくり。
 その母の買ってきてくれた雑誌にあったのが漫画『大鵬物語』で、北海道から上京して横綱になる物語を読んだんだ、そして、祖父は市街地にある映画館まで連れていって映画『大鵬物語』見せてくれたんだ、と思い込んでいました。

 でも実際は『若乃花ものがたり』だったんですかねえ。
 ついさっき起こったこと、今日これをしなければならない、とか思っていたことも、すぐ忘却の彼方に消えうせて、いつも狼狽するのが常日頃のヤッホー君にいつしか成り果ててしまったのですが、そんな大ムカシのことだけは、なにかアタマにぴったりくっついて離れないんです。

 大鵬がよく通っていたという近所の散髪屋さんももうとっくに店を畳んで、いまはなんたれ横文字の会社が入ってしまっています。この散髪屋さんにも髪がまだあったころ、お世話になったいましたね、ヤッホー君。
 深川のこの辺のガキは、清洲橋から川に飛び込んでみせるってェ〜のが大人への仲間入りだったんだ、まだあの頃、大川は澄んでいましたって、おやじさん、アタマを刈りながら、よく大ムカシを懐かしんでみせてましたっけね。

 大鵬公式サイト、下↓参照:
http://www.taiho-yokozuna.com/
 大鵬道場 大嶽部屋公式サイト、下↓参照:
http://www.ootake-beya.com/


追記:大嶽部屋から眼と鼻の先、元大嶽親方、貴闘力の経営する焼肉店ドラゴ「貴闘力」は今晩も大繁盛!相撲協会を解雇されて以来、いまや国内に3軒、上海にも進出、1軒の焼き肉店を展開する実業家として再起をはたしています。
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2013年01月24日

もたいまさこ

 饒舌と寡黙。
 あ、そう、ですか。いや、ヤッホー君、あの映画のことが気になって、これも対比で書き残しておきたく思っていたのだそうです。それは:

 荻上直子(オギガミ・ナオコ)監督の映画『トイレット』(2010年日本/カナダ、1月22日(火)NHKBSプレミアム午後9時00分から午後11時00分(放送時間120分間)
 ブルーレイ(税込み6,090円)&2枚組DVD(税込み4,935円)は3.11後の2011年3月16日に発売。

荻上直子監督は、1972年2月15日、千葉県出身、まだ40歳の若さです。
 千葉大学工学部を卒業後、22歳で渡米し、南カリフォルニア大学大学院映画学科で学び6年後に帰国すると、自主製作映画「星ノくん・夢ノくん」(2000)が若手映像作家の登竜門であるぴあフィルムフェスティバルで音楽賞を受賞。
 さらに3年後、31歳のときに長編映画デビュー作「バーバー吉野」(2004)でベルリン国際映画祭児童映画部門特別賞を受賞。この作品は、小さな田舎町の床屋のおばあちゃん(もたいまさこ)に髪を刈られる少年たちの、切なくも優しい思春期の物語でした。
 続く「恋は五・七・五!」(2005)は愛媛県松山市で開かれている俳句甲子園に出場する高校生たちの青春物語。
 さらに、フィンランドのヘルシンキでオールロケした「かもめ食堂」(2006)を大ヒットさせ、日本映画界に新しい風を吹かせます。
 そして、「めがね」(2007)も海外の映画祭で注目を集め、サンダンス映画祭、香港映画祭、サンフランシスコ映画祭に出品され、ベルリン国際映画祭でザルツゲッパー賞を受賞するなど、今や、河瀬直美、西川美和と並んで世界的に注目されている女流監督に成長したのです。
 最新作の「レンタネコ」(2012)でも、彼女独特の空気感は健在でした。

 荻上直子監督作品の常連といえば、もたいまさこさん。1952年10月17日、東京渋谷生まれ、現在60歳

(2013年01月14日(月)付けBSコラム 渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「荻上直子監督の"トイレット"」(by渡辺俊雄)
http://www.nhk.or.jp/bs-blog/200/143237.html

 もたいまさこさんといえば、大ヒットしたCMがありました:

『亭主元気で 留守がいい』
(ゴン、1986年/もたいまさこ、木野花。電通=当時=の石井達矢=1950年生まれ=作)

 これは大日本除虫菊のCM。

創業は1885(明治18)年。創業者上山(うえやま)英一郎は和歌山県有田市の出身で、除虫菊の導入と栽培普及に尽力し、1890年に棒状蚊取線香を、1902年に渦巻型蚊取線香を完成させた。
 商標の鶏のマークは、英一郎の経営信条である≪鶏口となるも牛後となる無かれ≫の故事に基づく。
 「金鳥の渦巻」、「キンチョール」、「虫コナーズ」などの家庭用殺虫剤、「ゴンゴン」などの防虫剤、「サッサ」、「サンポール」などの家庭用品の製造並びに販売会社である。
 蚊取線香の生産拠点としては、創業地である有田市の紀州工場に加え、2010年より海南市に和歌山工場を新設、操業を開始した。
 本社は大阪市西区

http://www.wakayama-seiyaku.jp/member/bug/dainihonzyotyukiku-kisyu.php

 ヤッホー君の祖父の金科玉条も≪鶏口となるも牛後となる無かれ≫、それに山歩クラブでは、白い除虫菊の花を求めて尾道から因島、さらには四国まで美しい海と島並みの「瀬戸内しまなみ海道」も走りました!

 そうですか、そのCMでしたか!

 その『トイレット』の映画で、もたいまさこさんが発するのは『モーリー、クール!』と叫ぶたった一言だけ、でもその言葉の重さと言ったらありません。モーリーはパニック障害を乗り越え素晴らしいピアノ演奏(リスト作品)をするのでした!あ、そう、大分、違います。

 そういえば、もたいまさこさんの『亭主元気で 留守がいい』は、沼津アルプスで出会った仁藤さんに「奥様もごいっしょに山歩きをなさるのですか?」の質問に、そうお答えになっていらっしゃいましたね。
 
 そんなことを思い出しながら今朝1月24日木曜日の朝チェッは、映画論評でした:

Lincoln: more jaw-jaw than war-war. And no vampires

Steven Spielberg has made an intelligent, sensitive film. But it's more stately stroll than guts'n'glory retelling of the struggle to end US slavery

Verdict;
Lincoln is a strikingly well-made film, with fine performances, an intelligent screenplay, and mature, restrained direction from Spielberg. If you want the full story of how slavery was ended, though, this isn't it.

http://www.guardian.co.uk/film/filmblog/2013/jan/23/lincoln-jaw-war-vampires

 このスティーブン・スピルバーグ監督の「リンカーン」は今回のアカデミー賞で12部門で候補に登っているそうです。
 日本では、2013年4月19日からTOHOシネマズ 日劇 ほかで公開されるそうです。ヒット作を作る巨匠ですから、この国でもヒットすること間違いなしでしょう。ましてや、オバマもリンカーンにその身をなぞらえたい、と言っていることが知れ渡っていますから。

 でも、ガーディアン紙のちょっと辛目の映画評と同じように、こんなVerdictも;

Obama, on the other hand, is a hypocrite. He says some nice words that all want to hear, and then does exactly the opposite. He has not only continued all of Bush's foreign policies but has strengthened them in many cases
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cifamerica/2010/dec/08/barack-obama-abraham-lincoln

 耳障りの良い言葉、着飾った言葉、気持ちの良い言葉ってのにも、またしきりに褒められたり、煽てられたり、誉めそやされるってのにも要注意ってことで。

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2013年01月23日

Hurry up and die

 1月23日水曜日、朝チェック、略して朝キンでも朝茶でも朝シャンでもなければ、朝チェッ!
 イギリス紙ガーディアンで、このお方の写真を発見してしまいましたのでびっくり!

Japan's new government is barely a month old, and already one of its most senior members has insulted tens of millions of voters by suggesting that the elderly are an unnecessary drain on the country's finances.

Taro Aso, the finance minister, said on Monday that the elderly should be allowed to "hurry up and die" to relieve pressure on the state to pay for their medical care.

Japan's new government is barely a month old, and already one of its most senior members has insulted tens of millions of voters by suggesting that the elderly are an unnecessary drain on the country's finances.

Taro Aso, the finance minister, said on Monday that the elderly should be allowed to "hurry up and die" to relieve pressure on the state to pay for their medical care.…

He is the grandson of Shigeru Yoshida, an influential postwar prime minister, and is married to the daughter of another former premier.

While campaigning for the premiership in 2008, Aso refused to acknowledge the use of hundreds of allied prisoners of war by his family's coal mining business during the second world war.
(注1) He served as president of the firm's successor, Aso Cement, from 1973-79.
(Let elderly people 'hurry up and die', says Japanese minister
Taro Aso says he would refuse end-of-life care and would 'feel bad' knowing treatment was paid for by government)
Justin McCurry in Tokyo, guardian.co.uk, Tuesday 22 January 2013 08.42 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/22/elderly-hurry-up-die-japanese

 また、あの方が例によって軽い、無責任な放言でもしたのだろうと思っていましたが、案の定。
 恥ずかしいかぎりです。ヤッホー君の外国のお友だちにまた、揶揄されてしまいます!
 あの方のリーダーシップによって、日本語が壊れていきます。
 よくもまあ、先の総選挙で選ばれたもんですね…。
 そして二度目の首相はよくもまあ、副総理に任命したもんですね…。
 あ、そう! お友だちでしたか…。
 しかも、これを糾弾する中央の大手御用メディアってあったのでしょうか…。
 ヤッホー君、新政権の馬脚がついに現れたと思い、これも記しておきます。『琉球新報』の今朝の社説からです:

副総理兼財務相という重要閣僚の発言なのだから、安倍政権の弱者と向き合う姿勢に疑問を持たれても仕方がない。
 麻生氏は首相時代の2008年11月にも経済財政諮問会議の場で「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言している。弱者切り捨ての考え方が体に染みつき、なかなか消えないということだろうか。
 終末期医療は延命だけを目的にしたものではない。回復の見込みのない疾患患者の身体的、精神的苦痛を減らし、生活の質の向上など精神的な措置も優先した総合的な医療だ。その在り方を議論する会議で、麻生氏は「残存生命期間が何ヶ月かと、それにかける金が月に一千何百万円だという現実を、厚生労働省も一番よく知っている」と述べるなど、財政負担ばかりに目を向ける。終末期医療全体の議論に戻さなければ、会議の意義が損なわれる。
 安倍政権は生活保護の支給水準引き下げの動きも具体化させている。生活保護という「最後のセーフティーネット(安全網)」や終末期医療の削減という財政論議ばかりを推し進めれば、社会的弱者を切り捨てる政権との批判は免れない。弱者とどう向き合うか。安倍政権の姿勢を明示するのが先決だ

(2013年1月23日付け琉球新報社説「麻生氏不適切発言 弱者とどう向き合うのか」)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-201698-storytopic-11.html

 イギリスだけではありません。カナダでも。
 TPPで日本の主食はバーカーとなり、先進国で一番肥満、メタボとなり(ムカシは長命を誇っていたけど、と溜め息ついて)、しかし骨太の富裕層は終末期医療でも先端医療でも人工多能性幹細胞でも治療でき、困民党の小骨ヤッホー君なんかは保険診療で受けられるメニューは限られるどころか病院にも行けず、ま、死に急いだほうが良い、ということなんでしょうか。

Aso, a wealthy 72-year-old, said he couldn’t imagine living off the state in his golden years. “I would wake up feeling increasingly bad knowing that [treatment] was all being paid for by the government,” he said.

Falling birth rates are partially to blame for Japan’s silver-haired status. But so may be an old Japanese saying – Hara hachi bunme – which tells people to stop eating when they are 80 per cent full.

The practice has been linked to longevity in Japan, but is virtually unknown in North America – the fattest place on earth.

Too bad McDonald’s restaurants are tanking in Japan. Excessive doses of fast food could be the answer to the nation’s longevity woes.

(Last updated Tuesday, Jan. 22 2013, 6:15PM EST, ADRIANA BARTON, The Globe and Mail
"Hurry up and die," Japan’s finance minister tells nation’s elderlyhttp://www.theglobeandmail.com/life/the-hot-button/hurry-up-and-die-japans-finance-minister-tells-nations-elderly/article7643799/

(注1) 一方ではこの国の権力に逆らった鳩ポッポとか、小澤一郎とか、中央の大手御用メディアからターゲットにされ、こっぴどく手酷く立てないほどに罵倒されながら、他方、この方のその後の経緯ってどうなったのでしょうか…下↓参照:
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2596101/4068494

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2013年01月22日

ジョージ・オーウェル

『おはようございます!
 英研も前回に引き続きメールでの学習会となっておりますが、今回は二期目を迎える例のオバマさんのスピーチが下↓のカナダ紙より入手できますので、辞書を引き引きでも、あるいは自分が大統領になったつもりで朗読とは言わずとも音読して、声を出して読んでみましょうか!

http://www.theglobeandmail.com/news/world/the-text-of-obamas-inaugural-speech/article7577130/

 ところで、オープニングかクロージンクか、英研も一度は集まってみたく、正月は風邪でながれましたが、近々、新宿のパン屋さんにアルコール無しで土曜日とかにお集まりのうえ、ミーティングを開きましょう!
 調整しますので、先月のときのように、仕事のない日、仕事が終わって新宿に行ける日の連絡をお願いします!
 英語の本を購入希望の方にお薦め。それは、オサマさんを殺処分したオバマさんでなく、ジョージ・オーウェル!今年が生誕110周年なんです! ペンギンブックです!! 『動物農場』もあるし、何より『 1984年』を村上春樹の『1Q84』と併せ買って、比較してみるとか、年度末の繁忙期の前の一服にいかがですか!』


 今朝ヤッホー君から職場の仲間向けに流された回状です。
 といいますのも、朝チェック、略して朝キンでも朝茶でもなければ、朝チェッのイギリス紙ガーディアンで、こんな記事を発見したからなのです:

George Orwell Day begins annual commemoration

Celebration of author's enduring influence marked with radio season and essay giveaway

guardian.co.uk, Monday 21 January 2013 10.40 GMT

http://www.guardian.co.uk/books/2013/jan/21/george-orwell-day-begins-annual-commemoration
 
 さらに反応のスピードが早かったのは、ヤッホー山荘のある建物で、なんと4台目の監視カメラを導入したことに対し、大層ご立腹なされたことにも起因しているらしいのです。 
 ジョージ・オーウェルと絡めて、「市民警察」によって逮捕された高橋克也容疑者について、こんな良い記事を発見:

『…「1984年」を、共産主義による独裁体制を批判した小説であると定義する人は少なくない。
 ほぼ定説であるといえるかもしれない。
 でも僕の解釈は少し違う。
 なぜならば国民を支配するビッグ・ブラザーは、実体としては一度も登場せず、国家の最大の敵と称されるエマニュエル・ゴールドスタインと同様に、ポスターやテレスクリーンの中にしか存在しないからだ。
 さらに実のところ、戦争だって本当に起きているのかどうかわからない。
 すべてがプロパガンダの要素である可能性がある。
 
 要するに彼らは共同幻想だ。
 リアルな独裁者や国家の敵は存在しない。
 でも多くの人の幻想によって彼らは存在を裏づけられ、補強され、正統性を与えられ、国民は「見守られて安心できる」とつぶやきながら相互監視体制を強化し、自らの自由や権利を、自ら抑圧して制限している…』

(2012年7月30日更新Diamond Online 森達也「リアル共同幻想論」全国に300万台超、カメラに監視されて安心ですか?)
http://diamond.jp/articles/-/22224

≪On each landing, opposite the lift shaft, the poster with the enormous face gazed from the wall.

It was one of those pictures which are so contrived that the eyes follow you about when you move. BIG BROTHER IS WATCHING YOU, the caption beneath it ran≫
(Read the first chapter of Nineteen Eighty-Four by downloading the Penguin Taster here)
http://www.penguin.co.uk/nf/Author/AuthorPage/0,,1000012316,00.html

 オウム最後の特別手配犯である高橋克也容疑者(1958年生まれ)。オウムと言えば浅原彰晃(1955年生まれ)!ウイキによりますと:
『1983(昭和58)年夏(28歳)、東京都渋谷区桜丘に、仙道・ヨーガ・東洋医学などを統合した(超)能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設、松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。
 1984(昭和59)年2月、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、5月28日には(株)オウムを設立。
 1986(昭和61)年4月、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称…』

 この80年代、オームがでてきたころのことを村上春樹は、2009年9月17日付け「毎日新聞」でこんふうに語っております。ちょっと書き留めておきます:

『村上春樹氏「1Q84」を語る「来夏めどに第3部」 連合赤軍とオウムの間の時代 理想主義挫折が混沌を招いた
 5月に出した長編小説「1Q84」(第1、2部、新潮社・各1890円)が大きな話題となっている作家、村上春樹さんがこのほど、毎日新聞のインタビューに応じた。1980年代の日本を舞台に「個人とシステムの対立」を描いた重層的な物語だが、村上さんはさらに第3部を執筆中であることを初めて明らかにした。新作に込めた思いを聞いた。【構成・大井浩一】
■最初は『1985』
−−『1Q84』は現在、2巻とも18刷を重ね、「BOOK1」が123万部、「BOOK2」が100 万部。驚異的な反響を巻き起こした。
 「僕の固定読者は、長編で約15〜20万人いると自分では考えています。それくらいだと、自分の発信したものがそれなりに受け止められているという手応えがある。50万、100万となっちゃうと、どんな人が読んで、どんな感想をもっているかはなかなか見えないですよね
−−ジョージ・オーウェル「1984年」(1949年)に由来する謎めいたタイトルも魅力的だが、これには秘話がある。
 「最初は「1985」にするつもりでした。でも、執筆中に、オーウェル作品を映画化したマイケル・ランドフォード監督と話していて、英作家アンソニー・バージェスが「1985」という作品を書いていたのに気がついた。いろいろ考えた末に「1Q84」に変えて書き上げたあと、インターネットで調べたら、浅田彰さんがやはり同じ題で音楽カセット付きの本を出されていると分かりました。もうゲラ校正を進めている段階だったので、浅田さんにお知らせしました。という紆余曲折があるんです
−−刊行から3ヶ月余り。この間、なされた批評について聞くと……。
 「全く読んでいません。いつも読まないんだけど、特に今、「BOOK3」を書いているから。まっさらな状態で執筆に集中したいから。1、2を書き上げた時はこれで完全に終わりと思っていたんです。バッハの平均律をフォーマットにしたのは、もともと2巻で完結と考え、そうしたわけです。でもしばらくして、やっぱり3を書いてみたいという気持ちになってきた。これからの物事はどのように進んでいくのだろうと。時期的にはなるべく早く、来年初夏を目安に出すことを考えています
−−主人公は、ともに30歳独身の「青豆」という名の女性、「天吾」という男性の2人。物語が進につれ、両者の思わぬ関係が次第に明らかになる。普段はスポーツインストラクターとして働き、許しがたい家庭内暴力を振るう男をひそかに「あちらの世界に送り込む」仕事にも手を染める青豆は、従来の村上作品にないキャラクターだ。
 「昔は女性を描くのが苦手でしたが、だんだん自由に楽しく描けるようになってきました。青豆もその延長線上にあるので、特に意識して造形したのではありません。それに、現代は女性のほうがシャープで大胆だし、自分の感覚に対して自信を持っている描きやすい。男はどうも最近元気がないし(笑い)、強い男を描くことは難しくなりつつあるかもしれない。いずれにせよ、少しずつでもいいから描く人物の幅を広げて、物語を刺激していきたいと考えています
■個人を二重に圧殺
−−舞台の80年代は、大学紛争などで揺れた60〜70年代や、冷戦構造が崩壊した90年代に比べ、穏やかにも見える。全共闘世代の一人として「政治の季節」を経てきた作家は、なぜこの時期に注目したのか。
 「僕らの世代の精神史が大前提にあります。カウンターカルチャーや革命、マルクシズムが60年代後半から70年代初めに盛り上がって、それがつぶされ、分裂していきます。連合赤軍のようにより先鋭的な、暴力的な方向と、コミューン的な志向とに。そして連合赤軍事件で革命ムーブメントがつぶされた後は、エコロジーやニューエイジへ行くわけです。連合赤軍に行くべくして行ったと同じ意味合いで、オウム的なるものも生まれるべくして生まれたという認識があります。オウムそのものを描きたかったのではなく、われわれが今いる世界の中に、≪箱の中の箱≫のような、もう一つの違う現実を入れ込んだオウムの世界を、小説の中に描きたかった
−−「1Q84」では、人びとはいつの間にか「1Q84年」の世界へ移っていく。そこには連合赤軍を思わせる「あけぼの」、オウムを思わせる「さきがけ」といった集団が登場する。
 「偶然の一致ですが、オウムが最初に道場を開いたのは84年です。60年代後半の理想主義がつぶされた後の80年代は、オイルショックとバブル崩壊の間に挟まれ時代。非常に象徴的だと思う。そこには60年代後半にあった力が、マグマのように地下にあって、やがてはバブルという形になって出てくる。バブルは、はじけることによって結果的に戦後体制を壊してしまう。そうした破綻へ向けて着々と布石がなされていたのが80年代です。理想主義がつぶされた後に、何を精神的な支柱にすべきかが分からなくなった。今もある混沌はその結果なんですよ
−−95年の地下鉄サリン事件の被害者らに取材し、「アンダーグラウンド」などのノンフィクションも書いた。今年2月のエルサレム賞授賞式での講演では、個人の魂と対立する「システム」について語った。
 「個人とシステムの対立、相克は、僕にとって常に最も重要なテーマです。システムはなくてはならないものだけど、人間を多くの面で非人間化していく。サリン事件で殺されたり傷を負わされたりした人も、オウムというシステムが個人を傷つけているわけです。同時に、実行犯たちもオウムというシステムの中で圧殺されている。そういう二重の圧殺の構造がとても怖いと思う。自分がどこまで自由であるかというのは、いつも考えていなくてはならないことです
■物語の「善き力」を
−−宗教も革命思想も、「システムの悪」を発動し得るという面は共通する。
 「今の社会では否寛容性、例えば宗教的な原理主義や、旧ユーゴスラビアのようなリージョナリズム(地域主義)が問題になっています。昔は共産主義対資本主義とか、植民地主義対反植民地主義といった大きな枠組みでの対立だったのが、だんだんリージョナルなもの、分派的なものになって、それが全体を見通すことが困難な混沌とした状態を生み出しています
−−「1Q84」に、破壊的な力を持つ「リトル・ピープル」という不思議な存在が現れる
 「リトル・ピープルがどういうものか、善か悪か、それは分からないけれど、ある場合には悪しき物語を作り出す力を持つものです。深い森の中にいるリトル・ピープルは善悪を超えていると思うけれども、森から出てきて人々にかかわることによって、ある場合には負のパワーを持つのかもしれません
−−とはいえ、善悪や価値観の対立を、単に相対化するのではない。
 「僕が本当に描きたいのは、物語の持つ善き力です。オウムのように閉じられた狭いサークルの中で人びとを呪縛するのは、物語の悪しき力です。それは人びとを引き込み、間違った方向に導いてしまう。小説家がやろうとしているのは、もっと広い意味での物語を人びとに提供し、その中で精神的な揺さぶりをかけることです。何が間違いなのかを示すことです。僕はそうした物語の善き力を信じているし、僕が長い小説を書きたいのは物語の環を大きくし、少しでも多くの人に働きかけたいからです。はっきりいえば、原理主義やリージョナリズムに対抗できるだけの物語を書かなければいけないと思います。それにはまず≪リトル・ピープルとは何か≫を見定めなくてはならない。それが僕のやっている作業です

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2013年01月21日

若山牧水

1987(昭和62)年設立。
 歌人若山牧水の生誕から永眠までの足跡とその全仕事を顕彰し、編年体で展示。
 「詩歌時代」・「牧水と酒」・「牧水と旅」などのテーマごとの詳細な資料を収集。
 また、雄大な富士が一望できるラウンジ、炉を切った十畳間は美しい庭園に面しており、集会・会議には最適です。
 牧水の人生に触れながら、ゆったりと海を眺め、彼の愛した沼津の自然を感じてみてください

(沼津市公式サイトより「若山牧水記念館」(沼津市千本郷林1907-11 T0l 055-962--0424)
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/shisetsu/senbonplaza/mawari/sio-a.htm#top

 この記念館の館長は三代目になりますが、牧水長男旅人氏の長女、榎本篁子氏。

 急に何を思い出したかヤッホー君、実はそのムカシ、ドージーとその母親もいっしょに、「若山牧水記念館」を見学しに行ったことを思い出していたのです。
 わかやま、ぼくすい…、反芻するほどに感情がこみあげてくるヤッホー君、どうしてかと申しますと、沼津アルプスの最初のお山、香貫山への登山口から地元の方が自転車で来て歩き始める朝の散歩、朝練の学生たちといっしょに車道を登りつめると、右手に「香稜台」が見えてきたその広場でのことでした。
 昨日1月20日の2013年正月山行でのことです。
 「香稜台」は広場になっていて、無料休憩所や五重塔、慰霊平和塔(戦没者慰霊の塔)が建っています。
 そして、若山牧水の歌碑が建っていたのでした。

香稜台.jpg

 ここからは、沼津の街並みや駿河湾、そして富士山の素晴らしい眺望が広がっています。

香貫山いただきに来て吾子とあそび ひさしくをれば富士はれにけり 牧水

 これが歌碑です:

1885(明治18)年、宮崎県に生れた歌人若山牧水は、25歳のとき、歌集「離別」が歌壇で認められ一躍世に出て、生涯に15の歌集と9000首に及ぶ調べの美しい名歌を残した。
 旅を愛し人と自然を愛し、全国各地を訪ねすぐれた紀行文と随筆を著している。
 千本松原に魅せられていた牧水は、1920(大正9)年、田園生活を求め東京から一家を挙げて香貫山の麓に移り住んだ。
 海を見たいと長男旅人と香貫山に登り、詠んだのがこの歌である。
 次の二首とともに「香貫山」の題で第13歌集「くろ土」に収められている。
 沼津へ来て最初に詠んだ歌であろう。
 

 海見ると 登る香貫の 低山の 小松が原ゆ 富士のよく見ゆ

 低山の 香貫に登り 真上なる そびゆる富士を 見つつ時経ぬ

 沼津への永住を決意した牧水は、1925(大正14)年、千本松原の一角に土地を求め、念願の新居を建築した。
 沼津での牧水は、作歌の傍ら詩歌の総合雑誌『詩歌時代』を発行するなど盛んに文学活動を展開する一方、県が計画した千本松原の松樹伐採に反対する自然保護運動の先頭にも立った。

 酒をこよなく愛した牧水は、胃腸や肝臓を患い、1928(昭和3)年9月17日満43歳の若さでこの世を去った。
 翌1929(昭和4)年、千本松原公園に全国に数多くある牧水歌碑の第1番目となる「幾山河」(注1)の歌碑が建てられた。
 「香貫山の歌碑」は、沼津商工会議所観光部会が牧水の三十三回忌の1960(昭和35)年9月17日香陵台の一隅に建立した。
 その後の周辺環境の変化に伴い、当クラブが市制80周年記念第1回沼津文学祭に協賛し、牧水没後75周年に当り、現在地に移転した

(2003(平成15)年9月17日沼津香陵ライオンズクラブ)

(注1)「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく
 牧水歌碑第1号として、1929(昭和4)年秋、建立。この歌は2007(明治40)年、牧水が早稲田大学英文科学生の時に岡山県二本松峠を越えながら詠んだ。毎年10月、(社)沼津牧水会(注2)の主催で開かれる碑前祭の際には酒を注いで牧水を偲んでいる』(沼津市公式サイト)
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/hito/bungaku/bungaku2.htm

(注1のなかの注2) 沼津牧水会
牧水は、没後、千本松原にゆかりの深い千本山乗運寺に埋葬され、千本松原に全国で最初の牧水歌碑が建立されました。
 そして 戦後まもなく 牧水を顕彰する会が組織され、「沼津牧水祭 短歌大会 碑前祭」が行なわれてきました。
 沼津牧水祭に集う人びとの間から、「沼津に牧水記念館を」という声が上がり、1981(昭和56)年に沼津牧水記念館建設発起人会が結成されました。
 市民運動が高まり、ここで集められた約6000万円の寄付金は、沼津市に納入され、1987(昭和62)年に沼津市若山牧水記念館が建設されました。 
 1987(昭和62)年7月1日に設立された社団法人沼津牧水会が、沼津市から委託されて記念館の管理・運営を行なっております。
 社団法人沼津牧水会には、全国各地から600名近い方々が会員になってくださっており、「沼津牧水祭 短歌大会 碑前祭」をはじめ、講演会、講座、音楽コンサートなど各種文化活動を実施しております。
 全国各地の牧水顕彰団体との交流も盛んに行っております。 
 なお、公益法人制度の改革に伴い、2012(平成24)年4月1日から、「公益社団法人沼津牧水会」と名称を変更いたしました

http://web.thn.jp/bokusui/6bokusuikai/bokusuikai01.htm

 そして、渡部芳紀研究室(中央大学文学部文学科国文学専攻)「若山牧水文学散歩」も参考になります!
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/bungakusanpo/bokusui/bokusui.htm

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2013年01月20日

沼津アルプス

 今日1月20日は山歩クラブの月例山行の日でございました。
 山域は沼津アルプスです。
 といっても今回はその北半分だけにしました。
 香貫山193mから横山183m、そして長い急な登り階段を、耐えてこらえて、我慢強くがんばって登り切って、徳倉山256m!
 
香貫山.jpg

横山.jpg

徳倉山.jpg

 写真を添えました。
 上から香貫山、横山、徳倉山です。

 草原のレストランとなったお昼の会場は、風ひとつなく暖かく、参加した仲間の21人皆んなで美味しくいただきました。
 徳倉山頂上は広い草原になっており、雲ひとつかかっていない冨士山が一週間前と同じようにくっきり、はっきり、にっこり!
 そればかりではありません。眼下には、沼津港から田子の浦、そして富士川河口まで続く白砂青松で有名な千本松原、そして駿河湾が見えています。

 そしてここまでず〜っと、「沼津市五十雀山歩会」の仁藤彰則さまとたまたま出会い、おつきあいをお願いし、道案内からご説明まですっかりお世話になりました。
 「沼津市五十雀山歩会」は35年の歴史を誇り、会員数262名(男性会員114名、女性会員148名)を擁し、「日帰りで静岡県内、および近隣県の自然をゆっくり楽しむ50歳以上を主とした会員による優しい山歩きの会」だそうです。
 『ハイキングから中級程度までの山歩きを毎月開催し、初めての方でも気軽に参加できます』
http://sanpokai.world.coocan.jp/

 そして、パチンコ屋の2階のお風呂屋さん、「天然温泉ざぶ〜ん」(沼津市原町2−14−8、Tel 055−968−4126)で汗を流して沼津港市場へ。
 「丸天 魚河岸店」(沼津市千本港町114の1 Tel 055−963-0202)で新年会を開きました。
 帰りは、(有)松浦酒店(沼津市大手町3-9-1 Tel 055-962-0538)で沼津の地酒、「白隠正宗」(高嶋酒造(株)沼津市原354−1)を買って車内販売し、賑々しく帰京した、とこういうわけでございます。
 お天気にも山にも恵まれ、地元の方の好意を感じ、美味しい食事でもう、おなかもこころも満腹、満点山行となりました。

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2013年01月19日

徳川家康

 昨日のお散歩会、タウンウオークですが、ヤッホー君の学生時代が偲ばれる土地なんですって。
 青春のときを過ごした地は、「傳通院」の裏手:

浄土宗 無量山 寿経寺 傳通院
 1603(慶長8)年、徳川家康が生母お大をこの地に葬った。
 後に堂宇を建立し伝通院となった。
 伝通院はお大の法名にちなむ。将軍家の帰依も厚かった。
 浄土宗の関東18檀林の一つで、常時1000人の学僧が修行していた。
 境内には、お大の方、千姫(豊臣秀頼妻・2代徳川秀忠の長女)をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くある』

(文京区公式サイトから「傳通院」)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_jisha_denzuin.html

 で、この「お大の方」と縁のあるお寺さんが「宗慶寺」で昨日、出会ってしまったのでした:

浄土宗 吉水山 宗慶寺
 1415(応永22)年、浄土宗中興の祖、了誉聖冏(りょうよしょうげい)がこの地で庵を開いた。
 その後、徳川家康の生母、於大の方が現在の伝通院に葬られ、聖冏の開いた庵を移し「伝通院」とした。
 1621(元和7)年、松平忠輝の母、茶阿局(家康の側室)の墓所となり、法名にちなみ吉水山朝覚院宗慶寺と称するようになった。
 小石川七福神の一つ、寿老人を祀る』

(文京区公式サイトから「宗慶寺」)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_jisha_sokeiji.html
 
 ね、それでこの家康の生母お大の方って、愛知県知多郡阿久比町出身の方で、町の公式サイトにはこんな物語が載っております。ぜひお読みくださいね:

『白磁の小皿には、小豆の汁で溶かれた彼女の指からしぼった鮮血が、残り少なくたまっていました。
一字三礼、阿弥陀経を写しながら、薄幸の子、岡崎の竹千代と、 夫俊勝のために、わが身を代えてと祈っていたのです。その写経も後少しです。
「…その声は久蔵どのか。何事でありますか。」
時は、永禄3年5月17日の昼下がり、坂部城は戦雲をはらんで、ぴいんと張り詰めた空気に包まれていました。
「奥方様、殿よりの内々の御下知でござる。ただ今、岡崎の元康さまがお見えになられました。」
「ええっ、竹千代が…。」
お大の方は、思わず立ち上がっていました。
坂部城主久松俊勝に添って、お大の方はすでに33歳。3児2女に恵まれ、夫に後顧の憂いを与えない、立派な城主の妻となっておりました。
しかし、その彼女にも、薄幸の子の面影がいつもまぶたの裏に焼きついて離れませんでした。涙の別離から、すでに16年…』

(『阿久比の昔話』(昭和57年11月3日阿久比町発行)から)
阿久比町(愛知県知多郡阿久比町大字卯坂字殿越50 Tel 0569-48-1111)
http://www.town.agui.lg.jp/contents_detail.php?frmId=184

 いや〜、読んでも涙がでてきます。で、一方の家康の側室、茶阿局にはどんな物語が…っていうとこれも泣かせます:

茶阿局(あちゃのつぼね、生年不明〜1621(元和7)年)
 遠江国金谷村の鋳物師の後妻に入り娘を生んでいますが、茶阿局が美人であることから嫉妬した代官が夫を闇討ちにするという事件が起こります。鷹狩に来た家康にこのことを訴えたことで代官は処罰されます。
 この一件により家康の目に留まり彼女を側室に迎えます。
彼女は故郷の金谷村周辺の寺を保護し、寺同士の紛争の解決にも尽力しています。
茶阿局は1592(天正20)年に六男辰千代(後の松平忠輝)を出産。1594(文禄3)年に七男松千代を出産。長沢松平家に養子に出されますが6歳の若さで死去します。
 1602(慶長7)年に忠輝は元服し藩主にも任じられます。しかし、彼の粗暴が元で1616(元和2)年に改易。1683(天和3)年7月3日に幽閉先である諏訪高島城にて死去しています。
 母である茶阿局は1621(元和7)年6月に病死。心労が原因とも云われ、墓は宗慶寺(文京区小石川)にあります。法名は朝覚院

(遠州古城めぐり、洞善院(とうぜんいん)
http://www.geocities.jp/enshucastle/index.htm

 ムカシ、名の有る人は祖先を敬い、ねんごろに葬り、祖先の生きた時間を繋いできていたのでしょうね。名の無い人でも、何か無念の死があれば、碑や供養塔を建てて篤く祖先の生きた時間の記憶を辿っていたことでしょう。
 
 え〜と、ヤッホー君たちは昨日、「極楽水跡」ってなんだろうって関心と興味から、陽だまりに猫数匹、日向ぼっこしている宗慶寺辺りを探していたんです。これも、もう一度、こんなウエブを事前に学習して、再訪してもいいですね:

宗慶寺に極楽水があったことを示すために、入口左側にその名を刻んだ石碑が建てられている
(高橋俊一「谷端川(やばたがわ)の跡を歩く」(文京区5、小石川四丁目、撮影は 2012年1〜2月)
http://www.geocities.jp/yamanote_bridge/river-yabata/b-koishi2/koishi2.htm

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2013年01月18日

森鴎外記念館

 今日1月18日金曜日は山歩クラブ・タウンウオークの日でございました。
 朝9時、東京メトロ丸の内線お茶の水駅に5名集合、さらに地下鉄を乗り継いで茗荷谷駅へ。
 さ、これから5時までのウオーキングです。
 午前の部は、播磨坂〜宗慶寺・極楽水跡〜吹上坂〜小石川植物園〜御殿坂〜蓮華寺坂〜浄心地坂〜円乗寺・八百屋お七〜大円寺ほうろく地蔵・高島秋帆〜東洋大学食(ランチ)。
 午後の部は2時、東洋大学をスタートして文京区森鴎外記念館〜根津神社〜東大三四郎池・学食(打ち上げ)。
 参加された5名の仲間たち、たいへんおつかれさまでした。
 今年一年の健脚を祈りながら歩き通し、そして愛鷹山に続く新年会第二弾を開いて乾杯してきたのでございます。
 山歩クラブは「こころ」と「からだ」だけではありません、今年は「あたま」も鍛えようと、東大を二つも制覇!

東洋大学.jpg

東京大学.jpg

 まだ融けぬ雪道をヤッホー君の歩数計では23,498歩を歩きながら、合格祈願をしてきたそうでございます。
 もっともヤッホー君はすべってしまったので、いまさら決意しても、「あたま」はもう無理かなぁ〜、と。
 お天気は、番外編の愛鷹山に続いて真っ青な冬空!

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2013年01月17日

係争地

 いやあ〜、新年早々、いろんなこと(注1)が起こります。

直感として言えば、今度の事件は深刻である。
 日本の外交史上り最悪の事態も想定される。
 その事を外務省は察知しなければならない。
 だからこそ安倍首相は直ちにアセアン訪問を取り止め、首相官邸で陣頭指揮を取るべきだ。
 ただでさえ今度のアセアン訪問は無意味な官僚の振りつけた訪問だった。
 おまけに中国包囲網ばかりを叫んでいる。
 ムダだけならカネで済むが有害な外交である。
 訪問を打ち切って直ちに帰国せよ。
 相手国に非礼になることはない。相手国は理解を示すだろう。
 直ちに帰国して陣頭指揮を取り今度の事件の深刻さを身をもって示すべきだ。

 邦人の苦しみを分かち合う姿勢を示すべきだ。
 そうすれば最悪の事態が起きても少しは悔いを軽減させられるだろう。
 非難を封じ込められる。
 いや、その気迫が事件の好転につながるかもしれない。

 それを安倍首相に進言する側近は一人もいなかったとすれば驚きだ。
 同行記者はその検証を怠ってはならない

(2013年1月17日天木直人「緊急提言!安倍首相は直ちに帰国して陣頭指揮をとるべきだ」)
http://www.amakiblog.com/archives/2013/01/17/
 
 元の外務官僚が上述のように強く言いはなっていますが、ではこの国のトップはいま、どこにいるのかと思いましたらベトナムで、原発を売り込み、中国包囲網を強めようとしていたのでした:

『【ハノイ=金杉貴雄】ベトナムを訪問した安倍晋三首相は1月16日、ズン首相と会談し、日本がベトナムから受注している原発建設計画や高速道路などのインフラ整備、レアアース(希土類)採掘などの貿易投資で協力を進展させることで合意した。
 両首脳は沖縄県・尖閣諸島問題やベトナムが実効支配する南シナ海の中国との領有権問題で、圧力を強める中国を念頭に「すべての地域の紛争と問題を、国際法の基礎に基づき平和的交渉を通じて解決すべきだ」との考えで一致。南シナ海問題では「力による現状の変更に反対する」との認識を共有し、政治・安全保障分野でも協力を進めることを確認した。
 経済分野では、安倍首相がベトナムに対し、新たに5億ドル(約450億円)の円借款を供与する方針を表明した。

 安倍首相は会談終了後の共同会見で「ベトナムとは地域的課題を共有し、経済的に相互補完関係にある重要なパートナーだ。アジア太平洋地域の戦略環境が大きく変化する中、地域の平和と繁栄のため、両国が積極的な役割を果たしていく」と強調した』

(2013年1月17日付け東京新聞朝刊「原発輸出推進で合意 安倍首相、ベトナム首相と会談」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013011702000105.html

 ところで、外交の一元化と言う言葉があるんでしょうね、いらだっていたのがその安倍政権側、権力側。
 なんで?って…

菅官房長官は1月17日昼の記者会見で、中国を訪問中の鳩山元首相が沖縄県・尖閣諸島を「係争地である」との認識を中国側に伝えたことについて、「我が国の立場と明らかに相反する発言で、我が国の首相をされた方の発言として非常に残念で、極めて遺憾だ」と述べ、不快感を表明した
(1月17日(木)13時5分配信 読売新聞「鳩山氏<尖閣は係争地>発言、官房長官が不快感)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130117-00000670-yom-pol

 そぅなんですぅ、あの鳩ぽっぽが中国に行ったことが気にいらなかったよう:

中国を訪問中の鳩山由紀夫元首相は1月16日、賈慶林全国政治協商会議主席や楊潔チ外相ら中国要人と相次いで会談した。鳩山氏は一連の会談で、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)は中国も領有権を主張しているとして、日本政府の公式見解と異なる「係争地」に当たるとの認識を示した。同氏が記者団に明らかにした。

 鳩山氏は会談で尖閣について「係争が今起きているのは事実だ。係争地であると互いに認めることが大事だ」と指摘。尖閣を両国が係争地と認定した上で、係争の「棚上げ」に合意するよう提案した。鳩山氏によると、賈、楊両氏は「基本的に同意する」と回答したという

(2013年1月16日 23時31分更新 東京新聞「<尖閣は係争地>と鳩山氏 中国要人との会談で」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013011601001878.html

 むずかしいことは分かりませんが、いったいどうなっているんですかね、この国の支配層、富裕層、政治屋などのオエライさん方。
 ヤッホー君は、ただいつものように(中断されることなく)山歩き、町歩きができればいいな、とだけ願っている小市民でござんす。
 そんなヤッホー君、何も威勢のいいことを大声で口にださなくっとも、何も軍拡なんかに走らなくっとも、慌てて愛国シュギシャなんて急造しなくっとも、隣近所、仲良くできるんじゃなかったの?
 え?そういう人たちは下町出身でないから、分からないってぇ〜か…
 鳩ぽっぽでなく、政権トップが中国に入って、車座になって餃子でも食べて、ラーメンでもすすってくれば良かったのにね。

 いろんなこと、外国メディアのほう(注2)がこの国の動きが見えやすい、分かりやすいって、困民党ヤッホー君が言ってますぇ〜、AP電です:

【BEIJING(AP)−】A high-level Chinese official has called for talks with Japan over a disputed island chain, in an apparent attempt by Beijing to cool tensions that have seen both sides scramble jet fighters to the area in recent days.

Jia Qinglin, the head of China's top political advisory body, made the gesture at a meeting in Beijing with former Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama, the official China Daily newspaper reported Thursday.

Japan has steadfastly refused China's past calls to hold talks over the islands, with Tokyo arguing that it holds sovereignty over the islets and thus there is nothing to negotiate.

Jia is believed to be the highest-ranking Chinese official to publicly issue such a call, and the mild tenor of his remarks − omitting China's standard accusation that Japan is wholly responsible for the frictions − was seen as a signal Beijing hopes to arrest momentum toward an all-out crisis.

(Jan. 17, 2013 1:17 AM ET, CHRISTOPHER BODEEN, Associated Press
Senior China leader urges island talks with Japan, The Dallas Morning News)
http://hosted2.ap.org/txdam/633c954da7d9434f9de7ed15f38075aa/Article_2013-01-17-China-Japan-Islands

※(注1)(注2) イギリスのガーディアン紙です:
Algerian TV broadcasts footage of tanks outside BP-run gas field - video
http://www.guardian.co.uk/world/video/2013/jan/17/algerian-tv-footage-tanks-bp-gas-field-video

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2013年01月16日

綾ユネスコエコパーク

 1月16日水曜日朝、びっくりしました!
 6時20分にいつも合わせている目覚ましのアラーム音が全く聞こえず、起きたのは7時15分、いつも家を出る10分前のことでした。
 あわてて歯を磨いて、家をでたものの、清澄白河駅始発の電車に間に合わず、立ったまんまの痛勤電車でございました。
 これには理由があったのだ、と思っております。
 トイレに起きたのが朝の4時で、なにげなくラジオに手を伸ばしてスイッチオンにしたのですが、このNHKラジオ深夜便「明日へのことば」に痛く感動して、その後ふたたびの熟睡モードに入ったものと思われるのです。

 宮崎県・綾町照葉樹林文化推進専門監…河野耕三「照葉樹林が育てたユネスコエコパークの町」

 話題は、「照葉樹林」!
照葉樹は、常緑広葉樹のひとつです。
 その昔、照葉樹林は日本を広く覆い、人々の生活と深くつながっていました。
 しかし開発などによって、照葉樹林は私たちの前からだんだん姿を消していきました。
 今では日本の総森林面積の1.2%にしか過ぎません。
 そんな時代に、宮崎県綾町には、2,000haの照葉樹林が広がっています。
 ここは日本最大の照葉樹林帯なのです…

 私たちが失ってしまった照葉樹林の姿が、ここには残されているのです。
 植物のほかにも、たくさんの生き物が暮らしています。
 この森を生息南限とするニホンカモシカ、絶滅危惧種のクマタカやヤイロチョウ、九州で初めて生息が確認されたクロホオヒゲコウモリ、南九州とアメリカテキサス州にだけ発生するキリノミタケ…。
 私たちの身近な生き物から、なかなか会えない珍しい生き物まで、たくさんの命が息づいています…

 私たちの住む日本から東アジアに広がる照葉樹林帯には、共通の文化がたくさんあります。
 照葉樹林の恵みがその起源と言われ、「照葉樹林文化」と呼ばれています。
 大豆発酵による納豆や味噌・醤油、
 魚の姿寿司を自然発酵させて作るナレズシ、
 水さらし法であく抜きをしたクズ粉やワラビ粉、
 そしてコンニャク。
 サトイモやヤマノイモ(ナガイモ)が栽培され、モチ米、モチアワ、モチキビなどの粘り気の多い種子澱粉をもつモチ種も共通に分布しています。
 めでたい時には赤飯、餅、甘酒を振る舞う習慣も同じです。
 
 食物以外でも、野生の繭から作る絹の利用、
 ウルシの木などからうるしをとって漆器を作る技術も照葉樹林帯が発祥の地です

(てるはの森の会「照葉樹林とは」)
http://teruhanomori.com/?page_id=8

 そして、この照葉樹林が残されている宮崎県綾町を含む一帯が、昨年ユネスコエコパークになっていたのです:
『【人工林から照葉樹林へ復元】
 スギやヒノキの人工林の間伐等を行い林内に光りを多く入れることにより、かつての照葉樹林の林相を残す天然林からの種子の供給で照葉樹を自然発生させ、この照葉樹が十分育った頃、残るスギやヒノキを全て除去し、照葉樹林への復元を図ります。
 50〜100年後には保護林と復元された区域により6,000ha以上の連続した広大な照葉樹林の復元を目指します

(2012(平成24)年7月11日文部科学省報道発表、宮崎県「綾地域」のユネスコエコパークへの登録について〜第24回人間と生物圏(MAB)国際調整理事会での審議結果〜
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/24/07/__icsFiles/afieldfile/2012/07/12/1323465_001.pdf

  河野耕三さんをはじめ、綾町の人たちは、目先のカネだけのことではない、100年先、子々孫々の未来までをもしっかりと射程に収めて、町民全員の参加で、森と、そして森に暮らす多様性に富むたくさんの生き物との共存を図ろうとしているのです。

 またふたたび深い森に抱かれるように、深い眠りに誘われたのも分かっていただけるものと思います。
 ま、ヤッホー君の足も Wallabees があるし、といった安堵感もあったのでしょうね、が・ん・ば・れ〜 ヤッホー君!

綾地域の取り組みは今後、ユネスコから世界に発信される。そのメリットは大きいが、調査保全活動責任も強まると、町照葉樹林文化推進専門監の河野耕三さん(64)は気を引き締める。
 特に、生活と結び付きがあり独自の生態系を持つ里山について、未知の部分が多いという。

 河野さんは1月、町内で里山独自の豊かな生態系が広がる湿地を発見した。ぬかるみに足を取られながら、短時間でタニヘゴなど約10種類もの絶滅危惧種を確認。「本県初確認となる植物も2種類あった。もっと調査しなければ」との思いを強める。
 同町は4月に綾生物多様性協議会を設置。2014年度までに保全のための計画を策定する予定だが、里山や中心街を含む町内全域で動植物を調査するには、マンパワーが必要となる。
 「日本自然保護協会」によると、オーストリアでは、ブドウ畑に自生する希少種のランを、それぞれの農家が調査する活動に取り組む地域がある。賛同する農家はランを調査して個体数をデータ化。分布の状況が広範囲で分かるほか、生産するワインに付加価値を付けている。
 河野さんは、この取り組みについて「住民が調査と保護に参加し、さらにその成果が住民に還元されている」と評価。「綾町でも行政が行なっている調査保護活動に、住民の積極的な参加が必要。その先に、真の自然との共生があるはずだ」と力を込める

(2012年7月15日付宮崎日日新聞「照葉輝く〜綾ユネスコエコパーク〜」
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=47202&catid=475

 昨年11月9日、JICA研究所(東京市ヶ谷)で行なわれた≪生物多様性保全公開セミナー「先進事例に学ぶ生物多様性をベースにした国づくり・地域づくり」セミナー≫で、綾ユネスコエコパークや綾プロジェクトの事例発表が行なわれていました。これに参加、出席した「日本自然保護協会」保全研究部の朱宮さんの報告記事もご参照ください:
(2012年11月20日 18:00更新 NACS-J 事務局日誌「生物多様性を守る日々」)
http://www.nacsj.or.jp/

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2013年01月15日

Wallabee

 お散歩会ならまだしも、お山歩会のときは山歩クラブに「三種の神器」ってぇのがございまして、雨具とリュックと山靴でございます。
 今日のお題は「登山靴・トレッキングブーツ」について、ですかねえ〜。

10.消費者へのアドバイス
(1) ポリウレタン製のミッドソールは、一般的には製造後5年程度が寿命といわれていますが、高温で水分がある状態の下では劣化が速く進みます。登山に行く前には、靴底を繰り返し屈曲し、ひび割れ等の異常がないことを確認しましょう。登山靴等が濡れたときには、ストーブなど、火の近くで乾かすことはやめ、布や新聞紙などで水分を取りましょう。また、家では陽の当たらない、風通しの良い場所で保管しましょう。
(2) 特に異常が認められない場合でも、登山中にミッドソールが壊れたり剥がれたりする可能性があるため、事故に備えて紐やテープを持参しましょう。
(3) 現在お持ちの登山靴等の材質、その他について不明な点があった場合は、その靴を買ったお店にお問い合わせするとよいでしょう。
(4) 安全で快適な登山をするためには、登る山のレベルに応じて適切な登山靴等を購入することが必要です。購入の際には販売店によく相談し、適切な登山靴等を購入しましょう

(平成15年12月〜平成16年5月テスト期間、東京都消費生活総合センター)
http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/anzen/test/pdf/tozangutu.pdf
 
 今日のお題は、山行に参加する際の注意事項の再確認ですかぁ〜
 いえ、ね。一夜明けた今朝1月15日の小正月、昨日来の雪が路上に一面貼り付き凍結し、歩行者の転倒のリスクが極めて高い、と判断したヤッホー君、おもむろに下駄箱からとりだした「ブーツ」がございました。
 アイルランド製 Made in Republic of Ireland のクラークスのワラビー Wallabees。しかも表革!色はモスグリーン!

 いつ購入したのか…、ふるいパスポートを開いたら…、出てきました。
 1998年1月5日成田から出国し、同日、ヒースロー Heathrow 空港での入国スタンプが…、いまから15年も前のことです。
 前掲、都の消費生活総合センターでは「登山靴の寿命は5年程度」って言ってるわけですよね、いくらなんでも15年なんて経年劣化でだめになる、これを覚悟でそろり、そろりと家を出たわけです。
 ヤッホー君、山をはじめる前にジョギングに精をだしていたことがあるんですよ、隅田川のリバーテラスを舞台に。そのときに購入した高価(当時)なランニング用シューズがあり、昨年のお散歩会、タウンウオークにでかけるときに履いて山荘をでたのですが、ものの100mも歩かないうちに、底が剥がれ、白い残骸が歩道に散って、あのときは恥ずかしい思いをしました。
 今日もそんなふうになるのかな、と。
 ところが、もちました!
(あっ、けっして真似はしないでくださいね、「5年周期で靴は履き潰すこと」を心がけてください、身の安全のために)

 もの本来の良さに加えて、「ものもちが良い」と評判のヤッホー君、日頃の手入れも良かったようで。

クラークスは、1825年にサイラスとジェームスというクラーク兄弟によって設立されました。
 創業の地はイングランド南西部の小さな町、ストリート。
 現在もクラークスが本社を置き、近くには以前使われていた刻印ロゴマークの塔があります。
 以来180年程の歴史を経て、カジュアルシューズの原点とされる世界的ブランドに成長しました。
 最初の商品は毛付きシープスキンのスリッパでしたが、それが後に、カジュアルシューズやコンフォートシューズの原点や概念といわれる靴づくりへとつながりました。
 今やデザートブーツやワラビーはカジュアルシューズの代名詞ともいわれています。
 常に履きやすさと快適さを追求し続けてきたクラークス社の創業は靴づくりにおける創造と独創の歴史の始まりなのです


 この店舗は下町にもありました、ぜひ足を運んでご自身の足に合う靴をお選びの上、ご購入ください。「クラークスオリナス錦糸町」(墨田区太平4-1-2 Olinas 3F Tel 03-5819-4300)
http://www.clarks.co.jp/index.shtml

 いまや、クラークスの工場は中国や世界各地にひろがっていますが、中国人のイギリスツアーでは、コースのなかに「イングランド南西部の小さな町、ストリート」も含まれており、中国人はここに寄って中国製のクラークス社の靴をお求めになってお帰りになるそうですよ:

Clarks started making shoes in Street in 1825 when James Clark realised he and his brother, Cyrus, could make slippers from the offcuts of their sheepskin rug business. Still in private hands, with ownership spread among descendants of the family dynasty, Clarks now boasts a global turnover of £1.17bn, and sells shoes in 160 countries. It is known for its sturdy, comfy adult footwear and sensible, well-fitting children's shoes. But the desert boot (now branded, alongside other designs such as the Wallabee, as a Clarks Original) continues to have classic appeal, and is particularly popular among musicians. Florence Welch, Nick Cave, Bob Dylan, Dizzee Rascal and Robbie Williams have all been spotted wearing them, while Jamaican dancehall star Vybz Kartel has even written three songs in praise of Clarks. Most of the company's shops are in the UK and North America but this year it is expanding in key markets, particularly in Germany and Holland. It is also stepping up in China, which saw a 22% increase in business in the 12 months to February 2010. This year, Clarks will add 100 new stores to its 1,000 around the world, including its first in India.
(Patrick Barkham, The Guardian, Wednesday 9 March 2011)
How the Chinese fell in love with Clarks shoes
A shopping centre built on an old shoe factory in a small Somerset town aims to become one of the UK's top tourist draws
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2011/mar/09/chinese-love-clarks-shoes

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2013年01月14日

もののふの里

お世話になりました。一日違いで今日は雨。昨日、初歩きをして良かったです。
 デッカイ富士山を眺めながら、まさに「富士見山行」が出来ました。ツイてましたネ。ありがとうございました。
 今日は、お仕事?お休みではないのですか。お疲れさまです。
 写真を添付します


裾野の地酒.jpg

 ヤッホー君は仕事日でいつものように山荘をでましたが、そのときは昨日と打って変わって冷たい雨。
 ヤッホー君は朝の通勤の道すがら、山歩クラブの仲間たちの日頃の行いの良さだな、と皆んなに感謝し、この山歩クラブの初歩きのラッキー(運の良さ)をなんとしてもキープさせねばなんてちょっとだけ覚悟を決めたそうです。
 それが仕事場で午前10時20分ころ、雨がみぞれに変わり、見る見る間に白い牡丹雪(ぼた雪)となって降ってきたので、びっくり。初雪でした。
 結局は交通機関のダイヤ乱れや道路凍結で転倒などの事故が起こると恐い、と思い早々に帰宅!

気象庁によりますと、本州の南にある低気圧が急速に発達しながら東へ進んでいるため、関東の広い範囲で雪が降っています。
 午後4時の積雪は埼玉県秩父市で12センチ、横浜市で10センチ、東京の都心と千葉市で7センチ、宇都宮市と埼玉県熊谷市で3センチなどとなっています

(01月14日16時29分更新 NHK「夜にかけ積雪は増える見込み」)

 ところで、この添付して送っていただいた写真ですが、酒屋さん「みしまや」(裾野市佐野 1489-3 Tel 055-993-1553)にお邪魔して写したものです:
職人さんの手作りで籾殻をひとつひとつ丁寧により合わせた稲穂で巻きました。
 見栄えもよく存在感があり、とてもお目出度い佇まいなので、お年始や吉事のご贈答などに大変喜ばれます

http://www.e-mishimaya.com/jizake/gift.html

 「みしまや」で買い求め、帰路の車中、お正月のお屠蘇代わりになったのが、「もののふの里」(冨士錦酒造(株)富士宮市上柚野532)。
 これがまあ、濃くって美味しい銘酒でございました。裾野産米100%を使用し、60%まで精米し、これに冨士山の湧水を仕込み水に用いたその伝統の酒づくりの技か、もう最高の出来栄えでございました!

富士の裾野に広がり、東に箱根の山々、西に愛鷹山を望む緑豊かな田園都市「裾野」。
 北部と愛鷹山麗の畑作地帯、黄瀬川流域の水田畑作地帯に分けられ地域ごとに自然条件などが異なる中、水稲をはじめ多くの特産品、芝やモロヘイヤ、大和芋、イチゴ、 菜花、チンゲンサイ などが作られています。
 そこで、そのような豊かな地場産業を発展させるための企画により市内農家との協力により地元の酒販店が集まり、1992年に結成された酒販売店グループ「「裾野もののふの里銘酒会」 とで、豊かなの自然に囲まれた環境の中で育った酒造好適米「五百万石」と「裾野黄金晴」を生産し、それぞれに裾野らしさを追求した素晴らしいお酒を醸造しました。ぜひこの機会にお試しください

(みしまやトップページ)
http://www.e-mishimaya.com/jizake/index.html

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2013年01月13日

愛鷹山1504m

 ヤッホー君のこのブログ、昨年11月30日付け日記「一冨士二鷹三なすび」をご参照下さい。
 1月13日日曜日は山歩クラブの初歩きでございました。
ヤッホー君たちは8名で、番外編としてバスで愛鷹山1504mを目指しました。
 天候、晴れ、風無し。

こんばんは、山歩クラブの初歩きを1月13日日曜日、番外編にて8名にて、「一冨士二鷹三なすび」の愛鷹連峰、越前岳1504mにて十里木からのピストンで行ないました。
 天候晴れ、風無し、積雪無し。
 こんなに恵まれた富士見山行はいまままで経験したことがございません。
 冨士山は最後の最後まで雲ひとつかかることなく、終日、山歩クラブの初歩き山行のお供をしてくださいまして、にっこにこ!晴れ
 地元の人も珍しく綺麗に晴れ上がった冨士山だったと感想を述べておられました。
 なんでも昨日は「どんと焼き」が強風でできなかったんですって。

 また、仲間の一人は山行の途中、こんなことをおっしゃってくださいました。
 昨年末で〆たところ、これまで3年間で高水三山からはじまって、84山を歩きました、と。
 つまりその間は、病気知らずで健康生活を送れたから山歩きができたんだ、と。

 そう、山歩きはからだにもこころにも良いことをいっぱい呼び寄せてきてくれます!

 今年もいっぱい、いろんなところを、仲間といっしょに、いろんな山域を訪れ、山の恵みを温泉だったり、郷土料理だったり、採れたての農産物だったり、山歩きを楽しんでいきましょう。

 山歩きを通していつまでもこころもからだも健やかに…


愛鷹山頂上.jpg

 2013年、幸先の良いスタートがきれたようで。
 どなたさまにも幸多き一年となりますように。

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2013年01月12日

鈴木先生

 「こんな国に誰がした…、国の貌を変えましょうよ!」と叫んだヤッホー君、あれからすぐ「丸の内TOEI」にすっ飛んでいったらしいのです。
 なんで?って、今日から河合勇人監督による映画「鈴木先生」がはじまったのですから。
 原作は武富健治の漫画、2007年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞、キャストは鈴木先生に長谷川博己、その奥様に臼田あさ美、人質にとる勝野ユウジ役に風間俊介、とられる小川蘇美役に土屋太鳳といった顔ぶれです。

俳優の長谷川博己さんが1月12日、角川シネマ新宿(東京都新宿区)で開催された主演映画「映画 鈴木先生」の初日舞台あいさつに黒縁めがねにループタイという鈴木先生のトレードマークの服装で登場した。
 長谷川さんは舞台に上がると、何もない場所で豪快にコケるハプニングが発生。
 起き上がった長谷川さんは照れ隠しに、舞台から報道陣が座る前列の客席にダイブするなど暴れ回り、舞台に戻ると「スベってしまってすみません。映画はスベるわけにはいけません!」とヒットを誓った

(2013年01月12日更新毎日新聞「長谷川博己:主演映画の初日に豪快にコケる」)
http://mainichi.jp/mantan/news/20130112dyo00m200008000c.html

 【常識を打ち破れ、世界は変わる!】--これがキャッチコピーの良い映画でした。ぜひ劇場に足を運んで観て感想をお寄せ下さい:
http://www.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/index.html 

2011年4月から6月にかけてテレビ東京より放送されたドラマ「鈴木先生」の映画化が決定した。
 本作は…国語教師・鈴木章の「大人しくて優等生が多いクラスはつまらないクラスになり、不良や問題児がいてこそクラスは活性化する」という一風変わった教育理論「鈴木メソッド」を実践していくさまが話題となった。
 ドラマ放送時には、衝撃的な内容に視聴者から賛否両論が巻き起こり、平均視聴率2.1%(関東地区/ビデオリサーチ社調べ)と低視聴率にも苦しんだが、回を追うごとにファンが増え、ギャラクシー賞2011年6月度月間賞、平成23年日本民間放送連盟賞テレビドラマ番組部門最優秀賞のダブル受賞を果たした

(ザテレビジョン 2012年2月23日 21時37分配信「あの低視聴率ドラマ「鈴木先生」の映画化が決定!」)
http://www.news-gate.jp/article/28366/

今回、WEB初公開となった本編映像は、候補者演説会で出水正が見せる大人顔負けの演説シーンだ。
 簡潔ながらも、冒頭の一言で生徒たちの心を惹きつけ、鈴木先生をして、思わず「うまい」と言わしめるが、続く演説内容は、イメージやインパクトが重視されがちな現在の日本の政治や選挙に対する強烈なメッセージとも言えるものになっている。
 大荒れを予感させる、緋桜山中学の生徒会選挙の行方は、是非とも劇場で見守ってほしい

(映画「鈴木先生」緋桜山中学の生徒会選挙は大荒れ?鈴木先生もうなる候補者演説を初公開)
http://www.news-gate.jp/article/35382/

 そうなんですぅ、劇場で釘付けになってしまったヤッホー君、いったいどなたの脚本によるものなんだろうと思っていましたが、古沢良太(1973年、厚木市生まれ、第2次ベビーブームの団塊ジュニア世代):
『東海大学文学部日本文学科卒…2005年の映画「ALWAYS三丁目の夕日」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、2008年のテレビ朝日「ゴンゾウ」で向田邦子賞、テレビ東京「鈴木先生」で日本民間放送連盟賞テレビドラマ番組部門最優秀賞など受賞。代表作は他に、映画「キサラギ」「探偵はBARにいる」「外事警察 その男に騙されるな」など。今後は「鈴木先生」「少年H」などの映画公開が予定されている。

 中学生のころ、“表現する仕事”をやりたいと思った。藤子不二雄の「まんが道」を読んで、漫画家を目指して頑張っている姿に感動。こんな青春を送りたいと思った。絵を描くのが好きだったこともあって、漫画家になろうと決めた。手塚治虫が「漫画家になりたければ漫画を読んでいてもだめ。いい映画を観て勉強しなさい」と言っていたのを純粋に信じて一流の映画ばかり観つづけていたら、どういうわけか脚本家の道を選ぶことになってしまった。

 大学時代にシナリオの学校に通い、幻のチョウ「シロギフチョウ」を見つけるために共同生活する2人のダメ男らを描いた「幻蝶」を書いた。「台詞が面白く、無駄がない」と褒められたが、心の持ちようばかりを教える授業が嫌になってやめた。

 それから、独学。倉本聡や向田邦子のシナリオを読む一方、黒澤明の「七人の侍」の脚本を書き写し、テレビドラマを録画して脚本に起こすということもやったが、自作の脚本は書いていない。「大学を出てからはどうしようもない人間でした」』

(2012.07.25更新ZAKZAK【古沢良太】新しいことやって視聴率とりたい!「リーガル・ハイ」大ヒット)
http://www.zakzak.co.jp/people/news/20120725/peo1207250717000-n1.htm

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政権交代

 昨夜は『漢字は読めないけどそんな漫画だったら大歓迎の政治屋、貴人か奇人どもの夢見る増税論議』なんて筆が滑ったの、と思われるような筆致で嘆いたヤッホー君の日記でした。

 いったいどのくらいの財政赤字があるのかってこと。

 これはジコったあのフクシマダイイチゲンパツの廃炉への道筋もおぼつかないってこと。
 
 あのジコからの完全収束する時間軸は、われわれの世代ではできないのに、まだまだあっちゃこっちゃ残っているゲンパツを廃炉にもできず、バリ島や冨士山のゴミ以上のゲンパツからでるゴミ処理もできず、なのに原発再起動、大歓迎の政治屋、貴人か奇人どもが徘徊しているのにはうんざりです。

 全〜ん部、子や孫の世代に回してそ知らぬ顔。
 誰一人責任もとらずに、『知らぬ、存ぜぬ、われ関せず』、にやけた顔をして闊歩しているのですから、ほんとうにたまったもんじゃないですね。

 こんな国に誰がした…、国の貌を変えましょうよ!
死者が続出するのではないか。米軍の欠陥ヘリ「オスプレイ」を自衛隊に導入することがほぼ決まった。防衛省が、2013年度予算案に約1000万円の「調査費」を要求することを決めたのだ。「調査費」がつけば、いずれ導入されるのは確実である。

 しかし「オスプレイ」は、何度も墜落事故を起こし、多数の死者を出している欠陥品だ。しかも、1機100億円もする。なぜ、アメリカに高いをカネを払ってまで導入する必要があるのか。1月中旬、安倍首相が訪米する時の“手土産”にするためなのは明らかだ。

 「かつて首相の訪米は、参勤交代と揶揄され、訪米する時は手土産を持っていった。安倍首相は、オスプレイの購入を手土産にするつもりでしょう。アメリカが大喜びするのは確実です。アメリカはオスプレイの開発に2兆円もの費用を使ったといいます。他国に売りつけて、少しでも開発費を回収したいのがホンネでしょう。1機売れば、100億円のカネが入るだけでなく、運用システムもセットで売るから、儲けは莫大になります」(軍事評論家・前田哲男氏)

 日本は最低でも12機、買わされる可能性があるという。しかし、オバマ大統領に気に入ってもらうために、国民の税金を使って欠陥ヘリを購入しようなんてとんでもない話だ

(2013年1月4日掲載日刊ゲンダイ「オスプレイ 1機100億円購入 ふざけるな! 安倍首相 訪米の手土産)
http://gendai.net/articles/view/syakai/140336

きのう1月8日の各紙が一斉に報じていた。安倍自民党政権は2013年度予算の防衛関係費について11年ぶりに対前年度比で増額する方針を固めたと。
 その増額は1000億円とも1200億円とも報じられている。
 その増額分の中にはあのオスプレイ導入に向けての調査費も含まれている。
 驚いたことに自衛隊員の定員増までも行なうという。

 公務員削減が当然とされているこのご時世にである。
 赤字財政で国が潰れると脅かして税金を上げ、年金や社会保障を削るというのにである。

 いくら野党が壊滅したからといって、こんなことが許されるのか。
 いくらメディアが権力寄りといっても、これを批判するメディアがただの一つも出てこないとは一体どうしたことか。

 しかし私がこのニュースに注目したのは別のところにある。

 すなわち安倍自民党政権は民主党政権が2010年に閣議決定した「防衛計画の大綱」と中期防衛力整備計画を凍結し、新たな整備方針を夏の参院選までに固め、年内にも新大綱をまとめるとしている。

 民主党による政権交代が起きた時、メディアは報じたものだ。外交や安全保障政策といった国家の基本方針については政権が変わるたびに変更していいというものではない、と。そういって日米同盟だけはいかなる政権になっても揺るがしてはいけないと鳩山民主党を批判した。

 それは真っ赤なウソだった。

 民主党政権が決めた防衛計画の基本方針が、政権交代が起こった時点であっさりと反故された。
 政権交代が起こればすべては変更の対象になるのだ。
 そしてその気になればいとも簡単に前政権の国家方針を覆すことができる。
 その事を安倍自民党政権は見事に教えてくれた。

 民主党政権の最大の失敗はその事をやろうとしなかったことだ。
 その政治決断と覚悟がなかったことだ。
 いまさら気づいても遅い。
 民主党政権は二度と政権に戻る事はできないだろう・・・

(2013年01月09日付け天木直人ブログ「誰も異を唱えない安倍政権の防衛費増額方針」)
http://www.amakiblog.com/archives/2013/01/09/#002476

 皆さん、オスプレイには言及していますが、もっとあるんじゃないの、そんな1機100億円なんてもんじゃない、べつのものが、と思っていたヤッホー君、やっぱりと膝を叩いておりました。イギリスのガーディアン紙が報じておりました:

Drones have taken centre stage in an escalating arms race between China and Japan as they struggle to assert their dominance over disputed islands in the East China Sea.

Japan's new conservative administration of Shinzo Abe has placed a priority on countering the perceived Chinese threat to the Senkakus since it won a landslide victory in last month's general election. Soon after becoming prime minister, Abe ordered a review of Japan's 2011-16 mid-term defence programme, apparently to speed up the acquisition of between one and three US drones.

Under Abe, a nationalist who wants a bigger international role for the armed forces, Japan is expected to increase defence spending for the first time in 11 years in 2013. The extra cash will be used to increase the number of military personnel and upgrade equipment.

(Japan and China step up drone race as tension builds over disputed islands --
Both countries claim drones will be used for surveillance, but experts warn of future skirmishes in region's airspace
(Jonathan Kaiman in Beijing and Justin McCurry in Tokyo, The Guardian, Wednesday 9 January 2013)
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/08/china-japan-drone-race

 カネ、カネ、カネ…
 このカネって、いま、ここに住んでいるわれわれからだけでなく、あとで返すからって、未来からも収奪してくる、ってことでしょう、あな恐ろしや、恐ろしや…
 軍拡競争については、ヤッホー君のこのブログ、2011年4月22日付け日記「プレデター」も併せてお読み下さいね。
http://blogs.dion.ne.jp/fom_club/archives/2011-04-1.html

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2013年01月11日

入山税

 昨年の先月ですから、暮れも押し迫っていたころ、ヤッホー君は山歩クラブの仲間向け月刊誌「かわらばん」正月号作成に精をだしておりました。
 発送は、なんとおおみそかの31日夕暮れどきでした!
 
 ちらっと触れましたのが、山にも消費税が…?!
 庶民の月給はあげず、物価をあげ、インフレを導入し、公共工事を発注し、殺人兵器の製造購入で景気を良くし(じゃぶじゃぶ日銀の名の下でカネを大量印刷し)、景気が良くなったころあいを見測り、消費税をあげ、憲法を改正し、この国の骨太以外の余った小骨は大国の手先となって血を流してもらう…、漢字は読めないけどそんな漫画だったら大歓迎の政治屋、貴人か奇人どもの夢見る増税論議が盛んです。

登山道管理や山岳遭難者救助にかかった費用負担のあり方に対し、日本有数の山岳地帯を抱える長野県で議論が本格化している。
 登山ブームで登山者が増える中、管理費用の応分負担を求める意見も上がるが、山小屋の関係者からは山離れにつながりかねないとして、慎重な意見も上がっている。
(長野支局・小西数紀)

 県は11月、有識者でつくる「地方税制研究会」で費用負担の検討を始めた。「入山税」や「入山料」といった一律徴収の可能性も探る。
 総務省自治税務局によると、環境保全を目的とした地方税は、岐阜県が乗鞍岳周辺の駐車場料金として利用者から300〜3000円を徴収する「乗鞍環境保全税」や、沖縄県渡嘉敷島へ渡る船の乗客に一回100円を払ってもらう例があるが、県全域を対象にするのは珍しい。

 中高年を中心とした登山ブームの影響で、2011年に長野県内を訪れた登山客は63万人と2年間で11万人増加した。

 定期的な維持管理の欠かせない登山道の9割は管理者が決まっておらず、地元の山小屋や観光協会関係者がボランティアで担っている。
 研究会に議論を求めた阿部守一知事は「山の保全管理にはコストがかかる。誰が負担すべきなのか、方向性を示してもらいたい」と問題を提起する。

 登山客の増加に伴って多発する遭難も課題の一つ。今年の発生件数は2012年12月16日時点で248件と過去最多を更新中だ。
 救助活動は民間団体に依頼すれば費用が発生するが、県警のヘリや救助隊が出動すれば税金でまかなわれる。県警の救助活動には毎年3500万円程度かかり、遭難者の8割は県外在住者。
 昨年は県の事業仕分けで「登山客が負担しないのはおかしい。入山税の導入も考えるべきだ」と指摘された。

 登山客の減少を心配する山小屋の関係者は、応分負担には否定的だ。北アルプス山小屋友交会会長を務める涸沢ヒュッテ(松本市)の山口孝社長は「トイレをチップ制にして、今年から一回100円の利用料を取り始めたばかり。さらに負担を求めれば、山が敬遠されてしまう」と懸念。「他県から入山する人もいるのに、どう徴収するのか」と懐疑的だ。

 長野県山岳協会の大西浩理事長は「山の自然は国民の共有財産で維持には費用がかかり、負担を求める考え方も理解できる。議論を進めるべきだ」と話している

(2012年12月24日付け東京新聞 長野支局「登山はタダ?長野で議論 県、「入山料」検討」)
 
富士宮市の須藤秀忠市長は1月10日の定例会見で、世界文化遺産登録を目指す富士山の登山者に入山料を課すことについて、「基本的には賛成」と述べた。
 静岡県の川勝平太、山梨県の横内正明両知事も年頭会見などで、入山料や入山規制について検討する方針を打ち出しており、同調した。
 
 市内には富士宮口からの登山ルートがあり、夏場だけで7万〜8万人が利用する。須藤市長は遺産登録による登山客の増加を予想し、「富士山の自然を守るにはごみ処理などの諸経費がかかる。山を登る方には応分の負担をしてほしい」と求めた。

 入山規制についても「(入山者数を)ある程度制約しないといけない時が来る」と説明。両県の関係自治体で協議していく必要性も指摘した(我那覇圭)。

(2013年1月11日付け東京新聞[静岡]富士宮市長、冨士山入山料に賛成」

 自然を守るにはゴミ処理…、なんて言われりゃ、そうなんだろうなって納得してしまうのがわれわれ…
 ヤッホー山荘での鍋パ、参加者にはマイ皿、マイ箸、マイカップのご持参を願ってできるだけゴミをださないよう、もちろん山行ではゴミを落とさない、逆に山路におちているゴミまで運んでくるのが、ゴミ拾いを稼業としているヤッホー君をリーダーとする山歩クラブなのですが、もう、クシュン。

 ゴミは山だけでもないようで、昨夜のニュース番組を見た方はぞっとしたのでは…

インドネシアのバリ島がゴミ問題で悩んでいます。
 観光客が出したごみは橋の下などに捨てられ、放置されたごみの山はデング熱やマラリアを媒介する蚊が大量に発生。
 仏TVのフランス・ドゥーは汚染がひどくなればバリの観光業や経済に致命的な打撃を受けるだろうと警告

(2013年1月10日(木)放送 NHK BS1 ワールドWaveトゥナイト)

 バリ島には昨年の2012年6月、世界文化遺産として水利システム「スバック」が登録されています。しかし…:

先月末、モスクワで開かれたユネスコの世界遺産委員会で、バリ島の伝統文化を世界遺産として登録することが認められた。
 神・自然・人の調和を説くヒンドゥー教の教えを体現した水を分け合う住民組織「スバック」。この風習によって1000年以上の間、美しい棚田を維持してきたことが評価されたのだ。
 しかし、棚田の維持には多くの課題もある。
 バリ島の観光客は年々増加しており、農民の多くは踊りや絵、彫刻などを観光と結びつけて収入を得ている一方で、観光開発によって毎年1000ヘクタールもの農地が失われているほか、ホテルと農家による水の配分をめぐる争いも起こっている。
 世界遺産登録によって注目が集まるバリ島の現状について、オーストラリアABCのリポートで伝える

(2012年7月19日(木)放送 NHK BS1 ワールドWaveモーニング「バリ島 初の世界遺産特集」)

 見られなかった方のため、アルジャジーラ紙のビデオニュースのリンク先を記しておきますので、ぜひご覧ください。カネ、カネ、カネが自然も、生き物も、人のこころも、蝕んでいる様子が見えてきます:

The Indonesian island of Bali is known the world over as an idyllic tourist destination.

But that reputation is coming under threat as over-development, pollution and traffic jams are becoming harder to hide from visitors.

Al Jazeera's Step Vaessen reports from Bali.
Asia-pacific
(Bali tourism under threat:
The idyllic Indonesian island's reputation is being tarnished by over-development, pollution and traffic)
Last Modified: 08 Sep 2012 06:50
http://www.aljazeera.com/video/asia-pacific/2012/09/20129853549373675.html

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2013年01月10日

ヤッホー

おはようございます。
 昨晩、縁あって、ヤッホーさんとIさんと食事を共にする機会があり、お二人とも、Oさんと是非会いたいとおっしゃっていました。
 近々の監督官庁の来訪準備でお忙しことと思いますので、よろしければ落ち着いたあたりで、ご都合のよろしい日取などヤッホーさんにご連絡をいただけたらと思います


『Yさま、おはようございます。
 共通の思いと、青春の志と、ちょっぴり熱い情熱…、剣呑な時代状況のなかで、これらをあわせ持ち続けているということは、ほんとうに大変なことだ、と思います。

 それが自分だけでなく、友もいる、これこそ、言葉の真の意味で、「仲間」だと思います。

 いま「はやり」のまやかしだらけの「絆」だったり、「繋がり」だったり、いともカンタンにテレビ画面から流れてくる言葉の響きのなんと空しいことか…

 昨晩は、尽きせぬほどの胸のうちを開放でき、お互い良かった食事会だったのでは、と思います。
 おさまったかと思うと、またか、とうるさいほど、津波のようにゲンパツという言葉が押し寄せてくるのも、日頃、口にして吐き出せぬ思いがあったればこそ、ですよね。

 年を重ねた者どもの「繰り言」を辛抱強く聞きとって、傾聴してくださったYさまは、大した大人(たいじん)です。

 どっこいしょ、と同じ土俵にあがれる、話せる、聞いてくれる、耳を傾ける、同意する、付け加える、話題を豊富化する、つまり言葉にだして表現できる、検閲も自主規制もない、これこそ「マニュアル」を必要としない、「人間力」でもない、「コミュニケーション」であると実感できました。

 ありがとうございました。Oさんも次回加えて、またやりたいものですね。それまで風邪などひかぬようお互い、元気ではりきって仕事をしていきましょうよ。お礼まで、また!』


 風邪…そうなんですぅ、1月10日木曜日のカナダ紙 The Globe and Mail は次のように報じています:

Did you decide to skip getting the flu shot this year?

It might be a decision you come to regret – if you haven’t already.

This year’s flu season is in full swing, and authorities on both sides of the border say the number of influenza cases that have been reported is staggering. The city of Boston has even declared a state of emergency as a result of a high number of flu cases. So far, the city has 700 confirmed cases of the flu and four deaths linked to the virus. Last year, only 70 cases of the flu were confirmed over the entire flu season, according to Boston.com.
(The flu: It’s coming for you this year)
Carly Weeks, The Globe and Mail, Published Wednesday, Jan. 09 2013, 7:11 PM EST
http://www.theglobeandmail.com/life/the-hot-button/the-flu-its-coming-for-you-this-year/article7146266/

Oです。ご無沙汰しています。
 元気ですか!!!!
(びっくりマークが4つも並んでるよ!)
 Yさんから、昨日、Iさんとヤッホーさんにお会いした旨、伺いました。
 非常に懐かしく思い、メールしました。
 早速ですが、近日中に会いませんか!?
(近日中だって、びっくりマークにくえすちょんマークまで並んでくっついているよ)
 1月は23日、24日以外ならいつでもOKです。
 出来ればIさんにも会いたいですね


Yは1/30(水)〜2/5(火)の間以外でしたら、今のところフリーです。
 ところで、お歴々の中にYが混じっても大丈夫なんでしょうか?
 昔話に花を咲かせるのにYはお邪魔かも。
 ですので、皆さまのご都合で日程をお決めいただけたらと思います

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2013年01月09日

風魔小太郎

 1月6日日曜日、ヤッホー君が八王子城への出立にあたって愛車に指図した行き先は、「八王子城跡ガイダンス施設」(八王子市元八王子町3丁目2664-2 Tel 042-663-2800 )。
 しかし、愛車は業務命令に従いません、というか、そういう施設名、場所、住所は知りません、とつれない返事。
 そこで付近の地図をスクロールしたところ、思いがけなくもありがたく、かたじけなくももったいない、「北条氏照の墓」が載っておりました。
 そりゃぁ〜と出陣!さっそく愛車を蹴って出発進行!

 愛車はけなげにも業務命令に応じようとするわけですが、無理難題を押しつけたようでして…。
 その施設は昨年10月20日にオープン、テープカットした生まれたばっかりの赤子、新生児だったのでございました:
2012年2月に竣工し、その後、中の展示物などの作成が行われていたガイダンス施設がいよいよオープンしました。
 また、それに合わせて高尾駅から八王子城跡までの路線バスの運行も始まりました。こちらは土日、祝日だけですですが、それでも、利便性は格段に違います。北高尾山稜を歩いてきて「今日から開通したバスで来たんですよと言う方に何人か会ったので、こちらに降りてきました」という登山者がいらっしゃいました。
 筆者のおすすめは、マイカーの方も駐車場に車をおいたらまずガイダンス施設に戻り、中で、八王子城が作られた時代背景、そのイメージ図などの6分間の映像をみて、その後で野外展示施設に廻る。
 その次は、城跡管理棟に行きガイドに相談するなどして、ご自分の興味、体力と合ったコースで廻る。
 最後にまたガイダンス施設に戻り、快適な休憩施設を利用しながら最初に見残した展示内容を見る、です。
 また、バス利用の方は、おおむね1時間に1本ですので出発時間を確認して、それまでのゆったりとした時間と空間を楽しむことができます

(ガイダンス施設がオープンしました Congratulations!!)
http://hshiro.fuma-kotaro.com/k_abc.html#gidance-01

国史跡八王子城跡は、指定面積159ヘクタールにも及ぶ広大な山城で、全容が判りにくいといわれています。
 そこで、八王子城の歴史や意義などを、初めて訪れた方にもわかりやすく解説するガイダンス施設を設置しました。
 内部は、展示解説スペースのほか、休憩・レクチャースペースがあります。八王子城跡見学の拠点として、多くの方々のご利用をお待ちしております。
 外観は、「八王子」の「八」をイメージした八角形をしているのが特徴です。鉄筋コンクリート(一部鉄骨造)の平屋建て、スロープがついており、施設から園路を伝って屋外模型まで、車いすでもご利用できます

(八王子市公式サイト)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisetsu/28254/036577.html

 ガイダンス施設がオープンした翌日の2012年10月21日には、地元ゆかりの戦国武将にちなんだ「元八王子北條(北条)氏照まつり」が初めて、つまり第一回目の武者行列のおまつりが開催されていました:
『目玉は、甲冑姿の住民たちが、高尾街道を練り歩く武者行列。郷土の英雄をたたえ、町を元気づけようと、元八王子地区連合町会が企画した。町田勝利会長(67)は「八王子を代表するまつりに育てたい」と意気込んでいる。
 30町会からなる同会は毎年、地区対抗の運動会を行っていたが、住民の高齢化で参加者が減り、別の催しを望む声が上がっていた。「せっかくなら地域の歴史を生かそう」。メンバーは、戦国時代末期、元八王子町の山中に八王子城を築いた氏照を顕彰するまつりを開催するため、2年前から準備してきた…
 さらに、地域振興の第一歩を一緒に盛り上げたいと、北条氏の本拠地である神奈川県小田原市や、支城があった埼玉県所沢市、氏照の弟・氏邦の居城である鉢形城があった同県寄居町からも、「援軍」が加わり、武者行列は、総勢で100人ほどになるという。
 寄居町では毎年、「寄居北條まつり」を開催。51回目となる今年は、鉢形城を拠点に歴史に関する活動を続ける「鉢形城三鱗会」のメンバーらが、鉢形城で繰り広げられた豊臣秀吉の軍勢との攻防戦を再現し、約4万5000人の観客が訪れた。
 寄居町は、歴史を地域振興にうまく生かしている事例と言えるが、町田会長も「(寄居町のように)大ぜいの観光客にも来てもらい、郷土愛や親睦を深め、地域を元気にしたい」と話している。八王子、小田原、所沢、寄居の4市町の住民たちは今後、まつりなどを通じて交流を深めていく。
 当日は、太鼓やブラスバンドの演奏も披露され、模擬店の出店もある。問い合わせは、元八王子市民センター(042−651−3960)』

(2012年10月19日付け 読売新聞「元八王子北條(北条)氏照まつり」が初開催…21日」)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/tripnews/04/tokyo/20121019-OYT8T00723.htm

 氏照さんの城、八王子城にはこのように、「八王子城跡ガイダンス施設」と「管理棟」の二つの施設がありまして、おのおのの施設にボランティアのガイドさんがつめていらっしゃるのです。八王子市の公式サイトから:
2009(平成21)年5月からボランティアによるガイドを始めました。
 管理棟から御主殿跡までを解説しながらご案内します。八王子城跡にお越しの際は、お気軽に声をお掛けください(ガイド料は無料)』


 「八王子城跡ガイドボランティア」には、ホームページもあります。先ほどのガイダンス施設オ−プンの引用元でありますね:
http://hshiro.fuma-kotaro.com/

 そして、「城跡ガイドボランティアグループ」のブログもあります:
http://blog.goo.ne.jp/hshiroblog/

 ところで、ホームページのアドレスにある「fuma-kotaro」ってのも、実は意味がありました:
八王子城の搦め手(裏手)にひっそりと眠る清龍寺の滝です。
八王子城山の山頂に向かう道はいくつかありますが、搦め手側には陣馬街道沿いにある松竹橋からスタートする道があります。
住宅街を通り抜け城山登山道の起点の表示を過ぎ5分くらい進むと右手に清龍寺の滝への分岐の表示が出てきます。渇水期には巨大な岩盤を見るだけとなります。雨の降った翌日とかが確実です。
「風魔小太郎」とは後北条一族の忍者・風魔一党のカシラの代々の名前です。1590(天正18)年6月23日、八王子城落城の日、風魔一党はこの城の搦め手(裏手)に守備範囲をもち縦横に暗躍しました。
ご推察のとおりこの城跡ガイドのホームページのアドレスの中ほどのドメイン名「fuma-kotaro」はこれにちなんだものです

http://hshiro.fuma-kotaro.com/k_gide.html#seiryu-gd

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2013年01月08日

御料林

 この八王子城ってサイキンのことですよ、発掘調査が行なわれたのは。
 これは、八王子城跡にいらっしゃるボランティアのガイドさんのお言葉です。
 「400年後に開封されたタイムカプセル」ですって。
 へぇ〜っ!

5.落城後
 1590(天正18)年6月23日、八王子城落城後、秀吉により関東へ移封となった徳川家康が八王子城を管理下とした。
 旧武田家家臣小人頭9名・小人250余人を八王子城下に配置し、直轄領とした(現在も旧武田家家臣の子孫15代目・16代目の方々が城下に住んでおられます)。
 その後2回にわたって人数を倍増させ、これが「八王子千人同心」である。
 徳川時代は天領となり「御林山」として、また、明治以後は太平洋戦争まで「御料林」として人びとの立ち入りを禁じていた。 1951(昭和26)年、滝山城と共に国史跡に指定される。
 さらに2006(平成18)年、日本百名城に指定される。

6.発掘と遺物からみられる戦国大名の暮らし
 八王子城の発掘調査は1958(昭和33)年に都立武蔵野郷土館が、奥田直栄氏の指導で学習院大学史学部学生の協力により「中の曲輪」の一部に調査トレンチを入れている他は実施されていなかった。
 1990(平成2)年、落城・新しい八王子街成立400年を契機に、虎口、御主殿跡を中心に、発掘調査と整備が行われた
 御主殿跡から中国製の磁器など大量の遺物(約7万点)が発掘された。
 *2棟の大型建物の礎石の確認
 *ベネチア製レースガラス器の破片の出土
 出土された高価な中国産(明・南宋・元)の陶磁器・調度品などから、茶の湯・聞香・活花など優雅な生活を楽しんだとおもわれる。
 また、優れた彫金技術をもっていたことも伺い知れる

(国史跡八王子城とオオタカを守る会)
http://www.e-sit.jp/~hachioujijyou/a-3-osiroto-ujiteru.html

 あの、ね、御林山とか御料林とか、ね、山歩クラブでは初耳ではないんですぅ〜。
 これは真鶴半島が最初だったかなぁ〜

 『真鶴半島先端部の森林は、江戸時代まで萱原だった場所に、小田原藩により実に3年の時をかけて15万本の松苗が植林がなされ、その礎が築きあげられました。
 今では樹齢200〜400年と言われるマツ、クスノキ、スダジイなとの巨木が生い茂る森林となり、近隣でも貴重な自然環境は、1960(昭和35)年、神奈川県より県立自然公園の指定を受け、そのうち約35ヘクタールは「魚つき保安林(1904年〜、明治37年〜)」として手厚く保護されています。
 町は薬剤を松に直接注入し、松くい虫被害から松を防除しています。
 森林の中には遊歩道も整備され、気軽に森林浴を楽しむことが出来ます。
 真鶴の人々は、この森林を敬意を込めて「お林(おはやし)」と呼んで、大切にしています

(真鶴を旅する>岬エリア>お林・魚付き保安林)
http://www.manazuru.org/ohayashi.html

お林(半島)の松は、今から約350年前の江戸時代、小田原藩の命令で、3年間に15万本の松苗を植えたといわれています。
 その後、村から「山回り」という専任の役を一人決め、お林の保護と監視に毎日出掛けるということが、明治時代に至るまで続けられました。
 お林は明治時代に入ると御料林として国家の財産となり、村民ですら一歩も入ることが許されなかったそうです。
 そのことが、結果的に松の保護につながったのでしょう。
 ところが、昭和に入ると第2次世界大戦の勃発による軍事船の用材や台風による被害で倒れるものもあり、かなりの損害を負ってしまいました。
 このように先人が残してきた貴重な遺産であるお林の松は、現在、「松くい虫」という敵とたたかっているのです

真鶴町公式サイト>先人が残した貴重な遺産であるお林の松)
http://www.town-manazuru.jp/gyousei-j/matukui/matukui-1.htm

 つまるところ、御料林とは:

皇室の独自財産創出のために、宮内庁帝室林野局が管理を担当した140万ha余りの森林で、第2次世界大戦後、GHQの方針で、1947(昭和22)年3月に国有林に統合された…
 1928(昭和3)年から1942(昭和17)年までの「御料林」という帝室林野局の職員の会報を偶然手に入れたeinepapaが、読みながらの感想や、掲載記事を紹介します。
 今の林政や林業と比較することができ、また80年前の林業に携わっていた人(今の林野庁の職員?)たちが何を考えていたのか非常に興味深く、ただ一人で楽しんでいたのではもったいないと思い、今、森林林業に携わっている人の参考になればと思って、記事の内容や感想などを記載してゆきたいと思っています

(2009年05月17日20:02「御料林」)
http://blog.livedoor.jp/cryptomeriajaponica/archives/51420006.html

 でも、「記事の内容や感想などを記載」とありますが、更新されないまんま4年目なのです。
 einepapaさん、どうしたのかな?
 どなたか引き継ついでくださる方っていないのかな?

 フクシマゲンパツジコの「後始末」…、ヤッホー君、一昨年くらいには口酸っぱく言っていたと思います。
 当地に住んでいた方がたに手厚く国家賠償をし、土地を買い上げ、そこを「国有地」として管理し、神社か寺院を建立して天皇以下総理大臣や儲けたお大尽が反省しに詣でて、メディアがこれを報道し、テレビも中継し、誓いを毎年新たにし、その土地に住んで暮らしをたてていた方がたの思いを可視化すべき、と。
 実際は逆の方向にすすんでいるようです。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のか、「仕方がない」と自分を責め諦め、首をうなだれ、お上に従順すぎるのか、一部の特定のエリート集団に身を委ねすぎてはいませんかねぇ〜
 ミンシュシュギなんてないよねぇ〜「骨太の改革」で、さらに「勝者必勝の理(ことわり)」が続くようで…

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2013年01月07日

八王子城跡トンネル

 木更津市と君不去、同じく、八王子市にも何か…

 そして木更津市と八王子市って将来、圏央道(首都圏中央連絡自動車道)で繋がるんでしょ。

 その前に「八王子市」にも由来がございました:

八王子(市)の地名の由来の城:
 平安時代、華厳菩薩妙行和尚が牛頭天王のお告げを受けて牛頭天王と八人の王子を八王子権現社として深沢山に祀った。
 この八王子権現社を氏照が城の守護神として崇め、城の名前を八王子城としたことから、地名として定着したと云われている

(「国史跡八王子城とオオタカを守る会」)
http://www.e-sit.jp/~hachioujijyou/

『「八王子」という地名は、全国に分布しています。
 それは、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子(八王子)をまつる信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社(ごんげんしゃ)が建立され、地域の信仰を集め始めるとともに、地名として定着していったからです。
 もちろん、私たちの八王子の起源も、ここにあります。
 今、八王子城にある八王子神社がそれです。

 牛頭天王をまつる信仰は、もともとインドから中国を経て伝わってきたものですが、わが国では、疫病や農作物の害虫そのほか邪気を払い流し去る神として、古代より定着したようです。
 中世には、その8人の子を眷属神(けんぞくしん、主神に従属する神々)とし、あらゆる人間の吉凶を司る方位の神として全国に広がっていったといいます…』

(八王子市の公式サイト「八王子市の名前の由来」)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/history/000642.html

 ヤッホー君は1月最初の日曜日、6日、八王子城にある八王子神社にお参りに行ってきたのでした。
 先月のお餅つき大会の後、八王子城にある八王子神社に行こうとしていたのでしたが、実現して居なかったので千葉の三石山観音寺と同じく、新年早々ですが、昨年の後始末。

 八王子城…
 (ヤッホー君のこのブログ、2012年12月27日付け日記「八王子城」参照)
 「国史跡八王子城とオオタカを守る会」でもう少し勉強してみましょう。西の安土城、東の八王子城と比される訳もお分かりになれると思います: 

築城時期と縄張りの特色:

 築城は天正5年の秋〜6年頃から始まり、約8年かけほぼ完成し、天正14年〜15年3月頃までに滝山城から移転したとされるのが通説である。
 城郭の特色としては、険しい深沢山中心に、自然の地形を巧みに利用すると共に、石垣を多用していることである。
 又、築城の途中の天正8年、氏照の使者として間宮若狭守が織田信長を表敬訪問した際、築城後まもない安土城を見学し、その報告に基づいて大改修が行われた。
 その一つに、御霊谷から上の山へ入り、続く丘陵の北側の腰を通り、御主殿虎口の曳き橋まで、戦国時代最大と思われる基準幅8b、長さ約1.5`の一般に大手道と称される道を造ったことである。
 私どもは、従来の「下道」に対して「上道」と仮称している。
【安土城の大手道は見せる道として大変立派ではあるが、道幅は、6.5b(側溝を省く)、長さ260b(安土城内部)である】』


 ところで、「国史跡八王子城とオオタカを守る会」ってどんな会?

私たちは国史跡八王子城跡とオオタカの生息を無謀な圏央道トンネル計画から守るため、1996年から毎年12月に松木曲輪で「山上集会」を開いてきました。
 残念ながら、2007年6月23日にはトンネルの開通式が行われました
 故意か偶然か、1590(天正18)年6月23日は八王子城が落城した日でした。
 2007年以降も「山上集会」を続けてきましたが、区切りのよい15回で終結することになり、2010年12月5日に最後の集会が行われました。
 そこで最後の「山上宣言」(案)を読み上げ、採択されました。
 →第15回山上宣言

http://www.e-sit.jp/~hachioujijyou/

 そうなんです、圏央道。
 うわさの高尾山トンネルは昨年2012年3月25日、中央道八王子JCTと国道20号高尾山IC間で開通していました。 

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2013年01月06日

八王子市

 「選挙」でどの程度、「民意」って反映されるのか、先月の総選挙結果を知って、<なにか変な空気>(NHK)だよねぇ〜気分で、「死票」という日記をつけていたヤッホー君。
 今日のお題は「無効票」:

世田谷区と同じくトリプル選挙になった八王子市は、都議補選で二万票の白票の山が積み上がった。衆院選、知事選の数千票と比べて突出し、無効票は投票総数の一割に及んだ。開票作業は思いのほか順調だっただけに、市選管の豊田学事務局長は「この白票が一番の想定外」と、都議補選の注目度の低さに驚いていた
(2012年12月18日付け東京新聞「≪最速開票≫今回も府中市 都議補選 八王子で2万票 白票の山」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20121218/CK2012121802000094.html

2万8000票以上が無効票だということです。
 5回も投票するので、間違って別の箱に投票した人も中にはいるようです。
 (私の友人が間違って入れたという人を目撃していました)
 また都議補選があることをわかっていない方ももしかしたら、意外とたくさんいたのかもしれません

(2012年12月18日 若尾きみえ「都議補選では、両角みのる当選ならず。政治の信念を貫いて次に向けてがんばってほしい)
http://wakaokimie.jp/?p=3518

 若尾さんは1964年岡山県生まれ。二期市議をつとめた後、無所属・民主党推薦で、一昨年の2011年に3期目の市議選にチャレンジするも落選、議席獲得に至らなかった方のようです。

 八王子市の総選挙は、と言いますと、前職は民主党所属安久津幸彦(1956年生まれ)。

東京都立北園高等学校を卒業後、米国ジョージ・ワシントン大学に進学し、同大学院を修了した(国際政治学)。1984年から約10年にわたって、石原慎太郎の公設秘書を務めた。2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では、萩生田との4度目の対決の末、ダブルスコアの大差をつけられて落選した。重複立候補した比例東京ブロックでの復活当選も叶わず、再選を果たせなかった。菅グループに所属し、菅直人・元内閣総理大臣の側近として知られる(ウイキ)』

 対立候補は、と言いますと、自民党所属萩生田光一(1963年生まれ)。

早稲田実業高等部、明治大学商学部卒業。(社)八王子青年会議所元監事、黒須隆一(前八王子市長)都議会議員秘書、小野清子参議院議員秘書の後、八王子市議3期、東京都議会議員1期を経て、2003年、東京都第24区から出馬し初当選。安倍晋三の忠実な側近で、下村博文、高市早苗、世耕弘成と共に、安倍が最も信頼する4人の議員のうちの一人でもある(ウイキ)』

 そんな八王子市でも木更津市の市議会議員ではありませんが、こつこつと政治活動をお続けになっておられる方がおられましたので、ご紹介。
 その方は、陣内やすこ氏(1949年新潟生まれ)。
 陣内さんはブログでこんなメッセージを発信されています:

今の現実、力のあるものがより力を持ちえて、力のないもの、資金のないものがより一層、その努力が実りにくい社会になっている。

 これを変えるためには、
 資金のあるものから、資金のないものへ、
 力のあるものから、力が発揮できないものへ、
 知恵のあるものから、知恵を得る機会に恵まれなかったものへ、

 それぞれの垂直移行が必要です。
 それが政治です。
 そして、この視点が優先順位のつけ方です

(2013年幕開け)
http://jinnai.ne.jp/blog/

 またこの間修士論文も書き上げたとか…

テーマは「地方議会における政治主体としての女性の可能性」です。
 3年半かかりました。
 でも、根気よくご指導くださった中筋先生に感謝です。
 ありがとうございます。
 英語で要約を書くことができないかしらと思っていますが、今のところは時間的に無理。
 このホームページにアップできたら、とも思っています。
 というのも、アメリカの研究者、スーザン・J・ファーが「日本の女性活動家」といった優れた研究を出しています。
 彼女は、日本の女性活動家たちが活動をする中で、自分の役割を再規定していかなければならない局面に立たされていることを如実に語っています。
 私の問題意識もそこにあります

(プロフィル)
http://homepage3.nifty.com/jinnaiya/profile.htm

(注1) 「中筋先生」は法政大学社会学部教授(中筋直哉1966年神戸市生まれ)のこと。

(注2) スーザン・J・ファー(Susan Jane Pharr、1944年-)『日本の女性活動家』(勁草書房 1989年刊)。原著は"Political Women in Japan: the Search for a Place in Political Life"(University of California Press, 1981)

 でもなんでまた木更津市から北茨城市、そして八王子市なの?って、それは明日へのお楽しみ…

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2013年01月05日

木更津市

千葉県の森田健作知事(63)は1月4日金曜日、2月28日告示、3月17日投開票の同県知事選に再選を目指して立候補する意向を固め、関係者に伝えた。
 月内に正式表明する。無所属で、自民党県連が支援する方向で検討している。
 同県知事選にはこれまで、無所属の新人で、千葉大名誉教授の三輪定宣氏(75)が共産党推薦で立候補する意思を表明している

(2013年1月5日03時41分更新 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130104-OYT1T01347.htm

 ヤッホー君、これで千葉県知事を選ぶ選挙は、投票しなくっとも当選者が決まったねって、またまた≪新聞辞令≫にお正月早々、この国のミンシュシュギに腹が立っているわけです。
 この『関係者』って名無しのゴンベイですよね、しかし路上生活者でも千葉都民でも木更津市で暮らしているおっちゃんおばちゃんでもない、変な『関係者』を情報源に堂々とメディアが記事にするこの『空気』が、あるいは『空気』を送り込もうとするポンプ役をせっせとつとめるチャボウズ新聞に吐き気をもよおして、ヤッホー君は哀しくなり、苛立ち、腹立たしくなって、その場を離れてしまったそうです。

地方議会において、政党政治を持ち込むことには賛成できません。
 地方議会では外交、防衛、貿易等を決定しません。
 ゆえに、市議会の議員名簿では、わたしは無所属で活動しています。
 しかし、私はれっきとした、自由民主党員です。国政や県政レベルにおいては、政党政治であるべきだと思っています。
 そんなことから、今回、半日、自民党の広報宣伝車で選挙のお手伝いをしました…

 応援するからには、勝たねばならない・・勝つには勝ったが世間でいうほど本当に勝ったのか?
 今回の選挙は、民主党の自壊と考えるのが適切だと思う
 木更津市選挙区の数字を見て、背筋が寒くなるばかりです…

 自民党公認候補の得票数は、前回33,802票で今回36,977票でした。得票を伸ばしました。

 それに比べて、自民党の比例票は、前回は20,357票で今回は17,495票でした… 

 ゆえに、木更津市では自民党が特に強いわけではなく逆に弱くなっているようです。
 自民党に対しても厳しい審判をいただいたものと思っています。
 お任せ民主主義からの覚醒のために自分の使命を果たさねばと思います

(12月17日20:12更新 鶴岡大治 公式サイト「勝つには勝ったが…」)
http://www.tsuruoka-daiji.com/archives/date/2012/12

 「お任せミンシュシュギからの脱却」って良いことをおっしゃっていただけました(ホッ)。
 そうですよね、今年こそ「こころもからだも健やかに」、「仲間づくり、ひいては住んでて良かったコミュニティづくり」、そして世界にもつながりの輪を求め、争いのない平和な、自然豊かな、格差もない、明るい日本社会を作っていきましょう、と欠礼せねばならなかったのですが、山のような年賀状に向かって手を合わせておりました、ヤッホー君!

 北茨城市に飛んでけぇ〜のまえに、木更津市にもう一度。

 ヤッホー君のこのブログ、1月3日付け日記「しょ、しょ、しょじょじ」で、「1905(明治38)年、松本斗吟という方が地元の文芸誌「君不去」にこの話を紹介しました」と證誠寺の公式サイトを引用して紹介しました。

 この≪君不去≫って分かりますか、とヤッホー君、腕組みしながら小寒の1月5日土曜日、聞いてきております。

『「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」…。

 「木更津」という地名は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折り、荒れる海に身を投じて鎮めた妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)をなくしたときに詠まれたこの歌に由来しているといわれています。

 現在、きみさらずタワーが頂上に立つ太田山公園が「恋の森」という別名で呼ばれるのも、妃を偲んで永くこの山を去れなかったという伝説によるもの。
 山頂の展望台からは東京湾やアクアライン、空気が澄んだ日なら富士山までも見渡すことができます。
 日本武尊を祀(まつ)る八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)と、弟橘媛を祀る吾妻神社(あずまじんじゃ)を巡るのも良いでしょう』

(「君不去(きみさらず)」、悲恋の伝説が残る木更津)
http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/mailmagazine/nanohana/alacarte-h21/alacarte09-0930.html

 そうなんです、證誠寺を離れたヤッホー君の愛車、初詣で客でごったがえす「八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)」を通り帰京したのです。
 昨年の山歩クラブの夏合宿は四阿山でしたが、またお会いした「日本武尊」、ね、≪土地の精霊≫って言葉を多用していたヤッホー君の気持ちも少しは理解できるところがあるでしょ。
http://www.yaturugi.net/

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2013年01月04日

北茨城市

 次回のタウンウオークは木更津市を提案し、山歩クラブの仲間といっしょに来ようかなって、思ったのが1月2日、そこで「三石山観音寺」から「證誠寺」へと足をのばしたところ、「証城寺の狸囃子」を作詞したのが野口雨情、と分かり、更に木更津市から北茨城市へと想像力がひろがりました。
 次回のタウンウオーク、北茨城市も提案し、山歩クラブの仲間もいっしょに来てって、2013年、御呼ばれしている気がしてきました。
 だって、ヤッホー君のこのブログで、岡倉天心、横山大観らの芸術運動、そして2011年の3.11で津波に流されたものの再建された六角堂の建造物と、これまでたくさんとりあげてご紹介してきたからです。

茨城大学では、このたび「天心・六角堂復興プロジェクト」の活動で「2012年度グッドデザイン賞」(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)を受賞いたしました。
 「天心・六角堂復興プロジェクト」は平成23年3月11日の東日本大震災に伴う大津波により流失した「六角堂」(登録有形文化財)を再建するために天心遺跡の管理者である国立大学法人茨城大学が発足させたプロジェクトです

(五浦「六角堂」再建の取組みが地域振興の大きな力となった点が高い評価を獲得)
http://rokkakudo.izura.ibaraki.ac.jp/pdf/gdmasukomi.pdf

東日本大震災で大きな被害を受けた地域を励まそうと、市町村を訪ねるNHK・BSプレミアムの番組「きらり!えん旅」で、歌手の中村あゆみさんが北茨城市にやってきます。
そこで今回、中村あゆみさんに北茨城市のよさをアピールしてくれる方を募集します。
おすすめの風景、隠れた穴場をご存じの方、伝統料理、伝統芸能、自慢の特技などでもてなしたい方、その他、北茨城市のこんな魅力を伝えたいというアイデアのある方、アピールしたい内容と連絡先を手紙やはがき、ファックスなどでお知らせください。
 募集締切 平成25年1月7日です。
 「ふるさと自慢」の応募先は、〒319-1592 茨城県北茨城市磯原町磯原1630 商工観光課観光係 Tel 0293-43-1111(内363)

http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/info/index.php?content_id=604

 NHK・BSプレミアムの番組「きらり!えん旅」って、これ↓: 
 
歌手やタレントなどが東北を応援し、その魅力を再発見する「きらり!えん旅」。
 番組の呼びかけに応じて名のりをあげてくれた地元の人たちが、旅人に「ふるさと自慢」を紹介してくれます。
 海山の味覚、心奪われる絶景、歴史に培われた芸能などを堪能した旅人は、仮設住宅なども訪ね、逆境の中で希望を忘れず生きようとする被災者たちとふれ合います。
 「えん旅」の"えん"は、応援の"援"、出会った人たちとの"縁"、人びとが輪でつながる"円"など、さまざまな意味を込めています。
 そして、「えん旅」の締めくくりは旅人によるステージでの公"演"。
 歌や話芸などで被災した人たちへ元気を贈ります…
 2013年1月10日(木)午後7時30分〜7時59は、新沼謙治 宮城・女川町へ

http://www.nhk.or.jp/ashita/entabi/

 中村あゆみ(1966年6月28日生まれ、福岡県出身)は歌手。「翼の折れたエンジェル」(1985年のヒット作)は↓:
http://www.youtube.com/watch?v=lXKnNOXUJv4

 このタウンウオークには鍋奉行はるちゃんも連れて行こうっと…、名物「あんこう鍋」があるのです:

『※ 雨情エリア
 本市の中心部にあるこのエリアは、北原白秋、西条八十らと共に日本三代童謡詩人として「しゃぼん玉」や「七つの子」の作品で有名な野口雨情の生誕地で、生家、記念館がある文化の香りの高いエリアです。
 また、白砂青松の海岸線が美しく、夏には海水浴で賑わいます。

※ 五浦エリア
 ここ五浦は、太平洋の荒波が聞こえ、波しぶきと小さな貝を運んでは引いていく波の音、松をわたる風の音の共鳴が心地よい響きを与えてくれます。
 日本の音風景、日本の渚100選に選ばれている風光明媚な景勝地です。
 特に、日本美術院をこの地に移した岡倉天心が瞑想にふけった六角堂の朱色とマリンブルーのマッチングは、本市の象徴的な風景となっています。
 また、このエリアには平潟、大津の両漁港があり、新鮮な魚介類がご堪能いただけます。
 特に旅館・民宿などで味わう本場のあんこう鍋は全国的に有名となっています』

(北茨城市 観光マップ)
http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/sight/index.php?content_id=1

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2013年01月03日

TOMORROW

 hitomi(1976年1月26日栃木県で生まれ、神奈川県川崎市で育つ)の"LOVE 2000"だって…。
 るんるんかなしいニュースとどうでもいい話し
 朝からもうそんなのうんざり
 今日はいつもより風が気持ち良いからね
 楽しさに着替えてねるんるん

 そうか、「楽しさに着替える」ですか…
 良いフレーズですよねぇ、もう2013年のキャッチコピーにさせていただきます!
 ありがとう晴れ 
http://www.youtube.com/watch?v=sWxd5lK6wQk

 そして、19(ジューク、2002年3月解散)の"果てのない道"だって…
 るんるん飛んで行く
 飛んで行けるるんるん

 そうだね、飛ぼう、飛んでみよう、飛び上がってみよう、飛び立とうよ
http://www.youtube.com/watch?v=ITVsgj4RlAk

 そして岡本真夜(1974年1月9日高知県中村市生まれ)の"Tomorrow"は、2012年3月7日に新録されて発売されました!
http://www.youtube.com/watch?v=rWpovGnzD2c

毎日のようにニュース等で想像を超えた被害の大きさや様子を目の当たりにし、現実に心が打ち震える日々が続きました。
 その一方で人々が助け合い、困難に立ち向かっていく様も数多く拝見し救われたりもしました。
 日本中が復興に向け動き始めた時…一人の人間として、一人のアーティストとして、自分は何をすべきかを考え抜いて出した答えは“この大きな爪痕を残した震災が起きたという悲しい事実と、その直後に起こった日本中が団結するという素晴らしい出来事を風化させないよう、人々の胸に音楽を通じて刻んでいこう”というものでした。
 地震の時に感じた「子供を守りたい」という気持ちから"365日のLove song"という曲が生まれました。
 夏になってとあるテレビのドキュメンタリーで見た被災者の少女が発した「強くなる!」という言葉に胸を打たれ、その少女に光がさしてくれることを願い"約束"という曲を作りました。
 秋から始まったコンサート・ツアーではこの思いをステージ上で話し、歌詞を朗読した上で演奏させて頂いたりもしています。
 そして、避難所の方々が"TOMORROW"を口ずさんで頑張っていらっしゃるということをある方から聞き、改めて思ったのです。
 もう一度この歌を人々に届けようと。
 阪神淡路大震災の後、本当に大ぜいの方から"TOMORROW"という曲に「勇気をもらった」「元気づけられた」といった言葉を頂きました

http://www.crownrecord.co.jp/artist/okamoto/whats.html
 
 そして、「証城寺の狸囃子」ですね。

野口雨情のユーモアに溢れた童心の詩に、中山晋平のリズミカルな付曲により発表され、この歌が広まると、モデルとなった證誠寺の住職から「不謹慎である」との抗議を受けました。
 雨情は「證誠寺」ではなく、「證城寺」であるとして抗議をかわしたということですが、歌が流行するとともに、木更津のこの寺は有名になり、「證城寺の狸囃」の寺として参拝者が増えていきました。
 1956(昭和31)年には、境内に雨情直筆の歌詞一節と晋平の楽譜の一節を刻んだ「狸ばやし童謡碑」が建立されています

北茨城市歴史民俗資料館(野口雨情記念館、北茨城市磯原町磯原130-1 Tel 0293-43-4160)
http://www.youtube.com/watch?v=0UBylCHMApo

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しょ、しょ、しょじょじ

 昨日の初ドラ、強風の三石山 観音寺のあとは木更津市へ。
 おなかがすきました。
 目指す食事処は、「木村屋食堂」(木更津市富士見2-1-6 Tel 0438-22-2786)。
http://www.kisarazu-cci.or.jp/umai/map/029/index.html

 年末の男の手料理、はるちゃんの広島牡蠣の牡蠣鍋、あの味が忘れられないヤッホー君は、すぐに「かきフライ定食」を注文しましたが、プラス「中華丼」、なんと二食もお願いし、ぺろっと完食、キャベツ一切れ、ごはん一粒といえど何も残しませんでした。

 「いやあ、美味しかったですぅ、全部、食べました、また寄らせていただきます」
 お店の人までうれしそうに、にっこにこ笑っておりました。
 「だって午後の2時ころだったんだもん、おなかすきますよねぇ〜」ってヤッホー君、そんな他人(ひと)の胃袋のことまで知りません! 
 このお店、1953(昭和28)年創業らしいですね、ムカシ風の素朴な味を守って60年!
 次回のタウンウオークは木更津市を提案し、山歩クラブの仲間といっしょに来ようかなって、そのときはうわさの「中華そば」を注文するんだ、今日は≪舌見≫って、ヤッホー君、満腹そうに言っておりましたよ。

 だって、いま木更津市はとっても、もりあがっているんですよ!

宝探しイベント(木更津市制施行70周年記念事業)「キサラヅ探偵団〜ヤマトタケルが残した秘宝を探せ!〜」を平成24年12月23日(日曜日・祝日)から開催します!
(担当課は商工観光課、観光コンベンション担当 Tel 0438-23-8459 商工労政担当 Tel 0438-23-8460) 
http://www.city.kisarazu.lg.jp/news/detail.18.20186.html

 さあ、お腹いっぱいになったヤッホー君、お腹をたたきながら次に向かった先があります。
 それは、浄土真宗本願寺派(お西)、「證誠寺」(木更津市富士見2-9-30 Tel 0438-22-2018)!

『「しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじの庭は、つ、つ、月夜だ、みんな、出て、こい、こい、こい」のフレーズで始まる童謡「証城寺の狸囃子」。
 この童謡のモデルになったお寺が、木更津市内にある「證誠寺」です』

(市公式サイト>市政情報>まちづくり>みなと>證誠寺)
http://www.city.kisarazu.lg.jp/14,753,40,267.html

1905(明治38)年、松本斗吟という方が地元の文芸誌「君不去」にこの話を紹介しました。
 1919(大正8)年、木更津町と君津郡の教育委員会の招きで木更津へ講演会に訪れたのが詩人の野口雨情先生でしたが、世話役の先生から素材の提供を受け、童謡「証城寺の狸ばやし」として1925(大正14)年に「金の星」という雑誌に発表され、中山晋平先生の曲を得て、ついに歌が完成しました

http://www.shojoji.net/history.html

 境内には「童謡碑」があって、松本斗吟氏がこんなことを…

石もの言はず 文を載せて能くもの言ふとか
 たぬきばやし童謡碑 あらたに成り
 歌詞と曲譜と共に載せて 江湖にまみゆ
 歌詞は文の最も華やかなるもの
 この石寸でに斯文を載せぬ
 其の言はんとするもの果たして奈何
 之彼等幼童に問へば、幼童乃ち声を和して
 一斉にショウショウ證誠寺
 澄山 また好個の点景を加えて
 めでたし めでたし

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2013年01月02日

三石山観音寺

 今日1月2日水曜日、風強し。
 最大瞬間風速は新潟県佐渡市湊28メートル、山形県酒田27.1メートル、千葉県勝浦25.6メートルを観測したそうです。
 でも風邪ではなく風をおして愛車を駆って家を出ました、ヤッホー君。
 昨日の初詣ではイーチャリで両国は回向院、今日の2日は、千葉県三石山観音寺!
 1ヶ月前の先月、師走12月の2日、房州は亀山湖から東大・千葉演習林を歩き、その帰りにヤッホー君が行きそびれた山域に向かったのです。

 2013年1月2日9時33分 配信「内房線は、9時08分頃より、強風の影響で、佐貫町〜上総湊駅間の上下線で運転を見合わせています」
 2013年1月2日15時46分 配信「内房線は、15時35分頃より、強風の影響で、那古船形〜館山駅間の上下線で運転を見合わせています。佐貫町〜上総湊駅間は運転を再開し、遅れがでています」
 それほどの強風で、アクアラインは速度規制があり、海ほたるも満車に近い状況。
 帰りはユーターンもはじまって大混雑の高速道!
 でも、でも、結果的には行って良かった三石山 観音寺!
 強風や悪寒でなく、良い年になりそうな予感で、からだが震えていたそうですよ。 

三石山観音寺は、室町時代の1420(応永16)年に覚恵上人がこの山の霊気にいたく感動し、ご開山されたと伝えられており、山頂に大きな三つの石があることから三石山と呼ばれるようになったと伝えられています。
 三石山入り口案内板から道を登って行くと、縁結びの参道という札が立てられた坂があり、この坂を徒歩で登り、観音寺奥の院の縁結びの御本尊に祈願すると、願いが成就すると伝えられており、「結ぶ」に掛けて祠には沢山のハンカチなどが結ばれた様子が見られます

(三石山観音寺 君津市草川原1407 Tel 0439-39-2266)
http://www.city-kimitsu.jp/kanko/spot/manabu/mituishiyama-kannon.html

三石山.jpg

三石.jpg

奥の院.jpg

新春や 闘志いだいて お山に立つ
 うつむくな 顔をあげよう
 がんばっているね 私は逃げないよ
 ここが踏ん張りどころ 前に進むだけだよ
 大丈夫 観音様が見てるから
 今年はきっと
 笑顔になれるぞ

(三石山観音寺 掲示伝道)

高橋尚子選手がシドニーオリンピックで金メダルを獲得した時、ここのお守りをパンツに縫い付けてあった。
 今日も勿論オリンピックモードのパッセージ。
 まず、本日行われたソフトボール準決勝、オーストラリアに1−0で勝利したことを速報。
 8戦全勝で決勝戦に臨む日本チームに渕崎さんが「このまま金までいってみよう!!」

 そして、今日の話題はもちろん昨日の女子マラソン高橋尚子選手の金メダル。
 パッセージでは高橋尚子選手がつけた3つのお守りを紹介。

 一つ目は、このお守りをつけて走ったレースは4戦全勝という成田の宗吾霊堂のお守り。
 二つ目が、巨人の高橋由伸選手も毎年初詣に訪れる君津の三石山観音寺のお守り。
 三つ目が、高橋尚子選手が治療でお世話になっている整形外科の院長から手渡された守護神。

 お守りの中には小出監督の言葉が入れられていたとのことで、今日のテーマは「いいこと言う2000」

 また、小出監督、高橋選手と佐倉市のかかわりについても紹介。
 佐倉市は小出監督の出身地であり、また高橋選手の普段練習しているところ。ちなみに昨日優勝を決めた長嶋監督の出身地も佐倉市。

 今日のオープニングは、高橋尚子選手が金メダルをいかにいろいろな人びとに支えられてとったのかを改めて感じられる内容で、さすがはパッセージと思いました。

 オープニングナンバーはhitomiの「LOVE 2000」。
 スタート前、高橋尚子選手が踊っている場面がありましたが、そのとき聴いていたのがこの曲。
 またDo! Sports Paradiseでも流れた19の「果てのない道」、さらには岡本真夜の「TOMORROW」など、高橋選手のだいすきなナンバーが流されておりました。

(2000/9/25(Mon)
http://www.geocities.jp/futchies27y/mmp/2000/09.htm

 「ふっちー」とは渕崎ゆり子(1968年東京都生まれ)。BayFMにて、MARIVE MAGICAL PASSAGE(1998年4月-2002年6月 月・水曜パーソナリティを担当したいたんだって。
 10年ヒトムカシと言いますから、もうムカシのことになるんですかね。
 時の過ぎ去るのも今日の強風のよう、もう速いったらありゃしない…

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2013年01月01日

回向院

 迎春。
 義母が亡くなったのでまことに申しわけないのですが欠礼させていただきます。
 しかし元旦、ヤッホー君はイーチャリで「両国 回向院」(墨田区両国2-8-10 Tel 3634-7776)にお参りにいきました。

江戸時代、寺社が遠方に出向き、秘仏や仏様を開帳する「出開帳」が盛んで、中でも信州善光寺の回向院における出開帳は大変な人気でした。
 2013(平成25)年4月27日(土)〜5月19日(日)まで、東日本大震災復幸支縁を目的に、ここ両国回向院にて信州善光寺の「出開帳」が行なわれます。
 被災地支縁とともに、信州善光寺の「出開帳」仏を拝み、江戸の時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

≪此度、江戸ゑかうゐん(回向院)ニおいて、六十日のあいだ御かいてう(開帳)有、わざわざしんしう(信州)までさんけい(参詣)の人々もあるなかに、如来の御方よりけちゑん(結縁)にあ(会)いたてまつ(奉)るといふハ、まことにありがたきこと(事)なり。まい(参)るべし。しん(信)ずべし≫

(善光寺出開帳 両国回向院)
http://ekoin.or.jp/

 長野「善光寺」(長野市大字長野元善町491-イ(善光寺事務局内)Tel 026-234-3591)では…

ことしも良い年でありますように―。
 新しい年が明けた1日未明、長野市の善光寺にはたくさんの初詣客が訪れ、それぞれの願いを胸に本堂で手を合わせた。
 2年参り客の列が続いていた1日午前0時前、参拝がいったん止められ、年明けとともに初詣客が次々と本堂に入った。
 下高井郡山ノ内町に帰省中の会社員田中寛(ゆたか)さん(25)=東京都江東区=は「ことしは仕事で結果を残せるように頑張りたい。昨年は政権交代など変化が大きい年だったが、目先の変化にとらわれず先を見据えて進みたい」と話していた。
 1日午前0時の長野市の気温は、氷点下1.6度と1月中旬並み。
 防寒着に身を包んだ人々の列の長さは一時、本堂から南へ300メートルを超えた

(1月1日(火)信濃毎日新聞 手合わせ「良い年に」 善光寺/にぎわう初詣客)

 江戸のムカシから、回向院と善光寺は縁があったようですが、回向院は何も鼠小僧やペットとの縁だけではございません、大相撲とも関わりをもっていたのです。
 元旦、そう、今朝の下町は風もなく空は晴れていて、気持ちのよい穏やかな日和でございましたね。
 深川七福神巡りを歩きでなさっている通行人の邪魔にならぬよう注意しながら、快適イーチャリで両国は回向院まで向かったのです。
 先月、ヤッホー君は日記「引揚げ」で記したように、回向院に向かっているのですが、仲間の江戸さんより紹介してもらった、あの土俵跡をなんとしてももう一度、という気持ちで回向院に着くとすぐに向かいました。

P1016716.jpg

墨田区と相撲の関わりは1768(明和5)年9月の回向院における初めての興行にさかのぼります。
 以後、幾つかの他の開催場所とともに相撲が行なわれていました。
 1833(天保4)年10月からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれ、賑わう人びとの姿は版画にも残されています。
 明治時代に入っても、相撲興行は回向院境内で続いていましたが、欧風主義の影響で一時的に相撲の人気が衰えました。
 しかし、1884(明治17)年に行なわれた天覧相撲を機に人気も復活し、多くの名力士が生まれました。
 そして1909(明治42)年に回向院の境内北に国技館が竣工し、天候に関係なく相撲が開催されるようになり、相撲の大衆化と隆盛に大きな役割を果たしました

(平成11年3月 墨田区教育委員会 相撲関係石碑群<力塚>…写真参照…)

32本の柱をドーム状に集めた鉄骨の建物は大鉄傘(だいてっさん)とも呼ばれ、1万3千人収容の当時最大規模の競技場でした。
 日本銀行本店や東京駅の設計で著名な辰野金吾が設計を監修しました。
 相撲興行は、戦後もGHQに接収されていた国技館で行なわれました。
 しかしメモリアルホールと改称された後は本場所の開催が許されず、明治神宮外苑や浜町公園の仮説国技館での実施を経て、台東区に新設された蔵前国技館における興行に至ります。
 一方、接収解消後のメモリアルホールは、日本大学講堂となりますが、老朽化のため1983(昭和58)年に解体されました。
 そして1985(昭和60)年、地元の誘致運動が実を結び、JR両国駅北側の貨物操車場跡に新国技館が完成、「相撲の町両国」が復活しました

(平成20年3月 墨田区教育委員会 国技館(大鉄傘)跡)

左手奥の両国シティコアビル中庭の円形は、当時の土俵の位置を示しています
(墨田区 大相撲 旧国技館跡…写真参照…)

P1016711.jpg

 ムカシ、旧国技館は、学生運動との縁も、関わりも、もっていたのでした。

大衆団交・会場案内:国電総武線両国駅下車 徒歩3分 日大両国講堂(旧国技館)
 「日大学生集会」当局者、及び右翼学生集合 日時:1968年9月30日午後1時〜3時まで、両国講堂
 「大衆団交総決起集会」 全共斗集合 1968年9月30日午後1時〜 神田三崎町、経済学部前
 日大全共斗主催「大衆団交」 午後3時過ぎ〜翌10月1日、未明まで、両国講堂
 出席者:古田会頭はじめ理事、学部長他、大学当局者全員 日大全共闘会議及び、日大全学生

学生 日大をどうしたいんだ、おまえらは。
学生 学校から金もらって…。
学生 おまえら、どっから金もらってんだ。中共からもらってるのか、それともソ連から金もらってるのか、おまえらは。日大民主化なんてこという権利ないだろう、馬鹿野郎。(罵声多し)
学生 学生がなんで職員にベコぺコしなきゃならないんだよ。
学生 じゃあ、おまえらは何だ。教育すらも否定し、日大すらも否定して、何をつくろうというんだ。杜会主義国家か、ばかたれ。おまえらは批判しかてきないんだよ、てめえらは建設することは何もできないんだよ。
学生 一般学生の声を反映しようとしているじゃないか。
学生 お前らは何だ。お前は何だ。(と小突く)
学生 ・・・・・・(騒然、聴取不能)
学生 (叫ぶ)日大出て行け。
学生 お前ら一般学生なら、そんな角材、ヘルメット、なぜ必要なんだ。
学生 ・・・・・・(騒然、聴取不能)
学生 なに、右翼が襲ってくるから。どこから右翼が襲ってきたんだ、お前らに。
学生 お前ら、日大をどうしたいんだ。(騒然)
学生 もっとちゃんと話せよ。おまえらのいってることは聞こえないよー(騒然、聴取不能)正しいことを言ってるなら、そんなものを捨ててちゃんと話し合えよ。(騒然、聴取不能)聞こえないよ、これ取らないと。(ヘルメットに手をかける)(騒然、聴取不能)おれたちだって改革望んでいるんだよ。(騒然、聴取不能)民主化、民主化なんて、そんな欺購的な言葉わかるかよ。おれたちのいってるのは、日大の改革だよ。おまえらの民主化って何だよ。(騒然)角材、ヘルメツトで校舎を破壊しただけじゃないかよ。君たちだけの学校じゃないんだぞ。おれたちだってお金払っているんだぞ。(騒然、聴取不能)

(1968年9.30 大衆団交議事録)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5328/930dannkou.htm

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