2012年12月31日

ふぐ骨酒

 はるちゃんの牡蠣なべ、蟹なべにすっかり魅了されたヤッホー君でした。
 昨日の日曜日は、後日談で記しましたように凹み、落ち込んでいたのですが、大晦日の本日12月31日月曜日、同じマンションの住人とお会いし会話を交わすことができ、少しは元気を取り戻したような。
 「海ですか?わたしは山ですが」
 「浦安から東京湾に出ます、いまは湾ふぐの季節なんです」
 「ふぐってあのふぐ?」

 ヤッホー君は冷蔵庫の奥深くに仕舞い込まれたまんまの日高食品「ふぐ骨酒」(山口県下関市武久町2−2−5 Tel 083-254-2002)を思い出していたらしいのです。
 そして土曜日「うち来て 鍋パ」ではるちゃんが水揚げされたばかりの築地市場から直接仕入れた新鮮な海の幸、牡蠣と蟹の美味を思い出し、はるちゃんや集まってくれた仲間に感謝を捧げつつ、
 「今晩、じゃあ、楽しみですね」
 
ぷりっぷりな甘エビに、とろけるようなマグロ、そして透き通るようなイカやタイ。
 新鮮なネタを使った海鮮料理があると聞き、我慢できる魚介ファンはいないはず!
 今回登場するさゆりん(ひなたさゆりさん)も、そんな海の幸をこよなく愛する一人。

 海のある和歌山県に生まれ、お父さんもお兄ちゃんも釣りが大好きという一家で育った彼女。
 食卓には鮮度バツグンのピッチピチな魚が並んでいたのは、日常茶飯事だったとか。
 ところが上京してからというもの、新鮮な魚を食べる機会がめっきり少なくなってしまったそう

("Live Bite" お出かけついでに、ちょい遊び!)
http://www.marukyu.com/livebite/report02.html

 さゆりんって『釣りガール』って言うのだそうですけど、知ってました?
 山ガールは良く山路で見かけるようになりましたが、海上にもいらっしゃるんですねぇ〜ビックリ!
 2代目「アングラーズアイドル」なんだそうです。

釣り業界のアイドルオーディション!アングラーズアイドル2013の募集〆切が近づいてきました。
 2012年12月28日(金)中まで受け付けていますのでまだ間に合います。
 たくさんの方のご応募お待ちしております!
 ■ アングラーズアイドル2013ページ http://www.jaftma-jaff.com/idol/
 Japan Fishing Festival2013 〜国際フィッシングショー〜
 主催(社)日本釣用品工業会、後援 経済産業省・神奈川県・横浜市・(公)日本釣振興会
 会期 2013年3月22日(金)〜24日(日)
 会場 パシフィコ横浜展示ホール(神奈川県横浜市西区みなとみらい1−1−1)
 入場料 当日1,200円 前売1,000円

http://www.jaftma-jaff.com/outline/

『東京湾で最近よく釣れるアカメフグ。
 ショウサイフグより大きくなるので釣り味も迫力十分です!
 それに食べてもトラフグより旨いともっぱらです!!
 トラフグの場合、料理店では大抵が養殖物ですが、アカメは天然物、有り難味は尚更です。
 釣っても食べても抜群のアカメ、よくぞ、湾フグ・リピーターになりにけり♪(^0^)』

(2011-11-06 20:25:47更新 東京湾ロマン 東京湾に魚の群れを追って釣り探険 フグやカレイなどとの遭遇をスケッチする私的日記「極上!アカメフグ礼賛♪」)
http://blog.goo.ne.jp/fu-goo-log/e/4f8a968866acbfccbb9f04df267f5b06

 はるちゃん、次回は、はるちゃん自身が東京湾で釣ってきたアカメフグで「ふぐ鍋」ってのはどう?

 2012年も相変わらずの食いしん坊、飢餓海峡を渡り、餓鬼道を行くヤッホー君でした。
 これで2012年のヤッホー君のブログは納めとします。

 山歩クラブというブログなのに、納めは海のお話しになってしまいましたね。目くじらを立てないで、臨機応変、所変われば品変わるってこの場に相応しくない? え〜と、ナポレオンだっけ、いや、カメレオンかな、ま、パンテオンっていうことで…

 ご愛顧をありがとうございました。皆さんも良いお正月をお迎え下さいね!

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2012年12月30日

うち来て鍋パ

 12月29日土曜日はお昼の12時から山歩クラブのポトラックパーティ、ま、忘年会でした。
 はるちゃんが鍋奉行、ホストはヤッホー君、つまりヤッホー山荘が会場だったのです。
 7人がお集まりになりましたが、奉行を務めるはるちゃんは食材の仕入れに、なんと築地まで買出しにおでかけになり、広島産牡蠣1kg、さらに「かに」を2杯もぶらさげて、開場の30分前に、山荘にご到着あそばされました。
 ホストのヤッホー君は、土鍋とコンロ、大なべ、金麦、野菜(生野菜に漬け物)、くだものを用意してお待ちしておりました。そう、そう、仲間にマレーシア風海老ご飯をご馳走しようと、これも炊き始めておりました。

 飲み物は、フランス産シャンペン、オーストリア産ワイン、日本酒など勢ぞろい。
 これに持ち寄りですので、手作りのお稲荷さん、ソーセージにハム、酒のおつまみ(煎餅や乾きもの)、デザートのケーキまで、この場をお借りしてお集まりになった仲間の皆さんには感謝のこころを表わしたいと思います。
 持ち寄りは何も食べものだけではすみません。できるだけゴミをだすまい、とマイカップ、マイ皿にマイ箸までお持ちになった仲間、スローライフ、ロハス、エコな暮らしが、序々に仲間にも浸透してきているようで…

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 いやあ、美味しかったのでございます。お話しにも花が咲きました。

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昨日の残りの蟹スープをおおなべに発見、ご飯を入れて、おじやにしていただきました。
 昨日の楽しい雰囲気と男の手料理、はるちゃんの美味しい味を思いだしました。
 窓際の青い皿の下に財布が隠れているのを無事、発見収容しました。
 今朝からの捜索作業も完了します。
 片付けは「後で」、というこの「あとで」というのがくせ者です。
 いつもそれでシッパイします。
 もうキャパも容量いっぱい、デフラグしても断片化が激しくなったハゲ頭、今度から思った「その都度」、最後まで抜き切ろうと自覚し直しました。
 これも昨日の宴があったればこそ、と改めて我々の持続的な友情に感謝しています。
 どうぞ明るいお正月をお迎えくださいな


 何があったのかって…、おはずかしい次第ですが事の顛末をあえて、ここに教訓として後日談を書き記しておきます。
 カッシーからはイマにはじまったことではない、と一笑に付されそうですが…

 12月30日日曜日の朝、起きてびっくり。
 パソコンは電源を切っていない、給湯燃焼のスイッチも入れっぱなし、ガスの元栓も開きっぱなし、でもね、台所は片付いていました。
 ところが、財布がないのです!
 あれは買出しに勤しんでくれたはるちゃんの領収書に基づいて、参加者皆んなで割り勘にしよう、となり、一人当たり1300円の徴収が決議されたのです。
 困民党共同代表になろうとしていたヤッホー君、財布から2千円をだして700円のおつりを受け取っています。覚えています。
 財布は「あとでもとのところに仕舞うからいいや」と置いたのですが、これも記憶にあります。
 しかし、それがどこだったのか、どこに置いたのか、記憶が途切れてしまっていた、とこういうわけでございます。
 それで大変だあ〜と、1000坪を越すヤッホー山荘の敷地内の捜索活動が、朝ご飯も食べずにはじまった、とこういうわけでございました。
 もうあきらめかけ、お昼を食べ終え、昼寝でも、と思った12時半ころ、ヤッホー君は財布を無事に発見、回収した、とこういうわけでした。

 朝の8時52分発信『順調にボケが始まってるようで…
 昨日はお疲れさまでございました。ありがとうございました。楽しかったですね。
 はるちゃんが築地で仕入れてきた蟹、牡蠣、奥様のアスパラ巻きも最高の味でした。
 ところでお金を支払う際に取り出したぼくの財布、どこに置いたか見当たらず、あそこに置いていたな、とか、ぼくの挙動を見て記憶にありませんか?ゴメンね、思いだせないのです、困ったもんです…


 10時26分受信『はるちゃんの鍋二種それぞれ大変美味しかった。
 買い出しから調理とはるちゃんには感謝します。
 奥さんの協力も感謝します。ありがとうございました。
 ヤッホー君には場所の提供、愉快な参加者召集ありがとうございました。
 一人だけ遅くまで酒を頂きました、ありがとうございました。
 さて、ヤッホー君の財布ですが、思い当たりません。
 各自が出した会費の現金の束だけが目に残っています。
 参加いただいた皆さんに大いに感謝します。楽しかったです!』


 17時51分受信『私は昨日の宴で1`も太っていた。
 今日は氷雨、寒かった。
 良いお年を

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2012年12月29日

Season's greetings

Dear Shu-Te, I would like to forward the following message from Mike in London to share our feeling toward a community :

Hi Shuei
It is good to hear from you and Hatijah.

Japan and Britain are a long way from each other but we are united in living under Governments who are slaves to the market. Both our nations also face austerity and sadly it is the people who are on the lowest incomes who are suffering most, despite the fact that they were not the ones who contributed most to the difficult economic circumstances that we face. For the last 20 years Britain has been on mad materialistic dash with too many people becoming indebted.

My mother died at 93 last January. Hers was a ling life and she was happy to pass on. She died in her own home and I was by her side. I was privileged. I took her home to be buried with her family on the wild west coast of Ireland. Our death rituals have become weak in western society but they are stronger in traditional communities such as the place from where she came.

As New Year approaches I am wondering what to do for the next stage of my career. My organisation will be abolished in 2014 and the work will transfer to a charity status. I do not want to transfer and am wondering what to do. Perhaps I will not work full time but do a number of different community based jobs.

Anyway, Liz and I are fine and health is all.

Best wishes
Mike


Subject: Season's greetings from Tokyo

Season's greetings from the desk of our office.

Hope Liz and you are well.

Here Tokyo is cold not only because of the winter season but also because of the hawks in the new Goverment in Japan after the general election done on Sunday, 16th of December. Our new PM want to tie up much stronger military cooperation with US. In fact the Osplay is flying over the head of the citizens in Okinawa island.

My resolution for the new year 2013 is very simple:
I want to keep the comuunity building movement with active senior citizens around the neighbourhood peoples through the club of Friends of Moutains (FOM).

Hatijah is always busy for the Press Conference on the safe food, writing the new book about the safety/security of foods and for the educational work for the neighbour countries such as Viet Num, Thailand, Laos and so on to visit Consumers Association of Penang (CAP) to study CAP activity!

We are praying that a new year 2013 will bring both of you the happiness, joyful life and the health.

Looking forward to hearing from you by return and keeping in touch.

Bye for now and Ciao.

Warm wishes
Hatijah and Shuei

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2012年12月28日

HNとはハンドルネーム

 昨日は「羽柴茶々」さんのブログをご紹介申上げました。
 この方はすごい、ヤッホー君、お友だちになれそう、と思っているそうです。

はじめまして。。。
 大阪城のすぐそばで生まれ育ったので、大阪城に思い入れがあり、羽柴茶々というHNにしました。
 ただし、当時は夫婦別姓なので、淀殿は結婚しても、ずっと浅井茶々なので、一応、羽柴茶々というのは淀殿とは別の架空のHNというテイでやってます

(2012年10月9日(火)02時08分更新)

 HNって何?またまた無学文盲なヤッホー君、<のざわ何とか>さんの「イニシアル」なのかな、なんて思っていたようですが、「ハンドルネーム(handle, screen name)」の略なんですって。
 この方、「茶々」という<HN>を手に入れると、毎日ブログのup(これはハンドルネームでなく、「更新」という意味ですね…)がんばります。
 これもヤッホー君ととても似ているのですぅ。

人間、何かの情報を得ると、その口はムズムズするものであります。
 男女の噂話、タレントのあれやこれやと同様に、知った以上はついついしゃべりたくなる・・・
 今となっては、聞きたくもない歴史の話、行きたくもない寺巡りに付き合ってくれた心の広い友人に感謝するばかりですが、そんな私が見つけたのが、ブログという物・・・
「おぉ、これなら、好きなだけしゃべっていられる」
「これなら、嫌がる人を無理やり引き留めなくてすむ」
と安易な考えのもと、はじめてしまいました


最初の1〜2年は、やはり「今日は何の日?」と題する以上、何も書いていない日があってはならないだろうとの思いから、まずは、「1年365日・休まずup」を目標に掲げてやっておりましたが、そのぶん、今ではお恥ずかしい内容のページも多々ある結果となってしまっております

 で、ね、山歩クラブが山を歩くのは、≪麓はついつい通過するだけ、頂上を踏んだかどうかだけのピークハンター≫じゃない、なんてカッコの良いことを言い募って、だから山歩クラブは、「買い物ツアー」と言われてしまうそうなんですが…
 「山をまるごと愛そう」なんて、山への愛のメッセージを発信しています。
 山の産物とそれを作る人びと(遠路はるばる来たのでスーパーでなくって、道端の農家直販所とか、道の駅とか、農協さんとか)、山の御水(せっかくなのでコンビにでなく、地元でシャッターをおろさずがんばっている酒屋さん)、山の出で湯(汗を落とすという口実のもと、必ず立ち寄り湯に寄ります)を楽しんで11年目に入った山歩クラブ。
 イマ、≪経済のグローバル化≫とか叫んで、山の麓で暮らしを成り立たせている人びとを無視、排除、除外させようとする拝金シュギ者どもが鼻息を荒くする一方です。
 山に抱かれて山の麓でお暮らしになっておられる人びとの醸し出す気、山の気が引き寄せる磁場をわれわれ、下町の仲間たちは、からだ全部で受け止めてくるのだ、なんて壮大な気をもって歩いています。

 毎月、専用バスでお山歩会をしているわれわれ、年の暮れに、「羽柴茶々」さんのブログに何か感ずるところがあります。

 暮らしを成り立たせて、山(自然)といっしょに暮らしているのに、人びとを半永久的に追い出す、土地(自然)から排除する、そんな危ないゲンパツはゼッタイ推進してはいけない(16万人とも20万人ともいわれている難民がこの国にいるのです!)、都会で稼いでいても、田舎暮らしでも社会的・経済的格差がイマほどなかった、そんな庶民が肩を寄せ合ってお互いに暖っためあって、一生懸命生きてきたのが、日本というコミュニティじゃなかったのって、ヤッホー君も語気を強めて語ってきたそうです。

 ごめんなさい、脱線してしまったようで、その「羽柴茶々」さん、ムカシを語る今度の大河ドラマをどう評価しているのか、ですよね。
 カッシーにヤッホー君、聞いたことがあったそうです。
 視聴率が下がっているのは、製作者側が下手くそだったから受け入れらなかったのか(技術的な問題)、原作、脚本が受け入れられなかったのか、それとも視聴者の変化(国民精神、自分がどんな日本人なのか、そういう集団的自己同一性、メンタリティの変化)に関わる問題なのか、ということです:

NHK大河ドラマ「平清盛」の全50回の平均視聴率が関東地区で12.0%となり、1994年の「花の乱」の14.1%を下回り過去最低を記録したことが12月25日(火)、ビデオリサーチの調べで分かった。
 関西地区は11.6%で、記録が残る1964年の大河ドラマ2作目以降では、1985年の「春の波涛」の13.0%を下回り過去最低となった。
 51作目の「平清盛」は開始当初から「画面が汚くて見にくい」などの意見が寄せられ視聴率が伸び悩み、12月23日の最終回も関東地区で9.%、関西地区で8.5%にとどまった。
 各回の視聴率も11月18日に関東地区で7.3%を記録し、NHKで記録が分かる1989年降で「花の乱」の10.1%(8月14日放送)を下回りワースト1位となった)

(2012年12月25日毎日新聞 東京夕刊「NHK大河ドラマ:「平清盛」の平均視聴率、過去最低)
http://mainichi.jp/enta/news/20121225dde041200054000c.html

『ネットのレビューを見ると、酷評しているのは、視聴率という数字だけを見ているマスコミの方々ばかりで、内容をシッカリ見ている視聴者からは「イイ大河だった」との声が多いように思います。
 私も、最後の海の底の都へ向かう清盛の表情が忘れられません。
 松ケンさん、よくやりました!』

(2012年12月27日(木)01時37分茶々さんup)

ここ何年かの大河は、「汚い物は見ない」「嫌な事は無かった事に」みたいな傾向があり、おっしゃる通りのホームドラマでした。
 個人的好みもありますが、私としては、酸いも甘いも描いてこそ大河ドラマだと思います

(2012年12月27日(木)14時02分茶々さんup)

『私としては、総合的に見て「頑張ったドラマ」ではないか?と評価しています。
 少なくとも、昨年のように「視聴者をおちょくってるの?」と思うようなところは無かったですし…』

(12月28日(金)13時36分茶々さんup)

 何をおっしゃっているのかな、と思われる方はぜひ、「羽柴茶々」さんのブログにアクセスしてお読みくださいね。
[2012年12月25日(火)up 大河ドラマ「平清盛」…最終回を見て(感想)]

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2012年12月27日

八王子城

 昨日の続き…
 昨日は氏照は、「武田軍に小仏峠より背後を突かれ、また脆くも三ノ郭まで落とされてしまい、台地を利用した平山城では軍略に秀でた武田軍の攻撃に対して十分な守りとは言えない」ことを教訓としました。
 「そこで進入された小仏峠に近く、かつ滝山城より更に険しい山城で堅固な要害が必要となり、<八王子城>が築城されたのです。<八王子城>完成の時期は定かではないのですが、完成後、氏照は<八王子城>に入り<滝山城>は第一線を退いたのです」

 そうなんです。「2012お餅つき」大会はこれに因み、昨年の<滝山城>から<八王子城>に入ろうとしたのです。
 しかし、諸事これあり、山歩クラブ御用達の専用バスは、<八王子城>に赴いたものの入城せず、退いたのです。
 だって〜、軍儀の結果、早く「お湯処」に行き、いざ年忘れ懇親会をということにあいなったからなのでございます。

標高460メートルの深沢山に八王子城が築かれたのは、16世紀後半と言われてます。
 織田信長と徳川家康に対峙(たいじ)し、関東一帯に勢力を誇った小田原北条氏最大の支城でした。
 戦国時代の城は、自然の起伏を利用した山城と呼ばれるものです。
 八王子城は、信長の安土城を模倣したとされる豪壮な造りで、小田原北条氏の栄華を示す城でした
 しかし1590(天正18)年、豊臣秀吉の命を受けた前田利家・上杉景勝(うえすぎかげかつ)の連合軍によって、北条氏康(ほうじょううじやす)の次男氏照(うじてる)の居城である八王子城は、わずか1日で落城し、小田原の北条氏も滅亡しました。
 そして、多摩地域は秀吉の全国統一、次いで徳川家康の時代を迎えることになります

(京王沿線お出かけ情報、安土城をまねた小田原北条氏最大の支城「八王子城」)
http://www.keio.co.jp/area/bunka/story_yama3.html

 さらっと文章は読めますが、行間にはいろんなことが込められています。
 もっと知りたいかたに:

この八王子城は…東西2km、南北1kmに渡る広大な敷地を持つ、言わば戦国山城の完成形ともいえるものでしたが、城主・氏照は、ただ今、小田原城にて籠城中、留守を預かるのは、家臣の狩野一庵(かのういちあん)以下、わずか1000名・・・

 しかも、その中には、大軍の接近を聞きつけて、急遽集められた領民の奥さん&子供が多数含まれており、とてもプロの戦闘員を相手にできる体制ではなかったのです。

 まずは、1590(天正18)年6月23日未明・・・
 先日、豊臣に降ったばかりの松井田城の大道寺政繁(だいどうじまさしげ)が先鋒を務め、大手門から突撃・・・北条勢は早くも城の奥へと退き下がる以外にありませんでした。

 八王子城は、本丸を中心に構成された要害地区と、その手前にある住居地区の二つに分かれていたのですが、北陸から参戦した秀吉の親友・前田利家を大将とする前田隊約1万8千兵は、その住居地区の中心にあたる金子曲輪に突入・・・さらに後退する城兵は、自然と要害地区へと追い込まれます。

 前田隊が、金子曲輪で金子家重らを討ち取っている間に、直で、山頂の本丸方面に向かった越後の上杉景勝を大将とする上杉軍約1万兵は、北条勢をさらに追い込みます。

 やがて、乱戦の中、多くの兵士とともに狩野一庵が討死すると、残った兵も、果敢にアタックして討死するか、主君の後を追って自刃するか・・・

 さらに、非情な攻撃を仕掛ける上杉軍の前に、討死も自刃もできない領民の妻や子は、皆、櫓のそばにあった御主殿の滝に身を投げたのだとか・・・

 こうして、わずか一日で決着がついた八王子城の戦いは、非戦闘員の婦女子を含む全員が死亡するという小田原攻めで最も悲惨な戦いとなりました

(2009年6月23日(火) 管理人 羽柴茶々ブログ「小田原攻めで最も悲惨な戦い〜八王子城・攻防戦」)
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/06/post-f6fb.html

 「お餅つき」とはべっと、八王子城城址を中心としたお山歩会もありですね。
 下↓は、悠歩悠遊さんのブログからです(散策:2008年02月上旬):

≪国指定史跡 八王子城跡 本丸跡≫
 城の中心で、最も重要な曲輪です。
 平地があまり広くないので、大きな建物はなかったと考えられています。
 ここは、横地監物吉信が守っていたといわれています。
≪コラム 八王子神社と横地社≫
 913(延喜13)年に華厳菩薩妙行が、山中で修行をしている際に出現した牛頭天王と八人の王子に会ったことで、916(延喜16)年に八王子権現を祀ったといわれています。
 この伝説に基づいて、北條氏照は八王子城の築城にあたり八王子権現を城の守護神としました。
 これが「八王子」の地名に起源とされています。
 その八王子神社の横にある小さな社は、落城寸前に奥多摩へ落ち延びた横地監物が祀られています。
 もともと、東京都奥多摩町にありましたが、ダム建設で湖底に沈んでしまうためにここに移しました。
(八王子市教育委員会)
≪本丸跡≫
 標高460メートルの山頂部が本丸と呼ばれており、城の中心部にあたります。
 落城の時、城主不在の本丸には、横地監物が守備していたといわれています。
 自然と文化財を大切にしましょう。
(八王子市教育委員会)
 
≪国指定史跡 八王子城跡 松本曲輪≫
 中山勘解由家範が守っていたといわれる曲輪です。
 中の丸とも二の丸とも呼ばれていました。
 近くには「坎井」と呼ばれる井戸があります。
 1590(天正18)年6月23日に前田利家の軍勢と奮戦しましたが、多勢に無勢で防ぎきれなかったといわれています。
 この時の家範の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、その遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老にまでなりました。
≪コラム 山上からの眺望≫
 ここからは、高尾山方面を一望することができ、晴れていれば富士山が見えることがあります。
 さらに八王子神社から階段を降りた先のちょっとしたひらけたところからの眺望はなかなかです。
 八王子市内が一望でき、冬の空気の澄んだ晴れた日には新宿副都心や池袋のサンシャインビルまで見ることができます。
(八王子市教育委員会)
http://yuhoyuyu.sakura.ne.jp/course/cn350/index.html

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2012年12月26日

八王子市滝山公園

 ヤッホー君のこのブログ、昨年2011年12月11日付け日記「2011お餅つき」をご参照ください。
 昨年は、お餅付きのあと、1521(大永元)年に大石定重が築城したと言われる「滝山城」を歩いてきました。

大石定重の子、定久は第一次国府台合戦で北条氏が勝利したのを期に1538(天文7)年、北条氏に降伏し軍門に降りました。
 北条氏の大石氏に対する実質的支配行動が行われたのはそれから21年後の1559(永禄2)年に北条氏康が3男氏照を大石定久の養子に入れて家督を氏照に継がせ、事実上大石氏の所領と持ち城を手中に収めて北条氏照により滝山城は大改築され、他の八王子近辺の支城も又、同様に改築されました…
 1569(永禄12)年、武田信玄が今川氏の領内へ侵攻したことにより、甲相同盟は破棄され、北条、武田の両氏は敵対関係と成りました。
 同年武田信玄は、小山田信荗の軍勢を小仏峠より八王子に侵入させたので、氏照は至急街道筋の廿里砦へ兵力を差し向けました。
 その間に信玄は本隊を上野国から武蔵国へ入り、多摩川を挟んだ滝山城の対岸、拝島に布陣して滝山城へ猛攻を掛けます。
 武田軍は滝山城の三ノ郭まで落としニノ郭に攻めかかりますが、ニノ郭の二階門で氏照が直接指揮を執り、必死の防戦に武田軍は先へ進む事ができず、これ以上の犠牲は無用と捉えた信玄は滝山城を捨て本城小田原城へ軍を進めました。
 さてこの戦いには幾つかの反省点が残されています。
 氏照は当初、武田の侵攻は檜原方面から進入し、秋川沿いを進軍すると計算していたため、檜原城を起点に秋川沿いに戸倉城、網代城、戸吹城と守りを固めていました。
 しかし武田軍に小仏峠より背後を突かれたのです。
 また滝山城は対岸、城の正面から攻撃されたにもかかわらず脆くも三ノ郭まで落とされてしまい、台地を利用した平山城では軍略に秀でた武田軍の攻撃に対して十分な守りとは言えませんでした。
 そこで進入された小仏峠に近く滝山城より更に険しい山城で堅固な要害が必要となり「八王子城」が築城されたのです。
 八王子城完成の時期は定かではないのですが完成後、氏照は八王子城に入り滝山城は第一線を退いたのですが、政務だけは当面、滝山城で行なっていました。
 しかし八王子城に城下が整備されると、その執行もそちらへ移されて、滝山城の役割は終演を向かえました

(武州の城>滝山城の歴史)
http://hya34.sakura.ne.jp/tamahoumenn/takiyamazyou/takiyamarekisi.html

 およそ500年もムカシのことです。
 が、もうすこし、当時の八王子市あたり、「多摩の二大勢力」について見てみましょうか…

『相模の小田原北条氏が武蔵地方への進入を開始したころ、多摩地方には二つの勢力が存在していました。
 由井領の大石氏と勝沼領の三田氏です。
 多摩の南側を大石氏、北側の青梅から奥多摩にかけての山岳地帯が三田氏と考えればよいでしょう。
 小田原北条氏は、氏康の三男氏照を多摩地方に送り込みます。
 氏照の当初の名は由井源三です。
 このことから大石氏の由井領を名実ともに手に入れていったようです。
 最近の研究から(斉藤氏「江戸東京博物館」)、由井は八王子市弐分方あたりの地名で、その近辺にある浄福寺城が由井領支配の本拠であったことが明らかになりました。
 氏照は大石氏の本拠だった浄福寺城に入城したのです。
 次の仕事が山岳地帯に勢力を持つ三田氏の攻略でした。
 この三田氏はもとは関東管領上杉氏の配下にあって勢力を保持していました。
 ところがその関東管領上杉氏が小田原北条氏によって関東から追い出されると、三田氏は孤立して氏照の猛攻を受け滅亡してしまいました。
 こうして多摩地方の二大勢力を押さえ、やがて氏照は滝山城に移って北関東への侵略を開始していきました。

≪軍事的要衝としての滝山城≫

 小田原北条氏によって関東から追い出された関東管領上杉氏は、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って越後へ逃亡します。
 管領上杉氏の名跡を継いだ上杉謙信は、管領上杉氏に頼られた事情から北条氏攻略に乗り出し、越山して関東地方に侵行しました…』

(よみがえる滝山城、滝山城と北条氏照)
http://takiyamajo.com/html/haikei.php

 いずれにせよ、規模の大きさからいっても、保存状態の良さからいっても、これは確かな城跡だな、と山歩クラブも感心したことでした。
 道理で、国指定史跡(国が史跡に指定)なはずです。
 春には、5000本のサクラが咲く名所として有名ですって、春にもタウンウオークで訪れてもいいですね。
 われわれの今年2012餅つき大会の前日12月23日日曜日には、「滝山公園 戦国時代の名城 滝山城址めぐり」が開催されていたようです:

多摩川によって削られた断崖の丘の上にあるこの城は、戦国時代の城砦としては、関東随一の規模で雄大さを誇っていたと言われています。
 滝山公園には今でも本丸、中の丸、千畳敷、空堀、土塁などの跡が見られ、当時の面影を偲ばせます。
 講師(中田正光氏、滝山城跡群・自然と歴史を守る会会員)から滝山城の由来などを聞きながら城址を歩き、戦国時代にタイムスリップした気分を味わってみてはいかがでしょうか

(平成24年11月22日、東京都建設局、(公財)東京都公園協会、報道発表)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/BOSHU/2012/11/22mbm200.htm

 で、今年「2012お餅つき」大会とは、どのような関係があるのですかって…? それはヤッホー君のこのブログ、明日の日記までお待ち下さいな。
 

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2012年12月25日

グリーティングカード

 ぞくぞくとメリークリスマスのグリーティングカードが届いてきます。
 サンタクロースのプレゼントのよう。
 そんなメッセージを真夏の七夕の時の短冊のように、枯れ枝に下げて、喜んでいる本日12月25日火曜日のヤッホー君!

無事に山納めができて、本当に良かったと思いました。
 尻餅はきっと運がつくことと思います。
 ほのぼのとした楽しい山歩クラブでした。
 また次回からもよろしくお願いします


 そうか、尻餅のこころを知るこころのもち方、それは「うんちがつく』でしたか〜

 きっと2013年は運がつく、ね。
 良かった、良かった、と。
 帰路の車中、早くも来年夏の合宿山行は「おんたけさんだ、おんたけさんだ」と二度も「ん」のつく山の御名をあげていた、ヤッホー君、きっと良い年になりますように!

楽しかった餅つきでした。
 大事なお尻、大丈夫ですか?
 来年も今年以上に楽しい山歩クラブ、ヨロシクお願いします


 尻、美尻、利尻、やっぱり行ってみなきゃいけないのかな…?

昨日は何年振りかの餅つき、しかも青空の山頂で!
 美味しくて楽しい1日でした
るんるん

おはようございます。
 こちらこそ、楽しい時を過ごさせて頂き、ありがとうございました。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします


 楽しい…これが一番、ですよね。
 でも「楽」と「楽しい」って違いますよね。
 ましてや山行ですので、途中はエネルギーも水分もちからも使い、そして頂にたった達成感、といいますか、苦のあとの楽、忍耐を必要とするこころの強さと申しますか、そのとき湧き上がる思い、それが「楽しい」という表現になるんだろうって。
 まして「個」、ひとりだけでなく「仲間」へのこころくばり、きづかい、めくばりを必要とするチームプレイも要求されます。「個」から「仲間」への広がりが実感として感じられととき、「楽しい」という表現になるんだろうって。
、山行は哲学的な二律背反的な「楽しさ」ですよね。
 ゴホンゴホゴホ(ん、風邪かな…またぁ〜?)

お世話になりました。
 歩き納めは、日だまりの中、お正月より一足早くお餅を食べて、幸せ気分。
 ありがとうございました。
 来年もよろしくお願いします。
 良いお年をお迎えください

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2012年12月24日

餅は餅でも尻餅

 皆さま、こんばんは。
 クリスマスイブで賑やかなときにお邪魔し、失礼いたします。

 今日12月24日月曜日は山歩クラブのお山歩会の納めの日です。
 クリスマス寒波を覚悟で、10人の仲間で歩いた景信山、恒例の山歩クラブお餅付き大会でございました。
 たいへんおつかれさまでした。
 皆んなでわいわいがやがや、大笑いしながら、納豆をかきまぜ、あんこをこね、大根をおろし、ねぎにゆずを混ぜ、きな粉もだし、漬け物に揚げ物、お歳暮の海苔までいっぱい、いっぱいに並んだ山頂の小屋の前のテーブル。
 そして待ってました、大統領! 皆んなでお餅付きがはじまります。
 よいしょ!二升!はっくしょん!
、返すは岩波さん、いやあ、それを皆んなで、丸く丸めて、ちぎってはからみに投げ、ちぎっては口に頬張り、腹がいっぱいになるまで納めました。

 山では決して酒を開けない主義の山歩クラブも、年一回の無礼講、ワンカップで乾杯です!

 美味しい納めの餅と、熱燗の日本酒と、仲間の笑い声に妬いたかお富士さま。
 石川のPAでは、くっきり朝焼けに輝いて、晴れた美空にお姿をお見せになったお富士さま。

石川から冨士.jpg

 「お富士さま〜」と声がかかります。
 ん? しかし山歩クラブのご一行さまの本年の無事故お山歩の表彰と、そして仲間の皆さまの明るい健康な新年を祈る祝詞をあげようと、舞台の袖に、原稿をとりにひっこんでなにやら、打ち合わせ。

 かわりに舞台にお出になったのが、あのヒョウキンもののヤッホー君。
 「帰れコール」にもめげず、耐えてこらえ、なんと尻餅までついてみせた、というのです。
 笑い転げたお富士さま、とうとう舞台に登場するきっかけを失って、一緒に笑ってしまったとか。

 幕間劇と思い、しゃしゃりでたのに、これじゃあ、出番をくじいてしまったようで、申し訳ございません、とヤッホー君、深々と敬礼!

 しかし、いつも安全運転をなさってくださる大坂さん、そして山歩クラブの皆さん!
 メリークリスマス! 今年をありがとう、そして新年も良い年でありますように…黒ハート

餅は餅でも尻餅.jpg

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2012年12月23日

引揚げ

 吉良邸にゴールインした山歩クラブの面々、引き続き打ち上げを兼ねた忘年会までまだ日が高いので、休息のため回向院へ向かいました。

 ここは、浄土宗のお寺です。

回向院のあたりは、江戸時代には、小塚原といわれ、品川の鈴ヶ森とともに処刑場があったところです。
 1667(寛文7)年に本所の回向院が、牢死者や刑死者等を供養するために、この地に回向院を開創しました。
なお、ここより南にある延命寺境内(南千住2-34-5)には、無縁となったこのような人びとを供養するために建てられた首切地蔵があります
回向院には、安政の大獄で獄死した吉田松陰や橋本左内らの墓所があります。
また、杉田玄白や前野良沢らがここで刑死者の腑分けに立会い、それをきっかけに「解体新書」を翻訳したと言われています。
これを記念して、本堂入口右手に「観臓記念碑」が建てられています

(荒川区の公式サイト 回向院)
http://www.city.arakawa.tokyo.jp/kanko/jishajiin/minamisenjujinja/ekoin.html

 ん? ごめんなさいね、荒川区でなくって墨田区は本所の回向院でしたよね。
 でも荒川区の回向院って歩いて行ってくる価値のあるところですね、山歩クラブの集まりで提案してみようっと。

 さて、本所の回向院は、1657(明暦3)年1月の「振袖火事」の被害者を供養したのがこのお寺の始まり。
 「振袖火事」のことって、ヤッホー君のこのブログ、昨年4月9日、5月22日、8月15日付けのそれぞれの日記「江東区の霊巌寺」、「国際基督教大学」、「徳船稲荷」で言及していますが、その8月の三鷹市へのタウンウオークで、なんで三鷹市に連雀通りというのがあるか、について触れていましたっけ。
 この地名も振袖火事と関係があったので補足:

江戸の明暦大火で幕府の命令により江戸神田連雀町の被災者の替え地として、1658(万治元)年に連雀新田として開墾されたことから始まります。
連雀の名称は江戸神田連雀町の住民の開墾した土地ということに由来します。
連雀村の連雀とは、小板を使った背負い梯子を“連雀”といい、江戸神田にその職人仲間が住んでいた町を連雀町といったところから呼ばれるようになったとする説もあります。
 享保の頃、新田開発の進捗とともに、神田連雀新田が下連雀村と称されたとされています。
 上、下連雀の“上”、“下”は京都(朝廷)に近い方を“上”と称し、江戸方に近い方を“下”と称したことによるもので、その他の地域でも上宿、下宿などの名称は同様です

(三鷹市公式サイト 三鷹風景百選)
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/019/attached/attach_19921_3.pdf

 こうして山歩クラブの面々は、無事に回向院に内入ったですが、憎っくき吉良の首級を下げ、髪を振り乱し、帰り血もあびた恐ろしい形相ばかりの赤穂浪士たちは、回向院から、入場をことわられてしまったのです:

見事本懐を遂げた一行は、上杉家(吉良上野介の息子が上杉家に養子に入り藩主となっている)の反撃に備えるため回向院において態勢を整えようとしたが、断わられ、やむなく両国広小路で追手を待つことにした。
なぜか追手は現れず、一行は急きょ、主君の眠る高輪泉岳寺へと向かうことになる

(NPOすみだ学習ガーデン 墨田区東向島2-38-7 ユートリヤ内 Tel 5247-2006、ガーちゃん・デンくんが行く すみだあれこれ 1、吉良邸討入り事件<2003年11月15日掲載>吉良邸から回向院、一の橋まで)
http://www.sumida-gg.or.jp/arekore/SUMIDA001/S001-4a.html

 そうなんです、いまは『元禄の凱旋 赤穂義士の引揚げ』(中央義士会監修、街と暮らし社、2006/11)などの本もありますし、より詳細なウオーキングマップが参考になります。
 
 次のブログは、回向院への立ち寄りをこんなふうに明らかにしてくれております(すご〜い!):

吉良上野介の首を挙げた赤穂浪士は休息のため回向院へ向かいました。
 これは、事前に定めた「人々心得之覚書」に

引き取り候う場所は無縁寺(回向院のこと)なるべし。ただし無縁寺へ入らず候はば、両国橋東の橋際の広場に打ち寄せ申しべきこと(読み下し文)

 と書かれていますので、討ち入り前に決まっていた行動だと思われます

(2012年 10月 29日付け夢見る獏さん、気ままに江戸「回向院と両国橋(赤穂浪士引き揚げルート2))
http://wheatbaku.exblog.jp/18616444

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2012年12月22日

吉良邸

吉良邸.jpg

三年連続のクリスマス寒波の到来予想は、早くから伝えられていますが(その位、強い寒気ということ)…その前に、きょう(21日)から明日(22日)は「南岸低気圧+寒気=太平洋側で雪」のパターン…
 東京でも多摩地方、内陸部では雪で、関東の平地でも積もる所がありそうです

(2012年12月21日 14時22分 チーム森田の天気で斬る 三ヶ尻知子 クリスマス寒波の「前と後」)
http://weather.yahoo.co.jp/weather/column/moritablog/

 いいえ、ね。話しが地球の裏っ側まで飛んでいきました。
 いくら、寄り道、回り道、月が照っても雲に隠れていても遠回りの大好きな山歩クラブでも、行き過ぎです。
 一週間前の12月15日土曜日に戻りましょう。

浜離宮からは、日の出〜浅草を結ぶ隅田川ラインが運行されています。
 浜離宮は潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園です。

 潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式で、現在は実際に海水が出入りしているのは、この浜離宮だけになります。
 
 この地は、寛永年間(1624〜1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。
 1654年、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得るとその後、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
 以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました

(東京都観光汽船株式会社)
http://www.suijobus.co.jp/cruise/station/hamariq.html
 
 そうでした!
 浜離宮から水上バスで浅草にあがり、そこから吉良邸を目指そうか、と鶴首協議の結果、まとまったのですが、「おがさわら丸」同様、船の出帆直前のため、間に合わず…
 いやあ〜、そのお〜、あのお〜、ヤッホー君がディパックのリュックから小銭入りを探して、料金720円(45分)を出すのに、なかなか手間取って、まごまご、もぞもぞしてしまったのです。
 それで、しびれをきらした船長さんが待ちきれず、出帆してしまった、と…そういうわけで…(禿げアタマをぼりぼり)。

 でも、おかげさまで、六代将軍家宣が庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた「300年の松」も鑑賞することができました、下↓。

300年の松.jpg

 あの日12月15日も雨がぱらつき、ヤッホー君以外、皆さん、雨具を持参してきました(さすが!山歩クラブ!
 その仲間は、終に浜離宮の正門で雨具をつけたのでした。
 雨具をつけてタウンウオークを続ける山歩クラブ、さすが山で鍛え覚えた「生活習慣病」、そのまんま環二工事現場、築地本願寺、そして大川端は隅田川の勝鬨橋、聖路加病院を目指しテクテク宇宙遊泳を続けていくのでございます…
 あのぉ〜、いやあ〜、そのお〜、ヤッホー君は「宇宙人」といううわさがあるのですが、その「宇宙」と「雨中」とをかけているオヤジギャルなんでございます、すみません!

 そんなこんなで、行き着いたのが吉良邸です。
 本日12月22日土曜日の日記、冒頭の写真、というわけでございます。
 すでに邸内には「はとバス」のツアーご一行様が二組も内入っておられました!

1702(元禄15)年の旧暦12月14日(正確には翌日未明)、大石内蔵助良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂四十七士)が討入りした吉良上野介義央の上屋敷は、現在、本所松坂町公園となっています。
 その面積は29.5坪(約98平方メートル)で、当時の86分の1です。

 この公園は、1934(昭和9)年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入して同年3月、東京市に寄付したので、1950(昭和25)年9月墨田区に移管されました。
 園内には、吉良上野介追慕碑、吉良上野介坐像、吉良家家臣二十士碑、首洗い井戸などがあり、壁面に義士関係の記録や絵画の銅版が埋め込まれています。
 また、周囲は「仮名手本忠臣蔵」に描かれていた「なまこ塀」となっています。
 毎年12月14日、地元の人々によって「義士祭」が行われ、12月の第2、または第3土曜日・日曜日には、「吉良祭」が催されます。
 また、地元の問屋が出店する「元禄市」も開かれ、たいへんな賑わいを見せています

(墨田区公式サイト 忠臣蔵の舞台 吉良邸跡(本所松坂町公園)
http://www.city.sumida.lg.jp/kunosyoukai/annnai/dentorekisi.html

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2012年12月21日

アベノミックス

『安倍次期首相と、日銀は、さらなる金融緩和を行うと決めた。
 長期金利も僅かだが、上昇傾向を示している。
 インフレターゲットを2%とし、それに向けて、じゃぶじゃぶ円を市場に供給するつもりらしい。
 しかし、一旦インフレが始まったら、それをコントロールする術はないはずだ。
 現在の不況は、需要の落ち込みから生じているのであり、金融緩和で解決しない。
 そして、この金融緩和は、ハイパーインフレの引き金にもなりうる。
 現在の日本の財政赤字の大半を、公共事業の垂れ流しで積み上げてきた自民党政権、それが政権復帰を果たし、また公共事業を推し進めてハイパーインフレを引き起こす。
 ハイパーインフレは、政府が国民から、富を収奪することに他ならない。
 何とも悲喜劇ではないか・・・』

(小児科の先生、2012/12/21 10:02更新「日本経済の行く末」)

 何とも悲喜劇…

安倍氏は中国電力が建設を計画している上関(かみのせき)原子力発電所(山口県上関町)を巡り、着工を認めないとした民主党政権の方針を見直す考えを示したことに関連して「全体的に全国において、どう考えていくか。(党の)大方針の中で、新設についてどう考えるか、これから検討していきたい」と語った
(2012年12月21日22時55分 読売新聞「原発新設ストップ「見直したい」…安倍自民総裁)

 この新政権側のゲンパツ推進とかインフレ誘導って、困民党のヤッホー君の生活にどう影響を与えるのでしょうか、不安でいっぱい…
 いったい誰がこの安倍氏のいわゆる「アベノミックス」の軍師なのでしょうか。
 どうして、この国の偉い学者や、批判精神いっぱいのメディアが彼らの「方針」に疑義をはさもうとしないのでしょうか。
 この国のギリシア化にもつながりかねない大事なマクロ経済のことで誰も口角泡を飛ばす議論をしようとしないのでしょうか。

 何とも悲喜劇…フシギでならないのです。

 小型のディスカウント店「アコレ江東常盤店」(江東区常盤2-12-6 Tel 5625-9081)が12月13日木曜日にオープンしました。
 これから、生活防衛のため大いに利用しなくっちゃ、とヤッホー君、考えているのだそうです。
http://www.aeonretail.jp/shop/acolle.html

 このアコレって、なんだこれって思っておりましたところ、イオングループの首都圏戦略の一環だったのです:

『イオンは1990年代後半以降、郊外の大型SC(ショッピングセンター)出店で成長を遂げた。
 しかし、少子高齢化の影響や最近の景気減速に加え、イオン自体の業績悪化もあり、これまでの出店ペースを維持できなくなっている。

 イオンは人口が集中する首都圏、中でも都心部に店舗が少ない。
 この地域で小型店モデルを構築すれば、新たな成長源にできるとの判断がある。

 ただ郊外型の大型SCで成長を続けてきた同社にとって、小型店はノウハウの集積が少ない分野だ。
 コンビニエンスストアのミニストップも成長力は乏しい。
 一店あたりの収益も大きくないため、一定規模まで育てなければ収益への貢献も薄い。

 イオンは首都圏での事業を強化しようと、2002年から07年にかけて、いなげや、ベルク、カスミ、マルエツと関東の食品スーパーに相次いで出資した…』

(2009年1月26日/日経MJ(流通新聞)「首都圏の店舗開発加速、イオン、小型店に賭ける――成否、グループ運営に影響も)
http://www.shopbiz.jp/rt/news/26005.html

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2012年12月20日

486世代

386世代(386세대、386 Generation)とは韓国における世代を指す名称で、広義的には1990年代に30代(3)で、1980年代(8)に大学生で学生運動に参加し、1960年代(6)の生まれを指している。
 そのため2010年代現在は40代の人間も多い(一部世代は50代に差し掛かっている)ので486世代(486세대、사팔육세대、サパルリュク セデ)と呼ばれている…
 元々、彼等が学生時代を過ごした時期は1980年の光州事件を起点とした民主化運動の流れに入った時期と合致する。
 1987年6月29日に当時の大統領候補だった盧泰愚の民主化宣言(六・二九民主化宣言)も直前に学生達が中心となって発生した6月民衆抗争が宣言発効の契機となった


 ウイキ、からです。
 この世代の韓国人たちがどういう投票行動をとったのか、興味シンシンのヤッホー君、いま問いあわせ中だそうです。
 というか韓国の山を歩いてみたいヤッホー君、おじゃまして直接、FRIEND たちと交流しようかな、と。

 これは韓国の1987年盧泰愚の民主化宣言を言っていますが、ヤッホー君がソウルに行ったらイの一番にお会いし、ハグしたい方、FRIEND はこの民主化闘争を学生運動として闘った方です。逮捕、投獄された経験もお持ちです。

 韓国ばかりではありません。時を同じくして1987年、戒厳令が撤廃されたのが台湾です。

 両国ともまだ民主化されて25年、四半世紀しか経っていないのです。

 このニッポンとの大きな違いは、彼ら、彼女らに自由や権利や民主化は、自ら勝ち取ったんだ!という矜持(プライド)がある、ってことですよね。
 いつも会うたんびに尊敬し、では自分は何ほどのことをしているのか、と自分で自分に問うしまつなのですが、そうした友人が国を越えてもいる!というだけで、お互いに武器を持って、殺し殺される、そんな関係にはぜったいにしない、という決意だけでも新たにするわけです。

 今日12月20日、明日の「冬至」を前にしてヤッホー君の Peace Keeper としての平和宣言です。

 うさんくさい、きなくさい、ガスくさいこの国の右翼っぽい、愛国者っぽくカッコだけ見せかけているけど、実はオキナワもフクシマもヒロシマ・ナガサキもどうでもよい(喉元すぎれば熱さ忘れる)、アメリカべったりシュギシャどもが跋扈しかねない大状況のなかで、反戦、平和による共存・共栄・共益・共助社会をあずまや風の4本柱とし、からだづくり、こころづくり、ひとづくり、まちづくりをあずまや風の4本柱とし、地べたを這いつくばっても、お隣りさんを呼んできて、小状況のなかでも、きっちり、道づくりに汗をかこう、励もう、整えていこうと宣言しているのですから、背が低く足が短いヤッホー君の、この大きな志と尽きない意欲と明るい未来に乾杯!

 台湾の民主化についてでしたよね。

 このヤッホー君のブログでもたびたび登壇してくる台湾のお方、FRIEND は、地下室、密室で集会を開いていたというこの民主化闘争、そして民主化闘争後の運動にがんばって入っていった方です。
 山歩クラブでは、台湾に飛んで彼女達といっしょに山歩きを楽しみました。ニイタカヤマ(標高3,952m。台湾で最も標高が高い、新高山、玉山、モリソン山 Mt Morrison)の下見に行きました!
 
 少し長いけど、削除されないうちに掲載しておきましょう!

前に見たような光景だな――。

 22日に投開票された台湾総統選を見ていて、そう思った。3カ月前の韓国大統領選とあまりによく似ていたからだ。

 有力候補がテレビ討論で火花を散らしたかと思うと、あの手この手の非難合戦で追い落としをはかる。集会には人があふれ、まるでロック歌手のコンサートだ。

 そうした熱気だけでなく、選挙の構図も同じといっていいほどだった。

 かつて命がけの民主化闘争をした陣営が現職として受けて立つ。彼らを弾圧した独裁政権の流れをくむ陣営がそれに挑む。そして政権交代。二大政党制をめざしつつ、政権交代がなかなか実現しない日本とは違う民主主義が育っているかに見える。

 その土台には、長い独裁政権時代の体験と、それを倒そうとした民主化のエネルギーがあるのだろう。そう思いながら、韓国と台湾の民主化の歴史を振り返ると、これまた実によく似ていることに気づく。

 私たちは、80年ごろに起きた事件に目を向けた。韓国の光州(クヮンジュ)事件と、台湾の美麗島(メイリータオ)事件だ。民主化を求める人々を独裁政権が弾圧し、それでかえって民主化の火が燃えさかり、消せなくなった。よく似た事件がほぼ同時に起きたのは偶然だろうか。

 1980年5月18日。韓国の光州市でタクシー運転手をしていた李行基(イ・ヘンギ)さん(56)は、その日のことを今も忘れない。

 いつもの学生デモか。そう思って眺めていると、学生たちは兵士に追い回され、こん棒で激しく殴られていた。見かねて車に乗せる。兵士は運転手や市民にも襲いかかった。これが光州事件の始まりだった。

 翌日以降も市民の抗議デモが続き、戒厳軍とにらみあった。ヘッドライトをつけ、クラクションを鳴らすタクシーやバスがデモに加わり、隊列を組んでじりじり進む。300台にふくらみ、「タクシー部隊」と呼ばれた。李さんもその中にいた。前方には、装甲車や銃を構える兵士がいた。

 「全く怖くなかった。まわりには市民がたくさんいて、逆に勇気がわいた」

 やがて催涙弾が撃たれ、白煙で前が見えなくなった。突然、銃床でフロントガラスをたたき割られた。引きずりだされ、体中をめった打ちにされた。集まった市民は逃げまどい、李さんも病院に運ばれた。

 民主化を叫ぶ学生らのデモはきっかけに過ぎなかった。無差別の暴力に対する普通の市民の怒りが闘いの原動力となった。炊き出しをして支えた女性たちもいた。

 今も毎年5月には、あの日のようにタクシーが隊列を組んで街を走る。「仲間や光州市民の犠牲の上に民主化が成し遂げられた。そんな自負があるんです」

 ■民主化運動の第一歩、誕生会を口実に集合

 一方、光州事件の前年の1979年12月に台湾で起きたのが、美麗島事件だ。

 その6年前に米国留学から帰って弁護士をしていた姚嘉文(ヤオ・チアウェン)さん(69)は、早朝の自宅で逮捕された。軍事裁判で反乱罪とされて懲役12年の判決を受け、獄中生活を強いられた。翌年2月には、この事件で逮捕された仲間の家が襲われ、その母親と幼い娘たちが惨殺される事件も起きた。

 「でも、あの事件で台湾の状況は大きく変わり、民主化へと進んだ」。そう振り返る姚さんは、87年に仮釈放され、結成されたばかりの野党・民主進歩党の主席になった。今は陳水扁(チェン・ショイピエン)政権のもとで、考試院(人事院に相当)の院長を務めている。

 事件当時の台湾は、中国大陸で共産党との内戦に敗れて逃げてきた国民党の独裁が続いていた。1949年からの長い戒厳令で、報道・結社の自由もなかった。それでも姚さんたちは1970年代後半から結婚式や誕生会を口実に集まり、民主化運動を始めた。「美麗島」という雑誌社を作ったのも、国民党以外の政党が禁じられていたからだ。

 厳しい空気が緩んだのは、国民党のカリスマ的リーダー、蒋介石(チアン・チエシー しょう・かいせき)が1975年に亡くなったことが大きかった。それが姚さんの実感だ。この点でも、18年間にわたって権勢をふるった朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が1979年に側近に暗殺された韓国と状況が似ていた。

 後継者たちによる武力弾圧は、市民の反発を買っただけでなく、国際社会の監視の目にもさらされた。姚さんは言う。

 「法廷に海外の人権団体も傍聴に来ている前で、長々と戒厳令解除などの主張をすることができた。前は1日で出た判決が1週間以上もかかったし、反乱罪で懲役12年は一番軽い。死刑にできなかった国民党には大きなダメージだったはずです」

 台湾大の周婉窈(チョウ・ワンヤオ)教授(52)は、美麗島事件の意義を「台湾全島に政治の覚醒(かくせい)を起こしたこと」ととらえる。「政治に無関心だった台湾人が関心を向けるようになった。国民党は昔のままの弾圧で民主化を抑えることはできないと自覚した」というのだ。

 とはいえ、「本当の民主化」は、1987年の戒厳令解除まで待たねばならなかった。同じ87年に大規模な民主化運動が広がり、独裁政権側が「民主化宣言」に追い込まれた韓国とここでもよく似ている。

 実は周教授も、学生時代に民主化運動をした体験がある。刺激になったのは、韓国だったという。「女性が鉄条網をかいくぐって闘う姿を見て、同じ女性として励まされました。韓国は大がかりなデモができていいなあ、と思ったこともあります」

 しかし、あまりに激しい運動は光州事件のような弾圧も招くという教訓もあったから、台湾は1980年代に非暴力に徹した。そう振り返る民主化運動の闘士もいる

(asahi.com>歴史は生きている>最終章最終章(2008年3月24〜3月25日):中国改革・開放、韓国・台湾の民主化>隈元信一、西正之:光州と高雄、響き合う東アジア)
http://www.asahi.com/international/history/chapter10/02.html

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2012年12月19日

朴槿恵候補(60)

 故朴正熙大統領の長女で、党代表を務めた朴氏が当選すれば、韓国初の女性大統領となる。
 人権派弁護士出身で、盧武鉉前政権で大統領秘書室長などを歴任した文氏が勝てば、5年ぶりの政権奪還を果たす。
 
 これは東京新聞記事ですが、候補者の紹介ってこれだけ?
 「メディアの貧困」って昨年3.11以来言われていて、ま、新聞もテレビも配達してもらっておらず、その都度、購入シュギなのでヤッホー君には、個人的にはどうでもいいらしいのですが、ジャーナリストってムカシ、あこがれの職業でしたが、イマは記者からお話聞いても、私企業の社員と変わりないようで…

 だって、イギリス・ガーディアン紙は地球の裏側ですけど、もうすこしましな記事を書いております。
 今日12月19日水曜日、以下地球の裏側のメディアが、韓国の大統領選をどう報道しているかを読んでみませんか:

South Koreans have voted in freezing winter temperatures for a new president in a battle between the daughter of their former military ruler and a man her father jailed for political activism…

Park's father took power in a 1961 coup and helped push South Korea from poverty to developed nation status but at the cost of repressing human rights and democracy.

His wife was shot by a North Korean-backed assassin who was targeting him in 1974 and his then young daughter took on the role of South Korea's first lady until Park's own killing in 1979 by his security chief after a drunken night out.


The younger Park has at times sought to appeal to the spirit that her father embodied. On Tuesday, she evoked his economic call to arms of "Let's Live Well" in a bid to rally her party faithful.

But at other times she has stumbled over apologies to victims of her father's rule and sought to appeal to her mother's softer image.

Moon, jailed in 1975 when he was a student activist, has attacked Park "for living the life of a princess". His only political experience was as an aide to former president Roh Moo-hyun, who was his law partner.

(Reuters in Seoul, guardian.co.uk, Wednesday 19 December 2012 07.26 GMT)
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/19/south-korea-new-president

 カナダ・グローブアンドメール紙も…

Park Geun-hye’s pitch to lead South Korea is pared down to three words in her campaign advertisements: “Ready female president.”

Few in this country need to have the slogan, or the woman, explained to them. Like no other political figure before her, 60-year-old Ms. Park has grown up in front of South Koreans, first as the beautiful and strong daughter of the country’s controversial Cold War dictator – thrust into the job of de facto first lady at age 22 when her mother was assassinated by North Korean agents – now as the battle-tested politician who wants to be the first female leader of a country where men still dominate every facet of life.

Lost in the shouting over the scandals and the rocket launch is the potentially transformative moment of South Koreans electing a woman to lead them, even if – in the Asian tradition of Aung San Suu Kyi of Myanmar, Corazon Aquino of the Philippines and Yingluck Shinawatra of Thailand – it’s a woman whose rise is at least partly due to a famous father, husband or brother.

But while younger women are skeptical of Ms. Park’s candidacy, older women – those who grew up in an era where women were more openly discriminated against than today – are rallying around her in the last hours. “It will be a symbolic moment [if Ms. Park wins],” said Kim Wonhong, a researcher at the government-run Korean Women’s Development Institute. “We can’t say she did this only because of her father.”

http://www.theglobeandmail.com/news/world/park-moves-closer-in-bid-to-become-south-koreas-first-female-president/article6550475/

 アルジャジーラ紙(本社はカタール・ドーハ)までもが…

The daughter of the South Korea's former military ruler appeared to be leading in the presidential vote, putting her on track to become the country's first woman head of state although her narrow advantage meant the race was set to go to the wire.

A win on Wednesday for the 60-year old conservative Park Geun-hye would see her return to the presidential palace where she served as her father's first lady in the 1970s after Park's mother was assassinated by a North Korean-backed gunman…

Park has promised a strong leadership that would steer the country through the challenges of global economic troubles.

"I have no family to take care of and no children to pass wealth to. You, the people, are my family and your happiness is the reason that I stay in politics," Park, who has never been married, said in a televised press conference on Tuesday.

"Like a mother who dedicates her life to her family, I will become the president who takes care of the lives of each one of you," she said.

A female president would be a big change for a country that the World Economic Forum recently ranked 108th out of 135 countries in terms of gender equality - one place below the United Arab Emirates and just above Kuwait.

(S Korea's Park seen winning presidential race, Last Modified: 19 Dec 2012 11:09)
http://www.aljazeera.com/news/asia-pacific/2012/12/2012121822538462914.html

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2012年12月18日

米国の戦争に出撃・戦死するのか、国防軍

 「民意」っていったい何?ってヤッホー君はまともな疑問を昨夜、問題提起してくれたんじゃないかな。
 えらいよね、えらい、えらい!
 もう顔には白く干からびた「ひげ」をはやしているんだから、そんなに自分を「卑下」しなくっともいいんじゃないと、オヤジギャグで慰められたって。
 まあ、友は貴重な他者ですね。
 でも、一応、このヤッホー君のブログで登壇願っている有識者はどんな感想をおもちだったのか、ぽつぽつと届いておるようですよ。

 まずは、小児科のお医者さま:
1)「金融緩和によるデフレ脱却」については、早速、円安と株高が進行している。
 この変化は実体経済の改善を伴わない、金融緩和を先取りする、表面的な動きだ。
 現在のデフレは、需要が落ち込んでいることに原因があるのに、そこで金融緩和をすれば、「悪しき」インフレが起きる可能性が高い。
 インフレになり、円安に振れれば、輸出企業の業績が良くなるという見方もあるが、国内内需は、むしろ低下することだろう。
 輸出大企業には、すでに実に200兆円超の内部留保がある。

 輸出への依存を減らし、国民の需要がいくばくかでも改善する政策を打つべきなのだが、それとは逆行する施策が行われることだろう。
 また、インフレになるとまず打撃を受けるのが、リタイアした人びとである
 年金、資産の実質的な目減りになるのだ。
 ここまで国家財政が悪化すると、インフレ誘導し、国民資産を簒奪することしか、それを脱する道はないのかもしれないが、広い意味での国力は低下するだろう。

 2)「改憲」。
 これは自民党の党是であり、改憲支持の他党を巻き込んで進めてくることだろう。
 基本的人権の軽視、憲法順守の強制という国家秩序への強制的な隷属、天皇を中心とした国家体制、現憲法の平和主義の廃棄、集団的自衛権の確立、戒厳令に等しい政府による緊急事態対応ということが、改憲の内容だ。

 集団的自衛権とは、米国の戦争に、兵士を送り込むと言う形で加担することだ。
 米国との集団的自衛権の関係にある韓国が、ベトナム戦争で20,000人の死者をだしたことを忘れるべきではない。
 米国の世界支配は、必ずしも善と見なされることばかりではなく、むしろ米国の利権を確保するためのことが多かった。
 そうしたことを踏まえたうえで、集団的自衛権を支持するかどうか決めるべきではないか。
 この政策は、我々自身、そしてその子供たち、孫たちに銃を取ることを強制する。

 これまで人権等を制限する因子は、「公共の福祉」であるとされてきたが、改憲案では、「国の秩序、国益」が、それにとって代わる。
 国家秩序、国家体制が、人権よりも優先するのだ。
 実際に、自民党のウェブや、自民党議員は、これまで西欧流の個人主義が国民の悪しき個人主義を助長してきた、それに代えて日本の伝統的な秩序を優先するのだと明言している。
 これは、国家による基本的人権の蹂躙を行なわせぬために、国家に遵守させるためにある、という近代憲法の基本理念に逆行することだ。

3)「米国との関係強化」。
 米国との関係強化の実際は、TPP批准に進むことになるだろう。
 現在は、TPP批准をする条件として、聖域なき関税撤廃に反対すると言っているが、米国の目的は、関税よりも非関税障壁の撤廃である。
 要するに、日本社会の米国化である。
 医療介護でいえば、資産の有無によって、医療介護を受けられるかどうかが決まる社会の実現である
 米国の保険資本が津波のように押し寄せ、公的保険は非関税障壁として最小化される。
 日本の農業も、壊滅状態になることだろう。
 医療介護・農業といった、社会生活の基盤となる制度・資本を、利潤追求だけが目的の巨大資本に与えることになるわけだ。
 米国の目的は、日本国民がこれまでにため込んだ資産の簒奪である。

 まぁ、ここまで進んでしまえば、後には戻れないのだろう。
 じっと見守るしかない。
 改憲だけは、後の世代のために防ぎたいものだが、難しいのかもしれない

(2012/12/18 11:22更新「選挙結果を受けて」)

 次に、元駐レバノン特命全権大使の天木直人さんです:
われわれは政治を甘やかしていないか。
 その政治をネタにする政治メディアを甘やかしてはいないか

 われわれは政治をわれわれの手に届かない特権階級の世界のように考えていないか。
 そしてそのような世界に近づきたいために、間違った形で政治に関与しようとしているのではないか。
 なによりもそのような世界の住人である政治家を甘やかしているのではないか…

 なぜ選挙で負けた時点で即刻退場しないのか。
 なぜ選挙が終わったらすぐ仕事を始めて納税者の付託に応えようとしないのか。
 なぜ国民はそれを政治家に強く求めないのか。

 見ているがいい。
 これからの政治報道は落選者の悲哀とか当選者の喜びだとか、初登庁した時の風景だとか、そんな事ばかりを報道するだろう。
 来年の参院選挙に向けた政局の動きばかりを報道するだろう。

 しかし選挙は政治家たちにとってはドラマかもしれないが、毎日の生活に必死の国民にとってはどうでもいいことだ。

 そんなことよりもこの国の経済や国民の暮らしに直結する正しい政策を一日もはやく実現しろということだ

(2012年12月18日「我々は政治を甘やかしてはいないか」)
http://www.amakiblog.com/archives/2012/12/18/#002462

 そして武田邦彦先生ですね、やっぱり:
『選挙で自民党が勝ったことで、原発の再開に反対の人のうち、ガックリきている方もおられると思います。
 人の活動には「報われることを願って活動する」場合と、「報われないことを覚悟で活動する」場合があります。

 私は原発事故以来、「子どもの被曝をできるだけ減らす」ということを中心として活動してきました。
 それは「報われない方向に努力する」という奇妙な活動です。

 というのは、「被曝を減らす」ということに成功したら、子どもの病気が減り、その結果「被曝が危険だと言っていたけれど、たった**人しか病気にならなかったじゃないか」と言われるからです。
 その意味ではまさに「自分が非難されるために日夜、努力をしている」ということになります。

 特に、被曝と病気は「確率的」なので、表面化しません。
 だから、いっそう、この傾向が高いのです…

 しかし、この世のお母さんの毎日は、子どもの将来を思って叱り、偏食を直し、陰では子どもの希望に添ってやれないことに涙を流すのです。
 「自分が報われる」ことを期待して子どもを育てるのではありません。
 まさに「優しいお母さんの無償の愛」なのです。
 
 かつて、日本の男性も同じでした。

 「母上様、幸光の戦死の報を受けても決して泣いてはなりません。靖国で待っています。きっと来てくれるでせうね。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければお父様お母様が死んでしまふ。否、日本国が大変なことになる。幸光は誰にも負けずきっとやります。母上様の写真は幸光の背中に背負ってゐます」

 海軍少佐 富澤幸光は昭和20年1月6日、神風特別攻撃隊第19金剛隊でフィリッピンに出撃、戦死した。
 彼は北海道江差町の出身で23歳だった。

 兵士も同じですが、特攻隊員は「使命を果たすことは死ぬこと」であり、それは祖国の人たちを救うことにはなりましが、自らは命を落とします。
 まさに「成功することが報われないこと」です。

 死後の名誉は得ることができますが、家族の悲しみ、働き手を失った嘆きはいかばかりでしょう。
 しかも彼は23才です…』

(平成24年12月17日付け「選挙と原発」)
http://takedanet.com/2012/12/post_7d9f.html

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2012年12月17日

死票

 12月16日日曜日、イーチャリで投票所まで足を運んで有権者としての権利を行使し、めずらしく投票してきたヤッホー君。
 読者の皆さんは投票してきました?結果について、どんな感想をお持ちですか?とお聞きしたいそうです。
 
 さして学識、教養があるわけでなし、モト、モク拾い、イマ、空き缶拾いの橋下妙見こと、ヤッホー君、それでも、日記に付けておこうとしております。
 まあ、ご愛嬌と思って読んでやってください。
 他者がお書きになった文章を読んで同じだったら、それを切り抜いてスクラップノートに綴じておくような代物ですので…
 「どうせ、自分の意見なんて…」なんて常に卑下し、絶望し、苛立っているヤッホー君、でもその絶望の奥底にこそ希望が見つかるような思いで日々過ごしているのだそうです。

 まずは、最高裁大法廷が昨年2011年3月、最大格差2.30倍だった前回の2009年衆院選を「違憲状態」と判断していたにもかかわらず実施したのは選挙無効であること。
 とまあ、力んでもですよ、ミンシュシュギの定着したこの国で、今回、ミンシュテキな選挙によって憲法改正ができる国会議員数に膨張した新しい政権ですから、こういう「現実」に即して、「憲法」を「改正」すればいいじゃん、なんて思っていたりして、「かえるの面に水」ですね。

『「1票の格差」を是正せず、違憲状態のまま実施した今回の衆院選は無効だとして、広島の弁護士グループが12月17日、広島県選管を相手取り、広島1区と2区の選挙無効を求める訴えを広島高裁に起こした。
 別の弁護士グループも全国の高裁と高裁支部で同様の提訴をする予定。

 「1票の格差」を巡っては、最大格差が2.30倍となった09年の衆院選について、最高裁が昨年3月に違憲状態と判断した。
 今回の衆院選は、09年と同じ区割りのまま実施されており、司法の判断が注目される。

 原告代表の金尾哲也弁護士(広島弁護士会)は「長い間、違憲状態が続いているのに、立法府には格差を改善する動きが見られない。政治家の暴挙だ」と批判している…

 今回の衆院解散に先立ち、国会では小選挙区の定数を5減らす「0増5減」関連法が成立したが、新たな区割り作業は間に合わなかった』

(2012年12月17日14時26分最終更新 毎日新聞 黄在龍記者「1票の格差:衆院選無効求め提訴 広島1区と2区」)
http://mainichi.jp/select/news/20121217k0000e040330000c.html

 つぎ。死票の問題。
 欧米のような二大政党制を、なんてこの国でも猿真似のようにキャンペーンをはって導入しているのか…
 この狭い国じゃあ、個人の意見を述べることのできる市民っていたっけ、まして政治の世界は永田町と言われるほどの狭いムラ、もう入れ替わり立ち替わり、捩れて撚れて、家業として政治にたずさわっているお方ばかり、一命を賭しても国家国民、そのプライドといのちと繁栄を守るなんて政治家っていたっけ、ですので意中の候補者に投票しても当選しないんだったら、まあ今回遠慮しておこうかってなるのも庶民にはむべなるかな、自然の道理。

今回の衆院選で小選挙区に出馬した自民党候補は、300選挙区の有効投票総数のうち43%の票を得たのに対し、獲得議席数は300議席の79%にあたる237議席と大勝した。
 一方、民主党は有効投票総数に占める総得票率が22.8%だったが、300議席の9%にすぎない27議席しか獲得できなかった。
 得票率と獲得議席に大きな乖離(かいり)が生じ、各選挙区で1人しか当選しない現行の小選挙区制の特徴が改めて浮き彫りになった。

 小選挙区は比例復活を除けば1人しか当選しないため、落選候補に投じられた票の多くが民意を議席に反映しない「死票」になる。
 候補9人が乱立した東京1区は得票率29.3%の自民党候補が当選し、落選候補の得票割合は計7割に達した

(2012年12月17日13時28分最終更新 毎日新聞 朴鐘珠記者「衆院選:得票率と獲得議席に大きな乖離」)
http://mainichi.jp/select/news/20121217k0000e010344000c.html

 そして、最後に戦後最低!の投票率
 だって、投票所に行く前からメディアが憶測で、あるいは推断して、それをもう既成の事実のように報道してるって。
 これを「新聞辞令」というのかあ、あ〜あ。

衆院選小選挙区の投票率は共同通信の集計で59.32%となり、2009年の前回衆院選(小選挙区69.28%、比例代表69.27%)を0・96ポイント下回り、衆院選で戦後最低を記録した。

 これまでの最低は1996年選挙(小選挙区59.65%、比例代表59.62%)だった。
 期日前投票者数も、前回から13.91%減の1203万9570人に落ち込んだ。

 都道府県別の投票率で最高は島根の65.74%、山形64.86%、山梨63.67%が続いた。
 最低は高知の53.89%で、青森54.20%、栃木54.71%の順

(2012年12月17日04時30分東京新聞「投票率59.32%で戦後最低 衆院小選挙区、10ポイント減」)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012121601001826.html

12月16日の昼、埼玉県春日部市にいた。
 たまたま入ったレストランで、隣に座った60代と思われる女性2人の会話が耳に入ってきた。
「…もう結果が出ているからね」
「そう。だから〔投票に〕行ってないの」。

 メディアは投票日に向けて、選挙結果の予測を「世論調査」の名のもとに執拗に行なってきた。
 投票日に向けて何度も世論調査を行ない、「自民単独過半数の勢い」(「東京新聞」12月13日付)、「自公300議席うかがう」(「朝日新聞」14日付)、「自民勢い変わらず」(「読売新聞」同)…という調子だった。
 映画が始まる前に、その結末を大声で話すようなものである。
 これでは映画館に行く気力も失せる

(2012年12月17日早稲田大学・水島朝穂(みずしま あさほ)のブログ「もう一つの「一票の軽さ」―総選挙終わる-)
http://www.asaho.com/jpn/

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2012年12月16日

竹芝桟橋

 今日12月16日は、衆院選と都知事選の投票日でした。
 午後3:30〜午後5:30、≪謎の巨大生物を追う「仲間由紀恵 小笠原の海をゆく」(2)再放送をNHK BSプレミアムで鑑賞しておりましたヤッホー君、なかなか良い番組だったそうで、ご紹介:

東京・竹芝桟橋から船で片道約25時間半。
 太平洋に浮かぶ小笠原諸島は、父島、母島など大小約30の島からなる。
 ボニンブルーと呼ばれるその独特の青色の海は、イルカやマッコウクジラ、ザトウクジラなど巨大生物が集う世界有数のスポットだ。
 特に、全長約18メートルにも及ぶという世界最大の無脊椎動物ダイオウイカの目撃例が多く、世界一と言われるほど。
 深海で泳ぐ姿を撮影できれば、世界初のスクープということもあり、NHKの取材班は長年、このダイオウイカを追い続けているという。
 NHKは、6月で小笠原諸島が世界遺産に登録されてから1年になることから特集番組を企画。
 山岸秀樹エグゼクティブプロデューサーは「ほぼ毎日船に乗る過酷なスケジュールなので、ナビゲーターは船酔いする人ではとても取材にならない。ダイビングのライセンスを持ち、小型船舶の免許も持っており、海が大好きだという仲間さんしかいないと思った」と話す。
 定期便は6日に1回しかないため、ロケは12日間にも及んだという。
 「近くて遠い楽園と思っていたので、一度行ってみたかった」と語る仲間だが、悪天候のうえ、小型の船に連日10時間近く揺られ、さすがに船酔いに悩まされたこともあったそうだ。それでも、マッコウクジラやザトウクジラなどに遭遇したときには「鳥肌が立つくらい感動した」。
 山岸プロデューサーは「毎年6000〜7000キロを移動するザトウクジラや、3000メートルの深海まで一気に潜っては上がるを繰り返すマッコウクジラなど、地球をまたにかけて動いている姿を目の当たりにすると、意外にも地球が小さく感じられる。巨大生物のダイナミックな魅力とともに、我々はそうした小さな地球で暮らしている生きもの同士なんだということを感じてもらえたら」と見どころを話す

(2012年6月28日 毎日新聞夕刊小松やしほ「NHK :BSプレミアム 巨大生物追い、魅力に迫る 仲間由紀恵が「小笠原の海をゆく」」
http://mainichi.jp/enta/news/20120628dde012200002000c.html

 小笠原を訪ねるためには、「東京港竹芝客船ターミナル」(港区海岸1-12-2 Tel 3433-1251)から船に乗る必要があるのです。

竹芝桟橋.jpg

 昨日の土曜日の写真ですが、小笠原まで行こうと訪れたわけでも、小笠原に行く仲間を見送りに来たわけでもございません。泉岳寺の帰り、浜離宮を通る前に竹芝桟橋に寄ってみよう、という仲間の等々力さまのご提案があったからなのでした。

出航時間の遅くとも30分前には竹芝客船ターミナル(竹芝桟橋)においでになり、搭乗手続きをお済ませください。

 「おがさわら丸」をご利用いただきまして ありがとうございます。
 「おがさわら丸」船席の、年末年始便の空席状況につきまして、下記のとおり お知らせ申し上げます。
 12/29東京発便は全等級満席ですが、1/1東京発・1/5父島発便は まだ承れるお席がございます。お正月休みで小笠原諸島へご旅行をご計画のお客様は、この便のご利用をご検討いただければ幸いです

(小笠原海運 おがさわら丸 船席 年末年始の空席状況 平成24年12月11日 14時30分現在)
http://www.ogasawarakaiun.co.jp/

おがさわら丸.jpg

 いいですね、山旅ならぬ船旅も…
 東京都小笠原村には、「カントリーコード―自然と共生するための10ヵ条―」というのがございます。何も小笠原に参らぬとも、いま、ここで行動規範 Code of Conduct に致したく:
1「貴重な小笠原を後世に引き継ぐ」
2「ゴミは絶対に捨てずに、すべて持ち帰る」
3「歩道をはずれて歩かない」
4「動植物は採らない、持ち込まない、持ち帰らない」
5「動植物に気配りしながらウォッチングを楽しむ」
6「サンゴ礁等の特殊地形を壊さない」
7「来島記念などの落書きをしない」
8「全島キャンプ禁止となっているので、キャンプしない。」
9「移動は、できるだけ自分のエネルギーを使う」
10「水は大切にし、トイレなど公共施設はきれいに使う」

http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/heritage/page_6.html

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泉岳寺

 昨晩のヤッホー君の日記で【東京都港区の泉岳寺には、討ち入り翌年(1703年)2月に切腹した大石内蔵助ら46人のうち45人の遺体が主君の墓のわきに埋葬された】とありましたが、そのヤッホー君、この数合わせに、夜も寝られないほどだったそうです。
 ですので、ちょっと講釈を。
 
 まずは、「泉岳寺」(港区高輪2-11-1 Tel 3441-5560)の公式サイトから:
赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
 ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。
 また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。
 泉岳寺にある間新六の供養墓は他の義士の墓と一緒に建立されましたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。
 また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります(明和4年・1767年9月建立)
 したがって泉岳寺の墓碑は48あります

http://www.sengakuji.or.jp/about/index.html

 なお、ウイキにはこんな記述も:
四十七士ではなく、四十六士であるという説もある。
 この問題はすなわち討ち入り後、泉岳寺にある長矩の墓に行くまでに突然姿を消した足軽寺坂信行(通称、寺坂吉右衛門)が、逃亡者であるのか、それとも何らかの理由で同志達の許可を得たうえで離れた者であるのかの問題である。
 逃亡者とみなす見方は四十六士となり、大石良雄から何か密命を受けて離れたとする見方では四十七士と呼ぶ


 ヤッホー君たちご一行さまも、1時間ばかり忠臣蔵談義に花を咲かせておりました。
 皆さん、教養がおあり、ないのはヤッホー君だけ、ひとりぽか〜んと口をあんぐり開いて聞き入っておりました、とさ。
★ まずはNHK大河ドラマ「赤穂浪士」。もう半世紀、1964(昭和39)年のムカシにまで遡りました。
主人公の大石内蔵助を演じたのは、日本を代表するスター・長谷川一夫だ。
 天下の二枚目として知られ、戦前から舞台、映画で活躍。
 映画「忠臣蔵」(1958年)でも内蔵助を演じるなど、一世を風靡した大物俳優の登場にお茶の間も沸いた。

 円熟を極めた時代劇のトップスターが演じた内蔵助は、着物の着付けから武家のしぐさまで国家老の家格にふさわしい貫禄で見応え十分。
 また、やや鼻にかかった低音のセリフ回しも人気を集め、討ち入り時の「おのおの方!」は声帯模写や漫才のネタにまでなった。

 ちなみに仇役の吉良上野介は新劇界の重鎮・滝沢修だ。
 やはり映画「忠臣蔵」で吉良を演じた。
 ほかにも、内蔵助の妻が新派の山田五十鈴、浅野内匠頭は歌舞伎界の尾上梅幸と、各界の人気俳優による夢の競演が実現した

http://www9.nhk.or.jp/taiga/special/hero04/index.html

★ そして三波春夫。1964年4月発売の俵星玄蕃(作詞北村桃児って三波春夫のペンネームでしたか)。
 仲間の若松さまのお父上が振り付けも入れて歌っておられた、とか…。
 るんるん 槍は錆びても
 この名は錆びぬるんるん
 昭和の名曲ですよね、た・し・か・に。
http://www.youtube.com/watch?v=SyXg8qwoG7w

★ 時間軸についても話題沸騰、ウイキで整理しておきましょうって:
元禄15年12月14日(1703年1月30日)午後、同士は両国橋西の米沢町にあった堀部金丸の借宅に集まり、その後3か所の集合場所に分かれた。
 吉田兼亮らは集合場所の本所林町5丁目にある堀部武庸の借宅に行く途中、竪川の河岸地にある「亀田屋」という茶屋でそば切など食べながら時をすごした。
 それぞれの集合場所から本所吉良屋敷裏門近くの前原宗房の借店を経て、表門隊と裏門隊の二手に別れて吉良邸に討ち入った。

 実際に襲撃したのは現在の時刻で元禄15年15日(31日)に入っての未明午前4時頃であった。
 江戸時代の慣習では夜明けの明六つと日暮れの暮六つ(1月30日では午前6時8分頃と午後5時39分)を境とし1日の始点を暁九つとした。
 この時に雪が降っていたというのは『仮名手本忠臣蔵』での脚色であり、実際は冷え込みが厳しかったが月齢13.6。空は晴れていた…

 討ち入り後は、吉良邸内の厳重な火の始末をし、吉良義央の遺体を寝所に安置した後、吉良の首は潮田高教の持つ槍の先に掲げられ吉良邸を出発し、当初は回向院へ向かったが受け入れられず、浅野長矩の菩提である高輪泉岳寺に向かった。
 この時、吉田兼亮・富森正因の両名を、討ち入りの口上書の写しを持って大目付仙石久尚のもとに出頭させた。
 辰の刻(午前8時ごろ)泉岳寺に着き、住職酬山長恩によって受け入れられ、墓前に吉良義央の首級を供え仇討ちを報告した。
 また、この際に吉田兼亮の足軽の寺坂信行が立ち退いており、赤穂浪士は46人となっていた

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2012年12月15日

逆忠臣蔵

 こんばんは。
 今日12月15日土曜日は山歩クラブのタウンウオーク。
 赤穂浪士が吉良邸より到着した辰の刻という朝8時、泉岳寺山門に6名が集合しました。

年末ともなると、毎年のように「忠臣蔵」が放送される。
 47人の元赤穂藩の浪士が主君の敵を討つ忠義の物語は、知らない人がないほど、根強い人気を誇る。

 赤穂藩は、現在の兵庫県赤穂市に居城があった。
 敵討ちの発端は1701(元禄14)年3月、江戸城内で赤穂藩主の浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった刃傷事件。
 内匠頭は切腹、赤穂藩は取りつぶされた。
 上野介にはとがめはなかった。

 そして翌1702(元禄15)年12月14日夜、大石内蔵助をはじめ47人の浪士が現在の東京都墨田区両国にあった吉良上野介の屋敷に討ち入って上野介の首を取り、内匠頭の墓のある泉岳寺まで引き揚げ、墓前に敵討ちを報告した。

 討ち入りの舞台となった旧吉良邸は現在「吉良邸跡 本所松坂町公園」として墨田区が管理する。
 面積は約100平方メートルと当時の86分の1。
 なまこ壁や長屋門を模した造りが当時の雰囲気を醸し出し、園内には「みしるし洗い井戸」や吉良上野介の座像などがある…

 東京都港区の泉岳寺には、討ち入り翌年(1703年)2月に切腹した大石内蔵助ら46人のうち45人の遺体が主君の墓のわきに埋葬された。
 境内の赤穂義士記念館では47士に関する遺品などを展示する…

 また、近くには内蔵助(良雄)ら17人が預けられ、切腹した熊本藩細川家下屋敷跡(港区高輪)の都指定旧跡「大石良雄外十六人忠烈の跡」がある

(2012年11月18日付け東京新聞 編集委員・朽木直文 兵庫県(1)「忠臣蔵」 かつての敵 墨田が縁結び)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/info/furusato/news/201211/CK2012111802000164.html

12月14日は、江戸時代に赤穂藩の元藩士が、主君のあだを討つため討ち入りをした日にあたります。
 討ち入りから310年になる14日、吉良邸のあった墨田区の本所松坂町公園では義士祭が行われ、地元の人や忠臣蔵ファンなど大勢の人たちが集まりました。
 義士祭では神事を行って赤穂浪士と吉良家の両方を悼んだあと、討ち入り前日に47士たちが、近くで甘酒を飲みそばを食べたと言い伝えられていることから、参加した人たちに甘酒やそばがふるまわれました

(12月14日 14時37分 NHK「赤穂浪士討ち入りの日 義士祭」)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121214/t10014185801000.html

 そのNHK、BSプレミアムでは、14日映画、プレミアムシネマ『忠臣蔵 四十七人の刺客』(1994年)が放送されておりました。
 ヤッホー君も予習と思いしっかり鑑賞しておりました!

名匠市川崑監督が、大石内蔵助役に高倉健を迎え、「忠臣蔵」の物語を新しい視点から描いた池宮彰一郎による小説を映画化。
 元禄14年3月14日、赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介相手に刃傷に及び、浅野は即日切腹。
 赤穂藩は廃絶となり、吉良側にはおとがめなしという裁断が下される。
 赤穂藩筆頭家老・大石は資金面・情報面において綿密な策略をめぐらし、翌15年12月14日、要塞と化した吉良邸に突入する

(出演:高倉健、中井貴一、宮沢りえ、森繁久彌、石坂浩二、浅丘ルリ子ほか)
http://www.nhk.or.jp/bs/t_cinema/

 さて、山歩クラブ、泉岳寺でしっかり47士のお参りをして9時ころ寺をでて、浜離宮で昼食。

 そのときの写真を添付します:

浜離宮.jpg

 そしてさらに、両国松坂町吉良邸へと足を運び、逆忠臣蔵を完歩したのです。
 そればかりではありません、さらに山歩クラブ忘年会を兼ねた打ち上げを行ないました。

 終了は夜8時と、丸一日たいへんおつかれさまでした。
 ヤッホー君の歩数計は27487歩を示しておりました。
 お天気も午前中はもって、午後小雨にあいましたが、ま、雨もまた良し、いいタウンウオークができました。

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2012年12月14日

坂本龍一

 あさっての日曜日、ヤッホー君、朝一番でイーチャリ(自転車)で投票所に行こう、とイマ、決意を新たにし、今日12月14日金曜日の日記を締めくくることにしました。

 2013年放送の大河ドラマが『八重の桜』とヤッホー君、このブログで以前、書いたことがありました。

番組の題字を赤松陽構造さんが、そしてテーマ音楽を坂本龍一さんが担当することになりました。
【題字担当・赤松陽構造(あかまつ ひこぞう)さんからのコメント】
 「折れない枝」… 数トンもあろうかと思われる防波堤のコンクリートの塊が、巨大津波に流されてゆく。
 自然の猛威にすべてが流され、あの日多くの人たちが大切なものを失った。
 人間の生活のなんと儚はかなく、脆もろいことか…
 被災地の人々の折れそうな心にも季節は移ろい、また春が訪れる。
 あの濁流のあと、奇跡的に生き残った桜がその傷ついた枝に懸命に莟をつけ、やがて満開の花を咲かせる。
 その桜に「八重」の姿が重なる。
 幕末という大きな時代のうねりの中で、愛する人を失い、故郷を後にしても、困難を乗り越えて真っ直ぐに生きる八重。
 自分を信じ、たおやかにそして凛として。
 「折れない枝」のように。

【テーマ音楽担当・坂本龍一さんからのコメント】
 激動の時代に強く生きた一人の女性の姿は、困難な時代を生きている私たち現代の日本人に何らかの指針になるのではないでしょうか?
 それを表すのにどのような音楽がふさわしいのか、よく考えているところです

http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/116173.html

 そうなんです!今日のテーマは坂本龍一!
 NHK大河ドラマ『八重の桜』のメインテーマを坂本龍一が、ピアノソロで弾いております:
http://www.youtube.com/watch?v=HrzjwZzKooM

 その坂本龍一の公式サイトに『政治家のみなさんへ』があります。われわれも皆んなで、投票するに際し、もう一度、考えてみましょう!

福島を忘れないでください。
 原発のない日本を作ってください。
 脱原発を目指す政治家は協力してください。
 日本の未来である子供たちを守ってください

http://skmtsocial.tumblr.com/

 その坂本龍一は吉永小百合さんがイギリス・オックスフォード大学で原爆詩を朗読したとき、ピアノを弾いて伴奏しておりました。
 下↓に吉永さんの思いが語られていますので聞きましょう。
 真珠湾を忘れるな、広島・長崎を忘れるな、沖縄を忘れるな、そして福島を忘れれるな…
 ね、そうですよね、福島の山や川を歩きたいヤッホー君です。

 投稿日:2011年10月29日 イギリスで吉永小百合さんが原爆詩の朗読会 坂本龍一がピアノ伴奏 オックスフォード大学。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=lEalWrdso8w

 サユリストと打ち明けたヤッホー君、次の本も購入したそうです:

2011年10月、原爆詩の朗読を続ける女優、吉永小百合は、オックスフォード大学の招きを受けてイギリスに向かう。
 ヨーロッパで初めての朗読会、伴奏は、坂本龍一。
 110年前のピアノが哀切なメロディーを奏で、偶然チャペルに迷い込んだ鳩が、長編詩「慟哭」のクライマックスで天井を飛翔した。
 彼女の朗読は、なぜイギリスの聴衆たちの胸を打ったのか。
 吉永小百合が原爆詩と関わった20余年にわたる軌跡を紹介しつつ、当日の出来事をドラマティックに描くドキュメント。
 原爆詩が、国境を超えた瞬間が、いまここによみがえる

(早川敦子(はやかわ あつこ、1960年生まれ。津田塾大学学芸学部英文学科教授)『吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む』女優の朗読に、イギリスの聴衆も泣いた!集英社新書、2012年11月)
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0665-b/

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TPP反対

  茨城県にお邪魔して以来、とても気になる「いのち」。
 美味しくって栄養満点の食材を届けようと努力する農家、患者を救おうと努力するお医者さん、職業紹介をしようと努力するハローワークの職員。
 皆んな人の「いのち」を輝かせようとしている、と思いたいところ。
 ところが昨今、なんでもかんでも民営化だ、規制撤廃だと、主食のコメだって市場に任せたほうが安く、良いサービスが提供できる、と「金」の崇拝者、亡者どもがこの国にも、「菌」のように増えてきておりまする。
 「ゲンパツ・ジコ」で農地が穢れれば、農業を子孫に伝えられない、持続可能性なんてとても脆弱な農業だし、「かね」がなければお医者さんにもかかれない、保険診療で受けられる治療も狭められれば診療所にも行けない、クスリも買えない、という最貧国のような国情に成り下がるおそれがあるのに、あっははおっほほと当座笑えればま、それで良しとするのか、この国の行く末が問われていると思いません、今度の総選挙?

 TPPに関する農漁業者の圧倒的な反対の声って全体の中で薄められ、攪拌され、泡みたいに当事者性が消えていきます。茨城県の新聞もとりあげております:
調査は、今月12月4〜5日の2日間、衆院選の投票行動と併せ、県内有権者を対象に電話で実施。調査対象は、3974人でうち3066人から回答を得た。
 男女別にみると、男性は賛成44.0%、反対37.9%、女性が賛成29.2%、反対39.9%となり、男性の方が賛成を示す人が多かった。男性の「分からない・無回答」が、18.1%にとどまる一方で、女性は31.0%に上った。
 
 職業別では農林漁業で反対が72.9%と、賛成の11.3%を大きく上回り、賛否がはっきり分かれた。TPP参加による農業への打撃が懸念される中、農業産出額が全国第2位の本県でも、反対を示す人が多かった。次いで反対が多かったのは学生の53.5%。
 
 一方で、製造品出荷額が全国8位と有数の工業県でもある本県。
 賛成が最も多かったのは、事務・技術職の47.4%、次いで管理職の40.5%だった。工場や商店などを経営する商工自営業は、賛成が39.0%、反対が39.8%と、ほぼ同じ割合となった…

(2012年12月12日(水) 付け茨城新聞 平野有紀県民世論調査 TPP賛否拮抗「分からない」2割超)
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13552360813909

 TPPに関し、保険外の高額医療機関もできて、その病院には海外のお金持ちがヒコウキでやってきて、この国の進んだ医療技術を受けたい、そういう外人のニーズがあるのだから、とニュウビジネスに乗り出す病院経営者や資本家も生まれるのかな。
以前、TPPにはISD条項があり、外国資本がわが国で事業をする際に、彼らの事業を阻害する施策を政府が行なっていると外国資本が判断する場合、外国資本がわが国政府を訴追できる仕組みになることを記した。野田首相は、ISD条項について「知らない」と答弁したのだった。
 仙石民主党副代表は、TPP参加に日医が反対していることを、被害妄想だと評しているらしい。米国型の医療が日本に持ち込まれることは、「今の段階で」ないというのが、彼の主張である。だから、日医の反対理由は根拠がない、と言いたいのだろう。
 だが、TPPに加盟すると、米国グローバル保険資本が日本に雪崩を打って入り込む。そこで、公的保険が、彼らの事業の参入障壁になると、ISD条項に基づき日本政府を訴追する可能性が極めて高い。米国がTPPを進めている大きな理由が、医療介護に対する保険金融資本の我が国を含めた外国への事業展開であるからだ。
 それに対抗して、わが国が公的保険制度を守ることは困難だろう。財務省は、公的保険の縮小をむしろ望んでいる。仙石氏が「今の段階で」と言っているのは、TPPが締結されたら、公的保険は縮小だと言っているに等しい。また、恐らくラチェット条項もTPPには含まれ、一旦決められたことは後戻りができない。
 国民の意思が、公的保険の保持を望むとなっても、それが政策に反映されることはないのだ

(2012/10/27 13:41付け北関東の小児科のお医者さまのブログ 「TPPは、公的保険の縮小廃止をもたらす」)

 そうなったら、どうなるんでしょうか。住民は配給される食品を恵んでもらおうと配給所に行列をつくり、それでも最貧国と違って、暴動も反乱もおきない、さすがお上のいうことはなんでもきく滅私奉公、飼いなされた羊の国だ、なんて海外の指導者からおだてられて…
 宮城県の新聞もとりあげております:
国は安全保障の観点から食料自給率の目標を50%とするが、現在は39%。関税がゼロになれば国内生産量はコメが90%減、牛肉が75%減、自給率は13%まで激減する、と農水省は試算する。
  「人口爆発、異常気象、新興国の成長、紛争で食料危機は必ず起きる。放棄された農地は簡単には戻らない。国民の命をどう守るのか」 栗っこ農協の加藤栄幸組合長(64)は語気を強める。
 TPP反対県民集会が仙台市で開かれた12月10日、農協、生協、医療、法曹の関係者1000人以上が繁華街をデモ行進した。
循環型農業に取り組む栗原市瀬峰の大内一也さん(55)の姿もあった。
「通行人から何度も『頑張って』と言われた。農業を国の在り方の中でどう位置付けるのか。国民的議論が先じゃないのか」
 将来像を描かない政治に怒りをぶつけた

(2012年12月13日木曜日付け河北新報(大崎総局・松田佐世子、栗原支局・宮田建) 「師走攻防 地域は訴える−被災県の課題(3) TPP 大崎・栗原/農畜産業、生活できない」
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121213_11.htm

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2012年12月13日

今年の漢字

After launching a satellite into space the DPRK should be congratulated for their scientific and engineering achievement. After all, we did congratulate the US, Russia, China and a few others for doing the same.

I would like to condemn the UN for all the wasted carbon emissions emanating from all the politico's mouths while wagging their tongues at great length and achieving nothing in stopping the slaugher of innocent Syrians. The same can be said for Rwanda, Sudan, Congo and others.

I would like to condemn the US and Israel for carrying out a policy of extra-judicial murders using aerial drones and assassins.

I am now going to my toilet to puke because I can't stand the thought of all the dishonesty and hypocrisy that permeates all of our political systems and representatives. This article totally confirms this.


 なんか哀しいですよね、そうは思いません?と哀感を込めた表現をしたくなるヤッホー君。
 これはニホン人的な感慨で、あちらの国では嘔吐感がする、と表現しますかね…

 例文は…It makes me puke!=something makes you very angry or annoyed(LONGMAN≪Dictionary of Contemporary English≫) 例文は…

It makes me puke when I hear rich people complaining about taxes!

 今日の日記のタイトルが漢字なのに、いきなり英語とは、これいかに。

 いえね、実は上述の英文は、December 12, 2012付けカナダの The Globe and Mail紙<North Korea rocket launch universally condemned> By Mark MacKinnon and Adrian Morrow(Beijin)記事への読者コメントから引用しました。
http://www.theglobeandmail.com/news/world/north-korea-rocket-launch-universally-condemned/article6255051/

 なにをまた、ヤッホー君、いきなり英語なんかでっていいますと:

2012年の世相を1字で表す「今年の漢字」が「金」に決まり、日本漢字能力検定協会が12月12日、清水寺(京都市東山区)で発表した
(2012年12月12日17時27分付け東京新聞「今年の世相を表す漢字は「金」 五輪、金環日食、消費増税」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012121201001253.html

 いやあ、実はほかにも Money や Gold だけでなく、人名にもあったりして、と。それは金正恩(キムジョンウン)のこと、実にタイミングよく、今年は『金』に決まるもんですね。

 この DPRK の人工衛星打ち上げを選挙と絡めて心配なさってくれているのがイギリスのガーディアン紙であります。いえ、ね、なにもここニホンだけのお話しではなく韓国でもイマ、選挙で盛り上がっているからなのであります:

Fears about renewed North Korean military aggression sparked by Pyongyang's successful launch of a long-range rocket on Wednesday are likely to boost rightwing and nationalist candidates in crucial elections due in Japan and South Korea within the next week, regional analysts warned.

As a wave of international condemnation engulfed North Korea following what it claimed was a peaceful satellite launch, Shinzo Abe, a noted hawk and leader of Japan's conservative Liberal Democratic party opposition, demanded immediate action to punish the isolated communist state.

Britain's foreign secretary, William Hague, said: "I strongly condemn the satellite launch today." The UK government would summon the North Korean ambassador in London, he said. "This provocative act will increase tensions in the region. I deplore the fact that [North Korea] has chosen to prioritise this launch over improving the livelihoods of its people.

"It is essential that [North Korea] refrain from further provocative action and take constructive steps towards denuclearisation and lasting peace and stability on the Korean peninsula."

(Wednesday 12 December 2012 18.33 GMT付け guardian.co.uk Simon Tisdall, Justin McCurry in Tokyo and Tania Branigan in Beijing )
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/12/north-korean-rocket-launch-condemned

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2012年12月12日

石岡市やさと温泉

 ヤッホー君が再訪を強く希望している石岡市!
 実は、9日の筑波山への月例お山歩会の帰りに汗を流しに立ち寄ったところが石岡市で、ここの「やさと温泉 ゆりの郷」(石岡市小幡1416 Tel 0299-42-4126)だったからでもあります。
http://www.yurinosato.jp/

地下1300mから汲み上げる源泉は、神経痛や関節痛にも効果があり、クセのない単純温泉。
 露天風呂からは筑波山の眺望を楽しむことができます。
 ゆりの郷はJAやさと直営の温泉施設
 そのため、地元で獲れた新鮮な野菜や手作り加工食品を販売する「物産館」も併設しています。
 また、そんな地元産の野菜をふんだんに使ったレストラン「紫峰」も人気です。
 JAやさとが手がける「やさとしゃも」を使った親子丼やお刺身はここだけでしか食べられない美味しさです。
 ぜひ、一度お立ち寄りください

http://ibanavi.net/shop/1814/

 山歩クラブが訪れる立ち寄り湯って大体いつも1時間後に休憩室に集合って号令がかかります。
 それから30分ほど湯上りの一杯を楽しむ程度、それに地場産野菜の直売場があればそこにお邪魔して、もう合計1時間半後には帰京、という大忙しの日程ですので、湯っくり湯ったり温泉に浸っているという余裕がありません。
 なんと一番遅くぎりぎりまで山の出で湯、山に湧く温泉を味わっているのがヤッホー君なんですね。
 仲間からは「もう数えるしかない髪の毛イッポンイッポン洗ってるんだから、そりゃあ遅くなるさ」なんて皮肉を言われて笑われても、湯上りの厚顔にはちっとも答えません、水も滴るいい男気分!
 ここがヤッホー君の辛いところ、誰も、どなたもそうは思ってくれません。
 本人だけがそう思っているにすぎませんが、嘲笑にもじっと耐えて、ビールも飲めずに山に湧く水を飲んで、破顔一笑!

 次回は、石岡市をタウンウオークで歩いた後は、「やさと温泉 ゆりの郷」におじゃましてのんびりゆっくり、しようっよ。
 ビールのつまみに、「やさと産つくばしゃも」を使用した「しゃもささみのたたき」、それに「茨城県産ローズポーク リヴロース」を使用した「豚ステーキ」を食べて、地酒をいただいて、締めの喉越しはもちろん、「やさと産そば粉」を使用した「天ざる」にしようと思っているのです。 
 
 お土産は二つ、「物産館」で地場産野菜を買うことと、売店で発売されたばかりの≪石けん≫を買うことなんですねぇ〜:

石岡市八郷商工会は12月5日、地元の特産品を使ったせっけんセット「石岡ものがたり」の販売を始めた。
 市内の四季折々をイメージした4種類の成分を配合、ギフト用として商品化し、石岡の魅力をPRしていく。
 「石岡ものがたり」は春夏秋冬に合わせ、バラの花びらの入った「隠れ里のバラソープ」、蜂蜜を8%練り込んだ「Mitsu」、カキの柿渋液入りの「しぶっ」、地元酒蔵の酒かすを配合した「こはく」の4種類のセット。
 せっけんを製造した化粧品製造「そのここ」の深津その子社長は「石岡の良いものを取り入れた。いずれも保湿成分が高いほか、香りも楽しめる」とアピールしている。
 価格は2800円(税込み)。
 県フラワーパーク(石岡市下青柳)や温泉施設「ゆりの郷」(同市小幡)のほか、地元の設備工事業者が開設するウェブショップ「水々舎」で販売している

(茨城新聞「四季のせっけんセット「石岡ものがたり」販売 八郷商工会)
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13547047289098

 この日帰り温泉施設はJA直営なんです。
 ですから、「ゆりの郷物産館」の野菜って、地場産、産直、地産地消もいいところ、そのものずばりなんですから。
 この「ゆりの郷」も含めて石岡市八郷地区の未来への可能性について、若い学生諸君からの提言もインターネットで読めます。

 消費者も生産者も、観光客も登山客も、そして地元の方もぜひじっくり読んで、われわれ、そしてわれわれの子や孫にも続く(持続可能性 sustainability)市場(farmers' market)として、定着させ成功させていきませんかね。
 欧米から視察に来ますって、ゼッタイ!

『本報告書は,慶應義塾大学経済学部における2003年度合同演習(担当:大平哲・駒形哲哉)の一環として,茨城県八郷町を中心におこなった、有機農業にかんする調査の結果と考察をまとめたものである…

 現在、八郷は農産物の販売先として東都生協に大きく依存している。
 2001(平成13)年度の八郷の販売実績の構成比を見てみると東都生協が73%であるのがわかる。
 一つの販売先に依存していると、相手に影響されやすく、提案力も弱くなり取引に大きなリスクが生じる恐れがある。
 このようなことから供給先を多様化することがリスクを分散するという点で重要である。
 八郷は大阪にも出荷しているが、より多くの地域に販売拠点を設けられるとよい…

 八郷から東京に帰る前に温泉施設「ゆりの郷」へ寄った。
 平日にも関わらず八郷だけなく近隣からもたくさんの人が訪れていて、併設している直売所も大盛況だった。
 私はこの直売所の活用を提案する。

 直売所には市場出荷に合わない規格外の農産物を売ることができるという利点だけでなく、消費者の反応を直に感じることができるという利点がある。
 例えば、販売状況を生産者にインターネットやFAXで知らせるシステムを作り、自分の商品への反応を数字で日々把握することで、売り上げを伸ばすために生産者自らの工夫が生まれてくる可能性がある。
 生産者の自発的な取り組みは生産者の活気、八郷の活気へとつながる。
 また、八郷ブランドを確立していくための有効な手段として、農産物だけではなく、加工商品などを展開していくことが考えられるが、直売所に試験販売的に惣菜やドレッシングなどさまざまな加工商品を置くことで、こうした試みが市場で成功するかどうか、またどのような商品が求められているか、潜在需要の発掘が可能となる。

 このように直売所の活用はさまざまな可能性を秘めている。
 また「ゆりの郷」を訪れた多くの人が併設している直売所に興味を示したことは、直売所への関心が高いことを示している。
 そこで「ゆりの郷」の直売所の活用はもちろんだが、八郷や近隣の町にある大型スーパーに対して新たに直売所の設置を求めることも、併せて私からの提案としたい…』

http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tets/kougi/chiiki/chiiki03/

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2012年12月11日

石岡市八郷商工会

 「石岡市八郷商工会はシシ鍋を食べられる店の地図を作って紹介」… そうなんです。ヤッホー君はもう一度、もう一度、歩きに石岡市にお邪魔しようかな、って真剣に考えているそうですよ、あ〜ぁ。
 あのトンネルさえ潜らなければ、そんなことちっとも思わなかったはずなのに、あ〜ぁ…

 だって、まず第一に、このシシ鍋の地図に乗っているお店に行きたいこと… 食いしん坊というか欠食児童のヤッホー君の食欲をそそったようで…

『石岡市八郷の猟師さんが、野山を駆け回って射止めたイノシシは、うま味のある脂がこたえられない味覚を醸し出します。
 天然ものだから余分な脂が一切なく、噛めば噛むほど肉のうま味が口の中に広がります。
 肉のうま味と野菜の甘みがマッチした、身体も心も温まる“しし鍋”を是非ご賞味ください!
 それぞれのお店がこだわりを持って“しし鍋”を作っています!3店舗のしし鍋を食べ比べれば、地元の特産品が当たるスタンプラリーも実施しています!
※検査して安全性を確認したしし肉のみを使用しておりますので、安心してお召し上がりください。
石岡市八郷商工会 Tel 0299-43-0247(担当 土田)』
(やっぱり今年も しし鍋 だっぺ!)
http://www.ibarakiguide.jp/wp_kanko/season/

そして、秋の味覚は柿!シシ鍋だけじゃ、ございません、みかんなどの果物もあるし、これが第二。

皇室へ献上する富有柿を選ぶため、毎年11月中旬に審査会が行われます。
 八郷柿振興協議会をはじめ、柿生産農家関係者らの手で、300〜320gの基準に適合した柿の中から、献上する柿を慎重に選び、1つ1つフルーツキャップをかけて、3つの桐箱に各8Kg(24個)ずつおさめます。
 審査会翌日、石岡市長はじめ、関係者らが上京して宮内庁を訪れ、天皇皇后両陛下と皇太子様宛、それぞれ届けています。

 甘柿生産地の北限とされる石岡市の八郷地区では、昭和の初期に園部の真家地区で生産が始まりました。
 1950年代半ばに同地区の生産者らが宮内庁に納めたのを契機に、皇室への献上が続いています。1969年以降、生産者の事業から旧八郷町の事業となり、石岡市との合併後、石岡市の事業として引き継がれています。
 この八郷地区は盆地のため、朝晩の冷え込みに伴う寒暖差が大きく、糖度の高い柿が生産できます。
現在、市内には96戸の柿生産農家があり、計98ヘクタールの柿果樹園があります。

 皇室への献上は3つの生産・出荷組織が、当番制で収穫から選果、献上を担当します。
 この栄誉ある富有柿を、11月初旬から石岡市で食べることができます。
 柿栽培農家が胸を張っておすすめできる逸品です

(献上柿)
http://ishioka-kankou.com/440fruit/kaki/kenjou_kaki.html

 先月の月例お山歩会のとき寄った「道の駅はくしゅう」(北杜市白州町白須1308 Tel 0551-20-4711)で仕入れた柿でできた「干し柿」、それがヤッホー君にも「献上」されまして食したところ。
 これがまぁ〜、甘くって美味しいことったらありゃしません。
 今年は夏の酷暑、そして急に冷え込んだりで寒暖の差が大きく、柿だけでなく、ぶどう、ラフランス、りんごなど果物全体、糖度が増しているような気がしますって、珍しくヤッホー君。
 果物を買って食べるほど、ヤッホー君に余裕がないはずなんだけどなぁ…

 この石岡市って、ね、大ムカシは東国の首都だったんですよお〜。となれば歴史散歩、タウンウオークを石岡市でって思いません? これが第三の理由ですって…

石岡市は「歴史の里」とも呼ばれるように、古くから人々の生活、文化、交易の場として長い歴史を刻んできました。
 霞ヶ浦に近く、肥沃な土地にも恵まれた環境から、数多くの史跡が残り、今なお、発掘調査があちこちで続いています。
 特に古代日本の大和勢力が東進、北進する過程で、東国のきわめて重要な拠点として、重要な役割を果たしたことを示す「鹿の子C遺跡」(常磐自動車道整備に伴い消滅)をはじめ、国分寺、国分尼寺など、数多くの著名な史跡、さらに、伝統的なお囃子や民俗芸能が今日に伝えられています。
 「常陸風土記の丘」は、それら歴史財産を紹介し、活用することで、歴史、伝承、体験学習、スポーツ、コミュニティなどを幅広く可能にした、生涯学習施設でもあります


石岡市は、茨城県のほぼ中央、西に筑波山、東に霞ケ浦を望む台地上に位置しています。
 有史以前から人々の生産、生活の場としてひらけ、今から1万年以上も前の旧石器・縄文時代から弥生時代にいたる数多くの遺跡が発見されています。
 さらに4〜6世紀の古墳時代の遺跡として、茨城県内最大規模を誇る舟塚山古墳をはじめ、府中愛宕山古墳、要害山一号墳など、数多くの古墳があり、この時代、豪族が勢力を伸ばしていたことを物語っています。
 そして、7世紀のなかばになると国府が置かれ、常陸国が誕生。
 国分寺・国分尼寺も建立されました。
 以後、東日本の重要な拠点として、大いに繁栄しました

(常陸風土記の丘)

 ですので、観光ボランティアの方からご説明をうかがいながら、民俗資料館・府中城跡・陣屋門→常陸国総社宮→若宮八幡宮→中町の登録文化財→金刀比羅神社→平福寺・茨城廃寺礎石→茨城廃寺跡のモデルコースですって…、山歩クラブの企画会議に提案しようっと。
http://ishioka-kankou.com/112fudoki/112fudoki.html

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2012年12月10日

朝日トンネル

 「完成したばっかりの≪朝日トンネル≫を通ると筑波山の登山口まで早く着くことができるかも知れない」とカッシーからの情報を仕入れた山歩クラブ、なんとしても≪朝日トンネル≫を通らないわけにはまいりません!

石岡市柴内と土浦市小野を結ぶ朝日トンネル(全延長1784m、片側1車線)が11月12日開通した。
 土浦市側トンネル出入り口で午前10時から開通セレモニーがあり、同市立新治中学校吹奏楽部の演奏披露後、橋本昌知事、土浦市の中川清市長、石岡市の久保田健一郎市長らがテープカットを行なった。
 続いてセレモニーに出席した関係者らの車両が「通り初め」を行ない、石岡市側へトンネルを抜けた。

 石岡市側トンネル先の県フラワーパーク(同市下青柳)では開通式典があり、橋本知事は「朝日トンネルを有効活用し、両市の発展に結びつくよう期待する」とあいさつした。

 トンネル開通前は、朝日峠を越えて両地域を結ぶ山岳道路を抜ける必要があり、冬場は雪や雨で路面が凍結することもあった。
 トンネル開通で両地域を結ぶ所要時間は約15分から約5分に短縮される

(2012年11月13日付け毎日新聞地方版 福沢光一「朝日トンネル:土浦側出入り口で開通セレモニー/茨城」)

 山歩クラブの車内は、「朝日トンネン」を通過したあと、満席、20人全員の無事と運転役の大坂さんのハンドルさばきを称え、大きな拍手が巻き起こりました。
 だって…、

9人が死亡、2人が重軽傷を負った中央自動車道笹子トンネル(山梨県)の天井板崩落事故で、国土交通省と中日本高速道路(名古屋市)は12月8日、事故が起きていない下り線トンネル(全長約4.7キロ)でもボルトやナットの緩みが見つかり、天井板を全て撤去すると発表した。
 中日本高速は9日に天井板の撤去工事を始め、下り線の二車線を対面通行にする形で年内の仮復旧を目指す。
 上り線については、復旧のめどは立っていない

(2012年12月9日09時57分更新東京新聞「笹子トンネル 年内の仮復旧目指す」)

 山梨県ではなく茨城県! 石岡市ってどんなところかなって?

イノシシ猟が11月15日に解禁され、東京電力福島第一原発の事故後、県内で唯一、シシ肉の出荷が認められている石岡市内では、飲食店が名物シシ鍋の準備を進めている。
 万一、放射性物質が基準値を超えてシシ肉が不足する事態に備えて、今季はもう一つの名物「つくばシャモ」の鍋も用意。
 寒さ深まる中、食材が豊富な地域性を生かし、鍋好きの期待に応える。

 原発事故の影響で、イノシシ肉は昨年12月から、県内全域で国から出荷制限指示が出されている。
 しかし、石岡市は例外。
 市職員が立ち会って処理するなど厳格な条件を申し出たことで、セシウムの基準値(1Kg当たり100ベクレル)を下回った肉については、出荷が認められた。

 「かめばかむほど甘みが出る」「コラーゲンたっぷり」。
 評判の肉は筑波山麓の旧八郷地域で昔から食べられてきた。
 2006年からは街おこしとしても力を入れ、市八郷商工会はシシ鍋を食べられる店の地図を作って紹介。
 今年も11店を載せた地図を県内や東京都内で配っている。

 昨年は原発事故の影響をまともに受けた。
 肉が基準値を超す実害と風評被害。
 2011年度、提供した鍋の数は1026食で2010年度の半分以下だった。

 今季は基準値が昨季の500ベクレルから5分の1へと厳しくなった。
 9月に検査したイノシシは5頭すべてで、基準値を下回ったが、シシ肉の確保や風評被害の払拭は「去年より厳しいかもしれない」と商工会の本図(もとず)一衛会長はみる。

 そこで、念のため用意したのが、地元農協のJAやさとが農家と契約して育てているブランド肉「つくばシャモ」だ。
 平飼いで育てるため健康で、肉質が締まり、うま味も凝縮しているという。

 放射性物質の検査に厳格な生協などにも卸しているが、これまでの検査でセシウムはすべて検出限界値以下。
 安全が確認されている。

 商工会では、焼き鳥などで食べられてきた肉をしょうゆや、みそベースの鍋の具材に使う新たな調理法をとり入れた。
 商工会サービス部会長の藤岡充さんは「万一、イノシシが出せなくてもシャモがある。鍋でほかほかと体を温めてほしい。タイミングよく食べられるように、ぜひ予約を」と呼び掛ける。
 石岡と土浦を結ぶ朝日トンネルも開通し、今季は客足の回復を期待しているという。

 シシ鍋の今季の提供時期は未定だが、シーズンは来年5月ごろまで続く。

 一人前で、シシ鍋は1200〜2500円、シャモ鍋は1000円。
 地図の問い合わせは石岡市八郷商工会=Tel 0299-43-0247=へ

(2012年11月20日付け東京新聞 井上靖史「石岡名物の鍋 ノシシだめならシャモもあります」)

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2012年12月09日

筑波山

お世話になりました。ありがとうございました。伊達に百名山では有りませんでした。良い山でした。楽しい山行でした

お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
 今日のコースは登山道、下山道とも変化があり、景観は良くとてもステキでした。
 快晴の下、楽しませてもらいました


 どうしたのでしょう、山歩クラブ。

 12月9日日曜日、20人で満席の仲間を乗せた専用バスは、茨城県筑波山を目指していました:


『「西の富士、東の筑波」と並び称される二つの山ですが、生い立ちはまったくちがいます。
 富士山が火山の噴火で形作られた山であるのに対し、筑波山は火山ではないのです。
 その証拠に、火山ならよく見られる溶岩や、噴火時に噴出して厚く降り積もっている軽石などが、筑波山には見あたりません。
 筑波山は、
 @ 下深いところにできたマグマだまりが冷え、固まって斑れい岩となり(7500万年前、恐竜のいた時代です!)
 そのあと、A のマグマが上がってきて斑れい岩を囲むように花崗岩が固まりました(6000万年前、恐竜絶滅後です)。
 その後、B 固まった岩石のある地層がゆっくりと隆起し地表にあらわれ、長い時間をかけて雨や風で侵食を受け、硬くて風化に強い斑れい岩と、その下に花崗岩が残って今の筑波山を形作ったのです。
 長い歴史がある筑波山の生い立ち、その時間の長さをぜひ感じて下さい。

 「おたつ石コース」の登山口を登りはじめて振り返ると、なだらかな裾野が見渡せます。
 つつじヶ丘から下は風化しやすい花崗岩と土石流などでたまった堆積物でできているからです。
 高い木のない場所は、かつてカヤ場としてススキの草原が維持されていた場所です。
 樹林帯に入りさらに登ると、険しくなってごつごつとした巨岩が連続して現れるようになります。
 弁慶七戻り、出船入船など名前のついた奇岩が目を引きます。
 これらは、風化に強い斑れい岩です。斑れい岩の岩体には、地下から隆起したときに、押し上げる力などで大きな割れ目が生じ、このような割れ目に沿って崩れたときに取り残されたり、途中で引っかかったりした岩が、奇岩となっています』

(NPO法人 つくば環境フォーラム(TEF)
http://tef298.sakura.ne.jp/cn54/pg456.html

 もう奇岩の数々に感動した山歩クラブの仲間達、きゃあきゃ言いながら全員で、女体山、男体山と歩きとおしてきました。どなたもロープウエイにするとか、ケーブルカーで下りるって言わなかったのです。
 皆んなで敢闘を称えあいました:

『今日は山歩クラブで日本百名山、筑波山を歩きました。
 全員完歩です!
 ぜひ、今日の山行参加者に拍手を!
 皆んなで、双耳峰の筑波山の男体山、女体山の山頂を踏みました。
 帰りはどなたかケーブルカーで、とかロープウエイでとかおっしゃるかなと思いきや、全員、完歩しました!
 すご〜い、すばらしい、ばんざ〜い!

 今日は冬の寒空、しかしわれわれの気持ちは真っ赤に燃えた太陽でしたね。
 お山歩会のあいだも、立ち寄り湯で露天風呂でゆっくりしているあいだも、車中の話し合いの間じゅうの笑顔にも、バスを分かれても、手が千切れるくらいに手を振って、気持ちの繋がりは、いつ、いつまでも。
 その裏方で、企画のカッシー、会計の川上さん、初心者教育指導係りの杉山さん、見事な安全運転の大坂さん、皆さんそれぞれ、山行にご協力くださったからできた最高のチームワークがあったおかげなのです!』

つつじヶ丘.jpg

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2012年12月08日

真珠湾を忘れるな、沖縄を忘れるな

 ヤッホー君の投票先を決める規準のひとつは、≪改憲≫でした。
 昨日のフクシマにつづいて、今日12月8日はオキナワです。
 ある日突然、地震のようにとんでもないことが起こった、なんてならないよう、少なくともこのクニが、ミンシュシュギ国家ならば、勝ち組であろうと負け組であろうと、一票は一票、「政治」に参加できるはず。
 まずは、ヤッホー君がいつも尊敬申し上げているお子ちゃま、小児科のお医者さまの投稿からです;

『自民党の改憲案をお読みになった方はいらっしゃるだろうか。
 ネットで検索すれば、容易に見つかるので、是非目を通し、現在の憲法との違いを検討なさってみて頂きたい。
 ざっと読んだところでは、改変事項、それに対する私のコメントは〜〜〜

〇 前文の憲法平和主義の記載が削除された。現憲法の大きなバックボーンであり、基本的人権に基礎を与える記載がすべて削除されている。

〇 天皇は、国家の象徴と規定されていたものが、元首と規定されている。天皇の機能についての記載は変更がないが、元首とされた場合、天皇が国体に関わる存在とする戦前の思想が復活する可能性がある。

〇 国民の権利と義務の内、義務が強調される内容になっている。特に、思想結社表現の自由や、財産権等様々な国民の権利は、公益と公の秩序に反しない限り認めるとされている。この部分は、現憲法では、公共の福祉に反しない限り、とされている。国家秩序を優先するように改変する意図が明らかである。

〇 集団的自衛権を認め、かつ自衛隊を国防軍と改名している。軍事同盟を結ぶ他国(要するに米国)の軍事的な衝突に対して、わが国が積極的に軍事的な関与をする、ともに戦争に突き進む内容になっている。第二次世界大戦後、パックスアメリカーナという自国の政治経済の覇権を維持するために、最も頻繁に戦争を行ってきたのは米国であることを忘れてはなるまい。

〇 現憲法の国民の基本的人権を保障する97条が全部削除され、一方、国民が憲法を順守する義務を負うと言う、条項が新たに加えられている。これは、国家の暴走を防ぎ、その暴走から国民を守る役割という近代憲法の理念を踏みにじる改変になっている。

〇 宗教教育、宗教の政治への関与も、認められる内容になっている。これは、天皇制を国家に適用した国体思想という疑似宗教を念頭に置いたものではないかと思われる。

〇 緊急事態という条項が新たに加えられ、自然災害・内乱等の緊急事態では、内閣に法律と同等の効力を持たせた政令を出す権利が与えられている。これは戒厳令に近い内容になるものと思われる…』

(2012/12/05 20:37更新 「自民党改憲案」)

 この改憲案は下↓を参照:
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

 この改憲は大事な大事な根幹の争点であるにもかかわらず、メディアは議席数うんぬんかんぬんの報道で済ませていますよね。
 有権者、主権者を蚊帳の外においておこう、民は寄らしむべし、知らしむべからずだからな、決まってからメディアを使って周知徹底し、反対者がいれば殺処分することでいいな、と。
 これって、上は政治の世界から、下はどんな組織でも、イマ、大流行ですよね、そういえば。
 これって、でも疑問を投げかけているメディアがオキナワにありましたので、論説を二つほどご紹介しますので、投票日には参考にしたく考えます:

戦後行われた国政選挙で、今衆院選ほど憲法改定が主要争点となった選挙はないのではないか。
 竹島、尖閣諸島の領有権問題などをめぐり、主要各党で集団的自衛権の発動を可能とするための改憲論議が活発化。国内にいつになく不穏な空気が漂い始めている。
 勢いを増す改憲の流れに対し、護憲を掲げる政党の声はかき消されがちだ。
 「平和憲法」を守り「平和国家」として国際社会の信を得てきた日本は、「戦争可能な国」へと転換していくのか。有権者は重大な選択を迫られている…

 71年前のきょう、日本軍のハワイ真珠湾攻撃で日米が開戦し、その後沖縄は地獄絵図のような地上戦が繰り広げられた。
 戦争がもたらした犠牲は、今も多くの国民の記憶に刻まれ、語り継がれてきたはずだ。
 作家の城山三郎氏は「戦争で得られたものは憲法だけ」と述べたという。
 不戦を誓った「平和憲法」をどうするのか、国民全体で考える時ではないか

(2012年12月8日付け琉球新報社説「12総選挙、戦争の教訓踏まえているか」)

既にオスプレイは本島中をくまなく飛び回っている。宜野湾市上大謝名では80デシベル以上の騒音を10、11両月で592回も記録した。
 80デシベルは「騒々しい工場内」に匹敵する。それを1日に10回も味わわされる住民の苦痛を、政府は想像してもらいたい。しかもその苦痛はいつ果てるともしれないのだ。
 あろうことか11月19日には100.6デシベル、26日には101.3デシベルも記録した。これは「電車通過時のガード下」に匹敵する。オスプレイ配備前の主力ヘリは70デシベル台だから、騒音被害激化は明らかだ…

 沖縄の空の無法状態は歴然としている。
 主権国家であるなら日本政府は毅然(きぜん)と対応すべきだ。
 忘れてならないのは、そもそもこの配備が私たち県民の明示的な総ぐるみの反対を押し切ってなされたことだ。
 騒音が多少減れば済む話でもなく、合意を守れば済む話でもない。
 本来、この空に何を飛ばすかは県民が決めることだ。
 県民は「空の主権」を放棄してはいない。
 それを否定するなら、両政府は民主主義の標榜(ひょうぼう)をやめてもらいたい

(2012年12月3日付け琉球新報社説「オスプレイ2ヵ月 違反繰り返し法治国家か」)

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2012年12月07日

アナンド・グローバー氏

東京電力福島第一原発事故の影響を調べるため、来日した国連人権理事会の助言者、アナンド・グローバー氏が11月26日、都内で記者会見した。
 福島県民への健康調査について「不十分」と指摘。
 さらに「除染のあり方などを決める場に住民が参加していないのは問題」と述べた。
 インド人弁護士のグローバー氏は、福島県民らの「健康を享受する権利」が守られているか調べるため、政府や東電関係者、県民らから事情を聞いた。
 この結果は来年6月の国連人権理事会(前身・人権委員会)に報告され、日本政府に勧告すべきか議論される。
 
 福島県などが行なっている子どもの甲状腺検査や一般的な健康診断、アンケートについて「内容が不足している。チェルノブイリの教訓や、100ミリシーベルト以下でもがんなどの健康影響があるとする疫学研究を無視したものだ」と批判した。
 具体的な提案、改善策にはふれなかった

(2012年11月27日03時00分更新 朝日新聞 大岩ゆり「福島の健康調査「不十分」 国連人権理事会の助言者が指摘)

Although he welcomed ongoing health checks of affected residents, Grover said they were too narrow in scope because they are only intended to cover Fukushima's two million people, and that only children are being given thyroid tests, even though the impact of radiation went far beyond Fukushima's borders.

He said the health survey should cover "all radiation-affected zones" stretching across much of the northeastern half of the main Japanese island of Honshu. So far, only ¼ of Fukushima's population has been covered.
(The Associated Press, 2012)
http://www.cbc.ca/news/world/story/2012/11/26/wrd-japan-nuclear-health-fukushima.html

東京電力福島第一原発事故の被曝影響をみる住民の健康調査について、福島県医師会は12月6日、国の直轄で実施するよう原子力規制委員会に要望した。
 現行は福島県が県立医大に委託して実施しているが、基礎調査の参加率は2割強だけだ。

 規制委の検討会で、福島県医師会の木田光一副会長は「県外避難者も約9万人おり、県だけでは対応できない」と述べ、国の主導で調査をするよう求めた

(2012年12月6日20時34分更新 朝日新聞 「原発事故の被曝健康調査、国直轄で 福島県医師会が要望」)

 皆の衆、どう思います? この原子力ムラの村民以外はエーリアンとばかりの対応の仕方。
 冷酷無慈悲なもんです、また、師走総選挙の争点にもなりません。
 そこでヤッホー君、投票すべき人物選びの基準、≪いのち≫への補充、補筆、補填としておきます。
 といっても、もう諦めにも近い嘆き、怒り、憤りはこのブログにも再三再四登壇なさってくださっている中部大学の武田邦彦教授が明かしてくれています:

ソ連のチェルノブイリ原発事故の時に、ソ連政府は翌日にキエフから大型バス1100台を出して、子どもを避難させた。チェルノブイリの被曝被害が少なかったのはソ連政府が素早く子どもを避難させたからだ。動物ですらヘリコプターで吊り上げて移動した。
 それに対して日本政府がなにもしなかったのはなぜだろうか?
 「直ちに健康に影響がない」と政府は繰り返し、NHKや大新聞は自分たちの記者を福島から総引き上げをしたのに、「安全です」と放送したり伝えたりした。

 実は現在の日本の政治家は「虫の勇気」ほどの勇気を持っていないからではないか?
 人生が始まってからこれまで家庭や自分の会社の中ぐらいは何とか新しいことができても、日本というような大きさを前にして、何かをするよりも、何もせず後は口でごまかすことだけをしてきたのではないか?
 原発周辺の住民に避難用のバスを出す決断すらできなかった精神構造を考えてみなければならない。
 事故の時の鉄則は、まず「避難」、そして「除染」、それからよくよく考えて「復帰」しうる時期に復帰ということ以外にする方法がないことは明らかである。
 あのときは寒かった。
 バスで住民を移動し、状態を見て次の判断をすることは十分にできた。でも、家庭的なことの範囲でしか判断ができなければ、このぐらいのことでも決断ができない可能性がある。その人たちを代議士に選んだのが間違いだった。

 そして、「被曝は大したことはない」と言う世界的にも独自の考えを持っている「法令違反の医師」を素早く呼んだり、NHKを利用して東大教授に虚偽の説明をさせることなどに奔走する狡さはあったようだ。けれど、自分たちを代表に選んだ国民を被曝から救う勇気はなかった

(12月6日更新 武田邦彦 「勇気が足りない我が世代(1) 避難―除染―復帰」)

 関東大震災のときの東京市長のような気概(12月5日付け日記「犬死」参照)もなくなって、劣化への途をひたすら辿るこの国のリーダーたち。
 それを結果的には、われわれ有権者、主権者、市民も許していますよね。
 喉元過ぎれば熱さを忘れ、首からタグを下げご主人様を見上げてる飼いなされたペットのような存在に成り下がってしまったのでしょうか。
 地デジ・テレビの前に座って、ワイドショウのように総選挙への「街の声」とか「投票先政党の世論調査」とか、意図的に編集された画面をぼんやりと眺めてばかりいると、イマにとんでもないことがおこってしまいますよ!
 昨年3.11の後、山歩きを「自粛」せざるを得なくなったわれわれですが、もう二度とそんなふうに自主的に遠慮することがないよう、自由に、大手を振って、いつでも、どんなときでも、福島県の山も歩きたいし、日本人の魂のふるさとである山々を堂々と歩きたいのです。
 それでちょっと語気が強くなっているようです、ヤッホー!

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2012年12月06日

餓死

 来る総選挙の際の投票すべき人物選びの判断基準について。
 第一は、「衆院選公示」で綴った≪外交≫でした。そして第二が「犬死」で述べた≪改憲≫についてでした。そして今宵は第三、≪いのち≫についてであります。

 ヤッホー君の叔父さんが名古屋で開業医ということもあってか、お医者さんにはいつも尊敬の念を示すのですが、まずはヤッホー君がいま、一番、敬意を示している北関東で小児科医をなさっている先生のブログをご紹介:

わが国で、1997年から2011年までの間に、2万5000人以上が、「餓死」をしたと報告されている。
 一日5名以上の方が、餓死をしているのだ。
 その数は、増え続けており、最近のデータは、1997年のそれに比べて、1.6倍になっているという。

 非正規雇用は、1997年から2011年にかけて、23.1%から35.4%に増えている。
 貯蓄無しの世帯も、10.2%から28.6%に増加している。

 一方、大企業の内部留保は、同じ年を比べると、143兆円から267兆円と大幅に増えている。
 市場原理主義に基づく、日本の「構造改革」は、専ら輸出頼みであり、さらに雇用条件を劣悪化させることによって企業利潤を積み上げてきた。
 その結果が、現在のデフレである。
 それを、さらなる金融緩和で乗り切ろうと主張している政党が政権を握る気配だ。
 金融緩和をしても、実体経済はよくならないのに、である。
 金融緩和をして、公共事業を積み増しするつもりのようだが、その方策が、現在の破綻寸前の財政をもたらしたのだ。

 この20年間は、まさに市場原理主義グローバル経済の克服が、課題だったはずだが、その処方は、現実の政治の世界では見えない。
 我々は「社会的共通資本」の考えに立ち返ること、そして「経済的効率性と経済的成長」を何が何でもこれまで通り達成しなければならぬという呪縛から自由になることが必要なのではないだろうか

(2012/12/04 11:21更新北関東の小児科のお医者さまのブログ「経済的効率性・成長の呪縛」)

 こういう現実とどう、立候補者の皆さまは向き合うのでしょうか?
 立候補者の皆々さまは略歴など拝見しますと、親の七光りだったり、大手企業や官公庁にお勤めでいらっしゃたり、大企業労組のダラ幹でいらっしゃたりで、こういう巷の生活臭漂う、どぶ板の感覚ってお持ちでなく、あら、エネルギー政策だ(いまのフクシマゲンパツの廃炉って大丈夫なの…?)、ほら、日本の開国(グローバル化している経済への参加は環太平洋経済連携協定を遅滞無く結ぶことだ?)、そら、福祉政策は消費税をあげないと保証できないなんて大風呂敷を広げて有権者を脅すもんだから、困民党のヤッホー君など、どぎまぎして心臓がばくばく。
 ましてミンシュ党はヒンシュクもの。「シロアリ退治なき消費税増税はおかしい」として2009年総選挙で言ったのに政権を獲得したら、この公約と正反対の消費税増税を決定するなんてとんでもないことをする松下生計宿あがりの政治屋ばかりだから、「脱原発」なども当てになるもんか。政権に入ったらまた正反対のことをするに違いないから、なおさらのことヤッホー君の心臓はどきどき。

 これは衆院選ではなく、東京都知事選挙なんですけど…。
 このヤッホー君のブログにも何度か登場なさっている弁護士杉浦ひとみ先生は、候補者のひとりにある日、こんなインタビューをなさっていたと語ってくれています:

聞き手(杉浦ひとみ):『弁護士、闘う』という宇都宮さんの著書(岩波書店、2009年)の帯に、「いばらない、きどらない、かざらない。良心的で、良識的で、だけど徹底的。公平で、公正で、そして弱者の側に立ちきる。現場を持ち、社会に訴え、そして政治に働きかける。私たちは、闘う弁護士宇都宮健児に、理想的な活動家像を見る」と、湯浅誠さんが書いて下さっているのは、そこで一緒に活動され、宇都宮さんの人柄を知って書かれたわけですね。

宇都宮: とても過分な言葉をいただきましたが、私は湯浅さんこそ理想的な活動家だと思っています。彼はね、貧困の問題を“溜め”をなくした状態だと言います。“溜め”とは、一つには貯金なんですが、大事なのは人間関係の“溜め”がなくなること、つまり、頼れる相手がおらずに孤立した状態だというのですね。これが貧困だというのです。貧困は、孤独と絶望、活きる意欲の喪失に行き着きます。私は、こんな視点を持った湯浅さんを見ていて、ほんとうに頼もしく思ったわけです。

http://blog.goo.ne.jp/okunagairi_2007/e/03a7fae1dc18855c1ac305f97dd857ba

 この湯浅誠さんの所属するNPOでは、今度の衆院選に向けて次のようなメッセージを明らかにしておりますので、ご紹介:

■ 衆院選をむかえるすべての政党及び候補者のみなさまへ
 ここであげた提案を実際の政策に発展させるには、財源や税収の話もしなければなりません。
 誰が負担をして、それをどのような形で社会全体の仕組みにつなげていくかは、避けては通れない議論です。
 しかし、「いのち」の問題について、財源や一面的な数字を根拠に、安易にその可否を判断することは決してあってはならないことです。
 私たちは「いのち」を守る社会を求めています。
 私たちは今この瞬間、食べるものもなく、寒さに震え、孤立し、誰にもSOSを発することができずに苦しんでいる方がいらっしゃることを知っています。
 私たちは「貧困問題」に取り組むNPOとして、そして、「貧困」に晒されている一人ひとりの方の声を受けとめている立場として、この国と、この社会のあり方について、決して無関心ではいられません。

 12月16日に衆議院選挙をむかえるすべての政党及び候補者のみなさまへ。
 貧困を社会的に解決したい。
 私たちの想いは、ただその一点のみです。
 そして、その困難な道を拓くためには、政治の力がどうしても不可欠なのです。
   
 私たちは、真摯に貧困の現状と実態を見つめ、困難な状態に陥っているすべての人の声を受けとめて社会に還元し、必要な制度や施策の実現につなげていく政治家を求めています

(2012年12月1日 NPO法人自立生活サポートセンター・もやい一同)
http://www.moyai.net/modules/d3blog/details.php?bid=1609

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2012年12月05日

犬死

『第一に我々が考えなければならぬことは、この事業は実に我々市民自身がなさなければならぬ事業であります。
 決して他人の仕事でもなく、また政府に打ち任せて知らぬふりをしているべき仕事ではない。
 それ故にこの事業ばかりは我々はこれを他人の仕事として、苦情をいったり批評をしたりしてはいられませぬ。

 我々は何としても昨年9月の大震火災によって受けた苦痛を忘れることは出来ない。
 父母兄弟妻子を喪い、家屋財産を焼き尽し、川を渡らむとすれば橋は焼け落ち、道を歩まむとすれば道幅が狭くて身動きもならぬ混雑で、実にあらゆる困難に出遇ったのである。
 我々はいかなる努力をしても、再びかような苦しい目には遭いたくはない。
 また我々の子孫をしていかにしても、我々と同じような苦しみを受けさせたくはない
 これがためには我々は少なくともこの際において道路橋梁を拡築し、防火地帯を作り、街路区画を整理せなければならぬ。

 もし万一にも我々が今日目前の些細な面倒を厭って、町並や道路をこのままに打ち棄てて置くならば、我々十万の同胞はまったく犬死したこととなります。
 我々は何としてもこの際、禍を転じて福となし、再びこの災厄を受けない工夫をせなければならぬ、これが今回生き残った我々市民の当然の責任であります。
 後世子孫に対する我々の当然の義務であります

 実に今日における我々東京市民の敵は我々の心中の賊である。
 我々はまずこの心中の賊に打ち勝たねばならぬ。

 世界各国が我々のために表したる甚大なる厚誼に対しても、我々は断じてこの際喉元過ぐれば熱さを忘れる者であるという謗りを受けたくはない…』


 日本語ですごく熱く語る政治家(二世とか親の家業を引き継ぐような政治屋ではありません!)がいたのですねえ、関東大震災のあと。

 あのぉ〜、昨日の日記で12月1日土曜日、明治大学のシンポに参加した、と書きましたが、困民党のヤッホー君、電車賃がないために大手町から駿河台の明治大学まで歩いたのだそうでございます。
 ヤッホー君のブログでも登場してくる太田圓三(おおたえんぞう、1881(明治14)年-1926(大正15)年)の銅像の前をいつものように通り、手を合わせてきましたが、そのとき不意に、当時の東京の首長は、この国のトップは誰だっけ? と気になったのでございます。
 そうしたら、永田秀次郎、渾身の名演説『市民諸君に告ぐ』がでてきたのでございます。

 越澤明(1952年生まれ。現在、北海道大学工学部教授)『復興計画‐幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで』(中公新書、2005年)所収。

『一官僚の立場で「国家の命令としてやりたくはない」と語ることに要する覚悟の大きさを思う時、ここに凄まじい意志を感じずにはいられないのである。
 「市民」とは何か、について深く正しい理解があって初めて可能な一言だろう。
 市民一人一人の自助を促し、前へ、将来へと進む勇気を奮い立たせる、未曾有の災害時にリーダーが語るにふさわしい名文であると思う…

 永田は東京市長から鉄道大臣などを歴任したのち政界から引退、故郷淡路島に帰り、青嵐と号して俳人として余生を送る。
 1943(昭和18)年9月17日逝去、享年67歳。
 東京が空襲に見舞われるのは翌昭和19年からである。
 彼が復興に心血を注いだ東京が焦土と化すのを目にすることは無かった…』

(2011.03.27 Sunday20:20更新 東京市長永田秀次郎、関東大震災後の名演説「市民諸君に告ぐ」)
http://kousyoublog.jp/?eid=2572

 今度の選挙の第二の判断規準、それは、ムラ社会に棲息する自分と自分の血統や取り巻き連中たちだけが生きのびればいい、と考えているのか、ということですよね。
 「犬死」なんてさせてはいけません。
 ゲンパツ事故さえなかったなら、とお腹をすかせて、やせ細った牛たちにすまないと、牛舎の壁に遺書を認めて自死した東北の酪農家の無念さ、悔しさ、口惜しさを無駄にしてはなりません!
 その意味では、この国の兵隊や、農村からの開拓団とその家族、さらには東南アジアの多くの人びとの犠牲の上にできあがったこの国の基本の貌、「憲法」の精神を現実のものにする努力も放棄して、自分たちの利権のために都合よく、改悪させてしまって良いのか、ということにも行き着くはずですよね!
 この国に暮らしている庶民、その子や孫のことが目に入っているのでしょうか。
 目先のカネや景気のことしか念頭にないのでは…
 
 「美しい日本」なんて言葉は、荷を少なく切り詰め(清廉潔白)、水と弁当と合羽をもって、汗をかいて仲間と山登りして(現場主義)、山の変化にアレ、これでいいんだろうかって気づいた(感受性、想像性、文化性、社会性豊かに)こともないような政治屋、その単なる安易な軽い情緒の表現のまま、人を見下したような、突き放したような、自分勝手な言い方で言われたくない、使って欲しくない、軽々に口にだしてもらいたくないんだって、ヤッホー君!
 テレビで良くみられるような、あっははおっほほ、口を大きく開いて笑う姿をさらけ出すのが、あるいは逆に、記者団の質問に、上から目線で口許に、人を小ばかにしたような笑みをうかべてお話しするのが、文化大国ニッポンのリーダーのお姿なのでしょうか、だから、そんなのばかり眺めてアジアの人びとが、ジャパンも変わったねって言われちゃうんじゃないのかな、ね。

犬死(いぬじに)でなかった証拠にや 新憲法のどこかにあの子の血がかよう>。
 敗戦後、憲法制定の過程で憲法普及会が東京新聞と共催で募集した都々逸の入選作だ。
 子どもを戦争で失った庶民の思いが、ひしひしと伝わってくる。

 アジアを巻き込んだ戦争は、日本だけで300万人を超える死者を出した。
 都市は焼け野原になり、広島と長崎には世界初の原爆が投下され、おびただしい命が瞬時に奪われた。
 すべてを失った民衆にとって、不戦を誓う憲法は焦土から昇る希望だったに違いない。

 「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦で、ひめゆり学徒たちを戦場に引率し、戦後は琉球大教授になった仲宗根政善さんは1970年の日記にこんな一文を残していた。
 「憲法から血のいろがあせた時、国民は再び戦争に向かうだろう」
 戦争の記憶が国民の大半に刻印されていた40年以上も前の日記だ。
 実際に戦闘を経験した人や空襲の下を逃げ惑った人がとても少なくなってきた今、この言葉は予言のように重く響く。

 衆院選がきのう公示された。
 原発政策や消費税、TPP… 重要な争点が並ぶ中、憲法を論戦の後景に退けてはならないと強く思う。

 政権奪還を狙う自民党と第三極の要として勢いのある日本維新の会は、それぞれ憲法改正、自主憲法制定を正面に掲げる。
 平和主義という国のかたちを変えるのか。
 重い一票が託されている

(2012年12月5日付け東京新聞「筆洗」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012120502000121.html

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2012年12月04日

衆院選公示

 なんだか、サイキンの日記に筆力がない、山のお話に現実逃避しているのではないのかなって心配していますって、ヤッホー君のお友だちからのメールが入りました。
 「もつべきものは友なり」ですね。

 そうですか、お分かりですかね、一応、風邪気味ってことで冴えない顔付きの「振り」をしているヤッホー君、なんかこころの奥深く、爆発しそうなマグマがありそうなんです。
 今日はちょっとその辺を探りにでかけます。

 今日12月4日火曜日、郵便受けに選挙管理委員会より、「衆議院議員選挙」「最高裁裁判官国民審査」「東京都知事選挙」を知らせる郵便が入っておりました。
 投票日は12月16日日曜日、朝7時から夜8時までだそうです。
 大事な選挙だろうと思っております。
 今度は投票所に行こう、投票日に行けなかったら「期日前投票」ができる投票所に行こう、と強く思っています。

 いろいろと考えることがあるそうです。

 選ぶ目安その一、宇宙人なのかヤッホー君、やはり国際関係をどうするのだ、というのがあります。
 元外務官僚で大使まで勤め上げた方のふたつの方向をいろいろと思いやっているのです。

 まずは天木直人氏(1947年生まれ)から:

『脱原発とオスプレイは表裏一体だ。
 沖縄の苦しみは福島の苦しみと同じだ。
 日本国民の叫びに目をつむり米国政権の意向を優先する。
 そのような日本の政治を否定し、日本国民の暮らしと命を最優先する政治の実現。
 米国の手先になって動くこの国の官僚支配体制に終止符を打つ政治

 それを私は小沢一郎に期待しだからこそ応援してきた。それは小沢一郎でも困難だろうと思う一方で、今の政治家では彼しかいないという期待を込めて私は小沢一郎を応援してきた。しかしその彼が無罪が確定してこれから出番だという時に嘉田知事を担いだ時、私はそれをいぶかしく思った。

 そして嘉田知事率いる日本未来の党の立候補予定者の最終顔ぶれを見て、深い失望をおぼえた。

 これでは対米自立はできない。対米従属の官僚たちとは戦えない。

 たとえ全員が当選しても何の役にも立たない。

 総選挙後の政権は、どのような組み合わせになろうとも、日米同盟深化で見事に一致する政党たちの連立政権になるだろう。

 本物の脱原発などありえない…』

(2012年12月04日付け天木直人ブログ「対米従属からの脱却なくして脱原発はありえない」)
http://www.amakiblog.com/archives/2012/12/04/

 で、ね、実はヤッホー君、12月1日土曜日は明治大学アカデミーホールにいたのです。
 明治大学と和歌山県の共催で、外務大臣就任120周年記念「陸奥宗光シンポジウム」が開催され、その会場1500人(!)の中におりました。
 サブタイトルは「和歌山県(紀州藩)が生んだカミソリ大臣、陸奥宗光と日本外交」でした。

 陸奥宗光は江東区清澄1-5に案内板があり、近所に住んでいたことがあるお馴染みの方なのです。
 不平等条約の改正に尽力した外交官という陸奥宗光については、ヤッホー君のこのブログですでに、昨年の2011年12月31日付け日記「横瀬町」でとりあげておりますのでご参照ください。

 そんなわけで参加したシンポジウム、それはそれで勉強になったのですが、最後に岡崎久彦氏(1930年生まれ)はこんなことを明言しておりました。
 外務省や、外交畑、政界に今でもご意見番として影響力ある御仁が、持論を前提も分析も射程もなく、断定的に(イデオロギー)、こんな発言していいのだろうか、と首を傾げたのでそうです。
 それ以来、肩がこって、あたまが重く、風邪を引いてしまったような症状になった、と:

最後に、岡崎久彦さんが、薩長が朱子学・陽明学の「忠義」を思想の基礎においているのに対して、陸奥宗光は荻生徂徠の「民のため」が思想のベースにあり、それが派閥を超えて慕われた宗光の魅力につながっているのだとおっしゃっていました。
 また、現在の外交に必要なものということでは、日清戦争後の三国干渉での陸奥宗光の判断などを紹介しながら、「日米同盟を確固たるものにすることが最も重要」とおっしゃり、さらに来るべき総選挙に向けては、「人間の器」が大事と話をされていました

(「ほっと! 和歌山県」和歌山県広報リレーブログ 広報課 林 清仁分責)
http://wakayamapr.ikora.tv/d2012-12-01.html

 陸奥宗光なら、この国の現状を見てどういう判断を下し、どう皆を説得するのだろうか、についてどうパネリストは語るのだろうかと期待して参加したシンポジウム。
 しかし、この岡崎久彦氏の最後の一言で、ヤッホー君はこれまでの2時間半のお勉強会でパネリストが語ってくれた言葉も極めて軽いものになり、なんだぁ〜、アメリカ橋を渡ってアメリカ村に避難しようよっていうアメリカへの片思いの連中ばっかりじゃないか、と寒気がして、風邪を引いてしまった、とこういうわけでございました。
 これに1500人もの高齢者の日本人ギャラリーが、当事者意識をかなぐり捨てて、テレビでゴルフでも観戦しているように拍手しています…。現役のときによほど良い思いをしてきたのでしょうね…(と嫉妬気味)。
 
 そうなんだぁ〜、「なんだか変な気分」というNHK状態で帰路についたと、こういうわけでして、そのNHK、いつもながらなのですが、選挙に行く前にもう結果を有権者に押し付けてきております。

脱原発である。福島事故を経験した今、核の暴走を誰も止められないのは、痛いほどわかった。これは言うまでもない。
 右傾化TPPはこれまでになかった日本に壊滅的影響をもたらすような方向性。これだけはなんといってもxである。

 これに脱原発も含めると、悲しいことに、多くの政党が選択肢から外れるという、異常な現実。
 国民たちの切実な願いと政治が本当にずれて、ねじれてしまっているのだ。

 ところが、なぜか世論調査では、ウルトラ望ましくない方向を志向する政党の支持率が高くて、驚いてしまう。
 日本人はどうなってしまっているのでしょうか

(弁護士伊藤和子先生の11月30日(金)付けダイアリー「日本の右傾化がこれ以上進まないように-決めるのは主権者」)
http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/--6770.html

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2012年12月03日

猪ノ川林道

 カイチョウからのカイジョウにさまざまにこだまが帰ってきます、ヤッホー!
お疲れさまでした。
 風邪も十分でないのに最後までありがとうございました。
 まだ咳がでていましたね。
 次回までには治して下さい。
 紅葉を愛でながらの森林浴は心も身体もスッキリ、明日からの師走の忙しい仕事の励みになりました。
 温泉もきれいな所で、露天風呂もまた背景がよく満足です。
 参加して良かったです


 温泉…、これは天然温泉「海辺の湯」(富津市金谷525-17 Tel 0439-69-8500)です。
天然温泉「海辺の湯」は、目の前に広がる海を眺めながら入浴できる、日帰り温泉です。
 泉質は、皮膚を滑らかにする炭酸水素塩水、「美肌の湯」ともいわれております。
 晴れた日は富士山を一望できる絶景の大露天風呂、ゆったりとした内風呂、施設の外には無料の足湯もあります

http://www.umibe-4126.com/

昨日は本当にいろいろとありがとうございました。
 また、子供の相手をじっくりしていただいて、本当にありがとうございました。
 あのペースですので、皆さんと山頂を目指して山に登るのはまだ難しいかと思いますが、また自然観察などゆっくり歩きのイベントがありましたら、ご一緒させていただければと思います。
 今後ともよろしくお願いします

 
 なんて返事をしたかって興味あるでしょ?

セミの抜け殻.jpg

 8歳(小学校3年生)のお子ちゃまは、猪ノ川林道の道筋に穴ぼこは見つけるは、生き物の息遣いの後を見つけるは(写真はセミの抜け殻です)、鉱泉(硫黄の混じっている白っぽい水)を見つけるは、カマキリとカミキリの違いを説明してくれるは、ボランティアのガイド(千葉演習林ボランティア会Abies)を驚かせておりました。

 こんな風に日頃からのうざったくなるようなカイチョウ哲学を振りかけたメールで恐縮です:

ご丁寧なメールをいただき恐縮しております。
 迷惑をかけても許せる、わがままを言っても許せる、足かせとなっても許せる、そんな仲間が集いあう会が「山歩クラブ」の理想でして(だってさ、高山で動けなくなったら、万が一事故があったら知らん振りはしないよね、どうするのよね…皆んなが互助 mutual aid の精神をださないとさ、単独行とは訳がちがうでしょ)。
 でも、あんまり言いすぎると新興宗教っぽくなるし、キョウサンシュギっぽくなるし、困ったもんです。
 と言って、黙っていると不満が溜まってここは山歩クラブでなく老人クラブだなんて揶揄されるし…。
 ま、そういう10年の歴史なんですが、何とか、このように地域のお隣りさんが誰でも、「よっしゃ行ってみるか」みたいな、間口の広い山歩クラブを作って定着させていきましょうよ! 
 お子ちゃまとは友達になれたと思うし、また次回も誘ってみてくださいね。
 旦那さんもぜひお誘いの上、家族皆さんで楽しみにいらしてください(その意味で夫婦割とか家族割のサービスが導入されています!)
 山歩きを通していつまでもこころもからだも健やかに


 だって、ヤッホー君、12月3日月曜日朝、山梨県大月市と甲州市にまたがる中央自動車道笹子トンネルの天井板崩落事故を知ってびっくりしました。
 この事故で思った一番のことは、天井板が外れると死亡事故。
 絆が外れると心痛。
 だから、いまの繋がりをいっつも大事に強固なものに、お互いがそれぞれ確かめ合うことでしょうねってこと。
 皆さんも寒さ対策万全にして今日も良き一日を、ね。

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2012年12月02日

千葉演習林

 「期間限定の一般公開が今日まで!」がほかにもまだ、ありました。
 山歩クラブでは、12月2日日曜日、仲間12人で関東最後の紅葉を楽しみに専用バスで朝6時に下町をでました。
 昨年に続き2度目の訪問です。
 
『千葉演習林では、紅葉のシーズンにあわせて亀山湖上流にあたる猪ノ川渓谷(千葉県君津市)を一般に公開いたします。
 幅広い年齢層の方にお楽しみいただけるイベントです。
 なお、2011年秋より公開区間を300mほど延長し、折り返しコースに変更となります。
 公開日:2012年11月23日(金祝)・24日(土)・12月1日(土)・2日(日)』

(東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林)
http://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/event/20121115chiba.html

のびのびと枝葉を伸ばす天然林の生命力は、訪れる者に自然の偉大さをあらためて見せつける。
 房総半島の南東部、房総丘陵の東端に位置するここは、東京大学大学院農学生命科学研究科付属の演習林。
 1894(明治27)年に創設された、日本初の大学演習林だ。
 天然林、人工林、苗畑などに区分され、教育・研究を目的に管理されている。

 その一部を毎年春と秋に無料で一般公開している。
 今秋は11月23、24日、12月1、2日の4日間。

 「日本一遅い」といわれる紅葉が楽しめるのも魅力。
 赤く色づくカエデ類、黄金色のメタセコイアやケヤキ、常緑樹の鮮やかな緑の競演が美しい

(2012年11月16日付け東京新聞「澄んだ空気に包まれて 千葉演習林(鴨川市・君津市)」)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/info/check/CK2012111602000164.html

東大演習林.jpg

 ヤッホー君からは仲間宛てさっそく報告の回状が:
皆さん、こんばんは。
 今日は東大演習林と隣の三石山282m(バス待機組は亀山湖一周)を歩いてきました。
 関東最後の紅葉と言うに相応しいロケーションとタイミングでしたね。
 おつかれさまでした!
 それにしても朝焼けと同時に下町を出て、お台場あたりを通っていたとき、車窓から真っ赤な朝陽を拝み、そして富津の立ち寄り湯から東京湾を眺めながら露天風呂に入り、湯上りに乾杯するともう日が暮れていました…、
 なんとまあ、日中の短さよ、日の暮れるのが早いこと、寒さもあってか、一層、日のありがたさを実感できた師走第一弾の山行企画でした。
 どなたかは風邪をおしての参加でしたが、どなたさまもこれからは一層、体調管理に留意なさって、忙しい師走を乗り切りましょう。
 いつものようにてきぱきと安全運転をなさってくださった大坂さん、そして説明してくださった東大農学部の学生さん院生さん、特に中渕遥平さん、小原章裕さん、さらに森林浴を楽しまれた仲間の皆さん、ありがとう、そしてまた来週までごきげんよう!
 集合写真の背景には見事な黄金色の並木道。
 100万年前に絶滅したと思われていたメタセコイヤの見事な紅葉です

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2012年12月01日

修禅寺

『修禅寺庭園〜東海第一園〜
 秋の特別公開
「1907(明治40)年、大正天皇東宮にあらせらるゝ時、御親臨を賜い、庭園の幽邃を激賞してのたまわく、東海第一園と。
 因って東海第一園と号す」
(深谷博道師著「修禅寺夜話」より)
 これまで非公開だった修禅寺方丈の庭園を期間限定で一般公開します。
 伊豆の古刹が守り伝えてきた名園で晩秋のひと時をおすごしください。
 庭園保存協賛金としてお一人200円のご志納をお願いします(中学生以下無料)』

(中庭公開)
http://shuzenji-temple.com/gyouji12.html

PB290044.jpg

PB290050.jpg

 上の写真は中庭から本堂を臨む。
 下の写真はお御堂の硝子窓に中庭が写っているのを写しました。


 そうだったんです。ヤッホー君の伊豆・修善寺への紅葉狩りは、この福地山修禅寺中庭の期間限定の一般公開(2012年11月22日(木)より12月2日(日)まで)にあわせたものだったのです。
 明日までの公開となっています。

 修禅寺と修善寺って同じ? 前者は寺、後者は温泉?
 修禅寺は、というと:
 
修善寺温泉発祥の寺で温泉場の中心にあり、平安時代初期の807(大同2)年、弘法大師の開基と伝わっています。
 鎌倉時代に北条氏が帰依したことから寺運が隆盛となり、堂塔が連なる大寺となりました。
 一方、1194(建久5)年、源の範頼は兄将軍頼朝の猜疑を受けここに幽居、梶原景時に攻められて自刃したといわれています。

 PB290059.jpg

 写真は源範頼の墓所。ここまで坂を上ってくる観光客はいませんでしたね。

 また、頼朝の長子で2代将軍頼家は、母政子と祖父北条時政の謀略により幽閉され、1204(元久元)年、入浴中に暗殺されるなど、源氏一族の骨肉相はむ悲劇の舞台となり、源氏滅亡の場として歴史にその名を残しています


PB290067.jpg

 「指月殿」の側にある源頼家の墓は、なんとまあ、この小さな二基の五輪石塔でした。

(伊豆市観光情報)
http://www.city.izu.shizuoka.jp/kanko/form1.html?c1=5&c2=5&aid=1&pid=2375

 伊豆・修善寺へのプチ旅。
 ここは、この国の自然美と哀れの精髄を桂川沿いに凝縮しているところ。
 そして、土地の精霊が、豊かに時の流れをたゆたうところ。

posted by fom_club at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする